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読者用テスト&投下予告の場

1796名無しの読者さん:2015/02/07(土) 21:51:51 ID:ey3F79/w0
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│          雑賀やる夫            .  │
│            ____               │
│          /      \              │
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│       |      (__人__)     |          │
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│       /     ー‐    \       .   │
│                                  │
│ 時代 戦国時代                  .│
│ 生誕 天文15年(1547年)xx月xx日       │
│ 死没 ○○xx年xx月xx日(16xx 年.x.月.x.日)  │
│ 渾名:出羽の凶鳥 庄内鎮護の八咫烏     │
│ 官位 従六位上・秋田城介.            │
│ 主君 豊臣秀吉 徳川家康     .         │
│ 氏族 不明                      │
│ 父母 父:不明、母:不明   .           │
│ 兄弟 不明                        │
│ 妻  セシリア 智                     │
│ 子 二男4女                     │
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 雑賀やる夫〜〜畏怖と敬意の狭間で生きた反骨の傭兵大名〜〜

雑賀やる夫(天文15年(1547年)xx月xx日〜○○xx年xx月xx日(16xx 年.x.月.x.日)
戦国時代から江戸時代にかけての武将・戦国大名。戦国に数多い成り上がり大名の中でも、
ほぼ裸一貫の身から一代で一国を作り上げ、その武勇と豪胆さは広く知られている

紀伊雑賀郷に程近い寒村の出であり、家を出た後に地元で強い勢力を持っていた雑賀衆に身を寄せ、
そこで鉄砲兵としての教練と知識を身につけるも、当時雑賀衆と協力関係…後援者であり雇用主であった
石山本願寺からの改宗の要請に反発し結果、雑賀衆から放逐された……と、晩年書き綴られた彼の覚え書き
には記されている
その後は暫く畿内や北陸近辺を彷徨していた様であるが、北前船に乗り込み出羽の国は酒田湊へ降り立った
時には、何処で知己を得た(別リンク:雑賀家家中録)のか、生涯の伴侶となるセシリアと智を伴っていた。
当時の記録で1562年になるが、そこから数年ほどは町の一隅にて鍛冶屋を営み、後世では雌伏の時。当人の回想によれば
「戦にも政事にも煩わされぬ、まずまず善き日々なり」であったが、当時地元を押さえていた砂越氏からの度重なる
矢銭徴収と圧迫に不満を抱いた酒田衆が遂に武力行使を含む蜂起を決意。
その旗頭としてやる夫が祭り上げられたが、これは巷間でよく言われる野心や功名心だけでは無く、やむにやまれぬ事情
で起たざるを得なくなった……、と言うのが記録から伺える。


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