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徒然なるままに

1FK:2008/09/08(月) 21:09:30
『徒然草』ではありませんが、日々、感じたこと・考えたことを、
話したいこと・聞いてもらいたいことを、すらすらと、気楽に綴
ってみるスレッドです。
 どうぞ遊んでみてください。

74FK:2009/03/23(月) 20:14:25

2009年 3月23日 (月曜) 道

 回り道したぶん、いろんな道を覚えられた。まっすぐ歩いてきたやつよりも、いっぱい道を知っているんだ。(P.568 『Dr.コトー診療所』愛蔵版2 原さんのことば)

【回り道や道草をいっぱいすること。――意外とできないのだな、これが。生き急いでいる気はないのだが、どうもできない。悲しい性である。これまでまっすぐしか歩いてこなかった人も、今からでもいいから散歩して、回り道して道草喰って行こうではないか!】

75FK:2009/03/31(火) 13:12:11

2009年 3月31日 火曜 「3月31日」

 「31日」という日付には、感慨深いものがある。
 同じ「31日」でも、12月の「31日」は一年の終わりであるが、どちらかというと「人生」の一年の終わり・節目である。明日には数えでは何歳になるのだな、とか。

 それに対して今日、3月の「31日」は仕事の一年が終わる、というところか。四月に始まった年度の一年が終わりを迎える。人が入れ替わる。
 そして私も二年後の今日は定年、ということで職業生活を終えることになる。
 これから先、やってくる「3月31日」の回数はもうあと2回。ほとんど尽き果てたと言っていい。そしてこれからは、これまで過ごしてきた「3月31日」を懐かしむ、ということになるのだろうか。

 もちろん、こんなことで感傷的になる気はさらさらないが、今日をもって退職する人たちの姿を見ると、それぞれの万感の思いが伝わってくる。
 人生は一回きりしか経験できないもので、その時が来なければ実感できないものであり、またそれ一回限りというところが辛いところだ。だから人生を生きていくというのは難しいこと。やり直しがきかない。その時その時、一回限りしか機会はないということなのだ。ただこれはみんな公平なのではあるが。
 明日から新年度。あと二年。できる限り、これまで同様にやっていきたいと思う。

76FK:2009/04/01(水) 21:14:24

2009年 4月 1日 (水曜) PTA会報

 昨年末の会報のインタビューで私のことが紹介されましたが、その中の私の発言がこのほど出された最新号の「保護者から」に引用されていました。うれしいですね、きちんと読んでくれてる人がいる。
 保護者からはこんなふうに評価してもらえるのですが、学校側というか他の教師からは、おそらく冷ややかな眼で見られていることでしょう。もちろん、評価してほしいとは思いません。ただ若い教師が、そんなところを学べないとしたら悲しいですね。偉そうですが。
 保護者や生徒さんが期待する学校と、現実の学校・教師との間には無限の乖離があるようです。ま、人は人。自分は自分。そう思ってなきゃ、やってけないのがこの仕事です。

77FK:2009/04/04(土) 20:49:30

2009年 4月 4日 (土曜) 『犬と私の10の約束』

1. 私と気長につきあってください。
2. 私を信じてください。それだけで私は幸せです。
3. 私にも心があることを忘れないでください。
4. 言うことを聞かないときは、理由があります。
5. 私にたくさん話しかけてください。 人の言葉は話せないけど、わかっています。
6. 私をたたかないで。本気になったら 私の方が強いことを忘れないでください。
7. 私が年を取っても、仲良くしてください。
8. あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私にはあなたしかいません。
9. 私は10年くらいしか生きられません。だから、できるだけ私と一緒にいてください。
10. 私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください。そして、どうか覚えていてください。 私がずっとあなたを愛していたことを。(原典:犬の10戒)

 なかなか良い内容ですね。人間関係でも通用するような。もちろん、少し違うのもありますが。なお英文も紹介されているのが次のアドレスです。 http://somalism.net/tencommandments.html

78FK:2009/04/25(土) 20:09:12

心 (2009年 4月25日 土曜)

 忙しいというのは、「心」を失うことだ。肝心なこと・大事なこと・大切にしなければならないこと、――そんなことを忘れてしまうことなのだ。いや、気がつかなくなるということか。
 それによる、人生での損失はあまりに大きい。そして生涯、もう取り返しは効かないのだ。もちろん、本人は気がつくことなく生を終えていくのだが。そう、知らぬが仏、で。
 機会・チャンスというものはそれ一回きりなのに、みんなそのことにあまりにも無頓着すぎる。よほど自信があるのだろう、自分には運がある、と。

79FK:2009/04/26(日) 16:59:33

2009年 4月26日 (日曜) カウンセリングについて考えてみた

「カウンセリング」とは?

1. 気持ちの良いものなのか、その反対か。
2. なんとなく近づきやすいのか、なんとなく避けたいものか。
3. なんとなく良いものか、なんとなく怪しげなのか。
4. 主観的なニュアンスのものか、客観的な匂いのするものなのか。
5. 科学的な装いのものか、非科学的・魔術的な装いのものか。
6. 善良なるものか、偽善的なものか。
7. 信用できるのか、信用できないのか。
8. 信用されているのか、懐疑的にみられているのか。
9. 実際に役に立つのか、立たないのか。
10. 使うべきか、使わない方がいいのか。
11. 救われるのか、救われないのか。
12. 天国への道か、地獄への道か。

80FK:2009/05/04(月) 22:49:39

2009年 5月 4日 (月曜) 「不平」と「不満」

 ひょんなことから「不平」と「不満」の違いについて考えてみることになった。
 普段は両方とも同じ意味で使っていることがほとんど。つまり、「不満足」な状態。しかし、それだけなら、わざわざ別の言葉になるはずがないので調べてみると、やはり違うようだ。
 【不満】不完全。不十分。不足。
 【不平】平坦でない。心が穏やかでない。公平でない。平均していない。平和でない。

 実にこんなふうに違っていた。不平の方が印象・語感が私のなかでは悪いのだが、実際はこちらのほうが公平性・客観性といった視点があるというわけ。不満の方は個人的・主観的な趣がある。

 ま、いずれにせよ、そんなに意識はしてないが、どちらもあるといえばある。無いといえば無いことにしておけるようだ。ただいまのところ。

81FK:2009/05/20(水) 20:08:00

「個性」信仰

 私たちの考えてることの中には、もはや信仰のように思い込んでしまっていることがある。その中の一つに「個性」信仰があると言えよう。
 かけがえのないこの一人ひとりの命、そしてその一人ひとりの個性!
 これらは無条件に貴重なもの、貴重なこととしてすべての人たちから大切にされなければならないものである、とする。こういった考え方がマジョリティの世の中に私たちは生きている。

 それを見事にひっくり返して論破している文章を池田清彦氏の著書に見つけた。『やがて消えゆく我が身なら』(角川書店 2005年 \1300)に次のように言う。

 最悪なのは、子供はみんなキラキラしたすばらしい才能をもっているという何の根拠もない予断の下に、すべての子は個性を発揮して輝くべきだ、といった愚にもつかない思い込みを子供に押しつけることだ。(P.38)

 押しつけ、それも善意による押しつけほど手強いものはない。むげに否定もできず、断るわけにもいかず困惑するのみ。
 そんな中で生きていかねばならない子どもたちは、本当に大変。同情してしまう。そしてせめて私はそんな押しつける側にまわらないようにと、自戒するのだ。

82FK:2009/05/21(木) 22:33:04

2009年 5月21日 (木曜) 超管理社会・日本!

 生徒たちが街中で遊んでないか監視してまわる教師たちの姿がニュースとなっていた。実に嫌な光景だ。学校にも所属しているが、かといって休校(新型インフルエンザのため)の日までその行動を監視・監督される理由はない。どこまでも日本的な、イヤな風景である。

83FK:2009/05/31(日) 21:31:02

未来 (2009年 5月31日 日曜)

 未来がわかって意味があるのは、対処する方法がある時だけだ。分かってもどうにもならない未来は、わからない方がよいこともあるのだ。(『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦 角川書店 2005年 P.49)

【この一文から、いろいろなことが考えられる。若い人には若い人なりの、私のようにリタイア寸前の人間にはそれなりの。
 若いときは先のことが不安だ。差詰め「進路」のこととか。老人には病気の。――
 ガンの告知というのがあるが、私はいらない。それこそ対処する方法がないなら、知らない方がいい。あと余命何ヶ月など、聞きたくない。今生の思い出に、と過去の人たちに出会ったり、懐かしい場所を訪れたりなど、私の美学には反する。やせ我慢でも知らんぷいして死んでゆくのがいい。
 ま、そんなオーバーな話ではなくても、この世には知らなくてすむなら、その方がいいことがいっぱいあるのだ。】

84FK:2009/06/03(水) 23:40:12

2009年 6月 3日 (水曜) 背後に遠ざかっていく...

 いつの間にか私たちの世代が老いの入り口にさしかかり、病を得てこういう場所にまでくるようになったのだと思う。何か冷たいものの手が背後から私たちを捉えようと静かに伸びてくる。それを交わしながら私たちはこうやって歩いて行くことになる。(中略)
 辺りは懐中電灯の他は月明かりもない。ざくざくと岩場を歩くと、賑わっていた懐かしい昔が私たちの背後に遠ざかっていくようだった。( 『あなたと共に逝きましょう』(村田喜代子 朝日新聞出版 2009年 \1600 P.139)

【主人公は64歳の夫と62歳の妻。その妻からの感懐。私も59歳になり、数えでは既にこの正月で60歳であった。「賑わっていた懐かしい昔が私たちの背後に遠ざかっていくよう」に私にも思われてならない。】

85FK:2009/06/09(火) 21:04:14

年寄りの繰り言 (2009年 6月 9日 火曜)

 もう少し体の調子が良くなったら、もう少しお金ができたら、もう少し暇になったら。多くの人はそう思って、自分にとって最も大事なこともやらないで、時間だけはどんどん過ぎてゆくのである。(『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦 角川書店 2005年 P.85)

【これはまるで年寄りの繰り言だ。しかし下手すると若い人もこれをやってしまうのだ。今は今しかない、という当たり前のことをすぐに忘れてしまう。今日と同じような明日が、また日の出とともに展開すると楽観してるのだ。何の根拠も保証もないのに。実に楽天的でありお人好しであることよ。
 念のために言えば、仕事なんかは明日に回せばいいのであって、今すぐやるべきは、自分のやりたいことだ。躊躇なく今すぐやることだ。若さに明日はない!】

86FK:2009/06/15(月) 20:23:48

2009年 6月15日 (月曜) いつもフラットで

 「トップランナー」というインタビュー番組に玉木宏が出ていたので録画して、観た。彼は映画[変身]で蒼井優と共演していたことから知ったのだが。
 そのなかで仕事にはいるとき、いつもフラットで、というのが耳に残った。予断と偏見という言い方はおおげさだが、へたに先入観をもっていくとかえってまずいということだろう。そこで、フラットで。
 私なども授業に向かうときには、このようにありたいと思う。

87FK:2009/06/22(月) 23:17:33

上京? 2009年 6月22日 (月曜)

 言うまでもなく今は、「上京」といえば東京へ行くこと。この土日久しぶりに東京へ。もはや用事がないと行くことはないが、私には青春のほろ苦い思い出の地ではある。
 私の持論(というほど大袈裟なものではないの)だが、東京という所は勉強するのと遊ぶのにはいいところで、一度は味わっておいていい場所だということ。
 ということで今回も、ルイサダというフランス人ピアニストの演奏会を聴きに行った次第。ただこの東京でのそれは、読響定期でのショパンの「ピアノ協奏曲第二番」の演奏だったので、そう、アンコールも入れてたかだか40分ほどの時間のために上京したということになる。ある意味ぜいたくなことだが、遊びとはそういうものか。ただ行き帰りの新幹線は疲れた。かつて夜行列車や夜行バスで上京したのは、もはや大昔のこと。
 いまや、人の多さと街並みの変容ぶりは、私自身の加齢による影響もあるが、もう遠い街となってしまった感がある。

88FK:2009/07/19(日) 22:12:35

2009年 7月19日 (日曜) 宴会・教え子との再会

 今夜は前任校での同僚たちと宴会。言うなれば一学期終了の打ち上げ。
 その待ち合わせの西宮北口で、5年前に担任した生徒から声を掛けられた。顔は覚えているが、名前は咄嗟には出てこないもの。自分から言ってくれたので、思い出した。高校二年のときの彼女から比べると、今はややほっそりした感じ。声を掛けられなかったら、気がつかなかっただろう。まもなく22歳になるとのこと。北口のエステのお店で働いている由。
 開口一番ではないが、在学中、私から「もう少し痩せた方が」と言われたことを覚えているとのこと。今なら(当時でもか)セクハラものかもしれないが、高校生らしくふっくらしていた顔を思い出した。そして「今はあれから3キロ痩せた」と。(あらためて罪深き職業だと思う。いや、そうではなく私の個人的資質の問題か。)数分の立ち話。「元気でね」とお互い声をかけあって別れた次第。

89FK:2009/07/28(火) 20:35:43

2009年 7月28日 (火曜) 旅行

 明朝、できれば七つ立ちで東北へ。約2000キロあまりの旅行になる。今夏はいまだ梅雨も明けず、雨の中をひた走りに走っていくことになるかも知れない。山歩きと温泉(そして、私は地ビール)の旅である。八月の七日の夜には帰着の予定。
 歳を取ればとるほど、ゆったりした時間の使い方が必要となるようだ。旅先ではあくせくと本を読もうなどとは思わず、ただアクセサリーとして幾冊かの本をかたわらに、ぼーっとする時空間を楽しんでこようと思っている。
 主な行き先は、米沢・月山・鶴岡・酒田・鳥海山・田沢湖・秋田駒ヶ岳・岩手山・安達太良山。初日は770キロほど走ることになる。

90渦森六郎:2009/08/09(日) 00:41:57
FKさん。8月7日に帰着の予定、とのことでしたが、いかがおすごしでしょうか。また帰ってきたら、お土産話でも聞かせてください。ではでは。

91FK:2009/08/09(日) 20:29:54

2009年 8月 9日 (日曜) 全行程2600キロ、東北行 1/2

 毎年夏休みに車で旅行をしている。今夏は東北へ。山と温泉と地ビールを目的に。以下、簡単に雑感を。

2009/7/29(水)年休 白布温泉(西屋)
2009/7/30(木)年休 志津温泉(つたや)
2009/7/31(金)年休 月山・鶴岡(ルートイン)・一心(7年ぶり)
2009/8/ 1(土)湯の台温泉(鳥海山荘) 『四十郎化け物始末 妖かし斬り』
2009/8/ 2(日)鳥海山・田沢湖高原温泉(ゆぽぽ山荘)
2009/8/ 3(月)夏期休暇 秋田駒ヶ岳(雨、中断)・ビアフィールド・網張温泉(休暇村)
2009/8/ 4(火)夏期休暇 岩手山・鶯宿温泉(長栄館)
2009/8/ 5(水)夏期休暇 鳴子温泉(農民の家)
2009/8/ 6(木)夏期休暇 富山(すし玉)



2009/7/29(水) 白布温泉(西屋)

 西宮インターから770キロを走り山形県米沢・白布温泉の旅館・西屋へ。二度目。
 人間的な面・接客面ではレベルダウン(若い人中心となり、中高年のベテランのおばさんがいなくなっていた)。しかし風呂や廊下の意匠は素晴らしい。そこは要するに変わってない・変えられないから。次回、西屋を使うどうか迷うところ。


2009/7/30(木) 志津温泉(つたや)

 月山への準備基地として選択。洋風の部屋は狭いがうまく考えられていた。それに露天風呂からも月山が見ることができ、それは大したものだった。


2009/7/31(金) 月山・鶴岡(ルートイン)・一心(7年ぶり)

 往復ともリフトを使い、時間を短縮して月山(がっさん)登山。久しぶりの長い歩行(約3時間)にやや疲れる。
 鶴岡のお寿司屋さん・一心には三度目で、前回からではもう七年も経っていた。ルートインはビジネスホテル。インターネットができるのがありがたい。

92FK:2009/08/09(日) 20:31:23

2009年 8月 9日 (日曜) 全行程2600キロ、東北行 2/2

2009/8/ 1(土)湯の台温泉(鳥海山荘)

 その名前から大したことのない宿舎だろうと。ところが大違いで、ある意味今回の旅行でベストの部屋であった。部屋の大きな窓から鳥海山が見え、さらに夜にはベッドに横たわりながら多くの星を見ることができたのだ。食事ではビールではなく、地酒三種のお試しセットを。
 この日、旅行中一冊目となる文庫本を読了。『四十郎化け物始末 妖かし斬り』(風野真知雄 KKベストセラーズ 2005年 \686)。


2009/8/ 2(日)鳥海山・田沢湖高原温泉(ゆぽぽ山荘)

 鳥海山は二度目。今回は別ルートで、行者道への下りにかかるところ、尾根のところでガスにすぐかき消されてしまう鳥海山と足下の神社を俯瞰し、帰途に。それでも8時間かかる。下りで滑って転び右手小指を突き指する。(上りでは小さな虫に足を食われ、その後腫れ上がる。)
 一旦、酒田までもどり田沢湖まで約170キロを。雨の中、わらび座の経営するゆぽぽ山荘に6時前に到着。食事では田沢湖ビール(桜・ブナの森)を。


2009/8/ 3(月)秋田駒ヶ岳(雨、中断)・ビアフィールド・網張温泉(休暇村)

 マイカー規制が朝の5時半からとなったため、大急ぎで秋田駒ヶ岳八合目へ。しかし雨がやまず、しばらく待機の後、歩き出すも、途中で止める。四回目だったのだが。
 雫石プリンスホテルを見、それからペンション・ビアフィールドを探して行く。ようやく見つけたが、どう見てもやってる雰囲気ではない。どころか開いているのに誰もいない。しばらく待つとオーナーが帰ってきた。今の不景気のせいでペンションの方はやってないとのこと。しかし見せてくれるというので食堂に展示されていた約500本あまりの地ビールの瓶を見学。飲める地ビールも二本、分けてもらう。
 休暇村はガスの中だった。昼ご飯のおにぎりと先ほどの二本のうちの一本を休暇村前の展望台で食す。部屋・風呂・食事とも評価するほどのものではなかった。


2009/8/ 4(火)岩手山・鶯宿温泉(長栄館)

 朝食バイキングのあと出発(本来的には良くない、遅い出発)。馬返しのパーキングが登山口。二合目までは樹林帯の歩きやすい道。以後、七合目までは厳しい上り道。スタート時にはガスってたが、まもなく晴れ渡り暑い一日になりそうな中を歩く。
 頂上では珍しくデジカメで写真を撮る。下りで少々、けが(右手小指を突き指する。山歩きは実は命がけなので、けがで済んだのは幸いではある)。約8時間。
 鶯宿(おうしゅく)温泉までの道は遠かった。疲れていたせいだが。(翌日の帰途は、あっけないほどだった。)部屋食で、仲居さんの見習いさん(今春、高校卒業したての18歳とのこと)が指導する人とともにやってきて、面白い経験だった。


2009/8/ 5(水)鳴子温泉(農民の家)

 ゆっくりとスタートし、二度目の鳴子(なるこ)へ。盛岡から高速道路。
 農民の家は宮城県農民の家農業協同組合の旅館(?)で、出資金3万円からと張り紙がしてあった。もっとも宮城県の人だけが有資格者ということ。
 温泉は五種類ほどあり、冷泉も一つ。建物の見栄えは良くないがその分値段がリーズナブルということ。夕食では生ビールを飲む(地ビールはなかった)。


2009/8/ 6(木)富山(すし玉)

 一日早いのだが、結局、この一日で帰ることに。途中、例によって富山でお寿司を。7/14以来だったので、店の若い人があれっという顔をしていた。夜、10時前に帰着。

93FK:2009/08/11(火) 20:37:39

2009年 8月11日 (火曜) 山を歩きながら考えること

 山歩きは登りの時間が長い。きつくて息が切れる。
 そんなときでも、全神経はもちろん一歩一歩を踏みおろす足もとに集中している。でも意外なことに、あたまの中は別のことを考えているものなのだ。それも特にきつい登りだと。
 今回はこんなことを。数え年のことだ。数え年なんて不合理な考え方をよく昔はしていたものだな、と。ではなぜ?
 大した答が出るはずはない。で、要するにこう考えた。人間はまず母体で十月十日を経て、それからこの世に出現するのであるから、満年齢にその十ヶ月を足せば(ほぼ一年プラスとなり)、数え年となる。合理性があるのではないか、と。
 だって私という生命は、誕生日以前の十ヶ月も心臓は拍動し、血液は体内を流れていたわけなのだから。
 聞いた話では、心臓の拍動数はその生涯で数が決まっているとか。ならば、母体内のときからすでにスタートしているのだ。数え年の考え方は合理的なのだろう。
 にしても、やはり歩いているときは大したことは考えてないようだ。いや、普段からそうだろう、と気付かされた次第(笑)

94FK:2009/08/13(木) 19:53:27

2009年 8月13日 (木曜) 図書館へ

 夏休み中の図書館は、勉強する学生たちであふれかえっているというイメージがある。聞くところ、開館前から列ができ、自習室や閲覧用のデスクの争奪戦になるとのこと。実際には見たことがないが、想像はつく。
 とある午後、図書の返却で訪れた。見まわしてみると児童書コーナーは小さな子どもたちで、その反対側に位置する大人たちの閲覧コーナーや自習室的な一画は中学生以上の学生や大人たちでいっぱいであった。見ているとひとりが立ち上がったので、てっきり席が空くのかと思ったら、しっかり荷物を椅子の上に残していた。どうやら、まず空くことはないような雰囲気であった。
 この図書館のにぎわいは、日本社会のありようを如実に表しているものの一つだろう。ただ、どう受け取ればいいのか、様々なことを考えさせられた。

95FK:2009/08/24(月) 21:20:12

2009年 8月24日 (月曜) 世にも不思議な物語

 昔、私が小学校の頃か、テレビで「世にも不思議な物語」という番組があった。詳細はもう記憶にないが、そのような番組があったことと、子供心に不可解かつ奇怪な思いが残されたものだった。
 話は今夏の旅行中のこと。最終日は朝食のみのホテルに泊まったため、夕方、食事に街中へ出た。と、向こうから二十歳前後の少女のような女性が歩いてきた。「二十歳前後の少女」という形容はほんとうはおかしいのだが、まさにそんな感じだったのだ。夕方のなせるわざだったかもしれない。でもおそらく、その胸元に眼が吸い寄せられたのが、おもな理由だろう。首からさげられた携帯電話、それも真っ赤なそれがちょうど胸の真ん中にきていたのだ、少し傾いで。なんだか不思議な感じで、私は行き違いながら、一瞬目をとめたのだった。その姿をもう一度見たいような気持ちを私のなかに残しながら。
 ところが、翌る朝、ホテルでの朝食会場(バイキング形式であった)にウェイトレス姿の、昨夕の「二十歳前後の少女」がいたのだった。思わずみつめてしまった彼女の姿を、そしてもう一つ、私のこころの中を。
 こんなこともあるのだ。そう「世にも不思議な物語」があるのだ。

96FK:2009/10/19(月) 19:14:03

2009年10月19日 (月曜) 考える野球

 小学校時代は南海ホークスのファンだった。父親がそうだったからだが、その時のキャッチャーに野村・現楽天監督がいる。その野村の考え方のエッセンスがこの「考える野球」ということだろう。
 たかが野球、されど野球、ではないが、やはり考えずにはできない・勝てないゲームである。ところが意外にも考えずにやってる選手が少なくないとか。そこで野村監督の出番である。
 私もそれとは別に「考える練習」ということを授業で言っている。思ったり感じたりするのは簡単なことかも知れないが、「考える」というのは意識的に行わなければならず、意外と簡単なことではない。だから「考える練習」なのである。私の授業で、その意図が少しでも伝わればいいのだが。

97FK:2009/11/04(水) 21:07:29

『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』(古荘純一 光文社新書 2009年 \800)

 自分を肯定的にとらえる、ということは、人生のさまざまな困難を乗り越えて充実した人生を送るためだけでなく、他人と協調していくためにも必要なことだと言えます。自分を否定的にとらえると、他人のことも否定的にとらえたり、他人からの言動を被害的にとらえたりすることで、関係がうまく成立しなくなってしまうからです。(P.28)

【何も付け加えることはない。その通りだ。だが、それは口で言うほど簡単ではない、ということが問題なのだ。】

98FK:2009/11/22(日) 23:44:11

2009年11月22日 (日曜) 見えるから見えない

 「見えるから見えない」ことがあるということ。今し方、今年のバン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝者となった二十歳の辻井伸行氏の特集番組を見終わった。
 このビッグニュースが流れたときの演奏はごく一部だったので、いまひとつピンと来なかったが、今日はショパンも良かった。(スタインウェイのピアノはややキラキラしていたが、それはピアノのせいか、演奏者のせいかはピアノを弾かない私には分からない。)
 そして「見えるから見えない」であるが、彼は全盲であり、弦楽四重奏団ともオーケストラとも、まさに耳のみを頼りにその息づかいを聞いて音楽をともにしていくわけだ。彼は見えないからこそ、全神経を聴力に集中できるのかも知れない。なまじ見えるといらざる情報がいっぱい入ってきて、その集中を妨げることにもなろう。見えないことによって、常人には見えないものが彼にはある意味、容易に見えてくるのかも知れない。
 以前、指揮者のカラヤンが目をつぶって指揮をするのは、目が物を言うと演奏者たちの集中を妨げるからではないか、と推量したことがある。あらためて、やはりそうだったからではないかと思った次第(もちろん、今は故人。知る由もないが)。

99FK:2009/12/01(火) 22:11:24

2009年12月 1日 (火曜) 『妻はくノ一 5 月光値千両』(風野真知雄 角川書店 2009年 \514)

 シリーズ第5作。軽いのですーっと短時間で読める。ここでもまた鳥居耀蔵が暗躍する(?)

「書くという行為には不思議なところがある。書けないこと、書きたくないことを山ほど背中に隠しているくせに、その隠そうとしていることがどうしてもちらちらと垣間見えてきたりする。」(P.10)
【だから、よく読めば分かるのだ。読解力の問題だ。ただ単なる読解力だけではダメで、こころがなければダメなのだ、読み解くためには。】

 運命が大きく変わるとき、人は次の力を出すために涙を流すのかもしれない。(P.56)
【どういう質の涙なのだろう。なんとなく分かるような気がするのだ。】

100FK:2009/12/05(土) 22:15:08

2009年12月 5日 (土曜) [小公女セイラ]第8話

 そろそろ終わりが近づいてきたのだが、今晩の第8話はやや気になることが。言葉としては院長の発した「悪魔」、友人のマサミの「あなただけが正しいわけではないのよ」。
 どうも「悪魔」という言葉に私はなじまない。セイラが悪魔だというわけなのだが、宗教的な趣のある言葉なので、はたして適切だったかと。
 マサミの言葉はそれはまでにもあって、そのしめくくりがこの「あなただけが正しいわけではないのよ」。え、何これ! って感じである。セイラは「正しい」ことを言っているのではなく、自分の考えを述べているだけで、それとて他人に押し付けているわけではないのに、どうしてそこまで攻撃されてしまうのだろうか。異な感じがする。
 そして脚本家は、他の生徒たちにセイラ自身の間違い(?)を指摘させ、セイラに彼女のものではない側の「正しさ」にセイラを屈服させ、セイラに謝罪させるのだ。アレレ、だ。軌道修正なのか、もともとそのような思想のもとでやってきたのか。
 セイラ役の志田未来がどんな風に考えて演じていたのだろうか。納得していたのかな、と。もちろん役者は、そのセリフがおかしいと思っても異議を唱えることはできないのだろうが。彼女はどう考えたのかな、と心配になる。要するに役者は、自分の思想とはおかまいなく、脚本家の書いたセリフ通りにしゃべればいいのだ、ということになるのか。そうだとすると、なかなか辛い仕事なのだと思う。なんら疑問を持たないのが幸せなのだろう。これはもちろん、どんな世界ででも言えることだが。

101FK:2009/12/16(水) 20:36:37

2009年12月15日 (火曜) 一年を振り返って

 大きな事では、やはり「政権交代」だろう。オバマ大統領の「チェンジ」ではないが、それが潮流だとして、その延長上に日本の政権交代がやってきたのかもしれない。実際は、それは心理的にはあったにせよ、あまりの政治状況のひどさに市民がしびれを切らした結果というべきだろう。そして民主主義というのは「変えることができる」ということなのだと、あらためて気付かされた次第。
 日本史を授業でやりながら、つくづく日本にはこれまで民主主義がなかったと慨嘆するのみであった。それがようやくにして、民主主義がこれから根付いていくかも知れない、との予感できた2009年であった。

 「政権交代」のおかげで、高校生たちの授業料の負担がなくなる。これがもっともうれしいことである。次に、私たちの免許更新制が廃止されること、これが二番目である。このことをもってだけでも、「政権交代」の意味があった一年といえる。
 まだまだ景気は良くならず、私たちへのパイの分配も少ないままであるが、昔年の悪弊を一挙に解消することはできないのが当然で、いましばらく忍耐の日々が続くだろう。性急になってはいけないところだ。そういえば、教員免許取得に六年かけようという案が出ているが、もちろん私は反対だが、じっくり時間をかけて検証していけばいい。

 とまれ、野党時代の民主党の政策よりも、やはり「政権交代」が目前に迫ってのマニフェストや、その後の展開を見ていると、いかに「政権交代」が大事であるかが分かる。
 来年は教育への予算を増やしていってもらいたいと思う。やはり、国家百年の大計なのであるから。



 私個人のことでは、今年度初めて「世界史B」を担当したことだ。食わず嫌いであった世界史なのだが、結構、面白かった、と告白しておこう。授業が一段落した今も、一月からの授業のために関連の映画を観ている次第。今日は「1492 コロンブス」を40分ほどメモを取りながら観た。
 この世界史の授業のおかげで、従来からの日本史の授業のやり方にも影響があった。もちろん、良い影響である。もうしばらくは世界史と付き合っていきたい。
 来年は定年の年で、一応、教職最後の年ということになる。すでに再任用で週に何日かでも来たいと思っているので、それほどには最後の意識はないのだが。しかし、何があるかは分からないので、とりあえずは節目の年となる。

102FK:2010/01/01(金) 23:33:53

 思えば遠くへ来たもんだ――

 [思えば遠くへ来たもんだ]という映画があった。調べてみると1980年の作品。その映画は観たのかどうか、もう覚えていない。ただ海援隊・武田鉄矢の歌でその印象が残っているのかもしれない。

 それにしても、私の人生、それも教職人生もまさしく[思えば遠くへ来たもんだ]といったところ。なかなかに感慨深いものがある。
 65歳までの定年延長など夢想だにしない1975年からの教職。したがってこの2010年度で最後と思いつつこれまでやってきたのだった。ようやくたどり着いたと思ったら、もう5年は再任用で続けられるということに。ただサラリーは半減以下のようだが。

 思い返してみると、これまで一体、私は何をこの人生でしてきたのだろう。いや、何をしてこなかったのだろう。
 もっと勉強しておけばよかった、との悔いがある。あれもこれもと、ある意味、悔いだらけである。一体、何にうつつをぬかしていたのか。自省するところだ。

 ただ、考えようによっては、今、この場所で、ここの生徒たちとの出会いがあって初めて実現できたことも多々あるわけだ。そう、30年余の後、今にしてようやく可能となったことがいくつもある。たとえば、視聴覚教材の利用(特に今は映画である)。生徒たちとのディスカッション(担当講座当たりの生徒数が少ないから可能)。放課後の準備室での生徒たちとの語らい(ほぼ毎日、何人かが訪れてくれる。ときに差し入れ付きで)。

 そのように考えれば、これまでの時間も無駄ではなかったのだと少しは得心する。今の私は、これまでの時間の経過の延長上にあるわけだから。
 あと何年、どんなことができるだろうか。そんなことを思ってしまうが、まず何より日々さらなる授業の準備・勉強に傾注していくことだろう。そんな一年を2010年も送っていきたい。

103FK:2010/01/02(土) 20:56:42

2010年 1月 2日 (土曜) 年末・年始のクラシック

 クラシック音楽はいっぱいあるけれど、この日本で、あるいは私的にはこれぞ「年末・年始のクラシック」という曲がある。
 年末はなんと言ってもベートーベンの交響曲第9番「合唱」である。もともとそんな季節性はなかったのだが、近年は逆にヨーロッパでも年末に演奏されることがあるとか。やはり「合唱」で気持ちよく年末を。
 年始は元日のウィーンフィルのニューイアーコンサートに象徴されるようにウィンナワルツがまずあり、ついで交響曲ではやはり第9番で、「新世界」。こちらはドボルザークのもの。こんなところだろうか。(実はまだまだありそうだが、こんなことを考えた今日、正月二日であった。)

104FK:2010/01/31(日) 21:10:03

2010年 1月31日 (日曜) 『人はかつて樹だった』(長田 弘 みすず書房 2006年 \1800)

 詩の一部分を引用していいものかどうか分からないが、気に入ったものを。

 老いるとは受け容れることである。/あたたかなものはあたたかいと言え。/空は青いと言え。(P.32 樹の伝記)
【いま、この歳になって分かる、ということか。】

 ひとが一日と呼んでいるのは、/ただそれきりの時間である。/ただそれきりの一日を、/いつから、ひとは、慌ただしく/過ごすしかできなくなったのか?(P.35 草が語ったこと)

 ひとは悲しみを重荷にしてはいけない(P.40 海辺にて)
【悲しみは重荷になってしまいがち。でも人生にはいろいろあるのだ。喜びは重荷になることがない。なら悲しみ、も。】

 問うことは、ことばを、/握りしめること。(P.42 立ちつくす)

 歴史は悲しみを持たないのだ。(P.68 秋、洛北で)
【私たちは歴史を学ぶ。その歴史に悲しみはあっても、歴史は悲しまないのかも知れない。いや、悲しめないのかも知れない。】

 詩が、一人の人生を/直視することばだったら、いいのに。(P.72 メメント・モリ)

 キオクヲ ソダテルノハ コトバ デス/(中略)/シル トハ コノヨヲ/ジブンカラタノシム ホウホウ デス(P.75 カタカナの練習)
【知ることの喜びを感じられたころから、もうずいぶん時間が経ってしまった。】

 人生はことばのない物語にすぎない。(P.83 nothing)

105FK:2010/02/26(金) 20:52:31

2010年 2月26日 (金曜) 卒業文集

 明日の卒業式を前に、今日、卒業文集が配られた。早速、繰ってみる。まずはかつて担任をしていた生徒たちのものから、そして授業でのみんなや「初代準備室メンバー」(引用させてもらいました!)のを。
 この「初代準備室メンバー」とある一文では、その後にはお世話になった先生方の名前が列挙されてあった。光栄なことに、いやまずいことに(?)そのトップにあげてもらっていた。偶然だとは思うが、なんともうれしいやら、くすぐったいやら。末尾でよかったのに、なんて言いながらもほくそ笑んでいたりして、所詮、凡人です(笑) これだけでもう死ぬまで、今回の文集のことは忘れないだろうなと思います。こちらこそ、ありがとう。

106FK:2010/04/05(月) 22:47:39

2010年 4月 5日 (月曜) 花見

 毎年今ごろ桜の花見会をする。前任校の人たちと。今日は四人で、内訳は数学二人に英語と私。妙な組み合わせだが、もう八年くらい続いていることになるか。縁は異なもの味なもの、というがまったくもって奇妙な人間関係だ。
 今日は平日とあって夜の川沿いは、会社員と大学生の団体でにぎわっていた。
 花見といっても大体は桜の花の下に陣取っているので、あまり見えないのではないかと思う。つまり花の下にいることが大事なのであって、風景として桜の花々を見るのがメインではないということのようだ。要するに食べて飲んで騒ぐ、これに尽きるようだ。それにしても二十歳未満でお酒はダメなのだが、そろそろ18歳成人にして飲酒も解禁になれば、私も卒業生のみんなと楽しめることになるのだが、と。

107FK:2010/05/16(日) 22:31:29

2010年 5月16日 (日曜) 
 たった一人でも自分を理解し、求めてくれる人がいるならば、世界の輝きは違う。(P.327)

【簡単といえば実に簡単。しかし、これほど難しいこともそうはないのだ。人生は生きるに難しく、さらになお生きていきづらいものだ。でも、いつかどこかでそういう人とめぐり逢えると信じて生きていこう、ということだ。】『刻まれない明日』(三崎亜記 祥伝社 2009年 \1600)より

108FK:2010/06/02(水) 22:06:07

2010年 6月 2日 (水曜) 好きな数字
 私の好きな数字は、一桁なら「5」、二桁なら「57」。理由はない。いや、あるといえばある。でも、何となくだろう。ちなみに三桁なら「...」、思いつかない。もちろん、四桁以上も何も思い付かない。おもしろいものだ。
 もしかしたら、数字に人生の諸相を見ることができるのかも知れない。

109FK:2010/06/07(月) 22:53:07

 『男おひとりさま道』(上野千鶴子 法研 2009年 \1400)から

 昨日できたことが今日できなくなり、今日できたことが明日はできなくなる。/問題はこれまで、人生の上り坂のノウハウはあったが、下り坂のノウハウがなかったこと。下り坂のノウハウは、学校でも教えてくれなかった。そして上りよりは、下りのほうがノウハウもスキルもいる。(P.73)
【現社の授業でも青年期のそれはあっても中高年・さらに老齢期のお勉強はない。困るだろうなと思う。私は現在進行形なのだが、焼きが回ったなと思うこと、しきりである。】

110FK:2010/06/08(火) 20:59:56

2010年 6月 8日 (火曜) 『男おひとりさま道』(上野千鶴子 法研 2009年 \1400)から

 だいたい友人には、知的刺激と心の安らぎ、切磋琢磨と包容力の両方を同時に求めたりしないものだ。思想信条が同じでも、一緒にごはんを食べたくない相手はいるし、気心の知れた飲み仲間でも、まさかのときの助けにならない友人はいる。/内面の共有などなくてもつながれるのがユル友。毎日を機嫌よく生きていくことを支えてくれる仲間がいればじゅうぶんだろう。(P.180)
【だいたい「知的刺激と心の安らぎ、切磋琢磨と包容力」を兼ね持つ人間などそんなにいるわけがない。大概はどちらかを求めているわけで、両方をひとりの人間ですまそうというのはかなりムシのいい話である。理想的かも知れないが。】

 一緒にいて気分のいい相手。しょっちゅう会いたい相手、ときどき会いたい相手、たまに会いたい相手、困ったときに助けてもらいたい相手、助けてあげたい相手、気になる相手、気にかけてくれる相手.......が、多様に自分の身のまわりをとりかこんでいればよいのだ。それをセーフティネットともいう。(P.185)
【これだけいれば十分だろう。むしろ恵まれている方、というべきか。ある意味、羨ましい。】

111FK:2010/06/09(水) 21:43:09

2010年 6月 9日 (水曜) 『男おひとりさま道』(上野千鶴子 法研 2009年 \1400)から

 人生とは、死ぬまでの壮大なヒマつぶし。どうせ同じヒマつぶしなら、豊かにつぶしたい。/その1 時間はひとりではつぶれない。その2 時間はひとりでにはつぶれない。(P.198)
【「壮大なヒマつぶし」などとは、飛んでもないという人もいるだろう。確かに人それぞれ、大変な人生を抱えている人もいるに違いない。でも、そんな境遇であったとしても、ちょっと客観的に眺めてみれば、やはり人生とは壮大なヒマつぶしの側面があるのだ。もしそのように見ることができたら、その人は大変な中にもなかなかの素敵な人生が送れるかもしれないな、と私は思うのだ。
 ただ残念なことに、そのヒマつぶし、時間つぶしは意外と難しく、「ひとりで」いてはなかなかだし、まして時間は「ひとりでには」消えていかないのだ。ここが悩ましいところであり、工夫のしどころであり、人生の面白いところでもあろう。若干の苦味を噛みしめながらのことも多いだろう。】

112FK:2010/06/18(金) 19:58:32

2010年 6月18日 (金曜) 疲れた一週間
 今週は疲れました。梅雨入りしその暑さと蒸し蒸しに辟易しています。食後メールをのぞくと、生徒さんから。そういえば昨日、今日と顔を見なかったな、と。でもこのメールを読んでホッとしました。メール自体は十日ほど前の私の返信に対する返信の体裁なのですが。少し疲れが取れたような気がしました。また学校で顔を見たいものです。(ひとはひとによって傷つき、また癒やされるものだな、と。)

113FK:2010/06/28(月) 20:22:41

2010年 6月28日 (月曜) もし梅雨がなければ

 今日は梅雨の中休みでぐんと気温が上がった模様。午後の授業は汗を拭き拭き。あらためて雨のありがたさを思う。もちろん湿気には閉口なのだが、もし雨がなくガンガンに太陽が照りつけていたら、とても堪えられないだろう。梅雨様々なのかもしれない。

116FK:2010/11/15(月) 22:21:04

2010年11月15日 (月曜) 『私の家では何も起こらない』(恩田陸 メディアファクトリー 2010年 \1300)

 そう、生者の世界は恐ろしい。どんなことでも起きる。どんな悲惨なことでも、どんな狂気も、それは全て生者たちのもの。
 それに比べれば、死者たちはなんと優しいことだろう。過去に生き、レースのカーテンの陰や、階段の下の暗がりにひっそりと佇んでいるだけ。だから、私の家では決して何も起こらない。(P.26)

【生者の恐ろしさを身にしみて実感してきたことはない。本当はあるのだろうが、そうは感じないように生きてきたのだろう。それが生きていくための知恵だから。ただそのために失ったものがある。そう、「死者たちはなんと優しいことだろう」という感覚をいまもって感じることができていないことだ。そして、この先も。
 ただあえて言えば、いまは亡き、つまり死者となった私の父や母が、私が死ぬまでじっと見守ってくれているのではないか、とは思っている。今日は母の祥月命日であった。丸21年になる。】

117FK:2011/03/04(金) 23:33:47

2011年 3月 2日 (水曜) 『ごくせん 15』

 このお終いの方で、いいこと言っている。
「最後にこれだけは言っておきたい 私は一生お前らの味方だよ お前らがこれからどこに行こうが何があろうが どんな人生を送っても 私は一生変わらずいつもお前らの味方だ! それだけは絶対忘れないでくれ!」(P.216)
 なかなか良い台詞ではないか。私も気持ちだけは同感だ。実際はどうなるか分からないのが人生だが、せめてその気持ちだけは大事にしたいと思う。

118FK:2011/05/03(火) 21:59:28

2011年 5月 3日 (火曜) 『ばんば憑き』(宮部みゆき 角川書店 2011年 \1785)

 『あやし〜怪〜』のシリーズ続編、江戸怪奇譚というもの。六編からなる。凝った内容で、しかしそのあり得ないような世界に引きこまれていく。上手、ということだろう。

 門火の煙が流れてゆく。盂蘭盆が終わる。あの世の人びとは帰り、この世の者たちは残される。/別れるけれど、消え失せはしない。亡き人びとはこの世を離れて、だからこそ永遠のものとなるのだから。(P.372 野槌の墓)

119渦森六郎:2012/03/28(水) 23:28:39
ネット上で、麻布高校の校長・氷上信廣氏のインタビューを読みました。面白かったので、転載します。こういうことを考えられる人のことを、ほんとうの「大人」と言うのだと思います。
以下転載。


 有名私立御三家のひとつであり、自由な校風で知られる麻布中学・高校。ユニークな教育風土の中から、毎年、多くの東大合格者を輩出している。その麻布学園・氷上信廣校長の目には、大阪と東京で進む「教育改革」は、どう映っているのか。以下は、氷上校長のインタビューである。(聞き手=ノンフィクションライター・神田憲行)
 * * *
――東京都教育委員会の「職員会議における挙手採決の禁止」、大阪市における「国旗国歌の徹底」。大阪と東京で始まっている「教育改革」は関係者のみならず大きな話題になっています。私立には関係がないのでしょうか。
氷上:私立校は関係がありません。この間、私立校の校長会でちょうど話題になったんですが、僕が聞いた限り、卒業式で国旗を掲げているのは六校のうち一校だけでした。我々も掲げることはないでしようね。
――一般論として、行政が教育に介入することにどう思いますか。
氷上:公立は仕方ない部分もあって、だからこそ私立の意味がある。多元的価値は近代の大原則だから、教育の価値を担う者たちが自立的に決めるというのが、あるべき価値だと思うんですよ。
 行政には行政の価値があるでしょうから、それぞれの価値追求の中でやればいいわけで、行政が教育の価値に口を出すというのは、素人が玄人に口を出すことにつながらないのかなあ。
――職員会議の「挙手採決の禁止」というのは、どう思われますか。
氷上:なぜ禁止するのか理解に苦しむ。麻布では職員会議が意思決定の最高機関だから、決まるまで延々と議論を尽くしていくのが伝統です。五時間とか平気であるから(笑)。
――国旗・国歌の義務づけはいかがですか。
氷上:伝統の象徴として、あるのはわかる。サッカーワールドカップとかオリンピックとか、国旗を掲げて国歌を歌うのが国際儀礼なんだから。でも卒業式にそれがいるのかわからないね。
 日本人は愛郷心と国家意識を分ける必要がある。自分の小さな共同体、いわば「ふるさと」を大切に思う気持ちと、国家意識とは別。「ふるさと」は具体的な想い出だったり、いろんなものが詰まっている存在だけれど、近代国家は「システム」です。
 それがいつの間にか「故郷」を愛することが「国家」を愛することに同心円で一緒にされてしまった。この二つは峻別すべきなんです。国境を越えた資本主義、グローバリズムの中では、逆に「愛郷心」は大切にした方が良い。でないと逆に「ナショナリズム」に足をすくわれるから。
「コスモポリタン」なんて、単なる根無し草にしか見えない。郷土愛の根は大切にしたい。それにしても今の「卒業式における国旗国歌の遵守」は、ただの教育に対する統制手段としか見えないけれど。
――大阪では教師が実際に歌っているか、校長が教師の口元をチェックしていたケースもありました。もし氷上先生が大阪で校長をされていたら、どうしますか。
氷上:辞めちゃうよ(笑)。もっと生徒のためにエネルギーを注ぎたいもの。
――麻布の卒業式ではなにか特別なことをしたり、話したりされるんですか。
氷上:式後の祝う会では、いつも「いい男になれ」と話しています。それは「仕事が出来る男」「家事育児が出来る男」、そして「学校に寄付が出来る男」という(笑)。別にエリートにならなくてもいいから、「いい男」にはなってほしいと本気で願っています。

120FK:2012/03/30(金) 22:08:33

2012年 3月30日 (金曜) 本来、「私立」であるべきか

 「私立」であることの良さが端的に表れている発言(文章)であった。いや、それこそが「私立」の存在しうる根拠でもある。「私立」にあっては、当たり前のことが、当たり前に実行されているだけのことだ。
 ただ「私立」でも国に阿る学校はあり、そこでは公立同様の風景が見られる。
 みんながもし将来、教師を志望するならまずこのような志の高い「私立」を探してみることだろう。もし、自らの思想・理念とあうならば、そして採用されるのであれば、これほど理想的なことはないだろう。
 現実は、そのような「私立」で教職に立てる人は稀有であり、大半は「公立」に就職せざるをえないだろう。そんな中でどのように折り合いをつけ、自らの信念を通せるか。いずれ直面していくことになる。

121渦森六郎:2012/03/31(土) 23:53:40
>FK先生

あと、こういう「名門校」の魅力を、「東大合格者数」のような「数字」でしか語れない大多数のメディアや我々の言葉は貧困だなあ、とインタビューを読んで思いました。

122FK:2012/04/07(土) 22:21:19

2012年 4月 7日 (土曜) 分かりやすい、ということ

 分かりやすい、ということは果たしていいことなのか。分かりやすい、と思った時点で私たちはもうすでに騙されているのかもしれない。
 分かりよい・耳障りの良い言葉には気をつけなければならない。どこまでいっても自分でしっかり考えなければ、ということになるか。

123FK:2012/12/18(火) 22:51:31
民主党の教育政策(2012年12月1日)

 民主党政権が終わろうとしている。
 2009年夏、あれほどまでに期待されて政権を獲得した民主党がついに瓦解し崩壊していく。私たちの期待した公約は反故にされて、一場の夢と化した。

 私がこの党に期待した理由は、まず高校授業料の無償化である。これは目出度くも実現した。朝鮮学校の問題を残してはいるが、とりあえず。

 しかしこの唯一(私にすれば)実現できた政策も、実はかろうじてであり、薄氷の思いのものであったのかもしれない。しかし結果が大事だから、まずはこの点において私たちの期待に応えるものであった。(高校全入の問題は別として。)

 ところが同じ教育に関する公約でも教員免許更新制の廃止は、ついになされなかった。もう今後とも永くこの悪政は続くことだろう。さらに輪を掛けて悪いことには、教員免許の取得について屋上屋を架すような、無駄な制度を民主党は提案してきた。大学院までの6年間の大学教育や、さらに長期にわたる教育実習を科そうというものだ。

 民主党の議員は高学歴であり、そのせいかどうか、やたら教員資格について高いハードルを設けようとしてきた。教師という仕事について、その何たるかが分かっていないとしか言いようがない。免許更新制もそうだが、研修をいくら科しても、長い年月をかけても、決してそれではいい教師は生まれないのだ。

 もちろん、いい教師というのが国家目的の教育を生徒たちに施すだけのマシーンなのだとしたら、実は簡単なことだ。6年どころか4年すら必要ではない。
がんがんに詰め込めば、一年いや半年あれば愛国心教育を徹底するための教師は育成可能だ。戦時中の代用教員の例もある。

 生徒たちに注入するだけの教育は、ある意味簡単だ。逆に生徒たちから引きだすという教育の本来のあり方を実践しようとすれば、それは時間の長短など物理的な作業の多寡だけでは育成・解決しえないものだ。最終的には、教師になろうとするその人自身の人間性が問われるわけだからだ。

 いずれにせよ、これからしばらくの間は非常に厳しい時代が続くかもしれない。定向進化の果てに行き着くまで、大変な状況が続くのではないかと危惧する。民主党の教育政策のうちの私が特に関心を持っていた二つは、いずれ近い将来もっともまずい形で姿を現してくるのかもしれない。


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