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【卒業塾生】慶応OB・OGが深夜に戯れるためのスレXVII

317名無しの塾生:2021/07/24(土) 22:55:34
170ニューノーマルの名無しさん2021/07/24(土) 21:54:28.29ID:J6q0glO20
>>70
ユダヤ人の救出は、樋口少将が独断で行ったのですか。
まさか、そんなことはできません。
「要領」の決裁者も、ユダヤ人救出の責任者も、関東軍司令部参謀長の東條英機でした。
上司である東條が認めなければ、樋口少将は動けません。絶対に無理です。
何かあったら責任を取るのは、樋口ではなく東條ですから。

その後、日本とドイツとの関係はどうでしたか。
後日、日本政府はドイツ外務省の強硬な抗議を受けました。
東條はそれを「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」として一蹴しました。
ちなみにこの時、樋口少将から依頼されて何本もの列車を手配し、ユダヤ人を移送したのは、満州鉄道総裁の松岡洋右でした。
松岡はその後、外相としてドイツと交渉しています。
彼は日中に来たユダヤ人に「私はヒトラーとの同盟の責任を負っているが、
日本で彼の反ユダヤ人政策を遂行するとは約束していない。
これは単なる個人的な意見ではなく、日本の意見だ」と述べています。
これは国策でした。38年12月、首相、陸相、海相、外相、蔵相が集う最高位の国策検討機関「五相会議」で「ユダヤ人対策綱領」が決定されます。
これは「日本が長年にわたり主張してきた人種平等の精神」に基づいて「ユダヤ人を平等に扱う」というものです。
相当な「反ナチス政策」で、世界のどの国もそんな決定はできませんでした。
世界中の人々が知るべきものです。これを提案した板垣征四郎陸軍大臣を筆頭に、五相会議を開いた5人は全員がヒーローです。
彼らはもっと勲章を受け、尊敬されるべきです。

満州へ入国したユダヤ難民の一部は、日本に送られ保護されましたね。
そこでも日本人は、彼らを丁寧に扱いました。
実際日本人は、食べ物、着る物、住む場所、病気の治療、すべてを供給しました。
誰ひとり犠牲者は出ませんでした。
ユダヤ人たちはそんな日本を「エデンの園」と呼んでいたのです。

樋口少将はキリスト教徒だったから処刑されなかった、実はソ連のスパイだったなどの噂があります


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