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AAだんじょん商店会 4スレ目
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| ト==/ し! L.ィ´ ヒ| _ ∨ヽ
|__ト-t_人_人___人_゚,,r‐!__八__.ノ
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└┐r┐r┘厂r┐,,」 /○ヽ.(゚д゚,,)
ΓrクLコΤ l┘ コ_/7 ,rr:、{_Υ_}ζ
L」l二コ__LノL三',」匚二、_(_l,,i,,l__)
前スレ ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1383394219/
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│ まとめブログさま │
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やる夫叙事詩
100%自分用やる夫まとめ ビシッ!!
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( ゚Д゚) < 4スレ目!!
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く く
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【ゆっくり解説】K-POPの実力が露呈されるwグラミー賞に招待されなかったw
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何故か日本の紅白には招待されてた。
聞いたこともない曲を引っ提げて
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k-popなんかどこがいいんだか?みんな同じ顔しておんなじような曲で全然区別つかないわ…飽きられて当然でしょう。本人たちは一生懸命やってるんだろうけど、がちゃがちゃしてるだけにしか見えないもんね。
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今年のグラミー賞は日本のテレビ局も静かだったな。
昨年はグローバル音楽アルバム賞を日本人が受賞したことは全く伝えないくせに、ノミネートされただけのBTSの映像を様々なニュースで流し捲っていたからな。
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やっと正しい評価がされてスッキリしました(*^^*)
日本のメディアもそろそろ「世界的に有名な…」とかはいい加減止めて欲しいものです 日本の番組なのに日本のアーティストを差し置いて韓国のアーティストを大々的に取り上げるのもおかしいですヽ(`Д´)ノ
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世界を席巻していると紹介する日本のTVやマスコミは何を見ているんだろう?
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【ゆっくり解説】韓国「将軍にブチギレ!」日本ドラマヒットが許せない! 韓国ゆっくり解説(爆)
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サウラビ
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アメンオサ
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暗行御史(あんこうぎょし、アメンオサ、암행어사)は、李氏朝鮮において、地方官の監察を秘密裏に行った国王直属の官吏である。正規の地方官吏を監視する役目であり、
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新暗行御史
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新暗行御史が17巻をもって完結しました。
何度読んでも分からないので質問させていただきます。
最後に阿志泰が文秀に衣の裾を踏まれて、それに気を取られている隙に、山道に切り倒されたシーンがありましたが。
そのシーンの伏線?で英實のとび蹴りの直後のシーン(阿志泰「ふっ・・・少々・・・あやうかったな・・・」)が回想?されてますが、あれの意味は何だったのでしょうか?
単に「阿志泰はバカ強いけど不意打ちなら倒せるよ」
ってことを文秀が悟って笑っていたということでしょうか?
(腑に落ちない現段階での私の解釈・・・もうちょっと理屈っぽく摂理だとか文秀の特異性だとかが絡むのが願望です。)
でも、それじゃ『起源』がどうたらの意義が全く無くなってしまうような・・・と思いまして、皆様の解釈をお聞きしたい。まぁ、『起源』うんぬんはハッタリなら、それはそれでいいんですけど・・・。
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私なりの解釈を書いておきます。
阿志泰には、人の考えている事や策略を読む力がありましたよね。
文秀もその事は知っていました。そこで文秀はその裏を突き、聚慎軍と阿志泰軍との最終決戦が始まると、双六でランダムな命令を下すという作戦に出ました。文秀の頭の中には策略が無く、双六が全てを決めているのですから、阿志泰は文秀の作戦が読めなかったのでしょう。(「Classic 21. 迴光反照 PART.4」(第16巻所収)にあった場面です。)
それを踏まえて、最後の場面です。
英實が阿志泰に蹴り掛かったのは、阿志泰が文秀の右目を潰した直後でした。阿志泰は寸での所で攻撃を回避しますが、つい「少々……あやうかったな……」とつぶやきます。この事から、阿志泰の非接触攻撃は、その対象にかなりの意識を集中させなければ成し得ないものであると推察されます。それ故に、英實の攻撃に気付くのが遅れたのです。
山道が攻撃しようと阿志泰の後方に回った時、普段ならば山道は即座に爆殺されていたでしょう。しかし、文秀が阿志泰の裾を踏んでおり動けない事に気を取られ、文秀の方を振り返った隙に斬られました。回想の場面で文秀の目が光っていますよね。この瞬間、文秀はこれに思い至ったのはないでしょうか。
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新暗行御史
領主に捕まり、猿轡をされて磔にされている闘士・山道(サンド)。
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文秀(ムンス)
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黄色い猿
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朝鮮民族は日本人が考えるような甘い民族ではない 韓国が
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女性と付き合ったことがない
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まあ属国やけどあの半島だけずっと中国とは別やったってのは特殊よな
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欲しくないからって聞くけどほんまなんかなあ
ええとこやったら自分のものにするけどそうじゃないってことはそういうことやろとは聞くけど
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新羅の時点で日本の有史より古いし歴史はあるぞ
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北朝鮮の高句麗時代と思われた古墳の中の人骨が5000年前のものだったなんて研究があって
それが衛氏時代ではなんて話があったな
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最初は誰なんや?
檀君か箕子か
どっちも伝説で証拠なさそうやけど
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檀君
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檀君(だんくん、朝鮮語: 단군 タングン)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、一般に紀元前2333年に即位したとされる伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと伝えられる[1][2]。『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」という意味の号であって個人名ではなく、個人名は王倹(おうけん、朝鮮語: 왕검・ワンゴム)という[2]。
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高麗時代の一然著『三国遺事』(1280年代成立)に『魏書』からの引用と見られるのが、檀君の文献上の初出である。『東国通鑑』(1485年)にも類似の説話が載っている。しかし引用元とされる『魏書』(陳寿の『三国志』や魏収の『北魏書』)などの中国の史書には檀君に該当する記述がまったくない。中国の史書にはまったく登場せず、初めて朝鮮の歴史書に登場するのも13世紀と遅い。通常は神話として扱われ、歴史事実とは看做されておらず、檀君という王が実在した、あるいは檀君が築いたとされる檀君朝鮮が存在したという証拠はほとんどなく、檀君が実在の人物だった可能性はゼロに近い、と研究者は語っている[3]。
なお、偽書とされる『桓檀古記』、『揆園史話』には『三国遺事』とは異なる記述がなされている。
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桓因(かんいん、ファニン)は朝鮮神話(檀君神話)における帝釈天(インドラ)。「桓因」とは仏教に登場する「帝釈天」の別名である[1]。
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『三国遺事』は「古記」(現存せず)を引用する形で、桓因とその子・桓雄について次のように書いている。
《古記》云:昔,有桓因(謂帝釋也)庶子桓雄,數意天下,貪求人世。父知子意,下視三危太伯可以弘益人間,乃授天符印三箇,遣往理之。雄率徒三千,降於太伯山頂(即太伯今妙香山)神壇樹下,謂之神市,是謂桓雄天王也。將風伯雨師雲師,而主穀主命主病主刑主善惡。凡主人間三百六十餘事,在世理化。
— 三国遺事、巻第一、紀異第一
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『三国遺事』によると、天帝桓因(インドラ)の子で、人間を広め増やそうとして、桓因(インドラ)から天符印を3個授かり、3千人を率いて今の妙香山(原文は太白山。白頭山とする説は誤り)の神壇樹(신단수、シンダンス)に降り立った[1]。そのところを「神市」といい、桓雄を「桓雄天王」といった。風伯(풍백、プンベ)・雨師(우사、ウサ)・雲師(운사、ウンサ)といった、風の神・雨の神・雲の神が臣下として仕え、穀物・命・病気・刑罰・善悪など人間の360余りの事をつかさどり、世を治めた。洞窟にいた熊と虎が人間になりたいと訴え、ヨモギとニンニクを食べて、一定のあいだ蟄居(ちっきょ)[注 1]しているように教えると、熊だけが女性の人間になることができた。そして人間となった熊女との間に檀君となる王倹を生んだ、という[1]。
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典型的な北方系の王権起源神話であり、元来は高句麗を経由して入ってきた夫余系の神話だったとみられている[3]。日本の天孫降臨神話とも同類型である。虎と熊は所謂バナナ型神話であるが、インド・ヨーロッパ語族の神話の三機能体系がみられ、大林太良は、桓雄が第一機能(主権)、熊と虎が第二機能(戦闘)、熊が第三機能(豊穣)をあらわしているとした。また天符印も高句麗神話や日本神話等と共通する3つのレガリアであるが、これもスキタイ神話やケルト神話における三機能を象徴する王位の宝器と同様である[4][5]。韓国の歴史学者である李栄薫は、「檀君神話は創作する過程において日本神話を借用しており、一面では対決した点とともに、多面では模倣した点がみられる」と指摘している[6]。
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金思燁によると、桓雄は古い発音では夫余の建国神話に登場する天神「解慕漱」(ヘモス)と同名で、同一の太陽神だったとみられる[7]。なお、井上秀雄は、夫余王・解夫婁の「解は太陽」を意味するとするが、伊藤英人は、「解」の中期朝鮮語の字音は「hʌiR」、「太陽」は中期朝鮮語では「hʌiH」であり、両者の音相は類似するが、「解」の音韻地位は「蟹摂蟹韻二等開口上声見母 佳買切」であるため、中期朝鮮語に引き寄せて「太陽」と解してよいかは慎重を期すべきである、と指摘している[8]。
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ファニンの子ファヌン
ファヌンの子がタングン・ワンゴムである
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桓雄を「桓雄天王」といった。風伯(풍백、プンベ)・雨師(우사、ウサ)・雲師(운사、ウンサ)といった、風の神・雨の神・雲の神が臣下として仕え、穀物・命・病気・刑罰・善悪など人間の360余りの事をつかさどり、世を治めた。
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個人名は王倹
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熊女
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桓雄を「桓雄天王」といった。
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熊女 韓国
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太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。
桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。
周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。寿命が1908歳であった。
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衛氏朝鮮は有ったけど
漢人の亡命政権やし
それ以前はほぼ確実に虚構の伝説や
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太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。
桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。
周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。寿命が1908歳であった。
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・北方アジア原住民たちの巫俗神話では、熊が人間であり、人間がまさに熊であるという観念が根づいている。このような観念は、日本のアイヌ族においてもみられる。
「熊との交婚はウラル諸族を除いても、ツングース諸族のほぼ全域と、朝鮮、ニヴフ、イテルメンアイヌと中国に見られ、分布が極めて広い」
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・熊は冬眠により洞窟の中でいったん死んだ後再生する。それはアマテラスの岩戸入りとも通じる死と再生のイメージである。
・多くの神々は天から降下したか、天を往復することのできる権能をもっていた。桓雄は、世界木をつたって地上に降りてくる北方アジアシャーマニズムの神々の面影そのものである。
・朝鮮には、民族主義を象徴する檀君神話とともに、事大主義をあらわす箕子神話の二系列の神話が伝わっている。
箕子神話とは、殷代末期、紂王の師をつとめた賢人箕子が殷の滅亡に際し、東行して現在の朝鮮の西北部に亡命し、この地に国を建てて王となり、人民にいわゆる「八条の教訓」を示して理想的な統治を行ったというものである。
箕子神話は長く支配層に支持されてきたが、元(モンゴル)の脅威が高まり民族意識が高揚すると、檀君神話が脚光を浴びるようになり、檀君は箕子朝鮮より古い朝鮮全土の開国神・始祖神とみなされるようになった。
・1909年羅喆(らきつ)により始められた「大そう教(「そう」はにんべんに宗)」は檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する宗教で、「檀君教」とも呼ばれる。
・韓国では、檀君が降臨したとされる10月3日は祝祭日(「開天節」)であり、1961年までは「檀君紀元(西暦+2333年)」が使用されていた。
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高句麗の高朱蒙(コチュモン)神話
夫余(東扶餘)王金蛙が太白山の下の優渤水で、1人の女に会った。女は河伯(河の神)の娘柳花(ユファ)で、天帝の子、解慕漱(ヘモス)に私通されたため、父母が怒って優渤水中に放置したのだという。金蛙がこの女を部屋の中に幽閉しておくと、日光が女を照らしてついにはらませた。女は大卵を生み、その中から神童が誕生した。彼は朱蒙(弓をよく射る人)と呼ばれ、その後種々の試練と苦難を克服して南走し、高句麗を建国した。
・解慕漱が北扶餘を建国し、その子の夫婁(ブル)が東扶餘に移したとされる。
・朱蒙に関する記述は、高句麗の好太王碑や中国の『論衡』、『魏書』、『捜神記』などにある。
・朱蒙には3人の息子がいた。長男の琉璃が高句麗の王位を継いだため、弟の沸流(プル)と温祚(オンジョ)は国を出て南へ向かいそれぞれ国を作った。海辺に建国した兄の沸流は失敗し死んだが、山辺に建国した弟の温祚は成功して百済の始祖となったとされる。日本の『続日本紀』では朱蒙を「百済の太祖」(四十、延暦七月条)と紹介している。
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新羅の朴赫居世(ヒョッコセ)神話
新羅六村(李、鄭、孫、崔、裵、薜)の人々が閼川(アルチョン)の岸辺に集まって会議をしていると、楊山のふもとの林の中に光とともに白馬と大卵が天降り、卵の中から神童が生まれた。彼は赫居世(光り輝く君)と名づけられ、新羅の始祖王となった。
・六村の祖先もみな天から降ってきたとされている。
・赫居世王は亡くなって昇天したが、その後大地に落ちて五体がバラバラになった。慶州にある五陵の一つが赫居世陵であるといわれる。
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昔脱解の神話
東海の多婆那国の王と女王国の女が結婚して大卵が生まれたが、不祥なこととして卵は箱舟に入れて海に流され、新羅の阿陳浦に漂着した。一老婆がこれを引き上げ、箱を開けてみると、中に一人の神童がいた。これが脱解であり、新羅第4代の王(在位7〜79)となった。
・『三国遺事』には、脱解が、新羅に漂着する前に、金首露が治める駕洛(次項参照)に攻め込んだが、王位をめぐる神術戦に負けて新羅に去ったという話がある。
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駕洛(カラク)の金首露(キムスロー)神話
駕洛国(加羅、伽耶)の村々の村長たちが亀旨峰(クヂボン)に集まり、神迎えの祭りを行っていると、天空より神の声が聞こえ、紫の縄が天から垂れ、縄の先に金の合子(食器)があった。中には6個の卵があり、これが孵って6人の神童となった。彼らは各々六駕洛の王になった。ある日、緋の帆を張った船が神女を乗せて来航したので、これを迎えて王妃とした。女は阿踰陀国(アユダ、インドにあった国)の王女で、父王の命により、首露国の妃となるため渡来したという。
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耽羅国(タムラ、済州島)の三姓始祖神話
良乙那、高乙那、夫乙那の3神人が地中から湧き出した。一方、東の海浜に紫泥で封印された木箱が漂着して、なかから3人の処女が現れた。彼らは3神人の配偶者となるため日本国より渡来したと告げ、各々成婚して国を開いた。
・「朝鮮神話における国祖ないし氏族始祖の出現形式には、①天からの降臨、②海の彼方からの来訪、③卵生、④日光感精、⑤獣祖、⑥地中からの湧出の六つの形がある。一方、日本の記紀神話では皇室の祖先の天からの降臨が主で、海からの来訪がこれに従属しており、その他、日光感精、三輪山式の出生譚などは特定の氏族の始祖神話や民間説話としてのみ伝えられている。なかでも朝鮮神話に目立って多く、日本神話にきわめて乏しいのは卵生神話である」
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①資料が少ないことが比較の限界となっている。②日本神話には朝鮮以外の地域の神話との類似もある。③日朝神話の類似は主に王権神話に集中している。④王権神話の類似は日朝の王権の親縁関係を示している可能性が高い。⑤日本にも朝鮮にも多くの異なった神話が存在しているため、各々を個別に比較する必要がある。
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AAだんじょん商店会 4スレ目
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やる夫達は魔法少女まどか☆マギカの世界へ介入するようです
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