したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

山田顯義先輩! 僕は後輩の日本大学生です。

387タコ社長太宰久雄は日大商学部で学ぶ:2020/07/21(火) 16:06:40
葉山町によると、金子は1887(明治20)年代から、葉山一色公園付近に別荘を構えたが、大正期の御用邸附属邸建設に伴い、
当初の敷地から現在の敷地に転出。関東大震災後にはほぼ常住の住宅として使用されていたと言う。その後、1955
(昭和30)年代に恩賜松荘の現在の所有者家族が取得した。同所有者は登録を希望した思いを「登録することで、もし
所有者が変わっても建物をこの地に残したいという意思も引き継いでもらえるのでは」と話し、「米寿荘の所有者とも
同じ思いで、2棟一緒に登録出来たことにも意味がある」とも。「米寿荘」は上田義彦写真事務所が所有している。

 「恩賜松荘」」は南北棟に分かれ、南棟は平屋建、切妻(きりづま)造桟瓦ぶき、北棟は平屋建、寄棟(よせむね)
造桟瓦ぶきで、銘木を用い欄間など細部まで意匠を凝らした上質な別邸。その東に建つ「米寿荘」は2階建て、
入母屋(いりもや)造桟瓦ぶきで、1階は民家を移築したと伝えられ、農家風意匠とし、2階は銘木を用いた数寄屋風意匠。

 文化財を担当する葉山町教育委員会生涯学習課の山口正憲さんは「今回の登録で、建物の価値を広く
理解していただくにはいい機会になる。民家を移築した名残があり、大正末期から流行した民衆の生活を
大事にする民芸(民衆的工芸)の運動が葉山の別荘でも取り入れられていることも貴重」と話す。

 葉山の別荘の記録保存などの活動をしている「葉山環境文化デザイン集団」(堀内)の野中康司さんは
「昭和10年ごろには500棟程あった別荘も今は50棟もない。残したいという強い意志がないと登録の
申請はできないので、所有者の方の強い思いを感じる。本当に良かった」と喜ぶ。

□ 金子堅太郎伯爵は初代日本大学の学長さんで、日本大学とは
  とりわけ縁の深い人物です。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板