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山田顯義先輩! 僕は後輩の日本大学生です。
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:
長州兵の入京。指揮官は乳臭兒、山田市之允
:2019/11/14(木) 08:48:32
戦前は軍官僚が支配し、逆らうものは首相だろうと皆殺し。
2,26事件では岡田 啓介首相は辛うじて
青年将校の目を晦まし
首相官邸からの脱出に成功しています。
この時に4発の銃弾を浴びながら生き残った鈴木貫太郎侍従長(元首相)らと
東條英機内閣を倒閣に追い込み、軍部の妨害を跳ね除け
終戦に漕ぎつけます。
(Wikipedia)
岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日(慶応4年旧暦1月21日 - 1952年(昭和27年)10月17日)は、日本の軍人、
政治家。最終階級は海軍大将。栄典は勲一等功三級。
田中義一内閣で海軍大臣をつとめたのち、斎藤内閣でも海軍長老として海軍大臣を再び拝命して五・一五事件後の騒然とした
海軍省部内を収めた。その斎藤内閣が瓦解したあと大命降下を受けて内閣総理大臣に就任、岡田内閣では一時拓務大臣と逓信大臣を兼任している。
二・二六事件で反乱軍に襲撃されたが、義弟で秘書官を務めていた松尾伝蔵が身代わりとなり、奇跡的に難を逃れた。
総理退任後も重臣として度々枢機に与ったが、第二次世界大戦中は東条内閣打倒を自らの責務ととらえ倒閣運動を主導した。
晩年に口述した『岡田啓介回顧録』はこの動乱の時代を知る上での貴重な史料となっている。
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