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やる夫たちは五竜亭の常連客のようです 第11夜

798名無しのやる夫だお:2024/04/13(土) 13:33:35 ID:uF/FNLOs0
一重は美濃に生まれ、はじめ今川氏真に仕え、氏真没落後の元亀元(一五七〇)年、家康に仕えた。姉川の合戦では、真柄十郎左衛門直隆の子・十郎を討ち果たして武功をあげたが、元亀三(一五七二)年の三方原の合戦後、家康の下を離れ、丹羽長秀に転じた。天正二二年、長秀が死去すると、秀吉の家臣となり、使番になって黄母衣衆に列した。また、摂津国豊島郡のうちで所領を与えられ、その後、伊予、備中で加増され、一万石余を賜った。 天正一六年、聚楽第の行幸の際、従五位下民部少輔に叙任。七手組の一人となった。 慶長一九年の大坂の冬の陣では豊臣方として戰ったが、二一月の和議で家康の下を訪れた。弟・青木次郎右衛門可直(一五六一〜二(二二)を人質に取られ、大坂城に戻ることを許されなかった。父の遺領と合わせ、摂津麻田藩一万二〇〇〇石を領し、のち弟・可直に二〇〇〇石を分知した。子孫は大名として存続した。




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