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やる夫で学ぶ恐竜その8
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やる夫達を通じて恐竜や絶滅動物にに興味を持っていただければ幸いです
※知識に関してはあくまで>1の独学と趣味のものです
※学ぶ系を基本としていますが、焼き飯 ◆ssCyGFMXf.が好き勝手なこともするかもしれません ご了承ください
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私は黄帝もこれだと見ています。黄帝が実在したか?してないか?は重要じゃなくて、中国の多数派の象徴として移住の歴史を子孫として脚色されてる可能性があると言う点です。黄帝が象徴だとは思っていません。それと言うのも舜の末裔と言われる子孫のハプロが01B1で、中国では南方のハプロです。何故中原の支配者が?となると、今と違う民族構成だったのでは?と見ています。
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古代中国語には発音的に南方の要素があって、南方系が初期支配者だった可能性があると見ています。そういった代表的人物は居たが、後から追加して民族の代表者となってしまった部分があると見ています。実在は事実でも逸話は大半象徴として描かれてると見ています。
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鮮卑系と書きましたが、私はこれでイコール唐の皇帝がこうだったとは思って無いです。内モンゴルやウイグルに多い。それは、遊牧民系。これが中国内部にも入り込んでいる。それは後から入り込んだのでは?って話です。唐の皇帝が率いた部族にいたO2系がこの系統だった。それと言うのも中国が騎馬民族化したわりにはC2系の割合が少なすぎます。元々騎馬民族は少数の支配者とそれにつならなる連合軍の形を取っていて、清もそうです。大して2度も本格的に支配を受けたのに、C2系の割合高く無いです。
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実は私始皇帝も疑ってるんですよ。直系である必要は無いです。秦の地域にありふれたハプロで始皇帝がそのハプロであるのが事実でも、周辺の住民と区別で来ません。始皇帝の系統が秦人であるのは疑いが無いが、直系であるか?は別問題ってのがあります。可能性として、始皇帝の直系である可能性があるってだけです。確実なのは、秦のあたりに住んでいた人のハプロは始皇帝と同じなんだろうなって事ぐらいです。
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南満州鉄道株式会社
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南満州鉄道株式会社
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【2ch面白スレ】新入社員ワイ、陰でとんでもないあだ名で呼ばれていることを知り号泣【ゆっくり解説】
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分かり易い例で言うと、始皇帝の父も同じハプロである可能性が高いからです。じゃおじいさんは?そうやって遡っていくと、秦のあたりにごろごろいた人達のグループのハプロじゃないかとなります。ハプロってのはあくまで可能性として有名人のハプロである可能性が高いだけです。子孫を残す確率が圧倒的に高いためです。
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モンゴルが中国史における最大のターニングポイント
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「ロボット」居たわ
ほんとに人間味無いの
午後に席で急に寝だすから「スリープモード入った」「充電中だ」って周りが毎回驚いてた
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誰だれにこう言われてるって伝えてくるやつってフレネミーだと思ってる。
聞いたってどうしようもないじゃん。教えてくれた人のこと考えたら相手に文句言いにいけないのに。
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新入社員いじめとか終わってるな普通に
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【2ch 面白いスレ】急に結婚相談所に退会を命じられた無職婚活女子の末路【ゆっくり解説】
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黄帝というより、ああいうのってひょっとしたらN系だった可能性が有ります。だって中国文明ってN系が創ったんですから。後は、そもそも新モンゴロイドってN系だったのじゃないか?と考えています。ブリヤート起源ですが、ブリヤートってN系が2番目のハプロで、C系のモンゴル系って後から来たといわれていて、実際はN系集団だった可能性が有ります。そうなると中国の新モンゴロイドの中心ハプロはOじゃなくてN系だったんじゃないか?と見ています。その後の東南アジアなどの南下のO系は混血によって中心に摩り替わったのでは?と見ています。
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黄帝というより、ああいうのってひょっとしたらN系だった可能性が有ります。だって中国文明ってN系が創ったんですから。後は、そもそも新モンゴロイドってN系だったのじゃないか?と考えています。ブリヤート起源ですが、ブリヤートってN系が2番目のハプロで、C系のモンゴル系って後から来たといわれていて、実際はN系集団だった可能性が有ります。そうなると中国の新モンゴロイドの中心ハプロはOじゃなくてN系だったんじゃないか?と見ています。その後の東南アジアなどの南下のO系は混血によって中心に摩り替わったのでは?と見ています。
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これには実例があってな。張魯による統治時代、後漢王朝は漢中に『朝貢さえ怠らなければ自治を許す』と、交州の士燮に近い扱いをしていた。ために繁栄していたところ、住民から『地面から出てきました!』と玉印が献上されたのね。そこで部下たちは、張魯に漢寧王を名乗るよう進言している
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五斗米道の連中でさえ、漢王ないし漢中王を僭称するのを躊躇ったワケか。聞いてるか、孔明!
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その声を制し張魯をいさめたのが閻圃で『漢寧王と名乗れば災厄を受けましょう。豊かな漢中を戦火に包むおつもりですか』と自制を求めている。結局張魯が漢寧王を名乗らなかったため、曹操に降伏するまで漢中は独立を守り、降伏してからは張魯・閻圃は列侯に叙され、張魯の娘が曹操の子の妻に迎えられているくらいだ
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その声を制し張魯をいさめたのが閻圃で『漢寧王と名乗れば災厄を受けましょう。豊かな漢中を戦火に包むおつもりですか』と自制を求めている。結局張魯が漢寧王を名乗らなかったため、曹操に降伏するまで漢中は独立を守り、降伏してからは張魯・閻圃は列侯に叙され、張魯の娘が曹操の子の妻に迎えられているくらいだ
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後漢
閬中侯・鎮南将軍
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張 魯(ちょう ろ、? - 建安21年(216年)[2])は、中国後漢末期の五斗米道(後の正一教)の指導者。字は公祺。豫州沛国豊県の人。祖父は張陵。祖母は雍氏(または孫氏)。父は張衡。母は盧氏(または陳氏)。姑は張文姫(字は文姫、名は不詳、張衡の姉)・張文光(字は文光、名は不詳、張衡の妹)・張賢(字は賢姫、張衡の妹)・張芝(字は芳芝、張衡の妹)。弟は張衛・張傀(字は公仁)・張徴。姉妹は張玉蘭(中国語版)(張衡の娘)。子は張富ら男子十人と張琪瑛(曹宇妻)ら女子十人。『三国志』では魏志に伝がある。
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生涯
漢中で自立
祖父は巴蜀(現在の四川省)の道教教団(五斗米道)の創始者であり、道術で人々を惑わし、道術を学ぼうとする者から5斗の米を受け取ったことから「米賊」とも呼ばれた。その死後は父が継いだ。父が亡くなると張魯が後を継いだが、父亡き後の巴蜀では、巴郡巫県の人である張脩(中国語版)(張修)の鬼道教団が活発になっていった。
張魯の母は巫術に長けた美貌の持ち主で、益州での独立の野心を持つ益州牧の劉焉の家に出入りし、盛んに取り入った(蜀志「劉二牧伝」)。
張魯は劉焉の命令で、督義司馬に任命された張脩と共に漢中太守の蘇固(中国語版)を攻めるよう命じられた[3]。その後、張魯は張脩を殺害してその軍勢を奪い取り、教団を一つにまとめた[4]。
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劉焉が亡くなると子の劉璋が後を継いだが、張魯は劉璋に従わず漢中郡で独立を果たし、漢寧郡と改称した(『元和郡県図志』)。そのため、建安5年(200年)に母と家族(弟の張徴)[5]は激怒した劉璋によって囚われ、処刑された。劉璋は張魯の軍勢に対抗するために巴西に龐羲を太守として送ったが、国内が乱れたため、張魯とは冷戦状態のままとなった(蜀志「劉二牧伝」)。
張魯は自身を「師君」と称し、門徒を「鬼卒」と呼び、さらには道術を深く学んだ一部の者を「祭酒」という地位につけ、教団の統率に利用した。教団の規模が拡大すると、「祭酒」の上に「治頭大祭酒」を置いた。
誠実さを旨とし、嘘をつくことを戒め、病人が出ると犯した過失を告白させた。黄巾のやり方を踏襲していたとされる。
張魯が治めていた漢寧では街道が各所に敷かれ、「義舎」(休憩所や食堂の類)も造られた。また、信者から得ていた税や寄進などによる5斗の米も、自身の享楽に使うことはほとんどなく、扶助関係に費やした。張魯は漢中で、当時としては珍しいほどの善政を敷いていたのである。
こうして張魯は、後漢の実権を握った李傕や曹操でさえも、簡単には手出しできないほどの勢力を築いた。朝廷は張魯を鎮民中郎将・漢寧太守に任じ、その支配を追認して、義務も貢納のみでよいとした。住民から玉印を献上されると、部下達[6]が張魯に漢寧王を名乗るよう進言したが、閻圃が「王を名乗れば災厄を受ける」と諫めたため、王号を名乗らなかった。
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師君
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治頭大祭酒
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祭酒
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鬼卒
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後漢末期には妖賊・宗教指導者たちがあちこちに沸いたけど、朝廷や群雄との駆け引き、組織運営において張魯ほど上手いやり手はいないね。
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やってる事見る限り普通に名君の部類に入るな
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「ヒラエルキーが構成された」…、誰か修正してやれよw
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張魯の母は今で言う美魔女、
日本史でいうなら藤原薬子みたいだったのかな
劉焉の死の遠因になってる気がするし、
劉璋からしたら、この母子はすごく不快な存在だったと思う
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目の上の瘤以外の何物でもないわな
親父の劉焉も耄碌してなけりゃ、益州支配した当初みたいに謀略駆使して五斗米道ごと乗っ取ってただろうけど、劉璋にはちと荷が重すぎたか
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劉焉に関しては寧ろ反乱させて中央との壁にするべく利用した感あるけど。半独立化されてもそこそこ関係良かったようだし
米道の信者が北方に移住させれて、道教の多様化に繋がったってのは中々歴史的なターニングポイントね。その後西晋の瓦解で南方にも広まったし
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ネットで「宗教指導者なのに奇跡譚がない人」と書かれてたけど
確かに張魯の奇跡譚って聞いたことないな
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そう言えばそうだなあ。
・開祖の張陵に奇跡譚があるのなら張魯には特に必要無い
(そして張陵については三国志と関わりが薄いので特に触れられない)
・五斗の米を寄進してお祈りしたら病気が治ったよーとか小さな話が積み重なっていった
・水滸伝の冒頭に出てくる張天師は張魯の子孫。
物語に道術が登場するような話では奇跡を起こせる家系だったが、三国志ではそのへんカットされた
とかいろいろ想像してみるけど、民間宗教指導者かつ大勢力に抵抗した人物なのに、不思議なものだ。
せいぜい、領内の田んぼから玉璽が出てきたぐらいか。その後、その玉璽ってどうなったんだろうか……。
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恐らく張魯伝の「張魯の母は少容(若々しい容貌)で巫術師として劉焉の家に出入りしていた」のエピソードを元にしたんだろう
この一文だけで劉焉が大分生臭い男に見えてくる
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ウィキペにあったけど、死後埋葬された後に水害で棺が開いたが、まるで生きている時そのままのようだったって逸話があるので、その辺も加味されてるのかも
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黄巾・董卓と並ぶ、後漢末の群雄割拠の元凶の一人だね
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「益州に天使の気あり」
予言自体は正しかった
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あの曹操に「天下に英雄は君と余だけだ」って言われてるのに評価低いよね
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君と余って一応正史本文だっけ
劉備に限らずだがこういう挿話的な、誰が聞いたんだよこれ系の話は
編者(陳寿)、原史料の著者やそれを伝えた人々、
あるいは当時や少し後世の世評や見聞を漠然かつ気まぐれに表してると捉えるべきもの
多分、新野に落ちぶれて贅肉太りしてたような奴が(これ自体事実か知らんが)
その後10年で楚蜀を掌握し、曹操に正面から張り合う天下人になったということを説明するために
噂されて信じられた話なんだと思う
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宮城谷三国志の荊州以降かな、確か「それまで有し続ける曹操に対して手放し無であることで存在してきた劉備が初めて有を手にし、それを保つという努力をしなければいけなくなった(ざっくり)」みたいな文が凄く象徴的な気がした。いや地を有するってだけなら全然それまでもあるんだけど、保つとはまた違うしね。ここら辺の描写は秀逸。
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劉皇室として張飛率いる張家との関係はガンガン深めるけど関羽率いる関家とはそこそこと言うか親戚づきあい程度に収めていたのが割と面白い所だと思う
やっぱり関羽の失策で荊州陥落したのが張家に比べて関家が発展しない要因になったのかな?
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真面目に考察すると我々に近い存在で感情移入しやすいから日本では人気があるんじゃないだろうか
良くも悪くも無難な性格で容姿も普通(に描かれることが多い、横山三国志とか)
例えるならエロゲ主人公とか、ハーレム系漫画の主人公のような無難さの塊みたいなところを感じる
それでいて常に物語の中心にいるから、感情移入してても楽しい・違和感がないと感じられる主人公として人気とか
まあ自分がそうだってだけだが。
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まず関羽と張飛っていう曲者を心腹させてるだけでも本当に魅力ある人物だったのは間違いないよな
特に関羽
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どんなに辛い状況だろうが大義名分だけはしっかり守りつつ独立勢力として戦い続け、
苦節数十年の末の益州入りっていう千載一隅の好機で遂に弾けるっていう生き様は普通に好きよ
機を見るまでの忍耐力とそこに至るまでの苦境の中でも配下を引き付けられるカリスマは文句なしの三国一だわ
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戦下手どころか漫画キングダムでいうところの本能型の優秀な将軍ってイメージだわ。目の前の困難な状況を切り抜けたりやり過ごす才能に関してはそれこそ曹操ぐらいしか匹敵する武将いないレベル。
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出自とか色々胡散臭いけど最終的にそれなりの勢力のトップに立つんだからすげえよ
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なまじ演義で無理くり聖人君主として描かれてたせいで他の武将なら乱世だから処世術だからと許されたであろう行いでも必要以上に叩かれてる気がする。
と言うのが最近にわか三国志ファンを始めてみて抱いた感想である。
勝手に持ち上げられて勝手に失望された感とでも言うべきか。
今まで演義補正を貰っていたツケだろと言われると確かに反論しづらいではあるが。
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