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うにゅほとの生活3
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うにゅほと過ごす毎日を日記形式で綴っていきます
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2019年6月26日(水)
Steamのサマーセールが始まった。
「なんか買おうかなあ……」
「ぱそこんのゲームかうの?」
「いま安いんだよ」
「へえー」
だが、積みゲーは無数にある。
いま買ったとして、まともにプレイするかどうか、自分にすらわからない。
「……買うとしても一本かな」
「どんなのあるの?」
興味津々といった様子で、うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「あ、ぎゃくてんさいばんある」
「本当だ」
「でも、もってるもんね」
「DS版もあるし、Switchのも持ってるし」
雑談しながらページをスクロールしていく。
「えいごのゲームおおい……」
「これでも日本のゲーム増えたんだぞ。もともとアメリカのプラットフォームだし」
「あ、ひゅーまん、ふぉーる、ふらっとある」
「Switchの、ぜんぜん進めなかったな」
「むずかしかった……」
ふと目に留まったPUBGのページを開く。
「××、これ見覚えないか?」
「あ、どんかつのやつ!」
「そうそう」
「ゆーちゅーぶでみた」
「まあ、買わないんだけど」
「かわないんだ」
「FPS苦手なんだよな。見るのは好きだけど」
「そか……」
「あ、オクトパストラベラーじゃん。Steamで配信されたんだ」
「なんかみたことある」
「Switchで、買うか買わないか迷ってたからかな」
「あー」
「──って、値引きされてないや。なら急ぐ必要ないか」
「そだね」
「あとは──」
サマーセールのページを隅々まで見た結果、Muse Dashというキャラの可愛い音ゲーを購入した。
うにゅほと交代しながらプレイしたが、なかなか面白い。
しばらく遊べそうである。
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2019年6月27日(木)
「あー……」
首を、大きく回す。
「なんか、凝ってる」
「かたこり?」
「首のほう」
「くびこり」
「首こりって言うのかなあ……」
言いそうでもあるし、言わなそうでもある。
微妙なラインだ。
「くびもむ?」
「揉んでくれるなら、ありがたく」
「じゃあ、もむね」
チェアに腰掛けなおし、うにゅほが首を揉みやすいように背を向ける。
「くび、どうもんだらいいかなあ」
「首の後ろに、二本の筋あるだろ」
「ある」
「そこを、両手の親指でお願いします」
「わかった」
うにゅほの小さな手のひらが、そっと首に回される。
「いくよー」
ぐい、ぐい。
二本の親指が、後頭部の下のあたりを優しく揉みほぐし──
「ぐ」
うにゅほの腕を、ぽんぽんと叩く。
「?」
「それ、首絞めてる……」
「あ」
親指以外の四指が、気道を軽く狭めていたのだった。
「ごめんなさい!」
「こう、指圧みたいな感じで……」
「こう?」
ぐい、ぐい。
「あー……」
「きもちい?」
「気持ちいい。もちょっと強くてもいいよ」
「はーい」
まさか、うにゅほに首を絞められるとは思わなかった。
貴重な体験である。
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2019年6月28日(金)
「今日はパフェの日らしいぞ」
「ぱへのひ?」
相変わらず、"パフェ"と発音できないらしい。
「ごろあわせなのかな」
「語呂合わせではないんだけど、意外な理由」
「ほほう」
うにゅほが身を乗り出す。
「1950年のこの日、巨人の藤本英雄投手が、日本プロ野球史上初の完全試合を達成したらしい」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「べつのはなし?」
「いや、パフェの日の話」
「……?」
うにゅほは こんらんしている!
「完全試合は、パーフェクトゲームとも言う」
「うん」
「"パーフェクト"をフランス語で言い換えると、"パフェ"なんだ」
「へえー」
「だから、パフェの日」
「なるほどー」
うんうんと頷いたあと、うにゅほがはたと気づいた。
「やきゅうとぱへ、かんけいない……」
「だよな」
「ながされるとこだった」
「パフェの日を作りたいから、強引に理由を引っ張り出してきたんじゃないかとすら思える」
「あたらしいむりあるパターン」
「斬新だよな」
「おもしろい」
「ここまで無理にこじつけるなら、いっそ理由なんてないほうが潔い気がする」
「たしかに……」
6と28は完全数だという話もあるが、そちらはたまたまだろう。
無理のある記念日に関しては、今後もチェックしていく所存である。
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2019年6月29日(土)
天井に手のひらを向け、大きく伸びをする。
「──さーて、仕事すっか!」
「どようびなのに、しごとあるの?」
「昨日、量多かっただろ。面倒だったから、何件か今日に持ち越したんだよ」
「そなんだ……」
仕事の際は、iPhoneで音楽を聴くのが常だ。
音楽の有無で時間の流れ方がかなり違う。
枕元にあったiPhoneを拾い上げ、イヤホンを手に取ろうとして、
「……あれ?」
当のイヤホンがないことに気がついた。
「××、イヤホン知らない?」
「あかいやつ?」
「うん」
「わたし、さがすね」
うにゅほが座椅子から腰を上げる。
「ありがとな」
「うん」
うにゅほと共に、自室をくまなく探す。
ベッドサイド、デスク、冷蔵庫の上、本棚──
無意識にイヤホンを置きそうな場所を、重点的に潰していく。
だが、
「……××、あったー?」
「ない……」
「部屋じゃないのかな」
「そうかも」
「俺、仕事部屋探してくるよ」
「はーい」
自室を後にし、仕事部屋へ向かう。
そのまま仕事に取り掛かってしまえばいいのだが、ここまで来ると引き下がれない。
仕事机の周辺を重点的に捜索していると、階段を駆け下りる音がした。
「◯◯、あったー!」
イヤホンを掲げたうにゅほだった。
「おー、どこにあった?」
「うーと、えきたぶのうえ」
液タブ。
液晶タブレットのことだ。
「液タブって、ディスプレイの真ん前じゃ……」
「うん」
「マジか」
何度も探したはずだ。
何度も目に入れたはずだ。
それでも見つけることができなかったのは、意識の外側にあったからだろう。
「ま、いいや。ありがとな」
「いえいえー」
こうして、無事に仕事を終えることができた。
うにゅほのおかげである。
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2019年6月30日(日)
カレンダーをめくりながら、うにゅほに話し掛ける。
「今度こそ、2019年も残り半分だな」
「そうですねえ」
指折り数えていく。
七月。
八月。
九月。
十月。
十一月。
十二月──
「うん、残り六ヶ月だ。今度は間違いない」
一ヶ月ほど前に、まったく同じ話題を出して、ちょっと恥ずかしい思いをしたのだった。※1
「××さん、2019年前半の総括を」
「うーと……」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「おっきなびょうきしなかったし、よかったとおもいます」
「花マルですか」
「はなまるです」
「やったぜ」
「◯◯さん、にせんじゅうきゅうねん、こうはんのもくひょうは?」
「いい加減、痩せる」
「なるほどー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「でも、むりしたらだめだよ。むりなくだよ」
「──…………」
うにゅほは、優しい。
だが、その優しさに甘えた結果がこれなのだ。
「ごめん、ちょっと無理するかも」
うにゅほが小さく眉をひそめる。
「むりするの……?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけだよ」
「約束します」
「よろしい」
許可が下りた。
健康を害さないレベルで、無理のあるダイエットを行おう。
※1 2019年6月2日(日)参照
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以上、七年七ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
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2019年7月1日(月)
「ただいまー」
「おかえり……?」
出掛けてすぐさま帰宅した俺を、うにゅほが不思議そうに出迎える。
「さいふわすれた?」
「いや、床屋混んでてさ。二時間待つって言うから、いったん帰ってきた」
「そか」
「さーて、どうするかな」
二時間は長い。
二時間あれば、映画だって観れる。
短いゲームなら余裕でクリアできそうだ。
「ウォーキング、いく?」
「行きたいのは山々だけど、天気が怪しいんだよな……」
「いま、はれてるきーするけど」
ちょいちょいとうにゅほを手招きし、両親の寝室へ向かう。
「?」
そして、遥か遠くに見える黒い雲を指さした。
「あー……」
「向こう、風上。風強いから、すぐにこっち来ると思う」
「これだめだ」
「だろ」
「じゃあ、えあろばいくかなあ……」
「妥当だな」
廊下のエアロバイクを自室に運び入れ、漕ぎ始める。
三十分ほど経ったところで、開いた窓から雨音が響き渡った。
「あめだ!」
うにゅほが慌てて窓を閉める。
「ふー」
「ウォーキング、行かなくて正解だったな」
「おりかえしくらいだもんね……」
「てことは、帰り道まるまる濡れねずみか」
「かぜひいちゃう」
「真夏なら雨でも気持ちいいけど、今日は涼しいし」
「ごがつのほう、あつかったね」
「あれは異常だった……」
「うん」
しばし暇を潰し、二時間が経つころには、雨はすっかり上がっていた。
「じゃ、改めて床屋行ってきます」
「いってらっしゃい!」
髪を切り、実にさっぱりとした気分だ。
やはり、月に一度は散髪したほうがよさそうである。
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2019年7月2日(火)
月に一度の定期受診の帰り、ちょっとした手続きのために市役所へと赴いた。
手続きを終え、駐車場へ向かっていると、うにゅほが明後日の方向を指差した。
「あ、パトカーとまってる」
駐車場の端に視線を向ける。
「本当だ」
「なにかあったのかなあ……」
「ただの警邏中じゃないか。パトランプもついてないし」
「そか」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「なんか、きょう、パトカーたくさんみるね」
「確かに」
さほど距離を走ったわけでもないのに、今日だけで四台も目撃している。
あからさまに多い。
「なにかあったのかも……」
「最近、事件多いもんな」
「うん……」
「何もなければいいんだけど」
「ほんとだね」
「単に、取り締まり強化週間とかなのかもしれない」
「あー」
「安全運転しないとな」
「◯◯、いつも、あんぜんうんてん」
「まあ、うん」
うにゅほが助手席にいるときは、特に。
気恥ずかしいので言わないけれど。
愛車のコンテカスタムに乗り込み、指差し確認を行う。
「シートベルト、よし!」
「よし!」
「エンジン始動!」
「しどう!」
「制限速度で帰ります!」
「おー!」
普段より五割増しで安全に気を払い、帰宅した。
それでも、歩行者に飛び出されたり、対向車に突っ込んで来られると、どうしようもないのが交通事故というものだ。
読者諸兄も、是非、安全運転の励行を。
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2019年7月3日(水)
今朝のことである。
目を覚まし、ベッドから下りた瞬間、
「うぐ」
腰がギリリと悲鳴を上げた。
「あ、おはよー」
「おはよう」
うにゅほに心配をかけまいと、笑顔で挨拶を返す。
「?」
うにゅほが小首をかしげ、言った。
「◯◯、こしいたい?」
「腰痛い」
「やっぱし」
「よくわかったな……」
「なんか、たちかたへん。ななめなってる」
「見てわかるほどか」
「うん」
思った以上に重症らしい。
「こしもむ?」
「揉むより、踏んでほしいかも」
「わかった」
小箪笥の傍に、仰向けに寝転がる。
「はい」
「おなかふむよー」
「ごめんなさい」
ごろんとうつ伏せになる。
「転ばないようにな」
「うん」
うにゅほの体重が、足の裏を通じて、腰と背中に預けられる。
「うしょ、と」
ぎゅ、ぎゅ。
ぎゅ、ぎゅ。
小箪笥を支えにして、うにゅほが腰の上で足踏みをする。
「あ゙―……」
「きもちい?」
「最高」
ぎゅ、ぎゅ。
ぎゅ、ぎゅ。
ワイン造りの際に踏まれるブドウの気持ちになりながら、しばし足踏みマッサージを堪能する。
十分ほどして、
「──うん、だいぶ楽になった。ありがとな」
立ち上がり、うにゅほの頭を撫でる。
「うへー」
「まっすぐ立ててる?」
「うん、まっすぐ」
よかった。
腰痛が完全になくなったわけではないが、それでも随分と和らいだ。
うにゅほの足踏みマッサージ、効果大である。
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2019年7月4日(木)
不衛生と思われるかもしれないが、我が家では、トイレに本を持ち込むのは当たり前の行為である。
「ふー……」
しっかりと手を洗ってから部屋へ戻り、持って行った漫画を手癖でベッドに放り投げる。
そのまま自室の書斎側へ戻り、パソコンチェアに腰掛けた。
「あれ、まんがは?」
うにゅほが不思議そうに尋ねる。
「あとでまた読もうと思って、ベッドに置いたけど……」
「あー」
得心が行ったように、うにゅほがうんうんと頷く。
「それでか」
「?」
「◯◯、まくらもとに、たくさんほんある」
「……あるな」
常に十冊以上ある。
「といれいったあと、おいてくるから、たくさんあるんだね」
「そうかもしれない……」
トイレで半端に読むものだから、あとで続きをと思い、ベッドに置いてきてしまうのだろう。
「ねるとき、じゃまじゃないの?」
「なるべく端に寄って寝てるから」
「それ、じゃまっていう」
たしかに。
「かたづけましょうね」
「はーい」
ジャンルも大きさもバラバラの書籍を、元あった場所に戻していく。
「あ、うえのさんのごかん、ここにあった!」
「探してた?」
「うん」
「申し訳ない……」
「いいよ」
「許された」
「でも、ほんだなあるんだから、ほんだなにもどそうね」
「はい……」
正論すぎて頷くことしかできない。
本を読んだら、片付ける。
当たり前のことだ。
でも、癖になっているので、またやらかす気がする。
気をつけよう。
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2019年7月5日(金)
──ドォン! パラパラパラ……
「わ」
遠くで響き渡る破裂音に、うにゅほが驚きの声を上げる。
「はなび?」
「そう言えば、どっかで花火大会とか」
「へえー」
「窓から見えるかな」
「みえるかも」
書斎側の窓から、音のする方角を覗き見る。
「うーん……」
「家が邪魔だな」
音はすれども光は見えず。
「近くまで行ってみる?」
「──…………」
ちら。
うにゅほが壁掛け時計を見やる。
「いまからおふろだし……」
「そっか」
「おふろあがったら」
「はいはい」
三十分ほどして、
「ふー……」
僅かに頬を紅潮させた湯上がりのうにゅほが、自室に戻ってきた。
「はなびいく?」
「いや、終わったみたい」
「はやい……」
「小さな花火大会だからな」
「はなびかいだ」
「花火会……」
なるほど、"小さな"と"大会"が打ち消しあったのか。
「まあ、そのうち、別の花火会があるよ」
「そだね」
「手持ち花火でよければ、今度買ってこようか」
「うん!」
うにゅほが、嬉しそうに頷く。
「××、打ち上げ花火より、手持ち花火のほうが好きそうだな」
「うん、すき」
安上がりな子である。
夏が終わるまでに、一度はうにゅほと花火をしよう。
そう心に誓うのだった。
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2019年7月6日(土)
昼寝をしていて、飛び起きた。
「──あっつ!」
「はちいねえ……」
日陰で読書をしていたうにゅほはまだしも、直射日光を浴びていた俺は既に汗だくである。
「いま何度……?」
「うーと」
うにゅほが温湿度計を覗き込む。
「さんじゅってん、はちど」
「マジか」
初夏とは言え、夏であることには変わりない。
これからますます暑くなっていくことだろう。
「今日は、エアコン解禁だな」
「うん」
べつに禁じているわけではないのだが、なんとなく使うのに罪悪感がある。
「よし、と」
リモコンを操作して冷房を入れ、パソコンチェアに腰掛けた。
「すこしの辛抱だな」
「そだね」
冷蔵庫から水を取り出し、一気にあおる。
「ぷはー!」
「あ、わたしものんでいい?」
「はいよ」
うにゅほにペットボトルを手渡そうとして、
──つるっ!
水滴で滑り、取り落としてしまった。
「うわっ、と!」
膝の上とフローリングが水びたしになる。
倒れたペットボトルを慌てて拾い上げ、ほっと息をついた。
「危なかったー……」
模様替えをしていなければ、漏電の危険すらあった。※1
「ぞうきんもってくる!」
「頼むー」
雑巾で床を拭きながら、ふと気づく。
「涼しい……」
冷水を浴びたのだから当然なのだが、なんとも心地良い。
「すずしいんだ」
「××も浴びてみるか?」
「えー」
「やめとくか」
「……てーに、ちょっとだして」
「はいはい」
うにゅほの両手に、水をすこしだけ垂らす。
「つめた!」
「腕に塗ってみ」
「うん」
ぽたぽたと垂らしながら、うにゅほが両腕に水を塗りたくる。
「あ、すずしい」
「だろ」
「でも、また拭かないとね」
「水拭きすればいいんだし、もうすこし浴びとく?」
「うん!」
拭き掃除と避暑を同時に行いながら、部屋の空気が冷えるのを待つ。
悪くない方法かもしれない。
※1 2018年11月3日(土)参照
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2019年7月7日(日)
七夕である。
だからと言って、何をするわけでもないが。
「短冊に願い事って、書いたことないかもしれない」
「そなの?」
「××は?」
「おぼえてない」
「北海道の七夕って、いまいち半端なんだよな。7月7日だったり、8月7日だったり」
「たなばたかざり、どっちでもみるもんね」
「統一したほうが盛り上がるんじゃないかな」
「そんなきーする」
「どうして8月7日を七夕にしちゃったんだか……」
「えらいひとのかんがえること、わかりませんね」
「偉い人が考えたのかどうか、わからないけどな」
「◯◯、ねがいごとある?」
「願い事はないかなあ」
「そなんだ」
「目標はあるけど、それって他人の力で叶えるもんじゃないだろ」
「そうかも」
「あ、お金は欲しい」
「そくぶつてき」
「あって困るもんじゃないし……」
「たからくじあたって、じんせいおかしくなったひといるって、テレビでみた」
「それは、贅沢して使い切れる程度のお金だったからだろ」
「◯◯、いくらほしいの?」
「──…………」
しばし思案し、答える。
「百億──いや、余裕を持って二百億円」
「ごうよくすぎる……」
「頑張っても使い切れない金額なら、金遣いが荒くなっても死ぬまで持つだろ」
「なるほど」
「あるいは、現実的に一千万円。この程度なら人生おかしくなることもない」
「いちおくえんあげるっていわれたら?」
「貰う」
「えー……」
「いや、貰うだろ。一億円だぞ」
「そだけど」
などと、七夕にも関わらず、ロマンチックとは程遠い会話をする俺たちなのだった。
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2019年7月8日(月)
「!」
うにゅほが、はっと息を飲む。
「きょう、かくじつになはのひ……」
「那覇の日」
カレンダーを見る。
7月8日。
「なるほど、たしかに」
「うへー」
「……菜っ葉の日、というのはどうだろう」
「あるね」
「あるな」
探せば他にもありそうだ。
「なな、ぱー、しち、や、しちや──」
「質屋」
「しちやのひ!」
「あるな」
「あるね」
「今日は大漁だな」
「うん」
だからなんだという話ではあるが、ちょっと楽しいのも事実である。
「あと、あれもある。せんだみつお」
うにゅほが小首をかしげる。
「だれ?」
「ナハナハ、の人」
「なはなは?」
「そう」
「……だれ?」
「せんだみつおゲーム、知らない?」
「しらない」
「──…………」
嗚呼、これがジェネレーションギャップというものか。
「ね、どんなゲーム?」
うにゅほが目を輝かせる。
「期待させて申し訳ないけど、ふたりだとまったく面白くないゲームだよ」
「そなんだ……」
「試しにやってみるか?」
「うん!」
そして、互いに「せんだ」「みつお、ナハナハ」と言い合うだけのゲームが始まるのだった。
三往復でやめた。
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2019年7月9日(火)
「あちー……」
「うん……」
現在の室温、29.8℃。
ギリギリで大台に乗らないのが悩みどころだ。
何故なら、
「30℃になればエアコン使えるんだけどな……」
という自分ルールがあるためである。
俺は自分に甘いので、自分でこさえたルールもよく破る。
だが、
「……エアコンつけちゃう?」
「んー……」
「ほとんど30℃だし」
「でもなあ」
事程左様に、うにゅほが渋る。
厳しいのだ。
「××ー」
うにゅほを手招く。
「?」
不用意に近づいてきたうにゅほを膝に乗せ、そのまま抱き締める。
「わ」
「ほら、暑いぞ暑いぞ。熱中症になるぞ」
「みずのんでるもん」
「汗だくになるぞー」
「いいもん」
「──…………」
「──……」
「もしかして、逆効果?」
「うへー」
しまった、うにゅほは暑くてもくっつきたがるタイプだった。
こうなっては仕方ない。
「死なばもろとも!」
ぎゅー。
あえて密着していくことにした。
「あついー」
「下りる?」
「おりない」
「エアコンつける」
「つけなーい」
そんなこんなで、汗だくになるまでくっつき合う俺たちだった。
なにやってるんだか。
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2019年7月10日(水)
自室でくつろいでいると、うにゅほがふと口を開いた。
「あ、そだ」
「?」
「きんようび、なにたべたい?」
「金曜日……」
「うん」
「金曜、なにかあったっけ」
「おかあさんとおとうさん、りょこういくでしょ?」
「へ?」
思わず間抜けな声が漏れる。
「旅行行くの……?」
「えっ」
今度は、うにゅほが絶句する番だった。
「しらなかったの?」
「知らなかった……」
ホウ・レン・ソウが足りていないのではないか。
「で、どこ行くって?」
「うーと、たしか、とうきょう」
「の?」
「くわしくしらない」
「やはり、ホウレンソウが……」
「ほうれんそう、たべたいの?」
「そういう意味ではなく」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「報告・連絡・相談というのがあってだな──」
しばし解説したのち、問う。
「……足りてないだろ?」
「たりてない」
「昔から、そこんとこ抜けてるんだよなあ」
いまさら腹も立たないけれど。
「あ、そだ。きんようび、なにたべたい?」
「肉!」
「なににく?」
「牛」
「どんにする?」
「いいな、牛丼。食べたい」
「わかった!」
うにゅほ謹製の牛丼、楽しみである。
弟の意見をまったく聞いていないが、まあ、文句は言うまい。
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2019年7月11日(木)
着回すぶんのスポーツウェアが欲しくなり、近場のGUへと赴いた。
「──ま、こんなもんでいいか」
地味な色合いの上下を選び、手に取る。
「じゃあ、わたしも」
うにゅほが、同じ柄のSサイズに手を伸ばす。
「もっと可愛いやつあると思うけど……」
「◯◯、おなじのきてくれる?」
「嫌です」
「でしょ」
どうあってもお揃いは譲らないらしい。
「じゃ、支払い済ますか」
「うん」
GUはセルフレジを導入している。
使うのは初めてだが、丁寧な案内が表示されているので、特に困りはしないだろう。
「××、そっちハンガー外して」
「はーい」
「で、扉を開けて商品を入れる……」
レジの下部にあるボックスを開き、四点の商品を無造作に入れる。
「……えっと、これだけでいいの?」
「うん」
「バーコードでぴっぴとか、しなくていいのかな」
「いいよ」
恐る恐るボックスを閉じる。
すると、
「おお!」
ほんの一瞬で、商品の数と合計金額が画面に表示された。
「なんだこれ、すごいな」
「ね」
「……なんか、感動が薄くない?」
「だって、わたし、まえみたことあるもん」
「そうなの?」
「おかあさんと、ふくかいにきた」
「あー」
前に、GUの袋を持っているところを見たことがある気がする。
「しかし、便利になったなあ。コンビニとかもこうならないかな」
「それいいねえ」
未来、わりと来ている。
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2019年7月12日(金)
両親が旅行中であろうとあるまいと、俺たちの生活はさして変わらない。
「牛丼、楽しみだなー」
「うへー」
「味付けはどうするの?」
「てんどんのたれあるから、それとしょうゆであまめににる」
「美味そう」
「でしょ」
「玉ねぎ切るのくらい手伝おうか?」
「だいじょぶ」
「なら、全部まかせようかな」
「うん」
「さーて、俺は俺で仕事終わらせるか」
「がんばってね」
「××もな」
仕事部屋に詰め、週の最後の仕事に取り掛かる。
トントントントントン──
キッチンから聞こえてくるのは、淀みない包丁の音。
うにゅほは、本当に料理が上手くなった。
掃除だって、洗濯だって、鼻歌まじりでこなしてしまう。
ただ庇護されるだけの少女はもういない。
彼女は、彼女の努力でもって、家族の優しさに甘んじることなく、自分の居場所を確立したのだ。
それは、本当にすごいことだと思う。
「──と、仕事仕事」
思わず包丁の音に聞き入ってしまっていた。
俺も頑張らねば。
そんなことを思いながら仕事をこなしていると、包丁の音に雨音が混じり始めた。
雨は一瞬で土砂降りとなり、直後、轟音が我が家を揺らした。
「ひや!」
うにゅほがヒュンと飛んできて、俺の背中に張り付いた。
「こわい……!」
「大丈夫、大丈夫。それより火は?」
「まだつかってない……」
「ならよかった」
「……ここにいていい?」
「いいよ」
夕食が遅くなるくらい、大した問題ではない。
可愛い頑張り屋の体温を感じながら、今日の仕事を終わらせるのだった。
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2019年7月13日(土)
正午過ぎ、俺宛てに荷物が届いた。
「──重ッ!」
一抱えもある発泡スチロール製の箱は、甘く見積もって5kg以上ある。
「なにかったの?」
「刺身こんにゃく、だと思う」
「こんにゃく……」
「ほら、ダイエット用にさ」
「あー」
「でも、こんなに買ったかなあ……」
ダイニングテーブルの上に箱を置き、カッターを使って開封する。
「うわ」
「ぎっしり!」
パッケージングされた刺身こんにゃくが、箱の内側を隙間なく埋め尽くしていた。
「かいすぎとおもう……」
「俺もそう思う……」
「たべれるかな」
「食べ切る前に飽きなきゃいいけど……」
言い訳をさせてもらえるなら、ひとつひとつがもうすこし小さいものだと思っていたのだ。
300g×20パックともなれば、重くて当然である。
「おひる、こんにゃくにする?」
「そうしよう。すこしでも減らさないと」
「じゃあ、きるね」
「お願いします」
しばしして、薄くスライスされた刺身こんにゃくが食卓に並ぶ。
「このこんにゃく、すーごいやわらかいよ」
「美味しそうだな」
「ふぞくのしょうゆ、そのままつかう?」
「酢味噌じゃないのか……」
「すみそじゃないの」
「じゃあ、せめて砂糖醤油にしよう。甘みが欲しい」
「はーい」
手分けして砂糖醤油を用意したのち、
「いただきます」
「いただきまーす」
しっかりと手を合わせて、刺身こんにゃくを口へと運んだ。
「あ、美味い……」
「おいしい!」
「柔らかいな、これ。こんにゃくじゃないみたい」
「さとうじょうゆ、あうね!」
「ナイス判断だったな」
美味しい美味しいと言いながら、あっという間に刺身こんにゃくをたいらげる。
「たくさんかって、よかったかも……」
「これだけ美味しければ、飽きずに済みそうだ」
「うん」
食器を洗う段になって、ふと気づいた。
「……(弟)のぶん残すの忘れてた」
「あっ」
「ま、まあ、もともと昼は各自でって話だったし……」
カップ焼きそばでも食べるだろう、たぶん。
幸か不幸か、刺身こんにゃくは売るほどある。
次の機会にごちそうしよう。
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2019年7月14日(日)
今朝見た夢は覚えていない。
だが、寝起きが最悪だったことだけは明確に記憶している。
──ビキッ!
「ぐッ、あ……!」
それが激痛であることに気付くまで、数秒の時間が必要だった。
「◯◯ッ!?」
唐突にうめき声を上げた俺を心配して、うにゅほがベッドサイドへ駆けつける。
「◯◯、どしたの! だいじょぶ……?」
「足、が……ッ!」
「あしが……?」
「攣ッ、た、っぽい……」
足を攣った痛みで目を覚ます。
字面としては間抜けだが、当人としてはたまったものではない。
「あしつったの!?」
「……××、頼む、爪先ッ、を……!」
「わかった!」
うにゅほが、ピンと伸び切った爪先をなんとか戻してくれようとする。
「ぎぎ、ぎ……!」
「がんばって!」
しばしの格闘ののち、ようやく痛みが治まってきた。
「はー、びっくりした……」
「わたしも……」
「寝てるあいだに攣ったの、初めてだ」
「そういうこと、あるんだね」
のちほど調べてみたところ、そう珍しくもない症状らしい。
なんとか自立し、ふくらはぎをストレッチする。
「ところで、いま何時?」
眼鏡を掛ける暇もなかったため、時計の文字盤がよく見えない。
「あさの、ろくじすぎだよ」
「六時……」
「わたしも、いまおきたとこ」
「……もしかして、俺の悲鳴で起きた?」
「ううん、おきて、ぼーっとしてた」
「そっか……」
朝っぱらからなんだか申し訳ない。
「またねる?」
「いや、いま寝てもまた攣りそうだ」
「そだね……」
「激痛で目も冴えたし、今日は早起きするよ」
「あさごはん、たまごやく?」
「お願いします」
こうして、健康的だか不健康だかわからん一日が始まるのだった。
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2019年7月15日(月)
「あぢー……」
パタパタと襟元を開閉し、シャツの内側に空気を送り込む。
「むしむしするねえ……」
「湿度、どのくらい?」
「うーと」
うにゅほが温湿度計を覗き込む。
「ろくじゅういっぱーせんと、だって」
「気温は?」
「にじゅうきゅうど」
「なるほど……」
顎先に指を当て、神妙に頷く。
「なにかわかる?」
「暑いってことがわかる」
「わたしもわかる……」
アホの会話である。
「しかし、夏ってより梅雨っぽい感じあるな」
「つゆ、こんなかんじなのかな」
「たぶん、もっとすごい」
「もっと……」
「湿度100%のときがあるとか聞いた」
「ひゃく!」
うにゅほが目をまるくする。
「ひゃくぱーせんとって、どういうこと……?」
「湿度100%っていうのは、空気がそれ以上水分を含めない状態を指す」
「すいぶんを」
「空気が水分を含める量は、気温が高ければ高いほど多くなる。だから、気温が高いのに湿度も高いときは、めっちゃ蒸してるってことだ」
「だから、きょう、むしむしするんだね」
「たぶん……」
「たぶんなの?」
「だって、俺、本州の梅雨って体験したことないもん。単に知識として持ってるだけだから」
「◯◯もないんだ……」
「わざわざ好き好んで梅雨の時期に旅行しないしな」
六月、祝日ないし。
「ほんしゅう、たいへんだね」
「どこだって一長一短あるよ。東京とか、雪積もらないわけだし」
「ゆきかきできないねえ……」
「それを一短だと思うのは××だけだぞ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
雪が好きで、雪かきも好きなうにゅほは、北海道という土地が肌に合っているのだろう。
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以上、七年八ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
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2019年7月16日(火)
夕刻、旅行へ行っていた両親が無事に帰宅した。
すこし心配だったので、一安心である。
「はい、おみやげ」
そう母親に手渡されたのは、大量のお菓子と、勾玉の根付だった。
「にっこうとうしょうぐう?」
「日光東照宮」
「きいたことある」
「栃木の神社でねー」
母親がスマホを取り出し、撮影した写真を見せてくれる。
それからしばし土産話に付き合わされたのだが、内容は正直あまり覚えていない。
おみやげを抱えて自室に戻ったのは、三十分後のことだった。
「旅行が楽しかったのは何よりだけど……」
「うん、よかったねえ」
うにゅほがぽわぽわと微笑む。
「……話、長くなかった?」
「そかな」
「面白かった?」
「おもしろかった!」
「そっかー……」
その素直さが眩しい。
「しかし、この根付どうしようかな」
「ねつけって、これ?」
うにゅほが勾玉の根付を手に取る。
「すとらっぷみたいだねえ」
「実際、ストラップだからな」
「ねつけじゃないの?」
「根付をストラップにしてる、というのが正しい。付け方一緒だし」
「へえー」
「××のiPhone、ストラップないよな。付けてみる?」
「つける!」
うにゅほが、小箪笥の引き出しからiPhoneを取り出し、俺に手渡す。
「はい!」
「俺が付けるのか……」
「うん」
「──って、電池切れてるじゃん。連絡用だから充電しとけって言ったろ」
「うへー……」
あ、笑って誤魔化した。
勾玉の根付をiPhoneケースに付けてやると、うにゅほはとても嬉しそうにしていた。
これを機に、ちゃんと充電するようになってくれればいいのだが。
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2019年7月17日(水)
軽い頭痛を覚えながら、呟くように口を開く。
「最近、長い時間眠れてないんだよなあ……」
「あさおきて、ごはんたべて、またねてるもんね」
「なんか、体痛くて起きちゃう」
「そなんだ」
「八時間ぶっ通しで寝るとか、ちょっと信じられない」
「ねかた、わるいのかな」
「寝相はさすがに直せないぞ」
「ねてるもんね……」
「枕の両側に剃刀を立てたり、腕と足を縛ったり、そこまですれば直るのかもしれないけど」
「だめだよ?」
「しないよ」
「よかった……」
「君は僕のことをなんだと思っているのかね」
「◯◯、わりとむちゃする」
「──…………」
否定できない。
「寝具が悪いのかなあ……」
ベッドの傍へと足を運ぶ。
「マットレスの上に敷いてるこれが、柔らかすぎる気がする」
「とぅるーすりーぱーだっけ」
「たしか」
「まえ、とってねたら、かたくてからだいたいっていってたきーする」
「言ったけど、そのときちゃんと寝れたかどうかまでは覚えてない」
「からだいたくても、ちゃんとねれたかも?」
「その可能性はある」
「じゃあ、とってねてみる?」
「そうしようかな」
「わたしも、とってねようかな」
「いや、××はちゃんと眠れてるんだろ」
「ねごこちきになるし……」
「そこまでお揃いにしなくても」
「だめ?」
「いいけど」
果たして、睡眠の質は改善されるのか。
改善されるといいなあ。
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2019年7月18日(木)
「──…………」
背中の痛みに目を覚ます。
眼鏡を掛け、時計の文字盤を見やると、午前十一時近かった。
床に就いたのは午前三時だから、八時間ぶっ通しで眠ったことになる。
ふらふらしながら洗面所へ向かうと、
「あ、おはよー」
と、うにゅほに声を掛けられた。
「おはよう……」
挨拶を返し、顔を洗う。
「きょう、あさおきなかったね!」
「ああ」
「よくねれた?」
「寝過ぎた気すらする……」
「とぅるーすりーぱー、よくなかったのかな」
「俺の体には合ってなかったみたい」
「きづけてよかったねえ」
「ちゃんと寝れたのはいいけど、背中が痛い。柔らかいのに慣れ過ぎたせいかも」
「あー」
「××はどうだった?」
「うん、よくねれた」
「トゥルースリーパーあるのとないの、どっちが寝心地よかった?」
「うと」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「どっちもねごこちよかった……」
健康的でよろしい。
「でも、ないほうが、すずしくてよかったかも」
「トゥルースリーパー、熱がこもるんだよな」
「うん……」
「俺はしばらくナシで寝るけど、××はどうする?」
「わたしもー」
「じゃあ、押し入れに仕舞っちゃうか」
「うん」
部屋の片隅に畳んで置いてあったトゥルースリーパーを、廊下の押し入れに片付ける。
「晴れた日にでも、干しておこう。また使うかもしれないし」
「そだね」
今日は長く眠ることができたが、明日もそうとは限らない。
寝具について考え直す機会だ。
マットレスだけでなく、良い枕も探してみようかな。
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2019年7月19日(金)
「◯◯ー」
「うん?」
「これ、でてきた」
うにゅほが差し出したのは、見覚えのあるボイスレコーダーだった。
亡くなった父方の祖母との最後の一年を記録したものだ。
「おばあちゃんのこえききたいけど、でんちない……」
「あー」
ボイスレコーダーを受け取り、スライド式のUSB端子を伸ばす。
「全部、パソコンに取り込んじゃおう。データ飛ぶの怖いし」
「おねがいします」
ボイスレコーダーをPCに接続し、すべての音声データをHDDにコピーする。
「よし、と」
「こえ、きける?」
「再生してみようか」
「うん」
耳掛けイヤホンをうにゅほとシェアし、適当なファイルを再生する。
流れ出したのは、祖母と両親との病室での会話だった。
「──…………」
「──……」
無言で聞き入る。
三年ぶりに聞く祖母の声は、細く、いまにも灯火が消えてしまいそうだ。
乗り越えたと思っていた。
何も感じないと思っていた。
だが、改めて聞くと、すこしだけ胸が苦しくなった。
俺ですら、この体たらくなのだ。
「──う、ふぶ……」
隣を見る。
うにゅほが、涙で頬をべしょべしょに濡らしていた。
「あー」
「ひッ、うぶ、うええ……」
再生を止め、ティッシュでうにゅほの目元を拭う。
そして、
「ほれ」
うにゅほの頭を掻き抱くように、強く抱き締めた。
「懐かしいな」
「うん……」
「今度、また聞こうな」
「──…………」
こくり。
「よし」
頭を軽く撫でてやる。
声を聞いた瞬間に泣き出してしまうのでは、内容どころではない。
祖母の声を収めた音声データは、しばらく封印しておこう。
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2019年7月20日(土)
ギシギシと軋む体を持て余しながら、高らかに宣言する。
「──筋肉痛だ!」
「きのう、すーごいきんとれしてたもんねえ」
「頑張りました」
「からだ、だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈夫」
右腕を曲げ、力こぶを作る。
「筋肉痛は、超回復の前段階だからな。あると、むしろ安心する」
「そなんだ」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「きんとれ、きょうもするの?」
「今日はしない。回復する前に酷使すると、筋肉が成長しないから」
「……◯◯、むきむきなるの?」
「ムキムキになりたいわけじゃないんだけど……」
「ちがうの?」
「違う」
うにゅほが、俺のふくらはぎに触れる。
「むきむき」
「そこは最初からだから」
「そだね」
「いままで、食べない方向でのダイエットをしてきたんだけどさ」
「うん」
「限界があることに気づいて……」
「おそい……」
うにゅほが、呆れたように口を開く。
「ずっとたべないの、できないもん。だめだよ」
「──…………」
「わたし、むりしないでって、ずっといってたのに……」
「はい……」
どんどん肩身が狭くなっていく。
「……その、これからは体を動かす方向でダイエットをしていきますので……」
「よろしい」
「続けていいですか……?」
「はい」
ほっと胸を撫で下ろし、説明を再開する。
「筋肉をつけて、基礎代謝を上げる。そうすれば、黙ってても痩せる」
「あ、きいたことある」
「ダイエットの基本ではあるからな」
「じゃあ、やっぱしむきむきになるんだ」
「ボディビルダーを目指すわけじゃないけど、ある程度は仕方ない」
「きんとれ、むりしたらだめだよ」
「はい……」
うにゅほに心配をかけないよう、無理せずトレーニングを続けていこう。
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2019年7月21日(日)
理想の枕を手に入れるため、オーダーメイド枕の専門店へ赴いた。
「では、こちらに横になっていただけますか?」
「はい」
枕選びのプロであるピローフィッターの言葉に従い、靴を脱いでベッドに横たわる。
「よろしくおねがいします……」
うにゅほが、ピローフィッターにお辞儀をする。
「あ、おまかせください」
ピローフィッターが、戸惑いながら会釈を返した。
「──…………」
ちょっと恥ずかしい。
三十分ほどかけてフィッティングを終え、すこし固めの枕を購入する運びとなった。
「いままでずっと低反発だったから、ちゃんと寝れるか不安だな……」
それなりに高かったし。
「ていはんぱつ、しっくりしなかったの?」
「微妙だった。よくある、首元が膨らんでるタイプだったろ」
「うん」
「あのせいで、こう、圧迫される感じがあってさ」
「あー」
「帰ったら、ためしに昼寝してみよう」
「もう、ゆうねだね」
「だな」
帰宅し、オーダーメイド枕を開封する。
うにゅほが、枕をぽすぽすと叩きながら、
「ほんとだ、かたいね」
「パイプが入ってるらしい」
「パイプ?」
「ストローを細かく切ったみたいなやつ」
「あ、みたことある」
「よくある素材だからな」
マットレスの上にオーダーメイド枕を設置し、横になる。
ざら。
枕の中から小気味良い音が響いた。
「……じゃあ、三十分経ったら起こして」
「はーい」
アイマスクを装着し、そのまま目を閉じた。
──三十分後、
「◯◯、じかんだよー」
「んが」
寝てた。
「ねごこち、いい?」
「──…………」
「わるい?」
「わからん……」
「わからんの」
「劇的に何かが違うってわけでもないかなあ」
「そなんだ……」
三十分程度の仮眠では判断がつかない。
評価を下すには、最低でも、一晩は使用する必要がありそうだ。
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2019年7月22日(月)
「──…………」
起床し、自室の書斎側を覗く。
「おはよう」
フローリングを雑巾がけしていたうにゅほが、顔を上げる。
「あ、おはよー」
「なんかこぼしたの?」
「こぼしてないよ」
「単に拭き掃除してただけか」
「うん」
「朝から偉いなあ……」
「うへー」
うにゅほが照れ笑いを浮かべる。
「まくら、どうだった?」
「どうかなあ……」
「だめ?」
「結局、今朝も何度か起きてたじゃん」
「うん、おきてた」
「昨夜、暑くて寝苦しかったじゃん」
「ねぐるしかった……」
「寝苦しくて起きたのか、枕が合わなくて起きたのか、わからない」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「わたしも、いっかいおきたもん」
「へえー。××でも、そんなことあるんだな」
「おきたとき、◯◯おきてた」
「何時くらい?」
「さんじくらい」
「気付かなかったなあ……」
「◯◯、なんか、きーぼーどかたかたしてた」
「……うるさかった?」
「ううん」
首を横に振る。
「◯◯いるんだなーって、あんしんする」
「ならよかったけど……」
「ごふんくらいみてたけど、ねむくなったから、ねた」
「……見てたの?」
「うん」
「後ろから?」
「うん」
振り返っていたら、悲鳴のひとつも上げたかもしれない。
「そういうときは、声掛けてくれていいから……」
「はーい」
オーダーメイド枕の是非は、まだわからないままだ。
一週間ほど様子を見てみよう。
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2019年7月23日(火)
俺の背中を撫でながら、うにゅほが口を開いた。
「◯◯、なんか、がっしりした?」
「わかるか」
「うん、わかる」
「自重トレーニングが実を結んできたかな」
実際、体重も体脂肪率も減少傾向にある。
実に順調だ。
「いっしょにやってるのに、わたし、かわんないなあ」
「あんまり変わられても困るけど……」
「そだけど」
「俺、イージーゲイナーっぽいからな」
「いーじーげいなー?」
「つい最近知ったんだけど、筋肉も脂肪もつきやすい体質のことみたい」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「わかるきーする」
「俺、昔から、アホみたいに筋肉つきやすいんだよ」
「しってる」
「ですよね」
「ふっきん、むきむきだったときあるよね」
「意味なく無闇に筋トレしてな」
「いみなかったんだ……」
「いまは意味あるぞ。ダイエット目的だから」
「きんにくつけて、きそたいしゃあげるんだっけ」
「そうそう」
「うまくいくかな」
「理には適ってるから、このまま行けば大丈夫だと思う」
「そか」
「ただ──」
うにゅほが小首をかしげる。
「ただ?」
「……代償として、体型が完全にプロレスラーになる」
「あー……」
「まあ、ただデブってるよりマシだろ」
「ちょうどいいとこでとめれないの?」
「難しいと思う」
「しかたないねえ……」
「××は、俺がムキムキになったら嫌だ?」
「ううん」
首を横に振る。
「◯◯は、◯◯だもん」
「そっか」
嬉しいことを言ってくれる。
「──よし、頑張ろう!」
決意を新たに、右手でガッツポーズを作る。
「むりしないでね?」
「肝に銘じておきます」
「よろしい」
今回こそは、健康的に痩せるのだ。
-
2019年7月24日(水)
夜食として、セブンイレブンのサラダチキンバーをよく食べている。
美味しくて高タンパク、ダイエットのお供だ。
「◯◯、ひとくちー」
「ほい」
うにゅほの口元にサラダチキンバーを差し出す。
はむ。
「ほいひい」
「プレーンもいいけど、バジル&オリーブ美味いよな」
「うん」
「まあ、出費は痛いけど……」
大量に購入すると、野口が数枚飛んで行ってしまう。
「ほんと、ダイエットは金食い虫だよ」
「でも、◯◯、おかしたべなくなったね」
「小腹が空いたらサラダチキンを食べるようにしてるからな」
「さらだちきん、ふとらないの?」
「そりゃ一気に食べ過ぎれば太るけど、空いた小腹を埋めるくらいなら太らないみたい」
「そなんだ」
「というか、タンパク質を摂取しないと、代わりに筋肉を分解してエネルギーにしようとするから、代謝が低下して痩せにくくなる」
「たべたほうが、ふとらないってこと?」
「そうらしい」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「じゃあ、たべないでやせるの……」
「短期的にはいいけど、長期的には悪手だな」
「あー」
「つまり、いままで悪手を打ち続けていたわけだ」
「そだね……」
「甘いもの食べられないのは、ちょっとつらいけどな」
「◯◯、あまいのすきだもんね」
「和菓子なら多少は大丈夫らしいけど」
「わがし」
「アイスなら、ガリガリ君とか、脂質の含まれないやつ」
「なまクリームは?」
「脂質と糖質が両方含まれてるから、ダメ」
「クレープたべれないね……」
「付き合わせて悪いけど、たまのお楽しみだな」
「うん」
食生活も改善されてきた。
ダイエット生活、頑張ろう。
-
2019年7月25日(木)
昼食後、自室へ戻ろうと、階段を上がっていたときのことだ。
「あ!」
背後のうにゅほが、唐突に声を上げた。
「ありいる!」
「!」
慌てて振り返り、うにゅほの視線の先を追う。
すると、
「本当だ……」
階段の窓を、忌々しい黒色のアリが這い回っていた。
「いえ、はいられた……」
うにゅほが顔色を蒼白にする。
我が家は、過去に二度、アリの群れに侵入されている。
やつらのしつこさは想像を絶する。
結局、害虫駆除業者に巣ごと根絶してもらうことでしか解決できなかったのだ。
「◯◯、どうしよう……」
「待て」
うにゅほを制し、アリを観察する。
「……一匹だけみたいだな」
「うん」
「黒くて、体長が大きい。前に家に入ってきたアリとは別の種類だ」
「ほんとだ……」
「ここは階段で、食べものはない。たぶんだけど、窓から迷い込んできたんだろう」
アリをつまみ上げ、窓から放り捨てる。
「侵入経路が違ってたら、とっくに手遅れだったかもしれない」
「……まだ、だいじょぶ?」
「わからん」
「わからんの……」
きびすを返し、玄関へ向かう。
「わからないから、巣を潰す。いまなら先手を取れるかもしれない」
「わかった!」
うにゅほと共に、家の周囲を隈なく捜索する。
だが、巣どころかアリの姿すらなく、俺たちは途方に暮れるのだった。
「……前に探したときも、見つからなかったもんな」
「うん……」
「単なる迷いアリならいいんだけど」
現段階では、希望的観測にすがるしかない。
アリは本当に厄介だ。
-
2019年7月26日(金)
「あぢー……」
襟元をパタパタさせながら、温湿度計を覗き込む。
「うあ」
思わずうわずった声が漏れた。
「なんど……?」
「29℃」
「あれ、ふつう」
「湿度は72%」
「うあ」
一緒に暮らしていると、リアクションも似るのだろうか。
「むしむしするう……」
「これ、冷房入れてもどうにもならないな。除湿しよう」
「うん」
エアコンを入れ、除湿を開始する。
すぐさま効果が現れるわけではないが、一時間もすれば快適な湿度になるだろう。
「──そういえば、今朝、変な夢見たな」
「お」
うにゅほが居住まいを直す。
「どんなゆめ?」
「期待してるとこ悪いけど、そこまで面白い夢じゃないよ」
軽く念を押し、話し始める。
「水曜どうでしょう、あるじゃん」
「ある」
「友達と、あれの真似をしようってことになったんだ」
「うんうん」
「俺はカメラマンで、友達が大泉とミスター役。サイコロを後ろ手に投げて、6を出して、そのまま歩いてくってシーンを撮ることにした」
「かっこいい」
「でも、サイコロで6が出る確率は1/6だろ」
「うん」
「だから、何度も何度も撮り直すって夢」
「へえー」
「終わり」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「へんなゆめ……?」
「予想通りの反応、ありがとう。変なのはここからでな」
「おー」
「……起きてから気づいたんだけど、その友達って、どう思い返しても大泉とミスター本人なんだよ」
「え、ほんにんだったの?」
「夢の中では別の友達ってことになってた」
「ほんにんなのに?」
「本人なのに」
「へえー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ちょっと変な夢だろ」
「うん、おもしろい」
「ならよかった」
うにゅほの御眼鏡にはかなったらしい。
部屋の湿度は、一時間後には46%になっていた。
エアコンはすごいなあ。
-
2019年7月27日(土)
「……?」
気付くと、うにゅほの姿がなかった。
「××ー?」
うにゅほの名を呼びながら、自室を後にする。
「はーい」
返事があったのは、両親の寝室からだった。
そちらへ向かおうとすると、うにゅほが小走りで駆け出てきた。
「どしたの?」
「あ、いや」
「ようじあった?」
「ないけど……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
いないと落ち着かないだなんて、言えるはずもない。
「なにしてたんだ?」
「うーと、こうえんみてた」
「公園?」
「いま、おまつりのじゅんびしてる」
「あー」
両親の寝室へ入り、窓から眼下の公園を見下ろす。
櫓が立てられ、ステージが作られ、夏祭りの準備が着々と進んでいた。
「そういえば、夏祭りは明日だったな」
「うん」
夏祭り。
町内会が開催する、小さなお祭りだ。
「楽しみだな」
「うん!」
うにゅほが満面の笑みを浮かべる。
俺も、うにゅほも、毎年行われるこの夏祭りが好きなのだ。
屋台もほとんど出ない。
敷地も狭い。
顔見知りのおじさんが焼き鳥を焼いている。
けれど、それでも好きなのだ。
「──…………」
「──……」
気分が高揚するのを感じながら、しばらく祭りの準備を眺めていた。
-
2019年7月28日(日)
正午の号砲と共に、夏祭りが始まった。
「◯◯ー!」
浴衣を身にまとい、髪を結い上げたうにゅほが、自室まで俺を呼びに来た。
「××の浴衣も一年ぶりか」
「にあう?」
「一年に一度しか見られないのが残念なくらい、可愛い」
「うへえー……」
うにゅほが、両手でほっぺたを包み、くねくねする。
たいへん照れているらしい。
「混み始める前に、焼き鳥とかき氷でも買いに行こうか」
「うん!」
普段とは異なる姿をした公園へと足を踏み入れ、まばらな客の合間をすり抜けていく。
「焼き鳥四本と、豚串六本ください」
「はーい」
すこし冷めた焼き鳥を受け取り、その足でかき氷を購入する。
俺は、ブルーハワイ。
うにゅほもブルーハワイだ。
「よし、帰るか」
「うん」
焼き鳥とかき氷を手に、そのまま帰宅する。
そして、両親の寝室へ赴き、徐々に人が集まりつつある会場を窓から見下ろした。
「とくとうせきだ」
「特等席だな」
祭りの楽しみ方には、いろいろある。
屋台を食べ歩くのもいい。
射的や型抜きで景品を荒稼ぎするのもいい。
もしイベントなどがあれば、積極的に参加するのもいいだろう。
だから、
「──…………」
「──……」
俺たちは、誰にも邪魔されることなく、ふたり寄り添いながら夏祭りの雰囲気を堪能するのだ。
それはきっと、他の誰にもできない、贅沢な楽しみ方だろう。
「──もうすぐ八月だな」
「そだねえ……」
「夏が、もっと続いてくれたらいいんだけど」
「うん」
まばらな会話。
無言の時間。
だが、それが心地良い。
盆踊りが終わり、公園から誰もいなくなったあと、ふたりで静かに花火をした。
素晴らしい一日だった。
-
2019年7月29日(月)
エアコンの効いた自室で快適に過ごしていると、座椅子で読書していたうにゅほが不意に立ち上がった。
「といれー」
相変わらず、不要な宣言をしていく子である。
扉を開く音と同時に、
「──あつ!」
という声が響いた。
ぱたぱたと足音を立てながら、うにゅほが戻ってくる。
「◯◯、すーごいあつい!」
なんで嬉しそうなんだろう。
「きて!」
「はいはい……」
うにゅほに手を引かれながら、渋々自室の外へ向かう。
廊下に出た瞬間、
「──あッつ!」
と、思わず悲鳴じみた声が漏れた。
「なんだこれ、ヤバいぞ」
「ね」
「サウナかよ……」
全身の汗腺が一瞬で開き、汗をかく準備を整える。
それくらい暑い。
「すーごいあついね!」
「暑いな!」
思わず語気が荒くなる。
自室と廊下とでこれだけの落差があれば、テンションが上がるのも必定である。
やけっぱちとも言う。
「といれ、もっとあついかな……」
「風通しの良い廊下でこれなんだから、トイレはもっとひどいかもしれない」
「──…………」
うにゅほが小さく喉を鳴らす。
「でも、男には行かねばならぬ時がある」
「おんな……」
「頑張って出してこい!」
「はい!」
廊下へ飛び出したうにゅほが、トイレの扉を開く。
「ふわ!」
「暑いか!」
「あついー!」
うにゅほが笑いながら扉の奥へと消えていく。
しばしして自室に戻ってきたうにゅほは、見るからに汗ばんでいた。
「あちかった……」
「……今日、トイレ行きたくないなあ」
「がまんしたらだめだよ」
「我慢はしないけどさ」
後ほど小用を足しに赴いたトイレは、予想通り地獄のような暑さだった。
今年の夏はヤバいかもしれない。
-
2019年7月30日(火)
今日は、月に一度の定期受診の日である。
病院へ向かうために家を出ると、小学生たちが公園で暑さにうなだれていた。
「そういえば、とっくに夏休みか」
「そだよ」
「こう暑いと、遊ぶ気力もないだろうなあ……」
本日の最高気温、33℃。
猛暑日には届かずとも、十分に酷暑と言える。
「……エアコン、つけっぱなしでよかったのかな」
「つけっぱなしにしとかないと、帰ってきたときひどいぞ。33℃とか余裕で超えてくるぞ」
「そだけど」
「一時間あれば帰ってこれるんだし、こまめに切るのも逆に電気代かかるって聞くし」
「そなの?」
「一から冷やすより、冷えた状態を維持するほうが、エネルギーの消費が少ないんだってさ」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なんか、わかるきーする」
「エアロバイクだって、最初のひと漕ぎがいちばん重く感じるだろ」
うにゅほが小首をかしげる。
「……そだっけ?」
「××、負荷軽くしてるからな……」
例えが悪かった。
「すごく大きくて重い鉄球を転がさなければならないとして、最初に動かすときがいちばん力使いそうな気がするだろ」
「あ、わかる」
うんうんと頷く。
「かんせいがはたらく」
「そうそう」
厳密には異なるのだろうが、感覚としてわかればそれでいい。
「──つーか、暑いな」
「うん……」
立っているだけで、じわじわと汗が噴き出してくる。
「さっさと病院行こう」
「うん、いこ」
ガレージのシャッターを開き、愛車のコンテカスタムに乗り込む。
小一時間ほどして帰宅すると、公園には誰もいなかった。
賢明な判断だ。
読者諸兄も、熱中症には気をつけてほしい。
特に、水分補給はしっかりと。
-
2019年7月31日(水)
土用の丑の日をすこし過ぎてしまったが、家族でうなぎを食べに行くことになった。
「ほー……」
小上がりの席へと案内され、メニューを開く。
特うな重、四二〇〇円。
「よ!」
目をまるくするうにゅほを尻目に、父親が注文を行う。
「じゃ、特うな重五人前で」
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「俺、ビール。お前らは?」
「私は烏龍茶で」
「俺も」
「俺はコーラかな。××は?」
「みず……」
「××も烏龍茶だってさ」
「かしこまりました」
伝票を書き付けながら店員が戻っていく。
その背中が見えなくなったところで、うにゅほが呟いた。
「……ごにんで、にまんえん……」
「うなぎだからな。そんなもんだろ」
「そんなもんなの……?」
父親が答える。
「たまの贅沢だ、気にすんな。味わからんくなるぞ」
「はい……」
しばしして、特うな重が届く。
重箱の蓋を開くと、ふわりとうなぎが香った。
「……おー」
「美味しそうだな」
「よんせんにひゃくえん……」
「忘れなさい」
「はい」
追加でたれを掛け、山椒を一振り。
柔らかなうなぎの身を箸で切り分け、ご飯と一緒に口へ運ぶ。
「──うん、美味い」
スーパーのうなぎとは一味違う。
あれはあれで美味しいと思うけど。
「××、どうだ?」
「うん……」
ちまりと一口食べたうにゅほが、小さく答える。
「おいしいとおもう……」
「そっか」
ふと思い出す。
うにゅほって、そもそも、うなぎがそれほど好きではなかったような。
「……余したら、俺と父さんが食べるからさ」
「うん」
うにゅほにとっては、ありがた迷惑な夕食であったに違いない。
難しいものだ。
-
以上、七年八ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
やい!犯罪者予備軍!
てめぇ人様だけには迷惑かけるなよ
-
2019年8月1日(木)
「暑い……」
「えっ」
うにゅほが目をぱちくりさせる。
「いま、にじゅうろくど……」
「そうなんだけど」
ここ数日の酷暑に負けて、エアコンをつけっぱなしにしている。
涼しい。
そのはずだ。
だが、
「……扇風機つけるわ」
爪先を伸ばし、扇風機の微風ボタンを押すと、涼やかな風が全身を撫で始めた。
「そんなにあついの」
「よくわからんけど、暑い」
「だいじょぶ……?」
「大丈夫だと思う。熱中症ではないだろうし」
「ちがうの?」
「熱中症はむしろ、体温が上がりすぎて寒気が出るものらしいから」
「そなんだ……」
シャツの襟元をパタパタと動かし、内側にまで風を送る。
「でも、この暑さは異常だなあ……」
「◯◯、あたまだして」
「はい」
うにゅほが俺の額に手を当てる。
「あついきーする……」
「風邪かな」
「──…………」
すんすん。
俺の首筋に鼻先を埋め、小さく鼻を鳴らす。
「ちがうきーする」
「風邪の匂い、しないか」
「しない」
「じゃあ、なんだろ」
「わかんない……」
体調は、決して悪くない。
ただただ体が暑いだけだ。
「わかんないけど、やすんだほういいよ」
「……そうだな」
変な病気だったら困るし。
「日記書いたら、すぐ寝るわ」
「うん」
いつも深夜まで起きている俺だが、今日ばかりは早く寝ることにしよう。
おやすみなさい。
-
2019年8月2日(金)
ふと、ある疑問が脳裏をよぎった。
「××」
「はーい」
「腕見せて」
「?」
小首をかしげながらも、うにゅほがこちらへ右腕を差し出してくれる。
「──…………」
その腕をさらりと撫でて、
「足見せて」
「あし」
すこし戸惑いながら、うにゅほが左足を持ち上げてみせる。
「──…………」
ハーフパンツから伸びる細い足を、じっと観察する。
やはりだ。
「××、ムダ毛ないよな」
「うん」
「見てないとこで処理してるの?」
「してないよ?」
「単純に生えないのか」
「ゆびのけー、たまにはえる」
「あー、前言ってたな」
「ここだけぬく」
世の女性から白い目で見られそうな体質である。
「じゃあ、腋見せて」
「わき?」
「生えてないのは知ってるけど、よく見たことなかったから」
「うん」
うにゅほが左腕を上げ、短い袖を下へとずらす。
毛穴すら見当たらない、つるつるの腋がそこにあった。
「──…………」
なんだか、いけないことをしている気分だ。
「こちょこちょー!」
「あひ!」
「世の女性たちの恨み!」
「うひ、あひゃはひひひ! やめへー!」
誤魔化すように腋を思うさまくすぐったのち、うにゅほを解放する。
「ひー……」
「俺も、スネ毛とか欲しくなかったなあ」
「◯◯、すねげ、すごいもんね」
「スネ以外にはあんまり生えてないんだけど……」
「へんなの」
「変で悪かったな!」
うにゅほの脇腹をくすぐる。
「うひや!」
またひとつ、知られざるうにゅほの生態を白日の下に晒してしまった。
日記を公開することに関しては本人の了解を得ているので、特に問題はありません。
-
2019年8月3日(土)
今日は、友人と、日帰りでツーリングに出掛けていた。
都合がどうしてもつかなかったため、うにゅほはお留守番である。
朝の八時半に出発し、帰宅したのは午後十時。
総走行距離は223kmだった。
「ただいまー……」
疲労困憊で玄関の扉を開くと、どたばたとした足音が俺を出迎えた。
「おか──」
おかえり。
そう言おうとしたうにゅほが、息を呑む。
「……◯◯、かおとくびまっか!」
「あー」
襟首に手を当てる。
熱い。
「日焼けしちゃった……」
首元の大きく開いたシャツを着て行ったのが間違いだった。
「だ、だいじょぶ……?」
「痛くはないよ」
「ほんと?」
「ただ、熱は持ってる。直射日光、ずっと浴びてたからな……」
「◯◯、しゃがんで」
「ああ」
うにゅほの眼前で、膝を折る。
「さわっていい?」
「いいよ」
うにゅほの小さな手のひらが、日に焼けた首筋を這い回る。
すこしくすぐったい。
「あつい……」
「変な焼け方しちゃったなあ」
「◯◯、おふろはいったら、ひえぴたはろ」
「そうしようか……」
「いたいとおもうから、おふろでこすったらだめだよ」
「わかった」
素直に頷く。
「××、行けなくて正解だったかもな……」
「うん……」
うにゅほが、複雑な表情で頷く。
「ちょっとだけ、そんなきーする」
「やっぱ、車がいちばんだよ。エアコンあるし、音楽聞けるし」
「そんなきもする……」
誤解のないよう言っておくと、ツーリング自体はとても楽しかった。
それだけに、日焼け止めクリームの大切さを痛感した一日だった。
-
2019年8月4日(日)
「ぎ、うぎぎ……」
全身がギシギシと軋む。
激しい筋肉痛に、階段を普通に下りることすらままならない。
一段一段確かめるように踏み板に体重を預けていく俺の顔を、うにゅほがそっと覗き込む。
「◯◯、だいじょぶ……?」
「大丈夫、大丈夫」
「バイク、ひさしぶりにのったからかなあ……」
「いや」
日焼けした首元がシャツの襟と擦れるのを気にしながら、小さく首を横に振る。
「島武意海岸と、神威岬に行ったんだよ」
「しまむい……」
「随分前だけど、一緒に行ったろ。高さ数十メートルの崖に作られた九十九折の階段を下りていくやつ」
「あ!」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「いったきーする!」
「行ったんだよ」
後ほど日記で確認したところ、実に六年も前の出来事だった。※1
記憶が曖昧になるのも仕方のないことだろう。
「神威岬は、たしか、遊歩道の入口までしか行かなかったんだよな。時間がなくて」
「そだっけ」
「あの遊歩道、アップダウンが激しくてなあ……」
「あー」
うにゅほが、納得したように頷く。
「だから、きんにくつうなんだ」
「そうそう」
「ひやけもいたいし……」
「全身ボロボロだよ」
「ひえぴたと、しっぷ、はる?」
「いや、いいかな。焼け石に水だ」
「そか……」
そんな会話を交わしながら、なんとか階下へ辿り着く。
「……風呂入るの、憂鬱だなあ」
「しみるかも」
「湯船に浸かるの、やめとこうかな」
「それがいいとおもう」
「そうしよう」
脱衣所へ向かおうとして、ふと気付く。
「……あ、バスタオル忘れた」
「とってくるね」
「ありがとう……」
うにゅほの介護が心に沁みる。
連れて行くことができなかった件もあるし、なにか埋め合わせをしなければ。
※1 2013年9月23日(月)参照
-
2019年8月5日(月)
両親が、新しい冷蔵庫を購入した。
十年選手だった以前の冷蔵庫が運び出されていくのを見送ったのち、取り出してあった中身を新しい冷蔵庫へと移し替えていく。
「◯◯、◯◯!」
「んー」
「ここさわったらひらく!」
うにゅほが、冷蔵室の扉の下部に触れる。
すると、両開きの扉の左側が自動的に開いた。
「すごいね!」
「──…………」
冷静に考えて、その機能は必要なのだろうか。
普通に開けばいいのではないか。
そんなことを思いながらも、
「ああ、すごいな!」
と、調子を合わせる俺だった。
新しい冷蔵庫は以前のものより大容量で、賞味期限切れの食料を処分したことを計算に入れたとしても、想像以上にスペースに余裕があった。
「こりゃたくさん入るわ……」
「ベジータ、すごいねえ」
「──…………」
なんだろう。
唐突に、場にそぐわない単語が耳朶を打ったような。
「……ベジータ?」
「うん」
「サイヤ人の?」
「うん?」
「すぐ調子乗る……」
「あ、おなじなまえだね」
その言葉を聞いて、思い出す。
「……そういえば、ベジータって名前の冷蔵庫がどっかから出てた気がする」
「うん、これ」
「これ、ベジータだったのか」
「そだよ」
「ベジタブルのベジータなんだろうな」
「たぶん……」
「ドラゴンボールとコラボしてたりして」
「まさかー」
冗談で言ったのだが、あとで調べたら、普通にコラボしていた。
まさか、コラボありきの命名だったりしないよな。
ないとは言い切れないのが恐ろしい。
-
2019年8月6日(火)
自室でくつろいでいた際、ふと右手首にくすぐったさを覚えた。
「……?」
手首に視線を落とすと、一匹の羽虫が這い回っていた。
「おあ!」
──パチン!
反射的に、右手首を平手で叩く。
羽虫の潰れる嫌な感触に、思わず背筋を震わせる。
「わ、どしたの?」
「いや、虫がいて……」
恐る恐る、手を離す。
羽虫は、まだ辛うじて生きていた。
「──アリだ」
「えっ」
「羽アリだ。羽のあるアリ」
「あり……」
うにゅほの顔から血の気が引く。
アリは不味い。
アリだけは不味い。
社会性昆虫であるアリは、フェロモンで仲間を誘導する。
アリの群れに侵入されるくらいなら、ハチに狙われたほうが幾分かマシである。
「……いや、羽アリ?」
手首の上でフラフラしている羽アリをティッシュでくるみ、観察する。
「シロアリ──では、ないな」
「しろあり?」
「木材を食べるヤバいアリ。基礎を食べられたら、家が脆くなる」
「うえー……」
うにゅほが眉をひそめる。
「見たところ普通のクロアリだから、その心配はないけど」
「でも、ありはあり……」
「羽アリということは、飛んできたわけだ。ここは二階だし」
「うん……」
「飛んできたなら、フェロモンで道は作れない」
「あ」
うにゅほが目をまるくする。
「たぶん、たまたま迷い込んできただけだよ」
「そか!」
安心したように、うにゅほが笑みを浮かべる。
だが、これはあくまで願望に過ぎない。
羽アリが歩いてきた可能性だって、否定はできないのだ。
「──…………」
ティッシュを丸めて潰しながら、いずれ訪れるかもしれないアリとの戦いの日々に思いを馳せるのだった。
-
2019年8月7日(水)
七夕である。
とは言え、何をするわけでもない。
うにゅほに至っては、
「◯◯、◯◯!」
「うん?」
「きょう、かくじつにはなのひ……」
事程左様である。
「フラワーの日? ノーズの日?」
「どっちもかなあ」
「バナナの日、という可能性もあるぞ」
「ある!」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ごろあわせ、ほかにもあるきーする」
「ハ、パ、バ、ヤ、ハチ──」
読み方のパターンを模索していると、
「あ!」
うにゅほが、はっと息を飲んだ。
「やしちのひ……」
「風車の弥七?」
「そう」
「最近、母さんと一緒に水戸黄門ばっか見てるもんな」
「みとこうもん、おもしろいよ」
「わかるけど」
渋い趣味である。
「あと、パナマの日とか」
「パナマうんが?」
「パナマ運河のパナマ」
「あ、パナソニックのひ」
「あー」
「いいでしょ」
あるかどうかは知らないが、いかにもありそうな記念日である。
「パナがいいなら、ハナからも発展しそうだな」
「はなびのひ?」
「花火の日は、たしか別にあった気がする」
「じきてきにも、いいとおもったんだけどなあ」
「いつだっけな」
花火の日を検索すると、5月28日だった。
「えー……」
うにゅほが不満そうな顔をする。
「きょうのがいいとおもう」
「歴史があるから仕方ないよ。1733年の両国川開きの花火が由来らしいから」
そこらの企業が適当に作った記念日とは違うのだ。
「しかたないかー……」
「仕方ない、仕方ない」
七夕とは無縁の会話をしながら、今日も仲良く過ごすのだった。
-
2019年8月8日(木)
「──…………」
うにゅほが、物憂げな表情で、窓から外を眺めている。
「あめだねえ……」
「雨だなあ」
「むしむしするねえ……」
「湿度、71%か」
「たかい」
「雨の日は、やっぱ高いな」
「じょしつする?」
「冷房か、除湿か、それが問題だ」
「いまは?」
「冷房」
「うーん……」
襟元をパタパタさせながら、うにゅほが不満を漏らす。
「むしむし、やだな……」
「除湿にするか」
「うん」
本日の最高気温は24℃だ。
そもそも冷房が必要な気候ではない。
「エアコン、すごいね。あっためるし、ひやせるし、じょしつできるし」
「たしかに……」
言われてみれば多機能だ。
「あっためるの、でんき?」
「たぶん」
「ひやすのは?」
「気化熱を利用してるんだと思う」
「きかねつ……」
「液体は、蒸発するときに、周囲から熱を奪う。汗が乾くときに涼しくなるのと同じ原理だな」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「じゃあ、じょしつは?」
「──…………」
思わず口をつぐむ。
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ちょっと、よくわからない……」
「◯◯でもわかんないんだ」
「……なんでも知ってるわけじゃないからな?」
「そだけど」
うにゅほの中で、俺は、相当な物知りということになっているらしい。
そのイメージを撤回したいような、壊したくないような。
-
2019年8月9日(金)
「──よし」
今日の仕事を終え、立ち上がる。
「夏休みだー!」
「わー!」
ぱちぱちぱち。
うにゅほが、惜しみのない拍手を送ってくれる。
「おつかれさまでした!」
「ありがとうございます」
「なつやすみ、いつまで?」
「15日かな」
「ちょっとみじかいねえ……」
「でも、16日だけ仕事すれば、すぐ土日だから」
「あ、そか」
「あいだに一日挟むけど、実質九連休みたいなもんかな」
「ね、ね、なにする?」
「うーん……」
思案する。
「こないだツーリング連れてけなかったし、遠出するのもアリだな」
「どこいく?」
「××、行きたい場所ある? 島武意海岸と神威岬以外で」
「いがい……」
「……また筋肉痛になるから」※1
「あー」
「どうしてもって言うなら、そこでもいいけど」
「どうしても、ではない」
「じゃあ、別の場所にしよう」
「でも、わたし、あんまばしょしらない……」
「食べたいものとか、したいこととか、そういうのでもいいぞ」
「おすし」
即答だった。
「回らない寿司とか?」
「まわるおすしでいい……」
「高いから?」
「たかいのもあるけど、なんか、きんちょうする」
「あー」
このあいだ、うなぎを食べに行ったときも、すこし居心地悪そうにしていたものな。※2
「じゃあ、回転寿司でいいか。ぜんぜん遠出じゃないけど」
「うん!」
なるべく混んでいない日を狙って行こう。
※1 2019年8月4日(日)参照
※2 2019年7月31日(水)参照
-
2019年8月10日(土)
夏休み、初日。
くつろぎながらブラウジングに興じていると、うにゅほが俺の首筋に触れた。
思わず振り返る。
「どした?」
「ん、ごみついてた」
「そっか、ありがとな」
「……?」
うにゅほが、俺の着ていたシャツの襟首をめくる。
そして、
「わ」
と、小さく声を漏らした。
「かわむけてる……」
「えっ」
「◯◯、ひやけしたとこ、かわむけてる」
「マジで」
卓上鏡を手に、首筋を確認する。
「本当だ……」
カンカン照りの日帰りツーリングから早一週間。
たしかに剥ける時期である。
「日に焼けて皮が剥けるなんて、何年ぶりだろ」
「ね、ね、むいていい?」
「あー」
どうしようかな。
肌によくないと聞いたことがあるが、放置してボロボロ落ちるのも汚らしい。
「じゃあ、すこしだけな」
「はーい」
ぺり。
ぺりぺりぺり。
いつか聞いた音が耳朶を打つ。
「おー……」
「楽しそうですね」
「たのしい」
「なら、日焼けした甲斐があったよ」
「あ、おっきいのむけた!」
「そっか」
「うへー……」
もう夢中である。
人の皮を剥くのって、そんなに楽しいのだろうか。
「……××、ちょっと日焼けしてみない?」
「えー」
嫌がられてしまった。
日焼けしたうにゅほも見てみたいものだが、致し方あるまい。
「かわで、たまできた」
「捨てなさい」
「はーい」
ゴミ箱に捨てられた皮の塊を見て、ほんのすこしだけノスタルジーに浸る俺だった。
-
2019年8月11日(日)
夏休み、二日目。
うにゅほのリクエスト通り、回転寿司のトリトンへと赴いた。
だが、
「……一時間待ちかあ」
昼食時を外したとは言え、夏休み中の混雑を甘く見ていた。
「でも、くるまでまてるの、いいね」
店員に渡された受信機を手で弄びながら、うにゅほがのんびりとそう言った。
順番が来たらブザーが鳴る仕組みらしい。
「今日、曇っててよかったな。晴れてたらバイクで来るつもりだったから」
「なかでまちたくないもんね……」
運転席のシートを倒し、横になる。
「しかし、暇だな」
「ひまだねー」
「車でできる暇潰しって、なんだろ」
「おはなす」
「いましてるな」
「テレビみる?」
「昼間だろ。見るものあるかな」
「ラジオきく」
「せっかくふたりで出掛けてるのに、無言もなあ」
「おはなす……」
「一周したな」
「◯◯、もんくばっかし」
「ごめんごめん」
「なにするか、かんがえて」
「話す」
「いましてる……」
「テレビを見る」
「みるものないよ」
「ラジオは?」
「ふたりでいるのに、むごん、さみしい」
「××は文句ばっかりだなあ」
「ごめんなさい」
「じゃあ、何するか考えて」
「おはなす」
「いましてるな」
「テレビみる──」
この無限ループで、五分ほど潰すことができた。
「……さすがに飽きてきた」
「えー」
まだやりたいらしい。
「まあ、でも、話してればすぐだな」
「うん、すぐ」
事実、うにゅほといて退屈したことはない。
話すことは尽きないし、黙っていても息が詰まらない。
しばし雑談に興じていると、ブザーが鳴った。
「──あれ、もう一時間?」
腕時計で時刻を確認する。
まだ三十分ほどしか経過していなかった。
「はやかったね」
「客の捌けが良かったのかな」
ともあれ、早く入れるに越したことはない。
「何から食べる?」
「ホタテ!」
「ホタテ好きだなあ」
「うん!」
トリトンのネタは新鮮で、相変わらず美味しかった。
また、ふたりで来よう。
-
2019年8月12日(月)
「あちー……」
「はちーねえ……」
烏龍茶で水分補給を行いながら、温湿度計を覗き込む。
室温、30.2℃
湿度、61%
「……いくら涼しくなったとは言え、エアコンなしで窓閉め切るのは無理があったか」
「うん……」
「でも、虫入るから窓開けたくないしな」
「エアコンつける?」
「エアコンに頼りすぎてる感がしないではない」
「しないではない」
しばし思案し、
「──よし、今日は扇風機でしのぐ」
「おー」
「エアコンが来るまで、ずっと、扇風機だけで過ごしてきたんだ。扇風機の力を信じよう」
「びふう?」
「微風にしよう。物が飛ぶし」
「はーい」
ぽち。
うにゅほが扇風機のボタンを押すと、ファンが回転し、生ぬるい風を起こし始めた。
「はー……」
さほど涼しくもないが、ないよりましだ。
「うしょ、と」
おもむろに立ち上がったうにゅほが、俺の膝に腰掛ける。
「ほー……」
そよそよと、うにゅほの髪が風になびく。
「××さん」
「はい」
「暑いんですが」
「だって、かぜこない……」
たしかに。
「首振りにするのは?」
「あれ、かぜこないとき、もっとあついきーする」
わかる。
「でも、これじゃ余計に暑いな……」
「エアコンつける?」
「──…………」
「──……」
「……そうするか」
「うん」
エアコンをつけて、扇風機もつけて、ふたりでくっつき合う。
とんでもない贅沢をしている気がするのだった。
-
2019年8月13日(火)
「うーん……」
マウスホイールを上下に回しながら、呟く。
「効きが悪い気がする」
「まうす?」
「そう」
「こわれた?」
「わからない。壊れかけ、かも」
「ぷしゅーする?」
「ぷしゅー?」
「まえ、ぷしゅーってごみとった」
「あー」
以前、マウスホイールの調子が悪くなった際、芯の部分に絡まったゴミをエアダスターで吹き飛ばしたのだった。※1
「今回も、同じ原因かもしれないもんな」
「うん」
「××、やってみる?」
「やるー」
置き物と化していたエアダスターを取り、うにゅほに手渡す。
「はい、マウスも」
「ここのすきま、ぷしゅーすればいいの?」
「お願いします」
「おねがいされます」
うにゅほが、エアダスターの噴射口をマウスホイールに押し当て、
「ぷしゅー!」
と、高圧ガスを発射した。
「あ、なんかでた」
「ホコリ出た?」
「うん」
「じゃあ、直った──か、な……」
ふとディスプレイに視線を移した瞬間、頭の中が真っ白になった。
「あ、えっちっちーだ」
「えっちっちーですね……」
マウスホイールの回転によってブラウザのタブが切り替わり、出しっぱなしにしてあったアダルトサイトが表示されてしまったらしい。
「……これは見なかったことに」
「はーい」
鷹揚な笑みを浮かべ、うにゅほが頷く。
アダルトサイトを閉じ、マウスホイールの調子を確かめる。
「うん、大丈夫みたい」
「よかった」
「ありがとな」
「うん」
これで、またしばらく持つだろう。
お気に入りのマウスだし、なるべく長く使いたいものだ。
※1 2018年8月13日(月)参照
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2019年8月14日(水)
今日は、父方の墓参りだった。
三時間かけて菩提寺へ向かい、諸用を済ませたのち、懇意にしているメロン農家を訪れた。
「うー……」
水腹を撫でながら、田舎道を歩く。
「……メロン、食べ過ぎた」
「どんどんきってくれるんだもんね……」
「俺、ひとりで、半玉くらい食べた気がする」
「そうかも……」
メロン半玉。
普通に生活していれば、食べる機会もそうはない。
「──あ、うまみえてきた!」
「おー」
両親の長話が始まってしまったため、車の中から見えていた馬場を目指して歩いていたのだった。
「ごひきいる」
「五頭な」
「ごとういる」
五頭の馬が、のどかに草を食んでいる。
「おっきいねえ……」
「草しか食べないのに、どうしてあんなに大きくなるんだろうな」
「ふしぎ」
スマホで馬を撮影していると、
「あ、こっちきた」
「物珍しいのかな」
一頭の馬が、草を食みながら、こちらへと近付いてきた。
「……他のも来た」
「わー……」
五頭中四頭が、おもむろに距離を詰め始める。
すこし気圧される光景だ。
「人懐っこい──の、かな?」
「──…………」
うにゅほが、俺のシャツの裾を握る。
怯えているらしい。
「かまないかな……」
「ほら、草食動物だし」
「そだけど」
やがて、そのうちの一頭が、柵の隙間から頭を出した。
「わ」
「撫でてみるか」
栗毛の馬の肩に触れる。
──ぶるるッ!
「おー……」
触れた部分の皮膚が、ぶるりと震えた。
「××も触ってみ」
「こわい」
「つついてみ」
「──…………」
つん。
──ぶるるッ!
「わあ!」
「ははっ!」
「すーごいぶるぶるした……」
「面白いな」
「おこってないかな」
「草食べてるし、怒ってないだろ」
そんな会話をしていると、
──ぼた!
「あ、うんこした」
「無造作にするなあ……」
まさか、こんなところで馬と触れ合えるとは思わなかった。
例年より早く帰宅することができたし、来年もこんな墓参りであることを願いたい。
-
2019年8月15日(木)
小腹が空いたので冷蔵庫を漁っていると、紀文の糖質0g麺が出てきた。
「あー、こんなのあったなあ」
糖質制限ダイエット御用達の一品だ。
味は悪くはないものの、取り立てて美味しくもない。
だが、小腹を満たすにはちょうどいい。
パッケージを破ろうとしたところ、うにゅほが呟くように言った。
「しょうみきげん、だいじょぶかな……」
「賞味期限?」
「なんか、ずっとあったから」
「あー」
言われてみれば、いつ購入したのか記憶がない。
パッケージを裏返して賞味期限を確認してみると、
「……7月13日」
「やっぱし……」
一ヶ月も過ぎていた。
「これ、すてたほういいね」
「いや、賞味期限だろ。消費期限じゃなくて。なら、一ヶ月くらい大丈夫なんじゃないか」
「そかなー……」
賞味期限は、美味しく食べられる期限。
消費期限は、安全に食べられる期限を保証するものだ。
賞味期限が一ヶ月過ぎた程度なら、腹を壊すこともないだろう。
糖質0g麺のパッケージを開き、水を切る。
「──…………」
ふと、麺がぬるついた気がして、手の匂いを嗅いでみた。
「……なんか、すっぱい」
「てーかして」
すんすん。
「すっぱい……」
「これ、危ないかな」
「あぶないとおもう……」
「だよな……」
いくら小腹が空いているとは言え、あからさまにヤバそうなものをがっつくほど飢えてはいない。
パッケージと麺をコンビニ袋に入れ、厳重に縛る。
「二重にしとくか」
「うん」
「……賞味期限、もっと気にしたほうがいいな」
「そうしてね」
「はい……」
二、三日ならともかく、一ヶ月は、いくら賞味期限でもダメらしい。
腹を壊す前に気づけてよかった。
-
以上、七年九ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
2019年8月16日(金)
「◯◯、◯◯」
「んー?」
一週間ぶりの仕事をこなしていると、うにゅほが仕事部屋へやってきた。
「ベトナムのおかしもらった」
「ベトナムの」
「たべよ」
「了解。では、休憩にしましょう」
「そうしましょう」
仕事部屋を出て、リビングのソファに腰掛ける。
「ベトナムのお菓子って、どんなの?」
「これ」
うにゅほが差し出したのは、幾つかの赤い小袋だった。
いずれにも文字らしきものは記されていない。
「なんだろ、これ。チョコ?」
「わかんない……」
「開けてみよう」
小袋を破る。
すると、黄色い板状のものが姿を現した。
「チョコ──では、ないな」
「なんだろ……」
すんすん。
「匂いも特にしない」
「うん」
「──…………」
そっと口へ運んでみる。
「……甘い」
「おいしい?」
「これ、たぶん芋だな。芋ようかんみたいな風味がある」
「おいしそう」
「味は、まあ、悪くない。けど……」
「けど?」
「……ぜんぜん溶けない。ずっと口に残る」
「ひとくち」
「はい」
うにゅほが、差し出した菓子を食む。
「──…………」
「──……」
「とけない……」
「だろ」
「でも、あじはおいしい」
「牛乳で流し込もう」
「そだね」
商品名すらわからないお菓子だが、これだけは確実に言える。
喉が渇いているときには、決して食べてはいけない。
-
2019年8月17日(土)
「──…………」
暇だった。
「××ー」
「はーい?」
「じゃーん、けーん」
「わ」
「ほ!」
「ほい!」
俺が、グー。
うにゅほが、パー。
「かった……」
「負けた」
「これ、なんのじゃんけん?」
「なんのでもないけど」
「なんのでもないの……」
「暇だったから」
「そか」
「じゃーん、けーん」
「わ」
「ほ!」
「しょ!」
俺が、パー。
うにゅほが、チョキ。
「また負けた」
「うへー」
うにゅほが得意げに微笑む。
「じゃーん、けーん」
「しょ!」
「ほ!」
俺が、パー。
うにゅほが、グー。
「勝った」
「まけたー」
「じゃ、命令な」
「?」
「実は、最後のじゃんけんだけ、負けた人が勝った人の言うことを聞かなければならないルールだったんだ」
「えー!」
「言い忘れてた」
「ずるいやつだ……」
「人生、そういうこともある」
「めいれい、なに?」
あ、聞いてくれるんだ。
「うーん、マッサージがいいかなあ」
特に考えてなかったし。
「まっさーじでいいの?」
「うん」
「じゃんけんしなくても、するのに」
「──…………」
なんだかもったいない気がしてきた。
しかし、わざわざ命令しなければいけないようなことは、特に思い浮かばない。
「……やっぱり、マッサージで」
「はーい」
誘眠効果のあるうにゅほのふわふわマッサージにより、意識を十五分ほど飛ばされる俺だった。
-
2019年8月18日(日)
「夏休み気分最後の日、か……」
俺の言葉に、うにゅほが小首をかしげる。
「きぶん?」
「平日挟んだから」
「あー」
「小学校とか中学校も、そろそろ新学期かな」
「はつかからだって」
「そうなんだ」
「うん」
「夏も、もうすぐ終わりだ」
「そだね……」
「やり残したことある?」
「やりのこしたこと……」
「花火──は、まあ、したか。夏祭りのときに」
「たのしかった!」
「ちょっとボリュームは足りなかったけど、ふたりだけならあんなもんだよな」
「おっきいの、たかいし、おわらないよ」
「たしかに」
「はかまいりいったしー」
「うん」
「メロンたべたしー」
「うん」
「うまみた」
「近くで見るとでかかったな、馬」
「うんこしてたね」
「……よほど印象深かったんだな、それ」
「?」
馬の話題になるたび言っている気がする。
「しかし、今年は暑かったな……」
「あつかった……」
「エアコン大活躍だ」
「でんきだい、だいじょぶかな……」
「他の部屋も似たような有り様だから、ひどいことになってそう」
「うー」
「でも、熱中症になるよりましだろ」
「それは、うん」
「どっかで見たんだけど、熱中症で入院すると八万円くらいかかるらしい」
「はちまん!」
「変にケチらないほうが、結果的には安上がりってことさ」
「そだね……」
L字デスクに頬杖をつきながら、尋ねる。
「今年の夏は、楽しかった?」
「うん!」
うにゅほが、笑顔で頷いた。
「そっか」
俺も笑顔を返す。
秋も、冬も、楽しんでいこう。
-
2019年8月19日(月)
「──…………」
体重計の数値を見て、思わず渋い顔になる。
「夏休みのせいで、だいぶ戻ったな……」
「ふとった?」
「体脂肪率は下がってるから、一概に太ったとも言い切れないけど」
「きんとれ、がんばってるもんね」
「かなり筋肉ついてきた」
そう言って、力こぶを作ってみせる。
「おー……」
ぺたぺた。
うにゅほが二の腕に触れる。
「かたい」
「足はもっとヤバいぞ」
右足に、グッと力を込める。
ぺたぺた。
「かたい!」
「だろ」
「ふとい……」
うにゅほの小さな手のひらが、俺の太ももを這い回る。
くすぐったい。
「昔から太くてな。測ったことないけど、××のウエストくらいあるかも」
「うひえ……」
「競輪選手とかには、さすがに負けるけどな」
「ぜんぶきんにく?」
「全部ではないと思う」
「たって、たって」
「?」
チェアから腰を上げると、うにゅほが俺の臀部に触れた。
さわさわ。
むにむに。
「◯◯、おしりもおっきいねえ」
「──…………」
グッ。
「おしりかたい!」
「足の太さとケツのでかさで、入るズボンが少ないのがネックだ」
「なんで、おっきいんだろうね」
俺が知りたい。
「ともあれ、食生活をタンパク質偏重に戻さないと」
「むりしないでね」
「一時期やってた断食よりましだろ」
「うん」
今回は健康的に痩せるのだ。
どうしてか、肉体がボディビルダーめいてきている気がするけれど。
-
2019年8月20日(火)
しとしと、しとしと。
「──…………」
雨に煙る住宅街を横目に、そっと息を吐く。
体調が悪い。
頭痛も、だるさも、気圧の下降と無関係ではあるまい。
「◯◯、みずのむ?」
「飲む……」
上体を起こし、うにゅほからグラスを受け取る。
よく冷えた水が喉に心地よい。
「だいじょぶ?」
「大丈夫──ではないけど、まあ、だんだん良くはなってきてる」
「あめ、ゆうがたやむって」
「そっか」
「ぐあい、よくなるかな」
「──…………」
グラスを返す。
「ごめんな、心配かけて……」
「ううん」
うにゅほが、首を横に振る。
「◯◯、わるくない。ていきあつがわるい」
「低気圧が……」
「うん」
「でも、来ないと、雨降らないし。それは農家が困るだろ」
「いきなりくるから、だめ。ゆっくりきたらいいのに」
「あー」
もっともだ。
ゆっくり来てくれれば、体調が悪化する前に体が慣れるかもしれない。
「……××、ちょっと手貸して」
「うん」
差し出された小さな手を取る。
「××の手、冷たいな」
「◯◯のてー、あつい」
「繋いでたら、ちょうどよくなるかな」
「うん」
うにゅほがベッドに腰掛ける。
「ねるまで、てーつないでるね」
「……ありがとう」
隣に誰かがいてくれることが、こんなにも心強い。
夕刻、雨が止むと共に体調が回復し、残りの仕事をこなすことができた。
うにゅほが病気のときは、思いきり労ってあげようと思った。
-
2019年8月21日(水)
「──…………」
"波"が来たのは、仕事の最中のことだった。
「あー……」
仕事部屋の天井を見上げ、ぽつりと呟く。
「死にたい」
「!?」
傍で読書に耽っていたうにゅほが、はっと顔を上げた。
「しんだらだめ!」
「あ、いや」
「しんだらだめだよ……」
「死なない、死なない」
慌てて首を横に振る。
「なんか、思い出したくないこと思い出すと、口をついて出ると言いますか……」
「おもいだしたくないこと?」
「黒歴史、みたいな」
「くろれきし……」
「××は、ない? 思い出すと恥ずかしくなること」
「うーと」
しばしの思案ののち、
「……ある」
「どんなの?」
「──…………」
うにゅほが、俺にそっと耳打ちする。
内容は秘する。
「はずかしい……」
「わかるけど、それは単に恥ずかしかった思い出だろ」
「ちがうの?」
「ちょっと違う。当時は何も感じなかったけど、いま思い返すと恥ずかしいのが、いわゆる黒歴史」
「じゃあ、◯◯、なにおもいだしたの?」
「──…………」
うにゅほに、そっと耳打ちをする。
内容は秘する。
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「それ、はずかしいの?」
「……調子こいてたというか、世間知らずだったというか。ほんと、なんであんなこと言っちゃったんだろ……」
「あいてのひと、おぼえてないとおもう」
「そうなんだけど……」
それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
布団の上でクロールしたくなるのだ。
「……仕事しよ、仕事。忘れよ」
「うん」
だが、こうして日記に起こしている時点で、忘れられていないのである。
任意の記憶を消す道具が欲しい。
-
2019年8月22日(木)
「……あー、まただ」
入力した文章を、バックスペースキーで削除していく。
「?」
俺の独り言を聞きつけたのか、うにゅほがディスプレイを覗き込んだ。
「どしたの?」
「最近──でもないけど、変なタイプミスが多くてさ」
「へんなの?」
「例えば、"ありがとう"って入力するとするだろ」
「うん」
「普通は、"ありあとう"とか、"ありふぁとう"みたいな誤入力が多い」
「そなんだ」
「理由はわかる?」
うにゅほが首を横に振る。
「キーボードは、基本的にローマ字入力なんだよ」
「うん」
「"ありあとう"の場合は、Gを打ち損なって。"ありふぁとう"の場合は、Gの隣にあるFを間違ってタイピングしてる」
「あ、そか!」
実際にキーボードを打ちながら説明すると、うにゅほが深々と頷いた。
「◯◯、どんなたいぷみすするの?」
「"ありがとう"が、"ありかとう"みたいになる。濁点や半濁点が抜けるんだな」
「てんてん、つけわすれ?」
「ノートにペンで書くなら、ありがちなミスだろ」
「うん」
「でも、キーボードはローマ字入力だ。GとKは3キー離れてる。単純な打ち損ないじゃない」
「なんでだろ……」
「いちおう、仮説はある」
「どんなの?」
「意識したことはないけど、頭の中に文章があって、それを読みながらタイピングしていると仮定する」
「うん」
「そのとき、頭の中の文字の濁点を、見落として、る、とか……」
言ってて自信がなくなってきた。
「あたまのなかのもじ……」
「我ながら意味がわからないけど、筋の通る理由が他に思い浮かばなくて」
「うーん」
しばしの思案ののち、うにゅほが口を開いた。
「ありえなくもない」
「そう?」
「◯◯、あたまのなか、もじいっぱいありそう」
なんだそのイメージ。
いずれにしても、タイプミスには気をつけよう。
-
2019年8月23日(金)
「──…………」
す。
うにゅほの眼前に、人差し指を突きつける。
「?」
うにゅほが目をぱちくりさせる。
「──…………」
くるくる。
トンボを捕まえるときにするように、指先を回してみる。
「めーまわらないよ?」
「知ってる」
「どしたの?」
「どんな反応するのかなって」
「ひまなの?」
「暇」
「なんかしてあそぶ?」
「遊ぼう」
「うん」
「何する?」
「うーと──」
思案ののち、うにゅほが申し訳なさそうに口を開く。
「おもいつかない……」
「なんか対戦する?」
「わたし、よわいもん」
「あー」
「◯◯、ゲームするとこ、みるほうがすき」
「そっか……」
どうしようかな。
俺がゲームをするだけだと、一緒に遊んでる感が薄いのだけど。
「さいきん、あれしないね」
「どれ?」
「おとげー」
「Muse Dashか」
「それ」
「DLC含め全曲プレイしたし、キャラもCGもすべて開放しちゃったからなあ……」
「そなんだ……」
「見たいならやるけど」
「みたい」
うにゅほが、俺の膝に腰掛ける。
特等席だ。
うにゅほを抱きすくめるようにゲームパッドを持ちながら、しばしのあいだゲームに興じるのだった。
-
2019年8月24日(土)
「──……おはよう」
「おはよ!」
昼頃になってようやく目を覚ますと、うにゅほが元気よく挨拶を返してくれた。
洗面所で顔を洗い、自室へ戻る。
「きょうね、へんなゆめみたよ」
「おー」
うにゅほから夢の話を振ってくるのは珍しい。
「どんな夢?」
「うーとね、ゆめうらないあるしょ」
「あるな」
「ゆめうらないをね、ゆめのなかでするゆめ」
「……面白い」
「うへー」
俺の反応が期待通りだったのか、うにゅほが満足げに笑みを浮かべる。
「夢の中で夢を見たの?」
「うん」
「詳しく」
「◯◯がね、ゆめうらないするから、ねてっていったの」
「俺が……」
うにゅほの夢に、自分が登場している。
なんとなく嬉しい。
「ねなきゃーとおもってねたら、ゆめみたの」
「ほうほう」
「でも、ゆめのなかのゆめ、あんましおぼえてない……」
「まあ、仕方ないか」
普通の夢ですら、すぐに思い出せなくなるのだ。
こと二重夢となれば、言うに及ばないだろう。
「わたしが、こんなゆめみたーっていったら、◯◯がね、すごくいいゆめですっていったの」
「良い夢だったんだな」
「そんなきーする」
「そうなると、どんな夢だったか気になるな……」
「うん……」
「で、起きたのか」
「まだゆめみたきーするけど、そっちあんましおぼえてない」
「あるある」
「ね、ね、おもしろい?」
「うん、すごく面白い夢ですね」
「やた!」
「俺も、面白い夢見たいなあ」
「みたらおしえてね」
「真っ先に教えましょう」
「うん!」
夢の話は面白い。
もっと、つげ義春みたいな漫画家が増えればいいのに。
-
2019年8月25日(日)
ふと、温湿度計を覗き込む。
「だいぶ涼しくなってきたなあ」
と言っても、27℃はあるのだけれど。
「なつ、おわりだね」
「夏が終わると、冬が来るな」
「あき……」
「秋の印象、薄くてさ」
「みじかいもんね」
「えーと、八月末までが夏だろ」
「うん」
「雪が降ったら冬」
「うん」
「初雪って十一月の半ばくらいだから、北海道の秋は二ヶ月半……」
「あれ、あんましみじかくない?」
「本当だ」
北海道の秋は短いという先入観があったため、意外だった。
「うーと、ふゆ、さんがつまでだから──」
うにゅほが指折り数えていく。
「よんかげつはん、かな」
「さすがに長いな」
「ながい……」
「春は、四月、五月、六月で三ヶ月だろ。梅雨ないし」
「うん」
「で、夏は、七月と八月……」
「みじかい!」
「夏のほうが短かったのか」
そう感じないのは、際立った暑さや多くのイベントなどで、密度の濃い日々を送ってきたからだろう。
「秋の印象が薄いのって、特に何もないからかな」
「そうかも……」
「春は、雪解け。待ち望んでいたものだから、記憶に残る」
「あと、さくら!」
「桜もだな」
「なつは、あついし、おまつりあるし」
「お盆の墓参りも、夏のイベントだ」
「ふゆは、ゆきかき!」
「お正月」
「あと、◯◯のたんじょうび」
その言葉に、秋の大イベントをひとつ思い出す。
「秋と言えば、××の誕生日だったな」
「あ、そだね」
「プレゼント、考えておかないと」
「たのしみ」
しかし、秋は本当にイベントが少ない。
読書の秋、食欲の秋などと呼び習わすのは、忙しない夏を越えて、何もない期間が続くからかもしれない。
もっとも、農家は書き入れ時なのだろうけれど。
-
2019年8月26日(月)
仕事中、ふと手を止める。
「すげーどうでもいいこと思い出した」
「?」
仕事部屋を片付けていたうにゅほが、小首をかしげた。
「なにおもいだしたの?」
「……あまりにどうでもよすぎて、口にすることすら憚られる」
「えー……」
「忘れてくれ」
「きになる」
「本当にどうでもいいことだぞ」
「うん」
「話も膨らまないぞ」
「うん」
「仕方ない……」
居住まいを正し、口を開く。
「父さんと母さんの結婚記念日、覚えてるか?」
「うーと、さんがつの、にじゅういちにち」
「父さんの誕生日の翌日だよな」
「うん」
「子供のころ、結婚記念日の話題になったとき、適当に答えたら当たったことがある」
「しらなかったの?」
「誓って知らなかった」
「へえー」
「──…………」
「──……」
「ほら」
予想通りの反応だ。
「あ、でも、すごいとおもう。さんびゃくろくじゅうろくぶんのいち、だもんね」
「まあ、うん」
「れーてんさんぱーせんと、くらい?」
うにゅほが、頑張って、話を膨らませようとしてくれている。
いじらしい。
「ところで、40人のクラスに誕生日が同じ人がいる確率ってどのくらいか知ってる?」
「……さんびゃくろくじゅうろくぶんの、よんじゅうくらい?」
「正解は、90%」
「えー!」
話題を誕生日のパラドクスに逸らして、ほんのすこしだけ盛り上がったのだった。
-
2019年8月27日(火)
「──…………」
うと、うと。
「◯◯?」
「!」
「ねてた」
「寝てない寝てない」
「ほんと?」
「うとうとしてただけ」
「ねむいなら、ねたほういいよ」
「まあ、そうなんだけど」
「けど?」
「……寝ちゃダメな理由、あったっけ」
あったような、なかったような。
「ねたほういいよ」
「そうします」
いそいそとベッドへ向かう。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「三十分したら起こしてください」
「はーい」
うにゅほにそう告げて、アイマスクを装着する。
──三十分後、
「◯◯ー」
「──…………」
「さんじゅっぷん、たったよ」
「あと三十分……」
「はーい」
──更に三十分後、
「◯◯ー」
「──…………」
「もうさんじゅっぷん、たったよ」
「あと十分……」
「はーい」
──更に十分後、
「◯◯ー?」
「あと五分……」
「きょう、びょういんじゃなかったっけ」
「!」
飛び起きる。
時刻は、午後一時十五分。
予約は午後一時半。
「危ない……」
「まにあう?」
「ギリギリ」
時間厳守というわけではないが、なるべく遅れたくはない。
「なんで眠いの我慢してたか、ようやく思い出した……」
「ほら、かおあらって、ねぐせなおして」
「はい……」
五分で身支度を整え、なんとか予約に間に合ったのだった。
病院が近くてよかった。
-
2019年8月28日(水)
「──…………」
「わ」
起きてきた俺の顔を見て、うにゅほが小さく声を上げた。
「◯◯、ねないと!」
「いや、いま起きたばっか──」
「かがみみて!」
言われて、姿見を覗き込む。
「……うわ」
ひどい顔をしていた。
「──…………」
すんすん。
俺の胸に顔を埋め、うにゅほが鼻を鳴らす。
「かぜのにおい、しない」
「しないか」
「うん」
「てことは、低気圧だな……」
「あめだもんね……」
窓の外から、ざあざあと雨音が響く。
本降りだ。
「きゅうしゅう、あめ、すごいんだって」
「そうなんだ」
「みち、かわみたいだった」
「大変だな……」
「うん」
「──…………」
「──……」
「寝る」
「はい」
きびすを返し、ベッドに戻る。
アイマスクを装着し目を閉じると、気を失うように意識が途切れた。
仕事をこなせるまでに復調したのは、夕刻になってからのことだった。
いまもまだ、体調が悪い。
今日は早めに寝ることにする。
-
2019年8月29日(木)
起床と同時にカーテンを開く。
「晴れたー!」
起き上がることすらしんどかった昨日とは一転、体がとても軽かった。
「あ、おはよー」
「おはよう。良い天気だな」
「◯◯、きょうげんき」
「元気元気」
「よかったー」
うにゅほが、ほにゃりと相好を崩す。
「ご心配をおかけしまして……」
「いえいえ」
実際、うにゅほには、心配ばかり掛けている気がする。
もうすこし体が強ければと思うのだが、こればかりは筋肉を鍛えてもどうにもならないものらしい。
それはそれとして、
「……薄々思ってはいたんだけど、昨日、痛感したことがある」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「部屋の冷蔵庫、効きが悪くなってる」
「……あー」
「××だってお茶入れて飲んでるんだから、なんとなーくは気づいてたろ」
「うん、いわれてみれば」
「冷たい水を求めて冷蔵庫を開けたのに、微妙な冷え具合だったときのガッカリ感よ」
「わかる」
「特に、昨日は体調悪かったからさ……」
「こんどから、いってね。こおりみずつくってくる」
「いや、新しいの買おう」
「あたらしいの……」
「だって、この冷蔵庫、"96年特定フロン規制対応冷蔵庫"ってシール貼ってあるんだぞ」
「はってある」
「てことは、××より確実に年上だぞ」
「たしかに……」
「電化製品としては、とっくに寿命だよ」
「そか……」
うにゅほが、黒い冷蔵庫をさらりと撫でる。
「ちいさいれいぞうこ、おいくらくらいするかなあ」
「二、三万あれば、そこそこのが買えるだろ。霜取りが必要ないやつ」
「しもつかないの、いいね」
「霜がつく時点で、とっくに型落ちなんだけどな……」
「こんど、よどばしいこうね」
「そうしよう」
上にSwitch用のディスプレイを乗せているため、できれば同じくらいの高さのものが欲しい。
あればいいなあ。
-
2019年8月30日(金)
「──…………」
すう、はあ。
胸に手を当てて、呼吸を整える。
言わなければならない。
伝えておかねばならないのだ。
「……××さん」
「?」
一足早く読書の秋に勤しんでいたうにゅほが、顔を上げてこちらを見やる。
「どしたの?」
「うッ」
言いにくい。
この純真な瞳を、悲しみで濁らせたくはない。
だが、後回しにすればするほど、彼女からの信頼を損なう結果となる。
言うなら今しかないのだ。
「××さん」
「はい」
「ちょっと、東京行ってくるから」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
「いまから……?」
「今からではないけど」
「いつから?」
「9月7日から」
「わたしは?」
「お留守番……」
「──…………」
「──……」
うにゅほが、悲しげに目を伏せる。
心が痛い。
「……ごめんな、また置いてく」
「ううん」
気丈にも、小さく首を振る。
「ようじ、あるんだもんね」
「はい……」
「しかたない、しかたない」
自分に言い聞かせるように、うにゅほが頷く。
「本当、ごめん」
「すぐ、かえってくるもんね」
「……それが、その」
「?」
「二泊でして」
「──…………」
うにゅほの顔から、表情が抜け落ちる。
「えー、その、なんだ」
「──…………」
「旅行、旅行行こう! 泊まりがけ! ふたりで!」
「……ほんと?」
「本当。約束する。東京行きでお金使うから、ちょっと貯めないといけないけど……」
「わかった……」
うにゅほが、そっと口角を上げる。
「うへー。いっしょに、りょこう……」
よかった。
機嫌が戻ったようだ。
「お土産、買ってくるから」
「うん」
「電話するから」
「うん」
「だから、待っててくれな」
「うん」
良い土産話ができるよう、頑張ろう。
-
2019年8月31日(土)
「あ、やさいのひだ」
言われて思わずカレンダーを見やる。
「本当だ、野菜の日だ」
「うへー」
うにゅほが、得意げに胸を張る。
「それはそれとして、冷蔵庫見に行かない?」
「いく!」
「よし、出掛ける準備だ」
「はーい」
身支度を整え、家を出る。
「よどばしいくの?」
「ヨドバシ行く。ポイントつくし」
「ひさしぶりなきーする」
「そうだっけか」
「うん」
年齢の違いから、俺とうにゅほでは時間の感覚が異なる。
うにゅほからすれば、ほんの一ヶ月前でも、"ひさしぶり"に相当するのだろう。
ヨドバシカメラ三階の家電コーナーへと赴く。
「……うーん、小型冷蔵庫少ないな」
「そだねえ……」
冷蔵庫売り場は思ったより狭く、立ち並んでいるのは大容量のものばかりだった。
自室に置くための小さな冷蔵庫を求めている俺達からすれば、少々肩透かしを食った感がある。
「あ、これかわいい」
うにゅほが、ミントグリーンの2ドア冷蔵庫を優しく撫でる。
「2ドアか。霜がつかないのはいいよな」
「うん」
「でも、ちょっと高いな……」
「にまんえん、たかい?」
「二万円は安いけど、背が高い。ディスプレイ傾いちゃうよ」
「あー……」
Switch用の43インチディスプレイは、冷蔵庫と小箪笥を跨ぐ形で設置してある。
今でさえ、高さを調節するために高校時代の卒業アルバムを噛ませているのに、さらに差が広がるとなれば、小六法と類語大辞典を追加しなければならなくなるだろう。
「なるべくなら、高さ70cmから74cmの範囲内に収めたい」
「そのたかさの、ないねえ……」
「ケーズ行ってみるか」
「だいどこのれいぞうこ、かったとこ?」
「そうそう」
「あそこ、れいぞうこ、たくさんあったよね」
「ケーズになければヤマダ、ヤマダになければネット通販だ」
「うん」
ヨドバシカメラを早々と後にし、ケーズデンキを訪れたところ、展示品限りではあるものの、条件を満たす冷蔵庫を発見した。
「これでいいか」
「うん、かわいいとおもう」
可愛さは追求していないのだけど。
ともあれ、9月3日に届くらしいので、楽しみである。
古い冷蔵庫、どうしようかなあ。
-
以上、七年九ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
2019年9月1日(日)
カレンダーをめくりながら、呟くように口を開く。
「九月かあ」
「うん」
「夏が終わったな……」
「でも、あつい」
「たしかに」
温湿度計は、30℃手前を示している。
「まあ、九月になったからって、急に紅葉するわけでもないしな」
「なつと、あきの、あいだだね」
「そんな感じ」
晩夏か、初秋か、それは知らないけれど。
「休日だし、どっか行くか」
「いくー」
「どこがいい?」
「うと……」
うにゅほが思案する。
「急に言われても、すぐさま出て来ないか」
「うん」
「とりあえず、本屋に行くのは決まってるんだよ」
「ほんやさん、ひさしぶりだね」
年齢の違いから、俺とうにゅほでは時間の感覚が異なる。
うにゅほからすれば──
「……最後に本屋行ったのって、どのくらい前だっけ」
「かなりまえとおもう……」
「最近、新刊はAmazonで買ってたからなあ」
「そだねえ」
財布を開き、本屋のポイントカードを取り出す。
「うわ」
「?」
「最後の購入日、2018年の2月27日だ」
「いちねんはん……?」
「何も買わなかった日もあるだろうから、一概に一年半ぶりとも限らないけど……」
時間感覚の違いとは無関係に、本当に久し振りだった。
「ほんやさんで、なにかうの?」
「資格試験のテキスト。そろそろ勉強しないと」
「がんばってね」
「頑張るとも」
本屋で用事を済ませたあと、いつものゲーセン巡りに繰り出した。
60枚入りの蒲焼さん太郎を手に入れたので、おやつにはしばらく事欠かないだろう。
-
2019年9月2日(月)
床屋へ行ってきた。
「じゃーん」
「おー」
「さっぱりしただろ」
「うん、さっぱりした!」
手を伸ばし、うにゅほの前髪をつまむ。
「××も、そろそろ美容院の時期じゃないか?」
「うーとね、いま、のばしてるの」
「そうなんだ」
「まえ、きりすぎたから……」
「──…………」
うにゅほの肩を掴み、くるりと反転させる。
「わ」
「十分長いと思うけどなあ」
背中の中程まである髪を、手櫛で梳く。
絹糸のような感触だ。
「まえ、もっとながかった」
「腰近くまであったもんな」
「うん」
「頭重くないの?」
「あんましきにしたことない」
まあ、そんなもんか。
「……◯◯、ながいの、すきじゃない?」
「好きだよ」
「うへー……」
「短いのも好きだけど」
「そなんだ」
「中くらいのも好きだな」
「どのながさ、いちばんいい?」
「うーん……」
しばし思案し、答える。
「××の髪なら、どんな長さでも好きかな」
「そういうの、いちばんこまる」
「……すみません」
「うれしいけど……」
うにゅほが、てれりと笑う。
「ただ、前髪はちょっと長いかな。毛先だけ整えてもらってきたら?」
「うん、そうする」
今度、うにゅほ行きつけの美容室へ連れて行ってあげよう。
-
2019年9月3日(火)
自室用の新しい冷蔵庫が届いた。
「おおー……」
うにゅほが目を輝かせる。
「まるくてかわいいね!」
「実際に設置すると、悪くないなあ」
大きさと実用性のみで購入した冷蔵庫だったが、周囲の家具との調和も取れている。
これにしてよかった。
「さて、ディスプレイを上に乗せないとな」
「うん」
Switch用の43インチディスプレイは、その大きさから、冷蔵庫と小箪笥を跨ぐ形でしか設置することができない。
前の冷蔵庫のときは、低い小箪笥側に高校時代の卒業アルバムを噛ませていたのだが、
「こんど、れいぞうこのがひくいねえ」
「高校の卒業アルバムだと、ちょっと厚すぎるな」
逆側に傾きそうだ。
「なにはさむ?」
「適当な文庫本なら、なんでもよさそうだけど……」
「しょうせつつかうの、やーなんだっけ」
「やー」
「やー」
ちょっと可愛い。
「アルバムはいいの?」
「固いし、ケースに入ってるし」
「あー」
しばし本棚を漁り、
「──あ、中学の卒業アルバム薄いじゃん。これにしましょう」
「そうしましょう」
中学時代の卒業アルバムを噛ませると、ディスプレイが綺麗に水平になった。
「よし」
「さいきん、スイッチしてないねえ」
「だいたいのソフトは遊びきったからな」
「あたらしいの、かわないの?」
「欲しいのはあるけど、まだ出てない」
「どんなの?」
「聖剣伝説3ってスーファミのゲームのリメイクと、ゲームボーイのゼルダのリメイク」
「リメイクばっかしだ」
「おっさんには、新しいタイトルよりずっと刺さるんだよ……」
「へえー」
楽しみだなあ。
聖剣伝説3は、マルチプレイ可能なんだろうか。
-
2019年9月4日(水)
カラー印刷が必要になったので、久方振りにプリンタの電源を入れた。
うにゅほが、プリンタを撫でながら口を開く。
「エイさん、ひさしぶりだねえ」
「仕事の用事は、リースしてる複合機で事足りるからな」
ただし、複合機では、モノクロ印刷しかできないのだ。
「えーと、ドライバから入れ直さないとか」
「どらいば?」
「ドラえもんの一種」
「うそだー」
「嘘です」
適当な会話を交わしつつ、ドライバのインストールからプリンタの無線LAN接続までを済ませてしまう。
「よし、試しに印刷してみよう」
「うん」
適当な画像ファイルを開き、印刷を開始する。
うぃー……ん。
ぴー、がが、が。
がっしょん、がっしょん。
がががが。
がっしょん、がっしょん。
「──…………」
一向に印刷が始まらない。
「ひさしぶりだから、ちょうしわるいのかな……」
「そうかも」
「エイさん、がんばれー」
うにゅほがエールを送る。
「インク、大丈夫かな。乾いてたりしないだろうか」
「わかんない……」
そのまま五分ほどが経過したころ、プリンタの下部から何かが突き出た。
「なんかでた」
「トレイだな。印刷した紙が落ちないようにするやつ」
「まだいんさつしてなかったの……?」
「そうらしい」
「なにしてたんだろ」
「さあ……」
さらに三分ほど待ったところで、ようやく印刷が開始された。
壊れてはいない。
壊れてはいないが、買い換えも視野に入れたほうが良いのかもしれない。
エイさんを気に入っているうにゅほが悲しむから、もうすこし頑張ってほしいところである。
-
2019年9月5日(木)
旅行に必要だろうと思い、中古のカバンを購入した。
「ちいちゃいかばんだね」
「メッセンジャーバッグってやつだな」
「めっせんじゃーばっぐ」
「肩から提げるんじゃなくて、斜めに背負うカバンのこと」
「しょってみて」
「はいはい」
黒いカバンを斜めに背負う。
「こんな感じ」
「おー」
「似合う?」
「ふつう」
普通だった。
「ちいちゃいかばんと、おっきいかばん、ふたつもってくの?」
「着替えの詰まったドラムバッグなんて、いちいち持ち歩きたくないだろ」
「あ、ホテルにおいてくんだ」
「そうそう」
「あたまいいね」
「いや、普通だからな」
「そなんだ」
「──…………」
考えてみれば、うにゅほは、泊まりがけの旅行をしたことがない。
俺が東京へ行く際は留守番になるし、両親が旅行に出掛ける際は俺と一緒にいたがるからだ。
「××」
「?」
「旅行、どこ行きたいか考えといて」
「!」
「ふたりで行くって言ったろ」※1
「──うん!」
うにゅほが目を輝かせる。
「ね、ね、どこいいかな!」
「どこでもいいけど、なるべく道内でお願いします」
「はーい」
うにゅほだけでは恐らく決められないから、こちらでも案を出しておこう。
函館なんてどうだろうか。
※1 2019年8月30日(金)参照
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2019年9月6日(金)
明日、東京へ発つ。
「──…………」
「──……」
「××さん」
「?」
「暑いんですけど……」
うにゅほが、ぴたりと寄り添って離れない。
「……だって、◯◯、あしたからいない」
「まあ、うん」
「ふつかもいない……」
「──…………」
「──……」
「……膝、座ります?」
「はい」
うにゅほが、俺の膝に、対面するように座る。
「こっち向いて座るのか……」
「うん」
ぎゅー。
真正面から、強く抱き締められた。
「──…………」
「──……」
心の底から求められている。
離れがたく感じられている。
だが、それはこちらも同じこと。
「わ」
うにゅほを抱き締め返し、首筋に鼻先を埋める。
「電話するから」
「うん」
「事あるごとにするから」
「……うん」
「スマホ、充電しないとダメだぞ」
「ずっとする」
「ずっとはしなくていいけど」
「でんち、へったらする」
「ああ」
「いないあいだ、◯◯のベッドでねていい?」
「いいぞ」
「──…………」
「?」
「……きょうも、いい?」
「一緒に寝るのか」
「うん」
「いいぞ」
「やた」
「まだ暑いし、エアコン入れて寝ないとな」
「うん」
明日の別れを惜しむように、全力で互いに依存する。
二泊三日でこれなのだ。
三泊以上の一人旅は、恐らく不可能だろうなあ。
※ 明日、明後日の「うにゅほとの生活」は、お休みとなります
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2019年9月7日(土)
2019年9月8日(日)
2019年9月9日(月)
午前八時に家を発ち、羽田空港へ着いたときには正午を回っていた。
無事に到着したことをLINEで報告すると、すぐさま通話が掛かってきた。
「──はい、もしもし」
「ついた?」
「着いた着いた」
「とうきょう、あつい?」
「まだ空港だから、わからないなあ」
「そか」
事程左様に、事あるごとに、うにゅほとLINE通話をし続けた東京旅行だった。
初日にカバンのファスナーが壊れたこと。
飯田橋の裏通りは下水の臭いがしたこと。
ポルノグラフィティのライブがあったらしく、物販のTシャツを着た人たちが多くいたこと。
ホテルの部屋に、自室と同じ空気清浄機が設置してあったこと。
そんな他愛ない出来事を、すべて共有する。
俺たちは繋がっている。
「たいふう、きーつけてね……」
「大丈夫だよ。もうホテルだし、外出る用事もないし」
「あめふってる?」
「すこしだけ」
「すこしなんだ」
「深夜に降るのかも」
「あめ、ざあざあ」
「ざあざあで済めばいいけどな……」
台風15号の残した爪痕の凄まじさを思い知ったのは、翌朝のことだった。
首都圏の在来線の幾つかが運転を見合わせたのだ。
日本橋駅の出口で、うにゅほにLINE通話を掛ける。
「……まずいかもしれない」
「えっ」
「羽田直通の地下鉄が運休になってる」
「──…………」
「別の駅からモノレールに乗れば行けるけど、階段にまで並んでる……」
「かえれないの……?」
「これからタクシー捕まえる。意地でも帰るよ」
「うん……」
タクシー乗り場に三十分ほど並んだのち、一路、羽田空港へと向かう。
運賃が八千円ほどかかったが、帰れないよりずっとましだ。
帰宅する目処が立ったことを伝えると、
「よかったよう……」
と、心の底からの安堵が返ってきた。
午後二時発の便で新千歳空港へ舞い戻り、最寄りの駅へ辿り着いたときには、既に日が暮れかかっていた。
荷物を背負い、駅前のロータリーへ出ると、
「──……◯◯ッ!」
懐かしい声と共に、真正面から抱きすくめられた。
「ただいま、××」
「おかえり!」
周囲の人々には、このやり取りが、数年越しの感動的な再会にでも見えていたかもしれない。
すいません、二泊三日の旅行なんです。
ともあれ、無事に帰宅できてよかった。
帰ってすぐさま仕事に取り掛からなければならない現実には、少々気が滅入ったけれど。
-
2019年9月10日(火)
「──…………」
台風15号の影響で成田空港に一万人が足止めされたニュースを見て、背筋がうそ寒くなる。
「羽田にしといてよかった……」
きゅ。
うにゅほが、俺のシャツの裾を掴む。
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと帰ってこれたんだから」
「うん……」
頭を撫でてやると、うにゅほが気持ちよさそうに笑みを浮かべた。
「……あと、台風シーズンには二度と飛行機乗らない」
「それ、まえもいってたきーする」
「そうだっけ」
「ひこうき、すーごいゆれたからって」
「あー……」
言ったかもしれない。
「かえるとき、ひこうき、ゆれなかった?」
「台風、完全に過ぎ去ってたからな。静かなもんだったよ」
「よかった」
「心配してくれて、ありがとう」
「うん」
「それはそれとして、飛行機に対する苦手意識は克服しておかないとなあ」
「ひこうき、こわいねえ……」
「××は大丈夫だよ。一回乗れば拍子抜けすると思う」
「そなの?」
「俺が飛行機ダメになったのは、台風で死ぬほど揺れてからだもん。それまではぜんぜん平気だったから」
「そなんだ……」
「LCCの小さい飛行機乗るから揺れるんだよな……」
「おっきいひこうき、ゆれないんだっけ」
「そう。大きい船が揺れないのと同じ理屈だな」
「なるほど……」
「××と一緒に乗るときは、大型機にするつもり」
「たかくない?」
「正直、数泊の旅行なら、運賃なんて誤差な気がしてる」
「そか」
うにゅほに情けない姿は見せたくない。
いつ機会が訪れるかはわからないが、その日のために資金を貯めておこうと思った。
-
2019年9月11日(水)
「××」
「?」
膝の上で読書をしていたうにゅほが、こちらを振り返る。
「ちょっと歌ってみて」
「えー……」
「お願い」
「はずかしい」
「お願いします」
「……どうしても?」
「どうしても」
「うー」
渋い顔をしていたうにゅほが、やがて、小さく頷いた。
「……なにうたったらいいの?」
「なんでもいい──って言ったら、困るよな」
「こまる」
「じゃあ、トトロ」
「どっち?」
「エンディングで」
「わかった」
こほんと咳払いをし、
「とー、と、とな、とー」
軽く音程を確認したあと、うにゅほが歌い始める。
「……となりの、とっとろー、とーとーろー。とっとろー、とーとーろー……」
囁くような歌声が耳朶を打つ。
「もーりーのー、なーかにー、むかしからすんでるー……」
目を閉じて、うにゅほの歌に聞き入る。
歌声は、やがて、歌詞が曖昧な部分で止まった。
「こっからわかんない」
「じゃ、次はオープニングで」
「まだうたうの……?」
「まだまだ」
「うー」
「嫌だ?」
「いやじゃないけど……」
「恥ずかしい」
「はずかしい」
「じゃあ、今度カラオケ行こうか」
「カラオケなら、うん……」
「よし」
言質は取った。
「なんで、うたわせたの?」
「××の歌が聞きたくなったからだけど……」
「それだけ?」
「それだけ」
「そか……」
嬉しいような、戸惑うような、複雑な表情を浮かべながら、うにゅほが本に視線を戻す。
カラオケ、たまに行きたくなるんだよな。
楽しみにしておこう。
-
2019年9月12日(木)
「──げほッ! けほ、げェほッ!」
体をくの字に曲げ、思いきり咳き込む。
「ゔー……」
風邪を引いたのだった。
「◯◯、だいじょぶ?」
「あんまり大丈夫じゃない……」
今回は喉風邪だ。
熱は37℃前後で寒気はなく、くしゃみや鼻水も見られない。
「ほら、かぜぐすりのんで」
「はい……」
水の入ったグラスを受け取り、カプセルを飲み下す。
「のんだら、マスクして、ねましょうね」
「はい……」
うにゅほに手を引かれ、ベッドに戻る。
子供に戻ったかのようだ。
「……けほ、げほッ!」
激しい咳が、喉を焼く。
風邪薬を飲んだからと言って、すぐさま咳が止まるわけではない。
「汗かいた、気持ち悪い、シャワー浴びたい……」
「かぜのとき、おふろだめだよ」
「そう、こほッ、そうだけど……」
布団に篭もっていなければ、体が冷えてしまう。
布団に篭もっていれば、自らの発する熱で蒸してしまう。
冷えるよりはましだから布団に篭もるのだが、汗ばかりは止められない。
風邪とは難儀なものである。
「……じゃあ、せめて、あれ使いたい」
「あれ?」
「旅行用に買ったボディシート……」
「からだふくやつ?」
「そう」
「あれならいいかなあ……」
「じゃ、取って。バッグに入ってるから」
「うん」
うにゅほが、旅行用のサブバッグの中から、ボディシートの袋を取り出す。
「はい、ぬいで」
「……××が拭くの?」
「うん」
「じゃ、上半身だけお願い……」
「わかった」
汗ばんだ部分をボディシートで拭くと、だいぶすっきりした。
シャワーを浴びた直後ほどの爽快感はないが、何もしないよりずっといい。
「明日、けほッ、病院行く……」
「そうしましょう」
季節の変わり目は風邪を引きやすい。
読者諸兄も気をつけてほしい。
-
2019年9月13日(金)
「──……けほ」
起床し、アイマスクとサージカルマスクを顔から剥ぎ取る。
「あ、おはよー」
「……おはよ゙う」
声が枯れていることを自覚する。
「◯◯、こえへん」
「やっばり……」
「よる、せき、すごかったもん」
「あんま゙り寝れながっだ……」
「やっぱし……」
「ごめんな゙、うるさくて」
「ううん」
うにゅほが、ふるふると首を横に振る。
「でも、はやくなおさないとね」
「病院行ぐわ……、ごほッ」
「うんてん、できる?」
「大丈夫。ひどいの゙、咳だけだし……」
「そか」
混み合いそうな時間を避けて、かかりつけの耳鼻科へ向かう。
帰宅すると、這い出したままだったはずのベッドが綺麗に整えられていた。
「おかえりなさい。くすり、もらってきた?」
「抗生物質、処方してもら゙っだ」
「ごはんたべたら、のまないとね」
「ベッド、ありがどな。忘れでだ……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「いつもしてるのに……」
「それは、そうだげど」
不思議なもので、風邪を引いているときは、当たり前になっていることにも感謝したくなる。
「俺、××がいないど、ダメだな……」
「うへー」
てれりと笑い、胸を張る。
「もっとたよっていいよ」
「大いに頼らせでいだだきます……」
うにゅほが風邪を引いたときには、嫌と言うまで看病してあげようと思った。
-
2019年9月14日(土)
ブラウジング中、とあるページに目が留まった。
「Windows7のサポート終了、来年の一月なのか……」
「なにおわるの?」
「Windows7のサポート」
「……?」
「Windows7はわかる?」
「おーえす」
「その通り」
「うへー」
「OSのサポートが終わると、セキュリティが脆弱になる。情報が抜かれたり、不正アクセス被害を受けやすくなったりする」
「じゃあ、てんにするの?」
「するしかない」
「あぶないもんね」
「いまのPCのまま、OSをアップグレードすることもできるんだけど……」
うにゅほが小首をかしげる。
「けど?」
「このPC、買ってから三年半経つんだよな」
「そんなにたつんだ」
「PCの寿命って、一概には言えないけど、個人的には四年目くらいから怪しくなってくると思う」
「さんねんはん……」
「そろそろ怖くなってくる頃合だな」
「じゃあ、あたらしいぱそこん、かうの?」
「消費増税前だし、タイミングとしては悪くないかなって」
「あー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ぱそこん、おいくらいくらいするかな」
「まあ、二十万は……」
「するよね……」
「東京行ったばかりで、ちょっときついなあ」
「でも、しょうひぜいあがる」
「上がるな」
「にじゅうまんえんの、にぱーせんと、よんせんえんかあ……」
「馬鹿にならないな……」
「おすしたべれる」
「たしかに」
「だから、かわなきゃだめなら、かっちゃっていいとおもう」
「買っていい?」
「うん」
許可が下りた。
「では、買っちゃいますか」
「しばらくむだづかいだめね」
「はい……」
今月は赤貧生活になりそうである。
-
2019年9月15日(日)
「げほッ! えほッ!」
風邪が治らない。
咳が止まらない。
「……ダメだ、横になると咳が出る」
「よる、ねれてる?」
「最低限は……」
「さいていげんって、なんじかん?」
「──…………」
指折り数える。
「……六時間くらい?」
「ねて──る、かなあ。ねてるけど……」
「な、最低限だろ」
「さいていげんだった」
「咳で何度も起きるから、睡眠の質は良くないけどな……」
眠気を飛ばすように、小さくかぶりを振る。
「ひるねもできないの、つらいねえ……」
「……ごめんな。せっかくの連休だし、どっか行こうと思ってたんだけど」
「それはいいから」
「はい……」
「おきてるとき、そんなせきでないのにねえ……」
「子供のころ、喘息持ちでさ」
「きいたことある」
「発作が出ると、苦しくて横にもなれないから、大きいクッションに寄り掛かって寝てた記憶がある」
「クッション、ないねえ……」
「上半身をすこし起こした状態で横になれれば、なんでもいいんだけど……」
「あ」
うにゅほが、ぽんと手を叩く。
「くるま!」
「……あー、なるほど」
「どう?」
「アリかも」
車内温度の調節も簡単だし。
「一晩はさすがにつらいから、仮眠だけでも試してみるか」
「うん」
薄手のジャケットを羽織り、階下へ向かう。
「……××、付き合わなくてもいいんだぞ?」
「しんぱい」
「寝てるとき、暇じゃないか?」
「だいじょぶ」
「ならいいけど……」
ガレージ内のコンテカスタムに乗り込み、運転席で小一時間ほど仮眠をとった。
寝心地は良いとは言えないが、眠れないよりずっとましだ。
「──……すう」
目を覚ましたあと、気持ち良さそうに眠るうにゅほの顔を見つめながら、必死に咳を我慢するのだった。
-
以上、七年十ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
はよシネ
-
2019年9月16日(月)
風邪が悪化している。
激しい咳で喉が枯れ、睡眠もまともに取れず、体力もどんどん奪われている。
「──…………」
「◯◯……」
きゅ。
サージカルマスクを装着したうにゅほが、不安げに俺の手を握る。
「ちがうびょういん、いこ。くすりきかない」
「ゔん……」
「うんてん、できる? (弟)にたのむ?」
「大丈夫……」
「あ、でも、しゅくじつだった……」
「当番病院ってのが、あるがら」
「しゅくじつ、やってるの?」
「やっでる」
「じゃ、そこいこ」
ネットで救急当番医療機関を検索し、愛車のコンテカスタムに乗り込む。
運転席に体を預けた途端、眠気が一気に押し寄せた。
「……××」
「?」
「ちょっどだげ、寝でいい……?」
「いいよ」
「三十分くらいで、運転でぎると思う……」
「──…………」
きゅ。
うにゅほが、無言で俺の手を取る。
冷たい。
いや、俺の手が熱いのだ。
手を繋いだまま三十分ほど仮眠を取ると、運転に支障がない程度にまで意識が回復した。
「──よし、行げる」
「うんてん、きーつけてね」
「安全運転で行ぎます」
「はい」
診断は、やはり、ただの風邪だった。
別の咳止めを処方してもらったが、即効性はないようだ。
明日は仕事だ。
せめて咳だけでも止まってほしい。
-
2019年9月17日(火)
「あ゙ー……」
低音が喉を震わせる。
完全に声帯がやられていた。
「でも゙、咳はすこし収まってきた気がする゙」
「ほんと?」
「寝れでる゙時点で、だいぶまし」
「きのう、ひどかったもんね……」
「治りかけの感覚がある゙から、二、三日もすれば完治する゙──と、思う」
「よかったー……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「しごと、できそう?」
「なんとか」
「むりしないでね……」
「大丈夫。自分に甘いから゙」
「そかなあ」
「それより゙、風邪のせいで資格試験の勉強が手についてないのが問題」
「あー……」
「忘れ゙でだろ」
「わすれてた」
「ま゙あ、××は忘れててもいいんだけど……」
「おうえんしないと」
「それ゙は、うん。ありがとう」
「しけん、いつだっけ」
「十月上旬」
「いっかげつない……」
「三週間くらいだな」
「うかりそう?」
「わからない」
一、二ヶ月みっちり勉強していれば容易に受かる程度のものだが、三週間となると厳しいかもしれない。
「とにかく早ぐ治さないと、勉強どころ゙じゃない」
「そだね……」
咳のし過ぎで痛む頭を押さえながら、買ったきり開いていないテキストを見やる。
別の意味でも頭痛がするのだった。
-
2019年9月18日(水)
ただの風邪であるという診断が信じられず、改めて呼吸器内科を受診した。
結果、
「……喘息がぶり返したらしい」
「ぜんそく……」
「大人もなるんだな、喘息」
道理で風邪の薬が効かないわけである。
「ぜんそく、せきのびょうきだよね」
「そう」
「なおる……?」
「どうだろう。少なくとも、継続的な治療は必要になると思う」
「そか……」
うにゅほが、不安そうに目を伏せる。
「でも、良かったこともある」
「?」
「病名がわかれば処方も変わる。ちゃんと効く薬、もらってきたから」
「ほんと?」
「じゃーん」
手に提げた袋から、薬を取り出す。
「はい、トローチ」
「とろーち」
「はい、うがい薬」
「うがいぐすり」
「はい、シムビコートタービュヘイラー」
「しむ……び、なに?」
「シムビコートタービュヘイラー」
シムビコートタービュヘイラーは、ドライパウダー式の吸入剤である。
「抗炎症作用を持つステロイド剤と、気管支拡張剤、その両方が入っている──らしい」
「すごそう……」
うにゅほの頭を、ぽんと撫でる。
「病気はつらい。でも、病名もわからず、ただただ咳が止まらないより、ずっとましだ」
「……うん」
「看病してくれるんだろ」
「うん、する」
「なら、百人力だよ」
うにゅほの存在に、どれだけ助けられているだろう。
つらいとき、手を握ってくれる。
ただそれだけのことが、どんなに心強いか。
「しむび、きいたらいいね」
「シムビ」
だいぶ略されたな。
とりあえず、今夜こそは安らかに眠れたらいいのだけど。
-
2019年9月19日(木)
「咳に、痰が絡まなくなってきた」
「かぜ、なおってきたのかな」
「そうかも」
「よかったー……」
「空咳は出るけど、痰が切れない咳よりましかな」
「あれ、くるしいもんね」
「あと──」
ゴミ箱に視線を向ける。
「……痰をくるんだティッシュの量がヤバいことになる」
「かぜのきん、すーごいはんしょくしてそう……」
「触っちゃダメだぞ」
「うん」
「あと、部屋ではマスク外しちゃダメ」
「わかってます」
俺のマスクとうにゅほのマスクで二重の防護になってはいるが、それでも安心とは言いがたい。
互いに別の部屋で過ごすべきなのかもしれないが、そういうわけにも行かないのが実情だ。
「これだけ風邪の菌を撒き散らしてると、伝染らないか心配だよ」
「ますくしてるから、だいじょぶ」
「手も洗わないとダメだぞ」
「てーも?」
「手、繋ぐだろ」
「うん」
「そうすると、風邪の菌が手につく」
「あー」
「その手で料理をしたり、ものを掴んで食べたりすると──」
「かぜ、うつる……」
「その通り」
「りょうりするとき、てーあらってるから、だいじょぶとおもう……」
「ならいいけど」
「でも、きーつけます」
「お願いします」
ぺこり。
なんとなく、頭を下げ合う。
「あ、◯◯、きょううがいした?」
「いや、まだ」
「しないとだめだよ」
「はい」
俺専用の看護師は、優しくも厳しいのだった。
-
2019年9月20日(金)
Switch用の43インチディスプレイを、PCのメインディスプレイにすることにした。
「でも、付属のスタンドじゃデスクが狭くなっちゃうだろ」
「うん」
「そこで、今朝届いたこいつの出番だ」
巨大な平たい段ボール箱を叩き、得意げに口を開く。
「──壁寄せテレビスタンド!」
「おー」
ぱちぱち。
「こいつを組み立ててディスプレイを壁に寄せれば、あら不思議。デスクの上に広々としたスペースが!」
「なるほど……」
「良い考えだと思わないか?」
「いくらしたの?」
「──…………」
「──……」
「いちー……」
「いち?」
「まん、えんと、ちょっと……」
正確には、19,590円である。
嘘は言ってない。
「ぱそこん、かったばっかしなのに……」
うにゅほが、小さく溜め息を漏らす。
「……すみません。せっかくだから、環境も変えたくて」
「かうとき、そうだんしてね」
「はい……」
「──…………」
じ。
うにゅほが、俺の目を覗き込む。
「──…………」
「──……」
「……すみません、本当は19,590円です」
「やっぱし」
「わかりますか」
「わかります」
「そうですか……」
「だめっていわないから、そうだんしてほしい」
「はい……」
自らの情けなさにうなだれる俺の手を、うにゅほが力強く握る。
「ほら、くみたてるんでしょ」
「うん」
「てつだうから」
「ありがとうございます……」
ハサミを取り出し、段ボール箱を開封していく。
ちょっとした大掃除を兼ねつつ組み立てと設置を終えたのは、一時間半後のことだった。
「うわ、でか」
「おっきいねえ……」
43インチという大きさは嫌と言うほど知っていたが、PC用のメインディスプレイにするとなれば話は別だ。
「これ、地味に4Kなんだよな」
「よんけー」
落としておいた壁紙を開く。
「ほら」
「わ、きれい!」
「サブディスプレイの四倍の解像度だからな。そりゃ綺麗だわ」
「かい、あった?」
「あったあった」
慣れるまで時間は掛かるだろうが、画面の広さと画質は魅力的だ。
「よし、YouTubeで4K対応の動画見ようぜ!」
「おー!」
久し振りにうにゅほを膝に乗せて、超高画質の動画に見入るのだった。
-
2019年9月21日(土)
何の日シリーズで手軽に日記を済ませようかと、今日の日付で検索してみると、
「今日、宮沢賢治の忌日なのか」
「きじつ?」
「命日のこと」
「ぎんがてつどうのよるのひと?」
「そうそう」
「◯◯、ぎんがてつどうのよる、すきだよね」
「好きだぞ」
「クリスマスのとき、まいとし、ぎんがてつどうのよるみるもんね」
「恒例行事だよなあ」
クリスマスイヴの夜、劇場版・銀河鉄道の夜をふたりで観賞する。
儀式のようなものだ。
「あと三ヶ月でクリスマスか……」
「うん」
「時間が経つのが早すぎて、ちょっと怖いくらいだ」
「そかな」
「××も、俺と同じくらいの年になれば、嫌でもわかるよ」
「◯◯、そのときなんさい?」
「──…………」
「──……」
「考えないことにしよう」
「うん……」
たぶん、そのころには、時の流れはもっと早くなっているのだろう。
「代わりに、楽しいことを考えましょう」
「はい」
「××の誕生日、もうすぐだな」
「うん!」
「誕生日プレゼント、欲しいものある?」
「ない!」
清々しいまでの即答である。
「じゃあ、今年も、当日をお楽しみに」
「はーい」
さて、今年は何をプレゼントしようか。
幾つか候補はあるが、まだ絞りきれてはいない。
とびきりの笑顔を見るために、今年も頑張って選ぶことにしよう。
-
2019年9月22日(日)
岩手の友人が北海道を訪れたため、急遽飲みに行くこととなった。
「……ごめんな、また留守番させて」
「うん」
小さく微笑んで、うにゅほが言う。
「だいじょぶ、なれてるから」
「うっ」
罪悪感が。
「……おみやげ、いる?」
うにゅほが、そっと首を振る。
「いらない。はやくかえってきてほしい」
「ぐッ」
罪悪感、おかわり。
「なるべく早く帰ってきます……」
「はい」
そう言って、逃げるように家を出たのが、午後七時半のことだった。
「──…………」
自室の扉を薄く開く。
明るい。
「ただーいまー……」
小声で呟きながら扉をくぐると、
「おかえり!」
「!」
うにゅほが俺を元気よく出迎えた。
「……××さん」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「いま、二時半なんですけど……」
思いのほか会話が弾んでしまい、帰るに帰れなかったのだ。
「こんな夜更かしして大丈夫か?」
「◯◯でかけたあと、よるねしたからだいじょぶだよ」
「夜寝」
「かえってくるの、おそくなるとおもって」
「がはッ」
とどめの罪悪感が心臓を射抜く。
「ほんと、いつもいつも、有言不実行ですみません……」
深々と頭を下げる。
「──…………」
ぽん。
俺の髪を、うにゅほが優しく撫でた。
「たのしかった?」
「……まあ、うん。楽しかった」
「なら、よかった」
顔を上げる。
うにゅほが微笑んでいた。
「──…………」
心が、じわりと暖かくなる。
「……××、何時間くらい寝たんだ?」
「うーと、さんじかんくらい」
「じゃあ、いつもより四時間は夜更かししよう」
「うん!」
「いま日記書いちゃうから、終わったら遊ぼうな」
「はーい」
明日のことは顧みない。
うにゅほが眠気に負けるまで、一緒に遊ぶことにする。
-
2019年9月23日(月)
ふたりで大いに寝過ごした秋分の日の午後、弟が自室の扉をノックした。
「兄ちゃん、ちょっとパソコン見てほしいんだけど」
「どした」
「なんか、変なページ出た……」
重い腰を上げて弟のPCを確認すると、よくある詐欺警告だった。
変なサイトは見ないようにと忠告し、自室へ引き上げる。
「ぱそこん、なおった?」
「壊れてないよ。ちょっと危なかったけど」
「そなんだ」
「知識がないのに海外のサイトを見ようとするから、こうなる」
「◯◯、ぱそこんはかせ」
「俺に限らず、俺の世代のオタクはたいてい詳しいよ」
「そなの?」
「PCがいまより不安定で、トラブルも多かった。それを自力で調べてなんとかしてきた連中だからな」
「(弟)は?」
「(弟)?」
「だって、さんさいちがい」
「(弟)は──うん」
思わず遠い目をする。
「……頼られるがまま、なんでも解決してあげたことが、成長を妨げたんだろうなあ」
「あー……」
「でも、解決法を知ってるのに教えないのも変だし」
「むずかしい」
「まあ、いまさら遅い気がするし、可能な限りは面倒見てやるさ」
「──…………」
しばしの沈黙ののち、うにゅほが口を開く。
「……わたしも、めんどうみてね?」
「なんの?」
「ぜんたいてきに……」
「もしかして、やきもち焼いた?」
「うん」
素直である。
「××の面倒なら、喜んで」
「うへー……」
「××も、俺の面倒見てくれな」
「よろこんで!」
見事な共依存だが、抜け出す気はさらさらない。
一緒に生きていくと決めたのだから。
-
2019年9月24日(火)
「──けほッ」
仮眠を取ろうとした俺の口から、無情にも咳が漏れる。
痰を伴わない乾性の咳は、さほど苦しくはない。
だが、
「こほッ、……けほっ」
数呼吸に一度という高頻度では、仮眠と言えど眠れるはずもない。
「ダメだー……」
眠気を持て余しながら、ベッドから下りる。
「せき、とまらないねえ……」
「ごほッ、風邪は、けほ、治ったんだけどな……」
日常生活に支障はないが、横になった途端、咳がぶり返す。
つらい。
「きのう、ねれた?」
「……すこしは眠れたけど、熟睡できた気はしない」
「──…………」
うにゅほが表情を曇らせる。
「大丈夫、大丈夫。先生に言って、シムビコートタービュヘイラーの回数も増やしてもらったし」
「しむび、きいてるのかなあ……」
「効いてるんじゃないかな」
たぶん。
「それにしても、眠い……」
「ねむいのにねれないの、つらいね」
「本当だよ……」
頭が重い。
目蓋が重い。
ついでに、気が重い。
このままでは、資格試験の勉強もおぼつかない。
「……しゃーない。チェアですこし寝る」
「ねれる?」
「目を閉じてるだけでも違うだろ」
「そだね」
チェアに深々と腰を下ろし、背もたれに体重を預ける。
「はい」
「ありがとう」
うにゅほからアイマスクを受け取り、装着すると、徐々に意識が沈んでいった。
起きたとき首が痛かったけれど、眠れないよりましだ。
これ以上心配をかけないためにも、早く治さなければ。
-
2019年9月25日(水)
「××、足元大丈夫ー?」
「だいじょぶー」
互いに声を掛け合いながら、巨大な段ボール箱を自室へと運び込む。
「よし、ゆーっくり下ろすぞ」
「はーい」
増税前にと急いで購入したPCが、とうとう届いたのだった。
「まえのぱそこんより、ちょっとちいちゃいね」
「前のが大き過ぎるんだよ」
「あー」
「正直、ケースだけなら前のほうがいい。あそこまで防塵性能の高いケースなんて、そうはないからな」
「そなの?」
「三年半、一度も掃除してないのに、中にホコリひとつ落ちてないんだぞ」
「すごい……」
「できれば同じケースで組みたかったけど、BTOって、そこまで自由きかないからなあ……」
「なかみ、うつせないの?」
「無理だと思う」
「そか……」
「できないものは仕方ない。だから、新しいPCを大切に使っていきましょう」
「はーい」
「まずは、データの移行から」
「でーたうつすの、たいへんだもんね……」
うにゅほは、幾度となく、新PCへの移行作業を俺の隣で経験してきた。
そう感じるのも当然だ。
だが、
「今回に限っては、まったく手間が要らないんだなあ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「インストールが必要ないデータ全部、最初から外付けHDDに突っ込んであるから」
既定のダウンロードフォルダを外付けHDD内に作る念の入れようだ。
「うと、はずして、つけるだけ?」
「外して、付けるだけ」
「かんたん」
「外付けHDDの劣化も怖いから取り替えるけど、いまじゃなくてもいいし」
「あたまいいねえ……」
「環境が変わることに間違いはないから、完全移行は深夜になると思う」
「むりしないでね」
「たまに肩揉んで」
「うん」
前のPCと遜色ない環境を作れたのは、深夜二時過ぎのことだった。
疲れた。
昨日の日記を書いて、さっさと寝ることにする。
-
2019年9月26日(木)
「──…………」
真っ黒な画面を見つめながら、しばし呆然とする。
「?」
ディスプレイを覗き込んだうにゅほが、小首をかしげてみせた。
「どしたの?」
「……PCが起動しなくなった」
「えっ」
うにゅほが絶句する。
「しょきふりょう……?」
「いや、WindowsUpdateのせい。再起動の直後にこれだから」
「……また?」
「また」
去年も似たような目に遭っている身としては、心の底から辟易する。※1
「ういんどうず、どうしてそんなことするの……」
「知らない」
「せってい、またやりなおし?」
「やり直し」
「そか……」
データ上の損失が一切ないことだけが不幸中の幸いである。
「おひる、たべたいのある?」
「……ふわふわのオムレツ」
「うん、わかった」
うにゅほ謹製のオムレツを胃袋に収めたあと、PCを工場出荷状態に戻し、昨夜こなした作業をすべてやり直した。
「──疲れたー!」
「おつかれさま」
「肩揉んで、肩」
「はーい」
うにゅほのマッサージを受けながら、見逃しはないか点検を行う。
「まったく、二度とWindowsUpdateなんて──あっ」
「あ?」
「……勝手に更新されてる」
"インストールを完了するには再起動が必要です"の文字が、死の宣告にしか見えない。
「いや、まだだ。再現性のある不具合じゃないかも……」
請われるままに再起動してみたところ、画面が再び真っ黒になった。
「──…………」
「◯◯……」
うにゅほが、気遣わしげに俺の肩を揉む。
「……ちょっと寝る」
「うん」
ふらふらとベッドに倒れ込み、目を閉じる。
何も考えたくなかった。
「──◯◯!」
十分ほど不貞寝を決め込んだところで、うにゅほが俺を揺すり起こした。
「ぱそこん、ついた!」
「マジか」
慌てて飛び起き、PCの前へ駆け寄る。
43インチのディスプレイに、デスクトップ画面が表示されていた。
「……起動にもたついてただけなのか」
「そうなのかな」
「てことは、今朝の作業ぜんぶ無駄じゃん……」
がっくりと肩を落とす。
「で、でも、ほら、ぱそこんなおったし」
「……うん。今日のところは、よしとしよう」
「そうしましょう」
今度こそ自動更新を確実に無効化し、一時の平穏を取り戻したのだった。
殿様商売もいい加減にしてほしい。
※1 2018年10月31日(水)参照
-
2019年9月27日(金)
「◯◯ー……」
昼食をこしらえに行ったうにゅほが、ピザ用チーズの袋を携えて戻ってきた。
「どした」
「これ……」
袋を開き、すんすんと鼻を鳴らす。
「くさい、きーする」
「どれ」
袋を受け取り、嗅ぐ。
「……なんか、微妙に納豆っぽい」
「うん……」
賞味期限を確認する。
「二週間前に切れてる……」
「あー」
「しかも、これ、未開封の状態でって意味だからな」
「もっとだめだ」
「捨てよう。ヤバい発酵の仕方してるよ、絶対」
「チーズオムレツつくろうとおもったのに……」
チーズオムレツに未練はあるが、腹を壊してまで食べたいとは思わない。
「卵あるなら、今日は別のがいいな」
「オムレツいがい?」
「オムレツ、昨日食べたし」
ふわふわのプレーンオムレツ、美味しかったです。
「じゃ、なにがいい?」
「卵焼き」
「あまいの?」
「甘いの」
「いいけど、おひるごはんかなあ」
「甘い卵焼き、おやつ感あるもんな……」
「たまごやきいがいにも、なんかつくる?」
「ゆで卵」
「かんじゅく?」
「完熟」
「◯◯、かんじゅくすきだね」
「完熟のが美味しい」
「わたし、はんじゅくとかんじゅくのあいだくらい、すき」
「それも好き」
「えー」
「正確には、半熟が好きじゃないんだよ。なんか味違うだろ、あれ」
「そかなあ」
そんなわけで、卵づくしの昼食となった。
微妙にコレステロール値が気になるお年頃である。
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