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みてね

1742.:2010/04/14(水) 11:55:27
小泉進二郎と稲川会大幹部の蜜月関係

↓これを、亀井先生に是非国会で、信二郎を相手に直接追及していただきたいものである。

●小泉進次郎4代目襲名議員になれますか?父とともに稲川会大幹部に挨拶
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1428133199

写真中央が、小泉組4代目進次郎、右端のいかにもその筋の爺さんが、稲川会大幹部で30数年小泉の地元選対部長として睨みを利かせてき竹内清元県議会議長である。

●小泉首相と稲川会2005-08-27 05:23:27
http://ameblo.jp/dreamgate/entry-10003777304.html


総選挙の公示が間近となり、あちこちのブログでも選挙がらみの話題が増えてきた。

そこで、今回は、小泉純一郎と広域指定暴力団(ヤクザ)である、「稲川会」との関係を取り上げたい。

小泉首相とヤクザ組織「稲川会」との関係をスクープしたのは、2004年7月発売の雑誌「フライデー」だった。

証拠写真も、もちろん撮影されていた。

ところが、継続掲載は圧力がかかって、実現しなかった。

日本の全てのマスコミがこのことをまるでタブーのように無視してしまった。野党も黙ったままである。国会で誰も一度も追及しなかった!

このことに、ようやく光を当てることをしたのは、カナダ人の在日ジャーナリスト、ベンジャミン・フルフォード氏だけであった。

彼の本、『改訂版 日本マスコミ「臆病」の構造』から、その当たりのことを紹介しておきたい。

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小泉純一郎の選挙対策本部長を長年努めた竹内清は、暴力団「稲川会」の組員だったのだ。一応、前職は「神奈川県議会議長」という肩書きだった。

彼は、「稲川会」の故・石井会長と非常に親しい関係にあった。但し、竹内清は、若い頃に足を洗い、堅気になっている。しかし、親分の石井会長に可愛がられ、やくざを辞めてからも出入りしていたのだ。

1991年、その石井会長が亡くなった際、葬儀で最初に焼香したのは、竹内清だったのだ!上下関係の厳しいヤクザの世界で、こういうことが問題なく可能だったということは、竹内清自身が、石井会長が存命中から周囲の誰もが認める関係だったということである。

小泉純一郎の選挙対策本部長を連続10回も努めた竹内清は、2001年に、その地位をようやく息子に引き継いだ。

「稲川会」は、違法賭博、売春、風営法違反、詐欺などの罪で下っ端にも幹部にも逮捕者を出している広域暴力団で、小泉純一郎の選挙区である、横須賀に本部がある。

「フライデー」のカメラマンが撮影した、「稲川会」の構成員名簿にははっきりと竹内清の名前が写っていたのだ。

「フライデー」の記者の質問に、竹内清はこう答えていた。

「石井さんは黙っていてもやってくれる人でした」

何をやってくれたのだろうか?

さらに、今度はベンジャミン・フルフォードが、「稲川会」の幹部(35歳)に小泉純一郎と「稲川会」との繋がりを確認したところ、彼は次のように答えたという。

「横須賀では、政治家ならウチと繋がっていないと、何一つ出来ませんよ」

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201004/article_24.html


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