したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

山田顯義先輩! 僕は後輩の日本大学生です。

371日本衛生学会会頭山田顯義 日大と日本医大は兄弟校:2020/06/28(日) 10:33:38
山口きらめーる 幕末明治の洋行者たち 山根正次
kirara.pref.yamaguchi.lg.jp/mag/html/vol251/web/omoyama.php


留学生の1人に山根正次(やまね まさつぐ)がいます。正次は1857(安政4)年に萩で生まれました。
1882(明治15)年に東京大学医学部を卒業し、長崎医学校(現在の長崎大学医学部)に教諭として
赴任中、感染症のコレラ(※3)の大流行に遭遇します。正次は数千人を診療し、その病理解剖も
日本人で初めて行ったといわれ、感染症などの予防のため上水道の整備を訴え、その後、実現に至りました。

 また、このころ長崎で外国人による市民への暴行をきっかけに、外国人と日本人双方に多くの
死傷者が出る事件が起き、国際問題に発展します。事件直後に外国側は日本人以外の医師を雇って
傷を検査し、一方、日本側は正次に命じて負傷者の傷を鑑定させます。この体験で正次は
日本の法医学を振興する必要性を感じ、司法大臣の山田顕義(やまだ あきよし)(※6)に訴えます。
訴えは受け入れられ、正次は法医学や公衆衛生の調査・研究のため1887(明治20)年、ドイツなどへ
留学することになったのです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板