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130女子大生のルーツは 日本大学🌸:2024/07/13(土) 09:04:50
日本初の弁護士 田中(中田)正子(Wikipedia)

生い立ち
明治43年(1910年)、東京市小石川区久堅町(現・東京都文京区小石川)に陸軍将校の父・田中國次郎(国次郎)と
母・槙子の次女として生まれる。父の國次郎は憲兵少佐で、職業軍人の傍らシェークスピアを原語で読む
好学の士であり、正子はこのような父の影響を受けて育った。

学生時代  女学校時代の正子
東京女子高等師範学校附属小学校(現・お茶の水女子大学附属小学校)、東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)を
経て、女子経済専門学校(現・新渡戸文化短期大学)へと進んだ。同校在学中は新渡戸稲造、吉野作造、我妻栄(民法学者)らに学び
、このことがきっかけで法律の道を志したという。学問の講究を望んだ正子は、昭和6年(1931年)に日本大学法文学部へ
選科生として入学、昭和9年(1934年)に同課程を修了し、同年に明治大学専門部女子部法科の3年次に編入学した。
昭和10年(1935年)に同部を卒業して明治大学法学部へと進学する。在学中の昭和12年(1937年)、正子は高等文官試験司法科を
受験して、女性初となる論述試験合格者となったが口述試験では不合格となった。翌昭和13年(1938年)に再び同試験に挑み、
久米愛、三淵嘉子と共に女性初となる合格者となった。3名の女性合格者はいずれも明大女子部及び同法学部の出身者で、
穂積重遠らに薫陶を受けた。


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