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さゆえり「れいなはココが感じるの?w」83
1
:
( ■_■)
:2020/11/08(日) 15:37:49
――このスレのプロローグ――
さゆえりレズSEXを不意に目撃してしまったれいな
拒否反応を示して嫌悪感をあらわにするれいなを捕獲するさゆえり
抵抗するれいなを口封じのために2人で気持ちよくさせて一言
さゆえり「れいなはココが感じるの?w」
れいなは抵抗するものの、自然と漏れてしまう甘い吐息
れいな「ハァハァ」
前スレ
さゆえり「れいなはココが感じるの?w」82
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/18174/1560831990/
まとめサイト
http://seesaawiki.jp/w/e6esr/
避難所
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/20619/1400943744/
655
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/02(木) 12:43:59
かえでぃーほんとに凄いことに
656
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/16(木) 23:25:48
(* ^_〉^)<まーちゃんゾロゾロデビューしちゃいましー!
ノc|*´ ヮ`)川*- 。.-)??
657
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 01:19:52
父娘デート
https://pbs.twimg.com/media/FpqajWxaAAIgZZW.jpg:orig
#.jpg
658
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 04:23:03
(* ^_〉^)っV
https://i.imgur.com/5yBFWYX.jpg
659
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:50:27
ご無沙汰しております。
いつの間にか年も明けて、月日が流れてしまいましたが、
『あゆみりお』のとりあえずの完結編を連投させていただきます。
また大変長くなりますが、お暇なときに読んでいただければ幸いです。
660
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:51:28
あゆみりお5
本日は月曜日。バー・ムーン・フラワーは定休日であり、階段の前にも定休日の看板が置かれている。
一日中図書館の中にいると、天気や時間というものと隔絶されてしまい、さらに仕事に忙殺されているとまるで自分という人間がどこかに消え失せてしまったような感覚になる。もちろん、それが一概に悪い事ではないということも知っている。ただ、未だにそういう感覚に慣れないし、腑に落ちないというだけだ。定時に図書館を出て、主婦層で賑わう商店街を通り抜け、夕焼けに染まる空を眺めながらバー・ムーン・フラワーまでの道のりを歩く。その踏みしめる一歩一歩が、私がどういう人間だったのかを思い出させてくれる。
私は「定休日」と書かれた看板を回り込み、地下へと続く階段を降りていった。重厚なドアを開ける。客用のカウンターに座りながらノートパソコンを叩いている馴染みの顔を見つけると、「へい、大将。やってる?」と声をかけた。
「あら、道重さん。定休日の看板、見えませんでした?」
「テイキュウビノカンバン、ソレ、ウマイノカ?」
「ボケのキャラが定まってなさ過ぎてどう対応して良いかわからないです」
「またまた。フクちゃんともあろう人が」
「私も基本属性はボケなので。それに今はもう接客のほとんどはかえでぃーに任せちゃってますから」
「そんなかえでぃーが辞めちゃうとはね」
「あれ、私、言いましたっけ?」
「言ったよぉ。ていうか、真っ先に相談に乗ってあげたのが、さゆみじゃん。そして今日こうして定休日のお店に殴り込んで来たのも、そんなかえでぃーの送別会を企画するためでしょ」
「私の安易なボケに対して、状況説明を入れ込んだ完璧なツッコミありがとうございます」
「いえいえ。これも年の功というやつですな」
私がフクちゃんの隣の席に座ると、彼女はノートパソコンをパタンと閉じてバーカウンターの内側に回った。
「フクちゃんにお酒つくってもらうのも久しぶりだなぁ」
「腕が鈍っちゃってるかも」
「大丈夫、さゆみバカ舌だから」
「そんなことないですよ。だって、私の作ったお酒とかえでぃーの作ったお酒、ちゃんと区別できたじゃないですか」
「また古い話を持ち出して来たね。あの頃のかえでぃーはただの少年だったからねぇ。そりゃ、誰でもわかるでしょ」
「かえでぃーも大人になりましたもんね」
「何がヒトを大人にするんだろうね」
「時間と……」
「時間と?」
「お酒ですかね?」
「あら、さすがバーの経営者」
「恋、と迷いましたけど」
「それもベタだねぇ」
基本的に私はお酒に詳しくない。割と何でも美味しく飲めるし、フクちゃんに対してもかえでぃーに対しても全幅の信頼を置いているので、私から何かを提示する必要がない。それにあまり知識を付けない方が可愛げがあるとも思っている。かえでぃーは色々とお酒のことを喋って聞かせたいタイプなので、そんな彼と楽しい時間を過ごすコツとも言える。まぁ、本音を言えば、酔っぱらっているときに小難しいことを考えるのが面倒なだけなのだけれど。
661
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:52:55
フクちゃんは細長いグラスに大きな氷をいくつか放り込み、からからと大雑把にステアしてグラスを冷やした後、少し溶け出した水を一度捨てる。その後、ウイスキーをカクテルメジャーで測ってからグラスに流し込み、氷と一緒にかき混ぜてしっかり冷やす。グラスの中で温度が馴染んだ頃を見計らってソーダをグラスの8割くらいまで注ぐ。そんなフクちゃんの優雅な所作を眺めている時間が好きだった。彼女が中学生の頃、私は彼女の家庭教師をしていたが、まさかそんな可愛い教え子にお酒を作ってもらう未来が来るなんて想像もしていなかった。フクちゃんは最後にウイスキーの並んでいる棚から暗緑色のボトルを取って、数滴分をグラスに垂らすと、コースターとともに私の前に綺麗に置いてくれた。
「ハイボールとは珍しいね」
「久しぶりなんで、まぁ、こんなところから」
「いや、逆に渋くていいと思うの」
「それじゃ、乾杯」
ハイボールってこんなに美味しかったっけ?というくらい美味しいハイボールだった。居酒屋で飲むような安いハイボールに見受けられがちな喉を引っ掻くような苦みがない。あくまで柔らかく、品良く。しかし、しっかりと冷やされたお酒とソーダが爽やかに喉元を流れていく。それでいて、おそらくは最後に数滴加えられた香りの強いウイスキーが、きちんと印象というものを残してくれる。でも、どこかアンバランスな隙があってそれが大人びた妖艶さを湛えている。
「おいっしいね、これ」
「よかったです」
「最後に加えたウイスキーが何か特別なヤツだったのかな?」
「まぁ、そうですね。かえでぃーが好きなアイラモルトから、アードベッグのウーガダールっていうちょっと捻ったものを加えてみました。シェリー樽で熟成させているのでちょっと甘味があるのと、アードベッグというかなりスモーキーなブランドの中では、比較的スモーキーではないものになりますね。パンチはあるんですが、バランスが悪くないので、隠し味として主張し過ぎることもなく、意外に上手く隠れてくれるんですよ。それでいて入れるのと入れないのでは全然違う。そんな可愛い子なんです」
「お酒に可愛いとかってあるのね。経営者がこれなんだから、そりゃあかえでぃーみたいなのが育つわけだ」
「ところで、お腹空いてません?」
「あ、何か出していただけるんでしょうか?」
「良いのがあるんですよ」
そう言うと、フクちゃんはキッチンに引っ込み、そしてガラスの平板なお皿を持って戻って来た。
「ブリのカルパッチョです。ニンニクのチップを細かく砕いてまぶして、ちょっと味を濃いめに作ってみました。これを美味しく食べるためにハイボールにしたんですよ、実は」
「さすがさゆみの教え子だわ」
「おかげさまで」
美味しいお酒と美味しい食事をちまちまと摘まみながら、私たちは普段の営業日にはできないような懐かしい話を沢山した。私とれーなと絵里、フクちゃんとリホリホとまーちゃん。2つの三角形が重なって、不可思議な六芒星が浮かび上がった……そんな昔の話。今ではそれぞれがそれぞれの人生を生きている。けれど、このバー・ムーン・フラワーが何かその楔のようなものになっていて、今でも私たちはどこかで繋がっているという感覚があった。そして、その図形に新しい色を加えてくれていたかえでぃーが数か月後にはいなくなってしまう。彼の存在は既に私たちにとってとても大切なものになっていた。そんなかえでぃーの送別会を兼ねたリホリホの帰国リサイタルの計画をするのが、今日の主たる目的ではあった。
しかし、計画と言っても特段多くの事をする必要はなかった。リホリホの帰国日に合わせて、フクちゃんにかえでぃーのシフトを組んでもらい、あとは身内に声をかけるくらいだった。北川ちゃんと、それからせっかくだし石田にも来てもらおう。あの2人にとってもかえでぃーの卒業は色々と想うところがあるはずだし。
662
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:53:26
「そういえば、かえでぃーが辞めちゃった後は、誰か後釜を考えてるの? さすがに北川ちゃんには厳しいと思うけど」
「あれ、言ってませんでしたっけ?」
「それは本当に聞いてなかったの」
「そうでしたか……うーんと……その、言ってもいいんですけど。道重さん、ちゃんと常連で居続けてくださいます?」
「え、なんか凄い嫌な予感がするんだけど」
「たぶん、その嫌な予感は当たってると思います」
「いやいやいや。てか、まだあいつ定職にも就かないで、フラフラやってるわけ?」
「それが亀井さんという人間です」
「ダメダメダメ! その名前を言わないで!」
「なんでですか。道重さん、亀井さんのこと好きじゃないですか」
「好きじゃない。好きじゃない。決して好きじゃない。でも、ダメ」
「実際に会うと好きになっちゃうから」
「お願いだから、からかわないで。そして、雇わないで。筆頭株主として断固拒否します」
「うち、個人経営ですから」
「ねぇ、なんでそんなにイジワルするの?」
「いや、だって、北ちゃんはまだお店任せられるほど慣れてないし、年齢的にもアレですし。亀井さんなら信用できるし、フラフラしてるし」
「フラフラしてる人を信用するってのはどうなんでしょう」
「まぁ、道重さんが何と言おうともう決めていることなんで。さっそく再来週あたりからちょくちょく顔を出してもらおうと思っています」
「いやー! やめてー!」
私が絶叫していると、背後で店のドアが開く音が聞こえた。そして、私たちが振り返ると、景気の良い声が聞こえて来る。
「へい、大将。やっとぉとー?」
*
帰りの車の中は静かだった。言葉数が少なくても、それは気まずい沈黙ではなかった。お互いに喋りたいことは喋り終えたという清々しさすら感じる。楓君のミュージックプレイヤーが私の知らない音楽を次々にかけていく。
車は渋滞にはまり、少し小高い場所へ差し掛かると、連綿と続く光球の列が見えた。楓君はイライラする様子もなく、バーで氷を削っている時のようにどこか満足そうな表情を浮かべている。私が「渋滞が好きなの?」と茶化すと、「まさか」と言って、とても良い事があったみたいに笑った。
「今日は良い日だったな、と思い返していたんです。たとえ渋滞であっても、そうやって余韻に浸れる時間が長いことは良い事です」
「かえでぃー的には今日は良い日だったんだね。『今日もまた女を一人フってやったぜ』的な感じ?」
「石田さん、今日一日でまた性格悪くなりました?」
「好きな人に許嫁がいるって知っちゃったんだから、性格くらい悪くなるさ」
「なんていうか、果てしなく申し訳ないです」
「『申し訳ない』って言葉に『果てしなく』って修飾語をつける人は絶対『申し訳ない』って思ってない」
そんな一通りのふざけ合いの後、また心地良い沈黙が訪れる。砂時計のように時を刻む音楽と、軽自動車の断続的なエンジン音。ぼんやりと目の前の車の赤いテールランプを眺めながら、私も今日という日が良い1日であったと思い返す。そして楓君が言うように、そうやって余韻に浸れる時間が長いことは良い事だった。
そのとき、不意に私が聞いたことのある音楽が流れて来た。一時、世間でも流行ったアーティストで、楓君にしてはミーハーというか、ちょっとポップ過ぎる音楽で意表を突かれた。しかし、楓君の持つ意外性以上に私の心を揺さぶったのは別のものだった。とある個人的な歴史においてその歌声の持ち主を私は警戒している。幼い頃に犬に吠えられた子が大人になっても無意識に犬を避けてしまうのと似ている。世間でそのアーテイストが持て囃されていたときに、私だけが苦虫を嚙み潰したような顔をして、耳を塞いでいた。
663
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:54:19
「かえでぃーって、こんな曲も聞くんだね」
「えっと、変ですかね」
「変ってこともないけど。ただちょっと……これまで流れてた曲は全然知らない曲だったのに、初めて私が知ってる曲だったから。結構、有名な人の曲でしょ」
「まぁ、そうですね。確かに、僕があまり聴かないようなタイプのアーティストかもしれませんが」
「なんていうか、その。個人的にこの人はあんまり好きじゃない……というか、苦手というか。あまり良い思い出がなくて。あ、でも曲、変えなくていいからね。なんて言えばいいのかな。まぁ、はっきり言ってしまうと、高校生の頃の失恋を思い出すのよ。高校生の頃に失恋してさ。昼間もちょっと話したけど、その失恋からついこの間までずっと恋愛から何となく距離を取っててさ。別に普通の失恋で、酷い事されたとかそんなのは全然ないんだけど。勝手に好きになって、舞い上がって、なんか初めてオシャレとかしてみたりとか。でも、実はその好きになった相手には幼馴染みたいな子がいて……って、あれ、これかえでぃーと同じじゃん。今、気づいた。あはは。ま、笑ってる場合じゃないんだけど。でね、実はその好きになった子の幼馴染が、この曲を歌っている佐藤優樹っていう……」
「え、佐藤さんと知り合い何ですか!?」
私が失恋話をしているのに、何なんだこのミーハーは。と、私が愕然としていると、楓君は取り繕うように手を左右に振り、「すみません。違うんです」と慌てふためく。
「実は、言っていいのかわからないんですけど、佐藤さんとうちのバーは深い縁があって。前にママと道重さんの共通の知人に有名人がいるって話をしましたけど、それが佐藤さんなんです。何でも、ママの中学か高校の後輩とからしくて。佐藤さんが初めてギターを弾いている動画をネットに上げたのがママなんですよ」
「えぇ!? 何それ!? いや、ちょっと待って。じゃあ、もしかして工藤って子のこと知ってる?」
「工藤さん……さて。僕は聞いたことがないですね」
私は思わず落胆してしまう。もしかしたら運命の再会が果たせるかもと思ってしまったが、現実はそう都合良くない。というか、今さっきフラれた人に対して、ずっと昔にフラれた人のことを聞いてしまう私のはしたなさに自己嫌悪してしまう。
「まぁ、言っても、僕は佐藤さんが何度かお店にいらっしゃったのをお見掛けしたくらいで。そのときもテレビでたまに見たような破天荒で、だいぶ自由な感じの人だなぁとは思いましたけど、まともにお話しすることはなかったですね。主にママと道重さんが喋ってたんですが、メディアにあまり出なくなってからは田舎に移り住んだりして、自由気ままに創作活動をなされているというようなことを話されていましたね」
「『田舎に移り住んで自由気ままに創作活動』ね……なんて言うか、私はとんでもない相手と闘おうとしていたんだと、今になって自分の愚かさを感じるよね」
「そんな自己否定しなくても……気持ちはわかりますが」
「知ってる? 私はいま25歳なんだけど、アインシュタインは26歳で相対性理論を発明したんだよ」
「知ってますよ。正確には特殊相対性理論だったと思いますが、アインシュタインはこの年、他に光量子仮説とブラウン運動という現代物理学の基礎になる論文も執筆して、これらは3大論文として有名です。たった1年の間に、これらが執筆されたことから『奇跡の年』と呼ばれているんですよね」
「ごめん。そこまでは知らなかったわ」
「マウント取ったみたいな感じになってすみません。僕の悪いところです」
「なんて言うか、私が自己嫌悪の沼にハマろうとしていたのに、先にハマられちゃったね」
「すみません」
664
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:54:49
「いいよ。とりあえず、これ以上、謝らなくていいから。でもさ、何て言うか同じ人間なのに、一方では世の中に大きなインパクトを与えたり、あるいは歴史に残るような偉業を成し遂げたり、そういう人がいるのにさ。私は誰でもできるようなみみっちい事務作業を延々とやり続けていて。なんか私の存在する価値ってなんなのかなぁとか思ったりするよ。ありきたりだけど」
「ありきたりな悩みが一番辛いって、何かの小説で書いてあった気がしますね」
「かえでぃーは博識だね」
「『何かの小説』って正確な引用ができない時点で博識なんかじゃないですよ。まぁ、それは置いておくとして。僕は思うんですが、人間の価値は何を成し遂げたかなんかではないと思います。何も成し遂げられなかった僕が自分を正当化するためにそう思おうとしているのかもしれませんが、でも、たぶん違います。やっぱりこの世界は何を成し遂げたかではなく、どれだけ世界や自分と向き合ったかということだと思うんです」
「どれだけ世界や自分と向き合ったか?」
「石田さんは過去の失恋を乗り越えて、僕という人間に好意を持ってくれました。そして、僕の背中を押してくれました。僕は今日、石田さんに何度も優しい言葉をかけてもらって、とても前向きになったし、勇気が持てたり、自分に自信が持てたりしたような気がします。でも、もしただ石田さんが持っている知識を口にしているだけだったり、偉業を成し遂げた高みから言葉を投げ下ろしているだけだったりしたら、僕はこんなにも温かい気持ちになっていなかったように思います。たぶん石田さんが毎日を誠実に生きている人だから、もっと言えば、何かに深く悩んだことのある人間だからこそ、僕には響いたんだと思います」
「すごい私を買ってくれてるね。ありがとう。なんかめっちゃ元気出た」
楓君はハンドルを左に切り、車は渋滞を抜けたのかスムーズに走り始めた。
楓君は私のことを沢山褒めてくれたが、嬉しい反面、私にはあまり腑に落ちていないところがあった。私はこれまで恋愛から逃げて来たし、平凡な日常に甘んじて生きて来た。そんなしょうもない人間だった。だからこそ、ここ数か月の間に北川という存在を介して交流し始めた世界が眩く見えるのだ。人間を磨くために地元を離れて、私より若くしてバーテンダーとして夜の世界に息づく楓君の方が、私なんかよりもよっぽど日々を誠実に生きているし、自分と向き合っているはずだった。私と同い年でバーの経営をしている譜久村さん、普段は図書館の職員として生活していると言いながらも、何か只ならぬオーラを纏う道重さん、そんな人たちと比べると私はとても矮小な存在に思えた。
だから、ずっと私は自分のことがあまり好きではなかった。たいしたことのない人間から生まれ変わり、何か素晴らしい人間になりたかった。自分の生きる意味を発露するような、そんな日々を送りたかった。けれど、そんなことを思い詰めてしまうほど、自分に厳しくもなれない。ただ漫然と日々を過ごしているだけで、私の生活は成り立ってしまっていた。こんなことで誠実に生きていると言えるのだろうか。こんなことで自分に向き合っていると言えるのだろうか。
ただ1つ言えることは、私はいま、何かしらの人生の分岐点に立っているということだ。これまで私は自分を省みることなく、見たくないものを見ずに、漫然と過ごして来た。北川と裸で抱き合うこと、高価なお酒をオシャレなバーで飲むこと、具体例を挙げると「こんなのが分岐点なのか」と苦笑してしまうけれど、それでも今までの私の人生にはなかったものだ。アインシュタインのように、後世に大きな影響を及ぼすものを残せるとも思えないが、それでも私は私の人生における「奇跡の年」というのを「今」に期待している。
夜の街を年下の男の子が運転する軽自動車で走り抜け、様々な感情を胸に巡らせながら、私は硬く自分の手を握り締めた。
665
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:55:51
*
「あらぁ、れーな久しぶり。また休業日にやって来て」
「さゆには言われたくないと」
「さゆみにはちゃんと用事があるの」
「田中さん、いらっしゃいませ」
れいなはこのバーの上で美容室を経営している。昔は芸能プロダクションに所属してメイクアップアーティストとしてやっていたが、そこで関係性を築いた数人の得意先だけと関係性を継続し、今はこの街を拠点にしている。従業員も一人くらいしか雇わず気ままに店を経営しながら、たまにモデルやミュージシャンの仕事現場に出ているらしい。プロダクション所属時代には楽しい事、辛い事、色々あったようだけれど、結局のところこのバー・ムーン・フラワーに引き寄せられてしまったというわけだ。その点、私と似ている。
お酒があまり得意でないれいなは営業日に店を訪れることは滅多になく、時々休業日を狙ってはフクちゃんと話すためにこのバーを訪れている。そして後から私にお呼びがかかるのが常だった。
「何、飲んどぉと?」
「フクちゃん特製のハイボール」
「なん、お酒かいな。たまには休肝日作らんと、体壊すとよ」
「たまの休肝日にいっつもさゆみのこと呼び出してくるれーなには言われたくないね」
「やって、営業日はお客さんが多くて、落ち着かんけん。フクちゃんやって、たまにはお酒作らんと腕が鈍るっちゃろ」
「そうですね。今では田中さんと道重さんくらいにしか作らなくなっちゃいましたね」
フクちゃんは私たちの会話を聞きながら手早く同じハイボールを作り、れいなの前に置く。3人で軽くグラスを合わせ、れいならしい身勝手な愚痴を聞いて笑い合う。
「呼ばれてメイクしに行ってやりよーのに、『おれ、もっと大人っぽいれいなちゃんを見てみたいな。もっとさ、色気のある服装とかメイクにしてみたら?』とかえっらそうに言いよぉと。ったく、ありのままのれーな見て、セクシーやなって感じりよ!」
それから話題はリホリホのリサイタルに戻っていく。
「そう言えば、リホリホとかえでぃーって面識あるんだっけ?」
「何度かあったと思いますよ。前にリホちゃんがこっちに戻って来た時に、私が紹介して。意外と2人とも似たところがあるというか。根が真面目で厳格なところが似てますよね。かえでぃーの方が器用で、リホちゃんは不器用だったりしますけど」
「不器用っていうか、おっちょこちょいっていうか」
「帰り際に店内の平らなところで躓いて転んで、心配したかえでぃーが地上まで送ってあげてました」
「リホリホっぽいなぁー」
その場面が容易に想像できてしまう。
「じゃあ、まぁ、かえでぃーとリホリホに面識があるのであれば、かえでぃーの第1回送別会ってことにしてもいっか」
「第1回って……」フクちゃんが呆れたように笑う。
「送別会なんて何回やってもいいしさ。何だったらかえでぃーが実家に帰る新幹線の中で最後の送別会してあげてもいいくらいなの」
「それはかえでぃーも困ると思いますけど」
「え、ちょっと待って。かえでぃーの送別会ってどーゆーことったい?」
「あれ、フクちゃん、れーなには言ってないの?」
「あ、言ってませんでした。ていうか、最近はあまりお店にもいらっしゃらなかったので」
「れーなの大好きなかえでぃーがここのバーテンダー辞めて、田舎に帰っちゃうんだって」
「えぇ!? 全然知らなかったと! あいつ、ちゃんとれーなに報告もせんで……」
「さゆみだって、まだかえでぃーの口からはちゃんと聞いてないよ」
「これは今日、呼び出さんといけんね」
666
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:56:54
「そうやってすぐ人を呼びつけるんだから。てか、せっかくの休日なんだからそっとしておきなさいよ。だいたいれーなが営業日に来れば良いだけの話なんだから」
れいなは口を尖らせて、ぐびっとハイボールを煽る。そして遅ればせながら「美味っ!」と感嘆の声を上げ、次にカルパッチョを突くとまた「美味っ!」と叫ぶ。フクちゃんは「よかったです」と小さく頭を下げながら喜んでいた。
「で、かえでぃーは今日、何してると?」
「お休みなんだから、休んでるに決まってるでしょ」
「今日は北とあゆみちゃんと3人でデートのはずですよ」
「フクちゃん。仮にも自分の店の従業員のプライバシーなんだから……」
「デートぉ? 偉くなりよーね。てか、キタとアユミちゃんって?」
「あれ? れーなは北川ちゃんのこと知らなかったっけ?」
「あぁ、北川ね。何回か会ったことあるとよ」
「北川ちゃんの知り合いというか、友達というか、先輩みたいな子がいてね。石田あゆみちゃんって言って、これがまた中々の美形なの。喋るとオヤジ臭いんだけど」
「へぇ。北川とは話が合いそうやね」
「喋るとオヤジ臭いっていう1点だけで見抜かれるのもかわいそうだけど、確かにあの2人はだいぶ仲が良い感じだね」
それかられいなは何度かかえでぃーに連絡を取るようフクちゃんに催促していたが、流石のフクちゃんもそれに応じることは無く、私とフクちゃんでれいなを宥めるばかりであった。定休日にばかり顔を出すれいなだったから、かえでぃーとはあまり顔を合わせる回数は多くなかったはずだ。しかし、よく理不尽なことを言うくせに意外と筋の通った考え方をするれいなは、根が真面目でしっかりものを考えられるかえでぃーのことを気に入っていた。れいなが人のことを気に入ることはそう多くないので、きっとかえでぃーがいなくなることが本当に寂しいんだろう。
「でもさ。北川ちゃんも石田も絶対かえでぃーのこと好きなのに、よく3人でそんな修羅場みたいなドライブデートに行ったよね」
「3人を嗾(けしか)けて、車まで貸したのはどこの誰ですか」フクちゃんが冷静に指摘してくる。
「まぁ、かえでぃーには多分故郷に想い人がいるんだろうし、石田も大人だからきっと大丈夫だとは思うけどさ。北川ちゃんにとっては痛い失恋だろうなぁ」
「や、年取ってる分、その石田って子の方がしんどいんやない?」
「そういう考え方もありますね」
「とりあえず色々な意味で無事、安全に帰ってきて欲しいね」
「鞘師の帰国リサイタルには、北川も呼ぶんやろ? そしたら、石田ちゃんも呼ぶと?」
「まぁ、かえでぃーの送別会も兼ねるってことなら、呼ぶのが良さそうですけどね」
「れーな人見知りやけん……」
「あのね。れーなのその見た目で人見知りって、本当に相手からしたら怖いから。もういい加減大人なんだから、ヤンキーがガンつけるみたいな感じにならないでよね」
「うぅ……わかっとぉけどさぁ」
「ま、石田のことに関しては大丈夫だと思うよ。なんてったって、さゆみのマブだから」
咄嗟に「『石田のことに関しては』大丈夫」と言ってしまう。そして、それに引っかかったのか、れいながまさに不機嫌なヤンキーみたいな顔で睨みつけて来る。眉間に皺が寄って、本格的におっかない。
667
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:57:25
「……石田ちゃん以外に誰か違う人もリサイタルには来ると?」
「リサイタルには来ないと思うけど……その……フクちゃん。かえでぃーの後釜について、発表よろしく」
「えぇ? 私から言うんですか」
「さっき、さゆみには躊躇なく言ったじゃない」
「そう言えば、そうったい。かえでぃーの後釜、もう決まっとぉと? なんか2人の知り合いみたいな感じやけど」
「田中さんもご存じの方です」
「フクちゃんと、さゆとれーなの共通の知り合い……まさか……」
もうそんな条件になれば言わずもがな、あの憎たらしい男前の顔が浮かんでくる。
「まさか、佐藤!?」
「んなわけあるか! まーちゃんに接客なんかできるわけないでしょ」
「え、じゃあ、誰ったい?」
「どう考えても、絵里に決まってるでしょ」
「え、絵里!?」
れいなはごくりと喉を鳴らし、それから急に喉が渇いていることを思い出しように、ハイボールを一気に飲み干した。
「フクちゃん、悪いっちゃけど、もうこのバーに来ることはないったい」
「もう、田中さんまで!」
「フクちゃん。この件に関しては、さゆみも弁明できないの。悪いけど、れーなと反対同盟を立ち上げて、反乱軍を組織して、真っ向から対立させてもらうの」
「なんでですか。お3人とも仲良いじゃないですか。確かに、過去には色々ありましたけど、もう和解しましたよね?」
「確かに和解はしたと。やって、れーなたちももういい加減、いい大人やけんね。いつまでもケンカみたいなことはしていられんと」
「それにね。私たちは別に絵里に怒ってるわけじゃないの。れーなの言う通り、いい大人だから一々過去を持ち出したりはしないし」
「じゃあ、いいじゃないですか。お2人は何を心配されているんですか?」
「別に心配とかそういうんじゃ……」
私が言い淀んでいると、フクちゃんはグラスに付着した水滴を手元のタオルで拭いながら、はっと何かに気づいたような表情を浮かべた。
「わかりました。お2人が亀井さんをそこまで毛嫌う理由。いい大人だからこそ嫌なんじゃないですか? 恋する乙女に戻っちゃうのが恥ずかしい、と」
核心を突かれて私とれいなは完全に俯いてしまう。特にれいなの方は動揺が大きい。私はつい1時間ほど前に同じようなからかわれ方をしたのでまだ何とか耐えられたが。かえでぃーと北川ちゃんと石田のトライアングルについて偉そうに思案していたが、自分の事となると冷静ではいられない。
私とれいなで絵里を奪い合った過去。結局、絵里は私もれいなも選ばずに消えてしまい、それから長い月日が流れた。その間も私は絵里のことが忘れられなかったが、現実的に彼を探すようなこともしなかった。れいなとの関係も疎遠なまま、半ば何かを諦めたような日々がずっと続いていた。そんなところに、2人との再会の場を作ってくれたのが、フクちゃんとリホリホとまーちゃんだった。それから私たちは時々個別に会うようになり、特にれいなとはこうしてフクちゃんのお店でよく顔を合わせるようにはなったわけだが……絵里に関して言えば、まだ2人きりでしか会えていない。会ったところでたいした話ができるわけでもない。カフェかどこかでランチがてら顔を合わせ、免許の更新みたいに形式ばったやり取りがなされるくらいだった。お互いに大人の男女として会うとなると何を喋って良いのかわからないのだ。
668
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:58:47
おそらくはれいなもそんな感じなのだろう。私と同じように強い拒絶感と、僅かな期待みたいなのが表情の奥底から読み取れた。
「まぁ、絵里のことは置いておくの。とりあえず、確認だけど、リサイタルには呼ばないんだよね?」
「どうしましょうか。まぁ、リホちゃんとは知った仲のはずですけど、リホちゃんと亀井さんも色々とありましたから。かえでぃーも関係性はないですし、総合的に考えて呼ばないのが吉ですかね」
「「うん、そうしよう、そうしよう」」
私とれいなの声が揃う。
結局、その夜も昔話と絵里への愚痴などで会話は盛り上がり、リサイタルの計画はうまく進まず時が流れていった。音楽の流れていない、安息の時間を過ごす店内には3人の笑い声が響いた。
*
楓君にスーパーに寄ってもらい、北川のために夕食の食材を買う。楓君にカートを押してもらい、どれが安いかとかどれが新鮮かとか、そういう会話をしているだけでとても幸福な気持ちになれた。私がトマトを選んで手に取ると、楓君がビニール袋を広げて待っていてくれた。そういう細やかな気遣いもとても嬉しい。どうしてこんなにも幸福なのに、それがもうすぐ失われなくてはならないんだろう。そんな考えが頭を過るので、私は楓君の目を盗んで頭を左右に振り、もう何も考えるまいと気持ちを切り替えた。
そう言えば、日中に北川からは何も連絡がなかったけれど、体調は悪化していないだろうか。暢気に食材を買っているわけだけれど、もしこうしている間にも北川が生死の境を彷徨っているかもしれない。一旦、そういう風に考えてしまうと、居ても立っても居られなくなってくる。長い列ができているレジに並んでいるとき、私はぽろっと「北川、大丈夫かな」と零してしまう。店内を回っているときから私がそわそわしていたのを見ていたからか、楓君は「ちょっと電話かけてみますね」とカートを私に預けて店の隅の方へ駆けていった。私の2つ前の人がレジの会計で何やら揉めている。勘弁してくれ。私はカートの持ち手を握り締めながら、落ち着きなく指をパタパタと動かしてしまう。
ようやく私の番が回って来て、急いで会計を済ませてレジ袋に買ったものを詰めていると、楓君が駆け足で戻って来た。何度かかけ直したけど、電話に出ないということだった。私たちは速足で車へと戻り、シートベルトするのももどかしくエンジンをかけた。それでも楓君がアクセルを踏む前に、私はそっと楓君の肩に手を置き、「安全運転でね」と何とか声をかけることができた。楓君は一度、ゆっくり深呼吸して、左右を確認してから車のアクセルを踏んだ。
楓君に北川のアパートの前で降ろしてもらい、しばらく車で待っててもらうように言った。スーパーで買ったものはとりあえず車の中に置いていった。一応チャイムを1回鳴らしたが中の様子を伺いながら待っているのももどかしかったので、ドアノブに手をかける。するとそれは苦も無く回り、ドアも手前に引くことができた。鍵も閉めずに不用心だ。
「北川、大丈夫? 入るよ?」
669
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 20:59:23
室内は暗く、ひと気はない。私は靴を脱ぎ棄て、玄関の電気を点け、奥の部屋へと入っていく。さらに部屋の明りも点けて、ベッドの上を見るがそこには誰もいない。
「北川?」
私の声が小さく反響する。誰もいないってどういういことだ。掛布団も捲られていて、布団に包まっているというわけでもなさそうだ。外に出ているのだろうか。しかし、スマホはベッドの枕元に投げっぱなしになっている。私を軽いパニックが襲うが、そのとき不意に玄関の方から何やらザーっという物音が聞こえた。驚いて悲鳴を上げそうになるが、すぐにそれがトイレの水洗音だと気がつく。
「誰? 北川?」
ガチャ、とトイレのドアが開く音がして人影がそこから現れる。
「誰って、私ですよ。愛しの莉央ちゃん。莉央ちゃんの家なんだから莉央ちゃんに決まってるじゃないですか」
「北川! なんで、あんたトイレから!」
「いやいや、それ言わせてどうするんですか。大か小か、そんなこと聞きたいんですか」
北川は文庫本を右手に持ち、人差指を中間のページに挟んだまま突っ立っていた。髪はぼさぼさで顔は少し浮腫んでいたが、朝に見た時よりもいくらか元気そうな表情で、自分で言ったように愛しの莉央ちゃんという感じだった。
「なんで電話出ないの?」
「電話?」
「10分くらい前に電話したんだけど」
「いや、トイレにいたんで」
「10分も?」
「10分くらい普通じゃないですか。あ、でも10分という時間をもとに、2択を決めつけないでくださいね。見てください。トイレで本読んでました。ということは、私がどっちをしていたかということは、時間からでは判断できないですよね」
「トイレにいてもスマホの音は聞こえるでしょ」
「マナーモードという機能をご存じない?」
「チャイムの音は?」
「聞こえましたけど、隣の部屋のかな、って。そう思ってたら、何やらバタバタして私を呼ぶ声が聞こえたんでびっくりしましたよ。だから慌ててお尻を拭いて……って、あーもう! これ、誘導尋問かなんかですか!?」
「はぁ、まぁ、無事だし元気そうでよかった」
「心配してくれたんですか?」
「心配したよ」
私は力無く歩み寄り、北川を抱きしめた。肩に顎を乗せ合い、北川の腕も私の背中に回る。耳元で「心配してた割に日中は1つも連絡寄越して来なかったですね。そんなに加賀さんとのデートは楽しかったというわけですか」と小言を言われる。私が「そりゃあ、もう」と答えると耳たぶを軽く齧られる。痛っ、という私の悲鳴を聞いて北川はくすくすと笑っていた。私も思わず、笑ってしまったが、ふと大切なことを思い出す。
「あ、かえでぃー」
私は北川を突き飛ばし、玄関で脱ぎ捨てた靴を無理やり履くと、車の中で待ちぼうけを喰らっている楓君のもとへ走っていった。
楓君に北川の無事を伝え、彼の顔にも安堵の色が広がる。私たちは強張っていた肩の力を抜いて、柔らかい笑顔を交わし、それから簡単に今日のお礼を言い合った。そうこうしているうちに北川もコートを羽織って部屋から出て来て、楓君に謝罪とお礼の言葉を並べる。「少しは元気になったみたいで何より。明後日の出勤も無理しなくて良いからね」と手を振ると、そのまま車を走らせて行った。角を曲がって消えた後で北川が「相変わらずジェントルマンですよね」と独り言を零す。私は今日楓君と話したことを反芻しながら微笑んだ。「また熱出るよ」と北川の肩を抱き、温かいアパートの中へと戻っていく。
670
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:00:00
*
北川に夕食を作ってあげた後、楓君があのバーを辞めて故郷に帰ることを北川にも教えてやった。案の定と言うべきか、北川は涙を流して、また布団を被って寝込んでしまった。今日くらいは北川の部屋に泊まり込んで、一晩中抱きしめてあげようと思ったのだけれど、「風邪が移るから」と拒否されてしまった。私は北川のことが心底心配だったけれど、朝に見舞ったときよりはだいぶ体調も良さそうだったし、北川自身も私をいなすような言葉を並べた。
「体調はもう寝てれば治ると思います。落ち込んでるのはもちろんですけど、どうせ寝てるしかないんで、しばらく寝てます。石田さんの方こそお仕事休むわけにはいかないでしょうから、風邪が移る前に帰ってください」
取り付く島もなかった。実際問題として、北川が言うように私は仕事を休むわけにはいかない。本当に体調を崩せば休みを取らせてはもらえるが、不用意に風邪をこじらせて会社を休むというのはやはり良くない。北川も子供ではない。一人でじっくり考える時間だって欲しいだろう。そう自分に都合の良い事ばかり考えて、また私はつまらない私としての時間を過ごし始めた。
楓君とのデート以降、私の中で何かが少し組変わったような感じがあった。楓君がもうすぐ近くからいなくなるということ、そして楓君が私に対して一定の好意を寄せながらも、結局は深く愛している許嫁のもとへ戻っていくということ。私はあのデートの中で、楓君が抱えているものを色々と教えてもらった。「頼りがいのある人間になりたい」という彼の子供らしくも立派な大人の願いは、私から見ればほぼ達成されているように思えるのだが、どうやら彼の中ではまだ疑問符が残っているみたいだった。そんな楓君が私のことを「誠実に生きている」とか「自分と向き合っている」という風に褒めてくれた。私からしたら私は矮小な世界に閉じこもり続けてきた仕様も無いチビ女でしかない。いったい私の何が、あんなに立派な楓君の目に魅力的に映ったのだろう。
湯船に浸かっているときや、電車に揺れているとき、ふと「私の何が……」と考えることが増えた。同時に楓君を失いかけている事実を思い出し、喪失感に苛まれる。かと思えば、あの素敵なデートの時間を思い出し、頬が赤らむ。そしてすぐにまた強い悲しみに襲われる。様々なことがぐるぐると頭の中を巡った。あのデート以前の私はある種、幽体離脱しているみたいな感覚があった。北川と関係を深めた頃は目の前に繰り広げられる鮮やかな彩の毎日に興奮していたが、次第にそれに愛着が生まれ始め、こんな時間がいつまでも続けば良いのにと夢見がちだった。けれど、案の定と言うべきか、その夢みたいな時間はそろそろ一つの終わりを迎えようとしている。そして私もいつまでも幽体離脱している場合ではなくなってしまったのだろう。楓君とのデート以降、楽しかったこと、悲しいこと、それらが脳内で渦を巻き、ふとしたタイミングで「私の何が楓君の目に魅力的に映ったのだろう」という疑問が浮き上がって来る。もしその答が分かったなら、きっとこの竜巻もすうっと消えていくような気がした。
671
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:00:38
疑問は解かれないまま、私は仕事に打ち込んだ。仕事に集中している間は何も考えなくて良いということもあっただろう。そのような日々を過ごし始めると、それまでぼんやりとした手応えしかなかった仕事が、急に現実味を帯び出し、不思議なことに楽しく思えた。こんな気持ちになるのは、入社の頃以来かもしれない。単純な事務作業であったけれど、やればやった分だけ成果も出るし、私が楽しそうに喋ると応対する同僚も少しだけ楽しそうにしてくれるのが嬉しかった。元から割と明るい私だったけれど、同じ事務員の先輩にも「石田さん、最近良い事あった?」と言われてしまった。良い事なんて何もない、むしろ悪いことばかりだ。本心を言えばそうなるが、それはそれで空気を悪くしてしまいそうなので、「最近腸活してるからですかね」と答えた。先輩は「へぇ、やっぱり効くんだね、腸活」と感心したように頷いていたので、思わず笑ってしまいそうになる。
仕事に打ち込んだ分、残業が増えた。そして帰宅時間が遅くなり、バー・ムーン・フラワーにまで足を運ばなくなった。最初のうちは仕事が忙しいから仕方ないと思っていたが、実際には楓君と顔を合わせたくなかったのが原因だと一週間ほど経ってから気がついた。バーに顔を出すのが億劫になるくらい遅くまで会社で時間を潰している私がいた。そして、そうなると当然ながら北川との距離も生まれてしまった。もともと気まぐれにウチにやって来ることの多い北川であったけれど、ここ1か月くらいは北川のバイト終わりにバーから一緒にウチに帰って来るのが定番になっていた。そして私がバーに行かなくなってしまったから、気がつけば北川とも一週間以上会っていない。こんなことは北川と初めて裸で抱き合ってからは初めてのことだった。
性的な欲求もぷつんと途切れてしまう。何もすることが無くなった休日の夜にむずむずと来たものをちゃちゃっと慰めたりもしたけれど、特に北川の体が恋しいというわけでもなかった。いや、これは嘘か。一時的にではあるが、北川の体を思い出して、股の間を濡らした。けれど、一旦自分でそれを慰めてしまうと、湿っぽい感情や欲望は夏の通り雨のように消え去った。アスファルトもあっという間に乾いてしまう。そして恋しさに負けて北川を家に呼んだりしなくてよかったと安堵するのだ。
そんな生活が2週間を過ぎようという休日、ようやく心配したように北川から電話がかかってきた。家で新しいスパイスカレーのメニューを試しているときだった。
「お久しぶりです」
「あ、久しぶり。ごめんね、連絡してなくて。そんで、ちょっと待って。いまカレー作ってて、火、止めるから」
「はい…………」
「……ごめん、お待たせ。どうした?」
672
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:01:16
「いや、何となく。ずっと連絡してなかったので、元気だったかなと思って」
「私は元気だよ。北川も風邪は治った?」
「はい。もうとっくに。あの……あの日、せっかく看病してくれようとしたのに、無理に帰してしまってすみませんでした」
「看病? あぁ、あの北川が熱出した日の夜ね。でも、風邪が移ったら仕事にも結構支障出ただろうし、北川の気づかいだったと思ってるけど」
「そうですか。それなら良かったです。ちょっと心残りだったので」
「そんな気にしなくて大丈夫だよー」
「カレー、作ってるんですか?」
「そう。懲りずにまたスパイスカレー」
「あの、その、食べに行ってもいいですか?」
「えっと、ごめん。今日は1人分しか作ってなくて。実験的に作ってみてる感じなんだ。失敗した場合に被害が最小限になるように少な目で作ってて」
「そうですか。それは残念です」
「うん、こちらこそごめんね」
「あの、加賀さんの送別会の日程が決まりまして。再来週の日曜日、午後3時からです。石田さんも来られますか?」
「再来週の日曜ね。たぶん大丈夫だよ。てか、私がお邪魔しちゃっていいのかな?」
「私も呼ばれてますし、加賀さんからのご指名です。むしろ来ない方ががっかりされちゃいますよ。あ、でも、石田さんの知らない方もいらっしゃるみたいです。ママと道重さんのお知り合いの方で、アメリカから帰国してくるみたいです」
「そうなんだ。人見知りしないよう気をつけないと」
「じゃあ、その、一応そういうことでよろしくお願いします」
「おっけー。連絡ありがとね」
「はい……あの、最後に。石田さん、体調は本当に大丈夫ですか? ママも道重さんも心配されてましたよ」
「あ、ごめんね。仕事が忙しくて、なかなかバーに顔出せなくてさ。送別会までにまた行けそうなタイミングで行かせていただきます」
「お仕事、忙しいんですね。あんまり無理しないでくださいね。またバーで皆で待ってます」
そのようにして電話が切れた。電話が切れた後、私は冷えつつある鍋の中のカレーを見下ろし、しばらく何もできなかった。スマホを台所に置き、そのままその場で座り込む。熱気を含んだ溜息を吐くと、じわりと視界の端辺りから潤んでいく。涙が零れ落ちる前にトレーナーの袖で目元を拭い、台所の戸棚にもたれかかりながらしばらく換気扇の回る音に耳を澄ませていた。
自分でも北川に対して少し冷たく当たってしまったことはわかっている。たとえカレーを1人分しか作ってなかったと言えども、それを半分ずつに分けてもよかった。北川をウチに招くことを拒む理由にはならない。私は、ただ……そう、ただ疲れていた。頭の中にはまだ糸くずのようなものがぎっしり詰まっていて、どうにもこうにも手が付けられないでいる。掃除ができないまま部屋は少しずつ汚くなっていく。毎日仕事に追われていることを言い訳にして。
673
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:01:47
「私の何が……」
全てが面倒になって、私は作りかけのカレーを放置したまま、ベッドの中に潜り込み、カーテンを引いて目をつぶった。もう何も考えたくなかったのに、同じ問ばかりが頭を埋め尽くしていた。
桜の花弁がまるで雪のように降っている。10センチ以上も積もって、裸足の私は踝まで埋もれるその感触を楽しむ。ふかふかとしたそこに横になり、体ごと埋める。内股を撫ぜる花弁の感触が心地良く、そして私は服を着ていないことに気づく。空を仰げば、そこは微かに桜色に霞みがかっているが、それでも綺麗な晴れ空が広がっている。私は1人きりだったけれど、胸の奥底から幸福感が湧き上がって来て、花弁の素敵な香りとともに息として吸い込む。この幸福感を誰かと分かち合いたい。そう思うと、隣には楓君がいた。ここは桜の夢なのに、と遠いどこかで誰かが皮肉を言う。私は心の内で、無粋だぞ、と批判を零す。楓君に笑いかけると、声も出さずに大きな口を開けていつもの笑顔を見せてくれる。
カチャリと何か金属音が鳴った。すると桜色の洪水は水銀のように冷たく重い液体に変わった。私はその湖をするすると泳いでいく。楓君は水銀に飲み込まれてしまい、振り返るとずっと深い水底へ向かって静かに落ちていった。楓君は私に助けを求める風でもなく、全てを受け入れるように沈んでいく。私も楓君についていこうとするのだけれど、意思に反して私は水銀の湖を反対側へと泳ぎ続けていく。まるで生存本能に則られているように。どうにか楓君とともに沈んでいきたいと思う。けれど、シナプスが繋がらない。筋肉は自動化された生存本能に従って、意思とは別の行動を為していく。北川はどこにいるのだろう。道重さんは。譜久村さんは。水銀の水面から顔を上げると、頭上には濁った星空が広がっていた。美しいのかどうかもわからない銀色の空をぼんやりと見上げ、途方もない孤独感に締め付けられる。バタンと重く、暴力的な音が宇宙を鳴らした。
どれくらい眠ったかわからない。苦みを含んだ夢の途中で私に忍び寄る何かを感じた。何かの気配が私の眠りを妨げようとしている。夢の中で私は必死に抗い、また深い眠りへと落ちていこうとする。しかし何かが私の生存本能に警鐘を鳴らしている。これは夢ではないぞ、と力強く鐘を打ち鳴らしている。
「きゃ! 誰!!?」
無理やり巨大な電源スイッチを切り替えたみたいに、バチンという音が脳内で弾け、猫のように飛び上がる。覚醒しきっていない脳味噌で、何とか視覚情報に意味づけを試みる。ぼやけていた視界がクリアになっていくにしたがって、そこにいる何者かの存在が明らかになっていく。
「北川、なんで……」
状況が飲み込めない。ここはどこ、今はいつ、私はだれ……いや、私は石田亜佑美でしょ。記憶喪失じゃないんだから。と、こんなときにもくだらない冗談が浮かんで来るということは、私は石田亜佑美に間違いなかった。しかし、それ以外のことはさっぱり訳がわからない。なぜ北川が寝起きの私の目の前にいるのだ。あれ、私は北川の家で寝ていたんだっけ、いや、そんなことはないはずだ。
「石田さん、すみません。合鍵勝手に使って入って来ちゃいました」
「あ、あ、あ、合鍵。そうか、合鍵、ね」
「石田さん」
674
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:02:22
北川は私の名前を呼ぶと、目元を潤ませながら両腕を開いた。そして私の方に倒れて来る。私はベッドの上に座りながら北川を抱き止めた。久しぶりの温かく、柔らかな感触に心の奥底で硬く強張っていたものが溶けていく感覚がある。失恋の痛み、好きな相手が遠くへ消えていく喪失感、現実逃避のために走り続けて疲れ切った身体。水銀を飲み込んだような胃の重たさ。冷え切って滞った血流。そういったものが熱いトーストの上のバターのようにじんわりと溶けていく。そうか、私はただ北川と抱き合えばよかったんだ、とこの時になって気づいた。部屋は薄暗く、カーテンの隙間からは夕陽の明かりが零れている。静かで、喉が渇いていて、そして北川の髪についたシャンプーの匂い。北川と接している部分はより汗ばみ、うなじの辺りなどは寝汗が少しずつ冷えていく。
「急に押しかけてすみません」
北川は私の左肩に顎を乗せながら言う。驚いた拍子に高まった心拍数は健在だったがしかし、北川を責める気にはなれず、ただ「ううん。私もごめん」と意味も分からず謝っていた。
「石田さん、全然連絡くれないし。やっぱりあの日、無理やり帰してしまったのは失礼だったと思って、すごい後悔……じゃない、すごい反省して」
「ううん。電話でも言ったけど、別に気にしてないよ。私もさ、実を言うと、あの日ちょっと疲れてて、本当は帰りたかったの。それが伝わってしまって、北川に気を使わせちゃったのかなって。嫌な気分にさせちゃってたらどうしようって思ってた」
「嫌な気分になんかなってないです。いや、加賀さんのことで確かに嫌な気分にはなってたんですけど、それは石田さんのせいではないです」
「そっか。それならよかった。てか、本当にごめんね。私、めっちゃ自分勝手だったね」
「謝らないでください。自分勝手なのは私だってわかってるんです。せっかく看病に来てくれた石田さんを追い返すようなことをして。そればかりかこうして今度は無理やり押しかけたりして。自分でも本当に自分が嫌いになります」
「嫌いにならなくていいよ。ていうか、こうして無理やり来てくれて嬉しかった。さっきは電話で冷たくしちゃってごめんね。なんか、もう私も頭の中がいっぱいいっぱいで。何も考えられなくなってて」
「電話の事は大丈夫です。むしろ出てくれてよかったです。電話では体調は大丈夫って言ってましたけど、何となくいつもの石田さんじゃなかったから心配になっちゃって。それで押しかけてしまいました」
「ありがとね。あんな風に冷たくしたのに、来てくれて嬉しかった」
私が北川の背中を擦ると、北川は私の首筋に頬を擦りつけた。熱い液体が首を伝う。どうやら北川が私の首で涙を拭ったらしい。
「たった2週間離れていただけなのに、寂しかった」北川が掠れた声で言う。私は小さく頷き、同じ気持ちだったことを伝える。「最初は加賀さんのこともあったし、私も落ち込んでたんで、何となく石田さんと顔を合わせるのが億劫になってしまって。石田さんもきっと私と同じような気持ちだったのかなって考えると、石田さんがバーから距離を置いているのも何となくわかる気がしたんです。それでしばらく石田さんとは会えないだろうな、って。でも、そのうちに私は単純に石田さんに会えないのが辛くなっていました。たぶんバーに行っても、加賀さん含め皆がいつも通りに接してくれたからだと思います。そのおかげで私もいつも通りの気持ちになれたし、そうなったらやっぱり石田さんに会いたくなりました。もうあと2週間くらいで加賀さんはバーから去ってしまいます。それは事実ですし、私たちも忘れているわけではありません。でも、だからこそ、最後まで私たちはいつも通り、あのバーで素敵な時間を過ごしたいんです。そして、そこにはやっぱり石田さんもいて欲しい。そのことを伝えたくて、私は石田さんに会いに来たんです」
675
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:03:02
いつの間にか北川は私の首元から離れ、正面で見つめ合っていた。瞳は潤んでいたけれど、表情はどこか晴れやかで私に微笑みかけている。
「石田さんの気持ちはすべてわかるとは言えません。でも、いま石田さんが抱えている苦しみのほとんどは、きっとあのバーに行くことで小さくなると思うんです。今夜、一緒に行きましょう」
「そうね。わかった、行こう」
*
バー・ムーン・フラワーからの帰り道。北川は少し残って後片付けやら諸々の事務作業をしていくとのことだったので、私は先にお暇した。道重さんも私と同じタイミングで席を立ち、灯の落ちた商店街を並んで歩く。
「かえでぃーがいなくなっちゃうのは寂しいよね」赤らんだ顔で道重さんが言う。私はそうですね、と頷く。「別れは確かに寂しい事だと思うの。なんだかんだ私はフクちゃんなんかともこうして長く続いていたりするから、人との別れっていうのはあまり経験していない方かもしれない。それでもね、高校生とか大学生の頃かな。本当に大切な人たちと離ればなれになったことがあったの。1人は唐突に目の前から姿を消したし、もう1人はお互いに引き止め合うこともできずに次第に離れていった。そしてそれから何年も連絡も取り合わなかった。生きているかどうかさえ知らないという状態だったの。その2人と別れてからはだいぶ孤独な日々を送った。すべてがどうでもよく思えたんだ。でもね、フクちゃんとかその友達……今度、かえでぃーの送別会に来てくれる子とかなんだけどね。その子たちが打ちひしがれている私と、その離ればなれになった大切な人たちとを再会させてくれたんだ。まぁ、色々とあった仲だからちょっと気まずい部分もまだ残ってるんだけどね。でも、なんだかんだ嬉しいものなの。そうやって会いたかった人に会えるというのは。そして、離ればなれになったときよりも、私たちは大人になっているし、少しはちゃんと向き合って話せるようになってきたと思う。だから、人と人の関係ってのはどうなるかわからないものと思うと同時に、ちゃんと向き合って手間をかければどうにでもできるものなんだと思うの。どんな酷い別れ方をしても、思いが残っていれば、何かのきっかけで私たちみたいに関係性の糸を手繰り寄せられるかもしれない」
私はまだよく知らない道重さんの過去の話を漠然と思い浮かべながら楓君のことを考えていた。今日は北川に誘われてバー・ムーン・フラワーに行って良かった。最初はどんな顔をしていいのかわからなかったけれど、皆が温かく迎え入れてくれた。しばらく顔を出していなかった事情を深く聞かれるようなこともなく、「仕事が忙しかった」というどうしようもない言い訳ですら「そういうこともあるよね。お疲れさま」と優しい言葉をかけてくれた。そのおかげもあって、私はいつものように皆と話すことができたと思う。
道重さんが言うように、ちゃんと向き合うことが何よりも重要だったと、そう感じている。あのまま最後の日まで楓君を避け続けていたら、きっと私の中には何かモヤモヤとしたものが残り続けただろうし、それこそもう二度と楓君とは会えなくなってしまっただろう。もちろん私は楓君のせいで失恋を経験していたし、楓君と会うということは失恋の痛手を思い出すことにほかならない。それでも、どんな事情があろうとも会いたい人に会うというのは大切なことだ。楓君だけでなく、北川とも。あのまま失恋の痛みや気まずさのようなものに流されてしまっていたら、私は楓君も北川も失ってしまったかもしれない。当然ながら譜久村さんや道重さんのことも。そうならなかったのは北川が声をかけてくれたからだし、強張った表情で久々にバー・ムーン・フラワーに顔を出した私をいつもの調子で受け止めてくれた皆のおかげでもある。今日出会った全ての人に私は改めて感謝の念を送る。
商店街の手前の交差点で道重さんと別れ、私はまた長い坂を登る。酔っ払った頬を撫ぜるように坂の下から夜風が吹き上がってくる。ふと振り返ると、街の上に青白く輝く大きな月が見えた。あの月の形はなんて言うんだっけ。理科の授業ちゃんと聞いとけばよかったな。
676
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:03:48
*
北川と私のちんちくりん2人組でバー・ムーン・フラワーの扉を開けると、楓君がいつもの制服に「今日の主役」と書かれたタスキを肩から掛け、不服そうな面持ちでカウンターチェアに座っていた。対照的に譜久村さんは美しい紫色のドレスを着てカウンターの中で「いらっしゃい」と嬉しそうに笑っている。
「あ、私たちが1番乗りですね」北川が少し驚いたように言う。
「北は、今日は私と一緒にホストだからね。あゆみちゃんには早く来てもらっちゃって申し訳ないけど」譜久村さんが「ごめんね」と軽く頭を下げる。
私は「いえいえ」と仰々しく答え、「それにしても今日はお天気良いですね〜」とどうでもいい話を振ってみる。すると察し良く、というか本心からだろうが、楓君が「あの、コレについて触れてもらってもいいですか」と眉間に皺を寄せながら、タスキを指で引っ張り上げた。
「いやぁ、ちょっと私じゃあそれは処理しきれないかなと思って」
「北川、コレ、どう思う?」楓君がいつになくぶっきらぼうに言う。北川は一瞬困った顔を見せたが、すぐににっこりと笑い「似合ってますよ」とだけ答え、すぐにカウンターの中に向かって支度を始めた。
私は楓君の隣の椅子に腰を掛け、改めて楓君の有様を眺めてみる。
「かえでぃーには申し訳ないけど、それは道重さんでも処理しきれないと思うよ。それにしてもいくら自分の送別会だからって、浮かれ過ぎじゃない?」
「自分でやるわけないじゃないですか! ママに掛けさせられたんですよ!」
「だって、かえでぃーが物欲しそうな顔をしてるんだもん」と、譜久村さんがいつになく甘えたような声音で言い訳をする。やれやれ、といった感じで楓君は首を振ると、「道重さんも絶対面白がって助けてくれないもんなぁ」と小さく溜息をついた。
北川がバーの奥で制服に着替えている間に私は手土産で持って来たスパイスカレーのタッパーを譜久村さんに渡す。楓君のタスキに注意を奪われていたせいで、すっかり渡すことを忘れてしまっていた。譜久村さんと楓君は感嘆の声を上げて、さっそくタッパーの蓋を取ると、スプーンで一口掬い上げた。2人とも「本格的!」とか「お金取れますよ!」とか嬉しいことを言ってくれるので、私もまんざらでない気分になる。鼻の下を人差指で擦るようなベタな仕草までかましてしまっていると、戻って来た北川が何故か自分の事のように自慢げだった。「これが石田さんのカレーです!」とドヤ顔で言うので、譜久村さんからも楓君からも北川が作ったわけじゃないでしょ、とツッコまれる始末だ。
「じゃあ北、カレー、冷蔵庫に入れといてもらえる?」と譜久村さんが北川にタッパーを手渡す。「はーい」と嬉しそうに自慢のカレーを受け取る北川を呼び止めて、私は家で炊いてきたタイ米の入ったタッパーも一緒に冷蔵庫で保管してもらうように言う。「準備いいですね」と楓君に褒めてもらって私はまた嬉しくなるが、やっぱり同時に「今日が最後か」と少し悲しい気持ちになってしまう。そんな私の微妙な表情の変化を察してか、譜久村さんが「そろそろ道重さんも来そうな時間だね」と気を逸らしてくれた。
677
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:04:25
程なくして譜久村さんの言った通り道重さんが現れる。現れるなり、「それわかりやすくていいね! そういうのでも付けないと、いつもの主役のさゆみが注目されちゃうもんね!」と軽快に言ってのける。楓君は「さすがです。道重さん。私は道重さんならやってくれると信じてました」と泣き崩れるが、道重さんは「え、なんで泣いてるの。てか、さゆみにツッコんでよ」と逆に戸惑っていた。それにしても、楓君ったら。さっきは全然道重さんを信用していなかったのに。譜久村さんも道重さんの対応に満足したのか、「まぁ、道重さん以上に上手い対応はないだろうからね。もう勘弁してあげるよ」と楓君からタスキを取り上げる。タスキから解放された楓君は映画「〇〇の空に」みたいに両手を広げ、天を仰ぎ、自由を喜んでいた。
道重さんは暗緑色を一色だけ使ったワンピースを着ていた。光沢のある柔らかそうな生地やシルエット、そしてタックの使い方で魅せる、まるで衣装みたいな上品なお召し物。冗談っぽく「いつもの主役」なんて言っていたが、確かにその着こなしを見ると、いつも何かしらの主役を務めているんじゃないかと思いたくもなる。この格好であの商店街を通って来たのが信じられない。黒塗りのリムジンでやって来たんじゃないと、物語の辻褄が合わなくなってしまうような気がした。
「それじゃあ、皆さんお揃いで」と譜久村さんが言う。
「あれ、リホリホは来ないの?」と道重さんが驚いたように返す。
「リホちゃんは夕方に来るそうです。まぁ、まずはいつもの常連さんで楽しく飲みましょう。今日は私がお酒作りますから」
そう言えば譜久村さんにお酒を作ってもらうのは初めてだった。楓君が来る前は譜久村さんがカウンターに立っていたことは話には聞いていたが。
譜久村さんは細長いシャンパングラスに、手際良くキール・ロワイヤルを作ってくれた。血のように深く赤い色合いに、光るような泡が泳いでいる。「かえでぃーの新たなる門出を祝して!」、「乾杯!」と声を合わせ、キンとグラスが心地良い音を立てた。会社の送別会みたいでお洒落なバー・ムーン・フラワーにはちょっと不釣り合いな感じでもあったけれど、これはこれでなかなか良いものだった。仲間内で楽しくやっているという親密な空気で満たされていた。
私たちはみんなお昼ご飯を食べて来ていなかったけれど、譜久村さんが簡単なコースのような料理を用意してくれていた。サラダやローストビーフはどれも新鮮味があって美味しく、中でもタラの香草焼きは絶品だった。楓君は堪らず、「ウイスキーいっていいですか」と恐る恐るといった感じで手を上げて言う。譜久村さんと道重さんに背中を押されて北川が作ることになった。と言っても、楓君はロックで飲むようだったので、冷えたグラスと氷とマドラーがあれば問題なく作ることができる。楓君は「どれにしようかな」と少し悩む素振りを見せたが、それが運の尽き。道重さんに「北川が選んであげるんだよね?」と隙を突かれてしまう。北川は「うーん。この香草焼きに合うお酒ですからね〜」とお酒の事なんてほとんど知らないくせに迷う素振りを見せ、最終的に水色のマットな手触りが非常に目立つボトルを選んだ。
「ちゃんとウイスキーを選んでくれただけでもありがたいのに、香草焼きに合うノンピートのアイラモルトを選ぶとはなかなかやるな」と楓君もその選択に喜んでいるようだった。「ブルイックラディは原料の大麦をアイラ島で作っているし、着色もしていないし、冷却濾過もしていないんだよ。そういう透明性があって、すごい誠実なウイスキーなんだ」
ウイスキーが飲みたいというよりは、ウイスキーについて喋りたいんでしょ。私がそう言うと、楓君は苦笑いを浮かべて、「そうかもしれないですね」と頭を掻いた。
678
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:05:05
食事と会話を楽しんでいる間、楓君はずっと笑顔を絶やさなかった。主役のタスキも外して、いつもと違って客の私たちと同じ目線で喋っている。これまでの思い出話……中には私の知らない話もたくさんあったけれど、楓君がここで過ごして来た時間に思いを馳せるのは素敵なことだった。
「商店街を一人で歩いているかえでぃーを見てね、何となく声をかけてみたんだよね」と譜久村さんは言う。「その頃は私もそろそろお店を誰かに任せたかったから、誠実そうな人を探しててね。でも、私より年上の人は雇いにくいし、雇うからにはしっかりと仕事ができる人じゃないといけなかったし。何となくホームページで応募したり、お客さんからの紹介を待ってみたりしたんだけど、あんまりピンと来る人がいなくてね。でも、野菜の沢山入ったスーパーの袋を手に提げて、ふと古本屋の前で立ち止まったかえでぃーを見て、『この子かもしれない』って。ちゃんと料理もできて、本を読んでいて、好奇心に突き動かされて立ち止まる感じが良かったね」
「そんな風にちゃんと考えて声を掛けて来てくださったんですね。今日まで知らなかったです」楓君は驚いたように言う。
「顔採用かと思ってた」と道重さんも茶化すように言う。
「確かに、顔もタイプでしたけどね。でも、見立ては間違っていなかったな。かえでぃーに来てもらって、お店もだいぶ繁盛するようになったし。ありがとね、かえでぃー」
「いえいえ、こちらこそ。フラフラしてるところを雇ってもらって感謝しかないです。大学にもあまり馴染めなくて、バイトもただの日銭稼ぎでしかなかったし、色々とやりたいことがあってこっちにまで出て来たのに、あの頃は何もできていませんでしたから。ここで働かせていただくようになってから、自分の中の世界も広がって、何て言うか求めていたものが少しずつ手の中に入って来るような感覚がありました」
「ウィン・ウィンなら良かったよ」
「ねぇ、その手の中に入って来たものの中にはさゆみもいたんでしょ?」
「もちろん。北川や石田さんも」
「ダメ。さゆみだけって言って」
楓君の言葉に私は思わず涙ぐんでしまう。でも、私の方に視線を向ける人はいない。そっと微笑みを浮かべ、瞬きで涙が零れないように目を開いて涙を乾かした。
これまで楓君が私のどういうところに価値を見出してくれているのかははっきりとはわからないままだった。聞いてみたかったけれど、どうせ社交辞令だろうしと自分の欲望の籠からは取り出してしまっていた。けれど、こうして繰り返し私を認めてくれるような言葉を聞くと、それがおそらくは本心から来ているものであると思わされてしまう。そして、さっきの話から何となく楓君が私のことを「毎日を誠実に生きている」と評してくれた理由みたいなのがわかった気がした。きっとこのバーで働く前の彼は何とも言えない焦燥感のようなものに駆られて生きていたのだろう。地元に残して来た幼馴染に見合うような人間になりたいと考えながらも、どうして良いのかわからず、日々を怠惰に生きるしかない。そしてその感覚が抜けないまま、バーで夜の世界に身を置くことになる。そんな楓君にとって、私の特筆すべきことのない普通の日常が輝いて見えたということだろう。昼と夜が互いに惹かれ合ったというだけに過ぎない。そう考えると何か私たちがちっぽけな存在のように思えたけれど、とても腑に落ちた。
679
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:05:51
「じゃあじゃあ、ママにずっと聞いてみたかったんですけど」北川がきゃぴきゃぴと譜久村さんに話しかける。「私からも加賀さんのような何か煌めくものを感じたってことですか?」
「そうね。北もまぁ、真面目そうだなぁと思ったよ」
「真面目なだけですか?」
「正直、あの頃はかえでぃーがそろそろ地元に帰りそうだなぁと思ってたから、真面目なら誰でも良くって」
「えぇ! 酷いです!」
「でも、北川ちゃんも顔は良いから。ぶっちゃけ、顔採用でしょ」道重さんがフォローになっているのかよくわからない言葉を掛けるが、北川は無邪気に「顔採用! やった!」と喜んでいる。
けれど、譜久村さんが北川に声を掛けた理由も何となくわかる気がした。北川もまた商店街で譜久村さんに声を掛けられたと聞いていたけれど、私もまた道端で彼女を拾ったのだった。そして、こう言っては何だが、楓君も北川もどこか寂しそうな表情をすることがあって、それが何故か胸の奥に突き刺さって来るのだ。世の中には寂しさを抱えながら生きている人たちが沢山いるけれど、楓君と北川の孤独の色はどこか似ている印象があった。そして、それらを包み込む優しさを譜久村さんや、そして道重さんから感じることが多かった。私は自分がどんな色をしているかわからないけれど、楓君や北川と一緒にいるとよく馴染むような感覚があったし、譜久村さんや道重さんといるととても安心できて落ち着いた。そういう意味では、私たちはきっと正しい場所にいるんだと思う。
楓君が抜けて形は変わるだろうけれど、それでも私たちが共有している言葉にできないものはきっと無くならない。確かめ、実感することは少なくなるだろう。でも、かつて縄文時代や弥生時代があったという歴史のように、私たちの繋がりは未来永劫無くならない。
食べるものを食べ終え、一旦お水を飲みながら北川にお皿を洗って貰っていると、お店のドアが開いて派手な髪をした女性が入って来た。「田中さん」や「れいな」と呼ばれた彼女は事前に話を聞いていたところによると、このバーの上で美容室を営んでいる人らしい。道重さんとは同い年で、色々とあったらしいが、高校からの同級生ということだった。バーの営業日には滅多に来ないから、私はまだ会ったことがなかった。北川は何度か会ったこともあるらしいが、まだそこまで親しくはないらしい。
「どうも、田中れいなです。いつもさゆがお世話になっております」
「いやいや、こちらこそ。石田亜佑美と申します。ウチの北川が何度かお世話になっているそうで」
かしこまったやり取りはそれくらいで、すぐに道重さんからの紹介で、田中さんからも「石田」呼びされることになった。それからは博多弁バリバリで、「しっかりしとぉね〜」とか褒めてくれた。お腹を空かせた田中さんに、北川が私のスパイスカレーを振舞うと子供のようにとても喜んでくれて、「お店始めた方がいいっちゃない?」と絶賛してくれた。
田中さんが来てからもしばらく談笑が続いたが、それから1時間もしないうちに次の来客があった。大きなギターケースを担いで、もぞもぞと動き辛そうにバーのドアから這い出てくるような挙動を示す女性。長くさらさらとした髪は亜麻色に染められ、それを振り乱すように歩いているので、ロングスカートが翻りそうだった。と、伏せられた顔を確認するよりも先に、その女性はどこで躓いたかもわからないまま、足元から崩れ落ちる。ビタっと床に突っ伏し、まるで土下座をしているような体勢になった。そして、その一連の転倒の動作が何か私の遠い記憶を呼び覚まそうとしている。
680
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:06:34
「わぁっ! リホリホ、大丈夫!?」道重さんが一番に駆け寄る。譜久村さんも田中さんも一瞬、ぎょっと驚きを見せたが、すぐに大きな笑い声に変わった。
「い、いつものことなんで大丈夫です」ギターケースを背負ったまま転んだ女性は立ち上がり、見覚えのあるその顔を見せる。
「え!? 鞘師さん!?」
「あ、あゆみん!? なんでここに!?」
鞘師さんは大学時代のダンスサークルの先輩だった。在学中にアメリカへ留学し、それ以来、ちゃんと連絡も取って来なかった彼女がいったいどうしてここに……理由はわからなかったが、道重さんたちの話の端々で確かに「リホ」という名前は聞いていたので、これが何か私を驚かせるために仕組まれたドッキリのようなものではないことは理解できた。
「え、リホリホと石田は知り合いなの?」道重さんが驚いたように訪ねて来る。鞘師さんは膝頭の痛みを紛らわせるので忙しかったようなので私たちの関係性を簡単に説明した。サークルの中で一番尊敬している人だったんです。「なるほどねぇ。それにしても世間は狭いねぇ」
「でも、そのギター、どうしたんですか?」私は鞘師さんが背負っているギターケースを指差して尋ねてみる。そして、その問いには譜久村さんが答える。
「リホちゃんはね、こう見えてギターがプロ級に上手いんだよ。ていうか、またギター弾けること隠してたの?」
「隠してたわけじゃないよ。たまたま言うきっかけがなかっただけ」
「リホちゃん、中学から一緒なのに、ずっとギター弾けること黙ってて。私にも高校生になるまで教えてくれなかったんだよ。それにギターのことを教えてくれたのも、道重さんのおかげだったし」譜久村さんは頬を膨らませて怒ったような表情を浮かべて言う。
「譜久村さんは鞘師さんと中学生からの知り合いだったんですか? ってか、道重さんも鞘師さんが中高生の頃から知り合いだったってことですか?」私は思わずびっくりしてしまう。顎が外れそうだ。
「私たちにも色々あったのさ」道重さんが感慨深そうに言うと、なぜか田中さんも頷きながら遠い目を天井に向けた。私と北川、それから楓君だけが事情をよく理解しないまま、互いに視線を交わし合う。
「さて。リホちゃんも来たことだし、さっそく送別会のメインイベントの鞘師里保ワンマンリサイタルを始めますか!」
譜久村さんの言葉に、道重さんと田中さんが「いよっ! 待ってました!」と声を張り上げる。北川は事前に仰せつかっていたのか店の奥のテーブルを除けたスペースに一脚のスツールをセッティングした。鞘師さんはさっきのどんくさい転倒などすっかり忘れてしまったかのように、手際良くギターケースからアコースティックギターを取り出し、スツールに腰掛けてチューニングを始める。チューニングをしている間に、道重さんは「リホリホの演奏聴くのなんて何年振りだろ?」と譜久村さんに喋りかけていた。「1年くらい前にここでまーちゃんと一緒にセッションしてましたよね」と返され、「あ、そっか」と腑に落ちた頷きを見せる。なるほど。たまにこのバーでも演奏をしているのか。さり気なく楓君の方を見ると、彼もまた鞘師さんの演奏を楽しみにしているようだった。おそらく過去に何度かは演奏を聴いたことがあるのだろう。
「ごほん」チューニングを終えた鞘師さんが咳ばらいをすると、小さな談笑はすぐに鳴り止む。コンサートの前の静けさがバーの中を一瞬で満たしていく。「えー。遅れてやって来て、来た瞬間にすっ転んで、そして早速こうして演奏させていただくことになり、大変恐縮です……そして、何でこの場にあゆみんがいるのかは謎なんですが、でも今はひとまず楓君の新たな門出を祝って、何曲か演奏させていただきます。まずは多分みんなが知っている曲から。『人生のメリーゴーランド』」
681
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:07:10
鞘師さんの指は意外にもしなやかで長く美しく、喜びに満ちて弦の上を飛び回る。そう言えば鞘師さんは踊っているときから、指の先まで美しかった。どれだけ私が指の先に神経を研ぎ澄ませても、鞘師さんと同じ美しさは終ぞ得ることはできなかった。弾かれた弦は命を宿したように音を生み出し、そして反響した木の音がピリピリと空間を震わせていく。とてもシンプルな音の組合せのはずだったが、鞘師さんの指、その皮膚や爪、あるいは筋肉の躍動、それからギター全体の有機的な鳴りが何とも言えないオーラを纏っている。これまでダンスなどを通して様々な「音」に触れてきたが、ここまで生々しい音は初めてという気がした。こんな近くで、こんなささやかな空間で、生の楽器演奏を聴くのが初めてなのだから当たり前なのかもしれない。でも、当たり前を超えて、それは全く以って想像以上の体験だった。
1曲が終わると拍手が鳴り響き、鞘師さんは座ったまますっと礼をする。さっき転んでいた人とは同一人物とは思えないほど、凛とした立ち振る舞いだった。次に演奏されたのは『odeon』という楽曲で、どこかで聴いたことあるような、妖艶な雰囲気があった。中南米のちょっと上品なバーやクラブ、そして蒸し暑い夜を思わせる。北川と出会ったばかりの頃を思い出した。私は高価なウイスキーの匂いをプンプンさせながら、北川と腕を組み、バーからの蒸し暑い夜道を歩いた。そして私の家に帰ってからは、淫らに交じり合う。また拍手と一礼があり、次の曲は『Felicidade』。心地良い風と傾いた陽射し。青い空には刷毛で描いたような薄い雲がかかっている。そんな平和な世界で私たちは遠くまでドライブデートをしている。楓君を思い出した。
鞘師さんのギターの音にはきっちりとした芯があった。私はダンスのことしかわからないけれど、言わば体幹のようなものがしっかりと鍛えられている印象で、一つひとつがとても基礎に忠実な印象を受けた。おそらく相当に訓練されたものなのだろう。けれど、それ以上に凄いのは、その多彩な音と温かみだった。何となくだけれど、アメリカ留学を含めて、様々な人生経験をしたからこそ辿り着いた音という印象がある。たぶん、その一つの要素にはダンスを通して得られたものもあるのだろう。さっきの話だと、鞘師さんは中学生よりも前からギターをしていたということだった。対して、鞘師さんは本格的にダンスをしたのは大学生からと昔に言っていた。もしかしたらギターの世界で行き詰ったものをダンスで昇華させたかったのかもしれない。そう考えると、鞘師さんの情熱的なダンスの片鱗もこのギターの音から感じられる。基本的には温かく穏やかだが、時折、熱風のようにもなる鞘師さんのギターの音。この温度感はダンスから来たものか。それとも元々鞘師さんのギターにはそういう要素があって、それがダンスにも表れていただけか。その辺の事情までは汲み取れなかったけれど、とにかく言えることは、私は鞘師さんのこのギターの音が大好きだということだけだ。
鞘師さんによるリサイタルが終わり、バーの中が大きな拍手の音で包まれた。拍手の中で鞘師さんは改めてお辞儀をして、それから「かえでぃー卒業おめでとう!」と声をかける。拍手はそのまま楓君の方に向けられ、彼は照れたように笑顔を見せていた。
それから鞘師さんを含めて宴会が再開される。鞘師さんにも私のスパイスカレーが振舞われ、「また腕上げたね〜」と褒めてもらう。そう言えば、大学生のときもダンスサークルにカレーの差し入れをしていたっけ。
682
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:07:49
「鞘師さんはかえでぃーとどういう関係なんですか?」ようやく鞘師さんとゆっくり喋られるようになったので、さっそく私は尋ねてみた。
「かえでぃーとはバーテンダーとお客さんって関係で、元を質せば、フクちゃんと同級生ってところかな。道重さんとも昔からの知り合いだったし。それでこのバーには前からよく来てたんだけど、そこにかえでぃーが新しいバーテンダーとして雇われたって感じ。ていうか私からしたら、何であゆみんがここにいるの!?って感じだよ」
「私はそこにいる北川の知り合い、っていうか友達で。たまたま北川がここのバーで働き始めたんで、私も通うようになったんです。そしたら、道重さんがとても良くしてくれて」
「道重さん、可愛い子に目がないからね〜」
「なに〜さゆみの話? さゆみが一番好きなのはリホリホだよ〜」
鞘師さんに抱き着こうとする道重さんはもはやただの酔っ払いという感じだったが、そのあやすような絡み方を見ていると、幼い感じの子が好きなんだなということがよく伝わって来る。鞘師さんは生粋の童顔だったし、そんな鞘師さんを溺愛する道重さんの趣味もわかりやすかった。
それにしても、鞘師さんと道重さんはどのようにして知り合ったのか。何となくその辺の事情を遠ざけられたような気がして質問しそびれてしまった。まぁ、今日は楓君が主役の日だし、それは追々聞いてみよう。周りとの会話を聞いていると、今までずっとアメリカと日本を行ったり来たりして忙しなかったようだが、これからしばらくは日本に腰を落ち着けるようだった。チャンスはいくらでもありそうだ。またこのバーに来ると言っているから、いずれまた顔を合わせることになるだろう。
いつものようにお酒が回ってからの夜は驚くほどに早く過ぎていく。時計の針は22時を回り、もうかれこれ6時間以上飲みっぱなしだなと思うが、もはや驚くという神経さえアルコールの沼の底だった。とは言え、今日はホスト役に徹している北川が上手く気を配り、お酒の量を調整しつつ、時折お水を出してくれるので誰も悪い酔い方をしている人はいなかった。誰かの話によく笑い、時には自分でも話を膨らませ、それでいてお酒周りのフォローも良くやっている。そんな北川を横目で見て、何だか自分の事のように誇らしかった。まだまだお酒の知識は楓君には及ばないものの、いずれ良いバーテンダーになるんだろうなと思った。
それから程なくして、新しい来客があった。みんな驚いてドアの方を振り返ったが、一番驚いたのは間違いなく私だ。悲鳴に近い声を上げたので、ドアの方を向いていた全員がまた私の方に振り返ったくらいだ。
彼女の存在はずっと頭の片隅に引っかかっていた。もともと苦い失恋の思い出として忘れようと努めていたが忘れられず、それがこの間の楓君との会話の中で出て来てからまたずっと気になっていたのだ。これがあの私の初恋を踏み躙った憎き佐藤優樹。そして、これが世間から注目される新進気鋭のアーティスト佐藤優樹か。そんな彼女がこの場にいるということが信じられなかった。
「かっちゃん! 会いに来たよー」
「うわぁっ、佐藤さん! う、嬉しいですけど、そんなに私たち仲良くないですよね!? それに私は男ですけど!」
あまり面識のない女性芸能人に抱き着かれて、慌てふためく楓君を見ているのは面白かったが、次の瞬間、その面白さも一瞬で吹っ飛んだ。
683
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:08:23
「ん? あれ? どこかで会ったことあるようなー」
天真爛漫な感じが全開過ぎて、どこかあの子供の姿をした名探偵のようなわざとらしささえ感じる。私は「き、気のせいですよ」と引き攣った顔で誤魔化してみるが、どうしてなのか彼女は記憶力に優れているらしく、ほぼ1回くらいしか会ったことのない私を思い出してしまった。
「あぁ! どぅーと仲良かった娘だ! なんでここにいるの!?」
「え、どぅーって工藤君のこと?」
「世間はほんとに狭いねぇ」
なぜか譜久村さんも鞘師さんも工藤君のことを知っていて、私は正直に諸々を白状しなくてはならなくなった。高校生の頃に工藤君と知り合い、同じ演劇部に所属していたこと。そして、工藤君と良い感じになって、一緒に部活の買い出しでデートっぽいことをしていたところに、この佐藤が現れて、工藤君とイチャイチャし出したこと。そして、そんな光景を目の前で見せつけられて私は逃げ帰り、初めての失恋に枕を濡らしたこと。
佐藤は「そうなの!? 知らなかったぁ。ごめんねー」と軽い感じで謝って来て、そして何故か私たちは仲直りの握手からハグ、そして肩を組んで一緒に酒を飲むことになった。炭酸の良く効いたハイボールを煽るように飲んだけれど、2人して胃の奥底から膨らみ上がって来る気体に胸を押さえる。何とか飲み下そうとして堪え切れずに「ぐえっ」と零れた瞬間、過去のことなど全て弾け去って、子供みたいな笑い声が私たちを包み込んだ。
それから佐藤は自分で持って来たアコースティックギターをケースから取り出し、鞘師さんを引っ張って店の角に行くと、誰もが知っている有名曲を歌った。鞘師さんも最初は少し困ったような表情を見せていたが、すぐに佐藤とうまくアンサンブルを合わせ、再び音楽がバーを満たした。それから佐藤は自分の持ち曲を数曲歌い、そしてまた有名曲を歌う。佐藤に煽られ、皆でスマホで歌詞を見ながら、合唱が始まる。途中、ソロパートを皆で回すことがあったが、田中さんが抜群に上手く、そして道重さんが抜群に下手だった。道重さんの歌を皆で囃し立てると、珍しく顔を真っ赤にして恥ずかしがるので、皆してまた囃し立てた。最後はまた佐藤が歌い、ただ上手いというところを超えて、何か魂を震わせるものが彼女にあることを再認識させられた。こういう人間がプロになるんだなぁと思う。
そんな風にして夜は更けていった。0時を回り、そろそろお開き。最後にフクちゃんから楓君に花束が贈呈され、そしてお礼の言葉が述べられた。
「かえでぃーがここで働いてくれたことに本当に感謝してる。売り上げはもちろんだけど、私もかえでぃーと一緒に働くことで沢山のことを学んだよ。これからもここはかえでぃーのもう一つの実家だと思っていいからね。いつでもまた『ママ』って呼びに戻って来てね」
譜久村さんも楓君も泣いていないのに、何故か私の涙腺が緩み、目の端を濡らしていると周りから総ツッコミを受けた。ダメだ、お酒のせいだ。
684
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:08:54
「こうしてここで長く働けたのは皆さんのおかげです」楓君が花束を抱きかかえながら晴れやかな表情で言う。「いつだってママには支えてもらいました。毎日のように道重さんにお会いできたことも支えでした。そして、田中さん、鞘師さん、佐藤さん。あんまり沢山はお会いする機会がなかったですけど、たまにお会いできた時にはとても刺激を受けました。石田さんと北川とはもっと長く一緒にいたかったです。本当にここで働けて良かった」
「また会おうね!」「また遊びに来てね!」「遊びに行くよ!」という声が飛び交う中、拍手喝采で楓君が送り出されていく。これでもう最後なんだ。それくらいのことしか考える間もなくバーのドアが開き、そして楓君が振り返って笑顔を見せる。それから次の瞬間、あっという間にドアは閉まってしまった。楓君の姿が消え、ドアが閉まったにもかかわらず拍手は止みそうになかった。が、次の瞬間、譜久村さんが走り出していった。私も追いかけようと思ったけれど、道重さんが「石田」と小さく声をかけてそれを制した。「二人で話したいことがあるだろうから」と道重さんはグラスの中の氷をかき混ぜながらほろ苦い笑顔を見せる。
北川が気を効かせて、人数分のお水を作ってくれた。私はお水の入ったコップを片手に鞘師さんの傍に近寄り、「また来てくださいね。色々とお話したいです」と喋りかける。
「もちろん、また会おう。それにしても、まさかこんなところであゆみんに会えるとはね」
「私もびっくりしましたよ」
「あ、そうだ。ちょっとお願いがあるんだけどさ」
「お願い?」
「うんと、まだ今ちょっと思いついただけだから、何とも言えないんだけどさ。今度、舞台やろうと思ってて。舞台って言っても、演技というよりは基本ダンスなんだけど」
「ミュージカル的なことですか?」
「ミュージカルともちょっと違うんだよなぁ。タンツテアターって言うのかな。まぁ、要はストーリーっていうよりは、ダンスがメインのステージってこと。そういうのやろうと思ってて。アメリカの友達も何人か手伝ってくれる予定なんだけど」
「なんか凄そうですね」
「もしよかったら、あゆみんも出てくれない?」
「え!? 私がですか!?」
「あゆみん、ダンスも演技も得意じゃん? まぁ、お仕事もあって大変だろうけど、小規模な演目だし、今回はちょうどアマチュアの人たちとやろうと思ってたんだ。それこそ、働きながらでも、こうやってダンスや演劇を楽しめるんですよっていうことを伝えたくて」
「いやぁ、もう私ほとんど体も動かしてないですし、厳しいと思うんですけど」
「まぁ、ちょっと考えてみるだけでいいからさ。返事はまだ急がないし」
「はぁ」
「ぜひ前向きに検討をお願いします」
私が当惑していると、鞘師さんの背後から何者かの影が飛び出して来て、鞘師さんはそのまま絡めとられてしまう。案の定というべきか、佐藤が鞘師さんをまた椅子から引きずり下ろし、またギターを抱えて歌い始めた。再び合唱が始まり、私たちは陽気な海賊団のように肩を組みながら歌う。少ししてから譜久村さんが戻って来て、瀟洒なドレスを纏った譜久村さんもまた私たちの輪に加わり、歌声が重なった。楓君の分まで私たちは歌う。今にも生まれてしまいそうな不在の隙間を埋めるように。
685
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:09:34
鞘師さんと佐藤が最後にまるでロックミュージシャンのようにギターをかき鳴らし、盛大な歓声が沸き起こる。私たちは声を枯らして胸の内の残滓を吐き出す。そのようにして「今日の主役」が帰った後の後夜祭の幕が下りた。田中さん、佐藤が二人で肩を組みながら帰っていく。道重さんもそんな二人を追うようにして帰っていく。鞘師さんは持って来たギターをしっかりと拭いて、弦を緩めてからケースに戻す。お酒のせいか少しフラつく足元を心配されながらも来た時のようにその小さい体にギターケースを背負って、帰っていく。譜久村さんと北川が食器やグラスを片付けている間、私はフロアの掃除を手伝った。ほんの10分前までの喧騒はどこかに消えて、洗い物の音だけが淡々と聞こえて来る。
私は手を動かしながら漠然と昼間の会話を思い出していた。楓君がこのお店に拾われた時の話だ。楓君は一人前になりたくてこっちの大学に進学したはずだった。地元に残して来た健気な幼馴染のために。けれど、楓君が言うには実際にはフラフラしていただけで、日々の生活に何の手応えも感じられなかったようだ。そんな中で譜久村さんに拾われて、バーテンダーとして働き始め、日々の生活に張り合いが生まれ、自分の成長にも繋がっていたようだった。そして、充分成長できたからか、彼は地元に帰っていった。そんな楓君があのデートの日、私のことを「誠実に生きている」と褒めてくれた。私からしたら、私の方こそただ目の前の事に流されるだけで何の目標も無く生きているだけの怠惰な人間だと思っていた。道を逸れることもせず、淡々と生きているだけ。そんな私からしたら、バーテンダーとして人生の酸いも甘いも知っていそうな楓君の方が輝いて見える。自分を成長させたいという生きる目標のようなものもある。そんな彼が私のいったいどんなところを評価してくれるというのか。それがずっとわからなかった。そして、もし楓君が私のどんなところを評価してくれるのか知ることができれば、逆説的に私は私の怠惰な日々に価値を見出せるかもしれない。そう思った。
結局その答は楓君の口から直接聞き出すことはできなかった。でも、楓君がこのバーに拾われた時の話を聞いて、少しだけその答が、断片的にだけれどわかった気もする。楓君は回り道せず、ただ真っ直ぐ敷かれたレールの上を走る私の生き方の方が「迷いがない」と感じたのだろう。確かに私は日々に対して何の疑問も持たずに、漫然と生きてきたのだ。迷いなんかせず。いや、もちろん失恋だとか挫折(私は怪我で陸上部を辞めている。そのおかげで演劇と出会ったりはしたが)だとかそういう経験はある。でも、悩み過ぎて身動きが取れなくなったということは無い。運良く周囲からの働き掛けもあったりして、私はほとんど立ち止まることなく生きて来たように思う。そんな人生を私はむしろ、「回り道もしないで」「面白みに欠けた」「淡白な」ものだと思っていた。けれど、こんな人生をきっと楓君は評価してくれたのだろう。そして、私からしたら漫然と生きているだけだった日々にも、意味や価値を見出してくれた。たまたま運良くのらりくらり生きて来られただけの私の人生の根底には、私の力強さや誠実さが存在しているのだろうと思ってくれた。それは様々なことに迷い、回り道をした楓君だからこそ気づけたものなのかもしれない。
北川と出会い、楓君と出会い、譜久村さんや道重さんと出会うまでは、私は自分の人生の空っぽさにも気づいてもいなかった。バー・ムーン・フラワーで私は人生の「彩」を知った。いや、もちろんバーだけではなく、北川の存在が何よりも大きかったのだけれど。「彩」を知ったからこそ、これまでの自分の人生が空っぽだとわかった。そのことを恥じたし、悔いもした。でも、楓君が「空っぽではない」と最後に教えてくれたのだ。私は私でちゃんと生きて来たし、それをもっと誇ってもいい。
気がついたら涙が流れていた。私は価値のない人間ではない。少なくともこの素晴らしい楓君の送別会の場にいることが許された人間だった。一緒に肩を組んで歌うことを許された人間だった。今日この場に集まった全員のことが私は好きになっていたし、それぞれから光るものを感じた。そんな素晴らしい人たちと私は一緒にいることができた。楓君は間違っていない。私は私で生きる価値のある人間なんだ。
686
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:10:09
泣いているところを譜久村さんに見つけられて、また私は茶化される。こんな泣く人でしたっけ。どんだけ加賀さんと離れるのが嫌なんですか。北川にも笑われてしまった。
「今日の送別会がとても素敵だったから。終わって欲しくないって思って」
*
片付けも終わって、私は空っぽになったタッパーを受け取り、鞄にしまい込む。帰り際、譜久村さんから「そう言えば、リホちゃんとなんか話してたね」と質問される。
「あ、そうなんですよ。なんか鞘師さんが今度舞台というか、なんかダンスを入れた演劇みたいなのをやるみたいで。私も出ないかって誘われました」
「へぇ! すごいじゃん! 私もあゆみんの舞台見てみたい」
私は演技もダンスも、どちらも何年かも離れていたし、正直自信なんてなかった。何より普通に働いている私が稽古に時間を割けるのかもわからない。まだ本気でやるのかもわからないけれど、もし本当にやるとなったら不安しかない。そういったことを口にすると、譜久村さんが首を横に振り、「大丈夫」と肩に手を置いてくれた。
「きっとあゆみんなら素敵な舞台にできるよ。このバーに来る人の中で誰よりもしっかりしてるからね」
「それは確かに。石田さんの事だから何なら鞘師さんとかにダメだしとかしそうですし」
「なんかそう言われるとちょっと口うるさい人間みたいじゃない」
私と北川は譜久村さんに今日のお礼を言って、バーを後にした。階段を登り、地上に出ると夜空には綺麗な満月が浮かんでいた。雲もなくあまりにもはっきりと見える。目を凝らせばクレーターの凹凸さえリアルに感じられるほどだった。
「加賀さんもどこかで同じ月を見てるんですかねぇ……なんてクサいことを考えてます?」
「まぁ、考えないこともないよね」
「今日くらいは、まぁ、仕方ないかもですね」
「ねぇ、北川」
「はい。なんでしょう」
「あの日、あの坂の階段で、泥酔して寝ててくれてありがとね」
「それを言うなら、介抱してくれてこちらこそありがとうございました」
「あの時さ、坂の上からリンゴが転がって来たんだよね」
「あぁ、加賀さんから貰ったリンゴ」
「そっか。そうだったね……うん。そういうことか」
「そうです。そういうことです」
「色んな人に感謝しなきゃなぁ」
「ねぇ、石田さん」
「はい。なんでしょう」
「もちろん、今日は石田さん家に泊めてくださるんですよね」
「そうだね。うん……泊まってってほしいな」
「熱い夜にしてくれます?」
北川がニヤニヤした顔で覗きこんでくるので、額を小突く。背中から月明かりが差して、2人の繋がった手の影を坂に映し出した。
あゆみりお完
687
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/24(金) 21:15:55
以上、連投失礼しました。
本当はもう少し色々なエピソードを考えていたのですが、話の主軸がまとまったので一旦はこれで終わろうと思います。
思い返せば夏の7月くらいから約半年間、この『あゆみりお』のことを考えるのが生活の一部になっていました。
途中色々とあって立ち止まってしまったこともありましたが、楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございます。
自己満足でしかないお話ではありますが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
また気が向いたら書かせていただこうと思います。
それでは長らくお付き合いいただき、ありがとうございました!
688
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/25(土) 05:20:57
あぁ…読み終えてしまった……
すごく丁寧に紡がれたいい作品を読ませてもらいました
エロッキスレの作品は本当にどれも優しいですね
まだまだ幅も奥行きもありそうなこの世界のお話を、もしまた気が向いたら、その時はぜひとも届けていただきたいです
689
:
名無しのマンション住人さん
:2023/02/25(土) 19:35:45
>>688
読んでくださってありがとうございます。
また何か少しずつ書き溜められたらと思いますので、
そのときはよろしくお願いします。
690
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/10(金) 18:37:48
川*´◇`)<なんか最近りほちゃんのアピールがすごいんですよ…
川*- 。.-)<ヒューヒューじゃんw
川∮^ _l^)<香音ちゃん可愛いもん!みずきだって香音ちゃんともっとイチャイチャしたいし〜
川*;´◇`)<あっ、いやそういうんじゃなくて…
川*´◇`)っ【写真】
https://i.imgur.com/8qgrZAH.jpg
川*- 。.-)<あら可愛らしいの
691
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/10(金) 20:00:33
上着はサユミンズのジャージかしらね
692
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/11(土) 02:36:26
ノd*■ 。.■)<ウチのロゴ入れといたの
https://i.imgur.com/bIyiY1A.jpg
693
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/12(日) 22:23:38
おだちゃんおたおめ
694
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/21(火) 11:58:12
ノc|*T ロT)o うぉ〜!ニッポン!ニッポン! 明日も勝ぁ〜つ!!
695
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/21(火) 22:07:50
某財団の力で現地行くかな?
696
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/22(水) 08:21:45
川`- 。.-)o ニッポン!ニッポン!
ノc|*` ロ´)o ニッポン!ニッポン!
ノc|メ`_ゝ´) o ニッポン!ニッポン!
川∮^ _l^)o ニッポン!ニッポン!
(* ^_〉^) o ニッポン!ニッポン!
(o´ 。`) o ニッポン!ニッポン!
(*‘. 。‘*) o ニッポン!ニッポン!
川*´◇`) ドキドキ
(8‘ ー‘) <パパー!
697
:
名無しのマンション住人さん
:2023/03/22(水) 11:47:49
川*T 。.T)ノc|*T ヮT)
ノc|メT_ゝT)川∮T _lT)
(* ^_〉^)<勝ったぁぁーー!!
(o´ 。`)<すげぇぇーーー!!
(*‘. 。‘*)<げぇぇーー!!
(8‘ ー‘)<パパーーー!!!
川*T◇T) <おめでとー!!!
698
:
名無しのマンション住人さん
:2023/04/01(土) 20:01:46
実写版シゲ超カッケー!
https://i.imgur.com/A7RWFCx.jpg
699
:
名無しのマンション住人さん
:2023/04/08(土) 20:58:38
鞘師クンやっぱり転け師なんだな
https://twitter.com/senoo_hajime/status/1644265466523955201
700
:
名無しのマンション住人さん
:2023/05/04(木) 22:50:02
川*- 。.-)<ねぇれーな? デコ出しのさゆみかわいい?
https://i.imgur.com/pLOHoUq.jpg
ノc|*` ヮ´)<バリかわいか! 世界一! 宇宙一! だれも敵わん! ちょー好き!
川*- 。.-)<…まぁ当然やけどねw ふふっ
ノc|*` ヮ´)<ねぇさゆ!おでこにチューしてよか?
川*- 。.-)<えぇー、れーな絶対痕つけるけぇダメ!
ノc|*` 3´)۶ <むぅーっ!! おでこチューさせろー!!
川*- 。.-)<ダーメ!…じゃあ、逆にさゆみがれーなのおでこにチューしてみるってのは?
ノc|*` ヮ´)<え?!いいと?!
川*- 。.-)<ほんの一瞬、チュってするだけよ?
ノc|*` ヮ´) <ウンウン!それでよか!チュってして!して!
川*- 。.-)<え…本当にするん? いやたしかにさゆみが言ったことやけど……じゃあ………目ぇ瞑っちょってよ…
(チュっ)
ノc|*// ヮ//)<…ヤバ…なんかさゆに食べられるみたいでからめっちゃドキドキする…//
川*n 。.n)<はい、終わり! あー恥ずかしい! もうせんけぇ!
ノc|*´ ▽`)<えー!なんでよ!またしよーや!ってかもっと痕つくくらいのやつしてよ!れーなはさゆにいっぱい痕つけられたか…
川*// 。.//)
701
:
名無しのマンション住人さん
:2023/05/07(日) 23:51:26
まーちゃんおたおめ
702
:
名無しのマンション住人さん
:2023/05/28(日) 13:44:19
鞘師クンおたおめ
703
:
名無しのマンション住人さん
:2023/05/31(水) 00:00:36
遅くなったけどまーちゃんも里保ちゃんもおたおめ!
と言いながら、野中氏が鞘師クンと二人で食事をしたり…
(多分野中ちゃんがアメリカで演奏会をしたときに示し合わせて行ったんだろうw)
これを知った尾形クンが思いっきり嫉妬して、香音さんに慰められたりして…
もっと問題なのは、ほまれの話も書いていないのに、ついに17期お披露目!
えらいこっちゃえらいこっちゃ!
ノc|*`・_>・リ<この馬鹿作者は毎日帰りが遅くて、なかなか話が進まないらしい
川*^w^リ<スマホのエディター(簡単なテキスト用アプリ)に中途半端の数話を出して数語だけでも進めているってさw
川*´◇`)<まあ…武道館で進める気でいるようなので長い目で見てやった方がいいんだろうね。
医療系の仕事はお盆や年末年始無いに等しいからね。この馬鹿作者も平日フル勤務に
土曜日、運が悪いと日曜や祭日も仕事とぼやいていたから
ノc|メ^_ゝ^)<じゃけん「ポンポンのバスツアー」も諦めたって!なぁ〜聖、俺らもどこか行かないと?
川§;^ _l^)<二人で行くのもたまにはいいかもね…あの作者は秋コンの千秋楽はどうしても行く!って、今からカレンダーを見て計画を練っているみたい
今回の武道館は参加します!
秋コンはできれば何か所か遠征したいし、千秋楽は絶対に参戦して現リーダーを見送るんだ!
川*- 。.-)<その前に本当にたくさん抱えている話、中にはとんでもなく長編もあるというじゃない?その点はどうなの??
何とか書きます!いえ!書き上げます!
その前に週末、短いのでいいのならチャレンジして見ようと思っています
せっかく野中氏が大きな爆弾を落としてくれたからw
704
:
名無しのマンション住人さん
:2024/07/16(火) 02:49:49
ノc|*^ー^)´ ヮ`*从
ノ つと ヽ
ノd*- 。.-)<仕方なくなの。退院したら一番に抱っこさせなさいよなの。ふんっ
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