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325名無しの塾生:2015/01/29(木) 20:48:50
園田天光光さん死去、「運命に逆らわぬ人生」 戦後女性初の国会議員、餓死防衛、不倫結婚、息子との政争・・・波乱のその人生
withnews 1月29日(木)20時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150129-00010000-withnews-soci

園田天光光さん死去、「運命に逆らわぬ人生」 戦後女性初の国会議員、餓死防衛、不倫結婚、息子との政争・・・波乱のその人生

園田天光光さん=東京都内で、2012年11月30日、麻生健撮影

 戦後、女性初の国会議員になった園田天光光(そのだ・てんこうこう)さんが多臓器不全で亡くなりました。96歳でした。天光光さんは、同じ議員で妻子があった園田直氏との大恋愛の末に結婚、「白亜の恋」として世間を騒がせました。国会議員で初めて出産を経験し、国会に授乳室を設けるなど、女性の社会進出の道も切り開きました。関東大震災や戦争、戦後の食糧難といった修羅場を生き抜いた波乱の人生でした。

「天光光」は本名?

 天光光さんは1919(大正8)年、東京都生まれ。実業家で教育熱心な父親のもとで育ちました。当時としては珍しく、父親は「これからの女性は男性と同じ理解力を持たないと生きていけない」という考えの持ち主。その思いを受け、4人姉妹の長女の天光光はさんは政治家に、妹たちも医者や公認会計士になり、「職業婦人」の先駆けとなりました。

 「天光光」は本名です。男の子が欲しかった父親が、「明治維新の志士のように社会を変える人間になって欲しい」とつけたそう。「天は太陽、光は闇夜に人を導く星」を意味するそうです。ちなみに妹たちの名前も天星丸(てんほしまる)、天飛人(あまひと)と、ユニークでした。

早大の受験で教師とけんか

 天光光さんは東京女子大を卒業し、1940年に早稲田大学法学部に進みます。本当は政経学部に行きたかったところ、「女性は英語の勉強時間が少ないから原書が読めないだろう」という理由で大学側がなかなか願書をくれなかったそう。なんとか受験にこぎつけて筆記は通りましたが、面接では教師らと大げんかに。

 「どこに就職するつもりか」
 「早稲田なら人間一人が生きていけるように育てていただけると信じてきました」
 「生意気をいうな。女なんか、かまどの前に引っ込んでいろ」

 結局、政経学部は不合格に。しかしその後、女性の社会進出に対する理解者が多かった法学部に合格しました。それでも、学生300人のうち女性は3人だけだったそうです。

 戦争が激しくなり、42年9月に半年繰り上げで卒業しました。戦争中は海軍の工場で働く若い女性の相談役に。空襲を受けた茨城県の土浦では、事前に割り当てられた防空壕(ぼうくうごう)に避難すると満杯で入れず、なんとか隣の壕へ走って転がり込みました。しかしその時、自分が入るはずだった壕を爆弾が直撃。多くの人が命を落としました。天光光さんは後に、当時の体験をこう振り返っています。

 「私はただぼうぜんとしていました。割り当て通りなら、私が死んでいました。『自分の運命に逆らわない』。自然体の生き方を大切にしているのは、こうした経験からかもしれません」


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