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やる夫の大航海時代4【最終スレ】
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〈/:/:.:./:.:.:ー/‐:.:.:.:.:.:.:.厶:.:ヽヽ :_:_} 【 やる夫の大航海時代Ⅳ 〜最終スレ〜 】
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':.:.:.}:.∧:N三三 \/三三V:.:{ /
/:.:.:.:.|:.:.:.:.:..|xxx xxx|:.:.:|.// ○このスレは『やる夫の大航海時4』の4スレ目になります
./:.:./:.:.|:.:.:.:.:.:| /` ー┐ :|:.八 ./ ○このスレは1999年にコーエーより発売された
/:.:./:.:.: |:.:.:.:.:.:|. { , 人:.ハ' 『大航海時代IV PORTO ESTADO』を題材にしています
7:.イ:.:.Y⌒ヽ :.:ト `ニニ イ }:i:.:.:.} ○原作とは異なる点が多々ありますがご了承下さい
{:.:ハ:∧__ .ノ:.:.|: :.Vニニ|: : :i:i| 从:.:.ハ ○当作品の時代設定は曖昧であり、矛盾点も点在しています
/ゝ:_:_ハ:.:.ノ: : :゚, |: : :i:i|ノ レ’ ★決して歴史を学ぶものではありませんのでご注意下さい★
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前スレ
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「諸葛瞻の妻は公主、つまり、劉禅の娘で、下手をすれば張飛の孫だぞ? 劉禅の孫と張飛のひ孫がこんな口調で何か不満か?」
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「呉に逃げ込めば呉に臣従せねばならず、呉が魏に滅ぼされたら二度めの屈辱を受けることになりましょう。南方に逃げ込もうにも事前に準備をしていないので、行きつくことができるとは思えません。それなら直接魏に降るべきでありましょう。呉が健在なのだから降伏が容れられないはずはなく、容れられたからには礼遇されるはずです。魏が陛下を礼遇しないのなら、ワタシが洛陽に乗り込んで、降伏した君主の扱いを講釈してまいります!」
「南方に逃げようという計画は不穏当かと思います。南方は、亡き丞相の征伐に屈し、租税と役務に応じてまいりましたが、民衆は苦しみ恨んでおりましょう。ここぞとばかりに叛逆します。魏が追ってくれば彼らをもって迎撃することとなり、なおさらに恨みを買いましょう。追って来ないはずがないのですから、叛逆するのは明らかです。まして、皇帝たる身が南方へ逃れるようでは、民の信を失いましょう。ワタシは愚かでありますが、追い詰められてから降るようでは禍いから逃れることなどできぬことと考えます」
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――若要吃新飯、須待先主來(新しいごはんが食べたいなら、先主が来るのを待つべきだ)
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「通常、先主の対になるのは後主だ。つまり、先主のあとには後主しかない。蜀は二代で滅びると暗示している内容の戯歌だった、というわけだ。譙周は二度の降伏をプロデュースすることで、ある種運命を識る人物として書かれている。なぜか、といえば正史に明記がある」
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陳寿「私、このヒトにお会いしたンですが、どうやら未来を知る術を使えるみたいです」
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「マジで陳寿は『私は譙周センセにお会いしました、あの方は未来を知ることができます』と書いているンだ。正史を読んでて思うのは、陳寿には多少ならずミーハーな面があるということでな」
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「マジで陳寿は『私は譙周センセにお会いしました、あの方は未来を知ることができます』と書いているンだ。正史を読んでて思うのは、陳寿には多少ならずミーハーな面があるということでな」
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「成都には、城主が気弱になる呪いでもかかってるのか?」
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ところで、鄧艾は成都で略奪・暴行を禁じていたが、ただひとり、黄皓だけはその悪評を聞き生かしておけんと判断。投獄ののち処刑しようとしたが、やはりバカにアメをしゃぶらせてはならなかった。黄皓は、鄧艾の側近に賄賂を贈り、処刑をまぬがれている
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「政権を執ることなく死んだ董允(トウイン)が、四相と呼ばれ孔明・蒋琬・費禕と並び称されているのには、過分に彼を慕う住民感情が強いように思える。そして、その董允の伝に黄皓と陳祗(チンシ)の附伝が掲載されているのには、陳寿のあからさまなまでの悪意が見えていてな」
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『陳祗の死後、黄皓は権力を握り、ついに国家を転覆するに至った。蜀の民で董允を追慕しない者はいなかった』
『陳祗が寵愛を受けるようになると、劉禅は死んだ董允への恨みが日に日につのっていったが、それは陳祗がこびへつらい、黄皓の讒言がだんだんしみこんでいったからである』
『董允はいつも、上は厳しい態度で劉禅を匡正し、下はたびたび黄皓をとがめた。董允が生きている間、黄皓は出世できなかった』
『董允の生前には、黄皓も悪事ができなかった』
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『陳祗の死後、黄皓は権力を握り、ついに国家を転覆するに至った。蜀の民で董允を追慕しない者はいなかった』
『陳祗が寵愛を受けるようになると、劉禅は死んだ董允への恨みが日に日につのっていったが、それは陳祗がこびへつらい、黄皓の讒言がだんだんしみこんでいったからである』
『董允はいつも、上は厳しい態度で劉禅を匡正し、下はたびたび黄皓をとがめた。董允が生きている間、黄皓は出世できなかった』
『董允の生前には、黄皓も悪事ができなかった』
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身内に「結婚できないのは末代までの恥だ!」と言われて「結婚できないから俺が末代だ!」と言ってたニキがすこ
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せっかく30年40年惨めな人生を我慢してきたのに子供作って0から同じ思いさせるなんて鬼畜も良いところ
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今更子供欲しいって人たちは、皆んなから愛されてきたようなよほどいい生活をしてきたんだろうなって思う
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負の再生産はやめたほうがいい。ワイは子供の頃に本当に苦しかったからこの苦しみを子供に味わってほしくない。
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「この3人をひとつの伝にまとめたのには、陳寿の、陳祗に対する『アンタがもっと頑張ってくれれば……』という不満があるンだろうな、と思えるンだよ」
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「費禕の後を継いでおきながら、宦官の隆盛を野放しにするとはなにごとかー、みたいな?」
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「陳寿(蜀の民のひとり)が董允をどれだけ追慕していたのか、単純な証拠がある。正史三国志で伝を立てられている中で、曹操と皇帝になった面子を除くと、親子で別に伝を立てられているのはざっと数えて4組いる」
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「子が叛臣列伝に回されている瑾兄ちゃん・諸葛格親子に鍾繇・鍾会親子、益州の歴史を振り返る意味で分けられた劉焉・劉璋親子とは違って、董和(トウワ)・董允親子が別に伝を立てられているのには説明がつかないと、裴松之が首をかしげているンだ」
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「陳泰や陸抗でも親の伝に附されているのに、何で董允はこんな扱いなんだ? 親を超えた子なら他に夏侯玄らがいるが、彼らはそうはなっていないぞ」
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「というわけで、蜀は滅んだ」
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「まぁ、残念ではあるンだがな。この報告が剣閣(ケンカク)の姜維(キョウイ)に届いたのはいつだったのか明記はない。鄧艾(トウガイ)に裏をかかれ諸葛瞻(ショカツセン)らが討ち死にしたとの報告は入ってきたンだが、劉禅は成都にこもるか、呉か南方に逃げるという噂も流れたモンだから、事の次第を確かめるため姜維自ら成都に向かおうとした、とさえ記述がある」
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「ホントに、雒城にこもって姜維たちの到着を待てばよかったのに……」
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「あとになってどうすればよかったか悩むことはできるけど、ヒトはそれを後悔と呼ぶ。成都は開城し、劉禅は降伏し、蜀は滅んだ。兵士たちは剣を石に叩きつけ泣き叫んだが、それが現実だった」
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「思えばこの一戦で、鍾会は貧乏くじを引いていた。なまじ大軍を率いて姜維こもる剣閣を担当したモンだから、被害は出るわ食糧には困るわで退却を考えたほどだ。だのに鄧艾が成都を攻略し劉禅の身柄を確保しては、姜維の足を止めていた功績はどうしても見劣りするンだよ」
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「何のだ? ともかく、名門の出自たる自負が、鄧艾の引き立て役で終わることを許さなかった。そんなワケで、鍾会と姜維の利害は一致し、本来なら成都に赴いて劉禅の前で鄧艾に降伏すべき姜維は、その場で鍾会に降伏した」
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会「来るのが遅かったンじゃないですか?」
維「まだ早すぎるように思えますがね」
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「そうだろう。司馬師(シバシ)・曹髦(ソウボウ)を死なせ、司馬昭に簒奪の意志を固めさせる一方で、郭太后に通じて司馬一族の掃滅を企み、いずれは自分が取って代わるハラだった」
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「一方で、曹髦と郭太后の意思疎通がなっちゃいなかったのも事態を悪化させたのは先に見ている。誰であっても見捨てる女だというのは確認してあるが、では曹髦を挙兵させたのが誰だったかと云えば、鍾会としか思えない」
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「それが問題なんだ。この時代の鍾会は司馬昭の腹心であると同時に曹髦の側近だったのに、この一件で何をしていたのか、まったく記述がない。本文であれ注であれ、鍾会が何をしたのか、していたのか判らんのだ」
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「……逆に、中国史における歴代王朝の初代皇帝は、いずれも成功組だった、と?」
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「というか、弱体期だね。始皇帝・胡亥・子嬰と、代を重ねるごとに秦の皇帝は質が落ちていった(ただし、胡亥と子嬰に関しては、子嬰のが上との評価もある)。最高権力者が年若いだけでも、ある意味弱体したと云えるけど、後漢はコレがあまりにも顕著でねぇ」
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「後漢の初代皇帝、世に云う光武帝劉秀だけど、このひとが即位したのが31歳のとき、在位は30年以上」
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「三十代で即位したのが、光武帝以外いないんだ。2代明帝が29歳で即位してるけど、実は二十代での即位も彼ひとり。あとは全員十代それ以下。ちなみに5代に至っては、生後100日での即位だ」
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「ムダにボケるね。1924年に建設されたんだけど、この年が干支(十干十二支)では甲子に相当したんだ。ために、甲子園と名づけられたというわけ」
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「役職を買った連中が、何をするのかは想像がつくよね?」
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「割と因果関係は明らかなんだな」
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「というわけで、前漢代から儒教にかぶれていた漢王朝に終止符を打ち、道教ベースの国を作ろうと張角は画策している。全国の"方"を一斉に挙兵させ、このうち馬元羲率いる"方"が帝都洛陽で蜂起する。朝廷の宦官がこれに呼応すれば、漢王朝を倒すのもたやすい……というわけだが」
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「宦官に賄賂を出して、自ら後宮に入ったのは確からしい。相場は判らんけど……ね。で、皇后に成り上がれた原因だけど、この女の本性じゃないかと思う」
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「霊帝は近衛軍……皇帝直属の常備軍を編成し、中央の軍事力を増強しようと考えたんだね。これが有名な『西園八校尉』で、若かりし日の曹操や袁紹が名を連ねたんだけど、コレのトップは大将軍の上につくとされたんだ。そして、そのトップには霊帝が信頼する宦官が指名された」
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「曹操という男に関しては、当時の名士たちは高い評価をしているんだけどねぇ。たとえば、人物鑑定で高名な許子将は、若き日に曹操の人相を見て『キミは治世では能臣、乱世なら奸雄だろうね』と評しているし、同じく橋玄も『これから乱れる天下を安定させられる者がいるなら、キミだろうな。何かあったらウチの家族を頼むよ』と絶賛している。生きてたらこんな曹操の姿を見て、どう思うだろう(許子将は195年、橋玄は霊帝時代に死去)」
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「ともあれ、動いた曹操に反応したのは、袁紹に仕える謀臣の田豊だった。この機に乗じて許昌を攻めなさいと進言する。ところが袁紹は、末の息子・袁尚が病気で、今兵を挙げるのは避けたいと、これを退けた」
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「当時にしてはかなりの高齢だったな。後を継いだのは、次男の劉琮(年齢不明)。外戚(母の弟にして妻の伯父)の蔡瑁が、それを補佐しているけど、この連中、あろうことか北方最前線の守りを張る劉備に何の相談もなく、曹操への降伏を決断した」
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「当時にしてはかなりの高齢だったな。後を継いだのは、次男の劉琮(年齢不明)。外戚(母の弟にして妻の伯父)の蔡瑁が、それを補佐しているけど、この連中、あろうことか北方最前線の守りを張る劉備に何の相談もなく、曹操への降伏を決断した」
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『魏延は身長八尺(約184センチ)、顔は赤黒く眼は星のように輝く。薙刀を振り回していた』
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「まぁ、そんなエピソードはさておいて。劉表の墓に詣でてから、劉備はやむなく劉琦を頼って襄陽を去る。ところが、ここで孔明でも予想だにしなかったアクシデントが発生した。荊州の民衆が大挙として劉備を追いかけ、大行列を成してしまったんだね」
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「劉備が連れ出したんじゃなかったか? 曹操からの追撃の、盾にするために」
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だが、どうしても劉備を放ってはおけないのが曹操という御仁だ。軽騎兵を動員して、劉備の後を追わせた。世に云う長坂坡の戦いだ」
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「民衆に手を出した時点で、陳宮は曹操を見捨てた。歴史的評価ってのは、それで充分だ」
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「ちなみに、孔融が逮捕されたときにふたりの息子は、双六(当時はギャンブルの一種だった)に興じていて立ち上がりもせず、それを咎められると『巣が壊されたのに卵が割れないなんてことがあるかい』と相手にもしなかったとか。孔融本人の処刑の理由は、みんなの奇人・禰衡と組んで『災害に遭ったとき、親が役立たずなら見捨てて他人を活かせ』という天道にも叛く発言をしたから、とされている」
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「それが原因と断言するが、中国で(表立っての)食人がなくなったのが元代だというのは以前述べた通りだ。……あ。今思い出したが、曹操の若かりし日に、済南の邪宗を禁止したことがあったんだけど」
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「本質的に儒教というものは、権力者にとって都合がいい。民衆を身分制・階級制にあてはめる口実になるからな。『儒者を見るとションベンひっかけたくなる』と豪語した劉邦や仙人になるため穀物断ちして結局死んだ張良たちが建てた前漢の、それも初期の頃を除いて、以後中国は一千年に渡って儒教を事実上の国教に定めていた」
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「蒙古襲来だ。中国全土を支配しながら、儒教に汚染されなかった唯一の王朝。モンゴル帝国は他の歴代王朝とは違って、あらゆる宗教に寛容だったため、儒教を重視していなかった。一方で、儒教の側でも北狄を軽んじて、仏教が耶律楚材、道教が長春真人を大ハーンのもとに送り込んだのに、孔子の子孫は大ハーンに仕えていない」
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「記述そのものが少ないから、こっちは断言できないけど、小乗仏教の祭祀に似た記述があってな。百年後くらいに仏教と道教が宗論を交わしてる(道教が負けた)んだけど、この頃からすでに、仏教と道教はいくらか仲違いしていたのかもしれない。道教が、仏教を弾圧した曹操を『同志』と呼んだように」
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「正史にもないな。例の台詞はあるけど、老将との記述もない。だけど、たぶん、この頃のごたごたに紛れて死んでいるはずだよ。それがどんな死に方だったのかは、ちょっと考えたくないけど」
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「文官についても何回か先でやるけど、武官団の配置に劉備は気を遣わねばならなかったわけだ。家臣たちにしてみれば、劉備に天下を盗らせるために戦うより、他派閥の連中より自分たちを上にしたい(社会人としては当然と云っていい)野望がある。劉璋時代にそれが表面化したのが、法正・孟達・そして亡き張松による劉備動員だったわけだな」
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――我ら家臣一同が命を賭けて殿にお仕えしてきたのは、殿が王となり我らも富貴に預かるためですよ!
「四海才德之士、捨死亡生而事其上者、皆欲攀龍附鳳、建立功名也」
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――我ら家臣一同が命を賭けて殿にお仕えしてきたのは、殿が王となり我らも富貴に預かるためですよ!
「四海才德之士、捨死亡生而事其上者、皆欲攀龍附鳳、建立功名也」
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「曹操は天の時を得、孫権は地の利を得た、だったな」
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「逆という気もしなくはないが、劉備にはその程度のモンしか残っていなかったワケだ。そして、その和とやらはここで崩れる」
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「逆という気もしなくはないが、劉備にはその程度のモンしか残っていなかったワケだ。そして、その和とやらはここで崩れる」
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えーっと、日本では和を乱す奴は迫害されるンだよ?」
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――曹操が献帝を脅かすから、陛下は衆を糾合しこれに対抗されておられるのに、それを討ちもしないで自分が帝位に就かれては人心に疑惑が起こりましょう。かつて高祖(劉邦)は、秦を討ちながらも項羽に関中を譲られました。だのに陛下がみずから即位なされるのは、陛下のために賛成できません。
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「だって、大柄で短足で情容赦なくて、弓も馬も人並み以上にこなすし」
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天地人と云うけど、劉備は俗に人の和を担当するとか
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「えーっと、日本では和を乱す奴は迫害されるンだよ?」
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「そんなモン30年迫害され続けて身にしみてるよ。まず、劉備が皇帝になるのに反対した奴が、いた。意外にも、その男の名は費詩という」
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「そんな皇帝サマは、呉との連携を捨てて戦火を交えるという果敢な決断をなされた。これにもやっぱり反対意見が寄せられている。たとえば趙雲の上伸」
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――敵はあくまで魏であり呉ではありません。魏を滅ぼせば呉はおのずから屈しましょう。曹操亡きとはいえ曹丕が後を継いで漢の帝位を簒奪したのですから、これを憤る人心に応えて討伐に向かえば、心ある者はこぞって陛下を迎えるでしょう。しかし、魏を捨て置いて呉を攻めるなどとんでもない。我らと呉が一度戦火を交えては収拾がつかなくなり、魏が喜ぶだけではありませんか。
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「呉と組んだくらいで魏を討てるはずもないが、呉と蜀が噛みあって喜ぶのは、確かに魏だな」
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「さらに『関羽の仇というのは陛下の私情であって、公のものではありません』とまで云い切っている。秦宓という文官が異を唱えて投獄されたばかりでな。表だって反対した者はいなかったのに、趙雲は敢然として直言しているンだ。しかも、正論だ」
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「さらに『関羽の仇というのは陛下の私情であって、公のものではありません』とまで云い切っている。秦宓という文官が異を唱えて投獄されたばかりでな。表だって反対した者はいなかったのに、趙雲は敢然として直言しているンだ。しかも、正論だ」
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「実際、反対意見がないワケではなかった。ただし、賛成意見もあった。先の秦宓だって『天機に反しており、出陣しても負けるでしょう』と、時期を待ってからなら出陣するのには賛成だとも取れる発言をしているンだから」
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「魏延や馬超は北の抑えに回っていたため不在。孟達はすでに魏に走っていたため、残る武官で最大の発言力を持っているのは、云うまでもなく出兵賛成派の張飛だった」
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「正史でも出兵の準備を整えているし、演義ではさらに積極的だ。群臣にいさめられて出征を躊躇う劉備の前に出るや『オレひとりでも呉に攻め入って関羽兄貴の仇を取る!』と泣き叫び、桃園の誓いを思い出した劉備ももらい泣きして『義弟ふたりだけで死なせてなるものか!』と出陣を決意しているンだから」
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「黄忠や馬超がいても張飛の発言力に対抗できなかっただろうことは明らかだけど、張飛が直接に劉備を動かしたのであろうことは想像に難くない。ただし、間接的な原因は、おそらく孔明が"反対しなかった"ことだと見ている」
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「何も云わなかった、と云うべきだろうか。出陣を諌めもしなかったが、賛成もしなかった。この頃すでに法正は亡く、龐統も死んで久しい。劉備が皇帝となってからは丞相となっていた孔明が、積極的に反対していたら、頭に血が上っている劉備でも無理には出征できなかったはずだ」
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「孔明は、呉と戦火を交えるのを賛成していたのではないかと思っている……むぐ。基本に立ち返るが、孔明のグランドプランたる天下三分の計は、劉備が益州から本軍を率いて北上し、一軍を荊州からも北上させる。これに孫権の軍勢を呼応させる、というものだった」
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「一時的には孫権と刃を交えてでも荊州を確保しておかないと、天下三分を成しえないンだよ。魏に二面・三面作戦を強いるには、蜀にもそれなりの自力が必要になる」
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「具体的な数字を挙げよう。後漢書の郡国志によれば、揚・交の二州を合して人口はおおむね550万。これが呉だ。蜀(益州+漢中)は700万くらいになるンだけど、荊州だけで人口が600万いたンだよ。もちろん、戦乱の影響・生産力・労働人口を考慮する必要はあるだろうけど、それを云いだすと呉の国力は荊州(それも、南半分)なしでは成立しえないことになるので考えないものとする」
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「孫策が孫堅の敵を討てなかったのには、純粋な国力の差があるンだよ。産業革命以前では、人口が税収や生産高を直接左右するからね。また、荊州の立地条件……魏・呉・蜀・南越に至る要衝であり、だからこそ三国の係争の地であったことを考慮すると、どうしても手離せない。加えて、軍中の荊州出身者が、兵と云わず将と云わず動揺するのも想像に難くない」
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「ちなみに、魏の支配地域にあった9州を合計すると2700万。荊州の北半分として300万(実際には襄樊を擁したので、もっと多いはずだが)を加えると3000万で、当時の総人口4900万の実に6割に達した計算になる」
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「おいおい、正史での黄忠さんは、劉備が漢中王になった翌年(220年)に死んでいるだろうが。荊州生まれの荊州育ちだから、たぶん生きていれば出征に積極的に賛成したひとりだけど、誰にとっての不幸かすでに亡い」
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「まぁ、そうなんだけど……ね。生きていれば張飛と並んで主戦力足りえた黄忠さんだけど、すでに死んでいてはやむを得ない。参戦したのは張苞・関興(演義)に馮習・張南・廖淳・傅彤、参謀として馬良・黄権・程畿という面子だ」
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「馮習・張南は、加来氏に云わせると、魏延や孟達と並んで五虎将の次代と目されていた武将。張苞・関興は張飛・関羽の息子たちだ。参謀にはさすがに馬良や黄権といった熟練者を選んだが、布陣としてはそう悪くない。また、趙雲が国境地域に後衛として駐屯した」
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「仮に全滅した時に備えて、純粋な主力は国内に残したってところかな」
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「確認するまでもないだろうが、かつて程昱は関羽・張飛をして万夫不当と賞した。ただし、性格は逆で、関羽は兵を愛するあまり孫権の食糧庫に手を出して身の破滅を招き、張飛は上司にはへいこらしたものの部下や身分の低い者には態度がでかかった」
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「武将としてはともかく、太守や総督には向かない人材だったワケだな。ふたりとも」
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うむ。劉備は『お前は毎日、兵士を鞭で叩いておきながら、側近に仕えさせている。これでは災いを招いているようなモンだぞ』と戒めていたのに、張飛はそれを聞き流し、范彊・張達をこき使いながら身辺に置いていた。要するに、ひとのこころの機微が読めなかったということでな」
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【ゆっくり解説】韓国「ゴミ爆増!」ヘルコリア=ゴミの国 韓国ゆっくり解説(爆)
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「いかにも張飛らしいエピソードがあるがな。張苞がきたと聞いた劉備は、それだけで『嗚呼、何ということだ! バカの義弟が死にやがった!』と天を仰いだという」
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水を飲みますか?
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水を飲みますか?
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学生ですか?
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本を読みますか?
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学生ですか?
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本を読みますか?
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私たちどこで話しましょうか?
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空港にどうやって行きましたか?
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