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うにゅほとの生活3
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うにゅほと過ごす毎日を日記形式で綴っていきます
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2019年1月15日(火)
「♪〜」
うにゅほが手際よくダスキンモップでホコリを拭い取っていく。
最適化され、ルーチンワークと化した自室の掃除は、ものの十分ほどで終わりを告げる。
たまには手伝おうかと思わなくもないのだが、逆に邪魔をしてしまいそうで、あまり申し出たことはない。
「──…………」
うにゅほの鼻歌を尻目に無言でキーボードを叩いていると、
ゴツン!
「た!」
──ぶおおおおおおおおッ!
寝室のほうで、何かが唸り声を上げ始めた。
「くうきせいじょうき、おこった!」
「足でもぶつけた?」
「ぶつけた……」
自室にある加湿空気清浄機は、衝撃を与えると、直後にニオイセンサーランプが真っ赤に点灯し、激しく吸気を行い始める。
それが、怒ったように見えるらしい。
「ごめんなさい……」
見れば、うにゅほが空気清浄機に頭を下げていた。
毎度のことだが、ちょっと面白い。
「空気清浄機、許してくれた?」
「まだ……」
「ダスキンで撫でてあげな」
「うん」
モップのパイルが、空気清浄機の上部を優しく撫でていく。
しばらくして、
「あ、ゆるしてくれた」
ニオイセンサーランプが緑色に戻り、唸るような轟音も鳴りを潜めた。
「よかったな」
「うん」
「足、痛くないか?」
「だいじょぶ」
「今後は気をつけるように」
「はーい」
この空気清浄機も、既に四年選手だ。
大事に使わなければ。
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以上、七年二ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
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2019年1月16日(水)
「──たッ!」
柱とテーブルの隙間を通ろうとして、内くるぶしを思いきりぶつけてしまった。
「!」
うにゅほが即座に膝をつく。
「みして」
「はい……」
「かわ、すこしめくれてる」
「マジか」
「さびおはるね」
「お願いします……」
子供みたいで、すこし恥ずかしい。
そんなことを思っていると、
「子供じゃねえんだからよ、もうすこし気ィつけろよな」
と、父親に呆れ顔で言われてしまった。
「子供じゃなくたって、怪我くらいするだろ……」
「鏡見ろ、鏡。同じこと言えるか?」
「──…………」
反論できない。
「でも、おとうさん、こないだこゆびぶつけてちーでてた」
「うッ」
「おかあさんに、さびおはってもらってた……」
父親が目を逸らす。
「人のこと言えないじゃん」
「俺はいいんだよ、俺は」
その様子を見ていた母親が、誰にともなく呟いた。
「ほんと、親子だねえ」
「──…………」
「──……」
父親と顔を見合わせる。
面立ちも性格も似ていないが、やはり似通う部分はあるらしい。
苦笑していると、
「どうでもいいけど、ドラマ見てるんだから静かにしてくんない?」
ソファに寝転がった弟に注意されてしまった。
我が家の日常は、たいていこんな感じである。
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2019年1月17日(木)
「──さっぶ!」
「さむいねえ……」
休憩のため自室へ戻った俺たちを、冷え切った空気が出迎えた。
「休憩どころじゃないぞ、これ」
「ストーブ、ストーブ」
ぴ。
うにゅほが、ファンヒーターの電源を入れる。
「わ」
「どした」
「へや、じゅうにどだって」
「──…………」
ファンヒーターの表示は当てにならない。
そう思い、本棚に設えた温湿度計を覗き込むと、
「……11.7℃」
ファンヒーターは正しかった。
俺たちが部屋を空けたのは、ほんの数時間ほどだ。
よほど冷え込んでいるらしい。
「そと、なんどかなあ」
「調べてみるか」
「うん」
iPhoneで、天気予報アプリを起動する。
「……寒いはずだ」
「なんど?」
「-10℃」
「ま」
うにゅほが目をまるくする。
「まいなすじゅうど……」
「バナナで釘を打つには、すこし足りないか」
濡らしたタオルを振り回せば、すぐさま凍る気温ではある。
試したことないけど。
「あったまるまで、しごとべやいる?」
「……いや、あの部屋にいると休んだ気がしない」
「そか……」
「布団にくるまってようかなあ」
「ふとん、つめたいきーする」
「──…………」
しばし思案し、
「××」
「?」
「湯たんぽになあれ!」
「はーい」
即答である。
こうして、部屋が暖まるまでのしばしのあいだ、うにゅほと同衾したのだった。
人肌こそが至高の暖房器具である。
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2019年1月18日(金)
「──よし、土日返上回避ッ!」
仰向けに倒れ込み、そのまま伸びをする。
テーブルに積み上がった大量の図面が、俺の努力を物語っていた。
「おつかれさまー」
「頑張ったぞ」
「がんばった、がんばった」
「今週こそは休みたいからな……」
今年に入ってから、繁忙期でもないのに大量の仕事が舞い込んできている。
先週だって連休をすべて潰したのだから、今週こそは休まないと、何連勤になるかわかったものではない。
「◯◯、なんかのむ?」
「飲むー」
「あったかいの、つくるね」
「ココアがいいな」
「わかった」
微笑み、うにゅほが台所へ消えていく。
「──…………」
目が痛い。
しばし目蓋を下ろし、目を休ませる。
「──…………」
ココア、まだかな。
なんとなく右手を持ち上げ、シーリングライトに翳す。
そして、
──パキン!
指を鳴らした。
──パキン!
中指と、親指の付け根が、軽く痺れている。
数日前から、コンスタントに良い音が鳴るようになった。
コツを掴んだらしい。
──パキン! パキン! パキン!
調子に乗って鳴らしまくっていると、
「ココアだよー」
マグカップを大事そうに持ったうにゅほが、仕事部屋に帰ってきた。
「お、ありがとな」
「ゆび、いいおとなるね」
「だろ」
「わたし、ゆびならない……」
「コツがあるみたい」
「どんなこつ?」
「わからない……」
そもそも、鳴らし方を変えた覚えはないのだ。
「ま、いいや」
ココアを受け取り、啜る。
「美味しい」
「そか」
明日は休みだ。
何をしようかな。
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2019年1月19日(土)
午前のうちにエアロバイクを漕いだあと、外出し諸用を済ませた。
「──……んあー!」
運転席に腰掛け、伸びをする。
「なんか、とても健康的な生活をしている気がする」
「けんこうてき?」
うにゅほが小首をかしげる。
「午前中から運動して、出掛けて、帰ってもまだ午前中なんだぞ」
「◯◯、おきるの、ひるだもんね」
「……だいたい、十時半くらいには起きてると思います」
俺は、宵っ張りである。
二時三時は当たり前、四時や五時まで起きていることもある。
「じゅうじはんて、もうひるちかいきーする」
「そんなイメージなのか……」
「うん」
「××、早起きだからなあ」
「◯◯が、おそおき」
「……返す言葉もございません」
うにゅほの起床時刻は、ぴったり午前六時だ。
ぼくにはとてもできない。
「昼ごはん買ってく?」
「おかあさん、ピザやくって」
「市販のやつ?」
「うん」
「あれにチーズ足して焼くと、美味いんだよなあ」
「おいしいよね」
「じゃあ、コンビニ寄ーらない。おやつとか余計に買っちゃいそうだし」
「そうしましょう」
「せっかく毎日エアロバイク漕いでるんだから、無駄にしたくないもんな」
「◯◯、がんばってるとおもう」
「頑張ってます」
「すごい」
「もっと褒めてもいいぞ」
「えらい、えらい」
うにゅほが俺の頭を撫でる。
「──…………」
よし、もっと頑張ろう。
そんなことを思う単純な俺なのだった。
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2019年1月20日(日)
「寒い……」
ファンヒーターを消すと、一瞬で寒気が忍び寄る。
かと言って、つけたままだと茹だってしまう。
「あいだはないのか……」
ないのだった。
「ほんと、さむいねえ」
「大寒近いしな」
「いちばんさむいひ、だっけ」
「必ずしも一番ではないけど、寒さが厳しい時期なのは確か」
「へえー」
「具体的に、いつだったっけ……」
キーボードを叩く。
「あ」
「?」
「近いもなにも、今日じゃん」
「!」
「寒いはずだ……」
得心が行った。
「きょう、だいかんだったんだ」
「そうみたい」
「いま、なんど?」
「えーと──」
iPhoneを起動し、気温を調べる。
「……-4℃」
「あれ、さむくない」
思ったよりは、という意味だ。
「大寒も、当てにならないな」
「そだねえ」
梅雨の時期には雨が降りやすいが、必ず降るわけではない。
それと同じことだろう。
「しかし、もう大寒かあ……」
「うん」
「なんか、一瞬だな。このまま一瞬で人生が終わりそうな気がする」
「なんとかのほうそく?」
「そう。××も、すぐにわかるようになるよ」
「そか……」
ジェットコースターのような速度で一年が過ぎて行く。
せめて、ふたりで楽しい時間を。
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2019年1月21日(月)
「──…………」
「──……」
ほけー。
パソコンチェアに体重を預けながら、天井をぼんやり見上げる。
暇だった。
「仕事がない……」
「ないの?」
「正確に言うと、少ない。パパッと終わるから後でやる」
「がんばったもんね」
先週までの忙しさは、言わば"仕事の先取り"によるものだ。
仕事の絶対量はある程度決まっているため、先にこなせば後が楽になる。
先に済ませるか、後に回すか、それを自分で選べないのが平社員のつらいところである。
「ずっとらくなの?」
「どうだろ。たぶん、今週中はこんな感じだと思うけど」
「よかったー」
うにゅほが、ほにゃりと笑う。
「たくさんしごと、たいへんだもんね」
「──…………」
目を逸らす。
「?」
うにゅほが小首をかしげた。
「……たぶん、来週また忙しい」
「そなの……?」
「三百件、先取り」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
「ちなみに、先週までのは二百四十件」
「はー……」
「毎日コツコツやらせてほしい……」
「ほんとだね……」
だが、ぼやいても始まらない。
「せめて、暇なうちはだらだらする。ごろごろする。ゲームもする」
「うん」
世間一般に比べれば、俺の仕事は楽なほうだ。
英気を養い、来週の修羅場に臨むことにしよう。
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2019年1月22日(火)
スイッチで、ヒューマンフォールフラットを購入した。
正確に言うと、弟がいつの間にか購入していた。
「あ、これ、よいこのやつ!」
「そうそう」
よゐこが、〈インディーでお宝探し生活〉という動画でプレイしていたゲームである。
「ちょっとやってみようぜ」
「むずかしそう……」
渋るうにゅほにコントローラーを押し付け、ヒューマンフォールフラットを起動する。
二分割された画面に、子供がこねて作ったような白い人形が立ち並んだ。
「わ、わ、これ、わたしどっち?」
「俺が左で、××が右」
「みぎ……」
「これ、視点変えるのどうすんだろ」
「あ、ジャンプした」
うにゅほの操作するキャラクターが、ぼってりと鈍く跳ね回る。
「ジャンプはいいけど、視点回せないぞ……」
もたもた。
しばしして、
「──あ、コントローラー傾ければいいのか!」
「そんなのあるの?」
「スイッチはジャイロセンサー入ってるから」
「じゃいろ……」
「傾けてみ」
「うん」
うにゅほが、上半身を右に大きく傾ける。
「あれ……?」
視点が変わらない。
当然である。
「××さん、手元が傾いてませんよ」
「!」
可愛い。
「……うへー」
笑って誤魔化そうとするさまも、また愛しい。
「ほら、さっさと行くぞー」
うにゅほのキャラクターを引っ掴む。
「わ、かってにうごく!」
「ほれほれ」
「これ、どうなってるの?」
「LとRで掴める」
「つかみたい!」
「いいぞ」
そんな具合で、さっぱり進みやしない。
最初のステージすら覚束ないふたりだったが、これはこれで楽しいのだった。
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2019年1月23日(水)
「うはー……」
窓の外が、白い。
ふっくらとした牡丹雪が、目まぐるしく視界をよぎっていく。
猛吹雪だった。
「これ、夜には雪かきだな。場合によっては明日の朝も」
「ゆきかきかあ……」
「?」
雪かきが好きなはずのうにゅほが、何故だか憂い顔だ。
「どしたー?」
うにゅほの頭を、ぽんと撫でる。
「雪かき、嫌になったか。気持ちはわかるぞ。すごくわかる」
「ちがくて」
やっぱり。
「ゆきかき、すきだけど、ふぶきのときにがて」
「あー」
「かお、つめたい……」
「すごくわかる」
寒いだけならまだしも、顔にビシビシ雪の粒が当たり続けると、やる気ゲージがモリモリ削れていく。
除雪する傍からどんどん積もって行くため、賽の河原にいる気分になるし。
「××は、どんな雪かきがしたい?」
「うーと」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「はれててね、さむくてね」
「うん」
「ゆき、きらきらしてて」
「うん」
「ゆき、ふーってしたらとぶくらいかるくてね」
「うん」
「◯◯と、いっしょにするの」
「──…………」
「これ、さいこう」
「そっか」
うにゅほの髪を手櫛で整える。
「明日、晴れたら、一緒に雪かきしような」
「うん!」
「……まあ、晴れてなくてもするんだけど」
「うん……」
晴れろと贅沢は言わない。
せめて、吹雪はやんでくれ。
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2019年1月24日(木)
「◯◯、◯◯」
「んー」
卓上鏡で眉毛を整えながら、うにゅほに生返事を返す。
「◯◯」
「はいはい」
「きょう、なんのひか、おぼえてる?」
「今日……」
1月24日。
何かあっただろうか。
「えーと」
キーボードを叩く。
「……郵便制度執行記念日?」
「──…………」
じ。
うにゅほの双眸が、俺を射抜く。
あ、これ思い出さないとまずいやつだ。
しばし本気で思案し、
「──あ、婆ちゃんの命日か!」
「うん」
危ないところだった。
「◯◯、わすれてた?」
「忘れてないよ、思い出した」
「それ、わすれてた……」
「まあまあ」
うにゅほの手を取り、階下へ向かう。
「命日くらい、ちゃんと手を合わせないとな」
「うん」
「しかし、婆ちゃんが死んでから、もう二年か……」
「さんねんだよ」
「……マジ?」
「うん」
月日が経つのが早すぎる。
「三年、か……」
祖母がいなくなって、三年。
この三年間で、何を成しただろう。
成長はした気がする。
だが、失ったものも大きいはずだ。
「──…………」
なむなむと呟くうにゅほの隣で、同じように手を合わせながら、そんなことを考えていた。
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2019年1月25日(金)
「──…………」
ずうん。
電源を落とした液晶タブレットに突っ伏しながら、ただ呼吸のみを行う。
落ち込むことがあった。
人から見ればそう大したことでもないのかもしれないが、ちょっと気落ちするくらいは許してほしい。
「◯◯……」
「──…………」
「◯◯?」
「んい」
「だいじょぶ……?」
「だいじょばない」
「だいじょばないかー……」
「ごめん、一時間くらいほっといて」
「わかった……」
しばしして扉の開閉音が響き、自室が無音に包まれる。
「──…………」
無音。
そう思われた自室も、ひとりになってみれば、決して静かではない。
ファンヒーターの駆動音。
風が窓を叩く音。
そして、自身の呼吸音。
「──…………」
落ち着かない。
ひとりでないことに慣れ過ぎた。
「……一時間、か」
時計を見る。
まだ五分ほどしか経っていなかった。
「──…………」
寂しい。
チェアから腰を上げ、階下へ向かう。
ぼんやりテレビを見ていたうにゅほと、目が合った。
「◯◯?」
「あー」
目を逸らしながら、言う。
「……なんか、大丈夫になった」
「ほんと?」
「まあ、うん」
「よかった!」
ストレートな笑顔が、胸にくる。
「……ごめんな」
「なにが?」
「なんでもない」
気落ちしていても仕方ない。
前を向こう。
その手伝いをしてくれる人が、隣にいるのだから。
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2019年1月26日(土)
「ねむみが深い……」
「ねむみが」
「早起きしたからなあ」
「くじ」
「俺にしては早起きなの!」
「そだね」
くすりと笑われてしまった。
「なんじにねたの?」
「普段と変わらないよ。四時くらい」
「ごじかんかー」
「五時間だな」
「わたし、きょう、ろくじかんくらい」
「××って、けっこうショートスリーパーだよな」
「しょーとすりーぱー?」
「睡眠時間が少なくても大丈夫な人」
「そかな」
「寝るのは基本十二時、起きるのはピッタリ六時。たまに一時まで起きてるときもあるし」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「でも、ひる、うとうとするひーある」
「食後とかな」
「うん」
「気持ちよさそうだから、起こさないようにしてる」
「うん、きもちい」
うへーと笑う。
「寒そうだったら半纏掛けてるぞ」
「しってる」
「知ってたか」
「ありがとね」
「どういたしまして」
「ねむみ、まだふかい?」
「深いですね……」
「うとうとする?」
「うとうとって、意識的にできるもんじゃないから」
「うとうとしたら、はんてんかけるね」
「ありがとう」
ちょっと嬉しい。
しかし、そんなときに限ってうとうとしない俺なのだった。
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2019年1月27日(日)
「──…………」
カチ、カチ。
左クリックでページをめくり、先へ先へと読み進める。
「◯◯、なによんでるの?」
「回転むてん丸」
「むてんまる」
「くら寿司の販促用Web漫画なんだって」
「へえー」
「面白いって聞いたから読んでみてるけど、まあ、良くも悪くも子供向けだな」
「おもしろくないの?」
「そこそこ」
「そこそこかー」
「最後まで読んだら、感想教えるよ」
「うん」
回転むてん丸は、二部構成だ。
第一部は、一弾から七弾。
第二部は、一章から八章。
「……?」
第二部一章を開いた瞬間、違和感に襲われた。
背景の描き込みが、これまでとは明らかに異なっている。
主人公のむてん丸がいなければ、別の漫画と見紛うほどだ。
小学◯年生からコロコロコミックへと掲載誌が移ったくらいの変化を感じる。
「これ、面白いな……」
思わずそんな呟きが漏れた。
「むてんまる、おもしろいの?」
「だんだん面白くなってきた」
「おー」
第二章。
第三章。
次々と読み進めていく。
第六章。
第七章。
「──…………」
俺は、寿司屋の販促用漫画に泣かされていた。
第八章を読み終え──
「──……××」
「うん」
「すげえ面白かった……」
「◯◯、ないてたもんね」
「××も泣く、絶対」
「よみたい!」
「じゃあ、タブレットでな」
「うん」
うにゅほが、iPadで回転むてん丸を読み始める。
読み終えたら、ふたりで語り合うのだ。
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2019年1月28日(月)
うにゅほが、膝に乗せたiPadの画面の上で、時折指を滑らせている。
「××」
「んー」
「むてん丸、どこまで読んだ?」
「うーと、いま、かんふーたわーのとこ」
第五弾か。
第三弾から第六弾まではサイドストーリーだから、ちょっと間延びしてるんだよなあ。
「……面白い?」
「うん、おもしろい」
「そっか」
この時点で面白さを感じているのなら、きっと最後まで読み切ってくれることだろう。
「──…………」
ぽりぽり。
むてん丸を読みながら、うにゅほがふとももの裏を掻く。
先程から幾度も同じ場所を掻いているのが気になった。
「××、ふともも痒いの?」
「かゆい……」
温湿度計を覗き込む。
「湿度44%か。ちょっと乾燥してるな」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「かしつするの、ずっとわすれてたね」
「わかりやすく効果が表れるわけじゃないから、つい後回しにしちゃうんだよな……」
「うん……」
思えば最近、目が疲れやすかった気がする。
これでは、なんのために温湿度計を設置しているかわからない。
「タンクに水汲んでこよう」
「おねがいします」
「××、痒み止まらなかったらユースキン塗ろうな」
「ほしつのやつ?」
「そう」
「おろないんと、どっちいいかな」
「用途が違うから……」
うにゅほは、オロナインを万能薬か何かだと思っているらしい。
用途に合わせた使い分けが大切なのだと、ちゃんと教えておかねば。
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2019年1月29日(火)
「××ー」
「?」
「握手」
そう言って、右手を差し出す。
「はい」
うにゅほが俺の手を握る。
「つめた!」
「冷たいだろ」
「てー、だいじょぶ?」
うにゅほの小さな両手のひらが、俺の右手を優しく包む。
温かい。
すこし熱いくらいだ。
「××の体温が染み渡る……」
「すりすりするね」
「お願いします」
「おわったら、ひだりてね」
「はい」
「あしは?」
「靴下履いてるから大丈夫」
「そか」
足も冷たいと言えば、温めてくれたのだろうか。
「──…………」
たぶん、してくれただろうな。
うにゅほだもの。
しばしして、左手が汗ばんできたころ、ふとあることに思い至った。
「そう言えば、××も冷え性じゃなかったっけ」
「うん」
「手、あったかいけど……」
「てーもつめたいときあるけど、つめたいの、あし」
「足か」
「うん」
「──…………」
「──……」
「靴下は?」
「……うへー」
あ、笑顔で誤魔化しにかかった。
「はいはい、靴下履きましょうねー」
「はーい……」
「履かせてあげるから」
「うん」
靴下嫌いなのは俺も同じだから気持ちはわかるが、心を鬼にして履かせなければ。
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2019年1月30日(水)
仕事が一段落して自室へ戻ると、うにゅほが滂沱の涙を流していた。
「──…………」
理由はすぐにわかった。
うにゅほの膝の上に、iPadがあったからだ。
「××」
「ふい……」
ずひ、と鼻を啜るうにゅほに、ティッシュを箱ごと手渡す。
「むてん丸、面白かった?」
「おもじろがった……」
回転むてん丸。
くら寿司の販促用Web漫画である。
「七章の過去編あたりから、涙腺ヤバいよな……」
「わがる……」
目元を拭い、幾度も鼻をかみながら、うにゅほがうんうんと頷く。
「目、赤いぞ。目薬をさしてあげましょう」
「おねがいしまう」
天井を見上げて待ちの姿勢に入ったうにゅほの両目に、ぽたりぽたりと目薬をさしてやる。
「う」
「はい、ぱちぱちして」
うにゅほが目をしばたたかせる。
「で、最後まで読み終わったのか?」
「うん、さっき」
上着の袖に視線を向ける。
濡れていた。
「袖で拭いたら、バイキン入るぞ」
「うへー……」
「……まさか、鼻水も拭いてないよな」
「ふいてないですー」
「本当に?」
「こどもじゃない……」
微妙に心外そうな表情を浮かべる。
「まあまあ、むてん丸の話をしよう。××は誰が好きだった?」
「うーと、うみみかなあ」
「海美か。シセラの話、王道で切なくてよかったよな……」
「◯◯は?」
「普通にシャムかな。あと、シックも好き」
「おー」
そんな具合に、しばし回転むてん丸の話で盛り上がった。
面白い作品は、人と共有することで、さらに楽しむことができる。
物語は終わっても、コンテンツは終わらないのだ。
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2019年1月31日(木)
ふとカレンダーに目を向ける。
「2019年も、なんだかんだで一ヶ月か……」
「いろいろあったねえ」
「……いろいろあったか?」
「うん」
「そうだっけ……」
言われてパッと思いつく出来事がないのだけれど。
「スイッチかった」
「買ったな」
「マリオカート、むずかしいねえ……」
「(弟)、なんであんなに速いんだろうな。意味わからん」
「みにたーぼ?」
「ミニターボの成否より明らかな差がある気がするんだけど……」
「うん……」
弟を見返すためには、うにゅほとふたりで特訓するしかないだろう。
もっとも、最近はまた仕事が忙しくなってきていて、ゲームをする時間もなかなか取れないのだが。
「一ヶ月、一ヶ月──」
今月あった出来事を思い返そうとして、ふと気づく。
「そう言えば、大掃除してからちょうど一ヶ月でもあるな」
「そだね」
自室をぐるりと見渡してみる。
「──うん、わりと綺麗に使えてると思う」
「せいりせいとん、できてますね」
「本を読み終わったら、ちゃんと元の場所に戻すようにしてるからな」
「えらいマンだ」
「えらいマン……」
意味はわかるがよくわからんことを言い始めた。
「その、えらいマンとはいったい」
「えらいマンは、えらい」
「偉いんだ」
「だから、◯◯はえらいマン」
「××はえらいウーマン?」
「うーん……」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「ごろが、へん」
「まあ……」
わからんでもない。
「えらいマンは、えらいマン」
「概念かな」
「がいねん」
まあ、素直に褒められたと思っておこう。
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以上、七年二ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
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2019年2月1日(金)
灯油タンクをがたごと揺らしながら、逃げ込むように自室へ戻る。
「はー、寒い寒い! 寒い!」
「おかえりなさい」
「××、今日クソ寒いぞ!」
「そんなに?」
「玄関出たら、一瞬で体温持ってかれた……」
「あったまる?」
うにゅほが、招くように両腕を開く。
「あっためろ!」
ファンヒーターに灯油タンクをセットしたのち、躊躇なくうにゅほの胸に飛び込んだ。
「ぎゅー」
しっとりと柔らかい体が押し付けられる。
温かい。
心地良い。
「ふいー……」
温泉に浸かったような心持ちだった。
「◯◯、あったかい?」
「あったかい……」
「さむくなくなったら、てーかがしてね」
「はいはい」
うにゅほは、俺の手に付着した灯油の匂いが大好きである。
「──…………」
考えてみれば、灯油の匂いを嗅ぐのを我慢してまで、凍える俺を温めてくれているのか。
「××は、いい子だなあ」
「そかな」
「えらいマンだな」
「◯◯も、さむいのにとうゆいれてきてくれて、えらいマン」
「仲間だな」
「なかま、なかま」
うへーと笑う。
俺の大好きな笑い方だ。
「──うん、だいぶあったまった。ありがとな」
「はーい」
「手、嗅ぐ?」
「かぐ!」
しばしのあいだ、心ゆくまで灯油の匂いを堪能するうにゅほなのだった。
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2019年2月2日(土)
「──よし、投稿完了!」
ブラウザのページが切り替わるのを確認し、独りごちる。
肩の荷が下りたようだった。
「とうこう?」
座椅子から腰を上げたうにゅほが、ディスプレイを覗き込む。
「ほら、十周年の」
「はつねミク?」
「そうそう」
十年前の1月10日、俺は、ある動画を投稿した。
それは、戯れに友人と作った、一曲のボカロ曲だった。
「あれから十年か……」
ニコニコ動画への投稿数は七十に届き、まだ動画化していない楽曲も十以上ある。
よくもまあ、飽きずにコツコツ作り続けたものだ。
「じゅうねんまえ、わたしいなかった……」
「いなかったな」
「ずるい」
そんなこと言われましても。
「……えーと、その、曲の話をしていいですか?」
「はい」
「今回の曲は、十年前に作った曲のリミックスなんだ」
「さいしょのきょく?」
「最初ではない。でも、最初期の曲ではあるかな」
「へえー」
「十年前より良い機材で、十年前より良い腕で、知人にギターを弾いてもらって仕上げたのだ」
「すごい」
まあ、頑張ったのは主に作曲担当なのだが。
「聞いてみる?」
「あ、くらべてみたい」
「いいぞ」
うにゅほをチェアに座らせて、ヘッドホンを手渡す。
「では、原曲から」
音楽ファイルを再生する。
「おー……」
「どんな感じ?」
「ぼんぼんしてる」
「ぼんぼん……」
まあ、わかる。
「続いて、リミックス」
別のフォルダを開き、再生する。
「わ!」
「どんなもんだい」
「ぶいんぶいんしてる……!」
「ぶいんぶいん……」
たしかに。
「その、"ぼんぼん"と"ぶいんぶいん"の差が、十年の重みなのだよ」
「なるほど……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
日記の最後に、当該動画へのリンクを貼っておく。
是非聞いてみてほしい。
初音ミクV4X / 侵蝕フェルミオン2019
ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm34563809
-
2019年2月3日(日)
節分である。
「ふくはー、うち!」
イベント好きなうにゅほと母親がきゃっきゃと撒いた落花生を拾って枡に戻したあと、家族で恵方巻きを食べることにした。
「今年の恵方は?」
「とうほくとう、だって」
「東北東……」
iPhoneのコンパス機能を使用し、東北東を特定する。
「……コンパスって、恵方を探すとき以外使わない気がするなあ」
「たしかに……」
「東北東、あっちみたいだ」
洗面台の方角を指差す。
「わかった!」
俺とうにゅほ、母親が、東北東を向いて恵方巻きにかぶりついていると、
「──ほら、◯◯! ゲーミングパソコンだってよ、ゲーミングパソコン!」
出た。
ひとり恵方巻きを食べ終えた父親が、俺の肩を叩きながらリビングのテレビを指し示す。
「──…………」
「──……」
はぐはぐ。
父親を無視し、無言で恵方巻きを食べ進める。
何故かはわからないが、うちの父親は、俺たちが恵方巻きを食べるのを毎年邪魔してくるのだ。
「ほれ見ろって、普通のパソコンとすげー差があるんだってよ!」
喉に詰まらせかけながら急いで恵方巻きを食べ終え、うにゅほに視線を送る。
口の小さなうにゅほは、まだまだ食べ切れそうにない。
うにゅほをかばうように姿勢をずらし、
「それ、なんの番組?」
「今朝のがっちりマンデー」
「ああ、BTOの話か。たしか、(弟)のパソコンもネットで──」
会話によって父親の気を逸らし、時間を稼ぐ。
しばしして、
「──ぱ!」
うにゅほが、恵方巻きをすべて平らげた。
「よし、食べきった!」
「うん!」
「今年も、父さんの妨害に負けず、なんとか乗り切ったな」
父親が、きょとんとした顔をする。
「妨害?」
とぼけやがった!
ともあれ、今年も一年健やかに過ごせますように。
-
2019年2月4日(月)
「寒い……」
ファンヒーターをつけているのに、一向に室温が上がらない。
外気温が低すぎるのだ。
「これ、設定温度上げたほうがいいな……」
「うん……」
膝の上のうにゅほが、小さく頷く。
くっついていてもまだ寒いのだから、今日の冷え込みは筋金入りである。
チェアを滑らせ、ファンヒーターの前へと移動する。
「××、設定温度上げて」
「はーい」
うにゅほが右足をもたげ、
「うしょ」
ぴ、ぴ、ぴ。
爪先で、フロントパネルのボタンを押していく。
「これ、お行儀が悪いですよ」
「◯◯もしてる……」
「そうだった」
俺はいいけどお前はダメだ、などと、理不尽なことは言えないし言いたくない。
「どうせなら、足癖を鍛えてみよう」
「きたえるの?」
チェアを更に滑らせて、ストーブの奥にある扇風機を指し示す。
「扇風機に掛かってるブランケット、足で取ってみて」
「うと……」
今日のうにゅほは、ちゃんと靴下を履いている。
足の指は使えない。
「──うーしょ、と!」
両足をピンと伸ばし、ブランケットを挟み込む。
がに股でブランケットを引き寄せながら、うにゅほが得意げにこちらを振り返った。
「とれた!」
「よーしよし、上手い上手い」
「うへー」
「じゃあ、そこのペットボトルを取ってくれ。丸いから難しいぞ」
「わかった」
そんなことを繰り返していると、うにゅほの体が徐々にぽかぽかしてきた。
「計算通り……」
「?」
うにゅほが頭上に疑問符を浮かべる。
「なんでもない、なんでもない」
この手は使える。
なんと優秀な湯たんぽであることか。
-
2019年2月5日(火)
「グエー……」
仕事を終え、ベッドに倒れ込む。
「疲れた寒い眠いー!」
ばたばた。
「しごと、また、いそがしいねえ」
「金曜の朝までに、310件上げなきゃならない……」
「あとなんけん?」
「80件くらい」
「がんばった」
「褒めてくれて構わないぞ」
うにゅほが俺の頭を撫でる。
「えらい、えらい。えらいマン」
「それ気に入ってるの?」
「うん」
「寒いマン」
「さむいマン……」
「眠いマン」
「ねむいマン、ねむいの?」
「眠い」
朝も早よから仕事仕事で、睡眠時間が足りていない。
「でも、まだおふろはいってない……」
「眠いマンは、仮眠マンになろうと思います」
「かみんマン」
「三十分経ったら起こして」
「はーい」
もぞもぞと布団に潜り込む。
「あ、悪いけどストーブつけてくれる?」
「うん」
「アイマスクどこだ……」
「おちてたよ」
「手が冷たい……」
「てーにぎる?」
「お願いします」
「はい」
ぎゅ。
「……××のほうが仮眠マンだなあ」
「わたし?」
「仮眠の平和を守る、仮眠マン」
「あー」
「お世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ」
あれこれ話しているうちに三十分ほど経ってしまって、結局仮眠できない俺だった。
-
2019年2月6日(水)
「──んッ、くあー……!」
指を組んだ両手のひらを、思いきり真上に突き上げる。
「今日の仕事、終わり!」
「おつかれさま」
「ココア飲みたい……」
「まっててね」
「あーい」
生返事を返し、畳の上に寝転がる。
しばしiPhoneをいじりながら待っていると、うにゅほがマグカップを手に仕事部屋へ戻ってきた。
「あついから、きーつけてね」
「ありがとう」
マグカップを受け取り、ココアを啜る。
体に染み渡るようだった。
「しごと、きんようびまでにおわりそう?」
親指を立ててみせる。
「余裕」
「おー!」
「毎日、多めに片付けてきたからな」
仕事がどんと積まれた直後は徹夜も視野に入れていたが、ちゃんとコツコツこなしていけば、意外となんとかなるものだ。
「ひとまず金曜日は楽できそう」
「よかったー」
「金曜空いたから、免許の更新行ってこようかな」
「はがききてたやつ?」
「そうそう。2月12日までだから、けっこうギリギリだし」
「まえのとき、わすれてたもんね」
「二ヶ月くらい忘れてましたね……」
失効する前に気づいてよかった。
「わたし、ついてっていい?」
「ダメ」
「だめかー……」
「ずっと隣にいられればいいけど、講習とか、関係者以外教室に入れないし」
「あー」
「知らない場所に一時間ひとりきりとか、嫌だろ」
「うん……」
俺も心配だし。
「まっすぐ帰ってくるから」
「うん、わかった」
運転免許試験場なんて、面白いものは何ひとつない。
さっさと行って帰ってきて、うにゅほ孝行でもしてあげよう。
-
2019年2月7日(木)
明日の朝締め切りの仕事を早めに上げて、自室でだらだらとくつろいでいた。
「そういえば、今朝ヘンな夢見たなあ……」
「どんなゆめ?」
「××、クラゲの増え方って知ってる?」
うにゅほがふるふると首を横に振る。
「クラゲは、卵から産まれると、岩なんかに張り付いてポリプって形態になるんだ」
「うん」
「細長いポリプは、成長するにつれ、くびれが幾つもできはじめて、徐々に重ねた三度笠みたいになっていく」
「うん」
「その三度笠が切り離されて、クラゲになるんだ」
「たまごいっこから、たくさんふえるの?」
「そうだな」
「へえー」
感心したように、うにゅほがうんうんと頷いた。
「みたの、くらげのゆめ?」
「いや、椎茸の夢」
「しいたけ……」
うにゅほの頭上に巨大な疑問符が浮かぶ。
「椎茸が、実は、クラゲと同じ増え方をするって内容の夢だった」
「ぽりぷ?」
「そう」
「そうぞうがむずかしい……」
「ほら、柄の部分がないキノコって、クラゲっぽいじゃん」
「あ!」
ピンと来たのか、うにゅほが頷く。
「傘の部分だけ無数に重なったミミズみたいな椎茸ポリプが、どるるるる!って感じで地面を掘り進めていく夢」
「──…………」
「たまに椎茸が分離して、落ちる」
「ちょっとわかんない……」
「俺もわからない」
意味のないのが夢とは言え、意味不明にも程がある。
「へんなゆめ、わたしもみたいなあ」
「見たいのか」
「うん。◯◯にはなしたい」
「期待しとこう」
「がんばる」
頑張ってどうにかなるとも思えないが、その気持ちは嬉しい。
楽しみだなあ。
-
2019年2月8日(金)
予定通り、免許の更新に行ってきた。
「ただーいまー……」
「おかえり!」
お出迎えしてくれたうにゅほに微笑みを返し、財布から新しい免許証を取り出す。
「ほら、これ」
「おー……」
「今回こそゴールドだと思ったんだけど、普通に青だった」
うにゅほが小首をかしげる。
「ゴールド?」
「免許証に、青い帯があるだろ」
「ある」
「無事故無違反だと、そこが金色になるんだ」
「つよいの?」
「強い」
「つよいんだ……」
「免許証の有効期間が五年になるし、更新のときの講習も三十分で済む」
「つよい」
「でもなあ、ここ数年で違反した記憶なんて──」
ふと、脳裏をよぎることがあった。
「あー……」
「?」
「あったわ。納得行かないのが」
「なに?」
「××がいないとき、駐車違反で切符を切られたことがあったんだよ」
「あったの……」
言わなかったけど、あった。
「住宅街で、基本的には駐車禁止の区画なんだけど、よくよく標識を確認さえすれば、駐車できる通りがぽつぽつあったんだ」
「なのに、だめだったの?」
「戻ってきたら駐禁ステッカー貼ってあった」
「──…………」
あ、難しい顔してる。
「警察呼んで文句言ったけど、一度貼られたステッカーは取り消せないとかなんとか言われて、結局泣き寝入りだよ」
「それ、おかしい」
「俺もそう思う」
「もんくいおう!」
「今から?」
「ゴールドにしてもらう」
「難しいんじゃないかな……」
「うー……」
うにゅほが、悔しそうに唸る。
義憤に駆られているらしい。
「とりあえず、次の三年を無事故無違反で過ごせば、ゴールドは取れると思う。気をつけて運転するしかないかな」
「そか……」
李下に冠を正さず。
法的に問題なくとも、判別が難しい場所には駐車しないように気をつけよう。
-
2019年2月9日(土)
四十年ぶりの大寒波が来ているらしい。
「道理で暖房の効きが悪いわけだよなあ……」
「ねー」
膝の上のうにゅほを湯たんぽ代わりに抱き締めながら、チェアをぐるぐる回転させる。
「-10℃もあれば、なんか面白いことできそうだよな」
「おもしろいこと?」
「バナナで釘とか」
「うてるかなあ……」
「空中に熱湯撒き散らしたりとか」
「あ、どうがでみたことある」
「濡れタオルを振り回して、凍らせるのとか」
「あれ、ほんとにできるのかな」
「やったことない」
「そか」
「──…………」
「──……」
「よし、やってみるか」
「みる!」
やってみた。
「さぶぶぶぶぶ……」
ぶん、ぶん、ぶん。
極寒の外気に晒されながら、濡れタオルを振り回す。
手が冷たい。
首元が寒い。
すぐ終わるだろうと油断せず、素直にマフラーを巻けばよかった。
「◯◯、がんばって!」
「頑張るー……」
玄関から出ないようにと厳命したうにゅほが、隙間から声援を飛ばしてくれる。
一分ほど振り回したところで、
「あ、表面が凍ってきた」
「ほんと?」
「でも、棒状にはならないな」
「もすこし?」
「もうすこしやってみよう」
ぶん、ぶん、ぶん。
ぶん、ぶん、──フォン!
無心でタオルを回すうち、ふと風を切る感覚を覚えた。
手を止める。
「凍ってる……」
「ほんとだ!」
「ほら、××。持ってみ」
うにゅほにタオルを手渡す。
「わ、わ、つめた! かた!」
「タオル、本当に凍るんだなあ……」
「すごいね!」
やってみるものだ。
だからなんだと言われても困るが、楽しかったのでよしとする。
-
2019年2月10日(日)
「ニートの日」
「?」
「いや、2月10日だから……」
「ニートのひなの?」
「適当」
「てきとうだった」
「まあ、そんな記念日ないだろ。なにを記念してるんだよ」
「そだねえ」
言いながら、キーボードを叩く。
「……あった」
即落ち2コマである。
「ニートのひ、あったの?」
「ちゃんとWikipediaに載ってました」
「おー」
「2月10日には、他にも、語呂合わせの記念日があります。当てられるかな」
「うと……」
小首をかしげ、
「に、と……、に、じゅう……、に、と……」
しばしの思案ののち、うにゅほが答えた。
「……にとのひ?」
ニートの日に引きずられているようだ。
「"にと"って?」
「にとをおうものは、いっともえず……?」
疑問形にされてもなあ。
「残念不正解!」
「やっぱし……」
「まず、ニットの日だろ」
「あ!」
うにゅほが、思わずといった様子で声を上げた。
「でそうだったやつ!」
「出そうだったのか」
「うん」
「負けた気分?」
「まけたきぶん……」
「わかる」
俺も、喉まで出掛かったことを調べざるを得なくなったとき、負けた気がするもの。
「他には、ふとんの日」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ふきのとうの日」
「……きーと、のーは?」
俺が聞きたい。
「左利きグッズの日」
「ぜんぜんわかんない……」
記念日に限らず、語呂合わせには無茶なものが多すぎる。
もうすこし頑張りましょう。
-
2019年2月11日(月)
連休だというのに仕事が終わらない。
こなしても、こなしても、新しい仕事が舞い込んでくる。
「はあ……」
思わず溜め息を漏らす。
会社の経営が順調なのはいいことだが、こうまで多いと辟易してしまう。
「◯◯、◯◯」
仕事机に向かっていると、うにゅほが俺の名を呼んだ。
「んー」
意識を仕事に残したまま、横目で見やる。
うにゅほが、マグカップを持って立っていた。
「ホットミルクつくったよ」
「お」
ちょうど、喉が渇いていたところだったのだ。
「ありがとな」
マグカップを受け取り、礼を言う。
「しごと、おわらない?」
「まだ終わらないかな……」
「そか……」
「これでも、普通の会社員より随分楽なんだけどな。出退勤の移動時間もないし」
おまけに、待機時間を趣味に当てられる。
この環境で文句を垂れるほど、俺は世間知らずではない。
「──…………」
ホットミルクを啜る。
好みの甘さだった。
「うん、さすが××。わかってるな」
「うへー」
他の人にとっては甘すぎるかもしれないが、俺にとっては最高のホットミルクだ。
「疲れた脳に糖分が染み渡る……」
「しみわたるの、はやい」
「そんな気がするだけです」
「ぷらしーぼ?」
「ちょっと違う気がするな」
「そか」
「でも、××のホットミルク飲んで元気が出てきたのは気のせいじゃないよ」
「よかった」
うにゅほが、微笑む。
その笑顔すら活力となる。
「──さーて、残りもさっさと片付けるか!」
「がんばってね」
「頑張るー」
仕事仕事で忙しないが、うにゅほがいれば乗り切れそうだ。
-
2019年2月12日(火)
「──…………」
ぼへー。
パソコンチェアにだらしなく腰掛け、天井を見上げる。
「暇だ……」
「ひまなの?」
「土、日、月と、三連休が仕事で潰れたから、無理に休みを取ってるんだけどさ」
「うん」
「休日って、どう過ごしてたっけ……」
「◯◯……」
あ、気の毒な人を見る目だ。
「いや、わかってる。わかってるぞ。部屋にいるときは、動画見たり、動画したり──」
「しないの?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんか、やる気出ない」
「でないの……」
「半端に期間が空くと、追い掛けてたものを再開するのが面倒になるんだよな」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「わかる?」
「ちょっとわかる」
「いま、そんな感じ」
「そか……」
「まとめブログでも見て暇潰すかな」
しばしブラウジングに興じ、
「──あ、××。今日は何の日か知ってる?」
「なんのひしりーず?」
「暇だからね」
「うーと、ごろあわせ、ある?」
「ある」
「……にー、いち、にー……、にいに、にーにー……」
しばし頭を悩ませたあと、
「……おにいさんのひ?」
「兄の日は、6月6日らしい」
「どうして?」
「知らんけど」
「じゃあ、きょうなんのひ?」
「黄ニラ記念日」
「きにら……?」
「"に(2)っこりいい(1)ニ(2)ラ"の語呂合わせ、だって」
「──…………」
あ、納得行かない顔してる。
「むりある」
「俺もそう思う」
「きいろせいぶんないし」
「俺もそう思う」
「ほかはー?」
「えーと、ダーウィンの日とか──」
そんなこんなで、もう夜である。
今日もだらだら過ごしてしまった。
-
2019年2月13日(水)
「太った」
「うん」
「わかる?」
「わかる」
「だろうなあ……」
ただいま、自己最重を更新中である。
うにゅほが気づかないはずもない。
「ダイエットをします」
「なにするの?」
「エアロバイクは毎日漕いでるから、やっぱ食事制限かなあ……」
「たべないと、からだこわすよ?」
「でも、食べると太るんだ」
「りょうのもんだいとおもう……」
「それはそうなんだけど」
適切な量だけ食べることができていれば、これほど太りはしなかった。
「ひとまず、夕食をプロテインに置き換えようかと」
「ぷろていん」
「買ったきり未開封のがあるし」
「しょうみきげん、だいじょぶかな」
「──…………」
1kgの袋を裏返し、賞味期限を確認する。
「2020年5月1日まで!」
「よゆう」
「余裕だった」
「まえのぷろていん、しょうみきげんきれてたから……」※1
「腐るものではないと思うけど、一年過ぎるとさすがに怪しいよな」
「はんとしでもだめだよ」
「一ヶ月は?」
「いっかげつなら……」
「二ヶ月」
「にかげつー……、なら……?」
「三ヶ月」
「さんかげつうー……、は、だめ……」
「じゃあ、四ヶ月」
「だめ」
うにゅほ判定では、二ヶ月までなら大丈夫らしい。
ひとまずしっかり運動しつつ、食べる量を減らして頑張ろう。
※1 2018年7月12日(木)参照
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2019年2月14日(木)
L字デスクの前に設置したエアロバイクを漕ぎながらYouTubeで動画を見ていたところ、
「──◯◯、◯◯」
俺の名を呼びながら、うにゅほが自室の扉を開けた。
「んー?」
「くちあけて」
「あー」
素直に口を開く。
「はい」
ころん。
舌の上で、何かが転がった。
ほんのり苦い。
ココアパウダーだ。
「──…………」
漕ぐ足を止め、味覚に意識を集中する。
舌と上顎で潰せるほど柔らかく、潰せば香りが鼻へと抜けていく。
甘い。
美味しい。
「これ、トリュフチョコ?」
「あたり」
「なんか手作りっぽいな」
「うん、てづくり」
「──…………」
「──……」
「あ、バレンタイン!」
「そだよ」
完全に忘れていた。
「それでか」
「うん」
「ありがとな。すごい美味しい」
「うへー……」
照れ笑いを浮かべるうにゅほの眼前に、両手を差し出す。
「?」
うにゅほが小首をかしげた。
「残りは?」
「のこり?」
「一個じゃないだろ」
「いっこだよ」
「えっ」
「◯◯、ダイエットちゅうだから、いちにちいっこね」
「……あー」
なるほど。
たしかに、一度にもらうと一度に食べてしまいそうだ。
「俺のことわかってるなあ……」
「いちばんしってる」
うにゅほが胸を張る。
「……もう一個だけ、ダメ?」
「だーめ」
「じゃあ、明日を楽しみにしておこう」
「うん」
バレンタインが毎日来るようなものだと考えれば、それはそれで嬉しいものだ。
-
2019年2月15日(金)
「◯◯、あーん」
「あー」
口のなかに、うにゅほ謹製のトリュフチョコレートが放り込まれる。
幸せの味だ。
「おいしい?」
「美味しい」
「うへー」
うにゅほが、てれりと笑みを浮かべる。
「ところで、あと何個あるんだ?」
「うーと──」
「あ」
「?」
「いや、言わなくていい。終わりが見えたら寂しい」
「そか」
「──…………」
「──……」
「いや、やっぱ言って! いきなり最後って言われたら悲しい!」
「うーとね」
「待って」
「どっち……?」
「……今月中は、もつ?」
「もつよ」
「けっこう作ったな」
「うん」
「来月の──最初の週に、なくなる?」
「なくなる」
「残り二十個くらいか」
「あたりー」
「えっ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……ちょうど、二十個?」
「そだよ」
「あー……」
終わりが見えてしまった。
「さみしい?」
「寂しい」
「またつくるから……」
「──…………」
ふと気づく。
「よく考えたら、まだ二十個もあるんだよな」
「うん」
「二十日間楽しめると」
「うん」
なんだ、寂しがる必要なんてないじゃないか。
「明日も楽しみだなあ……」
「うへー」
「……もう一個ダメ?」
「だめです」
「はい」
そのあたりは厳しいのだった。
-
以上、七年三ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
やい!観測所のコメント欄を見てみろ!
誰も楽しみにしていないからもう書くのはやめてくれ
せめて自分のサイト内だけでやってくれ
-
こう言う手合いはスルーが定石やけど、ここまであれやと色々勘ぐってしまうわ。
とりあえず、オマエがまとめのコメ欄に帰りや。
人の邪魔すんな。
-
2019年2月16日(土)
「ちょ、トイレ」
「んー」
膝の上のうにゅほを抱き下ろし、自室を後にする。
小用を済ませて戻ると、
「◯◯、◯◯」
「はい」
「おしりみして」
「……はい?」
何を言い出したんだ、この子は。
「あ、ちがくて」
うにゅほがパタパタと手を横に振る。
「うしろむいて」
「後ろ……」
言われた通り、背を向ける。
「──…………」
「──……」
「やっぱし」
「どういうこと……?」
「◯◯、ちょっとやせた」
「……たしかに、夕食をプロテインにしてから、1kgちょっと減ったけど」
すぐにわかるものなのだろうか。
「おしり、すこしちいさくなった」
「マジで」
「◯◯、ふとると、おしりからふとるから、すぐわかる」
「そうなんだ……」
知らなかった。
「おしり、あし、さいごにおなか。やせるときも、おしり、あし、さいごにおなか」
「よく見てるなあ」
「いちばんしってるから」
そう言って、うにゅほが胸を張る。
「おしりやせてきてるから、がんばって」
「頑張る……」
なにせ、すこし怠ればすぐにわかってしまうのだ。
うにゅほに良いところを見せたい俺としては、頑張らざるを得ない。
さっさと痩せて、どこか外食にでも連れていってあげよう。
-
2019年2月17日(日)
知人から、遅れて義理チョコをいただいた。
「うーん……」
小箱を前に思案する。
「ダイエット中だし、どうすっかな」
「たべるの?」
「一個だけ食べるか悩み中」
今日のぶんのうにゅチョコは、とっくに俺の胃の中だ。
「……××は、食べていいと思う?」
「いっこなら」
「よし」
"JEWEL"と書かれた小箱を開封し、中身を検める。
「あ、トリュフチョコだ」
「ほんとだ」
「××のと、どっちが美味しいかな」
「うってるほうとおもう……」
「わからないぞ」
俺が毎日の楽しみにするくらいには美味しいのだし。
「いただきます」
艶めいた黒い球体を、口のなかへと放り込む。
「!」
噛んだ瞬間、鼻へ抜けていくウイスキーの香り。
「あー……」
思わず顔をしかめる。
「どしたの?」
「これ、かなりお酒入ってる……」
「ぼんぼん?」
「ウイスキーボンボンってほどじゃないけど、濃い目に練り込んであるみたい」
「◯◯、ぼんぼんあんましすきじゃないもんね」
「そうなんだよな……」
好みで言えば、安い板チョコのほうが好きである。
「……××、食べる?」
「もらったの、◯◯なのに、いいの?」
「いいよ、義理チョコだし」
「じゃ、いっこ」
うにゅほが、明るい茶色をしたチョコレートを半分齧る。
「おいひい」
「あれ、××はウイスキーボンボン大丈夫な人だっけ?」
「おさけのあじ、しないよ?」
「えっ」
「あーんして」
「あー」
うにゅほの食べかけを頬張る。
「……ほんとだ、これは普通に美味しい」
「ね」
洋酒が練り込んであるものと、そうでないものがあるらしい。
「まあ、いいや。そのうち食べよう」
「うん」
冷蔵庫にでも入れておこう、うん。
-
2019年2月18日(月)
「ふん、ふん、ふん、ふん、ふんふーふーふーふふー♪」
ダスキンモップを手にしたうにゅほが、鼻歌交じりに本棚のホコリを落としていく。
「──…………」
なんだろう。
聞き覚えのある曲なのだけれど、思い出せない。
「××」
「ふん?」
「それ、なんの歌だっけ」
「うと……」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「わかんない」
「……わからない?」
「たぶん、おとうさんがうたってたやつ」
「あー」
父親の鼻歌が伝染ったのか。
「悪いけど、もっかい歌ってみて。気になる」
「うん」
ふん、ふん、ふんと、うにゅほがたどたどしく鼻歌を口ずさむ。
「──あ、わかった!」
「なんのうた?」
「マル・マル・モリ・モリだ」
「まるまるもりもり」
「芦田愛菜と鈴木福くんがやってたドラマの主題歌」
「へえー」
「知らない?」
「しらない……」
「まあ、俺も見たことないんだけど」
「そなんだ」
「ごめんな、掃除の邪魔した。なんか手伝う?」
「うん、だいじょぶ」
やがて、掃除を終えたうにゅほが、階下へと消えていく。
自室が沈黙に支配され、
「──…………」
脳内で、芦田愛菜と鈴木福がマルモリダンスを踊り始めた。
「がー!」
ぐわんぐわんとかぶりを振る。
しばらくのあいだ、マル・マル・モリ・モリが頭のなかで再生され続けたのだった。
-
2019年2月19日(火)
台所で夕食代わりのプロテインを作っていると、うにゅほが手元を覗き込んできた。
「ぷろていんだ」
「プロテインだぞ」
「おいしい?」
「水で作ってるから、美味しくはないかな」
「のんでみていい?」
「はい、どうぞ」
タンブラーを手渡す。
「いただきます」
くぴ。
うにゅほが、舐めるようにプロテインを飲み下す。
「──…………」
「美味しくないだろ」
「おいしくない」
「ココア風味だから、牛乳で作るとそれなりに飲める味にはなるんだけどな」
「ぎゅうにゅうでつくったらいいのに」
「味を追い求めてないから……」
「ぷろていん、おいしいイメージあった」
「あー」
「いまのぷろていん、おいしくないのかな……」
「いや、前に飲んでたときは、かなり味にこだわって作ってたんだよ」
「そだっけ」
「覚えてないか」
「あんまし」
「バニラ味のプロテインにきな粉とココアを足してみたり、別の味のプロテインをりんごジュースで割ってみたり」
「──あ、してた!」
思い出したのか、うにゅほが大きく頷いた。
「また、おいしくしたらいいのに」
「ダイエット中だからさ。なるべくカロリーは増やしたくないの」
「でも、おいしくないの、ながつづきしないきーする」
「そこは我慢のしどころです」
「そかな……」
「美味しかったら、飲み過ぎるかもしれないし」
「……それはあるかも」
「だろ」
俺は、自分の自制心に自信がない。
美味しいものであれば、際限なく飲み続けてしまうかもしれない。
「味は、ある程度痩せてきたら考えよう」
「そか」
心配してくれたうにゅほの頭をぽんと撫でて、味の薄いプロテインを一気に飲み干した。
-
2019年2月20日(水)
「──……あふ」
こみ上げたあくびを噛み殺す。
「つん」
「おふ!」
チェアの背後からにじり寄ってきたうにゅほに、脇腹をつつかれた。
「××ー……」
「うへー」
笑って誤魔化すつもりのようだ。
「きょう、しごとすくないね」
「仕事が少ないというより、仕事が残ってないんだよな」
うにゅほが小首をかしげる。
「のこってない?」
「ぜーんぶやっちゃった」
「あー」
うんうんと頷く。
「◯◯、がんばったもんね」
「頑張ったぞ」
「えらい、えらい」
「脇腹は撫でなくていいから」
「うへー」
「……誤魔化せてないからな?」
「そかな」
「──…………」
「──……」
「まあ、誤魔化されてるわけですけど……」
「うん」
「なんだ、今日はいたずらっ子だな」
「ひざ、のっていい?」
「いいぞ」
チェアを半回転し、うにゅほを膝に抱く。
「まわしてー!」
「はいよ」
床を斜めに蹴ると、チェアがぐるぐる回りだした。
「ひゃー!」
ぐるぐるぐる。
目が回る。
ふと気づく。
「……××、遊びに行きたかったりする?」
「うん……」
「そっか」
最近、忙しかったものな。
「じゃあ、久し振りにゲーセンめぐりでもするか!」
「うん!」
仕事仕事と言い訳しながら、うにゅほをないがしろにしてはいけない。
そんな当たり前のことを改めて心に誓う俺だった。
-
2019年2月21日(木)
「──……あっつ!」
布団を蹴り飛ばすように目を覚ます。
シャツの下が、汗でしとどに濡れていた。
「おはよー」
「おはよう……」
自室の書斎側から顔を出したうにゅほに、尋ねる。
「……いま何度?」
「うーと」
うにゅほが温湿度計を覗き込む。
「わ、にじゅうごど!」
「ストーブ、つけてないよな」
「つけてない……」
「──…………」
燦々と降り注ぐ陽光が、俺ごとベッドを照らし出している。
暑いはずだ。
「……カーテン閉めとけばよかった」
アイマスクを外しながら、ベッドを下りる。
「今日、だいぶ雪解けそうだな」
「そだねえ」
「二月も下旬だもんな。いい加減、春が近づいてきてもいい」
「はる、たのしみだねえ」
「冬はもう飽きた?」
「あきてないけど、はるもすきだから」
「夏」
「すき」
「秋」
「すき」
「なんでも好きだなあ」
「すきじゃないの、あるよ」
「なに?」
「たいふうとか……」
「あー」
家、揺れるもんな。
「吹雪は?」
「ふぶきも、すきじゃない」
「雨は好きだったっけ」
「すき」
「スコール」
「スコールは、ちょっとこわい……」
「俺は、非日常感あってわりと好きかな」
「そなんだ」
「抱き着いてくれても構わんぞ」
「うん」
ぎゅー。
「──…………」
いま、という意味ではなかったのだが、まあいいか。
-
2019年2月22日(金)
「はー……」
俺の腕を抱きながら、うにゅほが溜め息を漏らす。
「じしん、もうこないかな……」
「どうだろうな」
昨夜、震度5弱の地震があった。
去年の九月に起こった胆振東部地震を思わせる規模の地震だ。
あの恐怖を思い出し、すっかり怯えてしまったうにゅほは、昨夜から俺の腕を離してくれないのだった。
「──…………」
いい加減左腕がだるいのだが、言いづらい。
そんな懊悩を胸に抱いていると、
──ぴんぽーん!
インターホンの音が自室に鳴り響いた。
「!」
ビクッ!
うにゅほが身を竦ませる。
「大丈夫、大丈夫。誰か来ただけ」
「う、うん……」
子機で応対すると、ヤマト運輸だった。
Amazonから荷物が届いたらしい。
なんとかうにゅほに離れてもらい、配達員から大きめのダンボール箱を受け取る。
「これ、なに?」
「まあ待て、いま開けるから」
ハサミの刃先で梱包テープを裂き、ダンボール箱を開封する。
「──ようやく来たか、新しいプロテイン!」
「わ、おおきい!」
3kgのアルミパックは、小柄なうにゅほからすれば、一抱えほどもある。
「まえのやつ、きのうきれたもんね」
「あらかじめ注文しておいて正解だった」
「うーと、チョコチップミルクココアふうみ、だって」
「試しに飲んでみるか」
「うん」
「じゃあ、まず水で──」
容器に入っていた付属のスプーンで、すりきり二杯。
タンブラーに水を注ぎ、マドラー代わりの菜箸で混ぜ溶かす。
「なんか、くろいのはいってる」
「チョコチップ、なのかなあ……」
小指の爪の先ほどのチップが無数に浮いたプロテインドリンクを、ひとくちあおる。
「──…………」
ボリ、ボリ。
口内に流れ込んできたチップを噛み砕き、呟いた。
「……美味い。水で作ったのに」
「ほんと?」
「というか、このチップが美味い。砕いたオレオみたい」
「ひとくち!」
「はい」
タンブラーをうにゅほに手渡す。
くぴ。
ぼりぼり。
「おいしい……」
「な?」
「これ、ぎゅうにゅうでつくったら、もっとおいしいのでは」
「作ってみるか」
「うん!」
牛乳で溶かしたプロテインドリンクを美味しい美味しいと飲み交わすうち、うにゅほはすっかり元気を取り戻していた。
プロテインのおかげと表現すると、なんだか誤解を招きそうだけれど。
-
2019年2月23日(土)
目蓋を幾度も強く閉じながら、呟く。
「眠い……」
「またねむいの?」
「眠い」
「きょう、ずっとねむいね」
「うん……」
休日が訪れるたび、異様な眠気に襲われる。
最近、ずっとこんな感じだ。
「ひるね、する?」
「する……」
このままでは、何も手につかない。
それくらい眠かった。
「……ひとまず、仮眠にする。三十分経ったら起こして」
「うん、わかった」
うにゅほの頭をぽんと撫で、のそのそと自分のベッドに潜り込む。
「おやすみ……」
「おやすみなさい」
目蓋を閉じると、一瞬で意識が遠のいた。
──夢を見た、気がする。
「──…………」
目を覚まし、アイマスクを外すと、窓の外に夜の帳が下りていた。
「……何時に寝たっけ」
覚えていない。
ただ、まだ明るかったことだけは確かだ。
重い体を引きずるように自室の書斎側へ向かうと、うにゅほがタブレットでYouTubeを見ていた。
「あ、おはよー」
「おはよう。もしかして、起こしても起きなかった?」
「おきたけど、またあとでおこしてって」
「……ヤバい、記憶にない」
うにゅほが心配そうに口を開く。
「◯◯、つかれてる……?」
「どうだろ……」
忙しかった先週に比べ、仕事は格段に減ったはずだ。
「寝過ぎで眠いのかも。とりあえず、シャワー浴びてくる……」
「うん」
シャワーを浴びてもいまいちシャッキリせず、頭にもやがかかったような一日だった。
明日は健康的に過ごせればいいのだが。
-
2019年2月24日(日)
寝過ぎで痛む首を回しながら、呟く。
「……今日も眠い」
「ねむいの……」
うにゅほが心配そうな表情を浮かべる。
「ねたほういいのか、ねないほういいのか、わかんない」
「確かに」
困ったものだ。
「でも、昨日よりかはマシかな。ちょっとだるい程度だから」
「そか……」
すこし安心したのか、うにゅほが微笑みを浮かべた。
「毎日エアロバイク漕いでるから、運動不足ではない」
「うん」
「夕飯はプロテインに置き換えてるけど、他はちゃんと食べてるから、食生活は健康的なほうだと思う」
「うん」
「なんだろうな。××は眠かったりしない?」
「いま?」
「いま」
しばし小首をかしげたあと、うにゅほが答えた。
「ちょっとねむい、かも」
「──…………」
ふと、思い当たることがあった。
「……××。最後に換気したの、いつだっけ」
「あ」
「もしかして、空気悪いんじゃ……」
「そうかも……」
一月二月は寒すぎて、換気どころの話じゃなかったからなあ。
「部屋の換気って、五分でいいんだっけ」
「たしか」
「念のため、十分くらい窓開けてみようか」
「そだね」
手分けして自室の扉を開けると、極寒のそよ風が舞い込んだ。
「寒ッ!」
「◯◯、だっこして」
「了解……」
うにゅほを膝に乗せて、抱き締める。
暖かい。
「……なんか、目が冴えてきたな」
「やっぱし、くうき、わるかったのかな」
「寒いからだと思う」
「あー」
しかし、換気によって幾分か呼吸が楽になったことは確かだった。
要因のひとつではあったのだろう。
気をつけねば。
-
2019年2月25日(月)
「なーんだろうなあ……」
ぐるんぐるんと肩を回しながら、口を開く。
「月曜になると、途端にシャッキリする」
「きょう、ねむくない?」
「眠くない」
「──…………」
うにゅほが俺の顔を覗き込む。
「ほんとだ、めーぱっちりしてる」
「だろ」
「◯◯のからだ、えいきをやしなってたのかなあ……」
「仕事のために?」
「うん」
「……英気を養ってまで挑むほど、仕事ないんだけど。今週」
「まえがんばったぶん、まだのこってるの?」
「残ってる。ひとまず今月中はイージーモード。来月は、ちょっとわからないけど」
「えいき、やしなわなくてもよかったねえ」
「ほんとだよ」
自分の体というものは、思うほど言うことを聞いてくれない。
ままならないものだ。
「でも、げんきになってよかった」
うへーと笑いながら、うにゅほが俺の手を取った。
「心配かけちゃったな」
「ずっとねむかったら、どうしようかなって。かぜのにおいしないし……」
風邪であれば、対処はできる。
暖かくして眠ればいい。
だが、原因がわからなければ、そもそも対処のしようがない。
「病み上がりかどうかわからないけど、今日はゆったり過ごすよ」
「えあろばいくは?」
「漕ぐ。漕ぐけど、いつもの半分にしとく」
「それがいいですね」
「いま元気だからって、油断は禁物だからな」
「うん」
自分の体調がどうこうより、ただただうにゅほに心配をかけたくない。
無理をしないこと。
それが、俺がいまできる最高のうにゅほ孝行なのである。
-
2019年2月26日(火)
「──◯◯!」
自室の窓を全開にして空気の入れ替えをしていると、うにゅほが部屋に飛び込んできた。
「まどだめ! かふんはいる!」
「花粉?」
「かふん、もうとんでるんだって!」
そう口にしながら、うにゅほが窓を閉めていく。
「下旬とは言え、まだ二月なんだけど……」
「テレビでいってたもん」
「あー」
わかった。
「その番組、全国ネットだろ」
「わかんない……」
「スギ花粉って言ってなかった?」
「いってたきーする」
「北海道、スギあんまりないんだよ」
「そなの?」
「ついでに言うと、俺はスギ花粉の花粉症ではない。シラカバだ」
「しらかば……」
うにゅほが小首をかしげる。
「かふんしょう、しゅるいあるの?」
「花粉症は、要はアレルギー反応だからな。甲殻類がダメな人、蕎麦がダメな人、いろいろいるだろ」
「あー……」
うんうんと頷くうにゅほの頭をぽんと撫でて、閉じた窓を再び開く。
「この時期の北海道にスギ花粉は飛んでないし、そもそもスギの花粉症じゃない。だから、心配いらないよ」
「……なんか、はずかしい」
「恥ずかしがることないだろ。俺のこと、心配してくれたんだから」
「そだけど」
「シラカバの季節は五月と六月だから、そのあたりは気をつけないと」
「ますく、しないとだめだよ」
「はい、わかりました」
「よろしい」
換気をするようになってから、幾分か調子がいい。
水然り、食物然り、体に取り入れるものには細心の注意を払うべきなのだろう。
-
2019年2月27日(水)
イヤホン越しにiPhoneで音楽を聴いていたところ、作務衣のポケットからiPhoneが滑り落ちた。
「あっ」
iPhoneが床に衝突し、その勢いでイヤホンがすっぽ抜ける。
「わ、だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈夫。バンパー丈夫だし、ガラスフィルムも貼ってるし」
iPhoneを拾い上げ、うにゅほに差し出す。
「ほら、傷ひとつない」
「ほんとだ」
「腰の高さから落ちただけだからな。外で通話中とかなら危なかったかもだけど」
「ふゆならだいじょぶかも」
「雪に刺さっても、防水だしな」
「うん」
そんな会話を交わしながら、再びイヤホンを耳に装着しようとして、
「……あれ?」
何故か、上手く耳に嵌まらない。
手に取って確認してみると、
「こっちが壊れてる……」
愛用のイヤホンの左側が、継ぎ目から真っ二つになっていた。
継ぎ目に負荷がかかったらしい。
「あらー……」
「……仕事のとき、どうしようかなあ」
困った。
iPhoneで音楽を聴きながら仕事をするのが習慣なのだ。
NO MUSIC, NO WORKである。
「いやほん、よびないの?」
「まあ、あるけど」
「よかった」
「あるにはあるけど、Y字型ケーブルなんだよな」
「わいじって、みぎとひだり、ながさおなじやつだっけ」
「そう」
「へんないやほんだねえ」
世間一般的には、右側だけ長いU字型ケーブルのほうが珍しいのだが、それは言わないお約束である。
「仕事中は左耳にだけ着けるから、右側がちょっと邪魔くさいけど、新しいのを買うまでの繋ぎなら問題ないかな」
「よかった」
「ご心配をおかけしまして」
「いえいえ」
U字型イヤホン、また探しておかないとなあ。
絶滅危惧種だから、見つけたら買い溜めしておくべきかもしれない。
-
2019年2月28日(木)
「にがつ、にじゅうはちにち」
「うん?」
「ことし、にじゅうくにち、ないとし?」
「閏年じゃないから、ない年だよ」
「うるうどし」
「知らない?」
「きいたことはあります」
「ありますか」
「よねんにいっかい、うるうどし」
「その通り」
「うへー」
「基本的に、4で割り切れる年は閏年。だから、来年2020年は2月29日がある」
「そなんだ」
「でも、たしか、必ずではないんだよな……」
「そなの?」
「百年に一度、4で割り切れるのに閏年じゃない年があったはず」
「ひゃくねんにいちど……」
「だから、2100年は閏年じゃない」
「とおい」
「死んでるかもなあ」
「そだねえ」
「……でも、まだルールがあった気がする。2000年は、百年に一度なのに、閏年だったはずなんだよ」
「ふくざつ……」
「ちょっと調べてみるか」
「うん」
調べてみた。
「──4で割り切れる年は、原則として閏年」
「うるうどし」
「ただし、100で割り切れる年は、閏年じゃない」
「うるうどしじゃない」
「でも、400で割り切れる年は、閏年」
「うるうどし……」
「わかった?」
「わからん……」
「……まあ、俺たちが死ぬころまでは、四年に一度、必ず閏年が来るから」
「うるうどしも、むずかしいんだねえ」
「そんなもんだよ」
うんうんと頷くうにゅほを微笑ましく思いながら、Wikipediaのタブを閉じた。
-
以上、七年三ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
2019年3月1日(金)
コンテカスタムのハンドルを握りながら、助手席のうにゅほに話しかける。
「雪、だいぶ解けたな」
「さいきん、あったかかったもんね」
アスファルトの上にあれほど積み重なっていた雪は姿を消し、もうハンドルを取られることも、横滑りすることもない。
「雪かきの季節ともお別れか」
「ざんねん」
「俺は、まあ、嬉しいけど……」
「わたしも、まあ、うれしいけど……」
俺の言葉を真似したうにゅほが、いたずらっ子の笑みを浮かべる。
「あ」
「あ」
「あいうえお」
「あいうえお」
「赤巻紙青巻紙黄巻紙!」
「あかまみ、き、まきまみ!」
「言えてない、言えてない」
「うへー……」
あ、笑って誤魔化した。
「まきがみって、なに?」
「さあ……」
「○○も、しらない?」
「早口言葉なんて、だいたいが意味のない言葉の羅列だと思うぞ」
「となりのかきは、よく──」
「隣の柿?」
「きゃく!」
「客な」
「となりのきゃくは、よくかきくうきゃくだ」
「日常風景だな」
「たけやぶやけた」
「それ、早口言葉じゃない」
「そだっけ」
「逆から読んでも、竹やぶ焼けた」
「あ、かいぶんだ」
「そうそう」
「しんぶんし」
「他には?」
「トマト……」
「だんだん短くなってるぞ」
「あんましらない」
「俺も知らない」
「○○もしらないんだ」
「俺はWikipediaじゃないぞ」
「そだけど」
車内でそんな会話を交わしながら、安全運転でホームセンターを目指すのだった。
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2019年3月2日(土)
両手を揉むように擦り合わせながら、呟く。
「……今日、寒くない?」
「そかな」
「寒いと思うんですが」
「あったかいとおもう……」
「マジで」
「うん」
温湿度計を覗き込む。
「21℃……」
「ね」
ファンヒーターに頼らずにこの室温なのだから、うにゅほの言うとおり、今日は暖かな日和なのだろう。
「……じゃあ、なんでこんな寒いんだ?」
「かぜ?」
「風邪の匂い、する?」
「んー……」
うにゅほが俺の胸元に顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らす。
「しない」
「じゃあ、風邪でもないのか」
「たぶん……」
小首をかしげながら、うにゅほが俺の手を取る。
「つめた!」
「なんか冷えるんだよな……」
「あしは?」
「足も」
「くつしたはかないと」
「……いつもと逆だなあ」
「そだね」
うにゅほが持ってきてくれた靴下を履くと、すこし寒気が治まった。
今日に限ってどうして末端が冷えるのかはわからないが、そういう日もあるだろう。
「○○、てーだして」
「はい」
うにゅほの小さな手のひらが、俺の右手を包み込む。
「あったまれー……」
すりすり。
「──…………」
先に心があったまる俺だった。
-
2019年3月3日(日)
桃の節句──つまるところ、ひな祭りである。
「××、ひな祭りおめでとう!」
「ありがとー」
うにゅほがてれりと笑う。
「──…………」
「?」
「ひな祭りって、そういうものだっけ」
「わからん……」
「ところで、なに持ってるんだ?」
「これ?」
手に持っていた袋を、こちらへと差し出してくれる。
「こんぺいとう。たべる?」
「食べる」
こんぺいとうを受け取り、ひとつぶ口に放り込む。
甘い。
「ひな祭りなのに、ひなあられじゃないんだな」
「なんか、こんぺいとうだった」
「せっかくのひな祭りだし、あとでケーキでも買いに行くか」
「あ、だいじょぶ。おかあさん、ケーキかってきてくれた」
「おー」
できる母である。
「あとね、ばんごはん、いなりずし!」
「ハレの日だもんな」
「てんき、かんけいあるの?」
「いや、その"晴れ"じゃなくて、特別な日って意味」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ひなまつり、とくべつだもんね」
「熊のお雛さまも出しておくか」
「うん!」
熊のお雛さま。
それは、ずいぶん以前に百円ショップで購入した陶器製の雛人形のことだ。
落として壊してしまい、首だけの姿となっても、いまだうにゅほの寵愛を一身に受けている。
「新しいお雛さまは──」
「いらない」
「ですよね」
この通りである。
引き出しから取り出した雛人形を本棚に飾ると、うにゅほが満足げに頷いた。
本人が気に入っているのだから、まあいいか。
-
2019年3月4日(月)
弟の部屋やリビングでばかりゲームをするのが窮屈に思えて、スイッチ用のディスプレイを購入した。
届いた際の、うにゅほの第一声が、
「──でか!」
だった。
「これ、なんインチ……?」
「43インチです」
届いてから、俺も改めて思った。
でかい。
これはでかい。
「どこおくの?」
「小箪笥と冷蔵庫の上、片付けて置こうかと」
「そこしかないねえ……」
「でも、問題がひとつあってさ」
「?」
「このディスプレイ、スタンドが両端にひとつずつあるタイプなんだよな」
「うん」
「小箪笥と冷蔵庫、高さが違う」
「あ」
理解したらしい。
「このままおくと、ななめなるね……」
「小箪笥のほうが低いから、何か噛ませて高さを合わせないと」
「なにがいいかなあ」
「とりあえず、ジャンプで試してみよう」
「あ、いいかも」
小箪笥の上に、今週のジャンプを設置する。
「……ちょっと厚い」
「だめかー」
「本で、いろいろ試してみよう」
「うん」
本棚にある分厚い本を、片っ端から挟んでみる。
すると、
「──"狂骨の夢"だと、ちょうどいいな」
「きょうごくなつひこ」
「でも、あんま小説は下敷きにしたくないなあ。同じ厚さのものがあればいいんだけど」
「あるかな」
「うーん……」
ふと、あるものが目に留まる。
「……高校の卒業アルバム、同じくらいの厚さじゃない?」
「ほんとだ、おなじくらい」
「これにしよう」
「いいの?」
「捨てるわけじゃないし……」
卒業アルバムを噛ませると、ディスプレイが見事に水平になった。
「よし、さっそくカービィでもやるか!」
「やる!」
大画面でプレイする星のカービィは、たいへん迫力があった。
すこし大きすぎるかとも思ったが、買ってよかった。
-
2019年3月5日(火)
「○○ー!」
母親と買い物に出ていたうにゅほが、元気いっぱい帰宅した。
「おかえり」
「ただいま! プリンかってきた!」
「お」
うにゅほが手にしていたのは、"カスタード風プリンBIG"と書かれた、かなり大きめのプリンだった。
「カスタード、風……?」
「こんにゃくこ、はいってるんだって」
「へえー」
「はんぶんずっこしてたべよ」
「こんにゃくゼリーみたいな食感なのかな」
「かも」
さっそく蓋を剥がし、プラスチックスプーンを突き立ててみる。
「思ったより硬くない。普通だ」
「たべてみて!」
「ああ」
こんにゃく粉の入っているプリンということで腹持ちはいいだろうし、確認したところカロリーも控えめだ。
なにより、容器の底にカラメルの姿がないのが素晴らしい。
期待に胸を膨らませながら、こんにゃく粉入りカスタード風プリンをひとくち食べる。
「──…………」
「おいしい?」
「うん……」
「おいしくないかー……」
表情でバレた。
「食べてみ」
プリンをひとすくい、うにゅほの口元へと差し出す。
「あー」
ぱく。
「……なんか、あとあじにがい」
「これ、カラメルが生地に混ぜ込んである」
「そんなあじする……」
「あーもー、どうしていらんことするかなあ!」
俺は、プリンのカラメルが好きではない。
とは言え、甘みをより引き立てるためのアクセントであるとか、同じ味では飽きるから変化が欲しいだとかは、共感できなくとも理解はできる。
だが、
「混ぜ込んでしまったら、アクセントも味の変化もないじゃないか……」
食感がよかっただけに、本当に口惜しい。
「……○○、ごめんなさい」
「あ、いや、こっちこそ、買ってきてもらったものに文句つけて──」
「あとね、よんこある」
「──…………」
「かいすぎた……」
「……家族みんなで食べよう」
「うん……」
買い込むときは、味を確認してからにすべきである。
-
2019年3月6日(水)
「た」
お風呂上がりに爪を切っていたうにゅほが、小さく声を上げた。
振り返ると、親指の端を唇に当てている。
「どした?」
「ふかづめした……」
「見せてみ」
「うん」
指先の唾液を拭ったあと、うにゅほがこちらへ右手を差し出す。
「あんまり深爪って感じしないけど……」
「うーとね、みぎての、おやゆびの、そとがわ」
「……あー」
言われてみれば、少々深い。
「そこ、いつもきりすぎちゃう……」
「オロナイン塗っとこう」
「おねがいします」
デスクの引き出しからオロナイン軟膏を取り出し、患部に擦り込む。
「絆創膏は──まあ、いいか」
「うん、そこまでは」
「深爪、俺もよくやるから、気をつけないと」
「しろいとこ、すこしのこさないとね」
「つい、あのラインから切っちゃうんだよな……」
「そう」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「あれ、めじるしだとおもってた」
「俺も」
「いっしょだ」
「一緒だな」
「うへー」
「深爪って、巻き爪の原因になるらしいから、ほんと気をつけないと」
「こわいね……」
「足の爪、切ってやろうか?」
「ありがと」
「ある程度伸びたら、そこで止まってくれればいいのになあ」
「ほんとね」
そんな会話を交わしながら、うにゅほの足の爪を切る。
べつに足フェチではないのだが、なんだか役得のような気もするのだった。
-
2019年3月7日(木)
「○○、あーん」
「あー」
口のなかに、うにゅほ謹製のトリュフチョコレートが放り込まれる。
幸せの味だ。
「バレンタインも、そろそろ終わりかあ……」
ダイエットを理由に、うにゅほからのバレンタインチョコレートを一日一個に制限して早三週間。
そろそろホワイトデーが見えてきた。
「残り、あと一個だっけ」
「さいごだよ」
「えっ」
「いまのでさいご」
「マジか」
「まじ」
「マジか……」
気分が落ち込むのを自覚する。
自分で思っていた以上に、毎日のチョコレートタイムを楽しみにしていたらしい。
うにゅほが苦笑する。
「またつくるから」
「お願いします」
「うへー」
「あ、そうだ。ホワイトデーのリクエストとかある?」
「ホワイトデー……」
「まだ用意してないから、欲しいものがあればそれにするけど」
「うーと」
しばし思案し、
「……○○の、てづくりがほしい」
「手作りか」
「うん」
「昔はケーキとかたまに作ってたけど、最近はなあ……」
「だめ?」
「──いや、何か考えとく。××のチョコレートに報いないと」
「やた!」
ホワイトデーまで、あと一週間。
何をするにも準備が必要だ。
急がねば。
-
2019年3月8日(金)
「あ」
ふと顔を上げたうにゅほが、唐突に言い放った。
「サンバのひ!」
「サンバの日……」
「さんがつようかだから、サンバのひ」
「あー、それっぽいそれっぽい。日本サンバ協会とかありそう」
「じしんある」
「調べてみるか」
「うん」
キーボードを叩き、Wikipediaを開く。
「国際女性デー」
「うん」
「ミモザの日」
「みもざ?」
「なんか、こう、花……」
「へえー」
「みつばちの日」
「みつと、はちで、みつばちだ」
「これは上手いな」
「うん、うまい」
「みやげの日」
「みーと、やーで、みやげ」
「エスカレーターの日」
「それは、ちょっとわかんない」
「サワークリームの日」
「……ちょっとくるしい?」
「俺もそう思う」
「サンバのひ、まだ?」
うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「──…………」
「──……」
「サンバのひ、ない……」
うにゅほが、がっかりと肩を落とす。
「××、落ち込むのはまだ早い」
「?」
マウスを動かし、ある文字列を選択する。
「母子と助産師の日」
「ぼしとじょさんしのひ……」
「助産師のことを、昔は"産婆"と呼んでいたんだ」
「さんば」
「つまり、産婆の日」
「サンバのひ!」
「その通り」
「あってた!」
「合ってたな」
「うへー」
なんでもないことで笑い合える。
それは、とても幸せなことだと思うのだった。
フラグじゃないぞ。
-
2019年3月9日(土)
「──…………」
チェアの上で液体状になりながら、ぼんやり動画を眺めていると、気づけばとうに日が暮れていた。
「……いけね、もうこんな時間か」
「おつかれですねえ」
「お疲れかも……」
「かた、おもみしますか?」
「お願いします」
「はーい」
握力のないうにゅほの両手が、やわやわと俺の肩を揉む。
効きはしないが、心地いい。
「今週、そんなに忙しくなかったんだけどなあ……」
「うん」
「なのに、どうして疲れるんだか」
「きのう、えあろばいくのった?」
「××の目の前で乗ってたと思うけど……」
「ちがくて」
あ、これは。
「わたしねたあと、のった?」
「……はい」
「やっぱし……」
うにゅほが小さく溜め息をつく。
バレていたらしい。
「いやー、体重が思うように落ちなくなってきたから、つい……」
「がんばりすぎ、よくないんだよ」
「……はい」
わかってはいるのだが、気が逸る。
「ホエイプロテインじゃなくて、ソイプロテインにしようかなあ」
「おいしいの?」
「美味しさの違いじゃなくて、原材料の違いだな」
「げんざいりょう」
「ホエイプロテインは、牛乳。つまり動物性タンパク質」
「そいは?」
「大豆」
「へえー」
「ホエイは筋肉をつけるのに、ソイは体重を落とすのに適してる」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「◯◯、がっしりしてきたもんね」
「そうなんだよ……」
脂肪の下で、筋肉が主張を始めている。
「もともと筋肉つきやすい体質だからなあ」
いまや、ちょっとしたプロレスラーのような体型だ。
目指していた方向とは、すこし違う。
「いま飲んでるプロテインが切れたら、ソイに切り替えて様子を見よう」
「がんばりすぎ、だめだからね」
「はい……」
俺のダイエットはまだ始まったばかりである。
-
2019年3月10日(日)
午前六時過ぎ。
「──…………」
呼吸のリズムが変わると同時、うにゅほの目蓋がパチリと開いた。
「……◯◯ぃ……?」
「はい」
目元をくしくしこすりながら、うにゅほが上体を起こす。
「うふぁおー……」
「おはよう」
「もしかして、ねてない……?」
「眠れなくて」
「そか……」
「……生活サイクル、だいぶ崩れてきたなあ」
「でも、ねれないの、しかたないもん」
「いまから寝ても、さらにずれ込むだけだろうし……」
困った。
時間の融通がきく仕事とは言え、昼夜が完全に逆転してしまっては、さすがに不都合も出てくる。
「……仕方ない。荒療治をするしかないか」
うにゅほが小首をかしげる。
「あらりょうじ?」
「いっそのこと、寝ない!」
「ねないと……」
「語弊があったな。一睡もしないわけじゃない。ただ、仮眠程度で済ませようかなって」
「ちゃんとねないの?」
「ちゃんと寝ない」
「ねないと……」
「いや、この荒療治は、睡眠不足の状態で夜を迎えるのが味噌なんだ」
「あ、ねぶそくだから!」
「そう。寝不足だから、ぐっすり眠れるはず」
「なるほどー」
「というわけで、まだまだ夜更かしするぞ!」
「あさだから、あさふかしだね」
「昼になったら?」
「ひるふかし?」
「もう、わけがわからないな」
「そだね」
くすくすと笑い合う。
その後、昼過ぎに二時間ほど仮眠して、いまに至る。
ほどよく眠気があるので、今日はしっかりと睡眠が取れそうだ。
-
2019年3月11日(月)
「んッ──……」
大きく伸びをして、口を開く。
「ひとまず、生活サイクルは元に戻ったかなあ」
「きのう、なんじねたの?」
「三時過ぎくらい」
「おー」
それでも十二分に遅いが、日が昇ってからようやく床に就くよりマシである。
「早めに起きたから、ちょっと眠いや」
「ねたら、よるねれなくなるきーする」
「頑張って起きてよう」
「うん」
仕事部屋にしている和室へ赴き、本日の仕事に取り掛かる。
仕事中は問題ないのだが、いったん休憩に入ると、意識が飛びかける。
「──…………」
「◯◯、◯◯」
「!」
うにゅほに腕をぽんぽんと叩かれ、はっと意識を取り戻す。
「ねてた?」
「寝てた……」
「ねるなら、ちゃんとねないと、かぜひくよ」
「いや、頑張る」
「そか……」
「顔洗ってくる」
「うん」
顔をすすいで、自室へ戻る。
「よし、シャキッとしたぞ!」
「あ、めーあいた」
「眠いときは、冷水を顔に浴びせるに限るな」
「そだねえ」
しばらくして、
「──…………」
「◯◯、◯◯」
「!」
うにゅほに頬をぺちぺち叩かれ、はっと意識を取り戻す。
「ねてた?」
「寝てた……」
「ちゃんとねよ」
「……三十分だけ、そうする」
「うん」
仮眠をとったあとは、眠気に負けることはなかった。
明日は定期受診の日だ。
早めに寝よう。
-
2019年3月12日(火)
月に一度の定期受診の帰り、あまり行かないスーパーマーケットへと立ち寄った。
「なんかここ、すこし高級感あるよな」
「わかる」
「見たことない商品多いし……」
「あと、ちょっとたかい」
高級スーパーというほどではないのだろうが、非日常感があって面白い。
「なにかうの?」
「おやつ代わりにチーズでも、と思ったんだけど──」
乳製品のコーナーにずらりと並ぶ、見たこともない商品たち。
「さけるチーズ、ベーコン味なんてあったんだ」
「はじめてみた……」
「買ってみよう」
「うん」
さけるチーズをカゴに入れ、周囲を見渡す。
「あ」
「どした?」
「さけそうなチーズ、あった」
「さけそう……」
うにゅほが、その商品を手に取る。
「モッツァレラチーズ、さけるタイプ、だって」
棒状のチーズが三本ほど封入されたパッケージには、「十勝の自然の恵みをお届けします」と書かれている。
「美味しそうじゃん」
「ね」
「いくら?」
「うーと、さんびゃくはちじゅうはちえん……」
「たっか」
「おたかい……」
「でも買おう。気になるし」
「いいの?」
「実家住まいの社会人だもの。それくらいのお金はあります」
「そか」
二種類のストリングチーズを購入し、帰宅する。
「では、さっそく」
388円のストリングチーズを開封する。
「なんか、しっとりしてる」
「さけるチーズより、だいぶ柔らかいな」
裂いたチーズを口に入れる。
「──あ、美味い」
「おいしい!」
「牛乳の味が残ったチーズって感じがする」
「そんなかんじするね」
「今度、また買ってこようか」
「うん!」
さけるチーズのベーコン味は、それなりの美味しさだった。
期待以上でも以下でもない味だったため、詳細は省く。
-
2019年3月13日(水)
「──…………」
「──……」
ふたり並んで腹部を押さえる。
「おなか痛い……」
「わたしも……」
「……お互い大変ですね」
「そうですね……」
理由は違えど同じ腹痛同士、妙な連帯感を覚える。
「◯◯、げり?」
「いや、下ってはいないんだけど……」
「べんぴ」
「便秘はなった覚えがないなあ」
「え、ないの?」
「二日とか三日とか、ひどいのはないと思う」
「そなんだ……」
あったのかもしれないが、記憶はない。
忘れているのかもしれない。
「おなかなでる?」
「いや、××も痛いんだし……」
「じゃあ、じゅんばんね」
うにゅほが俺の腹部に手を這わせる。
「──…………」
「──……」
なで、なで。
「にく、ついたねえ」
「はい……」
ダイエット、頑張らなければ。
しばしして、
「じゃあ、交代な」
「おねがいします」
うにゅほの腹部に手を触れる。
「うひ」
なで、なで。
「ほー……」
「腹巻き、まだ使ってるんだな」
「うん」
「俺があげたやつ?」
「そだよ」
「もう、七年くらい使ってるんじゃないか?」
「たぶん……」
うにゅほは物持ちがいい。
俺がプレゼントしたものに限らず、なんでも大事にとっておく。
「つぎ、わたしのばんね」
「お願いします」
こうして、互いのおなかを撫であいながら、なんとか腹痛をやり過ごしたのだった。
-
2019年3月14日(木)
ホワイトデーである。
「えーと……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××のリクエストは、"俺の手作り"だったよな」※1
「うん!」
その目が期待に輝いている。
「……実は、プレゼントを決めるのにも、作るのにも、すこし時間が足りなくて」
「──…………」
「だから、前に作ったもので悪いんだけど──」
小さな紙袋を、うにゅほに手渡す。
「これでなんとか」
「あけていいですか?」
「どうぞ」
かさり。
うにゅほが、紙袋の中身を取り出す。
「あ、これ!」
「見覚えある?」
「ある!」
それは、ずっと以前にワイヤークラフトで手作りした、ガーデンクォーツのペンダントヘッドだった。
「これ、くれるの?」
「ああ」
「やた!」
うにゅほが満面の笑みを浮かべる。
「ね、ね、つけていい?」
「もちろん」
いつもうにゅほの胸元を飾っている琥珀のペンダントが外され、ガーデンクォーツのペンダントヘッドと取り替えられる。
だが、
「……金のチェーンだと、すこし色が合わないな」
「そうかも」
「ちょい待ち」
引き出しの奥に手を入れ、ステンレス製のチェーンを取り出す。
「ついでだ。これもプレゼント」
「わあ!」
「つけてみて」
「わかった!」
うにゅほが、慣れた手付きで首の後ろに手を回す。
ワイヤーに彩られたガーデンクォーツが、胸元で小さく揺れた。
「……にあう?」
「うん、よく似合う」
「うへー……」
喜んでもらえたようで、よかった。
「◯◯、ありがと」
「こちらこそ」
その笑顔を見るたび、プレゼントしてよかったと思える。
すこし遠いけど、誕生日には何をあげようかな。
※1 2019年3月7日(木)参照
-
2019年3月15日(金)
「♪」
胸元を飾るガーデンクォーツを指先で弄びながら、膝の上のうにゅほが動画に見入っている。
最近のトレンドはキズナアイらしい。
「──ね、にあう?」
「似合う似合う」
「うへー」
もう何度めかわからない質問に、思わず頬がゆるむ。
「琥珀のペンダントは、もうしないの?」
「するよ」
「コーディネートで変えるのか」
「うん」
「××はおしゃれだなあ」
「これも、こはくも、◯◯がくれたのだから」
「……そっか」
こうまで言ってもらえると、さすがに面映いものがある。
プレゼントして本当によかったと思える。
「あ、そうだ。父さんの誕生日、どうしよう」
父親の誕生日は、3月20日である。
迷う時間はあまりない。
「(弟)、にほんしゅかってた」
「やっぱお酒が鉄板かなあ……」
「そだねえ」
「ビールは?」
「おとうさん、さいきん、ふとるからビールのまないって」
「あー……」
たしかに、サントリーのオールフリーを飲んでいる姿をよく見かける。
「じゃあ、ちょっといいワインか、ウイスキーだな」
「どっちにする?」
「俺がウイスキー買うから、××はワイン。これでどうだ」
「そうしましょう」
「この動画見終わったら、リカーショップ行こうか」
「うん!」
父親なら、どんなお酒でも喜んで飲むだろう。
選ぶのが楽で助かるような、選び甲斐がないような。
-
以上、七年四ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
2019年3月16日(土)
「──……はっ」
と気づけば、時すでに夜。
「なんか、今日、何もしてない気がする……」
「そかな」
「何したっけ」
「うーと、あさおきて、ぱそこんしてた」
「してたな」
「ひる、えあろばいくこいでた」
「漕いでたな」
「ゆうがた、ひるねしてた」
「寝てたな」
「おふろのあと、ぱそこんしてた……」
「……何もしてないな」
「うん……」
「最近、有意義な週末を過ごしてない気がする」
「そうかも」
「××、今日は何してた?」
「うーと──」
しばし思案し、うにゅほが口を開く。
「あさおきて、あさごはんつくって、たべた」
「うん」
「ごぜんちゅう、いっかいのそうじして、テレビみて、おひるつくって、たべた」
「……うん」
「おかあさんかえってきたあと、いっしょにかいものいって、かえってきたらへやのそうじして、まんがよんで、おふろそうじして──」
「──…………」
「ばんごはんつくって、たべて、おふろはいって、◯◯とぱそこんして、いま」
「なんか、すいません……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……俺にとっては休日でも、××にとってはそうじゃないんだな」
「わたし、しごとしてない」
「そんだけ家事してれば、仕事と同じだろ」
「そかな……」
チェアから腰を上げ、うにゅほの肩を揉む。
「お疲れさま。いつもありがとうな」
「……うへー」
折れそうなほど小さな肩を、優しくマッサージする。
凝りらしい凝りはなかったが、うにゅほは気持ちよさそうに微笑んでいた。
-
2019年3月17日(日)
「◯◯、ひま?」
「暇」
「あそぼう」
「何して遊ぶ?」
「んー……」
うにゅほが思案する。
遊びたいという気持ちばかりが先行して、その内容にまで思い至っていなかったらしい。
「マリオテニスする?」
「マリオテニス、むずかしい」
「マリオカート」
「わたし、おそい……」
「カービィ」
「カービィしよう」
「了解」
Switchの電源を入れる。
「スターアライズも面白いけど、スーパーデラックスみたいのもまたやりたいなあ」
「すーぱーでらっくす?」
「カービィのミニゲームがたくさん入ったゲーム」
「へえー」
「ミニゲームって言っても、ひとつひとつがそれなりのボリュームあるし、それぞれ別の楽しみ方ができてよかった」
「そなんだ」
「いちばん好きだったのは、洞窟大作戦ってやつかな。宝箱を探して、財宝を集めていくの」
「おもしろそう……」
「宝箱の場所なんて全部覚えてるのに、何周も何周もしたっけなあ……」
「やりたい!」
「俺もやりたい。Switchがバーチャルコンソールに対応してくれてたらよかったんだけど」
スーパーファミコンには、もう一度遊びたいソフトが多すぎる。
バーチャルコンソールで出してくれれば、ひたすら買い漁ってしまいそうだ。
「××、コピー能力は何が好き?」
「うーと、アイスすき」
「アイスか」
「◯◯は?」
「ニンジャかな」
「ニンジャ、かっこいい」
「カッコいいし、強い」
「つよい」
そんな会話を交わしながら、スターアライズを進めていく。
Switch、買ってよかったなあ。
-
2019年3月18日(月)
窓際で春の陽射しを浴びながら、ぼんやりと呟く。
「今日、あったかいなー……」
「こはるびより」
「小春日和は、ちょっと意味が違うかな」
「そなの?」
「秋か冬の、ちょっと春っぽい日のことだったと思う」
「そなんだ」
うんうんと頷きながら、うにゅほが俺に寄り添う。
「あったかいねえ……」
「今年は、春が来るのが早かったよな」
「うん」
「去年の今頃なんて、まだ根雪解けてなかったんじゃないか」
「そんなきーする」
「──…………」
「──……」
しばし目を閉じ、
「あっつ」
「あついねえ……」
「ひなたぼっこと思ったけど、暑いわ。換気がてら窓開けよう」
「そうしましょう」
そう告げて、寝室側の窓を開いたときのことだった。
──ぶうん
懐かしくも嬉しくはない羽音が、耳元で鳴った。
「わ」
「ハエだ!」
「はえ、はるつげむし……」
「××、ちょっと見てて! キンチョール持ってくる!」
「わかった!」
殺虫剤を浴びせかけられたハエは、壁に体当たりを繰り返し、やがて腹を見せたまま動かなくなった。
「しんだ……」
「どこから湧いてくるんだか」
「つちかなあ」
「たぶん……」
いい雰囲気だったのに、台無しである。
ハエに告げられた春を憂いながら、死骸をティッシュにくるんで捨てたのだった。
-
2019年3月19日(火)
──ぴー!
ファンヒーターが高らかに電子音を鳴り響かせる。
灯油が切れたのだ。
「あー……」
どうしようかなあ。
「とうゆ、いれないの?」
「迷いどころ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「酸化するから、次の冬まで灯油入れっぱなしにしたくない」
「あ、そか」
うんうんと頷き、うにゅほが続ける。
「さいきん、あったかいもんね」
「いま汲んできても、使い切れるかどうか」
「そだねえ……」
判断の難しい問題だ。
「ひとまず、今日だけ我慢してみようか」
「うん」
うにゅほを抱っこしていれば、多少の冷え込みは我慢できる。
それは間違いのない事実だ。
だが、
「──…………」
「──……」
「暑い」
「あつい……」
ファンヒーターがどうこうではなく、普通に暑かった。
「……灯油、いらないなこれ」
「ほんとだね……」
「いちおう、今週の気温だけ調べてみよう」
「うん」
キーボードを叩き、日本気象協会のサイトを開く。
「あ」
「?」
「23日、最高気温2℃……」
「にど……」
「……灯油、入れとくか」
「うん」
さすがに、2℃には耐えられまい。
「てーかがしてね」
「はいはい」
灯油の匂いの付着した手をふすふす嗅がれるのも、今季最後のことだろう。
そう考えると、すこし名残り惜しい気もするのだった。
-
2019年3月20日(水)
父親の誕生日である。
俺が、お高めのウイスキーを。
うにゅほが、ちょっといいワインを。
弟が、日本酒の飲み比べセットを。
見事なまでの酒づくしに、父親はご満悦の様子だった。
「あんましのみすぎないでね」
「わーってる、わーってる」
返事は軽いが、まあ、大丈夫だろう。
自室に戻り、反省会を行う。
「おさけいっぽんより、たくさんのほうが、うれしそうだったねえ」
「質より量の人だからな」
「やすいワインたくさんのがよかったかなあ……」
「でも、誕生日プレゼントに五百円のワインってのもどうかと思うし」
「そだけど」
「俺は、正解だったと思うけどな」
「そかな……」
「高いお酒はちびちび飲むだろ。だから、自然と飲み過ぎない」
「あ、そか」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「◯◯も、たかいワイン、ちびちびのんでたもんね」
「値段と飲む速度は反比例する……」
「すーごいたかいワイン、すーごいじかんかかりそう」
「まあ、言うほど高いワイン飲んだことないけどな」
「ろまねこんてぃ」
「ロマネ・コンティ、いくらするか知ってる?」
「にまんえんくらい?」
「百万円以上」
「!」
うにゅほが、目をまんまるくする。
「すごいよな」
「……そんなにおいしいの?」
「ここまで来ると、美味しいから高いってわけじゃないと思う」
「そうなのかな……」
「そこらのオレンジジュースと、農家直送搾りたて100%オレンジジュース。後者のほうが高いけど、好みは人それぞれだろ」
「あー」
「ひとくち飲んではみたいけど、お金は払いたくないな」
「わかる」
「飲んでみたいの?」
「ひとくち……」
「ひとくちだけだぞ」
「うん」
まあ、ロマネ・コンティを口にする機会など、これから先の人生で一度もないと思うけど。
-
2019年3月21日(木)
うにゅほを膝に乗せたままブラウジングしていると、通知音が鳴った。
メールが届いたのだ。
確認してみると、
「……またか」
思わず溜め息がこぼれ出た。
「また?」
「楽天のメールマガジン。読む気もないのに届く届く」
「とどくの」
「一度商品を買っただけなのに、気づけば三種類くらいのメールマガジンに登録させられてる」
「えー……」
「気をつけてるつもりなんだけど、油断するとこうなる。これがあるから楽天は使いたくないんだよな」
チェックをすべて外しているのに、知らないメールマガジンが届くことすらある。
ここまで来るとユーザーへの嫌がらせに近い。
「あまぞん、だめなの?」
言葉足らずだが、"Amazonではダメなのか"という意味だ。
「普段はAmazon使ってる」
「うん」
「でも、楽天には楽天の強みがあってさ」
「つよみ」
「楽天は提携店舗が多くて、特に食べ物なんかに強い。今回買ったのも、母さんへのホワイトデーのお返しだし」
「おいしかった!」
「分けてもらったのか」
「うん」
よく考えずとも、うにゅほが人のものを勝手に食べるわけがない。
「メール、とどかないようにできないの?」
「できる」
「しましょう」
「するけど、手続きに時間がかかるとかで、止めてもしばらく届いたりするからなあ……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「とうろくするの、いっしゅんなのに、とめるの、じかんかかるの?」
「……言われてみればおかしいな」
メールを一通送るたび、どこかからお金が入ったりするのだろうか。
それがなければ、もうすこし頻繁に利用するんだけどなあ。
消極的にAmazonを選んでいる人、多そうである。
-
2019年3月22日(金)
すこし時間ができたので、うにゅほと外出することにした。
「くつはくの、ちょっとまっててね」
「はいはい」
上がり框に腰を下ろし、うにゅほがブーツに爪先を入れる。
ジロジロ見つめるのも変なので、周囲に視線を巡らせていると、
「──……げっ」
嫌なものを見つけてしまった。
「どしたの?」
「見ないほうがいいと思う……」
「きになる」
「まあ、気になるよなあ」
「うん」
仕方がない。
玄関扉の付け根を指差す。
「蝶番の上」
「?」
うにゅほが、指で示した先を覗き込み、
「う!」
思わず一歩後じさった。
「見ないほうがよかったろ」
「みないほうがよかった……」
それは、玄関扉の付け根でぺったんこに潰された二体のゲジの死体だった。
カラカラに乾き、ひとつは原型を留めていない。
「……見つけたからには放っておけないよなあ」
「うん……」
「××、靴べら取って」
「はい」
うにゅほが手渡してくれた靴べらを使い、ゲジの死体をこそぎ落とす。
ゴリ、ゴリ。
「うひー……」
「見なくてもいいのに」
「こなごな……」
「たぶん、半年くらい誰にも気付かれなかったんだろうな」
「げじ、ふゆでないもんね……」
まったく、出掛ける前にとんだ目に遭った。
久方ぶりのドライブは楽しかったので、終わりよければすべてよしとする。
-
2019年3月23日(土)
底冷えのする寒さに目を覚ますと、窓の外が白く染まっていた。
「吹雪いてる……」
まるで、季節が巻き戻ったかのような様相だ。
暖かな布団から抜け出し、自室の書斎側へ赴く。
「あ、おはよー」
「おはよう」
「ストーブ、いまつけた」
「そっか」
道理で寒いはずだ。
「最高気温、2℃だっけ」
「たしか」
「……なんか、やたら寒くない?」
うにゅほが、両手を擦り合わせながら答える。
「さむい……」
「寒いよな」
「にど、こんなさむかったっけ」
「どうだろ。週間天気だと2℃になってたけど……」
「しらべてみる」
うにゅほがiPhoneを取り出し、気象アプリを起動する。
「わ」
「何℃?」
「いま、マイナスにど」
「……マジか」
「さいこうきおん、マイナスいちど。さいていきおん、マイナスごどだって」
「納得」
「ふゆ、もどってきた」
「忘れ物かな」
「なにわすれたのかな」
「なんだろ」
「なにかなあ」
のんきな会話を交わしながら、自室の扉に手を掛ける。
「顔洗ってくる」
「うん」
「戻ってきたら、抱っこさせて。部屋があったまるまででいいから」
「あったまるまでー……?」
あからさまに不満げなうにゅほに、思わず苦笑する。
「じゃあ、あったまっても」
「うん!」
寒い日は、そう嫌いではない。
くっつく言い訳が成り立つからだ。
まあ、そんな言い訳などなくても頻繁にくっついているわけだが、それは言わないお約束である。
-
2019年3月24日(日)
深夜から朝にかけての雪が、露出していたはずのアスファルトを覆い隠している。
これが十一月の出来事であったなら、根雪になるかと騒いでいたことだろう。
「ほんと、季節が巻き戻っちゃったなあ」
「かんのもどり?」
「よく知ってるなあ」
「うへー」
寒の戻りは五月くらいの話だった気がするが、そう大きくは違いあるまい。
「灯油、汲んどいて正解だったな」
「ほんと」
「相互湯たんぽシステムも限界あるし」
「そうごゆたんぽシステム」
「俺が××を温めて、××が俺を温めるシステム」
「そんななまえなんだ」
「いや、適当」
「──…………」
あ、呆れてる。
「でも、わかりやすくない? 相互湯たんぽシステム」
「そかなあ」
「××なら、なんて名付ける?」
「うーと」
しばし思案し、答える。
「ゆたんぽごっこ」
「湯たんぽごっこか」
「うん」
「無難……」
「えー」
「××、なんとかごっこって好きだよな」
「そうかも」
「寝るごっこ、とか」
「ねるごっこ、する?」
「あれ、結局寝るから、ごっこじゃないんだよな」
「ねちゃう……」
「じゃあ、寝ないごっこ」
「ねないごっこ」
「徹夜する」
「ごっこだから、ねないと」
「……なんか、だんだんこんがらがってきた」
「ややこしい」
うにゅほとなら何をやっても面白いから、なんだっていいのだけれど。
-
2019年3月25日(月)
デスクの上にペットボトルの蓋が転がっていたので、まとめて捨ててしまうことにした。
ゴミ箱までは、すこし距離がある。
適当に狙いをつけ、二個連続で放り投げると、
──コンッ
ペットボトルの蓋がゴミ箱の真上で衝突し、別々の方向へと飛び散った。
「うお」
軽度のミラクルに、思わず声が漏れる。
「どしたの?」
iPadでテレビを見ていたうにゅほが、顔を上げた。
「いや、大したことじゃないんだけど……」
明後日の方向へと転がったペットボトルの蓋を拾い上げながら、いまの出来事を説明する。
「ぽいぽいってして、ぶつかったの?」
「うん」
「くうちゅうで」
「たぶん、一個目は高く、二個目は勢いよく投げたんだろうな」
「みたかった……」
「そう言われましても」
「もっかい」
「狙っては難しいよ」
「えー……」
うにゅほが口を尖らせる。
「……まあ、やるだけやってみるけど、期待はしないように」
「わかった!」
拾い上げたペットボトルの蓋を右手に構え、二個連続で放り投げる。
すると、
──コンッ
ふたつの蓋が、再び、空中で弾けた。
「わ、すごい!」
「できた……」
「◯◯、すごいね!」
「思ったより簡単なのかな、これ」
そう思い、三度ペットボトルの蓋を放り投げる。
だが、以降は成功することなく、偶然が二度重なっただけという結論に落ち着いた。
幸運を無駄に消費した気がしてならない。
-
2019年3月26日(火)
「あ」
「?」
「おもちゃのカンヅメ、新しいの出てる」
「!」
うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「あたらしいの、どんなの?」
「ふしぎなキョロちゃん缶、だって」
「ふしぎ」
「でんじろう先生監修」
「だれ?」
「えーと」
でんじろう先生について説明しようとして、
「……誰なんだろう」
ほとんど名前しか知らないことに気がついた。
「なんか、よくテレビで面白い科学実験をする人なんだけど……」
「かがくじっけん」
「なんか動画リンク貼ってたから、見てみるか」
「みるみる」
うにゅほが俺の膝に陣取る。
「では、再生」
再生ボタンを押す。
それは、でんじろう先生が、自由自在にシャボン玉を操る動画だった。
「でんじろうせんせい、てじなし?」
「いや、ちゃんと種があるんだよ」
「てじなもたねあるよ」
「そうだけど、こう、科学的な……」
「かがくてき」
「たぶんだけど、この動画の種は、静電気だな」
「せいでんき……」
「静電気で操ってる、はず」
「せいでんき、パチッてなるやつ」
「そうだな」
「なんでシャボンだまうごくの?」
「──…………」
「?」
「わからん!」
なんとなくはわかるが、上手く言葉にできない。
「ふしぎだねえ……」
「不思議だな」
「ぎんのえんぜる、さがそうね」
「またゲーセンで荒稼ぎしてくるか」
「うん」
手持ちの銀のエンゼルは二枚。
あと三枚なら、さほど苦もなく入手できるだろう。
-
2019年3月27日(水)
「……キープラーが届かない」
「きーぷらー?」
「キーボードのキーをすぽんすぽん取るやつ」
「まえかったきーする」
「前買ったんだけど、見当たらなくてさ」
「ひきだし、ないの?」
「ない」
「ないの……」
「ありそうな場所は全部探したんだけどな」
「なさそうなばしょにあるんだね」
「なさそうな場所だと、範囲が広すぎる」
「たしかに」
「まあ、五百円もしない品だからさ。Amazonで気軽に注文したんだよ」
「いつかったの?」
「一週間くらい前かなあ……」
「おそい」
「普段は二日くらいで届くのにな」
「おそいねえ……」
「カートに入れっぱなしで、注文確定してなかったりして」
「あー」
「──…………」
「?」
ブックマークからAmazonを開き、注文履歴を確かめる。
「……ない」
「ない?」
「注文確定してない!」
「してなかった……」
「たまにやらかすんだよなあ……」
Amazonさん、疑ってごめんなさい。
「──これでよし、と」
「とどく?」
「たぶん、明後日には」
「すぽんすぽんとっていい?」
「徹底的に掃除するつもりだから、全部取っていいぞ」
「もと、もどせる?」
「公式サイトに写真あるから」
「そか」
高いキーボードだ。
しっかりメンテナンスをして、長く使いたいものである。
-
2019年3月28日(木)
「◯◯、サイダーのむ?」
「飲む飲む」
カシュッ!
うにゅほから350ml缶を受け取り、開封する。
ひとくちあおり、
「くあー!」
喉を焼く刺激に、思わず声を漏らした。
「やっぱ、三ツ矢サイダーだな」
「わたしものむー」
「はいはい」
350ml缶を、うにゅほに返す。
ひとくち啜り、
「かー!」
「それ、俺の真似?」
「うん」
「似てないなあ」
「そかな」
少なくとも、俺はそんなに可愛くない。
「それにしても、いきなりどうしたんだ。三ツ矢サイダーの日だから?」
「みつやサイダーのひ?」
「3月28日だから」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なんか、れいぞうこにあったから」
「たまたまか」
「うん」
まあ、そういうこともあるだろう。
サイダーを飲み干したあと、自室でくつろいでいると、扉がコンコンとノックされた。
「はーい」
入ってきたのは、弟だった。
「兄ちゃん、××、冷やしてたサイダー知らない?」
「あっ」
思わず、うにゅほと顔を見合わせる。
「飲んだしょ」
「はい……」
「箱で買ってあるから飲みたきゃあげるけど、冷やしてるの勝手に持ってくのはやめてくんない?」
「悪い」
「ごめんなさい……」
しゅん。
真っ当な理由で普通に怒られて、うにゅほが凹んでしまった。
「……あー」
話題をずらそう。
「(弟)、やっぱ、三ツ矢サイダーの日だからサイダー買ってきたのか?」
「三ツ矢サイダーの日?」
「3月28日だから」
「いや、もともと好きだから常備してるだけだけど」
「そうなのか……」
「今後は気をつけて」
「はい、きーつけます……」
弟が、扉を閉める。
「……怒られちゃったな」
「うん……」
「三ツ矢サイダーの日、ぜんぜん関係なかったな」
「うん……」
「膝、乗るか?」
「のる……」
膝の上のうにゅほを慰めてやりながら、こうして日記を書いているのだった。
-
2019年3月29日(金)
「──…………」
うと、うと。
マウスを握り締めながら、不意に意識が遠くなる。
「◯◯?」
「はっ」
「ねてた」
「寝てた……」
「おつかれですね」
「最近、ちょっと」
「ねむいなら、ちゃんとねないとだめだよ」
「でも、出掛ける約束だろ」
今日は仕事が少ないので、うにゅほと遊びに行く約束をしていたのだった。
「むりしないで」
「約束を守るのは、無理じゃない」
「でも、ねむいと、うんてんあぶないとおもう……」
「……あー」
たしかに。
「じゃあ、こうしよう」
「そうしましょう」
「まだ何も言ってないけど……」
「◯◯、まちがったこといわない」
「──…………」
全幅の信頼を寄せられて、嬉しいような、戸惑うような。
「三十分か一時間くらい仮眠を取って、それから出掛けようかなって」
「うん」
「出るのすこし遅れるけど、いい?」
「いいよ」
「じゃあ、失礼して──」
ふらふらと寝室側へ赴き、ベッドで横になる。
「あいますく、おちてたよ」
「ありがと」
うにゅほからアイマスクを受け取り、装着する。
「三十分くらいで起こして……」
「はーい」
ふ、と意識が沈んでいく。
疲れが溜まっていたらしい。
三十分の仮眠を終え、冷水で顔を洗うと、ようやく目が覚めた気がした。
「──よし、ゲーセン行くか!」
「おー!」
荒稼ぎしたチョコボールの中に、エンゼルが隠れていますように。
-
2019年3月30日(土)
Amazonからキープラーが届いた。
「よし、これでキーボードの掃除ができる」
「ね、ね、すぽんすぽんとっていい?」
「いいぞ」
二本の針金と取っ手のみで構成されたシンプルなキープラーをうにゅほに手渡す。
「やり方、覚えてる?」
「うーと、かどとかどにひっかけて──」
キーボード右下の「→」キーの下に針金を滑り込ませ、
「や!」
すぽん。
至極あっさりとキーキャップを引き抜いた。
「とれた!」
「お見事」
「うへー……」
うにゅほが照れ笑いを浮かべる。
「悪いけど、次々抜いてくれるか。俺はキー拭いてるから」
「はーい」
すぽん、すぽん、すぽん。
コツを掴んだのか、流れるようにキーキャップが引き抜かれていく。
「キーのした、きたないねえ……」
「毛が多いな」
「わたしのけーもある」
見れば、数十センチはある細く長い髪の毛が、キーキャップの下に絡みついていた。
「一本だからいいけど、百本くらいあったらホラーだな」
「こわい」
「自分の髪だろ」
そんな会話を交わしていると、
「◯◯、えんたーぬけない……」
「貸してみ」
「うん」
うにゅほからキープラーを受け取り、エンターキーに引っ掛ける。
ぐい、と力を込めるが、容易には抜けない。
「思いきり引っこ抜くと、壊れそうで嫌だなあ……」
「わかる」
「まあ、やるけど」
すぽん!
「ぬけた」
「真上に力を入れるのがコツだな」
「わかった!」
しばしして、
「はい、おしまい」
スペースキーを最後に嵌め込んで、キーボードの掃除を終える。
「おつかれさま!」
「××も、お疲れさま」
「きれいになった!」
「ああ」
タイピングも、どことなく心地よい。
頻繁にとは言わずとも、年に一度くらいは徹底的に掃除したいものだ。
-
2019年3月31日(日)
年度末である。
それはそれとして、目を覚ますと午後五時だった。
「──…………」
しばし、呆ける。
「俺の日曜日が……」
独り言を聞きつけたのか、うにゅほが書斎側から顔を出す。
「あ、おきた」
「起きました」
「おそようございます」
「……おそようございます」
「すーごいねてたねえ」
「軽く十二時間以上寝てた……」
「つかれてたのかな」
「そうかも」
のそのそとベッドから抜け出ると、全身の異様な倦怠感に気がついた。
「だっる」
「だいじょぶ?」
「まあ、十二時間も寝れば、こうなるか……」
「きーつけてね」
「うん」
壁に手をつきながら歩き、パソコンチェアに腰を下ろす。
「──あ、そだ。きょう、おじいちゃんのめいにちだって」
「爺ちゃんの?」
「うん」
しばし思案し、
「……あー、そうだった気がする」
完全に忘れてたけど。
「父方の爺ちゃんって、××、会ったことないんじゃないか?」
「うん、ない」
「××がうち来たとき、もう亡くなってたからな」
「どんなひとだったの?」
「うーん……」
腕を組み、天井を見上げる。
「物静かで」
「うん」
「アル中で」
「あるちゅう……」
「酒を飲むたび、くしゃみする人かなあ」
「うと、ほかには?」
「……あんまり思い出せない」
「えー……」
「ほんと、喋らない人だったんだよ」
「そなんだ」
「まあ、あとで線香の一本でも上げておくか」
「うん」
久方ぶりに父方の祖父のことを思い出した。
ずっと一緒に住んでいたはずなのに、こうまで忘れてしまうものなんだな。
時の流れは残酷だ。
-
以上、七年四ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
八白さんお疲れ
-
2019年4月1日(月)
仕事部屋に詰めていると、新元号の発表があった。
「──◯◯、◯◯!」
「んー」
「へいせいのつぎ、きまった!」
「レイワ?」
「うん」
「テレビの音は聞こえてたからな。漢字ではどう書くの?」
「うーと、めいれいのれいと、へいわのわ」
「令和」
「れいわ」
「昭和とちょっとかぶるんだな」
「あ、ほんとだ」
「でも、いいんじゃないか。新しい感じするし」
「うん、そんなかんじする」
「これ、首相官邸のエイプリルフールネタだったら笑うよな」
冗談めかして言うと、
「!」
うにゅほが目をまるくした。
「……そうかも」
「いや、ないない。言ってみただけ」
「でも、エイプリルフールだし」
「エイプリルフールだろうとなんだろうと、そんなことしたら暴動起こるぞ」
「そか……」
しかし、命令の令だからって難癖つける人、多そうだなあ。
そんなことを考えていると、
「──うッ」
ぐるると腹が蠢動した。
「トイレ行ってくる……」
「うん」
「朝から、どうも、腹具合が悪いんだよな……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫大丈夫。出せばいったん治まるし」
「──…………」
ふと、うにゅほが何やら考え込んだ。
「……それ、うそ?」
どうやら疑心暗鬼に駆られているらしい。
「××に心配かけるような嘘、つかないって」
「う」
「(弟)の風邪、伝染ったかな……」
「……ごめんなさい。あかだまだしとくね」
「頼む」
無闇に疑った自分を恥じてか、うにゅほは、今年は嘘をつかなかった。
ちょっと楽しみにしていたので、残念だ。
-
2019年4月2日(火)
──びりッ!
床に落ちたゴミを拾い上げようと屈んだ瞬間、作務衣の膝小僧が音を立てて破れた。
「わ!」
「……あー」
来るか来るかと思い続けた瞬間が、とうとう訪れてしまった。
「いきなしやぶれた……」
「実は、いきなりじゃないんだよ」
「そなの?」
「腿から膝にかけて、生地がだいぶ薄くなってたんだよな」
ぴ、と生地を伸ばしてみせる。
「ほんとだ、すけてる」
「セクシー?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「忘れてくれ」
「うん」
「だから、まあ、破れるのは時間の問題だったと思う」
「きじ、すーごいうすい……」
「上衣はそんなことないんだけどな」
「なんで、ひざのとこだけうすいんだろ」
「××が座るからじゃないか?」
「!」
そのとき、うにゅほに衝撃走る。
「わたしすわるから……」
あ、やべ。
「いや、××のせいって意味じゃなくて!」
「でも」
「物理的にはそうかもしれないけど、責任は俺にあって……」
うにゅほが目を伏せる。
「わたし、もう──」
言いかけたうにゅほを、慌てて抱き締める。
「これからもずっと、俺の膝に座ってください!」
「──…………」
勢い余ってプロポーズみたいになってしまった。
「……はい」
うにゅほが、頬を染めて頷く。
「──…………」
「──……」
なんだ、この空気。
「……とりあえず、YouTubeでも見る?」
「みる」
うにゅほを膝に抱き、マイクラ動画を再生する。
たかだか作務衣が破れたくらいで、この幸せを打ち捨ててなるものか。
-
2019年4月3日(水)
「……なーんか体調悪いっスねえ」
「わるいっすか」
「風邪のひき始め感ある」
「ねてるとき、せき、ちょっとしてたっす」
「風邪の匂い、する?」
「んー」
うにゅほが、俺の首筋に鼻先を埋める。
すんすん。
「まだしてない。……す」
「じゃあ、まだ間に合うな。いまのうちから暖かくしておこう」
「そうしましょうっす」
「それ、気に入ったの?」
「ちょっと」
「さっき、一瞬忘れかけてたな」
「そんなことないっす」
「料理のさしすせそ」
「?」
「"さ"は?」
「さとうっす」
「"し"は?」
「しおっす」
「"す"は?」
「すっす」
「すっす」
「せは、しょうゆ」
「"そ"は?」
「みそ!」
「"す"は?」
「すっす」
「"プリニーっス!"って言って」
「ぷりにーっす?」
「よし」
「ぷりにーって、なに?」
「……ペンギン?」
「ペンギンっすか」
「いや、ペンギンじゃないかも……」
「?」
「そんな感じの語尾のキャラって、他に誰いたっけ」
「うーと、いとのこけいじとか?」
「……あんまり可愛くないな」
「そすねー」
「あと、なんだろ。スープーシャンとかか」
「すーぷーしゃん?」
「……白いカバみたいな?」
「かば……」
「ムーミンにも似ているっス」
「なつかしいっす」
しばしのあいだ、語尾を変えて遊ぶ俺たちだった。
-
2019年4月4日(木)
「んー……」
キーボードを叩いては文章を消し、キーボードを叩いては文章を消し、そんなことを十五分ほど繰り返している。
「にっき、かけないの?」
膝の上でくつろぎながらiPadをいじっていたうにゅほが、そう尋ねた。
「スランプかなあ」
「スランプ」
「今日、何もしてないのが致命的な気もするけど」
「かくことないと、かくことないもんね」
トートロジーかな。
「しゃーない。話したこと、そのまま書こう」
「にっき?」
「その日の出来事には違いない」
「そだね」
「××、会話はいったん中断だ。いま話してたこと、タイピングするから」
「はい」
五分ほどかけて、以上の内容をWordに打ち込んだ。
「よし」
「かけた?」
「書けた」
「まだ、はんぶんくらいだねえ」
「会話してればすぐだよ」
「──…………」
ふと、うにゅほが黙り込む。
「どした」
「なんか、きんちょうする……」
「緊張?」
「はなしたこと、ぜんぶかかれる」
「いいじゃん」
「うかつなこといえない」
「日記読んでる人は、××の迂闊な発言を楽しみにしてるよ」
「……ますますいえない」
うにゅほが警戒モードに入ってしまった。
「なんか喋れー」
脇腹をくすぐる。
「うひ」
うにゅほが身をよじる。
「やめれー!」
「喋ったらやめる」
「しゃべる、しゃべる」
「あ、いまのぶん書いちゃうな」
「うん」
五分ほどかけ、再びいまのやり取りを打ち込む。
「なにしゃべったらいいの?」
「あ、だいたい一日分になったから、もういいぞ」
「えー……」
うにゅほがぶーたれる。
「かくごしたのに」
「書いてほしいこと、あった?」
「ないけど」
「ネタがないときは、また頼むな」
「いいけど……」
会話の内容をそのまま打ち込んだあと、推敲をして出来上がり。
書くべきことの思いつかない日は、また楽させてもらおう。
-
2019年4月5日(金)
「……生活サイクル、だいぶ乱れてる気がする」
「うん」
うにゅほが、あっさりと頷く。
「みだれてます」
断言されてしまった。
「わたしおきたとき、たまにおきてるしょ」
「……気づいてた?」
「ねたふり、わかるよ」
「ふりではないんだけど……」
「◯◯、さいきん、あんましねてない……」
「仮眠はとってる」
「かみんばっかし」
「いや──」
言い返そうとして、口をつぐむ。
我ながら言い訳がましい。
「今日は、早く寝ます」
「きょうは?」
「……今日から」
「よろしい」
うにゅほは、こういうところで厳しい。
だらしない俺が悪いのだけど。
「最近、いろいろと忙しかったけど、それも片付いたから」
「ほんと?」
「ちゃんと寝て、ちゃんと起きて、半端に仮眠をとらないようにする」
「わかった」
うにゅほが頷き、小指を差し出す。
「やくそくね」
「はい」
うにゅほの小指に小指を絡め、
「指切りげんまん!」
「うそついたら、はりせんぼん、のーます!」
「指切った!」
そう言って、指を離す。
「やくそくだよ」
「はい」
ふと、うにゅほが小首をかしげる。
「げんまんって、なに?」
「ゲンコツ一万回のこと」
「こわい」
「約束破ったら、××が俺にやるんだぞ」
「やらない……」
「××のゲンコツなら怖くないな」
「はりせんぼん、のむ?」
「ごめんなさい」
約束したのだ。
今日から早く寝よう。
-
2019年4月6日(土)
「──…………」
頭がぼんやりする。
思考が上手くまとまらない。
総計十数時間も寝て寝て眠り果てたのだから、それも無理からぬことだろう。
「◯◯、みずのむ?」
「飲む……」
「まっててね」
うにゅほの介護を受けながら、自分の情けなさに涙が出そうになる。
発熱のせいか、情緒が安定していないらしい。
「はい、みず」
「ありがとう……」
ベッドの上で上体を起こし、グラスの水を舐めるように飲む。
「……ごめんな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「いや、今日、遊びに行くって……」
「うん」
「だから、ごめん」
「んー……」
しばし思案し、うにゅほが頭を下げた。
「わたしも、ごめんなさい」
「……?」
うにゅほの謝る理由が、本気でわからなかった。
「かぜのにおい、きづかなかった」
「いや──」
「ひどくなったの、わたしのせい」
「……そんなわけないだろ」
腹から声を絞り出す。
「俺の体調は俺が管理すべきだ。すべて俺の責任で、すべて俺の落ち度だ。××が謝る必要なんてない」
「──…………」
「だから、謝らないでほしい」
「わかった」
ほっと胸を撫で下ろしていると、うにゅほが言った。
「◯◯も、あやまらないで。おなじきもちだよ」
「──……!」
ああ、そうか。
"謝る"という俺の自己満足で、うにゅほを戸惑わせていたのか。
「ごめ──」
言いかけて、口をつぐむ。
そんな俺の頭を撫でて、
「おやすみなさい」
と、優しく告げた。
「……おやすみ」
次に目を覚ましたときには、体調はすこしだけ戻っていた。
日記を書き終えたら、今日は早めに寝てしまおう。
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2019年4月7日(日)
「ん」
額に触れていたうにゅほの手が、そっと離れていく。
「ねつさがった」
「そっか」
ほっと胸を撫で下ろす。
休日が潰れるのは致し方ないとしても、仕事に穴は空けられない。
「ご心配をおかけしまして」
俺がぺこりと頭を下げると、
「いえいえ、おきになさらず」
と、うにゅほが頭を下げ返した。
「この埋め合わせは必ず」
俺が、ぺこりと頭を下げる。
「おきもちだけで」
うにゅほが、ぺこりと下げ返す。
「そう仰らずに」
ぺこり。
「いえいえ」
ぺこり。
「遠慮なさらず」
ぺこり。
「そんなそんな」
ぺこり。
そんなことを繰り返したのち、ふたりでくすりと笑い合う。
「ちゃんと治ったら、今度こそ遊びに行こうな」
「なおったらだよ」
「わかってる、わかってる」
「たのしみ」
「久々にカラオケとかでもいいなあ」
「いいねー」
「××も歌うんだぞ」
「うん」
「レパートリー増えた?」
「わかんない」
「最近、あの人の曲聞いてたじゃん。米津玄師」
「よねづ?」
「ヨネツだったっけ?」
「わかんない……」
名前の読み方はわからなくとも、曲は覚えているだろう。
楽しみだ。
-
2019年4月8日(月)
さて今日は何を書くべかとキーボードを空打ちしていると、うにゅほが覗き込んできた。
「にっき?」
「日記」
「なにかくの?」
「まだ決めてない。ダイエットの話でも書こうかな」
「やせてきたもんね」
「××はダイエットしちゃダメだぞ。消えてなくなる」
「なくなりはしない……」
うにゅほが苦笑する。
「最終的に、××の体重の半分くらいはこの世から消し去りたいなあ」
「だしがらになっちゃう」
「前より痩せるくらいの気概がないと」
「からだ、こわしたらだめだよ」
「はーい」
食事制限は行っているが、最低限の栄養はちゃんと確保している。
倒れて迷惑を掛けるようなことにはならないはずだ。
「あ、そだ」
「うん?」
「きになってたこと、きいていい?」
「いいよ」
「にっき、わたしのいったこと、なんでひらがななのかなって」
「気づいてしまったか……」
「まえから……」
「お前には消えてもらう!」
「ひや!」
うにゅほを抱き寄せて、わしわしと頭を撫でる。
「──……ふいー」
あ、リラックスし始めた。
「真面目に答えると、俺と××、どちらが発言したか一瞬で判別させるためかな」
「あー」
「あと、キャラ付け」
「きゃらづけ」
「ひらがなで話してると、可愛くない?」
「そかな」
「××が嫌ならやめるけど……」
うにゅほが、首を横に振る。
「きになっただけ」
「そっか」
よかった。
いまさら変えるのも不自然だもんなあ。
うにゅほの発言は、今後もひらがなで描写していきます。
-
2019年4月9日(火)
月に一度の定期受診ののち、チョコボールを荒稼ぎするため万代へと立ち寄った。
「──さて、腕の見せどころだな」
「がんばれー!」
筐体の端に積み上げられた無数のチョコボール。
下の段のチョコボールに輪が取り付けられており、そこにアームの先を引っ掛ければ、その塔が倒れるという仕組みである。
さっそく五百円を投入し、いちばん手前の輪を狙う。
だが、
「ダメか……」
アームの先が、輪と輪のあいだをかすめていく。
「あー」
「クレーンの速度が速い。奥から狙ったほうがいいな」
「おく、むずかしくない?」
「チョコボールを高く積んでるから、それが目印になる。箱に合わせればいいだけだから」
ボタンを操作し、いちばん奥の輪にアームを引っ掛ける。
チョコボールの塔がクレーンにもたれ掛かり、崩れた。
「おー!」
うにゅほが目を輝かせる。
十箱ほどのチョコボールが坂を滑り落ち、そのうちひとつだけが取り出し口に落ちた。
「ひとつかー……」
「まあ、あと四回あるから」
「うん」
肩を回し、筐体を睨む。
そして、六回中五回、アームを輪に引っ掛けることに成功した。
「──…………」
「──……」
「ぜんぶで、みっつ」
内訳は、ピーナッツふたつに、キャラメルがひとつ。
「……万代、渋いな」
「うん……」
「やっぱ、いつものキャッツアイがいちばんだなあ」
「いく?」
「今日はやめとこう。仕事あるし」
「わかった」
「仕事少ない日か、土日だな」
「ぎんのえんぜる、あとさんまい」
「すぐ集まるだろ」
たぶん。
-
2019年4月10日(水)
「今日は、駅弁の日らしい」
「えきべん」
「駅の弁当と書いて、駅弁」
「えきべん、たべたことない」
「実は、俺も食べた記憶がない」
「◯◯もないの?」
「あるのかもしれないけど、具体的には覚えてないなあ」
そもそも、列車で遠出をした記憶がない。
「地元に駅があれば別だったのかもしれないけど……」
「ないもんねえ」
俺たちの住む街には、駅がない。
列車が通っていないため、乗る習慣ができなかったのだ。
「さて問題です」
「?」
「4月10日は、何故駅弁の日でしょうか!」
「ひんと!」
「早い!」
「だってわかんない……」
仕方ないなあ。
「4月は英数字の4、10日は漢数字の十で考えてみよう」
「ひんと!」
「早い!」
「だってむずかしい」
「4と十を、組み合わせてみよう」
「んー……」
うにゅほが、メモ帳とペンを取り出す。
「よんとー、じゅうとー」
しばしメモ帳とにらめっこしたあと、
「──あ、べんにみえる!」
「正解!」
「なるほどー」
うんうんと頷いたあと、うにゅほが小首をかしげる。
「おべんとうのひでもよかったのでは?」
「まあ、記念日なんて制定したもん勝ちだから……」
無理のある語呂合わせの記念日なんて、いくらでもあるし。
黄ニラ記念日、お前のことだぞ。※1
「そう考えると、駅弁の日はかなりましだな。納得できるもの」
「そだね」
「さて、休憩終わり。仕事するか!」
「がんばってね」
「はいよー」
そんな、他愛のない、いつも通りの一日なのだった。
※1 2019年2月12日(火)参照
-
2019年4月11日(木)
音楽を聴きながら階段を上がっていると、ふとしたことで作務衣のポケットからiPhoneが滑り落ちた。
「やべ」
イヤホンが耳からすっぽ抜け、数段分の踏み板がiPhoneと衝突し大きな音を立てる。
慌てて拾い上げ、傷がないかを確かめていると、
「どしたのー?」
物音を聞きつけてか、うにゅほが二階から顔を出した。
「iPhone落としちゃって……」
「こわれなかった?」
「たぶん」
見た目に傷はない。
だが、損傷がないとは限らない。
iPhoneの動作を確認しながらイヤホンを耳に挿入すると、
ツー……
謎の高周波音が鼓膜を揺さぶった。
「──…………」
iPhoneからヘッドホンジャックアダプタを引き抜き、音楽を再生する。
階段に、サカナクションの「表参道26時」が響き渡る。
「イヤホンかアダプタが断線したみたい」
「いやほん、かったばっか……」
「アダプタであることを祈ろう」
「あだぷたって、なんだっけ」
「イヤホンとiPhoneを繋ぐ、この白いやつ」
「あー」
「これなら安いし、予備がある」
自室に戻り、引き出しから未開封のヘッドホンジャックアダプタを取り出す。
「音が鳴れば、アダプタが原因。鳴らなければ、イヤホンが原因」
そう告げて、イヤホンとiPhoneを新品のアダプタで接続する。
再び音楽を再生すると、
「──鳴った!」
「よかったー」
「ヘッドホンジャックアダプタなんて純正品でも千円ちょっとだし、ほんとよかったよ」
うんうんと頷き合っていると、ふとあることに気がついた。
「……このアダプタ、何個目だろ」
「よっつめくらい?」
「壊れすぎじゃない?」
「こわれすぎだねえ……」
もうすこしなんとかならないものか。
Appleに搾取されている気しかしないのだった。
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2019年4月12日(金)
「うーしょ、と」
うにゅほが布団を運んできた。
「なつぶとんにするよー」
「おー」
最近暑かったもんな。
「手伝う」
「うもうぶとんのカバー、はずして」
「はいはい」
手分けして、ふたりぶんの羽毛布団と夏布団とを取り替える。
「よし!」
綺麗に整えられた二台のベッドを前にして、うにゅほが満足気に頷いた。
「春モードだな」
「はるモードですね」
「夏モードになると、夏布団がなくなる」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なつなのに……」
「不思議だな」
「でも、なつぶとんあると、あついもんねえ」
「丹前一枚でいいよな」
「うん」
「秋モードになると、夏布団が復活する」
「あきなのに……」
「冬モードになると、羽毛布団になる」
「ふつうだ」
「──…………」
「──……」
「夏布団って呼び方が間違っているだけでは?」
「そうかも……」
「春秋兼用布団と呼ぼう」
「ながい」
「長いな」
「うん」
「夏布団でいいか」
「そうしましょう」
夏になるとなくなる夏布団。
人生における何かを象徴しているようで、たぶんしてない。
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2019年4月13日(土)
右目を隠し、文字を読む。
「──…………」
やはりだ。
やはり、文字が二重に見える。
「疲れ目かなあ」
「め、つかれてるの?」
「わからない。でも、他に心当たりないし……」
場所が場所だけに、心配だ。
「がんか、いく?」
「……このまま治らなかったら、行く」
「そうしましょう」
「なんなんだろうなあ……」
「しんぱい」
「ちょっと調べてみよう」
キーボードを叩き、症状で検索をかけてみる。
「えーと、単眼複視、かな」
「たんがんふくし?」
「片目で見ても二重に見える症状のことを、そう呼ぶらしい」
「そなんだ」
「で、この単眼複視の原因は──」
「げんいんは……」
「──…………」
「──……」
「……白内障」
「!」
「マジか……」
うにゅほが、恐る恐る尋ねる。
「……やばいやつ?」
「ヤバいやつは、緑内障のほう。白内障は、すぐさまどうこうって感じではない」
「そか……」
ほっと胸を撫で下ろす。
「でも、最悪手術かなあ」
「しじつ……!」
言えてない。
「めのすずつ、するの……?」
言えてない。
「わからない。とりあえず眼科行ってみないと……」
白内障って、四十代とか五十代からなるイメージがあったんだけどなあ。
二重の意味でショックである。
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2019年4月14日(日)
指先を襟元に引っ掛け、パタパタさせる。
「……暑くない?」
「なんか、むしむしするねえ……」
温湿度計を覗き込む。
「26.5℃……」
「あつい」
「今日、ストーブつけてないよな」
「つけてない」
「エアコンも」
「つけてないよ」
そもそも、室外機のカバーを外していない。
「昼間晴れてたから、輻射熱かなあ」
「そうかも……」
「窓、開けようかな。どうしようかな」
うにゅほが立ち上がる。
「あける?」
「うーん……」
「あけない?」
「開けたら逆に寒くなる気しかしない」
「きーしかしないねえ……」
窓を開けて、寒くなって、ストーブをつける。
ストーブをつけて、暑くなって、窓を開ける。
その繰り返しはいささかアホっぽい。
「……まあ、我慢できないほどじゃないし」
「んー……」
がらり。
うにゅほが窓を開く。
「開けるのか」
「うん」
「そんなに暑かった?」
「くうき、こもってるきーした」
「あー」
たしかに。
「うしょ」
「?」
うにゅほが、俺の座っているパソコンチェアを半回転させ、
「……うへー」
俺の膝にすっぽりと腰掛けた。
「さむくなるから、しかたない」
「それは仕方ないな」
「うん」
仕方ないのだった。
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