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0さん以外の人が萌えを投下するスレ

1萌える腐女子さん:2005/04/17(日) 10:27:30
リロッたら既に0さんが!
0さんがいるのはわかってるけど書きたい!
過去にこんなお題が?!うおぉ書きてぇ!!

そんな方はここに投下を。

59714-519 体育会系×体育会系 4/4:2008/12/12(金) 00:40:07
「シャワー浴びてくるよ」
急に立ち上がった松田の背中を、竹原は戸惑いの目で見つめた。
さっきまで眠くてぐずっていたのに、この豹変ぶりは一体どういうことだ。
疑問に思っていたら、バスルームの手前で松田が振り返った。
「タケ、先に寝んなよ。今夜は俺の愛を見せてやるぜ」
憎らしいほど良い笑顔だ。腹も立たない。
「いいのかよ、試合前だろ」
「それはタケ次第だな」
松田の肌にそういった意味で触れるのは2週間ぶりだった。
理性がきくか、無理をさせないか、自信は正直ない。
しかし、汗のにおいで目覚めた欲望はいまだ冷めていないのだ。
「緑山大学サッカー部の次期エースの実力を見せてもらいますか」
松田が声を立てて笑い、待ってろよ、次期4番打者! と言い残してバスルームのドアを閉めた。

59814-589 お前なんか大嫌いだ 1/4:2008/12/15(月) 03:14:06
春日亨は出来た男だった。
成績優秀、顔も良ければ社交性もある。
ギターが弾けたり、ダーツが得意だったりもする。
「俺はなぁ、お前みたいな男は気に食わないんだよ」
「オレは佐々木さん好きなんだけどなぁ」
――おまけに悪意や皮肉を受け流すのも得意と来ている。
この同じゼミの後輩は、まったく出来た男なのだ。

俺たちはいつものように喫煙所で煙をふかしていた。
この男と一緒にいるのは癪だが、学内で煙草を吸える場所は限られている。
「オレのどんなとこが嫌いなんですか」
「顔が良くて頭が良くて要領が良くてモテること」
「モテると思います?」
「思うっていうか、現在進行形でモテてんじゃねぇか」
ゼミの女の子は全員春日を好意的に見ていたし、うち3人は本気で春日に恋していた。
そのうち1人は俺が狙っていた女の子だった。まったく頭にくる。
「好きな人からモテないと意味ないじゃないですか」
鼻にかけない上に、いかにも誠実な発言。
「そういうことがむかつくんだよ」
「佐々木さんって子供みたいっすね」
「あぁ?」
春日が反論するなんて滅多にないことだから、ムキになって語調が荒くなってしまった。
俯いてマフラーに顔の半分をつっこんでいるので、春日の表情は読めない。
「ないものねだり」
くぐもった声に、痛いところを突かれた。
男としてのプライド、年長者としてのプライドを打ち砕かれた気分だ。
「……お前にはないものなんてねぇからわかんねんだよ」
「あんたにだってオレのことなんてわからない」
どうしたんだ春日、普段のお前なら笑って俺の僻み話なんて受け流すじゃないか。
本当はそう問いたかったが、口から出てきたのは「あんたって言うな」というくだらない言葉だった。
春日はずいぶん灰の部分が長くなった煙草をもみ消し、校舎の方に歩き出した。
後を追う気にもなれず、俺はもう一本吸ってから授業に出ることにした。
おかげで10分遅刻し、厳格な教授に睨まれる羽目になった。

59914-589 お前なんか大嫌いだ 2/4:2008/12/15(月) 03:15:08

その夜、バイト先の小さな居酒屋に春日が現れた。
以前もゼミ生たちが面白がって見に来たことがあったが、今日は1人だった。
気が乗らないまま注文を取りにいくと、春日は囁くほどの声で尋ねてきた。
「今日何時までですか」
「2時までだけど」
「じゃあそれまで飲んで待ってます」
「あっそ」
春日はケンカの気まずさなど気にしていないようだが、俺は次の日まで引きずる面倒なタイプだ。
つい返答もぶっきらぼうなものになる。
悔しいが、人間としての器の差を認めざるを得ない。
春日はホタテとほっけをつまみにして黙々と1人酒を飲んでいた。
途中何度もメールの受信音が聞こえたが、横目でうかがっても春日が携帯を開く様子はなかった。

「お疲れ様です」
店を出ると、すぐに春日に声をかけられた。
「お前、何しにきたの」
「謝ろうと思って」
春日の表情は柔らかい。そのことに安堵する自分が嫌だった。
「今日やつあたりしちゃってすみませんでした」
深々と頭を下げられた。
こう素直に謝罪されては、拗ねてるわけにもいかないだろう。
「いや、むしろ俺もやつあたりしてたし」
「許してもらえます?」
春日が握手をもとめて右手を差し出したので、仕方なくその手を取った。
「良かったぁ……」
思ったより強く手を握られて、俺は少し顔をゆがめた。
「オレね、本当に佐々木さんが好きなんですよ」
「はっ、ホモかよ」
「結構そうかも」
予想外の返事に、返す言葉が見つからなかった。

60014-589 お前なんか大嫌いだ 3/4:2008/12/15(月) 03:15:42
「泥臭いとこを繕わないとことか、文句言っても実は正当に評価してくれるとことか、
あと弱音吐くけど全然あきらめないとことか、全部オレの逆だから尊敬してるんです」
「尊敬だけにしとけよ」
「でもオレ、佐々木さんの顔も好きなんです。吊り目の奥二重ってツボで」
「やめろよ」
「佐々木さんで勃起するし」
「やめろって!」
貞操の危機を感じた俺は、つながれた手を振り払った。
「だからね、あんたにオレの気持ちなんてわかんないって言ったんです」
見ると春日はひどく傷ついたような顔をしていた。
あの時マフラーの中に隠されていたのは、この顔だったのだ。
「オレだってほしいものはあるのに……」
嘘だろ、止めろよ、冗談じゃない。
春日の彫りの深い印象的な瞳が潤み、みるみるうちに涙が溜まっていくのが見えた。
お前が泣いてどうすんだ、春日亨は出来がよくて、とてつもなくタフで、むかつくほどモテる男じゃないか。
何を血迷ったか、俺は動揺のあまりとんでもない行動に出てしまった。
泣き出す寸前の春日を抱きしめたのだ。
「佐々木さん?」
「泣くんじゃねぇよ」
戸惑いながら自分より高いところにある春日の頭に腕を回すと、春日は額を俺の肩に押し付け、その両手を俺の背中に回した。
きつく抱かれて息が詰まる。
涙目のままの春日にキスされた時も、自分が何をしてるか、されているのか、混乱していてよくわからなかった。
それでも、俺はもう春日の腕を払うことはしなかった。

60114-589 お前なんか大嫌いだ 4/4:2008/12/15(月) 03:16:15
結局その日から、俺と春日は恋人と呼ばれるような関係になった。
良い店に案内してくれたり、しんどい時には美味しいコーヒーを淹れてくれたりと、春日は恋人としても出来た男だった。
ある時、からかうつもりで最初の夜のことを持ち出した。
「お前さ、あの時だけは可愛かったよな。泣いちゃってさぁ」
春日は照れる様子もなく、爽やかに笑っていた。
「あれは本当に可愛かったのは佐々木さんなんですよ」
「どういう意味だよ」
「あんな古典的な泣き落としにひっかかっちゃったじゃないですか」
しゃあしゃあと言われて、唾を吐きたくなった。
「困った顔して、ぎゅってしてくれましたよねぇ」
「……やっぱお前なんか大嫌いだ」
「オレは佐々木さんが大好きです」
無駄にいい笑顔しやがって。
最高にむかつくが、今の俺はこの出来た男を愛しいと思ってしまうのだった。

60214-599 悪に立ち向かう少年:2008/12/16(火) 18:07:53
少年がどんなにもがこうとも、戒めは緩みもしない。
最大の脅威は今や掌に。世界を支配せんと企む邪悪なる存在はほくそ笑んだ。
身を魔道に堕とし、陽炎のように揺らめく黒い影。憎悪で形作られた悪そのもの。
そんなものに身をやつしてしまうと、今度は輝きが欲しくなった。
「さあ、諦めるがよい。我が僕となるのだ」
「いやだ!お前の言うことなんか聞くものか!」
キッと向けられた真っ直ぐな眼差し。
恐れを知らぬ少年。純粋な魂よ。
自由を封じられてもまだ絶望せぬか。
「ならば、これではどうだ?」
手始めに悪は、少年の故郷を魔法の像で映し出した。
懐かしい木々の緑。暖かい人々。
それらを一瞬に焼き尽くし、灰燼に変えた。
「嘘だ、この場から村を焼くなんて、お前にそんな力はない!」
震えは隠せぬものの、気丈につぶやく声。
見透かされている。そうとも、これは心への攻撃なのだ。
利発な少年、だがそれ故に残酷な映像に耐えるしかない。
やめてくれ、とひとこと。その懇願が欲しいのだ。それで少年は悪のものとなる。
次に、恋しい生家を、愛する父母ともども焼き尽くす。
「……信じない、これは嘘のことなんだ……」
さすがに目を背け、それでも少年は屈しない。
悪は焦れた。
「ではこれでは……?」
変わる映像。映し出されたのは少年の守り人。
かつて、氷の心と剣を持つとうたわれた、腕の立つ剣士。
悪は知っている。剣士が少年と出会い、苦難の旅を共にする中で心を溶かし、
踏み入れかけた魔道から救われたことを。
あれは、もう一人の己であると。
「だめだ!あの人はだめだ!」
初めて少年の声に焦りが混じった。この城にほど近い場にいる剣士を気遣って?
そうではあるまい、少年は恐れているのだ。
もし、ここで少年が剣士を見捨てたことを剣士が知ったなら、
剣士の心は今度こそ凍てついてしまう。
少年を守り、少年に守られる存在。
妬ましい。
──悪は、剣士を焼いた。
その映像が真実なのか、虚像なのか、もはや問われぬ。
「だめだ……やめて……やめてください……」
涙が一つ、二つと石の床を濡らした。これこそ悪の欲しかったもの。

60314-619:冷たい人が好きなタイプだったのに何で?:2008/12/18(木) 02:11:40
「なんでおまえ手袋もしてないんだよ。」

ほら、手貸せ。
一方的に繋がれた手から、相手の体温が流れ込んでくる。
冷てーなおまえの手。昔から、冷え症だっけか。
彼は、優しい苦笑いを潜ませた声でそう言って、歩き出す。

温かすぎるその熱にめまいを感じながら、手を引かれて歩いた。
半ば俯けていた視線を少し上げて、繋いだ手を視界の中心に据えた。
手を引っ込めようとするのに、その度に掴み直されて、指は絡め合ったまま。
その内に互いの温度が混ざり合って、何処から何処までが自分のものなのか、
境界が曖昧になってしまう。
堪えきれなくなって、眼を逸らした。
胸が痛い。悲しさや苦しさでなく、得体の知れない切なさが喉を締め上げる。

辺りはもうすっかり冬景色で、明け方には雪が降った。
時折氷点下の空を過ぎる風は首筋を脅かし、靴の下で、さくさくと雪がなる。
新雪の降り積もった道が、眼前に広がっていた。

この、雪のような人が好きだった。
綺麗で冷たい、凛とした人。
三年越しのそれは、告げることも出来ずに終わってしまった恋だったけれど、
その透明な硬質さを、今でも忘れられなかった。
温かいものは鬱陶しくて持て余して苦手で、冷たい人が、好きだった。
だから次に好きになる人もきっとそうなのだろうと、
なんの根拠もなく漠然と考えていた。


「兄貴のことはさ、」

今まで精一杯、好きだったんだろ。だったらそれでいいじゃんか。
一歩先を歩く幼なじみが、こちらも見ぬままにぽつりと呟く。
俺の前でまで強がってたら、おまえどこで泣くんだよ。
指の先に、ぎゅっと力が籠もった。
彼の短い髪が、小さく冬の風に揺れている。


「ばーか」

辛うじて出した声は、酷くゆらいだ。
涙が溢れそうになって、慌てて立ち止まり、空を見上げる。
夏空よりも淡い、けれど透き通って高くにあるひんやりとした、眼底に焼き付く青。
眼を閉ざせば、温かで微弱な太陽の光を瞼に感じた。
眸を開けたらその瞬間に掻き消えてしまいそうで、細かく震えながら立ち尽くす。
その光の向こうから、自然同じように立ち止まった彼の声が聞こえた。


「泣いたらいいんだよ」

優しすぎる声は、柔らかく内耳に入り込んだ。
喉元までこみ上げた何かが、呼吸を苦しくさせる。


冷たい人が好きだった。
温かいものは苦手だった。
その筈だったのに。


「俺が、そばにいるからさ」



この手だけは、離し難かった。

60414-629 ふんで:2008/12/20(土) 00:00:58
「は?」
短いムービーを見終え、俺が真っ先に発した言葉はそれだった。
新幹線の到着時間を知らせるメールにくっついてきたそれには、音が入っていなかった。
画面の向こうでは、座席に座ったあいつが満面の笑みを浮かべている。
掲げて見せる漫画やゲームを見るに、これで遊ぼう!と言いたいのは何となく分かるが、
……問題は最後だ。突然真顔になったこいつは、口を尖らせて「う」の形を作り、
続けてかたく引きむすび、
最後にわずかに開きながら顎を下げ、困ったように眉を寄せて視線を落とし、
……映像はそこまでだった。
「……謎解きかよ」
何かの言葉なのだろうか?
車内でうるさくできないのは分かるが、こんなの読唇術の心得があるわけでもなし、
俺にはさっぱりわけがわからない。メールで問い返したが返信もない。
「……ったく」
苛立ちまぎれに画面のあいつにデコピンし(爪がちょっと痛かった)、俺はため息をついた。

あと十数分もすれば、本人に直接確認できるが、暇にかまけて考えてみた。
「う」「ん」「え」……とりあえずこんな口の形に見えた。分家?軍手?いやグ○ゼ?
下着忘れたから買っといてくれって?んな馬鹿な。
貧困な語彙力でうんうん考え込んでも、それっぽい言葉は出てこない。
と、足の下でぱきりと小気味良い音がした。どうやら足を動かした拍子に小枝でも踏ん、
「……あ」

――『ふんで』?

***

「っていきなり何すんの!?」
「あ、違ってたのね。わりい」
「違ってたって何がだよ!」
「あのメール、『踏んで』って言ってたのかと」
「マゾかよ俺!?」
「てっきり都会で悪い人に目覚めさせられたのかと思って焦ったんだぞ」
「全然焦ってなさそうなんだけど、……つーか気持ち悪いこと考えないでね」
「んで、何て言ってたの、ほんとは」
「……言えたら無音にしねえよ」

(ちゅー、して、……なんて)

60514-649 人事部 1/4:2008/12/21(日) 22:10:49
「こちらとしてもまことに心苦しいのですが、どうぞご理解ください」
「はぁ……」
 なで肩の男は怒ることも落胆することもなく、達観しているようにさえ見えた。

 人事部人材構築2課――内部から「肩叩き課」と呼ばれるこの仕事は、簡単に言うとリストラの対象になった社員に首切りを宣告し、退職を勧めるというものだ。
 論理的に話を進めて相手の感情を逆撫でしないよう配慮し、会社の意向を伝えてもう逃げ場はないと諭す。
 決して気持ちの良い仕事ではないが、かといってエネルギッシュに営業先に愛想を振りまく性分でもないので、佐伯は「肩叩き」であることにそこそこ満足していた。
 
 退職勧奨を受けた人間は、様々な反応を返した。
 逆上して掴みかかる者、顔を覆って泣き出す者、動揺のあまり支離滅裂な話を始める者。
 自分より1周りも2周りも年上の社員が心を乱す様子を見ていると、哀れみと軽蔑がないまぜになったような複雑な感情が沸いた。
 しかし、今日の男は違った。
「そうですか」「はい」「わかりました」、無表情にこの3つの言葉を繰り返し、反論もせずに帰っていった。
 その落ちた肩は絶望のためにゆがんだわけではなく、生まれ持った骨格なのだった。
 佐伯は彼に関連するファイルを手に取り、書類をたぐった。 
 古河実、35歳。営業部所属。借り上げ社宅在住。実家は自営業の定食屋。未婚、扶養家族なし。
 いかにもパッとしない営業マンのデータだが、佐伯にはどうしても気になる点があった。

 古河が入店してからきっかり5分後、佐伯は居酒屋ののれんをくぐった。
 目当ての男はカウンターの隅にひっそりと座っていた。
「古河さん、偶然ですね」
「あぁ、人事部の……」
「佐伯です。お隣いいですか」
「どうぞ」

60614-649 人事部 2/4:2008/12/21(日) 22:11:41
「今日はどうも」
「人事部のお仕事も大変ですね」
「いいえ、営業の方にこそ頭が下がります」
「営業はね、好きなんですけど僕には向いてなかったみたいです」
「まったく、何ていったら言いか……」
「ビジネスですから仕方のないことですよ」
 曖昧に笑って熱燗をすする古河の手元に、鰐皮の時計が光っている。
 佐伯は一呼吸置いてから切り出した。
「時計、お好きなんですか?」
「え?」
「ブランパンの少数限定モデルですよね」
「詳しいんですね」
「憧れの時計なんです」
「まぁ、時計は一生モノですから」
「私なんかには一生かかっても手が届きません」
「佐伯さん、言いたいことがあるならはっきり言ってください」
 古河の横顔に変化はない。
 怒りも動揺も一切見えない、まさにポーカーフェイスだ。
「古河さん、何をなさってるんですか? 産業スパイって時代でもありませんよね」
「僕はただの無能なサラリーマンですよ」
「そんな方がこの時計を? 失礼ですが、あなたの給料では無理だ」
「……飲みながらする話じゃありませんね。出ましょうか」
 
 古河に連れてこられたのは、雑居ビルの中の薄暗い雀荘だった。 
 冗談のようなレートを聞き、佐伯は気が遠くなった。
 そこに居合わせた、どう見ても堅気ではない男達を相手に、半荘勝負が始まった。
 リーチ、平和、一盃口。東場は佐伯の安手の早上がりも通用した。
 しかし南場――相手に高い手で上がられ、苦しくなる。
 最後の親は古河だった。ここで勝たないと、二人の負けは大きくなる。
 牌を取り終え並べ直していると、ふいに古河が手を上げた。
「天和です」
 配牌の時点で上がっているという非常に確率の低い役満貫だ。
 雀荘全体がざわめいた。イカサマではないか、という声も聞こえてくる。
「おいあんた、俺らの目の前でサマやったってんじゃねぇだろな」
 強面の男にすごまれても、古河は動じなかった。
「やったように見えたなら、やりなおしましょうか」
 その声には怯えのような響きは全くない。
 しばらく睨みあった末、男達が舌打ちをして万札の束を雀卓の上に投げやった。
「どうも」
 ひょうひょうとその金を拾いあがる古川を、佐伯は呆然として見ていた。

60714-649 人事部 3/4:2008/12/21(日) 22:12:43
「いつもあんなことをなさってるんですか」
「そんなことしたら命がいくつあってもたりません」
「じゃあ一体……」
「要するにね、ギャンブルが得意なんですよ」
 古河は飲み終えた缶コーヒーを、離れた場所に向かって投げた。
 美しい放物線を描いて空き缶がゴミ箱に収まった時、ようやく佐伯も合点がいった。
「株ですか」
「自慢じゃないですけど才能があります」
 真面目な顔で言うので、妙にリアリティーがあった。
「気付いたら会社の給料よりそっちの収入の方が増えてました」
 淡々とした引き際の理由はそれだったのか。
 佐伯は納得し、ずっと気に留めていた古河の時計に目を向けた。
「じゃあリストラなんて痛くも痒くもありませんね」
「いや、不安ですよ。会社を辞めると一日中パソコンの前にいてしまいそうで」
「では一応未練があると?」
「引っ越したり保険を切り替えたりするのもおっくうですし」
 佐伯はにやりと笑った。
 きっと古河ならどんな時もこんな笑みはこぼさないだろう。
 彼が営業に向かない原因がわかったような気がした。
「古河さん、私と取引をしていただけませんか?」

 事業戦略部新規開拓3課――内部から「博打打ち課」と呼ばれる場所に古河はいた。
 1課や2課の綿密なデータを基にした堅実な戦略とは違い、従来の常識に捉われないユニークな戦略を打ち出す遊撃手的なポジションだ。
 リスクを恐れない肝の太さと、過酷な状況の中でも勝ちの道を探す冷静さを求められるこの部門に、佐伯はコネを伝って古河を推薦したのだ。
 成果はすぐに出た。
 古河の研ぎ澄まされた勝負感覚により、3課の担当したあるプロジェクトが大成功を収めた。
 リストラ目前の他部署の平社員の返り咲きとあって、人事部の英断も評価されることになった。
 佐伯が直接登用したわけではないのだが、人事部長はわざわざ肩叩き課までやってきて、彼に握手を求めた。
 佐伯が差し出した手には、ブランパンの時計が嵌められていた。

60814-649 人事部 4/4:2008/12/21(日) 22:13:17

「プロジェクトのご成功おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「株の方はいかがですか」
「最近はもっぱら逆張りですね」
 二人は以前来た居酒屋で杯を交わしていた。
 古河は酒が入るといくらか表情がわかりやすくなるということに、佐伯は最近になって気付いた。
「おかげで一発逆転できました」
「それもご自身の持っている運でしょう」
「実はね、自分より強い勝ち馬を知りません」 
 軽口のように聞こえるが、まぎれもない事実なのだろうと今ではわかる。
 酢の物をつまんだ瞬間、佐伯の目はある一点に集中した。
「古河さん、それって……」
「あぁ、ブレゲのクラシックタイプです」
 佐伯は息を呑んだ。
 それは彼が取引の条件として譲り受けたものより、更に高価な腕時計だった。
「佐伯さんも、僕なんかよりずっとお似合いですよ」
 古河は佐伯の手首を柔らかく押さえ込み、曖昧に笑ってみせた。
 この男は本当に油断ならない。
 くたびれたスーツも、ずり落ちた肩も、すべては彼の強さを隠す鎧なのだ。
「もう一つ取引をしませんか」
 いざという時はやはりポーカーフェイスらしく、彼の感情は読めない。
「……出ましょう」
 この勝ち馬に乗るのも、悪くはない気がした。

60914-699 渡せなかったプレゼント 1/2:2008/12/25(木) 17:06:27
(惨敗だ……)
これ以上なくみじめな気持ちに、思わずうずくまる。
暗澹たる気持ちをよりいっそう落ち込ませてくれる部屋の惨状からも、目を背ける。
昨夜はクリスマスイブ。世間的には恋人達の甘い夜、ということになっている。
彼氏いない歴二十ウン年の哀れなホモである自分だが、街のクリスマスムードについ浮かれて、
密かに片思い中の同僚、鈴木にアタックしてみる気になった。
二人で、買ってきたチキン食べて。ビール飲んで。ワイン飲んで。ケーキ食べて。
良い感じになったところでプレゼントの包みを渡す。
『プレゼント?何……香水? 男が男に香水をプレゼントだなんて、なんだか意味深だな』
『……そんな意味に取ってくれても俺、全然構わないよ……?』
流れる微妙な雰囲気、そして二人は……なんて。妄想してたのに。

鈴木にアポを取ると二つ返事。
「ああ、いいねー篠田。寂しいもの同士、パーッとやるか。大野も水田も呼んでさ」
「えっ、……あ、ああ、うん、パーッとね……」
と瞬く間に人数が増えて総勢8人。それが1DK6畳の俺のうちに大集合となった。
忘れていたが鈴木は、柔道部あがりのバリバリの体育会系、面倒見のよい兄貴肌なのだ。
料理は焼き肉。飲み物はビールのみならず日本酒と芋焼酎。
ホールのケーキは「めんどくさいからいいか!」と箸で無惨につき回され、
つまみが足りないからとコンビニに行って、さきいかとポテトチップスをあてに朝までノンストップ。
「大野ー、今度合コン企画しろよー」
「や、厳しいっす、この間の看護師さんでネタ切れです」
「そんなこと言ってるから、イブの夜に男ばっかりで飲む羽目になるんだぞ?
 だいたい篠田もさぁ、『男まみれのクリスマスパーティ』なんぞ、正気で企画するかー?」
そんな企画、したつもりはないんですが……

61014-699 渡せなかったプレゼント 2/2:2008/12/25(木) 17:08:02
昼近くになって、ようやく一人起き二人起き、全員が帰ったのは午後になってからだった。
鈴木も、いつのまにか帰ってしまった。
テーブルの汚れていない所をさがして、本当なら昨夜渡すはずだったプレゼントを置いてみる。
香水は買えなかった。やっぱりどう考えても踏み込みすぎだろう、と思い、
鈴木が前に話題にしたゲームソフトを、中古ショップで入手した。
これなら、同僚にプレゼントしても
「たまたま目に付いたからさ、今度おごれよ」ぐらいでごまかせる。
……そもそも、そういう意気地のなさが招いた事態だったのだ。
鈴木とどうかなるつもりなんて、本気じゃない。
ただ仲の良い友達でいられればそれでいい。
そういうことなら今回の『男まみれのクリスマスパーティ」、成功じゃないか。
鈴木も楽しそうだったし。
……ため息が出る。膨大な片付けものにも、ため息が出る。
一度思い描いてしまった虫のよすぎる妄想と、あまりにかけ離れた結果に涙が出そうだ。

「悪い、悪い。片付け手伝うから。何、あいつら帰ったの? 今度締めないといかんなー」
突然降ってわいた声に心臓が飛び上がった!
ベルトをカチャカチャさせながら、鈴木がキッチンから入ってくる。
「鈴木! 帰ったんじゃなかったの?」
「トイレ借りてた。飲んだ次の日ってちょっと下すよね。
 ……あれ、それ何? ゲームランドで買ったの?」
ああ、やっぱり理想とはかけ離れている。甘い雰囲気になりようがないです。
でも、それでも、これが、神様のくれたチャンス。
いや、クリスマスだから、サンタさんからのプレゼントなのか?
昨夜じゃ、その気もないような俺に、サンタさんも渡せなかったよな。
俺が受け取る気になれば。このチャンスをものにする気があれば。
「これ、これね……鈴木へのプレゼント。前に言ってたやつ」
「わざわざ俺に?」
「……そうなんだ。鈴木にね、あげたかったんだよ。
 本当はもうちょっと、違うものを考えてたんだけどさ」
「篠田? 何で……泣いてるんだよ」
「は、はは、何でもない。……鈴木、ちょっと、話があるんだけど──」

61114-709 地下牢 1/2:2008/12/26(金) 19:08:41
カツ―――……ン…………と、
冷え切った空気に鋭い靴音が響く。
一部の隙もなく磨き上げられたそれは、身に着けているスーツと同じように
きっと彼に合わせて作られたものだろう。それも質の良い。
靴ばかり見ていてもしょうがないので、私は顔を上げた。
左腕の鎖がじゃらりと鳴る。

「――話す気には、ならないかい?」

あまりにも貫禄と威圧感に溢れているその雰囲気に、不釣合いなほど若い姿。
その唇からこぼれるシガーの吐息が、私に尋ねた。
冷たい床にうずくまる私の視線に合わせて、彼が膝を折る。
汚れるのを構う風もなく土埃の舞う床にいつも着ているスーツの膝をつけ、
無精ひげだらけの私のあごに指で触れた。
ここに囚われて何日が経ったのか、もう記憶は定かでない。

「私は喋らないよ」

涼やかなオリーブグリーンの目に間近で見つめられながら首を振る。
あごに触れた指はそれでは離れようとしなかったが、
目の前の瞳はわずかに悲しそうに笑った。

「どうしても?」
「何度言われても同じだ」
「そう」

君は実に有能なエージェントだね。これまで受けたどんな拷問でも口を割らなかったし、
自白剤も催眠術もてんで効きやしない。でもね……

「そんなに、組織に――いや、君のボスに忠実な君が、いまだに舌を噛み切らないって事は
 まだ逃げ出せるチャンスがあると思ってるんだよね?」
「…………」
「残念ながら、そんな物は無いよ」

また少し悲しそうに笑って、彼は立ち上がった。
指は、するりと私の喉をなぜてから離れる。

「でもねえ、私の組織もあまり暇じゃあないんだ。
 吐きもしない捕虜をいつまでも飼っておくなって、上の方が煩いんだよ……。
 私は君がとても好きなのに」

61214-709 地下牢 2/2:2008/12/26(金) 19:09:09
何だか自分の理解の範疇を超えた言葉を聞いた気がした。
確かに、組織の幹部であるというこの若い男が
ただの捕虜に過ぎない私の下へやってきたのはこれが初めてではなかった。
しかしそれは、私が重要な情報を握っているという事と
それをなかなか喋らないために、彼がわざわざやって来て
毎回説得なり拷問なりを行っているものだと思っていた。

「殺すには惜しいけど、このままここに居させてあげる事も出来ないんだ……。
 だからね、今日はいい案を持ってきたんだよ」

言いながら、私の身体を抱き上げるようにして立たせる。また鎖が鳴った。

「君が、私の物になればいい」

一体何を言っているのか。
私は、私のボスにだけ忠誠を誓っている。それを裏切るなどありえない。
ましてや他人の手でそれを強制されようと言うのなら、
それこそ真っ先に舌を噛み切って死んでやる。
そんな思いを込めて目の前の顔を睨み付けると、彼は今度は至極嬉しそうに微笑む。

「大丈夫だよ。何も心配しなくていい。私が君を作り変えてあげよう」

ぐにゃ、と視界が歪んだ。
どんな薬もマインドコントロールも効かないように訓練されたはずの体が
急速に幻惑の中に落ちていくのが分かる。
覗き込んでくるグリーンだったはずの瞳が、今は極彩色に見えた。

「次に目が覚めるとき、君は私のものだ」

君は君のアイデンティティを残したまま、私のものになる。
残念ながら、記憶が残るかどうかは保障できないんだけど……
けれど記憶を失っても君は君だものね。
前の君と違うのは、私を愛してやまなくなるって事だけだ。
そしたら2人であの男に……君のボスに会いに行こう。
どんな顔をするか見ものだよ。
さ、ほら、目を閉じて。おやすみ。

そんな独白にも似た語りかけを聞きながら、
私は目の裏に弾ける色彩の世界に意識を投じた。

61314-769 野:2009/01/01(木) 00:36:15
『野』(や)という言葉には「官職につかないこと、民間」という意味があります。
対義語は『朝』(ちょう)。朝廷の『朝』です。

『朝』と『野』は、光と影のような存在です。
『朝』があるからこそ『野』という言葉が意味を持ちます。
反対に『野』が存在せず『朝』のみがあったとしたら
その『朝』の存在はとてつもなく無意味なものとなるでしょう。

多くの場合、『朝』は大変に支配欲が旺盛です。
そのため常に『野』を支配したいと思っています。
『野』はただ自分に奉仕するために存在すればいい
とすら考えているかもしれません。

『野』は『朝』にどれだけ虐げられても、最後まで『朝』に寄り添おうとします。
たとえ重税を課せられても、理不尽な法令がしかれても
文句を言いつつ結局は『朝』に従ってしまいます。
それは罰則に対する恐怖ゆえではありますが
自分には『朝』になり変わる実力がないのだと諦めているのかもしれません。
またあるいは、己を支配せんとする『朝』の輝かしく力強いことを
誇らしく思っていた時代もあったかもしれません。

けれどきっといつか、『野』の裡につもりつもった不満が爆発するときが来るでしょう。
『野』は死力を尽くして『朝』に反抗し、己も大きな傷を負いながら
ついには『朝』を滅ぼすでしょう。
しかし『朝』なしには存在できぬのが『野』。
かつての『朝』と入れ替わるように、『野』の中から新しい『朝』が生まれます。
一旦生まれ出てしまえば、『野』と『朝』はやはり別個の存在。
新しい『朝』はやがて以前の『朝』と同じく暴虐を尽くすようになります。
『野』はそれに耐えつつ、かつて己が滅ぼした『朝』を
今となっては懐かしく思い起こすのです。

61414-839 卵性双生児:2009/01/09(金) 01:36:28
「もういい。佑子、お前とは別れる。涼、お前とは縁を切る。勝手にしろ!」
明はそう言い捨てて立ち上がった。
「明!明、待って!」と、バカみたいに大声を出す女に縋られながら、
部屋を出て行く。

これで何人目だろう?明の女を抱いたのは。バレたのは三人目か。

初めて明が彼女を紹介した時、明がどんな風にこの女を抱くのかと
考えたらたまらなくなった。
「兄の恋人を好きになるなんて、いけないことだとわかってるんだ。
でも、抑え切れない。好きなんだ!」
陳腐な禁断の恋バージョンの口説き文句は、面白いように効果的だった。

どんな風に明とするのか、一つ一つ聞き出しながら、同じことをする。
そうしているうちに明に愛された女の体が憎たらしく思えてきて、
最後にはその憎しみを叩きつけるように酷く乱暴に責め立ててしまう。
「一卵性双生児なのに、全然違うのね」と、女達は決まって言ったっけ。

そうして女達は時に明を捨てて俺を選び、時に秘密の三角関係の
気まずさに俺達二人と距離を置き離れていき。今回のように図々しく
明とも俺とも付き合い続けようという女には俺が明にばれるように仕向けて
やり。
結局、明と別れることになるのだ。

縁を切る、か...
ダメだよ。お前がいくら縁を切ろうとしても、俺はお前を追ってしまう。
お前が誰かと幸せに笑いあうのを黙って見ているなんてできない。

いっそ...いっそ、憎んでくれればいい。一生許さないほどに。

いっそ、憎んでくれればいい。
俺をその手で殺してしまいたくなるほどに...

「ああ、そうか。その手があったんだ...」
がらんとした部屋に、俺の声だけが取り残された。

615614:2009/01/09(金) 01:48:30
>>614
コピペミスだよ、一が抜けたよorz
お題は「一卵性双生児」です。

61614-939 押し入れの匂いのするおじさん受け1/2:2009/01/20(火) 14:40:23
孝叔父さんは、一緒に暮らしていた叔父のお母さん、つまり僕の祖母が亡くなってから、
すっかり駄目人間だった。
「聡史、また孝に持って行ってくれる?」
僕の母は、実の弟である叔父さんをひどく心配して、3日に一度の割合で
おかずやら何やらを僕に持たせるのだ。
幸いというか何というか、僕の学校は家から1時間もかかるが、叔父さんの家に近い。
つまり僕は、3日に一度の割合で叔父さんを訪ね続けて、もうすぐ1年になろうとしている。
「──聡史君、いつもすまないね。姉ちゃんにもよろしく言っておいて」
叔父さんは、相変わらずちゃんと食べてるんだかわからない様相で、でも笑顔で、僕を招き入れる。
これでも随分よくなったとは思う。祖母が亡くなった直後は憔悴して、ボンヤリして、まるで頼りなかった。
長男ということで喪主を務めたが、ほとんどひと言も話さない喪主だった。
うちの父が代理のようにあれこれと動き回っていた。
(嫁さんでももらっていればなあ……)(お母さんも心配なことだろう……)
そんなささやきが親戚連中から上がるのは当然だった。これで大学講師が聞いてあきれる。
……でも、叔父の喪服姿はちょっと印象的だった。
いつもボサボサ一歩手前の長めの髪をちゃんと流して……なんというか、格好良かった。
いや、違うな。
綺麗だった、というのは変だろうか。

「姉さんと義兄さんにはすっかりお世話になりっぱなしだ、今度の一周忌もほとんど手配してくれたよ」
持ってきたおかずで一緒に晩飯を食べながら、孝叔父さんが言う。
「僕は昔から親戚づきあいとか苦手なんだ。母さん……聡史君のお祖母ちゃんにまかせっきりだった」
「それって跡取り息子としては駄目なんじゃない?」
約1年間聞き慣れたような弱音を、これもいつものような文句で返してあげる。
「みんな心配してるんだってよ? 母さんが言ってた。お嫁さんもらわなきゃ、だって」
叔父は苦笑する。これも繰り返されたいつもの会話だ。
「お祖母ちゃんが死んでまだ1年だよ? そんな気にはなれないな」
叔父はいわゆるマザコンというやつだったのだろうか、と時折思う。
黙っていればそこそこ格好いいし、並収入高身長なんとやら、という
お手頃物件のはずなのに、浮いた話がない。

61714-939 押し入れの匂いのするおじさん受け2/2:2009/01/20(火) 14:43:20
「……どうしたの。僕なんか変? そんなに見つめられると照れるな」
気がつくと叔父の顔を凝視していたようで、慌てた。
「そ、そういや母さんにさ、孝叔父さんの喪服を見てこいって言われてたんだ、
 ちゃんと一周忌に着られるよう準備しておけ、って」

その押し入れはナフタリンとカビ臭かった。
喪服は、祖母の布団やら洋服やらがきっちり納められた横に、紙袋入りで放置されていた。
「初盆は……着てたよね?」
「一応たたんだつもりだけど。駄目だったかな」
「駄目でしょう!? お盆暑かったのに!」
「着てみようか」
止めるまもなく上着を羽織る、と「あー駄目だね」
所々にうっすらと白いカビが生えていた。そもそもの押し入れの臭いの元凶っぽい。
「クリーニングで落ちるかな……」
「叔父さんー、もう、早く脱いだ方が良いよ、ほら」
きったねー、とか言ってるあいだにおかしくなって、僕は笑いながら叔父の上着を脱がせにかかった。
「危なかった、姉ちゃんが言ってくれなかったらこれで一周忌出るところだった」
「ちょー、駄目だよ、勘弁して」
手に当たる肩が骨っぽい。叔父の背は、こんなに薄かったか。
葬式の姿がよみがえる。あの端正な姿。
ふと、息詰まる感覚に襲われた。
「叔父さん……早く、結婚した方がいいよ。しっかりしなきゃ」
無理矢理上着を剥がした。……その裾を、叔父の細い手がつかむ。
「僕は結婚したくないんだ。もうきっと、しっかりなんてできない。仕方を忘れたよ。
 ……聡史君が、ずっと面倒見てくれるといいのにな」
俯いたまま呟いた叔父は、およそ色っぽくない押し入れの臭い。

61815-19 二人暮らし:2009/01/28(水) 13:00:16
「家賃払えなくて追い出されちったてへ」
大荷物を持ち玄関先でそう言い放った友人を数日の約束で居候させることにしたのは一ヶ月前のことだ。
今、私は彼に侵略されている。

玄関を開けるといい匂いが漂ってくる。
「おかえりーぃ」
あるかなしかの廊下を通ってキッチンへ行けば友人が大忙しで腕をふるっていた。
「すぐできるから待ってて」
言い放って再び料理に向き合った友人に頷き、うがい手洗いをしてからリビングに座りテレビをつけた。
今、私は彼に侵略されている。胃袋を。
出来たよーと明るい声がしてエプロンをつけた友人がパエリアを運んできた。スープにサラダに何だかおいしい付け合せがどんどんテーブルの上に並べられる。
その料理を皿が見覚えのないものであることに気づき彼を見ると、悪びれなく言い放った。
「料理は相応しいお皿に載せてあげなきゃいけないんだよ」
そういうものだろうか。私は美味しければどんな皿に載っていたって気にしないけれど。
しかしこれでまたセットのものが増えてしまった。彼は居候になってしまってからこっち、こんな風にどんどんペアで何かを買ってくる。食器は勿論、歯ブラシなどの日用品やクッションに至るまでこまごまと。
最初はこんなものを買うくらいなら早く新しい家を探せとせっつきもしたのだけど、ここ最近強く言えないでいる。
「ど、おいし?」
にこにこと尋ねてくる彼に言葉で返す余裕もなく、頷いてご飯を平らげる。
こちらの好みをこれでもかというくらいついてくる味付けに箸がすすみ皿の中身はどんどんなくなってゆく。
「おいしそうに食ってくれるから作りがいあるわぁ」
おかわりは?と尋ねられ、二杯目のパエリアを所望した。

美味しいご飯とこの笑顔。
居候が二人暮らしになる日も遠くなさそうだが、まぁいいかと思っている自分がいる。

61914-910・911続き 1/3:2009/01/29(木) 03:39:05
お題「バカップルに振り回される友人」で書いたものの続きです。長くなってしまいすみません…。


一年経った。
俺は松居さんと同じ大学に入った。理由は家から通える距離だから。そう言うと松居さんは、「お前はスラダンの流川か」と呆れていた。後日、俺は兄貴からその漫画を借りた。小説とは違うスピード感があって、面白かった。
新歓の時期に文芸部へ入ると、ひとつの部室を二つのサークルで区切って使うという、なんともな弱小サークルだった。ちなみに隣は松居さんの所属する漫研である。
「松居さん、漫研だったんですね」
「絵が下手だから読み専だけどな。でも消しゴムかけは得意だ」
「確かに、絵は下手ですよね。年賀状の虎を見たときはまた丑年が来たのかと思いましたよ」
「うっさい、ペン軸で刺されたいか。もうっ、お前はあっち行ってろよ!こっちは漫研の領土!」
ぎゅうぎゅう背中を押され文芸部に戻されて、仕方なく狭いスペースへパイプ椅子を出して座った。そこには部長が一人、雑学書を読んでいるだけだった。
俺も図書館で借りてきた本を読もうと、鞄を開ける。
「…小林くんは、今夜の新歓コンパに出るの?」
と、お笑い芸人のナントカさんに似た部長が話しかけてきた。
「はい、参加します」
と言うより、強制参加だと副部長の女の人に言われている。
「そっか。今日は漫研と合同だから、松居くんもいるよ」
「合同?」
「うん、今年は漫研もうちも一年の数が多いわりに上の数が少ないからね、コンパ代の負担額が大きいんだよ。だから合同にしようか、って。」
「はあ、そうなんですか」

62014-910・911続き 2/3:2009/01/29(木) 03:41:59
そんな内部事情を聞かされてもね。もしかして暗に「注文し過ぎるな」と言いたいのだろうか。
片手を突っ込んだ鞄からサリンジャーを取り出して眼鏡のフレームを上げたとき、部長は声を潜めてこう言った。「副部長には気をつけろ」、と。
俺はそこで、部長が誰に似ているかを思い出した。


…なるほど、気をつけろとはこのことか。
飲み会が始まって一時間後、部長の忠告の真意を知ることになった。あの副部長、酒乱だ。絡み酒だ。
今も絡んでいる、日本酒の一升瓶片手に肩をがっしりと掴み、絡んでいる。松居さんに。
酒の入ったそれぞれの声が大きくなって、離れた席にいる二人の会話は聞こえないけれど、明らかに松居さんは引き気味だ。
あーあ。
松居さん、女に弱いからなあ…。立場的な意味で。
目の前にあるくし形のフライドポテトをつまみつつ、ちらちらと向こうを窺ってしまう。さっきから俺は、ポテトばかり食べていた。
ここの居酒屋のポテトは塩辛い。水分が欲しくなる。
松居さんは副部長の方を向き、苦笑いを浮かべている。
「あっ、小林くん、それ僕の烏龍ハイ!」
遠くを眺め自分の烏龍茶を喉に流したつもりだったのに、それはどうやら隣にいた部長の酒だったらしい。アルコールの味だと気付いたのと部長の声を聞いたのは、ほぼ同時だった。


「…こばやしくん?大丈夫か?」
肩を遠慮がちに叩かれる。
うるさい、誰ですかあ。
短く呻いてテーブルに突っ伏した状態から顔だけ横に向けると、芸人の長井ナントカさんがいた。気を付けろ!の人だ。

62114-910・911続き 3/3:2009/01/29(木) 03:44:22
「…離婚、したんですかあ?」
「は?」
「浮気ばっかりしていたらあ、だめですよう」
ああ自分の声がいつもと違うなあ、面白いなあ。
「ふふっ、ふふふ」
俺、笑っちゃってるよ、はははは、楽しいなあ。なんだかいつもより重力もかかって体が重いし。愉快だなあ。

「こ、小林くん?ひょっとして、酒に弱い?」
「そんなことないですよう」
「いや、そんなことあると思う。すっごく笑ってるし…。ねえ!松居くんっ、ちょっと来て!」
えっ、何!?と驚く松居さんの声が遠ーくから聞こえる。
少しして、背後で二人の声が聞こえてきた。酔っぱらってるんだとか、もう二次会へ移動しなきゃとか。
「おーい正二、大丈夫かー?」
ぺちぺちと頬を柔らかく叩かれて、俺はまた閉じていた目を開ける。
松居さんのどアップ。近い、近いですよ松居さん。
「あー、まついさんだあ」
松居さん、ようやくこっちに来ましたねえ。ようこそ、ようこそ。
目の前にある首に腕を回してみる。あ、松居さんの匂い。よく晴れた日に干した洗濯物みたいな匂い。おまけに温かい。
「お、おいおいおい、正二、どどどどどうしたよ」
わざと俺に触れないように、座ったまま後ずさろうとする松居さんに体重をかける。だってそっちに重力がかかるからね、仕方ないよねえ。
「松居さん、俺ねえ、」
俺ねえ松居さん、俺ねえ…。
松居さんの柔らかくて栗色の髪の毛に鼻を押しつけて、その後。そこから先は、記憶に、ない。


「正二、あのときのこと覚えてないの?」
「覚えてません、記憶にありません、だから松居さんもさっさと忘れてください」
「忘れないよー、あのときの正二ってば素直で可愛かったなあ。俺に子犬みたいに甘えてきてさあ、そのあと…」
「俺、よく石頭って言われるんですよ。花道みたいに頭突きしましょうか?」
「ごめんなさい」

62215-29 ツンデレ泥棒×お人好しな刑事 1/2:2009/01/29(木) 12:08:42
「では、男爵家の秘宝『アドニスの涙』は確かに頂戴した」
高らかにそう宣言すると、さえ渡る月光の中、黒い影はさっと身をひるがえしました。
「待て!怪盗赤鴉!逃がすものか!」
赤鴉を宿敵と定め、もはや3年の長きにわたる戦いを繰り広げてきた蟹村警部が、
ここで逃がしてなるものかと腰のサーベルをスラリと抜くも、
男爵家の豪奢なホールの高い天井、そこに取り付けられた高窓にとりついた赤鴉、
その名のとおり、カラスでもなければ到底届きはしないのです。
「蟹村君、毎度忠勤ご苦労である、そして我が仕事への御協力いたみいる、さらば!」
「待て!」
蟹村警部はぎりり、と歯噛みします。なんという人を馬鹿にした態度でしょう。
変装の名人、怪盗赤鴉は、こともあろうに宝の持ち主である男爵に化け、
宝を守らんとする警部の手ずからまんまとお宝をせしめたのです。
「くそ……!なんとしても逃がさんぞ! これまでの数々の失態、
 これ以上重ねては総監殿に申し訳がたたん!」
地団駄を踏み、しかし万事休す。警部の顔は憤怒で真っ赤です。
……と、急にがっくりと肩が落ちました。サーベルが石の床にカラン、と音を立てます。
「うむ、そうだ。私はもう何度も何度もお前に負けた。そして今回の失策、失態。
 私の責で男爵殿の宝を失うはめになろうとは……もはや引き時かもしれん」
「どうしたね、蟹村警部、随分弱気じゃあないか」
「部長殿に申し上げよう。お役目を交代させてもらうように。私では力不足だ」

62315-29 ツンデレ泥棒×お人好しな刑事 2/2:2009/01/29(木) 12:09:22
今にも中有へ飛び立たんとしていた赤鴉が、ハッとしたように振り向きます。
「何を言う、蟹村君。僕の華麗なショウをいつも引き立ててくれた君が。
 君が去って、いったい誰が君の後を継げると言うんだね」
「田尾警部補に一任しよう」
「ハッ、あのひよっこが? 君の後任? 晦日市の掏摸でも追っかけてるのがお似合いだ 」
薄闇の中、赤鴉は肩をすくめたようです。
しばらくして、やや憤然とした声が蟹村警部へ落ちてきました。『アドニスの涙』と一緒に。
「……今回は、僕としたことが、犯行予告時刻を3分過ぎていた。失敗だ。
 後日改めて頂きに伺うことにしよう」
驚いたのは警部です。
「赤鴉! 一体君は何を!……まさかこの私を憐れんで」
「勘違いしていただいては困るね、警部。私は完璧を望むだけだ」
「しかし……しかし……」
警部は思わぬ事態に混乱しています。宝を胸に抱きながら、
「それでは、君の事件で初めての不首尾になるじゃあないか。
 明日の新聞には大きく載るぞ。世間の人の物笑いの種になる」
ホールに沈黙が満ちました。
「蟹村君、君はお人好しだね。僕をして3分遅らせただけでも大したものなのだよ。
 新聞には、君のお手柄が載るのだ」
闇へ身を躍らせた怪盗赤鴉。まさにその背に羽を持つがごとく滑空していきます。
「──蟹村警部。次回もまた、全力で僕を阻止したまえ」

62415-29 ツンデレ泥棒×お人好しな刑事 1/2:2009/01/29(木) 14:24:36
投下してみる

まったくあの馬鹿野郎が!
飛んでくる弾丸をかわしつつ、床で蹲っている男に対し、悪態を吐いた。
男の腹部からは大量の出血。背後には金を盗まれた怒りで目が血走っているマフィア。
あのままだと、あの愚かな刑事は死んでしまうだろう。
長年、自分を追いかけている正義感の塊のような男。
見るたびにイラついてしょうがなかった。
刑事が勝手にしくじったというのなら、「馬鹿な奴」と嘲笑い、そのまま放ってさっさと逃げ出しているのに。
あの男が自分を庇って撃たれたのでさえなければ。
泥棒助けて、自分が死にかけるなんて笑い話もいいとこだ。
世の中、善が報われるとは限らない。むしろ、自分の生きてきた世界ではお人よしであればあるほど早死にしていたのだ。
一向に逃げずにいる自分に苛立ちを覚えつつ、刑事の方に目を戻せば彼の周りは十数人のマフィアで取り囲まれていた。
刑事の息はかなり荒く、最早抵抗する事も出来そうにない。
――あのままだと殺される。
そう思った瞬間、どうするべきかを考えるまでもなく、勝手に身体が動いた。
部屋中に煙幕が充満する。混乱するマフィア達をよそに素早く地面に下りると、刑事を抱かかえ、ワイアーを使って宙を飛んだ。
助け出したのがどこかの可憐なお嬢様とかだったら楽しかったが、残念ながら腕の中にいるのは体格のいい男だ。しかも商売敵。
身に起った事が理解出来ず、目を白黒させている刑事をよそにワイアーの反動を使い、建物の外へ出た。

62515-29 ツンデレ泥棒×お人好しな刑事 2/2:2009/01/29(木) 14:26:00
「何で……」
しばらくして落ち着いたのか、刑事が口を開いた。いつもは煩いぐらい声を張り上げるのに今は酷く弱弱しく、これは早く病院に連れて行ったほうがいいと思った。
「何でと聞きたいのはこっちの方だ。何で助けた」
「……だっておれは刑事だから、目の前の人間に危機が迫っているのに見過ごすわけにはいかない」
「それで死に掛けるんじゃざまあないな」
「確かに。でも、助けてくれたじゃないか。……本当にありがとう」
その言葉に小さく舌打ちをし、何ともいえない感情で刑事を見た。庇った相手に助けられ、それでも素直に礼を言うなんてどこまでお人よしなんだか。
「私は泥棒だけどな、物は盗んでも人の命は盗まない主義なんだよ。私を庇って死なれたら、私のポリシーに反する事になるからね」
「ははっ。だからお前は嫌いにはなれないよ」
刑事が静かに笑った。
「さて、もうすぐ病院だ。お前を預けたら、私はさっさと消えるからな。お前を助けて捕まるなんて馬鹿みたいだからな」
「心配するな。今回は見逃してやるよ。ただし今回限りだかな」
「上等だ。そうでなくては面白くない」
この異常に早い心臓の動きは予測できない事でいろいろ起ったせいという事にしておこう。
泥棒が心を盗まれたなんて洒落にもならない。

626ある日目覚めたら魔法がかかっていた:2009/01/31(土) 23:55:29
ある朝目覚めると、俺に魔法がかかっていた

「おはようございます、旦那様」
―早く起きていただかないと、予定が狂ってしまうんですよ。
「あ…ああ…おはよう。済まない、すぐに起きるから…」
「いえ、ごゆっくりどうぞ。ところで本日は紅茶と珈琲、どちらになさいますか?」
―いつも紅茶に角砂糖三つを召し上がられますよね。意外にも甘党でおられますから。
「えーと…じゃあ…今日は珈琲をいただこうかな…」
―はい?用意しておりませんよ!?
「かしこまりま…」
「あ、やっぱりいいよ!いつも通り紅茶にしよう!」
「ではお砂糖は三つで宜しいですか?」
「あ、うん…そうだね…三つがいいかな…」
「かしこまりました。…ところで本日は体調がお悪いのですか?」
「えっ?」
「先程から顔色が優れないように見えますが…」
―風邪でもおひきになったのですか?珍しいこともあるものですね…。
「いや…あの…全然元気…うん…」
「そうですか?あまりご無理をなさらないでくださいね。旦那様に何かあったら、皆が心配致します」
―…多分、誰よりも、この私が。
―旦那様にもしも何かあったら、私は……
「…旦那様?」
「いや、うん…あの…」
「やはり熱がおありでは?顔がお赤いですよ」
「……言わないでくれ…」

ある朝目覚めると、俺に魔法がかかっていた
好きな奴の心が、全部分かってしまう魔法
それはこの俺を赤面させるほど恥ずかしくて
でも少し暖かい魔法だった

62715-79 芸術家の悩み 1/2:2009/02/02(月) 01:13:25
――暁さんが旦那様の愛人だってのは本当かね?
――さてねえ……屋敷に置いて寝食の面倒を見ている上に、金の援助までしているそうだけど。


この気持ちは雑音のようなもの。

僕は常に静かな気持ちでいることを望んでいました。怒ったり悲しんだりするのは苦手です。
弱いだけなのです。静かな気持ちでいるには、外は煩すぎる。
そもそも僕がキャンバスに向かうようになったのも、外の雑音から耳を塞ぐためだった。
自分の境遇が他より恵まれていることを是幸いと、内側に閉じこもったのです。
何のためでもない、僕はただ逃げるために絵を描いていた。

もう一人の僕がいつも傍で囁いていた。『お前の絵はお前にしか価値がない。そしてお前の価値は絵にしかない』
そんなことは、僕自身がよく知っていました。

しかし、初めて会ったとき彼は言ったのです。
「難しい理屈は分かりません。でも俺はあなたの絵を見ていると優しい気持ちになります」と。
そして屈託無く笑って「きっとあなたの優しさが滲み出ているのでしょうね」とも。
僕は優しくなどない、弱いだけだ。そう言いましたが、彼は微笑むばかり。
それから彼は頻繁に離れを訪ねて来るようになりました。
茶菓子を差し入れだと言って持ってきて、他愛の無い話をして、帰っていく。
ときには僕を外に連れ出して、川縁の桜や並木道の銀杏を見せてまわることもありました。

いつの間にか、僕はキャンバスに向かう時間よりも、彼と話す時間の方が多くなっていました。
彼の訪問を待ち望み、彼との会話を心待ちにするようになり、僕は絵を描かなくなった。

ああ、彼と居ては絵が描けないのだな、と思いました。
そしてこの気持ちは雑音のようなものだとも思いました。僕が避けて逃げていた筈の、外の世界の雑音。
けれど、それでも構わないという気になっていました。
僕は逃げるために絵を描いていた。逃げる必要が無いのなら、絵を描く必要もない。

しかし、その気分も長くは続かなかった。やはり雑音は雑音でしかなかった。
窓の外の世界は、僕の心を乱すものでしかなかったのです。僕は耳を塞ぎ続けるべきだった。
だから彼を視界から消すよう努めました。
彼に話しかけられても碌に返事をしなかったし、彼に微笑みかけられても目を逸らした。
彼は戸惑ったように「何か気に障ることをしましたか?」と訊ねてきました。
僕は答えようとして、結局は黙ったままでした。
何も言わぬ僕を見て、彼は悲しそうな表情を浮かべました。

62815-79 芸術家の悩み 2/2:2009/02/02(月) 01:14:04
するとまた僕の心に小波がたつ。
波紋は心の内に広がって、僕を追い詰め、逃げ場を奪っていく気がしました。
堪りかねた僕は、彼を乱暴に追い返しました。
もう来ないでくれだとか、酷い言葉を投げた気がしますが、よく覚えていません。

もう一人の僕が冷笑しました。『お前はまたそうやって逃げるのだな。これで何度目だ?』

その通りだと僕は叫びました。
僕は再び、逃げるためにキャンバスに向かいました。
しかし、絵の具を取り出しいくらキャンバスに塗っても、何の形にもならなかった。
窓の外の風景も、部屋の中に置きっ放しの絵たちも、酷く色褪せて見えました。
ふと見ると、戸口に追い返した筈の彼が立っていました。

呆然とする僕に彼は「俺はあなたの絵が好きですよ」と言いました。
もう一人の僕が、僕の代わりに答えました。『僕はきっと、君のことが好きなのだ』
すると彼はいつもと変わらない、柔らかな微笑を浮かべたのです。
酷い言葉を投げた僕を、彼はいとも簡単に許してくれたのです。
彼は繰り返しました。「俺はあなたの絵が好きです」と。

だから僕は絵を描く。逃げるための絵は僕にはもう必要ない。
この気持ちは雑音のようなもの。一度見失えば、もう二度と聞けない微かな雑音。
忘れぬように、僕は絵を描き続けなければならない。そしてまた彼にこの絵を見せるのです。

ねえ兄さん、この絵を見たら、彼はどう思うでしょう。また、笑ってくれるでしょうか?




19××年2月1日深夜、久崎家の次男・洸耶が、庭で笑いながら自身の絵画を焼いているのを使用人の一人が発見。
慌てて取り押さえるも、洸耶は意味のわからない言葉を繰り返し、他者の認識が出来ない状態であった。
同日、彼がアトリエにしていた離れで、屋敷に下宿していた書生・安藤暁が死んでいるのが発見される。
解剖した医師によれば後頭部の打撲痕が致命傷とのことだったが、他殺なのかまでは判断できず、結局事故死として処理された。
使用人たちによれば、洸耶は人嫌いであったが安藤とは不思議と仲が良く、だからこそ洸耶が彼を殺すなど考えられないとのこと。

その後、洸耶は神経衰弱と診断され、彼の兄であり久崎家の当主でもあった総一郎により静養所に送られた。
彼はそこで絵を描き続け、二十八歳で急逝するまでに十三点もの絵画を遺すことになる。
そしてそれらは全て、現在において高い評価を受けている。

62915−89 お次の方:2009/02/02(月) 03:21:05
規制中なのでこちらに投下させてもらいます。


俺、ブラックIT企業の社会人2年目、東京出身。
最近は困ったことに年下の男の子に片思い中。
片思いの相手、バイト2ヶ月目(たぶん近所の大学生)、福岡出身。
元野球部のホークスファンで、背が低いのがコンプレックス。
なんだかんだで20時間労働で朦朧となって帰って来ても、
コンビニの店員さんに癒される日々なのだ。

「今年こそホークスの優勝ばい」
秋山監督だもんな、そりゃ期待するよな。
「あー、のど痛か。昨日腹出して寝たけん」
寝相悪いのか、一緒に寝ることがあったら気をつけてやらなきゃ。
「オレ、煙草吸う子は好かん」
ええい、それなら今日から禁煙だ!
俺はこの2ヶ月間で、聞き耳を立てて店員同士の会話を拾うのが上手くなった。
決して褒められたことでないのはわかっているが、この恋は長期戦なのだ。

立ち読みしてした漫画雑誌をラックに戻し、いつもの品を買い物カゴに次々に入れる。
会計をしている先客の後ろに並ぶと、すぐに掠れた声が飛んできた。
「お次の方どうぞー! お待たせしました」
隣のレジで軽快に手を上げたのは、愛しの彼だった。

スポーツ新聞、週間ベースボール、パックの麦茶にヨーグルト、鶏カツ弁当。
彼が手際よくバーコートを読み取り、袋に詰めていく。
「お弁当あたためますか?」
「お願いします」
家でやってもいいのだが、電子レンジが回ってる時間分、彼の側にいられる。
くだらないようだけど、俺にとってはとても重要なことだ。
「あ、今日はマルボロは?」
なんて気が利く! 彼は俺の好きな煙草の銘柄を覚えていてくれた。
いやしかしここで尻尾を振っちゃダメだ、だって俺は君のために――。
「いいです、禁煙するんで」
途端に彼の目尻に僅かに皺が寄って、幼い笑い顔になった。
「がんばってくださいねー、オレ超応援しますよ」
ああ、この八重歯はやばい。超絶スーパーキュートだ。

63015−89 お次の方:2009/02/02(月) 03:24:17
「お客さん、どこファンですか? いつも週べ買ってますよね」
おお、決まった物を買って印象付ける作戦が効いていた!
アドバイスしてくれた会社の事務の女の子に感謝しなければいけない。
「パ・リーグ好きなんで、日ハムとかソフバンとかの試合良く見ますね」
「マジすか!」
盗み聞きで相手の好みを把握しておく策も成功だ。
これは大学時代の悪友に礼を言おう。
「最近スカパー入ったから、今シーズンから全試合フルで見れるんです」
「うわ、それ良いっすね! うらやましかー」
彼の口から、接客中には決して出さない博多弁がこぼれた。
学生に真似できない経済力を見せ付ける技が、こんなに効果的だとは。
合コン番長の先輩、ありがとうございます。

「あ、すいません。オレつい方言……」
彼が照れた様子で頭を掻いた瞬間、レンジの中から破裂音が響いた。
何事かと驚いたが、俺以上に彼の方が慌てていた。
手荒くレンジを開けて弁当を取り出し、彼は肩を落とした。
「申し訳ありません、ソースの小袋も一緒に温めたので、破裂してしまいました……」
見ると、たしかに弁当のパック全体にソースが派手に飛び散っている。
鶏カツ弁当はそれが最後の一つだった。
自分が買い取ります、それか他のお弁当をお出ししますと彼は必死に言ってくれたが、
好きな子が困っているのを見たら優しく励ますのが男というものだろう。
誰かに教えられたわけではないが、これくらい馬鹿な俺にでもわかる。
「良いですよ、家に醤油あるんで」
「でも……」
「はい、お金ちょうど。レシート要りません。いつもありがとうね」
俺は彼が好きだから、いくらでも優しくする。
割に合わない仕事をして身も心も擦り切れた夜、彼の笑顔がいつも俺を温めてくれた。
彼の気を引くためにちょっと格好つけて去ることは、果たしてどう出るだろうか。

63115−89 お次の方:2009/02/02(月) 03:26:31
「オレ、生まれかわったけん。昨日までとはちごうとよ」
素のままで十分魅力的なのに、一体彼に何があったんだろう。
「あのお客さんが……って言ったっちゃん」
いまいちよく聞こえないけど、迷惑な客でもいたのかな。
「やけん、初心にかえったと!」
彼らしい前向きな言葉だ。なんだかこっちまで元気が出る。

いつもの商品を持って列に並ぶと、すぐに横から彼がやってきた。
その姿を一目見て、思わずカゴを落としそうになった。
「お次の方、どうぞー」
手を挙げてはにかむ彼は、高校球児のような坊主頭になっていた。

「お弁当温めますか?」
「お願いします」
「はい」
「あの、髪の毛……」
「思い切って短くしました」
「す、すごい似合いますね」
「昨日失敗しちゃったんで、自分なりにけじめをつけてみたんです」
「俺のせい?」
「お客さんのおかげ、ですよ。オレ最近たるんでたんで」
「いや、いつも君はよくやってくれてるよ」
「ありがとうございます、なんか逆に気使わせちゃって」
「俺はただ、その、君が……」
「お客さんにお礼というか、お詫びというか、させてもらいたんですけど」
「そんなのいいんですよ、ホントに」
「一緒に開幕戦見に行きません? チケット奢りますよ」
「え!」
「迷惑だったらいいんですけど」
「ううん、嬉しいんだ、嬉しすぎてもう泣きそう…」
「あはは、お客さんがば面白かぁ」
彼が八重歯を見せて笑った時、レンジがチンと音を立てた。

潔い五厘刈りも、直球のお誘いも、彼がやるとなんでこんなに素敵に見えるんだろう。
鷄カツ弁当のおかげで、ただの客と店員の関係からは抜け出せそうだが、
忘れてはいけない、この恋は長期戦だ。
俺は明日も明後日もコンビニに通い、彼が呼んでくれるのを待つのだ。
いつかこちらから彼に愛を告げ、頷いてもらう日のために。

63215-129「その弱さと醜さを愛す」1/2:2009/02/04(水) 02:36:45
「・・・いい加減帰ろうぜ、ほら」
立てよ、と脇の下に手を入れて持ち上げると、唸り声と共に手を振り払われた。
「んーだよ・・・いいだろ別に・・・すいませぇーん、これおかわりぃ」
「ああいいですいいです!帰りますから、おあいそお願いします」
心配顔で寄ってきた店員に、愛想笑いを浮かべながら伝票とカードを差し出した。
「水村くんいつにもまして飲んでたね、大丈夫?タクシー呼ぼうか?」
もう顔馴染みとなってしまった店長が困ったように笑いながら声を掛けてくるのに、
大丈夫ですから、と首を振った。
「こいつ今日は俺んち泊めるんで」
「そうだね、そのほうがいいかもね、」
ああちくしょー!なんであいつが・・・あいつのが・・・・・・、急に大声をあげる水村に
ぎょっとしてそのうつ伏せの背を見つめた後、店長と二人顔を見合わせて苦笑した。
ぐっと声のトーンを落として、店長が「・・・また?」と問いかけるのに頷いた。
「・・・ええ、またコンテスト落ちちまって・・・・・・今度は最終選考までいってたから余計・・・」
「そっか・・・つらいとこだね」
支えてあげなよ、友だちなんだからさ、と軽く肩を叩かれて、曖昧に笑顔を浮かべた。
友だち。その言葉に胸の奥がギリと焼け付くように疼いた。
「―――じゃあ、ごちそうさんでした」
俺は水村の肩を抱いて、店を後にした。
「うん。あっ、今度またメニューの写真撮りに来てって云っておいてね〜」
背中に届いた店長の言葉に片手をひらりと振って答えた。

はあ、と吐き出した息が白く立ち上る。
俺とそう身長は変わらないとはいえ、酔った千鳥足の男を支えて歩くのはいささか辛い。
「・・・・・・檜山ァ」
「んだよ起きてんならちゃんと歩けよな」
いつも自信満々怖いものなしって水村の顔が歪んでいた。
俺のすぐ横で、水村が囁くように吐き出す。

63315-129「その弱さと醜さを愛す」2/2:2009/02/04(水) 02:37:46
なぁなんで俺の作品じゃ駄目だったんだよ、最優秀とったやつの写真、お前も見たろ?
あんなの誰だって撮れるじゃねぇかよ、露出と倍率と・・・あんな小手先の技術で撮った作品の
何処がいいんだよ・・・俺なら、俺ならさぁ・・・
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら水村が何度も呟く。畜生、畜生・・・なんでだよ・・・・・・。
俺の肩口を濡らしながら、水村は今日何度目か知れない愚痴を零した。
俺は何も云わずに、ただだらだらと頬を伝う水村の涙は甘いだろうかだなんて
馬鹿なことを考えていた。
「・・・審査員の奴ら目がないんだよ。
大丈夫だって、絶対いつかお前の凄さに気付くひとは出てくるって」
「そ・・・かな、お前がそういうんなら、そうかもな・・・・・・」
やっとぎこちなく笑顔を浮かべた水村の目じりからつ、と涙が零れ落ちた。
なんとなくそこから目を逸らしながら俺は空を仰いで、馬鹿みたいに明るい声を出した。
「そうだよ。水村は立派な写真家になって、
そんで毎晩お前の奢りで飲みに行くのが俺の夢なんだからさ」
だから諦めてもらっちゃこまるんだよ、と云うと、
馬ッ鹿お前ふざけんなよ、と水村は笑って俺の頭を軽くはたいた。
ああいってーと俯いた先のアスファルトに向かって俺は呟いた。

立派な写真家なんかにならなくていい
お前の価値をわかるやつなんて、俺以外誰もいなきゃいいのに

コンテストに落ちるたびにこうやって弱音を吐いて、
愚痴と不満と憤りでぐちゃぐちゃになるお前が好きなんだ。
こんなこと云えるのはお前だけだよと泣きそうな顔で云って、
そんな些細な言葉に俺は一喜一憂して、泣きたくなって、
次のコンテストこそ賞取れるといいなと唇に乗せる言葉は本当なのに、
でも一生賞なんて取れずに終わればいいんだと思ったり、
俺は頭のなかがぐちゃぐちゃになって、罪悪感とやるせなさと嬉しさと苦しさで
どうしようもない気持ちになっていることをお前は知らないだろうし、
こんなどうしようもない俺を、お前は一生知らないでくれ。

「なあ、水村・・・・・・次のコンテストこそはさ・・・」

その次の台詞を俺は知らない。

63415−229 両親とご対面 1/3:2009/02/11(水) 12:59:22
マッチを持つ手がぶるぶると震えてうまく煙草に火を点けられないでいると、
助手席から白い手が伸びてきて、俺の代わりに点してくれた。
「あ、ありがとう」
「いいえ」
小野寺は頬を膨らませ、マッチの小さな火を消した。
普段余り見ない幼い仕草に、ほんの少しだけ心が和む。
「明石さん、そこ右です」
「ええっ、マジでぇ!?」
思いっ切りハンドルを切ったら、周りの車に短いクラクションで非難されて、心臓がとび跳ねた。
「次からもうちょっと早めに言って、俺まだ右折苦手だから」
「だって明石さんが一人でニヤついてるから」
――わざとかよ。
一人じゃ煙草も吸えないほどいっぱいいっぱいなパートナーに、この仕打ちはあんまりだ。
「出た、小野寺くんの意地悪」
「意地悪というより、もともと根性が悪いんです」
「あーもう、親御さんの顔が見てみたいね」
「これから見に行くじゃないですか」
しれっとした顔で返されて、言葉に詰まった。煙草の煙を吐き出し、少し間を取る。
「嘘だよ、君が良い奴なのは俺が一番知ってるよ」
そんなくだらないやり取りをしながらも、カローラは着々と彼の実家に近づいていく。

63515−229 両親とご対面 2/3:2009/02/11(水) 12:59:58
「どどどどどうしよう、腹痛くなってきた」
「ここまで来て何言ってるんです」
「君にはこの扉を開けるのが俺にとってどれだけ重大なことかわからないんだ」
「あのね、確認しておきますけど、一人の先輩として紹介するんですから
 何も緊張する必要はないんですよ。結婚するわけじゃあるまいし」
そこら辺は事前に二人で話し合って決めたのだが、それでもこの不安は拭えない。
小野寺のイライラがびんびん伝わってくる中、俺は更に口を開いた。
「だってさぁ、好きな人の大切な人に好かれたいって思うのは当たり前だろ」
どさり。小野寺が手に持っていたボストンバッグを落とした。
彼はこうやって直接言われるのに弱い。
俯いて首の後ろを触るのは、照れている時の癖だ。
ああくそ、かわいいな。しかしさすがに実家の玄関先ではキスもできない。
「……大丈夫です、明石さんは本番に強いから」
「それはそうだけどさぁ、俺、ちょお緊張しいなのよ」
「でもいつだって最終的には上手くやってみせるじゃないですか」
肩を軽く叩かれて、しゃんと背筋が伸びた。
俺も彼も、お互いの操縦法がよくわかっている。
小野寺は叱って伸びるタイプで、俺は褒められて育つタイプなのだ。
「俺、ちゃんと出来ると思う?」
「もちろん」
「よしっ、お邪魔しよう」
俺は冷え切った手でドアノブを回し、小野寺家に足を踏み入れた。

63615−229 両親とご対面 3/3:2009/02/11(水) 13:00:57
「一週間お世話になりました」
「明石さん、またいつでも遊びに来てくださいね」
目元が良く似ているお母さんが、お漬物を渡しながらそう言ってくれた。
「こんた子だがら大学じゃ友達も出来ねんじゃねがと思っとっだけど、
 明石さんがいでくれるなら安心だす。こえがらもよろしくお願いします」
お父さんは訛りがきついが、笑顔が穏やかな人だった。
「いえ、僕の方こそ小野寺くんがいてくれて本当に良かったと思ってるんです。
 いつも良くやってくれてますよ。友達も多いですし。」
荷物を積み終えた小野寺が、後ろから靴のかかとを踏んできた。
余計なことは言うなという意思表示だろう。
「それじゃ、失礼します」
「気付げてな」
バックミラーに映る二人は、姿が見えなくなるまでずっと手を振っていてくれた。
俺はハンドルを握りながら片手を振り返し、小野寺も振り返ってじっと後ろを見ていた。

「最後のアレ、ああいうの要らないんで」
「嘘も方便って言うだろ。嘘つくのが嫌なら友達作りなさいよ」
「……努力します」
「いやでも素敵なご両親だったな。君が大事にされてるのがよくわかったよ」
これは言わないけど、君が家族をとても大切にする人だと言うこともね。
「今度は明石さんのおうちに行きたいです」
「ええほんと?! 一体どういう心境の変化よ、嬉しいなあ」
「だって、好きな人の大切な人に会いたいって思うのは当たり前でしょう」
「言うよねぇ、小野寺くん」
ポケットを探って煙草を取り出すと、何も言わずに彼がマッチを擦ってくれた。
ああ、そう言えば彼のお母さんはお酌がとても上手だったし、
お父さんは見送りの際、お母さんの外履きを出してあげていた。
顔以外の部分も似ているんだなと思い、口元が緩んだ。
「明石さん、そこ右」
「ちょ、ちょっと! 早く言ってって頼んだじゃないかぁ」
カローラは二人を乗せて走る。ずっと走る。

63715-239 襲い受け:2009/02/11(水) 18:47:41
なんかコレいいのかなあ。
俺、寝そべってるだけなんですけど。
上で先輩がいろいろやってますけど。
先輩、上だけ着てるってエロさ倍増。
白いシャツって本当反則だよね。
下半身が見えるようで見えないってのもそそるなあ。
茶色くて少し長めの髪が乱れて色っぽい。
ああ、キスしたい。触りたい。許してくれなかったけど。
「気持ちいい?」
「はい、気持ちよすぎてヤバイです……」
「はは。素直でいいね」
先輩の動きが激しくなって、俺は意識が飛んだ。

スキーに行って先輩と接触して俺だけ骨折して入院して
今は家で安静にしてますけど、
お見舞いとお詫びと称してこういうことされて、
少しだけ骨折して良かったとか思ってますが。

足が治ったら先輩につきあってくださいって言ってみよう。
『あれは単なるお詫びだよ?』
哀しいことにそんな答えがかえってきそうだが。
おそらくその予想は正しいとは思うが。
でも、そうなったら今度襲うのは俺ってことで。
簡単に襲わせてはくれなさそうだけどね。

63815−239 襲い受 1/2:2009/02/11(水) 21:15:06
「…まだ起きてる?」
「寝かけてるけど起きてる」
「オレ昔さぁ、母さんのおっぱい触ってないと寝れない子供で」
「なに、触りたいの」
「うんでも、おまえには胸ないから」
「じゃあ何だよ」
「代わりにちんこ触らして」
「はあ?」
「お願い、触るだけだから」
「だってそのまま寝て、夢うつつのまま握ったりしたらどうすんだよ」
「大丈夫、ソフトタッチにするから」
「えー」
「優しくするから」
「それはなんかちげーだろ」
「じゃないと寝れない」
「仕方ねーなぁ」
「失礼しまーす」
「ちゃんと寝ろよ」

63915−239 襲い受 2/2:2009/02/11(水) 21:16:10


「ふふふ、ふにゃふにゃ」
「ケンカ売ってんの?」
「いつもお世話になってます」
「てめぇ寝ろよ」
「ここ好きだよね」
「ちょ、やめろって」
「でもこっちは起きたがってるみたい」
「ほんと死ねよ……」
「生きる!」
「うわ」
「耳も気持ちいいんだね」
「あ」
「首も」
「……っ」
「このままじゃかわいそうだから、オレがしてあげるね」
「お前、最初からそのつもりだったろ」
「あ、気付いた?」
「もうそういう次元じゃねーだろ!」
「ふん、バレちゃぁ仕方ない、目茶苦茶にしてやるぜ」
「……優しくしろよ」

64015-250 くだびれたオサーン2人  1/2:2009/02/12(木) 22:08:38
店屋物で各自遅い夕食を終える。署に泊まるのもこれで五日目だ。追い込みのかかった捜査本部は段々と殺気立った気配を漲らせてきている。
その張り詰めたような空気が嫌で、安藤はわざと唸り声のような溜息をついた。爪楊枝を吐き出し、ごみ箱めがけて投げる。それは小さな金属製のごみ箱のふちに跳ね返り、無残に床に落ちた。安藤は片目を細めて舌を打つ。
安藤は斜め向かいのデスクで書類を書いている横山に向かって声をかけた。
「外行くか」
屋内禁煙。押し寄せる嫌煙の波に、警察署とて無縁ではない。取調べ室すら禁煙とされて現場の刑事は不平を漏らしたものだが、あるか無きかの抵抗は果たして無駄に終わった。今では皆、この寒空に屋外で情けなく煙をくゆらすことしかできない。
「ん…おお、ちょっと待て」
横山は眉間に皺を寄せて、つたない指づかいでキーボードを叩いている。未だにタイピングタッチの出来ない同僚を見て安藤は小さく笑う。太い指にノートパソコンの小さなキーボード。熊がレース編みをしているような奇妙な眺めだった。
「先行くぞ」
「いやいやいや、ちょっと待て、もう終わる……ん、終わっ、た、と」
言葉に合わせてとん、とん、とん、とキーを叩き、横山はにやりと笑って立ち上がる。

64115-250 くだびれたオサーン2人  2/2:2009/02/12(木) 22:11:16
五年ほど前に購入した黒いトレンチコートは、とうに色はあせて青とグレイを混ぜたような奇妙な色になっている。生地はよれてところどころ裾が擦り切れてしまいそうだ。しかしこのコートが一番自分の身体に馴染んでいる。雨上がりの空気は清冽で、澱んだ部屋の空気に慣れた肺には心地いい。水溜りを踏まないように気をつけながら署の裏手に回った。
安藤はごそごそとポケットを探ってライターを出す。オイルが少なくなっているのか、何度か石を鳴らしても火花が散るばかりだ。
「ほらよ」
隣からライターが飛んでくるのを辛うじて受け止めた。
「おう」
二人で肩を寄せ合い、薄ぼんやりとした宵闇の中で煙草を燻らせた。寝不足で不明瞭な頭には、苦い煙草の煙すら何の刺激にもならない。
「そろそろ帰りてえよなあ」
「全くだ」
建物の壁にもたれ、上を向いて煙を吐き出した。背を丸めて煙草を吸う横山の後姿を見る。彼も似たり寄ったりのくたびれたコートを身に着けている。
「なあ」
声をかける。横山は煙草を咥えたまま振り返る。疲れたような顔で笑って見せると、横山もゆっくりと頬を緩めた。薄暗い闇、建物の裏手、見る者は誰もいない。
指に煙草を挟んだまま、横山のコートを焦がさないように気をつけながらその襟を掴んで乱暴に引き寄せる。指にかかった抵抗はほんの僅かで、横山はすぐに安藤に身体を寄せてきた。
自分よりも随分高い上背と拾い肩幅。今でも柔道をやっている彼の身体に余分な肉は少しも無い。
「煙草、邪魔だ」
言うと、横山は苦笑して咥え煙草を指に持ちかえる。
顔を寄せる。自分からは口付けない。少し待つと、身をかがめるようにしてゆっくり横山が口付けてきた。
自分のものとは違う煙草の味。伸びてきた髭がお互いの皮膚にちくちくと痛い。薄っすらと唇を緩めると横山の舌が忍び込んできた。
指から力なく煙草が落ちる。まだ随分と長いそれは上手いこと水溜りに落ち、不平を言うようにじゅっと鳴った。

64215-259 パティシエの恋:2009/02/13(金) 17:20:03
 厨房の向こうでふたりのやりあっている声がする。

「僕がオーナーだ。私の方針に従ってもらう」
「出来ません」
「バレンタインのデザートにはにチョコレートを使え。それだけのことだろ」
「私はパティシエです。ショコラティエではありません」
「だからなんだ。パティシエはチョコレート菓子を作らないとでも?」
「ショコラはデリケートなんです。私はショコラティエの技術を尊敬している。
納得のいかないデザートをお客様には出したくない」
「君の職人精神は素晴らしいと思うが、私はレストランの『経営』をしてるんだ。
自分の作りたいものだけを作って、レストランが運営できるか」
「では、この期間だけショコラティエを雇ってください」
「この時期に暇なショコラティエが役にたつか!」

 堂々巡りの話の決着はまだつきそうにない。結果はわかっているので、
俺はメインの肉料理でカカオでも使おうかと考える。

「オーナーとやりあうパティシエなんてはじめてみました。すごいっすねえ」
「手を動かせ、新人。そのうち慣れるよ。オーナーが負けるし」
「なんでですか? お前なんかクビだって一言いえば終わりでしょ」
「言えるわけないだろ。あいつほどの腕があれば雇うところなんか
いくらでもあるし、独立してもいいし」
「なるほど」
「まあ、他の理由もあるけど」
「他の理由?」
「あー、まー、いろいろ」
「あ、オーナーが負けた」
「今まで勝ったことないけどな。このソースどうだ?」
「お、チョコレート風味っすか? いいっすね」

 うちのパティシエは本当に意地が悪い。サドかもしれない。
そんなやつに惚れたオーナーも本当に気の毒だと思う。
 蛇の生殺し状態はもう何年続いているだろうか。
気持ちに気がついているなら返事をしてやればいいのに。

 バレンタインはキューピッドでもしてやろうか。
 そんなことを言ったら、「余計なことをしたら殺す」と脅された。
 今年は少しはオーナーが報われるのかもしれない。少し安心して店を閉めた。

64315-259 パティシエの恋  1:2009/02/13(金) 23:10:13
初投下で勝手がわからなかった…まとまりなくて本当にスマソ

チリンと鈴の音が鳴って男が入ってきた。
雑誌やテレビを賑わしている様なお洒落なパティスリーではない、「パティシエじゃねえ、菓子職人と言え」という
頑固親父が長らく経営していた寂れかけた製菓店には、貴重な客だ。
店を継いだ二代目パティシエ、もとい菓子職人は、週に一度は必ず買物に来る大事な常連客に
飛び切りのにこやかな笑顔で「いらっしゃいませ」と声をかけた。
男は挨拶に無反応なまま、ショーケースの前で長身を屈めじっくりとケーキを吟味する。
それこそ下段の棚から上段まで、左から右へと隙間なく視線を巡らす。それを何度か繰り返した後に、
おもむろにこちらに視線を向けてきた。
「…この間のケーキは?」
投げかけられた問いに答えられるまで数秒かかる。それが先週まで並んでいた新メニューのケーキの事を
言っているのだと気づいて、ああ、と思わず溜息をついた。
「あれはもう店頭から下げたんですよ。林檎のシブーストですよね」
「シブ……」
「タルト地に林檎とクリームを載せて焼いたやつです。でも見た目が少し地味だったみたいで
あまり人気がなかったんですよね。その代わりに、ほら」
ケースの向こう側から身を乗り出して中央の棚、右から二番目を指し示す。
「今週から並べたんですけど、評判がいいんですよ。よかったらいかがですか?」
「いや、これは…」
指差されたケーキを見た途端、無意識なんだろうが男の顔が渋くなる。当然だ。無数のハートでデコレーションされたケーキなど、
三十路を過ぎた男が買うものではない。もしそれが「大の甘党の男」だったとしてもだ。
「…じゃあ、これとこれ」
男は店の定番のチーズケーキと新作ケーキの二つをオーダーすると、鞄の奥から財布を取り出した。
その際に中からラッピングされた箱がいくつか見えた。明日は土曜日。なるほど今日はバレンタインの前倒しというわけか…と
どこかもやもやした気分で考える。
「…もてるんですね」
一万円札を取り出した男が不意打ちを食らった鳩のような顔をする。それがなんだかおかしくてくすっと思わず笑ってしまった。
「だってそれ」
「…義理だから」
自慢すればいいのに取り付く島もない素っ気無さ。けれど、嫌な感情は湧かない。
「そういえばこの間、駅前の居酒屋で見かけました。団体だったから会社の同僚の方たちですよね、きっと。すごく盛り上がってたし」
「…たぶん、会社の子の送迎会」
「ああ、なんかそんな感じでした」
それきり落ちる沈黙。商品を交えない会話はキャッチボールにならず、ミットも掠らない。…そんなお堅い態度じゃなく、
オヤジギャクの一つでも飛ばして見せろよ。そんな事を考えながら、レジからお釣を取り出そうと手を伸ばした。
…けれど少し考えて腕を引っ込める。ちらりと男を見ると胡乱そうな目を向けられた。

64415-259 パティシエの恋  2:2009/02/13(金) 23:13:04
「すみません。細かいお札足りないんで少し待っててもらっていいですか?」
ぺこんと頭を下げると、男は了解したとばかりに店の隅においてあるベンチに腰をかけた。
とはいっても長く待たせるわけにはいかないので、急いで奥に向かうと手早く目的のものを手に持ち小走りで戻ってくる。
男は所在なさそうにチラチラと店内に視線を漂わせていた。
「お待たせしました。…これ、お釣です」
「ああ、ありがとう」
そのまま財布を仕舞い込んで出て行こうとする男を呼び止め、ショーケースの外側にまわると、まだ半開きの鞄に小さな包みを捻りこむ。
男は驚いたように体を固くした。
「おまけです。いつもありがとうございます」
微笑みかけると、いつも無反応な態度なのが嘘のように、男はぽかんと口を開けて無防備な顔をした。
そんな思いがけない様子を見ると、今度は自分のした事が妙に気恥ずかしくなり、咄嗟に俯く。数秒後、チリンと鈴の音が鳴る。
顔をあげると男はいなかった。けれどうろたえるように呟いた「ありがとう」の言葉が、型押しされたように胸の奥に強く残った。

最後の客を見送り店を片付けると、厨房スペースにおいてある椅子に腰掛け一息入れる。
お菓子作りは体力勝負だ。製造と接客でくたくたになった上半身や足をもみほぐしていると、
店の隅においてあった携帯電話からメールの着信音が流れる。
送信元は今でも仲がいい大学時代の友人だった。内容はいつもくだらない。彼女の話や、仕事の話、会社の同僚の話…。

『…それでさ、根津さん今日も例の彼女のとこ行ったらしい。
普段の仕事の鬼ぶり知ってるからすごい笑えるよ。大の辛党のくせにケーキ屋通いだぜーー』

 他の部分は全然頭に入らなくて、友人が何の気なしに打ったはずのメールの一文を、呆れるくらい何度も読み返す。
奇跡のような偶然は、油断すれば涙が出るほど嬉しくて幸せで、それなのにやっぱりどこか切なくてたまらなくなる。

 男はきっとパティシエの名前も知らない。けれどパティシエは男の名前も知っていれば、好きな食べ物から趣味まで知っている。
お喋りで何かとマメな友人が、会う度電話する度、堅物で変わり者な同僚の話をおもしろがって一から十まで話して聞かせるからだ。
パティシエは今までに書き溜めていた脳内メモを、頭の中で反芻してみた。
無口で頑固な変わり者。けれど実は世話好きで情に厚い。時折身内に飛ばすギャクはオヤジ。目下、ケーキ屋の菓子職人にご執心。


…それを当の男が知ることになるのは、あとほんの少しだけ先の話。

645大事な事なので二回言いました:2009/02/15(日) 20:15:27
「好き、だーい好き」
「はいはい」
「大好き、ものすごく好き」
「あっそ」
「すきすきあいしてるー」
「……いい加減うるさいんだけど」
「なんだよ、そこは俺も好きだよって返すとこだろー?」
「うるさい、誰が言うか」
「お前滅多に好きとか行ってくれないじゃん。俺の事好きじゃないのー?」
「嫌いな奴だったらこうやって膝に頭乗せてきた時点で殴ってるよ」
「それはそうだけど」
「俺なりの愛情表現なの。いいだろこれで」
「ダメ、口に出さないと伝わらないの!大事な事は2回言うぐらいで丁度良いんですー」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ」
「へぇ……好き、好き」
「えっ、いや、えっと」
「2回言うぐらいが丁度いいんだろ?好きだ、大好きだ」
「た、タンマ!耳元で囁くの反則!低い声出すの反則!」
「そうやって顔を真っ赤にするお前も可愛くて好きだ、大好きだ」
「もういいっ…いいから、そのやらしい声禁止っ!」
「愛してる、愛してるよ」
「や…だから待てって…っ」
「何?もう満足した?」
「十分すぎるぐらい。……なぁ」
「ん?」
「好き、好き、愛してる」
「うん、知ってる」
「な……!くそ、お前も照れろ馬鹿!」

646忘れないで (300に萌えたので二次創作です):2009/02/16(月) 12:49:36
「イヤだ、どうしてレナードがこの家を辞めなきゃならないんだ」
「申し訳ありません。坊ちゃまが私に抱いているその感情がある限り、私は坊ちゃまのお傍にはいられないのです。」
「じゃあもう困らせないから、ワガママ言わないから。」
「それでもダメなんです。私も気付いてしまって申し訳ありません。」
「一体どうすればいいんだよ、どうすればレナードと一緒にいられるんだよ」

涙は流していないものの、彼は拳を握ってドンとテーブルを叩いた。
彼の気持ちに気付いてからは私だって辛かったことをきっと彼は知らない。
今ならまだ間に合う、そう思っての行動だと分かって欲しい。

「坊ちゃま、ひとつ提案を聞いていただけないでしょうか」
「なに、レナード」
「今の私の雇い主は坊ちゃまのお父さまでいらっしゃいますよね。
 でしたら今度は、坊ちゃまが私を雇ってください」
「え!?そうすればレナードと一緒に居られる?」
「ええ、但し、将来坊ちゃまにご子息が産まれた時の話ですが」
「えーーーー!!僕はレナードが好きなのに結婚しなきゃいけないの!?」
「そうですよ、坊ちゃまは大事な跡継ぎですからね」
「なんだよそれ・・・。いつになるか全然想像つかないし・・・」
「坊ちゃまは今15歳でしょう、早ければあと10年もすればまた会えますよ」
「10年!!長すぎるよ!!」
「でしたら、もう一生の別れになってしまいますよ」
「それもイヤだ!」
「じゃあ私の提案を受け入れてみるのもいいんじゃないですか?感動の再会になるかもしれませんよ」
「10年後かぁ・・・。レナード、白髪増えてるかもね」
「ええ、きっとロマンスグレーな執事になっていると思います」
「僕もすごくかっこよくなってるかもね」
「そうですね、絶対なると思います」
「一生の別れはイヤだから、レナードの提案を受け入れるよ」
「ありがとうございます、坊ちゃま」

「絶対だよ、約束だよ?僕のこと忘れちゃダメだよ?」
「私が坊ちゃまのことを忘れるわけはないでしょう」

そうだ、これでいい。
彼にはこの家を継ぐ重要な役目がある。
一時の気の迷いでこの家を壊すわけにはいかない。
立派になった彼と、彼の幼少の頃にそっくりであろう新しい坊ちゃまと
また幸せに暮らせることを考えると、
感動の再会で涙を流すのは私かもしれない。

647ハリボテ完璧王子様と人畜無害なふりをした蛇 1/3:2009/02/16(月) 23:39:48
むかしむかしのお話です。

ある国に、王子様がおりました。
王子様はたいへん賢く、心優しい美しい方でした。
ある日、家来を連れて歩いていた王子様は、花の咲き誇る湖の畔で立ち止まりました。
「なんと綺麗な風景だろう!家来たちよ!私を一人にしておくれ!この美しさを心ゆくまで味わいたいのだ!」
利発そうな瞳をキラキラと輝かせて王子様は叫びました。
「かしこまりました、王子様。」
家来たちは思わず微笑んで、王子を残して去りました。

「……疎ましい…。」
どかっ、と王子は湖畔に腰をおろしました。
お尻の下では花がいくつも折れ、ぺちゃんこになってしまいました。
「…どいつもこいつも馬鹿ばかり。もうウンザリだ。」
それは低い低い、ヒキガエルの鳴き声のような声でした。
どんよりと淀んだ沼の面のような目は、なにも映していませんでした
「分かりきったお追従。お世辞。おべんちゃら。何もかも下らない!」
王子がそう吐き捨てた時です。
かさり!
背後の藪がなりました。王子ははっとして振り向きました。

そこにいたのは、小さな小さな蛇でした。

「聞かれたからには生かしておけぬ。」
「お許し下さい!誰にも言いませぬ!!」
蛇は身をすくめ、必死で命乞いしました。
「いいやお前は喋るだろう。皆から慕われる私の正体が、ギラギラと飾りたてた只の空箱だと、いつか言いたくて堪らなくなるに違いない。」
「信じて下さい王子様!私は決して!!」
今にも蛇を踏み潰しそうだった王子の表情が、ふと緩みました。
「…決して言わぬか。そう誓うか。」
「誓います!我が命にかけても!」
「…ならばこうしよう。お前を今日から、私の側に置いて監視する。万が一お前が喋ったその時は…。」
遠くの方からがやがやと、賑やかな声が聞こえてきました。
家来たちが帰って来たのです。
「…"国の宝"とも呼ばれる私の中身が、実は空虚なハリボテであることを、こんなにちっぽけなお前だけが知る、か…ふふ、なかなか面白いな。」
王子はズボンの泥を振るって立ち上がりました。

648ハリボテ完璧王子様と人畜無害なふりをした蛇 2/3:2009/02/16(月) 23:42:26
「わあ!王子様!何を手にお持ちなのです!」
「蛇君だよ。先ほど友達になったのだ。」
「王子様ともあろうものが、そのような醜いものを…」
「命に貴賤はない。そのように言ってはいけないよ。それに蛇君はこんなに美しいじゃないか。」
王子様の手に握られた蛇は、確かにとても綺麗でした。
水に濡れたターコイズの様な深い青色の鱗が、光にあたるとぴかぴか光って色を変えるのです。
明るい笑い声に包まれながら、小さな蛇は王子の手のひらで、そっと震えておりました。

その日から、王子は蛇を片時も離しませんでした。
最初は気味悪がっていた侍女達も、蛇のたいへん小さく弱々しい様子を見て、次第に慣れてゆきました。王子様は自分の食べ物を手ずから蛇に与え、蛇もまた大人しく王子様の側に控えておりました。
そうして見た目は睦まじいまま、日々は過ぎてゆきました。

ある夜のことです。
少し膨らみ始めた王子の喉仏を、蛇は眺めておりました。
蛇は大きく口を開けておりました。
むき出しになった牙を伝って、透明な液体が、今にも王子の喉に零れ落ちそうになっておりました。
「…なぜ噛まぬ。」
「!!」
「なぜためらうのだ。お前の毒なら私ごとき、一噛みであろう。」
「…っ!!」
「そもそもお前はその為に…我が元に潜り込んだのであろうに。」
「…知っておられたのですか?」
「何をだ。
 お前が猛毒を持つ毒蛇であることをか?お前があの時、一か八か覚悟を決めて、わざと私に見付かったことをか?お前が私に殺意を抱いていたことをか?」
「い…いつから御存知で…?」
「初めから、だ。」
蛇は月の光を受けて、ぴかぴか光っておりました。
「…私の母を…覚えておいでですか…?」
「覚えている。私が殺した。本当に美しい蛇だった。
 どうしても我がコレクションに加えたかったのだ。…だが殺すと、鱗は色を失ってしまった。」
王子は手を伸ばし、蛇の鱗をなでました。
「下らない理由で、馬鹿なことをした。」
蛇は身動ぎせず、王子を見据えておりました。
「…復讐に燃えたお前の瞳は、実に美しかった。決意を秘めたあの輝き!どのような宝石でも、あの美しさには敵わないだろう!」
王子はうっとりと、夢見るように言いました。
「あれこそ本物だ!真実の持つ輝きだ!」 …嘘で固めてきた私のまわりには、もはや嘘しか残っていないのだ…」

649ハリボテ完璧王子様と人畜無害なふりをした蛇 3/3:2009/02/16(月) 23:44:53
「…何を考えておいでなのです…?」
「空っぽの虚構の城に住む私を、真実の目をもつ小さな小さなお前が殺す。
 ふふ…昔話のようではないか。
 きっと美しい寓話になると思ったのだ。」
王子は大きく腕をひろげました。
しかし蛇は動きません。
「どうした!毎晩機会を伺っていたのだろう?なぜ私を殺さない!?」
「…貴方は私に殺されたいと仰る…私に殺されるのが望みだと…」
「そうだ。さあ、早くしろ。」
「…ならば貴方には生きて頂きます。」
「なんだと!?」
「貴方の望むことをして何の復讐になりましょう。貴方には一人で孤独に生きて生きて生きて、天寿を全うして頂きます。そして私は…」
蛇は言います。
一言喋るたびに、燃えるような真っ赤な舌が、ちろちろと見え隠れしていました。
「私はずっと傍らで、四六時中離れず、貴方を見張っておりましょう。」
蛇の真っ黒な瞳が、夜のなかできらきらと輝いておりました。


ある国に、王様がいました。
とても立派な名君で、たいそう民に慕われていました。
またたいへんな美男子だったのですが、不思議なことに、生涯お妃様はお作りになりませんでした。
そして王様のお側には、四六時中、片時も離れず、美しい大蛇が控えていたそうです。
王様が長い長い天寿を全うされ、天に召される時までも、ずっとずっと。

むかしむかしのお話です。

65015-349 数学者:2009/02/18(水) 00:19:02
素数は孤高の数だという。
何者にも分解されず、常に自分であり続ける、孤独で気高い数であると。

元々、学校は好きでも嫌いでもなかった。
机と椅子が規則性を持って並べられている教室や、
多くの直方体を積み上げた構造の下駄箱は興味深かったけれど、
周りの生徒が何故あんなにも楽しげなのか、僕には全然わからなかった。
喜ぶ、怒る、哀しむ、楽しむ。
誰もが簡単にやっていることが僕には困難で、
他の人の感覚や感情をうまく想像できないのだ。
そのため外からは、何を考えているかわからない人間として見られた。
クラスの45人の中で、まるで僕だけが素数のようだった。

しかし、数学の時間だけは違う。
ほとんどの生徒が授業を投げだしていても、
僕はその人の言う言葉、書き出す数式の全てを理解している。
「この3次方程式の3つの解を、それぞれα,β,γとする」
彼の指先から零れる数字は、優しく語り掛けてくる。
僕はただ一つの答えを求めて必死に式を追う。
ノートにボールペンを押し付けるようにして数を並べる。
「右辺を展開すると……七瀬、わかるかな」
「α2+β2+γ2=32、です」
「うん、正解だ」
僕達が辿りつく答えは、いつでも一致していた。
その人と僕は同じことを考え、同じ答えを見つける。
僕はそれがとても好きだ。

素数は孤高だというが、素数は自身の他に唯一つ、
1という数字でも割り切ることが出来る。
僕は学校で彼を見つけた。
たったひとりの人を見つけた。
だから僕は、もう二度と孤独を感じることはないのだ。

651イー:2009/02/18(水) 21:18:00
本スレ360です。
萌えを書きなぐったのですが、まだ萌え止まらないので小ネタ集を少々。

・マッドサイエンティスト×戦闘員
「気持ちいいですか?感覚は消していませんから、気持ち良かったらきちんと言うんですよ?」
「イー!」
「ああ、僕がそれしか言えないように改造したんでした。ふふふ…しかしこれでは少し楽しみ甲斐がないですねぇ。」
「…イ、イー…」
「おやおや、そんな涙目で…どうしたんですか?ねぇ?」

・戦闘員×戦闘員
「イー!」(危ないっ!)
ズバシュッ
「ッ!!イー!」(せ、戦闘員!)
「…イー…」(…良かった、無事で…)
「イー、イー!!」(喋るな、出血が酷くなる!!)
「…イー。」(…どうせもう助からんさ)
「イー!イー!イー!」(馬鹿言うな!なぜ俺を庇った!しっかりしろ!)
「イー…イ…」(お前と一緒に戦えて…楽しかったぜ…)
がくり
「イー!イー!!」(戦闘員!戦闘員ー!!)

※番外編
YAOI戦隊 HOMOレンジャー!!
男なら裸と裸で語り合え!恥ずかしくない、男同士だろ!? 熱血野郎 HOMOレッド!
甘いマスクと甘い声!繰り出される言葉攻めに敵はどこまで耐えられるのか!? 爽やかアイドル HOMOブルー!
マニキュア!ルージュ!アイシャドウ!オネエ言葉は使うけど〜、下はまだまだ工事前ぇ〜、みたいな? オカマヒロイン HOMOピンク!
いいのかい俺にホイホイ付いてきて?俺はカレーもノンケも構わず喰っちまうヒーローだぜ! 夜の食欲魔神 HOMOイエロー!
眼鏡は標準装備です!むっつりではなく、知的好奇心が旺盛なだけですよ? 変態紳士 HOMOブラック!

359さん良いお題をありがとうございました。
ああヤバいくらい楽しかったw
…お目汚し失礼しました。

65215-390 神隠し・本編修正版1:2009/02/22(日) 22:40:11
本スレ15-390です。
お題「神隠し」を投下後、続編を書いたので投下します。

整合性を取るために多少本編修正もしたので、本編、続編、連続投下します。
続編は、長いといわれた本編より長いです。エロ描写チョイありです。

では以下本編です。


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文化人類学のゼミの追い出しコンパはザル組のオレと大川先輩以外が全員ヘロ
ヘロに出来上がるという壮絶な最後を迎えた。
酔ってないオレ達が会計を済ませて店を出ると、ヘロヘロ組は勝手にどっかに行
ってしまっていた。大方、二次会にカラオケにでも行ったんだろう。
「しょうがない、俺達も勝手にやるか。まだいけるなら、一杯つきあわないか?」と
誘われて先輩の部屋へ行った。
女の出入りが激しいと聞いていた先輩の部屋は、意外なくらいに女の気配を感じ
させない。そりゃそうか。女の気配を感じる部屋じゃ、別の女を連れ込めないもん
な、と納得しているオレに、先輩はグラスを差し出した。
「実家の近くの酒なんだ」と聞いた事の無い銘柄の日本酒を注いでくれる。
「実家って、どこなんですか?」
「S県の山奥のほうの小さな村」
「遠いんですね。帰省、大変でしょう?」
「大学に入ってから、一度も帰ってないんだ」
「何かと忙しいし、金かかりますもんね」
「それもあるけど...怖くてな...」
「怖い?」
聞き返したオレに、先輩は「長くなるぞ」と前置きをして話しはじめた。

「俺の生まれ育った村には小さな神社があるんだよ。
神社の裏の林は禁足地になってて、そこには神様の住む奥社があるんだ。
年に一度の祭りの前夜に、村の年男の中からくじ引きで選ばれた神男が事前に
精進潔斎をして、神様を饗応して神社...中社へお迎えするために奥社で一晩の『お
こもり』をする風習があってさ。
俺、十二歳の時に神男に選ばれたんだよ」



「いいか?何があっても、その面は外してはいかんぞ」
白いひげの生えた爺さんのようなシワクチャ顔の面をつけてくれながら神主様は
そう言った。
面の目のところは大きな穴が開いていて、視界はまあまあ確保されていた。口の
辺りは切り取られていて、鼻の下から横へ長くのびたヒゲを掻き分ければ物も食
べられるしペットボトルの水も飲めた。
「ゲームボーイ、もってってもいい?」と聞くと、意外にも神主様は笑って頷いた。
「ああ、いいぞ。本を読んでもゲームをしてもいい。お供え物も飲み食いしていい。
ああ、お前は未成年だからお酒は駄目だがな。誰かが来たら、一緒に遊んでも良
い。テレビは無いけれど、音がなくて寂しいならうちのラジカセを持っていってもい
いぞ」
「おこもりって、そんなのでいいの?」
「ああ。だけど、朝になって中社に降りてくるまで絶対にその面は外してはいかん
ぞ」
「はあい」

結局俺は、精進潔斎の部屋においてあった古いラジカセと、ゲームボーイを持ち
込んだ。
明かりは社務所から引っ張ったドラム式延長コードから電源を取ったライトがひと
つ。暖房はホットカーペット。
社の中には祭壇が作られていて、沢山のお供え物があって、下座に畳んだ布団
があった。
「朝になって明るくなったら、面をつけたまま中社に降りて来るんだぞ」と言い残し
て神主様が帰った後、とりあえずお供え物をチェックする。焼いた干物や煮物や
漬物や押し寿司が色々と並べられている中に、俺の好物の母さんの作ったから
揚げとサンドイッチもあった。俺のために用意してくれたんだろう。
精進潔斎の時には三日も味気の無い精進料理を食べさせられたのに、神様のい
る社では肉を食べて良いって変だなとは思ったけれど、喜んで食べることにした。
冷めたから揚げは運動会の弁当のから揚げと同じ味で、俺は面のヒゲが邪魔だ
なと思いながらも美味しく食べていた。

65315-390 神隠し・本編修正版2:2009/02/22(日) 22:42:31
「美味しそうだね」
声を掛けられて振り向くと、神主様のような白い着物に袴のお兄さんが立っていた

「お兄さん、誰?」
「神社で神主様のお手伝いをしているんだよ。僕は時々君を見かけてたけど、君
は僕に気づかなかった?」
神主様の他にそういう人達がいるのには気づいていたけど、この人の顔は覚えて
いなかった。
「君くらいの小さな子一人だと寂しいだろうから、やっぱり、大人が一人一緒にいる
ことにしたんだよ。僕もそれを食べていいかな?」
「うん、いいよ」

それから、俺たちは一緒に色々な話をしながらお供えを食べた。
「お酒も飲んじゃおうかな...内緒にしててくれる?」
俺が頷くと、お兄さんは嬉しそうに笑って、お供えの中の瓶子と白い杯を持ってきて、
お酒を飲み始めた。
お兄さんはお酒を飲みながら、俺はお供えの中にあったポテトチップスを食べな
がら、学校の話をして、家族の話をして、好きなゲームの話をした。
お兄さんは俺の話をニコニコと聞いて、時々質問をして、感心をして、褒めてくれ
た。
それから、一台しかないゲームボーイで交代で落ちゲーをした。
お兄さんは初めてだと言ったくせにすごく上手くて、俺のハイスコアを越えた記録
を出した。むきになった俺は、「もう一回!もう一回やったら交代ね!」と交代でや
るはずのところを連続でプレイし始めた。
夢中でやっていると、面で作られる死角がうっとおしくなってきてしまった。
「もう!このお面があるから上手くいかないんだよ!」
「外しちゃうかい?」
「...内緒にしててくれる?」
「君が僕がお酒を飲んだことを内緒にしてくれるなら、僕も君が面を外したことを内
緒にするよ」
お兄さんの優しい笑顔に安心して、俺は面を外したんだ。

「ああ、君はそんな可愛い顔をしていたんだね」
お兄さんの声に、俺はどきりとした。
さっき、お兄さんは俺を時々見かけていたと言っていたじゃないか?俺の顔は知
っていたはずじゃないのか?
するりとお兄さんの両手が、面をはずした俺の頬を包んだ。滑らかな指はひんや
りと冷たく、お兄さんの白い整った顔が目の前に近づいてきた。
吸い込まれそうな黒い瞳が俺を見つめて、いっぱいお酒を飲んでいたのに全然酒
臭く無い吐息がかかるほどの距離で、お兄さんは言った。
「己を守る面を外した儺追人は連れて行っても良い約束だけれど、君はまだ幼い
から、僕はしばらく待つことにするよ。全てを捨ててもいいほどに僕が恋しくなった
ら、またここにおいで。これは約束の印だよ」
破裂しそうなくらいの心臓のドキドキと、唇を重ねられた時の柔らかい感触と甘い
香り、初めて感じる駆け抜けるような快感が最後の記憶。
気がついたら朝になっていて、俺はホットカーペットの上に敷かれた布団の中で寝
ていた。面は枕元に置かれていて、食べ散らかしていたはずのお供えの器は綺
麗に祭壇の横にかたづけられていた。
俺は面をつけなおして、神主様に言われていた通り、一人で社を出て朝の光の中、
石の階段を下りて中社に戻った。
中社では夜通し酒を飲んで待っていた氏子達が「神男が神様を連れてきてくださ
ったぞ」と大歓迎で迎えてくれて、自分の手で神様の宿った面を外して神主様にそ
れを渡して神男の仕事は終わり。お父さんもお母さんも、無事に神事を勤め上げ
たと喜んでくれた。その後の村総出の祭りで俺はお兄さんを探したけれど見つけ
られなかった。
俺は、言えなかった。お兄さんに会ったことも、面を外してしまったことも、その後
のことも。

翌年の神男は隣の家の還暦のおじさんだった。
祭りの後でおこもりのときの様子を聞いたら、一人になって酒を飲み初めて、気が
ついたら面をつけたまま布団の中で寝てたんだそうだ。

65415-390 神隠し・本編修正版3 end:2009/02/22(日) 22:43:14
「俺は、怖かった。実家は僻地だから高校の時から寮住まいだったけど、できるだ
け実家には帰らなかった。大学もできるだけ遠くを選んだ。色んな女を抱いた。で
も、忘れられなかった、お兄さんのことが」
「先輩、先輩、タイム!」
オレは片手を上げて先輩を制した。
「話の腰を折ってすみません。文化人類学ネタはいいですけど、なんでホモネタが
組み合わされるんですか?どうせなら綺麗な女神様で行きましょうよ」
「......うん.......そうだな」
先輩はちょっと笑った。
「じゃ、女神様ということで続きをどうぞ」
「続きは...四月になってからだな。春休みに帰省するから、久しぶりに禁足地へ行
ってネタを仕込んでくるよ」
「楽しみに待ってますよ」
オレは地酒の入ったグラスを掲げて言った。


四月、先輩は大学に帰ってこなかった。
実家に帰省した翌日から行方不明になっているのだそうだ。
先輩の両親が大学に来て、息子の行方不明の理由に心当たりが無いか、ゼミ生
に聞いて回っていた。
オレは、言えなかった。あの夜、先輩が話したことを。
ただ思い出した。お兄さんのことを話す先輩の、とても柔らかい優しい表情を。

65515-390 神隠し・続編:2009/02/22(日) 22:44:40
飛行機で空港に着き、取ってあったビジネスホテルで一泊、そこから電車で乗り換
え駅まで行って、汽車で最寄り駅まで行って、駅から日に六本出ているバスに乗っ
て小一時間、昼過ぎにやっと俺は自分の生まれ育った村の入り口に着いた。
最小限の着替えの入った荷物を肩に、山の斜面に張り付くように作られた道路を
歩いていくと、後ろから自動車の近づく気配がした。
念のためにガードレールに身を寄せながら歩いていると、白い軽トラが俺を追い
抜いて、少し先で止まった。
「もしかして、本家の巧か?」
軽トラの運転席から降りてきたのは、分家の賢兄だった。俺より五つ年上で、小さ
な頃は良く遊んでもらった。一応血縁らしいのだが、はとこなんだかはとこの子な
んだか良くわからない。田舎の親戚関係なんてアバウトなもんだ。
「バスで来たのか? おじさん達、駅まで迎えに来てくれなかったのか?」
「S駅から電話しろとは言われてたんだけど、忙しいだろうから...」
「おばさん達なら、迎えに行く手間がかかっても、早く会えるほうが喜ぶって。去年
の祭りでも『全然帰ってこない』って愚痴ってたから。乗ってけよ。三十分歩くより
は早く着くって」
荷台に荷物を放り込み、賢兄の軽トラのスプリングの薄いシートに座る。
「祭り、今もやってるんだな」
「当然だって。オレ、去年の神男だったんだぜ」
どきりとした。
「やっぱり、面をつけておこもりしたんだ?」
「おう!でも、ありゃ、なんか変な夜だったなあ」
「変って?」
「オレ、酒には強いんだって。お供え食べ放題飲み放題って聞いたから、一晩飲
み明かすつもりでおこもりはじめたんだけど、気がついたら布団で寝てたんだって。
飲み始めの三十分くらいしか記憶がないんだって。酒飲んで記憶をなくしたこと
なんか、一度もないのにだぞ? お供えを飲み食いした跡は残ってたんだけど、
オレが記憶をなくすほど飲んだとは思えない量しか酒は減ってなかったんだって。
しかも、後片付けしてあったんだって。家じゃ茶碗下げたこともないオレが、いくら
神様のいる奥社って言っても、後片付けなんて思いつくか?
よくよく思い出しても、なんか変な感じなんだって。凄く気持ち良い夢を見たような
気もするんだって。でも覚えてないんだって。変だろ?」
「面を...外さないように寝るの、大変じゃなかった?」
「気がついたら、面をつけたまま寝てたからなあ。そういや、巧も十二の時に神男
やったんだったな」
「うん。俺も、すぐ寝ちゃったけどね」
俺はそう嘘をついた。

道の両側にポツンポツンと家があるバス道からコンクリート舗装の旧村道に入っ
て川沿いをしばらく行くと、山間にぽかんと開けた空間が広がる。村の一番奥、川
の一番上流にある村の中でも一番古い大川という集落で、ここの住人は殆どが大
川姓だ。俺の家も神社もここにある。
狭い土地に田んぼと畑を作って、冬の間は獣を獲って自給自足で細々と暮してい
た小さな集落。元は平家の落人の隠れ里で、だからこんなに不便なところにある
のだと聞いた。
段々と村人が増えて谷沿いに田を作りながら少しずつ集落を拡大していった。分
家の賢兄の家もバス道沿いだ。
平成の大合併でこの村もS市の一部になったが、とてもS県S市から始まる住所と
は思えない僻地なのだ。
狭い農地と少ない人口、後は江戸時代あたりから始めたらしいこうぞを使った和
紙作りくらいしか無かったこの村がやっていけたのは、「凶作知らず」だからなの
だと親は教えてくれた。
「この村は神様が守ってくれているの。だから、しっかり神男を務めるのよ」と、
十二歳の時に村育ちの母親に言い聞かせられたのを思い出す。

家の前まで軽トラが寄ると、縁側で干ししいたけを広げていた母さんが顔を上げた。
「おばちゃん、巧、連れてきたよー!」
トラックの窓から賢兄が言う。
「あら、賢ちゃん、ありがとー!巧っ!あんたは電話しろって言ったのに!親の言
うこと聞かないから、賢ちゃんに迷惑かけちゃったじゃないのっ!あ。賢ちゃん、
ちょっと待ってね。丁度、しいたけがいい具合になったから、持って行ってね」
母さんは賢兄にはにっこり笑って、トラックを降りた俺をキッと睨みつけて、それか
らまた賢兄に優しい笑顔を向けて言ってから、バタバタとタタキへと入っていった。
「あいかわらず、うるせーわ、あわただしいわ...」
「母親なんてそんなもんさ」
俺の言葉に、賢兄が笑う。
「本当にわざわざありがとうね、賢ちゃん。これ、皆さんでどうぞって、お母さんに
渡してね。お父さんにもご隠居さんにもよろしくね」
「はい、ありがとうございます。じゃあ、巧、またな」
「送ってくれてありがとう」
俺は賢兄に手を振った。

65615-390 神隠し・続編2:2009/02/22(日) 22:46:07
「久しぶりだから、その辺、歩いてくるわ」
とりあえず荷物を縁側に置き、俺は母さんに言った。
「お昼ごはんは食べたの?」
「バスの中でパン食った」
「夕飯はあんたの好きなから揚げだからね」
「楽しみだな。じゃ、行ってくる」
実家から歩いて五分も行くと神社に着く。
石の鳥居の手前、参道の階段で小学校低学年くらいの子供二人がじゃんけん遊
びをしていた。
「ちーよーこーれーいーとっ!じゃんけんポン!」
「勝った!ぱーいーなーつーぷーるっ!」
そういえば、俺も子供の頃は境内とかでよく遊んだっけ。
思えば、あの夜より前には禁足地にも入り込んだことが何回かあった。うっかりそ
のことを親に話してこっぴどく叱られたこともあったけれど、別に、何があったわけ

でもなかったはずだ。
鳥居を抜けて、手水を使って、形ばかりのお参りをする。
神主様も村に畑を持つ農家なので、普段の日中は神社にはいない。
子供達が階段の下のほうへ行くと、人目がなくなった。
俺は意を決して、神社の裏手へと足を踏み出した。


注連縄の張られた小さな鳥居が禁足地の境だ。
俺は鳥居をくぐって自然の石を適当に組んだだけに見える曲がりくねった石の階
段を上り始めた。奥社までそんなに距離は無いはずなのに、なんだか妙に遠い。
弾む息と次第に早くなる鼓動にせかされるように、俺は足を速めた。
曲がり角を抜けて林の向こうに奥社が見えた。俺は駆け出していた。
靴を脱ぐのももどかしく奥社の木の階段を上がり、木の扉に手を掛けた。奥社の
木の扉には大きな黒い和錠がかかっていたはずなのに、扉は勢い良く開いた。

「大きくなったね」
祭りの時とは違う、お供え物の無いすっきりした祭壇の前に、お兄さんが立ってい
た。
あの時と同じ、白い着物と白い袴と白い足袋、あの時と同じ、優しげな笑顔。
俺は駆け寄ってお兄さんを抱きしめた。まだ落ち着かない呼吸もかまわず、唇を
むさぼる。冷たくて柔らかい唇を割り、舌を押し込み、跳ねる舌を甘い香りの
吐息と共にからめとる。
思うまま唇を奪っておきながら、それでもまだもどかしくて、俺は唇を離し、抱き潰
さんばかりの力でお兄さんの体を抱きしめた。
背中に回されたお兄さんの手が、そっと抱きしめ返してくれるのがわかった。そし
て片方の手が、やさしく俺の髪を撫でてくれた。
その手が俺の頬に触れる。
あの時と同じ、ひんやりと滑らかな手が俺の頬を包む。その手に導かれてお兄さ
んに顔を向けると、あの時と同じ、吸い込まれそうな黒い瞳が俺を捕らえた。
「好きにしていいんだよ」
お兄さんはそう言って笑った。あの時とは違う、ただ優しいだけではない妖しい笑
みで。
後は無我夢中だった。
押し倒し、着物を剥ぎ取り、無駄な肉の無い、でも十分な筋肉のついた細い体を
組み敷き、反りかえる腰を押さえつけ、まるで尽きる気配のない自らの欲望を叩
きつけた。

65715-390 神隠し・続編3:2009/02/22(日) 22:47:25
「こんなにも、君は僕の事を思い返してくれてたんだね」
気がついたら、お兄さんが横になった俺の顔を覗き込んでいた。俺は眠ってしまっ
ていたのかもしれない。
「お兄さんの名前、なんていうの?」
「内緒だよ、巧君」
「ずるい!教えてよ!」
「ダメ」
「じゃあ、別の質問。お兄さんの言う儺追人って、どういうもの?」
現在、一部の神事にその名の残る儺追人は、他の人の厄を引き受ける者だ。こ
の村の神事の神男とは役割が違う。
「儺追人は、僕を楽しませるためのいけにえだよ」
お兄さんは笑った。
「元々は毎年村人全員でくじ引きしていたんだけどね。昔、若い女の儺追人が面
を外して僕のものになってしまって以来、年男だけになったようだよ。子供を産む
村の女がいなくなってしまったら困るからね」
「あの面はなんなの?」
「僕の世界と君の世界を隔てるもの。儺追人を現世につなぎとめる命綱。現世の
神主の言葉を守り続けること、現世を忘れないことが、儺追人を守るんだよ。
もっとも僕も、本当に気に入った相手以外には面を取って欲しくないけどね」
「面を取った女の人はどうなったの?」
「僕と一緒に暮らして、子供を一人産んで、寿命で死んだよ。僕の世界でだけどね」
「子供は?」
「人から生まれた子供は人だからね。生まれてすぐに神主の家に。大川の集落に
上子(かみこ)姓が何件かあるだろう? あれが彼女の子孫。今の神主も子孫だ
ね」
「何でそんなことまで知ってるの?」
「仮にも神様だもの。僕は、年に一度の祭りの夜、僕の世界と君の世界が一番濃
く重なるこの場所で、儺追人と好きに遊ばせてもらう。代わりに、この地に豊穣を
もたらす。もしも儺追人が自分を守る面を外したら、僕は儺追人を僕の世界に連
れて行っていい。それがこの地に人が暮らすようになった時からの約束なんだよ」
「もうひとつ、質問」
俺は、体を入れ替え、お兄さんの顔を上から覗き込みながら、軽トラの中で賢兄
の話を聞いた時に思ったことを口にした。
「去年の年男とも、こういうことをしたの?」
「うん。彼とは話しても面白くなかったからね」
さらりと、お兄さんは言った。
喉の奥に、カッと熱い塊が生まれた気がした。その塊を飲み下すようにしながら、
唇を重ねる。
長い口付けの後、顔を離した俺の目を下から覗き込みながら、お兄さんは言った。
「苛立ってる?嫉妬しているんだね。とても可愛いよ」
ああ、お兄さんは人間じゃないんだ。唐突に、奇妙な絶望感と共に、そう感じた。
俺の知っている人間とは違う、別のものなのだ。
そんな俺の心さえ見透かすように、お兄さんは笑いながら俺の股間に手を伸ばし
た。
「苛立ってる。嫉妬してる。絶望してる。それでも猛ってる。本当に、人は面白いよ
ね」
耐え切れなくなって、俺はまたお兄さんを抱きしめた。
荒々しく貫く俺を軽々と飲み込み、白い肌をわずかに上気させる。その全てが俺
を翻弄するための幻かもしれないと思いながら、何もかもごちゃ混ぜになっ
た自分自身を叩きつけるように、俺はお兄さんの体を抱いた。


自分が果ててもまだお兄さんの体を抱きしめ続ける俺の髪を撫でながら、お兄さ
んは言った。
「君はやっぱり人だから、君のいるべき場所にお帰り。もう、ここに足を踏み入れ
てはいけないよ。あの夜、面を外した君は、僕の世界に凄く近い存在なんだ。僕
が君を返してやれるのは、きっとこれが最後。今度ここに来たら、もう、君は帰れ
なくなってしまうからね。二度とここに来てはいけないよ」
とてもとても優しい声。
「さあ、お帰り」

「お兄ちゃん、そこは入っちゃダメなんだよ!」
突然、子供の声が聞こえて、俺ははっとした。
俺は禁足地の鳥居の手前に立っていた。奥社で脱いだはずの服も靴も、家を出
た時のままだった。
時計を見ると家を出てから四十分程しか経っていなかった。
「入っちゃダメなんだってば!お兄ちゃん、聞いてる?!」
「ああ、教えてくれてありがとう」
俺は鳥居に背を向けて実家へと帰った。

65815-390 神隠し・続編4:2009/02/22(日) 22:48:52
夕飯は母さんが言った通りにから揚げもあったが、それ以外のおかずもいっぱい
あった。どれも俺の好きなものだった。
村役場に勤めていた父さんは、市町村合併で市の職員になったんだそうだが、や
っている仕事も給料も大差ないそうだ。
「まあ、飲め」と、ニコニコしながら俺のグラスに地酒を注いでくれる。
考えてみたら、十八で大学に行ってから初めての帰省、成人してから初めて父さ
んと一緒に飲む機会に恵まれたということだ。
「息子と飲むのは正明の夢だったもんねえ」と、ばあちゃんが笑う。
「あ〜。父さんの前じゃ、確かに飲んでなかったか」と、俺が言う。
「高校の頃から、家に帰ってくると夜に冷蔵庫のビールをくすねてたのは、みんな
気がついてたわよ」と、母さんが言う。
「気がつかれないと思ってるのが巧の底の浅さだよねえ」と、ばあちゃんが笑う。
「まあ、堂々と酒を飲める歳になったのは良い事だ。飲め」と、父さんは一升瓶を
持上げた。

飲んで食べて、また飲んで、やがて父さんはコタツで横になっていびきをかき始め
た。
「父さんもお酒に弱くなってきてねえ。昔はザルだったのに、歳のせいかしらね」
毛布を掛けながら母さんは言って、男達が飲み散らかしたコタツの上を片付け始
めた。
一度立ち上がったばあちゃんがもどってくると、立てた人差し指を唇に当てて、そ
っと俺の手にティッシュに包んだ紙幣を握らせてくれた。
「少しだけど、お小遣いにしなさい」
「ありがとう」
小声で返事をするとちょっと笑って、「お風呂先にいただこうかね」と大きな声で言
いながら行ってしまった。
入れ替わりに台拭きを持ってきた母さんは、コタツを拭きながら「無駄に使わない
のよ」と釘を刺した。ティッシュの中には3万円があった。
「うん、わかってる」
「あんた、好きな子できた?」
「ん...うん」
「告白した?」
「あ...あ〜〜、まだしてないな」
「なによそれ」
「色々あるんだよ。...そうだ、母さん」
「何?」
「大学行かせてくれてありがとう」
「やあねえ、急に」
母さんは笑いながら逃げるように台所へ行った。どうやら照れたらしい。
その背中に、俺は口の中で小さく「ごめん」とつぶやいた。

65915-390 神隠し・続編5 end:2009/02/22(日) 22:49:45
朝の光の中、俺は禁足地の鳥居の前に立った。
「お兄ちゃん、そこは入っちゃダメだって昨日も言ったじゃん!」
何時の間にそこに来たのか、昨日の子供が俺の隣にいた。俺を見上げながら口
を尖らせる。
「うん。知ってるよ。だから、君は入っちゃダメだぞ」
「入ったらもうおうちに帰れなくなるんだよ。神隠しって言うんだよ」
「難しい言葉、知ってるんだな」
「お母さんもお父さんも、きっと泣いちゃうよ?」
「うん。わかってるよ。俺、酷い息子だよな。でも、決めたんだ」
俺は鳥居の中に足を踏み入れた。
「もう帰れなくなるって言ったのに」
背後から聞こえたお兄さんの声に振り向くと、そこにいたはずの子供の代わりに
お兄さんが立っていた。
「わかってるよ。でも、俺は来たんだ」
俺は、お兄さんをまっすぐ見つめて言った。
「お兄さんが好きだ。お兄さんの側にいたいんだ」
お兄さんは鳥居をくぐって俺の側に来た。
「まだ、迷いがある。少し後悔している。不安が大きい。でも、喜びも大きい。本当
に、人は面白いよね」
そっと俺を抱きしめる。
「本当に...本当に、人は愛しいよね、巧君」
「名前、教えてよ。名前を教えると俺を返せなくなるから内緒にしてくれてたんだよ
ね? もう帰らないんだから、教えてよ。俺も、お兄さんの名前を呼びたい」
抱きしめ返した俺の耳に、お兄さんはそっと内緒の名前を囁いてくれた。




最初に書きます。これは遺書ではありません。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。
俺は行きます。

お父さん、お母さんには、これ以上ないほどに愛してもらいました。
俺はこの家の息子でよかった。心の底からそう思っています。
こんなに愛してもらったけれど、俺は行くことに決めました。
好きな人ができました。その人の側で一生を終えるために、俺はもう戻れない場
所に行きます。
ここまで育ててもらったのに、学費出してもらったのに、こんな選択をしてしまって
すみません。
大学中退の手続きと、アパートの引き上げをよろしくお願いします。

繰り返します。これは遺書ではありません。
俺は自殺をするわけではありません。
戻れないけれど、多分手紙も電話も使えないけど、きっと俺は元気でやって行き
ます。
だから、心配しないでください。
全ては俺の我侭です。許してくださいとは言えません。ただただ、謝るしかありま
せん。ごめんなさい。
どんなに遠くにいても、俺はお父さんとお母さんが元気でいることを願っています。

お父さん、お母さんも、どうかお体に気をつけてください。
ばあちゃんも、長生きしてください。

大川巧

追申
十二歳のおこもりの時に、神様に言われたことを思い出しました。
お母さんのから揚げがとても美味しかったので、またお供えにして欲しいと言って
いました。
今年から、できたら毎年お供えに加えてやってください。

660萌える腐女子さん:2009/02/23(月) 00:34:05
ここの感想ってこっちでいいのかな…
>659
うおおおおおお、なんだこの萌えは!!もうつるっつるのぴっかぴかだよ!

66115-449 大好きだからさようなら:2009/02/25(水) 23:54:47
何か変だなと思ったのは3ヶ月前。
携帯電話を盗み見たりなんかしなかったけれど、
自分のいるところで話をしない通話が多くなった。
たまたま鳴りっぱなしの携帯に出た時は、相手の人が無言で切った。
残業だと言っていたけれど、職場の人から緊急の電話が家にかかってきた。
服の趣味が変わった。
知らないシャンプーの匂いがした。
俺の吸わないタバコの匂いもした。

でも、一緒に暮らして長いから、仕方ないかと思ってた。
病気だけは気をつけて欲しいと思っていたけど。
俺は今でももてるから。他のやつより魅力的だと自信があったから。

「鍵を返して欲しいんだ」

それなのに、なんでそんな言葉が俺につきつけられるんだろう。

この間、そいつと一緒のお前を見た。
俺と一緒の時には見せなかった顔をしていた。
俺とつきあい始めた時にも見せていなかった顔だったかもしれない。
安心と愛情が混じった、たぶんあれが『幸せそうな顔』って言うんだろう。

離れたくない。
今でも好きだ。
でも、お前が大好きだから。
だから言ってあげる。

「さようなら」

66215-449 大好きだからさようなら:2009/02/26(木) 00:39:40
この日を、笑顔で送ろうと思っていた。
お前と俺がさよならをする日。
お前が心配しないように、俺頑張ったんだぜ?
苦手だった料理もするようになったし、嫌いだった掃除機もかけるようになった。
洗い物もちゃんとやってるよ。
じゃんけんで代わりにやってくれる人、もういないもんな。
あ、あと就活も頑張ったんだぜ。
希望してたとこ、なんとか潜り込んだぞ。
これからやってけるか不安だけど、やれるだけやってみるよ。
人付き合いも面倒くさいけどお前見習って友達もつくってみる。
この部屋とも今日でさよならだ。
お前とたくさん話して、泣いて怒って笑った部屋。
笑顔でお別れしたいのに。
写真に写るお前を見ると、今でも会いたくてたまらなくなる。
なんでお前がいないんだろう。
俺の隣にはお前の場所しかないのに。
一年間、俺はがむしゃらに頑張ったよ。
お前とさよならするために。
今までありがとう。
最後に一度だけ泣いてもいいだろうか。
本当に大好きなんだ。
でも大好きだから、俺は前に進まなきゃ。
いつか会った日に、情けない姿なんか見せられないだろ?
俺、頑張るから。
後ろから見ててくれ。
お前より先へ進む俺を見守っててほしい。
お前の一周忌、俺はお前とさよならをするよ。

66315-479 仲間はずれ:2009/02/27(金) 21:50:58
僕はSFCを持っていない。だから休み時間も会話に入れなかった。話題の中心はこのあいだ出たゲームの話ばかりで、すっかり時代遅れになってしまったFCの話なんて全然出ない。
前はこうじゃなかったのに。ソフトを貸し借りしたり、一緒に対戦したり楽しかったのに。いつの間にか、みんなSFC世代になっていた。お父さんが生きていればなぁ。そうしたらSFCだって買ってもらえたし、仲間外れになんかされなかったのに。ねだり続けてようやくFCを買って貰った僕には、SFCはとても手の届かないものだった。
「お、どうした斉藤」
「あ……先生」
昼休みなのに遊びに行かずに教室でボーッとしていた僕に
、先生が声をかけてくれた。僕の担任の山口先生は、お父さんと大の仲良しだったんだって。お父さんのお葬式でわんわん泣いている男の人がいたのを、僕はうっすら覚えていた。そのせいか先生は僕を気遣って声をかけてくれるんだ。お父さんが生きていればこんな感じだったのかなって思うと、僕は山口先生が大好きだった。
「あのね、僕だけSFC持ってないの。だから仲間に入れなくて、僕……。お母さんSFC買ってくれないんだよ」
「うーん、お前のお母さんも大変なんだよ。お前のために夜遅くまで働いてるんだろ?」
「それは、わかってるけど」
でも、欲しいんだ。仲間外れはいやだよ。
「ねぇ先生、お父さんが生きていれば、お父さんは僕にSFCを買ってくれたかなぁ?」
「うーんどうだろうな。……そうだな、テストで満点をとったら、もしかしたら買ってくれたかもしれないな」
テストで満点かぁ。いつも70点台の僕にはちょっと難しいだろうなぁ。それに本当に100点が取れてもお父さんがいないなら意味がないよ。
「ハハ、そう口をとがらすなよ。……斉藤、ちょっと耳を貸せ」
そういって先生は腰を屈めた。内緒話をするように手を丸めて口に当てている。一体なんだろう?僕は先生に一歩近づいた。
「実はな、先生はお前のお父さんと約束しているんだ。お前が本当に望むことを一つだけ叶えてやって欲しいって。一つでいいから、どんなことでも叶えてやってくれってな」
こそばゆさを耳に感じながら僕はとても嬉しくなった。お父さんが僕を気遣ってくれていたこと、先生が僕の願いを叶えてくれること。なんだか先生がサンタさんに見えてきた。
「先生ぇ耳かして」
ちょっと背伸びして、さっきの先生と同じように手を丸めて口に当てた。
「じゃあ僕がSFCが欲しいって言ったら先生は買ってくれる?」
「お前がテストで100点をとったらな」
やった! 夢みたいだ! 僕もSFCが出来るんだ! またみんなと一緒に遊べるんだ!
飛び上がって喜ぶ僕に先生は呆れながら、テストで100点とれたらだぞ? と言ったけど、SFCが手に入った想像で頭がいっぱいだった僕の耳には入らなかった。
「だがな、斉藤」
そう告げた先生の声はなんだかいつもと違う感じがした。先生の両手が僕の肩に掛けられる。怖いくらい真剣な顔をしていた。前に、みんなで飼っていた金魚が死んでしまったときに話してくれた、命の大事さの授業と同じくらい。
なんだかいつもの優しい先生じゃないみたいで、緊張してしまう。
「お前のお父さんとの約束で、願いを叶えてやるのは一つだけなんだ。もしSFCを買ってやったら、ほかにどんなお願いがあっても先生は叶えてやれないんだぞ。本当の一生のお願いなんだ」
僕はよくお母さんに一生のお願いって何度も言うけど、そうじゃなくて本当に最初で最後なんだ。……どうしよう。
「もしSFCを買って貰ったら、ほかには買ってくれないってこと?」
「ああ」
「……でも僕は、SFCが欲しいんだ……」
「わかった。……まぁそのためにはテストで100点を
とらないとな! 98点でもダメだぞ?」
ニカって笑う先生はいつも通りで、僕はほっとする。そして先生に向かって勢いよく手を挙げて、ハイっと返事をした。

*** *** ***

あの時、どうしてあんなくだらないことに親父の遺言を使ってしまったんだろう。先生は「どんなこと」でも一度は叶えてくれると言っていたのに。
俺の恋人になってよと泣いてすがって見せても、先生は「一生のお願いはもう使ってしまっただろ?」と苦笑するだけだった。
先生の心は親父がずっと支配していたのだ。どうしてガキの頃のあの状況を、仲間外れだなんて思えたのだろう。仲間にいれてと勇気を出して一言告げれば良かっただけなのに。
本当の仲間外れは、こういう状況こそ言うんだろう。先生の心に俺が立ち入る隙などどこにもなかった。

66415-509お互いに妻子ありの幼なじみ:2009/03/01(日) 22:54:34
「久方ぶりに時丸をみたが、ありゃあ本にお前さんの生き写しじゃなあ、なあ」
「阿呆、もうあやつはとうに時丸ではないわ」
もうろくじじいが、領主の名も忘れたのかと、同じく白髪のまじる年寄りが何やら皮肉を言っているが、もうろくと一緒に耳も遠くなったわと茶化してやれば、あの頃と変わらぬ血気盛んな剣幕で拳を振りあげてくる。
若い時分は、顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた。元服して髷を結い、戦陣を駈けるようになっても、共に妻を娶り、子を持つようになっても、二人の関係は変わらず年ばかりを重ねたように思う。
齢17にして家督を継いだ男の、頭主としての双肩にのし掛かったその重圧や、己なぞが測り得るものではなかった。
だか、こやつを取り巻く周りが、目まぐるしく渦巻いては黒々と追いつめるようにこの男をせき立てていたことだけは、20に足りぬ若造にも嫌と言うほど感じることができた。
ならばワシにできることは何か。変わらずに、変わってゆくこやつを、変わることを強いられる我が主を、己の前だけでは変わらず、言いたいことを言い、童のままでいさせることはできまいか―――――
そんな風に考え、その後考える間もないくらい激動の時代を共に生き抜いて、結局幼い思いつきを改める暇もなく今日に至っている。
「まったく貴様はジジイになってもちいとも変わらんな!」
「いやいや、こうしてお前さんをあやせるくらいの余裕は出来たからのう」
「何を言うか、昔からワシを一方的に振り回していたのはどこのどいつじゃ!」
「はっは、そう怒るな怒るな。綺麗な顔が台無しじゃあて」
「………!」
なにをふざけたことを…と、小さくなる言と紅の指す顔は、生娘のように可愛らしい。さすがに惚れた弱みと言いながらも、ぼけたものだと内心己に呆れたが、それでもやはり美しいものは美しいのだから仕方がなかろうと一人納得する。
「こんな皺の寄った顔のどこが綺麗じゃ、阿呆たれ…」
「んにゃ、お前さんは綺麗じゃあ。いくつになっても、この目に映る姿はあの頃のままじゃて」
にこりと笑ってやれば、ふざけるなと拳固が一つ。しかしまったく威力のないそれは、拳までが真っ赤に染まっている。
肩の荷が幾ばくか降りた今、余生を過ごすこの城はあまりにも寂しかろう。目の前の美しい主の幸福を切に願いながら、赤い御手を見つめながらこそりと一人笑みを深めた。

66515-509お互いに妻子ありの幼なじみ:2009/03/01(日) 23:53:26
「美咲さん今何ヶ月だっけ?」
「えーっと……8、かな。来週実家帰るって。あ、智子さん何度も飯お裾分けしてもらってありがとな。美咲より旨いから助かるよ」
たまたま帰りが一緒になって、駅から家までの10分を共に歩く。俺が住んでいたマンションにこいつが越してきて以来、よくある光景だった。
「あいつなんかの飯でよければ何度でも。そうか、もう8ヶ月か。じゃあウチんとこの圭介と一緒に学校通えるのか」
「だな。男の子らしいから、俺たちみたいに仲良くやっていけたらいいな」
「まったくだ」
そういってあいつは笑った。俺たちみたいに仲良くか。自分にしちゃ皮肉が効いているな、と内心自嘲した。こいつも笑って流せるくらいになったんだな。
俺とこいつは物心が付く前からのつき合いで、気づけば側にこいつがいた。喧嘩もしたし、親に言えないような悩みをいくつも相談しあった仲だ。
唯一無二の親友だと胸を張って言えるし、俺が妻を最初に紹介した友人もこいつだった。逆もまたしかり。こいつに子供が出来た時も素直に祝うことが出来た。
思春期の気の迷いで結んだ肉体関係。高校から大学にかけて、こいつとは何度も体を交えた。
きっと何年何十年と年を重ねてもこいつとずっと一緒にいると思ったし、こいつ一人を愛し続けるものだと思っていた。
だが、時の流れというのは残酷なもので。いや、これ以上は思い返しても仕方ないことだ。
結局俺とこいつの関係は世間でいう幼なじみに落ち着いたのだ。それ以上でも以下でもない。俺たちの妻も、俺たちの過去に疑問を持ったこともなかった。
「美咲さん実家帰ったら家に来いよ。一人じゃ帰ったとしても寂しいだろ」
「バカ言え。もう俺も一児の父だぞ?寂しいもクソもあるか」
「子供を持っても一人寝は寂しいもんだ。それになんでだか圭介はお前が来ると機嫌が良くなるんだよ。パパとしては心中複雑だ」
「俺のこともパパだと思ってるんだろ。少しは俺の種も混ざってそうだしな」
「あの頃は散々中に出してくれたしな。そういえばしょっちゅう腹をこわして大変な目にあった」
ちょっときわどい冗談を口にしても、もう沈黙が生まれることもなくなった。お互い大人になったのか、それとも傷が癒えたからだろうか。
「まぁマジな話、飯くらいは食いに来いよ」
「考えとく……った」
「ん、どうした?」
「あー、唇切れた」
チリッと走った痛みの箇所を舌でなぞると血の味がする。この時期になるといつもこうだ。俺は顔をしかめた。
「またかよ、お前も本当学習しねぇよな」
「うるせーよ」
俺をバカにするように笑ったこいつはポケットをまさぐったかと思うと、深緑色のスティックを取り出した。
「ほらよ」
「ん、悪いな」
「いいってことよ」
それは微妙に使い込まれたリップ。こいつが使ってたので形は斜めに削れている。唇に塗りつけると、独特の爽快感を唇に覚えた。
「ありがとよ」
「やるよ、お前しょっちゅう切れてるし」
「これくらい自分で買うっての」
そう言いつつポケットに押し込んだ。家に帰れば、同じようにこいつから貰ったリップが一体いくつあるだろうか。
これだけは俺とこいつの関係が変わっても、変わらない習慣だった。
また来年、俺の唇が切れる時にもこいつは側にいるだろうか。俺がリップを携帯しないことを追求せずに、また新しい物をくれるのだろうか。
直接唇を合わせることはもうないけれど、こうして俺たちは間接的に唇を重ね続ける。

66615-529 家で散髪 1:2009/03/03(火) 01:30:34
「あっ。」
呟いて、コウキが手を止めた。うつらうつらしていた俺は奴の声で覚醒し、目を開けた。
風呂場の鏡に写っているのは俺。風呂椅子に座って前掛けをしている間抜けな格好。
それでも、自分で言うのもどうかと思うが、なかなかの色男だ。
……が、問題はそこではない。
「なぁ。」
「はい。」
「なんかここ……」
「何のことでしょうか?」
鏡の中のコウキはにっこりと笑った。だが俺はつられない。
「ここだけ変に短くなってんだけど。色男が台無し。」
「自分で色男とか言うんじゃねえよ! だいたい変とかなんだ! わざとだわざと! アシンメトリーって流行りなんだぞ。流行遅れが。」
さっきまできれいに微笑んでいたのに、あろうことかキレやがった。この場合怒る権利は俺にあるはずだ。
だいたい流行遅れとはなんだ。これでもモテるんだぞ。
「正直に失敗したって言えよ! だいたいテメエが出来もしねえのに『切ってやろうか』なんて言うからこうなるんだ。」
「は!? バカにすんなよ!? 俺今カット習ってるしこの前母さんの髪だって切ったんだからな。」
「まだ専門卒業してねーだろ。俺の髪切るなら国家試験受かってからにしてくれ。」
むっとした表情を崩さない奴に俺は続ける。どう考えても調子に乗った奴が悪い。
「ったく。とりあえずこれどうにかしろ。絶対友達には笑われるし。あー女の子にも指差されたらどうすんだよ。」
奴が黙った。僅かに顔を伏せたのが鏡ごしに見えるが、表情は見えない。
急に静かになったのが不思議で、何の気なしに振り向いた。

66715-529 家で散髪 2:2009/03/03(火) 01:34:44
奴は鬼の形相だった。
怒りにうち震えるとは正に今の奴のような状態を言うのだろう。
内心気圧されていると、徐に奴が口を開いた。腹の底から捻りだしたような声だった。
「アキは、女の子に指差されたら、困る、のか……」
「はぁ?」
「俺がいんのに、女の子からどう見えるかとか気にすんのか……」
「いや、ちょ……」
分かった。こいつは誤解をしている。
俺が大学で女の子にモテてウハウハしてるとでも思っているのだろう。可愛い嫉妬だ。どうせなら怒り方も可愛いともっといいのだが。
「ごめん。コウキがいれば女の子や友達からどう見えても関係ない。」
こういう時は謝るに限る。実際今の台詞は100%……いや、99.9%くらいは本音のはずだ。多分。
「本当だな?」
「うん。」
俺の本音の0.1%には気付かずに、奴の機嫌は上を向いたらしい。
しかし、次に告げられた一言には流石の俺も面食らった。
「よかった。じゃあ俺も本当のこと言うけど、さっき短くなってるって言われたとこ失敗した。あとついでに言っとくと、母さんの髪切った時も実は失敗して、N海KディーSのYちゃんみたいな髪型になって泣かれちった。」
一息に言って奴はけらけらと笑った。
Yちゃんの髪型がそんなにあれか、失礼だろう。母親にも謝れよお前。それより、まだカットに慣れてないそんな腕前で俺の髪切ると申し出たのか。
頭がくらくらした。しかしここで怒鳴っては先程の状態に逆戻りだ。ポジティブに考えよう。

66815-529 家で散髪 3(終):2009/03/03(火) 01:38:39
「お前俺のこと大好きだな。」
「当たり前じゃん。じゃなきゃ恋人って言わないし。」
「そうじゃなくてさ、もしお前がお前の母さんの時みたいに失敗して俺の髪型がYちゃんになっても、俺のこと好きってことだろ?」
奴が黙った。てっきり「当たり前だ」と鼻で笑うと思ったのだが。
そして奴は言った。
「アキ」
「ん?」
「ごめん。やっぱり美容室行って切り直してもらってください。」
結局そうなのか。
なんて奴だ。可愛くない。
俺がキレそうなのを我慢した甲斐がどこにもない。



「でも」
「俺が卒業して試験受かって上手くなったら、俺だけに切らせろよ。」
前言撤回。やっぱり可愛い。

66915-569 数学教師と不良生徒:2009/03/09(月) 19:43:58
【3x²+15x+12=0を因数分解しなさい】
「この問題どうやって解くか知ってるか」
俺は、高校生ならば解けてほしい問題を指さす。
北村はうちの進学校一の問題児だ。進学校には相応しくない不逞な行動・授業妨害・成績の悪さから、教師たちは彼をけむたがっていた。
何故か北村は俺だけにはあまり反抗しない。多分俺が一番生徒教育にやる気がないからだろう。そのためか、俺は北村の専属補習教師という肩書きをつけられてしまっていた。
今日も放課後、誰もいない教室に残り数学を教えてやっていた。
「わかんねぇ」
「こうやるんだ。たすき掛けって知ってるか?組み合わせを考えるんだ」
やり方を説明する。しかし北村は俺の手元など見向きもせずに「知るか」と言った。
「知ろうとしろ」
「俺には数学なんて必要ない」
北村は少し前髪にかかる髪をくるくる手でねじりながら言った。
「なぁ、なのになんで数学なんて勉強しなくちゃなんねんだよ」
「…」
俺は黙った。すると今まで強気な相手の態度が少し和らぎ、その代りに不安げな表情が顔に現れた。
「なんだよ。…怒ったのかよ」
「いや…、なんでだろうな」
「は」
「なんで、勉強するんだと思う?」
俺が代わりに質問すると、北村は語気を荒げた。
「てめぇ、教師だろ」
ふ、と笑う。
「落ちこぼれのな」
それを見ると北村は潜めた眉毛を緩めた。
「…俺が知るか。ていうか俺は勉強しなくてもいいと思ってる。だから今までもこういう成績だ」
「そうだな」
ちらりと、北村は俺の方を見る。
「お前らはなんで俺らをそんな勉強させたがるわけ?」
「…」
「言っとくけど、俺のためとか訳わかんねぇこと言い出したらぶん殴るからな」
自分のため、と言われたいのだろうか?俺は少し考える。
「お前のため、か」
北村の目を見ながら、俺はしばらく考えた。北村は何故か俺の行動に少し狼狽しているようだった。頬がほんのり上気しているようだった。
「なんだよ、こっちジロジロ見やがって」
「考えてるんだ」

67015-569 数学教師と不良生徒 2:2009/03/09(月) 19:52:18
「ふん…答えてやろうか」
「言ってみろ」
なんだ、自分の答えを持っていたのか。俺は北村の答えに興味を持った。
「俺みたいな奴が野放しだったら都合が悪いからだろう。私達は落ちこぼれも見てあげてるのに彼は反抗する。だからこちらとしては彼が問題を起こしたときも精一杯対応しましたーっていう体制を整えたいんだ」
「そうなのか」
「そうに決まってる」
こういう簡単な言葉で他人の心理をつく北村は、本当は頭は悪くないのだと俺は思う。
「まぁ、確かに他はそうかもしれないな」
「お前は違うのかよ」
「個人の気持ちとしてはな。…俺は数学が好きなんだ」
しばらく考えた末に、やっと思い立った自分の答えを、俺はゆっくり導き出した。
「は」
「あらゆる無駄を一切省いた公式が美しいと思う。xy座標に描かれるサインの曲線にみとれる。地球を何周しようがお互い一切交わることのない平行線の力強さに心を奪われる」
「それがなんだ」
「俺にはそういう美しさを数学の中に見る」
「で?そういうウツクシサを俺にも見せてやりたいって?」
シニカルな笑みを見せて、北村は聞いた。それに俺は北村の目を見て応える。
「いや。多分俺が見たいんだ。お前と」
「は…」
「俺はお前の発言とか、考え方をこの補習の間に少しでも知って興味が沸いてるんだ。だから一度お前と一緒にそれを見てみたい。…お前をもっと知るために」

67115-569 数学教師と不良生徒 3:2009/03/09(月) 20:02:24
「…告白?」
しばらく時間が経ってから、北村が喉の奥から絞り出したような声を出した。
「…そうとるのか」
「違うのかよ」
ちょっと俺は自分の言ったことを思い返して言う。
「いや…違わない」
「…まさか、こんな風にこんな告白をあんたからされるとは」
目をそらしながら北村が言った。
「俺も想定外だ。…少し熱くなりすぎたよ」
本当にその通りだ。普段こんなに喋らないのに。明らかに喋りすぎだ。
「へぇ」
「恥ずかしいな…忘れてくれ」
やっと今言ったことの影響が二人にとっていかほどなものかを実感して、羞恥がどんどん自分にふりかかる。
「忘れられるか」
「やっぱりだめか」
「…嘘なのか」
ぽつりと北村が言う。
「いや…今いった気持ちは確かだ。話してみたいよ、一度。お前と。
だって知らないだろ?πもiもベクトルも」

67215-569 数学教師と不良生徒 4(終):2009/03/09(月) 20:08:00
「…アイなら知ってる」
黙って聞いていた北村はそう言うと、いきなり椅子から立ち上がり、俺に唇を重ねてきた。
「!」
「こういうことだろ?」
赤い顔をして、にやりと笑う。
「で、パイはこれだ」
そして俺の胸に手をあててきた。
「…親父ギャグだな」
「違うのか」
「まさか本気で?」
「誘ってるのかと」
「馬鹿野郎」
俺は笑って接近してきた北村を優しく押し戻す。
北村もそんな俺をみて、穏やかに笑った。そして小さな声で言う。
「…あんたがそう言うなら、数学やるのも悪くないかもしれない」
「え」
今度はおれの方をみて、勝ち誇ったような顔ではっきりと言った。
「ウツクシサってやつがわかるように、これから数学だけは努力してやる。感謝しろよ」
「…ふ」
子供じみた言い方だ。そうだ、コイツは8歳も年下なんだったな。今更思い当たる。
「笑うなよ」
口をとがらせる北村に俺は素直に自分の気持ちを打ち明けた。
「嬉しいんだよ」
それを聞いて、赤かった相手の顔がさらに耳まで赤くなる。
「なんだよ…」
俺はすかさず二人の間にしかれている問題用紙をあらためて指さした。
「じゃあ、まずはこの問題が解けるようになることからだ」
「げ」

さっき彼が「i=愛」という式を証明しようとした。
iは虚数解だ。実数で上手く表すことが出来ない虚ろな解。
今の俺とこいつの関係は果たして「愛」なのか?答えは限り無く不明。
俺には理解出来ない。
でもだからこそ。確かにこれは、この関係は。

「『アイ』だな」
「は」
「なんでもないよ」

67315-629 長い冬の終わり:2009/03/14(土) 12:44:18
雪が溶け始める頃に、今年もあいつはやって来る。交代に来たよと優しい笑顔を浮かべて。

「何か変わりはあった?」
自分の軽い体を枝の上に座らせながら、春が聞いてくる。枝に残っていた雪は静かな音を立て、真下に落ちていった。
「あの赤い屋根の家に赤ん坊が生まれたよ」
すっと俺が指差すと、春は思い出したように目を細めた。
「そうだったね、この前はお腹の中にいたのに、早いもんだね」
後で見に行ってみようと楽し気にはしゃぐから、俺はわざとらしく溜め息をついた。
「お前は少ししかこの町にいられないから早く感じるかもしれないけど、俺はもう飽きるほどだ」
この町の冬は長いから、その間ずっと一人でただただ雪を降らせるだけの仕事。降らせ過ぎれば嫌われるし、降らさなければ心配される、加減の難しい仕事。
春はけたけたと、柔らかな髪を揺らして笑う。
「冬の仕事は大変だねえ。僕なんて、ほら、こうやってれば良いんだから、楽なもんだよ」
そう言ってクイッと指先を動かすだけで、俺が地面に眠らせていた植物や動物を起こしてしまう。簡単な動作なのに、その瞬間から止まっていたものが動き出す。
柔らかな日差し、楽しそうな人達。そういったものは、冬にはなかった。
時々、春が羨ましいと思う。出来ることなら春になりたかった。
黙って春の横顔を見ていると、雪が溶けて小川になる音がした。
「行く時間だ」
すっかり流れてしまった雲を合図に腰を上げると、春が驚いたように顔を上げる。
「もうそんな時間?」
俺を惜しんでくれるのは、春だけ。俺は照れ臭い気持ちで頷く。
春は立ち上がって、俺に手を差し出す。別れの握手。いつもの、お決まりの挨拶。握った手は、俺と正反対に温かかった。
「またね」
春の頬は俺と入れ違いに咲く花と同じ色。二人並んで見ることはない、花の色。
「ああ、また来年」

冬として生きて、またお前に逢えることを楽しみにしているよ。

674恋すてふ〜:2009/03/16(月) 02:06:46
「まさにコレだよな?」
『恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思いそめしか』
古文の教科書を読みながらそんな話をしたのは、確か放課後の図書室でだったと思う。
「まさにだね」
教科書をめくって勉強のポーズを取りながら、たわいない恋愛話を小声で交わしていた。
「で、噂は本人には伝わってないの?」
「それがさあ!」
思わず大声になった俺に、彼は人差し指で静かに、の合図をした。
「…なんかもう伝わっちゃったみたいでさ、」
「…何か言われた?」
「や〜、彼女の友達の、小林っているじゃん?あいつがさ、エミちゃんは『友達以上には見れない』って言ってたよ!って」
「そう…」
その時の彼の表情は、教科書で隠され読み取ることが出来なかった。
「告白してもないのに振られるってなんだよ…せめて告るまで待ってくれよ〜」
「君はすぐ顔に出るからね」
「おまえは全然顔に出さないよなー」
「……そうだね」
すると彼は教科書を差し出し、
「僕の場合はこれ」
そう言ってある短歌を指差した。
『玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする』
「これどんな意味?」
「たまには自分で調べなよ」
「なんだよ〜教えてくんないの?」


結局その歌の意味を俺が知るのは、だいぶ後になってのことだった。

67515-679:2009/03/16(月) 23:53:53
身長差というお題に萌えて勢いで書き上げたけどその前の*0をゲットしてしまったので連投を控えこちらに投下。
あとなんか身長差っていうお題の割りに身長差が目立ってないかもしれません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺を見上げる日野のしぐさ。俺はそれが好きだ。
必然的に上目遣いになるし、俺のいろいろな補正も加わってとにかく可愛い。
やはり毎日息を止めて牛乳を一リットル飲んでたのは正解だったと思う。
そのおかげで今の俺があるのだ。
身長180cm。必死こいて筋トレしたおかげで俺はいい具合に筋肉のついたソフトマッチョだ。
そしてイケメン。自分で言うのもなんだが俺はもてるほうだと思う。

でも、一番告白してほしい人には今日も振り向いてもらえない。
あいつが「如月ってもっと姿勢をちゃんとすればもっとかっこよくなるよ!」っていったから俺はちゃんとするようになった。
あいつが「服に着られてる如月より着こなしてる如月のほうがずっといい」っていったからおれは雑誌を読み漁って着こなせる男を目指した。
でも増えるのは知らない奴とかからの告白ばかりで。一番望んでいた「あいつからの愛とか告白とか」はまったくないまま。
それとなくアピールしてみたりだってした。
ちょっと昔の歌みたいにわざとらしくラブレター見せたり。偶然を装って帰り道で待ったり。
好きなタイプはちっちゃくて茶髪ショートな子。身長差があるといいなあ。
あいつの前でそんな「俺の好きな人」の話をしてもあいつはただにっこり笑って話を聞いてくれるだけで、俺の思い人が日野だってことにまったく気づいてくれない。
告白してみようか。でも、もしそれで関係が崩れたら?それが怖い。
(世界中のどんな奴より日野のことが好きなのに)



僕を見下ろす如月の視線。僕はそれが好きだ。
なんだか優しい感じがするし、とてもかっこいい。
だから僕は身長を伸ばしたくなかった。
牛乳なんて飲まなかったし、カルシウム系統も嫌った。
そのおかげで今の小柄な僕がある。
如月以外の人には小さいってからかわれるけど、そのおかげで如月の大きい手に頭をなででもらえるんだから別に気にならない。

でも、最近如月がもっともっとかっこよくなった。
僕が健康を心配して姿勢のことを言ったら次の日から如月は背筋をピンと伸ばして生活するようになった。
しゃんとした姿勢の日野はいつもよりもっともっとかっこいい。さすがだと思う。
別の日に、僕が如月のファッションの相談に乗った。
何を言ったかはあまり覚えてないけど、その次の日から如月がものすごくかっこよくなったのを覚えている。
かっこいい如月がかっこいい服を着こなすんだからそりゃもうかっこいいんだ。
そんな如月の隣を、僕はずっと占領してきた。
でも、でも。最近如月がいろんな女の子に告白されるようになった。
そのたびに如月が断っているみたいだけど、僕は知ってる。如月には好きな子がいるんだ。
帰り道にいつも話してくれる、ちったい茶髪ショートな可愛い子。身長差がいいんだって如月は言う。
如月が時々僕のことを優しい目で見るのは、きっと僕にその子を重ねているんだと思う。
話を聞くたびに、その子が僕に似てるのがわかるから。
きっとその子より、僕のほうが如月のことをずっとずっと好きなのに。
(でもそんな醜い僕を知られたら、如月は軽蔑して去ってしまう)


((どうすれば、思いを伝えられるんだろうか?))

67615-679 身長差:2009/03/17(火) 00:56:51
「背が高いんですね」
 そう後ろから声をかけられたのは、俺が新入生に部活の案内をしていた時だった。
「バスケ部に興味あるのか?」
 そう勧誘したものの、彼の身長は俺よりも頭一つ低かったので、正直戦力として期待できず、
俺はそれほど熱心ではなかった。
 だが彼は嬉しそうに俺から入部用紙を受け取り、そのままその日に入部した。

 今は俺の隣でバスケットボールを磨いている。
「先輩、あの上の荷物とってもらえませんか?」
 実は俺がいない時に、自分で台に乗って荷物を降ろしているのを知っているのだが、
なんとなくこいつには弱くて言うことを聞いてしまう。
「ありがとうございます」
 こういう笑顔をもらえるのは悪くないし。

「先輩、こっちに来てください」
「何だ?」
「はい、ここ立って」
 俺は柱の前にたたされた。
「オレの身長がここなんですけど、先輩はここだから…。15cm差かな」
 そう言われて俺は言葉につまった。
 こいつは選手としては身長が低いので、いつもベンチに座っている。
 背はそのうち伸びるなんて、気休めは言いたくなかった。
 彼の家族は身長の低い人ばかりだと言っていたし、今伸びていないならこの先も見込みは薄いだろう。
 きっと永久にレギュラーにはなれない。
 彼がうつむくと俺にはまったく顔が見えないので、いつも慌てる。
「落ち込むなよ。好きなんだろ? それでいいんだよ」
「いいと思います?」
「そうだよ。好きだって気持ちが大事なんだからさ」
「先輩も?」
「おう、大好きだ」
「オレこんなに身長低いのに」
「関係ないって」
「嬉しいです」
「そうだよな。同じ思いのやつがいると嬉しいよな」
「でも不便ですよ」
「何が?」
「ちょっと下向いて下さい」
「ん?」
 チュッと音がした。あれ?と思っていたら、あっという間に机の上に体を押し倒された。
「こういう時。でも身長なんて関係ないですもんね」
 あれ? なんかおかしい。
「先輩の試合の邪魔はしないようにしますから。ああ、やっぱり同じ部活に入って良かったなあ。
スケジュールがばっちりわかるから」
 試合の邪魔って?

 その答えは数日後に充分すぎるほどわかった。
 とてもじゃないが、試合どころではなかったが。

67715-729 はじめてのおつかい:2009/03/20(金) 23:59:37
「『ベルナード通りのメリーナさんにこの手紙を届けてください』…って
これはどう見てもラブなレターです本当にありがとうございました」
「中身を見たら依頼は失敗扱いだぞ」
「いやだって表に堂々とハートのシール張っといて実は中身は『決闘を申し
込み致しますで候』とかいう線はないだろう」
「まあその方が冒険者の酒場に張られるのには適した依頼だと思うがな」
「というか荒くれものが集まる酒場に依頼できる根性があるならラブレター
渡す位楽勝だと思うんだよな。…つーかこの依頼主、あの親父にこの依頼を
渡したんだよな」
「個人的にはウェアウルフをこんぼうで撲殺しに行けと言われた方がまだ気が
楽な気がする」
「やべ、俺ちょっとこの依頼主尊敬しちゃいそう…応援したくなってきた…」
「…やる気が出てきたか?」
「おうよ!千リールの道も一歩からっつーし、それに俺らが冒険者になってから
初めての依頼が勇気ある青年の恋路を応援するってのは幸先がいいじゃねーか!」
「多分そのことわざは間違っている。…幸先がいい、とは?」
「ま、それはこっちの話だな!それじゃーちゃっちゃか行ってちゃっちゃか次の
依頼を貰いに行こーぜ!まだまだ先は長いんだからな!」
「…そうだな。これから、二人で旅をしていくんだからな」
「そういうこと。まあ俺に任せとけって!」
「…何をだ?」
「それもこっちの話だな!」

67815-729 はじめてのおつかい:2009/03/21(土) 00:03:57
豚肉と、玉ねぎと、福神漬け。
…たったそれだけの買い物でも、その時の俺にとっては大冒険だった。
一緒に遊んでたマサキを無理矢理引っ張ってって、近所の八百屋に行ったら玉ねぎがなくて、
子供の足で歩いて20分かかるスーパーに行ったら、帰りに思いっきり道に迷って、
こけて、袋破れて、玉ねぎ転げて、悔しくて、…すっげえ泣いたのを覚えてる。
マサキが服の裾で玉ねぎ抱えながら、もう片手で俺の手をぎゅっと握ってくれて、
それが痛いけど暖かかった。とにかく心強かった。
でもマサキは口ひんまげて、泣くの必死で堪えてて、
…家の灯りが見えた途端、俺より大泣きしてたのも、覚えてる。

***

「絶対欲しいの何よ」
「えーと、福神漬け、肉、…豚肉安いからそれで。あと玉ねぎ」
「了解。…マジで?」
マサキが挙げた3つは、見事にあの時と被ってた。
「わざとじゃねえだろな」
「わざとじゃねえですよ。…いやホントだって、偶然」
笑いを噛み殺しながら、マサキは続ける。
「道に迷うなよ」
「迷わせたのお前。俺は大丈夫ですー」
「コケても泣くなよ」
「はいはい」
「ホントかねえ。俺一緒じゃないよ、手繋いでやれないよ」
「いらねーよ、バカ」
ニヤニヤするマサキに苦笑しつつ、俺はキーを手に取って、
「んじゃ帰ってきたら繋いでね」
「へ」
不意打ちくらってぽかんとするアホ顔に見送られながら、新居のドアを閉めた。
…んじゃ、こいつと暮らしてから初めてのおつかい、行ってきますかね。

67915-699 別れの言葉:2009/03/21(土) 16:43:15
ちょっと古いお題ですが。

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平日朝イチのN駅新幹線ホームは、静かだった。
三月終わりとはいえ朝はまだ冬の気配が色濃くて、キンと冷えた空気が人気の少ない静かなホームを包んでいる。
「なんで、入場料わざわざ払って、ホームにまでくるかな。...つか、こんな朝早くに見送りに来なくたっていいのに」
「えー?誰かが見送った方が『旅立ち』って感じがしね?」
「裕介はあさって出発だっけ?」
「そう。入寮日が決まってるから」
この四月から、俺は京都で裕介は北海道で、それぞれ大学生活が始まる。
小中高と同じ学校で、気がつけばいつも一緒にいて、一緒にいるのが当たり前で。
でも、俺は高校に入った頃から一緒にいるのが辛くなってきていた。
裕介のことが好きだと、俺自身が気がついてしまったから。

自覚してしまうとどうしようもなかった。
一緒にいればいたで裕介の言動に内心で一喜一憂し、離れていればいたで今頃裕介は何をしているだろうかと悶々とし、夜寝る前にはその日の自分の行動に自分の気持ちが現れた不自然な行動がなかったかを思い返してドキドキし、一度は裕介を見ないようにすれば少しは楽かと部活に熱中して裕介から距離を置こうとしてみたが、裕介はそんな俺の気持ちなんか知らずに無邪気に近寄ってくるからあえなく挫折し。
お互い、どうしてもやりたいことがあるから選んだ大学は遠く離れていて、俺は寂しく思うと同時にほっともしたのだ。

ホームに滑り込んできた掃除済みの始発新幹線が、俺の立っていた乗車位置表示の前に、ぴったりとドア位置を合わせて止まった。
乗車案内のアナウンスと圧縮空気の抜ける音とともにドアが開く。
俺はバッグを持って新幹線へ乗り込んだ。
デッキで振り向くと、裕介と目が合った。
「新生活、がんばれよ」
「ああ、明日にはもうこの笑顔には会えないんだ」と思った時、俺の胸の中に大きな熱い塊がうまれた。

何を言うつもりだ?止めておけ。盆や正月にたまに顔を合わせて、思い出話に花を咲かせて笑いあう、そんな未来を捨てるのか?
でも、遠い場所で俺の知らない人間達と出会う裕介に、次第に忘れられていくことに俺は耐えられるのか?
ならばいっそ、ここで自分の気持ちを口にしてしまえば楽になるじゃないか...

喉元にせり上がるものを押さえつけるように唇を噛み、グルグル考えていた俺の耳に発車ベルが聞こえてきた。
俺は、その音に背中を叩かれたかのように、その言葉を口にしていた。
「裕介。俺、お前が好きだった。ずっと好きだった!」
裕介の目が大きく見開かれる。
その表情から目を逸らし、「元気でな!」と捨て台詞のように口走りながら俺はデッキの奥に逃げ込もうとした。

突然、ぐいと、腕をつかまれた。
発車ベルの響く中、無理矢理振り向かされて、デッキの壁に押し付けられる。
俺を追いかけるようにデッキに乗り込んだ裕介の顔が、目の前にあった。
「本当?本当に?!」
裕介は俺の返事を聞くより先に俺の唇を自分の唇で塞いだ。
発車ベルが途切れ、ドアが閉まり、新幹線が動き出す振動が体を揺らした。
唇を離した裕介に、俺は力いっぱい抱きしめられた。
「夢じゃないよな?嘘みたいだ。お前も同じ気持ちでいてくれたなんて」
裕介の言葉が聞こえてくるけれど、意味がよくわからない。...え?あ、いや、それよりだ。
「裕介、新幹線、出発しちゃったぞ」
「んなこと、どうでもいいって!」
「よくないだろ。切符持ってないだろ」
「...あ...ああああああ!!...京都までいくらだ?」
「新幹線で2万円ちょい」
「往復4万....って...あああ、貯金箱のお年玉が飛ぶ....」
「いや、次の停車駅で降りて帰ればいいんじゃないか?」
「お前、この状況でその選択があると思ってるのかよ?」
「いや、その選択が普通だし」
俺の両肩を掴んで、裕介は俺の顔を覗き込んだ。
「せっかく、実は両思いだったことがわかったのに、すぐに別れ別れなんて我慢できるかよ!ああ、話したい事がいっぱいあるぞ。話せなかったことがいっぱいあるんだからなっ!」
「両思い....え...え?」
「オレも、お前が好きだ。ずっと、こうしたかったんだ」
軽く唇に触れるだけのキスをした裕介は、まだ状況が信じられない俺の様子に少し困ったように笑って、取り落としていた俺のバッグを持つと自由席の方へ俺の手を引いた。
「切符は改札が来たら買うことにして、とりあえず座ろう。京都まではまだまだ時間があるんだ、ゆっくり納得させてやるよ」

結局、京都まで一緒に来た裕介は、まだ荷物もろくに無い俺の新居に一泊して帰った。
手持ちの金が足りなくて、帰りの切符代の一部を俺に借りて。
京都駅まで送りにきた俺への別れの言葉は、「今度会った時、金、返すから!」だった。

68015-739 何も伝えられないまま:2009/03/22(日) 17:52:26
「愛していると言ったら、お前は笑うか?」
「あはは、何の冗談だよ。陽気で頭がイカれちゃった?」
「全てを捨てて、お前と逃げてもいいと考えていた」
「止めといて正解だね。今までの上等な人生を、俺みたいなので棒に振っちゃ駄目だよ」
「最初に会ったときは、お前ほど腹立たしい奴は居ないと思ったのに」
「俺も初めは、そこら辺にいるお堅い軍人だと思ってたよ」
「不思議なものだな」
「そうだねー」
「あの手紙を読んだ」
「お、読んでくれたんだ?破り捨てられるかと思ったんだけど」
「結局、俺がお前を追い詰めたんだな」
「違うって。あのさあ、ちゃんと読んだ?あんたの所為じゃないって書いたよね、俺」
「お前を傷つけてしまった。俺はお前に対して厳しく接するばかりで」
「ンなことないよ。あんたと出会って、俺は随分と救われたんだぜ?」
「そのくせ、本当に伝えたい言葉は何一つ言えなかった」
「うん、それでよかったんだよ」
「……なんとか言ったらどうなんだ」
「あー、やっぱ聞こえてないか」
「目を開けろ。もう一度笑ってくれ」
「俺はここで笑ってるよ。あんたの右斜め上。あんたを見下ろせてるのがちょっと新鮮だ」


「本当は俺も伝えたかったよ。あんたのことが大好きだって」

68115-819 海の底:2009/03/25(水) 13:02:52
ひい爺さんが死んで3ヶ月。
俺はチャーターしたクルーザーで沖縄の海にいた。


ひい爺さんは、白内障の手術もしたし、補聴器も手放せなくなり
もしたし、足腰も弱くなったけれど、80歳を越えてもボケたり
せずに新聞を毎朝隅々まで読むしっかりした老人だった。
ゲイカップルの俺と淳司にひい爺さんは最後まで味方をしてくれた。
カミングアウトして親父に勘当されそうになった時、「ワシの所有
株は全部正樹に生前贈与する。それでも勘当できるもんならして
みろ」と言い放って親父を黙らせた。

言った通りに生前贈与の手続きをすことになった時ひい爺さんは、
「正樹と二人きりで話がしたい」と言い出した。
親父も弁護士も部屋から追い出すと、ひい爺さんはセピア色の
ボロボロの写真を出した。
それは男たちの集合写真だった。
皆、そろいのつなぎ姿だ。襟元に白いマフラー、頭には耳当ての
ついた帽子とゴーグル。背後にはゼロ戦。
真面目な顔をしている人も、にこやかに笑っている人もいる。
「戦争の時の写真?」
「特攻隊を知っているか?」
どきりとした。
第二次大戦末期、日本軍が実行した航空機による体当たり作戦。
パイロットの命と引き換えに敵の船を沈めるスーサイドアタック。
特攻隊員として出撃することは、死ぬことを意味していた。
「ワシはここにいる。右から、井沢海軍一等飛行兵曹、藤岡海軍
一等飛行兵曹......」
ひい爺さんはよどみなく20人ほどの写真の人物の名前を挙げて
いった。
「皆、沖縄の海に散った。ワシだけが、機体不良で出撃できず、
次の出撃命令を待っているうちに終戦を迎えてしまった」
ひい爺さんはそれだけ言って、しばらく言葉を切った。
何度か口を開いて何かを言いかけて、でも何も言えないまま口を
閉じて。
やがて、ひい爺さんは言った。
「正樹、お前に頼みがある」
「頼み?」
「ワシが死んだら、ワシの骨の一部を沖縄の海に沈めてくれ」


デッキから見た南の海は穏やかで、俺はかつてここが戦場であった
ことが信じられなかった。
淳司が見つけてくれた遺骨を入れるためのアッシュペンダント。
中にはひい爺さんの遺骨のかけらが入っている。
俺はそれを思い切り遠くに投げた。小さなペンダントはすぐに
見えなくなって、俺は着水した瞬間さえしっかりとは確認できな
かった。


「必ず後から行くと、あいつに約束したんだよ」


どこまでも青く平和な明るい海の上で、俺はほんの少しだけ泣いた。

68215-869 1:2009/03/30(月) 01:34:00
「お前そろそろ捨てられるんじゃねーの」
幼なじみでもある友人の一言に俺は少なからず動揺した。
実際、最近田辺がそっけないのは自覚している。
いや、考えてみれば最初からそうだったのかもしれない。
大学の入学式で一方的に一目惚れした俺が最初に告白したときも、
断られても月一で告白を続けて、十回目にOKを貰ったときも、
なかなか手を出さない田辺に焦れて、泣き落としで抱いて貰ったときも、
いつも田辺は呆れた顔をしていたような気がする。
田辺に捨てられるのだけは嫌だ。
それだけは避けたい。
「どうしたらいいと思う?」
藁をも掴む思いでつめよった俺に、幼なじみは当然の顔をして答えた。
「愛情表現を控えめにしてみるとか」

68315-869 2:2009/03/30(月) 01:35:28
愛情表現を控えめに。
友人のアドバイスを頭の中で何度も唱えていると田辺が来た。
「あ!田辺!!おはよう!!!」
田辺はちらっとこちらを見ると近寄って来た。
「朝から元気だな。今日お前は昼からだろう」
相変わらず田辺は優しい。
いつもならここで田辺を褒めるのをぐっと我慢する。
「うん!あ、これ今日の弁当な」
「……ああ」
今日は田辺の好きなシャケ弁だ、なんてアピールはしない。
「あ、あとこれお前が休んだ時のノート」
「お前その授業とってないだろ」
「たまたま暇だったから出たんだ」
さりげなさを装う。完璧だ。
「……俺、これから授業だから」
「頑張れよ!」
そのまま、教室の中に入って行く田辺を見送る。
愛情表現はかなり控えめになったはずだ。
これで俺と田辺は安泰だ。
教室前のベンチに座った友人に向かって、得意げに振り向く。
しかしながら奴は、俺と目を合わせようとはしなかった。

684ハンター:2009/03/31(火) 14:54:23
「決めた!おれハンターになる!」
「はぁ?お前なに言ってんの?」
「今日からおれのこと、"愛の狩人"と呼んでくれ!」
「ぶっ!!」
それなりに真剣だった俺の前で、親友は吹き出した。

「なあなあ、"愛の狩人"」
「…小学生の頃の話だろ。…もう忘れてくれ、頼むから…」
「いや、あれは忘れられないだろ。死ぬほど笑ったもん。」
奴の顔に笑みが浮かんだ。未だに思い出し笑いをこらえられないらしい。
「…ヒーローに憧れる純朴な小学生だったんだよ、俺は。」
「でも何で"愛の狩人"だったわけ?」
「当時かーちゃんが読んでた小説のタイトルに書いてあったんだよ!格好良いなと思っちゃったんだよ、子供心に!」
今でもかーちゃんの愛読書、ハーレクイン。
「あ〜、懐かしいな『スーパーハンター・矢雄威』」
「すげぇ流行ったもんな。変身シーンとか、みんな真似たりしてさ。」
「『君のハートをロックオ〜ン』」
「おお、似てる似てる!」
「最終的にはヒロインのハートをハンティングして、二人で去っていくんだっけ。」
「そうそう。『狙った獲物は逃がさない!』」
「お前も似てるじゃん。」
「練習したからな。」
「…ところでお前が狙ってた獲物は手に入ったわけ?」
「へ?」
「当時言ってたじゃん、ハンターになりたい理由。"どうしても欲しいものがあるから"って。」
「あ〜…まあ、手に入れたっていうか、奪われたっていうか…」
「ふーん、まあいいや。
 ところで、今日うちの親、出張で居ないんだけど、このまま泊まってく?」
「お前ソレ狙ってやがったな!」
「俺と一緒にいるの嫌?」
「…嫌じゃねーけど…」
「今日は痛くしないから」
「!!」

獲物に食われた俺は、多分ハンター失格。

685きつね:2009/04/04(土) 02:15:30

真っ赤な鳥居を潜り抜けたその瞬間、きつねは嬉しく嬉しくて思わず笑ってしまいました。
生まれてから今まで何度挑戦してもべしんと無常にはたかれる、その境をようやく彼は越えたのです。心の底から暖かいような走り回りたいような気持ちがあふれ出て、きつねはおもわずくふんと笑ってしまいました。そして舌を噛みました。きつねが笑ったのは今が初めてなんですからしょうがありません。人間も動物も神様も初めてのことをする時にはちょっと失敗するものです。
きつねはちょっとじんじんする舌を冷やそうとべろりと顎から出しながらそれでもくるんと一回転しました。葉っぱはいりません。きつねはきつねですから小道具に頼らなくてもそのぐらいはできるのです。
ぼふん、と古典的な音と煙がきつねを包みました。その煙を見ながらあー俺所詮アナログ世代よね、ときつねは思います。彼は案外人間の世界に精通していました。
やがて現れたのは二十代前半の男性にきつねのもこもこした金色の耳とふかふかした立派な尻尾をつけた、微妙に漫画でよく見るような人物でした。きつねはすぐに自分の失敗に気がつきましたがなんというか、結構一杯一杯でした。きつねはきつねなので変身するのに葉っぱは使いません。使いませんが、生まれてこの方『ここは通さんでごわす』みたいな壁のこちら側で生きてきて、なんだよ修行しても意味ねえじゃん! それじゃあ、さー(↑)ぼろー(↓)みたいな逆ギレで修行をサボっていたきつねには耳と尻尾を隠すほどの力はついていませんでした。
きつねはあわあわし、何回か失敗とリトライを繰り返し、最終的に開き直りました。大丈夫! きっとこのままで行ってもああ電波な人だわ、で済むに違いない!
きつねは本当に日本の文化について精通していました。
「あ、あー……。やあ初めまして君ってどこから来たの? ええマジで俺もなんだよじゃあ山の向こうの赤い鳥居のお稲荷さんを知ってるかい?」
人の口の形になれるために繰り返したのはあの子に会った時に言おうとしている言葉でした。
あの子、と思い出してきつねは思わず俯きました。先ほどまでピンと立っていた耳も尻尾も今は力をなくしてしょんぼりと項垂れています。
あの子は、きつねの記憶に間違いないなら十年前からいつもここに来ていた子でした。最初は小さい人間だと思っていました。きつねはそれが子供という人の形であることをその日初めて知りました。
子供は、毎年ここに来ていました。赤い鳥居を抜けて、きつねの眠る場所の一歩手前で足を止め、いつも笑って頭を上げて「こんにちは、お邪魔します」と言いました。
きつねはその子が大好きでした。その子が男の子でなかったら神隠すくらいに好きでした。その子が受験だといえば学問の神様に頭を下げ、宝くじを買ったと言えば運の神様のところに酒を持っていくくらい好きでした。
幸いあれと、きつねは願っていました。幸いあれ、彼の行く道に光あれと。
けれどその子は先月別れを告げました。大学に行くからここにはもう滅多に帰ってこられないんだと言って、日本酒と草団子を置いていきました。おまえここはあぶらげだろうがよ! と思いながら草団子をかじったきつねは泣いて、舌を噛みました。だってきつねは生まれて初めて泣いたのです。
じんじんする舌をだらりと下げて考えて、きつねはついに思いつきました。
あの子の幸いを自分の手で生み出すのだと。傍にいて、ああけれどきっときつねだと引き離されてしまうから人に化けて、大学生のふりをして、そして彼の傍で幸福を。思った瞬間にきつねは走り出し、そして真っ赤な鳥居を抜けました。
けれどきつねは知りません。ここからあの子のいる東京までは車で四時間半かかります。
けれどきつねは知っています。誰だって初めてのときはちょっと失敗するものです。

68615-939 きつね:2009/04/04(土) 12:58:28
大学の授業の合間。ちょうど昼時だから飯でも食おうと
食堂に向かっている途中で、後輩の間山と会った。
先輩も昼ごはんなんだ!一緒にいい?
と、キラッキラの笑顔で聞いてくるので、ついいいよと言ってしまった。
今日は1人でゆっくりしようと思っていたのに、よりによってこいつに会うとは。

「先輩って、きつねみたいだよね」
きつねってなんだ、いきなり。
そう思ってテーブルを挟んで向かいに座る奴を見上げると、
えへへと笑い、俺の食べているものを指差した。
「きつねうどん!油揚げ!」
「だからなんだよ」
「お味噌汁に油揚げ入ってるときも嬉しそうだったし、
 きつねと好きなもの一緒でしょ?」
ああ、まあ嫌いじゃねえな。お前よく見てんなあ。
つーか俺そんな顔に出てんのか?
「先輩の目とか、笑った顔とかもきつねっぽい」
目はツリ目なだけだし。
笑ったら悪人みたいだとか言われるこの顔が狐に見えんのかよ。

「じゃあお前、狐に憑かれてんぞ」
「え?本望だよ、きつねかわいいし大好きだし」
……意味わかって言ってんのか、この鈍感。

68716-49 夜桜 1:2009/04/10(金) 22:33:55
「今年もやってるな、及川君」
声をかけてきたのは毎年参加組の工学部の只見教授だ。
「今年もやってます。さ、どうぞ、教授」
俺は自分の隣にスペースを開けて言った。
教授は、小脇に抱えていたマイ座布団を敷いてブルーシートに席を確保した。
ゼミ生がプラコップを差し出し「何にしますか?」と聞くと、教授はちらと俺の横に
まだ封を切られずに置かれている緑川を見た。
「まだ開けてないのか。じゃあ、適当な日本酒を。純米大吟がいいなあ」
「教授、それ、適当じゃないです」
俺出資の純米大吟醸を注がれて、教授は俺に向かって軽くコップを上げてから、
酒を口に含み、ずるずると音を立てて空気と酒とを口の中で混ぜてから嚥下し、
鼻から息を吐いて香りを確認する。
「うむ。美味いな」
ただの飲み会でも、つい、その銘柄の最初の一杯を利き酒の飲み方で飲んでしまう、
俺と同じ癖の教授に、思わず笑ってしまう。

周囲が暗くなる頃には、飛び入りのゼミ生の顔見知りで花見の参加者は膨れ上がり、
ブルーシートのスペースが足りなくなってきた。
念のために用意していた新聞紙を広げていると、後ろから声を掛けられた。
「今年も盛況だな」
水落の声だった。
振り向くと、ジーンズにコーデュロイのジャケットの水落が立っていた。
「よく来たな。教授、水落、来ましたよ」
「おうおう、よく来た水落。これで緑川が飲めるぞ!」
「相変わらずですね、教授」
水落が呆れたように苦笑した。
教授の隣に水落を座らせ、俺は水落の隣に腰を下ろした。
「今年も親父さんからもらったぞ。お母さんも親父さんも元気だそうだ」
緑川の封を切りプラコップに注ぎ、俺はそのコップを水落の前に置いた。
「私にもよこせ」と一気に前の酒を飲み干して開けたプラコップを俺に突き出す教授に、
はいはいと俺は緑川を注いだ。
自分のコップにも緑川を注ぎ、俺達は軽くコップを掲げて乾杯をした。
三人で、ずるずると酒を利いて飲み下す。舌に広がるまろやかながらも複雑な味と、
鼻を抜けるさわやかで華やかな香。
「く〜〜、美味いなあ〜〜〜!」
コップを持ったまま、水落が心底嬉しそうに言う。
「美味いよなあ」
「うむ。美味いな」
教授が言った。

688687:2009/04/10(金) 22:37:32
すみません、間違えて2番目の段落をアップしてしまいました。
もう1度仕切りなおしますので、改めて16-49 夜桜 1 改からお読みください。

68916-49 夜桜 1 改:2009/04/10(金) 22:40:27
人文学部棟と教育学部棟を結ぶ道の両脇には桜が植えられていて、北国の遅い
春に合わせて四月半ばに満開を迎える。
道の途中に作られた小さな広場の横にはひときわ大きなソメイヨシノ
があって、その広場がN大文化人類学ゼミの花見の定位置だ。
20年前、俺が文化人類学ゼミに入った頃にはもう、そこが定位置と言われていて、
俺が、院生になり、オーバードクターから助手になり助教授になって、退官した教授
の後釜として文化人類学ゼミを担当するようになった今までも、ずっと伝統を守って
ここで花見をやっているのだ。
近所のスーパーの惣菜やら乾き物やらのつまみと、俺が資金を出して
銘柄指定で買ってこさせた俺好みの地酒5升と、水落の父親から今年も
送られてきた緑川純米吟醸と、軽い酒が好きなゼミ生達のための大量の
ビールやらなにやらを広場の半分を占めるブルーシートの上に広げて、
花見は始まった。

普段の人通りは多くは無いが公共の通路でやっている文化人類学ゼミの花見には、
参加者の顔見知りの飛び入りは歓迎というルールがある。おかげで、「美味い酒が
ただで飲める」とちゃっかり毎年参加する者もいたりするのだ。
「今年もやってるな、及川君」
声をかけてきたのは毎年参加組の工学部の只見教授だ。
「今年もやってます。さ、どうぞ、教授」
俺は自分の隣にスペースを開けて言った。
教授は、小脇に抱えていたマイ座布団を敷いてブルーシートに席を確保した。
ゼミ生がプラコップを差し出し「何にしますか?」と聞くと、教授はちらと俺の横に
まだ封を切られずに置かれている緑川を見た。
「まだ開けてないのか。じゃあ、適当な日本酒を。純米大吟がいいなあ」
「教授、それ、適当じゃないです」
俺出資の純米大吟醸を注がれて、教授は俺に向かって軽くコップを上げてから、
酒を口に含み、ずるずると音を立てて空気と酒とを口の中で混ぜてから嚥下し、
鼻から息を吐いて香りを確認する。
「うむ。美味いな」
ただの飲み会でも、つい、その銘柄の最初の一杯を利き酒の飲み方で飲んでしまう、
俺と同じ癖の教授に、思わず笑ってしまう。

周囲が暗くなる頃には、飛び入りのゼミ生の顔見知りで花見の参加者は膨れ上がり、
ブルーシートのスペースが足りなくなってきた。
念のために用意していた新聞紙を広げていると、後ろから声を掛けられた。
「今年も盛況だな」
水落の声だった。
振り向くと、ジーンズにコーデュロイのジャケットの水落が立っていた。
「よく来たな。教授、水落、来ましたよ」
「おうおう、よく来た水落。これで緑川が飲めるぞ!」
「相変わらずですね、教授」
水落が呆れたように苦笑した。
教授の隣に水落を座らせ、俺は水落の隣に腰を下ろした。
「今年も親父さんからもらったぞ。お母さんも親父さんも元気だそうだ」
緑川の封を切りプラコップに注ぎ、俺はそのコップを水落の前に置いた。
「私にもよこせ」と一気に前の酒を飲み干して開けたプラコップを俺に突き出す教授に、
はいはいと俺は緑川を注いだ。
自分のコップにも緑川を注ぎ、俺達は軽くコップを掲げて乾杯をした。
三人で、ずるずると酒を利いて飲み下す。舌に広がるまろやかながらも複雑な味と、
鼻を抜けるさわやかで華やかな香。
「く〜〜、美味いなあ〜〜〜!」
コップを持ったまま、水落が心底嬉しそうに言う。
「美味いよなあ」
「うむ。美味いな」
教授が言った。

69016-49 夜桜 2:2009/04/10(金) 22:41:21
ゼミ生達はすっかり出来上がり、なにやら賑やかに笑いあっている。
水落は賑やかな宴会を黙って楽しそうに観察しながら、ちびりちびりとコップに
注がれた一杯を飲んでいった。
俺は、今年もそんな水落の嬉しそうな横顔を眺めながら、やっぱりちびりちびりと
酒を飲んでいく。
教授は俺から奪い取った緑川の瓶を手酌で傾けながら、ぐびぐびと飲んでいく。
やがて、コップが空になると、水落はそれをブルーシートの上に置くと立ち上がった。
「ああ、美味かった。ごちそうさま。またな」
「またな」
うっすらかかる靄の中、街灯にソフトフォーカスがかかったように照らされたわっさりと
重そうな満開の桜並木の間を歩いていく水落の背中を俺は見送った。
「いったか?」
教授が言う。
「はい。今年も美味そうに飲んでいきましたよ」
水落が置いたコップを俺は見下ろした。
コップの中には、最初に私が注いだ酒が、そのままあった。


俺の同級生の水落が、飛び入り参加した文化人類学ゼミの花見の帰りに飲酒運転の
トラックに突っ込まれて死んで今年で20年。
当時、水落の入っていたゼミの助教授だった只見先生はすでに教授に、3年生だった
俺は準教授になっていた。
でも、水落はあの夜と同じ格好、同じ笑顔のままだった。
「飲酒運転が原因で死んだのに毎年酒を飲みに化けて出て来るんだから。根っからの
酒好きってのは、水落のことを言うんでしょうね」
「その水落君に毎年一杯注いでやるために大学に居残りたいと、ついに準教授にまで
なった君もずいぶん物好きだと思うがね」
只見教授はそう言うと水落の残していった酒を持上げ、俺に差し出した。
俺は、その酒を一口含み、その味に思わず「うへえ」と声を上げてしまった。
教授が空コップを突き出すので、水落のコップから少量を分けてやる。
その少量を味見すると、只見教授は眉をしかめた。
「毎年のことながら、同じ酒がこのわずかな時間にこんなにも味が変わるのは驚異だな」
「水落が、美味しいところを飲んでいってしまった残りだから不味いんですよ、きっと。
本当に、嬉しそうに、美味そうに飲んでましたよ」
「うむ。幽霊などという非科学的なものは私には見えないし、信じたくは無いのだが...水落
君が嬉しそうにしていたと聞くと、私もそうあって欲しい気分になってしまうのだよなあ」
味も香もすっかり飛んでしまっている酒は、不味いけれど、水落が来てくれた証でもある。
教授が口直しに新しい緑川をコップに注ぐのを見ながら、俺は水落の残した一杯を
夜桜を眺めながらゆっくりと味わった。

69116-46夜桜:2009/04/10(金) 22:50:33
夜を迎えた桜の庭にふらりと顔を出しても、縁側で手酌する家主は表情を変えることさえしなかった。
勝手に俺は隣に腰を下ろし、家主は徳利と空いた杯を寄こす。それが挨拶の代わりとなった。
そのまま互いに一人酒を続けるようにただ黙々と酒を注いでいたが、
先に一本呑り終えたので、俺の方から口を開くことにした。
「盛りは過ぎた。風も出ている。おそらく桜は今晩で散ってしまうのだろう」
「そうかもな。わざわざ人の家の庭にまで押しかけて呑もうとする酔客も随分と減った。
 あとは、もうおまえぐらいのものだ」
もっともおまえは季節を問わず押しかけてくるがな、と淡々とした調子で家主はぼやく。
その物言いの底にあるくすぐったくなるような親しみは、おそらく俺だけが感じとれるものだ。
近所ではこの家の桜は評判で、満開の頃には昼夜問わず花見目当ての客がやってくる。
しかし、少しずつ花が若葉に変わるにつれそうした輩も減り、
葉桜が目立つようになったここのところは再び人が立ち入らないようになっていた。
その若葉が夜に融けてしまうと、一つ一つの小さな花が闇の中からほの白く浮かびあがってくる。
恐ろしさすら感じさせるほどの美しさは、日中には決して見せない桜の夜の貌だった。
「一本もらうぞ」
まだ中身が残っている徳利を引っ掴んで一本の桜の木の下に歩み寄る。
そしてその根元へと中身を全てひっくり返した。
酒で出来た小さな水溜りの上に花びらが数枚滑り落ちる。
「何をする。もったいない」
「こいつにあんまり生白い顔をされると黄泉から覗かれているようでいい気はしない。
 見てみろ。すこしは酔って赤らんだように見えはしないか」
吐いた溜息の深さから慮るに、得心しなかったらしい。
「もう手遅れかもしれんが、あまり酔って無粋な真似をするんじゃないぞ」
「そう野暮なことを言わんでくれ。俺は、お前と呑んでいるときが一番酔えるんだ」
笑いながら家主の首筋に鼻先を擦り付ける。
嗅ぎ取った酒精の匂いにすら酔いが深まるような気がして、頭がくらくらする。
そうしてじゃれついた俺に笑い声をこぼす程度には、こいつの体にも酔いがまわっている。
全てが夢のようだ。夢のように、心地よい。
桜は、今晩で散ってしまうだろう。
この春宵を忘れないように、この光景を忘れないように、
家主に体を預けながら暖かな夜の空気と共に酒を腹へと流し入れた。

692夜桜 定番のオマージュ◇1:2009/04/11(土) 19:39:29
「桜の樹の下には、屍体が埋まっている」
「――君は梶井基次郎が好きだったか、」

四月とはいえ、夜は冷えていた。強い夜風が頬を撫で、外套が靡く。
地面に敷き詰められた桜の絨毯が、
自ら闇に呑まれるように、漆黒の境界に溶けていった。

「いや――妻がね、好きだったんだよ。美学がある、と云ってね」
今日は彼の妻の一周忌だった。彼女の輪郭を辿るかのように、彼は目を細めた。
「早いものだな。……彼女はね、君と映画に行くのが好きだったんだよ。
蘊蓄が聞けるといってね、喜んでいた。妬けるから、黙っていたけど」

「少しは、落ち着いたか」
 私は口早に云った。
「ああ、お陰様でね。君にも随分世話になった」
眠りという一時の安息にも身を委ねることができなかった彼の深酒に付き合うのは、私の役目だった。
 泡沫の酔いの中にいる間、彼はよく笑いよく話し、そして、それが醒めると鬱ぎこんでいた。
 十日に一度はあった真夜中の訪問は、今では間隔を広げつつある。

「本当にね、感謝しているんだ。――学生の頃は、君とこんなに長くあるとは思っていなかった。
満開の桜の下でドストエフスキーを読み耽る様な奴だからな、君は。確か、此処だったろう」

覚えていたのか。

「桜とドストエフスキーは、合うのかい」
柔らかな陽射しのもと、学生帽の影に隠された彼の表情は読み取れなかった。
「このコントラストが好いんだ」
そう云った自分はあの時、どんな顔をしていただろうか。

693夜桜 定番のオマージュ◇2:2009/04/11(土) 19:54:29
夜桜が、まるで昔日の亡霊のように闇に浮く。この桜のある母校へ誘ったのは彼だった。
「君は、変わらないな」
ふいに彼が云った。
ひとつ息を吸って、私は嘯く。
「変わったさ。俺も、お前も」

違う、変わることができなかったのだ、逃れることができなかったのだ。
この愚かしいエゴイズム、肥大し続ける妄執、劣情、そのすべてから。

お前は知りもしないだろう、
お前に恋人を紹介される度に、この桜の下に埋葬した私の屍体を。

お前は知りもしないだろう、
彼女が逝ったと知らせを受けた時、私の口元が悦びのかたちに歪んだことを。

お前は知りもしないだろう、
彼女と映画に行く度に、食事に呼ばれる度に、お前の相談を受ける度に、
お前が幸せだ、とつぶやくその度に埋葬し続けてきた私の屍体を。

(ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!)
いくつもの私の屍体は腐敗し、ぬらぬらと澱んだ血を地中に吸わせている。
迷路のような根はそれを一滴残らず絡めとる。
(何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、毛根の吸いあげる水晶のような液が、
静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ――)

彼の手が肩に触れた。
己の屍体を、狂い咲く桜を、その幻を見ていた私は、驚いて彼のほうを向く。

「行こうか」
変わらない笑みだった。
そうだった。この桜の下で出逢った時、お前は同じ顔をしていた。
晴れやかな笑顔ではない、少し寂しさをたたえたその、顔。

――ああ。
埋葬したはずの屍体が息を吹き返そうとしている今、彼に触れられた肩だけが熱いのだ。

694気圧の知識がない 文章の雰囲気は好き お次どうぞ◇1:2009/04/12(日) 16:26:21
「お前、気象予報士にでもなんの?」
うるさい奴が来た。どう考えても人種が違うのに
しつこく絡んでくるこいつとは、入学式で隣だったというだけの関係だ。
「考え中」
短く言って、僕は奴を視界から追い出し、
『石原良純のこんなに楽しい気象予報士 (小学館文庫)』に視線を戻す。
「はっ、おまえ、良純って」
「うるさい」
「――前は『小説家になる方法』読んでなかったか」
そうなのだ、こいつはことごとく嫌なタイミングで現われる。
その時は、本を開きながら書いていた散文を読まれたのだった。

「あれは……いいんだ、もう」
ため息をつきながら言うと、
「なんだ、お前の書く文章の雰囲気、好きだったのに」と奴は言った。
思わず奴を見る。目が合って、しまった、と思った。
畜生、不意打ちだ、こいつはことごとく嫌なタイミングでこういうことを言う。

695気圧の知識がない 文章の雰囲気は好き お次どうぞ◇2:2009/04/12(日) 16:27:42
気圧の知識がない 文章の雰囲気は好き お次どうぞ◇1
「空気は気体であるから、その性質として容積を限りなく増大しようとする。
それで空気を容器内に閉じ込めると、どこまでも膨張しようとする結果、
その容器の内面を押すことはもちろん、器内にあるものはみな押される。
この押す力を空気の圧力すなわち気圧という」
僕が覚えたての薀蓄を一息に言うと、奴はあっけにとられた顔をした。
「なにソレ」
「気圧だ、気圧。いいか、良純はなぁ、もっと膨大な知識蓄えてんだよ、
なんの知識もないくせに良純を馬鹿にするな」
睨み付けながら言うと、奴は口の端をチェシャ猫みたいに吊り上げて、
「やっぱ、面白いな、おまえ」
と言った。ああ、これだから嫌なのだ。

こいつが僕に言う言葉はどれをとっても、きっと本気ではない。
僕の文章を好きだと言った言葉も、どうせ信じられたものではないのだ。
なぜ気圧の薀蓄をすぐさま覚えることができたのかといえば、
それがどこか、自分が奴に抱く感情に似て――と、思いかけたとき、にやけた笑いのまま奴は言った。
「で、次はなにになんの?」
引きずられそうになった思考を元に戻し、
「うるさい、良純に謝れ」と、僕は奴の脛を蹴った。

696萌える腐女子さん:2009/04/12(日) 16:29:35
おあ、>>695の冒頭にコピペしたままの文が入ってしまった、スマソ


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