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よもやま話2022ー鎌倉殿13人も含めて
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:
紋章官
:2022/12/30(金) 18:34:18
今日からコミケ、行かれた方、いますか?あすはラジオを聞いてからか、大井町でおりて、品川神社、御田八幡宮を初詣前参りをしてから、
午後会場入りの予定です。何しろ、午後チケットなので。
さて鎌倉殿の13人が終わりましたので、このスレッドも今日で終わり。最後に北条義時の墓所のお話。知られるように、現存する義時の墓に
彫られた名前は江間義時。まあ、この墓石を誰がいつ建てたかの問題はありますが、自分の領地「江間」の姓を切っているのが彼の微妙な
立場を示すようです。実際、鎌倉にあった墓所、北条義時の法華堂。こちらは発掘調査で存在を確認、源頼朝墓とほぼ同じ比高地に存在、
大倉亭という屋敷を持っていた彼の墓所に相応しいと言えます。ただ、この北条義時法華堂はよく燃える。鎌倉時代150年のうちに、3度
燃えている事が吾妻鏡に記載される。しかも発掘調査から、鎌倉時代末期には倒壊、廃絶していた可能性が出てきています。
通常、鎌倉幕府滅亡は北条一族の東勝寺での集団自決で終わります。但し、あくまで北条一族滅亡であって、鎌倉幕府滅亡とは言い難いところが
あります。それは最後の鎌倉宮将軍守邦親王は、この際、自決等に巻き込まれず生存、3か月後に出家して消息が途絶え、同年中に死去と
されています。さて、この北条氏滅亡により、義時法華堂を維持する家系がなくなって廃絶、もしくは同時に破壊炎上ならわかりますが、その前に
維持放棄され、姿を消していた、となると、江間義時に対する北条「得宗」家と称される家系の立場や見方の変化が想像されるところです。
もちろん、北条家が次々寺院を建設、その事で孤立していた法華堂の機能整理をはかり、葬祭機能を他の寺院へ移して整理したとも考えられます。
さりながら、いわゆる北条得宗家と称される家は名越、大仏、常盤と陰に陽に諸家と争い権力を固める中で、義時家系ではなく、泰時家系として、
執権職を固めていく中で、義時の葬祭の必要性が下がっていったのではないでしょうか?そのためには、北条義時は江間義時であり、北条と名乗る
のは執権である限りにおいての事。その事で、執権を引き継ぐ泰時、経時、時頼の血筋は北条を名乗る。他の家は名越、大仏、常盤の通称を名乗る
と区別を意図したのかもしれません。まあ、領地名を名乗るは驚いた事ではないのですけど。それでは〜
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