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ショート・ショート

1神田吟太:2012/04/04(水) 10:31:16
時ならぬ台風一過、晴れ渡った空の下をいつものように、駅の近くのコンビニで水と野菜ジュースを買って
事務所に向かって歩道を歩いていた。
紺のスーツに水色のネクタイをした若い男がすれ違い様に、照れながら会釈したように見えた。初々しい感じだ。
誰だろう。歳をとると判断力が鈍い。
すれ違って二三歩、そうださっきのコンビニで働いていた青年だ。
今朝はいなかったのか、気がつかなかった。
この街の事務所の仕事をするようになって、もうすぐ五年。彼はいつからあの店にいたのだろうか。
あっ、就職が決まって初出勤かもしれない。氷河期をアルバイトで耐え忍んでいると勝手に想像していた。
見当はずれかもしれないけれど、おめでとう。週末は桜が咲いているかな。

2津山:2012/04/04(水) 22:07:55
墨田の千本桜、14日でも咲いている。
7日は混んでいるだろうが、それはそれで由。

3津山:2012/04/05(木) 12:49:22
第21回 柴又さくらまつり/葛飾区

4月7、8日。

会場寅さん記念館。

4くら:2012/04/06(金) 09:39:42
花見句会の案内を封書で頂いていて、おおきに。
句評を読んでいると、面白かった。達筆だね。女性かな。
出られないけど、よろしく。

5津山:2012/04/06(金) 10:34:39
現代俳句協会の理事をされている、和田浩一さんと言う男性です。

現代俳句協会のホームページに和田さんの俳句が載っています。

6神田吟太:2012/04/21(土) 09:52:13
もう随分むかし、故郷の友達で佐八という陽気で愉快な男がいた。
彼は関西のK大学を卒業し大阪の金融会社に就職した。
入社後すぐ東京支社に配属となり上京した。
数ヶ月経ち仕事にも暮らしにも慣れて来た頃に、富ヶ谷タイムスのN記者に連絡が入った。
私にもお声がかかり3人で新宿で呑んだ。遅くまで痛飲し結局その夜は、佐八のマンションにN記者も私も泊めてもらった。
佐八は言った「N、今度赤坂へ金髪買いに行こかえ」。

2週間後私は参宮橋のN記者の木密アパートを訪れた。
彼の家宝である太宰治文学全集の入った本棚の上に、見慣れぬあるものを発見した。
それはスタンドに架けられた金髪のカツラだった。

7神田吟太:2012/05/20(日) 06:55:20
「いやぁ〜。トイレでケータイ落っことしてね」

「究極は首から吊るすしか、ないですね」

「まぁ〜、鍵も落としたし。年取ると忘れることが多くて眼鏡とか、首からいっぱい吊るすんだね」

「いやぁ〜。究極は住所と名前を書いたカードだけです」

8津山:2012/05/20(日) 07:43:10
69の姉も柿を吊るしてご馳走してくれる。

首からのカードでなく縫い付けたほうが良い。

9駄作:2012/09/01(土) 08:44:21
昨日待ち合わせの時間つぶしに書店に寄ったら、文春が積上げられていて、
芥川賞受賞作全文掲載とあったので、何年ぶりかで買ってみた。
鹿島田 真希 「冥土めぐり」
この作家は初めて読んだけれど、文章がこなれていてすらすら読める。
途中から太宰の「斜陽」だなと思った。
戦後間もなくの時代から60余年、現代性はある。
草食系男子というやつだ。身障者となった主人公の夫はまさしくそうだ。
肉食獣のように挑まず、かわしながら生きている。
もうひとつは父親の不在だ。母親の影響が絶大になり当然いい結果は生まれない。
思っていたより読み易く一気に読めたことに、ほっとしている。

10津山:2012/09/05(水) 16:34:27
都心からタクシーで帰宅したことが時々あった。

それは最寄の駅からタクシーで帰宅に変わった。

そしてそれは最寄駅からのバスに変わった。

今は最寄駅から25分歩いて帰宅している。

11駄作:2012/10/16(火) 15:34:23
ノーベル文学賞 村上春樹氏逃す

日中関係に配慮して中国に取らせたのだろう。

来年は取ると思う。

川端康成、大江健三郎の系譜では考えられないのかもしれない。

12津山:2012/10/16(火) 17:03:17
サルトルだったっけノーベル賞を拒否したのは。

ビートルズは返上したのか。

13駄作:2012/10/16(火) 17:15:45
サルトルは辞退したみたいだね。

ビートルズにはそんな話はなかったように思うけど。
ジャンルがちがうしね。平和賞か?

14津山:2012/10/17(水) 11:25:22
エリザベス女王の勲章の話。
はしょったんだ。
ジョンだけかもしれない。

15駄作:2012/10/17(水) 15:30:00
確かそんな話はあったね。

寅次郎にノーベル医学賞。夢のなかだったかな。

16津山:2012/10/17(水) 15:45:34
授賞式より手術を優先していた。

17駄作:2012/10/17(水) 15:59:16
結局、トンカツをナイフとフォークで切っただけの手術だった。

18津山:2012/10/17(水) 16:29:53
夕立の時に「呼ばれて入って」食べた押上のヒレカツと生ビール、美味かった。

磁石の箸だった。

19駄作:2012/10/17(水) 19:50:22
俳句にもあったが、トンカツ屋に呼び込みがいるのか?

20津山:2012/10/17(水) 20:20:21
急な雨でね、少し雨宿りをしていたら、いかがですかと声をかけられ即入店。
そこは二度目だった。
ペッパーランチステーキの経営でありとんかつ店と言う意味合いだ。

本所吾妻橋界隈ではむ老舗である。

21駄作:2012/10/18(木) 11:45:59
間口が狭くて奥行きが長い、昔ながらの洋食屋で食べてみたいね。

そういう時はビールに限るか。ワインでもいいか。

22津山:2012/10/18(木) 11:52:55
今早稲田に行って来た。
昔ながらのキッチンあったよ。
御茶ノ水にも押上にもある。

23駄作:2012/10/18(木) 11:54:40
とんかつ屋と洋食屋の違いは?

とんかつ屋はご飯がお茶碗に入っている。味噌汁(とん汁)が出てくる。
洋食屋はご飯は皿に盛ってある。スープかポタージュがつく。

でもどちらもビールは置いてるね。日本酒はとんかつ屋かな。ワインは洋食屋だ。
食べるカツの味まで違うような気になる。
刻んだキャベツはとんかつ屋の方が多いか。

24津山:2012/10/18(木) 12:30:07
そのかつ亭は、キャベツ食べ放題。
細かくカットされてやさしい味だ。
焼酎の水割りでも良い。

とんかつ屋と洋食屋の違いは?
普通とんかつ屋は高いので大人になって酒などと食う。
御茶ノ水のとんかついもやは300円でご飯お代わり自由だった。
となりのジャンボと言うカレー専門店は、100円150円190円くらいだったか、普通大盛りジャンボ盛りだ。
洋食屋は御茶ノ水のバイトの影響で、手ごろな感じもする。

25津山:2012/10/18(木) 12:31:37
日本橋タイメイ軒は、カレーのみ700円くらいで、後は手が出ないほど高い。

26駄作:2012/10/18(木) 13:59:02
>日本橋タイメイ軒(漢字忘れたけど)

もう12年も前、日本橋勤務時代に1度行った。
家具はマホガニー調で格式があった。

日本橋地域は江戸時代からの老舗が多く、大企業ではないが経営者はプライドが高かった。

箱根駅伝のスタート・ゴールも地域として支えているように思う。

27津山:2012/11/09(金) 12:14:34
彼は老眼になった。
眼鏡があれば生活には困らない。

投資していた会社と連絡が取れなくなった。
こちらの資力は戻らないだろう。

めがねが間に合わなかった。

28駄作:2012/11/11(日) 09:37:32
今日は飲まずに帰ろうと事務所に向かっている時に携帯が鳴った。
携帯電話が世に出る前ならこういう悲劇は起こらない。
飲み屋に居るから来ないかと言う。
近いうちにやりましょう、と言っていた相手なのであっさりOKした。
どこかの国の総理と違って、近いうちの意味は明瞭なのだ。
事務所にもどりメールの確認をしてから、件の店に行った。
二人の相手はいいご機嫌であった。
遅ればせながらまずはビール。
次はというと一人が日本酒をと言うので、空きっ腹に冷の八海山を四号瓶で飲んで、
次に別の銘柄をまた四号瓶で・・・までは覚えているが。
もう一軒行った記憶が薄っすらとある。
気がつけばわが家の布団のなかであった。

29神田吟太:2013/03/02(土) 10:12:29
平成18年暮れ 新小岩
「待たせたな。」
 振り向いた先に、縄のれんを割き分けた津山がいた。
気が付いた女将が手早く、コップとおしぼりを白木のカウンターに置いた。そのとき彼女の頬に紅みが射していた。
先に来てビールを飲んでいた神田は津山にビールを注いだ。以前は週に一回と言ってもいい程、酒を飲んでいた二人だが、
神田が転職したのを潮に飲まなくなってしまった。
 「しばらくだったな。三ヶ月ぶりか」
 津山は戸惑ったような表情をしながらコップを合わせたとき、付き出しを置きに来た若い女性がいた。
 「ママ、寒さばでも焼いて、あと赤身もらうかな」。
 津山は何も言わずに飲んでいた。熱燗を二本飲んで二人は店を出た。
 二軒目は立ち飲みだった。
 「おまえなんで、安芸さんの店を知ってたんだ。」
 津山はやっとその一言を発した。

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32神田吟太:2013/03/02(土) 12:10:05
昭和58年冬 F市
「かめへんで、」
 美紗子のその一言で、神田は宿に帰らないことにした。店にもう他の客はいなかった。
松がとれて成人の日が来るまでの間に結婚式の披露宴の招待を受けていた。
 「あした佐藤の結婚式なんや。」
 京都駅で山陰線に乗り換えると故郷のことばになってしまう。言い訳がましく初めて入った美紗子の店で、目が合うなりそう言ってしまった。
 「そう」少し淋しそうに彼女は応えた。
 美紗子は高校卒業後京都で就職し、数年後会社の先輩と結婚したが離婚した。F市に戻って小料理屋を開いた。そこまでは風のうわさに聞いていた。

33神田吟太:2013/03/02(土) 12:13:11
昭和58年冬 F市Ⅱ
高校時代美紗子は佐藤に思いを寄せていた。その美紗子に神田は横恋慕していた。大学生活を経て社会人になった今も、そのコンプレックスが残っているのかもしれない。
外の雪は本降りになっている。玄関のガラス戸を通して田舎町の夜は灰白い。家庭のある酔客はみんな家に帰ってしまった。誘われるままに神田は二階の座敷に上がった。
電気を消して、石油ストーブの赤い炎が揺らめく部屋に、美紗子の豊満な乳房が浮かび上がった。
官能の頂点に達したときに彼女が叫んだのは、明日の結婚式の新郎の名前だった。

34神田吟太:2013/03/02(土) 12:18:01
昭和58年晩秋 大津
琵琶湖畔の小高い丘の上の助産院で、老いた助産婦が女児を取り上げた。
西山美紗子は愛してはいない男の、子を産んだ。母子家庭で一人娘を育て上げ短い生涯を終えるまで、二度とF市に帰えることはなかった。
そのとき神田修平は、ジャカルタの病院のベッドの上で、デング熱に三日三晩うなされていた。入社以来二度目のインドネシア勤務であった。 
朦朧とした意識の向こうに赤子の泣き声を聞いていた。後年その記憶に悩まされることになる。美紗子とはあれ以来音沙汰がなかった。
あの翌朝早く、美紗子の店を出た神田は積雪の舗道を駅前のビジネスホテルに戻った。しばらく休んで予定通り佐藤の結婚披露宴に出席し、友人の一人としてスピーチをした。
二次会の誘いを断って早々にF駅から特急に乗った。車窓から見る故郷の山河は、子供の頃の冬を思い出させてくれた。

35神田吟太:2013/03/02(土) 12:22:12
昭和61年早春 浅草
湯島の梅はほころんでいるのか。立春を過ぎても名のみの春の夕暮れに、人々は襟を立ててすれちがう。津山は浅草仲見世通りの路地裏の木造アパートの前に立っていた。
津山正彦は入社以来最初にして最大の危機に直面していた。東京の私大を中退して大林胡桃興業株式会社という、ワンマン社長の率いる小さな商事会社に入り、新人にしてはめずらしく大きな商いを成功させ、社長にも一目置かれてここまで来ていた。
当時大学を中退することはひとつのステータスであった。何時木ヒロユキとか野乃坂秋雪とかの流行作家達がW大中退を経歴に掲げて小説を売っていた。注釈を付けるならば、彼らは中退ではなく学費未納による除籍であった。
津山が在学時に私設シネマ研究会というサークルで活動していたが、そのサークルの先輩に大西という男がいた。彼は津山より先に中退して大学から姿を消していた。昨年の秋、津山は大西と浅草橋の大衆酒場で偶然隣り合わせた。
大西の名刺には、墨東通商株式会社代表取締役とあった。

36神田吟太:2013/03/02(土) 12:27:47
昭和61年早春 浅草Ⅱ
その翌日、津山の会社のデスクの電話が鳴った。大西からだった。
五百万円の前金で津山の会社の商品を買うという。断る理由は何もない。
二週間後、大西の会社振り出しの約束手形で一千万円の取引をして欲しいという電話が入った。
年末にかけて実績の欲しい津山は受けた。手形は期日に落ちた。
そして、師走に入り三千万円の取引をしたいと言う。電話ではない。銀座のクラブであった。勿論大西の接待である。
大西と津山のいるボックスに和服のホステスが来た。
安芸であった。津山は一目で惚れてしまった。
高校時代の憧れのひと、飯田恵津子にそっくりだったのである。

37津山:2013/03/03(日) 02:58:21
続きが読みたくなるね。

連載を乞う。

薄謝約束す。

38神田銀太:2013/03/04(月) 17:02:49
>37

拍車がかかるね。
なんとか週一ペースかな。

39神田吟太:2013/03/12(火) 18:33:46
昭和61年早春 浅草Ⅲ
旨い話ほど落とし穴がある。津山は即答をせずにその夜は帰った。翌日出社して、ワンマン社長に相談した。社長も一旦は取り込み詐欺かと疑ってかかったが、年末に来て三千万円の売上は大きな魅力だった。結局「お前に任せる」となってしまった。
その日の夕刻、津山のデスクの電話が鳴った。大西からだった。津山は断る決意をして、待ち合わせの新橋の大衆酒場に向かった。
年末の新橋のガード下は、サラリーマンの熱気でムンムンしていた。バブルに突入する前の昭和の最後のよき時代であった。忘年会の谷間で酒好きの男たちが飲んでいた。周りがうるさくて、仕事の話をする雰囲気ではなかった。
「ここは俺がもつ。もう一軒いこう、」
大西は伝票を持って立ち上がった。
「もう少し静かなところがいい」店を出た大西はそう言って通りかかったタクシーを拾った。津山と大西を乗せたタクシーは師走の夜を銀座に向かった。
安芸の店に入ったときに勝負はついていた。彼女の前で津山は断ることができなかった。これで彼は人生を誤ることになってしまうのである。

40神田吟太:2013/03/16(土) 11:06:33
昭和61年早春 浅草Ⅳ
手形は45日後の期日には落ちなかった。年が明けて以来大西とは連絡が取れていなかった。津山は墨東通商に電話を入れたが、「現在使われておりません」のアナウンスが流れるだけであった。会社の所在地にも行ってみたが、既に引き払われた後であった。
「やられた」危惧していたことが起きてしまった。社長に相談したが、とにかく本人に会えという命令であった。話に聞いていた大西のアパートを探し当てて、ドアをノックしたが返事はなかった。大西の表札は残されたままだった。郵便受けには郵便物が溜まっていた。
それだけで諦めてくれる社長ではなかった。それから一週間、朝出社前に、昼休みに、夕方退社後に大西のアパートのドアをノックし続けた。
そして今日諦め半分で大西の部屋の前まで来てみたが、様子が違っていた。郵便物は取り除かれ、小窓からは部屋の灯りが見えた。興奮で頬が紅潮するのがわかった。
「大西さん、」ノックしながら津山は叫んだ。
しばらくしてうち開きのドアが開いた。ノブを握って顔を出したのは安芸であった。

41神田吟太:2013/03/16(土) 12:18:39
平成18年暮 新小岩Ⅱ
バブル崩壊後の日本経済はゆるやかな右肩上がりの成長期に入っていたが、それは企業のコスト削減と海外からの安価な原材料、製品の流入によっていた。当然に人件費も削減の対象であり、非正規労働者の増大が社会問題化していた。
むかしよく飲み歩いた平井、新小岩あたりの酒場も、ママたちの世代交代もありかつての面影が消えつつあった。古い店が姿を消し、新規に開店すると「立ち飲み」というパターンが多くなった。客単価は安くても回転を良くするという発想である。可処分所得が増えるどころか減ってさえいるサラリーマンにとっては、計算ができる店が人気であった。
新小岩の駅から歩いて5分ほどのところに立ち飲み「春いち」はあった。十人も入ればいっぱいになるが、経営者夫婦の人柄か比較的行儀のいい安定した客筋であった。
安芸の店から数分歩いて津山と神田は春いちに流れた。
ひれ酒をたのんだあと小声で言った。
「付き出しを持って来た娘を見たか」
津山には神田の言葉の意味がわからなかった。
「おまえの子供だ」。
故郷の友人の言葉に津山は目を伏せた。

42神田吟太:2013/03/23(土) 09:58:16
昭和61年早春 浅草Ⅴ
神田と別れたあと、津山はマンションの自室で封印していた過去を脳裏に描き始めた。
あのとき…
大西のアパートには安芸がひとりでいた。しばらく待たせてほしいといって、津山は部屋に上がり込んだ。家財道具がすべて片付けられた、暖房のない2月の安アパートは寒かった。「大西さんは今どこにいるんですか。」
座布団もない畳の上で二人は向かい合って座っていた。畳の上に目線を落として安芸は話し始めた。大西とは一週間前から連絡が取れなくなっている。おそらく暴力金融の連中に拉致されたのだろう。大西が津山を騙そうとしていたことは、薄々勘付いていたので申し訳なく思っている。大西は去年の夏頃から借金で首が廻らなくなり、暴力金融に手を出して詐欺まがいの取引に手を染め、取引先から絶縁されていた頃に偶然津山と再会した。津山との取引で一千万円の現金を手にして安芸と海外に逃亡するつもりでいたが、音信不通になっているところを見ると…
「わかりました。今日は帰ります。もし大西さんと連絡が取れたら報せて下さい。」
といって、津山は自分の名刺を安芸に渡し、退室しようと立ち上がって振り向くと、安芸も立ち上がっていた。刹那、安芸を抱きしめて唇を奪いがらんとした部屋の畳に彼女を押し倒した。
自暴自棄だった。高校時代の憧れの女性に対する代償行為だったのか。安芸は抵抗しなかった。いやむしろ、大西の罪を自分の体で贖おうとしていたのだろうか。

翌朝、津山は辞表を胸に出社した。

43神田吟太:2013/03/31(日) 10:28:39
昭和61年晩春 神田有情
神田岩本町の津山の会社に安芸からの手紙が届いたのは、皇居の桜が散ったあとだった。
津山は社長に慰留されて会社に残った。大西の損失はこれからの営業で取り戻すことになった。ワンマン社長にしてみても津山の将来性に賭けるほうが得策だった。
安芸は手紙に、自身の生い立ちと大西との出会いを綴っていた。
大西には妻子がいたが、安芸と出会って別れていた。安芸は彼の子を身ごもったが流産したという。そして大西はもうこの世にいないだろうと書いていた。最後に津山に迷惑をかけたことを詫びていた。
差出人の住所が記されていない手紙に籠められたものは、受胎告知であった。
一週間後身元不明の変死体が東京湾に浮かび、やがてそれが大西だと判明した。
津山はこの事件を忘れて懸命に仕事をして生きていったが、二十年後にわが子の存在を知らされるのである。

44神田吟太:2013/03/31(日) 15:22:52
平成17年春 吉祥寺
取引先との商談のあと、神田修平は吉祥寺駅の人混みのなかにいた。井の頭線とJR線の改札が向かい合っている通路から公園へ向かう道へ階段を降りたとき、目の前に懐かしい看板があった。
相変わらずの雑居ビルの5階に「ベル・ルージュ」はあった。駅の時計は十時前だった。
ラストのステージに間に合うかな。気持ちで少し迷っても体は夜の雑踏を横切ってビルの入り口にいた。
神田を乗せた狭くて古いエレベーターは、二十数年の時の流れを昇り切り目的階でドアを開いていた。
「おひとりですか、」「ラスト・ステージですが、よろしいですか、」
壁際の席に案内されて山崎のハイ・ボールをたのんだ。
あと数分でラスト・ショーが始まる。

45神田吟太:2013/04/06(土) 10:38:56
平成17年春 吉祥寺Ⅱ
昔はシャンソンをやっていた店だった。
音大の現役の学生とか、OB、OGとか、仏語や日本語で唄っていた。
生活が苦しくともシャンソンを唄っていたい若者たちがステージに上がっていた。
しばらくして店内が暗くなり、中央のステージに淡いスポットライトが当てられた。
真紅のドレスの若い女性がピアノを弾きながら唄い始めた。
60年代後半のヒット曲、ナンシー・シナトラのリトル・バードだった。
随分軽いのりになったなと思いながら聴いていると、神田の隣にそっと座った女性が囁いた、「お久しぶりね」。
「あっ、」と胸の鼓動は瞬時に昔を蘇らせた。
「飲み足らないんじゃないの」。
「余市のオンザロックをダブルで」。

46神田吟太:2013/04/06(土) 11:20:59
平成17年春 吉祥寺Ⅲ
心地よい酩酊のなかでショータイムは流れた。
最近は団塊の世代のひとのリタイヤが近いでしょ、定年前に企業戦士を止めて生き甲斐を探してるのよ。だから・・・
この店の客筋もニヤ還が増えて60年代、70年代のヒット・チャートのリクエストも出て来たため、シャンソンもやりながら雰囲気の合うポップスも取り入れるようになった。
歌手の交代の合間にママの明子は神田に言い訳を言うように説明した。
二十数年前彼女はこの店でシャンソンを唄う音大生だった。
3人の歌手が数曲ずつ唄ってラスト・ステージは終了した。
あかるくなった店内で明子はひとりの歌手を手招きで呼び寄せた。
「リトル・バードを唄った娘だね」、最初だったので神田はよく覚えていた。
「はじめまして、汐見圭子ともうします」。

47神田吟太:2013/04/14(日) 11:25:12
平成17年春 吉祥寺Ⅳ
「君が生まれる前の曲だけど、よく唄えるね」。
「父が持っていたレコードです。針のプレヤーでよく聴いたんです」。
「子供の頃にお父さんが聴いているのを、そばで聴いてたの?」。
「それもありますけど、父が亡くなったあとも、父のコレクションの針のレコードをよく聴いてたんです」。
この娘の父親は自分と同じ世代かなと神田は感じた。
それにしては早く死んでしまったのか。
初対面で深入りする話ではない。そろそろ閉店の時間だ。
「ママお愛想してね」。
明子と圭子はエレベーターまで送ってくれた。
「また、いらしてね。きっとよ」。
明子は二十数年ぶりの笑顔を創った。

48神田吟太:2016/09/28(水) 10:33:49
〜函館の夜〜

恩義のある先輩に頼まれて、先輩ご夫妻の函館観光を案内することになった。
一泊二日の晩夏の旅は素晴らしいはずであったが・・・。

初日は定番の観光スポットを巡り、新鮮な海産物と夜景を堪能し投宿した。
疲れたのでホテルに入ると直ぐにそれぞれの部屋に分かれた。

時計の針が十二時を回った頃、私のシングル・ルームのドアがノックされた。
開けてみると、先輩が立っていた。
「頼む。替わってくれ」真顔で懇願された。ここで悶着するわけにもいかず、私は静かにツィン・ルームのドアを開け、空いている方のベッドにもぐり込んだ。

想定外の出来事に眠れぬまま息を潜めて小一時間、隣のベッドで人の動く気配がしこちらに来る。
六十代前半といってもスポーツ・ジムに通っている、先輩の奥さんのボディ・ラインはセクシィだ(と昼間私は何度思ったことか)。
ベッドに滑り込むと背中を向けてる私の肩に手をおいて、彼女は囁いた。
「たまには外食もいいわ」
小口分散投資家の私は思わず反応した。
「優待券ありまっせ」。

49神田吟太:2019/08/29(木) 14:28:08
平成26年晩春
夕暮れに小雨が降った。傘は持っていなかった。しばらく歩いて待ち合わせの立ち飲み店に入った。
やぁ、すでに飲んでいた津山が軽く手を挙げた。
「ホッピー、白ね」代金をカウンターに置いた。
津山の横で神田も飲み始めた。
「朝鮮戦争のときに彼女の父親はあの半島にいた」
津山は語り始めた。
高校時代の憧れの女性・飯田恵津子と彼の娘を生んだ安芸が何故似ているのか。それは双子の姉妹だったからだ。ふたりの父親は帝国陸軍の将校として半島で終戦を迎えたが、日本に帰国せずに軍の隠匿物資処分の任務を遂行していた。

50神田吟太:2019/08/29(木) 14:31:57
平成26年晩春Ⅱ
それは本当か。神田は思わず聞き返した。
「おそらく、その可能性は高い」
昨年安芸が亡くなったとき、遺品の整理に娘と広島へ行った。そのとき軍服姿の父親の古い写真が出て来た。飯田二郎と記してあった。なによりも記憶に残る飯田恵津子の生年月日と安芸の生年月日が同じなのだ。直感的な判断には違いないが、津山はそう思い込もうとしている。
安芸は生い立ちから不幸で貧しかった様に見受けられたが、飯田恵津子には裕福な家庭の子女という印象を持っていた神田には信じられないことであった。

51神田吟太:2019/08/29(木) 15:09:09
平成26年初夏
F高等学校25回卒業生同窓会の通知を受け取った津山に霊感が走った。
済州島へ行こう。そこに痕跡があるかもしれない。安芸の遺品のなかには古い済州島の地図があったし、
そこで撮ったと思われる幾葉かの写真があった。天涯孤独だった安芸は自身に血を分けた姉妹がいたことを知っていたのではないか。不幸な人生を送った彼女にせめてもの花を手向けたい。そして娘に叔母がいることを知らせてやりたい。
夏休みのシフトを早い目にずらして、津山は韓国へ行く決心をした。

52神田吟太:2019/08/29(木) 15:43:16
平成26年晩夏
東京発8時20分ののぞみに乗車した、津山の背広の内ポケットには一葉の写真が忍ばせてある。今の世には存在しない日本人である帝国軍人の姿が写っている。
「この人はあなたのお父さんではないですか。」
この一言を言うために俺は自分の人生を生きて来たのだろうか。昭和の終わりに安芸と間違いを犯し、
20年後に再会し自分の娘の存在を知り、安芸の遺品からこの写真を見つけ、韓国にまで行った。
もしそうだったら、戸籍上は安芸の私生児の娘を自分の子だと言って飯田恵津子に紹介する機会を作らなくてはならない。それは飯田恵津子の見てはならない血脈を見ることになるかもしれない。
期待と不安が入り混じる苦悶のなかでのぞみは京都駅のホームに滑り込んだ。

53津山:2019/10/22(火) 15:54:48
おでんの豆腐はうまいと思う。

54駄作:2020/03/25(水) 21:27:16
ジョニーからの手紙

この中に1億円入っているから、パスワードを覚えておいて。
と言って夫は自宅のパソコンのアカウントのパスワードを私に教えた。

1週間後彼は交通事故で早世した。

四十九日が済んで一息ついたとき、私はそのことを思い出した。
そして彼の残したパソコンを開いて、ブラウザのお気に入りの中にある証券会社の
ネット口座のサイトを見つけた。IDとパスワードがわからないためそれ以上は進めなかった。
後日その会社に連絡して、所定の手続きをしてその口座の株を相続した。

顧客勘定元帳を復元してもらうと、確かに1億円の金がつぎ込まれていた。
がしかし、信用取引で失敗し強制損切に遭い残っていたのは、一部上場の有名銘柄で時価2千万円ほどだった。

その2千万円に、交通事故の加害者から受け取った賠償金と彼の生命保険金で、ローンを完済した自宅のマンションの資産価値を加えると
1億円になった。

ああ、もっと優しくしてあげればよかった。こころの籠った料理を食べさせてあげればよかった。
私の後悔の始まりは彼の残したパソコンに入っていた。

55津山:2020/03/26(木) 19:49:06
パワーがある。

56駄作:2020/03/28(土) 10:53:14
戒厳令

首都の知事が不要な外出の自粛を呼び掛けている、ニュースが流れている。

パフォーマンスの好きな女性知事だが、国盗り物語に失敗した後は知事に専念しているのだろうか、うまく緊張感を漂わせている。

チャイナ発のウィルスは欧米経由でも我が国に入り込んでいる。正直オリパラどころではない。所詮お祭りと人命の問題では、
どちらが優先されるかは論を待たない。それにしてはもたもたとオリパラの開催延期が決まったようだ。

もともとボタンを掛け違えていたんだ。熱中症で人がバタバタ倒れる時季にやるなんて。
この国の政治家も官僚も劣化している。パフォーマンスが必須アイテムになって本質を見失ってしまっている。

雄二郎はソファで溜息をついて、隣国製の60インチの有機ELテレビを横で黙って見つめている、認知症の妻の肩をそっと抱いた。

57津山:2020/03/28(土) 12:38:49
自分に何ができるんだろう。

58津山:2020/04/18(土) 12:38:38
20年前の暮に函館に行った時、外人墓地までの道を尋ねた小学生がいた。

彼女は走って自宅の扉を開けてランドセルをなげこんで案内してくれた。

今勤務している学校の30歳くらいの函館出身の女の先生もいつも走っている。

多分違うんだろうが、そういう想像して一日が終わる。

確かめてみる機会があれば、、、、、。

59駄作:2020/04/20(月) 09:01:40
20年前45だった。

まだ体にガタは来てなかったな。

何を考えていたのだろう。

酒は飲んでた。今よりも。

もう渥美清は死んでいた。

60駄作:2020/07/05(日) 17:49:14
戒厳令 Ⅱ

小雨に煙る駅近の通りをゆく人々はみなマスクをしている、宵。

明日は首都のスーパーバイザーを選ぶ日だが、世界的に大流行してる

感染症のため異例の選挙戦となり、最後のお願いの連呼も聞こえない。

通り沿いの縄のれんに一現で入店した。

店に客はいなかった。マスクをしていない老夫婦がカウンターの中にいた。

注文を聞く前に亭主は言った。やっぱり、慎太郎だね。

61津山:2020/07/15(水) 19:58:17
若い女は不用心。

身体のライン出しまくり。

時代か。

62駄作:2021/06/04(金) 11:59:11
ワクチン接種の予約をお願いします。記入済の用紙をかかりつけのクリニックの事務員に手渡した。
しばらく用紙を見ていた彼女は、ここでの申し込みだと7月になります。ネットでやって頂けると6月の枠がまだあります。
えっ、そんなことできるんですか!「それなら最初から・・・」という言葉を呑み込んで、彼女の説明を聞いた。
昨日やっと接種券が届いたので今朝から電話を何回か架けたがつながらず、帰宅の途中で寄ったんだけど。仕方ない帰って自宅のパソコンでやろう。
なるほど彼女の言う通りブーブルでクリニックの名前を検索すると、意外に早くヒットした。
ワクチン予約サイトで名前と生年月日とメールアドレスを入力して、まだ空きのある日に予約できた。
こんなに簡単でいいの?でも先週いつもの通院のときにはネット予約なんて言ってなかったなぁ。

63駄作:2021/07/12(月) 16:10:00
戒厳令 Ⅲ

一年前の今日も戒厳令が敷かれていた。
あの時の少女は何処へ行ったのだろう。雨に濡れた街灯の下で傘も持たずに誰かを待っていた。
今宵も同じように疲れ果てた人々が家路を急いでいる。
あの少女は香港にいたのか、ミャンマーにいたのか。記憶が定かでない。
シュプレヒコールが遠くに響いている。
目覚めろ、もう一度目覚めろ。五年前に死んだ友の声が聞こえる。

64田作:2023/01/27(金) 09:40:14
寒中見舞い

今朝はこの冬一番の冷え込みだった。帰宅して郵便受けを覗くと葉書が入っていた。
毎年来ている年賀状が今年は来ない、故郷の友からの寒中見舞いだった。
今年から賀状は止めた、という断わりだった。
いつか線を引く問題だが、一抹の淋しさがある。段々アナログの世界はしぼんで行く。
スマホで毎日話も出来れば、顔も見られる。メールのやり取りもできる。
デジタルとはそういうものか。男の遣ることじゃないよ、雄二郎は思った。

「厚揚げ下さい」サイトーさんのおでん屋の情景が浮かんだ。昭和だった。

65神田吟太:2023/03/07(火) 20:16:31
ジョニーからの手紙 Ⅱ

「自分探しの旅」
息子がそう言ったとき、雄二郎は言下に否定した。
「自分で自分を探してどうする。己とは自己とは絶対的な主観だ。自分に自信のない奴が言い訳がましくそんなことを言うのだ。」
今でもその信念は変わらない。砂糖をまぶした言葉で自分に甘えているに過ぎない。
今の世は自分自身に言い訳をして甘えてしまう風潮を作ってしまった。
自分の息子まで毒されていたとは。
あれから20年、息子は帰って来ない。
妻は悲しみのあまり認知症になってしまった。
サントリで買った5万円のソファに妻と並んで座って、隣国製の60インチの液晶テレビを見ている。
リタイア後の雄二郎は後悔の念に駆られている。
妻が元気なうちに帰って来てくれ。

66津山:2023/03/11(土) 10:30:10
神楽坂の「重い心」で白鯨を予ゼミやってる同級生のEさんが、アナーキストですかと僕に言った。

それがトラウマなってる。

久里浜の人だった。

彼女も次の横手の友達も結婚して途中で神楽坂を去った。

しばらくはアナーキストの意味を求めて、千葉埼玉川崎千束などを旅した。

ゴッドファーザー3の老境とは違うだろうが、4月からの勤務に。

67田作:2023/03/11(土) 13:42:13
心も軽く

アナーキストは無政府主義者ですね。

いえ、無頼漢のつもりで言いました。

どちらも人に媚びないですね。

媚びる人に魅力は感じません。

僕があなたを好きだと言ったら、媚びてますか。

永遠にアナーキストでいて下さい。

68駄作:2023/12/30(土) 10:32:07
来春

・・・でTさんは?

「去年教授で退官したよ」

教授まで行ったんだ。

「御大のお陰だよ。イエスマンだったしね」

Iさんはさんは?

「私大の非常勤だよ。ひと言多かったからね。Tさんより優秀だったけどね」

突然携帯が鳴って、大学の同期と一頻り世間話をした。

博士課程を途中で断念して民間に就職した雄二郎は、その会社に定年まで居て再雇用された。

象牙の塔に未練はない。特別優秀だった由でもない。あの時の判断は間違っていなかったと思う。

サントリのソファに腰を沈めて考えた。年が明けて三月になればいよいよ終わりだ。

早生まれの雄二郎は来年満65歳になり再雇用が終了する。

69駄作:2024/08/03(土) 09:35:12
シカゴ

地下鉄を新お茶で降りて、深い地下から長いエスカレーターで地上に出た。

このエスカレーターは20年振りだ。地上に出てJRの茶水を探す。一瞬戸惑う。

あった、あった。雄二郎はほっと一息ついた。長い夏の日は誰彼が遠い。

ドクターを道半ばで断念して就活でお茶の水に来たのは40年以上前だった。

そうだ今日はその時の同期と飲み会だ。

我に返った雄二郎はJRの駅に急いだ。

70駄作:2025/01/18(土) 10:54:33
ジョニーからの手紙 Ⅲ

その声がした。

振り返った雑踏に主はいなかった。

人波に押されてまた前に進んだ。

雄二郎の記憶のどこから、その声がしたのか。

解を見い出せないまま歩き続けた。

息子の声の様に思えた。二十年前に家出して以来音信不通の一人息子。

しかしその声は幼年期のものに思えた。

逡巡している間に、認知症の妻が居る施設に着いた。

71駄作:2025/06/27(金) 21:45:44
ジョニーからの手紙 Ⅳ

認知症が悪化した妻を施設に入れるため、退職金でローンを完済した4LDKのマンション売却して、

中古の1LDKのマンションに買い換え、差額を施設の入居金にした。

買い換えたマンションは妻が入居した施設と同じ鉄道沿線にあり、1時間以内に行くことができる。

もうこれでいい。あとは年金と僅かな蓄えでなんとかやって行こう。

そして20年前に家出した、息子の帰りを待つ。

陽はまた昇る

72駄作:2025/06/27(金) 21:51:13
>>71

「退職金でローンを完済した4LDKのマンション売却して」

➡「退職金でローンを完済した4LDKのマンションを売却して」


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