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【北大】北海道大学@避難所PART21【ボッチィズ!】
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名無し\(^o^)/@大学生速報
:2021/01/11(月) 17:04:05 ID:wx5Ruji6
少年期にすることをしていれば、青年になって無気力になることはない。少年時代にすることをしていないから、青年になって生きるのが辛くなってしまう。
このように人は、なかなかその時期その時期に解決すべきことを解決しないで生きてしまうことが多い。そこで次の時代には挫折する。挫折しなくても生きるのが辛くなる。その時々を楽に生きてしまったツケが次の時代に回ってくる。
人は、自分がその年齢ですることをきちんとすることで、次の人生を生きる土台を築くことができる。その土台がないままに次の時代に行くから、生きるのが辛くなるのである。五歳児の大人とは、生きる土台のない人々のことでもある。
社会で生きていくための技術の習得が必要になるのも、青年の時期である。その課題を逃げる人もいる。そういう人も、中高年になってから生きるのが辛くなるのだ。
人生は次第に厳しくなっていく。それなのに、その時期その時期にするべきことをしないで生きている人が多い。
子供の時期に子供にしかできないことを十分に堪能した大人と五歳児の大人とでは、同じ年齢でも心理的にはまったく違った世界に住んでいる。子供の時期にしかできないことを、「もういい!」と言うほど、堪能した子供は、満足している。だから、五歳児の大人が「辛い」と感じることも「楽しい」と感じることが多い。
五歳児の大人の性格的特徴の第一は、真面目で憎しみを持っていることである。
人から好意を得るために真面目にしている人は、何かあるとまったく人が変わる。人から受け入れてもらうために真面目にしている人は、道徳的でもなんでもない。彼らは認めてもらうために倫理的に振る舞っているだけで、もしわからなければ普通の人よりもはるかに反倫理的なことを平気でする。
自分の本性を否定して真面目を装っている人は、徳の人ではない。真に徳の人は、自己実現をしている人である。
礼儀正しい人は、いわゆる防衛的性格の人である。そんな人は、何か人前で下品なことを言ってしまいそうな不安を持っていることもある。それだけに余計、意識的な態度は真面目になる。このような人は、真面目だけれど活力がない。真面目だけれど明るくない。真面目だけれど底意地が悪い。
「私はやったんだ。もう、とことんやったんだ」と思ったときには、後悔はない。人生を生きにくくしている五歳児の大人は、やりたいことをやるだけやった、という経験が一度もないのである。
また、そういう人間関係を作っていない。五歳児の大人には、「これだけやって、これだけ愛情を尽くしてやった相手が、この言葉を聞き入れてくれなかったとしても、私はもう後悔しない」という関係がない。
いつも、したくないことを我慢していしている。だから辛い。自分では辛さに耐えて必死で頑張っているつもりだけれども、周りの人は「根性がある」と誉めてくれることはほとんどない。五歳児の大人は頑張っているから誉められてもいいと思うが、はたから見れば、それほど成果があがっていないのだから、誉められることはない。
五歳児の大人は頑張る。しかしその「頑張り」のエネルギーは、誰かほかの人との心の触れ合いの中で生まれたものでもなく、恐怖から生まれている。
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