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徒然なるままに
119
:
渦森六郎
:2012/03/28(水) 23:28:39
ネット上で、麻布高校の校長・氷上信廣氏のインタビューを読みました。面白かったので、転載します。こういうことを考えられる人のことを、ほんとうの「大人」と言うのだと思います。
以下転載。
有名私立御三家のひとつであり、自由な校風で知られる麻布中学・高校。ユニークな教育風土の中から、毎年、多くの東大合格者を輩出している。その麻布学園・氷上信廣校長の目には、大阪と東京で進む「教育改革」は、どう映っているのか。以下は、氷上校長のインタビューである。(聞き手=ノンフィクションライター・神田憲行)
* * *
――東京都教育委員会の「職員会議における挙手採決の禁止」、大阪市における「国旗国歌の徹底」。大阪と東京で始まっている「教育改革」は関係者のみならず大きな話題になっています。私立には関係がないのでしょうか。
氷上:私立校は関係がありません。この間、私立校の校長会でちょうど話題になったんですが、僕が聞いた限り、卒業式で国旗を掲げているのは六校のうち一校だけでした。我々も掲げることはないでしようね。
――一般論として、行政が教育に介入することにどう思いますか。
氷上:公立は仕方ない部分もあって、だからこそ私立の意味がある。多元的価値は近代の大原則だから、教育の価値を担う者たちが自立的に決めるというのが、あるべき価値だと思うんですよ。
行政には行政の価値があるでしょうから、それぞれの価値追求の中でやればいいわけで、行政が教育の価値に口を出すというのは、素人が玄人に口を出すことにつながらないのかなあ。
――職員会議の「挙手採決の禁止」というのは、どう思われますか。
氷上:なぜ禁止するのか理解に苦しむ。麻布では職員会議が意思決定の最高機関だから、決まるまで延々と議論を尽くしていくのが伝統です。五時間とか平気であるから(笑)。
――国旗・国歌の義務づけはいかがですか。
氷上:伝統の象徴として、あるのはわかる。サッカーワールドカップとかオリンピックとか、国旗を掲げて国歌を歌うのが国際儀礼なんだから。でも卒業式にそれがいるのかわからないね。
日本人は愛郷心と国家意識を分ける必要がある。自分の小さな共同体、いわば「ふるさと」を大切に思う気持ちと、国家意識とは別。「ふるさと」は具体的な想い出だったり、いろんなものが詰まっている存在だけれど、近代国家は「システム」です。
それがいつの間にか「故郷」を愛することが「国家」を愛することに同心円で一緒にされてしまった。この二つは峻別すべきなんです。国境を越えた資本主義、グローバリズムの中では、逆に「愛郷心」は大切にした方が良い。でないと逆に「ナショナリズム」に足をすくわれるから。
「コスモポリタン」なんて、単なる根無し草にしか見えない。郷土愛の根は大切にしたい。それにしても今の「卒業式における国旗国歌の遵守」は、ただの教育に対する統制手段としか見えないけれど。
――大阪では教師が実際に歌っているか、校長が教師の口元をチェックしていたケースもありました。もし氷上先生が大阪で校長をされていたら、どうしますか。
氷上:辞めちゃうよ(笑)。もっと生徒のためにエネルギーを注ぎたいもの。
――麻布の卒業式ではなにか特別なことをしたり、話したりされるんですか。
氷上:式後の祝う会では、いつも「いい男になれ」と話しています。それは「仕事が出来る男」「家事育児が出来る男」、そして「学校に寄付が出来る男」という(笑)。別にエリートにならなくてもいいから、「いい男」にはなってほしいと本気で願っています。
120
:
FK
:2012/03/30(金) 22:08:33
2012年 3月30日 (金曜) 本来、「私立」であるべきか
「私立」であることの良さが端的に表れている発言(文章)であった。いや、それこそが「私立」の存在しうる根拠でもある。「私立」にあっては、当たり前のことが、当たり前に実行されているだけのことだ。
ただ「私立」でも国に阿る学校はあり、そこでは公立同様の風景が見られる。
みんながもし将来、教師を志望するならまずこのような志の高い「私立」を探してみることだろう。もし、自らの思想・理念とあうならば、そして採用されるのであれば、これほど理想的なことはないだろう。
現実は、そのような「私立」で教職に立てる人は稀有であり、大半は「公立」に就職せざるをえないだろう。そんな中でどのように折り合いをつけ、自らの信念を通せるか。いずれ直面していくことになる。
121
:
渦森六郎
:2012/03/31(土) 23:53:40
>FK先生
あと、こういう「名門校」の魅力を、「東大合格者数」のような「数字」でしか語れない大多数のメディアや我々の言葉は貧困だなあ、とインタビューを読んで思いました。
122
:
FK
:2012/04/07(土) 22:21:19
2012年 4月 7日 (土曜) 分かりやすい、ということ
分かりやすい、ということは果たしていいことなのか。分かりやすい、と思った時点で私たちはもうすでに騙されているのかもしれない。
分かりよい・耳障りの良い言葉には気をつけなければならない。どこまでいっても自分でしっかり考えなければ、ということになるか。
123
:
FK
:2012/12/18(火) 22:51:31
民主党の教育政策(2012年12月1日)
民主党政権が終わろうとしている。
2009年夏、あれほどまでに期待されて政権を獲得した民主党がついに瓦解し崩壊していく。私たちの期待した公約は反故にされて、一場の夢と化した。
私がこの党に期待した理由は、まず高校授業料の無償化である。これは目出度くも実現した。朝鮮学校の問題を残してはいるが、とりあえず。
しかしこの唯一(私にすれば)実現できた政策も、実はかろうじてであり、薄氷の思いのものであったのかもしれない。しかし結果が大事だから、まずはこの点において私たちの期待に応えるものであった。(高校全入の問題は別として。)
ところが同じ教育に関する公約でも教員免許更新制の廃止は、ついになされなかった。もう今後とも永くこの悪政は続くことだろう。さらに輪を掛けて悪いことには、教員免許の取得について屋上屋を架すような、無駄な制度を民主党は提案してきた。大学院までの6年間の大学教育や、さらに長期にわたる教育実習を科そうというものだ。
民主党の議員は高学歴であり、そのせいかどうか、やたら教員資格について高いハードルを設けようとしてきた。教師という仕事について、その何たるかが分かっていないとしか言いようがない。免許更新制もそうだが、研修をいくら科しても、長い年月をかけても、決してそれではいい教師は生まれないのだ。
もちろん、いい教師というのが国家目的の教育を生徒たちに施すだけのマシーンなのだとしたら、実は簡単なことだ。6年どころか4年すら必要ではない。
がんがんに詰め込めば、一年いや半年あれば愛国心教育を徹底するための教師は育成可能だ。戦時中の代用教員の例もある。
生徒たちに注入するだけの教育は、ある意味簡単だ。逆に生徒たちから引きだすという教育の本来のあり方を実践しようとすれば、それは時間の長短など物理的な作業の多寡だけでは育成・解決しえないものだ。最終的には、教師になろうとするその人自身の人間性が問われるわけだからだ。
いずれにせよ、これからしばらくの間は非常に厳しい時代が続くかもしれない。定向進化の果てに行き着くまで、大変な状況が続くのではないかと危惧する。民主党の教育政策のうちの私が特に関心を持っていた二つは、いずれ近い将来もっともまずい形で姿を現してくるのかもしれない。
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