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山田顯義先輩! 僕は後輩の日本大学生です。
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:
日本衛生学会会頭山田顕義 日大と日本医大は兄弟校
:2020/06/25(木) 21:19:29
近代下水道ことはじめ〜長与専斎の下水道戦略〜
https://www.gesui.metro.tokyo.lg.jp/business/kanko/newstokyo/256/5/index.html
岩倉遣欧米使節団が帰国すると、随員であった長与専斎は文部省医務局長に就任し(明治6年)、
コレラ対策としての下水道整備を行うべく活動を始めます。しかし、当時のほとんどの人々は
近代下水道とは何なのかを理解しておりませんでした。一方、相変わらずコレラ禍は続いておりました。
中でも明治12年のコレラ流行はすさまじく、全国で患者数16万人、死者10万人を超える大惨事となりました。
そこで、長与は以下のような下水道普及戦略を建て、実施に移す行動を開始しました。
(1)衛生思想を普及し、下水道への理解を深める。
(2)実験的に下水道を築造し、実物を見せる。
(3)下水道技術者を養成するために、お雇い外国人を招へいする。
長与は大坂適塾出身の医師です。衛生思想の世論喚起を図るため、医師仲間に呼びかけ、
「大日本私立衛生会」を設立しました。会長には後に日本赤十字社を創設し、初代社長になった
佐野常民が就任しました。そして佐野、長与が中心となり、高木兼寛、北里柴三郎など当時の
錚々たる医師たちが全国的に大キャンペーンを行い、衛生思想の普及と共に、下水道の必要性を説いたのです。
次に行ったことは、実際に下水道を造ってみることでした。人々に実物を見てもらい、
さらにその効果を知って頂こうという訳です。
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