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超名門 日大法学部

468名無しさん:2020/07/14(火) 09:40:06
私の知り合いに、戦前のUCLAに存在した日系二世女子学生のソロリティーを調べている大学院生(Aさんとする)がいる。先日、私が某研究会で発表した時に、大叔父が所属していた明治大学の日系二世フラタニティー「シグマ・ヌ・カッパ」(上写真)にも触れたのだが、Aさんはそのことに強く興味を持ってくれたようだ。

確かに、戦前のほぼ同時期に、太平洋の向こうとこちらで、日系二世の学生だけのフラタニティーやソロリティーがあったことは興味深い。州立と私立の違いはあるが、当時、UCLAも明治大学も、二世が通った大学としては代表格であった。明治大学がハワイや本土から多くの日系アメリカ人を受け入れたことはよく知られている。

ところで、明治大学のフラタニティー「シグマ・ヌ・カッパ」については、そのまとめ役が松本瀧蔵教授(上写真の二列目中央左)であったことくらいしか判明していない。フラタニティーはメンバーの選定や規律を重んじる組織なので、その内実を明らかにするのは容易ではない。政治家でもあった松本瀧蔵教授についてもウィキペディアでの情報以外は勉強不足でわからない。(追記:松本瀧蔵は野球、それも高校野球や大学野球に大いなる貢献をした人物としても有名である。野球やアメフトなどの米国生まれのスポーツを日本で振興したことと、松本自身の生い立ちとは切り離せない。松本瀧蔵がやったことこそ「スポーツ振興」の名に値する。松本は50代で死去した。短い人生だったが、残した業績は大きい。)

さて、明治大学の「シグマ・ヌ・カッパ」については、明大のアメリカン・フットボール部の中核であったことは事実である。そもそも、日本で初めてアメフトをプレイした大学は明治大学であったといわれている。そして、プレイヤーはすべて日系二世であった。何故なら、当時、アメフトのルールを知っている日本人がいなかったからだ。だから、レフリーも、広島県生まれで米国カリフォルニア州フレズノ育ちの松本瀧蔵教授がやったという。

日本で最初のアメフトの大学対抗戦は、「明大シグマ軍」と明大以外の二世を寄せ集めた「ハワイ選抜」のマッチアップであった。要するに、フィールドを駆けていたのは日系二世だけだったのだ。(笑)これは、幾つかの記録に残っているし、アメフト史の研究家も認めているので間違いない。

アメフト以外に「シグマ・ヌ・カッパ」が行っていた活動についてはわかっていない。一緒にスキーに行った時の写真は残っているが、これが「シグマ・ヌ・カッパ」としての活動だったかどうかは?である。普通、フラタニティーは、卒業後もその人脈を保つことで、各人が社会的に成功するために利用する組織のはずだが、明大を卒業し、ハワイや米国本土に帰った二世たちのその後はどうだったのだろうか。無論、そのまま日本に残った二世もいただろうが、戦後65年が過ぎた今、明治大学「シグマ・ヌ・カッパ」の二世学生たちの足跡を追うにはかなりの調査が必要だ。


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