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尚六幾星霜

113「二つの道」28:2018/08/24(金) 19:35:03
眼下の雲が風に流されていく。切れ間から、関弓の街に久しぶりの陽光が射しているのが見えた。下界から見上げれば、雨雲の切れ間に蒼穹が覗いているだろう。
六太は意を決して、僅かに顔を仰向けた。目を瞑って額に気を集める。全身の感覚が一瞬だけ消えて別の回路に切り替わり、身体がふわりと軽くなった。
目を開けた六太は、身体を揺すって背中に掛かる衣服を振り落とし、蹄を鳴らして跳躍する。
「台輔⁉︎」
背後から驚いたような声をかけられた。振り返ると女官が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ちょっと散歩してくる」
「え、散歩?––––どちらへ?」
その声を聞き流し、六太は王気のある方へ駆け出した。

内殿の広い庭院に面した回廊に、六太はその姿を見つけた。傍らには朱衡と、数人の官がいる。周囲の官のうち一人が最初にこちらに気づき、目を見開いて口をぽかんと開けた。
その様子に気づいたのか、尚隆もこちらに視線を向ける。驚いたように目を瞠り、それから破顔した。
「なんだ、六太か」
朱衡も振り向いた。
「––––台輔、どうなさったのです。転変なさるなんて……」
まさか、と言って朱衡は尚隆を見る。
「俺のせいではないぞ」
心外だ、と言いたげに軽く顔をしかめて尚隆は朱衡を見返した。
「別に妙な勅命出されたわけじゃないって。ただの散歩」
「散歩、ですか」
「心配すんな、内宮からは出ないから」
「当たり前です。よもや先月の騒ぎをお忘れではございませんね?」
「忘れてないって。また帷湍に怒鳴られたくないし。––––でも、この姿で散歩したり昼寝すんのは悪くないなぁって思ってさ」
言いながら六太は回廊に降り立ち、尚隆のすぐ脇まで歩み寄って行った。
「散歩や昼寝をするほど暇なのか、六太」
「いや、さっきまで仕事してて休憩中。だから今は散歩だけ。昼寝するほど暇じゃねえよ」
尚隆の手が伸びてきて神獣の頭に載った。その動作はごく自然で、遠慮もためらいもなかった。そのまま手が滑って鬣を撫でられる。その手の暖かい感触は、心地良くて嬉しかった。
「尚隆は?朱衡から小言くらってたのか?」
「まさか。近頃の俺は品行方正だからな。小言などくらうはずがなかろう」
「へえ、品行方正?それってお前に一番似合わない言葉じゃねえの?」
六太が揶揄すると、まったくです、と朱衡が深く頷いた。
「まだたったのひと月です、主上。これが向こう百年くらい続けば、品行方正と申し上げるのもやぶさかではありませんが」
「百年か。––––朱衡も案外気長なことを言う。お前はもっと気が短いと思っていたがな」
「気が長いとか短いとか、そういった問題ではごさいませんよ。永く諸官の模範となるような王であっていただきたいという、拙めのささやかな願いです」
若干嫌味な朱衡の物言いを、尚隆は笑っただけで受け流した。

訊けば二人は共に執務室へ向かうところだという。
「台輔も一緒にいらっしゃいますか?」
「おれは行かない。休憩中って言ったろ?もう少し散歩したら戻る」
にやりと尚隆は笑って、麒麟の首筋をぽんぽんと叩いた。
「お前も品行方正な宰輔と言われるよう、政務に励むことだ」
「尚隆にそういうこと言われると、なんか腹立つな」
尚隆を見上げて言い返してから、六太は回廊の床を蹴って飛び上がる。じゃあな、と言い残して駆け出した。

宙を疾走して仁重殿へ向かう。主殿の臥室に露台から侵入し、驚く近習を室外に追い出してから六太は牀榻に入った。政務に戻る気にはならなかった。
獣型を解いて人の姿に戻ると、すとん、と身体が重くなる。そのまま何も着ずに衾褥に潜り込んだ。
六太は掛布の下で身体を丸め、両手で胸を押さえた。肺が上手く機能してないような気がした。
撫でてもらえたという安堵感と、訳の分からない虚脱感が、胸の内で交錯している。尚隆の手の感触は嬉しかったのに、同時にひどく寂しかった。


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