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四谷方面から来た法学士爪楊枝Jくん?がお尋ね者になるかも
112
:
目指せ! 志願者日本一 日本大学😃
:2022/07/18(月) 10:05:49
丹下健三(Wikipedia)
1933年(昭和8年)〜1934年(昭和9年) 東京帝国大学建築科の受験に2度失敗。
東北帝国大学金属学科に毎年1〜2名の欠員が出ると聞き受験するが、丹下が
受けた年に限りたまたま1人だけ定員を超えており、丹下のみが落第する。
徴兵逃れのため日本大学芸術学部映画学科に在籍したがほとんど登校せず、
ヴァレリー、ジード、プルースト、ドストエフスキー、ヘーゲル、ハイデッガーなどを
読み耽り、名曲喫茶で友人と語り合い、バーに出没した。「なぜ二年間にも
なったかといえば、多感な青春時代、情熱をもって取り組む対象がどうしても
文学だとか芸術だとかに偏してしまったから、ということにしておきたい」(丹下健三『一本の鉛筆から』p.25)。
丹下はまた「日大の映画科には籍を置いたままで終わった。しかし、私は映画には
大変興味を持っていて、そのころからしきりに言われた「総合芸術」に取り組んでみようと
思ったことがあったのも事実である」(丹下健三『一本の鉛筆から』p.27)とも述べている。
同時期の日大芸術学部には黒澤明がいたとする資料もある。
1935年(昭和10年) 東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科に入学。内田祥三、岸田日出刀、武藤清に師事。1学年上に立原道造が在籍していた。
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