[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
行政法Ⅱ
1
:
幹事長@官房
:2008/01/28(月) 00:13:19
2006年度 行政法Ⅱ過去問答案(作成者:保理)
第1問
取消訴訟の原告適格については、まずもって行政処分の直接の相手方(名宛人)については取消訴訟における原告適格が当然に認められるところであり、論を待たない。本問に当たっての検討すべき事項は、行政処分がなされるに当たって、処分の名宛人以外の法律上の利益・利害関係を有する第三者がどの程度の範囲まで、当該処分の取消訴訟をその固有の資格において提起できるのかどうか、ということである。
そこで、検討すべき第三者の範囲の事項を四つに大別し、類型化して議論を進めることとする。即ち、
①行政処分に際し、営業上の利益を有する第三者
②当該行政処分に際し、利害関係を有するある一定範囲の地域住民・周辺住民としての第三者
③当該行政処分に際し、一般消費者・一般国民としての利益を有する第三者
④当該行政処分に際し、文化的な利益等を有する国民全体としての第三者
の四種である。
①の営業上の利益を有する者の判例としては、風営法の距離制限規定事件判決(公衆浴場の新規開設許可に関する距離制限規定に関するもの)、東京12ch事件判決(放送法に基づく予備免許の効力が期間満了により終了したが、その後まもなく本免許が交付になった事例。但し、放送会社という莫大な投資設備の必要性などの事情をも勘案した少々特殊な事例ではある)などがあり、これらではいずれも、第三者に対する原告適格が肯定されている。学説も同旨のものが多い。私もこの点に関しては判例・学説を支持する。第三者の外縁がはっきりとして居る以上、これらの者に対してはできる限りの救済の途を開くべきである。
②の周辺住民の原告適格であるが、保安林指定解除処分によって特定地域の水害による危険性が高まったとして、確定可能な地域的範囲内で法律上の利益を有するとして原告適格を認められた長沼ナイキ訴訟があり、また周辺住民の騒音被害に基づく空港供用差し止めを求めた新潟空港訴訟(判決は棄却)においても、原告適格が認められているところである。学説もこれを支持しているところであるが、一方で最高裁は地方鉄道法料金改定事件判決(近畿地区内の鉄道業者が鉄道運賃の料金の値上げ改定を国から認可されたが、通勤定期などで普段から当該路線を使用している鉄道利用者が料金改定認可処分の取消を求めて出訴した事案)においては、鉄道の利用が強制なものではなく、また範囲の確定も困難だとして通勤定期の利用者等の原告適格を否定した。これに対し、学説から前出の二つの判決との均衡、また鉄道の利用者の範囲の確定が近畿地区等に確定可能であるはずであること、さらに本件事案は通勤定期を利用するものが出訴したもので、より利用対象者の範囲は個別的に確定可能であるはずであって、原告適格を否定する由はないのではないかといった批判があり、私も同様の理由から最高裁の判断には大きな誤りがあると言わざるを得ない。今後、判例変更によって判例の統一が待たれるところである。
③の一般消費者の利益においてでは、いわゆる主婦連ジュース事件が有名であり、判例においては原告適格を否定している。そもそも、消費者一般の利益というもの自体が、個別的法益に還元されて初めて具体的争訟としての成熟をもってくる取消訴訟制度と相矛盾する概念であると言わなければならず、こうした類の訴訟は消費者団体が一般消費者を代表して出訴する代表訴訟であるから、これに対して原告適格を認めるとすれば新たな立法的手当てが必要となろう。
④の文化的利益についても③と同様であり、例えば伊場遺跡事件判決においても、大学教授がその自らの専門的知見に基づき文化財の保護を求めて出訴している代表訴訟的性格を有するものである。これについても、個別の立法的手当てが必要であろう。
2
:
幹事長@官房
:2008/01/28(月) 00:13:40
私見としては、③と④の訴訟類型につき、原告適格を満たすように新たな立法による解決が必要であると考える。事件性の認定につき、抽象的事案にとどまるものは訴訟としての成熟性を書くという反論も考えられるところであるが、事件性は具体性を持っているため、原告の範囲が多少なりとも抽象的性格を有するとしても、それのみをもって事件性が否定されるべきではない。
以上みてきたように、①及び②については行政過程・司法過程双方において第三者までを含めた権利保護が図られ、③,④については行政過程のみによる権利保護(しかし行政裁量による部分もあることに注意を要する)が行われるが、単に法制度上反射的利益を有しているにすぎないものについては行政・司法の双方の過程において考慮されうるものではないということにも触れておく。私見としてはこのようなメルクマールが構成される理論的枠組の存在があることそれ自体については大変有益なものであるが、なお一層の理論の明確化が求められていると言ってよいであろう。
(解答時間40分)
3
:
幹事長@官房
:2008/01/28(月) 00:13:58
第2問
検討の前提となる国賠1条の性質、また違法性概念について、私は代位責任説(国賠1条を民法715条の特則と見る)、違法一元説に立つこととする。根拠であるが、代位責任説に関しては、国家賠償法の制定根拠となった日本国憲法17条の文言が「・・・公務員の不法行為により・・・国または公共団体に、賠償を求めることができる」となっているところからして、民法709条以下の不法行為法の特別法という位置づけの下、国賠1条は民法715条の使用者責任の特則規定と理解すべきである。また、過失と違法性の近接化が生じてきている現在、違法・過失二元説に立って不法行為の要件認定をすることは妥当でなく、違法の中に過失が包含されると言うべきである。
これに基づいて国賠一条の違法性要件を検討すると、在宅投票制度立法不作為事件判決において、最高裁は職務行為基準説に立ち、国会議員の立法不作為による法的責任を否定した(政治的責任はあるとしている)。しかしこれに対する学説の批判は多く、これを認めることになると取消訴訟の違法性要件よりも国賠における違法性要件の方がその範囲において限定的になってしまい、結果として被害者救済の点で大きな問題が生じる(違法な処分だが、賠償不可という結果が生じる怖れがある)ということで、むしろ公権力行使要件欠如説に立って判断すべきであると言う。
また一方では、公権力行使(不行使)要件欠如説に立った判断枠組みとされる時事例として、パトカー追跡事件が挙げられる。このように、最高裁の判断枠組みは事案毎に異なっていると言え、法的安定性に欠けると言わざるを得ない。
私見としては国賠一条が取消訴訟と併合提起されて被害者の実質的な救済の道として使用されていること、また取消訴訟と国賠一条との間において違法性要件を異にする合理的理由は無いことから、学説の批判と同じく、公権力行使要件欠如説による判断枠組みで統一運用すべきであると考える。
(解答時間20分)
4
:
幹事長@官房
:2008/01/28(月) 00:28:01
訂正個所があります。
誤り:抽象的事案にとどまるものは訴訟としての成熟性を書くという反論も考えられるところであるが、事件性は具体性を持っているため、原告の範囲が多少
修正:抽象的事案にとどまるものは訴訟としての成熟性を書くという反論も考えられるところであるが、事件それ自体は具体性を持っているため、原告の範囲が多少
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板