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極東スレ その3くらい

738名無し@砂上の楼閣:2006/01/19(木) 02:25:34 ID:KxAM1GUo
チマチョゴリはパクリの集大成!現在の形を作ったのは日韓併合時代の
日本の和服職人たち。

韓国、北朝鮮の女性の民族衣装と言えばチマチョゴリ。
しかし今チマチョゴリと言われている衣装は実は日韓併合時代に
日本人の手によってデザインされた衣装を韓国が勝手に自分の国の物に
しているだけである。なお北朝鮮のチマチョゴリは韓国のそれに比べて
極めて質素であるが、朝鮮半島北部はそれほど日本の統治が行き
届かなかった事に加えて南北戦争後の独裁体制による厳しい統制もあり
比較的チマチョゴリの原形をとどめている。北朝鮮の映像でよく見かける
上が白系の単色で下の超ロング袴みたいが濃い色の単色、これが本来の
姿に近いチマチョゴリである。

チマチョゴリの原形とも言える衣装はモンゴル地方に今も見る事ができる。
民俗学の見地から見ても大陸から伝来してきている事はほぼ間違いないと
考えられているが、朝鮮民族には、長男を出産した女性は胸だけを
露出すると言う風習があった。あの胸下まであるロング袴は、
長男を出産した女性が腹部まで保温できかつ胸を出せる服装として
考案され進化した訳である。ここまでであれば、チマチョゴリが
朝鮮の民族衣装であり、朝鮮が発祥の地だと言っても問題なかった。

日韓併合によって急速に近代化が進んだ朝鮮半島では、日本の統治の元、
衣料に関する改善策が推し進められた。まず繊維技術を学ばせ、洋服を
作る技術と設備を提供した。それまで朝鮮にはチマチョゴリにしろ、
その他の服装にしろ、前が開く浴衣の様な構造の衣服しか作れず、シャツの
様な衣料品を作る技術がなかった。また女性の胸出しの風習は
胸の露出は女性の健康に悪く、乳幼児に授乳する時に雑菌が混じる
として衛生環境改善策の一環として、何より近代国家を目指す上で
女性の胸の露出を行わない様に指導した。

多くの諸君がチマチョゴリとして目にしているであろう胸元のリボンは、
胸出しを封じられたチマチョゴリで女性らしさを協調するために日本人の
和服装飾技師が考えたデザインである。それまで結び目を大きく作る事で
結び目その物を装飾とする考えは元々朝鮮の衣装には無かった感覚である。
さらにチマチョゴリの太い帯は和服の帯そのものである。北朝鮮のそれと
比べれば、本来のチマチョゴリはヒモか細い帯で止める物である事が判る。

戦後近代化の進んだ韓国は洋服が全盛となりチマチョゴリは次第に
民族衣装から礼服と姿を変える事なるが、染めてから刺繍を入れる
装飾方法は統治自体の日本から伝授された技術であり、和服そっくりなのは
それゆえである。


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