したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

奇跡が起きた!!

1津多姫=^_^=☆ミ:2012/02/01(水) 22:11:03 ID:Bhj6TDXI0
これから9回にわたって綴られた日記は、今年平成24年1月2日から、7日まで繰り広げられた、ノンフィクションの出来事です。

どうぞ、ご拝読くださいませ。

去年の1月、ある20代後半の女性から、恋愛成就祈祷の依頼を受けました。
彼女の名前は、仮にRさんとしておきます。
Rさんはメルボルン在住、北海道出身の獣医師で、さらなる勉学のためにオーストラリアに渡り、メルボルンの大学で獣医学を学び、資格を取得し、就職も内定し、今年の3月から本格的に獣医師として、オーストラリアの動物病院に勤務することになっています。

当時Rさんは、Bさんという同年代のオーストラリア人の彼氏がいました。
Bさんとは、一昨年の11月ごろに知り合い、仲良くなれたかと思うと、中々会えない日々が続き、一進一退のまま、一年が過ぎようとしていました。

私もRさんからBさんとの良縁成就を依頼されながら、中々進展しないお二人の関係に疑問をいだき、いっそのこと新しい縁(えにし)を模索してみたらどうなのかと思うようになっていました。

そうした矢先、ようやく彼女に新しい彼氏ができました。
彼氏の名前は、仮にDさんとしておきます。
Dさんは、イギリス系のオーストラリア人で、30代前半の弁護士です。
Rさんから写真を見せてもらいましたが、とてもやさしそうで穏やかそうな、白人男性です。
Dさんは、日本人男性と比べると大柄な部類に入りますが、白人男性としては小柄なほうで、日本人女性としては、やや大柄なRさんとは、つりあいもとれると思いました。

RさんとDさんは、去年の12月頃から急速に親密になり、お互いに暇が取れるたびごとに出会いを重ね、会えない時も、スカイプで話したり、チャットするなど、段々と気心を通わせあい続けました。

実は以前から、妻と私とで、Rさんと、やがて結婚するであろう、Bさんを、私が宮司をつとめる、上野八幡神社に招待する計画がありました。
当然、Rさんもその計画には乗り気でいました。

しかしRさんは、去年の暮れになりBさんとは別れ、Dさんとのお付き合いも始まったばかりなので、Rさん自身は帰国の予定があるものの、知り合って間もない、Dさんを連れ立って帰国することは、微妙な段階にありました。

そこで、私どもはRさんに、ダメもとで、知り合ったばかりのDさんに、Rさんの帰国の際に、一緒に日本に来ないか、打診してみるように提案しました。

その提案を快諾したRさんは、さっそくDさんに来日を打診し、すぐに快諾をえることができました。
当初の予定では、去年の暮に来日することになっていましたが、年末年始は、日本の交通が混雑し、思ったように国内の移動ができないので、妻の助言により、正月過ぎの1月5日にメルボルンをたつことになりました。(続く)

2津多姫=^_^=☆ミ:2012/02/01(水) 22:12:37 ID:Bhj6TDXI0
奇跡が起きた!!その2

RさんとDさんは、クリスマス休暇の最中で、新年の花火大会(メルボルンは真夏)を見に行くなど、二人で楽しい休日を過ごしていました。

一応、来日のための飛行機の切符の手配は、完了している段階ではありました。

しかし、Dさんには、Rさんと出会う前から約束してあった、年始に田舎に住んでいる親友のところに遊びに行く計画がありました。
いわゆる、キャンプみたいなものなのでしょう。

私どもは、Rさんを通して、田舎行きの計画は、延期したらどうなのかを打診してみました。
なぜかといえば、5日に来日が迫っているのに、正月松の内の田舎旅行は余りにも強行軍で、来日の準備がおろそかになる心配があったからです。

また、そんなに小ぜわしくては、疲れもたまる一方でしょうし。

一旦Dさんは、Rさんの忠告を受け、田舎行きを取りやめましたが、再び田舎へ行くことになってしまいました。
Dさんもかねてからの友達の招待を、断りきれなかったのでしょう。
Dさんには、そんな優しさがあり、やがてそのやさしさが裏目に出ることになってしまいました。

妻と私は、1月6日にお二人をお迎えするための準備に余念がありませんでした。
そのため、前日には、部屋やトイレの掃除、お布団、宿泊のために必要な小物類、食材の準備などをしていました。

ところが、田舎から帰省しているはずのRさんからの連絡は途絶え、スカイプもオフラインになっていてつながらず、まったくの音信不通になってしまっていました。

妻は、6日の早朝には、Rさんたちお二人を、新幹線岐阜羽島駅に迎えに行くことになっていましたが、連絡が取れないので、取りやめにしました。

ところが6日の午後4時ごろ、とんでもない連絡が、Rさんから妻の携帯にありました。(続く)

3津多姫=^_^=☆ミ:2012/02/01(水) 22:13:57 ID:Bhj6TDXI0
奇跡が起きた!!その3

Rさんからのとんでもない連絡とは、「Dが事故に巻き込まれた。私は、パニック状態です。」とのことでした。

しばらく途絶えながらも、次第に入ってくるRさんの報告では、Dさんは、単なる人身事故ではなく、事態はより深刻であることが、次第に明らかになってきました。

Rさんから聞いた事の経過を整理してみますと、
友達の家に着いたRさんとDさんは、友達の家で、数人の友人とビールなどを酌み交わしていたそうです。

ところがお酒がなくなり、買い足しに行こうと言う話になりました。

リカーショップは、割合近い場所に在ったそうです。
しかし、歩いて行ける距離には無く、車で買出しに行くことになりました。

Dさんは、お酒が入っていて、車を運転できない状態でした。
ましてや彼は、法律をきびしく遵守しなければならない、弁護士の立場にもあります。

そこで、彼らと合流の間もない、お酒を一滴も飲んでいない友達が車を運転することになり、Dさんは、その車に同乗することになりました。
Rさんは、Dさんについて行こうとしましたが、Dさんは、すぐ帰って来るので、その必要は無いと言いました。

Rさんは、友達の家でほかの友達とDさんたちの帰りを待つことにしました。

しかし、車でリカーショップに買出しに出かけた、Dさんたち二人に、とんでもない事態が発生してしまいました。(続く)

4津多姫=^_^=☆ミ:2012/02/01(水) 22:15:05 ID:Bhj6TDXI0
奇跡が起きた!!その4

Dさんは、友達の運転する車に同乗し、リカーショップに向かうまさに矢先の出来事でした。

オーストラリア時間2012年1月2日午後4時(日本時間午後2時)、
インド人の男性が運転する、大型トレーラーが100キロ超の猛スピードで、カーブを曲がりきれず、Dさんたちの乗用車に追突したのです。

Dさんたちの車は、原型をとどめないほどに大破し、運転していた友人は、即死。

その遺体も、目を覆いたくなるほど無残な状態だったそうです。
Dさんは、救出されましたが、一見すると奇跡的に体の損傷はどこにも見当たらない状態だったそうです。

しかし、意識を失い瞳孔も開き、いわゆる脳死状態にありました。

Dさんは、救急車でメルボルン市内のA緊急病院に運び込まれ、集中治療室で生命維持装置を付けられ、懸命な蘇生措置が続けられていました。

病院には、Rさんをはじめ、Dさんの母親、出張先のタイから翔けもどった父親、二人の兄弟、友人、弁護士仲間などが駆けつけ、固唾を呑んで、Dさんの容態と一途に賭けた蘇生をひたすらに祈っていました。

ところが、1月2日、3日、4日、5日、6日と日にちが過ぎても、一向にDさんの意識が快復する見込みも無く、医師の計測する脳波計にも何ら反応が見られず、脳死状態を宣告されたままの状態でした。

Rさんから深刻な連絡を受けた私たちは、一縷の望みを賭けて、上野八幡神社のご神前で死に物狂いで、ご祈祷を執り行いました。(続く)

5津多姫=^_^=☆ミ:2012/02/01(水) 22:16:09 ID:Bhj6TDXI0
奇跡が起きた!!その5

1月6日の時点のDさんの容態は、以前と何ら変わりなく、瞳孔は開き、脳波計にも無反応、もはや絶望的な状態に思われました。

Dさんの両親も、「もう早くDを楽にしてやりたい。」と、5日間も続くDさんの脳死状態にいたたまれない気持ちになり、生命維持装置をはずそうとまで考えていました。

私たち夫婦は、Rさんを通じて、「生命維持装置をはずすのは、しばらく待ってほしい。」と懇願しました。
その結果、しばらく様子を見ることになりました。

ご祈祷の甲斐もなく、1月6日時点では、依然脳死状態のままでした。

Rさんから妻の携帯に入った連絡では、「Getting worse,,,,」つまり、「段々と悪くなりつつある。」つまり、「快復する見込みはない!」「死に向かいつつある!」ということなのでした。

残念ながら、私も妻もDさんの死は覚悟せざるを得ませんでした。

Rさんも、Dさんの蘇生に一縷の望みを託し、両親の了解を得た上で、守護霊符をDさんの枕の下に敷き、祝詞CDをエンドレスでプレイし続け、絶え間なく呼びかけを行なっていたそうです。

私の予想では、一神教のクリスチャンには、いくら子供が絶体絶命の境地にあろうと、神道のお守りや神道のお祈りは、拒否されるであろうと思っていましたが、快く受け入れてくださったことが、せめてもの救いでした。(続く)

6津多姫=^_^=☆ミ:2012/02/01(水) 22:16:58 ID:Bhj6TDXI0
奇跡が起きた!!その6

以前元気な頃、Dさんは、Rさんの見せた私たち夫婦の写真を見て、「大変やさしそうな人たちだ。ぜひお会いして、挨拶したい。」私たち二人のプロフィールや、いろんな話を聞きながら、「結婚式には、日本の第二の両親である、宮司さん夫妻をぜひオーストラリアに招待したい。」とまで、言ってくれていました。

一向に快復しないDさんの、絶望的な容態に、担当する医師も、「あと2〜3日が峠です。覚悟していてください。」と伝えていました。

Dさんの両親も、Rさんも、Dさんの兄弟も、親友も仕事仲間も、ほとんど眠れず、食事もろくに取れていない状態で、彼らの健康もとても心配な状態でした。

そんな最中に、Rさんは、勇気をふりしぼって、Dさんを死地に追いやった、インド人運転手の顔を収監先の警察まで見に行ったそうです。
Rさんの行為は、とても勇気ある行為です。
誰もができない行為だと思いました。
しかし、見ておく必要はあるのです。

案の定、そのインド人には同じような事故の前科があり、そのような人を雇っていた、運送会社の責任と合わせて、Dさんの弁護士仲間がきびしく追及していくことになっています。

私の妻も母も、私もグッタリしていました。
心配の余り、ろくに眠れず、食事もろくにのどを通らない状態でした。
私は、ご祈祷している神職の立場として、Dさんのご祈祷には直接関わっていないにせよ、ご祈祷依頼者であるRさんがこんな悲惨な目に合わなければならないことに、とてもいたたまれない気持ちでいました。

やがては死にいたるであろうDさんのことを考えると、ご祈祷を通して、Rさんを幸せにできなかった神職の立場としての自分を悔やみ、また、神様は今回のことを通じて、一体私たちに何をお伝えなさろうとしているのか?延々と考え続けましたが、考えは堂々巡りに陥るだけでした。

一番強く思っていたことは、今一度神職の立場としての自分を見つめなおさねばならぬと言うことでした。(続く)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板