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金曜1限・高草木社会思想

149名無しさん:2008/01/27(日) 16:29:38 ID:IWzZWzko
>>148
ネットで拾った高草木の文章。

ルイ・ブランと1848年革命
高草木 光一
 フランスの1848年革命を,「労働権(droit au travail)」と「アソシアシオン(association) 」の問題をめぐる「対抗−包摂」関係の視点から描き,1848年におけるルイ・ブランの「破綻」の思想史的意味を分析することが報告の課題である。
 ルイ・ブランを議長とするリュクサンブール委員会から労働者が離反し,自律的な組織化を模索していったことの意味を思想史的に捉えれば,彼の「社会的作業場」の構想が「労働者アソシアシオン」とも「労働者と経営者のアソシアシオン」とも関連づけられるものだったことが問題となる。「労働者アソシアシオン助成法」が骨抜き法として制定されたことに象徴されるように,彼に限らず,アソシアシオン概念自体のもつ曖昧さが,革命の進行過程の中で検証されていったのである。
 「社会的作業場」がそのパロディである国立作業場という失業対策事業に「包摂」された後,労働権は,第二共和国憲法において単なる公的扶助の問題にすり替えられた。亡命後のルイ・ブランは,ティエールへの反論の中で,労働権と扶助を峻別し,労働権は労働能力のある者に「賃金」ではなく「労働」を保証するものであることを主張した。しかし,こうした「対抗」の論理を追求した結果として,彼の基本的なスタンスは崩れ,『労働の組織』第9版(1850) は,「労働者アソシアシオン」のネットワークの中に「真の進歩省」を見いだすという,全く新たな見解を示すに至っている。
 基本的に労働者の立場に立とうとしながらも,常に社会全体の一般利害との調和を図ろうとするルイ・ブランの二重の志向は,結果として「対抗」を「包摂」へと導く役割を果たした。1848年革命が,「抑圧」から「包摂」へと支配・統制のあり方が変わる契機になったとすれば,彼の思想と行動は現代社会にもあてはまる「対抗−包摂」関係の重要な一例を示していると言えるだろう。


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