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尚六幾星霜

1名無しさん:2017/12/18(月) 19:25:09
9,10月に、書き逃げにいくつか投下した者です。
私も尚六の初夜話を書きたいなあと色々妄想した結果、ちょっと長くなりそうなので別スレ立てます。まだなんとなくの流れしか決まっていないんですが、とりあえず書き始めたので投下します。
最初はごく普通の主従関係で、互いにそういう意識もしていない状態です。

2「隠し事」1:2017/12/18(月) 19:28:28
第一話「隠し事」

夏のある日の夕刻、いつものように玄英宮を抜け出した六太は、関弓の街をひとりで歩いていた。
雁国の夏は黒海からの条風に曝されて涼しく、雨は少ない。晴天が続くこの時期は外で遊ぶのにもってこいの季節だ、と六太は思う。もっとも、他の季節も頻繁に外へ遊びに行っているので、そんなことをうっかり朱衡に言おうものなら、嫌味と小言をたくさん聞かされることだろう。

尚隆の治世は八十数年になり、関弓の街にはもう折山の荒廃の面影は全く感じられない。活気のある雑踏の中を、六太はぶらぶらと歩いた。
行きつけの甘味屋に入ってみたものの、好物の団子は売切れだった。肩を落とす六太に、店主は苦笑して「次に来た時おまけするから、またおいで」と言った。
六太も笑って頷いてから、店主に軽く手を振って広途へと出た。

その時ふと、道端に座り込んでいる人物が六太の視界に入った。夏の蒼穹のような明るい青色の髪の少年だ。
数日前に関弓に降りた時にもこの近くで会ったな、と六太は思い出す。
年の頃は十五、六だろうか。なんとも言えない独特な雰囲気を持つ少年だ、とその時は思った。彼のほうから声をかけてきて、当たり障りのないことを少し話した。それだけのことだったが、目立つ髪色と不思議な雰囲気が、六太の印象に残っていた。

少年は俯いて座り込んでいる。具合が悪いのかと思い、六太は彼に歩み寄って行った。
「よう」
声をかけると、少年は緩慢な動作で顔を上げる。六太と視線が合うと彼は微笑した。
「……また会ったね」
六太も笑みを返しながら、少年が僅かに首を傾けて微笑む仕草と表情に、やはり不思議な雰囲気を感じていた。これくらいの年頃の少年は、こんなふうに笑うものだろうか。だが、単に大人びているというのとは違うような気がした。

「お前、こんなところに座ってどうしたんだよ。どこか具合でも悪いのか?」
「うん……ちょっとね……」
少年は傍らに置いてある荷物に目をやった。
「少し……眩暈がするだけ。お使いから帰るところなんだけど、休んだら良くなるかと思って……」
そう言ってから、少年は再び顔を上げて六太に微笑みかけた。
「……心配してくれて、ありがとう」
少年の声にも表情にも張りがない。かなり体調が悪そうに見えた。
「休んで、少しは良くなったか?」
「……全然」
「じゃあ、家に帰ってちゃんと休んだほうがいい。荷物持ってやるからさ。––––立てるか?」
僅かに少年は首を振った。
六太は地面に置いてある荷を持ち上げて抱えてから、少年に手を差し伸べる。彼はその手に縋って立ち上がり、六太の肩につかまった。
「肩……借りていい?」
六太は頷いてから少年に家の方向を訊ね、そちらへ向かってゆっくりと歩き出した。

3「隠し事」2:2017/12/18(月) 19:39:13
少年は六太の肩に置いた手に少し体重をかけて俯きながら、ゆっくりと歩を進めた。六太は体調が悪そうな彼を慮って、時折道順を確認する以外には言葉を交わさず、街路を歩いて行く。
彼の家は、六太が普段あまり近付かない界隈にあるらしい。緑色の柱の楼が建ち並ぶ花街。六太はもちろんそこで遊んだこともなければ、遊びたいと思ったこともない。
そこに近寄るのは気が進まないのだが、荷物を持ってやると言った以上、家まで送るのが筋だろう。

「もう一本先の通りだよ」
花街に差し掛かったところで、少年がそう言った。六太は頷いて、そのまま足を進める。緑色の柱の並ぶ街路を横目に通り過ぎ、一本先の角を曲がると、その通りには緑色の柱はなかった。
夏の夕日は斜めに差して、建物の影が地面に広がっている。まだ明るい街路には通行人が何人かいたが、全員男だった。
道端に立ち話をしている二人組の男がおり、彼らが何故か無遠慮な視線を向けてくるので、六太はなんだか落ち着かない。早く通り過ぎようとして、肩につかまる少年の顔を窺った。
「もう少し速く歩けるか?」
「うん……大丈夫だよ」
少年が頷いたので、六太は少しだけ足を早めた。

「あの宿屋が、僕のうち」
少年が指差した宿屋は、六太が今まで泊まったことのある宿とは全く趣が違っていた。窓も扉も全て閉まっており、普通の宿屋のような開放的な雰囲気がない。
建物の正面の、閉ざされた大扉の前まで着くと、六太は少年に荷物を渡そうとした。早くここから立ち去りたいと思った。だが少年は、荷物を受け取らずに微笑んだ。
「うちに寄っていってよ」
そう言って彼は六太の背中を扉の方へ押した。
その時目の前の扉が内側から開いて、男が顔を出した。
「おかえり。……友達連れてきたのか」
男は少年をちらりと見てそう言ってから、六太の顔をじっと見つめた。
「うん、ちょっと遊んでいってもらおうと思って」
少年がそう言いながら六太の背中を押し、それと同時に男に腕を掴まれて扉の中に引き込まれた。

扉の中は、全く外から採光していないようで、幾つかの灯りが揺らめいている薄暗い堂室だった。
普通の宿屋は食堂も兼ねているところが多く、そこにも卓と椅子が並んでいたが、いま食堂として使われている様子はなかった。椅子に座っていた数人の人影が、全員こちらに目を向けた。
むせ返るほどの芳香が漂っている。その中に微かに混じる、汗の匂いと血の臭気。六太は眉根を寄せた。
後ろで扉が閉じる音がして、六太は少年を振り返った。
「おれ帰るから、扉閉めるなよ」
扉に錠を下ろした少年は、くすくすと笑い出す。彼は六太に向き直ると小首を傾げて微笑んだ。
「だめだよ。せっかく連れてきたのに」
少年は下ろした錠を背に隠すようにして立っている。さっきまではふらついていたのに。体調が悪そうに見えたのは演技だったのか、と六太は悟った。
「きみが優しい子で良かった。こんなに簡単について来てくれるなんて」
「何を……」
六太は眉をひそめ、少年の微笑を凝視する。彼の狙いは何なのだろう。六太が麒麟であることを気付かれたのか。
「兄さんたちと、遊んでいって」
「え?」
意味が分からず聞き返した六太の肩を、少年の手が、とん、と押した。
後ろに一歩下がった六太の左腕が、強い力で掴まれた。振り返った視線の先で、男の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。

4「隠し事」3:2017/12/18(月) 19:52:28
六太はいつの間にか三人の男に囲まれていた。影の中の使令が臨戦態勢に入っているのが伝わってくる。まだ何もするな、と心の中で命じながら、男達を見回した。
「お前、可愛い顔してんなぁ」
正面の男がにやにや笑いながら六太の頰に手を伸ばしてきたので、反射的にその手を払い除ける。
「手を離せよ」
六太は上腕を掴んでいる男を睨んだが、その男は下卑た笑みを浮かべて、掴んでいる腕を更に引き寄せる。息がかかるほどの至近距離まで顔を近づけて、男は言った。
「生意気そうな目つきも、そそるじゃねえか」
言い知れぬ不快感が背筋を這い上った。
六太は身を引いて腕を振りほどこうとしたが、掴む力は腕に食い込むほどに強く、全く動かない。
男は唇を歪めて卑猥に囁いた。
「これから俺たちと遊ぶんだろう?」
「遊ばない。帰る」
言い返す声は、震えた。
やっと六太は状況を理解した。ここがどういう宿屋なのかということも。
空色の髪の少年が、六太の両肩に後ろから手を置いた。
「そんなこと言わないで。みんな、きみのこと気に入ったみたいなのに」
ねえ、と少年は媚びるような声で男達に同意を求める。
「上玉だな。お前は俺らの好みをよく分かってる」
下品な笑い声をたてて、正面にいる男がそう答えた。
少年はくすくす笑いながら、六太の耳元で囁いた。
「大丈夫、痛いのは最初だけ。すぐに良くなるから」
六太は唇を噛んだ。鳩尾のあたりが鷲掴みにされたように息苦しかった。
この少年は先日会った時、そういうつもりで声を掛けてきたのだろうか。最初から、ここに連れ込もうと考えていたのだろうか。

「みんなで可愛がってやるから、安心しな」
そう言いながらもう一人の男が右腕を掴んできた瞬間、六太は耐えきれず、使令に命じた。
ここから逃がしてくれ、と。
使令達は速やかに命令に従った。
僅かな灯りが消え、あたりは暗闇に包まれた。物が倒れる音、誰かの怒声。
背後の少年が悲鳴を上げて倒れた。
六太を掴んでいた男達の腕を、悧角の爪が引き裂く。暗くて見えなくとも、血しぶきが飛び散るのを感じた。男達は呻き声を上げて六太から手を離す。
後ろから鈍い音が響いた。錠を壊した音だろう。暗闇の中で振り返ると、沃飛の手に腕を取られた。足元から少年の苦しげな声が聞こえる。六太は耳を塞ぎたかった。
扉が開き、外の眩しい光が射し込んでくる。六太は沃飛に腕を引かれてそこから飛び出した。
通りに出ると、沃飛は姿を消し、悧角が足元から浮かび上がる。六太がその背にしがみつくと、悧角は高く跳躍した。

5名無しさん:2017/12/18(月) 20:10:41
うわ、なんか、出だしから読み応えありそうでドキドキします
続き、楽しみに待ってます

6名無しさん:2017/12/18(月) 20:34:34
すごい、尚六が花ざかり!
9・10月の書き逃げすごくおもしろかったです。姐さん、がんばって!

7「隠し事」4:2017/12/18(月) 20:38:31
街の外れまで悧角で逃げ、ひと気のないところで降りた。六太が呼吸を整えてから指笛を鳴らすと、いくらもしないうちに騶虞が隔壁を飛び越えて姿を現し、六太の傍らに降り立った。
六太はとらの首に腕を回して、そこに顔を埋めた。
ひどい眩暈がする。血の臭気と、人を傷つけたが故の怨詛が、六太に纏わりついている。
「悧角、先に戻って体を洗え。おれもすぐ戻るから」
六太は顔をとらの毛並みに伏せたまま命じた。悧角からは濃厚な血の臭いがして、とてもそばに置いておけない。
御意、という声を残して悧角の気配は遠ざかって行った。

早く戻らなければ、と理性で考えながら、六太は暫く動けずにいた。
とらの首筋に縋りながら、微かに呻くような声を漏らした。
情けない。百年近くも生きているくせに、あんなことにも冷静に対処できないなんて。
自分の身を守るためとはいえ、民を傷つけてしまった。その事実が、麒麟である六太にとっては心に重かった。もっと早く彼らの意図に気付いていれば、誰も傷つけずに逃げられただろうに。
あの少年の口振りから察するに、おそらく彼は男娼だ。あの宿で男達の相手をしているのだ。少年らしからぬ雰囲気を纏っていたのは、そのせいなのだろう。
同性を好む性的指向の人がいることは、知識としてはもちろん知っていたし、そういう人達の中には、年端のいかない少年を好む者もいるのだろう。だが、自分にそういう欲望が向けられる可能性は、考えたことすらなかった。

六太は歯を食いしばって顔を上げた。
とらが心配そうに様子を窺ってくる。その首筋の毛並みを撫でながら、努めて平静な声を出した。
「戻るぞ、とら」
くおん、と鳴いたとらに縋るようにして騎乗する。いつもより慎重に、とらは飛び立った。

関弓の街から禁門までの短い飛行時間、騶虞の鞍上で眩暈をこらえて俯きながら、嘘をつかなければ、と六太は思った。
この状態で戻ったら、血に酔った理由を尚隆に必ず問われるだろうが、本当の事を話したくなかった。
だが、ただ黙っていたら、尚隆は使令から聞き出すだろう。基本的に王の命令が優先されるから、隠すことは不可能だ。
使令があの男達の意図を理解していたかどうかは分からないが、事実をありのまま話せば、尚隆は察するだろう。それは、どうしても嫌だった。
嘘をつかなければ。
尚隆に知られたくないのなら。

8「隠し事」5:2017/12/18(月) 20:40:31
衣服に血糊をつけ、蒼白な顔をして玄英宮に戻った麒麟は、官吏の手によって即座に仁重殿の臥室に運び込まれた。
すぐに黄医が呼ばれて、六太は診察を受ける。怪我がないことを確認され、薬湯を飲まされた。
眩暈と高熱で全身が怠かった。何があったのかと心配そうに問う女官達に、
「あとで話すから、とりあえず寝たい。もし尚隆が来たら起こしてくれ」
と言って、六太は衾褥の中に潜り込んだ。
しかし、全く眠れそうになかった。
掛布の下できつく目を瞑りながら、穢瘁というのはこんなに息苦しいものだったろうか、と考える。
耳元で囁いた少年の声、腕を掴まれた感触、卑猥に歪んだ男達の笑み。六太の耳と腕と瞼の裏に焼きついたように、振り払おうとしても離れてくれない。早く消えてくれ、と強く念じた。
暫くの間じっと動かず、眠ったふりをしていた。鈍く回転する頭の中で、血に酔った嘘の理由を考えながら。

どれくらい経った頃か、尚隆が臥室に入って来る気配を感じた。牀榻の中に控えていた女官が、衣摺れと共に遠ざかって行く音が微かに聞こえる。
六太が衾褥の中で息をひそめていると、尚隆が寝台の傍らの床几に腰掛けるのが分かった。
ひとつ息を吐き出してから、六太は掛布をゆっくり引き下ろす。顔を出すと、意外なほど近くから尚隆が覗き込んでいた。彼は軽く眉を上げる。
「なんだ、起きておったか」
その暢気な声がひどく耳に心地良くて、六太の中で張り詰めていたものが、ぷつんと切れたような気がした。
声を出そうと息を吸うと、喉の奥が震えた。それから急激に全身が震えだして、うまく言葉を発することができない。
「寒いのか?」
軽く眉をひそめて尚隆が問う声に、違う、と答えようとしたけれど、声が出なくて六太はただ首を振る。
大きな掌が、そっと首筋に触れてきた。
「……かなり熱が高いな。だから寒気がするんだろう」
尚隆の手が触れたところから、沁み入るように安堵感が広がった。六太の視界は不意に滲んで、こらえる間もなく涙が零れた。一度あふれ出した涙は止めようがなく、次から次へと零れ落ちていく。
六太は両手で顔を覆った。
泣きながら六太は、ああ、自分は怖かったんだ、とようやく自覚した。

91:2017/12/18(月) 20:45:50
第一話もう少し続きますが、とりあえず初回はここまで
>>5 >>6
いきなりコメントいただきありがとうございます
頑張ります

10名無しさん:2017/12/19(火) 09:17:19
尚六祭りの時はご投稿ありがとうございます!徐々に初夜を迎えるような関係になっていくのですね…続きを全裸待機でお待ちしております!(〃ω〃)

11「隠し事」6:2018/01/04(木) 22:38:50
暫く涙は止まらなかった。
六太が泣いている間、尚隆は無言のまま、頭を軽く撫でてくれた。優しくて、暖かい手だと思った。
高ぶっていた感情が、ゆっくりと凪いでいく。先程までの妙な息苦しさは、涙の中に溶けるようにして、少しずつ流れて消えていった。
やがて涙が止まると、六太の頭はようやく思考力を取り戻し始めた。六太は深く息を吸って吐き、呼吸を整えてから、顔を覆ったまま声を発した。
「ごめん」
頭を撫でていた尚隆の手が、止まった。
「……何がだ」
「民を傷つけた」
何かの報告をする時のように、敢えて淡々と六太は言った。尚隆の答えは、すぐには返ってこなかった。
少しの沈黙が流れた後、六太の頭から尚隆の手が離れていき、低い声が聞こえた。
「……その手を除けろ、六太。俺の目を見て話せ」
六太はのろのろと顔を覆っていた手を外し、尚隆に視線を向ける。
その顔には、いつもの笑みは浮かんでいなかった。尚隆は、その双眸を真っ直ぐ六太に向けている。
「何があった」
尚隆が低く訊く。六太はひとつ息をつき、意を決してから話し始めた。
「知り合いが、男三人に絡まれて、多勢に無勢でやられそうなところに出くわしたから、仲裁しようと思ったんだ。でも結局相手は引いてくれなくて、逃げようとした。その時、使令でその男達に怪我をさせてしまった」
尚隆から視線を逸らさないように気を付けながら、六太は淀みなく話した。
我ながらありがちで単純な嘘だと思うが、綿密な作り話はそう簡単には考えつかなかったし、むしろありがちなほうが信憑性があるはずだと思うしかない。
表情を動かさずにそれを聞いていた尚隆は、そのまま無言で六太を見据える。
嘘だとばれただろうか、と不安に駆られるが、嘘をつく時に喋りすぎは禁物なので、六太は黙って尚隆を見返した。
「……怪我の程度は?」
「多分、そんなに重傷じゃないはず。逃げる隙を作れば良かっただけだから」
確認したわけではないが、使令には必要以上に重傷を負わせないよう言いつけてあるし、六太に命の危険があったわけではないから、実際彼らは重傷ではないだろう。
尚隆はそれからいくつか質問をしたが、六太は嘘と事実を織り交ぜながら簡潔に答えた。

「だいたい事情は分かった」
尚隆は腕を組んで溜息をついた。
「人助けするなとは言わんが、血に酔うようなことは避けろ。使令が病んだら身を守れなくなるだろうが」
「うん……。ごめん、気をつける」
説明に一応納得した様子を見せる尚隆にほっとして頷き、六太は素直に詫びる。
「……民を、傷つけないようにするから」
「いや、今回の件に関しては、怪我した連中は自業自得だろう。喧嘩を売ったのは、そいつらだからな」
「うん、でも……」
「お前は自分の身を守ることを最優先に考えろ。その結果、誰かが多少の怪我をしても仕方がない場合もある」
もちろん六太には自分の身を守るべき責任と義務があり、それが最優先事項であるのは確かだ。だが今日のことは、避けられることだったのではないか。
生命の危機があったわけでもないのに、衝動的に相手を攻撃して逃げたのだ。
麒麟のくせに、民を傷つけるなんて。

12「隠し事」7:2018/01/04(木) 22:41:20
六太が無言で目を伏せていると、
「お前が助けた知り合いは、女か?」
突然からかうような口調で尚隆が問うてきた。
「へ?……いや、男だけど?」
六太は唖然として尚隆を見返し、つられるように気の抜けた声で答えた。
「なんだ、つまらんな」
「は?」
「女にいいところを見せようとしたんじゃないのか」
残念そうな声を出す尚隆に、六太は呆れた。
「違うって。それに、人助けに男も女も関係ないだろーが」
「いや、あるな。男が女を助ける理由は八割がた下心だ。お前はそういう世間の常識が分かっとらん」
「そんな常識あるもんか。お前を基準にするんじゃねえ」
呆れた声で言い返しながら、六太はふと考える。
尚隆は女好きで遊び人ではあるが、本当に助けを必要とする人なら老若男女問わず助ける男だと、六太も分かっている。こんな軽薄な冗談を言いだしたのは、この件についての真面目な話はもう終わりだということだろうか。
そう思い至って、六太は少し気が楽になった。尚隆は六太の嘘を信じてないかもしれない。だが一応六太から事情を聞き出したからには、使令に問うこともないはずだ。

「まったく、お前は頻繁に街へ降りる割には世間知らずな奴だな。……まあ、餓鬼だから仕方ないが」
六太は不満顔を作ったものの、咄嗟に言い返すことが出来なかった。
ただの軽口なのだろう。だが尚隆の言葉は正鵠を得ていて、六太の耳に痛かった。
「もっと下界で見聞を広めろと言いたいところだが、それは当分まわりが許さんだろう。まあ、ほとぼりが冷めるまで、街へ降りるのは諦めるんだな。暫くおとなしくしておれ」
「う……分かってるよ」
「とにかく今日はもう寝ろ。早く体調を戻さんと、仕事が溜まる一方だぞ」
「あー……それ、考えるだけで憂鬱だな……」
六太は大げさに溜息をついてから目を閉じた。
「子守唄でも歌ってやろうか」
「いらねーよ」
六太は目を瞑ったまま、軽く笑って断った。そんなもの聞かされたら、却って眠れなくなりそうだ。
暖かい手が頭を軽く叩いた。尚隆が立ち上がる気配はない。六太が眠るまで、そばにいてくれるのだろうか。
尚隆の気配が間近にあるだけで、心地よい安堵感に包まれる。麒麟てのは本当に単純な生き物だな、と六太は改めて思った。

眠りに落ちる前の薄れていく意識の中で、六太はもう一度尚隆に詫びる。
––––世間知らずな餓鬼でごめん。また同じようなことがあっても、次はちゃんと対処する。尚隆の民を、もう傷つけたりしないから。

13「隠し事」8:2018/01/04(木) 22:43:52
六太はすぐに眠りについた。
尚隆がそっと首筋に触ってみると、まだかなり熱は高い。だが寝息は穏やかで、苦しそうな様子はなかった。
その寝顔を暫く見つめてから、金色の頭を軽く撫で、尚隆は立ち上がった。

臥室を出た尚隆は、正寝に戻る回廊を歩いて行く。とうに日は暮れていた。等間隔に点された灯りが並び、回廊の床に複数の影を落としている。
歩きながら尚隆は、心の中だけで問う。
––––本当は、何があった
あんなふうに泣く六太を見たのは初めてだった。
小刻みに身体を震わせて涙を流し始めた時、実のところ尚隆はかなり狼狽した。両手で顔を覆って静かに泣く六太に、何と声をかければ良いか分からず、黙って頭を撫でてやることしか出来なかった。
ようやく泣き止んだ六太は、打って変わって淡々と話し始めた。その落差はあまりにも不自然で、話の内容よりも、そのことばかりが気になった。
六太の話はおそらく嘘だ。全てが嘘ではないとしても、何かを隠している。

民に傷を負わせたこと、そのせいで血に酔ったことは事実だろう。
麒麟が争いを厭う生き物であり、理由もなく人に危害を加えることは絶対に出来ないことは良く分かっている。だから民を傷つけてでも身を守るべき事情があったことは間違いない。六太に怪我はなかったし、ちゃんと自分の身を守れたことは、かつて人質の命を惜しんで虜囚になった頃に比べれば、精神的に成長した証とも言える。
尚隆はそう考えて、これ以上の詮索は不要と判断し、追求するのをやめたのだった。本当のことを話せと六太に命じるか、使令から聞き出すかすれば、真実は分かるだろうが、それはしたくなかった。
六太は幼い子供ではないのだ。それなりに隠し事があるのは当然だろう。無理に聞き出すことではない。
そう自分に言い聞かせたが、あまり納得出来ていないことは自覚していた。

尚隆は大きく息を吐き出して、無意味に続きそうな思考をそこで断ち切った。彼方の雲海に視線を転じると、細い月が水平線に沈もうとしている。
「……正寝に戻ったら酒でも飲むか」
敢えて声に出して独りごちた。

尚隆はこの日の六太の涙を、いつまでも忘れることはなかった。

14「隠し事」9/E:2018/01/04(木) 22:47:55
数日が経過すると、六太の体調は完全に回復した。
ひとりで下界をうろついた挙句、血に酔って戻った麒麟に肝を冷やした官吏たちは、暫くの間は自重しろとばかりに監視の目を厳しくした。
こうなると朝議も政務もサボるわけにはいかず、快癒した次の日からは仕事漬けの日々が始まった。

降り注ぐ日差しは日毎に弱くなり、黒海からの条風も少しずつ弱まっていく。季節は夏から秋へ、移り変わろうとしていた。
政務の合間の休憩中、六太は雲海に面した広徳殿の露台で秋めいてきた空をぼんやりと眺めながら、空色の髪の少年のことを考えた。
体調が回復した後になって、密かに使令にあの宿の様子を見に行かせたところ、もぬけの殻だったという。あの少年の姿も見当たらなかったらしい。
雁では売春は違法ではないし、真っ当な商売をしているなら、男娼のいる娼館も、もちろん適法だ。だが、六太が連れ込まれたように、これまでにも目をつけた少年を宿に連れ込んで関係を強要していたのだとしたら、それは完全に犯罪行為だ。
そこまで考えが及んだ時、宰輔として靖州候として、看過してはならないだろうと思い、使令に調べさせたのだった。
彼らはどこかへ拠点を移したのだろうか。ひょっとしたらあの日の騒ぎのせいで役人に踏み込まれることを恐れて、そうなる前に逃げ出したのかもしれない。

少年に囁かれた言葉を、今は冷静に思い出せる。彼も最初は無理強いされたのではないかと思えた。自分と同じ境遇に、六太を引き込みたいと思ったのだろうか。
そう思うと彼を憐れみこそすれ、恨む気には全くならなかった。実際に何かをされたわけでもないのだ。

平常心を取り戻した今となっては、なぜ尚隆に嘘をついたのか、自分でもよく分からなかった。絶対に知られたくないとあの時に思ったのは確かなのだが、そこまで頑なに隠す必要はなかったのでは、と後になって思った。
欲情した男に襲われそうになったとしても、あんなふうに泣いたりせずに「変わった趣味の奴もいるもんだよな」と、なんでもないことのように笑って、軽く言ってしまえたら良かったのに。
もちろん積極的に話したいことではないし、今更話す気はない。寝込んでいる間に何度か様子を見に来てくれた尚隆も、その話題に触れてくることはなかった。

ふと、六太は両手を広げ、それをじっと見つめた。男らしさの全くない、頼りないほど細い手だ、と思う。
六太の姿はこれからもずっと、十三の少年のままだ。市井に降りた時は金髪を隠し只人のふりをしているのだから、いかにも非力で無防備に見えるだろう。
だからこの先も、そういう嗜好の男達に目をつけられることがあるかもしれない。むしろ、長く治世が続けば続くほど民の数も増えるのだから、変わった嗜好の人も増えていくのが自然だろう。
そう心得ておけば、冷静に対処できるはずだ。自分には使令がついているのだから。

背後から侍官の声が聞こえて、休憩時間の終わりを告げられる。生返事をしてから、六太は振り返る前に関弓の街を見下ろした。
––––次に街に降りられるのはいつだろう。そういえば甘味屋の店主がおまけしてくれると言ってたけど、当分あの辺には行きたくないな……。
内心で独りごちてから踵を返した六太の背を、雲海上を吹き渡ってきた夏の名残りの風が押す。弄ばれた長い髪に陽光が反射して、視界の隅で黄金色の光が舞い上がった。

第一話「隠し事」終わり

ーー
第二話へ続きます。

15名無しさん:2018/01/06(土) 07:15:33
続きが!新年早々更新ありがとうございます!二人にとってけして軽くない出来事がこの先どう絡んでくるか楽しみです…☺️

16書き手:2018/01/26(金) 10:12:10
第二話は尚隆視点の回想です。
回想している内容は全て第一話より後の出来事で、百年以上経ってから思い出しているような感じ。

17「ある国の王と麟」1/5:2018/01/26(金) 10:15:01
第二話「ある国の王と麟」

あれはもう随分と昔のことだ。
六太と共に行った雁南部の街で、朱旌の小説を観たことがある。ある国の王と麒麟の物語だった。
元々その小説を観ようとしていたわけではなく、朱旌の一座がその街にいたのは単なる偶然だった。
朱旌の天幕を見つけた六太が、
「せっかくだから観ようぜ」
と言ったので、どんな演目があるのか知らずに観ることにしたのだった。

昔々の遠い国での物語という体裁だったが、どの主従をなぞらえた話なのかはすぐに分かった。直接彼らを知っていたからだ。
雁とは交易が盛んな国だったため、その主従と対面したことは何度もあった。精悍な若き王と玲瓏たる麟。二人は仲睦まじく、さながら夫婦か恋人のようだった。
王朝の形を整える最初の十年を彼らは上手く乗り越えて、治世は長く続くのではないかと思えた。だが、そうはならなかった。
治世が五十年を過ぎた頃、王が冢宰を斬り殺したのだ。登極して間もない頃に、王が自ら抜擢して冢宰に据えた男だった。王にとって一番の寵臣であり、最も信頼している男だったのではなかったか。

その一報が入った時の衝撃は大きかった。共に報告を聞いていた六太は身じろぎひとつせず、暫し絶句していた。
長い沈黙の後で六太が発した「なんで……」という悲痛な呟きには、答えようがなかった。
台輔失道の報が入るまで、さして時間はかからなかった。そして凰がその国の末声を鳴くまでの期間は、更に短かったのだ。

小説を観たのは、二十年近くの空位が終わり、新王が登極したばかりの頃だったろうか。
斃れた王が悪しざまに言われるのは、世の習いだ。たとえその治世の大半が平和な時代だったとしても。
空位の時代に作られたであろうその小説は、王が道を失うさまを描いていた。
舞台上で演じられた王は、麒麟に恋着して嫉妬に狂い、猜疑に駆られて忠臣を斬り殺す、愚かな男だった。

18「ある国の王と麟」2/5:2018/01/26(金) 10:17:05
幕が上がると、最初の場面は王宮だった。
登極したばかりの王は、国土を見はるかす露台に立ち、傍らの半身の手を取り誓う。
『必ずお前の望む国を作ってみせよう』
美しい麟は頷いて、幸福そうに微笑んだ。

王は麒麟を寵愛し、彼女もその想いにこたえた。
だが穏やかな治世に、やがて暗雲が垂れ込める。王の心の闇を表すように、舞台には暗い影が落ちた。
麒麟への寵愛はやがて歪んだ執着と独占欲に変質し、王は麒麟を後宮に籠めて、誰の目にも触れさせようとしなくなったのだ。

王に後宮から出るなと命じられれば、麒麟は逆らえない。軟禁状態の台輔は、王に勅命を解くよう懇願するが、王の返答は取りつく島もなかった。
『ならぬ。お前は私だけを見ていれば良いのだ』

国政を蔑ろにし、後宮に閉じこもりがちになった王に、台輔と共に外に出てくるよう、冢宰は諫言する。国政をおろそかにしてはなりませぬ、と。
再三の諫言は逆効果となり、王は冢宰を疎んで遠ざけようとした。麒麟は、明らかに理のある冢宰に味方した。それが王の逆鱗に触れたのだった。
王は冢宰を糾弾した。その声は、怒りと悲哀と狂気を孕んでいた。冢宰の言葉に一切耳を貸すことなく、王は自らの手で彼の首を刎ねた。

慈悲深き台輔は、冢宰の死を深く悲しんだ。そして何よりも、王の愚行により天意が去り、国が荒廃することを恐れた。民の苦難を思い涙を流して、麒麟は王を詰った。
『なんという愚かなことをなさったのです』
王は冷淡に言い放つ。
『あんな男を庇ったお前が悪い』
『私が悪いのでしたら、私を罰すれば済むことでしょう。私の咎をなぜ冢宰に負わせたのです』
涙ながらに問う言葉に、愚かな王は暗く笑った。
『道を外れています、主上。どうか、これ以上は……』

冢宰を斬ったことで箍が外れたのか、舞台上の男は次々と臣を斬っていく。女は悲嘆に暮れて涙を流し続ける。そして天意の器たる麒麟は、ついに失道の病に伏した。
街にも里廬にも妖魔が湧き、天変地異が国土を襲った。しかし道を失った王は、民の辛苦を顧みることはなかった。

血に濡れた剣を手に、王は台輔の病床を訪れる。
『……誰を斬ってきたのです』
抑揚のない声で、麒麟は王を責めた。
『邪魔な者は皆斬った』
王は満足げな笑みを湛えて、麒麟の牀榻に歩み寄る。病み衰えた半身の頬を、愛おしそうに優しく撫でた。
『お前は私だけのものだ。誰にも渡さぬ』
睦言のようにそう囁く王を、麒麟は憐れむような瞳で見つめ、ゆっくりと首を振った。
『私があなたのものである為には、あなたは私の王でなければなりません。ですが、民のことを顧みないあなたは、もはや王ではないのです。……私は天のもの。決して、あなただけのものにはなりません』
慈愛と憐憫に満ちた口調で、麒麟は残酷な言葉を吐いた。
愚かで憐れな男は、狂気の笑い声を上げる。男が手にした剣の切っ先が、麒麟の細い首に突きつけられた。
女は悲しげに、諦めたように瞑目する。
剣が閃き、血しぶきが上がった。

隣に座っていた六太が、たまらず顔を背けたのを、視界の端に捉えた。

舞台が暗転する。
『崩御!』
暗闇の中で、白雉が末声を鳴いた。

19「ある国の王と麟」3/5:2018/01/26(金) 10:19:08
小説の幕が下りると、六太は席を立った。
「外、出てる」
短く言い残して、こちらを一瞥もせずに六太は背を向けて歩き出した。
小説が終わった後も、朱旌の出し物は休憩を挟んでまだ続くが、六太は次の演目を観る気がないのだろう。
席の間を縫って歩み去る六太の後ろ姿は、普段よりも頼りなく小さく見えるような気がした。尚隆は思わず立ち上がり、その背を追った。

薄暗い天幕から出ると、そこは傾きかけた日差しの降り注ぐ街の広場だった。
六太は広場の片隅にある茶屋の近くに佇んでいた。ぼんやりと店の方を眺めている。
「腹が減ったのか?」
六太が天幕を出たのは空腹のためではないと、もちろん分かっていたが、尚隆は敢えてそう声をかけた。
「……別に、減ってない」
無愛想に言ってから見上げてきた六太の顔色は、冴えない。
「なんで尚隆まで出てきたんだよ。出し物はまだ続くだろ」
尚隆は軽く笑って、それには答えなかった。
「顔色が悪いな、六太。血しぶきが怖かったのか?本物の血でもあるまいに」
揶揄するように言うと、六太は顔をしかめた。予想通りの反応だ。
「本物じゃなくても、気分のいいもんじゃない」
ふいと顔を逸らした六太は、
「……おれ、先に宿に戻ってる。お前は適当に遊んでこいよ」
と言うなり、返事も待たずに歩き出そうとする。その細い腕を、尚隆は殆ど無意識のうちに掴んでいた。
六太は驚いたように尚隆の顔を見上げた。
「……なんだよ」
「いや……」
我に返って六太の腕を放す。
「……俺も宿に戻ろうと思ってな」
言いながら、何をやっているんだ、と尚隆は内心で苦笑した。
六太の驚きの表情はすぐに消え、少し皮肉げに訊ねてくる。
「酒場とか、賭場とか、妓楼とか……行かねえの?」
「酒は宿でも飲めるだろう。賭場も妓楼も行く気はないな」
もとよりそのつもりはなかった。そんなところに行く気があるなら、はなからひとりで出奔している。
「ふーん」
返ってきた六太の声が、どこか嬉しそうな響きを含んでいるように感じたのは、尚隆の思い込みだったのかもしれない。

20「ある国の王と麟」4/5:2018/01/26(金) 10:21:11
舎館へ戻る頃には、街は黄昏の色が濃くなっていた。
部屋に入ると、六太は頭に巻かれていた布を無造作に取った。明るい金色の髪が、ぱさりと微かな音を立てて背中に落ちる。黄昏の光が射す部屋で、それは先程の小説で見た作り物の金髪とは比較にならない輝きを放った。

六太は榻の端にすとんと腰を下ろして、窓の方を眺めやった。先程から口数が少ない。
やはり小説の内容が堪えているのだろうか。王が麒麟を斬り殺す場面など、見たくはなかっただろう。

尚隆は部屋に入ってからずっと、衝立のそばに突っ立ったまま、六太を眺めていた。ふとそれに気付いて、微かに自嘲する。何をぼんやりしているのか。
腰に帯びていた刀を外し、上衣を脱いで適当に部屋の片隅に置いてから、榻に歩み寄って六太の隣に座った。
無口なせいだろうか。六太はいつになく大人びた雰囲気を纏っている気がした。

暫しの沈黙を破ったのは、ごめん、という六太の小さな声だった。
何がだ、と尚隆は返した。
「……おれが観ようって言ったのに」
途中で出てしまったことを詫びているらしい。六太にしては珍しい、殊勝な態度だった。
「続きを観たかったら俺一人でも残った。飽きてきたところだったから俺も出たのだ。詫びなどいらん」
「うん……」
六太は片膝を立てて抱え込み、そこに顎を載せた。視線は窓を向いたままだ。
「なあ……。あの小説、観てよかったと思うか?」
「……まあな」
「ふうん……」
「お前はどうなんだ。観たことを後悔しているのか?」
「いや……そういうわけじゃ、ない」
そう言って、六太は溜息をついた。
「ま、これも勉強かな。民の幻想の中の王と麒麟は、ああいうものなんだって」
もうひとつ小さな溜息を零してから、六太はこちらに顔を向け、少しだけ首を傾げた。
「……なんであいつは冢宰を斬った?あの時お前は分からないって言ってたけど、今なら分かるか?」
「……さてな。実際あの王が斬った本当の理由など、誰にも分からんよ」
「そりゃそうだけど……。じゃあ、さっきの小説の中での理由なら、分かるのか?」
「お前は分からんのか?」
「分かんねえから、訊いてんだろ」
六太は、むっとしたような顔をした。
「あいつは宰輔が好きだったんだろ?なんで好きな奴を悲しませるようなことをする」
尚隆は苦笑した。
どうもこの麒麟は見た目の幼さ通り、色恋沙汰には疎い。それとも麒麟は、恋情や独占欲、嫉妬心などの人の愛憎を、真に理解することができない生き物なのだろうか。
いずれにせよ多くを語る気にはならず、尚隆は簡潔に答えた。
「愚かだったからだろう」
「……そんなんじゃ、分かんねえよ」
「所詮あの小説は民の妄想だろうが。それに対する俺の解釈を聞いてどうする」
六太は尚隆を軽く睨むと、ぷいと顔を背け、また窓の方を見やった。

王に斬られた麒麟は、民にとっては悲劇の主人公であり、好奇の対象だったのだろう。誰が言い出したのか、民は憐れな麟を「傾国の美女」と呼び、王との間に起こった様々なことが小説や講談で語られた。
しかし所詮それは、真実を僅かに含んだだけの妄想の産物だ。彼らの間で交わされた約束も、最期の言葉も、第三者が知る由もないことなのだから。

21「ある国の王と麟」5/E:2018/01/26(金) 10:23:52
やがて、独り言のように六太は呟いた。
「傾国の美女、なんてさ……。嫌な言葉だよな」
「それほど美しい麒麟だった、という称賛も込められていると思うがな」
「そんな称賛、絶対喜んでねーよ。国を傾けたと言われて、嬉しいわけないだろうが」
「まあ、確かにその通りだが……。多くの国の史書にも記されているだろう。斃れた王の寵姫が傾国の美女と呼ばれることは、珍しくはない。こちらの世界だけでなく、昔の漢にもいたようだしな」
淡々と言う尚隆の言葉に、納得いかないという表情で、六太は押し黙る。
「……だがな、国を傾けるのは美女ではない。美女に溺れた愚かな王が、国を傾けるのだ」
はっとしたように六太は顔を上げ、僅かに目を見開いて、尚隆の顔を見つめた。
尚隆は口の端だけで笑う。
「国を傾けるのは、王だ」
低い声で言い切ると、紫色の瞳は不安定に揺らいで、それを隠すように六太はまた顔を背けた。
「……分かってるよ、そんなこと」
小さく言ってから、六太は黙り込んだ。

窓の外からは夕刻の街の喧騒が流れ込んでくる。それに聞き入るように、六太はじっと窓の方向を見つめていた。
部屋を満たす赤橙色の光のせいだったのだろうか、妙に儚げに見えたその横顔を、何故か今でも思い出すことがある。

尚隆は我知らず手を伸ばしていた。しかしその手が触れる前に、六太が不意にこちらを向いて、にやりと笑った。
いつも通りの悪戯めいた笑い方を見た瞬間、伸ばした手は行き場を失ったように感じた。
「どっかの昏君が美女に溺れて道を失わないことを祈るわ。相手の女が憐れすぎるからな」
悪戯めいた笑みを浮かべたまま、皮肉っぽくそう言った六太に対して、自分は何と言葉を返したのか。
今はもう、思い出せない。

王が冢宰を斬った理由を、あの時六太には言わなかったが、尚隆の中に答えはあった。もちろん推測に過ぎないが。
終わりのない重責がどれほど人を疲弊させるか、尚隆は知っている。
あの男は苦しかったのだ。王であることが。
遅かれ早かれ、あの王朝は倒れていただろう。
だが愚かにも麒麟に恋着したことが、悲劇を大きくした。冢宰を始め当時の六官はことごとく誅殺され、仮朝を立てることすらままならなかった。混乱に乗じてのし上がった官吏達は私腹を肥やすのに熱心で、国政は急速に腐敗した。
国土の荒廃は加速し、斃れた王を怨む声は大きくなった。麒麟を残さなかったため、次の王がすぐに立つことはなく、その間にも民の命は着実に失われていくのだ。

あれから幾つもの王朝の終焉を見た。王と麒麟の最期を。
––––その結末は、いつも悲劇だ。


第二話「ある国の王と麟」終わり

22名無しさん:2018/01/27(土) 11:27:23
続き待ってました!

しかし麒麟ちゃんたちの思考もわからんでもないけど
ここまで人間と思考が乖離してるとうまくいってる時はいいけど
王がドツボにはまり始めたら逆に追い詰めて悪化させるタイプだよなー…

これってアレかな天帝的には瑕疵が見え始めた王はもうどうでもよくて
むしろさっさと退場してほしいから麒麟にフォロー設計を入れてないとかだったら怖いな

23書き手:2018/01/27(土) 22:42:13
コメントありがとうございます。

あの世界では麒麟て本当に神聖な生き物で、人とは全く違う扱いされてるから、きっと「民が考える麒麟」は人と全く違う思考回路なんじゃないかと。だから民の作った小説の中の麒麟はあんな感じにしました。
実際ああいう時、麒麟はどんな最期の言葉を言うんでしょうね…

でも「華胥の幽夢」の采麟は精神かなり病んでて、これじゃ王を追い詰めるだけだよ、と思いましたよ…
天帝は王をフォローする気はなさそうですよね。西王母も冷たかったし

24名無しさん:2018/01/28(日) 10:51:31
あー采麟たんかなり病んでましたもんね
身体的にどうだったかは分からないけどああやって精神的に不安定になるのが
失道ならマジで王へのフォロー機能はなさげ…
天にとっては結局王も失道時の荒廃で死ぬ民の命も取り換えがきくものでしかないのかも

25名無しさん:2018/01/28(日) 11:03:23
更新ありがとうございます!麒麟は二形の生き物だからやっぱり人であり、人でない神聖な思考も持っていそうですね…。続きが楽しみです!待ってます!( ´ ▽ ` )

26書き手:2018/02/09(金) 20:07:06
第三話の途中まで投下します。
一、二話は前置きで、ここからが本題です。

27「人を模した神獣」1:2018/02/09(金) 20:09:54
第三話「人を模した神獣」

雁州国の長い秋は穏やかでふわふわと暖かく、雨季に入る前はさほど雨が降らない。晴れ渡った青空の下で田畑が黄金色に輝く、美しい季節だ。
今年も雁全域に大きな自然災害はなく、穀物の生育は概ね順調だった。大地からの実りを存分に得て、これから各地で収穫祭が行われるだろう。

現王朝の治世は二百八十年を超えた。
治世が長く続けば国土の隅々まで治水は行き渡り、多少の天候不順など大した問題にならず、そもそも王が玉座にいることで大きな天災は殆ど抑えられている。
多くの民にとって、毎年豊作であることは当然のことに思われた。
もちろん他国に比べて雁の治世は相当に長く、恵まれた環境であることは分かっている。荒廃した国から流れてきた人々は、雁の豊かさを目の当たりにして、必ず感嘆し、次いで自国の貧しさを嘆くのだから。
雁の民は荒民を不憫に思いながらも、自分がこの国に生まれた幸運に感謝し、口々に言うのだった。
主上は稀代の名君だ、と。


さて、そんな美しい秋を迎えた雁国。靖州の端にある大きな街で、その稀代の名君は、半身である麒麟から罵倒されていた。
「また借金してたのかよ⁉︎ほんと懲りねえ奴だな、お前は!」
「金は貸してもらえるうちが花だぞ」
「は?なんだそれ」
「金を返せなくなったら次に貸してもらうこともできぬ。ちゃんと返して信用を得ているからこそ、貸してくれるのだ」
「それって、カモにされてるってことだろうが。そもそも借金するほど遊ぶんじゃねーよ!自分に賭け事の素質はねえって、そろそろ学んだらどうだ」
「六太、お前の言うことは分かる。だがな……」
「あーもういい、言い訳すんな!いいからさっさと金返してこいよ」
「お前は来ないのか」
「おれはここで待ってる。お前と一緒に行ったら『こんな阿呆の身内だなんて可哀想』とか思われそうだし」
「……六太。お前、もう少し主に対して敬意ある態度を示さんか」
「うるせー借金王。早く行きやがれ」
六太は追い払うように手を振った。
尚隆は肩を竦めて軽く溜息をつく。そっぽを向いた六太の横顔を少しだけ見やってから、踵を返して歩き出した。

尚隆の後ろ姿は、緑色の柱の立ち並ぶ通りに吸い込まれて行った。それを遠目に眺めて、六太は大きく息を吐く。
「……バカ殿」
ほんの僅かだけ唇を動かして、ぼそっと呟いた。

28「人を模した神獣」2:2018/02/09(金) 20:12:06
ここは街道の要衝となる大きな街なので、それに見合った規模の歓楽街がある。六太が今いるのは、その歓楽街の入り口となる広途で、そこからは酒場や賭場が軒を連ねた通りや、妓楼の立ち並ぶ花街が視界に入る。
薄暮のこの時分、これから歓楽街に繰り出す人々が大勢行き交っていた。

今日の午後、六太は久しぶりに尚隆と共に玄英宮を抜け出した。特に行き先も目的も決まってはいなかった。ただ、六太はこの時季の黄金色の大地を見るのが好きだったので、尚隆と一緒に見られるなら、なおさら嬉しいと密かに思っていた。
二人で騶虞に騎乗して関弓山を後にすると、まず行かねばならない所がある、と尚隆が言い出した。そして最初に寄ったのがこの街である。
ここの妓楼で作った借金を返さねばならないという。大勢の妓女と騒いで調子に乗り、くだらない賭け事に興じた挙句、大負けしたのだ。これまで何度も繰り返してきたことなのだが、六太は心底呆れ、そして不愉快だった。なんだか水を差されたような気がしたのだ。
ひとりで出奔した時に返しに行けよと思ったが、借金は早く返すに越したことはないから、その言葉は口には出さなかった。

腹が立つのは、尚隆が全く悪びれないところだ。すまないな、とか詫びの一言でもあれば、少しは気分も変わるだろうに。もちろん尚隆がそんなことで詫びるほど殊勝な性格でないことは承知しているけれど。
二人で別々に出奔することの方が多いので、尚隆と下界で行動を共にすることは意外と少ない。だから六太は嬉しかったのに、尚隆にとってはどうでもいいんだと思えた。
六太の中の理性的な部分が、そんなの当たり前だろう、と言う。自分は麒麟で王のそばにいるのが嬉しい生き物だが、王は違うのだから。
それに対して、そんなの分かってる、と憮然と言い返す自分もいる。ただ拗ねているだけなのだ。我ながら本当に餓鬼くさい。

六太は近くの壁に凭れ、花街が視界に入らないように逆の方向に目をやった。
ぼんやりと人々の流れを見やりながら、最近の尚隆はここに通い詰めていたんだろうか、と考えた。
尚隆が言った通り、金を貸してもらえるのは必ず返すという信用があるからだ。一見の客に貸すことは絶対にないだろうから、尚隆は何度も同じ妓楼に通い、これまでに大金をつぎ込んだのだろう。
––––別に、どうでもいいことだけど。
内心で呟いて、六太は深く溜息をついた。

暫くの間、六太は広途の雑踏に漠然と目を向けていたが、視界に入る人々のことは殆ど認識していなかった。意識はずっと、ひとつの気配に向いていたから。
金を返すだけならすぐ戻って来るはずなのに、一向にその気配は動き出さない。馴染みの妓女につかまって、遊んでいってと誘われているのかもしれない。

ここで待ってる、と先程言う前に、尚隆が金を返しに行っている間に六太が先にひとりで舎館を探す、という選択肢も思い浮かんでいたが、それは自分の中で即却下した。子供がひとりで宿泊を申し出れば事情を訊かれることが多いので、面倒だという理由もあったが、ここで待っていた方が尚隆は早く戻ってきてくれるだろうと思ったからだ。
––––なのに、遅い。
西の空に僅かに残っていた茜色は、もうすっかり消えてしまった。
六太は視線を下げて、自分の靴の先を見つめた。溜息が零れた。
「……早くしろよ」

29「人を模した神獣」3:2018/02/09(金) 20:15:11
周囲に全く気を配っていなかった六太は、声をかけられるまで、近付いてきた人がいることに気付かなかった。
よう、とかなんとか声が聞こえた気がして、はっとして王気を探る集中力を緩め、目の前の誰かに初めて意識を向けた。
見上げると、視界を塞ぐように男が二人立っていた。二十代後半くらいの、大柄な男達だった。
お世話にも上品とは言えない笑みを浮かべて、六太の顔をじろじろ見てくる。
「お前、ひとりでなにしてるんだ?」
「……待ち合わせ」
「さっきから、随分待たされてるよなぁ」
待たされているのは事実だが、他人に指摘されると面白くない。むっとして言い返す。
「あんた達には関係ないだろ」
男達はちらりと視線を交わして、くつくつと可笑しそうに笑い出した。
「寂しそうな顔して溜息ついてたからさあ、慰めてやろうと思ったわけだ」
「振られたんじゃねえのか、お前」
そう言って、右側の男が六太の肩に馴れ馴れしく手を置いた。酔っているわけでもなさそうなのに、妙な絡み方をしてくる。
「うるさいな、もうすぐ来るよ」
肩に置かれた手を払おうとしたが、逆に力を込められてしまった。
もう一人の男が、六太の左の上腕を掴んだ。
「可愛い顔して、気が強いなぁ」
息がかかるほどの至近距離まで男が顔を近付けてきた。唇を歪めて下品な笑みを浮かべている。
遥か昔の嫌な記憶が、ふっと脳裏に甦った。六太は唇を引き結んで強く拳を握る。不快感を押し殺し、冷静になれ、と自分に言い聞かせた。

こういう場所に六太ひとりでいると、声をかけられるのはよくあることだった。歓楽街で遊ぶには幼すぎる外見だから、目立つのだろう。大抵は、治安維持のために巡回している役人か、親切でお節介な人が、子供がひとりで来るところじゃないよと言ってくる。
そしてごく稀にだが、下心があって声をかけてくる輩もいる。昼間の街ではまずないことだ。
こいつらはそういう連中か、と六太は努めて冷静に考えた。逃げたいが、壁を背にしており二人が前に立ち塞がっているので、普通に逃げるのは無理だ。使令に命じて隙を作って逃げようか。

「俺たちと遊ばねえか」
「やだ。二人で遊んでろ」
六太は素っ気なく言い放つ。
声をかけられた時、冷たくあしらうと諦める人もいなくはないが、強引な男達が大半だった。はなから六太の合意など求めてないのかもしれない。
「二人じゃ無理なんだよなあ、お前が相手してくれないと」
「だから、おれは人待ってんの。遊び相手なら他あたれよ」
「待ち人なんて来ないって分かってんだろ?だから溜息ついてたんじゃねえのか」
「俺たちと来たら美味いもん食わしてやるからさあ」
「とりあえず一緒に来いや」
両側から掴まれた肩と腕を、強い力で引っ張られる。
「離せよ」
言いながら六太は彼らの手を振りほどこうとしたが、腕力では全くかないそうにない。
「つべこべ言わずに来い」
腕を掴んでいる男の強圧的な低い声が、左耳に響いた。自分より弱い相手を従わせようとする恫喝だ。

すぐ逃げようと決意し、隙を作れと使令に命じようとしたが、その前に、尚隆はどこだろうかと気配を探った。先程よりずっと近付いている。もう間もなくこの場所が見える位置に来るだろう。
そういうことなら、と六太は使令に命じるのをやめた。使令よりも尚隆のほうが、男達を安全に追い払えるはずだと思ったから。

30「人を模した神獣」4:2018/02/09(金) 20:17:45
妓楼の女将に金を返してさっさと戻る気でいた尚隆だったが、馴染みの妓女達になんだかんだと話しかけられ、遊んで行けと誘われた。せっかく金離れの良い客が顔を出したのだから、逃してなるかと思ったのだろう。それをかわして妓楼を出るのに随分時間がかかってしまった。
そのうえ花街の奥にある妓楼から六太の待つ広途に戻るためには、緑色の柱が立ち並ぶ通りを抜けて行かなければならない。ひとりで歩いていると、案の定、数歩ごとに客引きに声をかけられた。

もし六太が一緒にいれば、先程金を返した後もすぐに妓楼から出られただろうし、客引きに声をかけられることもないだろう。だから本当は六太を連れて来たかったのだが、嫌がるものを無理に連れて来れば、余計に機嫌を損ねることになる。
では正直な理由を言って、付いて来てくれと頼んだらどうだったろうかと考えてみるが「自業自得だ、おれを巻き込むな」と指を突きつけてくる六太が思い浮かんで、尚隆は軽く苦笑した。
まあ仕方がないかと溜息をついて、夕餉には六太の好物を奢ってやろうと考えながら、尚隆は通りを抜けて行く。

次々に声をかけてくる客引きを適当にあしらって、ようやく広途に出た。
日が暮れてからだいぶ時間が経ってしまった。この辺りは夜でも燈火は多いのだが、それでも広い通りには灯りが届きにくい場所があり、端々に闇が淀んでいる。
六太の待つはずの場所へ歩いて行くと、二人の男が壁際に立つ誰かを囲んでいるのが薄闇の中に見えた。訝しく思い、尚隆は足を早める。
近づいて行くと男の横顔が見えた。卑猥な笑みを浮かべた、あからさまな下心が覗くその表情から、一緒に遊ばないかと女を誘っているのだろうと思った。夜の歓楽街ではよく見かける光景だ。

更に近づくと、男達に囲まれている小柄な姿が、二人の間からようやく見えた。頭に布を巻きつけて髪を隠した少年。男の一人に腕を掴まれ、もう一人に馴れ馴れしく肩を抱かれている。
それが六太だと認識した瞬間、尚隆の内に未経験の衝動が駆け抜けて、血潮が沸騰したように、かっと全身が熱くなった。
六太がこちらを見た。視線が合うと、驚いたように目を見開いた。
「風漢」
六太が尚隆の別字を呼ぶ。その声で二人の男もこちらを振り向いた。初め尚隆を睨むように視線を向けてきた彼らは、次いで怯んだような表情になった。
男達の手の力が緩んだのだろう、六太が掴まれていた腕を振りほどき、駆け寄って来る。目の前まで来た六太の手が、尚隆の右手を押し留めた。
気付けばその右手は、刀の柄にかかっていた。
「よせ、もう充分だから」
六太が囁く。尚隆は息を吐き出して、柄を強く握り締めていた右手の力を抜く。ゆっくりと刀の柄から手を離した。
尚隆の右腕に六太は両腕を絡めるようにして掴まり、男達を振り返った。
「言ったろ?待ち合わせだって」
ごく平静な口調で六太が言う。男達は面白くなさそうに舌打ちした。
「なんだ、そいつの稚児ってわけか」
「そうかい、よろしくやってろよ」
吐き捨てるように言う男達に顔を向け、六太は僅かに首を傾けて大人びた微笑みを浮かべた。
尚隆は六太の顔を凝視する。そんな表情をする六太を見たことがなかった。全く似つかわしくない。

「行こう、風漢」
六太が尚隆の腕を引く。
歩き出しながら尚隆が男達を睨むと、彼らは怖じけたように視線を逸らした。

31「人を模した神獣」5:2018/02/09(金) 20:19:51
広途を暫く歩いたところで六太は後ろを振り返り、ほっと溜息をつくと尚隆の腕から離れた。
「はー、びっくりした。お前さあ、いくら脅すためだからって、刀に手をかけるこたないだろ。あいつら丸腰だったのに。すげー顔で睨んでたし、抜刀するかと思った」
普段通りの生意気な口調で、六太は文句をつけてきた。あまりにも平然としたその態度が、何故だか癇にさわる。尚隆は六太の上腕を掴んだ。強い力で。驚いたように尚隆を見上げる顔を、無言で見下ろした。
「いや、えーと。おかげで……助かったけど」
戸惑った様子で六太が言った。
何も言葉を返さぬまま、尚隆は六太の腕を引いて歩き出す。少し広途を歩いてから角を曲がった。
「どこ行くんだよ、尚隆。宿探すならそっちじゃないだろ」
尚隆は何も答えず、六太を引きずるようにして大股で足早に歩く。ひどく苛立っていた。

やがて歓楽街の喧騒は遥か後方に去る。
燈火も人通りも殆どない小途に入ってから、尚隆は立ち止まり六太の腕を解放した。上腕を取られて半ば走るような状態だった六太は、軽く息を弾ませていた。
「……お前、怒ってるのか」
「……」
「尚隆…?」
六太が怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
尚隆は気を鎮めるため、ひとつ大きく息を吐いた。
「……何なんだ、あいつらは」
「いや、何って言われても……知り合いじゃねえし」
「そんなことを訊いているのではない。奴らの目的が何だったか、お前は分かっているのか」
「分かってるよ」
あっさりと、六太は言う。
「分かっている、だと?」
意図せず険のある声が出た。
「では奴らが何故お前を狙ったか、言ってみろ」
「何故って……。おれが非力な餓鬼に見えるから、好きなようにできると思ったんじゃねーの」
どこか投げやりな調子で六太は答えた。なんでそんなこと訊くんだ、とでも言いたげに。
数瞬の間、尚隆は絶句した。
六太は彼らの意図を正確に理解していた。そして、ああいう連中に絡まれた経験が何度もあるのが明らかだった。だから平然とこんなことを言うのだ。
「何故すぐに逃げなかった」
「逃げようとしたよ、使令で隙作ってさ。でも尚隆の気配が近くまで来てるの分かったから……」
六太はそこまで言って、はっとした表情になった。
「あー、ひょっとして、お前を巻き込んだから怒ってんのか?」
六太は軽く首を傾げる。
この麒麟は、なんという的外れなことを言うのか。
「莫迦か、お前は」
低く吐き捨てると、六太はむっとしたように睨んできた。
「は?じゃあ何なんだよ。さっきからわけ分かんねぇな、お前は」

じゃあ何なんだ、と自分に訊きたいのは尚隆のほうだった。自分は怒っているのだろうか。何に対して?
あの男達に対して、だろうか。
無意識に刀の柄に手をかけたあの瞬間、尚隆の内に湧き上がっていたのは、斬り捨てたい、という衝動だ。
それを自覚して、そんなことを思った自分自身に驚く。これまで人を斬ったことは数知れずあるが、状況を鑑みて斬るべきだと判断した時だけだった。私怨や私憤で誰かを斬りたいと思ったことなど一度もないのに。

32「人を模した神獣」6:2018/02/09(金) 20:22:16
「さっさと使令で逃げろって言いたいのか」
「……」
尚隆が沈黙していると、六太は不満げに言い募る。
「でもさ、結果的には問題なかったじゃん。尚隆が来たから、あいつらは自ら引いたんだ。使令だと相手に怪我させる可能性あるし」
「怪我?」
「いや、あくまでも可能性だって」
六太は慌てたように視線を逸らした。
失言だったと悔いているのだろう。六太は感情が表に出やすい。そういうところは相変わらずで、まるで子供だ。
「……六太、正直に答えろ。お前はこれまでにも、ああいう連中に絡まれたことがあるな?」
少しの間をおいて、六太は無言で頷いた。
「何度もあるのか」
「……そりゃ、何百年も生きてるからな」
六太は軽口を叩くような口調で言って、視線を尚隆に戻した。
「けど、毎回ちゃんと逃げてる」
そんなのは当たり前だ、と思ったが口には出さず、尚隆は次の問いを投げる。
「使令で相手を傷つけたこともあるのか」
「……」
「あるんだな?」
「……一度だけ」
尚隆は大きく息を吐いて、六太の顔を見据えた。六太は再び視線を逸らし、言い訳めいた言葉を継いだ。
「その時は、ああいう奴らに絡まれたの初めてだったから、ちょっとびっくりしたんだ。……でも、一度だけだから。その後はちゃんと対処できてるよ」
言い終えてから黙り込んだ六太を、尚隆はじっと見つめた。
「……それは二百年程前のことか」
「さあ……。いつのことか、忘れた」
六太は目を合わせようとしない。
「嘘をつくな」
尚隆の脳裏には、小刻みに身体を震わせて静かに泣く六太の姿が甦っていた。
ずっと鮮明に覚えている、あの日の涙。
「血に酔って戻って来たことがあったろうが」
「……あったかな」
「あの時嘘をついたな、血に酔った理由を」
「……」
「本当は覚えているんだろう、六太」
暫しの沈黙の後、六太は小さく溜息をついてから顔を上げた。
「……お前こそ、よく覚えてんな。そんな昔のこと」
「……何だと」
「あれは嘘ついたっていうか、本当のこと言うのが面倒だっただけ。官にばれたら一人での外出は当面禁止とか言われそうだし、尚隆に言ったって……」
六太は少し唇の端を持ち上げて、皮肉げに笑った。
「悪趣味な奴らもいるものだな、とかからかわれるだけだしさ」
「六太」
尚隆は六太の両肩を掴んだ。
「本気で言ってるのか」
「え……」
「あの時、お前は何故泣いた」
紫色の瞳を彷徨わせて、六太は顔を背けた。
「……忘れた」
「お前、本当は––––」
「なんで今更そんなこと訊くんだよ。尚隆には関係ないだろ!」
吐き捨てるように六太は言って、尚隆の声を遮った。
突き放す六太の言葉。尚隆は冷水を浴びせられたような心地がした。
「関係ない?」
知らぬ間に頭に上っていた血が、すっと下がるのを自覚した。
「––––そうか」
六太の肩から手を離し、尚隆は低く呟いた。その声は自分でも驚くほど冷淡に響いた。
六太は顔を背けたまま、唇を噛んだ。

冷たい声音を戻す気にもならず、尚隆は短く言う。
「帰るぞ」
「……ひとりで帰れよ。おれはまだ帰らない」
「お前も帰るんだ」
敢えて高圧的に命じると、六太の瞳は反抗的な光を湛えて尚隆を見返した。だがそれは一瞬のことで、その目はふいと逸らされた。
尚隆は踵を返して歩き出す。六太は数歩遅れて無言で後に続いた。

33名無しさん:2018/02/11(日) 13:48:47
更新あった!ありがとうございます!ぶっきらぼうな尚隆と反抗期六太のやり取りにドキドキします。ああこれからどうなっていくんだ…

34名無しさん:2018/02/11(日) 22:31:49
むふー
どっちも無自覚w

35書き手:2018/02/12(月) 10:24:27
ありがとうございます。
書きたくて書いてる文章ですが、読んでくれる人がいると励みになります(^-^)

どっちも無自覚なうえに素直じゃないですw
そんな二人を書くのも楽しい…

36名無しさん:2018/02/12(月) 19:32:17
尚隆はろくたんがいつのまに
すれてしまったんだというショックもありそうw

37「人を模した神獣」7:2018/02/16(金) 23:31:14
尚隆が騎乗する騶虞のたまから少し離れた中空に並んで、六太は悧角の背に跨っていた。
街から飛び立つ時は二人でたまに騎乗していたのだが、少し飛行したところで「お前は悧角に乗れ」と言われ、それから別々に飛んでいる。騶虞の方が速いのに、わざわざ悧角に乗れと命じたのは、一緒に乗りたくないという意思表示だろう。
尚隆はそれから一言も発せず、こちらに一瞥もくれない。だが悧角に合わせてたまの速度を抑えて飛んでいるので、六太の存在を忘れているわけでもないようだった。
尚隆は怒っている。理由は分かるようで分からない。

先程から六太は、尚隆との会話を何度も思い返している。
二百年も前のことを尚隆が覚えているとは思わなかった。しかも泣いた理由を問われるなんて。
怖かったとは言いたくないし、尚隆のそばに戻って安堵したら泣いてしまったなんて、なおさら言いたくなかった。
尚隆には関係ない、と思わず言い放ったが、あれで余計に怒らせたに違いない。無口になったのも、尚隆らしからぬ頭ごなしの命令も、激怒の表れだ。

そもそも尚隆はなんで怒り出したのだろう、と六太は考えを巡らせる。
尚隆を巻き込んだせいではないとすると、すぐに逃げなかったからだろうか。だが特に危害を加えられたわけでもないから、怒る理由にはならない気がする。
自分の言動を振り返りつつ考えて、ひとつの可能性に思い至った。
ひょっとして、あの男達を慮るようなことを言ったからだろうか。
彼らを脅すために刀の柄に手をかけた尚隆に、六太は文句をつけた。相手は丸腰だったのに、と。
使令だと怪我させる可能性がある、という六太の言葉も、彼らに怪我をさせないよう、使令で逃げることを躊躇したと受け止められたかもしれない。
慈悲を与える相手を間違えるな、と何度も言われたことがある。絡んできた相手を心配するような発言が、尚隆の気に障ったのだろうか。

二頭の乗騎の前方には、関弓山が夜空を黒く貫いている。数刻前、浮き立つ気持ちでここを出発したのが遠い昔のように感じられた。
視線を横に滑らせ、月明りのない闇を透かして尚隆の横顔に目を凝らす。灯りなどなくとも、六太の目には尚隆の姿はいつでも明るく見えている。
その横顔は無表情に前だけを見据えていた。

莫迦か、と吐き捨てた尚隆の声が耳に残っている。あんなに強い口調で言われたことが今までにあっただろうか。
なんだよ、と反発したくなる。
元はといえば、尚隆が妓楼に借金をしたのが悪い。そのせいで六太はあんな所で待つ羽目になり、変な奴らに絡まれたのに。
「尚隆が悪い」
敢えて小さな声に出して言ってみる。だが悪態をついてみても、全く心は晴れなかった。

間もなく玄英宮に着く。尚隆は何を言うのだろう。自分は何を言えばいいだろう。
ああそういえば、とふと思いつく。
尚隆のおかげで男達を追い払うことができたのに、まともに礼も言ってなかった。そのことで尚隆が怒っているとは思わないが、ちゃんと言っておこう。

関弓山が眼前に迫る。中腹にある禁門前の篝火が、赤く小さな点に見えていた。

38「人を模した神獣」8:2018/02/16(金) 23:33:41
関弓山中腹の禁門前に、王の乗る騶虞と宰輔の乗る使令が並んで降り立った。
門番達は戸惑いながら王と宰輔を出迎えた。主従が揃って出奔する時は、大抵長らく帰って来ない。それなのに半日も経たずに戻ったのは、彼らにとって想定外の出来事だった。
ひらりと騎獣から降りた王は、厩舎に戻せ、と騶虞の手綱を下官に預ける。
使令の背から降りた宰輔をちらりと振り返り「ついて来い」と淡白な口調で言うと、王はさっさと歩き出した。
宰輔である少年は、珍しく何も口答えせずに王の後ろに従った。

二人の姿が門をくぐって遠ざかり、禁門の大きな扉が再び閉ざされると、門番達は顔を見合わせた。
主従の間に流れる空気が、明らかにいつもと違っていた。普段二人で出奔した時は、互いに悪態をついたり軽口を叩き合いながらも満足そうに戻って来るのに。
あまり感情の起伏を表に出さない王はともかく、妙におとなしい宰輔の様子が特に気になった。
宰輔の身に何かがあって急遽戻ってきたのだろうか、と話し合ってみたものの、特に体調が悪そうにも見えなかったから違うのかもしれない。
真実がどうであれ、主従の側仕えでもない彼らにはそれ以上のことは分からず、ただ顔を見合わせて首を捻った。

39「人を模した神獣」9:2018/02/16(金) 23:36:11
尚隆は正寝へ向かう回廊を歩いて行く。六太は数歩下がってついてきている。互いには話しかけなかったが、出迎えた官とは適当に言葉を交わした。

玄英宮への帰路、たまと悧角に別れて乗った理由は、六太と二人で一緒に騎乗することが何故だか耐え難かったからだ。無性に苛ついて、これでは冷静になれないと思い、悧角に乗れと六太に命じたのだ。
少し距離を置いたことで、多少は頭が冷えた。ここへ戻るまでの飛行時間、出来る限り自分を客観的に見ようと努めた。

自分の中に怒りのような感情があるのは否定できない。
先程はあの男達に対して怒っているのかと思ったが、考えてみればあんな奴らはどうでもいいのだ。尚隆が刀に手をかけて睨んだだけで怯んだ連中など、取るに足らない。最初の怒りが彼らに対してだったとしても、それだけならとうに収まっているはずだった。

六太が男達に見せた微笑みを鮮明に思い出した時、尚隆はたまの鞍上で思わず小さく舌打ちしていた。
あの表情を見た瞬間、咄嗟に言葉にならなかったが、そんなふうに笑うな、と強く思った。だがいったい何が気に食わなかったのだろうか。誰に対しどのような表情を向けるのも、六太の自由だろうに。

尚隆には関係ない、と吐き捨てた六太の声が耳に残っている。
二百年も前の嘘を今更問われたことに対する反発か。涙のわけを尚隆には話したくないという拒絶か。
いずれにせよあの言葉は氷の刃のように突き刺さり、今も尚隆の心を凍りつかせている。
だが少し冷静に考えれば、自分の方に理がないのは明白だ。
六太が泣いたあの日、何かを隠していると分かっていたのに敢えて追及しなかった。その判断を下したのは尚隆自身だ。それを今更問い詰めて、答えない六太に憤るのは筋違いというものだ。

胸の奥底に何かがわだかまっている。その正体がはっきりすれば、この苛立ちは消えるだろうか。
街では反抗的な態度を見せていた六太は、今はおとなしく付き従っている。王命だから渋々従っているだけで、尚隆と同じように苛立っているのだろうか。それとも少しは冷静になったのか。
このまま離れると禍根を残すような気がして、ついて来いと言ったものの、自分が何を話したいのかも分からない。

自分の言動の先が読めない。こんなことは初めてだった。

40「人を模した神獣」10:2018/02/16(金) 23:38:20
正寝の一室に着くと、尚隆は官に人払いを命じてから室内に入った。六太も続いて入室する。
適当に荷を置き、卓の傍らにある椅子を引いて無造作に座った。
六太は卓の近くまで来たが椅子には座らず、尚隆から少し離れた位置に立ち止まった。
尚隆は何を言うべきか、言葉を探して沈黙する。六太も無言のまま立ち尽くしている。衣擦れの音すらない静寂が、広い室内に訪れた。
暫くの間、身動きひとつせず、互いに目も合わせなかった。

「……さっきはありがとう」
不意に六太が呟いた。いきなり何を言い出すのかと、尚隆は六太に目を向ける。
やや不貞腐れた様子で六太は続けた。
「尚隆が来たおかげで助かったのに、ちゃんと礼を言ってなかった」
ああ、と尚隆は失笑気味の声を漏らす。また的外れなことを言う、と少し可笑しくなった。
「礼を言われる筋合いのことではない」
尚隆が淡々と返すと、六太はちらりと視線をこちらに向けたが、すぐに逸らして再び黙り込んだ。

六太らしくもなく素直に礼など言い出したのは、和解したいと考えてのことだろう。
これまでのことを思い返せば、例えば喧嘩した後に、多少なりとも六太が歩み寄る姿勢を示せば、尚隆はすぐに許していた。喧嘩の原因などいつも些細なことだったし、そもそも尚隆が本気で怒ったことなど殆どなかったからだ。
たとえ的外れでも六太が歩み寄ろうとしているなら、その意を汲んでやりたいところだが、今の尚隆には無理だった。
自分が何に怒っているのか分からないのに、和解も何もあったものではない。許す許さない以前の問題だった。

六太は俯き加減で、拗ねたような表情を浮かべている。それをじっと見つめていると、氷塊のようだった心がふと溶け出すような感覚がした。
六太らしい子供じみた表情だ、と安堵に似たものが湧き上がる。それは、六太が男達に向けた大人びた微笑みを目にした時の違和感とは対極にあるものだった。
そうか、と尚隆は内心で独りごちる。
自分は、六太には子供のようでいて欲しかったのかもしれない。永遠に成長しない見た目と同様に。
なんという莫迦げた望みだろう。世間知らずな餓鬼だと揶揄したこともあったが、本心からそう思っていたつもりはなかったのに。
外見年齢は変わらずとも、内面が変わらないはずはないのに、心のどこかで六太はずっと変わらない気がしていたのだ。

微かに苦笑すると、六太は怪訝そうにこちらを見た。
「……なんで笑ってる」
いや、と言ってから尚隆はひとつ息をついた。
「世間知らずな餓鬼だと思っていたが、そうでもなかったようだな」
ほぼ平常通りの尚隆の口調が意外だったのか、話の内容が唐突だったからか、六太はきょとんとして何度か瞬いた。
それから脱力したように、肩を落として息を吐きだした。
「何言ってんだよ今更。おれを何歳だと思ってんだ。いつまでも中身まで十三のままだと思ったら大間違いだ」
またもや六太らしい生意気な口調だ、と思う。尚隆の前では六太はいつもこんな調子なのに、尚隆の知らないところで、見たこともない表情をしている。
それが何故だか気に食わない。

41「人を模した神獣」11:2018/02/16(金) 23:41:02
「あんな奴らによく絡まれているとは思わなかったな」
尚隆が皮肉めいた言い方をすると、六太は不快そうに顔をしかめた。
「……滅多にねえよ、あんなこと」
「そうか?随分あしらうのが上手いから、頻繁にあって慣れているのかと思ったがな」
「あしらうのが上手いって、どういう意味だ」
「そのままの意味だが」
「なんだよ、そのままって」
むっとした表情で、六太は突っかかってくる。
「最後あいつらに笑ったろう」
「笑った?」
「まさか、無意識か」
「いや……そうじゃないけど。笑ったこととあしらうのが上手いのと、何の関係があるんだよ」
尚隆は呆れると同時に、また苛立ちが募った。意識的に笑ったくせに無自覚な六太に、無性に腹が立った。
「やはりお前は世間知らずだな」
「は?」
「だからああいう連中に狙われるんだ」
もはや苛立ちを隠すこともせず、尚隆は理不尽な言葉を吐き捨てた。
六太は絶句したように僅かに硬直した後、怒気をみなぎらせた目で睨みつけてきた。
「ふざけんな。今日のことは、元はといえばお前が妓楼で借金したせいだろうが。だからあんな所で待つ羽目になって、あいつらに絡まれたんじゃねーか!」
「あそこで待つと言ったのはお前だ」
「だから全部おれのせいか」
「ひとりでいたら絡まれると分かっていたんだろう」
「分かんねーよ!滅多にないって言ったろうが」

尚隆は平手を卓に叩きつけて椅子から立ち上がった。六太に近づき、目の前に立つ。間近に少年の顔を見下ろした。
貴石のような紫色の瞳が尚隆を睨みつける。
きめ細かく滑らかな肌が、怒りのために紅潮している。幼さを残す丸みのある頰。桜色の唇は微かに震えている。
美しい顔立ちをしている、と場違いな感想を抱いた。六太の外見が整っていることは、もちろん昔から認識している。だがそれに特別な意味など感じたことはなかった。
しかし今改めて考えると、この外見こそが事の発端なのだ。
少年愛の嗜好を持つ男がいるということは、無論承知している。そういう男にとって、六太は極上の好餌に見えるに違いないのだ。何故今までそんなことにも気づかなかったのだろうか。
だが、それは当然のことかもしれない。
王宮の中で麒麟にそんな欲望を向ける者などいない。仮にいたとしても、表に出すはずがない。もし街で誰かが六太に目をつけたとしても、隣に尚隆がいたら絶対に声をかけはしないだろう。
尚隆には知りようがなかった。それでも想像力が欠如していたことは否めない。尚隆は己の迂闊さに舌打ちした。

「……なんだよ」
六太が舌打ちの音に反応したが、尚隆は何も答えない。
「黙って舌打ちしてんじゃねえよ」
強気で反抗的な、怒りを孕んだ声。六太は昔からこうだ。麒麟のくせに王に歯向かう。
尚隆は口の端を少し持ち上げた。頰が引きつっているような気がした。
「中身がこんな糞餓鬼とも知らずに手を出そうとするとは、間抜けな奴らだ」
尚隆が低く言うと、六太は息を吸い込んだところで一瞬止まり、次いで絞り出すように震える声を発した。
「お前……!」
「転変しろ」
尚隆は六太の言葉を遮り、短く命じた。
「は?」
「今すぐにだ」
「なんでだよ」
「勅命と言わねば、従わぬか」
有無を言わさぬ口調で言うと、六太は言葉もないまま大きく肩で息をしてから、くるりと背を向け尚隆から数歩離れた。
僅かに仰向いた少年の後ろ姿が、揺らいで溶ける。その金色の塊は、瞬時に一頭の獣の姿となった。
金色の獣が身体を揺らすと、背から床に衣服が落ちる。その姿を眺めやり、尚隆は皮肉げに笑った。
「その姿のほうが余程可愛げがあるな。当分そのままでいろ。無断で転化することは許さぬ」
麒麟が首を巡らせて、まっすぐ尚隆に視線を向けた。表情は読めない。
「王宮から出るな。––––勅命だ」
思いつくまま言い放ち、尚隆は踵を返した。背後から六太の怒鳴る声が聞こえたが、一切耳を貸さず、大股に歩いて部屋から出た。

42書き手:2018/02/16(金) 23:43:06
尚隆ヒートアップ中ですが、今回はここまで

43名無しさん:2018/02/17(土) 12:21:45
尚隆、病みかけ……?w


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