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21cat-mimi:2009/10/16(金) 17:49:12 HOST:p525.wainet.ne.jp
★今日のフォーカスチェンジ♪
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それは、当たり前のことだからです。


死ぬことは、人間にとって、
ごはんを食べるのと
同じくらい、普通のことです。

ごはんを食べないひとは
存在しないように、
死ぬことのないひとは、
存在しませんから。


ただし、ごはんは
何回でも食べられるけれど、
死は、
一回しか体験できません。

(ほとんどのひとは…)(^^ゞ


人間は、体験しないことを
怖れる生きものです。

だから、ごはんを
食べるのを怖がるひとは
いないけれど(たぶん)、
死ぬことを怖がるひとは
たくさんいます。


でも、私たちは、本当は、
無数の死を体験しています。

そうです。私たちの細胞は、
日々、死んでは生まれ…の
循環を繰り返しています。

「あっ、やられた!」とか、
「うぎゃっ、死ぬっ」とか
言わないから
気づかないだけで、(笑)
実は、毎日、私たちの一部は
死んでいるのです。


大量の細胞が、死に、
そして、生まれるということ。

この循環なくしては、
私たちは、生きつづけて
いくことはできません。


もしも、
赤ちゃんのときの細胞が、
「自分は死にたくない!」と
がんばって、
ずっとそのままでいたら…。

…こわいです。(笑)

…それが脳細胞だったりしたら、
すごーくこわいです。(爆)


私たちは、細胞がちゃんと
死んでくれることに
感謝しなければなりません。

そして、もちろん、
生まれてくれることにも…。


さて。

実は、私たちが
本当に怖れているのは、
死ぬことではありません。

生きているあいだに、
自分の存在することの
意味を見出せないことが、
一番怖いのです。


これでいいのだろうか。
こうではないはず…。
まだまだ不充分…。

そのような思いに
さいなまれるとき、
私たちは、いま生きている、
この場、この瞬間に、
安住することができません。

このまま、不完全のまま、
死んでしまったら、
自分が生きてきた意味が、
見いだせないかのような
気がしてしまいます。


けれども、何かが、本当に
完全になるということなど、
あるのでしょうか。

いえ、見かたを変えれば、
はじめから、すべては
完全なのではないでしょうか。

たとえば、細胞にとって
役割を終えたときに、
死んでいけることこそが、
完全であるように。


私たちのからだのなかでは、
その、完全なことが
黙々とおこなわれています。

私たちは、もともと、
完全な死と、完全な生を
生きる存在なのです。


だとしたら、死にたいする
無用の不安などいだかずに、
黙々と、日々を
まっとうすればいいのです。

ただ、その場、その場、
そのとき、そのときに、
完全にいるだけでいいのです。

まさに、いま・ここ・自分。


もう一度、繰り返しますね。

あなたの細胞は、
死をなげいたりしません。

それは、当たり前のこと
だからです。

あなたの細胞が
思わないことを、
細胞のあるじであるあなたが、
思う必要はないのです。


ただ、受け止めて、
この一瞬を、この場を、
100%、生きるのです。

100%、生きて、
100%、死ぬのです。


そのとき、あなたは、
自分の存在の意味など、
問う必要がないことを
知るでしょう。

生きていること、それだけで、
すでに完全であるのだと。

この当たり前のことを
受け入れることこそが、
そのための道すじなのだと。


あなたの100%を祝福します。

怖れる必要はもはやありません。


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