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避難所SS投下スレ五

1銃は杖よりも強いと言い張る人:2008/11/26(水) 01:18:53 ID:LHhNtMKE
前のスレに収まりそうに無いので、ムシャクシャしてスレを立てた。
今は反省している。

というわけで、早速投下します。

2銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:21:19 ID:LHhNtMKE
7 人を喰らう獣
 天蓋付きの豪奢なベッドの上で、ピンク色の髪がくるりと舞った。
 シーツに分厚い本と小冊子を散らかしているのは、ベッドの主であるルイズである。
 宝探しに行くと勝手に決めて使い魔が出て行ってから今日で六日。その間、ルイズは授業に
も出席しないでアンリエッタの婚儀の詔の為に詩集と格闘していたのだった。
「火は赤くて熱くて色々燃えます。風は夏は温いし冬は寒いので吹かないで欲しい。水は川に
流れてて海にもいっぱいある。土はキザで派手で女好き」
 一枚の羊皮紙に書かれた文を読み上げて、ルイズは首を傾げる。
 なんだこれは、と。
「意味不明だわ。300年前に詠まれた詔なら真似てもバレないと思ったのに、これじゃお披
露目できないわね」
 広げられた分厚い本の一頁に目と手元の羊皮紙を見比べて、溜め息を零す。
 真似たと言っても、実際には単語を抜き出した程度だ。火は色を、風は季節を用いるところ
を、水は川や海といった名前を引っ張り出している。土に関する部分はルイズの独創であった。
 これでパクリだなんて言われても、元の詩を考えた人は納得しないだろう。
 自分で見ても酷い詩だと思い、学院の授業に詩を扱うものが無くて本当に良かった、と改め
て詩の才能が欠けていることを認識する一方で、アルビオンがトリステインを攻めることなく
姫殿下の婚儀の日が来たらどうしようと不安になる。
 来月の始めにある婚儀の日まで、もう残り二週間を切っている。だが、詔が完成する目処は
一向に立っていなかった。
「どうしよう。ミス・ロングビルに相談しようにも、ここのところずっと留守にしてるみたい
だし。こういうのに強そうなギーシュは居ないし、サイトも……」
 溜め息を吐きながら、ころん、とベッドの上を転がったルイズは、この場に居ない使い魔の
ことを思い出す。
 思い出して、表情を険しくした。
「なんで、あんなバカ犬のことなんて思い出すのよ!もう関係ないじゃない!」
 気を紛らわせるように、枕に詔の参考としていた本を何度もぶつけてルイズは叫んだ。
 首から上が熱くなって気分が落ち着かなくなる。
 腕が疲れたところで、鬱憤をぶつけていた枕を抱き締めたルイズは、自分の体と不釣合いに
大きなベッドの上をゴロゴロと転がった。
「むうぅぅ……」
 安眠を与えてくれる柔らかい枕の感触が、何故だか今は気に入らない。
 それでも、目一杯力を加えても壊れない手頃なものは枕しかなかったので、それをキツく抱
き締めるしかなかった。
「うぅ、なんだかモヤモヤするぅ」
 そう言って、またゴロゴロと転がる。
 宝探しに出かけると言い出した才人と喧嘩してからというもの、毎日この調子だ。
 メイジと使い魔は一心同体というから、何か糸のようなものでお互いの間が結ばれているの
かもしれない。それは伸び縮みする弾性を持っていて、強い力で伸ばされるとゴムのように縮
もうとするのだ。だから、喧嘩してお互いの気持ちが離れると、契約が二人の間をなんとか近
づけようとするに違いない。

3銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:22:22 ID:LHhNtMKE
 だから、こんなにもあのバカでスケベでだらしなくって、でも時々頼れる使い魔のことが気
になるのだ。と、ルイズは思い込もうとしていた。
「もう、なんなのよ!なんなのよ!!あー、ムシャクシャする!」
 転がるのを止めて、枕を部屋の片隅に向けて力いっぱいに放り投げる。
 寝藁で出来た才人のベッドが、無残にも砕け散った。
「ううううぅぅぅ!あのバカ犬、どこ行ったのよ……」
 詔の資料や書きかけのメモを放り出してベッドの上に両手両足を投げ出したルイズが、虚空
に向けて呟く。
 帰ってきたらどうしてやろうか。土下座させて、この哀れで卑しい愚鈍な犬をもう一度ご主
人様のお傍に置いて下さいませ、とか言わせた挙句、思いっきり股間を踏みつけて、その足を
舐めさせてやった方がいいかしら?朝昼晩の食事の前に、三回まわってワンと鳴くように躾け
るのも悪くないかもしれない。余所の女に鼻の下を伸ばしたら、その度に鞭で思いっきり叩い
たりなんて……。
 そこまで思考を進めたところで、はあ、と息が漏れた。
 昨日も、一昨日も、その前も。同じようなことを考えていたのだ。
 許すことを前提にして妄想を広げていたことさえ自覚できず、何度も繰り返される使い魔が
帰ってきた時のシミュレーションに進歩の色は見られない。
 なんだか寂しくなって、憎らしいほどに輝く太陽に照らされた窓の景色を睨みつけて、ルイ
ズはもう一度溜め息を吐く。
 唇が、ばか、と声にもならずに動いていた。

 遠くトリステイン魔法学院にてルイズがそんな昼の一時を過ごしていた頃、才人たちは目的
としていたモット伯がかつて住んだ洋館に到着していた。
 壁面は蔦が這い回って緑色に染まり、風に飛ばされた砂や土で茶色く染まった窓の枠組みが
風雨の浸食で元の形を失っている。屋根の一部には蜂の巣らしきものも垂れ下がり、見事に廃
墟らしい姿を呈していた。
 この屋敷が廃棄されたのは、およそ五年前。建設から五十年が経った頃である。
 廃棄された理由は単純で、支柱や壁面の老朽化であった。土のメイジによる補修も追いつか
ず、結局建て直すこととなったのだ。
 五十年という月日の間でトリステインの内情も微妙に変化し、立地の都合が悪くなったこと
で別の土地に移り住むことも、そう時間も掛からずに決まったらしい。ジュール・ド・モット
伯は代々の名家というわけではなく、所謂三男四男といった主家の世襲から外れた人間であっ
た。そのため、屋敷や周辺の土地に伝統があるわけではなく、場所に固執することもなかった
のだろう。
 人が住まなくなった事で手入れがされなくなった建物は自然に押し潰され、庭は隣接してい
たらしい森と一体化を果たしている。小動物があちこちで走り回っているこの場所に、もう人
の気配は残っていなかった。
 チチチ、と軒先に作られた巣から鳴き声を上げている小鳥を横目に見ながら、内側に向けて
倒れている玄関の門を潜った才人たちを待っていたのは、広大なロビーであった。
 吹き抜け構造で、奥には二階に繋がる大きな階段もある。床には絨毯らしきものの残骸が残
っていて、内に含んだ湿気を栄養にして植物の芽が出ていた。

4銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:24:06 ID:LHhNtMKE
 窓ガラスが残っているせいなのか、それとも扉が締め切られているせいなのか、玄関から流
れ込む風だけでは屋敷の中の空気を入れ替えるには至らず、重く淀んだ空気が鼻に付く。それ
と一緒に、別種の臭いも嗅覚を刺激した。
「動物が入り込んでるのかな?」
「かもしれないわね」
 獣臭いと言えばいいのか。森の中で獣道を歩いているときに時折感じる特異な臭いに気が付
いたマリコルヌの呟きに、キュルケが軽く相槌を打った。
 動物の足跡が、点々と絨毯だったものの上に模様を描いている。多分、雨風を凌ぐのに便利
だからと、巣穴代わりにされているのだろう。
 どんな動物が入り込んでいるのかと、いくつもある足跡を観察するべく動き出したキュルケ
が、最初の一歩で唐突に膝の力が抜けたように体勢を崩して床に尻を打ちつけた。
 じわりと広がる鈍い痛みに呻く。それを見ていた少女が一人、堪えきれずに噴出した。
「ぷっ、くくく……、なにやってるのよキュルケったら」
「こ、これは違うのよ!なんか、足元が……」
 モンモランシーの押し隠すような笑い声に顔を赤くしたキュルケが、立ち上がりながら誤魔
化すように床を蹴り叩く。
 ボロ切れ同然の絨毯に隠された床に小さな窪みがあるようだ。これのせいで足を踏み外した
のだろう。
 老朽化した建物だけに、こういう目立たない部分にもしっかりと劣化の跡が刻まれているら
しい。この分だと、ふとした拍子に天井が落ちてくるなんてことも無いとはいえないだろう。
 貴重な情報を教えてくれた親切な床を強く踏みつけたキュルケは、こほん、とわざとらしい
咳をして息を吸い込んだ。
「みんな聞いて」
 その場で振り返り、キュルケは真面目な顔で宝探しのメンバー全員を視界に収めた。ついで
に、また噴出しそうになったモンモランシーをキッと睨みつけ、黙らせる。
「今回の目標は“召喚されし書物”よ。ジュール・ド・モット伯爵は書物の収集家としてそれ
なりに有名で、今回の目標もモット伯が収集したものの一つなの。あたしの聞いた話だと、引
越しの際に幾つかの書物を紛失しているらしいわ。“召喚されし書物”は、その中の一つって
わけ。希少価値もあるから、かなり高価なものよ」
 いくらぐらい?と、具体的な値段を尋ねたのはモンモランシーだった。
 問いかけに、ふふん、と不適に笑ったキュルケは、片手を掲げて手の平を広げて見せる。
「これだけよ」
「……50エキュー?」
 指の数一本につき10エキューと計算したモンモランシーが言うと、キュルケは首を振った。
 モンモランシー自身も、まさか50エキューでキュルケが動くとは思っていないため、当然
よねと頷いて、桁を一つ上げる。
「500エキュー」
「違うわ」
「じゃあ……、5000?」

5銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:26:09 ID:LHhNtMKE
 モンモランシーは自分の考える本命の金額を訊いて、キュルケの反応を待つ。
 宝探しメンバー全員で分けても、5000エキューは大金だ。極普通の平民であるシエスタ
なんかは、金額を聞いただけで卒倒するかもしれない。ギーシュは無駄に見栄を張って一週間
くらいで使い切りそうだが。
 メンバー七人に一人ずつ均等に配ったとして、手元に入るエキュー金貨は端数を無視すれば
700枚。部屋の家具を一新するには少々足りないが、ドレスや装飾品を新調するには十分な
額だし、趣味と実益を兼ねた香水作りも、元手が増えれば規模を大きく出来る。
 なんて素晴らしい。さらに、既に手に入れた赤い宝石と奇妙な仮面の売却金を含めれば、相
当な額になる。一年分の小遣いを確実に上回るだろう。
 5000エキューであるという前提で、モンモランシーが妄想を膨らませていると、頷くか
と思われたキュルケの首が、さらに横に振られた。
 え、と息を漏らしてモンモランシーが動きを止め、話を聞いていたギーシュ達も表情を変え
る。
 キュルケの褐色の肌に浮かぶ、紅い唇がたっぷりの間を置いて動いた。
「50000よ。エキュー金貨じゃなくて、新金貨の方だけどね」
 悪戯っぽくウィンクをして、おほほほと笑い出した。
「う、ウソよ!なんで書物なんかにそんな金額が付くのよ!!おかしいじゃない!」
「ウソじゃないわ。だって、手に入れた場合の買い手はもう決まってるもの。証文だってある
んだから」
 ひょい、とキュルケがなんでもないように取り出した一枚の羊皮紙に、モンモランシーたち
は一斉に群がった。
 上質の紙に印が押され、署名も記されている。内容は単純に、召喚されし書物を入手した際
の事前売買契約だ。召喚されし書物がどんなものかわかっているのかわかっていないのか、ど
ちらにしても買い手に不利な、商会や役所に出しても通じる立派な証文であった。
 召喚されし書物の内容の如何に関わらず新金貨で50000を支払う。などと書かれた恐る
べき証文は、その署名欄にキュルケの名前ともう一つ、誰も知らない人物の名前が記されてい
た。
 知らない名前ではあるが、誰かは分かる。なにせ、ファミリーネームがツェルプストーなの
だから。
「あんた……、この名前って」
「やっぱり気が付いた?そう、あたしのパパよ」
 親子で売買契約を結んだらしい。なるほど、不利な証文も家族という信頼あってのものだと
いうことなのだろう。ルイズに言わせれば成金貴族だというツェルプストーは、目的の為には
金に糸目はつけないらしい。
「ということは、アレかね。今回の宝探しも、言いだしっぺはキュルケじゃなくて、君の父親
だったということかね?」
「まあ、そうなるわね」
 しれっというキュルケに、一行の肩が一段下がった。
 モット伯の周辺情報や召喚されし書物の情報も、父親から聞いたものなのだろう。他の宝探
しは、父親からの依頼を口実にした遊びだったのかもしれない。

6銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:27:13 ID:LHhNtMKE
 書物が見つかっても見つからなくても暇潰しだけは出来るのだから、キュルケに損は無いわ
けだ。仮面やら宝石やらといった予想外の儲けが出て、むしろ得をしている。
「まあ、でも、しかしだ」
 ごほん、ごほんと咳を交えつつ、マリコルヌが口を挟んだ。
 視線が集まる中、そそっと足を屋敷の奥へと動かして、ぴゅーぴゅー口笛を吹く。
 何がしたいのかがまったく分からない行動に一同が首を傾げていると、マリコルヌは唐突に
ニヤリと笑って走り出した。
「その書物とやらには50000の価値があるということ!先に見つけて独り占めしてしまえ
ば、儲けは全部自分のものじゃないか!!あっはははははははは!」
「あっ、テメェ!抜け駆けかコラ!!」
 階段を上り、二階へと進むマリコルヌを才人が追う。
 元々金の魔力に浮かされていたモンモランシーもギーシュを連れて走り出し、それをキュル
ケとタバサが手を振り見送った。
「証文がなければ売れないって、分かってるのかしら?というか、召喚されし書物がどんなも
のかも知らないのに何を探すつもりよ」
 振り返りもせず、どたばたと激しい音を立てて走り回るマリコルヌたちを眺めて、小さく溜
め息を吐く。
 それっぽいものを見つけたら片っ端から集めるのだろうが、今いる場所が老朽化した建物の
中だと理解していないことは明白。無駄に騒いで、この屋敷が倒壊しないかどうかが心配だ。
「考えても仕方ないか。タバサ、あたしたちは一階から探しましょう。……って、どうかした
の?」
「……なんでもない」
 しゃがみ込んで、床に落ちている毛の様なものを摘んでいたタバサが、首を振りつつ立ち上
がって歩き出す。しかし、視線はまだ手に持った短いこげ茶色の毛に向けられていた。
「珍しい動物でもいるのかしら?」
 普段は自分から何かに興味を示そうとしないタバサが積極的に何かを調べようとしている事
実に好奇心を沸き立たせたキュルケは、キョロキョロとあたりを見回して、毛の持ち主を探し
始める。
 茶色い短い毛というと猪が代表的だが、まさかそんなものをタバサが気にかけるはずが無い。
 キュルケは、隠れているのが貴重な動物なら、掴まえて好事家に売る気であった。
 そんなキュルケを若干冷ややかに見たタバサは、至極冷静に手の中の毛を捨てると、杖を強
く握って目元を鋭くさせる。
 興味を引かれた、というよりは、敵を見つけたという表情であった。
「……タバサ?」
 奇妙な雰囲気にキュルケが顔を覗きこむ。
 それから逃れるように、つい、と視線を床に落として、タバサが立ち止まった。
「珍しい生き物って点では、正解」
 長い杖の先端が、タバサの足元の小さな起伏を削る。
 牛の蹄のような形の薄い窪みが、そこにしっかりと刻み込まれていた

7銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:28:30 ID:LHhNtMKE

 窓の向こうが少しずつ暗くなっていく。
 明け方までは青く晴れ渡っていた空が、雲に覆われようとしている。見るからに分厚そうな
黒い雲は、間違いなく雨雲だろう。暫くすれば、この付近に雨を降らせるに違いない。
 空の向こうまで黒く染まっているところを見れば、雨は暫く降り続けるものと思われる。
 モット伯の屋敷までは距離があったため、今朝まであったキャンプは畳まれている。食材探
しのためにシルフィードやフレイムなどの使い魔と一緒にあちこちを飛び回っているシエスタ
を呼び戻して、ここで雨が止むのを待ったほうがいいのかもしれない。
 どうせ、長居することになるのだ。屋敷は広く、目的のものは見つかりそうに無いのだから。
「あーもうっ!良く考えたら、見つかるわけ無いじゃいのよ!」
 髪を振り乱し、早速諦め気分に陥ったのはモンモランシーだった。
 三階のベッドルームと思しき場所をギーシュと一緒に探し終えた直後のことである。
「どうしたんだい、モンモランシー。書物なら、二つほど見つけたじゃないか」
「そうじゃないわよ!本当に高価なものなら、こんなところ真っ先に調べられて回収されてる
に決まってるって言ってるのよ!!」
 声高に喚くモンモランシーに、思わずギーシュは耳を塞ぎ、足元に落ちた本に目を向けた。
 二冊の本の表題には、トリステインの歩き方、グルメ大全なんて書かれている。どう見ても
一般書誌で、モット伯の私物というよりは、使用人が使わなくなったから捨てたという感じで
ある。実際、かなり読み込まれているのか紙がボロボロになっていた。
 間違いなく、これらは召喚されし書物ではない。そんなことは誰だってわかる。
 モンモランシーは、今回の宝探しに関するそもそもの問題に目を向けたのだ。何をきっかけ
にしたのか、金に目の色を変えていた過去を忘れて。
「まあ、確かに高価なものを放置するとは思えない、ってところには同意するけど、まったく
の希望もなくキュルケが動くとも僕は思えないんだが」
「うっ、それはそうだけど……」
 ギーシュの冷静な言葉に言葉を詰まらせたモンモランシーが、顔を覆うように手を当ててし
ゃがみ込む。
 意外と本能的に行動するキュルケだが、理性的でないわけではない。恋や情熱を持ち出すと
暴走するが、それだって計算高さが下地にあったりする。
 根拠もなく目先の欲望に動かされるタイプではないのだ。
「モット伯には回収できなかった理由があった。と思えば不思議じゃないさ。まあ、年始めの
降臨祭で父と歓談してるモット伯を見てるから、病気とかじゃないみたいだけど」
 辺境の領主であるモンモランシーの家と違い、ギーシュの家は昔からの武家で、父親が軍の
元帥をしている。そのため、王宮近辺の出入りは多く、多種多様な貴族と面識があった。
 軍なんてものは、各地の貴族の三男や四男といった次代の後継者から外れた人間の集まる場
所だ。自然と色んな連中が集まってくるし、その関係で勝手に交友関係も広くなる。モット伯
とギーシュの父も、そんな関係で知り合った仲だった。
 引越しの忘れ物などは使いを遣って回収させればいいだけの話。他人に見せられない何かだ
としても、自分が取りに来ても問題は無いはず。
 それをしない。あるいは出来ない理由がある、とギーシュは推測していた。

8銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:29:23 ID:LHhNtMKE
 しかし、推測はそこまでで、モンモランシーの求める疑問に答えられるところにまでは到達
していなかった。
「その理由って、いったいなんなのよ」
「う、うーん、なんだろうね?」
 細かい指摘を受けてしまうと、途端に詰まってしまう。
 結局、何の進展も無いまま、二人は首を傾げて廊下を歩き出した。
 廊下の片側を飾る窓を、雨粒がぽつぽつと叩く。
 雨が降り始めたようだ。
 一度降り始めれば、あっという間に雨脚は強くなり、ひび割れた窓の向こうで木々が雨粒を
受けて枝を垂らし始める。
 それを見ながら、ギーシュとモンモランシーは次の部屋へと移動する。
 一番怪しいと屋根裏部屋を漁りに行ったマリコルヌと才人はこの場にいない。キュルケとタ
バサも階下から探索しているため、姿は見えなかった。
 二人きりの空間。
 必死になって金に目を輝かせていた状態から目を覚ませば、そんなことに気付いてしまう。
 人気の無い廃屋に二人という条件が、無性にモンモランシーの胸をドキドキさせていた。
 同じ屋根の下に野次馬が四人潜んでいるという事実は、既に脳内から排除されている。
「えっと、その……、あ、雨、ふ、降ってきたわね?」
 一人胸を高鳴らせて、勝手に緊張し始めたモンモランシーが、場の静かな空気に耐えられず
に声を出した。
 なんでどもっているのよ!なんて心の中で自分を責めて、必死に落ち着こうと息を整える。
「え?ああ、そうだね……」
 気持ちを走らせるモンモランシーだけでなく、実のところ、ギーシュも今の雰囲気に妙な感
覚を抱いていた。
 心臓の鼓動に似た大きな雨粒が立てる音が、少し早いリズムで音色を奏でている。それに釣
られて心拍数も上昇する。
 要は、僅かに興奮状態にあるのだった。
 頬が仄かに赤らみ、無意味に造花の薔薇を弄り始める。
 プレイボーイ気取りで女の子との接点も覆いギーシュだが、実際に深い関係になった相手は
いなかったりする。だから、今のこの二人だけの間に流れる甘い空気には不慣れなのだ。
 ちらちらと、盗み見るように互いの顔を見合わせ、視線が合うとそっぽを向く。
 そんなことを何度か繰り返したところで、隣り合って歩く二人の手が、中空を彷徨った。
 繋ぐべきか、繋がざるべきか。いや、いっそのこと寄り添って腕や肩を組んだりしちゃうべ
きだろうか。でも、恋人関係は一度解消して、その後に修復したってわけでもないし。
 同じようなことを考えて、同じように悩む二人は、似た者同士なのかもしれない。
 青春真っ只中である。
 それでも、二人はまったく同じ人間ではない。
 モンモランシーよりも、ギーシュはいくらか積極的だった。
 サラサラと流れるように降る雨に目を向けて、割れた窓ガラスの隙間から雨粒が跳ねるのを
好機に、ギーシュが窓側を歩くモンモランシーの肩を引き寄せる。

9銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:30:56 ID:LHhNtMKE
 悲鳴に似た声を小さく上げて、モンモランシーがギーシュの顔を見上げると、いつものよう
にギーシュは造花の薔薇に頬を寄せてさわやかさを演出するキザな笑みを浮かべていた。
「もっと内側を歩かないと、雨に当たってしまうよ。ここの窓は、随分と隙間だらけのようだ
からね」
 それだけなら別に肩を抱く必要など無いのだが、ギーシュはモンモランシーから手を放そう
とはしない。モンモランシーも、特に抵抗はしなかった。
 これで本人はカッコイイと思っているクネクネした動きや邪魔臭い薔薇を動かす癖が無けれ
ば素直に惚れられるのだが、その辺も含めてギーシュなのだろう。ちょっと頼りなくて、実際
に頼りないくらいが、この男にはちょうどいいのかもしれない。
 モンモランシーは、そんなギーシュに心をときめかせてしまう深刻な病気だった。更に、宝
探しの出発の際に聞いた、君は僕が守るよ宣言で、治るはずだった病が進行している。
 重病患者まで後一歩。そろそろ医者も匙を投げ出す頃だろう。
 歩みが遅くなり、互いの視線を気にするように目を動かす。
 邪魔はいない。強い雨は光を遮り、二人が何をしても姿を隠してくれるだろう。
 申し合わせたように二人の足が止まって、視線が絡み合う。
 胸の鼓動が徐々に強くなって、相手に聞こえてしまうのではないかと思うほど強く激しく脈
を打つ。
 いつの間にか熱い息が唇に当たるほど顔を寄せた二人。雨音を背景に、重なる影。
 こんな事態に、ヤツが黙っている訳が無かった。
「そうはさせるかあああぁぁあ!誰も見て無いと思ってイチャイチャしてんじゃねえぞ、この
ド腐れカップルがッ!!」
 廊下の曲がり角に隠れていたマリコルヌが、目を血走らせてギーシュとモンモランシーに飛
び掛る。その後方には、同じく隠れて覗き見をしていた才人が、マリコルヌのマントを掴んだ
状態で引き摺られていた。
 止めようとして失敗したらしい。
「ま、マリコルヌ!?」
「あんた達、いったい何時の間に……!」
 ばっと距離を離し、青春を満喫していたことを誤魔化そうとするが、目撃者や目撃した事実
が消えるわけでは無い。マリコルヌの怒りが収まることも、当然無かった。
「昨日はサイトがメイドとイチャイチャしてるかと思ったら、次はお前らか!?なんだコノヤ
ロウ!見せ付けたいのかよう!!そんなに僕を苛めて楽しいのか!?あんコラ言ってみろやゴ
ミ虫がーッ!!」
 覗き見していたのはマリコルヌであって、別にギーシュたちが見せ付けたわけではない。し
かし、今のマリコルヌにそんな理屈が通じるはずもなく、ギーシュはただ襟首を掴まれて上下
左右に激しく揺さぶられるしかなかった。
「コノヤロウ!コノヤロウ!!恨みと妬みと嫉みとモテない男達の憎しみが篭った拳を喰らい
やがれえええぇぇえぇえぇっ!!」
 風より速いと豪語するマリコルヌの拳が、ギーシュに向けて放たれる。
「クッ、何で僕がこんな目に……」
 すぐに襲い来るだろう傷みに、ギーシュは目を瞑り、歯を食い縛る。

10銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:31:58 ID:LHhNtMKE
 だが、マリコルヌの拳はギーシュの頬を軽く叩いただけで、肉を抉り、歯を折り、首の骨を
損壊させるような威力は発揮しなかった。
 嫉妬に狂ったマリコルヌが手加減をするなんて。と、ギーシュやモンモランシーや才人の視
線が集まる中で、丸い体が崩れる。
 床に膝を突いて目元に涙を浮かべたマリコルヌのシャツの下から、表紙を革で覆った一冊の
本がばさりと床に落ちた。
 力なく四つん這いになり、ぽたりと落ちた涙が窓の隙間から入り込んだ雨と一緒に床に染み
を作る。
 マリコルヌは、泣いていた。
「情け無い。……なんて情け無いんだ、僕は!」
 突然始まったマリコルヌの語りに、ギーシュたちは耳を澄ませた。
「ああ、そうさ。僕は、ギーシュやサイトに嫉妬してる。イチャイチャしてる姿を見る度には
らわたが煮えくり返りそうな思いに囚われてる。殺したいほど憎い。いや、実際に何度か殺そ
うと思った。男の数が減れば、余った女の子が自分に振り向いてくれるなんて、卑しい考えを
していたんだ……」
 淡々と言葉を放つマリコルヌを横目に才人が本を拾い上げる。マリコルヌの語りよりも、こ
っちの方が気になったのだ。
 ギーシュとモンモランシーの二人にも見える位置で革表紙の本を開くと、才人の視界が肌色
で一杯になった。
「う、うわあああぁぁっ!な、なんだ、なんなんだい、それは!?」
「いやああぁぁっ!なんてもの持ってるのよ!!」
「おおぉ……、無修正かぁ……」
 顔を真っ赤にして反応するギーシュとモンモランシーとは対照的に、才人はカラーで印刷さ
れた洋物のお子様には見せられない雑誌に目が釘付けになっていた。
 金髪の美女が、あられもない姿で扇情的なポーズをとっている。頁をめくれば、別の女性が
脂肪で出来た球体を自己主張させていた。
 黒や白での塗り潰しやモザイクなどという小細工は用いられていない。局部もモロである。
 からみのシーンもあるらしく、男の股間にぶら下がる大き過ぎるだろうというものが容赦な
く女性を貫いていた。
 内容や印刷の質からして、かなりの上物のようだ。
 真っ赤な顔をして顔を逸らし、なんて破廉恥な!と憤るギーシュに才人が悪戯心を出して雑
誌を見せびらかすと、両手で顔を覆って壁に向かってしゃがみ込んでしまう。逆に、モンモラ
ンシーに雑誌を突きつけると、きゃーきゃー言いながらも指の隙間から覗き込んでいた。
 ギーシュは純情で、モンモランシーは意外とむっつりスケベらしい。新発見である。
 そんなふうに才人が小学生みたいなことをしている間も、マリコルヌの独白は続いていた。
「ああ、そうさ!屋根裏部屋で見つけたとき、興奮したんだ!なんてものを見つけてしまった
んだってね!神様からの贈り物なのかもしれない。一生モテない人生のぽっちゃりさんである
僕に、始祖ブリミルが見かねて神の軌跡ってヤツを使ってくれたんだって。でも、そうじゃな
いんだ……。こんなものをくれるくらいなら、モテるようにして欲しかったんだ。あ、いやま
あ、貰えるものは貰うんだけどね?ああ、でも……」

11銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:33:22 ID:LHhNtMKE
 一向に終わりそうに無い話を聞く気も起きず、才人は反応の面白いギーシュに再び雑誌を見
せ付けて遊び始める。
「ほら、ギーシュ。テメエはいつも女の事ばっかり話してるんだから、コレくらい大した事ね
えだろ?ちゃんと見ろよー」
「わー!わー!聞こえない聞こえない!!そんな下品なものはしまってくれー!」
 ブンブンと首を振り、決して顔をこちらに向けようとしないギーシュを、才人はニヤニヤと
笑みを浮かべながら眺める。
 モンモランシーがちらちら見てるのもしっかり確認済みだ。後でネチネチと突っついてやる
ネタである。
 わーわー。きゃあきゃあ。ぐちぐち。ニヤニヤ。
 それぞれ異なった反応を示して、なんだか賑やかで不思議な光景が繰り広げられていた。
 そんな中に紛れるように、赤い髪と青い髪が踊る。
「なにやってんのよ、あんたたち?」
「うおぉっ!キュルケ!?た、タバサまで……、いつの間に」
 足音も無く背後に現れたキュルケとタバサの姿に才人の体が跳ねた。
 一部始終とは行かずとも、何をやっていたかは大体知られているらしく、キュルケの表情に
は呆れの色が強く現れている。一緒に居たタバサも、いつもの如く無表情なのだが、どこか白
けた雰囲気があった。
「あなた達、ちゃんと探してた?」
「ああ、探してたとも。うん、ほら、そこに落ちてるだろ?」
 慌てて取り繕ったギーシュが、床に落ちた雑誌を指差す。それを拾い上げて、キュルケが溜
め息を付く。
 やはり、召喚されし書物では無いらしい。ぽい、と放り捨てる動作も酷く乱暴で、ゴミ同然
な扱いだ。
「そっちの本は?」
「え、これ?」
 キュルケが指差した才人の手元には、一応タバサという見た目が子供にしか見えない少女が
いるために閉じられたエロ雑誌がある。
 騒ぎの原因だという認識はあるようだが、これが屋敷の中で回収されたものだという情報ま
では掴んでいないようだ。
 ちらり、とマリコルヌに視線を向ければ、まるで恐怖で固まった小動物のように、体を小刻
みにフルフルと揺らしていた。
 その雑誌を渡さないで欲しい。それは僕にとって、生きる希望なんだ。
 そんな声が聞こえてきそうだった。
「あー、えーっと、マリコルヌの私物」
 こんなものの為に恨みを買うべきではないと判断した才人は、咄嗟に嘘をついた。
 マリコルヌの目が輝き、拝むように上半身を上下させている。
 若干気持ち悪かった。
「私物?……そう、ならいいわ」
 才人とマリコルヌを見比べて、その目に疑わしげな色を滲ませたキュルケは、意外にもすぐ
に引き下がる。

12銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:35:03 ID:LHhNtMKE
 納得した様子は無いが、あまり拘るつもりもないようだ。
 顔を窓に向け、降りしきる雨を見つめる。外は暗く、雨の滴で灰色に濁り始めていた。
「雨が強くなってきたわね。長居しても仕方ないし、早めに切り上げて帰りましょう」
「え、もう終わりなのか?まだ来てばかりじゃねえか」
 きょとん、と目を丸くして才人がキュルケに向かい合う。
「雨が降ってるんだから、ここで雨宿りすれば良いじゃないか。シエスタたちも呼んでさ、晴
れるまで探索を続ければ……」
「ダメよ」
 少しだけ語句を強めて、キュルケが才人の言葉を遮った。
 珍しく真剣な表情を浮かべるキュルケの横で、タバサが床にしゃがみ込み、何かを拾い上げ
る。
 小さな指に摘まれたこげ茶色の短い毛にタバサは、やっぱり、と呟き、それを見るキュルケ
の表情が一層に引き締まった。
「どうしたんだよ?なんかおかしいぞ、お前ら」
 分かれて行動を始めてから、それほど時間が経っているわけではない。それなのに、別れる
前と今とでは雰囲気が一変している。
 当然ともいえる才人の疑問に、キュルケはタバサが拾い上げたこげ茶色の毛を視線で指し示
して、屋敷に潜んでいる怪物の名を告げた。
「ミノタウロスよ。屋敷のどこかに、ミノタウロスが隠れてる。一階の食堂に、あたしたちの
前に屋敷に入り込んだらしい泥棒の死体があったわ」
 聞き慣れない名前に疑問符を浮かべる才人に代わって、ギーシュやマリコルヌが表情を凍り
つかせた。
「ほ、本当に、ミノタウロスなの?」
 確かめるようにモンモランシーが問いかけると、タバサが深く頷いて、間違いないと答える。
 口の中に溜まった唾を飲み込んで、キュルケが言葉を続けた。
「食堂にあったのは、食べ残しみたい。どんな趣味をしてるのか知らないけど、ご丁寧に皿に
盛られてたわ……」
 思い出した光景にキュルケは顔色を青くして、込み上げる吐き気から口元を抑えた。

 ミノタウロスとは、牛頭の亜人である。
 身長は2メイルから3メイルで、筋骨隆々。肌は短い剛毛で覆われ、皮膚の強度と合わせて
オーク鬼とは比べ物にならない強度を誇っている。頭部の形状に似合わず雑食であるが、特に
肉を好み、中でも人間の若い女が好みらしい。知能も発達しており、会話は勿論、文字を書く
ことも出来るという。
 生息数こそ少ないが、腕力馬鹿のオーク鬼や体ばかり大きいトロル鬼やオグル鬼などよりも
人間にとっては脅威と言われている生物だ。
 メイジ殺し。
 一般的に平民がメイジを倒すことの出来る技能を持っている場合に語られる名だが、このミ
ノタウロスもまた、生半可な魔法を受け付けないという意味でメイジ殺しの異名を持つ。
 同体格のオーク鬼よりも全体的な能力が高く、竜の亜種であるワイバーンと一対一で勝ち得
るだけの力を秘めているのだから、化け物としか言いようがない相手だ。

13銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:36:21 ID:LHhNtMKE
 そんな怪物が近くにいる。
 その事実が、才人たちに緊張を強いていた。
 ギシ、と音が鳴った。
 階段を一段下りる度、足場の床板が悲鳴を上げるように軋んでいる。
 モンモランシーとマリコルヌを守るように円陣を作った才人たちは、その状態のまま屋敷の
中を移動していた。
 ロビーの見える二階の廊下。今、ちょうどそこから階段を下りようとしているところだ。
 階段を下りれば、ロビー中央を一直線に横切るだけで玄関に到達する。出口までの距離は遠
くはない。
 当初、窓ガラスを割って外に脱出するという手も考えられたのだが、窓は二人も三人も同時
に通れる大きさではないし、僅かな時間でも人数が散らばることは避けるべきだと、タバサが
珍しくも強く主張したのだ。
 外は雨。キュルケの魔法は火が中心であるために十分な威力が発揮できず、地面が水を吸う
事で安定を失えば、才人の動きも鈍くなる。辛うじて、タバサの水と風を織り交ぜた魔法がミ
ノタウロスには有効だと思われるが、一人で全員を守れるわけではない。
 ミノタウロスの急襲に迅速に対応出来る状態を維持しつつ、シルフィードを呼んで即座に撤
退する。
 それが、才人たちに許された最善の策だった。
「来るかな?来るのかな?」
 一番怯えた様子を見せるマリコルヌの声に、びくりと肩を跳ねさせたモンモランシーが黙れ
とばかりに睨みつける。
 散々騒いだのだから、ミノタウロスがこっちの存在に気付いていないはずが無い。数の多さ
から警戒をして姿を現さないのだろう。
 それは、才人たちの狙い通りでもある。
 円陣を組んで、襲撃に対処できる状態であることを敵に知らせてやれば、相手も突然襲い掛
かってくることはない。ミノタウロスの体の頑丈さと膂力を武器に突撃されることが、火力に
不安のある才人たちにとっては一番怖いことなのだ。
 このまま、何事も無く屋敷から出られることを願って、才人たちは階段を下りきる。後はロ
ビーフロアの中央を抜ければ玄関だ。
 逸る気持ちを押さえつけて、一歩、また一歩と絨毯の残骸の上を進む。
 あと十歩。あと九歩。あと八歩。
 手を伸ばせば、もう指先が外に出るのではないか。
 そんな距離に辿り着いたとき、キュルケがはっとなって床に視線を向けた。
 力の抜ける感覚。いや、足元が無くなるような浮遊感。
 屋敷に入ってすぐに尻餅をついたことを思い出して、それが窪みなどではない事に今更なが
らに気が付いた。
「みんな、走っ……!」
 声を出し、この場所が危ないということを知らせるには、もう遅かった。
 目の前の景色が上昇していく。それが自分が落下しているからなのだと気付いて、何かに掴
まろうとしても、手は宙を掻くばかり。

14銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:37:28 ID:LHhNtMKE
 土台となっていた石材と土が降り注ぎ、その中に友人達の悲鳴が混じる。埃が呼吸で喉に張
り付き、魔法を使う暇さえ手に入らない。
 もうダメか。
 そんな言葉がキュルケの脳裏を過ぎる。
 だが、落下の衝撃は意外にも早く訪れた。
「痛ぁっ……!」
 石や土の塊よりもずっと小さく軽い音を立てて、キュルケの体が土砂の上に転がった。
 強く打ち付けた背中の痛みと呼吸の乱れに、背筋を弓なりに逸らす。幸いにして、頭をぶつ
けることは無かったようだ。
「だ、大丈夫か?」
 警戒中にデルフリンガーを握っていた才人が逸早く立ち直って、頭を振りつつ穴の中で周囲
を見回す。
 大きな瓦礫は無く、下敷きになっていたギーシュやマリコルヌも、特に怪我らしい怪我も無
く起き上がる姿が見える。モンモランシーはポケットに入れていた香水が割れたらしく、濡れ
たスカートと強い匂いに顔を顰めていた。
「こっちは大丈夫だけど……、タバサは?タバサは無事なの?」
 ホッと息を吐いて、キュルケが親友の姿を探す。
 返事は、真後ろからやってきた。
「平気」
「わぁっ!?ちょ、ちょっと、驚かさないでよ」
 そんなつもりは無かった、と言いながら、タバサは髪や服に付いた埃を手で払う。
 擦り傷一つ無い姿に胸を撫で下ろして、キュルケは自分達が落っこちた原因を求めて頭上に
視線を移した。
「大きな穴が開いちゃったわね。床が腐ってたのかしら?」
 ぽっかりと大きな丸い穴が開いている。キュルケの身長では手を伸ばしても届きそうには無
いが、身長の高い男性が二人で肩車でもすれば指先が届きそうな距離だ。レビテーションやフ
ライを使えば、上れない距離ではない。
 視線を天井から戻して、自分達のいる暗い穴の底に向ける。
 それにしても、この空間は何なのか。
 土埃で視界が覆われているために良く見えないが、人工的に掘られて作られた通路であるこ
とだけは把握できる。ところどころ、補強したような跡があるのだ。
「こ、こらマリコルヌ!なにをそんなに興奮しているんだね!?」
 キュルケの思考を邪魔するように、ギーシュの声が狭い空間に響いた。
 見ると、マリコルヌが天井と床を繋ぐように等間隔に並べられた鉄の棒の間に首を突っ込ん
で何かを凝視している。
「牢屋?なんでこんなところに……」
 マリコルヌが息を荒げて見ていたのは、廊下の端に作られた鉄格子の嵌められた狭い空間で
あった。
 見た目はどう見ても牢屋で、出入り口にも錠前がかけられ、中には鎖の付いた足かせや刺々
しい器具が転がっている。

15銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:38:27 ID:LHhNtMKE
 興味を引かれてキュルケも近付いて見てみると、背中が三角形をしている木馬や、乗馬用と
は思えない鞭、太くて赤い蝋燭も転がっていること気付く。石畳の床には、何かの染みが色濃
く残っていた。
「これ、拷問器具よね?モット伯って、影でこんなことをしてたの……?」
 はぁはぁ言っているマリコルヌの横で、同じく牢屋の中を覗き込んだモンモランシーが、顔
を青褪めさせて口元を手で覆っている。
 トリステインでは、拷問は数百年前に廃止されている。正確に言えば、ある種の条件を満た
した犯罪者にのみ、適用が認められている状態だ。司法と王宮の認可無く拷問を行えば、一家
郎党の爵位の剥奪を含めた重大な罰が与えられることになっている。
 歴史上、拷問を好んで行う趣味を持った人間は数多く居る。そういった人物は例外なく忌み
嫌われ、後の歴史上に置いても恥ずべき者として認知されていた。
「まったく、けしからん!このような残虐な行為……、貴族の風上にも置けぬ!!」
 武門の生まれとして、貴族らしさを腰が引けながらも重んじているギーシュが、拳を握りな
がら怒声を上げた。
 未だこういうことが影で行われているという事実にショックを受けるモンモランシーの肩を
抱いて慰めながら、モット伯に対して次々と侮蔑の言葉を並べ立てる。
 そんな光景に、牢屋の中身が本当はどういう風に使われるものなのかを察していた他の人間
は、どう説明したものかと考えて、すぐに諦めた。
 純情な少年少女の心をこれ以上穢してはいけない気がしたのだ。
「タバサにもちょっと早いわね」
「……?」
 もう一人分かっていない人間に、キュルケは優しく笑いかけて視線を逸らさせる。
 大人になるということは、こういうことなのかもしれない。
「とりあえず皆、一度上に上りましょう。ここにいても仕方ないし、ミノタウロスがいつ来る
か分からな……」
「お、おい、キュルケ」
「なに?どうしたの……って」
 SだとかMだとかの人専用の部屋のことなど置いて、危機的状況であることを思い出したキ
ュルケに、才人が肩を叩きながら声をかける。左手にはデルフリンガーを握り、右手は人差し
指を頭上に向けていた。
 指の先を追って、キュルケと隣にいるタバサが頭上に視線を向けると、外に落ちた稲妻の光
にシルエットを作った奇妙な頭が、穴の向こうからこちらを覗き込んでいる姿が見えた。
 稲妻の後に聞こえる、大岩の落石に似た音が途切れるまで、キュルケたちはその場で呆然と
それを見上げ、落雷の音の終わりと共に呟いた。
「……ミノタウロス」
 牛頭の亜人がこちらの声に反応したかのように、涎を垂らしてのそりと動き出した。
 来る。
 その感覚にキュルケは慌てて声を上げた。
「え、円陣を組んで!!」
「無理だって!この狭い場所じゃ!」

16銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:39:19 ID:LHhNtMKE
 急いで崩れた陣形を戻そうとするキュルケだが、周囲の状況に対応できず、才人に指摘を入
れられる。その間にもミノタウロスは動き、穴の中へと飛び込もうとしていた。
「モンモンの嬢ちゃんとふとっちょは下がりな!相棒と小僧は前だ!キュルケとタバサの二人
は援護を頼むぜ!!」
「うおお!?久しぶりに喋ったな、デルフ」
 才人の手に握られたインテリジェンスソードが、六千年という月日で培った冷静さを見せる。
 指示に従って、モンモランシーとマリコルヌが通路の奥へ移動し、キュルケとタバサが才人
の後ろに隠れて杖を構える。ギーシュは、一歩離れてワルキューレを二体、自分の前に呼び出
した。
 空気を押し潰すようにしてミノタウロスが穴の中に身を投げ、積もった土砂の上に降り立つ。
 ミノタウロスの身長と穴の深さは、ほぼ同等のようだ。ミノタウロスが大きいのか、穴が浅
いのか。人が歩くのに十分な広さと高さがある通路を見れば、どちらかは明白だろう。
 フゴフゴ、と鼻を鳴らし、ミノタウロスは漂う匂いを犬の如く確かめる。
 人間の、それも美味そうな若い女の匂いに、口元がニヤリと笑っているかのように歪んだ。
「体に自信はあるけど、こういう意味で食べられる気にはなれないわね」
「若干一名、油っぽくて食えたもんじゃねえだろうけどな」
 口の端から次々と零れ落ちる涎に頬を引き攣らせて、湧き上がる嫌悪感を誤魔化そうとキュ
ルケと才人は軽口を叩く。
 威圧感だけならオーク鬼と大して変わらない。それが、二人に若干の余裕を与えていた。
「冗談言ってないで、早く何とかしてよ!」
 一応、自分も何とか戦おうと杖を取って戦う準備をしているモンモランシーが、そんなキュ
ルケと才人に突っ込みを入れた。
 はいはい、と気の無い返事をして、ぐっと才人はデルフリンガーを握る手に力を込める。
 左手の甲に浮かぶガンダールヴのルーンが、強く輝き始めた。
「行くぞ、ギーシュ!」
「分かってるよ!ワルキューレ!!」
 青銅の戦乙女が才人と共にミノタウロスへと突撃する。
 狭い空間に用いることの出来る兵法など知りはしない。ただ、純粋にぶつかるだけだ。
 迎え撃つミノタウロスが人間そっくりの手に握った戦斧を横薙ぎに振るう。それだけで、二
体のワルキューレが真っ二つになった。
 潜るようにして戦斧から逃れた才人は、破壊されたワルキューレの残骸を蹴り上げ、ミノタ
ウロスの頭部にぶつける。
 人間相手なら、ガンダールヴの脚力で蹴り飛ばされた青銅の塊を受ければタダでは済まない
だろう。しかし、ミノタウロスにはダメージにならない。
 しかし、視界は塞がれた。
 更に身を屈めてミノタウロスの足元に接近した才人は、そのままデルフリンガーを両手で握
り、ミノタウロスの左足に向けて振り抜く。
 剣の刃が筋張った牛と同じ形の脚に突き刺さり、体毛ごと皮膚を削る。
 だが、刃が通ったのはそこまでだった。
「硬ってえぇっ!!?」

17銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:40:35 ID:LHhNtMKE
 皮膚の下にある筋肉を断つには至らず、斬るためにつけた勢いがそのまま腕に跳ね返り、痺
れたような痛みが手全体に広がる。デルフリンガーの柄を手放すことこそ無かったが、反動で
刃はミノタウロスの左足から外れて地面を叩いていた。 
 才人の攻撃などものともせず、腕力で強引に振り抜いた戦斧を戻したミノタウロスは、邪魔
臭そうに才人の上に戦斧を降らせる。
 地下室が崩れるのではないかと思うような振動が突き抜けて、戦斧が才人の居た場所を大き
く抉った。
 間一髪、後退することに成功した才人は、まだジンジンと痺れる手に目を向けて、うへ、と
声を漏らす。
 体の中でも比較的細い足首を狙ったのだが、まったく斬れる気がしない。鋼鉄の塊でも相手
にしているかのような気分だった。
「なんだ相棒、情けねえな!あのくらい斬れねえと伝説の名が廃るってもんだぜ!」
「うるせえ!テメエがナマクラじゃなかったら斬れてたよ!」
 錆び付いた大剣に文句を返して、柄を改めて握り直す。
 ごくりと喉を鳴らす才人を嘲笑うように、ミノタウロスはゆっくりと地面を抉った戦斧を構
え直して、ごふごふ、と笑った。
 お前の攻撃は効かない。だが、こちらは一撃でお前を殺せる。
 そんなことを言っているように見えた。
「馬鹿にされてる気がするんだが、気のせいか?」
「多分、間違っては無いと思う」
 才人の呟きに、杖を構えて魔法の詠唱を終えたタバサが答えた。
「攻撃する」
 隣のキュルケに告げて、タバサが杖を振るった。
 冷たい空気が一点に集まり、氷の彫刻を形作っていく。
 閉鎖された地下に水分は多くない。しかし、外で振り続ける雨の湿気は確実に流れ込んでき
ている。
 氷の槍を作るのには、十分な水分だ。
 ウィンディ・アイシクルのように複数の弾丸ではない、一点突破のジャベリンの魔法。それ
にスクウェアクラスの魔力を乗せて、タバサはミノタウロスへと打ち出した。
 氷の砲弾が短い距離を一瞬で詰める。
 狙いは、心臓だ。
 決して鈍重ではないミノタウロスでも、銃弾に匹敵する速度で接近する氷の槍を砕くには速
さが圧倒的に足りない。身を捩り、逃れようとしたときには、氷の槍は既にミノタウロスの胸
に到達していた。
「……ダメ」
 タバサの小さな声が才人たちの耳に届く前に、氷の槍が砕けた。
 槍の先端を構成していた小さな破片が、辛うじてミノタウロスの胸の皮膚を貫いている。だ
が、やはり筋肉を破壊するにまでは至っていない。才人と同じ結果だ。
「いくらミノタウロスの体が強靭だとしても、これはちょっと異常」

18銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:42:15 ID:LHhNtMKE
 タバサの知識では、魔法を防ぐほどの強度を持っているのは、ミノタウロスの皮膚であって
筋肉ではない。もしかすれば毛にも相当な強度があるのかもしれないが、貫けている現状では
関係ないだろう。
 なにか秘密がある。
 そうタバサが結論を出して警戒を強めると、キュルケがタバサの前に出て杖を振るった。
「斬ったり突いたりがダメなら、後は焼くしかないじゃない!」
 とびっきり強力なファイア・ボールの魔法を使い、灼熱の火球をミノタウロスに向けて投げ
るようにして放つ。
 ミノタウロスが黙ってそれを受ける筈も無いが、迎撃しようと振られた戦斧は火球に集約さ
れた炎を広げるだけで砕くには至らなかった。
 一瞬で、ミノタウロスの周囲が炎に包まれる。それと同時に熱波が才人たちを襲った。
「どれだけ体が頑丈でも、ものには限度ってものがあるのよ。どんなに硬い肉も、じっくりと
焼けば中まで火が通るようにね!」
 急激な温度変化によって生まれた気流に髪を靡かせ、腰に手を当てて不適に笑う。
 炎の生み出す赤い光が、キュルケの髪を鮮やかな紅色に変えていた。
「いや、でもこれは不味いんじゃ……」
 才人の呟きに、何が?とキュルケが首を傾げた。
 一階ロビーの崩れた床の残骸を覆いつくすように炎が広がり、ミノタウロスはその中心で熱
に炙られて悶えている。斧を振って火を消そうとするが、焼け石に水のようだ。
 効いている。ミノタウロスの体を、炎は確かに焼いている。
 なら、何が問題なのか。
 それを考えたところで、キュルケはすぐに気が付いた。
「あっ、空気の通り道!」
「そうだよ!このままだと、俺たち酸欠で死ぬぞ!」
 火のメイジとして、燃焼と空気の関係性をしっかりと勉強していたキュルケが、さっと顔色
を変える。地下道の中にどれほどの空気があるのか分からないが、そう多くは無いはずだ。
 ミノタウロスが炎に焼かれて死ぬのが早いか、才人たちが酸欠で倒れるのが早いか。我慢比
べの始まりである。
 だが、我慢を意識するよりも先に、結果が出た。
「……あー、ダメっぽい?」
「そのようだね」
 一体何に引火しているのか、燃焼はじわじわと広がり、一層に地下に残ってる酸素を消費し
ていく。
 それだけに留まらず、炎に炙られていたミノタウロスの様子も徐々に落ち着き始め、焼けて
いた毛皮の燃焼が止まり始めていた。
 これに最初に反応したのは、次の魔法の詠唱に移っていたタバサであった。
「……魔法を使ってる。無駄に頑丈なのは、多分アレが原因」
 血流を操作し、皮膚の下に水の防護幕を形成していたのだ。今は、毛皮の周囲に水分を集め
て熱を遮断する層を作っているらしい。
「ま、マジかよ」

19銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:43:28 ID:LHhNtMKE
 水の系統にも詳しいタバサだから理解できたミノタウロスの秘密についての説明に、才人た
ちが驚きに悲鳴のような声を上げた。
 敵とこちらの魔力や精神力の差が分からない以上、弱点や防護幕の強引な突破を考えるのは
無謀だろう。
 戦い慣れしたタバサの頭が、即座に一つの答えを導き出した。
「撤退を推奨する」
「異議ある人!」
 タバサの言葉にキュルケが全員を見渡して、確認を取る。
 こくこく、と頷く才人たちにキュルケも強く頷くと、モンモランシーに明かりの魔法を使わ
せて通路の奥へと走るように促した。
「この地下室に入るための本当の出入り口がどこかにあるはずよ!無ければ壁の薄い場所を探
して錬金で穴を開ければいいわ!とにかく走って!!」
 横に並べば二人だと余り三人だと狭い通路を、キュルケ達は直走る。
 直後、ミノタウロスが雄叫びを上げてこちらに向けて走り出した。
「き、来た来た来た!もっと速く走って!!」
 ミノタウロスの頭に生えた角と両肩が、地下道の壁面を削る。キュルケたちなら問題なく走
れる場所も、ミノタウロスの体格だと引っかかるらしい。
 それ幸いにと、走る勢いを強めたキュルケたちは、どこに繋がるのかも分からない道を走り
続ける。
 やがて、ミノタウロスの姿が後方に見えなくなると、少しだけキュルケたちの走る速度が緩
まった。
 一本道の通路は、右や左にクネクネと曲がり、無駄に長く続いている。
 ミノタウロスが追いかけてくる可能性を考えて走り続けた才人たちが出入り口の扉を見つけ
るまで、実に五分以上の時間が必要だった。
「着いた……!鍵は開いているのかね?」
 道の行き止まりに作られた、階段と扉。それを見て、ギーシュが声を発した。
「かかってないわ!」
 先頭を走っていたモンモランシーが、短い階段の上にある斜めの戸に手をかけて、グイと押
し開く。
 途端、雨が流れ込み、キュルケたちの体をあっという間にずぶ濡れにした。
 地下通路の出口は、屋敷の裏手に繋がっていた。壁から若干の距離を置いた所に廃棄された
井戸に偽装した形で配置されていて、朽ちた滑車まで付けられている。
「タバサ、シルフィードを」
「分かってる」
 もう濡れるくらいはどうでもいいといった顔でキュルケがタバサに声をかけると、すぐにタ
バサが口笛を鳴らしてシルフィードを呼び寄せる。
 激しい雨に音が掻き消されて聞こえないのではないかと思われたが、そうでも無いらしい。
 シルフィードは厚い雲を突き抜けるように下りて来て、あっという間に才人たちの前に現れ
た。
「きゅいー!」

20銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:45:12 ID:LHhNtMKE
「お疲れ様です、皆さん」
 雨に濡れることが不満だというようにシルフィードが鳴き、その背から姿を見せたシエスタ
が才人たちに労いの言葉をかける。フレイムやヴェルダンデも一緒に顔を出して、それぞれに
鳴き声を上げた。
 そんなシエスタと使い魔達に手を振って答えたキュルケは、さっさとモンモランシーたちに
シルフィードに乗るようにと急がせる。
 いつミノタウロスが襲ってきてもおかしくは無いのだ。目を放した以上、相手の次の行動は
読めなくなっている。急ぐに越したことはない。
「え、えっと、雨宿りはされないんですか?」
「悪いけど、事情があって無理よ。説明は後でするから、まずは出来るだけ早くここから離れ
ないと……」
 気を逸らせたキュルケがひょいとシルフィードの上に乗り、雨に濡れて失った体温を取り戻
そうと体を震わせる。
「皆、乗った?出発するわよ……、なにしてるの、タバサ」
 シルフィードの上に乗った仲間の姿を数え始めたキュルケが、雨に濡れながら無表情にキュ
ルケたちを見上げているタバサの姿に気付く。その隣には、才人の姿もあった。
 二人とも、シルフィードに乗ろうとする気配は無い。むしろ、後ろに下がってシルフィード
から距離を離そうとしていた。
 まさか、もうミノタウロスが追いついたのか。
 そう思って周囲を見回してみるが、それらしい影は見つからない。
 なら、なぜ乗らないのか。
 キュルケが手を差し伸べて乗るように言っても、タバサも才人も首を振るだけで、まったく
乗ろうとしない。
 そうしている間に、シルフィードの翼が大きく開かれ、飛び立とうと動き始めた。
「待って、あなたのご主人がまだ乗って無いわよ!」
「どうしたんだね、才人もタバサも!早く乗らないか!」
 悲鳴のように叫んでキュルケがシルフィードを止めようとするが、シルフィードは何も聞こ
えないように翼を動かし続ける。ギーシュがモンモランシーやマリコルヌと手を伸ばして乗る
ようにと説得を続けるも、二人は首を縦に振ることは無かった。
 ゆっくりとシルフィードの体が上昇を始める。
 何度か乗ったことがあるからこそ分かるシルフィードの動きの鈍さに、キュルケはやっと二
人が乗らなかった理由に思い至った。
「重量……!?」
 シルフィードが荷物を背中に乗せて飛べる、その最大重量に達しているのだ。
 人間だけで五人。使い魔が二匹。特に、ヴェルダンデとフレイムの体は、人間よりも大きく
て重い。コレだけ乗れば、シルフィードでなくても飛行に支障が出るだろう。
 タバサはそれを知っていて、雨の中でもミノタウロスと戦える才人と自分を残したのだ。
「なに考えてるのよ、バカ!」
 親友だと思っていた相手に裏切られた気分になって、思わず悪態を吐く。
 だが、今飛び降りてタバサを叱り、そのまま一緒に残っても、足手纏いにしかならない。そ
れが痛いほどに分かるから、キュルケは唇を噛んで悔しさに耐えるしかなかった。

21銃は杖よりも強し さん:2008/11/26(水) 01:45:44 ID:LHhNtMKE
 じっとそれを見つめたキュルケは、顔が見えるか見えなくなるかのギリギリのところで、タ
バサが唇を少しだけ動かしたことに気が付いた。
 何を言っているのかは分からない。いや、声に出してさえいないのかもしれない。
 まるで、根性の別れを思わせる姿にキュルケが歯噛みすると、意外なところからタバサの代
弁者が現れた。
「早めに迎えに来て、だってさ」
「……マリコルヌ?」
 キュルケの後ろに座っていたマリコルヌが、もう姿が見えないタバサたちに視線を向けたま
ま、キュルケの疑問に答えていた。
「僕、実は読唇術が得意なんだ。唇の形が少しでも見えてれば、何を言っているかは大体分か
るんだよ。凄いだろ?」
 そう言って軽く笑うマリコルヌにキュルケは何故だか胸を熱くして、タバサの言葉を伝えて
くれたお礼にマリコルヌの顔を自身の胸の谷間に埋めた。
「ありがとう、マリコルヌ。正直、あんたにお礼を言う日が来るとは思わなかったけど、ホン
トに感謝してるわ」
「ど、どういたしましてぇ……」
 顔を赤くして幸せに目を回したマリコルヌが、力の抜けた返事をする。
 意外と暖かいマリコルヌの頭を抱いたまま、キュルケはじっと雨の中に消えたタバサと才人
のいた場所を見つめて、顔に薄く笑みを浮かべた。
 暫しの別れだ。だが、すぐに再会できる。
 ミノタウロス程度の敵に負ける二人ではないのだから。いや、もしかすれば、迎えにいく頃
にはミノタウロスの死体が転がっているかもしれない。
 そう。今は逃げるのではない。仲間を安全な場所までエスコートする、そんな淑女としての
役目を承っただけなのだ。
「待ってなさい、タバサにダーリン!すぐに迎えに行くからね!」
 稲妻の走る空に向けて、キュルケは高く叫びを上げたのだった。

22銃は杖よりも強いと言い張る人:2008/11/26(水) 01:53:42 ID:LHhNtMKE
投下終了。
青春少年団が出張ってて、主人公チームが空気になってる。
まあ、次回に出番があるので待っている人はお楽しみに。
っていうか、更新遅いから飽きられてるかな?エルザ分を増やして媚びるか?

次の投下は、土日に出来るといいなあ……。
買おうか迷ってるPS3を買っちゃったら、確実に無理だけど。

23名無しさん:2008/11/26(水) 01:56:29 ID:H.lhrO4c
乙です!!
まさかミノタウロス戦が始まるとは予想外でした。
次回の主人公チームの登場が楽しみですw

エルザ分を増やすだとぉ?
ドンと来いwwwwwwwwww

24名無しさん:2008/11/26(水) 03:25:22 ID:pgUoqNPY
飽きるとかありえない
冒険活劇は大好物なんですよ
でもエルザ分増量は大歓迎

25名無しさん:2008/11/26(水) 12:12:11 ID:qGuFATNM
更新遅いから飽きるということはありえんが
やっぱホルホル君がいないと寂しいなってのはある
その寂しさはエルザで埋めさせてもらおう

26名無しさん:2008/11/27(木) 16:46:27 ID:9qU/x0Us
大丈夫だ媚びなくても楽しみにしているんだぜ…!
それはそれとしてサービスシーンを増量するというなら断る理由はないな

27名無しさん:2008/12/02(火) 01:14:31 ID:lIg3N6HU
媚びろ〜媚びろ〜凡人がぁ〜〜!by偽りの天才
こちとら、青春少年団の方が空気だからディ・モールト問題無い。
だからバッチこーーい。
ん?こっち?HAHAHAHA、銀英→FfH2→FF12で半分もいってねーぜ………恐ろしい娘!

こっちのミノどうしようかぁ……なまじ防御無視持ってるだけに扱いづらいんだよなぁ……

28名無しさん:2008/12/02(火) 03:09:18 ID:3EHVriRQ
>>27
すまん、俺が超新参なだけかも試練が日本語でおk
せめて酉さえ付けてくれればっ…!

29名無しさん:2008/12/02(火) 03:37:41 ID:lIg3N6HU
三行で説明すると、
ルイズ組空気
銀英伝やらCiv4やらFF12やって進んでない。
グレイトフル・デッドの直は防御無視だから逆にやり辛い。

結論:安西先生……年内には投下したいです……

30名無しさん:2008/12/02(火) 20:23:51 ID:j.7C3FSI
兄貴の方頑張って兄貴の方
栄光はあなたにありますぞー!

31名無しさん:2008/12/03(水) 18:52:23 ID:e.LkbWl6
兄貴の中の人か…。
かつてラーメンはブロッケンをラーメンにして食ってしまったことがある。
ミノタウロスなんて、ビーフジャーキーにしちまえw

32名無しさん:2008/12/03(水) 20:08:20 ID:w1H4pIio
あっさり決めても い い の よ
その凄まじさに周囲が震えるって展開で膨らませば

33名無しさん:2008/12/04(木) 01:49:06 ID:RNfTl3l.
ミノ放っておいてもう暗殺しにアルビオン行けばいいんじゃね?

34名無しさん:2008/12/04(木) 02:27:45 ID:kqmzXaJA
もうエンカウントしたから回避不能でな……
しかし、兄貴考えんといかんのに、アルビオンの礼拝堂でブリミル像の上に飛び乗って
南斗鳳凰拳奥義天翔十字鳳構えた聖帝様見てフェニックスだの不死鳥だの言われてるとことか余計なモンばっか浮かんでくる…
世紀末はユダ様でお腹一杯なったはずのにどういうこったい

35名無しさん:2008/12/04(木) 19:52:09 ID:6I0lfiB2
礼拝堂ってことはマザコン相手に?
剣が振れるだけで精神面はからっきしな高校生に負けるかませ犬に構えを見せちゃう聖帝様ってのはちょっと

36名無しさん:2008/12/04(木) 22:00:58 ID:wCpyvRAw
あの人は意外とワルドとは意気投合しそうな気がするw

37名無しさん:2008/12/04(木) 23:08:27 ID:RNfTl3l.
聖帝様なら最初使い魔になれっていわれた時点で極星十字拳でルイズと禿4分割しちゃいそうだ

38名無しさん:2008/12/04(木) 23:56:57 ID:zTRhohNs
ケンシロウとの死闘後と考えればイケるかも。
アンリエッタの依頼の時に何を言い出すやら。

39銃は杖よりも強いと言い張る人:2008/12/05(金) 20:09:11 ID:AamgRZTI
土日に投下したーい。って希望は無謀だとお師匠様が言ってた。
気が付けば週末。明日は土曜日。
一日待って、実は前回の宣言は再来週のことでしたーって言い張ろうか迷った。
でも、投下する。
俺……、投下が終わったらfallout3をプレイするんだ……

40銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:10:08 ID:AamgRZTI
8 男の矜持
 土砂降り、という言葉がこれほど相応しい情景は、気候の安定しているハルケギニアでは非
常に珍しい。
 黒に近い灰色の空から滝の如く降り注ぐ雨は、地面の吸水力を遥かに超える雨量をもって大
地を水で満たし、数多の川を氾濫させていく。
 収穫期を迎えたタルブの麦畑の被害も大きく、生活用水として利用している川から溢れ出た
泥流によって、実を結んだばかりの畑の幾つかが流されていた。
 自然の猛威に対して成す術が無いのは、地球もハルケギニアも違いは無いらしい。
 タルブ村の外れにある寺院の中で、ホル・ホースはそんなことを呑気に考えていた。
「ティファニアー!どこ行ったんだい、ティファニアー!!」
 雨の中、大声で義妹の名前を呼んでいるのは、学院から連れ出したマチルダである。
 当初は連れ出されることに抵抗を示していたが、どこからどういう情報が洩れたのか、学院
にマチルダの夫と娘が遊びに来ているなんて噂が立ち、教員から学生、使用人に至るまでが好
奇心に満ちた目を向けてくるため、居辛くなって結局逃げてきたのであった。
 間違いなく噂の根元はマルトーと寮長だが、折檻は帰ってからと決まっている。
 ほとぼりが冷めるまで仕事を放ってのバカンスのつもりだったマチルダは、しかし、タルブ
で一番楽しみにしている義妹との再会が、なぜかティファニアの不在という悲しい結果によっ
て妨げられていたのだった。
「クソッ!やっぱり、あのクソッ垂れ王子を殺しておくんだった!!純真で臆病で人を疑うこ
とを知らないティファニアを唆しやがって!クソッ!クソッ!!」
 村人の証言から、ティファニアにウェールズが同行していることは既に判明している。この
ことから、マチルダの脳内ではウェールズに誑かされたティファニアが遠く連れ去られ、とて
も口で言えないような色んなことをさせられていることになっていた。
 主にあの凶悪な胸を使って、卑猥なことを。
「ぶっ殺す!!絶対、ぶっ殺す!!見つけ次第ぶっ殺す!!」
 氾濫した河川の水に足首まで浸けて雨に濡れるのも構わず、マチルダは叫び続ける。
 その殺気は、本物であった。
「ねえ……、あれをなんとかしてよ。いい加減、耳が痛くなってきたんだけど」
 窓辺にダラリと力なく頬を乗せていたエルザが、素知らぬ顔で寺院の中央に視線を向けてい
るカステルモールに声をかける。
 現在、寺院の中ではトリステイン魔法学院の教員であるコルベールが、タルブの御神体とも
言われる竜の羽衣を原形を留めないレベルにまで分解していた。
 それの何が楽しいのか、カステルモールは先ほどからニヤニヤしながらコルベールの作業を
眺め続けているのだ。
「なんとかしろ、と言われても、この雨の中では私の風竜も長くは飛べないから、探しになど
は行けないぞ。雨は竜の天敵だからな」
 竜は蛇やトカゲと一緒で、変温動物らしい。全ての変温動物がそうとはいえないが、体温の
低下によって活動が鈍るという点は同じだとか。
 高高度の冷たい空気に晒されることに慣れている風竜も同様で、分厚い鱗が風の冷たさから
体を守り、鱗と鱗の間にある小さな隙間に熱を溜め込むことで体温を保っているのだが、雨は
その隙間に入り込んで直接体を冷やしてしまう。

41銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:11:11 ID:AamgRZTI
 雲の上にまで移動してしまえば雨の影響は受けないが、それでは地上の様子がまったく確認
できないから意味が無い。ティファニアは馬車に乗って出かけたということから、街道を行く
馬車を探すとすれば、どうしても雨に濡れることは避けられないだろう。
 竜というものは意外にも不便なのであった。
「使えないわねえ」
「万能な存在などないからな。少々の不都合は諦めてもらうしかなかろう」
 ティファニアー!と叫ぶマチルダの声と雨の音をBGMに、エルザとカステルモールは冷め
た目でどうでもいい会話を終わらせた。
「素晴らしい!素晴らしいですぞ!愉快な蛇君の究極的な未来が、このようなところでお目に
かかれるとは……、くうぅぅ、なんという幸運!なんという奇跡!」
 あっちが煩ければ、こっちも煩い。
 竜の羽衣は研究馬鹿のコルベールの琴線に触れたらしく、タルブに来てからというもの始終
この調子だ。これでも、鼻水と涙を垂れ流して大喜びしていた初日に比べれば落ち着いたほう
なのである。
 寺院の外の景色から内側へと視線を動かしたエルザは、あっちもどうにかしてくれとカステ
ルモールに視線で訴えかけるが、肩を竦めて首を振られ、舌打ち交じりに溜め息を吐いた。
 せっかく太陽が無いというのに、この雨では外に出られもしない。
 退屈で溜まった鬱憤に耐えかねて、拗ねるようにエルザの頬がぷくっと膨れた。
「ねえお兄ちゃん、なにか面白いことないの?」
 窓辺から体を起こし、背中に向かって倒れる。そこにあるのはイスの背もたれではなく、ホ
ル・ホースの胸板があった。
 エルザは、イスに座るホル・ホースの膝の上にちょこんと乗っていたのだった。
「アレのマネでもしてたらどうだ。楽しそうだぜ?」
 そう言って指差した先にはコルベールがいる。確かに、本人は人生の絶頂期を迎えたかのよ
うな幸せそうな顔をしていた。
 多分、幸せですか?と問いかければ、幸せです!と拳を握って豪語するだろう。
「世界が明日滅ぶとしても拒否するわ」
「じゃあ、そのまま退屈してろ」
 冷たい返答にエルザはまた頬を膨らませる。
 実につまらない。
 こんなにもつまらないのなら、賞金稼ぎに追い掛け回されていた頃の方が楽しかった。お腹
を空かせながら走り回り、休む暇なく街から町へと飛び回った日々。なんと充実した毎日だっ
たことか。
 一週間前後でしかない旅の記憶を大げさに掘り返し、エルザは背中に感じる暖かさに短く息
を吐いて座る位置を少しだけ深くした。
 ぷらぷらと地面から遠く離れた足を動かして、さらにもう少し奥に座り直す。それでもなに
か物足りないのか、特に使われていないホル・ホースの腕をお腹の前で持ってきて、やっとエ
ルザは満足そうに小さな鼻を鳴らした。
「……おら、こちょこちょこちょこちょこちょ」
「うきゃあっ!?わ、わ、あひ、あはは、あはははっはっはっはははっ」

42銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:12:13 ID:AamgRZTI
 退屈を持て余しているのはエルザだけではない。手持ち無沙汰のホル・ホースもまた、なに
か面白い物はないかと探していたのだ。
 膝の上というちょうどいい位置に居るエルザが自分の両腕を抱きこんだことで、なにを思い
ついたのか、唐突に脇をホル・ホースがくすぐり始める。
 突然のことに驚いたエルザも笑い始め、親が子供と戯れるようなほのぼのとした光景が寺院
の一角を彩った。
 だが、それも長くは続かない。
「あはっ、あははははっ、あひぃ、ひぅ、ううぅ、うん……、はぅ、あぁ、はぁん」
 エルザの笑い声が徐々に嬌声に変わり、ほのぼのとした雰囲気に艶かしい色が混ざりだす。
 大体、いつも通りの展開だった。
「あぅ……、はぁ、あうぅ、ん……、んくっ!……う?あれ、なんで止めちゃうのよ?」
 手の大きさの関係上、脇以外の色んな場所を刺激していた手が止まり、エルザは不満そうに
声を上げる。
 そこに待っていたのは白けた冷たい視線であった。
「なあ……、なんでお前は、いつもそういう方向に持って行きたがるんだ?」
 何かある度、下半身方面へ引き摺られている気がする。
 呆れたような声に、エルザはムズムズする感覚に体を揺すりながら答えた。
「そういう方向って……、感じたままに行動してるだけよ。逆に言わせて貰えば、なんでココ
は反応しないわけ?趣味じゃないにしても、多少なりとも反応してくれないと、正直ショック
なんだけど」
 そう言いながら、深く座ったことでホル・ホースの股間に接触している小さなお尻を、エル
ザはぐりぐりと動かした。
 帰ってくる感触はフニャフニャとした硬さの欠片もないものだ。分かってはいたが、こうし
て実際に感触を確かめてみると、女として色んなものが傷つく。
 こっちはいつでも覚悟は出来ているというのに、なんで挑発に乗ってこないのか。
 忠犬でもおあずけが過ぎれば主に噛み付くということを、そのうちベッドの上で教えてやろ
うかと、そんな気分になる。
「ああ、そういえば、テメエは変態だったな」
 なんとも冷たい反応に口を尖らせる。だが、すぐに気を取り直して、ふん、と鼻で息を吐く
と、エルザは小さな胸を精一杯に張った。
「楽しいわよ、変態。お兄ちゃんもちょっとだけ足を踏み外してみない?っていうか、是非と
も踏み外しましょう!二人の将来の為に!」
 一体どんな将来設計を立てているのか。
 変態呼ばわりされてもまったく否定せず、むしろ他人にまで推奨し始める変態幼女は、自ら
だけに留まらず、変態という病原菌の感染拡大を目論んでいるのかもしれない。
 ふんふんと鼻息を鳴らし、くすぐりの続きを求め始めたエルザの首にチョークスリーパーを
極めたホル・ホースは、自分の体の半分ほどしかない年上の少女が動かなくなったのを確認し
てカステルモールに目を向けた。
「そういえば、地下水はどこに行ったんだ?朝から見てねえ気がするんだが」

43銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:13:07 ID:AamgRZTI
「正確には昨日から、だ。あの無機物なら、その辺の適当な動物の体を乗っ取って、ミス・マ
チルダにティファニア嬢を探しに行かされたよ。真面目に探さなければ圧し折る、と脅されて
いたのを見たから、今頃必死にあちこちを駆け回っていることだろう」
 疲れ知らずという一点を買われて徴発されたようだ。恐らく、見つけるまでは帰ってこない
だろう。もしかしたら、そのまま逃げ出しているかもしれない。
 あのヤロウも災難だな。なんて他人事のように呟いて、ホル・ホースは気絶したエルザの頬
をぐにぐにと引っ張った。
「よし、やる事も特にねえし、ちょいと昼寝でも……」
「お昼ごはん持って来たよ!」
 ホル・ホースがカウボーイハットをずらして目元を覆うと同時に、寺院の入り口から鞣革を
雨避けにしたジェシカが明るい声を上げた。
 両手に抱えるようにしてバスケットを支え、笑顔のまま首を小さく傾ける。
「絶妙なタイミングだな」
 クッ、とカステルモールが笑った。
「まったくだぜ、畜生」
 眠気と空腹、どちらを選ぶかと迷ったところで、シチューの食欲をそそる香りを鼻に感じた
ホル・ホースは、エルザを脇に抱えて腰を上げた。
 ティファニアを探すマチルダと未知の技術に酔いしれるコルベールの歓喜の声を耳にしなが
らの昼食は、少しだけ苦かった。


 雨に打たれ、髪を乱し、ぐっと喉を鳴らす。
 マリコルヌの風の魔法のお陰で雨と風はいくらか防げてはいるものの、雨の勢いそのものを
掻き消すには至らない。タバサがこの場に居れば雨を完全に防げるのかもしれないが、それを
すると、あの場所にミノタウロスに対応できない人間を置いて行く必要が出てきてしまう。
 他に方法があったのかもしれない。しかし、それはもう過去のことだ。今考えたところでど
うにかなるものではない。
 眼下には水浸しの大地が広がっている。森も平野も変わりはしない。川から溢れ出た泥水が
茶色く濁し、霧のように散った雨水が白く染め上げているだけだ。
 もう、こんな景色がどれほど続いただろうか。
 五分か、十分か、それとも一時間か。
 タバサたちと別れてからというもの、時間の感覚がおかしくなっている気がする。
 一秒でも早く、シルフィードをタバサたちの下に返さなければ、危険は時間と共に増してい
くのだ。彼女達がミノタウロスに目を付けられていることは確実なのだから。
「あったわ、見つけたわよキュルケ!」
 森と草原の境目に指を向けて、モンモランシーが雨音に負けない声を上げた。
 示した先には、一本の整備された道がある。河川などからは遠く、意図的に土台を盛り上げ
て作ってあるお陰か、まだ水に沈んではいないようだ。
 正確な現在地がわからないため、あの道がどこに繋がっているかは分からない。だが、ちょ
うど良く馬車が近付いてきているのが見えたことで、キュルケの腹は決まった。

44銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:14:44 ID:AamgRZTI
「降りてシルフィード。あの道の馬車の前に、出来るだけ驚かさないように、そっとね」
 きゅい、と返事をするように鳴いて、シルフィードが降下の体勢に入った。
 徐々に地面が近付き、翼が起こす風に地面に出来た水面が揺れる。
 振動が肌を貫いて着地したことを知らせると同時に、馬の嘶きがキュルケたちの鼓膜を震わ
せた。
「う、うわあっ、盗賊かっ?」
 御者が手綱を引き、馬車の進行方向を反転させようとする。
 勘違いだが、そう思われても仕方が無いだろう。見通しの悪い雨の中、馬車の前に突然に現
れた相手に警戒を抱くのは当然だ。
 しかし、ここで逃げられては困るキュルケは、慌ててレビテーションを使って御者の操る馬
を少しだけ浮かせると、シルフィードから下りてトリステイン魔法学院の生徒の証明となる五
芒星の刻まれたタイ留めを提示した。
「あ、こ、これはこれは、貴族様でしたか……」
「挨拶はいいわ。それよりも、この馬車の目的地と客の数を教えなさい」
 手を振り、他のメンバーにもシルフィードから下りるようにと指示を出しながら語調を強め
て問いかけるキュルケに、御者は怯えた様子のまま口を開いた。
「ラ・ロシェールを経由して、に、西に向かいます。幾つかの村を渡った後、ダングルテール
を回るつもりですが……。あ、乗客は四名で、若い母子と兄妹の二組です」
「なら、まだ馬車は十分に広いわね?」
「え、ええ。この雨を見た客が、前の村でかなり降りましたので……、ってもしかして、乗る
んですかい?」
「話の流れから考えれば、分かるでしょ」
 屋根のある馬車を確保できたことで余裕が出てきたキュルケは、御者に悪戯っぽくウィンク
してギーシュたちを呼び寄せる。
「どこに行くって?」
「ラ・ロシェールに向かうそうよ。シルフィード、聞いたわね?なら、急いでご主人様の下に
戻りなさい。あたし達はラ・ロシェールで待ってるわ」
 聞くや否や、シルフィードは高く鳴き声を上げて翼を動かし、空へと舞い上がった。
 タバサと才人の二人がミノタウロス相手に負けるなんて思っては居ないが、それでも嫌な予
感は肌に張り付いて取れない。
 キュルケは、雨に濡れたから冷たいのか、それとも予感めいた不気味な感覚で冷えたのか分
からない体を両手で擦って、ノロノロと荷台に移動した。
「お邪魔するわ」
 そう言って、先に乗っていたモンモランシーとシエスタの手を借りたキュルケが馬車に乗り
込むと、目に見知らぬ人間の姿が映る。
 両端に設置された長椅子の奥に座っているのは、御者の言った通り、まだ自分達と変わらな
いくらいの母と抱きかかえられた子供が一組と、上等とはいえないローブで身を隠した綺麗な
金髪の兄妹であった。
 身を隠しているのは、たぶん訳有りなのだろう。兄の方は精悍な顔立ちをした男前でキュル
ケの好みであり、妹の方も気が弱そうだがやっぱり美人で、悲劇的な物語が似合いそうな印象
を受ける。

45銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:16:18 ID:AamgRZTI
 ああ、なるほど、訳有りだな。なんて思ってしまう、そんな二人だ。
「フレイム、こっちへいらっしゃい」
「きゅるるるるる」
 使い魔を含めた全員が乗ったのを確認して、幌の向こうにいる御者に馬車を走らせるように
告げると、キュルケは雨の中ですっかり弱った様子の自分の使い魔を招き寄せて、杖をくるり
と振った。
 初歩の初歩であるコモン・マジックの発火に毛が生えた程度の火の系統魔法を、慣れた手つ
きと流れるような詠唱で発動させる。揺らめくように生まれた小さな火は、フレイムの背中を
暖めるように浮かんだ。
 嬉しそうにフレイムが喉を鳴らすのに目を細めて、キュルケは深く息を吐いた。
 走り出した馬車の振動に身を委ねると、途端に眠気が襲ってくる。
 雨の影響で、思っている以上に体力を消耗しているらしい。今以上に気を抜くと、このまま
眠ってしまうことになるだろう。
 髪も体も服も乾いていない状態で眠ってしまえば、間違いなく風邪を引く。それに、フレイ
ムのためにも火を消すわけには行かない。
 ぐっと体に気合を入れて自分の頬を両手で叩いたキュルケは、眠気をなんとか吹き飛ばして
空中に浮かべた炎を強めた。
「ちょっと、ギーシュ。なにこっち見てるのよ」
 キュルケの作った炎に手を伸ばしてフレイムのお零れに与っていたモンモランシーが、奇妙
な視線に気付いて目を鋭くさせた。
「え、見て無いよ。うん。見て無い。なあ、マリコルヌ」
「ああ、そうだとも。僕らはなにも見ていない。自意識過剰ってやつじゃないかな、ミス・モ
ンモランシー」
 モンモランシーが視線に気付いた瞬間、同時に顔を逸らしたギーシュとマリコルヌは口を揃
えて無罪を主張する。だが、それはあまりにも怪しく、モンモランシーの疑惑をより強めるだ
けだった。
 スカートが捲れ上がっていたとか、シャツの隙間から肌を覗き見てたとかだったら、今すぐ
グーで殴ってやる。
 そう思いながら、モンモランシーはギーシュたちが向けていた視線の先を探して、自分の体
を見下ろした。
「いったい何を見て……、って、きゃああああぁぁぁあぁぁぁぁっ!?」
「ああ、そいうえば、雨に濡れてるのよね、あたし達」
 両腕で体を隠すようにして縮こまったモンモランシーを横目に、キュルケは自分の体を見下
ろして淡々と呟いた。
 たっぷりと水を吸ったシャツの生地が、肌にしっかりと張り付いて透けていたのだ。
 外なら雨や霧状の滴が邪魔して見えなかったのだが、キュルケが火という光源を作ったこと
で、モンモランシーの白い肌も、キュルケの褐色の肌も、今ははっきりと浮かび上がっている。
 安物でありながらも厚手の生地の服を着ていたシエスタだけが、胸の膨らみの先っぽまで曝
け出すという恥辱から逃れていた。
「こ、このドスケベ!エロ!変態!死んじゃえ、バカ!!」

46銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:17:29 ID:AamgRZTI
「うわああぁあ、ゴメンよモンモランシー!」
「ぼ、僕らは無実だ!偶々視線の先に君達が居ただけで、僕らは悪くないぞ!雨が降ったのも
偶然じゃないか!言い掛かりは止めてくれ!」
 乙女の柔肌を見られたことで顔を真っ赤に染め上げたモンモランシーが、情け容赦の無い蹴
りを早々に白旗を揚げたギーシュと言い訳がましいマリコルヌにぶちかます。
 ギーシュとマリコルヌの体が蹴られて転がる度、馬車は右へ左へと揺れる。それをニヤニヤ
と見詰めるキュルケの横で、迷惑そうな顔をしている馬車の先客にシエスタが身を低くして謝
っていた。
「ふぅ……、ふぅ……、今日はこのくらいにしといてやるわ」
 足が疲れて痺れるほど蹴り続けたモンモランシーは、沈黙したギーシュとマリコルヌを見下
ろして、頬を流れる雨のものなのか汗によるものなのか分からない水を拭いた。
 疲れ果てて長椅子に腰を下ろし、肌に張り付いたシャツを摘んで中に空気を送る。
 だが、すぐに乾くはずも無く、指を離せばシャツはまた肌に張り付いて透けてしまう。
 そこでやっと、モンモランシーは自分が水の系統のメイジであることを思い出して、杖を振
り上げた。
 水が邪魔なら、移動させればいいのだ。服や体に付いた水を一箇所に集めるだけなら、別に
難しいことはない。
 あまり多くない魔法のレパートリーの中から最適なものを選び出し、モンモランシーは詠唱
を経て杖を振り下ろす。
 瞬間、馬車が激しく揺れた。
 いや、揺れるなどという程度のものではない。局地地震に見舞われたように上下左右に揺さ
ぶられた後、馬車は横倒しになったのだ。
 突如として倒れた馬車の中でキュルケたちは悲鳴を上げながら絡み合うように転がり、ヴェ
ルダンデのもふもふの体を終着点に倒れ込む。先客の四人も同じように衝撃を体に受けて倒れ
たが、母の胸に抱かれた子供と兄妹の妹の方が気を失った程度で、怪我らしい怪我は無さそう
だった。
「あ、あんた、一体何の魔法を使ったのよ!?」
「ちがっ、誤解よ!わたし、こんな魔法覚えて無いわ!っていうか、まだ魔法使ってなかった
んだから、なにも起きるわけ無いでしょ!」
 非難めいた視線を向けるキュルケや先客たちに首を振り、モンモランシーは自分ではないと
主張する。
 だが、タイミングがあまりにも合い過ぎていて、釈明としては説得力が薄かった。
 白い目が集中し、じくじくと胸を締め付ける。
 段々耐え切れなくなって、モンモランシーは目元に涙を浮かべた。
「本当に違うのよぉ……」
 ぐすぐすと鼻を鳴らし始めたのを見て、誤解だったかもと思い直したキュルケは、一人の少
女の姿を脳裏に描いて申し訳無さそうにした。
 ルイズじゃあるまいし、魔法に失敗して馬車を横転させるなんてことはありえないか。
 本人が聞いたら憤怒しそうなことを思い、泣きべそをかくモンモランシーの頭を抱き締める
ようにして慰める。こういう役割はギーシュのはずなのだが、当の伊達男はマリコルヌと一緒
に目を回していてまったく役に立ちそうに無かった。

47銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:18:13 ID:AamgRZTI
「はいはい、ゴメンね。疑って悪かったわ。でも、そうすると、馬車が倒れた理由が……」
 あやすようにポンポンと背中を軽く叩いてモンモランシーを落ち着かせたキュルケは、馬車
の外へと目を向けて外の様子を窺う。
 強い雨の音のせいで、外から入る音の殆どは掻き消えている。何かあったとしても、音から
それを察するのは難しいところだ。
 となれば、直接見るなり、馬車が倒れてから反応の無い御者を探して聞くなりしなければな
らない。
 せっかく乾かし始めた服や髪が濡れてしまうため、外に出るのは躊躇われるが、どうせ倒れ
た馬車を戻すために外に出る必要が出てくるのだ。諦めるしかない。
 適当に納得してモンモランシーをシエスタに託したキュルケは、先客やモンモランシー達に
馬車の中に居るようにと声をかけて、雨の中に飛び出した。
 ほとんど無風だった風も少しずつ強くなり、雨に向きが生まれて滴の形を変えている。厚い
雲から晴れ間は覗かず、天候が回復する気配は無い。このまま風が強くなり続ければ、馬を走
らせることも出来なくなるだろう
 そうなる前に、再出発の準備を整えなければならない。
 空を見上げ、やれやれと息を吐いたキュルケは、土の中にめり込むように倒れた馬車の横を
通って、御者台へと向かった。
「御者さん……?やっぱり、居ないのかしら」
 案の定、御者台は空席で、放り出された革の手綱が転がっているだけだった。
 どこかに放り出されたのかもしれない。
 5メイル先が見通せるかどうかの灰色の景色の中、足元の手綱を拾い上げる。
 手綱の紐が、何かに引っかかったようにピンと伸びた。
 その瞬間、嫌な感覚が背筋を走った。
「なんで、上のほうに……?」
 呆然と呟くキュルケの視線が、手綱の先端を追って高い位置へと移動していく。
 馬の轡に繋がっている手綱の先が、キュルケの身長よりも上へと向かって伸びているのだ。
 馬車を引いていた馬の背丈は、こんなにも高かっただろうか?170サントはある自分の背
丈よりも轡の位置が上に来るような大きな馬なら、一見したときに強い印象を残していても不
思議ではないのだが。
 ぬるりと生暖かい液体が手に触れても、まるでそんなものは存在しないというように意識す
ら向けないで手綱の先を見ていたキュルケは、そこに妙な影を見つけた。
 巨木を思わせる大きな影が、雨のカーテンに浮かんでいる。手綱の先端は、そこに向かって
伸びていた。
 ごふ、ごふ、とどこかで聞いた息遣いがお腹の奥に響く。
 なんでここに……、ありえない。!
 冷たい刃物を押し付けられたような感覚がキュルケの肌を粟立たせる。
 これは、夢などではない。幻覚でもない。
 間違いなく、現実だ。
 およそ想定していなかった光景が目の前に現れ、混乱した脳は体を動かすことを忘れて硬直
する。

48銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:19:33 ID:AamgRZTI
 危険だ。逃げなければ。走れ。仲間に呼びかけて。早く。早く。早く。
 意識ははっきりとして、やるべきことを正確に判断しているのに、体はまったく動かない。
 ボトリと足元に落ちてきた馬の頭は耳の辺りを大きく抉られていて、白っぽい液体が血液に
混じって付着している。雨に洗われてそれらが取り払われると、中には皺の入ったピンク色の
肉団子が雨水にプカプカと浮いていた。
 人のものじゃない。良かった。じゃあ、御者はどこに?どこかに転がっている?
 的外れなことを考えて、湧き上がる吐き気を押さえつける。
 がち、と奥歯が頼りなく噛み合ったところで、キュルケの体に痺れが走る。
「ヴルオオオオォォォォォォォォッ!!」
 雄叫びと共に、馬の首を吊るしていたミノタウロスの戦斧がキュルケに向けて振り下ろされ
た。


 雨を避けるために木陰に身を隠した才人とタバサは、周囲に警戒を向けたまま空を見上げて
いた。
 シルフィードを見送ってから、そろそろ十分。待てば長いが、なにか別のことに注意を向け
ていれば、いつの間にか過ぎている時間だ。
 そろそろ、キュルケたちは安全な場所に逃げられただろうか。
 落ちてくる雨の滴を目で追って、才人は隣にいる年下の小さな女の子に視線を移した。
 青い髪を雨に濡らし、冷えた肌を抱くように片腕を体に巻いている。もう片方の腕は杖を代
わらずに支え続けていた。
「なあ、タバサ。囮に残ったのはいいけど、本当にミノタウロスが襲ってくるのか?」
 剣で斬りつけ、氷の槍を吐きたて、炎に巻いたのだ。致命的な傷を負わせるには至っていな
いが、普通なら怖がって近付いては来ないだろう。明らかに警戒をしている様子を見せている
今なら尚の事だ。
 しかし、タバサは確証を得ているようにしっかりと頷く。
 どういうわけか、随分と修羅場慣れしているこの少女は、過去の経験と独自の知識に基づい
た答えを出しているらしい。でなければ、才人をこの場に留めはしなかっただろう。
 脱出時、突然パーカーの裾を掴まれて、黙って此処に立っていて、などと言われた時はどう
いうことなのかと混乱したが、事情を聞けばなるほどと頷けた。
 これまでの行動でシルフィードが重量オーバーになったことなど無いのに、ここにきてそん
な問題が浮上したのは、大雨で土の中が水浸しになったことで土の中に潜れなくなったヴェル
ダンデをシルフィードに乗せなければならなくなったからだ。
 普段ならシルフィードも多少の無茶が利くのだが、雨による体温低下で力が十分に出ないた
め、無理に飛べば墜落の恐れが出てくる。
 タバサが才人を選び、この場に留まったのは、最低限シルフィードが飛べるだけの重量に留
めた上で、ミノタウロスに対応できるように駒を配置を配置したに過ぎない。それでも、十分
に危険が付きまとう選択だが、咄嗟の判断にしては良くやれた方だろう。
 逃げた七面鳥より、手元のケーキ。囮役をそんな風に例えられたときは、流石に才人も頬を
引き攣らせて唾を呑み込んだが。

49銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:21:03 ID:AamgRZTI
「しかし、襲って来る様子がいつまで経ってもないのはなんでだ……?」
「相棒、それはこっちが気を抜くのを待ってるんだよ。向こうは獣だからな、獲物が油断した
ところを襲って来るんだよ」
 警戒を続けることに疲れを見せ始めた才人に、デルフリンガーが緊張感を持たせるために声
を発する。
「ほら、そこっ!」
「うをおっ!?」
 なんでもない方向に声を飛ばし、才人を驚かせる。
 どう見ても敵の居ない場所を示したのに驚くということは、警戒が緩い証拠だ。
 うわっはっはっは、と楽しそうに笑い声を上げるデルフリンガーに、騙されたことに気付い
た才人は、思わず構えてしまった自分が恥ずかしくなって、この錆剣め、と苦々しく毒づいた。
「……確かに、おかしいかもしれない」
 伝説の使い魔と伝説の剣のコンビを微笑ましくも無表情で見守っていたタバサが、眼鏡のレ
ンズに付いた水滴を拭いながら、周囲を観察してそう言った。
「悪かったな、気が緩んでて」
「あなたのことじゃない」
 不貞腐れた様子を見せる才人に否定の言葉を投げかけて、タバサは杖を振り上げ魔法の詠唱
を始めた。
「ラグース・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ……」
 周囲にたっぷりと存在する水を集め、無数の氷の刃に変える。
 タバサの最も得意とする“ウィンディ・アイシクル”の魔法だ。
 風が渦巻き、空中に浮かぶ数十もの氷の矢をタバサを中心に円を描くように回転させる。
「た、タバサ?」
 恐る恐る声をかける才人に耳を貸すことなく、タバサは前方、旧モット伯邸に向けて杖を振
り下ろした。
 凍て付く風が雨を凍らせながら吹き荒れ、氷の矢は目に見える範囲にある全ての窓を破って
屋敷の中へと突撃する。
 破れた窓ガラスが地面に降り注ぎ、屋敷の一部が粉砕されて才人たちの頭上に飛び散った。
 一瞬にして激しい銃撃を受けたような姿に変わった屋敷は、表面を凍らせて白く染まったか
と思うと、雨を受けてすぐに解凍され、ぽろぽろと壁の表面を崩していく。
 十秒か二十秒か、破壊の残滓が途切れるのを待ったタバサが、改めて屋敷の姿を瞳に映して
悔しげに下唇を噛む。
「何してるんだよ、タバサ!ミノタウロスが怒って出てきたらどうすんだ!?」
 モット伯の屋敷はミノタウロスの巣だ。そこをこれほど破壊されれば、黙っているなんてこ
とは無いだろう。
 襲われないのであれば、それに越したことは無い。
 そういう考えがあった才人が抗議するように声を上げるが、タバサは首を振って才人に目を
向けた。
「前提が間違っている。敵は狩りの最中だから、怒っていても怒っていなくても、襲ってくる
ことに違いは無い。でも、今前提の一つが崩れた」

50銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:22:16 ID:AamgRZTI
 タバサの視線が滑る様に移動する。
 才人の手に握られた、デルフリンガーがそこにあった。
「奴さんは、ケーキより七面鳥が好きだったってことか?」
「そう。普通の獣じゃない」
「そんなに空腹か。卑しい野郎だ」
 苛立ちを含んだ言葉を発するデルフリンガーと、異様な雰囲気を纏い始めたタバサに不思議
そうな顔をした才人は、いったい何の話なのかと首を捻る。
「詳しい説明は剣から聞いて欲しい。シルフィードの向かった方向へ全力で走って。あなたな
ら、わたしのフライよりもずっと早く走れるはず」
「……なんかよくわかんねえけど、走ればいいんだな?」
 こくりと頷いたタバサに才人は膝を叩いて気合を入れると、小柄な少女のひょいと持ち上げ
て体を肩に担ぎ、息を大きく吸った。
「え?わたしを運ぶ必要は……」
「黙ってないと、舌を噛むぞ」
 タバサの声により大きな声を被せて、才人は左手に輝くガンダールヴの齎す力のままに駆け
出した。
 マリコルヌよりも、いや、比べることすら失礼なほど軽いタバサの体は、まるで負担になら
ない。これなら、昨日よりも速く走れる。
 強い雨によって、どの地面も先日の森のような状態になっている。だが、今の才人にはそれ
は平地と大して変わらなかった。
「うおりゃああああぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 左手のガンダールヴのルーンがギラギラと輝き、才人の体に強大な力を注ぎ込む。
 ハルケギニアの大地をドップラー効果と共に駆け抜ける。
 後の世に、突然の豪雨の日に現れ子供を攫うという、マッハ少年なんて名前の怪談が生まれ
たかどうかは、定かではない。


 血と肉が飛散し、骨が宙を舞った。
 戦斧の勢いはそれだけに止まらず、勢い余って地面を抉り、土の中に潜んでいた岩までも打
ち砕く。
 苛烈にして強烈な一撃は、人間を容易くミンチに変えてしまう。
 そんな攻撃を、なんとか後ろに飛ぶことで回避したキュルケは、嫌な予感はこれだったのか
と今更に思い出して、恐怖に引き攣る頬を指で揉み解した。
 馬の頭部が、見事に粉々になっている。一歩遅ければ、キュルケが身をもってアレを再現し
ていたことだろう。
「馬鹿力ね」
 技術も何も無い、ただ力任せに振るうだけの雑な武器の扱い方だ。しかし、その結果として
十分以上の破壊を撒き散らせていることを思えば、小手先の技なんてものは無力だと実感せざ
るを得ない。
 果たして、自分で勝てるのか。

51銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:23:31 ID:AamgRZTI
 戦う力が十分とはいえない仲間達の命を背負ったキュルケは、後ろ手に杖を握って喉をごく
りと鳴らした。
「き、キュルケさん?なにか、すごい声がしたんですけど……、そ、そこになにかいるんです
か?」
 ミノタウロスの雄叫びが聞こえたのだろう。馬車の後ろからシエスタが顔を出して、こちら
の様子を窺おうとしてるのが、キュルケの目に映った。
 キュルケは先に雨の中に居たために目が慣れているが、シエスタはそうではない。雨のカー
テンが視界を遮り、そこに何かが居る程度にしかシエスタには見えていないのだ。
 手探りでこちらに近付こうとするシエスタの姿に、ごふ、とミノタウロスが笑った。
「シエスタ、こっちに来ちゃダメ!ギーシュたちと一緒に走って逃げなさい!!」
「え、ええっ、どうして……?」
「いいから、早く!」
 可能な限り語気を強めて追い払い、キュルケは牛頭の亜人と戦うべく杖を握る。対して、ミ
ノタウロスは馬車の中に戻ったシエスタに目を向けて、ぶほ、と唾を飛ばしてまた笑っていた。
 キュルケのことなど、歯牙にもかけない。
 舐められている。
 代々優秀な火の系統のメイジを輩出する名門ツェルプストーが、その名を背負う女が、一介
の亜人に見下されている。その事実に、キュルケの感情が昂っていく。
 そっちがその気なら、やってやろうじゃない。炎の真価は情熱と破壊。その体現たるツェル
プストーの炎を味わわせてやる。
 掛け合わせるのは火の3乗。徹底して熱に特化した圧倒的な炎。決闘用の、広範囲を焼けな
い代わりに突破力を重視したツェルプストーの炎だ。
 これならば、ミノタウロスの体だろうが竜の鱗だろうが、関係なく撃ち抜ける。
 キュルケの絶対の自信が篭った炎が杖の先端に灯り、触れる雨を瞬く間に蒸発させて高熱を
撒き散らした。
 だが、それが思わぬ結果を生む。
「熱っ、熱っ、あっちち!」
 雨の中で炎の魔法を使うとどうなるのか。キュルケは雨で炎が弱まる、という程度の認識し
かなかったのだろう。まさか、鉄をも溶かす炎が超高温の水蒸気を生み出してメイジ自身を傷
つけるなど、考えもしなかったに違いない。
 右手に握った杖の先端を中心に周囲はあっという間に水蒸気に包まれ、その熱にびっくりし
たキュルケは杖を取り落とし、あ、と声を上げた。
 緊張感が足りていない。
「ごふ、ごふ」
 まるで、こうなることが分かっていたかのようにミノタウロスはキュルケに目を向け、心底
おかしそうに笑った。
「くぅ、なんか腹立つわね!」
 感情のままに悪態を吐いてみるが、逆にそれが虚しく感じて余計に腹が立った。
 今度は雨に気をつけて炎を扱って見せると、キュルケは足元に転がった杖に手を伸ばす。
 だが、二度も攻撃を許すほど、ミノタウロスは甘くは無かった。

52銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:25:33 ID:AamgRZTI
 杖を取るためとはいえ、眼前の敵から目を離すとなどというあるまじき行為は、学生同士の
決闘の範疇を超えるような殺し合いの空気を知らないからこそだろう。タバサなら足先で杖を
引っ掛けて手に戻すという芸当が出来たかもしれないが、それが出来るか出来ないかが、実戦
経験の有無の、絶対的な差であった。
 雨を切りながら、戦斧はキュルケの後頭部を目掛けて振り下ろされる。
 視界に落ちた僅かな影が刃の到来をキュルケに教えるが、飛び退くにはもう遅かった。
 赤い髪が裂け、いくつも命を奪ってきた戦斧の冷たい刃が褐色の肌に届く。
 キュルケの意識が、鈍い衝撃音と共に刈り取られた。
「ふご、ごふ、ヴ、ヴオオオオオオオォォォォッ!!」
 痺れるような利き手の感覚に、ミノタウロスが咆哮する。
 低地へと流れる水の流れに乗って、赤いものがサラサラと泳いで行く。
 血走った目が、忌々しそうに大穴の開いた馬車の幌から覗く杖に向けられた。
 ぱしゃ、と音を立てて上等な靴が水の流れを遮り、その上に濡れて重くなったローブが払い
捨てられた。
 滴を垂らして金色の髪が揺れ、その下の端正な顔に戦士の顔が浮かぶ。
 キュルケ達よりも先に馬車に乗っていた四人の内の一人、金髪の兄妹の片割れが杖を手にミ
ノタウロスを睨み付けていた。
「今は追われ身を隠す身なれど、御婦人の危機を見過ごしたとあっては祖先たる始祖と誇り高
き王家の名折れ」
 風が雨を吹き飛ばし、視界を澄み渡らせる。
「このウェールズ・テューダー、女子供を襲う下衆には容赦せん」
 今は倒れたアルビオン王家の直系たる男が、ミノタウロスの前に立ち塞がった。
 ウェールズの周囲を覆っていた風が杖の先端に集まり、雨が再び視界を覆う。
「無事か、キュルケっ!」
 馬車の中からギーシュが飛び出し、その後ろからモンモランシーやマリコルヌも姿を現した。
 駆け寄ってキュルケを抱き起こしたギーシュは、その手に触れた赤いものに目を向け、ヒド
イ、と弱弱しく声を洩らす。
 サラ、と赤が指の隙間から零れた。
「髪がこんなにも短く……」
 肩口まで短くなってしまったキュルケの長髪が、また一房水に流れていく。だが、その下に
隠れた肌に傷は無かった。
「エア・ハンマーでヤツの斧を弾くのが精一杯だったのでね。彼女の髪までは救えなかった」
 ミノタウロスに目と杖を向けたまま謝罪するウェールズに、ギーシュは仕方ないと頷き、次
に駆け寄ってきたフレイムに目をやって、キュルケの体をその大きな体の上に横たえた。
「こっちに、御者さんが居るわ!気を失ってるけど、大きな怪我は無いみたい!」
「なら、その人も運んでくれ!マリコルヌは馬車の中の人々を先導するんだ。出来るだけ遠く
まで移動するぞ」
 馬車から離れた位置で声を上げたモンモランシーと何をすればいいのか分からずにオロオロ
としているマリコルヌに指示を出して、ギーシュは杖を手にウェールズに声をかける。
「加勢します」

53銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:26:40 ID:AamgRZTI
「すまないが、学生では足手纏いだよ。ここは私に任せて行きなさい。それよりも、私の連れ
を頼む。……大切な妹なんだ」
 足手纏いという言葉に悔しそうにしながらも、ギーシュはしっかりと頷いてフレイムと共に
走り出す。
「ヴルゥオオオオオオオオッ!!」
 逃げ出すギーシュたちの姿を目で追って、ミノタウロスがまた雄叫びを上げた。
 獲物が逃げる。せっかくの美味そうなな獲物が逃げてしまう。
 逃がさない。逃がしてなるものか。
 牛のものに似た足を動かし、群れのリーダーと思しき少年にミノタウロスは斧を振るう。
 だが、斧は手首に走った痛みに取り落とさざるを得なくなった。
 見れば、右腕に鋭く突き立つ杖の姿がある。
 ドロドロと血液が溢れ、流れ落ちていく。タバサの氷でも、才人の剣でも貫けなかった鋼の
肉体を、たった一本の杖が傷つけたのだ。
 螺旋を描く風を纏ったこの杖の持ち主が誰かなど、確かめなくてもミノタウロスには理解出
来ていた。
「エア・ニードルの味はいかがかな?鋭さだけなら、他のどの魔法よりも優れていると自負し
ているのだが」
 ニヤリ、とウェールズの口元に不敵な笑みが浮かぶ。
 ミノタウロスが、咆哮を放った。


 幾人もの足音が雨の中を駆け抜ける。
 馬車から離れ、街道を逆送するように走る集団を先導しているのは、御者を背負いながらも
意外な足の速さを見せるマリコルヌだ。それに続くようにしてキュルケを背負ったフレイムと
ヴェルダンデが短い手足を動かして必死に駆け、さらに後ろを馬車の先客達やシエスタやモン
モランシーといった女性達を横抱きにした青銅の人形が四体走っている。
 殿を務めるギーシュは、杖を握ってワルキューレを維持しながら、ミノタウロスの居る後方
への警戒を続けていた。
 馬車の陰はもう見えなくなっている。雨の勢いは止まることを知らず、風によって一層酷く
なっているくらいだ。
 息苦しくなって口を開けて呼吸をすると、雨の滴が口の中に飛び込み、冷たい味を下の上に
広げる。気温もすっかり下がって、夏とは思えない寒さになっていた。
「あの人、置いてきて良かったの?」
 モンモランシーが後ろを気にするようにして、ギーシュに疑念をぶつける。
 見ず知らずの人を囮に使ったことに罪悪感を感じているらしい。
 仲間の誰かが犠牲になれば良かったなんて気持ちは無いだろうが、ミノタウロスは自分達が
モット伯の屋敷から誘い出したも同然なのだ。それを他人に押し付けていることに、良心が痛
むようだった。
「仕方ないだろ。僕らにどうにか出来る相手じゃないんだ。足止めしてくれるって言うんだか
ら、とにかく逃げて身を隠さないと。この雨の中なら、すぐにヤツも見失ってくれるはずだ」

54銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:28:43 ID:AamgRZTI
 罪悪感を感じているのは、なにもモンモランシーだけではない。
 ミノタウロスを前に口上を述べていたウェールズの声を聞いていたギーシュは、今すぐにで
も身代わりになって戦いに赴きたい気持ちで一杯なのだった。だが、自分ではあっという間に
踏み潰されて時間稼ぎにもならないことくらい、誰かに指摘されなくても分かっている。
 僅か数ヶ月前まであった驕りや傲慢は、才人に破れ、ワルドには歯が立たず、ミノタウロス
に恐怖を抱いたことで、どこかに消えていた。
「でも……っ!」
 食い下がるモンモランシーに、ギーシュは奥歯を噛み締めて腹に力を入れる。
「僕だってもどかしんだよ!でも、足手纏いになってたら意味が無いだろ!?せめて、僕がラ
インクラスのメイジなら、この地面を底なし沼に変えてやるのに……!」
 生き延びておられた王女殿下の想い人。それを犠牲に生きながらえなければならないこの屈
辱。
 今日ほど自らの無力さを呪ったことは無い。
 奥歯が砕けるのではないかと思うほど顎に力を入れ、耐え難い感情をギーシュは無理矢理押
さえつける。
 今は託された使命を全うしなければならない。
 まったく無関係の母子と、ただ一人残ってくれたお方の妹君を守るという使命を。
 馬車が横転してから目を覚まさない少女の顔を覗き込んで、ギーシュは杖を握り直した。
「ギーシュ!森の中に入ったほうがいいんじゃないのか!?このまま街道を進んでたら、簡単
に見つかっちゃうよ!」
「この雨なら森に入っても同じだよ!とにかく、距離を離すことだけ考えてくれ!」
 マリコルヌの不安そうな声に力強く返し、周囲を見回す。
 街道は森と平野の境目にあるため、少し道を外れれば森の中に入ることは出来る。身を隠す
には悪くない場所だろう。
 しかし、雨による不透明度が枝葉の天井で軽減されてしまうし、足場は街道よりもずっと悪
い。そんな場所に人間を背負ったワルキューレを器用に走らせられるほど、ギーシュはゴーレ
ムの扱いに自信は無かった。
「ひぃ、ひぃ、はぁ、ごめん、森に入るってのは、ただ休みたかっただけで、正直、そろそろ
限界なんだ」
「もう、仕方ないわね」
 人を一人背負って走るのは、元々体力のあるほうでは無いマリコルヌには酷な労働だ。そん
なマリコルヌを見かねて、ギーシュのゴーレムに運ばれているモンモランシーが杖を取り出し
て魔法を唱えた。
「レビテーション」
 マリコルヌの体が地面から浮き上がり、走っていた足が空振る。
「その状態なら、少しは休めるでしょ?」
「た、助かったよ、モンモランシー。君は命の恩人だ」
 背負った御者の重さが消えたわけではないが、とりあえず体さえ支えていれば足を動かす必
要は無い。

55銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:30:13 ID:AamgRZTI
 荒くなった息を整え、休息を始めたマリコルヌを羨ましそうに見て、ギーシュは頬を叩いて
緩みそうになる気を張り直す。
 まだ頑張らなければ。後ろから聞こえる足音が聞こえなくなるまでは。
「はぁ、はぁ、はぁ……、足音?」
 自分で考えておいて、奇妙なことに気付く。
 耳を澄ませば、雨が地面を打つ音に紛れて水を弾きながら土を蹴り上げる音が、確かに聞こ
えてくる。
 希望的な観測をギーシュはしなかった。
 ああ、次は僕の番かと、自分でも信じられないほど冷静になって音に耳を傾け、杖を握る手
を確かにするだけだ。
 少しずつ、少しずつ走る速度を落として、自分の作ったゴーレムと一緒にマリコルヌや使い
魔達が逃げるのを見送る。
 そのまま振り返るな。振り返らずに走り続けてくれ。
 淡い願いを胸に、とうとうギーシュは走るのを止めて、泣きそうな顔で振り返った。
「ごふ」
 やっぱり、とは思わなかった。
 コノヤロウとか、ぶち殺してやる。なんて感情も無い。
 ただ怖かった。
 ああクソ、もう斧を振り上げてるじゃないか。これはもう、死んだかな。
 他人事のような言葉が脳裏を駆け巡り、それなのに歯は噛み合わずにガチガチと音を立てる。
 とりあえず、この杖は絶対に離しちゃいけない。ゴーレムを走らせ続けなければ、モンモラ
ンシー達の逃げる速度は、比較にならないほど遅くなってしまう。ああ、でもそうすると、僕
は魔法が使えないわけか。
 茶色い毛に覆われた腕がぶくりと膨れて、ミノタウロスの体が傾いだ。
 体重を乗せた、全力の一撃。
 ギーシュの瞳に赤いものが映り、そこでやっと、心が正常に動き出した。
「やっぱり死にたくなーい!」
 叫ぶや否や、ギーシュは滑り込むようにミノタウロスの股の隙間に飛び込み、亜人の背後へ
と回る。そのまま曝け出された無防備な背中に涙の浮かぶ目を鋭く向けると、筋肉の塊のよう
な膨らんだ尻からヒョロリと生える尻尾を左手で握り締めた。
「ぶもっ!?」
 驚きにミノタウロスが声を上げるが、ギーシュにとってはそんなことは知ったことではない。
 ただ、掴んだ尻尾を引っ張り、引き千切ってやろうと足に踏ん張りをかけるだけだ。
「ううぅぅぅあああああああっ!!」
 剣で切れないものが、引っ張って切れるはずが無い。それでも、今のギーシュがミノタウロ
スに抵抗する術は、それしかなかった。
 尻尾の付け根に感じる痛みの元凶を振り払おうとミノタウロスが体を振り、ギーシュを払い
飛ばそうとする。だが、ギーシュは杖を握った右手を左手に覆い被せ、握力を加算して耐え凌
ぐ。
 体を振るだけではダメだと判断したミノタウロスが両腕を後ろに回そうとするが、腕は背後
に回らない。膨れ上がった筋肉と強靭すぎる肉体が、肩の稼動域を狭めているのだ。

56銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:31:29 ID:AamgRZTI
「ど、どうした!その程度かね!?」
 尻尾を掴んでいるだけの心許無い命綱は、辛うじてギーシュに虚勢を張るだけの余裕を与え
てくれていた。
 だが、それだけだ。ミノタウロスを打倒するには至らない。
 ギーシュがやっていることは、時間稼ぎ以上のものではないのだ。
「尻尾に手が届かないなんて、バカな生き物だな、ミノタウロスというものは!悔しいか?悔
しいなら、僕を振り払ってみろ!ほら、その汚いケツを振れよ!」
 体を振るだけなら耐え忍べる。その確信を得たギーシュは、ミノタウロスを口汚く罵って怒
りを誘う。
 時間稼ぎ。それこそが目的なのだから、可能な限り時間を奪ってやればいいのだ。
 ミノタウロスが怒って自分に固執すれば、その分だけモンモランシー達は遠くへ逃げること
が出来る。
 この手が何も握れなくなるまで、骨が折れて、指が千切れるまで、延々と食らい付いてやる。
 心を支配する恐怖が、誰かを守れるのだという安心と幸福感に満たされ、気分がどんどんと
高まっていく。
「さあ!どうした、この化け物!この状態をどうにか出来るものなら、やって……、み……」
 ギーシュの勇ましい声が途絶え、信じられないものを見るかのように周囲に目を走らせる。
 ラグース・ウォータル……
 どこかで聞いたことのある響きが鼓膜を揺らし、視界を白く染まった氷の結晶が埋め尽くす。
 百本に及ぶ氷の矢が、ギーシュの周囲を取り囲んでいた。
「魔法……!?亜人が魔法なんて……!あっ、クソッ、忘れていたよ!!」
 モット伯の屋敷の地下で、タバサが言っていたことを思い出す。
 このミノタウロスは、魔法を使うのだ。背後が安全地帯なんてことは、ありえない話だった。
 人の声帯とはまったく違うはずの喉が詠唱を完了し、杖の代わりとなっている斧が背中越し
に振られた。
「うぃんでぃ・あいしくる」
 無理矢理作られた声が魔法を発動させた。
 四方八方から狙われた氷の刃が、冷たい風に乗って打ち出される。
 ギーシュに取れる選択は、このまま串刺しになるか、尻尾を離して降参することで魔法を中
断してくれることを祈るか、あるいは、唯一の逃げ場であるミノタウロスの股を再び潜るかし
かない。
「一か八かだああぁぁぁっ!」
 死ぬ気も、生き残れる可能性の低い降参をする気も無いギーシュは、ミノタウロスの股の間
に悲鳴のような声を上げて飛び込んだ。
「ヴルォオオオオオオオオォォォォオォッ!」
 ミノタウロスが低く吼え、斧を真下へと突き下ろす。
 股を潜る行為は二度目。そこは、既に予測された逃げ道だった。
 迫る斧の先端を青い瞳に映して、ギーシュは強引に上半身を捻って斧から身をかわす。
 肺が締め付けられるような感覚に続いて、背筋に攣るような痛みが走った。それでも避け切
れなかった斧の刃が腕をシャツごと切り裂き、浅くない傷を作る。

57銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:32:22 ID:AamgRZTI
 声にならない悲鳴を上げている間に斧は引かれ、二撃目を繰り出そうとしていた。
 ミノタウロスの腕の範囲から考えれば、今から起き上がって逃げたところで、間に合いはし
ないだろう。
 生命の危機に活性化した脳が一瞬で絶望的な結果を計算し、他の可能性を探り出す。
「こんのおおおぉぉぉぉっ!!」
 目の前にあるミノタウロスの足を抱き込むように掴み取って、ギーシュはそのまま立ち上が
ろうと両足に力を籠めた。
「ごふ、ごふ、ごふ」
 ミノタウロスが嘲笑う。
 脆弱な人間の力で自分を持ち上げることなど出来はしない。無駄な努力だ。
 斧による、第二撃。足に組み付いている今なら、今度こそ外しはしないだろう。
 確信を込めて腕を振り、足元へと斧を落とす。
 それでも、運命の女神はミノタウロスの味方をしなかった。
「ぶもおおぉっ?」
 ギーシュの必死の悪足掻きは、重い斧を振るうミノタウロスの重心を僅かに崩し、雨に緩ん
だ地面が追い討ちをかけるように摩擦を奪い取る。
 巨体が揺れ、背中向けに倒れこんだ。
「みたか、化け物!」
 荒く息を吐き、膝から崩れ落ちそうな体を必死に支えて、ギーシュは倒れたミノタウロスに
怒声を上げた。
「キュオオオオオオォォォン!」
 肩で息をするギーシュの前で、ミノタウロスの口から悲鳴のような声が飛び出した。
 背筋が反り、両手足を振り回して暴れ始める。
 同じような悲鳴を何度も繰り返し、地面を幾度も殴りつけると、ミノタウロスは血走った目
をギーシュに向けて立ち上がった。
 だが、そこに今までのような圧倒的な存在感は無い。足取りは覚束無く、体が右に振れたか
と思えば、左に体を倒しそうになる。息も酷く不規則で、なにかに耐えているかのようだった。
 雨の音に混じって、なにか大きなものが落ちる音がギーシュの耳に届いた。
「やっぱり、これで終わりとはいかないか……」
 音の発生源は、ミノタウロスの背中から落ちた氷の塊だった。
 ギーシュを狙ったウィンディ・アイシクルの刃だ。大量の氷の矢は、的を外してミノタウロ
スの背後に氷の剣山を作り出し、その上にミノタウロスは自重のままに倒れこんだのである。
 メイジは、余程の訓練を積まない限り魔法を二つ同時に使えない。ギーシュが今、ゴーレム
を走らせているために魔法が使えないように、ミノタウロスもまた、タバサや才人の攻撃を弾
いた奇妙な魔法をギーシュを攻撃するために解除していたのだ。
「まったく、タフな相手だよ」
 氷の欠片を地面に落とし、それに血を交えているが、致命傷には至っていないらしい。
 心底呆れたようにギーシュは溜め息を吐くと、数度の深呼吸を経て集中を高めた。
「それが、手品の種、か」

58銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:33:41 ID:AamgRZTI
 ミノタウロスが斧を振るい、聞き慣れない魔法を詠唱し始める。学院では習う事の無い特殊
な魔法なのか、あるいは、このミノタウロス独自の魔法なのか。
 どちらにしても、これで絶対の防御が復活したというわけだ。そして、もう二度と同じよう
な罠にはかかってはくれないだろう。
 本気で時間稼ぎしか出来なくなったギーシュは、このまま走って逃げれば逃げ切れたりしな
いだろうか、なんてことを考え、歯軋りをして自分を睨みつけるミノタウロスを見て、やっぱ
り無理だと悟る。
 名前も知らない土地に骨を埋めるのは癪だが、意外と気分はすっきりとしていた。
 一矢報いることに成功したからだろう。そして、あの背中の傷ならモンモランシーたちを追
うことは出来ないだろうという満足感もある。
 ドットどころか、魔法も無しに良く頑張ったものだと、自分で自分を褒めてやりたい気分だ。
「ああ、でも、やっぱり死にたくないなぁ」
 正直な感想が洩れる。
 だが、そろそろ限界だった。
 雨に延々と打たれ続けた肌は、激しい運動にもかかわらず冷えて痺れたようになり、火事場
のバカ力でミノタウロスの攻撃を強引に避け続けたために筋肉が錆び付いたように動かない。
 敵にダメージを与えた。その事実が緊張の糸を緩め、せっかく限界を無視出来るトランス状
態から正常な感覚を引き戻してしまったのだ。
 立っているのもやっと。
 そんな状態のギーシュに、ミノタウロスの攻撃を避ける術は無い。
 対して、ミノタウロスは怒りを隠そうともせずに斧を引き摺ってギーシュに歩み寄り、今度
はゆっくりと確実に殺すため、自身の腕の太さほどしかないギーシュを胴体を掴み取った。
 震える足のせいで逃げることも出来ず、ギーシュの体が吊り上げられる。
「ヴルルルル……」
 獣らしい唸り声を響かせて、ミノタウロスがギーシュを掴む腕に力を入れる。
 握力だけで全身の骨が軋む音を、少しずつ薄れていく意識の中に聞いて、ギーシュは痛いと
も感じられずにミノタウロスの顔をぼうっと見詰めた。
 良く見れば、左目がない。
 屋敷の地下で見たときは両目とも揃っていたように思えたが、いつ無くしたのだろう。
 右腕が、ぽきりと折れる。
 二度目のとき、キュルケをあの方が助けたときは、やっぱりあった気がする。
 何かが折れる音が連続して、胸の辺りが突然柔らかくなった気がする。
 三度目は……、ああ、そうか。あの時振り返った瞬間、諦めかけていたのに諦め切れなかっ
たのは、目が潰れていたのが見えたから。
 呼吸が出来なくなり、目の前が黒く染まり始める。
 一矢報いたのだ、あの方は。一矢報いて、それで……、それで?
 喉の奥から、何かが持ち上がってくる。
 満足して死んだのか?
 意識が一瞬途切れて、すぐに戻った。
 ありえない。
「貴族は死の淵にあっても、背中を見せたりはしない」

59銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:35:08 ID:AamgRZTI
 まして、敵が強大であるから甘んじて死を受け入れるなど、それこそ貴族の名折れだ。
 辛うじて絞り出された声に、ミノタウロスの動きが止まった。
「よく言った小僧」
 男のものとも女のものとも思えない不思議な声と共に、ギーシュの眼前、ミノタウロスの腕
の上にひょいと乗り上がったのは、一匹の小さな猫だった。
 口に咥えられたナイフがカタカタと音を鳴らし、まるで誘うかのようにギーシュに刀身を晒
している。
 声は、このナイフから発せられていた。
「悪くない度胸だ。流石、姐さんの友人だけはある。タダ働きは好きじゃねえが、見捨てちゃ
後が怖いからな。この地下水様が、ちょっとばかし手伝ってやるよ」
 気楽そうな声の終わりに、“ウィンドブレイク”の魔法をナイフは発動させた。
 猫が首を振り、ミノタウロスの顔面に魔法を直撃させる。
 無くなった左目の傷を刺激されたのだろう。ミノタウロスは悲鳴を上げ、ギーシュの体を離
して顔を抑えた。
 ミノタウロスの手から解放されたギーシュの体が地面に落ちて、力なく横たわる。その隣に
降り立った猫が地下水を放して、にゃあ、と鳴いた。
「なんだ、だらしねえな。最近のガキは自分で立てもしねえのか?ほれ、俺を握れ。体が動か
ねえならなんとかしてやるから、手を伸ばせ」
 う、と息を呑み、ギーシュは激痛の走る体に鞭を打って左手を伸ばす。
 指先が土を掻いて、少しだけ前に進んだ。
「頑張れ、あと少しだ。おい猫、もうちょっと近くに置けなかったのかよ?」
「にゃー」
 地下水の文句に、猫は不満そうに鳴いて森の中へと走り出した。
「あー、行っちまいやがった。まあ、猫に文句を言ったところで仕方がねえか。よし、頑張れ
よ小僧。あと指一本分だ」
 緊張感のない声がギーシュの耳に届く。
 気が抜けるような声だが、いまはそれに縋るしかない。
 呼吸が出来ているのかどうかさえ分からないままギーシュは懸命に手を伸ばし、爪の先を地
下水の柄に重ねた。
「オオオオオオオオオオッ!」
 ギーシュの手と地下水が重なったところに、痛みを乗り越えたミノタウロスの足がギーシュ
を踏み潰さんと迫る。
 一秒遅かったか。
 地下水が感情の乗らない言葉を内心で呟いて、手助けをするつもりだった少年に無意味な希
望を抱かせてしまったことを声に出さずに詫びる。
 あの猫め。
 マチルダの依頼で体を奪ったいくつもの獣の最後の一匹に向けて、地下水が愚痴っぽく声を
溢した。
「エア・ハンマー!」
 若い男の声が風の魔法を発動させ、ミノタウロスの体を弾いた。

60銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:35:44 ID:AamgRZTI
 ぐらり、と牛頭の亜人の体が揺れて、僅かに足が地面を叩くタイミングが遅れる。
 地下水には、それで十分だった。
 跳ねるように飛び起き、ミノタウロスの足を切りつけながら後退する。
 死にかけていた体とは思えない、敏捷な動きだった。
「ウェールズ皇太子殿下……、生きておられたのですか?」
 体の痛みも意識の混濁もなくなったギーシュが、勝手に動く体を気味悪く思いながら助けて
くれた人物に声をかけた。
 雨でクシャクシャになった髪をかき上げ、ギーシュの自意識過剰なものとは違う自然な笑み
を浮かべて、はは、と軽く笑う。少しだけ情けない顔が、何故かギーシュには格好よく見えた。
「勝手に殺さないでもらえるかな?まさか、ミノタウロスが魔法を使うとは思わなくてね。ふ
いを突かれて森の中に吹き飛ばされただけさ。もっとも、追撃が来るものと思い込んで森の中
を走り回っていたのは、間抜けとしか言いようが無いけどね」
 ミノタウロスとの間合いを計りながら、ギーシュと挟み撃ちするように立ち位置を移動する。
 地下水に体を乗っ取られたギーシュもまた、ウェールズの意図を読んで円を描くように移動
を始めた。
「ギーシュ、だったか?」
「なにかね、ナイフ、いや、地下水くん。……ん、あれ?同じような名前をどこかで……」
 呼びかけた地下水に、ギーシュは返事をして、何故か記憶を刺激する名前に首を捻る。
「気のせいだ。それより、あのミノタウロスのことなんだが、なにか変な魔法を使ってたりし
ねえか?例えば、自分の体の中を弄るような……」
「おお、良く気付いたね。その通り、体内の血流を操作して体を頑丈にしているらしい。僕は
水の系統はからっきしなんで仕組みは分からないんだが、背中に氷が刺さったままなのに血が
流れていないところを見ると、血流を操作しているという点は確かなようだね」
 ギーシュとウェールズの二人に挟まれて警戒を顕わにするミノタウロスに、ちらりと覗き込
んだ背中の様子を見て、地下水がカタカタと刀身を鳴らす。
「なるほどね。道理で体を乗っ取れねえわけだ……」
 猫の体を乗っ取っていたときに、地下水は既にミノタウロスの体が乗っ取れないどうかを試
していた。足元に忍び寄り、そっと刀身を触れさせたのだが、どうにも感覚が根を張らない。
 だが、他者の体を乗っ取る力が消えたわけではないのであれば、問題は無い。
 体が乗っ取れないのであれば、直接叩き潰せばいいのだから。
「いくぜ、ウェールズの兄ちゃん!格好いいところを見せてくれよ!」
「言われなくても、もはや遅れは取らん!」
 ほぼ同時に、地下水とウェールズは“エア・ニードル”の魔法を唱えて風の刃を作り出す。
 地下水は自身の刀身に、ウェールズは己の杖に。
 ミノタウロスの肌を貫けるのは、この魔法だけなのだ。それ以外は、牽制程度で傷を負わせ
ることはできない。
 前と後ろの両方から飛び込んでくるギーシュとウェールズに、ミノタウロスは一瞬の逡巡を
見せると、すぐに斧を構えてギーシュへ向けて横薙ぎに払った。
 体力のある獲物は後に回し、死にかけていた相手に止めを刺すつもりだ。
 だが、数え切れない年月を刃物として生きた地下水に、力任せの一撃は意味を成さなかった。

61銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:37:40 ID:AamgRZTI
 地面を蹴り、斧の上を軽く飛び越えたギーシュの体がミノタウロスの腕を駆け上がり、頚動
脈を狙って刃を一閃させる。
「うわっ、本気で硬いなコノヤロウ!」
 毛皮を裂いた刃は、太い血管を切ることなく振り抜けた。
 それでも、首筋にある幾つかの細い血管は切断され、雨の中に赤い色を足していく。
「そうか。なら、強く打ち付ければいい!」
 ミノタウロスの背後から迫ったウェールズが、杖を握る右手の首を左手で握り、ミノタウロ
スの脇腹にエア・ニードルの刃を突き立てる。
 杖の半分が肉に埋まり、強靭な肉を貫いたことを確かめる。次いで、ウェールズは魔法を解
除して杖を通常に戻すと、即座に風のドットスペルを詠唱した。
 強力な魔法の連射は出来なくとも、初歩の魔法ならその限りではない。
 体内に埋め込んだエア・ニードル。それを構成していた空気を、さらに風の魔法で攪拌して
肉体を内側からズタズタにする。
 体の大きな亜人との白兵戦用に構想された、滅多と使われることの無い連携魔法だ。
「デル・ウィンデ!」
 “エア・カッター”の魔法がミノタウロスの体内で発動し、体内組織を蹂躪する。
 杖の突き立った傷跡から血が噴出し、ウェールズの腕や顔を赤く染め上げた。
「ォォォオオオオオオオ!」
 ミノタウロスが体ごと両腕を振り回し、ギーシュとウェールズを弾き飛ばす。
 ごき、とウェールズの肩から骨が外れる音が鳴り、ギーシュは左足は着地の瞬間にあらぬ方
向に曲がった。
「クソッ、まだ生きてやがる!」
「必殺の一撃、のはずなんだがね。想像以上の生命力だな」
「あああ、僕の体が凄いことに……」
 左足を引き摺るように立ち上がった地下水とウェールズが、血を吐きながらも立ち続けてい
るミノタウロスに辟易したように吐き捨て、ギーシュは感覚が無いまま原型が崩れ始めている
自分の体に小さく悲鳴を上げた。
「さて、どうするかね?自慢ではないが、私の次の一撃は期待できないぞ。なにせ、利き腕が
上がらなくなってしまったからね」
「同じだ、同じ。突っ込んでぶっ刺す。ヤツを殺すにはコレしかねえよ」
 作戦も何も無い、ただ個人の技量に任せた戦い方を示す地下水に、ギーシュはあんまり自分
の体を乱暴に扱わないでくれと抗議したい気持ちを抑え、ミノタウロスの様子を窺った。
 血を吐いたということは、内臓が傷ついたはずだ。魔法の影響のせいか、血はもう止まって
しまったが、長時間戦える体では無いだろう。
 後一撃なら、全てをかけてもいいかもしれない。たとえ無謀でも、地下水とウェールズの戦
いの技量は、自分よりもずっと高いのだ。信じる価値はあるだろう。
「突っ込むしかないか」
「やろうぜ。クソヤロウの内臓をミンチにして、豚の餌にしてやる」
 短く息を吐いて覚悟を極めるウェールズと、やる気満々な地下水が再び“エア・ニードル”
で武装した。

62銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:39:28 ID:AamgRZTI
 今度は挟み撃ちは出来ない。ギーシュの左足は折れて動かないし、立ち位置を今更変えるこ
とも出来ないからだ。
 ギーシュも覚悟を決め、二人に運命を託す。
 その時、ミノタウロスが斧を振り上げ、また魔法の詠唱を始めた。
「……っチャンスだ!何の魔法を使うかは分からないけど、あいつの体を異常に頑丈にしてい
る魔法は、他の魔法と併用出来ない!」
「よっしゃあ!いい情報だ、ギーシュ!行くぞウェー公!」
「ウェー公とはなんだ!?ウェー公とは!」
 片足を引き摺りながら走り出した地下水の横を、ウェールズが駆けて先にミノタウロスへと
接触する。
 肉体の強靭さが半減しているのであれば、狙う場所はいくらでもある。
 体勢を低くし、こちらを無視して詠唱を続けるミノタウロスの足元へと潜り込んだウェール
ズは、そのまま風の刃を纏った杖を振ってミノタウロスの足首を切り裂いた。
 確かに強靭さは失われていて、エア・ニードルの刃は面白いようにミノタウロスの肉まで裂
いていく。
 ミノタウロスの巨体がぐらりと揺れて、地面に膝を突いた。
 そこに決して速くない速度でギーシュが近付き、エア・ニードルの刃を繰り出した。
「俺達の勝ちだ……!」
 地下水の刀身が、ミノタウロスの額へと吸い込まれていく。
 コレで終わりだと、勝利への確信がギーシュとウェールズの胸に刻み込まれる。
 だが、地下水は自分の言葉を心の中で否定し、舌打ちするように刀身を揺らした。
「そうか、コイツ……!水のメイジ……!!」
 それだけ言葉を発したところで、地下水の本体が握った腕ごと空高く舞い上がった。
 ギーシュの左腕が、肘の少し上から途切れている。
 呆然とするギーシュの目が、暴風のような勢いで持ち上げられたミノタウロスの腕を追う。
 斧が真っ赤な血を巻き上げて、天を突くように握られていた。
 ごふ、ごふ、と歪な笑いが耳に届いた。
「……治癒の魔法か!」
 何事も無かったように立ち上がったミノタウロスの脇腹と足首に目を向けて、自分がつけた
はずの傷が消えているのを見たウェールズが、表情を歪めて真実を言い当てる。
 欠損した左目までは治らないようだが、背中からは氷の塊が落ちて新しい肌が覗き、地下水
が傷つけた首筋も毛皮が再生していた。
 ウェールズが攻撃してくるのを無視していたのではない。攻撃されても問題なかったから放
置していたのだ。
 圧倒的な生命力に治癒の魔法を加えることで、あっという間に傷を塞ぐ。魔法による肉体の
強化など、ただの保険でしかないということだろう。
 化け物め。
 思わず、ウェールズの口からそんな言葉が零れた。
「う、うあああぁぁあぁ……!?」

63銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:40:44 ID:AamgRZTI
 左腕を失い、傷口から大量に血を溢れさせたギーシュが、地下水の支配から解放された瞬間
に襲った全身の痛みに喉の奥から悲鳴を洩らし、地面を赤く染める自分の血を視線の合わない
目で追う。
 壊れた人形のような動きで体をガクガクと動かし、顔色を青く染めている。
 このままでは、失血死する。
 危険を覚えたウェールズがギーシュに駆け寄ろうとするが、ミノタウロスの斧がその進路を
塞ぎ、殺気が身を足を踏み止まらせる。
 地面に落ちたギーシュの左腕を持ち上げ、ごふ、と笑ったミノタウロスは、握られている地
下水の刀身を引き剥がし、じろりと睨み付けた。
「……ああ、クソ。やけに詠唱が長かったのは、そういうことか。俺の対策も出来てるってこ
とかよ。用意周到で素晴らしいったらないな、ド畜生が」
 ミノタウロスに触れた瞬間乗っ取ってやろうとした地下水が、忌々しそうに愚痴を零す。
 この亜人は、治癒とほぼ同時進行で肉体強化までやってのけたのだ。もしかすれば、肉体強
化の魔法は治癒の魔法の変形なのかもしれない。元が同じ魔法なら、そういう裏技も不可能で
はないのだろう。
 最後の切り札ともいえる乗っ取りまで失敗したことで、ウェールズの顔色も悪化し、しきり
に喉を鳴らすようになっていた。
「肉体は一級品。魔法も一流。まったく、スゲエな!感心するぜ!だが、コレで勝ったと思う
なよ。世の中には俺達よりよっぽど怖いヤツラがウジャウジャいるからよ。精々、叩き潰され
ないように僻地にでも引っ込んでるんだな、禁術使いのメイジさんよ」
 ただのナイフではないことを見破られ、このまま圧し折られるのを待つばかりと覚悟を決め
た地下水が、まるで悪役が最後を迎えた時のような言葉を並べ立て、何度も、ケッ、と吐き捨
てる。
 そんな地下水の負け惜しみに、ミノタウロスはまた、ごふ、ごふ、と笑うと、剣の先端を歯
に挟み、もう片方の手でナイフの柄の先端を摘んで力を入れた。
 地下水の体が弓なりに反って、キシキシ、と音が鳴る。
「させん!」
 地下水の危機に、ウェールズは杖を手にミノタウロスに踊りかかった。
 邪魔臭そうに降るわれた斧を掻い潜り、心臓に狙いを定めてエア・ニードルを突き出す。
 だが、前から向かったのが悪かったのだろう。ミノタウロスが降り抜いた斧は囮で、蹴り上
げられた足こそが本命だった。
 下から襲う膝に胴を殴られ、勢いを殺されたところに戻ってきた戦斧の柄が背中を叩く。
 潰れたカエルのように地面に打ち付けられたウェールズの体を、さらにミノタウロスは足蹴
にして、ぐり、と捻った。
「……ぁぁあああっ!」
 胸が圧迫され、肺の中の空気が押し出される。
 そうしている間にも地下水の体にはさらに力が加えられ、ぱりん、と何かが割れる音がした。
「おっわああああぁぁぁぁっ!痛くはねえけど、ちょっと怖いな!長生きし過ぎて、死ぬこと
なんてなんとも無いとばかり思ってたぜ!!はは、ははは、はははははははははは!」
 気が狂ったように笑い始めた地下水をギーシュは呆然と見詰め、その最後が訪れるのを待ち
続ける。

64銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:41:54 ID:AamgRZTI
 手がない。
 戦う手段が、何一つ。
 地下水も負け、ウェールズ殿下も地に這い、自分は全身が壊れた人形のようになっている。
 かち、となにかが頭の中に組み合わさって、ギーシュはまだ繋がっている右手に目を落とし
た。
 激しい戦いの中でも、一切放すことの無かった杖がそこにある。
 エア・ニードルはギーシュには使えないし、使えたとしてもミノタウロスをどうにか出来は
しないだろう。
 そもそも、なんで自分は杖を握っていたのか。
 なにかを動かしていたような気がする。それはとても大切で、自分の命と引き換えにしても
惜しくないもののような、そんな気が。
 しかし、杖は魔法を使うもので、魔法は消えてしまうものだ。そんなものを大切にしている
のはおかしいだろう。
 何を動かしていたんだろうか。ずーっと、一瞬でも手を放してはいけないはずなのに、その
理由が思い浮かばない。
 理由は思い浮かばないが、でも、手放してはいけないのだ。
 そうだ。杖は手放してはいけない。手を放したら、魔法が解けてしまうのだから。
 それは無意識だった。
 左腕から血が大量に流れ出たために脳は正しく働かず、思考は単調になり、複雑なことを考
えられなくなっていた。
 だから、ギーシュに出来たことは、至極身近な、幾度も繰り返してきた日常的な行為だけだ
った。
 幼い頃から繰り返してきた、貴族としての誇りを高めるための訓練。その際に、自分がもっ
とも得意としていて、父や兄に褒めてもらった一つの特技。
 理論的な思考も出来ない状態で、ギーシュは絶対に手放してはいけない杖を、折れた右腕で
持ち上げた。


 モンモランシーは走っていた。
 穏やかになってきた雨の様子など気にもしないで、靴が脱げて、靴下に穴が開くのも気付か
ずに。
 ギーシュが居なくなったことには、随分前に分かっていた。レビテーションで体を浮かせた
マリコルヌが適当に息を整えたのを見て、次はギーシュを休ませてやろうと後ろを向いたとき
には、もう彼は居なかったのだ。
 どれだけ探しても、名前を叫んでも、ギーシュの姿は見つからなかった。ゴーレムから降り
よう手足を振り回して暴れても、ギーシュのワルキューレは決してモンモランシーの体を離さ
ず、延々と走り続けた。
 そのゴーレムが唐突に力を失って崩れたのは、ついさっきのことだ。

65銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:42:36 ID:AamgRZTI
 ギーシュの身になにかがあったことは間違い無い。モンモランシーはいてもたってもいられ
なくなり、マリコルヌやシエスタの制止の声を振り切って駆け出した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 走ることがこんなにも辛いなんて、もっと体力をつけていればよかった。
 乱れ続ける呼吸にそんなことを思って、モンモランシーは目元に落ちてきた形の崩れた髪を
かき上げた。
 激しく波打つ心臓が自分の鼓動で壊れそうになっても、走ることを止めはしない。
 ふいに、つま先が何かに引っかかって体が投げ出される。
 小石に足を引っ掛けたのだ。
 自慢の金髪と衣服が泥で真っ黒に染まり、口の中に血の味が広がる。
 唇を切ったらしい。
 それでも、モンモランシーは立ち上がって、また走りだした。
「ギーシュ……、ギーシュ……」
 吐き出す息の傍ら、気障でバカで間抜けでスケベな少年の名前を繰り返し口にする。
 自分がやっていることは、彼の努力を無駄にしているのだろう。何も言わずに一人だけ姿を
消したのは、自分達を逃がすためだったのに。
 でも、耐えられなかった。あのまま逃げ延びたとしても、きっと自分の人生は色褪せてしま
うはずだ。赤を赤と、緑を緑と、青を青と言えない世界に変わってしまう。
 これが恋だとか愛だとかいうものなのかは分からないが、名前をつけるとしたら、きっとそ
ういう名前なのだろう。
 でも、それがなによりも辛かった。
 こんなにも苦しくて悲しいのなら、恋も愛も知らなければ良かった。
 乱れた呼吸が込み上げるものと交差して喉に引っかかり、息苦しさに膝を突く。
 下半身の感覚が曖昧になって、膝に力が入らなくなった。手を地面について、それで体を支
えようとしても、何故だか背中が曲がって顔が下を向いてしまう。
 まだ死んだと決まったわけじゃない。泣くには、まだ早い。
 視界が曇るのは雨が目に入ったからだ。鼻の奥が熱くなったのは風邪を引いたからで、喉が
震えるのは埃を呑み込んでしまったからだ。
 わたしはまだ泣いてない。
 震える膝を叩いて、重い頭を持ち上げる。
 いつの間にか雨は霧雨に変わり、視界は随分と開けていた。
 厚い雲の隙間から光が伸びて、地上を照らし始めている。景色の向こうはまだ黒く染まって
いるから、一時的な天候の変化なのだろう。
 僅かに覗く青い空の下で太陽の光に照らされたモンモランシーは、そこでやっと、誰かが近
付いてきていることに気付いた。
 どこかで見た金髪に気障な笑み。
 雨に濡れたせいか、癖のある巻き毛は直毛に近付き、作り物だった笑みには自然な優しさと
力強さが宿っていた。
 差し伸べられた手をぼやけた視界に納めて、モンモランシーは胸の中に湧き上がる感情を言
葉に出来ないまま飛びついた。

66銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:44:05 ID:AamgRZTI
「ギーシュ!」
 首に腕を回し、頬を摺り寄せ、全身で抱き締める。
 腕の中にある戸惑うような感触に愛おしさを呼び起こされ、零れる涙を思い切り首筋に染み
込ませて、それでも足りないと、モンモランシーは肌に唇を触れさせようとした。
 途端、背後から強風が襲い掛かり、二人を吹き飛ばした。
「きゃあああぁぁああぁっ!?」
 悲鳴を上げて雨に濡れた街道を転がり、体の隅々まで泥でぐちゃぐちゃに変える。
 絡めた腕が解け、温もりが逃げていくことに抗うように手を伸ばして、モンモランシーは金
色の髪を追った。
 涙が地面に落ちる。
 突然の風によって、いくらか感情が落ち着いたのだろう。次から次へと溢れていた涙は、少
しだけ勢いを止めてていた。
「いたた……。すごい突風だったわね。大丈夫だった、ギーシュ。……ギーシュ?」
 伸ばした手の向こうにいるはずの、どう関係を言い表せばいいのか分からない友人の姿を見
詰めて、モンモランシーは疑問符を浮かべる。
 そこにいる友人の背格好が、記憶のものと重ならなかったのだ。
「ギーシュ、ちょっと背が伸びた?着ている服も変わってるし、顔も大人びたような……」
 言葉の終わりに向かって声が震え、暖かくなっていた体が急に冷め始める。
 雰囲気が違う。ギーシュはこんなふうには笑わない。
 ギーシュじゃない。
「あなた、誰?ギーシュはどこ?ねえ……、ギーシュはどこよ!?」
 詰め寄るモンモランシーに眉を寄せて言い辛そうに表情を変えた目の前の男は、指をゆっく
りとモンモランシーの後方に向けて、優男らしい笑みを口元に浮かべた。
 指の指す方向を追ってモンモランシーが振り返る。
 突風が、また吹き荒れた。
「きゅいきゅいーっ!」
 地面を満たす雨水が巻き上がってモンモランシーの視界を覆い隠してしまう。それでも、ど
うして風が吹いたのかは理解出来た。
 特徴的なこの鳴き声を間違えるはずが無い。
「シルフィード!」
 晴れ上がった空のように真っ青な鱗の竜が舞い降りて、その背中からタバサと才人が飛び降
りる。そこにさらにもう一人、才人の手を借りて長い金髪の少女が地面に足をつけた。
「こっち」
「は、はい!」
 タバサに導かれて、少女が小走りに土色の山へと近付いた。
 いつの間にあんなものがあったのだろうか。
 雨や風に邪魔されて見つけることの出来なかった街道に出来た奇妙な盛り上がり。そこにも
たれ掛かるようにして座り込んだ少年に、少女は左手を伸ばして魔法に似た詠唱を始めた。
 そこにもまた金色があった。
 見慣れた巻き髪と、趣味の悪いシャツ。いくらか悪くなった顔色にもめげることなく、様に
ならない気障な笑みを浮かべている。

67銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:45:58 ID:AamgRZTI
 造花の薔薇が一輪、その胸元に花開いていた。
「ギーシュ!」
「やあ、モンモランシー」
 弱弱しい声に奇妙なイントネーションが混じって、懐かしい響きを胸に届けてくれる。
「本物?本物のギーシュよね?」
「何を言ってるんだい、モンモランシー。この青銅のギーシュが、この世に二人といるはずが
無いじゃないか」
 この軽口は、間違いなくギーシュだ。
 また目頭が熱くなって、じわりと目元が水っぽくなる。
「こ、このバカ!心配したのよ!?一人で勝手に居なくなっちゃって、出来もしないことに格
好つけて……!」
 ミノタウロスを一人で足止めするなんて、ドットクラスの人間に出来るはずが無い。戦いに
特化している火のトライアングルのキュルケですら負けたのだ、ギーシュが今生きていること
は奇跡だろう。
 ぼろぼろと涙を溢している事に気付いていないのか、モンモランシーはポケットから濡れた
ハンカチを取り出すと、ギーシュの頬に付いている土汚れを乱暴に拭って、鼻を啜った。
「出来もしないことって……、僕、結構頑張ったよ?一太刀っていうと変だけど、しっかりと
痛い目を見せてやったんだ」
「グス……、別に嘘付かなくてもいいわよ。ゴーレム走らせるために、魔法使えなかったんで
しょ?無理に格好つけなくったって、生きてただけで十分なんだから」
「……嘘じゃないんだけど、ま、いいよそれで」
 はは、と乾いた笑いを上げて、ギーシュは深く息を吐いた。
「で、ミノタウロスはどうなったの?あんたがここに居るってことは、どっかへ行っちゃった
のかしら」
 周囲を見回してそんなことを言うモンモランシーに、もしかして気付いていないのか?と視
線を少しだけ後ろに向けたギーシュは、動かない両腕の変わりに顎を使って自分が凭れ掛かっ
ている土色の山を示した。
「ミノタウロスなら居るじゃないか。ここに」
「……は?あんた何を言って……、っきぃやああああああああああぁぁぁぁぁっ!?」
 モンモランシーの視線がギーシュの顎の動きに釣られて下を向き、土の山かと思っていたも
のが、実は茶色い毛皮の塊であることを認識する。そして同時に、口から隣国まで届くのでは
無いかと思えるような悲鳴が飛び出した。
「な、な、なんで、なんでミノタウロスがこんなところで寝転がってお尻掻いてるのよ!?と
いうか、額にナイフが刺さってるのはなんで!?ゆ、夢?これって夢!?」
 ギーシュが背中を預けている土色の毛皮を持つ亜人は、欠伸をするついでにケツを掻き、タ
バサに杖で頭をポコポコ叩かれている。
 どうしてか、そこには親しげな雰囲気さえあった。
「し、質問は構わないんだが……、僕、怪我人だから、抱きつかれたりすると……」
「きゃああああ!う、腕が、腕が無いわよ、ギーシュ!?やっぱり夢?夢よね、絶対!」
 苦悶の声を上げたことでギーシュの姿を確かめたモンモランシーが、また悲鳴を上げた。

68銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:47:27 ID:AamgRZTI
 紐で縛って止血された左腕は切断面が露出し、筋肉や骨を剥き出しにしている。先程までは
服の断片で傷口を覆ってあったが、ティファニアが取り外してしまったのだ。
「み、右手も変な方向に曲がってる!?足も、って、胸の辺りも変に柔らかいんだけど……」
「それはそうさ、折れてるからね。ああ、でも大丈夫。見た目ほど痛くは無いよ。感覚が麻痺
してるだけかもしれないけどね!はっはっは!」
 テンションを高くして笑うギーシュに、才人やウェールズが肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「うええぇぇ……」
 再会の感動とか生きる喜びとか、そういったものとはまったく別の意味で泣きが入ったモン
モランシーの目の前で、今度は金髪の少女が青白い光を放つ指輪をギーシュの切断された左腕
に近付け、細胞を刺激する。
 にゅるり、と細いタコの足が伸びるようにして切断面から新しい腕が生え始め、なんだか気
持ち悪い動きをしてギーシュの腕を再生した。薄く張った皮膚の下に浮かぶ血管がドクドクと
波打ち、切断された部分を境目に日焼けなどの肌質の差が生まれる。やがて、肌が厚く張って
元の色を取り戻すと、ギーシュは嬉しそうに声を上げて、生えてばかりの左手を二度三度と握
ったり開いたりを繰り返した。
 ティファニアの持つ指輪の力によるものだが、再生過程はホラーそのものだった。
「……ふぅ」
「ああっ、モンモランシー!?」
 衝撃的な映像が多過ぎて、脳が付いていけなくなったらしい。
 肺の中の空気を吐き出して気を失ったモンモランシーを、ギーシュは新しい腕で支え、いつ
の間にか骨折から回復している右手で頬をペチペチと叩く。
 まったく反応が無い。
 暫くの間、モンモランシーが目を覚ますことは無さそうだった。
「褒めてやってくれ、姐さん」
 腕に抱いた愛しい君の名を連呼するギーシュに生温い視線を向けていたミノタウロスが、自
分の頭を叩き続ける少女に声をかけた。
 結構な速度で振られていた杖が止まり、青い髪の少女の首を傾げる姿が獣の瞳に映る。
「このガキ、最後まであの薔薇みたいな杖を手放さなかったんだぜ。腕圧し折られても、左腕
をぶった切られても、失血で意識を朦朧とさせてても、杖だけは手放さなかったんだ。お陰で
助けられた。二十年も生きてないガキに、俺も、ウェールズの兄ちゃんもよ」
 ミノタウロスが上体ごと首を後ろに向けて、そこにある人の形をした人形に視線をやった。
 雨に濡れた体を雲の隙間から差し込む光に照らして黄金色に輝かせている青銅の人形。不動
の佇まいのそれが、どこか誇らしそうに空を見上げていた。
 その姿が、何故かギーシュが抱いている少女の姿に似ているのは気のせいではないのだろう。
「斧に錬金をかけて人形に変えやがった。杖がなければメイジは魔法が使えねえ。その辺のと
ころを、この体の持ち主は軽く見てたんだろうな。なまじ、魔法が無くても強えから」
 メイジの杖には普通、“固定化”や“硬化”がかけられている。戦いの最中に壊れては困る
からだ。だが、ミノタウロスはそれを怠った。
 斧という武器を杖の代わりをしているが為に、杖という概念をいつの間にか忘れていたのだ
ろう。

69銃は杖よりも強し さん:2008/12/05(金) 20:48:15 ID:AamgRZTI
 強靭で強大な肉体を得た代わりに、慢心を抱いた。それがミノタウロスの敗因だ。
「あー、しかし、疲れたぜ。なんかこう、気分的に。久しぶりに死の恐怖ってやつも味わった
しな。早く帰って休みてえ」
 疲れ知らずの地下水がこうまで言うのだから、相当な激戦だったのだろう。
 気絶したモンモランシーの目を覚まさせようと元気に騒ぐギーシュを見て、タバサは未だ信
じらない彼の活躍を脳裏に描き、深く息を吐く。
 空にはクヴァーシルが舞っていて、こちらの様子を見て高く鳴いている。そう時間もかから
ない内に、先に一度合流したマリコルヌたちも戻ってくるだろう
 とりあえず、全員生還。
 ウェールズやティファニアや地下水がなんでここに居るのか、とか、キュルケの髪のことと
か、馬車の御者や客の親子をどうするのか、とか。いろいろ問題や疑問も残っているが、それ
は後回しでいいだろう。
 自分も疲れた。
 ふらふらと揺れながら歩いて自分の使い魔に寄り添ったタバサは、同じように疲れた様子を
見せるシルフィードの頬を撫でて、腹の虫を鳴らす。
 長いようで短い宝探しの旅が終わりを向かえた。空は相変わらず雨模様で、あまり物語の締
めくくりには相応しくないように思える。
 それでも、終わりは終わり。ピリオドは打たれたのだ。
 森の中から猫が一匹顔を出し、一時の晴れ間を見上げて小さくクシャミをした。

70銃は杖よりも強いと言い張る人:2008/12/05(金) 20:55:38 ID:AamgRZTI
以上、投下終了。
大方の予想通り、ミノタウロスが味方(?)になりました。
さあて、次はどの人外を加えようかなあ。くくく……。

本当はギーシュに格好いい決め台詞を言わせるつもりだったけど、なんからしくないのでやめた。
ギーシュの嫁はモンモランシー。モンモランシーの婿はギーシュ。異論は認めない。
才人の嫁についての議論は知らん。だが、ティファニアはやらん。アレは俺の娘だ。
猫は以降登場予定なし。今回限りの超モブキャラ。

どうでもいい設定
ミノタウロスの額に地下水が刺さってるのは、ギーシュとウェールズの八つ当たり。
ちなみに、あと三ミリほど深く刺さっていたらミノタウロスは死んでいた。

71名無しさん:2008/12/05(金) 21:46:47 ID:qewzlhvA
降りしきる雨の中の死闘!真に乙でした!

72名無しさん:2008/12/05(金) 22:25:24 ID:vyJBxLiA
>才人の嫁についての議論は知らん。
そういえばルイズの出番が無かったのを思い出したw
才人とタバサとの絡みはボケとツッコミみたいな感じで悪くない

73名無しさん:2008/12/06(土) 18:16:42 ID:jKnvAdYU
ギーシュかっこよすぎw
腕持ってかれた時はどうなることかと思ったがw
まあ今はしばし休めギーシュ


 ル                    て  っ
  ザ                あ        な
   ち             げ             に
    ゃ            る 
     ん           よ               態
      の           ウ               
       た            フ             変
                      フ        
         め                       も
                              で
           な             ら
                      く
             ら   い

74名無しさん:2008/12/06(土) 20:38:27 ID:M3chIWYU
GJ!!また人外が仲間にwww

75名無しさん:2008/12/08(月) 13:51:11 ID:gKbA3V6I
系統魔法はメイジの血統だけしかつかえない、
亜人がつかうのは杖がいらない先住魔法のハズじゃ・・・

76名無しさん:2008/12/08(月) 19:16:02 ID:nvSJX2sg
タバサの冒険2を読んだ後で>>75の意見がどう変わるのか楽しみだ

77名無しさん:2008/12/08(月) 20:33:28 ID:gKbA3V6I
>>76
自分の脳をミノタウロス に移植するメイジが何人もいるわけないだろw

78名無しさん:2008/12/08(月) 21:02:08 ID:ZuJLtc/o
で、あれがモット伯邸に住んでた理由はやっぱりエロタウロスだったから?

79名無しさん:2008/12/11(木) 03:52:07 ID:qDxxdCS6
>>77
このミノが件のラスカル…もといラルカスその人なんじゃないの?
人と言っていいのか甚だ疑問だがw

80名無しさん:2008/12/11(木) 10:19:32 ID:91PQ0N9Y
前スレの桃髪さん乙です。
コルベール先生格好良すぎるけど微妙な残虐性が見え隠れしているのが気になる。



銃杖さん乙です。
ギーシュ!男らしすぎる!
モンモランシーの気絶も仕方ないぐらい男らしすぎる。
しかしこの歳でミノタウロス討伐とかを成し遂げたとしたらかなりの英雄扱いじゃね?すげえ。

81名無しさん:2008/12/11(木) 21:38:40 ID:XDCwdlxw
銃杖の人GJ!!
ホルホルもエルザの扱い方に慣れてきたんだなーw
でもホルホルのニヒルな笑みが出てこなくなってきてるのは状況のせいか?

それと今回のギーシュはカッコ良かったw
痛みに耐えてよく頑張ったッ!!
感動したッ!!

82桃髪と銀髪 外伝 イザベラさんの冒険:2008/12/18(木) 09:42:32 ID:7jIqzPP.
イザベラさんと翼竜人

「はあっ……はあっ……はっ……」
 追っ手の気配に身を竦ませつつ、ぼろを着た少年が走る。その懐には、一日分の僅かな
稼ぎがある。妹と二人、今夜を凌ぐためのカネだ、失うわけにはいかない。
「走れ……走れ……クケケッ」
 やはりぼろを着た一団が、少年を追う。それぞれの手に隠した得物が時折、鈍く光る。

 王都リュティスの西の外れ、裏道である。人口三十万を誇るハルケギニア最大の都市に
は、富と繁栄の大きさに比して、ゲスもまた多く棲んでいる。落ちぶれ生きるしかない、
弱い者たちが、さらに弱い者を叩く、そんな夕暮れだ。
 やがて必死の逃走も空しく、少年は袋小路へと追い込まれる。
「ひぃッ」
「おらおら、諦めたら黙ってカネを置いて――」
 しかしそんな彼らの恫喝は、残念ながら中途にて断絶する。
「邪魔だ。どけ」
 どげし、と背を蹴られたゲスの一人が倒れ、その上をがすがすと歩く者がいる。しかも
ピンヒールで、だ。高い踵から伸びる、細く長いその先端が、倒れた男の身体を容赦なく
刺すが、彼女は構わず歩く。最後に一つ、ごきり、と倒れた男の首からいやな音が響いた
が、もちろん構わない。
 薄暮にも明らかに上質と判る、軽く柔らかい生地のドレスの丈はあくまでも短く、その
色は限りなく深い青だ。深く切り込まれた胸元から、雪のように白い肌が覗く。肩にかけ
た色のない肩掛けがふわりふわりと、歩みにつれて謳うように、泳ぐようにたなびく。無
造作に流れているかに見える髪の手入れはしかし完璧で、それゆえの輝きが落ちかけた夕
陽を映し、まばゆく青い。
「ッな! なな何だテメエは!」
 リーダー格の男が蹴倒され、踏み落とされる音を聞いて呆然としていた一人が、我にか
えって叫ぶ。叫ぶのだがしかし、彼の言葉は彼女の耳には届かない。彼女はゴミ以下の存
在の言葉など、決して聞かないのだ。
「おい」
 袋小路の壁に向かってかつかつと歩く彼女が、その前に立ち尽くす少年に声をかける。
「はっ、はい」
「ここは行き止まりだ。どこに行くつもりだ?」
「いや、あの、逃げてここに……」
「ん?」そう言うと、彼女はくるりと後ろを振り返る。
「アレ、か?」
「は、はい……」
 フン、と鼻息一つ。男たちに手招きをする。ぼろを纏い手には刃物のゲスどもを、従者
でも呼ぶように、そうするのだ。あっけにとられ、一度では身じろぎもできなかった男た
ちだが、彼女の二度目のそれが、明らかな苛立ちをもって行われていると察すると、慌て
て従い、整列する。何だ、何なんだこの女は? 俺たちは泣く子も黙る――
「お前ら、この子を追ってたんだって?」
「いやいやいや、そんなことは――」どうしてか、下手に出てしまう。
「追ってたんだろ?」
 青い瞳が、圧倒的な眼力でゲスどもを睥睨する。
「……はい、そうです」
「そうか。お前らはわたしのツレを追いかけ回して、ここに追い詰めた。それで間違いな
いんだな?」
「あなた様のッ……。いえ、いやッ、し、知らぬこととはいえ、まことに――」

83桃髪と銀髪 外伝 イザベラさんの冒険:2008/12/18(木) 09:43:42 ID:7jIqzPP.
「ごめんなさいは?」
「は?」
「ごめんなさいも言えないのかッ!」
 そこで彼らはようやく気づくのだ。目の前に聳え立つ彼女が、その容姿が、どこからど
う見ても『高貴』そのものであることに。そしてそれ以上に、その瞳に宿る暴虐が、自分
たちを虫けらのように踏み潰しても『構わない』と、決めつけていることを。
「ご、ごめんなさひぃ」
「よし」満足げに彼女が笑う。意外にも、意外にも、その表情はとても朗らかだ。
「悪いことをしたら謝る。そして同じことは二度としない、そうだな?」
「はッ、はい! 決して!」
「ははっ、いい返事だ。いいぞ! では解散だ!」
「失礼しますッ」
 そして蜘蛛の子を散らすように去っていく、ぼろを着た男たち。彼らはもう、二度とし
ないだろう。

「あ、ありがとうございました」
「ふん、男が軽々しく礼など言うな。この程度で恩に着られたらこそばゆいわ」
「はあ」
「いいから。ほれ、帰るとこはあるんだろ?」
「は、はい。で、では失礼します」
 ぺこりと頭を下げ、立ち去ろうとする少年。その背に彼女が声をかける。
「おい、ちょっと待て」
「は、何でしょう?」
「お前、怪我してるじゃないか」
「さっき、転んじゃって……」確かに、少年の踝からは血が流れている。必死だったので
痛みこそは感じていなかったようだが、まだ血が止まっていないところを見ると、そこそ
この深手ではあるようだ。
「どれ、見せてみろ」
 そう言うと、少年の足元に膝をつき、小声でルーンを刻む。
「……イル・ウォータル・デル」
「あっ……!」
 おそらくこれが初めての経験なのだろう、水の魔力で見る間に修復されていく自分の踝
を見て、少年が驚きの声を上げる。
「何だ? 『ヒーリング』を知らんのか?」
「はい。すごいです!」
 ぽんぽんと踝を叩き、どうだと少年を見やると、膝を払い、立ち上がる。
「こんなもの、初歩の初歩だよ。いつか気が向いたら、もっと凄いのを見せてやるよ」
「はい!」
「じゃ、またな。少年」
 そういうと彼女は『アンロック』を唱え、開いた壁の向こうに消えていった。その退場
を見送った少年が叫ぶ。
「すげえ! 格好いい! 何だあれ!」そして、ぽっ、と赤くなって呟く。
「あんなきれいな人も、いるんだなぁ」
 そして少年が、妹の待つ家へ駆け出す。軽やかな足取りだ。

84桃髪と銀髪 外伝 イザベラさんの冒険:2008/12/18(木) 09:44:28 ID:7jIqzPP.
「やれやれだな」
 ゴゴゴと閉まる壁をあとに、ごきごきと首の骨を鳴らしつつ、ひとりごちる。慣れない
ことをすると肩が凝るのだ。そこに――
「見てましたよ!」
「さすがイザベラさん!」
「俺たちにできないことを平然とやってのける!」
「そこにシビれる!」
「あこがれるゥ!」
 わらわらと集まってくる手下ども。皆、とてもイイ顔をしている。
「ななな、何だお前たち! 覗き見とは卑怯だぞ!」
 ぼん、と音の出る勢いで朱に染まるイザベラ。不覚ッ、人助けをする姿を見られるくら
いなら、全裸で踊る方がマシなのにッ!
「そ・こ・で! 俺様のさりげない魔法サポートよ!」
 イザベラの太腿から、訊かれてもない声がする。空気をまるで読まない上に、誇らしげ
なのがムカつく。
「おまっ、地下水ッ! またお前はそんな羨ましいところに納まりやがって!」
「てめええぇ、イザベラさんから離れろオオォッ!」
「小刀の分際でイザベラさんの玉の肌に触れただとォ!」
「だから靴用の仕込みナイフに改造しようって言ったじゃないですかァッ!」
「そうだ! こんなヤツは足蹴にされてるのがお似合いなんだよ!」
「まあまあ君たち、そう言うなよ。嫉妬は醜いぞ?」
 イザベラのドレスの下、太腿の見えるか見えないかのぎりぎりのところに吊られている
ナイフ、それが〝地下水〟である。喋る剣、すなわちインテリジェント・ナイフであり、
イザベラの魔法力の種明かしであり、北花壇警護騎士団所属のあらくれの一人である。
「コロス」
「ぶっ殺」
「溶かす」
 結局はいつも通りに、やいのやいのと大騒ぎである。イザベラの隣に立つことが最大の
名誉である彼らにとって、携帯に向いている、というだけの理由で四六時中、イザベラと
時を過ごしている地下水の存在が、どうにも腹立たしく羨ましくて仕方がないのだ。
「うるさいうるさい! うるさい!」
 叫ぶイザベラの声が、いつもより少しだけおとなしいのは、照れた顔を戻すのに忙しい
からだ。

「イザベラさん、任務が来ましたぜ」
 いつも通り、大騒ぎの酒宴がお開きになったあとに、副長が書簡を持って近づく。
「ん? 今度は何だって?」
「翼人の討伐だそうで」
 隣国ゲルマニアとの国境に広がる森。〝黒い森〟と称される広大な地域の端、林業とそ
の加工で成り立っている村からの、依頼である。翼人は森に居を構えるのだ。つまらない
縄張り争いの仲裁か。なら今回は少し遊ぶか。『翼人の』と聞いただけで、イザベラはそ
こまで考察した。
「そりゃまた、楽な任務だこと」
「ですね。面倒臭くて誰もやりたがらなかった、というところでしょう」
「確かに、面倒な予感はするね。便利屋か何かと勘違いされてるのかしら」
「まあ、そうはいっても報酬はいつもと同じですから。そろそろ酒樽が淋しくなってきて
ますし」
「呑み過ぎなんだよ、お前らは。まったくもう」
「もし? うちのランキング一位はイザベラさんですよ? 依然、変わりなく」
「う、うむ。そうだったな……。まったく不甲斐のない奴らよ。もっと精進するように伝
えておきな!」
「イエス、マム。ガツンと言っておきますよ」
 自身は一滴も呑まない副長は気楽に応える。ま、だからこそ副長に納まっていられるの
では、あるが。


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