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メモ

1日桜:2013/04/29(月) 20:22:10 ID:CwPkAGVI
なんか適当にメモってるスレ。

2日桜:2013/04/29(月) 20:23:03 ID:CwPkAGVI
平忠度
歌人としても優れており藤原俊成に師事した。平家一門と都落ちした後、6人の従者と都へ戻り俊成の屋敷に赴き自分の歌が百余首おさめられた巻物を俊成に託した。『千載和歌集』に撰者・俊成は朝敵となった忠度の名を憚り「故郷の花」という題で詠まれた歌を一首のみ詠み人知らずとして掲載している[2]。『千載和歌集』以降の勅撰和歌集に11首が入集[3]。なお、『新勅撰和歌集』以後は晴れて薩摩守忠度として掲載されている。

源頼朝討伐の富士川の戦い、源義仲討伐の倶利伽羅峠の戦い等に出陣。一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄と戦い41歳で討死。平家物語によると源氏に紛れる作戦をとっていたが、源氏の多くが付けていないお歯黒を付けていたので見破られて討たれた。その時箙(えびら)に結びつけられたふみを解いてみると、「旅宿の花」という題で一首の歌が詠まれていた。

3日桜:2013/04/29(月) 20:24:57 ID:CwPkAGVI
岡部忠澄
保元の乱、平治の乱では源義朝の家人として、熊谷直実、斎藤実盛、猪俣範綱とともに従軍して活躍した。源義朝の死後は故郷の岡部に戻っていたが、治承4年(1180年)に義朝の遺児・源頼朝が挙兵すると、それに従うこととなった。木曾義仲追討戦の後、源義経の指揮下に入り、寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いでは平忠度と組み討ち、討たれそうになるも郎党の助太刀によって忠度を討ち取った。

平家滅亡後は源頼朝に従い、その御家人として奥州合戦や頼朝の上洛にも付き従った。

4類花:2013/08/20(火) 02:19:02 ID:???
作詞中の歌詞 メモ

「嫌いなら関わらないでよ」
君は自虐的に笑う
嫌だ、僕は関わるよ
「なんで?嫌いなんでしょ」
本当は答えを知ってるくせに
なんで君はそう自虐的に笑うの?

言いたくても言えないんだよ
気づいてよ、「嫌い」は
表裏一体の愛の言葉
強がりで素直になれない僕の愛の言葉


即興で思いついたのメモしといたけど、
あまのじゃくっぽくてワロタww

5類花:2013/08/20(火) 23:39:56 ID:???
作詞中の歌詞メモ

どうしていつもそうやって
後ろを振り向いているの?
戻れない恋だって
わかってるのに泣いちゃうの?

溢れる想いが熱くて冷たいなんて
言葉にできない感情
こんなの初めてで戸惑った
湧き上がる本音ほど
うまく言葉にできなくて


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