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【工学部】電気電子工学科

199学籍番号774:2008/08/01(金) 23:16:10
[編集] 身体能力
100m10秒台、立ち幅跳びでは360cm以上を飛ぶ人間離れした瞬発力を持つ[2]。
(高校2年生のときには既に体力測定で立ち幅跳び327cm、30m走は3秒79、立三段跳10m10cm、立五段跳17m06cmを記録している。)高校時代、初体験のやり投で国体2位になる。
初めてやり投に挑戦する際は、小石を数回投げて勘をつかみ本番に挑んでいたとジャンクスポーツで照英が語っていた。

長野五輪前、東京ボブスレー・リュージュ連盟が選手発掘のために行った運動能力テストに参加しズバ抜けた成績を叩き出し、日本代表候補に選ばれる[3]。
(後にハンマー投へ集中するために辞退)。

TBS系列放送のスポーツマンNo.1決定戦で2002年の総合No.1に輝いた。競技の1つ、
砲丸投やハンマー投の五輪メダリスト達も参加した『ザ・ガロンスロー』では世界記録8m25cmを持つ。
また彼はこの2002年大会で、パワーだけでなく抜群のスピードを発揮。スピード系競技であるビーチフラッグスでは、
上位経験者のスピード自慢が揃う中でダイブもせずに種目No.1を勝ち取り、ショットガンタッチでは12m90cmという記録を作る。
パワーフォースでは、競技開始時の構えが手を腰におき仁王立ちというプレー(この種目もNo.1)、モンスターボックス(跳び箱)では18段を越えるなどの活躍をした。

2004年11月12日の日米野球の始球式では、当日まで投球練習はしていなかったが、129km/hを計測。
2回目の2005年4月5日のプロ野球横浜-巨人戦の始球式では131km/hを計測した。この時の打者は室伏と交友関係のある仁志敏久(当時巨人)だった。
球筋は二回ともストライクで、コントロールも抜群であった。 また握力98kgというのは、愛知小学校へ招かれた際、握力測定を試しにやってみた時の記録である。

ただし、マラソンなどの長距離走は苦手で、学校のマラソン大会でもスタート直後は断トツだったが、いつもゴールする頃には殆どビリであった。
またそれを父の重信に語ったところ、「お前は速筋比率が高いから、そういうのには向いていない」と言われたとNANDA!?にて語った


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