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超名門 日大法学部

11名無しさん:2020/03/13(金) 11:16:52
■山田顕義(やまだ・あきよし)日本大学学祖先生
生没年:天保15年〜明治25年 (1844〜1892)
誕生地:長門国萩椿号東分村(現・山口県萩市) 墓所:東京都文京区(護国寺)
別 名:市之允(通称)、顕孝(諱)のち顕義、空斎(号)
長州藩士・山田七兵衛顕行の長男として生まれる。
松下村塾で学び、倒幕の志士として禁門の変、馬関戦争、功山寺挙兵などに参戦。
戊辰戦争では新政府軍参謀として転戦、箱館五稜郭を陥落させた。
明治2年(1869)兵部大丞に就任、同4年岩倉使節団に理事官として随行し欧米諸国を視察、
同6年帰国後に司法大輔などを務めた。佐賀の乱、西南戦争では反乱士族を鎮圧。
明治16年に司法郷、同18年に第1次伊藤内閣にて初代司法大臣となり、法治国家建設のため尽力。
『教育を重視』し、明治22年(1889)日本大学の前身である日本法律学校【現・日本大学】を創設、
翌年には國學院【現・國學院大学】を設立した。明治25年、生野銀山にて急逝。享年48歳。

山田顕義の生誕の地に昭和54年(1979)、日本大学建学90周年を記念して日本大学により公園として整備され、
「顕義園」(けんぎえん)と名付けられた。73平方メートルの敷地の正面には、
1.1メートルの台座の上に2.4メートル、ひげを蓄え堂々とした風貌の「山田顕義先生像」が立っている。
「日大関係者」は生涯一度は公園を訪れ顕義翁に合掌されてみては如何でしょう!


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