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尚六幾星霜

117「二つの道」29:2018/09/12(水) 19:25:14
関弓山周辺の雨雲が晴れると、待ちかねていたように六太は玄英宮から姿を消してしまった。
それは尚隆も予想していた通りであり、毎年恒例のことだった。雨期の間にある程度真面目に仕事をこなしておけば、諸官も別段苦言を呈することはない。昔は出奔を阻止しようと躍起になっていたこともあったが、今では諦め顔で見逃すようになっている。

本音を言えば、六太にはどこにも行かずに王宮内に留まっていてほしかった。また不逞の輩に目を付けられないとも限らない。使令がいるから実際に危害を加えられることはないと分かっていても、そういった連中の存在自体が尚隆にとっては不愉快だった。
だがそれを理由に六太の行動を縛りたくはなかった。無論、王である尚隆には六太の出奔を禁ずる権限がある。しかし権限を有する者が感情的な理由でそれを濫用することは、暴君への第一歩に他ならない。尚隆は暴君になるつもりはなかった。––––少なくとも、今はなかった。
喧嘩した夜、尚隆は六太に転変を命じ出奔を禁じた。あの時は思いつくまま命じただけで、その意図を自分でも理解できていなかった。だがあの瞬間の心の動きを今は分かっている。
尚隆は人の姿をした六太を見ていたくなかった。それだけなら自分がその場を離れれば済む話だが、他の誰かの目に映るのさえ嫌だった。
つまりは独占欲によるただの我儘に過ぎないのだ。そう悟った時に、ああいう身勝手で感情的な命令は二度とするまい、と尚隆は自戒したのだった。

その夜、尚隆は正寝の一室で夕餉を済ませた後、酒杯を片手に雲海を臨む露台に出た。東の水平線の少し上に、十六夜の月が昇っていた。
僅かに欠けた月を眺めながら、隣国から玄英宮に戻ったのは丁度ひと月前だったな、と尚隆は思いを馳せた。

帰還する際に尚隆が己に課したのは、一つはなるべく以前と同じように振る舞うこと。もう一つは六太に触れないことだった。触れてしまえば、そのまま掌中に収めてしまいたい、という欲が深くなるだけだと分かり切っていたからだ。
だが六太の方から近付いてくるのは止めようがない。窓辺ですぐ隣に立たれた時は、触れたい衝動を抑えるための思わぬ努力を強いられた。それからは意識的に少しの距離を取るよう心掛けた。
完全に二人きりになるのも避けていた。特に人払いを命じなければ複数の官が周囲にいるのが常なので、これはそれほど困難でも不自然でもなかった。

手摺に凭れて酒杯を傾けながら、尚隆は帰還した翌日からのことを思い返した。
半月ぶりに六太と顔を合わせたのは、朝議の場だった。前夜に台輔登遐の報が入ったこともあり、半月ぶりに聞いた六太の第一声は「柳の様子はどうだった?」というものだった。状況から考えれば想定通りの台詞ではあった。尚隆は隣国の様子を簡潔に話し、早急に荒民対策をせねばならん、と溜息をついた。
それから数日は互いにあまり無駄口を叩くことなく、自分達にしては珍しく仕事の話ばかりしていた。六太は以前と変わらず生意気な態度で、遠慮のかけらもなく進言を行う。尚隆と意見が対立しても、臆せず自分の主張を言ってのける。
何事もなかったかのように振る舞う六太を目にして、尚隆は安堵感と共に、ほんの僅かの不満を抱いていた。六太はためらう様子もなく尚隆に近付いてきたが、多少は警戒されるかもしれないと思っていた尚隆は些か不意を突かれたのだ。
あの時のことを、六太はもう気にしていないのだろうか。尚隆の言葉を額面通りに受け取って、ただの冗談だったと忘れてしまったのだろうか。
ふと己の矛盾した思考に苦笑して、尚隆は酒杯を煽る。流れ落ちる液体が喉の奥を灼いた。
––––忘れてくれと言ったのは自分だろうに、いったい何が不満なのだ。
こんなことを思い煩うくらいなら、いっそあの時、忘れろと言ったのは命令だ、と言ってしまえばよかったのに。


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