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ラノロワ仮完結作品投下スレッド

165 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 21:57:25 ID:Ob3uHk/A
◇◇◇ 

 吸血鬼の背に、白の大槍が突き刺さる。
 それはまるで古より伝わる滅びの法にあるように、白木の杭を打たれる様にも見えた。だが、
(――浅いか!)
 力を使い果たし、地面に倒れ伏しながらブギーポップは呻いた。
 槍は、心臓まで届いていない――ほんの皮一枚、あと数ミリというところで止まっている。だが届かなければ数ミリだろうが数メートルだろうが結果は同じだ。
「――貴様」
 吸血鬼は首だけを動かして肩越しに振り返り、ブギーポップを視界に納める。
 そう結果は同じだ。もはや仕込みの策も尽き、全力を使い果たしたブギーポップは本当に動くことが出来ない。
 美姫にとってはこの程度の傷なら、怪我の内にも入らないだろう。一瞬で再生し、そして次の瞬間には敵を引き裂いている。
 もっとも、吸血鬼は再生を待つこともしないようだった。
 引き戻した左腕を振り上げている。振り向きざまにブギーポップに振り下ろすつもりだ。
 鎧も何も身に纏っていないブギーポップはひとたまりも無い。
(世界の、終わりか――)
 そうして、今までは自分が世界の敵に振りまいてきた"死"が、こちらの頭上に降ってくる。
 高速の物体が、空間を突き進む鋭い気配。
 そして、容赦なく引き裂かれた。

 ――夜の、しじまが。

 響くのは肉と骨が潰れる生々しい音ではなく、銃声。
 連続して響く破裂音。拳銃のように軽く、短いものではない。ある程度の重みと伸びを伴って空間に浸透するこれは、長銃――ショットガンが連射される音だ。
 突然の乱入者の正体は、木陰から身を躍らせた一人の旅人だった。
 腰だめに構えたショットガンから、散弾を狙い違わず目標に集中させる様は熟練と才能を窺わせる。
 その目標は――今まさに佐山の同盟者であった宮下藤花を打ち砕こうとしている吸血鬼。
 無論、本来なら直径数ミリの鉛弾などいくら食らっても美姫にとってダメージとはならない。
 だが今は違う。音速超過で飛来するとてつもないエネルギーを持った鉛の群れは――
 美姫の背中に突き刺さっていたG-Sp2。その盾の裏側部分にその何発かが命中した。
 刃が達し得なかった心臓までの距離、僅か数ミリ。
 その数ミリを、弾丸の運動エネルギーが押し進めた。
 概念の力を宿す刃が、吸血鬼の急所――即ち心臓を穿ち破る。
「、ぁ――?」
 吸血鬼の目が見開かれる。まるで何が起きたか分からぬとでも言う風に。
 その口から漏れるのは、確かな苦鳴。
 次いで体ががくりと傾き、貫いたままのアシュラムを押し倒すように、うつ伏せにゆっくりと倒れ伏していく。
 そして完全にその体を横たえ、活動を停止させるころには、モトラドを押した旅人がそのすぐ傍にまで接近していた。
 旅人はすでに空になったショットガンを投げ捨て、ソーコムピストルを引き抜いている。
 油断無くそれを構えながら、モトラドをセンタースタンドで立たせ、槍の刺さった吸血鬼を観察。
「……死んでる、かな?」
「こんなでっかい槍が刺さってるのに確信できないってすっごいねー――勿論、こっちの美人なお姉さんの生命力が、だけど」
 エルメスの茶々は無視して、旅人――キノはどうやら相手が死んでいるようだと確信できたのか、ようやく拳銃をホルスターにしまう。
「……で、エルメス。こっちのボロボロの黒マントの方が、例のサヤマって人の仲間でいいんだよね?」
「うーん。まあ、一応顔はそうなんだけど――あんな風に戦えるなんて思ってなかったなぁ。パースエイダーの腕はともかく、殴り合ったらキノよりも強いんじゃない?」
「……だろうね。正直、僕なんかじゃ相手にならない」
 キノは溜息を付きながら、浅く、それでも確かに呼吸をしているブギーポップを見つめた。

166 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 21:59:02 ID:Ob3uHk/A
 状況はギリギリのところだった。だがキノ達は草の獣から得た情報により、仲間の窮地を救わんとで急いで馳せ参じた――というわけではない。
 現在時刻は二日目の0:20前後。海洋遊園地からここまで直線距離にして約2キロ弱――モトラドなら十数分でたどり着ける距離である。
 零時の放送が終わって数分後には、彼らはここに辿り着いていた。
 そのまま出て行かなかったのは、すでに美姫とアシュラム、ブギーポップによる戦闘が始まっていたからである。
 キノが佐山の元にやってきたのは同盟が目的だ。殺人者でも構わずに受け入れるという特異な集団。それを利用して、キノは勝ち残りを目指すつもりでいた。
 しかし目の前で起こっているのは明らかな人外達の抗争。これに巻き込まれるのはキノとしては御免被るというのが正直なところだ。
 それでもキノがこの場から離れず、わざわざ北側の森林地域にまで回りこんで情勢を観察していたのは、二つの理由からである。 
 まずひとつめ。草の獣の存在。
 道中聞いた話によって、この奇妙な生物は件の佐山が持っている"本体"から派生する端末のようなもので、こちらの情報は向こうに筒抜けなのだという風にキノは理解していた。
 そうである以上、ここで同盟者のひとりを見殺しにすれば後々印象が悪くなるであろうし、そうすると仮に受け入れてもらえても武装の制限などを課される可能性がある
 だからこそすぐに逃亡に移らず、自分に被害が及ばない限りでは静観することを決めた。
 そして第二の理由はここで超人たちをひとり、安全に始末できる可能性があったからだ。
 自分が勝ち残りを狙う上で障害となるであろう零崎のような人外の輩。
 しかも目の前で戦闘を繰り広げていた三人組は、その零崎すらも凌駕する身体能力を発揮していた。
 この戦闘で潰しあって共倒れになってくれればよし。もしそうならなくても、手傷を負った残りの一人か二人を仕留められるかもしれない。
 そして実際、こうして残りの一人は虫の息だ。
「……」
 キノはホルスター越しに、『カノン』を指先で軽く叩いた。
 自分は現在殺人よりも保身を優先してはいる。だがそれは殺人をしないということではない。むしろゲームに勝ち残る為の保身という意味でなら、自分より強い者は殺せるときに殺しておくべきだ。
 今なら容易に始末できる。パースエイダーすら使わずに。
 キノは屈み込み、ブギーポップの首元に両腕を伸ばし――
 頬を、ぴたぴたと軽く叩いてみた。
 反応はない――どうやら気を失っているらしい。キノは知る由も無いが、すでにブギーポップは宮下藤花に戻っていた。普通の女子高生が現状の負傷からもたらされる痛みに耐えられる筈も無く、そのまま悲鳴を上げることもなく気絶したのである。
(……暴れられるよりはいいかな)
 どの道、この場で治療ができるわけでもない――キノは落ちていたアシュラムのマントを拾うと、裂けかけていたそれを完全に裁断し、一本の紐になるように結び合わせた。即席のおんぶ紐だ。
 それで宮下藤花の体を無理やり自分の体に縛り付け、さらにモトラドの後部キャリアに座らせる。股関節が外れている状態では激痛が走っただろうが、相当深く失神しているらしく、宮下藤花は目を覚まさなかった。
 後輪に巻き込まないように足の位置を調整しながら、キノは溜息を吐いた。これは完全な足手纏いだ。だが置いていくには問題が一つ。

167 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 22:00:23 ID:Ob3uHk/A
『みやした おもい くるしいよ』
「我慢して」
 宮下藤花とキャリアーの間に挟まれてむーむー唸っている草の獣に、運転席に座ったキノがにべもなく告げる。この奇妙な生物さえいなければもう少し上手く立ち回れるのだろうが。
 キノが殺戮に走れなかったのも、やはりこの奇妙な動物のせいだった。監視されているようなこの状態では心象を下げるような行動は慎むしかない。でなければ絶好のチャンスだったのだが。
 だがその一方で、この怪人に手を出さなくて済んだことにキノはまた安堵も覚えていた。このコンディションで戦闘行動をとるような化け物だ。もしかしたら、殺しきる前に反応して反撃してきたかもしれない。
(……実際、さっきのだって危なかったみたいだし)
 震える手で、モトラドのハンドルを左右に振り、二人乗りで不安定な重心を確かめる。
 さっきの、というのは美姫を撃ったことだ。
 もしも例の集団の一員であるブギーポップが敗北するようなら、キノはブギーポップを見捨てて逃げていただろう。
 だが情勢はほぼ互角。そして最後の一撃をブギーポップが美姫に叩き込んだ瞬間、キノは天秤がブギーポップ側に傾いたと確信した。
 故に行った援護射撃。だがあれはこれからの集団行動の中で上手く立ち回るべく、少しでも点数稼ぎをしよういう打算から生まれた行為だ。
 念のためにと思い、虎の子だったショットガンの残弾を全て吐き出したが、それでもブギーポップの一撃で勝負はついたと思っていた。
 しかしその見通しは甘かったのだ。
 木陰から飛び出した瞬間、キノはそのことを痛感していた。胸に槍を突き刺されても、あの美しい女怪は動いて見せた。それが死に掛けの悪足掻きなどではなかったことくらい、キノにも理解できる。
 さらにあの死体には散弾による傷がなかった――つまり死んだのは完全に偶然か何かで、もしかすれば自分が反対に殺されていたかもしれないということだ。
(――紙一重だ)
 先ほどの淑芳も、今回の美姫も。
 超人を相手に自分が勝利する為には足りない物が多すぎる。何とかこの二連戦を不意打ちに近い形でやり過ごしてはいるが、こんな戦い方では遠からず身を滅ぼすだろう。
(僕は、もっと知らなければいけない。どうすれば勝てるのか。相手はどんな力を持っているのか。この島で、知識は重要な武器になる)
 出来ればこの集団内で、少しはその知識を得られれば良いのだが。
 とりあえずは、移動したらしい草の獣の"本体"を追うべきだろう。負傷者を背負っての追跡は手間だろうが、仕方が無い。
 草の獣が指示する方向にハンドルを向け、キノはエルメスを発進させた。

168 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 22:01:11 ID:Ob3uHk/A
◇◇◇

 ――その場には死人だけが残されていた。
 死は、よく虚無に例えられる。死ねば何もかもお終いになる。死は永遠の安寧であると。
 しかし、それは当人たる死者だけの認識に過ぎない。現実として、死は様々なものを残す。
 例えば死体だ。心臓が停止した、あるいは魂が失われたその肉の塊は、だが死した瞬間に消えうせるわけではない。
 そこには皮膚があり、筋肉があり、神経があり、内臓がある。体中を巡る血管には血液が詰まっている――もはやそれが本人にとって無用の長物だとしても。
 そして本人にとって無用の長物ならば、他者がそれをどう扱おうと構わない訳だ。

 ぴちゃりと、血液の撥ねる音がする。 

 ブギーポップは言った――"制限の変動が、自分にとって有利な方向に働いている"と。
 だが、それは果たして彼だけに起こった変化なのであろうか?
 
 例えば、不気味な泡と出典の世界を同じくするリィ舞阪――フォルテッシモ。
 彼に課せられた制限は軽く、この世界においてもほぼ十全の力を発揮できていた。

 例えば、撲殺天使――三塚井ドクロ。
 彼女はイレギュラーによって、その刻印から開放された。

「ふ――ふ、ふ」

 死人が、哂う。

 ぴちゃぴちゃと、己の腕で貫いた死体から流れ出る血を、その舌で舐めとっていく。
 凄絶な光景。だがどこか淫靡さを孕んだ空気が辺りに漂っている。

 呪いの刻印は、参加者の能力に制限を加える――だが、すでにそれは一律のものではなくなった。
 天使長バベル、機械仕掛けの魔導士イザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファー。
 両名が目論んだ小細工が、全ての刻印の機能を狂わせた。

 だから、それは。

 この証明遊戯のルールが、緩慢に、だが着実と崩壊し始めていたことを意味していて。

「ふ、ははは――!」

 ――本来は殺し合いが目的であった筈の舞台に、真なる不死者が紛れ込んでいる。
 
 呪いの刻印は魂と肉体に刻み込まれている。
 故に参加者たちはその解除に苦慮を重ねていた。二段構えの刻印は、本来一人の力では解除し得ないものだった。

 だが逆に考えれば。

 それはつまり、魂を消し飛ばされ、その肉の部位を抉り、そして、そして――"そんな状態でも生きていられる"怪物ならば。

 それをされるだけで、ことは済む。

169 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 22:01:52 ID:Ob3uHk/A
「あははははは――!」

 死人は――美姫は白痴の如き笑い声を上げた。

 背に突き刺さった槍を抜き取り、地面に打ち付ける。カウリングがさらに砕け、コンソールに罅が入った。

 概念核兵器の一撃で、美姫の魂は引き裂かれた。
 そして再生する。魂は癒着し、ただそこにあった異物のみが欠落した。

 ならば残りの刻印は、身体に刻まれたものを残すのみ。
 美姫は左腕、そこに刻まれた呪いの印に己の牙を突きたてた。
 強引な干渉に、即座に刻印が発動。美姫の肢体に幾重もの深い裂傷が走り、鮮血が溢れ出す。

 だけど、それだけ。
 
 裂傷は開く傍から即座に回復する。魂すら修復する吸血鬼に、身体の破損など何の問題にもならない。刻印はさらにその死の機能を発動させ、美姫を痛めつけるが、しかし吸血鬼は屈しない。

 ――こと生命に関して最も深く理解している者を挙げるならば、魔界都市のドクター・メフィストを他に存在しないであろう。
 そしてそのメフィストは、美姫をこう診断した――『彼女を滅ぼすことは不可能であると』。
 彼の魔界医師が診断を違えた事は、絶無に近い。

 やがて、死と再生の鼬ごっこが終焉を迎える。

 ――美姫の腕が力なく、だらりと垂れた。
 そこには何も無い。牙の痕も、死の裂傷も、そして――刻印すらも。
 
「鬱陶しい印。最初からこうしていれば、心臓を潰されたくらいで一度死ぬこともなかった」

 ぺ、と美姫は舌に張り付く己の血を吐き捨てた。
 口直しとでもいうように、アシュラムの胸に舌を這わせる。ぽっかりと穴の開いたそこからは、赤い水がまだ僅かに滴っていた。

「感謝するぞ、アシュラム――私はまだ絶望していない」

 そう、絶望はしていない。黒衣の騎士の血液を味わいながら、美姫は柔らかな笑みを浮かべた。
 アシュラムの最後の言葉は、美姫に届いていた。
 黒衣の遺体を丁寧に横たえ彼女は呟く。
 あれほどの英傑に、絶望してはならぬと言われたのだ――ならば、今しばらくこの身は保つ。

「さあ――根こそぎにしてやろう」

 ――だけど、黒衣の騎士は彼女の心を救えなかった。
 彼女は絶望こそしていない。だがそこには希望も無い。
 彼女は真実不死者でこそあっても、もはや生者ではない。
 秋せつらもアシュラムも居なくなった今、彼女を突き動かすのはただの衝動である。
 いまや彼女はこの遊戯に関わった者全てを殺し、破壊し尽くすまで動くだけの怨念と成り果てた。

「世界の端から端までを叩き壊し、首という首を捻じ切ってやろう。誰も誰も誰も誰も――」

 美姫が一歩、足を進める。破壊の行進に世界が恐慌したのか、まるで身震いするように吹いた一陣の風が木立を揺らした。

「――逃がしは、せぬ」

 その宣言は真実である。
 もはやこの島が朝日を迎えることは、ない。

170 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 22:03:09 ID:Ob3uHk/A

【055 千鳥かなめ 死亡】
【056 相良宗介 死亡】
【068 アシュラム 死亡】

【残り23名】

【D-4/森林/2日目・00:10】
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]:木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
    PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:C-6のマンションに向かい、集団を結成して美姫への対抗手段とする。
    参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)


【D-4/森林/2日目・00:20】
【キノ】
[状態]:冷静/体中に擦り傷(処置済み/行動に支障はない)
[装備]:懐中電灯/折りたたみナイフ/カノン(残弾4)/
    /ヘイルストーム(残弾6)/ソーコムピストル(残弾9)
    /エルメス/草の獣/自殺志願 (マインドレンデル)(少し焦げている)、
[道具]:支給品一式/師匠の形見のパチンコ
[思考]:佐山と合流/
    最後まで生き残る(人殺しよりも保身を優先)/禁止エリアの情報を得たい
    /零崎などの人外の性質を持つものはなるべく避けるが、可能ならば利用する
[備考]:第三回放送を完全に聞き逃しましたが、冒頭部分の内容を教わりました。
    玻璃壇の存在を知りました。
    草の獣の性質を詳しく知らないため、ムキチと相互に連絡を取り合うことは出来ません。

【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:全身に擦過傷/全身打撲/左腕骨折/左股関節脱臼/左側頭部強打/気絶
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装(ぼろぼろ)
[思考]:???

【E-4/倉庫前/2日目・00:40】

【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:参加者から管理者まで全てを皆殺しに。
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
     刻印が解除されました。

・E-4/倉庫前に【青龍偃月刀】【G-Sp2(カウリング、コンソールの一部が破損)】、【ショットガン(残弾0)】が落ちています。

171 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 23:00:04 ID:Ob3uHk/A
投下終了。あれ、タイトルがこぼれ落ちてた。【砕け散る鎖】といったところで。
そういえば第四回放送の内容を完全に作り忘れてたので今更ながら投下

172 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 23:01:03 ID:Ob3uHk/A
 夜空には月がある。月明かりは呪われた島を照らし出し、またその上に蠢く矮小なヒトガタにもその恩恵を与えていた。
 大半の人間はその灯りを頼りにメモの用意を済ませている。
 時刻は二日目の00:00。一秒たりとも時間を違えぬ正確さで、死を告げる陰鬱な放送が始まった
 

「――さて、四回目の放送だ。
 009クエロ・ラディーン、017ハーヴェイ、026リナ・インバース、033李淑芳、036セルティ・ストゥルルソン、037平和島静雄、045子爵、052トレイトン・サブラァニア・ファンデュ、062藤堂志摩子、074風見・千里、077光明寺茉衣子、092エドワース・シーズワークス・マークウィッスル、093ヒースロゥ・クリストフ、094シャナ、097高里要、100竜堂終、104アリュセ、106三塚井ドクロ、107秋せつら、108メフィスト、109屍刑四郎、112ボルカノ・ボルカン、117ダナティア・アリール・アンクルージュ。以上23名。
 正直、このペースをキープするとは思わなかったな。よっぽどこのゲームを気に入ってくれている者が多いらしい。これは嬉しい誤算だ。
 次に禁止エリアを発表する。01:00にF-7、03:00にB-1、05:00にE-3。
 これで残り32名となった。このペースなら、今日中には何らかの結果が出るだろう。それがお互いにとって満足の行くものであることを願っているよ」

 嘲るような小さな笑いを残して、四回目の放送が終了する。
 着々と減っていく人数。ゲームオーバーの時間は確かに迫っている。
 重く、暗い空気が島を覆おうとした、その刹那。
 声が、響いた。

「継がれる意志がある限り、僕らの道は絶たれない!」

 刻印越しに伝播する逃れようのない責め苦ではない。それは拡声器を通して行われた、吹き抜ける西風のような宣言。
 ――それがこれからの遊戯にどう影響するのかは、定かではない。

173 ◆5Mp/UnDTiI:2011/06/08(水) 23:05:28 ID:Ob3uHk/A
放送投下終了。
これでストック分は吐き出しました。残りは完成次第投下、
あるいは最後の投下から一ヶ月経っても完成しなければ完成部分+プロット部分の投下となります。

174 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:07:16 ID:Ob3uHk/A
投下ー

175 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:09:12 ID:Ob3uHk/A
 ――そして、四回目の放送が終了した。
 死者の情報を記載し終えたヘイズはため息をひとつ吐き、用紙を眺める。
 殺人は止まらない。知り合いも死んだ。ヒースロゥ・クリストフ。風の騎士はもう疾らない。
 彼と組んでいた少女はどうしたのだろうか。
 名前こそ呼ばれなかったが、戦闘力のなさそうな彼女がヒースロゥを倒せる程の強敵と相対して無事でいるとは思えない。
 ヒースロゥが囮になって逃げ延びたか――あるいはもっと胸糞の悪い事態に陥っているか。
 そして、もうひとつ。
(ダナティアって奴も、死んじまったか)
 この最悪の島に希望をもたらそうとした彼女は、それを叶えられぬまま果てた。
 あの放送を行った集団それ自体が押しつぶされたのか、それともダナティアだけが死んでしまったのか。
 確立だけで言えば、前者の方が高い。
 暗澹とした気持ちでその事実を認識する。
 無論、集団の旗頭となった人物だけをピンポイントで暗殺できる技能を持った殺人者がいないとは限らない。
 だが実際に殺されてしまって、こうして放送に流れている。そんな事態が発生したのならば何らかのフォローを行うべきだ。
 あの集団は島全土へ放送を行える設備を持っているのだから。
 もっとも、管理者による放送が終了した後それらしいものが無かったわけではない。
 継がれる意志がある限り、僕らの道は絶たれない――そう叫んだ放送があった。
 多分に苦しみを含んだ、断末魔として。
 ダナティアが行った放送はパフォーマンスだ。真意がどこにあったにしろ、『このゲームを打ち砕く集団』というイメージを流布した。
 だからこそ、あの集団が残っていれば、あるいは組織として機能しているなら先のような苦しみに満ちた放送は行わないだろう。
 あれは正しくして断末魔だ。あの集団が消滅したという宣言。
(考えられる可能性は大きく分けてふたつか。
 一つは外部からの攻撃によって集団が全滅した。これは最悪だな。
 単独か複数かは分からないが、少なくともあの集団を全滅させられるだけの力を持った殺人鬼が近くにいるってことになる。
 さっきの奴らがそうなのかもしれねえが――警戒はしとかなきゃ不味い)
 そして、二つ目。
(ダナティアが殺されて不和を招き、集団が崩壊した。
 人数が多くなればそれだけ思想や意見が対立しやすくなる。
 開始から僅か一日の時点で全員が一枚岩になってたわけじゃないだろうし、腹に一物ある奴が潜伏していても可笑しくない)
 そんな思考を巡らす内、少し前に白衣の相棒が言っていた言葉を思い出す。
 ――結局、調べに行かないと何も判らんのだろう?
(まあ、確かにそうだ。幸い戦力は整っている。この規模でならまだ、互いの不和は招きにくい)
 もっとも、その要素が無いわけではない。
 目の前の人物を見やる。黒ずくめ、目つきの悪い皮肉気な相貌。
 そいつはリストを呆然と見つめていた。まるで信じられない何かが起きたとでも言うように。
 そして、そんな事態はいつだって訪れる。特に、この島では。
「……誰か、知り合いが呼ばれたのか?」
「ん? ああ、いや」
 リストを畳み、デイパックに仕舞い込みながらそいつはゆっくりと頭を振った。
「なんていうかな――死ぬときは死ぬってことに、実感が湧いたっていうか。いや、気にしないでくれ」
「……まあ、そっちがそう言うんなら気にしないけどよ」

176二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:11:49 ID:Ob3uHk/A
 同じようにリストをしまいながら、ヘイズ。
「さて、アンタはこれからどうするんだ、ええと、キリランシェロさんつったか?」
「……名簿にはオーフェンで載ってるし、できればそっちで呼んでくれ」
「じゃあオーフェン。アンタはこれからどうする――」
「いや、まてヴァーミリオン。確かにこいつはキエサルヒマの黒魔術士だろうが、どうにも納得できんことがいくつかある」
 コミクロンが割り込んでくる。
 先程は緊急事態だったので質問できなかったが、状況が落ち着いた今ならば別だ。
 確かに構成は見えていたし黒魔術を展開もした。音声魔術士であることは確かで、コミクロンの素性やチャイルドマン教室のことも知っている。だが、
「お前、本当にキリランシェロか? 俺の知っている奴はもう少し可愛げのある顔をしていたよーな気がするが」
「……色々あったんだよ」
「顔つきが凶悪に歪むほどの色々ってなんだ。整形か? というか背も高くなってるし、歳を食っているようにも見える。キリランシェロと共通するのは髪と目の色くらいしかない。確かにチャイルドマン教室や俺のことは知っているようだったが」
 コミクロンは顎に手を当て考え込む。自分の中で論理を組み立てるように、ぶつぶつと続けた。
「チャイルドマンの名前は黒魔術士なら誰でも知っているだろう。その教室に属する生徒のことも、まあ知っている奴は知っているし調べられないわけじゃない。"塔"は秘密結社じゃないからな。ペンダントだって支給品扱いならお前が持っていても不思議じゃない。こいつはキリランシェロって証拠が不足してるんだよ、ヴァーミリオン」
 おさげ白衣の言に、ヘイズは両手を"お手上げ"のジェスチャーにして応える。
「コミクロンの言うことにも一理あるが……別に俺は"キリランシェロ"だから共闘したってわけじゃないしな。少なくともコミクロンと同じ魔術士であることが分かってて、その上でお互いのっぴきらない理由があったから協力したわけだし」
「そりゃ、お前にとってはそうだろうが……」
 それでも納得できないようで、コミクロンはオーフェンの方を猜疑心に満ちた目でちらちらと伺っている。
 その様子を見て、ヘイズは小さく呻いた。
 刻印の解除のことで他の参加者やそのグループと協力する必要は絶対にある。だが見ての通り、たった一人の参加者と関係しただけで容易く不和は発生し得る。
(疑念は晴らせるなら晴らせる方がいい、か)
 崩壊したダナティアのグループのことを思い返し、ヘイズは言葉を紡いだ。
「……そうだな。確かに名簿の名前と本名が違うなら憂慮すべき事態だ。実際、コミクロンは知り合いが参加してないって思ってたわけだしな。俺の知り合いが別の名前で他にも参加させられてるかもしれねえ。ってことで、オーフェンさんよ。できれば何か『キリランシェロ』しか知らないことってないか?」
「俺しか知らないこと、ねえ……」
 オーフェンは目を瞑って考え込む。自分であるということの証明。この空間では存外に難しいことではある。
 キリランシェロだけが知っていること。いや、正確に言えばキリランシェロとコミクロンのみに通じる符丁か。
(コミクロンはひとつ上の年代だったからあんまり共通点もなかったしな……っていうか、五年前の細々としたことなんか殆ど覚えてない。参ったな、こりゃ)
 そうして口を開かず長考するオーフェンに、コミクロンは痺れを切らしたらしい。ぶんぶんと無意味に腕を振り回して喚き散らす。
「本当にお前がキリランシェロなら、この世紀の大天才、コミクロンの偉大なる業績の数々を知っているはずだ。
 さあ口にしろ! この天才を称える言葉を! 俺の成し遂げた偉業を! 俺はどんな人物だった!?」
「歯車を信奉してる、役に立たないガラクタばっか造る傍迷惑な奴」
「聞いたかヴァーミリオン! 語るに落ちた! 俺のことを正しく認識しているのならそんな評価には到底ならんはずだ! この偽リランシェロめ!」
「どうやら本物みたいだな。よろしく、オーフェン」
「……ヴァーミリオン、お前との信頼関係にちみーっと罅が入ったぞ」
 なにやら恨めしげに呟いているコミクロンと苦笑を浮かべているヘイズを見て、だがふとオーフェンは気づいた。
「ああ、あったぞ。っていうか、お前もさっき見てただろーが。物質崩壊の魔術はチャイルドマン教室の秘奥だ。あれが使えるのは先生とその生徒だけだろ」
「ああ、そういえば」
 ぽん、と手を打って納得するコミクロン。

177二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:12:38 ID:Ob3uHk/A
「……いらんことに時間を使った気がするな」
 頭痛をこらえるかのようにこめかみを揉みながらヘイズが呻く。
 それは無視して、コミクロンはしげしげと改めてオーフェンの顔を覗きこんだ。
「しかし……キリランシェロだということは認めてやらんでもないが、何でそんなチンピラ風に? 色々あったって言うが具体的になんだ? アザリー辺りに天人の遺産の実験台にでもされたか?」
「あー……そうだな。いや、そうじゃないが」
 偶然だろうが、割りとそう外れてもいないことを突かれ、思わず返答が曖昧になる。
 このコミクロンはオーフェンから見て五年前の存在だ――つまり、オーフェンがまだキリランシェロと呼ばれていた頃の。
 だから向こうが『オーフェン』と面識がないのは当然であるが、それを説明するとなると――
(……五年後のことまで突っ込まれたら、何て答えりゃいいんだ?)
 コミクロンは死ぬ。オーフェンの姉だったアザリーの討伐に参加し、死ぬ。
 そのことを伝えるべきか、否か。
「――そのくらいにしておこうぜ、コミクロン」
「ヴァーミリオン?」
 オーフェンのその悩みを中断させたのはヘイズだった。
 訝しむような表情で振り向いたコミクロンに対して肩をすくめてみせながら、参加者リストを率先して畳み、
「あんまりここに長居するのは不味い。派手にドンパチやり過ぎた。
 ダナティアのグループが崩壊したとしても、まだあの放送の力は残っている――付近に乗った奴が潜んでねぇともかぎらねえ。
 とりあえずはこいつが"キリランシェロ"だって分かっただけでよしとしようや」
「む、それもそうか」
 コミクロンも納得したようで、ヘイズと分担していた禁止エリアを書きこんだ地図の方を広げ始める。
(とりあえずは一時保留ってとこか)
 いずれ話さなければならないだろうが、それまでに心中を整理する時間はできた。
 オーフェンは胸中で嘆息し――そして、こちらをじっと見据えるヘイズの視線に気づく。
(……なるほど、話題を誘導したのはわざとか。隠し事を見抜かれてたな)
 聡い人物だ。オーフェンがヘイズに抱く第一印象はそれだった。そして同様に、情け深い性格でもあるらしい。
 見逃された、ということだろう――コミクロンよりも早く彼に話すことになりそうだな、とオーフェンは思った。
 了解した、という風に手をひらひらと振ると、ヘイズもその意図を察したのだろう。コミクロンの地図を覗き込みながらこれからの予定を立て始める。
「さて、とりあえずは移動するってことだが――どうする? どこか行くあてはあるか? 俺たちはとりあえず例の放送の集団に接触してみる予定だったんだが、あんたは?」
 ヘイズの問いに、オーフェンは続けて手を振りながら応じた。
「さっきも言ったが、俺は待ち合わせの約束がある。零時にE-5の小屋だ。時間は過ぎちまったが、まだ今から行けば間に合う……と、思う」
「待ち合わせ相手は? 信用できる奴か?」
「……椅子に偏愛を注ぐ変態だった。が、まあ、極悪人ではないと思う」
「……なんだそれ、コミクロンの親戚か?」
「おい、ヴァーミリオン。お前もしかして俺に喧嘩売ってるのか?」

178二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:13:55 ID:Ob3uHk/A
 にらみ合う二人。だが唐突に、コミクロンは「む?」と首を傾げた。
「なあ前にこれと似たよーなやりとりをしたことないか? どうも引っかかるんだが……」
「どうでもいいだろ? それよりも、だ――」
 さておき、とヘイズは地図を見つめた。E-5の小屋――距離的にはさほど離れていない。
「さて、提案だ。俺としては、この同盟をもうしばらく継続したい。そっちの方に俺たちも同行しようと思うんだが――いいか?」
「そっちの用事はいいのか?」
「例のマンションまでそう距離はないからな……それに正直、さっきのあれは肝が冷えた」
 一見、遠・近距離戦闘に対応でき、そして十分に信頼関係を築けた三人組ならば、この"ゲーム"ではとてつもなく有利に思える。殺人者はその性質上、大勢での同盟を組みにくいからだ。
 だが実際、それを殺人者も理解している。だからこそ、ゲームに乗る連中というのはギギナやフォルテッシモ、そしてさきほどの少女達のように、一対多を苦もしない馬鹿げた戦闘能力を持っている場合が多い。
「何をするにしてもこの島じゃ戦力はあったほうがいい。魔術士が二人いれば、攻防一体の戦略もとれるって分かったしな。俺の"破砕の領域"じゃ、コミクロンの魔術とはコンビネーションの相性が悪いんだ」
「ああ、魔術と相克するってやつか」
 頷きながら、オーフェンはさきほどかいつまんで説明されたことを思い出していた。論理回路と音声魔術の相似点――そして刻印解除の目処について。
 残り32名。最初に集められた人数の約4分の1。ゲームの終了は近い。仮に自分たちの様な優勝を目指していない連中が残ったとして、刻印が解除できなければ24時間の制限で全滅するしかない。オーフェンは顎に手を当てて思考する。
(確かに俺はこれまでマジクやクリーオウの捜索を第一に考えてたから、他の連中とつるむのは最小限にしてたが……そろそろ、クリーオウと合流したその後のことまで考えにゃならんかもな)
 とりあえず、佐山やダナティアといった集団を形成してゲームからの脱出を考えている連中とは敵対しない程度の関係性を築いてはいるが、それだけでは十分とは言い難い。
 ならば、一応の知り合いがいるこの集団に属しておくのは悪い考えではないだろう。そんな打算を弾き出し、右手をヘイズに差し出す。
「オーケイ、同盟成立だ。これからよろしくな、ええと、ヴァーミリオン?」
「そっちじゃ呼びにくいだろう。ヘイズのほうでいい」
「うむ。まあ、このコミクロン様にあやかりたい気持ちは分かるが、お前のよーな貧乏脳みそでは無理だぞ、キリランシェロ」
 腰に手を当ててふふんと笑うコミクロン。それをじっとりとした目つきで軽く睨みながら、オーフェンは呻いた。大魔術を放った疲労がさらに重くなった気がする。
「……そういえばこういう奴だったか。まあいいけどよ。んじゃ、そろそろ――」
 行くか、と立ち上がりかけ。
 ふと違和感を覚えて、オーフェンは腰を半分ほど浮かせた中途半端な体勢で停止した。それは丁度、レポートの提出期限をど忘れしてしまったような心境に近い。一週間後か、明日か。それとも昨日だったかも分からず、不意に沸いてくる焦燥。
 見ればコミクロンとヘイズはすでにその違和感の正体に気づいているようで、きょろきょろと互いに周囲を見渡していた。やがて目当てのものがどうやっても見当たらないことに気づき、二人で顔を見合わせる。
 忘れていた――というよりは、近づき難かったのだろう。彼女は先の戦闘で知り合いを亡くしている。
「……あれ、火乃香は?」
 間の抜けた声の二重奏は、森の中でさして響きもせずに消えた。

179二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:14:39 ID:Ob3uHk/A
◇◇◇

 困った。立ち上がれない。
 衝撃に弾き飛ばされ、全身を蝕む痺れるような鈍痛はフリウ・ハリスコーの身体の自由を奪っていた。
 立ち上がることができない。現状、木の幹に背を預けて座り込んでいる態勢だが、この状態から許されるのは精々地面の上に寝っ転がることくらいだ。それも、おそらくうつ伏せか仰向けかは選べまい。
(そういえば、両腕の骨も折れてるんだっけ……)
 今は痺れるような感覚で誤魔化されているが、もう少し経てばおそらく本格的に痛み出すだろう。硝化の森に挑むハンターにとって怪我は日常茶飯事であったが、流石に両腕が折れた痛みというのは味わったことがない。じんわりと背中にいやな汗が浮かぶのを感じる。
「小娘、立ち上がらんのか」
 気楽に言ってくる人精霊を睨んで、だが意地を張っても仕方ないと気づいてフリウは溜息をつくかのように言った。
「立ち上がれないの」
「じゃあ飛んだらどうだ? さっきの小娘は羽を生やせるみたいだったし、同じ小娘ならできるんでないか?」
「できるわけないでしょ、そんなの」
「俺たちはできるんだが。しかし飛べもしない、歩けもしないとなると本格的に小娘だな。この場合の小娘というのは無駄飯ぐらいと同義だ。薄暗い部屋から出てこない小娘を両親は疎ましく思っている。俺もそのお父さんと同じ気持ちだ」
 益体のない言葉を吐き散らかす人精霊の存在と動かせない体に顔をしかめながら、フリウは頭上を見上げた。後頭部を木の幹に押し当て、位置を固定する。自分は特に体格に恵まれているわけではないとはいえ、人一人が背を預けきれる大きな木だ。当然、枝も豊かに茂っていた。
(念糸でY字になってる枝を落として……松葉杖の代わりにできるかな?)
 それはどこまでも無茶な案のように思えた。このコンディションで念糸を紡げる自信はない。仮に枝を落とせても、腕の痛みがあれば歩くことは難しいだろう。いや、そもそも脇の下に枝を挟むこともできないかもしれない。
 それでも他にやりようがあるわけでもなく、霞む視界で枝の一本を注視する。
「――動くな」
 そして。
 頭上を仰ぎ、無防備にさらけ出されているフリウの首筋に、一条の銀が突きつけられた。
「あの巨人の特性は分かってる。こっちを見たら――殺すよ」
 突きつけられたのは銀の閃光だけではない。それに負けないくらい鋭く、そして冷たい言葉も。
(ああ――)
 忘れていなかった、といえば嘘になるかもしれない。
 だけどフリウは知っていた。いずれはこうなる。こうならなくてはならなかった。
 そう。そうだ。たとえ正気を取り戻しても。狂気を振り払えても。
 それまでの行いがなくなることなんて、ない。
 月明かりが枝の隙間から差すだけの暗い暗い森の中、突きつけられた刃を分水嶺に、フリウと火乃香は対峙した。

180二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:15:31 ID:Ob3uHk/A
◇◇◇

 ――火乃香には分かっていた。
 蒼き天宙眼は気を感じ取る。
 だから敵の内、ひとりがまだ生きていることに、気づいていた。
 パイフウを殺した殺人者達の片割れが、仇ともいえる存在がまだ存在していることに気づいていた。
「あの奇妙な糸を出しても殺す。それ以外にも変な動きをしたら、殺す」
 巨人に殴られて酷くひしゃげた騎士剣を少女の白い喉元に押し当てながら、冷たく告げる。
 殺人――その経験がないわけではないが、火乃香はそれを仕事にはしていない。
 他者を殺害することへの嫌悪感は根強く彼女の内に焼き付いている。
 だが、それでも。
 "殺す"――己が口にしたその忌み言葉に、火乃香の背筋は震えもしない。
 それが指す意味を、当然のように自分の精神が受け止めている。
(抵抗しようとしたら迷わず……殺せる)
 その確信がある。先ほどの交戦の時も相手を両断するつもりで剣を振るったのだ。
 それは怒りだ。パイフウを、先生と呼び慕っていた人を殺された恨みだ。
 まるで頭蓋の内側にある体液がすべて沸騰してしまったかのよう。突きつけた切っ先はぶるぶると震え、いつもの精緻な居合いの面影など欠片も見いだせない。
 いまの自分の有様は無様の一言。
 だが、それでいい。その無様さこそが、自分を突き進ませる。
 色素の薄い髪に白い肌。自分とは対照的な出で立ちの娘。抵抗の様子は無い。火乃香の天宙眼は殺意に敏感だ。数キロ先からの狙撃すら予測して回避できる。制限下である現在の状況では本来の性能は望むべくも無いが、それでもこれだけ近ければ何かされる前に刃を動かせる。
 眼前のそいつを睨みやりながら、火乃香は口を開く。最初の質問は決まっていた。
「何で、殺そうなんて思ったの?」
 その質問に、びくりと白い少女が身を強張らせた。構わず、火乃香は続ける。
「そりゃ、"どうしようもない悪人なんかいない。殺していい奴なんてひとりもいない"――なんて一説ぶつほど、あたしも世間知らずじゃないさ。パイ先生――あんた達がさっき殺した人も、たぶん……どういう事情にせよ、この島で誰かを殺しちゃったんだと思う」
 "……お願い、ほのちゃん。聞かないで"
 あの時の懇願に込められた感情に、火乃香は気づいていた。
 パイフウは自分に何か隠し事をしている。そしてそれはあの時――パイフウが混乱に乗じて、逃げる連中を無差別に狙撃しようとしていた事情に関係していることも、薄々は感づいている。
 果たしてパイフウがこのゲームに乗っていたらなら。
 自分はどうしていただろうか。火乃香は思う。もしもパイフウに殺された者の縁者が復讐を叫び、パイフウを殺そうとしたら、自分はどうしただろうか。
 分からない。そんなことは、考えたくもない。ある意味、パイフウに対する他者からの糾弾が"絶対に"有り得なくなった今の状況は救いでもある。そのことを考えずに済ませてくれるのだから。
 ――それに感謝することは、当然出来ないが。
 無駄な思考を振り払って、言葉を続けた。
「だけど、あんた達が他人を殺そうとしたのはその復讐なんて理由じゃない。そりゃあ復讐だって真っ当な理由とは言い難いけど、あんた達――あんたのはもっと真っ当じゃない理由だってのはあたしにも分かる」
 死と破壊。ただひたすらにそれを求めた少女達。
 特にこの白い少女は、破壊それ自体を求めているようでもあった。典型的な破滅主義者か――あるいは幼い少女の自暴自棄か。
「……理由を聞かせてよ」
 剣の震えが伝染するように、いつの間にか自分の声も震えていた。
 理由は分からない。その理由が何なのか分かる前に、火乃香は声を張り上げた。
「何であんた、先生を殺したりなんかしたんだ……!」

181二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:16:24 ID:Ob3uHk/A
 問われて。
 フリウは息を詰めた。初めてではない――この質問は、フリウ・ハリスコーの人生において永遠に付き纏うものだろう。破壊の左目を宿し、それを制御できない大馬鹿者。力に見合う自制心を持たぬ愚者。そいつは多くの人間を殺し、傷つけ、不幸にした。
 一度目はヌアンタット高地の村で。彼女は無言の糾弾に包まれながら八年を過ごした。
 二度目も、同じく生まれ故郷で。それに対する糾弾は刃と共に振り下ろされた。
 三度目、帝都イシィカルリシア・ハイエンドを粉微塵にして――これは直接彼女を責める者もいなかったが、それでも世界は大きく変化した。良くも悪くも。ならばやはり、その下手人を非難するものはいるだろう。
 彼女が歩んできた道筋には、投げつけられた誹謗の跡が多く残っている。
 ――そして、それに答えを返せたことは一度も無い。
(だって……だって)
 許されることではないのだから。
 納得できる言い訳というものは無い。フリウは知っている。大切なものを奪われたら、奪った相手を許すことは出来ない。許すことができないが故に、それは大切なものなのだから。許すことができるなら、それはその程度のものだったということだ。
 理由、理由か。刃を向けてくる、まだ顔も見ていない少女の言葉を反芻する。きっと、何を言ったって彼女を納得させることは出来ないだろう。
 あの時は壊すことこそが正しいことだと思えた。それは身勝手な自暴自棄だったのだと、いまなら理解できる。いつだってそうだった。フリウ・ハリスコーが怒りに任せて精霊を解き放てば、何もかも滅茶苦茶になってしまう。
 彼女の質問に、正答を返すことは出来ない。
 正しい答えを返せば許されるというのなら、正しい答えなんて存在しない。
 フリウ・ハリスコーは口を開いた。
「……破壊に、理由なんて無いよ」
 かつて、炎髪灼眼の少女にも言った台詞を口にする。
 目の前の少女が眼を見開き、喉に当たる刃には力が篭った。その感触から逃げず、続ける。
「だって、あたしは間違ってたんだ」
 言葉を覚えている。
 ペスポルト・シックルド。かつての養父。精霊アマワに奪われたもの。彼の言葉を覚えてる。だから彼の存在は無かったことにならない。
 それでも彼を喪失した折、フリウは帝都を破壊した。
 帝国の中心、不死者の棺を叩き壊し、そこを永遠の不毛の地――硝化の森へと変えてしまった。
 これは、その焼き直し。
 喪失し、癇癪を起こして破滅を招き、そしてまたそれに気づいて青褪めている。
 フリウ・ハリスコーとは、そんな愚か者の名前である。自分は永遠に賢者にはなれないだろう。この眼と釣り合う自制心を、八年以上かけても自分は習得できなかったのだから。
「ごめん――なさい」
 だから泣きじゃくる子供がそうするように、フリウは謝罪を口にする。
「――なに、を」
「ごめんなさい。許してもらえることじゃないのは分かってます。だけど――」
「やめろ」
 喉もとの刃が、フリウの言葉に反応して震えた。
 当然の反応だろう。軽すぎると、フリウ自身ですら思った。言葉に重みがない。殺戮はほんの数分前だ。そんな行為で許される筈は無い。
 あの時は、どうしたのだったか。
 帰り着いた生まれ故郷で、刃と矢によって迎えられたあの時、自分は契約に守られていた。だから生き延び、アマワと対峙することが出来た。
 今は違う。目の前の少女の刃は、フリウに逃れようの無い死を齎す。許される筈はないのだから、そうなる。
 フリウ・ハリスコーはここで死ぬのだろう。結局は、死から逃れられなどしなかった。

182二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:17:46 ID:Ob3uHk/A
(――それなら、あたしは)
 ずっと頭上を見ていた顔を下に向け直し、こちらに刃を向ける少女を見やる。水晶眼の左目は瞑っておいた。
 毅然とした表情に、驚愕を一筋だけ混ぜているバンダナを巻いた少女。その顔を見つめて、口を開く。
 死ぬのは怖い。だけど、やらなくてはならないことがある。あの時のように。
「……ふたつだけ。あたしを殺すのなら、左目は傷つけないでください。中に精霊――あの銀色の巨人が入っています。眼が傷つくと爆発が起きて、多分この島くらいなら吹き飛んでしまうから。それほどの威力が無くても、出てきた精霊は制御ができません」
 バンダナの少女の表情は、変わらない――それが、こちらが左目を閉じていることに起因しているのか、それともそれ以外の理由であるのかは、フリウには判別できなかったが。
 構わずに、続ける。一息に話をしたせいか、頭が茫洋とした霞に覆われつつある。心なしか視界も定まらなくなり始めていたが、構わず続けた。
「それと、この殺し合いには最初にあたし達を集めた奴ら以外に黒幕がいます……確証はないけど、多分、そいつが仕組んでる。そいつは偶然とかを全部、自分の都合の良いように操ってしまう存在です。名前は、アマワ。未来精霊アマワ。もしもこの島から出ようとするなら、きっと、そいつ、が……」
 そして、フリウ・ハリスコーの意識はそこで途絶えた。
 ぐったりと、それまで木に寄りかかっていた状態から滑る様に横倒れになる白髪の少女を見つめながら、火乃香は剣を引いていた。あのまま剣を首下に当てていれば、刃は自動的に倒れる少女の頚動脈を切り裂いていただろう。
 それをしなかった理由は、何か。
「――卑怯者」
 吐き捨てるように、火乃香は呟いた。
 目の前の少女が気絶した理由は明らかだ。両腕が折れて、変な方向を向いている。普通なら会話も出来ないほどの重症の筈だ。
 砂漠でもこういう奴はたまにいる。自分の怪我や容態の程度を脳が把握しきれず、壊れかけの体で不気味に動こうとするもの。大抵はそのまま死ぬ。
(こいつも、放っておけば、死ぬ)
 自身を納得させるように、火乃香は胸中に言葉を浮かべる。
 自然治癒するような怪我ではない。この有様では動くこともできないだろう。殺人者はか弱い獲物に容赦をしない。あるいは、殺される以上に胸糞悪いことになるかもしれない。また、そうでなくともいずれは確実に衰弱死に辿り着く。
 自分が手を下す必要は全く無い。その感触を手に残すようなことはしなくていい。ただ背を向けて歩むだけでいいのだ……
(殺せる。このまま放置するだけだ。先生の仇だよ。当然だろ?)
 ならば何故、自分はそんな当然のことを自問しているのか?
 気づいて、火乃香は剣を下ろした。
「――ずるい。こんなの、殺せない」
 無様に命乞いをしてくれれば良かった。
 最後まで抵抗してくれれば殺せた。
 それでもきっと殺せば後悔しただろうが、殺せた。
 でももう無理だ。殺せない。火乃香という少女には、殺せない。
 気づいてしまったのだ。目の前の異貌の少女から全く殺気が感じられないことに。
 なまじっか気を読む蒼い瞳など持っているから分かってしまった。先ほどまでは殺意の塊だった癖に、いまはただの震える少女に過ぎない。そしてただの少女を火乃香という人間は斬れない。斬ることが出来ない。見捨てることすらも、出来ない。
 否。最初から、それは決まっていたのかもしれない。
 何故自分は相手と問答などしようと思ったのか。仇を討つというのなら、不意打ちで殺せばよかったのだ。それならば何故言葉を掛けた。糾弾し、嬲るため? 否。そこまで自分は腐っていない。
 結局抵抗すれば殺せる、などというのは、条件を付与することによって自分に逃げ道を与えようとしている惰弱な行為に過ぎなかった。
 卑怯者、と呟いた。目の前の少女は、ずるい。
 そして、自分も。
「ごめん、先生……先生の仇、とれなかったよ」
 どんなに言い訳をしても、彼女を殺せないのは自分のエゴだから。
 ――さあ、泣き言はお終いにしよう。
 先ほど突貫工事で造った森の中の広場では、ようやく自分の不在に気づいた馬鹿コンビが火乃香を探し回っている。その気配を額の瞳に感じ、火乃香は無理やり笑みを作った。
 右目、左目、そして喉。自分の持つそれらに対し、順番に指で触れていく。
 眼球の保湿に不要な余分を払い、喉の痙攣を無理やり収めた。
 それでも、胸の隙間が埋まることは無かったけれど。

183二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:18:54 ID:Ob3uHk/A
◇◇◇

「そういうわけだから、この子も一緒に連れて行くよ」
「……って、ちょっと待て」
 オーフェンは頭痛を堪えるように指先を額に押し当てながら呻いた。半眼で、火乃香が茂みの中から抱えてきた少女を見やる。
 白い髪に高地生まれを思わせる白い肌。双眸の内、片方は瞳すらない白一色の異相――とはいえ、今は二つの瞳は瞼で覆い隠されているが。
 気を失っていて、寝顔は負傷の程度とは不釣合いなほど穏やか、つまりは死者の顔に近い。誰が見ても年相応の無防備な少女にしか見えないだろう。とはいえそんな様子で騙されるほど、つい数分前の出会いが牧歌的なものであったわけでもなかった。
「俺の見間違いでなければ、そいつはさっき俺たちを全力で殺そうとしてきた奴の片割れに見えるんだが」
「うん。まあ、そうだけど?」
「そうか。そうだよな。ところで、俺もさっきあんたらのグループに入れて貰うことになったんだ」
「ああ、そうなの。ま、コミクロンの知り合いだったみたいだしね。そうなるだろうなーとは思ってたよ。これからよろしくね」
「こちらこそ。というわけで、俺たちは一応きちんと同盟を結んだわけだ。それなのにちょっと気に入らない奴がこのグループに入ったからって”じゃ、さようなら”ってなるのは俺も不義理な気がするし、しないほうがお互いの精神的健康の為にもいい気がするんだが、どう思う?」
「いいね。無責任な奴はあたしの故郷じゃ嫌われるよ。きちんと自分の仕事を果たしてこそ一人前だね」
「ありがとう。じゃ、その上で言わせて貰うんだが――」
 そういってオーフェンは指先を白い少女――フリウ・ハリスコーに突きつけた。咄嗟に発動できる攻撃的な構成はさきほどから展開したままだ。
「俺は反対だ。あの巨人は危険すぎる。わざわざそれを連れて歩く気か?」
「危険ってことなら、さっきあんたが私たちに協力してくれたのだってそっちにとっては危険なだけだっただろ?」
「違う。あれはこれから俺が待ち合わせしてる奴らと会うのに安全を確保したかったから必要だった。だがこれは無駄に危険を背負い込んでるだけだ」
 確かに銀の巨人への対抗策はつかめた。視線を魔術で攪乱すれば、あの巨人は役に立たない。
 とはいえ、だからといって脅威が失われたという訳ではない。魔術の発動にはどうしてもタイムラグがつきまとうからだ。不意打ちであの巨人を放たれてはひとたまりもない。
 さらに、この少女が他に攻撃手段を持っていないと確定したわけでもない。そういえば、この少女が巨人を召喚する際にちらりと確認できた銀の糸のようなものは、数時間前に出会った黒衣の男の念糸とやらに酷似していた。
 異能の力を持つ相手をこちらの安全を確保した上で拘束することは難しい――例えばオーフェン達音声魔術士は声を出せる限りいくらでも破壊的な魔術を使うことが出来る。それを防ごうとするなら、実質的に殺すしかない。
 ましてや相手の力を見定められない現状で、しかも一箇所に押し込めるならともかく、連れて歩くというのはオーフェンには許容できなかった。
 魔術士は究極のリアリストだ。特に≪牙の塔≫の魔術士は。無用な殺傷はしないが、必要なら殺害までも含めた行動が出来るように訓練されている。
 まあその点で言えば自分は魔術士としても不合格だった訳だが、だからといってこの少女を連れて行くことを許容できるわけでもない。
「そもそもだな、君の話だと彼女は改心して、しかもこの悪趣味な催しの黒幕に心当たりがあるそうだが――彼女が嘘をついてないって保障は?」
「あたしの勘」
「いや勘って」
 悪びれもせずにそう告げてくる少女を前にして、オーフェンはさらに頭痛を堪える様に頭を強く抱えながら後ろを振り向いた。コミクロンとヘイズに援護をもらうためだ。
 コミクロンはあんな風だが魔術士としての心構えはあった。だからこそ後年、彼はアザリーの討伐隊に参加するのだから。
 ヘイズとはまだ知り合ったばかりだが、しかし彼の演算能力は現実に即したものだ。的確な状況判断を下すことが出来るだろう。

184二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:19:54 ID:Ob3uHk/A
 しかしその二人は互いに顔を見合わせひとつ頷き、
「火乃香だしなぁ」
「ああ、火乃香だもんなぁ」
 などと言いながら、不思議な納得の仕方を見せている。
「おいっ!?」
 予想を裏切られて思わず声を張り上げるオーフェンの背後で、火乃香は得意げに胸を反らして見せた。
「ほぉら三対一。ところで民主主義って言葉知ってる?」
「多数決が絶対正しいって訳でもなかろうが……」
「最初に他の奴らを頼ったのはあんたでしょ?」
 ぐ、とオーフェンは呻いた。確かにそうだ。確かにそうだが。
「いや、でもな――」
 なんとか食い下がろうとするオーフェンの肩を、ヘイズとコミクロンがぽん、と叩いた。
「諦めろ、キリランシェロ。火乃香はお前の姉と同類だ。逆らうだけ無駄に疲れるだけだぞ」
「こっち側にくれば楽になるぜ――子分仲間が増えると、俺達の負担が減る」
「ええい、やめろ! 俺は真人間だ! そっち側に引き込もうとするんじゃねえっ!」
 オーフェンはぶんぶんと威嚇するように腕を振りながら叫ぶ――のみならず肩に触れていたヘイズの手を掴み返すとそのまま背負い投げの形で地面に叩きつけ、コミクロンの鳩尾に容赦なく膝蹴りを叩き込んだ。
 いきなりの不意打ちで両者共に反応できず、ぐぇ、と奇妙な鳴き声を発して悶絶する。
 ふぅ、とオーフェンは額を拭う動作などしつつ、さわやかな笑みを浮かべて火乃香に視線を戻した。
「これで一対一だな」
「チンピラだねえ……見た目に違わず」
 呆れるように肩を竦める火乃香に、だがオーフェンも肩を竦め返す。
「ま、冗談はともかくだ――とりあえず、君の意見には従ってもいいがね」
「じゃあなんでヘイズとコミクロンを……」
「従ってもいいが!」
 半眼の火乃香による追求を無視して、というより打ち消すようにオーフェンは声のボリュームを上げた。地面に転がる白髪の少女を指差す。
「彼女のした話の真偽を確かめるためには、彼女が眼を覚ますのを待つしかないだろう――だがこの場に長く留まることはできないから、その場合は彼女を連れて移動しなけりゃならない。だから君の意見も、選択肢のひとつとしては確かにある。
 だが問題はな。彼女が危険な力の持ち主で、その力で俺達に危害を加えない、って手放しには信じられないってことだ。俺としちゃあ余計な厄介ごとは背負い込みたくない。もしもそうなったら、君はどうする?」
「……そうなったら、あたしに責任を取れってこと?」
「違う。もし実際危なくなったら俺だって彼女を止めるのに協力する。同盟を結んだ以上、責任を押し付けたりはしない。
 俺が言いたいのは、だ。彼女が暴走した時君がどうするかって話さ――単刀直入に言おう。君はもしそうなった時、彼女を殺すことを容認できるか?」
 もしも、それでもなお、殺せないというのなら。
 その躊躇いは危険だ。チームで動くなら、目的と用いる手段は統一しておくべきだろう。そこに混乱があれば組織はただの個人の集まりに成り下がり、撃破するのは容易いものとなる。
 だが人を殺すのを容認するのは難しい。オーフェンはその難しさを知っていた。出来ない内は、どうしたってできない。
 この少女はどちらだ。出来る人間なのか、出来ない人間なのか。
「その時になったら言い合ってる暇もないだろうしな――それで、君は」

185二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:22:36 ID:Ob3uHk/A
「殺せるよ」
 オーフェンの言葉を遮って。
 火乃香は短く、それだけを口にした。
「二度目は、ない。あたしもそこまでお人好しじゃない。もしも次にこいつが人を殺そうとしたら、何よりもまず真っ先に、あたしが手を下す。いいね?」
「……分かった。それなら、俺の方からはもう何も言うことは無いさ」
 降参するように軽く両手を上げながら、オーフェン。火乃香はそれを確認すると彼に背を向け、寝転がっているコミクロンとヘイズをげしげしと蹴り始める。
「ほら、コミクロン。なに寝てんの? さっさと起きてその子の腕を治す! あとヘイズはその子を負ぶって連れて行くこと。あー、それと変なことしたらちょん切るからね?」
「こんな餓鬼に欲情するかよ……っていうか、俺がこの子背負ったら荷物はどーすんだ?」
「キリランシェロにでも持たせとけばよかろう――しかし酷い怪我だな。特に左腕の骨は粉々だし、いかに俺が天才とはいえ、これ治るのか……?」
 存外、素直にむっくりと起き上がって少女の指示通りに行動し始める二人。それほど強く打ったわけでもないので、当然といえば当然だが。
 オーフェンは腕組みなどしながらその光景を眺めていた。
 目の前の三人の間には確固とした信頼関係があるように見受けられる。
 この島でそれを得られると言うことは幸いだろう。殺戮を前提とした島では、それは金貨よりも価値がある代物だ。
 だが、とオーフェンは胸中で続けた。
 朱に交われば、という言葉がある。信頼おける仲間というのは、相互に影響を与えやすい。良くも、悪くも。
「ほら、あんたもぼさっとしてないで、ヘイズの荷物を持つ!」
「……ああ」
 少女が放ったデイパックを受け取りながら、オーフェンは火乃香の瞳を一瞥した。
 今は何も無いように見える。どこから見ても、ただの勝気な少女にしか見えない。
(だが、あの時は――)
 あの時。白髪の少女を殺せるかどうか聞いた時。
 彼女の答えが出任せだとはオーフェンも思っていない。むしろ、殺せるという彼女の言葉にはどこまでも真実みがあった。
 ――あの時の火乃香の瞳には、確かに憎悪の色が宿っていた。

186二重苦 ◆5Mp/UnDTiI:2011/07/05(火) 12:24:27 ID:Ob3uHk/A
◇◇◇

 ――そして、時刻は00:50。
 切り拓かれて出来た森の中の広場。そこで戦った彼らの姿はすでにない。今あるのは新たにここを訪れた者の影。
 否。それは影というには美麗に過ぎた。彼女の華美はその影にすら伝播する。
 彼女の残した足音を耳にするだけで、人は歓喜に打ち震えるだろう――たとえ彼女が破滅しか与えぬ存在であったとしても。
「なるほど、な――」
 木が幾本も転がる広場を見渡して、美姫が呟く。その透き通った双眸は過去すら見通すというのか、ここで何が起きたのか、そしてそれを誰が齎したかということですら見抜いているようでもあった。
 その美姫が、ふと表情を曇らせる。視線は広場のほぼ中央、何かが爆発したようなすり鉢状の形跡に注がれていた。
「なんとも目障りなことよ――ならば」
 甘い毒のような笑みが浮かぶ。
 ――次の標的が、決まった。


【E-5/北部森林地帯/2日目・00:20】

【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:疲労。 軽傷。
[装備]:なし
[道具]:有機コード、
[思考]:オーフェンの待ち人と合流する/ダナティアのグループがどうなったかの確認
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。
    火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。

【火乃香】
[状態]:やや消耗。軽傷。
[装備]:騎士剣・陰 (損傷不明)
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:オーフェンの待ち人と合流する/ダナティアのグループがどうなったかの確認/フリウに対して複雑な感情。
[備考]:『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。

【コミクロン】
[状態]:疲労。軽傷。
[装備]:エドゲイン君
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1000ml) 未完成の刻印解除構成式(頭の中)
    刻印解除構成式のメモ数枚
[思考]:オーフェンの待ち人と合流する/ダナティアのグループがどうなったかの確認
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。
    火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。

【オーフェン】
[状態]:疲労。身体のあちこちに切り傷。
[装備]:牙の塔の紋章×2
[道具]:デイパック(支給品一式・パン4食分・水1000ml) デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
    船長室で見つけた積み荷の目録
[思考]:ギギナと合流する/ダナティアのグループがどうなったかの確認/フリウを警戒
[備考]:アマワに関する情報を得ました。

【フリウ・ハリスコー】
[状態]:全身血塗れ。全身打撲。気絶。
[装備]:水晶眼(眼帯なし)、右腕と胸部に包帯 スィリー
[道具]:デイパック(支給品一式・パン5食分・水1500ml)、缶詰などの食糧
[思考]:???
[備考]:アマワの存在を知覚しました。アマワが黒幕だと思っています。
    ウルトプライドが再生するまで約半日かかります。

【E-4/倉庫前/2日目・00:50】

【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:参加者から管理者まで全てを皆殺しに。
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
     刻印が解除されました。

187そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 15:56:50 ID:acH05MJA
 最終的に、優勝を果たしたのはフリウ・ハリスコーという小娘だった。
 何故なら彼女は最強だからだ。最強。即ち誰も敵う者がいないということ。
 土台、小娘というのはそういうものだからな。大抵泣きながら何かそれっぽいこと言うと許される。許さないと何故かこっちが人非人扱いだしな。いまも自分の足で歩かず他人に自分を運ばせてるあたり、そうした法則は伺えるのではないか。
「そうは思わんか? 小娘2号」
「死ね」
 長々と意味の分からない演説をぶっていた人精霊に、火乃香がただ一言で切り返す。
 歩き出してから数十分。火乃香も最初はぎゃーぎゃー言い合っていたが、どうやら論で捻じ伏せるのは無理だとようやく理解したらしい。
 そんな光景を横目に、白髪の少女を背負ったヘイズは憂鬱な表情で苦鳴を搾り出した。
「……俺はこんな奴の口にした言葉をヒントにしたのか……」
「なんというか、今生きてることにこんなに感謝したのは生まれて初めてだぞヴァーミリオン」
 同じくぐったりと疲れて果てた呻き声をあげるコミクロン。
 フリウを担いで移動し始めると共にどこからともなく現れ、彼らに付いて回るこの青白い精霊は一行の精神力やらやる気やらというものを徹底して削ぎまくっていた。
 ただひとり、その中でどこか底暗い笑顔を浮かべている人物もいたが。
「――苦痛が四等分。いま俺はすさまじく仲間の尊さを感じているぞ」
「見た目に違わず考え方も捻くれたんだなキリランシェロ……姉の血か、姉の血なのか!?」
「血縁があるということはその姉も黒かったのか。ならば仕方あるまい。見るがいい、主婦もびっくり洗っても落ちない的なこいつの黒さを。先祖代々濃縮還元されたそれはひとえに邪悪だ――むぎゅっ!?」
「ねえヘイズ、このチンピラ本当に仲間にして良かったの?」
 スィリーをポケットにねじ込みながら半眼で訊ねてくる火乃香に、ヘイズは肩を竦めて見せ、そしてずり落ちかけたフリウを慌てて背負い直しながら、
「火乃香だって納得してたろーが。それに打算的な話になっちまうが、コミクロンの知り合いってことで信用できて、戦力にもなる人材は当たりの方だと思うぜ?」
「あたしが言いたいのはこいつの性格が死滅してるんじゃないかってことなんだけど」
「それはまあそうだが」
「いやそこは否定しろよ」
 なにやら突っ込んでくる黒魔術士を無視して「それに」とヘイズは続けた。
「性格がアレってことならコミクロンも同類だろ」
「そいやそうね」
「よーしその台詞はこの天才に対する挑戦と受け取ったぞ。エドゲイン君の錆にして――」
「あ、それ俺が作った問答無用調停装置じゃねえか。支給品だったのか、これ?」
「なっ……これ貴様が作ったのかキリランシェロ!? ふ、ふん、どうりで野蛮で単純で創造性の欠片も無い発明だと思っていたぞ……!」
 なにやら言い合いを始めた黒魔術士二人を尻目に、ヘイズはもう一度フリウを背負いなおした。気を失っている人間を背負うのは重労働だ。気を抜くとすぐに上半身が左右にずれていく。
「しかしこうやって背負ってると本当に軽いな。歳相応の女の子だ」
「……セクハラ発言?」
「なんでそうなる。俺が言いたいのは、あんな馬鹿げた戦闘能力を発揮するようには見えないってことさ」

188そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:06:35 ID:acH05MJA
 ヘイズの視線の先には火乃香の携帯している騎士剣があった。先の戦闘で投擲され、破壊精霊の一撃を受けたものだ。一見、形状に奇妙なところは無いが。
「騎士剣に刻み込まれてた論理回路を一撃で無茶苦茶にしちまってたからな。一応、オーフェンの魔術で剣としての形状は取り戻しちゃいるが、それでも武器としての格は数段落ちてる。気をつけて使えよ」
「論理回路……って、ヘイズが指パッチンで造ってる奴だっけ」
「ああ。そういや火乃香には詳しく説明してなかったっけか?」
 音声魔術と相克しあうという性質があり、また刻印関係で話す機会の多かったコミクロンには理論も軽く話していたが、火乃香にとってはほとんど初耳だろう。破砕の領域の効果を説明する際にちらと名前を出した程度の筈だ。
 ふむ。とヘイズは考え込んだ。現在地からして、オーフェンの待ち人との合流地点まであと十分足らずというところだろう。人精霊の話を聞いているよりは有意義か、と呟き、
「丁度良いから、暇つぶしがてらに講義しちまうと――論理回路ってのは一言で言や馬鹿でかい情報をもった文字や図形のことだ。物質には物理的な強度のほかに情報としての強度が設定されている。論理回路はこの情報としての強度を強めたり、もう一歩進んで情報の面から物理的な効果をもたらすことができる。弾丸に刻んで速度を速めたり、建材に刻んで強度を高めたりって具合にな」
「ウィルド・グラフみたいなもんか」
 オーフェンが口を挟んだ。
 特に何かを意図しての発言ではなかったのだろう。ヘイズと火乃香の視線が向けられると、ばつが悪そうに口端を吊り上げた。
「おっと――悪いな。邪魔するつもりじゃなかったんだが」
「暇つぶしだからな、別にいいさ。なんなら講師役を引き継いでくれてもいいんだぜ? そのウィルド・グラフってのが役に立つんなら歓迎するさ」
 言いながら刻印のある辺りを指で弾くヘイズに、その意図を理解したオーフェンは軽く首を振り返した。
「微妙だな。確かに黒魔術とは比較にならんほど強力だが、ウィルド――沈黙魔術は俺たちの魔術じゃないからな。支給品としてが魔術文字が刻みこまれた武器はこの島に存在してるかもしれんが――」
「ま、仮にあっても使えんだろう。あれは先生か、じゃなけりゃアザリーの領分だからな」
 やれやれと肩を竦めながらコミクロンが後を引き継ぐ。
「……あたしにはそういう専門的な話は分からないけどさ」
 口を尖らせながら、火乃香。結果として話題に置いてきぼりにされた形になったのが悔しいらしい。手にした騎士剣を掲げ、
「ならヘイズ、もう一回これに論理回路ってやつを刻んでよ。今度は剣から銃に変形したり対装甲ライフル弾撃てるようになる奴」
「また平然と無茶なことを言いやがる……二つの意味でな。そんな無茶苦茶な論理回路は刻めないし、そもそも刻める設備がこの島にあるとは思えねえ。論理回路は構成するパターンが原子一個分ずれるだけで意味を成さなくなるからな。まあメッセージを投影するくらいのちゃちなもんなら別だが……」
「ヘイズは指パッチンで気軽に造ってるじゃん」
「気軽じゃねえよ。これでも頭使ってんだ」
 むー、と唸る火乃香。得物のグレードが下がったのが気になるのだろう。彼女は武器マニアの一面もあるらしい。まるでお気に入りの玩具が壊れた子供の如きその様子に、ヘイズは苦笑を浮かべた。
「そうしかめっ面すんなって。騎士剣は変異銀――情報操作で造りだされた結晶体製だからな。その状態でも並みの剣よりゃ斬れるだろうよ」
 そう――騎士剣は情報制御理論の結晶だ。物理・情報的にもっとも強固な物質のひとつといっていい。
 これ以上の強度を求めるなら、それこそ龍使いの絶対情報防御のように用途別に特化させなければならないだろう。
(その騎士剣をあの巨人は一撃で破壊した……か)
 あのフォルテッシモの能力でさえ論理回路を破壊することはできなかった。ヘイズ自身、騎士剣を破壊しようと思えば一発限りの切り札を使うしかない。
 それを、銀の巨人は拳の一振りで叩き壊した。それもおそらく、制限を掛けられている状態で。
(とんでもない"大当たり"だ。細かい制御はできないみたいだが、物理体・情報体への攻撃力は本職の魔法士を含めてもトップクラスだろうな。ヤバ過ぎる力だが、ここから脱出する際には必要になるかもしれない)
 もとより、"この世界からの脱出"というのはかなり実現性の低い目標なのだ。
 自分たちは抵抗もできずに拘束され、こうしてゲームへの参加を強制されている。その時点で主催側と参加者側の力関係には大きな隔たりがある。
 それでもヘイズがそれを選択したのは彼の信念と、そして元の世界にいた頃からそういう"勝ちの目"の低い勝負事に巻き込まれ続けてきたからであるが。

189そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:08:47 ID:acH05MJA
 そしてもうひとつ。もたらされた情報。
(精霊アマワ。"管理者"とは別に存在するこのゲームの"主催者")
 情報と言うには断片的すぎる、しかし無視するには大きすぎるその名前。
 自分の目的はこの島からの脱出だ。殺し合いに乗るには、もはやここにいる連中と交友を深めすぎた。
 つまり自分はどうにかしてこの刻印を外し、その上で管理者達の目を欺き、この閉鎖された島の中から抜け出さなければならないわけだが。
(そもそも、この"殺し合い"の目的ってのは何なんだ? 異世界から大勢かっさらってきて戦いを強制させる。こうまで莫大な労力を払ってまで達成したい目標ってのは?)
 ヘイズは首を捻る。実験、娯楽、宗教的意味合い。その他、考え付くことは無限にある。だがこれまではその中から特定するには情報が少なすぎた。
 だがもしも"黒幕"の情報から、それを推察することが出来れば。
(その裏を、かけるかもしれねえ――)
 残り人数からみても、ゲーム終了までの猶予は無い。
 "24時間誰も死ななければ全滅する"というルールもある。今までは殺人のペースから気にしていなかったが、そろそろこのルールも視野に入れて行動しなければ不味い。
(つまりはこれまで以上に迅速に、ってことだが――最悪、あと24時間以内に刻印を解除できなけりゃその時点でゲームオーバーって線もあるわけだしな)
 後でオーフェンにも刻印を見て貰うべきだろう。魔術士としての力量は、治療という点を除けばこの黒ずくめの方がコミクロンよりも秀でている。
 そこに気になる点がないでもないが、とにかく今は時間が無い。追求は落ち着いた時か、あるいは必要に迫られた時にでも行えばいい。
 と、その時、オーフェンが歩調を速め、列の先頭に出た。
 気づけば続いていた木々の群れが密度を薄め、広場のようなものが形成されていた。その中心にひっそりと佇む様に小屋が建てられている。目的地に到着したらしい。
「……いるね。小屋の中に二人。ひとりは大怪我してるみたい。気の流れが変だから」
 小屋の中を透視するように睨みながら、火乃香が呟く。
「二人か……クリーオウを見つけてくれてるか、別の奴と合流したか、果てまた偶然別のグループが根城にしてるか」
「まあどっち道、声を掛けてみんことには始まらんだろ。一応、魔術で即応できるようにしておくが」
 オーフェンとコミクロンが態勢を整える。I-ブレインにノイズ。どうやら魔術の構成を展開し始めたようだ。
「ま、そうすると自然、俺が交渉役ってとこか」
 魔術は声を媒介にする為、会話しながらでは息が足りずに咄嗟に呪文を叫べない可能性がある。
 どの道、魔術が発動すれば『破砕の領域』も使い辛い。接近戦を火乃香に任せる以上、ここは自分が交渉役に徹するのがベターだ。
 ヘイズは背負っていたフリウを地面に寝かせ、声を張り上げ相手に呼びかけようとして――
「――って、そういや我ながら間抜けだったが、待ち合わせの相手の名前を聞いてなかったな。なんていうんだ?」
「あれ、言ってなかったけか?」
 オーフェンは首を傾げながら呟いた。そういえば確かに記憶に無い。
 フリウの生存やコミクロンへの誤魔化しなど、バタバタしすぎていたというのが大きいのだろう。
 ひとつ頷いて、オーフェンは待ち人の名前を告げた。
「ああ、ギギナっていうんだが」
「そうか。じゃあギギ――……ナ? ギギナぁっ!?」
「おまっ! ギギナってこの俺様の腕を切り落とし腐ったあの!」
 叫ぶヘイズとコミクロンを尻目に。
 小屋の扉が、ゆっくりと開いた。

190そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:12:39 ID:acH05MJA
◇◇◇

「つまり多次元論というのは完全ではないものの解明されている。基本相互作用の内、他の三種と比較すると重力だけが弱いのはその大部分が他の次元へ伝達されているからだ。いくつかの超定理系の咒式で次元の壁を破るのが可能であることは証明されている。
 とはいえ、他の物理力が次元の壁を越えるには莫大な咒力に膨大な演算組成式が必要になる。よって人が通れる大きさの穴をあけるだけでも到達者級の高位咒式士を大陸中から掻き集める必要が――」
「……暇つぶしに何か話して、って頼んだのはわたしだけど」
 ギギナの呟く奇妙な呪文を遮って、クリーオウはうんざりと呻いた。
「なんてゆーか、もっと聞いてて楽しい話とかないわけ?」
「私に弁舌の才を期待するな」
 不愉快そうに顔をしかめてギギナが反論する。クリーオウを床に座らせ、自分はヒルルカに腰掛けた体勢の為、自然と少女を見下ろす形になっていた。
 三十分ほど前に待ち合わせ場所に到着してからというもの、最初は大人しかったこの少女は段々と持ち前の姦しさを取り戻してきている。無論、ギギナが慰めの言葉をかけたわけではない。単に、時間の経過と食事をとったせいだろう。胃に血が集まることで襲ってきた軽い眠気を恒常咒式で脳物質の量を調整することで潰しつつ、ギギナは少女を観察した。体力的な疲労はともかく、精神面は少しだけ落ち着いたらしい。
 それは、いい――ギギナは思う。沈んだ顔をしているよりはいい。泣き顔を見ていれば蹴りたくなる。それでさらに表情が歪めば次は蹴り殺したくなる。死線であってもなお笑みを絶やさずに下らない冗句を口にすることを、ギギナのような攻性咒式士は好む。
 しかし、とギギナは思考の続きを口に出した。
「私が恩人に頼まれたのは貴様の保護であって暇つぶしの相手ではない。邪魔だから一人で遊んでいろ」
「別に、一緒に遊ぼうなんて言ってないじゃない」
 ぶーぶーと口を尖らせるクリーオウ。
 初対面の他人に対しても物怖じしないというのは彼女の素質のひとつだったが、それは相手がギギナという凶戦士であっても同じらしい。
「それに、いくらなんでもさっきの話は酷すぎるわよ」
「そうか。子供のあやし方など知らぬからな。知り合いの眼鏡の真似をしてみたのだが、まあ下らんというのは貴様に同意しておく」
「あ、ほら。そういう話でいいのよ。その眼鏡の人ってどんな人だったの?」
「既に死んだ。この島でな」
 特に何も考えず事実だけを口にすると、そこで会話は途切れた。
 ギギナが視線を動かすと、クリーオウが顔を俯けているのが確認できた。どこか震えているようにも見える。
「……ごめんなさい。わたし、無神経なこと言っちゃた……」
 再び、出会った頃のような怯えの色が声に混ざる。
 そのことに苛立ちを覚えながら、ギギナは面倒くさそうに腕を振った。
「先に話題に出したのは私だ。別に貴様が気にすることではない」
「でも……ごめん」
 それっきり、黙り込んでしまった小娘を見つめて。
 ギギナは溜息をひとつ吐くと、そのままゆっくりと目を閉じた。静寂――自分が望んでいたもの。それが手に入ったという満足感と、そしてそれを上回る苛立ちが胸中でせめぎあっている。
(なぜだろうな)
 ギギナにとって、女とは暇つぶしの道具でしかない。
 強き戦士であれば相応の礼を尽くすが、それ以外の女性はギギナにとってさほど意味が無い。抱くのに適当な年齢かどうか、という程度のことでしか判別しようとはしなかった。これまでは。
 だがこの少女はどうか。
 戦士ではない。それは先の一戦で理解できた。人を傷つけることに怯え、傷つけられることにも怯える。その際の行動力は認めるが、しかしそれをギギナは賞賛しない。彼女がやろうとしたことは無駄でしかなく、さらに庇おうとしたのがこの自分だというのだから、それを認めることなど出来ない。
 では暇つぶしの相手としてはどうか。
 それも違うように思えた。この少女を抱こうという気は起こらない。それは何故か。恩人の探し人であるからか、それとも――

191そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:15:36 ID:acH05MJA
(……アナピヤか)
 その回答に辿り着き、ギギナは苦笑を浮かべた。
 かつて拾い、共に旅をし、そして最後は相棒と二人掛りで惨殺した少女。
 容姿が特に似ている訳ではない。年齢も一回りは違うだろう。
 それでも、その力の無い肩の落としようは初めて出会った時のアナピヤと重なった。
(信頼していたクエロに裏切られ、さらにその前にも仲間を失ったのだったか……なるほど、もはや限界だろうな)
 クリーオウ・エバーラスティンに折れぬ強さはない。
 折れても再び立ち直る強さはあるのかもしれないが、それとてすぐに発揮されるものではない。
 落ち着いたとはいえ、彼女の精神状況は張り詰めた糸のようなものだろう――オーフェンという希望があるからこそ保っているが、すでにいつ切れてもおかしくは無い。
(恩人と会うことで癒されれば良いが、な)
 そう、思考の片隅で思って。
 ギギナはさらに苦笑を深めた。まるで自分の思考とは思えない。
 アナピヤの一件は、確かにギギナの心に影響を与えていた。それは精神操作咒式によって築かれた偽りの関係であったが、しかしそれでも確かにあの緩やかな時間を悪くないと思えていたのだ。
(しかし、それを切り捨てたのは我らだ)
 それ以外に手段は無かった。しかし、あの眼鏡ならともかく、自分はそのような言い訳をするつもりは無い。
 暴竜と化した少女を自分はドラッケンとして屠った。
 それだけだ――それだけでいい筈だ。
 だが、それでも胸のむかつきは取れない。
 骨折の痛みではない。組織閉鎖と最低限の恒常咒式によって、痛みだけは消えている。
 痛みのもとは問いかけだった。痛痒の芯にあるものが、ただ一つの問いかけを自分に投げかけてくる。
 クリーオウ・エバーラスティンを恩人のもとに返した後、自分は再びオーフェンに挑むだろう。そうなれば恩人と知り合い以上の関係であろうこの少女もまた、自分に対して敵意を抱くに違いない。
 ――そうして、あの時のようにこの少女が己の敵と化した時。
 ――自分は、それを再び切り捨てることができるか?
(無論だ)
 即応、即断、即決。ドラッケンは悩まない。悩まない故に強い。問われれば、すぐに屠竜の民としての答えを返すことが出来る。
 それでも自分を苛んでいるのは、このような問いかけ自体が自分の中で生まれているという事態そのものだった。 
(この煩わしい痛みを振り払うには――)
 その手段を、ギギナはひとつしか知らない。
 床に突き立てていたネレトーを引き抜き、ギギナは立ち上がった。
「え……ギギナ? どうしたの?」
「足音だ。四人。一人は何か重いものを背負っているので五人かも知れぬが」
「オーフェン、かな」
「さて、小屋の中だと話し声までは判別できぬが――」
 その時、外から無遠慮な大声が響いた。
『――ギギナぁっ!?』
『おまっ! ギギナってこの俺様の腕を切り落とし腐ったあの!』
 さすがにここまでの大声なら声の主を判別できる。
 ギギナは獰猛な笑みを浮かべた。恩人がこのグループにいるかどうかは分からないが――
 この痛みを禊いでくれる、強き者がいるのは間違いない。

192そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:17:56 ID:acH05MJA
◇◇◇

 かくして、彼らは二度目の対峙を果たした。
「久しいな、強き者たちよ。この再会を月と刃に感謝しよう」
 ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフ。エリダナ最強の咒式剣士。
「別に会いたくは無かったが……会っちまった以上、コミクロンの腕のお返しはしねえとな」
 ヴァーミリオン・CD・ヘイズ。世界に三隻しかない雲上航行艦の主たる欠陥品の魔法士。
「ふ――俺様は平和主義者だが、どっちにしても向こうはやる気満々みたいだしな」
 家名無し、コミクロン。最強の黒魔術士チャイルドマン・パウダーフィールドに師事する《牙の塔》の最精鋭。
 三人は互いの姿を認識した瞬間から、じりじりと間合いを調節し始めていた。ギギナは接近戦一辺倒、対してヘイズとコミクロンはどちらかといえば中距離戦闘向きの能力だ。ヘイズは演算で近距離戦闘にも対応できるがギギナ相手だと分が悪い。現状のヘイズの攻撃手段では、ギギナの突進を止められない可能性が高いからだ。
(とはいえ、俺が前に出ねえと前の二の舞か)
 ヘイズはそう呟くと、演算効率を上げながら心持ち大きく距離を詰める。
 前回の戦闘の反省点、そして風の騎士とのやりとりから既に対抗策はいくつか考えてある。
 もとより相手のデータから未来を演算して戦闘を行うのがヘイズの十八番だ。この前のような遭遇戦で無い以上、そう簡単にやれるようなへまはしない。
「おい……お前らなんかギギナとあったのか?」
「今朝方、一度やりあったんだよ。問答無用で襲い掛かられてな」
 突然の臨戦状態に戸惑うようなオーフェンの声に、短くそう返す。破壊的な構成を編みながら、コミクロンもそれに追従した。
「色々合って今は完治してるが、それでも腕を一本切断されてるんだぞ? というか、お前どうやってあんな暴力装置と交渉を成立させたんだ……脳筋同士、何か通じるものでもあったのか?」
 コミクロンに言われて、オーフェンは小さく呻いた――確かにこれは自分のミスだ。最初に出会った時、ギギナは問答無用で襲い掛かってきた。他の参加者に危害を加えている可能性は十分考えられたのだ。
(……トトカンタ側の住人だって認識したのが不味かったか)
 ギギナについて深く考えることを避けていた。そのツケが回ってきている。
「ギギナ……お前」
「オーフェン、我が友……まさかお前がこやつらを連れてくるとは思わなかったが」
 説得の為に呼びかけようとして、しかしオーフェンは言葉を飲み込んだ。
 ギギナの口元に浮かんでいるのは厄介ごとが舞い込んできたというような負の感情ではなく、ただただ目の前に立つ敵に対する殺意と歓喜でしかない。
「……あんたが仲間になってから、加速度的に厄介ごとが増えてない?」
「……正直悪いとは思ってるが、厄介ごとを進んで背負い込んだ君も同罪だろ」
 なにやらぼやきつつ騎士剣を抜刀した火乃香に、オーフェンも冷や汗を垂らしながら言い返す。と――
 ギギナの背後から、何かふわりとした金色の物体が覗いた。
「……オーフェン!」
「――クリーオウか!?」
 見ればギギナに続いて小屋の中から少女が一人、歩み出てきている。
 クリーオウ・エバーラスティン。彼女はすっかり見慣れた皮肉気な相貌の黒魔術士を認めると、そのまま走って駆け寄っていった。
「オーフェン! 良かった、無事だったんだ――」
「ああ、お前も――怪我はないみたいだな」
 ざっとクリーオウの体を視線で検分する。見て分かる範囲に大きな怪我は無い。走る際の体運びにも不自然な所はなく、ほぼ健康体と断言できた。
 手を伸ばせばふれあえる距離まで近づいて、そこで停止する。久方ぶりに交わす視線は、どこか湿り気を帯びていた。
 再開を願っていた。だが実際こうして出会えたところで、何か気の利いたことが言えるわけでもない――それはクリーオウも同様のようだった。別れた時期が不味い。自分の記憶が確かなら、最後に会ったのは王都の病院である筈だった。オーフェン自身、この島に拉致されてくるまでは、クリーオウともう二度と会うことは無いだろうと思っていたのだ。
 自然、何とはなしに見詰め合ったまま時間が停滞する。

193そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:19:52 ID:acH05MJA
「――さて、これで受けた恩は返したな、オーフェン」
 その停滞を破ったのはギギナであった。しかも、声音からはそれまであったオーフェンに対する一片の親しみが抜け落ちている。
 冗談のように長大な刃を流麗に一閃させるという、まるで不可視の何かを切り払うような動作をしながら、ギギナは獰猛に笑った。
「これでもはや思い残すこともないだろう――さあ、存分に殺しあおうではないか」
「……これ、どういうこと?」
 結局、彼女の口をついて出た言葉はそんなものになってしまった。双方向に飛び交う敵意の応酬に戸惑いながら、クリーオウがオーフェンの顔を見上げるようにして呟く。
「……クリーオウ、お前、怪我は無いんだよな?」
「え? うん、一回危なかった時はあるけど、ギギナが助けてくれたから……」
 確認をしつつ、オーフェンはギギナを見つめる。凶戦士。ギギナを一言で表すならばその単語が適当だ。誰彼構わず、強者と認めれば刃を交わさずにはいられない。
 だが同時にオーフェンとの約束も守っている。
「ヘイズ、悪いが――」
「――少し待て、って言うんなら向こうに言って貰いたいね」
 眼を逸らした瞬間に、切り捨てられかねない。そう言いながら、ヘイズは僅かに体を横に移動させた。
 オーフェンの言いたいことはヘイズにも分かっている。ギギナは契約通りクリーオウを保護していた。それはつまり、交渉できる余地があるということ。問答無用で切りかかってくる戦闘凶としか思っていなかったが、もしもそれだけでないというのなら無理に戦う必要もない。
 だが今朝方のこともある。皮一枚で命を繋いだが、正真正銘自分たちは殺されかけたのだ。簡単にそのイメージを払拭することは出来ない。
(だから交渉は無関係のあんたに任せるさ。我ながら狡いと思うが、俺はその結果に乗らせてもらう)
 戦って受けた仇を返すか、それを忘れて協力するか――感情か、理屈か。どちらを選ぶことになってもヘイズは構わない。
 オーフェンは目線だけで感謝を表意し、ギギナに向き直った。距離は詰めず、会話というにはやや大きすぎる声で呼びかける。接近すれば、ギギナはそれを戦闘の意思ありとみなして斬りかかってくるだろう。
「単刀直入に言うが、ギギナ。俺たちはお前と無理に戦う気はない。剣を収めてくれ」
「臆したか?」
 笑いながら、ギギナは剣と戦意を引っ込めようとはしない。
「残念だがいまの私は機嫌が悪い。そちらに戦う気がなくともこちらにはある。そしてこちらが剣を振るえば、お前たちはそれに応じざるを得まい?」
「その場その場のテンションで人を斬ろうとするなよ。それに正直どの道、戦いにはならんと思うがな。こっちは四人で、おまけにそっちは怪我人だろうが」
 火乃香曰く、中の二人の内、片方は怪我を負っているらしい。
 だからこそオーフェンはクリーオウに負傷の有無をしつこく尋ねたのだが、彼女に怪我が無い以上、負傷者は消去法でギギナということになる。
 オーフェンの指摘に、ギギナから余裕の表情が消えた。
「――それで?」
 代わりに宿ったのは冷気だ。鋭く鍛えられた鋼の如く冷ややかな眼差しを、ギギナは対峙する全員に送った。
「それで、私が不利だから何なのだ? 誇り高きドラッケンが闘いから逃げるとでも? 否、逆だ。死と生の隙間にこそ闘争の愉悦は存在する――さあ、戯言を交わすのもここまでだ」
「お前、あれだ」
 溜息をひとつ付くと、オーフェンは口元を皮肉気に吊り上げて見せた。
「俺がガキの頃に見た地獄四人衆とかいうのにそっくりだぞ。連中は俺の先生にのされるまで反省しなかったけどな」
「ほう? ならば今回は貴様がそれをやるとでもいうのか」
「安心しろ。先生よりは手加減してやるよ――その後でもう一回交渉しなきゃならねえからな」
 言って、オーフェンは重心を落とした。交渉ではなく、次の瞬間に起こるであろう戦闘に備えて。
「……結局こうなるのか。まあギギナが相手だから期待はしてなかったけどな」
「キリランシェロに任せたのも失敗だと思うがなぁ。あいつ、基本的に言葉より先に手が出るタイプだし。結局は火力で解決することになるんだ」
 次いでヘイズとコミクロンが再度、構えなおす。
「コミクロンとオーフェン、援護を――あたしとヘイズで前は抑えるから」
 騎士剣を片手に火乃香がヘイズの横に並ぶ。既に立ち居振る舞いからギギナがかなりの使い手であることを察しているらしい。その精悍な横顔には緊張の色が伺えた。
 咒力と気が無音で唸り、魔術の構成が空間を圧迫し、I-ブレインが未来を演算して。

194そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:22:32 ID:acH05MJA
 その中で最初に動いたのは、コミクロンだった。
「――ごぶっ」
「……は?」
 呻き声と疑問符が唱和する。
 ばったりと地面に倒れ伏した白衣の少年に全員の視線が集中して、そしてすぐに別の人物に注ぎなおされる。
 うつ伏せに倒れたコミクロンの背中を踏みつけるようにして立っている金髪の少女。右手には自身のバックパックをぶら下げている。どうやらそれで殴りつけたらしい。
「――やめなさい!」
 夜空の下、クリーオウが吼える。腰に手を当て仁王立ち。突然の事態にぽかんとしている全員に、満足に散歩させて貰えていない子犬を連想する勢いでわめきたて始めた。
「なんなの、よってたかって怪我人いじめて! 違うでしょ。ここはなんかもっとこう、私とオーフェンが再会を喜び合うところでしょ! なんでこんなに殺伐としてるの!? ちょっとオーフェン!」
「お、おう」
 急に名指しされ、思わず気の抜けた返事をしたオーフェンに向かってクリーオウはデイパックを投げつけた。
 無論、直撃するはずもなくオーフェンの右手によって受け止められるが、伝わってきた感触にオーフェンはぞっとする――どうやら水入りペットボトルではない、なにか金属製らしい物体がゴロゴロ入っている。
 そういえばこの娘はキムラックの殺し屋を背後から真剣で切りつけたこともあったが――
(コミクロン……死んでねえだろうな?)
「ねえ聞いてるのオーフェン! こっち向きなさいよ!」
「……なんだよ」
「なんだよ、じゃないわよ! ようやく話し合い始めたと思ったら何いきなり殴り合おうとしちゃってるわけ!? そりゃオーフェンってば無意味に魔術で物壊したり、宿に放火したり、私のこと縄で縛ったりお腹殴ったりしたことはあるけど――」
 と、そこまで言ってクリーオウの甲高い声が途切れる。
 なにか悩むようなポーズを取りはじめるクリーオウを見て、ヘイズは首を傾げた。隣に立っている火乃香と顔を見合わせて、
「……どうしたんだ、あの子?」
「たぶん、自分で言ってる内にフォローのしようがなくなっちゃったんじゃない?」
「うるせえ、聞こえてるぞ! しかも一個は冤罪だ!」
「その他は本当なんだ……」
「まあ俺も外見は人のこと言えねえけど、ああはなりたくないもんだな……」
 呆れたような声音を出す火乃香とヘイズに疑念の視線を向けられ、オーフェンは両手を戦慄かせた。
「黙って聞いてりゃお前ら――」
「こっち向いてなさいって言ったでしょ!」
 バチンッ、と――ヘイズ達に向き直りかけたオーフェンの背後で何かが弾ける音が響いた。
 その音に底知れぬ不吉さを覚えたのは何故だったのか――後から考えてみればそれは消えかけた記憶のお陰だったのだろうが、とにかくその時、オーフェンは考える余裕すらなく、予感に従って全力でその場に伏せた。と――
 その背中ギリギリを、超高速で拳大の鉄球が掠め過ぎていく。
「……」
 ゆっくりと起き上がってオーフェンが鉄球が過ぎ去った方をみやると、金属製の砲弾は地面に半ば埋まっていた。伏せた状態でも背中を掠ったことから想像できたが、かなり低めの弾道で打ち出されていたらしい。
 それを確認すると、オーフェンは再びゆっくりと反対方向、即ち弾丸が射出された方へと向き直った。

195そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:25:20 ID:acH05MJA
「あれ……」
 冷や汗のようなものを掻きながら、抱えているエドゲイン君を見下ろしているクリーオウが呟く。
「思ったより威力が……」
「なにが思ったより威力が、だ馬鹿たれ!」
 クリーオウに怒鳴り返すと、オーフェンはずかずかと彼女との距離を詰めていった。ねめつけるように見下ろして、指を相手の鼻先に突きつける。
「こんなの当たってたら洒落にならんぞ! いっとくがエドゲイン君はレンガを粉々にできるんだからな!」
「な、なによ! だから当たらないようになるべく下のほう向けて撃ったでしょ! しゃがんだのはオーフェンじゃない!」
「咄嗟の危機にいちいち正しい反応ができると思うんじゃねえ! 言っとくが俺はそこまで人間辞めてねえんだからな!」
「少なくとも真人間じゃないでしょ! このヤクザ! 相変わらず目付き悪いったらありゃしないじゃない!」
「言いやがったな猟奇娘! てめえこそ哺乳瓶代わりに血痕付きのクリスタル製灰皿抱えて育ってそーな――」
「はいストップー」
 と、どこまでもヒートアップしていく二人の会話に火乃香が割って入った。片手でオーフェンを押し退けながら、視線を金髪の少女へと向ける。
「クリーオウっていったっけ? そりゃあたし達も戦わないで済むならそれにこしたことはないけどさ」
 言いながら、ギギナを顎でしゃくるようにして示す。
「見ての通り、やる気満々なのは向こうの方なわけよ。そこまでいうなら、あんたが説得してくれりゃ助かるんだけど」
「もちろんそのつもりよ! ギギナ!」
 ぎろりと視線を向けられたギギナは、あからさまに不満げな表情でクリーオウを睨みつける。
 しかし、クリーオウは怯みさえしなかった。
「喧嘩なんかやめなさいよ! 意味ないでしょ、こんなの!」
「喧しいぞ、小娘。そこを退け。私の闘争を邪魔するというのなら貴様も敵だ」
 長大な、それだけで圧倒的な威圧感を持つ屠竜刀の切っ先を向け、ギギナがクリーオウの言葉を切り捨てる。
「無意味? それは貴様にとっての価値観だろう。私にとって闘争は全てだ。闘争こそが我が生きがい、我が生涯。貴様の価値観で意味を規定するな」
「だけど、ギギナは私を助けてくれたじゃない!」
 クリーオウが食い下がる。
 確かに数刻前、ギギナはクリーオウの危機を救い、そしてここまでの護衛を果たしている。
「本当に戦うことしか考えてないんなら、そんなことしないでしょ!?」
「恩があったからだ」
 鬱陶しげに首を振りながら、ギギナ。
「オーフェンに私は一度温情を受けた。我らドラッケンは闘争を何よりも重んじるが、同時に誇り高き民でもある。ならばこそ、恩人を恩のあるまま斬ることはできぬ」
(……なるほど、そういうことか)
 ギギナの言葉を聞き、ヘイズが胸中でひとつ頷く。
 最初の遭遇、また風の騎士から聞いた情報から構築した戦闘凶のイメージと、オーフェンの頼みを果たしたという事実の相違。どうしてもその部分だけ重ならなかったのだが、今の言葉で理解した。
 一応、ギギナは恩を知る人物ではあるのだ。情けをかけられることを良しとはしないのだろうが、それでも一度恩を受けてしまうとそれを意識してしまう。
 その理由はひとつ。ドラッケン族というプライド。ギギナは自分の生まれに矜持を抱いている。というよりも、そのドラッケンという生まれを過剰に体現しようとしている。
 それはギギナがドラッケンのハーフであり、コンプレックスを抱いているが故の反動であるのだが、ヘイズはそこまでは知らない。だがギギナがドラッケンという部族をほとんど神聖視しており、それに則した行動を取ろうとしていることは推測できた。
 だからこそ――説得は難しい。
(つまりは恩を売れば相応に対価は返ってくるんだろうが、そりゃほとんど無理だろ。プライドが高いから受けた恩は返すが、同時にそのプライドのせいで容易く施しを受けたりはしない。価値観が戦闘行動に根ざしてんなら戦闘の意思を削ぐことも難しい。適当に痛めつけて見逃す、ってのも通用しないだろうな。これは勘だが、自分が死ぬまで戦うタイプの気がする)
 さらに今朝方の戦闘データから、殺さずに無力化するのは難しいと判断する。
 演算速度の低下した破砕の領域では情報強度の高いギギナの肉体を傷つけることはできない。剣の技量は火乃香と同等。だが重量の差からみるとギギナの方が優位だろう。そうするとオーフェンとコミクロンの魔術に賭けるしかないが、二人とも先ほどの戦いで大魔術を使った影響が抜けていない。下手に小技を使えばそれだけで体力が尽きる恐れがある。
 結果として、通用する戦法はコンビネーションからの一撃必殺。自分と火乃香で抑えて黒魔術で制圧するか、自分が隙をつくって火乃香の斬撃を叩き込むか。

196そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:28:09 ID:acH05MJA
 そこまで考えたところで、だがヘイズは声を聞いた。
 多分に優越感を含んだ、少女の声を。
「ふーん。恩があったら、それを返すのね?」
 クリーオウが、なにやらにんまりとした笑みを浮かべながら、確認するように問うた。
 その笑みを見て、ギギナの脳裏に猛烈に嫌な予感がよぎる。数字ゲームをした時のジヴーニャ、あるいは郷里の許嫁を前にした時のような。
 だがドラッケンが怯むわけにはいかない。動揺を表に出さず、ギギナは「無論だ」と冷静に頷き返して見せた。
 クリーオウの笑みがさらに深まる。その表情を見て、オーフェンは口に沸いて来た苦い味の唾を吐き捨てた。あれと同種の笑みを浮かべたクリーオウに石鹸を食べさせられた時のことを思い出したのだ。
「じゃあ私から受けた恩も返してくれるのよね」
「貴様に、私が? 何を言って――?」
「ご飯あげたでしょ!」
 飛び出した言葉に、その場にいたほとんど全員の顔に疑問符が浮かぶ。唯一違う表情を浮かべたギギナの顔は、苦い色に染まっていた。
 そう。先述の通り今から三十分ほど前、ギギナとクリーオウは小屋で食事と休憩を取った。
 だがギギナは既に食べ尽くしていたため一切食料を持っていなかった。ならばギギナが食べた食料は誰のバックパックからでたものであったのか。
「あれは……貴様が勝手に差し出したのだろうが」
「ギギナが物欲しそうな目をしてたからでしょ?」
「要求した覚えはない」
 ぷい、と少女から目を背けるようにそっぽを向く。
 しかし助かったことは事実だ。
 恒常咒式が働き始めた以上、ギギナの燃費は最悪である。支給された食料では一食分にも満たない。
 特に現在は傷の鎮痛等にも咒力が割かれているため、かなりエネルギーを消費しているのだ。
 そんなところに、隣でパンを齧り出されれば視線が食料に集中してしまうのも無理はなかった。
「大体、アレは必要経費のようなものだ。護衛するのに体力が無くてはどうしようもあるまい?」
「そんなの私知らないもの。私を守るように、っていうのはオーフェンから頼まれたんでしょ? オーフェンから受けた恩を返すために」
「それは――」
 ギギナがさらに反駁を重ねようとする。だがクリーオウはそれより早く、白けた視線と共に辛らつな言葉を突き刺していた。
「無駄飯喰らい」
「ぐっ」
 喉にものが詰まったように呻く。
 クリーオウはそれを好機と取ったらしく、さらに畳み掛けるように言葉を――
「そこまでにしとけ」
「むぐっ!」
 ――かける直前に、口元を押さえられた。
「ぷはっ。ちょっと何するのよオーフェン! もう少しで完全に言い負かせたのに」
「言い負かしてどーする……もう十分だろ、ギギナ」
 肩をすくめて、オーフェンが声をかける。
「……確かに、闘争の空気ではないな」
 憮然とした表情で、ギギナが応じた。掲げていた屠竜刀を背中に回し、刃と柄を分解。収納する。
 応じて、ヘイズや火乃香も戦闘態勢を解いた。やれやれ、と首を振る。
「……振り回されたって感じだな」
「ま、あいつのそういうところは昔からでな……相変わらず俺に出来ねえことを軽々とやってのけちまうんだからよ」
 溜息と共に呟かれたヘイズの台詞に、オーフェンが苦笑と共に返した。
 と、その横で呻き声を挙げながらコミクロンがよろよろと立ち上がる。
「うう、なにやら頭蓋骨が陥没したよーに痛いのだが……そ、そうだ! ギギナはどうなった!?」
 疲れたように、火乃香ががっくりと肩を落とした。なにやらきょろきょろとせわしなく視線を移動させている馬鹿の頭を叩きながら、呻く。
「誰でもいいから、あたしの代わりに一から説明してあげてくれる? ……で、この場は収まったわけだけど、この後はどうすんのさ」

197そして、オブラートに毒は包まれ ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:30:41 ID:acH05MJA
◇◇◇

 ――結局、ギギナも火乃香達についてくることになった。
「恩は返してくれるのよね? まさか逃げたりはしないわよね、ギギナ?」
 堂々としたクリーオウのそんな言葉で、大勢は決してしまったような気もする。
 ギギナは相当悩んだようだった。それはドラッケンの誇りを取るか――それともこいつら全員斬り殺して無かったことにしてしまおうか――という危うい悩みにも見えたが、とにもかくにも一時休戦ということになり。
 クリーオウがオーフェンに同行する以上、自然とギギナもこのグループに組み込まれる形になったのだ。
「勘違いするな。別に、貴様らに協力するわけではない。小娘に恩を返し終えたら、再び刃を交わすだけだ」
「はいはい、分かってるよ――いいかオーフェン。クリーオウはお前が守れ。絶対に恩を返すような隙を与えるんじゃないぞ」
「そーだぞキリランシェロ。あの刃狂、この天才の腕を斬り落としたことについて『闘争の産物であり、特に謝るつもりはない』とかぬかしやがった! せめて馬車馬のよーに扱き使わなきゃ元がとれんぞ」
「聞こえてるぞ貴様ら!」
 そんな一幕もあったりなかったりしたが、まあ概ね平和的な協力関係と言えた。
 ――そう、平和的だったのだ。ここまでは。

「……んじゃ、そういうわけでオーフェンも探し人に合流出来たわけだし、改めてあたし達は例の放送を行ったグループに接触するわけだけど……」
 火乃香は天宙眼によって気を察知し、人の接近を感知することができる。
 だが制限下、ギギナに集中していたこの状態で、他者の接近を感知することは叶わなかった。
 ぱきり、と枝が踏み折られる音が響く。
 全員が、それに反応する――このグループには手練れが多い。事前の索敵こそ叶わなかったが、反応そのものは迅速だった。
 だが、それよりも速く。
 新たに現れたその人物は、すでに行動を終えていた。

「――戦う気は無いよ。ただ、話だけでも聞いてくれないかな」

 両手をあげ、反抗の意思が欠片も無いことを示し、顔に悲哀を塗りつけた男。

「俺は、例の放送をしたグループの生き残りなんだけど――武器も、情報も全部提供する。だから、」

 敵討ちを手伝ってくれないか、と。
 そう懇願する男が折原臨也という名前であることを、この時の彼らはまだ知らない。

198 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/10(月) 16:52:32 ID:acH05MJA
投下終了ー……ですが……

もうお気づきの方もいるでしょうが、この話、ひとつ大きな矛盾があります。
うん、そう。ここまで書いちゃったところで気づきました。このド低脳がッ
間に合わなくなったらプロットだけ投下って言ってましたが、そのプロット自体アレだったっていう。
「やっべーどうしようあばばばば」って状態になって、二ヶ月ほど悩んでました。
後々矛盾がなくなるように改訂しますが、
とりあえず「戦慄にギギナとクリーオウ&外道王合流」って結果になる話ってことで

今日から明日にかけてもう一話投下する予定です。遅れを頑張って取り戻します

199 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:08:52 ID:riNkCTUQ
とうかー

200 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:09:48 ID:riNkCTUQ
 運が悪かった――とは言えないのかも知れない。
 運が良かった――とも言えないのかも知れない。
 序盤から凍らせ屋や風の騎士など、戦闘能力で言えば参加者の中でも上位に食い込める連中を味方に付けられた。支給品は外れ以外の何物でもなく、その後も彼女が使えそうな武器には恵まれなかった。
 塞翁が馬。幸福と不幸はコインの表裏のように背中合わせで、誰も片面だけは手に入れられない。
 そんなことは幼少の頃から理解できている。彼女の人生は最初からそうだった。親に捨てられ、それが切欠で世界を裏から牛耳る組織に身を置き、そしてあまりにも大きな嘘をつき続けなくてはならなくなった――
(くだらない)
 九連内朱巳は、己の運命をそう断じる。
 幸運に順番などつけられない。特にこんなイかれた島では、人並みの幸福基準など当てに出来ない。
 そもそも、朱巳はいままで運頼みも神頼みもしたことがない。
 自分の力だけを頼りにしてきた。合成人間のような力も、MPLSのような才能もなく、あるのは傷塗れの心と二枚舌。そんなもので世界を相手にし、そして渡り合ってきた。
(だからこの状況も、あたしは切り抜けてみせる)
 九連内朱巳は前を見る。
 自分の向けた懐中電灯に照らし出されるのは奇妙な二人組み。互いの手を皮の紐で繋いだ、自分と似たような年頃の少女達。
「んー? どうしちゃったのかな? 仲良くしようって言っただけなんだけど……怖がらせちゃった?」
「"カルンシュタイン"さん、口元に血がべったりだからねえ」
 手を括った片割れに指摘され、カルンシュタインとやらが「おっと」などと呟き、口元をごしごしと擦り始める。
 それでも全身に染み付いた血の臭いは取れない。出会った瞬間、朱巳が咄嗟に警戒態勢をとったのもそんな理由からだった。
 B-5東部の森林地帯。時刻は二日目を刻んでから数十分が過ぎていた。
 九連内朱巳がその時間、その場所にいたのは――なんのことはなく、探索の結果とダナティアの放送を聞いたからだ。
 あの殺し屋に左手を砕かれて、その処置を施すために、死ぬほどの激痛に絶えながらE-1の商店街を探索した。
 運良く薬局を見つけることは出来たが、だがさすがにモルヒネなどの強力な鎮痛剤があるわけもない。
 結局、市販されている成分の薄い鎮痛剤を多量摂取することで誤魔化すことにした。だが、それを長く続ければ遠からず体機能に異常が出る。
 必要なのは、適切な薬品と器具――そういうわけで次に向かったのはB-4の病院であったが、辿り着いてみればあるのは瓦礫の山ばかり。どうやら地滑りで流されたらしい。
(どういう造りをしてたのよ……)
 地盤工事をしていなかったのだろうか。こんな悪趣味な島に放り込んでおいて、それが手抜き工事で片手間に造られた代物だというのならある意味噴飯ものだが。
 そんなことを思いながら病院跡を眺めている時だった。例のゲーム打破を誓う放送が聞こえたのは。
 ダナティア・アリール・アンクルージュ。放送の主はそう名乗り、この世界からの脱出を目指すと宣戦布告する。それを聞いて、
(ありゃあ――おっかない奴ね)
 霧間凪。死んでしまった自分の旧友を思い出す。
 あれは魔女の声だ。込められた意志は本物で、だけど相手には容赦なく、そして全てを曝け出すでもない――
 力を持ち、人を動かす事に慣れ、更に嘘の吐き方まで心得ている。そんな女性の声だった。
(さて、あとはあの放送に対して、あたしがどう動くかだけど)
 無視できるほど、あの放送の影響は小さいものではない。
 何が起こるにせよ、大勢の人間が放送が行われたあの地点――C-6を中心に動くことになる。
 朱巳は可能性を打算する。あの放送を行った集団に関して演説から分かる事項は二つ。

201 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:11:19 ID:riNkCTUQ
(ひとつ。あいつらには確かに力がある。あれをやれば人が集まってくるなんてのは馬鹿でも分かることだわ。それを捌ききる自信を持てるってことは、おそらく情報も持っている。自分が集められた参加者のパワーバランスの中でどの程度の位置にいるか、ということをおおよそでも掴んでいるってことでしょうね。そうすると、あの12人って馬鹿みたいに多い人数もあながちはったりって訳じゃないのかもね――確実についてる嘘は途中で挟まれた銃声くらいか。あれは自作自演でしょうし)
 ダナティアの演説を遮る様に挟まれた銃声。耳にした誰しもに、昼頃にあったあの悲惨な断末魔を思い出させ、だがそれを跳ね除けることで希望を示した。
 だからこそ捻くれ者にして希代の嘘吐き九連内朱巳は、それをあまりにもタイミングが良すぎると感じたのだ。
 狙撃を許さない環境での演説方法など、あの放送主とそれが擁する集団ならいくらでも思いつけただろう。例の雲を吹き払うパフォーマンスを行うにしても、もっと安全な方法などいくらでもあった。ならば彼らはわざわざ危険な方法をとったということになる。理由もなくそんなことをする程の愚か者であるという印象はもてなかった。ならばその理由とは?
 無論、そんなものはマッチポンプに決まっている。
(そこから分かること二つ目。ゲームからの脱出を説いてたけど、かちかちに凝り固まった正義の味方、ってわけでもないみたいね。目的の為なら手段を選ばない奴よ、あれは)
 敵を前にすれば容赦なく殺せるだろう。慈愛の徒というわけでは決して無い。
(方向性が真逆ってのが救いだけど、性質的には乗った奴と同じだわ。下手を打つとこっちも危ないわね――何も考えずに接触するのは馬鹿のやることか)
 だからこそ、九連内朱巳は思考する。その上で自分はどうするべきか。
(まあ、放送をした集団に接触することは吝かではないわね――あたしには武器も薬も、何もかもが不足してるし。取引できるのは情報くらいか。例の刻印に関するメモを手土産に、さらにあいつらとの橋渡しをちらつかせれば、腹の底の本意が何であれ殺されるこたぁないでしょ。問題はゲームに乗った連中の動きね)
 乗った連中の全員がマンションに集中するというわけではないだろう。
 だが殺人鬼がひとりも例の放送に興味を抱かないということも有り得ない。
 左手を砕かれ、逃走手段に制限のある今の状態では、殺人者との遭遇は高い確率で死に繋がる。
 結局、取ったのは中庸案だった。00:00に行われる第四回放送を聴いてから決める。
 それまでは自分のように医薬品を求める者が訪れる可能性のある病院から離れ、C-6に近い場所で身を潜めていようと思ったのだが――
 結局、計画は御破算になった。
 ダナティアは四回目の放送で名を告げられた。彼女たちの予想通り殺人鬼たちは誘蛾灯に吸い寄せられ、そして彼女たちの予想を超えて強大だったということだろう。これで例の集団に接触するのはさらにリスクが高くなってしまった。
 とはいえ、その程度のことでへこたれる朱巳ではない。ならば次に目指すのは火乃香達との待ち合わせ場所であるH-1の神社。
 そう思い立ち、身を隠していた木陰から歩き出して――

「――はぁい、お嬢さん。ちょっと遊んでいかないかい?」

 ――現在に至る。

202 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:12:22 ID:riNkCTUQ
「最初は安いポン引きかと思ったけどね……」
「あはは。まあ可愛い女の子だったから、フレンドリーに話しかけてみようと思ってさ」
 けたけたと笑いながら"カルンシュタイン"が軽薄な口調で嘯く。
 だがその視線はじっとりと湿っていて、朱巳の体を無遠慮に這い回っていた。
(危険だ)
 目の前の少女に対して、朱巳はそう判断する。血の臭い、この島でお互いを繋ぎ合う異常性、態度。その全てが常人ならざるものの証。
 左手が砕けている以上、仮に相手が合成人間のような超身体能力を持ち合わせておらずとも、追いかけっこでは敵わない。薬を使っても痛みは消えないし、薬の副作用は朱巳から正常な運動能力を奪っている。故に彼女は逃走ではなく会話を選んだ。
「口元に血ね……返り血にしては場所が妙だけど、カニバリズムに興じてでもいたのかしら?」
「んー、惜しいっ。お肉のほうには興味ないんだけど――」
 爛々と眼を紅く光らせながら、カルシュタインと呼ばれた方が応じる。
「ちょーっと血を分けて貰えたらなー、なんて」
(吸血鬼? 確かに名前から予想は出来たけど)
 カルンシュタイン伯爵夫人。吸血鬼としての知名度はドラキュラに次ぐだろう。さほど読書家でもない朱巳でも知っている。
 無論、創作の中の登場人物として、だ。少なくとも朱巳の知る世界には本物の吸血鬼などいない。朱巳にとって現実の吸血鬼とは吸血病患者を揶揄する言葉でしかない。
 だが魔法使いが闊歩するような空間で、目の前の少女をただのヴァンパイアフィリアと断定するのは危険に過ぎる。
(本物のカーミラ・カルンシュタイン……?)
 この島ではそれも有り得ないことではなかった。ただ、日本人離れした美形であるとはいえどう見てもこの"カルンシュタイン"は西洋系の人間にみえなかったが。
「あ、でも待って。貴女みたいな可愛い女の子のお肉には興味があるから――主に性的な意味で」
 朱巳の顔が僅かに引きつる。
 "吸血鬼カーミラ"を騙るための演技――というわけではないらしい。その粘っこい視線には確かにおぞましい欲望が含まれていた。
(ああそうか、もしかして紐で繋がれた方は……)
 朱巳がそちらの方に同情めいた視線をやると、繋がれた少女は首を傾げて微笑んで見せた。その笑みが困ったような、あるいは悲しんでいるような色を携えているように見えたのは――朱巳の主観だったのかもしれないが。
 とまれ、視線を吸血鬼に戻す。もしも相手が襲ってきたら抵抗は不可能だろう。

203 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:13:33 ID:riNkCTUQ
 故に、九連内朱巳は逃亡を完全に選択肢から排除した。
 眼を怪しく輝かせながらにじり寄ってくる吸血鬼に、だが物怖じもせずに相対し続ける。
「趣味はともかく……本物の吸血鬼ってわけ?」
「そうだよ。貴女はわる〜い吸血鬼にみつかっちゃったってわけ」
 肯定を返してくる吸血鬼。嘘――ではないだろう。あまり意味のない嘘だ。仮に吸血鬼でなくとも、現在の朱巳なら五体満足な普通の人間というだけで十分に制圧できる。
 だが想定内だ。朱巳はにっこりと笑みを返すと、その肯定に対してさらに言葉を返す。
「ふうん。ま、珍しいっちゃ珍しいか。つってもあたしの知り合いにも"人食い"がいるけどね――」
「……」
 朱巳が放った言葉に、ぴたりと"カルンシュタイン"の足が止まった。
 象る表情は疑念。自身の行動が失策だったのではないかという不安と、相手の手の内を探ろうとする警戒。
「そうね。あいつと同じくらい強いんだったら……確かにこういう不敵な行動にもでれるわよねぇ。だって、強いんですものねぇ――」
 その疑念を深めるように、朱巳は言葉と態度を継いでいく。
 相手の心理を読み取るのは朱巳の十八番だ。相手の行動から逆算して、すでに聖がどういう思考からこの行動にでたのか完全に見破っている。
(こいつは害意をもっているにも関わらず、完全に無警戒であたしに話しかけた。あたしを無害と断じていて、しかも自分の力に自信を持っている。
 だけどあたしが無力っていうのはどこまでいってもただの憶測に過ぎない。あたしは外でもこの島でもそういう風に演じてきた。九連内朱巳の力量を完全に把握できる情報はここにはない。
 さらにこいつは戦闘用合成人間みたいな戦いのプロ、ってわけでもないみたいね。それなりに戦闘経験があれば、どんなに自分が強くても警戒は怠らない。つまり力を得たのはごく最近。だから経験に裏打ちされた自信も無い)
 朱巳の知識内で無理やり類型分けするなら、後天的に能力を開花させたMPLSに近い。それもかつて彼女が対決した内村杜斗――フェイルセイフのような、目立ちすぎて機構に目を付けられるタイプだ。
 もっとも成り代わるために一家族を皆殺しにして罠まで仕掛けたフェイルセイフに比べれば、この"カルンシュタイン"はさらにお粗末。だからこそ付け込む隙はある。
 朱巳が所謂"異常"と近しい存在であると匂わせ、さらに"カルンシュタイン"自身の力量を再認識させるような言葉を放ち、力量差を再推測させる。結果として、目論見通り吸血鬼の歩みが止まった。
 しかしまだだ。これは相手を迷わせただけ。
 状況はさほど変わっていない。立場が逆転したわけではない。襲い掛かられれば朱巳が負けるという状況は依然変わりなく、変わったのは相手が迷った、という一点に尽きる。このまま時間を与えれば、敵はすぐに迷いを振り払って襲い掛かってくるだろう。
 だからこそ、さらに言葉を重ねる。迷いの道に、言葉を九連内朱巳にとって都合の良い道標として打ち込み、思考を操作する。いかに尤もらしい道標を造れるかが嘘吐きの技量だ。
「――何にしても、まずは自己紹介しましょ、吸血鬼さん。お互い、利用し合う価値はあるかもしれないし。
 あたしの名前は九連内朱巳。フレンドリーに呼びたいなら、"金曜日に降る雨"とか"傷物の赤"とか渾名で呼んでも良いけれど。そっちはカルンシュタインでいいの?」
「……聖でいいよ。佐藤聖。で、こっちの子が詠子ちゃん」
「名字は十叶っていうんだけど、私のことも好きに呼んでいいよ」
「聖に詠子ね。ま、どの程度の付き合いになるか分からないけど――」
 あくまでも余裕の笑みを浮かべて、朱巳は目の前の二人に応対する。
「――ま、ひとつよろしくってことで」

204 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:14:59 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

「ま、あたしの知り合いにも"人食い"がいるけどね」
 そんな言葉を前にして。
(失敗したかなぁ)
 吸血鬼はぽりぽりと頬を掻きながらそんなことを述懐していた。
 "カルンシュタイン"――佐藤聖が九連内朱巳を標的として定めたのは、彼女がまさに手頃な獲物であるように見えたからである。
 かつて聖と共に行動していた海野千絵が提唱した危険度判別法。それに照らし合わせてみれば、現代的な装いの朱巳は十分に安牌と判断できた。
 おまけに手負いで、眼に見えて危険な武器を携帯しておらず、そして――これが聖にとっては最大のポイントだったが――気の強そうな美人さんでもあった。
 ダナティアが死者に名を連ねたことで危険性が減り、行動が大胆になっていたのも影響している。聖が完全に無警戒で声をかけたのはそういった理由の積み重ねがあったからだ。
(志摩子のお墓を探しにいくまでの暇つぶしと間食目的だったんだけど……)
 これまで得てきた情報を統合すれば、藤堂志摩子の遺体があるのは例のマンション付近であることは推測できる。
 だがすでに聖は危険人物として例の集団に認知されている可能性が高い。その程度のことは聖も理解できていた。リナやシャナといった人物とすでに遭遇しており、被害を与えてしまっている。無論この二人が例の集団のメンバーなのかは分からないが、可能性は高いように思えた。最初に遭遇したのはマンションの近くであったし、そもそも仮に二人がメンバーでなくとも、あれが放送の通りの大集団であるのなら相応に情報は収集しているだろう。
 結論として、聖はマンションに向かうという予定を先延ばしにした。それよりはC-6付近のエリアで網を張って、通りかかる可愛い女の子の相手をしている方が安全という面では良い。
 それが佐藤聖が吸血鬼になることで得た自信の表れであり、また自信の限界でもあった。
 だがその見極めを間違ったかもしれない。
(そういえばシャナちゃんもそうだったっけ。よく考えれば千絵の知り合いも"悪魔"とか出すって言ってたし……現代的な服装してれば安全、ってあんまり判断基準にならないのかな)
 もっとも奇妙な格好をしている連中は十中八九聖が想像も出来ない能力や技術を有しているので、少しでも危険性の低い相手を狙うという意味では間違っていないのだが。
 それはともかくとして、目の前の少女に集中する。
 黒髪黒目の典型的な日本人としての造詣。見た目は普通の女の子だ。どことなく大人びた雰囲気があるが、ともすれば自分より年下かもしれない。仮にリリアンに在籍していたとしても違和感は感じないだろう。
 だが彼女は知り合いに"人食い"――自分のような存在がいると言っていた。そのたった一言が、もしかしたら少女自身もそれと近しいものなのではないかと聖に想起させる。
 以前、考えなしに襲ったシャナには危うく殺されかけた。その経験が、聖の行動を鈍らせる。
(――本当に何か"力"を持ってる?)
 その可能性はゼロではないだろう。
 だが僅かな可能性に怯えていては生きてはいけない。特に、吸血鬼という身の上であれば。
 朱美自身にそういう力があるとは明示されていないのだ。
 それだけだったら虎の威を借る狐――しかも虎の存在さえ不確かな虚勢に過ぎない。
 だがそれを確信できないのは、虚勢を張っているようには見えない自然体の表情と態度。まるで自分が襲いかかってもさほど問題にはならないとでもいうような。
 確かめたいのなら、とりあえず襲ってみればいい。相手は懐中電灯を携えている。つまり人並み以上に夜目は利かないと言うこと。吸血鬼の自分なら、闇に乗じて逃げ延びることは難しくないだろう。そして何より我慢は健康によくないのだ。ふわふわのケーキを前にした子供のように、吸血鬼となった聖のただでさえ薄っぺらい忍耐力は一秒ごとに削れていった。
(よし決めた)
 論理3、欲望7の割合で決断すると、聖は踏み出しの軸とすべき右足に力を込め――

205 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:16:11 ID:riNkCTUQ
「――何にしても、まずは自己紹介しましょ、吸血鬼さん。お互い、利用し合う価値はあるかもしれないし。
 あたしの名前は九連内朱巳。フレンドリーに呼びたいなら、"金曜日に降る雨"とか"傷物の赤"とか渾名で呼んでも良いけれど。そっちはカルンシュタインでいいの?」
 ――さらにその出鼻を挫かれる。
「……聖でいいよ」
 軸足に込めた力を霧散させ、聖は胡散臭そうな眼差しで九連内朱巳と名乗った少女を再度見やった。相手は例の自信に満ち満ちた瞳でこちらをみつめている。まるでこちらの心中を読み取られているかのような不快感。
(……確かに、血を吸うのは話してからでも遅くないけど)
 だから襲うのを保留した。相手の力が分からなかったから、それを知ることが出来るかもしれない機会を設けるのは悪いことではない。
 ――だけど、それは本当に? 
 頭の隅を疑念が掠める。相手がそんな自分の思考を見透かしているような気がしてならない。
 もしも自分がそういう風に考えることを予測されているなら、相手の思い通りに行動するのは愚かだろう。ならば、
(無視して襲っちゃおっか?)
 そんな考えが鎌首をもたげ――そしてすぐに消える。
 それは今更、少々間抜けに過ぎるというものだった。こうして自己紹介を交わし、会話をする態勢を整えてしまったのだから。
 ちなみに相手が迷っている最中により飲みやすい条件の選択肢を提示するのも、お互いに自己紹介をして交渉の価値ある相手と認めさせるのも、同じくネゴシエイターがよく使う交渉のテクニックのひとつである。無論、そのことを聖が知るはずも無いが。
(まあどっちにしても、話してから吸っちゃえばいいよね)
 吸わないという選択肢はない。九連内朱巳は上玉であり、吸血鬼になった佐藤聖は欲望に素直だ。
 会話中隙を見て襲い掛かるか、会話の後、別れる振りをして背後を見せたところを襲い掛かるか。経過は違えど、吸うと決めたのだから結果は同じだ。
 思考を纏めて、聖は満足げにひとつ頷き、
「じゃ、朱巳ちゃん。早速だけど――吸っていい?」
「いきなりそれ?」
 呆れたように朱巳が呻くのに、聖は笑って返した。
「だって私が吸血鬼だっていうのはもうばれちゃってるし」
「あんたが自分からばらしたんでしょうが」
「そうだっけ? どっちでもいいけど、とにかくばれちゃってるんなら、この会話の焦点は私が貴女の血を吸うか吸わないか、ってとこじゃない?」
「あら、吸わないでくれるって選択肢もあるの?」
「それは朱巳ちゃん次第かな。何か力を持ってるんならそもそも怖くて吸えないし、出来れば敵対はしたくないけれど」
 嘘だった。
 吸血鬼である以上、もはや人間は餌でしかなく、ならば敵対しないで済ませることの出来る選択肢は無い。特に自分のことを吸血鬼と知っている人物であれば。分かり合えるのは同じ吸血鬼だけだろう。そして吸血鬼にするには血を吸うしかない。
 もっとも快楽主義者と化した聖はそこまで考えていないが。とにかく相手が可愛い女の子なら吸ってこの愉悦を共有したい。それだけである。

206 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:17:11 ID:riNkCTUQ
「――もしも何か面白い力を持ってるんなら、見せてくれない? 私の気が変わるかもよ?」
 軽いジャブでも放つ心地で、聖が言葉を突き出した。
 力の有無の確認。実は十万馬力の怪力を持つだとか、眼から緑色の怪光線がでるだとか。何でもいいが、こちらにとって彼女は脅威となりうるかどうか。聖が朱美に対して唯一警戒している点だ。
 聖は特に弁が立つわけでも、頭が回るわけでもない。だから下手に相手を陥れるような策略は巡らさず、そのままストレートに疑問を口にした。
 強者は奸計に頼らずとも良い。不必要というわけではないが、いまの聖にはそれを補って余りある腕力がある。この場に置いて、聖は絶対的な強者だ。
 対して、弱者は言葉を弄するしかない。
「……あたしの"能力"を見せるのは別に構わないけど」
 少し間を空けて朱巳が返答する。なにやら空中で手首を捻るような動きを見せながら、
「これ、例えば物を壊したりするには向いてないのよね――人相手にしか使えないから、聖か詠子か、どっちかに的になって貰わなきゃならないんだけど」
(……そうきたか)
 聖は苦笑を洩らした。無論、素直に切り札を晒してもらえるとは思っていなかったが。
 もしも朱巳の言っていることが本当なら、無論却下である――自分は当然のこと、お気に入りと化した詠子を無駄な危険に晒すつもりはさらさらない。
 だが嘘だと断定できる要素も無い。聖が見る限り、朱巳の態度に怪しいところは一欠けらも見当たらなかった。
「それは勘弁だね。でも、どんな風な能力なのかっていうのも教えてくれないのかな?」
「とっておきだからね。ただで教えるっていうのも何だか損したみたいじゃない?」
「じゃあね――教えてくれたら、見逃してあげるっていったら?」
 にっこりと極上の微笑みを浮かべ、聖は朱巳に甘言を囁いた。
「……本当に? そっちにメリットなんかひとつもないじゃない」
「そういうわけでもないよ。朱巳ちゃんが何か力を持ってるっていうのは本当みたいだし、だったら怖くて襲ったり出来ないからね。あとはどういう力なのか教えてくれたら私の知的好奇心も満たされるから、見逃してもいいかなぁ、って気分にもなるじゃない」
 非常食もあるしね――と聖は繋がっている詠子を抱き寄せた。
 詠子が困ったような表情で身じろぎするが、そんな彼女の反応に愉悦を覚え、聖はさらに体を擦り付ける。
 そんな痴態を思うがまま晒しつつ、聖は横目で朱巳を観察していた。
 ここに来て九連内朱巳と名乗った少女は考え込んでいる。自分の言った条件を吟味しているのだろう。

207 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:19:37 ID:riNkCTUQ
(だけどごめんね……それも嘘なんだ)
 逃す気は無く、相手の言動の虚実を見破ることも不可能。となれば、聖ができるのはただひとつ。
 油断させ、隙を突いて襲う。もとより、最初からそうすべきだったのだ。吸血鬼になって気が大きくなっていた。だから真正面から声を掛けるなどという愚行を犯したが、本来、聖は真正面から戦うタイプではない。
 見逃すふりをして、背後を見せたところを襲う。詠子を抱き寄せたのも、繋いだ紐に余裕をもたせるためだ。
 無論リスクはあるが、彼女の欲望はそのリスクを許容する。
(それに能力を見せられないってことは、そんなに便利な能力じゃないんじゃないかな?)
 少なくとも、真正面から聖を撃退できる能力ではないのだろう。それが分かれば十分。
 やがて朱巳が思考を終え、顔を上げた。聖は彼女の口が開かれるのをにこにこと笑いながら待つ。とにかくこの交渉は早々に終わらせて、背後から襲ってしまおうと決めながら。
 だが朱巳の口から出たのは更なる質問だった。
「――その前に、あんたのことも教えてくれない? さっきからあたしばっかり質問されてる気がするんだけど?」
「構わないよ。もちろん内容次第だけどね」
 聖は即断した。そもそももう交渉するつもりがないのだ。質問を2、3許したところで自分の優位は変わらない。
「あんたはゲームに乗ってるの?」
「んーん? 別に積極的に人を殺すつもりはないよ。火の粉は振り払うし、血は貰わなきゃならないけどね」
 その過程で何人か殺してしまっているが、それはまあ勘定に含めないでいいだろう、と胸中で自己弁護する。
「あんたに噛まれて吸血鬼になった子って、他にもいるわけ?」
「うん、二人くらい。ひとりはさっきの放送で呼ばれちゃったけどね――ところで二つも質問を許したんだし、そろそろこっちの質問に答えてくれてもいいんじゃないかな?」
 答えて欲しいというよりは、さっさとこの会話を終わらせたい心算で聖は質問を止めた。
 朱巳は肩を竦めると、存外素直に「分かったわ」と負傷していない方の手をひらひらと振って見せた。
 そしてそのまま、その手を肩よりも上に掲げ、
「降参するわ――血を吸わせてあげる」
「へ?」
 あっさりと、投降を宣言した。

208 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:20:35 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

「へ?」
 間抜けな声を上げ、体から力を抜いていく聖を眺めながら、
(やっぱり、襲う気だったみたいね――)
 朱巳は挙げていた手を降ろしながら溜息をついた。
 もとよりここから無傷で逃げ出すことは諦めていた。相手が論理ではなく、感情によって動くタイプだと悟ってからは。
 そもそも会話が続かないのだ。相手はこちらの血を吸うという一点に集中していて、しかも途中からは明らかに交渉を放棄していた。
 交渉の放棄――それが意味することはひとつ。
(あたしの負けってこと)
 話が通じない以上、自分に出来ることはない。"鍵を掛ける"ことすら難しいだろう。
 また屍やヒースロゥという護衛を失ったいまの状況では暴力に訴えることもできない。つまりは完全なチェックメイト。
 だから朱美は迷わず次善の策を打った。それが最後に発した一連の質問。
 そこから確認したかった事項はひとつだけ。即ち――
「な、なんで――?」
「あんたに噛まれることによってふりかかるデメリットより、噛まれることによって得られるメリットの方が大きいからよ」
 動揺を隠せない聖に、朱美は何でもないという風にそう答えた。
 そう、朱美が確認したかったのは吸血鬼に噛まれることで生まれるデメリットの確認。
 吸血鬼の特性というのは、例えば創作の上でも作品によって様々な違いを見せる。銀の武器は有効か無効か、心臓に杭を刺すだけで死ぬのか、それともその後に然るべき儀式が必要なのか、等々。ほとんど伝承とは別物のような吸血鬼すら存在する。
 朱美が恐れたのは噛まれることによって自分の思考が操作される可能性についてだった。その疑念を晴らすために投げかけたのが件の質問である。
(この吸血鬼は交渉を放棄していた――だからこそ、さっきの答えは嘘偽りのないものになる。嘘を付くよりは真実を話す方が簡単だもの。そしてその情報から考察してみるに、噛まれて吸血鬼になっても意識を支配される、っていうことはないみたい)
 聖が吸血鬼になったのはこの島に来てからだと朱美は睨んでいる。もしも聖の"親"の吸血鬼が噛んだ相手の意識を支配できるのなら、自分の護衛や手駒として使う筈だ。少なくとも、こんな風に無意味な行動には走らせない。
(もちろん"親"の吸血鬼が合理的な性格をしてなくて、愉快犯的に吸血鬼を増やしているってことも有り得るけど)
 しかし聖は違うだろう。愉快犯的に増やしはするかもしれないが、もしも相手の思考を支配できるのなら、自分の傍に置いておくはずだ。自信に溢れている様で、その底に沈殿しているのは寂寥。この吸血鬼は仲間を求めているのだと、朱巳はここまでの会話で察していた。
 そして思考が支配されないというのなら、九連内朱巳にとって吸血鬼にされてしまうというのは大した問題ではない。傷がまたひとつ増えるだけ。そしてその傷は朱巳の致命傷にはならない。むしろ武器となる力が手に入るのならありがたいくらいだ。
 対して、聖はあーだのうーだの、意味のない呻き声を上げながら空中に視線を彷徨わせていた。依存することに佐藤聖はもう躊躇いを覚えない。だが朱巳の申し出に、彼女は咄嗟に返事を返せないでいた。
 当然といえば当然である。さっきまで散々腹の探りあいをしていた相手からの降伏。そこに何か裏があるのではないかと疑うのは理に適っている。

209 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:22:29 ID:riNkCTUQ
(そこからこの吸血鬼が血を吸ってから"念のため"にあたしを殺そうとする可能性はあるわね)
 ゲームには乗っていない――しかしそれは殺人をしないということと同義ではない。
 積極的には殺さないだけで、必要とあらばその手段を行使することに躊躇いを覚えない人種というのはいる。
「もちろん、ただってわけじゃないわ」
 だから朱巳は一歩を踏み出した。聖が混乱を何割かおさめ、その瞳に警戒を帯びる。
 だが朱巳は止まらなかった。さらに足を進め、手を伸ばせば触れられる間合いからさらに詰め、そして距離を零にした。
「む、ぅ――!?」
 聖が驚愕の声を上げようとして、だがそれは瞬時にくぐもった音に成り果てる。
 ぴちゃり、と二人の接点から濡れた響きが森の中に落ちた。唾液同士が混合される音。
 一瞬、聖の手が強張った。それは人間の筋肉や骨格など一薙ぎにしてしまえる怪物の膂力――だが、すぐにその強張りは消える。水音が二度、三度と繰り返し響く内、吸血鬼の体は脱力していき、やがて見た目通りの少女の柔らかさを取り戻す。
「――ぷは」
 時間にしてみれば一分も続かなかっただろう。朱巳が顔を引き、聖に向けて悪戯めいた笑みを差し向ける。
「あ――」
 そこで、聖の理性の糸が切れた。
 壊さないように細心の注意を払いながら、しかし乱暴に朱巳の体を押し倒す。朱巳は特に抵抗もせずにそれを受け入れた。
 どさり、と二人分の体重が地面に転がる音。仰向けに寝そべった朱巳の体を征服するように、聖がその上に馬乗りになりさらに唇を求めようと顔を近づけ、
「――がちゃん」
 耳元で囁かれた、そんな声に停止する。
 横目で見やる。聖の即頭部に添えられる様に、そこには朱巳の手があった。まるで何か発条の様なものを巻くかのような手つき。 
「教えてあげる。あたしが持ってるのは『その時の感情を固定する』っていう力なの。そう、まるでコインロッカーの鍵を掛けるみたいにね――」
 奇妙な動作と言葉。混乱と欲情で乱された聖の心に、傷物の赤の言葉がまるで蛇のように侵入していく。
 朱巳は役目を終えた右腕を平手に戻し、聖の頬を優しく撫で上げた。
「貴女がいま抱いた"あたしが欲しい"という感情に鍵を掛けた。貴女はもうあたしのことを忘れられないし、あたしを見捨てることも出来ない」
「……それを教えてくれるのが、血を吸うことへの報酬?」
 熱く濡れた光を湛える聖の双眸。その奥の感情を読み取り、朱巳は首を横にふった。相手が欲しているであろう台詞を推察し、口にする。
「違うわ。あたしがこれからずっと一緒にいてあげる。決して貴女を独りにはしないわ。それが、貴女への報酬。"死が二人を分かつまで"――とでも言ってみる?」
「……素敵」
 とろりと表情を融かし、聖は寝そべったまま朱巳の胸の中に己の顔を埋めた。その頭を朱巳の手がゆっくりと愛撫する。
(――と、まあこんなもんか。これで殺されるこたぁないでしょ)
 表情にも態度にも微塵も出さず、朱巳は頭の中だけで溜息を完結させた。
 彼女の能力"レイン・オン・フライデイ"は所詮、暗示に過ぎない。だから成功させるためには仕込みが必要だ。その為の情婦染みた演技。思考を混乱させ、自分という存在を受け入れさせた。フェイルセイフ事件の時にも使った手管。
(……ま、これから"されること"については本意じゃないけど……でも、それでも大したことじゃない)
 自分は"傷物の赤"なのだから。
 すでにこの身は傷だらけ。それでも、それが生命に届く致命的な一撃でない限り、彼女は彼女であり続ける。
 それに、この演技はどうしても必要なものでもあった。
 好みの対象に対する、見境のない求愛――それは結局、愛を求める心理の裏返し。
 佐藤聖という人物が元々持っていた他者に対する依存性と、吸血鬼という種族特有の渇き。練り合わさったそれらが誘発する衝動である。
 この女に暗示をかけるには、その衝動を上手く利用する必要があった。
 結果は成功。朱巳は見事に"鍵"を掛けて見せた。これでもはや佐藤聖はその内面に何か劇的な変化が起きない限り、朱巳に対して好意を抱き続けるだろう。
(――心中を隠しもせず、周囲に対して垂れ流す。それは確かに強者の権利だわ)
 強者との戦いのみに価値を見出す統和機構の"最強"。
 自分に対して淫靡な感情を恥もせず向けてきた佐藤聖。
 彼らは力を持つが故に、自分のように嘘をつき続ける必要がない。常に胸襟をきっちりと閉じ合わせることはしなくていい。
 しかし、それでも。
(その程度の強さ、この九連内朱巳にゃ全く持って通用しないけどね――)

210 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:24:47 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

(――凄い。"鍍金の弾丸"さんは強いんだ)
 自ら吸血鬼になってやると宣言した九連内朱巳、その魂のカタチを見つめながら、十叶詠子は闇夜に微笑を浮かべた。
 統和機構のアクシズをして、『世界を統御するには強すぎる』と評価された九連内朱巳の精神。魔女はそれを垣間見た。
 "鍍金の弾丸"――それが彼女の魂のカタチだ。
 表面に蒸着された鍍金はすでに幾重もの傷を受けてお世辞にも綺麗とはいえない。だが彼女の魂は弾丸だ。鍍金がいくら剥がれたところで意味はない。弾丸としての性質が失われるまで――標的をしとめるまで、彼女の魂は健在であり続ける。
 弾丸は飛ぶことを迷ったりはしない。曲がらず、常に自分であり続けようとする。魔女がいままで見た中でも最上位に位置する強靭さ。
("カンルンシュタイン"さんは変化を柔軟に受け止められる強さを持っているけど、"鍍金の弾丸"さんはどんなに傷ついても変わらない、とっても強い魂のカタチなんだねぇ)
 きっと彼女は吸血鬼になろうが異界に落ちようが"鍍金の弾丸"であることをやめはしないだろう。
 黙っていて良かった。詠子は自分の手首から伸びる紐に目を落とす。
 朱巳と出会ってから、自分はできるだけ口を開かないように心がけていた。"鍍金の弾丸"という魂のカタチを口にすれば、聖はそこから朱巳の能力が鍍金――即ち外側だけ取り繕った偽者であることを見抜いたかもしれない。
 結果から見ればあまり意味はなかったかもしれないが、もしも嘘だとばれていた場合、聖が乱暴にしすぎて朱巳を壊してしまう可能性はあった。
 聖の欲望の餌食にはなりたくなかった。でも命の恩人に嘘をつくのも気が引けた。だから詠子は中間の選択として沈黙を決めたのだ。
 結果は上々といったところだろう。あの聖が、まるで乙女のように頬を染めながら朱巳に体を擦り付けている現状をみれば。
(うん。これならしばらくは大丈夫かな)
 魔女は確信する。自分の身が汚されるのは、少しだけ未来になったと。 
 そんな詠子の思考を他所に、地面の上で絡み合う二人の少女の事態は進行していた。
「さ、痛いのは好きじゃないけど……優しくして、ね?」
 やんわりと自分にひっついていた聖を手で押し上げ、朱巳が柔和な笑みを浮かべてみせる
 朱巳は着ているブラウスの第三ボタンほどまでを外し、首筋を外気へと曝け出している。緊張か、それとも圧迫のせいか、仄かに赤味の差した肌が艶やかさを放っている。
 その光景を見下ろして、聖もまた朱巳に笑い返した。口元からは尖った犬歯が覗く。これからその柔肌へ打ち込まれるであろう真珠色の杭は、二人の唾液に濡れて怪しげに光っていた。
 衣擦れと、僅かに荒い呼吸の音を除けば静寂そのものである森の中、声が響く。
「却下」
 という一言が。

211 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:26:55 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

 え、という声が上がった。
 佐藤聖は再び繰り返す。え? という単音。それは収束した疑問符だった。
 一瞬で絡まった疑問の糸はあまりに多く、なぜ自分がそんな声を発したのか分からない。
 ひとつだけわかるのは、朱巳の要求を棄却したその声は、この場にいた三人の誰のものでもなかったということ。
「――却下じゃ」
 二度目の声。冷静になれば分かることは増える。声の主は自分の背後にいる。
「……あ、あ、ああ」
 そしてその声を自分は知っていた。
 聖の口から零れるように声が出る。それはまるで壊れかけた弦楽器のような、か細く消え入りそうな音。
 それは歓喜と恐怖。相反する感情がぶつかり合い、対消滅を起こした結果。
 思考は焼き付き、体は見えぬ糸に縛られたかのように停止。聖は一瞬で、すべての行動を放棄していた。
 理解する。理解して、しまった。
 自分とこの人は繋がっているから。こんなに、望めば触れられる程に近づけば、理解できる。
 この人の悲しみを、この人の憤りを、この人の虚無を。
 そして、何故いまになって自分の前に現れるのか。その理由も。
「――鬱陶しい。疾く、去ねい」
 そして末期の一言すら許されることなく、佐藤聖の上半身は、突如出現した妖姫によって消し飛ばされた。

212 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:29:02 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

 喪失の憂いと理不尽に対する怒りが底に敷かれた女の言葉が森に響く。それは独白だった。もしもそれが雨の中で行われていたのなら、ちょうど映画のワンシーンにでもなったかのような物悲しさを感じられただろう。
 だが降り注ぐのが肉の破片と血の欠片であれば、それは狂人の描いた絵画のようにしか感じられなかった。
「――私はいくつもの国を滅ぼしてきたが、その最後は常に同じものであった」
 あ、と十叶詠子は短い呟きを洩らした。
 体が動かなくなる。心は握りつぶされた紙屑のように一瞬で役立たずに成り果てた。
 目の前で人が死んだことにではない。怪異を友としてみる彼女にとって、彼らが人を異界に引き込もうとして結果的に傷つけてしまう様を見ることはよくあることだ。人の生死では、魔女は揺れない。
「――飽和した下僕たちが私を殺せと叫び出す。それが常にわが栄華の終焉の象徴であった」
 だが魔女は確かに震えていた。姫という存在を前にして。
 あれは物語の中の存在ですらない。
 異界の住人は基本的に好意的である。少なくとも、詠子の感性ではそうだ。
 彼らは常に友達を欲していて、隙あらばこちら側の住人を自分たちの仲間にしようと思っている。
 その彼らが、美姫の周りには誰一人として寄り付かない。
 彼らは理解しているのだ。あれは、あの吸血鬼は異界にすら収まりきらない。
「――許さぬよ」
 十叶詠子。魔女。悪意なき少女。こちら側の存在だろうが向こう側の存在だろうが、彼女は常に善意を持って接してきた。
 その彼女が、初めて他者に恐怖を抱く。あれは魔女になれない。あれと友達になることはできない。
 どこまでも孤高。反作用。斥力。吸血鬼がどう望もうと、その一点は変わらない。あの吸血鬼と共に在ることが出来る者など、この世界のどこを探してもいるはずがない。
 だから、十叶詠子は短く悲鳴だけを上げたのだ。あ、という末期の言葉に相応しからぬそれを。
「――今回は、許さぬ。そのような終焉を私は認めぬ」
 は、と九連内朱巳は小さく囁いた。
 それは恐怖からではない。びしゃりと体にかかる佐藤聖の肉片と血液も、自分の腰の上に冗談のように乗っている下半身にも、彼女は怯えない。
 ただ理解した。目の前の生物が最強であることを理解した。
 自分の知る"最強"以上の化け物。無論、戦ってどちらが強いかということは朱巳には分からない。
 ただ"格"が違う。この吸血鬼はフォルテッシモを超越する。フォルテッシモ唯一の弱点は、強すぎて自分がどこまで強いのか確認できないということ。だから奴は常に迷っているようなものだ。
 だがこの吸血鬼は違う。こいつは迷わない。もはや迷うことをやめている。だから止まらないのだ。言葉も武力も通用しない無敵の存在。
「――私が手ずから幕は下ろそう。だからこそ、私はここに下僕が増えることを望まぬのだ」
 もはや自分が弄せる策など一つも無い。こいつと遭遇してしまった時点で、運命の舵は自分の手を離れていった。
 ならばできることはひとつだけだろう。
 朱巳は聖の遺骸を手で横に除けて立ち上がった。腕を組み、顔に刻むはこの場に不適で不敵な笑み。
 そう、最後まで自分を張り通すこと。それが九連内朱巳にできる唯一の行動。
 途中でばれる嘘は所詮二流。最後まで嘘をつき通すという、嘘吐きの誇りがそこにはあった。
 だから九連内朱巳は堂々と、不遜さを滲ませて吐き捨てる。は、という不敵に過ぎる虚勢を。

 魔女と嘘吐きと。二人の少女の微かな囁きを、しかし意にも介さぬという風に、姫が腕を振り上げる。

213 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:30:18 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

 まるで指揮棒の如く掲げられた、吸血鬼のたおやかな細腕。それを一度振り下ろせば、発生した衝撃波は少女二人を粉々に打ち砕くだろう。
 恐怖に縛られた少女と、自分に囚われた少女。この吸血鬼にしてみれば、どちらも同じく意味のない存在だ。
 美姫がここに来たのは自分の"子"である聖の気配を追ってきたからである。
 先の台詞の通り、美姫はもはやこの島に自分の下僕が増えることを望まない。
 だから十数分前に遭遇した戦闘跡で感じた気配は、彼女の癇に触れてしまうものであった。
 それは聖によって牙を打ち込まれたシャナの気配の残滓。粉々に吹き飛ばされ、ともすれば空気よりも薄いそれを、しかしもはや刻印に縛られることのない美姫は完全に知覚していた。
 海野千絵という前科もある。自分が力を分け与えた彼女が、気ままに吸血鬼を増やしているというのは火を見るより明らかな事実であった。
 だから、殺した。自分の子の気配なら今の美姫には十分探知することができる。
 そして速やかな終幕のみを望むこの吸血鬼にとって、その場に運悪く居合わせた彼女たちを見逃す理由は無い――
(……いや)
 無い、と思っていた。しかしその手が僅かに静止する。
 もはや遊ぶような余裕は姫の中から失われていた。だが、ふとした思い付きについて、少しだけ思案する。
「――――。」
「……え?」
「は?」
 結果として、彼女は短く一言、ある単語を口にした。
 その単語に対する二人の反応は真逆。
 そして、それが生死を分ける。
 振り下ろされた美姫の腕は予定を変更し、二人の少女の内、片方だけを叩き潰した。

214 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:31:42 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

 燃え盛るマンションの前で、三人の人物が相対しあっている。
「それはつまり――」
 ダウゲ・ベルガーは、己の目の前にいる人物に対して警戒を解かなかった。自分が神野陰之の支配するあの空間から逃れてからすぐ、まるでタイミングを計ったかのように現れたこの男。
 背後でへたり込んでいる海野千絵を庇う様にしながら、眼前のそいつに鋭い視線を注ぐ。
「俺達に協力するよう求めている、ってことでいいのか」
「その通りだ。まさか断りはしまいね? そうするように呼びかけたのは君たちだったと記憶しているが――」
 ベルガーの問いかけに、どこか苦い表情を浮かべて返答するのは佐山・御言である。
 ムキチに疲労を吸い取らせながらの全力疾走で辿り着いたのは、ダナティア達のグループが根城にしていたマンション。ここまで誰とも遭遇せずにこれたのは、幸運でもあり不運でもあった。
 日頃の行いが良過ぎるというのも考え物だね、と佐山は胸中で独りごちる。
 交渉にはカードが必要だ。それは例えば相手が欲しているモノや相手の弱みなど。そういったものが無ければ、交渉は単なる搾取の場となってしまう。無手で――非武装という意味ではなく――交渉のテーブルに付くというのは、蛮勇を通り越して無謀な行為だ。
 佐山・御言はカードをほとんど持っていない。仲間は吸血鬼に壊滅させられ、こうして自分は敗走している。身一つと言っていい状態。できることなら、本命の相手との交渉に臨む前に、その途中で何か手札を増やしておきたかった。
(いや、それは虫が良すぎるかな――本来ならこうして無事に交渉の席につけたことを喜ぶべきなのだろうが)
 だがどうしてもそう思うことが出来ない。
 姫。数千年を生きる吸血鬼。ゲームに乗る乗らないの意思はともかく、本気で殺戮を始めたそれは危険に過ぎる。
 この交渉は絶対に成功させなければならない。残された期限は、おそらく残り五時間も無い――夜明け前に、あの吸血鬼は全てを終わらせることを望み、そして達成するだろう――つまりはこの交渉が失敗すればそうなるということである。
 難易度的には全竜交渉と同じかそれ以上だ。何せ、今回は本当に時間が足りない。
 そしてさらに、本命である筈だった交渉の相手たちがどう見ても満身創痍であるということも気にかかる。
 無論、零時の放送でダナティアが討たれた事は知っていた――この集団が、決して小さくはないダメージを受けていることは計算の内だった。
(だが――どうみても、これは壊滅というべきではないか)
 拠点は炎に包まれ、そこには傷ついた男女が一組だけ。女性の方は何か精神的なショックを受けたのか放心状態で、面識のある男性――ベルガーのほうは一見健康体に見えるが、その呼吸が歪であることを佐山は見抜いていた。おそらく、肺を痛めている。負傷の深度は分からないが、内蔵が傷ついている以上、適切な治療を施さなければ死に至る可能性は十分あった。
「――記憶しているが、そちらも大変な状況のようだね。なんなら、この私が協力してあげよう」
「……」
「君の後ろの女性――素性は知らないが、戦闘が出来る状態とは思えないが。君一人で果たして守りきれるのだろうか」
 弱みに付け込む。その上でアドバンテージが取れるように、佐山は交渉の切り口を落とした。
「君が私を良く思っていないことは知っているよ、ベルガー君。私の仲間である零崎君との確執もあるだろう」
 零崎人識の救出。それも行わなければならない。できればこの集団と接触する前に行いたかったことだが、時間も人手も足りな過ぎる。
「――だから無理強いはしない。選びたまえ。つまらないプライドか、尊い少女の命か」
 毒をもって毒を制す。悪党を正しく叩き潰すのに、正しくない手段を用いる。それが悪役の意味。
 佐山の姓は右手を差し出し、告げた。あるいは問うたのだ――"君は悪なのか"と。

215 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:32:47 ID:riNkCTUQ
 僅かな間を挟み、ベルガーが応えた。
「性急だな。ああ、性急だ佐山・御言」
「……答えになっていないようだが?」
 応える。それは問いに答えを返すのでなく、ただ反応するという動作だった。ベルガーが続ける。
「案外、助けが必要なのはお前の方なんじゃないのか――前に会った時には苛々するほどのらくらしていたが、今のお前にはその余裕が一切抜け落ちている」
「――話を逸らさないで欲しいものだね。君達が助けを必要としているのはこの状況から確かなわけだが」
 返しつつ、佐山は内心で唇を噛んだ。弱みに付け込む。交渉の席である以上、それは何も片方の専売特許ではない。焦りすぎてこちらの弱みを晒してしまうという自分らしくない失態。
「逸らしちゃいないさ。少しばかり結論を早めようと思ってるだけでな。つまり、俺たちは互いに協力が必要な状況なわけだ。なら当然、それは対等な条件のもとで行われるべきだろう?」
「……その条件とは何だね」
 訊ねておいて、しかし佐山は次の相手の言葉を予測していた。この集団と自分のグループが掲げる思想で対立しあっている部分は――
「簡単だ。もう隠す意味もないから言うが、見ての通り俺たちのグループは壊滅的な被害を受けた。襲撃と暴走と裏切りがほとんど同時に起こっちまったんでな」
 パイフウ。フリウ・ハリスコー。光明寺芽衣子。そして折原臨也。
 彼らのグループを粉々に引き裂いた者たち。内、半数はすでに放送で名を呼ばれたが――
「俺は俺たちの横面を張った奴らを追うつもりだ――だからそれに手を貸せとは言わんが、邪魔をするな黙認しろ」
「それは――」
 できない。そう続けるべき言葉は、佐山の喉を通り抜けられなかった。
「それは、君たちの長の言っていた言葉と矛盾するのではないかね? ダナティア女史は告げたよ。怒りに身をゆだねるな。憎しみを繋ぎ、悲しみを繋ぐことは許さぬと」
「そうだな。だがこうも言った。このゲームに宣戦を布告し、進撃すると。何も憎いから仕返ししようってわけじゃない。あいつら、特に折原臨也は性質が悪い。集団をかき乱して混乱させ、結果的に多くの被害を出す」
 別のものに摩り替わった佐山の言葉を、ベルガーが切り捨てる。
 そう、それが彼らと自分と大きな違いだ、と佐山は再認識する。立ちはだかる者は力で捻じ伏せ、排除することも厭わぬ彼ら。すべての殺意を奪い、全員を団結させんとする自分。
(ここは――妥協できない。私はアマワから奪ってやると決めたのだから。佐山の姓が物事を告げるとき、それは絶対だ)
 だが、と胸中で言葉を継ぐ。
(だが、可能なのか? ここで彼らの協力を蹴ってしまえば、あの吸血鬼に対抗することは不可能だ。何せ、協力してさえ力不足の感は否めないのだから。彼らとの交渉は一旦保留にして後に再交渉するような時間も無い……)
 自分に代わって時間を稼いでくれるような仲間もいない。完全な八方塞り。
 いや――自分が相手の条件を呑めば、この硬直は解ける。
 零時の時点での残り人数は約三十人。この中から数人、間引くだけだ。それであの化け物に対抗できる目が出てくるなら、むしろ万々歳ではないか……
「……零崎のことを考えてるんなら、あいつだけは見逃してやってもいい。シャナのことはあるが、あいつはもう……」
 言いかけて、ベルガーが口をつぐむ。
 具体的には分からないが、あのシャナという少女に関連する"何か"があったのだろう。
 おそらく、これ以上の譲歩は引き出せない。既に相手が引く姿勢を見せている中で、強引にこちらの意を通そうとすれば、相手はこの場を後にするだろう。
(とどのつまり……私のプライドか、参加者全員の命か選べということか)
 先ほど自分が言った言葉を完全に返される形になった。
 佐山・御言のプライド。だがそれは彼一人だけのものではない。新庄・運切の言葉を無にしないために、彼はアマワに宣戦を布告したのだから。
「っ――!」
 脳裏に過ぎる映像に、狭心症が再発する。
 もしもこちらが妥協すれば、この痛みは永遠に自分を苛み続けるだろう。

216 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:33:27 ID:riNkCTUQ
(それでも、選ぶべきは――)
 佐山は自分の胸に手を押し当てながら、前を向いた。
「――とりあえずどっちが折れるかは保留にして、形だけでも協力の態勢を取るべきだと思う」
 声はベルガーの背後から。
 ベルガーが振り返り、佐山がその向こうの人物の顔を視界に捉える。
「海野、千絵――」
「ごめんなさいベルガーさん。でもここで争っている時間はない、と思うの」
 ゆっくりと立ち上がりながら、千絵は震える声で、だがそれでもその底に冷静な機知を働かせながら言葉を紡いでいく。
「残り人数と減少のペースから、乗った連中はまだかなり残ってると予想できるわ。信用できる人はかなり少なくなる。この佐山って人、前にベルガーさんが話してた平和主義者――少し違うのかもしれないけど、とにかく素性に関わらず参加者全員を仲間にしようって言ってた人でしょう? なら少なくとも、積極的に敵対しない、という点では信用が出来るんじゃないかしら?」
「こいつが言ってることが全部嘘だ、って可能性もあるが」
「意味が無いわ。実際、零崎っていう殺人鬼を仲間にしてるんでしょう? 演技にしても、わざわざそんな諸刃の剣を懐刀にするのは危険すぎる。
 とにかく、よ。ここでお互い条件に納得できずに分かれるのは得策じゃないわ。少なくとも"その時"が来るまでは一緒にいて、一応の協力関係を取っておくのがベスト……ではないけど、ベターだとは思う」
 意思の同調を取らず、"仮"という枕詞のついた同盟を結成する――
 通常なら、それは危うい行為だ。足並みが揃わなければ、一人が転んだだけで大惨事になりかねない。
 しかし――そんな手段を取らねばならないほど状況は切迫していた。
「佐山さん、って言ったわね。貴方、交渉慣れしてる風なのに、何故か弱点を晒してしまうほど焦っていた――ベルガーさんも言ってたけど、何か重大な問題が起こったんじゃないかしら? その具体的な内容を話さないのは何故?」
「それは……」
 言いかけて。
 ふと、佐山は違和感を感じた。他でもない、これまでの自分の行動に。
(確かに彼女の言うとおりだ。美姫は、すでに参加者全員が共有すべきレベルの緊急事態だろう――話すことを躊躇う必要などない。なぜ私は話そうとしなかった?)
 無意識にそのことを避けていた。それは何を意味するのか。
 だが今はそのことについて悩んでいる時間はない。佐山はゆっくりと被りを振り、どうにか意識を切り替えることに成功した。無理やり狭心症を押さえ込むと、ベルガーと千絵に改めて向き直り、
「……確かに、君の言う通りだね。こちらの事情を全て話そう。リストに美姫という名前で乗っている――」
「――待て、佐山・御言。どうやら別の来客らしい」
 ベルガーが、佐山の背後を睨みながら手にしていた狙撃銃を構える。
 佐山は即座に振り返った。銃を構えたベルガーに背後を見せることに恐怖は感じない――おそらく、彼は海野千絵の提案を呑むだろう。彼女の提案は理に適っている。佐山自身も、もとより同盟を組むつもりだったのだから是非もない。
 それよりは正体も分からぬ背後の来訪者のほうが脅威度は高かった。炎を上げるマンションのお陰で懐中電灯は必要ない。紅く揺らめく視界に、その人影を捉え、
「……詠子君?」
「あ、は、は……"法典"くん、やっと会えた――」
 胸の中に飛び込んできた、震える少女を抱きすくめた。

217 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:34:07 ID:riNkCTUQ
◇◇◇

 暗い森の中、一人の少女が道を走っている。
 彼女が足を踏み出すごとに。懐中電灯の頼りない明かりが新たな木々の根を照らしていく。だがその速度から、もはや彼女の体力はほとんど残っていないものと知れた。
 彼女が生き残れた理由はただの偶然だった。彼女の持つ性質がどうこうというわけではなく、ただ運が良かった。それだけのことに過ぎない。
『――佐山・御言』
 吸血鬼が呟いた単語の正体。それはとある人物の名前だった。
 それに対する反応は二種。その人物を知っているか、知っていないか。
("裏返しの法典"くん……)
 十叶詠子がこうして生き残れたのは、佐山・御言を知っていたから。それだけの理由に過ぎなかった。
 だが、それはただ死の予定が先延ばしになっただけなのかもしれない。
 瞬時に爆散した朱巳の血を全身に浴びた詠子に、吸血鬼はある命令を下していた。
『佐山・御言に伝えよ。夜明けまでに私に告げた戯言を実行して見せろとな』
 戯言――詠子の知る佐山・御言のイメージなら、おそらくその内容は脱出のためのアプローチ。
 あの吸血鬼が何を企んでいるのかは詠子には分からない。それを佐山に伝えることによって、あの吸血鬼にどんな利が発生してしまうのか分かったものではない。
 だが十叶詠子は足を止めない。周囲に見える無数の怪異達の声を頼りに、燃え盛る赤の建築物を目指して一心不乱に進んでいく。
 呼吸は既に乱れきっている。森の中という悪路を、懐中電灯と月明かりがあるとはいえ全力疾走すればそうもなるだろう。線が細く、色も白い彼女にとってはなおさらだ。
 それでも彼女は止まらない。否、止められないのだ。
 脳裏には、夜の暗がりに浮かぶ赤い光が焼きついている。
 その人生において、初めて体感した感情。それが彼女の心を縛り付けていた。
 吸血鬼の魔眼。本来ならば異界を知る魔女には通用しなかったであろう。だがそれに付け込まれる隙が生まれてしまった。恐怖――その初めての感情から逃れるために、魔女は『安心』を求める。
 この島でもっとも長く接していた人物の元へ、走り続ける。
 


【050 九連内朱巳 死亡】
【064 佐藤聖 死亡】
【残り21名】

218 ◆5Mp/UnDTiI:2011/10/12(水) 00:36:37 ID:riNkCTUQ
投下終了ー。状態表はちょっとミス発見したんで後で投下します

219<管理者より削除>:<管理者より削除>
<管理者より削除>

220そして全ては収束していく:2014/04/16(水) 15:38:46 ID:f0Abop4o
「畜生、まだ頭が痛みやがる。油断してたわけじゃねーが――いや、油断してなかったとすると実力で負けたってことになるのか? じゃあどこぞの王様ばりに油断してたってことで――待て待て、日頃から油断してるってことになるとそれはそれでアレだよなぁ……」
 エリアF-2に設置された井戸。その傍で、ひとりの少年がぼやいている。 
「んじゃこうしよう。あんな雷とか炎とか出してくる種無しマジシャンにごくごく一般的な殺人鬼が勝てるかっつーのっていう自己弁護を展開してみる。かはは、笑えるぅー……いや、笑えねえよ、って一人ノリ突っ込みまで一連の流れにすれば笑える? マジで? 傑作?」
 ぶつぶつと意味の無い戯言を吐き出し続ける少年の全身はずぶ濡れだった。その声には精気が見当たらない。少年が小柄であるということと、場所が真夜中の森であるということもあわせて、酷く荒涼としたものを連想させる光景だった。
 ぽたぽたと髪の先から滴る雫が、地面に落ちて吸い込まれていく。全身に出来た擦り傷と、さらにその体躯が銀の輪で拘束されていることを併せて見れば、彼がほんの数分前まで井戸の底にいた――それも何者かによって叩き込まれたのだという事実が浮かび上がってくる。
 それはまあ、いい。
(いや良かねえけど)
 零崎人識は溜息を付いた。うっかり重要な問題さえも頭から流出しそうになる。
 思考が上手く働いていない。全身は冷え切っていた。井戸の底は別に温泉が沸いているということも無く、普通に湧き水であったのでその冷たさは押して知るべし。太陽の恩恵が無い夜間ともなればなおさらだ。
 そんなものにずっと浸かっていればどうなるか――低体温症についての詳しい知識を零崎は持っていなかったが、ぶるぶると制動できない程に震える我が身を思えば、現状で既に危険な状態であるということは理解できる。
 そしてその認識は正しかった。あのまま井戸の中で放置されていれば、零崎は日の出までに死んでいただろう。
「ったく、佐山の野郎は助けにこねーし。あいつとつるむのやめよーかなぁ。そもそも俺があの姉ちゃんに殺されかけたのも不殺同盟に入ってたからだし、なぁ――」
 ふらりと、よろけながら立ち上がる。全身に張り付く水を吸った服が気色悪い――せめて上着だけでも脱いでしまいたいが、彼を拘束する環状宝具『圏』は、両腕と上半身を封じるようにして嵌められていた。これを外さない限り上着を脱ぐことは難しいだろう。
 無論、誰かに手伝って貰えば話は別だが。
「……で、そろそろ反応が欲しいところだが、いつまで無視を決め込む気だアンタ?」
 正面。伏せていた顔を上げて視界を得る。そこには一人の男が立っていた。
 宙を舞う異形の黒鮫を従えたその男が、口を開く。
「テメエが黙るまでに決まってんだろ」
 甲斐氷太。狂犬の王。最強の悪魔使い。
 何をするでもなく、零崎の戯言を聞き流しながら、彼はその場に佇んでいる。零崎が立ち上がるまで、その濡れ鼠をつまらなそうに見下していた。
 いや、何をするでもなく、というのは語弊があるかもしれない。
 さしもの零崎といえども、両腕を重量のある鉄輪で拘束された状態で、足場も取っ掛かりもない井戸から自力脱出することなど叶わない。
 ならば零崎人識は誰に助けられたのか。
「あー、何だ。それじゃあ黙るとするか。これから誠心誠意を込めた、聞いただけで向こう三年は幸福な気分になれる渾身のお礼の言葉が飛び出すところだったんだが、黙るぜ。やめにする。――ところで、アンタはどうして俺を助けてくれたんだ? そんなナリしてボランティアが趣味だったり?」
「……そぉかい。黙る気はねえんだな」
 ちっ、と舌打ちをひとつ。苛だたしく頭をがりがりと掻き毟りながら、甲斐は言葉を続けた。
「腹の足しにならねえこたしねえよ。ただ都合が良かったんでな」
「おいおいマジかよ? そりゃどう贔屓目に見ても悪党の台詞じゃねえか」
「悪党でねえとでも思ってたのかよ?」
「ギャップ萌えでも狙ってるのかな、と。雨の日に捨て犬を助ける不良効果」
「ずぶ濡れの捨て犬が、テメエで言ってちゃ世話ねえな」
「捨てられてはいねーよ。まあそろそろ飼い主のところから脱走しようとは思っちゃいるが」

221そして全ては収束していく:2014/04/16(水) 15:39:51 ID:f0Abop4o
 それで、と零崎は話題を切り替えた。
「繰り返すが、何度でも繰り返すが、聞くけどよ――なんで俺を助けた?」
 結局、問題はそこに落ち着く。
 目の前の男は悪党だ。人を傷つけることを、あるいは殺すことすら躊躇わないであろう悪党。
 無論、殺人鬼の零崎はそれについて特に何も思うところはない。ただ純粋な疑問はあった。悪党が何故人を助けるのか。
 井戸の底から惨めったらしく夜空を眺めていた零崎を救い出したのは、空を飛ぶ黒鮫だった。身動きできないところを牙のびっしり生えた口に咥えられた時はさすがに死を覚悟したが、しかし黒鮫は零崎を噛み千切ることなく、井戸の外にまで運び出した。
 だから零崎は問う。お前は何故自分を助けるのかと。
 甲斐が皮肉気な笑みを浮かべて、答えた。
「言ったろ? "腹の足し"にならねえことはしねえってよ」
 ぞろりと、狂気が滲んだ。
 やっぱな、と零崎が呟く。気まぐれで助けてくれた、などという幸運は無い。凶悪な異形を従える少年の瞳は赤一色に染まりきっている。否、それはもはや眼球ではなく、色の付いた『鏡』の如く。もはや甲斐氷太という人間の瞳は現実を映していない。自分に都合の良い、どこか別の世界にチャンネルを合わせている。
 その甲斐の右手が持ち上げられた。握られていた掌がゆっくりと開かれる。
「――飲め」
 握られていたのは一錠のカプセル。外見は何の変哲も無い、ゼラチン質の薬品。
 だがただの薬ではない。零崎人識は、まるで汚物でも突きつけられたかのように顔を引き、表情をしかめた。
 自身の第六感が告げてくる。これは『呪い名』張りに碌でもないものだ。断じて風邪薬を与えてくれようとしているわけではない。
「悪いけど遠慮しとくぜ。兄貴に口をすっぱくして言われたんでな。『知らない人に食べ物をもらっちゃいけません』……まあその兄貴は誑かす側だったわけだが、それでもさすがに毒薬を配るほどアレじゃなかったぜ?」
「はっ、勘は鋭いみたいだが……」
 甲斐の目が細められ、同時に黒鮫が動いた。
 宙を回遊していたそれがゆらりと回頭を行い、その凶暴な面構えを零崎に向け――
 奔った。
 成人男性を二口で完食できそうな巨体が見せるのは戦車砲の如き突進。叫び声も無く、地を蹴る音も無い。だがどうしてもその様を静寂と形容することはできない圧倒的な存在感。暴力が、零崎に迫る。
 しかし――零崎一賊は『殺気』を読む。
 この盤上において、カプセルの悪魔は誰にでも視認できる状態にあるが、『零崎』を冠する者ならば仮に見えない状態でも十全の殺戮を展開するだろう。
 ましてや人識は零崎と零崎の間に生まれた零崎の中の零崎。こんな分かりやすい敵意を見逃す筈も無い。
 そして零崎人識は鮫の軌道も、速度も、何もかもを見切って――
「がはっ!」
 ――その上で、悪魔の一撃を成す術も無く食らっていた。
 細身の体はまるでボールか何かのように吹き飛び、井戸を飛び越え、そして地面に叩きつけられる。腹部に染み込んだ衝撃に、まるで尺取虫のようにぴくぴくと体が折れ曲がった。
 拳銃の弾を真正面から回避できる零崎が、何故来るのが分かりきっている攻撃をかわせないのか。
 簡単なことだった。来るのが予測できて、回避する為にどう動けばいいか分かりきっていても、今の人識の体がそれについていかないのだ。
 重度の低体温症。嵌められた、ある程度軽減されているとはいえそれなりの重量がある『圏』。李淑芳に負わせられた傷。この三つの制約が、二流の殺人鬼にして一流のナイフ使いを凡百の人以下にまで貶めていた。
「拒否権なんざねーんだよ。そんくらい分かれ馬鹿が」
 手の中でカプセルを弄びながら、酷薄な薄笑いを浮かべた甲斐が吹き飛んだ零崎に近づいていく。

222そして全ては収束していく:2014/04/16(水) 15:40:54 ID:f0Abop4o
 甲斐氷太の目的――『王国』へ乗り込み、そこでウィザードとの決着をつける。
 鏡越しに見たその夢を、ジャンキーは妄信する。それは『物語』と『カプセル』によって励起された狂気に他ならない。故に甲斐は止まらず、手段は選ばない。
 『王国』と『ここ』を隔てる城壁を破壊するには力が要る。そして悪魔は悪魔を食らうことで更なる力を得る。
 だからカプセルを無理やり飲ませ、運良くそいつが悪魔を引き出せればその悪魔を鮫の糧にする。それが甲斐の出した結論だった。
 あの放送のあったマンション方面に行かなかったのもその為だ。悪魔は機械のように緻密な制御が利くものではない。もとよりアッパー系のドラッグに似た精神作用を引き起こすカプセルを服用するのだから当然ではある。それ故に相手を殺さずに無力化するのは、悪魔戦ではなく殺し合いを是とするこの場では難しい。何より一度戦いになってしまえばそんな自制が叶う筈も無い。それは甲斐自身がよく理解していた。
 悪魔を食えないまま、全員を皆殺しにしてしまいましたなどとなってしまっては笑い話にもならない。だから甲斐は人が集中するであろう中心部には行かず、あえて島の外周を回り、負傷者やそれに近い者を探していたのだ。
 そしてようやく芽を出したその成果が、拘束され身を震わせていた零崎人識という少年なのだった。
「おら、なに寝てやがるテメエ!」
 うつ伏せに転がった零崎の髪を乱暴に引っ掴み、顔を無理やり上げさせる。井戸の水で濡れた頬には泥が付着し汚れていた。瞳もどこか虚ろ。手加減されたとはいえ、甲斐の悪魔の一撃をまともに受けたのだ。もはや抵抗するだけの力は残っていないだろう。
 それを確認すると、甲斐は零崎の顎に爪先を叩き込み、口を開かせた。指先でカプセルを摘み、力を込めて圧壊させる。どろりとした内容液が滴り、零崎の口の中に流れ込んだ。ごくりと喉仏が上下し、嚥下される。
 それを確認して、甲斐は零崎の頭を離した。数歩後退し、べしゃりと顔面を地面にダイブさせた少年から距離をとる。
 適正があれば、この刺青少年から悪魔が呼び出される。呼び出されたなら、それを喰らう。
 反対に適性が無く、悪魔を呼び出せないなら少年の体を食い千切る。
 何れにせよ、甲斐は攻撃を仕掛ける気でいた。新たなカプセルを一粒ポケットから摘み出し、口の中に放り込む。苦味のある粘液を喉の奥に押し込めば、そこから手足の末端まで、電気が流れるような感覚が神経を尖らせた。黒鮫を拳銃に込められた弾丸のように従え――
 そして甲斐は即座に身を翻すと、背後の木立に向けて悪魔を突進させていた。先ほどの零崎に向けたものとは違い、手加減抜きの全力突貫。尾ビレを強靭にひらめかせて宙を切って進む黒い鮫は、一抱えもある大木を一撃でなぎ倒した。
 気づいたのは偶然の産物だった。ドラッグによって一瞬だけ鋭敏になった意識と、カプセルを服用した零崎の変化を観察しようと感覚のアンテナを外側へ向けたこと。でなければ気づくことは無かっただろう。その事実に苛立ちが募り、そして容易く甲斐の許容量を超えた。木々の合間に存在する深い闇を睨みつけ、怒号を叩き付ける。
「こそこそしやがって出歯亀野郎が! 甲羅ごと噛み砕いてやるから覚悟しやがれ!」
「まあまあ、怒るなよ。魚野郎」
 ばきばきと破滅的な音を立てて倒れていく大木の枝。そこから人影が飛び降りた。
「それより、お前は感謝すべきだ。熱心に何かをやっているようだから、殺さずに、殺すのを待ってやっていたんだからな――この俺が」
 危なげな様子も無く着地したのは一人の青年だった。濃紺色の制帽のようなものを被っていて、その下からは燃える様な赤毛が覗いている。
 背後から響く倒壊の轟音にも、宙を舞う異形の大鮫にも頓着せず、そいつは甲斐と真正面から向かい合った。
 クレア・スタンフィールド。
 最強の殺し屋と、最強の悪魔使いが相対した。

223そして全ては収束していく:2014/04/16(水) 15:41:38 ID:f0Abop4o
「……何が目的だ、テメエは」
 口の中に沸いてきた、カプセルのそれとは別種の苦味を吐き捨てつつ甲斐が問う。
 甲斐がクレアの存在に気づくことが出来たのは偶然だ。人識が生むかもしれない悪魔に備えるため警戒したのと、カプセルによる感覚の鋭敏化という二つの幸運が重なっただけ。
 成功するかどうかは別にして、目の前の赤毛の男は自分を背後から襲えていたはずだった。
 問われたクレアは、被った制帽の唾を指先で撫でながら鼻を鳴らした。
「その質問は俺がしようと思っていたんだがな――だがまあ先に質問したのはそっちの方だし答えてやるか。武器を探してる。だから、その馬鹿でかい魚が武器になるんじゃないか、と思って見ていたわけだ」
 言いながら帽子を脱いでそれを月光に翳す。かつて彼が被っていた車掌の物ではない。それは交番に立つ警官が被るような制帽だった。
 その制帽を投げ捨てて、クレアは芝居がかった溜息をひとつ付く。
「アレから色々廻って調べたんだが、どうにもあのSFを壊せるような武器が見つからない――こんなつまらない小道具はいくらでも見つかるのにな。だから俺は考えたわけだ。そういう武器は、あらかた他の連中が持ってるんじゃないか、ってな」
 例えばそれ、とクレアの指先が甲斐を――甲斐のポケットを指向した。
「そのカプセル。そっちの刺青を井戸の底からひっぱり出すとこから見させてもらってたんだが、それを飲んだ瞬間にその魚が出たな? 当然、俺はこう考える。そのカプセルを飲むと、同じような"何か"を呼び出せるんじゃないかってな。いや――」
 そう言って、クレア・スタンフィールドは二振りのハンティング・ナイフを抜刀した。
 シャーネの遺体は少し離れた場所に隠してきている。異形の鮫を相手にして、多少派手に暴れても問題は無い。
「――呼び出せるに決まっている。この世界はそういう風に出来ているんだからな。俺が望めば、俺に叶わないことなんかない」
「狂ってやがんな、テメエ」
 尊大にして不遜な態度のクレアに、甲斐は半笑いで応じた。ポケットの中から一掴みカプセルを取り出し、見せ付けるように掌の上でジャラジャラと弄ぶ。
「確かに言う通り、こいつは悪魔を呼び出すためのドラッグだ。そして俺の目的は、他の奴に悪魔を呼び出させてそれを食うこと。だから欲しいって奴がいりゃあくれてやるつもりだったんだがよ――」
 ぶちゅり、と甲斐の手の中から汚い音が響いた。
 カプセルを握っていた手を、甲斐が思いっきり握り締めている。潰れたカプセルからドロリとした内容液が漏れ出し、甲斐の拳を汚染した。
 それをべろりと舌先で舐めとりつつ、甲斐がクレアを睨みつける。
「――今回ばかりはやめだ。テメエは気に食わねえ」
「別に構わないさ。もともと頭を下げて貰うつもりも無かったんだからな――その薬を頂いて、ついでに殺すさ」
 クレアが駆け出す。葡萄酒が流れ出す。それは赤い閃光だった。
 魔界刑事に匹敵する運動能力に体運び。相対しているからこそ甲斐も対応出来るが、不意打ちを受けていれば成す術も無く刃を急所に差し込まれていただろう。
 その事実が、気に食わない。
「舐めくさりやがって――千切れちまえ!」
 黒鮫が口を開け、真正面からクレアを迎撃する。
 カプセルを数錠追加して飲み込み、甲斐の悪魔にはさらに力が漲っていた。カプセルは精神を強制的に高揚させる。甲斐自身のダメージや疲労を一時的にではあるが緩和し、悪魔の動きには屍と戦った時の様なキレが戻ってきていた。砲弾のような突進。先の大木を薙ぎ倒す威力を見れば、真っ向から立ち向かうのは愚策以外の何物でもなく。
 そして葡萄酒と呼ばれた殺し屋は、その愚をこれ以上ないほど完璧に犯してみせた。
 フェイントは微塵も無く。鏡合わせに相対するかのように、殺し屋と悪魔は互いを目指して一直線に疾走し合う。故にその接触は最速。ここから横に回避するにはトップスピードに乗りすぎている。上に飛び跳ねれば、宙を舞う黒い鮫の餌食になるだろう。

224そして全ては収束していく:2014/04/16(水) 15:42:18 ID:f0Abop4o
 だから、クレア・スタンフィールドは当然の如く下を行った。
「は――」
 その光景を前にして、甲斐が息を詰める。
 クレアの行動を一言で言ってしまえば、何のことは無い。宙に浮いた鮫の下を潜り、駆け抜けたというだけ。
 だがその精度は異常だ。甲斐は悪魔を地面擦れ擦れに泳がせていた。そこに生じる隙間は半メートルもない。ぺったりと寝転がってしまえば擦り抜けられるだろうが、その場合はその場で停止した馬鹿者を悪魔で押し潰してしまえる。だからこそ相手は足を止めず、速度を緩めず、一切の躊躇を置き去りにして走りぬけた。自らの顎が地面に触れるほど低くした体勢で。
 甲斐から見て、己の悪魔を擦り抜け、その下の地面から湧き出すように出現したクレアの姿は都市伝説に出てくるような陳腐な怪物を想起させた。題するならさしずめ――悪魔の影をなぞる者というところか。
「は、は――!」
 だから、甲斐は笑った。
「ぎゃははははっ! なんだそりゃ! なんだよそりゃあ!」
 悪魔の影をなぞる。その程度の怪物に。
 『影の悪魔』でもないような奴が、自分に食いつこうとしているという事実に。
「――この甲斐氷太様ぁ相手取るには、そりゃ不足ってもんだろうが!」
 叫んで、腕を振り回す。
 その腕は指揮棒である。甲斐は、相手が何らかの手段を持って黒い鮫を回避することは予測していた。
 クレア・スタンフィールドが優秀な殺し屋であるように、甲斐氷太もまた歴戦の悪魔使いだ。そして既にこの島で悪魔とは別の異形を相手にした戦を経験している。相手が魔界刑事並の強者である可能性を考慮していないはずも無い。
 腕を振るって"扉"の向こうに待機していた白鮫に命じた。同時、ひょいと体を横にずらす。
 甲斐の背後には――先ほどまで、零崎人識を飲み込んでいた井戸があった。
「――!」
 次に息を呑んだのはクレアの方だ。正面から襲ってきたの無数の石礫。そしてその中を泳ぐ白い鮫を前にして。
 甲斐は白鮫を井戸の中に出現させ、そして中から外へ突き破らせたのだ。井戸を構成する石のブロックは砕けて弾丸に変化し、さらにそれとは別に銃弾のように真っ直ぐ飛ぶだけでない、敵を追尾し続ける鮫の悪魔が襲ってくる。
 石の弾丸はさすがに音速に届くということは無いが、それでも当たれば動きを停滞させるであろう十分な威力を持っていた。そして足を止めれば、二対のモノクロ鮫がクレアの体を噛み砕くだろう。クレアは人間だ。例えばブルー・ブレイカーのような装甲も、アリュセの使った魔法のような手管も持っていない。
 持ち合わせているものといえば、そう。向かってくる無数の弾丸を全て見切るような動体反射と、回避を可能にする運動能力くらいのものだ。
 咄嗟に足運びを変えて進路を九十度直角に変更し、それでも直撃しそうになる礫は片手間にナイフで叩き落す。銃弾以下の速度に、銃弾以上の大きさ。ならばクレア・スタンフィールドにとってこの程度の芸当は容易い。
 逃げ道を塞ぐ様に迫ってきた白鮫を、先の黒鮫と同じ要領でかわす。だがさらにその先を黒鮫が塞いだ。白鮫の下から顔を出したクレアを叩き潰さんと、投下された爆弾のように真上から黒鮫が降ってくる。
 それを見もせずに察知したクレアは、今まさに擦れ違おうとしていた白鮫の尾びれにナイフを突き刺した。急激に加わる、進行方向とは真逆への力。ナイフを握る方の肩にかかる莫大な負担を持ち前のバランス感覚と筋力で耐え切り、まるで小判鮫のように白鮫に張り付く。黒鮫は一瞬前までクレアの体があった地面を抉り取った。
「――さすがに二匹もいると鬱陶しいな」
 尾びれの動きで叩き落される前にナイフを引き抜き着地して、クレアが呟く。一連のやり取りをしても、息切れひとつ起こしていない。
「……サーカスのピエロか、テメエは」
 甲斐も、クレアの馬鹿げた運動能力を前にして、呆れるように吐き捨てた。ナイフで刺された悪魔からのダメージフィードバックに顔を歪ませる。蚊に刺された程度の痛みだったが、それでも気に障った。
 片やナイフを構え直し、片や二匹の悪魔を傍らに寄せ、睨み合う。
「仕方が無い。面倒くさがらず、まずは一匹減らしてやるか」
「ピエロなら精々、擦り切れるまで踊ってやがれ!」
 再動。その瞬間。
 その場にある、第三の要素が動いた。

225そして全ては収束していく:2014/04/16(水) 15:42:59 ID:f0Abop4o
「――あ?」
「なにっ?」
 第三の要素――言うまでもなく、それはクレアの登場によって放置されていた零崎人識だ。
 甲斐とて忘れていたわけではない。だが行動不能に陥るだけのダメージは与えていたし、あの容態ではそもそも気取られずに逃亡することなど不可能。
 仮に悪魔を呼び出すことに成功しても、まともに操作できる筈はない。そう判断していた。
 そしてその判断は正しい。零崎は倒れた位置から動かず、いまだ地に突っ伏したままだったし、悪魔を呼び出した気配もなかった。
 だが要素とは、何もそれ自身だけが場に影響をもたらすわけではない――その要素が、その場にない第四、第五の要素に働きかけることだってあるのだ。
 それは天から響く轟音だった。クレア・スタンフィールドにとっては一度聞いた音であり、甲斐氷太もまたその音の主を知っていた。
 天から降りてくるのは蒼い装甲を施された自動歩兵――ブルー・ブレイカーである。亜音速で飛行するそれは、甲斐とクレアが反応し、何らかの対応を果たす前に地上に到達。人識の体をむんずと掴み、まるで荷物を扱うかのごとく無造作に抱え上げた。
「てめっ、人の獲物を――!」
 咄嗟に甲斐が白鮫を突撃させるが、その疾駆は連続して響く乾いた音と、同時に甲斐の体に走った激痛をもってして強制停止させられる。
 BBが片手で長銃を構えていた。もっとも人にとっては長銃というだけで、自動歩兵である彼にとってはさしたるサイズでもない。
 PSG-1。それが彼の構える銃の名称だ。セミオートの狙撃銃。トリガーガードを切除、加えてトリガーの長さを伸ばし、BBにも扱えるように改造されていた。
 二連射された銃弾は、狙い違わず白鮫の額に食い込んだ。今度はナイフで引っかかれたのとは比べようもない激痛が甲斐を襲う。
「づ、ぁ……!」
 甲斐は膝こそ付かないものの、体をくの字に折り曲げ苦鳴を洩らした。それは明確な"隙"だったが、BBもクレアもそこにつけ込もうとはしない。クレアは数時間ぶりに遭遇した機体を冷ややかに見つめ、そして当の蒼い殺戮者は、
「――警告する。こちらに交戦の意思はなく、自衛以上の武力を行使するつもりもない」
 なんら悪びれず、そんな宣告を両名に下した。
「即刻武装を解除し、"我々"に下れ。なお、現在この場での返答を要求する――」
「舐めやがって……っ! ふざけんじゃねえぞこら!」
 一方的な投降勧告。それに対して、体勢を立て直しつつ甲斐が押し殺した怒声を洩らす。明確な拒絶の意を孕んだ声。
「同意見だな」
 クレアも両手でナイフを弄びながら応えた。
 片や宿敵との再戦を望み、片や殺された恋人の復讐に臨む男たち。両名に妥協できる点はない。
 即時に否定を返されて、だがBBは動揺も無念さも見せなかった。承諾を期待していなかったのか、それとも自動歩兵に期待という概念はないのか――どちらにせよ、ブルー・ブレイカーは声も発さずに次の行動に移った。
 背部飛行ユニットから吐き出される、煌びやかなジェットの噴流が周囲を照らし出す。
 離脱。人識を片手に抱えたまま――自動歩兵の体が宙に浮いた。

226そして全ては収束していく:2014/04/16(水) 15:43:56 ID:f0Abop4o
「逃がすかよ糞が!」
 甲斐がカプセルを口に放り込む。瞬時に体を走り抜ける刺激に痛みを忘却し、白鮫が再びBBに向かった。
 BBによる再度の発砲――容赦無しの三点射撃。だが先と違うのは、全弾を受けても甲斐の悪魔が怯まないこと。カプセルによる高揚感が、痛みに対する防壁となっている。
 PSG-1の弾倉は空だ。この銃に支給されたマガジンの装弾数は僅か五発のみ。知性ライフルのような自動歩兵に規格をあわせた銃ではないため、迅速な再装填も難しい。
 だがBBの中核を成す、突然変異の培養脳は僅かな驚愕も見せない。
 白鮫の追撃をBBは完全に回避していた。人識を抱えているためその飛行は決して流麗なものとはいえず、速度もトップスピードにはほど遠い。
 それでもただ異常な先読みの能力と、まるで全身に目があるような認識能力をもってして、蒼の自動歩兵は甲斐の攻撃を巧みに擦り抜けながら上昇していく。
 ナイフの消耗を嫌い攻撃を仕掛けなかったクレアはその様を見て眉間に皺を寄せた。以前戦った時と比べて、あのロボットの動きが違う。まるで制約から解き放たれたような機動。死角からの攻撃すら認知してかわしている。
(どういうことだ? あの時は手加減していた――というわけでもないよな)
 その答えが出る前に。
 もとよりトップスピードとは程遠いとはいえ、それでも自動歩兵の飛行速度だ。あっという間に甲斐の悪魔の射程距離を飛び越して、彼方に飛び去っていく。
「……ちっ」
 結局、掠りもしなかった悪魔を引き戻す甲斐。隠しもしない苛立ちを表情に乗せて、クレアに振り返った。
「――逃がしちまった。どうしてくれんだよ、おい」
「知らないな。たとえお前が俺を警戒して黒いほうの魚を使えなかったとしても――仕留め損なったのは、お前自身がへぼだからだ。俺がその魚を使えば結果は違っただろうな」
「言ってくれるぜ、綱渡りのピエロ野郎が……よし、決めた。生贄も掻っ攫われちまったことだしな――」
 獰猛に笑いあって、再び両者は得物を構え合った。
 両者に和解はなく、両者に妥協はなく、両者には容赦がない――だからその結果は決まっていた。
「だからさっさとその薬を寄越せよ、チンピラ」
「カプセルはくれてやる。テメエがボロボロになって、くたばりきる寸前にだけどな!」

◇◇◇

227そして全ては収束していく:2014/04/17(木) 00:12:18 ID:f0Abop4o
◇◇◇

「へっ――きし! あーくそ、口の中が苦ぇ。あと吐きそうだ……」
 寒空の下。口の中に残るカプセルの味に悪態を吐きながら、零崎人識が震えている。カプセルの効能――悪魔召喚は成らず、単なるドラッグとしての作用だ――と、上昇の際の加重で意識が覚醒したのだ。
 ブルー・ブレイカーの腕の中で、人識は抱きかかえられるようにして運ばれていた。金属製の左腕に温もりなど存在するわけもなく、吹きすさぶ風は濡れた体からさらに体温を奪っていく。
 眼下には一際巨大な枝の傘が流れていこうとしていた。巨木。してみると、ここはE-3――自分が先ほどまでいたF-2の北東に位置するエリアだ。
 鮫に体当たりを貰って気を失ったと思ったら、気づいたときにはこうして謎のロボットに抱きかかえられて空の上。正直混乱はしていたが、それで暴れて落とされたりしては敵わない。そもそも動く気力もさほど残っていなかったし、相変わらず"圏"による拘束は続いていたが。
 先に声を掛けたのはブルー・ブレイカーだった。くしゃみに気づいたのだろう。頭部を動かしもせず、前を向いたままの姿勢で訊ねて来る。
「気が付いたか。顔面の刺青に、情報通りの拘束具――零崎人識で間違いないな? 生きてはいるようだ」
「寒くて死にそうだけどな。エコノミークラスもびっくりな乗り心地だぜ」
「自動歩兵の設計は貨物の運搬を想定していない」
「俺は貨物扱いかっつーの……って」
 言って、零崎はこのロボットのいう貨物が自分だけのことを指し示しているのではないことに気づいた。よく見れば自分を抱えているほうの腕に、パンパンに膨れ上がったデイパックがいくつか括り付けられている。
 ファスナーの隙間から入りきらなかった剣の柄やら刃やらが飛び出しており、飛行の影響で激しく揺れていた。同じ腕に抱えられている零崎にしてみれば生きた心地がしない。
「気が付かなきゃよかった……お前――メカだけど呼び方お前でいいよな? ちょっと下ろして、この拘束具だけでも外してくんねーか? ビームソードとか出るだろ、メカだし」
「……」
 シャガッ、とブルーブレイカーの左腕先端部のパーツが動作した。中から棒状の何かが飛び出してBBの手の中に収まる。
(うわびっくりした! もしかしてメカ呼ばわりに怒ったのか。いやでもどう見たってメカじゃねーか……って)
 よく見れば、ブルー・ブレイカーの手に握られたのは武器の類ではなかった。機械の中に内臓されるにしては奇妙な物体。
 それは木の棒だった。きちんと整形された、節や歪みのない綺麗な円柱状。没収された電磁衝撃ロッドの代わりに、大きさを調整して造られたそれを挿入していたのだ。
 ちなみにその棒の先には『人造人間の超重要パーツ(世紀の天才コミクロン製作)』と掘り込まれていたが、意味は分からなかった。
 ブルー・ブレイカーは喋ろうとしない。反応に困り、零崎も押し黙る。と、

228そして全ては収束していく:2014/04/17(木) 00:13:05 ID:f0Abop4o
『おひさしぶり ですね』
 木の棒が喋った。男性的とも女性的とも取れる声。零崎には聞き覚えがある。というより、喋る木の知り合いなど一人しかいない。
「あ……? お前、ムキチか?」
『たすけるのが おくれて すみませんと さやまが』
 棒の先端から水が噴出し、刃を形成。自在に形状を変質させ振るわれる刃が"圏"を切断した。二つに分かれた金属環が地上に落下していく。
 内蔵したムキチにBBはパワー・ジェネレータの余剰熱を食わせていた。オーヴァ・ヒートの心配もなくリミッタを解除できる。その速度を持ってして島中を飛び回っていたのだ。腕に抱えた支給品の山も、そうして回収された産物である。
「そーか。このメカさんは佐山の使いか。助かったぜ。信頼して待ってたかいもあったってもんだ」
 ぐるぐると肩をほぐすように回しながら、零崎が嘯く。失った体力が戻ったわけではないが、拘束さえ外れれば走る程度のことはできるだろう。
「だけどそれにしちゃ遅かったな。いや、別に責めてるわけじゃないぜ? でも空飛ぶロボットが仲間になったんならもっと早く助けにこれただろ? あれから結構経ってる気がするんだけどよ」
「現在時刻はAM4:27。お前の救出より、武装の回収を優先した。話し合いの結果でな」
『さやまは たすけようと しゅちょうしていました』
「あー、いいよ。大体分かった」
 ムキチのフォローに手を振って、零崎は呻いた。
 察するところ、佐山は例の集団形成に成功したのだろう。このロボットもその副産物。だが自分を救出する段になって、他に仲間になった連中から反対、あるいは疑問の声が上がったに違いない。
「まあ殺人鬼だしな、俺。見捨てられなかっただけでも儲けもんか。で、あれから結局どうなったんだ?」
「……それは――」
『いろいろ ありました まず きゅうけつきの おひめさまが――』
 零崎の質問にBBとムキチは語り出す。
 ここ数時間で起きた、結成と喪失の物語を。

◇◇◇

229そして全ては収束していく:2014/04/18(金) 13:26:20 ID:f0Abop4o
◇◇◇

 小早川奈津子にとっての不幸は、ボルカノ・ボルカンという疫病神に関わってしまったことにあった。
 そもそもこの殺し合いの舞台において――あるいは元の世界においても――この地人が役立つ事柄というのは皆無である。
 手下にするには忠誠心が足りず、肉の盾にするには根性が足りず、対等の関係を結ぼうにもボルカンが他人に提供できるようなものなど何も無い。
 百害あって一利なし。実際、小早川奈津子が仮にボルカンと出会わなければ、彼女は魔界刑事や甲斐氷太との戦闘に巻き込まれたりはせず、こうして生死の境を彷徨わずとも済んだだろう。
 A-3市街地。彼女のいるその場所は、21:00をもって禁止エリアとなる。
 如何に彼女が常識外れのタフネスを持っていようが刻印が発動してしまえばそんなものは関係なく、そしてそのタイムリミットはこくこくと迫ってきていた。
 ならば、彼女は迅速にここを離れるべきだった。
 しかし――実際、彼女がどうしているかといえば。
「ぜぇ……ぜぇ……全く、害虫ならばそれらしく早々に潰れればよいものを……」
 未だ、彼女はA-3の市街地エリアから逃れることはできていない。
 ところどころ刃の潰れた"吸血鬼"を杖代わりにして、どこか青白い顔色の彼女は、這々の体で道を進んでいる。
 時計を確認する時間も惜しく、今が一体何時なのか――あとどのくらいの猶予があるのかということも彼女は知らない。ただ、気力と体力を振り絞って舗装された道を進んでいた。
 彼女が今現在、何故このような状況に陥っているのか。ボルカンの企みを看破した彼女が、何故結果的に窮地に追い込まれているのか。その理由は二つ――実質的にはひとつ。
 ひとつ目の理由は負傷だった。魔界刑事から受けた一撃は彼女の体を確実に蝕んでいる。安静にしていれば少なくとも彼女なら死にはしない程度の負傷であったが、しかし彼女の傷は現在、その深度を増していた。これ以上動き続ければ、さしもの豪傑・小早川奈津子といえども危険なほどに。
 それは何故か。二つ目の理由がその解答となる。
 一言で言ってしまえば、ボルカンを殺すのに手間取ったのだ。
 何せ"吸血鬼"の刃がほとんど通らない。無論、皮膚を裂くことは出来る。内臓を抉ることも可能だろう。だが骨を断つことは叶わなかった。
 地人種族は外見は人間の子供に近い。が、その実、全く別の生物であるといっていい種だった。骨は鉄よりも硬く、体は水に浮かない――つまり恐ろしく密度の高い造りになっている。
 おまけにボルカンは抵抗した。それはもう見苦しく、彼の持つ往生際の悪さを存分に発揮した。結果として、首や腹部といった急所に成り得る部分を一撃で叩くことが出来なかった。
 小早川奈津子という人物が存在の力やそれに類似した異能を持たず、"吸血鬼"の性能を発揮できなかったというのも不幸のひとつだ。
 そんなわけでボルカンを処刑するのに、予想外に手間と時間がかかってしまった。彼女の負傷はその程度をさらに深刻なものとし、傷ついた肺は酸素を取り込む役目を放棄し始めていた。
 血中の酸素濃度は低下し、その顔色をみれば深刻なチアノーゼを引き起こしていることは明らかだ。思考に霞がかかり、正常な運動能力を奪っていく。
 果たして本当に自分はエリアの外に向かっているのか? そんなことすら疑わしく、そしてその可能性を疑うことができないほど、彼女の肉体は限界だった。
 定められた刻限まで余裕はない。それは分かっていた。ボルカンを処断している最中にすら、その事実は頭の片隅にあった。
 ボルカンなど無視して――あるいは拘束してその場に放置するなどしてA-3に置き去りにすれば、こんな事態にはならなかっただろう。だが彼女の自尊心がそれを許さなかった。大いに尊ばれるべき存在である自分を裏切った者を許すことはできず、また一度始めた処刑を「相手が異様に頑丈だから」という理由でとりやめることも何か負けたように感じてしまう。
 そう。実質的に、彼女がこのような苦境に陥っている理由はひとつの事柄に起因する。
 ボルカノ・ボルカンに出会ってしまったこと。そのたったひとつの不幸に。
 そして――時計が、21:00を刻んだ。
 小早川奈津子の視界が、黒に染まる。

◇◇◇

230そして全ては収束していく:2014/04/18(金) 18:43:09 ID:f0Abop4o
◇◇◇

「……んー」
 E-5の小屋。現在その中で、三人の男性が顔を付き合わせて座り込んでいた。
 その内のひとり、ヴァーミリオン・CD・ヘイズが腕を組んで唸っている。
 床には図形や式が書き込まれた紙片が散乱していた。刻印の解析。その作業に今まで勤しんでいたのだが、
「分っかんねえなぁ……」
「何がだ?」
 ぶつぶつと呻くヘイズに対し疑問の声を上げたのはオーフェンだった。
 反応して、ヘイズの視線が刻印に関するメモから離れ、黒魔術士を向く。それでも未だ思考は刻印の事柄から離れないのか、その視線にはどこか疑念の色が混ざっているように感じられた。
 そんな視線に晒されるのは居心地の良いものではない。咳払いをひとつして、オーフェンは同じ言葉を繰り返した。
「何が分からないっていうんだ? "脳みそ"に関しては――」
 と、呪いの刻印を意味する代替語を交えて話しかけてくるオーフェンを、ヘイズは右手で制した。後を引き取る。
「ああ、"火乃香の脳みそ"の構造に関してはほぼ解析が完了したな。まだ不明な領域はあるが、無茶をすれば現時点で解除できないこともない。強いて言えばあとひとり、俺たちとは"別の考え方"ができる奴に協力してもらえりゃいいんだが……そいつは高望みかもな」
「ならば先ほどから何を唸っている?」
 ヘイズの返答に横入りしてきたのはギギナだ。二人とは少し離れた位置に、連結済みの屠竜刀を抱くようにして座っていた。一応協力することになったとはいえ、気を許してはいないし、また許す予定もないらしい。
 刻印の解析に関してはヘイズに一日の長がある為、オーフェンとギギナがそれぞれ自身の持っている知識で解除式を改良し、それをヘイズが受け取り統合するという形で進められた協力体制だが、ヘイズにとっては期待以上の成果が、それもかなりの短時間で上がった。
 これはギギナのもたらした咒式という存在が、オーフェンやコミクロンの黒魔術より、さらにヘイズ達の情報制御理論に近い性質のものであったということが一因である。
 黒魔術、情報制御、咒式。これらは三つとも世界に対して命令し、世界を変質させて力を引き出す技能・技術だ。
 魔術士はそれを生来備わった感覚とシステム・ユグドラシルを用いて、
 魔法士は高速演算が可能なI-ブレインによって<情報の海>を直接操作することで、
 咒式士は咒力を通して特殊な仮想力場に干渉し、作用量子定数や波動関数を変換して望む現象を引き起こすという違いがあるだけで、根幹的には同じものだと捉えていい。
「つまり過程はともかくとして、俺達の技術や能力で出来ることの限界には大して違いがないわけだ。だがそれで"火乃香の脳みそ"が九分九厘理解できちまってる……いくらなんでも造りが甘くねえか? あー……"ギギナの脳みそ"にしても、だ」
 指差して示すのは剥き出しになっているギギナの左腕。そこには幾何学的な紋様が組み合わされた例の刻印がある。一見、ヘイズやオーフェンのものと何ら変わりは無いが、
「俺達の"脳みそ"に比べて、ギギナのは出来が悪い。なんというか、非常にアレだ。本人を傷つけずにこれをどう表現して良いのか悩むが……」
「貴様の頭蓋を開いて直接汲み取ってやろう」
 目にも留まらぬ速度で振りぬかれたネレトーを予測回避しつつ、ヘイズは会話と同時進行でペンを走らせていたメモをぴっ、と指で弾いた。空中でどう動くのか計算され尽くしたその紙きれは、一ミクロンの誤差も無くオーフェンとギギナの中間距離に舞い降りる。
『精査した結果、ギギナの刻印はプロテクトや本来の機能がいくつか破壊されている。ギギナがやった訳じゃないらしいから、勝手に自壊したか、あるいは最初から不良品だったか……』
 ギギナが違和感を覚えていた咒力制限の緩和。ヘイズが有機コードを通して自身の刻印と比べた結果、それはギギナの刻印が不完全であることが原因であると分かった。
 そのお陰で破損部分から解除方法を逆算することが可能になり、解析は飛躍的に進んだわけだが、しかし――

231そして全ては収束していく:2014/04/18(金) 18:44:01 ID:/JzOWGrI
「――お粗末過ぎるだろう、いくらなんでも」
 相性が良かったとはいえ、たった三つの世界の技術を付け焼刃で組み合わせただけで解除されてしまうプロテクトも。
 無人島での殺し合いという劣悪な環境での動作を前提としていた筈なのに、一日も保たずに機能を狂わす耐久性も。
 こうしてみると、自分たちの刻印さえ完全な状態なのか疑えてしまう。本来、この刻印にはもっと強固な攻性防壁や制限機能が備えられていた可能性があった。
 そもそも、自分たちはここに囚われた側なのだ。圧倒的に不利な立場であるといっていい。その不利を、たった一日と少しで挽回しつつあるというのは異常だ。
『どうも向こうに本気で刻印解除を阻止しようって意思が感じられねえ。そもそもこの刻印は何の為にあるんだ? アワワの目的にどう関係する? データを外部へ送っているのは分かるが、実験っつーにはサンプルの選択が大雑把だし、手段も乱暴すぎる。戦闘能力の収集が目的なら、力を制限するのも理に適っていない。いやそもそもデータが欲しいなら、殺し合いさせる前にやることはいくらでもある筈なんだ。刻印の呪殺機能のせいで、こっちは向こうに逆らえやしねえんだから』
「確かにバラバラな感じはするな」
 ヘイズのメモを読んで、オーフェンもだんだんと刻印機能の違和感に気づき始めた。顎先を指で揉みながら、呟く。
「なんていうか……ひとつに目的を絞りきれてないっていうのか? 複数の考えが、ごちゃ混ぜになってるみたいな……おい、ギギナは何かないのか?」
「思考遊戯は私の役目ではない。意見が纏まったら呼べ」
「……ま、期待はしてなかったけどよ」
 再び屠竜刀を抱えるポーズに戻り、両目を瞑って完全に休息の態に入ってしまったギギナを見て、オーフェンは肩を竦めた。見た目よりも疲労しているのかもしれない。魔術による怪我の治療も拒んだ彼は、未だに重傷を負ったままだ。そもそも咒式士の身体構造が通常の人間とはだいぶ異なるので、コミクロンならまだしも、オーフェンには治療することは難しいのだが。
 まあそもそも三人以上で筆談するのは面倒だったので好都合といえば好都合だ。ヘイズの投げたメモを裏返し、サシで筆談を開始する。
『例の薔薇十字騎士団と、アマワ、神野って奴か? まあ一枚岩の組織なんか有り得ねえしな。それが……対立してる?』
『あるいは水面下で利用しあってるのかもな――このサラって奴のメモを見る限り、力関係で言えば神野とアマワが黒幕で、騎士団はその使い走りって感じだが』
 ヘイズが床から一枚のメモを取り上げる。
 それはクリーオウによって齎されたサラ・バーリンのメモだ。無名の庵で神野に出会い、さらに四人の魔女の質問によって得ることの出来た知識が要点だけ纏められている。
『アマワが望んでいるのは心の証明。その"望み"を叶えるのが神野陰之。このゲームはその為に開催された。これは確かな情報だと断定しちまって良いと思う。あの巨人使いのガキが洩らしたっていう情報とも一致するしな』
「それはまあ、確かかも知れんが」
 オーフェンは呻いて、ちらりと視線を横に滑らした。小屋の片隅ではその少女――フリウが寝息を立てている。負傷と疲労が酷く、まだ少女は目を覚ましていなかった。だが呼吸は落ち着いてきているので、目覚めはもう間もなくだろう。ここから移動する際には起こすつもりだった。
 一応、彼女の告げた情報が嘘でないと分かった訳だが、無論のことまだ信用はできない。そもそも言葉を交わしてすらいないのだから。
 視線を戻し、オーフェンはさらにペンを動かす。
『だったら何であいつらはそれを最初に言わなかったんだ? 心の存在が証明されれば帰します、じゃなくて、殺し合って最後の一人になってください、ってのは変な話だと思うんだが。それも騎士団の独断、っていうのは少し無理があると俺は思う』
『ああ。刻印の意味もあわせて、まだ少し情報不足な感じはするな』
 と、そこまで書いたところで、ヘイズがメモから顔を上げた。再びオーフェンの顔をじっと見つめる。
「……なんだ? なんか俺の顔についてるか?」
「いや……」
 気まずげに視線を外しながら、ヘイズは誤魔化す様に床に散らばった紙片を集め始めた。
 訝しげな表情を浮かべながら、オーフェンもそれに追従する。ギギナは片目を開けてその様子を確認したが、我関せずといった風にすぐ目を閉じてしまった。

232そして全ては収束していく:2014/04/18(金) 18:45:29 ID:f0Abop4o
(……得体が知れないって点なら、アンタも同類なんだがな)
 メモを束を揃えている黒髪の男を横目で伺いながら、ヘイズは胸中で呟いた。
 今回の刻印解析に当たって、ヘイズが一番期待していたのはギギナの持つ咒式だ。何せ、オーフェンの黒魔術は結局コミクロンと同じ能力でしかない。だからそれほどまでに新しい発見はないと思っていた。
(だが実際の所、今回の解析部分でこいつが貢献した部分はかなり大きい……それは非常にありがたいんだが、どうにもコミクロンの黒魔術とは違う体系の"何か"について知っている気がする)
 音声黒魔術が干渉できるのは物理現象のみ――もっとも意味情報も彼らのいう『物理』の範囲内らしいが、とにかく干渉できる範囲には限界がある。必然的に、刻印の解析にも限界が生まれるのは当然で、コミクロンとの作業からヘイズはその限界を予測していたのだが、オーフェンはその限界を大きく超えてしまっている。
 そもそも、この黒魔術士はコミクロンの"後輩"であるはずだった。
 だがどう贔屓目に見ても、コミクロンより年上にしか見えない。無論、彼が"キリランシェロ"であることは先の問答で明らかになっているが……
(そういや、あの時も何か言いにくそうにしてたな……先を急ぐ必要もあったから見逃したが、失敗だったか?)
 時間的な余裕が無い以上、ヘイズは清濁併せ呑むつもりでいた。リスクを承知でギギナを迎え入れたのもそのせいだ。自分とコミクロンのように、ギギナに襲われたり、あるいは殺された人物の知己との因縁が発生する可能性は非常に高い。その危険性には目を瞑っている。
 しかし、この黒魔術士と組んでから厄介ごとが加速度的に増しているような気もする。
(いやまあ、貧乏クジ引くのはいつものことだけどな。だがなんとなくツキの無さが二乗されてる気がするんだよなー……)
 ギギナとの二度目の遭遇にしてもそうだし、そもそもいまこうして足止めを食っているのだって――
 と、そこまで考えるのを待ち構えていたように、小屋のドアが開いた。ひょっこりと火乃香が顔を覗かせる。

233そして全ては収束していく:2014/04/18(金) 18:46:11 ID:f0Abop4o
「こっちは終わったよ。そっちは――そっちも一段落ついたみたいね」
「ああ、丁度な。そっちはどんな感じだ? あいつ――折原臨也っていったか? 例の集団の生き残りなんだろ?」
 回収したメモの束をオーフェンに預けて、ヘイズは立ち上がった。
 マンションに向かわず、未だこの場に留まっているのは先ほど遭遇した男への対応を決めかねていたからだ。とりあえず火乃香とコミクロン、そしてどうやら折原臨也と面識があるらしいクリーオウが話を聞く役に回り、ヘイズ達は刻印解析に勤しんでいたわけだが。
「ん。とりあえず話に矛盾はなかったけどさ。ケータイっていったけ? あの小型通信機についてた録音機能で会話は録っておいたから後でヘイズも聞いておきなよ」
「分かった。それで、折原の言ってた『敵討ち』ってのは?」
「……裏切りがあったらしいんだよ。あのグループ、放送してから班を二つに分けたんだって。
 ひとつはあの放送で集まってきた連中を待ち受ける戦闘組、もうひとつが戦う能力がない連中を集めて避難させておいた待機組。で、戦闘組の方で集まってきた連中とドンパチがあって、その隙を突いて戦闘組の方にいた――」
 言いながら、苦い表情を火乃香が浮かべる。あまり思い出したくない記憶だったが、そうも言っていられない。
「――ダウゲ・ベルガーって奴が、もうひとり待機組の海野千絵って奴と一緒に裏切った。覚えてる? あたしらが石段の上で襲われたとき、大剣持った奴と白衣と黒コートの三人組が乱入してきたでしょ? 話を聞く分だと、黒コートがそのベルガーだったみたい」
「確か、あいつは――」
 ヘイズは記憶を辿る。あの時は唐突に襲撃されまともな連携も取ることが出来なかったが、その分、襲撃者の動向には集中していた。
「――あの巨人に殴られたのが最後だったな。死んじまったのかと思ってたが……」
「リストで確認したけど、零時の放送じゃ呼ばれてないよ。どうも瞬間移動が出来るみたいね。そういう力を持ってるのか、支給品なのかは分からないけどさ。ともかくそれで待機組のとこにまで飛んで、その場にいた人間を皆殺し。一応、待機組にも護衛の戦力はあったみたいだけど。折原はその護衛のひとりに庇ってもらって、運良く逃げ出せたんだってさ」
「……ベルガーって奴になら会ったことあるぞ、俺」
 メモをデイパックに収納し終えたオーフェンが、ファスナーを閉めながら声を上げた。
「あの放送をしたダナティアって奴と一緒にいた。服装も一致するし、確かに例の集団の一員って感じだったな」
「……状況から見るに、最初から裏切るつもりで潜りこんでいたってところか。優勝を目指しているのなら確かに良手だろうな。大規模な集団の中で体力を温存し、終盤で正体を現しスパートをかけるってのは効率的だ」

234そして全ては収束していく:2014/04/18(金) 18:47:13 ID:f0Abop4o
 もっとも、とヘイズは言葉を続ける。
「折原の主張が全部本当だったら、だけどな。逆に裏切ったのは折原で、ベルガーと海野って奴を始末しこねただけ、ってこともあり得る」
「その辺はあたしだって分かってるけど、矛盾は無いって言ったでしょ? それに折原は武器を持ってなかったし、身のこなしも……ド素人って訳じゃなさそうだけど、傭兵みたいなプロフェッショナルじゃ決してないよ。護衛として残されるような連中と真正面から戦えはしないと思う。……つまるとこ、嘘とも本当とも分からないってのが結論ね」
 否定できる証拠も、肯定できる証拠も無い。
 はぁ、と溜息の三重奏。演奏者はヘイズと火乃香、そしてオーフェンだった。
「……見捨てちゃ駄目か? ぶっちゃけ、折原を同行させるメリットは薄いと思うぜ? 戦闘力はないし、技術者って感じでもない」
 ヘイズが疲れたようにぼそりと呟く。それに対し、火乃香は口元を引きつらせながら応じた。
「持ってたので役に立ちそうな支給品は人間探知機くらいだしね……あとはケータイがふたつ。内ひとつはバッテリーパックが入ってないから通話も充電もできないし。同行させるとなると、折原の言ってることが本当であれ嘘であれ100%トラブルに巻き込まれるよねぇ……」
 シビアな意見だが、しかし正しいものでもあった。伊達に二人とも元の世界で便利屋稼業を、しかもフリーランスで営んでいたわけではない。
 組織的な援助が無い以上、判断を間違えれば即死亡に繋がる。それはこの島でも同じだ。ギギナの場合は戦闘力と咒式の知識、フリウの場合はアマワという黒幕の情報とリスクに釣り合うメリットがあったから同行させているが、折原臨也という人物を同行させて得られるメリットというのは、確実に遭遇するのが分かっているリスクと比べると小さ過ぎる。
「……そこまで分かってるなら見捨てちまえばいいじゃねえか。何か、奥歯に物の挟まった言い方だな」
 オーフェンが訝しんで声をあげると、火乃香は半眼で返す。
「そりゃここで縁切りしたいのは山々なんだけど……ひとりね、反対してる子がいんのよ」
「反対してる子……って」
 同じ言葉を口の中で繰り返してみて、オーフェンはそれが意味していることに気づいた。このグループの中で火乃香が『子』と形容するような人物はひとりしかいない。年齢で言えばコミクロンや、さらに火乃香自身とも同い年くらいの筈だが。
 ぱちんと額と目を覆い隠すように手を当て、そのまま天を仰ぐように顔を上げた。
「……クリーオウか」

◇◇◇

235名も無き黒幕さん:2014/04/18(金) 19:11:55 ID:???
もう更新されないんじゃないかって思ってた、うれしいよ!
続き楽しみだよー

236そして全ては収束していく:2014/04/20(日) 23:14:31 ID:f0Abop4o
◇◇◇

(何とか上手くいった……やれやれ、ほんとに冷や冷やさせられたよ)
 小屋の外、荷物を出したデイパックを座布団の代わりに敷いたものの上に、臨也は腰を下ろしていた。
 待機組のマンションから抜け出し、禁止エリア解除装置を回した後、臨也は早々にC-6のエリアから逃げ出した。あの場に留まっていれば、第二、第三の襲撃者がやってこないとも限らない。
 できれば茫然自失の状態だったとはいえ、事の一部始終を見ていた海野千絵は戻って始末しておきたかったのだが、あの場にいた保胤が半不死である以上そうもいかない。悠長に保胤の命が尽きるのを待っているような猶予は無かった。
(誰かに襲われて死んでくれたら嬉しいんだけど、それは都合が良すぎるかな。まあ対策の必要があったクエロ・ラディーンの名前が呼ばれただけでも御の字だ。ベルガーは……どうだろう。少量とはいえ不死の酒を飲んでるし、やっぱり手は打っておくべきだよねぇ)
 00:00の放送ではどちらも呼ばれなかった以上、保険はかけておく必要がある。
 ではどんな保険をかけておくべきか。
 あの二人がそれぞれ肉体的、精神的に持ち直したとして、その後の行動は予測できる。おそらく、自分を探して復讐しようとするだろう。そうでなくとも危険人物であるという情報を流されるのはほぼ確定的だ。大集団に所属していない参加者何人かとも繋がりがあるということは確認できている。
 状況はかなり厳しいといえた。
(全く、酷いもんだ。この島は本当に殺し合い推奨なんだね。ただ生き残りたいだけの俺にこんな厳しい試練を課すなんて。静ちゃん殺したのは素直に賞賛するけど)
 だが殺し合いが推奨されているとはいえ、臨也はそれに乗るつもりは無かった。どう楽観的に考えても自分が戦って勝てる相手より勝てない相手のほうが多いだろう。
 ならば保険の内容はいつもと同じ――情報屋としての折原臨也が常日頃からしているものでいい。
(というか、それくらいしか出来ないんだけどさ)
 自分にとって都合よく事が運ぶように情報を流す。職業柄、情報というものの性質をよく知っている臨也にとってそれ自体はさほど難しいことではない。
 便利な道具も持っていた。人間探知機。情報は速さが命だ。今回でいえば、ベルガーらが臨也の情報を広める前にこちらにとって都合の良い情報を流さなくてはならない。
 だからいち早く他の参加者に接触する必要があったのだが、探知機があればそれも簡単になる。現にこうして、なるべく大勢で固まっている参加者のグループを見つけ、接触し、なんとか対話に持ち込むことに臨也は成功していた。
 結果はおそらく最上のものだろう。ここのグループのメンバーが、これより後に接触してくるかもしれないベルガーの話を頭からは信じられなくなる。そんな程度の猜疑心を埋め込むことが出来れば良かった。

237そして全ては収束していく:2014/04/20(日) 23:15:13 ID:f0Abop4o
 だが幸運は自分に味方し、それ以上の成果を生んだ。
「大丈夫よ、イザヤ。見捨てるようなことにはならないから」
「ありがとう、クリーオウ」
 心からの感謝の言葉を、眼前の少女にかける。
(運がよければ、このグループに庇護してもらえる)
 その望外の結果を引き出したのは目の前の少女のお陰だ。クリーオウ・エバーラスティン。疑いを知らぬ、無垢な少女――というわけではないが、それでも小娘に過ぎない。折原臨也は、こういった年頃の少女に対する人心掌握に長けている。元の世界では幾人もの取り巻きを作ることが出来るほどに。
 さらにクリーオウには臨也に対する負い目があった。かつてマージョリーに学校が襲撃され、彼女がクエロと逃げ出した折、一度臨也に会っている。 その際臨也はクエロに追い払われた。それも、かなり邪険に扱われて。
 それがクリーオウという少女の心に、臨也に対する憐れみの感情を根付かせていた。クエロが彼女たちを裏切っていたという事実もその印象に拍車を掛けている。彼女の取り繕いの下にある真意にクリーオウは気づけなかった。だからこそ疑念を持ってしまう。クエロのとっていたあらゆる行動が、破滅への切っ掛けだったのではないかと。
 クリーオウはクエロを完全に許せたわけではない。心から憎悪しているわけでもないが、しかし彼女のしでかした裏切りをなかったことにはできない。第四回目の放送ではピロテースの名が呼ばれた。無論、あのダークエルフの死に関して、クエロが直接的に関わっているわけでもないが――それでもクリーオウは想起してしまう。どこかで自分がクエロの笑顔の裏にあるものに気づいていれば、彼女の死は免れたのではないかと。
 故に、クリーオウは"クエロが追い払った折原臨也"に憐憫を抱く。そして切っ掛けがあれば、それをさらに深くすることは臨也にとって容易い。
 仮に残りの仲間の猛反対があって臨也がこのグループに潜り込めずとも、それはさらにクリーオウの臨也に対する心象に拍車をかけるだろう。その後、ベルガーがこのグループに接触すれば、最悪――臨也にとっては最高なことに――この少女が起爆剤になり、何らかの"事件"がおきる可能性が高くなる。
(いや、さっき聞いた話によると、このグループはダナティアの大集団と接触しようとしていた。いまは俺への対応で足を止めちゃってるけど、その後は予定通りに動き出すだろう。そうなるとベルガー達と接触するのはほとんど確定的だ)
 その時に自分がこのグループにいて、なおかつクリーオウという味方がいれば。
(ベルガーに"対処"ができる……かもしれない)

238そして全ては収束していく:2014/04/20(日) 23:20:45 ID:f0Abop4o
 口を封じるというのは、何も殺すだけが手段ではない。ここの連中にベルガーを信用させず、自分を殺させないように仕向ける。クリーオウという手札があれば、少なくともそれくらいのことはできるだろう。
 自分に応対したのはクリーオウの他に二人。傍に座ってこちらを警戒しているコミクロンという少年と、小屋の中にいる仲間に報告しに行った火乃香という少女。
 コミクロンの方はどんな性格なのかいまいち掴みかねたが、しかしどうやらこのグループの中での位置づけは火乃香のほうが上らしい。そしてその火乃香は、少なくともクエロより厄介な相手ではないようだ、というのが先の質疑応答を通して臨也が抱いた印象だった。
 確かに人並み以上に警戒心があり、交渉のいろはも心得ている。だがクエロや自分と違って"裏"が無い。クエロのように何をしてくるか予想できない、というような怖さは感じられなかった。
 話を聞いてもらう交換条件として支給品、特に人間探知機を差し出したのは痛かったが、他の支給品に関してはいくつか細工をしている。携帯電話は対のものと連絡が取れないように連絡先や通話履歴を削除し、SIMカードを抜いておいた。
 さらに形状がモバイルフォンに似ていた禁止エリア解除装置もバッテリーを抜き、これが『臨也が持っている携帯と対になっている携帯電話である』という風に見せかけていた。これは役に立たないため自分が持たせてもらっている。抜いたバッテリーパックはかなり小型だったため、いくらでも隠しようはある。いまは支給品の食料の中に埋め込んで隠していた。さすがに食べかけのパンまでは没収されることもない。
(ま、どっちに転んでも俺は痛くないし……できればこのグループには最後まで守ってもらいたいけどね)
 いい加減、結んだ同盟関係が片っ端から壊滅していくというジンクスには決着をつけたいと。
 その最たる原因である人物は、心の底で皮肉気に笑った。

◇◇◇

239そして全ては収束していく:2014/04/21(月) 23:58:13 ID:f0Abop4o
◇◇◇

「なるほど――君も姫に会ったのだね、詠子君」
「"法典"くんも……だよね」
 C-6にある無事なマンションの一室で。
 佐山・御言と十叶詠子。ひとつのベッドに隣り合って座った二人は、俯く様に視線を床に落としながら言葉を交わしていた。
「さっきは、恥ずかしいところを見せちゃったな」
 はにかむ様に、恥じらいを混ぜた声音で詠子がぽつりと呟いた。先ほどの乱れようを思い出し、少女の頬に朱色がさす。
「何、別に気にはしないよ。逆に君の意外な一面を見ることが出来て理解が深まったとさえ言える」
「それが恥ずかしいっていうんだけれど」
 さらに深く俯く詠子の肩に、佐山が手を置いた。
「恥ずべくことではないさ――本当に、あの吸血鬼は恐ろしい。どうやら震えは止まったようだね」
 こくり、と無言で頷く詠子。
 朱がさしてなお、その顔面は蒼白だ。それは細い体で無理やりに全力疾走を続けた代償と、そしてその身に初めて根付いた"恐怖"という感情の為。
 十叶詠子は魔女である。あらゆる怪異を見抜く瞳と、言葉を交わせる耳と口、そして理解し合える精神性を持っていた。
 詠子にとって、"あちら側"と"こちら側"の区別に意味は無い。両方の世界を、彼女は等しく知っている。
 だが、あの吸血鬼は。
 あの美しくも妖しい姫は、"こちら側"でも"あちら側"でもない。
 どちらに所属することもなく、ただ孤独。
 何に迎合することもなく、森羅万象の悉くに反発する。
 だからこそ、魔女さえ恐怖を覚える。否、魔女だからこそだ。詠子はアレの魂のカタチを見てしまった。アレの本質を見てしまった。
 それは美しい輝きを放っている。だけど取っ掛かりがどこにもない。魔女の視覚をもってしてさえ、それを形容することができない。
 単純な力量でなら神野影之の方が上かもしれない。だが詠子が恐怖を覚えるのは力の強弱ではなく、その在り方だった。絶対的な孤独。あの吸血鬼が体現するのはまさにそれだ。
 これまで彼女は怪異を恐れなかった。それは彼女にとって怪異は怪異でなく、ただ見える人の少ない、隣の住人に過ぎなかったからだ。
 だからこれは、無垢な少女が初めて――他人の言うところの"怪異"を経験したということ。
 ここに辿り付いた時は会話さえままならなかったのだ。ムキチによる体力回復と佐山が付きっ切りに宥める事で、どうにかいまの状態にまで回復したが。
「……休みたまえ、詠子君。ここは安全だ。私が……私たちが君を守護しよう」
 佐山の台詞に、詠子が弱々しく微笑んでみせた。
(……なるほど。確かに今の私の台詞は失笑ものだ)
 佐山もまた苦笑を浮かべる。この島に、安全な場所など無い。
 互いの浮かべた笑みの意味を相互に理解しあって、二人は微笑みながら頷きあった。
「うん……そうさせてもらうよ。おやすみ、"法典"くん」
 ベッドに入り、すぐに小さな寝息を立て始める詠子。
 その光景を背にし、佐山は部屋を後にする。
 明るい部屋の中から、薄暗いマンションの共用廊下へ。がちゃりと後ろ手にドアを閉めて、溜息を付く。と、その佐山に声が掛けられた。
「……どうだった」
「詠子君はようやく寝付いてくれたよ。今はムキチ君が付いていてくれているから大丈夫だろう」
「俺がしているのはお前の彼女の心配じゃない。美姫のほうだ」
「女史については想像通りだったよ。そして訂正したまえ、私の伴侶は新庄君だけ……だ。そちらの成果は?」
 胸の痛みに顔をしかめる佐山に問われて、部屋の外で佐山を待っていたベルガーが体重を預けていた壁から背を離す。

240そして全ては収束していく:2014/04/21(月) 23:59:43 ID:f0Abop4o
 詠子の憔悴振りに、彼らはマンション内部へと話し合いの場を移していた。佐山は詠子を落ち着かせながら情報を聞き出し、そしてベルガーは、
「半分外れで、半分当たりってところか。俺の"運命"は部屋に無かった。多分、アラストールの炎を通って"向こう側"に落ちたんだろう……予想外のオプションがふたつ、残ってはいたがな」
 そう言ったベルガーの手に握られているのは小型の機械と酒の瓶だった。
 ある時は絶望を、ある時は希望を拡散した拡声器。
 かつて保胤がセルティに飲まされ、そしてベルガーに飲ませた不完全な不死の酒。
 その酒瓶は臨也に保胤が火達磨にされた折、蓋が開いたまま手から零れ落ちたものだった。だが、内容量が少なかったため零れずに済んだのだ。残りはコップ一杯分あるかどうかというところ。
「それが例の不死の酒という奴か。その残量では一人分、というところか?」
「いや、こいつはかなり飲まないと効果が出ない。これだけじゃ、精々ちょっと傷の直りが早くなるくらいだろうな」
 ベルガーが服の上から胸を押さえる。光の剣で焼き切られた肺は、ようやく正常な換気能力を発揮し出していた。
 致命的な重症から完治するまでに約一時間。実験してみる気は無いが、おそらく脳を損傷するなど即死級の怪我には耐えられないだろう。それが三分の一ほどの量を飲んだベルガーの状態だ。
「しかし、例のアラストールの炎とやらはしっかりと機能しているようだね? 黒幕の存在する空間に繋がった炎――か。火傷を心配する必要もないとは至れり尽くせりだ」
「ああ、あいつは義理堅い。世界で二番目の俺以上にな」
 そう言って、二人は天井を――天上を仰ぎ見る。
 このマンションはベルガーが無名の庵へ転移した場所を基点に、上へ向かって炎が伸びている。
 結果として、このマンションはいまやほとんど火の柱と化していた。無論、そのような建物の中に居ては蒸し焼きになることは避けられない筈が、佐山達は汗ひとつかいていないし、そもそも熱気を感じてもいなかった。
 紅世真性の魔神。審判と断罪の権能。天壌の劫火アラストール。この炎はその忘れ形見である。
 魔神の意思を伝えるコキュートスが消滅する際に、ベルガーに伝えられた最後のメッセージ。
(アンタの誇りある死は――決して無駄にしない)
 彼が最後まで望んだのは他者の幸福な生。それを、ベルガーは受け取った。
 なればこそ、終われない。このままでは終われないに決まっている。
「……恐慌状態の詠子君がここを目指したのも、この炎の光に優しい"物語"を見出したからだそうだ。そういう意味では私もアラストール君に感謝しなければならないね」
 そう言って、佐山は仰ぎ見ていた顔を戻した。そのまま顔を横に向ける。
「――こうして、不本意ではあるが元の世界での仲間と引き合わせてくれたことも含めて」
「……悪かったな、本意じゃなくてよ」
 低く響いたのは別の男の声だった。廊下の向こう側から、大柄な体躯の持ち主が歩いてくる。
「俺も、別にお前と会いたかったわけじゃねーよ――阿呆の佐山」
「馬鹿の出雲。そこは咽び泣きながら感謝するところだろう。素晴らしき佐山様に会えたという幸運を、遠慮せず讃えてくれたまえ」
 出雲・覚。佐山が元の世界で所属していた全竜交渉部隊のメンバー。
 見た目通りの耐久力馬鹿ではあるが、その分戦闘では前衛の役割を十分に果たしていた。また時折鋭い意見をみせることもあり、メンタルの面で言えば部隊の誰よりも磐石であったといえるかもしれない――少なくとも、佐山の知っているかつての出雲は。
 だが佐山の減らず口に、目の前の出雲は力なく、はは、と笑った。そしてすぐにその笑みを引っ込め、無表情に疲労の色を加えた、生気の無い顔つきに戻る。
(……やはり、堪えているか)
 風見・千里――出雲の恋人であった、やはり部隊の一員だった彼女の死。
 出雲をここに連れてきた、自動人形というよりは小型の武神という方が近い形状のロボット――蒼い殺戮者によれば、出雲はその死の場面に遭遇してしまったらしい。
 目の前で想い人を殺される衝撃――出雲で無ければへし折れていただろう。
 こうして自分の力で立ち、歩けているというだけでも異常だ。
 とりあえず、今はそれでいい。佐山はその話題に触れることはせず、再びベルガーに向き直った。
「……さて、話が逸れたが例の吸血鬼のことだったね。詠子君は姫から私宛のメッセージを受け取っていた。内容はこうだ。"夜明けまでにかつて語った決意を実行してみせろ"」
「決意――っていうのはあれか、佐山・御言。お前が前から言っていた」
「そう。殺し合いを否定し、全員一丸となって脱出を目指すという決意だ。つまり彼女はこう言っているのだよ――自分に対抗する勢力を練り上げろ、と」

241そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 00:01:15 ID:f0Abop4o
「でもよ、何でそんなことわざわざ伝えてきたんだ?」
 出雲が首を傾げて疑問の声を挙げた。
「いやだってよ、各個撃破する方が簡単だろ?」
「彼女が尋常な存在であれば……だがね」
 美姫についての情報を持たない出雲に、佐山は苦笑を投げかけた。
「愚かな貴様に分かるように例えで説明してやるとだね。部屋の掃除をする際に、ゴミが散らばっているのと一箇所に集中しているのではどっちが掃除しやすいと思う?」
「……そのゴミってのは俺達のことか」
 顔をしかめる出雲に、そういうことだ、と佐山は頷いて見せた。
「女史にとって我々は塵芥も同然。そもそも、さほど私の働きに期待してもいなかったのだろう。宝くじを買うようなものだ。
 詠子君が早期に私と接触できたのは例のアラストール君の篝火のお陰というだけで――この島では本当に嫌な言葉だが、ほとんど"偶然"なのだから」
「つまり、その姫ちゃんとかいう女の子は油断してるわけだな」
「……私の言ったジョシは女子ではなく女史だぞ、出雲」
「あ? だから女子だろ?」
「話が進まんから黙れ貴様」 
 なるほど、彼を黙らすことのできる風見というのは有り難い人材だったわけだ。
 彼女の喪失を心の底から惜しみながら、佐山はやれやれと頭を振った。
「さておき、美姫にのみ関して言えばそれは油断でも慢心でもない。残りの参加者全員を相手にしても勝てる、というのは寝言や妄想の一言で片付けられるほど現実味の無いことというわけではあるまい。彼女に勝てる存在は彼女自身くらいのものだ。唯一、押さえ込める人材もいたようだが――」
「秋せつらのことだな」
 ベルガーが後を引き取った。
 ダナティアの大集団に所属していたメンバーは、既にかつての仲間から美姫の情報を得ている。
「俺達の集団にいたメンバーの中にはデュラハンや竜といったハイデンガイストや、大魔導士に大魔術師といった戦闘面で秀でた連中がかなりいた。俺も含めてな。だがその中でも頭ひとつ飛びぬけていたのがメフィストって医者だ。美姫と同じ世界の出身らしい」
 破壊精霊すら完封する、魔界都市新宿の誇ったドクター・メフィスト。
 本来彼は癒し手であるが、自らの患者を害そうとするものに対して、彼は容赦を知らなかった。
「そのメフィストが言っていたよ。もしも秋せつらが死ねば――そしてその時にまだ美姫が生きているのなら、もはや打つ手はないだろうってな」
 無論、それはメフィストが戯れに言っただけだ。
 魔界医師は秋せつらが敗北するなど想像もしていなかった。
 その想像が裏切られた最たる原因は刻印による制限。知る由も無いが、秋せつらにはかなり重い――本来全員に等しく掛けられるはずだった"本来の制限"に近いものがかけられていた。
「"あれは存在に対する反存在だ。滅ぼすことは不可能で、接すればどんな存在も破滅させてしまう"――だとさ」
「"不滅"と"破滅"の概念……」
 呟いてしまってから、出雲は額に手を当てて宙を仰いだ。その出鱈目さに眩暈がしたのだ。
 彼らの世界において概念とは『そういうもの』だ。重力に従って質量が落下するというような、ほとんど常識といえるほどに定まりきった法則である。
 文字は力を持つ、名は力を与える、金属は生きている――それが概念としてあれば、自分の常識と照らし合わせてどれほど不条理でも『それはそういうものなのだ』として納得するしかない。
 完全な不死や無敵といった概念は出雲の知る限りどのGにも存在しないものだったが、あるとすればこれほど不条理な概念もあるまい。
「ていうかあってたまるか。実際そいつは概念核じゃねえし、俺たちとおんなじ呪いの刻印がくっついてんだろ。なら完全に無敵って訳でもないんじゃねえのか?」
「それに一縷の希望の託したいところではあったのだがね……どうも、限りなく不滅に近いというのは確からしい」
 出雲の問いかけに、佐山は肩を竦めた。

242そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 00:01:56 ID:f0Abop4o
 ムキチ経由で、草の獣からアシュラムとブギーポップの戦いの結果を聞いたのだ。結果はアシュラムと兵長が喪われ、キノという人物の援護もあってブギーポップが辛勝した。死神の勝利――それが意味するのは美姫の死。
 だが時間的に、詠子が美姫と遭遇したのはそれより後だ。つまり美姫は、少なくとも概念核兵器で心臓を潰された程度では死なないということ。
「……勝てねえじゃねえか、それ」
 出雲がお手上げだという風に溜息をつく。概念核兵器は彼の知る限り最強の武装のひとつだ。力が完全解放されていなかったとはいえ、それを心臓に叩き込まれて死なないというのなら、確かに不死と言ってもいいくらいの不死身さ加減だ。
「そもそも殺し合いをしろ、と言われて放り込まれた舞台に殺しても死なない奴がいるっていうのはふざけた話だ」
 ベルガーも皮肉気に顔をゆがめふん、と鼻を鳴らした。
(確かに奇妙な話ではあるな……)
 佐山はこのゲームに放り込まれた当初から、この殺し合いの目的に疑問を持っていた。
 その際の考察の結果として、"戦闘能力ではない、何か別のもの"を測ろうとしているのではないかと仮定し、その後に未知の精霊と接触することによって"心の証明"を求められているということを知った。
 ベルガーから聞いたことで、四人の魔女による夜会と、神野陰之という存在のことも己の知識に加えている。
 手札は、確実に揃いつつある筈だ。
(だがその手札から成される筈の"役"がどうにも見えてこない)
 殺し合いと、心の証明。
 押し付けられた手段とそこに秘められた目的が、どうやっても食い違う。
(仮に彼らの思惑通りにことが運んだとしよう。一人を残して、全員が死に絶える。それが心の証明になるのか? ……なるまいな。ならばその過程で証明がされることを期待したということか?)
 裏切りに自己犠牲。発狂に覚醒。熱狂に悲哀
 そういった人間ドラマは、きっとこの島の至る所で展開されてきただろう。
 ここにいる自分達もそれは経験している。親友を失ったベルガー。最愛を失った佐山と出雲。
(だが……未だに証明の終了は宣告されていない。そしてそこに、さらに美姫という存在だ)
 決して死なぬ、不滅の存在。
 そんな者がいる時点で、このゲームは――"殺し合い"は破綻している。
(……しかし、ゲームは未だに続いている。ゲーム開始後にアマワや神野陰之が干渉している所をみると、破綻しているというわけでもない?)
 成立するはずが無いのに、成立している。まるで一部分が欠落した数式のよう。
 ならばそれを埋めるピースがどこかにある。
(つまり――美姫という存在が不滅であっても、心の証明は可能であるということか?)
 そして問いは最初に戻る。
 何を持ってして、未知の精霊と夜闇の魔王は心の証明とするつもりなのか。
(……このゲームの黒幕二人の内、主導権を握っているのは精霊の方だ。もう片方は手段を提供しただけのいわばパトロンに過ぎない。ならば実際に証明の裁定を下すのはアマワだろうか?
 神野陰之は詠子君の世界の出身――ならばアマワが生まれた世界から連れてこられた者も存在する? 会うことが出来れば……)
 もっとも本当に参加しているのかも分からず、参加者の半数以上が没した以上、仮に参加していても死んでしまった可能性は高い。
(……今はこれ以上考えても仕方ないか。そもそも、私は心の証明などに挑むつもりはない。証明の条件が分かっていればカードにはなるかもしれないが……いまはとにかく美姫への対策だな)
 とはいえ不滅の破滅に対抗する策など、そんなものは――
 目の前の二人の顔を見渡す。出雲はどこか生気のない顔で呆としており、ベルガーは諦めてこそいないが、絶望的な条件に焦燥を隠せずにいるようだった。
 そんなものだろう。佐山もまた無念そうに俯き、辛そうな声音で呟く。
「美姫に対する策は――叡智の化身たる私といえども、ひとつくらいしか思い浮かばないのだが。君たちはそれ以上思いついたかね?」
 ベルガーと出雲が、ばっと顔を上げる。そこに浮かぶ感情は驚愕。
 それは、二つの事柄に対するそれぞれの思いがけなさが合わさった、二重の驚きだった。
 ひとつは佐山の言葉。あの無敵の吸血鬼に対抗する策がひとつでも存在するということ。
 そして、もうひとつの驚愕は、

「――それなら私はさらにもうひとつ、カードを提供できるわ」

 佐山の言葉のすぐ後に、この場にいる三人以外の言葉が重なった故。
 そうして姿を現した灰色の魔女は、にこりと毒のような微笑を咲かせた。

◇◇◇

243そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:18:20 ID:f0Abop4o
◇◇◇

 佐山達のいるマンションの前に、異形のヒトガタが佇んでいる。蒼の装甲を纏った巨躯。不寝番を努めるブルー・ブレイカーだ。
 ――クレア・スタンフィールドによる襲撃の後。BBはアリュセと風見、そして子爵の遺体を土の下に埋めた。自動歩兵の出力ならば掘削にさほどの時間はかからない。そもそも死した子爵の体は地面に染み込んでしまったので、実質的に掘った穴は二人分だけ。三十分も掛けず、死体を地面の中に投棄し終えた。
 自動歩兵に葬送という概念は無い。それは単に、死体を埋没処理するという意味合いしか持たなかった。
(いや……しずくと会ったとき、一度似たようなことはやったか)
 バード・ストライク。二度と飛べなくなってしまった鳥を埋める為の穴を掘ってやった。
 あの時は、何かを想った気がする――だがもう思い出せない。土を掛けた風見の遺体に、何の感慨も沸かなかった。
 その後、動こうとしない出雲を強引に抱えて飛び立ち、すぐに燃え盛る建築物を発見した。光学カメラでは確かに燃えているのに、相応の熱反応が存在しない、奇妙な現象――BBは誘蛾灯に引き寄せられる虫のようにそこに近づき、そして佐山達と遭遇した。
 何故、自分はそんなことをしたのか。
 BBは今更――行動を終えてしまった今更に、そんなことを思考していた。
(俺は――)
 自動歩兵はザ・サードに運用される戦闘兵器である。その中でもかつて蒼い殺戮者は禁じられた技術――テクノス・タブーに抵触するような機材や人材を独立裁量で破壊できる権限を与えられていた。
 だが独自の判断で動けるような権限を与えられていたとはいえ、結局のところ自動歩兵は戦闘兵器だ。
 彼らは培養脳を搭載し中枢としているが、それは機械的な合理性を"直感"という生物特有の合理性で支援するために採用されたシステムである。
 自分で思考し、自分で進む道を選択するためのシステムではない。
 ならば何故、自分はあのような行為を?
(……俺にはもう"自分だけの理由"など――)
 しずくは、自分のもう一枚の翼は失われてしまった。
 今の自分は片翼だ。かつてブルー・ブレイカーが任務よりも大事にしたいと思えた存在は潰え、そこには空虚だけがあった――もう、自分が自分自身の翼で飛ぶことなど有り得ない。
 蒼い殺戮者は弱くなった。かつての自分は単独での任務を好み、随伴する同僚の自動歩兵など捨て駒程度にしか思えなかったというのに、火乃香に出会い、しずくと出会ってしまってからは、そうではなくなってしまった。
 火乃香に殺戮行動によってのみ構築される価値観を砕かれて、しずくがそこに収まった。それは弱さだ。どうしようもない、戦闘兵器としての欠陥。しずくを喪った今、自分の中には何も無い。復讐すら出来ず、周囲に八つ当たりするほどの気力も無かった。
(……出雲・覚を助けたのは――代替行為か)
 何もすることが思いつかず、とりあえずその場にいた人間の懇願を聞き入れ、その身を保護しようとしたのか。
 だとしたら――なんてくだらない。
 しずくの代役など、誰にも果たせないというのに。
(……火乃香を、探すか?)
 胸の中の空虚を押し退け、この島に来てすぐに設定した目的を思い出す。
 この島からの脱出。そしてその為に火乃香を探し出し、協力すること。パイフウは四回目の放送で呼ばれてしまっていたが、しかしまだ火乃香はいる。殺戮者だった自分を変えた少女が。

244そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:19:02 ID:f0Abop4o
(そうだ。火乃香と合流し、この島から脱出し……脱出して……どうする?)
 命令系統への復帰。かつて自分が自分に課した行動指針。
 だが不思議なことに、いまではその目的を積極的に果たそうとは思えなくなっていた。
(……そうだ。戻っても、俺にはもう……)
 自分の知る蒼空に戻れたとして、もう自分は飛べない。片翼では飛び立つことは出来ないのだから。
 どうしようもないまでに自分には意味が欠落している。
 BBが思い出したのはかつて存在した自身の二号機だった。STW-9000改。ブレイカーⅡ。
 奴は自分との戦闘に敗北し、自分の意味を見失って――自壊した。
 いまなら、奴の行動を心から理解できる。
(ここから脱出したとして――それでは、俺はしずくを置き去りにしてしまう)
 それだけはしたくない。彼女を置き去りにはしないと、かつて彼は誓ったのだから。
 タマシイという概念を、BBは詳しく知らない。だがしずくのタマシイはこの島にある、ということだけは何故か確信できていた。
 なら、自分がすべきことは。
(――あの時から、俺に許された行動はこれだけだった)
 一度決意してしまえば、行動は容易だった。
 スラスターを噴かして一気に上昇する。少し飛べば、程なくして例の限界高度にまで達するだろう。
 この島の天井は低く、狭い。空とは呼べないほどに。
 だけど、それでも――二人で飛ぶのならきっと寂しくは無い筈だ。
 例の高度から地面まで動力降下すれば万に一つの間違いも無く、機体は耐えられない。装甲は砕け、四肢は千切れ、培養脳は潰れて飛び散るだろう。そうしてようやく、ブルー・ブレイカーはしずくと同じ場所に行くことが出来る。
(待っていろ、しずく)
 そうして、目標高度の半分ほどまで到達した、その時。
『――ブルー・ブレイカー? どうしたの、急に飛び上がって』
 外部通信から入力。少女の声が、BBに届いた。
(海野……か)
 海野千絵。ここに来たとき、二三言葉を交わしただけの人間だった。
 地上にいるその少女と自分を繋げるのは、ベルガーが持っていた携帯電話だ。不寝番をすると決めた時、BBの方で周波数を合わせることによって通信ができるようにしていた。
 海野は外で見張るBBとの連絡係を割り振られていた――おそらく窓か何かから、空に飛び立つ自動歩兵の姿を見つけたのだろう。
 問われたのなら応えなければならない。それは彼の機械的な性格による、一種の条件反射のようなものだった。
『――ねえ、聞こえてるかしら? どうしたの? 誰かが飛んできたの?』
「……すまない」
 それでも返した言葉は短すぎて、自分でもよく分からない不明瞭なものになってしまう。一度言葉を切り、言い直した。
「すまない海野。俺はもう――駄目だ」
『駄目? 駄目って、どういうこと』
「意味を、失ってしまった。俺がこうして存在し続ける意味を」
『存在し続ける意味って……ちょっと! まさか自殺でもするっていうの!?』
 存外に鋭く自分の目的を察した少女に、BBは素直に賞賛の念を抱いた。
 抱いて――それだけだった。
「しずくの所に行くだけだ。見張り役は誰か別の者をあてろ」
 それを最後の言葉として。
 ブルー・ブレイカーは一方的に通信を打ち切り、チャンネルを閉じた。

◇◇◇

245そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:20:06 ID:f0Abop4o
◇◇◇

(自殺、自殺ねぇ――)
 BBの装甲に引っ掛けられるようにして保持されているアンク――エンブリオが声には出さず独りごちていた。
 高速で上昇していく際に生じる気流の乱れの中、エンブリオは激しく揺らめいている。
 金属製のアンクが、幾度も幾度も蒼い装甲にぶつかり、甲高い音を立てた。だがBBには気づく素振りもない。
 エンブリオは風見・千里の遺品だ。BBが何を思って埋葬する直前、そのペンダントを回収したのかは分からない。エンブリオも聞こうとはしなかった。何故なら、
(俺が殺したようなもんじゃねえか)
 風見だけではない。この島に来て関わった連中。そのことごとくが死んでいた。
 このロボットが自壊を選択した原因。しずくの死。その事象にも、自分は深く関わっている。なにせ笑えることに、凶器そのものなのだから。
 無論、エンブリオにしずく殺しの責は無い。エンブリオはとあるMPLSの少年、その精神波のコピーだ。今はエジプト十字のペンダントに込められている。だから自ら動くことは不可能で、言葉では芽衣子の暴挙を止めることは出来なかった。
 そう――自分は役立たずだ。
 かつてエンブリオを巡って二つの組織の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。エンブリオには特殊な能力があったからだ。
 "秘めたる才能の開花"――その身に宿す才能を引き出し、それを完成させる能力。
 開花させた才能は数知れない。いちいち覚えてはいないが、どれも常軌を逸した飛びぬけた才能だった。
 だがそれだけだ。
 引き出した才能は、かつての所有者達の人生に多大な影響を与えただろう。だがそれだけだ。エンブリオ自身が人に影響を与えたことは無い。
 あるいは"未だ"無い、というだけなのかもしれない。もしかしたらの未来において、"エンブリオの能力"ではなく"エンブリオそれ自体"が誰かに影響を与えていたのかもしれない。
 しかし、結局のところそんなIFに意味はない。現実として、このエンブリオにそんな経験はなく、このエンブリオには意味がなかった。
 だからこの自殺を、エンブリオは止めることが出来ない。その諦観に、エンブリオは声すら出さなかった。
 もとより、止めるつもりも無い。エンブリオの望みは自殺だったのだから。このロボットの墜落に巻き込まれれば、頑丈な金属製のペンダントであっても破損は免れないだろう。
(……)
 だが心待ちにしていた筈の死を目前にしてさえ、どうしてか心が晴れない。
 自分が心待ちにしていた"死"はこんなものだったのだろうか――そんな疑問符が胸中に浮かぶ。
 いや、だが――きっと、これでいいのだ。
 エンブリオは思う。否、思わない。諦めに支配され、エンブリオはもはや思考を停止していた。
 だから。
 だからペンダントの紐がBBの装甲の出っ張りから外れ、上昇する感覚が自由落下のそれに変わった際にも、エンブリオは何ら感慨を抱かなかった。
 高度数百メートル。そこから地面に叩きつけられ、金属製のペンダントが壊れずに――あるいは精神波たるエンブリオを留めておける程度の損傷で済むかは、誰も知らない。

◇◇◇

246そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:20:53 ID:f0Abop4o
◇◇◇

「なんだってのよ……!」
 役立たずに成り下がった携帯電話を放り捨て、海野千絵は管理人室から飛び出した。マンション一階の入り口に面し、BBが立っていた場所が良く見えるその場所も、相手が空へと飛び上がってしまえばさほど意味は無い。
 駆けだした足を止めず、海野はマンションの階段へ向かった。何か考えがあっての行動ではない。ほとんど衝動的に足は動き出していた。 
 だがそれでも自分のしようとしていることは分かる。
(自殺なんか――やめさせる)
 千絵はBBとまともに会話したことがない。そもそも会ってから一時間にも満たない存在だ。ほとんど他人に近い。
 だが、躊躇はしなかった。海野千絵は躊躇をしない。
 足を大きく振り上げて、階段を一段飛ばしに上がっていく。ベルガーや佐山に声を掛ける暇は無い。ならば自分だけでやるしかなかった。
 階段を駆け上がりながら、千絵は考える。BBを止めるにはどうしたらよいのか。考察の材料は先ほどの短い会話くらいしかなく、時間的な余裕はもっと少ない。足は緩めず、脳の回転速度を速めていく。
(ブルー・ブレイカーは自殺しようとしている。自殺の理由は――最後の言葉からして、しずくって子ね。リストに名前があったのを覚えてる。つまり参加者で……もう亡くなっている)
 ここから分かることは、BBにとってしずくは何よりも大事だということ。失ってしまえば、己の生命すら投げ出しかねないほどに。 
 機械がどれほど人間と心理を同じくするのかは分からないが、その部分は自分達と一緒ということだ。一時の喪失感に押し流されて、自分の命を放棄しようとしている――
(っざけんじゃないわよ!)
 千絵はさらに足に力を込めた。飛ばす段の数を増やして、数段飛ばしで階をあがっていく。マンションに充満するアラストールの炎の内、かつて自分たちが根城にしていた部屋以外の部分は余波のようなものだ。ベルガーが見てきたという黒幕のプライベートルームには繋がっていないし、熱くもない。
 それでも全力疾走に膝が悲鳴を上げ、全身から汗が噴出した。だが速度は緩められない。科学の力で飛ぶBBと、人力でひいこら言いながら階段を上る自分。どちらが早いかなんて誰でも分かる。
 かろうじてこちらに分があるとすれば、移動する距離だ。統計的に遺書のある、つまりは発作的でない計画的な投身自殺には目に付き、そして侵入できる範囲で最も高いビルが選ばれることが多い。BBは空を飛ぶことが出来る。おそらく"自殺できる最低高度"よりも"可能な限りの最高高度"を選択する筈。
(……問題はその後ね。あいつが落ちる前に、私が屋上に到達できたとして――説得のための言葉が物理的に届かない)
 これが人間相手なら、会話で油断を引き出し、隙を見て拘束するという処置が一般的だ。だが空を飛ぶスーパーロボット相手にどうしろというのか。
 今の千絵は身体的に普通の少女だ。当然空を飛ぶことは出来ず、上空云kmにまで声を響かすことも不可能。
 いやそもそも、どうすれば思い留まってくれるのだろう。
(いまのあいつはしずくって子を失って、多分、もうそれ以外は何も考えられなくなってる)
 つまりそれ以外のことに意識を向けさせればいいのだが――
(で、その為にはとにかく会話を――これじゃ堂々巡りじゃない!)
 説得のための言葉を思いついてもそれを届ける術が無い。止めるための手段が、自分には存在しない。
 あるとすればBBが落下して自分とすれ違うその一瞬。そこでただ一言に望みを託すか。
(いや現実的じゃないわね。相手は言葉の意味を吟味してる間に地面と衝突するわ)
 あのロボットがどれだけの速さで飛べるのかは知らないが、最悪、亜音速で飛行できるのなら言葉自体届かない可能性すらある。
 言葉は届かない。ならばどうやって止める? 死んだ者のこと以外、何も考えていない相手をどうやって。

247そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:22:24 ID:f0Abop4o
(……何も考えていない?)
 自己の内で繰り返した言葉に違和感を覚えた。
 BBは死んでしまったしずくという人物のことで頭が一杯になっている――千絵はそう考えた。
(でも……少なくともBBがそれを知ったのは、四回目の放送より後のことよね?)
 流石の千絵でもしずくが何回目の放送で呼ばれたか、ということは覚えていなかった。だが一回目や二回目の放送でそれを知ったのなら、BBはもっと早くに自殺を試みている筈。
 あるいはそれまで何らかの理由や要素で精神の安定が図られていたということも考えられるが――何にせよ、BBという存在の中でしずくの死が確定したのはここ一時間くらいでのことだろう。ここに到着してからBBはほとんど誰とも接触していない。しずくの死に関する情報を手に入れられる機会は無かった。
 ならば、ひとつだけ方法はあるのかもしれない。
 ようやくたどり着いた糞重い屋上の扉をもどかしげに押し開けて、千絵は夜空を見上げる。
(――間に合った)
 星よりも一際明るい光点が、だんだんと地上に近づいてきていた。
 
◇◇◇

 最高高度に達したブルー・ブレイカーは、躊躇いもせずにパワー・ダイブを決行した。出力は全開。重力に逆らって上昇する時とは逆に、かなりの速度で地表が近づいてくる。
 ――地面に叩きつけられて機能停止するまでに、十秒。それがBBに残った時間だ。
 想像していたよりは、何も感じない。迫る死への恐怖も、しずくに会えるという恍惚も。
 だからBBは速度を緩めもしなかった。無心で前を、つまりは落ち行く先である地表を見つめて残りの距離を消化していく。
 ――九秒。制限によってまともに働かないBBの複合センサーが、炎でライトアップされたマンションの屋上で小さな動体反応を捉える。
 ――八秒。反射的に、光学カメラを最大望遠に。それは狙撃を警戒してしまう自動歩兵としての反射。
 ――七秒。炎による揺らめきの補正に手間取りながらも、その動体を確認する。照合して、海野千絵と確認する。
 ――六秒。千絵は屋上の端にいた。落下防止用の柵に手を掛け、上空にいるこちらを睨みつけている。
 ――五秒。地上まであと半分。だがマンションの最上階の高さにはほとんど届きかけている。
 ――四秒。千絵が、柵を飛び越えた。
「――!? 何を――!」
 BBが驚愕の声を洩らす。
 宙に身を躍らせた少女に命綱の類は見受けられない。そして人間の強度では、動力降下でなくとも地面との衝突には耐えられない。
 そんな当たり前の真実が自動歩兵の中にあった。
 だからこそ、逡巡も、躊躇いも無く。
 ――三秒。落下する千絵を追い越したBBが、体勢を変更する。落下から再度の上昇へ。急激な負荷に装甲が軋んだ。だが不可能ではない。自動歩兵の人型とは速度を犠牲にして小回りを獲得した兵器特性。
 ――二秒。だがもはや意味の無い数字だ。BBは出力リミッタを解除。スラスタが爆発的な加速を生んだ。自分にかかる下向きのベクトルを相殺していく。掲げた視界にはゆっくりと降ってくる少女の姿。
 自身の落下速度を限りなく軽減して、BBは少女との相対速度を合わせた。相手を損傷させないように慎重にスラスタの出力を調整しつつ、少女に向かって腕を伸ばす。触れる。掴む。
 鋼鉄のマニピュレータは、しっかりと千絵が着ているブラウスの裾を摘んでいた。落下のエネルギーをもろに受け止め、ピシリと生地が悲鳴を上げるが、それで破れてしまうという悲劇はどうにか免れたらしい。
「……」
 BBは無言で千絵を見つめた。無機質なセンサーが、レンズの奥で揺れるような輝きを放っている。それはアラストールの炎の照り返しか、それとも――
「……やっぱり」
 ゆっくりと降下していく中、機械の腕に納まった海野千絵が、囁く様に独りごちた。

◇◇◇

248そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:23:39 ID:f0Abop4o
◇◇◇

「千絵、何故あんな真似を――」
「それはこっちの台詞よ」
 地上に降りてから発せられたBBの質問に、千絵は何でもないようにそう返した。
 千絵はよいしょとBBの腕の中から飛び出して、華麗に着地――し損ねた。ぷぎゅっ、と変な声を出して地面に転がる。
 自動歩兵は人よりもかなり大きい。そこから運動神経が良い方ではない千絵が飛び降りれば、こうなるのは必然であった。
「……」
「……こほん」
 BBに背を向けて起き上がり、ぱんぱんと土の汚れを叩き落としてから咳払いをひとつ。それで過去を無かったことにしたのか、千絵はようやく振り返った。
「それはこっちの台詞よ。自殺だなんて――何を考えているの」
「しずくに会うためだ」
 まるっきり論理的ではないそんな言葉を、だがBBは迷わずに口にした。
「しずくを喪った俺に、もう意味は無い。こうして存在している俺は残り滓のようなものだ」
 BBにはすでに自分が何をすべきか、ということが分からなくなっていた。かつて設定した行動指針は放棄され、しかし過去の――殺戮者としての指向性を取り戻すことも出来ない。
 だから、なぞった。
 過去に見た、自身の意味を喪った者の行動を。ブレイカーⅡの末路を模倣した。
(奴は、正しかった)
 この寂寥。この不安。
 確かにこれは、重い。重すぎると実感する。空を飛び続けることなど叶わなくなるほどに。だから墜落を選んだ。だから自壊を選択した。ブルー・ブレイカーには、それ以外に正しいと思える道がもう残されていなかった。だというのに、
「お前は、何故――」
「――それなら、なんで私を助けたの?」
 BBの抗議を、千絵の言葉が塗りつぶした。
「貴方に意味が無いのなら、どうして私を助けたのかしら?」
「それは」
 何故か。
 訊かれて、さらに自問して。
 その答えが自分の中にないことに、BBはふと気づいた。
(俺は何故、こいつを助けた?)
 経験はある。
 咄嗟に目の前の生命を救ってしまった経験は過去にもあった。それは、初めてしずくと出会った時だ。初対面の、本来は破壊か捕獲をすべきだった対象をBBは救った。
 しかしそれは、しずくという機械知性体が己のもう一枚の翼であるという根拠不明の確信が己の中に生まれたから。
 では目の前の海野千絵はどうか?
(こいつは――)
 違う。自分の半身でもなければ、縁の深い人物でもない。助けるべき理由が――見当たらない。
「私だけじゃない。以前にもあの男の人――出雲・覚を貴方は助けている」
 出雲・覚。葡萄酒に飲まれてしまった敗残者。BBと同じく半身を失ったという共通点はあったが、しかしそこに共感はない。同じ境遇の者が存在するという後暗い慰めを、BBは求めない。あの男にも救うべき理由など無かった。
 だというのに、自分はあの男をここまで連れてきている。誰に頼まれたわけでもなく、自分の意思で。
 それを言うのなら、風見・千里もその類だ。クレアとの戦闘で彼女を庇おうとしたのは何故だったのか。あの時、すでに自分には意味が無かったというのに。
「もう意味は無い? いいえ、意味はあるわ。少なくとも、今の貴方には意味がある」
「俺の意味――?」
「すでに貴方は私を含めなくても一人救っている。だから、きっとその人にとって貴方は意味のある存在でしょう?」
「……それは、違う」
 BBは否定する。首を横に振る等という人間くさい動作はなく、ただ無機の言葉で反論した。

249そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:25:12 ID:f0Abop4o
「それは他者が俺に抱くイメージだ。俺自身が内包するものではなく、俺が連続する為に必要な構成要素ではない」
 他者にとってBBが命の恩人であったとしても、BB自身はそれに何の感慨も抱けない。
 だが千絵は首を振った。BBとは対照的な、人らしい感情の籠もった動作。
「他人が貴方からそういうイメージを受け取るなら、それは貴方にそういう要素があったからよ。貴方が貴方に関係の無い人の命を救ったのは事実でしょう」
 結局は、そこへ戻る。
 何故蒼い自動歩兵は、三人の人物を救おうとしたのか。
 いくら考えても分からないその問題に、BBは目の前の少女を見つめた。
「俺は――何故、お前を救った?」
 問いかける。その理由は、しずくの代わりになるものなのか。
 この背に圧し掛かる重みに抗し得るものなのかと。
 その問いかけに、千絵はきっぱりとこう告げた。
「そんなの、私が知るわけ無いじゃない」
「な――」
 絶句するBBに、千絵は間髪いれずに言葉を畳み掛ける。
「私は貴方をよく知らないもの。知っているのは、貴方が目の前の人間を助けようとしているってことだけ。その理由までは分からないわ」
 そう理由など知らない。彼女が推理したのは、ただBBが自殺を企てる人間を前にして、どういう行動をとるかということだけ。
 だから海野千絵は身を投げた。
 それをBBは助けるだろうと予測して、そしてそうなれば言葉が届くと確信して。
「貴方には意味があるわ、ブルー・ブレイカー。それが何に根ざすものなのかは知らないけれど、誰かを救おうとするその衝動がある」
 そう。それが何かは分からないけれど、胸の内にそれがあることだけが分かっている。
「空っぽじゃない。しずくって子の他に、貴方の中には何かがあるのよ」
(俺の中に、何かが――)
 結局、その正体は分からなかった。
 しずくに匹敵する何かが、この世界にあるとも思えない。
 だが、それでも自分は千里を守ろうとし、出雲を安全な場所まで運び、海野を救った。
 自分の中の、何か。それは確かに存在する。
 その正体を知りたいと、BBは思った。それが千切れた翼の痛みを補ってくれるなら。
 だから、とりあえず今のところは。
 展開した飛行ユニットを収納しながら、BBは思った。もう少しだけ、しずくのもとへ行くのは先送りにしようと。

◇◇◇

250そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:26:31 ID:f0Abop4o
◇◇◇

 鋼の翼を閉じていく自動歩兵の姿を見て、千絵は全身から力を抜いた。
 もしも説得が通じず再度の自殺をBBが試みた場合、千絵にはもう止める手段が無い。だからBBが翼を畳むのを見て安堵の溜息を吐く。
 それと同時に、階段を全力で昇ったツケが全身を襲ってきた。疲労感と倦怠感が、全身に火照りをもたらしていく。
 冬のような寒さでないとはいえ、太陽の無い夜は昼より冷える。なるべく早く建物の中に戻ったほうが良いだろう。
 そして、マンションへ戻ろうと体の向きを変えた、その時。
「海野……お前は、どうして俺を止めようとした?」
 背後から、声が掛けられる。
 BBからの質問が意味するところはすぐに分かった。BBは明確な理由無く千絵を救った。だが同様に、千絵もBBを救っている。
 二人の間には何も無い。信頼も、憎悪も、憐憫も、悦楽も。ただ無関係。救う理由がないというのはお互い様だ。
 千絵の足が止まる。背に注がれている自動歩兵の視線に、千絵は振り向くことで応じた。
「――貴方と似たようなものよ、ブルー・ブレイカー。私の中にある正義感に、私は従っただけ」
 海野千絵。かつては葛根市に蔓延するカプセルを排斥しようと、単独でジャンキー供とやりあった少女。
 危険な目にもあった。セルネットに目を付けられ、命を狙われたことすらある。だが千絵は折れず、ただドラッグの根絶を掲げた。
 そう、彼女は正しいことを奉じる人種だ。その彼女から見て、自殺は度し難い行為であったということ。
 ――だけど、それだけなのだろうか。
 もしも此処に彼女を知る者が――彼女と同郷の者がいれば、そんな疑問を抱いたはずだ。
 海野千絵は、その為だけにマンションの屋上から躊躇いすら見せずに飛び降りるような少女だっただろうか。
 確かに、過去の彼女は無謀な行いを数多く犯した。そもそも、大した後ろ盾も持たない一介の女学生が薬物売買を行う犯罪集団に関わろうとするその姿勢が既に無茶だったとも言える。
 だが――どうだろう。過去の彼女は、結果として命を危うくしても、直接的に命を危うくするような手段を取ったことがあっただろうか。
 他者の為に、自らの命を投げ出す種類の蛮勇を、過去の彼女は持っていたのか。
 しかし、この場において、それを指摘できる者はいない。
 結果として、BBは海野千絵の言葉を無言で胸に留め――
 そして、海野千絵は振り向いた先の光景を見て、顔を引きつらせた。
「あんたは――」
 千絵の豹変に、BBもようやく気づく。センサーに反応。捉えた動体は八。自分たちに続く、新たな来訪者。
 その内のひとりが前に進み出てきた。黒いコートを纏ったその青年は、千絵が浮かべたような表情――憎悪と呼ぶその感情を貼り付けて、応じる。
「……何で生きている、とでも言いたいのかな?」
「――折原、臨也……!」
 ヘイズ。コミクロン。火乃香。オーフェン。クリーオウ。ギギナ。フリウ。
 そうした多くの人物らと共に、折原臨也は大集団の跡地へと舞い戻った。

◇◇◇

251そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:27:25 ID:f0Abop4o
◇◇◇

 結果として、折原臨也は火乃香たちのグループに潜り込むことに成功していた。
 その原因は大別してふたつだろう。ひとつはクリーオウ・エバーラスティンという少女を、臨也が最大限にまで利用したこと。
 臨也を仲間にしてもさしたるメリットは無い。だから臨也はメリット・デメリットではなく、ただ正義感、同情心というものをつつきまわした。その場合この金髪の少女は、かつてクエロ・ラディーンがそうしたように絶大な効力を発揮する。
 そして二つ目の理由は、このグループに所属する者たちの大半が、最後の一線でお人好しだったという点。
 火乃香やヘイズはフリーの便利屋であり、最も自分の抱えるリスクに関して敏感な人物だったといえる。
 だが両者とも、不必要なものを全て切り捨てられるような冷徹さを持っていなかった。貧しい依頼主を哀れんで多額の借金を背負ったり、シティの軍に追い回される羽目になったりするヘイズは言うに及ばず、火乃香ですら最後の一線で情を捨てきれないところがある。
 オーフェンはクリーオウに対してあまり強気に出れない事情があった。彼の記憶では、彼女と最後に会ったのはメベレンストの病院だ。そこにいた彼女は精神的にかなり参っていて、いつものような――否、かつてのような罵倒し合いを経験してすら、どうにもそのイメージが抜け切れていなかった。それ故に、クリーオウが強く願えば彼はそれを拒みきれない。
 コミクロンとてさほど弁舌に長けるわけではなく、一学生でしかなかった彼に、ヘイズや火乃香のようなリスク管理の経験もない。
 最もそういった判断に関して冷徹になれるのはギギナだっただろうが、彼は群れることに関してあまり口を出そうとはしなかった。いざとなれば斬ってしまえばいいという心算と、現状、自分が彼らの仲間という区分に落ち着いていることに完全な納得をしていなかったからだ。
 そして、意識を覚醒させたところでフリウに発言権があるわけも無く、結局――目的地だったマンションまで折原臨也の同行を許し、道中では消極的に保護する、といった辺りで妥協の線は引かれた。

 ――そうして、再び争いの場が構成される。

 マンション前の整備された区画で彼らは対峙していた。剣呑そのものの空気を形成する中核は三名。折原臨也と海野千絵。そして騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたダウゲ・ベルガー。彼らは一切の妥協なく仇を、あるいは仇と偽っている者を睨みつけている。
「よく顔が出せたもんだな折原臨也。後ろの連中が新しい仲間か? 今度はいつ裏切るんだ?」
「そっちこそ手が早いね。俺の仲間を殺しておいて、もう別の人を誑し込んだのかい?」
 皮肉気なベルガーの揶揄を受け流し、臨也が嫌味を返して、
「藤堂さんを殺しておいて、よくもそんな――」
「それはこっちの台詞だよ――」
 ヒステリックに調子を高めていく千絵の憤怒に、同じだけの猛りがぶつけられる。
 そんな言葉の応酬に、
「――なるほど、事情は理解した」
 仲介役を買って出た佐山が割って入った。睨み合う両者の中間辺りに立って、周囲を見回す。
 対立しているのは三名。ベルガーと千絵、そして臨也。
 それを取り巻く形で、臨也と供に来訪した火乃香ら七名。さらに加えて、元からマンションにいた自分達。
 この島においては壮観な光景といえた。ゲームには乗っていないと、少なくとも表向きはそう宣言している参加者がマンション内部にいる詠子を合わせれば総勢で十五人。かつてダナティア・アリール・アンクルージュがつくりあげた大集団をも上回る人数が集結している。
(否、これも彼女の功績か)
 彼女の行った放送と、そして彼女の仲間だったアラストールの炎が再度つくりあげた、ゲームを崩壊させるための金の針。
 だというのに、最もこの光景を待ち望んでいたであろう者達はほとんどが没している。この場にいない者達の死を、佐山は惜しんだ。

252そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:28:30 ID:f0Abop4o
 そう――彼女が存命だったならば、このような複雑な状況は生まれなかっただろう。
 ダナティアの率いるグループが崩壊した原因のひとつ――内部の裏切り。
 千絵とベルガーは臨也を裏切り者と糾弾し、臨也はその逆を訴える。
 声高に糾弾しあった結果、この場にいる全員が双方の主張を訊き、そして共通の感想を抱いていた。即ち、
(水掛け論だ)
 佐山は肩を竦めて、状況を整理する。
 彼らの主張にはロジックが無い。感情的になっている――無論、そういった要素もあるのだろう。ダナティアという御旗は、彼らの中でそれだけ大きな存在だった。
 だがおそらく一番大きな要因は別にあり、しかも双方ともにそれに気づいているということが、本来理性的な態度を貫きそうなベルガーと千絵にさえ感情的な面を発露させている。
(おそらくどちらの証言を詳しく分析しても、簡単に矛盾は発見できない)
 佐山はまだ折原臨也という人物の言い分を詳しく聞いていないし、臨也とともにやってきた彼らはベルガー達の言い分を知るまい。
 だがそれでも分かることはある。臨也か、ベルガーと千絵のコンビか。どちらかは嘘をついていて、それでもこうして相手と対峙し、舌戦に挑んでいる。
(ならば自らの過失がばれるような下手は打っていないだろう。ばれない自信があるから、あるいはそれを暴けない予感があるから、こうしてお互いを糾弾している)
 実際、どちらが本当に裏切ったのか、という真実がかなり分かりにくい状況なのは間違い無い。
 何しろ彼ら以外の関係者は全員が亡くなっており、さらに事件現場はアラストールの炎によって別次元へと通じてしまっている。証拠の類は残っていないだろう。仮に残っていたとしても(例の不死の酒の瓶などだ)、それを精査する設備がここにはない。指紋照合や遺留物の状況から犯人を見つけ出すことは出来ない。
 つまり、嘘をつこうと思えばいくらでも矛盾のない嘘をつけるということだ。
(仮に話しに綻びがあったとしてもそれは薄く、そして極小の罅割れに過ぎない。両者の話を総合しながら、それを探すのは――)
 不可能では、ない。
 おそらく不可能ではない、と佐山は思う。ばれにくい嘘を吐くことは可能だろう。だがまんまと騙し通されてしまう自分ではない。その自負がある。相手が悪ならば、自分はそれ以上の悪となってそれを叩き潰せる。
 だがそれには時間がかかってしまう。両者の話を付き合わせながら検証し、吟味し、罠を張るのは重労働だ。おそらく一時間か、あるいはそれ以上。そしてその間、集まったこのメンバーで連合を組むことは難しくなる。
(そうなれば――確実に間に合わなくなる)
 夜明け前には美姫がここを襲撃してくるだろう。そうなれば終わりだ。戦力的に言えば、あの吸血鬼に対抗するにはここにいるメンバーでも足りはしまい。
 否、あの妖姫の性質を考えれば、どれだけ戦力があっても無駄だ。有効な方策としては、秋せつらのように戦闘力以外のもので彼女を押さえ込める存在を用意するか、あるいは――彼女自身をもう一人調達してぶつけるか。
 それはただの夢想に過ぎない。首を振って思考を切り替える。もっと現実的な策はあるのだ。佐山・御言だけに可能な、あの美姫に対抗する為の策がひとつ。
 だがこの策を実行するには、単純に頭数が必要だ。だから少なくとも表面上は諍いや問題の無い同盟を締結させる必要がある。
(ならば――美姫のことを切り出すか?)
 差し迫った危機があることを伝え、一時的にでもこの諍いを収める。
 だがそれも難しいだろう、と佐山は考えた。ベルガーはまだいい。臨也を前にして、完全に熱くなってはいない。前に交渉した時の言葉を鑑みれば簡単ではないだろうが、それでも妥協を引き出すことは不可能ではない。
 だが海野千絵。彼女はどうやら違うようだった。
「あんたさえ、いなければ……!」
 ぎり、と歯が砕けんばかりに怒りを噛み締めている少女の姿に、臨也という濁りを併せ呑むような余裕は一筋も見つけられない。
(本来なら一端保留にしてこの場を収め、何らかのカードを手に入れるべきだ)
 元の世界で自分が行っていた全竜交渉のように、それぞれの因縁を見定め、互いの納得できる道を探り、提起すべきだ。
 だがその時間がない。
 もはやどちらかを切り捨てることでしか、道は拓けない。
「切りたくない札を切るしかない――か」
 ぽつりと佐山は呟く。その声音は苦々しいものに満ちていた。

253そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:29:11 ID:f0Abop4o
「――随分な言われようね」
 この場に居る十数名の中で、もっともイレギュラーに近い存在。それが一歩、三人の諍いを遠巻きに囲んでいた輪から進み出た。
 全員の注目が、その少女に向けられる。その灰色の女に。
「初めまして――の方が多いわね。私は灰色の魔女、カーラ」
 先ほどマンションの中で、佐山達の目の前に姿を現した魔女。
 その正体をダナティアから伝え聞いていたベルガーに警戒されながらも、カーラが告げたのは敵対の宣告ではなく、求めたのは佐山達との対等な同盟関係。彼女が警戒していたダナティアの大集団は弱体化し、刈り時が来たとの判断。
 そしてそれは受け入れられた。カーラが決して善性のものでないのは佐山も、事前にダナティアから話を聞いていたベルガーも見抜いていが、彼女のもたらすカードは鬼札。文字通り、このゲームのルールを根底から覆す。
 だからこの悪神を祭る女は、この輪の中に入ることを許されていた。
「世界の平穏を望み、このゲームを開催した魔人の抹消を望む者」
 その台詞も間違いではない。彼女が平穏を望んでいる世界はロードスだけであり、消えて欲しいと思っているのは神野陰之だけではないが。
 白々しい魔女の嘯きに、佐山の表情がさらに苦味を増す。その変化を背中越しに楽しむように、カーラは笑みを浮かべて言葉を続けた。
「その私が、最初にひとつだけ問うわ――相手を許し、その罪を問わないことは、どうあっても許容できないのかしら?」
「無理よ」
 即答したのは千絵だった。表情は憤怒に染まりきり、眼前の許容を説く相手にすら噛み付かんという勢いで叫ぶ。
「こんな――こんな奴、どうあったって許せるわけ無いじゃない!」
 およそ正義感、という点に関して、千絵は人一倍強いものを持っている。仲間を裏切り、人の心を弄ぶような手管を容赦なく用いる折原臨也は、そんな彼女にとって許すことのできない存在だろう。そこに個人的な恨みが加わればなおのことだ。
 そんな糾弾する少女に対して、当の臨也は、
「……条件次第だね」
 深く――震えるように息を吐きながら、そう呟いた。
 視線は地面に固定され、表情を窺うことは出来ない。しかし全身が小刻みに震えているのは分かる。それは怒りを堪える仕草にも見えた。
「俺は、こいつらを許せないけど――けど、きっと。ダナティアなら許したと思うから」
 怒りに身をゆだねるな。憎しみを繋ぐな。悲しみを繋ぐな。
 かつて放送で告げられたその言葉を想起させるように、強い意志を込められた言葉。
 折原臨也は、臆面も無くそんな言葉を口にした。自らが裏切り、崩壊の一端を担った集団の長。その想いを、見えぬ手の中で転がす。
「あんたが、それを言うの……!?」
「ストップ。良いわ。どの道、多数決で決められる問題でもない。ひとりが納得できないというのなら、その時点で同盟はなりたたない。一時的なものならそれでもいいけど、ここで結ぶものはそうではないもの」
「話が先に進んでるみたいだけど」
 と、話に割って入った者がいる。
 その人物を認めてカーラは微笑んだ。神野陰之に対するジョーカー。同時にロードスを脅かしかねない諸刃の剣。
 火乃香。彼女もまた、周囲の輪から一歩進み出て疑問を突きつける。
「同盟を結ぶって体で話してるみたいだけどさ、こっちはまだ何にも言ってないし、聞いてもないんだけど」
「なら、貴女達は何を望んでこの場に訪れたの?」
「とにもかくにも話を聞きに。イザヤの件はおまけだよ。あたし達は別に、イザヤの味方ってわけじゃない」
「ちょっと、そんな風に言わなくてもいいじゃない!」
「落ち着けって」
 火乃香の発言にクリーオウが噛み付こうとするが、話が逸れる前にオーフェンが押さえつけた。
 その光景を見て、くすりと艶然にカーラが笑う。
「そちらも一枚岩というわけじゃないみたいだけど……そうね、話す必要があるわ。良いわよね、佐山?」
「……ああ、構わない」

254そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:30:01 ID:f0Abop4o
 そうして、カーラは恐るべき吸血鬼の存在を、その場に居る全員に朗々と説いた。
 それは最強にして不滅。このゲームを終焉に導くファイブカード。魔界都市を壊滅寸前にまで追い込んだ妖姫。それを知り、全員の顔つきが変わった。
「待て待て待て待て不死身だと? そんな非科学的なものがあってたまるか。伝説のケシオン・ヴァンパイアでさえ剣で刺されて死んだんだぞ?」
「不死身の吸血鬼……か。真実どこまで話通りなのかは知らぬが、勝てぬ相手に挑むというのは面白い」
「んなこと言ってる場合かよ」
 例外的に喜色を浮かべるギギナへ律儀に突っ込みを入れながら、ヘイズは呻いた。その話が本当なら確かに勝ちの目はない――本当なら。
 カーラに視線を据えて、問う。
「そいつが本当に不死身って証拠はあるのか?」
「少なくとも、心臓を潰しても死なずにいたらしいということだけれど?」
「不足だな。そもそも参加者である以上、"刻印"が刻まれてるだろう? なら――」
 いや、とヘイズは言いかけていた言葉を飲み込んだ。
 刻印が絶対ではないということは、すでに自分たちが解明している。さらにギギナの証言もあった。禁止エリアに放り込まれても、魂を抹消されることなくそこから這い出てきた奴がいるらしい。
「証拠云々を言い出されてしまうと、どうしようもないわね。まさかここに連れてくるわけにもいかないし。同盟を結びたいが為のブラフ、と思われてしまってもしかたがない」
「そうは思っちゃいねえよ。そっちも戦力的には充実してるみたいだしな。そんな誤魔化しようのない嘘をついて、後々トラブルの火種になるような悪手を踏むとは思えない」
 個人的に言ってしまえば、このグループと同盟を組むのは有りだ、とヘイズは思っている。
 残り人数の半数以上で組めば乗った連中への牽制になるし、なにより刻印の解除も可能となるだろう。戦力的には拮抗しているので、どちらが下につくということもない。
 獅子身中の虫がいる可能性は――それこそダナティアグループ崩壊の時ような――否めないが、それを想定しておけばある程度は対応もできる。
 総じて、ベターな選択だろう。火乃香もそれは分かっている筈だ。
(それでもなお躊躇っちまうのは――このカーラって奴の胡散臭さのせいだ)
 おそらく、それを一番感じているのも火乃香だろう。彼女の天宙眼は完全な読心こそできないが、自分に向けられる殺気や悪意に対しては敏感だ。
 そんなヘイズの思惑をよそに、カーラは鷹揚にうなずいて見せた。
「そうね。どの道、同盟を組んで貰えればわかることだし……ここからは、純粋なメリットの話をしましょう」
 カーラが話題を変える。
「私は、あなた達の"メモ"を見る機会があった」
(……街道のあれはこいつだったのか)
 刻印に関して記されたメモ。九連内朱巳からの譲渡とも考えられたが、だとしたら彼女がこの場にいないのはおかしい。
「興味深い内容だったわ。だけど穴もあった。それこそ、"解除"するに際してもっとも障害となる穴が」
 言語理解――
 多数の異世界から集められた参加者にとって、刻印は翻訳装置も兼ねている。下手に解除すれば意思の疎通は不可能になる。
 そう告げるカーラの言葉に、ヘイズはうめき声を上げた。
「……なるほど。あの解析できなかった部分はそれか」
 ヘイズの情報制御理論や黒魔術、咒式の知識では解明できなかった領域。呪殺機能にはリンクしていない独立した区画であったのでさほど重要視はしていなかったが、思わぬ落とし穴だ。
「それで、あんたが協力してくれればその問題は解決できるかもってことか?」
「正確には、すでに解決済みね。具体的な方法はまだ教えられないけど……」
 そうして、カーラは着ている服の袖の部分をまくり、白い腕を衆目にさらした。
「すでに私は"解除"した。お望みなら、調べさせてあげてもいいわ」

255そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:32:19 ID:f0Abop4o
「――マジかよ」
「馬鹿な、この天才を出し抜いて……!?」
 驚愕のざわめきが起こる。特に刻印の解析に携わってきた者たちはその難解さを知っている。故に、ポーカーフェイスを気取る余裕すらないのは無理からぬことだった。
 疑おうにも疑えない。それこそこんな嘘に意味はないのだから。刻印を調べればわかることだ。
「さて、これで同盟を組む気になって貰えたかしら。私たちからは"解除"を、そちらは吸血鬼に対抗する際の協力を。とてもフェアな取引だと思わない?」
「……まあ、破格ではあるけど」
 不承不承といった感じで、火乃香も頷く。残りのメンバーも、異存はないようだった。
「……それで、同盟の話は分かったけど。俺たちの問題は結局どうするんだい? 君に交渉役が替わったってことは何か考えがあるんだろう?」
 放置される形になっていた臨也が口を挟む。
 彼にとって、同盟の話は渡りに船だった。このメンバーが同盟を組み、さらにそこに加わることができれば脱出の目も見えてくる。
 吸血鬼の件は臨也にとっても不安要素だったが、話を聞く分にはその吸血鬼は無差別に人を襲おうとするらしい。ならば、もっとも生存率が高くなる選択肢はこの同盟に入り込むことだろう。
 しかしその為には、自分と海野千絵、およびダウゲ・ベルガーとの対立を解消しなければならない。
 会話での和解は難しいだろう、と臨也は踏んでいた。ベルガーならともかく、あの海野千絵という少女は完全に頭に血が上っている。だがそうなると、
(そうなると一番可能性が高いのは、戦力的に役立たずの俺を切り捨てるって方法になっちゃうよねえ)
 一応クリーオウという保険は用意してあるが、その保険とて臨也を確実にこの同盟に加えさせられるようなものではない。あくまで、ここでリンチに遭わないためだけのものだ。
(まあ、そうなったらそうなったらでいいか。吸血鬼の件に関しては、このグループを盾にして――)
 折原臨也がこうしてわざわざ裏切りの地に出向いてきたのは、自身の裏切りが露見することはありえないと確信していたからだった。
 それこそ、佐山を悩ませたように。臨也が裏切りの犯人だと第三者に証明できる物的証拠は、何もない。
 ――だけど、折原臨也はもっと慎重になるべきだった。
 この舞台上には、デュラハンに勝るとも劣らないような怪異が溢れているのだから。
 臨也の口にした質問に、カーラはごく簡潔に答えた。
「要するに、あなた達のどちらかが嘘をついていて、それを見破ればいいわけでしょう?」
 なら話は簡単と、魔女は嗤って、
「――嘘を見破る魔法を使えばいい」

◇◇◇

256そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:34:57 ID:f0Abop4o
◇◇◇

 センス・ライ。
 文字通り、対象のついた"嘘"を探知する呪文である。
 この呪文の前ではあらゆる虚言は意味を失う。それが、カーラが予め交渉の手管のひとつとして佐山に伝えていたものだった。
「だけど、本当にそんな便利な魔法があるのかい?」
 その説明を聞いてなお、臨也は食い下がる。食い下がらねばならない理由が彼にはあった。
「嘘をつく理由がある?」
「人数的にも戦力的にも俺のほうが劣っているからね。取り込みたい方を優先するために、ってことならあり得ると思うけど」
「私としてもこの同盟は万全にしておきたい。裏切りの前科がある者を排除しておくのは当然のこと。それに"嘘を見破れる"なんて嘘が成立すると思って?」
「……それは」
 カーラの返答に、臨也が言いよどむ。
 確かにそんな嘘は成立しない。いくつか質問するだけでたちまちばれてしまう。そしてこの盤上に置いて、虚言を口にしたことがばれた際のデメリットは計り知れない。
 悩む臨也とは対照的に、千絵は挑むような表情を浮かべて前へ踏み出した。
「上等よ。その魔法、受けるわ。こちらの腹は痛くないんだから、探られたってホコリは出ない。そうでしょ、ベルガーさん?」
「……ああ」
 千絵ほど乗り気な様子ではないが、それでもベルガーも了承の意を口にする。
 他の面々も、止める気配はない――もとより、これはダナティアのグループが残した遺恨の清算だ。関わりのない者が口を出す道理はない。
 視線が集中し、臨也は肩を竦めた。コートのポケットに手を突っ込みながら、ゆっくりと首を振る。
「ああ、わかったよ……だけど、ひとついいかな?」
「何かしら?」
「さっきの説明を聞いた限りだと、その魔法は相手の"言葉"を嘘かどうか判断するんだよね?」
「そうね。頷きなどのボディランゲージでは判別できないし、黙秘を貫かれればそれでお終いだわ」
「そうやって逃げる気?」
 挑発的に言い募ってくる千絵に、臨也は皮肉る様に黙って首を振った。視線をカーラに戻し、続ける。
「なら尋問の手順だけど、こういうのはどうだろう。俺が半日くらい前に会った人とやったゲームなんだけどね。順番に一つずつ質問して、互いにそれに答えるんだ。例えば俺が"このゲームを終わらせるためには――"と言ったら、自分が思うその方法を交互に答える。これなら公平だし、絶対に言葉を発しなきゃいけないから、君の言う"嘘を見抜く魔法"にはぴったりなんじゃないかな」
「……ええ、こちらはそれで構わないけれど」
 カーラはそう頷きながら、意向を問うように千絵とベルガーの方に視線を向けた。
「私もそれでいい。どんな策を弄したって、嘘を見抜く魔法があるなら同じこと。ベルガーさんは?」
「……相手の提案した方法に、何も考えずに乗っかるっていうのはアレだが……今のとこ、インチキしてるようには見えないしな」
 千絵と、不承不承と言った感じでベルガーも頷く。しかし、野犬はすぐに言葉を継ぎたした。
「――だが方法はそっちが決めたんだ。最初に質問する権利はこっちが貰っていいよな?」
「ああ、いいよ。そっちの言葉を借りれば、どんな質問でも結果は変わらないからね」
 挑発するような臨也の言葉に、千絵が表情を引きつらせるのを見ながら、ベルガーは思考する。

257そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:36:34 ID:f0Abop4o
 海野千絵が全く冷静でないことは見ればわかる。そしてその理由も、ベルガーには何となく察しがついていた。
(俺の予想が正しいなら、今の彼女に冷静になれと言っても逆効果……それより今は臨也の方だ)
 真正面に立つ、黒いコートを着込んだ優男をベルガーは睨みつける。
 こうして早々に再開するとは思っていなかったし、真正面から来るとも思わなかった。同行者はいるようだが、そいつらも臨也の仲間、というわけではないらしく、あくまで一緒にここまで来ただけ、という関係のようだ。つまり、今の奴にはこちらに対抗するだけの武力は無い。
 だが、それならばあの態度は奇妙だとベルガーは訝しむ。
(俺があいつの立場だったら、あんな余裕はない。あの魔女の言う嘘を見抜く魔法とやらは十中八九本物だろう。奴もそれは分かっている筈……あの魔法の存在はここに来てから明かされたもんだ。対応策を事前に用意できた筈はない)
 唯一可能性があるとすれば、それは臨也が提案した問答の方法。それに何かを仕込んでいること。
 安全を取るのなら、拒絶し、別の方法を提案すべきだっただろう。だが千絵の言う通り、どんな方法であっても、嘘を見抜く魔法があるのなら同じことだ――少なくとも、正しい方にとっては。
(ここで断ると疑いの目は俺たちに向けられる。中立の立場をとる連中がいればなおのこと。その後、別の方法で臨也の裏切りを暴けても、一度起きた疑念は完全には無くならない。下手に"魔法"っていう万全な解決策を出されたことで、方法にこだわることが出来なくなった)
 カーラを睨みつける。終とダナティアから聞いた情報から判断すれば、当然、善意で行動する相手でないことは分かる。
 だが、今はまだカーラにだけ集中することもできない。まずは折原臨也だ。相手が張っている筈の罠に警戒しながら、その罠をすり抜ける。
「さあ、それじゃあ御質問をどうぞ」
 臨也はあの皮肉めいた笑みを浮かべながら、こちらの質問を待っている。
(さて、どうするべきか……)
 ベルガーはすべき質問の内容を吟味する。
 嘘を見抜く魔法がある以上、最終的に臨也の罪を告発することは可能だろう。だが下手な質問をすれば、それは相手につけこまれる隙を与えることにも――
「"あんたは――私達、いえ、ダナティア達を裏切った!"」
「……千絵っ!?」
 横合いから、まるで新兵が暴発させた銃弾のような唐突さで、海野千絵が叫んだ。
 思わずベルガーが叱責するような視線と声を向けるが、しかし彼女は怯まずに頭を振った。
「私にやらせて、ベルガーさん。あいつは私が。私が、追いつめないと――」
 ――否、怯まなかったというのは正確ではない。
 外界が見えていないのだ。まるで熱病にうなされる患者が吐く戯言のように、海野千絵は焦点の合っていない目で折原臨也を睨みつけている。
 そこに"探偵"としての冷静さは無く、あるのはただ、強迫観念にも似た正義感だけだった。
(……根は、ここまで深かったのか)
 ベルガーは海野千絵の様子がおかしいことに気づいていたし、その理由にも見当がついていた。
 海野千絵の"事情"を、ダナティアを初めとした大集団のメンバー何人かに聞いていたからだ。
 ベルガーが気にかけていたシャナと同じく、吸血鬼にされた少女。その際に海野千絵は、本来の彼女が持っていた資質から見て"絶対に許されない罪"を犯してしまった。
 その罪の意識は、彼女の根底に刻まれてしまっている。冷静でいられないほど、まともでいられないほど、彼女の精神を蝕んでいる。
 だが、ベルガーに知ることが出来たのは其処までだ。
 "物語"による更なる精神への悪影響――
 目の前で慶滋保胤をむざむざ殺させてしまった罪悪感――
 ダナティア達の仲間でいたいという気持ちと、吸血鬼と交わした約束の間で揺れたこと――
 そうした少女の内面を澱ませているいくつもの事柄をベルガーは知らない。
 ほとんど見ず知らずと言っていい自動歩兵を救おうと宙に身を投げ出させる程にまで、海野千絵の正義感が暴走している理由。それは一言でいうのなら、彼女が免罪符を求めているからだ。
 自分のしてしまった"悪事"を、過剰なまでの"正義"で相殺しようとしている。既に物部景のことも、その死を彼の恋人に伝えるという義務感も投げ出している。彼女はある意味、"もう他人にかかずらっている余裕がない。"
 だから今の彼女にとって、"悪人"である折原臨也は絶対に許せない存在だ。それを前にして正常でいることは出来ない。

258そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:37:24 ID:f0Abop4o
 ――こうしてにこやかに嗤う、臨也の目論み通りに。
「微妙に質問の形になってないな。まあいいや、答えると――当然、"俺はダナティアを裏切っていない"。自衛以外の目的で人を傷つけるつもりはないし、このゲームに乗ってもいないよ」
 口ごもることなくそう答えた臨也は、教師に答え合わせを申し込む生徒の様な態度でカーラを見やった。
「……ええ、本当よ。今の発言に"嘘"はないわ」
「そんな……!」
 臨也を肯定するカーラを、信じられないものを見るような目で千絵が睨む。
「そんな筈ないわ! だってあいつは、私達を――」
「言い訳は見苦しいよ? それよりも、君たちも答えなきゃあ……答えられるなら、さ」
 狼狽する千絵を見ながら、臨也は笑みを浮かべ続ける。
 最初の質問を乗り越えられるかどうかは、正直臨也にとっても賭けだった。仮に自分のしでかしたことが明るみに出ても、この場を無事に離れる為の"保険"は用意していたが。
 とはいえ、完全に運任せの勝負だったというわけでもない。海野千絵が暴走する確率が高いであろうことを、海野千絵の心の傷の深さを、臨也はベルガーよりも知っていた。
 あの場で――"物語"の影響で錯乱した千絵の姿を臨也は目撃している。携帯越しに、それも他人が話しているのを又聞きしただけのベルガーよりは得た情報が多かったのだ。
 この短時間で回復できるような取り乱し方ではなかった。それなのに一見、彼女はまるで何も無かったかのようにふるまっている。
(じゃあ答えは簡単――本人もその事実を見ないようにしている)
 とどのつまり、それは薄氷でできた蓋だ。中身は何ら変わっていないのに、それをどうにか誤魔化そうとしている。
 だから少しつついてやれば直ぐに激昂し冷静でなくなるだろうというのは、このくらいの年頃の少女の心理に敏い臨也には簡単に予測できた。無論、そんな彼女をベルガーが抑えるというのも想定していた状況のひとつだったが……
(どうも、あのカーラって子にも意識を割いてたみたいだね。だめだよ、二股はさ)
 再び錯乱の様相を見せ始めた千絵にベルガーは近づき、その肩に手を乗せた。
「あ……べる、がー、さん。ごめ、ごめんなさ」
「落ち着け、海野千絵。状況は変わっていない。奴を追い詰めることはまだ出来る――こちらも答えよう。当然"ダナティアを裏切ってはいない"。どうだ?」
「そうね。その言葉にも嘘はない」
「おっと。ベルガーだけじゃなくて、千絵ちゃんの方にも答えて貰いたいなぁ」
「……臨也」
 嬲る様に言葉を投げかける臨也に、ベルガーが苛つきを含む声を出して、
「……だいじょう、ぶ。大丈夫だから……私は……私も、"裏切っていない"」
「……こちらにも、嘘はない」
 千絵の震える、それでもはっきりとした宣言に、カーラが再び首肯を返す。
 その様子に、彼らを取り囲む者達の内、何人かが首を捻った。
「あ、あれ? どういうこと? どっちかが嘘を言ってるんだよね。でも、両方とも嘘はついてない……?」
「質問が悪かったんだろうね」
 クリーオウが漏らした疑問の言葉に、臨也が肩を竦めて答えた。

259そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:38:55 ID:f0Abop4o
「あれじゃあ曖昧すぎる。なにをもって裏切りになるかなんて、人それぞれだろうから。例えば最初から同盟関係を結んでいるつもりがなければ"裏切った"ことにはならないだろうし。まあ、自分たちの行いを誤魔化す、という意味では悪くない質問だったんじゃないかな?」
 嘘を見破る魔法というものがあり、それを用いるのなら、第三者が観測できない、その人物の思惑や感情を問うような質問をすべきではない。もっと具体的な行動を問うような質問にするべきだ。
 事実、臨也が恐れていたのは"藤堂志摩子の死に関して、最後の一押しをした人物は誰か?"というような質問だった。
「……どうとでも言えばいい。そら、次はお前の番だろう」
「少し考えさせてよ――"無駄な質問"はしたくないしね」
「……っ」
 揶揄するような言葉に、千絵が思わず臨也に詰め寄りかけるが。
「千絵」
 背後から掛けられるベルガーの声に、びくりと震えて静止した。
「……そうやって挑発を繰り返すのは、あまり褒められた趣味じゃないな、折原臨也」
「別にそんなつもりじゃないんだけどね――うん、まとまったかな。いいかい? えーと、カーラちゃん?」
「ええ。いつでもどうぞ」
 カーラの頷きに、臨也は改めてベルガーの方を向いた――ベルガー"達"ではなく、ベルガー"個人"の方を。
(……なんだ?)
 ベルガーが胸中で訝しむ。
 臨也にとってはベルガーよりも先ほど詰め寄ろうとした千絵の方が距離的には近い。それなのに、わざわざ臨也は意図的に千絵から視線を外し、ベルガーを見ていた。
 臨也が口を開く。
「――"この島に連れてこられる前、全員が一度、同じ部屋に集められた"」
「……?」
 その発言の内容に、胸中でベルガーは疑問符を浮かべた。一見その言葉はダナティアの作り上げた大集団とは、何の関わりもないように思える。
 周囲を見渡せば、それはほとんど全員がそうであるらしい。臨也が自分で言った質問の形にもなっていない。
 それでも誰も声をあげなかったのは、臨也が続けて息を吸い込んだからだった。
「"そこで『見せしめ』が起こった――二人の男が黒幕に斬りかかって、だけど刻印を発動されて死んじゃった"」
 臨也は言葉を続ける。まるで国語の教科書を朗読するように、全員の頭の中に、共通の絵を想起させるような語り口。
 ほぼ丸一日前。この場に居る全員が見ていた筈のその光景。それを再び思い出させる。
「"その内の片方――金髪を長髪にした方には、女の連れ合いがいた"」
 脳裏に浮かんだ、その光景を理解して。
 ベルガーと千絵の目が見開かれた。相手が何を企み、何を言おうとしているのか理解する。
「"彼女の名は、リナ・インバース。俺達の、ダナティアの仲間だった――リナは知己の死に傷つき、それでも乗り越えていった。俺の目から見ても彼女は本気で、懸命に、この島からの脱出を果たそうとしていた"」
 臨也を止めなければならない。だが、どうやって?
 暴力は論外。言葉で止めようにも、彼はルール通りに"質問をしようとしているだけ"だ。下手な制止はこちの首を絞めるだけ。
 そうして千絵とベルガーが躊躇するうちに、臨也は最後の、もっとも致命的な言葉を吐き出していた。
「"そのリナが死ぬことになった原因は――"」
 静寂と緊張が、その場を支配する。
 その理由は明らかだ。千絵とベルガーが口を開かない。ただそれだけの理由。
 やましいことがないのなら、すぐに質問に答えればいい。ならば逆に、もしも言い淀むようなことがあれば、それは――
「答えられないのかな?」
 言葉を探すように視線を彷徨わせるベルガーと、顔が見えぬほど深く俯く千絵。
 その二人に、その場にいる大多数の者の気持ちを代弁するように、臨也が言った。
 それは同時に、こういう意味も含んでいる――"君たちが犯人ということでいいのかい?"という意味を。
「違う……」
 蒼白な顔で、震える言葉を紡いだのは千絵だった。
「質問の答えになってないよ? 一体何が違うのかな?」
 傷ついた獲物を追う猟犬のように、臨也が言葉を発する。千絵は怯える様に小さな、それでも反論の言葉を紡いだ。
「私は……私のせいじゃない」
「それは"嘘"」
 その反論を、カーラが微塵に粉砕する。

260そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:40:39 ID:f0Abop4o
 彼らを取り囲む周囲の人間が、驚愕にざわめいた。
「……彼女がリナ・インバースという人物を殺害したと?」
「少なくともいまの発言は嘘だった。つまり彼女はリナ・インバースの死に関して、その一端を担ったという自覚がある」
 佐山が発した問いに、カーラが答える。同調するように、周囲のざわめきは更に大きなものとなっていく。
 千絵はそのざわめきを耳から締め出すように、自らの身を強く掻き抱きながら数歩、後退した。
「違う……違う……!」
「そう、違うね」
 声は千絵の正面から。
 声の主――臨也は千絵を見もせず、視線を別の人物に注いでいた。
「俺が質問したのは"実行犯"のことだよ――どうして君は答えないんだい、ベルガー?」
 全員の視線が転じる。
 その先には臨也の言葉を受けてなお、微動だにしないベルガーの姿があった――臨也の言葉によって身動きのとれなくなったベルガーの姿があった。
 野犬の顔に浮かぶ感情は苦悩と焦燥。発するべき言葉を探すように、何度も何度も視線が激しく宙を切り返す。
「答えられないかい? まあ、そうだろうねえ。こればかりは誤魔化しようがないし」
 ――計算通りだ、と臨也は胸中で言葉を続けた。
 そう、ベルガーはこの質問にだけは即答できない。
 ベルガーは常に飄々としいてて、一見無責任な人物のように見える。だがその実は真逆だ。真逆の筈だ、と臨也は推理していた。
(なぜなら彼は、ダナティアに信用されていた)
 ダナティアの人を見る目は確かだろう。なにしろ自分を信用しなかったのだから。臨也は皮肉気に笑った。ダナティア・アリール・アンクルージュは女王だ。人を見極め、人を使う。
 その彼女がベルガーを、それもかなり深いところまで信用していた。それは例の『宣言』の際、自らを狙撃させるという重役を与えたことからもはっきりと分かる。
 待機組だった臨也はほとんどベルガーと会話していない。それでも、彼が自分勝手に全てを放棄できる悪党でないことは知っていたのだ。
 だからリナ・インバースの死の一因を作ってしまったことに関して、『あれはただの事故で、自分に責任は全くない』という風にはきっぱりと切り捨てられないだろう。臨也はそう考えた。
 そして事実、ベルガーの心の中にはリナに対する負い目がある。黒い卵の効果に関してもっとよく考えていればあの状況は防げただろうし、すでに一度身をもって体験していたのだから考察の為の材料だってあった。
 嘘を見破る魔法に、感情を委ねるべきではない――人間の感情なんて、この世界でもっともよくわからないもののひとつなのだから。
 さあ、終わらせよう。臨也は正義の味方が悪を糾弾するように、力強く一歩を踏み出した。準備は整った。あとはほんの少し後押しするだけ。
「なら俺が先に答えるけど、文句はないよね? どうせ結果は同じだし」
 伸ばされた臨也の腕はベルガーを指向し、
「待――」
 放たれた臨也の言葉は、他の全ての言葉を抑えて響き渡った。
「"リナを殺したのは、そこに居るダウゲ・ベルガーだ"」
 臨也の宣言に全員の視線がカーラに集中する。
 カーラは怯みもせず、首を縦に振った。
「本当よ。ダウゲ・ベルガーは"ゲームを打ち壊そうと邁進していたリナ・インバースを殺害した"」
 その言葉に、カーラに向けられていた視線が、驚愕と警戒の感情を帯びてベルガーへと殺到した。

◇◇◇

261そして全ては収束していく:2014/04/22(火) 18:42:39 ID:f0Abop4o
◇◇◇

 センス・ライ。
 嘘を100%見抜くというこの呪文は、一見、名探偵が真っ青になるほど便利なものに思える。もはや証拠集めも鑑識も、果てには裁判すら不要になってしまうであろうほどの。
 だがそういった用途に使おうとするのなら、このセンス・ライにはひとつだけ大きな欠点が存在しているといえた。
 それは、センス・ライは確かに『嘘を感知する』呪文であるが――しかし『真実を見抜く』呪文ではない、という点である。
 例えば呪文を掛けられる対象の認識次第では、事実と異なる証言を口にしても『嘘』として感知されない。リナの直接の死因は光の剣での自殺だったが、そもそもの発端はベルガーが黒い卵の作用で致命傷を負わせてしまったことだ。それが無ければ待機組は未だ健在で、臨也もその庇護下にあっただろう。
 だから臨也にとって、先の言葉は嘘にならない。"自分は同盟を裏切っていない"ことと、"ベルガーがリナに致命傷を与えた"こと。この二つは、彼の中で等しく真実として扱われている。
 そして逆に、対象の認識次第では事実と相違ない発言も"嘘"だと感知される可能性もあった。
 だから先ほどの海野千絵の言葉は"嘘"になってしまう。待機組で起こった惨劇を、自らの責と抱え込んでいる彼女にとって。
 そして当然のことながらカーラはこの欠点を知っていた。
 知っていて、彼女はセンス・ライのみによる犯人探しを提案したのだ。
 何故なら、カーラにとってダウゲ・ベルガーと海野千絵、そして折原臨也の価値は等価だったから。
 カーラの目的は、火乃香を利用して神野とアマワを倒し、その後に火乃香さえ始末して、ロードスへの介入を防ぐこと。
 ベルガー達と臨也。どちらが嘘をついていて、どちらが生き残ろうがカーラには関係が無い。片方が追放され、この集団内にトラブルの火種がなくなりさえすればそれでよかった。
 むしろ安全策を取るのなら、力のない臨也が生き残ってくれたほうが御しやすい。ダウゲ・ベルガーは英雄足りえるだろうし、その力は神野を倒す際に非常に役に立つだろう。だが、その分綱渡りな自分の計画を崩壊させる一因になるとも限らない。
(それに、神野とアマワを滅ぼすだけならば彼女がいる)
 火乃香。彼女の力が、おそらくもっとも神を殺すことに向いている。
 だから、どちらが生き残ってもカーラにとっては同じだった。魔法はただ時間を節約しようとしただけ。
(仮に、"犯人"の方が残ってしまったとしても構わないのだし)
 美姫対抗するために佐山が打ち出した案。それに必要なのは人柄でも能力でもない。単なる頭数なのだから。

◇◇◇

262名も無き黒幕さん:2014/08/23(土) 23:13:29 ID:f0Abop4o
◇◇◇


 状況は全て折原臨也の予想通りに動いた。
 何一つ計画に狂いはない。全員の視線は、意識は、確かにその一瞬だけ、ダウゲ・ベルガーのみに注がれた。
 だから、臨也は予定通りに動いた。
 腕を伸ばす。その先には動かない頭で懸命に反論の為の思考を紡いでいた海野千絵の体があった。
 ベルガーに詰め寄る様に一歩を踏み出したのはこの為の布石。リナ・インバース殺害を糾弾する瞬間、臨也は千絵の身柄を拘束できる位置に居なければならなかった。
「っ、な――きゃっ!?」
 右腕を千絵の首に掛け、力任せに引き寄せる。同時に左腕をコートのポケットに突っ込み、この場を脱出する為の保険として用意していたものを掴んだ。
 千絵は抵抗しようともがいたが、お世辞にも運動神経が良いとは言えない彼女では、こうした荒事に多少は慣れている臨也の拘束を振り払うことは難しい。
 そこまでくれば、周囲の人間も状況の変化に気づく。あるものは武器に手を掛け、ある者は己の異能を発現させようと意識を集中させ、
「――動くな!」
 臨也の発した短い警告に、その動きを止めた。
 それを確認してから、臨也は素早く自分とそれ以外の位置取りを確認する。もっとも近くにいるベルガー。そこからやや離れた場所に居る、仲裁役だった佐山とカーラ。そして遠巻きにこちらを見ている同行してきたヘイズ達。
 完全な包囲はされていない。それを確認すると、臨也は暴れる千絵を難なく押さえつけながらさらに数歩後退した。
「イザヤ!?」
 クリーオウが咎めるのと制止するのとを混ぜこぜにしたような声音をあげる。それを見て臨也は笑った。もしかしたら、彼女はこう考えているのかもしれない――裏切られ、仲間を殺された男が、その怒りを暴発させたのだと。
(まあ、苛立ちはあるけどね――全く、本当にここは常識が通じなくて嫌になる。嘘を見破る魔法なんて、そんなものを持ち出されたらどうしようもないに決まってるじゃないか。綺麗すぎる水に魚は住まないって言葉を知らないのかな)
 センス・ライは確かに完全無欠の魔法ではない。だがそれは、強力な魔法ではないということにはならない。
 少なくとも臨也にとってはそうだ。こうして一時は誤魔化せても、問答を続ければいずれはぼろが出る。一度ペテンにひっかけたからと言って、それで『はい、処刑』という風にはならない。この後、ベルガー達に質問が繰り返されれは、いずれはこの誤解も解けてしまう。
 そして反対に自分が追及されれば、他の"余罪"が明かされる可能性も大きい。臨也は朝比奈みくるやサラ・バーリンの殺害に関して"仕方がなかった"と心の底から思っているが、その思考に同調してくれるのは少数派だろうということも理解している。
 だから臨也は、センス・ライの存在が明かされた瞬間から、この集団に潜り込むのではなくて、いかにしてこの場から脱するかということだけを考えていた。
 逆上状態の海野千絵が向こうに居る以上、大人しく降参するという手はない。謝ったところで見逃して等くれないだろうし、即時処刑がないとしても、この少女が捕らわれの身になった自分に対して私刑を加えない保証はなかった。せめて挑発する前にセンス・ライの存在を知っていれば別の手も打てただろうが……。
「……それは、君が犯人だという自白代わりの行動、ということでいいのかな?」
「さあね? 少なくとも、俺の言葉に嘘はないよ? あと、これからは喋るのも禁止だ。魔法使いみたいに――いや、まさに魔法使いがこの場に居るんだしさ」
 佐山の言葉に、臨也は応じるというよりは一方的に要求を叩きつけるような心地で言葉を吐き捨てる。同時に、ポケットに突っ込んでいた左手を掲げた。高々と衆目に曝されるのは携帯電話大の黒い機械。
(あれは……)
 コミクロンはその機械を知っていた。臨也の武装解除を行った際にもっていた"バッテリーパックが入っていないケイタイデンワ"の筈だ。

263名も無き黒幕さん:2014/08/23(土) 23:14:17 ID:f0Abop4o
 そんな彼の表情を見て取ったのか、臨也はコミクロンの属するグループがいる方に向けて肩を竦めて見せた。
「騙して悪いけど、これは"禁止エリアを操作する支給品"だ。バッテリーも隙を見て事前に入れ直させて貰っておいた。もう指の動きひとつで作動できる状態にあるし、必要なら俺はこれを使う――さて、俺は嘘を言っているかい、カーラちゃん?」
 臨也の問いかけに、カーラはゆっくりと首を横に振った。それは臨也の言葉が嘘ではないことの証明。
 ざわり、と臨也を取り囲む者達の間に緊張が走る。臨也の言葉は、あの装置を使えばこの場を禁止エリアに変えられる、と言う風に取ることもできるからだ。
 無論、臨也の掲げている黒い機械はあくまで禁止エリア"解除"装置であって、自由に禁止エリアを設定できるというものではない。だが臨也以外にその真実を知る者がいない以上、臨也の言葉は確かに脅しとして成立する。その可能性がある以上、強硬策に出ることは難しいだろう。おまけに、今の言葉が嘘ではないと保証するセンス・ライという魔法があるせいで、余計に"現実味のある言葉"として影響してしまう。
 加えて、臨也がボタンを押し込む前にあの装置を破壊、奪取できる手段も乏しい。この場に居る異能を持つ者――魔術士や念糸使い達の能力は、ボタンひとつ押し込むより早く効果が発現するものではないのだ。
 可能なのは人の意識をよりも素早く動き敵の装備を切断した実績のあるギギナか、指を鳴らすのとほぼ同時に効果が発現するヘイズの破砕の領域。だが前者は三塚井ドクロと交戦した際に深手を負い、コミクロンによる治療の申し出も拒んだ為、かつての剣速は発揮できない。ヘイズにしても無思慮な行動はとれなかった。あの装置の情報強度がどれほどのものか分からない以上、ヘタに刺激すれば最悪の結果を招きかねないのだから。
「俺の要求はただ一つ。この場で俺を見逃すこと。まったく、ここを離れなきゃいけないのは残念だよ。その吸血鬼とやらに会ってしまったら、俺は絶対に死ぬだろうしね――だからできればその前に、君たちが倒してくれるといいんだけど。それを祈っているから、君たちに俺は手を出さないよ。見逃してくれるんなら、このエリアに対しては今後も装置を使わない」
 カーラの張り巡らせているセンス・ライの感知網を潜りぬけるように、言葉を慎重に選びながら臨也は喋り続ける。既にセンス・ライの魔法に穴があることは、この数度のやり取りではっきりと確信していた。
「とはいっても、この装置だけじゃ心もとないから、もうひとつ保険は張らせてもらうけど。千絵ちゃんは俺の安全が確定するまで……そうだな、このエリアから離れるまで人質になって貰う。もちろん危害は加えないし、用が済めば傷一つ付けないで開放する。どうだい? ……と言っても、返答がほしいわけじゃないけどね」
 再び問いかけるような視線。それを受けたカーラは、再び"嘘はない"と仕草で全員に伝えた。
 緊迫する雰囲気の中、じり、と臨也が交代する。全員がそれを睨みながらも、しかし行動は起こさない――臨也の言葉に激昂した千絵を除いて。
「誰が、あんたなんかにっ!」
 首をほとんど絞められていたが、移動の為に僅かに拘束が緩んだ。その隙に、大口を開けて臨也の手に噛み付こうと、
「喋るな、って言ったのが聞こえなかったのかな?」
「っ、ぐ、ぅ、っ!」
 背後から拘束されている際、拘束されている側が取れる反抗の中で、特に有効なのは背後への肘打ち、敵の足への踏みつけ、さらに噛み付きなどがあげられる。引きずられている格好の千絵が行うのなら、その中で脅威になるのは噛み付きくらいのものだ。
 それを予想していた臨也は、彼女が口を開けた瞬間、逆に親指を喉奥に突っ込んだ。反射的な反応で、千絵は口内の奥深くにまで侵入してきた異物の感触にえずいてしまう。人は物を吐き出そうとするとき、同時に物を噛むことは出来ない。
「千絵!」
 叫んだのはBBだった。動こうとしたのを無理やり制動したように、蒼い巨体を僅かに震わせている。ほとんど突発的ともいえるその行動に、火乃香をはじめとする何人かが驚愕の表情を浮かべながらブルー・ブレイカーへ視線を向けた。
「……二度は言わないよ? 俺はゲームに乗ってるわけじゃないけど、降りかかる火の粉を払うことには躊躇しないからね」
 警戒を緩めず、周囲に視線を這わせながら臨也が囁く。禁止エリア解除装置の存在を誇示するように掲げた左手を揺らしながら、じりじりと後退を続ける。その様子を見て、ギリ、とベルガーは歯噛みをした。

264名も無き黒幕さん:2014/08/23(土) 23:15:06 ID:f0Abop4o
(……手が出せない。このままだと、逃げられる)
 この手に"運命"があれば、あの拘束を断つことは容易だ。装置も奪えるだろう。だが己が半身たる強臓式武剣はここにない。アラストールの炎を通じて『無名の庵』に落ちてしまった。
 そも、この状況も自分の不甲斐なさが招いたようなものだ。佐山・御言との交渉よりも、吸血鬼への対策よりも、何よりも先に海野千絵の状態を確認し、対応しておくことが必要だった――
(……過ぎたことを言っても仕方がない。まず、この状況にどう対応する?)
 臨也を連れてきた連中は無視してもいい。どうやら先ほどのホノカという少女の言動を見る限り、臨也はあの集団の中で確固とした地位を築いているわけではない。おそらく、ただの同行者程度の関係だろう。自分が臨也に対して攻撃的な行動を行っても、それを妨害される可能性は低い。
 そして同時に、連中からの援護も期待できない――彼らにとって、この問題は対岸の火事だ。火種の臨也がここから去り、海野千絵も戻ってくるというのなら、つまりは実質的な被害が出ないというのなら良心が痛むこともない。むしろ万々歳というところだろう。危ない橋を渡る必要はない。
(……そして、その図式は俺にも当てはまる)
 感情の面で言えば確かに臨也をここで逃したくはない。だが、それとこの場にいる全員の命は釣り合わない。
(臨也の狙いもそれか。千絵の安全は、カーラのセンス・ライで保障されている――先ほどの"用が済めば生きてそっちに返す"って言葉は嘘じゃないみたいだからな)
 ベルガーは横目でカーラを睨む。それに気づいた魔女は嫣然と微笑んで見せすらした。灰色の魔女もここで動くつもはないらしい。例外は佐山くらいのものか。だが、佐山は今の自分と同じく、特に異能を持ち合わせているわけではない。二人掛かりで飛び掛かれば臨也を拘束することは容易だろうが、仮にあの装置でここを禁止エリアにできるとしたら、完全に拘束する前に、盛大な自殺に付き合わされることになる。
 結果として、この後のことを考えるのならここで臨也を見逃すのが最善手であるという結論が出てしまう。既に生存者のほとんどがここに集まっている、あるいは集まりつつある現状を考えれば、単体では人並み以上の戦闘力を持つわけではない折原臨也はさほど脅威ではなくなるからだ。
 感情は、噛み殺せば済む――だからベルガーはぎり、と歯を強くかみ合わせ、退いて行く臨也を睨みつける。それ以上はしない。できない。言葉(テクスト)を発することすら。
 だが、
「……駄目」 
 静寂を打ち破る声が響いた。
 声の主は海野千絵――かつて正義だったもの。やがて吸血鬼になったもの。そして、失ったものを取り戻そうとしていた少女。
 彼女は口を開いた。首を絞められながら後退させられているせいで、顔はやや上を向いている。それでもなお、その場にいる全員の耳に届くだけの声量を絞り出した。
「こいつの思い通りになんて、なっちゃいけないわ」
「喋るな、って言ってるんだけど?」
 囁きと共に、臨也は首の拘束を強める。気道を狭められた千絵は表情を僅かに歪ませた。だが、続ける。
「こいつは、悪よ。志摩子さんにリナさん、そして保胤さんもこいつのせいで死んだ。本質的に、こいつは他人と交われない」
「言いたい放題だね。俺って、一応人類愛を標榜してるんだけどなぁ」
「あなたが一方的に愛してても、向こうから愛されることはないわ。少なくとも、あなたの本質を知っている、まともな人からは」
「そろそろ本当に黙ってくれない? 意外と拘束しながら喋るのって疲れるんだよ……気絶した人間を抱えながら移動するのは、もっと疲れるんだろうけど」
 さらに臨也は腕に力を込めた。今度は気道を絞めるものではなく、頚動脈洞を圧迫する締め方だ。あと少し力を込めれば海野千絵は容易く気絶するだろう。その方法をよく心得ている締め方だった。


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