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尚六幾星霜

110「二つの道」25:2018/08/24(金) 19:27:51
ある日の午後、六太は雲海に面した広い露台の手摺に座り、下を覗き込んでいた。雲海の底に張り付いている雨雲にところどころ切れ間があり、そこから下界が見える。これから雨雲の切れ間は徐々に広がり、雨期は終わりを迎えるはずだ。
毎年雨期が終わるのが待ち遠しかった。雨が嫌いなわけではないが、下界へ出掛けるには、やはり晴れているほうがいい。
それなのに今の六太は、待ち遠しい気持ちよりも、もうすぐ雨期が終わってしまう、という焦りのようなものが強かった。そんなことを感じてしまうのは、雨がやんだら尚隆もまた出奔してしまうと確信しているからだ。
これまではそれを寂しく思ったとしても、焦燥感など抱いたことはなかった。
六太は足をぶらぶら揺らして欄干を蹴りながら、尚隆が隣国から帰還した後、ここひと月の出来事を思い出していた。

尚隆が帰還した夜に隣国の台輔登遐の報が入り、翌日の朝議の場で六太と尚隆は半月ぶりに顔を合わせた。
喧嘩とその後のあれこれは、六太の私的な問題であり、国の大事の前には些事に過ぎない。皮肉なことに隣国に不幸があったがゆえに、あの一連の出来事を意識の外に置いておくことは予想していたより容易だった。
尚隆の態度も特に喧嘩の前と変わらない。政務のことで色々と意見を交わしているうちに、顔を合わす前に密かに抱いていた妙な緊張感は、やがてなくなっていった。
以前と何も変わらぬ王の振る舞いに、六太はほっとした。尚隆の態度が変わらないなら自分も以前と同じように振る舞える、ちゃんと忘れたふりができると思ったからだ。

碁に誘われた時はかなり意外で驚いたが、碁は何かと好都合だと思った。二人で向かい合って座っていても、ほぼずっと盤面を見ているので相手の顔をあまり見なくても済むし、特に会話も必要ない。
尚隆は十日余りの間、毎日六太と打った。その後に他の官と日替わりで打ち、帷湍に勝利したのを最後にそれきり打たなくなった。
突然碁を打ち始めたのも、ぱったりやめたのも、ただの気まぐれだろうと特に理由は考えなかった。
それとは別に六太は自分の中で引っかかるものがあったからだ。何かが物足りないと感じるのに、それが何なのか分からなくて、六太は僅かな苛立ちを感じていた。

そんな中、碁を打たなくなって何日か経った頃、王の執務室で尚隆が書類の処理をする様子を、少し離れた卓上に座って眺めていた時のことだった。
書類の内容を確認してから署名し、筆を置いて御璽を押す。その一連の動作をする尚隆の手を、六太はじっと見つめていた。
そうして何通かの処理を終えてから、傍らに控えていた侍官に各官府に届けるよう指示を出すと、尚隆の手はその侍官の上腕を軽く叩いた。
それを目にした途端に心臓が跳ねて、不意に六太は理解した。なぜ物足りないと感じていたのかを。
尚隆が六太に全く触れてこないからだ。帰還してから二十日以上、毎日顔を合わせているというのに、肩を叩くとか頭を撫でるとか、以前は当たり前のようにあった接触が今は一切ない。
気づいて六太は愕然とした。そんなくだらないことで自分は苛立っていたというのか。
しかしそれを自覚したことで、目の前にかかっていた靄が消えて視界が晴れたような感じがする。その「くだらないこと」が苛立ちの原因であったと認めないわけにはいかなかった。


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