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【豆腐への】AA忍殺劇場 3【怒り】

1 ◆robxbT2m0o:2014/11/11(火) 22:33:34 ID:CIyuMFqU0

、    ヽ\    ゛ヽ  、ヽ  ト、    ,////l ,、、 ヽ
ヽ\  、\\   、、\\ 、ヾ、 ト  ' ////l iヾ   l 
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\ `、\ \゙ 、\  \\\   ', ヘ, l l//∠≦三;オ, l イ      ドーモ、親愛なる読者の皆さん。
  ` 、\\ \\`   \\  ヽ゛、',l l 、`'><`'/ / /
     ヽ \ \ \     \ 、゙、.イi,ヽ 二'l'i'//// ,'lヾ ,
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(このスレッドはTwitter上でリアルタイム連載されている「ニンジャスレイヤー」を原作とし、
>>1がDIYの精神でなんかしたものです)

   翻訳チームによるサイバーパンク・ニンジャ活劇小説「ニンジャスレイヤー」
   (原作:Bradley Bond-san & Philip Ninj@ Morzez-san)

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951名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:01:32 ID:Dde22kIw0
項羽とは、中国史の人物である。
なお、「羽」というのは字(あざな)であり、本来の名前は「籍」。
そのため「項籍」と呼ぶのが正しいのだが、本稿では一般に知られている「項羽」の名で統一する。

952名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:01:59 ID:Dde22kIw0
項氏は春秋戦国時代に南方に栄えた楚国の名門であった。
始皇帝(当時の称号は秦王政)が統一に乗り出した時には、最後の名将であった項燕を輩出し、一時は圧倒的に優勢だった秦国軍を撃退したことがある。
しかし始皇帝が老将・王翦の「六十万の軍団を出してください。そうでなければ勝てませんし、私も戦いません!」という言葉を受けて、ついにその通り六十万の軍勢を出し総攻撃を掛けたことで、項燕は戦死。楚国も滅亡した。二十万を退けたら六十万が来るとか何そのクソゲー

953名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:02:29 ID:Dde22kIw0
項梁のもとで項羽は学問や武芸などを仕込まれていた。
しかし当の項羽は剣術にも学問にも励まず、すぐサボる。怒った項梁が咎めると、
「文字は名前さえ書ければいいものです。剣術はせいぜい一人か二人を相手にするものでしょう? 俺はどうせなら、もっと大勢を相手にしたい。」
といった。

954名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:03:24 ID:Dde22kIw0
かくして旗揚げした項梁と項羽は江東一帯を制圧。
そこに、先駆けて決起していた陳勝の使者として召平という人物が訪れて項梁に派兵を要請した。
これを受けて、項梁は八千の兵士を連れて出撃。道中で桓楚、陳嬰、黥布、范増、といった豪族・豪傑たちを吸収しつつ大勢力となった。

955名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:03:47 ID:Dde22kIw0
実は、項梁が出兵した時点で反乱軍本隊は秦国の章邯が率いる軍によって壊滅しており、陳勝もまた敗北した挙げ句、逃亡先で裏切った部下に殺されていた。
陳勝が名乗っていた「楚王」の座も、もと臣下たちに奪われている。

956名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:04:16 ID:Dde22kIw0
かくして項梁は「陳勝の仇を討った」と表明すると共に「楚王」の座もぶん取り、陳勝に代わって反秦連合の盟主として名乗りを挙げることに成功した。

ただし、范増が「楚王の座は、自分で就くものではありません。旧楚王室の生き残りを即位させたほうが筋が通ります」と進言したため、楚王家の生き残りの「心」という人物を探し当て、楚の「懐王」として擁立した。

しかし言うまでもなく懐王は項梁の傀儡である。実質の政権の指揮は項梁が担っていた。

957名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:04:50 ID:Dde22kIw0
さらに、項梁は項羽と劉邦を西の陳留に前進させる一方、自らは章邯に圧倒されていた斉国を支援するべく東に向かっていた。
章邯はもちろん秦国における唯一の実働部隊であり、これを撃滅できれば項梁の地位はいよいよ確立する。

しかし章邯は陳勝残党とは相手が違った。また李由を討ち取ったことで慢心もしていたようだ。
項梁は斉国を助けるべく攻め込んだが、章邯はあえて破れることで項梁を油断させた上で、主力軍を一気に殺到させて定陶にいた項梁軍を殲滅、ついに項梁を討ち取った。

958名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:05:07 ID:Dde22kIw0
さて、項梁が戦死して最も喜んだのは、秦国の関係者以外では実は楚の懐王、そして、復興した楚国に集まってきた旧楚国の残党たちだった。
というのも、懐王を傀儡として擁立した項梁が死んだいま、懐王が主導権を握れる目が出てきたのである。
傀儡になりたくて王になる人はいない。誰だって実権を握りたいのだ。

959名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:05:59 ID:Dde22kIw0
さっそく宋義を卿子冠軍・上将軍、項羽を魯公・次将として、項梁の後継者・項羽を抑圧。
また、項梁の配下だった范増を末将に引き上げて、項羽の組織を攪乱しようとした。

960名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:06:32 ID:Dde22kIw0
しかし、辞令だけで乱世の権力闘争を制することができれば苦労はない。

961名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:07:36 ID:Dde22kIw0
さらに項羽が兵たちの間を歩いて相談に乗り、将軍とも話し合って懐柔し始めたので、宋義は嫌がらせに
「虎の如く猛々しく、羊の如く背き、狼の如くに貪欲な、強情で使えない者は、皆これを斬る!」
と布告した。言うまでもなく、項羽を念頭に置いた警告である。

962名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:07:53 ID:Dde22kIw0
実はこの時、宋義は、高陵君との縁で息子を斉国の宰相にするよう派遣していた。派手に宴会を開き、斉に向かう息子には大量の護衛を付ける念の入れようである。
その一方で将兵は野宿・飢餓・大雨・冷気の四重苦に見舞われた。
兵たちの間で宋義に対する不満が広がり、爆発寸前になっていた。

それはつまり、宋義に対するクーデターの機が熟したということである。

963名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:08:17 ID:Dde22kIw0
しかし項羽はためらいもなく軍を前進させた。
相手の王離はさすがに三代の名将で、黥布と蒲将軍の指揮する先鋒部隊を撃退したのだが、項羽はここで自ら全軍を率いて渡河。
秦軍の補給線を破壊し、大勢で遠征していた秦軍の兵站を遮断した。これで王離の軍は食料が行き渡らずに混乱し、戦意が低下。

ここで項羽は驚くべき行動に出る。
なんと退却のための船を自ら沈め、炊飯道具をすべて破壊。三日ぶんの食料だけを兵に与えて他は全て焼いた。
文字通り兵たちの退路を絶って死兵と為し、その勢いで全軍突撃したのである。

964名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:08:50 ID:Dde22kIw0
趙高「やっべー、なんか群盗騒ぎが全然おさまんないぞコレ。
 つーか最近デク人形、じゃない二世皇帝もなんか俺のこと疑ってるっぽいし。
 どうしよう。まだクーデターするには地盤が固まってないしな……
 李斯のバカを殺ったときみたいに別のイケニエ出そうか。
 うんそうだ、それがいいな。ちょうど章邯のヤツも負けてきてるし。全部あいつのせいにしちゃえ☆」

965名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:09:12 ID:Dde22kIw0
項羽にとって章邯は叔父の仇だったが、なぜかこの時の彼は穏やかに降伏を受け入れ、章邯・司馬欣・董翳を迎え入れた。
実は司馬欣はその昔、逃亡生活をしていた項梁・項羽を助けた過去がある。案外彼が口を利いたのかも知れない。

966名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:10:04 ID:Dde22kIw0
咸陽に入った項羽は、さっそく秦王子嬰を殺し、秦帝国の皇族をも皆殺しにした。

967名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:11:30 ID:Dde22kIw0
秦の一族八百人と官人五千人を処刑したとあるから
秦の宗族(皇族)及び公務員を処刑ということか
ほぼ貴族だと思えばいいのか

968名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:13:02 ID:Dde22kIw0
秦は荊を討つ時に全軍に近い六十万を出したとある
百万と号しても六十万から+すうまんか十万ぐらいだろうか
騎馬は一万と言われているがこれも実数は万に満たないだろうか

969名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:16:49 ID:Dde22kIw0
蜀の滅亡時に提出した目録で
兵士十万二千、官人四万とある
人口は九十四万、二十八万戸である

秦は滅亡時に宗族八百余人、官人五千余人が処刑されている
戦国時代の話で兵士百万、騎馬一万
楚を攻める軍の六十万を秦の全軍に近いから躊躇している
仮に八十万いれば、六十万を全軍に近いとは言わなそうだし防ぎきれる気もする
王センの軍以外にも派兵していたようであり七十万に少し足りない程度だろうか

970名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:17:29 ID:Dde22kIw0
まず項羽は旧斉国領を三分割して「膠東」「斉」「済北」の三国を立て、それぞれに王を封じていたが、
これら三王はどの王にも封じられていなかった実力者、田栄によって殺害もしくは追放され、瞬く間に奪われた。
ついでに田栄は彭越を派遣し、「西魏」「殷」「河南」に分割されていた旧魏領を荒らさせている。

971名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:17:48 ID:Dde22kIw0
また、もともと趙王だった趙歇を北の「代」に移し、空いた趙にその臣下だった張耳を常山王として入れたが、
今や対立する間柄となった陳余が田栄の支援を受けて張耳を駆逐し、趙歇を再び趙王として迎え、自らは入れ替わる形で代王に収まった。

972名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:18:07 ID:Dde22kIw0
そして、旧秦国領も旧斉と同様に三分して「塞」「雍」「翟」を作り、それぞれに旧秦国の将軍・章邯、司馬欣、董翳を王に封じたが、
彼らは進撃した「漢中王」劉邦によってあっさりと撃破され、その領土を奪われた。
旧韓国領だけはもとが小さすぎて分割できなかったが、韓王成を殺して項羽の武将・鄭昌を韓王にしていた。
しかしその鄭昌もほどなくして劉邦・韓信*22に呑み込まれてしまう。

973名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:20:39 ID:Dde22kIw0
趙は
趙王を代王とし、張耳を恒山王、趙将を河南王や殷王にし、
魏豹は西魏王としたが
やはり、旧六国でも趙、楚、斉が強かったのだろう
燕や魏、韓はあまり
ただし、秦は韓国人が重臣だったりもする

974名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:20:58 ID:Dde22kIw0
おまけに旧燕国領は「燕」と「遼東」の東西に分けたが、陳勝時代からの燕王だった韓広を遼東王に移し、燕王は項羽の武将・臧荼を据えた。
しかしその臧荼までもが、独立して韓広を殲滅。燕全域を治めた。

975名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:21:22 ID:Dde22kIw0
さすがに項羽の足元である旧楚国領(これも「西楚」「九江」「衡山」「臨江」に四分されていた)は謀反まではしなかったが、九江王・黥布や衡山王・呉芮は項羽に従わなくなり、のちに劉邦に寝返ることになる。

976名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:22:42 ID:Dde22kIw0
ただ、呉臣は長沙王となるが、これは父の衡山王の領域ではなく
劉邦に最後まで敵対していた臨江王の領域になっている

977名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:23:16 ID:Dde22kIw0
つまり、旧七雄レベルでいうなら、その全域が項羽に背いてしまったのだ。
項羽が立てた十八諸侯のうち、項羽が滅びるまで項羽サイドに着いていたのは臨江国(共敖、のちに死んで息子の共尉が跡を継ぐ)だけだった。

項羽の封建は、惨憺たる大失敗に終わったのだった。

978名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:23:37 ID:Dde22kIw0
【なぜ駄目だったのか】

失敗した原因を考えるため、成功例と比較する。

封建制に成功した周王朝だが、その封建体制を主導した武王とその弟・周公旦は、殷との戦争で最も活躍した太公望を、農業にも向かない僻地で、東には敵対勢力も強い山東半島・斉国に封じた。
その上、斉の西には周公旦の魯国が、北には召公奭の燕国が配置され、東西北の三方向から太公望を牽制していた。

979名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:25:07 ID:Dde22kIw0
中国の初出は周の武王が余はこの中国においてだが
中国は原文では中域のように読める
左の土がないというか旧字体の國の周りの四角がない

980名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:25:24 ID:Dde22kIw0
しかしながら、一方では太公望に「黄河から海までは切り取りしだい、あなたの領土になります」と、半ば独立王国として勢力を拡張することを許している。
中原への進出を阻むとともに、その野心を別方向に発散するよう手配していたのだ。

つまり封建制とは、ある程度の謀反が起きることを前提としたうえで、反逆を起こせないよう巧みに領土を配分し、綿密に政治力学や名文論を組み立て、さらに反乱が起きても鎮圧できるだけの政治力、軍事力、支配力が中央政府に求められるシステムなのだ。

981名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:25:45 ID:Dde22kIw0
しかも、それだけ苦労して太公望を組み込みながらも、周王朝は武王の急死という混乱もあって、武王・周公旦の弟、管叔鮮・蔡叔度が殷の紂王の息子・武庚を担いで反乱を起こすなど、さまざまな苦労に見舞われている。

982名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:26:07 ID:Dde22kIw0
それでなくても、封建領主たちは「おれたちの活躍からすると、取り分はもっと多くていいはずだ」という野心や不平不満を抱いてしまう。
たとえ本人が無欲だったとしても、周囲の人間が唆し続ければいつまでも堪えられない。最悪の場合野心のない領主が野心のある領主に殺害などでとってかわられる可能性もある。
しかも封建によって自前の領土と兵力、税収が手に入るのだから、それをステップとして「諸侯よりも上」、すなわち「王位」まで狙えるのだ。

983名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:26:24 ID:Dde22kIw0
権力は容易に人を変える。たとえ人格者であっても、権力の座に就いた途端、人はそれに固執するようになるのだ。
「功績を立てたから」「信用できるから」「人望があるから」などという理由で、うかつに領土を与えてはいけなかったのだ。

984名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:26:48 ID:Dde22kIw0
夏殷周がそれでも封建制を選択したのは、当時は文明的にも政治的にも広大な中国を一つの組織で治めるのが不可能だったからだが、
西周から春秋戦国時代を経て漢字・漢文が発展して情報量が増加し、行政機構や法律体系が洗練され、統治効率が飛躍的に向上したことで、もはや封建システムは過去の遺物となっていた。

985名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:27:22 ID:Dde22kIw0
例えば、以下に軽く列挙しただけでも、
どうせ劉邦を封じるなら遠い漢中などではなく、謀反を起こしてもすぐに始末できる西楚の近郊にでもするべきだったかも知れない。
斉国に強大な影響力を持つ田栄を、野放しにするべきではなかった。
旧七雄を細かく分割したことで、それぞれの王に「どうせなら三分の一じゃなく全部よこせよ」という不満を抱かせている。
もともと君主と臣下だった趙歇と張耳を隣り合わせで、しかも同格の王としてもうまく収まるはずがない。
と、これだけの問題点がすぐに出て来てしまうほどなのだ。「何も考えてなかったんじゃないか?」と言われても仕方のないレベルである。

項羽は、共存しようとしてもできない体制を作ってしまったのである。
その結果項羽は、あっという間に「火消し」に走り回るハメになった。

986名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:28:26 ID:Dde22kIw0
しかし、項羽の強さは「項羽がいる場所だけ」だった。行き当たりばったり続きだったのだ。
例えば、せっかく田栄を仕留めながら、彭城に反転したために斉国は田栄の残党が盛り返し、斉国をまた併合してしまった。元の木阿弥である。
しかも、項羽は行く先々で攻め落とした城郭都市や住民を片っ端から\デデーン/していくので、住民たちの憎悪を駆り立て続けた。

987名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:30:10 ID:Dde22kIw0
うかつな封建による失敗という政治面での無能さに加えて、破壊の限りを尽くし結果を予測できない政略面での視野の狭さ、そして目の前の戦場しか見えていないという戦略面の才能の無さが、「連勝しながら負けている」という有りそうで無い状況を作っていった。
唯一、龍且のみが項羽の別働隊として活躍しているが、逆に言うと龍且一人しか組織を支える人物がいなかったということである。

988名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:31:27 ID:Dde22kIw0
また、項羽には足りない知恵を補佐する謀臣もいなかった。范増が軍師として名高かったが、実際には范増が重用されていたころから項羽は全力全開で迷走している。
范増もまた評判倒れだったか、あるいは范増ですら項羽を御しきれなかったのかもしれない。

989名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:31:52 ID:Dde22kIw0
もっとも、逆にいうと項羽は、その空前絶後の強さと、主に戦場で発揮される覇気によって、国家としての西楚を束ねることができたのだ。
政治力と知力が無く、統率力と魅力もごく狭いものでしかないのに、覇気と武力というたった二つの政治財産だけで国家を維持できたのは、項羽であってこそできたことだったろう。

990名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:32:46 ID:Dde22kIw0
しかし劉邦が逃げ込んだ滎陽の攻略に項羽はてこずり、一年間もの持久戦にもつれ込むことになった。
この間に、劉邦の謀臣・陳平が離間の計を用い、一時龍且らの将軍が疎んじられ、軍師格だった范増が失脚、その後死亡している。
結局、劉邦は紀信という側近ら将軍複数人を身代わりに立ててまたも逃亡。
項羽も劉邦と漢の主力メンバーを取り逃がし、結局二人とも同じことを繰り返したという冴えない結果になった。
つまり、項羽を取り巻く苦境はなんら変わらなかったのだ。

991名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:33:07 ID:Dde22kIw0
むしろ劉邦相手に一年も釘付けにされた挙げ句に何も得られずに撤収したことから、ついに唯一の政治力である覇気までもが影をさし始めた。
さらにこの時に劉邦を追撃すれば良いものを、なぜか別方面へ行ってしまう。范増を失った影響だろうか。

992名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:33:37 ID:Dde22kIw0
しかも、項羽が西の劉邦と東の彭越の間を行ったり来たりしている間に、項羽サイドに回ったはずの北の趙と東の斉が、劉邦の別働隊である韓信と張耳によって滅ぼされて劉邦サイドに組み込まれてしまった。
項羽は、唯一まともに戦線を任せられる龍且を北に派遣したが、この龍且が韓信に敗れて戦死。
項羽は北と東の戦線のみならず、組織上の大幹部をも失うこととなった。

993名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:34:01 ID:Dde22kIw0
迷走し疲れ果てて追い詰められた項羽は、ついに広武山の戦線で、捕えていた劉邦の父親を引きずり出して釜茹での準備をした上で、劉邦に降伏か一騎討ちかの二択を迫った。

「劉邦! お前が戦う意志を見せなければ、俺はお前の親父ィを破壊し尽くすだけだあっ!」
劉邦父「もう駄目だ……おしまいだあ……」

しかし劉邦が乗るはずが無い。

劉邦「そんなこと知るか。俺は親父に嫌われてここまで生きて来たんだ」
劉邦父「あおおふっ!?」
「一度義兄弟になった俺たちの親父をスープにするなら、俺にも一杯奢ってくれよ」
劉邦父(なぜだ……なぜ無視するんだ……わしが殺されるのに! なぜだ……!!)

994名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:34:53 ID:Dde22kIw0
疲弊し切った項羽と楚軍は、飢えに苦しみながらも退却した。

しかし、漢軍は自分から申し込んだ和戦条約を破って追撃を掛けた。
項羽と楚軍の疲弊を見切った劉邦の謀臣・張良と陳平が、約束を破ってでも今しか項羽を討てないと進言したためである。

だが、疲弊しても項羽は野戦では強い。
しかも劉邦と挟撃するはずだった韓信と彭越が兵を押さえて動かなかったため、劉邦はまたも大敗する。

が、待ちに待った決戦に勝ったというのに、項羽は追撃をせずに東へと後退。いよいよ覇気が落ちていたのか、追撃も出来ないほど楚軍が疲弊していたのか。

995名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:35:13 ID:Dde22kIw0
力抜山兮気蓋世 ――俺の力は山をも抜き、覇気は世界をも覆う。
時不利兮騅不逝 ――しかし時の利を得ず、我が名馬の騅も進まない。
騅不逝兮可奈何 ――騅が進まぬのを如何せん。
虞兮虞兮奈若何 ――虞よ、虞よ! 俺はお前をどうすればいいんだ!

996名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:35:44 ID:Dde22kIw0
漢兵已略地 ――漢軍がすでに楚地をも攻略し、
四方楚歌声 ――四方より楚の歌声が聞こえてきます。
大王意気尽 ――大王の意気が尽きたのに、
賎妾何聊生 ――わたしがどうして生きていられましょう!

997名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:36:00 ID:Dde22kIw0
一方、漢軍は項羽に抜けられたことを知ると、翌朝騎兵五千を発して項羽を追撃。
項羽の八百はその間にも大勢が逃亡・討ち死にし、淮水を超えたときには百騎に、
しかも逃げた先で沼地に迷い込み、そこを抜けたときには二十八騎にまで減っていた。
しかし追手の漢軍も沼地に引っかかり動きが遅れる。
そして、その間に項羽は二十八騎を小高い丘に休ませた。

998名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:36:17 ID:Dde22kIw0
「俺が決起してから八年間、七十あまりの戦をしてきたが、敗れたことは無かった。
 この度の苦戦は天が味方しなかっただけの事である。戦い方を知らないわけではない。
 その証拠を見せよう。今に五千騎に包囲されるはずだが、俺はあえて包囲された上で、将を斬り旗を倒して包囲を突破してみせる」

999名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:36:35 ID:Dde22kIw0
と豪語した上で、作戦を指示。
二十八人を七人ごとに四つの小隊に分け、馬の力を活かして突破せよ、敵兵は案山子と思って蹴散らせ!
囲みを破ればまっすぐ東に進め!――と命じ、緊張する兵たちの前で横になり、体力を回復するとともに動揺を鎮めた。

1000名無しのやる夫だお:2023/05/12(金) 18:36:53 ID:Dde22kIw0
そして、包囲されたのを見計らって出陣すると、その宣言通りに兵たちと項羽は見事包囲を突破。
その途上で追撃隊の武将二人を討ち取り旗を切り倒して兵数十人を切り捨て、落伍したのは二人だけという、まさに完璧な勝利を収めた。




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