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試験投下スレッド

1管理人◆5RFwbiklU2 :2005/04/03(日) 23:25:38 ID:bza8xzM6
書いてみて、「議論の余地があるかな」や「これはどうかなー」と思う話を、
投下して、住人の是非をうかがうスレッドです。

814告悔3/3:2006/09/12(火) 04:27:49 ID:XeuMBdEI
エラーによる異常動作とノイズの侵蝕による暴走、そのどちらが起きたとしてもわたしは『わたし』ではなくなる
だろう。わたしが『わたし』でなくなれば、彼等と過ごした今までの想い出を全てなくしてしまうのだろう。

わたしは、それがこわい。

だからわたしは、『わたし』でなくなった時のための対抗策を用意する。



もしここでわたしが死ぬのならわたしは、『わたし』のままで死にたい。




最後に、一つだけ。
わたしのメモリの中に、アクセス出来ない未知の領域が存在することが確認された。その領域を部分的に解析した
結果、それはかつて涼宮ハルヒから盗み出した能力の残滓であることがわかった。
わたしが起こしたバグを修正する際に、わたしはその能力を完全に消去したはずだった。ゲームの管理者が意図的
に用意したのか、それとも完全に消去出来なかったのか、理由はともかく現実問題として涼宮ハルヒから奪った情
報創造能力の残滓が存在するのは確かだった。
幸いその残滓の容量は少なく、世界を作り変えるといった大規模の世界改変は不可能だと考えられる。しかし部分
的な転用ならば可能であるため危険であることに変わりはない。
現在消去処理を行っているが、情報処理の制限を刻印によって受けているため作業はほとんど進んでいない。


もし12時間後にわたしが暴走していた場合、おそらくアクセス制限は解除されていると予想される。ゆえに12
時間後のわたしとの接触は極めて危険。もしわたしを見つけても、決して近寄っては駄目。

わたしは、誰も失いたくはない。

815打算、疑念、葛藤、不信(1/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:56:20 ID:D3ySLypk
 第三回放送が終わり、湖跡地の丘の上には、居心地の悪い静寂が訪れた。
 名簿と地図と筆記用具を収納しつつ、EDは嘆息する。
(状況が変わった。悪い方へ、想像以上の早さで)
 たった6時間で、24名もの犠牲者が亡くなった。
 まだ初日すら終わらぬうちから、参加者は半数以下にまで減った。
 それだけでも厄介だというのに、その上、聞き覚えのある名前が数多く呼ばれた。
 EDの協力者、李麗芳は死んでいた。
(彼女には、死ななければいけない理由などなかった)
 金色の力強いまなざしを思い出し、彼は静かに目を伏せる。
 麗芳と別行動すると決めた過去を、悔やんでいるわけではなかった。
 EDが麗芳に同行していても、死体が一つ増えていただけだった可能性の方が高い。
 彼にできることはそう多くない。そして、己を知らぬ者に戦地調停士は務まらない。
 麗芳の仲間、袁鳳月と趙緑麗も死んでいた。
(さぞかし無念だったろう)
 守るべき友を守れず、倒すべき敵を倒せず、神将たちは命を落とした。
 EDが個人的に関心を持っていた相手、霧間凪も死んだ。
(一度、会って話したかった)
 言いたかったことも、訊きたかったことも、諦めるしかなくなった。
 懐中電灯を取り出しながら、さらにEDは思索する。
 ヒースロゥ・クリストフが健在なのは幸いだ。
(だが、あいつは殺人者を――手駒にできるかもしれない参加者をきっと殺していく)
 仲間を一気に失った李淑芳は、もはや正気でいるかどうかすら怪しい。
(自殺するかもしれない。最悪の場合、無差別に他者を襲うようになるかもしれない)
 宮下藤花の生存は、喜ぶべきことなのか判断しかねる。
(目的は、優勝でも脱出でも復讐でも私闘でもなさそうな気がする。得体が知れない)
 ED以外の三名にとっては縁の薄い面々だが、その生死は島全体に影響する。
 影響の大小には差があるものの、どれ一つとして無視はできない。

816打算、疑念、葛藤、不信(1/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:57:13 ID:D3ySLypk
 他にも様々なことを考えながら、EDは周囲に視線を向けた。
 蒼い自動歩兵は、霧の中で、無言のまま天を仰いでいた。
 赤い血文字は、ただ【…………】と沈黙を表現している。
 彼らから得た情報と第三回放送の内容を頭の中で並べ、EDは決断する。
「灯台へ向かう前に、やるべきことが増えました」
 眠り続ける風見を起こさない程度の声で、仮面の男が言い放つ。

                   ○

 EDから用事を頼まれて、子爵は地下通路へ戻ろうとしていた。
 麗芳に宛てた置き手紙を処分してくること、それが用件だった。
 気持ちの整理をするための時間を、大義名分つきで与えられた形だ。
【……こうなった場合も考えて用意した置き手紙か】
 このまま子爵が誰かの仇討ちに向かい、戻ってこなくなる可能性も承知の上だろう。
 しかし、そうはならないとEDは見越しているはずだ。
 故郷にいた頃からの知人は早々に死んだこと、次の夜明けまでは活力を補充できない
こと、それに、自分は紳士であるということ――それらを子爵はEDに伝えていた。
 我を忘れて暴走したくなるほど特別な誰かはこの島におらず、自身の弱体化具合を
正確に理解しており、約束を破る不名誉を嫌っている、と告げたようなものだ。
 どことなく様子がおかしくなった自動歩兵と対話するなら一対一の方がやりやすい、
という思惑もEDにはあっただろう。
 彼が子爵を遠ざければ、それは“蒼い殺戮者に対する脅迫”という手段を捨てた証と
なる。実行する気はなくても、子爵の能力をもってすれば風見を人質として使うことが
可能ではあった。その選択肢をあえて潰してみせることで、誠意を示したわけだ。
 また、冷徹なまでに感情を封じる自制心こそが、あの丘の上では必要とされていた。
辛く苦しい役割を、EDは一人で引き受けようとしている。
【……今は、彼の厚意に甘え、任された仕事をしよう】
 移動しながら、多少なりとも関わった参加者たちのことを、子爵は回想する。
 EDたちと合流するまでに、悲嘆も憂慮も済ませておくべきだった。

817打算、疑念、葛藤、不信(3/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:58:18 ID:D3ySLypk
 凛々しく毅然としていた赤ずくめの美女、哀川潤は死んだ。
【おそらくは、誰かを守るために戦って死んだのだろう】
 最後に守ろうとした相手が誰だったのかは判らないが、それだけは確信できる。
 福沢祐巳は死んでいないが、それは祐巳自身の意思と力によってではない。
【あの子に、再び会わねばなるまい。何があったのか確かめる必要がある】
 紳士としての矜持と、力を与えた者としての責任感が、決意の源だった。
 もしも食鬼人の力が悪人の手に渡っていたとしたら、戦う覚悟を子爵はしている。
 キーリという少女は死に、彼女を探していた青年、ハーヴェイは生きている。
【彼は彼女に会えたのだろうか? 今、どこで何をしているのだろうか?】
 どんな想いで彼が放送を聞いたのか想像して、子爵はまた少し悲しくなった。
 ハーヴェイに教えてもらった危険人物、ウルペンは生きている。
【天敵、ということになるのだろうな】
 彼が使うという“乾かす力”は、子爵に致命傷を与えられる能力だと思われる。
 また、彼が持ち去ったという炭化銃は、すさまじい殺傷力を備えているそうだ。
 リナ・インバースも生きているが、その傍らに支え合う仲間がいるかは判らない。
【孤独と不安と憎悪に負けて、自暴自棄になっていてもおかしくはないか】
 会えたとしても、アメリアの最期を伝える前に、襲いかかってくるかもしれない。
 佐藤聖と十叶詠子の名前も、案の定、放送では呼ばれていない。
【どうにか上手く協力できればいいのだが】
 あの二人の在り方は、それぞれ他者と共存しづらい面がある。できることなら敵対は
避けたいところだが、皆が納得できそうな妥協点はなかなか見つかりそうにない。
 彼女たちと情報交換したときのことを思い出し、子爵の移動速度が鈍くなる。
 EDや麗芳をできるだけ襲わないでほしい、と子爵は頼んだが、EDや麗芳の知人に
関しては言及していない。麗芳のことも信じていなかったが、彼女を疑っていなかった
EDの判断を子爵は信じた。EDが最後に麗芳と会ってから長い時間が経っていたわけ
ではなく、その時点で麗芳が敵である可能性は低かった。だから盟友として認めた。
【……見知らぬ盟友候補者を、無条件に信じることはできない】
 子爵にとっては、信用できない盟友候補者たちよりも、聖と詠子の方が大切だった。

818打算、疑念、葛藤、不信(4/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:58:59 ID:D3ySLypk
 こんな状況下では、温和だった人物が他者を襲ったとしても、驚愕には値しない。
【誰か一人への好意は、それ以外の全員に対する悪意と表裏一体であるが故に】
 誰か一人を救うため、それ以外の全員を殺す――そんな決着を望む者もいるだろう。
【盟友候補者の誰かが血塗られた道を選んでいたとしても、不思議ではない】
 異常な早さで命が奪われているこの島で、敵かもしれない相手を信じるのは難しい。
 詠子の語った、佐山御言とダナティア・アリール・アンクルージュは存命中だ。
【さて、その二人は本当に先導者なのか、それともただの煽動者なのか】
 伝聞のみを根拠にした憶測ではどちらとも断定できないが、会えば判ることだろう。
 祐巳や聖の友人だという藤堂志摩子も、生き残っている。
 話を聞いた限りでは、じっと隠れているよりも友人を助けに行くことを選ぶ性格の
少女らしいが、最弱に近い程度の力しかないそうだ。ならば独力での生存は難しい。
【十中八九、かなりの実力者と一緒にいるのだろう。いや、実力者“たち”か?】
 だが、彼女の庇護者が必ずしも善良であるとは限らない。他者を油断させるために
利用されているのかもしれないし、24時間以内に誰も死ななそうなとき殺せるように
保護されているだけなのかもしれない。
 また、善良なのか判らないという点では、志摩子も同じだ。
 今の彼女が普段と同じ彼女であるという保証は、どこにもない。
 他者を利用しているのは彼女の方なのかもしれない。ひょっとしたら、騙し討ちで
幾人か殺していたりするのかもしれない。疑うことは、とても簡単だった。
 地下通路に到着した子爵は、手紙を念力で運び、水中に沈めて引き裂いた。
 休まず作業をこなしながら、子爵は追憶し続ける。
 ついさっきまで手紙だった物が、解読不能なほど細かく分割され、流されていく。

                   ○

 蒼い殺戮者は、『ゲーム』が開始された直後の記憶を思い出していた。

819打算、疑念、葛藤、不信(5/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:59:45 ID:D3ySLypk
 天を目指してどんなに飛んでも、一定以上の高度からは上昇が不可能になる。
 試さなくても、水平方向への飛翔にも限界が設定されていると想像はつく。
 視線を上げた先にあるのは、空の紛い物でしかなかった。
(あの空の彼方には、何者も飛んで行けない。ならば、この島で体を失った魂は、この
 箱庭じみた世界から決して出られないのではないか?)
 しずくを探しに行きたいという衝動が、培養脳の中で暴れている。
(せっかく得た協力者たちを置いて去り、この同盟から脱退してまで、しずくの捜索は
 今すぐにやるべきことか?)
 同時に頭の片隅では、行動方針の変更を拒絶する思考が延々と繰り返されている。
 結果として、一歩も動かず、一言も語らず、蒼い殺戮者は数分間を無為に過ごした。
「…………」
 放送でしずくの名前を聞いた瞬間に、蒼い殺戮者の中で、何かが変わった。
 その変化を、まだ彼は処理しきれていない。
 蓄積してきた記憶にはない、初めての感覚を、蒼い殺戮者は持て余していた。
 培養脳が軋んでいるかのようなその錯覚が何なのか、彼には判らなかった。
「念のために訊いておきますが」
 子爵を見送り、振り返ったEDの仮面が、蒼い殺戮者に向けられる。
「しずくさんという方は、あなたの大事な方なんですよね」
 質問ではなく確認だった。
 それくらいは、放送を聞きながら周囲を観察してさえいれば、誰にでも判ることだ。
 蒼い殺戮者の視線がEDの視線と交錯し、それだけでEDは事実を把握した。
「では、この島に間違いなくしずくさん本人がいたという確信はありますか?」
 こつこつと指先で仮面を叩きながら、EDが言葉を継ぎ足す。今度は質問している。
「……いや、同名の別人だったという可能性も一応はある」
 蒼い殺戮者の答えに、仮面を叩く指先が止まった。

820打算、疑念、葛藤、不信(6/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:00:46 ID:D3ySLypk
 興味深げな口調で、EDは問う。
「最初の、管理者たちと対面した場所では、しずくさんを見なかったんですか?」
 そんなことを訊いてどうするのかよく判らないまま、それでも自動歩兵は答えた。
「そうだ。あの場所では今以上に機能が制限されていて、ろくに行動できなかった」
 反抗を警戒して念入りに施された処置だと仮定すれば、つじつまは合う。
 指先が、また仮面を叩き始めた。
「しずくさんからはあなたの巨体が見えていたとしても、あの場所で勝手な真似をして
 殺されるくらいなら動かずにいたい、という心理は当然でしょうね。しずくさんが
 本当にいたとすれば、ですが」
「何が言いたい?」
「おかしいんですよ。たった18時間のうちに60名が死に、さっきの放送では24名も
 死んだと言っていましたけれど、いくらなんでも死にすぎているとは思いませんか?
 本当に、そんな大勢の参加者が亡くなっているんでしょうか?」
 かすかに怪訝そうな声音で、蒼い殺戮者は問答を続ける。
「参加者の大半が索敵能力を備えた戦闘狂だとするならば、ありえなくはない数字だ」
 蒼い殺戮者が出会った参加者のうち、彼に対して敵意を向けなかったのは、風見と
EDと子爵だけだ。それ以外の遭遇者たちは、多かれ少なかれ平和的ではなかった。
 世知辛い結論に至るのも仕方ないといえば仕方ない。
 だが、その意見をEDは即座に否定する。
「ありえません。まだあなたには教えていない情報を、僕は麗芳さんや子爵さんから
 得ていますが、その中には他の参加者についての情報も含まれています。どう見ても
 そんじょそこらの一般人でしかないような参加者もいたそうですよ。無益な争いを
 厭う方々だって結構いたようです」
「何故、その情報が真実だと判る?」
 誤報からは誤解しか生まれない。裏付けのない情報を鵜呑みにすることはできない。

821打算、疑念、葛藤、不信(7/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:01:39 ID:D3ySLypk
 大袈裟に肩をすくめて、戦地調停士は苦笑してみせた。
「これでも僕は交渉の専門家ですから、情報の分析は得意でして。それに、僕みたいな
 口先だけが取り柄の人間まで招かれているくらいですから、荒事が苦手な参加者も
 それなりにいると考えるべきですよ。まさか僕を戦士だとは思っていませんよね?」
 EDの度胸は並ではないが、それは文官の強さであって、武人の強さではない。
 実戦経験豊富な自動歩兵からすると、瞬殺できそうな相手にしかEDは見えない。
「…………」
 蒼い殺戮者の無反応を、黙認の表現だと理解し、戦地調停士は言葉を重ねていく。
「そういう方々の多くが殺し合いに耐えかねて自殺している、とは考えにくいですね。
 自殺志願者や戦闘狂を参加者として集めたというなら、どちらでもない例外ばかりが
 こうやって関わり合っていることになります。明らかに不自然でしょう」
「では、どう考えれば筋が通る?」
「参加していない人物を参加者であるかのように扱い、知人と再会できないまま死んだ
 ということにする。知人を殺されたと思い込んだ参加者は、復讐者となり仇を探す。
 けれど、いつまで探しても仇が見つかることはない。いずれ復讐者は生き残り全員を
 疑いの目で見るようになり、やがて仇でも何でもない参加者を襲い始める――あんな
 連中ならば、こういう筋書きを喜んで用意しそうですよね」
 目元を覆う仮面の下で、唇の端が歪められる。
「無論、生贄役に本人を用意した上で主催者側が直々に殺して回ったとしても、疑念を
 育てることはできます。しかし、手間暇かけて本物を使ったところで、劇的に効果が
 増すというわけではないでしょう。わざわざ本人を用意してまでそんなことをする
 くらいなら、ありのままの状況で殺し合わせた方が合理的だ、とは思いませんか?
 まぁ、実際は、何の作為もないとは考えにくいほど犠牲者が増え続けていますが」
 これは、しずくの名前を利用して蒼い殺戮者を暴れさせようとする陰謀ではないのか
――そんな可能性をEDは提示している。しずくは今も生きているのではないか、と。
「…………」
 蒼い殺戮者は、徐々にではあるが落ち着きを取り戻していった。

822打算、疑念、葛藤、不信(7/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:02:26 ID:D3ySLypk

                   ○

 内心の緊張を、EDは少しも態度に出さない。
 もっともらしく述べた仮説をED自身があまり信じていない、と気づかれるわけには
いかなかった。そんなことになれば、蒼い殺戮者が離反するおそれさえある。
 騙してでも、欺いてでも、今ここで戦力の分散を許すべきではなかった。
 もうすぐ子爵が戻ってくる。そうなれば出発の準備は終わる。
(まずは灯台へ向かい、先客がいれば交渉し、交渉が決裂すれば制圧を考え、勝ち目が
 ないと判断すれば逃亡する。誰もいなければ、そのまま灯台に潜伏すればいい)
 拠点を確保できれば、その後の活動は少しだけ楽になる。
 疲弊している風見の護衛として、活力の消費を抑えたがっている子爵に留守を任せ、
EDや蒼い殺戮者は単独行動ができるようになる。
(まぁ、僕が拠点に常駐していても大して役には立たないからな。手分けして動くべき
 だろう。人手も時間も無駄にしている余裕はない)
 体力に自信がないEDは、しばらく拠点で休息してから探索を再開するつもりだ。
 しかし、蒼い殺戮者はすぐにでも動きたがるに違いない。
(BBさんがいる間に風見さんを起こして、事情を説明しておく必要があるか。詳細な
 情報交換も、できればそのときに済ませてしまいたいが)
 そこから先のことは、臨機応変に決めていくしかないだろう。
 目先の問題についての思考が一段落し、大局を見据えて悩む時間が始まった。
(我々の生き死にを弄ぶ、何らかの作為が見え隠れしている。それは確かだ。しかし、
 その作為がいかなるものなのかは判らない。謎を探るための方法さえ判らない)
 赤い血溜まりが、丘の上へと登ってきた。
(今はただ堪え忍び、力を蓄えていくしかないということか)
 地面に降ろしていたデイパックを再び背負い、EDは口を開く。
「それでは、灯台へ行きましょうか」
 ごくわずかにではあったが、霧は薄くなり始めていた。

823打算、疑念、葛藤、不信(9/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:04:06 ID:D3ySLypk
                   ○

 時計の針は20:10を示している。
 時刻を確認し、懐中電灯のスイッチを切って、風見は溜息をつく。ベッドの上で体を
丸めて目を閉じても、睡魔は訪れてくれなかった。
(今は、さっさと元気にならないといけないのに)
 部屋の扉の向こうからは、寝ていた間に増えていた同行者の声が聞こえていた。
 増えた協力者の片方は声を出せないので、電話で話しているかのように聞こえる。
 どうやら、DVDが面白かったとかいう世間話をしているらしい。
(こんな状況下で雑談かぁ……現実逃避したくなってるのか、実は大物なのか、単に
 頭がおかしいのか……あー、ひょっとしたら、その全部かもしれないわね)
 仮面の変人やら自称吸血鬼の血溜まりやらが隣にいても、あまり風見は気にしない。
普段の環境が似たようなものだったせいだろう。
(参ったな)
 風見が蒼い殺戮者に起こされて、ここがA-7の灯台であることや、二名の参加者と
遭遇した末に協力していることなど、いろいろ説明され終わったのが数十分前だ。
 その後で、食事をしたり、EDから解熱沈痛薬やビタミン剤を譲られて服用したり、
四名そろって情報交換したり、そういった雑事を風見は済ませていた。
 風見が作って持ち歩いていた朝食の残りは、制作者自身の胃袋へ収まった。風見は
EDにも試食を勧めたが、「第三回放送の前にパンを食べたばかりですから」と言って
彼は丁重に辞退した。子爵が【病人なのだから、遠慮なく栄養を独占したまえ!】と
書き綴り、それを読んだ風見は思わず苦笑したものだった。
 今、休む時間と個室と寝床を与えられ、けれど風見は眠れないでいる。
(これから、どうなるんだろ)
 灯台には何者かが潜伏していた形跡があり、しかし滞在者はおらず、死体もなく、
罠の類や怪しい仕掛けも発見できなかった。一同は、この灯台を拠点として使うことに
なったわけだが、絶対に安全だという保証は当然ない。

824打算、疑念、葛藤、不信(10/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:04:52 ID:D3ySLypk
 19:00にC-8が禁止エリアになったため、そこにいた参加者が灯台を訪れるという
事態は充分にありえる。運が悪ければ戦闘になるはずだ。
(今のうちに覚悟しとこう)
 EDも子爵も悪人ではなさそうだったが、風見をどうしても助けなくてはならない
理由など彼らにはない。自分の命を危険に晒してまで風見を守らねばならないような
義務も彼らにはない。
 現時点でもEDや子爵は充分に親切だ。これ以上を望むのは傲慢というものだろう。
(私を置き去りにして、彼らが敵から逃げたとしても、それを恨むのは筋違いよね)
 また、襲撃者が吸血鬼だった場合、血に飢えることがどれほど苦しいのか知っている
子爵は、無意識のうちに手加減をしてしまうかもしれない。殺すつもりで襲ってくる
吸血鬼を、できるだけ殺さないつもりで倒そうとする子爵が躊躇しながら迎撃すれば、
結果的に風見やEDを守りきれなくなるかもしれない。
 蒼い殺戮者は、さっき灯台を去り、探索をしに行った。再会できるのは、早くても
第四回放送が始まる頃だ。心細いと風見は思う。しかし、仲間を集めて脱出するなら、
どうしても誰かが拠点から動かねばならない。
 しばらく休憩した後で周辺の様子を見に行く予定だとEDも言っていた。
 蒼い殺戮者がいない間に、EDや子爵が風見を殺そうとする――そんなことが起こる
確率は今のところ低い。EDも子爵も理知的な参加者だった。比較的簡単に殺せそうな
病人を殺すつもりなら、なるべく後で殺したがるだろう。“誰も死ななかった”という
放送が三回連続するまでは、殺害を急ぐ必要がないからだ。
 情報交換の際に、EDは「毒薬や睡眠薬も支給されました」と言って、付属していた
説明書を他の三名に公開していた。風見に毒を盛る気ならこんなことはしない、と皆に
確信してもらうための行動だろう。故に、風見は毒殺される心配をしていない。
 けれど、風見は、EDから睡眠薬をもらう気にはなれなかった。
 薬の力で眠ったら、敵が現れたときに起きられないかもしれない。
 風見はEDや子爵を殺人者だとは思っていないが、いざというとき頼りになる味方だ
とも思っていない。
 ――“今のところ敵対していない相手”は“仲間”と同じものではない。

825打算、疑念、葛藤、不信(11/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:06:02 ID:D3ySLypk
 蒼い殺戮者から聞いた第三回放送の内容を、風見は思い出す。
(覚も佐山も、それから海野千絵も、まだ生きてる。会えるといいんだけど)
 情報を大量に集めていた子爵でさえ、出雲の居場所や千絵の現状などについては何も
知らなかった。佐山についての情報はあったが、すぐに合流できるほど詳しくはない。
 佐山は新庄の死をも受け止め、進撃することを選んだという。
(なんとなく、そんな気はしてた)
 眉尻を下げ、風見は複雑な表情をした。
 生きていてほしい相手だけでなく、死んでほしい相手も生きている。
(甲斐も、ドクロとかいう自称天使も健在か。正直、あんまり関わりたくないわね)
 物部景の仇は生死不明だ。名前が判らない以上、放送では確認しようがない。
(もしも、あの銃使いと再会したら、そのとき私はどうするのかしら?)
 自問に自答は返らない。
 第二回放送の頃に機殻槍を持っていたという青年、ハーヴェイは死んでいない。
(G-Sp2が飛んだ理由を知ってるなら、私に対する印象は最悪でしょうね……)
 緋崎正介が死に、危険人物は一人減った。
(でも、緋崎を殺した参加者は、緋崎より危険かもしれない)
 蒼い殺戮者の探していた三名のうち、一人は亡くなり、二人は生きていたという。
 今ここにはいない自動歩兵の横顔を、風見は思い出す。
(大丈夫……なのかな)
 表面上は平然としているように見えても、苦悩を隠しているということもある。
 第三回放送で告げられた死者の総数は24名に及んだ。ひどく異様な状況だった。
(参ったな)
 EDの語った“主催者側による偽情報説”を信じていいのか否か、風見は迷う。
 顔をしかめて、風見は寝返りをうった。

826打算、疑念、葛藤、不信(12/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:07:38 ID:D3ySLypk
【A-7/灯台付近/1日目・20:05頃】

【蒼い殺戮者(ブルーブレイカー)】
[状態]:精神的にやや不安定/少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]:梳牙
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:この島で死んだという“しずく”が、己の片翼たる少女だったのか確認したい
    /風見・ED・子爵と協力/火乃香・パイフウの捜索/第四回放送までに灯台へ戻る予定
    /脱出のために必要な行動は全て行う心積もり

【A-7/灯台/1日目・20:15頃】
『灯台組』
【エドワース・シーズワークス・マークウィッスル(ED)】
[状態]:健康
[装備]:仮面/懐中電灯
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン3食分・水1400ml)/手描きの地下地図
    /飲み薬セット+α(解熱鎮痛薬とビタミン剤が1錠減少)
[思考]:同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す/この『ゲーム』の謎を解く
    /しばらく休憩した後、周辺の様子を探り、第四回放送までに灯台へ戻る予定
    /盟友候補者たちの捜索/風見の看護
    /暇が出来たらBBを激しく問い詰めたい。小一時間問い詰めたい
[備考]:「飲み薬セット+α」
「解熱鎮痛薬」「胃薬」「花粉症の薬(抗ヒスタミン薬)」「睡眠薬」
「ビタミン剤(マルチビタミン)」「下剤」「下痢止め」「毒薬(青酸K)」以上8つ

827打算、疑念、葛藤、不信(13/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:08:22 ID:D3ySLypk
【ゲルハルト・フォン・バルシュタイン(子爵)】
[状態]:やや疲労/戦闘や行軍が多ければ、朝までにエネルギーが不足する可能性がある
[装備]:なし
[道具]:なし(荷物はD-8の宿の隣の家に放置)
[思考]:アメリアの仲間達に彼女の最期を伝え、形見の品を渡す/祐巳のことが気になる
    /盟友を護衛する/灯台に滞在する/同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す
    /いろいろ語れて嬉しいが、まだDVDの感想については語り足りない
[備考]:祐巳がアメリアを殺したことに気づいていません。
    会ったことがない盟友候補者たちをあまり信じてはいません。

【風見千里】
[状態]:風邪/右足に切り傷/あちこちに打撲/表面上は問題ないが精神的に傷がある恐れあり
[装備]:懐中電灯/グロック19(残弾0・予備マガジンなし)/カプセル(ポケットに四錠)
    /頑丈な腕時計/クロスのペンダント
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式/缶詰四個/ロープ/救急箱/空のタッパー/弾薬セット
[思考]:早く体調を回復させたい/BB・ED・子爵と協力/出雲・佐山・千絵の捜索
    /とりあえずシバく対象が欲しい
[備考]:濡れた服は、脱いでしぼってから再び着ています。
    EDや子爵を敵だとは思っていませんが、仲間だとも思っていません。

※地下通路に残されていた麗芳宛ての置き手紙は処分されました。

828夜の道を往く者との対面 ◆ozOtJW9BFA:2006/09/19(火) 22:11:49 ID:10YvUZzQ
 今夜のミラノは雷雨の様だ。
ここミラノにある剣の館の窓にも激しい雨が叩きつけられている。
その館の執務室で二人の女性による密談は一時間を過ぎようとしていた。

「つまり私達に救援を求めると、そういうことですか、バベル議長?」

執務室の椅子に持たれかかりながら紅い法衣を纏った“世界でもっとも美しい枢機卿”━━━━カテリーナ・スフォルツァは向かいに座る山羊の角が生えた天使に情報の確認をする。

「その通りじゃ、ミラノ公」

あの忌まわしき主催者を打倒するにはルルティエでは荷が重すぎる。他の打倒者達も同じ考えであった。主催者を倒し、参加者を助けるには生半可な戦力では不可能。しかも、あちらの状況も戦力も一切不明。参加者の生死すらもわからずじまい。会議は止まり誰もが絶望する中、眼帯をした一人の天使が一つの希望を口にした。

829夜の道を往く者との対面 ◆ozOtJW9BFA:2006/09/19(火) 22:13:22 ID:10YvUZzQ

「主催者を打倒するためには主催者に詳しい方をここに連れて来たほうがいいのではないでしょうか」

その提案はすぐさま賛成され、ルルティエ議長は主催者と闘っているという機関のトップとコンタクトを取ることに成功したのだった。


「わかりましたバベル議長。『ガンスリンガー』、『クルースニク』彼をこの部屋に」

「肯定(ポジティブ)」

それまで二人の会話を部屋の隅で聞いていた小柄な神父は主の言葉を聞き、部屋から音も無く出ていってしまった。


「ミラノ公!話を聞いておられなかったようじゃな!わらわは『戦力』と言ったはずじゃ!一人の力で何が出来るのじゃ!?」

ドクロやその他の参加者を助けるというのに一人だけじゃと!
この麗人は何を言っているのか……

今ここに『ガンスリンガー』がいたならばバベルに銃を向けていたであろう。だが、天使の責めを止めたのは麗人の一言だった。

「はい、聞きましたよ。議長」

「では何故…」

「手元にいて、なおかつこの任務に合っているのは彼しかいません。そして今ココにくるのはAx最高の派遣執行官です。それと同時に私が一番信頼している人物。お茶でもどうです?彼がくる時間までには、一杯の紅茶を飲む時間くらいはあるでしょう。」

「………それではいただくとするかの……」

麗人が『クルースニク』とやらを話す時の顔を見ていたら、何故か怒れる気持ちも治まってしまった。話しをしている時の目が全てを語っているのを聡いバベルは悟った。

ホログラム姿のおっとりとしたシスターの出した紅茶(とても美味しい)を飲んで一息ついた頃、彼は現れた。
廊下をドタドタと走りながら入って来たのは、泥だらけの格好をした長身の神父。
王冠の様な銀髪には泥がつき、冬の湖色の瞳を隠すようにかけている牛乳瓶の蓋にも見える分厚いメガネにも泥がついていた。

830夜の道を往く者との対面 ◆ozOtJW9BFA:2006/09/19(火) 22:15:48 ID:10YvUZzQ

「す、すいませ〜んカテリーナさん。雨のせいで道がぬかるんでいたせいかコケてしまいましてね、」
「ナイトロード神父、議長に自己紹介を……。」

ノッポの神父のアホ話を切ったのは頭に青筋を浮かべた麗人だ。今にも噴火寸前の気配を感じるとナイトロード神父は、ずれたメガネを直し、軽い会釈をする。

「これは、これは。トレス君から話は聞いています。Ax派遣執行官アベル・ナイトロードです。どうぞよろしくバベル議長(ハート)」

この時の感情をなんと表現すればよいのじゃろう?
不安?裏切り?落胆?失望?
否!
無気力であった……倒れそうになった…………
このままルルティエに帰るとはどうじゃろう?
一瞬そんな考えが頭によぎったが背に腹は変えられない。こう見えてこの男は何かとんでもない能力でもあるのではないじゃろうか?………そうであってくれ!

珍しく泣きそうになるのを堪えながら、差し出された手に笑顔で握手をする。握り潰したくなるのを我慢しながら。

こうして、天使は“02”に出会った


【現地時間22:05】

【ロア内時間19:05】

バベルちゃん/アベル・ナイトロードは参加者ではありません

バベルちゃんは主催者を薔薇十字騎士団だけとしか知りません

831タイトル未定1 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:10:31 ID:9yaTnsNo
『この愚かしいゲームに連れてこられた者達よ』

 突如として響いた澄んだ声。
 それはマンションを中心に波紋のように伝播していく。

『聞きなさい。あたくしの名はダナティア・アリール・アンクルージュ』

 森を越えて市外を越えて届いた言葉に対して、
 ゲームの参加者達は力強い響きに静かに耳を傾ける。
 そして、声はマンションから遠く離れた貨物船にも届いていた。

『あたくしはこのゲームに宣戦を布告します』

 貨物船の三人は確かに届く宣言を受け取った。
 一人はブリッジで、一人は船長室で、一人は船倉で。
 そして、三人全てが等しい思いを胸に宿した。
 この言葉を待っていたと。
 抗う叫びを待っていたと。
 そして感じた。快いと。
 離れた場所で、同じ境遇の誰かが自分達の意思を代弁してくれたのだから。
 脱出への望みはまだ絶たれていない。

832タイトル未定2 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:11:39 ID:9yaTnsNo
「誰だか知らねぇが、ずいぶんと大胆だな……」
 船内に歩を進めたヘイズは一人こぼした。
 つい先ほどまで、彼は仲間と分かれて船長室の調査をしていた。
 机を引っ掻き回して積み荷の目録を探し当てたところで放送を耳にしたので、
 とりあえず作業を中止し、仲間と合流しようとして外へ出たのだ。
 目に映るのは長い通路とその端まで連なる船室、船室、船室。
 木造の外装から旧式の船だと侮っていたが、中身は外側ほど単純ではなさそうだ。
 その証拠に分岐した通路や、間隔を空けて設置された階段が見受けられる。
どうやら船の上階には船室などが配置されていて、
 下部には船倉などがあるらしい。
 それらを適当に確認しながら進むと、

『――それでも尚、道を見失う事は愚かです』
 
 ダナティアなる人物の強い意志を感じさせる主張が耳に届いた。
 悪意は連鎖する、過ちは繰り返す。だから、ここで終わりにしよう。
 そしてゲームに乗る者は許さないと、ダナティアはきっぱりと宣言したのだ。

833タイトル未定3 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:13:03 ID:9yaTnsNo
(不戦を説く、か。半数の参加者が死んでる現状じゃあ、まぁ当然だろうな。
 でもよ、忘れてないか? 午前中にお前と同じ事をした連中、
 そいつらに一体何が起こったのか。あの銃声を聞いてたはずだろ?)

 思案しつつ進むと通路にほどこされた装飾や、
 ルームナンバーしか変化しない左右の船室が、
 ヘイズの視界の内を後ろに向かって流れていく。
 周囲に響く、もう聞きなれたはずのたった一人分の靴音が、
 妙に無機質に感じられるのは気のせいだろうか。

『そして――』

 そこで終わりだった。 
 中途までつむがれた言葉は雑音によってあっけなく崩壊していく。
 ダナティアの声は銃声によってかき消されてしまったのだ。
 あまりにも非情な終焉としか言いようが無い。
 やはり、和平を快く思わない参加者が存在していたようだ。

「クソッタレ! やっぱりこうなるのかよ!」
 予想しうる事態だった。
 それでも、ヘイズの期待は一時の間ダナティアへと向けられていた。
 もしかしたら、という僅かな期待が。
 しかし、その思いは無惨にも引き裂かれ、砕けて消えた。
 参加者が呼びかけに応じて集い、脱出への道を歩むというシナリオも
 所詮、かなわぬ夢だったのだろうか。
 そうヘイズが意気消沈する直前――。

834タイトル未定4 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:13:47 ID:9yaTnsNo
『そして、進む者として告げましょう』

 消失したはずの言葉が再びつむがれ始めた。
 ダナティアは無事だったのだ。
 だから、ヘイズは思わず指をはじいた。

『あたくしは進撃します』

 宣告は続く。
 より力強く。
 より明朗に。
 同時に、銃声が連続して伝わってくる。
 ヘイズにはその音が宣言を打ち砕かんとする絶叫に聞こえた。
 しかし言葉は止まらない。
 ダナティアは脅威に対して屈していない。
 それはまぎれもなく、ゲームに乗った者達と主催者に対する
 明確な意志の表れだった。
 
 銃声が九射まで連ねられた時、ヘイズは解した。
(なかなかの覚悟じゃねぇか。この女は――強い)
 宣言のもたらす効果は計り知れない。
 だが、ダナティア・アリール・アンクルージュの言葉は確かに伝わった。
 彼女は島の全参加者に対して、こっちを見ろと言い放ったのだ。
 現実に対して絶望するな、そして私のルールに従え、と。

835タイトル未定5 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:15:05 ID:9yaTnsNo
 ヘイズ達を観客として、彼女は舞台に立った。
 もはや無視できる状態ではない。
 この放送を火乃香もコミクロンも聞いたはずだ。
 やはり、一旦集結しての意見交換が最優先だろう。

(整理するとこうか? ダナティアその他十二人が参加者に対して不戦を告げる。
 続いて、ゲームに対して反抗を宣言した。
 対する管理者の連中は沈黙。って、ずいぶん寛容じゃねぇか……?
 何か裏があるのか、脱出不可能とタカくくってんのか分からねぇな。
 ……保留すっか。で、反抗するに従い協力者を募るから乗ってないやつらは
 自分の所に来い、とまあこんなもんか)

 ダナティアの言葉を全面的に信用するなら、ヘイズ達にとって
 喜ばしい事に違いない。
 逆に邪推すると、反抗宣言につられてやってきた和平を望む参加者を
 仲間と共に一網打尽にしてしまう凶悪な罠ともとれるのだ。
「信憑性が低いっつう致命的事実を除けば、ツイてる展開なんだけどな……」
 一方的な放送ゆえに、こればかりは仕方が無い。
 参加者が激減しているこのタイミングでの放送、そして内容。
 対応は慎重にならざるをえないだろう。

 ヘイズがつかつかと通路を進むと、階段に突き当たった。
 今までの下層だけにしかつながっていないものとは別で、
 上層へとつながる階段だ。
 ヘイズがその階段を半ば登りかけたところで、
『あー、テステステス。聞こえる? って言ってもあんた達の返事は
 こっちに聞こえないんだよね』
 頭の方から船内放送が聞こえてきた。

836タイトル未定6 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:16:49 ID:9yaTnsNo
 考えるまでもなく、火乃香の声だ。
 どうやら彼女も集合して意見交換を行いたいらしい。
 もっとも、ヘイズは火乃香からのお呼びがかかる事を
 五分ほど前から予測していたので、先に行動を開始していたわけだが。

『あんた達さっきの放送聞いてたよね? なんかえらそーな口調で
 宣戦布告してたやつ。んで、あたしとしては何らかの
 リアクション返してやりたいから非常事態宣言出すよ。
 さっさとブリッジへ来い、以上』
「……アイ、サー」 
 集合をせかす火乃香の声に対して、
 いつものやる気の無い態度でヘイズはぼやいた。
 


【G−1/難破船/1日目・21:35】

『戦慄舞闘団』
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:健康。
[装備]:
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
    船長室で見つけた積み荷の目録
[思考]:仲間と相談、船の調査報告
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。


【火乃香】
[状態]:健康。
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:仲間と相談、船の調査報告


[チーム備考]:火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
[チーム行動予定]:EDとエンブリオを探している。左回りに島上部を回って刻印の情報を集める。

837タイトル未定 1  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:41:40 ID:9yaTnsNo
 ひとけの無い路地を一人の男が疾走していた。
 その走法は一般人のものとは若干異なっていて、見る者に次第で男が武術の
 達人だと看破することができるだろう。
 男が一歩踏み出すたびに、ドレッドヘアがばらばらと音を立てた。
 その特徴的なヘアの動きとは無関係に、男のジャケットも揺れている。
 端的に表すと、異様の一言に尽きるだろうか。
 ジャケットは丈が長いダークグレーで、なぜか花柄模様で飾られていた。
 男が花壇を背負うかのように見せているそれらは、単なる刺繍ではない。
 色とりどりの花々、その一枚一枚が高性能の爆薬なのだ。
 この花柄の上着とヘア、そして左目を刀の鍔で覆い隠した精悍な顔立ちは、
 魔界都市<新宿>の犯罪者達に対する赤信号だった。
 男の名は屍刑四郎。
 人呼んで――主に男と敵対する連中が用いる呼称なのだが、
 『凍らせ屋』という。

 <新宿>きっての敏腕刑事である屍が急いているのはなぜか。
 単純である。人命がかかっているのだ。
 ゲームと称された殺し合いで多くの命が散ってしまっている現状、
 もはや手の届く場所での殺人を見逃すことはできなかった。
 しかし屍が向かう先、一直線の路地には彼の目指す人物はいない。
 どうやら短時間で相当距離をつめなければならないようだ。

838タイトル未定 2  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:42:31 ID:9yaTnsNo
 屍は、ボルカンと名乗った少年を見失って後悔していた。
 保護を怠ったのは完全に屍自身の失策だ。
 ボルカンから聞いた話では、怪物は凶悪かつ乱暴者らしい。
 一度手放した獲物であるボルカンを見て、怪物が無事に済ますとは思えなかった。
 すでに悲鳴が上がっていることからして、二人は接触してしまったのだろう。
 もはや一刻の猶予も無い。
 屍は肩からずり落ちそうになったデイパックを担ぎなおして
 進足のスピードを上げた。
 その時、屍の右手の方角から二度目の悲鳴が聞こえた。

「あぁぁぁぁ! お許しくださいっ! 
もう逃げません抵抗しません欲しがりません勝つまではっ!?」
「をーっほほほほほほほほほほ! 殊勝な態度を示したところで
あたくしの決定は覆らなくってよ。男らしく潔くおし!」
 こわもての刑事から距離を取ったのもつかの間の安全だった。
 ボルカンは曲がり角でばったり小早川奈津子と遭遇し、
 あっさりと捕らえられてしまっていた。

839タイトル未定 3  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:43:14 ID:9yaTnsNo
 身も心も巨大な小早川奈津子といえども、自分を置き去りにした上に
 武器まで奪って逃げ出した下僕、すなわちボルカンを見逃すことはできない。
 出会いがしらにむんずと捕らえて長剣を取り返し、ついでに脚をつかんで
 逆さ吊りにしてしまった。
 ボルカンは手足を振り回して必死に抵抗していたが、
 相手は規格外の大女。さすがにどうしようもない。
 芋虫のような太い指につかまれて揺れるその姿は、
 まるで釣り上げられてもがくサンマかニシンのようであった。

 憎き竜堂終に逃げられて、美男の医者に投げ飛ばされて、
 おまけに武器まで奪われて不機嫌の絶頂だった小早川奈津子も、
 今はボルカンを捉えた達成感で満たされていた。
 そして、さあお仕置きの時間に入ろうか、と鼻息あらく腕を振り上げる。
 凶器といえる太い腕を見たボルカンは引きつった悲鳴をあげた。
 正義の天使は小悪党が狼狽するその様子を満足げに眺めると、
「をっほほほ。あたくしの機嫌を損ねた罪は重いぞよ。
今からたっぷりとオシオキしてあげるから覚悟おしっ!」
 一般人にとっては死刑宣告に等しい叫びをあげた。

840タイトル未定 4  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:44:07 ID:9yaTnsNo
 哀れボルカン。恐怖の具現、マスマテュリアの闘犬といえども
 小早川奈津子にぶっ叩かれ、人間バットにされ、
 この上さらにぶっ叩かれたりすれば気絶は免れない。
 いや、気絶で済むその強靭さを称えるべきだろうが、
 人生には耐えられるが故の苦痛というものも存在するのだ。
 このような虐待が続けば、ボルカンは今に増してオーフェンを
 恨むことだろう。
 これもそれも全てオーフェンが悪い、と。
 うめき声をあげる地人の心情を小早川奈津子が察してくれるわけが無い。
 いざ、百叩きの刑に処してくれようず、と意気込んだところで、
「やめときな」
 どこからともなく声がした。

 小早川奈津子が声の主を探すと、ボルカンを捕まえた角のすぐ先に、
 一人の男が立っていることに気づいた。
 男は続ける。
「現行犯は問答無用で叩きのめすぞ」
 声の主は屍刑四郎。雨がしたたるその顔が、うすく笑みを浮かべていた。
 その容貌から発される警告は、並みの人間には恐喝に等しい。 
 スパイン・チラーの異名どおりに、相手の背筋を凍らすほどの凄みがある。
 しかし、相手はドラゴンにすら立ち向かう希代の女傑・小早川奈津子だ。
 『凍らせ屋』と真正面に向き合っても全く物怖じしていない。
「このあたくしに意見するとは、いったい何者だえ?」
 せっかくのお仕置きタイムに水をさされた正義の天使は、
 まるでごみくずを投げるかのように地人を放り捨てた。
「ぬおっ!」
 発した声は、突如として怪物から開放されたことに対する驚嘆か、
 それとも更なる不運を予期しての抗いの叫びか。知る者はいない。
 もしも彼がこの場から無事に逃走できたのならば、
 次の悲劇に巻き込まれること無く自由の時を謳歌できたのかもしれない。
 だが現実は非情。
 虹の如き放物線を描いて飛んでいくボルカンは、まるで狙い済ましたかのように
 路地の塀に後頭部を強打し、ぐっという呻きとともに昏倒した。

841タイトル未定 5  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:45:03 ID:9yaTnsNo
 図らずとも、小早川奈津子の理想どおりの展開になってしまった。
 路地を包む沈黙の中を鈍い衝突音が波紋を描いて広まっていく。
 そして塀にもたれかかったまま、ずるずるとへたり込むボルカン。
 少しでも意識が残っていたならば激しい抗議の声をあげただろうが、
 今はそれすらも叶わない。
 そんな下僕には一切の関心を払わない小早川奈津子は、
 すっかり興が冷めたといった表情で屍に一歩踏み出した。
 だが、次の瞬間に彼女の表情は一転、好奇を示す。
 まるで仮面を取り替えたかのような豹変ぶりだった。
 無骨者ともとれる屍の面構えが、どうやら眼鏡にかなったらしい。
「近づいてみたら、これはなかなかいい男。あたくしの下僕にしてあげましょう」
 万人がおののく威圧感、いや巨体ゆえの圧迫感、
 悪く表現すれば目障りなまでの存在感を振りまいて、女傑は屍に歩み寄った。
 だが魔界刑事は動じない。
 これまでやくざの威圧・恐喝は何度も打ち破ってきたし、
 魔界都市<新宿>を巣喰う不気味な妖物達と戦ったこともある。
 巨人が詰め寄る程度では動揺すらしない精神の持ち主なのだ。
 何より、彼は犯罪者になびく気などさらさら無い。
「お断りだ」
 と鉄の響きで一刀両断、あっさりと切り捨てた。
 
 予想外の返答――あくまで小早川奈津子個人の予想であり、
 十中八九の人間には当然といえる返答に対して、
 巨大かつ繊細な乙女心は大きな衝撃を受けたようだ。
 女傑の思考は単純であるがゆえに、直球の拒絶反応は受け入れやすい。
 心のダメージが身体にフィードバックして、小早川奈津子はよろめいた。
「あたくしの誘いを断るとはなんたる愚行……ならば!
この小早川奈津子に奉仕できるという栄光を直接その体に刻んでくれようず!」
 良き男 征服するのも また一興 心躍りし 秋の夕暮れ
 そんな歌を脳裏に浮かべ、相手に向かって走り出す。
 小早川奈津子は今の季節がよく分からなかったはずだが、
 性欲の秋とも評されるので秋にしたのだろう。 
 つまり、無理やり押し倒して事を成そうと考えたのだ。
 体当たりをくらった相手が多少の怪我を負おうが、構わない。
 乙女心が受けた傷に比べれば浅いのだから。
 そんな御前イズムを全開にして、小早川奈津子は屍目指して突撃した。

842タイトル未定 6  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:46:13 ID:9yaTnsNo
 一方、屍は小早川奈津子の内心などつゆも知らない。
 ただ単純に相手が襲ってきたものと了解する。
 ボルカンからは「怪物」と報告されているので、もはやためらいは無い。
 巨体の突撃に対して寸前まで相手を引き付け、
 丸太のような両腕が左右から押さえ込もうとする
 その動きを読んで横へ飛び退く。
「をっほほほほ、観念したようね――なんとっ!?」
 直前まで動じなかった屍をそのまま押し倒せると思っていたのだろう。
 怪物の声には感嘆の響きがあった。
 次の瞬間、目標を失った巨体が路地の塀へと突っ込んでいった。
 屍は相手がそのまま塀にぶつかって昏倒するだろうと予想し、
 ボルカンの方へと踵を返す。
 しかし、その耳に届いたのは壮大な破砕音だった。
 小早川奈津子の体当たりを止めるどころか、逆に塀が崩壊してしまったのだ。
 まさに人外魔境の破壊力。
 あんな体当たりをまともに受ければ『凍らせ屋』とて無事では済むまい。
 最悪、打ち所が悪ければ命にかかわる。
「暴行罪・刑事に対する殺人未遂――もう十分だな」
 この瞬間、小早川奈津子は屍刑四郎に犯罪者と認定された。
 屍にとっては凶悪犯であるほど、命の価値が反比例に下がっていく。
 この犯罪者に対する苛烈さも魔界都市<新宿>ならではであった。

843タイトル未定 7  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:47:06 ID:9yaTnsNo
 ふっ、という独特の呼吸音と共に屍は小掌を放った。
 屍が扱うジルガと呼ばれる武術の型にのっとったもので、
 本来ならば手榴弾並の衝撃を相手に叩き込む技だ。
 制限によって劣化していても、並の人間は一撃で再起不能になる威力。
 だが、あくまで相手が並の人間だったのならば、という場合である。
 屍が並みの刑事でないのなら、小早川奈津子も並みの大女ではなかった。
 塀を打ち崩したばかりの巨大な肉体に小掌が命中する。
 完璧なタイミングと完璧な威力。
 さすがの女傑も塀の向こうに吹き飛ばされる。
 だが、一旦の間を置いてから即座に立ち上り、けろっとした様子で復帰してくる。
 屍は眉をひそめた。

 確かな手ごたえはあった。しかし肉を打っただけで体の芯までダメージが
 入っていなかったのだろうか。
「をっほほほほ! ちょこざいな」
 小早川奈津子は腰の辺りのほこりを手ではらった。
 その隙を見て、屍は間髪入れずに蹴りを放つ。
 それは正確に小早川奈津子のみぞおちを捉える。
 再び吹き飛ばされる巨体。
 しかし、
「をーっほほほほほ!」
 あいも変わらぬ様子で女傑はカムバックしてくる。
 屍は悟った。
 これは自分が蹴りを打ち損したのではなく、相手が頑健すぎるのだと。
 相手が塀を破壊した時点で、その妖物並みのタフネスに気づくべきだった。
 愛銃であるドラムが手元に無い今、ジルガを用いて相手を打倒しなければならない。
 幸いにもジルガには装甲を無視し、内部にダメージを与える技がある。
 急所を的確に狙えば2、3発で決着するだろう――。

844タイトル未定 8  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:47:51 ID:9yaTnsNo
 そこまで思考した時、屍は背後に殺気が迫るのを感じた。
 直後、魔界刑事の本能が告げた。
 この場は危険だ、すぐに立ち退けと。
 それは純然たる死の警告。屍の対応は迅速だった。
 肩のデイパックを即座に握り締め、塀に向かって全力で飛びのく。
 だが、塀の横まで飛んだ瞬間、屍は再び直感した。
 ここもやばい。
 それはギロチンの刃の下にいるような感覚に似ていた。
 しかも既に刃が落下しているギロチンだ。
 もはや考える暇すらなかった。屍は純粋な反射行動によって塀を蹴りつける。
 その蹴りによって、移動中だった屍の進行ベクトルが大きく変わった。
 そこにきて思考が追いついた。ギロチンのイメージ元は鋭く研ぎ澄まされた殺気。
 攻撃は二発来ていたのだ。

 屍の体が塀から離れた直後、さっきまで身体が存在した空間を幾本もの刃が通過した。
 その正体は白光する鮫の歯だった。
 地獄の虚に似た大口が閉じられる姿は、断頭台を超える必殺の光景。
 一撃を回避させておいて、身動きのとり辛い緊急回避中に二発目を放つ。
 それは相手の生存を許さぬ非情なコンビネーション攻撃だった。
 <新宿>の刑事でもなければとっさに回避できなかったかもしれない。
 しかも大半の参加者は最初の一撃で葬られていただろう。
 なぜなら、攻撃の主は悪魔そのもの。
 出現するまで姿も気配も無いのだから。

845タイトル未定 9  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:48:32 ID:9yaTnsNo
 三発目が来ないのを確認して、屍はゆっくりと立ち上がる。
 隻眼は真剣の如き鋭さを持って乱入者を貫いた。
 その視線の先には、先ほど屍が置いてきた少年が悠然と立っていた。
 彼の放つ殺気が無ければ、屍は鮫に呑まれていただろう。
 甲斐氷太――この男もまた、ゲームに乗った殺戮者だ。
 屍は内心、不快を感じていた。
 追ってきているのは知っていたが、まさかここまで詰められていたとは――。
 だが、この男をここまで近づけたのは屍のミスではなく、
 制限による各種感覚の能力低下が原因だった。
「掃除すべき屑がまた一つ。ジャンキー風情が手間を掛けさせやがる……」
「あぁ!? 俺の方が先客だろうが。それを無視して走ってったのはお前だぜ? 
ったく舐めた真似しやがって」
「あたくしを――」
 火花を散らす男二人に対して、蚊帳の外に弾き出された小早川奈津子が
 憤慨する。
 しかし、
「参加者の保護が優先だ。おまえ如きに構ってられるか」
「……じゃあ次はそこで寝てるガキを悪魔で食い千切ってやるよ」
「あたくしの――」
 正義の天使は全く相手にされていない。
 それどころかまるで眼中に無いかのような扱いだ。
 甲斐氷太はボルカンの方へと目を向け、屍は相手の出方を伺っている。
「つけ上がるなよ、小僧。俺はそれほど気の長いタチじゃない」
「はっ、三流の脅し文句だぜそりゃあ。
さっきみてえに睨んでるだけの方がよっぽどスゴ味が利いてたぜ」
 さすがの甲斐も『凍らせ屋』と真っ正面からガンを付け合えば、
 背筋が凍って行動不能にならないまでも、相手に一歩譲らざるを得ないようだ。
 屍が放つ気は並の強者のものではない。
 魔界都市において実力でスジを通してきた者のみが放てる覇気なのだ。
 その気に押されて、大抵の人物は屍の格を知る。

846タイトル未定 10  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:49:14 ID:9yaTnsNo
 だがその場にはただ一人、徹頭徹尾に空気を読まない人物がいた。
 その名は小早川奈津子。
 人呼んで北京の女帝etc……。
 彼女は今、度重なる凡夫の無礼によって心底怒りを蓄えていた。
 二人の背後で怒鳴ったり手を振り上げたりしていたが、一向に反応が無い。
 ゆえに懐広く、慈悲深い正義の天使と言えども、もう我慢の限界だった。
 鉄槌を放たずにはいられない。
 彼女は、静かに腰を落として路地のマンホールに手を掛けた。
 怒りで手が震えるが、芋虫と形容されるその指はなんら抵抗無く鉄塊を
 地面より掴み上げる。
 負傷した右腕が少し痛むが、怒りはそれを押し流した。
 そして相変わらず無視を続ける男二人の方へと向き直り、
「あたしの話をお聞きっ!!」
 巨体に似合わないステップで勢いをつけてから、
 まるで円盤を投げるかのような軽やかさでマンホールの蓋を投擲した。

 甲斐は視界正面にその鉄塊を捕らえ、屍は持ち前の直感力で危機を察した。
 二人がかろうじて屈めた頭上を洒落にならない速度でマンホールの蓋が
 飛び去って行った。
 直撃して頭が吹き飛ばない人類は存在しないであろう威力を誇るその円盤は、
 男二人の数メートル後ろの塀に衝突。
 ビル破砕機のようにその壁面を打ち抜いて住宅に悲鳴を挙げさせた。
 頭を上げた甲斐がただちに現状を理解して罵倒の叫びをぶつけた。
「おいっ! 空気読めよ肉ダルマ!!」
「に、に、肉……!」
 もはや小早川奈津子は言語を用いて返すことができない。
 女傑の怒りは頂点に達したのだ。
 彼女の脳内で壮大な富士山噴火のエフェクトが立ち上がり、
 それは徹底的な激怒を呼び起こした。
 もはや止められる者は存在しない。
「――っ、覚悟おしっ!!」
 長き険しき努力の末にようやく一言捻り出すと、
 小早川奈津子は傍らの長剣を手に取り、一人の修羅となって突撃した。

847タイトル未定 11  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:50:23 ID:9yaTnsNo
【A-3/市街地/一日目/18:45】

【屍刑四郎】
[状態]健康、生物兵器感染
[装備]なし
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1800ml)
[思考]ボルカンを救出し、怪物と甲斐を打ちのめす
[備考]服は石油製品ではないので、影響なし

【ボルカノ・ボルカン】
[状態]たんこぶ、左腕骨折、生物兵器感染、現在昏倒中
[装備]かなめのハリセン(フルメタル・パニック!)、
[道具]デイパック(支給品一式、パン四食分、水1600ml)
[思考]とにかく逃げたい
[備考] 服は石油製品ではないので、影響なし

【甲斐氷太】
[状態]肩の出血は止まった、あちこちに打撲、最高にハイ、生物兵器感染
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、煙草(湿気たが気づいていない)
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
   煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]屍や怪物と戦う、怪物うぜぇ
[備考]生物兵器の効果が出るのはしばらく先、
   かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下

848絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:16:28 ID:Ixp5b3uM
 人は本当の恐怖と相対した時、どんな反応を示すのだろう?
 震えるか? 立ち竦むか? 命乞いか? はてまた崇めるか?
(違う)
 ウルペンは首を振った。
 それは単純なものではない。そんなひと言で表せるようなものではない。
 体が震えている。もとより体は五体満足よりほど遠い。だが、彼を苛んでいるのは体の欠損などではない。
 眩暈がする。吐き気がする。脳が裏返り、地面を足が掴んでいられない。 
 生きたまま内臓を全て引き抜かれるような激痛と虚脱。体がくの字に折れ、自然と視界が下を向く。
 足下には仮面を被った死体がある。エドワース・シーズワークス・マークウィッスル。その骨と皮。
 念糸は強力な武器だ。そして訓練された念糸使いが用いれば、不可避の武器にすらなる。
 速度、距離、隔てる物質――すべて無効化し、念糸は相手に届く。
 もとよりそれは思念の通路。耳を塞いでいたって言葉は届く。だから念糸は如何なる手段であっても防げない。
 ――本当に?
 本当に、死んだのか?
『未来永劫、お前は何も信じられまい』
 EDの視線と言葉は極めて鋭く、それはまるですり抜けるようにウルペンの心臓を突き刺した。
 動揺と激しい動悸に、ウルペンは知らず呼吸を乱す。
 空気が足りない。血液が足りない。光が足りない。全て不足している。
 世界の全てが信用できない。
 呼吸しているのは毒素ではないか? 体を巡っているのは熱湯ではないか? 眼前の世界は虚像ではないか?
 妄想だ。そう一蹴できた。できたはずだ。
 信じることが出来れば。

849絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:17:39 ID:Ixp5b3uM
「はっ――あ」
 喘ぐ。だが取り入れたいのは生存のための酸素ではなく、存在のための真実。
 地面の存在を信じることが出来なければ、人は外を歩くことも出来ない。
 空の不動を信じることが出来なければ、人は空が堕ちてくることを恐れる。
 ウルペンは転がっている骸の脇で膝を折り、その仮面に手をかけた。
(俺の、俺の絶望。それすらも確かなものでは無いというのか?)
 仮面を剥がす為に力を込める。込めたつもりだった。
 動かない。仮面はぴくりともしない。
 だがその理由さえ分からない。仮面がキツイだけか? それとも無自覚の拒絶か?
(これで証明されるのならば――)
 眼球が零れるほど目を見開き、ウルペンはもう一度力を込めた。
 今度は、あっさりと仮面をむしり取ることに成功する。
「……あ」
 そして、直視した。直視してしまった。
「……ああ」
 EDの仮面の下。念糸の効果でミイラ化し、人相さえ分からないはずのその表情。
 だがその眼球は――いまもなお鮮明に、ウルペンを睨んでいる。
 萎んでいるはずの双眸が永劫に彼を糾弾し続けている。
 まるで水晶眼だ。死体は腐敗してもこの視線は不滅だろう。永久にその弾劾を閉じこめたままだろう。
「ひっ――!」
 悲鳴を上げた。弾けたバネ仕掛けのように死体から飛び退く。
 死体から遠ざかり、それでもウルペンは二、三歩よろめくように後退した。
 足りない。どれだけ逃げても逃げられない。
 この死体は死んでいない。
 怪物だ。怪物領域があった。その仮面の下に隠していた!

850絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:18:50 ID:Ixp5b3uM
「あ、あああ」
 右手を見る。引き剥がした仮面を落としていなかったのは、単純に筋肉が硬直していた所為だろう。
 仮面という単語は、すぐに黒衣を連想させた。逆しまの聖人。その中は空洞だと思わせることで、怪物に皮一枚だけ近づいた者達。
 かつて、ウルペンもその格好をしていた。黒衣の内側。そこは帝都だった。確約された安息の場所。
 震える手で、仮面を自分の顔に押しつける。だが。
「違う!」
 そのまま顔の上半分を覆う仮面を肉に食い込ませるように押しつけ、絶叫する。
「俺が求めていたのは……こんな、ものではっ!」
 かつての安寧はない。あるのはただの寒々しい行為とその感触のみ。
 よろめき、尻餅をつくように座り込むと、ウルペンはそのまま両手で顔を覆った。
 泣くのではない。その撫でるような感触すら信じられないのだから。
(分かっていたはずだった。俺はかつて死んだ。だがここにいる)
 いずれ果たされるべき約束は破られた。契約は信用できない。
 死んだはずの自分が生きている。死してすら確たる物が手に入らない――
『未来永劫、お前は――』
「やめろ……やめろっ……」
 耳朶にいつまでも残響する呪いの言葉を振り払うように、ウルペンはかぶりを振った。じりじりと死体から遠ざかる。
 ED。戦地調停士。己の舌先と謀略のみで問題を解決する者。
 故に、彼の言葉はこの世の如何なる刃よりも鋭い。
 そして、鋭すぎた。振るうのを加減する者が居なければ、それはどこまでも切り裂いてしまう。
 彼の最後の言葉は、放たれた。放たれただけだった。振るう本人が死んでしまったのだから、誰もフォローは出来ない。
 あるいはEDが生存していたのなら、抉られた心を利用することもできただろう。
 それでも現実には誰もいない。EDの残した呪いに縛られているウルペン以外には。
『――何も信じられまい』
「――ぁぁああああああアアア!」
 叫び、駆け出す――EDから受け取った地図を粉々に引き裂き、今しがた侵入してきた地上との出入り口へと。
 怖かった。ただひたすらに怖かった。あの男の言葉が現実になるのが恐ろしかった。
 あの男の地図が真実ならば、あの男の口走った予定は予言になる。そんな気がしてならなかった。

851絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:20:09 ID:Ixp5b3uM
 地上に出る。清涼な夜気を口にしても動悸は収まらない。ウルペンは走り続けた。
 気が付くと声が響いていた。強い声。どこかミズー・ビアンカを髣髴とさせる。そんな声。
 島全土に響いているのだろう。ウルペンは絶望を叫びながらそれを聞いた――

『忌まわしき未知の問い掛けに弄ばれる者達よ』

『あたくしは進撃します』

『あたくしは怒りに身を任せない』

『あたくしは諦めに心を委ねない』

『あたくしを動かすのは……』

『……決意だけよ!!』

「――なにを根拠に信じればいい!」
 立ち止まる。それは息が続かなくなっていたためでもあったが、放送の主に癇癪をぶつける為でもあった。
 何故、そんな言葉が言える。何故、そんな確信を込められる。言葉などというあやふやな物に。
「――いつだって求めてきた! 八年もだ! それなのに見つからなかった!」
 アストラは彼の物にならなかった。
 彼女を愛していた。それだけは確かな物だと信じたかった。
 だが、それを唯一肯定してくれた義妹は、死んだ。

852絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:21:08 ID:Ixp5b3uM
「おまえの言葉は確かな物か!? アマワに約束でもされたか!? ならばそれは果たされない!」
 帝都は滅び去った。ベスポルトは死んだ。ウルペンは死んだ。約束は果たされなかった。
 地面に膝を突き、狂ったように頭を掻きむしる――髪が引きちぎられる痛みも、今は心地良い。
「おまえの決意とやらは確たる物か!? それが精霊に弄ばれているのだとしてもか!」
 駄々を捏ねる子供のように、ウルペンは吼える。赤く裂けた空に、慟哭を投げかける。
 ――まるで血の色だ。未来を暗示させる。
 これは開幕の宣言となり得ないだろう。ウルペンは胸中でそう断じた。
 これは絶望で塗りたくられる予兆だ。かつて彼の帝都を焼き尽くした二匹の獣。彼女たちと同じ炎の色。
 業火の力――すべてを虚無に飲み込む。
「……殺すまでもない。貴様は散々アマワに弄ばれ、それを決意と勘違いしたまま死ぬがいい」
 鬱憤をすべて吐き出した後、最後にぽつりと付け加える。
 声が小さくなったのは、自身の台詞に覚えがあったからだ。
(精霊に弄ばれ死ぬ、か)
 ――まるで、生前の自分だ。
 吐き捨て、立ち上がる。
 激昂は体力と気力を消耗させた。放送の直前まで眠り続けることとしよう。
 そうして、粉菓子のようなすかすかの決意だけで歩みを始めた時。

853絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:22:34 ID:Ixp5b3uM
「……見つけた」
 茂みから、金属製の筒のような物を構えた男が出てきた。
 赤銅色の髪。常にやる気のなさそうだった顔は、あの時のまま無表情という絶望に凍り付いている。
 ウルペンは、その男に見覚えがあった。
(……契約者)
 自分の意志は信じられると断言した黒髪の少女。その連れだ。名前は――ハーベイ、とか言ったか。
「……あれからずっとあんたを探してた。叫んでるなんて思わなかった」
 自分自身に確認するような口調で呟きながら、その男はこちらを射程に納めた。
 筒の穴をこちらに向け、殺意を放射してくる。念糸で片腕を破壊したはずだが、いまは五体満足のようだ。
 どうやら叫び声を聞きつけてきたらしい。だが真に恐るべきはこの瞬間にウルペンの近くにいたという幸運よりも、その執念か。
「お前は殺す。けど、その前に答えろ。なんでキーリを殺した」
 表情はほとんど変えないまま、だが強く睨み付けてくる。
 念糸の効果を知り、警戒しているのだろう。武器は例の自動的に動く腕が握っている。
 金属製の筒は、ウルペンも似たような物をこの島で何度か見ていた。
 ボウガンのような武器だろう――威力も速度も桁違いだが。
 何にせよ、すでに照準されているのなら、念糸では対抗できない。
(図らずとも、いままでとは逆の状況になったか)
 命を握られ、質問を強要される。
 それを不快と感じないのは、ウルペンが打ちのめされた後だったからだろう。これ以上は倒れようがない。
 問いに答えるのは簡単だった。だが、その前にすべきことがある。
 ウルペンはかつてのように、質問を投げかけた。
「お前は……確かなものを提示できるか?」
 殺されるかも知れない――
 その可能性はあった。それを恐れる気にもなれないが。
 だが意外にも、赤銅髪の男は律儀に返してきた。僅かに考え込むようにしてから、告げてくる。

854絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:23:21 ID:Ixp5b3uM
「……面倒くさくて今まで考えないようにしてたけど、無くしてみて分かった。
 俺にもあったんだ。あんなナリでも、キーリは俺にとって大きな存在だった。
 不死人として惑星中を彷徨ったけど、俺はあいつが……あー、なんだ。
 上手く言えないけど、一番くらいに大切だったんだ」
 普段はほとんど無口で、喋ったとしてもぶっきらぼうなこの不死人は、かつて無いほどに長く言葉を紡いだ。
 ――何十年も惑星を歩いて、それ以上の年月を不死の兵士として過ごして。
 殺伐と無味乾燥な日々。戦争中はレゾンデートルの為に何となく殺して、戦後はすることもなく何となく放浪した。
 そして、いつのまにかあの少女がついてきた。兵長を埋葬しに行く途中だった。
 兵長とはそれほど仲が良かったわけではない。当然だ。自分が殺してしまったのだから。
 あるのは罪悪感だけで、言ってしまえば腫物だった。
 過去の清算。埋葬を引き受けたのも、そんな思いがどこかにあったからかもしれない。
 いつからだろう。その気持ちが薄れていったのは。
 いつからだろう。キーリと兵長との三人旅から抜け出せなくなってしまったのは。
 幸せなんてぬるま湯と同じだ。浸かっている間は暖かくても、そこから出てしまえば風邪を引く。
 絶対に、後のタメになんか、ならないのに――
 ……いつからだろう。それにずっと浸っていたいと思い始めてしまったのは。
 ウルペンはそれを聞いていた。僅かに沈黙し、そしてさらに問いを重ねる。
「それは、愛していたということか?」
「……かもな」 
 ハーヴェイもしばし黙考した後、そう返した。
 とても不器用な言葉だったが、それでも確かなものだったのかも知れない。
 だったのかも、知れない。

855絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:24:10 ID:Ixp5b3uM
 ウルペンは即座に返した。刃の切っ先を向けるように、辛辣に言葉を突きつける。
「ならば、なぜ俺を殺そうとする?」
「……命乞い?」
「そうではない」
 今となっては、死すらも確たる物ではない。
 生命を失っても、こうして動き回るのではないか? そも、今の自分は生きているのか?
 ある意味目の前の不死人よりも、ウルペンにとって『死』は遠い。
「俺を殺して、お前は何か得るものがあるのか? あの娘が帰ってくるわけではあるまい。
 俺が、奪ったのだから」
「……それを殺した本人が聞くかよ」
「問われなければ、解答を得る機会もあるまい?」
「知るか。とにかく、殺す」
「――そうか」
 無感情に即答してくる男を見て――
 ウルペンが浮かべたのは、失望の表情だった。
「ならば、あの娘の意志とやらもその程度のものだったというわけか」
「……ヨアヒムより腹の立つ奴がいるなんて思いもしなかった」
 それが、合図だった。

856絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:24:53 ID:Ixp5b3uM
 体勢を低くしたウルペンが、ハーヴェイの懐に飛び込んでくる。
 ハーヴェイもそれに反応していた。悠久に近い時を生きる不死人。兵士として過ごした年月は誰よりも長い。
 構えた拳銃を撃つ。遅れて紡がれたウルペンの念糸が放たれる。
 着弾は、やはり弾丸の方が早かった。
 血と、ウルペンの装面していたEDの仮面が飛ぶ。黒衣を身に纏った体がよろめく。
 だがウルペンは絶命していなかった。弾は仮面を掠め、かつて奪われた方の眼球を削っただけである。
 二発目を撃つ前に、念糸がハーヴェイの肩――義手と二の腕の境目を捉える。
「この――!」
 振り払おうとしても、念糸には干渉できない。
 パン、という袋を破裂させたような音。ハーヴェイの右肩が干涸らび、骨と皮だけなる。
 それでも義手は動いていた。肘だけを曲げ、器用にウルペンを狙い――
 その義手をウルペンが掴んだ。袖から覗いた金属骨格に残った指を絡ませ、脆くなった接合部から一息とかけずに千切りとる。
 そしてそれを鞭のようにして、ウルペンは義手をハーヴェイの顔面に叩きつけた。衝撃で金属の指から拳銃がこぼれ落ちる。
 地面に落ちた危険な金属塊を蹴飛ばしながら、ウルペンはもう一度義手を振り上げた。
「……おい」
 だが、それが振り下ろされることはなかった。
 ウルペンの右手首が掴まれている。顔面、それも目の近くを打たれたというのに、ハーヴェイは怯む様子もない。
 驚愕に、ウルペンは目を見開いた。それが隙だった。
 ハーヴェイが手首を掴んだまま背後に回り込み、そのまま俯せに押し倒す。
 そしてトドメとばかりに関節を捻っていく。抵抗しようとしても、力ではウルペンに勝ち目はない。
 不死人が兵器として有効だったのはそのタフネスと、自身が自壊するほどの筋力を容易に発揮できるからだ。
 ハーヴェイは躊躇いもせず、相手の関節を稼働限界以上にねじり上げた。なんら抵抗無く、関節がおかしな方向に曲がる。
 どこか遠くで再度、乾いた音が響くのをハーヴェイは聞いていた。念糸の炸裂音。
 だが痛痒は感じない。痛覚を遮断することは、不死の兵士にとって容易い。
 三撃目を喰らうよりも早く、殺す。抵抗力を奪ったところで、次は首をへし折ろうとハーヴェイは決めていた。

857絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:26:16 ID:Ixp5b3uM
 だが首筋に手を伸ばした刹那、メキメキと嫌な音が背後から響く。
「……!」
 咄嗟に背後を振り向くと、抱きついても両手が回りきらないほどの大木がこちらに倒れてくるところだった。
 弾けた木片が頬に当たる。幹の折れた部分が、まるでそこだけ脆くなったようにボロボロになっていた。
 銀の糸が、視界の隅で閃く。
 どうやら先程の二撃目はこの木を壊死させたらしい。なるほど。威力を調節すれば倒す方向を定めるのは簡単だろう。
 だが、不死人にとってこんな事態はピンチでも何でもない。
 木が倒れてくるよりも早く、ウルペンの首をへし折る。それで終わりだ。
 ハーヴェイはすぐに視線を戻した。木に注意を取られていたのは一秒足らず。腕の折れている敵が脱出できるはずはない。
 ――その、はずだ。
 だがその理論とは逆に、現実のハーヴェイは地面に突っ伏していた。
 ハーヴェイと地面の間にウルペンは、いない。欠片も存在していない。
「……腕を掴まれたままだったのなら、相討ち以上にはならなかっただろうな」
 底冷えのする声が、間近で響く。
 見ると、ウルペンはいつの間にかハーヴェイの傍らに立っていた。不死人の首筋を容赦なく踏みつけている。
「がっ!?」
 地面に押しつけられ、気道が塞がる感触に唾を吐きだす。
 死ににくいとはいえ、基本的な構造は人間と同じだ。頸動脈を圧迫され、脳に血液が回らなくなれば意識は保てない。
 次々と機能を放棄する脳髄。こういう時は決まって、ろくなことを思いつかない。
(なんで……折ったのに動けるんだ……?)
 起死回生の手段だとかそういうものではなく、ハーヴェイが疑問に思ったのはそんな些細なことだった。
 ウルペンの肘関節はまだ奇妙な方向に曲がったままだ。が、腕を一振りするだけで正常な形に戻る。
 折れていない――その理不尽を見せつけるかのように、ウルペンは右腕の先をハーヴェイに向けた。
 血が足りなくてぼやける視界。白く歪んだその世界で、相手の指先から放たれた銀の糸は一際美しく見えた。
 念糸が接続され、ハーヴェイの体から水分を奪っていく。
 ――『心臓』がある限り不死人は無敵。だが、それを被う肉の鎧がない状態で『核』は大木の一撃に耐えられるか?
 暗転し始めた思考回路で、そんなことを考えられる筈もなかったが。
 幻覚が見え始める。眼前の黒衣とだぶるように、黒い影がウルペンに覆い被さっている。
 幻聴も聞こえる。小さな罵声と泣き声は、満足に目的を果たすことも出来なかった自分の物だろうか?
(キー……リ……)
 赤銅色の不死人は、最期にその名前を呟く。
 そして倒壊する大木の速度が零になった瞬間、体の中心で何かが砕ける音を聞いた。

858絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:27:22 ID:Ixp5b3uM
◇◇◇

 大木が地面に倒れるよりも一瞬早く、ウルペンはその場から飛び退いていた。
 轟音と地響き。乾いた体からは血も飛び散らず、骨の砕ける音だけを耳朶に捉える。
 木の下から覗いている相手の四肢はぴくりとも動かず、ひたすらに死の感触しか伝えてこない。
 敵は死んだ。契約者を殺した。
「……さて、それは事実か?」
 呟き、死体を蹴飛ばしてみる。反応はない。本当に?
 契約の有効性。契約者の死。どちらも信じ切ることが出来ない。
「だが、どちらも同じことか」
 ウルペンは笑った。可笑しくもなく、嘲るでもない。それは完全に空虚で、薄ら寒い、感情のない微笑みだった。
 信じられないのなら、事実は無意味だ。虚無と妄想に生きるしかない。
 だが、彼にはまだやることがある。
 森の中の不確かな地面に、靴の裏を叩きつける。ミシリという音と、金属の感触。
 月明かりを頼りに、ウルペンは拾い上げた。先程、いつの間にか落としていた勝手に動く腕が、今まさに拾おうとしていた拳銃を。
 金属の腕を踏みつけ動けないようにし、ほとんど銃口を押しつけるようにして撃つ。
 顔をしかめた。思わず反動で取り落としそうになったのだ。小指と薬指がなければ、こんな動作にも苦労する。
 それでもウルペンは時間をかけて全弾を義手に叩き込んだ。衝撃にフレームが曲がり、ケーブルが切れる。
 最後に弱々しいモーター音をひとつだけあげて、義手は活動を停止した。
 ウルペンは軽くなった拳銃を捨てた。きびすを返し、その場を後にする。
「アマワ……貴様の契約が確たる物でないのなら、俺は貴様を殺しに行くぞ」
 周囲に人の気配はないが、それでも夜空に宣告する。
 どうせどこかで聞いているだろう。問題はどうやって引きずり出すかだ。
「決まっている。全て殺して俺だけになれば、確かな物は残らない」
 絶望すら信じることが出来なくなっても、やるべきことは変わらない。
 アマワに答えを捧げよう。貴様の求める物は手に入らないのだと教えてやろう。
(俺は虚無だ。何もない男だ)
 何も信じることができない、あやふやな存在だ。
 だが、それでいい。
「どうせこの盤上遊技も貴様の下らない問いかけなのだろう、アマワよ!
 ならば俺がそれを終わらせてやろう! お前を破滅させてやる!」
 ――この島から、俺がすべて奪った時に残る物。
 それはとても不明瞭で、グシャグシャの、底抜けにグロテスクなものに違いない。
 ウルペンは高らかに笑い始めた。それはまるで精霊のように、どこまでも狂気に純化した哄笑だった。

859絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:28:06 ID:Ixp5b3uM
【017 ハーヴェイ 死亡】


【B-6/森/1日目・21:40頃】
【ウルペン】
[状態]:左腕が肩から焼け落ちている/疲労/狂気
[装備]:なし
[道具]:支給品一式
[思考]:参加者を皆殺しにし、アマワも殺す。
[備考]:第二回放送を冒頭しか聞いていません。黒幕はアマワだと認識しています。
    第三回放送を聞いていたかどうかは不明です。
    チサトの姓がカザミだと知り、チサトの容姿についての情報を得ました。
    これからは質問等に執着することなく、参加者を皆殺しにするつもりです。

※【B-6/森】に破損したEDの仮面、壊れたハーヴェイの義手、Eマグ(弾数0)が落ちています。

860機械仕掛の魔道士 ◆I3UY/iwT0o:2007/02/15(木) 01:18:40 ID:10YvUZzQ

カリオストロ。サン・ジェルマン。パラケルスス。シュー・フー。

 そう呼ばれたのは昔の話―――――。


※※※

 細葉巻(シガリロ)を曇らせながら、この部屋の主―――――イザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファーは目を細めた。
モニターには当初の目的であるデータが随時更新されつつある。
 我が君―――――カイン・ナイトロードは一度灰となった。
原因は宇宙から地球に向かって放り出されために。
自身の弟の手によって。
だが彼の中に巣食う破壊者達は死んではいなかった。長い時間を有し蘇生。復活。
しかしまだ完全ではない。
かつて、同胞達と共に六百万人を殺戮したカインはまだ不完全な存在。
 我々、薔薇十字騎士団が何の理由もなく誰かに力を貸す事は無い。
目的があり、利益があるからこそ彼等に力を貸しているのだ。
彼等は彼等の目的に夢中になってればいい。
その間に私達は私達で、この殺し合いの真の目的を果たさせてもらう。
 私達の目的――――。
 参加者達の戦闘データを集めること。詳しくはその能力のデータ収集し、カイン復活の資料にするのが目的。
人間誰しも自身の命の危機には予想以上の力がでる。
だからこそ、この環境はデータ収集にもってこいの環境であった。
 盗聴やら刻印とやらもコチラにとってはデータを効率よく採取するための道具に過ぎない。
 盗聴は作戦中の暇つぶしの道具。少し能力を持つ参加者ならば発見できてしまうチャチな代物。
 刻印も盗聴機器とそんなに変わらない。付け加えると我々に対する抑止効果とデータ収集の効率をよくするためでもある。
 神野蔭之の刻印制作を手伝ったのもこのためだ。
データを収集するからには詳しくて、できるかぎり多いデータが欲しい。
 刻印の中に参加者達の能力観測用の魔術(アルチ)を施さしてもらった。
そのデータが目の前のモニターに今もなお、写しだされている。
 ダナティア達、一行にはとても感謝している。
あそこまで騒ぎを大きくしてくれなければ、この巨大な“力”の観測には成功しなかったであろう。
 ウルトプライド、黒魔術、白魔術、etc、etc………。

この短い時間でここまでしてくれるとは。

861機械仕掛の魔道士 ◆I3UY/iwT0o:2007/02/15(木) 01:20:13 ID:10YvUZzQ
※※※

 実はもう一つ、困難とされ廃棄された作戦がある。

 それがクルースニク02の覚醒。
当初の目的では“02”もこのゲームに参加させる予定ではあった。
 勿論、コチラの独断でだ。
しかし、その存在はこちらの作戦をも破壊してしまう力を持つ。
アレが本気になれば私達はもちろん、依頼者も只ではすまない。
このゲームの崩壊。それだけは回避しなくてはならない。


 短くなった細葉巻を灰皿に押しつける。
そろそろ放送の時間だ。

「安心、それが人間の最も近くにいる敵である――――シェークスピア」

 そう呟いた時、モニター上の生存を表していた光が複数個消えた。
 その一つには見覚えがあった。
 ナンバーは…………………。

「NO.26か」

 私もディートリッヒの事は言えないらしい。
(私も人を見る目は無いか………)
死亡者リストを手に取るとケンプファーは立ち上がった。


魔術師の指先が奏でしは、
破壊と殺戮の交響曲
彼の伴奏にあわせて、いざ詠え、堕落せし者よ。
─────我ら、炎によりて世界を更新せん!


【23:55分頃】

862怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:55:49 ID:H59YxF2c
 ――眼下にある少年の体。死に体に近かったはずのその体に、意志の光が灯される。 
 開かれた竜堂終の双眸に己の姿を映し、古泉一樹は空気の塊を喉の奥に落とした。
 振り下ろすはずだったナイフの切っ先が震え、静止する。
 胴を文字通り一刀両断されておいて、これほどの短時間で意識を回復するという異常。
 神仙が一、風と音を操る西海白竜王。終がその化身であることを、古泉は知らない。
 魔界医師メフィスト。終の治療を行ったその超人が死者すら蘇らせる奇跡の担い手であることを、古泉は知らない。
 ――その無知故に、古泉一樹は驚愕した。不随筋すらも硬直したと錯覚させる未知の衝撃が彼を不意打ちした。
「――あ」
 喉の奥からようやく絞り出せた、短い無様な声。
 知らない。こんな感情は知らない。
 背筋が爛れるような灼熱を、古泉は知らない。
 脳天から喉の辺りまで貫く怖気を、古泉は知らない。
 意識という手綱を越えて体を震わせる痺れを、古泉は知らない。
 知らない。知らない。知らない。大鎌を携えた死神が、自分のすぐ隣に佇んでいる感触なんて知らない。
 ――ならばどうなる? 自分はどうなる?
 三つ路地を曲がった先に殺人鬼が居ることを知らなければ、人は鼻歌を歌いながらそこに辿り着く。
 二歩先に落とし穴があることを知らなければ、人は容易くそれを踏み抜く。
 一秒後に銃弾が自分の頭部を貫くことを知らなければ、人は笑いながらその表情を散らす。
 だが、その死はすべて回避できたものの筈だ。
 自分は死ぬ? ここで死ぬ? 何も出来ずに死体になる?
 ――余人には予想を許さない理不尽。そんなものに自分は殺される?

863怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:56:56 ID:H59YxF2c
(それは……少々遠慮願いたいですね)
 いつものようにやんわりと、だが断固として拒絶する。
 目的がある。自分には果たすべき目的がある。
 帰るのだ。あの日々に。取り戻すのだ。あの日々を。
 世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。興味を引いて止まなかったかしましい団長。
 その団長に振り回されていた男は、よく自分とゲームに興じていた。手元には常に彼女が淹れた甘露があった。
 それは涼宮ハルヒを中心とした綱渡りのような関係だったが、それでも――
(彼に言っても信用して貰えないでしょうが――ええ、認めます。僕は気に入っていましたよ。あの奇妙な関係をね)
 だが、奪われた。彼らは即座に殺された。勝手にこんなゲームに放り込まれて殺された。
 理解は出来る。いまだ生存している長門有希を除けば、彼らは戦闘に長けていたわけではない。殺し合いを知らなかった。
 それでも納得は出来ない。彼らは殺された。知らなかったというだけで殺された!
 ならばどうする? 奪われたのならどうする?
 ――確認のためだけの自問自答。答えはすでに決まっている。
 喪失を取り戻せるのは生者だけだ。ならば古泉一樹は反逆しよう。超常に対して食らいつき、覆い被さる理不尽を突破する。
 さあ考えろ。彼我の戦力差を、現在の状況を、為すべきことを。すべて飲み下しかき混ぜ生存のための行動を提示せよ。
 ――思考するのに時間はかからない。
 丹田の辺りから沸き上がる熱波に急かされるように、思考回路は無限に加速する。
 血液が足りないのか、あるいは気絶から回復したばかりだからか、敵の焦点は合っていない。
 だが油断するな。敵はすぐにピントを取り戻すだろう。取り戻せば古泉一樹は終わる。
 最大にして最短のアドバンテージ。それが終わるまでに行動を終了させろ。

864怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:58:23 ID:H59YxF2c
 並列する思考。一瞬の逡巡で万の手立てを模索する。
 ――説得する? 否。すでに自分は敵対している。聞き入れられるとは思えない。
 ――投降する? 否。崩壊しかけの不安定な集団に捕らえられれば生かされる保証はない。
 ――逃亡する? 否。すでに顔と名前を覚えられた。情報が出回れば、単独で勝ち抜けない自分は生存できない。
 否否否。無限に近い選択肢。それが次々と否決される。焦燥に狂乱し、叫び出したくなる衝動を抑え込む。
 最終的に残った選択肢はひとつ。これならば問題はすべて解決する。
 だが可能か。古泉にとって最大の敗北は死。この行動はそのリスクに直結している。
 ――否。それこそ否。舞台を整えておいて何を今更。
 白刃は振り上げた。何を躊躇うことがある。すでに殺人の一歩を踏み出しているのだ。あとは駆け出し踏破しろ!
 ナイフを振り下ろす。殺傷の軌跡はどこまでも直線を描き、そして目標に到達する。
 引き延ばされもせず、ただ刹那的な経過の後、肉を抉る不快な感触が右腕を支配する。
 だが、すぐに終わった。金属の陵辱が、それ以上の硬度によって阻まれる。
 至近距離での銃撃すら防ぎきる竜麟。何者であっても突破できない。
(外れた――!)
 衝動に任せた一撃は正確さを欠いていた。傷口を正確に穿たなければ、古泉一樹は竜を殺せない。
 そしてこのミスは最悪だった。痛みは茫洋とした意識を引き戻し、怪物を覚醒させる。
 振るわれる剛力。左腕の折れる感触。
 竜堂終が寝転がったまま放った不完全な一撃は、それでも古泉の左腕をへし折った。そのまま吹き飛ばされる。

865怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:59:37 ID:H59YxF2c
「――ぐぅッ!」
 地面に叩きつけられ、古泉が悲鳴を上げる。痛みは怒りを呼び起こさず、灼熱した殺人への衝動を退避させた。
 残るのは骨折の痛痒。死に対する恐怖。
 古泉とて戦闘に慣れているわけではない。これは閉鎖空間での神人狩りとは違う。有効な一手を持っていない。
 怖い。痛い。死にたくない。固めていたはずの意気が消失していく。
 萎縮する勇気。生存本能が逃走と命乞いを勧告する。
 抵抗は無駄だ。歯向かうのは無駄だ。逃避以外は全て無駄だ。
 ――そうだ。無駄だ。古泉一樹に力はない。あくまで口先三寸と誘導で勝利せねばならなかった。
 それをこうして殺し合いに発展させてしまった己の無様さ。それを悔いて死ぬ。それを悔いて死ね。沈むほどの悔恨に殺されろ。
 脳内を埋め尽くす諦観の群れ。古泉一樹はそれに圧倒され――
「……嫌ですね。そんなのは」
 ――だが、退けた。
 絶望的境地。それでも古泉は立ち上がる。折れていない右腕で砂を握りしめ、激痛に息を漏らしながら立ち上がる。
 すでに彼を突き動かしていた灼熱は冷え切った。突破しようとする狂乱も消え去った。
 だが彼は抜け殻ではない。彼の体を支配していたものはほとんどが消え去ったが、それでもまだ残っている。
 それは決して残滓などではない。むしろ確固たる――
「僕にだって……意地があるっ!」
 ――意志だ。奇妙で平穏なSOS団を望む、古泉一樹の意志だ。
 目前では怪物がゆっくりとした動作で立ち上がっている。鋭い眼光。どこまでも刺し貫く竜王の視線。
 彼我の戦力は圧倒的。無敵の防御たる竜麟。不完全ながら一撃で骨を砕く腕力。対して自分のなんと脆弱なことか。
 それでも古泉一樹は前進する。ただひとつの目的のために。
 意志とは貫くもの。ありとあらゆる障害を蹂躙し、成し遂げるものだ。
 そう――古泉一樹には、意志がある。

866怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:00:26 ID:H59YxF2c
(打てて後一度、ってところか)
 直感で、それを察する。
 その打撃で眼前の敵を打ち砕くのは容易だろう。
 だがその後は? 竜の筋力で全力を放てば、いかにメフィストの施した固定とはいえ耐えられるかどうか未知数だ。
 最悪、胴体は再び分裂するだろう。そしてどうやら魔界医師は近くにいないようだ。今度は治療されない。
 そもそも周囲に人の気配が全くない――いや、それも当然か。まるで地獄を背負って連れてきたような二人の少女を思い出す。
 あれからどうなったのかは分からないが、満足に走ることも出来ないような今の状況で声高に助けを叫ぶ愚は冒せない。
 そして相手は自分を殺そうとしている。加えて竜堂終は自殺志願者ではない。ならば、
(ここで倒すしか、ない)
 覚悟を決め、格闘の構えを取る。
 竜の転生体であるその身は既に傷を修復し始めていたが、恐らく間に合わないだろう。決着はすぐに訪れる。
 敵の格好には見覚えがあった。先のマンションで従姉妹の仇を告げられ、反応して容易く激昂した自分の隙を利用された。
 ……ああ、つまり。
 直結する思考。閃く想像。容易く象となって脳裏を支配する。
 あの後は、慌ただしくて考える余裕もなかったが。
 目の前にいるこいつは、茉理ちゃんの仇の仲間、なのか。
 古泉とパイフウの同盟がいつからなのか、終には分からない。
 マンションに訪れる直前か? それとも暴れ出した瞬間からか?
 だが、もしかしたら。もしも初期から組んでいたとしたら。
 自分の助けを呼んでいた少女が無惨にも死んだ時、目の前の少年はその傍で笑っていたのかも知れない。

867怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:01:13 ID:H59YxF2c
 ――瞬間が訪れるのは、いつだって唐突だ。
 竜堂終が咆吼する。異形の声で咆吼する。
 想像は怒りを。怒りは感情の噴出を。そして激情は変化を促した。
 肌が真珠色の鱗に覆われ、瞳孔が異形のそれに変わる。
 圧倒的な存在感と畏怖を見る者に与える竜王の姿へと、竜堂終が化粧していく。
 変化は外形だけに留まらない。竜堂終という存在が、凶暴な獣性に浸食される。
 ラッカー・スプレーで塗り潰されるようにじわじわと、だが素早く。理性が凶暴な顎に噛み砕かれる。
 ――霞んでいく人としての心象風景。最強の獣へと変じるための代償。
 守りたかったはずの人達。心に残る彼らの表情を、その獣は際限なく飲み込んでいく。
 それは、なんという矛盾か。
 復讐で喜ぶ故人は――いるのかも知れないが、少なくとも兄や茉理はそれを望む人種ではない。
 それは理解している。だが理解してなお、竜堂終は彼らのために怒り、復讐を為そうとする。
 ならばその彼らの笑顔を食い尽くしてまで行う殺戮とは――なんだ?
 意味など無い――それも、分かっている。
 この行為は無益。残るのは疵痕だけ。炎症を掻いて誤魔化すのと同じ。ただの自傷以外の何でもない。
 それでも変化は止まらない。一度始まってしまったのなら、竜堂終では止められない!
 溶ける理性。穿たれた笑顔。消失する意味。

868怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:02:28 ID:H59YxF2c
 ――だが全てが暗闇に沈む寸前に、見えた物があった。
 最初は光だと思った。眩い光。暗闇では光を包めない。だから残ったのだろうと思った。
 だがその光も霞み始めていた。その金色が黒く薄れていく。光さえ獣性は食い尽くす――?
 違う。終は直感的に否定した。これは光ではない。
 ならばこの金色は何だ。万物を浸食する獣性に抗えているこの『強さ』は――何だ。
 金色に触れるのを恐れるかのように、闇の侵攻は遅々としたものだった。
 そして気付く。その金色の背後に、死んだ兄と従姉妹の顔がある。
 守っているのだ。金色は、竜化が竜堂終から喪失させることを拒んでいる。彼らを守るために、その身を獣の牙に晒し続けている。
 ならば、なおさらその正体が分からない。
 兄貴は死んだ。茉理ちゃんも死んだ。ならば何だ? そうまでして竜堂終を守ろうとするモノは何だ?
 ――居るではないか。居たではないか。
 気付くと同時、金色が振り返る。金の髪をたなびかせ、強靭な『女王』が振り返る。
 彼らの旗。潰えたと思っていた旗。
 だが、そうではなかった。
「……ああ、そうだ」
 言葉を紡ぐ。狂乱する獣ではない、人としての言葉を。
 それを合図とするように、ささくれだったような鱗は再び人肌に戻り、針のように細められた瞳孔も丸く戻り始めた。
 ――取り戻す。竜堂終が、人としての心を取り戻す。
「……負けて、たまるか」
 憤怒が冷めたのではない――冷ましたのだ。終単身では制御できなかったはずの竜化を、制御していた。
 怒りはある。ともすれば簡単に吹き出すだろう。
 だが、それでも、
(……そうだ。俺は託された)
 ――あの時、ダナティアが自分を止めた理由。
 それが分からないほど終は愚かではない。それを伝えられないほどダナティアは無力ではない。
 憎しみに任せての殺人を自分の仲間達は止めてくれた。それを無駄にする? そんなことには耐えられない。
 自分が手玉に取られた所為で舞台は崩壊した。そんな失態を二度も晒す? そんなものは冗談にもならない。
 彼らは憎しみの連鎖を起こすために凶行を止めたのではない。竜堂終は、竜堂終の自意識をもって敵を退けなければならない。
 ――そうだ。やはり彼は単身で竜化を制御していたのではない。
 竜堂終を、人として繋ぎ止めていたのは――
「あんたなんかに――譲れるかっ!」
 ――遺志だ。ダナティア。ベルガー。メフィスト。彼らが竜堂終に託していった遺志だ。
 目前では少年ががゆっくりとした動作で立ち上がっている。左腕は折れ、それでも退かずに立ち向かってくる。
 その様はまるで不死身の怪物のよう。竜すら喰らう巨大蛇のよう。
 それでも竜堂終は前進する。受け取ったものを無駄にしないためにも。
 遺志とは継ぐもの。後継者を守り、正しい方向へと導くものだ。
 そう――竜堂終には、遺志がある。

869怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:03:27 ID:H59YxF2c
◇◇◇

 片や己の意志により喪失を埋めようとする怪物。
 片や託された遺志により喪失を防ごうとする怪物。
 彼ら怪物達の突進は、示し合わせたかのように同時だった。

「――うぁあああああアア!」
 刃を構え、古泉が走る。
 必要なのは速度。だが怪物を超越できる加速を古泉は持たない。
 ならば用いるのは古泉一樹にとっての最速。腕の痛みに苛まれながら、それでも出せる限りの脚力を尽す。
 勝算は低い。だが何もせずにに死ぬのは我慢できない。それは古泉一樹の意志が許さない。
 ――そして、必殺を期するため、白刃を掲げ――

「――ぉぉおおおおオオオ!」
 竜堂終は構えを鋭化させていった。不思議と腹部の傷は痛まない。
 それは不完全ながらも竜になりかけた効果なのだろうが、終には違うように感じられていた。
 支えられているのだ――そう、思えた。これならば安心して力を震える。
 だが油断するな。怪物相手に油断をするな。継承した遺志を無駄にはするな。
 拳を引き絞り、待つ。傷はまだ深い。跳んだり跳ねたりはできない。
 故に、狙いはカウンター。一歩の踏み込みと一撃のみの拳打に全身全霊を込める……!
 ――そして、必殺のタイミングを計るため、敵を見据え――

870怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:04:32 ID:H59YxF2c
 ――だが突如、もう少しで終の間合いに入るといった所で、古泉がナイフを地面に落とした。
(なんだ!?)
 終が驚愕したのは、敵の寸前で武器を取り落とすという間抜けにではない。
 敵のその動作が、明らかに意識的に行われたものだということに気付いたからだ。
 古泉が右腕を振りかぶった。何かを握っている――
 だがそれを終は視覚で捉える前に、触覚で感じることとなった。
 左腕が動かせないため不自然な投擲となったが、それでも投げつけられた何かは投網のように広がり、終の眼球を汚染する。
(……土!)
 瞼の内側に砂が入り込み、視界が奪われる。
 先程終に吹き飛ばされ、立ち上がった時、古泉はそれを握りこんでいたのだ。必殺を期するために。
 そう。古泉に力はない。だから勝つには不意打ちしかない。
 ある程度離れていても、投げつけられた土は十分に目つぶしとしての効果を発揮する。
 終は焦った。敵は怪物。ならばこちらが見えていない間に自分を殺すのは道理。
「この――!」
 苦し紛れに拳を放つ。だが、当たるはずもない。
 ――奇襲、不意打ちのメリット。それは何か。
 ひとつは技量、身体能力を無価値に出来ること。武術の達人でさえ、暗闇で背後から金属バットで殴られればチンピラに敗北する。
 そしてもうひとつ。敵を焦らせ、正常な判断力を乱すこと。
 目で見えないのなら、音で判断すれば良い――終がそれに気付いたのは、拳を放ってしまった後だった。
 失策に舌打ちをしながら、それでも拳を引き戻す。音を吸収する森という悪条件を呪いながら、敵の位置を探る。
 だが敵の位置が分かったのと、背後からの衝撃は同時だった。強い衝撃。
 目が見えないということもあったが、それでも抗えたはずだ。だがその理屈に反し、終が転倒する。
 拳打を主力とするならば、背後はほとんど無防備だ。それを晒しているという事実に寒気がする。
 一秒でも早くその悪寒を振り払うために、立ち上がろうとしたところで――
 終は、己の敗北を知った。

871怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:06:26 ID:H59YxF2c
「……あ」
 足が、動かない。下半身は感覚さえない。背中に鈍痛を感じる。
 すでに、攻撃は終わっていたのだ。
「……両断されたのだから、勿論背中にも傷口はありますね?」
 倒れた終の頭上から、古泉の声が響く。
 終の背中の中心。修復中で脆くなっていた背骨を通る脊髄を断ち切るように、コンバットナイフが刺さっていた。
 砂を投げた後、古泉はすぐにナイフを拾い、終の脇をすり抜けるようにして安全な背後に回り込んだ。
 そして片腕という非力さを補うために、全体重を掛けて押し倒しながらナイフを突き刺したのだ。
 危険は多かった。背後に回る際、終が闇雲に打った拳が一発でも当たっていれば古泉の負け。砂の目潰しも持続性は高くない。
 終が重傷を負っていて身軽に動けなかったからこそ成功した、古泉に可能だった唯一の奇策。
 殺人の感触に疲労しきった微笑みを浮かべながら、古泉は刺さっているナイフの柄尻に足を乗せ――
「……すみません。僕が、進ませて貰います」
 ――全体重を掛け、一気に踏み込んだ。



【100 竜堂終 死亡】
【残り41人】

872怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:07:20 ID:H59YxF2c
【C-5/森/1日目・23:55頃】

【古泉一樹】
[状態]:左腕骨折/落下による打撲、擦過傷/疲労/左肩・右足に銃創(縫合し包帯が巻いてある)
[装備]:コンバットナイフ
[道具]:デイパック(支給品一式・パン10食分・水1800ml)
[思考]:出来れば学校に行きたい。
    手段を問わず生き残り、主催者に自らの世界への不干渉と、
    (参加者がコピーではなかった場合)SOS団の復活を交渉。
[備考]:学校にハルヒの力による空間があることに気づいている(中身の詳細は知らない

873タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:43:50 ID:9yaTnsNo
「挽肉におなりっ!」
 号砲のような雄たけびとともに進撃するのは小早川奈津子。
 大上段に大剣を構え、威風をまとって向かってくるその偉容は
 鬼武者のごとき威圧感を相手に与える。
 その顔は憤怒で染まり、猛久しい像のような吐息を吹き出していた。
 緊張に沈む街路。しかし、
「野放図な行動原理だな。怪物と聞いたが、実際はただの馬鹿か」
 マンホールの投擲を避けて身を屈めていた屍刑四郎が、上体を立て直して立ちふさがる。
 赤旗目掛けて突っ込んでくる闘牛、
 それに立ち向かう闘牛士さながらの堂々とした態度だ。
 濡れて顔にかかっていたドレッド・ヘアを掻き揚げると、
「刑事に対する殺人未遂――よくやってくれた」
 一部の新宿区民は、この言葉をどれほど恐れているだろう。
 それほどまでに、魔界刑事は『犯罪者』に対して徹底的で容赦が無い。
 文字どおりに虫けらとしか相手を見なさないからだ。
 だが、その宣告も小早川奈津子にとっては脅威にはならない。
 特に先刻の侮辱の影響で、彼女は屍の放ったブタという単語に過剰に反応した。
「国家の犬風情が、あたくしに意見しようなど万年早くってよ!」
 ひときわ凄烈な轟声をあげ、その加速をいっそう速める。
 屍との距離はすでに十メートルを切っていた。
 あと数歩で小早川奈津子のリーチ内だ。
 女傑が満身の一撃を放とうとしたその瞬間。屍は強張った面で彼女に向き合い、
「おまえはその犬にかみ殺されるのさ」
 つ、と地面を滑るかのように音も無く後退した。
 ただ下がるだけではない。相手のリーチを完全に読みきり、
 攻撃を避けた瞬間に踏み込んでのカウンターを入れることが可能な体勢だった。
 屍の経験・技量は女傑のそれを圧倒的に上回っていた。
 気づいた小早川奈津子が慌てて剣を止めようとするが、すでに慣性は働いている。
 全ては屍の思惑どおりだ。

874タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:44:50 ID:9yaTnsNo
 が、その予定を狂わす第三者は意外な場面で行動してきた。
「てンめぇ……! そいつは俺の獲物なんだよ!」
 小早川奈津子を激怒させた張本人、甲斐氷太だ。
 屍は、甲斐が漁夫の利狙いで自分を襲うものだろうと考え、
 鮫による奇襲にも警戒を怠ってはいなかった。
 しかし、甲斐氷太は気の赴くままに敵意を放ち、その警戒の斜め上を行く。
 あろうことか、屍向かって突進してくる小早川奈津子の両足に、
 甲斐は黒鮫の尾で痛烈な一撃をお見舞いしたのだ。
 タイミングに乗った一発は、常人の足を打ち砕く威力を誇っていた。
 だが、ドラゴン・バスターを自称する女傑に対しては、
 ただの脚払い程度の攻撃に過ぎなかったのだ。
「あっー!」
 驚嘆の声とともに、宙に浮きつつ前方へと体を流す小早川奈津子。
 屍にとってその転倒は最悪の結果をもたらした。
 巨人の剣は振り下ろされる途中であり、それが前のめりになった巨体と、
 脚払いで宙に浮いた慣性とが組み合わさり、予想以上の斬撃範囲を発揮したからだ。
「をーっほほほ! これぞ怪我の功名、一刀の下に斬り捨ててあげましょう」
 してやったり、と言った風情の嬌声に後押しされながら、
 ブルートザオガーが花柄模様の男に迫る。
 その威力・硬度・切れ味は、ともに人一人を真っ二つにするには十分すぎる。
 大剣が隻眼の顔に達する直前、魔界刑事は賭けに出た。
 そのたくましい両腕が閃いたかと思った瞬間、大剣を左右から挟みこんだのだ。
 真剣白刃取り。
 絶体絶命の状況下でそれを成しえたのは、
 屍の卓越した身体能力と古代武術「ジルガ」の技法に他ならない。
 短距離において音速を突破できる屍は、その能力が制限されていても
 技の冴えを衰えさせていなかったのだ。

875タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:45:37 ID:9yaTnsNo
 しかし、魔界刑事の身体能力と古代武術をもってしても、
 小早川奈津子の斬撃を止めることはできなかった。
 巨人のパワーは怒り補正を受けて、一気に剣を押し込もうと猛威を振るう。
 白刃取りによって勢いを殺したものの、添えられた屍の手ごと剣が迫る。
 鼻頭に大剣が到達する直前、屍は頭を傾けて直撃を避けた。
 それでも、依然として剣が振り下ろされていることには変わりが無い。
 命中箇所が頭から肩へとずれただけだ。
 大剣が花柄模様を切り裂く。
 直後、硬い音がした。
 だがそれは金属が肉を断ち切り、骨を砕く音ではなかった。
 間違いなく剣は命中した。しかし、一滴たりとも流血が見られない。
 屍は憮然として告げた。
「古代武術ジルガのうち――鉄皮。上着を台無しにしやがって、このクズが」
 刑事の背後から吹き出した殺気に危機を感じた小早川奈津子は
 慌てて飛びのこうとする。
 しかし、それは叶わなかった。
 今度は逆に、鋼のような屍の腕が万力のごとく大剣を固定していたからだ。
 次の瞬間、鞭のような蹴撃が小早川奈津子の巨大な左大腿を打った。
 二発、三発、並みのヤクザやチンピラは、この時点で粉砕骨折しているだろう。
 四発、五発、小早川奈津子の顔がついに苦痛に歪む。
 そして六発目が大腿の皮膚を打ち破り、鮮血を散らすと同時に
 その巨体がゆるりと傾き、受身のために女傑は路地へと手を着いた。
「これでようやく急所を殴れるな」
「仰ぎ見るべきこのあたくしを同じ視線で眺め回すとは何たる無礼!」
「この期に及んで何を言ってやがるこの唐変木。あばよ」
 言うと同時に、屍の右腕が後ろに引かれる。
 この構えの果てにあるのは、ジルガの技法「停止心掌」
 小早川奈津子のような怪物を一撃で仕留めるにはこれしかないと、
 屍が先ほどから狙っていた技だ。
 強力無比な掌撃が、万全を期して女傑の胸へ迫る。

876タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:46:49 ID:9yaTnsNo
 その一撃を打ち出した瞬間、屍は後頭部に殺気が当てられるのを感じた。
 すでに屍は攻撃中だ。未来は二つ。
 危機を回避するか、そのまま巨人に止めを刺すか。
 逡巡する時間が無い中で屍は危機回避を優先した。
 烈風とともに花柄模様が翻り、同時に黒鮫が口腔鮮やかに飛来する。
 屍は甲斐の鮫と攻撃の察しをつけていたのだ。
 だが停止心掌は完全に不発し、小早川奈津子は隙をついて離脱してしまった。 
「くそっ、よく避ける野郎だ」
 言うが早いか、甲斐の瞳が燃えるような輝きを放つ。
 屍はその輝きの中に渇望の意を見出した。
「餓えてやがるな、狂犬め」
 言いながら屍は若干つま先に加重をかけ、重心を前に傾かせた。
 対する甲斐は正面に屍を捉えながらも、四方にも感覚を向けて
 周囲空間そのものを把握しているのだろう。
 お互いの視線が交差し、しばしの間世界が止まった。
 が、それもつかの間。
「クックック、クハハハッ」
 突如として甲斐がを笑みをこぼした。
 楽しくて、満足で仕方が無いといった表情で。
 内奥からこみ上げてくる歓喜と情熱が甲斐氷太を奮わせたようだ。

877タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:47:29 ID:9yaTnsNo
「何が可笑しい」
「ククッ、笑わずにいられるかよ。おまえみてえな相手を前にして。
ついさっきもガンくれあったが、こんな鬼みてえな、
いや、悪魔みてえな視線を向ける野郎は初めてだぜ?」
 見ろよ、と甲斐は屍に対して腕をまくって見せた。
「見事に鳥肌が立ってやがる。数秒睨まれただけでこんなになっちまった。
それだけじゃねえ、脊髄にツララをブッこまれたような感覚だぜ。
相対してるだけで、テメエの威圧とスゴ味に俺自身が飲み込まれちまいそうだ。 
目の前の男がどれだけヤバいか、俺の本能はちゃんと分かってる」
 対して屍は何も言わない。甲斐の出方を伺っている。
 空中を旋回する二匹の鮫が、番兵のように屍の接近を防いでいるからだ。
「でもよお、いや、だからこそ、だな。
こうして俺が向き合ってる相手ならば、このクソッくだらねえ世界の中で
唯一手応えが感じられそうなヤツなんじゃねえかって思うんだ。
余計な虚飾や装飾を取っ払ったシンプルな、それでいて確実な手応えをよぉ」
 カプセルにはまってから、いや、それ以前から甲斐には何もかもが
 嘘くさく思えてしょうがなかった。
 どれもこれもが些事であって、切り捨てられない、必要な何かと比べて
 無価値な石ころに過ぎないと感じていた。
 そんな日常に宙ぶらりんになって生きる甲斐にとって、
 悪魔戦に溺れることはまさに快感だった。
 いや、思考や感情の奥にある「存在」する何かが弾ける感覚だ。
 余計な幻想を片っ端か打ち壊してくれる。
 屍との闘争によって、甲斐は失われない確実なものを得られると確信した。
 だからこそ、屍を追ってここまで来たのだ。
「さぁ、存分に殺しあおうぜ。過去も未来も要らねえ、必要なのは今だけだ。
満ち足りるまで、クラッシュするまで溺れようじゃねえか」
 弾けそうな興奮と期待そして心情をぶつける甲斐。
 しかし、
「粋がるなよ糞虫」
 返ってきたのは痛罵と屍のデイパックだった。

878タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:48:37 ID:9yaTnsNo
 悦に入ったように語る甲斐に対して、屍は全力でデイパックを叩きつけると
 疾風のごとく間を詰める。
「おまえの自己満足に付き合う理由も義理も無い、警察をナメるな。
ゴミは掃除する、治安は守る、それだけだ」
 白鮫がデイパックをブロックする隙をついた低姿勢で一気に距離を詰めると、
 そのまま黒鮫の胴に向かって上段蹴りを叩き込む。
 身もだえしながら後退する黒鮫。
 その背後で、甲斐が目を剥きながら歯を食いしばる姿を屍は捉えた。
「カラクリが読めてきたぜ――その妖物、おまえと同調してやがるな」
「っはぁ……容赦無えな。けどよぉ、そーやって煽られると
俺はますます燃えるんだっ!」
 痛みを堪えつつ、しかし陶酔したかのように甲斐はカプセルを口に含む。
 次の瞬間、眼前に掲げた拳を振り下ろし、
「ノッてきたぜ――食い千切れ!」
 蹂躙の意を轟かせた。
 冷静さには欠けるが、悪魔のスペックがそれをカバーする。
 同時に、二匹の悪魔が屍目掛けて雷光のように飛んでいく。
 背びれ、胸びれ、尾、ノコギリ歯。
 電光石火で繰り出されるコンビネーションが屍を包む。
 前後左右上下から襲い来る破壊力。
 屍はそれを持ち前の直観力で巧みに捌き、時には避ける。
 足首を狙った黒鮫の尾の一撃を片足を浮かしてやりすごし、
 同時に右腕部をミンチにせんと迫る白鮫の歯を防ぐため、
 顎に掌打を打ち込んで、鮫が突っ込んでくるベクトルを変える。
 物部景がこの光景を見たらいったい何を思うだろうか。
 狂犬の王が操る悪魔に対して、生身の人間が素手で渡り合っているのだから。
 荒れ狂うハリケーンの直下のように戦塵が舞い、風が千切れる。
 魔人と悪魔の饗宴は壮絶な様相を示していた。

879タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:50:05 ID:9yaTnsNo
 その戦場に巨人が乱入してきた時、均衡は崩れた。
 屍により手痛い反撃を受けた小早川奈津子が、大剣片手に威勢をあげる。
「面妖な鮫ともども、あたくしが討ち取ってあげましょう!」
「上等っ! ポリコを殺るついでだ、ハムにしてやるよ」
「どいつもこいつもよく喋る――」
 風が唸った。
 ブルートザオガーの軌道上から身をくねって退避した白鮫に
 屍の変則フックが直撃し、フィードバックで甲斐がうめく。
 その反撃とばかりに屍目掛けて突進する黒鮫の尾を
 小早川奈津子が掴んで豪快に振りかぶる。
 それはまるで大魚を吊り上げた漁師のような風情であった。
 そのまま哄笑とともに鮫を屍に叩きつけようとするが、
 鮫の抵抗にあい巨大な頬に鮫肌の痕がつく。
 よろめく女傑。
 隙を逃さぬよう屍の両腕が瞬動し、巨人の手首を砕き折ろうとするが、
「乙女の柔肌を汚した重罪、打ち首獄門市中引き回しの刑で償うがよくってよ!」
 憤激した女傑の振り回す大剣がそれを許さない。
 型もへったくれも無い、力任せで常識外れな剣戟だ。
 接近した魔界刑事の首筋を剣の切っ先が擦過する。
 その斬撃で飛び散った鮮血を舐め取るかのような軌道で、白鮫が屍を強襲。
 防御の隙間を縫って屍の肩を尾で打ち据えた。
 隻眼の顔に苛立ちが浮かぶ。

 一瞬ごとに別個のコンビネーションで攻め立ててくる甲斐氷太。
 意外性とタフさによって屍の予測の外を行く小早川奈津子。
 二人を上回る技量と経験を持ち合わせる屍だが、
 思惑どおりに流れを組み立てることは難しい。
 屍の手元に愛銃があれば、一秒とかからず二人は射殺されていただろう。
 だが、屍の支給品は武器ではなく椅子だったのだ。
 珍しく、魔界刑事の額を汗が伝った。

880タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:52:25 ID:9yaTnsNo
 泥沼の白兵戦になるかと思われたその時、
 屍はついに死中の活を見出す。
 甲斐が矢継ぎ早に繰り出してきた悪魔のコンビネーション攻撃。
 その派生パターンを魔界刑事は直感的に理解した。
 思考のトレースではなく、魔界都市で培ってきた本能的なものが
 鮫の動きを先読みしたのだ。
 屍は信頼に足るその感覚に従い地を蹴った。
 悪魔持ちたる甲斐は戦闘開始直後からあまり移動していない。
 そしてその三メートル先で白鮫が路壁に沿って飛ぶのが見える。
 あの鮫の動きが予想したとおりならそこで決着だろう、と屍は思慮した。
 左前方から迫り来るブルートザオガーを間一髪で切り抜け、
 大剣の担い手たる小早川奈津子の巨体に接近する。
 左肩を密着させて相手の重心をわずかにずらし、タイミング良くショートパンチ。
 屍の右拳を腹部に受けた女傑の巨体が後ろに流れる。
「をーっほほほほ! この程度痛くも痒くもなくってよ!」
 やかましい、と拳に手応えを感じながら、屍は白鮫の動きに注目した。
 かくして、白鮫は路壁に向かって尾を振りかぶる。
 それを確認した瞬間、屍はチェック・メイトに至る道筋を構築し、実行する。
 流れていく小早川奈津子の体、それを全力で押して巨体を移動させる。
 同じタイミングで白鮫はブロック状の路壁を尾で破壊し、
 その破片を散弾銃のごとく屍へと浴びせかけた。
 同時に黒鮫が上方から襲い来る。
 これこそ、屍が直感的に予知した新手の攻撃バリエーションだ。
 屍へ迫るブロックの破片をタイミング良く小早川奈津子の体が受け止める。
 予想外のダメージで意識を乱した女傑の腕に向かって、
 屍はアッパーカットを放つ。
 結果、巨人の右腕は大剣を持ったまま直上へと跳ね上がり、
 襲い掛かってきた黒鮫に激突。
 全ての攻撃が阻まれ、同時に無防備な甲斐への道が開けた。

881タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:53:28 ID:9yaTnsNo
「何っ!?」
 驚嘆の叫びは甲斐のものだ。
 今しがた思いついたばかりのコンビネーション攻撃を
 タイミング良く完全に防がれたのだから、そのリアクションは当然といえよう。
 攻撃の派生も内容もたった今誕生したばかりなのだが、
 屍はそれを以前から知っていたかのごとく完璧に無効化してみせた。
 攻撃を五感で感知する以前に、屍が対応策を練っていたとすれば、
「シックス・センスか……!」
 甲斐氷太は今やっと、屍刑四郎の驚異的な危機回避能力の正体を知った。
 鮫による最初の奇襲も、背後からの強襲もことごとく屍は回避した。
 その理由が、直感による殺気察知に由来するものならば、
 今まで二匹の悪魔の攻撃を凌ぎ続けてきた事実も納得できる。
 
 そんな甲斐を尻目に、屍は順当に決着への手順を踏んでいく。
 先ほど利用した小早川奈津子、その膝に右足を乗せて階段を上るように
 重心移動を行う。
 次の足場は巨人の胸、そこを左足で踏みつけて、反作用で跳躍。
 三角跳びの要領で、女傑の右腕と激突している黒鮫と同等の高度に達する。
 体操選手より鮮やかな動きだが、凍らせ屋にとっては朝飯前だ。
 上昇の勢いを乗せて、黒鮫の鼻っ柱に一撃をお見舞いする。
 黒鮫は絶叫するように口腔を見せつけながら、
 更に上方へと吹き飛ばされた。
 屍は重力に引かれて落下しながら、甲斐がよろめく姿を視界端に捉えた。
 残る白鮫もしばらくは動かせないほど、甲斐は衝撃を受けているのだろう。
 鮫と甲斐が同調に近い関係にあることをすでに屍は見破っていたので、
 先ほどの一撃には停止心掌には及ばないものの
 霊的なパワーを込めておいたからだ。
 それが悪魔を苦しめ、ダメージが甲斐にフィードバックしたのだ。

882タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:55:19 ID:9yaTnsNo
 着地した屍の足元には、足場にされ跳躍の反動で倒された小早川奈津子が
 転がっていた。
「こ、このあたくしを踏み台に……! 何たる屈辱、何たる冒涜!」
「威勢がいいのは口だけだな」
「をーっほほほほほほ! ならば聖戦士たるあたくしの華麗なる一撃を
お見舞いしましょう! 昇天おしっ!」
 起き上がるや否や、小早川奈津子は聖なる力を振り絞って
 ブルートザオガーを一閃した。
 するとどうだろう、先ほど眼前にいた屍刑四郎は影も形も無くなっている。
「おやまあ、なんと貧弱な。
あたくしの超絶・勇者剣を受けて跡形も無く滅却したのかえ?。
ともあれ正義は勝った、完 全 勝 利 でしてよっ! をっほほ――」
「黙れ馬鹿」
 その声は、勝利の高笑いを響かせようとした、
 聖戦士・奈津子の背後から響いた。
 驚いた聖戦士が百八十度反転すると、そこには花柄模様の上着が――、
 そこまで認識した瞬間、小早川奈津子の心臓に激震が走った。
 古代武術、ジルガの技が冴えわたる。
 停止心掌は巨人の急所に炸裂したのだ。
 この技は防御を無視し、内部にダメージを与える。
 小早川奈津子といえども、笑って耐えられる代物ではない。
「だ、だまし討ちとは……何たる……卑怯……」
 これが屍刑四郎が聞いた、小早川奈津子の最後の言葉だった。
 巨人堕つ。

883タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:57:36 ID:9yaTnsNo
 怪物との勝負に決着をつけた屍が振り向くと、
 壁に手を添えながら甲斐氷太がこちらを睨みつけていた。
「よお、まだ――終わりじゃねえぜ」
「じき終わる」
 屍からみて、未だに甲斐のダメージは深刻だ。
 先ほどまでのようにキレのある動きで悪魔を操作できないだろう。
 だが、相手が怪我人だろうが屍に容赦する気は微塵に無い。
 犯罪者は、皆等しく平等――全く価値が無いからだ。
 一歩、一歩、処刑人のように屍は甲斐に詰め寄っていく。
 依然変わらぬ威圧を背負って。
 追い詰められた犯罪者は、このような屍に対して大抵は逃げたり、
 命乞いをする。
 だが、甲斐は出会ったときと同じく、傲岸不遜に屹立していた。
「何をしようとどのみち無駄だがな」
「ああ、もうここから動く必要は無えしな」
 用心深く屍は二匹の鮫を確認した。
 黒鮫は未だ上空で弛緩しおり、戦闘できるとは思えない。
 白鮫も崩した路壁付近を漂っている。襲ってきても対処可能だ。
 そして、今まで屍の急場を救ってきた殺気感知も無反応だ。
 もはや甲斐に戦闘力が無いことは明らかだった。

 あと四歩、屍がそこまで進んだところで甲斐が不意に口を開いた。
「綱を落とすぜ。好きにしろよ」
「何――?」
 意味不明。屍は警戒するとともに疑問解決に思考を裂く。
 瞬間、先ほどまでとは比べ物にならないほどの殺意が屍の体を貫いた。
 思考を裂いていた分、対応が遅れる。
 しかも、本能的に跳び退る事はできなかった。
 屍は甲斐の攻撃を直感任せですでに数回ほど回避している。
 相手がそれを学習していないはずが無い、と屍は推論し、
 飛び退いた先に何があるか確認していない現状で、
 無闇に回避行動を取るのは危険だと、理性で本能を押し留めたのだ。
 最悪、スリーパターンの三匹目が回避先に現れるかもしれない。
 故に、手段は迎撃。
 決断からワンテンポ遅れて、屍は殺意の主を捜し当てた。
 それは白鮫そのものだった。
 自立行動できたのか、と屍が思う間もなく白鮫が迫る。
 完全な誤算だった。屍は以前、甲斐は鮫と同調していると推測した。
 だが、それはドラッグを起爆剤として使用者の闘争本能などを
 具現化する仕組みだろうと勝手に解釈してしまったのだ。

884タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:59:36 ID:9yaTnsNo
 魔界都市にも強力な興奮剤が存在する。
 その中には使用者の容姿を変質させる物も含まれている。
 屍は、甲斐のカプセルがその亜種のようなものだと判断し、
 悪魔の存在をあくまで使用者の一部分が分離した固体だと考えた。
 従って、悪魔そのものが独立して存在するとは思えず、
 使用者の一部分たる悪魔が暴走するなど予想外だったのだ。
 まさか、手綱を放せば勝手に暴れる代物だとは考慮していなかった。

 そう誤算しても無理は無い。
 甲斐は戦闘において確実に悪魔を制御していた。
 使用者の意の下に掌握された悪魔は、甲斐の殺意に従って牙を剥く。
 忠実な僕であったからこそ、屍はオーナーである甲斐一人の
 殺意を汲み取るだけで済んだのだ。
 その経験から、屍は未知である悪魔を既知の存在として誤認していた。

 もはや白鮫の口腔は魔界刑事の目前だった。
 虚空から出現する妖物である鮫に、鉄皮が通じるか否かは未知数。
 ならば、障害物を出せばよいと屍は結論。
 以前、甲斐へと投擲したデイパックを蹴り上げて、
 それに食いついた鮫の口中へとねじ込んだ。
 もはや甲斐が統御していた時の洗練された動きは感じられない。
 目先の敵を全て食い尽くす破壊力そのものだ。

885タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:01:44 ID:9yaTnsNo
 これが、甲斐氷太の悪魔。
 鉄の意志でもあるオーナーの手綱が外れると、攻撃本能のままに蹂躙する。
 屍の殺気感知力がなければ、奇襲を防ぐことは困難なほどに滅茶苦茶で、
 原始的で、それでいて非常に手の焼ける存在だったのだ。
 
 しかし、この場に限って言えば、屍が直観力に頼りすぎたのは失策だった。
 このゲームが開始されてから、屍の勘は従来どおりの冴えを見せた。
 と、感じるのは屍の主観であり、実際はしっかりと制限を受けていたのだ。
 その制限で、殺気などの害意を感じる場合と比べて、
 無意な存在から受ける被害に対する直観力は若干低下していた。
 つまり、対人には十分効果があるが、トラップや不慮の事故は
 通常と比べて察知しにくくなっていたのだ。
 屍はゲーム開始以来、大して戦闘を行わなかった。
 それにより「勘」という不安定な能力のコンディションチェックを
 行うことができず、新宿にいた時の状態のままだと思い込んでいた。
 甲斐や小早川奈津子の攻撃を事前に察知していたときは、
 当てられる殺気に反応したのであって、
 死の危険そのものを感じ取っていたわけではなかったのだ。
 それが、今更になって魔界刑事を追い詰めた。

886タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:03:40 ID:9yaTnsNo
 屍が上空に吹き飛ばした黒鮫。
 それはただ攻撃を受けて苦しんでいただけではない。
 上空を通るある物のそばまで接近していたのだ。
 なぜそのような芸当ができたのか。
 フィードバックを受けながらも、カプセルの影響で
 戦気高揚していた甲斐は、同時に痛覚も若干マヒしていた。
 しかも、屍が小早川奈津子を戦闘不能に追い込むとき、
 取り出したカプセルを苦しむ演技とともに飲む暇があった。
 それによって、若干のあいだ悪魔を制御する余裕を甲斐は得ることができた。
 
 空を屍が確認したとき、黒鮫は弛緩していた。
 だが、それは真に弛緩していたのではなく、力を溜めていたのだとすれば、
 優れた勘で攻撃を感知する屍に対して、甲斐が苦肉のトラップを
 用意していたのだとすれば、往生際の態度も納得できるだろう。

 動く必要は無い、と甲斐は述べた。
 なぜなら自分の前まで屍を誘導させる必要があったからだ。
 冷静ならばもっと上手くやれただろうが、今の甲斐にはこれが限界だった。
 屍は自分に止めを刺しに来る、と甲斐は確信して
 自身の手前に攻撃地点を設置した。
 トラップの正体、それは上空を通る複数の電線だった。

 綱を落とす、と甲斐は宣言した。
 それは悪魔の手綱であると同時に、電柱を結ぶ線をも意味したのだ。
 白鮫の制御を手放すことで甲斐は黒鮫の制御に集中できた。
 冷静さを欠いている現状、片方の制御に集中しなければやっていけない。
 その黒鮫はこの時のために上空で力を溜め、
 オーナーの意に従い正確に電線を引きちぎった。

887タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:05:34 ID:9yaTnsNo
 目の前の強敵が放つ殺気に注意を奪われていた屍は、
 自身に向かって上空やや後方から接近してくる二本の電線に気づかなかった。
 無理やり千切れた反動で、電線は弾みをつけて落下してくる。
 その威力は、もはや鞭などというレベルを超えている。
 惨劇は一瞬だった。
 電線は無情にも凍らせ屋の背中を痛打し、花柄模様を銅線が引き裂く。
 凶器の直撃を受けてなお、激痛に耐える屍刑四郎を白鮫が襲う。
 その尾は正確に屍の頭に激突して脳震盪を引き起こした。
 甲斐はこの瞬間を待っていた。
 自分より格上で、油断も隙も無い魔界刑事が無抵抗になる刹那の時を。
 判断は即座に成され、忠実な悪魔は寸分違わずそれに従う。
 落雷のごとく飛来した黒鮫は、悪魔の名に相応しい破壊力を持って、
 屍刑四郎の頭部へと食いついた。

 死んだ、と思った。勝った、と思った。 
 甲斐氷太は内より込み上げる感情を外へぶちまけようとして、
「――!」
 獣の咆哮を聞いた。
 
 首まで黒い悪魔に飲み込まれた魔界刑事。
 その両腕が絶叫とともに天へと突き出され、猛禽の鈎爪にも見える五指が
 左右から鮫の頭部に突き刺さった。
 瞬間、甲斐は猛烈な衝撃に意識を失いそうになった。
 鈍器で殴られたような感覚。
 それがどんどん自分の芯の方へと食い込んでくる。
 相手には武術を使う思考も、余裕も残されてはいないだろう。

888タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:07:23 ID:9yaTnsNo
 しかし、氷らせ屋は頭を食われてなお、凶悪なパワーで戦闘続行を望んでいる。
 正に、魔人。
 魔界刑事の生存本能と、メフィスト病院製の特殊細胞が命を繋いでいるのだ。
 この男を沈黙させるには、頭部を食いちぎって脳を破壊するしかないのか。
 
「お――!」
 甲斐は吼えた。そうしなければ眼前の光景に圧倒されそうだったから。
 抵抗する証を自分自身で確認しなければ、痛みに屈しそうだったから。
「死ねよっ! 死んじまえこの怪物がぁっ!」
 もはや悪魔戦でもなんでもない。
 男と男、二つの存在が生命をかけて意地を張り合っている。
 屈したら、死ぬ。
 その思いが甲斐の意識を支え続けた。

 もう何十秒過ぎたのだろう、いや何百か何千か。
 いや、時間なんてどうでもいい。
 甲斐は頭がどんどんクリアになっていくのを感じた。
 これが、己が求めた瞬間なのか。
 そんなことを考える余裕すら、もはや無い。
 今はただ、相手を喰らい続けることで精一杯だった。
 だがついに、痛みが限界に達した。
 もはや痛みではなく、言い表せないモノになって確実に神経を蝕んでいく。
 
 眼前の刑事だったものは、もはや赤いヒトガタと化していた。
 その腕は依然として悪魔を掴んで離さない。
 悪夢のような光景。
 突如として、
「――!」 
 ヒトガタが絶叫を放つ。
 いや、もはや甲斐には叫びかどうかも分からない。
 ただ一つ、内なる野生は理解していた。
 これを凌げば相手は終わる。

889タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:09:15 ID:9yaTnsNo
 堪えられそうも無い何かが、体の芯を駆け上っていった。
 それでも狂犬は、食いついた牙を離さなかった。


 数分後、甲斐は路地に横たわっていた。
 耐え難い痛みは既に引いたが、激しい頭痛が残っている。
 まともな思考が戻るのは、まだ先になるだろう。
 それでも、甲斐は満たされていた。
 あの感覚は今はもう無い。
 しかしそれを味わった経験は麻薬のように甲斐の心に刻み付けられた。
「言葉にならねぇ……最高だ……もう一度、あと一度でいい。
 あの何もかもが吹っ飛ばされた……あの感覚を、もう一度――」
 ぶっ飛んだジャンキーの言葉とともに、
 甲斐は煙草に火をつけようとして湿気ていることに気づき、
 それを投げ捨てた。


【109 屍刑四郎 死亡】
【残り39人】

【A-3/市街地/一日目/19:00】

【甲斐氷太】
[状態]あちこちに打撲、頭痛
[装備]カプセル(ポケットに数錠)、
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
    煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]興奮が冷めるのを待つ、禁止エリア化するまでには移動したい
[備考]かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下

【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで二日)、たんこぶ、生物兵器感染、仮死状態
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]意識不明
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
   約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
   九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
   感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
   停止心掌は致命傷には至っていませんが、仮死状態になりました

890タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:12:35 ID:9yaTnsNo
書いててキャラその他に自信が無くなったので晒してみる
こんなカンジでいいかどうか判定クレー

基本的に未完だけど、奈津子まわりとかが気に食わないなら言ってくれ
あと、こんな流れで投下おkなら奈津子とボルカン含めた続き書くよ

891名も無き黒幕さん:2007/03/03(土) 23:34:25 ID:BDfaEhGw
乙。最初の方に「をーっほっほほほ!」分を増量してもいいかなと思った。
あと、>877の甲斐が少し多弁すぎるかなと思ったけど、これもこれでらしい気もする…
ともあれ、完成楽しみにさせてもらうよー

892 ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 12:34:21 ID:9yaTnsNo
こっちにもレスが…見逃してた

馬鹿笑い増加ね。おk把握

893修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:51:01 ID:9yaTnsNo
「をーっほほほほほほ! 挽肉におなりっ!」
 号砲のような雄たけびとともに進撃するのは小早川奈津子。
 大上段に大剣を構え、威風をまとって向かってくるその偉容は
 鬼武者のごとき威圧感を相手に与える。
 その顔は憤怒で染まり、猛久しい像のような吐息を吹き出していた。
 緊張に沈む街路。しかし、
「野放図な行動原理だな。怪物と聞いたが、実際はただの馬鹿か」
 マンホールの投擲を避けて身を屈めていた屍刑四郎が、上体を立て直して立ちふさがる。
 赤旗目掛けて突っ込んでくる闘牛、
 それに立ち向かう闘牛士さながらの堂々とした態度だ。
 濡れて顔にかかっていたドレッド・ヘアを掻き揚げると、
「刑事に対する殺人未遂――よくやってくれた」
 一部の新宿区民は、この言葉をどれほど恐れているだろう。
 それほどまでに、魔界刑事は『犯罪者』に対して徹底的で容赦が無い。
 文字どおりに虫けらとしか相手を見なさないからだ。
 だが、その宣告も小早川奈津子にとっては脅威にはならない。
 特に先刻の侮辱の影響で、彼女は屍の放ったブタという単語に過剰に反応した。
「国家の犬風情が、あたくしに意見しようなど万年早くってよ!」
 ひときわ凄烈な轟声をあげ、その加速をいっそう速める。
 屍との距離はすでに十メートルを切っていた。
 あと数歩で小早川奈津子のリーチ内だ。
 女傑が満身の一撃を放とうとしたその瞬間。屍は強張った面で彼女に向き合い、
「おまえはその犬にかみ殺されるのさ」
 つ、と地面を滑るかのように音も無く後退した。
 ただ下がるだけではない。相手のリーチを完全に読みきり、
 攻撃を避けた瞬間に踏み込んでのカウンターを入れることが可能な体勢だった。
 屍の経験・技量は女傑のそれを圧倒的に上回っていた。
 気づいた小早川奈津子が慌てて剣を止めようとするが、すでに慣性は働いている。
 全ては屍の思惑どおりだ。

894修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:51:57 ID:9yaTnsNo
 が、その予定を狂わす第三者は意外な場面で行動してきた。
「てンめぇ……! そいつは俺の獲物なんだよ!」
 小早川奈津子を激怒させた張本人、甲斐氷太だ。
 屍は、甲斐が漁夫の利狙いで自分を襲うものだろうと考え、
 鮫による奇襲にも警戒を怠ってはいなかった。
 しかし、甲斐氷太は気の赴くままに敵意を放ち、その警戒の斜め上を行く。
 あろうことか、屍向かって突進してくる小早川奈津子の両足に、
 甲斐は黒鮫の尾で痛烈な一撃をお見舞いしたのだ。
 タイミングに乗った一発は、常人の足を打ち砕く威力を誇っていた。
 だが、ドラゴン・バスターを自称する女傑に対しては、
 ただの脚払い程度の攻撃に過ぎなかったのだ。
「あっー!」
 驚嘆の声とともに、宙に浮きつつ前方へと体を流す小早川奈津子。
 屍にとってその転倒は最悪の結果をもたらした。
 巨人の剣は振り下ろされる途中であり、それが前のめりになった巨体と、
 脚払いで宙に浮いた慣性とが組み合わさり、予想以上の斬撃範囲を発揮したからだ。
「をーっほほほほ! これぞ怪我の功名、一刀の下に斬り捨ててあげましょう」
 してやったり、と言った風情の嬌声に後押しされながら、
 ブルートザオガーが花柄模様の男に迫る。
 その威力・硬度・切れ味は、ともに人一人を真っ二つにするには十分すぎる。
 大剣が隻眼の顔に達する直前、魔界刑事は賭けに出た。
 そのたくましい両腕が閃いたかと思った瞬間、大剣を左右から挟みこんだのだ。
 真剣白刃取り。
 絶体絶命の状況下でそれを成しえたのは、
 屍の卓越した身体能力と古代武術『ジルガ』の技法に他ならない。
 短距離において音速を突破できる屍は、その能力が制限されていても
 技の冴えを衰えさせていなかったのだ。

895修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:54:23 ID:9yaTnsNo
 しかし、魔界刑事の身体能力と古代武術をもってしても、
 小早川奈津子の斬撃を止めることはできなかった。
 巨人のパワーは怒り補正を受けて、一気に剣を押し込もうと猛威を振るう。
 白刃取りによって勢いを殺したものの、添えられた屍の手ごと剣が迫る。
 鼻頭に大剣が到達する直前、屍は頭を傾けて直撃を避けた。
 それでも、依然として剣が振り下ろされていることには変わりが無い。
 命中箇所が頭から肩へとずれただけだ。
 大剣が花柄模様を切り裂く。
 直後、硬い音がした。
 だがそれは肉を断ち切り、骨を砕く音ではなかった。
 間違いなく剣は命中した。しかし、一滴たりとも流血が見られない。
 屍は憮然として告げた。
「古代武術ジルガのうち――鉄皮。上着を台無しにしやがって、このクズが」
 刑事の背後から吹き出した殺気に危機を感じた小早川奈津子は
 慌てて飛びのこうとする。
 しかし、それは叶わなかった。
 今度は逆に、鋼のような屍の腕が万力のごとく大剣を固定していたからだ。
 次の瞬間、鞭のような蹴撃が小早川奈津子の巨大な左大腿を打った。
 二発、三発、並みのヤクザやチンピラは、この時点で粉砕骨折しているだろう。
 四発、五発、小早川奈津子の顔がついに苦痛に歪む。
 そして六発目が大腿の皮膚を打ち破り、鮮血を散らすと同時に
 その巨体がゆるりと傾き、受身のために女傑は路地へと手を着いた。
「これでようやく急所を殴れるな」
「仰ぎ見るべきこのあたくしを同じ視線で眺め回すとは何たる無礼!」
「この期に及んで何を言ってやがるこの唐変木。あばよ」
 言うと同時に、屍の右腕が後ろに引かれる。
 この構えの果てにあるのは、ジルガの技法『停止心掌』
 小早川奈津子のような怪物を一撃で仕留めるにはこれしかないと、
 屍が先ほどから狙っていた技だ。
 強力無比な掌撃が、万全を期して女傑の胸へ迫る。

896修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:55:24 ID:9yaTnsNo
 その一撃を打ち出した瞬間、屍は後頭部に殺気が当てられるのを感じた。
 すでに屍は攻撃中だ。未来は二つ。
 危機を回避するか、そのまま巨人に止めを刺すか。
 逡巡する時間が無い中で屍は危機回避を優先した。
 烈風とともに花柄模様が翻り、同時に黒鮫が口腔鮮やかに飛来する。
 屍は甲斐の鮫と攻撃の察しをつけていたのだ。
 だが停止心掌は完全に失敗し、小早川奈津子は隙をついて離脱してしまった。 
「くそっ、よく避ける野郎だ」
 言うが早いか、甲斐の瞳が燃えるような輝きを放つ。
 屍はその輝きの中に渇望の意を見出した。
「餓えてやがるな、狂犬め」
 言いながら屍は若干つま先に加重をかけ、重心を前に傾かせた。
 対する甲斐は正面に屍を捉えながらも、四方にも感覚を向けて
 周囲空間そのものを把握しているのだろう。
 お互いの視線が交差し、しばしの間世界が止まった。
 が、それもつかの間。
「クックック、クハハハッ」
 突如として甲斐がを笑みをこぼした。
 楽しくて、満足で仕方が無いといった表情で。
 内奥からこみ上げてくる歓喜と情熱が甲斐氷太を奮わせたようだ。

897修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:56:19 ID:9yaTnsNo
「何が可笑しい」
「ククッ、笑わずにいられるかよ。おまえみてえな相手を前にして。
ついさっきもガンくれあったが、こんな鬼みてえな、
いや、悪魔みてえな視線を向ける野郎は初めてだぜ?」
 見ろよ、と甲斐は屍に対して腕をまくって見せた。
「見事に鳥肌が立ってやがる。数秒睨まれただけでこんなになっちまった。
それだけじゃねえ、脊髄にツララをブッこまれたような感覚だぜ。
相対してるだけで、テメエの威圧とスゴ味に俺自身が飲み込まれちまいそうだ。 
目の前の男がどれだけヤバいか、俺の本能はちゃんと分かってる」
 対して屍は何も言わない。甲斐の出方を伺っている。
 空中を旋回する二匹の鮫が、番兵のように屍の接近を防いでいるからだ。
「でもよお、いや、だからこそ、だな。
こうして俺が向き合ってる相手ならば、このクソッくだらねえ世界の中で
唯一手応えが感じられそうなヤツなんじゃねえかって思うんだ。
余計な虚飾や装飾を取っ払ったシンプルな、それでいて確実な手応えをよぉ」
 カプセルにはまってから、いや、それ以前から甲斐には何もかもが
 嘘くさく思えてしょうがなかった。
 どれもこれもが些事であって、切り捨てられない、必要な何かと比べて
 無価値な石ころに過ぎないと感じていた。
 そんな日常に宙ぶらりんになって生きる甲斐にとって、
 悪魔戦に溺れることはまさに快感だった。
 いや、思考や感情の奥にある「存在」する何かが弾ける感覚だ。
 余計な幻想を片っ端か打ち壊してくれる。
 屍との闘争によって、甲斐は失われない確実なものを得られると確信した。
 だからこそ、屍を追ってここまで来たのだ。
「さぁ、存分に殺しあおうぜ。過去も未来も要らねえ、必要なのは今だけだ。
満ち足りるまで、クラッシュするまで溺れようじゃねえか」
 弾けそうな興奮と期待そして心情をぶつける甲斐。
 しかし、
「粋がるなよ糞虫」
 返ってきたのは痛罵と屍のデイパックだった。

898修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:57:35 ID:9yaTnsNo
 悦に入ったように語る甲斐に対して、屍は全力でデイパックを叩きつけると
 疾風のごとく間を詰める。
「おまえの自己満足に付き合う理由も義理も無い、警察をナメるな。
ゴミは掃除する、治安は守る、それだけだ」
 白鮫がデイパックをブロックする隙をついた低姿勢で一気に距離を詰めると、
 そのまま黒鮫の胴に向かって上段蹴りを叩き込む。
 身もだえしながら後退する黒鮫。
 その背後で、甲斐が目を剥きながら歯を食いしばる姿を屍は捉えた。
「カラクリが読めてきたぜ――その妖物、おまえと同調してやがるな」
「っはぁ……容赦無えな。けどよぉ、そーやって煽られると
俺はますます燃えるんだっ!」
 痛みを堪えつつ、しかし陶酔したかのように甲斐はカプセルを口に含む。
 次の瞬間、眼前に掲げた拳を振り下ろし、
「ノッてきたぜ――食い千切れ!」
 蹂躙の意を轟かせた。

 同時に、二匹の悪魔が屍目掛けて雷光のように飛んでいく。
 甲斐には冷静さが欠けるが、悪魔のスペックがそれをカバーする。
 背びれ、胸びれ、尾、ノコギリ歯。
 電光石火で繰り出されるコンビネーションが屍を包む。
 前後左右上下から襲い来る破壊力。
「ベルを鳴らせ、ショーの始まりだっ!」
 酔ったように叫ぶ甲斐、シャンパンの泡のように敵意が弾ける。
 対する屍は、悪魔の攻撃を持ち前の直観力で巧みに捌き、時には避ける。
 足首を狙った黒鮫の尾の一撃を片足を浮かしてやりすごし、
 同時に右腕部をミンチにせんと迫る白鮫の歯を防ぐため、
 顎に掌打を打ち込んで、鮫が突っ込んでくるベクトルを変える。
「ハハッ! 踊れ、踊れぇ!」
 カプセルを嚥下し、叫ぶ顔はもはや狂喜の域に突入していた。
 目は剥き出しになったように開かれ、しかも真っ赤に燃えている。
 その笑みはまさに悪魔持ちと呼ぶに相応しい。
 物部景がこの光景を見たらいったい何を思うだろうか。
 狂犬の王が操る悪魔に対して、生身の人間が素手で渡り合っているのだから。
 荒れ狂うハリケーンの直下のように戦塵が舞い、風が千切れる。
 魔人と悪魔の饗宴は壮絶な様相を示していた。

899修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:59:08 ID:9yaTnsNo
 その戦場に巨人が乱入してきた時、均衡は崩れた。
 屍により手痛い反撃を受けた小早川奈津子が、大剣片手に威勢をあげる。
「をーっほほほほ! 面妖な鮫ともども、あたくしが討ち取ってあげましょう!」
「上等っ! デカ殺るついでにハムにしてやるよ!」
「どいつもこいつもよく喋る――」
 風が唸った。
 ブルートザオガーの軌道上から身をくねって退避した白鮫に
 屍の変則フックが直撃し、フィードバックで甲斐がうめく。
 その反撃とばかりに屍目掛けて突進する黒鮫の尾を
 小早川奈津子が掴んで豪快に振りかぶる。
 それはまるで大魚を吊り上げた漁師のような風情であった。
 そのまま哄笑とともに鮫を屍に叩きつけようとするが、
 鮫の抵抗にあい巨大な頬に鮫肌の痕がつく。
「ざっまあみやがれ、バァーカ!」
 甘美な手応えに笑う狂犬。もはや完全にカプセルがキマってぶっ飛んでいる。
 よろめく女傑。
 隙を逃さぬよう屍の両腕が瞬動し、巨人の手首を砕き折ろうとするが、
「乙女の柔肌を汚した重罪、打ち首獄門市中引き回しの刑で償うがよくってよ!」
 憤激した女傑の振り回す大剣がそれを許さない。
 型もへったくれも無い、力任せで常識外れな剣戟だ。
 接近した魔界刑事の首筋を剣の切っ先が擦過する。
「来た来た来たぁ! 待ってたんだっ、脳天ブチ抜くこの感覚をよおっ!」
 その斬撃で飛び散った鮮血を舐め取るかのような軌道で、白鮫が屍を強襲。
 防御の隙間を縫って屍の肩を尾で打ち据えた。
 隻眼の顔に苛立ちが浮かぶ。

 一瞬ごとに別個のコンビネーションで攻め立ててくる甲斐氷太。
 意外性とタフさによって屍の予測の外を行く小早川奈津子。
 二人を上回る技量と経験を持ち合わせる屍だが、
 思惑どおりに流れを組み立てることは難しい。
 屍の手元に愛銃があれば、一秒とかからず二人は射殺されていただろう。
 だが、屍の支給品は武器ではなく椅子だったのだ。
 珍しく、魔界刑事の額を汗が伝った。

900修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:01:53 ID:9yaTnsNo
 泥沼の白兵戦になるかと思われたその時、
 屍はついに死中の活を見出す。
 甲斐が矢継ぎ早に繰り出してきた悪魔のコンビネーション攻撃。
 その派生パターンを魔界刑事は直感的に理解した。
 思考のトレースではなく、魔界都市で培ってきた本能的なものが
 鮫の動きを先読みしたのだ。
 屍は信頼に足るその感覚に従い地を蹴った。
 悪魔持ちたる甲斐は戦闘開始直後からあまり移動していない。
 そしてその三メートル先で白鮫が路壁に沿って飛ぶのが見える。
 あの鮫の動きが予想したとおりならそこで決着だろう、と屍は思慮した。
 左前方から迫り来るブルートザオガーを間一髪で切り抜け、
 大剣の担い手たる小早川奈津子の巨体に接近する。
 左肩を密着させて相手の重心をわずかにずらし、タイミング良くショートパンチ。
 屍の右拳を腹部に受けた女傑の巨体が後ろに流れる。
「をーっほほほほ! この程度痛くも痒くもなくってよ!」
 やかましい、と拳に手応えを感じながら、屍は白鮫の動きに注目した。
 かくして、白鮫は路壁に向かって尾を振りかぶる。
 それを確認した瞬間、屍はチェック・メイトに至る道筋を構築し、実行する。
 流れていく小早川奈津子の体、それを全力で押して巨体を移動させる。
 同じタイミングで白鮫はブロック状の路壁を尾で破壊し、
 その破片を散弾銃のごとく屍へと浴びせかけた。
 同時に黒鮫が上方から襲い来る。
 これこそ、屍が直感的に予知した新手の攻撃バリエーションだ。
 屍へ迫るブロックの破片をタイミング良く小早川奈津子の体が受け止める。
 予想外のダメージで意識を乱した女傑の腕に向かって、
 屍はアッパーカットを放つ。
 結果、巨人の右腕は大剣を持ったまま直上へと跳ね上がり、
 襲い掛かってきた黒鮫に激突。
 全ての攻撃が阻まれ、同時に無防備な甲斐への道が開けた。

901修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:02:55 ID:9yaTnsNo
「何っ!?」
 驚嘆の叫びは甲斐のものだ。
 今しがた思いついたばかりのコンビネーション攻撃を
 タイミング良く完全に防がれたのだから、そのリアクションは当然といえよう。
 攻撃の派生も内容もたった今誕生したばかりなのだが、
 屍はそれを以前から知っていたかのごとく完璧に無効化してみせた。
 攻撃を五感で感知する以前に、屍が対応策を練っていたとすれば、
「なんつー勘の良さだよテメエ……ククッ、最高じゃねえか」
 甲斐氷太は今やっと、屍刑四郎の驚異的な危機回避能力の正体を知った。
 鮫による最初の奇襲も、背後からの強襲もことごとく屍は回避した。
 その理由が、直感による殺気察知に由来するものならば、
 今まで二匹の悪魔の攻撃を凌ぎ続けてきた事実も納得できる。
 
 そんな甲斐を尻目に、屍は順当に決着への手順を踏んでいく。
 先ほど利用した小早川奈津子、その膝に右足を乗せて階段を上るように
 重心移動を行う。
 次の足場は巨人の胸、そこを左足で踏みつけて、反作用で跳躍。
 三角跳びの要領で、女傑の右腕と激突している黒鮫と同等の高度に達する。
 体操選手より鮮やかな動きだが、凍らせ屋にとっては朝飯前だ。
 上昇の勢いを乗せて、黒鮫の鼻っ柱に一撃をお見舞いする。
 黒鮫は絶叫するように口腔を見せつけながら、
 更に上方へと吹き飛ばされた。
 屍は重力に引かれて落下しながら、甲斐がよろめく姿を視界端に捉えた。
 残る白鮫もしばらくは動かせないほど、甲斐は衝撃を受けているのだろう。
 鮫と甲斐が同調に近い関係にあることをすでに屍は見破っていたので、
 先ほどの一撃には停止心掌には及ばないものの
 霊的なパワーを込めておいたからだ。
 それが悪魔を苦しめ、ダメージが甲斐にフィードバックしたのだ。

902修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:04:55 ID:9yaTnsNo
 着地した屍の足元には、足場にされ跳躍の反動で倒された小早川奈津子が
 転がっていた。
「こ、このあたくしを踏み台に……! 何たる屈辱、何たる冒涜!」
「威勢がいいのは口だけだな」
「をーっほほほほほほ! ならば聖戦士たるあたくしの華麗なる一撃を
お見舞いしましょう! 昇天おしっ!」
 起き上がるや否や、小早川奈津子は聖なる力を振り絞って
 ブルートザオガーを一閃した。
 するとどうだろう、先ほど眼前にいた屍刑四郎は影も形も無くなっている。
「おやまあ、なんと貧弱な。
あたくしの超絶・勇者剣を受けて跡形も無く滅却したのかえ?。
ともあれ正義は勝った、完 全 勝 利 でしてよっ! をっほほ――」
「黙れ馬鹿」
 その声は、勝利の高笑いを響かせようとした、
 聖戦士・奈津子の背後から響いた。
 驚いた聖戦士が百八十度反転すると、そこには花柄模様の上着が――、
 そこまで認識した瞬間、小早川奈津子の心臓に激震が走った。
 古代武術、ジルガの技が冴えわたる。
 停止心掌は巨人の急所に炸裂したのだ。
 この技は防御を無視し、内部にダメージを与える。
 小早川奈津子といえども、笑って耐えられる代物ではない。
「だ、だまし討ちとは……何たる……卑怯……」
 これが屍刑四郎が聞いた、小早川奈津子の最後の言葉だった。
 巨人堕つ。
 
 怪物との勝負に決着をつけた屍が振り向くと、
 壁に手を添えながら甲斐氷太がこちらを睨みつけていた。
「よお、まだ――終わりじゃねえぜ」
「じき終わる」
 屍からみて、未だに甲斐のダメージは深刻だ。
 先ほどまでのようにキレのある動きで悪魔を操作できないだろう。
 だが、相手が怪我人だろうが屍に容赦する気は微塵に無い。
 犯罪者は、皆等しく平等――全く価値が無いからだ。
 一歩、一歩、処刑人のように屍は甲斐に詰め寄っていく。
 依然変わらぬ威圧を背負って。
 追い詰められた犯罪者は、このような屍に対して大抵は逃げたり、
 命乞いをする。
 だが、甲斐は出会ったときと同じく、傲岸不遜に屹立していた。
 相当なダメージが蓄積されているにも関わらず、表情はハイなままだ。
 甲斐のふてぶてしさは、カプセルによるから元気なのだろうか。
 それとも何か策があるのか。
「何をしようとどのみち無駄だ」
「ああ、もうここから動く必要は無えしな」
 用心深く屍は二匹の鮫を確認した。
 黒鮫は未だ上空で弛緩しおり、戦闘できるとは思えない。
 白鮫も崩した路壁付近を漂っている。襲ってきても対処可能だ。
 そして、今まで屍の急場を救ってきた殺気感知も無反応だ。
 もはや甲斐に戦闘力が無いことは明らかだった。

903修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:06:52 ID:9yaTnsNo
 あと四歩、屍がそこまで進んだところで甲斐が不意に口を開いた。
「綱を落とすぜ。好きにしろよ」
「何――?」
 意味不明。屍は警戒するとともに疑問解決に思考を裂く。
 瞬間、先ほどまでとは比べ物にならないほどの殺意が屍の体を貫いた。
 思考を裂いていた分、対応が遅れる。
 しかも、本能的に跳び退る事はできなかった。
 屍は甲斐の攻撃を直感任せですでに数回ほど回避している。
 相手がそれを学習していないはずが無い、と屍は推論し、
 飛び退いた先に何があるか確認していない現状で、
 無闇に回避行動を取るのは危険だと、理性で本能を押し留めたのだ。
 最悪、スリーパターンの三匹目が回避先に現れるかもしれない。
 故に、手段は迎撃。
 決断からワンテンポ遅れて、屍は殺意の主を捜し当てた。
 それは白鮫そのものだった。
 自立行動できたのか、と屍が思う間もなく白鮫が迫る。
 完全な誤算だった。屍は以前、甲斐は鮫と同調していると推測した。
 だが、それはドラッグを起爆剤として使用者の闘争本能などを
 具現化する仕組みだろうと勝手に解釈してしまったのだ。

 魔界都市にも強力な興奮剤が存在する。
 その中には使用者の容姿を変質させる物も含まれている。
 屍は、甲斐のカプセルがその亜種のようなものだと判断し、
 悪魔の存在をあくまで使用者の一部分が分離した固体だと考えた。
 従って、悪魔そのものに独立したエゴが存在するとは思えず、
 使用者の一部分たる悪魔が暴走するなど予想外だったのだ。
 まさか、手綱を放せば勝手に暴れる代物だとは考慮していなかった。

904修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:08:27 ID:9yaTnsNo
 そう誤算しても無理は無い。
 甲斐は戦闘においてハイになりつつも確実に悪魔を制御していた。
 使用者の意の下に掌握された悪魔は、甲斐の殺意に従って牙を剥く。
 忠実な僕であったからこそ、屍はオーナーである甲斐一人の
 殺意を汲み取るだけで済んだのだ。
 その経験から、屍は未知である悪魔を既知の存在として誤認していた。

 もはや白鮫の口腔は魔界刑事の目前だった。
 虚空から出現する妖物である鮫に、鉄皮が通じるか否かは未知数。
 ならば、障害物を出せばよいと屍は結論。
 以前、甲斐へと投擲したデイパックを蹴り上げて、
 それに食いついた鮫の口中へとねじ込んだ。
 もはや、鮫には甲斐が統御していた時の洗練された動きは感じられない。
 目先の敵を全て食い尽くす破壊力そのものだ。

 これが、甲斐氷太の悪魔。
 鉄の意志でもあるオーナーの手綱が外れると、攻撃本能のままに蹂躙する。
 屍の殺気感知力がなければ、奇襲を防ぐことは困難なほどに滅茶苦茶で、
 原始的で、それでいて非常に手の焼ける存在だったのだ。
 
 そしてもう一方、屍が上空に吹き飛ばした黒鮫。
 それはただ攻撃を受けて苦しんでいただけではない。
 上空を通るある物のそばまで接近していたのだ。
 なぜそのような芸当ができたのか。
 フィードバックを受けながらも、カプセルの影響で
 戦気高揚していた甲斐は、同時に痛覚も若干マヒしていた。
 しかも、屍が小早川奈津子を戦闘不能に追い込むとき、
 取り出したカプセルを苦しむ演技とともに飲む暇があった。
 それによって、若干のあいだ悪魔を制御する余裕を甲斐は得ることができた。

905修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:13:38 ID:9yaTnsNo
 空を屍が確認したとき、黒鮫は弛緩していた。
 だが、それは真に弛緩していたのではなく、力を溜めていたのだとすれば、
 優れた勘で攻撃を感知する屍に対して、甲斐が苦肉のトラップを
 用意していたのだとすれば、往生際の態度も納得できるだろう。

 動く必要は無い、と甲斐は述べた。
 なぜなら自分の前まで屍を誘導させる必要があったからだ。
 冷静ならばもっと上手くやれただろうが、今の甲斐にはこれが限界だった。
 屍は自分に止めを刺しに来る、と甲斐は確信して
 自身の手前に攻撃地点を設置した。
 トラップの正体、それは上空を通る複数の電線だった。

 綱を落とす、と甲斐は宣言した。
 それは悪魔の手綱であると同時に、電柱を結ぶ線をも意味したのだ。
 白鮫の制御を手放すことで甲斐は黒鮫の制御に集中できた。
 冷静さを欠いている現状、片方の制御に集中しなければやっていけない。
 その黒鮫はこの時のために上空で力を溜め、
 オーナーの意に従い正確に電線を引きちぎった。
 
 この場に限って言えば、屍が直観力に頼りすぎたのは失策だった。
 このゲームが開始されてから、屍の勘は従来どおりの冴えを見せた。
 と、感じるのは屍の主観であり、実際はしっかりと制限を受けていたのだ。
 その制限で、殺気などの害意を感じる場合と比べて、
 無意な存在から受ける被害に対する直観力は若干低下していた。
 つまり、対人には十分効果があるが、トラップや不慮の事故は
 通常と比べて察知しにくくなっていたのだ。
 屍はゲーム開始以来、大して戦闘を行わなかった。
 それにより「勘」という不安定な能力のコンディションチェックを
 行うことができず、新宿にいた時の状態のままだと思い込んでいた。
 甲斐や小早川奈津子の攻撃を事前に察知していたときは、
 当てられる殺気に反応したのであって、
 死の危険そのものを感じ取っていたわけではなかったのだ。
 それが、今更になって魔界刑事を追い詰めた。

906修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:15:17 ID:9yaTnsNo
 目の前の強敵が放つ殺気に注意を奪われていた屍は、
 自身に向かって上空やや後方から接近してくる二本の電線に気づかなかった。
 無理やり千切れた反動で、電線は弾みをつけて落下してくる。
 その威力は、もはや鞭などというレベルを超えている。
 惨劇は一瞬だった。
 電線は無情にも凍らせ屋の背中を痛打し、花柄模様を銅線が引き裂く。
 凶器の直撃を受けてなお、激痛に耐える屍刑四郎を白鮫が襲う。
 その尾は正確に屍の頭に激突して脳震盪を引き起こした。
「っしゃあ! 引っかかりやがった!」
 凄まじい爽快感だ。甲斐はこの瞬間を待っていた。
 自分より格上で、油断も隙も無い魔界刑事が無抵抗になる刹那の時を。
 判断は即座に成され、忠実な悪魔は寸分違わずそれに従う。
 落雷のごとく飛来した黒鮫は、悪魔の名に相応しい破壊力を持って、
 屍刑四郎の頭部へと食いついた。

 獲った、と思った。 
 甲斐氷太は内より込み上げる感情を外へぶちまけようとして、
「――!」
 獣の咆哮を聞いた。
 
 首まで黒い悪魔に飲み込まれた魔界刑事。
 その両腕が絶叫とともに天へと突き出され、猛禽の鈎爪にも見える五指が
 左右から鮫の頭部に突き刺さった。
 瞬間、甲斐は猛烈な衝撃に意識を失いそうになった。
「ぐっ――あ」
 鈍器で殴られたような感覚。
 それがどんどん自分の芯の方へと食い込んでくる。
 相手にはもはや武術を使う思考も、余裕も残されてはいないだろう。

907修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:16:12 ID:9yaTnsNo
 しかし、氷らせ屋は頭を食われてなお、凶悪なパワーで戦闘続行を望んでいる。
 正に、魔人。
 魔界刑事の生存本能と、メフィスト病院製の特殊細胞が命を繋いでいるのだ。
 この男を沈黙させるには、頭部を食いちぎって脳を破壊するしかないのか。
 
「お――!」
 甲斐は吼えた。そうしなければ眼前の光景に圧倒されそうだったから。
 抵抗する証を自分自身で確認しなければ、痛みに屈しそうだったから。
 だが、同時に甲斐は凄絶な笑みを浮かべていた。
 この刑事、重症を負ってなお自分を楽しませてくれる。
「頭食われてんだぞ!? ハハッ、こうなりゃとことんやりあおうぜ」
 屍の常軌を逸した抵抗が、これ以上無いほどに甲斐の心を満たしていく。
 頭の中が真っ白になって、地平の果てまで吹っ飛ぶ快楽。
 もはや悪魔戦でもなんでもない。
 男と男、二つの存在が生命をかけて意地を張り合っている。
 どうしようも無くシンプルで、致命的な勝負。
 そこが良い、最高だ。
 脊髄を電流が駆け上り、頭蓋の中でスパークした。

 屈したら、死ぬ。
 その思いが甲斐の意識を支え続けた。
 もう何十秒過ぎたのだろう、いや何百か何千か。
 いや、時間なんてどうでもいい。
 甲斐は頭がどんどんクリアになっていくのを感じた。
 これが、己が求めた瞬間なのか。
 そんなことを考える余裕すら、もはや無い。
 今はただ、相手を喰らい続けることで精一杯だった。
 だがついに、痛みが限界に達した。
 もはや痛みではなく、言い表せないモノになって確実に神経を蝕んでいく。

908修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:18:54 ID:9yaTnsNo
 眼前の刑事だったものは、もはや赤いヒトガタと化していた。
 その腕は依然として悪魔を掴んで離さない。
 ギチギチと、鋼の指が鮫肌に食い込む。悪夢のような光景。
 突如として、
「――!」 
 ヒトガタが絶叫を放つ。
 否、もはや甲斐にはそれが叫びかどうかも分からない。
 ただ一つ、内なる野生は理解していた。
 これを凌げば相手は終わる。

 堪えられそうも無い何かが、体の芯を駆け上っていった。
 それでも狂犬は、食いついた牙を離さなかった。


 数分後、甲斐は路地に横たわっていた。
 耐え難い痛みは既に引いたが、激しい頭痛が残っている。
 まともな思考が戻るのは、まだ先になるだろう。
 それでも、甲斐は満たされていた。
 あの感覚は今はもう無い。
 しかしそれを味わった経験は麻薬のように甲斐の心に刻み付けられた。
「言葉にならねぇ……最高だ……もう一度、あと一度でいい。
 あの何もかもが吹っ飛ばされた……あの感覚を、もう一度――」
 ぶっ飛んだジャンキーの言葉とともに、
 甲斐は煙草に火をつけようとして湿気ていることに気づき、
 それを投げ捨てた。

909修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:20:48 ID:9yaTnsNo
【109 屍刑四郎 死亡】
【残り39人】

【A-3/市街地/一日目/19:00】

【甲斐氷太】
[状態]あちこちに打撲、頭痛
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
    煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]興奮が冷めるのを待つ、禁止エリア化するまでには移動したい
[備考]かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下
   小早川奈津子は死んだものだと思っています

【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで一日半)、たんこぶ、生物兵器感染、仮死状態
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]意識不明
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
   約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
   九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
   感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
   停止心掌は致命傷には至っていませんが、仮死状態になりました

910修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:21:39 ID:9yaTnsNo
意見くれた人達に感謝
上手く修正できてることを願う

911汝は村人なりや?  ◇MXjjRBLcoQ:2007/04/13(金) 19:37:32 ID:SHfj1tFw
 口うるさい相棒がいないことが少し、本当に少しだけ悔やまれた。
 風が吹いている。
 雲は流れ、木々がざわめき、そして過ぎ去る。
 やっぱり交渉は不快だった、ギギナへ明確に欠落を突きつける。
 彼はあまりにも完成していた。完成した人格なんて閉殻だ。外に繋がる‘手’を持たない。
 彼にはいくらかの嗜みがあったし、美貌があったし、なにより強い。
 そういう物がつなぐ人たちは多かった。
 だけど、損とか得とか、羨望とか賛美とか、そういうものじゃない繋がり方は、今はもうジオルグ咒式事務所と一緒にギギナの中のお墓の下で眠っている。
 張り付くような同情は醜いと吐き捨てた。
 依頼主や敵との関係はすべて相方に押し付けてきた。
 縋り付くような親愛は煩わしいかった。
 放埓に遊び、愛が始まる前に切り捨てた。
 馬鹿らしいにもほどがあるけど、孤独な記憶が心に浮かんだ。
 そんな思考が中断される。
 地響きと、それに続く大きな咒式の波に晒されて。
 地下の通路は湿っぽい。空気自体は生ぬるいのに、結露の水滴が身体の芯から熱を奪う。
 ここは薄暗い、上に大きな穴ががあいてるけど、曇り空はとても暗くて、逆にここだけ光が吸い取られてる感じ。
 だから、ソレが、余計に惨めに見える。
 ものすごく初歩的で、それでも全部の咒式士が逃げられないリスクの結末。
 そこには、戦う人たちの持つ美しさとか、誇りとか、綺麗なものはどこにも無い。
「コレが貴様の成れ果てか? クエロ・ラディーン」
 ‘亡骸’は答えてくれない。
 ただ血の泡のノイズを撒き散らしながら、ゆっくりと収束していく呼吸音。
 身体から血が、その脈動を刻みながら零れ落ちる。
 穴の開いた右肺は、もう空気と血液によって完全に潰れていた。
 致命的な、しかし手遅れではない一撃。
 でも、「咒式ならば」まだ間に合う一撃。
 ネレトーの撃鉄に指がかかる。切先が、クエロの傷口に浅く刺さる。
 それでも、咒式が発動することは無い。
 そんなことをする意味も無い。
「すでに答える言葉も無いか」
 彼女の瞳は、彼の美貌を映していた。
 ただの鏡と変わらない。憎悪もなければ恐怖も無い、一欠けらの意思も無い眼が彼の憎悪を映していた。
「ならば、なぜ私はこの瞬間に」
 ここに在るのはただの死体。
 自らの限界を見誤り、自らの咒式に心を喰われた、哀れな弱者の惨めな末路。
「貴様を切り捨てていないのだろうな」

912汝は村人なりや?  ◇MXjjRBLcoQ:2007/04/13(金) 19:38:50 ID:SHfj1tFw
 戦うところで、躊躇とか逡巡が彼の足をとめることは無い。
 だからコレは余興だった。少し、昔しのことを思い出したから。
 彼の相方なら、散々迷った挙句生かそうとする。いや、生かしてくれと頼み込む。
 自分では何一つ救えない相方は何時だって、惨めに、卑屈に、醜悪に彼にどうでもいいような他人の命を請う。
 果汁に溶け込んだ鉛のような、度し難い程の己に対する甘さで、誇りを汚す毒物を撒き散らす。
 生成系弾頭がない、そんなものは根拠にならない。
 咒式抵抗の無い身体など、彼にかかれば肉の塊だ。
 その気があるなら刻んで、繋げて、弄繰り回せば、この程度の致命傷なんて殺さず済ますぐらい簡単。
 不可思議が跳梁跋扈するこの島なら、あるいは何かを、弔いたい人のことやその仇のことを引き出せるかもしれない。
 それともこれは復讐心なのか、とも考えた。
 生かせば、彼女は保護されるものとして、立ち上がろうとする人たちを支え慰めるし、もしかしたらそれこそ醜い人たちの慰みモノになる。
 いや、そんな回りくどいことでもないか、とため息一つ。
 コレを生き永らえさせるだけで彼の復讐心は満たせる。戦う彼女を切り刻むより気が利いているのかもしれなかった。
 撃鉄に指に力がこもる。金属の感触は夜露にぬれて氷みたいだった。
 彼だって気付いている。
 交渉をするということは、彼の相方に引きずらるという事。そうなって心に渦巻くのは、力の無い愚者の預言。
 保険と後付で彩られた唾棄すべきもの。
 彼の理想はいつだって美しい。なぜならそこに弱者は居らず、故に醜悪なものはその存在を許されない。
 あるのは明快で、血塗られた決断だけだ。
 迷いはあの眼鏡置きの悪癖。
 彼ははいつだって、それを両断してきた。
 両断していれば間違いは無かった。
(でもさ、こういうたわいもない話すら出来ないから……)
「クエロ、いつか貴様も言っていたな」
 汚れなければわからない心があった。
 美しいままでは聴こえない言葉があった。
「だがやはり私には不要のものだ」
 
――銃声。

 回転式大口径とは程遠い、高く、軽く、洗練された発砲音。
 そして大質量の衝突が引き起こす多重音声。
 彼は第七階位を過信していた。彼女が、処刑人が仕留めそこなうことなど夢想だにしていなかった。
 近くにいて、先ほどの地響きに気付かないほうがおかしい。
 戦っているのはは十中八九彼女も殺す‘乗った’化物。
 彼は両断された昔の仲間を一瞥し、その手元に握られたマグナスを一瞥。
 そして彼は笑った。獰猛に、野蛮に、高貴に笑った。
 ほんの少しだけ、悲しかったけど。

913名も無き黒幕さん:2007/04/14(土) 08:14:25 ID:G1oi.Ois
誤字部分
>>911
17行目「上に大きな穴ががあいてるけど」
11行目「煩わしいかった」←誤字じゃないのならすみません
>>912
4行目「戦っているのはは」
2行目「昔し」←誤字じゃないのならすみません
16行目「引きずらる」←誤字じゃないのなら(略


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