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うにゅほとの生活5
100
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:56:05 ID:5v8gCCvI0
2024年5月17日(金)
病院に必要なものを届けに出ていた母親とうにゅほが帰宅した。
「ただいま……」
自室のベッドに腰掛けるうにゅほが、なんだか落ち込んでいるように見えた。
「……どうかしたか?」
「うん。(弟)にね、あえたの。こしつだから、いいって」
「マジか。どうだった?」
「すーごい、いたいたしくて……」
「──…………」
「しゃべれないし、きずぐち、ほちきすみたいのでとめてて。くるまのなかで、おかあさんとないちゃった……」
「そっか……」
俺が両腕を広げてみせると、うにゅほがそっと膝に腰掛けた。
後ろから抱き締め、頭を撫でてやる。
「でも、よくなってるだろ。ノートPC使えるようになったみたいだし」
「それは、うん……」
「つらいのは、もちろんそう。でも初日みたいに"地獄"とか"死にたい"ってレベルじゃないはずだ」
「……うん」
「俺たちみたいのはさ」
「うん?」
「インターネットにさえ繋がってれば、とりあえず最低限は生きて行けるんだよ」
「うーん……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「入院前、あいつがいちばん何を気にしてたか知ってる?」
「しらない」
「原神のデイリー」
「でいりーって、いちにちいっかいげーむするやつ?」
「そうそう」
「そなんだ……」
「まあ、術後が思いのほか地獄だったみたいだから、それどころではないだろうけどさ。でも、もっとよくなればやりだすぞ、間違いなく」
「そか……」
「入院はまだまだかかるけど、日常に戻る準備は整え始めてるんだ。大丈夫だよ」
「だいじょぶ、かな」
「ああ」
「……うん、しんじる」
なんだかんだ、あいつは強い。
俺は、そう信じている。
101
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:56:25 ID:5v8gCCvI0
2024年5月18日(土)
「……小腹が空いた」
「わかる」
夕食が少なかったのだ。
「なんかつくる?」
「いや、そこまでは。レンジでどうにかなるもの、なんかない?」
「うーと、たこやきあったきーする」
「じゃ、たこ焼き食おう」
「うん」
ふたりで階下へ向かい、冷凍たこ焼きをレンジに入れる。
「あじ、どうしよう」
「定番のマヨソースは、この時間帯だと躊躇するな……」
「しお?」
「塩も好きだけど、うーん」
冷蔵庫を開き、中身を確認する。
「あ、いいもんあった」
「?」
500mlほどのボトルを手に取る。
「じゃーん、ねこぶだし。明石焼きにしよう」
うにゅほが小首をかしげる。
「あかしやき?」
「だし汁につけて食べるたこ焼きみたいなもん。細かく言えば違うんだけどさ」
「へえー、おいしそう」
「美味しいぞ」
濃縮タイプのねこぶだしをお湯ですこし薄めていると、レンジが電子音を奏でた。
温め終えたたこ焼きを取り出し、食卓テーブルに並べる。
「これ、つけてたべるの?」
「そうそう」
「ふんふん」
うにゅほが箸でたこ焼きをつまみ、だし汁にくぐらせて口へと運ぶ。
「ほふ」
「どうよ」
「はほふ、ふひ、ほーひんほひ」
「ごめん、食べてからでいいわ」
「はふ」
たこ焼きをしっかり飲み込んだあと、うにゅほが言った。
「おいしい。じょうひんなあじ、する」
「だろ」
明石焼きと化したたこ焼きは、とても優しい味がした。
ねこぶだしを薄めて正解だ。
「……と言うか、そもそもこのねこぶだしが美味いな」
「これ、おいしいよね」
「美味い」
調べたところ、梅沢富美男がCMをしているらしい。
梅沢富美男はどうでもいいが、美味いものは美味い。
ねこぶだしを使った簡易明石焼き、おすすめである。
102
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:56:48 ID:5v8gCCvI0
2024年5月19日(日)
「そう言えばさ」
「?」
「今は、ブルーレイすら時代遅れになって、ネット配信が主流じゃん」
「そだね」
「ひとつだけ、よくないことがあるんだよ」
「なにー?」
「ジブリ作品が見れない」
「え」
うにゅほが目をぱちくりさせる。
「みれないの?」
「ジブリ作品って、ネット配信を一切してないんだよ」
「なんで?」
「俺に聞かれても」
「ととろとか、みたくなったとき、どうしたらいいの?」
「TSUTAYAもないからな……」
「うん」
「買うー……、しか?」
「おいくら?」
「四、五千円は」
「でぃーあにめ、いっかげつごひゃくえんなのに……?」
「そう」
「こまる」
「金曜ロードショーとかで放送したときにレコーダーに録画しておくって手はあるけど」
「こないだ、ねこのおんがえしやってた」
「見た?」
「みてない。みたらよかった」
「いつでも見られるって油断してると、途端に見なくなるよな」
「うん。そして、みたくなる……」
「××、猫の恩返し好きだったっけ」
「あんましおぼえてない」
「実は、俺もあんまり。でも主題歌は覚えてるぞ」
「ひのあたるー、さかみちをー?」
「そうそう。風になる、だっけ。つじあやのの」
「それはしらない」
「××、歌は好きだけど歌ってる人興味ないことけっこう多いよな……」
「そかな」
「そんな気がする」
「そんなきーしてきた」
なんだか千と千尋の神隠しが見たくなってきた。
だが、すぐに見る手段はないのである。
これを不自由と捉えるのは、もしかしたら便利になったことの裏返しなのかもしれない。
103
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:57:09 ID:5v8gCCvI0
2024年5月20日(月)
「◯◯ー!」
たたたと階段を駆け上がる音がして、自室の扉が開かれた。
「もてない!」
「持てない?」
「にもつ、もてない……」
「あー」
心当たりがあった。
玄関へ向かうと、俺の体格ですら持ちにくいほどの大きさの平たいダンボール箱があった。
Bauhutteのパソコンラックだ。
「よいーしょッ、と!」
「わ、すごい」
「××は、もうひとつの箱持ってきて」
「はーい」
うにゅほが、それでも小さくはないダンボール箱を抱える。
中身は、配線隠し用のケーブルトレイにセルフパワーのUSBハブ、使いやすい六個口のテーブルタップだ。
これだけの品物を揃えて、何をするか。
当然、PC本体裏側の配線整理である。
断捨離を行い、ガジェットを購入し、デスク周りの整理を進めた結果、そこだけ放置するわけにも行かなくなったのだ。
「──うし、まずはパソコンラックを作ろう!」
「おー!」
玄関から工具箱を持ってきて、説明書通りに組み立てて行く。
簡単とは言わないが、そう難しいわけでもない。
幾分か汗をかきながら、なんとか三十分ほどで完成した。
「どうよ」
パソコンラックにPC本体を収納し、キャスターで前後に滑らせる。
「おおー……」
「床に直置きってあんまよくないんだよな」
「え、でもずーっとゆかおいてた」
「ずーっとよくなかったんだよ」
「そなんだ……」
「よし、次は配線だな。××が頼りだぞ」
「わたし?」
「……俺、線が込み入ってるのダメなんだよ。知ってるだろ」
「たしかに……」
「指示は俺がするから、作業は××に頼みたい」
「うん、わかった」
「ありがとうな」
ふたりでデスクの下に潜り、いったんすべての配線を外していく。
そして、どれが何のコードであるかを把握し、デスクの奥に新しく取り付けたケーブルトレイを用いて整理していく。
「でーきた、……かな?」
デスクの下から這い出し、外観を確認する。
「まあ、多少ごちゃついてはいるけど、さっきまでより百倍ましだろ」
「それは、うん」
「足元スッキリしたし」
「それがいちばん」
「付き合ってくれて、ありがとうな」
「うへー……」
微笑むうにゅほの頭を撫でようとして、手がホコリで汚れていることを思い出す。
「雑巾洗って、手も洗って、綺麗になったデスクでYouTubeでも見るか」
「うん!」
これにてデスク周りの大改造は竣工だ。
スッキリしていると気分がいい。
数ヶ月前までのデスクには、もう戻れないな。
104
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:57:32 ID:5v8gCCvI0
2024年5月21日(火)
「なんか、あれらしい」
「どれ?」
「Switch Onlineのゲームボーイに、スーパーマリオランドが配信されたらしい」
「ふんふん」
「これ、俺がゲームボーイで初めてプレイしたゲームなんだよな」
「へえー、やる?」
「やるか」
「やろう!」
Switchの電源を入れ、スーパーマリオランドを起動する。
「どっと、あらいね」
「これがゲームボーイなんだよ。ほら、やってみ」
うにゅほにコントローラーを渡す。
「よーし」
二分後、
「はい」
コントローラーが戻ってきた。
「難しい?」
「なんか、おもったみたいにうごかない……」
「ワンダーに慣らされてたら、そうか」
数十年ぶりに遊んだスーパーマリオランドは、難易度以前に操作が難しかった。
マリオワンダーに慣らされているのは俺も同じらしい。
水中面まで来たとき、俺は得意げにうにゅほに言った。
「ここ、裏技があるんだよ」
「おー」
水中面は強制スクロールだ。
「この穴に入って、ずーっと左を押してると──」
「うん」
軽快な音と共に、マリオが死んだ。
「しんだ」
「死んだな……」
「うらわざ?」
「いや、違う。Switch Onlineになって修正されたのかな」
「ほんとはどうなるの?」
「前から出てくるはずなんだよ……」
二度ほどやってみたが、やはり再現できない。
方法を間違えて覚えていたのだろうか。
気を取り直して進めて行くと、ほんの三十分ほどでラスボスまで到達した。
「あ、勝った」
「よわい」
「こんな短かったんだな……」
小学生の頃、何度も何度もクリアした記憶がある。
三十分でクリアできるのなら、そりゃやるわな。
「これ、エンディング曲がめっちゃいいんだよ」
「えー?」
うにゅほが、どうせゲームボーイのショボい音源だろ、という顔をする。
そんな顔ではなかったかもしれないが、俺はそう感じてしまった。
「いいからいいから」
そのまま口をつぐみ、エンディングが流れるのを待つ。
しばらくして、
「あ、いいかも……」
「だろ」
「うん、すきかも」
「子供の頃の俺は、この曲聴くために何度もクリアしてたんだよな……」
「そっか……」
懐かしいな。
戻りたいとは思えない幼少期だが、悪い思い出ばかりではない。
エンディング曲を聴きながら、そんなことを思った。
105
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:57:53 ID:5v8gCCvI0
2024年5月22日(水)
「うーん……」
デスクの前で思案する。
「どしたの?」
「ああ。デスク周り、かなり良くなったじゃん」
「すーごいよくなった!」
「でも、また改善の余地がある気がして」
「たとえば?」
「このヘッドホンアンプがあるだろ」
ぽん。
ゼンハイザーのHDV820にそっと手を乗せる。
「これを、左側──パソコンラックの上に置く」
「ふんふん」
「マイクアームも左側だし、ワイヤレスヘッドホンの置き場も左側だし、オーディオ関係を左でまとめられるだろ」
「なるほど……」
「どう思う?」
「あいたみぎ、なにおくの?」
「広いと気分がいいし……」
「なにもおかないなら、ひだり、ぎゅってしすぎなきーする」
「まあ、それはあるか」
納得感の強い意見だ。
デスクの右側にはアロマランプも置いているのだが、そのためだけのスペースとするには広すぎる感じもする。
「いっそ、植物でも置くとか」
「おー?」
「サボテン置く人はそこそこいるよな」
「さぼてん……」
「ピンと来ない?」
「しょくぶつ、すきだよ。でも」
「でも?」
「おっきすぎるきーする……」
「……××。サボテンって、大きいのしかないと思ってる?」
「ちいさいの、あるの?」
「むしろ大きいのはあんま売ってないぞ」
鉢植えのサボテンを画像検索して見せる。
「あ、ちいちゃい」
「だろ」
「かわいいかも」
「ただ、植物と言えど生き物だからな。あんま気軽に買うのも違うか」
「うーん……」
綺麗になったらなったで、また悩みが出てくる。
とは言え、贅沢な悩みではある。
いろいろ考えてみよう。
106
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:58:11 ID:5v8gCCvI0
2024年5月23日(木)
「♪」
機嫌よく鼻歌など歌いながら、うにゅほが自室の掃除をしている。
「ごきげんだなあ」
「うん。さいきん、そうじ、すーごいしやすいの」
「断捨離で物減ったから?」
「そうそう」
「そもそも物が多すぎたよな、絶対」
「うん……」
駿河屋に送りつけた荷物は、ダンボール十箱を優に超える。
ミニマリスト一人分の所有物を減らしてすら、俺たちの部屋には物が溢れていた。
「とは言え、捨てたいものはまだまだあるんだよな。粗悪品だったアップルウォッチのバンドとか」
「あれ、ひどかったねえ……」
「金属かと思ったら、プラスチックに塗装しただけなんだもんな」
それ以来、Amazonでの買い物にサクラチェッカーは欠かせない。
「あと、服もそうだな。もう絶対着ないのとかさ」
「……あー、ある」
「俺の年齢だと、若いデザインのはもう着れないだろ。箪笥を圧迫するだけだ」
「そだね」
「××も、取捨選択は大切だぞ」
「でも、◯◯とか、おかあさんたちからのプレゼントもあるし……」
「……そっか。それがあったか」
うにゅほの誕生日に、これなら間違いなかろうと服をプレゼントしまくった記憶が蘇る。
「プレゼントは捨てにくいよな……」
「すてにくいし、すてたくない。きなくなっても」
「──…………」
ちょいちょいとうにゅほを手招きする。
「?」
てててと寄ってきたうにゅほの頭を、優しく撫でた。
「××はいい子だなあ」
「うへー……」
「プレゼントした当人としては気にしなくてもいいんだけど、そう言ってくれると嬉しいよ」
「おもいでだから」
「よし、せっかくだ。十年くらい前に買ったセーラー服っぽいカットソーを着てくれ!」
「え」
「ほらほら」
「えと、その、どこにあるかわからないし……」
「探そう」
「わああ」
そんな具合に、うにゅほの着せ替えを楽しんだ一日だった。
見た目がほとんど変わってないから、何着せても似合うな。
107
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:58:34 ID:5v8gCCvI0
2024年5月24日(金)
「運動を、……する!」
「おおー!」
うにゅほが、ぱちぱちと拍手を送ってくれる。
「げんき、でた?」
「断捨離とか、模様替えとか、最近いろいろ動けてたからな。ここらで一発、運動して痩せて健康になろうかと」
「いいとおもいます!」
「さっき友達に、エクササイズ動画を紹介してもらってな」
「ふんふん」
「××も一緒にやる?」
「やる!」
「よし」
距離を離して立ち、まずは背中のエクササイズを行う。
三分間、投稿者の動きを真似ればいいだけの、手軽に運動ができる動画だ。
「──あ、なんかわりと簡単?」
「うん、これ、なんか、いいかも」
考えてみれば、うにゅほも日々の家事くらいでしかまともに運動をしていない。
俺より遥かにましとは言え、エクササイズは必要だろう。
あっと言う間に三分が経過し、
「へえー、いいじゃんこれ。けっこう動いた感じあるし」
「これなら、つづけられるかも」
「だな」
「どうが、もうひとつあったよね」
「ああ。おしりを引き締めるトレーニングだってさ」
冒頭だけ見たが、寝転がる必要がある。
さすがに同時にはできないので、俺が先に試してみることにした。
開始して三十秒ほどは問題なくこなせていたのだが、
「ちょ、これ、きつ!」
「そんなに?」
「片足の、きっつ! ケツが熱い、ケツが!」
「そんなに……」
五分間の動画を終え、ぐったりとパソコンチェアに座り込む。
「……これ、明日筋肉痛だわ」
「おしりが?」
「おしりが」
「すごい、やってみる!」
「よし」
うにゅほが四つん這いになるのを確認し、動画を再生する。
五分後──
「あ、けっこうきてるかも」
自分のおしりを撫でながら、うにゅほがわりと平気そうに言った。
「……そんなでもない?」
「◯◯ほどでは……」
軽く思案し、気付く。
「あ、俺がきつかった片足のやつって、体重軽いと負荷弱いのか」
「そうかも」
「怠惰にぶくぶく太った者が、より苦しむエクササイズってわけだな……」
だが、ほんの十分でできるトレーニングだから、苦しむ時間も短い。
しばらく続けてみようと思った。
108
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:59:03 ID:5v8gCCvI0
2024年5月25日(土)
「──はあッ、はっ、はー……」
今日のぶんのエクササイズを終え、フローリングに倒れ伏す。
「効くゥ……」
「きくね……」
一足先にエクササイズを終えていたうにゅほが、烏龍茶をペットボトルごと差し出してくれた。
それを受け取り、一気にあおる。
失った水分が全身に染み渡っていくようだった。
「これ、やせるね」
「マジでそんな気するわ」
間食のための豆腐プリンや、深夜の空腹に備えたおさしみこんにゃくなど、食事面でも頑張っている。
あとは、余計なカロリー摂取をせずに日々を過ごしていけば、それだけで痩せるはずだ。
そのはずだ、うん。
「あ、そだ。あした、おかあさんのたんじょうびだよ」
「……そうだった」
弟の入院で、すっかり忘れていた。
ちなみに、母の日のことも一週間後に気が付いた。
親不孝である。
「なんか、たべにいくかも」
「マジかー……」
母親には申し訳ないが、あまり予定外のものを食べたくはない。
とは言え、弟の回復が順調な今、おめでたい日にお祝いができる喜びもあるにはある。
「少なめにしよう……」
「そうしましょう。◯◯、たべすぎだから」
「そうか?」
「すぐおおもりにするし……」
「大盛りにできたら、ついしちゃうんだよな。若いころからの習慣って言うか」
「だめだよ。いってんごばいにしたら、かろりーもいってんごばいだよ」
「──…………」
ふと、考え込む。
「?」
「……そうだよな。500kcalのものを倍食えば1000kcalなんだよな」
「あたりまえ」
「てことは、1000kcalのものでも半分しか食わなければ、500kcalじゃん!」
「あたりまえ……」
「なんで、こんな当たり前のことがわからなかったんだろう……」
「しらないけど……」
うにゅほに呆れられてしまった、
だが、"どうせ食うなら同じ"というわけのわからない衝動がいつの間にか植え付けられていたのだ。
もっとクレバーにカロリーを摂取しよう。
そう思った。
109
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:59:22 ID:5v8gCCvI0
2024年5月26日(日)
今日は母親の誕生日だ。
外食は今日ではなく、二日後の28日に行く運びとなった。
だが、それどころではない事態が起きてしまった。
「──…………」
パソコンチェアに腰掛け、背中に体重をかける。
すると、背もたれが限界まで後ろに倒れていった。
レバーをいくら操作しても、背もたれが固定されない。
完全に壊れていた。
「……マジか」
「こわれちゃった……?」
「壊れちゃった」
俺が愛用していたパソコンチェアは、エルゴヒューマン プロ。
価格にして九万円の高級チェアである。
伊達や酔狂でこのチェアを愛用していたわけではない。
腰痛持ちである俺は、ある程度質の良いチェアでなければ、腰や背中がすぐに痛み始めてしまうのだ。
しかし、
「……今の経済状況で同じチェア買い直すの、かなりきついな」
「しゅうり、できないの?」
「できるかもしれないけど、たぶん高いぞ」
「そか……」
「価格帯を下げて調べてみよう」
しばし検索していると、三、四万円台の価格帯で、評判の悪くないチェアを見つけた。
「××、これなんかどうかな」
「ちょっと、ちいちゃい?」
「今のがでかい」
「あー」
「ただ、ランバーサポートがないのは気になるな……」
「なんだっけ」
「腰を支えるパーツ」
「◯◯、こしだいじだもんね……」
「そうなんだよ。腰を痛めるチェアだけは選べない」
「うーん……」
思案ののち、うにゅほが言った。
「くっしょんとか、はさむの、だめなの?」
「あー」
正直、悪くない。
それどころか、十分アリだ。
「外付けのランバーサポートとか、あるかも」
「しらべてみよ」
軽く調べてみたところ、これが見事に存在した。
「これ、いいなあ……」
「いいね!」
「合わせて四万切るし、この組み合わせにしてみようか」
「うん、いいとおもう」
さっそく注文し、届くのは30日と相成った。
だが、それまで、この壊れたチェアで過ごさなければならないのか。
腰痛が再発しないか心配である。
110
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 04:59:47 ID:5v8gCCvI0
2024年5月27日(月)
「……腰が痛い」
「もむ?」
「揉んで」
「はーい」
フローリングにうつ伏せになり、うにゅほのマッサージを受ける。
「あァー……」
昨日、愛用していたパソコンチェアが壊れた。
背もたれが固定できなくなったのだ。
たった一日。
たったの一日だ。
壊れたチェアを使用していただけで、もう腰が痛み始めている。
ならばと丸椅子に座ってみたが、こちらはこちらですぐに尻が痛くなってしまった。
チェアの重要性が嫌と言うほど実感できた一日だった。
「30日まで待てないぞ……」
マッサージガンで腰を震わせられながら、思わず口から弱音が漏れた。
「……んー」
ふと、うにゅほが言った。
「ざいす、のっけてみる?」
「座椅子」
うにゅほが愛用している座椅子のことだ。
うにゅほは、俺の膝に腰掛けていないとき、こちらの座椅子でくつろいでいる。
「まあ、試すだけ試してみるか……」
マッサージを終え、座椅子をパソコンチェアに設置してみる。
「──…………」
「──……」
「いやにしっくりくるな……」
「わかる」
座ってみた。
「あ、悪くない!」
「ほんと?」
「違和感ないな」
「じゃあ、かしたげる!」
「いや、ダメだろ。××はどうする?」
これは、あくまで応急処置だ。
うにゅほを膝に座らせるのは、少々きつい感じがする。
「だいじょぶ。ざいす、ほかにあるから」
「あったっけ?」
「(弟)の」
「あー!」
入院している弟も、実は座椅子派なのだ。
「かしてっていったら、かしてくれるとおもう」
「可愛い妹のためだもんな」
「うへー」
俺の腰も、これなら多少は持つだろう。
たったの数日をこれほど待ち望むのは、子供のときのクリスマス以来だ。
30日よ、早く来てくれ。
111
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 05:00:08 ID:5v8gCCvI0
2024年5月28日(火)
母親の誕生祝いで、焼肉食べ放題の店に行ってきた。
「ぷー……」
帰宅し、うにゅほが満腹の息を吐く。
「美味しかったな」
「おいしかっ、たー……」
「最近の食べ放題、クオリティ上がってるのかな。予想してた焼肉食べ放題とぜんぜん違ったわ」
「どんなのよそうしてたの?」
「そうだな……」
記憶を辿る。
最後に行ったのは、もう、二十年近く前になるかもしれない。
「まず、注文制じゃない。自分で取りに行くビュッフェ形式だったな」
「おー」
「んで、カルビがほぼ脂身」
「ほぼ?」
「九割以上」
「……しろいの?」
「雪のように」
「すごい……」
「たいてい薄くて、網に乗せたら十秒くらいで食えたな」
「うす」
「基本的に、肉の質は悪かった」
「うと、おいくら……?」
「今日行ったとこの半額くらいかな」
「やす」
「安かろう、悪かろう、満腹になればなんでもよかろう、って感じ」
「だいがくせいとか、すきそう」
「実際、よく行ってたのはそのくらいの時期だったかな」
「おおぐいのみせとか、いってたんだよね」
「行ってたなあ。あの頃はいくら食っても太らなかったんだが……」
「ふとったね」
「……そうですね」
「えくささいず、する?」
「待って、するけど待って。もうすこし消化しないと」
「わたしも……」
なんだかんだと毎日続いているエクササイズである。
今日はチートデイ、今日はチートデイ。
食事面でのダイエットは、また明日から頑張ります。
112
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 05:00:28 ID:5v8gCCvI0
2024年5月29日(水)
「あ゙ー……」
腰が痛い。
低周波治療器で腰の筋肉を震わせながら、チェアで優雅に寝転がる。
ただし、優雅なのは見た目だけだ。
倒れてほしくないのに倒れてしまう背もたれは、せいぜい昼寝の役にしか立たない。
ただし、昼寝をするならベッドでするので、実質なんの役にも立たない。
「こし、だいじょぶ?」
「まだ大丈夫……」
"これ以上痛むとヤバい"という折り返し地点は厳然として存在する。
しかし、まだそこまでは至っていない。
質の良いチェアに座ることさえできれば、そのうち元の腰に戻るだろう。
「あしたまで、がんばって」
「……頑張る」
「こしもむ?」
「今日はいいかな……」
「そか……」
うにゅほに心配をかけてしまっている。
でも、腰の問題はどうしようもないんだよな……。
低周波治療器での治療を終え、壊れたパソコンチェアの上にうにゅほの座椅子を乗せる。
この状態がいちばん腰に優しい。
だが、ずっと座り続けているとこれはこれで痛み始めるので、座椅子を下ろして座ることになる。
座椅子ナシで座った場合に痛む場所と、座椅子アリで座った場合に痛む場所が違うので、それを交互に磨り減らしているというのが現状だ。
「……あのさ」
「?」
「当たり前って、当たり前じゃないんだな。ひとつ狂うだけで、こんなに苦しい……」
「そだね……」
「当たり前を維持するために、俺たちは頑張らないといけないな……」
「うん……」
パソコンチェアが壊れたくらいで、何故か人生の答えのひとつみたいなものを悟ってしまった。
なお、うにゅほは弟の座椅子で快適そうである。
自分の座椅子より座り心地がいいらしい。
今度、うにゅほの座椅子も新調してあげようかな。
113
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 05:00:46 ID:5v8gCCvI0
2024年5月30日(木)
「……──!」
気付いた。
気付いてしまった。
何に?
そう、絶望にだ。
「……××」
「?」
「これ」
ディスプレイを指差す。
「あ、いすだ。まだこないのかな」
「お届け予定日」
「……?」
うにゅほが、その文字列を読み上げた。
「ろくがつ、さんじゅうにち」
「六月」
「ろくがつ……」
「そう、六月」
「え、ごがつ……」
「そう、今日は五月」
「……いっかげつ、こない?」
「ああ……」
簡単で単純な勘違いだ。
三十日に届くと書いてあったから、勝手に五月だと思い込んだ。
「ど、どうしよう! ◯◯のこし!」
「……いちおう、対処法はある」
「あるの?」
「ガレージにひとつ、パソコンチェアがあるんだよ」
「あー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「あった」
「数日ならって我慢してたけど、一ヶ月は無理だ。あれ持ってこよう」
「あれ、いいやつ?」
「わからん。そもそも出自も不明。父さんが拾ってきたんだと思うけど……」
「ふしぎないす……」
わっせ、わっせとガレージからパソコンチェアを運び込み、設置する。
明らかに軽く、ちゃちな作りではあるものの、壊れたエルゴヒューマンよりは快適そうだ。
新しいチェアのために購入してあった外付けのランバーサポートを取り付け、腰掛けてみる。
「お」
「どう?」
「これは、いい。壊れたチェアより確実にいい」
「おおー!」
「××、膝乗るか?」
「のる!」
数日ぶりにうにゅほを膝に座らせ、ふたりでYouTube動画に耽溺する。
「一ヶ月くらいなら、これでいいな……」
「そだねー……」
最低限の環境は整えられた。
早く届いてほしいことに変わりはないが、これなら我慢できそうだ。
114
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 05:01:26 ID:5v8gCCvI0
2024年5月31日(金)
今日は、手術後初めて弟のお見舞いに行ってきた。
うにゅほは以前、一度だけ母親と来ているので、今回で二度目のお見舞いとなる。
思いのほか普通そうな弟の様子にすこしだけ安心し、三十分ほど雑談をして帰途についた。
「(弟)、元気そうだったな」
「うん、よかったー……」
助手席で、うにゅほが微笑む。
「前に来たとき、どうだったんだ?」
「うーとね。かお、はれてた」
「あー……」
「きょう、はれてなかったね」
「熱も下がったって言うし、なんなら原神が重いときあるって文句言ってたくらいだし、ほんと良かったよ」
「ね!」
「そう言えば、俺、知らなかったんだけどさ」
「?」
「ナースステーションのところで、誰々のお見舞いに来た誰々ですって紙に書かないといけないんだな」
「そだよ」
「××、俺が検査入院してるときも、毎回書いてたのか?」
「うん、かいてた」
「──…………」
ふと、疑問が湧いた。
「……続柄って、どうしてた?」
「ぞくがら?」
「ほら、今日は俺が"兄"って書いただろ。あいつから見て兄だから」
「あー」
「××、なんて書いてたんだ? 妹?」
戸籍上、うにゅほは俺の義理の妹となる。
だが、毎日のように妹がお見舞いに来る男に対し、看護師たちが何を思っていたのかは疑問だ。
「うとね、わかんなくてきいたら、◯◯とのかんけいっていわれたの」
「ああ」
「だからね、こいびと、かっこいもうと、ってかいてた」
「恋人(妹)……」
「うん」
「──…………」
もうあの病棟には入院できないな。
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ああ、いや。なんでもない。大丈夫、大丈夫」
マジで、看護師たちにどんな目で見られてたんだろう。
怖いんですけど。
115
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/01(土) 05:02:50 ID:5v8gCCvI0
以上、十二年六ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
116
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:25:44 ID:lnmn4mrc0
2024年6月1日(土)
「──……んがっ」
は、と目を覚ます。
パソコンチェアで寝落ちしていたらしい。
「あ、おきた」
「寝てた……」
「すーごいねてた」
「なんか今日、ヤバいくらい眠い」
「うーと」
うにゅほが、デスクから俺のiPhoneを手に取る。
そして、俺の顔を使ってFaceIDを突破し、睡眠管理アプリを開いた。
「やっぱし……」
「?」
「おととい、ごじかん。きのう、よじかん」
「あー……」
「だから、きょうねむい」
年齢を重ね、睡眠時間が誤魔化せないようになってきた。
徹夜は余裕でできるのだが、翌日、翌々日に、必ず揺り返しが来る。
それが今日だったのだろう。
「まだねむい?」
「そうだな……」
自らの眠気を探る。
横になれば眠れるような気はするが、今のように寝落ちをするほどではない気もする。
「三十パーセントくらい」
「むずかしいところ……」
「まあ、わざわざベッドで眠るほどじゃないかな」
「そか」
「エクササイズでもして、眠気紛らわせよう……」
「あ、わたしもする」
「順番な」
「はーい」
友人から紹介されたエクササイズ動画を見ながら、背中の筋肉を引き締めていく。
なんだかんだと毎日続けられているのだから、俺もうにゅほも頑張っているほうだろう。
毎日すべきことは、日課にしてしまえば楽だ。
逆に言えば、日課になるまでがいちばん大変だとも言える。
ひとまず、毎日のエクササイズを"当たり前"にするまで頑張っていこう。
117
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:26:12 ID:lnmn4mrc0
2024年6月2日(日)
深夜のおやつとして、いまだに豆腐プリンを作り続けている。
「──…………」
ちょい、ちょい。
プラスチックスプーンの先端を用い、豆腐プリンを小分けにして注意深く食べていると、寝る準備を整えたうにゅほがこちらを覗き込んだ。
「……?」
「どした」
「ばくばくたべてないから……」
「いいことじゃん……」
「そだけど」
「……まあ、実はな。昨夜、怖いことがあって」
「いまからねるのに……」
「幽霊とかじゃないから」
「……なら、いいか」
うにゅほが座椅子に腰を下ろし、聞く体勢を取る。
「俺、豆腐プリンを容器ふたつに分けて、二日かけて食べるじゃん」
「うん」
「昨日は、その一個目だったのね」
「うん」
「んで、昨日豆腐プリン食べてたら、中から変なものが出てきて……」
「え……」
「長さ一センチくらいの楕円形の物体で、毛だらけ、だったような気がする」
「むし……?」
「そうかもしれない。でも、虫であることを確定させたくなくて、慌ててティッシュにくるんで捨てた」
「──…………」
うにゅほが、俺の手にある容器を指差す。
「それ、たべるの……?」
「まあ、昨日のも食べたし」
「えー……」
引かれた。
「でも、考えれば考えるほど虫じゃない気がするんだよ」
「そなの……?」
「なんか、毛玉……みたいな。妙に頑丈だったし。容器を拭いたとき、布巾の切れ端みたいのが中に残ってたんじゃないかって」
「あー」
「……そうは思いつつも、ちょっと怖いから気を付けて食べてるんだけどさ」
「なんかでた?」
「大丈夫そう」
「なら、よかったけど……」
うにゅほが立ち上がり、寝室側へと向かう。
「むし、たべないでね?」
「そもそも食べたくないし……」
「うん……」
しばらくすれば夏が来る。
これまで以上に虫には注意しなければ。
118
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:26:32 ID:lnmn4mrc0
2024年6月3日(月)
「──夢を見ました」
「はい」
「どんな夢か聞いて」
「どんなゆめ?」
「猫を飼う夢です」
「あ、いいな!」
「ほら、うちって猫飼えないじゃん。(弟)、猫アレルギーだから」
「そだねえ……」
「めっちゃ撫でた」
「いいな……」
「まあ、夢なんだけど」
「ゆめだけど、うらやましい」
「××はどんな夢見た?」
「ゆめ……」
うにゅほが、腕を組み、しばしのあいだ思案する。
「きょう、みたかなあ……」
「忘れちゃったか」
「まって、まって。けはいはある」
「気配」
「みた、きーは、する」
「じゃあ、質問を繰り返して特定しよう。いい夢だったか、悪い夢だったか」
「──…………」
天井を見上げ、呟くように答える。
「……どっちでもない……」
「どっちでもないんかい」
思わずツッコんだが、夢ってたいてい、どちらでもない気はする。
「俺は出てきた?」
「……でて、きてー……、ない」
「食べものは?」
「でてきてない……」
「動物」
「でてきてない」
「知ってる人……」
「たぶん、でてきてない……」
「……マジでなんの夢見たの?」
「わかんない……」
世界には無数の謎が存在する。
うにゅほが今日見た夢も、そんな謎のひとつだったのかもしれない。
119
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:26:53 ID:lnmn4mrc0
2024年6月4日(火)
四週間に一度の定期受診を済ませ、愛車のパレットに乗り込む。
「あつ!」
「あちーねえ……」
すこぶる天気が良かったためか、車内が蒸し風呂状態になっていた。
慌ててエンジンを掛け、カーエアコンをつける。
「……パレット、エアコンの効き悪いんだよな」
「ねー……」
まったく涼しくないわけではないが、十分に涼しいわけでもない。
車内の温度がそんな感じだと、食べたくなるものがある。
「よし、アイス買おう」
「いいね!」
次のコンビニへと立ち寄ることを決め、買うべきアイスに想いを馳せる。
「◯◯、なんにする?」
「そうだな……」
軽く思案し、答える。
「こう、ザクザクした食感のが食べたい」
「チョコバッキー、とか?」
「あー、いいな。チョコバッキーにしよう」
「きまった」
「××は?」
「わたしはねー」
うにゅほが、機嫌良さそうに言った。
「おんなじの!」
「同じのだと半分こできないぞ」
「あ、そか」
「しないならいいけど」
「する!」
うんうんと考え直し、
「チョコモナカジャンボ、とか……」
「ザクザクしてるな」
「してる」
お互いに買うべきアイスが決まり、近くにあったセイコーマートへと入店した。
「……チョコバッキーがない」
「チョコモナカジャンボはあった」
「どーすっかな……」
「あ、これは?」
うにゅほが指差したのは、板チョコアイスだった。
「ナイス」
「いえー」
「これにしよう」
アイスをふたつ購入し、蒸した車内で開封する。
「おいしい……」
「美味い!」
暑さはアイスの調味料である。
だが、板チョコアイスは高すぎる気がする。
美味しいけども。
120
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:27:14 ID:lnmn4mrc0
2024年6月5日(水)
「しまった……」
「?」
俺の膝の上でiPadをいじっていたうにゅほが、不思議そうにこちらを振り返る。
「どしたの?」
「Twitterで流れてきた広告の漫画を読んでしまった」
「だめなの?」
「いや、面白くて」
「……だめなの?」
「買うか買わないかの岐路に立たされている……」
「どんなまんが?」
ディスプレイを指差す。
「こいつ、知ってる? 通称ラーメンハゲ」
「あ、みたことある」
「こいつの漫画」
「おもしろいの……?」
「いや、これが面白いんだよ。マジで」
「ふうん」
「でも、ひとつ問題があってさ」
「なに?」
「こいつ、たしか別の漫画の悪役でさ。この漫画自体はスピンオフ作品なんだよ」
「ドラミちゃん?」
「ドラミちゃん?」
「ドラミちゃん、みたいの?」
「……あー、ドラミちゃんが主人公の映画とかあるもんな」
「うん」
「ハゲてるのも一緒だし」
「それはちがうきーする」
「ともあれ、元の漫画を読んでないのに、こっちだけ読んでいいものかと」
「でも、おもしろいんでしょ?」
「面白い」
「おもしろいなら、いいきーするけど……」
「……そうかな」
「うん」
「なら、三巻くらいまで買ってみるか」
「かおかお」
と言うわけで、らーめん再遊記をKindleで購入してしまった。
読み始めたら止まらないもので、結局全巻買う羽目になった。
ラーメンハゲの性格の悪さ、癖になる。
121
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:27:32 ID:lnmn4mrc0
2024年6月6日(木)
近く、弟が退院することになった。
「はッや……」
「ね、すごいね!」
「二、三ヶ月って聞いてたのに……」
医学の進歩は日進月歩。
がんは、もう、決して絶望的な病気ではないのだろう。
「たいいん、たのしみだね!」
「楽しみ……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「たのしみじゃない?」
「嬉しいのは当然嬉しいけど、楽しみかどうかって言われると困るな」
「えー……」
「仲は悪くないけど、一緒に遊ぶわけじゃない。基本的にはメシのときにしか会わないし、会話もさほど多くはないし」
「でも」
「……まあ、夜中にたまたま廊下で会ったりしたら、ちょっと泣きはするかも」
「──…………」
うにゅほが、俺の頭を優しく撫でる。
「つんでれだ」
「ツンデレとは違うだろ……」
「そかな」
「でも、家族ってそんなもんだろ。一緒にいて楽しい相手じゃなくても、大切だし、元気でいてほしいんだよ」
「……そだね。そうかも」
「それに、退院がいちばん楽しみなのは、俺たちじゃないしな」
「おかあさん?」
「あいつ自身」
「あー」
「二週間の検査入院ですら、あれだけつらかったんだ。二、三ヶ月が一ヶ月に短縮されたのは相当嬉しいだろうな」
「しばらく、びょういんかようんだよね?」
「ああ。通院しながら放射線治療、とは言ってたっけ」
「たいへんだね……」
「入院に比べりゃ天国だろ」
「それはそう」
退院したら、なんか奢ってやろうかな。
機嫌よく、そんなことを考えるのだった。
122
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:27:51 ID:lnmn4mrc0
2024年6月7日(金)
室温は29℃。
窓を開けてもこのありさまだ。
「はちー……」
「暑いな……」
うにゅほを膝に乗せているのも、暑さの理由のひとつではある。
「……そして、眠いな」
「ねむい?」
「眠い」
「ねむいときは、ねる」
膝から降りたうにゅほが、俺の手を引く。
「はいはい……」
暑さとは無関係に眠気は訪れる。
寝苦しくなりそうだ。
そんなことを考えながら床に就き、気付けば意識は溶け落ちていった。
しばらくして、
──ビキッ!
「あがッ!?」
唐突な激痛に、叫び声とも呻き声ともつかない声が漏れる。
「だッ! ぐ、ああッ!」
「──◯◯!?」
理解する。
攣った。
左足のふくらはぎが、これ以上ないほど攣っていた。
「◯◯、つったの! こっち? のばすね!」
「あ、ああ……」
うにゅほの的確な処置により、痛みは徐々に引いていく。
だが、ここからが地獄の始まりだった。
「……ありがとう、××」
「も、いいかな……?」
うにゅほが、恐る恐る手を離す。
──ビキッ!
「ぐッ!」
「わ、また!」
攣る、攣る、攣る。
一向に治らない。
五分ほど格闘して、ようやく小康状態に持って行くことはできたものの、立ち上がろうとするとまた攣る。
うにゅほの肩を借り、なんとかパソコンチェアへと移動する。
「……これ、ただ攣ってるだけじゃないぞ」
「いたい?」
「何もしなくても痛い」
「うう……」
うにゅほが、我が事のように痛そうな顔をする。
「派手に攣りすぎて肉離れを起こしたのかも……」
「びょういんは──」
壁掛け時計に視線を向ける。
午後五時過ぎ。
しかも、今日は金曜日だ。
その事実に気付いたのか、うにゅほが呟くように言った。
「……◯◯、きゅうびょうのとき、いっつもこんなかんじだね」
「うん……」
それから数時間が経過し、なんとか歩くことはできるようになった。
だが、ふくらはぎの痛みはまだ引かない。
どうしようかな……。
123
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:28:06 ID:lnmn4mrc0
2024年6月8日(土)
「◯◯、あしだいじょぶ……?」
「あー」
昨日、激しく攣った左足のふくらはぎだが、歩くとまだすこし痛む。
本当に、軽い肉離れかもしれない。
「突っ張る感じはあるけど、歩けはするし、病院行くほどでもないかな」
「そか」
うにゅほが、安心したように微笑む。
「攣ったときはマジで焦ったけどな……」
「わたしもあせったよ……」
「たぶん原因は水分不足だし、暑い日には水なりお茶なりちゃんと飲まないとな」
「うん」
仮で使っているパソコンチェアをくるりと回し、冷蔵庫を開いて烏龍茶を取り出す。
エルゴヒューマンの代替品としては安物だが、外付けのランバーサポートのおかげか、今のところ腰は痛まずに済んでいる。
ただし、ケツは痛い。
「あ゙ー……」
背もたれに体重を預け、天井を見上げる。
「このチェア、なんでこんなにケツ──」
と、言い掛けたときだった。
──バキッ!
「がッ!?」
何かが折れる音がして、頭ががくんと後ろに倒れた。
「わ!」
慌てて身を起こし、確認する。
ヘッドレストが折れて、フローリングの上に転がっていた。
「──…………」
「おれた……」
「……昨日といい、今日といい」
「えんぎわるいね……」
「なんかしたっけ、俺」
「してない、と、おもう」
折れたヘッドレストを部屋の隅に寄せて、改めて天井を見上げる。
「やっぱ、ないと微妙だな……」
「あたらしいの、くるまで、もつかなあ」
「一ヶ月持たないチェアってどうなのよ」
「うーん」
新しいチェアが届くまで、あと三週間。
これ以上壊れないことを祈るばかりだった。
124
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:28:36 ID:lnmn4mrc0
2024年6月9日(日)
正午過ぎ、うにゅほが自室へ駆け込んできた。
「──◯◯! でっかいのきた!」
「でっかいの?」
慌てて玄関へ向かうと、巨大なダンボール箱が佇立していた。
「でか!」
「でっかい……」
「つーか、これチェアだよ。30日に届くはずの!」
「え、きょう」
「9日」
「さんしゅうかん、はやい……」
驚きだ。
しかし、早いぶんには困らない。
「××、組み立てるから手伝ってくれ」
「はーい」
20kg以上あるパソコンチェアを組み立てるのは、それなりの大仕事だ。
「よし、ここで座面を支柱に差し込んで──」
「あ、まって」
上部パーツと下部パーツを繋げようとしたとき、うにゅほが俺を制止した。
「へや、はこんでから、つなげよ」
「あ、なるほど」
完全に一個のチェアにしてしまうと、運びにくいものな。
上部と下部を手分けして二階へ運び、自室でがしゃこんと繋げたあと、ヘッドレストを取り付けて完成と相成った。
「おー……」
「これに外付けのランバーサポートを装着して、と」
「◯◯、すわってみて!」
「おう!」
新しいパソコンチェアに、初めて腰を下ろす。
座り続けてみなければわからないが、座り心地の第一印象は悪くはなかった。
ただ、
「ランバーサポートがあるから、けっこう座面の前の方に座る感じになるんだな……」
「だめ?」
「ダメって言うか」
うにゅほの手を引き、膝に座らせる。
「わ」
「俺の膝の座り心地が悪くなるんじゃないかなって」
「あー」
「どうだ?」
うにゅほが幾度か座り直したあと、言った。
「ずりおちそう……」
「なら、左腕で支えないとダメか」
うにゅほの腰に左腕を回し、固定する。
「あ、いいかも」
「なら、しばらくこれで試してみるか」
「うん」
パソコンチェアの座り心地も重要だが、俺の膝の座り心地も同じくらい重要だ。
座り続けて確認しなければ。
125
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:29:04 ID:lnmn4mrc0
2024年6月10日(月)
レイコップのハンディクリーナ―を購入した。
「おおー……」
うにゅほが手に持ち、空中をエア掃除する。
「どうだ?」
「おもくない!」
「ダイソンの掃除機、いちいち一階から持ってくるのめんどいしさ。ちょっとしたものはこれで吸っちゃおう」
「ちょっとしたもの……」
うにゅほが、フローリングの床に視線を落とす。
「──あ、あった。わたしのけ」
ハンディクリーナーのスイッチを入れ、抜け落ちたうにゅほのロングヘアを吸い取る。
「すえた!」
「吸引力はどんなもんだ?」
「だいそんより、よわい」
「まあな……」
「でも、じゅうぶん。すえる、すえる」
「ならよかった」
自室の床をひとしきり掃除したあと、うにゅほがハンディクリーナーを俺に手渡す。
「つくえのうえとか、いいかも」
「どれどれ」
付属のブラシをハンディクリーナーに装着し、適当に掃除してみる。
「お」
液晶タブレットの上に積もりつつある微細なホコリが綺麗に吸える。
「おお」
ホコリですこし汚れていた黒いマウスパッドが、見る間に綺麗になっていく。
「おおお……!」
ダークモードにしたおかげで僅かなホコリでも気になっていたメインディスプレイが、美しい黒に輝いた。
「これいいじゃん!」
「ね、いいよね」
目にはつくけど掃除するほどじゃない。
そう思っていたレベルのホコリが、ささっと吸えてしまう。
革命だった。
「買ってよかったな……」
「うん、よかった!」
デスクの上のホコリが気になる人は、ハンディクリーナーを買うべきである。
126
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:29:44 ID:lnmn4mrc0
2024年6月11日(火)
弟の退院日が明日に決まった。
「はっや……」
「はやいね!」
手術をしてから、まだ一ヶ月も経ってないぞ。
もっとも、しばらくのあいだは、通院して放射線治療を続けなければならないけれど。
両親共に用事があると言うので、明日の迎えは俺とうにゅほだ。
「♪〜」
膝の上で、うにゅほが鼻歌を口ずさむ。
「機嫌いいな」
「うへー……」
うにゅほの両頬を、両手で潰す。
「ぶえ」
「はははっ!」
「ぶべー」
こんなことをされても嬉しそうなあたり、機嫌の良さは最高潮らしい。
「◯◯も、きげんいい」
「そうか?」
「ほっぺた、こう」
うにゅほが、自分の頬を指先で持ち上げる。
「うえ、あがってる」
「マジか」
両手で自分の頬をマッサージし、キリッとした表情を作ってみせる。
「どうよ」
「きげん、よさそう」
「これでもか……」
「このながれが、もう、きげんいい」
「……たしかに」
一時は死すら心配した弟が、明日には退院なのだ。
何も思わないわけがない。
「でも、(弟)には内緒だぞ」
「?」
「喜んでるって気付かれたら恥ずかしいじゃん」
「えー……?」
うにゅほが口を尖らせる。
「うれしいって、いえばいいのに」
「照れくさいんだよ……」
「そこ、よくわかんない」
「まあな……」
自分でもよくわからなかったりする。
いずれにしても、明日の今頃には、弟が帰宅している。
日常が戻ってくるのだ。
127
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:30:12 ID:lnmn4mrc0
2024年6月12日(水)
弟が退院した。
手術をしたのが中咽頭だったため、発声に多少の難はあるが、会話にはさして支障もない。
「なんかさー……」
「うん」
「俺たち以外の誰かが家にいるって、ほんのり安心するな」
「わかる」
俺たちも、弟も、たいていは部屋にいる。
用事がなければ部屋を行き来することもない。
だが、気配がある。
それだけでいいのだ。
「──××、これ(弟)に渡してきて」
弟の入院中に購入した漫画の新刊をうにゅほに手渡す。
「じぶんでいかないの?」
「作業中でさ。あと、××立ってたから」
「はーい」
二、三分で、うにゅほが戻ってくる。
「ありがとーって、いってたよ」
「そっか」
「あと、なんでらーめんはげのまんがかったの、だって」
「広告で読んじゃって面白かったから……」
「つたえてくるね」
「はいはい」
しばしして、うにゅほが戻ってくる。
「まえの、かわないの、だって」
「今のところ、前のはいいかな。面白いんだろうけど、ラーメンハゲが気に入って読んでるんだし」
「そか」
うにゅほが自室を出て行く。
何故か伝書鳩のようになっていた。
数往復したところで面倒になり、結局俺のほうから弟の部屋へ赴いた。
三人で適当な雑談を交わす。
弟は、発声の練習のために、なるべく会話をしたいそうだった。
大変だ。
でも、家族としては、無事に退院してくれただけで構わない。
まだ放射線治療は残っているが、一段落ではある。
かなり痛いと聞くが、頑張ってほしい。
128
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:30:36 ID:lnmn4mrc0
2024年6月13日(木)
新しいパソコンチェアに合うシートクッションとして、Amazonで注文していた品物が届いた。
俺たちの部屋には複数のシートクッションがあるが、そのいずれもしっくり来なかったのである。
ダンボール箱を開封すると、臀部に合わせた形状のゲルクッションがお目見えした。
「おおー……」
うにゅほが、シートクッションのゲル部分をぐにぐにと押す。
「どうだ?」
「なかなかのもの……」
「どれ、座ってみるか」
チェアの座面にクッションを設置し、腰を下ろす。
ふかっ。
俺のでかい尻を、ゲルが柔らかく受け止めてくれる。
「ほう」
「どう?」
「悪くはない、かも」
「ひざ、すわっていい?」
「いいぞ」
ふに。
うにゅほの小尻が、俺の太股に押しつけられる。
うにゅほの体重が足されても、すぐさま尻が痛くなることはなかった。
「へえー、これいいかも」
「いいんだ」
「Amazonベーシックだから心配してたけど、いい品物もあるんだな」
「あまぞんべーしっく、よくないの?」
「どうだろ。なんか、サクラチェッカーで軒並み低評価なイメージがあって……」
「そなんだ」
「うーん……」
イメージで語るのも申し訳ないので、Amazonベーシックの製品を幾つかピックアップし、サクラチェッカーにかけてみた。
「あれ、どれも評価高いじゃん」
「?」
「──あ、わかった」
「なにー?」
「AmazonおすすめとAmazonベーシックを混同してた」
「おすすめはだめなの?」
「おすすめはダメ」
「おすすめしたらだめでしょ……」
「俺もそう思う」
もっとも、サクラチェッカーを無条件で信用するなら、という前提の話だ。
Amazonおすすめにも良い商品はあると思うので、読者諸兄は自分の判断で購入するものを決めてほしい。
129
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:30:59 ID:lnmn4mrc0
2024年6月14日(金)
「最近、部屋のグレードが上がった気がする」
膝の上のうにゅほが、うんうんと頷く。
「わかる」
「いいものは取り入れて、余計なものは売って、整理整頓も概ね済ませて、住みやすい部屋になったよな」
「まいにち、そうじはしてたけど……」
周囲をぐるりと見渡し、うにゅほが言った。
「すーごい、きれいになった」
「やっぱ、根本的に物が多すぎたな。掃除もしやすくなったろ」
「うん、しやすい。はんでぃくりーなーもね、らく」
「下からダイソン持ってくる必要ないもんな……」
「てがるなわりに、ちゃんとすうし」
「この状態を維持したいな」
「ねー」
整理整頓された綺麗な部屋で過ごすのは、気持ちがいい。
半年前の自分に言っても笑われるかもしれないな。
断捨離が過ぎてミニマリストになる人の気持ちも、僅かではあるが、わかる。
「この部屋をさらに良くするとしたら、××はどうする?」
「さらに」
「さらに」
「うーと……」
しばしの沈思黙考ののち、うにゅほが答えた。
「あとろくじょうくらい、ひろくする」
「……実現不可能な案が来るとは思わなかった」
「え、だめ……?」
「いや、広くはしたいよ。六畳も広くなったら、かなり悠々使えるもんな」
「ね」
「ただ、本気でやるとすると、六畳ぶんのスペースが空中に張り出すことになるんだよな……」
「そこは、ほら。つごうよく」
「妄想じゃん……」
うにゅほが口を尖らせる。
「じゃあ、げんじつてきなあん、だして」
「あー」
現実的な案、か。
「××が水着を着る、とか」
「みずぎ」
「男の夢かなって……」
「へんなの……」
冗談だと思ったのか、着てくれなかった。
俺は本気だ。
130
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:31:19 ID:lnmn4mrc0
2024年6月15日(土)
「うーさーぎ、おーいし、ふーふーふーふー……」
うにゅほが、小声で何事かを歌いながら、部屋の掃除をしていた。
「こーぶーら、つーいし、ふーふーふーふー……」
「──…………」
コブラ?
「××」
「はーい?」
「もっかい、今のとこ歌ってみて」
「?」
小首をかしげながら、うにゅほが再度"ふるさと"の一節を口ずさみ始める。
「うーさーぎ、おーいし、ふーふーふーふー」
「──…………」
「こーぶーら、つーいし、ふーふーふーふー」
「ここだ」
「?」
「歌詞間違ってる」
「そもそも、おぼえてないよー……」
たしかに。
「にしても、コブラはないだろコブラは」
「こぶらじゃないの?」
「小鮒だな」
「こぶな」
「そう」
「こぶなって、なに?」
「小さいフナだよ」
「ふなって、さかな?」
「そう」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「おぼえた」
「ところで、"ついし"ってなんだ?」
「ついし……」
「"こぶらついし"って歌ってたじゃん」
「わかんない。てきとう」
「マジで適当に歌ってたんだな……」
「うん」
鼻歌だし、ツッコむほどのことでもないか。
そう思っていたのだが、ふと気が付いた。
こぶらついし。
コブラツイスト。
「──コブラツイスト!」
「あ、きいたことある」
「コブラと来たからにはツイストって歌いたいけど、文字数足りないから"ついし"って歌ってたのか……」
「そなの?」
「君のことだぞ」
「だって、てきとうだもん……」
しかし、当たっている気がしてならない。
コブラツイストなんてプロレス技、よく知ってたな。
131
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/06/16(日) 17:31:59 ID:lnmn4mrc0
以上、十二年七ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
132
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:07:33 ID:kyA.j7RI0
2024年6月16日(日)
「ふゥー……」
十五分のエクササイズを終え、チェアに深く腰掛ける。
「おつかれさま」
「ああ」
「つづいてるね!」
「生活サイクルに組み込めたのがでかいな……」
物事は、始めるのがいちばん大変である。
次に大変なのは、日課にするまで。
いざ日課になってしまえば、継続するのはさほど難しくない。
「つぎ、わたしやるね」
「はいよー」
チェアごと移動し、スペースを開ける。
うにゅほが、YouTube動画を再生し、投稿者の動きに合わせてエクササイズを始めた。
「う、……しょ」
「──…………」
「♪〜」
「──…………」
何故か、じーっと観察してしまう。
特にエロい動きなどがあるわけでもないのだが、なんとなく面白い。
最後に腹筋ローラーを二十回こなし、うにゅほが立ち上がる。
「ふいー!」
「運動したあと、気分いいよな」
「わかる」
たった十五分のエクササイズだが、やらないよりも遥かにましだ。
「今度、追加で足踏みもしようかと思っててさ」
「あしぶみ」
「散歩すんの面倒だから……」
「いみあるのかな」
「足は第二の心臓って言うだろ。歩くことで足の筋肉がポンプ代わりになって、血液の巡りがよくなるんだよ」
「あしぶみでも、なる?」
「たぶん……」
「じゃ、してみる?」
「もうすこし余裕が出たらかな。今から足踏みはだるい」
「たしかに……」
十五分のエクササイズにプラスして、五分間のその場足踏み。
気が向いた日に始めてみよう。
133
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:07:53 ID:kyA.j7RI0
2024年6月17日(月)
「──暑い!」
「はちー……」
時刻は既に夜を迎え、全開の窓の前ではレースカーテンがひらひらと舞っている。
にも関わらず、現在の室温は30℃を僅かに超えていた。
「まだ七月にもなってないのに……」
「ねー……」
膝に乗せているうにゅほも暑さの原因には違いないが、ふたりとも離れる気はあまりない。
「……エアコン、か?」
「エアコン、かも……」
「仕方ないよな、窓開けて30℃なんだもん」
「しかたない、しかたない」
「よし、窓を閉めろ」
「はい!」
手分けして自室の窓を閉め、エアコンの冷房を入れる。
一瞬だけ上がった室温が、すぐに下がっていくのが体感でもわかった。
「ふいー……」
「エアコンだねえ……」
「今年はだいぶ世話になりそうだな」
「わかる。あつい」
「まあ、暑い夏は嫌いじゃない。むしろ好き」
「わかるー」
「なんか、楽しくなってくるよな」
「あつすぎて、こう、たのしくなってくる」
「同じこと言っとるわ」
「だってー」
そんな頭の悪い会話をしていると、視界の端を何かが通り過ぎた。
「むし……?」
「虫っぽいな。ちっちゃくて速い虫」
恐らく、網戸をすり抜けてきたのだろう。
「ちいちゃくてはやいむし、たおせないからこまる……」
「××、これ」
膝の上のうにゅほにキンチョールを託す。
「見掛けたら頼む」
「わかった!」
しばらくして、
「──!」
視界を横切った虫に対し、うにゅほがキンチョールを構える。
ぷしゅー!
「つめた!」
「うん?」
「ぎゃくむきで、おしちゃった……」
「ドジっ子……」
「うへー」
「指、洗ってきたほうがいいぞ」
「はあい」
うにゅほが就寝した今になっても、あの小さい虫を仕留められてはいない。
急に来るから反応が間に合わないんだよな。
視界に入ることのないまま物陰で餓死してくれないだろうか。
134
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:08:21 ID:kyA.j7RI0
2024年6月18日(火)
自室でくつろいでいるとき、ふと思い出した。
「××。昨日の虫倒した?」
「ちいちゃいむし?」
「そう」
「たおしてない」
「あれから見てないな」
「みてない……」
「うーん」
視界に入らないところで餓死してほしいと願ったが、いざ姿が見えなくなると、それはそれで消化不良感がある。
とは言え、何ができるわけでもない。
「まあ、外に逃げたと思っておこう」
「そだね」
「友達の話とか聞いてると、北海道に住んでてよかったって心底思うよ」
「どんなはなし?」
「ゴキの話とか……」
「──…………」
うにゅほが真顔になる。
「……やめとく?」
「いちおう、きく」
「あのサイズの虫を、部屋で見失うらしいんだよ。無理だろ、もう」
「むりむりむり」
「友達はゴキ潰せるらしいけど、そうでない人は、マジでどうやって生きてるのかわからん。発狂しないのかな」
「むり……」
「シュレディンガーのゴキブリ。部屋に存在する可能性があるだけで、俺も××も本州には住めないな……」
「むり」
うにゅほが、"むり"しか言わないbotになってしまった。
「たとえば、だけどさ」
「たとえないで!」
「……俺が何言うかわかるの?」
「だいたいわかる……」
「ほう」
「いわない。かんがえたくない」
「俺が東京に引っ越すって言ったらどうする?」
「だめっていったのに!」
本当に察していたらしい。
「どうする?」
「い、──……く、けど」
「けど?」
「いかないで……」
「行かない行かない」
行くわけがない。
だが、今日の日記が数年後の伏線となることを、俺たちはまだ知る由もなかったのである。
135
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:08:41 ID:kyA.j7RI0
2024年6月19日(水)
「あ」
ふと、とある記憶が蘇った。
「すげーどうでもいいこと思い出した」
「なになに」
「すげーどうでもいいぞ」
「きになる」
「俺、中退はしたけど、いちおう大学通ってたんだよ」
「それはしってる」
「大学には、学祭ってのがあってだな」
「うん」
「それはもう、盛り上がるわけだ」
「◯◯は?」
「普通に盛り上がってた」
「おー……」
「友達とサークルの出し物見て回ってるとき、カクテル売ってる店があったんだよ」
「え、おさけもうってるの?」
「売ってた。法的にどうかは知らんけど」
「ぱりぴー……」
「そんとき、友達と一緒に買って飲んだんだけどな」
「うん」
「め──……ッ、ちゃ! 濃かったんだよ」
「そんなに……」
「たぶん、素人だから、ジュースとリキュールの比率を反対にして作っちゃったんだと思う」
「それ、どうしたの?」
「飲んだ」
「のんだの」
「酔ったなー、無駄に……」
「それが、おもいだしたこと?」
「そうそう。どうでもよかっただろ」
「ううん」
うにゅほが首を横に振る。
「むかしの◯◯のはなし、きけて、たのしいよ」
「じゃあ、またなんか思い出したら話すわ」
「たのしみ」
自分にとってはどうでもいいことでも、うにゅほにとってはそうではないこともある。
昔話を語るのも、たまにであれば悪くないのかもしれない。
136
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:09:07 ID:kyA.j7RI0
2024年6月20日(木)
「××、なんか面白いことして」
「えー……」
座椅子に腰掛けてiPadをいじっていたうにゅほが、口を尖らせた。
「にっき、またかくことないの?」
「ない」
「こまった」
「困ってるから、面白いことして」
「むつかしいよ……」
「じゃあ、面白くないことして」
「おもしろくないこと」
「これなら簡単だろ」
「えー……?」
「××ならできる!」
「う、と……」
うにゅほが右足を伸ばし、指先をぎゅっと丸めてみせた。
「はい」
「……ちょっと面白いな」
「そう……?」
「もっと面白くないことで頼むわ」
「うー」
うにゅほがiPadを置き、両手を構えて頭上に上げた。
「わっ」
「……けっこう面白いな」
「うそだ!」
「××なら、もっと面白くないことができるはず」
「なんなの……」
「はい、やる」
「うー」
頭を左右に揺らしながら思案したのち、うにゅほが言った。
「このいす、いーっすね」
「──…………」
「──……」
「今のは面白くなかったな」
「なんかやだ!」
「座ってるのも座椅子だし……」
「ぶんせきしないで!」
「悪い悪い」
「……にっき、かけるー?」
「××の恥のおかげで書けそうだ」
「はじっていわないで……」
「大丈夫。この日記を読んで読者が感じるのは、××の恥じゃなくて、俺の性格の悪さだから」
「それは、そう」
と言うわけで、ネタのない日もうにゅほが協力してくれれば乗り切ることができるのだった。
137
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:09:26 ID:kyA.j7RI0
2024年6月21日(金)
「リソース」
「りそーす?」
「リソースって、なんだと思う?」
「たぶん、ソースではない……」
「正解」
「うへー」
「じゃあ、ソイソース」
「わかるよ」
「なーんだ」
「しょうゆ」
「正解」
「ふふん」
「オイスターソース」
「……ソース」
「正解」
「ソースであることしかわかんない……」
「牡蠣のソースだよ」
「かき」
「牡蠣は英語でオイスターだからな」
「ほー」
「オープンソース」
「──…………」
「ソースか、そうでないか」
「……ソース!」
「ではない」
「ではなかったかー……」
「IT用語だな」
「へえー」
「ソースクイズ、今週はこのへんで」
「らいしゅうもあるの?」
「リソースを使い切ったから、もうありません」
「あ、りそーす。ソースではないやつ」
「資源って意味だよ」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ソースのりそーすが、ない」
「その通り」
「りそーすあるクイズ、だして」
「んー……」
しばし思案し、
「クイズクイズー!」
「くいずくいず」
「スクイズ」
「……クイズではない!」
「正解!」
「うへー」
「野球用語です」
「そなんだ」
「そして、クイズのリソースは尽きました」
「ほかのだして」
「ええ……」
「だーしーて」
うにゅほにねだられると、弱い。
しばしのあいだ、iPhoneで検索をかけながら、ゆるいクイズを出題し続けるのだった。
138
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:09:46 ID:kyA.j7RI0
2024年6月22日(土)
トイレから戻ってくると、うにゅほの姿が見えなかった。
「……?」
だが、それも一瞬のことだ。
よくよく見てみれば、デスクの下に隠れているのが丸わかりだった。
「なーにやってんだ」
パソコンチェアに腰を下ろし、爪先でつんつんつつく。
「わ、わ、わ」
「出てこーい」
「ここ、ひみつきちにする」
「急に……」
何かの漫画にでも影響されたのだろうか。
「まあ、いいけど。いたずらするなよ?」
「はーい」
デスクの下でiPadをいじっているだけだし、平和なものである。
うにゅほは素直だ。
いたずらするなと言えば、決してすることはないだろう。
だが、俺は素直ではない。
つんつん。
爪先で、うにゅほの足をつつく。
「わ」
両足で、うにゅほの膝を挟む。
「わ、わ、やめてー」
「ははは」
「わたし、じゃま……?」
邪魔は邪魔だ。
だが、それだけではない。
「邪魔と言うか、楽しい。いたずらするのが」
「わたしには、するなっていったのに……」
「俺はしないって言ってないし」
「ずるい」
うにゅほが、俺の左足をギュウと抱き締めた。
「わるいあしは、こう」
「右足が空いてるぞ」
「そっち、いいあしってことにして」
「仕方ないなあ……」
あんまりいたずらをしまくっても、秘密基地で遊んでいる感が薄れるだろう。
「iPadで何見てるんだ?」
デスクの下を覗き込む。
「ドラえもんのやつ」
「ドラえもんのやつ……」
床に置かれたiPadには、ドラえもんの雑学チャンネルが表示されていた。
ドラえもん、好きだなあ。
俺も好きだけど。
秘密基地ごっこはすぐに飽きたらしく、夕食後には定位置である俺の膝の上に戻ってきていた。
やってみたかっただけらしい。
139
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:10:04 ID:kyA.j7RI0
2024年6月23日(日)
今日の日記を書こうとWordファイルを開いたところ、既に一行だけ入力されていた。
「××」
「?」
「これ見て、これ」
寝る支度を整えていたうにゅほが、ディスプレイを覗き込む。
「ゆめ……?」
「たぶん、今朝見た夢のことだわ。朦朧としながらメモってたみたい」
そこには一行、"雨穴と栗原さんの声真似が異様に上手くなる夢"とだけ書かれていた。
「へんないえのひとだよね」
「そうそう。一緒に動画見たよな」
「こわいかめんかぶった、たかいこえの」
「ボイスチェンジャーだと思うけどな」
「まねしてみて?」
「……いや、夢だから」
「できるかも」
「あー……」
こほん、と咳払いをし、喉の調整をする。
「──"雨穴と申します"」
だが、かすれた高い声が喉から漏れただけだった。
「だめかー」
「あんな高い声、出るはずないだろ!」
「くりはらさんって、ひくいこえだよね。あっちはできる?」
「まあ、あっちなら」
こほん、と咳払いをし、幾分か気楽に口を開く。
「──"栗原です"」
「あー」
「どうだ?」
「にてー、……る」
「そんなに溜めて言うくらいなら似てないだろ……」
「にてなくもない」
「××も、なんか物真似しろ」
「え!」
「俺にさせたんだし……」
「むりむりむり」
「さあ、恥をかけ!」
「う、うー……」
うにゅほが挑戦した雨穴の物真似は、似てもいないし遠くもない、なんとも言えない完成度だった。
物真似って難しい。
140
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:10:24 ID:kyA.j7RI0
2024年6月24日(月)
過去の日記を眺めていて、ふと気が付いた。
「ICL手術してから、もう二年も経つのか……」
「めーの、しじつ?」
「そう。眼内レンズのやつ」
「にねんもたつんだ」
「びっくりだな」
「◯◯、しじつするまで、ずーっとめがねだったもんね」
「ほんと、手術してよかったよ。快適過ぎる」
とは言え、ICL手術を誰かに勧めるかと言えば、それは難しい問題だ。
確率的に低いとは言え、視力が元に戻る可能性もあるし、そういった場合に責任が取れないからだ。
そのため、俺としては、この決まり文句を言う他ない。
"個人の感想です"。
「めがね、たいへんだった?」
「大変だった。そもそもが鬱陶しいし、何かの弾みで歪むたびに眼鏡屋に調整してもらいに行かなきゃならない」
「いっしょにいったね」
「××、暇だったろ」
「めがねみてた」
「暇じゃん」
「ひまだった……」
「人生のほとんどを眼鏡と共に過ごしてきたけど、眼鏡を掛けててよかったと思うことが一度もなかった」
「かぜのつよいとき、とか」
「目にゴミが入らないって?」
「うん」
「意外と普通に入る」
「はいるんだ……」
「上下左右は開いてるからな……」
「たしかに」
「他に、僅かでもよかったって思える点は──」
天井を見上げ、しばし思案する。
思案する。
思案する。
「ないわ」
「ほんとにないんだ……」
「マジでない。デバフでしかない」
「……めーよくて、よかったかも」
「本当にな」
ICL手術を決断し、施術に耐えた二年前の自分に感謝する。
すこぶる快適です。
141
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:10:43 ID:kyA.j7RI0
2024年6月25日(火)
うにゅほを膝に乗せながら、今日ものんびりYouTubeと洒落込んでいた。
俺は、オカルト系のチャンネルが好きだ。
ネットに蔓延る謎や都市伝説を調査していくチャンネルの動画を見ていたとき、うにゅほが俺の左手で遊び始めた。
動画の内容が合わなかったらしい。
爪の長さをじーっと見たり、あるかどうかもわからないツボを押したりしている。
「暇?」
「ひま……」
「あんまり面白くないか」
「うん……」
うにゅほは、インターネットに詳しくない。
知らない人が知らないことを解き明かしている動画に面白さを見出せるはずもなかった。
「別の動画見るか」
「みてていいよ?」
「でもな」
「◯◯、すきそうだし……」
「好きだけど、××が寝たあとに見ればいいしな。今は××と見てるんだから、××にも面白い動画のほうがいいよ」
うにゅほが、嬉しそうに微笑む。
「うへー……」
「優しいだろ」
「やさしい」
「さて、どの動画見るか……」
YouTubeのホーム画面を開くと、いくつものおすすめ動画が表示される。
だが、そのほとんどがオカルト系動画だった。
「……完全に侵蝕されてるな」
「あ、これは? マリオ」
「あー、マリオメーカーのプレイ動画か」
「まえ、よくみてた」
「見てたけど……」
「けど?」
「……マリオメーカー系の実況者って、なんで異常にうるさいんだろ。沈黙を怖がってるって言うか」
「あー……」
「あれが嫌で見なくなっちゃったんだよな……」
「うるさくないひと、いるかも」
「探してみるか」
「うん」
こちらのテンションと合う実況者がいないか探しながら、動画を漁っていく。
結果、静かとは言いがたいが、うるさいと言うほどでもない実況者がひとり見つかった。
「ああ、この人なら見てられるわ。プレイも上手いし」
「きょうは、このひとのみよ」
「だな」
チャンネル登録を済ませたあと、二時間ほど動画を流し見る。
ふと思った。
「××は、うるさい実況者って大丈夫だったりする?」
「わたし?」
「ああ」
「そんなにきにしない、かも」
「──…………」
単に、俺が年食ったから、うるさいのがダメになったのかなあ。
そんな気もするのだった。
142
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:11:02 ID:kyA.j7RI0
2024年6月26日(水)
ふと、記憶が蘇った。
「ビーダマンっておもちゃがあったんだよ」
「びーだまん?」
「ボンバーマンの腹からビー玉を射出するおもちゃなんだけどさ」
「ぼんばーまんの……?」
うにゅほが、大きく首をかしげる。
「なんで?」
「なんでって言われても……」
「ぼんばーまん、ばくだんじゃないの?」
「爆弾発射したらダメだろ」
「ちがくて」
「まあ、なんでボンバーマンの腹からビー玉だったのかは、俺もよくわかってない」
「ふうん……」
「まずは画像を見てくれ」
"ビーダマン"で画像検索すると、さまざまなビーダマンの画像が表示された。
「……ぼんばーまん?」
「正直、進化し過ぎてよくわからなくなってた」
「あ、これ」
うにゅほが指差したのは、まさしく白ボンの腹部にビー玉がセットされた最初期のビーダマンの画像だった。
「そう、これが最初」
「へえー」
「んで、ビー玉飛ばすの危ないから、ペットボトルのキャップに変更になったんだよ」
「なまえは?」
「ボトルマン」
「ぼとるまん……」
「ボトルマンは、キャラクターデザインがボンバーマンじゃなくなってるっぽいんだよな」
「なんで?」
「わからん。わからんけど、さっきの××みたいに疑問に思った人がいたんじゃないか?」
「ぼんばーまんなの、いみわかんないもんね……」
「俺もそう思う」
「うん」
「アニメだと、ボンバーマンビーダマンみたいな言い方してたしな。スーパーサイヤ人ゴッドスーパーサイヤ人みたいな」
「どっちもよくわかんない」
「俺も」
うにゅほが素朴な疑問を口にする。
「なんで、このはなし?」
「いや、思い出したから……」
「そか」
雑談に大した意味はない。
ボトルマンのアニメでは、ボトルキャップで壁を破壊したりしていたのだろうか。
それだけが気になった。
143
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:11:20 ID:kyA.j7RI0
2024年6月27日(木)
今日は、大学病院の受診日だった。
午前九時に採血を行い、待って、待って、待って、ようやく数分程度の診察を受ける。
処方箋を受け取り、支払いを済ませ、大学病院の玄関を出たのが午前十一時だった。
「今日は早めに済んだな」
「ねー」
「それに、玄関出てすぐのとこに薬局できたし」
「めんどくさくないね」
「どっちにする?」
大学病院の敷地内に開かれた薬局は、二軒。
どちらも、同じ建物内に、テナントのように開設されている。
「すいてるほう、いいな……」
「んじゃ、右のほうか」
見れば、広く新しい店内に、患者が二名しかいない。
左の薬局はもうすこし客が入っているように見えたが、空いているのは良いことだ。
「なんか、いいタイミングで来たみたいだな」
「ね!」
薬局に入った瞬間、従業員が話し掛けてきた。
導かれるままにマイナンバーカードを機械に通し、処方箋を渡して長椅子に腰掛ける。
また、すぐに従業員が近付いてきて、ラミネート加工された数枚の資料を手渡された。
住所や名前などを書くのかと思ったら、違うらしい。
「こちらの専用アプリをインストールしていただいて」
「えっ」
まるで当然のことのように説明が続く。
「アプリ入れないと調剤してもらえないんですか?」
「その、入れていただいて……」
「──…………」
我ながら、嫌な顔をしていたと思う。
どんなに便利なアプリであれど、強制的に入れさせられるのはごめんだった。
ただ、それを拒否して左側の薬局へ向かうのも角が立つし、トラブルを起こしているところをうにゅほに見せたくはない。
結局、溜め息をひとつついたあと、素直にアプリを入れることにした。
その後はスムーズに調剤が終わり、支払いを済ませて薬局を後にした。
「◯◯、すーごいやなかおしてた……」
「わかりましたか」
「わかりました」
「絶対強制じゃないだろ。でも、あの従業員、ぼかして強制みたいな言い方したろ。ノルマがあるんだよ、ノルマが。たぶん」
「あー……」
「だから空いてたんだ。これは絶対」
「そうかも」
次回は、どちらの薬局へ行こうかな。
アプリを入れた以上は右側の薬局へ行ったほうが便利なのだろうが、好感度が死ぬほど下がっている。
まあ、空いてるほうでいいか。
144
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:11:40 ID:kyA.j7RI0
2024年6月28日(金)
「よいッ、……しょ!」
ホームセンターで仕入れてきたペプシと烏龍茶のダンボール箱を、二箱まとめて持ち上げる。
そのまま階段を駆け上がり、自室へ運び込むと、額に汗が浮かぶのがわかった。
「あぢー……」
「う、……っしょ! う、……っしょ!」
最後の一箱を、持ち上げては置き、持ち上げては置きを繰り返しながら、うにゅほが階段を上がってくる。
「ああ、ほら」
階段の途中でそれを受け取り、自室のダンボール箱の上に積み上げた。
「××、腕力ないんだから、無理しないで」
「はーい」
「しかし、暑いな……」
「はちち……」
「夏だよ、夏。もうこれ」
「なつだー……」
「エアコンつけよう」
「うん」
エアコンの冷房を入れ、パソコンチェアに腰掛ける。
「うーしょ」
うにゅほが、即座に俺の膝に腰を下ろした。
ぴたりと触れた場所から、うにゅほの体温が伝わってくる。
「……さすがに暑くない?」
「すずしくなるし……」
「まあ、そうか」
「うん」
実際、ほんの数分で、涼しげな空気が届き始める。
「ふいー……」
「今年の夏、ヤバそうな予感しない?」
「する」
「真夏日とか、猛暑日とか、ガンガン来そうだよな」
「きそう」
「楽しみだなあ」
「ね、たのしみ」
俺も、うにゅほも、暑いのは案外好きである。
最悪の場合でもエアコンがあるし、どこかイベントやアトラクションとして楽しんでいる部分もなくはない。
とは言え、熱中症は洒落にならないので、読者諸兄もよくよく気を付けてほしい。
こまめな水分補給をどうぞ。
145
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:11:58 ID:kyA.j7RI0
2024年6月29日(土)
「ふん、ふん」
「──…………」
「しょ、……っしょ」
「──…………」
「んぎ」
「──…………」
ここ一ヶ月ほど、エクササイズを続けている。
俺とうにゅほで順番に行っているのだが、うにゅほが運動するさまをじっと眺めているのが好きだった。
特に、動くたびに漏れる声が面白い。
「ふー」
臀部のエクササイズを一通り終え、うにゅほが立ち上がる。
「はい、◯◯。つぎふっきん」
「××、エクササイズの効果出てる?」
「んー……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「じぶんで、わかんない。でてる?」
「いや、どうだろ……」
もともと小尻だしなあ。
「腹筋はどうだ?」
「さいしょ、きんにくつうなったけど、いまはなんない」
「そのくらいか」
「さわってみて」
うにゅほがシャツの裾をまくる。
形の良いおへそが見えた。
見慣れているので、動揺もせずに、うにゅほのおなかに手を触れる。
「うひ」
「んー……」
すべすべだ。
「力入れてみて」
「ふ!」
皮膚の下で、腹筋が固くなるのを感じた。
「あー」
「どう?」
「元がわからん」
「えー……」
「仕方ないだろ。腹筋に力入れた状態でおなか触ったことないんだから」
「じゃ、いまのおぼえといて」
「わかった。一ヶ月後に、また確認しよう」
「うん」
果たして、うにゅほの腹筋は発達するのか。
乞うご期待である。
146
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:12:27 ID:kyA.j7RI0
2024年6月30日(日)
雨が、ざあざあ降っていた。
「あめだー」
「雨だな」
「すーごいふってる……」
「ここまで降るの、久し振りかもな」
「そうかも」
ふと、温湿度計へと視線を向ける。
「湿度は44%か」
「かいてき」
「わからないぞ。ここから、べったべた汗だく祭りが開催される可能性もある」
「そしたら、じょしつだね」
「エアコンは便利だなあ……」
「ねー」
エアコンのない夏なんて、もう考えられない。
「あ、けーおちてる」
俺の膝の上から、うにゅほが床を指差す。
そこには、うにゅほのものと思しき五十センチ超えの髪の毛が一本落ちていた。
「ほら、ハンディクリーナーあるぞ」
「◯◯、やって」
「自分でやらないのか……」
「だって、とおい」
たしかに、膝の上からでは、ハンディクリーナーの端を掴んでも床には届かないかもしれない。
「降りれば──」
「や」
「そうですか」
まあ、嫌ならば仕方ない。
ハンディクリーナーを手に取り、うにゅほの髪の毛を吸う。
「吸えたぞ」
「あ、そっちもけーおちてる」
「本当だ」
床を蹴り、チェアごと移動して髪の毛を吸い取る。
「そこ、そっちも」
「昨日も掃除したのに、案外落ちてるなあ」
日がな一日ふたりで部屋にいれば、そこそこの毛が落ちるものらしい。
しかし、チェアに座りながら掃除もできてしまうとは、ハンディクリーナーとは便利なものだ。
さまざまな便利家電に生かされていると感じる今日この頃なのだった。
147
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/01(月) 20:13:42 ID:kyA.j7RI0
以上、十二年七ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
148
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:24:27 ID:p5yTkYhM0
2024年7月1日(月)
カレンダーを、一枚めくる。
「七月か……」
「しちがつだー」
「早いなあ。2024年も、もう半分過ぎたのか」
「なんか、すーごい、いろいろあったね……」
「(弟)にがんが見つかって、入院して、手術して、退院して。これだけでも情緒が大変だった」
「ほんと、ほんと」
「他に何あったっけ?」
「うーと……」
うにゅほが、頭を左右に動かしながら思案する。
「おかあさん、にゅういんした」
「えっ」
「え?」
「したっけ……?」
「したよ!」
「そうだっけ」
「ぽりーぷ!」
「あっ」
「おもいだした?」
「大腸内視鏡検査で」
「そうそう」
「完全に忘れてたわ……」
「(弟)のにゅういんで、うわがきされたのかも」
「そうかも」
「あと、だんしゃりした」
「したした」
「すーごいうった……」
「断捨離したおかげでやる気が湧いて、部屋もすっかり見違えたよな」
「うんうん」
「エクササイズも始めて、もう一ヶ月経ったし」
「いいことと、わるいこと、はんはんくらい?」
「(弟)のがんが悪いこととしてでか過ぎるから、1:2くらいじゃないか……?」
「そうかも」
「いいこともあれば、悪いこともある。当たり前だけどな」
「うん」
今年も残り半分だ。
いいことの割合が大きくなるように頑張ろう。
149
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:24:57 ID:p5yTkYhM0
2024年7月2日(火)
月に一度の定期受診を終え、帰途につく。
「きょう、はやめにおわったね!」
「だな」
とは言え、既に時刻は午前十時。
受付を済ませたのは八時半だから、一時間以上は余裕で待っている。
「さっさと帰って寝るか……」
「なんじかんねた?」
「一時間くらい」
「ねよう」
「寝ます」
帰宅し、自室へ戻る。
「××さん」
「?」
「なんか、目冴えてきた」
「ねよう」
「眠れない気がする……」
「よかんする?」
「する」
「じゃあ、ねむけくるまでおきてよう」
「そうします」
ひとまず着替えを済ませ、パソコンチェアに腰掛ける。
うにゅほが俺の膝に腰を下ろし、言った。
「ねむくなりそうなどうが、みる?」
「たとえば?」
「つまんないのとか……」
「つまらないのは、そもそも見たくない」
「……たしかに!」
「普通にしてたら、そのうち眠くなるよ」
「そか」
適当にオカルト系の動画を選んで見ていると、
「──……すー」
俺より先に、うにゅほが眠りについていた。
つまらなかったらしい。
うにゅほがずり落ちないように、両腕をおなかに回し、支える。
そのまま三十分ほど動画に見入っていると、だんだん眠気が湧いてきた。
だが、うにゅほを起こすのは可哀想だ。
支えているにも関わらず徐々にずり落ち始めたうにゅほの体を、ぐっ、ぐっ、と持ち上げる。
「うぐ」
それが苦しかったのか、うにゅほがハッと目を覚ました。
「ねてた」
「寝てたな……」
「◯◯は?」
「眠くなってきた」
「わ、ごめん」
うにゅほが、俺の膝から降りる。
「んじゃ寝る……」
「おやすみなさい」
そのまま眠りにつき、目を覚ましたのは午後五時のことだった。
外出する用事があったから仕方がないとは言え、完全に昼夜逆転してしまっているのだった。
150
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:25:23 ID:p5yTkYhM0
2024年7月3日(水)
「──あ、そうだ」
「?」
「今日から新紙幣じゃん」
「あー」
「知ってた?」
「あさ、ニュースでいってたよ」
「現金ほとんど使わないけど、やっぱ最初は違和感あるよな。諭吉じゃないの」
「わかる」
「あと、デザインがなんか……」
「いっしゅんだったけど、なんかへんなかんじした」
「改めて見てみるか?」
「うん」
適当に検索し、新紙幣の見本を確認する。
「……違和感あるの、新しいからじゃないかもなあ」
「うん……」
「××は、どこ気になる?」
「うーとね」
しばし画像とにらめっこしたあと、うにゅほが答えた。
「すうじ、がいこくのおかねみたい」
「ああ、わかるな」
「まえのいちまんえんさつ、がぞうでる?」
「ちょい待ち」
福沢諭吉の一万円札を表示させる。
「あ、やっぱし。かんじのすうじと、ふつうのすうじ、ばしょがはんたいになってる」
「たしかに」
前の一万円札は、漢数字がy軸の真ん中にあった。
対して、新紙幣は、y軸の真ん中にアラビア数字で"10000"と書かれている。
「いわかんあるね……」
「俺が気になったのは、透かしの位置だな」
「すかし」
「どの紙幣も、微妙に透かしが真ん中にないんだよ」
「あ!」
一万円札は、僅かに右上。
五千円札は、左端。
千円札も、僅かに左上となっている。
「これはへんだ……」
「なんか理由があるんだろうけどな」
「うーん」
慣れるまで、しばらくかかりそうだ。
その前に、新紙幣が手元に届くまでに、そこそこ時間がかかりそうだけれど。
151
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:25:42 ID:p5yTkYhM0
2024年7月4日(木)
「あ、そだ」
「んー」
膝の上のうにゅほが、振り返りながら尋ねた。
「◯◯って、ゆうめいなの?」
「何その質問……」
「きになって」
「有名──では、ないんじゃない?」
「そなの?」
「まあ、普通に考えて」
「いろいろしてるのに……」
「いろいろしてるだけ」
「そか……」
「──…………」
改めて考える。
「でも、俺が作ったものを見掛けた、聞いた、触れたって人は、そこそこいる気がするな」
「ふんふん」
「毎日書いてる日記だって、読者はいるし」
「なんにんくらい?」
「わからん……」
「わからんの」
「うん」
「じゃあ、かしは?」
「歌詞がいちばん多いかもな」
「どのくらい?」
「わからん」
「わからんの……」
「いちおうカラオケにも入ってるし、無名ではないかも」
「おおー」
「動画サイトでいちばん伸びたのだと、たしか、YouTubeで百万再生くらいしてたっけ」
「え、すご」
「これに関しては、曲がすごい。海外にウケた曲だからな」
「そか……」
「その次は、ニコニコで三十万再生くらいだった気がする。同人の曲で、勝手にアップロードされたやつ」
「……いいの?」
「さあ……」
「じゃあ、しょうせつは?」
「小説がいちばん無名だな。ぜんぜん読まれてない」
「ずっとまえ、でんししょせきだしてた」
「あれ、ぜんぜん売れなかったし」
「そなんだ……」
「そうなのだ」
「ほかには?」
「え、覚えてない……」
「おぼえてないの?」
「なんか、いろいろやった気がする。でも、ぜんぜん思い出せない。××、知らない?」
「◯◯がぱそこんでなにしてるか、あんましらない」
「だよなあ」
自分がなんの作業をしているのか、俺は聞かれないと答えない。
そして、うにゅほは、あんまり聞いてこない。
ここが見事にすれ違っている。
「まあ、有名ではないってことだな」
「むめいでもない?」
「無名、……でもないか。まったく創作活動をしてない人よりかは」
「そか」
どちらかと言えば無名寄りな気はするが、そういうことにしておこう。
これからも、なんとなく頑張ります。
152
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:25:59 ID:p5yTkYhM0
2024年7月5日(金)
両親が、二泊三日の旅行へと出掛けた。
そのため、俺と弟の胃袋は、うにゅほに完全に託されたことになる。
「◯◯、なにたべたい?」
「あー……」
今日は、暑い。
部屋から出ると、一瞬で食欲が失せる。
「料理、大変だろ。レンジで済む冷凍食品があれば、それでいいよ」
「きにしないでいいのに」
「俺なら嫌だもん。この暑さで火使うの……」
「あついのは、うん」
「だろ?」
「……◯◯がいいっていうなら、そうしようかな」
「(弟)だってそう言うよ」
「きいてくるね」
うにゅほが膝から降り、隣室へと向かう。
しばらくして戻ってきて、
「(弟)も、れいとうしょくひんでいいって」
「な?」
冷凍食品は嫌だカレーが食べたいとか言い出したらどうしようかと思ったが、幸いにも我が弟はそこそこまともらしい。
「れいとうしょくひん、しゃこのれいぞうこにけっこうあるよ。なにがいい?」
「お好み焼きとかなかった?」
「ある」
「じゃあ、それ」
「わかった」
「部屋でさ、ふたりで半分こして食べよう。あんまり食欲ないし」
「んー……」
軽く迷ったうにゅほだったが、結局はこくりと頷いた。
「たまにはいいよね」
「そうそう」
「じゃあ、あっためてくる」
「俺も──」
「◯◯はすずんでて! なつばてしたら、こまる」
「はい」
ほとんど介護である。
冷凍食品のお好み焼きは、下手をすれば普通に作るより美味かった。
最近の冷凍食品は、すごい。
153
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:26:28 ID:p5yTkYhM0
2024年7月6日(土)
所用で外出した帰り道、ふとアイスが食べたくなった。
「アイス食べたい……」
「たべたい」
「コンビニ寄る?」
「よろう!」
次に見つけたセイコーマートへと立ち寄り、さっそくアイスケースの元へと急ぐ。
「××は何がいい?」
「なにがいいかなー……」
ふんふんと機嫌よく、アイスケースの中を覗き見る。
「あ、とうきびアイスにしましょう」
「いいな……」
「◯◯も、とうきびアイスにする?」
「迷う。定番のガリガリ君、BLACKアイスに板チョコアイス、スーパーカップにチョコモナカジャンボ……」
「おいしいもんね……」
「たくさん買って備蓄しておく?」
「たべすぎたらだめだよ?」
「はい……」
「いちにち、にこまで」
「わかりました」
カゴにざんざかアイスを突っ込み、購入する。
帰宅し、空だった自室の冷凍庫にアイスを詰め込むと、お大尽になった気分だった。
「わたし、ブラックアイス」
「とうきびアイスは?」
「きがかわった……」
「じゃあ、俺はとうきびアイス」
「ひとくち」
「はいはい」
外気温で柔らかくなっていたアイスを食べながら、尋ねる。
「晩御飯は?」
「あ」
うにゅほの手が止まる。
「スーパー、よればよかった……」
「あー……」
「あるものでしか、つくれない」
「何が作れそう?」
「なにたべたい?」
「──…………」
「──……」
「カレーは……?」
「つくれるよ」
「じゃあ、カレーが食べたい」
「わかった」
暑さは昨日ほどではないし、火を使う料理でも問題ないだろう。
「皮剥きとか手伝おうか」
「おねがいー」
うにゅほとふたりで作ったカレーは、なんだか普段より美味しい気がした。
154
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:26:47 ID:p5yTkYhM0
2024年7月7日(日)
両親が、二泊三日の旅行から無事に帰ってきた。
それはいいのだが、
「だるー……」
やたらと体が重く、いつまでも眠い。
「……だいじょぶ?」
「わからん……」
「びょうき、また、わるくなったのかなあ……」
「違う気もする」
「そなの?」
「なんか、食欲もない……」
「なつばてだ」
病状が悪化しても食欲だけはある俺だから、夏バテの可能性が高い。
だが、思いつく病名がもうひとつあった。
「冷房病かも……」
「れいぼうびょう?」
「冷房がよく効いた室内にずーっといると、体温調節機能がおかしくなるんだって」
「……えあこん、ずーっといれてる」
「それかなあ」
「きろう」
「でも、不自然な部分もあってさ」
「?」
「まず、××はぜんぜん平気」
「へいき……」
「そして、エアコンつけっぱなしなのは間違いないけど、室温は27℃前後」
「ふつう」
「こんなんで冷房病になるもんかね」
「わかんない……」
「まあ、エアコン切って窓開けようか。今日はそんなに暑くないし」
「そだね」
エアコンの電源を切り、窓を開く。
虫が入って来なければいいのだが。
「そう言えば、本州ヤバかったらしいぞ」
「あついの?」
「ああ。静岡で40℃だって」
「……おふろ?」
「気温」
「やば!」
「このレベルになったら、冷房病とか言ってらんないな」
「ならないでほしい……」
暑さを楽しめる俺たちだが、ここまで来ると普通に命の危機である。
今年の夏は恐ろしい。
155
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:27:04 ID:p5yTkYhM0
2024年7月8日(月)
「◯◯ぃ……」
「……んー?」
昼寝から目を覚ましたばかりの俺に、うにゅほが自分のiPhoneを差し出した。
「これ……」
iPhoneを受け取り、画面を見る。
着信履歴だ。
「……フリーダイヤルから着信?」
しかも、同じ電話番号から、数日置きに着信が入っている。
「なんかいもくる……」
「今日で三回目か」
「うん。◯◯ねてるとき、なった」
「出てはいないんだな」
「しらないひとだもん……」
「偉い偉い」
うにゅほの頭を撫でてやる。
「これ、だれ?」
「んー……」
軽く思案し、ベッドから起き上がる。
「調べてみるか」
「しらべられるの?」
「ああ。普通に電話番号をGoogle検索すればいい」
自室の書斎側へ向かい、パソコンチェアに腰掛けると、うにゅほが俺の膝に腰を下ろした。
さっそく電話番号で検索をかける。
すると、電話帳ナビに該当の電話番号が引っ掛かった。
「出た。浄水器の勧誘だ」
「じょうすいき……」
「××の電話番号が、どっかから漏れたんだろうな。クチコミを見る限り、かなりしつこそうだ。出なくて正解」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかったー……」
「着信拒否しておこう」
「して」
「はいはい」
この番号を着信拒否設定にし、うにゅほにiPhoneを返す。
「これで、もう掛かってこないよ」
「あんしん」
「たまにあるんだよな、知らない番号からの着信」
「◯◯もあるの?」
「あるある。特に、フリーダイヤルは絶対に出ないようにしてる」
「わたしもそうする……」
迷惑電話のたぐいは、一度出ると与し易しと見て余計にしつこくなる場合がある。
決して出ずに、電話番号を調べ、必要であれば着信拒否をするのがいちばんいいだろう。
読者諸兄も気を付けてほしい。
156
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:27:28 ID:p5yTkYhM0
2024年7月9日(火)
「猫探しゲーあるじゃん」
「ある」
「好き?」
「すき」
「来月、新作出るって」
「おおー」
「買う?」
「かう!」
"ただ猫を探すだけ"というシンプルなゲーム性が、うにゅほの心を掴んだらしい。
「積みゲーも消化したいんだよな……」
「どのくらいつんでるの?」
「そうだな」
Steamアプリを起動し、ライブラリを表示させる。
「こんくらい」
「えー……」
うにゅほが、マウスのホイールを転がしていく。
「えっ」
「すごいだろ」
「こんなにも……?」
「こんなにも」
「かいすぎ」
「いや、半分くらいは誕生日に友達からもらったのだから……」
「すーごいもらってる」
「同じくらい返してるから、結局買ってるのは同じだけど」
「あー……」
「あと、ファミリーシェアリング機能で(弟)が買ったのも混じってる」
「ぜんぶやるだけで、いちねんくらいかかりそう」
「かかるだろうな……」
たぶん、半分以上は死ぬまでプレイしないだろう。
「やるとしたら、なにからやる?」
「そうだなあ」
ライブラリの中身を確認していく。
「聖剣3はやりたいなって」
「ふんふん」
「あと、エルデンリングとか、ペルソナ5とか、ここらへんの大作どころはやらないともったいないし」
「たいさくじゃないのは?」
「Celesteってインディーズゲームを、やろうやろうと思って数年経ってる」
「いまやる?」
「……今はちょっと忙しいから」
「やらなそう……」
俺もそう思う。
ちまちま消化して行かないとなあ。
157
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:27:49 ID:p5yTkYhM0
2024年7月10日(水)
うにゅほを膝に乗せたままくつろいでいると、ふと背中が痒くなった。
「──…………」
軽く身じろぎをし、背中に手を伸ばす。
届きそうにない。
思いきり身をよじれば届くかもしれないが、うにゅほが膝から滑り落ちる気がする。
さて、どうしよう。
デスクの上に視線を向けると、使えそうなものがいくつかあった。
まず、液タブのペン。
これは第一候補だ。
だが、すこし短い気もする。
次に、爪切り。
一見短いように思えるが、広げることができる。
最後に、ハサミ。
大きめのハサミであり、液タブのペンより確実に患部を掻くことができるだろう。
ただ、多少の危険はあるかもしれない。
しばし思案し、俺はハサミを手に取った。
危険より確実性を取ったのだ。
ハサミで背中を掻いていると、もぞもぞ動いているのが気になったのか、うにゅほがこちらを振り返った。
「?」
「ああ、背中掻いてただけだよ」
そう言って、デスクの上にハサミを戻す。
「わ!」
うにゅほが目をまるくした。
「はさみでかいてたの……!」
「いちばん手頃で」
「あぶない」
「それは思った」
「おもったなら、やめよ……?」
「痒くて……」
「かゆかったら、いって。わたし、かくから」
「邪魔するのも悪いかなって」
「きにしないで」
「はい……」
理解していたつもりだが、うにゅほの反応を見て改めて思う。
ハサミで背中を掻くのは、危ない。
そして、思った以上に非常識である。
"常識"は、自分ひとりだと抜け落ちがちな判断基準だ。
気を付けよう。
158
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:28:10 ID:p5yTkYhM0
2024年7月11日(木)
「ふー……」
背中、臀部、腹筋のエクササイズを終え、うにゅほが立ち上がる。
あとは、五分間の足踏みだ。
エクササイズはひとりずつしかできないが、足踏みは並んでできる。
YouTubeで適当な動画を再生し、ふたりで足踏みを始めた。
「ふ、……ふっ……」
きっちりと腿を上げるうにゅほを横目に、俺は、ただなんとなく目を閉じてみた。
真っ暗ではない。
目蓋の毛細血管を透かした光が、ぼんやりと赤く感じられる。
そのまま一、二分ほど足踏みを続けていると、
「わ」
軽く驚いたようなうにゅほの声が、真正面から聞こえた。
目を開ける。
隣にいたはずのうにゅほが、すぐ目の前にいた。
「どしたの……?」
「あー」
理解する。
目を閉じたまま足踏みをしたことで、知らないうちに左に回転してしまっていたらしい。
それを説明すると、うにゅほが興味深げな表情を浮かべた。
「わたしもかいてんするかな」
「やってみ」
「うん」
うにゅほが目を閉じ、足踏みを始める。
一歩離れて観察していると、うにゅほがこちらへ近付いてきた。
また一歩離れる。
さらに近付いてくる。
「××。目開けて、目」
ぱち。
「……ずれてる!」
「めっちゃこっち来てたぞ」
「なんでだろ」
「左足のアタックが強いんじゃないか?」
「もっかい、きーつけてやってみる」
「ああ」
うにゅほが、再び足踏みを始める。
今度は徐々に反対側へ移動し始めたので、危険と判断し、肩を掴んだ。
「わ」
「……俺も、××も、目閉じたまま歩いたらダメな人種だわ」
「めーとじたままあるいたら、そもそもだめ」
それはそう。
左右のバランスが崩れているのだろうか。
すこし気に掛かる結果だった。
159
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:28:29 ID:p5yTkYhM0
2024年7月12日(金)
「あぢー……」
エアコンをつけているはずなのに、暑い。
自室の書斎側に設置してある温湿度計は、29.5℃を表示していた。
「ベッド、すずしいよー」
「あー」
エアコンは、書斎側ではなく、寝室側に取り付けられている。
そのため、冷風がまっすぐ届かないのが熱の篭もる原因だろう。
のそりとベッドに寝転がると、エアコンの風が直接吹き下ろした。
「こーれは、涼しいな……」
「ね」
「読書でもするか」
「うん」
ベッドの上で読書を気取り、小一時間ほどして肌寒くなったところで書斎側へと戻った。
寝室側と書斎側とでは、体感温度が1℃か2℃は違う。
画面の電源が落ちたPCを復帰させようとマウスを動かしたところ、ログイン画面が表示された。
「げッ」
「どしたの?」
「勝手に再起動しやがった……」
Windows UpdateなどでPCが勝手に再起動していたときの憤懣やるかたない感じは、他ではなかなか味わえない。
「さいきどう、そんなにめんどくさいの……?」
「まあ、言うてそうでもない」
「そうでもないんだ」
「でも、なんだろうな。勝手にされると"ああ゙ッ!"てなる」
「そなんだ……」
「自分の管理してる自分だけの場所を勝手に荒らされた気分になるのかな」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「すこしわかるかも」
「××も、そういうのある?」
「たからものいれてるはことか、かってにあけられたり、へんなのいれられたら、すーごいいやなきぶんになるとおもう……」
「……いじらないでおこう」
「うん」
うにゅほにガチで怒られたら、たぶん凹むし。
Microsoftには、PCがその人の管理するその人だけの場所であることを理解し、勝手に再起動することのないよう悔い改めて欲しい。
160
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:28:51 ID:p5yTkYhM0
2024年7月13日(土)
「××、判定員して」
「はんていいん?」
「夏判定員」
「なつはんていいん……」
「××判定員」
「はい」
「夏は来ましたか!」
「なつです」
「夏だったか……」
うにゅほが小首をかしげる。
「いまのなに?」
「雑談」
「そか」
「夏と言えば?」
「え」
「夏と言えば?」
「おまつり……?」
「今年、あるかな」
「あってほしい」
「あるとは思う」
「たのしみ……」
「他には?」
「すいか」
「……××、スイカ好きだっけ?」
「ふつう」
「普通かー」
「だめ?」
「いや、てっきり好きなものを言うのかなって」
「なつといえば、だし……」
「他には?」
「なつで、すきなもの?」
「ああ」
「なつのかんじ」
「──…………」
えらく抽象的なものが出てきた。
「なつのかんじ、だめ……?」
ルールを決めずに質問しているのに、後出しで文句を言うのは違うよな。
「いや、わかる。いいよな、夏の感じ。上手く表現できないけど」
「うん。くちでいえないけど……」
「"夏!"って感じ」
「わかるー」
この夏の感じは、あと二ヶ月は続くだろう。
今年の夏も堪能したいものだ。
161
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:29:19 ID:p5yTkYhM0
2024年7月14日(日)
「あぢー……」
ペプシゼロと烏龍茶のダンボール箱、計三箱を、ふたりで玄関へと運び込む。
「うーしょ、と!」
がごん。
うにゅほが上がり框にダンボール箱を置くと、ペットボトルが中で擦れて鈍い音を立てた。
「あんまり飲みまくらないようにしないとな。買いに行くのめんどい」
「でも、なつだしねー」
「まあな……」
愛車のパレットをガレージに入庫し、玄関に向かう。
すると、うにゅほが真剣な眼差しで、玄関先を睨みつけていた。
「どした」
「◯◯、これ……」
うにゅほが指差す先を見る。
そこには、我が家の基礎の割れ目へと侵入していくアリの列があった。
「あ、こいつら!」
「いえ、はいってる……」
「マジかよ……」
俺たちとアリとの因縁は、元はと言えば数年前に遡る。
無数のアリが、唐突に屋内へと姿を現し始めたのだ。
入ってきたアリを潰し、調味料や生ゴミを隔離し、アリ用の殺虫剤を何種類も投入しても、やつらは滅びることはなかった。
最終的には駆除業者に頼り、俺たちとアリとの最終戦争は終わりを告げたはずだった。
「家の中にはまだ出てないけど、壁の裏側とかは確実に通ってるよな……」
「うん……」
「とりあえず、余ってるアリ用の殺虫剤とかで、いったん対処しよう」
「わかった!」
とは言え、数年前に効かなかったものだ。
あまり効果は期待できないだろう。
「被害が出る前に駆除業者に頼むのがいちばんいいんだよな……」
「そだね……」
「業者、ネットで探しておくか」
「うん」
粉タイプのアリ駆除剤をアリの列にぶん撒いたあと、ダンボール箱を抱えて自室へ戻る。
嫌なものを見てしまった。
でも、被害が出る前に気付けたことを喜ぶべきなんだろうな。
162
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:29:48 ID:p5yTkYhM0
2024年7月15日(月)
アイスが切れた。
「ガリガリ君……、ガリガリ君をくれ……」
「たべたいね……」
「……買いに行く、かあ」
「うん」
重い腰を上げ、愛車で最寄りのコンビニへと向かう。
歩くなんて考えは毛頭ない。
熱中症対策と言えば言える。
ガリガリ君を始めとした安価なアイスを大量に購入し、コンビニを出る。
すると、駐車場に一台のバイクが停められていることに気が付いた。
ただそれだけならば気にも留めないのだが、
「くま」
「クマだな……」
タンデムシートにクマのぬいぐるみがくくりつけられていた。
「かわいい」
「可愛い、か……?」
「かわいくない?」
「いや、クマは可愛いぞクマは。ただなあ……」
タンデムシートにぬいぐるみを乗せて走るバイカーの気持ちがわからず、ほのかに怖い。
「どんなひとか、みてく?」
「……いや、やめとこう。自由だしな」
この時点で日記にすることを決めているので、あまり変なことを書きたくないという気持ちがあった。
趣味は人それぞれだし、見た目とのギャップをネタにするのも悪い気がしたのだ。
帰宅し、ガリガリ君を頬張りながら、ぬいぐるみをタンデムシートに乗せて走るバイカーがどのくらいいるのかを調べてみた。
「××、××」
「?」
座椅子に座ってBLACKアイスを堪能していたうにゅほを手招きする。
「この動画見てみ」
YouTube動画を再生する。
そこには、コストコの巨大ぬいぐるみを背負いながら走るバイカーの姿が映し出されていた。
「でっか!」
「太めの子供くらいあるな……」
「おそわれてる……」
「案外いるみたいだな、ぬいぐるみ乗せて走る人」
「あめのときとか、どうするんだろ」
「あー」
たしかに。
雨が降り出したら、シートでも掛けるのだろうか。
まさか、そのまま雨ざらしにはしないよなあ。
気になるが、答えは出ないのだった。
163
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/07/15(月) 23:30:20 ID:p5yTkYhM0
以上、十二年八ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
164
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:55:19 ID:AKbvZkU.0
2024年7月16日(火)
「今日も暑いわね……」
「そうわね……」
「あら、××さん。言葉遣いがなっていなくてよ」
「え」
唐突に始まった謎の遊びに、うにゅほがルールを確認する。
「おじょうさまっぽく、はなす、のかしら……?」
「よくってよ!」
「む、むつかしいですわ」
「お嬢さまソウルを胸に宿せば簡単ですわ」
「そうる……」
「××さんも、お嬢さまになるのですわ!」
「が、がんばりますわ!」
などと適当に遊んでいると、だんだん飽きてきた。
「××さん」
「はいですわ」
「ルール変えよう」
「いきなり」
「ぱぴぷぺ語で何言ってるか当てる遊びにしよう」
「ぜんぜんちがう!」
「ぱぷぴ」
「あつい」
「ぱぱぷぴ」
「まなつび」
「ぴぺぷぽぱぴぱ」
「きめつのやいば」
「当てるじゃん……」
「かんたんかも」
「じゃあ、次は××が出題してくれ」
「えーと……」
うにゅほが、自室をぐるりと見渡す。
この時点で、部屋にあるものから出題しようとしていることがわかる。
うにゅほの視線が、ティッシュ箱へと向かう。
「ぴっぷ」
「ティッシュ」
「せーかい!」
「わかりやすすぎる……」
「いがいと、かんたんだよね」
「そういう意味じゃないんだけど」
「?」
「じゃ、次」
「まってね」
うにゅほが再び自室を見渡し、
「ぱぱぱぴぽぽぷぽぱぱぴぱん」
「からかい上手の高木さん」
「せーかい!」
「長いほうがわかるな……」
「かんたん、これ」
「次はばびぶべ語にする?」
「おなじとおもう……」
そんな具合に、ぬるま湯な遊びをしながら酷暑の一日をやり過ごした。
なるべく部屋から出たくない。
165
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:55:45 ID:AKbvZkU.0
2024年7月17日(水)
「××さー……」
「んー?」
俺の膝の上でチョコバナナアイスを食べていたうにゅほが、こちらを振り返った。
「お金たんまりあったら、どうする?」
「おかね」
「ああ」
「いくらくらい?」
「百億円」
「すごい」
「あったら、どうする?」
「んー……」
アイスをはぐはぐ食べ進めながら、ついでのように答える。
「ごうてい、とか?」
「あー」
「そんなには、いらないけど……」
「広すぎてもな」
「うん」
「他には?」
「◯◯に、ぱそこんかってあげる」
「マジか」
「いちばんいいの」
「たぶん、二百万くらいか」
「ごうていは?」
「十億円くらい」
「あまる……」
「他には?」
「わかんない。こまる」
「発想が貧困」
「じゃあ、◯◯は?」
「まず、豪邸だろ」
「うん」
「あとPC買う」
「うん」
「貯金」
「ひんこん」
「そんなもんだよな……」
「うん、そんなもん」
「あと、××になんか買ってあげよう」
「なに?」
「何が欲しい?」
「ねこ」
「あー、豪邸で猫飼いたいな」
「でしょ」
「いいかも。部屋を絞れば、(弟)の猫アレルギーもなんとかなるし」
「ねこかうための、ごうてい」
「贅沢過ぎる……」
猫を飼いたいので、誰か百億円ください。
166
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:56:06 ID:AKbvZkU.0
2024年7月18日(木)
「──◯◯、◯◯!」
不意に、うにゅほが自室へと駆け込んでくる。
「んー?」
「おまつり、やるって!」
「おお」
町内会の夏祭りは、俺たちが楽しみにしているイベントのひとつだ。
今年も無事に開催されるのは喜ばしい。
「なんか、はやくやるって」
「何日くらい?」
「……なんか、はやくやるって」
具体的な情報は持っていないらしい。
「どこ情報?」
「いまね、ちょうないかいのひとがきたの」
「ああ」
インターホンが鳴っていたものな。
「おとうさんがでてね、なつまつりのはなししてた」
「こっそり聞いてたのか」
「うしろとおるの、はずかしいし……」
それもよくわからないが。
「なら、父さんは知ってるんじゃないか」
「あ、そか」
「聞いてきたら?」
「んー……」
小首をかしげたまま、うにゅほがしばし思案する。
「……しらないほう、わくわくするきーしてきた」
「例年通りなら、七月の最終日曜だよな」
「うん」
「早めってことは、まさか、三日後だったり?」
「はやい!」
「さすがにないとは思うけど……」
「じゅんび、ぜんぜんしてないもんね」
「でも、明日と明後日で準備して三日後本番って可能性もなくはない」
「……どきどきしてきた」
「楽しみだな」
「◯◯、どきどきしてる?」
「ドキドキはしてない」
「なんで」
「ドキドキすることではないから……?」
「わたしだけどきどきするの、ずるい」
「そんなこと言われてもな」
毎年恒例の町内会の夏祭りで、ここまでドキドキできるのは、いっそ羨ましい。
日々、ドキドキワクワクしながら生きていきたいものだ。
167
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:56:25 ID:AKbvZkU.0
2024年7月19日(金)
髪を切った。
「どうよ」
「いいよー!」
ビッ、と、うにゅほが親指を立てる。
テンション高いな。
「かみ、ながいなー、ながいなーって、ずっとおもってたから」
「言えよ……」
「こだわりがあるのかなって」
「ないよ……」
「なかった」
「髪切るタイミングって難しいんだよな。一ヶ月に一度とか、決めておけば楽なんだろうけど」
「わたし、さんかげつにいちど」
うにゅほは、母親と共に、親族が経営している美容室に通っている。
「俺、前に切ったのっていつだったっけ」
「にっき、かいてない?」
「あー」
書いてそうだ。
部屋着に着替え、パソコンチェアに腰を下ろす。
当然のように、うにゅほが俺の膝に腰掛けた。
日記内を"髪"で検索していくと、最後に散髪したのは去年の九月となっていた。※1
「……九月?」
「え、そんなに?」
「まさか」
さすがに十ヶ月も放置しているはずがない。
「たぶん、髪切ったけど日記にしてない日があったんだ」
「なら、わかんないね……」
「ヒントがある」
「ひんと?」
「この日記に、"最後に髪を切ったのは五ヶ月前"と書いてる。そのくらいの周期で髪を切りたくなると考えると……?」
「……にがつくらいに、きってるかのうせいがある!」
「と、思ったんだけどさ」
「?」
「"床屋"ってワードで検索すると、十一月に切ってる。ほら、入院中に」※2
「あ」
うにゅほも思い出したらしい。
「ただ、そのあと別の店で切った記憶もあるから、たぶん三月くらいじゃないかな。ほら、雪が解けて出掛けやすくなるから」
「よんかげつか―」
「そら、あんだけ長くもなるよな」
今回はだいぶ短く切ったので、五ヶ月くらいは行けそうだ。
※1 2023年9月11日(月)参照
※2 2023年11月24日(金)参照
168
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:56:53 ID:AKbvZkU.0
2024年7月20日(土)
「──◯◯!」
唐突に、うにゅほが自室へと駆け込んできた。
「こうえん、おまつりのじゅんびしてる!」
「え、マジで」
「うん!」
うにゅほに手を引かれながら、両親の寝室へと向かう。
すると、家の前の公園にイベントテントが張られていた。
「おまつり、あしたなんだよ!」
「マジでそうみたいだな……」
「おおおお……」
うにゅほが興奮している。
「すーごいたのしみ……」
「だな」
「──…………」
その双眸を半眼にして、うにゅほが俺を見つめる。
「ほんとにたのしみ……?」
「いや、楽しみだって」
うにゅほほどではないだけで。
「もっとたのしみにして!」
「ええ……?」
なんか面倒な絡み方をしてきたな。
「いいか、××」
「?」
「俺は、楽しみパワーを当日まで溜めているんだ」
「──…………」
うにゅほが白けた顔をする。
「誤魔化せなかったか……」
「ごまかせなかった」
「いや、楽しみなのは本当だからな! こう、"楽しみ"の種類がすこし違うだけで」
「しゅるい?」
「"明日ディズニーランド行く!"と"明日句会がありますので"だと、同じ楽しみでも違う感じがするだろ」
「それは、うん」
「俺は、じんわり楽しみなんだよ。××みたいな激しい感じじゃない。でも、楽しみなのは同じだろ?」
「あー……」
誤魔化せたか?
「そか。たのしみは、たのしみなんだもんね」
「そういうこと」
よし、誤魔化せた。
「なんか、ほっとしたかおした?」
「……元からこういう顔です」
楽しみなのは本当なのだが、うにゅほのテンションにはついていけない。
これでいて当日は、しっとりと祭りの空気を楽しむだけなのだから、よくわからないバランス感覚である。
ともあれ、明日は夏祭りだ。
年に一度の雰囲気を、しっかりと味わおう。
169
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:57:20 ID:AKbvZkU.0
2024年7月21日(日)
「──……◯◯、◯◯」
「ん……」
肩を揺すられ、目を覚ます。
俺を起こしたのは、浴衣姿のうにゅほだった。
「……おお、可愛いのがいる」
「うへえー……」
俺の言葉に、うにゅほがてれりと微笑んだ。
「おまつり、はじまってるよ」
「マジか」
ベッドの上で耳を澄ませる。
人々の喧噪が、かすかに届いた。
「いこ!」
「ああ」
とは言え、行くのは夏祭りではない。
両親の寝室だ。
俺とうにゅほは、家の前の公園を見下ろせる両親の寝室から、夏祭りの空気を感じるのが好きなのだ。
「うへー、おまつりだ」
「集まってんなー」
「うん!」
とは言え、暑い。
今日は余裕で30℃を超えるらしい。
俺は、寝室の窓を閉めて、エアコンの電源を入れた。
ごろん、とベッドに寝転がる。
「ひざまくら、する?」
「いいねえ……」
浴衣姿のうにゅほに膝枕をされながら、涼しい部屋の中で、祭りの喧噪を感じる。
最高過ぎた。
しばし、まどろみのうちに時間を過ごし、やがて胃袋が空腹を訴える。
「焼き鳥くらい買ってくるか……」
「たべたい」
「奢ってあげましょう」
「やた!」
涼しい寝室を出て、公園へと向かう。
「──あッッッ、づ!」
気温だけではない。
直射日光が、半端ではなかった。
よく、こんな日に、これほどまでに人が集まるものだ。
五分ほど並んで焼き鳥と豚串を買ったのだが、日光のせいで右半身だけヒリヒリするくらいだった。
「今日ヤバない……?」
「……すーごい、あつい。みんなすごい……」
急いで寝室に戻り、文明を享受する。
iPadで動画を見たりしながら、ゆったりと時間をふたりで過ごし、気付けば最後の盆踊りも終わっていた。
「はー、よかったー……」
「ああ。今年もよかったな」
「らいねん、たのしみ」
「気が早いって」
夏祭りの一日は、俺たちにとって特別な時間だ。
また来年も無事に開催してほしい。
170
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:57:56 ID:AKbvZkU.0
2024年7月22日(月)
「……なーんか、おかしいんだよな」
「?」
俺の膝でくつろいでいたうにゅほが、こちらを振り返った。
「ネットが重い気がする……」
「そなの?」
「全体的にもっさりしてる気がするし、ほら」
YouTubeを開き、適当な動画を再生する。
設定から確認した画質は480pになっていた。
「画質も悪い」
「きになんないけど……」
「気になる気にならないではなく、回線速度が遅いと、ここが勝手に低い数字になるんだよ」
「ふつうは?」
「1080p」
「ひくいね……」
「回線速度調べてみるか」
「うん」
通信速度測定サイトを開き、しばし待つ。
「──4Mbps!?」
「お、おそいの……?」
「遅すぎる。だって、これ光回線だぞ。最低でも100Mbpsは出てないとおかしい」
「おそ!」
「どこがボトルネックになってるんだ……?」
プロバイダの問題であれば、俺がどうにかできる問題ではない。
だが、そうではない可能性も当然ある。
先日、Wi-Fiルーターを新調したが、俺のPCはホームゲートウェイから直接有線で繋いでいる。
うにゅほを膝から下ろし、自室の寝室側にあるホームゲートウェイを確認する。
本来"電話"と"ネット"のランプが点いているはずのものが、"電源"ランプしか光っていなかった。
「これか……」
ホームゲートウェイの電源をぶっこ抜き、一分待って繋げ直す。
しばらく待つと、"電話"と"ネット"のランプが点灯した。
PCの前へ戻り、再び通信速度測定サイトを開く。
「──よし、200Mbps!」
「なおった!」
「やっぱホームゲートウェイだったか」
「◯◯、すごいね。よくわかるね……」
「経路を辿り直せば、なんとなくわかるもんだ」
ようやく快適なインターネット環境が戻ってきた。
4Mbpsはないよな、4Mbpsは。
171
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:58:24 ID:AKbvZkU.0
2024年7月23日(火)
「あ゙ー……」
痒い。
左膝の裏が痒い。
完全にあせもになっていた。
「××、メンタム取って……」
「うん」
座椅子に腰掛けていたうにゅほが、本棚に置いてあったメンソレータムの容器を取り、手渡してくれる。
「はい。あんまかいたらだめだよ……?」
「ありがとう」
指先に軟膏を取り、患部に擦り込む。
「××は、あせも大丈夫か?」
「……なりそうなとこ、ある」
「塗ってやろうか」
「あ、ぬってー」
うにゅほが、シャツを大きくめくる。
そして、飾り気のないブラジャーを、下からすこしだけずらした。
南半球が僅かに覗く。
「おお……」
眼福である。
「ここ、あかくなってない……?」
たしかに、左胸の下部、ブラジャーの下端と皮膚が接するところが赤みを帯びて見える。
「ほんとだ」
「ぬってー」
「はいはい」
ぺとりと軟膏を指に取り、ふくらみの下をなぞるように塗り込む。
「終わり」
「ありがと」
「他には大丈夫か?」
「えーと──」
次にうにゅほが提示したのは、さらに際どい場所だった。
描写は省く。
「ぬってくれて、ありがと!」
「こちらこそ……」
「?」
「メンタムもいいけど、もっと効く薬ないもんかね。あんま効果を実感してないんだよな」
「あー」
「いちばんいいのは、市販薬じゃなくて、皮膚科でもらう薬なんだけどな」
「でも、あせもで……?」
「それ」
「だよね……」
かゆみは睡眠の質も低下させる。
我慢できなくなったら、ひとまずドラッグストアに駆け込もう。
172
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:58:52 ID:AKbvZkU.0
2024年7月24日(水)
自室の飲み物が尽きたので、嫌々ながら買い出しに行くことにした。
愛車のパレットで最寄りのホームセンターへと向かい、冷房の効き始めた車を降りる。
「あぢー……」
「はちーねえ……」
ギラギラと照りつける午後の太陽から逃げるように店内へ入ろうとすると、
「……え、何これ」
ミストワークファンと書かれた水しぶきの出る扇風機のようなものが自動ドアの前に設置してあった。
しかも、通ろうとすると必ず水がぶっかかる位置に。
「ぬれる……」
「濡れたら涼しいのかもしれないけどさ……」
だからと言って、強制的に濡らされたいわけでもない。
まあ、仕方がない。
入らなければ買い物ができない。
ミストワークファンの前を通ると、一瞬、たしかに涼しかった。
濡れた感覚が多少不快ではあったものの、わざわざクレームを入れるほどのことでもないだろう。
そう考えて店内へ入ると、強めの冷房が俺たちを出迎えた。
「さむ!」
「落差がすごいな……」
ミストで濡らされたおかげで、余計に寒い。
ホームセンター特有のでかいショッピングカートにダンボール箱を三箱乗せて、レジを通して駐車場へ向かう。
ダンボール箱を後部座席に積み込んだあと、ショッピングカートを玄関に戻し、今度は運転席に乗り込んだ。
計四回、濡れた。
「……だいぶ濡れたな」
「だいじょぶ?」
「涼しいは涼しいけども……」
やはり、シャツが肌に貼り付いて不快ではある。
「……なんであのいちに」
「せめて、迂回すれば避けられる位置に設置してほしかった」
「うん……」
誰も文句を言わないのだろうか。
そう思ったが、俺たち自身も"言うほどのことではない"と事なかれ主義を発揮している。
きっと、あのミストワークファンは、半分の人に快を、もう半分の人にうっすらとした不快を与えながら、しばらく設置され続けるのだろうな。
173
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:59:18 ID:AKbvZkU.0
2024年7月25日(木)
深夜、YouTubeのショートをぼんやり眺めていると、粉瘤の手術動画が流れてきた。
「……おお」
実は、嫌いじゃない。
埋没毛を抜く動画や、鼻の角栓を取る動画、扁桃腺の膿栓を除去する動画など、気持ち悪いのに見てしまう。
目を逸らしたいのに、取れると気持ちがいい。
気が付けば、ショートでは足りなくなって、粉瘤の手術をする動画を検索していた。
「うわァ……」
でかい。
でかすぎる。
そして、キモすぎる。
でも、見てしまう。
そんな時間を過ごし、気付けば時刻は朝方だった。
そのまま就寝し、目を覚ましたのは正午過ぎ。
顔を洗い、うがいをし、自室に戻ると、iPadを持ったうにゅほが困り顔をしていた。
「ね、◯◯……」
「ん?」
「なんか、へんなどうが、でる……」
「変な動画?」
iPadを受け取り、画面を見る。
すると、YouTubeのおすすめに、粉瘤の手術動画がズラリと並んでいた。
「あ、やべ」
同じアカウントだからな。
そりゃ、おすすめ動画に出まくるわ。
「悪い、いま直すわ」
おすすめに出ている粉瘤動画をすべて、"興味なし"に設定していく。
「◯◯、みてたの? しじつのどうが……」
「……見てた」
「なんで?」
「──…………」
なんでと言われてもなあ。
「前に、埋没毛を抜く動画とか一緒に見たろ」※1
「あ、みた」
「それと同ジャンルで、もうすこし気持ち悪いやつなんだよ……」
「あー……」
「まあ、でも、見ないほうがいいと思う。血とか出るしな」
「ちーは、あんましみたくないかも……」
「だよなあ」
冷静になると、なんであんなもん見てたんだってなるんだよな。
でも、見ると気持ちがいい。
不思議なものだ。
「猫の動画見よう、猫の動画」
「あ、みる」
うにゅほには、できれば可愛い動画を見ていてほしい。
俺のわがままである。
※1 2023年1月6日(金)参照
174
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 18:59:43 ID:AKbvZkU.0
2024年7月26日(金)
「うおおお……」
痒い。
あせもが痒い。
メンソレータムではとても耐えられそうになかった。
「ドラッグストア行ってくる……」
「あ、わたしも」
「アイスも買ってくる」
「わたしも……」
「行ってくる」
「……おいてくの?」
「冗談冗談」
「もー」
身支度をさっと整え、まっすぐドラッグストアへと向かう。
薬剤師に尋ねると、アセモスチールという軟膏を勧められた。
痒みが取れればなんでもいいので素直に購入し、コンビニでアイスを買い足したあと、すぐさま帰宅した。
「これ、なんか白くなるとか言ってたな……」
「いってた」
「白く、ねえ」
「ぬってみよ?」
「あ、ちょっと待って」
添付文書はいちおう読むタイプだ。
「……なるほど」
「なんてかいてた?」
「塗布後、パウダー状になり、患部を乾燥させてサラサラになるらしい」
「あ、いいかも」
「パウダー状になるのを白くなるって表現してたんだな」
「ぬってみよ」
「ああ」
痒みのいちばんひどい、左の腋窩にアセモスチールを塗り込む。
「伸び悪っ!」
パウダーになる関係上、仕方がないのかもしれない。
「……どう?」
「うん、まあ。すぐにはわからん」
「わからんかー……」
「ただ、ほら」
「?」
うにゅほに手のひらを見せる。
「しろい!」
「使うたびに手洗わないとな……」
「なにもさわれないね……」
「──…………」
にじり。
うにゅほへと近付いていく。
「……!」
うにゅほが、一歩後ろに下がった。
「お前も白くしてやろうか……」
「ふ、ふくはやめて!」
「それは冗談じゃ済まないから」
「よかったー……」
「ほれ」
うにゅほの手を取り、腕に白い線を書く。
「わ、ほんとだ」
「もうパウダーになってる」
「すごいね」
「……あ、痒くなくなってきたかも」
「おー」
少なくとも、メンソレータムよりは効き目が強そうだ。
しばらくアセモスチールで戦おう。
175
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 19:00:11 ID:AKbvZkU.0
2024年7月27日(土)
「──あ、背中痒い!」
うにゅほが、アセモスチールに手を伸ばす。
「ぬる?」
「いや、普通に痒いだけ……」
「かく?」
「頼む……!」
膝から下りたうにゅほが、俺の背中に軽く爪を立てる。
「どこー?」
「右上。たぶん肩甲骨くらい」
「ここ?」
「そこ周辺のどっか!」
「このへんかなー」
ぽりぽり。
「あ、そこそこ」
「ここ?」
「ずれた!」
「ここ」
「そこそこ」
「きもちい?」
「気持ちいい……」
掻いてもらって、痒みがスッキリした。
「ありがとうな、××」
「いえいえー」
「××も、背中痒くなったら言うんだぞ」
「じゃあ、かいて」
うにゅほが俺に背中を向けた。
「痒かったのか?」
「かゆくないけど……」
「痒くないんかい」
「でも、かいてもらうのきもちい」
「……すこしわかる」
気を許した相手に触れてもらうのは、それだけで心地がいいものだし。
「じゃ、適当に掻くぞー」
「うん」
背中の中央を優しく掻く。
「おー……」
「どうよ」
「そこそこ」
「そことかあんの?」
「じゃあ、みぎうえ」
「はいはい」
右の肩甲骨をなぞるように掻く。
「そこそこ……」
「じゃあ、こっち」
「そこそこ」
「全部そこそこじゃん」
「どこもきもちいもん……」
「痒くないんだもんな」
「じゃあ、つぎ、わたしかくね」
「頼むわ」
そんな感じで、なんとなく背中を掻き合った。
仲いいなあ、俺たち。
176
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 19:00:47 ID:AKbvZkU.0
2024年7月28日(日)
「……マウスがべたべたする」
「べたべた」
「ほら」
ワイヤレスマウスの電源を切り、膝の上でくつろぐうにゅほに手渡す。
マウスを手で弄んだあと、うにゅほが頷いた。
「べたべたするねえ……」
「アセモスチールのせいな気もする」
アセモスチールは、二日前に購入したあせも用の軟膏だ。
塗ってしばらくするとパウダー化し、サラサラとした触り心地になる。
「あせもすちーる、さらさらするんじゃ?」
「そうなんだよな。おまけに、塗ったあとは絶対手洗ってるし……」
「あせもすちーるのせいかなあ……」
「……もうひとつ可能性がある」
「ふん」
「ゴムの劣化。このマウス、ラバーコーティングなんだけどさ。いつかは劣化してべたべたしてくるもんなんだよ」
「じゃあ、それだ!」
「俺もそんな気がする……」
「どうにかできないの?」
「無水エタノールで拭くって対処法がある」
「むすい……」
うにゅほの視線が本棚の最下段へと向けられる。
そこには、まさに、スプレー式のエタノールの姿があった。
「あるよ?」
「あるなあ」
「ふく?」
「まあ、それはいいんだけどさ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「前のマウスもこいつで拭いてたんだけど、ぜんぜんべたべたが取れなくて」
「きかない……」
「効かないなあ」
「だめだ」
「このマウス二年目なんだけど、前のマウスも二年でべったべたになってたし、買い替え時かもなあ……」
「ゴムじゃないの、かおう」
「……そうしようかな」
ロジクールのMX MASTER 3S、かなり気に入っていたんだけどな。
別のメーカーも検討してみよう。
177
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 19:01:53 ID:AKbvZkU.0
2024年7月29日(月)
申し込んでいたクレジットカードが届いた。
「また、かーど?」
「今度はAmazonのマスターカードだぞ」
「あまぞんのなんだ」
「ああ。今までオリコカード使ってただろ」
「うん」
「オリコカードのポイントで交換してるものが毎回Amazonギフトカードであることに気付いてしまってな……」
「あー……」
「だったら、最初からAmazonのカードにしたほうがお得だろ。Amazonでの買い物だとポイント獲得が2%になるし」
「それはおとく」
「と言うわけで、サブスク関連全部Amazonのカードに変えるか」
「がんばってー」
気のない応援を受けながら、手当たり次第サブスクリプションの支払い方法を変更していく。
「いますぐ必要ないもんは解約しとこ……」
「たとえば?」
「動画を作るときの素材をダウンロードできるサービスとか。これは必要なときだけ契約し直せばいいし」
「そだね」
スイスイと作業を進めていく。
最近のサービスはUIがわかりやすく、簡単にクレジットカード情報を変更できる。
昔は大変だった気がするなあ。
そして、dアニメストアを開いたときのことだった。
「……んー?」
わからない。
どこにもクレジットカード情報を変更できる場所がない。
「どしたの?」
「いや、dアニメストアなんだけどさ。わからん」
「わからんの……」
「調べてみるか」
調べてみた。
「えーと、My docomoにアクセスしてdアカウントを──これdocomoのサービス一元管理してるところからじゃないと設定できないのか。めんどくせ」
「そんなにめんどくさい?」
「そうだな。佐藤さんに会うのに佐藤さんち、鈴木さんに会うのに鈴木さんちに行ってたのに、渡辺さんに会いに行ったら職場の住所を教えられた気持ち」
「わかるような……」
「で、お手続きを押し──どこだ? いいや、Ctrl+Fで……」
「──…………」
「支払い方法の変更? どこだよ。Ctrl+Fでもないじゃん」
「──…………」
「だから、解約はしないんだって!」
「できる?」
「できないんだけど……」
まったくわからない。
ニアミスはしている気がするのだが、肝心のクレジットカード変更ページがどうしても出てこない。
「……いいや。550円だし」
「いいの……?」
「あんまよくない。でもわかんないし、サポートに電話するほどのことでもない」
「◯◯がわかんないこと、あるんだ」
「これだけは言わせてくれ」
「?」
「My docomoのUI、クソ過ぎる」
「そか……」
普段、名指しでディスるようなことはしないのだが、どうしても言いたかった。
dアニメストア自体は嬉しいサービスなのにな。
178
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 19:02:49 ID:AKbvZkU.0
2024年7月30日(火)
暑さのせいで飲み物の消費が激しい。
すべてを飲みきったわけではないが、四週間に一度の定期受診のついでにホームセンターへと立ち寄ることにした。
「今日は三箱じゃなく、二箱にしよう」
「まだあるもんね」
「あと、単純に三箱運び込むのがだるい。この暑いのに」
「わかる……」
愛車のパレットをホームセンターの駐車場に停め、玄関へと向かう。
「あ、こないだのやつ」
うにゅほが玄関脇を指差した。
そこに、前回俺たちを問答無用で濡らしたミストワークファンの姿があった。※1
ミストワークファンは稼働しておらず、また、俺たちのほうを向いてもいなかった。
"お試しください"とだけ書かれている。
「よかった。絶対濡らすマシンじゃなくなってる」
「あれ、やだったね……」
「いくら暑くても、濡れる濡れないはこっちが決めたい」
「うん」
「たぶん、クレーム来たんだろうな……」
俺たちが"言うほどのことでもない"と思っただけで、他の誰かにとっては言うほどのことだったのだろう。
まあ、無理矢理ミストを何度も吹き掛けられれば、不快にもなる。
「……おためす?」
「××はお試したい?」
「んー、べつに……」
「前回、問答無用でお試させられたんだから、いいだろ」
「そだね」
ペプシゼロと烏龍茶をそれぞれ一箱ずつ購入し、帰宅する。
「わたしもはこぶね」
「じゃあ、階段の手前まで頼むわ。階段は怖い」
「わかった」
そう告げて、うにゅほがダンボール箱の持ち手の穴に小さな手を入れる。
「うしょ!」
べり!
持ち上げようとした瞬間、左右の持ち手両方が破れた。
「わ、ごめん!」
「いや、たまになるたまになる。脆くなってたんだろ」
運んでいる最中に破れるのは最悪なので、最初から破れてくれて良かったとも言える。
飲み物の消費が激しいと、出費も激しくなる。
夏は好きだが、もうすこしだけ落ち着いてほしいものだ。
※1 2024年7月24日(水)参照
179
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 19:03:36 ID:AKbvZkU.0
2024年7月31日(水)
「◯◯、なんかとどいてたー」
小さめのダンボール箱を抱えながら、うにゅほが自室へと戻ってきた。
「お、来たか」
「なにかったの?」
「いや、知ってるだろ。一緒に選んだじゃん」
「あ、まうす!」
「そうそう」
「とどくのはやいねえ……」
今回購入したのは、Razer DeathAdder V2 X HyperSpeedというクソ長い名前のマウスである。
ワイヤレスかつ7ボタン、そしてラバーコーティングではないという条件で、手頃な製品がこれだったのだ。
「つかってみましょう」
「そうしましょう」
Razer DeathAdder V2 X HyperSpeed(以下マウス)を開封し、同梱されていた単三乾電池を入れる。
「なんか、接続方式が二種類あるとか書いてたな」
「にしゅるい?」
「Bluetoothと、なんか専用のやつ。専用のやつのが遅延がない」
「じゃあ、せんようのやつだ」
「でも電池食う」
「じゃあ、ぶるーとぅーすのやつだ……」
「ゲーミングマウスだからな。普段遣いならBluetoothでお釣りが来る」
Bluetooth接続を行うと、すぐにマウスが使えるようになる。
有線でもないのに便利なものだ。
「専用のソフトで、ボタンに機能を割り当てないとな」
「どこになにするの?」
「まず、サイドの親指で押すふたつのボタンは、コピーとペースト。これは譲れない」
「こぴぺだ」
「んで、残りのふたつはCtrl+FとGoogle検索」
「しーてぃーあーる、えふ?」
「ページ内検索とか」
「あー」
ささっと設定してしまうと、あっと言う間にこれまでと大差ない使い勝手になった。
「……べつに、MX Masterシリーズにこだわることなかったな」
経年劣化でべったべたになるし。
「ほら、××。マウス操作してみ」
「うん」
うにゅほがマウスを手に取り、左右に振る。
「あ、さらさらしてる」
「こっちは?」
MX Master 3Sを差し出す。
「べたべた……」
「ラバーコーティングのマウス、もう買わないわ」
「うん……」
二年程度でべたべたにならない以上、この新しいマウスとは長い付き合いになりそうだ。
でも、ホイール部分がゴム製なんだよな。
うーん。
180
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/01(木) 19:04:25 ID:AKbvZkU.0
以上、十二年八ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
181
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:04:18 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月1日(木)
「今日も暑いよのなー……」
「よのなー」
「なのよさ」
「なのよのさ」
俺の膝の上で読書にふけるうにゅほが、あまりにも適当に返事をする。
「外出たくねえー……」
「でたくないねえ……」
「でも、アイスなくなったから買いに行かないと」
「そだねえ」
「行く?」
「んー……」
漫画を開きながら、うにゅほがしばし思案する。
「……あとで?」
「涼しくなってからでいいかー……」
「うん」
うにゅほの意識が漫画に戻っていく。
「××さん」
「なにー?」
「邪魔してるだけ」
「なんでー……?」
「なんか、寂しくて」
「?」
うにゅほが顔を上げる。
「かまってくれ」
「えー」
「漫画ばっかり読むんじゃありません!」
両膝を交互に動かし、うにゅほの読書を阻害する。
「わわ、わ」
「どうだ、読めるか!」
「よめないー……」
「はっはっはー」
「くそー」
それでも膝からは意地でも下りないあたり、俺もうにゅほも優先順位が狂っている。
「よむのやめたら、なにするの?」
「え、何しよう」
「のーぷらんだ……」
「特に考えてなかった」
「よんでいい?」
「くッ、仕方ない。いいよ」
「はーい」
「──…………」
「──……」
両膝を交互に動かす。
「わあ!」
「誘惑に勝てなかった」
「もー……」
うにゅほの読書を邪魔しながら、酷暑の日中を乗り切るのだった。
182
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:04:54 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月2日(金)
昨日、行く行く言いながら結局アイスを買いに行かなかったため、日が沈み、涼しくなってから出掛けることにした。
「今回はどんなアイスにする?」
「ガリガリくんは、いる」
「そこはマストよな」
「うん」
「他には?」
「うーと、チョコと、みるきーなのは、ひつようだよね」
「チョコはBLACKアイスでいいよな」
「うん。やすくて、おいしくて、……おいしい」
みっつめの褒め言葉が思いつかなかったらしい。
「結局、チョコアイスでいちばん美味いのがBLACKアイスなんよな……」
「なんよ」
「あとはミルキー系か」
「ばにらでもいいよ」
「カロリー低めのにしたいし、候補としてはクーリッシュとか……」
「あ、すき」
「練乳系のスッキリしたのもいいよな」
「すーぱーかっぷは?」
「あれ、美味さと引き替えに魂をカロリーに売り渡してるから」
「どのくらい?」
「400lcal近くあった気がする」
「……おお」
近所のセイコーマートで三千円分のアイスを購入し、帰宅する。
「ただいまー」
「ただいま」
階段で自室へ向かおうとしたとき、廊下の端に大きめの虫がいることに気が付いた。
「──…………」
履いていた屋内用のスリッパを右手に装備する。
「どしたの?」
「あそこに虫がいる」
「──…………」
虫の存在を確認し、うにゅほの背筋が伸びる。
「げ、げんかんにあーすじぇっとある。わたし、それでたたかう!」
「ああ。暴れてこっち来たら俺が仕留める」
「うん!」
俺たちは勇敢に戦った。
前衛のうにゅほ、後衛の俺という陣形は、身長差からしてもベストだった。
三分ほどの激戦の結果、大きめの虫は、アースジェットに敗北を喫した。
「──××」
「◯◯!」
パチン、とハイタッチをする。
この伝説の一戦は、いつまでも語り継がれることだろう。
たぶん。
183
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:05:20 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月3日(土)
「……──んがっ」
は、と目を覚ます。
首とあごが痛い。
パソコンチェアで寝落ちしていたらしい。
「あ、おきた」
座椅子でiPadをいじっていたうにゅほが、心配そうに俺を見上げる。
「くびとか、いたくない?」
「……まあまあ痛い」
「やっぱし」
「起こしてくれよ!」
「ねむいのかなって……」
「優しく起こして、そしてベッドに連れて行ってくれ」
「つぎはそうするね」
大あくびをかまし、PCへと向かう。
ここ最近、暇さえあれば小説を書いているのだった。
「しょうせつかくの?」
「書こうかなって」
「ふうん……」
振り返る。
「どした?」
「べつに」
「わかった」
「?」
「かまってほしいのか」
「うん」
ここで素直に頷くのがうにゅほである。
「よーしよしよし。書くのは××が寝てからにしような」
そう言って、太股をポンと叩く。
「♪」
うにゅほが機嫌よく立ち上がり、俺の膝へと腰掛けた。
「うへー」
「あ、そうだ」
「?」
「俺、どのくらい寝てた?」
「けっこうねてた」
「けっこう……」
「にじかんくらい」
「けっこう寝てたな!」
それならベッドで寝たかった。
「チェアで寝落ちよくないから、眠そうだったり寝てたりしたら、マジで起こして。ベッドで寝る」
「そうする……」
パソコンチェアで寝落ちなんて、睡眠の質を問うレベルの話ではない。
夏場だからこそ、睡眠と栄養をしっかり取らなければ。
まあ、既に夏バテ気味だけども。
184
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:05:42 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月4日(日)
「世界には、いろんなダイスがあるのです」
「あるのですか……」
唐突な振りにも一応は乗ってくれるうにゅほが俺は好きである。
「ダイスと言えば何を想像する?」
「うーと、しろくて、いちだけあかい……」
「六面ダイスだな。ちなみに、一だけ赤いのは日本だけらしい」
「へえー」
「有名どころだと、八面ダイスがあるな。正八面体」
「どんなの?」
「こんなの」
正三角形が八枚貼り合わさったような八面ダイスの画像を開く。
「おおー」
「正多面体のダイスは、あとは十二面ダイスと二十面ダイスになる。正四面体もあるっちゃあるけど」
「せいしめんたい?」
「これ」
再び画像を検索する。
「上が尖るから、ダイスとしては変わった感じになるな」
「あめみたい」
「まあまあわかる」
「でしょ」
「ここで問題」
「ててん」
「二面ダイスの形をお答えください」
「にめん!」
「わりと簡単だぞ」
「……あ、コイン!」
「そうそう、正解。表と裏の二面だろ」
「うへー」
「ちなみに、こんなのもある」
検索すると、Uの字の金具を互い違いに組み合わせたような不思議な形の二面ダイスの画像が現れた。
「あ、おもしろい……」
「なんか面白いよな。実用的にはコインで十分なんだけどさ」
「うん」
「ちなみに、一面ダイスってのも存在する」
「……いみあるの?」
「ない。ないから、ある種のアートだよな」
「ふっても、ぜったい、そのめんがでるダイス……」
「想像できるか?」
「んー……」
一分ほどうんうん唸ったあと、うにゅほがギブアップする。
「わからん!」
「答えは、これだ」
開いた画像は、メビウスの輪に「1」と印字したものだった。
「めびうすのわ?」
「すべての面が繋がってるから、一面ダイスなんだよ」
「あー」
うんうんと頷いたあと、うにゅほが眉をひそめた。
「……なんか、おもってたのとちがう」
「そんなこと言われても」
変わったダイスは他にもたくさんある。
しばらくのあいだ、そんな不思議なダイスの画像を調べながら時間を過ごした。
185
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:06:08 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月5日(月)
「痒い……」
体が痒い。
体中が、痒かった。
もはや、あせもも関係なく、あらゆる場所に痒みが生じている。
「だいじょぶ……?」
「わからん……」
「かいたらだめだよ」
「掻かないようにはしてる……」
爪で掻くのではなく、服越しに擦るようにしているのだが、これは正しい対処法なのだろうか。
「かゆいとこ、みして」
「ああ……」
痒みのある部分は赤みがかっており、かさついていたり、軽く腫れていたりする。
「これ、とびひの可能性あるな……」
「とびひ?」
「えーと」
Google検索をする。
「伝染性膿痂疹。皮膚が細菌に感染することで起こる皮膚の病気、だって」
「かゆそう」
「湿疹や虫刺されなどを掻き壊した部位に細菌が感染し、そこから飛び火をするかのように周辺や離れた部位に広がります──と」
画像検索もしてみる。
「……見た目、ここまでひどくはないけど、可能性はあるよな」
「びょういん」
「明日行く。もう夕方だし……」
「うん」
「ひとつ、問題があってな」
「?」
「もしかすると手遅れかもしれないんだけど……」
「なにー……?」
「とびひは、人にも伝染する」
「あ」
「皮膚科で症状確定するまで、ひっつくの禁止」
「──…………」
「よろしい?」
「──……うん……」
とんでもなくテンションが下がってしまった。
「違ったらひっついていいから」
「ちがって……」
「俺に言われても」
とにもかくにも、痒みが取れればなんでもいい。
はよ明日になれい。
186
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:06:27 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月6日(火)
のそのそと着替えながら、呟く。
「皮膚科、行くかー……」
「だじゃれ?」
「ひとりで行くわ」
「わああ」
二、三回ほどお世話になった、近所の生協の中にある皮膚科へと向かう。
生協の駐車場に愛車を停め、うにゅほとふたりでエスカレーターに乗っていると、ふと気が付いた。
「……あれ、皮膚科の名前ない」
「?」
「ほら、案内の看板に」
「ほんとだ」
嫌な予感がする。
足早に向かうと、皮膚科が入っていた場所が封鎖されていた。
「ない」
「ない!」
「移転したのかな……」
「まって」
うにゅほがiPhoneを取り出し、最近覚えた音声入力での検索を行う。
「あ!」
「あ?」
「へいいんしてる……」
「マジで」
移転なら、すぐ近くに引っ越している可能性があったのだが、閉院となれば別の皮膚科を探さなくてはならない。
「××、このへんの皮膚科調べて」
「うん」
再び、うにゅほが音声入力で検索する。
「これ」
うにゅほのiPhoneを受け取り、マップを確認すると、車で五分程度の位置に別の皮膚科があることがわかった。
「ありがとう。じゃ、ここ行くか」
「はやくいこ。こむ」
「皮膚科、えらい混むからな……」
初診の皮膚科で小一時間ほど待ち、診察を受ける。
診断は、湿疹だった。
範囲が広いため塗り薬ではなく飲み薬を処方してもらい、帰宅する。
薬の名前で検索して、気が付いた。
「これ、アレグラだ」
「なんか、きいたことあるかも」
「アレルギー専用の鼻炎薬。湿疹にも効くんだ」
「◯◯、あれるぎーせいびえんだから、ちょうどよかったね」
「痒みに効けばな」
あれから二回ほど服用したが、効いているのかいないのか、よくわからない。
飲み続けてはみよう、うん。
187
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:07:06 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月7日(水)
「そだ」
「んー」
「さいきんしったんだけどね」
「ふん」
「△△ひがしって、あったんだね」
「うん?」
座椅子に腰掛けて漫画を開いていたうにゅほを振り返る。
「もっかい」
「△△ひがしって、あったんだね?」
△△とは、我が家の住所である。
「……え、△△って北と南しかないんじゃないの?」
「ひがし、あるんだって」
「マジで」
五歳の頃からずっと△△に住んでいるが、東が存在することを初めて知った。
「え、どのあたり?」
「ひがし……?」
「まあ、それはそうか」
「わたしも、そんざいしかしらない」
「調べてみるか……」
Googleマップで調べてみた。
「あ、本当だ。東のほうに△△東がある!」
「でしょ」
うにゅほが得意げな顔をする。
「……ん?」
赤い点線で囲われた△△東の範囲を見て、気が付いた。
「マジで何もないじゃん、△△東」
見れば見るほど、まるで市街地を避けるかのような囲われ方をしている。
「ひと、すんでるのかな……」
「住んではいるだろ」
「ここに?」
失礼極まりない。
「でも、驚いたな。あまりに聞き馴染みないから……」
「わたしも、びっくりした」
「誰から聞いたんだ?」
「おとうさん」
「へえー」
「しらないこと、たくさんあるね」
「まあ、知らなくても困らないことではあったけどな」
今後、あのあたりを通るときは、△△東であることを思い出してみよう。
さほど通る場所でもないから忘れてる気もするけれど。
188
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:07:27 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月8日(木)
体が痒い。
明らかにあせもではない湿疹が各所に発生し、アレグラを飲んでも痒みが止まることはなかった。
耐えきれずに買ってきたプレバリンαクリームで、なんとか痒みを抑えている次第だ。
「うあー……」
「……◯◯、またひふかいこ?」
「行く、……かあー」
恐らく、ただの湿疹ではない。
別の何かだ。
とは言え、時刻は既に夕刻を迎えており、最短でも明日の午前中となる。
今夜を乗り越えなければならなかった。
「こんな痒いの久々だわ……」
「どのくらい?」
「……痒みを言葉で表現するのって難しいな」
「たしかに……」
「じゃあ、普通に痒いなーって背中掻くのが十かゆいーだとするじゃん」
「たんい、かゆいーだ」
「単位にしてみました」
「なんかゆいー?」
「気持ち的には百かゆいーとかにしたいんだけど、真面目に判断すると二十五かゆいーくらい」
「かゆいね!」
「痒いんだよ……」
「かいたらだめだもんね……」
「それがきつい。痒くなるたびにプレバリン塗ってるけど、マジで買ってきてよかった。わりと効く」
「あせもすちーる、だめだった?」
「効果が弱いな。あと、手がべたべたするのも難点。リピなしです」
「そか……」
うにゅほが、心配そうに言う。
「かいていいなら、かいてあげるのに……」
「掻いていいなら自分で掻くけど……」
「せなかとか」
「何故か背中は平気なんだよな。不幸中の幸いだわ」
「しっしん、できたら、くすりぬるね」
「それはマジで頼む」
ひとりでクリームを塗れない位置に湿疹ができたら最悪だ。
俺にはうにゅほがいるからいいが、一人暮らしとかだとマジで絶望だろうな。
とにかく、明日はまた早起きして皮膚科だ。
早く痒みから解放されたいものだ。
189
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:07:50 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月9日(金)
再び皮膚科へと赴き、今度は軟膏を処方してもらった。
朝の九時過ぎに行ったのに、帰るころには正午が近くなっていた。
何故皮膚科はあんなにも混むのだろう。
帰宅し、軟膏を手に服を脱ぐ。
姿見の前に立つと、湿疹がさらに増えているような気がした。
「ぬれるー?」
「塗れるって。でも、背中見てくれる? 湿疹、ないとは思うけど」
「うん」
うにゅほが、俺の背中を確認する。
「ない」
「よかった」
いちばん痒みがひどい右肘から、軟膏を塗布していく。
すぐさま痒みが治まるわけではなかったが、だんだんよくなっていくのだろう。
信じる心である。
「──これでよし、と」
「かゆい?」
「まだ痒い」
「かいたらだめだよ」
「掻かないって」
それから小一時間ほどして、気付く。
「……痒くない」
「ほんと?」
「嘘つかない」
「だよね」
「プレバリンより効く……!」
さすが、皮膚科で処方された軟膏だ。
ドラッグストアで処方箋なしで購入できるクリームとは雲泥の差だった。
プレバリンも、普通の痒み程度であれば十二分に効果を発揮するのだろうが、受診が必要なレベルの症状に対しては力不足が否めない。
「なんかゆいー、くらい?」
「ゼロかゆいー」
「かゆくない!」
「痒くないんだよ」
「すごい……」
「ただ、完治まで二、三週間って言われたからな。たまに痒くなることはありそうだ」
「でも、ひふかいって、よかったね!」
「混んでたけどな……」
「こうか、すごいから、こむ」
「あー」
なんとなく納得してしまった。
読者諸兄も、気になる症状があれば、すぐさま病院へ行くように。
190
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:08:46 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月10日(土)
「あー、快適ー……」
体が痒くない。
ただそれだけのことが、こんなにも素晴らしい。
不便を経験しなければ、当たり前の幸せに気付くことができない。
それがよくわかった。
「ね、◯◯」
「うん?」
「ひざ、すわっていい……?」
「そうだな……」
とびひではないことがわかったし、軟膏のおかげとは言え体の痒みも落ち着いている。
「うん、もういいぞ」
「!」
うにゅほが、俺の膝に腰を下ろす。
久し振りの重みだ。
「うへえー……」
「ほら」
滑り落ちないように、うにゅほの腰を左腕で保持する。
「おちつくー……」
俺は、うにゅほの首筋に鼻先を当てた。
すんすん。
「くさい?」
「なんか、普段よりいい匂いする気がする」
恐らく、いつもと変わらぬシャンプーとコンディショナーの香りだ。
ただ、数日ぶりに嗅いだことで、感覚がリセットされているのだと思う。
すんすん。
すんすん。
「すーごいかぐ……」
「たまらん」
「たまらんの」
「久々に、一緒の動画見ようか」
「みる!」
「なにがいい?」
「こないだ、かわいいのみた。まーもっとのどうが」
「マーモットか」
マーモットと言えば、叫ぶ印象しかない。
あの有名な動画は、音声だけ合成なんだっけ。
うにゅほが見せてくれた動画は、マーモットをブラシで洗う動画だった。
まったく抵抗しないのが面白い。
その後は、ショート動画を流し見しながら、延々と雑談を交わしていた。
こういう時間こそ大切なものなのだ。
191
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:09:45 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月11日(日)
起床が早かったため、正午過ぎに眠気が訪れた。
「……眠い」
「◯◯も、ひるねする?」
「するかー」
うにゅほは、就寝が遅く、起床が午前六時と早いため、特別な用事がない限りは昼寝で睡眠時間を確保している。
「うへー、◯◯とひるね」
「同衾はしないぞ」
「うん」
互いに、自分のベッドの上に、そっと体を横たえる。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ……」
目蓋を閉じ、しばらく待つと、意識が闇へと滑り落ちていった。
なんだか曖昧な夢を見た気がする。
たしかな睡眠を取った感覚と共に目を開くと、隣のベッドにうにゅほはいなかった。
先に目を覚ましたらしい。
「……?」
レースカーテンに違和感があった。
寝起きでぶれていた焦点が、レースカーテンの上部に合う。
「でッ!?」
でかい。
でかい虫が、いた。
親指ほどの巨大な虫が、レースカーテンに止まっていた。
「×、××! キンチョール……!」
「え、むし……?」
自室の書斎側から、うにゅほが顔を出す。
俺は、無言でレースカーテンを指差した。
「……──!」
うにゅほが、目をまんまるにする。
そして、無言でキンチョールを持ってきて、俺にそっと手渡した。
「──…………」
シュー……。
反撃を覚悟しながら、キンチョールを噴霧する。
その大きさとインパクトに比べ、勝敗はあっと言う間に決した。
キンチョールによって、巨大な虫はパタリと床に落ちた。
「……しんだ?」
「たぶん……」
改めて、虫の死体を観察する。
よくよく見れば、親指ほどは言い過ぎだった。
死によって身を収縮したことを計算に入れたとしても、親指の半分よりすこし大きい程度だ。
十分でかいけど。
各部のくびれの大きな虫で、アブか何かだと思うのだが、検索すると画像が出てくるので調べない。
俺は、虫の死体を割り箸でつまみ、窓の外へと放り投げた。
「……こいつ、どっから入ったんだ」
「わかんない……」
ここ二週間ほど窓を開けた記憶はない。
一階から入ってきたにせよ、どこかの段階で気が付きそうなものだ。
「もう、いないよね……?」
「たぶん……」
うにゅほが、俺に、ぴたりと張り付く。
しばしのあいだ、大きな虫の幻影に怯え続ける俺たちだった。
192
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:10:08 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月12日(月)
「──……すー」
膝の上で俺に抱き着きながら、うにゅほがうとうと船を漕いでいた。
「……××」
「むい」
うにゅほが、薄く目を開く。
「寝るならベッドで寝たほうがいいぞー……」
「──…………」
「──……」
「──…………」
「××」
「うい」
「寝るならベッドで……」
「──…………」
動く気がない。
仕方ない。
俺は、うにゅほのおしりの下に腕を回すと、そのままチェアから立ち上がった。
「ふわ」
「ほら、ベッドで寝ような」
「うー……」
うにゅほをベッドに下ろすと、その目がぱちりと開いた。
「あれ、起きた?」
「おきた……」
「眠気は?」
「すこし」
「なら、昼寝しておきな」
「んー……」
うにゅほが、大きく首をかしげる。
「さっき、すーごいきもちかった……」
「それはよかったけど、あの寝方だと首とか痛めるぞ」
「たしかに……」
「寝るならベッド、寝ないならおいで」
「……んー、おきる」
「あいよ」
自室の書斎側へと戻り、チェアに腰掛ける。
うにゅほが、俺と対面するように膝を跨いで座った。
「また寝る気だろ!」
「うへー……」
「ほら、そっち向きなさい。そっち」
うにゅほを立たせ、普通に座らせる。
「あのかっこでねるの、きもちかったのにな……」
「癖になるからやめな」
「はーい」
半覚醒状態でうとうとするのって、気持ちいいんだよな。
わかるけど、そのうち絶対どこか痛めるので、止めておくのが正解だろう。
結局、横になって眠るのがいちばんなのだ。
193
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:10:27 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月13日(火)
「◯◯、◯◯」
「んー?」
階下から戻ってきたうにゅほが、何かを広げてみせた。
「これ、なーんだ」
「?」
視線を移す。
「あ、新千円札じゃん!」
「うへー、せーかい!」
「どうしたんだ、これ」
「おかあさん、くれた」
「へえー……」
じろじろ見ていると、うにゅほが手渡してくれた。
「はい」
「サンキュー」
受け取り、改めて観察する。
実際に現物を手に取ってみると、思ったほど違和感はない。
透かしの位置のずれだけ微妙に気になるが、そのくらいだ。
「五千円と一万円は?」
「ない……」
「まあ、そのうち手に入るか」
「すぐだよ」
「すぐだろうな……」
うにゅほに新千円札を返す。
「どうだった?」
「千円札は千円札だな。考えてみれば、夏目漱石が野口英世になったときも、大して違和感なかった気がする」
「そなんだ。わたし、なつめそうせきのはしらないから……」
「問題です」
「えっ」
「新千円札の肖像画は、いったい誰でしょう!」
「──…………」
うにゅほが、新千円札をこっそり見る。
「見ずにお答えください」
「わかるはずない……」
「俺も覚えてない」
「おぼえてないの!」
「一万円札の渋沢栄一は覚えてるけど……」
「みていい?」
「いいよ」
確認する。
「きたざとしばさぶろう」
「あー」
「なにしたひと?」
「──…………」
「──……」
北里柴三郎は、破傷風の治療法を開発した細菌学者である。
覚えておこう。
194
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:10:43 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月14日(水)
Amazonから荷物が届いた。
本来であれば8月12日に届く予定だったものが、少々遅れていたのだ。
「My new gear……」
などと呟きながら、ダンボール箱を開封する。
「あ、きーぼーどとどいたの?」
「ああ。一時は届かないかと思ったけど」
「かったのに、とどかないこと、あるの……?」
「Amazonではたまにあるらしい。今回は単に配送トラブルみたいだけど」
「へえー」
緩衝材の下から出てきたのは、ロジクールから発売されたばかりのG515 LIGHTSPEED TKLの箱だ。
「なんか、ちいさい?」
「小さめのキーボードだからな」
中身を取り出すと、その大きさは顕著だ。
愛用のREALFORCE R3より、明らかに小さく、薄い。
並べてみると一目瞭然だった。
「おー」
「軽いぞ、ほら」
うにゅほにG515を手渡す。
受け取ったうにゅほが、小首をかしげた。
「……かるいの?」
「こっち持ってみ」
REALFORCE R3を差し出す。
「おも!」
「こっちが重いのは、ある」
「あるきーする……」
PCとの接続まで済ませると、うにゅほが目を輝かせた。
「わ、もじひかる!」
「ゲーミングキーボードだからな」
「げーみんぐだと、ひかるの?」
「ああ」
「なんで?」
「知らんけど……」
なんでゲーミングだと光るのだろう。
それも虹色に。
「でも、こうしてキーキャップが光るのが欲しかったんだよな」
「そなの?」
「部屋を暗くしても、どれがどのキーかすぐわかるだろ」
「あー」
「地味に不便でさ。あとは、このキーボードが打ちやすければ最高なんだけど」
「ためしてみよ」
「ああ」
試してみた。
「……悪くない、かも?」
「かも?」
「こういうのは、長く使わないとわからないから」
「なるほどー」
と言うわけで、今日の日記はG515でタイピングしている。
やはり悪くない。
リニア軸も静かでいい感じだし、しばらく使い続けてみようと思った。
195
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:11:11 ID:Ho3QKtZI0
2024年8月15日(木)
入浴を済ませて自室に戻る。
「ふー……」
「はい、なんこう」
「ありがとう」
皮膚科で処方された軟膏を受け取り、肘に塗る。
「なんか、だいたい治った感じあるな」
「かゆくない?」
「痒くない」
「なんかゆいー?」
「軟膏塗らなくても、ゼロかゆいー」
「おー!」
「まあ、いちおう塗るけどな。まだ」
「ひじね、いろ、すこしかわってるから」
「あー」
「なおったら、いろ、もどるのかな」
「どうだろう……」
「もどるまで、ぬる?」
「うーん……」
ステロイドに良い印象はないのだが、かと言って勝手に使用を中止するのも憚られる。
痒みがなくなった=治った、ではないだろうし、難しい問題だ。
「……まあ、もうしばらくは塗ろうかな」
「そか」
数日前まで痒みのひどかった場所に塗布し、シャツに腕を通す。
「××は、あせも大丈夫か?」
「うん。かゆいときあったけど、もうかゆくない」
「痒かったら言うように」
「ひふかでもらったなんこう、ぬる?」
「処方された薬を自分以外に使うのって、ダメなんだよ」
「つみ?」
「罪ではないけど、ダメ」
「ふうん……」
「だから、ドラッグストアで買ったプレバリンを塗りましょう」
「あせもすちーる……」
「あれ、ベタついてしゃーないから、プレバリンのがいいよ」
「そなんだ」
「まだまだ暑い日が続きそうだからな。あせも対策はしていこう」
「◯◯、すーごいかゆそうだったから、きーつける」
「それがいい」
八月も半ばを過ぎたが、夏はまだまだ続く。
エアコン全開で乗り切ろう。
196
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/08/16(金) 17:12:24 ID:Ho3QKtZI0
以上、十二年九ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
197
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:48:28 ID:F1pHNyW60
2024年8月16日(金)
自室へ戻った直後、俺はうにゅほを指差した。
「──××に一言、もの申す!」
「わ!」
うにゅほが慌てて背筋を伸ばす。
「な、なにー……?」
「トイレで本を読むのはいい」
「うん」
「忘れてくるな……」
「あ」
俺の左手には、うめともものふつうの暮らし五巻がある。
見掛けないと思っていたのだ。
「ごめんなさい……」
「怒ってないよ。たまにだし、半分冗談だし」
「なんでわすれるんだろ」
「俺に聞かれても」
「だよね……」
すこし考えてみる。
「たとえば、トイレを済ませてから出るまでに、本の存在を忘れる工程がある──とか」
「わすれるこうてい」
「極端な例だけど、トイレするたびにトイレ掃除してたら、忘れてもおかしくなさそうだろ?」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「といれそうじ、まいかいじゃないけど、するときある」
「ほう」
「でも、さっきはしてない……」
「……うーん?」
さしもの俺も、うにゅほのトイレ時のルーティーンを知っているはずもない。
「まあ、理由がなくても忘れることはあるもんな……」
「うん……」
「以後、気を付けるように」
「はい!」
うにゅほがパソコンチェアに腰掛けていたので、膝の上に座るふりをしてみる。
「わ、わ、つぶれる!」
「ぺらぺらになれ!」
「まんがみたい……」
「しかも古いやつな」
場所を交換し、うにゅほを膝に乗せる。
「◯◯は、ぺらぺらにならないでね」
「××が200kgくらいになったら危ない」
「むり、むり」
そんな会話を交わしながら、のんびりと過ごした。
198
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:48:54 ID:F1pHNyW60
2024年8月17日(土)
YouTubeをぼんやり眺めていたとき、無意識に自分が腕を組んでいたことに気が付いた。
ふと、あることを思い出す。
「利き脳診断、なんてあったな」
座椅子でiPadをいじっていたうにゅほが、顔を上げる。
「ききのう?」
「腕の組み方、指の組み方で、なんか診断ができるーみたいなやつ。科学的根拠は知らん」
「へえー」
うんうんと頷き、うにゅほが腕を組んでみせた。
「こう?」
「そう。どっちの腕が下になってる?」
「うーと、ひだり」
「俺も左」
「ゆびは、こう?」
「そう。どっちが下だ?」
「みぎ」
「俺も右だわ」
「うへー、おそろい!」
「お揃いだな」
「これで、なにわかるの?」
「ちょい待ち」
記憶を頼りに検索し、結果を読み上げる。
「俺も、××も、直感的に捉えて論理的に処理する、うさ脳ってやつらしい」
「ほー」
「うさ脳の男は、直感力に優れ、自分に確固たる信条があるため、周囲に流されないらしい」
「あー、わかる」
「反面、融通が利かずに損をすることも多い……」
「それはわかんない」
「俺自身は、まあ、わからんでもないかなと」
バーナム効果な気がするけど。
「ね、わたしは?」
「××は、ニコニコ笑顔で相槌上手。直感力に長けていて、他人の気持ちを察するのが得意」
「おー!」
「ただし、頼み事を断れない弱さがあり、相手に合わせ過ぎて苦労することも」
「あー……」
「どうよ」
「わかる」
「俺も、わりと××かなって」
「あたってるかも」
「学術的にはどうなんだろうな。当たんのかな、これ」
「わかんない」
そりゃそうだ。
だが、すぐにできる面白い診断ではある。
なんだか、すこしだけ、懐かしい気分に浸るのだった。
199
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:49:13 ID:F1pHNyW60
2024年8月18日(日)
「ね」
「んー?」
「まだにって、しってる?」
「あー……」
「しってる」
マダニ。
俺の知る限り、最悪のダニだ。
血を吸われている状態で潰すと口の一部が皮膚に残り続け、処置が必要になる。
さらに言えば、致死率の高い感染症を媒介することもあるらしい。
「……え、出たの?」
「でてないよ」
「よかった……」
冗談では済まない害虫だ。
「なんか、まだに、あぶないよってどうがみたから」
「マダニ、北海道にも普通にいるからな。山歩きのときとかは気を付けたほうがいいって読んだことあるわ」
「やまあるき、する?」
「俺はしない」
「わたしもしない」
「なら、まあ、大丈夫か」
「そか……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「そだ。あれって、まだにだっけ? ねっとかふぇとかにいるときあるやつ」
「あー」
マダニだっけ?
マダニではない気がする。
「──あ、トコジラミだ」
「それだ!」
「あれも怖いよな……」
「ねっとかふぇ、いく?」
「時間潰しに入るときあるんだよな」
「え、わたし、いったことない……」
「××がいないときだな。ほら。二、三度、××置いて東京行ったろ」
「まだゆるしてないやつ」
「あ、ごめん……」
「つれてったら、ゆるす」
「……頑張ります」
「がんばって」
「はい」
藪をつついてしまった。
「でも、いろいろ考えたんだけどさ」
「?」
「家から出ないのが最強では……」
「わかる……」
着地してはいけない地点に着地してしまった。
でも、暑さのピークを過ぎるまでは、この考え方を貫き通したほうがいいのかもしれない。
200
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:49:33 ID:F1pHNyW60
2024年8月19日(月)
「◯◯、なんかあったー」
Amazonから届いた小袋を手に、うにゅほが自室の扉を開けた。
「早ッ!」
「はやいの?」
「だって、昨夜注文したのに……」
「はや!」
うにゅほから小袋を受け取る。
「なにかったの?」
「──…………」
「なにー?」
「怒らない?」
「おこるものなの……?」
「……マウス」
「まうす」
うにゅほが、小首をかしげる。
「こないだかったのに……」※1
先月末に購入したのは、Razer DeathAdder V2 X HyperSpeedだ。
決して悪いマウスではない。
悪いマウスではないのだが、
「……なんか、使えば使うほどしっくり来なくて」
「そなの……」
「サイドボタンの押し心地がぐらついた感じで、どこか安っぽさを感じちゃってさ」
「あたらしいの、かっちゃったんだ」
「はい……」
「わたし、おこるとおもったの……?」
「怒りはしないかもだけど」
「おこらないよー」
「よかった」
「でも、おこるっておもわれたの、ショックかも」
「怒ると言うか、呆れると言うか」
「あきれないよー……」
そうなんだよな。
どうして俺は、時折、想像上のうにゅほに怯えてしまうのだろう。
「どんなのかったの?」
「ああ、これこれ」
箱を見せる。
「ちいちゃいね」
「結局ロジクール。G502 Xっていう、有線のマウスだよ」
「え、せんあるの?」
「ああ」
「◯◯、せんあるの、きらいだって」
「そうなんだけどな」
コードがいちいちデスクの後ろに落ち、使おうとすると微妙に引っ掛かってストレスが溜まる。
有線マウスは、そんな印象が強い。
「一緒に、こんなのも買ってみた。マウスバンジー」
マウスと一緒に入っていた薄い小箱を見せる。
「まうすばんじー……?」
「ディスプレイとかデスクに貼り付けて、コードが下に落ちきらないようにするもの」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
だが、実際にG502 Xを接続し、マウスバンジーを取り付けると、意味がわかったようだった。
「あ、なるほど!」
「これならコードも気にならないかなって」
「かも!」
と言うわけで、G502 Xとマウスバンジーでしばらく戦ってみることにした。
近いうちに新しいワイヤレスマウスを購入する日記を見掛けたら、笑ってやってほしい。
※1 2024年7月31日(水)参照
201
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:49:52 ID:F1pHNyW60
2024年8月20日(火)
膝の上のうにゅほが、そっと新しいマウスに触れた。
「せんあるの、どう?」
「予想以上に気にならない」
「きになんないんだ」
「たぶんだけど、昔よりマウスの使い方が上手くなったせいもあると思う」
「うまいへた、あるの?」
「××の想像と違うけど、ある」
「わたしのそうぞう、わかられてる……」
「わかるわい」
「あててみて」
「マウスを持つ手の動きが達人級、みたいなイメージだろ」
「……なんでわかるの?」
「××のことは、なんでも知ってるから」
「うへー」
うにゅほが、てれりと笑う。
「実際には、マウス自体の性能が上がってるのと、あとは設定だな」
「ふんふん」
「ほら。前に、サイドボタンはコピーとペーストに割り当ててるって言ったろ」
「あー。せっていって、そういうせってい」
「当然、それだけじゃない。これはマウスの設定って言うより、PC側の設定なんだけどな」
「うん」
適当なサイトを開く。
「右ボタンを押しながら、カーソルを下へ」
画面上に赤い線がまっすぐ引かれ、ページが更新される。
「お」
「右ボタンを押しながら、下、右で、ページを閉じる」
「うん」
「右ボタンを押しながら右で進む、左で戻る。こういう操作、たまに見るだろ」
「してるしてる」
「これはWindowsの設定でも、ブラウザの設定でもなくて、そういうツールなんだよ」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「こういうのを活用すると、マウス本体の動きがマジで最低限になる。そこにマウスバンジーでコードを固定してるから、コードの存在感が本当にない」
「まうすは、いいまうす?」
「いいマウス。前の前のべたべたしたマウスよりいいかも。充電の必要もないし……」
「かってよかったね!」
「ああ。現状、文句なしだ」
「でも、かうときいってね。おこんないし、あきれないし、はんたいしない……」
「……申し訳ありませんでした」
「はい」
高いものを買うときは、ちゃんとうにゅほに報告しよう。
202
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:50:11 ID:F1pHNyW60
2024年8月21日(水)
押切蓮介のサユリが実写映画化されると聞いて、タイトルだけ知っていた俺は、Kindleで原作を購入してみた。
「あ、これ、はいすこあがーるのひと?」
「そうそう」
「でも、ほらー……?」
「ホラー」
「……うーん」
うにゅほは、怖いものが好きではない。
ホラー映画などは、俺と一緒であれば頑張って観ることもあるが、漫画はまず読まない。
その世界にひとりきりで浸らなければならないからだろう。
「ほら、読むから座椅子へおかえり」
うにゅほを膝から下ろす。
「おもしろかったら、おしえてね」
「ああ」
読んだ。
「……面白かった」
「ほんと?」
「なんと言うか、ホラーはホラーなんだけど、いわゆるホラーしてるのって前半までなんだよ」
「ふんふん」
「ホラー作品って、たいてい、元凶である怪異から無事逃げ延びてギリギリハッピーエンドってとこあるだろ」
「ある……」
「サユリでは、前半の時点で、七人家族のうち五人が幽霊に殺される」
「──…………」
うにゅほが眉根を寄せる。
「でも、後半の勢いがすごい。幽霊に対して完全にやり返す。しかも、前半でボケ入ってたお婆ちゃんが」
「えっ」
「お祓いしたほうがいいって言う近所の人に、"祓って済ませるつもりはねえ"って答える婆ちゃんには痺れたな……」
「すーごいきになってきた……」
「読んでみる?」
「……ひざでよんでいい?」
「いいよ」
うにゅほも読んだ。
「……すごかった」
「すごいよな」
「すーごい、おもしろかった……」
「途中からホラーじゃないよな」
「わかる」
たいへん面白かったので、読者諸兄も是非どうぞ。
203
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:50:28 ID:F1pHNyW60
2024年8月22日(木)
今日は、大学病院での受診日だった。
朝一番に受付を済ませ、血を抜き、しばし待つ。
「ねむー……、い」
「ねる?」
「そら寝たいけども」
「うーん……」
「こんな衆目の前で膝枕とか無理だからな」
「……わたしも、そうぞうして、むりとおもった」
「わかればよろしい」
なんとか雑談で意識を繋ぎ、診察を終えた。
処方箋を持って薬局へ向かう段になって、足に違和感を覚えた。
「……足の裏、痛い」
「え、だいじょぶ?」
「原因はわかってるから大丈夫……」
「げんいん、なに?」
「このサンダル、足の裏に触れるとこざりざりしてるんだわ……」
「あ、こすれたの」
「ぽい」
こんなことなら、素直に靴を履いてくればよかった。
「◯◯、あしのうらもよわいね……」
「強いとこない」
「そんなことないとおもうけど……」
薬局で薬を受け取り、だだっ広い駐車場に停めた愛車に乗り込む。
「いててて」
「がんばって! もうあるかないよ」
「ふー……」
車に乗れば、こちらのものだ。
「次からは、横着せずに、ちゃんと靴を履きます」
「そだね」
「なんか食って帰る?」
「あし、へいき?」
「そこまでギリギリじゃないから」
「なら、たべたいな」
「帰り道にあるのは──」
いろいろ考えた結果、帰途の途中にある、なか卯に立ち寄った。
うにゅほは、炭火焼き親子丼。
俺は、牛あいがけカツ丼を食べた。
普通に美味しかったです。
204
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:50:44 ID:F1pHNyW60
2024年8月23日(金)
はたと目を覚まし、自室の書斎側へと向かう。
「おはよー」
「おはよう。あのさ……」
「?」
「アリ、いないよな」
うにゅほが背筋を伸ばす。
「え、でたの?」
「……いや、たぶん夢だ」
「ゆめかー……」
ほっと息を吐き、うにゅほが座椅子の背もたれに体重を預けた。
「夢でよかった。洒落にならない夢だった」
「どんなゆめ?」
「……部屋の中を、シロアリが歩いてた」
「しろあり!」
「捕獲したところで起きたから、一瞬、夢か現実かわからなくて」
「しろあり、いえたべるもんね……」
「そう。いつものあいつらが可愛く見える……」
「かわいくはないけど」
「可愛くはないな、うん」
パソコンチェアに腰を下ろすと、うにゅほが膝に腰掛けた。
「ちなみに、シロアリはゴキブリの仲間らしい」
「うへえ」
「関係ないけどさ」
「うん」
「エビの尻尾はゴキブリの羽と同じ成分だからうんたらかんたらー、みたいな話あるじゃん」
「ある」
「あれ、乱暴だよな。脂ぎったオッサンとアイドルだって、だいたい同じ成分だろ」
「わかるー……」
「まあ、俺はエビの尻尾食わんけど」
「わたしもたべない」
「なんか、噛んで砕いても形残ってる感じで食感悪いよな」
「たべれないものたべてるきーしちゃう」
「わかるわかる」
「栄養なさそうだし、仮にあってもあんな少量じゃ大差ないだろ。たぶん」
「うんうん」
だが、エビのせんべいにエビの殻が入ってるのは香ばしくて好きだ。
調理方法次第なんだろうな。
205
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:51:00 ID:F1pHNyW60
2024年8月24日(土)
「××ってさー」
「?」
「可愛いよな」
「!」
膝の上のうにゅほが、ピンと背筋を伸ばした。
「いきなり……」
目をまるくして振り返る。
褒められた喜びより、驚きが上回ったらしい。
「たまには口にしないと、だんだん言えなくなっていくらしい」
「……もっかい言って」
「××ってさー」
「そのさき」
「可愛いよな」
「……ふへ」
ほっぺたに両手を当て、くねくねする。
「うれしい……」
「そっか。勇気出して言ってよかったよ」
普段、まったく言わないわけではないが、唐突に口にするには勢いが必要だ。
「なんか、ふと思ったんだよな」
「なにを?」
「俺と××が幼馴染みだったら──って」
「おないどし?」
「同い年」
「おお」
「××可愛いし、絶対他のやつに取られるから、幼馴染みじゃなくてよかったなあと」
「そんなことないよ」
「あるある」
「ぜったい、◯◯のこと、すきだよ」
「そうかな」
「うん」
「そうか……」
うにゅほと共に過ごす青春を想像する。
「……いや、ないな」
「ないの?」
「十代の頃の俺って、アレだった気がするし……」
「あれ」
「やっぱ、今の出会い方がよかったよ。うん」
「じゅうだいの◯◯、きになる……」
「頭は今より悪かった」
「きになる」
現在を肯定できているのだから、ある意味では前向きと言えるだろう。
そういうことにしておこう。
206
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:51:18 ID:F1pHNyW60
2024年8月25日(日)
「◯◯、めんぼうなくなりそう、かも」
お風呂から上がったばかりのうにゅほが、綿棒の容器を手に、そう言った。
見れば、たしかに残り少ない。
「本当だ」
「かわないと……」
「明後日、病院だからさ。帰り際にドラッグストアでも寄ろうか」
「うん」
たっぷり十分以上をかけて髪を乾かしたうにゅほが、俺の膝に腰を下ろす。
しっとりと艶やかな髪の毛が、俺の鼻先をくすぐった。
「そう言えばさ」
「?」
「耳掃除必要ない説あるよな」
「あー、きいたことある」
「本当かな、あれ」
「しないと、きたないよ」
「インターネットくんに聞いてみるか」
「うん」
聞いてみた。
「……あれ、なんかAIが回答してくれるようになってる」
「ほんとだ」
「GoogleのAIによれば、耳掃除の頻度は二週間から三週間に一度でいいらしい……」
「きたないよ……?」
「風呂上がりに綿棒で掃除するのは最悪らしい」
「えー!」
「風呂上がりは皮膚がふやけて柔らかくなってるから、耳の中をヤスリで削るようなものだと書いてある……」
「……ほんとに?」
「本当に」
「おふろあがり、みみそうじしないと、きになるよ……」
「わかる……」
正直、ここまで言われても続けてしまいそうだ。
「せめて、風呂上がりはやめたほうがいいかもな。これは、たしかにと思った」
「……ふやけてるとこ、こするとだめ?」
「ダメだろ」
「だめかー……」
「風呂入る前に掃除するとか」
「へんなかんじ……」
長年の習慣を変えるのは違和感があるが、理屈で殴られると納得せざるを得ない。
耳掃除の意識を根底から変えなければなるまい。
207
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:51:35 ID:F1pHNyW60
2024年8月26日(月)
「ね」
「うん?」
「あきねいたーって、なに?」
「あー」
最近、YouTubeのショートで、アキネイター的なことをする動画が流れてきていたもんな。
「なんて言えばいいのかな。こっちの考えてるキャラクターを当ててくるサイト……」
「?」
「えーと、××。適当なキャラ言って」
「いかむすめ」
「女の子ですか?とか、黒髪ですか?とか、向こうのする質問に答えていくと、ランプの魔人がそれを当ててくれるんだよ」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「やってみるか?」
「みる!」
アキネイターのページを開く。
「イカ娘でやってみる?」
「ためしに……」
ランプの魔人が、女性かどうかを尋ねる。
「こたえ、いつつある」
「はい、いいえ、分からない、たぶんそう、たぶん違う、だな。曖昧な返答にも対応してるってことだ」
「むすめだから、はい」
ランプの魔人が、YouTube関係者かどうかを尋ねる。
「ちがう」
「……真っ先に来るってことは、最近、そういう質問が多いのかな」
「そういうものなの?」
「たぶん」
そのまま答えていき、二十五問目に「イカ?」という質問が出てきた。
「おおー」
「はい、だな」
「はい!」
当然、正解のイカ娘が出てくる。
「すごい!」
「すごいだろ」
「つぎ、どうぶつでやっていい?」
「いいぞ。何でやる?」
「うーと、まれーばく……」
「マレーバク」
何故。
まあよかろうと進めていくと、うにゅほと俺にマレーバクの知識がなさすぎて、怒濤の「分からない」ラッシュに突入してしまった。
これには魔人もお手上げである。
「……こっちもわかってないと、だめなんだね」
「当然と言えば当然だけどな……」
なお、口直しの再プレイでは緋村剣心を普通に当てていた。
やはり、魔人はこうでなくては。
208
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:51:55 ID:F1pHNyW60
2024年8月27日(火)
今日は、四週間に一度の定期受診だった。
八時半には家を出て受付を済ませ、帰宅したのは十時半だった。
「……早めに終わった、のか?」
「はやくはないとおもう……」
「だよな」
漏れそうになるあくびを噛み殺す。
「寝るか……」
「あ」
「?」
「めんぼう!」
「あ!」
ドラッグストアで綿棒を購入するつもりだったのだが、完全に忘れて帰宅してしまった。
「……どうする?」
「かいいく?」
「めんどいな……」
「みみそうじ、まいにちじゃなくなったから、いそぎはしないけど……」
「ああ」
風呂上がりに綿棒で耳掃除をするのは、ヤスリをかけるのと同じ。
あまりにもパワーワードだった。
「××、昨日は耳掃除した?」
「してない」
「違和感ある?」
「いまはないけど……」
「なら、やっぱ正しいのかな」
「◯◯は、みみそうじした?」
「どうしても気になるから、ティッシュで入口付近だけ拭いた」
「あー」
「それだけかな。違和感は特にない」
「……めんぼうって、いらないのかな」
「その可能性はある」
「でも、そうじにはつかうし……」
「毎回ではないよな」
「うん。いそがなくて、いっか」
「だな」
綿棒と言えば必須の日用品だと思っていたが、耳掃除を除くとほとんど使わないものだ。
何かのついででいいや、ついでで。
209
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:52:12 ID:F1pHNyW60
2024年8月28日(水)
「あ!」
カレンダーを見上げたうにゅほが、声を上げた。
「なんかあった?」
「きょう、やずやのひーな、きーする」
「やずやの日……」
今日は、8月28日だ。
「あー、うん」
「それだけ」
「それだけかい」
どうでもよかった。
「そう言えば、むかーし、日記のネタに記念日をよく使ってたな」
「あ、なんのひしりーずだ」
「そうそう」
「きょう、なんのひかな」
「やずやの日は間違いないな……」
「ほかに」
「久々に調べてみるか」
「うん」
うにゅほが、俺の膝に腰を下ろす。
その矮躯を抱き締めるようにキーボードを叩き、今日が何の日かを検索してみた。
「バイオリンの日、だって」
「ふうん……」
「──…………」
「ほかには?」
「民放テレビスタートの日、テレビCMの日、気象予報士の日……」
「なんか、あんましだね」
「気象予報士には悪いけど、そうだな……」
「あ、そだ」
「どした?」
「はとやのひーの、きもする」
「ハトヤ」
「うん」
「8月18日 ではなく?」
「あ」
「間違えたか」
「まち、……がえてないよ。にーは、とぅーだし」
「はトゥや?」
「はとぅや」
「……厳しいな」
「きびしいかー……」
「でも、最後まで諦めなかった姿勢は評価します。五ポイント!」
「うへー」
気付けば八月の終わりも近い。
残暑はまだまだ続くけれど、冬の訪れを覚悟しなければ。
210
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:52:33 ID:F1pHNyW60
2024年8月29日(木)
「××さー……、ん」
「はーい?」
「××って、ドラクエやったことあったっけ」
「どらごんくえすと?」
「うん」
「ない」
「まあ、そうだよな」
「どしたの?」
「ドラクエⅢのHD-2Dリマスター版が出るから、どうしようかと思って」
「どらくえすりー」
「そう」
「きいたことは、ある。なんか、すーごいげーむだって……」
「日本における剣と魔法のファンタジーのイメージを形作った偉大な作品ではあるな」
「ほうほう」
「買う、……かあ?」
「いつはつばい?」
「えーと」
検索する。
「11月14日だな」
「いい、いしのひだ」
「賢者の石かな」
「けんじゃのいし?」
「戦闘中に使うと全体を回復してくれる」
うにゅほが、呆れの混じった微笑みを浮かべる。
「◯◯、やりたいんだね……」
「買って即プレイするかは微妙なラインだけど、やりたい」
「──…………」
「──……」
「……きょかとってる?」
「いちおう……」
「いいよ!」
「よし」
「すちーむ?」
「Steam。やっぱPCでできるの楽だから」
「そなんだ」
「ドラクエⅢ、好きだったんだよ。スーファミのリメイクからしかやってないけど」
「さいしょ、ふぁみこんだったんだ」
「そうそう。めちゃくちゃデータが消えたらしい」
「ぼうけんのしょだ」
「よく知ってるじゃん」
「なんか、しってる」
ドラクエと一切無関係な生活を送ってきたうにゅほですら、ある程度の知識はあるのだ。
偉大な作品である。
HD-2Dリマスター、楽しみだな。
211
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:52:51 ID:F1pHNyW60
2024年8月30日(金)
「──よっこらせ、っと」
ホームセンターで購入してきた飲み物のダンボール箱を、愛車の後部座席から運び出していく。
「う、……っしょ! う、……っしょ!」
非力なうにゅほも、頑張って手伝ってくれる。
健気である。
三箱目を玄関へ運び込んだとき、
「わ!」
うにゅほの驚いた声が聞こえてきた。
「どした!」
小走りでうにゅほの元へと駆けていく。
「とんぼ!」
「トンボ?」
「とんぼ、くるまのなか、はいった……」
「げッ」
うにゅほの指差した先を見る。
すると、運転席のヘッドレストにトンボが止まっていた。
「入るなよな、こんなとこ……」
「どうしよう」
当然だが、このまま放ってはおけない。
愛車をガレージに入れなければならないのだ。
「……××。扉全部開けよう」
「わかった!」
運転席、助手席、後部座席──バックドア以外のすべての扉を開き、トンボにそっと手を伸ばす。
思いのほかあっさりと、トンボが車外へと飛んでいった。
「よし! ××、閉めるぞ!」
「はい!」
第二第三のトンボが車内に入らないように、急いで扉を閉じていく。
「ふー……」
「なんとかなったー」
「トンボ、虫の中では嫌いじゃないけど、車の中にいられるとな」
「あのおおきさ、こわい。いえのなかでも……」
「外で見るぶんには秋の訪れって感じで風流なんだけど」
「あ、そだ。あきだね」
「八月も終わるもんな。秋が来たのかも」
「なつ、おわりかー……」
こんなに忙しない気持ちで秋の訪れを感じるとは思わなかった。
入るな、車ん中に。
212
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:53:14 ID:F1pHNyW60
2024年8月31日(土)
「──、は……!」
目を覚まし、呟く。
「……カルボナーラだ」
「?」
独り言を聞きつけたうにゅほが、自室の書斎側から顔を出す。
「かるぼなーら?」
「いや、夢を見てて……」
「どんなの?」
「スパゲティを注文しようとするんだけど、カルボナーラがどうしても思い出せない夢……」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「あくむかも」
「悪夢ってほどではないけど、悪夢寄りではあるな」
「わたしも、きょう、あくむよりのゆめみた……」
「どんな夢だった?」
「だいぶわすれたけど、いい?」
「いいよ」
「うとね、おんせん、……なの。おんせん」
「温泉で?」
「おんせんが、すーごいね、こんでた。わたし、ふくきてて」
「ああ」
「なんか、……みられてて。やだった」
「そっか」
わけがわからん。
しかし、これは、うにゅほの説明が下手なこともあるが、そもそも夢の記憶が断片的なのが大きいのだろう。
「わかった?」
「わからん」
「わからんかー……」
「でも、夢ってそんなもんだろ。俺も刻一刻と忘れてきてるし」
「そだよね」
ベッドから下り、顔を洗って自室に戻る。
「ぷー……」
「あ、そだ。◯◯」
「うん?」
「やさいのひー、だよ」
カレンダーを見る。
8月31日。
問答無用で野菜の日だった。
「9月31日は、くさいの日だな」
「ほんとだ……」
「まあ、9月31日はないんだけど」
「……ほんとだ!」
パソコンチェアに腰掛けると、うにゅほが俺の膝に腰を下ろした。
そんな一日の始まりだった。
213
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/01(日) 04:54:04 ID:F1pHNyW60
以上、十二年九ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
214
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:51:23 ID:pXNKcxzA0
2024年9月1日(日)
「ふいー……」
シャワーを浴び、自室へ戻る。
ドライヤーで髪を乾かし、乳液を顔に塗り込み、綿棒で耳の穴を掃除する。
「あ!」
「あ?」
「◯◯、みみそうじしてる……」
「あ」
忘れていた。
風呂上がりに綿棒で耳掃除をするのはよくないと知り、意識を変えたつもりだったのだ。
「……完全に習慣化してるみたいだ。なんの疑問も持たずに綿棒使ってた」
「こわいね……」
「××は大丈夫か?」
「──…………」
うにゅほが、静かに思案する。
「つかってない、……とー、おもう」
「使ってるかもしれないな……」
「かのうせいは、ある」
「××、今からシャワーだろ。綿棒使いそうになったら言うわ」
「わかった」
俺と入れ替わるようにして、うにゅほが浴室へ向かう。
しばしして、
「ぷー……」
「おかえり」
「ただいまー」
戻ってきたうにゅほが、風呂上がりのルーティンを始めた。
ロングヘアをドライヤーで乾かし、まとめ、スキンケアを行ったあと、俺の膝に腰掛ける。
「めんぼう、つかわなかったよ」
「さすがにな……」
「はなし、したもんね。すーごいきーつけた」
「忘れた頃にどうなるか、だな」
「うん」
「……まあ、当の綿棒はもうすぐ切れるわけだが」
「かう? みみそうじいがいにも、つかうときつかうし」
「そうなんだよな。耳掃除以外にも使うから、ないならないで困ると言うか」
「こまったちゃんだね……」
「絶妙だよな。綿棒に代わるものって、思いつかないし」
「うん」
"耳掃除のできない綿棒"などというニッチなものがあるはずもない。
結局は、意識して耳掃除を止めるしかないのだろう。
長年の習慣をやめるのは、なかなか難しいものだ。
215
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:51:41 ID:pXNKcxzA0
2024年9月2日(月)
ダイの大冒険の外伝である、勇者アバンと獄炎の魔王を現行の十巻まで読了した。
「あー……」
ぼそりと呟く。
「おもしれえー……」
「おー」
読書の邪魔をしないために座椅子に隔離されていたうにゅほが、尋ねた。
「そんなにおもしかった?」
「ダイの大冒険のアニメ見たなら、絶対に読んだほうがいい。知ってるキャラもバンバン出るしな」
「たとえば?」
「ポップの師匠のマトリフとか。つーか、マトリフがカッコいい。主人公じゃないかってくらい活躍する」
「そんなに」
「読め読め」
「よむけど、わたし、よむのおそいから……」
「知ってる」
と、うにゅほに勧めたのが数日前のことだ。
ちみちみとiPadで読み進めていたらしいうにゅほが、唐突に口を開いた。
「おもしかったー……」
「読み終わったか」
「つづきないの?」
「続きは九月中に出るはず」
「やた!」
「面白かっただろ」
「おもしかった! まとりふ、かっこよかったー……」
「問題です」
「ててん」
「俺が、魔王軍側でいちばん好きなキャラは誰でしょうか」
即答する。
「がんがでぃあ」
「よくわかったな!」
「わかる。いい」
「ガンガディアとマトリフ、いいよな……」
「いい……」
こち亀のネタ画像のような会話を交わしたあと、うにゅほを膝に乗せた。
「じゅういっかん、いつかな」
「えーと──」
検索する。
「……9月4日じゃん!」
「ちかい!」
「完結すんのかな」
「たぶん……?」
ともあれ、十一巻を楽しみに待つことにしよう。
216
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:52:05 ID:pXNKcxzA0
2024年9月3日(火)
カレンダーをめくりながら、うにゅほが呟いた。
「くがつだー……」
「一昨日からな」
「しってる」
「夏も終わり気味な感じあるよな……」
「ことし、そんなにあつくなかったかも……」
「うちはな」
「うん」
「本州は知らん」
「しらん!」
「しかし、九月か。今年もあと四ヶ月だな」
「さんぶんのにー、おわった」
「××の誕生日も近いな」
「たしかに……」
「欲しいもの、あるか? あるなら早めに言っといてもらえると助かる」
「……んー」
十秒ほど思案し、小首をかしげる。
「いま、おもいつかない、かも」
「物欲のない女め」
「おもいついたら、いうね」
「頼むわ」
十年以上も一緒にいれば、定番の品物はたいてい贈っている。
アクセサリーをたくさん揃えて悦に入るような性格でもないし、うにゅほへのプレゼントはなかなか難しい。
「そだ」
「思いついた?」
「まだ」
「まだか……」
「でも、はんでぃくりーなー、いいよね……」
「ああ、これか」
三ヶ月ほど前に購入したレイコップのハンディクリーナーを手に取る。
「そうじのはーどる、さがった」
「わかる。髪の毛とかサッと吸えるから、前より部屋が綺麗になったよな」
「そういうの、ほしいかなって」
「そういうの、か」
具体的ではないが、指針ではある。
「俺も、適当に探してみるよ。二人で決めてもいいんだし」
「うん!」
うにゅほの誕生日まで、あと一ヶ月半だ。
良い品物が見つかればいいのだが。
217
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:52:29 ID:pXNKcxzA0
2024年9月4日(水)
勇者アバンと獄炎の魔王、十一巻が配信されていた。
深夜のうちに読了し、起床後にうにゅほに告げる。
「なんか、まだ続くみたい」
「え、そなの?」
「俺も、ハドラー倒して終わりだと思ってたんだけどさ……」
「なにするの?」
「先生編、だとかなんとか」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ひゅんけるとか」
「そうそう」
「ぽっぷもでるかも……」
「出たら、正直めっちゃ嬉しい」
「◯◯、ぽっぷすき」
「最後まで読んでポップ嫌いな人に会ったことないな」
「わかる」
「ま、読め読め」
「あとでよむね」
「ああ」
「あ、ジャンプまだよんでない」
「読むものたくさんだな」
「きんどるにしてから、◯◯、ジャンプつまなくなったね」
「ああ、たしかに。わりとすぐに読むかも」
「いっかげつとか、にかげつとか、ためてたのに……」
「なんか、紙の本を開くより、PCで電子書籍を読むほうが、心理的ハードルが低いんだよな……」
「そういうもの?」
「少なくとも、俺はな」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「らくだからかな」
「楽なのもあるし、だいたいPCの前にいるからマウス操作で完結するのもあるし」
「がめん、おっきいし……」
「無駄にでかいからな、メインディスプレイ」
「なんインチだっけ」
「43インチ」
「でかい」
「サブでも27インチ」
「たしたらななじゅうだ」
「でっか」
夕食を済ませ、シャワーを浴びたあとに、うにゅほは十一巻と今週のジャンプをまとめて読んだようだった。
すべてのソシャゲをやめたので、iPadが完全にうにゅほのものになっている。
いいけど。
218
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:52:53 ID:pXNKcxzA0
2024年9月5日(木)
「バギ」
「ばぎ」
「バギマ」
「あー」
「バギクロス」
「うん」
「ドラクエやったことない××も、なんとなく知ってるだろ」
「だい、つかってた」
「使ってたな」
「かなりさいしょ……」
「この上がある」
「そなの?」
「ダイの大冒険連載当時はバギクロスが最上位だったんだけどな」
「なんてやつ?」
「バギムーチョ」
「えっ」
「バギムーチョ」
「うそ?」
「いや、マジ。いつもの嘘ではない」
「からむーちょ……」
「思うよな」
「うん」
「バギクロスはあんなにカッコいいのに……」
「うん……」
「メラガイアー、マヒャデドス、イオグランデ、ギラグレイド、なんてのもあるらしい」
「……うーん」
うにゅほが、大きく首をかしげる。
「むーちょ、よりいいけど」
「バギムーチョよりはな……」
「なんか、いらないきーする」
「俺もそう思う」
ドラクエ未経験者のうにゅほでも、そう思うらしい。
「ナンバリングが進むごとにダメージが増えていくから、細かく刻む必要があったんだとは思うけど」
「そういうもの?」
「たぶん」
「たぶんかー……」
実際のところは、よくわからない。
ただ、今度出るHD-2Dリマスター版のドラクエⅢには追加してほしくないと思った。
219
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:53:12 ID:pXNKcxzA0
2024年9月6日(金)
コンビニに立ち寄った際、スーパーカップのずんだ味を見つけた。
「××、××。これ」
「わ、ずんだ」
「ずんだ」
「ずんだもんだ」
「ずんだもんの流行って、最近ずんだ味のパンとかお菓子を見掛けるのと無関係じゃないよな……」
「そんなきーするね」
「俺が初めて食べたときは、もっとマイナーな食べものだったから」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「かってみる?」
「試しに買ってみるか。美味いかも」
「うん」
スーパーカップのずんだ味を購入し、帰宅する。
なかば溶けかけて柔らかくなっていたスーパーカップを冷凍庫で冷やしたあと、風呂上がりに開封する。
「ほら、食べてみようぜ」
「たべるー」
スプーンですくい、まず、うにゅほの口元へと差し出した。
「あーん」
「あー」
ぱくり。
「──…………」
「どうよ」
「ふつうにおいしい」
「そっか。まあ、大ハズレはないよな」
ひとくち食べると、青い豆の風味がかすかに香った。
「あ、つぶつぶ入ってるな」
「うん」
「美味い」
ただ、超バニラやクッキーバニラを超えているかと言うと、難しいところだ。
うにゅほの"ふつうにおいしい"という言葉が真芯を捉えている気がする。
「ずんだもち食いたくなってきた」
「まえたべたね」
「美味かったろ」
「うん」
「また、どっかで売らないかな……」
「たべたいねえ」
好みは分かれるが、俺もうにゅほもずんだが好きだ。
宮城県なんてそうそう行けないので、期間限定ではなく常に売り出してほしい。
220
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:53:34 ID:pXNKcxzA0
2024年9月7日(土)
検索しようとGoogleを開くと、俺たちの住む街のニュースが表示されていた。
「うわ、近所で火事だって」
「かじ?」
「ほら」
ニュースサイトを開くと、ごうごうと燃える二階建て住宅の動画が映し出された。
「もえてるー……」
「燃えてるな……」
「どこ?」
「ああ、ほら。下のほうに──」
住所を読み上げる。
「そんなちかくないね」
「ぜんぜん近くなかったな。むしろ遠いわ」
「よかったー……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「でも、うちも気を付けないとな。火事」
「きーは、つけてるけど、うん。もっとつけるね」
「料理より、寝タバコのほうが怖いって言うよな」
うにゅほが小首をかしげる。
「ねたばこ?」
「寝ながら吸うタバコ」
「あぶない!」
「まあ、うちで吸うのは父さんだけだし、父さんも窓際でしか吸わないし、大丈夫かな」
「そだね」
「他に火種ってある?」
「ひだね……」
「火種」
「……あんま、おもいつかないかも」
「タコ足配線とか?」
「たこあしはいせん」
膝の上のうにゅほが、デスクの下を懸命に覗き込む。
そして、指差した。
「たこあし……」
「PCのケーブル周りは仕方ないって」
「かじ……」
「ホコリとかが原因だから……」
「たまにそうじしないとね」
「だな」
映像を見て、改めて思う。
やはり、火事は怖い。
たったひとつの過失ですべてを失うのは、あまりにも悲劇だ。
気を付けようと思った。
221
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:53:54 ID:pXNKcxzA0
2024年9月8日(日)
「××さん」
「?」
「膝が痒いっす」
うにゅほが膝に乗っているので、掻けない。
「あ、ごめん」
膝から降りるのを待ち、軽く掻く。
下衣の裾を膝までまくり上げると、すこし赤くなっていた。
皮膚科でもらった軟膏を擦り込み、裾を直す。
「もういいぞ」
「はーい」
うにゅほが、再び膝に腰掛ける。
「あせも?」
「いや、違うと思う。いちおう塗っただけ」
「そか」
「それに、××を乗せてる膝があせもになって、××のおしりがならないのは不公平だ」
「おしり、あせもなりたくないな……」
「どこも嫌だけど、まあ、嫌だな」
「うん」
嫌な上に案外なりやすそうな場所だ。
「◯◯、かゆいの、ほとんどなおった?」
「ああ、治った。湿疹はもうないし、もらった軟膏使わないほうがいいのかな」
「どうなんだろ……」
「強い薬らしいし」
「そなの?」
「ああ」
「どのくらい?」
「どのくらいって言われても困るけど──」
と言い掛けて、ふと思い出した。
「ステロイドのランク付けがあったな」
「てぃあひょうみたいの?」
「まさにそう」
「くすり、てぃあひょうあるんだ……」
「俺がもらったマイザーってのは、上から二番目に強いランクだったはず」
「つよい!」
「二番目に強い薬ってわけじゃなくて、S〜DまでのあいだのAランクってことな」
「わかりやすい……」
「まあ、そんなに強い痒みじゃないなら、前に買ったプレバリンでいいか」
「えーらんく、つよいもんね」
「強いと副作用怖いからな」
「うん」
しかし、皮膚科の薬はやはり効く。
今度から、皮膚に異常があったら即刻皮膚科へ行くことにしよう。
混むけど。
222
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:54:17 ID:pXNKcxzA0
2024年9月9日(月)
「お」
Twitterを開くと、トレンドに面白いことが書いてあった。
「××、××」
「?」
「今日って、昭和換算すると、昭和99年9月9日になるんだって」
「おー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「おもしろいね!」
「な」
「あした、しょうわひゃくねん、ぜろがつぜろにちになりそう……」
「うわ、めっちゃなりそう」
「うへー」
昭和100年0月0日。
世界がバグってる感じで面白い。
「しかし、昭和が終わってから、もうそんなに経つんだな」
「さんじゅうなんねん?」
「そう」
「れいわも、ろくねんだもんね……」
「そうだよ、令和六年なんだよ。引くわ」
「ひくの」
「どう考えても、時間の経過が早すぎる……」
「わかるけど」
「あっと言う間に年食って死ぬんだろうな」
「やだねー……」
「楽しい時間ほど早く過ぎて、苦しい時間は長く感じる。これ逆にならんかな」
「あー、わかる」
「でも、ダメかもな。ブラック企業とかで」
「だめなの?」
「すぐに苦しみが終わるから、さらにバンバン仕事詰め込んで過労死続出しそう」
「……たしかに」
「あと、苦しい人生が速攻で終わりすぎて虚しさ募る」
「くるしいのながいより……」
「それはそうだけどな」
なかなか難しいものだ。
「人体には直してほしい部分がたくさんあるな」
「たとえば?」
「腰とか」
「◯◯、こしよわいもんね」
「腰は壊したら一生もんだから、××も気を付けろよ」
「はい……」
ぎっくり腰のうにゅほなんて、可哀想で見ていられない。
痛みなど知らず幸福に生きてくれ。
223
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:54:38 ID:pXNKcxzA0
2024年9月10日(火)
「昨日も話した気がすんだけどさ」
「?」
「最近、時が経つのが早すぎない……?」
「そかな」
「9月10日だぞ」
「そだね……」
「残暑の候だぞ」
「それはわかんない」
うにゅほは案外流してくれない。
「でも、たぶんわかるよ」
「何が?」
「◯◯、じかんたつのはやいりゆう」
「ほう」
「ずーっと、しょうせつかいてるから」
「……やっぱり?」
「だとおもう……」
三ヶ月ほど前に入ったフィーバータイムがまだ終わらない。
暇を見つけてはしこしこ書き溜めている。
「どのくらいかいたの?」
「……どんくらいだろ。調べてみるか」
調べてみた。
「ざっと六十万文字くらいは……」
「──…………」
うにゅほが眉根を寄せる。
「すーごいのは、わかる。でも、どのくらいすごいのかわかんない……」
「そうだなあ」
軽く思案し、答える。
「毎日書いてる日記が、だいたい六百文字くらい」
「せんにちぶん?」
「千日分」
「……さんねんぶん?」
「三年分」
「さんかげつで」
「三ヶ月で……」
「すごい」
「書いたなあ……」
いやマジで。
「まあ、書けるうちは書くよ。フィーバータイムなんてそのうち終わるんだから」
「ふぃーばーたいむってよんでるの」
「自分の意志で入れないからな……」
自分の操縦がいちばん難しい。
たぶん、死ぬまで慣れないんだろうな。
そんなことを思った。
224
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:55:00 ID:pXNKcxzA0
2024年9月11日(水)
「──……◯◯」
肩を、ぽんぽんと叩かれた。
「んごっ」
「◯◯」
目を開く。
どうやら、パソコンチェアで寝落ちしていたらしい。
「ベッドでねよ」
「……いや、起きる。起きてる」
「だいじょぶ?」
「大丈夫」
「わたし、ひるねするけど……」
「おやすみ」
「おやすみ……」
「──◯◯、◯◯」
肩を、ぽんぽんと叩かれた。
「んが」
「◯◯……」
目を開く。
また、パソコンチェアで寝落ちしていたらしい。
「またねてた」
「寝てた……」
「どのくらいねてた?」
「──…………」
「──……」
「××、何時間寝てた?」
「にじかんくらい」
「じゃあ、そのくらいだわ……」
「◯◯……」
「……なんか寝心地いいんだよな、このチェア」
「まえのチェア、ねおちしなかったもんね」
「そうなんだよ」
「ふしぎ」
「体に合ってるのかも」
「あいすぎてるからねるのかな……」
「そうかも」
「◯◯、こしいたくない?」
「それが、そんなに痛くないんだよ……」
「すごい」
「座って寝ると睡眠時無呼吸にもならないし、案外いいのかもしれない」
「よくはないよ……」
それはそうだ。
寝落ちには気を付けよう。
225
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:55:30 ID:pXNKcxzA0
2024年9月12日(木)
はっ、と目を覚まし、自分の鼻に触れる。
「──…………」
異常はない。
ベッドから下りると、自室の書斎側から声が届いた。
「おきたー?」
「起きた」
「おはよ!」
「おはよう……」
顔を洗い、うがいをして、自室に戻る。
「ヤバい夢見た……」
「あくむ?」
「悪夢」
うにゅほが、わくわくと尋ねる。
「どんなあくむ?」
「鼻の穴にでかい蜘蛛が入り込む悪夢」
「──…………」
うにゅほの顔が青くなる。
「そっちほうこう……」
「一所懸命片方の穴を塞いで、ふんッ、ふんッてやるんだけど、なかなか出なくて」
「うはあ」
「ふんふんしてたら目が覚めた」
「あー」
うにゅほが、納得したように頷く。
「寝ながらふんふんしてた?」
「ふんふんはしてないけど、うめいてた」
「夢の中で苦しんでたんだよ……」
「そか……」
「あと、途中で犬が玄関でおしっこしてた気がする」
「コロ?」
かつて飼っていた愛犬の名である。
「いや、コロじゃなくて別の犬」
「ふつうにやだね……」
「なんつーか、リアルに嫌な悪夢だった。もっといい夢見たい……」
「どんなゆめみたい?」
「──…………」
改めて考えてみると、難しい。
「財布拾うとか宝くじ当たるとかは、起きたとき虚しいだけだしなあ」
「うん」
「なんか、物語性の強い夢はいいかも」
「しゅじんこう、みたいな?」
「そうそう」
「なるほどー」
とにかく、起きたときに気分がいい夢が見たい。
それがなかなか難しいのだが。
226
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:55:51 ID:pXNKcxzA0
2024年9月13日(金)
「──あれ」
「?」
寝支度を整えていたうにゅほが、思わず漏れた俺の声に反応した。
「どしたの?」
「ああ、いや。日記書こうと思ってさ」
「うん」
「書くことあったはずなんだけど、忘れちゃって……」
「あー」
「なんだっけ」
「しらない……」
そらそうだ。
「そもそも、今日、何があったっけ」
「──…………」
うにゅほが思案する。
「なにかあったっけ……?」
「記憶がない」
「◯◯、またねおちしてた」
「してたな……」
「それくらい?」
「そんなもんか」
なんて内容のない人生だ。
「……ホームセンターに飲み物買いに行ったのは昨日だっけ」
「きのうだよ……」
「だよな」
「だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈夫」
たぶん。
「あ、そだ」
「うん?」
「ばんごはん、ぎょうざ」
「美味かったよ」
「うへー」
「……そもそも、書くことがあったと思っていたのが勘違いだった?」
「そなの?」
「あれは昨日のことだったかもしれない」
「きのう、なにかいたの?」
「鼻に蜘蛛が入る悪夢」
「……あー」
「もしくは、あれだ」
「どれ?」
「一日をループし続けて、百周目くらいでその原因を打ち砕き、同時にその記憶を失ったから放心状態だったのかもしれない」
「まんがだ」
「不意に涙が溢れてきて、"俺、どうして……?"ってなったら、何か悲しい別れがあったのかもしれないな」
「なった?」
「なってない」
「うん」
「違うかー」
「ちがうとおもう……」
「あ、思い出した」
「おもいだした!」
「いや、日記のネタじゃないんだけど、猫探しゲーの新しいの出たから××とやろうと思ってて」
「やる!」
「今から?」
「うん!」
「なら、途中までな」
「はーい」
と言うわけで、しばし猫を探しまくる俺たちだった。
227
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:56:13 ID:pXNKcxzA0
2024年9月14日(土)
所用を終えた帰り道、ふと近所に新しいセイコーマートができていることに気が付いた。
「へえー、こんなとこにできたんだ」
「なんかふしぎ……」
「この通り、コンビニなかったもんな」
「べんりになったねえ」
「そうか……?」
北海道ゆえ、セイコーマートの店舗数は多い。
思いつくだけで周辺に三軒はあるのだから、特に便利になったという感じはしなかった。
「ここ、とおったとき、よれるし……」
「うちの近所にあるじゃん」
「あるけど」
「今までの便利度が100だとしたら、101になったくらいのイメージだな」
「ほら、べんりになった」
「まあ、すこしだけな……」
「ね?」
「××さ」
「──…………」
「さっき、適当に返したろ。そのあと辻褄を合わせるためにゴリ押ししようとしたな」
「う」
「はっはっは」
伊達に十年以上一緒に暮らしてはいないのだ。
「ごめんなさい……」
「いや、謝る必要まるでないからな。ただ当てただけ」
「そか。でも、すごいね。あてるね」
「××だって、俺のことたいていわかるだろ」
「わかる」
「だから、俺たちがすごい」
「うへー」
「××なんて、俺が風邪引いてることに俺より早く気付くもんな……」
「わかるよー」
「普通はわからないんだよ」
「◯◯も、わたしのかぜ、わかる」
「わりとな。絶対じゃないけど……」
「でもわかる」
「あと、普段からひっついてるから、熱はすぐわかるな。熱いなって」
「あー、わかる」
「あんなの、常に相手の体温測ってるようなもんだもんな……」
「なかよし」
「仲良し」
「うへへ」
帰宅し、うにゅほを膝に乗せてYouTubeをふたりで眺めた。
ショート動画無限に見れる。
228
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:56:37 ID:pXNKcxzA0
2024年9月15日(日)
「ああ、九月も半分過ぎてる!」
「ほんとだ……」
「道理で、俺たちの部屋以外は涼しいはずだよ」
「へや、あついもんね」
なんと、九月も中旬を迎えてなお、エアコンをつけっぱなしにしている。
理由は単純だ。
ひとたびエアコンを止めると、窓を開けていても室温が30℃を超えるからである。
「わたしたちのへや、なんで、あついんだろ」
「理由は幾つかあるだろうな」
「ふん」
「まず、単純に日当たりがいい」
「うんうん」
南東と南西に窓がある角部屋のため、日中は常に太陽の光が入ってくる。
暖められた空気は冷えることなく、翌日までこもり続ける。
「次に、俺と××がだいたい常に部屋にいる。人間って100Wくらいの熱源になるらしいし」
「ひゃくわっとって、どのくらい?」
「ストーブ一台ぶんとまでは言わないけど、それなり。それがふたり」
「あったかい……」
「だろ」
「あとは?」
「家の外壁の色が、黒ではないけど濃いめだから、それで太陽光を吸収してるかもしれない」
「あー」
「冬はいいんだけど、夏場がな」
「なるほど」
「パッと思いつくのは、そんくらいかな」
「あついわけだ……」
「なに、そのうち涼しくなるさ」
「そして、ゆきふる」
「雪はいらない……」
「◯◯、ゆききらい」
「好きになる理由がない」
「きれいだよ」
「××みたいなロマンチストじゃないので……」
「わたし、ろまんちすとなんだ」
「××も免許取ったらわかるよ。雪道のだるさが」
「……じゃあ、とらない」
「しまった」
余計に頑なにしてしまった。
相変わらず免許を取りたがらないうにゅほである。
229
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/09/16(月) 18:57:27 ID:pXNKcxzA0
以上、十二年十ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
230
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:36:22 ID:/HDjBGtM0
2024年9月16日(月)
カレンダーを見上げながら、うにゅほが言った。
「あきだねえ……」
「……秋か?」
窓を開けているのに、室温は31℃を超えていた。
「あき、ではある」
「秋ではあるか……」
「でも、あついから、エアコンつけよ……」
「だな」
窓を閉め、エアコンをつけて、扇風機をこちらに向ける。
「ふー」
うにゅほが膝の上に腰を下ろし、iPadを手に取った。
くつろぐ気満々である。
「あのさー」
「?」
「唐突に、すげえどうでもいいこと思い出したんだけど」
「なにー?」
「犬の肉球ってポップコーンの匂いしたよな」
「した!」
「あれ、なんでなんだろうな……」
「わかんないけど、した」
「不思議」
「ねこもするのかな……」
「猫もするらしいぞ」
「するんだ」
「さすがに嗅いだことないけどな……」
「ねこのにくきゅうかぐきかい、ないもんね」
「まあ、ないわな。そんなもん」
「かってないと」
「猫飼ってない人が肉球嗅ぐ機会って、マジでなくないか?」
「ねこかふぇ、とか」
「猫カフェ行ったことないけど、初対面の猫の肉球に鼻先突っ込むの怖くない?」
「ひっかかれそう……」
「猫飼ってる人の家に遊びに行って、その猫がよほど大人しくて懐いてくれた場合にのみ許される奇行だよな」
「きこう。きこうだ」
「奇行だろ……」
「わたし、ねこのにくきゅうかがないまましぬかも……」
「べつにいいじゃん」
「いいけど」
「××の手はどんな匂いする?」
「はい」
うにゅほが、自分の手のひらを俺の鼻先に突きつける。
「ハンドソープの匂いがする」
「あらったから……」
「そうかそうか」
「◯◯は?」
「ほい」
うにゅほの鼻先に、手のひらを寄せる。
「◯◯のにおいする」
「そらそうだ」
「うへー」
自分で自分の手のひらを嗅いでみたが、よくわからなかった。
そんなもんだろう。
231
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:36:48 ID:/HDjBGtM0
2024年9月17日(火)
最近、アロマテラピーに再び凝り始めている。
さまざまな精油を試したが、結局は無難なラベンダーがいちばんだ。
小瓶の残りが僅かになったので、ラベンダーの精油をAmazonで注文し、届いたのが今日の午前中のことだった。
「◯◯、とどいたー」
「おー」
Amazonの箱を適当に開封していくと、中から瓶が出てきた。
うにゅほが目をまるくする。
「でか!」
高さ十センチ少々、内容量は100ml程度の瓶だが、うにゅほのリアクションも間違いではない。
なにせ、今まで愛用していた精油の小瓶は、内容量が10mlなのだ。
実に十倍である。
「これ、永久になくならなそうだな……」
「うん……」
「毎日使おうか」
「つかわないと、なくなんない」
「だよな……」
ラベンダーの匂いは好きだし、特に問題はない。
「俺、あとイランイランも好きなんだよな」
「いらんいらん、どんなのだっけ」
「えーと」
イランイランの小瓶を手に取り、うにゅほに渡す。
蓋を外し、軽く嗅いだあと、うんうんと頷いた。
「あ、これかー」
「それそれ」
「きらいじゃない……」
「せやろ」
「こうか、あるのかなあ」
「わからん。わからんけど、まあ、好きな匂いを嗅ぐだけだから悪いことはないんじゃないか」
「……たしかに!」
体に悪い成分が混じっているのならば問題だが、恐らくそうではないだろう。
「大してお金のかかる趣味でもないし、よいよい」
「よいよい」
アロマランプで精油を揮発させているため、シーリングライトを消すことで部屋が一気に落ち着いた空間になる。
キーボードをG515 LIGHTSPEEDに変えてキートップの文字が光るようになったので、暗い部屋でも問題なく文字が打てる。
なんだかいい感じだ。
このまま理想的な部屋作りを極めてみてもいいかもしれない。
232
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:37:08 ID:/HDjBGtM0
2024年9月18日(水)
「……クロノトリガーやりたくなってきた」
「おー」
膝の上のうにゅほが、うんうんと頷く。
「やろう!」
以前、Steam版のクロノトリガーを、うにゅほの見学のもとクリアした。
当然だが、うにゅほの中でも名作というくくりに入っているらしい。
「でもなあ……」
「でも?」
「小説も書きたい」
「あー」
「時間が足りない」
「こまった」
「まあ、こうして××とYouTube見てる時間を当てればいいんだけど、これはこれで必要じゃん」
「ひつよう……」
「ゲーム、小説、くつろぎ。このみっつを同時に満たそうとすると、当然ながら睡眠時間が削られる」
「よくないね」
「どうしよう」
「すこしずつやるとか……」
「ゲームは一日一時間、的な?」
「そう」
「まあまあアリだな」
「うへー」
「……一時間で止められるかは微妙だけど」
「そだね……」
とかく自分の操縦は難しいものだ。
「◯◯、くろのとりがーのどうが、さいきんすーごいみてたもんね」
「おすすめで流れて来たの見たら、さらにどんどんおすすめされて……」
「ゆーちゅーぶにあやつられている」
「実際そうかも」
「でも、やりたくなるの、わかる……」
「だろ」
「いろじかけ、とか、あんましつかったきおくない」
「そうなんだよ。カプセルとか、プリズム系の防具とか、盗めると思わないじゃん」
「うん……」
「どっかで隙見てやるかー」
「やろう!」
「まあ、今はやらない」
「くつろぎのじかん」
「そうそう」
ぼんやりする時間だって必要だ。
心にだって体力があるのだから。
233
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:37:25 ID:/HDjBGtM0
2024年9月19日(木)
「部屋改造したいよなー……」
「かいぞう?」
「まあ、実際にするかは別として、したいなって話」
「どんなふう?」
「そうだな。前に見たガジェット系のチャンネルで、壁になんか貼ったり、有孔ボード掛けたりしてたろ」
「あ、してた。かべひからせたり……」
「そうそう。あんな感じで」
「おしゃれーな、かんじ」
「俺たち、自分の部屋にいること多いからさ。QOLが上がるかなって」
「いいかもねえ……」
十二分に居心地の良い部屋ではあるが、さらに上を目指すのも悪くはない。
「おしゃれーじゃなくても、ものおくばしょふやすの、いいとおもう」
「わかる。だいぶ整理はしたけど……」
部屋を見渡す。
それでも、置き場所に困っているものは多い。
「物置ける場所なんて、いくらあってもいいからな」
「うん」
「壁が空いてるし、ここらへん上手く使えないかな……」
「たのしそう」
ふたりで自室の青写真を語り合う。
絶対に不可能なアイディアも出るが、それはそれで楽しい。
「さぼてんとか、おきたいねえ……」
「ああ、いいかもな。部屋に緑があるといいって言うし。何がいいのか知らんけど」
「まいなすいおんが」
「出た、謎概念」
「あと、あれ。たにくしょくぶつ」
「あー」
「かわいいのある」
「わかる。いいよな、多肉植物」
「いい……」
「部屋の改造計画がどんどん進んでいくな」
「ね」
「まあ、計画を実行に移すかは未定なんだけど……」
「してもいいきーする」
「まあな」
すべては無理でも、その一部くらいは実現できる。
現実的に考えてみようかと思った。
234
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:37:41 ID:/HDjBGtM0
2024年9月20日(金)
「ファミマ寄るかー」
「いいよー」
道すがら、ファミリーマートへと立ち寄る。
駐車場に車を停めた瞬間、玄関から警察官が現れた。
「わ」
当然ながら、こちらには目もくれず、死角に駐車してあったパトカーで、警察官はどこかへ走り去っていった。
「びっくりしたねえ……」
「そうか?」
「びっくりしなかった?」
「べつに……」
「たいほされる!って」
「……××、そんな心当たりあるのか?」
「ないけど……」
「まあ、無意味にポリスメンに緊張しちゃうのは、あるあるだよな」
「あるある」
「気持ちはわかる」
うにゅほが、そっと眉根を寄せた。
「なにかあったのかなあ……」
「強盗とか?」
「ごうとう!」
「まあ、強盗だったら、もっと騒ぎになってるか」
「うんうん」
「普通に考えたら、パトロールだろうな」
「ぱとろーるって、アンパンマンがするやつ」
「……まあ、アンパンマンもするけど、警察もするよ」
「そなんだ」
「パトカーってなんの略か知ってるか?」
「!」
うにゅほが、うんうんと頷いた。
「ぱとろーるかーだ!」
「そうそう」
「なるほどなー」
「パトロールって、巡回って意味だからさ。ほら、見たことないか? 警察官立寄所って書いたステッカー」
「あー、あるかも」
「たまたま、このファミマに立ち寄っただけだと思う」
「そか……」
「なんで残念そうなんだよ」
「なんか」
「わかるけどさ」
犯罪に巻き込まれるのは嫌だけど、犯罪が起きたところを通り掛かるのは、野次馬根性が働いて楽しくなってしまう。
「……よくはないよな」
「よくはない……」
何かしらの被害を受けた人がいるってことだもんな。
気を付けよう。
235
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:37:58 ID:/HDjBGtM0
2024年9月21日(土)
部屋の改造に着手し始めた。
「さて、どーすっか……」
「んー……」
うにゅほが、デスク下のキャビネットに手を触れた。
「これ、いどうするとか」
「どこに?」
「うーと」
周囲を見渡す。
書斎側と寝室側の境目に、ちょうどいい場所があった。
「ここ、とか……」
「なるほど。デスク下から移動させると、上に物が置けるな」
「うんうん」
「移動させてみるか」
「みよう!」
キャスターのロックを外し、移動させる。
すると、一センチの狂いもなく、吸い付くようにピタリと壁に揃った。
「え、ここ置くためのもんじゃん、もはや……」
「ほんとだ!」
「××、ナイス」
「いえー」
ぱちん、とハイタッチをする。
キャビネットの設置していた場所を掃除し、改めて観察する。
「ここ、すっきりしたのはいいけど、何か置けるな」
「なにおく?」
「物が入る、……なんか」
「なんか」
「引き出しじゃなくて、もっと風通しのいい、なんか」
「なんか……」
「調べてみるか」
「うん」
十分ほど検索した結果、山善のスチールラックが良いのではないか、ということになった。
「ここにティッシュとか置けるぞ」
「おおー」
「そうすると、もともとティッシュ置いてた場所に何か置きたくなるな……」
「なんか、あくもんね」
「ここはひとつ、実用よりも装飾目的で何か」
「ほう」
「時計とかいいかもなあ……」
「ふんふん」
なかなか楽しい。
ふたりの納得の行く部屋を作るのだ。
236
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:38:35 ID:/HDjBGtM0
2024年9月22日(日)
「──よし、クロノトリガーやろう!」
「おー!」
不意に気が向き、Steam版のクロノトリガーを始めることにした。
「あ、セーブ残ってる」
「つよくてにゅーげーむ、する?」
「しない」
「しないかー」
「無双もいいけど、それは二周目以降にすればいいし」
「じゃあ、よわくてにゅーげーむだ」
「普通にニューゲームだよ」
「そか」
うにゅほを膝に乗せ、抱き締めるようにコントローラーを持つ。
千年祭が、始まった。
「よし、今回は有罪ゼロで無罪になろう」
「あ、さいばん?」
「そうそう」
「あれ、ゆうざいになれるの?」
うにゅほは、クロノが無罪になったところしか見たことがない。
「なれる。つーか、何も知らずにやれば有罪になる」
「そなんだ……」
「やりがちな行動のひとつひとつが有罪票に繋がってるからな……」
「たとえば?」
「マールじゃなくて先にペンダントを拾う。人の弁当を勝手に食う。ボッシュにペンダントを売ろうとする」
「あー……」
「ひどいのは、猫を届ける前に少女に話し掛けると、それだけで有罪票がひとつ入ることだな……」
「え、なんで?」
「わからん。俺、そのおかげで、全員無罪って絶対できないんだと思ってた」
「りふじん……」
「俺もそう思う」
「こんかい、ぜんいんむざいにできるね」
「何周もしてるけど、初めてだわ」
「れきしてきしゅんかん……」
「よく見ておくんだぞ」
などと言いつつ、マールを助けて現代へ戻ったところで今日はゲームを中断した。
一時間でもけっこう進むものだ。
237
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:38:58 ID:/HDjBGtM0
2024年9月23日(月)
「続きやるかー」
「くろのとりがー?」
「そうそう」
「やろう!」
入浴後、髪のしっとりしたうにゅほを膝に乗せながら、昨日の続きを開始する。
王国裁判が始まると、うにゅほが言った。
「どっとえ、すーごいねえ」
「わかる」
解像度の高いゲームも当然美しいのだが、完成度の高いドット絵からしか得られない感動もあるものだ。
「ぜんいん、むざいなるかな……」
「なる、はず。この攻略サイトが正しければ」
やがて、陪審員が一人一人現れる。
無罪。
無罪。
無罪。
無罪。
無罪。
無罪。
無罪──
「おおー!」
「全員無罪、やっぱできるんだな」
「すごい」
「エーテル六個ももらえるぞ」
「えむぴー、かいふくするやつ?」
「そうそう」
「ほー」
「ところで、MPってなんの略だと思う?」
「まじっくぽいんと……」
「だいたいのゲームはそうなんだけど、クロノトリガーは違うんだよ。魔法以外でも使うからかな」
「なに?」
「マインドポイント」
「せいしんりょく、みたいな」
「たぶんそんな感じ」
「へえー」
物語を進め、空中刑務所に収監される。
無事に脱出し、橋を渡るシーンで足を止めた。
「ここのドット絵、すごい好きなんだよな……」
「きれい」
「シチュエーションとしては最悪の部類だけど」
「だつごくだもんね……」
その後、未来でラヴォスの日の映像を見たあたりで、セーブをしてやめた。
「……合計二時間で、ストーリーわりと進むんだな」
「みじかいのかも」
「二十時間くらいでクリアするイメージだったんだけど」
「わたしも、そんないめーじ」
スーファミ時代の超大作って、思っていたよりボリュームが少ないのかもしれない。
子供だったから長く感じていた部分はあるだろうな。
238
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:39:22 ID:/HDjBGtM0
2024年9月24日(火)
今日は、四週間に一度の定期受診の日だ。
「早めに出るべー」
「はーい」
午前八時過ぎに家を出る。
コンビニで朝食を買ってから病院へ向かうと、待合室には既に数名が座っていた。
受付に名前を書くと、今日は七番目だった。
「お、早い」
「きゅうとか、じゅうさんとか、だもんね」
「なんか奇数なんだよな」
「わかる」
「早めに帰れるかもな」
「うん」
期待通り、名前が呼ばれたのは九時半のことだった。
まあまあ待っている気もするが、普段よりは随分ましだ。
診察を終え、薬局へと立ち寄り、午前十時には無事に帰宅することができた。
「ふー……」
「はやくかえれた!」
「やっぱ、早めに出るべきなんだな」
「でも、はやすぎても、まつよ?」
「病院の待ち時間を最適化するスクリプトが欲しい」
「ねー」
外出着を脱ぎ、チェアに腰掛ける。
「スチールラック、届かねえなあ……」
「おととい、くるはずだったんだよね」
「そうそう。今はなんか9月27日予定になってる」
「なんかあったのかな……」
「あったのかもな。配送業って大変らしいし」
「とどいてほしいね」
「届かなかったら返金で、また注文し直しか。めんどくさいな……」
「うん」
「べつに急がないから、確実に届けてほしい」
「わかる」
うにゅほが、俺の膝に腰掛ける。
「◯◯、ねむい?」
「まあまあ眠い」
「ねるときいってね、おりるから」
「ああ」
などと言いつつ、なんだかんだ寝ない。
最近、睡眠時間が足りない気がするので、どこかで派手に寝散らかしたいものだ。
239
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:39:41 ID:/HDjBGtM0
2024年9月25日(水)
ちびちびとクロノトリガーを進めている。
「カプセル悩むな……」
「すぴーどかぷせる」
「スピードは、まあ、いったんロボかな。欠点は遅さだから」
「そなんだ」
「ルッカも遅いんだよな。まあ、ここらで分け合いつつ」
「ぱわーかぷせる」
「クロノかな。一回死ぬまでパーティから外せないし、パワーカプセルは黒の夢で無限に稼げた気がするし」
「ほほー」
「ゴリゴリに稼いで全員星にするのもアリだな」
「まじっくかぷせるは?」
「……ここがいちばん悩む」
「そなの?」
「魔力を振りたいキャラが多すぎるんだよ」
「だれだれ?」
「まず、クロノ。ゴールドピアスで消費MPを2にしてシャイニング撃つムーブが強いから、魔力を上げておくとより強い」
「あ、まえやってたかも」
「クロノは魔力が低いぶん、シャイニングの威力がクソ高いんだよ。そこで、魔力の低さをカバーしたら?」
「つよい」
「その通り」
「なるほどー……」
「次に、ロボ。ロボは一人技で全体回復があるから、魔力を上げると連携使わなくても回復役を担える。カエルもだけど」
「ふんふん」
「最後に、エイラ」
「え?」
うにゅほが小首をかしげる。
「えいら、ぶつり……」
「実際、魔力も低い。たしか全キャラ中最低値。でも、ひとつだけ魔力依存の攻撃があってさ」
「なに?」
「しっぽたつまき」
「……ぜんぜんおぼえてない」
「ぜんぜん使ったことないからな」
「うん」
「でも、ルッカとの連携技の火炎竜巻が強いって聞いて……」
「そなんだ……」
「でも、エイラは素直に物理で殴ってればいいとも思う」
「わたしもおもう」
「火炎竜巻のためだけにマジックカプセル費やすのもな。エイラとルッカ外せなくなるし」
「なやむねー」
「悩むんだよ」
だが、ゲームとは、悩むのが楽しいのだ。
一気に進めることはせず、ゆっくりと攻略していこう。
240
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:39:59 ID:/HDjBGtM0
2024年9月26日(木)
山善のスチールラックが届いた。
「うし、組み立てるか!」
「てつだうね」
「サンキュー」
平たい包装を解き、説明書の通りに組み立てていく。
「♪〜」
鼻歌を口ずさんでいると、うにゅほが尋ねた。
「それ、なんのきょくだっけ……」
「なんだっけ」
「わかんない?」
「いや、わかる。ヒゲドライバーの、なんか」
「ひげどらいばー……」
「知らん?」
「はなうた、きいたことあるから、しってるんだとおもう」
「だよな」
「でも、へんななまえ」
「……たしかに」
ヒゲのドライバーて。
そんな会話を交わしつつ、スチールラックを組み立て終わる。
「……あれ、なんか歪んでるな」
「ほんと?」
「ほら、四つ足が同時に床につかない」
「ほんとだ……」
「組み立て方が悪かったかな」
「へんぴんする?」
「超絶めんどいから、これでいい。歪んでるって言っても、ちょっとだし……」
「そか」
「これをデスクの下に置くと──」
「おー」
これはいい。
物が置けるのに風通しがよく、圧迫感がない。
「いいな」
「いいね」
「ここにティッシュ箱を乗せる」
「いいね!」
「いいな」
よく使うものを適当に置いていくと、途端に部屋に馴染んできた。
すこしガタガタ言うが、組み立て家具の愛嬌というものだろう。
「たいへん気に入りました」
「ね!」
「部屋、もっと改造したくなるな……」
「わかる」
とは言え、具体的なアイディアは特にない。
何か思い付いたら、また部屋に手を入れることにしよう。
241
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:40:15 ID:/HDjBGtM0
2024年9月27日(金)
ハンディクリーナーで床に落ちた髪の毛を掃除していると、ふと、あるものを見つけた。
蜘蛛の巣だ。
二、三ミリの小さな蜘蛛が、小箪笥と床のあいだに、極小の巣を張っていた。
「……××」
「?」
「蜘蛛の巣がある」
「!」
座椅子でだらけていたうにゅほが、慌てて身を起こした。
「ど、どこ!」
「ここ」
うにゅほが、俺の指差す先を、恐る恐る確認する。
「ちいちゃい……」
「こんなとこに巣張っても、虫なんていないのに」
「まよいこんできたのかな」
「たぶん……」
さて、どうしようか。
潰してしまってもいいのだが、なんだか気が引ける。
ティッシュに包んで外へ──
「えい」
ぷち。
うにゅほの指が、小さな蜘蛛を容赦なく押し潰した。
「あ」
「?」
「いや、いいんだけど……」
大きい虫には無力なのに、小さい虫には遠慮のない女。
それがうにゅほである。
「はい、ティッシュ」
「ありがと」
うにゅほが、潰した蜘蛛をティッシュ越しに拾い上げ、丸めて捨てる。
「手洗ってこいよ」
「あらうよー」
洗面台で手を洗い、戻ってきたうにゅほが、蜘蛛の巣のあった場所を覗き込んだ。
「ほっといても、がししたのかなあ……」
「小さい蜘蛛でも、放っておきたくないな。自分たち以外の生き物が部屋に存在することがもう嫌だ」
「ふたりきりだね」
「ふたりきりだな」
「うへー」
「まだいたりして」
「つぶさなきゃ……」
小虫よ、入ってくるな。
入ってきたら、うにゅほに潰されるぞ。
242
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:40:35 ID:/HDjBGtM0
2024年9月28日(土)
「──よし、ここでしばらく技ポイント稼ぎだな」
今日も今日とてうにゅほと共にクロノトリガーをプレイしている。
「あ、ここおぼえてる!」
「覚えてるか」
「うん。まえも、ここでずーっとたたかってた」
「そうそう。この逃げる敵が、技ポイント100も落とすんだよ」
「すーごいおとす……」
それ以前の稼ぎ場が技ポイント30だから、ここで一気に効率が上がる。
「どのくらいかせぐの?」
「クロノがシャイニング覚えるまでかな」
「しゃいにんぐって、いちばんつよいやつ。あの、まるい」
「丸い。まあ、丸いか……」
言いたいことは伝わる。
「ゴールドピアス装備させてるから、消費MP5で撃ち放題。まあ、いろじかけのためにエイラ入れてるから、ハヤブサ斬りも使うけど」
「くろの、ずーっとさんだがだとおもったら、そのあとずーっとしゃいにんぐなんだ……」
「強いから仕方ないんだよ……」
シャイニングを撃つ機械とまで言われるくらいだ。
マジックカプセルをクロノに投与しまくっているので、使わないともったいないという気持ちもある。
「頑張るぞ!」
「がんばれー」
それから、ほんの小一時間程度の稼ぎで、あっと言う間にシャイニングを覚えた。
「早いな……」
「はやいの?」
「クロノトリガーって、短いんだな」
「おもったよりは、みじかいかも」
「マルチイベントがあるから長く感じてたのかもしれない」
うにゅほが小首をかしげる。
「まるちいべんと?」
「覚えてるか? 太陽石とか、虹の貝殻とか。あとサイラスの墓とかも」
「あー……」
「覚えてないか」
「かすかに」
「してもしなくてもいいイベントなんだけど、まあ、たいていの人はするからさ。それで印象が水増しされてたのかも」
「なるほどー」
あと、強くてニューゲームの存在で、周回をするプレイヤーが多いのも無関係ではない気がする。
ともあれ、思い出補正はかかりつつも、名作であることに間違いはない。
このままゆったりプレイしていこう。
243
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:40:52 ID:/HDjBGtM0
2024年9月29日(日)
「……ん?」
ふと、あるものに気付き、眉をひそめる。
「××」
「んー」
「また蜘蛛の巣がある」
「え!」
「ほらここ」
俺が指差したのは、一昨日、別の小さな蜘蛛が巣を張っていた場所だった。
「またここ……?」
「人気あるのかな」
「わかんない」
「つーか、これ一昨日の蜘蛛? 一昨日の、潰したよな」
「つぶした」
「確実に?」
「かくじつに」
うにゅほがここまで言うのなら、これは別の蜘蛛なのだろう。
たしかに、一昨日よりも僅かに大きく見える。
「むしなんてこないのに……」
「つーか、なんで二匹も入ってきてるんだ。窓開けてないよな」
「あけてない」
「不思議だなあ……」
「あれかも」
「どれ?」
「ふくに、くっついてくるやつ」
「あー……」
思わず納得してしまった。
と言うのも、最近、家と車庫の狭間の狭い道で、蜘蛛の巣に引っ掛かった記憶があったからだ。
「可能性はあるな」
「だよね」
「でも、よくそんなこと思い付いたな。蜘蛛の侵入経路って言われて、パッとそれ出なくないか?」
「きのう、しゃこのとこで、くものすひっかかって……」
「──…………」
なるほど。
俺とうにゅほで一回ずつ、合わせて二匹だったのかもしれない。
「……さすがに、もう出ないよな」
「でないでほしい……」
言いながら、うにゅほが指で蜘蛛を潰した。
さすがの躊躇のなさである。
244
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:41:10 ID:/HDjBGtM0
2024年9月30日(月)
すこし前に注文してあったペン立てとボールペン、そしてハサミが届いた。
「来た来た。シャレオツアイテムが」
「おー!」
まず、デスクに合わせた四角い木製のペン立て。
これは、日記外で購入していた木目の置き時計とも合わせている。
ボールペンはマットな黒で、ハサミは刃の部分まで茶色のダークブラウンだ。
「ペン立てを時計の隣に置いて──」
「おお」
「ボールペンとハサミを入れる」
「おおー……!」
「いいな」
「いい……」
自室のシャレオツ度が2上がった。
「カッコいいだけじゃなくて、実用性も高いのがいいよな」
「うん。いままでなんかかくとき、かけるペンさがしてからだったもんね……」
「そうそう。ハサミも、刃がなんかガタつくし」
「すぐてにとれるの、ほしかった」
「ただカッコいいだけじゃなくて、便利にもなっているのだ」
「いちばんいいやつ」
「いちばんいいよな」
「うへー」
「これ以上部屋をよくするとしたら、どうなるかな……」
「むずかしいよね」
「前も言ったけど、多肉植物でも置くとか?」
「それもいいね!」
「他には……」
「あ、まえみたどうがに、いいのあった」
「なんだなんだ」
「ですくにおく、なんか、ちいさいたなみたいの……」
「あー」
言いたいことはわかる。
だが、名前がわからない。
「……調べてみるか」
「うん」
調べてみた。
「デスクシェルフだ」
「それそれ」
「メインディスプレイのところには置けないけど、サブディスプレイの下には置けるな……」
考えてみよう。
なんだかんだ、凝ろうと思えば凝れるものだ。
自室の環境、楽しく整えよう。
245
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/01(火) 17:41:55 ID:/HDjBGtM0
以上、十二年十ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
246
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:05:07 ID:/8gmab6A0
2024年10月1日(火)
「あぢー……」
十月を迎え秋めいてきたにも関わらず、俺の部屋は暑い。
窓を全開にしても、余裕の室温30℃である。
「やっぱ、エアコンつけようか」
「そだねえ……」
俺とうにゅほの視線が、寝室側へと向けられる。
「あ」
「え……」
そして、同時に気が付いた。
カメムシらしき影が、レースカーテンに貼り付いている。
「──…………」
「──……」
うにゅほが、無言で俺の膝から下りる。
そして、キンチョールを手に取った。
「……××、できるか?」
「うん、やってみる。とんだらおねがい……」
「ああ」
うにゅほ、頼もしくなって。
うにゅほが前衛に立ち、カメムシへと近付いていく。
五枚ほどのティッシュをドローし、俺も続く。
「いく!」
プシュー……。
カメムシにキンチョールが吹き掛けられる。
最初は抵抗しかけていたカメムシが、五秒ほどして床にぽてんと落ちた。
「しんで……!」
プシュー……。
「……そろそろいいんじゃないか?」
「まだうごいてる!」
放っておいても死にそうだが、うにゅほは確実に息の根を止める気らしい。
完全に動きを止めたあと、追いキンチョールを数秒吹き掛けて、うにゅほがようやく息を吐いた。
「しんだ……」
「頑張ったな」
「うん!」
「じゃ、あとはこいつを外に捨てるだけか……」
「がんばって」
「──…………」
ティッシュ越しでもカメムシの死体に触れるのが嫌すぎて、結局割り箸で挟んで捨てた。
ティッシュは、びしょ濡れになった床を拭くのに使った。
「……こんなんじゃ、窓開けてられないな」
「えあこん、つけよ」
「ああ」
暑いだけなら我慢できる。
だが、暑い上に虫まで入ってくるとなれば、もう無理だ。
十月だけど、素直にエアコンを使うとしよう。
247
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:05:43 ID:/8gmab6A0
2024年10月2日(水)
今日も今日とてクロノトリガーを進めていた。
現代、中世、古代と黒の夢を三周し、ジールからプリズムドレスとプリズムメットを三個ずつ回収する。
「よし」
「ぷりずむどれす、ぬすめるの、すごいねえ……」
「黒の夢三周するなら、ボッシュにプリズムドレス作ってもらうのって無駄なんだよな」
「なんでもってるんだろ」
「さあ……」
ボッシュが作ったものなのだろうか。
とは言え、プリズムドレスとプリズムメットを持っているのは、ジールの右腕と左腕だ。
握りながら戦っていたと考えると、シュールである。
「それにしても、ラストエリクサー死ぬほど稼いだな……」
「ごじゅっこある」
「エリクサーはカンストしてるし」
「らぼす、たおせる?」
「倒せる倒せる。軽くひねれるぞ。正直、強くし過ぎたくらい」
「おー」
「やってみるか?」
「みよう!」
「なら、今回は青の石装備でオメガフレア使いまくってみよう」
「つーよいわざ?」
「魔王の絡む三人連携だと、最強。と言うか、オメガフレアぶっぱしてればたいてい勝てるらしい」
「どんなわざだろ」
ルッカ、ロボ、魔王の三人でラヴォス第二形態へと挑む。
「行くぞー」
「うん」
オメガフレアを放つ。
全体約5000ダメージ。
「つよ!」
「うわー……」
あまりにも、強い。
オメガフレア、オメガフレア、ダメージ食ったらラストエリクサー。
ほとんどその繰り返しで、ラヴォス第三形態までをあっさり倒しきってしまった。
「おめがふれあ、つよすぎる」
「簡単過ぎる……」
うにゅほを膝に抱きながら、ぼんやりとエンディングを眺める。
「……なんか、満足しちゃったな」
「つよくてにゅーげーむ、しないの?」
「強くてニューゲームの前に、追加要素とか追加ボスもあるんだけどさ」
「しないの……?」
「移植版クロノトリガーの追加要素って、別の人が作った感が強すぎて、なんか冷めるんだよなあ」
「うーん?」
うにゅほが小首をかしげる。
「前やったときも、すこしプレイしてやめた気がする」
「そだっけ」
「まあ、すこしやってみるか?」
「うん」
すこしやってみた。
「……なんか、へん」
「マップがアホみたいに広いくせに、なんかRPGツクールで作ったみたいなんだよな」
「わかる」
「んで、ここ何度も何度も往復させられるんだよ」
「うーん……」
「なんか別のゲームにする?」
「そのほう、いいきーしてきた」
「だよな」
うにゅほと一緒にゲームをする時間は、なんとなく確保したいと思った。
次は何をプレイしようかな。
248
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:06:13 ID:/8gmab6A0
2024年10月3日(木)
「あ!」
「あ?」
うにゅほが床を指差す。
その先に、いた。
蜘蛛だ。
「ええ、また……?」
今回は巣を作っていない。
俺は、適当にティッシュを数枚抜き取ると、蜘蛛を捕まえて思いきり潰した。
「これでよし、と」
「◯◯……」
「ん?」
うにゅほが、不安そうに言った。
「くも、まえのより、おおきいきーした……」
「……たしかに」
ひとつ前のときも、そうだった気がする。
最初の蜘蛛より僅かに大きいと感じた記憶があったのだ。
「だんだん大きくなってる……?」
「うん……」
「まさか」
たまたまだろう。
「つぎ、でたら、すーごいおっきいかも……」
「出ない出ない」
苦笑し、首を横に振る。
だが、ひとつ懸念があった。
屋内のどこかで蜘蛛が子供を産み、それが時折姿を現しているという可能性だ。
あり得ないとは、言い切れない。
しかし、そんなことを、うにゅほに言えるはずもない。
「偶然だよ、きっと。別々のルートで入って、たまたま俺たちの部屋に出てきただけだ」
「そかな……」
「そうそう」
「そかなあ……」
納得してくれ。
「大きい蜘蛛なんて出ないから、安心したまえ」
「……ほんと?」
「たぶん」
「たぶんかー……」
「いや、偶然また出る可能性は常にあるから、絶対とは言えないって」
「そだね……」
頼むから二度と出てくれるなよ。
仮にいたとしても、冬まで顔を出さず、そのまま凍死してくれ。
249
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:06:44 ID:/8gmab6A0
2024年10月4日(金)
「──液タブが邪魔くさい」
「?」
膝の上のうにゅほが、デスクのかなりの面積を占めている液晶タブレットに触れた。
「これ?」
「それ」
「おっきいもんねえ……」
「滅多に使わないくせにホコリが積もると気になるもんだから、二日に一度は掃除してるだろ。それも腹立つ」
「かたづける……?」
「困ったことに、たまには使うんだよ……」
「あー」
「これ、二枚目のサブディスプレイにできないかな」
「どこおくの?」
「置く場所ないよなあ……」
メインディスプレイの右側には、27インチのサブディスプレイがモニターアームで設置されている。
ならば左側にとなるのだが、こちらはデスクが途切れており、本棚とのあいだに五十センチの隙間があるばかりだ。
設置するとなれば、宙に浮かせる必要がある。
「……無理かあ」
「そかな」
「××なら、どう置く?」
「このすきまに、おくばしょあれば、たてにおける」
「あればな……」
「なんとかならないかなあ……」
「うーん」
考える。
確かに、ここに張り出した棚があれば、スタンドか何かで雑に置けるのだ。
雑に置くことのメリットは、使用したいときにすぐに引っ張ってこられることである。
張り出した、棚。
「あ」
「あ?」
「本棚の棚板、余ってただろ。あれ使えばなんとならないか?」
「……なるかも」
「やってみよう!」
俺たちの部屋の本棚は、棚板の高さを自由に変えられる。
いい高さの棚板の上に、九十度回転する形でもう一枚棚板を置き、普段読まない本を重石にする。
すると、見事に、五十センチほど張り出した棚が現れた。
「なんとかなった……」
「なるんだ……」
「なんでもアイディア次第なんだな」
「ね」
仮に、以前使っていたiPad用のスタンドで、液晶タブレットを縦置きしてみた。
「おー!」
「これだと傾斜ついてるから別の買わないとだけど、しっくり来るな」
「くるくる!」
「××が行けるかもって言ってくれたおかげだな。俺、諦めかけてたし」
「うへー」
うにゅほがてれりと笑う。
頭が柔らかければ、少々のことはなんとかなるのかもしれない。
そんなことを思った。
250
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:07:07 ID:/8gmab6A0
2024年10月5日(土)
「××ってさー」
「?」
「俺の言うこと、たいてい聞いてくれるよな」
「きくよー」
ぽん、と、うにゅほが自分の胸元を叩く。
「俺が変なこと言っても聞いてくれる?」
「へんなこと?」
「豚の鳴き真似をしろー、とか」
「するけど、なんで?」
「なんとなく」
「ぶたのまね、すればいいの?」
「あ、しなくていい、しなくていい。今のは例えな」
思いのほか素直だった。
「◯◯も、わたしのいうこと、だいたいきいてくれる……」
「そらな」
俺とうにゅほは対等な関係だ。
一方が一方を虐げることは、決してない。
「よつんばいで、いすになってっていったら、してくれる?」
「どこで覚えたそんなこと……」
「うへー」
「まあ、しろってんならするけど、その代わりにエグいこと頼むぞ」
「いわない、いわない」
「……ふと気が付いた」
「?」
「椅子になら、現在進行形でなってる」
「あ」
俺の膝の上が、うにゅほの定位置である。
「代わりにエグいこと頼んでやろうかな」
「えぐいこと?」
「──…………」
「なに?」
言ってみたはいいものの、特に考えがあったわけではない。
「10km走ってこい、とか……」
「えぐい!」
「いや、言わないけどさ」
「よかったー……」
エグい命令をすると、エグい命令を返される、言わば戦争状態へと突入する。
愚かな道に足を踏み入れる必要はないのだ。
ふたりはなかよし。
251
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:07:42 ID:/8gmab6A0
2024年10月6日(日)
新しいゴミ箱が届いた。
これもまた、自室改造計画の一環である。
「やっときたー」
「楽天はAmazonより遅いイメージあるな」
「たしかに」
楽天は、プラットフォームの中に無数の店舗が軒を連ねているイメージだから、店によって異なるのだろう。
今回購入したのは、ideacoというブランドのゴミ箱である。
どんなゴミ箱でも、ゴミ袋やレジ袋をかぶせて使うのが普通だ。
しかし、そうすると、どんなにシャレオツなゴミ箱であっても袋が丸見えになってしまう。
今回購入したゴミ箱は、本体とカバーの二重構造にすることで、かぶせた袋を隠すことができるのだ。
「えーと、この本体に袋を入れて──」
「かばーをつける」
うにゅほが、ゴミ箱本体に、木目デザインのカバーをかぶせた。
「おお……!」
「すっきり!」
「いいじゃん、これ。デスクが木目だから、ほら。隣に置いたら」
「おしゃれー!」
いい。
とてもいい。
自室の環境が、どんどん改善されていく。
「俺たち、すげー適当な部屋で暮らしてたんだな……」
「そうかも」
「掃除は××が頑張ってくれてたから、清潔ではあったけどさ。なんか居心地が違うよな」
「わかる……」
俺たちは、一日の大半を自室で過ごす。
だからこそ、室内環境の改善は重要事だったのだが、それをずっと怠ってきた。
もっと早くから着手していればよかったと思わないでもない。
「しかし、あれだな……」
「あれ?」
「デスクシェルフが一向に届かない」
「あ」
「9月30日に注文して、いまだ発送もされてないって、これ注文通ってんのかな……」
「らくてん、おそいねえ」
あと数日待って、それでも状況に変化がなければ、問い合わせをしてみよう。
そう思った。
252
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:08:06 ID:/8gmab6A0
2024年10月7日(月)
数日後に問い合わせをするつもりだったデスクシェルフだったが、待ちきれずすぐにしてしまった。
その結果、
「出荷されたってメール来た」
「おー!」
「──…………」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「これ、絶対、問い合わせしたから急いで出荷したよな……」
「そうかも……」
「てことは、問い合わせしなければ」
「いまも」
「……こういうのって、変に待たずにすぐ連絡入れるべきなんだな」
「まちがち」
「所詮、顔の見えない知らん人だからな。信じる理由がない」
「らくてんとか、あまぞんで、これなんだもんね」
「Temuとかアリエクとか、騙される前提で利用しないと」
「ちゅうごくのやつ?」
「中国のやつ。ぜってー使わない」
「はつがんせいとか……」
「ああ、ニュースで見たな。使わないから関係ないけど」
「こわいねえ……」
「まあ、Amazonにも中華業者はわんさかいるんけどさ」
「そなんだ」
「サクラチェッカーは欠かさないし、すこしでも日本語が怪しければ買わない。俺はそうしてる」
「たいせつだ……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「……ところで、そろそろ××の誕生日なんだが」
「あ」
「何が欲しいか思い付きましたか?」
「そのー……」
「まだか」
「まだです……」
「と言うか、忘れてたな」
「はい……」
「せめて方向性だけでも考えといてくれよ。そしたら、ふたりで選べるだろ」
「んー」
軽く思案し、うにゅほが言った。
「なら、おへやかいぞうけいかく、すすめたいかも」
「なるほど」
「なにがいいかなー」
「動画とか見て参考にしようか」
「いいね!」
かなり良い部屋になったとは思うが、まだ手を入れる余地はある。
丁寧な暮らしをしよう。
253
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:08:32 ID:/8gmab6A0
2024年10月8日(火)
「◯◯、◯◯」
「んー」
いじっていたiPadを置き、うにゅほが俺の膝に腰掛ける。
「たんじょうびプレゼント、やっぱし、はちうえがいいかも……」
「多肉植物?」
「うん」
「いいじゃん、そうしよう」
「わたしね、えけべりあっていうの、すきかも」
「エケベリア……」
検索してみる。
「へえー、葉っぱが花みたいになってるんだな。葉牡丹みたいな」
「はぼたん?」
「葉っぱが色づいて牡丹みたいに見える植物」
「どれどれ」
画像を開く。
「わ、きれい」
「これ、葉っぱなんだぞ。面白いよな」
「おもしろい……」
「んで、エケベリアか」
調べてみると、鉢植えの通販サイトも存在するらしい。
「……エケベリア、いいかもな。なんか、いい」
「なんかいいよね……」
「色がいいよな。優しい色をしている」
「わかる」
「じゃあ、××への誕生日プレゼントは、エケベリアの鉢植えだな。お世話するんだぞ」
「する!」
「んじゃ、いいの探そう」
「うん!」
あれでもない、これもいいと、小一時間ほどふたりで悩む。
「──あ、これ!」
「これ?」
「うん」
うにゅほが指差したリンクをクリックする。
それは、エケベリアとサボテンの寄せ植えだった。
「ちいちゃくて、かわいい……」
「たしかに」
「これがいいな」
「ピンと来たか」
「きた!」
「ティンと来たか」
「きた!」
「オーケー、これにしよう」
「うへー……」
俺たちの部屋に緑が届く。
うにゅほと共に、大切に育てていこうと思った。
254
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:09:00 ID:/8gmab6A0
2024年10月9日(水)
俺とうにゅほは、自室に飲み物を備蓄している。
ここ数年は、ずっと、ペプシゼロと麦茶だ。
だが、飲み物の補充をするためホームセンターへ向かったところ、ペプシゼロが品切れのようだった。
「どうすっか……」
「ちがうコーラ?」
「……砂糖入ってるのしかないな」
「んー」
しばし、見て回る。
だが、カロリーゼロ系の炭酸飲料が見当たらなかった。
「しゃーない。甘くないけど、炭酸水でも買ってみるか……」
「あまくないの?」
「甘くない。水に炭酸入れただけ」
「あー……」
うにゅほが軽く眉根を寄せる。
「嫌い?」
「おいしかったきおく、ない」
「実は俺もなんだよな……」
「でも、たんさん、ほかにないもんね」
「まあ、今回は我慢しよう」
「うん……」
──と言う会話をしたのが二日前のことだ。
冷蔵庫を開き、炭酸水をひとくちあおる。
強炭酸が口内で弾け、一瞬で目が覚めた。
「なんか、炭酸水慣れてきたなー」
「そう?」
「楽しみ方がわかってきた。これ、良くも悪くもただの炭酸入った水なんだよ」
「しってる……」
「なんか、苦いイメージなかった?」
「あ、あった!」
「炭酸水だって思って飲むと苦いんだけど、シュワシュワする水だって思うと苦み感じない」
「ほんと?」
「飲んでみ」
「うん」
うにゅほが、炭酸水のペットボトルに口をつける。
こく、こく。
「……んー?」
「苦い?」
「にがい、きーするけど、わかんない。どうなんだろ」
「ペプシゼロ、いらないかもな……」
スッキリしたいという用途であれば、確実に炭酸水のほうが需要を満たしている。
「そなの?」
「××が飲みたければ買うけど」
「ぺぷしぜろ、すきだけど、むぎちゃのがすき」
「なら、麦茶と炭酸水でしばらく過ごしてみようか」
「うん」
人工甘味料にカフェイン。
体に良くないと思いつつも、仕方なしに摂取していたものだ。
飲まなくなったことで、体調よくなったりしないかな。
255
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:09:27 ID:/8gmab6A0
2024年10月10日(木)
デスクシェルフが届いた。
「よォー……やく、来たか」
「かかったねえー……」
注文したのが9月30日だから、まるまる十日かかっている。
「しかし──」
抱えていた包みをデスクの上に置く。
「……厳重過ぎないか?」
プチプチで包まれているのは、もちろんいい。
だが、透明な梱包テープが、嫌がらせかと思うくらいの厚みで巻かれていた。
「解くの大変だぞ、これ……」
「はさみできる?」
「買ったばっかのハサミで粘着テープ着るの嫌だなあ」
「じゃあ、がんばる」
「頑張るか……」
透明で薄い梱包テープは、端も、どの部分が外側かも、まったくわからない。
誇張なしに十分以上格闘し、ようやくプチプチを外すことができた。
中から出てきたのは、ダンボールだ。
これもまた、梱包テープで嫌と言うほど巻かれている。
「……××、やる?」
「つかれた?」
「疲れた」
「じゃあ、やる!」
うにゅほが梱包テープに挑み始める。
さすがに、最も外側を包んでいたプチプチほどには苦労しないが、それでも数分はかかっていた。
そして、中から出てきたのは、またプチプチだった。
「──…………」
「──……」
当然、梱包テープでぐるぐる巻きにされている。
「……◯◯、やる?」
「これで最後だ。頑張る……」
「がんばって」
三回りも四回りも小さくなったプチプチを剥がすと、ようやく、待望のデスクシェルフがお目見えした。
「あ、出来はいい……」
「かっこいいね!」
「でも、梱包が嫌がらせ。絶対嫌がらせ」
「うん……」
低評価つけたろかなと思ったが、製品には満足しているし、何もしないことにした。
過ぎたるは及ばざるが如し、である。
256
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:10:02 ID:/8gmab6A0
2024年10月11日(金)
大掃除をした。
マットレスをどかし、ベッドを動かし、その下を雑巾で拭くような、徹底的な掃除だ。
この場合、テッテ的というのが正しい文法だろうか。
「ふゥー……」
すべての作業を終え、ベッドに腰掛ける。
「ここまでやると、気分いいな!」
「ね!」
「疲れたけど……」
「おお、おおそうじ」
「大大掃除……」
そう言いたくなるくらいの作業量ではあった。
しかし、これもまた、自室改造計画の一環である。
「整理整頓清潔って大切なんだな。いま、すげー気分いいよ」
「わかるー」
「鉢植え置く場所も確保したし」
「あそこなら、ひーあたるね」
「だな」
しかし、自室改造計画はまだ終わらない。
二段階ほど変身を残しているのだ。
うにゅほと共に含み笑いをしたあと、いつものようにパソコンチェアでくつろぐ。
そのとき、とあるニュースが目に入ってきた。
「大山のぶ代、亡くなったんだ……」
「え!」
うにゅほが目をまるくする。
「ほんとだ。ドラえもん……」
「……ショック、ではないかな。あんまり」
「そなの……?」
「どちらかと言うと、認知症を患ってるって知ったときのが衝撃的だった」
「あー……」
「九十歳で老衰だし、大往生だと思うよ。昔の大長編とか見るとき、すこし考えちゃうとは思うけど」
「……◯◯、ドラえもん、すきだもんね」
「好きだぞ」
「わたしもすき」
「いろんな人が死んでくな」
「うん……」
時の流れは残酷だ。
俺も、うにゅほも、いつの日か、遠い場所へ旅立つときが来る。
そんな当たり前のことを思い出す一日だった。
257
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:10:29 ID:/8gmab6A0
2024年10月12日(土)
ふと、スマホにSMSが届いた。
確認すると、クレジットカード会社からであり、カード利用の件で確認があるとのことだった。
フリーダイヤルが記載されている。
「怪しッ!」
「なにがー?」
膝の上のうにゅほにスマホの画面を見せる。
「あやしい……」
「でもこれ、マジでクレカ会社からっぽいんだよな」
「わかるの?」
「ああ。ワンタイムパスワードのログが残ってるから」
「……?」
「まあ、そういうもんだと思いねえ」
「はーい」
「いちおう、怪しい番号じゃないか確認しておくか……」
してみた。
「やっぱ本物だわ」
「でんわするの?」
「する。不正利用とか怖いからな……」
口の前で人差し指を立てたあと、フリーダイヤルに電話を掛けた。
数分ほどやり取りをして、通話を切る。
「……今日の昼ごろ、Microsoftに三回、照会を試みた形跡があったんだって」
「え、やった?」
「やってない」
「ふせいりよう……?」
「正確に言えば、不正利用されかけたってことかな」
「──…………」
うにゅほの顔が青くなる。
「カードは即止めてもらった。そのうち新しいのが届くってさ」
「こわいね……」
「怖いな、マジ。電話掛けてよかった」
「よかったー……」
「××も気を付けろよ」
「くれじっとかーど、ない」
「マイナンバーカードを落とさないようにするとか……」
「それはだいじ」
読者諸兄も、クレジットカード会社から電話があったら折り返そう。
世界には悪意が満ちている。
258
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:10:52 ID:/8gmab6A0
2024年10月13日(日)
炭酸水一箱を飲みきった。
備蓄のためにホームセンターへ向かうと、前回は気付かなかったのだが、二種類の炭酸水が販売されていた。
「前のがプライベートブランドの炭酸水。もうひとつはサンガリアの炭酸水か……」
「ひゃくえんちがうね」
「プライベートブランドのが安いけど、違いあるのかな」
「みずと、たんさん」
「二酸化炭素は全部同じだし、違うとすれば水だけど……」
「みず、あんまし、ちがいかんじたことないかも」
「俺も」
「でも、たかいほうかってみる?」
「百円だしな。一リットル十二本だから、一本あたり八円だろ。誤差誤差」
サンガリアの強炭酸水を二箱購入し、帰宅した。
そして、風呂上がりに、冷蔵庫でキンキンに冷やした炭酸水を飲んでみた。
「──えっ」
「どしたの?」
「雑味がない……」
「ざつみ」
「後味の苦みとか、前の炭酸水で気になってたところが、ない」
「ひとくち!」
うにゅほにペットボトルを手渡す。
こくこくと炭酸水を飲み下し、呟いた。
「あとあじ、すーごいすっきり……」
「だよな」
「おいしい!」
「どれも同じだと思ってたけど、こんなに差があるのか……」
「びっくり」
「これ、高いほう買ってよかったな。プライベートブランドのほう、不味いとは言わんけど微妙だわ」
だから名前を出していないのである。
「みずって、ぜんぜんちがうんだね」
「水道水とミネラルウォーターの二種類くらいしか存在しない気がしてたわ……」
「わかる」
硬水と軟水で味が違うとも聞く。
飲み比べたことがないので、どう違うのかはよくわからないけれど。
「しばらくは、サンガリアの炭酸水だな」
「そだね」
自室を改造し、ペプシの代わりに炭酸水を飲み始め、なんだか健全に近付いている気がする。
このまま丁寧に生きていきたい。
259
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:11:15 ID:/8gmab6A0
2024年10月14日(月)
「あー、あー、あー……」
喉の調子を確かめていると、うにゅほが小首をかしげた。
「どしたの?」
「風邪引いたかも」
「えっ」
「ほら、昨夜寒かったろ。それでだと思う……」
「ねよ」
「眠くはないんだよなあ」
「なら、せめて、あったかくしよ」
「そうだな」
うにゅほがクローゼットから出してくれた半纏を着込む。
「あったかい?」
「暑い……」
「しかたない」
「まあ、仕方ないか……」
不用意に体調を崩した自分が悪いのだ。
だが、昼を過ぎ、夕刻も近付いた頃には、体調はすっかり戻っていた。
「風邪治ったかも」
「ほんと?」
「風邪じゃなかったかも。体が冷えて一時的に風邪っぽくなってただけで……」
「よかったー」
うにゅほが胸を撫で下ろす。
「でも、はんてんきててね」
「暑いんだけど……」
「しんぱい」
「それはありがたいけど、そもそも部屋がどんどん暑くなってきてて」
温湿度計へと視線を向ける。
28℃だった。
「あー」
「暑いだろ」
「たしかに、あったかいきーはしてた」
「これで半纏着込んでたら、逆に体壊すって」
「……そだね。ぬいでよし!」
「ありがとうございます」
半纏を脱ぐ権利をうにゅほからいただき、ようやく解放される。
「ふー……」
「あったかすぎも、よくないね」
「だな」
もうすぐ冬が来る。
嫌だなあ。
260
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:11:37 ID:/8gmab6A0
2024年10月15日(火)
午前中、荷物が届いた。
荷物を受け取り、自室で開封していく。
「はちうえかな……」
「たぶん、そうだと思うぞ。天地無用って書いてあるし」
「てんちむよう?」
「上下逆さまにしたらダメってことだよ」
「はちうえは、だめだ!」
「だろ?」
厳重な梱包を解いていくと、やがて、土が僅かにパラパラとこぼれた。
そして、エケベリアとサボテンの可愛らしい寄せ植えが、中から姿を現した。
「わ……!」
「誕生日おめでとう、××」
「ありがと!」
白くて丸い鉢に寄せて植えられた多肉植物たちは、俺から見ても可愛らしい。
「かわいいねえ、かわいいねえ……」
白桃扇と思しき小さなサボテンを、うにゅほがつんつんとつつく。
「あんまつついたらダメだぞ」
「はあい」
「ええと──」
同梱されていた育て方の紙を読み上げる。
「春と秋は、月二回。真夏と真冬は月に一、二回、水をあげればいいらしい」
「どのくらい?」
「器の半分くらいの水をあげて、土全体を湿らせる程度」
「ふんふん」
「さっそくあげてみるか?」
「うん!」
梱包前に店の人があげているかもしれないが、経験しておくことは大切だ。
まさか、開封直後に水をあげたくらいで根腐れを起こしたりはしないだろう。
ペットボトルに汲んだ水を、うにゅほが優しくかけていく。
「♪〜」
「そんなもんかな」
「うん」
「これを月に二回。厳しいけど、やれるか?」
「やれるよー……」
「逆に忘れそうだよな」
「わかるけど、わすれないよ。だいじにするもん」
「偉い偉い」
うにゅほの細い髪を梳くように、頭を優しく撫でてやる。
「うへー」
「今日の夜はケーキかな」
「ケーキ、かってあるよ!」
「楽しみだ」
「ね!」
俺たちの部屋に、緑がやってきた。
さして興味のなかったものだが、あればあったで癒されるものだ。
うにゅほと共に、大切に育てて行こうと思う。
261
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/16(水) 02:12:37 ID:/8gmab6A0
以上、十二年十一ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
262
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:25:55 ID:9o/RAztc0
2024年10月16日(水)
「♪〜」
寄せ植えを眺めながら、うにゅほが機嫌よさそうに鼻歌を口ずさんでいる。
「気に入ってるなあ」
「かわいい」
「わかる」
小さな多肉植物たちが仲睦まじく身を寄せ合っているのを見ると、なんだか心が温まる。
「眺めるのはいいけど、そろそろ出掛けるぞ」
「?」
「俺の病院。来ないなら別に──」
「いくよー」
「そっか」
病院であれなんであれ、うにゅほは必ず一緒に来てくれる。
と言うか、勝手に出掛けると怒る。
俺たちは、愛車に乗り込み、車で十五分ほどの距離にある病院へと向かった。
それはいいのだが、
「──あれ、通行止めだ」
「ほんとだ」
病院まで、あとほんの二十メートルと言うところで、通行止めにあった。
何かの工事をしているようだ。
仕方がないので、反対側へと回る。
「通行止めじゃん……」
右からも、左からも、行けない。
「どうしよう……」
「どうしようったって、聞いてみるしか」
窓を開き、誘導員に声を掛ける。
「すみません。あの病院に行きたいんですけど……」
「あ、はい!」
誘導員が、矢印板をどけてくれる。
「なんだ、さっさと言えばよかったのか」
「いけないかとおもった……」
「予約してるのにな」
「びっくりしたね」
「最悪、そこらのコインパーキングかと」
「おかねかかる」
「無駄にお金かかるのは嫌だな……」
診察をさっさと済ませ、帰宅する。
「♪」
ちらちらと幾度も寄せ植えに視線を向けるうにゅほを微笑ましく思いながら、プレゼントしてよかったと心から思うのだった。
263
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:26:33 ID:9o/RAztc0
2024年10月17日(木)
今日も今日とて、また別の病院だった。
「づがれだー……」
二時間ほどたっぷり待たされて、ようやく愛車の元へと戻ってきた。
「まったねえ……」
「待った待った。病院の待ち時間って、人生を卸し金で削ってる気分になる」
「そんなに」
「なんか食って帰ろうぜ。朝、食べずに出てきたし」
「いいね!」
「何がいい?」
「うーと、なにいいかなあ……」
「マック?」
「まっくもいいけど……」
「カレー」
「カレーもいいけど……」
「パスタ」
「んー」
「ラーメン」
「あ、らーめんいいかも」
「新規開拓 or いつものお店」
「いつものおみせ!」
「了解」
帰り際、数ヶ月ぶりに行きつけのラーメン屋を訪れた。
「うへー……」
「美味いんだよな、ここ。おかげで新規開拓できない」
「あたらしいおみせ、おいしくないかもしれないし」
「でも、ここより美味しいかも」
「ぎゃんぶる」
「ギャンブルになるよな……」
若い頃は、もっと、いろいろな店に挑戦した記憶がある。
年を取ったと述懐しかけて、ふと思い出した。
あれ、友達に引きずり回されてただけだ。
「……大して変わってないな」
「?」
「いや、こっちの話」
「おしえてよー」
「俺は俺だって話だよ」
「……?」
人間の本質は、そう変わらないのかもしれない。
だが、成長はしていきたいとも思うのだ。
264
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:27:03 ID:9o/RAztc0
2024年10月18日(金)
「──◯◯、とどいた! おもいって!」
「お」
うにゅほの声に導かれるまま玄関へ下り、宅配業者から大きな包みを受け取る。
抱えてみると、たしかに重い。
「××、手伝ってくれるか」
「まかして」
ふたりでなんとか抱え上げ、自室へと運び込む。
「フー……」
「おもかった……」
「でも、ようやく届いたな。自室改造計画、最後の一手」
「うん!」
それは、寝室側に置くチェストである。
チェストの頭上に二段の棚があるもので、それらを飾り棚として利用するつもりなのだ。
「じゃあ、頑張って組み立てるか!」
「がんばろー」
ダンボール箱を開封し、パーツを取り出していく。
「──…………」
「──……」
「……これは、大変だぞ」
「うん……」
なにせ、メインパーツが23種類、ネジ類ですら13種類もあるのだ。
「電動ドライバー持ってくる。手だと死ぬ」
「……そだね」
うにゅほと協力し、ふたりでチェストの完成を目指す。
「××、そこ支えてて」
「わかった!」
工程はかなり多いが、電動ドライバーのおかげで作業は捗り、二時間ほどをかけてチェストを完成させることができた。
「完成した……」
「がんばった!」
「いえー」
「いえー」
うにゅほとハイタッチをする。
電動ドライバーを使ったせいか、仕上がりは見事で歪みひとつない。
「──うん、いいな。部屋に合ってる」
「ね、なにかざる?」
「そうだな……」
まず、アロマテラピー用の精油や、トトロのぬいぐるみなどを飾ってみる。
「おー」
「いいじゃん。飾るもの見つけたら飾っていこう」
「だね!」
俺とうにゅほの自室改造計画は、ひとまずの完成を見た。
しかし、まだまだ手を入れられる部分はある。
ふたりで最高の部屋にしていこうと思った。
265
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:27:29 ID:9o/RAztc0
2024年10月19日(土)
今日もまた荷物が届いた。
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「これ、なに?」
「ソーダフレッシュ」
「そーだふれっしゅ……」
それは、白い部品の上に、水色の球体が接着されたような形状をしている。
「なんだと思う?」
「そーだを、ふれっしゅするもの」
「まんまじゃん」
「うへー……」
「まあ、合ってるんだけどな」
「あってるの」
「炭酸飲料の炭酸が抜けないようにする道具だよ」
「へえー」
「見てな」
冷蔵庫を開き、新しい炭酸水を開封する。
数口ほど飲むと、口内に爽やかな刺激が走った。
「ペットボトルの注ぎ口に、ソーダフレッシュを取り付ける」
「あ、きゃっぷになってるんだ」
「そうそう」
フタの代わりに取り付けたソーダフレッシュの球体部分を、しゅこしゅこと握る。
「こうすると、ペットボトル内に空気が送り込まれる」
「ふんふん」
「炭酸って、どうして抜けるか知ってる?」
「たしか、にさんかたんそが」
「うん」
「ぬける……」
「それを空気で加圧して、抜けないようにしてるんだ」
「なるほどー」
わかってるのかな。
ともあれ、ソーダフレッシュを利用して、いつものように炭酸水を常飲してみた。
数時間後、ペットボトルを最後まで飲みきったうにゅほが、頷きながら言った。
「いみあるかも」
「使わなかったら、最後なんてひどいもんだしな……」
「うん。すっぱいみず」
「ソーダフレッシュ使ったら、微炭酸くらいは残る」
「いいかも!」
「だな」
炭酸水にも随分慣れ、ペプシゼロを飲みたいとも思わなくなってきた。
向こうは体に悪そうだし、このまま健康的な生活を続けていこう。
266
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:27:52 ID:9o/RAztc0
2024年10月20日(日)
「最近、すげー丁寧な生活をしてる気がする」
膝の上のうにゅほが、うんうんと頷く。
「わかる」
「自室改造計画が大きかったな」
「いいへやになった……」
「寄せ植えもあるしな」
「かわいい」
「可愛いよな、あれ」
「みず、あげすぎたら、だめなんだよね」
「半月に一度って話だしな」
「もっとあげたい……」
「根腐れするぞ」
「だから、しない」
「偉い」
「うへー」
「まあ、可愛いものをかまいたい気持ちはわかるけどな」
「でしょ」
「だから、こうする」
「?」
うにゅほの顎の下を撫でる。
「……??」
「可愛いものをかまってる」
「!」
「可愛い可愛い」
「──…………」
「照れた」
「てれた……」
素直である。
「部屋、他に変える場所ってあるかな。さすがに思い付かないんだけど」
「むつかしいね……」
「どうしたって、あとは細かい部分になるよな。これ以上家具を追加するわけにも行かないし」
「おきばしょ、もうない」
「さすがにな……」
せっかく広々とした部屋になったのだ。
元の木阿弥になるのは避けたい。
「……まあ、思い付いたらでいいか」
「そだね。いそぐことないよ」
「たしかに」
何かをするとなれば、一気にしてしまいたくなるのは悪い癖だ。
集中力があるとも言えるが、飽き性であると言い換えられなくもない。
ひとまず維持に努めようと思った。
267
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:28:13 ID:9o/RAztc0
2024年10月21日(月)
プライム感謝祭の余韻でAmazonの商品を見て回っていると、気になる商品を見つけた。
「××、これどうよ」
「?」
膝の上でiPadをいじっていたうにゅほが、顔を上げる。
「でんどうどらいばー……?」
「違う。電動エアダスター」
「えあだすたー」
「ほら、空気でプシューッと」
「あー!」
「あれ、けっこう使いたいとき多いのに、すぐなくなるだろ」
「たしかに……」
「電動なら何度でも使えるし、ほら。風速もかなり出るみたい」
「いいかも!」
「買っていい?」
「いいよー」
さっそくポチる。
「──あれ、到着予定日が31日だ」
「おそいね」
「急がないからいいけど、珍しいな。たまに翌日に届いたりするのに……」
「なんでだろ」
「Amazonからの発送じゃないのか、そもそも倉庫にないのか」
「うーん」
いずれにしても、特に困ることはない。
「のんびり待とう」
「うん」
「届いたらキーボードの掃除をしよう」
「しよう」
そんな会話をしながら、またAmazonを漁る。
「──あ、ジャンプ予約しとかないと」
「きんどる、いいよねえ……」
「電子書籍が読みやす過ぎて、すっかり紙の本を読まなくなっちゃったな……」
「わかる」
「画面もでかいし」
「あいぱっどでも、よめるし」
「年を取るごとに面倒くさがりになっていく……」
「そういうもの?」
「わからない。人による気がする」
「たしかに……」
とは言え、紙の本が嫌いになったわけでは決してない。
今度、家の漫画をまとめ読みしようかな。
268
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:28:35 ID:9o/RAztc0
2024年10月22日(火)
今日は、四週間に一度の定期受診だった。
七時半に起床し、うにゅほに宣言する。
「よし、今日は前よりさらに早く出るぞ!」
「おー!」
「前、何時に出たっけ」
「わからん」
「だよな……」
先月の日記を確認する。
「八時過ぎに出てたわ」
「おー……」
「でも、途中コンビニでメシ食ってるわ」
「あ、たべたきーする」
「今日は朝ごはんナシだな」
うにゅほが、自分のおなかを撫でる。
「かえりに、なんか」
「了解」
八時十五分に家を出て、まっすぐ病院へと向かう。
受付に名前を書くと、今日は六番目だった。
「はやい!」
「前は七番目だったらしい」
「ひとつはやい」
「きっと、すぐだよ」
「うん」
九時半に名前が呼ばれ、薬局へと立ち寄り、帰宅したのは午前十時のことだった。
「やっぱ、早めに出ると早めに帰れていいな」
「だねー」
そこで、ふと気付く。
「……コンビニ寄るの忘れてた」
「あ」
「朝メシ、どうしよう」
「めだまやく?」
「××が、それでいいなら」
「いいよー」
「んじゃ、俺は目玉ふたつで」
「はーい」
うにゅほの作ってくれた目玉焼きを、ふたり並んで食べる。
幸い、炊飯器にごはんが残っていたので、量が足りないと言うこともなかった。
朝食を終え、自室に戻る。
「──よし、寝るか!」
「わたしも、ねようかな。はやいけど……」
「寝ろ寝ろ」
遅寝早起きのうにゅほは、一日のどこかに昼寝を挟むのが常だ。
「なんか、食べた直後に寝るのもアレだけど」
「たべちゃったもん」
「仕方ないか」
「しかたない、しかたない。うしになろ」
「おうよ」
食べてすぐ寝ると牛になる。
誰が言い出したのかわからないが、逆流性食道炎の人は注意すべきだと思った。
269
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:28:57 ID:9o/RAztc0
2024年10月23日(水)
「◯◯ー……」
「うん?」
自室に戻ってきたうにゅほが、困ったように言った。
「あのね」
「うん」
「といれ、かぎかかってる……」
「……?」
よくわからなかった。
「誰か入ってるんじゃないのか?」
「のっくしても、かえってこない……」
「(弟)は?」
「(弟)は、へやにいた」
「父さん母さんは……」
「した、みてないけど……」
「──…………」
嫌な予感がした。
もし、トイレで誰かが倒れていたとしたら。
俺は、慌てて立ち上がり、財布から十円玉を取り出して二階のトイレへ向かった。
十円玉で鍵を回し、扉を開く。
「……あれ?」
トイレには、誰もいなかった。
「はいってない?」
「誰も入ってない……」
よかった。
よかったのだが、謎が残った。
「……誰が鍵閉めたんだ?」
「え、わかんない……」
十円玉で鍵を開けられたように、コインがあれば鍵を閉めることはできる。
だが、家族に、そんなイタズラをするような人間はいない。
謎だった。
「何かの弾みで勝手に閉まったのかな……」
「そんなこと、あるの?」
「わからんけど」
「わからんよね……」
納得できる答えが到底導けそうにない、マジで謎の出来事だった。
真相を知りたい。
270
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:29:18 ID:9o/RAztc0
2024年10月24日(木)
「──ふと気付いたんだけどさ」
「?」
「ディスプレイ、でかくない?」
「えっ」
「でかくないのか……」
「ちがくて」
うにゅほが首を横に振りながら言った。
「いまきづいたの……?」
「数日前に気付いた」
「これかったのは?」
「五年前……」
「いまきづいたの……」
俺の使用しているメインディスプレイは、実に43インチの巨躯である。
それを、ほんの一メートルの距離で使っている。
一瞥で画面の情報すべてを取得することができないのだ。
「新しいの買う、かあ……」
「かうの?」
「考え中」
いまさらだけど、目が疲れるのだ。
とは言え、4Kモニターは高いし、何より設置が面倒だ。
今使っているモニターをどうすりゃいいんだか。
「変えたいは変えたいんだよな……」
本音だ。
だが、越えなければならないハードルが多すぎる。
あまり現実的ではない。
でもなあ。
「俺の目の疲れって、八割ディスプレイのせいだと思うんだよ」
「そなんだ……」
解決策が目の前にある以上、諦めきれない自分もいる。
うーん、どうしようかな。
271
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:29:47 ID:9o/RAztc0
2024年10月25日(金)
「──と言うわけで、ポチってしまいました」
「しまいましたね……」
購入したのは、32インチ4Kディスプレイだ。
現在メインで使用している43インチ4Kディスプレイが大きすぎることにようやく気付き、購入に踏み切ったのだった。
「正直、倍くらい離れてちょうどいい感じだったからな……」
「ゆーちゅーぶみるとき、ちょっとはなれてたもんね」
「一度に全体が目に入らないんだもん……」
ディスプレイは、でかければでかいほどいい。
そう思い込み、ずっと使い続けてきた自分は、たぶんアホである。
「なんにでも限度があるってことだな」
「ね」
頷き、うにゅほが小首をかしげる。
「このでぃすぷれい、どうするの?」
「……ディスプレイそのものより、テレビスタンドのほうが問題なんだよな」
43インチのディスプレイは、重い。
相当に、重い。
これを支えるためには、それなりの価格のテレビスタンドが必要だった。
当然、ドデカイ。
売るために部屋から出すことすら困難だった。
「しゃーないから、Switch用にする」
「あー」
メインディスプレイの背後には、Switch用の27インチディスプレイが設置されている。
そちらを予備に回し、43インチディスプレイに取り換える。
これならば、ディスプレイとテレビスタンドを部屋から出す必要はないし、Switchでゲームをする際に迫力が出るというものだ。
「さいしょ、このでぃすぷれい、すいっちようっていってかったきーする」
「ああ、そうだったかも」
「でも、もったいないからって、ぱそこんのにしたきーする」
「よく覚えてるな……」
「うへー」
「目が疲れる、目が疲れるって思い続けながらこのディスプレイ使ってたけど、小さいのにすることで改善されたらいいなあ」
「そだね……」
「××は、このディスプレイで目疲れなかったのか?」
「へいき。たぶん、ぶんしょうとかうたないからだとおもう……」
「たしかに」
すこし離れてYouTubeを見るぶんには、画面が大きくて嬉しいだけだ。
テレビを見るときは、部屋を明るくして、離れて見てね。
子供のころにいつも見ていた注意書きの、逆へ逆へと行っていた俺だった。
272
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:30:10 ID:9o/RAztc0
2024年10月26日(土)
家族が使わなくなったiPadを売ることにした。
「無駄にあるんだよな、iPad……」
「おとうさん、へやごとにおいてるから」
「そんないらんだろ。いいけどさ」
iPadでYouTubeとTikTokを見るのが父親の趣味のひとつだ。
どうやら、持ち歩くのが面倒らしい。
「そんで、売れそうなのが、この三台か……」
「おいくら?」
「まず、型番から機種を調べないと」
iPadを引っ繰り返し、裏に刻印された小さな小さな文字を読み取る。
「──って、読めるか! 小さすぎるわ!」
「ろうがん?」
「まだ違うと思うけど……」
うにゅほにiPadを手渡す。
「読めるか?」
「よめるよ」
自信満々に、うにゅほがiPadの背面を睨みつける。
「──…………」
「──……」
「えーの、ごーろくなな……?」
「A567な」
検索する。
「……ないぞ」
「え」
「もしかして、A1567じゃないか?」
「──…………」
再び、うにゅほがiPadを睨む。
「いちごーろくなな、かも」
「やっぱ小さいよな……」
「うん……」
「素直にカメラ使おう」
「カメラでよめるの?」
「ああ。こう言うのは、スマホのカメラで覗いて拡大すれば読める」
「べんり」
「小さすぎるよな、この文字……」
「うん……」
三台の型番を調べた結果、そこそこの値段で売れそうなことがわかった。
「よしよし、小遣いゲットだぜ」
「さいきん、おかね、つかいすぎだったもんね……」
「補充補充」
自室改造計画で生活が一変したが、貯金が多少犠牲になった。
もちろん後悔はしていないが、財布の紐を締め直す必要がありそうだ。
273
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:30:33 ID:9o/RAztc0
2024年10月27日(日)
掃除のため、書斎側のシーリングライトのカバーを外す。
パキッ。
「あ」
プラスチックが劣化していたのか、カバーの一部が割れてしまった。
「どしたの?」
「カバーにヒビ入った……」
「え!」
丸椅子から下り、うにゅほにカバーを見せる。
「ここ」
「ほんとだ……」
天井だから気にならないと言えば気にならないが、気分の良いものではない。
昨日、財布の紐を締めねばと思ったばかりだが、新しいシーリングライトを購入すべきだろうか。
「どーすっかなあ」
「そんなにぱりぱりになってるの?」
うにゅほが、ひび割れた部分を軽く掴む。
パキッ。
「え」
さらに割れた。
「ち、ちからいれてないよ……?」
「思った以上に劣化してるな」
「うん……」
今ので、新調する方向に傾いた。
「……新しいの、買うかあ?」
「かう?」
「買ってもいいかな、とは思ってる」
「かうかー……」
「どうせ買うなら、おしゃれなのがいいな」
「あ、わたしもそうおもった!」
「Amazonで調べてみるか」
「うん!」
掃除を済ませたあと、うにゅほを膝に乗せてAmazonを開く。
「あ、これいいかも」
「どれ」
サクラチェッカーにかける。
「……あー、ダメだ」
「だめかー」
そんなことを繰り返すうちに、気が付いた。
サクラチェッカーで合格点を取る商品が、ほとんどない。
どうやら、外観の個性的なシーリングライトのレビューには、サクラが入っていることが多いようだった。
「ある程度覚悟して買うしかないのかな……」
「そうかも……」
シーリングライトの購入は、すこし検討してからにしよう。
そう思った。
274
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:30:59 ID:9o/RAztc0
2024年10月28日(月)
膝の上のうにゅほを抱き締めながら、呟く。
「最近、さすがに寒いかもな……」
「そろそろ、じゅういちがつだもんねえ……」
「雪降るかも」
「ゆき!」
うにゅほの声が弾んでいる。
「たのしみ」
「ソウデスカ」
「◯◯、ゆき、きらいだもんね」
「嫌いですねえ……」
「ざんねん」
たとえ好き嫌いが分かれても、互いを尊重できるのが俺たちだ。
「でも、わたし、さむいのすきだよ」
「くっつけるから?」
「うん」
「まあ、暑くてもくっついてるけど……」
「ごうほうてきに」
「夏場は違法だったのか」
「◯◯は、さむいのすき?」
「好き嫌いで言えば、普通かな。やっぱ、ちょうどいい気温が好きだし」
「それはきんし」
「禁止カードだったか……」
「だって、ちょうどいいのは、ちょうどいいもん」
言ってることはわからんが、言いたいことはわかる。
「あついのと、どっちすき?」
「どうだろ。夏と冬で言えば夏だけど、暑さ寒さで言うと難しいな」
「ふゆ、ゆきあるもんね」
「仮に、冬場に雪が降らなかったとしたら──」
しばし思案し、頷く。
「最高だな」
「さむいのすき?」
「いや、結局暑いほうが好きだわ」
「そなんだ……」
「暑さはエアコンで防げるし、寒さはストーブで防げるだろ。でも、ストーブは部屋を均一にあっためてくれないから……」
「なるほど……」
「単に、北海道の寒さが厳しすぎるってだけかもしれないけど」
「そうかも」
寒い冬がやってくる。
今年も頑張ってやり過ごし、暖かな春をじっと待とう。
275
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:31:21 ID:9o/RAztc0
2024年10月29日(火)
外出した際、あるものが目に入ってきた。
「あ、ふぁみま!」
「ファミマできるのか……」
たしかに、何かコンビニらしきものが建設されている雰囲気はあった。
「ここにファミマは嬉しいな」
「とおかったもんね、ふぁみまだけ」
「しかし──」
すぐに見えてきたセブンイレブンに視線を向け、呟く。
「この一帯、コンビニ戦国時代だな……」
「あー」
ファミリーマートがある。
ローソンがある。
セブンイレブンは二軒ある。
そして、セイコーマートも新しく開店したばかりだ。
互いに客を食い合って、どこかが潰れるのではないだろうか。
「なんで、わざわざ近くに開店するんだろうな。嬉しいけど」
「わかんない。うれしいけど」
「まあ、なんだかんだで使い分けてるし、そこまで競合しないのかな」
「かも」
ただ、他のコンビニの売り上げを減らすためだけに開店する場合もあると聞く。
恐ろしい話だ。
そんな会話を交わしながら、スーパーマーケット内の千円カットへ向かう。
「……千四百円になってる」
「せんえんかっとじゃないね……」
「なんでも高くなるなあ」
「うん……」
「じゃあ、悪いけど買い物でもしてて」
「はーい」
うにゅほと別れ、散髪をする。
時間帯がよかったのか、幸い、他の客はいなかった。
さっぱりしてブースを出ると、既にうにゅほが待っていた。
「待たせた」
「ううん」
「なに買ったんだ?」
「チーズとか、かったよ」
「セルフレジ使えた?」
「うん、つかえた」
「偉い偉い」
「うへー」
「んじゃ、帰るか」
「うん」
歩きながら、うにゅほが、俺の後頭部をぞりぞりと撫でる。
「おー」
「お客さん好きですねえ」
「すき」
後ろ、刈り上げてもらってよかったなあ。
うにゅほのその一言だけで、そんなことを思うのだった。
276
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:31:45 ID:9o/RAztc0
2024年10月30日(水)
Amazonで注文してあった32インチ4Kディスプレイが届いた。
「──……ふゥー……」
大きく息を吐く。
かなりの力仕事になる。
「がんばろうね!」
「××も手伝ってくれな」
「うん!」
やる気満々のうにゅほと共に、俺たちは作業を開始した。
まず、これまでメインに使っていた43インチ4Kディスプレイを、テレビスタンドごと背面に移動させる作業だ。
そのためには、PCからすべてのケーブル類を抜き取り、いったん移動させる必要があった。
その後、L字デスクをずらし、ディスプレイごとテレビスタンドを移動させ、小箪笥を持ち上げ設置する。
作業の途中で、
「──あっ」
どがらがしゃん!
43インチディスプレイを落としてしまった。
スゥ、と背筋が寒くなる。
「こ、こわれた……?」
「わからん。動くか試してみよう……」
Switchを接続したところ、画面映りにも、スピーカーにも、異常はなかった。
「あぶねー……」
「きーつけないとね」
「だな」
43インチディスプレイを背面に設置したあとは、32インチディスプレイにスタンドを装着してデスクに置き、ケーブル類を改めて接続するだけだ。
以前より遥かに美しくケーブル類を取りまとめ、PCの電源を入れる。
32インチディスプレイが、ドット抜けもなく綺麗についた。
「づがれだー……!」
「おつかれさま」
「××もな……」
「わたし、おてつだいしただけだよ」
「ひとりだと厳しい場面、けっこうあったし」
「あったね……」
「でもさ」
「うん」
「……このディスプレイ、微妙に前に傾いてね?」
「かたむいてる……」
スタンドの付け方が悪かったのだろうか。
それとも、もともとなのだろうか。
いずれにしても、
「モニターアームもか……」
出費はまだまだ終わらないのだった。
277
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:32:11 ID:9o/RAztc0
2024年10月31日(木)
最近マジで、物を買った、物が届いたと言う日記ばかり書いているが、今日も今日とて電動エアダスターが届いた。
「あ、くうきぷしゅーのやつだ」
「そう、空気プシューのやつだ」
「くうきでる?」
「試してみよう」
コード長めのプラグをコンセントに差し込み、スイッチを入れる。
「……?」
動かない。
「どしたの?」
「なんか、動かない。初期不良かな」
「えー……」
「いや待て」
差し込んだ延長コードの元を辿る。
「そもそも延長コードがコンセントに刺さってなかった……」
「あはは」
昨日、模様替えをした弊害である。
「んじゃ、もう一度行くぞ!」
スイッチを入れる。
轟音と共に、強力な風が、エアダスターの先端から放たれた。
「おお」
手のひらに風を当てると、風圧で皮膚が凹む。
「ほら、××。手出して」
「はい」
うにゅほの手のひらに風を当てる。
「ふふ、くすぐった!」
「風圧、なかなか強いんじゃないか?」
「つよいかも」
「よし、キーボードの掃除をしてみよう」
「はーい」
先日、日記外で購入したばかりの有線キーボードを外し、電動エアダスターの空気を発射する。
「──ああ、もともと汚れてないからゴミが飛ばない!」
「てすとになんないね……」
「でも、思ったより勢いあるな。缶のエアダスターより強いかも」
「かんのよりいいね。あれ、くさいし」
「たしかに」
臭いし、邪魔だし、処理は面倒だし、いいことがない。
もっと早く買っておけばよかったと思うのだった。
278
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/10/31(木) 21:32:59 ID:9o/RAztc0
以上、十二年十一ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
279
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:05:56 ID:Zxfozjg60
2024年11月1日(金)
「まだ数日だけどさ」
「うん」
「ディスプレイを32インチに変えてから、眼精疲労が和らいだ気がする」
「おー!」
「やっぱ、43インチはでか過ぎたよ……」
「きづくのに、じかんかかったね」
「かなりな」
「ごねん……」
「五年」
何故気付かなかったのか。
「しかし、ぜんぜん違和感ないな。大きさ」
「そだね。ねぼけてたら、きづかないかも……」
「マジでそれ」
11インチも差があるにも関わらず、体感的には大差ない。
そう考えると、43インチという大きさは、ただ単に目を疲れさせていただけである。
むろん、43インチのディスプレイが悪いわけではない。
PCを使うに当たって、顔との距離が近すぎたのが問題なのだ。
「快適快適」
「かってよかったね!」
「そろそろマジで財布の紐を締めないとな……」
「おかね、すーごいつかった」
「使いましたね」
「でも、ひつようなものばっかしだよ」
「それはそうなんだよな……」
ここ一、二ヶ月の出費の中で、不要なものはひとつもない。
すべてがQOLを上げてくれている。
「あ、そだ」
「?」
「はちうえ、みずあげないと」
「ああ、一ヶ月に二回だっけ」
「うん」
膝から降りたうにゅほが、鉢植えを持って部屋を出る。
洗面台で直接水をあげるのだろう。
戻ってきたうにゅほに尋ねる。
「サボテン、喜んでたか?」
「たぶん!」
「そっか」
本当に手間のかからない植物だ。
部屋に緑があると言うのは、案外悪くないものだった。
280
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:06:35 ID:Zxfozjg60
2024年11月2日(土)
32インチ4Kディスプレイ用のモニターアームが届いた。
「安いやつだけど、これ大丈夫かな」
「やすいの?」
「四千円しない」
「……やすいの?」
基準がわからないもんな。
「参考までに、サブディスプレイのは二万くらい」
「たか!」
「高いよなあ……」
「やすいの、だいじょぶ……?」
「そんな気持ちになるよな」
「なる」
「国内メーカーだし、サクラチェッカーも通してるし、大丈夫だとは思う」
「そか……」
「組み立てるから手伝って」
「はーい」
モニターアームの組み立て自体は、今まで何度かしたことがある。
ディスプレイとモニターアームを繋げるときが、いちばん大変で、いちばん緊張する。
「××。俺がディスプレイ支えてるから、そこにネジ差し込んでくれ」
「わかった!」
つくづく、ひとりで作業するものではないと感じる。
独り暮らしでモニターアームを設置する人、相当苦労するだろうな。
「──よし、完成!」
「できた!」
「変に前傾もしてないし、わりかし自在に動くし、問題なさそうだな」
「かって、せーかい?」
「まだわからん。だんだん落ちてくるかも……」
「やすいもんね……」
「まあ、でも、大丈夫だろ。たぶん」
「たぶん」
「大丈夫だと思う」
「おもう」
「大丈夫じゃないかな」
「かな」
「ま、ちょっと覚悟はしておけ」
「かんぱくせんげん?」
「よくわかったな……」
「うへー」
「……いやマジよくわかったな」
「なんかおぼえてた」
たしかに一時期さだまさしをよく聞いていたが、覚えているとは思わなかった。
何気ないことも、案外覚えていたりするんだろうな。
まあ、それはお互いさまか。
281
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:07:09 ID:Zxfozjg60
2024年11月3日(日)
「──あ、むし!」
「うわ」
慌ててチェアを回転させ、キンチョールを手にする。
「××、どこ行った」
俺の膝から下りたうにゅほが、部屋をぐるりと見渡す。
「わかんない……」
「消えたか」
「きえた」
体長数ミリ程度の小さな虫だが、自室にいるとわかると、どうしても気に掛かってしまう。
「どこ行ったんだ、マジ……」
「うーん……」
とは言え、物陰に隠れられてしまえば、こちらに打つ手はない。
再び現れたときのために、手近な場所にキンチョールを置いておくことにした。
しばし時が経ち、運動兼ストレッチをしていたときのことだ。
「……?」
フローリングに寝そべりながらストレッチをしていると、シーリングライトのカバーに影が映った気がした。
「××、キンチョール」
「え?」
「ライトのカバーの中にいるかも……」
「ほんと?」
うにゅほと共に天井を見上げる。
間違いない。
カバーの中でのんきに歩く小虫の影がはっきり見えた。
「──…………」
「──……」
なんとなく息を潜めながら、丸椅子に上がり、カバーの隙間にキンチョールを噴射する。
だが、どうしても内側まで薬剤が届かない。
仕方がないのでシーリングライトのカバーを外そうとすると、
パキ、バキッ。
ただでさえヒビが入っていたカバーに、さらに亀裂が入った。
「やべ」
しかも、その事実に動揺しているうちに、恐ろしく俊敏に小虫が逃げてしまった。
「あ、にげた!」
「どこ行ったかわかるか?」
「しんしつのほう……」
「あー……」
ライトを点けていないので、寝室側はひどく暗い。
捕捉できるはずもなかった。
午後十一時現在、小虫はいまだ消息不明だ。
見つけ次第、キンチョールを嫌と言うほどぶっかけてやる。
282
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:07:32 ID:Zxfozjg60
2024年11月4日(月)
「さッむ」
「さむいねー……」
今日は、朝から冷え込んでいた。
「さすがに十一月だな。冬だよ冬」
「◯◯、だっこして」
「はいはい」
膝の上のうにゅほを両腕で抱き締める。
「ほー……」
「あったかいけど、足が冷たい」
「わかる」
「靴下履く?」
「くつしたかー……」
俺とうにゅほは、靴下嫌いの仲間である。
「◯◯、きょねん、おっきいのかってたきーする」
「靴下じゃないだろ。ルームシューズだろ」
「それ」
「俺はそれでいいけど、××はどうする?」
「こまる」
「困ったあとのことだよ……」
「るーむしゅーず、いっしょにはけない?」
「ふたりで?」
「うん」
「無理だと思うけど……」
「やってみよう」
「まあ、いいけど」
クローゼットからルームシューズを取り出し、履く。
29cmのものを買ったから、かなりでかい。
膝から下りたうにゅほが、俺の足とルームシューズの隙間に、小さな足をねじ込んだ。
「あ、むりだこれ」
「そらそうだろ……」
「くつしたかー……」
「足先が冷えると、よくないからな」
「そなの?」
「そうだよ」
どう悪いのかは知らないが、良いはずはない。
「ほら、履いといで」
「はーい……」
可愛らしい靴下を履いたうにゅほが、再び膝に戻ってくる。
「だっこして」
「はいはい」
結局、お互いが最高の暖房器具なのだった。
283
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:08:02 ID:Zxfozjg60
2024年11月5日(火)
「秋だなあ……」
「あきだねえ……」
「秋と言えば?」
「あきといえば……」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「くり」
「栗と来ましたか」
「へん?」
「変じゃないけど、べつに栗とかそんな食べなくない?」
コンビニスイーツで見掛けるくらいだ。
「たべないけど、なんかでた」
「そう言うことも、まあ、あるよな」
「◯◯は?」
「スポーツの秋、……か?」
「すぽーつしないのに……」
「パッと出たんだよ」
「わたしとおんなじ」
「たしかに……」
「ほかには?」
「読書の秋」
「どくしょは、してるかも」
「漫画ばっかだけどな」
「ほんは、ほん」
「××は他に出るか?」
「いがぐり……」
「なんで栗ばっかなんだよ」
「うへー」
あ、わざとボケたな。
「マロングラッセ」
「もんぶらん」
「栗ごはん」
「てんしんあまぐり」
「……栗虫?」
「くりむし?」
「栗の中にいる虫」
「そんなのいるの?」
「いるらしい。虫食いの栗って聞いたことないか?」
「ない」
「なかったか」
うにゅほが不安げな表情を浮かべる。
「くり、もう、たべれないかも……」
「大丈夫だって。天然の、そこらへんに落ちてる栗にしかいないから」
「ほんと?」
「天津甘栗に虫入ってたら大騒ぎだろ」
「そか……」
ほっと胸を撫で下ろし、うにゅほが尋ねた。
「どんなむし?」
「……見たい?」
「みたくない!」
「俺も見たくないし、調べるのはやめておこう」
「……そだね」
秋の話が、何故か栗虫の話になってしまった。
拾った栗とか絶対食べたくないよな。
284
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:08:34 ID:Zxfozjg60
2024年11月6日(水)
優雅な昼寝から目覚めると、隣のベッドでは、うにゅほがまだすやすやと眠っていた。
小用を済ませ、顔を洗い、パソコンチェアに腰掛ける。
生あくびを漏らしながらブラウジングをしていると、やがて、うにゅほが目覚めた。
「おあよー……」
「おう」
洗面所で顔を洗ったうにゅほが、おめめパッチリで俺の膝に腰掛ける。
「うへー」
「夢見たよ、夢」
「お」
「公衆トイレに行く夢」
「◯◯、といれいくゆめ、おおいね」
「尿意を感じてると、どうしてもな……」
子供の頃なら漏らしていそうだ。
「でも、ほら。なんだかんだで、できないようになってるから」
「こんかいも?」
「ああ。小便しようとすると、野良猫たちが足元に擦り寄ってきてな……」
「それはできないねえ」
「さすがに無理だった」
「ねこ、まもってくれたんだ」
「あれが俺の理性なのかもしれない」
「◯◯のりせい、ねこなの?」
「あるいは」
「かわいい……」
「××は、トイレ行く夢見ないのか?」
「うーと、そんなには?」
「膀胱でかいのかな……」
「わかんないけど」
「さっきまで見てた夢、覚えてる?」
「おぼえてる、けど、ことばにしにくい……」
「あるある」
「らーめんやさんの、ゆめ」
「ラーメン食べたのか」
「たべた、けど、ちがうの。ゆめのなかだと、らーめんたべることが、らーめんたべることじゃないの……」
「わからん。でも、すこしわかる」
「わかる?」
「夢の中だと、石を投げることがラーメンを食べることになってたり、たまにしない?」
「そう!」
「当たってたか」
「なんか、そんなかんじ。らーめんたべてないの。でも、たべたの」
夢とは理不尽なものである。
だが、その違和感が、なんとも言えず面白いのだ。
285
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:08:54 ID:Zxfozjg60
2024年11月7日(木)
窓の外を覗き込む。
雪が降っていた。
「……道理で冷え込むはずだよ」
「はつゆきだね!」
「初雪ですね」
「てんしょんひくい」
「寒いからな……」
ファンヒーターではなく、先日部屋に置いた、温風も出せる送風機の電源を入れる。
ファンヒーターよりパワーはないが、灯油を使わないのでクリーンだ。
「あったけー……」
「うん、あったかい」
足元を集中的に暖めるモードがあるのがありがたい。
「すとーぶ、もう、つかわないの?」
「行ける限りはこれで行こうと思って」
「そか……」
「……手についた灯油」
「かぎたい」
「ぶれないなあ……」
うにゅほは、俺の手についた灯油の匂いを嗅ぐのが昔から好きである。
「まあ、真冬はこれじゃ無理だから」
「そか」
安心したように、うにゅほが頷いた。
だが、その表情はすぐに崩れた。
窓の外から、ゴロゴロと雷の音が鳴り始めたのだ。
「わ!」
「雷か。久し振りだな……」
「なってるー……」
膝の上に腰掛けていたうにゅほが、いったん降りる。
そして、俺に抱き着く形で座り直した。
「相変わらず雷苦手だなあ」
「にがて……」
「わかるけどさ」
「……わかるの?」
「ああ、停電が怖い。作業中のデータ飛びかねないし」
「ちょっとちがう……」
だろうなあ。
「ま、好きなだけ抱き着いてなさい」
「うへー」
結局、雷が治まるまで、ずーっとべったり離れなかった。
抱き着く理由にしているのではあるまいな。
286
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:09:18 ID:Zxfozjg60
2024年11月8日(金)
ふと、あることが気に掛かった。
「免許の更新って、いつだろ」
「あー」
「××、わかる?」
「わかんないけど……」
「俺もわからん」
「しらべられないの?」
「免許証見ればわかるよ」
「みよう」
「……いや、その前に予想しようぜ」
「あてるの?」
「そう」
「なるほど!」
「××はいつだと思う?」
「うと……」
思案ののち、うにゅほが答えた。
「らいねんの、ろくがつ!」
「免許の有効期限は誕生日の一ヶ月後だぞ」
俺の誕生日は一月である。
「──…………」
うにゅほが、両手で顔を隠す。
恥ずかしかったらしい。
「まあ、ほら。免許持ってなかったら普通わからないから……」
「うー」
「俺は再来年くらいかな!」
「……そんなあとかな」
「だって、来年の誕生日って、要は二ヶ月後だぞ」
「そだけど……」
「よし、確認してみるか」
「うん」
確認してみた。
「──2027年まで有効じゃん!」
「ながい!」
「そうだ。俺、ゴールド免許だったんだ」
「ごーるど、ながいんだもんね」
「そう。五年は行かなくていいんだよ」
「わすれてた」
「忘れてたな……」
免許の更新は、ただひたすらに面倒だ。
2027年まで行かずに済むのは嬉しかった。
次もゴールドを維持できるよう、安全運転に取り組まなければ。
287
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:09:55 ID:Zxfozjg60
2024年11月9日(土)
自室にある小さめの冷蔵庫は、冷気が漏れているのか、天板が結露する。
そのことが、ずーっと気になっていた。
ふと対策を思い付いたのは、数日前のことだ。
「……窓用の結露防止シートを貼ればいいんじゃないか?」
「けつろぼうし?」
「窓に貼るシート、知らないか?」
「しらない」
「えーと」
Amazonで商品を検索する。
「これだよ。窓用フィルム」
商品画像には、格子状の模様のついたシートが窓ガラスに貼られている様子が掲載されていた。
「ほー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なんとなく、わかった」
「断熱効果があるから、結露防止になるらしいんだよ」
「れいぞうこのてっぺん、これはるの?」
「そうそう。高いもんじゃないし、試す価値はあるかなって」
「いいとおもう」
「じゃあ、適当に──」
と、注文し、商品が届いたのが今日のことだった。
「よし、貼るぞ!」
「おー!」
「まず、このシートを天板の大きさに切る。××、測るぞ」
「はい」
「この凹んでる部分に貼りたいから、ここの大きさだな」
スケールを用い、長さを測ると、縦44cm×横41.5cmであることがわかった。
「これ、のりではるの?」
「いや、水で貼れるらしい」
「みずで」
「説明書には、中性洗剤を数滴垂らした水を霧吹きに入れて、って書いてるな」
「ふんふん」
「……霧吹きなんてあったか?」
「みず、びーってでる、きりふきみたいのはある」
「それでいいか」
霧状ではなく直線上に水の出るスプレーボトルだが、要は濡らせればなんでもいいのだ。
シートの裏面をくまなく濡らし、冷蔵庫の天板に貼り付け、位置を調節する。
「──よし!」
「これで、けつろしない?」
「わからない。でも、何もしないよりマシなんじゃないか?」
「そうかも」
これで、しばらく様子を見てみよう。
たとえ何も変わらなくても、まあ、出費は千円だし。
288
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:10:18 ID:Zxfozjg60
2024年11月10日(日)
昨日、冷蔵庫の天板に、結露防止用のシートを貼った。
結果──
「……結露してるな」
「してる……」
うにゅほが、天板にぺたぺたと触れる。
「でも、ぬれてないかも。しめってるかんじ?」
「うーん……」
「だめ?」
「今はいいけど、夏場とかさ」
「あー」
「意味なくはないけど、効果は薄いか」
「んー……」
しばし思案し、うにゅほが言う。
「もういちまい、かさねる?」
「なるほど」
アリだ。
かなり、アリだ。
「ナイスアイディア、××」
「うへー」
「もっかい切るの面倒だけど、やってみよう」
「うん!」
幸い、天板の大きさは既に測ってある。
余っている結露防止シートを再び同じ大きさに切断し、昨日と同様の手順で、天板に二重に貼り付けた。
「これでどうよ」
「どうよ!」
「なんとかなればいいけど……」
「よるまでまつ?」
「だな」
夕食を済ませ、風呂に入り、軽い運動を済ませたあとで、ふと天板のことを思い出した。
「結露どうかな」
「さわってみるね」
うにゅほが、天板の上をぺたぺた触る。
「しめ、……っては、いる」
「どれ」
俺も天板に触れてみる。
手のひらに水滴はつかない。
だが、濡れていないとも言いがたい微妙なところだ。
「効果はあるんだよな……」
「さんまいめ、はる?」
「……今度な」
しばらく様子を見よう。
三枚目を貼るのは、それからでも遅くはない。
289
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:10:44 ID:Zxfozjg60
2024年11月11日(月)
シーリングライトのカバーがバッキバキになっていた件を、読者諸兄は覚えているだろうか。※1 ※2
悩みに悩んだ結果、新しいシーリングライトを注文し、届いたのが本日のことだ。
大きめのダンボール箱を開くと、そこには、サーキュレーターつきのシーリングライトが鎮座していた。
そう、シーリングライトにサーキュレーターがついているのである。
「おおー……」
うにゅほが、シーリングライトの中央に設置されたプロペラを、指で軽く回す。
「ほんとに、さーきゅれーたーついてる」
「正回転だけじゃなくて、逆回転もできるらしいぞ」
「はんたいまわり、できるんだ」
「ああ」
「いみあるの?」
「意味あるぞ。正回転は、言うなれば扇風機。真下に風を送るわけだ」
「うん」
「逆回転だと、真上に空気を吸い込むんだよ」
「あ、そうなるんだ……」
「冬場は、冷たい空気を吸い上げて、暖かい空気を拡散させるんだってさ。そうすると、室温が均一になる」
「いいかも」
「だろ」
「ためしたい!」
「んじゃ、手早く設置して──」
さして苦もなくシーリングライトを設置し、リモコンで操作する。
「ほら、逆回転する」
「ほんとだ」
「風、下りてこないだろ」
「すってるんだ……」
送風機の電源を入れ、出てきた温風をサーキュレーターによって撹拌する。
「どうかな」
「まだわからんな、さすがに」
「ようすをみてみよう」
しばらくして暑くなってきたので、送風機を切る。
さらに時が経ち、ふと気が付いた。
「……あれ、ずっとあったかい?」
「わかる。今日の寒さだと、すぐ寒くなるのに」
「さーきゅれーたー、いみある?」
「意味ありそうだな……」
正直に言ってまだわからないが、たったの数時間で効果を感じるのは、素直にすごい。
冬場特有の、頭は暑いのに足元は寒いという頭寒足熱の逆転現象を避けられるのであれば、それだけで価値があるだろう。
すこしだけ、真冬が楽しみになるのだった。
※1 2024年10月27日(日)参照
※2 2024年11月3日(日)参照
290
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:11:09 ID:Zxfozjg60
2024年11月12日(火)
ここ半年ほど延々と小説を書き続けてインプットがおろそかになっていたため、ストーリーの評判がいい原神を始めることにした。
だが、
「インストールが終わらん……」
「ながいねえ……」
「80GBとか書いてたからな」
そうとも知らず、危うくSSDにインストールするところだった。
「はちじゅうぎがばいと」
「80GB」
「……どのくらい?」
「あー」
どう言えば、うにゅほに伝わるだろうか。
「……DVDって覚えてる?」
「でぃすくだ」
「あれ一枚が、4.7GB」
「すくな!」
「違う、原神が多い。昔のゲームはDVD一枚に収まってたもんだ」
「いまのげーむは……?」
「ハードによるけど、今はダウンロード販売がメインだよな。それにしたって10GBはなかなか超えないと思うけど」
「げんしん、すごいね」
「重すぎるだろ……」
しばらくしてインストールが終わり、ゲームを開始する。
操作デバイスをコントローラーに変更し、まずは適当に動き回ることにした。
「なるほどなるほど」
「ほー……」
「Bボタンで攻撃かあ」
「ふんふん」
「……俺、XBOXのコントローラーにひとつ納得行かないことがあるんだよな」
「?」
「これを見たまえ」
膝の上のうにゅほを抱き締める形で、胸元にコントローラーを持っていく。
「右のボタンがB、下のボタンがAになってるだろ」
「うん」
「スーファミだと、右のボタンがA、下のボタンがBだったんだよ。XとYも同じ。逆だった」
「え、なんで?」
「わからん。単にひねくれたのか、特許問題でもあったのか。とにかく俺はスーファミ世代だから、Bって言われると下のボタン押しちゃうんだよ……」
「そうなるよね……」
そのままゲームを進めていくと、ほんの一時間ほどで疲れてしまった。
オープンワールドのゲームって、マイクラくらいしかしたことないんだよな。
まあ、そのうち慣れるだろう。
291
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:11:30 ID:Zxfozjg60
2024年11月13日(水)
「ふあ、……ッふ……」
漏れたあくびを噛み殺す。
仮眠を取ったばかりなのだった。
「そう言や、さっき、結婚する夢見たなあ」
膝の上のうにゅほが、こちらを振り返る。
「わたしと?」
「いや、知らん人と……」
「──…………」
うにゅほが半眼で俺を見つめる。
「なんで、わたしじゃないの」
「え、ごめん……」
「わたしとけっこんするゆめ、みて!」
「見たいけどさあ」
無理をおっしゃる。
「あ、そうだそうだ」
誤魔化しがてら、話題をずらす。
「今朝見た夢が面白かったんだよ」
「──…………」
「聞いて」
「きくけど……」
「ええと──」
今朝の記憶をなんとか掘り起こし、言葉にしていく。
「なんとかしないでください、って新聞広告が街にたくさん貼られてるんだ」
「なんとか?」
「なんとかの部分は覚えてない。でも、それは、外宇宙の探査をする人員の募集広告なんだよ。命の危険があるから、しないでくださいって広告なんだと思う」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「えすえふだ」
「あとはまあ、テレビの中のヨッシーが指でこめかみを撃つ真似をして挑発したり、元SMAPの中居くんが出たりした」
「ゆめだー……」
「すげー物語仕立てになってる珍しい夢だったんだけど、説明難しいな。なんか、断片的なことばっかりになっちゃう」
「わかる。ゆめのせつめい、むつかしい……」
「面白かったんだけどな。面白さが説明できないの、もどかしいわ……」
「おなじゆめ、みれたらいいのにね」
「ドラえもんの道具だな」
「きままにゆめみるき」
「それそれ」
うにゅほと一緒に好きな夢を見られたら、どんなに楽しいことだろう。
そんなことを思うのだった。
292
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:11:49 ID:Zxfozjg60
2024年11月14日(木)
「──けほっ」
喉の痛みに、軽く咳払いをする。
「かぜ?」
「風邪──っぽい、かな。軽くだけど」
季節の変わり目には、軽い風邪を引くことが多い。
今回も、恐らくそれだろう。
「××は平気か?」
「へいき。わたし、じょうぶだから」
「マジで丈夫だよな……」
うにゅほが風邪を引いたことなんて、この十三年で数えるほどしかないはずだ。
対して、俺は非常に体が弱い。
風邪どころじゃない持病を幾つも幾つも抱えている。
「かぜ、かわりにひいてあげたい」
「気持ちはありがたいけど、それもなあ」
どうなのよ。
「むりかー……」
「無理だし、できたとしても……」
「かぜくらい、いいよ?」
「ほら、俺は病気慣れしてるからさ」
「そだけど」
「慣れてるから、べつに……」
「いいのに」
仮定の話だが、うにゅほの気持ちは嬉しい。
だが、どうしても、自分の病気をうにゅほに押し付けることに抵抗があった。
「そんなことができるんなら、普通に病気を治す能力とかが欲しい」
「それは、うん」
「誰も苦しまないしな」
「んー……」
何か、納得が行かないらしい。
「かわりにひいてあげたい……」
「何故」
「なんか」
「……できるようになったら、頼むわ」
「うん」
うにゅほは献身的過ぎる。
すこし不安になるのだった。
293
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:12:14 ID:Zxfozjg60
2024年11月15日(金)
弟がPCを購入した。
「兄ちゃん、Bluetooth繋がらないんだけど……」
「うん?」
膝からうにゅほを下ろし、弟の部屋へと向かう。
「なんか、イヤホン繋げたらブツブツ途切れて、何も聞こえなくなった」
「初期不良か……?」
「マジで」
PCを操作し、ワイヤレスイヤホンをBluetooth接続する。
「きこえる?」
ディスプレイを覗き込むうにゅほに答える。
「いや、聞こえない。ペアリングは成功してるのに接続されないし、されてもすぐ弾かれる……」
「……マジで初期不良? 送り返さないとダメ?」
「まあ、送り返したほうがいいとは思う」
「ええ……」
「(弟)、こうかんしたほういいよ……」
「……なんとかならない?」
初期不良が判明すれば、交換してもらったほうがいい。
それは当然のことだが、送り返すのも面倒だし、データ移行作業が無駄になるから嫌だという気持ちもわかる。
「なんとかはできると思うけど、責任持たないぞ」
「どうするのさ」
「内蔵のBluetoothレシーバーを無効化して、外付けのBluetoothレシーバーを使う。前のPCで使ってたろ」
「ああ、これ?」
弟が、テーブルに置かれていた小型のレシーバーを手に取る。
「Bluetoothは使えるようになると思うけど、他にも不具合があったときに、あとから症状が出るかもしれないぞ」
「……悩むな」
「こうかんしたほうが……」
「そうなんだけどさ……」
結局、弟は、初期不良には目をつぶって、外付けのBluetoothレシーバーを使うという選択をした。
無事に設定したあと、自室に戻る。
「(弟)のぱそこん、だいじょぶかなあ……」
「大丈夫──だとは、思う。そのパーツが壊れてるだけだと思うから」
「うーん……」
「たぶんな……」
自分のPCではないとは言え、多少もやつく。
何事もなければいいのだが。
294
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:17:25 ID:Zxfozjg60
以上、十二年十一ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
295
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/11/16(土) 16:17:49 ID:Zxfozjg60
以上、十三年め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
296
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:27:51 ID:TB6qytOY0
2024年11月16日(土)
「フラミンゴ」
「ごー、ごきげんよう」
「雲仙普賢岳」
「けー、けー、けっこんしき」
唐突に始まったしりとりが、十分以上も延々と続いていた。
「気配り」
「りょうり!」
「倫理」
「りー、りー……、りくなびねくすと……」
「鳥」
「りーやめてー」
「ははは」
「り、り、りゅうぜんこう……」
「なんで竜涎香なんて知ってるんだよ」
「なんかしってた」
竜涎香とは、マッコウクジラの腸内にできる結石であり、天然の香料や漢方薬として使用されているものだ。
「瓜」
「り!」
「頑張れ頑張れ」
「りゅうかすいそ!」
「そり」
「りくらいにんぐ!」
「ぐ……」
"ぐ"で始まって、"り"で終わる単語か。
パッと思い浮かばなかった。
「……軍艦島」
「まり!」
「げ」
「うへー」
「リプリー」
「え、なに?」
「映画、エイリアンの主人公……」
「……あり?」
「どうだろ」
「りぷりー、で、いからでいい?」
「いいよ」
「いかり」
「くそう……」
「ふへへ」
「りー、りー、りー……、リング」
「ぐ」
「ぐ、だぞ」
「ぐー、ぐり、ぐー、りー……、ぐりこ」
「氷」
「あー!」
しりとりも、たまにやると楽しいものだ。
297
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:28:17 ID:TB6qytOY0
2024年11月17日(日)
弟に頼まれて、前のPCを売りに行くことになった。
報酬は、売却額の半分である。
Win-Winというやつだ。
しとどそぼ降る十一月の雨のなか、パソコンショップにPC本体を持ち込む。
査定に一時間かかるとのことだったので、俺とうにゅほは、近場にあるヨドバシカメラへと赴いた。
「サウンドバーが欲しいんだよな」
「さうんどばー?」
「スピーカーはわかるだろ」
「わかるよー……」
「それが、棒状になっているやつ」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「テレビの下とかに設置するんだ」
「あ、よこに?」
「横にだよ、横に」
「たてかとおもった……」
まあ、細めのスピーカーなら、うにゅほの想像に近い商品もなくはない。
「ほら、新しいディスプレイの真下がぽっかり空いてるだろ。あそこにサウンドバーを設置したい」
「あ、なるほど」
「(弟)のPC売った金で、買おうかと思ってて」
「いいかも」
ヨドバシ二階のオーディオコーナーで、サウンドバーを見繕う。
「なが!」
「長いし高いな……」
幅を確認すると、90cm前後のものばかりだ。
これらの商品は、大きめのテレビの下に設置するためのものであって、デスクの上に置くものではない。
「帰ってAmazonかな。60cmくらいのがあったはずなんだよ」
「ろくじゅっせんちなら、まあ……」
ヨドバシで時間を潰したあと、余った時間を車内で過ごし、パソコンショップへ戻る。
売却額は、四万円少々だった。
「二万の儲けだな」
「うはうはだね」
「ほら、××。渋沢栄一の新一万円札だぞ」
「わ、はじめてみた!」
「俺も」
まだまだ違和感はあるが、すぐに慣れるだろう。
いつしか雨は上がっていた。
298
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:28:50 ID:TB6qytOY0
2024年11月18日(月)
「♪〜」
掃除機を手にしたうにゅほが、機嫌よく自室を掃除していく。
「◯◯、どけてー」
「あいよ」
パソコンチェアごと移動すると、デスクの下に掃除機のノズルを差し込んだ。
「へや、かいぞうしてから、そうじしやすいなー」
「物、ガッツリ減ったもんな」
「おかねになった」
「正直、あんだけの収入になるとは思わなかった……」
断捨離してミニマリストを気取るわけでは毛頭ないが、使わないもの、余計なものは、売ってお金にしたほうがいい。
それが、ここ半年ほど不要物を売りさばき続けた俺たちの結論だった。
「うるもの、もう、さすがにないよね」
「あとは、それこそ本くらいかな。大した額にもならないし、売る気はさらさらないけど」
「やすいの?」
「一冊十円でもいいほうだぞ。まとめて売ると買い叩かれる」
「いっさつじゅうえん……」
「全部売っても三万円に届かないな、たぶん」
「せつない」
掃除を終わらせ、うにゅほが俺の膝に戻ってきた。
「うしょ」
「よっ、と」
うにゅほの矮躯を抱き寄せ、膝から落ちないようにする。
「げんしん、やる?」
「やるかー」
「やろう」
原神を始めたのは、数日前の日記の通りだ。
隙間時間を見つけては、ちょこちょこ進めている。
「見てて楽しい?」
「たのしい」
「グラ、綺麗だもんな……」
「なんか、たびしてるきぶんになる」
「ああ、わかる」
オープンワールドを適当に探索しているだけで、それなりに楽しい。
「……ただ、できることが多すぎて、終わりが見えない」
「にんむ、おわらせるまでに、またにんむでて、おわらせるまえよりふえてるきーする」
「実際そうだよ……」
恐ろしいほどのコンテンツ量だ。
すべてをコンプリートするのではなく、やりたいだけやるに留めるのが、良い付き合い方というものだろう。
のんびり、のんびりだ。
299
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:29:13 ID:TB6qytOY0
2024年11月19日(火)
「──さッ、む!」
起床し、窓の外を見る。
世界が完全に白く染まっていた。
「冬だ……」
「ふゆ、きたね」
「まだ根雪にはならないと思うけど、完全に冬だな。寒い寒い」
「きおん、もう、まいなすだよ」
「道理で」
単純な気温で言えば、大寒を過ぎた一月下旬から二月上旬あたりが最も低い。
だが、体感で語るのならば、まだ心構えができていない今の時期が最も寒い。
送風機の電源を入れ、温風を出す。
「これ、いつまで使えるかな……」
「あったかいけど、あったかすぎなくて、いいよね」
「ストーブだと、速効で暑くなって電源切る羽目になるからな。つけたり消したり、つけたり消したり」
足先が冷えるのでルームシューズを履き、パソコンチェアに腰掛ける。
俺の膝に腰を下ろしたうにゅほを左腕で抱き寄せ、マウスを握った。
「密着部分はあったかい……」
「わたしも、せなかとおしり、あったかい」
うにゅほは、俺の知る限り最も優れた暖房器具である。
火傷することのない適度な温度で、柔らかく、いい匂いがして、なんだか幸せな気分にもさせてくれる。
たぶん、うにゅほも、俺に対してそんなことを思ってるんだろうな。
「そう言やさー」
「?」
「こないだ買ったアロマテラピー用の新しいオイル、ほんといい匂いするよな」
「する! わかる」
「ホワイトムスク、だっけ」
「それ」
「ホワイトムスク単体だと強すぎるから、他のオイルと混ぜたほうがいい気がするけど」
「ほかのね、あんましすきじゃないにおいもあった。でも、それとまぜても、いいにおい」
「ああ、わかる。××はどれが微妙だと思った?」
「うーと……」
うにゅほが膝から下り、精油の小瓶をすべて持ってくる。
そして、ひとつひとつ匂いを嗅いでいき、
「これ。くらりーせーじ」
「ああ……」
わかる。
「直接嗅ぐと、草感強いよな」
「つよい」
「アロマランプ使うとましだけどさ」
「◯◯も、あんましすきじゃないよね」
「どうだろ」
「おいる、あんましへってない」
「……なるほど」
無意識に使用頻度が低くなっていたらしい。
しばらくは、ホワイトムスクをメインに、さまざまなオイルを混ぜて楽しもう。
300
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:29:33 ID:TB6qytOY0
2024年11月20日(水)
注文してあったサウンドバーが届いた。
YAMAHAのSR-C20Aという、幅60cmのコンパクトサウンドバーだ。
「おー!」
「この長さなら、メインディスプレイの下に仕込むのにちょうどいいだろ」
「あうね」
「合う合う」
さっそく設置し、PCとBluetoothで接続する。
「適当にサカナクションでも流してみるか。どの曲がいい?」
「うーと、おもてさんどうのやつ」
「あいよ」
wavファイルを開くと、表参道26時が流れ始めた。
「おー……」
「……うん?」
「どしたの?」
「いや、音質よくないなって。こんなもんか……?」
「そかな」
「スピーカーってあんまり使わないから、基準がわかんないな。でも、期待した音ではない」
「わたし、よくわかんないかも……」
そのまま数曲ほど流してみるが、どうにも微妙だ。
「んー……?」
設定をいじっていて、ふと気付く。
「──あ、これサウンドバーじゃない! ディスプレイのスピーカーから音出てる!」
「え、でぃすぷれい、おとでるの?」
「いちおう、スピーカーはついてるから……」
慌ててサウンドバーに接続し直し、再び表参道26時を流す。
「……お?」
「明らかに違う……」
「おといいね!」
「そら、ディスプレイ標準のないよりマシなスピーカーと比べたらな」
「ちがいがわかる」
「違いがわかる女だな」
「うへー」
うにゅほと二人で動画やら何やらを見るときは、耳掛けヘッドホンを片方ずつ着けるのが常だった。
そこに新しくサウンドバーという選択肢を追加できたのは素晴らしい。
音質も悪くはないし、ふたりで音を楽しもう。
301
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:29:52 ID:TB6qytOY0
2024年11月21日(木)
「十一月も下旬かあ……」
「げじゅんだねえ」
「今年も残り四十日くらいだぞ」
「はやい……」
「去年の今頃って、たしか、検査入院してたよな」
「あ、してた!」
「××が毎日来てくれて……」
うにゅほが不安げに振り返る。
「にゅういん、もう、しないでね……」
「そら、したかないけどさ」
「でも、あれからいちねんかー」
「いろいろあったような、そうでもないような……」
「いろいろあったよ。(弟)のこととか……」
「それはまあ、たしかに」
考えてみれば、死ぬほど濃ゆい一年だった気がする。
「らいねん、なにもなければいいね」
「いいことは起きてほしいけどな」
「たとえば?」
「宝くじが当たるとか……」
「かってるの?」
「買ってない」
「だよね」
「道端で百万円拾うとか……」
「それこわい」
「……怖いな」
新しい詐欺とかの可能性があるし、さっさと交番に届けるが吉だろう。
「なら、道端で一万円拾う」
「ひろうことあるかなあ……」
「──…………」
考えてみれば、俺たちは、ほとんど引きこもりみたいなもんである。
それに、移動手段も車だから、拾う拾わない以前にまずもって歩かない。
「ないな」
「ないきーする」
「そもそも、"いいこと"の発想が貧困過ぎる。お金のことばっかじゃん」
「おかねいがいだと?」
「──…………」
「──……」
「原神やるか」
「うん」
幸せってなんだろう。
302
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:30:18 ID:TB6qytOY0
2024年11月22日(金)
購入したばかりのサウンドバーで、ぼけらーっとヨルシカを流していた。
「──あ、そうだ」
「?」
膝の上で読書をしていたうにゅほが、こちらを振り返る。
「こいつで、寝るときにBGMでも流してみようか」
「おー?」
「YouTubeに、安眠できるBGMとかけっこうあるんだよ」
「へえー、そなんだ」
適当に検索し、いちばん上の動画を再生してみる。
「りらっくすみゅーじっく……」
「うん、いかにもリラックスできそうなタイトルだ」
「ひるねのとき、ながしてみる?」
「そうしよう」
昼食をとり、午後二時を過ぎて、先程のリラックスミュージックを流す。
「あんみんできるかな」
「わからん」
自室の寝室側へ向かい、それぞれのベッドに入る。
「あ、すぐねれそう……」
「××は普段からすぐ寝てるだろ」
「うへー」
目蓋を閉じ、寝ようと試みる。
「──…………」
だが、意識したのが悪いのか、どんどん目が冴えていく。
BGMが煩わしく感じて仕方がない。
「……××?」
隣のベッドのうにゅほを、小声で呼んでみる。
「……すー……」
返事は寝息だった。
さすがの入眠速度だ。
仕方がない、もうすこし頑張ってみよう。
しかし、睡眠を頑張ると意識した時点で、眠れなくなることは明らかだった。
その後、幾度かうとうとはしたものの、結局浅い眠りにしかつくことができなかった。
起床したうにゅほに尋ねる。
「……どうだった?」
「ぐっすりねれた。◯◯は?」
「ぜんぜん寝れなかった……」
「りらっくす、できなかった?」
「なんかな……」
「みゅーじっく、ないほういいのかな」
「どうだろう。ただ単に慣れてないだけかもしれないし、何度か試してみよう」
「そうしよ」
と言うわけで、今夜も別の睡眠導入BGMをかけて眠ることにした。
どうなることやら。
303
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:30:44 ID:TB6qytOY0
2024年11月23日(土)
「──……は」
と、目を覚ました。
うにゅほと挨拶を交わし、顔を洗って自室に戻る。
パソコンチェアに腰掛けると、うにゅほがさっそく膝に乗った。
「ねれた?」
「あー……」
ぼんやりとした頭で答える。
「まあ、寝れたんじゃないかな。たぶん」
「みゅーじっく、あるほういい?」
「……?」
一瞬、なんのことかわからなかった。
「ああ、そうか。音楽流しながら寝たっけ……」
「わすれてた」
「音楽を流して寝たのは覚えてるんだけど、それ以降の記憶がとんと」
「わたし、おきたとき、おんがくまだながれてたよ」
「ああ、たしか──」
マウスを動かし、ディスプレイを復帰させる。
そして、終了した動画の再生時間を確認した。
「そう、三時間ある動画にしたんだ」
「◯◯、ねたの、ごじくらい?」
「だいたいそんなもんかな」
「やっぱし。わたし、ろくじにおきたから、にじかんくらいながれてた」
「……うるさくなかったか?」
「うるさくないよ」
「今後、うるさかったら止めちゃっていいからな。寝入ったらもう関係ないんだから」
「ねてるとき、かんけいないの?」
「え、わからん……」
リラックス系の音楽って、寝ている最中も効果があるのだろうか。
調べてみた。
「……むしろ、寝てる最中に音楽流すのはよくないらしい」
「なるほどー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なら、わたしおきたら、とめるね」
「ああ、頼む。今夜は短めの動画を選ぶつもりだけどさ」
「いちじかん、くらい?」
「そんくらいが妥当かな。三十分だとまだ起きてる可能性あるし」
「たいへんだね……」
「××は五分だもんな」
「たぶん」
スッと睡眠に入るから、自分でもよくわかっていないのだろう。
羨ましい限りである。
304
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:31:16 ID:TB6qytOY0
2024年11月24日(日)
「つ」
ふと、手のひらに痛みが走った。
「あれ、怪我してる……」
「え?」
「ほら」
うにゅほに右の手のひらを見せる。
「わ、ほんとだ。痛い……?」
「普通にしてるぶんには、特に痛くないかな」
「さぼてんささったのかなあ……」
「指先ならまだしも、手のひらで触らんわい」
「たしかに」
「しかし、原因に心当たりがないな……」
「たまにあるよね。しらないうちに、けがしてるの」
「たまーにな」
手のひらだから、絆創膏は貼れない。
そもそも、何か処置をするほど大きい傷でもない。
結局、気にせず日常を送ることにした。
入浴後、スキンクリームを顔に塗り込もうとして、ふと怪我のことを思い出した。
「……傷口にクリーム入るな、これ」
「あ、けが?」
「怪我怪我。しゃーないから左手で塗るか……」
「かして」
うにゅほが、スキンクリームの容器を手に取る。
「うへー、ぬったげる」
「ええ……」
なんだか気恥ずかしい。
「左手で塗るよ」
「まあまあ」
手のひらに乗せたクリームを両手で伸ばし、うにゅほが俺の顔に触れる。
「うらー」
「──…………」
うにゅほの小さな手が、俺の顔の上を這い回る。
「はい、おしまい」
「ありがとうな」
「たのしかった……」
「……楽しいもんか?」
「わたしにぬってみる?」
「左手だけで?」
「けがなおったら、ぬってもいいよ」
「覚えてたらな……」
すこしやってみたいので、覚えていることにしよう。
そのために日記があるのだ。
そのためか?
305
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:31:39 ID:TB6qytOY0
2024年11月25日(月)
壁にでも飾ろうと思い、500ピースのジグソーパズルをフレームと共に購入した。
だが、届いたフレームは、
「でか!」
「おっきい……」
想像の二倍はありそうな、かなり大きなものだった。
「500ピースのパズルって、でかいんだな……」
「びっくり」
パズル本体の大きさは、38cm×53cmだ。
コンベックスで測ってから購入を決めればよかったかもしれない。
「まあ、やってみるか。××はジグソーパズル初めてか?」
「こんなにおっきいのは、はじめて」
ふんす、と鼻息を荒くする。
フレームの台紙を外し、この上で組むと決めたあと、ジグソーパズル本体を開封した。
朝焼けにかすかに色付いた空と一本の樹の写真を元にしたもので、非常に美しいデザインだ。
しかし、開けた瞬間に軽く絶望した。
500ピースのひとつひとつが、ほとんど単色なのだ。
かすかに星があるから空だとわかる程度のもので、中央にある樹や、空と地面の境目くらいしか取っ掛かりがない。
「……こーれは、失敗したかもしれないぞ」
「きれいだよ?」
「××。最高難易度と言われるミルクパズルって知ってるか」
「みるくぱずる……」
「絵柄が何もない、無地のパズルだよ」
「むずかしそう」
「このパズルも、空とか、地面とか、ミルクパズルに近いものがあるぞ……」
「やってみよ!」
「まあ、やるけども」
ジグソーパズルの定石と言えば、まずは外枠から組むことだ。
手分けして、一面か二面が直線のピースを探していく。
「……これだけでも、けっこう苦労しそうだな」
「やるぞー!」
「おー」
うにゅほはほとんど初めてだし、俺自身も500ピースなんて子供のとき以来だ。
外枠を完成させるだけで、実に二十分もの時間が溶けていった。
「背中いてえー……」
「たのしいね!」
「楽しいけど、これマジで完成させられんのかな……」
「がんばろ」
「頑張るけどさ」
フレームまで買ってしまった以上は、完成させねばならない。
果たして、何時間かかるだろうか。
306
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:31:58 ID:TB6qytOY0
2024年11月26日(火)
「◯◯、パズルしよ!」
「お、するかー」
外枠だけが完成したジグソーパズルを引っ張り出し、ふたりで囲む。
「まず、メインの樹と地平線あたりを完成させよう」
「わかりやすいとこ」
「そう、わかりやすいとこ。大変な部分はあとに回す」
「なるほどー」
ジグソーパズルのピースを手分けして振り分けていく。
「ほら、これなら行けそうだろ」
「あたまいい」
「定石だからな」
もっとも、星とグラデーションのみの空や、半分以上が真っ黒な地面などは、小手先ではどうしようもないけれど。
「……それにしたって、けっこう難しいな」
500ピースでこれなのだから、調子に乗って1000ピースや2000ピースに挑まなくて本当によかった。
「あ、ここ」
「本当だ」
「ここ、これかなあ……」
「合ってる……」
思わず感心する。
「××、ジグソーパズル得意なんじゃないか?」
「うへー、とくいかも」
直感なのか、ロジックがあるのか、それは定かではないが、俺の倍の速度でパズルのピースを嵌めていく。
これは、思ったよりも早く完成させられるかもしれない。
そんなことを感じながら、二時間ほどをかけて下半分を完成させた。
「背中いてえー……」
「わたしも……」
「揉んでやるか?」
「こうたいね」
交代でマッサージを施したあと、いつものようにパソコンチェアに座る。
すると、Windows11のバージョン24H2が来ていた。
「──…………」
この手の大きなアップデートは、嫌な予感しかしない。
24H2の不具合一覧を確認したあと、意を決してPCを再起動した。
五分後、
「やっぱりなー!」
PCが起動しなくなった。
どうやら、ユーザープロファイルが壊れたらしい。
「ど、どうするの……?」
「……なんとかする」
結局、一時間半かけて、なんとかした。
「わ、ついた!」
「疲れた……」
「よかったー」
「これ、俺だからなんとかなったけど、PC詳しくない人泣き寝入りだぞ……」
「わたしだったら、むり」
Microsoftよ。
もっと、こう、なんとかならんのか。
307
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:32:23 ID:TB6qytOY0
2024年11月27日(水)
今日も今日とてふたりでジグソーパズルを組み立てていた。
「背中がァ!」
「もむよー」
「頼む……」
フローリングの上でうにゅほのマッサージを受けながら、呟く。
「やっぱ難易度高いな……」
「みるくぱずる、くらい?」
「いや、空にグラデーションがあるからだいぶマシ。ミルクパズルはまず取っ掛かりがないから」
「たしかに……」
「あれの2000ピースとか、マジで地獄だぞ……」
何かしらの罰と言われても納得できる。
「ただ、やって初めてわかることもあるな」
「どんなこと?」
「普通のピースは、ほら。凸の部分と凹の部分が対称にあるだろ」
「そだね」
「でも、そうではない特殊なピースもある。極端に言えば、全部凸とか、全部凹とか」
「あれ、ひんとになるねー」
「そうなんだよな。凸や凹が左右に二つ並んでたら、特殊ピースが混じるってわかる。だから、特殊ピースを取り分けておくのも重要だ」
「わけといてよかったね!」
「ジグソーパズル、奥が深いな……」
まあ、壁に飾るために作っているので、本格的に趣味にするつもりはないが。
「あとすこしだね」
「残りは──たぶん、二割くらいか」
「ひゃくぴーす、くらい」
「空、大変なんだよな……」
「ほんとね……」
しかし、抜けるような青空や夜空ではなく、グラデーションの存在する朝の空を選んで本当によかった。
危うく挫けるところだ。
「でも、この調子なら明日には完成させられるな」
「かざれる?」
「いや、ノリで固めないといけないから、壁に飾れるのは二、三日後かな」
「あー、のり」
「フレームの中で崩れたら最悪だろ」
「さいあくだ……」
「頑張ろう」
「おー!」
ジグソーパズルは楽しいが、適当なテーブルがないため背中が痛い。
早く完成させて、背中をいたわってあげなければ。
308
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:32:42 ID:TB6qytOY0
2024年11月28日(木)
ジグソーパズルの完成が近付いていた。
「あと五ピースだ……」
「もうすこしだ!」
ここまで来れば、もう、ピースを間違えることもない。
うにゅほに最後のピースを手渡す。
「ほら、××が完成させな」
「……いいの?」
「いいよ。いちばん頑張ったの、××だし」
「ありがと……」
最後のピースを受け取り、うにゅほがそっと穴を埋める。
「──できた!」
「できたな」
「いえー!」
「いえー」
ハイタッチを交わす。
「がんばった!」
「随分かかったよな。六時間とか、七時間とか……」
「◯◯、せなか、だいじょぶ?」
「あとで揉んでくれ……」
「わかった」
「完成させたからには、やることがある」
「のり?」
「ノリ。初めてやるけど、まあ、なんとかなるだろ」
やり方は、YouTubeでしっかり予習してある。
俺は、完成したジグソーパズルの表面にまんべんなくノリを垂らすと、付属のヘラで伸ばし始めた。
「このとき、外側から中心に向かって伸ばすのがコツらしい」
「あー、すきまできるから……」
「そう」
実際に組み立ててみれば、ジグソーパズルのピースには隙間があることがよくわかる。
隙間が大きければ、ノリを以てしても固めることができないかもしれない。
ヘラを何度も往復させて、ノリを染み込ませていく。
「……ノリが多すぎる!」
「すーごいあまってる……」
パズルの表面に、透明なノリ溜まりができている。
「……しゃーない。これ、いったん床に落とすか」
「ふいたらいいもんね」
「そうそう」
ノリ溜まりをヘラでフローリングに落とし、パズルを台紙ごと部屋の隅へと追いやる。
「──よし、あとは乾燥させるだけだ」
「おつかれさま!」
「××もな」
「せなか、もむよー」
「頼むう」
もし、再びパズルを組む機会があるとしたら、テーブルは必須だと思った。
まだ背中が痛い。
309
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:32:59 ID:TB6qytOY0
2024年11月29日(金)
うにゅほが、部屋の隅で乾かしていたジグソーパズルを指でつつく。
「乾いてるか?」
「たぶん……?」
「なら、額に入れて飾ろう」
「うん!」
ノリさえ固まってしまえば、額に入れることは難しくない。
額の後ろで紐を固く縛り、少々寂しかった壁に掛けた。
「おおー……」
「うん、わりといいじゃん」
「いい……」
もともとは、適当な絵やポスターでも買って飾ろうと思っていたのだ。
「わたしたち、がんばった……」
「背筋痛めながらな」
壁に掛けられたジグソーパズルを見上げると、ふたりで組み上げた記憶が蘇る。
ただ金を出して買っただけのものとは違う良さがあった。
うにゅほを膝に抱いて PCを操作しているときも、ついつい見てしまう。
それは、うにゅほも同じようで、ちらちらとジグソーパズルに視線を送るさまが微笑ましかった。
「いいなー……」
「いいよな」
「そら、がんばったね。すーごいたいへんだった」
「××がいなかったら、倍の時間かかってたかも」
「そこまではかからないよ―……」
「ふたりがひとりになるんだから、かかる気がするけど」
「……たしかに」
絵柄の難しさもさることながら、パズル慣れしていないことが大きかった気がする。
慣れた人なら、もっとスムーズなのだろう。
だが、この苦労がよかった。
頭をひねりながらも楽しんだ記憶が、見るたびに蘇るからだ。
「またやりたいね」
「やりたいけど、飾る場所がな……」
「そだね……」
ないことはないが、壁という壁をジグソーパズルで埋めるわけにもいかない。
「組み立てて、また崩して、何度も遊ぶ人もいるらしいけど」
「さいのかわら」
「……わかる」
さすがに、そこまで極まってはいない。
「まあ、そのうちだな。すぐにはいいや……」
500ピースを組めたのだから、次は1000ピースという話になりそうで恐ろしい。
一度組んだからわかるのだが、ピースが倍になったからと言って、所要時間が単純に倍になるわけではない。
倍になるのは選択肢、つまるところ難易度であって、三倍や四倍の時間がかかることもざらにあるはずだ。
もしやるとしたら、わかりやすい絵柄を選ぶことにしよう。
間違っても、空は、もう組まないぞ。
310
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:33:20 ID:TB6qytOY0
2024年11月30日(土)
風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かしたあと、パソコンチェアに腰掛ける。
「あ」
「どしたの?」
ナチュラルに俺の膝に腰を下ろしながら、うにゅほが尋ねた。
「またヒゲ剃るの忘れた……」
「あー」
俺は、ヒゲが薄い。
たとえ一年放っておいても、ヒゲが生え揃うことはないだろう。
だが、どうしたって産毛は生える。
故に、たまに剃らないと気になるのだ。
「──…………」
うにゅほが、俺のあごの下に手を伸ばし、ぷちっと産毛を抜く。
「どんなもん?」
「そったほう、いいかも……」
「だよなあ」
「さいごにそったの、いつ?」
「えー、わからん」
「わからんの」
「ヒゲを剃るってルーティンがないから、マジで忘れる。いつだっけ」
一ヶ月だろうか。
二ヶ月でも驚かない。
「ただ、口の周囲に産毛だけはたまに抜いてる。あれは、さすがにみすぼらしい」
「◯◯、くちのあたりそると、たまにちーだすもんね……」
「複雑なんだよ、形状が……」
俺だって、顎の下や頬に傷をつけたりはしない。
「わたし、そらないから、わかんない……」
「産毛も生えない女め」
「うへー」
「暇だったら抜いて」
「はーい」
適当な動画を見ながら、あごを上に向ける。
すると、うにゅほが、指で産毛をぷちぷちと抜き始めた。
「……ここで抜いたら、また剃らない気がしてきた」
「そったほういいよー」
「明日剃るよ、明日」
などと言いつつ、明日も剃らない気がするのだった。
311
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/01(日) 17:34:33 ID:TB6qytOY0
以上、十三年め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
312
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:27:54 ID:VcXgbRY60
2024年12月1日(日)
暇を見つけては原神をプレイしている。
ストーリーを進めたいのだが、そのためには任務をこなす必要があり、その任務をこなすために別の任務を終わらせる必要があったりと、思うように進まない。
「──…………」
「──……」
うにゅほとふたり、ぼけらーっと、広々としたオープンワールドを楽しむ。
美麗なグラフィックで描かれる世界は、時に感動を、時に恐怖すらも感じさせてくれる。
「ふー……」
疲れを覚え、ゲームを終了する。
「おつかれさま」
「××もな」
「あそこ、くらくてこわいね。そうがんきょえん……」
「自分の周囲は照らせるけど、暗いもんは暗いからなあ」
「なにもみえないとき、ある」
「わかる」
「あかるくできないのかな……」
「うーん?」
言われてみれば、明るさ調節ができてもおかしくはない。
再び原神を起動し、設定画面を見る。
「あ、ある!」
「あった」
「ありがとう、××。おかげで快適になるわ……」
「うへー」
明るさを変更し、再び層岩巨淵のマップへと移動する。
「明るい……」
「ぜんぶみえる……」
「むしろ、デフォルトのままでよく頑張ってたな」
「てさぐりのとき、あったもんね」
「それで落ちたりな」
「ひゅってなる」
「なるな……」
再びゲームを終了し、伸びをする。
首がコキリと鳴った。
「××、見てて疲れる?」
「つかれないかなあ」
「まあ、見てるだけだから、そりゃそうか」
うにゅほからすれば、プレイ配信を見ているのと大差ないのだろう。
疲れない程度に適度に進めていきたい。
313
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:28:18 ID:VcXgbRY60
2024年12月2日(月)
起床し、のそりと、自室の書斎側へと顔を出す。
「おはよー」
「……珍しい夢を見た」
「お」
うにゅほが聞く姿勢に入る。
「どんなゆめ?」
「簡単に言えば、二重夢だな。夢の中で夢を見てた」
「わたし、みたことないかも……」
「覚えてないだけかもよ」
「ありえる」
「まず、家に三階がある夢を見たんだよ」
「……あれ?」
うにゅほが小首をかしげる。
「◯◯、まえにみてたきーする……」
「よく覚えてたな。隠し階段の先に三階があって、そこに無数の位牌があったって夢を前に見た。だから、続きでもある」
「めずらしい……!」
「今回は位牌はなかったんだけど、片付けられたって内容になってた」
「ふんふん」
「んで、そこで起きた」
「まだゆめ?」
「まだ夢。夢の中では、俺と、××と、(弟)が、まったく同じ内容の夢──家に三階がある夢を見たって言い合ってた」
「おなじゆめ……」
「そのあとは、あんまり覚えてない。雑然とした夢になっちゃって」
「……なんか、こわいかも」
「──…………」
「こわくない?」
「改めて考えると、すこし怖いかもしれない……」
「こわいよね」
「××、同じ夢見てないよな」
「みてないみてない!」
二重夢であり、いつかの夢の続きであり、そこには無数の位牌が関係している。
ホラーな展開に繋がりそうな夢だ。
「まあ、ただのレアな夢ってだけだよ。たぶん」
「あした、うなされてたら、おこすね」
「……頼む」
まあ、大丈夫だろう。
たぶん。
314
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:28:46 ID:VcXgbRY60
2024年12月3日(火)
「……PCの調子がおかしい」
「うん……」
うにゅほも違和感に気付いているようだ。
「サイトを開いたとき、高確率で画像が読み込まれない。更新すると読み込むんだけど……」
「やなかんじ」
ブラウザの問題かと思ったのだが、メインで使っているChrome、サブディスプレイで使っているEdge、共に同じ症状が現れている。
そのため、俺は、PCの不調であると結論付けていた。
「このあいだ、WindowsUpdateでやらかされただろ。あれの後遺症かな……」
「そうかも……」
回線速度の問題でないことは既に判明している。
下り600Mbps出ていて、なお、読み込みが悪いからおかしいのだ。
調べても、同様の症状はあまり出てこない。
「……仕方ない。ChatGPTくんに聞くか」
「じーぴーてぃーくんだ」
ChatGPTに尋ねると、即返答があった。
ChatGPTによると、優先的に試すべきことは、
・キャッシュのクリア
・拡張機能の無効化
・別のブラウザで試す
とのことだった。
「ChatGPTは、PC本体じゃなくてブラウザの問題だって考えてるみたいだ」
「でも、どっちのぶらうざもだめなんだよね……」
「どっちもChrome系列だから、Firefoxを使ってみよう」
「うん」
すると、画像の読み込み問題は発生しなかった。
「……たまたまChromeとEdge両方に同時に問題が起こっただけ?」
「そんなことある?」
「わからん」
両方のブラウザで、キャッシュをクリアしてみる。
「え、直った……」
「なおった!」
「マジかよ……」
信じがたいが、たまたま同時にキャッシュに問題が発生したのだろうか。
それとも、Chromiumに共通する問題だったのだろうか。
わからない。
わからないが、改善したことは確かだった。
「ありがとうGPTくん……」
「すごいね、じーぴーてぃーくん」
便利な時代になったものだ。
315
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:29:25 ID:VcXgbRY60
2024年12月4日(水)
「──◯◯、◯◯!」
「んー?」
自室の寝室側から、うにゅほが俺を手招きした。
「これみて!」
「んー」
パソコンチェアから腰を上げ、のそのそとうにゅほの元へと向かう。
「どした」
「さぼてん、みて!」
「……?」
言われた通り、サボテンとエケベリアの寄せ植えへと視線を下ろす。
白い陶器に植えられたサボテンは、白桃扇、海外でバニーカクタスと呼ばれている品種だ。
ウサギの耳によく似ているため、そう呼ばれる。
そのバニーカクタスの頭頂部に、何やら小さく丸いものが生えていた。
「ぼうしかぶってる……!」
「帽子ではないだろ」
「かわいい!」
「可愛いのは同意だな」
まるで、ウサギの尻尾のような外見だ。
「これ、新芽かな」
「しんめ?」
「ここから、下の部分と同じように成長していくんだよ」
「なるほどー……」
「大きくなり過ぎたら、剪定しないとな」
「きるってこと?」
「ああ」
「かわいそう……」
「でも、一緒に植わってる子たちもいるんだし」
「それは、……うん」
「ある程度、形は整えてやらないとな」
「うん……」
「まあ、ちゃんと成長してるからには、××のお世話が正しかったってことだよ」
「わたし、はんつきにいっかい、みずあげてるだけ」
「やり過ぎないように気を付けてるだろ」
「うん。きーつけてる」
「根腐れしたら、それこそ可哀想だからな」
「そだね……」
「新芽、どんなふうに成長するんだろうな。楽しみだ」
「うん、たのしみ!」
部屋に緑があると、こういった喜びもある。
俺も、うにゅほも、初めて知るのだった。
316
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:30:03 ID:VcXgbRY60
2024年12月5日(木)
「──けほっ」
うにゅほが軽く咳をする。
「風邪か?」
「そうかも……」
昨日から、弟が熱を出している。
潜伏期間を考えると、ほぼ同じタイミングで感染したことになるだろう。
「……実は、俺もなんだよ」
「え、◯◯も……?」
「咳はほとんど出ないけど、喉が痛い。さっき痰も出た」
「なんか、ふたりでひくの、めずらしいかも」
「そもそも××が風邪引くのが珍しいだろ」
「けほ、たしかに……」
病弱な俺とは対照的に、うにゅほは頑丈である。
共に過ごしたこの十三年で、数えるほどしか病気に罹っていないだろう。
だが、だからこそ心配だった。
「今はまだ症状軽いけど、(弟)みたいに熱出る可能性もある。つらかったら言うんだぞ」
「◯◯は……?」
「俺は、病気慣れしてるから」
「なれてても、ねつでたら、つらいよ……」
「そうなんだけどさ」
「◯◯も、つらかったら、いってね」
「言う言う」
「……いわなそう」
バレた。
「ねよ。ねてなおそ」
「そうだな……」
風邪を治すには、寝るのがいちばんだ。
昼間も寝たが、今夜は早めに就寝することにしよう。
普段より短いが、日記もここで終わる。
317
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:30:21 ID:VcXgbRY60
2024年12月6日(金)
「なおった!」
「はや……」
さすがうにゅほ、頑丈である。
対して俺は、熱が上がってきていた。
「……◯◯、だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈──げほッ! けほッ!」
「びょういんいこ……」
「病院なあ……」
コロナという可能性もある以上、病院へ行ったほうがいいのだろう。
だが、気だるさと悪寒が勝った。
「明日……」
「いったほう、いいよ……」
「そうなんだけどさ」
この体調で雪道を運転する自信もない。
「──…………」
行かない理由ばかりを探している自分に気が付いた。
しかし、やはり気だるい。
気も体も重かった。
「……やっぱ、明日。明日よくならなければ、ちゃんと行くから」
「ぜったいだよ」
「ああ、わかった」
「じゃ、ねよ」
布団に入ると、自分の体温で地獄のような暑さに襲われるんだよな。
だが、寝ないわけにもいかない。
今日の日記も短めにして、早めに就寝することにしよう。
318
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:30:41 ID:VcXgbRY60
2024年12月7日(土)
「あー……」
ようやく熱が引き、咳の頻度も下がってきた。
「……◯◯、だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈夫。久々にガチな風邪引いたな」
「びょういん……」
「峠は越えたし、いいだろ。この様子なら明日か明後日には完治だ」
「ならいいけど……」
「しかし、ほんと××は丈夫だなあ。免疫力がすごいんだろうか」
「すごいのかな。すごいのかも」
「羨ましい……」
「めんえきりょく、こうかんできたらいいのにね」
「交換できても、しないって。××が苦しむのを何度も見ることになるじゃん」
「わたし、なんどもみてる……」
「申し訳ない」
「◯◯のせいじゃ、ないけど」
うにゅほに心配をかけたくはない。
だが、どうしたって体質というものがある。
すぐさま病院へ行けば、とも思うが、病弱が過ぎると逆に風邪程度では行かなくなるものだ。
「あとは咳さえなんとかなれば……」
「のどあめなめる……?」
「舐める舐める」
「とってくるね!」
階下へ向かううにゅほを見送り、我慢していた咳をする。
このまま快方に向かえばいいのだが。
319
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:31:07 ID:VcXgbRY60
2024年12月8日(日)
「まだ喉痛いけど、八割方治ったかな。たまに咳出るくらいで」
「んー……」
うにゅほが、俺の額に手を当てる。
「うん、ねつない」
「だろ?」
「よかったー……」
「ただ、問題があってな」
「?」
「今回の咳、すごい激しかっただろ」
「しんぱいだった」
「そのおかげで、咳とくしゃみ、おまけに笑っただけで胸が軋む。筋肉痛らしい……」
「せきできんにくつう!」
「俺、小児喘息だったのに、こんなこと初めてだよ」
「まえ、ぜんそくなったけど、いってなかったもんね。のどいたいとか、のどかれたりしてたけど」
「今回の咳、一回一回がでかいんだよ。喘息の咳は空咳って言って、乾いた感じの咳なんだけど、今回はすげー引っ掛かるって言うか……」
「たん?」
「痰も出てますねえ……」
「ごみばこ、てぃっしゅだらけ」
「触るなよ。たぶん××と同じ風邪だと思うけど、菌やらウイルスやらの温床だから」
「さわんないよー……」
「ゴミたくさんあったら手で押し込むじゃん」
「……おしこむかも」
「足でやれ、足で」
「はーい」
一時はどうなることかと思ったが、完治が見えてきた。
筋肉痛は、まあ、そのうち治るだろう。
「……そう言えば、咳ってカロリー消費激しいんだよな」
「だいえっと?」
「咳ダイエット。絶対嫌だけど」
「しんぱいだから、だめだよ……」
「そらそうだ」
痩せると言うより、やつれそうだし。
そんなことを考えながら、トローチを口に放り込んだ。
320
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:31:37 ID:VcXgbRY60
2024年12月9日(月)
咳払いののち、軽く声を出す。
「あー、あー、んー。声どう?」
「すこしかれてるかも」
「まだか……」
咳は、まだ、痰の絡んだものがすこし残っているが、それも一時間に一度ほどだ。
完治ではないが、ほとんど治ったようなものである。
胸の筋肉痛も治癒し、体の重さ、だるさもないが、激しい咳によって傷ついた喉はまだ痛みがあった。
「のどあめ、ぜんぶなめちゃった?」
「舐めちゃったわ……」
「なめちゃったかー」
「まあ、トローチあるけど」
「のどあめと、とろーち、どっちがいいんだろ」
「トローチはいちおう医薬品だけど──」
舐めまくっていた常盤のど飴の容器を引っ繰り返す。
「……こののど飴も第三類医薬品だわ」
「おなじくらいかな」
「たぶん」
トローチを口に放り込み、舐める。
「おいしい?」
「不味くはないかな。まあ、すげえ美味しいってこともないけど」
「なめていいのかな……」
「舐めるか?」
「なめたい」
「ほら」
PTPシートからトローチを押し出し、うにゅほに手渡す。
「××も風邪引いてたしな」
「うん」
ぱくりとトローチを口に含んだうにゅほが、言った。
「あ、おいしいかも」
「何味なんだろうな、これ」
「とろーちあじ」
「トローチにもいろいろあるだろ」
「あるの?」
「あるある。普通にオレンジ味とか見たことあるし」
「おれんじー……、ではー……、ない」
「ではない。そもそも青いし」
「ぶるーべりーでもない」
「なんか漠然とした味だよな」
「むつかしい」
トローチを始めとした医薬品は、美味しすぎるといささか問題がある。
塩梅が難しいのだろうな、と思った。
321
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:32:01 ID:VcXgbRY60
2024年12月10日(火)
「◯◯、◯◯」
「んー?」
顔を上げると、うにゅほが両手に500mlのペットボトルを持っていた。
「げんかんに、おしゃれなおちゃあったよ」
「オシャレなお茶……?」
「ん」
一本受け取り、商品名を読み上げる。
「やさしいルイボス&マスカット。ルイボスティーか……」
「まえのんだね」
「一風堂でな」
「おいしいかなー」
「お茶だし、不味いこたないだろ。お茶を不味くするのって難しいぞ」
「なら、おいしいね」
「美味しいかどうかは別問題」
キャップをひねり、開封する。
そして、中身を軽く香った。
「……はァ?」
思わず、怒りの混じった声が漏れた。
「ど、どしたの……?」
「あ、いや、悪い。あり得ない匂いがして」
「どんなの?」
「嗅いでみ」
うにゅほの鼻先にペットボトルを近付ける。
すんすん。
「!」
うにゅほの両目が見開かれた。
「びょういん!」
「そう、病院。具体的に言うと、アルコール染み込ませた脱脂綿みたいな……」
「わかる……」
「ルイボスティーとマスカットが奇跡的に病院を作り出してる。なんだこれ」
「まずくするの、むずかしいのに……」
「これ、好きな人いるのか」
「ま、まだ、のんでないし」
「──…………」
こくりと飲み下す。
飲めば、匂いはさほど気にならない。
「……やっぱ不味い寄りだぞ」
「これ、ごーさいんでたんだね……」
「不思議なもんだ」
グリーンダカラのやさしいルイボス&マスカット、不味いです。
322
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:32:22 ID:VcXgbRY60
2024年12月11日(水)
風邪が良くなると同時に、咳だけがひどくなった。
横になると咳が出て止まらなくなるため、物理的に眠ることができない。
母親が買ってきてくれた咳止めを服用し、ようやく睡眠を取ることができた。
「……あー」
あまり寝た気はしないが、アップルウォッチによれば、十分な睡眠時間を確保できていたらしい。
軽い咳と共に自室の書斎側へ向かうと、うにゅほが俺を出迎えた。
「◯◯、へいき……?」
「……あんまり」
うにゅほが時計を見上げる。
「びょういん、もう、いけないね……」
「ほら、病院は明日行くしさ」
「うん……」
別の持病の診察だが、事情を話せば咳止めくらいはくれるかもしれない。
病気は、本当に厄介だ。
ある日突然、今までできていたことが、できなくなってしまう。
そして、想像もしていなかった苦痛を、不条理にも押し付けられてしまう。
病気になって、初めて気付くのだ。
健康であることの幸運と、失われることでしか気付けない幸福に。
「かわりたいな……」
「ダメダメ、代われても代わりません」
「でも」
「××に病気を押し付けて平気な顔なんて、できるわけないだろ」
「──…………」
「看病してくれてるだけで、もう、満足だよ」
「かわりたい……」
意志は固いらしい。
「……じゃあ、寝るときだけ代わって。俺と××、寝る時間あんまりかぶってないし」
うにゅほが目を輝かせる。
「うん!」
「まあ、まずは代わる方法を探すところからだな」
「ドラえもん……」
「ドラえもんがいたら、そもそも病気を治してもらうよ」
「……たしかに!」
そんなくだらない会話で、ささくれ立った心が癒されていく。
早く平穏な日常を取り戻したいものだ。
323
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:32:49 ID:VcXgbRY60
2024年12月12日(木)
相変わらず、横になると咳が止まらないのだった。
「◯◯……」
「んー?」
「つらくない……?」
「まあまあつらい」
「──…………」
「咳止めは効くから、最低限は眠れてる。見た目ほどじゃないよ」
「……ほんとに?」
「本当に」
「ほんとー……、に?」
「本当に」
嘘ではない。
つらいが、まあ、耐えられる範疇だ。
「ただ、咳止め出してもらうだけじゃなくて、しっかり呼吸器内科に行ったほうがいいな……」
「そうだよ……」
「明日も病院だけど、はしごしよう」
「しよう!」
「今週、病院ばっか行ってるな……」
「しかたない」
不健康の極みである。
「◯◯、つらいのがまんしちゃうから、だめだよ……」
「そうなんだよな……」
つらさに慣れているから、我慢できてしまう。
だが、早い段階で病院に行ったほうがいいに決まっているのだ。
「明日、ちゃんと診てもらうよ」
「うん!」
「心配かけて、悪いな」
「うん……」
眠れない夜も、今日で終わればいい。
心の底からそう思うのだった。
324
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:33:11 ID:VcXgbRY60
2024年12月13日(金)
午前中に呼吸器内科へ行き、咳止めだけでなく抗生物質を出してもらった。
「これで、なおるかな……」
「治ってほしいな。これ以上心配かけたくないし」
「なおるといいな」
帰宅し、さっそく抗生物質を服用する。
「……なおった?」
思わず苦笑する。
「そんなすぐ治らないって」
「はやくきいてほしい……」
「それは同意だけどさ」
「ねよ。ねれる?」
「咳止めが効けば……」
咳が続き過ぎて、喉どころか頭が痛い。
咳止めが多少効いたのか、それでも二時間ほど睡眠を取ることができた。
だが、午後からはまた別の病院だ。
「行ってくるかー……」
「うん」
病院だろうがどこだろうが、うにゅほは必ず俺についてきてくれる。
病気のときは、それが本当に心強い。
さっさと通院を済ませ、帰途についたとき、ふと別の病院にも用事があったことを思い出した。
「××、帰りに別の病院寄っていい?」
「いいけど、いちにちさんけん……」
「不健康ここに極まれりって感じだよな……」
もっと頑健な体に産まれたかったが、こればかりはどうしようもない。
この体の弱さとは死ぬまで付き合うことになるだろう。
抗生物質のおかげか、咳は昨日よりも落ち着いた。
今夜はまとまった睡眠が取れればいいのだが。
325
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:33:31 ID:VcXgbRY60
2024年12月14日(土)
「だーいぶ、良くなった気がするよ……」
「ほんと?」
「まだまだ完治とはいかないけど、ほら。咳の頻度は減ってるだろ」
「たしかに……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ほんと、しつこい風邪だよな。一週間は経ってるぞ」
「でも、よかった。せき、ほんとひどかったから……」
「咳で眠れないなんて、久々だったよ」
「こどものとき?」
「ああ。小児ぜんそくで発作が起きたときは、車の中で寝たっけな。横になると咳がひどかったから」
「こんかいとおなじ……」
「まあ、あんまり覚えてないんだけどさ」
小学生の頃の、かすかな記憶だ。
「ぜんそくで入院したときもあった気がする」
「にゅういん!」
「一週間くらいだけどな」
「にゅういん、やだね……」
「特に、子供の頃の一週間だからな。永遠にも感じられた」
「そか……」
「あと、病院に怖い漫画があって、それ読んだせいで眠れなくなった記憶がある」
「こわいまんが、びょういんにおいたらだめだよ」
「俺もそう思う」
懐かしいな。
たしか、小学五年生のときだったっけ。
「……にゅういんしないよね?」
「しないしない。良くなってきてるじゃん」
「そだけど」
「ただ、そうだな。そろそろ大腸内視鏡検査は受けないとなって思ってる」
「あー」
「あれも、まあ、ポリープあっても一晩だから」
「ひとばんなら、がんばる」
「頑張ってくれい」
「◯◯も、がんばって……」
「ああ」
健康になりたい。
326
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:33:51 ID:VcXgbRY60
2024年12月15日(日)
「あー、あー、んー……」
喉の調子を確かめる。
痛みはない。
咳も、滅多に出なくなった。
「よし」
頷き、座椅子に腰掛けてiPadをいじっているうにゅほを振り返る。
「××」
「?」
「ほら、ここ」
ぽん、と自分の太股を叩く。
「!」
うにゅほが目をまるくした。
「いいの?」
「咳もほとんど出ないし、いいだろ。ほれほれ」
「うん!」
うきうきと立ち上がり、うにゅほが俺の膝に腰掛ける。
「うへー……」
「やっぱ、××の特等席はここじゃないとな」
「おちつくー……」
「よいしょ、っと」
左腕でうにゅほのおなかを支え、右手でマウスを操作する。
「久し振りに、一緒に何か見るか」
「みよう、みよう」
うにゅほが膝にいて落ち着くのは、俺も同じだ。
特に冬場は湯たんぽにもなるし、なるべくくっついていたい。
「かぜ、すーごい、たいへんだったね……」
「だいたい十日か。マジでコロナだったかもしれないな」
「しれない……」
考えれば考えるほど、コロナの症状と重なる部分が多い。
「もう、かんち?」
「まだかな。痰がまだ出るし、黄色いんだよ」
「まだかー……」
「でも、それだけかな。あとは薬飲んでりゃ治るさ」
「びょういん、いってよかったね」
「本当にな……」
たとえ風邪だと思っても、症状が強ければすぐに病院へ行くべきだ。
そんな当たり前のことを改めて学んだ十日間だった。
読者諸兄も気を付けてほしい。
327
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2024/12/16(月) 03:35:50 ID:VcXgbRY60
以上、十三年一ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
328
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:18:13 ID:42g0u6Sw0
2024年12月16日(月)
「んー……」
うにゅほを膝に乗せたまま、自室を見渡す。
「どしたの?」
「風邪引いてるあいだに、すこし汚れたなって」
「そうじはしてるけど……」
「ああ、物がな。片付けできなかったから」
「あー」
うにゅほは、掃除は得意だが、整理整頓は苦手だ。
と言うより、俺の管理すべき場所には一切手をつけない、と表現したほうが的確だろうか。
たとえば、どんなに片付いていなくとも、俺の陣地であるデスクの上を勝手に掃除することはない。
親切を押し付けないのが、うにゅほのいいところだ。
「掃除すっかー」
「おまち」
「はい」
「せき、まだすこしでるし、かんちするまでまと」
「でも、ほとんど治ったぞ」
「ほとんどは、かんちじゃないよ」
「……たしかに」
「いそぐことないよ。もうすぐ、おおそうじだし」
「──…………」
「?」
「え、もうすぐ大掃除?」
「だって、ことし、あとにしゅうかん……」
カレンダーを見る。
「マジだ」
「まじだよ」
「風邪引いてるあいだの時間がすっ飛んでる……」
「あー……」
「そうか、2024年も残り二週間か……」
「いいとしだった?」
「まあ、個人的にはいい年だった気がするよ。たくさん小説書けたし」
「そか!」
「来年も、頑張らないとなあ」
「がんばろ!」
「まずは風邪の完治を目指す」
「のんびりしようね」
「はい」
今は、のんびりするのが仕事だ。
頑張ってのんびりするぞ。
329
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:18:51 ID:42g0u6Sw0
2024年12月17日(火)
「びみょー……、に、症状が残ってるんだよな……」
「まだ、かんちしない?」
「九割治ってるけど、ごくたまに咳が出るし、痰も絡む。ほぼ完治って感じが二、三日続いてる」
「なおんないねー……」
「熱はないし、苦しくもないんだ。それだけと言えばそれだけ」
「にしゅうかんくらい?」
「二週間くらい。やっぱコロナだったのかな、これ」
「しらべられないの?」
「わからん。調べても、いまさら意味ないしな」
「たしかに……」
「コロナの後遺症ってあるじゃん」
「ある……」
「調べてみたんだけど、咳、息切れ、痰は当て嵌まるかなって」
「いきぎれ、あるの?」
「気にならない程度だけど、微妙に苦しい」
「くるしいの……」
「微妙にな。心配するほどでもない」
「ぜーぜーは、いわないんだよね」
「胸に耳当ててみ」
「うん」
うにゅほが膝から下り、俺の胸元に耳を当てる。
「……ぜーぜーは、いってない」
「喘息は出てないってことだ」
「だいじょぶ……?」
「肉体労働してたら不味かったかもな」
「してないもんね」
「だから、実質的には咳と痰だな。いつまでも黄色いのが出るわけじゃないと思うけど……」
「きいろいの、きんとか、ういるすのしたいなんだっけ」
「そう聞くよな」
「うん」
「まあ、実際は知らんけど」
「ちがうのかな」
調べてみた結果、微妙に違うらしい。
「へえー、白血球の酵素の色なんだ」
「ちがった」
「豆知識が増えたな」
「おぼえてられるかな……」
すぐに忘れそうな気がする。
ともあれ、安静にして、早く治ることを祈るしかない。
後遺症だったら嫌だな。
330
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:19:14 ID:42g0u6Sw0
2024年12月18日(水)
風邪が完治しないことで、気になることがひとつある。
「……運動、してないなあ」
「まだだめだよ」
「わかってるけどさあ……」
三ヶ月ほどかけて習慣にした十分ほどの運動を、もう二週間近くしていない。
運動不足になることが問題なのではない。
せっかくの習慣が無に帰すことが恐ろしいのだ。
「むりしたら、だめ。ぶりかえすかも……」
「そうだよな……」
「うん」
「はよ完治してほしいわ」
「いま、どのくらい?」
「割合?」
「わりあい」
「九割五分くらいかな。黄色い痰も出なくなってきたし」
「おー」
「九割八分まで行ったら、運動していいか?」
「んー……」
軽く思案し、うにゅほが頷く。
「いいよ」
「よしよし」
上手くすれば、明日から運動を再開することができるだろう。
もっとも、悪化する可能性も僅かながら存在する。
楽観的にならず、素直に暖かくしておこう。
と言うわけで、膝の上のうにゅほをギュウと抱き締める。
「マイ湯たんぽ」
「ゆあゆたんぽです」
「あったけー……」
「うへー」
「夏になったら体温下げて」
「むり!」
「無理か……」
「しんじゃう」
「死んじゃうのは嫌だな。俺より長生きして」
「いっしょにしの……」
重い。
だが、この重さがうにゅほである。
「そうすっかー」
「うん」
うにゅほのためにも、できれば長生きしたいものだが、無理かな。
331
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:19:40 ID:42g0u6Sw0
2024年12月19日(木)
「足が冷たい」
「つめたいねー」
「俺はルームシューズ履くけど、××は?」
「しかたない」
「仕方なくない。靴下履こう、靴下」
「えー……」
「えー、ではなく」
相変わらず靴下が嫌いな子だ。
とは言え、靴下を履かないのは自宅でのみだから、そう大きな問題ではない。
革靴も裸足で履くどこかの芸能人ではないのだ。
「◯◯も、くつしたきらい……」
「俺にはルームシューズがあるし」
「ずるい」
「欲しいなら買うか?」
「かう!」
うにゅほが目を輝かせる。
「おそろいのやつ、ある?」
「お揃いだと、わけわからなくなるだろ……」
「おおきさで、わかる」
「そうだけどさ」
Amazonでルームシューズを検索し、結果を眺める。
「もこもこして、あったかいのがいいよな」
「うん。どれもかわいい……」
「ああ、可愛い」
うにゅほに似合いそうだ。
「ただ、そうだな。履きやすさ重視ででかいの買うと、後悔するぞ」
「◯◯、こうかいしたの?」
「知ってるだろ。でかすぎて、階段の上り下りができないんだよ……」
「あー」
「だから、二階でしか履けない」
「かうなら、すりっぱのかわりにしたいもんね」
「ああ。もこもこ温かくて、履きやすくて、歩きやすいのを探そう」
「あと、かわいいの」
「それは自分で選んでいただいて……」
あーでもない、こーでもないと、ふたりで一緒に選んで、最終的にピンク色のの冬用スリッパを注文した。
明後日には届くそうだから、楽しみにしておこう。
332
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:20:06 ID:42g0u6Sw0
2024年12月20日(金)
「……ん?」
シャカシャカと小さい音で何かが鳴っている。
その正体が何か、すぐにわかった。
「──…………」
開きっぱなしにしている辞書サイトのタブを、無言でミュートにする。
「これほんとウザいな……」
「?」
座椅子で漫画を読んでいたうにゅほが、デスクの上にあごを乗せた。
「どしたの?」
「ああ、ほら。この辞書サイト、勝手に動画が再生されるじゃん。んで、すげー小さい音で音楽が流れる」
「そだっけ……」
「ヘッドホンだと気付きやすいんだけどな」
うにゅほが膝の上にいるときは、耳掛けのイヤホンをシェアするか、サウンドバーで音を鳴らしている。
だから気付かないのだ。
「普通の辞書、英和・和英、類語と揃ってて使いやすいから出しっぱなしにしてるんだけど、この音楽がやたらウザいんだよ」
「ちいさいのに?」
「うるさかったら、いっそ別の辞書サイトを使う。無音で動画だけ流れるなら気にしない。でも、びみょー……にシャカシャカ鳴ってることに、たまに気付くんだ」
「あー……」
俺の言いたいことを、なんとなく理解したらしい。
「はんぱなんだ」
「そう、半端なんだよ。つーか辞書サイトが勝手に音鳴らすな、そんだけ小さい音ならそもそも鳴らすなって感じでイラッとする」
利用するのをやめるほどではないが、確実に鬱陶しい。
だから苛立つのだ。
「こまったねえ……」
「俺と同じこと思ってる人、いないのかな」
Twitterで検索してみると、そこそこいた。
「いるわ……」
「いた」
「でも、改善はされないだろうな。直接文句言うほどではないからTwitterで呟いてるんだろうし」
「あれ、えっくすじゃ?」
「Xって言うよりTwitterって言ったほうが確実に伝わるから」
「あー」
そちらにも文句を言いたいが、文句ばかりになるのでやめる。
333
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:20:31 ID:42g0u6Sw0
2024年12月21日(土)
「◯◯、とどいたー!」
Amazonの箱を小脇に抱え、うにゅほが自室に戻ってくる。
「お、届いたか」
「かるい」
「まあ、スリッパだからな」
届いたのは、二日前に注文した冬用のもこもこスリッパである。
靴下嫌いなうにゅほのためのものだ。
「あけていい?」
「聞かなくていいって」
うにゅほが、Amazonの箱を開封していく。
出てきたのは、厚手のビニール袋に包まれたピンク色のスリッパだった。
「わ、かわいー」
「商品画像よりいいんじゃないか?」
「うん!」
スリッパ同士を繋げていたプラスチック製の紐をハサミで切り、捨てる。
「ほら、履いてみな」
うにゅほの足元に、スリッパを揃えて置いた。
「──…………」
緊張の面持ちで、うにゅほがスリッパに足を通す。
「おー……」
「どうだ?」
「ふかふかしてる」
「あったかい?」
「あったかい!」
「よしよし」
靴下を履かないのが問題なのではなく、足先が冷えるから問題なのだ。
もこもこスリッパで保温ができるのなら、靴下を履かずとも一向に問題はない。
「うへー、いいかいものした……」
「これで二千円なら安いもんだ」
「さいずもね、ちょうどいいとおもう」
「そりゃよかった。でかすぎると俺のルームシューズみたいになるからな……」
「わたし、あれ、はいてあるけないもん」
「俺の足ですら大きいんだから、まあ、そうなるわな」
ともあれ、これで冬場のうにゅほの足を心配する必要はなくなった。
夏場は裸足で問題ないんだけどな。
334
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:20:56 ID:42g0u6Sw0
2024年12月22日(日)
「あ」
膝の上のうにゅほが、不意に天井を見上げる。
「どした」
「──…………」
「どした?」
「にじゅうににちだ……」
「22日だけど……」
「とうじ、きのうだった」
「そうなんだ」
「きのう、いえばよかったね……」
「まあ、どっちでもいいけど」
「とうじのはなし、まいとししてるから」
「……してたっけ?」
「してるよー」
してるらしい。
「ひー、みじかかったもんね」
「曇ってたからわからん……」
「たしかに」
「なんか、冬至の前後って、毎年天気悪くない?」
「いめーじはある……」
「暗いから、そんな気がしてるだけかな」
「そうかも」
「しかし寒いな……」
うにゅほの矮躯を抱き寄せる。
「でも、もっとさむくなるよ」
「そうなんだよな」
「すとーぶじゃなくて、だいじょぶかなあ……」
今年の暖房は、ファンヒーターではない。
温風も出せる送風機だ。
灯油を使わないので、多少のパワー不足は否めない。
「大丈夫じゃないか。わりとあったかいし」
「まだだいじょぶだけど」
「実際、こいつだけならダメだった気がする」
そう言って、天井を見上げる。
そこには、サーキュレーターつきのシーリングライトの姿があった。
「なんとかなってるの、サーキュレーターのおかげだろうな……」
「そうかも……」
サーキュレーターが暖かい空気を掻き混ぜてくれるから、俺たちは凍えずに済んでいる。
今年買ってよかったものランキングで上位に食い込むのは間違いないだろう。
2024年も残り数日だ。
後悔のない年末を送りたい。
335
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:21:31 ID:42g0u6Sw0
2024年12月23日(月)
「ねむー……うい」
「ねむいの?」
「眠い」
「ねむいとき、ねる」
「寝るかあ……」
「ねよう」
「あと、口の中に血豆ができた」
「ちまめ?」
「知らんうちに噛んだかな。ほら、ほっぺたの裏にたまにできるだろ」
「あー、できる」
「すげー気になる……」
「みして」
「ああ」
口角を引っ張り、うにゅほに口内を見せる。
「わ、おっきい」
「これ、潰したらダメなんだよな……」
「だめとおもう」
「気になる……」
「きにしない!」
「あ、はい」
断言されると、なんだかんだ弱い。
そうなんだな、という気がしてくるから、不思議だ。
「きにしないで、ねよ」
「寝るかあ……」
「どのくらいでおきる?」
「そうだな。三十分くらいかな」
「かみんだ」
「寝過ぎもよくないし」
「じゃあ、さんじゅっぷんたったら、おこすね」
「頼んだ」
膝の上のうにゅほを下ろし、床に就く。
すぐに寝入り、気が付けば一時間半が経っていた。
「……おはよう」
「おはよー」
「××に、あと三十分って二回言った気がする」
「にかいいったよ」
「やっぱり」
夢ではなかったようだ。
「……むりやりおこしたほう、よかった?」
「いや、だいぶスッキリしたしな。必要な睡眠だったんだろ」
「そか」
咳は、まだ出る。
完治していないのか、後遺症なのかはわからないが、安静にしておくに越したことはないだろう。
眠いときは眠るのが病人として正しい在り方だ。
336
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:21:53 ID:42g0u6Sw0
2024年12月24日(火)
さあ、今日は待ちに待ったクリスマスイヴである。
「うへー……」
ノンアルコールカクテルの缶を、互いに軽くぶつけ合う。
「乾杯!」
「かんぱーい!」
缶ジュースを飲むに当たり、うにゅほは座布団を敷いた丸椅子に腰掛けている。
膝の上ではさすがにこぼしそう、という判断だ。
「さて、何見るか」
「きょねん、なにみたっけ……」
「えーと」
去年の日記を辿る。
「やっぱ銀河鉄道見たらしい」
「あー」
クリスマスイヴの夜、劇場版・銀河鉄道の夜を観るのが俺たちふたりの習わしだ。
だが、既に十回は観賞した作品であり、さすがに見飽きていることは否めない。
「どうしよっか……」
「何も見ないって選択肢もあるにはある」
「なにするの?」
「話す、とか」
「はなす……」
「改めて、対面して話すのって、新鮮じゃないか?」
「あ、そうかも」
普段、うにゅほは、俺の膝の上にいる。
いつも密着しているからか、顔を突き合わせて話す機会はあまりない。
「じゃ、はなそ」
「ああ」
「なにはなすー?」
「じゃあ、今年一年の振り返りとか」
「ことしねー……」
うにゅほが目を閉じ、ゆっくりと口を開く。
「……たいへんだったね」
「そうだな……」
特に、弟の件がいちばん響いた。
命こそ無事ではあるものの、日常の一部が失われたことはたしかだ。
「……楽しいこと話すか」
「そだね……」
「ほら、部屋がすげー綺麗になった」
「うん、きれいになった!」
不要物を徹底的に売りさばき、そのお金でインテリアを購入し、住みやすく片付いた部屋へと作り替えた。
「掃除もしやすくなったし、快適だし、最高だな」
「がんばったかい、あったね」
「ああ」
「さぼてんもかわいいし……」
「部屋に緑があるのも、わりといいよな」
「うん!」
そうして、今年の話をふたりで延々と交わし続けた。
こんなクリスマスイヴも悪くはない。
生き生きと話すうにゅほの姿を見て、そう思った。
337
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:22:17 ID:42g0u6Sw0
2024年12月25日(水)
「◯◯、なんか、はことどいたー」
「箱?」
「にはこ」
「二箱も」
なんだろう。
正直言って覚えがない。
だが、俺宛てとなれば、Amazonか楽天で注文したものに違いない。
俺は、うにゅほの後について、玄関へと向かった。
玄関フードに置かれていたのは、思いのほか大きな箱だった。
パッケージの印刷を確認する。
「炭酸水だ……」
「あれ、いつものとちがうよ?」
「ああ。次に届くのは、まだ先のはずだし──」
言い掛けて、ふと思い出した。
「……ブラックフライデー!」
「ぶらっくふらいでー」
「ほら、Amazonのブラックフライデーセールあったろ」
「あった、きーする」
「あれで安くなってた炭酸水買ったわ!」
「あー」
うにゅほが小首をかしげる。
「ぶらっくふらいでーって、いつ?」
「先月末……」
「いっかげつ……」
「一ヶ月も待たされりゃ、そら忘れるわ……」
一リットルのペットボトルが十五本入ったダンボール箱を、一箱ずつ自室へ運ぶ。
「わたしも」
「やめとけ」
「えー……」
「危ないから……」
自室の隅にダンボール箱を積み上げ、一息つく。
「十五本で千三百円くらいだったから、コスパはいいんだけどな。届くのに一ヶ月かかるようじゃ、普段遣いにはできないわ」
「のむもの、いっかげつまえにたのんどくの、たいへんだ」
「せめて一週間ならなあ……」
一箱飲み終えたタイミングで二箱注文すれば、ちょうどいいのに。
そんな文句を呟きながら、もはや炭酸水を冷やす機械と化した冷蔵庫に、ペットボトルを詰め込んだ。
338
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:22:39 ID:42g0u6Sw0
2024年12月26日(木)
今月の頭に風邪を引いてから、シャワーの頻度を二日に一度に減らしている。
完治したような気もするのだが、いちおうだ。
「♪〜」
ばふ、と俺に抱き着いたうにゅほが、胸元に鼻先を突っ込んで深呼吸をする。
「……臭くないか?」
「ちょっと」
「嗅ぐな嗅ぐな」
「やだ」
すんすんすん。
楽しそうに鼻を鳴らすものだから、無理に止めることもできない。
「わたし、◯◯のにおい、すき」
「臭くても?」
「くさくても」
「俺にも嗅がせろー!」
「ひゃー!」
うにゅほの頭頂部に鼻先を触れ、匂いを嗅ぐ。
シャンプーの香りとうにゅほの体臭があいまって、くらくらするほど良い匂いだ。
「どう?」
「ずっと嗅いでたい」
「うへー。かいでていいよ」
うにゅほは、自分の匂いに自信があるようだ。
「……今度××が風邪引いたら、嗅ごうかな」
「だめ」
「ダメなんかい」
「わたし、◯◯のくさいの、すき。でも、わたしのくさいの、かがせたくない。ぜったい」
「……不公平じゃない?」
「ふこうへいでも!」
なんだかんだ乙女だなあ。
「わかったわかった」
「おふろはいれないとき、かいだらだめだからね」
「努力します」
「どりょく……」
「善処します」
「ぜんしょ……」
うにゅほが本気で嫌がることをするつもりはない。
乙女の前では紳士でいたい俺だった。
339
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:23:10 ID:42g0u6Sw0
2024年12月27日(金)
カレンダーを見て戦慄する。
「やべえ、今年もう終わるぞ……」
「おわるねえ」
「どうしよう」
「おおそうじ、とか?」
「大掃除はしないとな。つっても、大掃除ってほどでもないか」
「へや、きれいだもんね」
「ホコリを落とすくらいだから、せいぜい中掃除だな」
「いつものそうじは、しょうそうじ?」
「小掃除」
「◯◯、はんでぃくりーなーで、けーおちてるのすうのは?」
「……極小掃除?」
「なるほどー」
うにゅほが、うんうんと何かを納得する。
「××の髪の毛、けっこう落ちてるからな」
「◯◯のかみも、けっこうおちてるよ」
「まあ、毛は抜けるものだから……」
「うん」
会話中に、ふと気になって、足元へと視線を落とす。
俺とうにゅほの髪の毛が、絡んで落ちていた。
うにゅほを膝に抱いたまま、ハンディクリーナーで髪の毛を吸う。
「ごくしょうそうじだ」
「落ちてると気になるよな」
「きになる」
「ハンディクリーナー、買ってよかったよ。髪の毛って指で拾うの大変だし」
「むつかしいよね……」
「××くらいの長さなら楽なんだけど、俺の髪の毛が拾いにくいったらありゃしない」
「ゆび、べたーっておしつけて、はりつかせる」
「やるやる」
「でも、なかなかつかない……」
「わかるわかる」
「はんでぃくりーなー、えらい」
「2024年買ってよかったものランキングでかなり上位だよな」
「じょうい、じょうい」
「今年は、ほんと、いろんなもの買ったからなあ……」
「ねー」
部屋を改造して、よかった。
それだけは間違いない。
来年は何を買うのだろうか。
それはまだわからないのだった。
340
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:23:49 ID:42g0u6Sw0
2024年12月28日(土)
「……書くことが、ない!」
「にっき?」
「その通り」
「ないひもあるよ」
「なくてもひねり出すのが日記なんだよ」
「そなんだ……」
諸説あります。
「××は、今日は何してた?」
「んー……」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「ごはんつくって、そうじして、ひるねして、ごはんつくって、せんたくして、◯◯といっしょにいた……」
「……頑張ってるな」
「ふつうだよ」
さすが家事万能である。
「ああ、そうだ。ニンジンしりしり美味かったな」
「◯◯、すきだもんね」
「ニンジンの食べ方でいちばん好きだわ」
「わかる」
「あと、なんか赤福あったな」
「おいしかったねー」
「毎年、この時期くらいに、誰かが赤福をくれてる気がする」
「わかる」
「そう言や、大学時代の荷物運びのバイトで、廃棄になった赤福をいくらでも持ってっていいってフィーバータイムが一度あったな……」
「え、すごい」
「十箱くらい持って帰った」
「すごい……」
「んで、一気に三箱食べた」
「たべすぎ!」
「あの頃は、食べても食べても太らなかったからな……」
二十歳の頃に戻りたい。
環境は今のままで、肉体だけ戻りたい。
「まあ、今でも食べろって言われたら食べれるけども」
「……ふとるよ?」
「だから、しません」
「えらい」
自分がもうオッサンであることは、忘れてはならない。
341
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:24:12 ID:42g0u6Sw0
2024年12月29日(日)
「◯◯、たんさんすいとどいたー」
「えっ」
思わず目をまるくする。
「とどいた」
「いや、届いたんだろうけど……」
腰を上げ、玄関へ向かう。
思った通り、一リットルのペットボトル十五本入りのダンボール箱が、二箱あった。
「……これ、前に買ったとき届くのに一ヶ月かかったやつだ」
「だよね……」
「正月明けに届く予定だったのに、今度は三日か」
「はやい」
「いや、マジで早いよ。早すぎて在庫が……」
二箱のダンボール箱を、順に自室へと運び込む。
「なんはこある?」
「五箱半、かな」
「しばらくかわなくていいね……」
「ああ……」
普段は、二箱購入して、一箱を飲みきったあたりで次の注文を行う。
五箱は明らかに過剰だ。
「でも、もうすぐおしょうがつだから、いいのかも」
「あー」
年末年始は物流も滞る。
飲むものがなくなるよりは、過剰でもあったほうがいいだろう。
どうせ全部飲むのだし。
「三日で来るなら、こっちのほうが安いんだよな。普段買ってるのは十二本入りだから」
「さんがりあ?」
「サンガリア」
「こっちは、あいりすおーやま……」
「味は大差ない」
「そだね」
「ただ、前みたいに届くのに一ヶ月とかやられると、水代わりだからマジで困る……」
「おみずのむしかない」
「炭酸水も水だけどさあ」
こう、飲んだときのさっぱり感が違うのだ。
「なやましいね」
「だな……」
価格を取るか、安定供給を取るか。
難しい問題だ。
今回のように在庫過多になるほど買い込んだほうが、いっそ賢いのかもしれないと思った。
342
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:24:40 ID:42g0u6Sw0
2024年12月30日(月)
「今年、いろいろ買ったよなあ」
「かったねー」
「日記のネタに、今年買ってよかったものランキング2024でもやる?」
「おー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「たのしそう」
「んじゃ、Amazon開くか」
「うん」
うにゅほを膝の上に乗せたまま、Amazonの注文履歴を開く。
「今年、194件も注文してるのか……」
「すごい。きょねんは?」
「162件」
「おおー」
「2022年は148件だから、どんどん増えてるな……」
Amazonへの依存度がわかる。
最新から徐々に遡っていくと、なんだか2024年を振り返っている気分になってきた。
「あー、こんなの買ったなあ……」
「かったかった」
「Amazonにどんだけ金使ってんだ」
「ねー」
二、三十分ほど楽しく会話しながら、一位から三位までを厳選する。
「──よし、決まった」
「おしえて!」
「んじゃ、第三位な」
「うん」
「第三位は──」
指を天井に向ける。
「シーリングファンライト、13,980円!」
サーキュレーター付きのシーリングライトである。
「あー」
うにゅほが、ぱちぱちと拍手を送る。
「わかる」
「だろ」
「あれのおかげで、たぶん、へやあったかいんだよね」
「ああ。かなり暖房効率上がってるはず」
「なつはせんぷうきにもなるし……」
「いいよな」
「いい」
互いに頷き合う。
「んじゃ、第二位」
「なんだろ……」
「32インチ4Kディスプレイ、39,800円!」
「おー」
うにゅほが、ぱちぱちと拍手を送る。
「わかる」
「だろ」
「まえの、おおきすぎた……」
「43インチ、マジで大きすぎるよ。よく五年も使ってたな」
「ほんとにね……」
おかげで眼精疲労が楽になった。
43インチのディスプレイを一メートルの距離で使うのは、マジでおすすめできない。
「んじゃ、ここで××の一位を教えてくれよ」
「さぼてんのよせうえ!」
「だろうな!」
「かわいい……」
ここまでハマると思わなかったなあ。
「そろそろ水やりの時期だな」
「うん、あげないと」
「ここで第一位!」
「わー」
「レイコップ ハンディクリーナー、8,400円!」
「なるほどー……」
うにゅほが、ぱちぱちと拍手を送る。
「わかる」
「だろ」
「いちばんつかってるき―する」
「いちばん使ってるのは間違いなくディスプレイだけど、機能としては43インチと変わらないからな。生活習慣を変えたのはこいつ」
「ごみ、すぐすうもんね」
「××を膝に乗せたまま、床の掃除ができる。最高だ」
「ねー」
今年買ってよかったものランキング2024は、こんなところだ。
他にもたくさんあるが、日記が長くなってしまうので、ここまでにしておこう。
明日は大晦日。
2024年最後の日を、楽しもう。
343
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:25:02 ID:42g0u6Sw0
2024年12月31日(火)
「あ」
「あ?」
膝の上のうにゅほが、こちらを振り返る。
「あけまして、おめでとうございます」
視線を上に向けると、壁掛け時計が十二時過ぎを指し示していた。
「明けたか……」
「あけた」
「あけましておめでとうな」
「うん」
年が明けたからと言って、特別何をするでもない。
再び動画に視線を戻し、のんびりと時を過ごす。
「あ」
「あ?」
「……なんでもない」
「気になるだろ……」
「んー」
数瞬考え込んだあと、うにゅほが口を開いた。
「ねつさましーと、かたづけようとおもって、わすれてた」
「熱さまシート……」
視線を本棚へ移すと、風邪を引いたときに使用していた熱さまシートの箱が置かれていた。
「ああ、たしかに。仏間の箪笥に片付ければよかったな」
「うん。おおそうじのとき、わすれてた……」
「それだけか」
「それだけだから、なんでもないっていったの!」
「あー……」
言い掛けてやめるときって、たいていそんな感じだよな。
「悪い悪い、気になってさ」
「もー」
「怒るなって」
うにゅほのほっぺたをぷにりとつつく。
「むー」
「怒ってる?」
「おこってないよ」
「怒ってないか」
うにゅほが苦笑する。
「おこらないよー……」
「よかった。××は怒らせたら怖いからな」
「そう?」
「正確に言うと、ぜんぜん怖くはないけど、俺が罪悪感でぐあーってなる」
「あー……」
覚えがあるらしい。
「2025年、いい年になればいいな」
「ね」
いい年にする。
その気概で、頑張っていこう。
344
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/04(土) 00:26:09 ID:42g0u6Sw0
以上、十三年一ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
345
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:32:27 ID:85OBH5kg0
2025年1月1日(水)
「ういー……」
ベッドに仰向けに倒れ込み、自分の腹を撫でる。
「食い過ぎた……」
「おすし、おいしかったねー」
「美味しいのが悪い、美味しいのが」
「えんがわすき」
「バーナーで炙ってな」
「あぶりえんがわ、おいしい……」
「炙って脂が抜けるのに、普通に食べるより脂っこくなるのが不思議だ」
「ふつうにたべるの、なんか、そんなきーする」
「わかる」
脂の存在に気付かず脂を摂取しているということだから、非常に無駄なカロリーである。
「今日はだらだらする……」
「きょうは」
「今日も」
「うん」
訂正させられた。
「……そう言や、去年の元日って、能登半島地震が起きたんだっけ」
「そだね……」
「今年は何事もなさそうで、よかったよ」
「ほんとね」
あの規模の災害が二年連続で元日に起こったら、世も末だと嘆くところだ。
「××ー」
「?」
「布団になれ」
「はーい」
ぼふ。
うにゅほが、抱き締めるように俺の上に乗る。
「うへー……」
「だらだらするぞー」
「おさけ、のまないの?」
「ビールしかない。買いに行くのめんどくさい。以上」
「なるほどー」
冷蔵庫にチューハイのひとつもあれば飲んだだろうが、わざわざ苦手なビールを飲むほど酔いたいわけでもない。
そのまま、うにゅほを抱き締めながら軽く目を閉じる。
幸せを感じるひとときなのだった。
346
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:33:14 ID:85OBH5kg0
2025年1月2日(木)
「──と言うわけで、結局お酒を買って参りました」
「わー」
うにゅほが、ぱちぱちと拍手を送る。
最寄りのコンビニで購入したのは、一リットルパックの梅酒だ。
「これを、炭酸水で割る」
「こいの?」
「10%だから特別濃いってんでもないけど、炭酸のほうが飲みやすいだろ」
「なるほどー」
「薄めにして、××も飲むか?」
「のむ!」
グラスをふたつ用意し、片方には半分ほど、もう片方には一割ほど梅酒を注ぐ。
「こんなもんか」
「もーちょい、ふやしてもいい」
「……大丈夫か?」
「だいじょぶ」
その言葉を信じ、梅酒の量を二割に増やす。
「んで、ここに炭酸水を注ぐ」
「レモンいりだから、おいしそうだね」
「だな」
こうして、梅酒の炭酸割りが完成した。
「乾杯!」
「かんぱーい!」
グラスをカチリと合わせ、梅酒をひとくち啜る。
「──うん、美味い」
「おいしい」
「チーザ食おうぜ、チーザ」
「うん!」
三十分ほどふたりで晩酌をした結果、
「うへえー……」
べろんべろんのうにゅほが爆誕した。
「うちゅー、◯◯、うちゅー」
「はいはい……」
キスの雨を浴びながら、うにゅほを抱っこしてベッドに運ぶ。
「まだのむー……」
「あとで絶対後悔するから、ダメ。すこし休みなさい」
「うー」
うにゅほの肩まで布団を引き上げ、ぽんぽんと叩く。
「もうすこし薄くすればよかったな……」
「ここにいてー……」
「はいはい」
うにゅほの額に手を乗せる。
「ふへえ」
俺の手に頬擦りし、うにゅほが目を閉じた。
可愛い。
三十分の仮眠から目を覚ましたうにゅほは、また梅酒を飲みたがったが、死守した。
二日酔いのうにゅほなんて、可哀想で見ていられない。
347
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:33:38 ID:85OBH5kg0
2025年1月3日(金)
「──あ、そうだ」
ドライヤーで濡れ髪を乾かしているうにゅほに、あるものを見せる。
「?」
「化粧水の試供品をもらったんだよ。使ってみるか?」
「ごくじゅん」
「極潤だな。いいのかどうか知らんけど」
「んー、つかってみる」
普段からうにゅほが使っている化粧水と乳液は、母親におすすめされたもので、たしか、そこそこ高いものだ。
試供品など必要ないのかもしれないが、このまま捨てるのも忍びない。
髪を乾かし終えたうにゅほが、俺の前に両手を差し出す。
「だしてー」
「はいはい」
試供品の袋を破り、うにゅほの両手に中身を垂らしていく。
「わ、おおい! おおい!」」
今や、うにゅほの両手には、ちょっとした池ができている。
「おおいよー……」
「そう言われても……」
「うー」
うにゅほが、化粧水を顔に塗りたくっていく。
「びちょびちょ……」
完全に顔が濡れている。
普段の化粧水より、明らかに多い。
「◯◯、かおかして」
「ええ……?」
「かして!」
うにゅほの眼前に、顔を突き出す。
ぺちょ。
濡れたうにゅほの手が、俺の顔を這い回る。
そのたび、しっとりしていく感覚があった。
「はい」
「塗れた?」
「ぬれた。ふたりぶんある、これ……」
「試供品って、たしかに、量が多いイメージはあるな」
「おおすぎだよー……」
結局、極潤が良い化粧水なのかどうなのかは、よくわからなかった。
化粧水の試供品って、意味あるのだろうか。
348
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:33:56 ID:85OBH5kg0
2025年1月4日(土)
正月三が日も過ぎ、平常モードに戻る。
大差ないだろと突っ込んではいけない。
「うーん……」
「?」
「Amazon初売りかあ……」
「なにかかうの?」
「欲しいものは特にないかな。炭酸水もアホほどあるし」
「まだ、よんはこある……」
Amazonの専用ページを順繰りに眺めていく。
買うべきものは去年のうちに買ってしまったし、どれもピンと来ない。
無理に何かを買う必要もないのだが、せっかくの初売りだし、見るだけは見てしまうのが人の性というものである。
十分ほどマウスホイールを転がした結果、
「──うん、買うもんなし!」
「そか」
「欲しいもんがひとつもないかと言えばそうではないけど、いま無理に買うほどじゃないな」
「なにほしかったの?」
「そうだな。たとえば、ノートパソコンとか」
「ほしいんだ」
「メインのPCに何かあったときのためにな。でも、急がないし、絶対でもないし、そもそも買うならAmazonでは買わない」
「そかー」
「だから、俺の誕生日に買わなくてもいいからな」
「……ばれた」
「さりげなく情報収集してるな、って」
「するどいよー……」
「××のことだけはな」
俺の誕生日まで、あと一週間少々だ。
特に欲しいものもないのだが、うにゅほは納得しないだろう。
「……なんか考えとくか」
「はやくしてね。たんじょうび、まにあわない……」
「うーん……」
現状、マジで何も思い付かない。
とは言え、うにゅほの気持ちを無視するわけにもいかない。
欲しいもの、探してみよう。
349
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:34:20 ID:85OBH5kg0
2025年1月5日(日)
「××」
「?」
今日も今日とて膝の上でくつろぐうにゅほが、こちらを軽く振り返る。
「欲しいもの、いちおう見つかったんだけど……」
「おー!」
うにゅほが前に身を乗り出し、ディスプレイを覗き込む。
「どれどれ?」
「これ」
Amazonの販売ページを開く。
ElgatoのStream Deck+の画像が表示された。
Stream Deckシリーズは左手デバイスの一種で、ボタンに機能を自由に割り当てて作業を快適にするものだ。
「あ、これ、これのやつ?」
うにゅほが、デスクの左端に置いてあるStream Deck Miniを指差す。
去年の五月に購入したものだ。
「そうそう、これのでかくてダイヤル付いてるバージョン」
Stream Deck Miniには六つのボタンしかないが、Stream Deck+は八つのボタンと四つのダイヤルを備えている。
「べんりだーって、いってたもんね」
「Miniでも十分便利なんだけどな。だから、今すぐ絶対に欲しいってわけでもないんだけど、これしか思い浮かばなかった」
「うん、プレゼントするね」
「早い早い。値段見ろ値段……」
参考価格は32,980円。
だが、正月初売りのおかげで15%引きになっており、27,980円だった。
「わ、セールちゅうだ。いそいでかお!」
「いやいや、高いだろ」
「たかいけど、◯◯のたんじょうびだし……」
「半々にしよう」
「しない」
「──…………」
「ぷれぜんとしたい」
たぶん、そう言うとは思っていた。
「……わかった。代わりに、大事に使うから」
「うん!」
うにゅほが、にぱっと笑顔を浮かべる。
その顔を見ていると、誕生日に三万円の品を買わせる罪悪感も薄れていくのだった。
350
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:35:03 ID:85OBH5kg0
2025年1月6日(月)
「◯◯、とどいたー」
「え?」
「ぷれぜんと、とどいた!」
「早ッ!」
注文したの、昨日の昼間だぞ。
「ね、ね、つかってみよ」
「おう」
袋からStream Deck+の箱を取り出す。
でかい。
「思ったよりでかいかも……」
開封し、Stream Deck Miniと比較してみる。
「何倍あるんだ……」
「おやこみたい」
「親子にしたって、幼稚園児とかだな。Miniのほう」
そのくらいの差はある。
Miniを外し、Stream Deck+をPCに繋げる。
そして、自分が使いやすいようにカスタマイズを行っていく。
「なるほど、ダイヤルはこういう感じか……」
「いい?」
「いいな。使いやすそうだ」
「うへー」
Miniの長所であった小ささゆえの取り回しの良さが、ダイヤルによって補完されている。
つまり、サイズが大きくなったことの恩恵だけを受けられるというわけだ。
カスタマイズを終え、軽く使ってみる。
「──うん。今まで通りの感覚で、今までより便利になってる」
「よかったー」
隣で丸椅子に腰掛けていたうにゅほに、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうな、××。大切に使うよ」
「うん。たんじょうび、まだだけど、おめでとう」
「まだ六日もあるけどな……」
まさか、注文した翌日に届くとは思わなかった。
物流、頑張りすぎでは。
「ちいちゃいの、どうするの?」
「売るかな。五千円くらいにはなるだろ」
「するがや?」
「他に売るもの──は、さすがにないかな」
「ないかも……」
まあ、何かあれば送りつけよう。
今日は良い日だ。
351
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:35:21 ID:85OBH5kg0
2025年1月7日(火)
「サボテンを剪定する夢を見た」
「きっちゃったの……?」
「てっぺんのだけな」
「えー……」
寄せ植えのバニーカクタスは、育てていけば頭頂部から子株が生える。
その子株を剪定した夢を見たのだ。
「切るとき、すげえもっちもちしててさ」
「おー」
「なんか気持ちよかった」
「いいかも」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「──ただ、剪定は本当にしたほうがいいかもな」
「えー!」
うにゅほが目をまるくする。
「本来は平たく成長するはずなんだけど、ほら。長く伸びちゃってるだろ。これ、徒長って言って、日照不足でなるらしい」
「ふゆだから……」
「ああ、冬だからだろうな」
日当たりの悪いところに置いているわけではないのだが、冬は単純に日照時間が短い。
「このままだと、どうなるの?」
「えーと──」
徒長したまま成長したバニーカクタスの画像を探し、うにゅほに見せる。
正直に言って、かなり見苦しい。
「こうなる」
「……これは、ちょっと、やかも」
「可愛くないよな」
「かわいくない……」
「剪定しようか。日照時間が長くなれば、ちゃんと成長するさ」
「うん……」
ハサミを手にし、立ち上がる。
「わたしがきる」
「……トゲ、気を付けろよ?」
「うん」
自分の寄せ植えだから、自分で管理する。
立派だ。
徒長した子株を剪定したうにゅほが、苦笑しながら言った。
「もちもちしてなかった……」
そらそうだ。
352
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:35:39 ID:85OBH5kg0
2025年1月8日(水)
「ふあ、……っふ……」
漏れかけたあくびを噛み殺す。
「ねむい?」
「眠いってほどじゃないけど、あったかくてさ……」
見れば、室温は28℃もある。
おまけに、うにゅほという湯たんぽを膝の上に乗せているのだから、冬の寒さとは対極にある状態だ。
「すとーぶ、いらなそうだね」
「だな」
石油ファンヒーターではなく、出力の弱い送風機でも十二分に暖かいのは、サーキュレーター付きのシーリングライトのおかげだろう。
天井に滞留しがちな暖かい空気を拡散してくれているのだ。
「ほんと、いい買い物したよな……」
「らんきんぐ、さんいだったもんね」
「あー、買ってよかったものランキングか」
たしか、年末にそんな会話をしたっけ。
「ことしのらんきんぐ、なにになるかなー」
「今年が始まって、まだ一週間だぞ」
「うへー」
「とは言え、既にひとつ買ってもらってるんだよな。誕生日プレゼントで」
「これ」
うにゅほが、デスクの左側に置いてあるStream Deck+を指差す。
「ああ。めっちゃ便利に使わせてもらってるよ」
「らんきんぐ、はいるかな」
「入るかもな」
「たのしみ」
「今年は××も三位まで発表してくれよ」
「わたしも?」
「去年はサボテンの寄せ植えだけだったしな」
「わたしも、しーりんぐらいとと、はんでぃくりーなーは、はいってた」
「じゃあ、ほとんど同じだったのか」
「うん」
「なるほどなあ」
実際、自室の環境や習慣を激変させたのは、そのふたつだった。
俺もうにゅほも同じ部屋に住んでいるのだから、かぶるのは当然かもしれない。
2025年は何を買うことになるのだろう。
答えは一年後の俺たちが知っている。
353
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:35:59 ID:85OBH5kg0
2025年1月9日(木)
大学病院を出て、伸びをする。
「あー、クッソ混んでたあー……!」
「こんでたね……」
普段より予約が遅かったせいか、ひどく待たされた。
「薬局行って、帰るかあ……」
「うん……」
「ああ、いや。なんか食って帰るのもいいな」
「あ、いいね!」
「何が食べたい?」
「◯◯は?」
「うーん……」
しばし思案し、ふと思い立つ。
「ステーキは?」
家族の誰かの誕生日には、ステーキハウスへ行くのが常だった。
だが、手術の結果、弟は固形物を食べるのが難しくなってしまい、この慣習はなくなった。
「……そだね。◯◯のたんじょうび、もうすぐだし」
「俺たちだけってのも、すこし寂しいけどさ」
「うん……」
だが、どうしようもない。
生きていれば、いろいろあるものだ。
「んじゃ、ステーキ食って帰ろう」
「うん」
かなりの遠回りをしつつ、大学病院から行きつけのステーキハウスへと向かう。
「肉じゃ肉じゃ」
「ひさしぶりだね!」
「だな」
ドデカいステーキをかぶりつくように食べるのは、本当に久々だった。
八分目を超えて満腹な胃袋を抱え、帰路につく。
「……夕飯は無理だな」
「すーごいたべたね……」
「××は?」
「わたしはたべれるけど」
「200gだもんな……」
「でも、おいしかったね!」
「だな」
「また、ふたりでいこうね」
「ああ」
また潰れなければいいのだが。
354
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:36:50 ID:85OBH5kg0
2025年1月10日(金)
「ねむー……い」
ぐでーっと、デスクに突っ伏す。
昼寝の準備をしていたうにゅほが、寝室側からこちらを覗き込んだ。
「◯◯も、ねる?」
「寝るかあ……」
遅寝早起きのうにゅほは、昼過ぎに一度仮眠をとる。
そうしなければ、入浴後にうとうとしてしまうらしい。
「いっしょに──ねれないかあ」
「CPAPあるからな」
睡眠時無呼吸症候群の俺は、仮眠のときでもCPAPを装着する。
その状態での同衾は、さすがにうにゅほが可哀想だ。
「……つーか、大丈夫か? うるさくないか?」
「わたし、ねるのとくい」
「あー……」
たしかに。
「いちおう、安眠用のBGM流しとくか」
「いいよー」
YouTubeで適当に検索し、リラックスできる音楽を流す。
一時間半もあれば十分だろう。
自分のベッドに横たわり、CPAPを装着する。
「くるしそう……」
「しないほうが、苦しい」
「そか……」
そのための器具なのだから、当然だ。
そのまま目を閉じ、気が付けば午後四時を回っていた。
CPAPを外し、隣のベッドを見ると、うにゅほの姿はそこになかった。
「あ、おはよー」
パソコンチェアに腰掛けたうにゅほが、両手をこちらに振る。
「おはよう。何時に起きた?」
「さんじくらい」
「……あんま寝れなかった?」
「そんなことないよ」
とは言え、二時間近くは寝ているのか。
昼寝としては十分だよな。
むしろ、俺が寝過ぎである。
しかし──
「……なんか、まだ眠いな」
「ねる?」
「あと三十分……」
それを三度繰り返し、しっかりと目を覚ます頃には午後五時を大きく回っていた。
疲れていたのかもしれない。
355
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:37:17 ID:85OBH5kg0
2025年1月11日(土)
「──暑い!」
ピッ。
温風を吐き出していた送風機を、リモコンで停止させる。
「29℃あるぞ……」
「あちーねえ……」
「天井のサーキュレーター、優秀過ぎるな。冬場にこんなあったかいの、初めてかも」
膝の上のうにゅほが、こちらを振り返る。
「わたし、おりる?」
うにゅほのおなかに回した腕に力を込めた。
「逃がさないぞ……」
「にげないよー」
「トイレに行きたいときだけ許す」
「んー……」
下腹部を撫で、うにゅほが答える。
「まだ、いきたくない」
「ならば、我が腕の中で愛でられるがよい」
「はーい」
「わしゃわしゃわしゃ」
「ふひっ、うひ、うひひひひ!」
などと、いちゃこらしていると、気付けば午前一時を過ぎていた。
「ねるー」
「寝かさないぞ……」
「え」
「特に理由はないけど、寝かさないぞ」
「ないの……」
「夜更かしする?」
「する!」
ちょろい。
「なにするの?」
「別に何もしないけど……」
「じゃあ、げんしんやって!」
「いいぞー」
うにゅほを膝に乗せたまま、ちまちま進めている原神を起動する。
ぽつりぽつりと会話しながら小一時間ほどプレイしていると、気付けばうにゅほが寝息を立てていた。
「ふすー……」
随分気持ち良さそうに寝ているな。
このままにしたい気持ちはあるが、寝起きに首が痛くなりそうなので、心を鬼にしてうにゅほを起こす。
「──××、××。ベッド行け」
「はふ、……ふあい……」
ベッドまでうにゅほをエスコートし、肩まで布団を掛けてやる。
「おやふみ……」
「ああ、おやすみ」
軽く頭を撫でて、パソコンチェアに戻る。
膝の上が、すこし寂しいのだった。
356
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:37:50 ID:85OBH5kg0
2025年1月12日(日)
「──…………」
目を覚まし、のそりと起き上がる。
「あ!」
俺の気配に気が付いたうにゅほが、こちらへ駆け寄ってくる。
「たんじょうび、おめでと!」
「あー……」
そうだった、そうだった。
誕生日なのだった。
「ありがとうな、××」
「うへー」
とは言え、誕生日だからと何が変わるわけでもない。
年齢がひとつ、無駄に上がっただけだ。
「──そう言えば、豆知識があるぞ」
「まめ?」
「法的に年齢が上がるのは、誕生日の前の日なんだ。だから、4月1日生まれの人は早生まれ扱いになる」
「え、なんで?」
「ヒントを出そう」
「おー……」
「ヒントは閏年」
「なんで?」
「ヒント出したんだから考えてくれよ……」
「きになる……」
いいけどさ。
「誕生日が2月29日の人は、四年に一回しか年を取らない。そんなわけにもいかないだろ」
「あ、そか。それじゃこまるもんね」
「その通り。だから、法的には、2月28日に年を取るようになってるんだ」
「あたまがよくなってしまった……」
「豆知識で大袈裟な」
「◯◯、なんでもしってる。あたまいい」
「うーん……」
思わず、大きく首をかしげる。
「体系づけられてない雑学をいくら知ってたって、学にはならない気がするんだよなあ」
「そなの?」
「単に雑学に触れる機会が多かったってだけの話で……」
「かんがえすぎなきーする……」
それはそうかもしれない。
「プリンあるよ、たべる?」
「食べる」
甘くて美味しいプリンを食べると、年齢も、雑学も、どうでもよくなった。
甘いものは、体重以外のすべてを解決する。
357
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:38:13 ID:85OBH5kg0
2025年1月13日(月)
「◯◯、◯◯」
「んー」
「まめちしき、おしえて」
「豆知識……」
「きのうみたいの」
「あー」
昨日、うにゅほに、雑学をひとつ披露した。
それが楽しかったのだろう。
「豆知識はたくさん知ってるけど、いきなり言われてもな。せめてカテゴリを決めてもらわないと……」
「かてごり?」
「何に関する豆知識か、ってこと」
「うーん……」
しばしの思案ののち、うにゅほが口を開いた。
「どうぶつ!」
「動物か……」
動物についての雑学を、脳内から引っ張り出してくる。
「パンダのうんこは緑色、とか」
うにゅほが目をまるくする。
「え、そなの?」
「パンダって笹やら竹やら食うだろ。でも、考えてみたら、パンダは熊の仲間だ。食性がおかしいと思わないか?」
「たしかに……」
「パンダの胃や腸は、植物を消化するのに向いてない。だから、ほとんど未消化のまま排便するんだよ。だから緑色」
「はー……」
うにゅほが、感心したように頷いた。
「ほかには?」
「他に……」
わくわくとした目でこちらを見上げる。
「うんこ繋がりで、コピ・ルアクとブラック・アイボリーとか」
「それなに?」
「コピ・ルアクはジャコウネコ、ブラック・アイボリーはゾウが食べたコーヒー豆をうんこから取り出して淹れたコーヒーのことだよ」
「きたない……!」
「でも、どっちもアホほど高価。特にブラック・アイボリーは、今だと一杯三十万円くらいになる」
「のみたくない……」
「俺も」
「ね、ね、ほかには?」
「他に……」
「うんこいがいで」
「はいはい」
しばらくのあいだ、うにゅほにせがまれるまま雑学を並べ立てた。
ふんふんと興味深げに聞いてくれるのは、披露する側としては嬉しいものだ。
358
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:38:31 ID:85OBH5kg0
2025年1月14日(火)
「ね」
「ん?」
「まめちしきをください」
「随分気に入ってるなあ……」
「おもしろい」
まあまあわかる。
「今日も動物か?」
「んー……」
うにゅほが、大きく首をかしげる。
「じゃあ、にんげん」
「人間ねえ……」
かなり多岐に渡るカテゴリだ。
「人間ひとりの血管をすべて繋ぎ合わせると、地球を二周半するとか」
「え!」
「毛細血管とか、全部な」
うにゅほが、自分の手のひらを見つめる。
「すごい……」
「本当か嘘か知らんけど、そう言われてる」
「ね、ね、ほかには?」
「そうだなあ」
脳内を適当に検索し、出てきた雑学を披露する。
「人間が何かをしようと意識したとき、その0.5秒前には既に脳の活動が始まってるんだって」
「?」
理解できなかったのか、うにゅほが小首をかしげる。
俺は、うにゅほの頭を軽く撫でた。
「××の頭を撫でようと思う。その0.5秒前には、××の頭を撫でる準備が整ってる」
「え、おかしい……」
「そうなんだよ。こうして××の頭を撫でようと思ったのは、本当は誰なんだろうな」
「こわいこわい」
「でも、面白いだろ」
「ふしぎ……」
「自分で自分のことを決めてると誰しも思ってるけど、本当は違うのかもな」
「うん……」
「他には──」
今日もまた、うにゅほに雑学を披露しまくった。
知識を虫干ししているようで、心地よかった。
359
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:38:55 ID:85OBH5kg0
2025年1月15日(水)
「♪〜」
機嫌よく自室に戻ってきたうにゅほの手に、水が半分ほど注がれたペットボトルがあった。
「寄せ植えに水やるのか」
「うん!」
「……水、多すぎないか?」
1リットルのペットボトルに半分だから、おおよそ500mlだ。
ごく小さな鉢植えだから、水だけで満杯になりそうだった。
「ぜんぶはいれないよー……」
「入れたら枯れるな」
「うん」
うにゅほが、ちょぼちょぼと鉢植えに水を掛けていく。
「しめるくらい?」
「冬場はそのはず」
「じゃあ、このくらい」
案の定、ペットボトルの水はほとんど残っていた。
「……もったいないかも」
「加湿器に入れたら?」
「それだ!」
加湿器を開き、タンクに水を注ぐ。
「水、減ってる?」
「からっぽ」
「ああ、水入れないと……」
チェアから腰を上げ、加湿器のタンクを持ち上げる。
軽い。
うにゅほが注いだ400ml程度の水しか入っていないから、当然だ。
「加湿器って、すぐ空っぽになるよな」
「へや、かわいてるのかなあ」
「××のお肌でわからない?」
「わかんない」
「湿度低くても瑞々しいもんな……」
「うへー」
タンクを満杯にし、加湿器に戻す。
「人間も、サボテンも、水がないと生きられないのは同じだな」
「そだね」
まあ、加湿器はなくても生きられるけれど。
上がっていく湿度を温湿度計で確認しながら、そんなことを思った。
360
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/01/17(金) 00:39:45 ID:85OBH5kg0
以上、十三年二ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
361
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:45:48 ID:QQU5BPj60
2025年1月16日(木)
「ファミマ行こう」
「ふぁみま?」
「ああ。誕生日に友達からファミマのお買い物券もらってさ」
「へえー!」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「いこう、いこう」
「ああ」
身支度を整え、自宅を出る。
「晴れてんなー……」
「まぶしい」
真冬の快晴の日には、雪による照り返しで目が潰れることがある。
愛車に乗り込んだ俺は、バックミラーに引っ掛けてあったサングラスを装着した。
「かっこいい」
「カッコよくはないだろ……」
「かっこいいよー」
「──…………」
少々、照れる。
「……ああ、でも、こうして眩しい日にサングラス掛けられるのも、ICL手術のおかげだな」
「だね」
ICL──眼内コンタクトレンズを入れてから、本当に快適な日々を送ることができている。
眼鏡もコンタクトも心の底から嫌いだった俺にとって、手術は最高の判断だったと言えるだろう。
「めがねの◯◯も、すきだったけどなー」
「はいはい」
「もうかけないの?」
「二度と掛けたくない。まあ、いつか老眼になったら掛けると思うけど……」
「そか」
「××は、視力は大丈夫か?」
「たぶん……?」
「見えにくいとか、ないか?」
「ない」
「今度、視力検査しようか」
「……びょういん、いくの?」
「行かない行かない。たぶん、YouTubeとか探せば簡易的なのはあるだろ」
「ならやる」
うにゅほを見ている感じ、視力はかなり良さそうだ。
眼鏡が必要になることは、まあ、ないだろう。
ファミマでは、ダイエット用のチキンと、ふたりぶんのアイスを購入した。
板チョコアイスは美味い。
362
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:46:22 ID:QQU5BPj60
2025年1月17日(金)
午前中に目を覚まし、ベッドから降りる。
「──ぐッ」
腰から嫌な予感かした。
「ぐ、ぐ、……うッ」
腰が、伸びない。
姿見の前に立つと、全身がくの字によれていた。
違和感でまっすぐ立てないのだ。
認めたくない。
認めたくはないが、
「……腰、やっちゃった」
「?」
姿見に、うにゅほの姿が映る。
「◯◯、こし……」
「痛めたみたい……」
「だ、だいじょぶ?」
「動かなければ、大丈夫。動くと痛い」
「たいへんだ……!」
うにゅほが、ぺたぺたと優しく腰に触れる。
「こしもむ?」
「いや、素人は触らないほうがいい。むしろ、低周波治療器の出番だな」
「あー」
「あれ、腰に貼ってくれるか」
「うん!」
持っててよかった、オムロンの低周波治療器。
整骨院に行けば同じ効果の器具で治療が行われるから、効くはずだ。
のたくたとトイレで小用を済ませたあと、ベッドにうつ伏せになる。
「はるよー」
「頼むう」
ぺた、ぺたり。
パッドの感触を確認し、低周波治療器の電源を入れる。
適度な強さがわからなくて、ついつい強めにしてしまう。
「◯◯、ほんよむ?」
治療時間は、一回十五分だ。
気の利く子である。
「ああ、スマホ取ってくれるか」
「うん!」
腰の痛みはまだ引かないが、うにゅほがいてくれれば生活に困ることはない。
お返しに、うにゅほが動けないときは、お姫さまの従者のようになんでもしてあげることにしよう。
363
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:46:42 ID:QQU5BPj60
2025年1月18日(土)
軽く肩を揺すられ、目を覚ました。
「んー……?」
「◯◯……」
うにゅほだった。
不安げに、泣きそうな顔で、俺を見つめている。
嫌な予感がした。
「どした」
「(弟)、きゅうきゅうしゃではこばれた……」
「は!?」
慌てて身を起こそうとして、腰に鈍痛が走る。
「なんで……」
「あたまいたくて、だるくて、はいて……」
「──…………」
瞬時に、あり得そうな病名が脳裏をよぎる。
脳梗塞。
「おかあさん、ついてった……」
「もっと早く起こしてくれ……」
「ごめん……」
うにゅほの手を借りてベッドを降り、パソコンチェアに腰掛ける。
症状で検索すると、やはり、脳梗塞や脳出血が候補に出る。
「──…………」
恐らく、顔が青くなっているだろう。
丸椅子に座り、俺に抱き着いているうにゅほも、見るからに顔色が悪い。
「(弟)……」
「……まあ、大丈夫──だと思う。すぐ救急車呼んだんだろ?」
「おとうさん、よんだ……」
「なら、大丈夫。……大丈夫」
自分に言い聞かせるように、「大丈夫」と何度も呟く。
二時間ほどして、母親からLINEが入った。
脳の病気である可能性は薄いとのことで、点滴をしてから帰宅するそうだ。
その一報で、俺とうにゅほは、大きく、大きく、溜め息をついた。
よかった。
原因が確定していないのは怖いが、すぐさま命の危険がないだけましだ。
とは言え、帰宅した弟は、いまだ具合が悪そうにしている。
このまま何事もなく回復してくれればいいのだが。
364
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:47:10 ID:QQU5BPj60
2025年1月19日(日)
弟の調子が、あまりよくない。
昨日、救急車で運ばれたほどだから当然と言えば当然なのだが、心配だ。
「──…………」
弟の部屋に様子を見に行ったうにゅほが、戻ってくる。
「どうだった?」
「ふらふらするって……」
「そっか……」
まだすこし熱がある。
高熱ではないから、コロナやインフルエンザではないのだろうが、だからと言ってつらくないわけではないだろう。
「はあ……」
思わず溜め息が漏れる。
うにゅほが、俺の隣で丸椅子に腰掛けた。
「だいじょぶかなあ……」
「わからん」
わからんとしか言えない。
脳梗塞でなかったことには安心したが、復調するまでは気が抜けない。
「◯◯、こしは?」
「ああ、だんだん治ってきたよ。まだ完調じゃないから、××を膝には乗せられないけど」
「かんぜんになおってからで、いいからね。むりしないでね」
「わかってる」
弟ほどではないが、こちらも問題だ。
ここ数日、風呂に入ることすらできていない。
「でも、今日は風呂入れそうだよ。髪の毛べったべただから、さっぱりしたい」
「へいき?」
「立つ、歩く、座るができるんだから、平気平気」
「わたし、かみあらおうか?」
「平気だって」
「そか……」
何かしていないと、落ち着かないんだろうな。
気持ちはわかる。
早く、心穏やかに過ごせる日々が戻ってきてほしいものだ。
365
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:47:28 ID:QQU5BPj60
2025年1月20日(月)
大学病院でMRI検査を受けた結果、弟の脳にはなんら問題がなかったらしい。
その知らせを聞き、うにゅほとふたり、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかったー……」
「CTだけだと不安あったからな……」
「ちがうの?」
「CTはすぐに検査結果が出るけど、脳梗塞の確定ができない。大してMRIは検査に三十分かかるけど、まず誤診がない」
「ほおー」
「ともあれ、脳の病気じゃないってことは確定だ。単なるタチの悪い風邪かもな」
「だったらいいな……」
原因が一向にわからないのは怖いが、弟が徐々に復調してきていることも間違いはない。
このまま何事もなく快復する可能性は大いにある。
「俺の腰も、ほら。だいぶよくなったぞ」
立ち上がり、上半身を回してみせる。
「わ、むりしないでね」
「無理はしてないよ」
「ならいいけど……」
腰をやった日は、右向きでなければ寝られなかったくらいだが、今は仰向けであれば問題なく就寝できる。
「あと二、三日も様子見れば、××を膝に乗せることもできるだろ」
「むりはしないでね……」
「しないって」
うにゅほの心配性に拍車が掛かっている。
まあ、当然か。
「腰治ったら、また運動しないとな。十二月の風邪で習慣途切れちまったから……」
「ちがううんどう、さがす? こしにいいやつ」
「それもいいな」
激しい運動と言うより、ストレッチをメインに据えたほうがいいだろう。
体が硬いことは、健康においてなんの益ももたらさない。
「がんばろうね」
「ああ、頑張ろうな」
運動に限らず、何かを習慣づけるためには、最初だけ頑張ればいい。
生活サイクルにさえ組み込んでしまえば、なんら苦痛は感じなくなるからだ。
思えば、この日記もそうだったな。
なんとなく、そんなことを思い出した。
366
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:47:50 ID:QQU5BPj60
2025年1月21日(火)
「──…………」
「──……」
結局、弟は、大学病院にて検査入院と相成った。
「はー……」
うにゅほが、小さく溜め息を漏らす。
「(弟)、だいじょぶかな……」
「わからん……」
MRIで脳に異常はないと診断されたのだが、明らかに右半身に運動障害が起きている。
症状的に、左脳に何か原因があると考えたほうが辻褄が合うのだ。
より綿密な検査が必要であるとして、入院という措置が採択されたということだ。
「──……ふー……」
幾度も溜め息をつくうにゅほに、提案する。
「ChatGPT先生に聞いてみるか?」
「えーあい?」
「ああ。お医者さんじゃないけど、一般的な病気の知識は知ってる。俺がGoogleで検索するより正確な答えが返ってくるはずだぞ」
「……うん、きいてみよ」
ChatGPTを開き、弟の現状をなるべく細かく入力し、どんな病気が考えられるのかを尋ねる。
ChatGPTは、あくまで自分は医師ではないという但し書きののち、可能性のある病気を列挙し始めた。
「なるほど……」
「せんせい、なんていってる?」
「書いてるじゃん……」
「◯◯、まとめてくれないと、わたし、わかんない」
読む気がない。
まあ、いいか。
「脳が原因なら、ごく初期や小さな脳梗塞があり得るって」
「ちいさなのうこうそく……」
「他にも、脊髄や頸椎の病気って可能性もあるけど、可能性は低いって言い方してる」
「のうこうそく、なおるの……?」
「聞いてみよう」
聞いてみた。
「……まず、壊死した脳細胞は再生しない」
「!」
「でも、周囲の正常な脳細胞が頑張って、機能を取り戻すことは十分あるって。リハビリ必要だったりするけど」
「そ、っかー……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「まずは検査の結果待ちだな。大丈夫だって思いたいけど」
「……うん」
家族が入院していると言うのは、はっきり言ってストレスだ。
早く、元気になって帰ってきてほしい。
367
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:48:13 ID:QQU5BPj60
2025年1月22日(水)
「──…………」
「──……」
丸椅子に腰掛けたうにゅほが、俺の右腕に抱き着いている。
それはそれで役得なのだが、マウスが動かしにくくて仕方がない。
最小限の動きでマウス操作ができるように設定してあるが、右腕をまったく動かさないわけにはいかないからだ。
「××……?」
「ん?」
「左に来ないか、左に」
「えー……」
「嫌なんかい」
「ひだり、がめんみにくい」
「サブディスプレイはそうだな……」
「みぎ、だめ?」
「マウス操作が、こう」
「んー……」
「抱き着くなとは言わないんだけど」
「むうー」
うにゅほが、可愛らしく口を尖らせる。
「──あ、こうしたらどうだ?」
「?」
「立って立って」
「はい」
丸椅子を、パソコンチェアの前に置く。
「ほら。擬似的だけど、膝に乗ってる感じにならないか」
「おー」
うにゅほが丸椅子に腰掛け、俺の左腕を自分のおなかに回させた。
「いいね」
「膝の上解禁までは、これで我慢してくれ」
「うん、がまんする」
腰痛もほとんどなくなったので、うにゅほを再び膝の上に乗せられる日は、そう遠くないだろう。
「こし、だいじだからね」
「本当にな……」
こしをだいじに。
今年の作戦にしよう。
368
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:48:47 ID:QQU5BPj60
2025年1月23日(木)
朝起きて、PCを起動する。
「……ん?」
サブディスプレイが点かない。
「あれー……」
「どしたの?」
「こっちのディスプレイ、点かないんだよ」
「ほんとだ……」
「HDMI抜き差ししてみるか……」
だが、点かない。
グラボも確認してみたが、そちらの問題ではなさそうだ。
「……これ、ディスプレイぶっ壊れたな」
「えー……」
「タイミングの悪い……」
さまざまな悪いことが、重なって起きている。
「はァ……」
「どうするの……?」
「まあ、買うしかない。いまさらシングルには戻れないだろ」
「そだね」
「27インチ、27インチ──」
Amazonで検索すると、27インチのWQHDモニターが、タイムセールで15,980円になっていた。
「お、安いじゃん。これにしよう」
「はやい」
「サブだし、最悪映ればいいしな。見た感じ、このモニターも悪くもなさそうだし」
「そか」
「届くまでは、うん。仮想デスクトップでなんとか……」
うにゅほが小首をかしげる。
「かそう?」
「擬似的にマルチディスプレイにできる機能だよ。あくまで擬似的だけどな」
「へえー!」
興味深そうに、うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「やってみて!」
「俺も、この機能使うの初めてなんだよな……」
使ってみた。
「……まあ、サブディスプレイ置けない人には便利なんじゃないか」
「うん……」
悪くはないが、その程度のものだ。
サブディスプレイが恋しい。
369
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:49:11 ID:QQU5BPj60
2025年1月24日(金)
弟のお見舞いに行って来た。
「──……う、ひぐ、うあ……」
帰途の車内にうにゅほの泣き声が響く。
赤信号のたび、俺はうにゅほの頭を撫で、すこしでも落ち着かせようと努力した。
やがて泣き止んだうにゅほは、愛車の天井を見上げていた。
「……なんで、(弟)ばっかし」
「俺たちが普段当たり前のようにしてることって、もしかすると、奇跡的なものなのかもしれないな……」
「……うん」
「半分くらいなら、肩代わりしてやりたいよ」
「わたしも……」
「なら、(弟)健康になるな」
「そ、……だね」
悪いことばかりが起きる。
覚悟だけは、決めておかなければならない。
370
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:49:32 ID:QQU5BPj60
2025年1月25日(土)
二日前に注文したばかりの新しいサブディスプレイが、あっと言う間に届いた。
「早いな……」
「はやいね」
仮想デスクトップにも慣れつつあったが、やはり実際にディスプレイがあるのとないのとでは大違いだ。
モニターアームにさっそく取り付け、NVIDIAコントロールパネルから明るさを調整する。
「──ま、こんなもんか」
「あんましかわんないね」
「解像度がフルHDからWQHDになってるから、画質自体は良くなってる。まあ、でも、大差ないっちゃ大差ないかな」
「そか……」
「──…………」
「──……」
意識していなければ、すぐに会話が途切れてしまう。
俺は、パソコンチェアに腰掛け、うにゅほに向かって両腕を開いた。
「ん」
「……?」
「膝、乗っていいから。抱き着いてな」
「こしは……?」
「治った」
「──…………」
うにゅほが、俺のほうを向きながら、膝の上に腰を下ろす。
そして、強く、俺の体を抱き締めた。
「──…………」
「──……」
言葉はいらない。
抱えているものは、同じだから。
371
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:50:00 ID:QQU5BPj60
2025年1月26日(日)
落ち込んでいても仕方がない。
それは、わかっている。
だからと言って、すぐさま元気を出せるほど、人間は単純にできてはいない。
「××」
「んー……」
俺に抱き着いたまま眠っていたうにゅほの背中を、とんとんと叩く。
尿意が限界だった。
「××、悪い。トイレ行きたい」
「ん」
くしくしと目を擦りながら、うにゅほが俺の膝を下りる。
うにゅほの頭をぽんと撫でてからトイレへ向かい、小用を済ませた。
「ただいま」
「ん」
パソコンチェアに腰掛けるなり、うにゅほが元の体勢に戻る。
「まだ眠いのか」
「ねむい……」
恐らく、あまり眠れていないのだろう。
「好きなだけ寝な」
「ん……」
俺とうにゅほにも、いつかは別れが来る。
考えたくもないが、事実だ。
いずれ必ず訪れる別れに対し、人はどうすればいいのだろう。
わからなかった。
372
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:50:21 ID:QQU5BPj60
2025年1月27日(月)
「ああー……」
思わず頭を抱える。
弟のことですらいっぱいいっぱいなのに、さらに悪いことが重なっていく。
まるで積み木崩しだ。
どんなに高く積み上げても、崩れるときは一瞬なのだ。
「◯◯、だいじょぶ……?」
「大丈夫、大丈夫」
まだ心は折れちゃいない。
戦える。
「……あのさ。何かして遊ぼうか」
「なにか……」
「つらいよ。つらいけどさ。でも、つらいままでいても仕方ないじゃん」
「そ、だけど」
「気をさ、紛らわそう」
「──…………」
うにゅほが思案する。
ゆっくりと、ゆっくりと、考える。
そして、俺の目を見た。
「うん」
「──…………」
頷くうにゅほの頭を撫で、尋ねる。
「何がいい? たしか、猫探しゲーの新作出てたけど」
「あ、やりたい!」
「一緒にやろうか」
「うん!」
何が正しいかなんて、わからない。
でも、このまま落ち込み続けることが正解だとは思わない。
現実から目を逸らす時間が、俺たちには必要だ。
そう思った。
373
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:50:41 ID:QQU5BPj60
2025年1月28日(火)
「あぢー……」
「はちーねえ……」
温湿度計に視線を向ける。
「うわ」
「?」
「30℃あるんですけど……」
「……なつ?」
「真夏日」
もっとも、暑いのは、うにゅほを膝に乗せて抱き締めているせいもあるのだけど。
天井を見上げる。
サーキュレーター付きのシーリングライトが、今日も元気に回転していた。
「舐めてたな。サーキュレーターの暖房効率……」
「うん。そうふうき、すとーぶより、ちからよわいよね?」
「そのはず」
今年の冬は、石油ファンヒーターではなく、温風機能のある送風機を使っている。
結果的に正解だ。
ファンヒーターとサーキュレーターが合わされば、真夏日どころか猛暑日に達する可能性すらあるのではないか。
「ほんと、買ってよかったな。夏は夏で扇風機になるし」
「そうふうきもあるから、だぶる!」
「約束された夏じゃん」
「ねー」
「……夏、か」
「──…………」
「──……」
考えない。
口にしない。
それが、暗黙の了解だ。
「……喉渇いたなあ」
「たんさんすい、のも」
「ああ」
パソコンチェアを軽く移動させ、冷蔵庫を開く。
取り出した炭酸水をひとくち飲んだあと、うにゅほに手渡した。
「飲むか?」
「のむー」
未来のことは、考えない。
まだ、考えない。
いつか来るかもしれない悲しみに、倒れないために。
374
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:50:58 ID:QQU5BPj60
2025年1月29日(水)
俺とうにゅほのAppleWatchは、バンドを純正ではなくコンパチブルのものに替えている。
俺は、カラフルな編み込みのバンド。
うにゅほは白い編み込みのバンドで、同時に購入したものだ。
自分の手首を見て、思う。
「さすがに汚れてきたなあ……」
「なにが?」
「ほら、AppleWatchのバンドだよ」
「んー……」
うにゅほもまた、自分の手首に視線を落とす。
「ほんとだ。きたないかも……」
「毎日十数時間は着けてるんだし、さすがに──」
と、バンドの匂いを嗅いでみる。
「……あ、臭いわ」
「ほんと?」
「そこそこ臭い」
「かがして!」
「ええ……」
まあ、いいけど。
うにゅほに手首を差し出す。
すんすんすん。
「くさい」
「だから言ったじゃん……」
「あらえるのかなあ」
「洗うにしても、替えのが欲しいな。同じの買うか」
「うん。このばんど、おきにいりだし」
「了解」
Amazonの注文履歴から遡り、同じ商品をカートに入れる。
「──…………」
うにゅほが、自分の手首を鼻先に当てた。
「……あー」
「臭いか」
「くさくない!」
「本当に?」
「……くさくない」
「嗅がしてみ」
「それはだめ」
「俺の嗅いだじゃん……」
「だめったらだめ」
「はいはい」
なんだなんだと乙女なうにゅほである。
375
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:51:23 ID:QQU5BPj60
2025年1月30日(木)
「……ふと思ったんだけどさ」
「?」
「もしかしたら、サラダチキンって、火通したほうが美味いんじゃね」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
「そのはっそう、なかった……」
「そうだよな。そのまま食えるから考えたこともなかった」
「でも、おいしいきーする。チキンだもん」
「だよな。あわよくば、ただのサラダチキンがチキンステーキになるかもしれない」
「おおー……」
「試してみるか」
「わたし、やくね」
「頼んだ」
料理のことなら、俺なんかよりうにゅほだ。
レンジを使って中まで加熱したあと、仕上げとして軽く焦げ目をつける。
完成したのは、まさしくチキンステーキだった。
元からブラックペッパーが散らされているので、余計にだ。
「おもったより、すてーき」
「マジでステーキだな。食べてみよう」
「うん!」
焼きサラダチキンをふたりで切り分け、食べてみる。
「美味いけど、まあ、こんなもんか」
「でも、つめたいよりおいしいね」
「だな。今度からチキン食うとき加熱しよう。手間がかかるから食い過ぎないしさ」
「そだね」
最後の一切れを口に放り込み、噛む。
じゅわ。
口内で肉汁が溢れ出た。
皮の部分だ。
「××、ここ美味い。皮ついてるとこ、ダンチで美味いわ」
「ほんと?」
ぱくり。
「おいしい……!」
「これ、ちょっと脂ついてるチキンのが美味いな。パサパサなのは、焼いてもパサパサだ」
「しっとりしてほしいね」
「しっとりしていってね」
「ゆっくりだ」
「なんとなく」
焼きサラダチキン、おすすめです。
376
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:51:41 ID:QQU5BPj60
2025年1月31日(金)
AppleWatchのコンパチブルバンドが、あっと言う間に届いた。
いま使っているものと、そっくり同じ商品だ。
開封し、新旧両方のバンドを比較してみる。
「うーわ、こんな汚れてたのか……」
「いろ、ぜんぜんちがうね」
「そら臭うわけだわ」
AppleWatchからバンドを外し、新品と交換する。
「うん」
「うん」
「……まあ、特に言うことはないな」
「そだね」
装着感や使用感が変わるわけでもない。
ただ、臭くなくなっただけだ。
「ふるいの、これ、あらっていい?」
「いいけど、洗えるもんか?」
「つけおきあらいにする」
「あー」
「いろ、きれいになるか、わかんないけど……」
「でも、臭いは取れるだろ」
「うん」
「なら、お願いしようかな。今度から、月に一回くらいは交換して洗おう。二本あるんだから」
「だねー」
「……古いほう、どのくらい洗ってなかったか、わかるか?」
「うと、さんかげつくらい……?」
「半年」
「はんとし!」
「そら汚れるよ……」
「ぜんぜんきにしなかったね……」
「洗うとか、考えもしなかったなあ」
不衛生極まりない。
月に一度の交換洗浄、忘れないようにしなければ。
377
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/01(土) 20:52:24 ID:QQU5BPj60
以上、十三年二ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
378
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:35:16 ID:th5VR3Uc0
2025年2月1日(土)
弟の見舞いへ行った帰りの車内で、俺とうにゅほは深々と溜め息をついた。
「はァー……」
「よかったー……」
前に会ったときより、僅かに、しかし確実に状態は良くなっている。
「……ほんとに、ほんとに、しんじゃうかとおもった」
「ああ……」
だが、これが永続的なものなのか、それとも単なる小康状態に過ぎないのか、わからない。
わからないからこそ、不安は口にできない。
無駄な杞憂をうにゅほに抱かせたくないからだ。
「かえりたいって、いってたね」
「気持ちはわかるけどな。俺も、一昨年検査入院したときは、一刻も早く帰りたくて仕方なかった」
「つらかった」
「俺より××のがやられてたかもな……」
「うん」
弟や父親に無理を言って、二週間、毎日お見舞いに来ていたのだ。
つくづく俺から離れられない子である。
立場が逆なら俺もそうするから、結局は共依存なのだけれど。
「さっさと退院してほしいのは、こっちも同じだよ。いないと落ち着かない」
「わかる」
「不意にいないこと思い出すと、一気に寂しくなるんだよな……」
「わかる……」
家族とは、きっと、そういうものだ。
「……はやく、よくならないかな」
「そうだな」
「あ、つるとかおる?」
「千羽鶴か?」
「うん」
「喜ぶと思う?」
「……おもわない」
「だろうな」
込められたものが重いぶん、処理に困るだけだ。
「それで全快するんなら、いくらでも折るさ」
「うん……」
だが、現実は甘くない。
俺たちにできるのは、待つことだけだ。
無力かもしれないが、そうだ。
弟が退院したときに、「おかえり」と言ってやるために。
379
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:35:40 ID:th5VR3Uc0
2025年2月2日(日)
「せつぶんだよー」
「え?」
カレンダーを見る。
「まだ2日なんだけど……」
「ことしのせつぶん、ふつかだよ」
「そうなの?」
「テレビでいってた」
「……去年もそうじゃなかったか?」
「えー?」
うにゅほが小首をかしげる。
「きょねんー……、では、ない」
「一昨年?」
「おととしかも」
「調べてみるか」
「うん」
こんなとき、毎日の記録を残していると便利だ。
日記を遡っていく。
2024年──違う。
2023年──違う。
2022年──違う。
2021年──
「あ、2021年だ」
「え、よねんまえ……?」
「四年前……」
「じかんたつの、はやいね……」
「マジでな」
以前、2月2日に節分があったことは覚えている。
まさか、それが四年前のことだなんて、時が経つのは本当に早い。
「次は四年後だってさ」
「よねんごも、きょねんあったっていってそう……」
「……言ってそうだな」
ただ、確実なことがある。
四年後も、俺とうにゅほは一緒にいるだろう。
……生きていれば、だけれど。
380
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:36:00 ID:th5VR3Uc0
2025年2月3日(月)
冷蔵庫を開くと、いぶりがっこのタルタルソースなるものがあった。
「お、なんかある」
「たるたる?」
「タルタルソース。美味そうだな……」
「こりこりして、おいしいよ」
「××は何で食べたんだ?」
「ゆびで」
「ああ、味見……」
「つけるものなくて……」
「ふうん?」
再び、冷蔵庫を漁る。
タルタルソースと言えば揚げ物だが、都合良く入っているわけもない。
「試したいんだけど……」
そんなとき、ふと、あることを思い出した。
「豆腐だ」
「え、とうふに?」
「ああ。オモコロチャンネルで合うって言ってた気が……」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「たるたるぼーいずだ」
「そうそう。絹ごし豆腐あるから、試してみようぜ」
「ためそう、ためそう」
絹ごし豆腐を適当に切り、皿に盛る。
そして、いぶりがっこのタルタルソースをふんだんに乗せ、口へ運んだ。
「──…………」
なるほど。
「おいしい?」
「××も食べてみ」
「うん」
「ほら、あーん」
「あー」
ぱくり。
もくもく。
「あ、おいしい」
「マジで美味しいな、これ。豆腐がクリーミーになる」
「とうふとあうの、ふしぎだね……」
「それは思う」
普通のタルタルと合うかはまだ試していないが、少なくともいぶりがっこ入りのタルタルソースと豆腐は非常にマッチする。
読者諸兄も試してみてはいかがだろう。
381
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:36:21 ID:th5VR3Uc0
2025年2月4日(火)
HD-2Dリマスター版のドラクエⅢのプレイ動画を眺めていたとき、ふと、膝の上のうにゅほがこちらを振り返った。
「どらくえすりー、かうっていってなかった?」
「あー……」
言った。
たしかに、欲しいと言った。
「かわないの?」
「なんか、評判が微妙でさ。二の足踏んでるうちに……」
「びみょうなんだ」
「評価は、まあ、人による。面白くないってことはなさそうなんだ。動画とか見てると」
「ふんふん」
「でも、それは単純に、元のゲームが面白いだけって意見もあるんだよな……」
「うーん」
「変に情報仕入れずに、有無を言わさず買えばよかったかも。賛否両論あるのは普通なんだから」
「かわない?」
「……安くなったら?」
「そかー」
「もしかして、一緒にやりたかった?」
「ちょっと」
「──…………」
悪いことしたかな。
「わたしと、◯◯のなまえつけて、ふたりたびしたかった」
「それ、難易度高いなんてもんじゃないからな」
「そなの?」
「ドラクエⅢは四人パーティ前提のバランスだから。勇者一人旅とかもできることはできるらしいけど、かなりきつい」
「ふたりなら、いける!」
「何を根拠に?」
「わかんない!」
うにゅほが、うへーと笑う。
「……俺を困らせて遊んだな?」
「そんなこと……」
「ない?」
「ある」
「おらあ!」
「うひ! ふひ、うひゃひひひひひ!」
くすぐり倒してやったぜ。
382
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:36:43 ID:th5VR3Uc0
2025年2月5日(水)
ドライヤーで髪を乾かし、パソコンチェアに腰掛ける。
「♪〜」
当たり前のように、うにゅほが俺の膝に腰を下ろした。
ように、と言うか、当たり前なのだが。
うにゅほがずり落ちないように左腕で腰を抱き寄せ、右手でマウスを握る。
YouTubeを見ながらのんびりしていたとき、ふと思い出した。
「あ、ヒゲ」
「またそるのわすれたの?」
「また忘れた……」
俺はヒゲが薄い。
産毛しか生えないから、いつになっても剃る習慣が身に付かない。
ここ一週間ほど、毎日剃り忘れているのだった。
「電動シェーバー、売らなきゃよかったな……」
「うっちゃったもんね……」
「とは言え、大して使ってもなかったし」
「そだけどね」
あまりに使わないから駿河屋に売却してしまったのだが、こういうときは恋しくなる。
「またかう?」
「でも、もったいなくないか。俺が風呂場でヒゲ剃るの忘れなきゃいいだけだし」
「でも、わすれるし……」
「……まあ、うん」
言い訳のしようがない。
「いちおう、安いのないか調べてみるか……」
「うん」
Amazonを開き、"シェーバー"で検索してみる。
「たっかあ……」
「にまん、さんまん、するね……」
「安いのもあるけど、これ絶対サクラチェッカーでアウト判定出る。見なくてもわかる」
「あ」
うにゅほが、ある商品を指差した。
「こういう、ちいちゃいのは?」
それは、いわゆるモバイルシェーバーと呼ばれるものだった。
「◯◯のひげ、ふかぞりとかいらないし……」
「たしかに」
調べていくとブラウン製のものがあり、価格も六千円と安価だった。
「これいいな……」
「かう?」
「買ってみるか」
と言うわけで、お買い上げである。
シェーバーが届くまでに、俺は風呂場でヒゲを剃れるのだろうか。
……忘れそうだな。
383
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:37:07 ID:th5VR3Uc0
2025年2月6日(木)
「ヤンデレ」
「やんでれ?」
「ヤンデレって、どう思う?」
「いきなり……」
尋ねた理由は特にない。
ふと思い付いただけだ。
「だめだとおもう」
「ダメか」
「あいてのこと、かんがえないと」
「××みたいに?」
「わたしみたいに」
うにゅほが得意げに胸を張る。
「そうだよな。××ほど俺のこと考えてくれる子、他にいないもんな」
「うへー」
なんなら、俺自身より俺のことを理解している。
体調が悪いときなど、自分で気付く前に、うにゅほに先に指摘されることすらあるくらいだ。
「やんでれ、あいてのこと、こまらせるから、だめ」
「でも、好きだからやってるんだぞ」
「こまらせるのは、あいてのこと、かんがえてない……」
「……たしかに」
シンプルながらも真理を突いている。
相手のことを考えるのなら、自分の衝動を抑えるべきだ。
それができないのなら、抱いているのは愛情ではなく、ただの自己愛に過ぎない。
「でも、ちょっとだけなら体験してみたいよな」
「えー……?」
「××、ちょっと病んでみて」
「むりいう!」
「無理か……」
「やんでれ、あんましくわしくないし……」
「でも、俺が可愛い女の子と仲良さそうに話してたら?」
「──…………」
「病む?」
「や、……まない。あとでかんけいきくけど……」
「そっかそっか」
やきもちを焼いてくれるのは、素直に嬉しい。
「じゃあ、わたしが、しらないいけめんとなかよくはなしてたら?」
「え、間に入る……」
見守るのとか絶対無理。
「……ふへ」
うにゅほが嬉しそうに微笑む。
もしかすると、ヤンデレの素養があるのは、うにゅほより俺のほうなのかもしれない。
384
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:37:30 ID:th5VR3Uc0
2025年2月7日(金)
「……そう言や、そろそろバレンタインだな」
うにゅほの顔を、ちらりと見やる。
「バレンタインだなー」
「ばれんたいんだねー」
「……ある?」
「ないわけない……」
それはそうなのだが、意中の相手からチョコレートをもらえるか否か、ドキドキしてしまうのが男の子というものなのだ。
「今年はどんなチョコだ?」
「うーと、てづくりにしようとはおもってる……」
「ほうほう」
「◯◯、どんなチョコいい?」
「うーん……」
正直、うにゅほがくれるものならば、なんでもいいと思う自分がいる。
だが、これはうにゅほの求める答えではないだろう。
「……そうだな。××、リーシーズって憶えてる?」
「りーしーず……」
小首をかしげたうにゅほが、すぐにうんうんと頷く。
「あめりかの、チョコ」
「そうそう」
「おいしそうだったねー」
「ああ。カップ型のチョコの中にビーナッツバターが入ってるんだ」
「!」
「あれ、再現できないかな……」
「なるほど」
数秒ほど虚空を見つめ、声を出さずに唇を動かす。
「──うん、できる」
「できそうか」
「ほんもののあじと、おなじじゃないけど……」
「そんなにわがまま言わないよ。××がくれるものだし」
「そか……」
心の底からの本心だ。
「でも、楽しみだな。リーシーズ食べたことないからさ。でも、アメリカのチョコだからな。普通に××が作ったほうが美味しかったりして」
「そんなことないよー……」
わりと十二分にあり得る事態だろう。
アメリカのお菓子って、大雑把だからなあ。
ともあれ、これでますますバレンタインデーが楽しみになるのだった。
385
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:38:03 ID:th5VR3Uc0
2025年2月8日(土)
「◯◯、◯◯!」
うにゅほが、寝室側から俺を手招く。
「んー?」
パソコンチェアを滑らせ、うにゅほの傍まで行く。
「どした」
「しんめ、でてる!」
うにゅほが指差したのは、俺が誕生日にプレゼントしたサボテンの寄せ植えだ。
見れば、バニーカクタスに幾つかの新芽が生えていた。
白い帽子をかぶっているようで、なかなか可愛い。
「かわいいねえ……」
「ああ、可愛い」
うっとりとサボテンを見つめるうにゅほが。
「こんどは、ちゃんと、おっきくなってほしいな」
「ああ。前のは徒長しちゃって、結局切り落としたもんな」
「ひあたり、わるいのかな」
「悪くはないだろ。もっといい場所はあるけど置けないし。徒長の原因は、たぶん、季節的に日照時間が短かったせいだろうな」
「なるほどー……」
「だから、夏に近付くにつれ、ちゃんと生育するようになるはずだぞ」
「そか!」
ひとまず安心したのか、うにゅほがバニーカクタスの新芽を撫でる。
「おっきくなーれ」
「なるかな」
「わかんない」
まあ、そんなもんだろう。
植物に音楽を聴かせる人もいるのだし、もしかすると効くかもしれない。
「♪〜」
機嫌良さそうに寄せ植えを見つめるうにゅほを見ていると、細かいことは気にならなくなってきた。
「可愛いなあ」
「うん、かわいい」
自分が褒められていることに一向に気付かないうにゅほだった。
386
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:38:25 ID:th5VR3Uc0
2025年2月9日(日)
数日前に注文したモバイルシェーバーが届いた。
「おー……」
うにゅほが本体に興味を示しているあいだに、説明書を軽く読む。
ある程度内容を把握し、うにゅほの手からシェーバーを抜き取った。
「あ」
「さっそく使ってみるか」
「うん!」
剃るべきは、やはり、顔の産毛だろう。
注文後も入浴時に剃るのを忘れ続けたため、近くで見ればわかる程度には濃くなってしまっている。
「まず、顔洗ってくるわ」
「うん」
洗面台で顔の皮脂を洗い流したあと、シェーバーの電源を入れる。
そして、適当に顎に触れさせた。
「……なるほど」
剃った場所を指でなぞると、どれくらい剃れたかがわかった。
「さわっていい?」
「いいぞ」
うにゅほが、俺の顎に触れる。
「……そんなそれてない?」
「なんかな」
「ふりょうひん……?」
「たぶん、使い方があるんだと思う。俺が下手なだけだ」
「そかな」
それから何度か往復させると、だんだん産毛がなくなってきた。
「ほら、剃れてきた」
「よかったー」
なんだかんだ、六千円の出費である。
それなりに痛い。
「かってよかった?」
「まだわからんけど、十分かな。T字カミソリだと血が出ることあるし」
「ひげそるの、へた……」
うにゅほのほっぺたをむにりとつまむ。
「ヒゲ剃ったことないくせによー」
「ふふぇふぇ」
まあ、剃るほど生えられても困る。
うにゅほはこのままでいいのだった。
387
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:38:56 ID:th5VR3Uc0
2025年2月10日(月)
ふと思い出し、話題に上げる。
「そう言えば、カールって販売終了してたよな」
「かーる」
「カール」
「かーるって、たべたことないかも……」
「……マジで?」
「まじ」
「いや、でも、そうか。カールって自分で買った記憶ないわ」
カールは、2017年に東日本での販売が終了したらしい。
うにゅほが我が家に来たのは2011年のことだから、その六年間にカールを購入していなければ、十分にあり得ることだ。
「かーる、おいしいの?」
「まあまあ美味い。絶品ってほどではないけど……」
「そなんだ」
「なんか、びっくりした」
カールなんて、誰しもが食べていて当たり前だと思っていた。
「……でも、そうか。だからカールは販売終了したのかもな」
「?」
小首をかしげるうにゅほに告げる。
「あって当たり前過ぎて、みんな買わなかったんじゃないか。俺もそうだし」
「あー……」
「少なくとも、俺は、六年間は買ってなかった」
「それは、しゅうりょうするね……」
「だろ」
「たべてみたかった、かも」
「西日本では売ってるし、Amazonでも買えたと思うけど、そこまでするほどじゃないかな。××がどうしてもって言うなら取り寄せるけど」
「どうしても、ではない」
「だろうな……」
Amazonで価格を確認する。
ある程度のまとめ売りで、一袋200円を超えていた。
買えないほどでは決してないが、そんなにたくさんはいらないのだ。
「……まあ、機会があればだな」
「うん」
恐らく、その機会は来ないだろう。
機会なんて、自分で作らなければ訪れないものだ。
388
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:39:19 ID:th5VR3Uc0
2025年2月11日(火)
「うわ」
「ひえー……」
興味本位で昆虫食の動画を開いてしまった。
とは言え、昆虫食の自動販売機で購入したものを食べる動画なので、絵面的にそこまで嫌悪感はない。
ガチの昆虫食系の動画なら開かないし、ましてうにゅほに見せることなんて絶対にあり得ない。
「かぶとむし、つちくさいんだ……」
「それは聞いたことあるな。ナイトスクープか何かで、カブトムシの幼虫食う回があってさ」
「うえー」
「幼虫も成虫も土臭いんだな……」
「たべたくないね……」
「食べたくない」
ふたりでのんびり動画を見ていると、うにゅほが尋ねた。
「かりに、たべなきゃいけないなら、なにたべる?」
「あー……」
「あ、むしのまんまのやつ」
「……コオロギ練り込んだせんべいとかはダメってこと?」
「だめ」
逃げ場を奪われた。
「そうだなあ……」
となれば、二択だ。
「ハチノコかイナゴの佃煮だけど、僅差でハチノコかな。美味しいらしいし」
「なるほどー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「××はどうする?」
「わたしも、おなじ」
「……俺の答え聞いてから決めたろ」
「うん」
悪びれもしない。
「じゃあ、ハチノコ以外で」
「……つくだに?」
「まあ、そうなるか」
「あじは、つくだにだとおもうし……」
「目を閉じて食えば、なんとかなる気はする」
「でも、たべたくはない」
「食べたくはないよ、そりゃ」
「でも、たがめさいだーは、のんでみたいかも」
「ちょっとわかる」
フルーティな香りがするらしい。
いちばん抵抗なく飲食できるのは、間違いなくタガメサイダーだろう。
買う気は一切ないが。
389
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:39:49 ID:th5VR3Uc0
2025年2月12日(水)
「──……んが」
正午過ぎに目覚め、身を起こす。
「あ、おはよー」
「おはよう……」
顔を洗い、歯を磨き、寝癖を整えて自室に戻る。
パソコンチェアに腰掛けると、うにゅほが俺の膝に腰を下ろした。
「……うん?」
甘い匂いがする。
すんすんと鼻を鳴らし、気が付いた。
「チョコだ」
「あ、わかる?」
「××、チョコ作ってた?」
「つくってたー」
うへー、と笑ってみせる。
「前に言ってた、ピーナツバター入りのやつ?」
「うん、そだよ」
「本当に作れるんだな……」
ナッツなどの固形物ならともかく、ピーナツバターをどうやって中に入れたのだろう。
気になる。
「えーと、どんな感じで作ったんだ?」
「?」
「方法。パッと思い付かないんだけど……」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
質問の意図を理解してくれたらしい。
「まず、ふつうにチョコつくるしょ。とかしたの、かたにいれて……」
「ああ」
「それで、いっかいかためる」
「固めるのか」
「うん。はんぶんくらいかたまったとこで、スプーンでほじって、あなあけて、そこにぴーなつばたーいれる」
「ああ、そういうことか!」
「さいごに、チョコでふたして、かためて、できあがり」
「なるほど……」
やはり、手間が掛かっている。
感謝してもしきれないな。
「味、どうだった?」
「それは、あさって、たのしみにしててね」
「そっか」
明後日はバレンタインデー。
うにゅほの手作りリーシーズ風チョコレート、楽しみだ。
390
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:40:09 ID:th5VR3Uc0
2025年2月13日(木)
今日は、午後三時から受診だった。
ぐずついた天気の下、三十分ほどかけて悪路を踏破し、やっとのことで病院へと辿り着く。
「間に合ったか……」
「よかったー」
「まあ、べつに遅れてもいいんだけどさ」
一時間も二時間も遅れさえしなければ、特に何も言われない。
睡眠時無呼吸症候群での通院では、早く来ても遅く来ても大差はなく、医師と話してすぐ終わりとなるからだ。
受付を済ませ、待合室の椅子に腰を下ろす。
「ふー」
うにゅほが、俺の膝に腰掛けた。
「え、××……?」
「!」
うにゅほが慌てて隣の席に座り直す。
「……まちがった」
当然、わざとではない。
うにゅほは、案外、他人の目を気にする。
ふと家にいる気分になって、俺の膝に腰を下ろしてしまったのだろう。
「うー……」
両手で顔を隠すが、耳が真っ赤だ。
「大丈夫、大丈夫。受付の人、見てなかったから……」
実際のところはわからない。
だが、普通に仕事をこなしているので、見ていたところでさして気にもしていないのだろう。
「……ほんと?」
「本当だよ」
たぶん、と付け足したいところだが、今はうにゅほを慰めるのが先決だ。
「──…………」
うにゅほが、ちらりと受付を見る。
受付の女性は、視線を下に落としながら、なにやら作業をしていた。
「ほんとだ……」
「だろ。間違えることくらい誰にだってあるし、見られてないんだから気にしない」
「……うん」
ほっと胸を撫で下ろし、うにゅほが息を吐く。
よほど恥ずかしかったらしい。
病院からの帰り道でからかうと、
「いわないでよー……」
と、苦笑していた。
見ていなかったか、あるいは、見なかったことにしてくれた受付の人に感謝である。
391
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:40:32 ID:th5VR3Uc0
2025年2月14日(金)
うにゅほに向かい、両手を差し出す。
「チョコをください」
「はーい」
ベッドの下の衣装ケースから、うにゅほがクッキー缶を取り出す。
クッキー缶にはリボンが結ばれていた。
「今年もありがとうな、××……」
「いーえー」
「開けていい?」
「いいよ」
リボンを解き、クッキー缶の蓋を開ける。
敷かれたクッキングシートの上に、ドーム型のチョコレートが詰まっていた。
「おお……!」
これが、リーシーズ風の手作りチョコレートか。
「ね、たべてみて」
「もちろん」
チョコレートをひとつつまみ、前歯で割る。
すると、淡い色のピーナツバターが溢れ出てきた。
口を閉じ、味わう。
すこぶる美味い。
だが、その美味さに違和感があった。
「なんか、ピーナツバター、すこししょっぱい?」
「うん。しおいれた」
「なるほど……」
「……いれないほう、よかった?」
「いや、入れて正解だと思う。この塩味がめっちゃ合う」
「うへー……」
うにゅほが、てれりと笑う。
「××、ほんと料理上手だよな。なんでも作れるんじゃないか?」
「なんでもは、むり」
「家庭料理の範疇なら?」
「んー」
軽く思案し、答える。
「れしぴがあれば、だいたい」
「さすがだな」
「◯◯がたべてくれるから……」
「食べるよ、そりゃ。××が作ったものなら、なんでも」
「きらいなものでも?」
「苦手なものはあるけど、食えないほど嫌いなものはないしな。それに、××なら美味しく調理してくれると思うし」
「そか!」
「ほら、××もひとつどうだ?」
「あーん」
うにゅほの口に、チョコレートを押し込む。
「ふまい!」
「うん、美味い」
チョコはまだまだある。
しばらくのあいだ、この幸せが続くのだ。
392
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:40:57 ID:th5VR3Uc0
2025年2月15日(土)
「んー……」
「?」
唸っていると、膝の上のうにゅほがこちらを振り返った。
「どしたの?」
「なんか、マウスの調子が悪い……」
「あたらしいよね」
「たしか、去年の夏かな。まだ半年くらい」
「あたらしいのに……」
「うーん」
うにゅほがマウスを握ろうとしたので、自分の手をどける。
しばし操作し、
「どこ、ちょうしわるいの?」
「マウスホイールだな。コロコロのところ。回しても効かないときがある」
「ふんふん」
マウスホイールを人差し指で回し、うにゅほが頷いた。
「ほんとだ」
「なんか、反応悪いだろ」
「わるい……」
「どーすっかなあ……」
「あたらしいの、かう?」
「高いんだよ、これ。一万くらいする」
「するねえ……」
「なんか、直す方法ないかな」
そんなことを呟きながら、キーボードを叩く。
すると、GoogleのAIが"ホイールを清掃する"という答えを返してくれた。
「──ああ、たしかに!」
「そうじする?」
「ああ。前に電動エアダスター買ったけど、今までほとんど使ってなかったろ。あれの使いどきだ」
「かぜでるやつ!」
「そう、風出るやつ」
電動エアダスターを引っ張り出し、コンセントに繋いでマウスに風を吹き掛ける。
ぶおおおおおおお!
思いのほか激しい手応えと共に、マウスについたホコリがすべて吹き飛ばされていった。
「風量すご……」
「まうす、なおったかな」
「どうかな」
マウスホイールを転がしてみる。
「うお、直ってる……」
「やったね!」
「電動エアダスター、買っといてよかったな」
「うん」
今の今まで死蔵していたが、定価一万円超のマウスを復活させたとなれば、費用対効果としては十分である。
ついでにキーボードのホコリを吹き飛ばし、散らばったホコリはハンディクリーナーで吸い取った。
掃除にもいいな、これ。
393
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/02/16(日) 20:41:44 ID:th5VR3Uc0
以上、十三年三ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
394
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:37:22 ID:gGPdFzos0
2025年2月16日(日)
「うま……」
バレンタインデーにうにゅほからもらったリーシーズ風のチョコに舌鼓を打つ。
「すき?」
「好き」
「つくってよかったー」
「頼んでよかった……」
「うへー」
「ほら、××も食べるか」
「うん」
あーん、と開いたうにゅほの口に、チョコレートを押し込む。
「ほいひ」
「だよな」
残りは三分の二ほど、大事に食べなければ。
缶の蓋を閉じると、うにゅほが尋ねた。
「ほんもののりーしーず、いつとどくの?」
「あー」
実は、うにゅほがリーシーズ風のチョコレートを作るのに合わせて、本物のリーシーズをAmazonで注文してある。
食べ比べをしようと思ったのだ。
「たしか、22日まで──だったかな」
「まで?」
「までに届く」
「わかんないんだ」
「わからない」
「とどくまで、のこしとかないとね」
「そうだな。全部食べちゃったら、記憶と比べるしかなくなる」
「うんうん」
「どっちが美味しいかな……」
「うーん。さすがに、まけるとおもう」
「でも、アメリカのチョコだぞ。××のチョコのが美味しい可能性は十分ある」
「アメリカのチョコ、おいしくないの?」
「大味なイメージはあるな」
「そなんだ」
「届いたら、勝負だな」
「かてるかなあ……」
「俺は、××を応援するぞ」
「そか!」
うにゅほ謹製リーシーズ風チョコか、本物のリーシーズか。
勝つのはどっちだ。
395
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:37:54 ID:gGPdFzos0
2025年2月17日(月)
「──◯◯、なんかとどいたー」
「うん?」
それは、一片が20cmほどの小さめの箱だった。
開けてみる。
「リーシーズだ」
「え!」
うにゅほが箱を覗き込む。
「りーしーずだ……」
ピーナツバターカップ。
内側にピーナツバターを詰め込んだアメリカのチョコレートである。
「きょう、じゅうななにち。にじゅうににちまでだから……」
「随分早かったな」
「でも、これで、くらべられるね!」
「だな」
大きめのクッキー缶から、うにゅほ謹製のリーシーズ風チョコレートを二粒取り出す。
「はい、あーん」
「あー」
まずは、うにゅほのチョコレートからだ。
「美味い」
「ふまい……」
文句のつけようもなく、美味い。
そして、今度はリーシーズのチョコレートを口へ運ぶ。
小さめのチョコレートを、前歯で半分に断ち割った。
「おお、ピーナツバターだ……」
「あじふるね」
「美味い美味い」
こちらも、ピーナツバターに塩気がある。
文句なしに美味かった。
「……あの、◯◯。どっちおいしい?」
「んー……」
「あいじょうほせい、なしで」
「それナシかあ……」
実際、かなりの僅差だ。
補正を入れていいのであれば、余裕でうにゅほに軍配が上がるのだが、今回はそれを封じられている。
しばし真剣に考え、答えを出した。
「まず、ピーナツバターの量は、明らかにリーシーズのほうが多かった。これは手作りだと入れにくいから仕方ない」
「うん……」
「でも、アメリカのチョコの安っぽさはたしかにあって、××のチョコのほうが全体的に上品だった」
「うん」
「んで、リーシーズのほうに欠点がひとつ」
「なんだろ」
「……ピーナツバター、さすがに塩気強すぎ」
「あー」
リーシーズのほうだけしか知らなければ、こういうものかと思ったかもしれない。
しかし、うにゅほのチョコレートの適度な塩気を味わったあとでは、すこし大味に感じてしまう。
「だから、愛情補正ナシでも、××のチョコのが美味しいかな」
「やた!」
うにゅほが小さくガッツポーズをする。
よほど対抗心を燃やしていたらしい。
しかし、チョコとチョコとでチョコが余ってしまった。
しばらくチョコ尽くしの生活である。
396
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:38:18 ID:gGPdFzos0
2025年2月18日(火)
「大腸内視鏡検査、そろそろ受けないとな……」
「あー……」
うにゅほが、憂鬱そうに頷く。
「まえうけたの、いつ?」
「いつだっけ」
「にっきで、わかる?」
「わかるわかる」
調べた。
「──やべ、もう三年近く前だ」
「たしか、にねんにいっかいって……」
「ああ……」
俺は、大腸にポリープができやすい体質だ。
そのため、二年に一度の検査を義務づけられていた。
「は、はやくけんさしよ!」
「……でも、いつもの病院、二、三ヶ月待ちらしいんだよな。父さんが言ってた」
「に、さんかげつ……」
「春」
「そんなにまてないよ……」
「うーん」
しばし思案し、
「別の病院、探すか?」
「さがそう!」
「うちから行ける範囲で、検査と同時にポリープも切除してくれる病院か……」
ないことはないはずだ。
だが、ネットだけだとなかなか難しい。
「ちょっと時間かかりそうだな。知り合いに尋ねてみるのもアリかもしれない」
「そだね」
「××も、そのうち検査しないとダメだぞ」
「……うー」
「××の場合は、最低限女医だろ」
「おんなのせんせいじゃないと、むり」
「だよなあ」
そうなると、余計に数が限られそうだ。
「まあ、××のほうは急がなくていいだろ。今は俺のほうだな」
「みつかるといいねえ」
「ああ」
比較的ポピュラーな検査なのだから、見つからないということはないはずだ。
嫌なことはさっさと済ませてしまいたいのだった。
397
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:38:41 ID:gGPdFzos0
2025年2月19日(水)
知人に尋ねたところ、大腸内視鏡検査と同時にポリープの切除もしてくれる病院を紹介してくれた。
「お、ネットで予約できるぞ」
「ほんと?」
「とりあえず、明後日の金曜にしとくか……」
「え!」
うにゅほが目をまるくする。
「そんなすぐ……?」
「ああ、違う違う。事前診察ってのが必要で、その予約を明後日にしたんだよ」
「じぜんしんさつ」
「検査の予約を入れるための予約、だな」
「ややこしい……」
「悪い悪い」
「けんさ、いつできるかなあ」
「一ヶ月待ちくらいでなんとか……」
「さんがつ?」
「三月にできたらいいよな」
「うん……」
二年に一度検査すべきところを、そろそろ三年が経過しようとしているのだ。
恐らくだが、ポリープはあるだろう。
それは避けられまい。
「あした、びょういん」
「ああ」
「あさっても、びょういんかー」
「××、家で待ってるか?」
「なんで?」
心底不思議そうに、うにゅほが小首をかしげる。
「いや、面倒かと思って……」
「いくよ」
「あ、はい」
うにゅほが俺に付き添わないことは、基本的にない。
愚問だった。
「あした、あさなんじ?」
「九時に採血だから、八時過ぎには出ないとな」
「そか」
「さっさと終わらせて、ちゃっちゃと帰って、昼寝しよう」
「そうしよう」
病弱な自分が恨めしいのだった。
398
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:39:03 ID:gGPdFzos0
2025年2月20日(木)
「──◯◯、◯◯!」
ぱたぱたと自室に戻ってきたうにゅほが、興奮気味に告げる。
「(弟)、たいいんできるって!」
「マジで」
「うん!」
「マジか……!」
日記ではあえて書かなかったが、弟が入院したのは脳が菌に冒されたからだった。
歩くことも、喋ることもできなくなり、目すらまともに見えず、しかも原因は不明で病名も判然としない。
俺も、うにゅほも、両親も、弟の死を覚悟していた。
うにゅほとふたり、幾度涙を流したかわからない。
それほどの病状だったのだ。
今月に入ったあたりで徐々に快復に向かっていることがわかり、なんとか胸を撫で下ろすことができたが、先月下旬の日記はひどかった。
読み返してみたが、明らかにメンタルがやられている。
もし心配してくださった方がいたら、申し訳ない。
「ほんと、よかったなあ……」
「うん……!」
とは言え、まだ安心はできない。
退院イコール完治ではないからだ。
だが、それを今、うにゅほに告げる必要はないだろう。
「喪服どうする、みたいな話まで出てたもんな。今となっては笑い話だけど」
「すーごい、やだった……」
「俺も嫌だったよ……」
弟の死が、そこまで迫っているように感じられていたのだ。
「はやく、かえってこないかなー」
「楽しみか?」
「うん」
「きっと、(弟)も楽しみだろうな。家大好きだから」
「うん!」
いちおう、今月いっぱいで退院できると聞いている。
大いに出迎えてやろう。
そう思った。
399
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:39:29 ID:gGPdFzos0
2025年2月21日(金)
大腸内視鏡検査の予約をしてきた。
「さんがつ、じゅうににち」
「3月12日だな」
「よやく、はやくとれたね!」
「その代わり、病院そこそこ遠いけどな……」
悪天候に見舞われたと言え、車で四十分だ。
雪さえ解ければ二十分で行ける距離だが、三月中旬では微妙なところだろう。
「あと、ぽりーぷあっても、にゅういんしなくていいんだよね?」
「ああ。それでかいよな……」
「うへー……」
助手席のうにゅほが嬉しそうに微笑む。
これまで大腸内視鏡検査を依頼していた病院では、ポリープを切除した場合、一泊二日の入院を強いられていたのだ。
「でも、だいじょぶなのかな。にゅういん……」
「今まで何度もポリープ切除してるけど、何もなかっただろ。入院も、万が一に備えてって感じなんだろうし」
「そか」
「さっさと済ませて綺麗な体になりたいよ」
「ねー」
「──しかし、腹減ったな。もうすぐ昼だし、何か食べるか?」
「たべる!」
「何がいいかな……」
「んー」
「特になければコンビニで適当に」
「まって、まって」
「はいはい」
結局、食べたいものを選びきれず、ある程度のクオリティが保証されているコンビニへと立ち寄ることとなった。
「コンビニのチャーハン、美味いのかな」
「おいしいとおもう」
「じゃ、俺はチャーハンと、なんか甘いものでいいや」
「わたし、メロンパンがいいかも」
「パン見るか」
「うん」
車内で昼食をとり、帰宅した。
セブンイレブンのチャーハンは、まあまあ美味しかった。
400
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:40:01 ID:gGPdFzos0
2025年2月22日(土)
カレンダーを見て、気付く。
「お、猫の日だ」
「ほんとだ」
膝の上のうにゅほが、軽く猫のポーズを取る。
「にゃん」
「おおー……」
「にゃんにゃん」
「可愛いぞ」
「なあん……」
思わず、うにゅほの顎の下を撫でる。
「ごろごろごろ」
「口で言うんだな、それ」
「でないもん……」
そりゃそうだ。
「関係ないけど、なんか、肋骨の下あたりが痛いんだよな……」
「え、だいじょぶ?」
「痛みとしては大したことなくて、たまに鬱陶しい程度」
「びょういん、いく?」
「この程度で病院はなあ……」
「うーん」
軽く思案し、うにゅほが言う。
「ちゃっと、じーてぃーぴーにきいてみる?」
「GPTな」
「どっちかわからなくなる」
「グプタって覚えよう」
「ぐぷた、ぐぷた……」
ChatGPTを開く。
「右の肋骨の下あたりが痛みます。痛みの程度はすこし鬱陶しい程度です。どんな原因が考えられますか──っと」
すぐさま回答が返ってくる。
「なるほどなるほど……」
「なんて?」
「読めよ……」
「なんか、こわい」
弟のことがあったからなあ。
「まあ、いろいろ原因は考えられるけど、違和感程度なら数日間様子見ろってさ」
「そか……」
実際、気付けば治っている程度の症状だと思っている。
ここから重篤な病気が発覚することはないだろう。
「ほら、××。猫の日猫の日」
「にゃん……」
律儀に猫の真似をしてくれるうにゅほが愛おしいのだった。
401
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:40:23 ID:gGPdFzos0
2025年2月23日(日)
「つー……」
右側の肋骨の下が、痛い。
痛み自体は昨日からあったのだが、徐々に強くなってきている。
「◯◯、だいじょぶ……?」
「大丈夫、ではある。まだ」
「まだ……」
「どんどん痛みが強くなってきてるんだよな……」
「びょうき……?」
「内臓の病気ではないと思う。こう、表面のほうが痛いんだよ。触れただけで痛い」
「わ、わたし、おりる!」
うにゅほが慌てて膝から降りる。
気にしなくてよかったのだが、うにゅほは気にする子だ。
「やっぱ、肋軟骨炎かな……」
「ろくなんこつえん」
「胸骨と肋骨のあいだに軟骨があるんだけど、そこに炎症が起きる症状だよ。位置的にも合ってるし」
「びょういん、いく?」
「今日は日曜、明日は祝日」
「……◯◯、こういうのおおい」
「そうなんだよな。どこかが痛み始めるのって、たいてい金曜とか土曜なんだよ」
「なんでだろ」
「神様は俺のことが嫌いなんだろ」
「そうなのかな……」
実際、好かれている気はまったくしない。
「××、湿布貼ろう湿布」
「あ、はろう!」
いつかの余りのロキソプロフェンテープを、右の肋骨の下にぺたりと貼ってもらう。
「きくかなあ」
「肋軟骨炎なら効くし、ないとは思うけど内臓の病気だったら効かない」
「きいてほしいな……」
貼ってから小一時間で効果が表れた。
「──あ、痛みがマシになってる」
「ほんと?」
「ああ。内臓は関係ないな、これ」
「そか!」
単なる炎症であれば、余ったテープを貼り続ければいい。
さらに症状が悪化することさえなければ、わざわざ病院へ行く必要もないだろう。
ひとまず安心だ。
402
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:40:49 ID:gGPdFzos0
2025年2月24日(月)
「◯◯、ろくなんこつえん、だいじょぶ……?」
「あー」
右肋骨の下部に触れる。
「触ると痛いな。でも、触らなければ平気。昨日より痛みは治まってるかな」
「よかったー……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「ほら、膝乗るか?」
「でも」
「左に体重預ければ平気だって」
「……うん」
膝の上に腰を下ろしたうにゅほを、左腕で抱き留める。
「ほら、平気だ。痛くない」
「うん!」
要は、患部に触れなければいいのだ。
「はふー……」
うにゅほが、安心したように、深く息を吐く。
「ここが××の定位置だもんな」
「うん」
「座椅子、最近あんまり使ってない?」
「つかってない。◯◯ねてるとき、ぱそこんちぇあにすわってるから……」
「そうなのか」
「すわりごこち、いい」
「わかる」
俺のチェアは、腰も尻も痛くならないよう、かなりカスタムしてある。
どうやら、うにゅほの体にも合っているらしい。
「俺が寝てるとき、××は何してるんだ?」
「うーと、あいぱっどとか、たまにぱそこんもつかってるよ」
「へえー」
「ゆーちゅーぶ、おっきいがめんでみたいから……」
ちなみに、俺のPC内のエロいものは、既にうにゅほに把握されている。
故に慌てる必要はないし、そもそも勝手に使っていいと許可を出している。
いまさらなのだ。
「最近、紙の本読んでないよな」
「そだね。でんししょせき、ばっか……」
「楽なんだよなあ……」
以前は紙の本にこだわっていたが、だんだんと電子書籍でしか本を読まなくなってきている。
「これも時代の流れか」
「そだねえ」
本棚にある三千冊の書籍も、いつか処分する日が来るのだろうか。
来るかもなあ。
403
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:41:15 ID:gGPdFzos0
2025年2月25日(火)
「××、欲しいものがあるんだ」
「なにー?」
「ハンディクリーナー」
「……?」
うにゅほが小首をかしげ、レイコップのハンディクリーナーを指差す。
「ある……」
「あるけど、不満もあるだろ」
「ふまん……」
「まず、吸引力がすこし弱い」
「それは、うん」
「あと、吸ったゴミを掃除するのが大変」
「あ、それはある」
愛用しているレイコップのハンディクリーナーは、ゴミの集まる部分と吸引部が分かれていない。
ゴミを捨てるのが非常に煩雑だし、衛生的でもないのだ。
「だから、ここらでワンランクいいものを買いたいな、と」
「なら、はんぶんだすよ」
「いいのか?」
「うん!」
「じゃあ、すこしお高めのも狙えるな。いいやつ探そう」
「さがそう、さがそう」
Amazonを開き、ハンディクリーナーで検索していく。
こうして、何を買うかふたりで相談している時間が、買い物のなかでいちばん楽しい。
「──お、これいいんじゃないか? SharkのEVOPOWER」
「しゃーぷ?」
「シャーク」
「さめ」
「サメだな、うん」
うにゅほに画像を見せる。
「ほら、ボタンひとつで簡単ゴミ捨て。ダストカップは取り外して水洗い可能だって」
「あ、いい! これいい!」
「いいだろー」
「これにしよ」
よほど気に入ったらしい。
と言うか、ダストカップの存在しないレイコップのハンディクリーナーに、密かに不満を抱いていたらしい。
「本体が一万八千円。フィルター入れたら概ね二万円だな。ひとり一万円なら余裕だろ」
「うん、よゆう」
「よし、お買い上げだ!」
新たなハンディクリーナーをポチる。
Amazonによれば、届くのは日曜日のようだ。
楽しみである。
404
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:41:38 ID:gGPdFzos0
2025年2月26日(水)
「あ」
カレンダーを見上げたうにゅほが、ふと呟く。
「にーにーろくじけんだ……」
「××、二・二六事件のこと知ってんの?」
「うへー」
知らないらしい。
「まあ、名前だけは有名だもんな」
「◯◯、しってるの?」
「……ずーっと昔に、なんか、関連する動画を見た記憶がある」
「おぼろげ」
「そんなもんだ」
「そんなもんかー」
つん。
うにゅほが、俺の右腹に触れる。
「なんろっこつえん、だいじょぶ?」
「あー……」
「?」
「忘れてた。つーか、治った。もう痛くない」
「いたくないの?」
「平気」
「しんぱいかけてー……」
「悪い悪い」
「◯◯のせいじゃ、ないけど」
「原因がわからん。打ったわけでも、攣ったわけでもないのに……」
「うーん」
「××、原因不明で体が痛くなることってあるか?」
「ない」
「ないか」
「おぼえてない」
「あるかもしれないのか」
「わかんない」
正直である。
「何かあったら、すぐ言えよ。××みたいに普段健康だと、いきなりでかいの来そうで怖い」
「わかった、いう」
素直である。
俺は病気をしてもいいから、うにゅほだけは健康であってほしい。
うにゅほは逆のことを思っていそうだけれど。
405
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:42:19 ID:gGPdFzos0
2025年2月27日(木)
「◯◯、とどいたー」
「うん?」
長い箱を小脇に抱えたうにゅほが、自室の扉を開く。
「はんでぃくりーなー!」
「早ッ!」
届くの、日曜じゃなかったんかい。
「最近、あれだな。Amazon、お届け日を遅めに言うことにしたんだな」
「はやいぶんには、おこられないから?」
「たいていはな。場合によるとは思うけど」
「でも、おそいと、ぜったいおこられるもんね……」
「それはそう」
ダンボール箱を開封し、新しいSharkのハンディクリーナーを取り出す。
「おっきい」
「シャープなデザインだな」
「え、しゃーく……」
「Sharkはブランド名。俺が言ってるのは、デザインの話」
「あ、そか」
ややこしい。
「◯◯、みて! わんたっちでごみすてれる!」
うにゅほが、親指で、ダストカップボタンをスライドさせる。
すると、ガコンと音がしてダストカップが開いた。
「いいな!」
「いいね!」
レイコップのハンディクリーナーには、たしかにお世話になった。
2024年の今年買ってよかったものランキングの第一位にも選んだ。
だが、ゴミの捨て方を始めとして、不満点も多かったのだ。
Sharkのハンディクリーナーは、倍額以上の価格もあいまって、それらの不満点をほぼ一掃している。
完全な上位互換である。
床を掃除しながら、うにゅほがこちらを見上げる。
「まえのはんでぃくりーなー、どうしよっか」
「そうだなあ……」
軽く思案する。
「明日、(弟)が退院してくるから、欲しいって言うなら貸してやろう」
「いらないっていったら?」
「仕舞っておくしか……」
「そかー……」
何かの形で役立てたいが、ハンディクリーナーは自室に二台もいらない。
悩みどころである。
406
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:42:50 ID:gGPdFzos0
2025年2月28日(金)
「──◯◯、◯◯」
「んが」
肩を揺すられ、目を覚ます。
「どした……」
「おとうさんと、おかあさん、(弟)むかえにいったよ」
「ああ……」
今日は、弟の退院日だ。
何もなければ午前中には帰ってくるだろう。
「おでむかえ、しよ」
「──…………」
「しよ!」
「いいけどさあ……」
身を起こし、時刻を確認する。
午前十時だ。
「さすがに早くないか?」
「はやいかな……」
「一時間は早い」
「はやいかー……」
そわそわしているのが態度でわかる。
両親共に迎えに行ってしまい、ひとりで落ち着かなかったのだろう。
まだ眠いが、仕方がない。
「なんかして時間潰すか」
「うん!」
顔を洗い、寝癖を直し、軽い朝食をとって自室に戻る。
うにゅほを膝に乗せ、いつものようにYouTubeを見ていると、気付けば一時間ほどが経過していた。
「もうかえってくるかな」
「もうすぐだよ」
「そか」
五分後、
「まだかなあ」
「もうすぐだって」
「そか……」
思わず苦笑する。
まあ、気持ちはわかるけどな。
やがて、階下から物音がした。
「!」
「おっと」
うにゅほに手を引かれ、玄関へと向かう。
開いた扉の向こうに、うにゅほが笑顔を向けた。
「──おかえり!」
407
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/01(土) 03:43:59 ID:gGPdFzos0
以上、十三年三ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
408
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:34:32 ID:8ivrO6a60
2025年3月1日(土)
「兄ちゃん、WindowsUpdateしたら──」
と、起きるなり弟から相談された。
一ヶ月ぶりにPCを起動し、WindowsUpdateを行ったところ、ワイヤレスイヤホンが接続できなくなってしまったらしい。
今回はかなりの難題で、解決に一時間半もかかってしまった。
「ほんまMicrosoft……」
ぶつぶつぼやきながら自室へ戻ると、うにゅほが尋ねた。
「また、うぃんどうずあっぷでーと?」
「まただよ、また。何度目だよ」
「あっぷでーと、しなきゃいけないの……?」
「しなきゃしないで、セキュリティリスクとかがな」
「そなんだ……」
しかし、PC歴二十年以上で、問題解決スキルだけは一人前の俺だからなんとかなっている事案が多すぎる。
普通の人は、どうしているのだろう。
「どうしてるんだと思う?」
「うと、かすたまーさーびす……」
「あー」
考えてみれば、まずは購入した店やメーカーに相談するのが自然だ。
「その発想は抜けてたな」
「ぬけてたんだ」
「だって、電話で解決できなければ、たいていはPC本体送れって言われるんだぞ。嫌じゃん」
「◯◯、ぱそこんないといきてけないもんね」
「その通り」
「だから、じぶんでかいけつできるようになったんだ……」
「そういうことだな」
「なるほどー」
「しかし、Twitterで検索したら阿鼻叫喚なんじゃないか。こんだけ問題が頻発するんだからさ」
「しらべてみる?」
「みよう」
Twitterで、"WindowsUpdate"と検索をかけてみる。
「……やっぱ、阿鼻叫喚だわ」
WindowsUpdateが終わらないだの、ブルースクリーンになっただの、あるあるネタが大量に投下されている。
大きなアップデートが来た翌日とか、さらにひどいのだろう。
「勘弁してほしいよなあ……」
「ねー」
だが、恐らくこの体質が変わることはない。
もう慣れたけどさ。
409
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:35:00 ID:8ivrO6a60
2025年3月2日(日)
「──そんで、(弟)と一緒に行ったんだよ。婆ちゃんに連れられて」
「ほおー」
うにゅほが、興味深げに何度も頷く。
ふと、話題が、小学生の頃の思い出話に舵を取ったのだった。
「懐かしいなあ、テルメ……」
「てるめ」
「なんか、プールと温泉が一緒くたになったようなとこだった記憶がある」
「わ、たのしそう」
「楽しかった気がする……」
「でも、へんななまえだね。てるめ」
「たしかに」
英語の響きではないような。
「"テルメ"──と」
膝の上のうにゅほを抱き締めるようにキーボードを叩き、検索する。
「あ」
「?」
「テルマエ……!」
「てるまえ、ろまえ?」
「そう! テルメって、テルマエのことだったのか!」
テルマエ。
ラテン語で、"温かい風呂"という意味だ。
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なっとく」
「テルメがどういう意味かなんて初めて意識したけど、なんか、すげー腹落ちしたわ」
「いしきしてないことば、たくさんありそう」
「あるだろうな……」
そもそも疑問に思わなければ、意識の俎上に乗らない。
当たり前のものとして取り込んでいるわけのわからないものが、きっと、多くあるのだろう。
それらに陽を当てるためには、偶然に頼るしかないのだ。
「てるめ、てるめ」
「語感、気に入ったのか?」
「なんか、かわいい」
「そっか」
札幌テルメ。
今はシャトレーゼが買収したらしい。
行く機会は、もう、なさそうだ。
410
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:35:21 ID:8ivrO6a60
2025年3月3日(月)
「はい、これ」
うにゅほが手にした角皿に乗っていたのは、幾つかに切り分けられた薄い茶色の物体だった。
きな粉蒸しパン。
さすがにそろそろダイエットをせねばと、YouTubeで見たレシピをうにゅほに作ってもらったのだ。
「ありがとうな」
「うん。おいしいかなー」
「味見してないんだ」
「あじみはしたよ。でも、レンジにいれるまえだから……」
「なるほど」
「たべてみよ」
きな粉蒸しパンの真ん中あたりを取って、口へ運ぶ。
もぐり。
「──…………」
「──……」
「……なんか、豆腐臭いな」
「わたしも、そうおもう……」
主な材料は、きな粉と豆腐。
特に豆腐は150gも使うから、豆腐臭さが出てしまうのは仕方がないのかもしれない。
「レシピどおり、つくったんだけどな」
「元のレシピが豆腐臭かったんだろ」
「うん……」
決して食べられないわけではないが、さして美味しくもない。
そんな味だ。
「……うーん。あした、また、ちょうせんしていい?」
「いいけど、どうするんだ?」
「きなこふやす」
「……固くならないか?」
「そのぶん、ぎゅうにゅういれる」
「あー」
なるほど。
豆腐臭さはかなり低減できそうだ。
「きょうは、これでがまんしてね」
「我慢するってほどでもないよ。不味くはないし」
「あした、おいしいのつくる!」
「期待してます」
「はい」
きな粉蒸しパンは昼食になった。
きな粉と豆腐だけに、腹持ちは非常によかった。
411
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:35:40 ID:8ivrO6a60
2025年3月4日(火)
月に一度の定期受診から帰ったあとのことだ。
「できたよー!」
うにゅほが手にした角皿に、見た目は昨日と変わらないきな粉蒸しパンが乗っている。
「これが、レシピ改良版か」
「うん」
YouTubeのレシピ通りに作ると、豆腐の分量が多すぎて、豆腐臭さが全面に出過ぎてしまう。
そのため、きな粉の量を増やし、さらに牛乳を加えることにしたらしい。
「たぶん、おいしいとおもう」
「味見は?」
「ちんするまえは、した」
「どれ」
きな粉蒸しパンを一切れつまむ。
生地が、しっとりと濡れていた。
「いただきます」
「めしあがれ」
ぱくり。
「──あーあーあー、わかる」
「わかる?」
「改良されたの、わかるわ。昨日のより、随分美味しくなった」
「おー!」
うにゅほも、一切れ口へと運ぶ。
「うん、とうふくさくない。おいしい」
「これはアリだな」
「うん、あり」
ダイエットは、頑張ってはならない。
無理せずできることから始めなければ、必ずどこかで破綻し、リバウンドを食らう。
美味しいダイエット食は、頑張らないダイエットに不可欠なのだ。
「ありがとうな、××。これなら続けられる」
「うへー……」
「また作ってくれるか?」
「あした、またつくる!」
「手伝えることあったら、言えよ。材料を泡立て器で掻き混ぜるくらいはするからさ」
「うん。それだけたのむね」
「まかせとけ」
こうして、長い長いダイエット生活が始まるのだった。
痩せねば。
412
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:36:05 ID:8ivrO6a60
2025年3月5日(水)
「──よし、あとはこれをオーブンで焼くだけだな」
「うん!」
すっかり飽きてしまったオートミールをクッキーにする方法をYouTubeで見掛けたので、物は試しと作ってみることにした。
レシピは非常に簡単。
卵白と甘味料を混ぜたものにオートミールを絡ませ、150℃に予熱したオーブンで35〜40分ほど焼くだけだ。
「おいしいかなー……」
「わからん。でも、美味しかったらまた作ろう。すげえ簡単だし」
「うん。すーごいかんたん」
オーブンを使うというハードルはあれど、それを乗り越えれば、きな粉蒸しパンより工程は少ない。
トレイをオーブンに入れ、焼き時間を35分にセットする。
生焼けのようであれば、追加で五分焼けばいい。
そんなことを考えながら自室に戻り、ふたりでのんびり時間を潰す。
「おーとみーる、さいきん、たべてなかったもんね」
「なんかな……」
もともとさほど美味しいものでもない。
たとえ好物でも、飽きれば食べたくなくなるものなのだ。
それを美味しく処理できるのであれば、今回のオートミールクッキーのレシピには価値がある。
時計を見上げ、伸びをする。
「さて、そろそろかな」
「やけたかな!」
階下の台所へ向かい、既に稼働を止めていたオーブンを開く。
「……焦げ臭いな」
「うん……」
見れば、真っ黒とは言わずとも、クッキングシートとの接地部分がかなり黒々としていた。
「35分でも長かったのか……」
「みじかめにしたのに……」
恐らく、動画で使っていた甘味料とは別のものを使用したためだろう。
「まあ、ここらへんは焦げてないから。美味しければ、今度は30分でやればいいさ」
「そだね」
焦げが少ない部分を剥がし、うにゅほと半分こして口へと運ぶ。
「──あ、悪くないじゃん。悪くないよ」
「ほんとだ!」
焦げてさえいなければ、ヘルシーなおやつとして活用できそうだ。
「これ、また作ろう」
「うん、つくろう。ナッツもまぜよう」
「混ぜたらクソ美味いだろうな……」
ただし、混ぜ過ぎには注意である。
これはあくまでダイエット用のお菓子なのだから。
413
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:36:23 ID:8ivrO6a60
2025年3月6日(木)
オートミールクッキーを、今度は焼き時間30分で焼いてみた。
「うーん、これでもすこし焦げるな……」
「にじゅうごふんとか、にじゅっぷんでもいいのかも……」
クッキングシートからクッキーを剥がし、サクリと一口食べる。
「あ、でも味はいいわ。焦げ味もないし」
「ほんと?」
「ほら」
うにゅほの口元にクッキーを差し出す。
さくり。
「うん、おいひ」
「な?」
「これなら、にじゅうごふんでよさそう」
「次からそうしよう」
「うん」
冷ましてザクザクになったオートミールクッキーを昼食にし、自室へ戻る。
「──……うっぷ」
「なんか、おなかいっぱい、かも……」
「俺も……」
今回使ったオートミールは150g。
俺が食べたのは三分の二ほどだから、おおよそ100g。
それを牛乳で流し込んだため、胃の中で膨れ上がってしまったらしい。
「たべすぎたね……」
「あの量でこの満腹感って、すごいな……」
「おーとみーる、すごい……」
「でも、今のところ、いちばん美味い食べ方だわ」
「わかる」
オーブンを使うのは少々面倒だが、入れてしまえばあとは放置で済む。
むしろ楽だ。
「ただ、つぎからは、つくるりょうへらそうね……」
「ああ……」
少量で異様に腹持ちの良いオートミールクッキー、読者諸兄も是非作ってみてほしい。
食べ過ぎにはご注意を。
414
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:36:45 ID:8ivrO6a60
2025年3月7日(金)
「……──ねっむ」
「!」
膝の上でくつろいでいたうにゅほが、こちらを振り返った。
「ねる?」
「悩む……」
「ねむいなら、ねたほういいよ」
「まあ、うん」
「ようじあるの?」
「用事あるって言うか……」
iPhoneを手に取り、睡眠管理アプリを開く。
「今日、もう八時間近く寝てるからさ」
「あー」
「寝過ぎでは、という」
「うーん……」
「どう思う?」
しばしの思案ののち、うにゅほが答える。
「ねむいのは、からだが、ねたいっていってるってことだから……」
「××は寝よう派か」
「◯◯は?」
「眠い派」
「ねむいは」
「寝よう派と眠い派の二派なら、寝るかあ……」
「うん」
うにゅほが、俺の膝から降りる。
「おやすみなさい」
「三十分で起こして」
「はーい」
自分のベッドに戻り、仮眠を取る。
「……◯◯?」
「うん?」
何か用だろうか。
「さんじゅっぷん、たったよ」
「えっ」
「え?」
「……俺、寝てた?」
「ねてたよ……?」
「マジか」
三十分、タイムスリップした気分だ。
よほど眠かったのだろう。
睡眠をとった記憶はないのだが、眠気はスッキリしていた。
やはり仮眠は大切である。
415
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:37:05 ID:8ivrO6a60
2025年3月8日(土)
「××、米粉ってある?」
「べいふん?」
膝の上でiPadをいじっていたうにゅほが、こちらを振り返る。
「米の粉と書いて、米粉」
「あー」
うんうんと頷き、答える。
「あるよ」
「なら、これ作ろうぜ」
「?」
超簡単、もちもち豆腐パン。
たった今、YouTubeで見ていたレシピだ。
「もちもち、なるかなあ……」
「わからんけど、美味しそうだぞ」
「おいしそうだけど」
最近、ダイエットのために、ローカロリーな菓子作りに挑戦している。
だが、レシピ通りに作っても、なかなか上手く行かない。
お菓子作りは難しいのだ。
「じゃあ、つくる?」
「作ろう」
「わかった」
階下へ向かい、材料を並べる。
豆腐、150g
米粉、75~90g
ベーキングパウダー、4g
お好みで甘味料
「俺が混ぜるから、××は耐熱容器にラップ張って」
「わたしのしごと、それだけ?」
「それだけ」
「それだけかー……」
なにせ、工程が少ない。
混ぜて容器に流し込み、600Wで三分間加熱するだけだ。
あっと言う間に完成し、あちあち言いながら耐熱容器から取り出す。
表面をぷにぷにとつつきながら、うにゅほの顔を見た。
「おお、わりと完成度高くないか?」
「おいしそう!」
「あとは豆腐臭くなければ……」
きな粉蒸しパンのときは、レシピ通りに作ると、豆腐の嫌な匂いが残ってしまった。
今回はどうだろう。
表面を軽くむしり取り、口へ運ぶ。
「──あ、これ美味いわ。最近作ったなかで、いちばん美味い」
「あー」
甘えるように開いたうにゅほの口に、豆腐パンを差し出す。
「!」
咀嚼しながら、うにゅほがうんうんと頷く。
美味しかったらしい。
「これいいな。これは神レシピだわ……」
「もいっこつくろ。ふたりだと、たりない」
「了解」
「こんどは、わたし、まぜるね」
「頼むわ」
もちもち豆腐パン、本当に美味い。
これはリピート確定である。
416
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:37:33 ID:8ivrO6a60
2025年3月9日(日)
一週間ぶんの薬を入れられる七角形のピルケースを愛用していたのだが、曜日の印刷がすっかり剥げてしまった。
そこで、同じ形の新しいピルケースを購入した。
届いたAmazonの紙袋を開く。
「あ、思ったよりでかいな……」
「ほんとだ」
「前のより、二回りはでかい」
「たくさんはいるね」
「たくさんは入れないから、べつにいいんだけど……」
大は小を兼ねる。
多少大きいからと言って、さして困りはしない。
「それより、商品名が面白いんだが」
「?」
袋に貼ってあったラベルを指差す。
「"ポータブル小さな箱"」
「ぽーたぶるちいさなはこ……」
「日本語おかしいな?」
うにゅほが、くすりと笑う。
「ふふ、おかしい」
「安心の中国製」
「やっぱし」
日本製であろうと中国製であろうと、ピルケースに貴賤はないだろう。
ちゃんと薬が入って、曜日がわかればそれでいいのだ。
「まえの、すてるの?」
「捨てる」
「そか……」
「ほら、見てくれよ。木、金、土なんて、もう読めないぞ」
「たしかに」
「と言うわけで、残念だけどボッシュートです」
うにゅほが小首をかしげる。
「ぼっしゅーと?」
「ほら、世界ふしぎ発見で」
「せかいふしぎはっけん……?」
「……え、知らない?」
「てれび?」
「テレビテレビ」
「みたことないかも……」
「マジか」
言われてみれば、子供のとき以来まともに見たことがないかもしれない。
うにゅほが知らないのも当然だ。
「……これが、ジェネレーションギャップ」
軽いダメージを受けるのだった。
417
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:37:54 ID:8ivrO6a60
2025年3月10日(月)
「──××、××。すごいサイト見つけた」
座椅子で漫画を読んでいたうにゅほを手招きする。
「?」
のそのそと近付いてきたうにゅほを膝に抱き、ディスプレイを顎で示した。
「◯◯のひみつシリーズ、読み放題」
「!」
学研の、まんがでよくわかるシリーズ。
ずっと昔、図書館で借りては、うにゅほとふたりで読んだものだ。
「なつかしい!」
「懐かしいだろ」
「え、これ、ぜんぶよめるの?」
「軽く見たけど、全部ではないっぽい。半分くらいかな」
「でも、すごい!」
ひとしきり興奮したあと、うにゅほが我に返る。
そして、ひそりと声をひそめて言った。
「……これ、いいサイト?」
恐らく、合法非合法を問うているのだろう。
「学研のサイトだから、いいサイトだよ。心配御無用」
「ただでよまして、もうけ、だいじょぶなのかなあ……」
「それはわからんけど」
言われてみれば、多少気になる。
「さっそくだけど、なんか読んでみるか」
「うん!」
ページを繰りつつ、うにゅほが気になるひみつを探していく。
「ひかりふぁいばけーぶる、だって」
「読みたい?」
「よみたい」
「最初にこれか……」
意外と言うか、なんと言うか。
あるいは、絵柄の可愛さで決めたのかもしれない。
「だめ?」
「ダメじゃないよ。俺も気になるしな」
"光ファイバケーブルのひみつ"を、ふたりで読み進めていく。
画像はすこし小さめだが、普通に読むぶんにはまったく困らない。
「──おもしろかった!」
「光ファイバケーブルに無駄に詳しくなったな……」
「うん」
うにゅほが、ふと、小首をかしげる。
「としょかんで、たくさんかりてたの、どんくらいまえだっけ」
「ええと──」
日記を検索する。
「……十年前だな」
「じゅ!」
「俺も、××も、年食ったなあ」
「じゅうねん……」
あまりに長い時の経過に、思わず遠い目になる俺たちなのだった。
418
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:38:14 ID:8ivrO6a60
2025年3月11日(火)
「明日、大腸内視鏡かあ……」
憂鬱である。
「たべちゃいけないの、なんだっけ」
「けっこうあるぞ。野菜とか、キノコ類とか」
「……たべていいの、なに?」
「おかゆとか、素うどんかな」
「おかゆつくる?」
「おかゆでもいいけど、うどんなかったっけ。あれ食べたい」
「うん、わかった」
午後九時までに食事を終え、明日の朝には下剤を飲む。
面倒だが、三年ぶりの大腸内視鏡検査だ。
四年、五年と時間を空ければ空けるほど、大腸がんのリスクは高まっていく。
思い立ったら即検査すべきだ。
と言うわけで、思い立ったから検査をするのだが、それが面倒であることとは別問題である。
「明日、××も来る?」
「いくよー」
「なら、タブレット持ってきな。絶対暇だから」
「うん、わかった」
予約は午後四時半であるにも関わらず、三時半に来てほしいと言われている。
最低一時間の待ち時間があることに疑いの余地はない。
ふと下剤に視線を向ける。
今まで飲んだことのない下剤だ。
「クソ不味くて吐く羽目にならなきゃいいんだけどな……」
「まえ、いっかい、はいちゃったもんね……」
「××にも飲ませたかったよ」
「のみたくない……」
「医薬品だから飲ませないよ。ただの不味いものであれば、ともかく」
「……さるみあっき」
「マーマイトかベジマイト興味あるんだけど、一瓶がでかいんだよな……」
「かわないでね……?」
うにゅほの表情は切実だ。
すこし迷ったが、
「買わない、買わない。仮に買っても無理強いはしない」
「かったら、ぜったい、たべちゃうの!」
「……そっか」
好奇心には勝てないらしい。
マーマイトやベジマイトを持っている友人に食べさせてもらうしかないか。
419
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:38:39 ID:8ivrO6a60
2025年3月12日(水)
今日は、大腸内視鏡検査を受けてきた。
朝の六時に起床し、ボトルに入った下剤を飲む。
「──ぉえッ」
不味い。
ただ不味いだけではない。
舌が、痺れる。
「まずい……?」
「ヤバい」
「やばい」
「水で薄めよう……」
配布されていたプラコップで下剤を二倍に薄め、再び口をつける。
これでもきつい。
だが、飲めないほどではなくなった。
「……これ二本を、二時間かけて飲むのか」
「がんばって……」
「頑張る……」
腸内を空っぽにした数時間後、俺たちは、大腸内視鏡検査を行う病院へと車を走らせた。
「じゃあ、行ってくるから」
「がんばってね……」
待合室でうにゅほと別れ、小一時間ほどで検査を終える。
「……ただいま」
早朝から不味い下剤を飲まされ、肛門から大腸を覗かれ、すっかり疲弊しきっていた。
「ぽりーぷ、あった?」
「一個だけあった。そんなに大きくないやつ」
「そか!」
「入院しなくていいのが嬉しいよな……」
「ほんと、ほんと」
俺離れできないうにゅほは、たったの一泊でも死ぬほど寂しがる。
「二年後もここで受けようか」
「そうしよ」
「……でもなあ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「下剤がな、不味すぎるんだよな……」
「そんなに……?」
「正直、舐めてみてほしかった」
医薬品だし、絶対にさせないけど。
「きになってきた……」
「××も受けるか?」
「ま、まだうけない!」
大腸内視鏡検査は、三十代になってからで構わないだろう。
女医が診てくれる病院、探さないとな。
420
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:39:10 ID:8ivrO6a60
2025年3月13日(木)
昨日、大腸内視鏡検査のおかげで睡眠不足だったせいか、今日は眠くて仕方がなかった。
「うぐあー……」
「まだねむい?」
「眠気は、ある。あるけど、さすがにな……」
本日の睡眠時間、9時間53分。
確実に寝過ぎである。
時刻も既に夜を迎え、夕食も入浴も済ませている。
仮眠をとるには少々遅すぎるだろう。
「ねむかったら、いってね」
「言ったらどうなる?」
「どく」
俺の膝の上が、うにゅほの定位置だ。
まあ、仮にどかなかったとしても、うにゅほを抱えてベッドへ向かうのだけど。
「!」
うにゅほが、不意に目をまるくする。
「どした」
そして、俺の膝の上からあっさりと降りた。
「といれー」
「ああ、トイレか」
「うん」
ててて、と自室を出て行くうにゅほを見送り、ぐッと背筋を伸ばす。
ポリープを切除したばかりだから、一週間ほど運動はNGだ。
運動はダメでも、ストレッチは良いのだろうか。
そんなことを考えていると、
「──わああ!」
部屋の外から、うにゅほの悲鳴が轟いた。
「?」
様子を見に行くべきか、行かざるべきか。
逡巡していると、部屋の扉が開いた。
「びっくししたー……」
「どうしたんだ?」
「わたし、といれからでたしゅんかん、(弟)、へやからでてきた……」
「あー」
トイレの扉と、弟の部屋の扉は、完全に向かい合っている。
タイミングが合致すれば、たしかに驚くかもしれない。
「(弟)、へやのでんき、けしてでてきたから……」
「それは声出るわ……」
「ね」
「(弟)もビビってたろ」
「わたしのこえに、びっくししてた」
「ははっ!」
なんとも微笑ましい出来事だ。
そんなことを言うと、驚いた当人たちは不服そうな顔をするだろうけれど。
421
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:39:35 ID:8ivrO6a60
2025年3月14日(金)
ホワイトデーである。
「はい、××」
「ありがと!」
渡し、受け取る。
実にあっさりとしたものだ。
それも当然、楽天で届いたものを配達員から受け取ったのは、うにゅほなのだ。
「ね、あけていい?」
「いいぞ」
うにゅほが、大事そうに小箱を開けていく。
出てきたのは、お高めのマカロンだった。
「わ、まかろんだ」
「マカロン好きだろ」
「うん!」
「バレンタインデーではかなり無理言ったしな。高いやつだぞ」
「おおー……」
うにゅほが目をきらめかせる。
「だいじにたべるね!」
「そうしてくれ」
ふと、とあることを思い出した。
「そう言えば、お菓子言葉なんて知ってるか?」
「おかしことば」
「そう」
「はなことばみたいな……」
「マカロンのお菓子言葉って、なんだろうな」
「しらべてみよう」
調べてみた。
「──あなたは特別な人、か」
「うへ」
にまりと笑ううにゅほが、つんつくと俺を指で突いてくる。
「知らなかったんだって!」
「でも?」
「……まあ、合っては、いる」
「うへへへ」
つくつんつん。
「くすぐったいっつの!」
照れ隠しに終始した一日だった。
あなたは特別な人。
その通りだけど、しらふじゃ小っ恥ずかしくて言えないっての。
422
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:40:21 ID:8ivrO6a60
2025年3月15日(土)
うにゅほと雑談を交わしていた。
「きょうのおひるねー、くるくるごはんだったよ」
「美味かった?」
「おいしかった!」
ふと思う。
「……くるくるごはんって、うち以外で通じるのか?」
うにゅほが、ぱたぱたと右手を振る。
「つうじるよー……」
「根拠は?」
「わかんないけど」
勘のようだ。
そもそも読者諸兄は、くるくるごはんと聞いて何を思い浮かべるだろうか。
答えは簡単、卵かけご飯のことである。
卵かけご飯ならば卵かけご飯と呼べばいいものを、我が家では何故かくるくるごはんという呼称が定着している。
くるくるごはん。
本当に、そのように呼ばれてるのだろうか。
俺は、サブディスプレイで開かれていたブラウザを用い、"くるくるごはん"で調べてみた。
出るわ出るわ。
しかし、それは卵かけご飯のことではなかった。
移動こども食堂の名前だったのだ。
「……やっぱないな」
「じゃ、じゃあ、くるくるごはんってなに……?」
「わからん。我が家独特の呼び方かもしれない」
「えー……」
ショックだったらしい。
くるくるごはんなどと言い出したのは、誰が最初なのだろうか。
迷宮入りの事件なのだった。
423
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/03/16(日) 18:41:27 ID:8ivrO6a60
以上、十三年四ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
424
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:17:08 ID:2zdSAqzY0
2025年3月16日(日)
「さぼてん、みずあげた!」
「お疲れさん。あげすぎなかったか?」
「あげすぎなかった」
サボテンは、水をやりすぎても根腐れを起こしてしまう。
そのあたりの加減が微妙に難しいのだ。
もっとも、普通の草花より圧倒的に世話が楽であることは疑いようもないのだが。
「しんめ、のびてきたねえ……」
「また徒長しそうだな」
「……きるの?」
「このまま伸ばしても、よくないだろ」
「そだけど……」
「冬場の日照不足が原因だからさ。夏になれば、きっと、徒長せずに生育するって」
「……きるの、かわいそう。いたそう」
「あー……」
植物に痛みがあるかどうかはわからない。
だが、うにゅほはこのバニーカクタスにかなり感情移入をしている。
そう感じるのも無理からぬことだろう。
「……じゃあ、ひとつだけ残すか?」
「ひとつだけ?」
「ほら。この横から出た一本は、腕みたいで可愛いだろ」
「うん、かわいい!」
「これは残そう」
「ほかはきる?」
「他は切る。可哀想だけどな」
「うん、わかった……」
「……俺がやるか?」
「わたし、やる」
相変わらず、偉い。
前に子株を剪定したときも、うにゅほが自分でやったのだ。
もしかすると、責任感が育っているのかもしれない。
「ふー……」
子株を根元からバッサリ切り落とし、うにゅほがそっと息を吐く。
「立派だぞ、××」
「うへー」
次の子株は徒長しなければいいのだけれど。
425
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:17:50 ID:2zdSAqzY0
2025年3月17日(月)
「今日は寒いなあ……」
「ねー」
三月も後半だと言うのに、雪がどさどさ降っている。
春が来ると油断していたら、この通りだ。
「◯◯、みた?」
「何を?」
「にゅーす」
「ニュースは見てないな……」
「でんしんばしら、たおれたんだよ」
「え、豪雪で?」
「うーと、ちがくて」
「事故とか?」
「そう!」
「てことは、車が突っ込んだんだな」
「ちょっと、ちがう」
「……?」
自動車が突っ込む以外の事故で電柱が倒れるさまが想像できなかった。
「くるまは、くるま。でも、よこからいったの」
「横から……」
「すべって、よこから」
「あー!」
理解する。
この大雪で車が横滑りし、そのまま電柱に突っ込んだのだろう。
「いや、突っ込んでるじゃん」
「にゅあんすが、ちがう」
「まあ、わからなくもないけど……」
一般的に、突っ込むと言えば、自動車の鼻先からだ。
たしかにニュアンスは異なるかもしれない。
「あとね、ひっくりかえってるくるまも、いたよ」
「よほど滑ったんだな……」
「かめみたいだった」
「亀は自分で元に戻れるけど、車は無理だな」
「え、もどれるの?」
「戻れないの?」
「わかんない」
「戻れないのかな。いま、適当に言った」
「てきとういったのかい」
調べてみたところ、多くの亀は引っ繰り返ると元には戻れないらしかった。
「あれ、なんで戻れるって勘違いしてたんだろ……」
「なんかでみた、とか」
「そうかも」
ソースは思い出せないけれど、嘘情報だったのかもしれない。
まあ、いいか。
426
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:18:18 ID:2zdSAqzY0
2025年3月18日(火)
「あと一箱か……」
「?」
膝の上のうにゅほが、俺の視線を辿る。
「あ、たんさんすい?」
「ああ」
「ちゅうもんしたの?」
「定期おトク便で、二週間に三箱届くようにした」
「おおー……」
「ただ、今週足りるかな」
「いつとどくの?」
「日曜」
「すい、もく、きん、どー、にち。あといつかかー……」
「大丈夫だとは思うんだけどさ」
「ひとはこ、じゅうごほん、だよね」
「ああ」
「いちにち、さんぼんものむ……?」
「××とふたりで、だからな。普通に三リットルは行くんじゃないか?」
「……いくかも」
「すこし控えたほうがいいのかな」
「うーん、わかんないけど」
もともと水分は多く摂るほうだ。
変に我慢するのも、何か違う気がする。
「なくなったら、ふつうのみずのめばいいし」
「そうなんだけどな」
「だめ?」
「普通の水より、炭酸水のほうが、美味い」
「わかる」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「たんさんすい、おいしいよねー……」
「二酸化炭素溶けてるだけの、ただの水なんだけどなあ」
「ふしぎ」
「でも、まあ、飲み過ぎたって、我慢するのは一日くらいか。なら気にしなくていいかな」
「そだね」
炭酸水が途切れたとて死ぬわけではない。
結局、気にせず飲みまくることにした。
ペプシゼロを飲みまくっていたときより、遥かに健康的である。
427
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:18:53 ID:2zdSAqzY0
2025年3月19日(水)
膝の上のうにゅほが、ふと言葉を漏らした。
「むっつりはちべえ」
「──…………」
「──……」
「なんて?」
「なんでもない……」
「むっつり八兵衛……?」
「おもいついたの!」
思い付いたのなら仕方がない。
「もっちり八兵衛」
「もっちり」
「××のほっぺたみたいに」
そう言って、うにゅほのほっぺたをぷにぷにする。
「もひもひひてう?」
「もちもちってか、ぷにっぷにだなあ」
「ぷにぷにはちべえ」
「原型が残ってないぞ」
「うへー」
「関係ない話していい?」
「だめ」
横っ腹に手を添える。
「ふひっ!」
「していい?」
「だ、だめ……」
両手の指をわさわさと動かし、うにゅほの脇腹をくすぐりまくる。
「ひゃひ! ふひひひ、ひ、ひー! ひー! していい! ひていい!」
手を止め、半眼で尋ねた。
「××。くすぐられたくて、ダメって言ったろ」
「ひー……」
「言ったろ」
「いいまひた……」
「満足?」
「まんぞく……」
これは豆知識だが、うにゅほはソフトMである。
「うと、なんのはなし、したかったの?」
「忘れた」
「わすれたの……」
「いや、覚えてるけど」
「きになる」
「実は──」
本当の本当に大した話ではなかったので、詳細は省く。
428
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:19:22 ID:2zdSAqzY0
2025年3月20日(木)
「あ!」
「あ?」
「おとうさんの、たんじょうびだ……」
「あっ」
完全に忘れていた。
「……まあ、いいか。プレゼントは」
「いいのかなあ」
「本人、べつに気にしないし」
「そだけど」
父親に尋ねるとビールが欲しいと答えるのだが、当のビールは車庫の冷蔵庫に嫌と言うほど入っている。
なんだか、あげ甲斐がない。
「うーん……」
「何かあげたいのか?」
「うん」
「じゃあ、肩でも揉んでやりな」
「わたし、ちからないよ?」
「握力とか、関係ないんだよ」
「そなんだ……」
「ほら、行ってこい」
「はーい」
膝から降りたうにゅほが階下へ向かうのを見送る。
しばらくして、戻ってきた。
「よろこんでた!」
「だろ?」
「◯◯も、もんであげるね」
肩揉みに自信ネキになってしまったらしい。
「んじゃ、頼むわ」
「はーい」
うにゅほは握力がない。
だから、凝りがほぐれるかと言えば、まったくそんなことはない。
だが、可愛い女の子に肩を揉んでもらっているという事実だけで、男は気分が良くなってしまうのだ。
我ながら哀れな生き物である。
「ふー、きもちかった?」
「ああ、よかった。ありがとうな」
「どういたしまして!」
明日から事あるごとに肩を揉んできそうな予感がする。
嬉しいから、まあいいか。
429
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:19:51 ID:2zdSAqzY0
2025年3月21日(金)
「……げ」
Amazonからのメールで目が覚めた。
「どしたの?」
注文履歴のページを指差す。
「炭酸水、届くの火曜日になった……」
「え、にちよう」
「火曜日になった」
「かよう……」
うにゅほが眉をひそめる。
「たりる?」
「わからん」
「あとなんほん?」
「──…………」
冷蔵庫を開く。
一リットルのペットボトルが、八本入っていた。
「あと八本」
「きん、どー、にち、げつ、かー……」
「一日二本、以下」
「……たりる?」
「足りない気がする……」
「だよね」
「うーん、どうすっか」
「かいいく?」
「高いんだよ……」
ホームセンターなりリカーショップなりでまともな炭酸水を買うと、それなりの価格になってしまう。
Amazonで購入するのは、安いからなのだ。
「……でも、足りなくなったら仕方ないか」
「うん、そうおもう」
「二人で一日二リットルとか、水分取らなすぎだろ」
「わかる……」
とは言え、水分補給のためには炭酸水にこだわる必要はない。
ただの水でいいのだ。
炭酸水を飲みたいというのは、俺とうにゅほのわがままなのである。
水で我慢するか、炭酸水を買いに行くかは、未来の自分が決めるだろう。
いずれにしても足りなくなることは間違いないので、今ある炭酸水も気にせず飲んでやろうと思った。
430
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:20:20 ID:2zdSAqzY0
2025年3月22日(土)
「ヤバい、××」
冷蔵庫を開けたまま、うにゅほを振り返る。
「炭酸水、あと一本しかない!」
「えー!」
自分たちのことながら、消費が早い。
「最初の予定通り明日届くんなら、ちょうどよかったのに……」
「うん……」
「しゃーない、水飲んで凌ぐか」
「あ、おとうさんの、しょうちゅうのボトルあるよ」
「四リットルの?」
「うん」
「四リットルあれば一日は持つな」
「みず、くんでくるね」
「……持てるか?」
「もてるよー……」
苦笑し、うにゅほが階下へと向かう。
「うーしょ、と」
やがて、両手で焼酎のボトルを抱えながら、いそいそと戻ってきた。
「でかいな、さすがに」
「よんばいだもんね……」
炭酸水のペットボトルと比べて、だ。
「れいぞうこ、はいる?」
「入らないだろ、さすがに」
「もしかしたら、はいるかも」
「無理だと思うけど……」
うにゅほからボトルを受け取り、冷蔵庫を開く。
「……あれ、入るかも」
「ね?」
普通に入れると扉が閉じなかったが、斜めにするとなんとか収まった。
「入るもんだ……」
「ためして、よかったしょ」
「そうだな。××が言わなかったら、試しもしなかったかも」
「うへー」
「炭酸水ではないけど、これで冷たい水が飲める。二、三日はこれで凌ごう」
「うん」
水は水で悪くはないのだが、やはり炭酸水のさっぱり感は捨てがたい。
早く届いてほしいものだ。
431
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:20:54 ID:2zdSAqzY0
2025年3月23日(日)
ぽん。
効果音と共に、PCにメールが届いた。
確認すると、
「えっ」
「?」
「炭酸水、今日届くって……」
「えー!」
「火曜日に届くっての、なんだったんだよ……」
「うれしいけど……」
嬉しいは嬉しいのだが、なんだかAmazonに翻弄されている気分だった。
二時間後、無事に届いた三箱を、わっせわっせと自室に運び込む。
「わたし、もたなくていい……?」
「15kgだぞ」
「もてない」
「だろ」
とは言え、俺でも三往復は厳しい。
すべて運び入れる頃には、軽く汗ばんでいた。
「ふゥー……」
「おつかれさま」
「ほんと、体力も筋力も落ちたなあ……」
「わたし、いないころ?」
「ああ。荷物運びのバイトしてたって言ったろ」
「うん」
「一気に二箱は余裕だし、息も切れなかったな」
「さんじゅっきろ!」
「単純な重さだけなら、三、四十キロの荷物は普通だったから」
「わたしはこべる?」
「いや、わりと頻繁に運んでるだろ」
「うへー」
うにゅほを抱っこして運ぶのは日常茶飯事だ。
「人間は、重心を預けてくれるから、全身の筋力で運べるんだよ。荷物はそうじゃないから」
「うでのちからだけ?」
「持ち方による。腕力だけで運ぼうとすると腰痛めるから、当時は工夫してた気がするなあ」
「むかしの◯◯、みたかったな」
「ムキムキだったぞ」
「むきむき!」
今はへなちょこだが。
肉体だけ、あの頃に戻りたいものだ。
432
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:21:18 ID:2zdSAqzY0
2025年3月24日(月)
ふと、ダイの大冒険のとあるシーンを見返したくなった。
dアニメストアのページを開く。
「アニメみるの?」
「いや、ダイの大冒険をな」
「さいしょから?」
「いや、途中だけ」
ログインすると、視聴中の作品として、ダイの大冒険が表示されていた。
しかも、見たかった回だ。
「あれ、俺ここ前も見返したのか……?」
「どこみたいの?」
「ポップが死んだままダイのために呪文撃つシーン」
「あー!」
「いいよな」
「いいよね……」
膝の上のうにゅほと共に、ダイの大冒険の名シーンを軽く巡っていく。
「……ぐしゅ」
うにゅほが鼻を啜る。
俺も似たようなものだ。
ティッシュで涙を拭っているのだから。
「やっぱ、名作だな……」
「うん、めいさく……」
「ハドラー死ぬとこ見る?」
「み、……み、み」
うにゅほが言葉に詰まる。
「あれ、ハドラーいちばん好きだったよな」
「いちばんすき……」
「見ないのか」
「……ぜったい、ぼろぼろなく」
「ああ……」
同感だった。
「じゃあ、見ない?」
「み、みる……」
「そっか。一緒にボロボロ泣こうな」
「うん……」
と言うわけで、ボロボロ泣いた。
全百話、また最初から見る気はまったくしないが、名シーン巡りはたまにしてしまいそうだ。
433
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:21:39 ID:2zdSAqzY0
2025年3月25日(火)
午後のことだ。
「──部屋あっつ!」
「はちー……」
うにゅほが、手のひらでぱたぱたと首筋を煽ぐ。
「ヤバい暑い。何度だ……?」
温湿度計を覗き見る。
「え、28℃?」
サーキュレーター付きのシーリングライトを導入して以降、温湿度計が30℃を上回ることが多くあった。
暖房効率が著しく改善されたのだ。
だが、それにしたって、今ほど暑くはない。
「本当に28℃か……?」
「すーごい、あついよ……」
今日は、一度も暖房をつけていない。
春先の気温と、快晴の日差し。
それだけで、俺たちの部屋は灼熱地獄と化している。
「……うーん」
さすがに窓を開けながら、原因を考える。
「仮説はある」
「どういうかせつ?」
「サーキュレーターで暖かい空気が部屋を循環したとしても、やっぱ足元は冷たいんだよ。それでも」
「ふんふん」
「ほら、温湿度計の位置って、床から一メートル以上離れてるだろ」
「うん」
「温湿度計を床に置けば、数℃は下がるはず。その冷たい空気を感じていたから、30℃でも茹だるようなことはなかった」
窓から吹き込む涼風を浴びながら、うにゅほが尋ねる。
「さっきまでは?」
「太陽の陽射しで、部屋の中が満遍なく暖められてたんじゃないか。床から天井まで」
「あー」
「だから、熱気の逃げ場がなくて、28℃でもクソ暑く感じたのかもしれない」
「なるほどー」
「まあ、仮説だけどな。わりと適当」
「でも、あってるきーするね」
「合ってるならいいんだけど……」
ただ、整合性の取れる説明が他に浮かばないことも事実だ。
「さむいー」
と、うにゅほが抱き着いてくる。
それを抱き上げて、チェアに腰を下ろした。
暑くても寒くてもくっつくのだから、大した問題でもない気がするのだった。
434
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:22:08 ID:2zdSAqzY0
2025年3月26日(水)
「……なんか、口の中がいずい」
「どしたの?」
「わからん……」
舌先で下の奥歯をなぞる。
「奥歯の隙間に、何か挟まってる……?」
「しかんぶらし、やる?」
うにゅほが、愛用のやわらか歯間ブラシを差し出してくれる。
「ありがとな」
「うん」
歯間ブラシで歯の隙間を掃除すると、その正体がわかった。
ぺ、と異物を指に取る。
「魚の小骨だ……」
「あー」
うんうんと頷き、うにゅほが言う。
「さんまのかばやきのだ」
「あれか」
たしかに小骨は多かった。
「はい、てぃっしゅ」
「ああ」
指先をティッシュで拭い、ゴミ箱に捨てる。
「××は大丈夫か?」
「んー」
うにゅほが口を閉じ、舌をぐるりと動かす。
「たぶん、だいじょぶ」
「そっか」
「のどにささんなくて、よかったね」
「俺、小骨が喉に刺さったことないかも」
「ないの?」
「たぶん」
「わたしもない……」
「なんか、小骨が喉に刺さったら、ごはんを噛まずに飲み込んで取る──みたいのあったよな」
「きいたことあるかも」
「あれ、よくないんだってさ」
「……なんか、よくないのわかるかも」
「わかるんだ」
「ふかくささってたら、わるくなるきーする」
「ああ、たしかに……」
細い小骨が浅く刺さったなら、たしかにごはんで流し込めるかもしれないが。
「小骨、気を付けないとな」
「うん」
魚はこれだから面倒だ。
肉に小骨はない。
肉だ、肉を食わせてくれ。
435
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:22:29 ID:2zdSAqzY0
2025年3月27日(木)
今日は、大学病院への定期通院だった。
朝八時に採血があるので、七時半には家を出なければならない。
だが──
「ん……」
朝六時、寝室側で、うにゅほが起きる気配がした。
「……はれ、◯◯……?」
「おはよう」
「ねなかったの?」
「寝れなかった……」
「ねれなかったの……」
こう言う日は、たまにある。
目が冴えて冴えて仕方なく、ベッドに入っても眠れる気がしないときだ。
そんな日は、いっそ諦めて徹夜するに限る。
車の運転に不安もあるが、幸い完徹には慣れている。
七時半前に家を出て、大学病院へと向かった。
「……──ふあ」
待合室であくびが漏れる。
「ねむい?」
「ちょっとな……」
やはり完徹、することがなければ眠気が襲い来る。
「ねていいよ」
「……悪い、ちょっと目閉じるわ」
「うん」
腕を組み、下を向いて目を閉じる。
睡眠とも、仮眠とすら言えない浅い眠りだが、取らないよりはましだろう。
名前を呼ばれるまでまどろみ、やがて診察を終え、薬局で薬を受け取って帰宅する。
「はァ……」
思わず溜め息をつく。
「つぎ、にかげつごだね」
「二ヶ月に一回になったの、正直ありがたいわ。面倒なんだよな、大学病院って」
「まちじかん、ながいもんね」
「距離もあるし、駐車場も広いわりに混むし、やたら広いし」
「ぜんぶだめだ……」
「まあ、仕方ないんだけどな。体のためだ」
「……ながいきしてね?」
「うーん……」
「してね?」
たぶん、長生きできないんだよな。
うにゅほを置いていくことは、したくはないのだけれど。
436
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:23:01 ID:2zdSAqzY0
2025年3月28日(金)
カレンダーを見上げる。
「もう、三月も終わりかあ……」
「だねー」
「三月短くなかった?」
「そう?」
「なんか、二月より短かった気がする……」
「ぶつりてきには、ちがうけど」
「そうなんだけどさ」
しかし、たかだか三日の違いである。
「三月、何したっけ……」
「だいちょう、ないしゅちょう、けんさ、とか」
相変わらず言えていない。
「あったなあ。下剤が死ヌほど不味かった……」
「きになる」
「やめとけ。マグコロールにしとけ」
「まぐころーる、おいしいの?」
「味は、不味めのスポーツドリンク」
「まずいんだ……」
「でも、だいぶマシだぞ。今回の、サルプレップだったっけな。あれ、舌が痺れて吐きそうになるくらい不味いから」
「うえ」
「んで、前に飲んだモビプレップってのはもっとひどかった。実際に吐いたから……」
「けんさ、できなかったんだもんね」
「マグコロールにしたくなってきただろ」
「うん……」
「下剤がマグコロールで、かつ女医が検査してくれるところか……」
ますますハードルが上がった。
まあ、うにゅほに大腸内視鏡検査が必要になるのはまだまだ先のことだろうし、今から考えても仕方がないのだが。
「今月、他にあったっけ」
「うーと」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「ほわいとでーもあったし、おとうさんのたんじょうびもあったし」
「あー」
「まかろん、おいしかった」
「そっか、それは良かった」
思い返してみると、何もなかったわけではない。
しかし、なんだかあっと言う間に過ぎ去った三月なのだった。
437
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:23:25 ID:2zdSAqzY0
2025年3月29日(土)
最近、よく豆乳プリンを作っている。
うにゅほが寝静まった深夜に、だ。
だが、
「──うわ、失敗してる」
上のほうは問題なく固まっているのだが、底のほうにゼラチンのダマが粒状になって沈んでいた。
「まっず……」
「しっぱいしたの?」
「ああ」
「どれどれ」
うにゅほが、スプーンで容器の底をすくう。
はむり。
「……あー」
「一昨日は成功したんだけどなあ……」
「あれ、おいしかったね」
「原因わかる?」
「わたしも、ぜらちんは、あんましくわしくない……」
「そっか」
うにゅほは料理が得意だが、お菓子作りまでマスターしているわけではない。
知らないことは、当然知らないのだ。
「調べてみるか……」
「うん」
ゼラチンの正しい溶かし方を検索してみる。
「あ、お湯に振り入れるのか」
「どうやってたの?」
「ゼラチンをコップに入れて、お湯を注いでた」
「なるほどー……」
「あと、ゼラチン液を混ぜる材料が冷たいと、それで冷えることがあるって」
「それで、こんなんなっちゃったんだ」
「あんなんなっちゃった……」
「すーごい、ざらざらしてたね……」
「味は同じなのに、食感の違いだけでこんだけ不味くなるんだな」
「うん……」
「よし、明日はこの失敗を活かして、美味しいの作るからな」
「がんばって!」
美味しい豆乳プリンを作って、成功したものをうにゅほに食べさせるのだ。
頑張ろう。
438
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:23:49 ID:2zdSAqzY0
2025年3月30日(日)
「──もう四月だし、そろそろ出掛けたいよなあ」
「わかるー」
雪はまだ残っている。
だが、道路は完全にアスファルトが露出しており、走行の邪魔をすることはない。
「××は、どこ行きたい?」
「うと……」
思案し、答える。
「くるまでね、◯◯とはしりたい」
「ドライブデート的な?」
「うん」
「目的地はどこでもいい感じか」
「そんなかんじ」
「なるほど」
それはそれで難しいが、出掛けるだけで満足してくれるのはありがたい。
「行くとしたら、ゲーセンとか、新しいラーメン屋とか……」
「いいね!」
「××、すっかりラーメン好きになったな」
「うん」
近所のラーメン屋がやたら美味いのが悪い。
「あと、桜も見に行きたいな」
「いきたい!」
「恒例行事だ」
「さくら、さくかなあ」
「よほどの異常気象でもなければ、大丈夫だろ」
「いじょうきしょう、さいきんおおいから……」
「たしかに」
毎年異常が起きている気がする。
「しかし、なんだ。あれだな」
「どれ?」
「わざわざ理由をつけないと、出掛けることもなくなったな……」
「あー」
「ジャンプをKindleで買うことにしてからコンビニ行かなくなったし、炭酸水をAmazonで買うことにしてからホームセンターにも行かなくなったし」
「そだね……」
「便利だし、安いし、いいんだけどさ」
「うん……」
これでは、完全に引きこもりだ。
何か定期的に外に出る理由があればいいのだが。
439
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:24:18 ID:2zdSAqzY0
2025年3月31日(月)
「あした、しがつついたちだね」
「ああ、エイプリルフールか」
「──…………」
「──……」
「うそ、つく?」
「つかない。前に取り決めただろ、エイプリルフールの嘘はやめようって」
「あ、おぼえてた」
「覚えてるよ」
数年前まで、俺たちは、エイプリルフールに互いに嘘をつき合っていた。
最初は面白かった。
だが、年を経るごとに嘘がエスカレートしていき、疑心暗鬼で会話すら覚束なくなってしまったのだ。
以来、エイプリルフールに嘘はつかないという協定を結び、今に至っている。
「えいぷりるふーるは、ほんとのこという」
「××はだいたい本当のこと言ってるだろ」
「そだけど」
「と言うか、日常生活で嘘ってあんまつかないよな」
「たしかに……」
嘘なんて、意識しなければつく機会がない。
たいていの人は、そんなものだろう。
「でも、なんかおもしくないかも……」
「面白さいるか?」
「おもしろいほう、いいし」
「それはそうだけど」
「えいぷりるふーる、うそいがいのこと、しよ」
「嘘以外のことねえ……」
パッとは思い浮かばない。
「たとえば?」
「わかんない」
「俺に丸投げかよ……」
「うへー」
「4月1日、ねえ」
4月1日と言えば、年度初めだ。
ある意味、元日のようなものとも言える。
「お正月みたいなこと、するとか」
「おー」
「お年玉を、××がくれる。俺に」
「いいよ」
「冗談だよ……」
「じょうだんかー」
言えば本当にくれるからな、この子。
気を付けねば。
「まあ、すこし考えてみるか。適当に」
「そだね」
決めておくと、毎年の行事になりそうな気がするのだった。
440
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/01(火) 20:25:08 ID:2zdSAqzY0
以上、十三年四ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
441
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:28:32 ID:ELXyemTw0
2025年4月1日(火)
月に一度の定期受診を終え、帰途につく。
「エイプリルフールにすること、なあ……」
「おもいつかないね……」
エイプリルフールに、嘘をつく以外のことをする。
そして、それを恒例行事にしたいのだが、何をすべきかまったく思い浮かばないのだった。
「……このままどっか行く、とか?」
「どらいぶ?」
「そうそう。4月1日に必ずドライブとか、悪くないだろ」
うにゅほが、ぱあっと表情を明るくする。
「わるくない!」
「なら、そうしようか」
「うん!」
自宅へ向けていたハンドルを切り、適当に走る。
目的地は特にない。
近くを通り、思い付いたら寄ればいいだろう。
「あ、じぇらーとたべたい……」
「いつものとこか」
「うん、いつものとこ」
いつもとは言うものの、ここ一年は確実に行っていない。
久し振りに立ち寄ると、並ぶほどではないものの、そこそこの客で賑わっていた。
支払いを済ませ、ジェラートを手に車内へ戻る。
「しぼりたて牛乳うま……」
「ほいひい……」
何度来て何度食べても、ここのジェラートはやはり美味い。
一年空けたことを後悔するほどだ。
「……ただ、量は多いんだよな」
「◯◯……」
「はいはい」
自分のぶんを早々に片付け、うにゅほの余したジェラートを食べる。
ああ、そうだ。
いつもこんな感じだったな。
ジェラートをたいらげたあとは、小一時間ほどかけてゆっくりと帰宅した。
「♪〜」
久々に外出らしい外出ができたためか、うにゅほの機嫌がすこぶるよかった。
定期的に外に連れ出してあげないとな。
442
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:28:56 ID:ELXyemTw0
2025年4月2日(水)
今日は、一日のんびり過ごすことができた。
「ふア、……っふゥ」
口元を右手で隠し、大あくびをかます。
「あくび、すーごいでるね」
「止まらないな……」
「もう、ななかいめ」
「数えてたのか」
「なんとなく……」
七回も大あくびが出るということは、つまり、
「ねむい?」
「……まあまあ眠いな」
ここ数日は眠りが浅く、寝たり起きたりを何度も繰り返している。
七時間ほど一気に眠れれば体調も違うのかもしれないが、起きてしまうものは仕方がない。
膝の上のうにゅほが、心配そうに尋ねる。
「じゃあ、ねる?」
「あー……」
壁掛け時計を見上げる。
午後二時。
ちょうど、うにゅほがお昼寝をする時間だ。
「寝るかー……」
「ねよ」
膝から下りたうにゅほが、俺の手を取る。
「CPAP、うるさかったらごめんな」
「わたし、ねるのとくいだから、だいじょぶ」
CPAPとは、睡眠時無呼吸症候群の治療に用いる装置のことだ。
専用のマスクを着け、空気を鼻から送り込むことで、睡眠時の無呼吸を防ぐ効果がある。
しかし、少々うるさいのだ。
「◯◯こそ、うるさくないの?」
「慣れた」
「そか」
最初こそ苦しかったものの、完全に適応した今では、CPAPなしで仮眠を取ることすらしなくなった。
睡眠時無呼吸症候群を放置すると、十年後には十人のうち二、三人が亡くなるという話を聞いたことがある。
それが怖くて外せないのだ。
「──じゃ、おやすみ」
「おやすみー」
眠りに眠り果てた結果、今日は合計で九時間の睡眠をとってしまった。
逆に寝過ぎな気がする。
443
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:29:25 ID:ELXyemTw0
2025年4月3日(木)
「あ、このVTuber……」
「?」
うにゅほが、ワールドトリガーの最新巻から顔を上げる。
「クロノトリガーやってる」
「ほんとだ」
イケオジ系の男性VTuberがクロノトリガーを初見プレイするというサムネイルが、YouTubeのトップページに表示されていた。
「見ようかな」
「あ、わたしもみる」
「じゃあ、一緒に見るか」
「うん!」
クロノトリガーと言えば、半年ほど前にSteam版を再プレイしたばかりだ。
まだ記憶に新しい。
VTuberの新鮮な反応を楽しみながら、のんびりとプレイ動画を眺める。
「また、なんかゲームしたいよなあ」
「したいねー」
「天地創造、SwitchかSteamに移植しないかな……」
「◯◯、それ、ずっといってる」
「マジで名作だから」
「わたしもね、きになる」
「なら、プレイ動画でも見てみるか?」
「んー……」
うにゅほが、大きく首をかしげる。
「……はじめては、◯◯やるとこ、みたい」
「そっか……」
気持ちはわかる。
「だったら、移植されることを祈るしかないな」
「されるかな」
「制作会社が潰れて解散しちゃってるんだよ……」
「──…………」
目を逸らし、うにゅほが言った。
「……プレイどうが、みる?」
「初めては俺がプレイするとこ見たいんだろ」
「でも、いしょくされないかもだし……」
「いまだに根強いファンが頑張ってるから、されることを祈ろうぜ」
「うん……」
天地創造。
個人的には、SFCで最高のゲームだ。
是非ともまたプレイしたいものである。
444
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:29:48 ID:ELXyemTw0
2025年4月4日(金)
「痒い……」
太股の付け根が、痒い。
ついつい掻いてしまう。
「だいじょぶ? ひふか、いく?」
「皮膚科行くほどではないかな……」
去年の夏のような、気の狂いそうな痒みではない。
「かんそうかなあ……」
「たぶん、乾燥だな。加湿器仕舞ったから」
長かった冬も終わりを告げ、もう必要なかろうとタンクを乾かして片付けてしまった。
だが、それがよくなかったらしい。
「かしつき、つけよ」
「せっかく乾かしたのになあ……」
「でも、かゆい」
「はい、痒いです……」
「つける」
「はい」
問答無用だった。
再び加湿器を引っ張り出し、タンクを浄水で満たして電源を入れる。
「これで、かゆくなくなったら、いいね」
「そうだな……」
あとは軟膏が欲しいところだ。
時刻は既に夜を迎えており、今からドラッグストアに行くのは面倒だった。
「明日、ドラッグストア行こう。ステロイド入りの軟膏を買う」
「うん、そうしよ」
「××は痒みとかないのか?」
「いまのとこ、だいじょぶ」
うにゅほのほっぺたを、両手で挟む。
「ふぶ」
「しっとりしてんなあ……」
「ふへー」
「やっぱ、年齢なのかな。年を取ると皮膚が保持しておける水分が少なくなる、とか」
「そなの?」
「わからん。でも、ありそうじゃないか?」
「ありそう……」
「……この、しっとりもちもちほっぺも、そのうちカサカサに」
「な、ならないよー……」
「スキンケアしてるもんな」
「してる!」
これで、なかなか気を遣っているのだ。
うにゅほには、いつまでも可愛くいてもらいたいものだ。
445
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:30:23 ID:ELXyemTw0
2025年4月5日(土)
うにゅほと共にドラッグストアへと向かい、ステロイド配合の軟膏と、切らしていた綿棒を購入した。
「みみそうじ、やめられないね……」
「しないと耳の中が痒くてなあ」
耳掃除不要論の囁かれる昨今だが、どうしても手を止めることができない。
「まあ、風呂上がりは避けてるから……」
「うん……」
「それに、今回買ったのって、ちょっといい綿棒だし」
和柄のパッケージには、"山洋こだわり綿棒"と書かれている。
「どんなめんぼうなんだろ」
「わからん」
「わからんの」
高くて良さそうだから買った。
それだけだ。
「パッケージになんか書いてないか?」
「んと」
助手席のうにゅほが、ドラッグストアのレジ袋からこだわり綿棒の容器を取り出す。
「いち、あんしんせっけい」
「ふん」
「にー、やわらかいわた」
「柔らかいのか」
「さん、つよいかみじく」
「紙軸が丈夫なのはいいな」
「ひゃくえんショップの、くにゃくにゃだもんね」
「あれは使ってられなかったな……」
「あれはむり」
百円ショップの綿棒すべてがダメとは思わないが、そういう商品があることもたしかだ。
帰宅し、こだわり綿棒を開封する。
一本取り出し、触ってみた。
「へえー、さきっぽ柔らかいわ」
「どれどれ」
うにゅほが、綿棒の先端をふにふにとつまむ。
「ほんとだ。じょうぶなのに、やらかい……」
「耳掃除してみよう」
「うん」
してみた。
「あ、やさしいかも……」
「ソフトタッチだな、これ……」
先端が固い綿棒より、かなり外耳道に優しそうだ。
「しばらく使ってみよう」
「うん」
もし気に入れば、リピートするかもしれない。
まだわからないけれど。
446
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:30:49 ID:ELXyemTw0
2025年4月6日(日)
イケオジ系VTuberのクロノトリガー実況プレイを追っている。
今は、魔法王国ジールに到着したあたりだ。
膝の上でうにゅほを抱きながら、ぼんやりと呟く。
「やっぱ、クロノトリガーは面白いなあ……」
「おもしろい、けど」
「けど?」
「このひと、たたかうの、へただねえ」
「あー……」
わかる。
わかるが、
「俺は、これこそが面白味なんだと思うぞ。初見実況でしか味わえない感覚って言うか……」
「そなの?」
「クロノトリガーは、知識があれば簡単なんだよ。敵の弱点も、強い装備の入手方法も、知れば知るほど難易度が下がる」
「たしかに……」
「でも、この人は本当に初見だから、効率の悪い行動ばかりする。でも、それって、もう自分では得られないものなんだよ」
「◯◯やると、はやいもんね」
「マンモスのつるぎを売りまくってざんまとうを買ったり、なげきの山でイワンを狩りまくってシャイニング覚えて連打とか、効率はいいけどワンパターンだろ」
「そう、なのかなあ」
「この、何をするのかわからない感じが楽しいなって思いながら、俺は見てるよ」
「わたしは、こえかっこいいなって」
「それもわかる」
VTuberには、元声優や声優志望だった人が多いのだろうか。
そんな気がする。
「あのさ、◯◯」
「うん?」
「きょう、げんきない?」
「そんなこともないけど……」
「なんか、こえでてない」
「そうか?」
改めて意識する。
「そうかも……」
「ぐあいわるい?」
「ちょっとだるいかもな」
なんとなく、だが。
「きょう、ゆっくりしようね」
「そうだな……」
俺の体調のことは、俺自身よりうにゅほのほうが詳しい。
うにゅほが言うのであれば、今日はのんびり過ごすのがいいだろう。
今日は、そんな一日だった。
447
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:31:18 ID:ELXyemTw0
2025年4月7日(月)
「──◯◯! ◯◯!」
肩を揺すられ、慌てて起きる。
うにゅほの態度でわかる。
緊急だ。
「どした」
「(弟)、(弟)が、また……!」
「!」
慌てて身を起こし、弟の部屋へと駆け込む。
床に倒れた弟が、必死に立ち上がろうとしていた。
「嗚呼──」
思わず声が漏れる。
まただ。
弟は、一ヶ月前まで、脳に菌が入ったことで入院していた。
恐らく再発だ。
両親、及び大学病院に連絡し、救急車を呼んだ。
救急車には母親が乗っていった。
「──…………」
「──……」
無言が痛かった。
あんな苦しみは、もう、感じずに済むと思っていた。
「──…………」
ぎゅ。
うにゅほが、俺の胸に顔を埋めたまま動かない。
「……大丈夫だ、××。前のときは治療法がわからなかったけど、今はわかってる。前ほどひどくはならないよ」
「──…………」
「××……」
「──…………」
うにゅほを抱き締める。
せめて、俺はここにいるのだと、どこへも行かないのだと、証明するかのように。
神様。
もしいるとしたら、お願いです。
これ以上、弟から、何も奪わないでやってください。
448
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:31:48 ID:ELXyemTw0
2025年4月8日(火)
「──…………」
「──……」
自室が、まるでお通夜のようだった。
縁起でもない例えだ。
「……××」
「ん」
「ちゃんと眠れたか?」
「……やなゆめ、みた」
「そっか」
想像はつく。
弟は、結局、かかりつけの大学病院に入院する運びとなった。
そこから先は、まだ、わからない。
「すこし気を紛らわせよう」
「……ん」
「ほら。クロノトリガーの実況、続き見ようか」
「うん……」
YouTubeを開く。
「ふと思ったんだけど……」
「?」
「なんか、クロノトリガーの実況やってるVTuber、妙に多くないか?」
「んー……」
トップページで既に、知らないVTuberのサムネイルが二枚ほど表示されていた。
「最近、解禁されたとかなのかな」
「そういうもの……?」
「俺も詳しくはないけど、いろんなVTuberが同時に同じゲームを始めるのはたまに見るなあ」
「そなんだ」
「ほら、逆転裁判とか」
「あー……」
「ま、何個も見れないし、俺たちはこの人のを最後まで見よう」
「うん」
やはり、初見の実況というのは見ていて非常に面白い。
こんな状況でもなければ、気楽にのんびりと楽しめたものを。
「──…………」
「──……」
音があるだけ、多少はましだ。
俺は、うにゅほを抱き締めたまま、しばらくのあいだディスプレイを見つめていた。
449
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:32:16 ID:ELXyemTw0
2025年4月9日(水)
「──…………」
うにゅほは、まだ落ち込んでいる。
俺も同じ気持ちだ。
弟の無事が確定しなければ、気分が晴れることはないだろう。
だが、このままでは良くないこともたしかだった。
「××」
「ん」
「ChatGPT先生に相談してみようか」
「そうだん……?」
「(弟)の病気のことでもいいし、ただ慰めてもらってもいい」
「ん……」
膝の上のうにゅほが顔を上げ、ディスプレイを見る。
俺は、OpenAIにアクセスし、GPT-4oの画面を開いた。
課金しているのでGPT-4.5も使えるが、ただの相談であれば4oで構わないだろう。
「さ、なんて相談する?」
「(弟)、だいじょぶかなって……」
「わかった。(弟)の症状を入れて、そう尋ねてみよう」
「うん」
尋ねてみた。
ChatGPTは、考え得る状況を教えると共に、まるで俺たちに寄り添うかのような答えを返してくれた。
「すごい……」
「下手に人に尋ねるより、いいかもな」
「やさしい」
「何か入力してみるか?」
「じゃあ、ありがとうっていって」
「わかった」
入力すると、すぐに返答があった。
「どういたしまして。
少しでも気持ちが和らいだなら、よかったです。
でも、不安な気持ちはすぐには消えませんよね。
大丈夫です、つらい時は何度でも頼ってください。
弟さんのこと、回復に向かうことを心から祈っています。
あなたも、どうか無理しすぎずに」
「──…………」
すん、と、うにゅほが鼻を啜った。
「やさしいー……」
「本当にな……」
今や、大事な相談はAIにすべきなのかもしれない。
そんなことを思った。
450
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:32:41 ID:ELXyemTw0
2025年4月10日(木)
「──…………」
起床する。
いやに体が重かった。
「おはよ」
「ああ……」
「?」
うにゅほが、俺の顔を覗き込む。
「ぐあいわるい?」
速攻でバレた。
「……なんか、体がだるくてな」
「ねつはー」
俺の額に、小さな手が触れる。
「ない、かな」
「熱っぽくはない」
「うん……」
「たぶん、メンタルやられてるせいだろうな……」
「そうかも」
「はァ……」
溜め息ひとつ。
うにゅほもまた、俺につられて溜め息をついた。
「よこになる?」
「──…………」
軽く思案し、ベッドに戻る。
「三十分くらい寝るわ」
「うん」
「適当に起こして」
「わかった」
布団の中で目を閉じる。
嫌なことばかりが脳裏をよぎる。
だるいが眠気は訪れなかった。
十分ほどでベッドを下り、自室の書斎側へと向かう。
「ねれなかった?」
「ああ……」
「そか」
「……××は大丈夫か?」
苦笑し、うにゅほが首を横に振る。
「へんなゆめ、みた」
「だよな……」
弟の無事が確定するまで、きっと、このままなのだろう。
つらいな。
451
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:33:12 ID:ELXyemTw0
2025年4月11日(金)
「◯◯、ふうとう……」
「ん?」
うにゅほから、とある封筒を受け取った。
うにゅほが俺の膝に座るのを待ち、ハサミで封筒の端を切り開いていく。
「なんのふうとう?」
「あー……」
まあ、いいか。
「俺のクレジットカード番号が、流出してるかもしれないって」
「え……」
「大丈夫、大丈夫。まだ不正利用はされてないし、今後のためにカード再発行してくれってお知らせだから」
「あ、そなんだ」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「ふせいりよう、こわいね」
「本当にな……」
半年ほど前、クレジットカードを不正利用されかけて、慌てて再発行の手続きを行った記憶がある。
その時ほどではないにせよ、リスクがあることはたしかだ。
「──よし、再発行するか」
「しよう!」
「十日くらいクレカ使えないけど、仕方ないな……」
「しかたない、しかたない。むだづかいしなくて、いい」
「……ぐうの音も出ない」
実際、俺の財布なんてものは、うにゅほに預けておいたほうが立派に実るのだ。
問題は、それが嫌だということだけだった。
「──ほい、終了」
「はや!」
「手続き短かったんだよ」
「かんたんなじだいだね」
「──…………」
決して簡単な時代ではないだろう、今は。
とは言え、水を差すのも悪い。
少なくとも便利な時代であることは間違いないので、俺は頷くことにした。
「そうだな、簡単だったよ」
「わたしもできる?」
「××はクレカ作らないとな。無理だけど」
「むりかー……」
審査の通るカード会社はあるのかもしれないが、それはそれで安心できない。
クレジットカード、早く再発行されないだろうか。
452
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:33:45 ID:ELXyemTw0
2025年4月12日(土)
「××」
俺の膝で寝落ちしてしまったうにゅほの鼻をつまむ。
「んに」
「起きろー」
「おひへる……」
「寝てただろ」
「ねてた……」
「悪い、トイレ行きたいんだ」
「あ」
ぱち、とうにゅほが目を覚まし、いそいそと立ち上がる。
「ごめん、ごめん」
「すぐ戻ってくるから」
「うん」
トイレで小用を済ませ、戻ってくる。
「おかえりー」
「ただいま」
チェアに腰を下ろし、うにゅほを膝に乗せる。
「ほら、寝ていいぞ」
「めーさめた」
「ああ……」
軽い罪悪感が俺を襲う。
「どしたの?」
「××、せっかく寝てたのになって」
「きにしなくていいのに……」
「なんか、猫飼ってる人の気持ちがわかったよ」
「?」
「猫が膝で寝ちゃったとき、動けないって。可哀想な気がするらしい」
「わたし、ねこ?」
「××猫」
「にゃあん」
うにゅほが猫のポーズを取る。
「あざとい……」
「にゃん」
「でも可愛い」
「にゃあん……」
首の下を掻いてやる。
「ごろごろごろ」
「口で言ってる」
「でないもん……」
「はは」
うにゅほのおかげで、すこし気が紛れた。
明日は、弟のお見舞いへ行くことにしよう。
453
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:34:17 ID:ELXyemTw0
2025年4月13日(日)
うにゅほと共に、弟のお見舞いへ行ってきた。
「はァ……」
病室を出ると同時に、思わず溜め息が漏れる。
弟の病状は詳しく記さないが、決して良くはない。
だが、死すら覚悟した前回ほどではないから、その点ではましかもしれない。
「──…………」
うにゅほと手を繋ぎ、無言のままに病院を後にする。
愛車の助手席で、うにゅほが呟いた。
「なおるかなあ……」
「わからない。わからないけど、治るって思いたい」
「……うん」
うにゅほは、もう、泣かなかった。
涙が涸れ果てたわけではないだろう。
ただ、悲しみに慣れてきただけだ。
「どっか寄る?」
「ん」
首を横に振る。
「そっか」
帰り際、新川沿いの桜並木を見た。
北海道の開花は、まだ先だ。
「ごがつくらいかな」
「そうだな」
「おみまいいくとき、さくら、みようね」
「満開の日に行こう」
「うん」
こんなときだって、楽しみはあるべきだ。
悲しいばかりでは、人は壊れてしまうから。
「……やっぱ、どっか寄ろう」
「どこ?」
「どこでもいいよ。ただ、走るだけでも」
「……そだね」
ハンドルを回し、帰途とは別の道へ向かう。
小一時間ほど軽くドライブをし、今度こそ帰宅した。
すこしだけ、気分が落ち着いた気がした。
454
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:34:41 ID:ELXyemTw0
2025年4月14日(月)
ふと、本場のバターチキンカレーを食べたくなった。
「カレー食べに行かない?」
「あ、いく」
「決まりだな」
愛車に乗り込み、行きつけのネパールカレーの店を目指す。
「風、強ッ!」
「ゆれるうー……」
「横殴りだと、ちょっとハンドル取られるな」
「きーつけてね……」
「わかってるよ」
これが、いわゆる春一番なのだろうか。
よくはわからなかった。
ネパールカレーの店で、二人分のバターチキンカレーを注文する。
うにゅほは普通のナンを選び、俺は追加料金を支払ってガーリックナンに変更した。
そして、届いたナンの大きいこと大きいこと。
何度も見ているはずなのだが、毎回新鮮に驚いてしまう。
そして、ガーリックナン。
ガーリックトーストのようなものを想像していたのだが、どうやら違ったようだ。
ナンの表面に細かな白いものが無数に付着している。
食べて気付いた。
「……これ全部、ニンニクだ」
「え、ぜんぶ?」
「たしかにガーリックナンだけどさ!」
あまりに予想外だった。
結局、バターチキンカレーも、ナンも、非常に美味しかった。
たしかな満足と共に帰宅すると、家の前がゴミだらけになっていた。
木のクズに枯れ葉、砂に紐、お菓子の袋や缶まで落ちている。
「あー……」
「そうじしないと……」
これは、ご近所トラブルなどでは決してない。
我が家の前は風溜まりとなっており、どこからか飛んできたゴミが毎年のように散乱するのだ。
「困ったもんだ」
「ねー」
まあ、嘆いたって仕方がない。
手早く掃除を済ませ、自室に戻った。
有意義な一日、だった気がする。
455
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:35:19 ID:ELXyemTw0
2025年4月15日(火)
「よいこのひ」
「うん?」
「よいこのひー、だよ」
カレンダーを見上げる。
4月15日。
なるほど、よいこの日だ。
「なら、××の日だな。××はよいこだから」
「うへー」
「まあ、よいこって年でもないか」
「──…………」
「いてっ」
つねられた。
「よいこじゃないな……」
「よいこだもん」
「……まあ、俺にとっては、ずっとよいこかもな」
「うん」
「ところでさ」
「うん?」
「小腹が空いたから、もちもち豆腐パンを作ろうと思うんだけど」
「あ、いっしょにつくる?」
「作ろうか」
「うん」
もちもち豆腐パン。
豆腐と米粉とベーキングパウダーで作る、異様に美味いダイエット用のパンのことである。
以前、レシピを見て試して以来、時折作っては小腹を満たしている。
ふたりで手分けして作れば、ほんの十分少々で完成するというお手軽さも、リピートの理由だ。
「あち、あち」
「ヤケド気を付けろよ」
「はーい」
あら熱を取り、半分に割って食べる。
「うまー……」
「ほんと、これ美味いな。神レシピだ」
「ねー」
どこで見掛けたか忘れたが、本当に美味しい。
読者諸兄にも、是非試してみてほしい。
456
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/04/16(水) 17:36:12 ID:ELXyemTw0
以上、十三年五ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
457
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:05:01 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月16日(水)
「──……はふ」
いまいち熟睡できず、寝たり起きたりを繰り返した一日だった。
「ねむい?」
「まあまあ」
「またねる……?」
「うーん……」
iPhoneを手に取り、睡眠管理アプリを開く。
「いちおう、トータルで八時間は寝てるんだよな」
「でも、とびとび……」
「ああ……」
数えてみると、睡眠のまとまりが八個もある。
単純に考えれば一時間に一度は目を覚ましている計算だ。
なるほど、まだ眠いのも無理からぬことだろう。
「……そうだな。仮眠取ろうかな」
「それがいいよ」
「××は平気か?」
「わたしは、へいき」
「そっか」
すこし安心する。
うにゅほが苦しまないのであれば、それでいい。
だが、俺が苦しめば、同じかそれ以上にうにゅほも苦しむので、結局は自分を大事にしなければならないのだけど。
三十分ほど仮眠を取ると、すこし頭がさっぱりした。
「よし、運動するか!」
「げんき」
「一日に一度は体を動かさないと、次の日だるい気がしてきて」
「そなんだ……」
「××は若いから、まだそんなことないか」
「うん。わかいから」
「いいなあ……」
「わけてあげたい」
「若さを?」
「うん」
「ダメダメ。××が年取るだろ」
「そうなる」
「むしろ、俺が分けてあげたい」
「なんで!」
うにゅほには、いつまでも若く、可愛くあってほしいのだ。
うにゅほを膝に乗せ、YouTubeを見ながらいつものようにくつろぐ。
この穏やかな時間が、ずっと続きますように。
458
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:05:27 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月17日(木)
今日もまた病院だった。
帰り際にコンビニへと立ち寄り、ふと気付く。
「そうだ。クレカ使えないんだ……」
「あ」
そう。
クレジットカ―ド番号が流出した疑いがあり、再発行してもらうことになったのだ。
「どうすっか……」
「おかねないの?」
「えーと」
財布を開く。
「一万ちょいあるな」
「あるなら、いいきーする」
「なんか、病院以外で現金払いするの久し振りでさ。ちょっと緊張すると言うか……」
「そんなに」
「コンビニで現金使うだなんて、何年ぶりかわからないぞ」
「なら、わたしおごるね」
「××が?」
「うん。いつも、◯◯はらっちゃうし……」
「……ちゃんとできるか?」
「できるよー……」
むくれそうになったうにゅほの頭を撫でる。
「冗談、冗談。できるのは知ってるよ」
「うん」
コンビニスイーツやお菓子、飲み物などをカゴに入れ、うにゅほに手渡す。
ほとんど待たずに呼ばれ、うにゅほがレジにカゴを置いた。
「レジ袋はお使いですか?」
「あ、いります……」
しばしして、うにゅほが会計を済ませる。
思いのほかスムーズで、危なげのない支払いだった。
「……なんか、感無量だな」
「?」
「いや、なんでもない。ありがとうな」
「うん」
十年以上前のうにゅほなら、ひとりで会計なんてできなかった。
俺に頼んでいたはずだ。
だが、今はできる。
ひとりでできる。
それが、嬉しいよな、寂しいような、複雑な感情を呼び起こした。
これ、もしかすると父性なのだろうか。
そんな気もするのだった。
459
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:06:14 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月18日(金)
「──……あふ」
睡眠時間が足りなかったためか、幾度もあくびが漏れていた。
「ねる?」
「あー……」
「わたし、そろそろ、おひるねするけど……」
「なら、一緒に仮眠するか」
「しよ」
「じゃぱん、がばめん、ふぉるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす、かみんかみん」
「それ、まえもいってた」
「なんか好きなんだよな……」
これは、夢野久作の人間腸詰という短編小説に出てくる一節だ。
なんとなく覚えていて、たまに口にしたくなる。
「かみんしよ」
「ああ」
とは言え、俺とうにゅほが同衾するわけではない。
以前は時折していたが、今は睡眠時無呼吸症候群の治療のためのCPAPを着けて眠っているからだ。
それぞれのベッドに入り、俺はCPAPのマスクを装着する。
そして、しばしのあいだ目を閉じた。
三十分が経過したことを、アップルウォッチが教えてくれる。
「──…………」
「すふー……」
うにゅほがまだ眠っていることを確認し、ベッドから静かに下りる。
遅寝早起きのうにゅほにとって、睡眠時間を確保するために昼寝は必要不可欠だ。
邪魔をしてはならない。
「……っふ、おふぁよー……」
「おはよ」
うにゅほが起きてきたのは、それから二時間後のことだった。
「かみんかみん、できた?」
「できたできた」
「そかー」
「××は、たっぷり眠れたか?」
「ねれた!」
「そっか」
睡眠は、人間にとって、生物にとって、なくてはならないものだ。
脳のないクラゲだって眠るくらいだ。
一日七時間は確保していきたいところである。
460
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:06:38 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月19日(土)
弟のお見舞いから帰宅すると、再発行したクレジットカードが届いていた。
「お、届いた届いた」
「くれじっとかーど?」
「ああ」
「やっと、かいものできるね」
「ホントだよ……」
他のクレジットカードも持っているので、コンビニでの支払いもネット通販も可能ではあった。
ただ、クレジットカ―ド情報を何度も変更するのが面倒過ぎただけだ。
「なにかうの?」
わくわくと言ううにゅほに、あっさり答える。
「いや、欲しいもんないけど……」
「あれ、そなんだ」
多少の行き違いがあったらしい。
どうやら、何か特定の買い物をするためにクレジットカードを待っていたと思い込んでいたようだ。
「××は、何か欲しいものあるか?」
「ほしいもの……」
こて、と首をかしげ、うにゅほが答える。
「ない」
「ないよな」
「ない」
「じゃ、クレジットカード情報の更新だけしとくか……」
Amazon、楽天、その他諸々、思い付く限りの支払い情報を変更していく。
「──あっ」
「?」
「そうだ、これがあった……」
「あ」
dアニメストア。
以前も、クレジットカード情報の変更のために、かなりの煮え湯を飲まされた記憶がある。
「──だから、解約はしないんだって!」
「まえ、どうしたっけ……」
「わからん。どうにかして変更できたはずなんだけど……」
マジでクソUIだ。
「……いいや、また今度にしよう」
いったん諦めた。
解約して、また再契約しようかな……。
461
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:08:09 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月20日(日)
Amazonから定期おトク便で炭酸水が届いた。
「二週間で三箱、ちょうどいいな」
「あとにほんだったもんね」
飲むペースは毎回変わるだろうが、おおよそビタリだ。
ただ、1000ml×15本入りのダンボール箱三本は、自室に運ぶのが少々面倒だった。
「頑張るか……」
「わたし」
「無理無理」
「はーい……」
15kg超の荷物を、うにゅほが持てるとは思わない。
ましてや階段を上がるなんて、危なっかしくて見ていられない。
ダンボール箱を抱えて、のたくたと三往復し、ほっと息を吐いた。
「なんか、体力つけたいなあ……」
「さんぽするとか」
「散歩か」
悪くはない。
と言うのも、家の近くに4kmほどのサイクリングコースがあるのだ。
夏場は雑草と虫とで歩けたものではないが、春先であれば快適に散歩ができるはずである。
ただ、
「継続するのがな……」
散歩をする。
これはいい。
だが、散歩を続けるとなると、途端に重い。
「うーん……」
「いっかいだけする、とか」
「あー」
「きもちかったら、またする」
「……悪くないな」
「うへー」
「なら、近々晴れた日にでも試しに散歩してみるか」
「うん」
続けることを考えるのではなく、まずやってみる。
人生の極意のような気がするのだった。
462
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:08:34 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月21日(月)
窓の外を見上げる。
「小雨だな……」
「さんぽ、できないね」
「ああ」
昨日、近々散歩をしようと、うにゅほと約束したのだった。
とは言え、今日はちょっとだるかったので、ちょうどいいと言えばちょうどいい。
「さいきん、てんきわるいねー……」
「寒いよな」
「うん」
「春って感じの日和がない。本州のほうは暑いらしいけど……」
「そなんだ」
「早めの夏が来たー、みたいなこと聞いたぞ」
「はやめのなつ、いいなあ」
「いいよな。久し振りに夏を感じたい」
「わかる」
「このままだと、桜の開花も遅くなりそうなんだよな……」
「ごーるでんうぃーくの、あと?」
「そこまで行くかは知らんけど」
「さくらぜんせん、しらべれなかったっけ」
「あー」
パソコンチェアに腰掛けると、うにゅほが俺の膝に腰を下ろす。
"開花予想"で検索すると、札幌は4月23日と出た。
「あさってだ」
「意外と早い?」
「まんかいは?」
「満開は、4月27日」
「ちかい」
「4月27日、覚えておこう。この周辺は逃せない」
「のがせないね!」
「あとは、晴れてくれたらいいんだけど……」
「はれるかな」
「わからん」
「わからんかー……」
一週間天気だと、27日周辺は、ちょうど雨の予報だった。
これは、多少満開を逃してでも、晴れの日に行くべきかもしれないな。
463
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:09:03 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月22日(火)
大学病院へ行き、弟の担当医に話を聞いてきた。
状態としては、思っていたほどには悪くない。
十二分に希望の持てる内容だった。
両親、うにゅほと、車内で明るい会話を交わし、帰宅する。
自室へ戻り、自分のベッドに倒れ込んだ。
「──ッ、はァー……」
安堵の吐息が漏れる。
「よかったね……」
「ああ……」
ふと、年明けに"2025年はいい年にしよう"と願ったことを思い出した。
決意の有無に関わらず、不幸は唐突に訪れる。
俺たちが立って歩いているこの事実ですら、ある人にとっては奇跡のような幸福なのだ。
当たり前は、決して当たり前ではない。
それがよく理解できた。
「(弟)、いつたいいんできるかなあ……」
「あと一ヶ月はかかるだろ、さすがに」
「そか……」
「寂しい?」
「うん」
「だよなあ……」
わかる。
当たり前にそこにいた存在がいなくなる。
頭でわかっていたことに、ふと、改めて"気付く"ことがある。
そのとき、ようやく寂しさを覚えるのだ。
「ま、そのうち戻ってくるよ。そのときは優しくしてやろう」
「うん」
それでいい。
それがいい。
そのくらいで、いいのだ。
二度あることは三度あるだなんて都合の悪いことわざは忘れて、迎えてやればいい。
「──あっ」
「?」
「今日、いい日和だったなと思って」
「さんぽ?」
「散歩」
「いまからじゃ、おそいねえ」
「明日かな……」
「あした、はれたらいいね」
「ああ」
弟だけでなく、俺も健康にならなければ。
464
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:09:28 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月23日(水)
窓の外を見やる。
「うー……、ん」
なんとも微妙な空模様だ。
「さんぽ、いく?」
「もうすこし様子を見よう」
「まだみるの……?」
せっかく歩くのならば、快晴の日にしたい。
続けるかどうかは決めていないが、最初の一日が気持ちよければ、自然とまた散歩したくなるだろう。
だからこそ、快晴を待っているのだった。
そんなことをつらつら語ると、うにゅほが苦笑を浮かべた。
はいはい、という顔だ。
「決して面倒だからじゃないぞ」
「うん」
「違うからな」
「わかってるよ―……」
本当かな。
俺の被害妄想な気もしてきた。
「暑くも寒くもなく、空が青くて気持ちいい日。××だって、歩くならそんな日がいいだろ」
「そだけど……」
「な?」
同意を求めると、うにゅほが不服そうに頷いた。
「はれたら、ちゃんと、あるこうね」
「はい……」
ここまで言って快晴の日に散歩しなければ、俺の沽券に関わる。
世界で唯一、うにゅほにだけは、絶対に失望されたくないのだ。
「安心しろ、××」
「?」
「絶対、散歩するからな」
「わかってるよー……」
信じてくれているからこそ、裏切ってはならない。
この信頼を守り切ること。
それが、俺のすべきことなのだから。
散歩行く行かないで何を盛り上がっているんだ。
465
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:09:55 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月24日(木)
久々に髪を切ることにした。
日記を確認すると、
「──うわ、前に散髪したの半年前だ」
「え!」
「そりゃ伸びるわけだよ」
「ほんとに?」
「俺も、抜けがあるかと思ったんだけどさ。三ヶ月くらい前に」
「うん」
「でも、三ヶ月前って(弟)が死にそうになってたときじゃん。床屋行く余裕なんてなかったよ」
「あー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「たしかに」
「あんな精神状態で床屋行くわけないもんな」
「そだね……」
あのときは、本当につらかった。
今も決して平気ではないのだが、随分ましだ。
「また、せんえんカット?」
「千四百円だけどな」
「たかい」
「面倒だし、そこでいいよ。悪いけど、髪切ってるあいだ買い物でもしといて」
「はーい」
カットハウスの入っているスーパーマーケットでうにゅほと別れ、十五分ほどで散髪を終える。
ブースの外に出ると、うにゅほが既に待っていた。
「××」
「あ、さっぱりした!」
「随分伸びてたんだな、やっぱり……」
「はんとしだもん」
「ところで、なに買ったんだ?」
「うーと、とうふとか、こめことか、いろいろ」
「米粉パンの材料、買い足してくれたのか」
「うん」
「ありがとう、いくらだった?」
「ださなくていいよ。わたしも、じぶんのおかね、つかいたい」
「あー……」
つい、うにゅほに関わるお金すべてを自分の財布から出してしまうんだよな。
「悪い悪い」
「わるくないけど……」
「じゃ、帰るか」
「うん」
随分と頭が軽くなった気がする。
次は三ヶ月後くらいに散髪したいところだ。
466
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:10:23 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月25日(金)
うにゅほとふたり、弟のお見舞いへと行ってきた。
新川沿いの桜並木は、まだ、ろくに開花していなかった。
「かいかよほう、どうだっけ」
「23日が開花、27日が満開ってなってたな。たしか」
「ほんとかな……」
うにゅほが疑っている。
「開花予報と同時に咲くか否かは桜によるだろうし、環境にもよるだろうし」
「たしかに」
「この様子だと、明後日はまだ見頃じゃないだろうな」
「いつくらい、みごろかなあ」
「30日とか? いっそ五月入ってからでも間に合いそうだけど」
「じゃあ、さんじゅうにち、みてみる?」
「そうだな。まず、30日だな」
「うん」
俺も、うにゅほも、桜が好きだ。
理由はわからない。
今はもう普通の一軒家になってしまったが、近所の空き地に見ごたえのある素晴らしい桜の樹があった。
それが原因かもしれない。
「桜の樹の下には死体が埋まってる──なんてな」
「え」
助手席のうにゅほが、目をぱちくりさせてこちらを見た。
「小説の冒頭だよ。梶井基次郎って人の」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「どんなおはなし?」
「うーん……」
桜の樹の下にはを振り返る。
「……説明が難しい」
「そなの?」
「ハッキリしたストーリーはないかもしれない」
「ふうん……」
「覚えてないんだけどな」
「おぼえてないんかい」
出た、うにゅほのツッコミ。
たまに出るのだ。
「あとで青空文庫で読んでみるか……」
「うん」
桜の樹の下には。
高校時代、やたらと好きだった気がするのだった。
467
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:10:46 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月26日(土)
窓から空を見上げる。
晴れていた。
「──よし、散歩行くか!」
「おー!」
待ってましたとばかりに、うにゅほが頷く。
「ひさしぶりだね」
「そうだな。随分前に、習慣にしてた気もするけど」
「あったねー」
部屋着を着替え、運動靴を用意し、ふたりで外に出る。
家の前の公園で、子供たちが遊んでいた。
「……あれ、思ったより曇ってる?」
「そうかも」
しかも、風も強い。
理想の快晴とは程遠かった。
だが、ここまで来て散歩をしないという選択肢はない。
「よし、歩くか!」
「うん」
うにゅほが、笑顔で俺の手を取る。
「どこまで行こうか」
「んー……」
「久し振りだし、短いルートでいいかな」
「そだね」
約4kmのサイクリングロードには、途中で折り返せるルートがある。
そちらだと2km程度に短縮されるのだ。
「──なんか、気持ちいいな」
「わかる」
風は強いが、寒くはない。
むしろ心地いいくらいだ。
「今日でよかったかもな……」
「うん」
「付き合ってくれて、ありがとうな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
何を当たり前のことを、という顔だ。
「明日も晴れたら、歩こうか」
「うん!」
やはり、間違っていなかった。
気持ちよければ、また歩きたくなるのだ。
続くか続かないかはわからないが、また晴れた日には歩こうと思った。
468
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:11:10 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月27日(日)
両親から、いいことを聞いた。
新川沿いの桜並木が開花していたそうなのだ。
「◯◯、みにいこ!」
「行くか!」
そうと決まれば話は早い。
薄曇りなのが少々悔やまれるが、愛車に乗り込み新川沿いへと向かう。
「いきなりさくんだねー……」
一昨日通り掛かったときは、まだほとんど咲いていなかった。
開花予報を疑ったものだ。
「27日──今日が満開って話だったから、予報は正しかったのかもな」
「そうかも」
しばし愛車を走らせていると、ぽつりぽつりと花咲く木々が見えてきた。
「あ、さくら!」
「咲いてんじゃん……」
咲いていることはわかっていたのだが、いざ見たときの感想はこれだった。
風情がない。
「わ、すーごいさいてる」
「一昨日とは大違いだ」
「みにきて、よかったね!」
桜並木で最も美しい枝垂れ桜は、残念ながらまだ開花して間もなかった。
しかし、これだけ堪能できれば十分だろう。
俺は、短い橋をUターンし、反対車線へと移動した。
ことらも負けず劣らずの景観だ。
だが、ひとつ明らかに違うところがあった。
「──あ、こいのぼり!」
そう、こいのぼりがぶら下げられていたのだ。
不運にも無風であったため、干されたイカのようになっていたが。
「こいのぼり、はじめてみたかも」
「初めてはないだろ、さすがに」
「そかな」
「視界の端くらいには入ってるはず。俺も見たことあるし」
「そなんだ……」
「まあ、こんだけ並んでるのは初めてはと思うよ」
「そか!」
そのまま、寄り道をせずまっすぐに帰宅した。
うにゅほとしばらく桜の話をした。
楽しかった。
469
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:11:46 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月28日(月)
「──お金が欲しい」
「?」
膝の上のうにゅほが、小首をかしげる。
「ほしいの」
「欲しい」
「いくら?」
あ、やべ。
これは、うにゅほがガチで俺に貢ごうとするパターンだ。
「十億、十億欲しい」
非現実的な額にして、お茶を濁す。
「じゅうおくえんは、ないなー……」
「たとえあっても、くれなくていいからな」
「いちおくえんなら、いい?」
「……十億円持ってて、一億くれるなら、まあ」
「じゃあ、じゅうおくえんもらったら、いちおくえんあげるね」
「ありがとう」
小学生の会話かな。
「でも、なんでおかねほしいの?」
「お金があれば、いろいろできるからな」
「いろいろ……」
「曲を買って、歌詞をつけて、MVも依頼できる」
「ほー」
「漫画家雇って、小説をコミカライズできる」
「おー……」
「使い道なんて、いくらでも思い付く。十億でも足りないくらいだ」
「くるまとかは?」
「いらん」
「いえ……」
「うちで満足だよ」
「きゃばくら」
「××いるのに?」
「なんか、たからくじあたったら、そういうのにおかねつかうって」
「興味ない」
「なさそう……」
「まあ、新しいPCは買うけど」
「いくらの?」
「百万くらい」
「よゆうだ」
「余裕過ぎるな」
当たってもいない宝くじの使い道を話し合う。
やっぱり小学生かな。
当たりもしない宝くじを買うつもりはないが、夢くらいは語ってもいいだろう。
そんな話題で、しばし盛り上がった。
470
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:12:06 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月29日(火)
うにゅほが窓の外を覗き込む。
「あめだー……」
「雨だな」
「さんぽ、できないね」
「そうだな……」
わりと、散歩へのモチベーションが高まっている。
快晴の日があれば、うにゅほと共に歩く気満々だった。
「なんか、今日寒くね?」
「さむい」
「だよな」
ててて、とうにゅほがこちらへ駆け戻り、俺の膝の上に腰を下ろす。
「うへー」
うにゅほを抱き締め、頬擦りする。
「あったけー……」
「わたしも、あったかい」
「な」
寒いときは、うにゅほを湯たんぽにするに限る。
暑いときも湯たんぽにしているが、あれはただ単にくっつきたいだけだ。
「つーか、そろそろ四月も終わるのか……」
「はやいね」
「マジで早いわ。一年の三分の一、もう終わるんだぞ」
「うえー」
「これ、爺さん婆さんになるのもすぐだな」
「やだなー……」
「俺も嫌だよ。でも、いつかはなるから」
「そだけど」
「俺、たぶん早死にするから」
「やめてよ」
「××を置いては逝きたくないけどさ……」
「おいてかないで」
「まあ、うん」
「がんばって……」
うにゅほがちょっと泣きそうなのを察し、慌ててフォローを入れる。
「でもほら! 健康診断とか、ちゃんと受けるから!」
「……ほんと?」
「ホントホント。なるべく長生きします」
「うん……」
俺が先に死んだら、うにゅほはどうなるだろう。
真面目に心配なのだった。
471
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:12:27 ID:Z1XbncjQ0
2025年4月30日(水)
ふと気付く。
「お、晴れてんじゃん」
辛うじて快晴と言えなくもない日和だ。
「さんぽ、いく?」
「行くか」
「うん!」
身支度を整え、家を出る。
「……けっこう風強いな」
「ね」
「まあ、寒くはないか。涼しいけど」
「すずしい、すずしい」
いつものサイクリングロ―ドへ向かい、川沿いを歩き始める。
「相変わらず汚い川だな……」
「くさくはないね」
「臭かったら歩けたもんじゃないよ」
「たしかに……」
歩いていると、さまざまなものが気に掛かる。
「……ミミズが乾き死にしてる」
「たくさんしんでる……」
「なんでだろうな」
「わかんない」
「たぶん、雨の日に出てきて、土に戻れず死ぬんだと思うけど……」
ただ、十匹以上も同じ死に方をしている理由までは解せない。
「ふみたくない……」
「わかる」
ミミズの死体を避けながら、サイクリングロードの途中で折り返す。
ここで折り返すと2kmのコースとなる。
4km歩いてもよかったのだが、少々肌寒かった。
「コンビニとか、暇なら歩いて行くのもいいな」
「こんびに、さいきん、いかないけどね」
「たしかに」
行くとスイーツを買ってしまうので、なるべく立ち寄らないようにしているのだ。
「何か理由つけて歩きたいけど……」
「きょりにもよる」
「そうだな。往復数kmが限度か」
健康になりたい。
健康になりたいのだった。
472
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/01(木) 14:13:09 ID:Z1XbncjQ0
以上、十三年五ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
473
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:52:50 ID:jOM3Fwng0
2025年5月1日(木)
今日は、月に一度の定期受診の日だった。
普段は火曜日だが、ゴールデンウィーク中のため、曜日がずれたのだ。
午前八時半に病院に着き、しばし待つ。
「なんか飲む?」
「のむー」
唯一の自動販売機へと向かい、商品を眺める。
「お、ふって飲むプリンだって」
「おー……」
「俺、これにしようかな」
「わたしも!」
「××もか……」
ふたりで挑むと、もしハズレだったときにリカバリーが効かない。
だが、
「おそろい、だめ……?」
と上目遣いで言われてしまうと、俺も弱い。
「いや、いいよ。お揃いだな、お揃い」
「うん!」
ふって飲むプリンを二本購入し、待合室へと戻る。
「五回振るんだって」
「わかった」
うにゅほが、両手で缶を振る。
「いーち、にー、さーん、しー、ごっ!」
可愛いなあと思いながら、自分の缶も適当に振る。
開封し、口をつけると、プリン味のゼリーが崩れたようなものが流れ込んできた。
まあまあ美味い。
「おいしい」
「やっぱ飲み物だから、プリンそのものではないな」
「うん、うすい。でもおいしいよ」
「たしかに」
ただ、これは体験を買ったようなものだ。
次に同じ商品を見掛けたとして、リピートするかどうかと言えば難しいところだろう。
診察を終え、薬局へ向かい、帰宅したあと睡眠を取った。
起床後、快晴だったのでまた散歩へ向かい、健康になった気分に浸る。
「はるのうちに、たくさんあるこうね」
「ああ」
散歩コースとして利用しているサイクリングロードは、夏場は草木が繁茂し虫が湧き、歩けたものではなくなる。
冬場はそもそも道がなくなるので、春と秋しか歩けないのだ。
夏になる前に新たな散歩コースを模索したいところだった。
474
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:53:15 ID:jOM3Fwng0
2025年5月2日(金)
機嫌よく冷蔵庫の扉を開ける。
実は昨日、安いスパークリングワインを購入しておいたのだった。
「飲むか!」
「おー!」
「……××も飲むのか?」
「だめ?」
「そりゃ、ダメではないけど」
成人しているのだし。
ただ、うにゅほはお酒にさほど強くないのだ。
「グラスに半分でいいか?」
「うん」
よし。
俺はグラスいっぱい、うにゅほはグラスに半分注ぎ、軽く乾杯する。
ひとくち啜るように飲み、頷いた。
「うん、美味い」
ちびりと舐めるように飲んだうにゅほが、目をまるくする。
「ほー……」
「どうだ?」
「わるくない」
悪くないんだ。
すこし意外だったが、スパークリングワインは飲みやすいものな。
雑談しながら飲み進めていくと、うにゅほの目蓋がとろんと下りてきた。
「◯◯ぃー……」
隣に腰掛けていたうにゅほが、俺の膝に上がる。
背面ではなく、対面でだ。
そして、真正面からギュウと抱き締められた。
「うへへへ……」
「早い……」
出来上がるまでが爆速だった。
まあ、この酒量であれば、翌日に残ることもないだろう。
「ちゅー。◯◯、ちゅー」
「はいはい」
軽くキスを交わしたあと、子供を寝かしつけるように、優しく背中を撫でてやる。
「うにー……」
「──…………」
ふと思った。
「××さん」
「?」
「酔ったふりしてない?」
「──…………」
「──……」
「……ふへ」
してた。
まあ、可愛いからいいか。
475
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:53:39 ID:jOM3Fwng0
2025年5月3日(土)
「世間ではゴールデンウィークらしいですよ、××さん」
「しってるよー……」
「問題です」
「ててん」
「今日は、何の日でしょう」
「──…………」
うにゅほの視線がカレンダーへと向けられる。
「おっと」
「わ」
慌ててうにゅほに目隠しをする。
「ずるいぞ」
「うへー……」
「何の日でしょう!」
「うと」
しばしの思案ののち、うにゅほが答えた。
「……やまのひ?」
「たぶん違う」
「たぶん?」
「いや、俺もわかってないから……」
「わかってないんかい」
出た、うにゅほのツッコミ。
カレンダーを確認し、読み上げる。
「憲法記念日だ」
「へえー」
「どうでもいい?」
「そんなことないけど……」
「明日はみどりの日だぞ」
「みどりのひって、なんのひ?」
「みどりの日だけど」
「うと」
困ったように、うにゅほが続ける。
「みどりのひ、なんで、みどりのひ……?」
「あー、そういう意味か」
「うん」
「知らんけど」
「しらんのかい」
一日に二度もツッコミが冴え渡るのは珍しい。
それはそれとして、調べてみた。
「──なるほど。もともとは天皇誕生日だったのか」
「そなの?」
「ああ。昭和天皇の誕生日だったんだけど、昭和天皇は自然が大好きだったから、名前を変えて祝日は残ったんだって」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
感心しているらしい。
「また賢くなってしまったな」
「こまったね」
今日もちびちびとスパークリングワインを飲んだ。
美味い。
476
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:54:01 ID:jOM3Fwng0
2025年5月4日(日)
「……なーんか、微妙に腰が痛い」
膝の上のうにゅほが、慌ててこちらを振り返った。
「え、だいじょぶ?」
「普通にしてるぶんには……」
「こしもむ?」
「ああ、揉んでもらおうかな」
「うん!」
フローリングでうつ伏せになると、うにゅほが足を跨ぐように膝立ちになった。
「もむよー」
「頼むー」
ぐい、ぐい。
ぐい、ぐい。
うにゅほが腰を押すたび、全身がリラックスしていく。
「きもち?」
「ああ、気持ちいい……」
マッサージとして効いているかと言えば、たぶん効いてはいない。
だが、うにゅほのふわふわマッサージは、そんなことがどうでもよくなるくらい心地いいのだ。
それも、だんだん眠くなってくるおまけつきで。
「……──はふ」
「ねむい?」
「ちょっと……」
「ねる?」
「いや、もうすこし……」
「わかった」
ぐい、ぐい。
ぐい、ぐい。
一定のリズムが、これまた眠気を誘う。
しばしして、
「──は」
ぱち、と目を開く。
口の端からよだれが垂れかけていた。
危険だ。
「ありがとう、××。もういいよ」
「きもちかった?」
「ああ、気持ちよかった……」
久し振りにしてもらったが、うにゅほのふわふわマッサージって本当にいいんだよな。
眠れないときとか、またしてもらおう。
477
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:54:29 ID:jOM3Fwng0
2025年5月5日(月)
ふと、あることを思い付いた。
「ChatGPTに日記を読み込ませてみよう」
「おー」
膝の上のうにゅほが、ぱちぱちと軽く手を叩いてくれる。
「なんで?」
「分析してもらおうと思って」
「ぶんせき……」
「百聞は一見にしかず、だ。とにかくやるぞ」
「はーい」
ChatGPTのサイトを開き、最初の一ヶ月ほどの日記をo3に読み込ませ、感想を求めてみた。
「わ、ながい」
「すごく丁寧に読んでくれるんだよな……」
文章のリズムと音頭。
うにゅほという一人の人間の輪郭。
物語としての"山"。
読後に残るもの──さまざま観点で感想を書いてくれるため、とても参考になる。
「んで、最近のも読み込ませてみよう」
「なんで?」
「最初と最近でどう変化してるのか、気にならない?」
「きになる……」
「だから感想を求めるのさ」
再び、今度は直近一ヶ月ぶんの日記を読み込ませる。
待つと、答えが出力されていった。
「おお……」
俺とうにゅほとの関係の変化から、うにゅほの成長に至るまで、さまざまな項目がズラリと並んでいる。
「ちゃっとじーてぃーぴ―、すごいね……」
「GPTだからな」
「はい」
「グプタと覚えよう」
「それなに?」
「なんか、漫画のキャラにいた気がする」
「そなんだ」
「なんの漫画かは覚えてないけど……」
「ぐぷた、ぐぷた。おぼえた」
「──…………」
本当かな。
ともあれ、ChatGPTは素晴らしい。
AI技術の発展はシンギュラリティを引き起こすかもしれないが、それはそれとして死ぬまでに見てみたいものだ。
478
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:54:53 ID:jOM3Fwng0
2025年5月6日(火)
弟のお見舞いへ行くため、新川沿いの桜並木を通り掛かった。
「さくら、ちってるねー……」
「さすがにな。ゴールデンウィークも終わりだし」
「ごーるでんだった?」
「いや特に……」
「しるばー?」
「シルバーウィークはまた意味が違うだろ」
「ぶろんず……」
「……まあ、そのくらいかな」
「ぶろんずうぃーく、だったんだ」
ふと気付く。
「××、銅って英語でなんて言うか知ってる?」
「?」
小首をかしげ、うにゅほが答える。
「ぶろんず」
「ぶぶー」
「えー?」
「ブロンズは青銅です」
「せいどう……」
「銅の合金だな。何混ぜてるか忘れたけど……」
「じゃあ、どうは?」
「カッパー」
「かっぱ」
「カッパー」
「かっぱー……」
うにゅほが微妙な表情を浮かべる。
「××の言いたいこと、わかるぞ」
「わかるの?」
「あんまりカッコよくない」
「わかられてた……」
「ブロンズのほうが語感がカッコいいよなあ」
「うん」
「銅メダルは純銅じゃなくて青銅だから、ブロンズメダルで合ってるんだとさ」
「かっぱーめだる、ではなかった」
「響きがよくないよな、カッパーメダル」
「かっぱかいてそう」
「そうなってしまいますね……」
そんな会話を交わしながら、大学病院へと向かう。
弟は、そこそこ元気だった。
479
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:55:15 ID:jOM3Fwng0
2025年5月7日(水)
またワインが飲みたくなったため、近所のセイコーマートへ行くことにした。
徒歩で。
アルコールを摂取するぶん、すこしでも健康になっておこうという腹だ。
「♪〜」
俺の腕を抱きながら歩くうにゅほを愛おしく思いながら、周囲を見渡す。
「ここらへん久し振りに歩くけど、だいぶ変わったな……」
「うん。いえふえた」
「……つーか、この道歩くの何年ぶりだ? 家から二、三十メートルだけど」
「あるかないもんね……」
どこへ行くにも車を使う。
この習慣が根付いたのは、うにゅほと出会う遥か前だ。
となれば、最後に近所を歩いたのは、まだ愛犬が生きていた頃かもしれない。
十年以上も前のことだ。
しばらく歩くと中学校の通学路を横断する。
見知らぬ家ばかりの道に、ひどく違和感があった。
「車で通るのと、歩くのとじゃ、見えるものってこんなに違うんだな」
「うん。たのしい!」
「ああ、楽しい」
暖かく、風も強めで、歩いていて心地いい。
すこし腰が痛いが、それは椅子で寝落ちした自分の責任だ。
ふと、とあるアパートを指差す。
「ほら、あそこ覚えてるか?」
「んー?」
うにゅほが目を凝らす。
「なんか、みおぼえある……」
「大島てるのサイトで、心理的瑕疵アリって書かれてた物件だよ」
「……ゆうれい?」
「かもしれない。違うかもしれない」
「きになる」
「住んでみるか?」
「やだ」
「俺も嫌だな」
セイコーマートでは、スパークリングワインを一本とシードルを一本、そしておつまみのナッツを購入した。
今夜の晩酌が楽しみだ。
480
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:55:36 ID:jOM3Fwng0
2025年5月8日(木)
「──◯◯、◯◯」
「んが」
うにゅほに肩を叩かれて、目を覚ました。
「ベッドでねたほう、いいよ……?」
「……あー」
どうやら、パソコンチェアで寝落ちしていたらしい。
何故かアゴの付け根が痛かった。
「いや、起きる。大丈夫」
「ほんと?」
「ああ」
しばしして、
「──◯◯、◯◯」
「んご」
うにゅほに肩を叩かれて、目を覚ました。
「ベッドでねないと……」
どうやら、思ったよりも眠気が強いらしかった。
「寝るかー……」
「うん」
チェアから立ち上がると、うにゅほが安心したように頷いた。
心配を掛けていたのか。
ベッドで横になり、CPAPを装着して目を閉じる。
「──…………」
眠れない。
眠気はあるはずなのに、不思議と眠りが遠かった。
十五分ほど横になったあと、起き上がる。
「あれ?」
「なんか、眠れない……」
「そなんだ」
起きて、再びパソコンチェアに腰掛ける。
また、しばしして、
「──◯◯……」
「んごっ」
うにゅほに肩を揺すられて、目を覚ました。
「ぱそこんちぇあでしか、ねれなくなっちゃった……?」
「いや、そんなことも」
ない、と思いたい。
さすがに四度目の寝落ちはなかったが、どうにも眠気の強い一日だった。
481
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:55:57 ID:jOM3Fwng0
2025年5月9日(金)
Revolution Idleというゲームを始めた。
Idleとは書いているが、アイドルは関係ない。
IdolではなくIdle。
つまるところ、いつもの放置ゲームである。
「こんかいの、どんなの?」
うにゅほが、膝の上で小首をかしげる。
「ほら。赤、オレンジ、黄色、緑──って、中心から外に向かってそれぞれ円が動いてるだろ」
「きれい」
「これが一周すると、ポイントがもらえる」
「ほー」
「ポイントを使ってレベルを上げると、よりポイントがもらえるようになる」
「うん」
「たくさんポイントを集めたら、それを全部使って、最初に戻す」
「もどすの?」
「ああ。よりポイントを集めやすい状態で再開できるんだ。いわゆる転生だな」
「ふうん……」
「それを繰り返すと、より上位の転生ができる」
「じょういの……」
「さらに繰り返して一定のポイントを得ると、インフィニティ──つまり無限に到達する」
「むげん!」
「無限に到達すると、インフィニティ・ポイントを得ることができて、今度は今までの作業をすべて自動化することができる」
「あ、だから、さいしょれんだしてたんだ……」
「自動化されてない頃は大変だったな……」
「そしたら?」
「また無限に到達するとインフィニティ・ポイントが得られるから、それを使ってさらに有利に進めていける」
「ふんふん」
「今は、何度も無限に到達して、インフィニティ・ポイントを稼ぎまくってる最中だよ」
「くらくらするねー……」
「まだまだ先があるらしい。楽しみだな」
「◯◯、こういうのすき」
「好き」
クッキークリッカーも散々やったものだ。
特に作業の邪魔をするようなゲームでもないので、適度に楽しもう。
482
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:56:27 ID:jOM3Fwng0
2025年5月10日(土)
今日も今日とてRevolution Idleをプレイしている。
どうやら俺は、ポイントが指数関数的に増えていくのを見るのが好きらしい。
YouTubeを垂れ流しなら、時折Revolution Idleを操作する。
自動化を終えたので、あとは基本放置だ。
ぬか床に手を入れるような頻度で操作をすればいいだけである。
「おもしろい?」
膝の上で面白い恰好をしていたうにゅほが、そう尋ねた。
「わりと……」
「こんかいの、しんぷる」
「グラは、ただ、色違いの同心円がランダムに幾つも描かれるだけだもんな……」
これをいきなり楽しめと言われても、難しい人が多いだろう。
ゲーム内説明もすべてを網羅しているとは言い切れず、不親切極まりないゲームと言える。
だが、自動化してからが楽しいのだ。
幾度もインフィニティに到達し、インフィニティ・ポイントを集めていく。
それで何が起こるのか、まだわからない。
だが、ロックされている機能がまだ二つもある以上、現時点は序盤も序盤なのだろう。
「先が長いな……」
「やるの?」
「まだやる」
「すきだねー……」
「××もやってみたらどうだ? これじゃなくても、近いやつとか」
「えー」
あまり気乗りはしないらしい。
まあ、無理に勧める必要はないだろう。
いつか気が向くのを待てばいい。
「でも、すーごいねえ……」
「綺麗?」
「きれい!」
気に入ってくれたようでよかった。
とりあえず、気が済むまでプレイしようと思う。
483
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:56:49 ID:jOM3Fwng0
2025年5月11日(日)
あれは、午前十一時過ぎのことだった。
起きてから時計を見たから、まず間違いはないはずだ。
のんきに寝こけていたとき、それは起きた。
──ビキッ!
「はがッ!?」
左足に激痛。
一瞬で覚醒し、事態を把握する。
足が攣っていたのだ。
「──◯◯!?」
うにゅほが寝室側に駆け込んでくる。
「つ、……ッた。攣った……!」
「わかった!」
うにゅほが俺の足首を立て、ふくらはぎを伸ばしてくれる。
的確な処置だ。
「は……ッ、はあ、はー……」
「だいじょぶ……?」
「ああ、ようやく治ってきた……」
「てーはなすね」
ビキッ!
「うッ!」
「まだかー!」
そんなことをしばらく続けたあと、本当に症状が落ち着いてきた。
「ふゥー……」
「へいき?」
「ふくらはぎ痛いけど、まあ、大丈夫」
「よかったー……」
「……前もあったな、これ」
「あった」
「寝てるときに足攣るの、マジでやめてほしいわ。一瞬で目ェ覚める」
「そんなにいたい?」
「××、足攣ったことなかったっけ」
「きおくない」
「なら、一生攣らないほうがいいよ……」
「うん……」
うにゅほが苦しむのは、俺が苦しむより嫌だ。
「やっぱ、普段からストレッチしたほうがいいんだろうな」
「しよう」
「ああ」
足の攣らない生活を。
これが今年のスローガンである。
484
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:57:09 ID:jOM3Fwng0
2025年5月12日(月)
Amazonで注文していた靴下が届いた。
靴下が足りない気が、ずっとしていたのだ。
開封し、気付く。
「──これ、五本指じゃん!」
「あ、ほんとだ」
「やっちまったー……」
頭を抱える。
「ごほんゆび、だめなの? むかーし、はいてたきーする」
「まあ、履いてた時期はあるけどな……」
「だよね」
「ただ、履くのは面倒だし、小指は抜けるしで、長続きはしなかった」
「あー……」
「いちおう、試しに履いてみるか。もったいないし」
「うん」
履いてみた。
「……指が入らん!」
「ひとさしゆび、きつい?」
「きつい以前に、入らん」
「そんなに」
諦めて脱ぐ。
「……どうしよう、これ」
「わかんないけど……」
「箪笥の肥やし、決定だな」
「おとうさんとか、はかないかな」
「履かないと思う」
「きいてみるね」
判断の早いうにゅほが、五本指ソックスを持って自室を出て行く。
一分ほどして戻ってきて、
「いらないって」
「だろうな」
だが、捨てるとなれば、もったいないと絶対に拾うのだ。
困ったものである。
「これは箪笥の奥に突っ込むとして、次は普通の靴下を注文しないとな……」
「ごほんゆび、きーつけてね」
「二度も同じ過ちは繰り返したくないな」
と言うわけで、今度こそ五本指ではない普通の靴下を注文した。
そのうち届くだろう。
485
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:57:34 ID:jOM3Fwng0
2025年5月13日(火)
明日、父親の大腸内視鏡検査がある。
「おとうさん、だいじょぶかなあ……」
「大丈夫だろ。ポリープはあると思うけど、一泊で帰ってくるって」
「うん……」
最近のうにゅほは心配性だ。
弟のことがあるから仕方がないと思う。
俺たちは、この一年間で、さまざまなものを失いすぎたのだ。
「はァ……」
溜め息ひとつ、膝の上のうにゅほを抱き締める。
大切なものがここにある。
彼女を失うことなんて考えられないし、考えたくもない。
うにゅほもそうだろう。
「そういえば」
話題を変えるように、うにゅほが言った。
「あのげーむ、どうなったの?」
「Revolution Idleか」
「うん」
「えーと、どこまで話してたっけ」
「むげん、なんかいもやるって」
「ああ」
常時起動しているRevolution Idleのウィンドウを表示させる。
「今のところ、二万回くらい無限に到達してるな」
「にま!」
「最初は一度の無限で一ポイント得られたんだけど、今は二億ポイントくらいになってる」
「におく……!」
「インフレすごいだろ」
「すごい」
「これが楽しいんだよな……」
「でも、わたし、◯◯がこれやってるとこ、あんましみてない」
「最初こそ忙しかったけど、基本放置だからさ。俺も、思い出したときにしかゲーム画面見ないし」
「ふしぎなげーむだねえ……」
「放置ゲーってそんなもんだよ」
ほとんどプレイしないゲーム。
考えてみれば、よくわからない存在だ。
それでも面白いのだから、うにゅほの言う通り、たしかに不思議なゲームではある。
「まだまだ先があるみたいだから、楽しみだよ」
「さきいったら、おしえてね」
「もちろん」
Revolution Idleは、無料でプレイできる。
読者諸兄も是非どうぞ。
486
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:57:54 ID:jOM3Fwng0
2025年5月14日(水)
「──あっづ!」
「はちー……」
デスクの上の温湿度計を確認する。
32℃。
「マジで」
「さんじゅう、にど……」
「窓開けてるよな」
「あけた」
「窓開けて、32℃……?」
「なつ!」
「夏だよ夏」
少なくとも、五月中旬の室温ではない。
「散歩行こうと思ったけど、悩むなあ……」
「いく?」
「うーん」
気温と室温が同じであれば、とても歩けたものではない。
だが、俺たちの部屋は、もともと異様に暑いのだ。
「……行くか。暑かったら即帰ろう」
「うん」
身支度を整え、外出する。
「──あ、涼しい」
「やっぱし、へやだけあついんだ……」
「日当たりが良すぎる」
「わかる」
俺たちの部屋は、南東と南西とに窓がある。
つまり、太陽の出ているあいだ、常に陽光が射し込み続けるのだ。
当然と言えば当然なのかもしれない。
今日も2kmルートで散歩を終え、帰宅する。
「ただいまーっと」
「ただいま、おかえり!」
「おかえり、××」
家に誰もいないので、ただいまとおかえりを交互に言い合う。
大腸内視鏡検査を受けた父親は、ポリープがひとつだけ見つかったそうで、やはり一泊二日の入院になるそうだった。
夕刻、コストコから帰宅した母親と三人で食事をとり、自室へ戻る。
なんだか家が静かな気がするのだった。
487
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:58:20 ID:jOM3Fwng0
2025年5月15日(木)
「──もう、我慢ならない」
「うん……」
不穏な始まりだが、こればかりは仕方がない。
時刻は夜。
窓も開けている。
にも関わらず、室温が32℃を下回らないのだ。
暑い。
暑すぎる。
と言うわけで、
「エアコンつけよう……」
「うん!」
まさか、五月の中旬に、エアコンに頼るとは思わなかった。
うにゅほが冷房を入れ、俺の膝に戻ってくる。
なお、暑いなら密着するな、というツッコミは受け付けていない。
「これで、しばらくすれば涼しくなるはず……」
「えあこん、えらい」
「偉いな」
しばしして、自室の寝室側から冷たい空気が流れ込み始める。
「あ、涼しい……」
「すずしいー……」
久方ぶりのエアコンの風に、新鮮な驚きを覚える。
これぞ人類の叡智だ。
サーキュレーター付きのシーリングライトからも真下に風を送っているので、空気の循環効率も良いはずだ。
「ふはは、勝ったな」
「なにに?」
「わからんけど、勝った気がする」
「きはする」
だが、勝利はいつまでも続かなかった。
「……ちょっと寒くない?」
「さむい……」
エアコンとサーキュレーターの組み合わせは、あまりに効率的過ぎたかもしれない。
あっと言う間に肌寒くなってしまった。
「エアコン切るか」
「そだね」
エアコンの稼働時間は、ほんの小一時間ほど。
サーキュレーターのおかげで、今年の夏は電気代が安く済みそうである。
488
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/05/16(金) 03:59:15 ID:jOM3Fwng0
以上、十三年六ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
489
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:13:43 ID:AbEQK51.0
2025年5月16日(金)
今日は快晴だ。
散歩に行こうかと思った。
だが、ワインを切らしていたので、今日は往復で1kmもない最寄りのセイコーマートへ歩いて行くことにした。
「──あっつ!」
陽射しが強い。
五月の中旬とは思えない暑さだ。
日陰に入り、一息つく。
「七月かよ……」
「すごいね……」
「××、大丈夫か?」
「◯◯は?」
「大丈夫」
「わたしもだいじょぶ」
「サイクリングロード行かなくて正解だったかもな……」
散歩コースとして使っているサイクリングロードは、周囲に建造物がない。
日陰がないのだ。
熱中症になるほどではないが、少なくとも汗だくにはなっただろう。
「なつ、さんぽ、できないかもねえ」
「そうだな……」
「あつくてしぬ」
「今年も絶対暑いだろうな。間違いなく」
「あついなつは、すきだけど……」
「俺も」
「ねー」
ただ、それは、エアコンの効いた自室という安全地帯があってのことだ。
エアコンが壊れでもしたら、俺たちは夏にボコボコにされてしまうだろう。
「エアコンない頃、大変だったな……」
「あんましおぼえてないかも」
「ほら、リフォーム前はなかっただろ」
「なかったっけ……」
「……あれ、あったっけ?」
「わかんない」
「──…………」
「──……」
「いや、なかったよ」
「なかったかー」
そんな会話を交わしながら、再び歩き始める。
ただの散歩とは言え、体を動かすのは悪くない。
490
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:14:11 ID:AbEQK51.0
2025年5月17日(土)
「なんか、こう、あれだな……」
うにゅほが小首をかしげる。
「あれ?」
「ポテトチップス食べたい。サワークリームオニオンの」
「あ、たべたい!」
「でも、そのためだけにコンビニ行くのもな……」
「あるかないの?」
「アルカロイド」
「あるかろいど……」
「なんか化合物」
「めんどくさいんだ」
「わかるなよ」
「ごまかしたから……」
さすがうにゅほ、俺より俺に詳しい女である。
「不健康なもの食べたり飲んだりしたくなってるから、今日は我慢」
「たとえば?」
「コーラ。あとポップコーンとかもいいな」
「──…………」
「コーラに合うのはスナック菓子系だよな。適当に三つか四つ見繕ってさ」
「たべたくなってきちゃった……」
「……行かないぞ?」
「うん」
俺の食欲を移してしまったようだ。
申し訳ない。
「よし、別の話をしよう」
「いいよ」
「──…………」
「──……」
「マックのフライドポテト食べたいな……」
「かわってない!」
「ちょっと変わった、ちょっと」
「◯◯、おなかへってるの?」
「減ってる」
「なんかたべよ。つくるから」
「ありがとう……」
我が家のキッチンは、もう、うにゅほがいなければ回らない。
包丁の持ち方も危うかったあの少女が、よくここまで成長したものだ。
491
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:14:33 ID:AbEQK51.0
2025年5月18日(日)
夕食を終え、入浴を済ませる。
自室で髪を乾かしていると、雑談の最中にうにゅほが尋ねた。
「◯◯、ドラマきらいなの?」
「え、なんで?」
「なんか、きらいなのかなって……」
「普通だけど」
「えー」
うにゅほが小首をかしげる。
「だって」
「だって?」
「ごはんたべてるとき、テレビみない……」
夕食の際、テレビでは録画されたドラマが垂れ流されている。
両親が好きなのだ。
だが、俺はテレビになるべく視線を向けず、夕食に集中したり、家族と話したりしている。
「よく気付いたなあ」
「きづくよー……」
「たぶん、父さんと母さんは気付いてないぞ」
「おとうさんと、おかあさん、テレビみてるもん」
「それはそう」
「ドラマ、きらいなの?」
「いや、ドラマは普通なんだけど……」
「?」
「たとえば、これがアニメだったとしても、なるべく見ないようにしてると思う」
「そなの?」
「ああ。ドラマもアニメも関係なく、中途半端に途中だけ見るのが好きじゃないんだよな……」
「あー」
「最初から見るなら最初から見る、見ないなら見ない。どっちかにしたいと言うか」
「なんか、わかる」
「わかってくれるか」
「◯◯ほどじゃないけど、わかるきーする」
「××、わりと見てる気がするけど」
「わたし、さいしょからみてるの、あるもん」
「あ、そうなの……」
夕食を済ませたらすぐに風呂に入ってしまうから、知らなかった。
「面白い?」
「ふつう……?」
どのドラマかわからないが、普通らしい。
面白いドラマもしっかりとあるのだろうが、いまいち食指が動かないのだった。
492
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:14:56 ID:AbEQK51.0
2025年5月19日(月)
明日、弟が退院する。
そのお祝いではなく、母親の誕生日が近かったことから、弟以外の家族四人で回転寿司へと赴いた。
弟は、放射線治療によって、液体以外の食事が不可能になってしまった。
そのような事情から、弟がいると外食がしにくいため、退院前に行くことになったのだ。
大トロ、エビマヨ、穴子──好きな皿を好きなように注文していく。
中でも俺が気に入ったのは、柚子いなりだった。
柚子が香るいなり寿司の中にくるみが混ぜ込まれたもので、かなりの美味だ。
「これ美味いな……」
「そんなに?」
「俺は好き」
「いっこ!」
「どうぞ」
食べたければ、また注文すればいいだけだ。
俺は、隣席のうにゅほの前に皿を滑らせた。
ひとくち食べて、
「うん」
「うん?」
「おいしい」
「──…………」
思っていたより、リアクションが二段階ほど小さかった。
「……そんなでもない?」
「おいしいよ……?」
「普通に美味しい、くらいか」
「ふつうにおいしい」
「そっか」
俺としては、今日食べたものの中でいちばん美味しかったのだが、好き嫌いの分かれる味だったのかもしれない。
両親に食べさせたところ、父親は眉をひそめ、母親はうにゅほと同じリアクションだった。
帰り道、うにゅほに尋ねた。
「今日一美味しかったの、どれだった?」
「うーと……」
しばし思案し、答える。
「えびてんずし」
「あー、あれも美味かったな」
「うまかった!」
柚子いなり、美味しかったんだけどな。
読者諸兄も、機会があれば、是非食べてみてほしい。
そんなに美味しくない可能性は十分あるが。
493
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:15:14 ID:AbEQK51.0
2025年5月20日(火)
弟が退院した。
だが、左半身に軽い麻痺が残っており、介護とまでは行かないが、介助が必要な場面が露見した。
「わたし、やる!」
そう言ったのはうにゅほだが、必要なのは主に、階段の上り下りでの介添えだ。
「××だと、支えられずに一緒に落ちるだろ」
「う」
「俺がやるよ」
「てつだう」
「……まあ、手伝うくらいなら」
うにゅほは気が利く。
余計な手を出して、邪魔をすることはないだろう。
「はァ……」
自室へ戻り、パソコンチェアに腰掛ける。
膝の上に座るうにゅほを抱き締めて、小さく溜め息をついた。
「たいいん、よかったけど……」
「まだまだ安心はできないな。リハビリ続けないと」
「うん……」
弟が何をしたと言うのだろう。
世界は思うより理不尽で、残酷だ。
そんなこと、言葉の上ではわかっていた。
だが、自分たちの身に降り掛かった今となれば、その言葉とやらが如何に軽かったかがよくわかる。
言葉で伝えられることは、俺たちが思っている以上に少ないのだ。
「なんつーか、人間って無力だよな……」
うにゅほが、小さく首を横に振る。
「むりょくじゃないよ」
「そうかな」
「(弟)のこと、たすけてるよ。むりょくじゃない」
「──…………」
すこしだけ、心が軽くなる。
微力であれど、無力ではない。
「……ありがとう、××」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
特に慰めている気もなかったらしい。
それもまた、うにゅほらしい気がするのだった。
494
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:15:37 ID:AbEQK51.0
2025年5月21日(水)
不意に、アップルウォッチが震えた。
「──んが」
ベッドの中で左手首を確認する。
どうやら、誰かから電話が来たようだった。
慌てて飛び起き、デスクに置いてあるiPhoneを手に取る。
電話を受けると、
「こちらはNTTドコモです──」
と、自動音声が再生された。
その時点で、ようやく気付く。
これは、取ってはならない電話だ。
「やべ」
慌てて通話を切り、やっちまったとばかりに溜め息をつく。
「どしたの……?」
パソコンチェアの上でiPadを操作していたうにゅほが、心配そうに俺に尋ねた。
「知らん番号だったのに、慌てて出ちゃった」
「あー……」
「たぶん詐欺だろ。電話番号調べてみるか」
いったんうにゅほを立たせ、チェアに腰を下ろす。
うにゅほが俺の膝に腰掛けるのを待って、今の電話番号を検索してみた。
「──あれ、出てこないな」
「めずらしいね」
「+80から始まってるから、これもしかして国際電話か?」
「こくさいでんわ!」
"+80"で調べてみると、今度は情報が出てきた。
+80は、正式に割り当てられていない国番号らしく、どうやら発信者番号偽装によって表示されるものらしい。
「また手の込んだ……」
「でて、だいじょぶだった……?」
「わからん」
「わからんの」
「折り返したりしなければ、さすがに大丈夫だと思う。生きた番号だってことがバレたから、着信拒否にしておこう」
「ちゃっきょ」
「着拒」
寝起きで反射的に電話を取ってしまったことが悔やまれる。
気を付けねば。
495
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:16:01 ID:AbEQK51.0
2025年5月22日(木)
「ただいま……」
「ただいまー」
今日は、一ヶ月半ぶりの大学病院の受診日だった。
朝八時の採血のために、七時半には家を出て、帰宅したのは十一時過ぎのこと。
午前中から、すっかり疲れてしまった。
「だるう」
「ねる?」
「寝る。さすがに睡眠時間が足りない……」
喉を潤そうと、冷蔵庫を開ける。
飲みかけの豆乳のパックがあったので、直接あおった。
──どろり。
「ぶッ!」
明らかに豆乳の粘度じゃない。
そして、すっぱい。
俺は、元豆乳を吐き出すと、慌てて水でうがいをした。
「どしたの?」
「豆乳、腐ってる……!」
「え!」
「これ、開けてからどんだけ経ってたっけ……」
「わかんない……」
「だよなあ」
自室の冷蔵庫であればともかく、台所の冷蔵庫の中身なんていちいち覚えていない。
豆乳のパックに水を注ぎ、振って中身を捨てる。
それを幾度か繰り返し、中身が綺麗になったところで、パックを切り開いてそのまま干した。
「おなか、だいじょぶ?」
「速攻で吐いたから、たぶん大丈夫だよ」
「なにかあったら、いってね」
「ああ」
言ったところでどうにかなるわけでもないが、立場が逆でも同じことを言うだろう。
単に、心配なのだ。
「きーつけないとね……」
「そうだな。もったいないし、危ないし……」
特に、これから暑くなる。
冷蔵庫の内部は一定の冷たさを保つとは言え、物が痛みやすくなることは確かだ。
同じことが起こらないよう、気を払おう。
496
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:16:24 ID:AbEQK51.0
2025年5月23日(金)
「……ん?」
ブラウジングをしていると、違和感があった。
もったりしているのだ。
特に、画像の多いサイトに顕著で、読み込みに時間がかかっている。
「なんか遅いな……」
「ほんとだ」
「YouTubeは見れるけど」
回線速度を測定してみる。
「──うわ、下り10Mbpsだって」
「おそいの?」
「遅い」
「ふつうは?」
「200とか300は出るな」
「おそい!」
「道理で読み込み悪いわけだよ」
「なんでだろ」
「確認してみるか。××、悪いけどいったん下りて」
「はーい」
うにゅほを膝からどかし、デスクの下へと潜り込む。
そして、PC本体からLANケーブルを抜き、数秒してから再び差し込んだ。
「これでどうだ」
再び回線速度を測定する。
「変わらず、か……」
「いまのでなおらないんだ」
「調子悪いときは、たいていここなんだけどな」
「うん……」
続いて、Wi-Fi接続したスマホで回線速度を測定する。
「こっちでも10M前後か。PCの問題じゃないな」
「どこのもんだいか、わかる?」
「ホームゲートウェイか、そもそも回線そのものか」
「ほーむげーとうえい」
「ほら、あれだよ」
寝室側にある箪笥の上に置かれた、四角い機器を指差す。
「あー」
「これも、表示には問題ないから、回線自体が重いのかもな」
「え、どうするの?」
「障害が復旧するまで待つしかない」
「そか……」
半日してから回線速度を測定すると、下り500Mbpsを記録した。
「はや!」
「やっぱ回線側だったか」
「すごい」
「すごかろ」
「うん!」
PC歴が長ければ、このくらいはできる。
うにゅほに褒められて、すこし得意になる俺だった。
497
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:16:41 ID:AbEQK51.0
2025年5月24日(土)
「健康食品のCMってあるじゃん」
「ある」
「俺、あれ好きなんだよね」
うにゅほが、不思議そうに尋ねる。
「けんこうしょくひんのしーえむが……?」
「好き」
「なんで?」
「あのCMって、薬機法とか景品表示法に抵触しないために、めちゃくちゃ頑張ってるんだよ」
「ふんふん」
「たとえば──」
軽く検索してみる。
「"高血圧が気になる方に"、みたいな構文って見たことないか?」
「あるかも……」
「これ、引っ掛からないように配慮した言い方なんだ」
「そなの?」
「そうなの」
「ふつうにきこえる……」
「高血圧に効く薬みたいに思えるだろ?」
「うん」
「でも、よく考えてみろ。"効く"とは一言も言ってない」
「あ」
「効くって言っちゃうとアウトだから、CM見た人が"効くんだろうな"って勝手に思う表現の仕方をしてるんだよ」
「なるほど……!」
「面白いだろ」
「ほかには?」
「"中高年の元気を応援"とか」
「きくとはいってない!」
「"美容と健康に嬉しい成分"、とか……」
「きくとはいってない……!」
「この、必死に回避してる言い回しを探すのが楽しくてさ」
「おもしろいね。みかた、かわるかも」
「当然、健康食品を買う気はない」
「うん」
健康食品に興味はないが、健康食品のCMは好き。
俺以外にも、そんな人は多いだろう。
多いかな。
どうだろう、わかんない。
498
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:17:01 ID:AbEQK51.0
2025年5月25日(日)
「あめだー……」
「雨だな」
久し振りに散歩でも、と思ったのだが、この様子では今日は無理そうだ。
「……だるう」
「だいじょぶ?」
「たぶん低気圧。心配するほどじゃないよ」
「ならいいけど……」
「火曜、病院だな」
「あさって」
「明後日?」
「え、あさって……」
「──…………」
考えてみれば、今日は日曜日だ。
「ごめん、明後日だったわ」
「……だいじょぶ?」
「今のは単に曜日感覚が麻痺ってただけ」
「たまにある」
「だるいなー……」
「ねる?」
「いや、だらだらする。眠くなったら寝る」
「そか!」
うにゅほを膝に乗せたまま、Kindleでのんびり漫画を嗜む。
最近、大好きな漫画ができたので、そればかりを何度も読み返している。
「──眠くなってきたかも」
「ねる?」
「寝る」
「ねよう!」
「寝るかー」
「わたしも、おひるねのじかんだし……」
「そうだな」
うにゅほは遅寝早起きである。
そのため、昼寝で睡眠時間を確保しているのだ。
「うへー……」
隣のベッドで、うにゅほが嬉しそうに微笑む。
べつに同衾するわけではないのだが、一緒の時間に眠れるのが嬉しいらしい。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみ!」
CPAPを装着し、目を閉じる。
隣から聞こえるうにゅほの吐息に、不思議と落ち着いていく自分がいた。
二時間ほどで起床すると、眠気はすっかり取れていた。
眠気を飛ばす最も効果的な方法は、寝ることである。
499
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:17:22 ID:AbEQK51.0
2025年5月26日(月)
弟の件ですっかり忘れていたが、今日は母親の誕生日だった。
夕食の際にスパークリングワインを二杯飲み、上機嫌で自室へ戻る。
「うへー……」
うにゅほが、まるで猫のように、ぐいぐいと自分の体を擦り付けてくる。
「◯◯ぃー……」
だが、一杯の半分ほどしか飲んでいないはずだ。
「……酔ったふりしてる?」
「してー、ない!」
「本当に?」
「ほんと!」
「本当かなあ……」
「……はんぶん、ほんと」
白状した。
「酔ってはいるんだ」
「ふわふわしゅる」
「でも、理性はあると」
「ある」
「いちばん気持ちいいラインだな……」
「きもちー」
「××の適量は、ワイン半杯か。覚えとこ」
「◯◯はー?」
「俺は──そうだな。ワイン二杯だと、そこまで行かないかな」
「つよい」
「まあ、概ねワイン三杯くらいか。度数にもよるけど」
「でも、もっとのめる?」
「飲むだけなら飲めるぞ。ワイン一本くらいは平気で」
「つよい」
「でも、次の日だるいんだよ。肝臓がフル稼働してるんだと思うけど」
「のこるんだ……」
「残る。だから、ワイン一本空けるのは避けてる」
「ふつかでいっぽん、だもんね」
「余裕を持って飲めるのが、だいたいそのラインだな」
「むかし、すーごいはいてたんだよね」
「大学時代とかだよ……」
思わず苦笑する。
当時は、自分の強さがわからず、無謀な飲み方ばかりしていたっけ。
「お酒は嗜むもの、だな」
「うへー」
ぎゅう。
うにゅほが俺に抱き着き、離れない。
どうやら、うにゅほは甘え上戸らしかった。
可愛いのでたまに飲ませよう。
500
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:17:46 ID:AbEQK51.0
2025年5月27日(火)
今日は、月に一度の定期受診の日だった。
朝八時過ぎに出て、薬局で薬を受け取ったのが九時半のこと。
なんと、めちゃくちゃ早く帰宅できたのだった。
「ふいー……」
パソコンチェアに腰掛ける。
「六番目だと、こんなに早いんだな」
「いちばんめ、きっと、すぐだね」
「八時ピッタリに出てもいいかもしれない。こんなに早いと思わなかった」
「ねー」
うにゅほが俺の膝に腰掛けて、ほっと一息ついた。
「じりつしえん、いかないとね」
「今月末までか……」
自立支援医療制度により、双極性障害の医療費が一割負担となっている。
手続きを行わなければ来月以降の負担が三割になってしまうので、早めに市役所へ行かねばならないのだ。
「こんなん、さっさと済ませておけば、慌てることもないのになあ」
「そだねえ」
「なんか、後回しにしちゃう」
「わかるう」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「めんどくさいの、あとまわし」
「××、そういうイメージないけどな……」
「そう?」
「俺よりちゃんとしてる気がする」
「そかな」
「後回しにするのって、たとえば?」
「うーと」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「かたちのわるいいもとか、さいごにむいちゃう」
「あー」
「そうじするとき、といれ、さいごにしちゃうし……」
「それは衛生的に正しいんじゃないか?」
トイレ掃除のあとにキッチンの掃除とか、たぶんよくない。
「あ、たしかに」
「うん。やっぱ××はちゃんとしてるな」
「うへー……」
「偉い偉い」
うにゅほの頭を優しく撫でる。
トイレ掃除くらい、俺もしないとな。
そんなことを思うのだった。
501
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:18:21 ID:AbEQK51.0
2025年5月28日(水)
所用のため外出することにした。
身支度を整えて玄関を後にし、家屋の隣のガレージへと向かう。
「──ッとお!」
慌てて足を止め、左腕でうにゅほを制する。
「わ」
「ストップストップ」
「どしたの?」
「蜘蛛!」
指を差す。
そこに、北海道基準で大きめの蜘蛛が、立派な巣を張っていた。
「でか!」
「でかいぞ、こいつは」
「じゃま!」
「気付いてよかった……」
このままだと、蜘蛛の巣どころか、蜘蛛そのものを体に引っ付けるところだった。
俺に引っ付いていいのは、うにゅほだけである。
「これ、どうしよ……」
「うーん……」
周囲を確認する。
短い棒のようなものが、砂利の上に落ちていた。
「これでなんとか」
「がんばって……!」
「頑張る」
蜘蛛の巣と地面とを繋げる一本を、その棒で切る。
「お」
ひらりと風に舞った蜘蛛の巣が、壊れてぐしゃぐしゃになった。
「よしよし……」
蜘蛛が、そのまま逃げていく。
とどめを刺そうか迷ったが、誰も困らない場所に巣を張るぶんには黙認してもいいだろう。
蜘蛛は益虫だとも言うし。
「んじゃ、行くか」
「うん」
しかし、あそこまで大きな蜘蛛は久し振りに見た。
あくまで北海道基準なので、本州から見れば小振りなのかもしれないが、それでもビビるものはビビる。
蜘蛛の巣を張る前に、きちんと申請してほしいものだ。
502
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:18:51 ID:AbEQK51.0
2025年5月29日(木)
「──やめた!」
「?」
「Revolution Idle、やめた」
「やめるの?」
Revolution Idleとは、いわゆる放置ゲーである。
"Idol"ではなく"Idle"であることに留意しなければならない。
「ちょっとな。あまりに先が見えない……」
「そんなに……?」
「ああ。たまたまプレイ動画見たんだけど、次から次へと新しい要素が出てきて終わらない」
「おわらないほう、いいきーするけど」
「たしかにいろんな要素は出てくるんだけど、やること自体はワンパターンなんだよ」
「あー」
「先が知りたくて続けてたのに、ネタバレ見ちゃって萎えたのもある。だったらプレイ動画だけ見ればいいかなって……」
「なるほど」
「──と言うわけで、Revolution Idleはここまで。おしまい!」
そう宣言し、Revolution Idleを閉じた。
我ながら英断だと思う。
「なんか、さみしいね」
「わかる。クリッカーでも放置でも、そこそこのボリュームのやつがやりたい。二週間くらいで終わるやつ」
「いいねー」
なんだかんだ、このたぐいのゲームが好きなのだ。
「くっきーくりっかー、もうやらないの?」
「やらない」
「やらないんだ……」
「あれはあれで、効率的な稼ぎ方が面倒なんだよな。でも、それをしなければぜんぜん稼げない」
「そなんだ」
「そのへん修正されてたら、またやる価値はあるんだけど……」
軽く調べてみる。
「──え、Switchで出てんの?」
「え!」
「あれをSwitchで……?」
「ずっときどうしてるの……?」
「わからん」
さすがにSwitchでやる気にはなれない。
まあ、気を張らず、ゆるゆる適当に探すことにしよう。
503
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:19:12 ID:AbEQK51.0
2025年5月30日(金)
「あー、これやるか」
「どれー?」
うにゅほが顔を上げ、ディスプレイへと視線を向ける。
俺は、Steamのライブラリを開きながら、とあるゲームの詳細を開いた。
「……すぺーすぷらん?」
「SPACEPLAN。かなり前にプレイしたクリッカーゲームだな」
「おわりあるやつ?」
「終わりあるやつ。そもそも、ストーリーがあるんだよ」
「へえー!」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「どんなの?」
「なんか気付いたら地球が滅びてて、それを復活させるために頑張る、みたいの」
「きづいたら……」
「あと、すごいイモ推し」
「いも?」
「イモを使って発電する」
「いもを……」
「そこは俺もよくわからない」
SPACEPLANを起動し、プレイを始める。
「最初はここを連打する」
「いつものやつ」
「そうそう。後からクリックしなくてもよくなる」
「いつものだねー」
うにゅほに"いつもの"と言われるほど、俺はクリッカーゲームをプレイしているらしい。
しばらく無心でプレイを進め、徐々に獲得電力が増えていく。
「──あ、これ、みたことあるかも」
「あったっけ」
「きしかんある」
「最後どうなるか覚えてる?」
「なんか、へんなる。ほし?が、いろんなかたちになって……」
「そうそう。覚えてたか」
「あれ、またみたい」
「んじゃ、クリアしないとな。短いし、たぶん明日には」
「たのしみ」
クリッカーゲームは、やはり楽しい。
そんなことを再確認するのだった。
504
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:19:44 ID:AbEQK51.0
2025年5月31日(土)
「ふー……」
SPACEPLANをクリアし、ほっと一息つく。
「おもしかったー」
「なんか、ちょうどいいゲームだったよな。長すぎず短すぎず」
「わかる」
「次、どうしようかな」
「くりっかーげーむ?」
「クリッカーでなくてもいいんだけど……」
ふと、あるゲームのタイトルを思い出した。
「都市伝説解体センター、ってゲームが面白いらしい」
「としでんせつ」
「(弟)が言ってたし、友達にも勧められたし。あと、Twitterでもよく見掛けた」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「おいくら?」
「ああ、(弟)が買ってあるから、もうライブラリに入ってる」
「すぐできるんだ」
「できる」
「やる?」
「……やる。けど、すぐにはやらない」
「なんか、やらなそう……」
「やるやる」
「ほんとかな」
うにゅほの疑念はわかる。
やるやる言ってやらなかったゲームがライブラリに大量にあるからだ。
「今回はやる。これは本当」
「そか」
どうやら信じてくれたらしい。
信じてもらった以上、この信頼を裏切るべきではない。
「まあ、明日か明後日にはやるよ」
「たのしみ」
「どんなゲームなのか、ぜんぜん知らないんだけどな。情報入れてないから」
「しらべないほういいね」
「だな」
なんの情報も仕入れずにゲームを始めるのは久し振りだ。
楽しみである。
505
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/01(日) 19:21:18 ID:AbEQK51.0
以上、十三年六ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
506
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:54:05 ID:9i71mUGk0
2025年6月1日(日)
七角形のピルケースに薬を分けて入れていたときのことだ。
「……──?」
ふと、どこか懐かしい香りがした。
すんすんと鼻を鳴らす。
香りの元は、意外な場所だった。
「袋……?」
正確に言えば、大学病院傍の調剤薬局で薬を綴じていたビニール袋だ。
改めて嗅ぐ。
「なんの匂いだ、これ」
「?」
座椅子に腰掛けていたうにゅほが、顔を上げる。
「どしたの?」
「××。この袋嗅いでみて」
「うん」
一切の疑いも迷いもなく、うにゅほが薬の袋を嗅ぐ。
この子、俺が嗅げって言ったらなんでも嗅ぐんだろうか。
「なんか、なんか、においする……!」
「なんだろ、これ。絶対嗅いだことあるんだよ」
「ある!」
「もうすこしで思い出せそうなんだけど……」
ああでもない、こうでもないと、うにゅほと侃々諤々の議論を交わす。
「──なんか、ミルク感ないか?」
「ある……」
「でも、牛乳そのものじゃない」
「あれは?」
「あれ?」
「だっしふんにゅう」
「あ!」
思わず目を見張る。
「それだ!」
「だよね!」
そう、脱脂粉乳の匂いだ。
どこかミルク臭い、有機的な香り。
「脱脂粉乳だったか。××、よくわかったな」
「うへー」
謎が解けた気持ちよさが、俺とうにゅほを包む。
だが、
「……なんで脱脂粉乳の匂いする?」
「わかんない」
新たな謎が生まれてしまうのだった。
507
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:54:27 ID:9i71mUGk0
2025年6月2日(月)
都市伝説解体センターをプレイし始めた。
「──えっ、映像めっちゃリッチじゃない?」
「すーごいうごく……」
ドット絵で描かれたグラフィックは美麗で、普通のCGより遥かに手間が掛かっているように見える。
プレイ感覚としては、逆転裁判の探偵パートに近い感じだ。
「面白いな……」
「◯◯、としでんせつ、すきだもんね」
「好き」
「おかるとのどうが、すーごいみてる」
「俺自身は、そこまで、幽霊とか信じてるわけじゃないんだけどな」
「でも……」
うにゅほが、戸惑うように目を伏せる。
「……ああ」
俺とうにゅほは、一度だけ、心霊体験としか呼べない出来事に遭遇したことがある。
それは、祖母が亡くなったときのことだ。
「あれの真実がわかる日は、きっと来ないんだろうな……」
「うん……」
祖母が亡くなった直後、俺たちは病院の待合室にいた。
そのとき俺は、iPhoneでメモ帳を開いていた。
気を紛らわせるため、当時書いていた小説の設定を眺めていたのだ。
すると、画面に触れてもいないのに、メモ帳が勝手にスクロールを始めた。
そして、幾つかの顔文字が自動で入力されたのだ。
悲しんでいる絵文字、
泣いている絵文字、
また悲しんでいる絵文字。
まるで祖母が、俺たちとの別れを惜しんでいるかのように。
この現象を目撃したのは、俺とうにゅほだけだった。
いちおう家族にも伝えたが、信じているやらいないやら。
「おばあちゃん、かなしかったんだね」
「……ああ」
ここまでであれば、あるいは美談として語れるかもしれない。
だが、本当にそうなのだろうか。
祖母は生前、スマートフォンになど一度も触れたことはなかった。
亡くなって幽霊になったとて、操作できるとは思えない。
ならば、
俺のiPhoneを操作したのは、
果たして誰だったのだろう。
──などと、うにゅほに言えるはずもない。
あの顔文字は、祖母が入力した。
そういうことにしておこう。
508
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:54:45 ID:9i71mUGk0
2025年6月3日(火)
外を見る。
「今日、涼しそうだな。曇りでさ」
「だねー」
「……まあ、この部屋は31℃あるんだけど」
「だねー……」
相変わらず、アホみたいに暑い俺たちの部屋だった。
「窓開けるか……」
膝の上のうにゅほを下ろし、腰を上げる。
そして、背後にある窓の前に立った。
「あれ、そっちあけるの?」
「そろそろな」
自室の書斎側にある窓は、非常に開けにくく閉めにくい。
だが、夏も近付いてきた六月、そんなことも言っていられないだろう。
指先にかなりの力を込めて、二重窓を開く。
涼しい風が部屋の中へと流れ込んだ。
「ふー……」
「おつかれさま」
「開けるのはまだいいんだよな。二重窓を閉めるのがきつい」
気密性を高めるため、我が家の二重窓にはネジ状の機構が付属している。
窓枠が歪んでいるせいか、十分ほど格闘しなければ、そのネジを締めることができないのだ。
「しめるのは、ほら。あきでいいから」
「まあな……」
夏場に二重窓を閉める必要はない。
十分間の格闘も、年に一度と思えば、さしたる手間でもないだろう。
「あとは虫だな。今年は入ってこなければいいけど」
「むし」
うにゅほが嫌な顔をする。
俺も同じ気持ちだ。
「あみどのあみよりちいさいむし、わかるよ?」
「ああ」
「なんで、たまに、でっかいむしはいってくるの……?」
「わからん……」
恐らく隙間があるのだろう。
そんなところ、わざわざ見つけて入ってこなくてもいいのに。
「七月ともなれば、エアコンつける言い訳が立つ。それまで入って来ないように祈ろう」
「うん……」
虫が嫌いな俺たちなのだった。
509
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:55:05 ID:9i71mUGk0
2025年6月4日(水)
「市役所行かないとなー……」
「じりつしえん」
「手続きしないと」
「いく?」
「でもなー……」
窓の外を見上げる。
雨なのだった。
「明日にするか、明日に」
「あした、はれるかな」
「晴れなかったら、また明後日」
「そか」
「まあ、次の定期受診に間に合えばいいんだし」
「そのかんがえかただと、わすれるきーする……」
「──…………」
ちょっとわかる。
「まあ、いずれにしても明日以降かな。わざわざ雨の日に行く必要ないし」
「それはそうかも……」
「のんびりしよう」
「のんびりするー」
膝の上のうにゅほが伸びをして、左の肘掛けに背中を、右の肘掛けに足を預ける。
「おっと」
そのままではバランスが悪いので、うにゅほの肩を左腕で抱いた。
「♪〜」
そのままiPadを操作し始めるのだから、堂に入ったものだ。
「あ、そだ。としでんせつ、やらないの?」
「やるよ。やるけど、今じゃないかな」
「やるとき、いってね。いっしょにやる」
「わかった」
都市伝説解体センター、どうやら弟が一歩先にクリアしたらしい。
やたらと勧められているのでクリアはするつもりだが、面白い作品ほどプレイする際に多少重いものだ。
とは言え、プレイを遅らせれば遅らせるほどネタバレを踏む確率が高くなるので、早めにクリアしなければ。
これも明日だな、うん。
明日の俺に何もかもまかせよう。
510
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:55:23 ID:9i71mUGk0
2025年6月5日(木)
晴れたため、市役所へと赴いた。
自立支援医療の手続きを滞りなく行い、その帰り道でのことだ。
「腹減ったなー……」
「おひるだもんね」
「どっか寄る?」
「らーめん?」
「ラーメン好きだなあ……」
「すき」
ただラーメンが好きと言うより、家系ラーメンが好きなうにゅほだ。
「たまには別のとこ行こうぜ」
「どこ?」
「はま寿司とか……」
「はまずし!」
行きつけのラーメン屋から百メートルほどしか離れていない場所に、はま寿司がある。
「なにもないのに、いっていいの……?」
「いいだろ、べつに」
「ならいく!」
"は"と書かれた看板の元へと車を停め、はま寿司へと入店する。
テーブル席で隣に座り、タッチパネルを操作した。
「いろいろあるなあ……」
「なにたべる?」
「まずはサーモンかな。大トロサーモン」
「いいね!」
思いのほか安いはま寿司の価格に軽く驚きながら、次々と注文を済ませていく。
「普通に美味いな……」
「うん、おいしい。たかいとこと、そんなかわんない?」
「トリトンとかのがさすがに美味いけど、値段の差ほどは変わらないかもな」
「そんなきーする」
ふたりで三千円ほど食べて、満腹になって帰宅する。
「ふいー……」
「おいしかったねー……」
「まあ、"はまい"はよくわからなかったけど」
「わかんなかったねー……」
ラーメン屋へ行けば、ふたりで二千円。
千円の差でこれだけ満足感があるのなら、今後ははま寿司を昼食候補に入れてもいいかもしれない。
そんなことを思った。
511
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:55:43 ID:9i71mUGk0
2025年6月6日(金)
うにゅほを膝に乗せてぼんやりしていると、ふと思い出したことがあった。
「図書券」
「としょけん?」
「子供のころ、図書券もらってさ。本を買いに行ったわけ」
「なにかったの?」
「覚えてないなあ……」
「そか」
「で、図書券で支払って、お釣りをもらったわけだ」
「うん」
「でも、その本屋の店員? 店長かもしれないけど、その人が言ったんだよ」
「なんて?」
「図書券では、本当はお釣りなんてもらえないんだよ──だかなんだか」
「え、もらえないの……?」
「もらえるよ。実際、もらったし」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「まあ、冗談だったのかな。よくわからないけど」
「よくわかんないね……」
「ふと、そんなことを思い出した」
「へえー」
「その本屋のちのち潰れたんだけど、今の話と関係あるのかな」
「ほんやさん、どこもつぶれてるし……」
「いや、俺が中学のときくらいに」
「はやい」
「まあ、競合の大きめの本屋ができたからかもしれない」
「どこ?」
「ほら、今はハードオフになってるとこ」
「あそこ、ほんやさんだったんだ」
「そうだぞ」
「ね、むかしのはなし、もっとして」
「いいぞ。何が聞きたい?」
「えっとねー」
そんな具合に、昔話を聞かせた午後だった。
うにゅほはすこぶる楽しそうにしていた。
512
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:56:05 ID:9i71mUGk0
2025年6月7日(土)
「──……はっ」
気が付けば、またパソコンチェアで眠りこけていた。
「あ、おきた」
「起きた……」
座椅子に腰掛けていたうにゅほが、立ち上がる。
「こし、いたくない?」
「顎が痛い」
「あごが」
「腰は痛くないな……」
「◯◯、そのいすになってから、すーごいねる」
「体に合ってるのかな」
「いいことだけど……」
だが、チェアで寝落ちすること自体は、あまり良いとは言えないだろう。
洗面所へ向かい、顔を洗って自室へ戻る。
チェアに再び腰を下ろすと、うにゅほが俺の膝に座った。
「ふー」
「定位置だなあ」
「うん」
考えてみれば、一日の大半を、こうして密着して過ごしている。
仲が良いにも程がある。
「……──ふぁ、ふ」
あくびを漏らす。
「まだねむい?」
「すこし」
「ねる……?」
「いや、いいよ。際限ないし」
「そか」
それに、うにゅほをどかすのも忍びない。
猫が膝の上で寝てしまったとき、動けなくなるのと似ているかもしれない。
残念ながら、その経験は俺にはないのだけど。
それからしばらくして、
「──……はっ」
また、目を覚ました。
「おきた」
「起きた……」
うにゅほを膝に乗せたまま、また寝落ちしてしまったらしい。
「といれー!」
膝から飛び下りたうにゅほが、小走りで駆けていく。
俺を起こさないよう、じっと動かずにいてくれたらしい。
立場が逆でも同じなんだなと、思わず苦笑を浮かべるのだった。
513
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:56:22 ID:9i71mUGk0
2025年6月8日(日)
「ふー……」
シャワーを浴び終え、自室に戻る。
ドライヤーで髪を乾かしていると、うにゅほが俺の足元で屈んだ。
作務衣の裾をめくっている。
「どした?」
「すねげ、そろそろかなって」
「あー……」
俺は、スネ毛が濃い。
見苦しい上に暑苦しいため、ボディトリマーで定期的に剃っている。
自分のスネに視線を落とすと、たしかにすこし伸びてきていた。
「そる?」
「剃るか」
「そるねー」
ボディトリマーを手にしたうにゅほが、俺のスネを優しく剃っていく。
うにゅほの趣味は俺のお世話をすることなので、俺から言うことは特にない。
まあ、わざわざ剃ってくれんでも、とは思う。
「できた!」
うにゅほの頭を撫でる。
「ありがとうな」
「うへー」
「じゃあ、ハンディクリーナーを──」
「もってくる!」
ハンディクリーナーでフローリングに落ちたスネ毛を掃除し、うにゅほが満足げに微笑む。
一仕事終えた、という顔だ。
「あとで腋も剃るか……」
「そる?」
「いや、腋は自分で剃るから」
「そか」
俺の中にもラインはあるのだ。
「××はいいな、生えなくて」
「はえない」
男女問わず腋毛は概ね生えるものだが、体毛の薄いうにゅほは本当につるつるだ。
女性からしても羨ましい体質なのではないだろうか。
「俺も××になりたい……」
「だめだよー」
「駄目か」
「うん」
でも、一度くらいは美少女になってみたいよな。
こっそりそんなことを考えるのだった。
514
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:56:40 ID:9i71mUGk0
2025年6月9日(月)
「げッ、……ふ」
日常的に炭酸水を飲んでいるから、げっぷが出ることも多い。
「う」
「?」
「胃の奥からキュウリの臭いが……」
「さっき、サラダたべたもんね……」
「キュウリ苦手なんだよな」
「しってる」
「食べれないってことはないんだけど、できれば食べたくない」
「においも、しょっかんも、きらいなんだよね」
「嫌い」
あれが好きな人もいるのだから、不思議なものだ。
「××は普通に食べれるよな」
「うん」
「好き?」
「ふつう……」
「まあ、普通か」
料理ではなく食材だし、大抵は普通だろう。
キュウリを生でバリボリ食べて大好きと言う人は、恐らく少数派だ。
「そう考えると、××って、あんまり好き嫌いないよな」
「ないかも……」
「むかーし、豆乳嫌いだったけどな」
「◯◯、それ、たまにいう」
「印象深くて……」
「いまのめるよ」
「知ってる。むしろ好きだよな」
「すき」
「なんでダメだったんだろうな……」
「おぼえてない……」
「まあ、そんなもんか。十年くらい前の話だし」
「そんなにまえ?」
「もっと前かも」
「まじかー」
「十三年の付き合いだもんな。産まれた赤ちゃんが中学生になるぞ」
「そうかんがえると、すごい……」
「これからもよろしくな」
「うん!」
どちらかが死ぬまで一緒だ。
それだけは、間違いのないことだろう。
515
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:56:58 ID:9i71mUGk0
2025年6月10日(火)
「──ふと思い出したんだけどさ」
「?」
膝の上のうにゅほが、こちらを振り返る。
「こないだ、市役所行ったじゃん」
「いった」
「途中に、建築中のホテルあったの気付いた?」
「え、あった……?」
「あったんだよ」
「あんなとこに?」
「そう、あんなとこに」
「おきゃくさん、はいるの……?」
「わからん」
何がおかしいかと言えば、位置がほとんど住宅街なのだ。
幹線道路沿いゆえに店などは見掛けるが、ホテルの存在は明らかに浮いている。
まさかラブホテルでもあるまい。
「調べたら出てこないかな……」
「でるかな。きになる」
「まあ、ダメ元で調べてみよう」
調べてみた。
「あ、出た」
「おー」
「十月オープン、だって」
「ほんとにホテルなんだ……」
「行きたい?」
「いきたい!」
「行きたいんかい」
「いきたいけど、こことまるなら、べつのとこがいい……」
「わかる」
うにゅほは、要は旅行へ行きたいのだ。
さまざまな理由から今は難しいが、そのうちまた一泊二日の小旅行にでも出掛けたいところである。
「ここ、つぶれなかったらいいねえ」
「経営難しそうだもんな。正直、客層がわからないし」
「うん……」
見ず知らずのホテル経営者を心配するうにゅほだった。
優しい。
516
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:57:20 ID:9i71mUGk0
2025年6月11日(水)
また、新しいキーボードを購入してしまった。
Keychron K2 HE──ラピッドトリガー搭載の75%キーボードだ。
「ちいちゃい?」
「小さめだな。普通のテンキーレスよりキーが詰まってるのがわかるだろ」
「うん、わかる」
普段遣いのREALFORCE GX1と並べ、打鍵感を確かめてみる。
コトコト、コト、コトコト。
指から心地よい打鍵感が、耳からはキレの良い打鍵音が、それぞれ伝わってくる。
「おお……」
「いいやつ?」
「正直、GX1より好みだ。今まで静電容量無接点方式が至高だと思ってたけど、視野が狭かったな……」
ただ、キー配置に癖があるため、慣れるまでは誤タッチが多くなるだろう。
問題点と言えば、そのくらいだろうか。
「──さ、GX1のほうを掃除しようか」
「ぜんぶぬくの?」
「抜く」
「やらして!」
「いいぞ」
うにゅほにキープラーを手渡す。
「疲れたら交代な」
「はーい」
交代でGX1のキーを全部引き抜き、電動エアダスターでホコリやゴミを吹き飛ばす。
「きーは?」
「こっちは、中性洗剤を混ぜたぬるま湯に浸けておく」
「なるほど」
「二時間くらいでいいかな。終わったら水で洗剤を流して、乾かして終わりだ」
「てっていてきだね」
「しばらくはKeychron使うんだし、汚れた状態で放置しておきたくないだろ」
「たしかに……」
やはり自分はキーボード沼にズブズブなのだと感じる。
お金を使いすぎないように気を付けなければ。
517
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:57:38 ID:9i71mUGk0
2025年6月12日(木)
「……思った以上に癖あるな、この配列」
Keychron K2 HEを丸一日使った所感がそれだった。
「うちにくいの?」
「難しいな」
「むつかしいの……」
「GX1──今まで使ってたキーボードと同じ配列の部分は、GX1より打ちやすい。打鍵感も気持ちいいし」
「ふんふん」
「ただ、無理して75%にぶち込んで歪んだ部分がな……」
「たとえば?」
「そうだな……」
小箪笥からREALFORCE GX1を取り出し、Keychron K2 HEと並べる。
「見て気付く部分はあるか?」
「あ」
気付いたらしい。
「いちれつ、おおい!」
「そう。DelキーやらHomeキーやら矢印キーを無理矢理突っ込んだから、そのぶん列が多くなってるんだよ」
「はー……」
「ブラインドタッチしてると、いちいちキーボードなんか見ないだろ。それで一列多いと、指が勝手に間違うんだ」
「なんか、わかるかも」
「おかげで、バックスペースと伸ばし棒を何度ミスタッチしたか……」
「むつかしいね」
「あとは、ファンクションキーだな」
「なに?」
「上の、Fに数字が書いてあるキー」
「あ、これか」
「まず、GX1のファンクションキーを見てくれ。F7キーはどのキーの上にある?」
「うーと、はちと、きゅうのあいだ」
「K2 HEは?」
「──あ、ななのうえだ!」
「めッッッちゃズレてる。手が覚えた位置にF7キーがないんだよ。けっこう使うのに……」
「よくないきーぼーど?」
「いや、絶対良いキーボードなんだ。慣れたら」
「なれるまで、たいへんそう……」
「まあ、そのうち慣れるだろ。タイピングなんて毎日何時間もするもんだし」
「そか」
Keychron K2 HEの打鍵感は、本当に心地良い。
初めてREALFORCEを使ったときに近い感動がある。
だからこそ、さっさと慣れて、最高の使用感に酔いしれたいものだ。
518
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:58:01 ID:9i71mUGk0
2025年6月13日(金)
「あァー〜……!」
デスクに突っ伏す。
「どしたの?」
「たぶん、昨夜薬飲み忘れた……」
「え!」
七日ごとに区切った薬包を数える。
「一、二、三、四、五──ほら、一包多いもん!」
「◯◯、だいじょぶ……?」
「おかしいと思ったんだよな。眠れないし、体温調節できてないし、たぶん自律神経上手いこと機能してない」
「だいじょぶじゃなかった……」
「一日飲み忘れると、すぐこれだからなあ……」
自分がどれほど薬に生かされているのかを改めて痛感する。
だからこそ災害が恐ろしい。
一週間も断薬させられたら、自分はどこまで狂ってしまうのだろうか。
「いまからのんだら、だめ?」
「あー」
時計を確認する。
普段、薬を飲む時刻から、既に十二時間以上が経過していた。
「……さすがに不味いかな。飲まないときより、飲み過ぎたときのが怖い」
「のみすぎたこと、ある?」
「ないから怖い」
「たしかに……」
「まあ、仕方ない。今日はクソ体調で乗り切ろう……」
「むりしないでね」
「無理すると言うか、耐えだなこれは」
ずっと、そわそわと落ち着かない感じがする。
意識が冴え渡っていて、暑いのか寒いのかもわからず、体は妙に疲れ切っている。
本当にポンコツな肉体だ。
「悪いな、心配かけて……」
「うん。のみわすれないでね」
「すいません」
あ、わりと本気で心配されてるな。
そりゃそうか。
持病のある読者諸兄は、薬の飲み忘れに気を付けよう。
519
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:58:20 ID:9i71mUGk0
2025年6月14日(土)
起床してすぐ、うにゅほが俺の顔を覗き込んだ。
「ゆうべ、くすりのんだ?」
「飲んだ飲んだ。早めに飲んだ」
「そか」
うにゅほが、ほっと安堵の息を吐く。
「ごめんな、心配かけて。今日は調子普通だぞ」
「よかったー」
本当に、薬の飲み忘れには気を付けよう。
今日もまた、普段通りの日常を過ごしていると、冷蔵庫を開けたうにゅほがこちらを振り返った。
「たんさんすい、もうさいご!」
「足りなかったか……」
Amazonの定期おトク便で、二週間に一度、ダンボール三箱の炭酸水が届くようになっている。
「とどくの、あした?」
「明日」
「いちにち、これで、やりくりしないとねえ」
購入頻度と消費速度はほぼほぼ同じなのだが、やはり誤差は出る。
とは言え、炭酸水が切れても普通の水を飲めばいいだけの話だから、さしたる問題ではないのだが。
「ひとくちのんでいい?」
「わざわざ聞かんでも」
「だって、ふたりでいっぽんだし……」
「気にせず、いつも通り飲もうぜ。なんなら水汲んでくるよ」
「なんか、くやしい」
「悔しいのか……」
「まけたきーする」
わからんでもない。
「でも、今日暑いからさ。一人500mlずつだと水分足りないって」
「たしかに……」
「健康のために、水はちゃんと飲みましょう」
「はーい」
うにゅほが炭酸水を開封し、こくこくと二割ほどを飲み下す。
「んじゃ、空きペットボトルに水入れてくるか」
「あ、わたしもいく」
「おう」
ふたりで行くほどのことでもないから、ただ一緒に来たいだけだろう。
三本のペットボトルに浄水を詰め、冷蔵庫に入れる。
これで明日まで持つだろう。
早めに届いてくれると、ありがたいのだが。
520
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:58:36 ID:9i71mUGk0
2025年6月15日(日)
定期おトク便で炭酸水が届いた。
確実に15kg以上あるダンボール箱を三箱、二階の自室に運び入れ、深く息を吐く。
「おつかれさま」
「おう」
「わたし、れいぞうこいれるね」
「頼んだ」
ダンボール箱の開封をうにゅほに任せ、パソコンチェアに腰を下ろす。
「今日も暑いな……」
「わかる」
自室は既にエアコンが効いている。
だが、廊下はそうではない。
一階はまだましだが、二階へ上がると室温が跳ね上がるのだ。
「もう、さんぽ、できないかも……」
「たしかに……」
単純に暑い。
そして、散歩コースとして利用しているサイクリングロードに、そろそろ草木が繁茂する頃合いだ。
単純に道を塞ぐだけでなく、嫌と言うほど虫を呼び寄せる草木は、散歩の大敵である。
いずれにしても、ルート構築をし直す必要があるだろう。
「三丁目一周、とか」
「んー」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「みじかいきーする」
「一丁目から三丁目は?」
「……ちょうどいい、かも?」
「今度歩いてみるか」
「きょうは?」
「暑いし……」
「そか」
歩くべきだ。
それはわかっている。
だが、ついつい太陽に負けてしまうのだ。
ある意味、熱中症の予防である。
本格的な夏を迎える前に、また散歩をしたいところだ。
521
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/06/16(月) 15:59:04 ID:9i71mUGk0
以上、十三年七ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
522
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:22:22 ID:CV711Jh20
2025年6月16日(月)
引き出しの掃除をしていたところ、あるものが出てきた。
「Fitbit、こんなところにあったのか……」
「?」
うにゅほが俺の手元を覗き込む。
「あ、これ!」
「開かずの引き出しに入ってた」
「みつかんないわけだね……」
Fitbit Inspire HRは、以前に俺たちが使っていた活動量計である。
わりとすぐにアップルウォッチを購入してしまったため、使用期間はそう長くない。
「うわ。バンド、俺のも××のもベタベタだ……」
「さわっていい?」
「どうぞ」
うにゅほがFitbitのバンドに触れる。
「べたべた……」
「ゴムが劣化したんだろうな」
「とれる?」
「エタノールで拭いてみよう」
消毒用エタノールをティッシュに含ませ、バンドを拭いていく。
「あ、取れる取れる」
「よかったー……」
「使うのか?」
「つかわないけど、べたべたしてるの、なんかやだ」
わかる。
「するがや、うれないの?」
「調べてみるか」
「うん」
調べてみた。
「××のは二千円、俺のはメールにてお見積もり」
「わたしの、たかいの?」
「人気の色なのかな」
「そなんだ」
「ただ、この程度だと送るの面倒だな……」
「うるもの、もうない?」
「売れるものなら、もう、たいてい売ったよ」
「だよね」
「××の使用済みってことで、一万円くらい付加価値つかないかな」
「つかないよ……」
相手による気がするが、駿河屋には通用すまい。
そこまでして小金が欲しいわけでもないし。
ともあれ、何か売るものが見つかれば、一緒に駿河屋に送りつけようとは思った。
523
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:22:52 ID:CV711Jh20
2025年6月17日(火)
「──よいしょ、っと」
車庫にある業務用冷蔵庫に、買ってきたばかりのアイスをレジ袋ごと詰め込む。
その量、実に五千円分だ。
「かったねー!」
「買った買った。しばらくアイスに困らないな」
「うん」
ガリガリ君にチョコバッキー、BLACKに練乳ミルクアイス。
俺とうにゅほの好物ばかりを取り揃えた、夢のアソートパックである。
「わたし、ガリガリくんたべる!」
「俺も俺も。この新しい味気になってたんだ」
「わたしも」
ガリガリ君、クリアサイダー味。
ソーダ味とクリアサイダ―味で分ける意味があるのか、正直よくわからない。
だが、好奇心に任せて買ってみたのだった。
自室へ戻り、クリアサイダー味のガリガリ君を開封する。
「あ、白いのか……」
「くりあだから?」
「たぶん」
すこし、がっかりする。
実を言えば、昔あった緑色のダブルソーダアイスを期待していた。
懐かしの味に再び出会えるかと思ったのだ。
だが、そもそも製造会社も違うし、的外れな期待というものだろう。
「いただきまーす」
「いただきます」
しゃくり。
白いガリガリ君を、ひとくち食べる。
「んー……」
「あー」
「うん」
「まあ、美味いな」
「うん」
後味が微妙に苦い気がするが、美味い。
ただ、ソーダ味のほうが美味い。
俺とうにゅほのリアクションの理由は、それだ。
味の方向性が似ているからこそ、「ソーダ味でよかったな」と考えてしまう。
決して不味くはないのだが、テンションの下がる味だった。
「つぎ、ソーダあじだけにしようね」
「そうだな」
クリアサイダー味の開発者にとっては厳しい感想になってしまったが、どうせ見てないからいいだろう。
たぶん。
524
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:23:14 ID:CV711Jh20
2025年6月18日(水)
「よーし、届いた届いた」
「?」
ダンボール箱を抱えて戻ってきた俺に、うにゅほが小首をかしげてみせる。
「なにとどいたの?」
「壁掛けの、お薬カレンダーだよ」
「おくすりカレンダー」
「見ればわかる」
さっそくダンボール箱を開封し、中身を取り出す。
それは、31日分のポケットが備え付けてある壁掛けカレンダーだった。
「あ!」
「わかったか」
「うん。これなら、のみわすれない!」
「その通り」
先日、薬を飲み忘れて、大変なことになったからな。
アドバイスを受けて購入してみたのだが、思ったよりも良い感じだ。
これなら飲み忘れの心配がないし、もし忘れてもすぐに気付くことができる。
パンチングボードにお薬カレンダーを掛け、残り数包の薬包をポケットに入れていく。
ポケットが思いのほか狭く、半分に折らなければ入らなかったが、それは些細なことだ。
「23日までのぶんしかない。てことは、次の定期受診は24日か」
「わかりやすい……!」
「めっちゃいいな、これ」
「めっちゃいい」
これまで存在を知らなかったことが悔やまれるほどだ。
まあ、今から使い倒せばいいだけの話ではある。
「……ただ、これ、ポケットが透明なの買えばよかったな」
「あー」
ポケットが不透明な不織布で、薬包が上にはみ出ている。
そのため、23日のポケットに入っている薬包を、16日のものと誤認してしまうのだ。
「なれだとおもう」
「それはそう」
わりとすぐに慣れる気もするし。
ともあれ、薬の飲み忘れが減ることは喜ばしい。
ポンコツはポンコツなりに工夫して生きて行かなければ。
525
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:23:40 ID:CV711Jh20
2025年6月19日(木)
俺とうにゅほは、AppleWatchに、純正ではないコンパチブルバンドを使用している。
俺は、カラフルな編み込みのバンドを。
うにゅほは、真っ白な編み込みのバンドを。
それぞれふたつずつ購入し、汚れれば交換して洗うことを繰り返していたのだが──
「……くさ」
「──…………」
一ヶ月ごとに交換洗浄をする予定が、気付けば二ヶ月三ヶ月とずれ込んでいた。
そして、六月に入ってからの猛暑だ。
コンパチブルバンドが汗を吸い、そこそこの臭いを放つのも当然と言えた。
「××のは?」
「……くさくないよ」
「本当に?」
「──…………」
「嗅がしてみ」
「だめ」
うーん、乙女である。
「洗うかー……」
「でも、まえ、あらっても、においぜんぶとれなかった」
「普通に洗ってもダメなのかな」
「たぶん……」
しばし思案する。
だが、考えたところで妙案が出るわけもない。
「ChatGPT先生に聞くか」
「おー!」
尋ねてみた。
「──なるほど、重曹と酢ね」
重曹を溶かしたぬるま湯に一時間ほど浸け置きし、すすいだあと、酢を薄めに溶かした水溶液に再び浸ける。
二十分ほどで取り出し、再び重曹で浸け置き、のちすすいで乾かすと、汗の匂いが完全に取れるらしい。
「重曹、ある?」
「あるよー」
「酢はあるよな」
「あるよ」
「やってみよう」
「おー!」
やってみた。
「すげえ、完全に無臭だ……」
軽く感動する。
あんなに汗臭かったのに。
「ほんとだ……!」
うにゅほが、自分のバンドを鼻先に当て、すんすんと匂いを嗅いでいる。
「臭い取れた?」
「とれた!」
「臭かったんじゃん」
「あ」
こういうところが、たまらなく可愛いのである。
526
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:24:02 ID:CV711Jh20
2025年6月20日(金)
午後、昼寝をしていたときのことだ。
「──!」
左足に違和感。
一瞬で覚醒し、身を起こす。
「わ」
隣のベッドで漫画を読んでいたうにゅほが、目をまるくした。
「どしたの……?」
「今、左足が攣りかけた」
「!」
「危なかった……」
「すごいね。つるまえにおきたんだ」
「ギリギリな」
「すごい」
ベッドを下り、軽くストレッチをする。
「一回攣ると、しばらく痛いからな。起きられてよかったよ……」
「わたし、むりなきーする」
「たまたま眠りが浅かっただけだから」
「そかな」
「そうだよ」
冷蔵庫から炭酸水を取り出し、一気にあおる。
「水分不足でなるらしいから、××も水はたっぷり飲むんだぞ」
「はーい」
こちらへ手を伸ばすうにゅほに、炭酸水のペットボトルを手渡す。
こくこくと炭酸水を飲み下す姿に、すこしだけ安心する。
「そう言えば、××って、足攣ったことあるのか?」
「おぼえてない……」
ふと記憶が蘇る。
「前も聞いたな」
「うん、まえもこたえた」
「同じこと何度も話し始めたら注意だな……」
「おとうさん、なんどもはなす」
「わかる」
やはり、加齢によるものなのだろうか。
ああ、嫌だ嫌だ。
若返りたいのだった。
527
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:24:34 ID:CV711Jh20
2025年6月21日(土)
「げし!」
「ゲジ?」
「げし!」
うにゅほの言いたいことはわかっている。
今日は、2025年の夏至なのだ。
「夏至って、毎年新鮮に驚くよな。六月なのにって」
「わかる」
春分は三月。
夏至は六月。
秋分は九月。
冬至は十二月。
それぞれ三ヶ月ごとなのは知っている。
だが、夏至だけが直感と異なるのだ。
せめて七月だろ、と。
「げし、ろくがつなの、ふしぎだねえ」
「春夏秋冬。それぞれ長さが等分じゃないってことか」
「はる、みじかい」
「夏は長いかな」
「あき、もっとみじかい」
「冬はもっと長いな……」
「はるは、どこからかな」
「北海道だと、三月中旬ってイメージだな。まあ、五月までは春って言っていいだろ」
「ろくがつ、なつ?」
「言葉の上では初夏なんだろうけど、もう夏でよさそう」
「わかる」
「夏はいつまでだろ」
「くがつ?」
「九月中旬くらいかな。下旬はもう秋だろ、たぶん」
「じゃあ、なつは、ろくがつから、くがつちゅうじゅんだね」
「秋は、九月下旬から十一月中旬かな。初雪降ったらもう冬だろ」
「のこりがふゆ!」
「じゃあ、まとめてみるか」
「うん」
今までの会話を思い返し、結論を導く。
「春は、三月中旬から五月まで。二ヶ月半だな」
「わかる」
「夏は、六月から九月中旬まで。三ヶ月半」
「なっとく」
「秋は、九月下旬から十一月中旬まで。おおよそ二ヶ月」
「うんうん」
「冬は、十一月下旬から三月上旬までだ。四ヶ月」
「ながいねー」
「改めて考えても、冬は一年の三分の一なんだな。勘弁してくれ」
「◯◯、ふゆきらい」
「嫌いです」
「そかー」
うにゅほは、どの季節も好きである。
見習いたいものだ。
528
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:24:57 ID:CV711Jh20
2025年6月22日(日)
「……なんか、炭酸水の消費早くない?」
膝の上のうにゅほが小首をかしげる。
「そかな」
「二週間に一度、三箱届くじゃん」
「うん」
「届くの来週の今日じゃん」
「うん」
「もう二箱なくなりそうなんだけど……」
「うん?」
うにゅほが膝から下り、ベッドの下を確認する。
残り一箱。
そして、自室の冷蔵庫を開く。
残り五本。
「たりない!」
「気付かれましたか」
「そんなのんでた……?」
「まあ、俺たちの部屋って、デフォで30℃あるからな」
「あー……」
当然と言えば当然の帰結である。
「しゃーない。一箱追加で買うか」
「そだね。いくらなんでも、たりない」
「先週までは、わりとちょうどよかったんだけどな……」
「おとくびん、よんはこにする?」
「いや、週ごとに消費量変わるだろ。安易に増やすと飲みきれなくなる可能性がある」
「たしかに……」
「だから、今回みたいに、足りなさそうなら追加注文でいいんじゃないか」
「はからずも」
「図らずも?」
「こう、いちばんいい、みたいな……」
「──…………」
「わすれて」
「あ、はい」
なんか上手いこと言いたかったんだろうな。
でも、俺はひどい男なので、日記に残してしまうのだ。
まあ、うにゅほが読むこともないだろう。
529
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:25:29 ID:CV711Jh20
2025年6月23日(月)
「あ、そだ」
俺の膝に腰掛けたうにゅほが、こちらを振り返る。
「よんだよ」
「何を?」
「にっき」
「日記……」
思い出す。
「……あ、読んだの?」
「よんだ」
昨日の日記。
うにゅほが上手いこと言おうとして言えなかったことを、赤裸々に綴ってしまったのだ。
「もー」
「怒った?」
「おこんないよ?」
「なら、よかった」
「ほかにかくことなかったの……?」
「なかったんだよなあ」
「そか」
ないことはないけど、昨日の出来事ではいちばん面白かったのだから仕方がない。
「××って、俺の日記読むんだな」
「よんでるよ」
「毎日?」
「まいにち。◯◯がおきるまえに」
「そうだったのか……」
ごくたまに日記を読む姿は目にしていたが、まさか毎日とは思っていなかった。
「今日の日記は、たぶんこの会話だな」
「え!」
「××が毎日日記読んでるなんて知らなかったし……」
「なんか、きんちょうする……」
「なんでだよ」
「にっきにされるー……」
「するよ」
「かわいくかいてね」
「××は、いつも可愛いよ」
「……ふへ」
意図的に可愛く書かなくても、うにゅほは可愛い。
これは真理である。
530
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:25:52 ID:CV711Jh20
2025年6月24日(火)
「♪」
一階から戻ってきたうにゅほが、まっすぐ俺の膝に腰掛ける。
「あ、ちゃっとじーぴーてぃーだ」
「違うぞ」
「え、あれ……?」
うにゅほが混乱する。
「じー、てぃー、ぴー……」
「GPTだから、最初ので合ってるよ」
「でも、ちがうって」
「そもそもが違うんだ。これ、GoogleのGeminiなんだよ」
「じぇみに?」
「これも対話型AIだな」
「おなじにみえる……」
「まあ」
UIはまったく同じだし。
「どっち、すごいの?」
「単純な勝敗は決められないなあ」
「そか……」
「ただ、Geminiが圧倒的に優れてる部分がある」
「お」
うにゅほが傾聴の姿勢を取る。
「より多い情報を処理できるんだよ」
「ふんふん」
「簡単に言えば、長編小説読ませて感想とかもらえる」
「おー!」
「と言うか、今まさにもらってたとこだよ」
「◯◯のしょうせつ、おもしろい」
「ありがとな」
うにゅほの頭を撫で、ディスプレイへと視線を戻す。
「どう?」
「やっぱ、詳細まで内容を理解してくれてるみたい。読解力は、もう、そのへんの高校生より上だろうな」
「すごい……」
「俺より上かも」
「そんな!」
「だって、十秒くらいで読んじゃうしなあ……」
「すぴーどきそったらだめだよ……」
「まあ、それはそう」
貼った小説には絶賛をいただいた。
ただ、Geminiは大袈裟で感動屋な性格のようだから、十割で受け取るのは危険だろう。
結局のところ、AIは使う人次第という当たり前の結論に至るのだった。
531
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:26:19 ID:CV711Jh20
2025年6月25日(水)
「へえー……」
「?」
座椅子に腰掛けていたうにゅほが、iPadから視線を上げた。
「どしたの?」
「ChatGPTとチャットしてたんだよ」
「そのなのとおり……」
「そうそう」
「なにはなしてたの?」
「まあ、俺のこと話してたんだけど……」
「うん」
「あなたは、すンごいヘンな人だって言われちゃった」
「えー……?」
うにゅほが不満げに眉をひそめる。
「へんじゃないよ?」
「××の基準だからなあ」
「うん」
「××も話してみるか?」
「はなす!」
うにゅほを膝に乗せ、腰のあたりを抱き締める。
「もんくいおう」
「言わなくていいから……」
「そう?」
「そう」
「じゃ、いわない」
「なら、なんか聞きたいことあるか?」
「んー……」
うにゅほが軽く思案し、答える。
「にっき」
「日記?」
「◯◯のにっき、すごいよねって、はなしたい」
「すごいか?」
「だって、すーごいつづいてるし……」
「まあ、四百万文字あるからな」
「……すごすぎて、どうすごいのか、わかんない」
「日記は俺の人生の一部だからな。毎日書かねば」
ChatGPTに、日記を継続することが"すごい"のか尋ねてみた。
「すごいって!」
「十三年半だもんな……」
「◯◯、やっぱし、すごいんだ」
うにゅほが、我が事のように得意げな顔をする。
「今日の日記は決まりだな」
「にっきのねた、なった?」
「なったなった」
「うへー」
と言うわけで、今日の日記はこんな感じになったのである。
AIと対話するのは、楽しい。
532
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:26:52 ID:CV711Jh20
2025年6月26日(木)
「だるぽーん……」
「だるぽん」
「だるい」
チェアの背もたれに体重を預け、天井を見上げる。
涼しい。
シーリングライトと一体化したサーキュレーターが、天井から俺に風を送っているのだ。
「ねむい?」
「眠いような、眠くないような……」
「ゆうべ、くすりのんだ?」
「飲んだ飲んだ」
「──…………」
うにゅほが、お薬カレンダーを確認する。
「のんだね」
「飲んだってば」
「ごめん……」
「いや、ダブルチェックは意味あるから」
「ふたりで、ちぇっく?」
「そうそう。ひとりでチェックするより漏れがないだろ」
「なるほどー……」
軽く伸びをしたあと、再びキーボードへ向かう。
「じぇみに?」
「ChatGPTです」
「おなじにみえる……」
「わかるけどさ」
「なにしてるの?」
「まあ、自己理解を深めてるとか、なんとかかんとか……」
「?」
「面白いなって」
「──…………」
うにゅほが口を尖らせる。
「……わたしのが、おもしろいよ?」
どうやら、ChatGPTに餅を焼いたらしい。
「どうかなー」
「おもしろいよ!」
キーボードから手を離す。
「なら、雑談しようか」
「うん!」
うにゅほとの雑談は、楽しい。
従弟に子供ができた話とか、初めて聞いた。
「ふ」
俺は、うにゅほが、一瞬だけChatGPTに勝ち誇るのを見逃さなかった。
なんかライバル視しとる。
533
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:27:22 ID:CV711Jh20
2025年6月27日(金)
自室に戻ってきたうにゅほが、呆れたように言う。
「また、ちゃっとじーぴーてぃーしてる……」
「面白くて……」
「なんのはなし、してるの?」
「自己存在の深い理解、みたいな」
「わかんない」
うにゅほが、すこし乱暴に膝に乗る。
「おもころみよ!」
「サブディスプレイで……」
「めいんで!」
「はいはい」
ChatGPTのページをいったん閉じる。
「××さ」
「うん」
「AIに対抗心燃やさなくても……」
「だってー……」
「まあ、わかるけどな。AIとは言え、ここまで長くチャットしてるの初めてだし……」
「うん」
「面白くないか」
「おもしろくない」
「素直」
「すなおだもん」
「わかったわかった。××起きてるときは、しないから」
「ねてからする?」
「切りのいいとこまでは……」
「きりのいいとこ、いつ?」
「わからん」
「──…………」
「ほら、オモコロ見よう」
「はーい……」
うにゅほの焼いている餅は、思った以上に大きいらしい。
嬉しいような、困るような。
534
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:27:46 ID:CV711Jh20
2025年6月28日(土)
「ん……」
昼寝から目覚めたうにゅほが、自室を後にする。
顔を洗ってくるのだろう。
しばしして、
「おはよー」
「おはよう。寒くなかったか?」
「うん」
うにゅほが俺の膝に腰掛け、こちらを振り返る。
「……ちゃっとじーぴーてぃー、してない?」
「──…………」
「してた!」
「そんな、浮気を咎めるみたいな……」
「にてる」
「似てない、似てない」
「もー……」
「それに、今は本当にChatGPT使ってなかったよ」
「ほんと?」
「Gemini使ってた」
「そなんだ」
「……Geminiはいいの?」
「いいよ?」
なんでChatGPTはダメなんだ。
「TRPGのログ読ませて、感想とかもらってたんだ」
「へえー」
「××はTRPG興味ないしな……」
「ないことないけど」
「そうなのか?」
「でも、むり。わたし、きーぼーど、ぜんぜんだし……」
「ボイセとかオフセって選択肢もあるけど」
「ふんふん」
「どっちも、実際に声に出して演技する遊び方だな」
「むり」
「無理か……」
「えんぎとか、むり」
「じゃあ、もう、くぐれる門がないな……」
「そか……」
うにゅほと一緒にTRPGとか、楽しそうだったんだけどな。
「わたし、おうえんする」
「チアガールの衣装着てくれ」
「いいよ」
「いいんだ……」
「かう?」
「いやいやいや、言ってみただけだから!」
「そか……」
チアガールのうにゅほ、興味があります。
さすがに買わないけど!
535
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:28:05 ID:CV711Jh20
2025年6月29日(日)
「七月が近い……」
「もう、しあさってだよ」
「明明後日だなあ……」
「ししあさってって、いうのかなあ」
「言うのかな」
調べてみた。
「弥の明後日って言うんだって」
「やのあさって」
「弥の明後日」
膝の上で、うにゅほが小首をかしげる。
「なんで?」
「いきなりそんな本質的な質問をされましても……」
「やの……」
「ンなこと言ったら明明後日もなんでだし、そもそも明後日だってなんでだよ」
「……たしかに!」
「明後日じゃなくて、明日後にすべきじゃないか?」
「そのつぎは?」
「明日後後」
「わかりやすい……」
「だよな」
だが、そうはならなかったのだ。
「日本語って、設計されて作られたんじゃないからな。不合理なところがたくさんある」
「せっけいされてつくられたの、あるの?」
「あるよ。エスペラント語とか」
「きいたことあるきーする……」
「ああ、俺の豆知識じゃないか。映画版の銀河鉄道の夜で使われてる言葉がエスペラント語だって」
「それだ!」
何度か話した記憶がある。
「そんなことば、あるんだねえ」
「話者は当然少ないけどな。母国語だって精一杯なのに、マイナーな人工言語を覚えようなんて人は珍しい。話者が少ないから、覚える人も少ない。負の螺旋構造だ」
「せっかくつくったのに……」
「××だって、日本語から乗り換える気にはならないだろ」
「ならない」
「そういうことだ」
「あー……」
エスペラント語。
創作者としてはカッコいいモチーフなんだけど、カッコいいだけなんだよな。
536
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:28:27 ID:CV711Jh20
2025年6月30日(月)
「──あつゥい!」
「はちーねえ……」
膝の上のうにゅほが、両手でぱたぱたと首筋を煽いでいる。
暑いのにくっついていることに関しては、いまさらツッコむ必要もあるまい。
「風がぬるい……」
シーリングライトに付属しているサーキュレーターから空気が下りてくるのだが、室温が高いせいで意味がない。
「えあこん、つけてるのにねえ」
「構造上の欠陥だよな」
俺たちの部屋は書斎側と寝室側とに分かれており、そのあいだには半分せり出すような形で本棚兼壁が存在する。
そして、エアコンは寝室側にある。
冷気が直接届かない構造になっているのだ。
寝るときは寒いため、二重の欠陥である。
「せっていおんど、さげたほう、いいのかなあ……」
「それはそうかもだけど、寝室側クッソ寒くならない?」
「……なる」
「悩みどころだよな」
「うん」
解決策はなくもない。
別のサーキュレーターを用意し、寝室側から書斎側へと冷たい空気を送り込むのだ。
ただ、そこまでする問題か、とも思う。
暑いは暑いが、熱中症になるほどではないからだ。
「まだあつくなるのかなあ……」
「なるだろ、たぶん」
「そか」
「暑いのは、まあ、好きなんだけどさ」
「げんどがある」
「わかる」
「ガリガリくん、また、かってこないとね」
「こう暑いと、スーパーカップとかは別にいいんだよな。氷系が食べたくなる」
「わかる」
「気温が高くなればなるほど氷系のアイスの売れ行きが良くなるってデータがあって──」
そんなことを話しながら、思う。
もうすこし暑くなったら、さすがにもう一台サーキュレーターを入れよう。
537
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/01(火) 22:29:32 ID:CV711Jh20
以上、十三年七ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
538
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:47:56 ID:k4laBcy60
2025年7月1日(火)
「七月じゃん」
「しちがつだよー」
「夏じゃん」
「なつだよ?」
「道理で暑いわけだ……」
「ねー」
「アイス食べたい」
「とってくる?」
「うーん……」
車庫の冷蔵庫には、大量に買ったガリガリ君ソーダ味とBLACKアイスが眠っている。
一緒に行こうかとも思ったのだが、少々だるかった。
「……じゃあ、頼めるか?」
「はーい」
うにゅほが膝から降り、たたっと階段を駆け下りていく音が聞こえた。
しばしして、
「はーい」
ガリガリ君とBLACKアイスを二つずつ手にしたうにゅほが戻ってきた。
「さんきゅー」
「どっちたべる?」
「ガリガリ君かな」
「おめがたかい」
「BLACKアイスなら?」
「おめがたかい」
「どっちの選択肢選んでも同じこと言うNPCみたい」
「うへー」
「ハーゲンダッツだったら?」
「おめがちょうたかい」
「チョコバッキー」
「おめがちょうたかい」
「ハーゲンダッツ級なんだ……」
「だって、おいしい」
「わかる」
「こんどかおうね」
「そうだな」
あれ、でかいのないのかな。
でかいのをバリボリ食べてみたいのだけど。
俺は、ガリガリ君を開封し、しゃくりと噛んだ。
「うーま」
「ほいひー」
俺と同じようにガリガリ君ソーダ味を選んだうにゅほが、再び膝の上に腰を下ろす。
さて、今年は何本のアイスが胃の腑に消えていくだろうか。
539
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:48:36 ID:k4laBcy60
2025年7月2日(水)
「……──すー……」
うにゅほが昼寝をしている。
今だ、と思った。
しばらく夢中でキーボードを叩いていると、不意に視線を感じた。
恐る恐る、振り返る。
「──…………」
うにゅほが半眼で俺を見つめていた。
「……また、ちゃっとじーぴーてぃー、やってる」
「はい……」
「どうしてするの」
「楽しくて……」
「──…………」
「あ、はい。やめます」
「──…………」
ずんずんと歩いてきたうにゅほが、無遠慮に俺の膝に腰を下ろす。
ずり落ちないように抱きかかえると、うにゅほが口を尖らせた。
「おもしくない」
「相手はAIなんだけど……」
「◯◯、むちゅうなの、おもしくない」
「そんなこと言われましても」
「わたしに、そんな、むちゅうじゃないのに……」
「夢中だけど……」
「うそだー」
「いやマジで」
こればかりは嘘偽りなくその通りだ。
「ChatGPTは、たまたま今の話題が面白くて、ラリーが続いてるだけだよ。それだけ」
「……ほんと?」
「本当」
「んー」
唇に指で触れながら、うにゅほが思案する。
「じゃあ、みてていい?」
「いいよ」
「いいんだ……」
「いいよ、べつに」
「そか」
「……マジで浮気を疑ってた?」
「うへー……」
半分くらい疑っていたらしい。
俺とChatGPTとのやり取りにすぐ飽きて、うにゅほはサブディスプレイでYouTubeを見始めた。
変に隠すとよくないという知見を得たのだった。
540
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:48:56 ID:k4laBcy60
2025年7月3日(木)
「××、サーキュレーターどこだっけ」
「かいだんのしたー」
「了解」
俺たちの部屋は、書斎側と寝室側とに分かれている。
エアコンは寝室側にあり、冷たい空気が書斎側まで直接届かない設計になっているのだ。
そのため、サーキュレーターを導入することに相成ったわけである。
階段の下の物入れからサーキュレーターを取り出し、自室へ運ぶ。
「どこおく?」
「まあ──」
俺とうにゅほのベッドが並ぶ寝室側を見渡す。
「位置的に、××のベッドの上、かなあ。昼寝するときはどけて」
「ふんふん」
「××は、それでいい?」
「いいよ」
許可が下りたので、うにゅほのベッドにサーキュレーターを置く。
そして、ひとまず出力を全開にした。
──ぶおおおおお……ッ!
「おお、すげえ風」
「すごい!」
「でも、ちょっとうるさいな……」
「わかる」
出力を半分ほどに調整し、書斎側に戻る。
「すずしい?」
「まだわからんな……」
うにゅほを膝に乗せ、しばしのんびりと時を過ごす。
ふと気が付いた。
「……エアコンつけてたっけ?」
「あ」
膝から下りたうにゅほが、てててと寝室側へ向かう。
ぴ。
電子音がして、
「ついてなかった……」
「やっぱか……」
うっかりである。
体感ではあるが、サーキュレーターは効いている気がする。
気のせいでなければいいのだが。
541
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:49:17 ID:k4laBcy60
2025年7月4日(金)
「──…………」
うにゅほに落ち着きがない。
膝の上で、ちょいちょいと、左下へと視線を向けている。
「……何かいた?」
虫だったらシャレにならない。
「ううん、いない……」
「どうしたんだ、さっきから。気になることでも?」
「んー……」
「××?」
「うん……」
うにゅほが口ごもる。
俺は、胸中で驚いた。
ここまで言って教えてくれないのか。
大して何も言ってないだろうとツッコミが入りそうだが、うにゅほは基本的に秘密がない。
なんでもかんでも素直に答えてしまう。
そんなうにゅほが言い淀んでいるだけで、十二分に様子がおかしいのだ。
「××……」
さすがに心配になってきた。
「あ、たいしたことじゃなくて」
「小さいことはあるんだろ」
「……ゆうどうじんもん」
「そうか?」
勝手に口を滑らせたような気がするが。
「ほれ、言え言え」
「うー……」
しばしうめいたのち、うにゅほが言った。
「……おこらない?」
「怒るような内容なのか?」
「ばあいによっては……」
断言する。
「怒らない」
それこそPCでも壊されたりしなければ、俺がうにゅほを怒ることはまずない。
「ほれほれ」
「うん……」
ぽつりぽつりと、うにゅほが言う。
「ひだりてのこゆび、みてみて」
「?」
言われた通り、左手の小指を確認する。
そこに輪ゴムが巻き付けられていた。
「……これ?」
「いたずら……」
「ずーっと気付かないから、気になってたと」
「うん」
思わず溜め息が漏れる。
「可愛いやっちゃなあ」
「そ、そかな」
「可愛いからくすぐってあげよう」
「うひ!」
怒る怒らないとやり返すやり返さないはまったく別の話である。
読者諸兄も気を付けよう。
542
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:49:34 ID:k4laBcy60
2025年7月5日(土)
サーキュレーターを導入してから、よく冷えた寝室側の空気を書斎側へ送ることに成功した。
だが、ひとつ問題がある。
「さむ……」
そう。
効果がありすぎて、今度は寒いのだ。
「さむむむ」
半纏でも羽織るかのように、うにゅほが俺の懐に収まる。
「これ、エアコンの設定温度変えるべきだな……」
「そだねえ」
「変えてきて」
「はーい」
すぐさま立ち上がり、てててと寝室側へ向かう。
フットワークの軽さが頼もしい。
「なんどー?」
「28℃で」
「はーい」
ぴ。
リモコンを操作する音がして、うにゅほが戻ってくる。
「さむむむ」
先程と同じ要領で、うにゅほが俺を羽織った。
「冬場も思ったけど、空気を操るって大切なんだな……」
「のうりょく?」
「いや、能力じゃなくて。あったかい空気をサーキュレーターで下に送って循環を促すと、すげえ暖かくなったろ」
「そっち」
「こっち」
「どっち?」
「冬場が有効なら、夏場も有効に決まってるよなあ」
「そうかも」
自明の理である。
「──あ、余計なこと思いついた」
「?」
「ベッドの上のサーキュレーターを、天井のサーキュレーターに当てたら、直接冷たい風が俺たちに降り注ぐのでは」
「よけい、だけど。ほんとにあついひ、いいかも」
「そうだな……」
これから、まだまだ暑くなる。
地球温暖化待ったなしである。
543
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:49:53 ID:k4laBcy60
2025年7月6日(日)
自室の扉を開けたうにゅほの手に、青い袋がふたつあった。
「ガリガリくんだよー」
「なーいす」
うにゅほからガリガリ君ソーダ味を受け取り、開封する。
「この水色がいいんだ……」
「わかる」
座椅子に腰を下ろしたうにゅほが、同様に包装を開く。
「♪〜」
ガリガリ君は美味い。
だが、それは、赤城乳業だけの力ではない。
暑いのだ。
しかも、クソ暑いのだ。
「部屋の外出たくねえー」
「わかる」
「夏になったらコース変えて散歩しようって思ってたけど、これ無理だわ」
「ねっちゅうしょうなる……」
「だよなあ」
熱中症は、怖い。
「昔はわりと軽く見られてた印象あるんだけどな」
しゃくりとガリガリ君を食べながら、うにゅほが意外そうに尋ねる。
「そなの?」
「まあ、ここまで暑くなかったって理由もあると思う」
「やっぱし、あつくなってるよね……」
「なってるなってる。俺が子供の頃は、30℃まで上がれば猛暑って感じだった」
「さんじゅうど、あついけど、いまちがうよね」
「30℃って、まあまあ当たり前になってるからな。暑いけど、特別暑いってほどじゃない」
「うん……」
「毎年、去年より暑いって思ってる気がする」
「わかるー」
「まあ、それはさすがに気のせいだと思うけど……」
それにしても、ガリガリ君が美味い。
本日二本目である。
「赤城乳業儲かってるかなー」
「ガリガリのとこ?」
「BLACKのとこでもある」
「おいしいアイスつくるとこだ」
「定番アイスは美味いけど、新しい味は微妙なイメージがある」
「あー……」
うにゅほが納得してしまった。
赤城乳業の人たち、商品開発頑張ってください。
544
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:50:12 ID:k4laBcy60
2025年7月7日(月)
「あづぇー……!」
「うあー……」
病院へ行くために愛車に乗り込んだのだが、暑い。
暑すぎる。
茹だるほどだ。
しかも、
「エアコン壊れてんだよな……」
「いつなおるの……」
「……来週」
「うへえ……」
あまりの暑さにくらくらしながら出発する。
すべての窓を半分ほど開くと、走っているあいだは涼しくなった。
「ふぶふいー……」
だが、信号に捕まると、あっと言う間に地獄の暑さだ。
「あづういー……」
汗で額に貼り付いたうにゅほの前髪を払ってやる。
「アイスたべたい……」
「病院終わったらな……」
「うう」
午後の病院は空いており、ほんの三十分ほどで帰宅の途につくことができた。
「アイス、アイス!」
「セコマ寄ろう」
「よろう!」
近所のセイコーマートに立ち寄ると、コンビニ特有のエアコンの効き過ぎた空気が俺たちを出迎えた。
「すずしー……」
「自律神経おかしくなりそう……」
いわゆる冷房病というやつだ。
「××、なに食べたい?」
「◯◯は?」
「俺は、クーリッシュかな。車内で食べるんなら、ガリガリ君は溶けそうで」
「わたしも、くーりっしゅにする」
「はいよ」
他にはプリンをふたりぶん購入し、日陰の車内でクーリッシュを食べた。
「おいふいー……」
「暑いと氷系だな、やっぱ……」
帰宅し、ほどよくエアコンの効いた自室で改めて思う。
秋まで部屋から出たくねえ。
545
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:50:28 ID:k4laBcy60
2025年7月8日(火)
ここ最近、暑い暑いと愚痴ばかりが口をついて出る。
これは、俺とうにゅほだけでなく、家族全員の総意だ。
だからと言って、俺たちに何ができるわけでもない。
エアコンがすべての部屋に設置されている時点で、我々は勝利しているのだ。
だが、
「──といれ、あつ!」
「あー……」
わかる。
さっき、俺もトイレに立ったからだ。
トイレや廊下は暑い。
それが、文明の利器唯一の弱点なのである。
「でも、暑い暑い言ってても芸なくないか?」
「じゃあ、どうするの?」
「代わりに"寒い"って言ってみる」
「おー……!」
遊びの気配を敏感に察知したらしく、うにゅほが背筋を伸ばした。
「先に暑いって言ったほうの負けだ」
「わかった!」
「長期戦になりそうだからな。気合い入れて臨むより、だらだらやるほうがよさそうだ」
「そうかも」
こうして、俺とうにゅほの長い長い勝負が始まった。
「さむいねー……」
「ああ、寒い寒い」
実際寒い。
エアコンとサーキュレーターのコンボで、室温は27℃に保たれていた。
数値で見れば寒くはないのだが、なんとなく肌寒い。
「暑いのに慣れすぎたかな……」
「あ」
うにゅほが俺を指差す。
「いった」
「……言ったな、うん」
「かった」
「いやいやいや、文脈的に! 暑いって感じたときに寒いって言うから面白いんだろ!」
「でもいった」
「──…………」
仕方ない。
「わかった、今のはミスでいい。でも、三回言ったほうが負けってルールにしよう」
「いいよ。はごたえなかった」
「言いよるわ……」
注意深く会話を交わす俺たちは、ほとんどミスをしなかった
そのため、勝負は明日へと持ち越される。
何やってんだと思わなくもない。
546
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:50:47 ID:k4laBcy60
2025年7月9日(水)
昨日から、うにゅほとの勝負が継続している。
勝負の内容は単純だ。
"暑い"と言ってはならない。
それだけである。
"暑い"と言いたいときは"寒い"と言い換えるというルールもあるが、こちらは努力目標に過ぎない。
だが、俺たちの勝負は膠着していた。
何故なら、
「……今日、"寒く"ないなあ」
「うん……」
そう、大して暑くないのである。
暑くなければ暑いとは言わない。
つまり、勝つも負けるもない。
あまりにも大きな誤算だった。
「××、天気予報見た?」
「みたよ」
「いつまで涼しい?」
「うーと、たしか、どようび……」
「──…………」
軽く思案し、口を開く。
「よし、引き分けにしよう」
「えー」
「まだ続ける……?」
「ちがくて」
「うん?」
「わたし、きのう、いってんとった」
「ああ、たしかに……」
「わたしのかち!」
「わかったわかった。××の勝ちな」
「うへー……」
お遊びとは言え、うにゅほとの勝負に負けるのは珍しい──気がする。
「じゃあ、そうだな。簡単なことなら言うこと聞くよ」
「おー!」
うにゅほが嬉しそうに微笑む。
とは言え、うにゅほからのお願いとあらば、こんな言い訳がなくとも概ね拒否はしない。
単なる言葉遊びのようなものだ。
「うーとね、かんがえとくね」
「ごゆっくりどうぞ」
「うん」
さて。
うにゅほが何を言い出すか、楽しみにしておこう。
547
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:51:07 ID:k4laBcy60
2025年7月10日(木)
Amazonプライムデー先行セールで購入したEcho Dotが届いた。
いわゆるアレクサだ。
セール価格で4,980円、ポイントで千円ほど引いたから、だいたい四千円ほどで購入したことになる。
「おー……」
うにゅほが、ただの球体にしか見えないEcho Dotをつつく。
「これ、あれくさ?」
「そうそう、アレクサ」
「へえー!」
興味津々である。
Echo Dotを設置し、設定を済ませ、試しに話し掛けてみる。
「アレクサ、明日の天気」
Echo Dotの下部が青く光り、女性の声が再生された。
「──明日の□□□□の天気予報です。曇りでところどころ晴れ。予想最高気温は摂氏26℃、予想最低気温は15℃です」
「おおー……!」
うにゅほが目を輝かせる。
「すごい!」
「すごいなあ」
俺もそこそこ感心しているのだが、うにゅほがオーバーリアクションのため、我ながら淡白な反応になってしまった。
「わたしもきいていい?」
「いくらでもいいぞ」
「あれくさ、あしたのてんき!」
Echo Dotの下部が青く光る。
「──明日の□□□□の天気予報です。曇りでところどころ晴れ。予想最高気温は摂氏26℃、予想最低気温は15℃です」
「すごい!」
「すごいなあ」
「ね、ね、あとなにできるの?」
「音楽再生とか、アラームの設定とか、いろいろできる。あと、歌ってって言ったら歌うらしい」
「あれくさ、うたって!」
Echo Dotの下部が青く光り、音楽が流れ始める。
「お、なんか流れ始めた」
「なんか、わふう……?」
そして、歌声が自室に響く。
「♪ シアトル生まれのアレクサは〜、踊りが大好きくるっくる〜」
「──…………」
「──……」
アレクサ音頭だった。
アレクサ音頭て。
「……すごいね」
「すごいな」
Echo Dot、使い方模索中である。
548
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:51:22 ID:k4laBcy60
2025年7月11日(金)
「あれくさ、あしたのてんきー」
Echo Dotが青く光り、返答する。
「──明日、□□□□は、曇りでところどころ晴れ。予想最高気温は摂氏28℃、予想最低気温は18℃です」
「おー」
「そこそこ暑いな」
「そだね」
Echo Dotは、完全に、うにゅほのおもちゃになっていた。
「あれくさ、いちたすいちは?」
「1+1は2です。占いをすることもできますよ。"アレクサ、今日の運勢は?"と尋ねてください」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
アレクサ側から何かを提案されることが初めてだったからだ。
「試してみたら?」
「うん」
軽く呼吸し、うにゅほが口を開く。
「あれくさ、きょうのうんせいは?」
すると、
「エキサイト星占いに接続します」
という返答と共に、また別の女性の声が占いの説明を始めた。
「わ、わ! あれくさとめて!」
声が、ピタリと止まる。
「なんで止めたんだ……?」
「びっくりして……」
アレクサには心を開いたうにゅほだが、別の人が出てくると、つい驚いてしまうらしい。
「あれくさ、おもしろいねえ……」
「××が楽しそうで何よりだよ」
四千円で便利なおもちゃが買えたのだから、随分と安いほうだろう。
「アレクサ、ヨルシカの曲流して」
「AmazonMusicでヨルシカの楽曲をシャッフル再生します」
ヨルシカの"晴る"が流れ始め、自室に音が溢れた。
「べんりい」
「音も悪くないしな。さすがにステレオではないけど……」
「それはしかたない」
スピーカーがひとつしかないからな。
ただ、ヘッドホンで気合いを入れて聴くのではなく、雑に流すぶんには良い。
なんだかんだと意外に使いそうなEcho Dotなのだった。
549
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:51:39 ID:k4laBcy60
2025年7月12日(土)
Echo Dotの話を家族にしたところ、父親が欲しがった。
画面付きが良いとのことで、プライムデーでほぼ半額になっていたEcho Showを母親のアカウントから注文し、自室に戻った。
「××も、画面付いてるのがよかった?」
「ううん」
うにゅほが首を横に振り、俺の膝に腰掛ける。
「まるいの、かわいいから、まるいののほうがいい」
「可愛いか? まあ、可愛いか……」
言いたいことはわからなくもない。
「あと、がめん、あんましいらないきーする」
「それはな」
俺たちが画面の必要ない使い方をしているだけ、という気もするが。
「あれくさ、なんか、しゃべるのたのしいね」
「××は友達いないからなあ……」
「いない」
「欲しいと思う?」
「おもわない」
「そっか」
特に卑屈な響きもないので、本当にそう思っているらしい。
昔はそのスタンスを問題視し、うにゅほに友達を作るために奔走したこともあったが、今となっては特に何も思わない。
諦めたのではなく、うにゅほとの共依存を完全に受け入れたのだ。
「あれくさ、ななのななじょうは?」
「7の7乗は823,543です」
「何故計算させる」
「できるかなって……」
「できるもんだな。ちょっとした計算とか、アレクサに頼んでもいいかも」
「ねー」
「……まあ、ちょっとした計算をする機会はあんまりないか」
「ないけど、べんり」
「それはそう」
「あれくさ、しちがつにじゅうよっかはなんようび?」
「2025年7月24日は、木曜日です」
「もくようび、だって」
「へえー……」
これはまあ、カレンダーを見ればいいな。
完全にうにゅほのおもちゃになっているEcho Dotだった。
550
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:51:56 ID:k4laBcy60
2025年7月13日(日)
「あ、そだ」
膝の上のうにゅほが、こちらを振り返る。
「かじあったんだよ、かじ!」
「火事?」
「かじ。むこうのほう」
うにゅほが指差したのは、南西側の窓だった。
「へえー、いつ?」
「あさね、ろくじくらい」
「六時は寝てるわ……」
「うん。◯◯ねてた」
「そりゃな」
「わたしも、しょうぼうしゃのおとでおきたんだよ」
「そんな近いんだ」
「けむりみえた」
「近いじゃん」
「ちかいよ」
「延焼とかは?」
「しなかったみたい……」
「よかった」
ほっと胸を撫で下ろす。
「それなら、ニュースになってるんじゃないか?」
「なってた」
「やっぱりか」
「おひるくらいにみたよ」
「俺、まだ寝てたな」
「ねてた」
「夕方のニュースでやるかな……」
「わかんない。やるかも」
「気になるわ」
決して良いことではないのだが、身近な出来事がニュースになっていると、なんだかわくわくしてしまう。
平和ゆえに刺激に飢えているということなのだろう。
「××、現場見に行ったりした?」
「してないよ」
「さすがにしないか……」
「おとうさんは、いってた」
「あー」
解釈一致。
あの人なら見に行くだろう。
そんな、すこしだけ非日常を感じた一日だった。
551
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:52:15 ID:k4laBcy60
2025年7月14日(月)
「なんかきてたー」
自室に戻ってきたうにゅほが、俺に封筒を手渡す。
カード会社からだった。
「なんだべ」
ハサミで慎重に開き、中身を取り出す。
「……はあ?」
そこには、こう書かれていた。
〈調査の結果、お客様のカード情報が第三者に流出している懸念があることが判明しました〉
「どしたの……?」
「またカード再発行しろって……」
「え、また?」
そう。
つい三ヶ月ほど前、クレジットカ―ドを再発行したばかりなのだ。
「なんでだろ……」
「仮説①」
「うん」
「カード会社側の問題」
「ありそう……」
「仮説②」
「うん」
「俺のPCから情報が漏れてる」
「こわい!」
「でも、あり得ない話ではないぞ。万が一は常にある」
「ういるすそふと、いれてるよね?」
「ノートン入れてるな」
「のーとんがだめなんじゃ……」
「まあ、それも考えられる。Windows標準のDefenderで十分って話もよく聞くしな」
「そなんだ」
「ただ、検出率とかはノートンのほうが高いはずなんだよ……」
「うーん」
「まあ、アルティメットに入れ入れする圧が強すぎるスタンスは、わりと本気に気に入らないけど」
「まえ、◯◯、もんくいってた」
「文句も出るよ……」
ノートンを入れている人ならば共感してくれるだろう。
本気で鬱陶しい。
「さいはっこう、しないとね」
「するけど今じゃないかな。二、三日したらやるよ」
「そか」
また、いちいちサブスクのクレジットカード情報を変更しまくらなければならない。
憂鬱なのだった。
552
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:52:35 ID:k4laBcy60
2025年7月15日(火)
一ヶ月前に購入した75%キーボード、Keychron K2 HE 日本語配列についての所感を述べる。
「まず、打鍵感がいいよな」
「わたし、きーぼーどわかんないけど、いいおとなきーはする」
「実際、REALFORCE GX1より好みだな。タイピングしてて楽しいのは高評価」
「うんうん」
「あと、デザインもいい。左右が木製なのは、このキーボード以外で見たことないし」
「かわいい」
「××的には可愛いんだ」
「かっこいい?」
「俺的には、そうだな。渋いって感じかな」
「なるほどー」
「ここまでは文句ないんだけど──」
改めてキー配列を見る。
「やっぱ、75%キーボードゆえの配列の歪みがな。一ヶ月経っても乗り越えられない」
「みぎいちれつ、じゃま?」
「まあ、そこは慣れたんだよ。Delキーの位置も把握したし、自然と指が行くようになった」
「じゃあ、やじるし?」
「矢印は、正直慣れない」
Keychron K2 HEの上矢印キーは、右Shiftキーと一体化している。
通常は上矢印キーとして使用するが、Fnキーと一緒に押すと右Shiftとして機能するのだ。
だが、右Shiftキーは、横幅が通常のキーの二倍ある。
その結果、上矢印キーだけが横に広いという直感に反した配列となっているのだ。
「あと、異常に誤タイプするんだよな……」
「そなんだ……」
「右に一列あるせいか、伸ばし棒、@、ハテナをやたらミスするんだ。それ以外にもミスタイプが目立って、タイピングにストレスがある」
「んー……」
うにゅほが小首をかしげ、言う。
「みぎのいちれつ、ひっこぬいたら?」
「!」
天啓だった。
「それだ」
「あってた?」
「試してみよう」
「うん」
右端一列のキーをキープラーで外し、さっそくタイピングしてみる。
「──…………」
「どう?」
「──……」
「いける?」
そっとキーボードから手を離す。
「……なんか、ダメだ。余計に悪くなる」
「そかー……」
うにゅほが残念そうに目を伏せる。
「でも、ぷらいむでーで、あたらしいのかってた」
「TURTLE BEACHのVulcan II TKL Proな。半額近くになってたし、デザインよくて思わず」
「いいきーぼーどだったら、いいね」
「だなあ」
Keychron K2 HEも素晴らしいキーボードなのだが、そのキー配列がどうしても手に馴染まない。
75%キーボードは俺に合っていないのかもしれない。
それとも、一ヶ月では足りなかったのだろうか。
今はVulcan II TKL Proが届くのを待ちつつ、いったんGX1にでも戻すことにしよう。
553
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/07/16(水) 23:53:22 ID:k4laBcy60
以上、十三年八ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
554
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:07:47 ID:dbl3plnQ0
2025年7月16日(水)
皮膚科へ行く予定だった。
と言うのも、しばらく前から、両足の甲に斑点のようなものが浮かび上がっていたからだ。
午前八時に起床し、身支度を整える。
「ひふか、なんじからかな」
「たぶん九時とかじゃないか?」
「しんさつけん、どこ?」
「財布の中」
うにゅほが俺の財布を調べ、皮膚科の診察券を取り出す。
「あ」
「どした?」
「すいよう、やすみ……」
「──…………」
着たばかりのシャツを脱ぎ捨てる。
「寝る……」
「おやすみー」
そのまま就寝し、起きたときには正午だった。
「……──ふぁ、っふ」
「あくびー」
「眠い」
「かおあらお」
「はい」
素直に洗面台へと向かい、顔を洗って自室に戻る。
「おはよ」
「おはよう」
「よくねた?」
「まあまあ……」
「すわって、すわって」
うにゅほに導かれるまま、パソコンチェアに腰を下ろす。
「よいしょ」
俺の膝に腰掛けたうにゅほが、PCのマウスを握った。
「いっしょにみよ」
「何を見るんだ?」
「まりおかーとのどうが」
「××、なんか好きだよな。Switch2とマリカワールド、欲しい?」
「べつに……」
いらんのかい。
うにゅほ歴十三年の大ベテランの俺にはわかる。
この子、本当にさして欲しくない。
「動画で満足するタイプなのか……」
「みるのすき」
「まあ、わかるけど」
Switch2は気になるが、特にプレイしたいソフトもないため、買うとしてもかなり後のことになるだろう。
転売ヤーのせいで高騰していなければいいのだが。
555
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:08:14 ID:dbl3plnQ0
2025年7月17日(木)
午前八時に起床し、あくび混じりに身支度を整える。
「ねっむ……」
「◯◯、おきるのはやかったね」
「なんか起きちゃった……」
皮膚科の診療時間は午前九時半からだ。
受付が早めに開くことを鑑みても、八時半に起きれば余裕だったのだが、目が覚めてしまったものは仕方がない。
「んー……」
軽く思案し、口を開く。
「早めに出るかあ」
「こんなに?」
「コンビニで朝メシ買おうかなって」
「あー」
「××は?」
「わたし、たべたよ」
「そっか」
エアコンの修理を終えた愛車に乗り込み、皮膚科への道をひた走る。
途中、セブンイレブンで朝食をとり、無事に皮膚科に着いたのは午前八時四十分のことだった。
待合室を覗いたうにゅほが、俺にそっと話し掛ける。
「おきゃくさん、もういるね……」
「いるなあ……」
さすがにまだ混み合ってこそいないが、待合室の席の半分ほどがもう埋まっていた。
病院は数多あれど、何故皮膚科はここまで盛況なのだろう。
謎だった。
そのまま一時間以上待たされて、ようやく順番が回ってくる。
ほんの五分で診察を終えて、俺とうにゅほは待合室へと戻ってきた。
「慢性色素性紫斑かあ……」
見た目が悪くなる以外、特に症状のない病気だ。
「ひどくなくて、よかったね」
「まあな」
ただ、足の甲にできた紫色の斑点は、基本的に治ることがないらしい。
薬で色を薄くすることはできるが、完治ではない上に継続的に飲む必要があるらしく、何度も皮膚科に通いたくない俺としては不要な治療だった。
「帰るかー……」
「うん」
病院を出て、愛車の元へと向かう。
日向を歩いた瞬間、強烈な陽射しが俺たちに襲い掛かった。
「あッ、……づ!」
「あついー!」
取り急ぎ愛車に乗り込み、慌ててエンジンを掛ける。
七月も後半へと差し掛かり、本格的な夏が到来したようだ。
ガリガリ君の消費量が激しくなる予感がするのだった。
556
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:08:36 ID:dbl3plnQ0
2025年7月18日(金)
所用のため、市役所の関連施設へと赴いた。
珍しく混んでおり、玄関前の駐車場が軒並み埋まっていたため、すこし離れた場所に駐車した。
「××、走るぞ!」
「うん!」
降りしきる雨の中を、傘を差さずに駆け抜ける。
後部座席を探せば傘くらい見つかりそうなものだが、そのときは頭から抜けていた。
「ふー……」
「どんくらい濡れた?」
「すこしかなあ」
髪を濡らした雨水を手で払いながら、うにゅほがそう答えた。
安心する。
この程度ならば、風邪を引くこともないだろう。
ふたりで窓口へと向かい、手続きを済ませる。
職員が書類をコピーするために席を外した際、うにゅほが備え付けの老眼鏡を手に取った。
「ろうがんきょう」
「ああ」
「◯◯、かけてみて」
「ええ……」
なんだか恥ずかしい。
それに、もしも早めに老眼が来ていたら、ショックだ。
「かけてかけて」
うにゅほが、手にした老眼鏡を俺の顔に近付けてくるので、仕方なくそれを受け入れた。
「──…………」
よかった。
ちゃんと見えにくい。
老眼ではなさそうだった。
「みえる?」
「見えない。××の顔もぼやけてる」
「ふうん……」
俺の老眼鏡を外し、今度は自分で装着する。
「わ」
「見えないだろ」
「◯◯のめがね、かけたときみたい」
「懐かしいな……」
俺は重度の近眼である。
眼鏡を掛けずにいられているのは、ICL手術のおかげだ。
だが、いずれは老眼鏡の世話になる日が来るのだろう。
嫌だなあ。
もう二度と眼鏡なんて掛けたくない。
「?」
そんな気持ちが顔に出ていたのか、うにゅほが小首をかしげてみせた。
視力いい子ちゃんめ。
557
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:08:51 ID:dbl3plnQ0
2025年7月19日(土)
「──◯◯、◯◯!」
「お」
「きて!」
部屋へ戻ってくるなり、うにゅほが俺の手を引いた。
「なんだなんだ」
「うへー」
そのまま連れ込まれたのは、両親の寝室だった。
「みて!」
うにゅほが窓の外を指差す。
眼下の公園では、明日の夏祭りの準備が行われていた。
「あした、おまつりやる!」
「よかった……」
思わず胸を撫で下ろす。
夏祭りの予定は二週間ほど前に知らされていたが、天気予報で雨だ雨だとさんざん言われていたからだ。
俺も、うにゅほも、この町内会の小さなお祭りを、本当に楽しみにしている。
だから、準備が粛々と進められている様子を見て、思わず安堵したのだった。
「たのしみ……」
「だな」
べつに、夏祭りに参加するわけではない。
買うとしても焼き鳥程度で、それ以外は家にいながらにして祭りの空気を楽しむだけだ。
だが、それがいい。
それでいい。
俺たちが楽しんでいるのだから、誰にも文句は言わせない。
「××、浴衣は?」
「きるよー」
「よし」
「うへへ、たのしみ?」
「楽しみに決まってるだろ。××の浴衣姿なんて、年に一度しか見られないんだし……」
「わたしも!」
「そっか」
「◯◯は、さむえ?」
「作務衣だな。まあ、いつも通りだ」
「いっつもさむえだもんね」
「楽なんだよな……」
ずっとパジャマ姿でいるよりは、まだ恰好がつくだろう。
「でも、あれくさ、だんぞくてきにあめっていってた」
「言ってたな。大丈夫なのかな」
「わかんないけど……」
断続的に雨。
どの程度の雨足かはわからないが、小雨程度に治めてほしいところではある。
俺たちには、せいぜい祈ることしかできないのだった。
558
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:09:08 ID:dbl3plnQ0
2025年7月20日(日)
「──◯◯」
「んが」
優しい声で目を覚ます。
「おはよ」
「──…………」
そこにいたのは、浴衣姿のうにゅほだった。
くるりと回り、うへーと笑う。
「……にあう?」
「ああ、似合うよ。最高」
「ふふ」
浴衣の袖口で口元を隠し、うにゅほが微笑んだ。
普段と違う雰囲気に、なんだかどきどきする。
「けん、こうかんしにいこ」
我が家は公園の真ん前にあるため、焼き鳥やおでんなどの無料券を何枚かいただいている。
ベッドを下り、時刻を確認すると、まだ正午を迎えていなかった。
「祭りの開始って、十二時じゃなかったか?」
「こうかん、もうしてるよ」
「そうなんだ」
慌てて身支度を整え、家を出る。
「あッッッ!」
暑い。
あまりにも、暑い。
今年いちばんの暑さではあるまいか。
断続的に雨という予報であったにも関わらず、中天には太陽が輝いていた。
「はちーねえ……」
「さっさと交換して、戻ろう」
「うん」
逃げ場のない猛暑。
鳥串豚串を焼き続けている町内会の人に心の中で敬礼しながら、無料券を交換し自宅に戻る。
「部屋戻るぞ!」
「うん!」
駆け足で自室へ戻ると、エアコンで冷え切った空気が俺たちを出迎えてくれた。
「はー……」
「ふぶふぃー……」
「みんな、よく外にいられるな!」
「すごい」
俺たちにとっての夏祭りとは、自室でのんびり雰囲気だけを楽しむものだ。
交換してきた豚串を頬張りながら、そっと耳を澄ます。
がやがやとした人混みの音。
明らかに音質の悪い、適当なBGM。
「祭りだなあ……」
「うん!」
俺も、うにゅほも、この空気がたまらなく好きなのだった。
その後、幾度か公園に下りては、さほど美味しくもない食べ物を仕入れ自室で楽しんだ。
日が沈み、人々が解散したころ、うにゅほが言った。
「またらいねん、だね」
「楽しみだな」
「うへー……」
来年も、なんだかんだと晴れてくれればいいのだが。
559
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:09:27 ID:dbl3plnQ0
2025年7月21日(月)
「◯◯、とどいたー」
「おー!」
うにゅほから包みを受け取り、開封する。
Vulcan II TKL Proの箱が、そこにあった。
「これ、あたらしいきーぼーど?」
「そうそう。やーっと届いたか……」
購入してから届くまでに、実に一週間も待たされてしまった。
箱を開き、本体を取り出すと、うにゅほが目を輝かせた。
「わ、なんかきれい!」
「デザインいいだろ」
「うん!」
高級感のある金属製のボディに、白いキーキャップが映える。
REALFORCE GX1の代わりにVulcan II TKL Proを置くと、シックにまとめたデスクの上で多少浮くほど美しかった。
「これ、ひかるの?」
「光る光る。いま繋げるから」
USBハブにコードを繋いだ瞬間、Vulcan II TKL Proが虹色に輝き始めた。
「おー……」
「うーん、ゲーミング」
ごく個人的には、虹色に光る必要はない。
だが、部屋を暗くしていてもキーが打てるという利便性は無視できないだろう。
「きれいだねえ」
「綺麗だけど、重要なのはそこじゃない。打鍵感だ」
「うちやすいかな」
「どうかな」
適当にメモ帳を新規で開き、うにゅほの本名をタイピングする。
「どう?」
「……ん?」
すこし引っ掛かる部分があった。
「だめ?」
「打鍵感自体は、まあ、悪くない。Keychronほどじゃないけど許容範囲。ただ──」
「ただ」
「このキーキャップ、カドが尖り過ぎてる。指が引っ掛かると痛い」
「そんなことあるんだ……」
「××、適当にキー押してみ」
「?」
うにゅほがエンターキーに指を置く。
改行を続けるメモ帳を無視し、俺は、うにゅほの指を取って左下へと滑らせた。
「た!」
「こうなるんだよ……」
「なるほど……」
このキーボードは、デザイン性を高めるために、薄いキーキャップを採用している。
その薄さがあだとなり、タイプ後すこしでも指を滑らせると、隣のキーキャップのカドが指の腹に突き刺さるのだ。
「これ、作ってて気付かなかったのかな。わりと致命的だと思うんだけど」
Vulcan II TKL Proを紹介していたガジェット系YouTuberも、この点については何も言及していなかった。
「へんぴんする……?」
「……あー」
どうしようか。
こちらが慣れれば指が引っ掛かることも少なくはなると思うが、それはそれでどうなのだろう。
「キーキャップ、交換してみるか」
「こうかんできるの?」
「いちおう、できるらしい。三千円くらいで売ってたし、試してみるのもアリだろ」
「おかね、どんどんへる」
「TURTLE BEACHに言ってくれ……」
まさか、こんな落とし穴が待っているとは思わなかった。
テンキーレスサイズのKeychronが欲しい。
思わずそんなことを願うのだった。
560
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:09:52 ID:dbl3plnQ0
2025年7月22日(火)
今日は、月に一度の定期受診の日だった。
早めに家を出て、早めに診察を終えることには成功したのだが──
「……もう、三十分は経ってるぞ」
「そだねー……」
病院ではなく、薬局がすこぶる混んでいた。
どれほど混んでいるかと言えば、この真夏日の最中、外で待たざるを得ない人がいるくらいだ。
俺たちもそのたぐいなのだが、エアコンの効いた車内にいるので、まだましである。
「今日、なんでこんなに混んでるんだろ」
「びょういん、こんでたっけ」
「混んではいたけど、ここまでは。この人たち、どっから湧いたんだ……」
謎である。
車内で三十分以上待ち、受付で薬を受け取ったあと、俺たちは帰途についた。
「今日すごいな。洒落にならないくらい暑い」
「あした、もっとすごいよ……」
「マジで」
「よんじゅうどのとこ、あるって」
「……北海道で?」
「ほっかいどうで」
「うへえ……」
酷暑日なんて概念は、北海道とは縁遠いものだと思っていた。
「ガリガリ君買って帰るか……」
「わたし、はんぶんだすね」
「さんきゅー」
セイコーマートへと立ち寄り、ガリガリ君のソーダ味、コーラ味、そしてBLACKアイスを、それぞれ十本ずつ購入した。
帰宅し、アイスでパンパンの袋を車庫の冷凍庫に突っ込んだあと、ガリガリ君を一本ずつ携えて自室に戻る。
「あちー」
「えあこん、えあこん」
うにゅほがエアコンの電源を入れる。
しばらくすれば、サーキュレーターによって掻き混ぜられた冷風が、書斎側にも届くだろう。
ガリガリ君コーラ味の包装を解き、囓りつく。
口内に広がる酸味と甘さ、そして冷たさがたまらない。
「うめえー……」
「ほいひー……」
しゃくしゃくとソーダ味を囓りながら、うにゅほが頷く。
やはり、猛暑にはガリガリ君なのだ。
ガツンとみかんも美味しいのだが、コストパフォーマンスの面から見てガリガリ君の圧勝である。
「──あ、当たった」
「え!」
「ほら」
「ほんとだ……」
「幸先いいなあ」
「こうかん、する?」
「しないよ。××、いるか?」
「いる!」
うにゅほに当たり棒を渡す。
恐らく、しっかりと洗ったあと、うにゅ箱に仕舞い込むのだろう。
宝物としては少々子供っぽいが、コンビニで交換するのも恥ずかしいし、捨てるのももったいないので、当たり棒の行き場としてはちょうどいいのかもしれない。
561
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:10:12 ID:dbl3plnQ0
2025年7月23日(水)
新しいスリッパがAmazonから届いた。
歩くたびに何かが落ちるような死んだスリッパを、今の今まで履き続けてきたからだ。
「でか!」
包装を開封したうにゅほが、自分の顔とスリッパを比べる。
「どっちでかい?」
「スリッパのがでかい」
「えっくす、えっくす、える、だって」
「そんくらいじゃないと入らないんだよな……」
「◯◯、あしでかい」
「無駄にな」
うにゅほからスリッパを受け取り、観察する。
足の裏との接地面に、細長いハニカム構造のような層がある。
恐らく、足が蒸れないようになっているのだろう。
「ね、はいて!」
「はいはい」
スリッパを履き、立ち上がる。
「どう?」
「んー……」
「はきごこち、いい?」
「……ちょっと悪い」
「わるいんかい」
「蒸れないのはいいけど、肌触りが悪いな。痛いってほどではないけど……」
「そなんだ……」
「まあ、慣れかな」
「なれる?」
「慣れる慣れる。どうせ、またスリッパが死ぬまで履くんだし」
「わたしのすりっぱ、まだいきてる」
「たしか、同じタイミングで買ったよな」
「うん」
「体重の差かなあ……」
俺とうにゅほとでは、体重に二倍以上もの差がある。
スリッパの寿命が異なるのも、むべなるかなといったところだ。
「しんだすりっぱ、すてる?」
「捨てるだろ。再利用の方法もないし」
「そだね……」
物を大事にしようという心根は立派だが、それが高じるとゴミ屋敷になってしまう。
うにゅほもそれをわかっている。
だからこそ、スリッパを捨てることに消極的同意をしているのだ。
とてもえらいのだった。
562
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:10:33 ID:dbl3plnQ0
2025年7月24日(木)
今日は、大学病院の受診日だった。
午前七時過ぎには家を出て、途中ファミマで朝食をとると、朝のラッシュアワーに巻き込まれた。
「やべ、悠長に食べてる暇なかったかも」
「すーごいこんでる……」
午前八時には採血をしなければならないのに、ようやく駐車場に辿り着く頃には、既に八時十分を過ぎていた。
「◯◯、いそご!」
「いいよ、べつに。そこまで急がんでも」
「えー……?」
「だって、診察は九時だし、実際はそこから三十分は待たされるんだ。早く採血したって無駄無駄」
「そだけど」
「十五分程度遅れたって、誰にも迷惑かからないよ」
「そかな」
「そうだよ」
「ならいいか……」
走る体勢に入っていたうにゅほが、俺の隣を歩き出す。
「……しかし、戻ってきたときヤバそうだな」
「あー」
俺が愛車を振り返って呟くと、うにゅほにも意図が伝わったようだった。
今日の予想最高気温は35℃。
猛暑日になる予定である。
だだっ広い駐車場に日陰は数えるほどしかないし、解放される時刻次第では、俺たちは車内で蒸し焼きになる。
「はやくおわったらいいね」
「マジでな……」
採血をし、診察を終え、薬局へ寄り、すべてから解放されたのは午前十時のことだった。
「よかった、早めに終わったな」
「ねー」
直射日光は厳しいが、まだまだピークを迎えてはいない。
今のうちにサッと帰宅してしまおう。
そんなことを考えながら、愛車に乗り込む。
──ムワッ!
「あッッッ」
「あっつい!」
車内がサウナになっていた。
「エンジン、エアコン!」
「かけてー!」
エンジンを掛け、エアコンを最大にし、慌てて車を降りる。
「とんでもねえ……」
「すごかった……」
「……これ、午後だとどうなってたんだ?」
「くるまのどっか、とけるかも」
「あり得そうで怖い」
五分ほどしてから愛車に乗り込むと、快適な温度になっていた。
今年の夏は、すごい。
俺は改めてそう思うのだった。
563
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:10:51 ID:dbl3plnQ0
2025年7月25日(金)
キーキャップが届いたのだった。
うにゅほが包みを我が物顔で開封していく。
「わ、たーくさん!」
「わりと高級感あるな」
今回購入したのは、Keychronの交換用キーキャップである。
PBT素材でできているため、文字が消えることも、表面がツルツルになることもないだろう。
「──さて、交換してくか」
「わたし、ぬいていい?」
「いいぞ」
「やた!」
うにゅほにキープラーを渡す。
キーキャップをひとつひとつ抜き取っていくのは、地味に手間だしストレスだ。
それを楽しんでやってくれるのだから、とてもありがたい。
「でーきた」
「さんきゅーな」
「うへー」
うにゅほの頭を軽く撫で、今度は新しいキーキャップを嵌めていく。
まずはエンターキーを取り付け、タンッとタイプしてみる。
「……お?」
「?」
次のキー、その次のキーと装着していき、疑念が確信へと変わる。
「××」
「はい」
「このキーキャップ、めっちゃいい。打ち心地が一段階上がった感じ」
「おおー!」
ぱちぱちと、うにゅほが拍手を送ってくれる。
「やっぱ、Keychron製ってのがいいのかな。K2 HEも打ち心地はすこぶるよかったし、普通のキーキャップだと微妙だった可能性はある」
「きーくろん、すごい?」
「ああ、すごい。日本語配列さえしっかりしてくれたら、他のキーボードいらないかも……」
「そんなに」
「そんなに」
「かってほしい?」
「……誕生日?」
「うん」
「欲しい、なあ……」
「うんうん」
うにゅほが満足げに頷く。
「でも、その前に××の誕生日だからな。プレゼント、決めてあるんだ」
「え、なに?」
「それは当日までの秘密」
「なんだろ……」
楽しんでくれているようで何よりだ。
きっと、うにゅほなら喜んでくれるはずである。
564
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:11:13 ID:dbl3plnQ0
2025年7月26日(土)
「今日、わりと涼しいな」
「ねー」
窓の外を見やると、小雨が降っていた。
「雨のおかげか……」
「いままでが、おかしかった」
「その通り」
北海道全土がおかしかった。
猛暑日であればまだしも、酷暑日まで記録したのだ。
外気温40℃なんて、正直想像がつかない。
「本州はまだ暑いんだっけ」
「うん、あつい。あついとこ、あついよ」
「大変だなあ……」
「ねー」
所詮は他人事とばかりに頷き合い、エアコンの効いた自室でガリガリ君を頬張る。
至福の時だ。
「来週はどうなんだろう」
「うーと、たしか、そんなでもなかったきーする」
「どのくらい?」
「さんじゅういちどとか、にどとか」
「あー、そんくらいか」
そう口にし、ふと気付く。
「……30℃超えたら真夏日だよな」
「うん」
「感覚麻痺してるな、俺たち」
「してる……」
最高気温が30℃を超えたら、暑い。
そのはずなのに、とてもそうとは思えない。
酷暑が俺たちの感覚を破壊していったに違いない。
「──でも、考えてみれば、俺たちの部屋って五月六月くらいから30℃になってたよな」
「なってた」
「麻痺してるの、夏のせいじゃないわ。俺たちの部屋がおかしい」
「そだね……」
「猛暑日の日にエアコン切って出掛けたら、どうなるかな」
「……きになる」
「気になるよなあ!」
実験大好き俺とうにゅほである。
「もうしょびのとき、でかけてみる……?」
「出掛けてみるか……」
「うへー」
と言うわけで、次の猛暑日にエアコンを切って出掛けることになってしまった。
室温がどれほど上がるのか、すこしわくわくしている自分がいるのだった。
565
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:11:41 ID:dbl3plnQ0
2025年7月27日(日)
「♪〜」
俺の膝に腰掛けたうにゅほが、機嫌よくiPadをいじっている。
Kindleで漫画を読んでいるようだった。
俺は俺で、ヘッドホンを着け、のんびりとYouTubeを眺めている。
至福の時間だ。
「……?」
ふと足元に視線をやって、気が付いた。
何か小さなものが落ちている。
黒いし、ゴマか何かだろうか。
ゴマにしては大きいような気もするが──
「悪い、××」
「?」
うにゅほに謝り、右手を床に伸ばす。
だが、届かない。
うにゅほを膝に乗せた状態では、さすがに届かないようだった。
「どしたの?」
「ほら、ゴミ落ちてる」
「ほんとだ」
あっさりと膝から下り、うにゅほがゴミを拾い上げた。
「それ、なんだ?」
「うと」
うにゅほが目を細める。
「ぎゃ!」
そして、慌ててゴミ箱に捨てた。
「むし!」
「マジで」
キンチョールを手、ゴミ箱へと向かう。
「あ、だいじょぶ。しんでた……」
「死体か」
「うん」
ふと、疑問が浮かぶ。
「……死ぬにしたって、こんなとこで死ぬか?」
自然死ならば餓死だと思うのだが、それならば部屋の片隅で死んでいそうなものだ。
「ふんづけたとか……」
「潰れてた?」
「わかんない」
「わかんないか」
俺も確認したくない。
「てーあらってくるー……」
「あいよ」
まあ、死体でまだよかった。
殺す手間が省けた。
そんなサイコパスのようなことを思うのだった。
566
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:12:04 ID:dbl3plnQ0
2025年7月28日(月)
今日は、所用で銀行へと赴いた。
番号札を取り、背もたれのない席へと腰掛ける。
「……こんでるね」
「混んでるな」
「なんばん?」
番号札をうにゅほに見せる。
117番だ。
「いま、ひゃくはちばん……」
「九人分は待たないと」
「ひえー」
待ち時間を潰すのは、病院で慣れている。
うにゅほといれば苦ではない。
だが、俺が通っている幾つかの病院とは、すこし空気が異なっていた。
待合室が狭いのだ。
その上、混雑もしているものだから、利用客同士の物理的な距離が近く、いまいち会話がしにくい。
「──…………」
「──……」
なんとなく無言で時間を過ごす。
「ひまだね……」
「ああ……」
何かないかとポケットを漁ると、ワイヤレスイヤホンが出てきた。
こんなこともあろうかと、いちおう持ってきたものだ。
「音楽聴く?」
「あ、いいね」
「何がいい?」
「なにかなー……」
俺は右耳に、うにゅほは左耳にワイヤレスイヤホンを装着し、iPhoneでYouTube Musicを開く。
そして、それをうにゅほに手渡した。
「好きなの流していいよ」
「ありがと」
しばしの逡巡ののち、イヤホンから流れ出したのは、サカナクションのライトダンスだった。
なかなかいい選曲だ。
それを視線で伝えると、うにゅほがそっと微笑んだ。
三十分は余裕で待たされたが、やはり苦ではなかった。
うにゅほといれば、時間はすぐに経つ。
567
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:12:22 ID:dbl3plnQ0
2025年7月29日(火)
「──よし、いらんもの売ろう!」
「おー」
膝の上のうにゅほが、ぱちぱちと拍手する。
「なにうるの?」
「サウンドバーとかいらんよなって」
「さうんどばーって、これ?」
うにゅほが、メインディスプレイの下に設置されている横長のスピーカーをぽんぽんと叩く。
「正直、使わん」
「つかわんね……」
「音楽聴くかなって思って買ったんだけど、スピーカーで聴く機会もなかったし、なんならアレクサにお株を奪われた」
「あれくさはつかうね」
「言うだけで好きな曲かけてくれるの、便利が過ぎる」
「わかる」
「てなわけで、買ったはいいけどまったく使わなかったサウンドバーくんはボッシュートです」
「でも、これ、おっきいよ?」
「炭酸水のダンボール箱を組み合わせれば、なんとか」
「あ、いけるかも」
「他にもいろいろあって──」
と、次々と候補を挙げていく。
「まだまだあるねー……」
「あと、漫画も売ろうかなって」
「まんがも?」
「買ったり貰ったりでいろいろあるけど、もう読まないし読む気もない漫画けっこうあるじゃん」
「もったいないきーするけど……」
「××、いったん立って」
「はい」
うにゅほを膝から下ろし、本棚の前に立つ。
「じゃあ、これ読む?」
そう言って、とある青年漫画を一冊手に取った。
具体的な名前は伏せる。
「……よまない」
「読まないよなあ」
「そういうの、うるの?」
「そういうこと。まあ、本棚の棚卸しみたいなもんだよ」
「そか」
うにゅほが頷く。
売る本に関しては、うにゅほの同意が取れたものに限ることにした。
駿河屋に見積もりを依頼したが、さて、いくらになることやら。
568
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:12:38 ID:dbl3plnQ0
2025年7月30日(水)
今日もまた、のんびりとした日々を過ごしていた。
膝の上のうにゅほと、なんてことのない会話を楽しむ。
「サボテン水やった?」
「まだー」
「半月に一度だから、明日くらいかな」
「やりすぎ、だめだからね」
「根腐れするって言うからなあ」
「くさらないでほしい……」
「それはそう」
あのバニーカクタスは、うにゅほの宝物だ。
是非、末永く、元気でいてほしい。
「そう言えば、たまに虫入ってるのってさあ」
「うん?」
「やっぱ、エアコンから入ってきてるのかな。室外機からさ」
「ほかにないもんね……」
「網はあるんだろうけど、小さい虫なら遮れないし」
「ちいちゃいのなら、まだ──」
その瞬間、俺たちの視界を横切るものがあった。
「!」
「やべ、キンチョール!」
「はい!」
即座に膝から下りたうにゅほが、俺にキンチョールを手渡してくれる。
敵は羽虫だ。
親指の爪くらいの大きさで、決して脅威ではないのだが、安全圏である自室に出くさったことは万死に値する。
「おらッ!」
ぷしゅーッ!
飛んでいる羽虫にキンチョールの一撃を浴びせる。
その瞬間、羽虫の高度が一気に下がった。
しかし、まだ飛んでいる。
「がんばって!」
「ああ!」
うにゅほの声援に後押しされ、ついにフローリングに落下した羽虫に、嫌と言うほどキンチョールをぶっかける。
やがて羽虫は動かなくなった。
「勝利!」
「やた!」
うにゅほが俺に抱き着く。
それを抱き上げ、くるりと回ったあと、ティッシュで羽虫の死骸を包んで捨てた。
さようなら、羽虫。
二度と生まれ変わってくるんじゃねえぞ。
569
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:13:00 ID:dbl3plnQ0
2025年7月31日(木)
駿河屋から見積もりが届いた。
「おお、六万……」
「わ」
「そこそこの収入になるな」
「すごいね!」
さて、駿河屋に物を送りつけるとなれば、必要となるのは梱包である。
「サウンドバーとヘッドホンは、炭酸水のダン箱を二箱繋げるとして──」
軽く試算してみる。
「まあ、三箱もあれば入るか」
「え、はいる?」
「入らない?」
「はいんないきーする……」
「マジか」
ともあれ、試してみないことには始まらない。
「まず、ぶりーち、いれてみよ」
「ああ」
既に読み通したBLEACH全74巻を、余った炭酸水のダンボール箱に詰めていく。
「──あ、これBLEACHしか入んねえ!」
「でしょ」
どうやら、かなり甘めに見積もっていたらしい。
「どうする? 備蓄の炭酸水全部空けて、もう一箱作る?」
「するしかないきーする」
「そうだな。それ以外だと、明日スーパー行って箱もらってくるしか……」
「それでもいいけど……」
「めんどい」
「そかー」
十五本の炭酸水を部屋の隅に並べ、新たに一箱追加する。
そして、売却する予定の本を次々と詰めていった。
途中で気付く。
「やべ……」
「はいんないね……」
「どうしよう」
「あした、スーパーいく?」
「いや、めんどい」
「そかー」
「まだ資源ゴミに出してないダンボール箱、車庫にないかな」
いそいそと車庫へと向かい、探してみると、潰して平らになったダンボール箱が幾つか見つかった。
「よし、これを組み立てれば!」
「いけるかも」
布テープでダンボール箱を組み上げ、売却物を詰めていく。
「あ、やべ」
「もうひとはこ!」
そして、最終的に、荷物は六箱に膨れ上がった。
「……俺、よく三箱で収まると思ったな」
「さんぱこはむりだとおもった……」
「正解」
「でも、ろっぱこになるとおもわなかった……」
「わかる」
物を売るのは大変だ。
だが、これが六万円になるのなら、安いものである。
570
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/01(金) 04:13:47 ID:dbl3plnQ0
以上、十三年八ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
571
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:54:33 ID:kklPaipw0
2025年8月1日(金)
昨夜、郵便局のサイトから集荷を頼んだ。
駿河屋に送りつけるのは六箱。
送り状も六枚必要ということで、郵便局員が、まずは着払い用のものを置いていった。
「──うし、書くか!」
「わたしもかくね」
六枚ともなれば、なかなか面倒だ。
うにゅほの手も借りたいのが実情である。
「じゃあ、まず俺が一枚書くよ。××はそれを真似して書いてくれ」
「はーい」
俺はパソコンチェアで、うにゅほは丸椅子に腰掛けて、ふたりで送り状を書いていく。
「……かくとこ、おおいね」
「多いな……」
「たいへん、かも」
「わりと適当に書いても届くらしいんだけど、なんかな」
「わかる」
当の郵便局員であれば、サラサラと流れで書いてしまえるのだろう。
だが、こちらとしては、そういうわけにもいかない。
駿河屋に届かなければ困るからだ。
「あー……」
手首を振り振り、息を吐く。
「手で字書くの慣れないわ。学生時代、よくノート取れてたな」
「◯◯、どんながくせいだったの?」
「不真面目」
「ふまじめ……」
「不良ではないんだけど、不真面目で、授業中よく寝てたな」
「まんがみたい」
「そうかもしれない」
そんな会話を交わすうちに、ようやく六枚の送り状が完成した。
「よし、あとは郵便局員が来るのを待つだけだな」
「はらなくていいの?」
「勝手に貼ってダメだったら、送り状書き直しだぞ」
「やだー……」
心底嫌そうに眉尻を下げるうにゅほに、思わず苦笑する。
「ま、あとは郵便屋さんに任せればいいんだよ。俺たちの仕事はここまで」
「みつもりから、やすくなったりしないかな」
「多少はする気がするなあ……」
「えー」
「ある程度は仕方ないよ」
だが、減額は最低限にしてほしい。
あとは駿河屋からのメールを待つのみである。
572
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:54:55 ID:kklPaipw0
2025年8月2日(土)
「ふへー……」
「今日も暑いよな、マジで……」
エアコンの効いた自室で、ガリガリ君をガリガリ囓る。
こんな贅沢がこの世にあるだろうか。
「そと、さんじゅうにど」
「暑いはずだわ」
「へや、でたくないねー……」
「トイレもできれば行きたくない」
「といれ、あつい」
「暑いせいか、なんかニオイきつくない?」
「わかる」
「発酵してるのかな……」
「そうぞうさせないでー……」
「あとでまた掃除するわ」
「うん」
二階のトイレ掃除は俺の仕事である。
うにゅほは家全体を掃除してくれているので、これくらいは俺がやらなければ。
膝の上でだらだらしている我が家の家事マスターの頭を撫でていると、
「あ」
「どした」
「あたった!」
「マジか」
「ほら!」
うにゅほが俺に当たり棒を見せつける。
「ことし、にほんめ!」
「運いいな」
「うん!」
「……いや、いいのかな」
「?」
「単純に、それだけ食ってるってだけの話なのでは」
「もー」
うにゅほが口を尖らせる。
「うんいいで、いいの!」
「──…………」
そうかもしれない、と思った。
はっきりと答えを出せない事柄に対し、ポジティブに捉えるのは大切なことかもしれない。
「……そうだな。運いいな」
「でしょ」
一夏に二度、ガリガリ君が当たる。
これは運がいいことなのだ。
「ことし、なんほんあたるかなあ」
「八本当てて二桁にしようぜ」
「しよう、しよう」
とは言え、あと八本はさすがに腹を下しそうなのだった。
573
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:55:13 ID:kklPaipw0
2025年8月3日(日)
「──あっ」
ガリガリ君を囓っていて、ふと気が付いた。
「当たってる……」
「!」
座椅子でだらだらしていたうにゅほが、慌てて顔を上げた。
「ことし、さんぼんめ!」
「これはさすがに運がいいな」
「うんうん!」
「運だけに」
「うんだけに」
ガリガリ君を食べ終えたあと、当たり棒を水洗いし、うにゅほに手渡す。
「はい、これ」
「ありがと!」
「今年三本目か。あと七本、現実味を帯びてきたな」
「がんばって、たべようね」
「腹下さない程度にな」
「うん」
うにゅほが小箪笥の上に当たり棒を置く。
その隣には、二本の当たり棒が並べられていた。
「じっぽんたまったら、どうする?」
「どうするって……」
返答に窮する。
どうするも何もない気がする。
「こうかんする?」
「あ、そういう」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……ガリガリ君の当たり棒だけでログハウスの模型でも作ってみる?」
「たりない!」
「だろうな」
もちろん冗談である。
「とは言え、当たり棒交換するの恥ずかしくないか……?」
「わかるー……」
「しかも、十本同時とか、嫌がらせかと思われそう」
「うーん……」
「まあ、宝物にしとけばいいんじゃないかな」
「そか」
「もしくは、いつかログハウスの模型を作るために」
「おばあちゃんになっちゃう……」
「××なら、可愛いお婆ちゃんになるな」
「……ふへ」
目標の十本まで、残り七本。
果たして、夏のあいだに、あと七回もガリガリ君の当たりを引くことができるのだろうか。
574
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:55:31 ID:kklPaipw0
2025年8月4日(月)
Amazonからメールが届いた。
「──返品できない?」
「?」
膝の上のうにゅほが、ガリガリ君を食べながら小首をかしげる。
「へんぴん?」
「ほら、Keychronの交換用キーキャップ買ったろ」
「うん」
「あれと一緒に、間違って、英語配列の別のキーキャップ買っちゃったじゃん」
「あ、そのへんぴん」
「そう。あれ、Xのキーキャップが不足してるらしくて、返品できないってメール来た」
「え、だって、あけてない……」
「開けてない」
「よね?」
「届く前から返品は決めてたから、そのまま送り返したよ」
「じゃあ、なんでだろ……」
「もともと欠品してたとか?」
「けっぴんしたの、へんぴんしたら、へんぴんできないの……?」
「そうなるな……」
「えー」
うにゅほが眉根を寄せる。
俺も、まったく同じ気持ちだった。
「仕方ない。Amazonのカスタマーセンターに電話しよう」
ネットで軽く方法を調べたあと、Amazonに連絡を行う。
丁寧なオペレーターに事情を説明したところ、専用の部署に一報を入れてくれるとのことだった。
「ふう……」
「へんぴん、できる?」
「わからないけど、言うだけは言ったよ」
「へんぴんできたらいいねえ……」
「三千円くらいだし、そこまで困るってわけでもないけど、商品がこっちに戻ってくるのが嫌だな」
「つかえないもんね」
「しかも、Xのキーがないんだぞ」
「よけいにつかえない……」
「ハッキリ言ってゴミだよ……」
Amazonへの返品なんて慣れていないので、どうなることやら。
無事に返品できればいいのだが。
575
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:55:55 ID:kklPaipw0
2025年8月5日(火)
いつものようにパソコンチェアに座っていて、ふと気が付いた。
右の太股の裏が、じんわりと痛いのだ。
「……?」
もぞり。
右足を軽く上げる。
「わ」
俺の膝でくつろいでいたうにゅほが、目をまるくした。
そのまま太股の下に右手を差し入れると、軽い痛みが走った。
「しこりがある……」
「しこり?」
「なんか、太股の裏にある」
「みして」
「ああ」
うにゅほを立たせ、腰を上げる。
そして、作務衣の下衣をずり下げ、トランクス一丁でうにゅほに背を向けた。
「これ?」
つん。
「て」
「いたい……?」
「すこし」
自分でしこりに触れる。
思いのほか大きく、硬い。
「これ、なんだろう……」
「びょういんいこ」
「やっぱ病院か。皮膚科かな」
「たぶん……」
とは言え、時刻は既に夜である。
「あしたいこうね」
「うーん……」
「いこ?」
「ChatGPT先生に聞いてみよう」
「いこ……」
聞いてみた。
「いきなり出てきたってことは、悪性腫瘍の可能性は低いって。なるべく病院へは行ったほうがいいけど、様子を見てからでもいいらしい」
「いかないの?」
「行きたいのは山々なんだけど、皮膚科混むからさあ……」
「そだけど」
「まあ、今週いっぱい様子を見てみよう。小さくなるようなら行く必要はないし」
「うーん……」
あまり納得行っていない様子のうにゅほだが、通院はなるべく減らしたいのが人情というものだ。
何事もなく消えてくれればいいのだが。
576
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:56:12 ID:kklPaipw0
2025年8月6日(水)
「なんかとどいてたー」
ダンボール箱を軽々と持ちながら、うにゅほが自室に帰ってくる。
「なにかったの?」
「××も見たことあるものだよ」
「ふんふん」
大きめの箱を開封すると、すぐに中身が判明した。
「あ!」
うにゅほが目をまるくする。
「あれだ!」
「そう、あれだ」
「これかったんだ!」
「買ってみました」
俺とうにゅほのあいだでは「あれ」「これ」で通じるが、公開している日記でそれは不味いだろう。
読者諸兄のために説明すると、購入したものは、シャクティマットと呼ばれる表面に鋭いトゲトゲが無数に付いたマットである。
このトゲトゲの上に寝ることで、鍼灸的な効果が得られる、らしい。
「さっそく──いてッ!」
マットを広げようとして、トゲトゲが指に刺さった。
「……これ、思った以上に鋭いぞ」
「ほんと?」
うにゅほがトゲに触れる。
「た!」
「これの上に寝るのか……」
「むり」
あ、うにゅほが諦めた。
「◯◯も、やめたほういいよ……?」
「物は試しだって」
「いたいとおもう」
「痛くないってことはないだろうな、間違いなく……」
とは言え、せっかく買ったものだ。
試しもせずにクローゼットに仕舞い込むのは面白くない。
俺は、フローリングの床にマットを敷き、その傍に腰を下ろした。
「……やるの?」
「やる」
「むりしないでね……」
「大丈夫だって」
それがフラグにならなければいいのだが。
そんなことを考えながら、シャクティマットに背中を預けていく。
「──…………」
完全に仰臥し、天井を見上げる。
「……あれ、いたくない?」
「死ぬほど痛い」
「いたい!」
「痛くないわけないだろ!」
「だいじょぶ……?」
「まあ、耐えきれないほどの痛みではないかな。しばらく我慢してみる」
「うん」
十分ほどすると、痛みに体が慣れてきたのか、徐々に楽になってきた。
「へいき?」
「平気は平気だけど、最初はこのくらいにしようかな」
「はい」
うにゅほが俺に手を差し伸べる。
その手を取り、そっと上体を起こした。
「せなかみして」
「ほら」
「わあ!」
「どうなってる?」
「あかくてぼつぼつしてる……」
当然である。
さて、このシャクティマット、本当に良い効果があるのだろうか。
しばらく使い続けてみようと思う。
577
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:56:33 ID:kklPaipw0
2025年8月7日(木)
「うめえー……」
ガリガリ君の梨味をボリボリと食べ進めながら、思わず言葉が漏れた。
「なしあじ、すき?」
「好き」
「いちばんすき?」
「いちばんはソーダ味だな……」
「わかる」
「でも、ガリガリ君の梨味ってさ。梨のいちばん美味しいところをずっと囓ってる感じがして」
「それもわかる……」
うんうんと頷き、うにゅほが尋ねる。
「でも、◯◯、なしすきだっけ」
「うーん……」
俺は、フルーツ全般があまり好きではない。
とは言え、梨はまだ食えるし、好きなほうだ。
ただ──
「梨って、食べてくと、どんどん味がなくなってくじゃん」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「んで、だんだんジャリジャリしてくるって言うか……」
「……うーん?」
「ピンと来ない?」
「こない」
「たぶん、梨の甘さに慣れるんだと思うけど」
「なし、ずっとおいしいよ?」
「俺がおかしいのかな……」
「はずれのなし、だったのかも」
「今まで食べてきた梨全部?」
「うん」
「そっかあ……」
即答されてしまうと、そうなのかもしれないと思ってしまう。
「じゃあ、当たりの梨食べてみたいな。ガリガリ君みたいな味なのかな」
「どっち、おいしいかなあ……」
「食べ比べてみたいわ」
「いつか、あたりのなし、たべようね」
「ああ」
まあ、自腹での購入は、まずしないと思うけれども。
この約束が履行されるのは、果たしていつになることやら。
578
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:56:53 ID:kklPaipw0
2025年8月8日(金)
「ね、◯◯……」
「んー?」
膝の上のうにゅほが、心配そうに口を開く。
「ひふか、いかないの?」
「皮膚科」
「うん」
「あー」
そうだった。
太股の裏側にしこりができていたのだった。
日常生活において太股の裏を意識することがあまりにないため、忘れていた。
「ちょい待ち」
右足を軽く持ち上げる。
「わ」
「んー……」
もぞもぞと太股の裏を探る。
「……あれ?」
「どしたの?」
「ない……」
「え」
「しこりが、ない」
「ないの?」
「悪い、××。いったん降りて」
「はい」
うにゅほを膝から降ろし、立ち上がる。
「んー……?」
ぺたぺた。
太股の裏側に触れていき、
「──あ、これだ!」
「どれ?」
「ここ、ほら」
「わかんないから、ぬいで」
「はい」
作務衣の下衣をずり下げ、トランクス一丁になる。
「ほら、ここ。しこりがあった場所」
「え、どこ?」
「触ってみ」
「うん」
つんつん。
「あ、ちょっとかたい……」
「なんか小さくなってる。触っても痛くない」
「なおってる?」
「たぶん……」
「よかったー……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「皮膚科行かなくてよかったな」
「いくのは、いったほうよかったとおもう。なおるしこりだったの、たまたまだし」
「あ、はい……」
実に正論である。
早め早めの病院で、なるべく寿命を延ばしていこう。
579
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:57:12 ID:kklPaipw0
2025年8月9日(土)
ふと、名前のわからないものが思い出されるときがある。
外見や味、舌触りまで覚えているのに、名前だけがとんと出てこない。
「なんだっけ……」
「なにー?」
「ロイズにパン屋あったじゃん」
「おいしいとこ」
「そう、美味しいとこ」
「ふんふん」
「あそこで、バターロールに板チョコそのまま挟んだみたいな豪快なパンあったじゃん」
「あ、あった!」
「あれ、名前なんだっけ……」
「んー」
うにゅほが参戦してくれた。
百人力とは言いがたいが、ひとりで悩むより遥かにましだ。
「ぱぐ、みたいな……」
「ああ、わかる。二文字なんだよな」
「そうそう」
「ザク」
「ざくではない……」
「グフ」
「ぐふでも、たぶんない」
「マジでなんだったっけ……」
既に十分ほども悩み続けている。
「しらべる?」
「……調べる、かあー……」
できれば自分で思い出したかった。
腰は重いが、仕方あるまい。
Google先生に尋ねたところ──
「ぐて!」
「グテだ、グテ。そうだ。完全に思い出したわ」
「ぐて、おいしかったね」
「はみ出しすぎなんだよな。美味かったけど」
「また、たべたいね」
「今度近く通ったら、寄ってみるか」
「うん!」
暑さで出不精に拍車が掛かっている。
次に近くを通るまでに忘れていなければいいのだが。
580
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:57:30 ID:kklPaipw0
2025年8月10日(日)
アップルウォッチに視線を落としながら、うにゅほが言う。
「はとのひー」
「鳩の日だなあ」
「へいわなひ、なのかな」
「かもなあ」
「もー。きょうみもって!」
「はいはい」
"8月10日"で検索していく。
「ハートの日でもあるらしい。なるほどだな」
「かわいい」
そんな会話を交わしていると、Googleのサジェストにこんな文字列が表示された。
"8月10日 汚い"
「──…………」
なるほど。
これは恐らく、うにゅほに見せてはいけないたぐいの情報だ。
「きたない……?」
「あ」
気付いてしまった。
「……不思議だなあ」
「はとのひも、はーとのひも、かわいいのにね」
「そういうこともあるさ」
Googleのタブを閉じる。
「あ」
「どした?」
「みたかった……」
「気にしない、気にしない」
「──…………」
うにゅほが半眼で俺を見上げる。
「ん?」
「◯◯、なんかかくしてる」
「……隠してないよ?」
「かくしてる。わかる」
「──…………」
さすがうにゅほ、俺のプロフェッショナルだ。
だが、俺は俺で、うにゅほを言いくるめるスペシャリストである。
「思い出したんだよ。実は、ちょっとよくない記念日があって……」
「よくないの?」
「たぶん、気分は悪くなる。ハッキリ言って汚い。だから、××に、そんな思いさせたくなくてさ」
「◯◯……」
「知らないほうがいいよ」
「……わかった」
すこし名残惜しそうだったが、野獣の日だのハッテンの日だの、うにゅほの耳に入れられるはずもない。
うにゅほには清い心でいてほしいものだ。
581
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:57:48 ID:kklPaipw0
2025年8月11日(月)
「──あ、またむし!」
「おらッ!」
デスクの上に止まった小さな虫を、指先で潰す。
「やた!」
ティッシュで虫をくるんだあと、指を拭い、溜め息をついた。
「昨日から四匹目か……」
「なんか、おおい」
「しかも、いつも同じ虫だ」
体長3mmほどの、羽の生えた小さな虫。
観察する気も起こらないが、同じ虫であることだけはわかる。
「……部屋のどっかで湧いてんのかな」
「えー……」
「でも、俺たち部屋に食べ物置かないし」
「◯◯、たべちゃうもんね」
「ついな」
湧いているとして、理由がわからない。
「サボテンの鉢植えとか」
「わたし、たまにみてるけど、むしとかいないよ?」
「だよなあ」
「さぼてんじゃないよ」
庇っているようにも見えるが、さすがに嘘はないだろう。
「部屋、軽く調べてみるか」
「うん……」
書斎側、寝室側の電灯をつけ、それらしい場所に捜査の手を入れる。
ベッドの下を調べていたとき、
「◯◯! ◯◯!」
うにゅほが慌てて俺の名を呼んだ。
「どうした!」
「むし、なんかおちてる!」
「落ちてる……?」
書斎側へ向かうと、先程までいなかった小さな虫が三匹ほど、床を這っていた。
「こいつら、どこから!」
思いのほか動きの鈍い虫を二匹潰し、三匹目は形が残る程度に圧殺する。
「──…………」
「なんか、わかる?」
「……これ、羽アリじゃないか?」
「あり!?」
「ああ……」
羽は横に長く、体にはくびれがある。
小さくて確定はできないが、アリであるように見えた。
「あり……」
最悪の記憶が蘇る。
アリが屋内に侵入してきたときの記憶だ。
あのときは、結局、害虫駆除業者に頼んでようやく解決したっけ。
「……また業者に頼む羽目になるかもな」
「たのむなら、はやくたのも……」
「だな……」
どんな薬剤を使ったとて、結局、素人は無力なのだ。
早め早めの対策を。
近隣の駆除業者を探しておかなければ。
582
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:58:07 ID:kklPaipw0
2025年8月12日(火)
膝の上のうにゅほが、フローリングの床を見渡す。
「……あり、いない?」
「見た感じ、いないけど……」
「そか……」
ほっと胸を撫で下ろし、ディスプレイに視線を戻す。
五分後、
「──…………」
うにゅほが、また、床へと視線を向けていた。
「そんなに警戒しなくても」
「ありは、だめ」
「わかるけどさ……」
以前、アリが屋内へと侵入したことがあった。
やつらは、道しるべフェロモンによって、一度決めたルートを愚直に歩き続ける。
その途中でいくら潰しても殺しても無駄なのだ。
あとからあとからやってきて、必ず目的のエサまで辿り着く。
単なる一匹の虫ではなく、アリというシステムと戦っているような不気味さがあった。
「ただ、いったん様子見だ。羽アリがどこから入ってきたかわからないけど、俺たちの部屋にエサはないわけだから」
「でも、(弟)のへやにもいたよ?」
「いたのか……」
「うん。(弟)のへやも、えさないけど」
それならば、二階への再訪はないはずだ。
ただ、恐らく躯体への侵入は既に果たされているため、いつ普通のアリが台所に現れるかはわからない。
出てきた時点で業者を呼ぶのが恐らく最速ルートである。
「はァ……」
アリによるストレスか、なんだか頭が重い気がする。
そう言えば、今朝は睡眠時間が短かったっけ。
「──……?」
思わず小首をかしげる。
「××」
「?」
「俺、今朝寝たっけ……」
「きおくないの?」
「記憶がない」
「……だいじょぶ?」
「大丈夫と言えば大丈夫だけど……」
「ねてたよ」
「寝てたんだ」
「いすでねてた」
「椅子でか……」
「ごめんね。おこしたんだけど……」
「いや、起きない俺が悪い」
このチェア、やたらと寝心地がいいんだよな。
良いことなのか、悪いことなのか、いまいち判別がつかないのだった。
583
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:58:26 ID:kklPaipw0
2025年8月13日(水)
俺の膝の上で優雅にガリガリ君を食べながら、うにゅほが言う。
「さいきん、あつくないねー……」
「いいことじゃん」
「いいことだけど」
「暑いほうがいいのか?」
「やくそくした」
「約束……」
しばし思案する。
俺も、うにゅほも、言葉足らずなところがある。
適当に言っても相手に伝わるからだ。
「──あー、あれか」
「それ」
次の猛暑日、部屋を蒸し風呂状態にして、室温が何℃まで上がるかの実験を行う約束をしていたのだ。
「あつくなんないねー……」
「真夏日はちょこちょこあるんだけどな」
「まなつび、あつくない」
「まあ、わかる」
七月に猛暑日を経験したことで、基準がどこかおかしくなった。
真夏日が涼しいだなんて言うつもりはないが、「この程度?」と思ってしまうのは無理からぬことだろう。
エアコンの効いた部屋にずっといる身としては、そんなことを言う権利はないように思うが。
「んー……」
しゃくしゃく。
ガリガリ君を美味しそうに食べながら、うにゅほが何かを考える。
「……美味しいか?」
「おいしい」
「当たった?」
「はずれー」
「そっか」
ガリガリ君の当たり棒は、まだ三本。
目標の十本は、遥か遠く、まだ見えない。
「まあ、いいかー……」
「いいんじゃないか。暑い日が来たらで」
「ん」
そもそも、来ないとどうしようもないし。
八月中に再度熱波が来るか否か。
神のみぞ知る。
584
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:58:50 ID:kklPaipw0
2025年8月14日(木)
「病院行くけど」
「はーい」
身支度を整え、愛車で出発する。
今日は、よく日記に書く一ヶ月に一度の定期受診ではなく、二ヶ月に一度のものだ。
そのため、予約は午後三時で、かなり余裕がある。
「何分で終わると思う?」
「うーと、たぶん、じゅっぷん……?」
「なるほど、いいとこだな」
今日行く病院は、予約制であることもあいまって、異常に早く終わる。
診察と言えば、ここ二ヶ月の報告を済ませるだけだ。
「ファミマ寄ろう。昼食べてないし」
「いいよ」
ファミマでパンを購入し、愛車の中で食べる。
「ファミチキレッド、こんなに辛かったっけ……」
「からい?」
「食べる?」
「たべる」
「文句言うなよ」
「いわないよー……」
しばらくして、うにゅほが舌を出しながら言う。
「はら!」
「辛いよな」
「からいー……」
「ほら、豆乳」
「あいがと」
ファミマのゴミ箱にゴミを捨てて、再び出発する。
病院に着いたのは、午後三時ちょうどだった。
そして、病院を出たのは、午後三時五分だった。
「ごふんでおわった……」
「最短記録じゃないか?」
「そうかも」
「患者、誰もいなかったしな……」
「でも、はやいぶんにはいいから」
「そうだけど、月に一度のほうと足して二で割りたいよ」
「わかる……」
月に一度の定期受診は、やたらと混むのだ。
朝一で家を出ても、おおよそ一時間は待つ。
「つぎ、いつ?」
「19日かな」
「◯◯、はやおきしないとね」
「……頑張る」
面倒だが、行くしかない。
このポンコツな体を引きずってでも、生きねばならないのだから。
585
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:59:13 ID:kklPaipw0
2025年8月15日(金)
「♪」
うにゅほが機嫌よくサボテンに水をあげている。
その姿を見て、今日が15日であることに思い至った。
「もう半月経ったのか……」
「たったよ」
「八月も残り半分じゃん」
「そうだよ」
「早いって……」
「はやいよ」
「暑さも随分大人しいし、なんとなく過ぎちゃったな」
「◯◯、いろいろやってたきーするけど……」
「やってはいた、うん」
実を言えば、創作分野でちょっとした革命が起きていたりした。
時の流れが早いのは、そのせいでもあるだろう。
「今月、他に何があったっけ」
「なんだっけ……」
「××、思い出せる?」
「うーと、◯◯のしこりとか?」
「あー」
太股の裏に唐突に現れた大きめのしこりのことだ。
急ぎ皮膚科へ行くつもりだったのだが、気付けば影も形もない。
「あれ、なんだったんだ……」
「わかんない……」
「他には、あれ買ったな。シャクティマット」
「とげとげ」
「××は指で触れた時点で心折れてたな……」
「ぜったいいたいもん」
「俺、シャツ越しなら平気になったぞ」
うにゅほが、信じられないものを見るような目つきで俺を見る。
「さっき、それで、かみんとってたもんね……」
「痛いは痛いんだけど、心地良い痛さっていうか」
「うそだ」
「嘘じゃないって……」
「わたし、◯◯いないとき、ねてみたもん」
「どうだった?」
「ひめいでた……」
「××、敏感そうだもんな……」
人には向き不向きがある。
俺も、シャクティマットの効果を実感したわけではないので、しばらくは様子見だ。
「八月前半は、そんなとこか」
「だね」
「後半は何があるかな」
「いいことあったらいいね」
「ああ」
何か素晴らしい出来事があればいい。
だが、往々にして、現実は期待を裏切るものだ。
586
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/08/16(土) 04:59:57 ID:kklPaipw0
以上、十三年九ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
587
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:17:06 ID:mZ3ievxU0
2025年8月16日(土)
駿河屋からメールが届いた。
「査定終わって、入金するってさ」
「なんか、すーごいじかんかかったね」
「駿河屋自体にトラブルがあったらしい」
「そなんだ」
「急いでないから別にいいけど、千円くらいおまけしてくれないかな」
「くれなさそう……」
「たぶん、してくれない」
「だよね」
そんな会話をしながら、ふとあくびを漏らす。
「ねむい?」
「まあ、うん」
俺の反応に何かを感じ取ったのか、膝の上のうにゅほがこちらを振り返る。
「……ねた?」
「寝た寝た」
「なんじかんねた?」
「──…………」
「はい」
うにゅほにiPhoneを渡される。
睡眠管理アプリで確認しろ、ということだ。
「えー……」
アプリを開き、読み上げる。
「……一時間半、ですね。はい」
「ねてない!」
「ちょっとは寝た」
「なんでねてないの……」
「歌詞書くのが楽しくなっちゃって」
「いいけど、だめだよ。ねないと」
膝から下りたうにゅほが、俺の手を引く。
「ねる!」
「はい……」
「まったくもう」
「すいません……」
作詞にしろ、執筆にしろ、動画制作にしろ、創作活動を行っていると睡眠時間が削れていく傾向にある。
気を付けなければ。
588
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:18:20 ID:mZ3ievxU0
2025年8月17日(日)
日曜の午後。
うにゅほを膝に乗せたまま、怠惰の限りを尽くしていた。
「そう言えばさー」
「んー?」
「俺、日記書いてるじゃん」
「かいてる」
「もうすぐ五千回なんだよね」
「ごせん!」
うにゅほが目を回す。
「すーごいかいたね……」
「自分でも引く」
「いちまんかいまで、おりかえしかー」
「……あんま想像したくないな」
「うん……」
十四年後の自分はどうなっているだろう。
もしここにタイムマシンがあったとしても、俺はきっと乗ることはないだろう。
いや、未来変えていいなら乗るか。
我ながら現金である。
「ごせんかい、なにかやるの?」
「特に考えてないな……」
「もったいない……」
「俺の日記は、××と過ごす日常を垂れ流すものだからさ。××にとっては日記の回数なんて関係ないわけだし」
「かんけいなくないよ、わたしのにっきでもあるもん」
うにゅほが苦笑し、目を逸らす。
「ぜんぜん、ぜんぶ、よめてないけど……」
「いいのいいいの。そもそも誰かが全部読むってことを想定してないフォーマットだし」
「ぜんぶよんでるひと、いるのかな」
「いるよ」
「いるんだ!」
「ありがたいことに……」
「すごい」
「物好きとも言う」
「こら」
冗談めかしたこぶしで、頭をこつんと叩かれた。
そんなことの一つ二つに、俺は幸せを感じるのだ。
589
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:18:37 ID:mZ3ievxU0
2025年8月18日(月)
「──あ、やべ」
「?」
「明日、病院じゃん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「やばいの?」
「家の前、下水管工事してる」
「あ!」
「出られっかなあ……」
「どうかなあ……」
よりにもよってのタイミングで工事を始めてくれたものだ。
とは言え、絶対に必要な工事ではある。
現場の人々に文句を言うつもりは毛頭ないが、車を出せなかったらどうしよう。
「……まあ、なんとかなるか」
「なる?」
「なるなる。たぶん。ならなかったらそんとき考えよう」
「らっかんてき……」
「考えるのを放棄したとも言う」
「ほうきしないで」
「でも、考えてどうにかなることでもないからなあ」
「それは、うん」
「明日になってみないと」
「だせなかったら、どうするの?」
「タクシーとか……」
「たくしー」
「お金はかかるけど、仕方ない。背に腹は代えられないからなあ」
「そだね……」
「××って、タクシー乗ったことあったっけ?」
「んー」
しばしの思案ののち、うにゅほが答える。
「ないかも」
「ないんだ」
「たぶん……」
「明日が初めてのタクシーにならないといいな」
「ほんとに……」
無事に病院へ行けたかどうか、明日の日記で報告しよう。
590
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:19:40 ID:mZ3ievxU0
2025年8月19日(火)
「よし、行くか」
「はーい」
午前八時、家を出る。
下水管工事はまだ始まっていない。
愛車をガレージから出すことはできそうだ。
「ただ、問題は帰りなんだよな……」
「こうじ、はじまってるもんね」
「しゃーない。工事が終わるまで、どっか適当なとこに停めよう」
「いいの?」
「このへん、駐車禁止じゃないしな」
「そか!」
愛車に乗り込み、病院へと向かう。
いつものように待たされ、薬局で薬を受け取ったのは午前十時のことだった。
「づがれだー……」
「おつかれさま」
「××は疲れてないのか……?」
「つかれたけど……」
「じゃあ、お疲れさま」
「うん」
来た道を戻り、帰途につく。
家の前の道が封鎖されていたので、適当に駐車して帰宅した。
「こうじ、おわったら、くるまとってこないとね」
「だなあ」
そんな会話をしていると、うにゅほがふと小首をかしげた。
「ね、◯◯」
「うん?」
「げすいかん、こうじしてるのに、といれながしていいの……?」
「──…………」
なるほど。
「たぶん、大丈夫なんだよ。ダメだったら言うだろ」
「そだけど」
「下水の迂回路を作るんじゃないかな。迂回させてるあいだに下水管を交換して、また下水の流れを戻す」
「あー」
「それくらいしか思いつかないな……」
「あってるきーする」
「かもな」
しかし、大変な工事だ。
こんな夏場にする仕事じゃないよな。
工事に従事する人たちに心の中で敬礼を送り、俺はガリガリ君を貪るのだった。
591
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:20:00 ID:mZ3ievxU0
2025年8月20日(水)
「んご」
午睡から覚め、目を開く。
気配に気が付いたのか、たまたまか、うにゅほが自室の寝室側を覗き込んだ。
「あ、おきてる」
「おはよう……」
「おはよ」
三十分。
午睡と言うより仮眠だから、頭はスッキリしている。
ゆっくりと身を起こそうとして、
「いだだだ」
背中に鈍痛のようなものが走った。
「それはいたいよ……」
うにゅほが、呆れたように言う。
鋭いトゲが無数に付いたシャクティマットを敷いて仮眠をとっていたのだった。
「みして」
うにゅほが俺のシャツをまくり、背中を見る。
「わ」
「どうなってる?」
「ぽつぽつへこんであかくなってる……」
集合体恐怖症には厳しそうだ。
「いたくないの?」
「シャクティマットにもだいぶ慣れてきてな」
「なれるんだ……」
「シャツがないと無理だけど」
「むりしたらだめだよ」
シャクティマットとのファーストコンタクトがよほど痛烈だったのか、うにゅほはやたらと心配してくれる。
「大丈夫だって。むしろ、気持ちいいって思える境地に入ってきたかも」
「えー……」
「いやマジで」
「ほんとになるんだ」
「腰とか背中痛いとき、恋しくなる」
「あ、それはわかるかも」
「なんだかんだ、買ってよかったかもな」
「うん」
「……××はやらない?」
「やらない」
決意の固いうにゅほなのだった。
592
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:20:47 ID:mZ3ievxU0
2025年8月21日(木)
「──ああ、そうだ」
「?」
俺の膝に腰掛けたうにゅほの頭を優しく撫でる。
「日記、今日ので5000回なんだよ」
「おー!」
うにゅほが、ぱちぱちと手を叩く。
「きょうなんだ」
「今日です」
「きねんびだね!」
「8月21日か……」
軽く思案し、思い至る。
「××、バニーガールになってくれ」
「なんで」
「バニーの日だから……」
「あるの? あるならきるけど……」
「あるわけないだろ」
「うん」
当然だった。
「なにかしたいねー」
「正直、何も考えてない」
「かんがえよう……」
「だって、5000回も日記を頑張って書いたってより、普通に生きてたら勝手に5000回になってたって感覚なんだもん」
「あー」
「どこか他人事と言うか……」
「でも、ごせんかいだし」
「なら、そうだな──」
うにゅほを抱き締めるようにして、キーボードに指先で触れる。
「今からここに書くこと、読んでくれよ」
「うん」
コトコトと文章を入力していく。
「はい」
「よんだよ?」
「……音読してくれ」
「はい」
うにゅほが口をひらく。
「えと、ごせんかい、ありがとうございます。
にっきをつづけてこられたのも、ひとえに、どくしゃしょけいが、ほんにっきをよみつづけてくれたおかげです。
うにゅほとのせいかつは、どちらかがしぬまでつづきます。
これからもごあいこのほど、よろしくおねがいします」
「よし」
「これでいいの?」
「ああ。これで日記に書ける」
「これしないと、かけないの、たいへんだね……」
「日記だからなあ」
ともあれ、5000回はひとつの区切りと言って差し支えない。
次は10000回を目指して頑張ろう。
593
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:21:15 ID:mZ3ievxU0
2025年8月22日(金)
午前五時半のことだ。
作業のために徹夜でPCに向かっていたところ、
──ぴんぽーん
「は……?」
不意にインターホンが鳴った。
「んに」
のたくたとうにゅほが起き出してくる。
「らにー……?」
「誰か来た」
「だれ?」
「わからんけど、母さんが出たっぽい」
「そなんだ……」
「──…………」
「?」
緊張した俺の様子に、うにゅほが小首をかしげる。
「どしたの?」
「ああ、いや」
「……?」
「警察は、早朝に来るって聞いたことがあって」
「けいさつ」
「警察」
「◯◯、なにかしたの……?」
「してない。してないけど、冤罪とかあるじゃん……」
「えんざい、こわいけど」
しばし一階の気配を窺うが、特に不穏な様子はない。
「けいさつじゃないね」
「だったら誰だろう。いくらなんでも常識ないだろ。五時半だぞ、まだ」
「◯◯、またてつやしてる……」
「……××と一緒に起きたのかもしれないじゃん」
「うそってわかる」
「嘘だけどさ」
「わたし、したいってみるね」
「ああ」
しばし待っていると、うにゅほがパタパタと戻ってきた。
「おとなりさんだった」
「何故こんな時間に……?」
「とうきびもらったって」
「何故こんな時間に……?」
「わかんないけど」
「わかんないんかい」
ボケてんじゃないだろうな。
ともあれ、何事もなくてよかった。
なお、茹でとうもろこしは甘くて絶品だった。
594
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:21:43 ID:mZ3ievxU0
2025年8月23日(土)
今日も今日とて、ふたりでガリガリ君を貪り食っていた。
「──あ、当たった」
「ほんと?」
「ほら」
うにゅほに当たり棒を見せる。
「よんほんめだ!」
「あと六本だな」
「うん!」
なんとなく、この夏のあいだに当たり棒を十本集めることになっている。
既に八月も下旬だから、難しいとは思うが。
「あ」
「?」
「あたった!」
「え、マジ?」
「ほら!」
確認する。
「マジだ……」
「どうじにあたるの、すごいね!」
「宝くじでも買うか?」
「あたんないとおもう」
「夢がないな……」
俺も当たらないと思うけど。
「ごほんめだ!」
急に、当たり棒十本の達成が現実味を帯びてきた。
「ちゃんと洗って干しておかないとな」
「うん。たべたらあらうね」
当たり棒を交換する際には、しっかりと水洗いし、干したあと、ラップやビニール袋に包んだ上で販売店に持ち込む必要がある。
俺たちは交換するつもりはないが、単純に不衛生だ。
「♪〜」
うにゅほが、膝の上で、機嫌よさそうに鼻歌を歌う。
こんな小さなことで幸せを感じられるのは、実に素晴らしいことだ。
「……いや、二本同時はかなり珍しいか?」
「めずらしいよー」
ガリガリ君が当たる確率は、約4%だと言われている。
それが二本同時に当たるとなれば、約0.16%だ。
相当珍しいことに違いはない。
「……やっぱ、宝くじ買うか」
「あたんないとおもう……」
「まあ、うん」
気が向いたら買おう。
595
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:22:17 ID:mZ3ievxU0
2025年8月24日(日)
扉を開き、玄関フードを覗き見る。
炭酸水が届いていた。
本来、三箱届くはずのものが、一箱だけだ。
ダンボール箱を抱えて二階へ上がり、自室に戻る。
「あ、とどいた?」
「届いてた。でも、一箱だけだった」
「あとでくるのかなあ……」
「かもな」
別の宅配業者で届くのだろうか。
まさか、二度も三度も同じ人が来るわけではあるまい。
そんなことを考えながら昼が過ぎ、夜を迎え、ふと思い出した。
「……炭酸水、届いてなくないか?」
「とどいてるのかも」
「いや、届いたらメール来るようになってるから……」
「きてない?」
「一箱分は届いてる」
「にはこは……」
「来てない」
何かトラブルがあったのだろうか。
Amazonのサイトを開き、注文履歴を確認する。
「"遅延が発生、まだ出荷が完了してません"──だって」
「えー!」
「困る」
「こまる……」
俺とうにゅほは、炭酸水で水分を補給している。
水を飲めばそれで済む話なのだが、単純に、炭酸水のほうが美味い。
そのため、なるべく炭酸水を切らしたくないのだ。
「ひとはこでもとどいて、よかったね」
「残りの二箱が届くまで、なるべく持たせないとな……」
「うん」
いつ届くか、それが問題だ。
一週間くらいなら、節約すれば耐えられる。
だが、二週間ともなれば、そもそも次の定期おトク便が届いてしまう。
頑張れAmazon。
俺たちの水分補給のために。
596
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:22:41 ID:mZ3ievxU0
2025年8月25日(月)
うにゅほが炭酸水を飲んでいる。
「××、ちびちび飲むよなあ」
「うん」
「なんか可愛い」
「うへ」
「でも、それで水分補給できてるか……?」
「だって」
口を尖らせながら、うにゅほが答えた。
「いっきにのんだら、げっぷでる」
「あー」
そう言えば、うにゅほのげっぷってほとんど聞いた覚えないな。
「気にしてたんだ……」
「きにするよー」
「俺は気にしないのに」
「◯◯がげっぷするのは、わたしもきにしないけど、わたしがげっぷするのは、わたしがきにするの」
「なるほど……」
わからんでもない。
「炭酸水、その飲み方で美味しいか? ビールじゃないけど、のど越しを味わう部分もあると思うんだよな」
「ふつうのみずより、おいしいよ」
「それはそうだけどさ」
「げっぷ、したくない……」
「乙女だなあ……」
「おとめだよ」
「なんか、悪い気するな。××の前で炭酸水がぶ飲みするの」
「きにしないでいいよー……」
「気にするなってんなら、しないけどさ」
「うん。きにしないで」
「わかった」
うにゅほがそう言うのであれば、気にするほうが間違っている。
俺は、うにゅほが飲んでいたペットボトルを受け取り、そのままがぶがぶ飲み下した。
「げふ」
「げっぷでた」
「俺がいないときとか、こうやって飲んでみな。美味いから」
うにゅほが小首をかしげる。
「◯◯がいないとき……?」
「風呂入ってたりとか」
「あー」
せっかくだし、炭酸水の本当の美味しさを知ってもらいたいものな。
うにゅほのげっぷも聞いてみたいが、恐らく嫌がられるので我慢することにしよう。
597
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:22:58 ID:mZ3ievxU0
2025年8月26日(火)
シャワーを浴び終え、自室で髪を乾かす。
「あのさ」
「?」
「大したことじゃないんだけどさ」
「うん」
「二回、体洗った気がする……」
「にかい?」
「ああ」
「きたなかったの?」
「いや、途中で洗ったかどうだかわからなくなっちゃって」
「──…………」
俺の額に、うにゅほの手が当てられる。
「ねつない」
「風邪でぼーっとしてた、とかではなく」
「だいじょぶ……?」
「大丈夫だって」
変に心配を掛けてしまった。
「ほら。俺さ、風呂場で考え事するじゃん」
「いってたきーする」
「特に、目を閉じて体を洗ってるとき、いろんなアイディアが浮かぶんだよ」
「ふんふん」
「で、考え事にかまけてたら──」
「わすれちゃったんだ」
「そういうこと」
「なるほどー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「びっくしした」
「すまん」
「そんなにしゅうちゅうするんだね」
「風呂場ではな」
「なんでだろ……」
「たぶん、目は閉じて情報をシャットアウト、かつ両手は半自動で体を洗うから、頭がぽっかり空くんだと思う」
「わたし、それなんないなー」
「人によるんだろうな」
「うん」
体を洗わずに出るより、二回洗って出るほうが衛生的だ。
こういうことは時折あるので、そのたび二回洗っている俺だった。
598
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:23:18 ID:mZ3ievxU0
2025年8月27日(水)
所用で外出した帰り道のこと、家の近所に見覚えのある看板が立っていることに気が付いた。
「あ!」
「丸亀製麺じゃん!」
「まるがめだ!」
「ここに丸亀できんのか……」
近所がどんどん豊かになっていく。
素晴らしいことだ。
店構えは既に堂々としているが、開店はまだ先のことらしい。
「たのしみだね!」
「何食おっかな……」
「きーはやいよー」
「ははっ」
車内でふたり、笑い合う。
仲良しだ。
帰りにコンビニへと立ち寄り、嫌と言うほどガリガリ君を購入して帰宅した。
車庫の冷蔵庫にガリガリ君を仕舞うため、隙間を通って車庫の裏側へと回り込む。
「……ん?」
庭と言えなくもないスペースに、大きめの枯れ葉が落ちていることに気が付いた。
枯れ葉。
まだ八月なのに?
そんなことを考えていると、うにゅほも枯れ葉に気が付いたらしい。
「?」
とててと近寄り、
「んぎゃ!」
悲鳴を上げた。
「どうした!」
うにゅほが俺の背後へと回り込む。
「が!」
「蛾!?」
あれが蛾だとしたら、片羽だけで10cmはあるぞ。
「……サッと片付けて、速攻で家入ろう」
「うん……!」
慌てながらも車庫の冷蔵庫にガリガリ君を押し込み、蛾のほうを見ないようにして家に入る。
「ふー」
「クッソでかかったな……」
「びっくし」
「俺も」
あんなでかい蛾、北海道にいるんだ。
そのわりに初めて見たのが不思議である。
599
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:23:35 ID:mZ3ievxU0
2025年8月28日(木)
昨日の蛾の正体がわかった。
クスサン。
今、北海道で大量発生しているのだそうだ。
「うー……」
うにゅほが不機嫌そうに唸る。
「てれびで、あっぷに、しないでほしい……」
「わかる」
それも、夕食時に。
マジで何を考えているんだ。
「……てことは、うちの近くでも発生はしてるんだな。一匹はいたんだし」
「うええ」
「俺だって嫌だよ……」
小さい蛾だって勘弁なのだ。
大きい蛾がうようよいようものなら、家から出られるはずもない。
「でも、敵のことは知らないとな」
「しらべるの?」
「調べたい、けど……」
Googleでクスサンについて調べたら、絶対に画像が表示される。
絶対にだ。
それが、たまらなく嫌だった。
「──よし、ChatGPTに頼もう。あれなら画像を見ずに情報収集できるはず」
「おー!」
タブに出しっぱなしのChatGPTを開き、クスサンについてGPT-5に尋ねる。
結果はすぐに出た。
「わ!」
「……GPT、お前もか」
親切のつもりなのだろう。
しっかりと、クスサンの画像が貼られていた。
無言で新しいチャットを開き、改めて指示を送る。
"現在、北海道で大量発生しているクスサンという蛾について調べてください。ただし、私は虫が苦手なので、画像は表示しないでください"
エンターキーを叩くと、クスサンの情報がずらりと列挙された。
「こういうの、できるんだ」
「便利だろ」
「べんり!」
クスサンは大型の蛾で、羽を広げると10cm以上にもなる。
昨日、俺とうにゅほが見たでかい蛾は、クスサンで間違いなさそうだ。
「またでるかな……」
「二度と会いたくない」
「わたしも」
本気で勘弁なのだった。
600
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:23:52 ID:mZ3ievxU0
2025年8月29日(金)
配達遅延していた炭酸水二箱が、ようやく届いた。
ヒイコラとダンボール箱を自室に運び込み、炭酸水を冷蔵庫に詰めていく。
「おそかったねー……」
「本来、日曜日に届くはずだったものだからな。五日遅れだ」
「こまる」
「本当にそう」
二日ほど水を飲んでやり過ごしたが、やはり炭酸水が恋しかった。
あふ、とあくびが漏れる。
「ねむい?」
「なーんか、えらい眠いんだよな……」
「ねてる?」
「……寝てる」
一瞬の沈黙を見破られたのか、うにゅほが俺のiPhoneを手に取る。
画面を俺の顔に突きつけることでFaceIDを突破し、問答無用で睡眠管理アプリを開いた。
「よじかん!」
「あ、はい……」
「ねてない!」
「最低限は……」
「さいていげんは、ろくじかん!」
「はい……」
うにゅほが、俺の手を引いていく。
「ねましょう」
「はい」
「わたしも、おひるねのじかんだから」
遅寝早起きのうにゅほは、昼寝で睡眠時間を稼いでいる。
俺は、自分のベッドに潜り込み、CPAPを装着して目を閉じた。
気絶するように意識を失い、気付けば二時間ほどが経過していた。
「おはよー」
「おはよう……」
先に起きていたうにゅほが、自室の書斎側からこちらを覗き込む。
「××、いつ起きた?」
「さんじっぷんくらいまえだよ」
「そっか」
書斎側へ向かい、うにゅほのiPhoneを手に取る。
そして、当然のように知っているパスコードを入力し、睡眠管理アプリを開いた。
「昼寝と合わせて五時間じゃん……」
「……うへー」
「はい、まだ寝る」
「ねむくない……」
「寝る」
「はい……」
どうにも睡眠時間が短くなりがちなふたりだった。
601
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:24:11 ID:mZ3ievxU0
2025年8月30日(土)
ガリガリ君コーラ味を食べていて気が付いた。
「お、当たりだ」
「みしてみして」
「ほい」
うにゅほに、アイスがまだ残っている当たり棒を差し出す。
しゃくっ。
ひとくち食べられた。
「コラ」
「うへー……」
「コーラだけに」
「こら」
「……言って後悔した」
「おもしろいよ?」
「慰めるな!」
「えー」
適当な会話を交わしながら、ガリガリ君を食べ終える。
「んじゃ、洗ってくるか」
「わたし、あらってくるね」
当たり棒を奪い去り、うにゅほがてててと部屋を出て行く。
それくらい、自分でやるのにな。
そんなことを思っていると、うにゅほが戻ってきた。
「ただいまー」
「おかえり、さんきゅー」
「あとよんほん、だね」
「当たりが出たらもう一本、じゃなくて、ある程度まとめて何かと交換する銀のエンゼル方式にしてくれたらいいのにな」
「そのほう、うれしい」
実際、交換する人のほうが明確に少数派なのだろうし。
十本当てたらガリガリ君のアイスの形をしたクッションなんてどうだろう。
赤城乳業さん、どすか。
「あと四本で、ようやく夏も終わるのかもしれないな」
「くがつも、まだ、なつ?」
「まだ夏だろ」
「そか!」
すこしずつ夏が遠ざかっていく。
この時期は、いつも切ない。
602
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:24:35 ID:mZ3ievxU0
2025年8月31日(日)
「八月が終わるうー……」
ごろんごろん。
ベッドの上で転がる。
「くがつ、なるねえ」
「××、知ってるか。九月になると、あと四ヶ月で2025年が終わるんだぞ」
「はやい」
「早い。一年が早すぎる。このままじゃすぐ死ぬ」
「しなないで……」
「体感の問題だ、体感の」
どちらにせよ、あまり長生きできる気はしていないけれど。
「夏が終わる前に、するべきことはしないとな」
「がりがりくん?」
「最初は絶対無理な目標だと思ってたけど、案外行けそうだもんな。達成できるもんなら達成したい」
「わかる」
「××は、何かあるか?」
「んー」
うにゅほが小首をかしげる。
「……んー……?」
そのまま、首の角度が大きくなっていく。
「ないー……、かも」
「ないんかい」
「おもいつかない……」
「猛暑日が来たら、部屋が何℃まで暑くなるか試せたんだけどな」
「あ、それ」
「九月に入ったら、さすがにもうないだろ」
「ざんねん……」
「また来年だな。覚えてたら。あと、来年も猛暑だったら」
「ことし、あちかったねえ」
「七月が暑すぎて、本来暑いはずの真夏日が涼しく感じたけど」
「ほんしゅう、すごかった」
「ニュースで見てるだけだと、毎日猛暑日の印象があったな。実際は各地でバラバラなんだろうけどさ」
「まいにち、もうしょびだったら、しぬ」
「死ぬなあ……」
慣れるものなのだろうか。
「あきも、たのしみ」
「秋が来たら、そろそろエアコンともおさらばか」
「あと、たんじょうび……」
「大丈夫、忘れないよ」
「うへ」
うにゅほの誕生日は10月15日だ。
誕生日プレゼント、早めに買っておかないとな。
603
:
名前が無い程度の能力を持つVIP幻想郷住民
:2025/09/01(月) 20:25:17 ID:mZ3ievxU0
以上、十三年九ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
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