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徒然なるままに

100FK:2009/12/05(土) 22:15:08

2009年12月 5日 (土曜) [小公女セイラ]第8話

 そろそろ終わりが近づいてきたのだが、今晩の第8話はやや気になることが。言葉としては院長の発した「悪魔」、友人のマサミの「あなただけが正しいわけではないのよ」。
 どうも「悪魔」という言葉に私はなじまない。セイラが悪魔だというわけなのだが、宗教的な趣のある言葉なので、はたして適切だったかと。
 マサミの言葉はそれはまでにもあって、そのしめくくりがこの「あなただけが正しいわけではないのよ」。え、何これ! って感じである。セイラは「正しい」ことを言っているのではなく、自分の考えを述べているだけで、それとて他人に押し付けているわけではないのに、どうしてそこまで攻撃されてしまうのだろうか。異な感じがする。
 そして脚本家は、他の生徒たちにセイラ自身の間違い(?)を指摘させ、セイラに彼女のものではない側の「正しさ」にセイラを屈服させ、セイラに謝罪させるのだ。アレレ、だ。軌道修正なのか、もともとそのような思想のもとでやってきたのか。
 セイラ役の志田未来がどんな風に考えて演じていたのだろうか。納得していたのかな、と。もちろん役者は、そのセリフがおかしいと思っても異議を唱えることはできないのだろうが。彼女はどう考えたのかな、と心配になる。要するに役者は、自分の思想とはおかまいなく、脚本家の書いたセリフ通りにしゃべればいいのだ、ということになるのか。そうだとすると、なかなか辛い仕事なのだと思う。なんら疑問を持たないのが幸せなのだろう。これはもちろん、どんな世界ででも言えることだが。

101FK:2009/12/16(水) 20:36:37

2009年12月15日 (火曜) 一年を振り返って

 大きな事では、やはり「政権交代」だろう。オバマ大統領の「チェンジ」ではないが、それが潮流だとして、その延長上に日本の政権交代がやってきたのかもしれない。実際は、それは心理的にはあったにせよ、あまりの政治状況のひどさに市民がしびれを切らした結果というべきだろう。そして民主主義というのは「変えることができる」ということなのだと、あらためて気付かされた次第。
 日本史を授業でやりながら、つくづく日本にはこれまで民主主義がなかったと慨嘆するのみであった。それがようやくにして、民主主義がこれから根付いていくかも知れない、との予感できた2009年であった。

 「政権交代」のおかげで、高校生たちの授業料の負担がなくなる。これがもっともうれしいことである。次に、私たちの免許更新制が廃止されること、これが二番目である。このことをもってだけでも、「政権交代」の意味があった一年といえる。
 まだまだ景気は良くならず、私たちへのパイの分配も少ないままであるが、昔年の悪弊を一挙に解消することはできないのが当然で、いましばらく忍耐の日々が続くだろう。性急になってはいけないところだ。そういえば、教員免許取得に六年かけようという案が出ているが、もちろん私は反対だが、じっくり時間をかけて検証していけばいい。

 とまれ、野党時代の民主党の政策よりも、やはり「政権交代」が目前に迫ってのマニフェストや、その後の展開を見ていると、いかに「政権交代」が大事であるかが分かる。
 来年は教育への予算を増やしていってもらいたいと思う。やはり、国家百年の大計なのであるから。



 私個人のことでは、今年度初めて「世界史B」を担当したことだ。食わず嫌いであった世界史なのだが、結構、面白かった、と告白しておこう。授業が一段落した今も、一月からの授業のために関連の映画を観ている次第。今日は「1492 コロンブス」を40分ほどメモを取りながら観た。
 この世界史の授業のおかげで、従来からの日本史の授業のやり方にも影響があった。もちろん、良い影響である。もうしばらくは世界史と付き合っていきたい。
 来年は定年の年で、一応、教職最後の年ということになる。すでに再任用で週に何日かでも来たいと思っているので、それほどには最後の意識はないのだが。しかし、何があるかは分からないので、とりあえずは節目の年となる。

102FK:2010/01/01(金) 23:33:53

 思えば遠くへ来たもんだ――

 [思えば遠くへ来たもんだ]という映画があった。調べてみると1980年の作品。その映画は観たのかどうか、もう覚えていない。ただ海援隊・武田鉄矢の歌でその印象が残っているのかもしれない。

 それにしても、私の人生、それも教職人生もまさしく[思えば遠くへ来たもんだ]といったところ。なかなかに感慨深いものがある。
 65歳までの定年延長など夢想だにしない1975年からの教職。したがってこの2010年度で最後と思いつつこれまでやってきたのだった。ようやくたどり着いたと思ったら、もう5年は再任用で続けられるということに。ただサラリーは半減以下のようだが。

 思い返してみると、これまで一体、私は何をこの人生でしてきたのだろう。いや、何をしてこなかったのだろう。
 もっと勉強しておけばよかった、との悔いがある。あれもこれもと、ある意味、悔いだらけである。一体、何にうつつをぬかしていたのか。自省するところだ。

 ただ、考えようによっては、今、この場所で、ここの生徒たちとの出会いがあって初めて実現できたことも多々あるわけだ。そう、30年余の後、今にしてようやく可能となったことがいくつもある。たとえば、視聴覚教材の利用(特に今は映画である)。生徒たちとのディスカッション(担当講座当たりの生徒数が少ないから可能)。放課後の準備室での生徒たちとの語らい(ほぼ毎日、何人かが訪れてくれる。ときに差し入れ付きで)。

 そのように考えれば、これまでの時間も無駄ではなかったのだと少しは得心する。今の私は、これまでの時間の経過の延長上にあるわけだから。
 あと何年、どんなことができるだろうか。そんなことを思ってしまうが、まず何より日々さらなる授業の準備・勉強に傾注していくことだろう。そんな一年を2010年も送っていきたい。

103FK:2010/01/02(土) 20:56:42

2010年 1月 2日 (土曜) 年末・年始のクラシック

 クラシック音楽はいっぱいあるけれど、この日本で、あるいは私的にはこれぞ「年末・年始のクラシック」という曲がある。
 年末はなんと言ってもベートーベンの交響曲第9番「合唱」である。もともとそんな季節性はなかったのだが、近年は逆にヨーロッパでも年末に演奏されることがあるとか。やはり「合唱」で気持ちよく年末を。
 年始は元日のウィーンフィルのニューイアーコンサートに象徴されるようにウィンナワルツがまずあり、ついで交響曲ではやはり第9番で、「新世界」。こちらはドボルザークのもの。こんなところだろうか。(実はまだまだありそうだが、こんなことを考えた今日、正月二日であった。)

104FK:2010/01/31(日) 21:10:03

2010年 1月31日 (日曜) 『人はかつて樹だった』(長田 弘 みすず書房 2006年 \1800)

 詩の一部分を引用していいものかどうか分からないが、気に入ったものを。

 老いるとは受け容れることである。/あたたかなものはあたたかいと言え。/空は青いと言え。(P.32 樹の伝記)
【いま、この歳になって分かる、ということか。】

 ひとが一日と呼んでいるのは、/ただそれきりの時間である。/ただそれきりの一日を、/いつから、ひとは、慌ただしく/過ごすしかできなくなったのか?(P.35 草が語ったこと)

 ひとは悲しみを重荷にしてはいけない(P.40 海辺にて)
【悲しみは重荷になってしまいがち。でも人生にはいろいろあるのだ。喜びは重荷になることがない。なら悲しみ、も。】

 問うことは、ことばを、/握りしめること。(P.42 立ちつくす)

 歴史は悲しみを持たないのだ。(P.68 秋、洛北で)
【私たちは歴史を学ぶ。その歴史に悲しみはあっても、歴史は悲しまないのかも知れない。いや、悲しめないのかも知れない。】

 詩が、一人の人生を/直視することばだったら、いいのに。(P.72 メメント・モリ)

 キオクヲ ソダテルノハ コトバ デス/(中略)/シル トハ コノヨヲ/ジブンカラタノシム ホウホウ デス(P.75 カタカナの練習)
【知ることの喜びを感じられたころから、もうずいぶん時間が経ってしまった。】

 人生はことばのない物語にすぎない。(P.83 nothing)

105FK:2010/02/26(金) 20:52:31

2010年 2月26日 (金曜) 卒業文集

 明日の卒業式を前に、今日、卒業文集が配られた。早速、繰ってみる。まずはかつて担任をしていた生徒たちのものから、そして授業でのみんなや「初代準備室メンバー」(引用させてもらいました!)のを。
 この「初代準備室メンバー」とある一文では、その後にはお世話になった先生方の名前が列挙されてあった。光栄なことに、いやまずいことに(?)そのトップにあげてもらっていた。偶然だとは思うが、なんともうれしいやら、くすぐったいやら。末尾でよかったのに、なんて言いながらもほくそ笑んでいたりして、所詮、凡人です(笑) これだけでもう死ぬまで、今回の文集のことは忘れないだろうなと思います。こちらこそ、ありがとう。

106FK:2010/04/05(月) 22:47:39

2010年 4月 5日 (月曜) 花見

 毎年今ごろ桜の花見会をする。前任校の人たちと。今日は四人で、内訳は数学二人に英語と私。妙な組み合わせだが、もう八年くらい続いていることになるか。縁は異なもの味なもの、というがまったくもって奇妙な人間関係だ。
 今日は平日とあって夜の川沿いは、会社員と大学生の団体でにぎわっていた。
 花見といっても大体は桜の花の下に陣取っているので、あまり見えないのではないかと思う。つまり花の下にいることが大事なのであって、風景として桜の花々を見るのがメインではないということのようだ。要するに食べて飲んで騒ぐ、これに尽きるようだ。それにしても二十歳未満でお酒はダメなのだが、そろそろ18歳成人にして飲酒も解禁になれば、私も卒業生のみんなと楽しめることになるのだが、と。

107FK:2010/05/16(日) 22:31:29

2010年 5月16日 (日曜) 
 たった一人でも自分を理解し、求めてくれる人がいるならば、世界の輝きは違う。(P.327)

【簡単といえば実に簡単。しかし、これほど難しいこともそうはないのだ。人生は生きるに難しく、さらになお生きていきづらいものだ。でも、いつかどこかでそういう人とめぐり逢えると信じて生きていこう、ということだ。】『刻まれない明日』(三崎亜記 祥伝社 2009年 \1600)より

108FK:2010/06/02(水) 22:06:07

2010年 6月 2日 (水曜) 好きな数字
 私の好きな数字は、一桁なら「5」、二桁なら「57」。理由はない。いや、あるといえばある。でも、何となくだろう。ちなみに三桁なら「...」、思いつかない。もちろん、四桁以上も何も思い付かない。おもしろいものだ。
 もしかしたら、数字に人生の諸相を見ることができるのかも知れない。

109FK:2010/06/07(月) 22:53:07

 『男おひとりさま道』(上野千鶴子 法研 2009年 \1400)から

 昨日できたことが今日できなくなり、今日できたことが明日はできなくなる。/問題はこれまで、人生の上り坂のノウハウはあったが、下り坂のノウハウがなかったこと。下り坂のノウハウは、学校でも教えてくれなかった。そして上りよりは、下りのほうがノウハウもスキルもいる。(P.73)
【現社の授業でも青年期のそれはあっても中高年・さらに老齢期のお勉強はない。困るだろうなと思う。私は現在進行形なのだが、焼きが回ったなと思うこと、しきりである。】

110FK:2010/06/08(火) 20:59:56

2010年 6月 8日 (火曜) 『男おひとりさま道』(上野千鶴子 法研 2009年 \1400)から

 だいたい友人には、知的刺激と心の安らぎ、切磋琢磨と包容力の両方を同時に求めたりしないものだ。思想信条が同じでも、一緒にごはんを食べたくない相手はいるし、気心の知れた飲み仲間でも、まさかのときの助けにならない友人はいる。/内面の共有などなくてもつながれるのがユル友。毎日を機嫌よく生きていくことを支えてくれる仲間がいればじゅうぶんだろう。(P.180)
【だいたい「知的刺激と心の安らぎ、切磋琢磨と包容力」を兼ね持つ人間などそんなにいるわけがない。大概はどちらかを求めているわけで、両方をひとりの人間ですまそうというのはかなりムシのいい話である。理想的かも知れないが。】

 一緒にいて気分のいい相手。しょっちゅう会いたい相手、ときどき会いたい相手、たまに会いたい相手、困ったときに助けてもらいたい相手、助けてあげたい相手、気になる相手、気にかけてくれる相手.......が、多様に自分の身のまわりをとりかこんでいればよいのだ。それをセーフティネットともいう。(P.185)
【これだけいれば十分だろう。むしろ恵まれている方、というべきか。ある意味、羨ましい。】

111FK:2010/06/09(水) 21:43:09

2010年 6月 9日 (水曜) 『男おひとりさま道』(上野千鶴子 法研 2009年 \1400)から

 人生とは、死ぬまでの壮大なヒマつぶし。どうせ同じヒマつぶしなら、豊かにつぶしたい。/その1 時間はひとりではつぶれない。その2 時間はひとりでにはつぶれない。(P.198)
【「壮大なヒマつぶし」などとは、飛んでもないという人もいるだろう。確かに人それぞれ、大変な人生を抱えている人もいるに違いない。でも、そんな境遇であったとしても、ちょっと客観的に眺めてみれば、やはり人生とは壮大なヒマつぶしの側面があるのだ。もしそのように見ることができたら、その人は大変な中にもなかなかの素敵な人生が送れるかもしれないな、と私は思うのだ。
 ただ残念なことに、そのヒマつぶし、時間つぶしは意外と難しく、「ひとりで」いてはなかなかだし、まして時間は「ひとりでには」消えていかないのだ。ここが悩ましいところであり、工夫のしどころであり、人生の面白いところでもあろう。若干の苦味を噛みしめながらのことも多いだろう。】

112FK:2010/06/18(金) 19:58:32

2010年 6月18日 (金曜) 疲れた一週間
 今週は疲れました。梅雨入りしその暑さと蒸し蒸しに辟易しています。食後メールをのぞくと、生徒さんから。そういえば昨日、今日と顔を見なかったな、と。でもこのメールを読んでホッとしました。メール自体は十日ほど前の私の返信に対する返信の体裁なのですが。少し疲れが取れたような気がしました。また学校で顔を見たいものです。(ひとはひとによって傷つき、また癒やされるものだな、と。)

113FK:2010/06/28(月) 20:22:41

2010年 6月28日 (月曜) もし梅雨がなければ

 今日は梅雨の中休みでぐんと気温が上がった模様。午後の授業は汗を拭き拭き。あらためて雨のありがたさを思う。もちろん湿気には閉口なのだが、もし雨がなくガンガンに太陽が照りつけていたら、とても堪えられないだろう。梅雨様々なのかもしれない。

116FK:2010/11/15(月) 22:21:04

2010年11月15日 (月曜) 『私の家では何も起こらない』(恩田陸 メディアファクトリー 2010年 \1300)

 そう、生者の世界は恐ろしい。どんなことでも起きる。どんな悲惨なことでも、どんな狂気も、それは全て生者たちのもの。
 それに比べれば、死者たちはなんと優しいことだろう。過去に生き、レースのカーテンの陰や、階段の下の暗がりにひっそりと佇んでいるだけ。だから、私の家では決して何も起こらない。(P.26)

【生者の恐ろしさを身にしみて実感してきたことはない。本当はあるのだろうが、そうは感じないように生きてきたのだろう。それが生きていくための知恵だから。ただそのために失ったものがある。そう、「死者たちはなんと優しいことだろう」という感覚をいまもって感じることができていないことだ。そして、この先も。
 ただあえて言えば、いまは亡き、つまり死者となった私の父や母が、私が死ぬまでじっと見守ってくれているのではないか、とは思っている。今日は母の祥月命日であった。丸21年になる。】

117FK:2011/03/04(金) 23:33:47

2011年 3月 2日 (水曜) 『ごくせん 15』

 このお終いの方で、いいこと言っている。
「最後にこれだけは言っておきたい 私は一生お前らの味方だよ お前らがこれからどこに行こうが何があろうが どんな人生を送っても 私は一生変わらずいつもお前らの味方だ! それだけは絶対忘れないでくれ!」(P.216)
 なかなか良い台詞ではないか。私も気持ちだけは同感だ。実際はどうなるか分からないのが人生だが、せめてその気持ちだけは大事にしたいと思う。

118FK:2011/05/03(火) 21:59:28

2011年 5月 3日 (火曜) 『ばんば憑き』(宮部みゆき 角川書店 2011年 \1785)

 『あやし〜怪〜』のシリーズ続編、江戸怪奇譚というもの。六編からなる。凝った内容で、しかしそのあり得ないような世界に引きこまれていく。上手、ということだろう。

 門火の煙が流れてゆく。盂蘭盆が終わる。あの世の人びとは帰り、この世の者たちは残される。/別れるけれど、消え失せはしない。亡き人びとはこの世を離れて、だからこそ永遠のものとなるのだから。(P.372 野槌の墓)

119渦森六郎:2012/03/28(水) 23:28:39
ネット上で、麻布高校の校長・氷上信廣氏のインタビューを読みました。面白かったので、転載します。こういうことを考えられる人のことを、ほんとうの「大人」と言うのだと思います。
以下転載。


 有名私立御三家のひとつであり、自由な校風で知られる麻布中学・高校。ユニークな教育風土の中から、毎年、多くの東大合格者を輩出している。その麻布学園・氷上信廣校長の目には、大阪と東京で進む「教育改革」は、どう映っているのか。以下は、氷上校長のインタビューである。(聞き手=ノンフィクションライター・神田憲行)
 * * *
――東京都教育委員会の「職員会議における挙手採決の禁止」、大阪市における「国旗国歌の徹底」。大阪と東京で始まっている「教育改革」は関係者のみならず大きな話題になっています。私立には関係がないのでしょうか。
氷上:私立校は関係がありません。この間、私立校の校長会でちょうど話題になったんですが、僕が聞いた限り、卒業式で国旗を掲げているのは六校のうち一校だけでした。我々も掲げることはないでしようね。
――一般論として、行政が教育に介入することにどう思いますか。
氷上:公立は仕方ない部分もあって、だからこそ私立の意味がある。多元的価値は近代の大原則だから、教育の価値を担う者たちが自立的に決めるというのが、あるべき価値だと思うんですよ。
 行政には行政の価値があるでしょうから、それぞれの価値追求の中でやればいいわけで、行政が教育の価値に口を出すというのは、素人が玄人に口を出すことにつながらないのかなあ。
――職員会議の「挙手採決の禁止」というのは、どう思われますか。
氷上:なぜ禁止するのか理解に苦しむ。麻布では職員会議が意思決定の最高機関だから、決まるまで延々と議論を尽くしていくのが伝統です。五時間とか平気であるから(笑)。
――国旗・国歌の義務づけはいかがですか。
氷上:伝統の象徴として、あるのはわかる。サッカーワールドカップとかオリンピックとか、国旗を掲げて国歌を歌うのが国際儀礼なんだから。でも卒業式にそれがいるのかわからないね。
 日本人は愛郷心と国家意識を分ける必要がある。自分の小さな共同体、いわば「ふるさと」を大切に思う気持ちと、国家意識とは別。「ふるさと」は具体的な想い出だったり、いろんなものが詰まっている存在だけれど、近代国家は「システム」です。
 それがいつの間にか「故郷」を愛することが「国家」を愛することに同心円で一緒にされてしまった。この二つは峻別すべきなんです。国境を越えた資本主義、グローバリズムの中では、逆に「愛郷心」は大切にした方が良い。でないと逆に「ナショナリズム」に足をすくわれるから。
「コスモポリタン」なんて、単なる根無し草にしか見えない。郷土愛の根は大切にしたい。それにしても今の「卒業式における国旗国歌の遵守」は、ただの教育に対する統制手段としか見えないけれど。
――大阪では教師が実際に歌っているか、校長が教師の口元をチェックしていたケースもありました。もし氷上先生が大阪で校長をされていたら、どうしますか。
氷上:辞めちゃうよ(笑)。もっと生徒のためにエネルギーを注ぎたいもの。
――麻布の卒業式ではなにか特別なことをしたり、話したりされるんですか。
氷上:式後の祝う会では、いつも「いい男になれ」と話しています。それは「仕事が出来る男」「家事育児が出来る男」、そして「学校に寄付が出来る男」という(笑)。別にエリートにならなくてもいいから、「いい男」にはなってほしいと本気で願っています。

120FK:2012/03/30(金) 22:08:33

2012年 3月30日 (金曜) 本来、「私立」であるべきか

 「私立」であることの良さが端的に表れている発言(文章)であった。いや、それこそが「私立」の存在しうる根拠でもある。「私立」にあっては、当たり前のことが、当たり前に実行されているだけのことだ。
 ただ「私立」でも国に阿る学校はあり、そこでは公立同様の風景が見られる。
 みんながもし将来、教師を志望するならまずこのような志の高い「私立」を探してみることだろう。もし、自らの思想・理念とあうならば、そして採用されるのであれば、これほど理想的なことはないだろう。
 現実は、そのような「私立」で教職に立てる人は稀有であり、大半は「公立」に就職せざるをえないだろう。そんな中でどのように折り合いをつけ、自らの信念を通せるか。いずれ直面していくことになる。

121渦森六郎:2012/03/31(土) 23:53:40
>FK先生

あと、こういう「名門校」の魅力を、「東大合格者数」のような「数字」でしか語れない大多数のメディアや我々の言葉は貧困だなあ、とインタビューを読んで思いました。

122FK:2012/04/07(土) 22:21:19

2012年 4月 7日 (土曜) 分かりやすい、ということ

 分かりやすい、ということは果たしていいことなのか。分かりやすい、と思った時点で私たちはもうすでに騙されているのかもしれない。
 分かりよい・耳障りの良い言葉には気をつけなければならない。どこまでいっても自分でしっかり考えなければ、ということになるか。

123FK:2012/12/18(火) 22:51:31
民主党の教育政策(2012年12月1日)

 民主党政権が終わろうとしている。
 2009年夏、あれほどまでに期待されて政権を獲得した民主党がついに瓦解し崩壊していく。私たちの期待した公約は反故にされて、一場の夢と化した。

 私がこの党に期待した理由は、まず高校授業料の無償化である。これは目出度くも実現した。朝鮮学校の問題を残してはいるが、とりあえず。

 しかしこの唯一(私にすれば)実現できた政策も、実はかろうじてであり、薄氷の思いのものであったのかもしれない。しかし結果が大事だから、まずはこの点において私たちの期待に応えるものであった。(高校全入の問題は別として。)

 ところが同じ教育に関する公約でも教員免許更新制の廃止は、ついになされなかった。もう今後とも永くこの悪政は続くことだろう。さらに輪を掛けて悪いことには、教員免許の取得について屋上屋を架すような、無駄な制度を民主党は提案してきた。大学院までの6年間の大学教育や、さらに長期にわたる教育実習を科そうというものだ。

 民主党の議員は高学歴であり、そのせいかどうか、やたら教員資格について高いハードルを設けようとしてきた。教師という仕事について、その何たるかが分かっていないとしか言いようがない。免許更新制もそうだが、研修をいくら科しても、長い年月をかけても、決してそれではいい教師は生まれないのだ。

 もちろん、いい教師というのが国家目的の教育を生徒たちに施すだけのマシーンなのだとしたら、実は簡単なことだ。6年どころか4年すら必要ではない。
がんがんに詰め込めば、一年いや半年あれば愛国心教育を徹底するための教師は育成可能だ。戦時中の代用教員の例もある。

 生徒たちに注入するだけの教育は、ある意味簡単だ。逆に生徒たちから引きだすという教育の本来のあり方を実践しようとすれば、それは時間の長短など物理的な作業の多寡だけでは育成・解決しえないものだ。最終的には、教師になろうとするその人自身の人間性が問われるわけだからだ。

 いずれにせよ、これからしばらくの間は非常に厳しい時代が続くかもしれない。定向進化の果てに行き着くまで、大変な状況が続くのではないかと危惧する。民主党の教育政策のうちの私が特に関心を持っていた二つは、いずれ近い将来もっともまずい形で姿を現してくるのかもしれない。


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