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みんなでかんがえるサーヴァント297

279僕はね、名無しさんなんだ:2017/07/30(日) 01:16:19 ID:YdxuLSu20
【Weapon】
「八九式重擲弾筒」
 アサシンが使用しているグレネードランチャー。
 アサシンはこの火器を用いて多くの戦果を挙げたとされている。
 また、内蔵されている火薬は固有スキルの行使に欠かせないという。
 間違っても湾曲した台座を太腿に当てて発射しないこと。

「九九式軽機関銃」
 旧日本軍で使用された機関銃。銃剣を備え付ける機構が存在する。
 重心の関係上、銃剣を取り付けている状態では命中精度が上昇する。

「関ノ孫六」
 古刀最上作にして最上大業物とされる、刀工孫六兼元が作刀した短刀。
 かつて友人に譲ったものであり、軍刀拵えとなっている。

【解説】
 「不死身の分隊長」の異名を持つ日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。
 擲弾筒部隊にありながら剣道・銃剣術の有段者であり、射撃徽章も有していた。
 第二次世界大戦におけるパラオ-マリアナ戦役最後の戦いであるアンガウルの戦いでは
 圧倒的劣勢の中、白兵戦にて米兵を200人以上殺傷したという多大な戦果を挙げた。
 最終的に捕虜になり収容所を転々とするも終戦後の1946年に日本に帰国。
 戦後は日本初の書籍専門店である大盛堂書店を開業。自身も戦記を中心に数編著し、
 それらの印税を太平洋諸国の慰霊碑の建立や国際赤十字社への寄付に充てた。

 瀕死の重傷で奮戦するエピソードが多く、アンガウルの戦いにおけるゲリラ戦では
 左大腿部に裂傷を負う瀕死の重傷を負って銃火の真っ只中から自力で帰還した他、
 両腕と左脚を負傷した状態で銃剣による突きや投擲を繰り出していた。
 同戦いで肉弾自爆を決意した際は全身に5箇所の重傷を初めとした満身創痍の状態で
 数夜這い続け米軍司令部に周囲に潜入、米軍の集合時を狙って単身突撃を敢行した。
 肉弾自爆は失敗し、捕虜となった後も彼は監視の甘さを突いて収容所から脱走し、
 同胞の亡骸が所有していた弾薬を用いて米軍の弾薬庫を爆破することに成功する。
 
 しかしそれは同時に死を覚悟しそれを求めても死にきれなかったことを意味しており、
 洞窟壕内で傷口を蛆に集られながらも手榴弾自決が未遂に終わってしまったり、
 単身突撃時に頸部を狙撃されるも奇跡的に蘇生「してしまった」後は暴れまわり、
 米兵に銃を渡しては自分を殺せと凄むなど、当時の彼が望んだものではなかった。

 ただ、虜囚としての生活を通して彼はアメリカの先進性を学ぶこととなった。
 「幽霊」として故郷に戻り、自身の墓標を引き抜いた彼は日本の将来を案じ、
 自国の産業・文化・教育の発展を願い、その余生を書店経営に費やした。
 書店経営と戦没者の調査・慰霊という二束の草鞋を彼は十全にこなし、
 「生きている英霊」は 去る2006年2月11日、85年に及ぶその生涯を全うした。


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