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オリロワA part2
448
:
氷の偶像
◆H3bky6/SCY
:2025/06/08(日) 13:36:17 ID:IwbDKrGw0
彼の足元から、静かに冷気が広がる。
草花が凍りつき、霜が白く地表を覆ってゆく。
ジルドレイの感情が、超力とともに世界へ滲み出していた。
「……ジルドレイ。貴方が私を通して見た『光』が、たとえ歪んでいたとしても……それを私は否定しません。
それが貴方の中に、初めて灯ったものだったのなら、それは……確かに貴方のものです」
その声は、限りなく優しかった。
けれどその優しさは、ジルドレイの魂を裂くほどに痛みを孕んでいた。
「……ですが、あなたは、その光の使い方を間違えた。
光を盲信するのではなく、自らの足元を照らす灯火として、進むべき道を照らすべきだったのです」
言葉の温度がわずかに下がる。
ジャンヌの声は、今や決意を帯びた硬質な響きを纏っていた。
「貴方が私の光によって生まれた影だと言うのなら……私は、貴方を止めなければなりません」
その瞳が、真っ直ぐにジルドレイを見据える。
赦しではなく、責任として告げられた非情な宣告。
これを受けたジルドレイは、笑っていた。
それは歓喜の笑みではない。
諦め、壊れ、崩れた、泣き笑いのようなものだった。
「おお…………おおっ……正しくそれだっ!! その輝きッ、これこそが、私のジャンヌ……!」
嗚咽と歓喜がない交ぜになった声。
口元に、血のように薄い笑みがにじみ、わずかに引きつる。
自身に向けられる意志の光。
これこそが、心無きジルドレイが焦がれたジャンヌの光。
これほど眩いものが、凡庸な紛い物などであるはずがない。
「なんという…………なんという悲劇だ……まさか貴女ご自身が、それに気づいておられないとは!!」
その声からは、もはや先ほどの哀願は消えていた。
氷のように粉々に砕け散った信仰が、継ぎ接ぎのまま形を成して行く。
同じではなく、都合のいい形を成すように、歪んだ違う形で。
「確かに……自身の光というものは、己には見えぬ。道理です」
氷の花が一輪、彼の足元に咲く。
それは、まるで神像の祭壇に捧げられた供物のように、儀式的で、厳かだった。
「よろしいっ!! ならばこの不肖ジルドレイ・モントランシーが証明致しましょうぞ!
貴女こそが唯一無二、真なる神聖であると、この世の隅々に至るまで知らしめて差し上げます……!」
ジルドレイの両目が見開かれる。
欠損したはずの右目には、青白い氷のレンズが構築され、幽かに輝く義眼となった。
目としての機能がある訳ではないのだろう。だが、もうそこに忌々しい神の幻影は映さない。
外ならぬジャンヌのためと言う使命感が、その幻影を塗りつぶすように打ち消した。
失われた右腕には鋭利な氷の義肢がせり上がり、冷気が血管のように皮膚下を這っていく。
美しさすら感じさせる彫刻のような形状。
しかし、それは冷たく、禍々しく、まさに異形の象徴。
ジャンヌと同じ顔をした怪人がそこに立っていた。
ジルドレイ・モントランシーは、いまや人を超え、聖女の形をした祈りの偶像と化していた。
449
:
氷の偶像
◆H3bky6/SCY
:2025/06/08(日) 13:36:44 ID:IwbDKrGw0
「な、にを…………?」
ジャンヌは困惑に眉を寄せた。
ジルドレイは、祈りにも似た敬虔な口調で答える。
「ご安心めされよ! ジャンヌが凡俗を自称し、己が光を否定する。ならば……ッ!!」
ジルドレイの声は、静かに、けれど確かな熱を孕んでいた。
瞳に映るジャンヌを仰ぎ、胸に手を当てるように一礼すると、告げる。
「この私が、それをお見せいたしましょう。
貴女の知らぬ貴女の光を……ジャンヌ・ストラスブールの正義を、この身にて、貴女様に証明してみせます!!」
その声音には、誓いにも似た敬虔な決意が宿っていた。
だがそれはあまりに一方的で、狂気じみた献身だった。
続けて、ジルドレイは思案するように呟く。
「確か、御身はこの先で巨悪を討つご予定でしたか。
ふぅ〜む。この先にある施設と言いますと、港湾と灯台でしたか……どちらかに『巨悪』がいるのですね。
まあどちらも両方を訪ねるとしましょう。正義の証明に相応しい舞台ですから」
氷の靴音を響かせ、ジルドレイが歩き出す。
「お待ちなさい!!」
ジャンヌの声が、鋭く空気を裂いた。
彼女が駆け出そうとした、だがその刹那――氷が爆ぜ、地を這い、彼女の足元へと一気に迫る。
瞬く間に草花が凍結し、大地は白銀の監獄と化した。
「く……ッ!」
身体を翻す間もなく、膝上までを凍てつかされる。
さらに分厚い氷の壁が、彼女の周囲を静かに覆い囲む。
それは攻撃ではない。
触れさせず、近づけず、穢れさせぬための――隔絶の結界だった。
「そこで少々お待ちを、貴女が訪れる頃には既に証明は完了していることでしょう。
存分にご照覧あれ、私の信ずるジャンヌの光を。さすれば貴女もご理解なさる事でしょう、御身が特別な存在であると!!」
「ジルドレイ……!」
ジャンヌの叫びは、氷壁に吸い込まれ、音すら凍るようにかき消える。
瞬時にジャンヌは焔の翼を広げ、氷を融かした。
彼女の身体を包んでいた霜が、一気に蒸気となって立ち昇り、周囲を朝靄のように覆ってゆく。
白煙が晴れたときには、もうそこにジルドレイの姿はなかった。
草原の彼方、港湾へと続く道を、氷の風が駆けていく。
「くっ……!」
歯を噛み締めるジャンヌ。
港湾に待つのは巨悪。宿敵たるルーサー・キングだ。
それがジルドレイと潰し合うのならジャンヌにとって好都合な展開である。
だが、彼女の脳裏にはそのような損得勘定など一切浮かばなかった。
ジルドレイがこれ以上間違いを重ねる前に止めねばならない。
彼女を動かすのはその責任と使命だけである。
凍りついた朝露の大地に、炎を帯びた足が再び触れる。
まるで陽光のように、ジャンヌ・ストラスブールは、走り出す。
残る氷は溶け、砕け、どこにもなかったように消え去った。
【D-4/草原/一日目 朝】
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、右脇腹に火傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
1.ジルドレイを追い彼の凶行を止める
2.ルーサー・キングとの合流地点(港湾)を目指す。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
【ジルドレイ・モントランシー】
[状態]: 右目喪失(氷の義眼)、右腕欠損(氷の義肢)、怒りの感情、精神崩壊(精神再構築)、全身に火傷、胸部に打撲
[道具]: 無し
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本. ジャンヌを取り戻す。
1.港湾と灯台に向かい、ジャンヌの光をジャンヌに証明する
2.出逢った全てを惨たらしく殺す。
※夜上神一郎によって『怒りの感情』を知りました。
※自身のアイデンティティが崩壊しかけ、発狂したことで超力が大幅強化された可能性があります。
450
:
氷の偶像
◆H3bky6/SCY
:2025/06/08(日) 13:37:11 ID:IwbDKrGw0
投下終了です
451
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:25:43 ID:wzXT53w60
投下します
452
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:26:47 ID:wzXT53w60
港湾にある管理棟の一室。
つい先ほどまで重苦しい沈黙と緊張が支配していた空間に、不釣り合いなほど静かな音が響いていた。
カチャリ。カチャリ。
金属と金属が、丁寧に触れ合う音。
それは、ルーサー・キングが食事を摂っている音だった。
彼の手には、鋼鉄製のナイフとフォーク。
同じく無骨な鉄の皿には、軍用の濃縮保存食が盛られている。
過剰な塩気と無味乾燥な食感。ただ栄養価だけを追求した、肉の塊。
それらの食器はすべて、彼自身の超力によって創出されたもの。
装飾も華美もない。だが、精緻な重厚感と威厳が宿る、まさに帝王の器だった。
キングはその無骨な食器を、まるで五つ星レストランの貴族客のような所作で扱っていた。
缶詰の肉片をナイフの背で静かに切り分け、音一つ立てずに口へ運ぶ。
一挙手一投足が儀礼のように洗練されており、まるで一流の晩餐の舞台を見るかのようだった。
背筋は直立したまま微動だにせず、ナプキンの代わりに鋼糸で編んだ布を口元にあてがう動作に至るまで、全てが完璧に研ぎ澄まされていた。
相応の立場にある人間でなければ、この男と会食できる機会などそうある物ではない。
立場によっては、彼に取り入るために喉から手が出るほど欲しいと願う貴重な機会だろう。
だが今、その帝王と同じ卓を囲んでいるのは、吐き捨てるほどいるようなチンピラと獣人の少女だった。
同じ卓で食事をとるハヤト=ミナセは、その姿を呆然と見つめていた。
一瞬、見惚れそうになる自分に気づき、舌打ち混じりに視線を逸らす。
テーブルの上には、ハヤトが恩赦ポイントを使って用意した二人分の食料が無造作に並んでいた。
クラッカーに缶スープ、チーズの缶詰、栄養バー、レトルト飯。
決して不味くはないが、それを食す所作はあまりにも雑だった。
ハヤトは、元より礼儀作法など知らぬチンピラだ。
プルタブ式の缶を素手で開け、クラッカーを皿代わりにし、スープの上にチーズを無造作に落とす。
盛りつけも、食べ方も粗野そのもので、フォークもスプーンも使わず手掴みで口に運んでいた。
租借音が空気を震わせ、砕けたクラッカーがテーブルに散らばる。
ハヤトに比べればいくらかましだが、その隣に座るセレナもまた決して行儀が良いとは言えなかった。
ベネズエラの貧しい家に生まれ、獣人売買のシンジケートに捕らわれてからは食うに困ることはなかったが、礼儀や作法とは縁遠い生活をしてきた。
彼女の視線の先で、帝王が静謐な動きで缶詰肉を切り分ける光景が、否応なく目に入る。
キングはそんな二人の様子を、ちらりと横目に捉える。
鉄製のコップで水を一口含みながら、ハヤトたちの食卓を一瞥し、眉を僅かに顰めた。
次の瞬間、場の空気を凍らせるような声が響いた。
「――咀嚼するときは、口を閉じろ」
ピタリと、場の空気が静止した。
453
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:27:05 ID:wzXT53w60
「お前らが何者で、どんな育ちだろうが構わん。だがな――」
フォークを皿に置き、ナイフの柄を軽く指で弾く。
刃が鉄皿を叩き、乾いた音が部屋に響いた。
「食い方一つで、人の値打ちは測られる。どれほどの教養を得たか、どんな背中を見て育ったか――すべてがな」
ハヤトは、思わず手を止めた。
セレナもまた、静かにキングを見つめていた。
「……意外だな。アンタがそんなことを言うなんて」
思わず漏れたハヤトの呟きに、キングは嘲笑とも微笑ともつかぬ表情を浮かべた。
「マフィアがマナーを説くのが滑稽に映るか?
だがマナーってのは、舐められないための『武装』だ。無法者ほど、それを知らねえ」
言葉の後、キングは皿にフォークを戻す。
その目元には、かすかな追憶の色がにじんでいた。
「なあ、坊主。お前がガキの頃、どんな飯を食ってた?」
先ほどまでの尋問じみた問いかけとは違う。
本当に食事の雑談のような何気ない問い。
ハヤトの脳裏に、かすかな記憶が蘇る。
雨が吹き込むスラムの裏路地。
火の通っていないスープ、泥水混じりのパン。
兄貴分が黙って差し出してくれた、冷たい缶詰。
「……クソみてぇな飯ばっかだったよ」
「だろうな。だが、それをどう食うかで、そいつの生き様が見えるもんだ」
粗末な缶詰を前にしてもなお、品格を崩さない帝王の姿。
その所作のひとつひとつが、この男の歩んできた業を滲ませていた。
「じゃあアンタは、よっぽど育ちが良かったんだな」
ハヤトの言葉にキングは、ゆるやかに首を振った。
「違うさ。俺もお前と同じ、礼儀知らずのガキだったよ」
鉄のナイフを皿に戻すと、キングは背もたれにもたれることなく、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、静かに動きを止めた。
「黙って食うのも味気ねぇ。少しばかり昔話でもしようか」
そう言って、鉄布で口元を拭う。
「――――ジム・クロウ法って法律を、聞いたことあるか?」
無学なハヤトには、そんな法律の名を知る由もない。
セレナもまた、首を横に振る。
「そうかい。歴史は学んでおいた方がいいぞ。
とは言え、俺がガキの頃には撤廃された法だ。知らなくとも無理はないか」
その言葉の端には、どこか懐かしさと静謐さが混ざっていた。
「奴隷解放宣言後も黒人を差別してもいい、そう言う法だった――――」
キングの声が静かに空間を満たしていく。
それはまるで、食事と共に行われる何気ない雑談のようであり、過去を召喚するかのような語りだった。
少女と青年は、その声にただ耳を傾けるしかなかった。
■
454
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:28:17 ID:wzXT53w60
ルーサー・キング。
その名は、父が敬愛していた黒人解放運動の指導者――マーティン・ルーサー・キング・ジュニアにあやかって名付けられた。
だが、彼の歩んだ道は、あのキング牧師とは正反対のものだった。
キングは、アメリカ南部の鉄道沿いに広がる黒人居住区で生まれ育った。
父は第二次大戦を生き延びた退役兵であり、復員後は鉄工所の溶接工として働いていた。
赤錆の舞う工場で、燃え上がる鋼材を叩く音が日々の生活のリズムだった。
母は地元のバプティスト教会で讃美歌を歌う、穏やかな信仰の人だった。
家族は神を信じ、正義を信じていた。だが、生活は貧しかった。
吐く息さえ凍る台所で、パンの耳を兄弟と分け合いながら、少年は育った。
父はたびたび言った。
「鉄は叩かれて強くなる。人間も同じだ」
その言葉を、幼き日のキングは理解できなかった。だが、鋼鉄の火花と油の匂いは、確かに彼の原風景となった。
彼がジュニアスクールに通い始める頃には、公民権法によりジム・クロウ法は廃止されていた。
だが、それですぐに市民たちの意識が変わるはずもなく、彼を取り巻く現実が変わることもなかった。
黒人が「市民」として扱われることはなく、法の撤廃はただの張り紙にすぎなかった。
警官は守る者ではなく、監視し、殴る者。
通りを歩けば、理由もなく職質され、背中に拳銃の影を感じる毎日。
そんな日常の中で、ある日、兄がやってもいない窃盗の罪で警官に撃たれた。
それは誤認でも、事故でもなかった。明確な差別と殺意による殺人だった。
あの瞬間、少年の心の中で国家への信頼は完全に死んだ。
公民権運動の余波で学校は表向きには統合されたが、教室の空気は変わらなかった。
白人教師たちが教室で教えてくるのは教科書の内容ではなく世界の残酷な『線引き』だった。
どれだけ優れた回答を出しても、白人の生徒の方が褒められる。
どれだけ成績が優秀でも、大学から推薦状が届くことはなかった。
進学を諦めたキングは、拳に活路を見出した。
リングの上なら、誰も肌の色も背景も問わなかったからだ。
それは当時、黒人がスターダムにのし上がる数少ない手段だった。
ボクシングジムの地下で、彼は街の裏側を生きる者たちと出会う。
興行と賭博、麻薬と暴力が交錯するその場所を取り仕切るのは街の『顔役』たちだ。
彼らの間で、キングは初めて「力」と「金」の動き方を知った。
同時期、彼はブラック・パンサー党の文書にも触れていた。
理想が言葉になることを学び、知性が覚醒していった。
だが、理想では空腹は満たされず、言葉では銃弾を止められない。
鉄のように冷えた現実が、青年を押し潰そうとしていた。
貧困の中で育ち、暴力の中で鍛えられた青年は、やがて犯罪という現実に順応していく。
麻薬の取引、銃器の流通、密輸された兵器の売買。
数度の逮捕と服役。常にFBIの監視網が背後に貼りついていた。
だが、彼は決して壊されなかった。
叩かれながら、鍛えられていった。まるで鉄のように。
455
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:28:29 ID:wzXT53w60
そして1980年代後半。
「再出発」を名目に、彼はアメリカを離れ、欧州へと渡った。
最初の拠点は、リヨンにあるアフリカ系移民街。
文化も言語も異なる地で、彼は英語、フランス語、アラビア語、バントゥー語を独学で身に付け、交渉と支配の術を洗練させていった。
アメリカン・ギャングスタとしてのカリスマと実戦経験。
それは貧困と差別に喘ぐ移民街の人間にとって、英雄そのものであり、多くの若者が彼の元に集った。
当時の欧州裏社会には、覇権の空白地帯が存在していた。
北アフリカからスペイン、フランスを経由する麻薬ルートでは、アルジェリア系やイタリア系、コルシカ系が覇権を争っていたが、どの組織も統合には至らなかった。
その空白に、彼は割って入った。
派手な殺しは避け、裏交渉を重ね、時には敵とも不可侵協定を結ぶ。
旧ユーゴの崩壊、EU統合のひずみすら利用して、組織を拡大。
そして、パリ・ロッテルダム・ベルリンを結ぶ巨大ネットワーク。
現在の『キングス・デイ』の前身となる組織『T.A.B.L.E(The American Black Lion Empire)』を築き上げた。
その過程で、彼は「マナー」という武器を身につけていく。
それは社交のための嗜みではない。多くの交渉の場で『舐められない』ための実戦的な武装だった。
スーツを着た白人の警察署長。元KGBの武器商人。ローマ教会の枢機卿。
そうした裏の貴族たちと同じテーブルに座るとき、真に効くのは銃ではなく、礼節という精密な鋼だった。
ナイフとフォークの扱い、ワイングラスの持ち方、背筋の伸ばし方。
それらは決して嗜みではない。
生き残るための、形式化された暴力だった。
礼を知らない無法者は軽んじられる。
教養のなさは、交渉の場において価値のなさに直結する。
そして彼は、そうした価値を身にまとうために、鉄のように自分を鍛え直し、誰よりも洗練された武装を身に着けた。
己の黒い肌を、鉄粉にまみれた出自を、どこまでも優雅に塗り替える術を。
ルーサー・キングは、徹底して学びきったのだ。
■
456
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:28:55 ID:wzXT53w60
鉄のように重たく、静かに語り終えたルーサー・キングは、ナイフを皿の右側に、フォークは刃を内に向けて添えた。
それは食事の終了を示す礼儀であり、交渉と支配を行使するための鋼鉄の鎧である。
鉄布のナプキンで口元を一度だけ拭い、最後に鉄製のコップから水を丁寧に飲み干す。
その一連の動作に、無駄は一切なかった。磨き抜かれた儀礼。
ただの所作でさえ、彼にとっては一振りの刃に等しい。
ハヤトとセレナもまた、食事を終えていた。
キングは、使い終えた鉄の食器を指先ひとつで解体すると、代わりに灰皿を形成する。
その指先から器が生まれるたび、場の空気が微かに軋んだ。
次いで、一本の煙草をくわえ、鉄の火花で火を灯す。
紫煙がゆっくりと立ち上り、空気の密度が鈍く、濃く変わっていく。
吐き出された煙が無礼講めいた食事は、そこで終わったとそう告げていた。
ひとつの儀式を終えたように、キングは再び支配者の顔へと戻る。
灰を落とすと鉄の器の底が、わずかにテーブルを擦る音が鳴った。
それだけで、ハヤトの胸奥に冷たい刃を押し当てられたような感覚が走る。
この男の所作のすべてが、暴力の予兆を孕んでいた。
「……さて。今度は、君らの話を聞かせてもらおうか」
静かに、しかし決して逆らえぬ明瞭さをもって、彼は告げた。
その声音は穏やかで怒気はない。だが、有無を言わせぬ圧が、空気を掌握していく。
まるで審問官の宣告のように重くのしかかる重圧が、ハヤトの肺から空気を押し出した。
唾を飲む音すら、耳に刺さる。
隣のセレナもまた、無意識に背筋を伸ばし、肩を強張らせていた。
「その恩赦Pは、どこで手に入れた?」
問いは簡潔だったが、核心を突く問いだった。
食事に伴い、ハヤトはキングの目の前で食料を購入してみせた。
その時点で、ポイントを保有していることは明白だった。
て恩赦Pの取得とは、誰かの『死』と結びついている。
誰を、どこで、どのように、その真意を、キングは問うている。
ハヤト=ミナセは、無意識にセレナの前へ一歩出た。
庇うように立ち、深く息を整える。
「…………これは、フレゼア・フランベルジェの首輪から得たポイントだ」
ハヤトは慎重に言葉を選びながら、ボスに報告する部下のように現在に至るまでの経緯の説明を始めた。
氷の怪物、ジルドレイ・モントランシー。
炎の魔女、フレゼア・フランベルジェ。
危険度A級の受刑者同士が交戦する只中に巻き込まれたこと。
さらに、神父、夜上神一郎と元テロリスト、アルヴド・グーラボーンとの接触と一時的共闘。
享楽の爆弾魔、ギャル・ギュネス・ギョローレンの乱入による戦局の悪化。
三つ巴、あるいは四つ巴の混沌の中で、セレナが重傷を負ったこと。
その避難のため、そして最低限の休息を得るため、ここ管理棟に一時的に退避したこと。
「……その戦況の最後に目の前でフレゼアが死んだ。俺が得たのは、その首輪からのポイントだ」
そう説明を締めくくる。
報告の中でセレナのアクセサリーがフレゼアの何かを宿した件には触れなかった。
話の経緯として語る必要はないし、セレナの為にも語るべきではないとそう判断した。
報告に耳を傾けていたキングはしばし無言のまま煙草をくゆらせ、やがて一言、呟いた。
「なるほど。つまり君の持つポイントは、フレゼアから得たものということか」
キングは目を細める。
その表情に驚きや猜疑の色はない。
既にギャル・ギュネス・ギョローレンから、同様の報告を受けていたのだ。
視点や語調の違いはあれど、事実関係には整合がある。
結果としては、混沌の戦場における幸運。
棚ぼたとまでは言わずとも、特筆すべき功績や狙いのあった取得ではない。
457
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:29:10 ID:wzXT53w60
「じゃあ、次の質問だ、」
キングが次なる問いを口にしようとする、その寸前――セレナは唇を噛み、ちらりとハヤトの横顔を見た。
一瞬の逡巡。けれど、その目には、怯えと覚悟がないまぜになっていた。
「――あ、あの!」
椅子が軋み、少女の声が響く。
声はかすかに震えていたが、それでも明確に届く強さを持っていた。
「なんだい? お嬢ちゃん」
キングの低い声が応じる。
その瞬間、空気が一変する。
静まり返った室内。視線が一点に集中する。
ハヤトは思わず顔を上げ、息を呑む。
「そっちの質問ばっかり続けるのは、その……ずるい、です。そちらから訊くばっかりじゃ、フェアじゃありません……」
少女は怯えながらも、真っ直ぐにキングを見据えていた。
そこには逃げ出さない覚悟と、間違いを間違いと言える子供らしい正義感が宿っていた。
だが、それは悪手だ。
これは情報交換の場などではない。
これは一方的な情報の搾取の場である。
裏社会の頂点と、名もなき端くれ。
支配と従属が織りなす非対称な場で、まともな交渉など成立するはずもない。
最初から互いの立場は対等などではないのだ。
ハヤトはその構造を嫌と言うほどよく理解していた。
だが、そんな裏社会の構造やルールなどセレナには関係がない。
恐れ知らずにもセレナはその欺瞞を暴く。
「……つぎは、わたしたちが聞く順番、じゃ、ないでしょうか…………?」
紫煙の向こうで、漆黒の瞳が長耳をした獣人の少女をじっと見据える。
時間にして数秒、しかしその沈黙は、銃口を向けられたかのように長く、重かった。
「こいつは……裏の事情も、アンタのこともよく知らねぇんだ。許してやってくれ……ッ」
その空気に耐えきれず、ハヤトが身を乗り出して取り成す。
だが――その言葉を遮るように、キングは静かに応じた。
「……いいや。嬢ちゃんの言い分も、もっともだ」
だが、意外にもキングはその申し出を無下にはしなかった。
ようやく発せられた声は、低く落ち着いていた。
「情報とは、武器であり、贈り物でもある。差し出すのが当然と考える者には俺は与えない。
だが、交渉のテーブルに座る覚悟を示した者には、多少の礼儀は通そう」
静かに椅子の背にもたれ、指を鳴らす。
場の空気が、再び切り替わった。
「――ならば、ルールを決めよう」
紫煙の向こう、帝王の声が穏やかに響く。
その声に、一瞬で場が支配される。
「この場にいる者は、これからそれぞれ一問ずつ質問をする権利を持つ。
どのような問いの内容であれ虚偽も黙秘もなしで必ず答えることを保証しよう」
ハヤトは、驚きに眉を上げた。
それはまるで、少女の勇気に報いるかのような譲歩だった。
2対1の構図であるが、ルーサー側は先ほどの問いと合わせて2回。
2対2の平等な情報交換のステージを用意する言葉。
互いの立場を考えればあまりにも不気味な譲歩だった。
紫煙の奥で、ルーサー・キングはゆるやかに微笑んでいた。
その笑みの底にどんな打算があるのか。
あるいは、先ほどのような試しなのか。
誰も、それを見極めることはできなかった。
「――さあ、どうする? この条件で手を打つかい?」
試すような問い。
その問いかけに、最初に反応したのはセレナだった。
「はい。わたしは構わないです。ハヤトさんは……」
自分の意志を示し、伺うようにハヤトに視線を向ける。
「……分かった。俺もそれで構わない」
その返答に、キングは軽く片手を掲げ、口角を上げた。
458
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:29:51 ID:wzXT53w60
「よろしい。では、お嬢さんから」
いつの間にか場を取り仕切るキングに促されて、セレナは小さく息を吸い込み、問いを紡ぐ。
「……キングさんは、どうしてここにいるんですか?」
ここにやってきた目的を問う。
人気のない港湾。何の目的もなしにやってくるような場所ではない。
ましてやルーサー・キングが何の目的もなく動くはずもない。
その目的を確認しておくのはセレナたちにとっても必要な事だろう。
問としてはありきたりだが、要点は外していない。
キングは笑みを崩さぬまま、ゆっくりと煙を吐く。
「待ち合わせのためさ。正午にちょっとした取引相手がここに来る手筈になっている。
港湾(ここ)を選んだのは君たちと同じでね。邪魔が入らない場所をと思って選んだのだが、当てが外れたようだ」
冗談めかした口調の裏に、キングとしてもハヤトたちの存在は計算外だったという事実が垣間見える。
少なくとも彼らを狙った行動ではないと言う事が分かっただけでも十分だろう。
「取引相手というのは誰なんですか?」
「おっと質問は一つまで、そう言うルールだろう?」
キングの牽制にセレナが押し黙る。
続いて、質問のバトンがハヤトへ渡った。
何を問うべきか、ハヤトは考える。
セレナの質問を引き継ぐが、それとも別の問いか。
しばし考えて、結局大したものも浮かばず最初に浮かんだ疑問を口にする。
「…………その服と、さっきの食料。それはどうやって手に入れたんだ?」
これは、キングから投げられたのと同じ問いだった。
服も食料も、恩赦ポイントがなければ得られない。
その意味を知っているからこそ、ハヤトは同じ角度で返した。
「知り合いに譲ってもらったのさ。君らも出会ってるはずだ。
ギャル・ギュネス・ギョローレン。アレとはちょっとした古い知り合いでね」
「……あいつか」
思わず口にしたハヤトのつぶやきは、やや呆れ混じりだった。
貴重な恩赦Pを使って他人に施すなど、普通に考えればありえないことだ。
だが、あの爆弾魔は行動原理のよくわからない奴だった。
あいつなら、と、納得してしまう自分がいるのもまた事実だった。
「さて、俺の番か」
そして、最後にルーサー・キングの手番が巡ってくる。
紫煙の奥から伸びる黒い視線が、まっすぐにハヤトを射抜いた。
緊張が、空気に濃く染みわたる。
「この俺に――――隠していることはあるかい?」
あまりにも反則的な、ワイルドカードめいた一手。
その問いが、紫煙の向こうから鋭く放たれた。
やられた。
ハヤトは、反射的にそう悟った。
周囲に紫煙が揺れる中、心臓が早鐘のように鳴る。
この質問交換のルールを、ルーサー・キングはこれまで忠実に守っていた。
その事実が、ハヤトたちの逃げ道を塞ぐ。
彼が律儀であるほど、こちらもまた誠実を求められるのだ。
キングは最初からすべてを正直に話すなどと相手を信用していない。
相手に正直に話させるには『ひと手間』が必要になる。
ルール一つでその面倒が省けるのなら楽なものだ。
一瞬、喉が詰まりそうになる。
その反応を示した時点で、隠し事があると言っているようなものだ。
誤魔化しは死を意味する。自分だけではなく自分とセレナ2人の死だ。
ハヤトは、震える息を押し込み、乾いた声で答えた。
459
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:30:15 ID:wzXT53w60
「…………ある。だが、言えなかった事情も、察して欲しい」
言い訳めいて聞こえることは自覚していた。
だが、それでも弁明せねば、ただ処分されるだけだ。
そしてハヤトはセレナのアクセサリーについてではなく、あくまで自分に与えられていた秘密――看守からの取引について語り始めた。
刑務作業内で発生した死体を確認するハイエナ役。
その為にハヤトのデジタルウォッチには死体の場所が分かる機能を持たされている事。
その代価としてシステムAの使用権を与えられている事。
すべてを包み隠さず、語った。
ここで情報を誤魔化せば、今度こそ命はないだろう。
手遅れであろうとも誠実を見せるしかなかった。
「明確な口止めはされていない……けど、おいそれと口にしていい内容じゃない事はアンタにも分かるだろう?」
必死の弁明だった。
だが紫煙の奥で揺れるキングの表情は、鉄仮面のごとく読めなかった。
やがて、沈み込むような声でキングが問い直す。
「……システムAの使用権ってのはどういう物だ?」
「……この枷を、合計で10分だけ解除できる権利だ。操作は俺のデジタルウォッチからしかできないようになってる」
刑務作業中のデジタルウォッチの取り外しが許されていない以上、この権利は他人に譲れるようなものではない。
そこはヴァイスマンたち看守側が設定した動かしようがないルールである。
それはある意味で絶対不可侵の聖域。
相手がどれほどの大物であろうと、受刑者である以上、刑務官の極めたルールには逆らいようがない。
そうでなければ、キングはこの権利を献上しろと言いかねなかっただろう。
長い、鋭い沈黙が場を支配する。
紫煙が揺れるたびに、空気が軋む。
何かを考えこむような沈黙のあと、やがてキングが低く呟いた。
「……もう一度、確認するぞ」
その声は、冗長を許さぬ拷問官のそれだった。
「お前は――死体の場所が分かるんだな?」
「……あ、ああ。間違いない」
その返答を受け、しばしの沈黙のあとルーサー・キングは小さく頷く。
何かを計算するような瞳に、暗い光が宿る。
そして――静かに沙汰が下された。
「……事情は理解した。黙っていた理由も、まあ察しよう」
一拍の間。
「――だがな」
その声が、一段階だけ冷えた。
それで周囲を凍てつかせるには十分だった。
「この俺に隠し事をしていたという事実は――どうあがいても消せはしない」
空気が、沈む。
その言葉には、明確な断罪が込められていた。
声を荒げる必要などない。ただ言われただけで、背筋が凍る。
ハヤトは、思わず喉を鳴らした。
セレナも息を呑む。
一瞬先の死、いやそれ以上に惨たらしい結末が嫌でも脳裏をよぎる。
「……だから、一つだけ、落とし前をつけてもらおう」
キングの瞳が、鋼のように冷たく光る。
「その機能を使ってドン・エルグランド――誰があいつを殺したのか、それを調べて欲しい」
言葉は端的で、容赦がなかった。
死体の場所が分かるという機能は、情報収集のための道具として他に代えがたい特異性を持っていた。
「死体の場所が分かるのなら、その死体を調べてある程度は調べがつくはずだ。
あのドンを殺せる奴がいるとすれば、それはこの刑務における最大の脅威だろう。
どのような手段で、どのような状況で、誰が、なぜ――その事情を可能な限り洗い出してくれ」
安全な刑務作業の終了を望むキングとしてはその動向は調べておきたい
キングはそこに目を付け、ハヤトを使える駒と見做したのだ。
相性の悪い相手にあたったか、あるいは何らかの偶然が重なったのだったとしても。
それが自分のみに起こりうることなのかは把握しておかなければならない。
キングが生き残るために。
460
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:30:58 ID:wzXT53w60
そして――キングは、ふっと笑った。
まるで何事もなかったかのように。
「この仕事を引き受けるというのなら――この俺に隠し事をしていた件については、水に流してやろう」
それは慈悲ではない。
取引として成立させることで、キングはハヤトに生き残るための余地を与えたのだ。
理不尽の中に見せかけの平等を与えることで、支配をより徹底するやり方だった。
選択肢など、初めから存在しない。
だが、形式として選ばせる。
そこに、ルーサー・キングという男の恐ろしさがあった。
ハヤトは目を閉じ、一度だけ深く息を吸った。
掌には汗がにじみ、喉の奥が張りつく。
拒絶の選択肢など、初めからなかった――それでも言葉を絞り出すには時間が要った。
「……わかった。やるよ」
声は震えてはいなかった。
それが、唯一許された返答だった。
そうして、取引は形式上『成立』した。
ハヤトに課された依頼『ドン・エルグランドの死の真相調査』を引き受けることで、ルーサー・キングに対して犯した隠し事の咎は、水に流された。
――表向きは、だが。
この部屋に充満していた圧迫感と沈黙。
それが一時的にでも解除されたことで、ハヤトの背筋にようやく重力が戻ってきた。
それでも、その場に居続ける気にはなれなかった。
負傷から回復しきっていないセレナの休息には、本来ならもっと時間が必要だった。
だがこの空間――闇の帝王と同じ屋根の下にいること――それ自体が精神をすり減らしていた。
彼女のためを思うのなら一刻も早くこの場を離れた方がいいだろう。
「……じゃあ、とっととその依頼を果たしてくるよ。行こうセレナ」
そう呟きながら、ハヤトは立ち上がる。
セレナもそれに合わせて身体を起こす。
彼女は無言で頷いたが、その表情はどこか張りつめていた。
2人は連れだち、管理棟の扉を開いた、その時だった。
ピクリと、セレナの長い耳が小さく跳ねた。
次いで、外の音を拾うようにぴんと立つ。
「……誰か、近づいてきてる、かもです」
ウサギ系獣人特有の鋭敏な聴覚。
セレナのその耳が察知した気配は、ハヤトにはまだ届いていない。
だが、彼女の感性が信用できるという事をハヤトはよく知っている。
「キングさんの待ち合わせ相手の人でしょうか……?」
この港湾地区は、そもそも人が寄りつく場所ではない。
そこにわざわざ訪れる者がいるとしたなら、そう考えるのが自然な結論である。
その疑問を受け、キングはデジタルウォッチで時刻を確認する。
時刻は8時になろうとか言う所。まだ約束の正午には程遠い。
キングが指定したターゲットの中で、放送で呼ばれたのは恵波流都のみ。
恵波流都を殺害したのが叶苗たちでその報告のために早々に港湾を訪れた、と言う可能性もないわけではない。
いずれにせよ、その来訪者が何者であるかは確認しておく必要があるだろう。
「――出ていくついでに、一つ。野暮用を頼まれてくれないか?」
ルーサー・キングが、何気ない口調でそう言った。
だがその一言は、二人の足を止めるのに十分な重さを持っていた。
461
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:31:11 ID:wzXT53w60
「そのこの港湾に近づいている奴の様子を見てきてほしい」
その声に、命じるような圧はない。
だが、命令と請願の境界線が、限りなく曖昧だった。
「もしそれが『二人組の少女』だったら。ここへ案内してやってくれ。俺の待ち人だ。
それ以外の連中なら、無視して出て行ってくれて構わない」
「……了解した」
何の報酬もなく偵察役をやらされようとしている。
応じる理由もないが、ここで断って事を荒立てたくない。
その一言を返しながら、ハヤトは胸中で警戒心を強めていた。
セレナはすでに気配のする方向を見据えている。
長い耳が風のような震えを感知していた。
「行こう。さっさと確認して、さっさとここから離れよう」
その言葉に、セレナも頷いた。
二人は再び、鉄の重圧が支配する空間を背に、管理棟の外へと歩みを進めた。
外にはすっかり朝の気配が漂っていた。
だが、そこに待っているのが何者なのか。
それはまだ、誰にも分からなかった。
【B-2/港湾(管理棟)/一日目・午前】
【ハヤト=ミナセ】
[状態]:多大な精神的疲弊、疲労(小)、全身に軽い火傷
[道具]:「システムA」機能付きの枷、治療キット
[恩赦P]:30pt(-食料10pt×2)
[方針]
基本:生存を最優先に、看守側の指示に従う?
0.ドン・エルグランドの死について調査する
1.セレナと共に行く。自分の納得を貫きたい。
2.『アイアン』のリーダーにはオトシマエをつける?
※放送を待たず、会場内の死体の位置情報がリアルタイムでデジタルウォッチに入ります。
積極的に刑務作業を行う「ジョーカー」の役割ではなく、会場内での死体の状態を確認する「ハイエナ」の役割です。
※自身が付けていた枷の「システムA」を起動する権利があります。
起動時間は10分間です。
【セレナ・ラグルス】
[状態]:背中と太腿に刺し傷(治療キットによりほぼ完治)
[道具]:流れ星のアクササリー、タオル、フレゼアの首輪(P取得済み)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:死ぬのも殺されるのも嫌。刑期は我慢。
1.ハヤトに同行する。
2.生きて帰れたら、ハヤトと友人になる。
※ハヤトに与えられている刑務作業での役割について、ある程度理解しました。
※流れ星のアクセサリーには、高周波音と共に音楽を流す機能があります。
獣人や、小さい子供には高周波音が聴こえるかもしれません。
他にも製作者が付けた変な機能があるかもしれません。
※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
現在のところ、下記のキャラクターの超力が保存されています。
『フレゼア・フランベルジェ』
【ルーサー・キング】
[状態]:健康
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1、タバコ(1箱)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※ギャル・ギュネス・ギョローレンが購入した物資を譲渡されました(好きな衣服、煙草一箱、食料)
462
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:31:51 ID:wzXT53w60
■
大金卸が森の奥へと姿を消してから、しばらくの間、りんかと紗奈の二人は一言も発さなかった。
圧倒的な存在が去った後の静寂は、むしろ重たかった。
ようやく戻ってきた風が、そっと頬を撫でる。
それに導かれるように、りんかと紗奈のふたりは、小さく息を吐いた。
互いの顔を確かめる。
その瞳の奥に浮かぶ微かな光が、まだ生きていることを証明していた。
「はぁ……」
どちらからともなく漏れた息。
ほんの数時間の間に彼女たちは、数々の強敵と死力を尽くす戦いを重ねてきた。
バルタザール、ブラッドストーク、ルクレツィア、ジルドレイ、そして先ほどまで対峙していた大金卸樹魂。
あまりにも密度の濃い時間だった。
身体だけでなく、心の軸すら擦り切れそうだった。
一人ならとっくに折れている激戦の数々。
「……少し、休もうか……」
「うん、そうだね……」
りんかが、限界を滲ませた声で呟き。
紗奈もまた、同じ疲れをその声に乗せた。
二人は倒木のそばへ歩み寄り、苔むした幹の影に腰を下ろそうとした。
だが、その直前にぴたりと動きを止める。
そこで二人の目が合う。
互いの中で、同じ懸念が脳裏をかすめたのを、感じ取っていた。
「……でも、また……来るかも」
「うん……そうだね」
声は小さく、うんざりとした響きが込められていた。
肌に染みついた負の経験が、警鐘を鳴らしていた。
――そう。
これまでも、少し休んだところで、次の試練がやってきた。
一度や二度ではない。まるでこの地に留まること自体が、何かを呼び寄せる呪いのようだった。
「……もしかして、この場所が……悪いのかな」
りんかの呟きは、独り言のようでいて、どこか確信を含んでいた。
運が悪い、というどうしようもない結論を排除して考えれば、後は場所が悪いという結論になるのは当然の事。
実際の所、りんかたちはこの刑務作業が始まって、この周辺から殆ど移動出来ていない。
目立つ地形や施設は周囲にない。
けれど、この一帯に戦いを誘う何かが潜んでいる可能性は否定できなかった。
実際、先ほどの大金卸もその戦いの匂いに惹かれてやって来ていた。
戦いが戦いを呼ぶ因果に搦め手取られている。
この因果を断ち切るのは、場所を変えるのが一番手っ取り早い解決策だろう。
言葉にはせずとも、ふたりは自然と同じ結論にたどり着いたように頷き合う。
迷っている時間がもったいない。
休むよりもまず、移動しなければ。
りんかがデジタルウォッチを操作する。
薄いホログラムが地図を投影し、島の全体像を映し出した。
「……中央のブラックペンタゴンは……避けよう。絶対、人が集まりやすい場所だし、目立ちすぎる」
「うん。この近くだと……北西に港湾と灯台があるみたい」
「島の端に人が集まるとも思えないし、いいと思う」
恩赦狙いの危険人物は人の集まる場所に向かうはずだ。
人の集まりそうにない島の端に誰かがいたとしても、それは自分たちと同じく戦いから避難しに来た人間である可能性の方が高いだろう。
「灯台と港湾…………どっちの方がいいかな?」
「港湾の方がまだ安全だと思う。灯台は万が一追い詰められたら逃げ場がないけど、港湾なら物陰も多そうだし隠れる場所もありそう」
「りんかが、そう思うなら……行こう。少しでも、落ち着ける場所へ……」
本当は、今すぐにでも休みたい。
だが、ここに留まり続けることの方が危険だ。
この場所は休息の場所ではない。
痛みを癒す余裕を、決して与えてくれない。
ふたりは互いに支え合うように寄り添って歩き出した。
傷ついた身体を引きずるようにして、森の奥へと足を進める。
その背に朝の光が差し込み、長く影を落とした。
けれどその影は、もはや孤独ではなかった。
ふたりの影は重なるように一つになる。
463
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:32:02 ID:wzXT53w60
重なり合うふたつの影が、ゆっくりと森の中を進んでいった。
戦闘の最中は、張り詰めた神経とアドレナリンが痛みや疲労を麻痺させていた。
だが、緊張が解けた今、その代償が一気に襲いかかる。
特に、これまで何度も矢面に立ち続けてきたりんかの身体は、すでに限界に近かった。
足の筋肉は鉛のように重く、もはや痛みすら感覚が鈍くなっている。
身体の芯には冷えが染み込み、焼けるようにじんじんとした熱が頭の奥を離れない。
目の奥も重く、光すら煩わしい。
足元がふらつくたび、隣を歩く紗奈がすかさずりんかの肩を抱えて支える。
その細い腕に力を込めて、決して倒れさせまいとする気持ちが伝わってくる。
りんかは黙ってその体重を預けた。
彼女に情けない姿を見せたくないという思いはある。
だが、互いに支え合っていこうと決めたのだ。
今は、紗奈の温もりがただただありがたかった。
疲労だけではない。
喉の奥には、ひどく乾いた痛みがあった。
戦闘の最中は気づかなかったが、今はその渇きが鋭い苦痛として意識を蝕んでくる。
「……水、欲しいね」
「うん……お腹は、まだ平気だけど……喉は、限界かも……」
ぽつりと、りんかが呟き、紗奈もまた喉を押さえながら応じた。
口にしてもどうしようもないことだが、どちらかが呟くともう一人も同じように答えてくれる。
それが、唯一の救いだった。
これから向かう港湾には、海が広がっているが海水は飲めない。
目の前に水があるのに飲めないという事実は実に恨めしい。
それでも、ふたりは歩く。
足を止めれば、そこに安全があると信じて。
励まし合うように、ふたりはそっと手を握り合う。
互いの体温を感じることで、ほんの少しだけ心が落ち着いた。
「……りんか」
「……なに?」
「ちゃんと……手、つないでてね」
「うん……はなさないよ。ぜったいに」
ふたりの手は強く、熱くつながっていた。
光も、祈りも、理想も、今は持っていない。
けれど、互いの手の中には、確かに命があった。
だから歩ける。
それだけで、今は充分だった。
森を抜けた瞬間、視界が大きく開けた。
淡く広がる空の下に、ひらけた地形と、人工的な構造物が見える。
錆びついたクレーン。崩れかけた倉庫。風に揺れる掲示板の残骸。
そこは確かに、人の手によって築かれた港湾だった。
どこか寂れた雰囲気があったが、逆に言えばそれだけ人の気配が薄いということだ。
ようやく、ひと息つけるかもしれない場所にたどり着けた。
だが、完全に安心はまだ早い。
この場所が本当に安全かどうかは、まだわからないのだ。
それでも、ふたりの少女は、重い足を引きずりながら、港湾へ向かって歩みを進めていった。
464
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:32:28 ID:wzXT53w60
【C-2/港湾近く/一日目 午前】
【葉月 りんか】
[状態]:渇き、全身にダメージ(極大)、疲労(中)、腹部に打撲痕、背中に刺し傷、ダメージ回復中、紗奈に対する信頼、ルクレツィアに対する怒りと嫌悪
[道具]:なし
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。
0.港湾で休息
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。
3.ソフィアさん…
4.ジャンヌさんそっくりの人には警戒しなきゃ
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
【交尾 紗奈】
[状態]:渇き、気疲れ(中)、目が腫れている、強い決意、りんかに対する依存、ルクレツィアに対する恐怖と嫌悪
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2
[方針]
基本.りんかを支える。りんかを信じたい。
0.港湾でりんかを休ませる
1.新たに得た力でりんかを守りたい
2.バケモノ女(ルクレツィア)とは二度と会いたく無い
3.青髪の氷女(ジルドレイ)には注意する。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。
※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。
※『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』の超力は使用不能となりました。
465
:
鋼鉄のブレックファースト
◆H3bky6/SCY
:2025/06/15(日) 18:32:51 ID:wzXT53w60
投下終了です
466
:
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:28:46 ID:UIGZYa2s0
投下します。
467
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:29:41 ID:UIGZYa2s0
『――――定時放送の時間だ』
ブラックペンタゴンの外壁を背に、征十郎は袋詰めされた糧食をそっと脇に置き、放送に耳を傾けた。
淡々と命を落とした受刑者たちの名が読み上げられていく。
その中には当然のことながら、舞古 沙姫の名が含まれていた。
征十郎自身が死の間際に居合わせ、最期を見届けられた"数少ない"人間だ。
今さら取り乱すようなことではない。
静かに佇み、黙祷を捧げてその死を深く悼んだ。
だが、その次に読み上げられた名前には征十郎も思わず目を見開いた。
テキサスの大人たちは、やんちゃ坊主に対して、『悪い子は嵐の夜にエルグランド海賊団に攫われてしまうぞ』と戒める。
カリブ海を拠点にしていたかの大海賊は、テキサスではハリケーンに例えられていた。
思い出したようにメキシコ湾方面に遠征し、沿岸都市に甚大な被害をもたらしていったからだ。
征十郎はアビスに収監されてはじめてその威容を目にしたが、災害に例えられるのも頷ける、暴の体現のような男であった。
続くように読み上げられたのはフレゼアの名だった。
"炎帝"の名は北米においてはドンをも凌ぐ恐怖の代名詞だ。
限界が存在することが信じられないほどの出力と、恐るべき執念深さ。
世の人々に二つ名を付けられた悪党の業を、征十郎はこの刑務で思い知った。
あの炎の化身に正面から打ち勝った者がいるのなら、それこそ脅威が新たな脅威であろう。
されど先ほど邂逅した、ルーサー・キングなる巨漢のすさまじい実力を思えば、炎帝を殺しうる受刑者の存在も納得できる。
一つ歯車が狂えば、そこに征十郎の名が連なっていたのだろう。
その後、読み上げられた中にギャルの名はなく。
征十郎は残りの糧食を口に詰め込み、水で胃まで押し流して食事を終える。
そしていざブラックペンタゴンに参入しようとしたそのとき。
建物の中から、身をすくませるような凄まじい轟音が耳をつんざくように響き渡った。
征十郎は急ぎ、門を潜ってブラックペンタゴンへと侵入した。
468
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:30:59 ID:UIGZYa2s0
■
ブラックペンタゴンは既に喧騒の中にあった。
壁や扉の向こうから、何かが崩れたりぶつかったりする音が散発的に聞こえてくる。
既に受刑者同士の戦闘が発生しているのだろう。
しかし、大爆発の音は先の一回以降、音沙汰がない。
ギャルが戦っているのなら、もっと派手に爆発が響いているはずだ。
ならばギャルではなく、別の受刑者だったのか?
アテが外れたのかもしれない。
ブラックペンタゴンを引き続き探索するか、それとも港湾方面へ引き返すか。
二つの選択肢を視野に、再度後方の門に視線を移したその時。
入り口に人影を見た。
「あっ、あーっ!」
数カ月ぶりの友人に話しかけるような気軽さで、身体全体を大きく使って手を振る。
「見ぃつけたっ! 征タンおひさっ!」
褐色肌に金髪碧眼、ブレザーに袖を通した華の女子高生。
アビスには到底似つかわしくない華やかなる姿。
装いこそ変わっているが、あのようなふざけた格好の人間など一人しかいない。
「ギャル・ギュネス・ギョローレン……!」
「およ? なんかオカンムリな感じ? こっわ〜☆」
きょとんとするギャルに対して、征十郎は刀を抜き。
「――――ふッ……!」
八柳新陰流『抜き風』。
風のように疾走し、鋭い一撃を加える速攻の剣技。
ギャルの超力はすでに見た。時間を与えるたびにこちらは不利になる。
仇敵相手に言葉は不要とばかりに、征十郎が選んだのは速攻だ。
「あーしを見るなり飛び掛かってくるとか……征タンさぁ、がっつきすぎじゃね? 欲しがりすぎっしょ〜」
ギャルは何かに弾き飛ばされるように飛び上がり、舞うように辻風の一撃を回避する。
わずかに鼓膜を打った破裂音から、何かが極小の爆発を起こしてギャルの肉体を弾いたのだと理解する。
「早漏男は嫌われるゾ☆」
飛び上がったギャルはそのまま集荷エリアに置かれている巨大コンテナに腰かけ、足をぶらぶらと遊ばせ始めた。
「あーし、今ちょっとだけナイーブモードなんだよね〜。
ダチが放送で呼ばれてさ〜」
「お前のような悪鬼にも、心を痛めるほどの友がいるのか」
「いや征タンよりは友達多いと思うよ?
ってか征タン絶対ソロ活タイプっしょ」
「友人くらいいる。それに必要なのは数より質だ。
私にもかつて、腕を競い合った宿敵がいた。
濃い関係が築けているなら、数の多募など問題ではあるまい」
「数より質アピするやつって、大体友達いないんだよね〜。
っていうか宿敵って敵じゃん、それゼロだかんね?」
ギャルは指を指して一通り笑った後。
何がおかしいのか、小馬鹿にするような挑発的な笑みを浮かべて。
「あーしのダチの沙姫っちは、剣術マニアだったし? 絶対征タンとウマが合ったと思うな〜?」
469
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:32:34 ID:UIGZYa2s0
瞬間的に手が出そうになった。
ギャルの右手がブレザーの内側に入っているのに気付かなければ。
ギャルの目が猛禽類のように鋭さを増した瞬間を目撃しなければ。
沙姫の二の舞を演じていただろう。
「あっは、メンゴメンゴ☆
やっぱそうだったんだ〜、は〜あ……」
ギャルはがくんとうなだれ、視認できるほどに大げさにため息をつく。
ヴァイスマンの読み上げ順が刑罰執行の順番であることには早々に勘付いた。
あのとき爆殺した人間が誰だったか。
沙姫である可能性は1/3だったが、当時同行していた征十郎の反応からおおよそは察せられた。
今再び、征十郎のリアクションであれが沙姫であったことが確定し、さらに気分がサガ↓っているのだ。
だが、それは決して友人を殺したことへの後悔ではない。
「ダチ大事にするタイプだからってイキった挙句、秒で爆(や)ったのダブスタすぎて冷めるわ〜」
出されたご飯は全部おいしく食べたい。
奇縁因縁、消化不良のまま終わるのはイケてない。
そんな独りよがりな美学を自分で台無しにしてしまったことによる気の滅入りである。
「それで? 知らなかったから許せとでも?」
「あ〜、別にそこは求めてないし?
これはあーしのこだわり。征タンにはまた別件ね」
ギャルは気を取り直したように顔をあげると、髪をくるくるといじりだした。
「……うーん、なんっていえばいいんだろ。
えとね、アンちゃんとはバッチリお別れできたし、アーくんともグッバイ済み、ルーさんとも久しぶりに話せたし。
沙姫っちの件はあーしの大チョンボだったわけだけど、じゃあ征タンはなんなんかなーって」
裏事情を知らない征十郎には、彼女の言葉に疑問符を浮かべる以上のリアクションは取れないが。
ギャルはこの刑務がとある目的のためにおこなわれていることを知っている。
看守長の意図どおりに初期位置や周辺人員が配置されていることも知っている。
縁深い相手や因縁のある相手が意図的に近くに配置されうることを知っている。
「ガチる前にさー、ちょいお喋りしない?」
「今になって怖気付いたか?」
征十郎は刀を構え直し、すり足で円を描くようにギャルへと近づいていく。
征十郎の殺気をすり抜けるかのようにギャルはひらひらと手を振る。
「いやー、 沙姫っちと会話ゼロで終わっちゃったのびみょーに後悔してんだよね。
それに始まっちゃったら駄弁ってるヒマなくない?
秒でどかーん☆で終わっちゃうし? そんなのもったいないっしょ」
秒殺を高らかに謳う。
無自覚な挑発に応えるかのように、征十郎が動く。
「およ?」
向かう先は内壁。
八柳新陰流『猿八艘』。
屋内にて壁面を蹴って飛び、射撃を回避しながら敵を仕留める技である。
訝しむギャルを余所に、征十郎は三角跳びの要領で壁を蹴り、コンテナを蹴り、さらに二段三段と蹴り上げて、飛び上がっていく。
人類総超人化した現代においても、空中で動きを変えることはできないという弱点は変わらない。
だからこそ、それを見抜いたギャルは自身と征十郎を結ぶ直線ラインにぶちまけるべく、小瓶を手に取り。
だが征十郎はそこからさらに大きく飛び上がった。
それは弧のような軌道を描き、ギャルの頭上にまで達して。
「八柳新陰流――――『漁獲』」
天井まで達したのち、天井を強く蹴ることで頭上から繰り出す鋭い突き。
上空から水中の魚を貫く猛禽の嘴のごとき剣技。
『雀打ち』が地上から宙空の敵を仕留める対空の一撃であるならば、
『漁獲』は上空から地上の敵を仕留める対地の一撃。
開闢後に編み出された、新人類の身体能力ではじめて実践可能となった技である。
瓶詰した液体をぶちまける間も与えない、ギャルに向ける必殺の一撃だ。
この速度はかわせまい。その確信を持った一撃だった。
だが、不意にぶわりと強い風が征十郎に吹きつけ、僅かに速度が落ちる。
ギャルは勢いを削がれた上空からの突きを、紙一重でかわしきった。
「あっぶねあぶね」
見えない守りのタネは単純。
屋内において、ギャルの呼気は起爆する。
屋外では風で散らされてしまうが、閉鎖空間では水蒸気が充満する。
それだけで人を傷つけることはなくとも、爆風は生じる。
敵の勢いを削ぎ、自分の勢いを増すには十分だ。
呼気と汗。
目に見えない幾重もの守り。
これを突破できないなら、彼女に剣を届かせることはできない。
470
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:33:57 ID:UIGZYa2s0
「征タンがせっかちなのは分かったけど、あーしはさ、タイパのいい下準備はしっかりやるタイプのギャルなんだよね」
必殺の一撃を外した征十郎だが、闘志冷めやらずとばかりに射抜く様な視線を外さない。
割れた鉄床の上に立ち、ギャルの言葉の続きを促す。
「お互いにさ、因縁みたいな関係があるとテンションアガ↑らない?」
「私とお前の間に、既にそういったものはあるだろう?」
「沙姫っちの件はそうだね〜。けどさ、そんだけじゃ不公平というか? バランス悪いっつーか?」
征十郎に再び疑問符が浮かぶ。
不公平とはなんだ、と。
この女は何を言おうとしているのだ、と。
「あーしからぶっとい"矢印"が伸びてないって感じ?
やっぱさー、そういうのって両方からニョキって伸びてバチバチするほうがシックリくるし?
矢印認識しておいてほしいなーって」
要するに、ギャルは征十郎を殺すに値する動機があればいいと言っているのだ。
従来の刑務に加えて、征十郎はこの島で何度かギャルに剣を向けている。
それだけでも十分な殺害動機にはなるのは承知の上で、彼女が言うのはそういうことではないのだろう。
「分からん。私とお前は今日初めて会った。
他にどんな因縁があるというのだ」
所詮は狂人の戯言だ。
そう考えつつも、ふとした興味が生まれ、征十郎は会話のボールを投げ返す。
ボールをキャッチしたギャルは、待ってましたとばかりに三日月を描くように口の端を吊り上げ。
「"山折村発、中津川行き最終バス"」
「……………………」
冷たい風が吹きつけるような錯覚を覚えた。
征十郎の手が僅かに震えた。
それは、もう存在しない路線だ。
27年前に山折村の滅亡と共に廃止された路線だ。
「ぷっ、めっちゃ心当たりあんじゃん。
"八柳の名に誓って、必ず助けに来る"だっけ?」
征十郎の動揺をめざとく察したギャルは、けらけらと、心の底から楽しげに笑う。
「さて、あらためてご挨拶しとこっか」
繋がりを再確認したをギャルは、いたずらな笑みを浮かべて、名を呼んだ。
「おひさー、"八柳"クン?
27年ぶり? 元気してた?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
471
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:35:57 ID:UIGZYa2s0
征十郎が10歳を迎えた夏休み。
アメリカでは夏休みは6月に始まるのだが、その長期休暇を使って母の故郷、山折村に里帰りしていた。
その帰路にて起きた、大地震。
山折村と外界を繋ぐ唯一の道――新山南トンネルを襲った崩落事故。
直前にすれ違った山折村に向かうバスも、
征十郎が乗っていた山折村から出ていくバスも直撃し、多くの死傷者を出す。
運転席のすぐ後ろに乗っていた征十郎は、隣にいた母に手を引かれて命からがら脱出に成功した。
その一方で、何人かの顔馴染みが土砂に押しつぶされ、還らぬ人となった。
暗闇の中、崩落した土砂の向こうから聞こえてきた声は今も覚えている。
『誰か……誰か、いませんか!?』
『お願い助けて! 友達が、岩に挟まれているんです!』
『意識はある……!
けれど私の力じゃ、どうやっても持ち上げられない……。動かせない……!』
『彼女は私の恩人なんです!
間違いだらけだった私の手を取って、私はこの世界で生き続けていいんだって教えてくれた、恩人なんです!』
『彼女を失うなんて、考えられない……。私は、この命をかけてでも彼女を救いたい!
だから、お願いです! 手を貸してください!』
暗闇の中、たとえ大人であっても、素手でどれだけあるかも分からない土砂を取り除けるわけがない。
ましてや十歳の子供に何ができるようか。
それなのに。
――絶対に助ける!
――八柳の名に誓って、必ず助ける!
助けを求める人たちに寄り添い、彼らの力となる。
ヒーローになるのだと。
そうあるべきだと、昂揚のままに、言ってしまった。
『ありがとう……!』
暗闇の瓦礫の向こうから届く声。
絶望の中、一筋の希望を掴んだような声。
山折村を襲った惨劇。
大地震に端を発した、未曽有の生物災害。
記録において、その生存者はゼロ。
生物災害に巻き込まれる直前にトンネルから脱出した征十郎たちが、最後の生存者だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
472
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:38:21 ID:UIGZYa2s0
「めっちゃビビってんじゃん。ウケる」
ギャルは征十郎の動揺を目の当たりにして、けらけらとせせら笑う。
27年前に交わした無責任な約束は、楔のように征十郎の心の奥底に刺さっていた。
もはや色褪せた出来事ながら、それはときおり顔を覗かせ、罪悪感を刺激する。
征十郎は山折村の生物災害を逃れ、村の全滅を知り、失意のままアメリカへと戻った。
親しい村人の全滅と、助けを求める誰かを自分が見捨てたという無力感に苛まれるだけの日々を過ごした。
見かねた母親に持たされたのは一振りの棒切れ。
棒を振ることに集中していれば、その間だけ雑念から逃れられるような気がした。
一連の出来事は、征十郎が剣士の道を進むターニングポイントだった。
英雄崩れとなり、人斬りにまで落ちる確かな分岐点だった。
「ルーさんが征タンの使ってる剣術のことを知っててさ。八柳新陰流だっけ?」
八柳新陰流。今や血に塗れた呪われた剣技。時代錯誤の殺人剣。
世界で最も有名な流派だ。
八柳新陰流の名は世界中に轟いている。
「あーしさ〜、名前は聞いたことあったけど、中身は全ッ然知らなくて〜」
だが、それは名高さではなく、悪名に基づくものだ。
山折村の惨劇の後、どこからともなく動画が流れ出た。
それは山折村の惨状を大衆に知らしめるため、後のGPA関係者たちによって意図的に流されたものだが、
八柳新陰流の剣士たちの蛮行がその日、意図せずして全世界に広まった。
開祖は校舎に侵入して同年代の子供たちを親もろとも鏖殺し。
狂気の笑みを浮かべた極道が嬉々として身内を斬り殺し。
流派一の実力者が村人の百人斬りを達成する。
八柳という家名の誇りと、八柳新陰流の威信を地の底まで堕とすには十分だった。
いつしか、八柳新陰流は禁忌の剣技となり。
その開祖の姓である『八柳』も、忌み名とされて日本のあらゆる家系図から消されていった。
「征タンが"八柳"だったとか、さっきまでマジで知らんかったし。
何も気付かずに爆(や)るところだったわ。ゴメンねっ?」
今や八柳新陰流を受け継ぐものはごくわずか。
主だった使い手は27年前、山折村の悲劇で死に絶えた。
わずかな生き残りは、ある者は門派が引き起こした惨状を忌むように刀を折り、
またある者は新興のカルト宗教に攫われて消息を絶つ。
現代において、八柳流の剣士というのは片手で数えられるほどしか存在していない。
しかし、ギャルは征十郎が八柳新陰流の使い手だと知ったとき、あのときトンネルの向こうで声をかけた本人だと、そう悟った。
それはひどく曖昧で、勘に基づく根拠のないものだったが、確信があった。
なぜなら。
「あーし八柳サンの顔知っててさ、関係者って知って、面影とかでなんとなーく分かったんだよね。
なんせ、7年くらいあそこにいたんだから」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
473
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:40:22 ID:UIGZYa2s0
「やっぱ助け、来ないよね……」
ギャル友の親友、その弱弱しい言葉がタチアナの耳にかろうじて届く。
暗闇の中、刻一刻とその命は失われていく。
「目、めっちゃぼやけてきた……。ま、暗いし見えんしおんなじか……」
新山南トンネル。
山折村と外界を繋ぐ唯一の出入り口。
一切の光が遮断され、黒く塗りつぶされた世界。
僅かに聞こえていたうめき声は一つまた一つ消えていき、今や生きているのは自分と隣の友人だけだ。
土砂をかきわける手からは、夥しい量の血が流れだし、外界と坑内を塞いでいる土砂へと染みこんでいく。
"キャプテン"のあだ名で親しまれていたクラスの中心人物。
先日のテロで衆目をすべてしょい込み、今は山折村で療養している学友だ。
タチアナは"国外追放・再入国禁止"の処分が確定する前に、別れのために親友と共に彼を訪ねた。
その帰り際、日本の中部地方を中心に起きた大地震は、タチアナたちも容赦なく巻き込んだ。
「あーしさ、学校がテロられてからさ。
いつ死んでも後悔しないように生きよう……って、決めたのよ」
日本の平和な学校を襲撃し、救いを求める信徒たちの存在を神へと知らしめる聖戦。
とあるテロ組織の尖兵――コードネーム"ギャル"。
爆発物の扱いに秀でた彼女は、日本の交換留学制度を悪用し、本来の学生の替え玉となって日本に入国した。
一年間学生生活を送り、その締めとして聖戦の手引きをするために、"内通者"として送り込まれた"毒"であった。
隣に倒れているのは、そうとは知らずに彼女を学友として迎え入れてくれた一人だ。
日本の"文化"をタチアナに叩き込んでくれた、かけがえのない親友だ。
「後悔はないけど、未練は山ほどあるんだよね……。
やりたいことって山ほど出てくるからさ……。
これで終わりだなんて、悔しいなあ」
タチアナには未練と後悔しかない。
"交換留学生"として偽りの学生生活を送る日々。
そこには、"人"の生活があった。
血に塗れた兵士としての日常ではなく、切望していた平和な日常があった。
組織から与えられた"ギャル"というコードネームは、若い女性という意味しかない。
替えの利く、使い捨ての戦士の女という意味しか持たない。
組織にとって、末端の戦士などそれ以上でも以下でもない。
そんな彼女に差し込まれた日本国の"ギャル"という概念。
――えっ? ギャルって何かって? んー、自由と可愛さと自分らしさの最先端?
――てかアンタさあ、そんなに気になるなら自分もやってみりゃいいじゃん!
――ガチガチに気張ってたら人生つらいっしょ。チルしようぜ〜?
――よっしゃ決めた、今度の休み、予定空いてる? 空いてるよね絶対!
――あーしたちが日本のカルチャーがっつり叩き込んで、日本離れたくない〜って言わせてやるから!
――おっ、キャプテン! 来週の休み明け、マジ楽しみにしてて。この子がついに日本デビューしちゃうからさ!
その生き方はタチアナの価値観を根本からひっくり返した。
娯楽に飢え、神に祈り、死をもたらし、制裁に怯える日々。
顔も知らない誰かと、景色も知らない"故郷"のために自分を押し殺してきた彼女にとって、その日々は"劇毒"だった。
アルヴドをはじめとする同志にはいくらか違和感を持たれていただろう。
信じるべき神がありながら、異教徒の文化に嫌悪も見せずに接触できる変わり者と見られていただろう。
そんな奇異の目を知りながら、憧憬は止まらなかった。
価値観が塗り替えられていく。
組織の尖兵は日に日に平和へと染まっていく。
そして、夢の醒める日が迫っていることに怯えた。
ああ、聖戦の日が来なかったらよかったのに。
永遠にこの毎日が続いたらよかったのに。
そして、魔が差した。
474
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:42:25 ID:UIGZYa2s0
聖戦の日、タチアナはクラスメイトに計画のすべてを打ち明けた。
日本に来る前には考えもしなかった未来に、目がくらんだ。
見知らぬ子供たちの未来よりも、彼女は自分の未来を選んだのだ。
組織の仲間を彼女は捨てた。
裏切りが露見しないように、"キャプテン"たち学友に手を汚させた。
生き残って連行されていくアルヴドを物陰から覗いたとき、言い知れない寂寥を感じ、彼を直視できなかった。
その魂が抜けたような呆然とした姿を目に映すことはできなかった。
「なあ、アンタはあーしの分まで生きなよ。
生きてりゃ絶対、楽しいことがいっぱい待ってるから、な。
それでさ、向こうで教えてよ。聞くの楽しみにしてるからさ」
今しがた、親友が"天井の崩落から自分を庇って"、命を落とそうとしている。
タチアナは仲間を裏切り、他人の人生を奪い、彼らの青春を啜って生き永らえる罪人だ。
「ね、返事くらいしてよ……」
弱弱しくなる声に対して、タチアナは声をかけられなかった。
彼女に何を言えばいいのかは分からなかったから。
自分は神を棄てた裏切者で、相手は神に縛られない自由の最先端を行く人間で。
そんな人間の死を前にして、何と言葉をかければいいのか。
しょうがないやつだな、と呆れるような力無い笑い声が耳に届く。
それきりだった。
坑内に沈黙の帳が降りた。
そのあと、自分が何を考えたのか。
もう覚えてはいない。
その後に襲い掛かってきた、ただならぬ異変にすべて思考を押し流されたのだ。
それは、白い澄み切った光だった。
美しく、神聖で、神の恩寵を思わせるような白い光だった。
容赦なく悪を浄化する、清廉潔白で底冷えのする光だった。
光は世界を侵食するようにゆっくりと迫りくる。
やがてそれがタチアナをも呑みこもうとしたその時、不意に彼女の眼前で光が止まった。
冷たい輝きは噓のように消え去り、入れ替わるように現れてあたりを吞み込んだのは白く濁った光だった。
この世のものとは思えない光の中で、事切れていたはずの親友が立ち上がった。
笑顔を浮かべて、困惑するタチアナの手を引いて、いつの間にか通じていたトンネルの外へと駆けだしていく。
そこは呪われた聖地。
子供たちの永遠の楽園。
決して朽ちず、決して老いず、決して死なず。
来る日も来る日も同じ毎日が繰り返される、刻の止まった村。
山折村にて生じた生物災害。
その生き残りが願いを叶える聖杯に、永遠を願った。
聖杯から溢れ出た冷たい光は、願った本人の命をも糧にし、その願いを聞き入れた。
聖杯からあふれ出した白く濁った領域は、無限の強度を持った空間領域だ。
永遠なる神の空間、その生誕の瞬間に、タチアナは立ち会ったのだ。
ようこそ、山折村へ。
タチアナは、永遠に組み込まれた。
タチアナはもう、歳をとらない。
■
475
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:42:57 ID:UIGZYa2s0
風は温かく、空に雲がうっすらと流れていた。
どこからか焼きトウモロコシの香ばしい匂いが漂い、太鼓の音がどん、どん、どん、と響いてくる。
「タチアナっち! まだ準備してないの?」
聞きなれた声が飛び込んでくる。
「もうお祭り始まっちゃうよ!」
親友が迎えに来たのだ。
赤い模様で彩られた白い着物が、彼女の茶色い地肌に映えている。
「今日は年に一回のお祭りなんだから」
タチアナは慌てて履物に足を通す。
そうして急いであばら家を出た。
村一番の大屋敷を通り過ぎると、徐々に人が増えて明かりが灯り。
村の中央通りから神社に向かう大通りの両脇には様々な屋台が立ち並ぶ。
すれ違う村人たちはみんな笑顔だ。
あちらの屋台には御守りが吊り下げられ。
そちらの屋台は射的だろう、お面がずらりと飾られている。
向こうの屋台は金魚すくいか、ぴちぴちと跳ねるそれを必死に掬おうと女の子が悪戦苦闘している。
神社では、紅白の衣装を纏った巫女が美しい舞を繰り広げ。
親子三人が楽しげに歌い踊り。
大人たちが笑顔で若者たちを祝福する。
日は落ちて、夜空に星が煌めき。
提灯が夜空を美しく照らし。
桔梗と沈丁花が咲き乱れる長い神社坂を、親友と共に下っていく。
また明日も楽しもうねと約束して、一日を終える。
■
476
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:43:30 ID:UIGZYa2s0
風は温かく、白い空に雲がうっすらと流れていた。
どこからか焼きトウモロコシの香ばしい匂いが漂い、太鼓の音がどん、どん、どん、と響いてくる。
「タチアナっち! まだ準備してないの?」
聞きなれた言葉が飛び込んでくる。
「もうお祭り始まっちゃうよ!」
親友が迎えに来たのだ。
赤い模様で彩られた白い装束が、彼女の茶色い肌に映えている。
「今日は年に一回のお祭りなんだから」
タチアナは慌てて履物に足を通すが、紐が切れて慌てて別の靴に履き直す。
そうして急いであばら家を出た。
薄暗い村一番の大屋敷を通り過ぎると、徐々に人が増えて明かりが灯り。
村の中央通りから神社に向かう大通りの両脇には様々な屋台が立ち並ぶ。
すれ違う村人たちはみんな一様に笑顔だ。
あちらの屋台には何やらよく分からない御守りが吊り下げられ。
そちらの屋台は射的だろうか、顔のお面がずらりと飾られている。
向こうの屋台は金魚すくいか、ぴちぴちと跳ねるそれを必死に掬おうと女の子が悪戦苦闘している。
神社では、紅白の衣装を纏った巫女が美しい舞を繰り広げ。
男と女と幼い女の子一人が楽しげに歌い踊り。
大人たちが笑顔で若者たちを祝福する。
日は落ちて、夜空に作り物のように美しい星が煌めき。
緑の提灯が白い夜空を美しく照らし。
山折村の象徴花である桔梗と沈丁花が咲き乱れる長い神社坂を、親友と共に下っていく。
また明日も楽しもうねと約束して、一日を終える。
■
477
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:44:08 ID:UIGZYa2s0
風は生温かく、白く濁った空に雲がうっすらと流れていた。
どこからか焼きトウモロコシの香ばしい匂いが漂い、太鼓の音がどん、どん、どん、と響いてくる。
「タチアナっち! まだ準備してないの?」
聞きなれた台詞が飛び込んでくる。
「もうお祭り始まっちゃうよ!」
親友が"お迎え"に来たのだ。
赤い模様で彩られた白い装束が、彼女の土色の肌を彩る。
タチアナは慌てて下駄に足を通すが、鼻緒が切れて慌てて別の靴に履き直す。
そうして急かされるようにあばら家を出た。
薄暗く朽ち果てた村一番の大屋敷を通り過ぎると、徐々に人影が増えてぼんやりと淡い光が灯り。
村の中央通りから神社に向かう大通りの両脇には様々な屋台が立ち並ぶ。
すれ違う村人たちはみんな一様に笑顔を貼り付けている。
あちらの屋台には村人の名前が書かれた"御守り"が吊り下げられ。
そちらの屋台は射的だろうか、人間の"笑顔"だけがずらりと飾られている。
向こうの屋台は、ぴちぴちと跳ねる赤くてぬるぬるした何かを必死に掬おうと、胸に穴の開いた女の子が悪戦苦闘している。
神社では、血染めの衣装を纏った巫女が剣舞を繰り広げ。
男と女が首のない少女と楽しげに歌い踊り。
大人たちが生気のない笑顔で祝福を演じる。
作り物の太陽は落ちて、作り物の夜空に作り物の星が煌めき。
永遠をあらわす緑の提灯が白い夜空を美しく照らし。
枯れ果てた夾竹桃の上に継ぎ足された桔梗と沈丁花が咲き乱れる長い神社坂を、親友と共に下っていく。
また明日も楽しもうねと約束して、一日を終えようとして。
地面が揺れた。
あの大地震のように、大地が再び揺れた。
世界が変わるのだと直感的に理解した。
立っていられないほどの揺れが二人を襲い、石壁が崩れて友の頭を砕いた。
■
478
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:45:32 ID:UIGZYa2s0
「タチ■ナっち! まだ準備してないの?」
聞くはずのない台詞が飛び込んでくる。
「もうお■■始まっちゃうよ!」
親友だったものが迎えに来たのだ。
赤い模様で彩られた白い装束。土色の肌。にこやかな笑顔。
そして、繋ぎ合わされた肉片で象られた顔。
それはじゅくじゅくと絡み合い、少しずつ元の端正な姿を取り戻すように再生していた。
タチアナは恐怖に追い立てられる。
足を取られて尻もちをついた。
それに連動するように、親友だったものの首ががくんと下に傾いた。
笑顔の仮面を着けた操り人形のようなその様態は、楽しい夢から覚めるには十分だった。
「はやくしようよ〜。お■■、終わっちゃうよ?
楽しいこと、きっといっぱい待ってるよ?」
村の景色に違和感を覚えたのは、一体いつからだったのだろう。
耳に馴染んでいた親友の言葉が不気味に思えたのは、何がきっかけだったのだろう。
タチアナは無我夢中であばら家を飛び出した。
通りには、いつもと同じく"村人"がいた。
知っているとおりに歩き、知っているとおりに笑い、知っているとおりに同じ屋台を覗き込む。
いつも通り、彼らは皆刃物で切り裂かれたかのように首や胴が繋がっておらず、それを白い糸のようなもので強引につなぎ合わせていた。
そして、昨晩の地震で倒壊していた家屋や倒木は、意志を持っているように再生していく。
村一番の大屋敷だけが、倒壊したまま放置されていた。
どこからか焼きトウモロコシの香ばしい匂いが血の臭いと共に漂う。
どこからともなく太鼓の音がドン、ドン、ドンと響いてくる。
誰も死なず、何も変わらない。
ここは永遠。
永遠を装った無間の地獄。
風がざあっと吹いた。
緑の提灯が揺らめき、村全体がざわめいた。
突然、周囲の村人たちが、一斉にぐるんと振り向いた。
虚ろな目がくにゃりと歪んで、笑顔でタチアナを見つめていた。
それを見ると。
ずっとこの村にいたいと思った。
――逃げなきゃ。
――今すぐ逃げなきゃ。
そうしなければ、きっとまた永遠に組み込まれる。
民家を抜け、バス停を抜け、新山南トンネルへと走り抜ける。
塞がっていたはずのトンネルは通じていた。
トンネルの周囲には夾竹桃が咲き乱れ、逃げ出す彼女を裏切り者だと非難しているようだった。
友人の幻影が引き留めてくる。
楽しげに笑う自分の幻影が手を引いてくる。
それを振り切って、タチアナはトンネルに飛び込み、白い光のアーチをくぐり抜けていった。
■
479
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:46:29 ID:UIGZYa2s0
月の光がタチアナを照らしていた。
そこは、月明かりに照らされた山道だった。
太鼓の音も聞こえず、焼きとうもろこしの甘い匂いもない。
虫の鳴き声と、落ち葉の匂いがした。
村の"空気"はどこにもなかった。
あの"白い空"ではない、本当の空だった。
小さな町でささやかな幸せに満ちた暮らしを送った。
戦士として神に祈り戦い続ける過酷な日々を送った。
学生としての仲間達に囲まれた楽しい毎日を送った。
罪人となり犠牲者への贖罪の日々を送るはずだった。
村人となり永遠の歯車に組み込まれた日々を送った。
そのどれも続かずに、今また独りで彷徨っている。
結局、人間は容易く移ろい変わっていくワガママな生き物だ。
あれほど望んだ穏やかな日々が、今は耐えがたくなっていた。
「……永遠に囚われるくらいなら」
――短くても自由でスリルに満ちた毎日のほうがいい。
迎え入れてくれた世界は血と暴力の臭いに満ちていた。
けれど、それすらも懐かしい。
"聖戦"も"交換留学生"も、もう何十年も遠い昔の話に思える。
絶対のものだと思っていた価値観は、決して不変ではなかった。
取り巻く環境が一昼夜で反転することなんて珍しくもなんともなかった。
暴力で覆ることもあれば、平和で覆ることもある。
人為的な理由で覆ることもあれば、自然的な災害によって覆ることもある。
超自然的な現象によって打ち破られることだってある。
だから、一つのものに固執する意味なんてない。
人は変わる。
価値観は変わる。
変わっていい、うつろっていい。
過去に囚われるよりも今を生きよう。
未来を見るより今を見よう。
太く楽しくせいいっぱい、それで死ぬならそれまでだ。
この考えとて、明日になれば変わっているかもしれないが。
自分はあの大地震の日、トンネルの中で死んでいたはずの人間。
それがもう一度生を得られただけのこと。
だったら、もう後悔しないように全力で生きよう。
もしかしたら、タチアナは既に暗いトンネルの中で死んでいて、村に囚われていて。
ここにいるのはタチアナの記憶だけを持ったナニカなのかもしれないという考えが浮かんだ。
けれど、それは答えの出しようがないことだ。
それなら、自分をどう定義するかのほうが大切である。
■
バチっとアイライナーを引き、リップスティックをひねり上げて。
金髪に染めた髪をまとめあげて、小物をさりげなくアピールし。
ショート丈に仕立て直したブレザーに袖を通してタイトなスカートに身を包み。
その仕上がりは、7年前よりちょっと大人。
「久しぶりだけど、キマってる」
それは、誰よりもこの世界を楽しむためのファッションだ。
自由で、自分らしく、世界の最先端で線香花火のように輝こう。
「うんうん、アガ↑ってきたね☆」
横浜ドーム。
ヤマオリ・カルト欧州本部。
東欧の紛争地帯。
開闢を迎えた直後から、ギャルの装いをした爆弾魔が、世界中で目撃されるようになる。
山折村から現れたその女は直ちに手配され、治安組織やヤマオリ・カルト、裏社会の殺し屋たちと戦いを繰り広げていく。
名はギャル・ギュネス・ギョローレン。
その名の通り、"ギャル"である彼女は。
誰にも知られていない山折村最初の探索隊であり、表には知られていない最初の探索隊生還者である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
480
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:50:58 ID:UIGZYa2s0
「一つ聞くが、お前と一緒にいた友人も生きているのか?」
「いんや? あの子はあのまま死んだよ。
ほかの子も、み〜んな村で征タンの同門にバッサリいかれたっぽい。
身体も魂も、今もどこかをさまよってるんじゃないかな。永遠にさ」
その目は笑っていなかった。
その含みのある言葉には、普段の軽薄な調子とは一線を画す、怖気の走る凄みがあった。
「私とお前の間には確かに因縁が横たわっていたらしい。
幼い時分の過ちとはいえ、恨まれるに足る理由はあるということか。
だが、だからと言って手加減などせんぞ?」
「ん〜? あのとき征タンが助けてくれてたら、永遠の十七歳は生まれなかったかもしれないのに〜?」
「ほざくな。仮に因果関係があるとして、外道を選んだのはお前だろう?」
過去の過ちは消せなくとも、ギャルの所業すべてが征十郎に起因するわけではない。
殺戮に明け暮れてきたのはギャルだ。沙姫を殺したのはギャルだ。
征十郎は幼少のころ、ほぼ同年代の友人から噂を聞いたことがある。
曰く、山折村には人を恨み、災厄を外へと広げようとする悪神がいるのだと。
目の前にいる不老の怪人は、山折村が吐き出した災厄なのではないかとすら思えた。
「仮にもし、私の未熟さがお前を作り上げたというのなら、
私がこの手で責任をもって始末を付けねばならん」
剣を取った先に何があるのか。
征十郎は思い返す。
八柳新陰流の門下生たち。
"強きを挫き弱きを助ける"を体現するような、村のヒーローが、世間から罵倒されるような悪党だとは思えなかった。
けれども彼らが多くの村人たちを斬り殺したのは事実で。
ただただ、あのときの皆が何を考えていたのかを知っておきたかった。
彼らのように剣を極めていけば、その境地に至れるんじゃないかと思った。
八柳新陰流の極限に至ることを至上命題とし、道をひた走り。
宿敵を斬り殺し、アビスに堕ちるほどの悪党に成り下がっても、征十郎は未だ答えにたどり着かない。
――――違ったのか?
――――この剣は、過去を追いかけるためではなく、過去を清算し、決別するためのものだったのか?
自分一人でも、あの日の八柳の物語を理解する。
それが使命だと言い聞かせていたが。
そうではなかったのだとしたら。
「おっ、なんかいい感じの顔してんじゃん征タン♪」
眼光の鋭さを増す征十郎に対して、ギャルはその笑みを深めていく。
「あーしだって、別に年がら年中恨んでないっての。なんならほぼ忘れかけてたし?
でも、楽しむチャンスは見逃さない。
溜まってたモノ全部ぶちまけて、最後にドカーーーン☆って吹っ飛ばすの。あれマジ快感よ☆
アンちゃんともそうやってスッキリ終われたんだよね〜♪」
自分の怨恨や因縁を、スリルを楽しむための起爆剤にする。
過去を乗り越えるためでも、未来への礎にするためでもない。
ただ、今を楽しむためだけに過去の関係性を焚き木にくべる。
自分の過去も未来も投げ打った、刹那的で破滅的な行動原理だ。
けれど、ギャルは恩赦を求めない。
死刑囚として、今日死ぬことを決めている。
だから、躊躇せず全部燃え上がらせる。
旧きも新しきも全部焚き木にくべて、盛大に命を燃やすのだ。
それは、アビスの底でおこなわれる彼女しかできない終活なのである。
481
:
色褪せた昔話
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:53:08 ID:UIGZYa2s0
「さて、そろそろ昔話は終わりにしよっか」
ギャルが指をピンと弾く。
その瞬間、ブラックペンタゴンの通用門が爆発した。
門の外側の庇が爆発で崩れ落ち、両開きの扉を歪ませる。
すでに仕掛けてあった血瓶で、入り口を一つ塞いだのだ。
征十郎をここから逃がさないという表明であり、これからブラックペンタゴンにいる受刑者を全員狩るという意思表示である。
入り口が塞がれた、暗く黒く冷たい空間は、どこかあの時の坑内を思わせる気がした。
「こういうとき、お互いに名乗り合うらしいよ?
征タン、名乗りをあげてみてよ」
「――――八柳流皆伝。征十郎・ハチヤナギ・クラーク」
「――――あっは、そうそう、そんな感じ。あーしは……」
ふと、言葉に迷う。
気分がアガってきた。それなら、色褪せていた名前をあげてみてもいいか、と。
「タチアナ。タチアナって言うんだよ。
さっ、爆(や)り合おっ♪」
記憶の隅で色褪せていた話の続きが数十年ぶりに紡がれる。
あの日あの場所にいた二人が、アビスの底で再会する。
結実しなかった青春の燃え残りが黒い煙をあげてもう一度燃え始める。
ああ、今日は。
とてもいい日だ。
【D–4/ブラックペンタゴン北西ブロック外側・集荷エリア/一日目・朝】
【ギャル・ギュネス・ギョローレン】
[状態]:疲労(小)、キラキラ
[道具]:学生服(ブレザー)、注射器、血液入りの小瓶×12
[恩赦P]:114pt
[方針]
基本.どかーんと、やっちゃおっ☆
1.悔いなく死ねるくらいに、思いっきり暴れる。
2.もうちょい小瓶足しといたほうがいいかもねー。
※刑務開始前にジョーカーになることを打診されましたが、蹴っています。
※ジョーカー打診の際にこの刑務の目的を聞いていますが、それを他の受刑者に話した際には相応のペナルティを被るようです。
※小瓶1セット - 5P
ほかに何か購入しているかはお任せします
【征十郎・H・クラーク】
[状態]:健康
[道具]:日本刀
[恩赦P]:80pt
[方針]
基本.強者との戦いの為この剣を振るう。
1.ギャルを討つ
2.ルーサーは二度と会いたく無い
※食料(1食) - 10P
ほかに何か購入しているかはお任せします
482
:
◆TApKvZWWCg
:2025/06/16(月) 20:58:28 ID:UIGZYa2s0
投下終了します。
作中に説明をいれていますが、
征十郎の生い立ちの一部やトンネル内以降のパートに共通世界のオリロワZの世界観を使用しています(主に134話ラストシーン)
他は新設のバックグラウンドおよびA過去作を元としています。
483
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/16(月) 22:44:32 ID:I2kSOfdA0
投下乙です
>色褪せた昔話
沙姫を巡る因縁の対決、かと思いきやそれどころの因縁じゃなかった
あの山折村で一瞬とはいえ直接的な接点があったとは、Zの裏でそんなことがあったとはあまりにも予想外すぎる
メアリーの回想で山折村を訪れてた話があったけど、どんな繋がりがあるのかと思ってたけど、まさかあのネバーランドにとらわれてたとはね、あそこから逃れられた人間がいたことにもビックリよ
アルヴドと面識どころか、同じテロ組織にいたってのも、ギャルの人生もかなり紆余曲折あるな
小さな村で生まれたマイナー剣術である八柳流を何で沙姫も知ってるんだろうと思ったけど、八柳の爺さんのせいで八柳流の悪名が知れ渡ってるのは残当
出身の征十郎は元より、かなりの山折村と因縁の深い2人の対決になったね、ブラペンそこいらじゅうで戦闘が同時多発しすぎている
484
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:24:16 ID:fnl4WnZ.0
投下します
485
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:24:58 ID:fnl4WnZ.0
脱獄王の異名を持つ男、トビ・トンプソンは今、この刑務作業において最大級の謎を秘めた施設、ブラックペンタゴンの2階フロアへと足を踏み入れていた。
鋼鉄とコンクリートが折り重なる階段を駆け上がった直後、彼は肺に入り込む空気の質が変わったことに気づく。
階下の紫色の瘴気に満ちた空間とは打って変わり、この階には乾いた澄んだ空気が満ちており、鉄とコンクリートの無機質な匂いが漂っていた。
皮膚にまとわりついていた毒の重みがようやく剥がれ落ちたかのような錯覚を覚える。
一歩踏み入れた瞬間、空調は快適に保たれており、室温も一定に保たれていた。
この空間が長期滞在を前提に設計されていることが、空気から伝わってくる。
だが、彼は決して安堵などしない。
むしろここからが本番であることを、彼はよく理解していた。
トビには、エンダ・Y・カクレヤマとの間に交わした密約がある。
階段を塞いでいた門番『ネオシアン・ボクス』のチャンピオン、エルビス・エルブランデスの足止め。
その役目をエンダが引き受けた代わりに、トビはこのブラックペンタゴンの上層階の調査と検分を任されたのだ。
この異常な建造物に隠された秘密を、脱獄王の目で見極める。
それが彼に課された役割であり、同時にトビ自身が望んだ仕事でもあった。
さらに、そのついでにもう一つ依頼されたのがヤミナ・ハイドという女の回収。
名前に聞き覚えはないが、エンダの同盟者である以上、単なる小悪党で済まされない可能性がある。
調査のついでではあるが、見つけたら回収する必要はあるだろう。
そしてトビには、もう一つ、別の目的があった。
もしこの階に警備室や監視設備が存在するなら、あの場に残してきた協力者、ヨツハの安否を確認したい。
電子ロックを解除し逃走の手引きはしたが、あのエルビス相手に無傷で逃れられたとは到底思えない。
最悪の場合も想定してはいるが、それならそれで次の行動方針を決めるためにも生死確認だけはしておきたかった。
まずは、フロアの全体構造を把握する所からだ。
声には出さず、唇の裏で小さく転がしたその言葉を胸に、彼はフロアに視線を巡らせた。
階段の踊り場、やや奥まった壁面に取り付けられた案内板が目に入る。
無骨な金属板に、白い文字で記された各区画の構成。
その記述を、トビは慎重に目で追っていく。
■ ブラックペンタゴン2F:施設案内
◆ 北東ブロック
外周部:仮眠室|中層部:更衣室(ト)|内側部:共用シャワー室
◆ 北西ブロック
外周部:上り階段|中層部:警備室|内側部:屋内放送室
◆ 南東ブロック
外周部:食料保管庫|中層部:調理室|内側部:食堂(ト)
◆ 南西ブロック(現在地)
外周部:ロッカー室|中層部:洗濯室(ト)|内側部:下り階段
◆ 南ブロック
外周部:健康モニタリング室|中層部:医務室|内側部:診察室
※(ト)=トイレ
■
案内板に記された施設構成は、1階以上に監獄らしくないもので埋め尽くされていた。
休息、食事、医療――ブロックごとに生活機能が割り振られており、明確な特色が感じ取れる。
「……まるで、宿泊施設だな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
これはもはや、懲罰や闘争のための空間ではない。
仮設の居住区か、あるいは有事に備えた避難施設のような印象すら受ける。
それほどまでに、生活インフラは過不足なく整っていた。
殺し合いという過酷な刑務作業の舞台としては、明らかにミスマッチな空間だ。
だが、この構造はアビス側――ヴァイスマンをはじめとする管理者たちの手によって意図的に設計されたものだ。
であれば、その裏には何らかの思惑があるはずだ。
その思惑がなんであるかは情報もなしに決めつけはできない。
まずは、その意図を探るために、一室ずつ検分する必要があるだろう。
それが脱獄王たる己に課せられた仕事である。
2階探索の行動方針はすぐに定まった。
3階へ続く階段がある北西ブロックは最後に回し、時計回りに各ブロックを調査していく。
まずは現在地である南西ブロックから着手する。
脱獄王は階段を背に歩を進めた。
無音の廊下に、足音だけが硬く響いていく。
生活の痕跡の奥に潜む設計者の意図を炙り出すために。
486
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:25:16 ID:fnl4WnZ.0
最初に足を踏み入れたのは、中央区画に設けられた『洗濯室』だった。
無人管理型の次世代ランドリーカプセルが、壁一面にズラリと並んでいる。
その無機質な機械群は、使われるのを待っているように整然と静止していた。
だが、使用者などいないのか、汚れた洗濯物も、使いかけの備品も見当たらなかった。
機械のボディには一切の使用痕がなく、まるで新品のように磨かれている。
トビは一基のランドリーに近づき、運転パネルをタップしてみる。
タップの直後、軽やかな電子音が鳴り、ドラムが静かに回り出した。
紫外線センサーが起動し、無人洗浄モードが展開されていく。
電力は通っている。
水も正常に供給されている。
このフロアが、ただのハリボテではないことを証明していた。
続いて、洗濯室奥のトイレへと移動する。
殺風景な個室とシンクが並んでいる、全体的にやたらと無菌的で冷たい空間だった。
アビスのトイレより管理が行き届いているのではないかとすら思える。
センサー式の蛇口に手をかざせば、即座に清水が流れ出した。
無臭、ろ過済み、流量も安定している。
飲用すら可能と判断できるクオリティだ。
試しに個室に入ってレバーを試せば、滞りなく排水音が響く。
詰まりも異常もなく、排水機能は完璧に生きていた。
トビの視線が便器の奥へと向かう。
便器に水が流れると言う事は、ここには下水が通っていると言う事だ。
下水周りは脱獄ルートとして常套手段となるインフラだ。
どれだけ警備を強化しても、水の流れだけは止められない。
もしこの下水に乗ることができれば、あるいは出口にたどり着くかもしれない。
自分の超力を使えば、理論上は可能なはずだ。
もちろん、今は試すつもりはない。
ぶっつけ本番で使うにはリスクが高すぎるし、首輪の解除手段が見つかっていない以上、外に出たところで首輪が爆破されて終わりだ。
何より今はそれを試すよりも調査を優先すべき状況である。
試すにしても、もっと追い詰められたときに切るべき最終手段だろう。
無言のまま、トビはトイレを後にした。
続いて向かったのは、外周部に設置されたロッカー室。
室内に足を踏み入れると自動で点灯した照明が室内を照らし出す。
壁際には、スチール製のロッカーが整然と並び、その数は20を超える。
いずれも新品同様の磨かれたような光沢すら残っている。
試しに一つのロッカーに手をかけ、ダイヤルロックを操作する。
番号を確認しようと試すまでもなく「0000」で解錠された。
念のため別のロッカーも調べてみるが、すべて初期設定のままだった。
これは偶然ではない。
つまり、このロッカーは受刑者が使用することを前提として設置されたということだ。
内部には衣類や備品、サイズ別に仕分けされた警備員用の制服が整然と並べられている。
いずれも折り目も崩れていない未使用状態のまま整列していた。
だが、その中に、ハンガーは傾き、服が抜き取られた痕跡のあるロッカーが一つだけあった。
「……ヤミナ・ハイド、か」
この上階に足を踏み入れた受刑者は、トビを除けば現時点で一人しかいない。
彼女がこれを持ち出したと考えるのが、最も自然な結論だろう。
何を考えているのか。
それは安直に着替えに手を出したヤミナに対してもそうだし、この衣服を用意した看守側、ヴァイスマンに対する疑問でもある。
衣類は本来、恩赦ポイントで購入する報酬である。
囚人服以外の服を着るという事は、それだけ相手の警戒を煽るという事である。
何の考えもなくやっているのなら相当な考えなしだし、考えがあるのだったら意図が読めない。
そして、景品であるはず衣類がこんな自由に取得可能な状態で並べられているのはどういうことなのか。
水回りだってそうだ。ここに来るだけで有償であるはずの飲み水が飲み放題というのはいくなんでもおかしい。
刑務作業の中で本来価値を持つはずの報酬が、こうも簡単に手に入ってしまっていいのか?
刑期という最大の報酬があるにしても、景品に意味がなくなれば、恩赦制度そのものの価値が形骸化してしまう。
「何を考えてやがる、ヴァイスマン……」
トビは、小さく毒づいた。
脱獄王の眼には、こうした親切設計こそが、逆に最も不自然で危険な兆候として映っていた。
明らかに意図的な、行動を誘導する罠だ。
そこまでして、このブラックペンタゴンに参加者を留めたい意図は何だ?
警戒を露にしながら無言でロッカー室を後にするトビ。
南西ブロックの探索は、これで一区切りだ。
次なる目的地は、南ブロック。
足音を残して、彼は静かに移動を開始した。
■
487
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:25:36 ID:fnl4WnZ.0
トビ・トンプソンは次なる調査対象――南ブロックへと歩を進めていた。
このブロックは内側から順に『診断室』『医務室』『健康モニタリング室』の三部屋で構成されている。
名前だけで見る限り医療関連の設備が集約された区域のようだ。
奥から手前へと順番に進むと決めたトビは、まずフロアの最奥にあたる診断室の前に立った。
自動ドアが、かすかな駆動音を立てて開く。
一歩足を踏み入れた途端、柔らかな白色照明が部屋全体を包んだ。
清潔さを誇示するような白を基調とした、無機質な空間。
部屋の端には、診察机と医師用と患者用の二脚のチェアが互いに向かい合う形で設置されている。
まるで、20年前の標準的な医療設備をそのまま保存したような部屋だった。
机の上には聴診器、体温計、耳鏡、血圧計など、いずれも古典的な診察用具。
消毒綿の密閉ケース、未使用の使い捨てグローブまできっちり揃っている。
だが、当然ながら医師の姿はどこにもない。
トビは壁際の収納棚をざっと確認する。
だが、そこにも白衣や業務日誌といった人的痕跡は一切なかった。
備品は完璧に揃いながら、それを扱う人だけが欠けている空間と言う印象だった。
「……医者もいねえのに、どうしろってんだ」
小さくぼやいて、机の上の体温計をひとつ手に取る。
センサーが反応し、小型モニターに「36.8」という数値が表示される。
システムは生きている。それが、むしろ不気味だった。
無言のまま体温計を元の位置に戻し、診断室を出る。
廊下を折れて、次は医務室へと足を進めた。
医務室の中に入った瞬間、鼻を突くアルコール消毒液の匂いにトビは僅かに眉をひそめる。
診察ベッド、包帯、注射器、止血剤、鎮痛剤、抗菌スプレー、皮膚縫合キット。
出血や骨折に対応できる応急処置器具が一通りそろっている。
流石に最新の医療機器は見当たらないが、それでもこの空間には最低限の治療道具が揃っていた。
トビは棚に並んだ備品を一瞥しながら思案する。
これらの医療品は、本来なら恩赦ポイントを支払い取得する「報酬アイテム」であるはずだ。
だが、ここではそれらが無償で、しかも無制限に取得可能な状態で置かれている。
南西ブロックのロッカー室で確認した制服や整備された水道設備。
そして、この医療資源。
この施設は、報酬制度を崩壊させかねない過剰なサービスで満ちている。
ここに留まらせようとしていると言う仮説が、じわりと現実味を帯びてきていた。
次いで、このブロック最後の部屋、健康モニタリング室へと向かう。
部屋の名称だけでは設備の用途が掴みづらい部屋である。
扉が開くと、中央に円形の操作卓と複数のモニターが配置された空間が現れた。
一見して監視室のような雰囲気だが、どちらかと言うと医療設備のような静謐な雰囲気が漂っている。
トビは操作卓に近づき、試しにコンソールに触れる。
パスコード入力などは一切なく、システムは即座に立ち上がった。
画面が切り替わり、各種データが表示された。
一覧で羅列されるように表示されたのは、刑務作業参加者のバイタルサインだった。
脈拍、呼吸数、体温、血中酸素、筋肉反応。
つまり、全参加者の健康状態一覧がこのコンソールで確認できるようだ。
トビはリストをスクロールしてその中から、『内藤 四葉』の名を見つける。
ステータスは『生存』。
ただし、バイタルは不安定で、呼吸と脈拍が乱れており、深刻な外傷を負っていることが読み取れた。
バイタルだけでは彼女の正確な現在地や周囲状況までは把握できない。
だが、監視室で行うはずだった安否確認がここで叶ったのは、僥倖だった。
ひとまず、彼女が生存している前提で行動を継続してもよさそうだ。
トビは続けて他の受刑者データにも目を通す。
定時放送直後に更新された情報と突き合わせて、そこからの差分も確認可能だった。
放送明けから死亡ステータスに切り替わっていたのは。
イグナシオ・デザーストレ・フレスノ
ドミニカ・マリノフスキ
そして――
「…………メアリー・エバンス」
世界を塗り替える災害の如き脅威。
常識すら塗り替える天災のような存在。
その名前の横に、『死亡』の文字が表示されている。
加えて、もう一人。
ルメス=ヘインヴェラート
トビがかつて助けた、メアリーを救いたいと願った甘ちゃんの怪盗。
それがメアリーと同タイミングで死亡しているというのは因果を感じざるを得ない。
もしかしたら、彼女が命を賭して何かしたのだろうか?
今の彼には、それを確認する術はなかった。
トビは、静かにコンソールから身を離す。
時計回りの探索は、次の区画――南東ブロックへと続いていく。
■
488
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:25:51 ID:fnl4WnZ.0
次にトビが踏み入れたのは、南東ブロック。
ここは明らかに、食事に特化した区域である。
彼はまず、内側部に位置する食堂の調査から始めた。
広さは、中規模レストランに匹敵するだろうか。
白いタイル張りの床に、壁際には大型の空気清浄機と循環フィルター。
中央には長机が何列も並び、それに沿ってスチール製の椅子が整然と配置されていた。
机の上に並べられていたのは、プラスチック製のスプーン、フォーク、ナイフ。
凶器として使えないよう刑務所仕様の食器が標準装備されている。
設備の充実度は一般的な刑務所の食堂を上回っており、どこか企業の社食を思わせる。
しかし――
「……誰が料理して、誰が運ぶってんだ」
医務室と同じく中心がかけている。
トビは小さく眉をひそめ、空の椅子と整然としたテーブルを見渡した。
調理人も給仕もいない状況で、食べるためだけの空間を整備してなんになる。
受刑者がわざわざ料理をして、ここで仲良く食卓を囲むとでも思っているのか?
「……流石に、バカにしてやがる」
口に出した言葉には、苛立ちと同時に警戒が混じっていた。
だが、これが単なる悪趣味の設計ではないことを、トビは本能的に察していた。
食堂を後にし、トビは中層部の調理室へと向かう。
扉を開けた瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、病的なまでに清潔なキッチンだった。
すべてのコンロはIH式の電気制御型。
ガス管は見当たらず、火気厳禁の構造。爆発リスクを徹底的に排除している。
刑務所ならではの制限だ。
流し台、冷蔵庫、吊り棚、そして調理器具用の収納。
どれも展示品のように整然と並び、埃一つない。
棚を開けていくと、鍋、ボウル、トレー、皿などが一式揃っているが刃物類だけが完全に姿を消している。
その代わりに、スライサーやカッターなど、怪我や殺傷に繋がりにくい安全設計の道具が整列していた。
当然と言えば当然の配慮だが、ここにだけ配慮が言っているのが逆に浮いているように感じられる。
部屋の奥には、大型の冷蔵庫が設置されていた。
中を開けると、中にはリンゴ、レタス、にんじん、ミニトマトといった、明らかに新鮮な食材がぎっしりと詰まっていた。
恐らく刑務作業の開始時に補されたのだろう。色も艶も申し分ない。温度管理も完璧。傷みの兆候すらない。
トビは棚からリンゴを一つ手に取った。
艶やかで、手にずっしりとした重みがある。
警戒を解かず、ほんのひとかじり。
舌先でじっくりと感触と味を確かめ、毒の痺れを感じたら即座に吐き出せるように数秒噛みしめる
問題はなかった。
ごく普通の、シャキッとしたリンゴだった。
トビは残りを齧り、無言のまま芯まで飲み込んだ。
最後に彼は、外周部の食料保管庫を確認する。
ドアを開けた瞬間、冷気が足元に流れ込んできた。
食品の品質保持のためだろう、ここだけは明確に低温に保たれている。
棚には、保存食、缶詰、乾燥野菜、真空パックの肉類、米、小麦粉、調味料など、長期保存前提の食料がきっちりと分類・整理されて並んでいた。
それは備蓄というより、供給拠点と呼ぶべき水準だった。
トビはしゃがみこみ、棚の下部を観察する。
そこには、スライド式の搬入口ダクトが設置されていた。
下層フロアの倉庫から定期的に補充される設計であるようだ。
この空間の意図が、いよいよ露骨に浮き彫りになってきていた。
ここまでの施設に何の警戒すべき点などない。
本当に何の変哲もない生活区域だ。
だが、トビの警戒は、もはや緩むどころか、ますます研ぎ澄まされていくばかりだった。
■
489
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:26:12 ID:fnl4WnZ.0
南東ブロックを後にし、トビが次に踏み入れたのは北東ブロック。
施設案内によれば、この区画は衣食住で言うところの「住」。
すなわち生活の中核として整備されているらしい。
トビにはここが最も理解不能な区画だった。
食事や医療はまだ分かる。衣服もまあ状況によっては必要だろう。
だが、この極限状況で、ここで生活するという発想に至る人間がいるはずもない。
命を賭けた刑務作業の最中に、シャワーを浴びて、着替えて、眠る?
そんな呑気な馬鹿が、この鉄火場にいるとは思えなかった。
そう、頭の中で悪態をつきながらシャワールームのドアを開けた。
瞬間、かすかに湿った空気の残り香がトビの鼻先を撫でた。
(うそだろ……? 誰か、使った跡がありやがる)
床に目をやれば、濡れた足跡がいくつもタイルの上に残っていた。
それは乾きかけており、使用はごく最近。
足のサイズと重心の位置から見て、女性、それも軽量な人物であると判断できた。
考えるまでもなく、あてはまるのはただ一人、ヤミナだ。
「まさか……この状況で、シャワーを浴びてたのか?」
思わず、驚愕を吐き出すような声が漏れた。
今は刑務作業という名の殺し合いが繰り広げられる最中だ。
命のやりとりが当たり前に行われているこの場所で呑気にシャワーを浴びるなど、正気の沙汰とは思えない。
バカなのか、それとも、よほど大物なのか。
ここまでの軌跡を追う限りまあ前者だろうと、安易に結論付ける。
彼にしては珍しい、相手を軽く見積もる結論だった。
当然の流れであるが、足跡の導線を追っていくとそれは隣接する更衣室へと続いていた。
その流れを追ってトビは更衣室のドアを開け、慎重に中へと入る。
トビは、室内をひと目見渡す。
室内にはスチール製の棚と簡易ロッカーが整然と並び、壁際には全身鏡と簡素なベンチが設置されている。
床は滑り止め付きのゴムマット張りで、転倒防止まで考慮された作りだった。
部屋の位置関係的にシャワーを浴びて、仮眠室で眠る前に着替えるための施設だろう。
(こんな状況で、パジャマにでも着替えて眠るバカがいるってのか?)
通常であればいるはずがないと断ずるところだが、彼の中の自信が僅かに揺らぐ。
苦笑交じりに内心でツッコみながら、棚を一つひとつ確認する。
いずれも中身は空で使用された形跡はない。
だが、ひとつだけ、ハンガーの向きが不自然にズレたロッカーがあった。
(ヤミナが使った跡か。例の警備服にここで着替えでもしたか?)
脱獄王の目に狂いはない。
彼女の足跡は、確実にこの更衣室を経由していた。
念のため、足元や棚の隙間などもチェックするが、特に異常は見られなかった。
それを確認して、更衣室から続く廊下を抜け、トビは仮眠室へと足を踏み入れた。
部屋の中には、シンプルな金属製ベッドが6台。
それぞれに、真っ白なシーツと枕が丁寧にセットされていた。
全体的に清潔で、埃ひとつ見当たらない。
シーツには皺も、枕には使用の痕跡もない。
トビはどこか安心したように静かに息を吐いた。
(……さすがに寝てはいなかったか)
もし本当にこの環境で熟睡していたのなら、もはや正真正銘の大物だと思うしかなかった。
そうならなかった事に心底安心したように胸をなでおろす。
いくらなんでも、この状況で仮眠を取るほどの図太さはなかったらしい。
各ベッドの下、マットレスの隙間、枕の下なども念入りに確認していくが、隠し物や仕掛けは何も見つからなかった。
この部屋は本当に仮眠をとるためだけの空間のようだ。
シャワーで身体を清め、着替えを用意し、清潔なベッドで睡眠をとる。
施設側は、ここで人間らしい暮らしが成立することを前提に設計している。
だが、殺し合いと言う前提がある以上そんなものは成立しない。
逆に、それが成立するとしたなら?
それはどのような条件が考えられるのか。
脱獄王は僅かに考え込み、仮眠室を後にした。
そして、次は――2階最後となる北西ブロック。
警備室と屋内放送室が存在する。情報の要である。
■
490
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:26:51 ID:fnl4WnZ.0
最後の調査区画、北西ブロック。
これまで巡ってきた2階各所が生活に必要な衣食住を担っていたとすれば、
このブロックは、それらすべてを俯瞰し、管理するための情報の要所と見なすべき場所だった。
まずトビは、ブロック最奥の屋内放送室へと足を踏み入れる。
そこは小さな小部屋だったが、密度の高い機材が整然と配置されていた。
壁には防音パネル。音響調整用のスライダーが並び、
天井には吊り下げ型の放送用マイクとエコー制御システムが組み込まれている。
中央の卓上コンソールには送信スタンバイと記されたタッチパネル。
照明は落ちており、音もない。
だがその整備状況は、これまでの部屋と同様、今すぐにでも使用可能な状態だった。
今この場で放送する必要性はない
だが、念のため使い方だけは把握しておくべきだろう。
トビは一通り操作系に目を通し、手順を頭に入れる。
この放送設備は、全体放送はもちろん、1階・2階の各ブロック単位での個別送信も可能な設計になっていた。
それらの操作法を一通り頭に叩き込んでから、トビは次の目的地、警備室へ移動する。
警備室のドアを開けた瞬間、モニターの群れが視界に飛び込んできた。
壁一面を占めるディスプレイ群の大半は、すでに起動状態。
誰かが使用したまま、席を立ったような痕跡がそのまま残っている。
これまでの御多分に漏れずヤミナによるものだろう。
トビはそう察しながら無人の椅子に腰を下ろし、制御端末に手を伸ばす。
並んだモニターを順に確認する。
階段部屋、工場エリア、配電室はいずれも映像が表示されていない。
腐敗毒の残滓や、超力によってカメラが破損でもした影響だろう。
機能を喪失している可能性が高い。
一方、図書室の映像は生きてはいるが、何かが画面に覆い被さっていて様子がよく見えない。
だが、隙間から人影が動き、争っているような様子がぼんやりと確認できた。
画面を切り替える。
集荷エリア、補助電気室――ここでも明らかな戦闘の兆候があった。
爆炎が走り、影が跳ね、床を転がる人影が一瞬だけ映り込む。
さらに次の映像――物置室を映す画面に視線を移す。
そこには見覚えのある白髪の少女――エンダ・Y・カクレヤマが、ひとりの青年と共にエルビス・エルブランデスと交戦中だった。
(足止めの約定……続行中、ってわけか)
約束が守られていることに、トビは小さく頷いた。
さらに画面を切り替える。
今度はエントランスホール。
そこでは、鎧をまとった内藤四葉の姿が映し出されていた。
どうやら複数の人物と入り乱れた、三つ巴の戦闘が発生しているようだった。
「……何やってんだ、あいつ」
呆れ混じりに小さくつぶやく。
生存はモニタリング室で確認済みだが、どうやらこちらとの合流は放棄し、また別の喧嘩に首を突っ込んでいるらしい。
もっとも――こっちも、彼女を待たずにエンダと契約を交わし、独自に2階の調査を始めてしまっている以上、人のことは言えないのだが。
その戦いを最後まで見届けることなく、トビはモニターの前から立ち上がり警備室を出た。
そして2階最後の調査地点――上り階段へと向かう。
警備室から続く通路を進み、階段室に入る。
構造は、1階から上がってきたときと変わらない。
何の変哲もない鉄とコンクリートで構成された、冷たい上り路。
そこに立ち止まり、トビはふと背後を振り返る。
背後に広がるのは、ブラックペンタゴン2階の全容。
そこに広がっていたのは、あまりにも整いすぎた快適な生活のための空間だった。
トビは全体を見渡して得た結論を口にする。
「……確定だな。こりゃ罠だ」
吐き捨てるような声に滲んでいたのは呆れと、確信と、警戒。
空調、水道、電力、衛生。
衣服があり、医療があり、食料があり、警備設備まで整っている。
すべてが正常に稼働し、今すぐにでも生活できる水準で、このフロアは完璧に仕上げられていた。
衣服がある。
医療がある。
食料まである。
情報も、手に入る。
それらは本来、恩赦ポイントと引き換えに得るべき報酬だったはずだ。
だが、ここではそれらすべてが、無造作に、無料の景品のように提供されている。
これは監獄ではない。
鉄格子で閉じ込めるのではなく、自ら望んで留まるよう誘導する、柔らかな檻。
このフロアがそういう目的として設計されているのは誰の目にも明らかだった。
そして同時に、一見して誰でもそう思うくらいには、あまりにも露骨すぎる仕掛けでもある。
491
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:27:10 ID:fnl4WnZ.0
「こんな分かりやすい罠に、引っかかる奴がいるか……?」
一瞬、そう思った。
だが、すぐにその問いを自ら否定する。
極限状態にある人間にとって、最低限の快適さは命綱に等しい。
それは単なる安楽志向ではなく、水と食料、衛生、治療といったものは直接的な死活問題に繋がる。
むしろ、欲望ではなく合理として、罠と知りながらも選ばざるを得ない者もいるだろう。
生きられる場所が提供されたなら、そこに留まろうとする者がいても不思議ではない。
だが、それでもシャワー室や仮眠室まで完備された構造には別の違和感もある。
仮に誰かがここに避難してきたとして、殺し合いの真っ只中の状況で果たして本当にシャワーを浴びたり、眠ったりする者がいるのか?
……実際に、ひとり呑気に浴びていた輩がいたため、強く断言はできないのだが。
殺し合いから24時間を乗り切るための一時的な避難所でそこまで無防備を晒す者などそうはいないはずだ。
ならば、逆にこう考えることもできる。
もし、殺し合いが起きなかったとしたら、この施設も利用される可能性はある、という事だ。
この刑務作業はただ一人の生き残りを決めるデスゲームではない。
受刑者たちが恩赦を諦め争いを放棄すれば、全員で生き残る道もあるのだ。
我欲に塗れたアビス住民がそのような選択をとるのかは別にして、共存の可能性も理屈の上では存在する。
その停滞状態に備えるための用意が、ここなのではないか?
殺し合いが成立しなかった場合に備えた空間。
争いを放棄し、共存に転じた受刑者たちを集めるために用意されたもの。
その可能性を想定すれば、このフロアの過剰な設備にも一応の整合性はつく。
だが、そこで新たな疑問が生まれる。
何のために? という点である。
恩赦という報酬を提示し、受刑者に闘争を促すのがアビスの意図のはずだ。
それに反する共存者のために、快適なセーフゾーンを用意するなど、あまりに不自然で、甘すぎる話だ。
断言してもいいが、このアビスに限ってそんな事があるはずがない。
つまり――この場に受刑者を「留まらせること」た先がある。
集まった受刑者を別の用途へ誘導する何かがあると考えるべきだ。
このフロアはそのための餌場。
快適さを報酬にして、対象を一か所に集める罠。
恩赦制度の価値が揺らぐこの無償奉仕の不公平感も、罠のために仕掛けられた釣餌であることが知れれば、それを羨ましがる者はいなくなるだろう。
つまりは、この状況を知った人間が「行かなくてよかった」と心底から口にするような地獄が待っていればいい。
あるいは、それこそ一人もここから逃さなければ、情報が外に漏れることなく完全なる口封じ完了だ。
それほどの罠が待っているのかもしれない。
集めた受刑者をガスでも流して皆殺しにすると言うのはないだろう。
この殺し合いは明らかに何か目的があって行われている。
刑務官たちは受刑者をただ殺すだけなら、いくらでもできる立場にある。
奴らが重視しているのはその過程だ。
どのようなタイミング、あるいは切っ掛けでどのような罠が発動するのか。
トビが調べるべきはその仕掛けだ。
少なくともその答えはこのフロアにはないだろう。
あるとするならば、それはこの先。
トビは視線を上げる。
脱獄王の眼が、階段の先を見据える。
ブラックペンタゴン、最上階。
鉄とコンクリートに覆われたこの建物の頂き。
そこには知られざる秘密が眠っていると、目される場所である。
だが、あからさまに大事な物がここにございます、という場所に本当に大事な物を置くバカはいない。
しかし、それでもそこに何かあるとトビは確信していた。
トビが焦点を合わせるべきは、これを仕掛けたヴァイスマンの思考。
この階層が餌だと分かっていても餓えている者には無視できな場所であるように。
罠だと分かっていても避けられないのが本当に狡猾な罠だ。
闘争を望む者には1階を。
安息を望む者には2階を。
そして、真実を望む者には3階を。
この先に、無視できない程に重要な物を本当に置いているのが一番性格悪い。
脱獄王は足を踏み出す。
ブラックペンタゴン3階。
脱獄を果たすべくその最奥に眠る全貌を暴くために。
■
492
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:27:35 ID:fnl4WnZ.0
――私、もしかして……選ばれし者なのでは?
ブラックペンタゴン3階・展示室前廊下。
ジオラマ、システムA、システムBの模型、そして中庭に浮かぶ黒い球体。
世界の真実に触れた(気になった)女、ヤミナ・ハイドは、扉の前で両手を腰に当て、誰もいない廊下に全力のドヤ顔を投げかけていた。
「ふふっ……あっはっはっはっは!!!」
誰に向けたわけでもない高笑いが、がらんどうの廊下に響き渡る。
そう、彼女は完全に調子に乗っていた。
「これはもう、主役ですわ。舞台に立つ資格、ありますわねぇ私……!」
まるで舞台女優。ふわりと一歩踏み出して、手をくるりと振り、勝者のステップ。
警備服はきちんとボタンまで留められ、どこか制服フェチ向け企業CMの一コマにでも出てきそうな清潔感があった。
もちろん、それは錯覚である。
鼻歌が漏れる。左手を水平に振って、ひとり舞台女優のカーテンコール。
このフロアの秘密も、中庭のモニュメントも、己の掌中にあると信じて疑わない。
実際、現在この秘密を知るのは『この世界』でヤミナ一人だけである。
「この情報を誰に売りつけましょうかねぇ……エンダちゃんあたり、ちょっと悔しがるかなあ? ふふっ」
展示室の扉にそっと手を触れ、陶酔混じりに撫でる。
ヤマオリ、アビス、その構造の詳細、この情報を売れば左団扇である。
写真がないのは残念だが、きっとそれでも口頭で話すだけでも多分それなりの価値にはなるに決まっている。
「いいですね、この存在感。この鍵、この仕掛け、この中にある選ばれし者の特別ゾーン……」
私は、今この瞬間、選ばれてしまったのだ。
背負わされた宿命の重さを吐き出すように、ニヒルにふぅとため息をつく。
――その時だった。
階段の下から、コツ、コツと、鉄と靴が叩き合う硬質な足音が響いてきた。
「……ッ!?」
その時、ヤミナに電流が走る。
油断しているのか、足音を隠す気配はない。
考えるまでもない。上階を訪れた他の受刑者だ。
(ちょ、待って、なんで来るの!? 足止めはどうしたのチャンピオーーーン!?)
仕事を果たさぬ最強の守護者に内心で文句を垂れながら即座に逃走。
テンキーに『5454』を慌てて入力して、猛ダッシュで展示室に飛び込む。
「ここっ! ここは! 選ばれし者しか! 入れない、特別な、空間ですからっ!」
ドアが閉まる直前、意味のない謎のマウントを叫ぶ。
そう、ここは一万分の一の運命を引き当てた者しか入れない、最高の避難壕。
この分厚い鉄扉が、あらゆる脅威を遮断してくれる。
「……ふふん、別に怖くないですし。来るなら来ればいいじゃないですか」
展示ケースの横で腕を組み、意味もなくジオラマを指差して待ち構える。
相手は入ってこれないという確信を持って。、選ばれし者ヤミナは分厚い扉の先にいる相手を挑発するように舌を出す。
――だが。
その数秒後。
展示室のドアが、あっさりと音を立てて開いた。
「………………え?」
表情が固まる。
口元が引きつり、笑顔が止まる。
ドアの向こうから誰かが現れたのは、ぼさぼさの髪をした野良犬のような不潔気味な小柄な男だった。
「ば、ば、バカな!? こ、ここは選ばれし者にしか入れないはずの場所だったのでは!?」
動揺で言葉を噛みながら、人差し指を突き出すヤミナ。
だが、男はその叫びに対してまったく取り合わず、興味すらなさそうに返した。
「あん? パスワードのことか? 適当に押したら開いたぞ、あんなもん。多分、何入れても開く」
「……あっ、はい。すいませんでした」
ヤミナ、即降伏。
あっという間にしゅんと肩を落とし、先ほどの選民思想は綺麗に蒸発した。
世界から祝福を受けているなどとイキっていた数秒前の自分が恥ずかしい。
でも今のは仕方なくない?
ヴァイスマンの卑劣な罠だったのだ。
むしろこっちが被害者だよ。私悪くないよね?
心の中で責任転嫁を完了し一瞬で立て直す。
ある意味で逞しい女であった。
493
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:28:15 ID:fnl4WnZ.0
「ヤミナ・バイトだな?」
「ど、どちら様でしょう?」
名前を知られていた事にびくつきながらヤミナは何とか問い返した。
完全に場の主導権は相手に握られていた。
「エンダに頼まれたんだよ。お前の回収。俺はトビ。トビ・トンプソンだ。ま、協力者ってことでよろしくな」
語気は軽いが、目は冷静にヤミナを値踏みしている。
フロア調査のついでに受けたついでの依頼だったが、先に遭遇してしまった以上、放っておくわけにもいかない。
「へへっ。よ、よろしくお願いしまぁす……!」
声が半音上ずっていたが、ヤミナは思い切り腰を低くし、
先ほどまでの選ばれし者ムーブはどこへやら、完全な低姿勢でペコペコと頭を下げる。
目の前の相手に媚びることしか考えていないような態度であった。
「えっとですね、あの、その……展示室! ご案内しますね!」
今度は急にテンションを切り替え、がんばって有能な案内人っぽく振る舞おうとする。
トビは小さく息を吐きつつ、黙ってその後をついていった。
「えっと……こちらになります、展示室でーす!」
ヤミナ・ハイドは警備員風の制服の裾をひらひらさせながら、これでもかというほど大げさな手振りで展示室の扉を示した。
さっきまで逃げ込むように隠れていた場所を、今度は誇らしげに案内している。
態度だけは、見事なまでに案内人になりきっていた。
「展示室、か」
トビ・トンプソンは短く返し、そのまま中に足を踏み入れる。
「そ、そうです! 私が最初にたどり着いたんです、このフロアの……えーと、最深部? 特別ゾーン?」
どこか浮ついた声で、ヤミナは自らの偉業をアピールする。
振る舞いは軽いが、視線はちらちらとトビの反応をうかがっている。
トビはそれを無言で受け流しつつ、部屋の内部を見渡す。
まず目に入ったのは、部屋の中央に鎮座する巨大なジオラマだった。
「おっ、それに目をつけるとはお目が高い! これ、島全体のジオラマなんですよ! ブラックペンタゴンもちゃんと正五角形!」
「見りゃ分かる」
バッサリとした塩対応。
だがヤミナはめげない。
展示物ではなく、自分自身の価値を懸命に売り込もうとしているようだった。
「それだけじゃないんです! こっちには、ICNCとアビス、それに……ほら、あの山折村のジオラマも!」
「ヤマオリ……?」
その単語に、トビの反応がわずかに変わる。
ジオラマを用意する意味は分からないが、刑務作業の文脈上でICNCやアビスの名前が出てくるのは理解できる。
だが、ヤマオリなどこの刑務作業には関係がないはずだ。
歴史上重要な場所ではあるし、アビスの由来になっているが、そんな理由で?
「そしてこれが……」
次にヤミナが案内したのはガラスケースに入った展示物だ。
白く光る球体が納められたケースには『システムA』と書かれ、隣の空のケースには『システムB』と表示されていた。
「……なんだこりゃ?」
「すごいですよね! たぶん、こう……世界の真実的な? 核心っぽい? アレですよ、アレ!」
自信たっぷりに言いながら、すぐ目をそらす。
説明している本人がどこまで理解してるかは怪しい。
その様でよく情報屋の真似事ができると思ったものだ。
「えっと……」
トビの反応が渋いことに気づいて、取り成すように慌ててヤミナが自分の得た情報を絞り出す。
「あっ。そうだ! この島のジオラマなんですけど、ちゃんとブラックペンタゴンの形も見えるし……えーと、ここ、中庭です!」
ジオラマの中央を指差すヤミナ。
そこには、見覚えのない、黒い球体のようなモニュメントが不気味に浮かんでいた。
「なんだこりゃ……?」
「ああ。それならそこから見えますよ」
ヤミナは展示室の隅にある、控えめな内窓を指さす。
内窓など、1階にも2階にもなかったものだ。
ヤミナは小さな窓の方へと駆け寄り、再びそこから顔を突き出して覗いてみせた。
494
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:28:31 ID:fnl4WnZ.0
「ほらっ、見えますよ。中庭に、黒い球体。あれです」
そう得意げに指さす。
トビも続いて窓に顔を寄せ、黒曜石のように浮遊する球体を確認する。
「確かにあるな……何なんだあの球体は?」
「し、シンボルっていうか、キーっていうか……うん、そういう重要アイテム的な何か……だと思います!」
思います、で締めるなよ、とトビは内心でツッコみながらも、それ以上は何も言わなかった。
この女が何を知っていて、何を理解していないか。
いや、もしかしなくても、何も理解してないかもしれない。
目の前の相手へ期待することを完全に諦めたようだ。
ため息をついて窓から身を引き、トビは展示室全体をもう一度振り返る。
「? ………………ッ!?」
その目が、徐々に驚愕するように見開かれた。
「……ああ、クソッ! そういうことかよ、チクショウ!!」
突然、トビが叫ぶ。
その声音には、驚きと怒りと、何かに気づいたような焦燥が混ざっていた。
「ど、どうしたんですか……!?」
急に声を荒げたトビに、ヤミナはびくりと肩をすくめ、慌てて問いかける。
だが、トビはそれに構っている余裕はなかった。
窓の位置から振り返ったトビの目に映ったもの。
それは、システムBの空ケースに、島のジオラマがすっぽりと収まってる光景だった。
窓の位置から見える展示物の位置関係によって、その光景は生み出されていた。
完全に計算された構図。
それの意味する所を、トビは正しく理解した。
――つまり、この島こそ、『システムB』なのだ。
システムAと同じくシステム化された超力によって生み出された異世界。
それこそがこの刑務作業の舞台となる孤島の正体。
それを理解した瞬間、トビの脳内でバラバラだった断片がひとつに繋がった。
そして同時に、脱獄王たる自分に課せられた役割までもが見えてしまった。
トビが脱獄を目指すことまで含めて、ここまでの行動すべて、ヴァイスマンの掌の上で踊らされていた。
そう気づいたトビの腹底には煮え立つような忌々しさがあった。
ここが超力で作られた世界である事を脱獄王が知るのはヴァイスマンの予定通りの出来事であるはずだ。
そうでなければ、脱獄のアプローチがまるで変わる。
トビの想定した通り、トビがシステムBのテスト要因であるのなら、これは知らねばならない情報である。
だが――本当に、全てがヴァイスマンの計算通りなのか?
大枠ではその通りだろう。
けれど、どんな完璧な計画にも、必ず誤差は生じる。
例えば、トビがこの事実を知るのは想定通りであっても。
このタイミングで3階に到達し、システムBの正体に気づいたことは本当に、想定された順路だったのか?
1階の門番、エルビス・エルブランデス。
あれを配置したのは、明らかにヴァイスマンの手だ。
2階の目的を考えるに、奴を配置した目的は上階への進入を時間的に制御すること――つまり足止め役だ。
あの怪物の抑止力は、そう簡単に突破されることを想定していないはずだ。
だが、トビはエンダの協力を得て、その壁を回避して強引に突破した。
さて、この行動は想定内か?
将棋でもチェスでも、序盤の定石は存在する。
開幕数手の展開なら、最適解が計算可能だ。
だが、中盤以降は局面が指数的に分岐し、正確な予測は困難になる。
変化が連鎖し、思惑を超える偶然が局面を塗り替える。
刑務作業が始まってから、すでに時間は動いている。
受刑者たちの行動、思惑、偶然。
それらが予測不能の歪みを生んでいるはずだ。
たとえ、今の状況が想定内だったとしても、
後半になればなるほど、ヴァイスマンの予測は乱れ始める。
その乱れこそが、勝機だ。
どうせこれも見ているんだろう? ヴァイスマン。
お前の意図も、想定も、思惑もすべて理解した。
俺に求める役割もな。
望み通り脱獄はしてやる。
だが、お前の思惑の中には納まるつもりはねぇ。
お前の想定ごと脱獄してみせるぜ。
期待して待ってろ、くそ野郎。
495
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:28:54 ID:fnl4WnZ.0
【D-4/ブラックペンタゴン 3F北西ブロック 展示室/1日目・午前】
【トビ・トンプソン】
[状態]:疲労(小)皮膚が融解(小)
[道具]:ナイフ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ヴァイスマンの思惑ごと脱獄する。
0.ヤミナを引き連れブラックペンタゴン3Fの調査と検分。
1.内藤 四葉と共闘。彼女の餌を探しつつ、護衛役を務めてもらう。
2.首輪解除の手立てを探す。構造や仕組みを調べる為に、他の参加者の首輪を回収したい。
3.銀鈴との再接触には最大限警戒
4.ブラックペンタゴンには、意味がある。
※他にも確保を見越している道具が交換リストにあるかもしれません。
※銀鈴、エンダが秘匿受刑者であることを察しました。
※配電室へと到達し、電子ロックを無力化しました。
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(小)、各所に腐食(小)
[道具]:警備員制服、デジタルウォッチ、デイパック(食料(1食分)、エンダの囚人服)
[恩赦P]:34pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.トビに媚びる
1.下の階へのルートを確保する
2.エンダと仁成に会ったら交渉、ダメそうなら逃げる
※ドン・エルグランドを殺害したのは只野仁成だと思っています。
496
:
宣戦布告
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 13:29:04 ID:fnl4WnZ.0
投下終了です
497
:
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 15:55:44 ID:Y1KGdwk60
投下します。
498
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 15:57:28 ID:Y1KGdwk60
その永遠が、間違いであってほしい、と。今も信じている。
■
戦況は膠着している。
寄っては征十郎が斬り、離れてはギャルが爆破する。
斬るという一点において、征十郎が遅れを取ることはなく。
爆ぜるという一点において、ギャルが遅れを取ることはなく。
その爆炎を巻き起こし、それらを総て斬り伏せて。そんな繰り返しを二人はどれだけ行っただろうか。
名乗りを上げてから、互いに一進一退の攻防を繰り広げている。
汝、己の最強を示せ。
征十郎・H・クラークは剣技。それは万物を斬り抜く最強で在れ。
ギャル・ギュネス・ギョローレンは爆破。それは万物を吹き飛ばす最強で在れ。
超力の絶対を信じる二人は当然、己の最強を相手へと押し付ける戦法を取る。
「っぱ強いねえ、征タン♪ 秒で終わるってウソウソ、訂正☆
あーしが大技使えないようにめっちゃ読むじゃ〜ん。戦闘センスバリ強かよ〜」
「お前との相対が初見でないのだから、当然だ。これくらいできる奴などお前は山程視てきたはずだろう?
そういう世界で生きてきた私達だ。強くなければ、何も成し遂げられん世界だ」
「ふはっ、言えてる。今の強くなった征タンなら、あの時くれた言葉も嘘じゃないって思えちゃうかも!」
「そうだな。もしも、今の私が彼処にいたのなら、お前もお前の友も救けられただろう」
爆破という概念を斬り、何れはその先へ。
八柳とはそういうものだ。斬るということへの真摯さは他の追随を許すことなく。
永遠に沈んだ村にて猛威を奮った技を、ギャルは決して侮らない。
もっとも、一人の情念を斬ることは敵わず仕舞であったけれど。
天才――剣聖へと成った少年でさえも、少女の想いは膝を屈する他なかったのだから。
「あの日、救けられなかったことをそんなに悔いているの?」
「…………ああ」
「あの日、見捨てたことをずっと刻んでいるの?」
「……………………ああ」
「ウケんね。煽ったあーしが言うのもなんだけど、引き摺り過ぎじゃない?」
もっとも、八柳という概念を抜きにしても、征十郎の超力は強力である。
八柳の技との相性は最高とも呼べるだろう。そんな彼が放つ斬撃は、一太刀でも当たると、死ぬ技だ。
斬るという概念を突き詰めた超力は防御という二文字を知らない。
百戦錬磨、戰場を駆けたギャルであっても、必ず殺してくれるはずだ。
でも。けれど。未だ脳裏にある疑問が、ギャルを何処か留めているのだ。
499
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 15:58:03 ID:Y1KGdwk60
あーしはほんとに悔いなく死ねんのかなあ。
そんな必殺も永遠の前では霞んでしまうのではないか。
永遠に侵された己の体は不老である。それは自明の理として証明されている。
では、不死は? あの約束された楽園にて祝福を受けた己の身体が死せるエビデンスは何処にある?
いくつもの戦場を駆け回ったギャルだが、死にかけたことはあっても、死んだことはない。
ちょっと気軽に試すには、リスクとリターンが釣り合ってないんだよねぇ。
だったら、不死を確かめる為に、とりま死んでみよっか、なんて。今までは考えたことはなかった。
自分の中に渦巻く永遠は超力とは違う――――もっとおぞましい何かとしかおもえないのだ。
だから、ギャルはその一手を選べずにいた。否、見なかったことにしていた。
永遠に組み込まれてたが故に想うのだ。これは、もしもの話――――彼女の親友だったモノの話だ。
仮に致命を負って死ぬとする。死んで、もう動かなくなって。
それでも、尚動くモノとして蘇ってしまったら、と。
お前はその実例を間近で見ていたはずだ。
紛い物の生。澄み切った、白濁。虚栄の奇跡。
其処に、本物は存在するのか。
あの閉ざされた箱庭で見た、永遠のように。
それは嫌だな。ああ、絶対に嫌だ。何よりも嫌なのは、それを心から嫌だと言えない自身だ。
身体は奪われてしまったが、魂だけは自分のものだ。自分の意志で初めて、終わらせたい。
断じてあの永遠にその筋書きまでも、奪われていいものではない。
謳いたい。謳わせてくれ。
今日はいい日だ。死ぬにはいい日だ、と。
声を高らかに自分は謳えるのか? その永遠に対して、メメント・モリを叫べるのか?
忘れ難き残滓を未だ滞留させている己を終わらせることができるのは何処に。
ずっと、ずっと。探している。満足できる終わりを。続編なんていらない、物語を完結させてくれる《主人公》を。
「ま、あーしが言えた立場じゃないけどさ。
記憶の片隅から消えてくんないモノっていうのは、どうしてもあるし〜」
「……お前の身体に宿っている永遠のように、か」
「ウケんよね。どれだけ嗤っても、どれだけ殺しても、どれだけ移り気でも。この永遠だけはちっとも変わってくれない。
全然キマってくれない、メイクで上塗りしても結局は戻ってくるんだから」
それでも、この悪が蔓延る箱庭であったら。
永遠なんて感じさせないくらいに愉しく戦える。
そんな悦楽と忘却の果てで、終わりを与えてくれるモノがいると思ったから。
「永遠なんて欠片も愛しくないのに。捨て切ったと思っていても、ずっとついて廻ってくる」
「…………」
「だから……だから――――」
恩赦などいらない。続きなんていらない。自分の物語は此処で終わらせたい。
今後、これ以上の刹那《死》を約束された舞台に出会える気がしないから。
メメントモリを叫びたいから、今日は死ぬにはいい日だと笑い飛ばしたいから。
刹那を愛しく想いながら。時間が永遠に止まればいいなんて戯言を吹き飛ばせるくらいに!
500
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 15:58:25 ID:Y1KGdwk60
「斬ってよ、君が“八柳”を謳うなら。君が知っている“八柳”なら……! できるはずだよね?」
「そうだな。万物を斬る。それを為せぬなら、“八柳”として落第だな」
「あの村で生まれた奇跡――根源ではないけれど、この身体に揺蕩っているのは紛れもない永遠だよ。
形がないものは斬れないなんて、弱音吐かないんだ」
「関係ない。言っただろうが、万物尽く斬るのが、“八柳”だ。斬る対象を選ぶ鈍らではない」
“タチアナ”の叫びに呼応するように征十郎が言葉を返す。
“八柳”とは刀を振るうモノ。其処にある清濁がどうであれ、斬るという概念を突き詰めた求道者だ。
その手に持つ刀は人を殺すものだ。
担い手の思想、人格、善悪に関わらず、それは変わらない。
「私の知る“八柳”を背負う者達は皆、強かった。開祖であるあの人も、姉弟子も、兄弟子も、皆、私が及ばないくらいに」
各々、強さという確固たる基点を持ち合わせていた。
だから、死んだ。強さ故に戦うことを選べたから。斬るという概念を為せる者達だったから。
あの村で起こったであろう惨劇。生物災害の裏にあるであろう、何か。
それはきっと強いからこそ始まった悲劇もあるはずだ。
「だが、世界は彼らを悪党と呼ぶ。正義とは程遠い人斬りとして。
“八柳”は悪であり、忌むべきものであると」
頭に浮かぶのは推測ばかりで、真実は闇の中だ。
ギャルの言葉を否定できるだけの証拠を、征十郎は持っていない。
それでも、否定したいと願ったのは、知りたいと望んでしまったのは。
「それで、認めちゃってる訳? “八柳”が悪だって」
「八柳の総てが清らかとは思っていない。もっとも、私の知る兄弟子はそんな輩ではないと今でも信じているがな」
「あっそ。自分の流派をあんなにコケにされてるのに、真っ赤になって怒らないんだ〜ク〜ル〜」
「…………彼らは違うとしても、私は悪であると自覚しているからだ」
己が彼らとは違う本物の悪だからなのかもしれない。
征十郎・H・クラークは悪人だ。正義を志して刀を取った訳ではないし、強くなった後もヒーローのような行動をしている訳でもない。
八柳新陰流を学んだモノの中でも、異質にして原点に一番近いものとして、彼は刀を振るっている。
ただ、斬る為に。万物総てを斬るという剣聖たる境地を目指して生きてきた求道者であるが故に。
「煙に巻いて、取り繕うつもりはない。私の本質は人斬りだ。お前の本質が外道であるように、私の本質も結局は其処に行き着く。
されど、その本質を私は憂うつもりはないし、捨てるなどありえない。
これが、私だ。征十郎・ハチヤナギ・クラークとして、一片の迷いもない」
どれだけ正しさを説かれようとも、悪をくじくヒーローになるつもりはない。正義を志す程、潔白でもない。
斬るという概念と共に生きて、その果てに野垂れ死ぬ。
人を斬れば人は減る。強さを求めるならば、斬るしかない。
斬れるのか、斬れないのか。突き詰めるとその二者択一が世界には残らない。
「其の為に始めた、其の為に振るった、其の為に誓った」
それが、征十郎・ハチヤナギ・クラークという“八柳”の物語だ。
男は死ぬとしても、刀を振るうだろう。いいや、死んでも、振るう。来世もそのまた来世も、それこそが本物の永遠である、と。
例え、他の門弟が何であろうと、己が変わる訳ではない。
刀を取った始まりがどうであれ。あの村で起こった真実の答えがどうであれ。救えなかった少女が眼前に立っていたとて不変。
斬る。その二文字を絶対として直走って来た過去をなどあるはずがない。
501
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 15:58:42 ID:Y1KGdwk60
「あの日から、ずっと悔いていた永遠も」
嘗て泣いていた、あの日の彼女。
ギャルの言う通り、救えていたら、こうならなかったのかもしれない。
「あの日あったはずのささやかな幸せも」
皆、生きていた。大なり小なり何かがあれども、生きていたのだ。
確かにあった幸せも今は永遠に侵されて歪んでしまった。
「あの日から背負った過酷な日々も」
自身が追い求む真実を知っていようと知っていまいと、征十郎はこの道を進むしかなかった。
八柳の真実がどうであれ、刃の切れ味は変わらない。
だから、ギャル・ギュネス・ギョローレン。いいや、タチアナ。
君が望むなら。君に言える言葉は一つだけ。
「お前の宿敵として、あの日出会った知縁として。タチアナ《永遠》――――お前を斬る」
誓いは此処に果たそう。永遠、斬るべし。
「っはぁ〜〜〜〜! アガんね、その宣言! 最高で最低なアイラブユーじゃん!?」
ギャルが炎を滾らせ、破顔する。見つけた、見つけてしまった。
永遠を終わらせてくれるかもしれない、宿敵。あの日始まった――今はもう色褪せた昔話を終わらせてくれる主人公!
出会った時からここまで面白くさせてくれるなんて。
その意気やよし。彼は本気でこの身体に宿る永遠を断ち切ろうとしている。
なればこそ、己も半端は許されない。その本気に報いる為に、後先などもう考えない。
「君の宿敵として。あの日出会った知縁として。八柳クン《悔恨》――――君を燃やす」
再度、接敵。
爆風の唸りが背中を打ち据え、鼓膜を突き刺してくる。
疾走る、斬る、爆ず。互いの領分を踏み越えた超力の押し付け合いだ。
途切れなく降りかかる爆炎を斬撃で斬り飛ばす。
乱れ猩々。乱雑なようでその実繊細。征十郎に届き得る爆炎を尽く斬り伏せる。
そして、炎が散る合間を縫って、征十郎が俊敏に駆ける。
そのまま沈み込むように姿勢を下げ、一閃。
しかし、斬れたのは虚空のみ。ギャルの胴体は傷一つなく繋がっている。
弾けろ。指を鳴らして秒を経て爆発が迸る。
流石に態勢を気にする余裕もなく、征十郎は後方へと退却を余儀なくされる。
直感で後ろに退いたがその場に留まっていたら爆死していた。
「まだ、まだぁ!」
これまで距離を取っていたギャルがあえて、征十郎へと追撃を駆ける。
小瓶を乱雑に投げ、割れた爆炎が、征十郎が横に逃げ道を塞ぐ。そして、爆炎で身動きが取れなくなった状態で渾身の爆炎で仕留める。
だが、それは爆炎が征十郎へと届いたら、と。仮定がつくけれど。
疾風を想起させる剣閃――抜き風。征十郎に放たれた爆炎は彼を傷つけることはなかった。
それは決して炎を寄せ付けない。近づいた代償で彼の放つ斬撃間合いだ。
彼の手元に気をつけて――衝撃が腹部へと伝播する。
征十郎の蹴りがギャルの腹部へと突き刺さった。後方へ吹き飛びつつ、爆炎を残すことは忘れない。
一太刀は振らせない。爆炎がうまく彼の動きを遮ってくれたおかげで、追撃がワンテンポ遅れてくれた。
おかげで、回避も悠々と行えて、距離も取れた。
502
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 15:59:17 ID:Y1KGdwk60
「棒切がなければなーんもできないって思ってたけど、違うんだ」
「戦いは刀だけかと思ってた訳でもあるまい? 無論、刀には劣るが、素手での戦闘も心得はある」
「うっわ、ムカつく〜。女に手を挙げるなんてサイテー……っ!」
「老若男女問わず殺してきた悪鬼が振り翳す理論ではないな」
「刀だけじゃなく、徒手空拳の戦闘もできるなんて、征タン、相変わらず、凄腕……っ! あーしとここまで遊べるなんて、おもろ!」
経験もあるだろうが、此処まで戦況を維持しているのは、彼が持つ類まれなるバトルセンス。
何を斬るべきか判断する目の良さもある。最初に会った時から舐め腐っていたのは自分だ。
「初見で舐め腐っちゃうのは良くない悪癖だ、訂正☆」
そして、また繰り返す。
お互い、相手を倒すことに惜しみがない。
ギャルは爆炎を振り撒き続け、征十郎は刀を振るい続ける。
互いに決定打を打てぬまま、戦況は再び膠着へと持ち込まれていく。
最初は会話なんてないだろうと思っていたが、こうも長くなると、一言二言は交わすようになる。
「タチアナ」
「……そっちの名前で呼ぶんだ。何?」
「お前は先程、永遠なんて欠片も愛しくない、そう言ってたな」
この身体に宿る永遠は容易くは断ち斬れるはずはない。
本物の永遠を見てしまったからこそ。終わらない物語に触れてしまったからこそ。
それを愛しいと思ってしまったことがあったからこそ。
「私は疑問に想う。お前の永遠への嫌悪は本物だ。
刹那主義、享楽に生きて死ぬ。その言葉に偽りはないだろう」
彼女が話した言葉は全て本当だろう。
永遠を遠ざけ、刹那の瞬間に総てを掛ける。
ギャルの経歴はそれを物語っているし、彼女の振る舞いはそうである、と。
「だが、そんなにも永遠から逃げたいと願っているのに、刹那を愛しているのに」
けれど、征十郎は気づいてしまったのだ。彼女の節々の言動、振る舞い、声色。
それはギャルになる前のタチアナを知っていたからなのかもしれない。
享楽に身を浸しており、何も信じていない、何も続いていない。
ギャル・ギュネス・ギョローレンであれば、絶対に言わない、思わないことだ。
「永遠を手放そうとしないのはどうしてだ? 永遠の17才と名乗っておいて、永遠を何処かに残そうとしている」
「………………」
しかし、それは“タチアナ”であったらどうだろうか。
その問い、そしてその答えは、がずっと仕舞い込んでいる禁忌だ。
この刑務では征十郎しか知らない、知る由もないだろう、あの村で起こった自分達の始まり。
救えなかったモノと救いたかったモノ。二人を分かつ境界線が今はない。
「こびりついた永遠を、必死に洗い流すように、鉄火場で舞い踊る。
享楽と破滅で永遠を塗り潰す。それでも、お前は……」
“ギャル・ギュネス・ギョローレン”と“タチアナ”。
どちらも彼女を構成する大切なものだ。例え、その願いが相反しているとしても。
だって願ってはいけない、想ってはいけない。
そうでなくては、自分は何の為に生きてきたというのだ。
「本当はあの村に戻りたい、と」
「やめて」
――――あの色褪せた昔話をもう一度聞きたい、なんて。
503
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:00:23 ID:Y1KGdwk60
「それ以上、言わないで」
その声色は恐ろしいまでに色がなかった。
生気のない顔。輝きが消えた双眸。そして、今にも泣き出しそうな、その顔。
あの日、あの時聞いた声と同じ、寄る辺がない少女のものだ。
永遠を望んだ人間も死んで、私達が知っていた山折村はもう何処にもなくて。
一度、栓を切ったドス黒い白濁の永遠は、とめどなく溢れ出し、世界を満たしてしまった。
ついさっきまでそこにあった絶望も総てマヤカシにしてしまう程に、其処は幸せが満ちていたのだから。
祝福の聖地には、不変と希望だけが横たわる。
「ああ、全く」
タチアナは誰も責められないし、許せない。そして、やっぱりあの幸せを味わって、ずっと此処にいたいと想ってしまったから。
だから、だから――――。
――絶対に助ける!
それを聞いた征十郎は深くため息をつき、やはりやるしかないのだと再確認してしまった。
元より自分がやるべきことであった。あの日に誓った約束。
己が無鉄砲にも叫んでしまったことへの責任を取る時がやってきた。
――八柳の名に誓って、必ず助ける!
“あの時の少女”を助ける。
柄でもないな。少年も少女も大人になってしまった。
そんな昔のことを引きずるセンチメンタルな感情はとっくになくなったと思っていたのに。
けれど、あの日の少年がそう、望むなら。あの日の少女がまだ取り残されているのなら。
山折が歪んだ日、永遠が生まれた日。この世総ての光。
今から自分はそれらを否定する。悪人として、八柳として。
征十郎・ハチヤナギ・クラークが――斬る。
八柳が背負った罪を、清算しよう。今この刹那の一時だけは其の為に、生きる。
彼女が言う刹那という概念を永遠に刻み込む。故に、本気だ。
「係官、全ポイント消費だ。一番いい名刀を寄越せ」
これから斬る相手に余力を蓄えるべきではない。これより対峙/退治するモノを考えたら、名刀を携えなければ勝ち目はない。
あの悪鬼であるギャルをらしくない、少女にさせる永遠。
全部、この手で斬る。それができなければ死ぬだけだ。永遠は蔓延り続け、八柳は負けたままだ。
504
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:00:46 ID:Y1KGdwk60
「悪逆非道を気取る女でさえもしおらしくする永遠、か。随分と斬り応えがある。
おい、斬るぞ、其の永遠」
「…………いきなりマジになっちゃって。そんなに“私”が恋しい訳?」
「戯け。悪党が悪党らしくないんだ、今のお前は見てられん」
瞬間、手元に慣れ親しんた感触がやってくる。
軽く刃紋を見ただけでわかる。名刀だ。それを今から自分は一太刀でだめにする。
「本気で来い」
「もう本気なんだけど」
「後先なんて考えない、本当の本気だ。言い換えてやろうか、本気にさせてやる、来い――!」
「そういう君もらしくない。何だ、今この瞬間、私達はあの頃に戻ってるみたい」
「そうだな、あの日、私達が物語を始めてしまったのだから、終わらせなくてはならないだろう。
言ってやろうか? 永遠なんて下らない、お前の物語《タチアナ》は、此処で打ち切りだ」
「……………………あっそ。やれる訳?」
「やる前から諦めていたら、意味があるまい」
無理や無謀は斬って捨てろ。永遠という奇跡を視て、知って、聞いて、感じろ。
彼が斬るのは――永遠。それが征十郎――――“八柳”が斬らねばならぬ因果だ。
ギャルを今も囚えている山折の祝福。あの日、永遠を望んだ少女の夢。
―――――刹那《八柳》を以て、永遠《山折》を斬り捨てる。
では、挑もう。
目を閉じ、ただひたすらに。心は凪のように静かで、何の邪魔もされなくて。
今から行う事を考えると途方もないな、と。
突拍子もない、永遠を斬るという離れ業。そもそも形なき祝福を斬るとはどのように?
是非もなし。歩めばわかる、概念を理解していればわかる。
だって、自分はあの日あの時、あの場所にいた。永遠が生まれる傍にいた。
征十郎もまた、山折村の村民であった。
ならば、できる。応えは、この掌に握られた刃が知っている!
地面を軽く踏みしめ、疾走。総ては最高の一太刀の為に。
彼女が爆炎を巻き起こしているのが肌でわかる。それも、遊びのない、後先を考えない、本気の炎だ。
しかし、今の征十郎からすると、爆炎などもはや瑣末事。剣を振るう手が無事ならそれでいい。
私は追いつけているだろうか。
あの日、あの時トンネルの向こう側で起きていた悲劇の裏にある無垢な願い。
明日がきっと良くなりますように、と。もう辛いことも怖いことも、嫌だ。
楽しくて温かな世界だけが欲しい。幸福な今が永遠に続けばいい。楽しい一時が、愛に溢れた人々が、ずっと。
505
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:01:21 ID:Y1KGdwk60
その残滓を、今から自分は斬る。
下らないと断ち切って。己がそんなものは気に入らぬと!
征十郎のエゴがふざけた祝福を残すなと!
誰かが願った救いを否定して、悲劇が蔓延る明日へと永遠を押し出していく。
まあ、でも。悪人なんてそんなものだ。永遠は気に入らない。そして、斬り応えがある。
故に、結論はすぐに。『斬りたいから、斬る』。それの何が悪い。
接近。剣の間合いに入った。
ふと顧みると、全身爆炎でボロボロ――重傷だ。致命までもうすぐであり、二の太刀などもう振るえないだろう。
だが、それでいい。一太刀で決めると誓ったのだから、それを実行するまでだ。
ほんの僅か。まさしく、刹那の時間にて、鞘疾走る!
煌めけ、轟け、奔れ。
斬るという至上命題。後悔を表すかのような超力。故郷を救えなかった少年。
だから、これは証明なのだ。あの日泣いていた少女達を救う為に振るう。
これこそが、あの日征十郎が叶えられなかった“願い”であるから!
――■■■■山折村■、美し■永遠■。
それは、誰かが星に希った穢れ無き永遠。
断片的に見えた、一筋の言葉が聞こえた気がした。
底などという概念も存在しない、白の中へ。
闇などという概念も存在しない、光の先へ。
まだ、刀は掌に握られている。ならば、いい。
振るう。奮う。この一太刀を以て、永遠は打ち切りだ。
何故、永遠を否定する?
知れたこと。気に入らんからだ、そんな願い事。
例え、不幸と悲劇で溢れた世界であっても。滅んでしまった方がいい世界であっても。
誰かが剣を振るっているならば、それは価値ある明日だ。
まだ見ぬ好敵手が、世界で剣を振るっている。
そんな明日があるのなら、征十郎にとって、“きっといい未来”なのだから――――!
「斬る」
斬――――残。刃は届く。感触もない、虚空を斬っている感覚なのに。どうしてか、斬れたという実感がある。
今の己が繰り出せる最大の速さだった。
その剣閃は最高の精度で振り抜かれたものだった。
それは刀を初めて握った日から今に至るまで。愚直に過ぎた男が辿り着いた極みである。
零れ落ちた永遠を終わらせるのにふさわしい、至高の剣だった。
――ああ、今日は、死ぬにはいい日だ。
506
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:01:44 ID:Y1KGdwk60
■
それでも、その永遠を愛しいと思ってしまった己を、信じたいのだ。
■
「それで、どうして斬らなかったの?」
「お前の中にあった永遠は、斬ったぞ」
「私、生きてるんだけど」
「そういうこともある……のか? 形なきモノを斬ったのは初めて故に勝手がわからん」
死んだと思っていた。いや、間違いなく死んだはずだ。
征十郎が一太刀を振るう為に負った傷は当然深手のものであり、振った後は力尽きて死ぬ未来しか見えていなかった。
それがどうして生きながらえているのか。
もしや、此処が死後の世界と思いきや、周りのぐちゃぐちゃになった床と壁は先程までギャルと戦っていた場所だ。
そして、ふと、気がつくと頭は“タチアナ”の膝に乗っている。彼女はぼんやりと座っていて、その膝に自分の頭、いつでも爆破されてしまう態勢だ。
つまるところ、膝枕である。あの悪鬼がそんな事をするなんて、気持ち悪い。
今すぐにでも立ち上がって離れたいが、身体が言うことを聞いてくれない。
「それよりもだ。私が生きている、ということは……お前……」
「私のポイントなんだからどう使っても勝手だよね?」
「ありえん。まさかお前が生きている理由……それを問う為だけに、ポイントを総て使ったのか」
「答えてよ。永遠は断ち切られた、でも、私はまだ生きている。気持ち悪くて仕方がないんだけど」
「冥府まで持っていくものと思っていたが、命を救われてしまっては答えざるを得ない、か」
“タチアナ”の横に転がっている治癒キット。
100ポイント以上を持っていた彼女が惜しみなく使った代物だ。
性能は間違いなく高品質。死んでいなければ黄泉路も引き返せるだろう。
もっとも、爆炎による負傷は致命であったはずだ。
ほんの少しでも“タチアナ”が躊躇していたら征十郎は死んでいたはずだ。
507
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:02:11 ID:Y1KGdwk60
「憐憫とかそういうの、ないでしょ。私、悪党なんだから。
じゃあ手を抜いた? それもありえない。斬ることに対して、八柳クンが間違えるはずがない。
ねぇ、なんで? 答えてよ」
完全にギャルの口調と表情が抜けて、“タチアナ”の表情と口調になっている。
それだけ仮面が壊れて、素の彼女が見えているという形だ。
とはいえ、これは答えるまで彼女はずっと問い詰めてくるに違いない。
悪鬼外道とはいえ、命を救われてしまった以上、答えねば征十郎の意に反する。
もっとも、持ち合わせている答えは簡単だ。
「その身体が背負う永遠の方が斬り応えがあったからだ」
「…………何それ」
ギャル以上に斬らねばならないモノがあったから。ただそれだけである。
彼女が生きているのは偶々、永遠の置き土産か。それとも、一気に斬る事ができなかった自身の不出来さか。
どちらにせよ、永遠は断ち切られた。けれど、彼女は生きている。
「私はただ斬り応えがある方を選んだに過ぎん。それに、悪鬼を少女に戻す悪を斬る方が経験値にもなるというもの」
「さっぱりわからないんだけど」
「お前は私じゃないんだ、理解など求めていない。そもそも、剣客でもないお前がわかる訳ないだろう」
「私ごと斬ればよかったじゃん」
「そんな余力などない。お前が実感しているはずだ、あの永遠は、余程の決意、得物、技量、超力――それらが揃ってなければ斬れん」
征十郎は断じてギャルを憐れんで斬らなかったとかではない。
斬るという概念に焦がれた求道者を以てしても、彼が斬った永遠は、余所見ができない相手だった。
説明した所でわかるはずがない。
事実、大枚をはたいて手に入れた名刀は粉々に砕け散っている。
もしも征十郎が“タチアナ”の言う通り、一気に斬る選択肢を選んでいたら、結果は散々であったはずだ。
何も斬れぬまま、征十郎は死んでいた。
「第一、お前ごと斬れるのなら、斬っている。私が何故お前を生かさなければならん」
今はまだ、未熟者故に斬れる限界があった。命が残った以上、征十郎にはまだ先がある。
斬るという行為を極める余地があるのだ。だから、次は彼女を斬る。
元々、因縁抜きに殺し合う間柄なのだから、其処に躊躇はない。
508
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:02:33 ID:Y1KGdwk60
「言えてるね。ま、朴念仁の八柳クンが嘘を言う訳ないか。
「あーあ、君の言うことが正しいなら、もう私は永遠じゃないってこと、ね。
私、これからは年取っちゃうんだ。今はまだ若いままでギャルやれるけどさ。
今後のことを考えたら、ギャルファッションもあーしって一人称使えなくなるんだけど、どうしてくれる訳?」
「どうせこの地で果てるのだから問題ないだろう」
「そういう問題じゃないの。乙女名乗れなくなっちゃうでしょ」
「実年齢を振り返れ、年増」
「ぶっ殺すよ」
けれど、この戦いを経て、二人は限界だった。
お互いに手傷も負って、立ち上がる体力もないのだから、殺し合いなどできるはずもない。
軽口を叩き合ってはいるが、語気の弱さが物語っている。
「それで、続きやる? お互いポイント全損。体力は限界。手傷も負って狙われやすい獲物同士で戦っても、格好の的だよ」
「やらん。というより、やれんよ。道理だな。お互いある程度回復するまでは身を潜めるべきだ。盛大に暴れたのだから、敵も直に寄ってくるぞ」
漁夫の利を狙った狡猾な悪党。真正面から殺しに来る悪党。
そもそも誰であっても、今の自分達は狩る側ではなく、狩られる側だ。
とりあえず、無理を通して二人は立ち上がり、何処か人気のない安全な場所を目指して避難する。
「そんじゃ、避難しますか」
「ああ」
「…………」
「…………」
「あのさぁ」
「おい」
「どうして方向同じなの?」
「お前が私についてきてるだけだろう」
「違います〜、八柳クンが勝手についてきてるんです〜。
はぁ、口喧嘩する体力もないわ。下らない争いで時間と体力を使うなんてアホらしいし、一旦休戦ってことで。
言っておくけど、体力戻ったら殺すから」
「抜かせ。体力が戻って、次に斬るのはお前だ。舞古沙姫を殺めたことを水に流すつもりはない」
「はいはい。私もあの時救けてくれなかったこと、根に持ってるから」
「忘れかけてたと言ってただろう」
「忘れる訳ないでしょ。あの時くれた言葉、ずっと覚えてるし」
征十郎はあの時の誓いを。“タチアナ”はあの時の救いを。
互いに成し遂げた以上、次に繰り上がってくるのは必然的に敵対。
お互い悪党なのだから、水に流してということもないし、仲良くなってお手を繋いでラブ&ピースなんてこともない。
「次は斬る」
「次は燃やす」
結局、幼き二人の因縁が消化されたとはいえ、不倶戴天の敵同士であることに変わりはない。
四の五の言ってる暇があるなら、斬るぞ燃やすぞとドンパチだ。
「無言っていうのも、つまらないし、とりあえず、昔話でもする?
というか、永遠に組み込まれていたからか、あの村で起こったこと、全部知ってるし。勝手に人の頭にダウンロードするなって話だよね」
「……………………頼む」
「しおらしいじゃん、ウケる」
それでも、一つの因縁は終わり、物語は打ち切られた。
色褪せても尚、消えない想い。二人の少年少女が夢を見たあの日。
途切れた青春の続きは漸く、幼年期の終わりとして終止符を打つことになった。
【D–4/ブラックペンタゴン北西ブロック外側・集荷エリア/一日目・朝】
【ギャル・ギュネス・ギョローレン】
[状態]:疲労(極大)、“タチアナ”
[道具]:学生服(ブレザー)、注射器
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.――――
1.昔話をして、それから――――。
2.復活したら改めて征十郎を燃やす。
※刑務開始前にジョーカーになることを打診されましたが、蹴っています。
※ジョーカー打診の際にこの刑務の目的を聞いていますが、それを他の受刑者に話した際には相応のペナルティを被るようです。
※ポイントは全部治療関連のものに交換しました。
※永遠は斬られたので、今後は年を取ります。
【征十郎・H・クラーク】
[状態]:ダメージ(極大)
[道具]:日本刀
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.――――
1.昔話をして、それから――――。
2.復活したら改めてギャルを斬る。
※保持していたポイントで購入できる最大限の名刀 - 80P
509
:
永遠
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:03:07 ID:Y1KGdwk60
少年は少女の元まで来てくれた。
あの時交わした言葉と伸ばした手は、もう取られた。
――絶対に助ける!
――八柳の名に誓って、必ず助ける!
『ありがとう……!』
数十年の時を経て、ようやく。征十郎とタチアナは救われたのだ。
510
:
◆E6eHDQp34U
:2025/06/22(日) 16:03:30 ID:Y1KGdwk60
投下終了です
511
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/22(日) 20:18:47 ID:fnl4WnZ.0
投下乙です
>永遠
永遠と刹那の交差。純粋なバトルだけではなく、救いの一刀に収束されていく展開は見事
爆炎と斬撃の死闘、戦闘経験が豊富な実力者同士のド派手なバトルが展開されながら、その奥に渦巻く互いの過去と因縁が浮かび上がっていく
まさか、ここまで因縁深い対決になるとは出会った当初は思わなかったぜ
人斬りの業を背負い悪としての自覚を持つ征十郎
永遠に囚われていたが故に刹那の快楽と永遠を終わらせる死を求めるタチアナ
この2人の山折村から続く因縁ごと永遠を断つ。概念すら斬れるという征十郎の超力も併せてまさしく征十郎にしかできない永遠斬りの一太刀
時を経て助けると言う誓いが果たされ、2人の関係も解き放たれたような妙な解放感がある、とはいえ一時休戦後は普通に殺しあいそうな奇妙な関係である
山折の呪縛から解き放たれたタチアナの第二の生がこの地の底で始まったが、殺し合いという場でその救いがどう転がるのか
512
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:34:29 ID:jXt43Nfk0
代理投下します
513
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:34:59 ID:jXt43Nfk0
キングに頼まれ、外の様子を見に行ったハヤトとセレナの願いはあっけなく崩れ去った。
昇り行く太陽の光を受け、ハヤトの前に現れたのは、手負いの少女二人組だった。
朝の光が熱を持ち照り付け、ハヤトの身体にじわりと汗を生む。
同時に潮風が彼の体から出た汗を冷やし、嫌な寒気をもたらした。
「あなたたちは、誰?」
ボロボロの少女二人は困惑しながらもーー紗奈はりんかを守るように立ち、目の前に現れたハヤトとセレナを警戒する。
「りんかはここにいて。あなた達には絶対近づけさせはしない」
「紗奈ちゃん、私は……」
「りんかのためなの」
後ろのりんかを振り向く紗奈は、唇を引き結んだ。
シャイニング・コネクト・スタイルに変身する準備はできていた。
「ハヤトさん……」
隣のセレナが、心配そうにハヤトを覗き込む。
ハヤトは焦燥感に駆られながら思案する。
二人の少女ーーそのひとり、紗奈が敵意を持った目でハヤトを睨みつけてくる。
手負いとはいえ、この場を切り抜けるには戦いも辞さない覚悟をハヤトはひりひりと感じた。
ハヤトにはキングに頼まれた事がある。
『ドン・エルグランドを殺した相手の調査』
『港湾に近づく二人組の確認』
これが彼の役目。
セレナを守るために、自分が通した仁義。
『港湾に来たのが二人組の少女だったら、自分の元に案内する』
これが、キングのハヤトへのちょっとした『野暮用』だった。
目の前。少女二人。片方は遠目からでも重傷を負っているとわかる。
キングの元へ連れていくにはあまりにも危険すぎる。
ハヤトは考える。
(キングに嘘をついて、この子たちを逃がそう)
そう思った。
少女たちなど来なかったことにして、このまま自分たちもキングの元から去ればいい。
ーーだが、あのキングに嘘が通用するか?
今ここで逃したとしても、キングはまた別の方法でこの子達を追うのではないか。
ましてやこの傷だらけでボロボロの身体だ。
キングに会わなくてもこの子達はーー
「お兄さん。何か、抱えていませんか?」
思案していたハヤトは顔を上げる。
二人組の少女ーーりんかだった。
特にひどい傷を負っているりんかは自分を守るように立つ紗奈を制止し、よろよろとハヤトとセレナの前に歩を進める。
ハヤトは言う。
「何も抱えてなんかいない。おまえたちは早くーー」
「どうか、話して」
死にかけていても、言葉は力強かった。
ふいに、りんかの身体から光が放たれ、みるみるうちに『シャイニング・ホープ・スタイル』に変化する。
背と髪が伸び、囚人服ではないヒーローの格好をしたりんか。
身体は手負いでもその身は煌めき、言いようもない力強さがあった。
「私だったら、力になれるかもしれない」
変身したりんかは言った。
ハヤトとセレナは、変身したりんかの姿を呆然と見ていた。
同時に、絶望に囚われていた心の中でかすかに暖かい希望の火が灯るのを感じた。
ルーサーに筋を通さなければいけない。
手負の彼女達を巻き込みたくない。特に満身創痍で変身したりんかには。
この子達を逃さなければ。
ハヤトは乾いた口を開く。
「……本当に、いいんだな?」
514
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:35:16 ID:jXt43Nfk0
ほんのわずかな希望が、彼の言葉を引き出した。
この子達はボロボロだ。
特に今変身した子は死んでいてもおかしくない重傷を負っている。
だが、この子達なら。
もしかしたら、ルーサーに。
「ーー後悔、しないんだな」
ここまで来たら自棄だ。
行けるところまで行ってしまおう。
「セレナ。この子達にすべてを話していいか?」
「……ハヤトさんのやる事なら、ついていきます」
セレナとハヤトは話すために、りんかたちを座れる場所へ導いた。
一方で。
煌びやかな変身姿のりんかと、意を決して彼女に全てを話し始めるセレナとハヤトを、紗奈は暗い気持ちで見つめていた。
◆
515
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:35:29 ID:jXt43Nfk0
残っていた治療キットを使い、それぞれ一食分の食糧を渡した時、りんかと紗奈はひどくハヤトに感謝した。
元々彼女たちがこのエリアに来たのも、敵を避けて体力と気力を回復させるためだったからだ。
ハヤト達に会う前のりんかは特に、根性と超力だけでやっと立てている状態だった。
治療キットの残りを使い切っても彼女の傷は癒え切らなかったが、それでも軽く動ける状態にまではなった。
りんかは変身を解き、紗奈と共にハヤトとセレナの話を聞いていた。
ルーサー・キング。牧師とも呼ばれている。
『キングス・デイ』の首領。欧州の裏社会の頂点。
紗奈もりんかも、かつて拉致され虐げられていた際に彼の話は耳に聞いていた。
「ーー話してくれて、ありがとう」
りんかは微笑みハヤトに言った。紗奈が心配そうにりんかを見つめている。
「牧師は危険な男だ。キットじゃ回復しきれなかったが、仮にあんた達が万全だったとしても勝てる確率は低い」
ハヤトが言う。
「オレは『キングの目的の相手二人に治療キットを使うな』とは言われてはいない。咎められても、オレの責任だ。ーー逃げるなら、今のうちだぞ」
「そうだねーー」
りんかは目を閉じ、少しの間思案すると顔を上げ、ハヤトとセレナをまっすぐ見る。
「りんか、やめてーー」
紗奈はその次に出るりんかの言葉を制止しようとした。
だが、間に合わなかった。
りんかは言った。
「ハヤトさん、セレナさん。私一人で牧師に会いに行く」
「?!正気か!?……」
「大丈夫」
動揺するハヤトにりんかは冷静に返す。
「相手はあの牧師だぞ!!戦わなかったとしても無事で済むはずがない!!何よりもーー俺が嫌だ!あんたが背負わなくていい責任を背負うなんてーー」
「牧師がどんなに強くても」
りんかは、強い覚悟を持った目でハヤトを見た。
「あなた達が辛い目に遭ってるなら、私はあいつに立ち向かわなければいけない」
セレナは倒れそうなハヤトに寄り添いながらりんかに問う。
「……いいんですね?」
「つらそうな顔をしてるあなたたちを、放って置けないから」
「ありがとう、……ごめんなさい」
セレナは、悲しそうな笑みを浮かべた。
「待ってよ」
516
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:35:44 ID:jXt43Nfk0
唐突に、絞り出すような懇願するような声がその場を刺す。
「ーー!?」
みな一斉にそちらを向く。
「やめてって言ったでしょーー」
言葉の主は、紗奈だった。
「もうボロボロのりんかなんて、見たくないよッッ!!」
紗奈は、慟哭混じりに叫んだ。
他の三人は困惑した顔で紗奈を見た。
「紗奈ちゃん……」
「わたしは、いやだからね」
その目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「どうして、りんかは自分を痛めつけてまで関係ない人をたすけるの……っ、……いつも、いつも、そればっかり……ほかのひとなんて、どうでもいいから……わたしには、りんかしか、……りんかしか……」
やがて言葉は嗚咽に変わり、言葉は言葉でなくなった。
「りんかが行くなら……わたしも、連れて行ってよ……っっ、いっしょに戦うから、悪いやつらをやっつけるから……っ」
辛そうに紗奈を見ていたりんかは、彼女をそっと抱きしめた。
「紗奈ちゃん、ごめんね……紗奈ちゃん……私、紗奈ちゃんのこと、全然考えてなかった……」
優しくしたかった抱きしめる腕が無意識に強くなっていた。
りんかの目からも涙が落ちる。
ハヤトはそれを苦しい心持ちで見ていた。
自分がこの子達を見つけなかったら。
こんな事に無理やり巻き込まなかったら。
悲しませるようなことはなかったかもしれないのに。
せっかく生まれた希望の灯火が、罪悪感で消えてゆく。
そんな時、抱き合うりんかたちにセレナが歩み寄り、
ぽふっ、と、りんかとセレナをさらに抱きしめた。
「えっ」
驚くハヤト。
みな、セレナに意識が向く。
「えっ」
泣くのをやめ、呆然とするりんかと紗奈。
身を寄せ合ったままの二人にセレナは目線を合わせる。
そしてにぃーっと笑いかけ、もふもふの両手の平を差し出す。
「りんかちゃん、紗奈ちゃん。私の手、触ります?」
「この状況で?!」
「まぁまぁ。けっこうモフモフしてるんですよ」
差し出されるセレナの両手。
それを困惑見るりんかと紗奈。
517
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:35:58 ID:jXt43Nfk0
ふと、りんかは、セレナのモフモフの手を見ながら妙にウズウズしている紗奈に気づく。
「……紗奈ちゃん」
りんかに呼びかけられた紗奈はぴくりと身体を震わせるが、りんかがこっそり紗奈に耳打ちする。
「先に触ってもいいよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
紗奈は涙を拭い、おそるおそるセレナの右手のひらに触れ、ふわふわの感触を確かめる。
「わっ……」
つい言葉が漏れた。もう少し手を撫でてみる。ふわふわしている。
セレナの手をまんざらでもなく撫で続ける紗奈の隣で、
「あの、セレナさん……私もモフっていいかな?」
「いいですよ」
照れ気味なりんかの前に、空いている方のセレナの手が差し出される。
ゆっくりと、りんかは優しくセレナの毛に覆われた手に触れ、手のひらの肉球をそっと押す。
ふわふわしている。
毛皮に覆われた手をモフりながら、思わずりんかがへにゃりと笑う。
「なんかいいね……」
「えへへ」
照れるセレナ。
一方、取り残されたハヤトは居心地の悪さを感じていたが、そんなハヤトにセレナが声をかける。
「ハヤトさんもいいですよ」
そう言われ、ハヤトは少し思案し、
「でも両手は埋まってるだろ……」
「頭と首のもふもふは残ってます!」
「そ、そうか……」
ハヤトも参戦し、ためらいがちにセレナの頭と首を優しくモフる。
日が照り、潮風が吹き付ける中、3人はセレナのふわふわの毛皮を堪能していた。
りんかと紗奈の涙は、いつのまにか乾いていた。
◆
518
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:36:10 ID:jXt43Nfk0
「まず、俺が先に牧師と会って話す」
治療キットで傷を癒やし、恩赦ptで購入した食糧を2人に食べさせた後、改めてハヤトはそう告げた。
ハヤトが続ける。
「港湾の管理棟にルーサー・キングーー『牧師』がいる。オレとセレナが先に中に入って牧師と話すから、りんかと紗奈は外で待っていて欲しい。危なくなったら合図を出すがーー本当に、いいんだな?」
「わかった。……紗奈ちゃんも、それでいいね?」
「りんかが戦うなら、私も戦うよ」
りんかも紗奈も、覚悟を持ってハヤトの話に頷いた。
りんかと同じく、紗奈も変身して戦えるということをハヤトとセレナは共有していた。
「ハヤトさん。牧師に会う時は、私もついていきます」
セレナが言う。
「ダメだ。セレナの身に何かあったらじゃ遅い」
「私も、りんかさんたちみたいに、ハヤトさんの助けになりたいんです」
ハヤトとセレナはもはや一連托生だった。
ハヤトがセレナを気にかけると同時に、セレナもまた、ハヤトの力になりたいのだ。
「……いつも、ごめんな」
「役に立ちます。ーー必ず」
セレナの献身に、ハヤトはいつも救われていた。
ハヤトは一呼吸置き、
「オレがおまえたちに言ったこと、これからやることも、全部俺の独断だ。オレが牧師相手にヤバくなった時、お前たちは責任を負わず逃げ出しても構わない」
「……そんなことはしないよ」
りんかが微笑む。
「言っておくけど」
紗奈が口を開く。
「食糧をくれて、りんかを治してくれたのはすごく感謝してる。でも、私はあくまでりんかが大事。あなた達じゃなくて、りんかのために戦うから」
「それで、大丈夫だ」
「りんかに危険が及ぶような事をしたら、承知しないからね」
「紗奈ちゃん……ありがとう」
りんかの言葉に紗奈は目を逸らす。
「……りんかのためよ」
「話が無事に終わればあんた達は出なくていい。だが、俺に何かあったらーー外に向けて合図はする。これでいいな?」
ハヤトの言葉に、りんかと紗奈、セレナ共にーー無言で頷いた。
◆
519
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:36:22 ID:jXt43Nfk0
『牧師』ーールーサー・キングは、管理棟の窓からハヤトたち4人の様子を伺っていた。
葉巻を吸い、ゆったりと紫煙をくゆらせる。
今吸っている葉巻もだいぶ火が回り、炭くずの部分が多くなった。
次を出そうと葉巻の入った缶を確認するが、
「……次で最後か」
調子に乗って吸いすぎたらしい。
まぁこんなクソみたいな刑務作業では、ストレスが溜まり吸わずにいられないのも当たり前だ。
ギャルから頂戴した煙草は、安物だが味は悪くない。
刑務が終わるまであれで我慢するか。
この刑務作業の最中、キングは次々と読みを外した。
一度相対したドンの死。
利用できそうだったディビットと王子の逃走を許したこと。
港湾に来るのは叶苗とアイと思っていたが、それも違った。
葉月りんかと交尾紗奈。
娑婆にいた頃、名前と姿だけは見聞きしていた存在。
ハヤト=ミナセは自分にとって使えない駒だろう、というのは読めていた。
キングの考えでは、少女二人を逃しーーハヤトもまたセレナを連れてさっさと逃げてしまうだろう。
そう考えていた。
だが、ハヤトはこれからここに来る。
自分に戦いを挑むつもりで。
苛立ちはあった。
だが、それ以上に楽しさが勝った。
キング自身が幼い頃に捨てた、善性と青臭さをあの男は持っていた。
それが妙にキングをそわそわさせ、苛立たせ、この先に妙な期待をしてしまう。
何も持たないはずのあの男は、次に何をしてくれるんだろうか、と。
外にいる4人組が、次第にこちらに近づいてくる。
キングは窓から己の両拳に目を落とし、鋼鉄をグローブ状に手を覆い、開いては閉じてを繰り返してみる。
かつて若いころ、ドブ底から這いあがろうと懸命に生きていた頃を思い出していた。
葉月りんか。交尾紗奈。
りんかの変身姿は知っていたが、紗奈も変身できるのは予想外だった。
それでもキングは動じない。
相手にとって不足はない。
「ハハッ」
大きな手で顔を覆い、笑う。
「老体に鞭打つ羽目になるとはなァ……」
その声に、悲壮感も苛立ちもなかった。
自分もそろそろ腹を括る時か、とキングは思う。
キングの座っている場所から少しずつ細い線と波のような鋼鉄が生まれ、管理棟の床や壁、天井へと広がっていく。
やがて鋼鉄の網は建物の内部全体を覆い、管理棟を鋼鉄の館へ変えた。
「ーーさて」
これで準備は完了した。
キングは己の纏うスーツを整え、この後の来客を待つ。
◆
【B-2/港湾(管理棟)/一日目・午前】
【ルーサー・キング】
[状態]:健康、苛立ちと楽しさ、臨戦態勢
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※ギャル・ギュネス・ギョローレンが購入した物資を譲渡されました(好きな衣服、煙草一箱、食料)
520
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:36:34 ID:jXt43Nfk0
◆
「紗奈ちゃん」
「なによ」
管理棟へと向かっている最中、先導していたハヤトが、ふいに紗奈に呼びかけた。
ぶっきらぼうに返事する紗奈に、ハヤトは続ける。
「何かあったら、オレたちを頼れよ」
「言っておくけど私、あなたたちより強いから」
「それでも、だ」
「……好きにしたら」
歩いている間に、小さい建物が見えてくる。
どうやらあれが管理棟らしい。
ハヤトがここに止まり、3人に振り向く。
「二人はここで待っていてくれ」
りんかが心配げな表情で、ハヤトとセレナを見つめる。
「……気をつけてね」
「そのつもりだ」
「紗奈ちゃんも、りんかさんのことよろしくね」
別れ際、セレナが紗奈と目線を合わせ、対面する。
「……あなた達こそ、りんかを辛い目に遭わせないでよ」
「仲間になったんだから、そのつもりですよ」
紗奈は微笑むセレナを睨む。
食糧をもらい、毛皮は堪能させてもらったが、紗奈は彼女が苦手だった。
「紗奈ちゃんは、りんかさんの事をずっと護ってきたんですね」
「……そう。だから、あなた達なんて本当はどうでもいいの」
りんかは困っている人を助ける正義の味方だ。
けれど自分は違う。
りんかを護れれば、自分はそれでいい。
紗奈は目を細めてセレナの目を見る。
澄んだ優しい色の瞳。
「紗奈ちゃん」
セレナが口を開く。
「紗奈ちゃんが、りんかさんにとってのヒーローであるように。ーーぜんぶ終わった後、わたし達はあなたにとってのヒーローになれてるといいな」
「…………」
紗奈は、何も言わなかった。
「りんかさん!」
ふいに、セレナがりんかに向き直る。
「セレナちゃん……!?」
突然呼ばれ驚くりんかに、
「ついてきてくれて……ありがとうっ!!」
晴れやかな笑みで、セレナは言った。
りんかと紗奈は、ハヤトとセレナを見送った。
管理棟へと歩んでいく2人の背がだんだん遠のいていく。
それを見送りながらりんかと紗奈は変身し、臨戦体制になる。
変身した後、寄り添い、そっと、だけど確かに手を握る。
管理棟を見ながら、しばらくそうしていた。
「紗奈ちゃん。巻き込んじゃってごめんね」
「いいの。りんかがいれば」
「……絶対、全員で生き残ろうね」
りんかが言う。
紗奈はりんかの肩によりかかり、こくりと頷いた。
(ヒーロー、か……)
紗奈はセレナの言っていたことを思い出す。
りんかの手を握る力が、ほんの少しだけ強くなった。
521
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:36:47 ID:jXt43Nfk0
◆
ドアの前。
さっきまで絶望していたのが、今は妙に元気が湧いてくる。
あの牧師に会おうとしていてもだ。
なぜか希望が心を照らす。
精神的なものだけではなかった。
実際オレ自身の肉体も、妙に力がみなぎっていた。
「セレナ……」
セレナもまた、オレと同じようだった。
りんかと紗奈と出会ったことがオレたちに何かいいものを齎したのか?
どちらかの超力の影響でこうなっているのか?
だが、今はそれはどうでもよかった。
オレたちは管理棟のドアの前に立つ。
恐怖を感じないわけではなかった。
だが、それ以上に手を差し伸べてくれたりんかたちに、仁義を通したかった。
「ハヤトさん」
オレがドアノブに手をかけた時だった。
「勝ちましょう。牧師に」
「ーーあぁ」
セレナとお互い頷き合い、オレはゆっくりとドアを開けた。
◆
わたしが勇気を持てたのは、あなたが希望をくれたから。
ほんの少し芽生えた希望を、失いたくない。
りんかさん。紗奈ちゃん。ーーハヤトさん。
どうか、勝って。
◆
522
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:37:02 ID:jXt43Nfk0
【セレナ・ラグルス】
[状態]:背中と太腿に刺し傷(治療キットによりほぼ完治)、ほんの少しの希望(りんかのエターナル・ホープの影響)
[道具]:流れ星のアクササリー、タオル、フレゼアの首輪(P取得済み)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:死ぬのも殺されるのも嫌。刑期は我慢。
1.ハヤトに同行する。どこまでも、ついていく。
2.生きて帰れたら、ハヤトと友人になる。
※ハヤトに与えられている刑務作業での役割について、ある程度理解しました。
※流れ星のアクセサリーには、高周波音と共に音楽を流す機能があります。
獣人や、小さい子供には高周波音が聴こえるかもしれません。
他にも製作者が付けた変な機能があるかもしれません。
※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
現在のところ、下記のキャラクターの超力が保存されています。
『フレゼア・フランベルジェ』
※りんかの『エターナル・ホープ』の影響で、肉体と精神にバフ(小)がかかっています。
【B-2/港湾(管理棟)/一日目・午前】
【ハヤト=ミナセ】
[状態]:多大な精神的疲弊、疲労(小)、全身に軽い火傷、ほんの少しの希望(りんかのエターナル・ホープの影響)
[道具]:「システムA」機能付きの枷
[恩赦P]:10pt(-食料10pt×2)
[方針]
基本:生存を最優先に、看守側の指示に従う?
0.りんかと紗奈に筋を通し、ルーサーと対峙する。
1.セレナと共に行く。自分の納得を貫きたい。
2.『アイアン』のリーダーにはオトシマエをつける?
※放送を待たず、会場内の死体の位置情報がリアルタイムでデジタルウォッチに入ります。
積極的に刑務作業を行う「ジョーカー」の役割ではなく、会場内での死体の状態を確認する「ハイエナ」の役割です。
※自身が付けていた枷の「システムA」を起動する権利があります。
起動時間は10分間です。
※りんかの『エターナル・ホープ』の影響で、肉体と精神にバフ(小)がかかっています。
【葉月 りんか】
[状態]:食糧と水をもらい乾きを回復、疲労(中)、腹部に打撲痕と背中に刺し傷(治療キットにより中程度まで回復)、ダメージ回復中、紗奈に対する信頼、ルクレツィアに対する怒りと嫌悪
[道具]:なし
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。
0.ハヤトとセレナを気に掛けつつも、戦いの覚悟。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。
3.ソフィアさん…
4.ジャンヌさんそっくりの人には警戒しなきゃ
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
【交尾 紗奈】
[状態]:食糧と水で乾きを回復、気疲れ(中)、目が腫れている、強い決意、りんかへの依存、ヒーローへの迷い、ルクレツィアに対する恐怖と嫌悪
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2
[方針]
基本.りんかを支える。りんかを信じたい。
0.りんかのために戦う。でも、それだけでいいのかな……
1.新たに得た力でりんかを守りたい
2.バケモノ女(ルクレツィア)とは二度と会いたく無い
3.青髪の氷女(ジルドレイ)には注意する。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。
※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。
※『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』の超力は使用不能となりました。
523
:
灯火、それぞれに ◇8vsrNo4uC6
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:37:18 ID:jXt43Nfk0
代理投下完了です
524
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/25(水) 20:45:40 ID:jXt43Nfk0
改めまして投下乙でした
>灯火、それぞれに
カチコミじゃあああっ!!!
この状況でも相手の助けを買って出れるりんかがヒーロー気質すぎる
その無茶を涙を流して止める紗奈が完全にヒロイン
直接港湾に向かうのではなく、ハヤトが間に挟まったのは僥倖だった、ある意味ではキングの采配に感謝である
ボロボロの2人に必要だった治療キッドを持ってるのもラッキーだったし、治療キッドを使い果たし、恩赦Pまでつかって食料を分け与えるハヤトも大概お人よし
しかし、マフィアのボスから指示を無視して少女を逃がそうとするチンピラ、ヤクザ映画なら完全に死亡フラグなムーブをしておる
セレナをもふる3人という癒しの構図、アビスにもセラピードックの王ちゃんがいるように、獣人系の癒し効果は証明されているこの世界
キングは思った以上にハヤトの事を気に入っていたのね
確かにあんまり策略が上手くいっていないけれど、それでも格は損なわれていないのは流石
4人の少年少女がボスにカチコみ、チーム戦ならりんかのバフ能力も生かされそう
もうじきジルジャンヌも来るだろうし確実な混沌が待ってるぜ
525
:
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:04:00 ID:zLfuLyRo0
投下します。
526
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:04:45 ID:zLfuLyRo0
◆
『ねー、かなちゃん』
お姉ちゃんが、私に話しかけてくる。
叶苗、縮めて”かなちゃん“。
お気に入りの呼び名だった。
『かなちゃんはさ。アイドルとかって聴く?』
休日のリビングにて、ソファの上でくつろぐお姉ちゃん。
お姉ちゃんの膝の上で、猫みたいにぐでっと伸びる私。
なんてことのない、ゆるやかなひと時が流れていたけれど。
ふいに問われた質問に対して、私は少しだけ考え込む。
『んー……あんまり』
『そんな好きじゃない?』
『わたしみたいな女の子、いないしなぁ』
私はほんのりと寂しさを覚えるような気持ちで、そう答えた。
世間ではアイドルが人気らしいけれど、私はあまり興味がなかった。
きっと私みたいな亜人の娘はいないだろうと思っていたから。
まだ9歳だった頃の私は、自分の姿に折り合いを付けられていなかった。
今となっては、もう吹っ切れているけれど。
家族の中で自分だけがヒトの姿じゃないことを、あの頃の私は気に病んでいた。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、そしてお姉ちゃん。
家族みんな、私のありのままを愛してくれたけれど――それでもあの日の私は、まだ幼かったのだ。
『じゃあかなちゃんが第一号なっちゃえば?』
『なんでそーなるの』
『可愛いもんねぇ、かなちゃん』
だからあの日のお姉ちゃんも、あっけらかんとした笑顔でそう言ってくれた。
私はなんとも言えぬ気持ちになりつつ、けれど満更でもない様子ではにかむ。
自分の姿に思うことはあるけれど、それでもやっぱり家族のことは好きだった。
527
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:06:15 ID:zLfuLyRo0
お姉ちゃんは、アイドルが好きだった。
今の時代、アイドルというものは隆盛を極めているらしかった。
開闢の日を経て、世界中で治安が悪くなったり、未来の先行きが不透明になっている中。
世界的に見ても安定した発展を遂げている日本では、そういった閉塞感を吹き飛ばしてくれるカルチャーが流行っているそうだ。
キラキラしたアイドルはまさにその筆頭だった。今や日本の芸能界はアイドル戦国時代らしい。
――SNSで聞き齧った話である。
『ほれ、かなちゃん。聴いてみな』
『みゃー』
お姉ちゃんから亜人専用の骨伝導ヘッドホンを差し出される私。
私は変な唸り声をあげて「つけてー」と訴えかける。
その意図をすぐに察してくれたお姉ちゃんが、いそいそとヘアバンドのようなヘッドホンを付けてくれる。
――いつだって どこに居たって 頑張ってる君へ伝えたいよ――♪
――私がいること ここにいるって この歌にのせて――♪
お姉ちゃんのスマホを通じて流れる、アイドルの楽曲。
ヘッドホン越しに届けられる、希望に満ちた願いの歌。
すごく有名な曲らしいけれど、私は教科書くらいでしか知らなくて。
けれどお姉ちゃんは、このアイドルの大ファンらしかった。
『私の最推し、ひかりちゃんの歌!もう引退しちゃったけどねぇ』
お姉ちゃんは、にこにこしながら。
けれどちょっぴり寂しそうにそう言ってた。
例え今日が上手くいかなくて、嫌になることがあっても――。
私はキミが頑張っていることを、いつだって知っている――。
だから私は、この想いをキミに届けたい――。
そんなフレーズが、肌を通じて響いてくる。
あの日の私は、ただ静かに聞き入っていた。
お姉ちゃんの温もりを、その身に感じながら。
慈しさに満ちた歌が、私の心にすっと寄り添ってくれる。
私は、お姉ちゃんの好きな曲を聴いて。
お姉ちゃんの膝の上で、ただぼんやりと安らぐ。
そんな私を、お姉ちゃんが優しく見守ってくれる。
――――何もかもが、遠い日の記憶だ。
――――今ではもう、私は“孤独”だから。
私の想いは、きっと家族のみんなには届かない。
だって私は、復讐というものに身を捧げたから。
こうしなければ、自分自身にけじめを付けられなかった。
けれど、きっと。私はもう、天国に行く資格も失ったのだろう。
血に濡れた手を伸ばしたところで、お姉ちゃん達は喜んではくれない。
そんな気がしてならなかった。
◆
528
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:07:34 ID:zLfuLyRo0
◆
C-7、廃墟の東部。
緩やかに青空へと昇り始めた太陽。
朝の光が線を引くように、窓から静かに射す。
民家に留まる四人は、微睡むような時間を過ごす。
鑑 日月は、窓の外を眺めていた。
緩やかに動き出す時の中、青空を見上げながら物思いに耽っていた。
周囲への警戒を怠ることはない――共に過ごす面々にさえも、彼女は気を許さなかった。
ちらりと、日月は視線を動かした。
気持ちを落ち着かせた様子で壁に寄り掛かって座り込む氷藤 叶苗。
そんな彼女に寄り添うように身体を擦り寄せるアイ。
そして、叶苗達を見守るようにリビングの椅子に腰掛ける――氷月 蓮。
当面の安全と安息を目的に、日月たち四人はこの民家で寄り合っていた。
気にしなければいい、さっさと見放せばいい――ふいに日月は思いを巡らせた。
氷月に叶苗達を押し付けて、この場から離れれば良いだけのこと。
そうすればわざわざ気負う理由も、警戒して気を張り続ける必要もなくなる。
しかし日月は、この場から離れることを躊躇い続ける。
氷月の思惑が読み切れず、彼が日月の離脱を許すのかさえ判断できないからだ。
もしも氷月が何か思惑を抱えて、自分達に危害を加える意図があるとすれば――こちらが単独になった瞬間を狙う可能性も否定できない。
既に彼は叶苗とアイの信頼を得ている。この場で自由に動くための土壌を敷いているのだ。
それに――――何よりも。
日月は、この場を離れる気になれなかった。
脳裏をよぎるのは、あの聖なる偶像の姿。
自分に叶苗達を託した、あの眩い少女の微笑み。
“あなたは親切な人ですから”。
彼女の言葉が、脳裏に焼き付いていた。
炎の聖女は、日月を信頼して。
日月へと、心からの感謝を手向けてくれた。
日月の胸の内が掻き毟られる。
苛立ちと憎しみが込み上げてきて。
それからふっと、満たされるような感情が押し寄せる。
言い表せない感情が渦巻いて、日月の心は雁字搦めにされる。
その想いの意味を、彼女自身も咀嚼しきれない。
確かなのは、日月はあの“太陽のような偶像”から託されたということだった。
だから。今はまだ、日月は。
ここを離れる気にはなれなかった。
ふいに日月は、視線を感じた。
むず痒くなるような感覚を抱いて。
視線の主を、日月はふっと流し見た。
「あの……日月さん」
叶苗が日月を見つめながら、呼びかけていた。
529
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:08:37 ID:zLfuLyRo0
くりっとした両目が、日月へと向けられている。
彼女の顔をまじまじと見つめて確かめるように、叶苗は目を凝らす。
「そういえば……」
今更なんですけど、と付け加えつつ。
叶苗は言葉を紡ぎながら、日月を凝視し続ける。
「もしかして……」
ユキヒョウの亜人である叶苗の目付きは、猫を思わせるような愛嬌を讃えている。
そんな瞳に見つめられたことで、日月は何とも言えぬむず痒さを感じてしまったが。
「“あの”鑑 日月さん、ですか?」
「えっ?」
叶苗からの思わぬ問いかけに、日月はきょとんとする。
今さら聞かれたような質問に、呆けたような反応を返してしまった。
“あの”鑑日月。何処か引っかかるような、奇妙な表現だった。
それはどういう意味なのかと、日月が問い質そうとした。
「いや……」
そんな日月の心情を察したように、叶苗は何とも言えぬ様子で言葉を紡ぐ。
今この状況で、こんな話をしてもいいのだろうか――そんなささやかな迷いを抱くように。
それからおずおずと叶苗は、その口を開いた。
「テレビに出てましたよね」
叶苗からそう言われて。
日月は思わず、目を丸くした。
「すごく人気のあるアイドルだって……」
かつて家族を殺されて、復讐に身を委ねていた叶苗。
そんな日々の中で心身をすり減らし、時に束の間の逃避へと走ることもあった。
孤独な部屋で、気を紛らわせるためにテレビを付ける日も少なくなかった。
他愛もない番組が垂れ流される中で、彼女の姿を見たことをふいに思い出したのだ。
アイドルの番組を、叶苗は時おり見ていた。
けれど辛いときは、避けることもあった。
姉の面影に触れられることは、安らぎにも悲しみにも繋がった。
そして日月は、呆気に取られたような反応をする。
――世界各地から犯罪者が集められた、地の底の監獄。
そんな場所に半年も放り込まれて、他の犯罪者との関わりも避けていたが故に、日月は些細なことを見落としていた。
少なくとも日本において、自分は“けっこうな有名人”なのだという、とてもささやかな事実を。
氷月蓮は、アイと共に叶苗と日月のやり取りを見守っている。
ほんの少しだけ、意外そうな様子をその顔に浮かべていた。
それは動揺と言えるほどのものではないけれど。
それでも少なくとも、日月が何者であるのかを彼が初めて知ったことの証左だった。
「……うん。その鑑 日月」
そして日月は、こくりと頷く。
“開闢の日”という大事件より以前に起きた氷月の犯行を、ネイティブ世代の日月たちが知らなかったのと同じように。
“開闢の日”以前に表社会との関わりを断たれた氷月にとっても、日月のパーソナリティは未知のものである。
“開闢の日”の前後、変革に怯える大衆の灯火となるように幕を開けた“第二次アイドル戦国時代”。
GPAの存在によって米国と共に発展・繁栄を続けた日本だからこそ巻き起こった、芸能界のムーブメント。
その黎明期の頂点に君臨していた伝説のアイドルたち、“美空ひかり”や“TSUKINO”の再来と評された大型新人。
ソロアイドルとして鮮烈にデビューして以来、その美貌と才能によって破竹の勢いで台頭した超新星。
――――それこそが“鑑 日月”である。
◆
530
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:09:50 ID:zLfuLyRo0
◆
ある日の、何気ない帰り道。
とある“組の親分”との一時を過ごして。
気の抜けた身体を押すように、駅へと向かっていた矢先。
『お願いします』
『は?』
きらびやかな繁華街の路地にて。
真面目そうなスーツ姿の男から、名刺を差し出されていた。
『どうか、お話だけでも聞いて頂けませんか』
男はひどく謙虚な態度で、深々と頭を下げる。
礼儀正しいのに、名刺だけは堂々と突き出している。
両手に取った小さな紙切れを、私に向けている。
『いや……何?』
『私の名刺です。どうぞ』
そんなことは分かってるわよ、と。
思わず喉から吐き出しかけた私だったけれど。
『一目見た時からピンと来たんです』
男は顔を上げて、私をじっと見つめながら言ってくる。
その眼には、真っ直ぐな期待が宿っている。
天使か何かを見つけたように、男は私へと眼差しを向けてくる。
――男達の下卑た欲望や、醜い情動。
これまでの人生で、私が散々目にしてきたもの。
これまでの道程で、私が選び取ったもの。
そうしたものとは、まるで違う想いが宿っている。
眼の前のスーツ姿の男は、こちらを見つめ続けている。
私に対する眩い確信と、感激にも似た意志が向けられている。
『あなたは、輝いている』
その男は、私にそう告げてきた。
呆気に取られたまま、私は言葉を失っていた。
けれど男は、尚も変わらずに私をじっと見つめて。
それから一呼吸を置いて、彼は伝えてきた。
『私は、あなたをスカウトします』
色々な男に取り入って、雁字搦めになってきたけれど。
道端で口説かれて、自分から男に捕まるのは、その日が最初で最後だった。
それが鑑日月というアイドルの、始まりだった。
◆
531
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:10:42 ID:zLfuLyRo0
◆
――周囲の気配は確認済み。
――侵入者が現れた場合の仕掛けも設置済み。
――もしもの際の逃走経路も確保済み。
――叶苗の第六感や、アイの嗅覚で、不測の事態にも備えている。
一先ず問題なし、と四人は確かめた。
少しばかりの余興に走っても、有事のための備えはある。
故に彼女達は“それ”を始めることにした。
リビングに、小さな台座が置かれていた。
家屋内の物置部屋から適当に拝借したものだ。
その上に佇むのは、他でもない鑑日月である。
「…………日月さん、あの」
「…………何よ」
「…………嫌だったら言ってくださいね」
「…………うるさい。アイドルなめんな」
叶苗の気遣いに対し、日月はそう吐き捨てる。
なあなあでこんな状況になったが、もう引くに引けない気持ちになっていた。
台座の周りには、三人が腰掛けている。
ちょこんと座って、膝にアイを抱える叶苗。
叶苗に緩やかに抱えられ、きょとんとした顔を見せるアイ。
肩の力を抜いて胡座を掻きながらも、どこか気品を漂わせる氷月。
彼女達は台座の前に座り、日月を見上げていた。
一体、何が始まるというのか。
その答えは簡単――――ミニライブである。
鑑日月がアイドルであることに叶苗が気付き。
氷月も交えて、何気なく日月について話が始まり。
それからふいに氷月が提案したのである。
――君の歌を聴かせて貰えないかな、と。
なし崩し的に話は進み、気が付けばささやかなライブが始まることになっていた。
無論、周囲の警戒や注意を払うことは前提として。
「あう、あう」
「ほら。アイも楽しみにしているみたいだ」
「なんか鳴いてるだけでしょ」
微笑む氷月の小言に対し、日月は適当にあしらいつつ。
それから――ふぅ、と深呼吸をする。
台座が用意され、三人だけの観客が客席に腰掛け。
そうしてアイドルの歌を、彼女達が待ちわびている。
彼女達に応えるために、こんな地の底で小さな舞台の上に立っている。
奇妙な感情が、日月の胸に込み上げてくる。
いつぶりだろう。こうやってステージに立つのは。
逮捕されて以来、一度も歌うことなんてなかった。
あのステージの輝きは、日に日に遠ざかっていた。
それでも、記憶の奥底から。
あの鮮明な情景は、焼き付いて消えなかった。
日月が焦がれた光は、いつまでも日月の心を照らしていた。
愛おしい輝きが、日月の心を癒やし続けて。
そして、日月の魂を灼き続けていた。
感情がない混ぜになって、雁字搦めになる。
地に足が付いていないような浮遊感が、心を蝕んでいる。
それでも、日月は――――このささやかな舞台の上に、酷く懐かしさを覚えていて。
胸が張り裂けるよう想いに、駆り立てられていた。
すぅ、と息を吸った。
歌うのは、本当に久しぶりで。
舞台に上に立つのは、いつぶりかも分からない。
ほんの小さな、ちっぽけなステージ。
それでも鑑日月にとって、この台座の上は。
彼女が恋い焦がれてきた、アイドルとしての踊り場だった。
◆
532
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:11:58 ID:zLfuLyRo0
◆
在りし日の記憶。
在りし日の歓喜。
在りし日の孤独。
渚色、わたしの瞳。
ゆらり動く景色を映し出す。
スタッフが忙しなく行き交う中。
ハートの声が響き続ける。
ステージの真下。
本番と共にせり上がる台座。
そのうえで、私は忽然と佇む。
じきに、ライブが始まる。
華やかな舞台の下、ささやかな空間の中。
仄暗い闇の中でじっと待ち続ける、静かなる一時。
男と寝た後の静寂よりも、ずっと心地よくて。
これから訪れる高揚を前に、胸が高鳴っていく。
アイドル、鏡日月。
超新星。大型新人。
数十年に一度の逸材。
伝説の少女達の再来。
彗星のごとく現れたヒロイン。
みんな、私をそんなふうに称賛する。
清廉潔白。才色兼備。完璧なアイドル。
私のことを、誰もが持て囃してくれる。
あの輝きの中で、私は眩い星になっている。
結局のところ、私は。
掃き溜めの魔女でしかない。
だというのに。そう思っているのに。
ステージが、私の心を捕らえ続けている。
だから私は、今もここにいる。
この興奮と歓喜を、手放したくないから。
アイドルという希望に、私は灼かれているから。
――――本番5秒前。
スタッフが、開幕の合図を告げる。
楽曲の前奏が、流れ始める。
往年のシティ・ポップをオマージュした旋律。
レトロとモダンが手を取り合う、お洒落なサウンド。
私が手にしたもの。私が得た、掛け替えのない音楽。
私は気を引き締める。
息を呑んで、待ち構える。
そうして私は、微笑みを浮かべる。
此処に立てる歓びを、ただ噛みしめる。
私は、光と影を背負う。
孤独(Loneliness)は止められない。
それでも、強がりで奮い立つ。
『じゃ――――いってきます!』
鏡日月。
私は、アイドルだから。
◆
533
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:13:43 ID:zLfuLyRo0
◆
――――静寂が、その場を包んでいた。
日月の意識が、再び刑務へと戻される。
気が付けば彼女は、虚空を見つめていた。
一息をついて、呆然と宙を見上げていた。
何もない壁。何もない天井。
ただの木造で形作られた、単なる民家の内装。
適当な台座を使った、即席のライブ会場。
輝かしいステージとはまるで違う、辺鄙な舞台なのに。
それでも日月はこの場にて、ライトの光を幻視していた。
たった一曲。歌い慣れた持ち歌。
それを披露するだけの、4分足らずのライブ。
会場は孤島の廃墟。観客は三人ぽっち。
場末の営業よりも、余程ちっぽけな舞台。
ただ、それだけでしかないのに。
歌い終えた日月の胸中には。
言いようのない満足感が込み上げていた。
閉塞と、挫折感。苛立ちと、遣る瀬無さ。
アビスに収監されてから、日月は乾き続けていた。
何もかもが終わってしまった悲しみを、荒んだ顔に讃えることしか出来なかった。
もう二度と、あの光を取り戻すことは出来ない。
抑えきれない飢えに苛まれて、ただ“これが運命だった”と割り切ることしか出来なかった。
この刑務は、最後のチャンスだと言うのに。
それでも、鬱屈ばかりが、積み重なっていた。
自分は紛い物でしかないという実感だけが、日月を蝕んでいた。
だからこそ。
いま、この瞬間に。
久しい歓びを感じていた。
叶苗も。アイも。氷月も。
この場にいる皆が、日月を見つめていた。
それぞれの感情を抱えながらも。
鏡日月という少女の輝きが目に焼き付いていたことだけは、確かな事実だった。
ぱち、ぱちぱち、ぱちぱちぱち――。
沈黙していた叶苗が、やがて拍手を始めた。
その瞳に仄かな感激を宿しながら、彼女は日月のライブを称えていた。
「よかった……よかったです!」
拍手を終えた叶苗が、明るい声色で伝える。
「すっごい、素敵だった……!」
氷月に懐柔されていた時とは、また違う表情だった。
心から感動し、無意識のうちに癒やされるように。
叶苗は口元を微笑みに綻ばせて、日月にそう言った。
534
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:14:30 ID:zLfuLyRo0
叶苗に抱えられるアイも、日月をじっと見上げていた。
アイドルという文化を知らずとも――何か心惹かれるものがあったように。
ライブを聞き届けて、アイは好奇心を抱くように日月を見つめていた。
氷月は――ただ静かに、微笑みを口に浮かべている。
相変わらず、その真意を読み取ることは出来ない。
けれど今の日月にとっては、それよりも重要なことがあった。
「……ありがとう」
日月は、ぽつりと呟いた。
客席からの反応を前にして。
彼女はただ、唖然としながら。
けれど、久しい充足を感じながら。
「――――聴いてくれて、ありがとう……」
その目を仄かに輝かせて、日月は言葉を紡いだ。
嬉しい。そんな想いが、ふつふつと込み上げていた。
だって、アイドルとしての自分を見てくれたのだから。
全てを失った自分を、アイドルとして見つめてくれた。
鑑日月の歌を、受け取ってくれた――――。
それは日月にとって、安らぎであり、癒やしだった。
光と影の軋轢に苛まれ、苦しみ続けながらも。
それでも日月にとって、それを感じることだけが救いだった。
自分は孤独じゃないという証が、日月にとっての慰めだった。
そして、日月は。
自らの願いを、改めて自覚する。
ああ、やっぱり。
自分は、アイドルが好きなのだと。
これだけが、愛おしくて堪らないのだと。
そのことを、静かに噛み締めていた――――。
「君は、今もアイドルで在り続けたい」
不意に差し込まれた、氷月の言葉。
穏やかに、柔らかに、静かな声で紡がれる。
それは心地よさすら感じるほどなのに。
「そう思っているんだね」
彼が呟いた言葉を前にして。
日月は、呆然とした感情を浮かび上がらせた。
叶苗は、ハッとしたように、目を丸くしていた。
その視線が、氷月へと向けられていた。
揺さぶるには、たった一言で十分だった。
氷月はそれを分かっていたからこそ、敢えて投げ込んだ。
既に叶苗とアイの信頼を得ているからこそ、彼は差し込んだのだ。
鑑日月は、死刑囚であり。
生きて帰るためには――夢を再び掴むためには。
この刑務で、絶対に恩赦を得なければならない。
つまり、日月には“殺す動機”がある。
殺さねばならない、動機があるのだ。
何かを吐き出そうとして。
けれど言葉が喉を通らず。
日月は、表情を落として沈黙した。
自らに突きつけられた言葉に、動揺を抱いた。
◆
535
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:15:21 ID:zLfuLyRo0
◆
叶苗とアイを懐柔していく中で、氷月は日月だけが自分の立ち回りを観察していることを見抜いていた。
自身が仕組んだ“出来すぎた流れ”の異常性を察し、こちらの様子を伺っていることに気づいた。
だからこそ氷月は、機を伺った。
そして彼は、叶苗が何気なく気づいた事柄。
日月がアイドルだったという話に踏み込んだ。
好奇心からの人間観察も兼ねて、日月の反応を促した。
その果てに氷月は、日月の核心を掴んだ。
日月が抱える葛藤と鬱屈を、その言葉だけで揺さぶった。
そうして日月の“誰かを殺す動機”を浮かび上がらせることで、叶苗達にも日月への疑心を植え付けた。
鑑日月は、人を殺さなくてはならない。
その事実を暗示させるだけで、十分だった。
こうすることで日月を集団から孤立させることも、殺人へと誘導することも出来る。
氷月蓮の“殺人”という目的。
それは、自らの手で殺すだけに留まらない。
彼は人を支配し、その心と行動を操る。
裏で糸を操り、他者を暴力へと誘導することも容易い。
――疑心暗鬼からの同士討ちを誘発させ、生き残った者を最後に始末するか。
――“疑わしき者”である鑑日月を三人で排除し、叶苗とアイを完全に支配したうえで二人を殺害するか。
――先に叶苗かアイを殺害し、鑑日月を殺人犯へと仕立て上げるか。
あるいは、他にも打つ手はあるか。
今はじっくりと、チェスを愉しむことにしよう。
氷月は虎視眈々と、現状を俯瞰し続ける。
自らの殺戮の舞台を整えるべく、粛々と布石を敷く。
彼は紛れもなく悪人であり、紛れもない殺人鬼である。
生まれ持った“孤独”を意にも介さず。
男は淡々と、自らのサガに従って動く。
536
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:16:03 ID:zLfuLyRo0
【C-7/廃墟東の民家/1日目・午前】
【氷月 蓮】
[状態]:健康
[道具]:Tシャツ、ナイフ3本、フォーク3本、デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを獲得して、外に出る
1.この集団の信頼を得る。
2.集団の中で殺人を行う。
3.殺人のために鑑日月を利用する。
【鑑 日月】
[状態]:肉体の各所に火傷、深い屈折、葛藤
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.アビスからの出獄を目指す。手段は問わない
0.???
1.氷月を警戒。
2.ジャンヌに対する葛藤と嫉妬を抱えつつ、彼女の望み通りに叶苗とアイを保護する。
3.ジャンヌ・ストラスブールには負けたくない。彼女を超えて、自分が真の偶像(アイドル)であることを証明したい。
【アイ】
[状態]:全身にダメージ(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.故郷のジャングルに帰りたい。
1.(かなえを傷つけたくない、でもどうすればいいかわからない)
2.(あいつ(ルーサー・キング)は、すごくこわい)
3.(ここはどこだろう?)
4.(れんはきらいじゃない)
【氷藤 叶苗】
[状態]:胴体にダメージ(小)、罪悪感、虚無感
[道具]:シャツ、鋼鉄製の手甲(ルーサーから与えられた武器)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.新しい生きる目的を得たい。
1.アイちゃんを助けたい。
2.日月さんは、きっとアイドルで居続けたい。
※ルーサー・キングから依頼を受けました。
①ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、恵波流都、エンダ・Y・カクレヤマ。
以上5名とその他の“目ぼしい受刑者”を対象に、最低3名の殺害。
②1人につき15万ユーロの報酬。4名以上の殺害でも成果に応じて追加報酬を与える。協力者を作って折半や譲渡を約束しても構わない。
③遂行の確認は恩赦ポイントの回収履歴、および首輪現物の確認で行う。
④第2回放送直後、B-2の港湾で合流して途中経過や意思の確認を行う。
④依頼達成の際には恩赦後のアイの安全と帰還を保障する。
[共通備考]
※デジタルウォッチには恩赦ポイントの増減履歴を参照する機能があります。
どの受刑者の首輪からポイントを回収したのかを確認することも可能です。
※首輪には装着者を識別する囚人番号と個人名が刻まれています。
※交換リストに「参加者詳細名簿-80P」があります。
537
:
Ginger Root
◆A3H952TnBk
:2025/06/26(木) 17:16:40 ID:zLfuLyRo0
◆
孤独(Loneliness)は終わらない。
それでも、私は強がる。
背伸びを続けて、立ち続ける。
お別れを告げるのは。
まだ、出来そうにない。
◆
538
:
名無しさん
:2025/06/26(木) 17:17:13 ID:zLfuLyRo0
投下終了です。
539
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/26(木) 21:02:14 ID:KAOhRAOA0
投下乙です
>Ginger Root
孤独な少女たちをつなぐもの、叶苗の中にも輝くアイドルの思い出
懐かしのVRのアイドル達。あっ、あれは。美空ひかりちゃんの『届け!』じゃないか!?
身バレする日月、案外まんざらでもない反応である、まあ彼女にとってアイドルは大事だからね
アイドルという光を纏いながら、孤独という闇を背負ってきた彼女の真実
小さなステージで日月という人間の原点が浮かび上がる
そこで終わっていれば美しい話だったんだけど、それもすべて氷月の策略だったという
日月の望みをあえて言葉として突きつけることで利用する辺り余りにも悪質、人の心とかないんか?
完全に氷月が場をコントロールしている、このままこいつの思い通りになってしまうのか、対抗馬が欲しいが現状だと厳しいか
540
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:47:06 ID:exqZfDUc0
投下します
541
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:47:49 ID:exqZfDUc0
ブラックペンタゴンのエントランスホールに、沈黙が落ちていた。
直前まで混沌と咆哮が支配していた空間は、まるで全ての音を呑み込んだように静まり返っている。
鋭く、痛みを孕んだ気配が空気を突き刺していた。
残されたのは、ただ『殺意』だけである。
向かい合うは、ストリートを支配する頂点が二つ。
破壊そのものを纏うストリートの『王』──ネイ・ローマン。
荒々しき獣性を纏うストリートの『女王』──スプリング・ローズ、あるいはその魂の残滓。
床をひたひたと這うように、殺気が濃度を増してゆく。
呼吸さえ妨げるような圧に満ち、鋭く、濃く、研ぎ澄まされていた。
それは猛獣が跳びかかる直前の、凶暴な静寂。
膨れ上がった殺意を恐れるようなまともな人間は、この場には誰一人としていない。
「────行くよ、ローズちゃん」
かすれた声と共に、本条が指を構える。
放たれる瞬間を待つように、世界から音が消えた。
回転するシリンダー。
『我喰・回転式魂銃(ナガン・リボルバー)』──人格を弾丸にする本条清彦の超力。
ローズの魂ごと籠められた弾丸が装填される。
この瞬間、劣化していた超力は消滅を代償として、生前をも超える純度となる。
最初で最後の完全解放。
ネイ・ローマンの顔には、かすかに笑みすら浮かんでいた。
光よりも速く、理性では認識できない速度で本能に衝突する『死』そのものの気配。
敵意には敵意を。
殺意には殺意を。
牙には、破壊で応じる。
思えば、ストリートに敵対してはならぬという不文律を打ち立てたローマンに、幾度も真正面から殺意を向けてきた相手はこの宿敵ただ一人だけだった。
久方ぶりに浴びるその純粋な殺意。
その感覚が、もはや心地よくすらあった。
「だが、それも終わりだなぁ。消えな────ローズ!!」
その声に応えるように、音をも超えて放たれたのは────真紅の閃光。
同時に、ローマンから赤黒の破壊意志が放たれる。
怒りも、誇りも、信念も、報いも、すべてを詰め込んだ衝撃が、獣の弾丸を迎え撃つ。
その瞬間、世界が爆ぜた。
空間そのものが悲鳴を上げた。
赤黒い破壊の奔流と、真紅の野性が激突する。
衝突点を中心に空間がひしゃげ、炸裂し、時間が巻き戻ったかのように、すべてが吹き飛ばされていく。
「ぐ────ッ!」
ローマンが歯を食いしばる。
彼が放つのは弾丸など一撃で塵すら残さず消し去る程の凄まじき衝撃。
だが、獣の弾丸は砕けなかった。
激突により発生する衝撃は、地を揺るがし、ローマンの膝を軋ませる。
周囲の備品は次々と吹き飛び、わずかに、しかし確実に、ローマンが後退させられていく。
この弾丸はスプリング・ローズの獣性のみでは成立しない。
本条清彦の群としての統率と調律。無銘の技。サリヤの照準補助。
家族の絆が力となり、ローズを支えていた。
これは絆の生み出した一発限りの奇跡。
だが、奇跡とは、時に神をも殺す。
542
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:48:04 ID:exqZfDUc0
前進を止めない真紅の獣が衝撃を突き破っていく。
人狼の牙と筋肉と骨格が、破壊の奔流を削り裂き、推進力を維持する。
そして、衝撃波を食い破るように突き進むその爪先が、確かに、ネイ・ローマンの額に突き刺さった。
ローマンの頭部で衝撃が爆ぜ、その身体が後方へと吹き飛ばされた。
そのまま床に叩きつけられ、滲み出した紅が床に染み広がる。
反撃も、咆哮もない。残るのはただ、沈黙のみだ。
『アイアンハート』と『イースターズ』。
二大ギャングの、長きに渡る因縁がここに、一つの決着を迎えた。
どちらに肩入れするでもなく、観客のようにその決着を見届けていた四葉が呟く。
「――――惜しい」
ガラリという音。
沈黙の底から、それは聞こえた。
血混じりの咳と共に、倒れ込んでいたローマンが、ゆっくりと身体を起こした。
「……っぶねぇ」
額には深々とした傷穴。
溢れ出した血液が視界を真紅に染める。
だが、その一撃は、頭蓋を貫くには至っていなかった。
ほんの紙一重。
弾丸が頭蓋を穿つ寸前で、スプリング・ローズの弾丸は砕かれていた。
「チッ……そうかよ」
忌々しげに舌を打つ。
出血を抑えるように手で額に触れながら、勝因に得心したように呟く。
「……ギリギリで、削られてやがったか」
ジェーン・マッドハッターに与えられた致命傷。
ローズが弾丸になる直前に受けていたその損傷が、そのまま弾丸にも影響を及ぼしていたのだ。
あれがなければ、0.1秒の差でローズの弾丸はローマンの脳天を貫いていただろう。
互いに、あと一歩。
互いに、あと一息。
「ままならねぇな、俺も、お前も」
邪魔なき決着など、やはり叶わなかった。
もはや勝利の歓喜を叫ぶ気力もない。
「ま────引き分け、って事に、しといてやるよ……」
勝者の拳を掲げることすらできぬまま、ローマンはその場に身体を横たえた。
戦いの幕は、静かに、沈黙のうちに閉じた。
■
543
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:48:31 ID:exqZfDUc0
静寂が戻ったエントランスホールには、血の匂いと鉄の音が、残響のように漂っていた。
戦いは引き分けに終わった。
だが、スプリング・ローズは弾丸として撃ち出され、最後の力を振り絞ったにもかかわらず、宿敵(ローマン)を討ち果たすことなく、その人格としての痕跡を静かに消滅させた。
静寂が場を支配する中、本条清彦はゆっくりと膝をつき、床に片手をついて項垂れた。
肩はわずかに震え、指はこわばっていた。
伏せられた瞳の奥に漂う影は、深い後悔と、耐えきれぬ哀しみに満ちていた。
噛み締めた唇が、無音の痛みを語る。
その顔には、悲しみとも悔恨ともつかぬ、名もなき感情の表情が浮かんでいた。
「……ごめん、ローズちゃん……僕、もっと……もっと上手くやれたはずだったのに……」
その呟きは震えていた。
頼りなく、掠れた声が空気の中に溶け、霧のように消えてゆく。
「君は……あんなに頑張ったのに……勝てなかったのに……それでも……消えて……笑って……そんなの……悔しいよ……!」
叶えられなかった願い。
果たせなかった誓い。
想いを遂げぬままに散った、大切な『家族』の死。
本条は、その責を、自分一人の胸に引き取るしかなかった。
だが、そんな彼の心に、別の声がそっと寄り添う。
「……気に病む必要はないわ」
それは同じ口から発せられた、柔らかく包むような声。
人格の一つ──サリヤ・K・レストマン。
「彼女は、満足して逝ったの……最期の、あの笑顔。あなたも見たでしょ?」
その言葉には、理性と優しさ、そしてどこか達観した静けさがあった。
「泣くのは、きっと彼女の望む別れ方じゃないわ。だったら、笑って見送ってあげましょ」
さらに続けて、低く無骨な男の声が重なる。
もう一人の人格──無銘。
「見事な散り際だった。あれだけ出し尽くしたのだ。悔いは無いはずだ……勝ち負けでは測れぬ価値が、そこにはあった」
まるで香を焚くような、静かな語り口。
かつてローズに殺されながら、今は共に弾丸(かぞく)となった男。
その一言には、深い敬意と誠意が宿っていた。
『家族』と呼び合ったこの群れのなかで、スプリング・ローズは静かに、誇りをもって、永遠の眠りについた。
誰もがその最期を悼み、それぞれのやり方で、別れを告げていた。
「さてさて、涙の別れも済んだとこでさぁ」
しみったれた空気を切り裂くように、甲高い狂犬の声が跳ねた。
割って入った内藤四葉は、鋼の籠手を弄びながら、いつものように笑みを浮かべていた。
「選手交代、ってことでいいよね? 次は私の番、ってやつで!」
その宣言に、床に寝転んだままのローマンが手をひらひらと振って応じる。
「勝手にしろ……全部終わったら、起こしてくれりゃあいい」
「投げやりぃ〜〜〜」
軽口を叩きながらも、四葉の足取りは軽やかだった。
まるで試合前のボクサーのように、陽気で、だが獰猛な気配を纏っている。
彼女の視線が、本条の奥にいる別の誰かへと真っ直ぐ向いた。
「じゃあ、出てきなよ無銘さん――――闘ろう」
カシン、と音を立てて鋼の籠手が噛み合う。
「む、無銘さん…………」
「……もちろん応じよう」
主人格の問いかけに、応答するように瞳の奥が変わる。
曖昧だった光は鋭利な線へと引き締まり、曲がっていた背筋はまっすぐに正される。
まるで別人のよう、いや真実別人なのだろう。
怯えは消え、代わりに戦士の風格が現れる。
「俺は弾丸向きではないのでな、直接やらせてもらう」
無銘は、構えない。
型も取らず、ただそこに立つ。
流派なき万能の格闘家。
打撃、投げ、関節、体術。すべてに通じながら、いずれにも囚われない。
相手に応じて変化し、戦場に応じて姿を変える、変幻自在の戦士。
対する四葉は鋼人合体にて鎧を装着する。
身を包む全身鎧、その兜は弓の騎士『ラ・イル』のモノ。
この戦いで、四葉が持つ手札は限られていた。
三騎士、『オジェ・ル・ダノワ』『ヘクトール』『ランスロット』はエルビス戦で破損して現在再生中。
健在の鎧は『ラ・イル』のみである。
それでも、兜から除く四葉の目は笑っていた。
壊れかけの装甲を背負いながら、なおも愉しげに、そして獣のように笑い、構える。
544
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:48:57 ID:exqZfDUc0
二人の間に、静寂が流れる。
だが、それは一瞬だけのこと。
「────行くよ」
甲高い金属音が、沈黙を裂いた。
最初に動いたのは、狂犬四葉。
鋼で編まれた長弓──『ラ・イル』の弓が唸りを上げる。
矢羽から鏃に至るまですべてが金属製。
戦場仕様の鋼矢が、風を裂いて空間を支配する。
第一矢。
第二矢。
第三、第四、第五──
連射、連射、連射。
まるで機銃掃射のように、圧倒的な矢が放たれる。
空気は圧し潰され、衝撃波が床を波打たせ、背後の壁面が風圧で軋む。
鋼矢は音速を軽々と超え、その一撃一撃が直撃すればネイティブとて即死は必至。
それが、十、二十、三十と、絶え間なく撃ち込まれていく。
だが────そのいずれ一つとして、無銘の身体を捉えなかった。
踏む。
滑る。
跳ぶ。
重心をずらし、軸を捩じり、空間の歪みへと身を溶かすように──避ける。避ける。避ける。
四葉の矢は、的確だった。
だが、無銘の回避は、それ以上に冷静かつ正確だった。
矢の雨を受け流すように、無銘はその軌道を見切り、刃先を掠める軌道で滑り込んでくる。
ただ回避するではない。回避と同時に、距離を詰めてくる。
射手にとって、これほど厄介な相手はいない。
「……ちぇっ」
四葉が舌を打つ。
空を払う右手の動きと同時に手にしていた弓が霧散し、代わって現れたのは巨大な鋼槍。
破損した『ヘクトール』の長槍だった。
『四人の騎士』の一つから、部分召喚によって引き出された武装。
折れた柄、狂ったバランス、主人と同じく満身創痍の武器。
だが、手ぶらで近づかれるよりは千倍マシだ。
「ほらほら、近づくと痛いよ〜?」
四葉が迎え撃つように踏み込む。
鋼の穂先が唸りを上げ、水平に薙ぎ払われた。
人間の腕力とは思えぬ力を伴って振るわれた鋼の一撃は、斬撃というより質量そのものをぶつけるかのよう。
風を裂く音すら置き去りにする振りの速さで、迫り来る無銘の胴体を狙う。
だが──
「──────遅いな」
無銘が、静かに言った。
その言葉とほぼ同時に、四葉の槍は空を切った。
無銘が、わずかに腰を沈め、重心を前方斜め下へズラすようにして踏み込んでいた。
まるで槍術の死角を読み切ったかのような、洗練された入り。
次の瞬間。四葉の両腕が、するりと掬い上げられる。
柔道技に似た、だが微塵の柔らかさもない、鋭利な投げ。
545
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:49:11 ID:exqZfDUc0
「────ッ!?」
呻く暇もなかった。
無銘の腕が鎧の重心を捉え、腰の軸を制したまま宙へと放る。
鎧ごと、四葉の身体が宙を舞った。
天地が逆転する。
だが、その刹那にも四葉は動いた。
「お返しだァッ!」
鋼の脛がしなる。
恐るべき空間把握能力で相手の位置を特定し、逆さの体勢から爆ぜるような逆落としの後ろ蹴りを放つ。
放たれたのは、投げられた力を利用した空中からの踏みつけ。
だが──それすらも、無銘は捌いた。
蹴り足を肩でいなし、即座に胴へ組みつく。
次の動作で、四葉の身体ごと地面へと渾身の力で打ち据える。
「──ッ!」
大理石の床が悲鳴を上げる。
瞬間、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、四葉の胸部装甲が鈍く軋んだ。
「かはっ…………!」
打ち据えられた衝撃で、四葉の肺から呼吸が抜ける。
だが、無銘は止まらない。
そのまま絡みつくように四葉に組み付き、左腕を取って関節を極めにかかる。
ミシミシ……と金属が捩じれる嫌な音が、空間に響いた。
本来なら、このまま折られて終わる。
だが、次の瞬間、四葉の左腕が弾け飛んだ。
正確には、左腕の装甲部位がパージされたのだ。
『四人の騎士』の部分召喚機構を逆手に取り、強制排出で関節から腕を解放。
生まれたそのわずかな隙間から手を引き、ギリギリで腕関節を解放さえることに成功した。
「ひゅーっ……危なかった〜……」
距離を取り、跳ね退く。
軽口を叩きながらも、四葉の眼光は研ぎ澄まされていた。
無銘は、逃げた四葉の左手に視線を送って静かに言う。
「……やはり、な。その指、欠けていたか」
「ちぇっ。ばれちったか」
籠手に隠されていた指の欠損が、露わになる。
それを隠していたのは、不格好な手を恥じての事ではない。
戦術上の不利を避けるためだ。
指を欠いた手は、握力を失う。
握力を失えば、武器の保持力が下がる。
そして何より接近戦において掴むという行為の安定性が崩壊する。
万能型の無銘にこれを知られたのは痛い。
546
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:49:40 ID:exqZfDUc0
「おいおい、どうした狂犬。押されてんじゃねぇの。代わってやろうか?」
床に腰を下ろし、観戦モードのローマンが外野から野次を飛ばす。
「そこうるさ〜〜い! 外野は黙っててくださ〜〜い!」
四葉が振り返ることもなく怒鳴り返す。
口調は軽いが、実際にはあまり余裕などなかった。
エルビス戦の傷は癒えておらず、動きは精彩を欠き、呼吸もわずかに乱れている。
このままでは、不利なのは火を見るより明らかだった。
「……そいつの言う通りだ。交代してもいいぞ。その傷では、俺には勝てん。つまらん勝負は俺も願い下げだからな」
冷ややかに、だが率直に無銘はそう告げた。
先ほどの均衡は、ローマンとの三つ巴だったからこそ保たれていたもの。
一対一となれば、損耗した四葉では分が悪い。
命を賭けるには悪条件すぎる。
合理的に見れば、ここは引くべきだった。
だが。
「ハッ! らしくないこと言うねぇ、無銘さん!」
四葉は、目を見開き牙を剥いた笑みでその意見を笑い飛ばす。
無銘の言葉が、可笑しくてたまらないという風だった。
この戦いが不利なのは、百も承知。
トビとの同盟もあるし、ここで死ねば申し訳が立たない。
戦わない理由なら山のようにある。
だが、そんなことは知ったことではない。
「勝ち目だとか、後先だとか、どーーーでもいいよっ!
だって、しょうがないじゃん! 私はこういう生き方を“選んだ”んだからさぁ!!」
狂笑とも嘲笑ともつかない声が響く。
命も、理屈も、大事なものすら、全部抱えて戦いにベットする破滅的な生き方。
彼女は、自分でこの人生を“選んだ”のだ。
生きるために戦うのではない。
戦うことが、生きるということなのだ。
それこそ、戦っていなければ死んでしまう。
「アンタもそうじゃないのか無名さんッ!? それとも家族が出来て死ぬのが惜しくなっちまいましたかぁ?」
「まさか。安い命だ。命など惜しむはずもない──ましてや大事な『家族』のためならな」
「その言葉こそらしくないんだけどねぇ……」
家族を想うなどと言う無銘らしからぬ言葉だ。
四葉は目の前の男を改めて見定めた。
今の無銘は、四葉の戦った男ではない。
取り込まれ、家族を得て、変化し、別の何かになった別の者。
「ま、いいけどさ。闘れるんなら、相手が本物だろうと幽霊だろうと、私には関係ないもんね!」
彼女は笑いながら言う。
同じ戦闘狂という括りでも、無銘も四葉は本質的なところで違う。
無銘は、極限を追い求める求道者。
四葉は、ただ闘争を追い求める狂人。
547
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:49:59 ID:exqZfDUc0
「さっき、無名さんの名前が呼ばれたとき思ったんだよねぇ――――闘りたい相手とは闘りたい時に闘れ、ってさ」
一度逃して、ようやく気付いた。
得られた機会を今度は逃すつもりはない。
「トビさんには悪いけど、最期までやらせてもらうからね――――!」
彼女が手にしたのは、ひび割れた長剣。
構えた姿勢は、四つ足の獣のように低く沈み、前傾に重心を預ける。
「相変わらず、生き急いでいるな」
「そりゃそうでしょ!? 生き急がなきゃ、死んじゃうんだよ。私の中の“漢女”が暴れんだよォ!!」
それは、彼女にとっての原点。
すべての始まりを告げた存在だった。
憧れた相手がいた。
殺し合いの中でなお堂々と立ち、戦う理由を誰にも求めず、ただその存在こそが答えとなるような、そんな存在。
その背を見て、彼女はこう思ったのだ。
──ああ、生きるってこういうことか。
自分を抑えるなんてばからしい。
思うがままに生きなきゃ、それはもう死んでるのと同じだ。
だから四葉は一切止まらない。
あの日、あの背中を見てそれを学んだ。
「私にとって戦いは目的じゃなくて生き方だから! 戦わなきゃ生きてないなら戦うしかないじゃんか!?」
そう在りたいという衝動だけで、ここまで来た。
誰のためでもない。
何のためでもない。
死にたいわけでもない。
ただ、戦いたい。
「一発でも殴られたら、あの人のとこに少し近づける。血が出たら、あの人が笑ってくれる。骨が折れたら、きっと褒めてくれる」
吠えるように。
叫ぶように。
笑うように。
その感情まるで恋慕にも似ていた。
けれどその熱量は、恋を超えていた。
「だから私は、止まれない。勝ちたいとか、負けたくないとか、そんなんじゃない。
ただこう在ることこ──それが、私! 内藤四葉なんだよ!」
それが『あの日』から続く、彼女の結論だった。
自分であるために、内藤四葉は戦い続けている。
熱を孕んだその狂気にローマンですら、飲まれるようにしばし言葉を失っていた。
「戦いがなきゃ死んじまうんだよ! 呼吸するように暴れたいんだよ、私はさぁ!!」
叫びと共に、四葉が地を蹴る。
その手にあるのは罅割れた長剣。もはや使い捨て寸前の刃。
だが、それすら彼女にとっては十分だった。
548
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:50:39 ID:exqZfDUc0
「いっっっくよぉ────ッ!!」
飢えた獣のように、低く跳び込む。
腰を捻り、勢いを乗せた一閃──斜め上から叩きつけるような剣閃が、唸りを上げて無銘の肩を裂こうと迫る。
だが、無銘は微動だにせず。
ほんの数センチ、体幹を横に流すだけで刃は空を斬った。
その刹那。
四葉は空振った剣を即座に手放し、空中で身体を翻す。
「次ィ!!」
瞬時に左腕を引き絞る。
そこから召喚されたのは、砕けた長槍──《ヘクトール》の折れた柄。
折損部を棍のように持ち替え、横薙ぎに振るう。
「……ッ!」
流石の無銘も、これは受けざるを得なかった。
何とか前腕で受け流しつつ、その剛力に押されて脚を退かせる。
だが、そこに追撃が迫る。
四葉の背後より鋼の籠手が飛翔した。
鋭い風切り音と共に、空中を舞い、無銘の側頭部を狙う。
だが、無銘はその軌道を正確に捉えていた。
上体を後ろに倒し、反転した蹴りで籠手を打ち払う。
重力を利用して滑るように着地し、そのまま後方へ跳び、距離を確保する。
「ふはっ、いい動きィ!」
四葉の瞳が嬉々として光る。
続いて砕けたハルバードの柄をすくい取った。
「じゃあッ、今度はこれぇ!!」
半壊した残骸を振り回す。
ハルバードというよりも、もはや鉄の棍棒である。
だが質量は本物。まともに当たれば、骨ごと砕ける一撃。
だが、無銘は慌てもしない。
構え無きまま体重を微かにずらしその一撃を待ち構える。
「甘いッ!!」
瞬間、四葉の右籠手が射出される。
制御された鋼の拳が、死角から無銘を打ちにかかる。
前後同時攻撃。
無銘の眉が、僅かに動く。
前に踏み込めば背後を籠手に打たれ、
退けば、目前の鉄塊が襲いかかる。
「なら──前だ」
無銘は一歩、前へと踏み込んだ。
身体を滑り込ませてハルバードの柄を肘で弾くように受け流す。
同時に、背後から飛来していた籠手を手刀で弾き落とし、軌道を逸らした。
鋼がぶつかり合う音。
砕かれた籠手は軌道を外れて、床を跳ね、転がった。
549
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:51:02 ID:exqZfDUc0
「お次は──射撃だ!!」
間髪など入れない。
いつの間にか、四葉の手には弓。
四葉は完全な状態を保つ、唯一の武器。
無銘が籠手を処理している間に、『ラ・イル』の鋼の長弓を召喚していた。
至近距離からの狙撃。
鏃が触れそうな距離から、瞬時に放たれた第一射。
無銘が仰け反ってかわす。
矢が鼻先を掠め、背後の壁に突き刺さる。
体勢を崩した所に、第二射、第三射が連続で迫る。
無銘はバク転するように跳躍してそれらをかわすが、床には次々と鋼の矢が突き立ち、石材を抉る。
その隙に、四葉はすでに弓を捨て、武器の換装を完了していた。
「うおおおおおりゃあああああああ!!」
逆手に構えるのは剣。
野獣のように腰を落とし、唸るような気迫で全身でぶつかるように突撃する。
破損した長剣を力任せに振り切った。
迎え撃つのは、無銘の拳。
剣と拳が正面から衝突する。
鋼と肉がぶつかり、火花が迸る。
衝撃で無銘の拳が弾かれ、皮膚が裂けて血が滲んだ。
もし剣に刃こぼれがなければ、腕ごと斬られていただろう。
「……ッ!」
無銘はたまらず後方に数歩下がる。
じわりとにじむ血を見つめ、舌で軽く舐めた。
寄せ集めの武器を次々と切り替える、変幻自在の立ち回り。
破損した鎧の籠手を空中に飛ばし、奇襲とかく乱を繰り返す。
三騎士の鎧が壊れているからこその苦肉の策だが、厄介なことに違いはない。
だが、無銘はその立ち回りに、ひとつの違和感を感じていた。
「その籠手──どうして武器を持たせない?」
低く鋭い問いかけ。
だが、その声音には、すでに確信があった。
四葉の超力が鎧の部位単位で召喚・操作可能なのは周知の事実。
ならば、操る手に武器を持たせれば、投擲も斬撃も可能なはず。
だが、彼女はそれを一度たりとも行っていない。
「……腕だけでは、武器を振るうには──力が足りていないようだな」
静かで的確すぎる指摘。
剣も槍も、踏ん張る足と捻る胴があってこそ重さが生きる。
浮かぶ手だけでは、斬れないし、叩けない。
「ふふっ……わざわざ口にしちゃうとか野暮だねぇ、無銘さんはさぁ……!」
四葉が舌打ちし、杖のように剣を地に叩きつける。
けれど、その口元は笑っていた。
「お前の超力は武具や鎧を前提としている。全部壊せば戦いようもなくなる」
武器は削がれ、策は読まれ、戦術は暴かれている。
四葉の戦力が丸裸になっていく。
だが、それでも。
「ヒヒッ……! アハハハッ……! 良いよ良いよ、無銘さん! なら、もっとやろうよッ!!」
熱に浮かされた呼気。泡立つような笑い。
内藤四葉の瞳は、もはや完全にあちら側に染まっている。
獲物を噛み砕く前の野獣にも似た笑み。
殺意と愉悦が分かたれることなく溶け合い、感情の全てが戦いへ収束する。
「……やっぱアタマおかしいだろ、あいつ」
遠巻きに眺めていたローマンが、ぽつりと呟く。
それが内藤四葉という女だった。
550
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:51:37 ID:exqZfDUc0
狂気は、折れない。
否、折れるたびに、より赤く、激しく燃え上がる。
だが、その狂気は無銘に一切の揺らぎをもたらさなかった。
どれだけ狂気が昂っても。
どれだけ常識が逸脱していても。
彼の精神には波紋すら生じない。
いかなる時も精神を平常に保つ彼の超力。
激情と沈着。
狂気と理性。
正反対の在り方が、戦場の只中で交差していた。
「壊したいならもっと壊してみなよォ……! そしたらもっと、楽しくなるからさァッ!!」
彼女は嬉々として、次の武器を拾い上げた。
破断した柄。砕けた刃。戦場で役目を終えた残骸たち。
だが、四葉の手にかかれば、それすらも武器へと変わる。
使い捨ての戦術兵器。
そしてそれを嬉々としてぶん回す内藤四葉こそ、人間兵器そのものだった。
「そぅーーれッッ!!!!」
破損した長槍を放るように投げつける。
続けて自ら跳び込み、無銘が投槍を回避するのを見計らい、逆足の蹴りを放つ。
この蹴りを避けても、背後から籠手が襲いかかる三段構えの強襲。
だが、無銘はすべてを見切っていた。
投槍を避け、蹴りをいなして腰を落とし、足場を固める。
滑るように一歩を滑らせ、飛来する籠手を正確に叩き落とした。
「まだまだァッ!!」
四葉は止まらない。
拾い集めた残骸で、突き、殴り、払い、斬る。
空を舞う籠手が、時には地を跳ね、斜めから襲う。
だが、それらは全てすり抜けるかのように避けられる。
「ヒヒヒヒヒヒヒッ!! 避けんなよ無銘さん! 一回くらい喰らってみなよォ!! 楽しいかもよぉ!?」
破損したハルバードの柄が、振り下ろされる。
無銘はそれを正面から、掌で受け止めた。
鋼の軸が軋み、床に亀裂が走る。
だが、無銘は一歩も退かない。
掌で柄を捻り上げ、力技で弾き返すと、四葉の脇腹へ鋭く膝を突き上げた。
「ッつぁ!」
鎧が鈍く軋む音とともに、四葉が後方へ跳ねる。
それでも、その口元には笑み。
唇を舐め、白い歯を剥き出し、囁くように呟く。
「アハ……っは、最高ォ……! 痛くて、すっごい、効くの……超サイコー!!」
着地した彼女は舌なめずりしながら、次の武器を呼び出していた。
もはや自分でも何を装備しているかすら定かではない。
破片と破損と再召喚が入り混じり、戦術は無秩序の極地にあった。
だが、それでも四葉は攻め続ける。
止まった瞬間、内藤四葉は内藤四葉ではなくなるからだ。
砕けた剣の柄を拾い、渾身で殴る。
その直前、籠手が真上から飛ぶ。
剣の軌道は囮、籠手が本命──だがそれも読まれていた。
無銘は一歩前へ出て籠手を落とし、剣を流す。
その一連の動きは、水流のようだった。
四葉が炎なら、無銘は水。
形を持たず、力を受け止めず、ただ整えて流す。
暴力を受け流す静なる武の体現。
だが、水であっても、燃え上がる炎を──必ずしも消せるとは限らない。
551
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:52:06 ID:exqZfDUc0
「ふっひっひっひ……ッ」
髪が乱れ、顔が歪み、裂けた口元から笑いがこぼれる。
喉の奥で泡立つような笑いが、破裂寸前の高揚となって四葉を内側から満たしていた。
「楽しい……楽しい……たまんないねぇ、やっぱ戦いってのは、こーでなくっちゃァ!!」
四葉が攻める。
そのたびに、鎧の破片が吹き飛び、武器が砕け、傷が増えていく。
だが、そのすべてを彼女は――喜びとして、受け止めていた。
痛みも、損耗も、狂気の導火線。
破れていくのは、人間であるための常識と言う皮そのもの。
強襲。投擲。攪乱。
踏み込みはトリッキーで、間合いは不規則。
四葉の戦法は、合理を超えた混沌そのもの。
故にこそ予測不能で読みにくい。
だが、無銘の眼は濁らない。
「無駄だ……狂気では、俺を崩せんよ」
だが、無銘は微動だにしなかった。
構えず、焦らず、ただ流し、受け、捌き、読み切る。
己を空とし、型を持たぬことを極めた、武の結晶。
踏み込みの重心。
武器の重量配分。
肩の開き。膝の角度。
鎧の継ぎ目、関節の可動域。
静かに、確かに、絶え間なく、すべてを無銘は、観ていた。
超力に支えられるその冷徹さこそ無銘の武器。
そして、その眼が鋭く細まった。
「……そろそろ、終わりにしよう」
その瞬間、無銘が踏み込んだ。
狂気の間隙を縫い、鋼のように締め上げた貫手が、四葉の脇腹を抉るように突き刺さる。
「──がっ」
鋭い指先が、鎧の継ぎ目を正確に貫き、左脇下の柔肉へと深々と刺さる。
咄嗟に身体を捻るも、指先は肺を掠め、血が喉に逆流する。
だが、それでも四葉の血に濡れた口角が吊り上がった。
「……ははっ。ようやく掴まえた」
血まみれの笑みを浮かべながら、貫かれた自らの身体に食い込んだその手首を、四葉は左手で掴んだ。
だが、それがどうしたというのか。
指の欠けた左手。弱まった握力。
何より、組技では無銘に敵うはずもない。
掴んだところで止められるのは、ほんの一瞬に過ぎない。
すぐに振り払われてそれで終わりだ。
「──……ッ!?」
だが──その一瞬で、十分だった。
無銘の背が、わずかに仰け反る。
次の瞬間、その背に──異物が突き立った衝撃が走る。
鋼の矢。
その背に突き刺さっていたのは、弓の騎士『ラ・イル』の矢だった。
しかし、籠手だけでは弓は扱えない。
何より四葉は『ラ・イル』を装備している。
この場で操れるはずの鎧は、もはや残されていないはずだ。
だが、矢は放たれた。
では、誰が?
どこから?
いつの間に?
一瞬の疑問。
だが、答えはすぐにそこにあった。
振り返る無銘が見たのは、弓を構えた首なしの騎士の姿。
それを見た瞬間、無銘は全てを理解した。
これまで、四葉が装着していたのは『ラ・イル』ではない。
破損した三騎士『オジェ・ル・ダノワ』『ヘクトール』『ランスロット』。
それらの無事なパーツだけを継ぎ接ぎして、さも『ラ・イル』を装着しているように見せかけていた。
流石に兜ばかりは誤魔化しが効かないので、兜だけは『ラ・イル』のものだが、弓を打つのに首は必要ない。
つまり――『ラ・イル』は、戦闘開始時から常に自由なまま待機していたのだ。
恐るべき戦闘IQ。
四葉の狂乱も、破片の投擲も、策も、武器も、すべては無銘の動きを一瞬だけ止めるための布石だった。
四葉は最初からこの局面を予期して、これだけボロボロになりながら、最後の一手を隠し通したのだ。
552
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:52:43 ID:exqZfDUc0
連続する追撃の矢が、無銘の背を貫いていく。
反応の隙も、守る余裕もない。
無銘は体勢を崩した。
だが、それでも彼は止まらない。
足を踏みしめ、狂気にも痛みにも微動だにせず、冷静さを保つ。
突き刺した貫手を、さらに深く突き込み、そのまま心臓をを、抉らんとする。
「―――――知ってたよ。無銘さんなら、そう来るってさぁ!!」
だが、四葉は血に塗れてなお笑う。
もはや刃の欠けきった剣を、その手に握り──そして、振るう。
刃が短くなったが故に、その振りは風のように素早かった。
その刹那。
無銘の指先が、四葉の心臓に触れる寸前で──砕けた刃先が、無銘の喉を斬り裂いた。
吹き上がる血潮。
深紅の奔流と共に、無銘の身体が静かに崩れ落ちた。
「へへっ……私の、勝ちぃ……」
全身から血を滴らせながら、内藤四葉は呟くように勝利を告げた。
命を削り、肉を裂かれ、最期の一手で死神の喉笛を掻き切った少女の、歪んだ勝ち名乗りだった。
その声音には、痛みよりも、戦いを成し遂げた者の陶酔が混じっていた。
「――――ええ。そして、アナタの敗北よ」
死体のはずの男の顔が、女のモノへと変わる。
サリヤ・K・レストマン。
本条清彦の弾倉に込められた、次なる人格弾丸。
血と疲労で膝をつく四葉を、サリヤは見下ろしていた。
その指先が、容赦なく四葉の額へと向けられる。
今の四葉に、逃げる力はない。
もはや避けようもない、確実な死。
だが、それよりも早く。
────赤黒い閃光が奔った。
横合いから放たれた衝撃波が、嵐のごとく吹き荒れた。
すべてを飲み込み、砕き潰す暴風のようなエネルギーの奔流。
その中心に、四葉の身体があった。
鎧も、骨も、血肉も、瞬く間に砕け散る。
内藤四葉の命は──ここに、確かに潰えた。
凄まじい風圧の中、サリアは咄嗟に身を躱していた。
だが、指鉄砲を撃つことはかなわなかった。
四葉にとどめを刺したのはネイ・ローマンの『破壊の衝動』だ。
「……酷いことするのね。お友達じゃなかったの?」
吹き飛ばされた髪を整えながら、サリヤが皮肉交じりに言った。
口調は柔らかくとも、その瞳には冷たく、確かな非難の色が浮かんでいる。
だがローマンは、心底くだらないとでも言うように鼻を鳴らす。
「ちげぇよ。あんなもん、ただの腐れ縁だ。
それに、テメェの信念貫いて死ねたんなら、本望だろうよ。アイツも」
言葉とともに、ローマンは地に散った血の痕へ視線を落とす。
そこには、もはや人の形を成さぬ、内藤四葉という存在の残滓があった。
「都合よく相手の本望を代弁するのもどうなのかしら?」
「はッ。人を勝手に取り込む連中がどの口で。テメェらに取り込まれるより死んだ方がマシだったってだけだ」
ローマンは嘲るように笑った。
軍勢型に取り込まれる前に殺す。
これは事前に宣言していた事だ。
彼はそれを実行したに過ぎない。
553
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:53:15 ID:exqZfDUc0
「それで? ヨツハを取り損ねて、残弾はあと2発ってとこか。
──まさかそのザマで、俺に勝てるとは思ってねぇよな?」
「……残弾? どういう意味かしら?」
わざとらしく小首を傾げ、サリヤが問い返す。
だがローマンの目は、サリヤの奥にある、群れの中枢をまっすぐに捉えていた。
「今更惚けんなよ。さすがにここまで見てりゃ、バカでも分かるさ。
とっくにテメェのネオスのタネは割れてる」
ローマンが頭に手をやりふぅと嘆息する。
わざとらしく反省するようなジェスチャーを見せた。
「軍勢型だつぅから、ハイヴの野郎のイメージに引っ張られすぎたな。
お前の場合は軍勢型(レギオン)ではなく共生型(パラサイト)って所か」
ローマンの声が鋭くなる。
「主人格を強化するのではなく、一つの土台の上に対等な人格が乗ってるイメージだな。そこで技術や知識の共用もできるってのがお前の強みだ。
人格同士に上下関係がない。だから個別で前線に出られるし、消耗も分散できる。
ネオスのイメージは弾丸……いやそれを装填するリボルバーか? なら抱えられる人格の上限は5つか6つってところだな。どうだ? 俺の読みは当たってるか?」
サリヤは返さない。
しかし、その沈黙こそが、その推論の正しさを証明していた。
「メリリンにも言ったが、ネオスにはタネが割れても問題ないタイプと、タネが割れれば脆いタイプがある。さて、テメェはどっちだ? パラサイト」
問いかけと共に、ゆっくりとローマンが歩みを進める。
それに対してサリヤの笑みが、少しだけ深まった。
「……ふふ。少し、勘違いしているようね」
落ち着いた声音で、彼女は応じた。
同時に、ローマンの歩みを牽制するように指鉄砲の銃口を向ける。
「人格を取り込む条件は、私が相手を殺すことじゃない。
肉体と魂が分離する瞬間を、弾丸で捉えること」
指先が、ローマンから横へ滑る。
向けられた先には、すでに物言わぬ四葉の亡骸があった。
「つまり、直接殺すのが確実ってだけで──」
弾くように、人差し指を跳ね上げる。
閃くように、弾丸が発射された。
「────死体になった“直後”でも、十分に回収可能なんだよねぇ。ネイ」
喋りの途中でグラデーションのように声色が、変わった。
成熟した女の声が、明らかに若く、鋭い少女のものへと反転する。
その表情が輪郭が、笑い方が、目の色が──内藤四葉のものへと、変貌していく。
「チッ……!」
ローマンが忌々しげに舌を打つ。
そこには、苛立ちが濁流のように滲んでいた。
「ったく……キリがねぇな、ゴミ箱野郎。次から次へと死人を取り込みやがって」
苛立ちを隠さぬままローマンが、距離を詰めるように半歩踏み出す。
その周囲に苛立ちを体現した破壊の予兆が渦を巻く。
「で? 狂犬一匹拾ったところで、何か変わるのか?
さっきの戦いでもやしを見落としたのは、乱戦だったからだ。
タイマンじゃ、意識の外になんざ行けねぇぞ」
「──タイマンなら、ね?」
四葉の顔をした誰かが笑う。
それは彼女らしからぬ狡猾な笑み。
次の瞬間、彼女の超力が発動する。
重々しい金属音と共に、『ラ・イル』の鋼の鎧がその場に現れる。
彼女を良く知るローマンにとって今更驚きはない内藤四葉の基本戦術。
「……!?」
だが、ローマンの目が驚きに見開かれた。
鎧の掌が、指鉄砲の構えを取り、そこから空気を切り裂く弾丸が放たれたのだ。
ローマンは瞬時にこれに反応し攻撃を避ける。
それ自体は見飽きるほど見た指鉄砲だ。大した脅威ではない。
問題は、サリアの超力である筈の指鉄砲を四葉の超力である『ラ・イル』が放ったという事実である。
人格を、鎧に装填する。
複数の人格を、それぞれに分割召喚することで、複数の個体を同時に戦場へ展開する。
内藤四葉の人格を得ることで生み出された新たな武器。
554
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:53:37 ID:exqZfDUc0
正面には、内藤四葉の人格を装填した本条の体。
背後からは、サリヤが装填された『ラ・イル』の体。
一対多への変則戦術で前後から挟み込むように、ネイ・ローマンへ殺到する。
だが──
「──────バカが」
その瞬間、空気が赤黒くうねる。
ローマンの全身から放たれた衝撃波が、放射状に爆ぜた。
その中心から生じた破壊の奔流が、円環を描いて広がる。
前後に迫っていた鎧と人影は、まとめて吹き飛ばされた。
砕けた鎧の破片が、床に音を立てて散る。
空気は熱と硝煙の匂いを孕み、エントランスに重くのしかかる。
焦げた煙が立ち込める中で、ローマンの声が響く。
「言ったろうが、テメェの強みは技術の共有だ。
それをバラけさせたら、ただの劣化品の群れじゃねぇか」
吐き捨てるように言ったその声には、侮蔑と軽蔑、そしてほんの僅かな哀れみさえ混じっていた。
「よりによってそれを俺にぶつけるってのはどういう要件だぁ?
脳まで劣化したか? 腐れ狂犬。それとも――――魂とやらでは頭の回転までは再現できないか?」
ローマンの超力『破壊の衝動』は、全方位を一律に粉砕する。
複数人が同時に襲おうと、彼にとっては何も変わらない。
人格分割による多対一戦法は、他の相手には脅威だろうが、ローマンにとってはただの鴨だ。
むしろ、強力な一人による一点突破のほうが彼にとっては厄介である。
「言ったろ。タネは割れた。お前はもう、俺にとっては脅威になりえねぇよ」
断言するその声に、怒気も焦りもなかった。
それはただ、勝ち筋を読み終えた者の口調だった。
「……そうみたいだねぇ。今の三人じゃ、ちょっと厳しそうだ」
四葉──いや、四葉の姿を借りた誰かが、素直に劣勢を認めた。
口調こそ軽かったが、瞳には冷徹な戦況分析が浮かんでいた。
「私一人なら、死ぬまで闘ってもよかったんだけど……『家族』全員を危険に晒すのは、ちょっとね」
そう呟くと同時に、四葉はふいにその場から跳び退いた。
明確な敗北認識とリスク管理による戦術的撤退。
この戦場であるエントランスから、ためらいもなく戦闘狂は離脱した。
「……逃げたか」
ローマンは追わなかった。
拳も足も動かさず、ただ静かにその背中を見送った。
かつて、死ぬことすら遊びのように笑っていた狂犬が撤退を選んだ。
それこそが、あの女がもはや別物に変わっているという、何よりの証拠だった。
人格を取り込まれた者は、『家族』という至上命令に従って動く。
感情の優先順位が入れ替わり、行動原理そのものが塗り替えられる。
どれだけ姿形が同じでも、技術が再現されていても──やはり、別人なのだ。
四葉の逃げた先は、南西ブロック。
メリリンとジェーンの足取りを追ったのか。
それとも、二階へと至る階段を目指したのか。
「……いや」
ローマンはすぐに思考を修正する。
二階の階段前には、あの男──エルビス・エルブランデスがいるはずだ。
戦った手応えからして、今の本条清彦にエルビスを突破できるだけの力はない。
狂犬の無茶に引きずられれば話は別だが、可能性としては前者──メリリンたちの後を追った可能性が高い。
だが、ローマンはいくら惚れた女だろうと、何から何まで世話を焼くほど甘い男ではない。
むしろ、己の隣に立つ女には、それくらいは乗り越えてもらわなくては困る。
ローマンは本条を追うでもなくその場に膝をついた。
周囲に人気もなくなり気を張って疲労を誤魔化す理由がなくなったからだ。
先ほどの啖呵は、半分は真実だが、もう半分はハッタリだった。
スプリング・ローズの弾丸を額に食らったダメージは、深く、重い。
だが、それ以上に、戦いの積み重ねによる消耗がローマンを蝕んでいた。
ネイ・ローマンの超力は、感情そのものをエネルギーへと変換する『激情駆動型』のネオス。
ただでさえ燃費の悪いネイティブの中でも、特に消耗が激しい力だ。
この数時間、まともな休息も取らず、連戦を重ねてきた。
特に、最後の真紅の弾丸との衝突でかなり消耗させられた。
体力的な限界が近いことは、自分でも分かっていた。
555
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:53:50 ID:exqZfDUc0
「……まずは補給、だな」
誰にともなく呟く。
ゆっくりと身体を起こし、南東ブロック──倉庫の方へと足を向ける。
あの区域には、酒や食料が保管されていたはずだ。
ネイティブは回復力も相応に高い。
喰って休めばある程度は回復する。
今必要なのは、追撃ではなく、身体を維持するための栄養補給だ。
共生型(パラサイト)を追うのは、それからでいい。
歩き出して数歩のところで、ローマンはふと振り返る。
視線の先には──赤黒い残滓だけを残した、内藤四葉の亡骸。
狂犬。
戦闘狂。
破滅的愉快犯。
彼が殺した女。
そして、本条に魂を奪われた抜け殻。
ローマンは、彼女の死に後悔も迷いもなかった。
当然の判断をしただけだ。
四葉もそれを恨みに思うほど愚かではないだろう。
だが、それでも──口にしておくべき言葉が、ひとつだけあった。
「……お前らしい、なかなか面白ぇ勝負だったぜ」
それは、忌憚なく放たれた賛辞。
狂気と誇りと闘志をぶつけ合った一戦は、確かに記憶に刻まれた。
ローマンの口元が、わずかに歪む。
「ま、見物料分くらいは、働いてやるさ」
本来、ブラックペンタゴンでは情報収集だけのつもりだった。
最優先は、ルーサー・キングの探索と抹殺。
だが、あの共生型を野放しにしておくのも癪だ。
少しくらいは、そのために動いてやってもいい。
「それはそれとして、ポイントは頂いておくがね」
四葉の亡骸に近づき、抜かりなく首輪からポイントを獲得しておく。
最後にもう一度、亡骸へと目を落とす。
「じゃあな、ヨツハ。漢女と脱獄王に会ったら──よろしく言っといてやるよ」
その一言を残して、ローマンは背を向けた。
彼の背後に残るは、灰となった狂犬の終焉。
破壊の衝動を鎮め、補給を求めて、
ネイ・ローマンは、静かな方角へと歩き出した。
【内藤 四葉 死亡】
【E-5/ブラックペンタゴン南・エントランスホール/一日目・午前】
【ネイ・ローマン】
[状態]:額に銃創。全身にダメージ(中) 、両腕にダメージ(小)、疲労(大)、右手首にボルトによる刺し傷
[道具]:なし
[恩赦P]:100pt(内藤 四葉の首輪から取得)
[方針]
基本.やりたいようにやる。
0.見物料程度には本条を仕留めるべく働く
1.ブラックペンタゴンでルーサーを探す
2.ルーサー・キングを殺す。
3.スプリング・ローズのような気に入らない奴も殺す。
4.ハヤト=ミナセと出会ったら……。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。
【E-5/ブラックペンタゴン南・南西ブロック連絡通路/一日目・午前】
【本条 清彦】
[状態]:全身にダメージ、現在は内藤四葉の姿
[道具]:なし
[恩赦P]:18pt
[方針]
基本.群生として生きる。弾が減ったら装填する。
1.殺人によって足りない3発の人格を装填する。
2.それぞれの人格が抱える望みは可能な限り全員で協力して叶えたい。
3.ブラックペンタゴンへ行って家族を探す。
※現在のシリンダー状況
Chamber1:本条清彦(男性、挙動不審な根暗、超力は影が薄く人の記憶に残りにくい程度睾丸と肛門にダメージ)
Chamber2:欠番(前2番の山中杏は無銘との戦闘により死亡、超力は口づけで魅了する程度だった)
Chamber3:内藤四葉(前3番の無銘は内藤四葉との戦闘により死亡、超力は精神を保つ程度だった)
Chamber4:欠番
Chamber5:サリヤ・K・レストマン(女性、詳細不明、超力は指先から空気銃を撃ち出す程度)
Chamber6:欠番(前6番のスプリング・ローズはは弾丸として撃ち出され消滅、超力は獣化する程度だった)
556
:
狂犬は踊る
◆H3bky6/SCY
:2025/06/29(日) 12:54:01 ID:exqZfDUc0
投下終了です
557
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:31:06 ID:olIxadoM0
投下します
558
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:31:45 ID:olIxadoM0
朝の光がようやく森を照らし始めていた。
しかし、この一角だけは様相が異なっていた。
焦げた臭気と凍てつく冷気が入り混じり、清らかな朝の気配は一切届かない。
土はめくれ返り、岩は砕け、木々は根元から折れ伏している。
所々には焼け焦げた残骸がくすぶり、湿った地面には熱と冷気の残滓が絡みついていた。
まるで、大地そのものが災厄の記憶を封じ込めているかのようだった。
その焦土に足を踏み入れたのは、一つの巨影。
枝を払いながら姿を現したのは、漆黒の三つ編みを背に垂らした、筋骨隆々の女――大金卸樹魂。
重機の異名を持ち、いまはアビスに収監されている戦闘の亡者だ。
彼女は腕を組み、鋭い眼光を焼け焦げた草地と凍りついた倒木へと這わせる。
その視線は獣のように研ぎ澄まされ、あらゆる痕跡を見逃すまいと集中していた。
「……ほう。これはまた……随分と派手にやったものだな」
呟くと同時に膝を折り、地面へと身をかがめる。
掌をそっと地につけると、そこには未だ微かに残る温もりと冷たさが、皮膚を通じて伝わってきた。
掌の内から立ち上る微細な熱が、目に見えぬ空気の歪みに反応して揺れ動く。
「……なるほど。熱と冷気が拮抗していた。互いに退かず、正面から激突したか」
彼女は目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。
この場所で間違いなく、炎と氷――相反する超力の大規模な衝突が巻き起っている。
熱を自在に操る力を持つ彼女だからこそ、そうした気配には極めて敏感だった。
大金卸が観測した水蒸気爆発もこれが原因であろう。
地面に残る微かな足跡を追うように、大金卸はゆっくりと焦土を巡る。
やがて、爆裂痕を見つけると、目を細めた。
「三人……いや、それ以上か」
焼け焦げと霜が入り混じる地形。炭化した草。ぱっくりと割れた土塊。
空気の流れ、湿度の残り香、焦げた匂いと凍りついた植物の感触。
それらは、単なる二元の戦いではないことを示していた。
「炎使いと氷使いだけではないな……もっと入り乱れていたか」
闘志、怒り、悲しみ、祈り。
内面からほとばしる感情が超力と共鳴し、力として放たれた。
それは理を超え、命を賭してぶつかり合った者たちの戦いの痕跡。
もはや災厄としか呼べない、戦場の名残だった。
視線を左右に流しながら、大金卸は立ち上がった。
爆心地を中心に、放射状に広がる破壊の痕跡。
だが、その一角には、まるで誰かが衝撃を正面から受け止めたかのような異質な歪みがあった。
「……ほう」
彼女の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
この衝撃を耐えた者がいたという事実――それは、彼女にとって何よりの歓喜だった。
踏み荒らされた木々の列が、遠くまで続いている。
その先に目を向けた瞬間、焦土の中に焼け焦げた布切れと、血痕が染みついているのが見えた。
近づき、屈み込んで調べると、血の付着した獣毛が落ちていた。
「これは……獣の毛、か」
だが、この会場に獣の姿を見たことなどない。
ならばこれは、人ならざる者――獣人系の超力者、例えばアンリのような者がいた証左だ。
「護られた痕、だな」
自らの言葉に頷き、状況を再構成していく。
燃やされた木々の、その影にひとつだけ、守られたように残る草むら。
凍土の裂け目の先に、靴跡が折り重なり、逃げるように続く方向。
位置関係からしてそう言う図式が見て取れる。
彼女は静かに目を閉じ、戦場の空気を深く吸い込む。
脳裏に、狂気の炎と絶対零度が交錯した光景が幻のように浮かび上がった。
得られた情報から、この場で起こった戦闘を、まるでシャドーボクシングのように再構成する。
ここにあったのは、単なる力のぶつかり合いではない。
譲れぬ想いが、それぞれの拳に宿り、誰かを守るために――あるいは止めるために――衝突した。
まさに魂の拳が交差する、熱き闘争だった。
「……見事なものだ」
彼女の口元がわずかに緩む。
一見無秩序に見えるが、それぞれが信念を貫いた証が、そこかしこに散らばっている。
恐らくこの場所で、これから彼女が得ようとする『力』が振るわれたのだろう。
ここまでの衝突を生み出すには、相応の覚悟と技量が必要だ。
鍛え抜かれた拳に、魂を宿す者――彼女が最も好む真の強者たち。
そういう者たちが、ここで拳を交えたのだ。
最上の戦場――そう言って差し支えない。
三つ編みを背に流しながら、彼女は拳を強く握った。
胸の奥で高鳴る感情に呼応するように、拳に熱が灯る。
その場に立ち会えなかったことが、ただただ悔しかった。
559
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:32:31 ID:olIxadoM0
「ここにいた者たちは……すでに立ち去ったか」
残された気配は、すでに風化を始めている。
闘いの終わりから、少なくとも数時間は経っているようだ。
「……ん?」
口惜しさを噛みしめていた大金卸の感覚が、ふと風の微かな変化を捉えた。
朝の陽が差し込む東の方角から、ひやりと肌を刺す冷気が忍び寄ってくる。
それは、自然がもたらす冷たさではなかった。
霜でも風でもない、意志を帯びた冷気。
それが人為によるものであると、彼女は長年の経験で即座に察知した。
体が反射的に動く。
眉一つ動かさず、呼吸を浅く抑え、足音を土に吸わせるようにして身を低く構える。
大地と一体化するかのような、無音の構え。
――聞こえる。
風でも木々のざわめきでもない。
氷が削れ、空気を裂く音。
微細な冷気の粒子が、空間を鋭く切り裂いていく。
その気配に視線を向けた刹那、数百メートルさきの草原に彼女はそれを見つけた。
「……滑っている、のか?」
朝靄に包まれた草原を、歩くでも走るでもなく、滑るように進む小さな影。
足元に生み出された氷が瞬時に地表を凍らせ、その上を音もなく滑走している。
まるで、氷上を舞うスケーターのように、自在かつ優雅な動き。
それは――年端もいかぬ少女だった。
未成熟な肢体を、薄氷の鎧が覆っていた。
見れば右腕は完全に氷でできた義手のようである。
その姿は神聖な静謐さと、どこか常軌を逸した狂気を同時に孕んでいた。
間違いない。氷を操る超力者だ。
「……ただの子供ではないな」
鋭く光る大金卸の眼は、少女の纏う練度を見逃さない。
氷の張る超力の運用に無駄がなく、体捌きに一切の迷いがない。
移動に合わせて完璧に足場を生成する制御――あれは、相当な鍛錬を積んだ者の所作。
ただの訓練では辿り着けない域。
どのような事情であれ、実践的に超力を使う極限環境に身を置いていた者の練度である。
名は知らずとも、ただの囚人ではないことは一目で分かる。
(……どこへ向かっている?)
少女の軌道には迷いがなかった。
明確な目的地に向かう者の動きである。
それは逃走ではない。追尾でもない。強襲の足運び。
目標を定め、制圧する――氷が導く滑走の軌跡が、その意志を明確に示していた。
その先に何があるのか。
大金卸が答えに至るよりも早く、空気が反転する。
今度は、熱だ。
突如として気圧が変化し、空気が密に膨らむ。
湿度が急激に上昇し、空間そのものが焼き破られるような圧が押し寄せてきた。
560
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:32:42 ID:olIxadoM0
紅の翼を翻し、空を裂く流星。
氷の少女が現れたのと同じ東方から、炎の奔流が駆ける。
その推進力となっているのは、まとわりつく焔そのものだった。
黄金の髪。祈るような眼差し。そして、燃え上がる気高さ。
まるで空そのものを祈りで燃やすように、少女は超低空を跳ねるように飛翔していた。
大金卸の目が細められる。
彼女の顔は、氷の少女とまったく同じだった。
異なるのは、髪色と年齢。そこから至る結論は一つ。
(……姉妹か)
そうとしか思えないほど、瓜二つだった。
少なくとも、アビスの名簿に同姓の囚人はいない。
だが、姓の異なる姉妹など珍しくもないだろう。
見る限り、炎の少女は氷の少女を追っている。
彼女たちの間にいかなる事情があるのかは分からない。
だが確かなのは、血を分けた存在でありながら、氷と炎――異なる力、異なる意思を抱いてぶつかろうとしているということ。
それは、まさに爆心地に刻まれた水蒸気爆発の象徴そのものだった。
大金卸の口元が自然と綻ぶ。
先ほどまで辿っていた闘争の痕跡。
それと完全に一致する存在が、今まさにその目の前を駆けている。
風が再び強く吹き始めていた。
氷の軌跡は、露草の上に薄氷を残しながら、やがて朝靄に溶けて消えていく。
炎の残り香は、微かな熱流となって空に漂っていた。
姉妹のような二つの影。
重力を振り切る焔の飛翔と、大地を滑る氷の流星。
決して交わらぬようでいて、どこかで交差し続けている双曲線のような存在。
そこに、大金卸の戦士としての嗅覚が、確かな闘争の匂いを感じ取っていた。
これを見逃す理由など、どこにもない。
拳が自然と握り締められる。
自ら戦場と呼んだ焦土のさらに先に、また新たな魂の拳が衝突しようとしている。
ならば、選ぶべき道は一つだ。
だが、駆け出す前に、彼女はふと立ち止まった。
ふたりの少女は、既に遠い。
かつての自分であれば、考える間もなく飛び出していただろう。
ただ強者を求め、拳を交えることだけに価値を見出していた、あの頃の自分であれば。
だが、今は僅かに不純物が混じっている。
アンリの一撃。
ナチョの言葉。
そして、あの少女たちの、互いを庇い合う姿。
それらが、確かな迷いを彼女の中に生んでいた。
「……拳に、誰かを救う力が宿る、か」
呟いた自分の声に、思わず苦笑が漏れる。
それは、自分にはあまりに似つかわしくない言葉だった。
そんな考えが脳裏をよぎったのは、生まれて初めてだった。
だが思えば――拳こそが、我にとって唯一の拠り所だった。
■
561
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:33:00 ID:olIxadoM0
生まれた時から、我は――異物だった。
人は皆、生まれたての赤子の身体は脆く、柔らかいものだと疑わない。
しかし、我は違った。
我の腕は、産声を上げたその瞬間から、岩のように固かったらしい。
幼子がふにゃふにゃと頼りなく親に抱かれる中。
我だけはどれほど強く抱かれても、泣き声一つ上げなかった。
代わりに、抱いた者の腕が痺れ、驚きのあまり手を離す始末だった。
その理由は肉の量。
曰く、筋肉の質に男女差はない。
差を生むのは、その筋肉量である。
ならば、生まれながらにして男児以上の筋肉を持った女児がいて、何がおかしいか。
我が存在は、その理の証明だった。
『ミオスタチン関連筋肉肥大症』と名付けられた症状。
この体質を『超人体質』と、そう呼ぶ者もいた。
だが、いくら理屈が立っていようと、人々の見る目が変わるわけではない。
幼い我に向けられる視線は、興味ではなかった。
羨望でも、尊敬でもない。
────畏怖。
それは獣に向けるそれと、寸分違わぬものだった。
可愛がられることもなく。
庇護されることもなく。
唯一与えられたのは、檻の中で育てる獣のような、監視と距離感だけだった。
隣の子供たちが無邪気に手を繋ぎ、笑い合う姿を、我は遠巻きに見ていた。
こちらから差し出した掌を、誰も取ろうとはしなかった。
だが、それを寂しいと、我はただの一度も思ったことはない。
力とは、孤独の代償であり。
拳とは、己の価値を刻むための言語だ。
そんな感覚が、物心のつくよりも早く、この身に沁みついていた。
だからこそ我は、誰に教わるでもなく、拳を握った。
正しい握り方を知ったのではない。
ただ、拳がこの身の中心にあると、信じたから。
己の存在を肯定する手段は、それしかなかった。
そして、拳を重ねるたび、思い知ることになる。
────力こそが、我の真実だ、と。
だが、いかに強くとも、世には上がいる。
その現実を我に突きつけたのは、まだ六つの頃だった。
小学生に上がろうという前に、我は実家を飛び出し、秘境の山中にある拳聖の道場の門を叩いた。
我の拳は、未だ粗削りだった。
恵まれた天賦の才を力任せに振るうだけで、技も理もなかった。
師範は、そんな我に拳の握り方から、足運び、呼吸、すべてを一から叩き込んだ
それだけではなく、礼節作法や雑用など、日常生活における基礎までも教え込もうとしていた。
今にして思えば、それは力だけではない、人としての生き方を教えようとしていたのだろう。
だが、幼い我にはそれが理解できなかった。
562
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:33:13 ID:olIxadoM0
礼儀や他者の世話など拳の求道に不要と。
我は不満を漏らし、納得がいかぬなら拳で通せという道場の掟に従い、ひたすら挑み続けた。
ただ、勝ちたかった。
ただ、師範に褒められたかった。
ただ、兄弟子たちに一矢報いたかった。
同年代には敵はいなかった。
遥か年長の不良どもすら、我の拳を恐れて逃げ出した。
だが――この道場は違った。
兄弟子たちは、我を余裕でいなした。
拳は届かず、脚を絡め取られ、投げ飛ばされ、地を這った。
師範に至っては、まともに触れることすら叶わなかった。
十度挑んで十度負けた。
百度挑んで百度負けた。
千度挑んでも──勝てなかった。
拳を握るたびに思い知る。
ただ力が強いだけでは、届かぬ世界があると。
拳だけでなく、心をも磨けと、師範は伝えたかったのだろう。
それでも、我は諦めなかった。
泣き言を漏らす暇があれば、拳を鍛えた。
情けを乞うくらいなら、脚を鍛えた。
それは師範らの願いに沿う形の物ではなかったのだろう。
だが、拳を振るうために生まれた我が、拳を棄てて何になる。
ぶれることなく、逸れることなく、我は拳を研ぎ続けた。
ただ、打ち続けた。
ただ、立ち続けた。
ただ、前へ、前へと踏み出し続けた。
そして、十歳の年。
兄弟子の一人を――初めて、拳で叩き伏せた。
その兄弟子もまた、拳聖の下で武を磨いた強者である。
背丈も、体格も、技量も、当時の我を遥かに凌ぐ相手だった。
だが、あの日だけは、我の拳が先に、彼の身体を撃ち抜いた。
武の一字すら知らぬチンピラを叩きのめすのとはまるで違う。
圧倒的な強者と武を競い、勝つという麻薬めいた快楽を初めて知った瞬間だった。
その日からだ。
我が、己の強さをより強く追い求めるようになったのは。
さらに高みへと手を伸ばすことを、やめられなくなったのも。
だが、その道は決して平坦ではなかった。
他者に阿るのではなくただひたすらに武を磨き。
拳聖の後継となるべく、師範を超える道を選んだ。
師範を打ち倒したのは、十五の年。
だが与えられたのは皆伝ではなく、破門だった。
善意を理解出ぬ凶拳の烙印を押され、我は道場を離れた。
我の武は既に達人の域に達していた。
拳聖を打ち倒した我に敵う者はいない。
拳で届かぬ者はいない。
そう、思い込んでいた。
今となっては若さゆえの傲慢だったと言えるだろう。
当時の我にはそんな傲りが、確かにあった。
563
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:33:23 ID:olIxadoM0
──あの日、あの男と出会うまでは。
十八歳の年。
まだ『開闢の日』より以前。
世界が未だ、常識に縛られていた時代のことだ。
日本の西の外れ。
そこは訓練用に封鎖された、自衛隊の山中演習場だった。
山籠もりを行っていた我はそこに偶然に迷い込んだのだ。
否、あるいは偶然はなく、あれは──我の『本能』が導いたのかもしれない。
拳を、より強く、より高く、磨くために。
無意識に、強者の匂いを追い求めていた。
演習場には、異様な気配が充ちていた。
野生動物のような、研ぎ澄まされた殺気。
街の不良どもが放つ雑音混じりの暴力とはまるで異なる、研ぎ澄まされた刃のような洗練された殺意。
我を見つけた兵たちは、声をかけるでもなく即座に排除に動いた。
物騒なことこの上ない判断だが、封鎖された区域に、所属も知れぬ恐るべき威圧感を纏った異物が迷い込めば、排除命令も下ると言うもの。
拳を極めたと自負していた我ですら苦戦を強いられる程の強者たちを数名を打ち倒した所で、その男は現れれた。
一際、異質な男が。
顔は四角く、ゴツゴツと削られた岩のよう。
髪は刈り込まれ、瞳は濁り一つなく、全身に纏う空気は鍛え抜かれた鋼そのもの。
我らは言葉は交わさなかった。
ただ、拳で語らった。
そして────完膚なきまでに、叩き伏せられた。
既に熊殺し、牛殺しを成し遂げ、あらゆる生物に敵なしと豪語していた我が。
拳を振り上げれば、先に骨を砕かれた。
脚を踏み出せば、容易く甲を踏み抜かれた。
隙を突けば、技で無力化された。
あまりにも、何もできなかった。
にも拘らずこの胸には跳ねるような高鳴りがあった。
それは、恋に似ていた。
あるいは、恋そのものだったのかもしれない。
拳で全てを測ろうとしてきた我が、拳一つで屈服させられた。
己が頂点であると傲慢を抱えていた己の未熟を突きつけられたことが、たまらなく嬉しかった。
強者に心惹かれる浮気性な我ではあるが、その奥底に己より強い相手を求める漢女心もあるのだ。
「――――鍛え直して来い」
苦もなく我を打ち倒した男は、それだけを残して去っていった。
その背中を見送りながら、我は地に伏したまま、涙をこぼしていた。
悔しさではない。
拳には、まだその先があると知った。
いつか再び、彼に挑める未来があるという希望に、胸が震えたのだ。
■
564
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:33:46 ID:olIxadoM0
あれから幾年。
時は流れ、世界は変わった。
『開闢の日』を境に、人も、力も、常識さえも、すべてが塗り替えられた。
かつて積み上げた価値の多くは崩れ、残ったのは――己自身と拳だけだった。
何事も極めてしまえば、伸びしろは消える。
拳を完成させてしまえば、その先には何もない。
それは、終わりに等しい静寂。
否――絶望にすら近いものだ。
今の大金卸樹魂もまた、その淵に立っていた。
心を奪われるほどの敗北も、魂を震わせるような高揚も、長らく味わっていない。
もはや、呼延のような同じく『道』を極めた者との命懸けの立ち合いだけが、かろうじて火を灯してくれる。
だがそれも、刹那的な刺激にすぎなかった。
だが、今、我が感じているこの高揚。
それは、あの時――あの男に叩き伏せられた日の感覚に似ている。
絆の拳。
これまで見向きもせず、無意味だと切り捨ててきたその在り方。
だからこそ、そこにはまだ、我の知らぬ『余白』がある。
この拳は――まだ、進化できる。
その確信が、再び我を戦場へと駆り立てている。
ならば、試してみる価値はあるではないか。
「誰かを守るための拳」というものが、本当にこの手に宿りうるものなのかどうか。
師に説かれ、かつての己が否定した力。
今の己が、それを試してみたいと思うようになった。
それを成長としてとらえるべきか、あるいは変わらぬ我欲であると捉えるべきか、自分自身では判断できない。
それがたとえ、ただの気まぐれであっても。
過ちであっても構わない。
これは救済でも、善意でもない。
あくまで力を欲する求道の一環だ。
この拳にどのような力が宿るのか。
どのような変化が起きうるのか。
我の興味はそこに尽きる。
結果がどうであろうとも、今の己に必要なのは――実践だ。
「……決めた」
草を踏みしめる足元には、かつてのような獣じみた重さはなかった。
ただ、己の意志で一歩を進めるための、確かな質量だけがあった。
この先に戦があるならば、そこには必ず勝者と敗者がいる。
強者と、弱者がいる。
ならば。
「次の闘争では、我が拳を、『弱者』のために振るうとしよう」
それが正義かどうかなど知らない。
善意という言葉の意味も、未だ大して理解してはいない。
だが、もしそれによって拳に何かが宿るのならば――――知りたい。
ナチョが信じ、安里が信じ、あの少女たちが選んだもの。
自分にはなかった力の源泉が、本当に『絆』と呼べるものなのかどうか。
善悪が分からずとも、戦力と戦況を読むことにかけては誰にも劣らぬ自信がある。
だからこそ、駆け付けた際にその場で『もっとも弱き者』のために拳を振るう。
それは単純な実力の話ではない。
強者に蹂躙されようとする者がいるならば、その前に立つ。
数に追い詰められる者がいるならば、その背を支える。
踏み潰されそうな者がいるのならば、その剣となる。
駆け付けた戦場で、もっとも追い詰められた者をこの拳で庇護しよう。
565
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:34:11 ID:olIxadoM0
それは、まだ欲望の延長線にある選択だ。
学ぶのではなく、試すのだ。
拳を、高めるための一つの手段として。
「一度だけなら……確かめてみる価値はある」
その一歩は、確かに、これまでの彼女とは違っていた。
その拳が向かう先には、初めて己以外の存在がある。
それこそが、第一歩。
「……次の戦場が、楽しみだな」
大金卸樹魂は、ゆっくりと歩き出した。
その背に朝日が差し、影を濃く落とす。
影の先には、微かに温かな色が差し込み始めていた。
戦場とはかくも心躍る場所だが、この浮き立つような心持ちは久方ぶりである。
この拳が完成に至って以来、久しく感じていなかった新たな技を試してみたくなるような感覚。
その歩みは、かつて戦場を蹂躙していた重機のものではない。
新たな『武』を求める、修行者の一歩だった。
彼女は――確かに変わり始めている。
まだ誰も気づかぬ、小さな変化。
だが、それでも。
その一歩は、いつか世界を変える拳になるかもしれない。
【C-4/森の中/一日目 午前】
【大金卸 樹魂】
[状態]:胸に軽微な裂傷と凍傷、疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強者との闘いを楽しむ。
0.炎と氷の姉妹を追う。
1.新たなる強者を探しに行く。
2.万全なネイ・ローマンと決着をつける。
3.ネイとの後に、りんかと決着をつける。
4.善意とはなにか、見つけたい。誰かのための拳に興味。
【C-3/草原/一日目 午前】
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、右脇腹に火傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
1.ジルドレイを追い彼の凶行を止める
2.ルーサー・キングとの合流地点(港湾)を目指す。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
【B-3/草原/一日目 午前】
【ジルドレイ・モントランシー】
[状態]: 右目喪失(氷の義眼)、右腕欠損(氷の義肢)、怒りの感情、精神崩壊(精神再構築)、全身に火傷、胸部に打撲
[道具]: 無し
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本. ジャンヌを取り戻す。
1.港湾と灯台に向かい、ジャンヌの光をジャンヌに証明する
2.出逢った全てを惨たらしく殺す。
※夜上神一郎によって『怒りの感情』を知りました。
※自身のアイデンティティが崩壊しかけ、発狂したことで超力が大幅強化された可能性があります。
566
:
弱き者のための拳
◆H3bky6/SCY
:2025/07/04(金) 21:34:40 ID:olIxadoM0
投下終了です
567
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:17:25 ID:00oOMpbo0
投下します
568
:
血の宿命
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:19:13 ID:00oOMpbo0
バルタザール・デリージュ。
本名――――セルヴァイン・レクト・ハルトナ。
1999年7の月。
東欧の南端、中東にほど近い内陸に位置する小規模な立憲君主国ハルトナ王国に双子の王子が誕生した。
セルヴァイン・レクト・ハルトナと、グランゼル・ルオ・ハルトナ。
双子の存在は、将来的な王位継承をめぐる問題を早い段階から内包していた。
出生時にわずか十数分早く産声を上げたセルヴァインが兄とされ、以降、王家内では兄が第一王子、弟が第二王子として扱われることになる。
当時の国王グランリード・ハルトナの治世下、王権は象徴としての側面を残しつつも行政や軍に一定の影響力を持ち、王族は依然として国政に関与し得る地位にあった。
両者の性格は幼少期から顕著な対照を見せていた。
兄であるセルヴァインは身体能力に優れ、体格にも恵まれていた。
外向的で主導権を握ることを好む支配的な性質をしており、現場感覚と即応力を備えた天然の指導者として注目された。
自らが先頭に立ち周囲を引っ張っていくその統率力は一種のカリスマとして宮廷内でも一目置かれている程だった。
反面、野心家で感情的。自身に従わぬ者への攻撃性は幼くして顕れていた。
一方、弟であるグランゼルは観察と対話を重んじる思慮深い性格で、制度や文法といった構造的な知識に強く、特に歴史と法制度には早くから関心を示していた。
第二王子である立場をわきまえ、一歩引いた位置から俯瞰した視線で物事を見る視野の広さを持ち合わせていた。
支配的な兄に従順な弟。
後継争いを危惧する宮廷内の噂も余所に、兄弟の仲は驚くほど良好だった。
だが、成長するにつれ、彼らの進む道は明確に分かれていく。
国内において、兄の性格は強引かつ感情的と評価されることが多かったが、一定の層からは「強い指導者」の資質として期待も寄せられた。
セルヴァインは政治の舞台にも早くから関心を示し、14歳の時点で軍学校系の教育機関への進学を自ら希望している。
訓練成績は常に上位にあり、軍部や政治家らの後援を得る下地がこの時期に形成された。
一方のグランゼルは王立大学へと進学し、比較政治学と行政法を専攻。
官僚養成に近いルートを選択し、王族という立場を活かして非公式の外交折衝にも参加するようになる。
彼の学識と穏健な物腰は一部の外交官や若手官僚に太い人脈を築いていく。
その均衡が崩れ始めたのは、父王の病が公となった頃だった。
王位継承の議論が現実味を帯び始め王室内では次代の王をどちらにするかをめぐる非公式な調整が始まっていた。
形式上は第一王子セルヴァインが継承権を持っていたが、内政・外交の安定を重視する勢力は、第二王子グランゼルを推す動きを強めた。
セルヴァインは強硬な指導力で国防や治安に実績を上げていたが、その一方で、命令違反者の左遷や内部粛清といった強権的手法が問題視されはじめていた。
対するグランゼルは欧州評議会での演説経験もあり、外交的信頼と国内支持を同時に得ていた。
この空気に、良好だった兄弟関係にも徐々に亀裂が広がり始めていた。
569
:
血の宿命
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:19:42 ID:00oOMpbo0
2020年6月末。
国王グランリード・ハルトナが崩御。
王宮内では非公開の緊急評議が開かれ、遺言が開封される。
そこに記された次期王の名は――第二王子、グランゼル・ルオ・ハルトナ。
第一王子セルヴァインの名は、文書中に一度も記載されていなかった。
この決定がなされた正確な理由は明言されていない。
ただ、王の側近や一部の顧問官らの証言によれば、父王は晩年、セルヴァインの気質を「統治者に不向き」と判断していたとされる。
また、王室と関係の深かった複数の中央省庁幹部も、グランゼルの穏健路線を支持していたことが、後の調査資料から明らかとなっている。
この決定にセルヴァインは激しく反発する。
父王の遺志は偽りだと断じ、グランゼルが王座を奪うために王に取り入ったと確信。
これを弟の自身への裏切りであるとし彼は王宮を去り、そのまま姿を消した。
そこから数日間、公の場に姿を見せなかったが、その間に旧王党派の残存勢力や旧士官学校の縁者を通じて支持基盤を構築。
中央治安庁や情報局の一部を抱き込み、国内安全保障局に勤務していた若手将校らは、彼を「本来あるべき正統な王位継承者」として担ぎ上げた。
同年7月9日深夜、蜂起。
セルヴァイン派の武装部隊は王都中心部を襲撃。
王宮別館、王族警護庁、中央官邸の三施設を同時制圧した。
襲撃部隊は、旧王直属の警備部門に所属していた精鋭で構成されており、武器や通信用機材の一部は正規軍の備品が流用されていた。
だが、襲撃計画の情報は事前に王国軍へと漏れていた。
王宮警護課と情報局がこれを迎撃し、作戦は3時間以内に鎮圧される。
情報の漏洩は副官級の将校の裏切りによるものだったとされるが、詳細は公開されていない。
王宮正門前での小規模な交戦を最後に、セルヴァインは拘束。
クーデターに関与した軍人や王族関係者ら計71名が反逆罪で逮捕され、死者は市民3名を含む12名に及んだ。
グランゼルの即位が翌日に発表され、同時にクーデターの首謀者であるセルヴァインの処刑執行されたと公式に布告される。
だが、実際には処刑は行われなかった。
新王であるグランゼルの嘆願により、セルヴァインの存在を歴史から抹消するという非公開の措置が講じられた。
同日に死亡した反乱兵「バルタザール・デリージュ」の経歴が彼に与えられ、秘密の漏れぬよう素顔は鉄仮面によって封じられた。
そして彼は、国家の深層に位置する特別隔離収容施設へと送られる。
収監と同時に、王室警護課と国家保安局の間で「特別待遇」が協議された。
元王宮付き官吏が監督官として補佐に付き、食事や医療体制も標準とは異なる処遇が施された。
それは暴発防止のための措置であり、同時にかつての王子を刺激しないための静かな軟禁でもあった。
だが、野心的で自尊心の高かった第一王子が地の底に押し込められたこの状況を恥辱と感じていないはずもない。
表面的には極端に反抗的な行動を取ることはなかったが、留まることない彼の野心は水面下で広げられていった。
そのような条件下で、バルタザール――セルヴァインは徐々に獄中での影響力を伸ばしていく。
政治犯、思想犯、反体制派。表に出せぬ囚人たちの中においても、彼は異様な存在感を放った。
正体を明かすことなく、天性のカリスマと統率力を武器に、囚人だけでなく一部の看守までを取り込み始めた。
もちろん本人の手腕だけではなく、王からの特別な便宜もあった。
彼はそれによって得た立場すらも利用し、刑務所内での勢力を巧みに伸ばしていった。
記録によれば、収監からわずか半年で十数名の囚人と勉強会と称する集団を結成。
翌年には看守に対して業務改善案を提出するなど、実質的な収容所の自治を始めていた。
彼は刑務所の秩序を破壊するのではなく、むしろそれを再構築する道を選んだ。
かつての宮廷において編み出していた権力構造と情報制御の手法を、今度は獄中という単純な閉鎖環境で再現したのである。
房ごとの不文律、物資流通経路、看守の勤務表までを把握したうえで、それらを不必要に混乱させることなく、むしろ効率よく合理的に再配置していった。
それが、獄中の秩序を保つという名目のもとに行われたこと、そして彼の行いに掛かる『上』からの圧力により上層部も黙認した。
その結果、施設内には「第三の管理系統」が形成されたという指摘が後に報告書に残されている。
それは、正式な命令系統でも、犯罪者同士の暴力的支配でもなく、緩やかな論理と秩序によって編成された内部ネットワークであった。
570
:
血の宿命
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:20:20 ID:00oOMpbo0
そして、収監から約10年後――2030年、人類社会に大きな変動が訪れる。
『開闢の日』と後に呼ばれる全人類が当たらたな力――超力に目覚めた革新の日。
この事態は事前にGPAから各国に対して通達されていたが、予測を遥かに上回る激変だった。
各国政府は対応を迫られ、国際秩序は大きく揺らいだ。
中でも、資源も人材も乏しいハルトナ王国は、いち早く超力の戦略的価値に着目。
制度整備を後回しにし、制御と拡張を目的とした実験を先行させた。
動物実験から始まり、その事件対象を人間とするまでに2年と掛からなかった.
最初に選ばれたのは、国家管理下にあった囚人たちだった。
未知の力である超力の開発は完全な手探りであった。
手術は原始的かつ粗雑で、成功率は著しく低かった。
被験者の多くは手術中または術後に死亡し、生き残った者も精神崩壊を起こし、廃人と化した。
それは死刑執行に等しい非人道的な人体実験だった。
だが、その中にあって、バルタザールと名を変えたセルヴァインは、自ら被験者としての参加を志願する。
当然、彼の名は公式の実験記録には載っていなかった。
王家の庇護下にあり、仮面の存在として歴史から抹消された身である。
故にこそ、これは自らに恥辱の日々を与えた王家の者たちを出し抜くチャンスだった。
この地獄のような監獄で新たな牙を研いでいようとは思うまい。
恥辱に満ちた地下での生活、その延長線上で芽生えた野心は、超力という新たな武器によって具体性を持つ。
――そして、手術は成功する。
彼は唯一の成功例『拡張第一世代(ハイ・オールド)』として、全てを蹂躙できる力を手にした。
以降、獄中での秩序と支配は徐々に歪みを見せ始める。
かつては冷静さと合理性で構築されていた彼の統治が、次第に異様な振る舞いを伴うようになっていく。
セルヴァインは自らの正体を看守や囚人に明かし、王政復古を掲げて第二次クーデターの準備を開始する。
しかし、同時期から彼には深刻な精神的兆候が現れ始めた。
記憶の断裂、感情反応の異常、そして自己同一性の混乱。
監督官が王国政府に提出した報告書には、セルヴァインの言動の細かな矛盾が増えたこと、自発的に「バルタザール」と名乗る発言の増加などが記されている。
一方その頃、ハルトナ王国は国際的孤立と国内の制度疲弊に直面していた。
開闢後、諸外国が法整備と軍事編制を急ぐ中、ハルトナは人的・財政的な制約からそれに遅れをとっていた。
そのため政府は、制度の不備を誤魔化す形で超力開発に集中。
軍部と民間を巻き込み、再生人材の活用と称して、秘密裏に行っていた囚人らを実験対象とする枠組みを合法的に整え始めた。
この制度改正により、セルヴァインの収容区にも外部からの人材が接触するようになる。
その過程で接触した軍人、研究員、補佐官の中には、かつての王政に連なる人間も含まれていた。
すでに死亡したはずの第一王子が今も生きているという事実は、静かに、だが確実に一部の旧王党派へと伝播した。
この再発見は計画的な情報流出という形で流出された。
国外逃亡や失脚により潜伏していた王党残党らは、国外諜報網や密輸経路を活用して再結集を進めていた。
そして、仮面の男「バルタザール」は、再び担ぎ上げる神輿としての価値を帯び始める。
セルヴァイン自身も、それを理解した上で黙認した。
彼にとってもはや王座の簒奪は二の次でしかなかった。
自らをこのような地の底に押し込めた祖国を破壊することこそが本懐だった。
571
:
血の宿命
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:21:17 ID:00oOMpbo0
2035年3月――周到な準備期間を経て、第二次クーデターが発動される。
一度目のような電撃的な即時蜂起ではなく、第二次クーデターは、極めて整然とした形で進行した。
周到に練られた分断と制圧。
監獄内での暴動を発端に、施設の通信網と交通インフラの一部が一時的に外部から掌握される。
鎮圧の名目で出動した部隊は、実際には王都周辺の要所を制圧する反乱軍であり、協力者による行政妨害と交通遮断が同時多発的に実行された。
王都では非常警報が発令されることなく、政庁庁舎は内部職員により解放され、王宮も数時間で制圧された。
第二世代の超力保持者すら殆ど存在しなかったこの時代に、ハイ・オールドの力を止められる者など誰一人いなかった。
そうして血のクーデターは執行される。
正確な死者数は今も記録されていないが、民間人を含め数百名に及ぶとも言われている。
その中でも王家の血を引くものはグランゼル王以下、全員がその場で徹底的に粛清された。
他ならぬ、セルヴァインの手によって。
だが、その中でただ一人、生き延びた王族がいた。
当時2歳の末子――エネリット・サンス・ハルトナである。
彼は処刑されることなく、身分を剥奪された上で適当な罪状をでっち上げられ、監獄へと送られた。
それはセルヴァインの強い意志によるものだった。
自分が味わった屈辱と絶望を、弟の血に受け継がせるという私怨による措置だった。
クーデターは成功を収め、王権の簒奪は為された。
だが、クーデター軍にとってセルヴァインはあくまで神輿でしかなかった。
彼らは王座を獲らせるつもりなど最初からなかったのだ。
すでに彼の精神は崩壊していた。
人間を超えた力を得た代償に、嘗てのカリスマと統率力は陰り。
今のバルタザールは妄執と復讐心。本能のみで動く暴力装置でしかなかった。
政を委ねるには、あまりに不安定で、あまりに危険な存在だった。
クーデターの完了の翌日。
反乱軍はその矛先をセルヴァイン自身へと向けた。
超力の過出力による発作で動けなくなっていた彼は、まともな抵抗もできぬまま拘束される。
そして、彼の被る鉄仮面に4名の超力者による封印が施された。
超力の効果を付与すべく『道具に超力を付与する超力』が。
鉄仮面が破壊されぬよう『物質の強度を高める超力』が。
所在を把握するため『武器の所在や状態を把握する超力』が。
そして、記憶と超力を封じるために『対象の脳機能を制御する超力』が。
そうして、彼の記憶の封印と超力の制御が施された。
皮肉なことに、それは彼自身にも抑えきれぬ力の暴走を最も効果的に抑え込む手段でもあった。
その影響で人間的な感情は薄れ、言語機能も著しく退化した。
かくして、ハルトナ王家の血脈は表舞台より根絶され、君主制は瓦解。
新たな民主政体が発足し、王国は名実ともに新国家として生まれ変わった。
そして再び、セルヴァイン――バルタザール・デリージュは監獄へと送られる。
その場所はかつて死者として封じ込められた、特別隔離収容施設ではない。
それは、世界の全ての制御不能な怪物たちを閉じ込める、地の底の最終収容施設。
立場も権力も力も過去も記憶も、人間性すらも剥奪され、彼はすべての終焉を迎える地の底アビスへと堕とされた。
以上。
本レポートは、アビス転所に際し、監督官スヴィアン・ライラプスが所長宛に提出した口述記録をもとに作成されたものである。
■
572
:
血の宿命
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:21:53 ID:00oOMpbo0
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――!」
割れた鉄仮面の奥から放たれた地の底を引き裂くような絶叫が鉄と血の焼けた廃墟に響き渡った。
数秒の遅れをもって反響が戻るが、それすらも次の叫びに呑み込まれていく。
それは、悲鳴でもなければ咆哮でもない。
己自身を名乗る、帰還の声だった。
鉄仮面の崩壊と共に、記憶の封印が解けていく。
長らく忘却の淵に沈められていた記憶が、決壊した水門のように奔流となって意識へと流れ込む。
無秩序で無差別、灼熱のような熱量で、彼の精神を焼き尽くす。
焦点の定まらなかった瞳に、光が戻る。
脳内を暴れ狂うのは、燃え盛るような記憶の連鎖。
赤く染まった夜。倒れ伏す王。焦げる王宮と、焼き尽くした王族の面影。
記憶の一枚一枚が、まぶたの裏に張り付き、そしてまた剥がれていく。
誰かの叫び。誰かの嘲笑。誰かの断末魔。
手を下した者も、下せなかった者も、全てが脳裏に蘇る。
破滅の夜を照らしていたのは、自分の笑みだったか――それとも、歪んだ仮面だったのか。
だが、記憶の全てが戻ったわけではない。
鉄仮面による封印は解かれた。だが、張力拡張手術の副作用による損壊は癒えない。
いくつかの記憶は断片的な喪失があり、未だ抜け落ちたまま。
それでも、確かに、胸の奥に残されていた感情がある。
――――憎悪だ。
悔恨。怒り。絶望。怨嗟。そして、どうしようもない渇望。
長らく凍結されていたそれらが、今や毒のように、血液のごとく、彼の内を奔流する。
人格の崩壊を防ぐために封じられていた感情が、瓦礫となって胸を裂いた。
バルタザールの身体が痙攣し、鉄骨の破片を握り潰しながら、地面を爪で抉る。
左腕はすでに無かったが、痛みなど問題ではなかった。
それを凌駕するほどに、強く、濃く、黒い衝動が彼を突き動かしていた。
「……ッ、グ……グランゼル……父上……!」
血に滲む喉から、掠れた呻きが漏れる。
それは嗚咽でもあり、怒声でもある――感情の咆哮だった。
この数十年、何ひとつ心が動かなかったこの身体に、いま確かに怒りを超えた純然たる憎悪が芽吹いている。
――グランゼル。
かつて最も信じ、最も愛していた者。
そして、最も憎む裏切り者。
その最期に何を見たのかさえ、今は思い出せる。
――セルヴァイン。
その名を、忘れていた。
奪われたのではない。
意図的に、自ら封じられていた名前。
かつて王であり、兄であり、人間であった証。
だが、その名すら奪われ、自分はただの「道具」として扱われてきた。
誰によって――――?
同志を装い、土壇場で裏切った者たち。
忠義を口にして王家を踏み台にした者たち。
王家の血を利用し、最後には廃棄した、反乱軍の全て。
573
:
血の宿命
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:22:24 ID:00oOMpbo0
殺さねばならない。
報いを与えねばならない。
あの国の、腐り果てた根ごと――皆殺しにせねばならない。
王なき国で、平然と生きる人の皮を被った畜生ども。
一匹たりとも生かしてはおけぬ。
この監獄から脱し、自由を手にし、逆臣すべてを断罪するのだ。
それこそが唯一残ったハルトナ王家の者としての義務である。
仮面の割れ目から露わになった目が、紅蓮の狂気を宿す。
黒く焼け焦げたような光が、地の底に残る全てを射抜いていた。
赦しなど存在しない。
あの日から、ずっとこの怒りを押さえつけてきたのは、自分ではない。
この世界そのものが、この怒りを封じていたのだ。
ならば、その蓋が外された以上、堪える理由などどこにもなかった。
左腕はない。
だが、鎖はまだ残っている。
肉が裂けようと、血が噴き出そうと、敵を打ち砕けるだけの力は、今もなおこの身に残されている。
それが証明された以上、立ちはだかるすべてを、叩き潰すだけだ。
バルタザールは、ゆっくりと立ち上がった。
止血のため左腕に巻き付けられた鎖が、地を這うように垂れ下がり、意志を持つかのように音を鳴らした。
残った右腕。
そこに巻き付くデジタルウォッチを確認する。
改めて確認した刑務作業の参加者名簿の中に、見逃せぬ名前が確かにあった。
――エネリット・サンス・ハルトナ。
血の匂いでわかる。
名の綴りを見ただけでわかる。
記憶の奥深くに焼き付けられた、忘れえぬ因果。
間違いようがなかった。
グランゼルの血を引く者。
自らの手でアビスに墜とした、甥。
よもや、己もまたこの地の底に墜ち、同じ舞台に立つことになるとは。
これもまた血に刻まれた因果の帰結なのだろう。
探さねばならない。
会わねばならない。
同じ王家の血を引く者が、同じ地の底で何を見たのか。
何を失い、何を得たのか。
それを確かめなければならない。
もし彼が、恥辱を味わっているなら共感を。
もし彼が、絶望に沈んでいるのなら愉悦を。
もし彼が、憎悪を燃やしていたなら歓喜を。
だがもし、そうでなかったのなら――――。
どのような結末に辿り着こうとも、
この再会は避けられない。
それが、血に刻まれた宿命なのだから。
【F-3/工場跡地周辺/一日目・午前】
【バルタザール・デリージュ】
[状態]:記憶復活(断片的な喪失あり)、鉄仮面に破損(右頭部)、左腕喪失、脳負荷(中)、疲労(中)、頭部にダメージ(大)、腹部にダメージ(大)、
[道具]:なし
[恩赦P]:100pt
[方針]
基本.恩赦ポイントを手にして自由を得て、逆進どもに報いを
1.エネリットを探す
※記憶を取り戻しましたが、断片的な喪失があります
574
:
血の宿命
◆H3bky6/SCY
:2025/07/11(金) 20:22:34 ID:00oOMpbo0
投下終了です
575
:
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 17:51:36 ID:036UrtBI0
投下します
576
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 17:53:28 ID:036UrtBI0
感情に乏しかった生の中で、初めて、あるいは唯一抱いた感情。
それは〝憎悪〟だった。
氷月蓮の生まれは、地方の伝統ある名家だった。
父と、母と、犬とで暮らしていた。
父は厳格さと柔軟さを併せ持ち、母は優しく美しかった。
特別な行事の際、母が着付けの整った和装を纏い父の後ろを歩く姿は、幼少の氷月の記憶に焼きついていた。
普段の生活でも、行事の忙しい合間でも、母は幼い氷月を目が合うとにっこりと笑み、時に菓子を勧めたりもした。
一方で父は仕事によく打ち込む人間だったが、仕事がひと段落つくと幼い氷月を膝に乗せ、児童書や図鑑を共に読んだり『おまえの美形は母さん譲りだ』と大きな手で息子の頭を撫でた。
家には父の集めた多くの本があり、氷月は幼い頃から本を読み、成長し、小学生に上がる頃には読んだ本について、つたないながらも父と議論ができるまでとなっていた。
父も母も、そんな氷月の成長を喜んだ。
生来の感情の乏しさもあって、氷月はそんな二人に何も感じなかったが、少なくとも『ここは自分がいてもいい場所だ』とはうっすらと認識していた。
氷月は両親に好かれるため、二人といる間は『善良で利発な子供』の演技をしていた。
氷月の家から少し歩くと、自然豊かな裏山があった。
暖かい太陽と涼やかな木陰、風が運ぶ草と川の匂い。
両親は氷月が裏山で遊ぶのを歓迎した。
生まれて初めて氷月が生物の命を奪ったのも、この裏山だった。
最初は小さなカマキリが、どういう身体の構造をしているのか気になり、手に取った。
手足を引きちぎり、腹を潰し、頭をちぎった。
それだけだった。
だが、その時の氷月は、今まで感じたことのない『生の実感』をかすかに感じた。
カブトムシの角を切断し、殻ごと粉々に踏み潰した。
カエルを捕まえ、持ってきた刃物で内臓をほじくった。
毛虫が大量にいる藪に、近所の農家から盗んだ農薬を蒔いて悶え死ぬのを見
た。
時には父の書斎から得た知識を使い、氷月は生き物を殺し続けた。
生き物の命を奪うたびに、その『生の実感』は、氷月の中で確固たるものとなっていった。
それは、両親や友人と共にいても決して得られない感覚だった。
やがて、氷月が命を奪う対象は、小さな虫から鳥やリスなどの小動物、やがて野良の犬や猫へと変わっていった。
そして、
577
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 17:55:29 ID:036UrtBI0
◆
氷月はソファに座り、傍らでうとうとしているアイの頭を優しく撫でていた。
その隣では叶苗が穏やかな目でアイと氷月を見守っている。
日月の目から見たその姿。
美術館に飾られた絵画のようでもあった。
だが、それでも日月は思う。
(氷月の雰囲気は安心できない)
物腰穏やかな彼は一見無害に思える。
だが、ちりちりと、心の隅には警戒感が生まれてしょうがない。
そして一番歯痒いのは。
どんなに警戒感を抱いても、今の日月にはこの男をどうすることもできないという絶望だった。
今の氷月は、この場の中心にいた。
彼は日月たちをこの廃墟へ導き、叶苗とアイの心を掴んだ。
日月は出会った時から氷月の違和感に気づき、警戒していたつもりだった。
『君は、今もアイドルで在り続けたい』
『そう思っているんだね』
先ほどのミニライブで掛けられた、なんてことない彼の言葉。
日月に重くのしかかる。
たとえそれが、ライブを始めた経緯を含めて氷月の計算だとしても。
嘘をつけなかった。
アイドルとして、また在りたい自分に。
「日月」
氷月が、自分を下の名前で呼ぶ。
煩わしい行いなのに言い返せない。
「……なに」
見ると、氷月は心配そうな顔を浮かべていた。
「見たところ、少し疲れているようだね」
「別に」
「久々にライブをやったんだ。気を張ってしまったんだろう」
「……だから何よ」
氷月が端正な顔に笑みを浮かべる。
昔絵本で見た砂糖菓子の男を思い出した。
「少し、一人になってはどうだい?」
氷月は言う。
「同じ空間に複数でずっと一緒にいるのは、安全だろうが疲れてしまう。僕もそうだ。きみは少し休んだほうがいい」
日月は氷月を睨んだ。
ーー実際、睨むことしかできなかった。
男の言うことはもっともなのだ。
「……」
日月は返答を考える。
考える最中無意識に見たのは、氷月とともにこちらを見る叶苗と、そのそばですやすや眠るアイだった。
日月は、目を細める。
「……」
今自分がこの場を離れたら、この二人はどうなってしまうのだろう。
そう巡って来た思考に勝手に苛立つ。
「……わかったわ。ちょっと頭、冷やしてくる」
日月は、一人外に出ることを選んだ。
叶苗とアイなどどうでもいい。
そう自分に言い聞かせて。
かつて二人を自分に託したジャンヌの言葉を一瞬思い出し、すぐに無理やり思考を切り替えた。
「いってらっしゃい」
氷月は苛立つ日月をよそに、にっこりと微笑んだ。
それと同じく、ソファで眠っていたアイの細目が開き、むにゃにゃむ、と伸びとあくびをする。
アイは、一人廃墟から出ていく日月を薄目でじっと見ていた。
578
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 17:56:49 ID:036UrtBI0
◆
日月がこの場から消えて少し経った時だった。
叶苗は、自分たちのいる廃墟のドアを思い詰めた目で見つめていた。
「不安かい?」
アイを挟んで隣にいた氷月が、叶苗に問う。
「……はい」
「叶苗は優しい子だね。とても仲間思いの子だ」
氷月は微笑む。
「……だが、日月も自分と向き合いたい時があるんだろう。彼女の気持ちを汲んで、ここは一人にしてあげるべきだ」
「そう、ですよね……」
「それに、叶苗。僕たちの中で、きみも重要な戦力の一人なんだ。君まで動いてしまったら、せっかく築いたこの安全地帯が瓦解する危険だってある」
「はい……」
叶苗はうなだれる。
アイは、大きな目でじっと二人のやりとりを見ている。
数秒、無言の時間が流れる。
「ごめんなさい……氷月さん」
「どうしたんだい?」
「私、やっぱり……日月さんが心配です」
叶苗は、小さい声で、途切れ途切れに話す。
「私とアイちゃんがキングの命令で、どうしようもなくなった時……助けてくれたのが、ジャンヌさんと日月さんなんです。日月さんは、ジャンヌさんから私たちを託されて、ここまでついてきてくれた。日月さんは大切な人です。あの人が困ってるのに、見逃したりなんか……できな」
「ダメだよ」
叶苗の言葉を、氷月は唐突に遮った。
ビクリとする叶苗に、氷月は普段と同じ優しい笑みを見せる。
「僕だって、君たちが大事だ」
目を笑みに細め、叶苗に顔を近づける。
「いなくなってほしくない」
叶苗は、正体の掴めない寒気を背筋に感じた。
「あう。あうあう、あい?」
そんな二人の様子がよく掴めていないまま、アイが言葉を挟む。
「アイちゃん……?」
「あう、あう」
「アイちゃん。どうしたのかな?」
あうあうと鳴くアイを、氷月はニコニコと見下ろしている。
ふと、アイはおもむろに叶苗の服を掴み、ソファから降り、引っ張る。
「ちょっ、アイちゃん……!」
慌てる叶苗。
一方のアイは、廃墟の外を何度も顔で示す。
「あい、あい!!」
日月が出て行った方向。
その意図に先に気づいたのは、氷月だった。
◆
氷月は一瞬、叶苗の頬を殴ろうかと考えた。
そしてアイに言う。
「きみがわがままを言うばかりに、きみの大切な叶苗が怪我したよ」
◆
だが、氷月はそれをしなかった。
アイがその行為を理解できるか不明だったのと、彼女の超力が未知数だったからだ。
叶苗のことで逆上し、超力を発動されたらこちらにも危険が及ぶ。
氷月は砂糖菓子の紳士のようにニコ、と笑う。
「どうやらアイちゃんも日月が心配みたいだ。僕の完敗だね。アイちゃんは僕が見ておくから、行っておいで、叶苗」
「……ありがとう、氷月さん……!!」
叶苗はあっという間に晴れやかな表情になり、廃墟を飛び出して行った。
廃墟に残されたのは、氷月とアイの二人だった。
「……さてと」
これから、どうするか。
579
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 17:57:34 ID:036UrtBI0
◆
廃墟群から少し歩いた川の流れる場所。
そのほとりに日月は一人座り込み、流れる川をじっと見ていた。
「……全然私らしくない」
氷月の顔が、あの時かけられた言葉が、日月の脳裏に繰り返される。
このままここに座り込んでいても、どうにもならないのはわかっている。
ではまた氷月のいるあの場所に戻って、何か変わるのか?
自分がいくら警戒しても、結局あの男に転がされるのがオチだ。
あいつに、勝てない。
離れて楽になりたかったはずなのに、先ほどよりも強い焦燥感が日月を襲う。
このままあいつらなんて捨てて、逃げてしまおうか。
そんな思考も過る。
どうせあいつらに義理などないのだから。
そんな時だった。
唐突に背後から聞こえた砂利を踏む音に、日月は一瞬神経を粟立たせる。
後ろを振り向く。
「あっ」
おどおどした表情の叶苗が、そこにいた。
「……なによ」
「ごめんなさい、日月さん。……びっくりさせちゃいましたね」
氷月でなくてよかったと内心安堵する自分を、日月は恥じる。
叶苗も、あの男とはまた違った意味で苦手ではあるのだが。
「その、日月さん。思い詰めた顔をしてたから。心配して見にきたんです」
「私は別になんともないわよ」
嘘だ。正直逃げ出したい。
日月から見た叶苗の姿は、弱々しい眼差しで、困ったような顔をしている。
「……」
日月は、じっと叶苗の顔を見る。
おそらくあのグループの中で、彼女が最も氷月の影響を受けている。
「日月さん?じっと見て、どうしたんですか?」
「別に」
この少女といくら話したところで、どうせ状況は大して変わらないとは思いつつも。
「叶苗」
突然名前を呼ばれびくっとする叶苗を目で捉え、叶苗は自分の隣をちょん、と指差し誘った。
「えっ、日月……さん?」
日月は叶苗に言う。
「ちょっと来なさい。気分転換に、世間話でもしましょ」
それが意味がないとわかっていても、日月はそうせざるを得なかった。
少しでも、氷月のプレッシャーから逃れられるなら。
そんな気持ちだった。
580
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 17:58:38 ID:036UrtBI0
◆
日月と叶苗は、二人、川のほとりに座っていた。
叶苗を隣に座らせたはいいものの、両者とも肝心の話す話題が浮かばず、川のせせらぎの中、しばらく気まずく無言だった。
無言に耐えきれず、最初に口を開いたのは日月だった。
「……あんた、」
「あっ、はい」
叶苗がしどろもどろに反応する。
「なんか喋りなさいよ」
「えっ」
あなたが世間話をするよう持ちかけたのでは……
という意見をぐっと飲み込み、叶苗は頭を回転させ必死に話題を探す。
だが、結局話題は見つからず、申し訳なさそうに叶苗は耳を垂らした。
「ごめんなさい、無理です……」
「……そう」
再び、無言の時間が流れた。
二人とも、何も喋らずただじっと川を見ていた。
決まったリズムで、永続的に刻まれる川の音。
生物の気配が一切ない事を除けば、何の変哲もないよくある川。
時折穏やかな風が凪いで、叶苗と日月の髪を揺らした。
「……日月さんのさっきのライブ、すごかったです」
長い無言の後に口を開いたのは、叶苗だった。
「プロだもの。あれぐらいできて当然よ」
「プロとかプロじゃないとか、私にはよくわからなかったけど……すごかった。本当に」
「ありがと」
「ここが刑務作業の場所じゃなくて、お姉ちゃんが生きてたら、見せたかったです」
「……そう」
日月は隣を見ると、叶苗と目が合った。氷月の言葉に心酔している時とは違った、空を映し、輝きの灯った目だった。
日月と目が合った叶苗は「にへへ……」とはにかみ気味に照れた。
「その……アイドルって、実際どんな感じなんですか?レッスンとか、サインを書くのも、日月さんなら簡単にこなしちゃうんですか?」
「あんたが見た通りよ。……と言いたいけど、レッスンはけっこうハードね。辛い、と思った時も何度もある。サインを考えるのは楽しかったわね」
「そうなんですか……ファンから応援されるのとか、やっぱり嬉しいですか?」
「嬉しい。そりゃあ、すごく」
「へぇ……」
叶苗は大きな目を見開く。
日月のアイドルとしての日々を、夢想しているようだった。
かと思えば、何かに思い当たったのか、急に押し黙る。
「どうしたのよ」
「いえ、その……」
先ほどまでの夢見る様子とは一変し、叶苗は俯き縮こまる。
その反応を見て日月は察した。
581
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 17:59:29 ID:036UrtBI0
「安心しなさい。枕営業なんてしてないわ」
その言葉に、叶苗は身を起こす。
日月は続ける。
「私はとっくのとうに処女じゃない。恥ずかしいことなんてない。アイドルになるずっと前から、身体を使っていろんな男に取り行ってきた」
「日月さん……」
「けどアイドルの私は違う。アイドルとしての私は身体で成り上がることなんて絶対にしない。今までも、これからも。ーーそれが答えよ」
「……やっぱり、すごいです」
関心する叶苗を日月は目を細めて見ていたが、
「あんたも何か喋りなさいよ、叶苗。私ばっかり話して、不公平じゃない」
「えっ、私ですか?!でも日月さんに話すほどのものは……」
「何かあるでしょ。好きだったものの事とか」
「好きだったもの……」
そう言われて叶苗が真っ先に浮かんだのは、かつて暮らしていた家族の事だった。
「……私の家族のことでも、いいですか?」
「……ま、それでもいいわ」
叶苗は日月に言われるままに、家族のことを話した。
家事を手伝ったご褒美にもらえるクッキーバニラアイスがおいしかったこと。
姉と一緒に夜の映画を最後まで観ようとして、仲良く寝落ちしたこと。
お風呂で身体をきれいにした時、お母さんに毛皮を乾かしてもらう時間が好きだったこと。
お父さんと、次の旅行はどこにしようかと一緒に計画するのが楽しかったこと。
喪失と復讐に塗り替えられ、もう失ったと思われた家族の思い出。
話せば話すほど思い出はたくさん出た。
日月は、叶苗の話を静かに聞いていた。
やがて話しているうちに、叶苗の目からぼろぼろと、大きな涙がこぼれた。
「あっ、ーー……ごめんな、さ」
不意の涙はやがてすすり泣きに変わる。
そんな時に、
日月が、そっと叶苗を抱きしめた。
「……っっ」
最初、叶苗は何をされたのかわからなかった。
だが、状況を少しずつ把握し、日月の抱擁の暖かさを感じると、
叶苗も彼女の背中に腕を回し、肩に顔をうずめ、無言で泣いた。
日月も、自分の行動に驚いていた。
無意識に身体が動いた。
かつて掛けられたジャンヌ=ストラスブールの言葉を思い返す。
『あなたは親切な人だから』
だが、彼女の言葉がなくとも、果たして自分はこれをせずにいられただろうか。
「……あんたの話は、よくある話よ。ありきたりな家族の話」
叶苗を抱きしめながら、囁くように日月は言った。
「なんてことない毎日が幸せで、ずっと続いて欲しかった。失ったからこそ大事だと気づいた。そんな、よくある話」
「……はい…………」
「……あんたは、幸せを取り戻したかったのね」
午前の静かな川に、叶苗の嗚咽が漏れた。
582
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 18:01:25 ID:036UrtBI0
◆
「……さっきはごめんなさい」
「別にいいわ」
少しだけ時間が経ち、お互い隣同士、肩と肩をくっつけていた。
「……日月さん」
「何?」
名前を呼ばれ、日月は振り向く。
叶苗は、少しためらいがちに問う。
「アイドルに……また戻りたいですか?」
日月はこの問いを聞き、一瞬氷月の言葉が脳裏に浮かんだ。
だが、今目の前にいるのは氷月でなく叶苗だと。
気持ちを切り替え、答える。
「……なれるものならね」
日月は空を見上げる。
「……叶苗。今まで生きてきた中で、眩しいって思った瞬間はあった?」
「えっ、私は……お母さんやお姉ちゃんたちといた時とか、かな」
「そ。あんたらしいわね」
「でも……やっぱり考えたら、あります。お姉ちゃんと一緒に見たアイドルのライブとか、あと……日月さんのさっきのライブ。すごくキラキラしてました」
日月は、無意識に少し微笑んだ。
「ねぇ……叶苗」
天を仰ぐ日月は、自分の手のひらを、空に昇る太陽に掲げた。
「私の人生、クソみたいなもんだったけどーーアイドルの私は眩しいって、自分でもはっきりわかった。ステージに上がって歌う時は、心底生きてるって感じがした。私はーーアイドルをやってる自分のことが好き」
訥々と喋る日月の姿。
そんな彼女を、叶苗は心底眩しいと思った。
叶苗は微笑む。
「……私も見つけたいです。自分で、眩しいって思えること」
◆
叶苗と日月が語らう場から少し離れた草陰。
そこに氷月は一人隠れ、じっくりと二人の会話を聞いていた。
『少し二人の様子を見てくる。寂しいかもしれないが、ここで待っていてくれないか』
アイにはそう言って、拠点の民家で待機してもらっている。
日月も叶苗も、言葉のやりとりを経てお互いの心を絆されたようだった。
この事により、もしかしたら自分の支配が綻んだかも知れない、と氷月は考える。
叶苗を日月のところに行かせるべきではなかったと、少し後悔する。
ーーだが、そうなってもやりようはある。
「えへへ、私……日月さんのおかげで、もしかしたら夢を見つけた気がする」
「どんな夢?聞いてあげる」
日月と叶苗はこちらに気づいていない。
「私……日月さんみたいにキラキラ輝くのは無理でも、輝きを失っている人に、ちょっとでも優しくできたらな、って思うんです」
「そう」
もじもじしながら微笑む叶苗と、まんざらでもない面持ちで叶苗の話を聞く日月。
さて、これからどうするか。
話がひと段落ついたところで、二人の前に現れようと氷月は考えていた。
「日月さんに抱きしめてもらった時、すごく嬉しかったんです。自分の根っこの大事なところを、暖かい光で包まれた感じ。私、人を殺したから幸せになっちゃいけないと思ってたのに……安心しちゃって」
「あんたは確かに罪を犯したけど、大切なものがあるのは確かだった。……それだけよ」
「だから……私、思うんです」
叶苗は続ける。
「どんな罪を犯そうとも、人は必ず、抱きしめて許してくれる人を求めてるんだって」
氷月の目が見開く。
「幸せに、みんななりたいんです」
一連の言葉を聞いた途端だった。
氷月に、急激に過去の記憶がフラッシュバックした。
◆
583
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 18:02:47 ID:036UrtBI0
◆
そして、11歳の頃だった。
氷月は飼い犬を殺した。
両親ともに、可愛がっていた犬だった。
氷月も、上辺ではその犬を大切にしているように振る舞っていた。
そんな飼い犬を彼が殺したのに深い理由はない。
『ただできそうだったから』
それだけだった。
飼い犬の死体を処理した日、それは雨粒が大地を打ちつける激しい雨の日だった。
氷月は裏山で、雨と泥に塗れながら犬の死体の処理をしていた。
そんな時、後ろに気配を感じて振り向くと、雨水に服を濡らし立ち尽くす母の姿があった。
母は息を切らしていた。
ひどい雨の中、家にいない氷月を必死に探したようだった。
母の目は、氷月と、彼が今まさに解体している愛犬の成れの果てをじっと見ていた。
「蓮……」
母が蚊の鳴くような声で名を呼ぶ。
もはや役に立たない傘を捨て、じりじりと、一歩一歩、息子に歩み寄る。
すべてが終わった。
母を冷静に見ていた氷月は、そう考えていた。
氷月が両親から逃げた後の生活を考えていた時、
母は氷月の目線にしゃがむと、彼をぐっと、力強く抱きしめた。
予想できなかった事態に、氷月は一瞬固まった。
雨に濡れて冷え、それでも少しずつ暖かくなる母の体温が伝わってきた。
母は氷月を抱きしめながら言った。
「私もあの人も、仕事にかかりきりで……本当にごめんなさい。ひとりぼっちで、寂しかったのよね」
抱きしめられた氷月は、目を見開く。
「幸せに飢えていたから、こんな事をしたのよね」
何か言おうとした舌が固まる。
「あなたが気に病む必要はないのよ」
『かわいそうに』
その時生まれた感情を、氷月は鮮明に覚えている。
憎悪。
自分の根底にある尊厳を、汚物と脂に塗れた手でもみくちゃにされ、指でずたずたにされる感覚があった。
『そうだよ。お父さんとお母さんがかまってくれなくて、寂しかったんだ』
母の誤解に話を合わせるのが耐え難い苦痛だった。
その後は犬を埋め、家に帰った。
父は、氷月が犬を死なせたことを叱りながらも、雨の中出かけた事、氷月の孤独と悲しみを心配した。
もう動物は殺さないと、両親に約束した。
それ以来氷月にとって、今まで安全地帯だと思っていた家は、うねる害虫の腹の中にいるような感覚に変わった。
動物はもう殺さなかった。
父と母の目につく場では。
氷月が逮捕されるきっかけとなった、同級生殺害事件。
殺した事に理由はなかった。
『殺せそうだったから殺せた』
ただそれだけである。
けれど、もしそれに理由を見出すとすれば。
幼い頃から氷月は聡明な少年だった。
同級生たちを殺す際、その気になれば事件が発覚する前に証拠を隠滅し、完全犯罪も可能だった。
だが、氷月はなぜかそれをしなかった。
隠せたはずの事件の証拠も、氷月が圧力をかければ黙らせることができた関係者の証言も、わずかだが確実なものが残されていた。
その結果彼は少年Aとして逮捕され、刑務所に収監された。
あえて証拠を残し、自分が犯人だとわかる余地を作ったのか?
その答えはわからない。
氷月本人にも。
氷月が刑務所に収監された少し後、彼の父が心中で命を落とし、生き残った母は精神病院に入れられたと報せが来た。
その日、氷月は普段丁寧に食べているレーションをよりじっくり味わい、看守から怪訝な目で見られたという。
◆
584
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 18:03:51 ID:036UrtBI0
「叶苗!日月!」
川辺にいる二人の前に、氷月は手を掲げながら姿を現した。
「ずいぶん仲良くなったみたいだね」
にっこりと、氷月は二人に微笑みかける。
「えっ、……まぁ……」
気まずい様子の日月とは裏腹に、叶苗の顔はにこやかだった。
「氷月さん。私、夢を見つけました。日月さんが教えてくれたんです」
「そうか。それはよかった」
氷月は叶苗に笑いかけた。
叶苗は続ける。
「私……どんな罪を犯した人でも、その人の寂しさを癒せる人になりたい。暖かさや、眩しさを、ほんの少しだけでも分けてあげられる人になりたい。そう、思いました」
「……素敵な夢だね」
氷月は微笑む。
だが、その場にいた日月だけが気づいていた。
氷月の眼差しが、ぞっとするほど冷たいことに。
叶苗の語る夢を聞く氷月は微笑んでいる。
だが、目に笑顔はなく、視線は冷えていた。
「よくやったね、叶苗。夢を得られただけでもいい事だ。だが、急いではいけない。まずは自分のことを少しずつ満足が行くようにしよう」
「はい……!!」
喜ぶ叶苗の表情を、氷月は猛禽のような目で見ていた。
それに気づいたのは、日月だけだった。
「拠点にアイちゃんがいるんだ。今頃僕たちがいなくて寂しがっているだろう。早く帰ってあげないと」
◆
「叶苗」
拠点とする民家に氷月の先導で戻る最中、日月が叶苗に話しかける。
「?どうしたんですか、日月さん?」
「あんた……氷月には、気をつけなさい」
日月は、意味がないとはわかりつつも、叶苗にだけ聞こえるように囁く。
「でも、氷月さん……いい人ですよ?あの人のおかげで助かったこと、たくさんあるし……」
「それでも注意はしてなさい。あんた、意外とワキが甘いから」
日月は一呼吸置くと、
「そもそもここは犯罪者が集まって殺し合いをさせる場所。あいつは動機が復讐と言ったけど……何か隠してる可能性がある。注意するに越したことはないの」
「そう、でしょうか……」
「下手すれば自分の命に関わる問題よ。シャキッとしなさい」
「……はい」
やがて、拠点としている廃墟の民家が見えてくる。
「アイちゃん……寂しい思いさせちゃったな」
「そうね」
氷月、叶苗、日月の3人は、拠点の民家に向けて歩く。
◆
585
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 18:04:52 ID:036UrtBI0
【C-7/廃墟東の民家/1日目・午前】
【氷月 蓮】
[状態]:健康、憎悪の感情
[道具]:Tシャツ、ナイフ3本、フォーク3本、デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを獲得して、外に出る
1.この集団の信頼を得る。
2.集団の中で殺人を行う。
3.殺人のために鑑日月を利用する。
【鑑 日月】
[状態]:肉体の各所に火傷、深い屈折、葛藤
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.アビスからの出獄を目指す。手段は問わない
0.???
1.氷月への警戒を強める。
2.ジャンヌに対する葛藤と嫉妬を抱えつつ、彼女の望み通りに叶苗とアイを保護する。
3.ジャンヌ・ストラスブールには負けたくない。彼女を超えて、自分が真の偶像(アイドル)であることを証明したい。
【アイ】
[状態]:全身にダメージ(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.故郷のジャングルに帰りたい。
1.(かなえを傷つけたくない、でもどうすればいいかわからない)
2.(あいつ(ルーサー・キング)は、すごくこわい)
3.(ここはどこだろう?)
4.(れんはきらいじゃない)
【氷藤 叶苗】
[状態]:胴体にダメージ(小)、罪悪感、夢を得た高揚感
[道具]:シャツ、鋼鉄製の手甲(ルーサーから与えられた武器)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.寂しさを持つ人に寄り添いたい。
1.アイちゃんを助けたい。
2.日月さんは、きっとアイドルで居続けたい。
※ルーサー・キングから依頼を受けました。
①ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、恵波流都、エンダ・Y・カクレヤマ。
以上5名とその他の“目ぼしい受刑者”を対象に、最低3名の殺害。
②1人につき15万ユーロの報酬。4名以上の殺害でも成果に応じて追加報酬を与える。協力者を作って折半や譲渡を約束しても構わない。
③遂行の確認は恩赦ポイントの回収履歴、および首輪現物の確認で行う。
④第2回放送直後、B-2の港湾で合流して途中経過や意思の確認を行う。
④依頼達成の際には恩赦後のアイの安全と帰還を保障する。
[共通備考]
※デジタルウォッチには恩赦ポイントの増減履歴を参照する機能があります。
どの受刑者の首輪からポイントを回収したのかを確認することも可能です。
※首輪には装着者を識別する囚人番号と個人名が刻まれています。
※交換リストに「参加者詳細名簿-80P」があります。
586
:
美獣の鱗(りん)
◆8vsrNo4uC6
:2025/07/12(土) 18:05:13 ID:036UrtBI0
投下終了です
587
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/12(土) 22:54:35 ID:cdR3BCEQ0
投下乙です
>美獣の鱗(りん)
猟奇殺人者が小動物から殺していく典型的なやーつ、愛犬まで殺っちまうのは流石のサイコパス
氷月ほどの才覚があれば犯行を隠せたと言うのは言われてみればそんな気もする、わざわざ発覚させたのは両親への憎悪の発露だろうか
日月は氷月を警戒しているけれど、相手の口のうまさと立ち回りは怪物じみているのでもどかしい
川辺での日月と叶苗の語らいが実にいい雰囲気、氷月の居ぬ間に心の洗濯をしている川だけに
不器用な生き方をしている二人だけに会話の切り出し方も不器用である、日月のアイドルに対する真摯さと誇りだけは一貫している
日月のライブと対話を経て叶苗の得た、罪を犯した人間も赦してくれる人を求めてると言う結論、罪と罰に対する核心的な境地に至っていないか?
その結論があるからこそ、自分の罪を赦した両親の優しさすら尊厳を踏みにじるものと感じた氷月の捻じれが際立ってしまう
日月と叶苗の絆が深まったけど、それが氷月対策の一助となるだろうか
588
:
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:07:10 ID:8FFM1Q/20
ジョニー・ハイドアウト、ディビット・マルティーニ、エネリット・サンス・ハルトナ
ゲリラ投下します。
589
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:07:47 ID:8FFM1Q/20
◆
自分は一体、何のために戦っているのか。
そんな葛藤を抱いたことは、数え切れない。
廃材(スクラップ)に溢れかえった世界。
希望が泥に塗られていく世界。
信義も、誇りも、悪徳の前に踏み躙られていく。
退廃に汚れた現実を、幾度となく目にしてきた。
故に、今回も同じだった。
いつものように、己は何かを失っていく。
とうの昔に、慣れ切っていた。
何かを取り零すことなど、そう珍しくはない。
開闢を経た世界では、いつだって諦念が横たわる。
悪を成し、狡猾に生きるか。
奪われ、搾取されて生きるか。
現実から目を逸らし、怯えながら生きるか。
それがこの世界を歩む術。
掃き溜めを這い回る者達にとっての常識。
ジョニー・ハイドアウトは、そんな世界で生まれた。
自らの“本当の名”さえ知らず、必死に生きていた幼き日。
あの日の少年は、いつだって見上げていた。
決して届かぬと分かっているにも関わらず。
それでも、果てなき青空へと――手を伸ばし続けていた。
◆
590
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:08:18 ID:8FFM1Q/20
◆
ジョニーは、真っ直ぐに見据えていた。
緩やかな岩場の斜面に立つ、凛とした青年の姿を。
褐色の肌を持つ、優雅なる佇まいの受刑者を。
エネリット・サンス・ハルトナ。
アビスの申し子。亡国の騎士。
彼は青空を背負い、ジョニーを見据えていた。
その手に握られているのは、四つの首輪。
受刑者を等しく縛り付ける拘束具。
そして彼らの死を証明する、確固たる遺品。
無期懲役、死刑――亡き者達の罪がそこに刻まれている。
あの場から飛び立ったルメス=ヘインヴェラートの姿はない。
眼前のエネリットは、彼女の行方を語らない。
彼女の存在についても触れることなく、そこに立ち続けている。
メアリー・エバンスの領域は、もはや展開されていない。
世界は異常から解き放たれ、あるべき姿へと戻っている。
それが意味することを、ジョニーは理解できた。
誰が生き残り、誰が散っていったのか。
彼女が救うべく伸ばした手は、何かを掴み取れたのか。
ジョニーは否応なしに、答えを突きつけられることになる。
――――よう、チェシャ猫よ。
――――報酬の話もまだだってのに。
――――随分と静かになっちまったな。
その首輪が“遺品”であることに気付かぬほど。
鉄の騎士は、愚かにはなれなかった。
彼はただ、眼前の現実を受け止める。
義に生きた怪盗は散っていき。
少女は救われぬまま命を落とした。
それが、この戦いの結末だった。
鉄屑の内側。魂が静かに冷えていく。
悲壮の静寂が、淡々と押し寄せてくる。
遣る瀬ない感情が、込み上げてくる。
幾ら虚しさを抱こうとも。
幾ら哀しみを嘆こうとも。
現実という答えは変わらない。
そう、終わったのだ。
彼女の戦いは、終わってしまった。
ただ、それだけだった。
591
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:09:56 ID:8FFM1Q/20
「そちらは、協力者の方ですか」
「ああ。便利屋のジョニー・ハイドアウトだ」
ジョニーを一瞥した後、エネリットは問いかける。
鉄の騎士と共に居た男――ディビット・マルティーニ。
メアリー・エバンスとの対峙のために、一時的に結託した男。
そして刑務開始当初からエネリットと結託をしていた受刑者である。
「で、最初にくたばったのは?」
「“魔女の鉄槌”です」
ジョニーの葛藤をよそに、ディビットとエネリットは会話を交わす。
それは事務的な状況確認だった。
「その次に“怪盗ヘルメス”が命を落とし、そして僕がメアリーを仕留めた」
エネリットは淡々と事実を語る。
まるで事務処理を行うように、戦局を報告する。
「この刑期20年分の首輪は、メアリーが所持していたものです。
恐らくは彼女の領域に殺された受刑者のものでしょう」
その声色には、さしたる感慨もなく。
ただ淡々と、簡潔に告げられていく。
「獲得の順番は、今の通りで宜しいですね」
「それで構わん」
そうした遣り取りを経て、二つの首輪がディビットへと投げ渡された。
“死刑”と“無期懲役”の首輪。記された刑期を確かめて、彼はそれを未使用のまま懐へとしまう。
ポイントを確保するか、あるいは交渉材料として保持するか。
その判断は現時点では保留とした――エネリットも同様だった。
――首輪はポイントに関係なく、先にディビット、次にエネリットと交互に所有権を得る。
刑務開始直後に交わした約束通り、二人は事を進める。
そして今回の首輪入手の流れは“死亡順”とした。
ドミニカの死によってメアリーの領域が破綻。
その過程でルメスが接近、説得を行うも失敗。
そしてルメス殺害直後の隙をついて、エネリットがメアリーにトドメを刺した。
刑期20年の首輪――宮本麻衣のものである――に関しては“メアリーの死亡に伴い入手”と判定。
戦況の流れはディビットにも推測できたが故に、認識の擦り合せは円滑に進んだ。
よって第1、第3の首輪――ドミニカとメアリーの首輪をディビットが確保し。
残る第2、第4の首輪――ルメスと麻衣の首輪をエネリットが確保する形になった。
592
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:10:38 ID:8FFM1Q/20
首輪の所有権に関する話は、円滑に進んでいく。
共に打算を理解しているが故に、不要な波風を立てない。
これまでの取引に基づいて、黙々と履行するだけだった。
それがアビスの掟を知る悪人にとっての合理だった。
ジョニーは、無言でそれを見届ける。
何も言わず、何も訴えず。
沈黙の中で、苦渋を噛み締める。
「便利屋」
やがてディビットが、ジョニーへと呼びかける。
「ヘルメスは残念だったな」
淡々と、ディビットはそう呟く。
哀れみもなく、ただ事実を確認するように。
ジョニーは、何も答えない。
「お前はこれからどうする気だ」
ディビットは、沈黙を貫くジョニーへと問う。
「こっちは少々“人手”を求めている」
欧州の帝王、ルーサー・キング。
彼の抹殺を視野に入れて、ディビットは言う。
「手を貸すのならば、前金として首輪の融通をすることも構わない」
それは、新たなる依頼の提示だった。
こちらの戦力に加わるのならば、恩赦ポイントを分け前として与える。
ディビットはジョニーを便利屋として見込み、彼を引き込もうとしていた。
ジョニーはルメスを失った。
しかしディビットには、エネリットが付いている。
二体一。主導権は当然、ディビットの側にある。
「依頼を引き受けないか。“鉄の騎士”よ」
ジョニー・ハイドアウトは、答えを返さず。
無言の中で、思案に耽り続けていた。
何かを取り零し、何かを失っていく。
これまでも、そんな道筋を歩み続けていた。
きっとこれからも、同じなのだろうと。
彼は無言のままに、言い知れぬ確信を抱く。
それでも。そうだとしても。
己が戦い続ける意味とは、何なのか。
ジョニーは、追憶する。
◆
593
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:11:46 ID:8FFM1Q/20
◆
――――時は遡る。
それは第一回放送直前のこと。
ルメス=ヘインヴェラートとジョニー・ハイドアウト。
彼らが夜上 神一郎と邂逅した直後の遣り取り。
『なあ、へルメス』
最初の放送を目前に控えていた中。
傍に立つルメスへと、ジョニーが呼びかける。
『この世界の深淵には“闇”が潜んでいる。
例のネイティブ・サイシンの話もそうだ』
その言葉を聞き、ルメスは微かに目線を落とす。
ネイ・ローマンから突きつけられた、自らの正義の矛盾。
裏目に出た意思の顛末――その象徴たる出来事。
それを振り返り、彼女は負い目を抱きつつも。
『人間が業を成すのなら、業を正せるのも人間だけだ』
それでも彼女は、ジョニーの言葉と共に。
その視線を再び上げて、彼へと向き直る。
あの件は己への戒めであることには間違いなく。
故に、絶望に打ちのめされる訳にはいかなかった。
『……だからこそ、お前が背負うような“意志”は絶やしちゃならないのさ』
確固たる想いを宿しながら、静かに語るジョニー。
そんな彼の言葉に対し、ルメスは毅然とした眼差しで応える。
例え世界が何処までも醜くとも、歪んでいようとも。
誰かを救う為の手を伸ばすことは、決して止めてはならない。
ルメスはそれを理解していた。
そしてジョニーも、その意志を認めていた。
『改めて――詳しく聞かせてくれ。
お前が掴んだ“世界の秘密”について』
だからこそジョニーは、踏み込むことを選ぶ。
怪盗から断片的に伝えられた、この世界の深淵。
その箱の底へと触れることを、彼もまた望む。
――――ルメスは、そんなジョニーを真っ直ぐに見つめていた。
結局の所、ヴァイスマンの超力の前には全てが筒抜けだ。
幾ら盗聴等への対策を行おうとも、彼はその秘匿すらも見通すだろう。
そしてルメス達は、既に察していた。
受刑者達の転送を担っているのはミリル=ケンザキ看守官。
この刑務に何らかの意図があるとすれば、受刑者の配置も作為的なものと思われる。
世界の深淵に触れたルメスを参加させ、面識のある便利屋との接触を意図的に誘導したのであれば。
刑務内での“情報伝達”さえも、彼らにとっては織り込み済みである可能性が高い。
『まずは先に、話さなきゃいけないことがある』
故にルメスは、それを“語る”ことを選ぶ。
例えこの行動さえも、彼らの思惑通りだったとしても。
それでも彼女は、伝えねばならないと判断した。
もしもの時。自らが命を落とした時に、その意志を託す為に。
『――――“世界を救ったとされる男”の話よ』
怪盗は、便利屋へと語る。
世界の深淵を暴くに至るまでの物語を。
594
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:12:22 ID:8FFM1Q/20
『欧州超力警察機構の実働隊である“対超力犯罪特殊部隊”。
そこに属していたのが、“世界を救ったとされる男”』
ゆっくりと、しかし滔々と語るルメス。
その含みを持った言い方に、ジョニーは訝しむような表情を見せる。
『……“救ったとされる”ってえのは、随分と曖昧な物言いだな』
「ええ、そうよ。彼は世界を救ったにも関わらず、その“痕跡”しか残されていない」
それは実に、奇妙な物言いだった。
ルメスは“その男”をひどく曖昧に語る。
世界を救ったとされ、今では痕跡だけが残された人物。
表と裏の社会に精通するジョニーでさえも、そうした人物には覚えがなかった。
故に疑問を抱いたジョニーは、改めてルメスへと問う。
『何者だ。そいつは』
『“嵐求 士堂(ラング・シドー)”』
ジョニーの問いかけに、一呼吸を置き。
世界を救ったとされる男の名を、ルメスは告げる。
彼は某国の警察から“欧州超力警察機構”に引き抜かれ、特殊部隊に属することになった捜査官ただった。
『その男は、ピトスの箱に触れてしまった』
ルメスとジョニーには、知る由もなかったが――。
彼はかつて、ソフィア・チェリー・ブロッサムの同僚にして恋人だった男。
世界から忘却され、彼女が焦がれ続ける、久遠の幻影である。
595
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:13:03 ID:8FFM1Q/20
◇
開闢以降にGPA本部の多大な恩恵を受けた日米とは異なり、現在の欧州は犯罪の温床となっている。
かつては“世界の危機”を前にし、あらゆる国家がその垣根を越えて手を取り合った。
しかしそれを乗り越えた先では、再び国家間の利害関係が顕在化する。
特に“GPA欧州支部”は前時代のEUを母体にし、その非加盟国をもなし崩し的に取り込んで誕生している。
故に開闢を迎えた後に、それらにまつわる問題が大きく浮かび上がった。
超力という新たな混乱と資源を前にして、欧州は前時代の“EU懐疑論”を引きずる形で対立した。
歯止めの効かない超力犯罪への対策、超力研究の共有や人道的是非。
超力人材の奪い合いによる国家間の緊張。前時代同様の経済基盤に基づく軋轢。
開闢直後に浮き彫りになった政治的不和は、欧州全土の足並みを乱した。
政情の混乱はGPAによる統制を妨げ、結果として組織犯罪の台頭を許す形となった。
そしてフランスの一大マフィアである“キングス・デイ”が急拡大を果たし、新時代最大の犯罪組織へと成長した。
彼らの政治と経済に及ぶ社会掌握と広域的なネットワークに各国政府は対処し切れず、やがて欧州は組織犯罪と不可分の地域になった。
そうした状況は、前時代のコミックヒーローから名称を引用した“アヴェンジャーズ”と呼ばれる自警団が活発化する土壌にもなった。
オーストラリアとラテンアメリカの“麻薬密輸戦争”の中心地にもなったように。
今現在、新時代の欧州とは大規模な組織犯罪の総本山と化している。
あらゆる商業や産業の陰にマフィアが絡んでいるとされ、犯罪に基づく経済活動が完全に定着している。
それにより人道の問題や貧富の格差も拡大し、民間人による非行や市街地のスラム化も後を絶たない。
そうして治安の悪化した地域で、マフィアが顔役として自警活動を仕切る――そんな悪循環が繰り返されていた。
欧州の犯罪地帯化を加速させたのは、紛れもなく“キングス・デイ”である。
故にその“きっかけ”もまた、6年前のルーサー・キング逮捕を発端とする。
あの“キングス・デイ”の大首領の逮捕に成功し、国際裁判での有罪が確定したのだ。
それから間もなく、GPA欧州支部は諸々の確執を棚に上げてようやく結束した。
彼らは欧州最大の悪党であるキングの逮捕に乗じ、悪化し続ける欧州犯罪情勢の収拾を図った。
結束したGPA欧州支部は“欧州超力警察機構”を設立。
欧州全域の治安維持と犯罪掃討を目的とし、諸国を跨いだ捜査権と逮捕権を持つ機関である。
その実働部隊として、各国の警察から選抜された警察官による“対超力特殊部隊”も結成された。
ソフィア・チェリー・ブロッサム、ラング・シドーはそうしてGPA直属の捜査官となった。
欧州における国境の垣根を超えて犯罪捜査を行う“欧州超力警察機構”は一定の成果を上げている。
しかし致命的な初動の遅れは覆せず、余りにも盤石化した組織犯罪の根絶には程遠いのが実情である。
こうした欧州支部の失敗は、GPA本部高官による“超力の管理・均一化”の構想を推し進める要因になったとされる。
◇
596
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:14:38 ID:8FFM1Q/20
『シドーはGPAが抱える“計画”を掴んだ。
世界の深淵で、禁忌の蓋を開けてしまった』
それは、秩序の統制者が秘める陰謀。
社会の裏側。世界の暗部。
深淵の奥底に隠された、変革の種。
『そしてシドーは告発しようとした。
彼らにとっての逆鱗。触れてはならないタブーをね』
GPAの警察機構に属する青年は、恐らく偶然にそれを知ってしまった。
彼は正義と秩序の影に潜む“計画”を、内部から暴こうとしていた。
『だけど、GPAは当然シドーの動きを察知していた。
その告発を封じ込めるべく、彼を罠に嵌めた』
しかし、個人の力には限界があった。
余りにも強大なシステムは、逆に告発者を掠め取ったのだ。
『認識の阻害か、現実の改変か……原理は不明だけれど。
ともかくシドーは、“事実を捻じ曲げる超力”を持っていた』
GPA直属の捜査官であるシドー。
彼の超力は当然上層部も把握している。
それ故に黒幕達は、その超力を利用した。
『だからこそ自らの超力によって、自分の存在もろとも“告発”を抹殺するように仕向けられた』
シドー自身の手で、告発を抹殺させるべく。
彼らは手を回したのだ。
『そうしてシドーは、任務として“世界を滅ぼす敵との戦い”に駆り出された』
――――世界の危機。世界の存亡を懸けた戦い。
そう呼ぶに相応しい“敵”が、他でもないGPAの手で差し向けられた。
『それは既に死刑判決を受けて、地の底で密かに服役していた囚人だった』
かつて魔の海域(バミューダ・トライアングル)を支配し、数多の災厄を引き起こしたとされる女。
“死海の魔女(セイレーン)”と畏れられ、GPAが結集した精鋭部隊によって制圧された怪物。
その果てにアビスへと収監され、空間対象超力実験の被験体となった“秘匿受刑者”。
その被害は余りにも甚大であったが故に、シドーによる事象改変後の世界においても“現象”として痕跡が刻まれていた。
ドン・エルグランドが彼女の存在を“嵐の化身”として記憶していたように。
『その強大な敵を止めるために、シドーは“事象改変”を使うように追い込まれたの』
2年前に彼女は“脱獄囚”という名目で解き放たれ、そして特殊部隊が討伐へと向かった。
――既に彼女は正気を失い、超力に突き動かされて憎悪を振りまく災厄と化していた。
狂乱の嵐と化した魔女を止めたのは、超力を発動したシドーの自己犠牲だった。
『彼はそうして世界を救った。
その存在と引き換えに、誰にも省みられないままに』
告発者を始末し、用済みになった囚人をも処分した。
全ては筋書き通りに事が運んだのだ。
597
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:15:50 ID:8FFM1Q/20
『事件はそれで終わり、告発も闇に葬られる筈だった』
シドーのネオスは“対象の存在抹消”すら可能とする。
いわば概念干渉型の超力であるが故に、世界へと絶大な影響力を齎すのだ。
それによって彼の存在、彼の告発は全てが葬られた――その筈だった。
『だけどシドーを巡る顛末と事の真相についての“記録”が、超力暗号として密かに残されていた』
しかし同様に概念干渉が可能な超力を持つ者、あるいはその超力を利用したシステムならば。
認識阻害や現実改変の影響を突破し、情報としての“記録”を残すことも不可能ではない。
――彼の軌跡と、彼が掴んだ世界の秘密は、この世界に遺されていた。
『そして時を経て、私はその“記録”を偶然盗み出した』
それこそが、ヘルメスの掴んだ“世界の深淵”。
『私はそれを通じて、彼の軌跡――そして“秘められた計画”を知った』
闇に触れた男の告発は、“伝令の神”の異名を冠する怪盗ヘルメスへと受け継がれた。
彼が開いたピトスの箱。その禁忌は、今なお解き放たれる時を待ち続けている。
『何故、告発にまつわる記録がわざわざ残されていた?』
その話を聞き、ジョニーは問いかける。
当然の疑問だった。闇に葬られたはずの情報が、なぜ秘密裏に保管されていたのか?
『“記録”を保管していたのは、GPA本部とのコネクションを持つ欧州支部の官僚よ。
シドーの抹殺にも関与したとされるけど、同時に本部の高官とは水面下での確執や対立もあったらしいわ』
これは私の見立てだけれど――と、ルメスは前置きをして。
『その官僚は、闇に葬られた告発を密かに拾い上げたんだと思う。
有事の際に本部を揺さぶる為の“切り札”として、シドーが掴んだ陰謀を利用しようとしたんでしょうね』
つまりシドーの告発は、GPAの政治的駆け引きの武器として利用されかけたのだ。
本部との確執を持つ支部の官僚が、一種の“脅迫材料”としてそれを確保していた。
そして彼の超力は割れているからこそ、事象改変を突破して“記録”を残せる超力人材も用意することも出来たのだろう。
闇に葬られた筈の情報が“記録”されていたことについて、ルメスはそう推測していた。
『しかし奴さんは、そいつをまんまと怪盗サマに盗まれたと』
『ええ。間の抜けた顛末ってこと』
経緯を察したジョニーに対して、ルメスは苦笑と共に答える。
確かなのは、喪われたはずの情報が今なおこの世界に残されていて――それを“怪盗”が掴み取ってしまったということだ。
598
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:16:18 ID:8FFM1Q/20
シドーが深淵を掴み、それを暴こうとし。
その意志は、巨大なシステムに捻じ伏せられ。
彼の勇気さえも、政争の道具に利用されかけ。
やがて己を貫く怪盗が、真実を盗み出した。
『シドーが知ってしまった深淵。
――世界を真の意味で“管理”するための計画。
便利屋さん。これから私が知る“全て”を貴方に伝える』
そしてルメスは、改めてジョニーを見つめる。
この依頼の始まり。便利屋に断片が伝えられた”ピトスの箱“。
『彼が伸ばそうとした手を、無意味なものにはしたくない』
その計画が世界に善を齎すのか、あるいは悪を齎すのか。
その答えは未だ分からずとも、ルメスが確かに信じることがあった。
――世界の行く末とは、“一握りの権威”の思惑に掌握されるべきものではない。
彼女はその真っ直ぐな眼差しによって、自らの決意を示す。
怪盗ヘルメス。先代より受け継がれし信念は、此処に有り続ける。
彼女はいつだって、権威と繁栄から捨て置かれた者達のために戦い続けてきた。
現実の壁に、善行の矛盾に苛まれようとも、それでも歩むことだけは止めたくないと。
ルメスは戒めと共に、自らの矜持を貫くことを選んだ。
そんな彼女の意思を前にして――ジョニーもまた、暫しの間を置き。
やがて静かに、確かなる感情を宿しながら、彼は口を開いた。
『“勇気を出すべし。落胆してはならない”』
ジョニーは、言葉を紡ぐ。
怪盗を、そして己自身を鼓舞するように。
『“その行いには、必ず報いがある”』
その言葉に目を丸くし、そして噛み締めるように受け止めるルメス。
やがてジョニーは、ふっと自嘲するように呟いた。
『こいつは、聖書の言葉さ』
◆
599
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:16:58 ID:8FFM1Q/20
◆
幼き日の己自身を、ジョニーは追憶していた。
退廃の路地裏。救いなき袋小路。
運命を弄ぶ、神々の遊び場。
彼にとっての世界とは、そういうものだった。
神は人を救わず、神は世界を救わない。
悪徳の渦巻く掃き溜めでは、誰もがそう信じている。
ジョニーもまた、それくらい分かり切っている。
それでも彼は――あの日の少年は。
廃材の山の上で、読み続けていた。
誰からも省みられず、打ち捨てられていた書物を。
暴力と悪徳の世界で、価値なきものとして扱われる教義を。
人々の魂のよすが、あるいは指針。
迷える子羊に寄り添う、救いの道標。
煤けて薄汚れた“聖書”が、少年の拠り所だった。
「悪いな、バレッジ・ファミリーの旦那よ」
無垢な信仰など、疾うの昔に捨て去った。
されど“鉄の騎士”は、神を信じることの意味を知っている。
どれだけ悲嘆に打ちのめされようとも。
それでも希望を貫くことの意味を、悟っていた。
「――――俺は、ルメスの依頼を遂行する」
ジョニー・ハイドアウトは、そう告げた。
砲身に覆われた、無機質な表情の奥底で。
自らの矜持と決意を滲ませながら、ディビット達を見据える。
「先約を果たさなくちゃならない。
ここで引き下がるつもりはねえのさ」
ルメス=ヘインヴェラートは死んだ。
少女を救うことも叶わず、志半ばで命を落としたのだ。
後に残されたものは、首輪という“戦利品”。
彼女の存在は、ポイントとして消費される。
「受けた依頼は、必ずやり遂げる」
結局は、綺麗事でしかないのかもしれない。
彼女の死を以て、希望は潰えたのかもしれない。
伸ばした手は、何処にも届かなかったのかもしれない。
「それが俺の、便利屋としてのケジメだ」
それでもジョニーは、戦うことを続ける。
伝令の神。ヘルメスの名を冠する、怪盗。
彼女から託されたものを、繋ぎ止めていく。
例えこの世界が、神に弄ばれる箱庭だったとしても。
例えこの世界が、荒み切った掃き溜めなのだとしても。
それでも世界が絶望への道筋であることを、彼は否定したかった。
世界が美しくないとしても。世界は生きるに値するのだと、彼は信じたかった。
600
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:17:45 ID:8FFM1Q/20
「だから、あんた達とはここでお別れだ。
……次に会う時は、敵同士かもしれねえがな」
そう告げて、ジョニーは背を向ける。
己の目的を貫く為に、自らの道を往くことを選ぶ。
そんな彼を見据えて、ディビットは静寂を保っていたが。
「なあ、便利屋」
やがてディビットが、静かに口を開いた。
「何故そうまでして怪盗の依頼に拘る」
彼の非合理に対して、疑問を投げかけた。
自らの無謀な理想を貫き、無に帰した偽善者。
彼にとって怪盗ヘルメスは、敗残者でしかなかった。
「お前は打算の出来る男だろう。
奴のような理想主義者の為に命を張るのか?」
だからこそ、便利屋へと問いかける。
「――――何の意味がある」
その戦いに対し、ディビットは断じる。
無価値であり、無意味であると。
引き際を見誤っているだけに過ぎないと。
鉄の騎士は、ゆっくりと振り返る。
沈黙。静寂が場を支配する。
暫しの思慮を、噛み締めた後。
彼は、鉄屑に覆われた口を開いた。
「女が信念のために戦っていた」
ジョニー・ハイドアウト。
彼は確かに、祈りを受け取った。
気高き信念に生きた、強い女の祈りを。
「男が命を懸ける理由なんざ、それで十分だ」
その背中に、覚悟を背負い。
鉄屑の騎士は、再び歩き出す。
孤高の便利屋は、自らの戦いへと進んでいく。
去りゆく彼の姿を、ディビットは見届けていた。
自らの矜持を貫くことを選んだ便利屋を、無表情のままに見据えていたが。
やがて彼の視線は、すぐ傍に立つエネリットへと向けられた。
――――命を懸ける理由。
ジョニーの言葉を聞いたエネリット。
その瞳に宿っていたのは、静かなる激情。
エネリットは、己の目的を改めて噛み締めていた。
亡国の王子にとっての、貫くべき矜持。
己の出自へと連なる、“復讐”という闘争。
この男もまた、自らの存在を懸けている。
人間には、成し遂げねばならないことがある。
合理さえも超越して、果たさねばならない意志がある。
それを貫かなければ、己の存在すらも揺るぎかねない。
魂の根幹――信念と呼ぶべき尊厳。
その為ならば、時に命すらも賭け金に乗せられる。
合理の怪物。打算に生きるディビット。
彼にとって、それは相容れぬ観念でありつつも。
それでも少しばかり、思うところがあった。
この男にとっても、ただ一つだけ。
損得勘定を抜きにした信念が宿っていたからだ。
――首領、リカルド・バレッジ。
彼への仁義と忠誠だけは、決して揺るがない。
鉄の騎士が貫いた矜持と、亡国の王子が覗かせた激情。
二つの意志を前に、ディビットは己を顧みた。
自らがこの場で戦うことの意味を、その手に握り締めた。
601
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:18:32 ID:8FFM1Q/20
◆
伸ばした手は、希望を繋ぐために。
翔ける翼は、人々を救うために。
地獄の果てにも、光があると。
伝え行くことこそが、我が使命。
伝令の神。交渉の使者。救済の流鳥。
この名が示すものは、意志を繋ぐ道標。
紳士淑女諸君、ごきげんよう。
我が名は、怪盗ヘルメス。
世界の“絶望”を盗みに参りました。
――――どうか、ご容赦を。
◆
602
:
スピリッツ・オブ・ジ・エア
◆A3H952TnBk
:2025/07/14(月) 01:19:53 ID:8FFM1Q/20
【F-5/岩山麓/一日目・午前】
【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:健康
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
2.メカーニカを探す。見つけたらローマンとの取引内容も話す。
3.夜上神一郎への強い不信感と敵意。
※ネイ・ローマンと情報交換しました。
【ディビット・マルティーニ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、ドミニカ・マリノフスキの首輪(未使用)、メアリー・エバンスの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを稼ぐ
1.タバコは……どうするか。
2.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
3.ルーサー・キングを殺す、その為の準備を進める
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、ルメス=ヘインヴェラートの首輪(未使用)、宮本麻衣の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.ディビットの信頼を得る
2.…命を懸ける理由、か。
※現在の超力対象は以下の通りです。
【徴収】などが対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。
①マーガレット・ステイン(刑務官)
信頼度:80%(超力再現率40%)
効果:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『鉄の女』
②ディビット・マルティーニ
信頼度:40%(超力再現率同値)
効果:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『4倍賭け』
603
:
名無しさん
:2025/07/14(月) 01:20:07 ID:8FFM1Q/20
ゲリラ投下終了です。
604
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/14(月) 20:21:02 ID:mKW095uY0
ゲリラ投下乙です
>スピリッツ・オブ・ジ・エア
揉めることなく首輪の分け前を分配するのは流石に理知的な二人
非合理な選択をし続けるジョニーの姿が合理主義者たちにそうじゃない何かがあることを思い出させてるのがたまらない
信義や誇りが泥に塗れていく世界で、死んだ女のために仕事を果たそうとするジョニーは、相変わらずハードボイルドだぜ
そんな中でシドーくんが死亡した事件の経緯も明らかになり、そこまでしてGPAの隠そうとする計画とは、いったいなんなのか気になるところ
元カレがGPAに体よく口封じされていた事をソフィアさんが知ったらキレそう
その計画の詳細がルメスに盗まれ、ジョニーに依頼として引き継がれる流れには、確かな意志の系譜を感じる
ジョニーに託された計画の詳細がどう今後に生かされていくのかも注目したいですね
そして欧州の腐敗っぷりの根幹にいるキングの影響力がデカすぎる
ルーサー・キングの存在ひとつでここまで欧州がズタボロって、もう一種の災害だろアレ
605
:
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:01:52 ID:4Qg7uVaM0
投下します。
また、前後編となっているので途中でタイトルを変えて区切らせていただきます。
606
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:02:53 ID:4Qg7uVaM0
◆
白い壁紙に、黒い窓枠。
暖かな陽射しの差し込む客間。
本来安心感を与える役目の一室は今や見る影もなく。
乱雑に散らばるアンティーク家具の残骸と、無造作に転がる無数の亡骸が異変を訴える。
「────答えろ、龍華(ロンホア)。俺の〝家族〟を殺したのは誰だ」
重厚な殺意の滲む低声が響く。
それを発したのは、眼光鋭いスキンヘッドの巨漢。
名を呼延光──中国最大の帮会『飛雲帮』の元凶手にして、後に『飛雲帮』を終わらせた男。
「貴様が家族殺しに関わっていることは、他の凶手から聞いている」
鋼鉄と化した呼延の剛腕が、龍華と呼ばれた男の首を絞め上げる。
苦慮の声を洩らす痩せ気味の男は、酷く拷問に掛けられたのか右手の五指がへし折れていた。
「はは、……っ…………」
「なにが可笑しい」
だというのに龍華は、生殺与奪を完全に握られているにも関わらず笑ってみせた。
全てを投げ出し、諦め、まるで自ら終わりを望むかのような遠い瞳。
その瞳を睨みつけて、呼延は静かに力を込める。
声帯を震わせることすらままならず、熱い塊が喉奥を塞ぐ感覚。
出口を失った気管は役目を果たせず、言葉の成り損ないたちが唇の隙間から洩れ出る。
たちまち醜く鬱血する顔色は、腕利きの暗殺者とは思えぬほど擦り切れたもので。
そんな男の姿に、呼延はどこか寂寥を覚えた。
────影縫の龍華(ロンホア)。
呼延光の処刑が下されるより以前のこと。
かつて飛雲帮の幹部として名を馳せていた凶手が、いまやこんな辺鄙な三次団体の詰所で燻っている。
肩まで伸びた髪は年不相応なほど白髪が混じり、情けなく垂れた目の下には酷いクマが目立つ。
時の流れは残酷だと片付けるには、あまりに無視できない変貌ぶりであった。
「誰が殺した、……か…………そんなもの、私が知りたいよ」
辛うじて呼吸を許す程度に力を弛めれば、龍華は投げ出すようにぽつぽつと紡ぐ。
重たい咳払いの後、深呼吸で息を整えた末に泣きそうな顔を露呈して。
龍華は、呼延の肩を掴みかかった。
「光(グァン)、昔のよしみで忠告しておいてやる」
鬼気迫る語気からは狂気さえ孕む。
先程のやさぐれた姿から一転、剣呑な雰囲気に呼延は僅かに眉を顰め、無言で続きを促した。
「真実を追い求めようとするなッ! 〝あれ〟は……我々が関与していいものではない……!」
縋るように、願うように。
飛雲帮の元幹部は、必死に嘆く。
共に酒を酌み交わした同志として。
挫折を知らぬ全盛期を思い返しながら、龍華は〝忠告〟する。
「────くだらん」
それは、慈悲だったのかもしれない。
呼延光の指が万力のように唸った瞬間、ポキリと頚椎の折れる音が響く。
そうして死に損ないの凶手がまた一人、呆気なく散った。
◆
607
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:03:23 ID:4Qg7uVaM0
呼延光の謀殺が実行されたのは、およそ10年も前に遡る。
24歳という異例の若さにして幹部の座に登り詰め、飛雲帮最強の凶手と呼ばれた逸材。
従順な犬として飼い慣らすには手に余る呼延は、敵に回れば下手な戦術兵器よりも脅威となる。
一個人が持つ武としては過剰な呼延光という爆弾を、組織は容認出来なかった。
しかし、飛雲帮には鉄の掟があった。
如何なる理由があろうとも、身内を殺してはならない──飛雲帮の設立以来守られ続けている、半ば戒めのような意向である。
だがそんな古くからの習わしを破ることになろうとも、呼延光という存在の抹消は不可欠と迫られ、組織の上層部は一丸となって見て見ぬふりを決め込んだ。
しかし当然、彼の処刑に抗議を唱える者も多数現れた。
呼延が育て上げた弟子たちに加えて、しきたりを重んじる古参も声を上げ、内紛も時間の問題であった。
凶手の反乱を恐れた飛雲帮は、帮会全体に抑止力をかける必要に迫られた。
そうして選んだ手段が、反乱分子の抹消である。
呼延光と特に関わりの深かった四人の弟子を選抜し、処刑することが決定された。
しかし当然、これ以上身内を手に掛けることは上層部から良しとされなかった。
呼延光の謀殺は、最初で最後の身内殺しとなったのだ。
ならば、弟子達は如何にして見せしめにされたのか。
飛雲帮内部の反徒や罪人を裁くため、以前よりとある処刑法が定められた。
──〝島流し〟である。
近年では類を見ない古来の刑罰。
それだけでも珍妙ではあるが、この処刑の最も異様な点は、流刑地の詳細がごく一握りの上役にしか知らされていないということだ。
島の座標と一隻の船を渡されるだけで、それ以上は何も知らされない。
処刑人には多額の報酬が支払われることも、不気味さに拍車をかけていた。
そうして迎えた執行日。
呼延の部下四名は、強力な麻酔によって眠らされ船内倉庫へ詰め込まれた。
流罪の立ち会い人は船舶操縦士を含め、忠誠心の強い幹部三人が抜擢された。
608
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:04:03 ID:4Qg7uVaM0
──筋骨隆々の巨漢、〝雷脚〟の風(フォン)。
──痩せぎすの暗器使い、〝影縫〟の龍華(ロンホア)。
──黒い中折帽子の男、〝空際〟の李(リー)。
船内に漂う重々しい空気には緊張も滲む。
一体どれだけ移動しただろうか。飛雲帮の本拠地からはかなり離れている。
時の流れが極端に遅くなったような感覚は、悪寒にも似ていた。
「着いたぞ」
月明かりが水面を照らす中、流刑地と定められた座標に辿り着き、マリンエンジンを停めた。
天然の島とは思えない石製の船着場へ小型船を付け、呼延の部下を砂浜へ運び出す。
恐ろしいほどの手際だった。掛かった時間は5分にも満たなかっただろう。
仕事が早いというよりも、まるでこの島に長居したくなかったように見えた。
「奇妙な島だな」
それを発したのは、指揮役の風(フォン)。
寡黙な彼が言葉を発したことに、二人の幹部は驚きよりも共感を示した。
一般的に、島流しと聞いて思い浮かべるのは無人島、あるいは禁足地のような人の手から離れた場所だろう。
なのにこの島は船着場が用意され、あまつさえ石垣の階段や、海岸民家まで建ち並んでいる。
まるで頻繁に貿易でも行われているようかのようで、木々の高さを越える風力発電所も目に留まった。
明らかな文明の象徴。
だというのに、人の気配がまるで感じられない。
文明レベルに対して活気が無さすぎるのだ。
深夜だからという理由を加味しても、明かりが少なすぎる。
一見無人島と比べて生活は容易そうなのに、なにか禍々しさに近い感覚が本能を刺激してくる。
「撤収するぞ」
「ああ」
表情と声色は変えず、三人は急ぎその場を離れようとする。
まさにその瞬間。
ふわりと、生ぬるい風が頬を撫でた。
「────こんばんは、人間さんたち。ねえ、あなたたちどこから来たの?」
振り返る。
そこに居たのは、宵闇に映える赤いチャイナ服を着た銀髪の少女。
年は10歳ほどだろうか。あどけない笑顔が月光に照らされて、彫像のように白く引き立つ。
天然のスポットライトを浴びる様は、まるで世界が彼女の為に動いているかのような──そんな印象さえ受けた。
609
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:04:33 ID:4Qg7uVaM0
「警戒しろ」
風に言われるまでもない。
見た目こそ少女のそれだが、手練の凶手達は目前の存在が常軌を逸したモノであると察知した。
暗殺者三人が集まって足音も拾えず接近を許した。そんな現実味のない事態が、なによりの証左である。
嗅いだことのない濃密な死臭が鼻腔を突く。
鼓動が早まり、本能が警鐘を鳴らす。
無闇な殺しはしないという信条をかなぐり捨て、どうすればこの少女を殺せるかと全力で脳を稼働させた。
「龍華、状況を伝えろ」
「超力が使えん。奴の力か、この場が関係しているのかは不明だ」
「了解した」
風の呼び掛けに、龍華が淡々と告げる。
超力が使えないという最大級の異常事態においても、取り乱すような未熟者は一人とていない。
風は無言でハンドサインを送り、龍華と李が即座に陣形を整える。
「月を見るためにね、お散歩していたの。そしたら人間さんたちと出会えて、本当に嬉しいわ。これってお月様の導きかしら」
三人は答えない。
「浜辺に転がっている人間さんたちはお友達? ぐっすり眠ってるみたい。とってもいい子たちなのね」
動いたのは雷脚の風。
強靭な左脚のバネを縮ませ、熾烈に伸ばす。
地面に跡が残るほどの一足跳びで少女の懐へ肉薄し、〝雷脚〟の名の通り稲妻のような斧刃脚を炸裂させた。
「ねえ」
それが触れる寸前。
少女は、雷脚の横を通り過ぎる。
「人が喋っている最中に、おいたしちゃダメでしょう?」
その小さな手に、風の首を持って。
無理矢理ちぎられた頭部へ、優しい口調で語りかけていた。
610
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:05:00 ID:4Qg7uVaM0
龍華と李の行動は迅速だった。
動揺で身体を固めるよりも早く、隊列を組み直す。
崩れる風の巨体を目隠しに〝影縫〟が少女の背後へと回り込み、カランビットナイフを首筋へ振るう。
同時に〝空際〟は愛銃のHK45に手を掛け、抜いた事すら認知させない早撃ちを見舞った。
回避不能の弾丸と、気配のない刃。
同時に降り掛かる死の予兆へ、少女は。
「まあ」
と、笑った。
マッハで放たれた45ACP弾は親指と人差し指で摘まれ、ナイフの刃は根元から砕け散る。
呆然に費やした僅かな時間は、永遠にも感じられた。
「プレゼントありがとう。でもね、私の好みじゃないわ」
少女は、ぴんと指で銃弾を弾く。
瞬間、生じたソニックブームが砂埃を巻き上げ、静かな海に波を起こす。
元が一発の銃弾だとは到底思えない爆撃じみた衝撃を浴びて、〝空際〟の上半身は血霞と化した。
「──、──ッ!」
掠れた悲鳴が喉奥から漏れる。
とうに忘我に追いやっていた恐怖が、全身の筋肉を蝕む。
──これは本当に現実なのか。
──こいつは、一体なんなんだ。
唯一生き残った〝影縫〟は、自分が飛雲帮の幹部などではなく一人の人間であると思い知らされた。
「ねえ、ねえ。かわいい人間さん、お名前を教えて?」
怪物がなにかを言った。
龍華は、その後のことを覚えていない。
もしかしたら名乗ったのかもしれないし、いの一番に逃走したのかもしれない。
意識を取り戻した頃には既に島を離れ、船を操縦していた。
かの島から生き残ったことは、幸運なのだろう。
けれど龍華はあの少女の瞳を、間近で見てしまった。
敵意も殺意もなく、まるで愛玩動物を値踏みするかのような眼差しを。
それから毎日、夢を見る。
たった一人の可憐な少女に、惨たらしく殺される夢を。
四肢を裂かれ、首を撥ねられ、目を抉られ──人の体を弄ぶように、じっくりと。
そんな悪夢を、復讐鬼と化した呼延光の手にかけられるまでの10年間、一日も欠かすことなく見続けた。
もうとっくに、龍華は正気ではなかったのだ。
脅威を取り除き、中国全土へ勢力を伸ばした飛雲帮。
傘下や枝先の三次団体まで含めれば、それは小国の軍事力に匹敵するとも言える。
それを10年がかりとは言え単独で終わらせた呼延光は、確かに排除すべき存在であったのかもしれない。
けれど、その選択は。
果たして本当に、〝正解〟だったのだろうか。
鋼のような忠誠心を持っていたはずの龍華は、死の瞬間まで疑問を抱き続けていた。
◆
611
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:05:39 ID:4Qg7uVaM0
──ブラックペンタゴン1F、補助電気室。
戦闘開始から数分も経たずにして、戦場は凄惨なものとなっていた。
破壊された設備の残骸が足の踏み場を無くし、切断された配線からは火花が散る。
複雑怪奇な中身が剥き出しになった配電盤は、とうに修復など不可能であろう。
照明は砕け散り、明滅する配電盤のランプや火花だけが物悲しく光る。
それを仕出かしたのは、〝血濡れの令嬢〟ルクレツィア。
彼女が力を込めれば、触れるもの全てがぐにゃりと形を変える。
ほらこうしている今も、二桁トンにも届く白い配電盤を、まるで少し大きなバットでも扱うかのように薙ぎ払っていた。
ぶおんと、暴風が舞う。
宙吊りになったコードが踊り、ぶち当たったモルタル壁が凹み盛大な音を立てた。
暴力の権化と化したルクレツィアの攻撃を、ひらりひらりと踊り躱すのは〝白銀の死神〟銀鈴。
密室で繰り返される破壊行為を前にしても、彼女の柔肌は傷一つついていなかった。
──パンッ!
銃声が響き、ルクレツィアの腕が脱力する。
右腕の腱が撃ち抜かれたのだと、気がついた頃には配電盤を落としていた。
ルクレツィアの等身を遥かに凌ぐそれを、サッカーボールのように銃撃の主へ蹴り飛ばす。
しかしそれが届く頃には、銀鈴の姿は掻き消えていた。
────すばしっこいですね。
苛立ちというよりも、もどかしい。
悠々と羽ばたく蝶を追いかける少女にでもなったような気分だった。
脚力にものを言わせた瞬足で銀鈴のいた場所を追うが、物陰からの一閃にうなじを刈り取られた。
噴き出す血液が無機質な電気室を彩る。
ルクレツィアは壁を背にし、視線を辺りへ配らせた。
視界の左端で影が動く。
思考よりも速く、獲物を前にした猛獣の如く飛びかかる。
しかし、そこに銀鈴の姿はなかった。
「────っ、──!」
揺れる配線コード。
それに気を取られた瞬間、真横からの銃弾が側頭部を撃ち抜いた。
刈り取られる意識の中で、銀鈴の笑い声を聞いた気がする。
銀鈴は、人間の事を深く理解している。
どうすれば壊れるのか、どうすれば壊れないのか。
どんな時に、どんな行動を取るのか。
気の遠くなるほどの人体実験と観察を重ねて、銀鈴は人間という生き物を記憶していた。
この戦いにおいてもそう。
半ば本能に操られて動くルクレツィアは、どうすれば自分の思い通りになるかと思案して。
試したのがさっきの行動。天井から垂れる配線コードへ破片を投擲し、揺らしてみせた。
612
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:06:13 ID:4Qg7uVaM0
「ねえ、ルクレツィア」
掻き乱された脳が思考を取り戻す中、銀鈴の声が響く。
即座に声の元へ破壊槌の如き腕を振るうが、手ごたえはない。
色を取り戻していく世界の中心、配電盤の残骸の上で淑女が窮屈そうに佇んでいた。
「この場所、踊るには狭いわ」
「ええ、私もそう思っていました」
両者の意見は合致。
ルクレツィアは配電盤を持ち上げ、豪速球でぶん投げる。
髪先すら触れさせず華麗に躱す銀鈴。暴力的な質量に見舞われた扉は、呆気なく吹き飛んだ。
廊下から差し込む照明が銀鈴に逆光を浴びせる。
神秘的とも取れるそれへ、ルクレツィアは弾丸の如く飛び込んだ。
細腕に見合わない剛力が銀鈴を捕らえ、共に廊下へと投げ出される。
このまま華奢な身体を締め上げようとしたところで、脇下に鋭い痛みが走った。
────刺された?
左腕が脱力し、銀鈴の脱出を許してしまう。
的確に神経を断たれたせいか、中々力が入らない。
冷たい金属の感触を無理やり引き抜いて、それが変形した設備の一部であると気がついた。
「本当に丈夫なのね、ルクレツィア」
「銀鈴さんも、とても踊りが上手ですね」
互いに片足を引き、一礼。
高貴な身分の者のみが集められる舞踏会のような、洗練された淑女の言動。
しかし二人の身体は赤黒い血に濡れて、まるでB級スプラッタのような光景だった。
────再び舞踏が繰り広げられる。
場所を変え、武器を変え。
休む間もなく、命懸けのダンスが続く。
戦闘開始から20分、30分──いやそれ以上か。
時間も忘れて、銀鈴とルクレツィアは踊り続けた。
一体どれほど移動しただろう。
二人の通った跡は、須らく破壊の残り香が染み付いていく。
ここがどこかも気に留めず、気が付けば景色が変わっているのも当然。
銀鈴もルクレツィアも、お互いの姿しか映っていないのだから。
613
:
熱き血潮のカプリチオ(前奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:06:46 ID:4Qg7uVaM0
「踊り疲れてしまったかしら?」
「まさか」
異変が起きたのは南東ブロック連絡通路。
身体中に裂傷と銃創を作るルクレツィア。それ自体は見慣れた光景である。
しかし、一度でも彼女と相対した者が見れば明らかな異常が見て取れるだろう。
────傷の治りが遅い。
普段ならば数秒で治癒出来た傷が、2分以上前から残り続けている。
同時に、飢えた獣の如きルクレツィアの攻撃が幾らか緩慢になりつつある。
対峙する銀鈴は勿論、彼女自身もそれを自覚していた。
「そう、安心したわ」
銀鈴がなにかをした訳ではない。
度重なる戦闘を経て、ルクレツィアが消耗しているのだ。
「まだまだ楽しみたいもの」
ジルドレイ、ソフィア、りんか、紗奈、そして銀鈴。
刑務開始から計五人の受刑者と戦い、常人であれば死に至るダメージを負い続けてきた。
血濡れの令嬢の二つ名に相応しい激戦を繰り広げて、それまで負ってきた傷は全部チャラ?
いいや、ルクレツィアの超力はそんなに都合のいいモノではない。
ルクレツィアの回復能力は超力の一環に過ぎないのだ。
摩訶不思議な魔法というわけではなく、いわば爆発的な新陳代謝による自然治癒。
超力製の黒煙を摂取したことで得られた回復能力は、〝再生〟とはまるで性質が異なるのだ。
治癒に回すエネルギーは相応のものとなる。
ここまで一切飲まず食わずでやってきたルクレツィアの肉体は、度重なる摩耗によって底が見え始めてきた。
ネイティブ世代は強力なネオスを持ち合わせているが、その分燃費が悪く消耗が激しい。
痛みや疲労を自覚出来ないルクレツィアから回復能力を抜けば、ブリキ人形にも等しい。
「銀鈴さん、私嬉しいんです」
けれど、令嬢は笑う。
初めての感覚、初めての高揚。
この舞踏を中断するなんて正気じゃない。
「あなたは、私と向き合ってくれる」
ああ、死の恐怖とは。
ああ、生への渇望とは。
こんなにも心地良いものだったのか。
「だから、果てるまで踊りたいんです」
自分と向き合う者は皆、怖がっていた。
目を合わせようとせず、化け物を見るかのように恐れ戦いた。
敵も、味方も、召使いも、家族も。
対峙する人間は全員、刺すような敵意を隠そうとしなかった。
なのに、銀鈴は。
自分と向き合い、愛してくれる。
拷問に痛みを見出していた自分のように、愛を込めて虐げてくれる。
ルクレツィア・ファルネーゼという人間の命を、握ってくれる。
「付き合ってくれますか、銀鈴さん」
「ええ、喜んで」
────踊れ、踊れ。
────回れ、回れ。
生きるとは、死ぬとは。
痛みとは、疲れとは。
喉から手が出る程に追い求めたそれを、目の前の闇は教えてくれるかもしれない。
ニケやソフィアのような、超力を刈り取る者とは異なる得体の知れない力で、分厚い鎧を丸裸にされる。
三日月を描く口元は、淑女の面影もなく。
超力に振り回されて、まともに送れなかった幼少期をやり直すように。
とても、とても────無邪気な顔だった。
◾︎
614
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:08:00 ID:4Qg7uVaM0
◾︎
ルクレツィアは明らかに衰弱している。
にも関わらず、触れるもの全て破壊せんとする両腕が脅威であることに変わりない。
目前に迫る腕鞭をやり過ごし、前髪を揺らしながらちらりと銃を見る。
銃弾は残り二発、無駄遣いは出来ない。
疲弊する身体、限られた残弾。
相手は手負いの獣。少しでも気を抜けば、瞬時に肉塊と化してもおかしくない緊張。
銀鈴はそんな時間を苦とは思わず、むしろ終わりが近付くことを惜しいとさえ思う。
そんなことを思うということは。
死の舞踏を、終わらせにかかっているということ。
「──っ、ぐ」
──銃声が響く。
猛進するルクレツィアの右脚が撃ち抜かれ、盛大に体勢を崩した。
転びながらも不格好に体勢を立て直し、廊下の中央で佇む銀鈴へ向かう。
そんなルクレツィアが捉えたのは。
眼前で回転する、円形の物体。
「贈り物よ、ルクレツィア」
血の令嬢は瞬時に理解する。
この贈り物は、一度味わったことがある。
新人類を殺す為に開発された、悪意の塊。
極限まで鍛え上げられた肉体ならいざ知らず、可憐な乙女の身体など瞬時に焼き尽くす火薬兵器。
この距離で爆破すれば、間違いなく即死。
回復能力が追い付くよりも早く、ルクレツィアの命は潰えるだろう。
ならば、かの令嬢が黙ってそれを受け入れるはずもなく。
「────ア゛ァ゛ァァア゛アア゛ッ!!」
凄絶な獣声を上げ、無茶な体勢のまま〝それ〟を拾い上げる。
勢い余って片足が折れることも構わず、手榴弾を投げ返した。
驚きの表情を見せる銀鈴。
タッチの差で爆破の間に合った悪意の塊が、彼女の足元に転がる。
銀鈴の回避能力を諸共殺す範囲攻撃。
遮蔽物のない廊下では、身を隠すことも出来ない。
彼女の威圧感も、気配遮断も、全てがこの小さな手榴弾の前では意味を成さない。
────さようなら、銀鈴さん。
そんな言葉を告げようとして。
デイパックで顔面を覆う銀鈴の姿を捉えた。
615
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:08:34 ID:4Qg7uVaM0
球体は爆発しない。
代わりに、上部の穴から勢い良く煙が噴射された。
薄ピンク色の煙は瞬く間に廊下中を充満し、視界すら覆い尽くしていく。
けれどルクレツィアの世界は、煙とは違う真っ黒な色で塗り潰されていた。
「──ッげほ!? っ、──こ゛ほッ!」
目の奥が熱い。
熱された鉄を眼底に押し付けられたような鋭い灼熱感。
瞼は瞬時に腫れ上がり、目を開けるなど考えることもできない。
喉は締め付けられ、不愉快な息苦しさが呼吸をも制限させる。
痛みに鈍感なルクレツィアであっても、生物である限り逆らえない苦痛が無防備を晒させた。
咳が止まらない、目が開けられない。
立っていることすらままならず、床に這い蹲る。
この瞬間、ルクレツィアの思考は真っ白に染め上げられた。
「可哀想に、とっても苦しそう」
耳奥に艶やかな声が響く。
藻掻くように振るわれた腕が、優しく取られた。
「今、解放してあげるわ」
と、ルクレツィアの咥内に硬い何かが押し付けられた。
反射的に嘔吐きながらも、ルクレツィアの脳に〝死〟のイメージが送られる。
今押し付けられているモノが銃口であると理解すると同時に、くぐもった銃声が響いた。
◆
616
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:09:05 ID:4Qg7uVaM0
脳幹が破壊される。
記憶が明滅し、急速な眠気が来る。
これまで触れて、感じて、見てきた景色が歪な形で蘇ってゆく。
意思に反して繰り返される走馬灯が、どこか他人事のように見えた。
私が殺したのは全て『人間』ですよ。白い肌も、黒い肌も、赤い肌も、黄色い肌も、亜人も異形も、すべて等しく動物を殺した事は有りませんニケと同じですか。私は私の行いを、正しいとは言いませんし、私はまともだとも『ローマの休日』。他人のものを擬似体験するのとは比べ物に首を折るとは流石に酷いですね。好きなんですよ、命と向き合うことが私の身体では、難しいんですよね血の匂いというものは身近すぎて、ご静聴、感謝いたします。虚勢を張って恐怖を隠し、意地の為に痛みをあの方に惹かれ焦がれるのは、仕方の無い事だと思い私は人間にしか興味は無いんですよ特等席でご覧になって下さい。人は粗末に扱いませんけど、本は知っている方が、誰も亡くなられていないのは、喜ぶべき事でしょう。悪魔と、踊りませんか?
私の声、私の言葉。
ルクレツィア・ファルネーゼという人間の異質さ、醜さを、第三者の視点から見せつけられる。
けれど死の淵に立たされても尚、それのどこが異常なのかが分からなかった。
心地の良い微睡みが思考を奪う。
母親の腕に抱かれているような、蕩けるような安心感に包まれてゆく。
──ああ、幸せだ。
──本当に、愉しかった。
自由奔放に暴れ回って、恐怖とは何なのかを知れて。
自分の身体で痛みを味わえて、〝生の感覚〟を貪れた。
これ以上、何を求めることがある。
ルクレツィア・ファルネーゼという役者がここで終わることが、舞台の終幕として相応しい。
私という物語が、死を持って完成する。
極上の幕引き、至高の愉悦。
この機を逃せば、ルクレツィア・ファルネーゼという怪物は美しく死ねない。
なら、これ以上はもう。
『────分かったわ。貴女の友人になる』
この声は、誰のだろう。
ぼやけた輪郭は、顔立ちすら分からない。
黒い人影が発した言葉は、夥しく綴られる私の声の中でも鮮明に際立った。
思い出せない。
さっきから記憶が曖昧だ。
なのにあるひとつの感情が、私の胸を支配する。
──このまま終わるのは、勿体ない。
ここで死んではいけないと、使命感のようなものが身体を駆り立てる。
誰かも思い出せない〝オトモダチ〟に、また会いたくなって。
搾りかすのような未練を掴み取り、纏わりつく死を振り払う。
ぶちぶちと嫌な音が身体中に響くけれど、関係ない。
ただ一人のお友達が、待っているから。
◆
617
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:09:31 ID:4Qg7uVaM0
「────────!!」
人間の言葉とは思えぬ金切り声。
それが今しがた脳幹を破壊されたルクレツィアが上げたものだと知れば、万人が震え上がるだろう。
地の底のアビスにおいても類を見ないショッキングな光景は、死刑囚であっても気絶に値する。
けれど、それを間近で見せられた銀鈴は。
心底嬉しそうに両手を合わせ、爛々とルクレツィアを見ていた。
「まあ……!」
「オ゛ォオオ────ッ!」
外れた顎をだらんと垂らし、怪物が腕を振るう。
銀鈴は一瞬驚いた顔を見せるも、すぐさま後方へ一歩退がる。
それだけの優雅な足捌きで、必死の反撃は空を切り────
「────っ、は……!」
銀鈴の左腕を凄まじい衝撃が撃ち抜く。
遅れて来る鈍い痛みを覚えた瞬間、即座に身体を捻って受け流そうと試みるも無駄な足掻き。
したたかに壁へと打ち付けられた銀鈴は、ほんの一瞬意識を朦朧とさせた。
戦闘技術も無いルクレツィアの苦し紛れの攻撃を、彼女が避けられないはずがない。
そんな決め付けは、ルクレツィアが〝素手〟である前提で成り立っているに過ぎない。
現に血濡れの令嬢の右手には、紫煙を撒き散らす煙管が握られていた。
ルクレツィアは確かに戦闘のド素人だ。
圧倒的なフィジカルにものを言わせて、それだけで危なげなく勝ってきたのだから、技術を必要としなかった。
そもそもとしてルクレツィアが好むのは、戦闘ではなく一方的な虐殺なのだ。
武術を極めたいなど、一度足りとも思ったことはなかった。
けれど、この窮地において。
生きなければならないと、心から思ったことで。
銀鈴が避けたタイミングで煙管を出現させ、リーチを見誤らせるという戦闘テクニックを発揮した。
「これ、は…………?」
煙管から立ち上る紫煙が銀鈴を包む。
それを吸い込んだ銀鈴は、ゆっくりと瞼を落とした。
◆
618
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:10:06 ID:4Qg7uVaM0
薄暗い照明に照らされた無機質な部屋。
防弾ガラス越しで、まじまじと自分を見つめる白衣の男達。
好奇心と畏怖が入り交じった瞳で見つめる数名の男を一瞥し、目の前へと視線を流す。
「目は覚めたかナ」
胡散臭い声が掛かる。
銀鈴はその声に酷く覚えがあった。
「あら、マルティン」
主任看守・第二班班長──サッズ・マルティン。
細目の狐顔は悪趣味な加虐心を隠そうともしない。
彼の傍らにあるキャスター付きの机には、血の気が引く程の拷問器具が取り揃えられていた。
「こんにちハ銀鈴くン。今日は君が従順になるよう、少し痛い目を見てもらうヨ」
「まあ、それは楽しみ。どうやって痛みを教えてくれるの?」
ガチャガチャと、宙吊りにされた両腕の手錠を鳴らしながら銀鈴が言う。
拘束台に寝かされていて、下半身に至っては身動ぎひとつ出来ない状況。
訪れる地獄のような拷問の時間を前にしても、銀鈴の目元は楽しそうに笑っていた。
「キミがどれほど痛みに耐えられるカ、どんな顔をするのカ、とても興味があル。是非思う存分、泣き喚いてくレ」
そこからは、この世のものとは思えぬ時間だった。
中身がどうあれ、可憐な容姿の少女へと言葉に顕すのもおぞましい折檻が振るわれる。
刃物、槌、電気、炎、多種多様の手を尽くして銀鈴の身体をいたぶって。
傍らの回復能力者が、わざと歪に再生させて激痛を引き伸ばす。
あまりの光景に、白衣の男達は顔面を蒼白に変えて嘔吐き始めた。
だというのに。
その拷問を受けている銀鈴本人は、退屈そうに欠伸をして。
「ねえ、マルティン」
泣き叫ぶでもなく、発狂するでもなく。
殺してくれと懇願するわけでもなく。
「それはもう飽きたわ」
たった一言を零して。
拘束具を引きちぎり、マルティンの首を撥ね飛ばした。
崩れるマルティンの身体と共に、景色が溶けてゆく。
ガラス張りの密室は黒い廊下へと変わり、マルティンの死体や周囲の傍観者は跡形もなく消え去った。
まるで最初から何もなかったかのように。
619
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:10:36 ID:4Qg7uVaM0
「ふふ、ルクレツィアったら。素敵なネオスを隠してたのね」
先程までの光景は夢。
銀鈴がかつて味わった苦痛の再現。
けれどそれは、所詮記憶の残滓に過ぎない。
どんなに精巧な痛みも、苦しみも、夢だと自覚してしまえばただの明晰夢。
だらりと垂れる左腕の痛みから現実を自覚し、ゆっくりと周囲を見渡した。
「ああ、でも残念。逃げられちゃった」
ルクレツィアの姿はない。
けれど地面に滴る血の跡からして追いつくのは容易いだろう。
方角からしてジェイたちがいる場所だろうか。ついでに合流してもいいかもしれない。
と、足を踏み出そうとして。
銀鈴の鼻を異様な匂いが掠めた。
「…………ナイトウ?」
この匂い、この気配。
知っている、つい最近覚えたものだ。
ルクレツィアとの激戦で気が付かなかったが、確かに内藤四葉の気配がする。
「ナイトウもここに来てたんだ。ふふ、生きていてくれてよかった! トビもいるのかしら? また二人に会えるのね」
根拠もない第六感だが、銀鈴はそれを信じて疑わない。
ふらりふらりと、まるでピクニックにでも出かけるように死臭の元へ導かれる。
古い玩具から、新しい玩具へ目移りするかのような気まぐれさ。
おぞましいほどの返り血に濡れてさえいなければ、微笑ましくも思えるであろう。
「ああ、そうそう。弾が無くなっちゃったから補充しなきゃね。ナイトウと遊ぶのなら、今のままだと心から楽しめないもの」
先程の死闘を忘れてしまったかのような無邪気さでデジタルウォッチを起動する。
痛む左腕に時折顔を顰めつつ、予備の弾倉を二つ転送させた。
中々自由が利かない左腕のせいで少し苦戦しつつも、弾切れになった拳銃へ弾倉を装填。
どこか上機嫌に鼻歌を奏でて、再び歩を進める。
そうして気まぐれな死神は。
一度だけ、どこか名残惜しそうに血の跡へ一瞥をくれて。
ぽつりと、唇を動かした。
「またね、ルクレツィア」
遊ぶ約束を取り付ける子供のように。
それだけを言い残して、銀鈴の視線は再び逆方向へ。
またね────なんて、再会を期待する言葉なんて久しぶりに吐いたな。と、場違いな想いに耽り。
ふわりと舞う黒いドレスと白銀の髪が、蜃気楼のように消えた。
◾︎
620
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:11:04 ID:4Qg7uVaM0
ずるり、ずるり。
肉と床が擦れる音。
ペンキをぶちまけたような血溜まりが、肉の筆によって引き伸ばされてゆく。
赤黒く濡れたナニカが地面を這いずり、少しずつ北へ北へと進む。
それは、ルクレツィア〝だった〟もの。
可憐で美しい顔貌は見る影もなく、両目は赤く腫れてほぼ開いていない。
外れた顎は未だ治らず、穴の空いた後頭部からは脳漿と血液の混じった液体が溢れている。
左足は折れ曲がり、銃創が出来た右足はもう使い物にならない。
もはやそれは、陳腐な映画でよく見るゾンビと何ら変わりない。
どんな作り物(フィクション)よりもリアルな彼女の姿を見れば、映画評論家は卒倒するだろう。
こんな姿になっても死ねない彼女を、遠巻きの傍聴人は憐れむだろうか。
破壊された脳幹が中途半端に回復しているせいで、彼女の頭は正気とは程遠い状態にあった。
────思い出せない。
あの時聞いた〝お友達〟の声が、顔が。
浮かんでは消えて、手が触れそうになっては離れていく。
ああ思い出したとスッキリしては、次の瞬間にまた忘れている。
過去と今の記憶に整理がつかず、時系列が無茶苦茶になっていた。
自分が自分でなくなってゆく感覚。
殺してくれと懇願していた孤児の気持ちが、少しだけわかった気がする。
たしかにこれは、少しだけ寂しい。
あの人の嫌いな映画はなんだったか。
あの人の好きな人は誰だったか。
何も思い出せないけれど。
ルクレツィアは、進む事をやめない。
仮初でも、建前だとしても。
かけがえのない〝オトモダチ〟が、自分を待っているから。
もしかしたら、あの人はそんな風に思っていないのかもしれない。
得体の知れない狂人だと、心の底では思っているのかもしれない。
自分の〝夢を見せる超力〟にしか価値を見出していないのかもしれない。
だとしても、幾らでも逃げられたはずなのに自分と一緒にいることを選んでくれて。
撫でてくれたり、虐めてくれたり、読書をしたり。
ああ、なぜだろう。
してもらった事はこんなにも思い出せるのに。
自分が何を返してあげたか、全く思い出せない。
だからなのかもしれない。
とうにやり尽くして、〝生〟を満喫したのに。
綺麗に死ねたはずのブリキ人形は、無様に生き永らえることを選んだ。
ただ一人の〝オトモダチ〟へ、恩返しするために。
【D–5/ブラックペンタゴン1F 北東ブロック 連絡通路/一日目・午前】
【ルクレツィア・ファルネーゼ】
[状態]: 脳幹破壊による記憶障害、疲労(大)、空腹、喉の渇き(極大)、複数の銃創や裂傷(大)、左足骨折、右足に銃創、血塗れ、服ボロボロ
[道具]: デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針] 思い出せない。
基本.
0.〝オトモダチ〟のところへ行く。
※度重なる消耗により回復能力が著しく落ちています。
脳幹が不完全に回復しているせいで、記憶障害が起きています。
※極度の空腹、喉の渇きにより少なくとも一時間以内に飲食物を摂取しなければ命の危険があります。
◾︎
621
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:11:55 ID:4Qg7uVaM0
銀鈴とルクレツィアが去り、無人となった廊下。
ガチャリと重厚な扉が開き、慎重な様子で顔を覗かせる人物が居た。
「…………行ったか」
ウルフカットの白髪を揺らす褐色の男。
アイアンハートのリーダー、ネイ・ローマン。
ネイティブ世代の頂点は、緊張の面持ちを見せながら視線を左右に流し、状況の把握に努めた。
この廊下が戦場となったのは、ローマンが倉庫に入ってすぐのことだった。
庫内の食糧と酒を煽ろうと一息ついた瞬間、二人分の足音が近づいてきたのがことの始まり。
乾いた銃声、床と壁が崩れる音、淑女達の笑い声と叫喚。
およそ正気の沙汰と思えぬ死闘の証左へ、ローマンは辟易しながらも注意を払っていた。
音だけではどうしても得られる情報に限りがある。
そこでローマンは、破壊音に合わせて極小のエネルギーを弾丸のように放ち、扉に覗き穴を作り上げた。
片方は知っている顔、〝血濡れの令嬢〟。
同じネイティブ世代で、かつローマンにとっては殺さなければならない存在。
フェッロ・クオーレ────アイアンハートの組織員であり、数少ない再生能力持ちの仲間。
ルクレツィアは敵対組織である『バレッジファミリー』の依頼を受け、クオーレを拷問の末に殺した。
ローマンからすれば生かしておく道理など微塵もありはしないが、迂闊に飛び出せない理由があった。
「ったく、……あんなバケモンまでいるとはな」
令嬢が相対する謎の淑女。
情報がない相手は未知数だとか、そういう次元ではない〝なにか〟がローマンの衝動を食い殺した。
無期懲役の囚人でありながら、死刑囚が可愛く思える程の並々ならぬプレッシャー。
かと思えば、殺気や敵意に敏感なローマンに、それらを一切悟らせず死を振りまく異常性。
あわよくば漁夫の利を、などという画策は銀鈴の姿を見た瞬間に掻き消えた。
敵意や殺意に反応して衝動を浴びせる自分の超力とは、極端に相性が悪い。
理屈で言えばメリリンや本条と同じだが、危険度は遥かに上だろう。
ローマンが選んだのは、籠城。
当初の目的である栄養補給を済まし、四葉から得たポイントを使ってデイパックを確保。
交渉用、ついでに嗜好用に幾らか食糧と酒を拝借して、戦いの終わりを見届けることにした。
(エリザベート・バートリは北東に向かったか……んで、問題は────)
催涙ガスが放たれ、咄嗟に穴を塞いだことで事の顛末は見れなかったが、ある程度の状況は推察できる。
引き摺られたような血の跡は北へ続いており、銀鈴は〝ナイトウ〟と口にしてこの場から消えた。
一体どうやって内藤四葉のことを知り得たかは不明だが、本条を追って南西ブロックに向かったと見ていいだろう。
(……あの狂犬、死んでからも厄介事振りまくんじゃねぇよ)
心底面倒臭そうに頭を搔く。
ローマンからすれば、銀鈴と本条がやり合って消耗してくれるのであれば都合がいい。
しかし万が一にも本条が銀鈴を取り込んだ場合洒落にならない。それこそ自分だけでは手に負えない存在になるだろう。
とはいえ、今の状態で銀鈴を追うのは、ローマンからしてもリスクが大きすぎる。
確かに四葉の遺志は汲んでやろうとは思うが、命を投げ打って果たすべきことではない。
ローマンの最優先事項はあくまでルーサー・キングの打倒なのだから、それを果たすまで死んでやるつもりはない。
622
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:12:18 ID:4Qg7uVaM0
ならば、ルクレツィアは。
瀕死の彼女であれば、容易に首輪を奪えるだろう。
報復の為に殺せるならば殺してもいいが、それよりも気掛かりなのがルクレツィアの足取り。
彼女が向かったのは北東。しかし、音が聞こえて来たのも北東から──つまり、道を引き返しているのだ。
(考えすぎかもしんねぇが……戻る理由があった、ってか?)
ブラックペンタゴンに単身で乗り込む奴は、ローマンの予想ではそう居ない。
ルクレツィアは助けを求めて仲間の元へ逃走した、と考えた方が腑に落ちる。
利用出来るものは何でも利用しておきたい。
ルクレツィアを追うにしても、すぐさま殺すよりは動向を伺った方がいいだろう。
仲間がいたのならば、ルクレツィアを利用して情報を吐き出させるのもいいかもしれない。
「決まりだな」
少し間を置いて、ローマンは足を踏み出す。
ルクレツィアが描いた血痕を辿って、北東ブロックへと。
【E-5/ブラックペンタゴン1F 南東ブロック 倉庫前廊下/一日目・午前】
【ネイ・ローマン】
[状態]:額に銃創、全身にダメージ(小) 、疲労(中)、右手首にボルトによる刺し傷
[道具]:デイパック(幾つかの食糧と酒)
[恩赦P]:99pt
[方針]
基本.やりたいようにやる。
0.ひとまずルクレツィアを追う。
1.ブラックペンタゴンでルーサーを探す。
2.ルーサー・キングを殺す。
3.ハヤト=ミナセと出会ったら……。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。
◆
623
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:13:19 ID:4Qg7uVaM0
────きりきり、からから。
────くるくる、ころころ。
回る、回る。
寂しげな鉄音を鳴らし、シリンダーが回る。
三つの空洞に、隙間風が吹き込む。
錆び付いた薬莢に包まれて、湾曲した弾丸たちが語り合う。
「そ、そ、……それじゃあ、第XX2回……〝弾倉会議〟を開始するよ」
円卓を囲む三人の内、『一』の席から声が上がる。
か細い声色に一抹の寂しさを乗せて、本条清彦が会議開始を宣言した。
「わー、ぱちぱちぱちぱち」
「あ、ありがとう四葉ちゃん……じゃあその、四葉ちゃんから…………」
どうぞ、と言おうとしてローズの時の失敗を思い出す。
四葉はまだ家族になって間も無いし、会議だって初めてだ。
じとりと見やるサリヤと目が合い、大袈裟な咳払いを一つ。
きょとんと首を傾げる四葉へ平謝りをして、緊張の面持ちで二人の顔を見回した。
「ええと、そ、その……情報共有、というか…………今回は、方針を決めようかなって……」
「そうね、場所が場所だからあまり悠長にしていられないし」
──それに、共有する程の人数もいない。
言葉にせずともサリヤの意図を読み取った本条は、再び悲しそうに顔を俯かせる。
「ぼ、僕は……やっぱり、今のままだと不安だし、そ、その……」
「一度、ブラックペンタゴンを出る?」
「う、うん」
言いづらそうに口ごもる主人格の言葉を、サリヤが補う。
ここで異を唱えたのは、『さん』と書かれたパイプ椅子の女。
「なになに、うちら三人じゃ不安ってこと?」
「そ、そうじゃなくて……さっきの、ローマンって人、ぼ、僕たちを、追ってくる……かも」
ネイ・ローマンと正面からぶつかった場合、四葉が認めたように勝ち目は薄いだろう。
もしも彼が追ってきた場合、今度は何人落ちるのか。考えたくもない予感が本条の身体を震わせる。
ローズと無銘を見送るほどの戦いをしたばかりで、かつ傍観者側であった本条は酷く気落ちしていた。
「……仮にメリリン達を見付けても、建物の構造上挟み撃ちにされたら厳しいわね。清彦さんの不安もわかるわ」
「ご、ごめん」
フォローを挟む『5』の席、サリヤ。
本条の謝罪の意図は、メリリンを迎えたい張本人である彼女にその発言をさせてしまったことにある。
四葉とサリヤの合わせ技を使えば一時的に人数有利を取れはするが、相手がそれ以上の人数だったり奇襲を仕掛けてきては意味がない。
「あー、それなんだけど……多分大丈夫だと思うよ」
「え?」
「ネイってさぁ、かなり燃費悪い超力なんだよね。ずっと飲まず食わずだったっぽいし、あの消耗具合じゃすぐには来ないんじゃない?」
頬杖を突きながら答える四葉。
彼女の言葉に安心したのか、本条はほうと溜め込んだ息を吐き出した。
「そ、それじゃあ……!」
「うん、メリリン達を追うのにさんせー!」
本条は目元に涙を溜めて、口をへらりと歪ませる。
空いた三つのチャンパーの寂しさを吹き飛ばすような四葉の振る舞いは、本条を元気づけた。
624
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:13:41 ID:4Qg7uVaM0
「ありがとう、二人とも」
ちらりと、サリヤの方へ視線を移す。
「私の我儘に付き合わせてしまって、ごめんなさい」
ぺこりと、礼儀正しく頭を下げるサリヤ。
本条も四葉も、それに返すのは心からの微笑み。
筒抜けの本心。幾十年の時を経なければ得られない信頼と愛情が、何倍にも増幅されて楽園に蔓延する。
「もー水臭いってばサリヤちゃん、だって私たち……〝家族〟でしょ?」
「そ、そうだよ。家族の願いは、聞いてあげたいから」
ああ、心地いい。
ああ、幸福だ。
「……ありがとう。本当に、あなたたちと家族になれて、よかった」
三人に共通するのは、そんな感情。
世界中の誰もが忌避する異形の中では、彼らだけの桃源郷がある。
家族になった者しか味わえない、なにものにも代え難い多幸感。
小さな小さなシリンダーの中で繰り広げられる偽りのソープ・オペラ。
「そ、それじゃあ……四葉ちゃんはな、何をしたいのか、聞きたいな」
観客の居ない一人歌劇。
薄暗い円卓を囲い、綴られる蛇足の物語。
綺麗に終われなかった者たちは、終わりのない永遠を望む。
「私はねぇ、やっぱ一番は〝大根おろし〟さんと戦いたい! それにチャンピオンとも決着つけたいでしょ。トビさんも家族にしたいし────」
そうして、そんな虚構の世界は。
「こんにちは、ナイトウ。また会えて嬉しいわ」
唐突に、終わりを迎えた。
◆
625
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:14:06 ID:4Qg7uVaM0
肌に纏わりつく異様な空気。
胸の奥をざわつかせる不安感。
内藤四葉の姿を借りた何者かは、声の主へと振り返る。
「あれ? 四葉、トビは一緒じゃないのね。もしかして、死んでしまったのかしら」
広大なエントランスホールを背にして、後ろ手を組み悪戯に首を傾げる淑女。
幼さすら感じられる仕草を前に、四葉は冷や汗が止まらない。
一度自分を殺しかけた存在──銀鈴との再会は、予想だにしていないイレギュラーであった。
「銀ちゃんじゃん、久しぶり! トビさんはさぁ、はぐれちゃったんだよね。これから探し行くとこ」
「まあ、そうだったのね。一緒に行ってもいいかしら?」
「それ、私も言おうとしてた。銀ちゃんも来てくれたらさぁ、私としては滅茶苦茶嬉しいんだよね」
こうして言葉を交わせているだけでも、内藤四葉が持ち合わせる本来の狂気を物語る。
一度出会ったことがあるからか、銀鈴の威圧感を前にしても動揺はない。
むしろ、内藤四葉としては〝家族〟のことがなければ再戦を申し出たいくらいだ。
「ねえ銀ちゃん、一人?」
探る。
家族を危険に晒さない為に、動向を探る。
「ジェイと一緒に居たのだけれど、はぐれてしまったの」
「へえ」
相手は一人。
意識はこちらに向いている。
トビの話を聞く限り、銀鈴はローマンのような強大な超力を持っていない。
「それじゃあ銀ちゃん、寂しいでしょ」
銀鈴の死角にて、音もなく人影が蠢く。
鋼の鎧『ラ・イル』が、サリヤの人格を伴って指鉄砲を形作る。
照準は、銀色の髪に隠れた頭蓋へ。
「私たちの〝家族〟になってよ」
ぱん、と乾いた銃声が響く。
放たれる弾丸は的確に対象の脳へと達して。
あまりにも呆気なく────内藤四葉の残滓は、終わりを告げた。
626
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:14:50 ID:4Qg7uVaM0
「私はね、生まれつき記憶力がいいの」
ゆっくりと、スローモーションのように仰向けに倒れ込む内藤四葉。
風穴の空いた額から、赤黒い血潮が飛び散る。
がらりと音を立てて崩れ去る『ラ・イル』は、二度と復元されることはない。
「人間さんの名前、特徴、喋り方、癖、息遣い。愛するためには、全部覚えておきたいでしょう?」
右手に握られた拳銃の大口が、苦い硝煙と火薬の匂いをのぼらせる。
張り付けたような不気味な微笑みは消え失せ、ほんの少し不愉快そうに目を細めた。
「あなた、ナイトウじゃないわね」
ばたりと、四葉擬きが倒れる。
血溜まりの中で蠢く影は形を変え、特徴のない青年のものへと変わる。
その様相を、銀鈴は終始無表情で眺めていた。
銀鈴の知る内藤四葉は、自分の気に当てられても構わず飛び掛かる無邪気な愛らしさを持っていた。
なのにこの偽物は、〝家族愛〟などというノイズに邪魔されて、抜き身のような闘争心を劣化させている。
四葉が注意を引き付け、サリヤが奇襲するという、本物の内藤四葉であれば絶対にやらない〝無粋〟を冒した時点で、この結末は決まっていた。
「────っは、……は……? え、えぇ?」
慌ただしく上体を起こす本条。
震える両手を交互に見遣り、銀鈴を見上げる。
粛々と見下ろす銀鈴と目が合って、本条はガチガチと上下の歯をかち鳴らした。
家族が死んだ。
内藤四葉が死んだ。
なのに張り裂けそうな悲しみも、嵐のような激情も、何もかもが消し飛ぶ。
この世のものとは思えぬ〝闇〟を前にして、圧倒的な恐怖に支配される。
627
:
熱き血潮のカプリチオ(後奏)
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:15:19 ID:4Qg7uVaM0
「ねえ、ねえ。変わった超力を持っているのね、あなた。今まで見たことがないわ」
言葉が出ない。
喉が詰まり、震えが止まらない。
「さっき、家族って言ってたわよね。ナイトウも家族になったっていうことかな。とても興味深いわ」
本条清彦が。
サリヤ・K・レストマンが。
──いいや、『我食い』そのものが。
目の前の死神に、恐怖している。
「知りたいわ、あなた〝たち〟のこと」
銀鈴の右手が、本条の頬を撫でる。
限界まで開いた瞳孔は、釘付けになったかのように銀鈴の顔を見据えて。
突きつけられる銃口に、短い悲鳴を洩らした。
「ねえ、教えて? ──『家族』って、なあに?」
喰う側、喰われる側。
世を成り立たせるにあたって、必ず存在する二対の立場。
頻繁に入れ替わる新世界、ましてや粒揃いの地の底においても。
銀鈴は常に、前者であった。
【E-5/ブラックペンタゴン1F 南・エントランスホール西側出入口/一日目・午前】
【銀鈴】
[状態]:左腕にダメージ(中)、疲労(大)
[道具]:グロック19(装弾数21/22)、予備弾倉×1、デイパック(手榴弾×2、催涙弾×2、食料一食分)、黒いドレス
[恩赦P]:2pt
[方針]
基本.アビスの超力無効化装置を破壊する。
0.本条から『家族』について聞く。
1.ジェイで遊びながらブラックペンタゴンを探索する。
2.人間を可愛がる。その過程で、いろんな超力を見てみたい。
※今まで自国で殺した人物の名前を全て覚えています。もしかしたら参加者と関わりがある人物も含まれているかもしれません。
※サッズ・マルティンによる拷問を経験しています。
※名簿で受刑者の姓名はすべて確認しています。
※システムAに彼女の超力が使われていることが真実であるとは限りません。また、使われていた場合にも、彼女一人の超力であるとは限りません。
【E-5/ブラックペンタゴン南・エントランスホール西側出入口/一日目・午前】
【本条 清彦】
[状態]:全身にダメージ(中)、恐怖、現在は本条の姿
[道具]:なし
[恩赦P]:18pt
[方針]
基本.群生として生きる。弾が減ったら装填する。
0.銀鈴と話をする。
1.殺人によって足りない4発の人格を装填する。
2.それぞれの人格が抱える望みは可能な限り全員で協力して叶えたい。
3.ブラックペンタゴンで家族を探す。
※現在のシリンダー状況
Chamber1:本条清彦(男性、挙動不審な根暗、超力は影が薄く人の記憶に残りにくい程度。睾丸と肛門にダメージ)
Chamber2:欠番(前2番の山中杏は無銘との戦闘により死亡、超力は口づけで魅了する程度だった)
Chamber3:欠番(前3番の内藤四葉は銀鈴に撃ち抜かれ死亡、超力は鎧を生み出す程度だった)
Chamber4:欠番
Chamber5:サリヤ・K・レストマン(女性、詳細不明、超力は指先から空気銃を撃ち出す程度)
Chamber6:欠番(前6番のスプリング・ローズはは弾丸として撃ち出され消滅、超力は獣化する程度だった)
628
:
◆NYzTZnBoCI
:2025/07/16(水) 21:15:36 ID:4Qg7uVaM0
投下終了です。
629
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/16(水) 22:48:03 ID:e1CHKB0M0
投下乙です
>熱き血潮のカプリチオ
久々の呼延さんから語られる在りし日の銀鈴の姿
中華っぽい名前だったけど、やはり銀鈴の国は中国と近い位置にあったのね
超力無しで暴れまわってる全盛期の銀鈴さんは圧倒的すぎる、怯え切った龍華の最期といい出会ったら最後の都市伝説めいている
ルクレツィア vs 銀鈴の怪物対決、フィジカルと技巧派、攻め上手と受け上手、いろいろと近しくも対極な二人
消耗によりついに再生速度も落ちてきたけど、これまでの無法を思えばさもありなん。派手に動いてきた参加者はそろそろ消耗が目立ってきた
お互い殺し合いを楽しみながら名残惜しむ銀鈴とルクレツィアは、ある意味で気が合っているけど、異常性を基にした共感なので出会いが違えば仲良くなれたかも、とはならないのよね
最後は毒ガスと頭部への銃撃でついに仕留めたかに思われたが、それを助けるのは友達パワー、ソフィアさんが聞いたら嫌な顔しそう
大切な友人の記憶を失い、友人の姿を求めて彷徨う、これだけ聞いたら綺麗な友情話なんだけど実態は割と危うい関係、けどルクレツィアお嬢からすればそうだったんだろうね
ローマンは大胆なようで慎重さも兼ね備えているのは流石組織を束ねるリーダー
ローマンでもビビる銀鈴の規格外さは相変わらずとんでもねぇな
瀕死のルクレツィアを追ったが、その先にいるソフィアさんたちを含めてどうなるのか
本条さんもたいがい妖怪めいているが、本物の死神とエンカウント。
四葉ちゃんはこれで完全にご退場か、悲しいですねぇ
ジェイの会話でもそうだったけど、銀鈴は家族の話題に割と興味を示すよね
これまた刑務作業を荒らしてきた怪物同士の出会い、どういうやり取りするのか気になりすぎる
630
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/16(水) 22:48:33 ID:e1CHKB0M0
連絡事項です
本作におきまして、オリロワAの話数が100話に到達しました。沢山のご投下ありがとうございます。
様々な状況が絡みあい話も複雑になってきましたので延長期間を2日伸ばしたいと思います。
現在の予約期限は、基本期間5日、延長期間5日となります。これらは既存の予約にも適用されます。
今後も、オリロワAをよろしくお願いいたします。
631
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:36:02 ID:9vN4cFFQ0
投下します
632
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:36:39 ID:9vN4cFFQ0
彼女(ダリア)が母になっていると知ったのは、この刑務作業が始まる2月ほど前の事だった。
獄中で漏れ聞こえたその情報は、あまりに現実味がなかった。
けれど、確かにその噂は俺の耳に聞いた。
生まれたのは1年以上前。
俺が獄中に押し込まれて10ヶ月程たった後の話らしい。
時期から考えて、それが俺の子だという確証はなかった。
あの夜、彼女を弄んだマフィアどもの子かもしれない。
あるいは、娼婦として取らされた客の子かもしれない。
だが、そんなことはどうでもよかった。
血の繋がりなど、取るに足らない。
俺にとって大切だったのは、ダリアと彼女が繋いだ命があるという事。
あの子は、ダリアの子だ。それだけで十分だった。
その子を愛する。
ダリアと、その子を、どこまでも守り抜く。
奪うために握ってきたこの拳で、今度こそ守るために戦うと。
だが現実は、地の底だ。
空も、明日も、自由もない。
鉄と監視に囲まれたこのアビスで、俺はただ腐っている。
生きているだけで何の意味もない場所で、
俺は彼女にも、その子にも、何ひとつしてやれない。
彼女に触れることも、子を抱くこともできない。
それがどうしようもなく歯がゆかった。
悔しさと焦りが、日ごとに胸を焼いていった。
何度、この拳で看守どもを殴り殺して、ここから飛び出してやろうと思った事か。
だが――そんなある日の事だった。
『恩赦』という名の希望が、蜘蛛の糸のように垂れ下がってきたのは。
ダリアと、あの子に会えるかもしれない。
それだけで、すべてを賭ける理由になった。
でもな。わかってる。
このアビスで偶然の情報なんてありはしない。
ここは風が噂を運ぶような場所じゃない。
間違いなく、仕組まれた罠だ。
あの看守長が俺を刑務作業で都合よく動かすために、わざと垂らした餌。
俺の感情を知り尽くしたうえで、選び抜かれた毒針付きの希望。
毒だと分かっていながら自分の意思で喜んで皿を舐めさせられる、奴の仕掛けるのはそういう罠だ
――それでもいい。
たとえ罠でも、嘘でも、都合よく作られた作戦でも構いはしない。
たとえそれが毒で塗れた蜘蛛の糸だったとしても、俺はその糸を掴む。
血が出ようが、皮が剥がれようが、登りきる。
この拳で、地獄の底からでも這い上がる。
ダリアと、その子を、愛すると決めた。
どこまでも守ると決めた。
そう考えるだけで拳に不思議な力が宿る。
トレーニングから遠ざかり衰えた体の切れ、獄中で訛り切った試合勘。
だが、それでも。今の俺は、全盛期を超える全盛期だ。
だから、待っててくれ。
もうすぐだ。
――絶対に、必ず帰る。
■
633
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:37:13 ID:9vN4cFFQ0
「……その女は、お前の恋人(アモール)か?」
雑多な物置の中で、少年と少女が挑むような視線を向け、静かに王者と対峙していた。
その静寂を破ったのは、拳闘士の声だった。
戦いの雄叫びでも、挑発でもない。
それは、エルビス・エルブランデスが初めて発した、意味を持つ問いだった。
「何を……?」
突然の質問の意図が分からず困惑するエンダ。
その隣に立つ只野仁成は一切動じることなく答える。
「違う。この場で出会った協力者だ」
語調に揺らぎはなく、感情も排されている。ただの事実の報告に過ぎない。
その返答に対し、エルビスはかすかに息を漏らす。「……そうか」と。
それは落胆か、あるいは安堵か。どちらとも取れる曖昧な声色だった。
「ならば――――遠慮はいらないな」
情を捨て、情けを捨て、目的のために一片の遊びもなく、チャンプが動いた。
その歩法(ステップ)は最短にして最速。
無駄を削ぎ落とした、殺意のみを宿す拳闘の軌跡。
「させないよ――――!」
くすりと笑いながら、エンダが応じるように黒い靄を唸らせる。
彼女の異能『呪厄制御』。
靄は瞬く間に凝縮し、千の羽虫の群れ、呪詛の黒蠅へと姿を変える。
それは空間を埋め尽くし、物理にも精神にも、そして超力にも干渉する、触れれば穢れる『呪い』の軍勢。
これは熱線や爆風のような大規模攻撃でなければ突破できない異能障壁。
ましてや、素手での突破など常識ではありえない。
――――だが、そのような常識は、この男には通用しない。
まるで光が弾けたような残像。
瞬きの合間に繰り出された、超速のマシンガンジャブ。
怒涛の連撃が、異様な精度と圧倒的な速度で羽虫たちを一体残らず叩き落としていく。
触らば穢れる呪いの塊。だがその理屈を上回る速度で、拳が先に舞う。
祟りを恐れず、恐怖も痛みも否定するかのように、彼は拳を引いて、また放つ。
そこに迷いも躊躇も一切ない。
「……なっ。どうなってるだ、こいつは……!?」
「この男相手に、その程度で驚いてたらキリがないぞ!」
動揺するエンダの前に、入れ替わるように仁成が一歩出る。
蠅の群を突破した王者を迎え撃つのは人類の極限、只野仁成。
炸裂する拳。
空気が裂ける音。
交差する拳と拳。
拳を極めし王と、技を極めし人が再び激突する。
刹那ごとの判断、打撃の設計、呼吸の制御、心拍の最適化。
1秒の中に、数百の情報が詰め込まれ、数千の技術が交錯する。
「くっ……!」
仁成の左腕がエルビスのジャブを掠め取るように受け流す。
ジャブとも言えど、エルビスの拳は下手なボクサーのストレートにも匹敵する破壊力を帯びている。
まともに受ければ骨が砕ける。ならば受けずに逸らすしかない。
同時に腰を沈め、仁成は踏み込みを想定した体勢へと移行した。
仁成は理解していた。真正面の打撃戦では勝てるはずがない。
近接格闘において、優劣の格付けは既に完了している。
前戦で身をもって体感した通り、エルビスの格闘力は人類の極限をも凌駕していた。
この拳闘王は、人類という生物の定義を力でねじ伏せてくる。
634
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:37:53 ID:9vN4cFFQ0
だが、今回は前回の戦いとは条件は違う。
戦場となるのはかつての階段ロビーのような死地とは違う。
エルビスの紫花が完全に敷き詰められていた、あの腐敗の庭園ではない。
ここは倉庫――紫骸の侵食はまだ浅く、地面にはわずかに空白が残る。
すなわち、仁成にとっては足場が存在していた。
人類が到達可能な全技術を極める超力『人類の到達点(ヒトナル)』。
もしも拳が支配する世界ならば、王者には敵わない。
だが、転がせば世界が変わる。
立ち技の王が覇を唱えるのなら、寝技の極地を見せてやる。
仁成の眼差しが、鋭く光った。
頭部を庇うように両手を盾にしつつ接近。
そのまま足元へ滑り込むような低姿勢へ移行する。
目指すは打撃ではなく、組み付き。
拳で制せぬなら、崩して倒す。
崩せぬなら、転がして絡む。
それが、人類の武術が長年かけて積み上げてきた技の哲学。
「…………」
その動きを視界にとらえたエルビスは無言のままわずかに後ろ足へ重心をずらす。
カウンターを狙う構え。いや、既に迎え撃つ型が完成している。
呼吸の乱れすら狙う戦王の構えは、肉体そのものが戦術書だ。
「くぅ……!」
エルビスの迎撃。
ガード越しに受けた仁成の肘が軋む。
一発一発が鈍器めいて重い。
されど、仁成は止まらない。
そのまま左足を内側から巻き込み、後ろ足へと体重を預ける。
体幹を揺るがす、重心破壊の術――タックル。
一歩でも軌道がズレれば成立しないが、今は最短距離での突入。
密着と同時に、肘・膝・肩を同時に押し当てて、エルビスの体を浮かせにかかる。
「……ッ!」
エルビスが喉を鳴らす。
即座に姿勢を戻し、腹部にカウンターを叩き込まんと拳を振るう。
その瞬間。仁成は自ら崩れ落ちるように倒れこんた。
「――――!」
その動きに引っ張られ、意表を突かれたエルビスの体が一瞬浮く。
バランスを取ろうと、咄嗟に踏み出した片足を、仁成の足払いが刈る。
転倒。
王者の体が大きく傾ぐ。
仁成の腕がその背を制しながら巻き込んで寝技圏内への誘導が成立する。
だが――。
「――――!」
倒れ込む仁成の視界の端に紫の波紋が広がった。
倒れ込もうとした先に咲いていたのは、腐敗の花。
その動きを読んでいたように、空間を侵食する紫骸が寝技を拒絶するかのように咲いていた。
このまま倒れ込めば、肌が、呼吸器が花に触れ。腐敗に蝕まれる。
密着する者同士、毒の浸食は即座に回る。
まさに、致命の罠。
635
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:38:45 ID:9vN4cFFQ0
だが、前回の戦いとの違いがフィールド以外にもう一つある。
それは一人ではないという事。
「――――エンダッ!!」
その名を叫んだ。
その声に応えるように、背後から黒い靄が奔った。
ざあっ、と音が聞こえた気がした。
風でもなく、水でもない、呪いの羽音。
祟りの声。悪意を塗り固めたような意思。
集中した黒い靄が紫の毒花へと襲いかかる。
紫骸と黒靄。
互いに汚染を本質とする超力が、真正面から激突する。
視覚ではとらえられぬ何かが軋み、
精神の芯が締め上げられるような不快感が戦場を覆う。
そして、腐敗毒が、黒靄に食われた。
腐敗を放つ紫の花弁が黒く染まり、しおれていく。
これが、エンダ・Y・カクレヤマの真価。
毒を打ち消すのではなく、毒で毒を制す。
彼女の異能は、対呪いにおいてこそ真に輝く。
「――今だ、仁成!」
エンダの叫びに、仁成が即座に応じる。
完全な無力化とまではいかずとも、十分に無害化された花畑に、男たちの体が転がった。
地面に落ちた仁成は瞬時に半身をひねり、エルビスの腕を巻き取るように制圧。
「もらったぞ、チャンピオン――――!」
腕を絡め、肩を潰し、首へと圧をかける。
立ち技の王者を地を這う格闘の領域へ引きずり込む。
密着から一気に――グラウンド・コンバットへ遷移する。
密着した瞬間、戦場の支配権が塗り替えられる。
主導権は、仁成の手中へと移った。
寝技。それは立技と異なり、一手ごとに全身を運用する総合技術。
投げ、崩し、絞め、極め、返し。
その一手一手が技であり、術であり、生死を分かつ理である。
その理を知る者と知らぬものの間には絶対的な超えられない壁が存在し、そして仁成はその全てを理解してた。
人間に可能なすべての技術を、正確無比に再現できる男。
この領域で、もはやボクサーに勝機はない。
仁成の腕がうねる。
肩甲骨を起点に、肘を抱え込むように巻き付ける。
肩を潰し、腕を斜めにひねり、背骨と胸郭の歪みを強制的に引き出す。
変形腕絡み(キムラロック)。
人体の自然可動域を逸脱させる破壊技術。
関節は決して力比べではない。テコと位置こそが支配の鍵。
それが、武術という名の科学だ。
「ッ……!」
歯を食いしばり堪えるエルビスの身体がわずかに浮く。
それほどまでに、仁成の極めは完璧だった。
完全に極まったサブミッションに逃れる術はない。
しかし――花が咲いた。
エルビスの肩から、腕から、手首から。
滲み出すように紫の花が咲きこぼれる。
エルビスは何でもあり(バーリトゥード)の『ネオシアン・ボクス』を勝ち抜いてきた王者だ。
寝技の精度は高くなくとも、寝技の対応は心得ている。
毒を纏う花弁が、密着した仁成の右腕を覆うように這う。
エンダもそれを無力化しようと黒靄を遣わせるが、密着状態では効果が薄い。
特に相手の手首を掴んでいる右手は避けようがない。
腐敗と蠱惑を纏った死の花。
その花粉が仁成の右腕を這い、侵蝕していく。
636
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:39:14 ID:9vN4cFFQ0
「構うかよ――――」
だが、仁成は手を離すことなどしなかった。
腐敗が走ろうとも、腕の力を緩めることはない。
――――折る。
腐敗は無視できぬ痛みとなる。
だが、その代償にチャンピオンの腕一本が取れるのな安い取引である。
腐敗が進行する。
熱い。痛い。痺れる。
皮膚が焼け、肉が軋み、骨が悲鳴を上げる。
それでも仁成は、全身の体重を関節にかけ、腕をひねり折りにかかる。
これは好機だ。
エルビスの寝技対策は徹底している。
逆に言えば、それだけ寝技を嫌っているという事。
この無敵の王者の弱点は間違いなくこれだ。
最後の一刺し。
相手の抵抗を切るように、全身の力を籠め体を仰け反らせる。
「――ッッ!!」
だが、生身である以上、物理的な限界は存在する。
仰け反った拍子に、相手の手首をつかむ右掌の皮膚が腐敗の進行によりズルりと滑った。
その瞬間、僅かに拘束が緩んだ。
その一瞬を、見逃す相手ではない。
「ぉおおッ!!」
咆哮のような呼気。
体幹をひねり、肩を抜き、反転するエルビス。
裏返しの体勢から、そのまま反転する勢いを乗せたフックを振り抜いた。
「……ッぐ!」
それは地面を殴りつけるかのような鉄槌だった。
ほんの一瞬でも反応が遅れていれば、仁成の顔面はトマトのように潰れていただろう。
だが仁成は、咄嗟に身を離し、横転して直撃を回避。
拳が床を砕き、コンクリートが爆ぜる。
「……っ!」
一発、二発、三発。
地を転がる仁成を、鉄の連撃が追う。
体勢を整えることより、攻撃を優先する暴風の連打。
振り下ろされる拳の重さは、攻撃というよりも刑罰だった。
鉄槌。処刑。拳の王が下す絶対の裁き。
その一撃一撃が、骨を、意志を、命を砕くに足る威力。
だが、それでも仁成は回る。
体を絞り、呼吸を整え、打撃の軌道を見切って最短距離で抜けていく。
理性と本能の間で、常に生存を最適化し続ける――それが、只野仁成。
だが、それを追う拳は、なおも速い。
追撃の鉄槌が今まさに仁成へ追いつこうとした、その瞬間――
「――行かせないよ」
黒い靄が、横合いから奔った。
まるで悪霊のごとく、戦場を這う。
それは精神を蝕み、超力を侵食する祟りそのもの。
腐敗毒すら侵す、呪いの侵攻。
侵すための超力。
「ッ……!」
それを視認した瞬間、エルビスの拳が止まる。
バッと上体を反らし、スウェーのような動きで身をかわすと跳ねるようにして立ち上がった。
その隙に、仁成は距離をとった。
荒い呼吸を整え、再び戦場に立つ。
637
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:39:56 ID:9vN4cFFQ0
「――助かった」
荒い息の合間に、仁成はそれだけを呟いた。
地を転がって間一髪で間合いを逃れた彼は、立ち上がったままエンダへ視線を向けず声をかける。
その目は戦場の中心にいる王者、エルビス・エルブランデスだけを見据えていた。
エンダは短く頷いた。
言葉は要らない。今は戦いの只中。
その了解が伝わっただけで、十分だった。
仁成は膝を曲げ、重心を落とし、深く呼吸を整える。
同時に、エルビスもまた、自身の肉体を確認していた。
関節技を受けた肘に、鈍い痛みが残る。
関節がきしみ、筋が引き延ばされている感覚。
だが、骨も腱も断裂には至っていない。
拳を握ればわずかに疼くが――戦闘に支障はない。
拳闘士は拳を再び固め、構えを取る。
しかし、その型は明らかに先程までとは違っていた。
前傾姿勢のクラウチング・スタイルを捨て、上体を起こしたアップライト・スタイル。
両腕は低く下げられ、腰の位置からスナップを効かせるような独特の構えへと切り替わる。
ヒットマン・スタイル。
迎撃に特化したその構えは、文字通り狙撃手の構え。
待ち構え、測り、正確に打ち抜く――アウトボクシングの典型的な流儀だ。
(……アウトボクシング?)
仁成は一瞬、疑問を抱いた。
この戦法は、通常リーチに優れる体格の選手が距離を支配するためのもの。
だが、エルビスと自分の体格差は大きくない。リーチを活かすには不向きだ。
ならば、この構えの狙いは攻めではない。防御と迎撃、特に組み付き対策。
グラウンドでの攻防を忌避し、あえて重心を後方に保ち、威力を抑えてでも距離を詰めさせない意図がある。
そう狙いを読み取った仁成が動く。
地を蹴り、距離を詰め、鋭く後ろ回し蹴りを放つ――顔面への一撃。
だが、エルビスは無駄のないバックステップでそれを躱す。
だが、それは布石に過ぎない。
蹴りの反動を利用して反転し、低い姿勢からバックステップを追うように踏み込む。
ステップの着地タイミングを狙っての胴タックル。
一切の無駄がない、完璧な踏み込み。避ける隙間は、ない――そのはずだった。
だが、次の瞬間、パンッと、鋭く弾かれる音が空気を裂く。
エルビスの腕が、スナップと共に放たれたのだ。
フリッカージャブ。
後方に引きながら、前へ伸ばした仁成の右手を正確に叩き落とす。
近づかせないという明確な制動の意志が宿った一撃。
「くっ…………!」
掌を打たれた衝撃が激しく響く。
引きながらの打撃であるため打撃の威力はやや落ちている。
それでもまとも喰らえば一撃で機能不全にするには十分な威力だ。
だが、その威力にも怯まず、仁成は止まることなく再び組み付きに向かう。
弾かれた逆の手を掴みかかるように伸ばし、細かな足さばきで軌道を変え突っ込む。
だが、再びパチンと言う音。
今度は左手を打たれた。
まるで、突き出した手が狙撃されたかのような正確さで弾かれる。
(……違う。これは)
ただの場当たり的な迎撃じゃない。
鋭い手の痛みを感じながら、仁成の頭を冷たい理解が貫いた。
――――指だ。
エルビスの狙いは、仁成の指を破壊することである。
極め技、関節技、絞め技。あらゆる寝技という技術体系の根幹は掴みにある。
掴めなければ、極められない。
掴めなければ、寝技そのものが成立しない。
だからこそ、その根本を破壊すべく、仁成の指を潰しにきている。
踏み込まず、距離を保ち、安全に、正確に指を叩き落とす。
ヒットマン・スタイルはそのための選択肢。
ダメージではなく、機能破壊を目的とする、冷徹なスタイル。
638
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:40:20 ID:9vN4cFFQ0
敵の狙いは読めた。
ならばこちらは、意地でも組み付く。
仁成はさらに深く踏み込んだ。
足運びにズレを混ぜ、視線を惑わせ、肩の角度と上体の捻りでタックルと見せかけ打撃を放つ。
踏み込みも直線的ではなく、蛇のようにうねり、狐のように欺き、虎のように牙を剥く。
だが打撃など通用しないとばかりに状態の動きだけで避けられ撃ち出されるジャブ。
しかし、それは仁成がフェイントで引き出させたジャブだ。
呼んでいたようにそれを腕で受け流すと、次の瞬間には前蹴りを放ち、打撃戦に持ち込む。
もちろんそれは本命ではない。
本命はここ――――足取りだ。
蹴りを戻す動きに合わせ、仁成の重心がさらに沈み、地を這うような姿勢に移行。
あらゆる動作の軌道と余韻に自然な不自然さを散りばめながら、エルビスの視界の外縁から滑り込む。
地に掌を滑らせ、足首を掴みに行こうとした所で。
瞬間、空気が爆ぜるような音が響いた。
正面の構えから打てるはずのない角度。
常識では考えられないタイミングと姿勢から、拳が迫る。
エルビスのアッパーが、ほとんど地面スレスレの角度から振り上げられる。
拳が仁成の右手を、的確に撃ち抜いた。
「ッ――!!」
指が跳ねる。
神経が、掌の中心で火花のように炸裂した。
筋が震え、骨が痺れる。
恐るべき精度だ。
ただでさえ人類の極地ともいえる高速戦闘の渦中。
その中で、正確に指先を狙って拳を打ち込むなど人間技じゃない。
人知を超えた拳の怪物。
それが、エルビス・エルブランデス。
最強のボクサーと、至上の人間。
技術と技術、速度と速度、読みと読みがぶつかり合う。
目まぐるしく戦況が変化し、息をつく暇さえ与えられない。
今この瞬間、この倉庫に存在しているのは、人類史上でも極めて稀な格闘知の極地だった。
――エンダは、戦場の中心でぶつかり合う二人を見つめていた。
もちろんただ観戦している訳ではない。
援護の隙を探し、全神経を集中させている――にもかかわらず、割り込む余地が一切見つからなかった。
視認も、聴覚も通じない。
予兆、気配、空気の揺れ、そして本能。
すべてを総動員して、ようやく戦況の輪郭だけが掴める。
(……これでは、手出しできないな)
戦いの次元が高すぎる。
エルビス・エルブランデスと只野仁成。
この二人の戦いは、もはや通常の支援が通用する次元ではなかった。
彼らの攻防は鋭すぎて、下手に割って入ればかえって足を引っ張ることになるだろう。
できることと言えば、せいぜい周囲に咲き始めた腐敗の花を出来うる限り無力化し、仁成の動けるフィールドを広げることくらいだ。
ドンとの戦いは、エンダという大切な人を殺されたという恨みによって強化された超力で押し切ることができた。
だが、それが通用したのは、ドンが体と剛の怪物だったからだ。
そして何より足止め役と超力ハックという明確な役割分担があったというのが大きい。
スタンドプレーによってうまれるチームプレイ。これこそが彼らには合っていた。
一人の相手を高速戦闘の中で相手取るのは高度な連携能力が必要だ。
だが、はっきり言ってエンダは共闘の経験が少ない。
土地神として祀られて生きてきたのだ、誰かと共に戦うなど皆無だったと言ってもいい。
黒靄は強力な力だ。
だが、強すぎるが故に攻性で放った場合、加減が効かない。
密着戦闘の最中に放てば、敵味方を区別なく呪いごと飲み込むだろう。
仁成のような肉体であっても、至近距離で浴びれば確実に侵蝕される。
エルビスはドンの様な体と剛ではなく、技と柔の怪物。
その動きは、たとえ土地神であっても、ただの少女をベースとするエンダの感覚では捉えきれない。
この戦況下で、エンダの力は使いどころを誤れば、むしろ危険な援護になりかねない。
ならば、間接的にいくしかない。
ふわりと、エンダの手が上がる。
黒靄がうねり、倉庫の天井近く、備品棚の高所へと伸びる。
次の瞬間。
棚の上にあった工具、金属片、フレーム、部品などが、不自然な軌道で一斉に宙を舞う。
呪いに導かれた物質の飛礫が、エルビスの背後へと襲いかかった。
639
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:40:47 ID:9vN4cFFQ0
ほんの一瞬。
王者の意識が、わずかに後方へと割かれる。
その刹那。
仁成が動いた。
脚が音もなく床を滑る。
心拍を抑え、気配を殺す。
鍛え抜かれた身体を完全に沈め――密着を狙う。
だが、それでも通らない。
エルビスは即座に膝を落とし、ウィービングで飛来物をかわす。
風を読んだかのような柔らかい動きで、すべての飛礫を避けきった。
そして、同時に繰り出されたフリッカーショットが、向かい来る仁成の右手を正確に捉えた。
「ッ……!」
ついに指先に直撃し、薬指が砕けた。
関節が逆方向に折れ曲がり、骨が軋む。
皮膚の内側で、鈍い断裂音が響く。
だが、
「指一本で――止まるかよ!!」
それでも仁成は、止まらなかった。
砕けた指をそのままに、構わず突っ込み、肩から巻き込むように距離を詰める。
右手を捨て駒にし、身体をねじ込むことでエルビスの肘関節に取りついた。
指を捨て、肘を取る。
肘を外から掴み、内側へとひねり込む。
全身の体重を関節の一点へ集中させ、死角から力を流し込む。
それは、人類が何世代にもわたって積み上げてきた、関節技の粋。
そして、それを実行するのは人類の到達点たる只野仁成。
痛み? 恐怖? 損傷?
そのどれもが、極めるという意志の前では何の意味も持たない。
今の彼は、己の命さえ極めの代価にできる精神領域にいる。
「――っ!」
仁成の腕が深く絡まり、肘を完全に制する。
背を逸らし、全体重を一気にかけて引き裂く。
ゴキン。
肉と骨が引き離される、濁った破砕音。
エルビス・エルブランデスの右肘関節が、ついに破壊された。
(ッ!? 違う……これは――!?)
だが。すぐさま仁成が違和感に気づく。
手応えが、あまりにも軽い。
極められるその寸前。
エルビスは抵抗を捨て、自らの意思で肘関節を脱臼させたのだ。
通常なら激痛に悲鳴を上げ、即座に行動不能となるはずの荒技。
だが、エルビスは顔ひとつ歪めなかった。
それさえ堪えられるならば、決定的な破壊を避けられ、即座に反転することが可能になる。
「あ――」
仁成の反応が一拍遅れる。
プランと右腕を放り出しながら、エルビスの体が独楽のように反転した。
放たれる悪魔の左フック。
640
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:41:09 ID:9vN4cFFQ0
「させない!」
咄嗟に、エンダの右手が振り上げられ、黒き靄が暴風のように渦巻いた。
多少危険でもここで割り込まなければ仁成が死ぬ。
だが、その光景を見たエルビスの目が、明確に反応を示す。
振り抜かれるはずだった左フックが、僅かに軌道を変えた。
その腕で、仁成の体を引っかけるように絡めとる。
それは拳ではなく、投げ技への移行だった。
そのまま首を刈りながら腰をひねり、首投げの要領で仁成を黒靄の渦巻く方向へと投げ飛ばす。
「――ッ!」
黒靄は誰彼構わず呪う、対象を選ばない力だ。
それが敵であろうと、味方であろうと。
このままでは、仁成の肉体すら蝕んでしまうだろう。
咄嗟にエンダは、黒靄を霧散させた。
「っ……!」
黒靄の消去はギリギリで間に合った。
だが、受け止める黒靄がなければ、投げ飛ばされた仁成の体が向かう先はただひとつ。
「――っ!」
鈍く重い衝突音。
剛速球のように放り投げられた仁成の身体が、全体重を乗せてエンダに直撃した。
2人の身体がもつれ合って転がる。
荷台をなぎ倒し、壁に激突し、鉄製の棚が崩れ落ちる。
「う、く……」
エンダが呻き、ようやく上体を起こす。
そして顔を上げたところで――
「え――――?」
死が目前にあった。
エルビスは、既に距離を詰めてそこにいた。
一切の迷いもなく、拳が振りかぶられている。
死を目前にして全てがスローモーションのように見えた。
岩石すら容易く砕く鉄拳。
神が宿っていようとも少女の頭など、一撃で吹き飛ぶだろう。
この拳が直撃すれば間違いなく死ぬ。
エンダにとっての二度目の死。
奇跡はもうない。
鉄拳が、エンダに迫る。
逃げる時間はない。
靄を展開する暇もない。
叫ぶことすら、もう間に合わない。
確実に、死ぬ。
だが、横合いから飛び出してきた何かに、向かい来る死が遮られた。
641
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:41:34 ID:9vN4cFFQ0
「――仁成!!」
エンダを庇うように身を乗り出しのは仁成だった。
交通事故のような衝突音。
その顔面に拳王の鉄拳が直撃する。
勢いよく弾かれた体が、錐もみ回転しながら壁際まで吹き飛ばされる。
乾いた音と、壁材の破砕音。
打ち付けられた仁成が、破砕物の中に沈み、力なく崩れ落ちて動かなくなった。
血が流れている。
左頬が裂け、眉骨が陥没し、口の端からは欠けた歯と血が混じったものが滴っていた。
エンダの呼吸が止まる。
一瞬、死んでいるのだと思った。
いや、今この瞬間も、本当に生きているのかどうか、確証はない。
だが、エルビスは動いた。
エンダのすぐ目の前にいながら、彼の視線は仁成に注がれている。
彼の中で脅威としての優先度は、いまだ仁成の方が上なのだ。
無防備なエンダを素通りし、エルビスは倒れた仁成の方へと歩いていく。
歩きながら脱臼した右腕を遠心力で勢いよく回し、無理やり関節をはめ込む音が響く。
一瞬、僅かに顔を歪めるがそれだけ。
彼の足音は重く、確実に仁成へと迫っていた。
エンダの背筋に、鋭い戦慄が走る。
この歩みを止めなければ、仁成は殺される。
そして、その直後に、自分も殺されるだろう。
この男に躊躇はない。
獲物を見逃すことなど、在り得ない。
慈悲もなく、己が目的を達するだろう。
ならば。
選ばねばならない。
この殺意の歩みを止めるための唯一の手段を。
武力では勝てない。
エルビスに対して戦うという選択肢は成立しない。
ならば、生き残る方法はただ一つ。
「――待ちなさい!」
エンダが声を上げる。
だが、エルビスは止まらない。
そのまま、意識を失った仁成の傍まで歩み寄る。
「わたしたちは、この刑務作業からの脱獄を目指している……!」
必死に叫ぶ。
自らの目的を明かし、交渉の糸口を掴もうとする。
だが、エルビスの拳は無言で振り上げられた。
――止まらない。
この程度の情報では、この男は止まらない。
エンダは奥歯を強く噛み、逡巡する。
彼を制止するには、もっと具体的で、強い言葉が必要だ。
そのためには、エンダの持つ最大の切り札を切るしかない。
だが、それを口にするのは酷く躊躇われた。
思考すら読み取る看守長ヴァイスマンの超力。
この超力に対してエンダは唯一無二のアドバンテージを持っていた。
『支配願望(グローセ・ヘルシャー)』によるタグ付け。
それはこの体、エンダになされたものである。
ならば、彼女に憑依した土地神であるカクレヤマの思考は読めないのではないか?
もちろん、そうであると言う確証はない。
だが、無敵のヴァイスマンの超力を出し抜く唯一無二と言っていい可能性だ。
口にしてしまえばそのアドバンテージをみすみす捨てることとなる。
迷いの暇はない。
拳が振り下ろされようとする――その刹那
「わたしには――脱獄のための具体的な手段がある…………!」
振りかけられた拳が、空中で止まる。
ようやく、エルビスの意識がわずかにこちらへと向いた。
642
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:42:12 ID:9vN4cFFQ0
エンダは胸の奥で、ようやく一度、息を吐く。
背に腹は代えられない。
エンダのために涙を流してくれた優しい人。
エンダが夢見たささやかな少女の夢を叶えてくれるかもしれない人。
ここで彼の命とエンダの夢が失われるくらいなら口にすべきだ。
「どうせキミも恩赦が欲しいんだろう?」
そして冷静を装い、あえて余裕を見せるように言葉を紡ぐ。
その言葉にわずかにエルビスの眉が動いたように見えた。
どうやら図星のようである。
ならば、そこを突く。
「けれど、考えてもみたまえ。アビスが恩赦なんてものを与えると本気で信じているのかい?」
恩赦を稼いだ犯罪者たちを解き放つなどと言う無法をアビスが許すか?
刑務作業における恩赦に信憑性はあるのか?
彼の戦う理由の根本を突いた。
「わたしならばより確実な脱獄方法を提示できる」
「――御託はいい。話せ」
刃のように鋭い声だった。
エルビスは不要な踏み込みを許さない。
拳は止まっている。
だが、いつ動き出してもおかしくない。
まるで時限爆弾のような空気が、空間を支配していた。
その声音は、ギリギリの興味を保っている状態。
つまり、この交渉から少しでも興味を失った瞬間、この拳闘士の腕は振り下ろされる。
その一撃が落ちれば、仁成は確実に死ぬ。
エンダは、そんな中でも表面上の平静を保っていた。
その瞳は黒靄のように冷ややかだが、喉の奥では緊張が焼けつくように渦巻いていた。
エンダは降参するように探りを止めて、決意を固めて口を開く。
「この孤島が、どこにあるのか知っているのかい?」
「知らないな」
興味すらないのか、感情の欠片もない簡素な返答。
だが問いへの反応はある。
まだ話を聞く意思が残っているようだ。
そう判断したエンダは続けた。
「この孤島はね、超力によって作られた世界なんだよ」
答えを告げる。
この事実にさすがに驚いたのか。
ほんの一瞬、エルビスの瞳がわずかに細まった。
『異世界構築機構(システムB)』
それがこの刑務作業の舞台である孤島の正体。
システムAの開発に携わる秘匿受刑者として、エンダはその事実を知っていた。
「……それで?」
返ってきたのは、やはり冷ややかな一言。
彼が求めているのは驚きではない。
必要なのは、その情報が何を意味するのかである。
「そちらの仇花を枯らした、わたしの超力……あれがどういうものか、理解はできているのかな?」
だが、直球の答えを求めるエルビスに対して、エンダはさらに問いを重ねる。
これは必要な問いであるかと言うように。
エルビスは少しだけ視線を動かす。
「腐敗か呪いか……俺の超力に干渉したってとこだろうな」
さすがは百戦錬磨の王者。
数多の超力者と戦ってきた男は、既にエンダの能力の輪郭を把握していた。
エンダは、静かに頷きそれを肯定する。
「そう。わたしの超力は、超力に干渉することができる。その意味が、わかるかい?」
そして突きつける、論理の核心。
超力によって作られた世界。
そして超力干渉できる超力。
ここから導き出されることは一つ。
「わたしは―――――この世界に干渉できる」
それこそが、エンダの持つ最後にして最大の切り札。
この牢獄を打破する、唯一の鍵。
全てを解決する脱出計画。
643
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:42:49 ID:9vN4cFFQ0
沈黙の中で、エルビスが静かに問う。
「個人の力が、世界をどうこうできるとは思えないな」
それは、まっとうな疑念だった。
力の世界に生きる男だからこそ、その点はシビアだ。
だが、エンダは、すかさず言葉を重ねた。
「わたしの超力は、恨みに比例して強化される」
一語ごとに、感情がにじむ。
唇がわずかに歪む。
喉の奥から、熱のこもった声が漏れる。
「この世界への恨み。
私(エンダ)を閉じ込め、神を祭り上げ、管理し、奪っていった全てへの怒り。
その怨嗟が、どれほどの強さか……試してみる?」
その瞬間、空間が微かに震えた。
エンダの背にまとわりつく黒靄が、怒りに呼応してざらりと蠢く。
この世界への怒りを受け、黒き瘴気が、微かに震えた。
対象は世界。
彼女の中では世界そのものが、最初から敵として定義されている。
そして、それに干渉する力が、今まさに膨れ始めていた。
世界そのものを相手にしようというエンダの語る遠大な脱獄計画。
だが、エルビスは失望した様に肩を落として大きなため息を零した。
「――――ガキのママゴトみたいな計画だな」
一言で切り捨てる。
声からは熱が抜け、興味は明らかに霧散していた。
エンダの背に、冷たいものが走る。
「脱獄してどうなる? その先は?
そんな事をしたところで、待っているのは国際指名手配され逃げ続ける日々だ。
アビスの職員どもやGPAの追手と一生戦い続けるつもりか?」
エルビスの願いはただ一つ。
愛する女(ダリア)たちとの平穏な暮らし。
それを叶えるために、より良い計画に乗るのは吝かではない。
だが、それは脱獄などという無法では不可能だ。
彼にとって必要なのは、誰に咎めらる事のない正規の手段での出獄。
この恩赦はそこに繋がる唯一の道筋だ。
だからこそ、細かろうと危うかろうとその道に全てを懸けられる。
一歩、仁成の方へと足を踏み出し、拳を握る。
その仕草は、交渉決裂の合図だった。
エルビスはエンダの計画を見限った。
「――話にならん」
最後通牒。
そう言い放ったエルビスの拳が、無慈悲に振り下ろされた。
「まっ――!」
エンダの口から悲鳴のような静止の声が漏れる。
だが、それはあまりに遅きにすぎた。
拳は、すでに落ちている。
空気を裂くような風切り音にかき消され、もはや声すらも届かない。
倉庫に響くのは、肉を打つ――鈍い衝撃音。
だが、エンダの目に映った光景は、予想とまったく違っていた。
644
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:43:13 ID:9vN4cFFQ0
目の前にあったのは、エルビスの拳が仁成に叩き込まれる姿ではなく。
仁成の飛び蹴りが、エルビスの胸に突き刺さる姿だった。
意識を失っていたはずの仁成の身体が跳んだ。
背中を支点に全身のバネを弾ませ、一気に跳ね上がる。
わずかに身を捻って、振り下ろされるエルビスの拳を紙一重で回避。
そのまま空中で両脚を伸ばし、ドロップキックの要領で放たれた渾身の蹴りが、カウンターのようにエルビスの胸を正確に捉えた。
人類最高峰の肉体を持つ仁成。
その回復力もまた人類の極限に至っている。
エンダが交渉をしている間に意識を回復させ、ギリギリまで回復に努めていた。
仁成の足裏が、エルビスの胸を正確に打ち据える。
押し出すような蹴りの勢いに、わずかとはいえ、王者の体が揺れた。
エルビスはたたらを踏んで後退する。
対する仁成は、蹴りの反動で宙に浮きながら、ネコ科の獣のように空中で体をひねり、しなやかに着地。
そして一瞬の迷いもなく、呆然と立ち尽くす少女の手を取って出口へと一目散に駆け出す。
驚愕に目を見開くエンダの身体が、不意にぐっと引き寄せられた。
「ま、待っ――!」
だが、待っている暇などない。
仁成はそのまま、エンダの小さな体を肩に担ぎ上げる。
「ちょっ、人を荷物みたいに――!」
抗議の声が上がるが、聞いている余裕はなかった。
無視して全速力で駆け出す。
「脱獄王と契約分としては十分だろ。逃げるぞ。2対1でも無理だ」
できることなら仕留めたかった。
だが、相手の有利なフィールドから抜け出し、2対1の状況で仕掛けても勝てなかった。
無理だということは痛いほどに理解できた。
奴の拳には神憑った何かが宿っている。
振り返る余裕はない。
だが、背後から迫る圧だけは、確かに感じ取っている。
体勢が崩れたのは一瞬。
チャンピオンが、再び動き出した。
空気が軋み、空間が震える。
それだけで、彼の殺意が再起動したことがわかる。
「仁成! 拳を構えている!」
肩越しに後方を確認していたエンダが、即座にエルビスの状態を報告する。
この状況で取られる拳王の構えに、仁成は嫌と言う程心当たりがあった。
――百歩真拳。
通当ての神業にて、逃げる背を打つ算段だろう。
「エンダ! 手当たり次第に壊せ!」
叫び声のような指示。
エンダが即座に反応する。
黒靄が奔る。
物置部屋の備品棚、配電盤、照明器具、床の構造体。
ありとあらゆるものに刃のように黒靄が走り、破壊を開始する。
棚が崩れ、火花が散る。
ケーブルが千切れ、構造材が崩れ、倒壊していく。
倒れ込んだ備品が即席の盾となり、放たれた真空の拳圧を破砕しながら受け止める。
同時に崩れた荷物が通路を埋め、追撃を足止めする障害物となった。
だが――そんなもので、王者が止まるわけがない。
エルビスは足さばき一つで障害物を避けながら、迷いなく迫ってくる。
稼げる時間は、せいぜい数秒。
そして仁成も、それをわかっている。
エンダを抱えたまま、この男を振り切るのは不可能だと。
実際それは一度、味わった。
背を向けた瞬間、地獄が追いすがるあの感覚を。
645
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:43:36 ID:9vN4cFFQ0
「どうするつもりなんだいっ!?」
抱えられたエンダが問いかける。
破壊された部屋が、煙と靄と爆裂で曇る中。
その中で、仁成は曲がった左薬指を無理やり伸ばしながら――笑っていた。
「2対1でもアレには勝てない。なら、答えは簡単だ――」
倉庫を出て通路を全速力で駆け、足を止めることなく、決断を告げる。
「――それ以上を、巻き込むまでだ」
その言葉に、エンダの目が見開かれる。
「……まさか」
「このブラックペンタゴンには囚人が集まってるはずだ。なら――――巻き込めそうな奴を、全員巻き込む」
まだ混乱の渦中にある、ブラックペンタゴンの内部。
そこに仲間でも敵でもない、多くの受刑者たちが集まっているはずだ。
王者を引き連れそこに突っ込み、そいつらを戦いに無理矢理巻き込む。
そうすれば矛先はその場における最大の脅威に集中するはずだ。
確実ではないが、現状の戦力で勝てないのだからそれしかない。
急場も極まった傍迷惑な混沌の作戦である。
背後から、王者の足音が迫っているのを感じながら。
仁成は混沌に向かって全力で駆け出した。
【D?4/ブラックペンタゴン1F 北東・北西ブロック 連絡通路/一日目・午前】
【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:ダメージ(中)、疲労(小)
[道具]:デジタルウォッチ、探偵風衣装、ナイフ、ドンの首輪(使用済み)、ドンのデジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『エンダの願い』を果たす。
0.エルビス・エルブランデスから逃げる。
1.仁成と共に首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
2.囚人共は勝手に殺し合っていればいい。
3.ルーサー・キング、ギャル・ギュネス・ギョローレンには警戒する。
4.ヤミナ・ハイドを使うか、誰かに押し付けるか考える。
5.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。
※エンダの超力は対象への〝恨み〟によって強化されます。
※エンダの肉体は既に死亡しており、カクレヤマの土地神の魂が宿っています。この状態でもう一度死亡した場合、カクレヤマの魂も消滅します。
※黒靄による超力干渉でエルビスの腐敗毒をある程度遮断できます。
ただし〝恨み〟による強化が発揮しない限り、完全な無効化は出来ないようです。
【只野 仁成】
[状態]:疲労(大)、全身に傷、右掌皮膚腐敗、右手薬指骨折、左頬骨骨折、左奥歯損傷、ずぶ濡れ、服の全面が溶けている、精神汚染:侮り状態
[道具]:デジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
0.エルビス・エルブランデスを誘導して、他の受刑者を巻き込む
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。
5.少女(四葉)にも対処したい。
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。
【エルビス・エルブランデス】
[状態]:疲労(大)、幾らかの裂傷、腹に銃創(軽) 、右腕、右肘にダメージ、強い覚悟
[道具]:
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.必ず、愛する女(ダリア)の元へ帰る
0.エンダと仁成を殺す。
1."牧師"と"魔女"には特に最大限の警戒
2.ブラックペンタゴンを訪れた獲物を狩る。
646
:
愛にすべてを
◆H3bky6/SCY
:2025/07/18(金) 20:43:46 ID:9vN4cFFQ0
投下終了です
647
:
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:49:33 ID:wib7f2dE0
投下します
648
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:49:55 ID:wib7f2dE0
男――ルーサー・キングは己の勝利を疑っていなかった。
心底、本当に。彼の眼中にあの四人はいない。それは純然たる力量の差、そしてコンディションも含めている。
五体満足かつ栄養も取り、健康である自身と満身創痍でボロボロの四人。
客観的に見て、彼らは見どころはある。若者らしい、青臭い理想を抱いた超新星ではある。
だが、其処までだ。視界にいれる程度の興味こそあれど、脅威ではない。
一見の範疇では、彼らはキングの“敵”にはなり得ない。
此方が上で、向こうは下だ。
「先に言っておくが、お前達の過ちを咎めるつもりはない。確かに、俺の指示が悪かった。
ネタバラシをすると、野暮用を頼んでる取引相手は別口だ。お前が説明したあいつらは無関係で、偶然かつ初対面――意図的な出会いではないことも理解している」
眼前に立つ少年と少女に対して、特に感慨はない。
焦りと覚悟が入り混じったご高説を聞かされたが、大体は想定の範疇に収まっている。
まあ、やるだろうなと思っていたことではあるし、実害を被っている訳でもなし。
叶苗達のような恐怖と代価で動く駒と違って、制御できるとは思っていなかった為、特に失望とも違う。
「無関係な奴等に対しての指示がなかった、だから……自分達の判断を優先する。ああ、何も悪いことじゃねえ。
もう一度言おう。今回の行き違いは、俺の指示が雑だったことが起因だ。坊主、お前に責はねぇよ」
キングは軽く指を鳴らすだけでビクリと震えるハヤトを、やはり青いとしか評価できない。
敬語も使えないマナーは知らない腹芸はできないと言った典型的な三下の少年だが、面白みはある。
嘗ての自分を見ているのか。それとも、どう足掻いても得ることはできない――できなかったモノへの憧憬か。
できない子供程、可愛いと言う言葉はあるが、彼がそれに当てはまるのはもう自分でも理解できていた。
「それを踏まえて、俺達に筋を通す為に此処に来た。一貫してるねぇ。最初も言った通り、坊主――――てめえの覚悟とやら、俺は割と好きだったんだがなぁ」
口元を緩ませて、笑うキングの表情は心底楽しげであった。
手を軽く叩き、最初に出逢った頃のように機嫌の良い声色だ。
故に、彼らは一瞬だけ気が緩む。背後に隠れている少女達も含めて決意を再確認してしまった。
自分達は立ち向かえるだなんて、無謀を抱いてしまった。
「けれど、その好感を差し引いても、解せねえよ。俺をよく知っておきながら、お前達が俺を軽んじているのが驚きだ。
組織の頂点を仕切っている奴にその傲岸不遜、到底無視できるものじゃねぇ」
「………………ぁ」
笑みが消える。声の抑揚に温度はない。
高みから、それら総てを見下ろしている視線に漸く気づいたのか。
裏の世界で君臨し続ける帝王を相手取ることの意味。
それは、世界を敵に回すのと同意義だということに。
坊主、テメエにアメを与えすぎたか? 俺の失策だな。四の五の言わずに最初に出会った時に殺しておくべきだったか。
この程度の目利きもできねぇ無茶と無謀の判別もつかねえ奴等なんざ、生かす価値がねぇ。
なぁ、今生の際だ。最期に聞かせてくれよ。てめえらの軽率な振る舞いは一体、誰に責があるんだろうなぁ」
「そんなことは……っ!」
「あるだろうが。男を気取って、正義を掲げて、さも自分達は負けねえって顔をしてるが、相手は選べよ。
子供の喧嘩じゃねえんだ。悪党とのやり取りでそれが許されるのは、強者だけなんだが――――」
先程までのにこやかな笑顔も、浮ついた声色もない、正真正銘――本気の苛立ちと殺意。
ルーサー・キングという男が、殺意という刃を見せる。
囁くように、キングは告げた。
よく、噛みしめろ。飲み込んで、消化しろ。お前達が選んだ道はこういうものだ。
649
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:50:46 ID:wib7f2dE0
「てめえらは違うだろ」
死刑宣告。帝王に目をつけられた以上、もはやこの悪蔓延る世界にて、生きる術などない。
――――俺を、誰だと思ってやがる。
嘗てジャンヌへと放った言葉を再度使うことになろうとは。
帝王を前にして不遜なる態度を貫くには、まだお前達は足りないものが多すぎる。
それらの事実はキングが不合格を与えるには十分過ぎる失点だった。
「俺との対峙でてめえが矢面に立って。そんで何かあった時は、てめえが殿になって。時間を稼いで、後ろにいる奴等を逃がす。
かっこいいねぇ、ドラマの主人公か? 。ハヤト=ミナセ――それは、てめえの過信が過ぎるんじゃあねぇのか?
考えるだけだったら無料だがよ。まさか、そんな甘い物語《プランニング》を本気で実行する気なら、拍手は取り消そう」
「やるさ……! やらなきゃ、いけな――――!」
「五月蝿えよ、がなるな。もういい、てめえら二人の物語は見定めた」
所詮、ちっぽけなチンピラだった。後ろの南米の英雄様も逃げ足だけの少女だ。
両者共に、弁えなきゃいけない領域をわかっていないのなら、価値はない。
「マルティーニ坊やなら、もっと練るぜ? あの永遠馬鹿なら、事前に俺の舞台を潰していたぜ?
あの剣客だったら、言葉なんて抜きに斬り掛かっていたぜ?」
策謀か、暴力か。意志だけではない、確固とした力と余裕。
疲弊しきった青臭い子供達には持ち得なかったモノを悪は悪故に準備している。
何をしてでも絶対殺すという覚悟が、ハヤト達には足りない。
「それで、後ろで隠れてる極東の田舎娘はパーティに出たことすらねぇのか。
挨拶ってのは大事なんだぜ。礼儀を間違えると、力関係はずっと拗れたままだ」
ゆっくりと詰めていく。数十分前に抱いた決意の刃も、キングにとっては秒で潰せる鈍らだ。
キングは淡々と問うている。不足を補うモノがないなら、死ぬしかないぞ、と。
「大方扇動されちまったか? それとも、色香に負けてハーレムでも気取ったか?
皆で戦おう、皆一緒なら大丈夫って――――は、ははっ、自分で言ってておかしくてたまんねぇな
こんな力も経験も足りねぇガキに、お遊戯会みてえな理由で喧嘩を売られたのは子供の時以来だ」
キングの乾いた笑いが辺りに虚しく響く。失笑、と。彼は心底、眼前の子供達へ失望している。
何故、自分達は彼を相手に勝てると思ったのだろう。
こんなにも深く、こんなにも広く、こんなにも濃く。
常世に君臨する帝王の恐怖と覚悟。それはどう頑張っても、三下には届かない。
「お前達も笑えよ、坊主、嬢ちゃん。ラブ&ピースが好きだってことは、笑いは必要だ。
気兼ねすることはねぇ、てめえら四人で話していた時みたいに、俺のことも笑い飛ばしてくれよ」
凄絶に。顔を歪めて、キングは嘲笑う。
希望など、此処にはない。
「笑えって言ってんだよ。皆一緒だから大丈夫、なんだろ? 早く笑えよ、なあ?」
これは、だめだ。
ハヤト達は何もわかっていなかった。
体の震えが止まらない。思えば、最初の出会いではまだセーブしていたのだろう。
キングの中でハヤト達への目利きはとっくに終わっている。
その意味と価値は、この場における最適解を導き出すことだ。キングの中にある意味と価値――ハヤト達を生かす理由を創出する。
650
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:51:50 ID:wib7f2dE0
「俺にここまで言わせてくれるなよ。“ルーサー・キング”を、お前“達”は舐めてんだろ」
お前達など、秒で殺せるのだぞ、と。
正面から戦いに来れる程、お前達は強者なのか。
「出てこい。今すぐに。俺はさっきの言葉は後ろのお前達にも言ってるんだぜ?」
結局の所、キングのことを彼らは何も理解していなかった。
青臭いガキ二人で自分を足止めできるなど、些か軽く視過ぎではないか。
鋼鉄操作の異能で、彼らの首は既にギロチンへと懸けられているようなものだ。
互いをかばい合う? 関係ない、“四人”まとめて斬首してしまえばいい。
キングはもう彼らに、猶予は与えない。彼らが何かをする前に、自分が皆殺しにする方が数手早い。
そして、彼女達がこの状況にて雲隠れすることは絶対に有り得ない事も知っている。
数秒後、物陰から二人の少女が姿を表した。
名前や素性を問いかける無駄はしない。キングの頭には彼女達の情報も入っている。
「臨戦態勢だな。初めましての挨拶時くらいは、仲良くやろうや。近頃の子供は物騒で怖いなぁ」
「さっきの言葉を顧みて、よく言えますね」
へらりと笑うキングを前に、りんか達の表情は緊張を隠せない。
これが、欧州を牛耳った帝王。あのジャンヌですら倒せなかった、本物の悪。
この島で出会ってきた誰よりも、その悪は輝きを放っている。
先程までの脅しも踏まえて、彼を前に正気を保てるだけでも十分過ぎるくらいなのだから。
「ブラックペンダゴンを避けてきたようだが……その焦燥と疲弊を見る限り、意味があるかどうかは今後次第だ。
同じ考えの悪どいハイエナはいるもんだ、この島に安全地帯なんざねぇよ」
「そうですね。逃げた先に、貴方のような人がいたら……そう思います」
「酷い言われようだ。まあ、いい。おい、坊主、礼儀もねぇ子供に付き合う程、俺も暇じゃねぇ。こいつらをさっさと追い返してきな」
「案内しろだったり、追い返せだったり、随分と自分勝手じゃないか……? それに、俺達は戦う覚悟できたっていうのに」
「戦わねぇよ。その無鉄砲さで問答無用に喧嘩をふっかけてくるかと態勢は整えていたが、さっきの説教が効いたのか、揺らいだな」
「…………揺らいでなんか、いねぇ」
「いいや、わかったはずだ。健康体の俺と満身創痍のお前達。数を揃えた所で天秤は変わらん。
コンディションが逆ならまだしも、無茶と無謀を履き違えた選択を希望で塗り潰すのは愚策だ」
キングはどこまでも理性と客観性で不毛さを説く。
勝つのは自分だ、それは揺らがない。
理の観点で見て、自分に益がないとわかった以上、キングの中にある熱は冷め切っている。
「ったく、今までの奴等がバトルジャンキーばっかりで感染ったか? 俺にはてめえらに対して、命を懸ける理由がねぇ。
悪・即・滅を掲げてるどっかの正義の味方ならともかく、お守りで手一杯なそっちの嬢ちゃんは、悪を滅するより、誰かを守って救う方を選ぶと思っているんだが」
「知った口を聞いてきますね」
「目利きはいい方でな。少なくとも、てめえらよりは人を多く見ている」
バルタザールのように心神喪失者でもなく。ブラッドストークのような怪人でもない。
はたまたルクレツィアのような嗜虐者でも、ジルドレイのような狂人でもない。
大金卸樹魂の求道者の生き方などキングには当てはまらない。
理性で衝動を捻じ伏せ、益だけを追求する合理性の“人間”。
それが、ルーサー・キングである。
651
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:52:14 ID:wib7f2dE0
「なぁ、悲劇のヒロイン――葉月りんか。いや、ヒーローの方が呼び名はいいのかい?
涙を誘う裁判で全世界のトレンドになって、今も人権団体に喚かれている張本人。
無辜の虐殺者。第二のジャンヌ・ストラスブール。
どれが良い、呼び名はまだあるぜ?」
「私はまだ、名乗ってなんか……! …………なんで、そこまで」
「極東の島国で起こったことなんて、俺が知らねえとでも思ったか? 深堀りする程調べちゃいねぇが、最近アビスに堕ちた奴の中でも目玉だぜ、嬢ちゃんは。
生憎とつい最近まで世間を賑わせた裁判だったらしいからな。色々と伝手があるのさ」
初対面だというのに嫌に此方の手の内を見透かしてくる。キングが言っていたことに加え、ジャンヌと似たような触れ合いで世間を騒がせていた少女だ。
今後のネタになるかも知れないと思い、軽く調べたのが、こんなところで活きるとは思わなかったが、利用できるなら利用する。
故に、この場でカードは切るべきだった。
「俺からすると一番しっくり来るのは、この呼び名だがな――“自殺志願者”。俺からすると、そんな後先もねぇ奴と生命の奪い合いを付き合うのは何の益にもならん」
そして、何の気なしに放たれたその言葉は、ハヤト達を酷く動揺させた。
確かに彼女の過去は知っている。だが、所詮それは言葉の連なりだ。知識として得れるが、その内実までは至らない。
少女が抱いたサバイバーズギルドも、メサイアコンプレックスも、眠っている思いとして伝わることもない。
りんかは黙したままキングの言葉を表情一つ変えず聞いている。
全部、彼女自身はわかっていて、それを意図的に伏せているのも自覚していて。
「………………………………なんだその顔は。坊主達はともかく、小娘。お前、何もわかってなかったのか」
キングの言葉は心底虚を突かれたものであり、表情も驚きが混じっている。
そしてくつくつと嗤い声を上げて、小さく嘲った。
傑作だ。しかし、それも当然か。身の上話を話して、姉妹ごっこをしているが、その奥底にある願いまでは告げてはいないだろう。
話した所で止められるのが関の山だ。根付いた虚無はどれだけ絆を紡ごうとも、消えることはない。
「山程視てきたよ、てめえのようなガキは。正義の味方、誰かを救いたい。どうか、其の生命を投げ出さないで。
近似値でいうと、ジャンヌ・ストラスブールか。まあ、造りとしちゃあ違うが、参考程度にはなるだろう」
ジャンヌは先天的な正義の味方だ。
例え、何があろうともジャンヌは正義の味方になっていた。
それは環境がそうさせたのではなく、彼女自身が生粋の正義の味方であるからだ。
魂、そういった曖昧な言い方ではあるが、彼女の運命は最初から決まっていた。
生き方の始まりが何処であろうとも、彼女はこの道を進むし、この破滅を迎えることになる。
「だが、てめえはアレよりもよっぽど壊れてるな」
それと比較したら、りんかは後天的な正義の味方だ。
環境が彼女を正義の味方へと貶めた。災害によるたった一人の生存者。
地獄を見た。助けを求める声に応えられなかった後悔は、彼女の自己肯定感を地の底まで落とすには十分過ぎるものだった。
「葉月りんか。人を救いたい。己の命は助けを求める人を救う為にある。
確かに、その思いに偽りはねぇだろう。隣りにいる妹分を大事に思っているのは、紛れもなく本物だ」
そして、地獄は再びやってきた。眼前にて嬲られ死んでいった家族達。
己も含めて蹂躙された精神と身体。そして、その果てで、言われるがままに虐殺した無辜の人々。
悪に翻弄され、壊れた少女が寄る辺としたのは正義の味方という概念だった。
それしか意味と価値はない、と。希望を抱けた唯一の夢を抱えて直走る。
652
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:52:27 ID:wib7f2dE0
「なぁ、悲劇のヒロイン――葉月りんか。いや、ヒーローの方が呼び名はいいのかい?
涙を誘う裁判で全世界のトレンドになって、今も人権団体に喚かれている張本人。
無辜の虐殺者。第二のジャンヌ・ストラスブール。
どれが良い、呼び名はまだあるぜ?」
「私はまだ、名乗ってなんか……! …………なんで、そこまで」
「極東の島国で起こったことなんて、俺が知らねえとでも思ったか? 深堀りする程調べちゃいねぇが、最近アビスに堕ちた奴の中でも目玉だぜ、嬢ちゃんは。
生憎とつい最近まで世間を賑わせた裁判だったらしいからな。色々と伝手があるのさ」
初対面だというのに嫌に此方の手の内を見透かしてくる。キングが言っていたことに加え、ジャンヌと似たような触れ合いで世間を騒がせていた少女だ。
今後のネタになるかも知れないと思い、軽く調べたのが、こんなところで活きるとは思わなかったが、利用できるなら利用する。
故に、この場でカードは切るべきだった。
「俺からすると一番しっくり来るのは、この呼び名だがな――“自殺志願者”。俺からすると、そんな後先もねぇ奴と生命の奪い合いを付き合うのは何の益にもならん」
そして、何の気なしに放たれたその言葉は、ハヤト達を酷く動揺させた。
確かに彼女の過去は知っている。だが、所詮それは言葉の連なりだ。知識として得れるが、その内実までは至らない。
少女が抱いたサバイバーズギルドも、メサイアコンプレックスも、眠っている思いとして伝わることもない。
りんかは黙したままキングの言葉を表情一つ変えず聞いている。
全部、彼女自身はわかっていて、それを意図的に伏せているのも自覚していて。
「………………………………なんだその顔は。坊主達はともかく、小娘。お前、何もわかってなかったのか」
キングの言葉は心底虚を突かれたものであり、表情も驚きが混じっている。
そしてくつくつと嗤い声を上げて、小さく嘲った。
傑作だ。しかし、それも当然か。身の上話を話して、姉妹ごっこをしているが、その奥底にある願いまでは告げてはいないだろう。
話した所で止められるのが関の山だ。根付いた虚無はどれだけ絆を紡ごうとも、消えることはない。
「山程視てきたよ、てめえのようなガキは。正義の味方、誰かを救いたい。どうか、其の生命を投げ出さないで。
近似値でいうと、ジャンヌ・ストラスブールか。まあ、造りとしちゃあ違うが、参考程度にはなるだろう」
ジャンヌは先天的な正義の味方だ。
例え、何があろうともジャンヌは正義の味方になっていた。
それは環境がそうさせたのではなく、彼女自身が生粋の正義の味方であるからだ。
魂、そういった曖昧な言い方ではあるが、彼女の運命は最初から決まっていた。
生き方の始まりが何処であろうとも、彼女はこの道を進むし、この破滅を迎えることになる。
「だが、てめえはアレよりもよっぽど壊れてるな」
それと比較したら、りんかは後天的な正義の味方だ。
環境が彼女を正義の味方へと貶めた。災害によるたった一人の生存者。
地獄を見た。助けを求める声に応えられなかった後悔は、彼女の自己肯定感を地の底まで落とすには十分過ぎるものだった。
「葉月りんか。人を救いたい。己の命は助けを求める人を救う為にある。
確かに、その思いに偽りはねぇだろう。隣りにいる妹分を大事に思っているのは、紛れもなく本物だ」
そして、地獄は再びやってきた。眼前にて嬲られ死んでいった家族達。
己も含めて蹂躙された精神と身体。そして、その果てで、言われるがままに虐殺した無辜の人々。
悪に翻弄され、壊れた少女が寄る辺としたのは正義の味方という概念だった。
それしか意味と価値はない、と。希望を抱けた唯一の夢を抱えて直走る。
653
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:53:09 ID:wib7f2dE0
「てめえの行動の先にある根源をひた隠しにしている」
咀嚼し、飲み込め。それら全てが積み重なって、出来上がった正義の味方は何を望んでいるか。
僅かな希望しかない、少女の物語はエンドロールまで決まっていた。
「誰かを救いたいという願いには、己を入れていない。命の掛け金なんざ、てめえにとって、ストリートの倫理くらい軽いだろ?」
「違う」
「違わねぇよ。己が生き抜くことを欠片も考えていない、誰かの為に躊躇なく命を投げ捨てられる。
例え、自分が死んでも、善行ができたなら満足……そうだろ? そんな理屈が根付いている奴なんざ、自殺志願者以外の何者でもねぇだろう」
瞬間、拳と鋼鉄が交差する。
拳は無意識的な振るいであり、鋼鉄は意識的な振るいである。
その言葉が偽りであるならば、何の感慨もなく否定できるはずだ。
しかし、彼女は拳を振り上げてしまった。衝動的な否定? 無表情、言葉の抑揚も消して抑えていたのに?
それらを完全に抑え切るにはりんかの経験が足りなかった。
そして、その振り上げた拳は、キングが話す言葉が正しいものだとハヤト達にも認識させてしまった。
「だから、てめえが描ける最良は、この島なんだろうな」
「――――」
「どうせ死ぬのなら、無辜の犠牲者を救って死にたい。
無為に刑務所の中で生きていくよりは、よっぽど値打ちがつく。良かったな、絶好の相手がいて。葉月りんかという悪に、意味と価値が出来上がったぜ」
死ぬべきではなく、死にたい。穢され続けた人生だけど、最期くらいは綺麗なモノを救って終わりたい。
地獄が創り出した正義は、葉月りんかの総てを侵食し、剥がれ落ちることはない。
「もっとも、その後ろにいる小娘一人救えた所で、帳尻は合わねえがな」
「何も知らない人が、よく言えますね」
「ああ、張本人じゃねぇんだ。詳細な内情までは知らないさ。さっきも言ったんだがなぁ。
お前と似たような奴はたくさん知っている。
なら、話は早いだろうが。情報がある、経験がある。そこからプロファイリングしたら、すぐに推論は出せる」
ルーサー・キングという男は何も武力だけの阿呆ではない。
策謀も回る、折衝もできる、どの分野においても、ハイエンドの領域にいるからこそ、帝王なのだ。
彼は眼前の少年少女の数倍も生きていて。善も悪も中立も見尽くした。
そして、愛も憎悪も信頼も知り尽くして、縁を結んだ経験があるキングからすると、りんかはわかりやすい。
よくある不幸話だ。それが幾つも積み重なって、ここまで狂ってしまった人間も稀に現れる。
とはいえ、彼女を形成しているものが正義の味方というのは珍しいけれど。
「没落した貴族。正義の味方。堕ちた英雄。偽物の救世主。奪われ続けた王子様。
どれがいい? どれを語ったらお前に行き着く?」
「どれでもありません。私は、私です。他の誰であっても、行き着かない」
りんかの表情と声色に変化はなかった。
息を荒らすことなく、落ち着いた返しだ。当然、嘘偽りなどりんかの言葉に在りはしない。
「手を差し伸べた人達がお前を許さないのか?」
自殺は許されない。それは己を救ってくれた人達への裏切りだから。
りんかは知っていた。反吐が出るような悪党がいるのと同時に、自分を案じてくれた人達がいるということも。
世界が憎い、人々が憎い。そう思ってもおかしくない経歴であっても、彼女が善性を捨てなかった理由が其処にある。
654
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:54:32 ID:wib7f2dE0
「見捨てた犠牲がお前を誘ってるのか?」
見捨てて、奪って。その果てに救われただけの自分がいた。
そんな自分がどうして世界と人々を憎む価値があろうか。
徹底的なまでの自己肯定感の低さは、憎悪で狂う人間へと落とさない奇跡で在り続けたのだ。
「護って、救って。その繋がりで死にたいんだろ、お嬢様。そうしたら、見捨てて、奪った犠牲に報いる形で終われるからなぁ。
その相手は極論誰だっていい。其処の小娘を救ってお姉ちゃんをやっていたのも、今まで振るってきた拳も。
てめえの物語に運命と必然は欠片も見当たらねぇ」
最初から、りんかには生きて地の底から帰る気はなかった。
この島で誰か一人でも救えて、護った事実があればよかった。
否、それだけでよかった。その果てで死ねるなら――大好きだった家族にも会えるかもしれないと思っているから。
「別を当たりな、お嬢様。てめえの自殺《英雄譚》に組み込まれるのはゴメンだ」
拳と鋼鉄はもうぶつかっていなかった。
キングはそもそも生存が優先で、戦いに明け暮れるジャンキーではない。
りんかについても、己に巣食うものを再認識させられた。この心身の状態で超力を満足に使えることはないだろうし、キング相手にそんな腑抜けは許されない。
ハヤト達の動揺もある、これ以上の続行は無理だ。
「キングさん。貴方の言うことは正しい。私がとっくに壊れてることも、命の使い道を決めていることも。……………………死にたいと願っていることも」
曲げられぬ生き方。
キングの言葉と圧であっても、りんかの壊れきった精神は治らない。
「私は護って救って償い続けて、この島で、死ぬと思います。それでも、誰かを救えるなら、私が此処にいる意味と価値は残せる。
なら、それでいい。私はこの超力に誓って――――救った意味と護る価値を絶対に諦めない」
「成程。自分をその対象に入れてないことを抜かせば、正義のヒーローだが……。隣のお嬢ちゃんからすると、悪党だな。
置き去りにされるってのは、辛いぜ?」
嘗て、りんかの姉がしたように。その気持ちを味合わせるというのか。
それはりんかが覚悟していたことであり、刑期という意味でも、自分は紗奈と違う。
ずっと一緒という言葉はありえない。いつか、この手は離さないといけない、と。
葉月りんかは別れは必然だという事を理解できている。
「…………私はこの子の手をずっと握っていられない。それでも、握れる時間がある限り、私は護り続ける。
キングさん、もしも、この子に危害を加えたら――――私は命を懸けて貴方を…………殺します」
「いいね、綺麗事じゃ済まねえって理解してる顔だ。だが、安心しな。俺に幼女趣味はねぇんだ。お前達の“姉妹ごっこ”に首を突っ込む野暮もするつもりはねぇ」
救済と贖罪。りんかがやりたいことは結局、其処に行き着くのだ。
葉月りんかの意味と価値は、誰かを救うことでしか生み出せない。
見捨てて、奪った分――それ以上を生み出す為に償うのだ。
ずっと、永遠に。例え、一人きりになろうとも。否――――そうでなくてはならないのだ。
己が救われたい、と。護られたい、と。願っては、思っては、いけない。
655
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:55:07 ID:wib7f2dE0
「勝手に死んでくれる奴等に手を出す手間はかけたくないんでな。
俺が手を下さなくとも、お前は死ぬだろうな。嘗て死んだ、自分の姉のようにそこの妹もどきを守って。」
その言葉にりんかは背を向けて、外へと駆け出した。
少し、気持ちを落ち着かせてきますと言葉を残して。
それは余裕のない、今の自分が何を口走ってしまうかわからない、不安の現れだった。
足早に建物を出ていったりんかを追うように紗奈が追いかけようとするが、キングの言葉に立ち止まる。
「追っても、救えねえぞ。どうやら、嬢ちゃんは何もかもが足りていねえってまだ理解ができてねぇらしい。
頭も、経験も、力も、見通しも。足りねえモノがフルコースで揃っている。
そんな嬢ちゃんが動いて、良い結果を出せると思っているのか?」
「うるさい! 今のりんかを一人にできる訳ないでしょ!」
「そうだな。葉月りんかなら、そう返す。流石、劣化コピーは言うことも似通ってるな」
「……ッ!」
「そんなに苛立つことか? 大好きなお姉ちゃんと一緒のモノなんだ、喜べよ。
お前が抱く正義は葉月りんかのコピーだ。誰が見ても一目瞭然じゃねぇか」
交尾紗奈。彼女に対して説くことは、キングはしない。
りんかの正義をそのまま己へと移した、中身のない空っぽな正義。
りんかが崩れたら連動して崩れ落ちる程度の脆さだ、其処に手を加える必要はない。
「底が浅いのは、コピーだから。意味も価値も、全部あの嬢ちゃんの受け売り。そもそも後天的に出来上がった正義だ、本物じゃねえ。
コピーを更にコピーして、解像度も劣化しているんだから、脆い。
それを嬢ちゃんがわからねぇ以上、また焼き直しだ。今まで言われてこなかったか? お前が一番、意味も価値もねぇってことに」
利用するにしても、始末するにしても。
犠牲に囚われ、正義を貫くしかなくなったりんかも、そしてそれを模倣している紗奈も。
この二人は最低限――取引をする段階にすら辿り着いていない。
キングの言葉を振り切るように出ていった紗奈が此処に戻ってくることはないだろう。
キングの目的は生き残ることだ。
この刑務の先を見据えている故に、これ以上、子供達の無茶に突っ込むつもりはない。
数分、場に沈黙が続く。立ち去った少女達は遠くで姉妹ごっこの続きをしているだろう。
「それで、残ったのはお前達だが……」
「あの、キングさんは正義が嫌いなんですか?」
「おい……!」
「唐突だな。嬢ちゃん、どうしてそう思った?」
「いえ……先程までしたやり取りよりも……感情が籠もっていたといいますか」
紗奈に釣られて、立ち去らないと思ったら、セレナが言葉を投げかけてきた。
いきなり何を言い出すんだ、と。
ハヤトの表情も気が気でないと言わんばかりだ。
656
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:55:35 ID:wib7f2dE0
「そもそも、俺という人物を知った上で、その質問を投げかけているのはどうかと思うが……。
他にも色々と言いたいことはあるが、不問にしてやる。
今回は俺の曖昧な指示でお前達を振り回してしまったからな。最期だし、サービスだ」
キングからすると、セレナの疑問については、別に答えなくてもいい質問だ。
この質問に答えた所で彼らからの印象が変わる訳でもないし、この四人に対しての印象はもう覆らない。
あくまでも、彼の気が向いたという偶然が産み出した成果に過ぎない。
「嫌い、というには語弊がある。俺は正義に対して、そういった情動を抱いてはいない。
恐らく、嬢ちゃんは勘違いしているな。訂正だけはさせてくれ」
「勘違い、とは?」
「正義―そりゃあ、それが世界と大衆にとって正しいことで、皆が守るべきもの。
そう在れと人々が相互に望み合っているものだ。まあ、その理屈は頷こう」
「正義について否定はしないんですね?」
「否定する要素がないからな。俺は薬でイカれた阿呆でも、人を虐げる事に総てを捧げた狂人でもねぇからな。
ただ、俺からすると、その正義は何の益にならなかった」
「……キングさんの過去が、そう思わせてるんですか?」
「悪いかい? 皆が守るべきもの、望み合っているもの・それらの中に俺という存在は最初から入ってなかったからな」
とっくに割り切った、過去の己。りんかと同じように理不尽に奪われ、死んだ兄弟。
正義は此方に在り。それを掲げていたモノ達に線引きされた自分達は、それでも信じようとはならなかった。
ジャンヌのような心意気があれば、義憤に駆られたか。否、そんなものは願うことすら憚れていた。
「さっきの質問の答だったな。俺は正義という概念を嫌悪していない。だが、事実としてあるだけだ。
正義が俺達に与えてくれたのは、不平等だけだった。益は何一つなかった。
そんなものに対して、信を置くのは……それこそ、底抜けの阿呆だけだ」
何の利益も与えてくれないものに、何を思う必要がある。
渇き切った、夢も希望もなかったあの日々。
何処にでも転がっている、ふざけた世界だ。ましてや、超力が発現した今の世界なら尚のこと。
故に、己の手で、貪欲に、手段を選ばずに、勝ち取らなければならない。
正義は人を選別すると理解しているからこそ、キングはその生き方を選ばなかった。
ルーサー・キングは必要故に悪を犯す。益がある、欲がある。キングを帝王足らしめる要素がある。
「そもそも、正義を信じた同類の阿呆は皆死んじまったからな」
「その、すみませんでした……」
「いいさ、気にするな」
キングは鷹揚に嗤って。その無礼さもまた、少女の美徳だと答えを返して。
会話は打ち切られ、キングは指を鳴らした。
「最期なんだ、許してやるさ」
鉄塊が、降り注ぐ。肉の潰れる音が、儚く響いた。
■
最後に見た彼女の顔は、今にも泣き出してしまいそうな、笑顔だった。
■
657
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:56:04 ID:wib7f2dE0
キングは確かに言った。
自分達の物語は見定めた、と。故に、その時点でこの結末は約束されていたのだろう。
そして、自分はそんな破滅に気づかず、此処まで来てしまった。
その言葉の意味を真に理解できていたならば、自分達は助かったのだろうか。
「危険の察知は随一だな。流石、南米の英雄。だからこそ、真っ先に落としたかったんだが。
坊主、お前がいてくれて助かったよ。お陰様で、楽に殺せた」
どうして。今のハヤトには疑問符しか流れてない。
気がついたら、身体を押されて、ハヤトはどすんと尻餅をついていた。
どうして、自分は五体満足で生きている。その理由はセレナが咄嗟に自分を押してくれたからだ。
どうして、足元には血が流れ着いている。その理由はセレナが鉄塊に押し潰されたからだ。
どうして、セレナ・ラグルスは鉄塊に押し潰されているのだろう。
その理由は――――言わずともわかるはずだ。
ハヤト達はキングへと逆らった。仁義や矜持を抜きに、その事実が彼らの破滅を確定させてしまった。
「何を狼狽えてるんだ、坊主。俺は言っただろうが、相手は選べよって」
セレナは最期までハヤトのことを護ろうとしていた。
絶叫をあげる間もなく、ハヤトは首を掴まれてゆっくりと宙へと持ち上げられる。
キングの瞳には侮蔑の色がありありと混じっている。
数時間前、スプリング・ローズに対して言葉を投げかけていた時と同じものだ。
「ほんの少し希望を与えただけで翻る奴なんざ、いらねぇよ。はぁ、多少は使えると思った俺の手落ちだな。
てめえが日和ったせいで、ドンの調査も俺がやらざるをえねぇ」
キングに立ち向かえる。そう思ってしまったことが間違いだった。
ギリギリの合格点で生存を勝ち取った自分達が、キングの意に背いてどうして意味と価値が残ると思っていたのだろうか。
彼の中で、ハヤト達はとっくに生かす意味も、価値もなかったのだ。
――――“牧師”には絶対に逆らうな。
その言葉を希望で塗り潰してしまった、致命的な過ちだ。
ああ、そうだ。いつだって、ハヤトは手遅れになってから物事に気づいてしまう。
希望があったとて、それがいい結末に繋がるとは限らない。
「坊主。これが選択だ。てめえの甘さが、セレナ・ラグルスを殺した。
てめぇが間違えなきゃ、生きて戻れた可能性もあったのになぁ」
だから、これはハヤト=ミナセの罪であり、罰である。
友人になるはずだった女の子も死んで、兄貴分の復讐も成し遂げることができない。
半端に翻り続けた結果がこれだ。奪われ尽くしたまま、自分も、セレナも死ぬことになる。
658
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:56:40 ID:wib7f2dE0
「強くねぇのに、仁義と矜持を緩ませやがって。今のてめえに相応しい幕切れだ」
弱者は生き方を選べない。そして、自分達は弱者だ。そうである以上、生き方を間違えてはなかった。
正義に日和って、超えてはいけないラインを踏み越えてしまった。もう、遅い。セレナは死んで、自分もまもなく死ぬ。
いつだって、ハヤトは手遅れになってから物事に気づくのだ。
兄貴分が裏切った時も、セレナが自分を助けてくれた時も。
ハヤト=ミナセは所詮、ちっぽけなチンピラに過ぎなかった。
その自己認識を見失ってしまったのが、死因に結実している。
「オレは、ま、だ…………!」
「死ねよ、三下」
ハヤトは自分で抱え込める限界を見誤った。
セレナだけを護り続けるか。それとも、復讐に身を焦がし、その一念を貫くか。やり直せるなら、りんか達のように正しく在りたい。
全部選びたくて、どれも捨てられなくて。最終的に総てを失うことになってしまった。
消えていく、未来が消えていく。
ごきりと首が折れる音と共に、三下の少年は、意味も価値もなくして死んでいった。
【セレナ・ラグルス 死亡】
【ハヤト=ミナセ 死亡】
【B-2/港湾(管理棟)/一日目・午前】
【ルーサー・キング】
[状態]:健康
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)、セレナ・ラグルスの首輪(未使用)、ハヤト=ミナセの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
4.りんかの自殺願望がある以上、彼女と正面から戦うつもりはない。相手の土俵に立つのは、自分の利益がなさすぎる。
5.ルーサー・キングを軽んじた以上、りんか達もこれから潰す。手段手法は問わない。
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※ギャル・ギュネス・ギョローレンが購入した物資を譲渡されました(好きな衣服、煙草一箱、食料)
【葉月 りんか】
[状態]:食糧と水をもらい乾きを回復、疲労(中)、腹部に打撲痕と背中に刺し傷(治療キットにより中程度まで回復)、ダメージ回復中、紗奈に対する信頼、ルクレツィアに対する怒りと嫌悪
[道具]:なし
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。その過程を経て、死にたい。
0.ハヤトとセレナを気に掛けつつも、戦いの覚悟。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。
3.ソフィアさん…
4.ジャンヌさんそっくりの人には警戒しなきゃ
5.――――姉のように、救って、護って、死にたい。その為に、償い続ける。
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
【交尾 紗奈】
[状態]:食糧と水で乾きを回復、気疲れ(中)、目が腫れている、強い決意、りんかへの依存、ヒーローへの迷い、ルクレツィアに対する恐怖と嫌悪
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2
[方針]
基本.りんかを支える。りんかを信じたい。
0.りんかのために戦う。でも、それだけでよくなかった、何もかもが足りなかった。
1.新たに得た力でりんかを守りたい
2.バケモノ女(ルクレツィア)とは二度と会いたく無い
3.青髪の氷女(ジルドレイ)には注意する。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。
※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。
※『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』の超力は使用不能となりました。
659
:
正義
◆E6eHDQp34U
:2025/07/26(土) 16:56:53 ID:wib7f2dE0
投下終了です。
大変申し訳無いのですが、
652のレスは多重投稿なので、収録の際は省いていただけますと幸いです。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
660
:
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:20:48 ID:.gi0ckm.0
これより投下します
661
:
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:21:43 ID:.gi0ckm.0
また投下は三分割となり、分割ごとにタイトルを変えています
662
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:26:54 ID:.gi0ckm.0
『超力のシステム化、その最終段階ついての所見』
1.序文
ただ人類の飛躍のみを願い、この手記を残す。
明日の早朝、私はこの研究所を発つ。GPAの連中は、私のことをマッドサイエンティストだの、金に目が眩んだ盗人、裏切り者だのと、好き勝手に罵ることだろう。
だが知ったことではない。私に言わせれば、奴らこそが裏切り者だ。人類に対しての、それを進歩させる役割を負うものとしての怠慢だと断じる。
私はいたって正気だ。
研究者としての夢、いや人類にとっての夢が目前にある。
なのになぜ、歩みを止めることが出来る。
老体をさんざん解体した挙げ句、それが赤子の段階に移った途端に臆し狼狽える、その偽善にこそ吐き気がする。
臆病風に吹かれ、人の歴史を停滞させることの罪深さが、何故分からないのだ。
いつか、今日の私の決断が正しかったと証明される時が来る。
その時、私が生きていなかったとしても。
確実にやってくるその日のために、私はいま、筆を執っているのだ。
さて、ここまでは駄文だ。読み飛ばして構わない。
重要なのはここから。現時点における、我々の研究成果をここに残そう。
超力(ネオス)のシステム化。
全ての超力研究者が夢見たその境地には、その大前提として3つの段階がある。
即ち、A(否定:Anti)、B(構築:Build)、C(支配:Control)。
センテンスの詳細は各項目にて細かく触れるが、既にBまでは基礎理論が完成している。
第一段階、超力の否定(システムA)については、『被検体:只野 仁成』の血液サンプルが大きなブレイクスルーとなった。
第二段階、超力の構築(システムB)については他の研究所の管轄だが、ヤマオリの遺物がボトルネックを突破したと聞いている。
そして、最終段階、超力の支配(システムC)。
その詳細を語る前に、前提となる情報を提示しなければならない。
超力研究所アジア支部の所在は、GPA上層部でも限られた者しか知り得なかった。
表向きは情報秘匿のためとされており、それも事実であるが、実態は政治的な側面が大きい。
経度XX、緯度XX。通称エリアC。
中華共和国。そこから東へXXXキロの孤島。
記録から抹消された小国。数年前の内乱で共和国に吸収合併された事になっている、旧X国の領地内だ。
旧X国はGPAとの密約により、表向きには政権崩壊した体裁のまま、今も独裁国家を維持し続けている。
国の支配階級は公然と圧政を続け、引き換えにGPAは世界でもっとも自由な研究地域を手に入れた。
如何なる人体実験も可能となる秘匿領域は、一般市民にとっては地獄だろうが、我々研究者にとって天国のような場所であり、アジア支部の成果が他支部と隔絶していた最大の要因でもある。
そしてなにより、その地には、我々が探し求めた、最高の素体が在ったのだ。
今まで私が造ってきたような"失敗作"たちとは違う。
天然にして最高の素体、『被検体:S』は制御が難しく今も未完成だが、多くの見地を齎してくれた。
そしてついに、数え切れないほどの屍の上に、我々はシステムCの基礎理論に指をかけたのだ。
あと一つ、あともう一つのブレイクスルーで完成する。
にも関わらず昨日、所長は研究中止を宣言した。
GPA本部の命令により、アジア研究所は閉鎖されると。
馬鹿げた判断だ。
あと一歩なのに、あと一歩で、人類の夢に手が届くというのに。
私は失望した。GPAに反抗してでも続けるべきだと進言した私に、所長までもが首を横に振ったのだ。
曰く、『我々はもう二度と、怪物を作り出してはならない』と。
理解できない。
被検体の事を言っているのだとしたら、愚かに尽きる。
赤子の体を弄る倫理的忌避感だとすれば遅すぎる。
それとも先日、『被検体:S』が戯れに腕を一振するだけで、数百人を殺戮せしめた悪性を見たことが、そんなにも恐ろしかったのか。
本当の悪は人類の"停滞"だ。
そいつを打ち破るためなら、全ての小悪は肯定される
私は続ける。研究者としての夢に殉じる。
たとえ、GPAの後ろ盾を失っても、家族を地獄に捨てることになろうとも。
私の志を理解する者は、どうかこの続きを読み、意思を継いでくれ。
全ては、人類の歩みを止めぬために。
20XX年XX月XX日
超力研究所アジア支部
マリア・"シエンシア"・レストマン
◇
663
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:33:09 ID:.gi0ckm.0
男の頬に触れた指先は白く滑らかで、ぞっとする程の冷たさを伝えていた。
人差し指がこめかみ辺りに触れ、中指が髪の毛の間に差し込まれる。
親指の腹が鼻根を滑り、つるりとした爪の先が目元を掠めた。
「あ……あ……ああ……あ」
「ねぇ、ねぇ、私、あなたに質問しているのよ? 無視するなんて寂しいわ」
怖い。恐ろしい。
本条清彦は戦慄とともに接触を受け入れることしか出来なかった。
恐ろしい。ただただ、恐ろしい。怖くて怖くて堪らない。
眼の前の、たった一人の、細くて可憐で、か弱い筈の少女が。
「……ああ、そっか、そうよね、ごめんなさい。
私ったら、ナイトウには名乗ったけど、『あなた』には自己紹介していなかったものね?
はじめまして。私ね、銀鈴って言うの。あなた"たち"は?」
優しく撫でる左手に相反し、少女の右手は無骨な銃を握りしめ、ピタリと本条の左眼球に銃口を突きつけている。
なんてことないように、肩に手でも置くように。
愛撫も、射殺も、全く等しい感情で行われるように。
「ひ……ひィ……ひ……」
銀鈴の質問に、本条は答えることが出来ない。
答えなければいけないと分かっているのに。
ガチガチと歯が噛み合わず、呼吸すらまともに続けられない。
恐ろしいのは銃口よりも顔に添えられた手のひら、手のひらよりも声、声よりも眼差し。
それは到底、人に向ける目線ではなかった。
早く答えなければ。いや息ができない。そんなことより逃げなければ。いやきっと逃げられない。
何かをしなければ、という本能の命令が別の本能によって否定される。
怖い、逃げたい、だが逃げられない。よって何も出力することが出来ない。
堂々巡り、八方塞がり。その様子を、眼の前の少女はどのように受け取ったのか。
「まぁ、お行儀がよくないわ」
ぷちゅ、と。
僅かに粘性を伴う音がして、銀鈴の親指が本条の眼孔に滑り込んでいた。
「……え」
「誰かから名乗られたら、ちゃんと名乗り返さないと。それが人間さんたちの礼儀作法だって、お母様が言っていたわ。
礼儀を間違えた人間さんは、躾をされてしまうんですって」
ぶちぶち、と。
戯れに捻られる爪先が視神経を巻き込んで潰し、左の視界が斑に染まっていく。
痛みと恐怖に絶えきれず、本条は無様に絶叫した。
「ぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁっ!!」
「……ねぇ、ねぇ」
「あああああああああぁっ!!」
「煩いひとは嫌い」
「……ぁぁぁぁ………は………ひぃ……ぁ……」
痛みを上回る恐怖によって、悲鳴を抑え込む。
唇の肉を噛み潰し、溢れる血の泡をそのままに、なんとかそれを言葉にした。
「ほ……ほんじょう……き、きよ、きよ、ひこ……」
「そう、ホンジョウ、ホンジョウっていうの。えらいわ、上手に名乗れたわね」
にっこりと微笑んだ少女は血に濡れた親指を引き抜き、その指で再び本条の頬を撫でた。
頬骨を伝うように血が流れる。
今にも失神しそうな恐怖の中で、それでも彼の悪夢は終わらない。
「それでホンジョウ? さっきの質問の続きなのだけど、私ね、あなた"たち"のことが知りたいの。
あなた"たち"の言う、『家族』のこと。ねぇ、さっきのナイトウはもう出てこないのかしら?
ナイトウがどうやって家族になったのか聞きたいのだけど。
私、とっても気になるの。家族については、今日はジェイともお話したけれど、とっても興味深いわ。
あなたたち、人間さんの言う家族のあり方は、私の知ってるものと、なんだか違うみたいだから」
震えながら、血を吐きながら、本条は眼の前の怪物との会話を続けている。
「ぼ……僕の、僕のか、家族は……」
「続けて」
「僕の……う、内側に……た、たましいを、魂が、ぼ、僕の中で……集まって、あ、温かい、か、家庭が……」
「ふうん、よくわからないけど、そこに居るのね。あなたの家族、家庭っていうのかしら?」
少女はそこで、ようやく拳銃を額から剥がし、しかしそれは恐怖の終わりを意味しない。
「見せてみて?」
「……え?」
「あなたの家族のかたち」
柔らかな指先が本条の手をとって、少女の額に導いていく。
「でも、それ……それは……」
「ねぇ、私、人間さんが嘘をついているかどうかなんて、目を見れば分かるの。
だからね、あなたの内側には、本当に『家族』がいるのよね?」
「でも……それには……君が……し……死……死なないと」
「しぬ? あら、どうして?」
そうして少女は、本当に虚を突かれたように吹き出した。
664
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:34:13 ID:.gi0ckm.0
「ふ……ふふ……まぁ、おかしい」
本当に馬鹿なことを言われたかのように。
「私はね、死んだりしないの」
それは事実、彼女にとっては、間抜けな質問に他ならなかった。
「だって人間さんじゃあるまいし」
本条は動けない。
少女に捕まったまま、一言も発せない。
やがて、少しずつ怪物の目が冷えていく。
その変化に昏倒しそうになりながら、それでも本条は動けなかった。
「つまらないわ」
やがて少女はそう言った。
いつの間にか、再び構えられた銃口が光を放つ、その間際。
漸く助け舟が渡された。
「――久しぶりですね、銀鈴お嬢様」
突如発せられた女性の声。同時、本条の片目の色が変わる。
日本人のスタンダードな黒目から、琥珀色の色彩へと。
その部分だけが変化した。
「あら、その目、その声」
今まさに、本条を撃ち殺さんとしていた怪物の声音が、にわかに変わった。
「……まぁ、まぁ、そんなところに居たのね、あなた」
懐かしい侍女の声を耳にして、銀髪の少女に笑顔が戻る。
「何年ぶりかしら。母様はお元気、サリヤ?」
「ええ、おかげさまで。お嬢様も大変健康に育たれたようで、安心いたしました」
二つの女性の声に挟まれて、本条は身動きが取れぬまま。
混乱の最中、状況だけが進行していく。
「お嬢様、私達の目的は共通しています」
「あら、そう?」
「ええ、システムの破壊を目指しているのでしょう?」
「物知りね。ナイトウから聞いたのかしら、その通りよ」
「それなら、ここは休戦にしませんか? 私"たち"の協力があれば、お嬢様も動きやすくなる筈です」
恐怖で身動きが取れなくなった主人格を、別人格がフォローする。
家族(ファミリー)の連携。内藤四葉から共有されていた銀鈴の目的。
それを彼らは突破口と見なした。
「そうねぇ……」
事実として正鵠を捉えており。
少し、銀鈴は考えるような仕草をして。
「構わないわ。というより、私たち、別に戦ってなんかいないのだけど」
少し戯れていただけ。
少女にとって、今の認識はそうなっており。
「ありがとうございます。では――」
「それで?」
そして、
「ホンジョウ? 少し時間をあげたけれど、答えは出たのかしら?」
その程度で、誤魔化せる手合ではなかった。
「お嬢様、今は――」
「ねぇ、サリヤ、私ね、いま、ホンジョウと話しているのよ?」
膨大なる怖気に、本条の体が跳ねた。
イニシアチブを握ろうとしていた女性の声も、そこで遂に止まる。
「会話に割り込むなんてはしたない。
懐かしい声が聞こえてきたから流してあげたけど、二度目はないわ」
本条の指先は、今も銀鈴の額に触れている。
「サリヤ、貴女のことは憶えてる。だからね、ますます気になってしまったの」
それが何を意味するか。
「ねぇ、ホンジョウ? 仕方がないから、もう一度だけ、聞いてあげる」
愚かな男にも、分からない筈がない。
「ねぇ、『家族』って、なあに?」
665
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:35:22 ID:.gi0ckm.0
呼吸が止まる。
苦しいのに息ができない。
心臓が早鐘を打ち、全身の血液が凍りつくように温度を下げていく。
「あ……ぁ……あ」
『駄目よ、清彦さん』
身体の内側で、サリヤの声が制止する。
優しく、諭すように、本条の意思を押し留める。
記憶の彼方で、いつか、同じように、同じ声が、同じことを言った記憶がある。
『――駄目よ、清彦さん。早まってはだめ』
あれは血の沸騰するような、暑い夏の日だった。
リフレインする声に応えたくても、身体が言うことを聞かない。
意志の力で押し留めようとしても、恐怖が肉体を勝手に動かしてしまう。
「ああ……」
「そう、良いのよ。ちゃんと答えて、ホンジョウ?」
オートマチックで動く肉体が喉を震わせ。
「ぼ……ぼくは……」
その意思を言葉にしようとする。
『駄目よ、清彦さん』
「良いのよ、ホンジョウ」
恐怖には、誰も抗えない。
「ぼくの……か、かぞくは……!」
たとえ、怪物であったとしても。
『駄目よ、清彦さん』
「良いのよ、ホンジョウ」
たとえ、その先に待っているのが断崖だと知っていても。
「僕の家族は……僕を、僕を見つけてくれる人だッ!
僕を……こんな僕を……人間だと認めてくれる人だッ!」
あの夏の日、つまらない約束を守るために。
「だから僕は―――僕は――――!」
そうして、本条清彦は、破滅のトリガーを引いたのだ。
『清彦さん』
「ホンジョウ」
銃声。
僅かな静寂の後。
男の耳元で、二人の女性が囁いた。
『悪い子ね』
「良い子ね」
◇
666
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:36:00 ID:.gi0ckm.0
/Chambers-Memory 3-2
乾燥した空気を打撃の音が揺らしている。
どこまでも続くような、雲一つなき青空の下、血の飛沫が飛ぶ。
敵の肉を潰し、骨を砕く感触が拳を通じて伝わった。
同時、自らの肉を潰され、骨を砕かれる感触が胸を貫く。
両者同時に倒れ、勝敗は相打ち。
いや、紙一重の差で、俺の負けだったと記憶している。
最後に立ち上がったのは奴で、俺は遂に、地面から身を起こすことが出来なかったのだから。
ここで死んでも悔いは無かった。
それほどに素晴らしい戦いだった。
今まで経験したことのない、最高の勝負だった。
心技、能力、全てを出し尽くした一戦は生涯にわたって俺に刻まれ、未だ更新されていない。
――僕の勝ちだね。
故に、その存在を、忘れたことはない。
生涯を掛けて、超えたいと願った者。
美しき戦士、ただ、惜しむらくは。
――もういいよ、■■、何度も言ったろう。僕は戦いが嫌いなんだ。
ひたすらに闘争を求めた俺とは、まるで正反対だった。
なのに、その強さは俺の理想に限りなく近かった。
――君には悪いけど、何がそんなに楽しいのか、全く理解できないよ。
俺にとって、俺を憶えていてほしいと願う、最初で最後の人間だった。
お前が俺を知ってくれているならば、俺の名にはそれだけで価値があると。
――まあでも、気持は受け取っておく。分からない価値観を理解するためには、まず寄り添うべきだから。それに、きっと、お互い様なのだし。
俺の名も、意味も、お前の中にあり続けるならば。
――君も、憶えていてくれるんだろう?
ああ、必ず。
だからいつか、必ず、またお前と―――
-
667
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:37:00 ID:.gi0ckm.0
「……ん、あれ、んん? なに、コレ?」
内藤四葉は突如過った光景に暫しの間、呆然と立ち尽くしていた。
二人の男の戦いと結末。
自身の過去にない筈の記憶に、少しばかり混乱する。
ふるふると頭を振り、周囲を見れば、そこは狭苦しく薄暗い部屋の中だった。
巨大な円卓が中央に鎮座し、その前に6つの椅子が並べられている。
そして目前、四葉に充てがわれた第3席の傍らに、一人の男が身を横たえていた。
「あー、ひょっとして今の、無銘さんの記憶だったりする?」
「さあ、どうだろうな」
喉を裂かれ、致命傷を負った男が一人。
血に塗れながら円卓に背を預けている。
四葉は彼を知っていた。
なんならつい先程まで殺し合っていた仲だ。
そして、たったいま四葉が殺した。2度目の死に向かう男の残滓だった。
「今のが、記憶の引き継ぎってやつ?」
「だろうな。俺以外の記憶も流れ込んでいる筈だ」
「へー、でもやっぱり、引き継ぐ席の人の記憶が、一等強く入ってくるや」
破顔しながら、軽い調子で近づいて、男の傍らにしゃがみ込む。
「それで? なんでまだ居んの? そこ、もう私の席なんだけど」
四葉の意識も、徐々にはっきりとしてきた。
自らもまた死人だと自覚している。
無銘に致命傷を負わされ、ネイ・ローマンに引導を渡され、我喰いの顎に捕まった。
新たな弾丸の一発。それが今の四葉だった。
であるならば、先代にあたる無銘は既に消えていなければおかしい筈なのだが。
「心配しなくても、すぐに退くさ。しかし俺は少々特例のようでな、他の奴らより時間があるらしい」
「ふーん、でもなんか、それって無銘さんらしくないね」
「そう思うか?」
「うん、私の知ってる無銘さんなら、変に死際で粘ったりしないよ」
「そうか、しかしそれは、お互い様だな」
「どういう意味……?」
思わず顔を顰めた四葉に、無銘は血を吐きながら言った。
「今のお前は、自分を自分らしいと思えるのか?」
「…………む」
確かに、と考え込む。
弾丸の一発となり、家族を守るための群生となる。
その価値観は、内藤四葉の本来の在り方だったろうか。
「うーん、なんとなく変な影響を受けてることは否定しないけど。
私らしくないっていうか、私に誰かが混じってるって感覚かな。
でもどうしようもないっていうか。これもこれで良いかなーって思っちゃう自分も居るしなあ」
「お前がそれでいいなら、俺から言うことは何も無い」
徐々に薄れていく無銘の姿を見送りながら。
しかし、その時、四葉は直感した。
「あ、そっか、無銘さんは、ずっと無銘さんのままだったんだね」
「……何故そう思った?」
「ただの勘だよ。でも当たってるでしょ?」
男は血を吐いて笑い、それが返事だった。
668
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:37:23 ID:.gi0ckm.0
「じゃあなんで、無銘さんは抵抗せずに付き合ったの?」
無銘の超力、『我思う、故に我在り(コギトエルゴズム)』。
一切の精神干渉を遮断する。絶対不動のメンタリティ。
それは銃弾の一発、魂となった現在においても、維持されていた。
ならば何故、彼は死して尚、本条清彦の世界に迎合したのか。
抵抗しようと思えば出来たはずだ。
抵抗しなかったとすれば、理由は一つしかない。
「俺が、俺の意思で、奴らの家族になったんだ」
「どうして?」
「昔、誰かに言われたことを思い出した。『分からない価値観を理解するためには、まず寄り添うべきだ』と。
どうせ死後の人生だ、一度くらいは言うことを聞いてやろうと思ってな」
「そっか、それで、どうだった?」
「やはり俺には向いてなかった」
「だろうねぇ! ぜんッぜん似合ってなかったよ! 家族のために戦う無銘さん!」
けらけらと笑う四葉の眼の前で、既に無銘の姿は殆ど消えかけていた。
その目が、虚ろに輝き、最後に少女に言葉を残す。
「第一席は主人格の椅子だ。
そこに座る者の思想が薬室を支配する。
ここはどうやら、そういう仕組みらしい」
言葉とともに石で出来た椅子がガラガラと崩れ落ちる。
代わりに出現した「さん」の椅子に腰掛けて、四葉は円卓の上に頬杖をつきながら独りごちた。
「ふーん、だったら私も、トビさんを見習ってみよっかな」
暗い部屋。
狭くるしい薬室。
押し込められたチャンバー。
その、内側からの脱獄を。
「チャンスがあったら試してみよ。席替え」
-
669
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:38:54 ID:.gi0ckm.0
「なーんて、企んでたのになあ」
そして今、円卓第3席の傍らにて。
かつての無銘と同じ場所、同じ体勢で、内藤四葉は血溜まりに身を横たえていた。
「もう終わっちゃうのかー……」
額に穿たれた孔から、血が流れ続けている。
真っ赤に染まった視界の中で、消えゆく自らと入れ替わりに薬室に入ってきた誰かを見上げながら。
2度目の死を経験する少女は、ぼやき混じりのため息をついた。
「やっぱりさあ、やりにくいよ、銀ちゃんは」
「まぁ、まぁ、ナイトウ。あなたも、ここに居たのね」
銀髪の少女がかがみ込んで、四葉の頬を撫でる。
暗く狭い部屋に、銀の少女が侵入している。
それが何を意味するのか、少女は正しく理解していた。
「さっきは余計な物が混じってたけど、今はちゃあんと貴女ね。またお話できて嬉しいわ」
「あはは、悪いけど、すぐにお別れだよ。銀ちゃん」
「そうなの? それは残念だわ」
「あーあ、清彦、やっちゃったね」
それに関わってはいけなかった。
怪物を殺すものは、銀の弾丸か、あるいはより強大な怪物と相場が決まっている。
「これじゃ家庭崩壊ってやつだ」
最後に、彼女本来の声で笑いながら。
内藤四葉は新たに来訪した怪物に、その席を譲った。
「……じゃあね、トビさん。私、あっちで応援してるから」
ガラリと崩れた「さん」の椅子。
訪れる崩壊よりも一足先に、影も形もなくなった少女の身体。
その後に残されたもの。
狭苦しい部屋の中。
回る弾倉の世界の中で。
立ち上がった銀の少女は朗らかに、円卓に残る者達へ、優雅なお辞儀を一つ。
「こんにちは。人間さんたち、食卓に招待いただいて嬉しいわ」
残る弾丸は2発。
第1席の男は答えられない。
座ったまま、あまりの恐怖にガタガタと震えている。
第5席の女は答えない。
座ったまま、冷ややかな表情で虚空を見ている。
「ここがあなた"たち"の家庭なのね」
かつり、と。
石畳の部屋に、少女の靴音が反響する。
670
:
名前のない怪物(A)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:39:44 ID:.gi0ckm.0
「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」
かつり、かつり、かつり。
優雅なステップで進んでいく。
楽しく、明るく、自由に、快活に。
その様を、この場所の支配者である筈の男は、叫びださんばかりの恐怖を抱えながら覗っている。
「いきるためにちからをあわせる、みんなのためにちからをつくす」
円卓を回り込んで、少女は歩く。
歌うように囁きながら。
「かぞくのために、みんなでがんばる」
近づいてくる。
銀の少女が、ゆっくりと、しかし確実に、その席へ。
本条清彦の目の前へ。
「かぞくのために、すべては、しあわせなかぞくのために」
そして今、遂に。
「そういうことよね。ホンジョウ?」
本条清彦の目前に、その魂の傍らに、銀鈴は立っていた。
「あ……あぁ、そ、そうだよ」
手を後ろで組み、少し腰を傾けた前傾姿勢。
可愛らしい、少女らしい仕草で、その異物は笑っている。
「ぼ、僕達は、か、家族の、た、た、ために」
「ええ」
「ここはそういう、ば、場所で」
「ええ」
「だから、か、会議を、そ、そうだ、みんなで、会議をしなくちゃ」
「ええ」
「だから、そ、その、き、キミはせ、キミの席につ、つかなちゃ、い、いけ」
「ええ、ええ、そうね。それがきっと、この場所の法則(ルール)ね」
笑ったまま、少女は、なんてことないように、言った。
「それで、それが私に、いったい何の関係があるのかしら?」
本条は漸くそれに気づいた。
銀鈴の腕が、本条の胸の真中に差し込まれている。
そこにある何かを掴むように。
「……あ、あ、え?」
「私ね、その椅子に座りたいの。だって、ここはもう私のモノなのだから、身体は私の自由に動かせないと不便でしょう?」
「……ぁぁぁあああああああああああああああ! そ、そんな!」
シリンダーが猛烈な勢いで回転する。
世界が真っ黒に塗り替えられていく。
本条清彦が年月をかけ作り上げた家庭(せかい)が、一人の少女の気まぐれによって、呆気なく崩壊する。
「そんな! そんな……ことが……!」
人間のルールが、彼女を縛ることなど出来ない。
人間の価値観が、彼女を支配することなど出来るわけがない。
虫を見るような目で、少女は男に笑いかける。
「あなたの『家族』を教えてくれてありがとう。私も代わりに、私の『家族』を教えてあげる」
何故なら、彼女にとっての家族とは。
「微笑んであげる」
支配し、所有するモノだから。
「だからね、ホンジョウ?」
悍ましき怪物の核を、より凶悪な怪物の顎が捉える。
「―――そろそろ、どいて頂けるかしら」
そうして『我喰い』は、銀の獣に捕食された。
◇
671
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:41:19 ID:.gi0ckm.0
一年前。悪名高いカラミティ(災害)は捕縛された。
実に呆気なく、原始的な制圧術によって。
開闢以後、それはジェーン・マッドハッターにとって、初めての経験だった。
防弾チョッキを貫通し、急所を穿つ筈のボールペンは呆気なく素手の掌底で弾かれ、後方に跳ねていった。
瞬きの間に頸動脈を裂く筈の頭髪は、自然の摂理にしたがって首の表皮を滑るだけ。
ならばと繰り出したライターによる火炎放射は当然のように不発。
唖然としている隙に胸ぐらを掴まれ、地面に引き倒される。
寝技によって両の腕と足の自由を奪われ、しかし常ならば、そこからでも逆転の目があった。
仰向けに倒れた体勢のまま、拘束に掛かる敵の顔面に唾を吐きかける。
唾の中にはあらかじめ口に含んでいた小石が混じっており、直撃を浴びた敵の頭は至近距離で銃弾を食らったように弾け―――
「……な……んで……?」
「無駄な抵抗はやめなさい。カラミティ・ジェーン」
ぽたりと、敵の額に付着していた小石が、ジェーンの頬に落下する。
覆いかぶさっている赤い髪の女は表情ひとつ変えず、その悪あがきを受け止めていた。
顔はジェーンの唾をまとも食らって、まるで無傷。
しかしそれは、思えば当たり前の事であった。
軽く振られたボールペンは掌打と拮抗しない。
頭髪は首を切り裂かない。
ライターは大量の炎を散布しない。
吐き出された小石は、額を貫かない。
普通のことだ。普通の人間が振るう暴力ならば、当たり前のことだ。
しかしジェーンにとっては、ずっとそうではなかったのに。
「わたくしの超力は『超力の無効化』。貴女の力は通用しません」
開闢以後、それはジェーン・マッドハッターにとって、初めての経験だった。
殺そうと思って殺せなかった敵など、この日まで、彼女の前に現れることは無かったのだ。
“欧州超力警察機構”の女が備えた『超力の無効化』の力、それは能力を犯罪に使う者達にとっての天敵だった。
振るう物質に過剰なまでの殺傷力を付与するという、ジェーンの歪みを真っ向正す、正しき力。
ジェーンは心から安堵した。
やっと、来てくれたのだと。
「遅いよ。ほんと」
今日まで、数え切れないほどの罪を重ねてきた。
数え切れないほどの人間を殺してきた。
生きるために、殺して、殺して、殺し続けて。
生きるために、仕方ないと割り切ることすら出来なかった。
こんな力を与えられてしまったから。
最初は過失だった。殺したくなんてなかった。
殺した人の顔を、誰も忘れることができない。
死者の夢に、うなされなかった夜はない。
だけど、そんなこと、何一つ、免罪符にはならない。
ジェーンがそれを悪だと自認している。
それが全てだった。
ずっと、間違っていると思っていた。
こんな血塗られた超力、それを抱えたまま生きる自分、そんな自分を生かし続ける世界のそのもの。
全部、全部、全部、大嫌いだった。
「殺しなよ、ほら」
報いを待っていた。
正される日を待っていた。
正しい人が、正しい力で、終わらせてくれる日が今日なのだと。
なのに、やっと巡り会えた天敵は、
「殺しませんよ。カラミティ……いえ、ジェーン・マッドハッター。貴女を、拘束します」
ジェーンの腕に、システムAを内蔵した手錠を嵌めた。
「なんでだよ……殺してよ……アンタなら出来るでしょ?」
心から羨望を覚える。
目の前の女を、正しい力を与えられた者を、ジェーンは妬ましく思う。
「殺しません」
「殺してよ……こんな力を持って……こんな世界で……生きてたってしかたないよ」
「殺しません。だって……この世界には……生きる価値があるから……」
語られる説法じみた言葉に、苛立ちが湧き上がる。
だけど何故か、ジェーンは反論することが出来なかった。
「この世界には……生きる価値がある……守る価値がある……」
それは、女がジェーンと同じくらい、苦しそうに、呻くように話していたから。
「そうじゃなきゃ……」
そうであってほしいと、何かに縋り付くように。
「そうじゃなきゃ……彼はいったい……なんのために……」
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
◇
672
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:42:30 ID:.gi0ckm.0
「ジェーン!」
何度目かの呼び声に前を走る背中が僅かに反応し、少しずつ距離が詰まっていく。
ああ、よかった。聞こえてないのかと思った。
長く伸びた通路の途中。やっと足を止めた少女に追いついた私は、ぜえぜえと息を切らしながらその肩に手を置いた。
「ちょっと……いくらなんでも……飛ばしすぎだって……!」
「あ……ごめん」
はっとしたように振り返りながら、ジェーン・マッドハッターはバツが悪そうに詫びる。
次いでごまかすように、そっぽを向きながら一言を添えた。
「いや、でも、メリリンこそ体力なさすぎじゃない? 私、別にそこまで全力で走ってないけど」
「あのねぇ、育ち盛りのネイティブ世代と一緒にしないでよ。それに身軽な状態ならともかく、この装備抱えながらじゃ流石にしんどいって」
ほれ見ろ、と。
腰に手を当てながら汗だくの状況をアピール。
私の肘に引っ付いた金属板が、がちゃがちゃと音をたてて揺れる。
身に纏うプレートアーマーは移動に際して一部取り外し、随伴するラジコンとドローンに運ばせているけれど。
流石に全部のパーツを外すわけにも行かなかった。
肩や肘、脛など、私の身体には今も重りが装着されたままなのだ。
いくら開闢を経た人類と言っても、この状態で動き続ければ当然じわじわ体力を消耗してしまう。
「焦る気持ちは私も一緒。だけど目標を見つけてからが本番なんだからさ」
「……ごめん、ごめん、そうだったね。あと少し行けば次のエリアだし、休憩がてら歩いていこう」
「ん、わかればよろしい」
エントランスで発生した戦闘をローマンに任せ、私とジェーンは西側のエリアに入っていた。
ブラックペンタゴン1階、南西第2ブロック、温室エリア。
それが、いま、私たちの現在地。
東側の工場エリアとは打って変わって、色彩に満ちた空間だった。
殺し合いの場には不釣り合いな長閑さ。
通路の左右には樹木が生い茂り、人工の日差しが降り注ぐ。
天井と壁には、ご丁寧に青空のホログラムまで展開されていて、まるで建物の外に出たかのような錯覚に陥りそうになる。
「やっぱり、ドミニカが気になる?」
「まあね、だけどメリリンの言う通り、焦ってがむしゃらに走り回ってもしょうがないし……」
ジェーンは私に気を使っているのか、できる限り冷静に振る舞っているようだけど。
やっぱり、少し焦っているのが伝わってきた。
無理もない。気持ちは私も一緒だ。私たちにはタイムリミットがある。
事象改変型の能力。メアリー・エバンスの接近。
産声を上げた瞬間に周囲の人間を殺戮したという、危険極まる超力を撒き散らす少女が、すぐそこまで迫っている。
「さっきも、走りながら考え込んでたみたいけだけど」
「ああ、それはまた別のことよ」
2人分の足音が、清掃の行き届いた廊下に反響している。
見たところ、温室エリアに人は居ないようだった。
先客が残したと思われる痕跡もない。ここに入ったのは私たちが最初なのだろうか。
「ソフィア・チェリー・ブロッサムのこと、思い出してたわ」
それは、今の私達の目標。
見つけなければならない人物の名前だった。
「ジェーンはその、ソフィアに捕まったのよね?」
「一年前にね。まさか、あっちもアビスに堕ちてくるなんて思わなかったけど」
事象改変型への数少ない対抗策。超力を無効化する能力者。
災害を止めるため、一人立ち向かったドミニカ・マリノフスキ。彼女の託した人探し。
冷静に考えれば、ジェーンには逃げるという選択肢もあった筈だ。
私を見捨て、ドミニカを見捨て、ブラックペンタゴンを離れることだって出来た。
だけどジェーンは、それをしなかった。
673
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:43:57 ID:.gi0ckm.0
なんとなくだけど、いまのジェーンは出会った時の彼女とは少し違って見える。
ドミニカとジェーンの間に、どんなやりとりがあったのか、私は知らない。
だけどいま、ジェーンが滲ませる感情には、私との契約とはまた別の、彼女自身の目的のようなものがあるように思えた。
あるいはこれが、素の彼女……なのだろうか?
「メリリンこそ、よかったの?」
「……え、え? なにが?」
なんて考えていたところに、急に話を振られ、つい聞き返してしまった。
「いたんでしょ、貴女の標的」
「気づいてたんだ……」
「事前に聞いてた話で、軍勢型(レギオン)じゃないかとは思ってたからね。だけど正直驚いた。
実在するんだね、ああいうの。ハイブのニュースで知ってはいたけど、直に見るのは初めてよ」
エントランスでの戦闘。
ジェーンが参加したのは一瞬だったけど、それだけで彼女は見抜いたようだった。
そう、確かに、あそこにいた。
私の標的、ジェーンに殺害を依頼した対象。
私の親友を殺した。サリヤを殺した。そして殺すだけじゃ飽き足らず、死後まで冒涜した許しがたい存在。
「残ってもよかったのに」
戦いの決着は、まだついていない。
果たしてローマンが奴に勝てるのか、それは分からない。
気にならない、なんて言えば嘘になる。
「気を使わなくていいよ。私はいま、メリリンとの契約より、ドミニカとの約束を優先してる。
メリリンとの契約のほうが先だったのに。これはきっと、不義理だ。その自覚はある。だから、メリリンが私に付き合う必要ないよ。
なんなら今からでも戻ったって……」
「ううん、これでいい。だって私が……足引っ張ってたから」
ネイ・ローマンは強い。
人格はアレだけど。その力は本物だ。
それは、これまでの戦いでよく分かってた。
ジェーンとドミニカを同時に制圧した圧倒的な超力。
それが何故、先の戦いでアレほどの苦戦を強いられていたのか。
分かってる。私だ。私が邪魔だったんだ。
ローマンの超力は周囲を巻き込む。
つまり、たった一人でこそ、その真価を発揮する。
誰かを慮りながらの戦闘じゃあ、実力の半分も出せない。
彼は孤高のギャングスタ。それでこその強さ。
なんか盾にされたり、一緒くたにぶっ飛ばされたりもしたけど、それでもあいつは力を抑えてた。
つまり、ようするに、本当に、ほんとにほんと〜にムカつくけど、認めるしかない。
私は、守られていた。私こそが、あいつのハンデになっていたんだ。
それが分かったから、離れるのが正しい。仇を、討ち倒してくれるなら、可能性が高い方に賭けるべきだ。
「それにほら、ローマンが勝てなかった時は、ジェーンが契約を果たしてくれるんでしょ? 頼りにしてるから」
「……まあ、ね。そのために追いかけたわけだし」
ほんの少し、今までと違うリアクション。
照れたように、メッシュのかかった髪を触るジェーンの表情は、漸く見せた年相応の反応だった。
「ほら、もう次のブロックに入るよ。警戒して」
足早にジェーンを追い抜いて、連絡通路の終端に至る。
後ろ髪を引かれる思いはあるけれど、振り切って進むと決めたのだ。
この決断は正しい、そう信じて、進むしかない。
「だけど……メリリン……本当にいいの?」
「いいんだって、しつこいな。最終的に奴を倒せれば、私はそれでいいんだから」
「……でも」
通路の開閉装置に手を掛ける。
「でもメリリンは……さ」
そのとき、ジェーンが言おうとして。
口ごもって、結局、小さく声にした言葉は、
「もう一度、話したかったんじゃないの? あいつと」
聞こえないふりをして、扉を開いた。
◇
674
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:45:41 ID:.gi0ckm.0
たった数時間前、いまと同じ図書室にて。
『軍勢型(レギオン)の出現が社会に与えた影響について、ソフィアは知っていますか?』
紙と指の摩擦する、かすかな音が耳に残っている。
木製の椅子に腰掛けたソフィア・チェリー・ブロッサムの傍らで、女は顔を綻ばせながら手記の頁を捲っていた。
からからと、常のように、友人に向ける朗らかな表情のまま。
『意思が肉体を離れて存在する現象の観測。つまり、魂の存在証明……ですわね。それがなにか?』
さすがはGPAの捜査官、博識ですね。
などと、軽口を叩きながら、ルクレツィア・ファルネーゼは手に持った本の表紙を掲げてみせた。
『"超力のシステム化、その最終段階ついての所見"。
狂気の科学者、シエンシアによる研究手記のようです。闇市場に流せば途方もない値が付きますよ?』
『科学にも、お金にも、貴女は興味なんてないでしょうに』
『ふふ……仰るとおり、後者についてはそうですね。しかし前者、彼女の研究内容については、前々から気になっていたのです』
『どうせ凄惨な人体実験の内容が気になるとか、そういう話でしょう? 貴女のことですから』
『あら、ソフィアも随分、私の事を理解してくれるようになったのですね。うれしいことです』
本当に嬉しそうなルクレツィアから、ソフィアは鼻を鳴らして視線を逸らす。
貴女の言いそうなことなんて、ちょっと関われば分かるでしょう。
なんて不毛なツッコミは体力の無駄だと分かっている。
『それで、マッドサイエンティストの実験は、貴女の眼鏡にかなったのです?』
自分から話題を逸らすために聞いた直後、しまったと思った。
それを聞いてしまっては、結局話に乗る結果に違いはないのに。
案の定、ルクレツィアはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに目を輝かせ。
『実に興味深いですよ。
たとえばいま、丁度読んでいるのですが、シエンシアが産み出した"失敗作"の一つ。
軍勢型(レギオン)、コードネーム:ハイヴ(巣)の項なんて特に』
なるほど、それでさっきの話に繋がるのかと納得し、先を促す。
『欧州潜伏期のシエンシアが、身寄りのないストリートチルドレンの赤子を実験台にして産み出した怪物。
ハイオールドの技術をデザインネイティブに応用して造られたハイブリッド型新人類。
その存在が明るみに出たとき、それはそれは大変な騒ぎになりましたね』
一時、欧州を震え上がらせた怪物(ハイヴ)のニュースについては、ソフィアもよく憶えていた。
殺害した者の魂を収穫し、際限なく総体を増やす群生。
死者を引き連れるその悍ましき特性と、それ以上に世間を脅かしたもの。
それは彼女らが、魂の実在を証明してしまったことだ。
死後の概念。肉体を離れる意思が観測されたという事実に、どれほど多くの宗教が脅かされたかは想像に難くない。
『実験は凄惨を極めたことでしょう。
幼い少女の身体を絶え間なく切り刻み、その尊厳を徹底的に破壊する。
長い地獄の日々の果て、孤独な彼女が悍ましき力に目覚めるまでに受け続けたその苦痛、苦悩、苦悶……絶望!』
テンションが上がってきたかに見えたルクレツィアが徐々に語調を強め。
げんなりするソフィアの反応に構わず、両手を広げて。
『が、全く書かれていませんでした。
実に期待外れです。ゴミですねこの手記は』
ポイッと、本を投げ捨てた。
675
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:46:16 ID:.gi0ckm.0
闇市場に持ち込めば億万長者も夢ではない希少な文書が、ホコリまみれの床を滑っていく。
『貴女の期待した残虐(スプラッタ)は書いてなかったと?』
『いいえ、ありましたよ。脳のどの部分を切り取って、どの部分に電極を刺して、どのくらい長い苦痛を与えて。
けれどもソフィア、そんなことは全く重要ではないのです。
解体する手順なんてどうでもいい。肝心なのは感情、少女の魂が受容した感情こそが重要なのです』
『著者にとって重要でなかったというだけでは……』
ルクレツィアは不満げに、若干の怒りすら滲ませて話す。
『だとすれば、この著者は実につまらない。
加虐する対象の感情に興味が無いなんて、生命に対して全く誠実ではありません』
同じく人を殺すものとして、命を弄ぶものとして。
それを蔑ろにするなんてありえない。
なんて勿体ない。他者を殺すならば、傷つけるならば、徹底的に味わうのが礼儀だ。
苦しみに喘ぐ生の感情まで、残らず平らげてこそ。
それがルクレツィアにとって、他者を慈しむという、当たり前の作法なのだと。
『あら、これも中々……』
早々に手記から興味を失い、次の本へと手を伸ばすルクレツィア。
対して、ソフィアはいま少し、先程のやり取りに囚われていた。
『……魂が、実在するなら』
昔、大好な人に、教えてもらったことがある。
東洋には輪廻転生という思想があるらしい。
人の死後、魂は巡り、生まれ直して新たな人生を始めるのだと。
ならば、自らの存在そのものを消失させた彼の魂は、世界から忘れ去られた彼の人生は、どこに行ったのだろう。
どこにも行けないまま、果てしない虚無に落ちていったのか。
それとも、いまもあの場所に、取り残されているのか。
世界を救ったのに。自らを犠牲に、何もかも取りこぼさないように、戦ったのに。
世界は彼を顧みないまま、魂さえも、今は世界のどこにも残されていない。
記憶だけがある、ソフィアの中に、今も、大好きだった彼の笑顔が。
『ルクレツィアは、地獄があると信じますか?』
『さて、どうでしょう?』
自分が死ぬとき、どこに行くのだろうと思う。
ソフィアは少し考えて、意味のない思考だと切り捨てた。
何れにせよ、彼と同じ場所には、たどり着けないだろうから。
『でも……あれば素敵だと思いますよ。
死後にまで味わえる感情(くつう)があるなら。それは喜ばしいことですから』
◇
676
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:47:52 ID:.gi0ckm.0
どうして、いま、そんなことを思い出すのだろう。
飛散する木片を躱しながら、ソフィアの思考は漠然と流れている。
やはり、図書室に戻ってきたことが大きな要因だろうか。
頭上で砕けた椅子の背もたれに、ルクレツィアが腰掛けていたことを思い出し、それが回想の契機となったのか。
ぐわんと回転する視界の端に、彼女が投げ捨てた書物が映り込んだからか。
あるいは―――
「……こん……のォ……!」
振り下ろされたナイフが眼球の一センチ手前で静止する。
咄嗟に左手で対敵の手首を掴み、力の天秤を拮抗させた。
組み敷かれた体勢は明確に不利ではあるが、未だ勝負はついていない。
「いい加減……くたばり……やが……れ……!」
今、ソフィアの目に刃を突き立てようとしている男―――ジェイ・ハリックは舞い込んだ好機を逃すつもりはないらしく。
握る木製のナイフに全体重をかけ、抵抗を突破するべく筋力を総動員させている。
床に叩きつけられた衝撃による混乱から意識を鮮明に戻すまで、僅かな隙があった。
その隙が窮地を呼び込んでいる。いや、そもそも、なぜ転倒する羽目に遭ったのか。
そこまで考えて、漸く思い出す。
回転する視界の端、ルクレツィアが床に放り投げた本、それに足を取られたのだ。
「―――ッ!」
ソフィアの思考が瞬時に白熱する。
ならば結局あの女のせいじゃないか。こうなったのも全部。
あの女に出会ってから、全部上手くいかない、何もかもが狂っていく。
湧き上がる怒り、苛立ちが、より意識をハッキリさせ、取るべく対処を明確にした。
右手を突き出して、自らナイフの刃先に掌をぶつける。
当然、切先が皮膚と肉を貫通し、鋭い痛みと共に鮮血が溢れ出た。
驚きに目を見開くジェイ、彼もソフィアの狙いに気付いた筈だ。
しかし遅い。ナイフを掌に固定した状態のまま、身体を折りたたむようにして、男の胴体との間に両足を差し込んだ。
「……なっ!」
上方へと一気に伸ばした脚が、ジェイの下半身を持ち上げる。
同時に後転、巴投げの要領で状況をクリア。
密着していた身体が一時的に離れる。
ソフィアの打開策は不利な体勢の解消だけに留まらない。
背中から床に叩きつけられたジェイは朦朧としつつも、強靭な意思でナイフを手放さなかった。
それが生命線であることを理解しているのだろう。
しかしソフィアも、彼が粘ることは見越していた。
跳ね起き、今度はこちらがマウントポジションに移行する。
ソフィアの右手には貫通したナイフが固定されている。
ジェイの掌ごと握り込み、刃を敵の胸に向け落下させるべく体重をかけた。
「……くそ……が」
数秒前とは全く逆の構図。
今度はジェイが抵抗する番だった。
男はナイフとの間に両腕を差し込み、刃の落下を遅らせる。
しかし、寝技の土俵ではソフィアの技量に軍配が上るようだった。
両足の動きを封じ、腕力による延命以上の抵抗を封じている。
―――勝てる。
ソフィアはそう直感した。
相当の苦戦を強いられたものの、ギリギリで勝ちの目が見えた。
危ない場面は何度もあった。
ジェイの展開する暗殺術は戦いが長引くほどにキレを増し、少しずつ全盛に戻ろうとしているようだった。
しかし彼のブランクが解消し切る前に接近戦に持ち込めたこと。
なにより、暗殺者相手に、"存在が判明している状態"で戦闘を始められたこと。
この二点、特に後者の要因が大きかった。
暗殺術とは、存在の秘匿が大前提。
活動が露見しては本領が発揮できない。
―――勝てる。
確信を深める。
ならば残る問題があるとすれば、一つだけ。
「ハ――殺すか? 俺を」
「…………」
殺せるのか、ということ。
「……なに迷ってんだよ、ええ?」
逡巡を見抜かれている。
なにが敵に伝わったのか。
手の震え、瞳の揺らぎ、僅かな発汗。
あるいは何れかの複合なのか、ソフィア自身には分からない。
677
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:48:19 ID:.gi0ckm.0
相手は無期懲役の罪人。それは、殺す正当性として妥当なのか。
いったいどれほどの罪科が殺害を良しとする。
ソフィアは未だ、答えを出せずにいた。
『―――ソフィア』
どうして、いま、そんなことを思い出すのだろう。
ゆっくりと落ちていくナイフの切先、力の天秤が傾き始めた。
ソフィアの思考は、漠然と流れている。
『―――友人になりましょう』
やはり、図書館に戻ってきたことが大きな要因だろうか。
彼女が投げ捨てた本を見たからなのか。
あるいは―――
「―――ソフィア・チェリー・ブロッサム!!」
これが、最後の機会だから、なのだろうか。
「話を聞いてッ!」
ソフィアの動きが、ナイフを振り下ろす体勢のまま止まった。
焦点は未だジェイの眉間で結ばれたまま、周辺視野で現れた二人組を認識する。
「メアリー・エバンスが、領域を拡大しながら近づいてきてる」
南側の通路から侵入してきた女が二人。
新手であれば、どのように対処するかを思考しつつ。
事はそう単純ではないと、冷静な頭は既に結論を出している。
二人組の片方はソフィアの姿を見るなり名前を読んだ。
つまり、外見を把握されている相手。声、髪色、一瞬だけ飛ばした目線に捉えた特徴が、1年前の記憶を掘り起こす。
「今はドミニカ・マリノフスキが食い止めてるけど、何分持つかもわからない」
ジェーン・マッドハッター。
かつて、他ならぬソフィアが逮捕した女だった。
「もう、こんなところで、殺し合いなんてしてる場合じゃないんだよ!」
よく通る声だった。
そして、切実さを滲ませる口調だった。
本当だとするならば、確かにこんな事をしている場合ではない。
メアリー・エバンスの脅威なら、ソフィアだって知っている。
彼女達がソフィアを探していた理由も自明だ。
『超力の無効化』、それはメアリーという災害に対して、この上ないワイルドカードなのだから。
何れにせよ、逃げるか、食い止めるか。
だれもが今すぐ決断し、対処を強いられている。
しかしそれは――ソフィアだけは例外であり。
「私たちと来て欲しい。協力してメアリーを―――」
声が遠くなっていく。
聴覚が歪んでいく。
ああ、まただ。
ソフィアはまず、最初に思った。
まただ、また機会がやってきた。
殺し合いの場に放り込まれて、これが二度目。
いや、三度目の機会になる。
前回は、"葉月りんか"と"交尾紗奈"、あの純真な少女たちと出会ったとき。
ソフィアは素晴らしい機会を得た。
暗がりの道を引き返し、間違いを正し、日の当たる場所に戻る転機を。
なのにソフィアは、天から慈悲のように与えられたその機会を棒に振った。
愚かにも、庇護すべき少女たちと別れ、過ちを継続した。
678
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:48:38 ID:.gi0ckm.0
今、寛大な神はもう一度チャンスを与えてくれたのかもしれない。
いまこそ正義の志を思い出し、醜き迷いと葛藤から開放される。
現れた二人は福音だ。彼女らと共に行けば、それが叶うだろう。
メアリー、災害の接近。対処できるのは自分だけ。まるでこの日のために誂えたような超力だ。
かつて、ソフィアを好いてくれたあの人に、大好きだった彼に、誇れる自分に戻ることが出来る。
これ以上の機会はきっと訪れない。
あるいは、神様はどうしても、"それを言わせたいのだろうか"とも思った。
迷うまでもないことだ。答えは、最初から出ていたのだから。
「……どうして?」
ジェーンが動揺の声を上げていた。
ソフィアの手元でナイフの刃が砕ける。
いつの間にか、ジェーンの握るボルトガンが、刀身を撃ち抜いたようだった。
ソフィアは手から木片を払い、止血しながら後方に飛び退く。
周辺に展開されたドローンからボルトが連射され、さっきまでソフィアが居た場所を撃ち抜いていた。
結果として窮地を脱したジェイは床を這いずり、本棚の影に身を滑り込ませる。
「どうしてなの?」
ジェーンの問いが重ねられる。意味のない行為だった。
ソフィアが渾身の力を込めて、ジェイの首ににナイフを振り下ろそうとした。
その予備動作を見取り妨害したのならば、質問に答えるまでもなく状況は明らかなのに。
「どうしてよ……ソフィア」
あるいは、ジェーンはそうであることを、認めたくないのだろうか。
おかしな話だとソフィアは思う。
それは、ソフィア自身が、ずっと認め難い事実だった。
だけど今、運命はソフィアに直面を強いている。
『―――ソフィア』
何故かいま、彼女の言葉を思い出す。
彼ではなく、彼女の。
きっと、これが最後の機会だから。
きっと、それが最初の機会だったから。
いいのだろうか。
ソフィアは最後まで逡巡する。
いいのだろうか。
そのように振る舞っても。
『私がグレゴリー・ペックだったなら』
いいのだろうか。
身勝手に、罪深く、自らのエゴを押し通すように生きても。
『間違いなくあのままオードリーを監禁していたと思います』
いい筈がない。すべて、間違っている。
彼女は、ルクレツィア・ファルネーゼは正しくない、間違っている。
だけどソフィアはこの刑務で、彼女をずっと見てきた。
彼女と過ごして、生き様に触れて。
そして、思ってしまったのだ。
「どうして、ですか」
あんなふうに、生きられたなら。
身勝手に、罪深く、我欲を押し通すように生きられたなら。
あのとき世界を滅ぼしてでも、彼をさらって逃げてしまえたなら。
彼女のように、間違えて、しまえたなら。
彼女のように、そう、彼女のように―――
「ごめんなさい、ジェーン」
堕ちる桜花はようやく、花弁が朱に染まっていることを自覚した。
三度目の機会にそれを告げる。
「わたくしは、もう―――悪人なのです」
◇
679
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:51:17 ID:.gi0ckm.0
蹴り上げられた辞書が空中で凶刃の塊に変ずる。
ばらりと開かれた頁の一枚一枚、かするだけで肉を裂き骨を絶つ。
直撃なんて受けてしまえば、もちろん人体にひとたまりのない損壊を及ぼすだろう。
私の隣から射出されたその一撃。
ジェーンの超力、災害(カラミティ)とまで呼ばれた超力の真骨頂。
もし狙われたのが私なら、避ける以前に認識する事もできず死んでいてもおかしくない。
それほどの攻勢を、ソフィア・チェリー・ブロッサムは呆気なく片手で払い飛ばした。
噂に違わぬ超力無効化。
あの真紅の人狼にすら深手を通した殺傷力を、ただの投擲の域に戻してしまう。
素早く床を滑り、机の下をくぐり抜け、こちらに突っ込んでくるソフィア。
対応の構えをとったジェーンに対し、咄嗟に私は叫んでいた。
「だめっ! 下がって、ジェーン!」
ジェーンの目が見開かれた。
失策に気づいたのか、だけどもう遅い。
既にソフィアは、彼女の間合いまで距離を詰め切っている。
至近距離で打ち出された打撃技。その狙いは明らかだった。
突きから払いに軌道を変じた手刀が、ジェーンの手首に直撃する。
宙を舞う金属の塊、事前に渡していたボルトガンが弾き飛ばされた。
おそらくソフィアの側に飛び道具はない。
ゆえに武装の優位を奪い、状況をイーブンにするための、実に冷静で論理的な判断。
しかも私がドローンで援護しようにも、ここまで近づかれたらジェーンが邪魔で狙えない。
―――まずい。どうして。
私の脳内を、その一言が席巻する。
ソフィア・チェリー・ブロッサムが協力を拒み、敵対してしまう。
今の状況は想定して然るべきだった。いや、想定していたはずなのに。
少なくともローマンはこの状況を見越していて、事前に取り決めまでしていたのに。
だから私が驚いたのはソフィアに、ではなくて、ジェーンに対してだ。
彼女がソフィアの行動に、こんな凡ミスをおかすほどのショックを受けるなんて。
「―――補え、私の愛する人工物質(モルデオ・アルティフィシアル)ッ!」
打撃戦を開始した二人に向かって、私も意を決して突っ込んでいく。
踏み込みに合わせ、ドローンとラジコンが私の周囲を旋回し、瞬く間に全身を金属のプレートが覆う。
「どっりぁああああああああああ!!」
鉄の塊になって飛びかかる私を察知した二人は、さすがの対応力で身を躱していた。
結果として、私は図書室の柱に思いっきしぶつかる羽目に遭ったけど。
でもかわりに、目的を果たすことは出来た。
「交代交代ッ! 相手が逆でしょうが!」
「ごめん、そうだった!」
私がソフィアと対峙し、同時にジェーンが瞬時に後ろに下がり、前衛と後衛がスイッチする。
なんか癪だけど、ここはローマンの采配通りいこう。
後方で待機させていたドローンとラジコンが起動し、ソフィアを取り囲んでいく。
複数の角度から放たれたボルトガンの攻撃を、彼女は床を転がり、障害物を盾にして躱しきったけど。
つまりそれは、躱す必要があるということだ。
「痛った!」
躱し際にソフィアが投げつけたのだろう、物陰から飛んできた椅子が私の胴に直撃する。
衝撃と痛みに、よろよろと後ろに下がる。だけど、逆に言うとそれで済んでる。ジェーンの殺傷力とは比べるべくもない。
無効化能力は確かに厄介だけど、ソフィアの振るう攻撃も、常識的な範囲に留まるのだ。
『ソフィアがゴネるようなら、メリリン、お前ががシメろ』
ローマンの読み通り、確かに私にとって相性は悪くない。
"既に造った機械"は無効化の範疇を出ているし、アーマーは生半可な打撃を通さない。
だけど問題はここから。シメろって言ったって彼女を説得することは可能なのか。
それに状況は彼の言ったパターンよりもうちょっと複雑だ。
図書室にいる敵はソフィアだけじゃない。
「させないよ」
金属性の物質同士が衝突するような、耳障りな高音が私の首元で鳴った。
気づかない内に私の真横に知らない男が立っていて、その間にジェーンが割り込んでいる。
異様な光景だった。ジェーンは数本の髪の毛を両手でぴんと伸ばし、翳したそれで男の握る透明なナニカを受け止めている。
ジェーンが指で弾いたナットが男の脇腹を裂き、男の振り切った不可視の武器が、ジェーンの頬を掠める。
680
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:52:14 ID:.gi0ckm.0
危なかった。いくらプレートで身を固めていても、鎧の隙間に差し込まれたら致命傷を負いかねない。
一瞬の攻防の中で、ジェーンがいなければ、既に私は生きていなかっただろう。
「んだよ、同業者か?」
「かもね、アンタみたいなのが考えそうなことは、だいたい分かるんだよ」
連射されるジェーンの指弾を、男は床を転がりながら避け、腕を一振した。
その手には何も握られていない、筈なのに。私の頭上から、何かが落ちてくる。
ヘルメットに当たってから足元に転がったそれは、私の生成したドローンの一機だった。
パーツの一部が不自然に抉れている。まるで、見えない刃に裂かれたように。
次いで、物陰から声が上がった。
「ジェイ・ハリック」
「よお、姉ちゃん。俺も言おうとしてたところだ」
その意図は明確だ。
ソフィアの援護。私たちが来たことでパワーバランスが変わった。
敵は、即席の連携で対応しようとしているのか。
「一時休戦といこうや」
2対1対1から、2対2へと。
「是非もありませんわね」
物陰から飛び出したソフィアが、一気に距離を詰めてくる。
同時に男――ジェイ・ハリックも床を蹴った。
二人とも、狙いは私。
ドローンとラジコンの主を最優先で潰そうとしている。
ジェーンもすぐさま対応した。
私の背後、ジェイの進行方向に飛び出し、苛烈な接近戦を繰り広げる。
超力無効化の範囲外において、二人の殺傷能力は惜しみなく発揮されていた。
私では全く目で追えない身体捌きが展開され、血風の匂いが空間に漂い始める。
「メリリンは自分の敵を見て!」
「わかった!」
発破に従い、ジェイの対処をジェーンに任せ、私は正面のソフィアに意識を集中させた。
ドローンとラジコンが彼女を追い続け、装着したボルトガンを発射する。
動き続ける標的に対して命中率は低いけど、根気強く撃ち続けることで数発被弾させることに成功した。
数本のボルトがソフィアの足に突き刺さる。
がくりと体勢が崩れ、床に血が流れた。
チャンスだ。ソフィアとジェイが協力体制に移行したのは厄介だけど。
私がソフィアを制圧できれば、この場の趨勢は一気にきまる。
後ろのことは気になるけどジェーンを信じて、このまま物量任せの攻めで勝負をつけようと。
残りのドローンを操ろうとしたときだった。
「――――ぁ」
妙な物が、視界を過った。
「なんだ……? ありゃ」
背後でジェイの怪訝そうな声が聞こえた。
つまり、あれは私の幻覚ではないらしい。
「人間なのか……?」
続いてジェーンの、警戒心に満ちた声音が響く。
ふたりとも、アレが何かはわからないようだった。
もちろん私も分からない。
「……ァ……ォ」
図書室の北側からにじり寄ってきた、ナニカ。
赤黒く、濡れていて、ゴポゴポと全身から体液を撒き散らしながら進む、生物らしきもの。
「……ォ……ガ……ァ」
血の匂いを撒き散らし、膨張した肉は沸騰するように泡立ち。
頭頂部と思しき部分は不自然に隆起し、一定の間隔で破裂と再生を繰り返す。
そんな、もはや人体とは見なせないような、グロテスクな物体を。
美しく終わることの出来なかった。
何らかの残骸を。
「ォ……ィ……ァ」
蠢く血と肉の塊のような怪物を。
「……ソ……ィ……ァ」
この場で、ただ一人、正しく認識できる者がいた。
「ルクレ……ツィア……?」
ソフィアは驚愕に塗れた表情で、その成れの果てを見ていた。
信じがたい現象に遭遇したかのように、ありえないものに行きあったように。
681
:
名前のない怪物(B)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 21:56:31 ID:.gi0ckm.0
対して、名を呼ばれた肉塊は、ほんの少し、身体を震わせた。
ひしゃげた頭部が形を歪め、角度によっては、まるで笑っているように見えなくもない。
「ぉん……がぇ……ぎ」
肉塊が、腕の一本を掲げる。
「…………き、ぎ、ぎ」
肉塊がうめき声を上げた。
腕の終端に、突如出現した煙管のような長物。
それは超力、未知の力が発せられる前兆だった。
何をするつもりだ。一体何を。
分かっていても、動くことが出来ない。
初見の超力に私は、対応するすべを持たなくて。
「ぎ、い、ぃぃぃぃぃぃぃぃィ!」
せめてもの対策をするために、ドローンの構成を組み換える。
「アアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ!!」
その次の瞬間、凄まじい金切り声とともに、煙管から紫煙の奔流が流れ出す。
咄嗟にドローンを飛ばした直後、私はの全身は煙に巻かれていた。
「――――ぁ」
実に呆気なかった。プレートの隙間から煙が入ってくる。
腕で口を覆ったけど、それくらいじゃ何の対策にもならない。
ほんの一瞬、僅かに吸い込んだだけで視界が霞んでいく。
目眩がする。
ぐわんぐわんと世界が回って、右も左も上も下も分からなくなる。
まともな意識が、保てない。
明滅する視界の中で、誰かの足音を聞く。
私はいま、立っているのか、もう倒れてしまったのか、それすらも分からない。
『―――メリリン』
懐かしい声がする。
視界には図書室の床、散乱する本と椅子の破片、そして傍らに立つ誰かの足。
かろうじて動く眼球の角度を変え、ぼんやりと上を見る。
『―――あなたが、メリリン・"メカーニカ"・ミリアン?』
一瞬にして、背景が夜の酒場に切り替わる。
ああ、幻覚だと、すぐに分かった。
吸い込んだ紫煙には、そういう作用でもあるのだろうか。
あれはいつだったか。
肩代わりした両親の借金をやっとの思いで返し終え、貯蓄も家も明日の着替えも、気力も何もかも無くしたあの頃の私。
色々どうでもよくなって、わずかに残った小銭を使って、酒場で飲んだくれていた夜のこと。
『―――私たち、きっと似たもの同士ね』
いつかの記憶、いつかの彼女。
『―――私はサリヤ。サリヤ・―――』
記憶が、途切れ途切れに再生される。
場面が高速で切り替わる。
酒場の背景はモンタージュのように捲れ、また別の夜へと。
『―――こんなの、どうでもいい話よ。全部忘れていいわ』
狭くて散らかった部屋だ。だけど馴染のある。
私の部屋。向かい合う、小さなテーブルの向こう側で。
一人の女性がワイングラスを片手に、いつか、話してくれた事があった。
『―――超力のシステム化、つまらない理論、くだらない思想、ばかげた妄想よ。だけど、その根幹は―――』
そうだ、彼女は、あのとき。
『―――メリリン、これだけは憶えておいて』
なんて言ってたっけ?
『―――"銀の弾丸"は、最後までとっておくものよ』
◇
682
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:00:18 ID:.gi0ckm.0
そして帳が降りる。
吹きすさぶ紫煙が図書室全体を覆った後、そこに立っているものは一人だった。
滞留する淀んだ空気、甘ったるい匂いとぼんやりした明かりが点滅する空間の中央。
からりと音をたて、傾いた机からランタンが滑り落ちる。
入れ替わりに机の縁を掴むものがあった。
後方によろめく身体を支えようとした、ソフィア・チェリー・ブロッサムの腕だった。
「…………っ」
ソフィアは足の痛みに耐えながら、身体を机に預けている。
痛む右足を持ち上げ、正面にある椅子の上に乗せた。
脹脛と太腿、二本のボルトが脚に突き刺さっている。
ソフィアは傷口の状態を確認し、抜くべきでないと判断した。
ボルトは貫通していない。特に太腿の傷は、抜いてしまえば大量出血に至る可能性がある。
即席の応急処置を施しながら周囲を確認する。
状況的に、図書室の戦闘は終了したと判断できた。
敵対者の全て、今や動きを止めている。
メリリン・"メカーニカ"・ミリアンはプレートで身を固めたまま、本棚に突っ込むようにして沈黙していた。
堅牢な防御力を誇っていた鉄板も、隙間から入り込む煙には無力だったらしい。
その数メートル離れた場所で、本棚の影からジェーン・マッドハッターの腕が飛び出しているのが見えた。
床に転がった腕は弛緩し、彼女の状態を伝えている。
そして、その直ぐ近くの壁際に蹲るようにして、ジェイ・ハリックが倒れているのが見えた。
決着だ。今やソフィアの敵は全て、無力化されている。
変わり果てた姿で帰還した彼女の、凄まじい超力によって。
「ルクレツィア……」
血の止まりきらない足を引きずりながら、ソフィアはその肉塊に近づいていった。
図書室の中央にて、ぐずぐずと赤黒い何かが胎動している。
崩れかけた腕に握られた煙管から絶え間なく煙が溢れ出し、室内に紫色の催眠香が渦を巻いている。
肉塊、ルクレツィア・ファルネーゼの成れの果てが、今やまともな意識を保っていないことは明らかだった。
か細いうめき声を漏らしながら、肉を露出した血みどろの顔貌、そこに張り付いた焦点の合わない眼球を痙攣させている。
突出した回復力を持つ彼女をして、死に瀕するほどの肉体損壊が齎した覚醒か。あるいは暴走と呼ぶべきモノなのか。
煙管が吐き出す紫煙の量は常態の数十倍にまで増幅され、図書室という閉鎖空間にいる全員を巻き込んだ。
頭部の破壊という、再生の追いつかない死を超え、壊れたリミッターを更に壊し、血の令嬢は新たな生命に新生しようとしているのか。
『楽園の切符(パラディーソ・ビリエット)』。
吸い込んだ者に夢を見せる、煙管の紫煙。ルクレツィアの、超力の本質であった。
自らの壊れた枷(リミッター)を更に壊した怪物は、本来ならば意識混濁を前提条件としていた筈の幻惑能力を、問答無用で押し付けている。
しかし、進化した超力をもってしても、例外存在は揺るがない。
前後不覚の状態で、敵味方の区別なく解き放たれた紫煙の渦中、ソフィアだけは意識を保つことが出来ていた。
「ルクレツィア……いったい何が……」
ソフィアは肉塊の前に立つ。
ルクレツィアの状態は、死と再生の間で揺蕩う幽鬼の如くであった。
紫煙の発生と再生能力が暴走し、傷口を塞いだ端から化膿し、爆裂し、血が吹き出る。
凄惨な有り様だ。
一秒ごとに死に瀕し、足掻きながら無理やり再生して血液を撒き散らす。
想像を絶する痛みの渦中で、血の令嬢は苦しんでいる。
見たことのない苦痛の表情で、迫る死を遠ざけている。
「貴女は……どうして、そこまで……っ!」
683
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:00:51 ID:.gi0ckm.0
あまりの惨状に、ソフィアはつい、血まみれの肩に触れてしまって、息を呑みながら手を引っ込めた。
ルクレツィアはいま、死の瀬戸際にいる。
その抵抗に、自らの能力が悪影響を及ぼしてしまう可能性に思い至ったのだ。
「ご、ごめんなさい……わたくし……!」
ソフィアの触れた部位が、再生の途切れた腕がぼとりと落ちる。
なのに、血まみれの令嬢は、
「……は……ぁ!」
目玉を裏返し、恍惚の表情で笑った。
「ルクレツィア……貴女……」
「……ぁぁぁ」
すり寄るように、じゃれるように、ソフィアに向かって頭を擦り付けようとしてくる。
ふと、思い出す声があった。
『―――私の全身を撫でて欲しいのです。無効化能力をお持ちの方に撫でてもらうのは、とても気持ちが良いので』
血の令嬢は、いまでも痛みを求めている。
「貴女という人は……どこまで……」
呆れながら、それでもソフィアは、少し笑ってしまった。
目の前の女は醜い。唾棄すべき悪だ。紛うことなき巨悪。
だけどそんな悪が、帰ってきた。
こんな、つまらない小悪党のもとに。
「待っていてください。ルクレツィア」
肉塊に背を向けて、ソフィアは敵に向き直る。
ルクレツィアはまだ死んでいない。助けられるかは分からない。
だけど可能性があるならば、それはソフィアに掛かっている。
もう一度『彼』に会うために。
そのために、この血に塗れた悪が必要、だから。
敵を、殺そう。そう思った。今なら出来る気がした。
己の悪性を、受け入れた今ならば。
「すぐに終わりますから」
足を引きずりながら、夢に落ちた囚人達の元に向かう。
順にトドメを刺すだけの、簡単な作業になるだろう。
ここには3つの首輪がある。
齎される恩赦ポイントを使えば、瀕死のルクレツィアを救えるだろうか。
1つ目は、メリリン・"メカーニカ"・ミリアン。
プレートで身を固めたまま、本棚に突っ込むようにして沈黙している。
2つ目はジェイ・ハリック。
壁際に蹲るようにして倒れているのが見えた。
3つ目はジェーン・マッドハッター。
本棚の影から倒れたジェーンの腕が飛び出しているのが―――
まて、腕は、
「……まさか」
腕は、腕はどこへ――――
「隙だらけだよ、エージェント」
ありえない方向から聞こえた声。
脇腹に突き刺さる激痛に、ソフィアは己の失策を理解した。
◇
684
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:03:40 ID:.gi0ckm.0
側面から飛来した三発のボルトがソフィアの腹部に突き刺さる。
痛みと衝撃によって床に転倒した彼女へと、走り込む影があった。
ジェーン・マッドハッターは身を潜めていた机の下から転がり出ると同時、回収していたボルトガンを連射していた。
更に敵の見せた絶大の隙を逃さず、床を蹴って接近する。
「……な……ぜっ!」
咄嗟に腹部を押さえながら、身を捩るソフィアは見た。
ジェーンの肩、その少し上に随伴するドローン。
先程までボルトガンが装着されていた筈の場所に、全く別の機材が装着されている。
中型の送風機(ファン)だった。
ジェーンの前方に漂う紫煙を吹き晴らし、呼吸可能な空間、活動可能な道を作り出している。
ドローンから取り外したボルトガンと、送風機ドローン。
メリリンがギリギリの判断でジェーンへと送った生命線。
配られた手札を死蔵せず、畳み掛けるべく殺し屋が走る。
床に転がったソフィアへと、トドメを刺すべく、さらにボルトガンの引き金が引かれるが――
「―――くそっ」
かちりと虚しい音が響くのみ。
弾切れだった。
ジェーンは鉄くずと化したボルトガンを投げ捨て、走り込んだ勢いそのままに、ソフィアの胴を蹴り上げる。
「なんでっ! アンタは!」
跳ね上がったソフィアの身体。
なぜ、自分はこれほどに苛立っているのだろうと、ジェーンは思った。
「なんでこんなこと、してるんだよっ!」
ここに来たときから、ソフィアの答えを聞いたときから。
抑えきれない怒りと困惑が、彼女の身体を支配していた。
「なんで、こんなことっ!」
ゴロゴロと身体を捻りながら転がったソフィアの手が、何かをつかみ、思い切り引き寄せる。
「―――っ!?」
それは図書室の床に敷かれたカーペットだった。
足を取れられたジェーンの身体が傾き、背中から勢いよく転倒する。
立ち上がり、反転攻勢に移行するソフィアの狙いは明らかだった。
ジェーンが起きる前に近づいて、浮遊する送風ドローンを破壊する。
ドローンはジェーンの生命線だ。必ずしも肉弾戦に勝利する必要などない。
壊してしまえば、それだけで趨勢は決まるのだから。
メリリンが気を失う直前、ジェーンに随伴するよう設定したドローンは、自ら逃げることが出来ない。
そもそもジェーンから離れてしまえば本末転倒なのだ。
起き上がろうとしていたジェーンの顔面に、お返しとばかりに膝蹴りを入れ。
宙に浮かぶ機械に、ソフィアは手を伸ばし――
その身体が重く沈む。
鼻血まみれの顔面で、直撃したソフィア膝にしがみつくようにして、ジェーンは意識を保っていた。
「ふざけんなよ……ッ」
どうして、裏切られたような気持ちになっているのだろう。
ジェーンはもう一度自問する。
「なんでだよ……ッ!」
それほどまでに、妬いていたのか。
それほどまでに、焦がれていたのか。
あの日、苦しみながらも、正義を信じようと足掻いていた彼女に。
世界に生きる価値はあると。
守る価値はあるのだと。
迷いながらも、疑いながらも、信じたいと願っていた彼女を、自分はどこかで――
太腿に刺さっていたボルトを掴む。
全力を込め、それを引き抜く。
鮮血が吹き出て、激痛に咽ぶ声が聞こえた。
大量の出血によってソフィアの足が力を失い、血の海に崩れ落ちた。
「ドミニカは、まだ戦ってるよ」
忌まわしい力と共に生きてきた。
制御することも出来ず、間違えてばかりの人生で。
『―――善行こそが、私の本懐ですから』
ジェーンと同じように、人を害することしか出来ない力を与えられた女がいた。
685
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:04:44 ID:.gi0ckm.0
諦めてしまったジェーンとは違って、彼女は善きもので在りたいと願い続けていた。
歪んだ力を抱えて、それでも正しく、生きようとしている人が、今も正しさの為に戦っているのに。
「アンタには正しい力があって、正しい生き方が出来て……」
だから、ジェーンは悔しかったのだ。
いつか、ソフィアに終わらせてもらえるなら、それでいいかもしれないと、思ったこともあった。
己を捕まえてくれたのが、彼女でよかったと。
「アンタは正しく、生きられたのに……ッ!」
正しい意思と正しい力、兼ね揃えた正義の存在。
本当にそんな人が居るなら、世界に生きる価値があると信じてみてもいい。
ジェーン・マッドハッターは処刑台に消えるけれど、来世ってものがあるならば、また生きてみたっていい。
そう、思えた日があったのに。
こんなのは、まるで、裏切りじゃないか。
「だったら、その正しさが……何を保証するっていうんですか……?」
「…………え?」
ソフィアが、自らの右掌をジェーンの脇腹に押し付けていた。
次いで、その上から、左の拳を釘を打つように叩き込む。
「―――が……は……!」
ジェーンの腹部に打ち込まれたそれは、刃が中程でへし折れた木製ナイフだった。
ジェイから奪い取ったもの。突き刺さっていた刀身を引き抜き。
全身から血を流しながら、桜花はガクガクと震える足で立ち上がる。
「正しく生き抜いて、正義を貫いて、それで? 報われなかった人はどうなるんです?」
かつて、正義を背に前に戦った桜花はいま。
「わたくしはもう、正しさのためなんかには、戦えない。
なぜなら、今のわたくしは……」
死にかけの醜き肉塊、ルクレツィアという巨悪を背後に、守るようにして。
「あれの友人、なのですから」
悪として、そこに立っていた。
「そう……残念よ。本当に」
それぞれの傷口を押さえながら、二人の女は対峙する。
互いに多くの血を失い、止血もままならないまま戦闘を継続している。
しかし趨勢は、僅かにジェーンの側に傾いていた。
噎せたソフィアの口端から、血が零れ落ちる。
腹部と太股の傷は明らかなる重傷だった。
それでも彼女は一歩も引かず、戦闘を継続しようとしている。
おそらくあと一度か、二度の激突で決着に至るだろう。
両者、同時に前進する。
しかしその直前、ジェーンは見た。
「…………な」
それを背にした状態のソフィアは、未だ気づいていない。
図書室の中央、動きを止めていた肉塊が、にわかに活動を再開したのだ。
あまりの不気味さに、ジェーンが一歩下がる。
不可解な動きに、ソフィアが異常に気づき、ようやく背後を見た。
肉塊の表面が激しく波打っていた。
まるで、ソフィアの言葉に喜んでいるかのように。
はしゃいでいるかのように。
蠢き、膨張し、爆裂し、そして―――
枯れた樹木が早送りで成長するように、赤黒い枝が伸びだした。
異常をきたした細胞分裂の暴走するままに、急激に肥大化する腕部の筋繊維が繋がり合い、巨大な触手のようにしなる。
そして、唸りを上げながら急旋回したそれが、背後からソフィアを持ち上げた。
吹き飛んだ身体はジェーンの横を通り抜け、図書室南側の通路まで運ばれていく。
それは実に乱暴な動きではあったが、見ようによっては窮地から友を救うための対処なのかもしれなかった。
満身創痍のソフィアを戦場から逃がす。
あるいは、その存在はこれから発生する事態には、邪魔であると判断したのかもしれない。
「ふ……ふふ…………は…………は」
メキメキと、紅の樹木が育っていく。
無数の腕と足が増殖し、人の身体を捨てていく。
血の令嬢、いや、いまや人と呼ぶには異様に尽きる姿に変貌した存在を。
「ははははははははははははは!!!!!!」
ジェーンは、呆然と見つめながら、端的にこう呼んだ。
「……怪物(モンスター)め」
◇
686
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:07:01 ID:.gi0ckm.0
脇腹からぼたぼたと溢れ出す鮮血。
赤色に染まった刑務服を両手で押さえつけながら、ジェーンは怪物の誕生を目撃する。
図書室の中央、真紅の肉塊が炸裂する。
メキメキと枝葉のように伸びる無数の腕が室内全域を覆っていく。
誰も逃さない、全てを喰らい、咀嚼せんと告げるように。
「ははははははははッ!」
けたたましい笑い声が響き渡る。
それは歓喜の嬌声であり、激痛の絶叫でもあった。
「あァ―――痛い―――イダジ―――イダギ―――イがあああああああ!! あはははははははははッ!!」
狂奔。正気を失うほどの損傷、想像を絶する痛みの中で、令嬢は喜んでいる。
人生で最大級の苦痛によって、人生最大の恍惚を得る。
壊れていく精神、平常な思考すら保てず無様に跳ね回る己の狂態を、心底面白がっている。
美しく終わっても良かった。
人生最高の恐怖と痛みの中で、史上のフィナーレを飾ることも出来たのに。
もう名前も思い出せない誰か、友人と呼んでくれた誰かのために。
生き恥を晒した果てに、こんな痛みにであえるなんて。
既にまともに言葉も発せない口が、凶悪にねじ曲がる。
―――あア、ホントウに、ユウジョウとは、ヨイモノですね。
人体の血を絞り尽くす勢いで再生する肉塊に、先が在るとは思えない。
怪物に残された時間は残り僅かだ。
このまま無理に動き続ければ、あと数分も保つまい。
しかし、数分もあればこと足りるだろう。
この場の敵を一掃するには、友の敵を根絶やしにするには、充分であった。
数十メートル伸びた無数の肉腕、展開された枝が鞭のように旋回し、本棚を貫通して飛来する。
血の刃がいとも容易く机を真っ二つに切り裂き。
天井に吊られたシャンデリアを落とし、施設を内側からミキサーにかけるような暴力を炸裂させる。
迫りくる斬線の嵐、出現した等活地獄。
その最前線に、ジェーン・マッドハッターは立っている。
「……はぁ……はぁ……っ!」
背後を振り返る余裕などない。
目の前の脅威に、全意識を動員している。
未だにメリリンが起きる気配はなく、援護は見込めなかった。
やはり対面する怪物を倒し、紫煙を止めるしかない状況。
「ごほっ……ぐ……」
ソフィアより多少マシだったというだけで、彼女もまた相当の深手を負っている。
その上、徐々に意識が朦朧としてきた。
送風機一台ではやはり限界があったのだろう。
少しずつ、ジェーンにも紫煙の影響が及んでいる。
「はぁ……はぁ……は―――」
迷っている時間はない。
ジェーンは荒い息を整え、両腕を前に突き出し身体と水平方向に傾けて、構えのような体勢をとる。
それは何らかの流派に則ったものではない、ジェーンの我流だ。
そもそも、ジェーンは一度も武術のようなものを習ったことはない。
習う必要なんてなかった。
超力に覚醒して以降、人の殺し方は全て、超力が教えてくれたから。
「は―――あああッ!!」
飛来した枝の一本、超速の斬撃に対し、ジェーンは握る長物をぶつける。
それは何の変哲もない紙束。
先ほどまでの戦闘で、図書室の床に撒き散らされた、雑誌などを折り曲げ丸めて作った。子どもの玩具のような剣。
軽く、吹けば飛ぶような強度であるはずのそれが、肉の枝を切り裂き、一太刀で切断する。
「アアアアアアアア"ア"ア"ア"ア"ッッ!!!!」
怪物が悲鳴とも嬌声ともつかない雄叫びを上げている。
切断された腕の断面から大量の血が吹き出し、ジェーンの頭上から赤い雨が降ってくる。
構わず続けて二連、ジェーンの手元が動いた。
伸び上がり、側面から背後のメリリン或いはジェイを狙おうとしていた腕へ、超高速で飛来したナットが突き刺さる。
ジェーンの指弾によって繰り出された迎撃が、迂回した攻撃をも縫い留め、触手のように蠢く腕の動きを封じたのだ。
更にその隙を縫って、ジェーンの胴を薙ぎ払わんとしていた第3の腕を、しかし蹴り上げられたランタンの角がズタズタに引き裂いて押し留めた。
ジェーンの超力、『屰罵討(マーダーズ・マスタリー)』。
敵の脅威度は跳ね上がったものの、もうここに無効化能力者はいない。
開帳された殺し屋の真髄は、余すことなく人体を破壊する。
災害(カラミティ)とまで呼ばれた女の暴力。
連続して放たれる常識外の攻撃を、尽く裂き、穿ち、切断する。
たとえ敵が怪物であろうと、人外の形に至ろうと、彼女の前では関係ない。
人体で構成される物質ある限り、ジェーンの付与する殺傷力は如何なる守りをも貫通して破壊する。
687
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:09:54 ID:.gi0ckm.0
しかしジェーンもまた、窮地であることに変わりなかった。
動き続ける必要に駆られ、脇腹の傷口を止血することもままならない。
迎撃が精一杯で、攻勢に出ることが出来ないまま、体力を削られている。
静かな部屋に、怪物の腕が空間を切り裂く音と、くぐもった呻きだけが響き続けた。
「ォん……が……ぇ」
右から回り込んできた腕を、椅子の前脚で地面に縫い留める。
「ぞぃ……あ……」
左下から伸び上がってきた腕を、刑務服の上着で受け止め、締め上げて押し潰す。
「ああああ…………ああああああ…………!!」
何度、そんな不毛な攻防を繰り返したのだろう。
敵の返り血を浴び続け、ジェーンもまたすっかり紅に染められた頃。
霞む意識の中、僅かに敵の変化を見た。
少しずつ、肉塊の動きが鈍くなっている。
再生力に陰りが見えた。
このまま持久戦を続ければ勝てるかもしれない。
「……く……そ……」
しかし、先に限界が訪れたのはジェーンの側だった。
「……痛……ッ!」
撃ち漏らした腕の一本が肩口を切り裂き、後ろにのけぞる。
本棚にもたれ掛かるようにして、ギリギリのところで転倒を避けた。
もはや意識を保つだけで精一杯であり、倒れてしまったら起き上がれる保証はない。
身体に蓄積された紫煙も看過できない量となっている。
先程から奇妙な幻覚が視界の端にちらつき、怪物に焦点を合わせることすら、もうすぐ出来なくなる予兆があった。
「…………ごめん、メリリン、ドミニカ……ここまでみたいだ」
高速で迫りくる怪物の腕。
もう身体がついていかない。腕が上がらなかった。
力の抜けた手から、紙で作った剣がこぼれ、足元に落ちる。
「………あ……れ……」
しかし振るわれた腕は上方に逸れた。
ジェーンの身体を避けるように、本棚だけを切り裂いて。
いや、違う。動いたのはジェーンの側だった。
単純に、身体を支えていられなくなった足が力を失い、崩れ落ちた事が功を奏し、腕の一撃を回避していたのだ。
それは神の気まぐれのような、単なる幸運に過ぎない。
「あ……私……もう……立ってることも……できないんだ……」
足も、腕も、言うことを聞かない。
今度こそ、限界だった。
そして、引き戻された腕が容赦なく襲いかかり、ジェーンの首を刎ねようとして。
死の寸前、彼女は、どこか遠くの方で、
―――コンコン、と。
誰かがドアをノックするような、気の抜けた音を聞いた気がした。
◇
688
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:12:59 ID:.gi0ckm.0
赤い血の跡が、キャンバスに筆で線を引いたように走っている。
真っ白い床の上をズルズルと這いずって、その女は進んでいた。
「……っ……ぁ……」
ソフィア・チェリー・ブロッサムは温室ブロックの壁際にたどり着き、壁伝いに身を持ち上げる。
「っ……ご……ほ……」
視界には腹立たしいほどに間の抜けた景色が広がっていた。
人工光を浴びて立派に育った観葉植物が並んでいる。
喉をせり上がってきた血を吐き出し、酸素を取り入れた。
こんなところで休んでいる場合ではない。
しかし、ならば、一体どこへ行くという。
血を流しすぎていた。意識が朦朧として、思考が上手くまとまらない。
さっきまで自分がどの方向へ動いていたのかも分からない。
図書室の戦場から逃げようとしていたのか、戻ろうとしていたのか。
そもそも、どうやってこの温室に来たのかも曖昧だった。
「…………」
右の太腿に圧迫止血を施してはいるが、血の勢いを止めることが出来ない。
腹部の傷も時間が経つほどに重大な深手に変わっていったのだろう。
流れる血が黒い。内臓が傷ついている証拠だった。
だけど、全て、関係ない。
行かなければならない。しかし何処へ。
まとまらない思考のまま、ソフィアは立ち上がろうとして、そのまま前のめりに倒れ伏した。
「……だめ……まだ眠っちゃ……」
目を閉じればもう、起き上がれないことは分かっていた。
温室の床に、赤い筆が引かれていく。
「……行かないと……」
何処へ行くのだろう。
図書室に戻って、ルクレツィアを救うためか。
別の場所に行って、自らを救うための、恩赦ポイント――つまり未使用の首輪でも落ちていることを願うのか。
どちらも、まるで現実的ではないと分かっている。
「行かなきゃ……」
何処を目指しているのだろう。ソフィアは自分でも分からなかった。
間違えを重ねるために、醜く生きるために。
殺すために。間違え続けるために、今も己は身体を稼働させている。
それだけは分かるけれど。
既に下半身の感覚がない。
身体を転がして、仰向けに体勢を変え、そこでいよいよ、指一本動かせなくなった。
朦朧とする意識の中、痛みだけが明確だった。
ソフィアは思う。これが罰なのだろうかと。
悪に堕ちた者への、罰。だとしたら神様は意地の悪やつだと、苦笑する。
世界を救っても、何の救いもないというのに、悪への応報だけは律儀に下すのだから。
馬鹿馬鹿しい。ならば、尚のこと、最後の選択を後悔することができない。
メアリーを止める。なんて、誂えたような正義。
それすら、ふいにして、血の令嬢の友であることを選んだ。
そのことに、今に至るも後悔はない。
令嬢は帰ってきた。
嫌悪すべき血の怪物、残虐非道の女、それでも彼女はソフィアに報いようとしたのだ。
「悔いが……あると……すれば……」
689
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:14:41 ID:.gi0ckm.0
彼女の紫煙は、ついぞソフィアに夢を見せることはなかった。
あの図書室で充満した空気をどれだけ吸い込んだところで、例外の存在は揺るがない。
今ほど意識が混濁した状態もないだろうに、『楽園の切符』はソフィアにだけは配られない。
呆気なく眠りこけた囚人たちのことを、ソフィアは狂おしいほど妬まく思う。
「ゆめを……みたかった……」
ルクレツィアの歪な友情の結実を、きっともう見ることは叶わない。
死に際にあっても、誰かが迎えに来るような幻想が与えられることすらない。
視界には青空のホログラフィック。
とても明るい温室の中、たった一人で、ソフィアは最期を迎えようとしている。
「あのひとに……あいたかった……」
記憶の中の『彼』に、もう一度会えたなら、ソフィアは満たされたのだろうか。
納得を得て、救われたのだろうか。
分からないし、知る機会も与えられないだろうけど。
このまま死んだって、きっと再会することは出来ないだろうから。
「あいたいよ……」
涙が頬を伝う。
「あいたいよ……しどー、くん」
滲みながら閉ざされていく視界、偽物の空との間に。
『……ふむ、その"しどーくん"、というのは嵐求(ラング)の話か?』
真っ黒い影が割り込んだ。
「―――――――は?」
既に瞳はまともな機能を失っている。
ぼやけた青色の中に、陽炎のように不定形のヒトガタが映って見える程度の視界で。
聴覚もとうに狂っている。だが、聞き間違いではない。
ソフィアが彼の名を聞き間違えることなど、ありえない。
“嵐求 士堂(ラング・シドー)”。
最愛の彼の名を。
『そうか。いや、昔、ヤツから婚約者が居ると聞いたことがあってな。
お前の髪色を見て思い出した。俺と近い超力を持った女というから、少し印象に残っていた』
「う……そ……なんで……」
なぜ、改変後の世界で、ソフィア以外に、その名を知っている者がいる。
なぜ、あまつさえ旧知の仲のように、彼を語る者がいるのだ。
『生憎とな、俺の精神はそう出来ている。
世界が変わろうが肉体が変わろうが、魂を取り込まれようが、俺の思考だけは何者にも侵せない』
「あなた……だれ……」
『さあな、自分の名前すら忘れてしまった。しがない魂の残骸だよ』
そしてその魂すら、もうじき消える。
そう、男は語った。
事実として、男の影はとても不安定で、吹けば飛ぶような陽炎にすぎなかった。
だけど―――
「彼は、そこに……いるの?」
ソフィアは無意識に手を伸ばす。
今にも消えそうな陽炎にむかって。
690
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:16:17 ID:.gi0ckm.0
そこにあるというのか。
彼の記憶。ソフィアの知らない、彼の物語が。
世界に残されていたというのか。
『ここにあるのは記憶だけだ。俺の憶えている奴が、いるだけだ』
それでも、あったのだ。
世界から消え去った彼の、何も残されなかった彼の。
ずっと探し求めていた、彼の痕跡が、ここに、まだ。
涙が溢れ出る。
これは報いなのか。いや、きっと違う。
『そうか、ならば俺も、そろそろ幕を下ろそう。
ではな士堂。悪くない生き恥だった。
最期にお前の痕跡に会えたのだ。柄じゃないことも、やってみるものだな―――』
これはもっと悪辣な罰だ。
それを証明するように、触れた陽炎が弾けて消えて。
帳の向こうから、怪物の正体が顕になった。
「あら、あなた。たしかルクレツィアのお友達ね」
黒いドレスと銀の髪。
青白い掌が、ソフィアの手を包んでいる。
「丁度いいわ。迎えに行きましょう? 一緒に」
銀の顎が、桜花の花弁を喰んでいる。
「ごめんね、しどーくん……」
求めていたものは何だったのだろう。
食いちぎられていく意識の中で、最期にソフィアは考えていた。
彼と再開したかったのか。
彼が報われる最期が欲しかったのか。
せめて夢で会いたかったのか。
血の令嬢と友人になってでも。
自らが悪に堕ちてでも。
怪物の一部に成り果ててでも。
触れたいと願った。
何だっていいから、彼の痕跡に触れたかった。
それだけで、よかったのに。
ここは深淵(アビス)、正義の最奥。
正しく生きた果てに、何も得られない因果なら。
「……こんなせかい、こわれてしまえ」
【ソフィア・チェリー・ブロッサム 死亡】
◇
691
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:18:44 ID:.gi0ckm.0
図書室に踏み入った足は青白く、細く華奢な少女のものだった。
漆黒のドレスが翻り、漂う紫煙と暖色の明かりによく映える。
踊るような歩みの後から銀の長髪がたなびいて、きらきらと残光を残していく。
その怪物は、かつて『檻の中の魔神』と呼ばれていた。
ルクレツィアの異型と化した腕が伸び、銀の少女に叩きつけられる。
しかし超スピードで放たれた鞭の一撃は呆気なく片手で止められ、掴まれた箇所からグズグズと萎びて落ちた。
超力の無効化。
触れる範囲に限定されるものの、それによって銀鈴はルクレツィアの再生力を断ち切っている。
例外存在としての力を振るう少女に、大した感動は見られない。
枯れた腕を放り捨て、銀鈴は歩きながら両手を前に突き出す。
右手には拳銃――グロック19。左手は無手―――否、指で作った鉄砲を構え。
「――ばん」
鉛の礫と空気の弾丸が同時に発射された。
「――ばんばんばんばんばん」
連射される左右の実弾銃と超力銃。
ルクレツィアの血濡れの身体に次々と孔が空く。
対面する存在を無感動に蜂の巣に変えながら、銀鈴は前進し続ける。
我喰いを胃に収め、超力の使用が解禁されたにも関わらず。
銀鈴には一切感動した様子がなかった。
それもそのはず、彼女にとってすればこんなもの、もともと出来た概念の劣化にすぎないのだ。
超力無効化も、超力による銃も、気配の希薄化も、念動力も。
風を操る力も、氷を操るつ力も、炎を操る力も、なにもかも。
すべて、銀鈴はかつて、たった一人で出来たのだ。
そして出来ないことも、いずれ出来るようになる筈だった。
誕生日を迎えるたびに、使える力が増え、元から使えた力は強化された。
それを12回繰り返す頃には、既に地球上で不可能な概念など、数えるほどになっていた。
あのまま生まれた土地に留まり歳を重ねていれば、どれほどの魔神が完成していたのだろう。
ちょっとしたきっかけで両親の言いつけを破り、外の世界に出なければ。
たった一度、運命の歯車が狂わなければ。
彼女は全てを支配する器だった。
もとより現存するほぼ全ての超力を支配(Control)するための―――
「やっぱり、また会えた」
それは一にして全。他者(かぞく)など、もとより必要としていない。
根底にはあるものは、『銀鈴』か『人間』かという大別のみ。
素足で肉塊を踏みつけながら、少女は再会を祝して笑いかける。
「少し痩せたかしら、ルクレツィア?」
「…………………」
ルクレツィアは今や声を発することも出来ずに、ビクビクと痙攣を続けていた。
瀕死の生命を再生によって無理やり繋いでいる状況に、無効化能力を帯びた足が容赦なく触れている、どうしようもない詰みである。
ゆっくりと、力を込められた足が、肉の中に沈んでいく。
血にまみれた悍ましき怪物を、銀鈴は他の人間に対するものと全く別け隔てなく、平等な目線で見つめていた。
「おいで、ソフィアも待っているわ」
息絶えるその時まで。
平等に、愛おしそうに、楽しそうに、人(むし)に向ける視線のままで。
【ルクレツィア・ファルネーゼ 死亡】
◇
692
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:21:19 ID:.gi0ckm.0
「メリリン……メリリン起きて……!」
ふわふわと酩酊する頭を強引に振り回され、私の意識はようやく覚醒した。
とにかくめちゃくちゃアタマが痛い。
徹夜で飲んで昼に起きた時の二日酔いみたいに気分が悪くて吐きそうだ。
なんだか懐かしい夢を見ていたような気がするけれど、余韻もなにもかも吹き飛んでしまう。
目をパチパチ瞬いて、どうにか視界を確保する。
戻って来る図書室の風景と、私の肩を揺するジェーンと、それから、
「ジェーン! その、お腹……!」
ジェーンの腹部が真っ赤に染まっていた。
私が気を失ってからも戦闘が続いていたのだろう。
彼女はたった一人で戦っていたのだ。
心配と申し訳無さに血の気が引く。
「大丈夫……血は……なんとか止めてるから」
「ソフィアは……メアリーは……あの煙管の奴は……どうなったの?」
「いや……もう、そんな状況じゃない。いますぐ、ここから離れないと……」
尋常ではない様子の彼女に、立ち上がるよう促され。
何がなんだか分からないまま、足に力を入れようとしたとき、私は見た。
「―――まぁ、まだ人間さんが隠れていたのね」
ジェーンの背後に、漆黒の影が立っていた。
「はじめましてかしら。私は銀鈴―――」
発言の終わりを待たず、振り返らずに放たれたジェーンの指弾。
それを掌で受け止め、銀髪の少女は少しだけ口を尖らせる。
「お返事は、相手の言葉を最後まで聞きいてからするものよ」
ばん、と。
子どもの遊びのように軽い一声。
対照的に、足を撃たれたジェーンは苦痛の呻きを漏らしながら崩れ落ちた。
「よかったら、あなたたちも……あら?」
ぴんと伸ばした指の先が、私とジェーンを交互に捉えている。
「……ホンジョウ、サリヤ、ソフィア、ルクレツィア……そっか。
わたしったら、ついたくさん食べてしまったみたい」
何を言っているのか、私にはまるでわからない。
ただ分かることもある。
さっきのは、サリヤの超力だった。
つまり、こいつは―――
「あと一人しかお腹に入らなくて、ごめんなさいね」
エントランスで遭遇したときよりも、数段上の怪物に変貌している。
何か、ひどく恐ろしい。
おぞましいモノが目の前にいる。
「―――要選哪一個呢,(どち、らに、しよ、うか、な)」
693
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:23:26 ID:.gi0ckm.0
銀の少女の指が、私と、ジェーンとの間を、行き来している。
囁くような、ジェーンの声が聞こえた。
「メリリン、逃げていいよ。私はどうせこの足だ、時間だけ稼ぐから」
無理だ。
私だって、プレートで固めた状態じゃ逃げ切れない。
不気味な指の動きを、私たちは見ていることしか出来なくて。
「―――就照老天爺說的吧(てん、のかみ、さまの、いう、とお、り)
止まった。
指が、私に向けられた指が―――
「―――オイ、なに他人(ひと)の女(モン)勝手に喰おうとしてんだ、テメェ」
横合いから放たれた蹴撃によって、少女の身体ごと吹き飛んだ。
黒いドレスが、本棚に直撃してそのまま倒れ、舞い上がるホコリに姿が掻き消える。
ゆらりと立ち上がったその姿は、シルエットが少しだけ変わっていた。
「痛いわ」
渾身の衝撃波と物理的な力によって千切れた右腕を、少女は事もなさげに見下ろして。
「こんなに痛いの、何年ぶりかしら」
呆気なく再生させた。
「死にぞこないのエリザベート・バートリを追ってみりゃあ……んだよ、結局お前と絡むのかよ」
私とジェーンの前に立つ、真っ白い髪の男には、頬に古傷が刻まれている。
どうやらこれは、都合のいい幻覚とか、そういうものではないようで。
あいつが来た。粗暴で乱暴で危険な男。ストリートに君臨する、孤高のギャングスタ。
まだまだ気を抜いていいような状況じゃない。
安堵なんて、して言いわけがない。
それは分かっていたんだけど。
だけど、私は不覚にも、
「よォ、助けにきたぜ。メリリン」
「だから……メリリン言うな。ローマン」
このときばかりは、あまり強く訂正することが出来なかった。
【D–4/ブラックペンタゴン1F 北西ブロック(中央) 図書室/一日目・午前】
694
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:37:11 ID:.gi0ckm.0
【ネイ・ローマン】
[状態]:額に銃創、全身にダメージ(小) 、疲労(中)、右手首にボルトによる刺し傷
[道具]:デイパック(幾つかの食糧と酒)
[恩赦P]:99pt
[方針]
基本.やりたいようにやる。
0.銀鈴に対処する。
1.ブラックペンタゴンでルーサーを探す。
2.ルーサー・キングを殺す。
3.ハヤト=ミナセと出会ったら……。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。
【ジェーン・マッドハッター】
[状態]:全身にダメージ(大)、腹部に刺し傷。
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.無事に刑務作業を終える
0.銀鈴に対処する。
1. 山頂の改変能力者に対処。
2.死なないで。ドミニカ
※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました
【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン】
[状態]:全身にダメージ(中)、フルプレートアーマー装備、軽い打ち身
[道具]:デジタルウォッチ、生成ドローン1機、ラジコン1機。
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。出られる程度の恩赦は欲しい。サリヤ・K・レストマンを終わらせる。
0.銀鈴に対処する。
1. 山頂の改編能力者に対処。
2サリヤ・K・レストマンを終わらせる。
3.ローマンに従いブラックペンタゴンを調査する?
※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました。
695
:
名前のない怪物(C)
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:38:39 ID:.gi0ckm.0
【銀鈴】
[状態]:健康、我喰い
[道具]:グロック19(装弾数21/22)、予備弾倉×1、デイパック(手榴弾×2、催涙弾×2、食料一食分)、黒いドレス、銀鈴の首輪
[恩赦P]:18pt
[方針]
基本.アビスの超力無効化装置を破壊する。
0.目の前の人間さんと話をする。
1.ジェイで遊びながらブラックペンタゴンを探索する。
2.人間を可愛がる。その過程で、いろんな超力を見てみたい。
※今まで自国で殺した人物の名前を全て覚えています。もしかしたら参加者と関わりがある人物も含まれているかもしれません。
※サッズ・マルティンによる拷問を経験しています。
※名簿で受刑者の姓名はすべて確認しています。
※システムAに彼女の超力が使われていることが真実であるとは限りません。また、使われていた場合にも、彼女一人の超力であるとは限りません。
※我喰いの肉体を内側から完全に掌握しています。
※現在のシリンダー状況
Chamber1:銀鈴(女性、以下の人格を完全支配下に置いています)
Chamber2:本条清彦(男性、挙動不審な根暗、気配希薄化能力、人格凍結)
Chamber3:ソフィア・チェリー・ブロッサム(女性、無効化能力、人格凍結)
Chamber4:ルクレツィア・ファルネーゼ(女性、再生及び幻惑能力、人格凍結)
Chamber5:サリヤ・K・レストマン(女性、詳細不明、空気銃能力、人格凍結)
Chamber6:欠番
【本条 清彦】
[状態]:銀鈴と同化
[道具]:なし
[恩赦P]:――
[方針]
基本.―――。
0.――――。
※銀鈴に肉体の主導権を奪われています。
696
:
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:39:36 ID:.gi0ckm.0
以上、投下終了です。
697
:
◆ai4R9hOOrc
:2025/07/26(土) 22:46:32 ID:.gi0ckm.0
すみません。
ジェイ・ハリックの状態表が抜けていたので、下の通り追記します。
【ジェイ・ハリック】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(中)、昏睡中
[道具]:
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。チャンスがあれば恩赦Pを稼ぎたい。
0.昏睡中。
1.銀鈴の友人として振る舞いつつ、耐え忍んで機会を待つ。
2.呼延光、本条清彦、バルタザール・デリージュ、銀鈴に対する恐怖と警戒。
698
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/27(日) 17:18:01 ID:XTqL1i3c0
皆さま投下乙です
>正義
キングの情報力と、それを余すことなく運用する手腕が恐ろしい。裏の世界を支配していた説得力がある
戦う以前に、理屈で相手をねじ伏せ、精神的に圧倒してくる上に、実際に戦ってもクソ強いと言う性質の悪さ
海千山千の裏社会の皇帝を相手にするには、あまりにも全員が青く若すぎた
キングにとって彼らは、ありがちな理想に駆られた若者たちにすぎず、力不足という以前に、戦う場所にすら立たせてもらえないという現実
りんかの心の内、自殺願望すらも見抜いた上で、断定的に突き付ける
そして、そんなりんかの影を模倣しただけの紗奈には、化コピーという辛辣なレッテルを容赦なく貼り付ける
まあ、舌戦から入るのは、単純に無駄な戦闘を避けたいという合理的な選択肢なのだろうなって
生存に特化したセレナを殺すには、彼女自身を狙うのではなく周囲を狙うという手法も実にキングらしい
心理を読み、相手を理解し、その感情を利用し尽くす冷徹な方程式は、最小の労力で最大の効果を上げる美しさすらある
これまで絆を深め成長してきたハヤトとセレナの結末としては空しいけど、ハヤトは想定が甘すぎた
ここは悪人が跋扈するアビスであり、若人の成長物語が許される場所ではないと、最大の悪人がまざまざと突き付けてきた
最後の表情の意味を知ることもなく、ハヤトも終わってしまった
ルーサー・キングに逆らってはならない、同じ不文律を持つネイ・ローマンとは違う意味合いの恐ろしさ
ローマンが直接的な破壊が返ってくるのに対し、キングは支配と操作で全てを封じてくるマフィアとしての恐怖をこれでもかと感じさせてくれた
かなり絶望的な状況、ここにジルドレとかがやってくるんですか? カオスな状況が加速する
>名前のない怪物
シエンシアによるシステムABCの説明、はぇ〜そうだったのか。魂の証明によってハイヴも生み出してたり、好き勝手やっとる
銀鈴が支配を関するシステムCの基礎となるモデルケースだったってのはらしすぎる、こんな怪物生み出しちゃうならそりゃGAPも中止する
怪談めいた存在だった本条さんも、怪物めいた銀鈴さんに圧倒される、怪異はより強い怪異に飲み込まれてしまうんだよなぁ
未だに謎多きサリア、母親のつながりで顔が広くて銀鈴とも面識がある。今となっては本体である本条さんよりも不気味かもしれない
自ら本条の家庭に土足で乗り込み家長の座を乗っ取る、まさにパラサイト、これは全地下の住民
あまりにも家族に対する価値観が違う銀鈴によって人格を凍結され支配され家庭崩壊
無銘さんにファミパンは効かない>よく考えれば確かに……
無銘さん改変前の記憶も持ってる>よく考えれば確かに……
ソフィアの最期に現れた救いのような魂の残滓から、銀鈴という絶望に切り替わるのは酷い
自分を捕らえたソフィアに対するジェーンの複雑な感情
悪辣な超力を得ながら信念に生きたドミニカの姿があったからこそ、もどかしかろう
それでも正しい道を選べる機会を蹴って正義ではなく悪に寄り添う友人の道を選んだソフィア
異形の怪物になり果てながら友人のもとに戻ってきたルクレツィア、
ソフィアとルクレツィアの奇妙な友情の終着点、歪でありながら無垢で美しい最期だったが、それすらもすべて丸のみにしてしまう銀鈴という怪物
本条の家族の超力をすらも取り込み正真正銘の怪物と化している、恐ろしいことに当人にすれば劣化版という
メリリンたちもやべーとなったところで颯爽と登場するローマン。これはスパダリですわ。
とはいえ、この怪物に勝てるだろうか? もしローマンレベルの受刑者ですら一蹴されたら終わりやで
ジェイくん寝てる場合ちゃうで!
699
:
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:19:56 ID:ARwh4AzQ0
遅れまして申し訳ありません。投下します。
700
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:21:23 ID:ARwh4AzQ0
朝陽の中、疲れ果て倒れ込んでいる。
草に付いた朝露が、服や髪を濡らしている。
青髪の力なさげな青年。北鈴安理。
その安理に優しく影を作るように、見下ろす気品のある男。
汚れた囚人服を纏っているのに、不思議と威厳を感じさせるのは何故だろうか。
「少しだけ、神(わたし)と話をしましょうか」
「あ、ああ……」
その気品と、威圧感。
視線をそらさずにはいられない。
思考は激しく巡る。
あの鎖を操る大男と、尊敬した探偵の闘い。
逃げ果てて疲れ、落ち着きのない中で。
頭は強く痛む。集中力が途切れそうだ。
それでも。
(なんなんだこの人は?!
戦意はないのだろうか?!
だからといって危険じゃないとは何も限らないだろう?!
話せってどうしろというんだよ?!)
神は、ただただ優しく静観する。
穏やかな風と共に。
(やめろよ!
そんなふうに見るなよ……!
逃げ出してきた情けないボクを見るなよ!
今だってフレスノさんが心配で気になって気になっているのに!
どうか無事でいてくれって思いたいのに!
なに泰然と見ているんだよ!
見られたくなんてない!
フレスノさんとの記憶を、思い出させていてくれよ……)
しかし、疲れ果てた身体はもう朽木のように動かなかった。
逃げることを思っても、何もできない。
向き合うしかないのだ。
嫌だ。もう関わりたくない。そう安理は思っている。
「君に何があったのかは分かりません。
しかし、ひどく焦燥して疲れている。
落ち着いてください。
深呼吸をして」
男は、優しく。
神が慈悲を与えるように、静かに屈んで手を伸ばす。
安理は……それを跳ね除けられるほどに冷たくなれる人間ではなかった。
ここまで近くに手を伸ばされて、拒む方が不自然。
それに、そこまで人間不信でもない。
そう、信じていないのは他人ではない。
どちらかというと自分自身の方。
差し伸べられた手を、か細い力で安理が握る。
男は力強く、そして優しく握り返す。
息を強く吸って吐く。
何も考えず、呼吸器を動かすことだけ考える。
自然の力。草の香りと土の香りが胸にしみこむ。
少しずつ、少しずつ。
「落ち着きましたか?」
「はい……どうにか」
「それは良かった」
優しく、男は語りかける。
雪のような柔らかい言葉と手付きにより、安理の心は落ち着きを取り戻していった。
「貴方は……………………」
疲れて思考も回らず、言葉はそれしか続かない。
ただ、なぜこんな状況で優しくされているのか。
その理由を知りたかった。
「そうですね、貴方に神からの救いの手を伸ばさせていただきたく、話しかけさせてもらっています。
監獄にて神職を任せられていました者ですよ。
夜上神父、と皆さんは神(わたし)を呼びます」
701
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:21:48 ID:ARwh4AzQ0
優しく話し、そして一度言葉を打ち切る。
精神の落ち着きをやや取り戻した安理。少しずつ思考が整理される。
それを止めることはしなく、優しく見つめる。
会話が続かない気まずい雰囲気を、まるで感じさせない優しさがあるのだった。
(夜上神父……あの、神父の人。
囚人でありながら自由行動を許されて、収監者たちのメンタルケアに関わっている。
そう、ボクも気になってはいた。
彼と話すことを、彼と関わりのある収監者や看守から勧められることもあったな。
あまりにもボクが孤独で居て、精神的に危うく見えたからなんだと思う。
でも、それでも話したいとは思わなかった。
ボクはそんな事したくない、するべきではないって。
でも、こうして向こうの方から語りかけてきている。
何を言われるのか、怖い。
どうしよう。
どうにか、他人のために――――)
「……その!」
思い当たったように首を上げて強い目で、話す。
「フレスノさんを、助けに行けませんか!
探偵の、イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノさんです!
戦っているんです!お願いします!」
「ええ、まずは事情を、聞かせてください」
優しく、否定はせず受け止める神父。
「フレスノさんは子供や冤罪の人を助けたいって、そういう正義のために頑張っていた人なんです!
犯罪者だったけれど、それでも!
少なくとも、今は正しいことのために頑張っていて!
そしてボクもそれに協力したいって思って、一緒に動いてたんです!
神父なんですよね?!人を救う職業なんですよね?!
それならどうか……どうか……」
懇願する安理。傷つき倒れた姿で、今にも泣きそうな顔で。
神父は、優しく聞き止める。
「君は優しい人ですね。
他人のことを思えて」
「そんな、そんな事はどうでもいいじゃないですか。
ボクは……ボクのせいでフレスノさんは凶暴に暴れる囚人と、不利な状況から戦うことになってしまった。
そんなボクは優しくない、けど、フレスノさんはそうじゃないから!
どうか……」
「申し訳ありませんが、それはできません。
今の君ができないように、できないのですよ」
「そんな……どうして……」
落胆と失望の表情を、表に出さず隠そうとしても隠せない安理。
しかし、それを見ても神父はあくまでも、穏やかに語りかけていく。
「フレスノさんの事は知っております。最近収監された方ですね。
ラテンアメリカ地域で"災害"の名を冠していた探偵。
ただの殺人鬼ではなく、思い遣りの心だって持っているであろうことも」
「それならどうして……」
「彼を、知っているからですよ。
彼が君を遠く逃がすほど、全力で戦わなければならない囚人。
生憎、そのような高出力の超力に対して真っ向から戦う術をこちらは持っていません」
そうだ。当たり前だ。
自分の力を正しく把握していて、そのうえで無理だと判断して助けに向かわない。
なにも悪いことではない。
その事実が、力を過信していた安理に強く突き刺さる。
落ち込まざるを、得ない。
「それに、君のことも知っておりますよ。
3年前に収監された北鈴安理君ですよね」
知られている。その事実が安理の心をまたざわつかせる。
(ボクの事を知っている。
それならボクの犯した罪も知っているんだろう。
掘り返されたくない。
触れられたくない。
でも逃げる選択肢はない。
嫌だ……嫌だ……どうか、触れないでください)
702
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:22:10 ID:ARwh4AzQ0
「君の超力もある程度は知っておりますよ。
周囲に残る冷気や雪の名残。
全力で、逃げてきたのですね。
さぞ恐ろしかったでしょう。
心配する気持ちはとても分かります」
理解を示す神父。安理も、その心遣いを受け取る。
そうなんだよ、と思う訳では無いが優しさは確かに伝わった。
「そう、君が超力を使いすぎて疲れ果ててしまったように、彼らも全力で戦って消耗しているでしょうね。
それなら間違いなく、決着は既についている。
今から行ってできることはありません」
優しく諭す神父。
もはやどうしようもないのだ。
俯く安理。
「しかし君の、無事を祈る気持ちはとても尊重するべきものです。
彼の無事を共に祈りましょう」
できることは祈ることだけである。
安理は祈る。たどたどしく、神父の祈る姿を見真似しながら。
――――――――
◇
――――――――
No.XXXX
"北鈴安理" 19歳 男性
超力:『眩しき離流の氷龍』
任意発動型、自対象、変身系。体長2.5mの雌の氷龍に変化する
身体の各部より冷気を発し氷を纏い、冷気のブレスを操る
身体能力は竜相応の物となる
特殊な点として、本人や家族の証言によると変身時間の制限はないとのこと(未確認)
刑期:無期懲役(三年目)
罪状:殺人罪
内容:超力により1名の友人男性、そしてその家族5名を衝動的に殺害
犯行動機: 自身のアイデンティティへの葛藤
拒絶された相手への絶望と衝動的な暴走
加えて自己防衛、証拠隠滅
犯罪手口:超力を用い龍化し、冷気を使った攻撃を行う
尾や爪に冷気を纏い攻撃し凍傷を負わせ、弱った相手を氷漬けにし、逃走・証拠隠滅を図る
注意点:衝動性が高く、感情のコントロール困難
更生策:心理的アイデンティティ確立のための専門的カウンセリング
超力制御訓練
感情制御のため、氷彫刻や図画工作など冷感を伴うリハビリプログラム
(ただし、本人が望まないため無期懲役であることもあり実行されていない)
定期的な潜在的危険性の評価(精神状態報告、面談etc.)
・日常行動プロファイリング
行動パターン:日中はあらゆる場面で極力対人交渉を避け、他の看守や囚人には簡易な応答しか行わない
夜間は落ち着き横になっている傾向が強いが、時に運動を始めたり無為に歩き回る(VRオンラインゲームの動きの再現か?)
共通し、突如として独言を吐いたり、笑ったり涙を流すなどの感情表現が偶に見られる
私語ではあるが一定期間の監視の結果、他者と共謀し反乱を企てるような危険はないと判断
――――――――
神父は知っている。
アビスの様々な囚人の情報を。自らも囚われの身でありながら。
もともと犯罪者の心理に興味がある人間であったから。
収監される以前から、世界の主だった犯罪者の情報は収集は欠かしていなかった。
収監後も、模範囚として新聞などの情報源の閲覧が許されていた。
さらに、自身に心酔する看守から情報提供を受けることもあった。
とはいえ、それらで得られるのは表面的な情報に過ぎない。
囚人としてのプロファイル、裁判記録の資料に加えて。
神父にとって真に価値があるのは、犯罪者本人と直接対話し、己の目と耳で情報を得ることだった。
それこそが、彼の信じる最も望ましい方法なのだ。
――――――――
◇
――――――――
703
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:22:39 ID:ARwh4AzQ0
ただ広がるばかりの草原。
細い葉の草が、ところどころで穂をなびかせ、朝日に輝いている。
こうして日が昇ると視界は開け、地図上で同じエリア内であれば、遠く離れていても互いを見つけられるだろう。
とはいえ、安理はしばらく身体を休ませる必要がある。
神父は安理を背負い……安理は強く遠慮したものの、半ば強引に、草丈がやや高く周囲から見つかりにくい場所へと運ばれていった。
他人の背を頼る感覚。
それはイグナシオの事を思い出させ、安理は悲みを深めていく。
「さて、君と話したいことは色々ありますけれど」
「あの――――――――」
言葉が続かない。沈黙。
わからない。
だって、自分の決定的な部分を掘り返されたくない。
でもそうなると、どのような話題を切り出せばいいのかわからなかった。
今度の沈黙は、気まずい。
考えても考えても、何も言葉が出そうにない。
「まあ、まずは神(わたし)の話に付き合っていただきありがとうございます」
「あ……あ! ありがとうございます!
こちらこそ!
その、安全な場所まで運んでくれて、落ち着かせてくれて、すみません……」
そうだ、神父さんは自分のために色々してくれたのに。
ずっと考え事ばかりで、礼を言うということすら頭に浮かばなかった。
とっさに謝罪の言葉も添えてしまう安理。
「いえ、貴方は道に迷っている青年ですから。
助けるのは神の使命でもあるのですよ」
「そんな……本当にどうお礼をすればいいのか」
「気にしないで下さい。やりたくてやっていることです。
貴方の抱えている小さな疑問でも、何か相談に乗りましょう」
神父は少しずつ、安理の心から声を引き出していく。
話しやすいように暖かく、向き合う。
「例えば、貴方がそれほどまでに恐れている、先程遭遇した囚人は何者なのでしょうか。
特徴を伝えていただければ、知る限りでその人物についてお話しできるやもしれません。
知ろうとすることは、とても大事なことですよ」
「う、うう。
その……あの……」
不思議と言葉に詰まる安理。
何故、何も話せないのだろう。
「落ち着いてください。確かに難しいかもしれません。
知ってしまったことで、新たな不安が増えるかもしれない。
考察すると、フレスノさんが無事で済まない可能性が高くなるのかもしれない。
あるいは自分が逃げたことに対して、より後悔が強くなってしまうのかもしれない」
自分では言語化できなかった気持ち。
それは、正しいような気がする。
それなら……自分は、その事から逃避したいのだろうか。
(逃避、したい。
ただただ無事を祈りながら、待ち合わせを約束した場所へ行って待っていたい。
――――けれど。
今一人になるのは、いやだ。
違う、怖い。
あんなに孤独を求めていたのに。
誰とも関わりたくないってずっと思って過ごしてたのに。
ローズさんはいない、フレスノさんも無事かわからない、大金卸さんの行方も分からない。
ボクに向き合ってくれていた人たちが、いない。
今この神父さんにまで何も話せなかったら。
孤独がずっと続く。そんなの……)
何故だろうか。
久方ぶりに人との繋がりを得てしまった。
そのせいか。なぜ、また失うのが、こんなに怖くなってしまったのか。
その感情が、安理に言葉を緩やかに紡がせていく。
704
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:23:02 ID:ARwh4AzQ0
「……大柄な男だった。頭に鉄の仮面をつけていた、あの男。
デリージュって呼ばれていたっけ。
存在感がすごい強くて、アビスの中でも何度か見たのを覚えてる。
鉄の鎖を自由自在に出して操る超力を、使ってた。
本当に、恐ろしかった。破壊の限り――――って言うと安っぽいけれど。
建物が易々と粉砕されていく、あの風景を他に例えようが、ない。ないでしょう」
おどろおどろしい風景を思い起こしながら、徐々に説明していく安理。
「戦いの中で、仮面が割れた。
生々しい手術された跡みたいな傷跡が沢山あった。
あとはそう、あの時フレスノさんが"ハイ・オールド"って言った。
とても恐ろし気に。
一体、彼は何者なんだ……何者なんでしょう」
独り言を話すかのような口調で、言葉を出しきった安理。
ハイ・オールド。その言葉の意味は知らなかった。
けれど、語感からオールド世代の中でも何か特別な存在であろうと想像は出来た。
神父は――――――。
「ハイ・オールド……そうですね。
日本で裏社会に触れず育ってきた君は、知りようがなかったのかもしれません。
話せる範囲の事を話しましょう」
「――――お願いします」
――――――――
――――――――
「そんな、非人道的な人体実験が……」
「ええ。彼はそうした実験の被験者です。
通常の超力を逸脱した、強力な力のための」
神父は、ハイ・オールドの開発経緯について語った。
それは、人工的に行われる超力の強化。
出生前に超力の構造を調整する“デザイン・ネイティブ”という知識を持つ神父だからこそ、
彼はこの領域の知見にも通じていた。
「けれど。どうしてあそこまで。
ボクは――――実は、アビスにいたときは彼にわずかな親近感のようなものを持っていたりもしました。
一人の看守が良く彼に付いているけれど、それ以外はずっと他人と関わったりもしなくて。
そして自分の境遇を受け入れているかのように、いつも穏やかそうに過ごしている。
でも、それは違っていたのでしょうか。
あそこまで暴れ他人を襲わなければいけない理由を、彼は秘めていたんでしょうか。
本当に、本当に……どうして」
イグナシオが無事で済む可能性は、もう極めて低いと言わざるを得なかった。
スプリングと遭遇していた確証はないが、もし出会っていたなら、間違いなく彼が殺したのだろう。
そう、どうして――――ボクと、関わった人間を奪っていくのだろうか。
そう、言葉は続かなかった。
自分なんてちっぽけだ、単なる偶然、あるいは自分が彼に手を出した自己責任。そう思ってしまう。
「ええ、何故彼はそこまで豹変したのでしょうか。
それは結構、大事なことなのかもしれません」
しかし安理の考えを肯定して深めるかのごとく、神父が言葉を返す。
「恩赦という希望を与えられれば、人間はいくらでも悪魔にでもなれる。それは事実です。
けれど彼は、それ以上に謎の多い存在でした。
半専属のような看守、顔を隠す鉄仮面、厳重すぎる拘束。
看守たちでさえ、彼の詳細を知らないと語る者がほとんどなのです」
「でも彼はどう見ても話が通じそうでは、なかったですよ。
まともに会話もできず、ただただボクらを殺そうという意志だけが感じられるようで……。
誰かが、止めないといけないと思います」
止める。そういう表現を使う安理。
心が落ち着いた。落ち込んだのかもしれない。
放送を聞いた直後の激情――復讐心のような心は、今は小さく小さくしぼんでしまった。
「ですが、それでも、神は彼の抱える謎に迫るべきだと思います。
そして彼にも、神との対話をさせたい。
それが必要だと神(わたし)は考えるのです。
彼がどんな答えを抱いているのか――
あるいは、答えを導き出していくのか――――」
謎に迫る……まるで探偵みたいなことを言うなと安理は思った。
果たしてイグナシオは、彼に付いてどこまで知っていたのか、知れたのだろうか。
もはやそれを知る術もないのだろうか。
いや、まだ諦めてはならない。
「しかしなぜ、君達は彼と戦うことになったのですか?」
「――――その、偶然、遭ってしまったんですよ。
それだけです。偶然運が悪かった――――」
705
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:23:25 ID:ARwh4AzQ0
「そうでしょうか?
神は――――。
貴方を、見ていますよ」
見通されるような、言葉。
心臓も呼吸も、止まってしまうよう。
ああ、そうなのか。安理は思う。
これが、多くの人の心と向き合ってきた“神父”という存在のなせる業なのだろうか。
ごまかすことは……できそうな気もする。
優しいから。
流してくれそうな気もする。
でも、ああ。
もうどうにかなってくれ。どうにでもなってしまえよ。
「ボクは……ふふっ、ボクは。
ボク自身がが大嫌いだ」
自嘲めいた笑いと共に、言葉を紡ぐ。
「本当にさあ、その。
自分を動かす衝動ってのが、嫌になるんです。ハハッ」
自分を取り繕う気持ちが切れたことにより、言葉は流れ出すように続いた。
「なんでかなあ……本当にいつも、何でかなあ。
後悔してることばっかりで……本当に……」
語っていることの悲しさに反し、口調と表情は笑っている。
笑い事ではないと理解していても、止めることはできなかった。
「その、スプリング・ローズって子が参加者にいるじゃないですか。
その子と話したんです。
本当に、本当に、日本じゃ絶対いないような不良少女で。
でも、ボクが彼女のためになりたいって、命を捨ててもいいって言ったら。
不思議と穏やかに話してくれて。
ボクの変な部分も気にしなくて、もっと自信持てって。
また逢えたらいいのになとか、そんなことも思っていたのに……その……」
死んでしまった。放送で名前が流れた。
その事実を知ってしまった。
「彼女の、痕跡を追っていたら。
彼女を殺したかもしれない相手を見つけられるかもしれないって。
その方へ衝動的に、駆け出して。
ボクは……なんてダメな人間なんだろう。ハハッ」
後悔はどうしてこんなにも重くのしかかるのだろう。
どうしてこんなに自分が嫌いで、もう後悔したくないと思っているのに。
どうして繰り返すのだろう。
「本当に嫌だよ……自分が。なんでなんだろう。何度だって……」
何度も繰り返してきた。あの自分の手を汚してしまった時だって。
今だってそう。
大金卸さんに挑んだ時だって、一歩間違えばどうなっていたか。
あの時は成功した。自信になった。
しかしその自信はすべて反転してしまった。
「なんでだろう……まだ決めつけるなってフレスノさんの話を聞き入れていれば。
フレスノさんは、あの怪物を討つためじゃなくて、被害を抑えるために追おうと言っていたのに。
あんな別れ方をしなくても良かったはずなのに。
もっと考えて動けばよかったのに」
暴力的な衝動を抱えながら、何とか不器用に生きていたイグナシオ。
助け合って、お互いを抑え合うと誓ったのに。
身に付いた自信が暴走し、彼の伸ばした手を振り払ってしまったのだった。
「そうさ。ボクはやっぱり何か間違った人間で社会不適合なのかって思う。
こんなの、こんなのさ。生きていたくなくもなっちゃうよ。はあ」
吐き捨てるように、安理は息を漏らした。
神父は――その言葉を正しく聞き取り、しっかりと受け止めていた。
理解のうえで、神の導きを差し出そうとする。
「それは、君が収監されることとなった罪にも関係しているはずです。
おそらく、そうなんでしょう。
良ければ話してください。
知っても悪用することは決してありません。神に誓って」
「――――――――わかりました」
706
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:23:46 ID:ARwh4AzQ0
覚悟を決めた。
いや、違う。
相手が受け止めてくれる可能性があるなら――もう、どうにでもなってくれて構わなかった。
背の高い草が、朝日を浴びながら静かに揺れている。
まるで二人を包み込むように、柔らかな風に身を任せていた。
――――――――
◇
――――――――
4年前のある日。
とあるVRオンラインゲームで、二匹のドラゴンアバターが出会った。
ハンドルネーム"ElsaWing"、"LuciferinSeiryu"。
初めて言葉を交わしたきっかけは、お互いが同じアバターの素体を使っていたから。
よくある話だ。
「君の雷のブレスのグラフィック、花みたいな形があって綺麗だね」とElsaWingが言った。
「君の雪の結晶グラフィックを使った氷のブレス、すごく綺麗だよ」とLuciferinSeiryuが言った。
「ドラゴンが好きなんだ。できるだけドラゴンの姿でいたい」とElsaWingが言った。
「僕もドラゴンが好きだよ。ドラゴンとしてずっとVRで遊んでいたいくらいだよ」とLuciferinSeiryuが答えた。
二匹はゲーム内で一緒に遊ぶうち、仲を深め、次第に互いの現実の環境を打ち明け始める。
月明かりの差す、ドラゴンが住んでいそうな山の洞窟――二人だけの場所で過ごす時間。
「学校に居場所がない。外に出て人と会うのが辛いんだ」とElsaWingが言った。
「学校には通ってるけど、仲の良い人は全然いないし。腫れ物みたいに扱われてる気がして嫌だよ」とLuciferinSeiryuが言った。
「親にどうして僕が自分たちのやり方に従わないのんだ、日本人らしく育ちやがってとなじられて辛いよ」とLuciferinSeiryuが言う。
「親は色々と気を遣ってくれてるけれど、それでもたまに二人が僕の今後について話してる声が聞こえると、逃げ場がないようで苦しいよ」とElsaWingが言った。
お互い、現実が辛かった。
せめてネットの世界では、自分らしくありたいと願った。
人間が、好きではなかった。
自分たちの基準を押しつけてくる人間たち。そして社会。
そんなものに囚われない、架空の生き物でありたかった。
その思いを、誰かと分かち合いたかった。
二人は次第に頻繁にVR上で出会うようになり、夜にはVR空間に身を置きながら横になり、寄り添って心を癒すようになった。
「毎晩、ここに来ようね」
「うん。夜空を雷の光と、照らされる雪の結晶で彩ろうね」
「隣にいると、不思議と君の冷気を感じる気がするよ」
「こっちこそ、君の身体の静電気を感じることがあるような気がするんだ」
「ああ、僕たち、このままずっとこの世界で過ごせたらいいのにね」
尾を絡め合って、向き合って眠ろう。
たとえ世界が辛くても。
どうか、この優しさだけは――いつまでも、消えませんように。
――――――――
ある日、LuciferinSeiryuがElsaWingに夢を打ち明けた。
それは、日本の芸能界でアイドルになりたいということ。
難民の子供としての立場はどうしても背負ってしまうけれど、それでも日本で頑張ってみたい。
日本に馴染もうとしない親の事は苦手だけれど、同じような境遇の子どもたちを勇気づける存在になれたらいいなと。
君がこのVR世界で、僕のことを“綺麗だ”とか“面白い”、“動きがかっこいい”って言ってくれたからこそ、僕はこの夢を抱いたんだと。
そしてもちろん、ドラゴンが好きという事も推していきたい。
アクセサリやファッションに取り入れたり、たまにドラゴンの着ぐるみを着て皆を驚かせたりも出来たら面白いよねと。
ElsaWingは……肥え太った自分のリアルの姿を自嘲し、そんなの想像もつかない話だという。
けれど、それでも絶対に応援したいと言い切った。
それからLuciferinSeiryuは演技やダンスやボイトレをVR世界も活かして行うようになる。
ElsaWingはいつもその姿を眺め、彼の着実な進歩をまるで自分の事のように喜んだ。
――――――――
707
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:24:09 ID:ARwh4AzQ0
仲が深まるにつれ、二人は互いのプライベートな話題を交わし合うようになり、やがて互いの家や学校の場所もおおよそ察せられるようになる。
そして、二人の家は思ったよりも離れていなかった。
リアルで会ってみたい。
互いにそう思うようになる。
VR世界で出会ったからこその友情だった。
けれど、リアルでも一度くらいあって相談し合ったり遊んだりしてみたい。
リアルで会って体験してみないと、わからないことだってある気がする。
そうして3年前のある日。
二人で過ごす世界にも、オブジェクトが増えてきていた。
今は、黄色い花を咲かせる樹木が満開。
LuciferinSeiryuのアバターが使うブレスと同じ、とても鮮やかな黄色。
彼の故郷に咲いていて綺麗だったというその樹木を、苦心して3Dモデリングで再現したものだった。
その樹木にはいくつかの漢名がある――花梨、紫檀、そして青龍木。
LuciferinSeiryuの名前からの連想でもあった。
その日は、二人が出会ってちょうど一年の記念日だった。
明るい雰囲気の中で、LuciferinSeiryuが言った。
夜に、自分の家に来てみてよと。
今日のその頃はちょうど両親もほかの家族もいない時間帯だから……と。
ElsaWingにとっては、願ってもない誘い。
引きこもりがちで散らかった自分の家に友人を招くことなど考えられなかったが、
自分が相手のもとへ行くのなら――行ってみたかった。
外に出れば他人の視線が怖い。けれど、それでも。
自分の肥えた姿を誰かに見られるのは嫌だった。
それでも――LuciferinSeiryuは、嫌がったり笑ったりはしないと思えた。
そして、もし自分が固有の超力を使って氷龍の姿になれたなら。
彼はどれほど喜んでくれるだろうか――そう思った。
――――――――
ElsaWingは、リアルで出会い、LuciferinSeiryuのこれまでのトレーニングの成果を目の当たりにした。
心の底から――凄い、と感じた。
今までも本気で応援していたつもりだったが、その瞬間、もっと応援したいと強く思った。
そして、衝動的に。
その思いを支える決意を、激しく言葉にした。
ボクが君をずっと守る。
難民だから差別されるとか、そういうことから。
剣にもなる、盾にもなる。
きっとボクの超力はそのために、戦えるほど強い力があるんだ。
ボクが君のために、お金を稼ぐ。
君がオーディションの出場や養成施設の費用に悩んでること、知っているから。
そんなことに心配しなくていいように、ボクが頑張る。
しかし――――LuciferinSeiryuはきっと、わかっていた。
ElsaWingが、暴走していると。
その気持ちが強くなりすぎて、根拠のない自信に呑まれていると。
だから、そんな無理しないでと。
今までどおり友達でいよう、たくさん話したり遊んだり、慰め合ったり。
それが僕にとってとてもうれしいことなんだよと。ElsaWingに告げた。
ElsaWingの衝動は、その程度では止まらなかった。
じゃあ恋人になればいい。
もっと君のことをボクに預けさせられる関係になろう。
とにかく、君の事がとても好きなんだ。
ボクの心の中はその気持ちでいっぱいなんだよ。
だから。
もっともっと深く繋がりたかった。
心の繋がりを深めるより手っ取り早いからなのか、身体の繋がりを求めようとしたのか。
ElsaWingにも実際のところ、わからなかった。
ボクの中にあるこの“好き”という感情が、友情なのか、敬意なのか、恋なのか、性愛なのか。
何なのか、わからない。
けれど、ただひとつ言えるのは――とにかく、大好きだということ。
708
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:24:33 ID:ARwh4AzQ0
君はボクの心をきっと一番深く理解してくれてる人で。
だから、ボクが好きなボクの身体で。
氷龍の姿で。
種族の差とか性別とか、もうそういう規範とか関係なく。
大好きだって理解して欲しい。
そして、それを受け止めて欲しい。
だからボクは君のために何でもしたいんだって、受け入れてほしい。
それで。
それで。
"本当に君は可愛いね。でも、ごめんな。
僕は君を受け止めきれない。
どうか。自分をもっと大事にして。"
――――――――
心も、感情も、ぐしゃぐしゃだった。
彼の、謝罪の声と寒さを訴える声はずっと聞こえている気がするのに。
それでも氷龍の身体は、彼の上から動くことはなく。
呼吸が、消えていく。
体温が完全に失われていく。
零れ落ちる涙が、彼の肌に触れるたびに的確に凍結していく。
素質があると確信できるほど輝いていた彼は、堅い氷の中に閉ざされ――二度と動かない姿となっていた。
――――かしゃ、と。家の鍵の開く音。
誰かが家に入ってくる。
どうすればいい。
ボクが、殺した。
どうしたら、どうしたら、どうしたら。
部屋の扉が開く。
驚愕の表情。
人間たちは、ボクに向けて超力を発動してくる。
ああ――。
戦わなければ。
どうにかしなければ。
頭が、真っ白になった。
優しくて、可愛らしくて、美しかったはずの青龍が。
死をもたらす厄災へと、変貌していく――。
――――――――
◇
――――――――
「おかしいですよね?」
まず安理が発したのはその一言。
空気が、どこか淀んでいるように感じられた。
「おかしいでしょう。
力を使い果たして、今みたいに変身も解けて倒れて、ボクは逮捕された。
裁判の前、新聞とかネットとかで自分がどう言われてるかもいろんな人から聞いて。
"現代の凄い奇妙な事件"だとか、"変態ドラゴンが痴情のもつれ"だとか」
「そんなことはありません」
神父はそれを、優しをこめて力強く諭す。
709
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:25:08 ID:ARwh4AzQ0
「君の抱える悩みや感情は、茶化していいものではありません。
たとえ君自身が、そういう感情を織り交ぜなければ向き合えないとしても」
「じゃあ、いっそ否定してくださいよ。
神に仕える神父なんでしょう?
男と男がとか、人間と獣がとか。
そんなこと許されないって言わないんですか?
言ってくださいよ!」
「神は男が男を好きになることも、自分の性別や種族のアイデンティティに悩むことも、何も否定はしません。
そのような神の言葉はありません。
それに……そんな概念そのものが、この世界ではもう崩れかけているのではないですか?
常時発動型の変身能力、医療技術の進歩。
君を縛っているのは、社会的な観念や家庭事情に過ぎない」
まだ信じられない。そんな感情が安理に湧く。
神父はあくまでも優しい。
それでもいったん話し出した安理は止まらない。
3年間――ずっと悩み続けてきていたのだ。
「そういうこと全部取っ払っても、やっぱりボクの精神がおかしいっていつも思うんですよ!
自分を動かす衝動が、本当に嫌だ。
氷龍と化す力だって。
子供の頃はほかの子供に、馬鹿にするないじめるなっていつも苦しんでたのに。
でも、それに反抗するために力を振るいたいと思ったことはなかったのに。
なのに彼の家に行ったとき、他人のためなら力を幾らでも使いたいと思った。
バカで、無謀なのがボクなんですよ。
それでいてやったことは人殺しだ。
ずっとずっと、そういうこと考えて悩んでいた」
「ああそうだ、まるでさっき大根卸さんに組み手を挑んだ時みたい。
明確な自信もないのに根拠なく、自分がやらなきゃって。
そう、引きこもりで学校でも全然やってけなかったボクが自力で何処かで働いてお金を稼ぐなんてできるわけないでしょう。
でもなんとかなる気がして、そしてやらなきゃいけないって思ったんです。
そんな事ばっかりだ。ボク」
「そもそも彼とは本当の意味で友達だったのかもわからないですよ。
横文字の本名を初めて知ったのは、死んでしまった後の裁判の時なんだから。
あそこまで心焦がしたのに、知らないことが本当にいっぱい。
おかしいでしょう」
「自己矛盾してばっかり、本当にさ。
あんなに好きだった人を、好きなのに殺してしまったり。
誰も殺したくないと思ったのに、親しくした人を殺されたと思ったら報いを受けさせなければと思ったり。
どうして、自分はこんなんなんだろう」
「他にも、国際法廷は刑事訴訟だけど。
民事訴訟はもちろん別にあるじゃないですか。
アビスにいるから殆ど情報もないけれど、家族は彼の家族の遺族へ賠償してるんですよ。
なんでこんなに他人を不幸にするんだよボクは。
攻撃力の何も無い能力ならよかったのに。
そもそも生まれてなければ良かったのに。
そう、いつも考えてしまっていたんですよ」
「全部、自分の抑えきれない衝動が悪いのかっていうのも、考えました。
例えばずっとネット越しに話してればこんな事故起きなかっただろうし。
もっと外で出会う事から始めたりとかしてゆっくり、互いの距離を測って感情を落ち着けながら行けば。
受け入れてくれていた未来があったのかって。
あるいは受け入れられなくても納得して、どうしても受け入れられない部分があると理解しあって。
その上でのさらに良い友人関係に発展できたのかって思ったりもしました。
でも、そんな単純じゃないんですよ。
罰も下されているし、ボクは確かに悪人でしかないんです」
話し出すと止まらない。
罪の意識と、自分への疑問を心の中で何重にもこねくり回して。
それに対する回答は、突き詰めれば突き詰めるほど自己否定に行きついてしまう。
そういう悩みを幾らでも、彼は延々と一人で抱え込んでいた。
「なるほど、君は自分を悪人だと思っているのですね」
「ええ、もちろん。
とっても、とっても、強く」
言葉が途切れ途切れになる。
神父は安理の存在を肯定し、心の悩みを受け止め受容する。
罪の肯定。それは、安理が望んでいたこと。
けれど同時に、ひどく辛いことでもあった。
自分を受容する神父の顔から、安理は目を離しがちとなる。
一方神父の表情は――――ただの優しさだけではなく、興味深く観察するようなまなざしも滲み始めていた。
「それならば、より深く掘り下げたいことがあります。
友人の家族をなぜ殺さなければならないと思ったのか――詳しく教えていただきたいのです」
710
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:25:39 ID:ARwh4AzQ0
安理の語った"頭が真っ白になった"。それだけでは足りないと神父は考える。
人間の仕組みとして強いストレスで一時的に我を失ったり、後から記憶を失うことはいくらでもありうる。
それでも、3年も事件の事で悩んでいるのならば。
その行動に対する動機も自分の中で何度も考察しているはずだと、そう神父は思う。
心の闇を抉り出していく、質問。
「そうですね――本当に突然の衝動だけで身体が動いたような気がしますし。
自分でも、当時の自分の説明は難しいです」
「それでも、神は――君自身の口から君の言葉で聴きたいと望んでいます」
神父は、超力犯罪国際法廷の裁判の情報を日頃からよく調べていた。
安理の裁判についても完全に覚えているわけではないが、そのあらましは理解している。
それでも、当人が語る言葉こそが、神にとって最も重要な情報となることがあるから。
「はい……沢山、そのことについても考えました。
後から考えた上に、自分で自分のことを言っている主観に過ぎないです。けれど、話します」
今度の安理は、落ち着いた様子で語りはじめる。
それは単なる説明ではない。
理解されたい――そんな想いがにじむ語り方。
まるで、自分自身にも言い聞かせるように。
「その時の、自分の感情もよくわかってないんです。
けどなんでか咄嗟に反撃しなきゃとは思った。そんな記憶はあります。
だから、そう、周りから見たらボクは彼を殺した殺人犯に過ぎなくて。
次に何をするのか分からない危険な存在でしかない。
彼がボクとの友人関係について家族に詳しく話していたとも思えないし、初対面でしたから。
「だから相手からしたらボクを攻撃するのは敵討ちかもしれないし、正当防衛なのかもしれないし。
その家族たちももうボクが殺してしまったから、思いを想像することしか出来ませんけれど。
裁判で検察の人は、まだ息子が生きているかもしれないから何とか助けようと動いたと、そう主張していたはずです」
「その時のボクは――襲われてるなら、身を守るため反撃しなくちゃとか思ったのかな。
それとも――八つ当たりみたいな感情をもっとぶつけようとか思ってたのかもしれない。
もっと悪く考えれば――自分のしたことを隠そうと目撃者を消そうとしたのかもしれない。
裁判では検察の人はそういう意図だったと主張してました。
ボクは、自分の気持ちもよくわからないからそれに強く反論もしなかった。
刑を軽く抑えたいとかそういう感情は、逮捕されて自分の罪を実感してからはもう無かったですし」
悩み続けて色々な想像をしたが、まだ結論は出せていない。
それが、安理の現状だった。
「君自身の気持ちはどう言っているのでしょうか?
そう、神は、君がどんな気持ちで動いたはずだと?」
「わかりません。選べませんよそんな事。
ボクは自分で自分自身を信じれていないんですから。
ただただ、殺して疲れ果てて気絶してボクは捕まったという事実があるだけですよ」
「ふむ、なるほど」
納得して聞き入れる神父。
まだ今は、それで構わない。
質問を続ける。
「では次は少々辛いことを、お聞きします。
被害者である彼を襲ったとき、君の気持はどうでしたか」
「はい……」
すでに対話の信頼関係は築かれていて、安理は落ち着いて神父と話を続ける。
それでも、やはり後ろめたさがあるのか、あるいは威厳のある顔で真っ直ぐ見られることが苦手なのか。
鋭い問いに、気後れしてしまうのかもしれない。
視線は、なかなか神父と合わないままだ。
「君はですね、手段として恋人になろうとしたと言いますが。
そこまで好きという感情と手段とを、割り切れる人間ではないですね?」
「――はい」
「君の彼を襲った時の感情――そこには、支配欲などがあったのではないですかな?」
「――――――――
――――――――そう、なのかもしれませんね」
711
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:26:06 ID:ARwh4AzQ0
まるで自暴自棄のように、軽い調子でそのことを認める安理。
「そう、彼は自分なんかよりすごい存在だから。
その彼に対して一時でも主導権を握れる存在になれるとしたら。
どんなに嬉しいんだろうとか。
思う、思いますよ、承認欲求ってやつでもあるのかな。
そして殺すなんて。
まるで相手が自分の思い通りにならないから殺したみたい。
氷漬けにしたのも、ずっと自分と一番仲の良かった時のそのままの姿でいて欲しかったからだとか」
そういうことも、もちろん安理は考えていた。
検察に言われたことの中にも、あった気がする。
「人間の命を終わらせることに対しての欲求みたいな物も、あったのでは?」
「ハハッ、そうですね。
子供が物を壊したり虫を潰したりすることを楽しむような気持ちだったのかな。
氷漬けになった彼の姿は、脳裏に焼き付いて離れない。
それはきっと美しかったから。そんなこと、ボクは感じてるきっと」
神父の指摘に、改めて向き合っていく安理。
「それならばもう一つ、性欲はどうでしょうか?
彼に跨ってマウントを取って、そう気持ちよかったのでは」
「――――――――
――――――――あるよ、きっと絶対」
安理が自暴自棄ながらも、不快さを少し顔に出した。
頭のじんじんした痛みが増していく。
今までの戦いでのダメージを引きずっているだけでは、なく。
「良かったよ。好きな人と一つになれて。
その感触、彼の一部がボクの身体の中に入る感覚。
忘れられないですよ。
快感とかもあって幸せだったって感情、思い出してしまう」
不快さと自嘲を両方出して話す安理。
額に汗が増えていく。
「ハハッ、そういう性に関する欲求とかボクは昔からずっと強いよな。
引きこもりでネットだけは使えたからって。
ドラゴンや獣人の性的なCGとか、そういうのが人間とセックスするCGとかいっぱい見てましたよ。
彼ともたまにそういう話題で話すこともありましたよ。
CGに感情移入したりして、氷龍の姿で自慰することだって沢山あった」
自分の歪みを打ち明ける安理。
そして一時の沈黙。センシティブな話題を話していることも分かっている。
「ボクがただの性犯罪者みたいだ、いや実際そうなんだろうな。
相手が本当は求めないことでも、受け入れてくれると思って拒絶されて。
そして自分の思い通りに相手が動いてくれないからって。殺して。
アビスにも凶悪な性犯罪者がいるけど、そういう人たちと同じ線上にいるんだボクは。
そうでしょう?そう思いませんか?」
大声で誰に欲情するか等と会話していた、デリカシーの欠片もないような言動の囚人たち。
しかし自分だって彼らの同類だと、そういう自認が安理にはある。
そういう話題に興味がある。ただ、彼らのような人間に混ざって話したいとは思わないだけで。
「彼と身体で繋がっていた時の生々しい感触はずっと焼き付いている。
ふとフラッシュバックして思い出すたびに、興奮するような気持ちも襲ってきて。
そのたびに自己嫌悪も強くなって自分は最低だと思うんだ。
こんなの、死んでしまいたいですよ。沢山の人が、ボクに死んだほうがいいと思ってる。ボクもだ」
「――――いえ、まだそう決めつけることはできませんよ。
更に問いましょう」
自暴自棄な青年にさらに神父は問い続ける。
「それでは、何かしらの“正義感”のようなものはありませんでしたか?
彼の家族は、日本に馴染もうとせず、遵法意識の低い仕事に就いていたと。
――君自身が彼を守れないなら、いっそ彼を殺すことで解放しようと思ったとか。
そして家族を殺したのも、悪人を始末したいがためだったとか?」
「――――やめてください。
――――やめてよ、もう!
やめて!やめて!」
安理は、自身の口元を塞ぐ。取り出したマスクによって。
アビス内で、医療用に支給されていため持ち込むことができたマスク。
衣料用の布が、世界を拒絶する帳のように扱われる。
突然の強い拒絶。
しかし、神父は慌てて取り繕うようなことはせず話を促すように見つめ続ける。
712
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:26:42 ID:ARwh4AzQ0
「そうですよ!そういう理由があったんじゃないかって裁判の時も言われたんですよ!
でもそれだけは違う!絶対!」
神父は、安理の肩を抑える。
感情が昂りすぎている。
「さて……その心は?」
「話しますよいくらでも!そんな事、言われなくても!」
目を逸らしながら、それでも強い口調で安理は話し続けていく。
「日本では一部であるじゃないですか、その、移民や難民とか、外国人の排斥運動とか!」
現代は人類が進化し、個人が強い力を持つに至った世界である。
そうなれば、自分たちと違う属性という少数者に対しては社会はより恐れを抱くようになる。
安理の生まれる前の時代より、更に。
「だからSNSの一部とかでは、こんなことも言われてたんですよ!
彼の両親家族が反日本的だから、それを殺したボクは凄いとかって!
口にするのも嫌ですけど――――日本に必要な掃除だったなとか!
日本に寄生してた奴等には当然の報いだとか!
ひどいですよ!
ボクは絶対そんな気持ちでやったんじゃないのに!」
その感情は、憤り。
急激な感情の波が、彼を動かしている。
「そこからさらに、彼や彼の家族の超力による精神干渉があったんじゃないかって無理筋な養護をする人がいたりとか!
そんなことはないって、わかってるのに!
裁判でもちゃんと証明されたのに!」
当事者意識の低い人間たちの言うことは、勝手な発言が含まれることも度々あるのだった。
どんな時代、世界だろうと、それは変わらない。
けれども。
「けれど、でも!
そういう人達の心無い言葉を受け入れて、罪の意識から逃れようとする自分の姿を――たまに、想像してしまいます……!
おかしい、そんなことしたくないはずなのに!おかしいでしょう!?」
安理は神父の顔を見る。
しかしその顔は、あくまでも優しく、そして威厳を帯びている。
「――――恐ろしいです……なのに……」
しゅんとして落ち着き、安理は言葉を続ける。
「もういいですよ。
ボクはもうめちゃくちゃだ。
逮捕されてから裁判の時も、ずっと。
みんながいろんな理由を決めつけては、述べていくんだ。
そのたびにボクはあやふやな自分の意志がこうだったんじゃないかって、当て嵌めようとしてしまう」
その声には疲れとあきらめと自嘲が、強く含まれていた。
青い瞳は、もう光を映して輝かない。
彼から延びる影は、風によって草が揺れるたびにくしゃくしゃとそこに映す形を変えていた。
「それでもボクは。
少なくとも、自己正当化なんて、そんなことはしたくないんですよ。
自分がやったことを許したいとか、絶対に思うことは出来ません」
ひときわ風が吹き、風に靡いた草の影が安理を覆う。
日本人としては高身長に含まれる安理。
しかしその身体は吹けば崩れそうに、か弱く覇気が全くなかった。
「申し訳ありません、意地悪を言いましたね。
君が自分を悪人だと感じているようなら、それは一体どこまでなのか。
聞くべきだと思ったのです」
神父は一度謝る。
上っ面の取り繕いではなく、誠実さのある動きと声。
やはり澄んだ瞳で優しく安理を諭すのだった。
「本来、犯罪を犯してしまった原因を、個人にだけ求めてはいけません。
君をそこまで追い込んだ社会の構造や家庭環境にも、責任があるはずです」
犯罪は環境要因で誘発されるという当たり前のこと。
しかし、視野が狭くなると、それすら見えなくなってしまうことがある。
「もちろん、それを盾にして責任を押しつけるばかりでは、救いにはなりません。
けれど、君は少なくとも、そういう人ではない。
物事をすべて抱え込むのも自由です。
でも――無理は、してはいけませんよ」
沢山の、罪悪感に悩む人々を見てきた神父は続ける。
「いいですか。自分を大切にできない人は、他人も大切にできません。
心に余裕がなければ、真に人を思いやることはできません」
713
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:27:01 ID:ARwh4AzQ0
「――わかってます。そんなこと。
でも、たった一人にとても大切にされていたのに。
――その人を殺してしまったボクなんだ。
自分に期待なんてもう、しちゃいけない気がします」
この刑務作業が始まる前の、彼の精神状態がこれであった。
罪悪感に悩み続け、不健全な精神だからこそ。
他人を思いやる行動をできる人にあこがれる。
積極的に沢山動ける人にあこがれる。
でも自分は彼らとは違って、そんなことはできやしないんだと。
だから――例えば彼は、氷龍の体の一部を売って金に換えたいなどと思ってもいた。
自分の気持ちを込めずとも簡単に済む行為。
そして、金銭そのものには善も悪も宿らないはずだから。
「だから、ボクは、この刑務作業でも。
この首輪のポイントが、極悪人ではない誰かの助けになるなら。
そのために死んでもいいと思ったんだ。
もう、自分の身を削ることくらいでしか。
他人の役に立てない、罪滅ぼしができない。そう思って」
「――――しかし今、君は、フレスノさんに逃がされて生きている」
神父は、その事実をそっと指摘する。
なぜそこで命を捨てなかったのか。
「ええ――そう――ああ。ここで出会ったフレスノさんが、ローズさんが、大根卸さんが。
ボクの事を思いやって、向き合ってくれた。導いてくれた。
ボクに自信をくれた。
もう少し生きて、自分や他人に向き合ってみたいって思った。
――――それがこういう結果になったんですから、救えないですけどね」
一度得たはずの自信はすべて反転して、氷の奥深くへ引きずり込まれ消えていった。
「さてしかし、あるのでしょう?
君がフレスノさんに託された思いは?」
目を細めて、風の音に溶けるような声で神父は問いかける。
「――――逃げて生き残ったことに罪悪感を感じるなと。
役目を引き継いでほしい……と。
そう、生きていてほしいって」
遺言めいた言葉。覚悟を決めたイグナシオ。
安理は逃げながら何度も何度も、言葉を頭の中で繰り返していた。
「けれどボクのせいだってどうしてもどうしても、思う。
ボクを逃がしたことはフレスノさんの強い意志によるものだったとしても、その過程でボクは何をした?
フレスノさんの事を思えば思うほど、幾らでも自分を責めたくなってしまう」
「そのような気持ちに引っ張られすぎてはいけませんよ。
そういう思考は自己の身の破滅をいずれ招く」
神父は、その気持ちを否定する。
イグナシオの言葉を尊重するように。
安理はどうしても、それを自分に落とし込めない。
「じゃあどうしろっていうんですか?
フレスノさんを想うのをやめろって言うんですか?」
「そんなことはありません。君の想いはとても尊重されるべきものです」
神父は、気持ちを否定はしない。
しかしそれだけでは終わらない。
「その気持ちは大事です。しかし、同時に君を強く強く追い詰めてしまう。
どうすればいいかわかりますか?」
「――――」
安理は言葉が出なかった。
罪悪感のせいか、教えてほしい、助けてと、そういう声は出なかった。
しかし言葉はなくとも、神父は心の声を強く感じ取る。
顔を上げる安理。
青い瞳が、神父の澄んだ瞳に向き合った。
「確認したいのですが。
フレスノさん、ローズさん、大金卸さんへの思い。
昔の貴方が、友人に抱いていた思いに近いのでは」
安理の氷の心の中で、思考が反射する光のように巡りだす。
心の中で、無限に反射し続けるように巡り続ける、他者への想い。
思い起こすと、昔も今も、まるで似ている。
言葉ではとても表しにくいけれど、確かに存在する他者との繋がりの痕跡。
714
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:27:30 ID:ARwh4AzQ0
「――――そうかもしれません。
また会いたい、話したいってすごい……焦がれています」
「ですよね。
君と正面から向き合って、導いてくれた人たち。
君の存在を受け入れてくれた人たちですから」
「いいですか。
フレスノさんへの想いを、細かく分解して理解してみてください。
君の中にある、その想いとは、何でしょう?」
安理に思考が巡りだす。
憧れか、尊敬か。順々に拾い出していく。
大金卸さんが言った、君はフレスノさんの弟子なのではという言葉。
実は結構――嬉しかったりもした。
彼の想いを受け継がなければならないという気持ち。
彼なりの正義に基づいて、正しく彼は動いていた。
また会って話したい。灯台の場所へ向かわなければ。
依存したかった。
そう、お互い暴走しそうになったら抑え合おうって。
お互いを隣で、支え合っていたかった。
そして、自分だけが逃げた。罪悪感。
沢山ある。
「本当に、たくさん。思いつくことが、いっぱいで、いっぱいで……」
「良いですね、自分の気持ちを細かく理解してください。
例えば君が彼に好意を抱いているとして、それはどんな好きなのでしょうか」
そうだ。
大根卸さんの言葉に、また一つあった。
君はナチョを好きなのかという問い。
否定はした。そんなこと言える人間ではないって。
でも――本当は大好きだった。
それなのに、もう二度と会えないかもしれない。
悲惨な過去の話を聞いた時。
今は助けられている自分だけれど、いつかは彼の助けになりたいと思った。
君が生きていることが私の救いになると、言われた。
あんな状況でその意味を考えることもできなかったけれど。
今でこそ、その言葉がとても大切だと、そう思う。
そう、自分を受け入れてくれた他人のことを想うのは。
なんて幸せで。
その人を想って行動できるという事は、なんて幸せなのだろう。
けれどそれだけではだめだった。
ローズさんの事を思うあまり、フレスノさんの事を振り切って暴走してしまった気持ち。
本当に大事なことは何なのだろう。
もしかしたら、さっき神父に指摘されたように。
支配欲や性欲のようなものもあったのだろうか。
あったと思う。
詳しくは聞かなかったけれど、彼の男娼のような過去。
無理やり与えられた痛みと、性的な快楽。
それを――――自分は。
そういう話を聞いた自分は、彼と身体の繋がりで愛し合うことを心の底で望んだ。
信頼し合える相手になって、その上で彼の心を癒すように真っ当に愛し合いたいと。
傲慢だと思う。でもそれはきっと事実。
否定したいけどそれも、自分の心の一部。
「さて―――――。
君が、最も優先すべき気持ちは何ですか」
ぐちゃぐちゃな気持ちに、整理がついてきた。
その上で。
その答えは――無論。
715
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:28:20 ID:ARwh4AzQ0
「ボクはボク自身のために生きていいと。そう言われた。
そして、自分の事を引き継いでほしいと」
半日にも満たない、短い共に過ごした時間。
それでも大事な気持ちは、たくさん受け取った。
「そして、ローズさんはもっと自信を持ってと。
大根卸さんは強くなれと。それなら」
思い浮かぶ、自分に向き合ってくれた二人。
大事なことはたくさん、受け取った。
気持ちを口にすることで、強く固めたい。
誰かにしっかり話すことで、理解してほしい。
違う――証人のようにになって欲しい。
マスクを外す、安理。
視界が少し広がる。風景が、まるで開けるように見える。
そして、神父を改めて見つめる。
「ボクは、この刑務作業の中で。
フレスノさんみたいな豊富な経験もないし、便利な超力もないけれど。
それでも自分なりに、色々な情報を集めて、そして弱い人を護る探偵をやりたいんだ。
闘いの強さに限らない、自分なりの強さを目指したい」
イグナシオさん、スプリングちゃん、樹魂さん。
みんな、本当に大好きだ、たくさんの意味で。
そして心から――――ありがとう。
今、心が正しく定まった。
この気持ちは、きっともう暴走しない。
「おめでとう、答えに辿り着きましたね。
もちろん他のことも大事です。
けれど今は、その決意を何よりも強く思い続ける。
それが君の心を、よりしっかりと固めてくれる」
笑顔が、安理に向けられる。
神の祝福。
柔らかな葉でできた草原は、静かに二人を包み込む。
――――――――
「さて、君が決めたことを遂行するための力になりそうな、ヒントを一つあげたいと思います。
聞いた話によれば、君の“龍への変身”は時間制限がなく、ずっと維持できるとか」
「――――いえ、過ごせてないじゃないですか。
今だって力を使いすぎて、人間の姿に戻らざるを得ないって所なのに」
神父が指摘する。安理が何とも思っていなかったことを。
「そうでしょうか。
神(わたし)は教会に勤める間も、アビスにおいても様々な人を見てきました。
信者に寄り添うため、超力研究の資料も多く目を通してきました。。
その上で言えるのは――任意発動型の変身能力は、原則として永久に発動し続けることはできないということです。
何日も何週間も変身を維持するのは、困難。
――――いえ、何か特殊にエネルギー供給源などでもない限り不可能なはずなんです。
それが、常時発動型と任意発動型の超力の違いです」
北鈴安理はいくらでも竜に変化して過ごすことができる。
子供の頃、長期休暇中はほとんど家に籠もり、常に龍の姿だったこともある。
成長してからは家が狭く感じられ、VRゲームなどにも不便だったため、長く変身することは減った。
それでもPCが不調になったときなどは修理までの間、常に龍化して何日も時間を潰したりしたものである。
任意でなく変身が解けたのは、たった3回のみ。
先程のバルタザールとイグナシオとの闘いから全力で逃げてきたとき。
その前の大金卸樹魂との闘いで、全力を出し切ったとき。
そして――――友人を殺し、その家族と争いになり全員を殺害してしまったとき。
その特殊性に、安理自身は何も気がついていなかった。神父は指摘を続ける。
「推測ですが、これはまだ君の超力が不安定なのだと思われます。
常時発動型にも、任意発動型にも振れ切らず。
超力は精神と強く関わるというのは、一般にも知れていますね。
そして、幼い子供ほど超力が不安定なことが多いというのもよく知れ渡ってますね。
不安定でしっかり定まらない。全く別の方向へ変質することもある。
そして、成長するにつれて個人差はあれど少しずつ安定していく」
例えば、メアリー・エバンス。
全く本人にも制御の利かない、暴走した超力。
成長の兆しはあった。すぐに命を失う結果になってしまったが。
716
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:28:46 ID:ARwh4AzQ0
「さて、そう仮定した場合、君の事例は何でしょうか。
一度安定した後に精神のあり様でまた不安定になったり、変化したりなどもありますね」
例えば、イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ。
一度は正しく安定したはずの超力。検事になりたいという夢を持って。
しかし、故郷の治安悪化の影響による、強い精神ストレスにより。
投影できるのは近い過去のみだったが、遠い原始地球の荒々しい姿まで投影できるように変化した。
「しかし、君は違う。それならばもう一つ。
精神障害、人格障害、発達障害など心に負荷を抱える人は、不安定な状態が長く続くこともあります。
それでも、ネイティブといえど。
君ほどの年齢でこの状態が続いているのは、珍しい事例かもしれません。
特に、全く違う姿へ変身する能力は。
生まれつき安定しているか、かなり幼い時期に安定することが多いのです」
思春期も終わり、多くの人が精神が安定してくる年齢を過ぎても安理の超力は、不安定。
そう神父は想定する。
「ボクの超力が不安定……それはつまり、どういうことですか?」
「これから君の超力は、変質するであろうということですよ。
特にこのような特殊な環境に送り込まれて、精神への影響は計り知れないはずです」
「珍しいからって、それだけじゃないですか。
子供の頃のフレスノさんみたいな過酷な境遇で超力が大きく拡張されることが、普通の日本で育ったボクにあるんでしょうか。
あのハイ・オールドみたいに、規格外の出力が出せるようになる可能性もきっとないんでしょう?」
安理はもう、流石に自分の力を過信はしなかった。
大金卸や超力進化後のイグナシオのように、鍛錬や戦いを繰り返して強くなるのが真っ当な道に違いない。
その上で、急にすごい力が降ってくるなんて信じられはしない。
「ええ、それでも何かは起きるでしょう。
簡単に考えても例えば、君の超力が完全な常時発動型能力に変化することが考えられますね。
人間の姿に戻ることがなくなる。
力を得るという点では、メリットになり得るはずです」
「え――――」
まさかの、話。
心の中に、煌びやかな氷塊がずしりと落ちてくるよう。
氷龍でずっといたいと、思っていた。
そういう願いをずっと抱いていた。
しかし、そうはなりたいと全身全霊で願ったことは果たしてあったのだろうか。
なかった。
世間体の目があったから。
家族もさすがに完全なドラゴンと常に過ごしたいとは、思わなかっただろう。
そして将来、真っ当な日本の社会ので生きていくと考えたとき。
ドラゴンとして生きるなんて選択肢、思いつきもしなかっただろう。
ところが、今は。
そういう事は、もう関係ない。
無期懲役でアビスから出ることは叶わないし、こんな機会があっても恩赦を得たいという欲も、ない。
もしも完全に、常時発動型の超力として固定化すれば。
アビスに収監されていた、獣人のような姿の囚人たち。
彼らは、システムAの制御下でも人間の姿に戻ることはない。
自分も、そのようになるのだろう。
「――――そんなの。
――――そんなのって」
身体が動かない。目線が定まらない。
自分の願い。
常時発動型の獣人能力者にあこがれる気持ちは、確かにあった。
常時発動型なら、人間として過ごす選択肢が無い。
世間の目は辛いかもしれないが、逆に人間でいなければと惑わされることもない。
身体が震える。
しかし。
その震えは、決して。
一つの理由だけが引き起こしているのでは――――なかった。
「でも――――だめだ。
でも、だめなんだよ。
わからないけど。
なんでか、わからないけど。
それじゃだめだって気が、なんかする」
自分でも分からない、抑制の気持ち。
世間のしがらみはもうないのに、なぜ思うのだろう。
戸惑い続ける。
それを察した神父は。
「君に神は、何と言っていますか?」
717
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:29:05 ID:ARwh4AzQ0
――――――――
――――――――
(なんで、幸せがつかめるのかもしれないのに)
(なんで、それを掴みたくないんだ)
(ボクは、ボクにとって――――)
――――――――
――――――――
「ボクは、幸せになりたくない。
なってはいけない――そう思ってしまっている。
そうさ。
そうなれたら幸せなのかもってすごい思ってる。
けれど。
何人もの人を殺したボクが。
唯一の友人とその家族をも殺したボクが。
心から望んだ幸せを手に入れるなんて。
あっちゃいけないと、きっとそうボクは思っている」
掴み始めた、心の形。
自分の思う通りに生きること。
幸せを求めてはいけないという思い。
矛盾しているのか、していないのか。
「なるほど。
しかし、贖罪したいという気持ちと。
幸福を求める気持ちは。
決して完全に対立するものではないのでは?」
常に罪を償うため、禁欲し命を削ろうとすべてを慈善のために生きる。
そう考える人々は、存在する。
この刑務作業の中にだって、存在している。
しかし慈悲ある神父の仮面をかぶった神は、それを完全に肯定はしない。
そうなった人間の先は長くないと、そう察している。
それでもその人物に神がそうあれと告げるのならば。
それを最大限肯定するのも神ではあるのだが。
「そうでしょうか。
そうかもしれません。
それでも、まだ。
ボクは……自分で、自分を……。
この手で人を殺してしまったボクは……」
安理は、イグナシオを置いて逃げた。
しかしその事には、もう罪悪感を感じないようにしたいと決めた。
誰かを助けられなくて見捨てて、死なせてしまったと言う者はたくさんいるだろう。
他人のことを重く背負いすぎる人々――まだ、善人でいられる。
しかし安理の最も大きな罪は、違う。
助けられなくて見捨てて、死なせてしまったのではない。
苦渋の選択として、人を殺したのではない。
自分勝手に、無辜の人物を殺してしまった。
その事実が最も彼に重くのしかかっている。
「ああ――――――――ボクは」
脳裏に浮かぶ、優しかった思い出。
互いに生きづらさを肯定しあって、楽に生きたいよなと思い合っていた。
もし彼と今話せたりしたら――そう、幸せになってくれと言うのかもしれない。
死者の声を妄想するなんて傲慢だけど、たぶんそうなのだろうと思える。
でも、彼の家族は?
まだ生きている彼の親族は?
自分以外にいたであろう、日本や昔住んでた国の友人は?
ボクの幸せなんて願わないだろうし、その逆だと、そう感じている。
死刑にならなくて、残念と思っているとか。
二度と関わりたくないし、一生出てきて欲しくないと思っているとか。
きっと色々な、負の感情があるのだろう。
恨めしい目線も、悲嘆も罵りの言葉も何度も受けてきた。
そういう思いを感じるからこそアビスでの3年間、辛くても誰にも助けを求めようとはできなかった。
「なのに――――どうして、どうして――――」
それならば、完全に常時発動型でない任意発動型として固定してしまえばいいのか。
そうなのかもしれない。
「でも――――」
自分の心は、自分の"神"は――――。
「なんだか、少し。
貴方のお陰でボクの心の形が。
分かったような気がします」
718
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:29:24 ID:ARwh4AzQ0
そうはなりたくないって、嫌だって思いが、ある。
人間の姿が嫌だって、ずっとずっと思ってたからだろうか。
それは周りに嘲笑われ、貶されてきたからかもしれない。
見た目とか、社会的につくられた相対的価値観でしかないものを気にしすぎた、自己否定感があったからかもしれない。
けれど、そういう感情は。
「そう、幸せになってはいけないと強く思う。
でも――――ずっと氷龍の姿で過ごしたい。
それは幸せになってしまうことかもしれない。
どうすればいいのかわからない。
それでも」
もう、どちらの気持ちも、自分の人格を形作る大事な一部なんだ。
心の底に、根を張るように定着しているんだ。
自分の心の奥底の声。
自分の犯した罪の重さに反している。
人を殺してしまった、嫌悪すべき姿でもあるのに。
やっぱりその姿こそが。
自分で自分が好きになれる姿なんだって観念が、ある。
「常時発動型になれる選択肢があるのに。
それを完全に捨ててしまうなんて、とんでもないって。
いま、ボクの心の奥底から叫びが聞こえます」
「ええ、今はそれでよいでしょう。
いつか君が自分自身の"神"と向き合えることを祈ります」
まだ、彼は完全な答えを得ていない。
自分の中の神を、完全に見出せてはいない。
神父は思う。
彼の想いも、告解してくる犯罪者に時々ある心理だった。
告解室で繰り返し耳にしてきた言葉――贖罪への執着、自罰願望、罪人が自らを傷つけることでしか生きられなくなる心理。
それは安理の中にも、強く刻まれている。
まず、被害者の遺族にありがちな心理として。
犯人が改心して真っ当な人間になるなんてそんなの嫌だと。
死んだ人は未来なんてないのに。
改心されても、心の傷は消えやしない。
そんなの見せつけられても嫌悪感を抱くだけ。
だから、改心なんかしないで欲しい。
反社会的な、悪人のままでいて欲しい。
とはいえ自分たちのような一般人に新たに被害者が出ても、納得はするだろうけど嫌だ。
被害者が出ない範囲でまた再犯とかして逮捕されて、苦しんでいたりして欲しい。
あるいは――――悪人同士とかで殺し合ったりしてくれれば、なおのこと良い。
そういう思考を、自分に適用しようとしてしまう。
被害者に強く感情移入したり、共感してしまったりする犯罪者は。
あるいは、強く侮蔑の声を掛けられ続けたりした犯罪者は。
自罰的に生きたい、死んでしまいたい。
一生収監されたままでいれば、それでもういい。
遺族の二度と加害者の顔なんて見たくないという思いを、満たすことができる。
そうなりがちだ。
彼が無期懲役で、それでも孤独に何もしようとしなかったのはそういう心理が影響するのだろう。
しかし、それで良いのか。
それは贖罪の一形態として、善のようである。
しかし見方によっては、ただの逃避に過ぎないともいえる。
更にいうなれば、悪になる可能性も大きく孕んでいると、神父は感じていた。
自らを不幸に置こうとする人間は、往々にして無意識に周りの人間を不幸に巻き込んでしまったりするものだ。
けれど彼は、まさに迷っている最中。
審判には、まだ遠い。
「さて、安全な日本で過ごしてきた君ですが。
改めて問います。
君はつい先ほど、地獄を見てきた。
けれど、これから先もまだまだ地獄のような世界が続いていくでしょう」
世の中の地獄を生み出す犯罪者たち。
それに向き合ってきた神父だからこそ。
今後をそう予想する。
安理は顔を引き締める。
「君にとって自己肯定感を得られるような"良い"展開は、もう訪れないかもしれません。
ここにいる多くの人々が、地獄を見てきています。
日本でそれなりに平和に過ごしてきた君が、目を背けたいような地獄に敢えて向き合わなければならない。
あの探偵が若いころ経験してきたような地獄に、君が踏み込んでいくのです。
それでも――歩み続けますか?」
その真剣さにと凄みに、気圧される安理。
胸を貫いてくるような問い。
神父も、かつて地獄に触れたのかもしれない。
そんな想いがよぎる。
けれど、答えは決まっている。
落ち着き、口を開く。
719
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:29:48 ID:ARwh4AzQ0
「それでも――――歩むよ。
今までこの刑務作業で色々な人と関わって。
何かをしたいと、ボクは思っている。
そういう自信を、みんなから貰ったんだと思う。
生温い環境で育ってきたボクには、それが心に重くのしかかって苦しくなることもあるかもしれないけれど」
そう、自分は弱い存在だ。
しかし一度、重い挫折を味わって。
それを受け入れて、その上で。
「こんなにも自分が嫌いで、色々なことを恐れているボクだけど。
それでもしっかり目的を決めて歩んでいくということは。
自分を大事にしない、軽く扱うってこととは、また違うと思う気がする。
だから――――」
――――――――
◇
――――――――
「さて、もう充分動ける程度まで身体は回復したでしょうか?」
「ええ。神父さんがいたから、安心して身体を労れました。
本当に、本当に、ありがとうございます」
柔らかく響き染み渡る神父の声。
立ち上がった安理。
身体のコンディションも良くなった。痛みも和らいできた。
今なら、また氷龍になることもできそうだ。
そう、落ち着いたのは身体だけではなく、心も。
「ボクは、もともとの予定通り灯台へ向かおうと思います。
イグナシオさんが無事にに向かってきてくれると、信じて」
「そうですか。
神(わたし)は一度、地図の中央のブラックペンタゴンに向かおうと考えております。
多くの人々と出会い、導かねばなりませんから。
人が集まるであろう場に向かおうと、指針を定めました」
安理は――――寂しげな顔になる。
名残惜しくなる。助けて貰った。自信をもらった。
しかしここで、分かれてしまう。
それを見た神父は。
「もし宜しければ、灯台の前に少し脇道となりますが共にブラックペンタゴンに赴きませんか?
あの場には、この会場の秘密に関した何かがある可能性があるのでは?」
「そうですけれど――――えっ、何故そんなことを」
「いえいえ、君が探偵をやりたいと言ったから、それに応じたことを話したまで」
安理はこの会場の秘密を、殺し合いの目的の真実を探っているという事を、神父に話してはいない。
積極的に誰かを巻き込むつもりはないからだ。
しかし今までイグナシオが探偵として動いてきたというならば、すぐに神父もその程度の目的は察する。
「こちらとしても、同行者がいると有り難いのですよ。
もう一度会わなければならないと考えている方が、神(わたし)にはおります。
争いになるやもしれません。
君を巻き込む形にはなってしまいますが、それならば二人でいた方が良い」
思いがけない提案。
一緒にいると、確かに心強いけれど。
「少し考えても、いいですか?」
「ええ、もちろん」
――――――――
◇
――――――――
720
:
青龍木の花咲いていた頃
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:30:04 ID:ARwh4AzQ0
神父は多くの人間を導いてきた。そして利用もしてきた。
今も安理を導いて、そして利用しようともしている。
しかし、教会にいたころの一部信徒や、アビスの看守の一部といった心酔する信者の利用とは少し違う。
神父と話していくうち。
自分の中の神とどうしても向き合えないものは、神を新たに作ろうとする、得ようとすることがある。
神(わたし)を、神として自己の中に置こうとする者も、現れる。
そうして手駒のように動く人物を、増やしていったのだった。
安理は違う。
神に向き合う手がかりは、すでに得ている。
それでも神父の話術ならば、いくらでもマインドコントロールして心酔させ手駒にはできたであろう。
イグナシオの立場と同じように、安理を自分に惹かせることなど幾らでもできただろう。
しかしそれを行うことは、なかった。
さて。
神父が考えることは安理を導くことだけでは、無い。
もし彼が、今後――上手く精神の方向を定められず救いようのない存在に転じるようなら。
始末する。神の意志として。
それが、使命であるから。
救済の手は、必要とあれば裁くためにも振るわれる――静かに、確かに。
【F-4/草原(西部)/一日目・午前】
【北鈴 安理】
[状態]:顎と脳にダメージ、疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。自分なりに、調査を進め弱い人を助ける探偵として動きたい
0.夜上神父と共に、ブラックペンタゴンへ向かうか決める。
1.イグナシオとの待ち合わせのため、灯台へ向かう。無事を祈る。
2.バルタザールがまだ破壊の限りを尽くすようなら、被害をできるだけ抑えたい。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。けれど、今はもう少し考えたい。
4.常時発動能力に変質できるなら、したい。でも、心がそう納得してくれない。
※イグナシオの過去、大金卸とのあらましについて断片的に知りました。少なくとも回想で書かれた全てを聞いているわけではありません。
まだ聞いていない部分について、今後間違った妄想や考察をする可能性もあります。
※彼の超力は、子供らしい不安定な状態を未だに抱えています。今後変質していく可能性が高いです。
【夜上 神一郎】
[状態]:多少の擦り傷
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:救われるべき者に救いを。救われざるべき者に死を。
0.人が集まるであろうブラックペンタゴンへ向かう。ルメスが調査のため向かったかもしれない。それなら”鉄の騎士”もいるだろう。
1.なるべく多くの人と対話し審判を下す。
2.できれば恩赦を受けて、もう一度娑婆で審判を下したい。
3.あの巡礼者に試練は与えられ、あれは神の試練となりました。乗り越えられるかは試練を受けたもの次第ですね。誰であろうと。
4.“鉄の騎士”は、いずれ裁く。
5.バルタザールの動向に興味。いずれ対話し審判を下したい。
※刑務官からの懺悔を聞く機会もあり色々と便宜を図ってもらっているようです。
ポケットガンの他にも何か持ち込めているかもしれません。
721
:
◆koGa1VV8Rw
:2025/07/29(火) 03:30:19 ID:ARwh4AzQ0
投下終了です
722
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/29(火) 20:32:56 ID:VkmLIO6k0
投下乙です
>青龍木の花咲いていた頃
神父がしかっりとメンターをやっている!?
神父がずっと優しいのに、ちゃんと詰めるとこ詰めてくるの怖い。反社たちとは別種の怖さがある
いつの間にか話したくなくとも話させられてる感じが、これはもはやカウンセリングじゃなくて尋問では?
安理くん、罪の自覚が深すぎて幸せになっちゃいけない病にかかってますねぇ……
いろんな出会いで好転してから上げて落とされたから仕方ないけれど、りんかもそうだけど罪悪感で自罰ループに入ってる人間は自己犠牲に走りがち
安理くんの起こした事件の詳細は支配欲・性欲・承認欲の交錯によって起きた大事故。
思春期にありがちな悩みなんだけど、暴力のチケットを持ったネイティブ世代だからこそ実行出来てしまった事件でもある
本人の自覚している通りどうしようもないのはその通りだけど、めちゃくちゃ人間なんだよな……
氷龍でいたいって願いが、ただの願望じゃなくて救済願望と表裏一体になっている
常時発動型になれたら幸せだけど、なっちゃいけないって自己抑制働いてるのが悲しい所
これまでの出会いが彼を責め立てる重荷にもなったけど、それでも生きるって答えを出せたのもこれまでの出会いのおかげ
探偵を目指すという結論はイグナシオの意志を継いでいてうれしい
神父との対話を経て一皮むけた感がある
一見すればいい人だなー、と思うが、この神父最終的に安理がヤバい方向行ったら始末する気マンマンである
この2人もブラペンに向かう事になったか、地獄の様な様相となっているブラペンに辿りついてどうなるのか
723
:
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:28:29 ID:DH0FMjMI0
投下します
724
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:30:17 ID:DH0FMjMI0
ブラックペンタゴン。
征十郎とタチアナの二人は北西ブロックの集荷エリアから離れ、ひっそりと北東エリアの外周部へと移動していた。
どうやらここは空調や給排水設備室などを管理する機械室のようだ。
機械室は設備や機械類が雑多に並んでいて死角も多い。
ここなら当面の安全は確保できる。そう判断し、ようやく身体を落ち着ける。
本来であれば、この混乱に乗じてブラックペンタゴンを脱出するのが最善の選択だった。
だが、その唯一の脱出口は、他ならぬタチアナ自身の手によって破壊されていた。
コンクリート壁にもたれ、タチアナは静かに息を吐いた。
その隣では、征十郎が少し距離を空けて腰を下ろす。
痛む身体を無理やりなだめながら、やがて口を開いた。
「――して、あの村で何があった?」
色あせた昔話。
何気ない様子で投げかけられた言葉は真実、重い問いだった。
それに応えるタチアナは、ゆっくりと視線を征十郎に向ける。
「逆に確認するんだけどさ。征タンって、どこまで知ってんの? 一応、村の関係者ではあったわけでしょ?
なんか……特別な情報が降ってきたりしてない感じ?」
口調は軽いが、その声には伺うような慎重さがにじんでいる。
「生憎とほとんど知らんな。私が知っていることなど、教科書に載っている知識と大差ないさ。
一時期は自分で調べもしたたが、ネットにある情報はどれも断片的で曖昧なものばかりだった。
無論、ああなる前の山折村の話なら別だがな」
かつて、生物災害によって一夜にして壊滅したとされる村。
現代における超力社会の礎――そう評されることもあるその村で、何が起こったのか。
その真実を知る者は少ない。今なおもなお立ち入りが禁じられており、多くが謎に包まれている。
征十郎にとっては、六歳までの幼少期を過ごした故郷。
その後アメリカへ渡った後も、何度か里帰りをした土地であり、二人の因縁が交わる忌まわしい記憶の根源でもあった。
何の変哲もない山深い田舎だったが、征十郎が離れた辺りを機に開発計画が進んでいたらしく、帰るたびに少しずつ景観が変わっていくことに子ども心に不気味さを覚えた記憶がある。
「ふーん、じゃあ……その辺からか」
タチアナは小さく相槌を打つ。
その目から茶化すような色が抜け落ち、真剣な瞳で征十郎を見据えた。
「……たぶん、征タンにとってはキツい内容になると思う。それでも……聞く?」
どこか気遣うような問い。
だが、征十郎の返答に迷いはなかった。
「無論だ。祖父たちが何故、あのような凶行に及んだのか――八柳の人間として私はそれを、知らなければならない」
ネットに出回る八柳流の剣士が村人を次々と惨殺していく映像。
開祖の血を引き、現代に生きる八柳流の使い手として、征十郎は真相を知らねばならない。
その固い意志を見て、タチアナは肩をすくめた。
「先に言っとくけど、私の知識はあの『永遠の国(ネバーランド)』を支配する女王から与えられたものだから、征タンのお爺ちゃんたちの本心までは分かんないよ?
私が語れるのは、あくまでそいつの主観が混ざった主観的な事実ってヤツ?」
彼女が持つ情報は、あくまでも第三者の視点による記録だ。
想いや葛藤といった内面までは計り知れないし、立場の違いによる偏見も入るだろう。
「構わん。それでも、何も知らぬよりは遥かにいい」
征十郎の覚悟を確認し、タチアナは静かに頷いた。
「では、改めて聞かせてもらうぞ、あの村の真実を。
何故祖父たちは村人を虐殺したのか。そもそも、お前を縛り付けていた永遠の国とは何だ? そして、女王とは何者だ?」
征十郎は真実を求めていた。
問いが次々と矢継ぎ早に浮かび上がる。
その問いに、かつて『永遠』に囚われていた少女が応じる。
725
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:30:35 ID:DH0FMjMI0
「『永遠の国』。それはね――ひとりの少女が願った、美(おぞま)しき世界。
あらゆる生と死を飲み込み、永遠に踊り続ける死者たちで作り上げた黒いアリスの夢の国。
その黒いアリスの名は――――虎尾茶子。知ってるでしょう?」
「……ああ。知っているとも」
――――虎尾茶子。
八柳新陰流の姉弟子。
姉弟子と言っても、征十郎が本格的に八柳流を収めたのはアメリカにわたってからの事なので、同じ道場で汗を流した記憶はないのだが。
それでも祖父の道場に遊びに行くたび、従兄弟の哉太兄と共に可愛がられた記憶はある。
征十郎が村を離れた頃、彼女は十八歳だった。
当時の時点で門下の中では沙門天二に次ぐ実力者で、天才と称されていたように記憶している。
「……ということは、つまり、茶子姉が…………?」
「そう。彼女は山折村に『永遠』を願った。そしてその願いによって、『永遠の国』が生まれちゃったんだよねぇ」
滅びゆく村を永遠にしたい。
そう村を愛する少女の願った純白の夢。
それこそが、タチアナを長らく縛り付けていた『永遠』の正体。
だが、その言葉に、征十郎は眉をひそめた。
「いや、待て。願ったと言っても、願ったところで、それが叶うものではあるまい」
どのような願いであれ、願っただけで叶えられるのなら苦労はしない。
ましてや『永遠』などと言う、曖昧で壮大すぎる概念。
願っただけで叶うなどありえない事だ。
そんな征十郎の疑問に対して、タチアナも同意を示した。
「それはその通り。でもね、その願いに応える『力』が、あの村には存在していたんだよ」
願いを叶える力。
あの何の変哲もない山村に、世界を変えるような力があった。
だが、平和だった山折村を知っているからこそ、征十郎にはその言葉がにわかに信じられなかった。
「確か……山折村では、超力の原型となる研究が進められていたと聞く。まさか、それの事か……?」
現代社会における『超力(ネオス)』という特異な力。
その源流となる研究が山折村で行われていたと言うのは歴史的事実だ。
それが関わっているのなら、異常な出来事が起きたとしても不思議ではない。
だが、それでも『永遠』を叶えるなど、スケールが余りにも大きすぎる気がする。
少なくとも、征十郎の知る超力の規模には収まっていない。
どうにも納得しきれずにいる征十郎に、タチアナは軽く手を振った。
「うーん。まったく無関係ってわけじゃないけど、ちょっと違うというか……複雑なんよね、その辺。
しゃーない、ちょい長くなるけど、順を追って説明するとしますか」
重い腰を上げる様に、コホンと、わざとらしく咳払いを一つ。
「まずは、600年前。知られざる村の歴史からお話しましょう」
「……おいおい、どこまで遡るつもりだ」
「いや、マジで大事なとこだから。適当に聞いてると話に置いてかれるよ?」
突っ込みを入れる征十郎だったが、そう言われては引き下がらざるを得ない。
その真剣な目を見て、嘘や冗談の類ではないと悟り、小さくため息を吐き頷いた。
「むか〜しむかし、今からおよそ六百年前――室町の時代から、お話は始まるのです」
まるで物語の語り部のように、タチアナは声の調子を変えて語り始める。
この戦いの根幹に連なる、忘れられた真実。
征十郎の過去、そして茶子の願い、山折村という呪われた地の発端を解き明かす、始まりの物語だった。
■
726
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:30:59 ID:DH0FMjMI0
時は、室町――。
飛騨の深い山々に抱かれた谷の奥。
世間の目から逃れるようにして、ひっそりと佇む小さな集落が存在していました。
その名は『隠山の里』。
外界との往来はほとんどなく、閉ざされた時間の中で独自の文化と信仰を守り続ける隠れ里でした。
その里には、神に祈りを捧げる一人の美しい巫女が住んでおりました。名を隠山祈と申します。
彼女は天の声を聞き、神前で舞を奉じる、神託巫女として選ばれた存在でした。
里人の誰もが、彼女を神の代弁者と崇めていたのです。
けれど、当の本人はそんな大役にまるで乗り気ではありませんでした。
木に登って獣を追い、男の子たちと棒切れでチャンバラごっこをして遊ぶような、お転婆そのものの娘。
神前の舞よりも、狩りや相撲が好きというやんちゃ巫女だったのです。
そんなある日のことでした。
京の都から一人の役人が、この隠れ里を訪れることになりました。
その若き役人の名を神楽春陽といいます。
彼は朝廷の命を受けた陰陽師であり、飛騨に災厄の兆しありと見て、その調査と対策のために派遣されたのです。
華の都より役人が来ると言う噂に祈は心を躍らせました。
都への憧れも手伝って、居ても立っても居られず弓を片手にひとり山を越えて彼を迎えに出ます。
ところが、山道に出た祈が出くわしたのは、春陽を乗せた牛車の一行が凶暴な大熊に襲われている場面でした。
祈は一切の躊躇なく弓を引き絞り、的確に矢を放ちます。
鋭く放たれた一矢は急所を貫き、見事熊を仕留めました。
堂々と牛車の前に躍り出た祈は、得意げに名乗りを上げる。
しかし、その牛車から現れた青年は、なかなかに口の悪いお方で、祈のことを野猿だの猿顔だなんて言い出す始末。
祈は当然怒り心頭。大喧嘩になりかけたが、皮肉にもこの最悪な出会いが、二人の運命を結びつけることになるのでした。
――うーん、アオハルですねぇ。
それから幾星霜。
春陽と祈は人目を忍びながらも逢瀬を重ね、次第に心を通わせるようになっていきました。
そしてある晩、ふたりが山中で逢引の最中にそれはおこりました。
空がピカリと裂けて、そこから一人の赤子と一羽の白いうさぎが落ちてきたのです。
その赤子は、白い髪と金色の瞳を持ち、神々しい気配を身にまとう、不思議な存在でした。
それもそのはず、その子は異世界から漂流してきた、魔王と女神の間に生まれた娘だったのです。
おい、ちょっと待て。いきなり世界観変わったな。
■
「何よもー。征タン、話の腰を折らないでよね」
語りを遮られたタチアナが、不満げに口を尖らせる。
「いや、なんだ魔王と女神って。日本の昔話からいきなりジャンルが変わりすぎだろ」
「私に言われても事実なんだから仕方ないじゃんかさー」
ぶーたれるタチアナに、征十郎は頭を抱えたくなる。
「つーか。超力が暴れまわる時代なんだから、異世界くらい今更しょ?」
「そう……いうものか……?」
異能力も異世界も、開闢以前は同列の幻想だったかもしれない。
だが、超力と言う異能が当然となった世界でも、異世界は未知の領域だ。
それを同列と考えるかどうかは、この辺は個人の感覚の違いだろう。
未だに飲み込めていない顔をした征十郎に、タチアナはやれやれと言った風に説明を補足する。
「なんでも、山折村は異世界と位相的に近いらしくって、チェンジリング――日本だと神隠しだっけ?――が起きやすい場所らしいよ?
あ。ここ重要だかんね、覚えといて」
テストに出るよ、とばかりに指を立てるタチアナ。
それを聞いて心当たりがあったのか、ハッとした顔をして征十郎は僅かに考え込む。
「そういえば……昔、村長の兄か弟だかが神隠しにあったとか、大人たちが話してた気がするな」
征十郎が思い出すのは、幼い頃に聞いた噂話。
内容もあやふやで、真偽は確かめようもない話だが、まさか本当だったのだろうか?
「納得できた? ならじゃあとりま、続き行くよ〜」
軽く喉を整えると、タチアナは続きを語り始める。
■
727
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:31:53 ID:DH0FMjMI0
白兎とともに天より落ちてきた赤子は、春陽に引き取られ、彼の養女として迎えられることとなりました。
神楽の姓を与えられたその子は、神楽うさぎと名付けられます。
春陽と祈、そしてうさぎ。
三人はまるで本当の家族のように、穏やかで温かな日々を紡いでいきます。
人の子ならざるうさぎは、常人とは異なる成長速度で、瞬く間に赤子から童子の姿へと変わっていきました。
けれど、祈と春陽はその異質を恐れず、むしろ我が子のように深く慈しみ、変わらぬ愛情を注ぎ続けました。
しかし、蜜月は長くは続きませんでした。
そもそも春陽がこの地を訪れたのは、飛騨の山中に災厄の気配があると察知したため。
山々に囲まれた地形は瘴気や厄災を溜め込みやすく、隠山の里は文字通り厄の沈殿地と化していました。
これを封じるためには、山に風穴を開け、外へと厄を逃がす大規模な地脈調整と封印術式が必要だったのです。
その準備と勅許の手続きを進めるため、春陽は都へと一時帰還を余儀なくされます。
そして――春陽が都へ戻り不在にしていたわずかな期間に、二つの災いが起きました。
その頃、飛騨一帯では不老不死の尼――八尾比丘尼の噂が密かに広まりつつありました。
各地で目撃されるというその存在は、まことしやかに語られ、人魚の肉を食して不老不死を得たという伝承と共に、人々の欲望を煽っていました。
そんな中、白髪と金色の瞳を持ち、年齢に見合わぬ成長速度を持つ少女の存在が、役人たちの耳に入ってしまいます。
彼女こそが八尾比丘尼ではないのか?
そう決めつけた役人たちは、学術調査と称して彼女を里から連れ出し、そのまま連れ去ってしまった。
目的はひとつ。
不老不死の肉を得ること。
人魚の肉を食べ不老不死を得た八尾比丘尼。ではその肉を喰らえば?
そう考えた役人たちは、うさぎを生きたまま解体し、その肉を用いて死者すら蘇るとされる『不死の妙薬』を作り上げてしまいまた。
その報を都で聞いた春陽は、我を忘れるほどに激昂しました。
すぐさま飛騨へと引き返すと、彼は関係した役人たちを一人残らず呪い殺します。
そして、各地に散らばったうさぎの亡骸を血眼になって集め、失意のまま隠山の里へと帰還します。
――しかし、そこで彼を待っていたのは、さらなる地獄でした。
予見されていた災厄――天然痘の疫病が里を襲い、瞬く間に蔓延していたのです。
疫病の蔓延。
里の者たちは、感染者を『穢れ』と見なし、病人たちを、山の岩戸の中へと閉じ込めていました。
穢れは忌むべきもの。良くないモノから名を奪い、存在をなかったことにする。
それがこの地に根づいていた古き信仰であり、残酷な掟だったのです。
祈は疫病に倒れ、岩戸に封じられました。
祈を慕う彼女の弟と妹は、姉を追って自ら岩戸へと入り、献身的に看病を続けました。
祈は病に伏しながらも、ただひたすら春陽の帰還を信じ待ち続けます。
けれど、春陽は何時まで経っても帰りはしませんでした。
その頃、春陽は娘の亡骸を集めの真っ最中だったのです。
しかしそのような事情は辺鄙な里へは露も届くことはありません。
やがて、弟妹も疫病に倒れ、命を落とします。
すべてを失った祈は、狂乱の淵に沈みました。
祈は春陽から贈られた翡翠の簪を砕き、岩戸の奥で、憎しみと絶望、そして何時までも戻らぬ春陽に呪詛の言葉を幾度となく叫び続けました。
728
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:32:09 ID:DH0FMjMI0
そうして、春陽が里に戻ったとき――すべては、すでに手遅れでした。
疫病によって村は壊滅寸前、わずかに生き残った村人たちも、祈たちの居所については一様に固く口をと閉ざすばかり。
春陽が自力で居所を突き止め岩戸を開いたが、中では祈を含む疫病患者の全員が息絶えていたのです。
沈黙する死の村を前に、春陽は打ちひしがれました。
しかし、深い絶望に沈む春陽の手元には『不死の妙薬』が握られていました。
それは死者を生き返らせる事すらできると噂される奇跡の『妙薬』。
迷いと苦悩の果て、春陽は決断します。
この『妙薬』を使い、疫病で死亡した村人たちを蘇らせることを。
蘇った村人たちは疫病に対する抗体を持ち、こうして疫病の流行は収束へと向かいました。
里を救われました。
しかし、それは生き残った村人にとっては教義に反する、あってはならない奇跡でした。
死者は穢れ。岩戸に葬られ、存在を消されたはずの者が、甦ったのです。
それは、村の掟を覆す背徳に他なりません。
この矛盾を押し隠すため、村人たちは一つの解釈に縋ります。
この不都合な奇跡を起こしたのは、村人たち自身が穢れとして切り捨てた、あの祈が呪いとして蘇ったのだと。
こうして祈は、村の悪神として祀られるようになりました。
そして、当の隠山祈もまた人ならざる者へと堕ちていました。
岩戸の中で怨念と呪詛に塗れた祈の魂だけは、妙薬の効力を拒絶しました。
自分たちを裏切り、存在をなかったことにした村人たちへの憎悪。
その怒りと呪いは岩戸から広がり、やがて村そのものに根を張る祟り神となったのです。
そして、真実を知る春陽もまた、この奇跡の真実を語ることができませんでした。
何せ娘の『遺体』を使った禁忌の奇跡、真実など口にできようはずもありません。
子の奇跡によって蘇生し救われた村人たちもまたこの奇跡を祈り巫女、隠山祈が起こしたのだと考え彼女を善神として崇めました。
その信仰は身を裂かれ妙薬となった神楽うさぎの魂へと捧げられ、村を救い奇跡をもたらした善神として語り継がれました。
こうして、善と悪、ふたつの魂は、ひとつの名のもとに祀られることとなりました。
その名こそが『イヌヤマイノリ』。
これを鎮めるために始まった儀式こそ、山折村に代々伝わる『鳥獣慰霊祭』の原型となったのでした。
これが、山折村の絶対禁忌、災厄誕生の真実だったのです。
おしまい――☆彡。
■
「いや、“☆彡”じゃないだろ……」
血と呪いに塗れた村の歴史を語り終えたあとにしては、あまりに軽すぎる締めだった。
ギャルの皮もテロリストの皮も剥がれたタチアナもこの調子である。
元からこういう奴だったのかもしれない。征十郎はそんな事を思った。
「村に隠された禁忌の歴史。それは理解した。
だが、私の聞きたかった話とどう繋がる?」
山折で生まれた征十郎をしても初耳の、隠された歴史である。
村の出身者として興味深い話ではあったが、征十郎が知りたかったのは八柳が凶行に至った27年前の真実である。
600年前の真実ではない。
「あら、つれない。山折村の連中は黄泉返りしたゾンビの子孫だったつー話だけど。子孫として感想とかないのぉ?」
「特にないな。私は私だ。たとえ先祖が何であろうと、それが今の自分を規定する理由にはならない。
何を斬るか、何を背負うかが問題だ。開闢以前ならいざ知らず、今の時代の気にするような事でもあるまい」
「ま。そんなもんだよねぇ」
今は超常が日常に入り込んだ超力社会。価値観はアップデートされている。
血筋や生まれに過剰な意味を求める時代ではない。
征十郎が過去の出来事に拘るのは己が信念に寄るものだ。
むしろ、幼い頃、毎年心待ちにしていた『鳥獣慰霊祭』が、そんな血塗られた因縁から始まったものだったという事実のほうが、少しばかりショックだったくらいだ。
「だが、祖父は――八柳藤次郎は違ったという事か? 山折に流れる血を穢れたものとして、粛清を決意したという事か?」
穢れを一人の少女に押し付けた醜悪な村人たち。
少女の死肉により黄泉返った村人たち。
双方が罪人であり、山折村の人間はその血を引いているのだ。
藤次郎はそれが許せなかったのだろうか?
「気が早いねぇ、征タンは。話はまだ途中だよ?」
タチアナは、口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。
征十郎の追及を軽く受け流すように、肩を揺らしてみせた。
「語られていない村の歴史には――まだ、続きがある」
そう言うと、タチアナの声色がふっと変わった。
先ほどの民話調とも違う、今度は怪談のような口調で語り始めた。
「――時は、第二次世界大戦中。
舞台は再び、明治に名を山折と改めた山折村で起きた、もうひとつの禁忌のお話でぇございます」
■
729
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:32:28 ID:DH0FMjMI0
時は、第二次世界大戦の最中――。
その戦火の陰で、山折村では旧日本陸軍による極秘実験が行われておりました。
それは、人道を踏み越え、理を冒し、神域にすら手を伸ばす、許されざる禁忌の業。
決して世に知られてはならぬ闇の研究でございます。
この村が実験地に選ばれた背景には、ひとりの男の存在がありました。
陸軍軍医中将・山折軍丞。
彼はこの地の出身であり、山折村の名士でもありました。
軍丞は自らの故郷である村を提供し、自ら主導して軍の非公開研究を推し進めました。
村の名士であった彼の命令には誰も逆らえず、村ぐるみでその協力体制が敷かれていたそうです。
研究施設は二棟に分かれて設けられておりました。
一つは、表向きには療養所を装った『第一実験棟』。
もう一つは、山中の洞窟に隠されていた『第二実験棟』。
まず、第一実験棟。通称『マルタ実験場』。
マルタというのは当時、軍が人体実験の被験者に用いた隠語でございました。
731部隊をはじめ、幾度となく歴史の暗部に沈んだその名が、山折村でも囁かれていたのです。
つまり、行われていたのはれっきとした人体実験。
人間をただの材料と見做し、尊厳も命も切り捨てる残酷な実験が日常的に行われていたわけでございます。
こわいですねぇ……恐ろしいですねぇ……。
その研究テーマは『不死』。
死なない兵力を生み出すことを目的に、あらゆる手段が講じられていました。
老化を抑制する細菌の投与。
戦死体への霊降ろしによる蘇生試験。
他人の臓器や肉体を強引に縫合し、生命機能の延命を試みた死体融合。
挙げ句には、生体脳の摘出と再接続による意識の再固定まで行われていたとされます。
まさに……鬼畜の所業にございました。
ですが、それ以上に異常な実験が、もう一方の『第二実験棟』で進められていたのです。
それは――『異世界』との接触を目指した研究でございました。
荒唐無稽と笑う方もおられるでしょう。
けれど、戦局が末期に向かうにつれ、日本軍は常識を超えた手段にすがるようになっておりました。
物資も兵力も底を尽き、この世界の資源ではもはや足りぬ。
ならば、異なる位相――異世界からそれを引き出すしかない。
先ほど少し説明いたしましたが、山折村には古来より神隠しや漂流物といった伝承が多く残っておりました。
軍はそれを分析し、この村が異界との境界に位置していると仮定。
特に位相の歪みが顕著な地点に、第二実験棟を建設し、扉を開く実験に踏み切ったのです。
――そして、ついに。
時は一九四五年 八月六日。
その日、一つの大きな事件……いいえ、事故が発生いたしました。
異界の扉は、開かれてしまったのです。
扉の向こうから呼んではならぬ『何か』が、この世界に流入してきました。
結果として、第二実験棟は跡形もなく消失。
周囲の空間ごと、建物はぽっかりと消えてしまいました。
……その後に残ったのは、妙に広く不自然な空洞。
後年、それは村の子どもたちの遊び場となったそうで……。
征十郎さん、あなたも記憶にございますでしょう? あの、山の中の不自然に広い穴のこと。
そして、まさにその同時刻。
第一実験棟でも異変が起きておりました。
なんと、進行中だった『死者蘇生』実験が成功してしまったのです。
行なわれていたのは、戦死した兵士の遺体に『神』を降ろすというオカルト的な降霊術でした。
けれど、降りてきたのは神ではなく――『魔王』、でございました。
その魔王の名は『アルシェル』。
第二実験棟の事故により、異世界から流れ込んできた支配者でございます。
彼が取り憑いたのは、烏宿 亜紀彦という戦死者の亡骸でした。
その身体を器として、魔王はこの世界に顕現したのです。
とはいえ、実験成功の数日後、ほどなくして日本は無条件降伏を受け入れ、大戦は幕を閉じます。
実験成果は正式に軍事利用されることなく、施設は解体、関係資料も多くが処分されました。
事実は、深い闇へと葬られたのです。
――しかし、それで話は終りではないのです。
戦後、一部の研究者たちは姿を隠しながらも、研究を続けていたのです。
魔王アルシェルと取引し、生活を保障する代わり、その力を借り受けました。
不老不死という宿願の果て。
元々研究されていた細菌による肉体の抑制と、魔王の齎した魔法による魂の定着。
魔法と科学が結晶した魔科の産物としてその研究は完成したのです。
そうして『終里 元』という不老不死の怪物が生まれたのでした。
終里元は人でありながら菌と魔法によって構成された人ならざる存在。
そんな彼の細胞を元に精製されたのが、後に山折村に流出した『HEウイルス』だったのです。
あの『開闢の日』。私たちに適用された『HEUウイルス』の大本であり、超力の根源こそが、この忌まわしき魔そのものだったのです。
■
730
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:32:45 ID:DH0FMjMI0
「これが、山折村に隠されたもう一つの闇の歴史。信じるか信じないかはぁ……あなた次第です」
怪談みたいな締めくくりをする。
語尾には、確かに寒気のような余韻が残った。
「…………待て。終里元だと?」
予想外の名に、征十郎が思わず反応してしまった。
「あぁ。世間に疎い征タンでも、流石に知ってるか」
「当然だろう、GPA長官の名前くらいは知っている。それが不老不死の怪物だと?」
「まあ、そこは今の話とあんま関係ない所だから、そこは追々ね」
タチアナが軽く話題を制する。
ともあれ、これで山折の歴史は語られた。
祟り神を生んだ呪われた始まり。
戦時に村ぐるみで行われた非人道的実験。
そして、現代に至るまで脈々と繋がる異質なる力の連鎖。
現代社会の礎とされている超力。
山折村の地下で行われていた研究が発展したからとされていたが、真実はそれ以上に深く根っこの部分から繋がっていた。
超力が純粋な科学の発展によって得られたものでなく、異界の魔と戦時の狂気によって齎された産物だったなど誰が思おう。
ヤマオリと言う言葉が、ただの地名を超えた意味を持ってるのも頷ける話だ。
しばしの沈黙。
征十郎はやがてぽつりと呟いた。
「……つまり、祖父はこの歴史の闇に触れてしまった、ということか?」
「さぁね。それは分かんない。
最初に言った通り。私には征タンのお爺ちゃんがどこまで知っててどの真実が引き金になったのかまでは分からない。
でも――あの村には、理性を飛ばしてしまってもおかしくない理由が山ほどあった。それだけは、確か」
征十郎の祖父、八柳 藤次郎。
二十七年前。正義を重んじ、剣に生きた男が、なぜ村人を皆殺しにしようとしたのか。
そこにどれほどの絶望があったのか。征十郎は目を伏せ、逡巡を滲ませた静かな声音で言葉を紡ぐ。
「……穢れを赦せぬ高潔さ。いや……それは潔癖ゆえの、狂気に近い正義だったのかもしれん」
その呟きに、タチアナが思わず眉をひそめる。
「ん? んー……そんないいもんじゃないと思うけどなぁ?」
彼女は肩をすくめ、やや呆れたように返す。
だが、征十郎はその言葉を気にする様子もなく、ただ静かに頷いた。
「いいさ。私なりに納得は得られた。
人斬りの是非ついて問える立場でもないしな。
譲れぬ理由がその根幹にあると知れただけでもよい」
知った所で八柳流に塗られた汚名が晴れるわけではない。
けれど、自分が唯一その流派を継ぐ者として、背負うべき理由がようやく見えた。
「ふーん。ま、征タンが納得したんなら、いいけどさ。やっぱ征タンもネジが飛んでんねぇ」
「何を言う、私は常識人だ」
タチアナは戯言に取り合わず、ひらひらと手を振って話題を切り替える。
「じゃ、歴史のおさらいはここまで。忘れてない? 本題はここからだからね?」
「……ああ。分かっている。お前が囚われた『永遠』の話だったな」
あの日、あの村で何があったのか。
ここから永遠へと繋がる話が紐解かれていく。
■
731
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:33:02 ID:DH0FMjMI0
山折村――。
それは生物災害によって滅びた、『超力社会の原点』とされる村。
その生物災害は未曽有の大地震によって発生した天災、とされているけど、真実は、まるで違う。
その実態は、研究所内の急進派が引き起こした、計画的なテロだった。
テロ組織を扇動し研究中のウイルスによる生物災害を意図的に引き起こし、事故に見せかけた人体実験を行うのが目的だった。
その急進派の一員が、世界を繋げた英雄として知られる男――未名崎錬。実際の所しょっぱい研究員の一人だったみたいよ?
そして急進派を率いていたのは、研究所の副部長である烏宿暁彦。そう、魔王の依り代だった烏宿亜紀彦が名を変え研究所に潜り込んでた姿。
――すべては、人間の世界を弄び、破滅を望む魔王の企てだった。
だが、恐るべきはそれだけではなかった。
研究所の上層部は、この魔王の計画を既に把握していた。
だけど、その計画を止めることなく黙認することで、その動きを利用したの。
その目的は、秘密裏に進められていた『Z計画』を全世界に公表する事。
超新星爆発による世界滅亡の危機。
この『Zディ』と呼ばれる滅びの日を回避するために立ち上げられたのが『Z計画』。
現在は公になった計画だけど、当時は世界の混乱を避けるため情報を秘匿し秘密裏に行われていた。
各国は協調路線をとることはなく、成功の報酬を独占するため独自開発を続けていた。
約束された滅びの日を間近にしながら利権を争い、手を取り合う事をしなかった。
そんな人類の目を覚ますための劇薬として、山折村は捧げられた。
その目論見がどうなったかはまあ、ご存じの通りって感じだけどね。
村中にバラまかれたのは研究所の所長となった終里元の細胞を元にした『HEウイルス』。
現在、私たちに感染している完成品と違って、未完成のウイルスは適合者に失敗すると人格も記憶が崩れたゾンビみたいに自我のない存在に変えてしまう副作用があった。
当時の正常感染率は5%程度、村人の95%はゾンビになってしまった。マジエグいよねー?
そして、ウイルスには女王菌と呼ばれる中枢個体が存在していた。
全ウイルスを支配する統括個体がたった一体だけ存在し、女王菌に感染した女王感染者を殺せば感染全体を鎮圧できる。
この情報が、研究所から意図的に村内へリークされた。
その結果、村人同士の間に疑心暗鬼が広がり、女王感染者なのかをめぐって殺し合いが始まった。
同時に、情報封鎖と事態の根絶を目的として、自衛隊の秘密特殊部隊が山折村に展開される。
目的は誰ともわからない女王の暗殺、つまりそれが見つかるまで村人の皆殺し。
彼らの任務はバイオハザードを山折村で留める事が第一であって、村人の命は考慮されなかった。
そして、彼らは人知れず訓練された世界最高レベルの超精鋭、とんでもない強さだったらしいよ?
さらに追い打ちをかけるように、何でか感染した野生動物が狂暴化して暴れまわり。
その上、征タンのお爺までが、村人の皆殺しを目論んで動き始めていた。
いやもう、説明してるだけも、いろいろと状況詰み過ぎっしょ。ウケる。
村はもはや戦場を超えた地獄の有り様だった。
村内の殺し合いは激化し、多くの死が積み重なった。
そうした中、最悪の事態が訪れる。
村長の息子――山折 圭介。
彼は混乱の中で最愛の恋人を失い、深い絶望に沈んでいた。
その心の闇に魔王アルシェルが呼応したの。
烏宿暁彦に取り憑いていた魔王はその体を捨て、山折圭介を器として乗り換えた。
そうして――山折村に、魔王が顕現したの。
■
732
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:33:26 ID:DH0FMjMI0
「おお、ついに魔王のご登場か。面白くなってきたな」
「……何か、もう普通にお話として楽しんでるねぇ、征タン」
私的なる心のしこりが和らいだからなのか。
あるいは、ただ単に長話にそろそろ飽きてきただけなのか。
征十郎は愉快そうに相槌を打つ。
「で、その魔王アルシェルを撃退したのが――虎尾茶子、八柳哉太を中心とした山折村の面々だった」
「ふむぅ。さすがは我が姉弟子に兄弟子……八柳流の面目躍如だな」
征十郎はうむうむと誇らしげに頷き、流派の誇りを噛み締めている。
「で、倒した魔王がドロップしていったのが――『願望機』ってやつ」
「願望機……もう何でもアリだな、ファンタジー」
征十郎は眉をひそめ、呆れの表情を浮かべた。
だがその直後、目を細めて神妙な面持ちに戻る。
「つまり……茶子姉は、それを使ったということか」
「そ」
話は巡り巡ってようやく結論にたどり着いた。
異界の魔王が持ち込んだ、世界の法則すらねじ曲げる『願望機』。
あまりにも荒唐無稽な存在だが、あの山折村で起きた現象を説明するには、それほどの異常が必要だったのだ。
「魔王撃退の際に使った儀式の影響で二柱のイヌヤマイノリが現れたり、覚醒した女王菌が宿主を乗っ取って意思を持って暴れまわったり、まぁ色々あったんだけど……そこは割愛。
最終的には、天原創っていう中学生エージェントが女王を倒して、生物災害自体は収束した」
「問題は……その後、か」
征十郎が確認するように呟くと、タチアナは静かに頷いた。
「二柱のイヌヤマイノリと和解した村人たちは、願望機を使って呪われた歴史を正しく終わらせると約束してたの。
祈りを捧げ、願望機を起動して、呪い満ちた山折を終わらせる――はずだった。
けれど、祈りを捧げようとしていた仲間を殺害し、その約束を反故にした人間がいた」
「それが――虎尾茶子。我が姉弟子、というわけだな」
タチアナは頷く。
征十郎の声は静かだったが、その奥にあるのは失望か、それとも哀惜か。
「……彼女は幼い頃、両親を殺されその誘拐犯から酷い扱いを受けていた。
性的搾取にさらされ、心も身体も壊れていた。そんな彼女が逃げ延びた先が、山折村。
彼女はあの村に救われて、ようやく自分の居場所を見つけたんだよ」
茶子にとって、山折は世界のすべてだった。
守られた初めての場所であり、幸福の象徴。
その境遇に自分と重なるところがあるのか、タチアナは僅かに目を伏せる。
だからこそ、彼女は山折の滅びを、どうしても認められなかった。
「茶子は、村が終わってしまうことを拒んだ。
だから、願ったんだよ――――『山折村の永遠』を」
その願いは、あまりにも哀しい。
それは少女から時の止まった女が見た、壊れた夢のかたちだった。
「そうして生まれたのが、永遠の国。
死者たちが踊り、日常を永遠に繰り返す夢の世界。
あのトンネルにいた私も、その願いに巻き込まれたひとりだった」
そして、夢は現実を侵食していった。
永遠を夢見る黒いアリス――それが、かつての虎尾茶子の変じた姿。
願望機を通して形作られた、死してなお終わらない幻想だった。
「……一つ、疑問がある」
話を聞き終えた征十郎が、静かに口を開く。
「なぁに?」
「なぜ……お前だけが、『永遠』から解き放たれた?」
タチアナは『永遠』の支配から抜け出し、今こうして現実の世界にいる。
しかし、村の他の住民たちは今もなお永遠の国に囚われたままだ。
なぜ、彼女だけが現実へと戻ることができたのか。
問いを受けたタチアナは、ほんの少しだけ視線を伏せて答えた。
「……多分。私が唯一生きたまま永遠に取り込まれた存在だったから、だと思う」
彼の地で起きた激しい戦いに巻き込まれ、あるいは意図的な殺戮により、あの村の住民は全て死に絶えた。
残ったのは死体の山であり、永遠の国の住民は、死体を糸で継ぎ合わせ、意志なきまま操られる人形にすぎない。
だが、タチアナだけは違った。
彼女はあのトンネルの中で生きたまま永遠に取り込まれた。
『HEUウイルス』は死者には感染しない。
故に、あの死者の国で開闢したのはタチアナだけだった。
超力は、永遠を作り上げている願望機と根源を同じとする力だ。
解き放たれたのは、それに目覚めたからだろう。
733
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:33:40 ID:DH0FMjMI0
「でね、一つの仮説を立てたわけ。
私が生きてたから永遠から弾き出されたなら、死者たちにも命を別の形で与えれば、永遠から解放できるんじゃないかって」
理屈としては、一理あるかもしれない仮説である。
だが、それは実証も立証も極めて困難な話だ。
「んで、5年くらい前、実際カチコミをかけてみた訳よ」
「………………ん?」
征十郎は思わず間の抜けた声を漏らした。
「……何処に?」
「山折村に」
「……何故だ?」
「それなりに色んなとこでテロって経験積んだかんね。今ならイケっかなぁ、って」
冗談めかすような口調とは裏腹に、その内容は全く笑えない。
征十郎は額に手を当て、深くため息をついた。
「……お前、永遠に未練があったのではなかったのか?」
「さて、どうだったんだろ……決別したかったのか、それともただもう一度訪れたかったのか、本心は自分でもわかんないや……」
タチアナ自身、行動の動機を完全には言語化できていなかった。
だが、確かに彼女は向き合おうとしたのだ。
かつて、自分を呑み込んだ永遠という呪いに。
「それでね、とりま専門家に協力を仰いだの」
「専門家……? 何のだ?」
「もちろんゾンビの」
ゾンビの蔓延る死者の国に向かうのだ。
そこを渡るのならゾンビの専門家が必要だろう。
「この刑務作業にも参加してる並木旅人って仲介人を通してゾンビの専門家を派遣して貰ったの。
旅人を信奉してるシビトってゾンビを創る超力者。確かこいつも頭に弾丸喰らって今はアビスに墜ちてんじゃなかったかなぁ?
んで、現地で合流したら謎の幼女も同行してたんだけど……まあ、それはそれ」
征十郎は呆れを隠しきれず、目を細める。
タチアナは気にする様子もなく話を続けた。
「結論から言うと、その目論見は成功した。けれど――結果は大失敗だった」
「……どういう意味だ?」
成功したのに失敗した。
その言葉の矛盾に、征十郎は眉をひそめる。
タチアナの表情に、ほんの少しだけバツの悪そうな色が差す。
「……ま、順を追って話すよ」
タチアナはひと息つき、自らの失敗談を語り始めた。
「とりま、山折村に到着した私は最初に出会った永遠の住人を爆殺して、それをシビトによって復活させた」
そうして目論見通り、死者に命を与えられたその個体は永遠の支配から解放された。
シビトの意志に従うと言う不自由によって、そのゾンビは永遠から自由となったのだ。
「そのゾンビはアニカという少女で、どうも女王である虎尾茶子と因縁があるみたいな話だったんよ」
「アニカ……覚えがないな。私が村を離れてからの住人だろうか」
「さぁ? 金髪で色白の、なんかお人形みたいな小学生女子だった。日本人じゃなさそうだったし、外から来たお客さんだったんじゃない?」
アニカゾンビを従えた一行は彼女の案内により女王の居城へと突入する。
「道中もゾンビたちを開放してって、出来上がったゾンビ軍団で敵の居城を正面突破していった。
そうして、ついに女王である黒いアリス――――虎尾茶子と対峙する所までいったの。
けど、最後に騎士のように立ち塞がる一人のゾンビがいた。女王の寵愛を受けたお気に入り、誰だかわかる?」
流れから察するのは容易かった。
征十郎は小さく、慣れ親しんだその名を呟く。
「哉太兄か」
「正解。征タンの従兄弟である八柳哉太。どうにもアニカって子と三角関係だったっぽいよ、、めっちゃギスっててウケたんですけどww熱くない?」
「そう言うのはいいから、続きを話せ」
身内の色恋などあまり聞きたい話ではない。
ギャルの一面が見え隠れするタチアナは恋話が遮られて不満げだった。
「私たちは、永遠の国の住人たちを片っ端からゾンビ化させて女王に反旗を翻させていた。
実際、その時点で、戦力としては完全にこちらが上回っていた。あとは、騎士と悪い女王様を倒して、めでたしめでたし。
子供向けのおとぎ話なら、これで終わるんだろうけど――――本当はそうじゃない」
おちゃらけた様子だったタチアナが表情を変える。
彼女の失敗談はここからだ。
734
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:34:37 ID:DH0FMjMI0
「数の暴力で騎士を倒したところまではよかった。私たちは女王を討つ寸前まで確かにいっていた。
でも、その騎士の遺した剣を、女王が手に取った瞬間、すべてが終わった」
「剣……? なんだそれは?」
その単語に、剣客は興味を引かれたように尋ねた。
失敗者は表情を無にしたまま、淡々と答える。
「――――魔聖剣デセオ。
あの山折村の事件の最中に生まれた、聖と魔、両方の力を孕んだ『生きた剣』」
「生きた……まさか」
「そう。シビトのやってた死者に命を与える術を散々見た女王は学習していた。
追い詰められた女王は、魔聖剣の命を代価にして、自らを永遠の国の枠組みから解き放ったの」
その瞬間――黒いアリスは山折という狭い世界から解き放たれたのだ。
山折に縛られていた地縛霊は、今や場所を選ばず漂い出す浮遊霊となった。
「それが、目下GPAの頭を悩ます最大の懸念事項――――『永遠のアリス』。
現れた場所に永遠を伝播させ、空間そのものを書き換える特級呪霊」
結果として、永遠の国は消滅した。
しかし、永遠という災厄は、形を変えて拡散することになる。
「彼女がいる場所こそが、山折になる。
GPAはその情報を必死に秘匿してるけど、SNSなんかの目撃情報は完全には消せないから、今も情報操作したり火消しに追われてるらしいよ」
タチアナは他人事のように語る。
「……おい、お前さらりと、とんでもない事してないか?」
「だってぇ〜、あーし、享楽的なギャルだし〜?」
タチアナはキャルン☆とウィンクしながら、両手の指でVを作って目元にかざす。
その程度では誤魔化し切れるはずもない事をやらかしていた。
世界最悪の災厄を解き放ったも同然である。
「と、まあ私が知ってるのはここまで。『永遠のアリス』がどうなったかまでは知らないんだよねぇ。
とっくにGPAが対処しているのか、それともまだ暴れまわっているのか。
その後を追ってたわけでもないし、今となってはアビスに落ちちゃった訳だし知りようがないんだよね」
タチアナの語れるヤマオリの歴史はここまでだ。
永遠から解放されるまでに得た知識と、自らが行ったヤマオリ解放戦。
それ以後のことは彼女にも分からない。
「茶子姉…………『永遠のアリス』、か」
重く呟く。
だが、呟いてみたモノの、征十郎からすれば正直あまり知った事ではない。
身内の恥ではあるが、世界の危機など対処するのはGPAの仕事である。
何より地の底に捉えられた身では気にしてもどうしようもない話だ。
その辺はタチアナも同じ気質なのか。
パンドラの箱を開けたとは思えぬほどさっぱりとしたものである。
「それよか、征タン。気づいている?」
「無論だ」
気づけば、どうも周囲が騒がしくなってきた。
他の刑務作業者が本格的に動き始めたのだろう。
周囲の部屋部屋から不穏な気配が漂い始めている。
「もう、休息は十分だろう」
「だねぇ」
いつまでも休憩していられる状況ではなさそうだ。
二人とも気質として、後手に回るのは向いていない。
巻き込まれる前に先手を取って動くべきだろう。
「やりあうにしてもこう騒がしてくはかなわん、まずはそちらを片付けるぞ。いいな」
「りょ。かしこまり〜☆」
敬礼ポーズ了承するタチアナ。
征十郎たちは立ち上がり、動き始める。
機械室の出口に向かって歩きながら、何気なく征十郎が尋ねた。
「結局どのキャラで行くつもりなんだ、お前?」
「っさいなぁー。こっちも模索中なんだっての」
735
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:34:56 ID:DH0FMjMI0
【D-5/ブラックペンタゴン北東ブロック外側・機械室エリア/一日目・午前】
【ギャル・ギュネス・ギョローレン】
[状態]:疲労(大)、“タチアナ”
[道具]:学生服(ブレザー)、注射器
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.――――
1.周囲の喧噪を調べてみる
2.復活したら改めて征十郎を燃やす。
※刑務開始前にジョーカーになることを打診されましたが、蹴っています。
※ジョーカー打診の際にこの刑務の目的を聞いていますが、それを他の受刑者に話した際には相応のペナルティを被るようです。
※ポイントは全部治療関連のものに交換しました。
※永遠は斬られたので、今後は年を取ります。
【征十郎・H・クラーク】
[状態]:ダメージ(大)
[道具]:日本刀
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.――――
1.周囲が喧噪を調べてみる
2.復活したら改めてギャルを斬る。
736
:
Re'Z
◆H3bky6/SCY
:2025/07/31(木) 21:35:16 ID:DH0FMjMI0
投下終了です
737
:
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:10:17 ID:uZZUcUfA0
投下します。
738
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:11:19 ID:uZZUcUfA0
◾︎
────時間の進みが、遅い。
民家の中で各々過ごす一同は、共通の意識を持っていた。
刑務作業が始まってから10時間あまり。
まだ半日も経過していないということは、これまで生き延びた時間の倍以上をここで過ごさねばならないのだ。
いつ恩赦目当ての者が来てもおかしくない緊張状態。
それをいつまでも維持しているとなると、時の流れも異様に遅く感じる。
実際日月は、ソファの背もたれに身体を預けながら何度もデジタルウォッチに目を落としていた。
「喉、乾きましたね」
そんな落ち着かない気配を察してか、横から遠慮がちな声がかかる。
右を見遣れば、いつの間にか叶苗が隣に座っていた。
「そうね……」
返せる言葉などそれしかない。
途方もない時間を生き延びなければいけない、というプレッシャーに充てられたわけではない。
正確に言えばそれもあるが、大きな理由は別にある。
古びたテーブルを一つ挟んだ椅子に座る男、氷月蓮の存在が、彼女の言動を縛っているのだ。
「どうかしたのかい?」
「別に」
首を傾げる氷月へ、日月は素っ気なく返す。
迂闊に会話を広げれば、アイや叶苗のように心を掬われてしまいそうだから。
得体の知れない恐怖が、日月の心労を重ねてゆくのだ。
「…………」
再び訪れる沈黙。
あの輝かしいミニライブが、酷く懐かしく思える。
食糧も嗜好品もない以上、この場においての娯楽など無に等しい。
この状態であと半日以上過ごさなければならない。
氷月はともかく、叶苗とアイを保護しながら。
そんなプレッシャーに辟易として、思考を巡らせている内、〝矛盾〟に気がついた。
739
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:12:01 ID:uZZUcUfA0
(…………私、何考えてんの)
アイドルに戻りたい気持ちは本物だ。
ドブ底のような人生で、唯一誰にも負けないくらい輝くことが出来たあの時間を、もう一度取り戻したい。
例えどんな手を使ってでも、このアビスから出獄してやりたいと思っていた。
なのに今考えていたのは、まるで真逆のシチュエーション。
叶苗とアイと共に、残りの刑務時間を生き延びようとしていた。
この二人と共にいることで恩赦など稼げるはずもないし、目的を考慮すれば首輪を奪うべきである。
(くだらない)
浮かぶのはジャンヌ・ストラスブールの顔。
あなたは親切な人だから、なんて言って一方的に保護を押し付けてきた元凶。
思えばあの女に出会ってから、ずっと心が掻き乱されている。
(ほんと、くだらない)
親切な人だなんて、そんなわけがない。
今もこうして罪を認められず、アイドルへの未練へしがみついて、アビスから這い出ることを企てている。
そのくせ悪に振り切ることも出来ず、叶苗達を殺すという選択肢が浮かばない。
こうして迷っている間にも、刻一刻と刑務の終わりが近づいているのに。
ああ、そうだ。
残り半日、たった半日。
その間に400pt稼がなければならない。
そう考えた途端、どうしようもない焦燥が心を支配する。
あれほど長く思えた残りの時間が、途轍もなく短く感じてしまう。
脱獄するにせよポイントを稼ぐにせよ、本気でアイドルに戻るつもりなら、今すぐ行動を起こさなければならないのに。
「日月さん、具合でも悪いんですか?」
ちらりと、叶苗を見やる。
視線がかち合い、慌てて目を伏せる。
叶苗の問いかけに答えることが出来ず、今度は床でごろんと寝転がるアイの顔が映った。
不思議そうに首を傾げるアイ。
ばつが悪そうにため息を吐く日月は、冷静に自分の気持ちを改める。
(落ち着きなさい、行動に移すのはジャンヌの経過を聞いてからでもいい)
ジャンヌ・ストラスブールはルーサー・キングを討つために港湾へ向かった。
ルーサーかジャンヌ、どちらかの名前が読み上げられない限り決着の判断はできない。
しかし彼女らが第二回放送後に邂逅していた場合、それを知るのは第三回放送後になってしまう。
その差は6時間。
あまりに痛すぎる。
頭では理解している。
ジャンヌとの合流を待ってからポイントを稼ぐ事など不可能であり、脱獄をするにしてもここで待つ選択肢は無いと。
なのに、それを無視して〝言い訳〟に縋ろうとしている。
740
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:12:41 ID:uZZUcUfA0
完全に乗るわけでもなく、降りるわけでもない。
日月は一種の錯乱状態にあった。
いっそ、ここから発つべきかもしれない。
なにも叶苗達を殺す事に拘らず、他の参加者を殺せばいい。
そうだ、そもそも叶苗とアイ、それに氷月を合わせても合計で75ptしかない。
三人殺しても死刑囚一人のポイントに届かないのだから、まるでリスクと釣り合っていない。
これだけの時間が経っているのだから、参加者同士の同盟が出来上がっているはずだ。
そこに紛れ込めば、400ptを稼ぐことも不可能では────
(…………くだらない)
本当に、くだらない。
自分の荒唐無稽ぶりに反吐が出る。
叶苗やアイを殺せないから、他の参加者を殺す。
少し言葉を交わしただけで情に流されたから、この二人を見逃して、殺せそうなやつを殺す。
そんな馬鹿げた命の選定をしている余裕があると思っているのか。
アイドルへ戻りたいという気持ちは、そんなに中途半端なものだったのか。
ジャンヌへの嫉妬、羨望、諦観。
叶苗への共感、同情、愛着。
ないまぜになった複数の感情が日月の胸を締め付けて、深い葛藤を生み出す。
脳が宙に浮くような気持ちの悪い感覚に吐き気を覚え、固く目を閉じた。
「三人とも、聞いてくれ」
そんな折り、男の声がかかる。
それまで窓の外を見ていた氷月が立ち上がり、ゆっくりと全員の顔を見回した。
741
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:13:11 ID:uZZUcUfA0
「僕は少しこの辺りを見てくる。もしかしたら他の参加者が来るかもしれないし、運が良ければ綺麗な水や野生動物も見つかるかもしれない」
鬱屈とした空気を察して、希望をのせた発言。
氷月の提案は合理的だった。
放送が近いからと、落ち着ける拠点を探すために廃墟へ足を運ぶ者がいる可能性もゼロではない。
なにより陽が差している今、この周辺を散策することで、黎明の空下で見落としていた新しい発見があるかもしれない。
「氷月さん一人じゃ危険です、私も──」
「大丈夫。複数だとかえって目立ってしまうし、逃走ルートを確保している僕が適任だ」
穏和な笑顔で返す氷月に、叶苗は何も返せなくなってしまう。
彼を止める理由が思い付かず、なにより飲水が見つかるかもしれないという誘惑に負けて。
お願いしますと小さく告げて、叶苗はもう一度席に着いた。
「放送前に戻らなかったら、僕はやられたと思ってくれ。その時はいつでも逃げられるようにしておいて」
振り返らず、民家を後にする氷月。
日月はその背中を、複雑な面持ちで見送った。
◾︎
742
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:14:42 ID:uZZUcUfA0
「日月さん」
「なに」
氷月が去ってすぐ、叶苗が日月へ肩を寄せる。
その行動にまんざらでもないと感じている自分へ見て見ぬふりをして、ぶっきらぼうに返す。
「日月さん、アイドルに戻りたいって言ってましたよね」
「それがどうしたのよ」
「もし戻れるなら、その…………」
顔を俯かせ、言い淀む。
叶苗が何を言おうとしているのか察して、日月は重たい溜め息を吐き出した。
「アイドル失格ね」
「え?」
「顔に出てたんでしょ、私。どんな時でも笑顔でいて、皆に夢を見せるのがアイドルなのに」
叶苗はきっと、日月の迷いを読み取っていた。
動物的な勘の鋭さゆえか、もしくは人を気遣う能力に長けているのか。
日月は観念したようにぐったりと背もたれに体重を預け、天井を見やる。
さてどう言い逃れようかと、そう考えて。
「私は、アイドルだから弱いところを見せちゃいけないなんて……思いません」
思わず、面食らった。
「アイドルは完璧じゃなきゃいけないなんてこと、ないと思います」
おずおずと、けれどじっと目を見据えて告げる叶苗。
自分はもう吹っ切れたとばかりに淀みない瞳を、日月は見ていられない。
ルーサー・キングの呪縛と、行き場のない復讐心を乗り越えた彼女は、とうに日月の先を行っていた。
「あんたね、アイドルのなんたるかを〝あの〟鑑日月に意見するってわけ?」
「……す、すいません」
「謝るくらいなら最初から言うんじゃないわよ」
「でも、私は……日月さんに一人で抱え込んで欲しくないです」
自信があるのかないのか、どっちともつかない態度で言いのける雪豹。
日月は鼻で笑うが、それは心中を見抜かれたことへの強がりに過ぎない。
「日月さんは優しいから、迷ってるんですよね」
掻き乱された心に追い討ちがかかる。
緊張か苛立ちか、早まる鼓動がやけに煩く感じる。
「私でよければ、打ち明けてください」
今の日月さんは、すごく寂しそうだから。
そう付け加えて、蒼玉のような瞳で偶像を見つめる叶苗。
地獄の底で煌めくガラスのように。
危うく、透明で、綺麗だった。
743
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:15:18 ID:uZZUcUfA0
──ああ、やっぱり駄目だ。
──ジャンヌの時と同じだ。
日月は、輝きを前にすると焦燥する。
皆が安堵し、焦がれる光を前にしても、それを心から受け入れることが出来ない。
自分の手の届かない場所にあると知れば、弱みを見ようと野心が先に顔を出す。
幼い頃から美貌と頭脳によって、欲しいもの全てを手にしてきたのに、唯一手に入れられなかったもの。
偶像という仮面を被らなければ、日月は人に優しくすることができないから。
自分では太刀打ち出来ない、〝太陽〟になりかけている叶苗へ、漠然としたプレッシャーに苛まれた。
「──あんたは、先があるからそんな事が言えるのよ……!」
「えっ、……」
そうして、ようやく紡いだ言葉がそれ。
声色が震えているのは怒りなのか、不安なのか、日月自身にも分からない。
分かることといえば、これはガキの八つ当たりに他ならないということだ。
「あんたもアイも、まだ若いうちに外に出られる! いくらでも生き甲斐なんて見つけられるし、やり直しだってきくでしょう!」
叶苗の顔を見ないまま、一方的に捲し立てる。
己を追い込むように。善性と悪性の狭間で揺蕩う自分へ、言い聞かせるように。
「私の首輪、見なさいよ! 死刑囚に未来はない……! この機会を逃したら、もうやり直しなんてできないっ!」
どうして、こんなに吐き気がするんだろう。
どうして、こんなに胸が締め付けられるんだろう。
「私はね、生きたいのよ! 死にたくなんかない! 人殺しの悪女のまま終わりたくない……! アイドルとして在り続けたい!」
答えは出ない。
答えをくれる人は、いない。
自分の道を指し示してくれる〝大人〟は、とうに見切りを付けたから。
だから、自分で探すしかない。
「日月さん……」
叶苗は、何も言えない。
かける言葉が見つからない。
堰を切ったように溢れ出る濁流は、少女一人が止められるものではなくて。
鑑日月という浮世離れした存在が、今は年相応の少女に見えた。
744
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:16:12 ID:uZZUcUfA0
「一人で抱え込んで欲しくないって、そう言ってたわよね」
「……はい」
「じゃああんた、私が生き延びるために殺人の手伝いをしろって言ったら、手を貸してくれるの?」
「え……っ!?」
叶苗の動揺を見抜くや否や、日月はひどく冷たさを帯びる声でそう質す。
分かりやすく瞳孔を開いて驚きを示す叶苗。
その脳裏では、忘れたくても忘れられない過去がフラッシュバックしていた。
「それ、は…………」
初めての殺人。
それは、衝動的なものだった。
家族殺しの実行犯を捕えて、情報を聞き出そうとして。
超力で抵抗しようとしてきた際、反射的に爪で首を切ってしまった。
人を殺すという覚悟の決まっていない状態で、一人の未来を奪い取ったのだ。
「私、は…………っ」
手に残る生々しい感触は、今でも消えない。
あの日から毎日、必ず悪夢を見る。
生暖かい返り血。か細い悲鳴。死んだ男の表情。
全部が、事細かに夢に出る。
人を殺すということは怖いことなのだと、過剰なまでに突き付けてくる。
だから叶苗は、ブラッドストークを殺した後に自分の命を捨てるつもりでいた。
今思えばそれは、人殺しの道を歩んだ事実から逃避する為だったのかもしれない。
「ほらね、答えられない」
迎えるタイムリミット。
あ、と力なく洩らす叶苗の瞳は、先程と比べてひどく不安定に揺れている。
なにか言葉を探さないとと答えあぐねているうちに、日月はそれを見透かしたように嘲笑った。
「完璧じゃなくていい、なんて簡単に言うけどね。いざ綻びを見せたらどう? あんたは何も言えず、私に残ったのは〝弱みを見せた〟という結果だけ」
鑑日月は、アイドルに誇りを持っている。
叶苗とはまるで真逆で、偶像とは完璧であるべきと考えている。
私はとっくに乗り越えたとばかりに、アイドルを説いてみせた叶苗へ苛立ちさえ覚えていた。
「聖者でも気取るつもりなら、良い機会ね。無責任な発言だけで心動かされるような人間、そういないわ」
なのに、
どこかやるせなさそうに黙々と聞き入れる叶苗を見ても、心は曇ってゆくばかりで。
「あんたは夢を見つけて満足かもしれないけど、周りを見なさいよ。他人を殺さなきゃ、夢を見ることすらできない人間なんてここじゃ山ほどいるわ」
自分は何をやっているんだろう。
何十回、何百回と思ったそれが、今は一際心を支配する。
輝きを穢すような真似をして、辛うじて自分を保とうとする鑑日月を、アイドルと認めたくなかった。
745
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:17:01 ID:uZZUcUfA0
氷藤叶苗は、眩しかった。
けれどジャンヌの時のような嫉妬ではなくて、自己嫌悪ばかりが積み重なる。
キングの悪意に振り回されていただけの少女が前を向いて進もうとしているのに、自分はずっと進めないから。
置いて行かないでよと、肩を掴んで歩みを止めようとしている。
「こんなことなら、言わなきゃよかった」
そんな自分は、アイドルじゃない。
沈黙が訪れる。
激情を一通りぶちまけた日月は、自身の太腿に爪を立てて奥歯を噛み締める。
対して叶苗は俯いたまま、逡巡を重ねた末に唇を開いた。
「……ます」
「え?」
「私、やります……っ!」
「……はあ!?」
何を言っているんだ、こいつは。
今にも泣き出しそうな顔で、わかりやすく顔を青ざめながら、何を言っている。
その了承にどれだけの重みがあるのか、人を殺す恐怖を経験した叶苗はよく知っているはずなのに。
唖然とする日月の手を取り、雪豹は縋るように眉を下げる。
「けど、お願いです……アイちゃんと氷月さんは、巻き込まないであげてください」
「…………あんた、本気なの」
動揺の中、日月は意味のない問いを投げる。
今からでも遅くはないと、忠告するかのように。
「日月さんは、優しいから」
「またそれ?」
「優しいから、私達と一緒に居てくれてる」
否定の言葉が見つからない。
幾らでも言い訳出来るのに、する気になれない。
心にじんわりと広がる得体の知れない感情が、日月から言葉を奪い去る。
「人を殺すのは、怖い。自分の欲を満たすためにそんなことしちゃいけないなんて、みんな分かってる。けれど、それでもやるしかない人は……孤独で、すごく寂しい」
叶苗もまた、呪われた道を歩む一人だった。
家族の仇の為に奔走し、それを生き甲斐に実行犯を殺してきた。
誰にも打ち明けられずにいた地獄の道は、進むたびに孤独を突き付けられて。
ずっと、誰かに抱き締めて欲しかった。
もう一人で抱え込まなくていいと、そう言って欲しかった。
「なら私は、日月さんに寄り添います……! 例え許されない道でも、一緒に進めばきっと違うから……!」
────ああ、そうか。
日月は改めて、思い知らされる。
自分がなぜジャンヌに心を焼かれ、届かないと確信したのか。
深く暗い葛藤の中で藻掻く自分とは違い、己の正義を貫く一本槍のような志。
それが、欠けていたのだ。
746
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:17:47 ID:uZZUcUfA0
今の叶苗は、ジャンヌに似ている。
進もうとしている道はまるで真逆だけど、心根にあるのは自己犠牲。
地獄へ堕ちようとする日月へ手を差し伸べるのではなく、一緒に堕ちようとしている。
日月はそれが、堪らなく嬉しかった。
「ばかね、あんた。そんなんだから、ルーサー・キングにつけ込まれんのよ」
ずっと欲しかった叶苗の言葉。
それを呑み込むわけでも、否定するわけでもなく、力のない笑みで誤魔化す。
緊張の糸が解けたのを感じ取ったのか、叶苗は力が抜けたように息を吐いた。
「あい、あい!」
「なによ、アイ」
「あう!」
それまでじっと二人の様子を見ていたアイが、日月の膝に乗り抱きつく。
彼女達の感情を読み取ったのか、幼子のような抱擁ではなく優しく、日月の背中をよしよしと摩る。
突然のことに戸惑いを隠せない日月だが、引き剥がそうだなんて考えは微塵も浮かばなかった。
代わりに、小さな体を支えるように恐る恐る抱き返す。
心地の良い温もりが、日月の心の空隙を埋めてゆく。
「アイちゃん、優しいね」
「あう?」
「……単純に甘えたいだけじゃないの?」
「あはは、そうかも」
答えはまだ、出ない。
未だに日月は出口のない迷路を彷徨い続けている。
そんな中で見つけたぬるま湯に浸って、現実から目を背けている。
それでも、このぬるま湯から抜け出したくなくて。
日月は思わず、口元を綻ばせた。
◾︎
747
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:18:21 ID:uZZUcUfA0
「寝ちゃいましたね、アイちゃん」
「……そうね」
あれから10分ほどして、アイは日月の腕の中で寝息を立てた。
色白の頬を優しく撫でながら、日月は叶苗へと目を配らせる。
「ねえ、叶苗」
「はい」
「あんた、友達とかいるの?」
「え? ……えぇ? きゅ、急になんですかっ」
先ほどの話の続きが来ると身構えていたから、叶苗は思わず拍子抜けする。
そしてどこか無礼な問いかけに異議を唱えるかのように、むっとした顔で答えをはぐらかした。
「あんた真面目過ぎるから、友達とかいないんじゃないかって思ってさ」
「う、……確かにこの姿っていうこともあって、学校じゃ馴染めなかったけど……」
「やっぱりね。学級委員長とか向いてそうだし、そういう奴は大体嫌われるもんよ」
「ひ、ひどい……そんなにはっきり言わなくてもいいじゃないですか!」
さっきの話は、なかったことにする。
そう言外に意識づけるように、二人は他愛もない会話を続けてゆく。
「そう言う日月さんは……やっぱりいいです」
「ちょっと、そういうのが一番失礼よ。……中学すらまともに行ってなかったけど、小学生の頃はいたわよ」
「え、そうなんですか!?」
「まぁ二人だけね。山中杏ってやつと、羽間美火って子。杏は中学も一緒だったけど、不登校になっちゃってそれっきり」
寝ているはずのアイが日月の服を掴む。
これは暫く離れてくれないな、なんて考えながら小さな命を愛でる。
「羽間美火、って……」
「私も最初に名簿を見た時はギョッとしたけどね、多分同姓同名。あの子、間違ってもこんな場所に来るような子じゃないし」
「よかった…………日月さんの小学生時代、全然想像つかないや」
「別に普通よ。あんたは小学生から高校生まで想像しやすいわね」
「褒め言葉ですか?」
「いいえ」
ここはアビス、這い出る事の許されぬ地の底。
「高校生ももう終わっちゃうし、大人になる実感なんてないですよ」
「……待って、叶苗。あんたもしかして高三?」
「え、そうですけど」
「…………うそ、私の一個上じゃない。全然見えないわ」
「そ、それは私が子供っぽいんじゃなくて、日月さんが大人なんですよ!」
それでもこの埃まみれの民家の中は、まるで別世界のようで。
「いつまでさん付けしてんのよ」
「えっ?」
「そうやって距離置いてるから友達できないのよ、〝先輩〟」
二度とは手に入らぬ日常の一欠片を味わえているようだった。
「じゃ、じゃあ…………日月、ちゃん?」
「ま、及第点ってとこね」
夢を諦めきれず、人を殺す一歩も踏み出せない。
問題は何も解決していないし、残ったのは弱みを見せたという結果ただひとつ。
完璧であるべき偶像に罅を入れて、結局得られたものは叶苗の共感だけ。
答えなど、到底見つかりそうにない。
けれど、そのつまらない共感は。
闇に漂う月を、仄かに照らし出した。
748
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:18:41 ID:uZZUcUfA0
【C-7/廃墟東の民家/一日目・昼】
【鑑 日月】
[状態]:肉体の各所に火傷、深い屈折、葛藤
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.アビスからの出獄を目指す。手段は問わない
0.答えを探す。
1.氷月への警戒を強める。
2.ジャンヌに対する葛藤と嫉妬を抱えつつ、彼女の望み通りに叶苗とアイを保護する。
3.ジャンヌ・ストラスブールには負けたくない。彼女を超えて、自分が真の偶像(アイドル)であることを証明したい。
【アイ】
[状態]:全身にダメージ(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.故郷のジャングルに帰りたい。
0.睡眠中
1.(かなえを傷つけたくない、でもどうすればいいかわからない)
2.(ひづきはさびしそう)
3.(あいつ(ルーサー・キング)は、すごくこわい)
4.(ここはどこだろう?)
5.(れんはきらいじゃない)
【氷藤 叶苗】
[状態]:胴体にダメージ(小)、罪悪感
[道具]:シャツ、鋼鉄製の手甲(ルーサーから与えられた武器)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.寂しさを持つ人に寄り添いたい。
1.アイちゃんを助けたい。
2.日月ちゃんの悩みを受け入れたい。
※ルーサー・キングから依頼を受けました。
①ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、恵波流都、エンダ・Y・カクレヤマ。
以上5名とその他の“目ぼしい受刑者”を対象に、最低3名の殺害。
②1人につき15万ユーロの報酬。4名以上の殺害でも成果に応じて追加報酬を与える。協力者を作って折半や譲渡を約束しても構わない。
③遂行の確認は恩赦ポイントの回収履歴、および首輪現物の確認で行う。
④第2回放送直後、B-2の港湾で合流して途中経過や意思の確認を行う。
④依頼達成の際には恩赦後のアイの安全と帰還を保障する。
◆
749
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:19:53 ID:uZZUcUfA0
背の高い草を掻き分け、木々を目印に進む氷月。
そうしているうちにD-7の橋付近へ辿り着き、周辺をゆっくりと見渡す。
鬱蒼と茂る草は身を隠すのに十分機能していて、屈んで動けば細身の氷月はまず視界に入らないだろう。
橋へと続く獣道は、まばらに散る草や枝によって足場が悪い。
氷月はそれら一つ一つを進みやすいように足で退けて、橋の根元に到着した。
「さて、と」
人の通った痕跡を残すのは本来避けるべき行為であるが、氷月はあえてわかりやすく残してアピールする。
障害物を取り除かれた進みやすい獣道は、本能的に移動ルートを制限させられる。
身を隠す目的ではなく、逃走や移動の目的であればまずこの〝安全が確保された〟道を選ぶだろう。
氷月は、のちの保険の為にこの道を作り出した。
そうして、空を見上げる。
雲ひとつない晴天。陽光の眩しさに目を細め、手で陰を作る氷月。
一見爽やかな好青年に見えるその仕草を、早々に取りやめて。
橋の向こうへ視線を切る氷月の目は、さながら猛禽類のように鋭く変わった。
「────〝私〟だ、ヴァイスマン」
男は、呼びかける。
叶苗達の信頼を勝ち取るために演じていた好青年の仮面を外して。
長らく眠らせていた氷月蓮という本来の人格を、呼び覚ます。
「〝ジョーカー〟として、権限を使わせてもらう」
氷月蓮──本来、この刑務作業に名前が並ぶことはなかった存在。
ヴァイスマンの推薦で、この地へ赴いた潜入員。
ギャルと同じく駒(ジョーカー)の打診を受けていた彼は、他の参加者とは一線を画す優位性を得ていた。
「まずは50ptほど、使わせてもらおう」
氷月蓮に与えられた役割は、潜入と諜報。
刑務に消極的な集団へ潜り込み、データの確保と団体の崩壊を目的とする暗躍者。
彼が受けた恩恵は────200ptの無償使用の許可。
これは恩赦ポイントとは別枠で設けられた、いわば〝特権ポイント〟。
仮に満額の200ptを使い切らず刑務を生き延びても、減刑や金銭には割り振られない。
この刑務作業の期間内にしか存在しない、一日限りの砂金である。
750
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:20:34 ID:uZZUcUfA0
ただの砂へ変わる前に、価値のあるうちに使わなければならない。
氷月はずっと、その機会を伺っていた。
身を守る為の武器や防具を選択せず、無手のままわざわざ集団へ潜り込むという危険を冒してまで、機を待ち続けた。
「C4リモコン爆弾と、ワイヤートラップを」
そうして掴んだ機会。
氷月の言葉に従い、彼の足元に望み通りのモノが転送される。
テープ貼りされた無機質な緑色のプラスチック爆弾が三つと、それを起爆させるための小さな遠隔起爆装置。
隣には動物を捕獲するためのワイヤートラップ。
それらを手に取って、氷月は見えない誰かに対してふっと笑う。
「相変わらず仕事が早いな」
そして手際よく、氷月はそれらを設置する。
橋付近の獣道へワイヤートラップを作成し、その近くの草の中へC4爆弾を隠す。
その間、僅か数分。
たった数分で、廃墟から中央へ続く唯一の道は生存不可の危険地帯と化した。
この場所はもう、氷月のテリトリーである。
「本当はもう少し経過を見たかったが、私にもやるべき事があるからね」
当然、ジョーカーが受けられるのは恩恵だけではない。
氷月には、事前に二つのミッションが与えられていた。
一つが、刑務作業に消極的なグループに紛れ込み、6時間以上過ごすこと。
そしてもう一つが、刑期に関係なく最低でも三名以上の参加者を殺すこと。
前者はすでに達成は目前、となれば問題は後者。
参加者の総数から逆算して、三人手に掛けるというのは決して容易ではない。
人によっては200ptの恩恵など釣り合わないと考えてもおかしくないが、氷月はそれを二つ返事で承った。
超力を使用した自分がどこまで〝殺せる〟のか、興味があったのだ。
氷月蓮にとってこれは刑務作業などではなく、娑婆に出る前の余興。
どうやら外の世界では殺人はよくないことらしいから、ここで発散ついでに殺人欲求を抑える方法を習得する。
そのために、氷月はずっと〝辛抱〟していた。
(鑑日月────あれはもうダメだ、二人を殺せない)
氷月は最初、鑑日月を利用して長期的にミッションをこなすつもりだった。
言葉巧みに誘導し、叶苗かアイのどちらかを殺させて退路を断つ。
そうしてコントロールした日月と共に参加者を殺して回り、最後に日月を始末する。
これが第一のシナリオだったが、川のほとりで覗き見た叶苗とのやり取りで完全に見限った。
751
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:22:59 ID:uZZUcUfA0
偶像への未練から多少は利用価値があると思ったが、つまらない情に心を揺さぶられている。
その気にさせたところで実行に移せず、下手をすれば自分へ反抗するかもしれない。
少なくともあの瞬間、〝マーダーライセンス〟が映し出した選択肢の中に、そのシナリオは含まれていなかった。
「50ptか、三人纏めて殺せるのなら随分安上がりだな」
逆を言えば、
今の氷月の行動は、マーダーライセンスが映し出した、確実に殺せる方法。
アイ、叶苗、日月の誰か──もしくは全員がこの道を通るように誘導する。
未来予知ではないため、それは氷月自身が行わなければならないが、これまで築き上げた信用を鑑みれば造作もない。
それに多少粗があったとしても、だ。
「やれやれ、我慢なんてするもんじゃないね」
氷月はこれ以上、殺人衝動を抑えられそうにない。
本当に、苦痛だった。
無防備に背中を見せる叶苗達には、夥しいほどの〝殺し方〟が浮かび上がっていた。
殺せないタイミングの方が少なかったくらいだ。
氷月は何度も手を出しかけて、その度に役割を思い出し自らを制止していた。
人を殺さないということは、こんなにも辛いことなのかと、ひどく思い知らされた。
「もう我慢しなくていいんだと思うと、こんなにも世界が綺麗に見えるのか」
時刻は第二回放送より三十分前。
その放送を機に、人の心を喪った冷血漢は動く。
家族だの、幸せだの、そんな夢を語る囚人共に現実を突きつける為に。
けれど氷月は、同時に冷静さを欠いていた。
それは彼自身でも認識できないほど些細なもの。
しかし、胸奥に眠る〝憎悪〟の感情。叶苗が放った綺麗事を聞いてから、ずっと巣食うノイズ。
そのせいで氷月は、予定よりもほんの少し早く行動に移した。
それがどう転ぶのかは、分からない。
マーダーライセンスはあくまで、答えしか映し出さない。
道を進むのは、あくまで自分自身なのだから。
752
:
Deep eclipse
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:24:14 ID:uZZUcUfA0
【D-7/橋付近/一日目・昼】
【氷月 蓮】
[状態]:健康、憎悪の感情
[道具]:Tシャツ、ナイフ3本、フォーク3本、遠隔起爆用リモコン、デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt(残り特権150pt)
[方針]
基本.恩赦Pを獲得して、外に出る
0.ひとまず民家に戻る。
1.ジョーカーとして、ミッションを達成する。
2.集団の中で殺人を行う。
3.鏡日月は利用できない、別の手で集団を崩壊させる。
※ジョーカーの役割を引き受けました。
恩赦ポイントとは別枠のポイント(通称特権ポイント)を200pt分使用可能です。
また、以下の指令を受けています。
① 刑務作業に消極的なグループに紛れ込み、6時間以上過ごす。(達成まで残り30分)
② 刑期に関係なく最低でも3人以上の参加者の殺害。
753
:
◆NYzTZnBoCI
:2025/08/02(土) 07:24:31 ID:uZZUcUfA0
投下終了です。
754
:
◆H3bky6/SCY
:2025/08/02(土) 13:29:30 ID:AOq414Tw0
投下乙です
>Deep eclipse
激しく状況が推移する他と違ってこのグループだけは離れたところで長期間一緒にいるので独自の空気がある
氷月とかいう心の隙間に滑り込む妖怪を除けば、まっとうにこの廃墟で理解を深め距離を詰め続けてきた日月と叶苗
アイちゃんはペット枠に収まっている
日月は闇属性なので光属性に弱いのに、その光に救われているという矛盾が彼女の魅力でもある
ジェンヌへのコンプレックスはいまだ根深く、東西の逆側にいるジェンヌの動向がこのグループに強い影響力を持ち続けているのは面白い
日月と杏、美火が同級生というのは意外すぎる関係値。同年代のJKという意味ではそうなのか、杏と同じと言う事は影薄くて忘れられてるだけで、本条さんもなんだろうか……?
私のために人が殺せる?と言うヤンデレ彼女のような問い
日月からすれば突き放すつもりの意地悪な問いのつもりだったんだろうけど、これに乗ってしまえるのは叶苗もちゃんとアビス住民なんやなって
とはいえ、巻き込まない対象にアイだけじゃなく氷月も含まれているので、氷月にいたいする依存も健在であるのは不穏なものがる
絆を深める少女たちの裏で動き始めたジョーカー
氷月はヴァイスマンじきじきに選出したって話だったので役割を持たされていても納得感はある
しかし、制限時間24時間しかないのに6時間過ごせってのは結構な無茶振りである
道具もそろえて、動き始める氷月。表面上穏やかだったこのグループもついに崩れるのか
755
:
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:06:32 ID:4LBBoYsI0
投下します
756
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:07:38 ID:4LBBoYsI0
港湾の管理室内は、鉄錆と死の臭いが満ちていた。
ルーサー・キングは己のスーツの襟を指先で整える。
そして、床に転がった二人の死体を無感動に見下ろした。
かつて自分が利用しようとしたものの、後になって叛逆を企てた存在。
なんてことはないチンピラ。
二人のことなど、もはやどうでもよかった。
超力で生み出した鋼鉄の刃物で二人の首を切断し、血に濡れた首輪を拾う。
首輪を見下ろす。
恩赦ポイントは貴重だが、元々キングの刑は軽い。
キング自身にあまり旨味がないのだ。
新しい駒でも見つかった際の取引として使えるだろう、と、首輪についた血を拭いて懐に入れた。
自分が屠った死体を足で探り、キングは気付く。
彼が持っていた『システムA』機能付きの枷がない。
ウサギの少女が付けていたアクセサリーも、見つからなかった。
「…………」
自分に会う直前に、紗奈かりんか、どちらかに渡したのだろう。
まぁいい。これから二人を追って、無理やり奪い取ればいいだけだ。
キングが外へ向かおうとした時だった。
管理室全体が、小さく揺れ始める。
近づく地鳴り音。強くなる建物の揺れ。
「………これはいけねぇな」
キングは立ち上がったまま、音のする方向を見る。
秒も経たず、港湾の管理室全体を、巨大な氷の濁流が押し潰した。
757
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:08:35 ID:4LBBoYsI0
◆
港湾全体が巨大な氷の波に押し流され、更地同然となった周囲は氷に覆われ冷気を発していた。
「……ルー、サー」
向こうから、氷を全身に纏った女が歩いてくる。
右目には氷の義眼を宿し、右腕には刺々しい氷の義肢。
氷に覆われた地面を一歩踏み締めるたび、その足跡には冷気と氷が生まれた。
女は、女ではない。
元は男だったのが、超力による整形で女となった。
すべては彼の崇める存在ーージャンヌ・ストラスブールを模倣するため。
唯一髪だけが、刑に服す中で地毛がの色が混じっていた。
「ルーサー……」
ジャンヌの贋物ーージルドレイはゆっくりと前を見る。
「おいおい、サプライズもほどほどにしてくれよ」
ジルドレイが怨敵と定めたルーサー・キングは、健在の姿のまま目の前にいた。
目的の相手がここにいると踏んで、ジルはこのエリア全体に氷の波を放った。
隠れる場所などないはず。
だが、当のルーサーはここにいる。
「……ルー、サァァ」
「サプライズにはなァ、とっておきのパイとチキンを用意するモンだぜ。テンション上がってヤクで飛びたがるやつもいるがな」
殺気立った目で相手に睨まれようと、ルーサー・キングは動じない。
悠々と目を伏せ、冷風で少しよれたストールを、キングは指先で丁寧に直した。
「で、どうした?ジャンヌもどきのジルドレイ。あいにく今はおまえさんのジャンヌごっこに付き合ってやる義理はねぇんだ」
「……ルゥゥゥゥ、サァァァアァァ、」
ジルドレイの目が見開かれ、義眼が殺意に煌めく。
「ルーサー・キングッッッ!!!」
758
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:10:35 ID:4LBBoYsI0
ジルドレイは二発目の氷の大波を放つ。
先ほどより疾く、広範囲。
キングは氷が到達する前に鋼鉄のバリアで自分の周囲を覆う。
氷の大波が、キングの張った鋼鉄の膜を押し潰す。
「……ハッ」
攻撃が当たったと確信したジルは、白い息を吐く。
その時だった。
「よう」
そこにいないはずのキングが、ジルの背後から気さくに声を掛ける。
「ッ!!貴様ッ!!!」
ジルは動揺を殺意に塗り潰し、背後のキングに向け氷の剣を振る。
氷と白い冷気が舞い、周囲を白く染め上げる。
キングは一歩、二歩と下がりながら、微妙に身体を逸らし剣を回避する。
「滅びろッ!!」
氷の剣の一突きを、ジルはキングに浴びせようとした。
だが、寸前でキングは分厚い鋼鉄の膜を作り、氷の剣と相殺させる。
ジルは怒りで咆哮しながら更にキングへ踏み込んだ。
「去ねッ!!!」
ジルドレイの右腕の義肢が歪な形に伸び、鞭のようにキングに襲いかかる。
キングは避ける。
ジルは、巨大な氷の翼を展開し、高速で滑空しながら避けるキングを追いかける。
キングはジルと一定の距離を取りながら、自身の足元に生み出した鋼鉄を推進力に移動ーー微妙な調節で氷の義肢を避けてゆき、死角を狙われた際は即席の鋼鉄の壁でその身を守る。
(つまらねェな……)
キングはジルとの戦いの最中、目を逸らす。
その視線の先は、りんかたちが飛び出していった方向だった。
このままこのジャンヌもどきの相手をしていてもしょうがない。
そろそろ切り上げてりんか達を追うべきか……そう考えていた時だった。
「ジャンヌの意志に散れッッ!!!」
ジルドレイが氷によって自らの分身を産み出し、左右に方向から氷の義肢を放つ。
キングは思案をやめ先ほどのように後ろに避ける。
その時、背後からの氷柱がキングに襲いくる。
左右と後ろからの同時攻撃。
「ーーちっ」
ルーサー・キングは舌打ちする。
冷たく白い冷気が、ジルの攻撃により噴き上がる。
ストールを巻いた体に攻撃が直撃する。
759
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:12:52 ID:4LBBoYsI0
捕らえた。
ジルドレイはその身を捕らえたまま、あらゆる方向から氷の槍を放ち、刺す。
頭上、真下、左右。
ルーサー・キングだったものが氷の槍で串刺しになっていく。
上等なストールが氷の槍でずたずたに裂かれ、ゆらめく。
(ーーおかしい)
ここでジルドレイは何か違和感を感じた。
刺している手応えが人間のそれではない。
違和感の正体にはすぐに気づいた。
冷気が晴れる。
氷に刺され、ボロボロのストールの巻かれた人型の鉄屑。
キングだと思っていたその身体は、彼が鋼鉄で生み出したダミーだった。
「ーーーーッ」
ジルドレイが気づいた時にはすでに遅かった。
刹那、ジルの足元の地面が大きく崩れ出し、地中から無数の鋼鉄の触手が現れる。
それは虚を突かれたジルを容易に拘束し、彼の全身を締めつけた。
「ちょっとした、カンタンな事なんだよ」
地中から、ストールを失ったキングが現れる。
「てめえは気づかなかったようだがな」
その傍には彼の超力で生み出したドリルが二つあった。
ジルドレイはここで理解する。
キングは地面に穴を掘り、地中を通って移動したのだ。
最初の氷の波で彼を逃したのは、港湾の管理室の床にキングが穴を空けていたからだと。
鋼鉄のドリルが嫌な金属音を立て、ジルの周囲をゆっくりと廻る。
「安心しな。このドリルで怖いことはしねェよ」
キングは足場を生み出し地上へ昇り、ジルドレイの前に移動する。
ニィ、と笑うとジルの眼前に顔を近づける。
黒く大きな右手で、ジルの両頬を掴む。
キングはその手から液状化した鋼鉄を生み出し、ジルドレイの口内に無理やり流し込んだ。
「………!!!!」
「静かにはしてもらうけどな」
キングが生み出した鋼鉄はどんどん広がり、ジルドレイの全身、体内の臓器に侵食してゆく。
もがき続けるジルをよそに、キングは冷たい目で鋼鉄を流し続けた。
「ここだけの話だがな。実は俺ァ、さっき面倒なことがあってな。ずっとイライラしていたんだ」
「……ッ、ッッ、……!!!」
「じたばたするな。うざってぇよ」
キングは黒く骨張った手でジルの頬を引っ叩く。
その体内に流し込んだ鋼鉄を超力でねじり、彼の内臓の一部を、死なない程度に破壊した。
「………!!!」
その時だった。
「……めなさい」
周囲を覆う冷たい空気の中に熱気が混じる。
熱い空気が生まれた方向を、キングはゆっくりと見た。
覚えのある空気。
そう、あの女が来たのだ。
「ーーやめなさい、ルーサー・キング!!」
巨大な炎の翼を推進力にし、炎の剣を構え、ジャンヌ・ストラスブールが突進してきた。
760
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:13:33 ID:4LBBoYsI0
◆
ジャンヌ・ストラスブールは炎の翼を広げ、港湾を目指していた。
人々を苦しめ、搾取するルーサー・キングを倒すため。
暴走するジルドレイを、これ以上罪を重ぬよう止めるため。
港湾に着いた彼女は見た。
冷気に覆われ、氷の大波で破壊された港湾。
そこでジルドレイを縛り、いたぶるルーサー・キング。
一瞬驚きはした。
だが、それは彼女が退く理由にはならない。
「ーーやめなさい」
「ルーサー・キング……!!」
ジャンヌは炎の翼を一層大きくし、剣を構え、キングへ突進した。
761
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:14:51 ID:4LBBoYsI0
◆
キングは突撃してくるジャンヌを忌々しげに見やると、
「半日ぶりだなァ。おらよ」
ジルの触手をバネ状にしならせ、そのままジャンヌに投げ飛ばした。
「ーーッ」
ジャンヌは咄嗟に攻撃をやめ、ジルを受け止める。
動けぬジルを優しく抱え直した後、敵意のこもった眼差しでキングを睨む。
「………ルーサー・キング」
「てめえには会いたくなかったんだがなァ……」
ジャンヌからの敵意にも動じず、キングは乾いた笑いを発する。
「その坊やはくれてやる、お嬢さん。体内にたっぷり鉄を流し込んだ。おまえさんのその傷だと治療キットを出せる恩赦ptもないな?どの道助からないさ。聖女の慈悲とやらでこの哀れな坊やを救ってやれよ、ハハハッ」
ジャンヌはルーサーに返事をせず、己が今抱いているジルを見ていた。
彼を抱く細い腕に、力がこもる。
呼吸もできずに痙攣するその身体を、ゆっくりと抱え、そっと地面にしゃがむ。
口を塞がれたジルは喋れない。
ジャンヌに話したい事がいくつもあるのに、それもままならない。
鋼鉄の流し込まれなかった目を、不安げに震わせる。
「大丈夫ですよ」
ジャンヌは抱き抱えたジルを優しい眼差しで捉え、微笑む。
刹那、ジルの身体を金色の炎が包んだ。
「……ほう」
その様を見ていたキングは腕を組む。
炎は激しく燃え上がり、ジルの身体を灼く。
彼にこびりついた鉄塊が、炎の熱で溶けてゆく。
(ーー暖かい)
だが、炎に包まれた当のジルは、熱さをまったく感じていなかった。
春の朝日に当たっているようなーー心地よい暖かさを感じていた。
ジャンヌ・ストラスブールは、炎を自在に操ることができる。
炎から熱を発さず、照明に使うこともできる。
その応用で、彼女は炎の熱を感じさせないで対象を燃やす方法を覚えたのだ。
慈悲の炎。
ジルドレイには元来感情というものがない。
神に触れ覚えた怒りも、彼が狂気に冒されたゆえに得た感情だった。
だが、もしも。
あたたかい感情というものが生まれる瞬間があるのなら。
きっとこういう時なのだろうと、ジルは思った。
ジャンヌは目を閉じ、燃えるジルの身体をそっと抱き寄せた。
◆
キングは煙草を吸いながら一部始終をしばらく見ていたが、
「ーーいい茶番を見せてもらったぜ。それじゃ、俺は用があるんでな」
りんかたちの元へ行こうと、踵を返そうとするが、
ふいに、何か違和感を感じキングは止まる。
足元を見る。右足に、血がじわりと広がっている。
遅れてやってくる痛みに、キングは、右足首を小さな氷柱で貫かれたのだと理解した。
「ーークソが」
キングは舌打ちし、氷柱を生み出した主を見た。
燃えながら手を掲げていたジルドレイは、キングに対し、最期の悪あがきとばかりに目を笑みで歪ませる。
贋物の聖女が掲げた手が、炎の炭と消える。
彼は最後にジャンヌの眼差しを見上げ、その微笑みを真似て見せると、炭になり燃え行く行く身体でゆっくりと目を閉じた。
762
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:15:35 ID:4LBBoYsI0
◆
慈悲の炎に灼かれる中、ジルドレイの胸中には何度も走馬灯が巡っていた。
かつて惨たらしく殺した人々の姿を、ジルドレイは思い返す。
傷つけ、辱め、犯し、殺してきた人々。
後悔はない。
ジャンヌのすべてに倣った結果だ。
ジルドレイ=モントランシーには元来感情がない。
ジャンヌの善行も、その悪行も、彼女がやっていればすべて正しいと信じてきた。
そう思い、彼女を模倣した。
彼女に少しでも近づく。
それが自分の正しい在り方だと信じて。
数秒前の記憶を思い返す。
瀕死の自分を抱き抱えたジャンヌが、炎と共に微笑みをくれる様を。
『………とう』
ふいに、止めどなく流れる走馬灯に一瞬、異物のようなものが入り込む。
『…り……とう』
その異物はジルの中でどんどん大きくなり、はっきりとした輪郭を現す。
『ありがとう』
それは子供の笑顔だった。
ジャンヌに倣い悪を成す前のジルが、善行を行った際の記憶だった。
今際の際に自分に微笑んでくれたジャンヌの姿が重なる。
『ありがとう』
かつてジル自身が助けた人々が、笑顔を、時に涙を浮かべ感謝を述べる。
その様が、奔流のように心に湧き出た。
『ーーありがとう』
(……あぁ)
かつてやり残したこと。
本当にやるべきだった事。
今更、気づいた。
慈悲の炎に灼かれ尽くす間際、ジルは思う。
(死にたくない)
【ジルドレイ・モントランシー 死亡】
763
:
愛おしき報い
◆8vsrNo4uC6
:2025/08/02(土) 18:16:43 ID:4LBBoYsI0
◆
ジャンヌはジルが炎に消えるとゆっくりと立ち上がり、キングを見据える。
炎の翼を背に生み出し、手に精緻な装飾の炎の剣を作り上げる。
キングは光のない目を細め、ジャンヌに向き直る。
足元に形の定まらぬ鋼鉄の水溜りを生み出し、右足首を止血し、固定する。
ポケットに手を入れ、聖女を見やる。
冷気と共に冷たい風が吹く。
両者とも、静かに立つ。
二人の攻撃は放たれることはなかった。
最初に、キングが一歩後退した。
ジャンヌもまた少し遅れて何かに気付き、後退する。
キングとジャンヌ、両者を挟んだ地点にーー上空から、太陽を遮る巨大なものが落ちてきた。
それは空中で何度もクルクルと回り、落ちる最中また一回転しーー氷で覆われた大地にヒビを作り着地する。
冷気が舞い、広く白い霧が生まれる。
キングとジャンヌは少し驚愕し、だが決して警戒を緩めず乱入者を見た。
冷気が晴れる。
巨体が立ち上がり、その全貌を見せる。
それは鋼鉄を山にしたような肉体、燃える炎のような眼光。
「ーー我が名は、大根卸樹魂」
豊かな黒い三つ編みを揺らし、漢女(おとめ)は言う。
「突然の乱入、失礼する。ーーこの戦場で、弱き者への助太刀に来た」
◆
【B-2 港湾/一日目・午前】
【ルーサー・キング】
[状態]:右足首に刺し傷(鋼鉄で固定済)
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)、セレナ・ラグルスの首輪(未使用)、ハヤト=ミナセの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
4.目の前のジャンヌ=ストラスブールと大根卸に対処する。
5.ルーサー・キングを軽んじた以上、りんか達もこれから潰す。手段手法は問わない。
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※ギャル・ギュネス・ギョローレンが購入した物資を譲渡されました(好きな衣服、煙草一箱、食料)
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、右脇腹に火傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
1.目の前にいるルーサー・キングを倒す
2.突然現れた漢女に対処。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
【大金卸 樹魂】
[状態]:胸に軽微な裂傷と凍傷、疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強者との闘いを楽しむ。
0.この戦場で弱き者のため、拳を振るう。
1.新たなる強者を探しに行く。
2.万全なネイ・ローマンと決着をつける。
3.ネイとの後に、りんかと決着をつける。
4.善意とはなにか、見つけたい。誰かのための拳に興味。
764
:
◆H3bky6/SCY
:2025/08/02(土) 21:54:02 ID:AOq414Tw0
投下乙です
>愛おしき報い
とうとう港湾に到達したジルドレ、標的のルーサーだけしかいない状況だったのは他を巻き込むことにならずよかったのか
しかしルーサーが強い、ジルドレ相手にも余裕を崩さず、腰が重いかと思いきや後ろに回り込む儀動力までありやがる
物質具現化系超力者、分身を造りがち。液状金属飲ませてくるのは流石に怖すぎる
そこに颯爽と登場するジャンヌ、なんというヒーロー属性
冷静に状況を判断し、慈悲の炎でジルを介錯する、覚悟が決まりすぎている
フレゼアとは違う道筋を辿り、悪行を最後まで後悔することはなかったが、それでもようやく得た感情で最期にありがとうと残す
憧れの存在に看取られながら死にたくないと願う、彼に救いはあったのだろうか
この強者しかいない空間でどっちが弱者だと問わんばりの漢女の乱入、挑発だと捕らえられてもおかしくない言葉、そうなったところで望むところだろうが
彼女が誰につくのか、それが戦況を左右するだけに注目したいところ
765
:
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:23:14 ID:wecyTMYg0
投下します。
766
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:23:51 ID:wecyTMYg0
◆
『僕にとって』
その武勇を以て。その生き様を以て。
彼女は、抑圧される者達の希望となった。
『私にとって』
あらゆる権威と規律を、意にも介さず。
ただ己の強さのみを貫き通す。
そんな彼女の姿は、虐げられる誰かの指針となった。
『貴女は英雄です』
彼女に出会い、彼女に救われ、彼女に灼かれた。
そんな多くの若人達が、彼女の背中を追いかけた。
それが修羅の道であることに気付くには、彼らは余りにも青過ぎた。
そして、彼女もまた。
彼らを導く術を、知らなかった。
その術を、知ろうともしなかった。
だからこそ、彼女は己の理念に従った。
『――――強くなれよ』
それ以外に、掛ける言葉は無かった。
それ以外に、与えられるモノなど無かった。
我欲しか知らぬ武人には、我欲に沿って応えるほか無かった。
自らに焦がれた若人達を、彼女はただ死地に送ることしか出来なかった。
その意味も、責任も、彼女には理解出来なかった。
彼女はただ我武者羅に、己の武を鍛え続けているだけなのだから。
その漢女に導かれる者が、迷える子羊に過ぎないのならば。
それを導く彼女もまた、迷える獣に過ぎなかった。
だから漢女は、強さを求める。
自らの存在を刻む術を、他に理解できなかった。
◆
767
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:24:32 ID:wecyTMYg0
◆
「突然の乱入、失礼する」
白銀の凍土と化した港湾。
砕け舞い散る、白煙の如し氷霜。
「この戦場で、弱き者への助太刀に来た」
炎の聖女と、闇の帝王。
因縁の狭間に割り込み、堂々と佇む武人。
その漢女、まさしく筋骨隆々。
仁王像のように直立し、両者に挟まれる位置にて君臨する。
「我は“善なる拳”を探究している」
一言で云えば、無関係。
何の縁も無ければ、この因縁との繋がりも無い。
漢女はただ、己が求道の為に死地へと踏み込んだ。
更なる高みを目指すべく、新たな戦いを求めて参じた。
「故に我は、貴公らを見極める」
彼女は説く。己の論理を。
傲岸に、大胆に、言い放つ。
二人の因縁など意にも介さず。
漢女は不遜な態度で、其処に在り続ける。
故にこそ、巻き込まれた二人は言葉を失う。
ジャンヌ・ストラスブールとルーサー・キング。
怨敵同士たる両者が抱いた感情は、奇しくも同じものだった。
――――この漢女は、いったい何を言っている?
善なる拳。つまり、善行を成そうとしているのか。
ならばキングを迷わず攻撃すればいいだけのこと。
弱き者への助太刀という名目で、まさか闇の帝王を庇おうとする者など居るはずがない。
ジャンヌが善行の人間であり、キングの組織に名を貶められたことも裏の世界ではもはや周知の事実。
余程の無知か、何も知らぬ堅気でも無い限り、どちらが悪ではあるかは明白。
常識で考えれば、ジャンヌに味方する以外の選択肢など有り得ない。
しかし彼女は、その双眸を動かし――――至って真剣に両者を見定めている。
どちらが弱者であり、どちらに味方すべきか。
この二人を前にして、漢女は大真面目にその判断を下そうとしている。
そもそもとして“弱き者への助太刀”とは、一体どういう意味なのか。
帝王と聖女の対決を前にして“弱き者”とは、一体どういう了見なのか。
二人の宿敵は言外に同じ当惑を共有していたが、やがて牧師“キング”が口を開き始めた。
「“拳鬼”、“災厄”、“武神”、“阿修羅”、“怪力乱神”……あるいは“重機”」
その屈強なる風貌。鬼神の如き体躯。
至高の武芸を求める漢女(おとめ)。
彼女の噂は当然、キングも把握している。
「てめえを表す二つ名は数多にある。
新時代の伝説とさえ呼ぶ者もいた」
故に彼は、その瞳に警戒を宿す。
鋭い眼光で射抜きながら、キングは問う。
「大金卸 樹魂。何のつもりだ」
武人――樹魂は、キングと視線を交錯させる。
闇の帝王が見せる眼光を前にしても、一歩も引かず。
彼女はただ毅然と、巌のようにその場で腕を組む。
768
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:25:25 ID:wecyTMYg0
「……かつて世界各地に出没していたとされる“無双の漢女”。
私も幼い頃、様々な地で噂を聞いていました」
そしてジャンヌもまた、口を開く。
眼の前の樹魂を見据えながら、炎の剣を握る。
「私はジャンヌ・ストラスブール。
私からも問わせて頂きたい。貴女の望みを」
帝王と聖女。両者の問いに対し、僅かな間のみ沈黙し。
やがて自らの在り方を告げるように、樹魂が宣言した。
「我の望みは一つ。ただ拳を極めること」
拳を極める――それこそが樹魂の渇望。
彼女の望みは、常に其処へと行き着く。
彼女の在り方は、常にその一点に集約される。
「――――その為に、学ばねばならぬ」
そして今、漢女は次なる領域を求めていた。
自らの限界と閉塞を打ち破るべく、ある言葉を胸に刻んでいた。
「未知なる極地。己が至れなかった矜持」
”善意で動く”。
かつて共に過ごしていた”災厄の継承者”から告げられた言葉。
彼女に英雄として生きることを望んだ、あの日の少年の願い。
「それは即ち、誰かの為に振るう強さ」
漢女は今、それを実践せんとしていた。
自らの天井を超える為の"未知なる領域"として、それを掴み取らんとしていた。
「我はそれを識りたいのだ。
この拳に、絆という力を宿したい」
新たなる求道を見出し、樹魂はその瞳に闘志を滲ませる。
燃え盛る炎にも似た意志を、静かに滾らせる。
「故に此度の闘争、我は『弱者』の為に戦うことにした」
樹魂はその言葉と共に、ゆっくりと拳を構える。
あらゆる武術を貪欲に取り込み、己が体技へと昇華させた――我流の拳闘。
まさしく重機を思わせる威圧と気迫を放ちながら、彼女は両者を見据える。
769
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:26:08 ID:wecyTMYg0
さて、肝心の聖女と帝王はどうか。
二人の反応は――――沈黙。
眉間に皺を寄せ、訝しむように口を結ぶキング。
呆気に取られるように、口を微かに開くジャンヌ。
キングも、ジャンヌも、その視線は樹魂に向いていた。
それぞれ先程の言葉を咀嚼し、取り留めのない様子を見せており。
「そうかい、殊勝なこった」
暫くしてから、キングがそう言い放った。
何とも言えぬ態度で、呆れ果てるように。
「修行なら他所でやりな、お呼びじゃねえよ」
善意だの、絆だの、御託を並べているが。
つまり彼女は、ただ己の思惑のためにこの戦場に殴り込んできたということだ。
「ブラックペンタゴンでも目指したらどうだ。
きっとてめえなら張り合いがあるだろうぜ」
合理と利益に生きるキングからすれば、全く以て傍迷惑な輩でしかない。
何故お前の相手をしなくちゃならないんだと、煩わしげな眼差しを向ける。
「……貴女が相応の意志を背負っていることは、理解しました」
やがてジャンヌもまた、毅然とした表情へと切り替えて樹魂に告げる。
「その助力の申し出にも感謝いたします。
ですが、申し訳ありません。どうか退いて下さい」
樹魂の唐突な介入と、我道に基づいた行動理念。
その堂々たる宣言を前にジャンヌは暫し動揺を抱いたものの、それでも彼女が善意のために動こうとしていることは汲んだ。
だからこそジャンヌは、あくまで樹魂の申し出を断る。
「あの男は私が引き受けます。
貴女まで巻き込むつもりはありません」
ルーサー・キングとの対決は己が引き受ける。
この恐るべき帝王との対峙は、あくまで自分が担う。
故に樹魂を巻き込むつもりは無かった。されど彼女が目指す善行の道には、確たる意味があると感じた。
「守るために振るう強さ。その想いは受け止めましょう」
ジャンヌがつい先刻に遭遇した、氷藤叶苗たちのような受刑者――葛藤と苦悩の間に立つ者達。
鑑日月のような、本質に善性を備える者達。
あるいは自分のように、無実の罪を突きつけられた者達。
そうした人々の力になれる可能性が、樹魂にはある。
故にジャンヌは、彼女を諭そうとした。
「ですから貴女は、どうかこの地で――――」
そう、諭そうとしたのだ。
されど、ジャンヌが言葉を紡いでいた最中。
彼女は咄嗟に、その手にある炎の剣を構えた。
瞬間、壮絶な旋風が突き抜けた。
縦に構えた炎の刃に、凄まじい衝撃が叩き込まれる。
――――樹魂が放った右拳。
――――暴風の如し正拳突きである。
たった今、樹魂はジャンヌを攻撃したのだ。
即座の防御が間に合ったことで、直撃こそ避けられたものの。
常軌を逸した一撃を凌ぎ切れず、ジャンヌは吹き飛ばされ凍土の上を転がる。
770
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:27:00 ID:wecyTMYg0
「その負傷。その呼吸。その闘気――――。
たった今、貴殿の全てを見定めさせて貰った」
樹魂は残心の動作と共に、冷静沈着に告げる。
ジャンヌは吹き飛ばされながらも即座に態勢を立て直し、そのまま跳ねるように再び立ち上がる。
その眼差しには、自身を攻撃した武人への驚愕があった。
「貴殿は既に疲弊し、摩耗している。
それに、実力であの男に劣っているのも明白」
ただ黙々と分析し、淡々と述べ続ける樹魂。
この数分足らずの相対で、樹魂は両者の"格付け"を済ませていた。
そしてジャンヌの制止を振り切り、彼女を躊躇いなく攻撃した。
弱き者を守る、善意のための戦い――そう宣言した樹魂が、ジャンヌを殴り飛ばしたのだ。
その余りにも異様な状況を前に、キングさえも目を細める。
「引っ込んでいろ。小娘よ」
大金卸 樹魂はいま、変わることを求めている。
彼女の『武』は、新たな道を歩まんとしている。
「我が、貴殿を守る」
幼き日より、強さ故に他者と断絶していた。
以来、ただ武を極めてゆく生き様を見出した。
「我は、善なるものを希求する」
その孤高の果てに、学ぶべき善を学ぶことも出来ず。
ただ愚直に高みを目指し、己が限界を超え続けた。
そんな彼女の貪欲な魂は、遂には善を説く師さえも打ち倒した。
樹魂はまさに修羅の道を生き、我道を貫き続けた。
「守るべき命を背負いし闘争。悪くはない」
あらゆる強者。あらゆる組織。あらゆる権威。
この怪力乱神は自らの渇望に従い、ただ一人でそれらに挑み続けてきた。
やがて樹魂は、この地の底に落ちた。
それでも尚、正義や道徳を得ることは出来ず。
己の限界への焦燥を抱き始めて。
そして今、次なる道を見出していた。
「その果てに、我が拳は天をも穿くのだ」
善意を、強くなるための手段として用いる。
何故ならば樹魂は、善意が理解できないからだ。
生まれながらにして孤高であり、強すぎた彼女は、人間としての決定的な欠落を抱えていた。
即ち、他者への共感。
感情や感性による歩み寄り。
樹魂は、それを知らない。
彼女はただ自らの強さと、強さを求める意思のみしか信じることが出来ない。
真っ当な倫理や常識から、完全に道を踏み外している。
771
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:27:35 ID:wecyTMYg0
ジャンヌはただ、言葉を失っていた。
キングもまた、唖然としていた。
一歩、一歩と、踏み出していく荒神。
その威風堂々たる姿が、この場を支配していた。
大金卸 樹魂は、誰よりも自由だ。
故に彼女は、純然たる暴威を体現する。
「聖なる乙女よ。よく聞け」
大金卸 樹魂は、善を理解できない。
故に彼女は、それを手段として捉えるしかなかった。
「貴様が――――“弱き者”だ」
大金卸 樹魂は、破綻者である。
故に彼女は、逸脱していた。
純粋なる英雄性に疑念を投げ掛けられ。
その在り方に一石を投じられた今。
彼女の本質的な暴力が、剥き出しとなる。
責任なき武力。欲望への愚直な求道。
正義を知らぬ怪物は、他者を狂わせる。
その生き様によって誰かの魂を灼き、破滅の道を歩ませる。
そして彼女自身さえも、そんな狂気と共に在る。
牧師と聖女。
彼らが、それぞれの悪を背負うのならば。
この武人もやはり、ひとつの悪である。
◆
772
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:27:59 ID:wecyTMYg0
◆
『師範。どうか教えてください』
『私は何故、否定されねばならないのか』
『私はただ、武を極めることを望んでいる』
『それだけに過ぎません』
◆
773
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:28:54 ID:wecyTMYg0
◆
「せえりゃああああ――――ッ!!!」
風を切る轟音と共に、魔拳が鋼鉄を打ち砕く。
霜と鉄片が、まるで粉塵の如く舞い散る。
周囲より迫り来る、無数の鋼鉄。
まるで大蛇の如く伸縮しながら、殺到し続ける暴威。
たった一人の獲物。孤高に君臨する武神をその身で抉らんと、鋼の群れが唸る。
「――――はぁッ!!!」
大地を慄かせる程の震脚――。
樹魂が凍土を踏み抜いた、その瞬間。
まるで水面に波紋が拡がるように衝撃波が発生。
四方八方から迫っていた鋼鉄の大蛇達が一斉に砕け散る。
嵐に曝された家屋のように、砕けた鋼鉄の断片が吹き飛ぶ。
その狭間を突き抜けるかの如く――――樹魂が地を蹴り、瞬時に躍動。
砲弾を思わせる猛烈な勢いでの突進を敢行。
目指す先に佇むのは、無論ルーサー・キング。
キングは煩わしげに舌打ちをしながら、咄嗟にバックステップを踏む。
後方へと下がり、武神との距離を保たんとする。
「でえええぇぇぇいッ!!!!」
されど、キングは咄嗟の防御を強いられる。
樹魂が咆哮を上げた直後、即座に鋼鉄の防壁を前面に展開。
拳の射程外から襲い来る“衝撃の乱打”を凌いだ。
凄まじい威力の打撃を浴び、鋼鉄がひしゃげて大きく歪む。
遠当ての絶技――――“飛ぶ魔拳”。
樹魂は突進をしながら連続で放ち、距離を取らんとするキングを追撃したのだ。
「ち――――ッ!!」
魔拳に対する防御行動で後退を妨げられ、その隙に樹魂が一気に距離を詰める。
舌打ちと共にキングがひしゃげた鉄壁を変形させようとした矢先、それよりも疾く樹魂が動いた。
槍の刺突のように鋭い右の肘鉄が、鉄壁を真正面から打ち砕いたのだ。
砕け散る鉄壁を目の当たりにし、キングはすぐさま両腕を鋼鉄で覆う。
突進と共に迫り来る樹魂を前に、ボクシングの構えを取った。
そのまま電撃的な勢いと共に放たれた樹魂の拳に対し、鋼の両腕を前面に構えて受け止める。
鋼鉄の装甲の上からも、波紋のような衝撃が浸透する。
防御体制のキングは、その威力を前にして一瞬の隙が生じる。
そして――隙を逃さんと言わんばかりに、すかさず樹魂の肉体が躍動する。
774
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:29:33 ID:wecyTMYg0
「ぬぅんッ!!!!」
嵐のような拳の乱打が、次々にキングを襲う。
真正面からのストレート。
牽制として連発されるジャブ。脇腹を狙うフック。
真下より一撃を狙うアッパーカット。
繰り返される猛攻。繰り返される暴風。
それらの攻撃は、キングすら防戦に徹させる。
絶え間なく襲い来る攻撃を前に、キングは只管耐え続ける。
攻撃の僅かな隙を狙って、カウンターを放つべく機を伺っていたが――。
「――――ッ!!!!」
しかしその隙を掴み取る間も無く。
キングの肉体が、勢いよく後方へと吹き飛んだ。
鋼鉄による防御すらものともせず、樹魂が一撃を叩き込んだのだ。
鉄山靠――無数の拳の乱打から、流れるようにその技を放った。
中国拳法の極技。流麗な所作で屈みながら力強く踏み込み、背面の体当たりを叩き込む。
その一撃は、闇の帝王にさえも轟いたのだ。
吹き飛ぶキング――しかし空中で体勢を整え、すぐさま両足に地を付ける。
そのまま滑るように持ち堪えた後、地面に杭を打ち込むように立つ。
――片足の負傷が疼く。機動力への影響は軽微だが、油断はならない。
キングの周囲一帯に、流体状の鋼鉄が展開される。
そのまま鋼鉄を分裂させ、その一つ一つを鎌のような刃状へと変形させる。
そして直後――――無数の刃と化した鋼鉄が次々に放たれる。
まるで雨霰の如く、凄まじい勢いで刃が樹魂目掛けて殺到した。
「――――成る程。やはり卓越した超力の技巧よ」
されど樹魂は、全く怯まない。
ただ迫り来る刃の嵐を、真正面から捉え続けるのみ。
そして、一呼吸を置き――――。
「はああああああああああッ――――!!!!!」
右腕。左腕。交互に、規則正しく。
そして俊敏に、前面へと突き出される。
幾度となく繰り返される掌底が、迫り来る刃を全て打ち砕いていく。
その掌には、相反する炎熱と冷気が宿る。
大金卸 樹魂の超力――『炎の愛嬌、氷の度胸(ホトコル)』。
自身の体温を自在に操る異能である。
熱と冷という矛盾した性質を同時に発動し、そのエネルギーによって拳を強化。
拳自体の威力に加え、壮絶なる温度差が鋼鉄に対する強烈な負荷を与え、迫る刃を次々に破壊する。
775
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:30:32 ID:wecyTMYg0
樹魂が無数の刃を凌ぐ中、キングはその隙を突くように後退し続ける。
バックステップを踏む最中にも、自身の超力の発動を決して怠らない。
そして立て続けに、無数に生み出された鋼鉄の砲弾が樹魂に殺到していく。
「幾らでも来い――――受けて立とうッ!!!」
対する樹魂は、刃を凌いでいた動作からすぐに体勢を立て直し。
砲弾を拳で砕き、時に剛腕で受け流し、一撃たりとも受けずに切り抜けていく。
全く怯まぬ様子を目の当たりにし、キングは苛立たしげに眉間に皺を寄せた。
キングは、超力で生み出した鋼鉄を次々に使役する。
大金卸 樹魂。拳闘を極めし武人を相手に、彼はまず接近戦を避ける。
超力の物量を駆使した中距離戦闘へと持ち込まんとする。
それは右足首の負傷への懸念も含めての判断だった。
そうしてキングの意識が、樹魂へと向き続けていた矢先――。
不意を突くように、死角の左側面から“炎熱”が迫った。
キングがすぐさま身構えた。鋼鉄の左腕が、爆発的な焔と激突する。
「はああぁぁぁぁぁ――――ッ!!!」
「ジャンヌ・ストラスブール――――ッ!!!」
吹き抜ける暴風のように突進してきた、灼熱の渦。
炎の翼による推進力で衝突してくる、裁きの業火。
キングは樹魂を狙って鋼鉄を使役しつつ、同時に奇襲攻撃をも鉄腕で凌いだ。
「――――てめえ、漁夫の利でも狙う気かよ」
「――――今は、貴方を討つことが何より先決です」
キングは鋼鉄の左腕で、ジャンヌの炎剣を受け止めていた。
衝突の最中の交錯。数年に渡る因縁を噛み締めるように、ジャンヌは言い放つ。
対するキングは、酷く煩わしげな眼差しを宿していた。
776
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:31:06 ID:wecyTMYg0
「てめえにも分かるだろう。あの武人は殺した方が良いぜ」
「貴方に諭される筋合いなどありません」
「そう意地を張るな。ありゃあ狂ってるぞ」
ほんの刹那の鍔迫り合い。
ほんの刹那の遣り取り。
其処へ割り込むように、ジャンヌの背後から巨影が迫る。
筋骨隆々。仁王像にも似た武侠の戦士が、鋼鉄の砲弾を凌いで至近距離まで接近してきたのだ。
そして、武人――樹魂は筋肉を躍動させながら、その右腕を引く。
「なッ――――」
「打ァァァアアアッ!!!!!」
振り返らんとしたジャンヌの背面へと、樹魂が掌打を叩き込む。
そう、あろうことかジャンヌへと一撃を与えたのだ。
激しい衝撃が、水面を流れるように浸透していく。
しかしジャンヌの身体に、一切のダメージは無かった。
その背中、両肩、両腕。手首の先。握り締められた炎剣。
聖女の肉体を経由し、掌打の熱量(エネルギー)のみが電流の如く流れていく。
行き着く果ては、炎剣との鍔迫り合いを行っていた“鋼鉄の左腕”。
――――そして、轟音が響く。
――――キングだけが、吹き飛ぶ。
まるで巨大な鉄杭でも激突したかのように。
漆黒の巨体が、轟音と共に打ちのめされたのだ。
ジャンヌの身体に掌打を叩き込み、その破壊力を伝導させ、彼女との鍔迫り合いを行っていたキングにのみ攻撃を与える。
筋肉の躍動と収縮、精密なる攻撃角度、そして研ぎ澄まされた闘気の操作。
それらによって成し遂げられた、まさしく常軌を逸した魔技である。
自らの超力による全身の超高温化でジャンヌの炎熱を耐えられるからこそ、この絶技を行使できる。
いったい何が起きたのか、目の当たりにしたジャンヌでさえも一瞬理解が遅れた。
「漢女殿ッ!!感謝しますが、貴女は――――」
何とか現状を掴んだジャンヌは、仄かな戦慄を抱きつつも樹魂へと意思を伝えようとする。
自分(ジャンヌ)を守る必要はない。出来れば他の受刑者を――そう告げようとした矢先。
ジャンヌの視界が、突如として回転した。
樹魂の足払いによって、身体が宙を舞ったのだ。
抵抗する間も無く、そのまま地面へと叩き伏せられる。
「――――え、」
樹魂による突然の攻撃。唐突な乱心。
その行動の意味を、ジャンヌは唖然としながら理解する。
つまり――“邪魔だから退いてろ”ということだった。
傍若無人。唯我独尊。まさに不遜の行為である。
777
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:31:59 ID:wecyTMYg0
は、と声を上げた直後。ジャンヌは樹魂を何とか捉えようとした。
しかし樹魂は既に、圧倒的な瞬発力で地を蹴っていた。
そのまま猛烈な勢いで駆け出して、吹き飛んだキング目掛けて更なる追撃を行わんとする。
「何なんだよ、てめえは――――ッ!」
先程の不意の攻撃を受けながらも、キングは受け身を取って態勢を立て直していた。
距離が離れてゆく樹魂とキングを視界に捉えて、ジャンヌもまた再び超力を迸らせて追い縋ろうとした。
苛立ちを隠せぬ牧師。困惑の渦中で何とか状況に喰らいつく聖女。
唯我独尊の武神が、正邪の双璧を成す二人の対峙を、鍛え上げた拳ひとつで破綻させている。
圧倒的な我道と暴力の前に、因縁さえも掻き乱されているのだ。
宿敵二人にとって唯一の結託事項があるとすれば、それはこの荒れ狂う怪人に対して何とか当初の因縁を繋ぎ止めることである。
「――――だりゃああああああッ!!!」
そんな二人の焦燥をよそに、駆け抜けた樹魂が勢いのままに跳躍。
幅跳びのように空中で弧を描きながらキングへと接近。
落下の速度に乗せて、右足の踵落としを鉄槌の如く振り下ろした。
咄嗟に後方へと下がり、樹魂の踵落としを躱すキング。
右足首の負傷により動作が僅かに遅れたが、それでも何とか直撃は回避する。
――――虚空を裂き、踵から地面に叩き付けられた剛脚。
樹魂の右足を起点として、周囲に地割れが発生する。
砕け散る氷塊。隆起するコンクリートの地面。
まるで隕石が衝突したかのような衝撃が、地響きを引き起こす。
瞬間、樹魂も予期せぬ“第二波”が発生する。
キングが予め地面に仕込んでいた“流体の鋼鉄”が、地面の亀裂に食い込むように周囲へと拡散。
拡散した鋼鉄が更なる地割れを発生させ、樹魂が着地した一帯を崩壊させる。
「死ねよ、狂犬」
足場を破壊され、思わず態勢を崩す樹魂。
その隙を狙い、地割れの射程外でキングが指を鳴らす。
地面に浸透した“流体の鋼鉄”が、地割れの狭間から次々に噴き出す。
まるで噴水や湧き水を思わせる勢いで各所から噴射される鋼色。
それらが宙を舞い、重力に従い、水飛沫の雨のように周囲へと降り注いでいく――――。
「ぬうぅぅ――――ッ!!!!」
その一滴一滴、全てが凶器。全てが凶弾。
勢いよく噴射され、宙から降り注ぐ鋼鉄の飛沫。
コンクリートをも貫通し、抉り取る程の威力を持った鋼の雨。
態勢を崩した樹魂へと、それらが一気に襲い掛かる。
778
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:33:19 ID:wecyTMYg0
咄嗟に両腕を真上に構えて、防御を試みた樹魂だったが。
その屈強なる腕を、胴体の各所を、怒涛の勢いで鋼鉄の雫が抉り続ける。
「くたばりな」
身体を血で染め、苦悶の表情で堪える樹魂。
身動きも取れぬ彼女に更なる追い討ちを掛けるべく、キングが右手を構えた。
その掌に鋼鉄の質量を収束させ、砲弾の如く放たんとした。
しかし樹魂の全身からは、絶えず闘気が迸り続けていた――。
「――――ぜぇぇぇいッ!!!!」
そして、乱神が吼える。
防御から両腕を解き放ち、中腰の体勢となる。
全身の筋肉が、膨張していく。肥大化していく。
超力による体温上昇、それに伴う身体機能の超活性化。
機動力や瞬発力と引き換えに、筋肉がまるで装甲のように硬化される。
「何……!?」
眼前の光景に、キングは驚愕する。
降り注ぐ鋼鉄の雨が、肥大化した筋肉によって弾かれているのだ。
樹魂は超力の恩恵によって自らの肉体を強化、無数の攻撃を防ぎ――同時に全身の傷口を強引に塞いで止血した。
膨張した肉に触れた鋼の雫は、その皮膚を抉ることも敵わず、全弾が四方八方へと飛散していく。
開闢を経て、全人類は超人と化した。
拳銃弾を至近距離から躱す者も、鉄の装甲を打ち砕く者も、裏の社会では最早珍しくもない。
されど、自らの肉体の練度をここまで引き上げている者は、世界広しと言えど限られている。
全身の体温を上げて身体機能を活性化し、帝王の超力を筋肉のみで弾く?
そんな巫山戯た真似が出来るのは、他ならぬ漢女だからである。
彼女は既に、人類の頂点に立っている。
彼女はとうに、人類最強の武人と化している。
純粋な体術において、彼女は究極に至っている。
肉体的な強さにおいて、もはや大金卸 樹魂を超える者はいない。
キングの驚愕の隙間を縫うように。
焔の疾風が、鋼鉄の雨を突き抜けていく。
それは樹魂のすぐ傍を通り抜けるように、一迅の風と化す。
ただの瞬発力ひとつで、降り注ぐ凶弾を振り切り。
被弾を最小限に抑えながら――キングの眼前へと、瞬時に肉薄した。
ジャンヌ・ストラスブールが、ルーサー・キングに再び迫る。
突進の勢いを乗せた“炎剣の刺突”が、牧師へと迫った。
愚直。馬鹿正直。直情的な攻撃。
されど、ただ単純に“疾い”。
荒れ狂う暴風のような勢いを備えた炎熱が、キングを貫かんとした。
驚愕の隙を突かれたキングは、防御が間に合わず――咄嗟に回避を試みた。
されど、聖女の凄まじい瞬発力。驚愕によって生じたコンマ数秒の空白。
そして右足首の負傷によって、僅かながら動作が遅れた。
その遅延こそが、帝王にとっての痛手となる。
「――――――ッ!!!」
炎剣の直撃そのものは回避した。
しかし刺突の刃は勢いよく脇腹を抉り、更には炎熱によって皮膚を焼く。
表情を歪めるキング。掌に収束させていた鋼鉄が、霧散する。
咄嗟に拳での反撃を試みたが、ジャンヌは突進の勢いによってキングの側面を横切っていく。
「――――漢女殿が己を突き通すならば。
私もまた、己の正義を貫くまでのこと」
今のジャンヌ・ストラスブールは、義憤を背負っていた。
氷藤 叶苗とアイ。この悪辣なる牧師に掌握され、苦しめられた二人の少女。
日月に託した少女達の哀しみを背負い、ジャンヌはここに立ち続けている。
「ルーサー・キング。貴方を討ちます」
善を背負う者は、強い。
愛を背負う者は、強い。
されど、善や愛とは強さそのものではない。
その意志に突き動かされ、心身を高めていくことが強さなのだ。
――――今のジャンヌは、まさにそうだった。
他者への慈しみ。他者のために戦う義憤。
彼女の超力は、最初に牧師と対峙した際の限界を超えていた。
779
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:33:47 ID:wecyTMYg0
「く…………ッ」
キングの負傷によって“鋼鉄の雨”の制御が乱れる。
地面に仕込まれた“流体の鋼鉄”の枯渇も重なり、噴射が止まる。
降り注ぐ鋼鉄によって足止めされていた樹魂が、解き放たれる。
「フン、じゃじゃ馬め――我が庇護よりも矜持を優先するか。
構わぬ。貴殿が我を拒むなら、我もまた己が意志に従うまでッ!!」
――硬化させていた筋肉を、再び体術に最適な形態へと戻す。
肩を鳴らし、拳を構え直して、武神は牧師を再び見据える。
弱き者を守りながら、強き者と対峙する。ジャンヌの意地を前にしても、樹魂は己の試練をあくまで貫く。
なんたるエゴか。なんたる漢女の情熱か。
その闘気を研ぎ澄まし、剛拳を構える樹魂。
炎の翼を揺らめかせ、牧師と武神の双方を警戒するジャンヌ。
脇腹の手傷を鋼鉄で止血し、眉間に皺を寄せるキング。
三者が一定の距離を保ったまま睨み合い、そして再び動き出す。
ジャンヌも、キングも、最早受け入れる他無かった。
ただ只管に強すぎる武人が猛威を振るい、因縁の対峙を存分に踏み荒らしている、この異常事態を。
「我は今、限界を越えてゆく――――」
自らの更なる高みを仰ぐ闘争。
自らの更なる極地を目指す死闘。
大金卸 樹魂の胸には、闘志が迸っていた。
怪力乱神の瞳には、全てを焼く炎が宿っていた。
「――――我はまだ、極めねばならぬ」
樹魂の心に、善や愛はない。
彼女の中にあるのは、武への探究。
漢女はただ純粋に強かった。
例え善意なるものを誤解しようとも。
勇猛なる武勇によって、彼女は強引に道理を踏み倒してしまう。
聖女が背負う強さの根源を、平然と飛び越えてしまう。
だから樹魂は善を抱くジャンヌの在り方より、自らの高揚を優先する。
そう、樹魂は強すぎる。
余りにも、強すぎたのだ。
だから彼女は真に学べないのだ。
人の心、人の道というものを。
それが彼女の悲劇なのだ。
◆
780
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:34:20 ID:wecyTMYg0
◆
『師範。何故“心”が必要なのですか』
『何故“仁”や“義”を学ばねばならぬのですか』
『この世に生まれ落ちた時から』
『私は、人の道に拒まれていた』
『それでも構わぬと、私は武の生き様を選んだ』
『それが全てです。それだけが真理』
◆
781
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:35:52 ID:wecyTMYg0
◆
――――戦局は、佳境に突入していた。
――――牧師と武神が、正面から打ち合っていた。
高温と低温。相反する熱量を纏い、激しく拳を振るう樹魂。
鋼鉄で強化した拳で防御しつつ、反撃の機を伺い続けるキング。
両者の打ち合いと交錯が、激しさを増す。
駆け引きで優位に立つのは、樹魂の方だった。
彼女が攻め続けて、攻防の主導権を握っている。
怒涛の拳撃で牧師を追い込み、彼を防戦一方にしている。
近接戦闘は、やはり怪力乱神の本領なのだ。
樹魂の攻撃が激しさを増す中、キングは幾度となく距離を取ることを試みた。
鋼鉄の防壁を展開し、後方へと下がろうとする――そんな場面が何度もあった。
その度に、聖なる焔が駆け抜けた。
キングが打ち合いから逃れようとすると、すかさずジャンヌが奇襲を仕掛ける。
猛烈な勢いの突進によって、キングを攻め立てていく。
その突進を凌がれようとも、炎の翼から放たれる遠距離攻撃で足止めを行う。
そうしてジャンヌの奇襲や足止めに対処している隙に、再び樹魂が接近する。
戦闘が続く中で、キングを追い詰める戦線が成立していったのだ。
これは聖女と武神の共闘なのか?いいや、違う。
両者が互いのエゴと目的を押し通した結果、偶然に共闘のような構図になっているに過ぎない。
それぞれが自己を貫き、利用し合い、反発しながらギリギリの均衡を保っている。
その結果として、二人はルーサー・キングを追い詰めているのだ。
ジャンヌは炎の翼で駆け抜け、キングと樹魂の攻防の隙を伺う。
キングの行動に絶えず意識を向けながら、思考をしていた。
大金卸 樹魂。
彼女の存在は、全くのイレギュラーだった。
紛れもなく、予想だにしない乱入者だった。
引っ込んでいろと、傍若無人なまでの振る舞いを見せて。
自らのエゴに従って、強引に戦局を掻き乱し。
その凄まじい実力によって、牧師すらも追い詰めている。
常軌を逸した状況を前に、初めは唖然とするばかりだった。
彼女は何者なのかと、その異質な振る舞いに戸惑うばかりだった。
されど、この戦場を駆け抜けていく中で――ジャンヌは思う。
漢女は、ひたすらに拳を振るい続けている。
まるで何かを渇望するように。
漢女は、がむしゃらに道を極めようとしている。
まるで何かを埋め合わせるかのように。
漢女は、必死に自らの限界を越えようとしている。
まるで何かを恐れるかのように。
その叫びに、真なる歓喜は無く。
飢え続ける獣のように、獰猛なる疾走に駆られていた。
その求道は、もはや求道ですらなく。
閉塞の中でもがき続ける悲壮が、滲み出ていた。
782
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:36:48 ID:wecyTMYg0
彼女の拳に、善意など欠片も宿っていない。
感じ取れるものは、我欲だけだった。
彼女の強さの中に――“守りたいもの”など、何一つ見えないのだ。
ジャンヌが抱いたのは、深い哀れみだった。
それはこの世界に数多いるネイティブと同じ悲壮なのだろう。
真っ当な道筋を歩めず、暴力でしか己を表現できなかった者。
自らの強さに存在意義を支配され、善や道徳を得られなかった者。
幼い頃から両親に付き添い、各地で慈善活動に参加し続け。
やがて自警団の一員に加わり、数々の犯罪と戦うようになった。
そんな中で、ジャンヌは力に飲まれた者達の悲劇を幾度となく目にしてきた。
超力という生まれながらの力に翻弄され、狂わされ、道を踏み外した者達を何度も見てきた。
だからこそジャンヌの洞察は、この“無双の武人”の本質を突いていた。
ああ、この漢女は――。
きっと、ひどく孤独なのだろう。
ジャンヌは、そう感じていた。
大金卸 樹魂は、開闢を迎えるまでもなく得てしまったのだ。
歩む道を狂わせる、生まれながらの“暴力への切符”を。
そして、極限まで研ぎ澄まされた暴力は。
遂には、闇の帝王にまで到達したのだ。
「ぜええええいッ!!!!!!」
側面から振るわれた右拳が、キングの脇腹に叩き込まれた。
防御が間に合わず、爆ぜるような轟音が響き渡る。
拳から衝撃が浸透していき――皮膚や筋肉、内臓を揺さぶる。
キングが、その口から血を吐いた。
強大なる帝王が、大きく怯んだ。
その隙を逃す樹魂ではない。
「だりゃあああッ!!!!!!」
フックのように鋭く放たれた左拳。
猛々しい剛拳が、キングの側頭部に打ち付けられる。
壮絶なる衝撃を受け、眼を見開くキング。
歯を食いしばり、苦痛を堪えんとしたが――。
「でぇぇい――やあああああああッ!!!!!」
凄まじい瞬発力と共に、武神が先に動き出した。
その武勇によって、キングに反撃の隙すら与えず。
高熱と冷気――相反するエネルギーを纏いし右掌底を、帝王の腹部に叩き込んだ。
どぉん、と。まるで空爆でも行われたかのような爆音が轟いた。
周囲に波紋が広がり、衝撃の余波が発生し、その熱量がキングの肉体へと収束する。
783
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:39:22 ID:wecyTMYg0
「ぐ、があッ……!!!」
キングが、苦悶に表情を歪ませる。
帝王として君臨して以来、味わったことのない暴威が襲う。
あのルーサー・キングが、追い詰められている――。
裏の世界に生きる人間にとって、それは紛れもなく異常事態だった。
大金卸 樹魂は、余りにも、余りにも強すぎたのだ。
そして我を押し通したジャンヌ・ストラスブールの“援護”によって、樹魂の領域へとキングが引き摺り込まれた。
すなわち、至近距離での格闘戦。その戦場(リング)において、樹魂に敵う者はいない。
例え“鉄柱”と恐れられた呼延 光でさえも、全力で死合えば樹魂に軍配が上がるだろう。
それほどの怪物であるが故に、彼女は。
――――結局、分からないのだ。人の道というものが。
「はぁぁぁアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」
そしてキングが、吹き飛ばされた。
掌底から立て続けに、左拳の一撃が一直線に叩き込まれた。
連撃の威力と、放たれた拳の勢いが、キングに強力なダメージを与える。
吹き飛び、横転し、地を転がり続け――。
そのまま彼は廃材の山へと叩きつけられ、舞い散る粉塵に包まれた。
廃材が、崩れ落ちる音が響く。
まるで瓦礫の山に沈むように、帝王の姿が見えなくなる。
粉塵と鉄屑の中に飲み込まれるように、崩落に包まれ。
熾烈なる戦場に――――静寂が訪れた。
炎の翼を展開していたジャンヌは、やがて呆然と立ち止まる。
呆気に取られたように、瓦礫へと埋もれたキングの方を見据える。
静寂。沈黙。気配は、静まり返っている。
肩で息をして、呼吸を整えて。目の前の現実を、咀嚼する。
ゆっくりと流麗に、残心の所作を取る樹魂。
眼を閉じて、一呼吸を置き――再び静かに瞼を開く。
まさに武の化身を思わせる動作と共に、彼女は帝王の沈黙を捉える。
784
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:40:31 ID:wecyTMYg0
――――勝った、のか。
ジャンヌは茫然と、その現実を見つめる。
牧師の打倒。それは彼女の目指すところであり、為さねばならないことであった。
その試練がこのような形で果たされるなど、予想していなかった。
圧倒的な強さ、拳を極めた武人。
その唐突な介入によって、牧師が打ち倒された。
常軌を逸した事態。しかし、それが事実だった。
そんな現実を前に、ジャンヌは樹魂を見つめることしか出来なかったが。
戦いを経た、武神の横顔。
歓喜や満足とは程遠い、巌のような仏頂面。
何処か憂いのような、虚しさのような。
そんな面持ちが、滲み出ていた。
それからジャンヌは、僅かな間を置いて。
彼女は、死線の中で感じたものを振り返りながら。
樹魂に対して、言葉を投げかける。
「……漢女殿」
仁王のような仏頂面で腕を組んでいた樹魂。
彼女はその呼びかけに耳を傾け、視線を動かす。
「貴女の拳からは、空虚を感じました」
ジャンヌは静かに、しかしはっきりと告げる。
自らが感じ取った樹魂の本質を、言葉にする。
「私を守ると告げながらも、その意味を理解できていない。
人のために拳を振るう善意のカタチを、掴み取ることができない」
身勝手なエゴを貫き、因縁を只管に掻き乱し。
死闘を経てもなお、樹魂はどこか上の空だった。
勝利を得た上で、彼女は満たされていなかった。
「そんな悲しみが、滲み出ていました」
死線の中でジャンヌは、その痕跡を感じ取り。
そして今、漢女へと踏み込んでいく。
「だからこそ問いたい――――」
そしてジャンヌは、すっと右手を差し出す。
「どうか、共に戦いませんか」
785
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:41:04 ID:wecyTMYg0
例え彼女が、人の道を踏み外していたとしても。
例え彼女が、真っ当に生きられなかったとしても。
それでも、彼女に善を探究しようという意志があるのなら。
「貴女には真の意味で、善の為に拳を振るってほしい」
樹魂には、人の為に戦うことを選んでほしい。
我道でも、我欲でもない――正義という気高さのために。
ジャンヌに手を差し伸べられた樹魂。
彼女はその掌を、ただじっと見つめていた。
――無言。無表情。仏頂面は変わらない。
ジャンヌの言葉に、何を思い抱いているのか。
それを悟ることは出来なかったが。
それでも微かに、樹魂の眼は色を変えていた。
そこに宿っているのは、希望か――否。
微かに見えたものは、灰色の澱みだった。
まるで何か、諦念のような。
己の在り方に対する、限界を悟ったかのような。
そんな悲哀の欠片が、僅かに伺えたのだ。
それを感じ取ったジャンヌは、樹魂をじっと見つめた。
どこか寂しげに、しかし悲しみへと寄り添うように。
惘然と佇む樹魂へと、それでも手を差し伸べ続ける。
その悲しみも、未来への糧となる――そう伝えるように。
ジャンヌは樹魂へと、眼差しを向け続けていた。
「――――ジャンヌッ!!!!!」
しかし、次の瞬間。
樹魂が唐突に、叫んだのだ。
ハッとしたように、ジャンヌは意識を動かす。
途絶えていた筈の殺意が、再び姿を現したのだ。
視線を向けて、警戒を研ぎ澄ませて。
それでも尚、間に合わない“死”が迫っていた。
咄嗟に超力を発動――炎の翼、炎の剣。
それらを持ってして、迫る脅威に対処しようとした。
だが、戦慄は止まらない。言い知れぬ動揺が収まらない。
生半な術では、何の意味もなさない。そんな直感が胸を掻き乱す。
その直後、ジャンヌが突き飛ばされた。
高熱を纏った樹魂が、聖女をその場から離したのだ。
何かから彼女を庇うように、漢女は動き出した。
死が吹き抜けていったのは、直ぐ後だった。
「が、はぁッ――――!!」
強靭なる漆黒の暴風が、駆け抜けた。
残像を遺す程の軌跡が迸り、樹魂の胸を抉ったのだ。
口から血を吐き、胸に空いた風穴から鮮血を撒き散らす。
そのまま樹魂の身体は、仰向けに崩れ落ちていく。
786
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:41:50 ID:wecyTMYg0
「漢女殿ッ!!!」
突き飛ばされたジャンヌが、叫んだ。
目を見開きながら斃れていく樹魂へと、手を伸ばさんとした。
されど漢女は応えず、ただ血を流しながら虚空を見つめて。
そのまま生気を失い、瞳から光が途絶えていく――。
ジャンヌは、すぐさま“黒い影”へと視線を向けた。
倒した筈の帝王。剛拳の前に屈した筈の牧師。
彼が再び立ち上がり、奇襲を仕掛けてきた。
そのことを理解して、きっと睨むように怒りを込めて。
――――そしてジャンヌは、眼を見開いた。
――――視線の先に立つ“怪物”を、目の当たりにした。
ルーサー・キングの姿が、変貌していたのだ。
禍々しく、猛々しく――深い闇にその身を包んでいた。
凄まじい威圧を纏いながら、帝王は歩を進める。
「面倒臭ぇな。本気を出すってヤツは」
漆黒に染まる鋼鉄が、身体を覆っていた。
亜人に似た異形の風貌を、形作っていた。
更に強靭に、頑強に――体躯が膨張している。
全身を覆う黒鉄が、3mもの体格を持つ獰猛な魔人の姿を形成していた。
「大金卸 樹魂。流石にてめえには驚かされたよ」
右手を樹魂の血で染めたまま、言葉を紡ぐ魔人。
それはまるで、二本の足で立つ怪物――。
黒豹(ブラック・パンサー)のようだった。
迸る狂気、聳える権威、剥き出しの暴力。
それがヒトの形を成しているかのような。
そんな闇の極位が、君臨していた。
黒金の肉体が、支配者の如く闊歩する。
「こいつを使うのは、かつてリカルド・バレッジと殺り合った時以来だ」
超力とは、進化するもの。
超力とは、変貌するもの。
超力とは、高まっていくもの。
「さて、改めて聞かせてもらうが――――」
葉月りんかは、かつて深い絶望の中で超力を更なる段階へと覚醒させた。
ルクレツィア・ファルネーゼは、淑女への成長を経て自らの秘められた超力を解放させた。
内藤 四葉は、自らの心身の変化によって超力の在り方を変異させた。
交尾 紗奈は、葉月りんかの手を取った果てに己の超力を進化させた。
「なあ、小娘ども」
なればこそ――――。
新時代で最大の悪名を轟かせるこの男が。
その領域に至っていない筈がないのだ。
即ちそれは、“超力の第二段階”である。
「俺を、誰だと思ってやがる」
超力名――――『Public Enemy』。
帝王が己の異能を極限まで高めたことで結実した“真髄”。
自らの超力の限界を超えて体得した、更なる“位階”。
際限無く精製した鋼鉄で自らの肉体を覆い尽くし、巨躯を備えた“黒鉄の魔人”へと変貌する。
“牧師”ルーサー・キング。
この男は正真正銘、悪の頂点に立つ帝王である。
787
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:43:01 ID:wecyTMYg0
キングの超力、その本領。
ジャンヌはただ、その気迫と殺意に戦慄する他無かった。
胸に風穴を開け、血を吐きながら崩れ落ちた樹魂へと、寄り添う余裕など無かった。
救ける、救けない。そんな選択を天秤に掛ける猶予すら存在しない。
目を逸らした瞬間、こちらも命を奪われるのだから。
今の自分にできることは、ただ一つだけ。
立ちはだかる“帝王”を、討つことだった。
それ以外の道は、最早何も無かった。
絶望に挑む――それ以外に、取れる術など無かった。
「う、おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
君臨する敵を前に、ジャンヌは我武者羅に吼えた。
決死の覚悟で、超力の出力を振り絞る。
炎の翼を、必死に迸らせる。
剣の紅蓮を、煌々と滾らせる。
火焔を引き出す。限界まで呼び起こす。
その魂の奥底から、ありったけの熱を掴み出す。
「図に乗るんじゃねえよ。虫螻が」
――――瞬間、破滅の暴風が突き抜けた。
――――聖なる焔へと、漆黒の鋼が激突した。
――――まるで、死の濁流のように。
――――勇猛なる輝きを、無慈悲に砕いた。
炎が掻き消される。肉体が宙を舞う。
壮絶な衝撃の余波によって、周囲のコンクリートすら砕け散る。
太陽の如し極光を纏っていたジャンヌが。
真正面からの激突を前に、成す術もなく吹き飛ばされた。
突進の勢いと鋼の硬度を上乗せした、ただの右拳のストレート。
それが殺人的なまでの威力を伴い、正義の聖女へと叩き付けられたのだ。
漆黒の魔人――ルーサー・キングは、悠々と立ち続けている。
受け身を取ることも敵わず、ジャンヌは圧倒的な暴威に曝される。
そのまま壊れた人形のように、重力に引き寄せられて地面へと叩き落ちた。
「がっ――――」
打撃の破壊力と、落下の衝撃。
双方がジャンヌの肉体に襲いかかり。
その場に横たわったまま、激しく咳き込む。
「げほ、がは、ぁ――――ッ!」
苦悶の声と共に、血反吐が撒き散らされる。
血眼となった目を見開き、瞳孔が震える。
視界が揺れる。意識が揺らぐ。現実感さえも揺さぶられる。
788
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:43:39 ID:wecyTMYg0
「ごあ、は…………っ」
凄まじい痛みが、身体中を駆け抜けていく。
どれだけの骨が折れたのかも、分からない。
命を繋げていることさえ、奇跡のように思えてくる。
圧倒的。絶望的。
そうとしか形容できない、壮絶なる暴力。
これがルーサー・キングの強さ。
立ち塞がる現実は、余りにも無慈悲であり。
――――それでも、ジャンヌは。
――――焔の翼を、再び顕現させる。
「はぁーっ……く、はあ、っ……!!」
歯を食いしばりながら、超力の推進力を駆使して強引に起き上がる。
ありったけ振り絞った火力。魂の奥底から引き出した出力。
残された気力を意志の焔に焚べて、聖女は歯を食いしばった。
「――――まだ挑む気か、お嬢ちゃん」
そんなジャンヌを冷ややかに見据える、漆黒の帝王。
闇そのものを体現するような黒鉄を纏い、圧倒的な気迫を放ちながら君臨する。
「てめえ如きが、意地張ってんじゃねえよ」
――幾度挑もうが、関係ない。
圧倒的な格の違い。圧倒的な力の差。
その厳然たる壁の前には、どれだけ足掻こうと無意味なのだと。
牧師は殺意を放ちながら、聖女を冷徹に見据える。
「意地を……張らずして……」
それでも尚、ジャンヌはキッと睨み続ける。
その瞳に闘志を宿して、君臨する帝王を前に剣を構え続ける。
燃え盛る焔が、不屈の意志に呼応するように揺らめく。
彼女の魂は折れない。絶望を前にしても、その正義は挫けない。
「正義など、語れない……ッ!!」
救国の聖女、ジャンヌ・ストラスブール。
彼女もまた、逸脱者であるが故に。
その希望の光は――決して闇に屈しない。
「――――そうかよ」
そんなジャンヌの啖呵を、キングは冷ややかに切り捨てる。
愚直なまでの正義。狂気と呼べる程の善性。
その輝きを前に、闇の王が思うことは一つ。
つまり、破滅を望んでいるということだ。
「正義と共に死ね。てめえは無力だ」
故に彼は、死刑を宣告する。
最期の一撃を放つべく、己が超力を研ぎ澄ます。
意地も正義も、この圧倒的な力の前には何の意味もない。
そう突きつけるように、キングは自らの極限の殺意を聖女へと向ける。
789
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:44:29 ID:wecyTMYg0
ジャンヌは、死を覚悟しながら構える。
決して退かない。決して恐れない。
余りにも深い空のように、碧い瞳が敵を射抜く。
歯を食いしばり、限界まで紅蓮の焔を引き出す。
――――絶望的な対峙だった。
――――孤立無援。孤軍奮闘。
――――もはや、聖女ひとり。
それでもジャンヌは、目を見開く。
強大な敵を捉えて、焔の剣を構える。
自らの意志を、正義を貫くべく。
魂を燃やそうとした――その矢先。
「ジャンヌ・ストラスブールッ!!!!」
戦場に、幼き叫び声が木霊した。
無数のリボンが殺到し、ジャンヌを絡め取った。
纏う焔を抑え込みながら、彼女を拘束する数多の曲線。
そのまま戦場から強制的に逃がすように、リボンがジャンヌを一気に後方へと引き寄せる――。
キングは、新手の存在に気付く。
その声の主が何者であるのかも、すぐさまに悟った。
つい先刻、あの管理棟。己が戦わずして一蹴した小娘。
交尾 紗奈――ならば、もう一人の少女もまた。
「ホーリーッ――――フラァァァッシュ!!!!」
直後、凄まじい閃光が迸った。
リボンの後方から放たれる、眩き熱線。
ありったけの威力を込められた一撃。
それは黒鉄の魔人と化したキング目掛けて、一直線に飛来する。
右掌を前面へと構え、キングは閃光を容易く受け止める。
まるで動じることもなく、片手で攻撃を防ぎ――――。
その手の内で握り潰すように、熱線をグシャリと粉砕した。
しかしキングは、それが攻撃の為に放たれたものではないことにすぐさま気付く。
視界を覆い尽くすほどの、強烈な閃光。
即ち、目眩ましを目的としているのだ。
そのことを察した直後、キングは晴れる視界へと意識を向けた。
――――既に少女達の姿は無かった。
駆けつけた交尾紗奈と葉月りんかは、満身創痍のジャンヌを救うために行動していたのだ。
圧倒的な強さを持つキングとの交戦は避け、彼女達は逃げに徹した。
結果として少女達は、この死地からの逃走に成功したのだ。
◆
790
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:45:01 ID:wecyTMYg0
◆
ハヤトとセレナを交えた、ルーサー・キングとの対峙。
希望を胸に抱いた前進は、無惨な形で打ち砕かれた。
自らの理想に殉じる“死に場所”を求める自殺志願者。
己を救った相手の在り方をなぞるだけの模倣品。
闇の帝王から突きつけられた、それぞれの本質。
――りんかと紗奈は、打ちのめされた。
その心を、徹底的に踏み躙られた。
故に二人は、ただ管理棟から離れることしか出来なかった。
これ以上あの男と対峙し続けて、平静を保てる自信などなかった。
ハヤト達を案ずる余裕すら失って、二人は港湾の片隅で寄り合うことしか出来ず。
希望の道標さえも見失い、茫然と打ち拉がれていた。
これから、どうするのか。
その答えは、未だ導き出せず。
それでも二人は、せめて管理棟に引き返すことを選んだ。
ハヤトとセレナの無事を確認するために、彼女達は何とか動き出した。
りんかと紗奈は、“システムAの手錠”と“流れ星のアクセサリー”をそれぞれ預かっていた。
もしもの時にキングに奪われて、利用されないために。
せめて二人はキングから逃れることで、このアイテムを悪用されないために。
この方策が功を成すような事態にならないことを、りんか達は祈っていた。
二人が無事にあの場を切り抜けられていることを願いつつ、引き返そうとした矢先だった。
――――港湾を飲み込む強大な寒波が、襲い掛かったのだ。
超力を咄嗟に行使し、何とか手傷を避けられた二人は、すぐさま管理棟へと向かった。
されど既にその被害は甚大となっており、また無数の氷像や凍土が道を阻み。
そして凍結の影響も著しく、ハヤト達の消息も確認できず。
二人は途方に暮れかけたが――それでも奔り続けた果てに、戦場へと辿り着いた。
ジャンヌ・ストラスブール。
世界的に有名な“ヒーロー”である彼女の存在は当然知っていた。
りんかにとっては憧れの存在であり、紗奈も噂には幾度も聞いていた。
その彼女が、ルーサー・キングと対峙していたのだ。
りんかと紗奈は、すぐさま彼女を救出した。
キングに挑むよりも、ジャンヌの安全を優先した。
自分達の在り方を揺さぶられ、その根底を抉り出され。
目指すべき道も分からなくなり、霧の中に放り出されて。
何を成すべきか――それすらも答えられなくなって。
それでも、せめて目の前で取るべき行動からは、眼を逸らしたくなかった。
「――――大丈夫ですか。その……ジャンヌさん」
港湾から距離を取り、森の近くの平野で腰を落ち着けた三人。
自らが憧れていた相手に対し、りんかはおずおずと問いかける。
その声には、今の自分に対する負い目が混じっていた。
自らの本質を突きつけられ、打ちのめされたばかりだった。
心に影を落としている自分が、“あの”ヒーローと向き合っている。
そのことに対する罪悪感のような、奇妙な感情を抱えていた。
りんかの呼びかけに対し、疲弊したジャンヌはこくりと頷く。
死闘と負傷で摩耗しながらも、それでも凛とした眼で二人を見つめている。
その澄んだ色彩を前に、紗奈は思わず怯むような思いを抱いたが。
やがて先の戦場を振り返って、視線を落として言葉を紡ぐ。
791
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:46:01 ID:wecyTMYg0
「ごめんなさい。あの武人までは助けられなかった」
「……分かっています、貴方がたが気に病む必要はありません。
あの場で勇気を振り絞ってくれて、ありがとうございます」
紗奈の謝罪に対し、ジャンヌは労いながら礼を伝える。
紗奈達も一度は交戦した武人――樹魂があの場で倒れているのは目にしていた。
武を極めることを望み、同時に善意の探求を目指していた、奇妙な囚人だった。
彼女が何を思い、何を抱いてあの場に居たのかは分からないが。
きっとジャンヌは、樹魂と共にキングへと立ち向かっていたのだろうと考える。
そして樹魂の最期を振り返りながら、紗奈は胸を締め付けられるように思い馳せる。
――ハヤトとセレナ。
彼らの行方は、結局分からずじまいだった。
自分達に寄り添い、ひとかけらの希望を与えてくれた二人。
ちいさなヒーローとしての姿を焼き付けてくれた、優しい人たち。
じきに放送が流れる。
果たして二人は、無事なのだろうか。
あの場から逃れてくれたのだろうか。
紗奈が悲しみを胸に抱いた、その矢先だった。
「……あれ?」
紗奈の懐で、仄かな温もりが照らされた。
小さな太陽のような暖かさが、灯り始めていた。
紗奈は眼を丸くして、それを取り出した。
りんかも、そしてジャンヌも、視線を向けた。
紗奈が取り出したのは、セレナから託されたもの。
流れ星の意匠を持ったアクセサリーだった。
それは超力を吸収し、保存する機能を持った器具。
静かな灯火のように、朱色の輝きを放っていた。
そして、その光は――アクセサリーから解き放たれる。
まるで蛍火のように揺らめき、揺蕩った果てに。
やがてジャンヌに寄り添うように、彼女の身体へと溶け落ちていった。
一体、何が起きたのか。
りんかも紗奈も、ジャンヌも、驚きを隠せなかった。
暫しの静寂を経て、ジャンヌは自らの胸に手を当てる。
何かを感じ取るように、ゆっくりと手を握り。
そしてジャンヌは、ぽつりと“ある名”を呟いた。
この温もり。この輝き。ひどく穏やかな感覚。
あの狂熱とは程遠いものであるにも関わらず。
それでもジャンヌは、彼女の姿を想起せずにはいられなかった。
「――――フレゼア……?」
流れ星のアクセサリーに、収められていた超力。
自らの狂信に猛り、悪しき疾走を重ねて。
最期に真なる善を果たした、炎帝の輝きだった。
その暖かさを抱いて、ジャンヌは安堵していた。
まるで彼女に与えられた“救い”を感じ取ったかのように。
静かに、安らかに微笑みを浮かべていた。
792
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:46:35 ID:wecyTMYg0
【B-3/平原/一日目・昼】
【葉月 りんか】
[状態]:食糧と水をもらい乾きを回復、疲労(中)、腹部に打撲痕と背中に刺し傷(小)、ダメージ回復中、紗奈に対する信頼、ルクレツィアに対する怒りと嫌悪、システムAの手錠
[道具]:なし
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。その過程を経て、死にたい。
0.ハヤトとセレナを気に掛けつつも、戦いの覚悟。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。
3.ソフィアさん…
4.ジャンヌさんそっくりの人には警戒しなきゃ
5.――――姉のように、救って、護って、死にたい。その為に、償い続ける。
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
※ハヤト=ミナセが持ち込んでいた「システムAの手錠」を託されています。ハヤトと同様に使用できるかは不明です。
【交尾 紗奈】
[状態]:食糧と水で乾きを回復、気疲れ(中)、目が腫れている、強い決意、りんかへの依存、ヒーローへの迷い、ルクレツィアに対する恐怖と嫌悪
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2、
[方針]
基本.りんかを支える。りんかを信じたい。
0.りんかのために戦う。でも、それだけでよくなかった、何もかもが足りなかった。
1.新たに得た力でりんかを守りたい
2.バケモノ女(ルクレツィア)とは二度と会いたく無い
3.青髪の氷女(ジルドレイ)には注意する。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。
※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。
※『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』の超力は使用不能となりました。
※セレナ・ラグルスから「流れ星のアクセサリー」を託されていました。
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(極大)、全身にダメージ(大)、フレゼアの超力吸収
[道具]:流れ星のアクセサリー
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
1.ジルドレイを追い彼の凶行を止める
2.ルーサー・キングとの合流地点(港湾)を目指す。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
※流れ星のアクセサリーに保存されていた『フレゼア・フランベルジェ』の超力を取り込みました。
フレゼアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が強化されています。
◆
『師範』
『私は他に、何も求めていません』
『友も、愛も、私には無用の長物です』
『名誉さえも、初めから欲していない』
『私には、この拳しかないのだから』
『それでも足りないというのなら』
『私は、更なる暴威となりましょう』
◆
793
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:47:19 ID:wecyTMYg0
◆
――――此処で仕留めておきたかったが。
――――全く、逃げ足の早いモンだ。
全身に黒鉄を纏ったルーサー・キングは、その事実を粛々と受け止める。
大金卸 樹魂は恐るべき武人だったが、仕留めることが出来た。
自身を狙うジャンヌ・ストラスブールもまた、此処で始末したかったものだが。
思わぬ形で、小賢しい鼠に出し抜かれることになった。
葉月りんか。交尾紗奈。
それは、取るに足らない小娘達。
自らの傷を舐め合い、破滅へと向かう弱者達。
そして、この牧師を侮った愚かな輩共。
奴らがジャンヌを救出し、この場から逃げおおせた。
あの怪力乱神に比べれば、遥かに小物だが――。
それでもこの牧師を侮辱し、煙に巻いてみせたのだ。
自らの不覚を苦笑しつつ、改めてキングは殺意を湛える。
ルーサー・キングを侮り、冒涜した者の末路など決まっている。
故に、いつもと変わらない。普段通りだ。
その落とし前、その報いを受けさせるのは、当然の道理だ。
幾らかの手傷は負ったが、まだ余力は残している。
奴らへの追撃を仕掛けるか、あるいは放送を待つか。
思考を行おうとした、その矢先だった。
がしゃり、と。
何か、物音がした。
有り得る筈のない音が、聞こえた。
キングは、視線を動かした。
その正体が何なのか。
その音の主が何なのか。
コンマ数秒の時を経て。
彼はまざまざと、思い知ることになる。
「――――何?」
眼前の光景に、キングは絶句した。
信じられない状況を目の当たりにし。
彼は目を見開き、そして睨むようにゆっくりと細めた。
嘘だろ、と。
彼は思わず、言葉を漏らした。
闇の帝王が、驚嘆を隠せなかった。
余りの異常事態を前に、戦慄したのだ。
心臓を破壊された筈の樹魂が、立っていた。
眼前に存在する強者(キング)を、その双眸で捉え続けていた。
大きな風穴の空いた胴体。
負傷した箇所から、血が止め処なく溢れ続け。
有るべき筈の臓器はごっそりと抉られている。
胸から腹部にかけて、深い真紅に染まり切っている。
しかし、漢女は威風堂々と立ち続けている。
筋骨隆々の肉体が、沸々と蒸気を発している。
壮絶なる熱が、身体中で弾けている。
794
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:48:41 ID:wecyTMYg0
それは、超力による蘇生術か。
否、そんな小手先の技術ではない。
鍛え上げた肉体のみで、命を繋げている。
余りにも強すぎるが故に、自力の延命を成している。
――――樹魂の全身、筋肉が異常活性化している。
伸縮しながら躍動する筋肉が、血液を自己生成しているのだ。
更にはポンプのように血流を促進し、強引に身体機能を維持し続けている。
言うなれば、全身が心臓。
言うなれば、筋肉の心臓(マッスルハート)。
迸る筋肉によって、粉砕した心臓を補っている。
「バケモンか……てめえは……」
ソレは最早、人の域を完全に超えていた。
鍛え上げた筋肉によって、肉体的な死さえも超越してみせた。
まさに奇怪。まさに脅威。まさに、屈強。
大金卸 樹魂は、地球上で最強の肉体と化していた。
そして樹魂が、鋭く構えを取る。
血眼のような真紅の眼で、キッと睨みながら。
巌のような四肢を、研ぎ澄ませる。
何故、立てる。
何故、立ち続ける。
何がお前を、そこまで駆り立てる。
壮絶なる狂気が、人の肉を保っている。
キングは、死をも超越した武神を見据える。
渦巻く驚愕と動揺――。
久しく感じたことのない感覚。
その衝撃に打ちのめされた果てに。
やがて現実を受け止めるように、思考を研ぎ澄ませる。
ああ、やるしかねえのか。
半ば呆れるように、キングは溜息を吐く。
まさに戦闘狂。まさに荒ぶる神。紛れもない狂人。
こんな輩さえも一緒くたに隔離しているとは――。
つくづくアビスというモノは、どうかしている。
「……わかったよ。よくわかった」
そんな思いを抱きつつも、不思議と清々しい気分だった。
久々の全力に高揚を感じているのか。
あるいは、この武人の闘気に惹き寄せられているのか。
理由は分からないが、どうだっていい。
結局、その行く末はひとつなのだから。
「――――遊んでやるさ、小娘」
大金卸 樹魂を、此処で殺す。
その黒鉄の装甲を鈍く輝かせて。
ルーサー・キングは、武神を挑発する。
かかってこい、と――帝王は告げる。
795
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:49:24 ID:wecyTMYg0
その言葉が、幕開けの狼煙となる。
最後の死闘。最後の攻防。
それを感じ取るように、死を超越した乱神が息を吸い。
港湾全体を揺るがす程の気迫と共に、猛々しく吼えた。
「でぇぇぇぇぇいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!」
大地が震える。大気が震える。
熱が、風が、鋼が、あらゆる有象無象が。
怪力乱神の咆哮によって――――震撼した。
その叫びを火蓋に、キングと樹魂が真正面から激突する。
鋼鉄の拳と筋肉の拳が、幾重にも交錯する。
そこから先は、血潮の嵐が吹き荒れた。
数多の破壊。数多の暴威。数多の疾風。
怒涛の拳撃、怒涛の攻防、怒涛の武闘。
――――黒金の魔人と、怪力の武神。
怪物同士の激突が、この地に小宇宙を生み出した。
決着は、分かり切っている。
最後に立つのは、決まり切っている。
漢女は既に、限界を迎えている。
肉体の終焉を踏み越えて、強引に戦い続けている。
故に彼女の奮戦は、蝋燭が見せる最後の炎に過ぎない。
それでも漢女は、挑み続ける。
それでも漢女は、戦い続ける。
それでも漢女は、吠え続ける。
戦いに明け暮れて、強くなること。
樹魂にとって、それだけが存在理由。
己を世界に刻む術など、それしか知らないのだ。
◆
『樹魂よ。よく聞け』
『お前は、自由などではない』
『生まれ持った“強さ”に縛られ』
『孤高の暴威と化す他に無かった』
『お前は、哀れな獣だ』
『その拳の行き着く先に、何があると思う?』
『今のお前が、次の世代へと残せるものは――』
『我欲と暴虐。その果ての破綻のみだ』
『お前に、道場を継がせる訳にはいかない』
『この言葉の意味を、しっかりと噛み締めろ』
◆
796
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:51:00 ID:wecyTMYg0
◆
太陽は、真上へと登り始めていた。
既に正午が近い。暫くすれば放送も流れるだろう。
氷藤 叶苗が港湾に辿り着ける可能性は低いだろうが。
休息も兼ねて、放送を聞き届けるまでは待つとしよう。
そう思いながら、キングはコンクリートの残骸の上に腰掛けていた。
既に超力は解除し、漆黒のスーツを纏った姿へと戻っている。
――やはり全力の超力解放は相応の疲労が伸し掛かる。そう容易く連発は出来ない。
リカルドとの死闘以来の発動だったが、誰かに肩でも揉んで貰いたいくらいだ。
キングはうんざりとした表情で、煙草を気晴らしに吸っていた。
まるで溜息を吐くように、口から煙を燻らせている。
その視線の先には――仰向けに倒れる仁王の亡骸があった。
嬲られ、裂かれ、抉られ、徹底的に肉体を破壊され。
それでも人としての原型を保ち続けた、武神の姿があった。
死してなお自らの存在を示すかのように、堂々たる姿で横たわっていた。
大金卸 樹魂は、まさに怪物だった。
キングとて、そう認めざるを得なかった。
全力を出した牧師を相手取り、真正面からの一騎打ちを成し遂げた。
心臓を破壊された肉体を躍動させ、魔神にも一歩も引かず。
その鉄拳や剛脚を駆使して、幾度となく黒鉄を打ち砕き。
鬼神の如き戦いぶりを見せながらも、やがては肉体の限界を迎えて。
糸がプツリと切れたかのように、彼女は死闘の最中に絶命した。
死した肉体を、この漢女は躍動させ。
全力の帝王と、互角の打ち合いを演じてみせたのだ。
樹魂の亡骸は、仰向けのまま天を仰いでいる。
光を失った双眸は、青空へと向けられている。
もはや遺体は動かない。二度と、動きやしない。
そのことを確かめて、キングは微かな安堵すら抱く。
何故、これほどまでに武を極めたのか。
何故、これほどまでの怪物と化したのか。
キングにさえも理解できない、樹魂の生き様。
怪異と呼ぶべき彼女の暴力を振り返りながら、忌々しげに眉間へと皺を寄せる。
ぬらりと、キングが立ち上がった。
煙草を咥えたまま、ゆっくりと樹魂の死骸へと歩み寄る。
彼女の傍で立ち止まってから、身体を屈ませた。
右手のデジタルウォッチを操作し、恩赦ポイントを回収しようとした。
一仕事を終えたのだ。
せめて恩恵の一つや二つを得られないと割に合わない。
そう考えて、キングは樹魂の首輪を眺めていたが。
そのとき彼は、ある異変に気づく。
――――樹魂の恩赦ポイントが、回収できないのだ。
異常事態を前にし、キングは表情を微かに歪めたが。
その原因を、彼は自らの目ですぐに理解することになる。
機器がショートを起こし、バチバチと小さく火花を散らしている。
その太い首に巻き付く首輪が、肉に巻き込まれてひしゃげている。
単なる故障ではない。物理的に破損されている。
強靭に進化した筋肉が、金属部位に対して許容量を超える負荷を与えていた。
樹魂は、首輪を知らず知らずのうちに破壊していたのだ。
死闘の果てに限界を超えた筋肉が、首輪の金属さえも歪めていたのだ。
爆破機能が作動しなかったのは、もはや奇跡とすら言えるだろう。
「……やれやれ」
その事実を目の当たりにし、キングは呆気に取られる。
訝しむように目を細めて、ひしゃげた首輪をじっと眺めて。
やがて溜め息と共に、彼は投げやりに吐き捨てた。
「もう二度とやりたくねえな」
797
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:52:41 ID:wecyTMYg0
【B-2/港湾/一日目・昼】
【ルーサー・キング】
[状態]:疲労(大)、肉体の各所に打撲(大)、左脇腹に裂傷と火傷、右足首に刺し傷(いずれも鋼鉄で止血・固定)
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)、セレナ・ラグルスの首輪(未使用)、ハヤト=ミナセの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
0.一旦放送を待つ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
4.りんかの自殺願望がある以上、彼女と正面から戦うつもりはない。相手の土俵に立つのは、自分の利益がなさすぎる。
5.ルーサー・キングを軽んじた以上、りんか達もこれから潰す。手段手法は問わない。
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※超力の第二段階を既に体得しています。
全身に漆黒の鋼鉄を纏い、3m前後の体躯を持つ“黒鉄の魔人”と化す超力『Public Enemy』が使用可能です。
[共通備考]
※大金卸 樹魂の首輪が彼女自身の筋肉によって破損しています。
恩赦ポイントが回収不可能となっています。
◆
記憶が、駆け抜ける。
記憶が、鮮明に蘇る。
ひたすらに武を極め続けた日々。
強者との死闘に明け暮れた日々。
ただ力のみを渇望し続けた日々。
記憶が、吹き抜ける。
記憶が、脳裏を過る。
迷える幼子達の道標となり。
強くなれよと、彼らに導きを与え。
その手を離して、突き放していった。
記憶が、明滅する。
記憶が、反響する。
いつの日か。まだ十にも満たぬ頃。
檻のような部屋の窓から、外の世界を見た。
道端を歩く、親子の姿があった。
母は子の手を繋ぎ、仲睦まじく寄り合っていた。
そんな愛を手にする術など、知る由もなかった。
記憶が、綯い交ぜになる。
記憶が、過去へと遡っていく。
記憶が、閃光と化していく。
記憶が、記憶が、記憶が――――。
皆が、我を視ていた。
798
:
破戒
◆A3H952TnBk
:2025/08/08(金) 00:53:34 ID:wecyTMYg0
まだ幼く、満足に動くことも出来ず。
寝具の上で、無様に尻餅を付くことしか叶わない。
この世に生まれ落ちたばかりの、矮小なる存在。
そんな“在りし日”の幼子を取り巻く、怪訝なる視線。
赤子の我が、其処にいた。
皆が、我をじっと見つめている。
恐怖と不安。懸念と動揺。嫌悪と悲嘆。
数多の情動が入り混じった視線を、幼き我に向けている。
医師が、看護師が、親族が、父母が。
距離を置くように、遠巻きから観察している。
誰も我に触れようとはせず、抱えようともしない。
未知なるモノを恐れ慄くように、彼らは我を眺めている。
生まれた時から“強すぎた”らしい。
生まれた時から“異常”だったらしい。
幼き日の我は、それを感覚で悟っていた。
ぴくりとも、泣きはしなかった。
人の温もりに、欠片も触れられないというのに。
我は悲しむことも、嘆くこともしなかった。
ただ、其処に在り続けていた。
まるで生まれながらの孤高を、彼らに示すかのように。
恐らくこの時から、己の宿命は決まっていたのだろう。
人の道など歩めず、我欲と暴威を抱き続ける生涯。
善や道徳を学べず、狂気の果てを行き続ける覇道。
何も与えられず、若人達を灼きながら彼らを死地へと導く。
そんな破壊者としての生き様のみが、定めだったのだろう。
これが、我か。
最後の瞬間になって。
ようやく己のすべてを悟った。
ああ、そうだな。
もしもまた、この世に生まれ落ちるのなら。
新たな命を授かり、生まれ変われるのなら。
泣き喚いて母にすがる術くらいは、覚えておきたい。
【大金卸 樹魂 死亡】
799
:
名無しさん
:2025/08/08(金) 00:53:52 ID:wecyTMYg0
投下終了です。
800
:
◆H3bky6/SCY
:2025/08/08(金) 20:32:34 ID:EVHweGLs0
投下乙です
>破戒
大金卸樹魂という善意を理解できない生まれながらの怪物の最期
数々の人間の脳を焼いてきた漢女の強さと生き様。多くの若者たちを囃し立て死地へと向かせてきた
実際このロワでも漢女に脳を焼かれた連中は早死にしている、唯一生き残ってるアンリくんはどうなるのか
因縁の対決に割り込む無関係、完全に場違いな異物に全員が困惑しておる
ジャンヌとキングという宿敵が結託して丁寧にお引き取り願おうとしているのが笑っちゃうんですよね、二人のこころが一つに!
だが、この漢女、基本的に人の話を聞かないので勝手に試す、身勝手の極意
自分都合を押し付けまくってくる上に無視できない強さなのが本当に性質が悪すぎる
共闘ではなく全員が己が目的達成のためのエゴをぶつけ合う戦い、ジャンヌもうまく立ち回っている
超力なしの格闘戦においてはこの漢女は間違いなく頂点
これまで圧倒的な実力で余裕を見せてきたキングがボコボコにされるのはなかなかに衝撃映像、ジルドレの与えたダメージが地味に効いている
その拳から感じた善意を求めながらその本質を理解できない在り方を憐れむジャンヌ、この好き勝手暴れまわる闖入者に哀れみを向けられるのは流石の聖女だよ
強すぎるが故に人道を学べぬ悲しき怪物、この怪物性を見抜き導いてきた師匠は正しく彼女を見てきたんやなって
そして時は放たれる超力の進化の先にある第二段階。数多くの修羅場を潜り抜けてきたキングが到達していないはずもなく
漢女は生まれながらの強者であるが故に、超力の進化にも至れず、強くなるという望みからすら遠ざかっているという
漢女すら打ち倒すその強力さと凶悪さ、まさに「パブリック・エネミー」の名に相応しい
絶体絶命の所に現れるヒーロー、りんか紗奈
小物だとキングが見逃した2人がジャンヌを救う、この悪人だらけのアビスで貴重な正義心を持った3人が集まったのは熱い展開
フレゼアの力が宿ったペンダントがジャンヌの手に渡るのも思いが受け継がれていくようで、フレゼアも草葉の陰で喜んでおる
漢女がジャンヌを庇ったのは、生まれた善意からか、それとも善意を模した行動だったのか
心臓を破壊されながら、第二段階のキングと渡り合うのは本当に何なのこの人……?
漢女の規格外さに耐え切れず首輪も壊れて、勝ったところで何の得もない、本当に災害、キングも疲労困憊お爺ちゃんになるよ
心を得るのではなく、母に縋る術を学ぼうというそれぽい技術を習得しようとするところが最期まで漢女らしい怪物性だった
801
:
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:32:35 ID:L0e4MWiE0
投下します
802
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:34:23 ID:L0e4MWiE0
合理と純心の混じり合う場所
■
<ブラックペンタゴン南東部 山岳地帯>
山肌を撫でるように吹きゆく風が、乾いた音を残して草を揺らしていた。
三人の女が命を落とし、生き残った三人の男は二手に分かれてそれぞれの道を行く。
その一人、ジョニーが重く刻み込むような足取りで進み行くのを、ディビットとエネリットは無言で見送った。
しばらくして、ディビットは小さく息を吐くと、視線を隣へと滑らせた。
「さて、バンビーノ」
ディビットは傍らのパートナーへと声をかける。
その声に応じて、エネリットが顎を上げる。
「俺たちもそろそろ次の手を打つ頃合いだろうが……その前に確認しておくべきことがあるよな?」
「ええ、僕も話を切り出そうとしていたところです。避けては通れませんから」
二人の視線が交差する。
「俺たちの考えていることは一致しているのだろうな」
「同時に口に出してみますか?」
「ふん」
「「契約の更新」」
二人の声が寸分の狂いもなく重なった。
そして、先ほどまで漂っていたはずの哀愁を含んだ雰囲気はどこへともなく霧散した。
代わりに、合理と策略の匂いが場を支配していた。
「今の段階で、俺は200ポイント。
いい数字だ。同盟は当初の狙い以上に機能している」
「ですが、そうなると問題は次の一手です。
これまではポイントを稼ぎ一辺倒で良かったですが、新しい指針が加わるということですね?」
「話が早いな。
受刑者を相手に、ポイントの"運用"という選択肢がここから加わるだろう。
端的に言えば、スカウトだ」
「なるほど。賛成です」
エネリットとディビットの『ポイントを稼ぐための同盟』は、互いの信頼がゼロであるときに構築された同盟だ。
当然、戦力の拡充になど言及していない。
段取りがない以上、既存の契約ではカバーできない部分も出てくるだろう。
先ほどは役割分担の流れに乗って、ディビットはジョニーを取り込もうとした。
そのときは問題は起こらなかったが、リスクとしてエネリットとディビットのそもそもの目的も異なるということもある。
地獄の鉄火場において、パートナーとの思い違いは命取りだ。
取り込もうとしていた戦力をいざ前にした状況で、殺害と懐柔とで方針が決裂しようものなら目も当てられない。
ましてや、アビスの囚人を前に、それを晒して狼狽えるなど、自殺行為以外の何者でもない。
ジョニーの引き込みを目論んだのはディビットだが、首輪を取得する権利を最初に口に出したのはエネリットだ。
二人の中で、戦力の強化に移るのは確定事項となっていた。
故に、契約の更新は必須。前提の見直しも必要。
両者の認識は一致している。
803
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:35:18 ID:L0e4MWiE0
「俺がすべてのポイントを報酬に使ったとして、帳消しにできる刑期は50年。
仮にお前が上乗せすれば、80年。
死刑囚と無期懲役囚を除けば、恩赦の条件をクリアできる量だが……」
「無秩序に取り込むわけにはいかない。
ここはアビスです。適性を見極めずに手を出そうものなら、440ポイントを相手に献上すると同義です」
「まったくその通りだ」
ディビットは鼻で笑いながら、小さく指を鳴らした。
「極端な例を出そう。
たとえば、ドンだ。
数値上は320Pであの男を買えるが、どう思う?」
「冗談にもなりませんね。
口に出しただけで、アビス中の笑いものでしょう」
ドンならば首輪を渡した途端に、ディビットとエネリットをまとめて殺しにかかるだろう。
何故なら、二人の首にまだ120ポイントが着いているからだ。
あれは根っからの略奪者であり、底抜けの欲望の体現者。
キングに対抗できる確かな戦力であろうとも、決して候補にはなり得ない。
「ブラックペンタゴンに突入する前に、そういう連中を洗い出す。リストアップしよう。
逆に、ポイント次第で交渉に応じる意思がありそうな有望株もな。
交渉か、殺害か、あるいは回避かあらかじめ目星をつけよう」
戦力とするのか、ポイントとするのか、相手にするのを避けるのか。
すらすらとディビットが取り決めを固めていく。
エネリットは真剣な表情で内容を反芻し、おもむろに頷く。
「スカウトの優先権については、こればかりは縁もあるのでな、囚人一人一人に傾斜をつけよう。
そして、引き込んだ戦力の運用については、交渉を成立させた者がその権利を得る。
入手した首輪の所有権や順番に関しては引き続き継続としよう。
どうだ? ここまでは問題ないか?」
運用優先権、ポイント取得権。
意見対立が起きた時、人数増加に伴い二手に別れざるを得なくなった時などの例外規定等、詰めていく。
「さて、あとはリストアップだが……。言いたいことがありそうだなバンビーノ」
「……」
デジタルウォッチを開くディビットだが、無言の返答に、視線を上げる。
その視線は、エネリットの瞳の奥に潜む"炎"を捉えていた。
「……作業に移る前に、僕から一つ。
明確にしておかなければならないことがあります」
その声音は、さきほどまでの理知的なものとは異なっていた。
深く、静かで、それでいて地の底から響いてくるような気迫があった。
「僕の復讐相手についてです」
風が止まった。空気が静まった。
ディビットの指が、無意識に自身の胸元へと伸び、その動きを止めた。
もし、彼が煙草を手にしていれば、火をつけて煙をふかしていただろう。
「……ようやく話す気になったか。言ってみろ」
ディビットが顎を軽くしゃくった。
エネリットはほんの少しだけ目を伏せ、一呼吸置いたのち、顔を上げて復讐相手の名を告げる。
「バルタザール・デリージュ。鉄仮面で素顔を隠した大男。
――この刑務に参加しています」
「――あの男か」
ディビットは直ちにバルタザールの名と容貌を記憶から引き出し、関連情報を思い返す。
ある意味、アビスの囚人として破格の扱いを受けている男。
そして、ディビットの情報力を以ってしても謎に包まれた男だ。
正体も超力も、その素顔さえ一切の謎。
いわば秘匿受刑囚に次ぐ未知数である。
「お前たちの因縁に興味はない。
だが、一つだけ質問に答えてもらうぞ」
「はい」
ディビットの言葉に、刃物のような鋭さと、押しつぶす様な重圧が入り混じった。
ここで誤魔化すようであれば、同盟の決裂も視野に入るだろう。
それほどの圧をエネリットは正面から受け止め、ディビットから決して目を逸らさなかった。
「お前は――自分の手でそいつを殺したいのか?
それとも、そいつが死にさえすれば満足か?」
その問いには無視できない重みがあった。
804
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:35:42 ID:L0e4MWiE0
ディビットは組織人として敵対組織への報復を取り仕切った経験はある。
だが、それは断じて私怨に基づくものではない。
報復とは、綻びかけた組織の基盤を補修し、より盤石にするための一手段だ。
そのため、合理性を以て行われねばならない。
リカルド・バレッジは、キングとの直接抗争で半身の自由を失っている。
専用の治療装置に繋がれ、表に出る機会も大きく減少した。
だが、キングス・デイとの徹底抗戦論をディビット含むバレッジの上層部は抑えきった。
他ならぬ、リカルド・バレッジ本人を説き伏せた。
キングス・デイとの全面抗争はバレッジ・ファミリーの終焉に繋がることを理解しているからだ。
できることならばこの手で八つ裂きにしたい衝動を抑え込み、ディビットはファミリーの存続のための手を打ち続けてきた。
だが、エネリットの復讐は違う。
そもそも個人の復讐というのは、私怨によって構成されるものだ。
そこには、非合理が確実に入り混じる。
エネリットはディビットの言葉の意味を咀嚼し、しっかりした口調で言葉を紡ぎ始める。
「――僕は、自分の手で復讐を果たすことを望みます」
ディビットの目が細められた。
選択の幅が、ぐっと狭まる答えだった。
その反応を認識しながら、エネリットは言葉を続ける。
「ただし、それは僕が剣を振るい、首を落とすということではない」
「ほう?」
ディビットの価値を見定めるような目を前にしても、
エネリットの言葉に込められた意志は鋭く澄んでいた。
「僕は王子です。騎士ではない。
僕の描いた盤面で、僕が駒を動かし、計略の果てに復讐を完遂できるのであれば、それで構いません」
「なるほどな。つまり、バルタザールが勝手に事故で死ぬのは許容できないが、お前の策で殺されるのは構わんということか」
「ええ、それが"僕の手での復讐"の範囲です」
それが王子としての矜持。
人を動かす者として、正道のやり方で復讐を完遂できるのならば、むしろ本懐ですらある。
非合理の塊たる私怨による復讐でありながら、合理を重視した王族としてのやり口で復讐を果たす。
「ああ、よく分かったよ」
ディビットとしてもその解答は及第点であった。
思い出すのは、メアリーを葬ったときのエネリットの一連の選択。
ルメスとメアリーの交渉次第では、あの場で命を落としたのはエネリットである可能性もあった。
エネリットはそれを正しく認識したうえで、生き残る意志と賭けに出る胆力の双方を見せた。
あの短時間で殺害までの道筋を構築し、見事に標的を葬って見せた。
「お前は、賭け方ってヤツを知ってる。
だから俺はお前に投資を続ける」
「光栄です」
かつてディビットは、100ポイント以上の価値を示し続けろと注文した。
信用とは、価値とは、言葉ではなく行動で積むものである。
聡明さと実行力、胆力、何より動くべきところで正しく動ける決断力。
それらを併せ持つエネリットは100ポイントを超える価値がある。
唯一気になったのは、先のジョニーとの対話の際に見せたあの激情。
おそらく、本人が自覚しきれていない感情。
冷徹で抜け目ないアビスの王子の胸中には、どろどろとしたマグマのような激情が宿っている。
では、エネリットは信用しきれない相手か?
――断じて否。
たとえ激情に身を焦がされようとも、冷徹な意志で復讐を完遂する。
それがディビットによるエネリットという男への見立てである。
新たな契約内容と前提情報の共有。
そのすべてを終え、二人の男は握手をかわす。
ポイントを稼ぐ同盟から、互いの目的を果たす同盟へ。
契約が、この場で確かに更新された。
805
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:36:59 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北西・北東ブロック連絡通路内側 物置前廊下>
足音が、空間を裂くように鳴り響く。
ブラックペンタゴンの長い廊下。
二つの影が景色を置き去りにして走り抜ける。
先頭を行くのは只野仁成。
その洗練されたボディは、走破に特化したスポーツカーのごとし。
エンダ・Y・カクレヤマを担ぎ上げるように抱え、回廊をひた走る。
背後。
石床を叩き割るような重低音が近づいていた。
それはまるで、戦場の一切を薙ぎ倒していく戦車のようなプレッシャーを放っていた。
エルビス・エルブランデス。
無敗のチャンピオンが敗者を決して逃がさぬと追い縋ってきているのだ。
仁成のさらに先。
彼をナビゲートするのは黒霞で構成された蝿。
他の受刑者の元へ導くべく、ルートを切り拓いている。
前時代のアスリートの最高速度が時速40km強。
そして開闢を経た今、人類最高峰である仁成の最高速度は車両の速度に匹敵する。
エルビスがいかに拳闘の王者と言えども、純粋な走力では仁成に大きく溝を開けられるだろう
だが、事実として仁成とエルビスの差は縮まっていく。
肉体の限界に迫る深刻なダメージが、本来の隔絶した走力を逆転せしめているのだ。
仁成は時速30km、エルビスは時速35km。
すなわち秒速換算で8.3メートルと9.7メートル。
二人の差、9メートル。
すなわち6秒。
これが仁成とエンダのタイムリミット。
それを超えるとエルビスが仁成に追いつき、仁成の背に破壊槌が撃ち込まれることにになるだろう。
仁成は背後に一切目をくれず、ひたすらに前を向き走り続ける。
――7メートル
長い回廊と部屋とは、扉によって仕切られる。
扉をぶち破るには、仁成はダメージを蓄積しすぎた。
立ち止まって開く動作に1秒弱。
その間、10メートル弱の距離を一気に詰められる。
さらにそこから最高速度に戻るまでさらに1秒弱。
十分な距離を確保しなければ、追いつかれてゲームオーバーだ。
――6メートル
迫り来るチャンピオン。
その姿を映すエンダの目が細められる。
806
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:37:54 ID:L0e4MWiE0
――くすくす。
――くすくすくす。
黒く蠢く霞が空中に集められる。
エンダの右手に集約され、形を成す。
――5メートル
エルビスは走りながら背を低くかがめ、構えを取った。
ファイティングポーズ。
エルビスが何千回と繰り返した型。
エンダのいかなる攻撃も見切って打ち砕き、確殺の反撃を叩きこむ基本にして奥義。
――2メートル
『ははははははははッ!』
その瞬間、図書室から響くけたたましい笑い声。
人類の本能に干渉するような悍ましい嬌声、エルビスが警戒の一部を一瞬だけそちらに割く。
その一瞬で、仁成が脇に置かれていた容器に手を叩きつけ、中身をぶちまけていく。
それは図書室南側入り口に置かれた文房具。
大量のボールペンやマジック、画鋲が床に転がり、走行を阻む。
動きの読めない極小の障害物がわずかに一歩を戸惑わせる。
――3メートル
足元に気を取られた隙を狙うはエンダ。
黒霞を鞭のようにしならせ、袈裟斬りのように上空からエルビスを狙う。
「……甘い」
これ見よがしに動き回る小物に気を取られた隙に、別の死角から一撃を叩きこむ。
そんな戦法はネオシアン・ボクスの2勝目にすでに下した。
エルビスはただ一度の踏み込みで黒霞の鞭の内側に潜り込み――。
「そっちこそ……!」
鞭の形をしているが、黒霞は決して鞭にあらず。
地面にたたきつけられた黒霞はそこから急転回。
背後から足を刈り取るような軌跡を描く。
だが、この程度でエルビスの虚は突けない。
甘いと言ったろうとばかりに、エルビスは瞬間的にギアを上げ、内側に潜り込む。
だが、エンダとて然るもの。
鞭の形状をしていた黒霞が、エルビスの真下でぶわりと扇のように広がった。
これにはさしものエルビスも為すすべなく、黒霞の沼に秒間足を突っ込む形となる。
――6メートル
薄めて薄めて引き延ばした黒霞に、人体の奥部まで浸食するほどの濃度はない。
エルビスに警戒を促し、足の動きをわずかに緩めるだけに過ぎない。
その程度、エンダも承知の上。
黒霞がさらに広がる。黒霞がふわりと浮き上がる。
807
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:38:28 ID:L0e4MWiE0
――くすくす。
――くすくすくす。
黒い金属球。
先に撒き散らされた針や画鋲を取り込み、黒霞の塊がふわりと浮かび、破裂するように中身を拡散する。
さらに図書室前に置かれた回収用台車に黒霞が付着。
トリモチのように接着したそれを、エンダが掃除機のコードのように急激に巻き取れば。
金属片を撒き散らす塊に、くすくす笑いと共に直線上を高速移動しその道中を轢き潰す金属塊。
ポルターガイスト現象のような様相を呈したそれは、背後と上空の死角二ヵ所からの同時攻撃だ。
そんなものは、21勝目ですでに下した戦法だ。
エルビスは振り返ることもなく、背後の台車を裏拳で叩き潰して強引に鹵獲。
それを盾に破片の大半を受け止める。
お返しとばかりに潰れた台車をぶんまわして投擲するも、仁成は後ろに目があるかのように冷静に回避。
いや、事実仁成の前方には鏡のように磨かれた黒曜石の板が浮遊している。
前方へ一心不乱に駆け抜けながら、その目はバックミラーのような黒曜板を介して背後の状況を逐一確認しているのだ。
――15メートル
唸る鉄拳、響く轟音、炸裂する嬌声。
回廊が一際騒がしくなる。
それに紛れて、殺意が忍び寄る。
――くすくすくすくす。
足元の沼から異物が静かにその光を覗かせていた。
それは、金属のナイフ。
エンダが密かに黒霞に紛れ込ませていた刃。
ただの遅延行動、時間稼ぎ、子供のいたずら。
そこに紛れ込ませた悪霊じみた致命の一手。
『イがあああああああ!! あはははははははははッ!!』
嬌声のバックコーラスが鳴り響く。
命を奪いとる悪意が、背後と上空の同時攻撃をいなした直後に、足元から音もなく飛びだしていく。
エルビスの心臓目がけて刃を煌めかせる。
警戒と警戒の狭間。
来ると分かっていなければ避けられない一撃だ。
だが、そんなもの、7勝目で既に叩き伏せてきた。
ようやく来たかとばかりに、エルビスは上体をそらすだけで刃を回避。
背後、上空、足元の死角三方向からの同時攻撃。
攻撃をさばいた瞬間に繰り出される致命の一手。
前者は69勝目に、そして後者は7勝目から幾度も下し続けている。
木っ端な怨霊の悪意ごときがチャンピオンを冥界に引きずり込むなどできはしない。
だが、それでも足止めとしては十分。
――20メートル
致命の一撃が防がれても、時間稼ぎの役割は十分に果たせた。
稼げた距離は20メートル、すなわち約2秒。
回廊から図書室へ。
十分な時間だ。
808
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:38:47 ID:L0e4MWiE0
多数の受刑者を巻き込む乱戦へ突入しようとしたその時。
「仁成! 何か来る!」
仁成には、その正体が理解できた。
背後から音速で迫る圧縮された空気弾。
時速3桁キロにも及ぶその遠当て、到達までの所要時間は1秒未満。
エンダの黒曜石の盾とて、十分なチャージをおこなった百歩神拳の前では画用紙の盾も同然。
なれば、仁成は断腸の思いで回避を選択。
アッパーのような軌道から放たれたその空気弾はいったん地面すれすれを並走すると、ライズボールのように浮き上がっていく。
一秒前まで仁成の背中があった空間を通り抜け、着弾したのは図書室北口の扉枠上。
恐るべきは、カーブを描く軌道で遠当てを放てる練度か、それとも狙った場所に着弾させるそのコントロールか。
空気弾は大きくカーブを描いて北口の扉にぶち当たり、大きく形を歪ませた。
扉の建付けが狂う。
そうなれば開閉に数倍の秒を有し、けれども背後には既に駆け出したチャンピオンの姿。
――18メートル
――17メートル
稼いだアドバンテージは一挙に喪失。
いよいよ仁成は、チャンピオンと四度相対する覚悟を決め。
――15メートル
――13メートル
「仁成、構わない! 思いっきり開けて!」
――12メートル
――10メートル
エンダの言葉を信じ、力いっぱいに扉を引く。
黒霞が扉枠をコーティング、表面をわずかに削って摩擦を極限にまで抑え込んだ。
――9メートル
――7メートル
勢いよく扉が開き、図書室と回廊を隔てる仕切りがなくなり。
そしてエルビスがそこにまで迫っている。
――5メートル
――4メートル
決死の思いで仁成とエンダは図書室に飛び込もうとして。
「エンダ! 息を止めろ!!」
「えっ……?」
『アアアアアアアア"ア"ア"ア"ア"ッッ!!!!』
悲鳴のような絶叫に、仁成の忠告はかき消される。
開いた扉の向こうから紫煙の霧が噴き出し、あたりを包み込んだ。
809
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:39:35 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北西・北東ブロック連絡通路中央 図書室北口前廊下>
爆ぜるように吹き出した紫煙の霧が、瞬く間に仁成とエンダの視界を埋め尽くした。
閉鎖空間に新たに開いた風穴。
内部の空気は殺到。ぶわりと廊下にまで噴き出した。
咄嗟に息を止めた仁成とは対照的に、エンダは紫煙を多量に吸引してがくりと項垂れる。
だが、目の粘膜をも通じて染み込むような心地よい刺激は、容赦なく仁成の意識のコントロールをも奪い去ろうとしてくる。
これが毒ガスか、催眠香か、超力か、純粋な兵器なのか。判断の暇すらない。
仁成はためらわずにエンダを紫煙の外へと向けて放り投げた。
速度・角度・距離は一瞬で計算完了。
ごろごろと転がり、紫煙の外へとはじき出された小柄な身体がやがて動きを止める。
新時代の人類であれば十分に耐えられる落下である。
「すまない……!」
乱暴だが、こうせざるを得ないのだ。
これより追撃に現れるは無敗のチャンピオン。
仁成はせめてもの抵抗として、全身の筋肉に硬化し、次に来る衝撃を迎え撃つ。
「がっ……!」
轟音。
紫煙すら吹き飛ばすほどの風圧を纏った拳が仁成の腹を撃ち抜く。
世界が一瞬揺らぎ、走馬灯のような幸福の日々が脳裏をよぎっていく。
痛覚が麻痺したのか、死を覚悟して脳が覚醒したのか。
時間が引き延ばされたかのようにチャンピオンの動きがスローモーとなる。
「チャンピオン、君も来い!」
「……!!」
仁成は肉体の軋みを無視し、振り抜かれたエルビスの腕を絡めとった。
そのまま紫煙の領域へと引きずり込み、チャンピオンもろとも、もつれ合いながら床に叩きつけられた。
「……うっ!」
「……ぐッ!」
互いに身体を打ちつけ、多量の紫煙を吸い込む。
上下が反転し、次の秒にはさらに反転。
天井と床が高速で回転し、そのたびに紫煙は肺へと侵入。
呼吸の荒いエルビスがより多くの紫煙を吸い込み、
傷の深い仁成がより大きく紫煙の影響をより受ける。
腐敗の花が咲く。肉が爛れ、喉が焼ける。
紫煙と腐敗、回転、朦朧としていく意識。
力関係と上下の位置は目まぐるしく入れ替わり、体中に浅い傷を作り、からまりつつ転がって行く。
不意に、視界が開けた。
ここは通気口の真下、廊下に噴き出た不浄な気はすべて天井裏へと吸い込まれていく。
その時点で、上を取っていたエルビスの容赦なく拳が振り下ろされ――。
必死で首を動かした仁成の、その顔のすぐ隣をエルビスの拳が撃ち抜く。
回避。だが、第二撃。
――来ない。
チャンピオンの力が抜けている。
紫煙の許容量が限界を迎え、夢へと引きずり込まれたのだ。
だが、反撃に移る前に、仁成も限界を迎える。
意識が夢へと引きずり込まれていく。
810
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:41:00 ID:L0e4MWiE0
それは、恋人に見守られ、"息子"を高く抱き上げる夢の続き。
それは、家族と共に食卓を囲んだささやかな夢の続き。
エルビスの隣で微笑むダリア。
仁成を囲んで誕生日を祝う父母と妹。
誰もが自分たちを知らない外国の街で、誰の顔色をうかがうこともなく、心の底から笑うことができる日々。
何の娯楽もない日本の田舎村で、警官として人々を守り、人々から感謝の言葉を受ける平和ながらもつまらない日々。
ダリアが微笑む。
家族が微笑む。
そして口を開く。
「「――――――」」
目を開く。
仁成が、エルビスが、同時に目を開く。
『起きて』という言葉に目を見開く。
一瞬の幸福を噛み締め、名残惜しみ、現実へと意識を移す。
僅かに早く現実に戻った仁成が、巴投げの要領でエルビスを補助電気室へと投げ飛ばした。
安全に着地できることなど考えていない投げだ。
しかし、これで決まるとは到底考えられない。
事実、着地音は極めて小さい。受け身を取られた証拠である。
エルビスはすぐに立ち上がり、呼吸を整えている。
紫煙の残滓か疾走による酸素不足か、思考が鈍る。
幸せの幻が脳裏をよぎる。
麻薬中毒に近い症状であり、本能が紫煙を吸い込むことを求めている。
それはエルビスも同じようだ。
チャンピオンだからこそ、品行方正な私生活と体力づくりを心掛けていたのか。
さすがに麻薬じみた快楽の対処には幾分骨が折れるらしい。
聞こえるのは、互いの呼吸音、あとは図書室の中から未だ聞こえてくる絶叫のような嬌声のみ。
じりじりと相手の出方を伺う両者。
期せずして、互いに小休止に入った。
わずかな静止時間が生まれ、仁成が言葉を発する。
「なあ、さっき、どんな夢を見た?」
「……藪から棒に、なんだ?」
「これだけ長く追い回されてるんだ。
理由くらい、知っておきたいだろ?」
仁成の視界の端、いまだエンダは眠りに沈んでいる。
その表情には僅かばかりの安らぎと幸せの色が射している。
紫煙には、そういう性質があるのだろう。
「……恋人の夢を見た。
アイツが、俺を幸せな夢からこのクソッタレた現実に引き戻してくれた」
「そうか。いい女性だな」
「ああ。最高の女だ」
それは、エンダが目覚めるまでの時間稼ぎ。
だが、この男への僅かばかりの興味も含まれていた。
沈黙。
荒い呼吸が、徐々に整っていく。
811
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:41:23 ID:L0e4MWiE0
「お前はどうだったんだ?」
今度はエルビスから、同じ問いが仁成に返された。
答える必要などない。
だが――。
「家族の夢を見た。
生き別れた家族が、僕を現実に呼び戻してくれた」
「いい家族だな」
「ああ、僕には勿体ないくらいだ」
言葉を紡いだのは、ただの気まぐれか。
それとも、自分が取り戻したいものを言葉にして焼き付けたかったからなのか。
あるいは、秘匿受刑囚という実験体でなく、100ポイントの囚人でなく、『只野仁成』という個を相手に刻みたかったのか。
仁成は、見たままの夢を言葉として紡ぎ、エルビスに聞かせた。
「そこの女は、本当にお前の恋人ではないのか?」
「違う。言っただろう、ただの協力者だと」
それまでの仁成なら、ただ事実を事実と述べて話を打ち切っていただろう。
だが、一抹の感傷か、それとも夢に引きずられたのか。
「だけど、仮にたとえるなら……」
あるいは、同じような夢を見ていた目の前の男に共感してしまったのか。
「妹みたいな存在なのかもしれないな。
大人ぶってるけど、純粋で、危なっかしくて、そして放っておけない子だ」
「……そうか」
そのとき、仁成の目から、澱みが消えていた。
昨日まで、人類すべてを敵だと見なしていたその荒んだ瞳から。
その一瞬だけ、濁りが消えていた。
「俺はダリアのいるところに帰る」
「僕らは家族の元に帰る。夢を果たす」
「「そのために」」
闘士二人が宣言する。
「お前たちを殺す」
「僕たちは生き延びる」
確かな意志を、言葉に刻み込んだ。
812
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:42:24 ID:L0e4MWiE0
■
<紫煙の幻郷・拝殿>
香ばしい木材で作られた、厳かな空間。
信仰や祈祷の場であるこの部屋にいるのはたった一人。
黒霞をまとった白髪の少女――エンダ・Y・カクレヤマが朗らかに笑う。
――神さま、神さま。
――今日は241人、無事に故郷に帰すことができました。
かつての東欧の紛争地帯。
超力戦争直前にまで加熱した二国間の紛争。
故郷を失い、ヤマオリ・カルトへと逃げ込んできた者も大勢いた。
その紛争にて多大な犠牲者を出した"戦犯"や"ギャルテロリスト"は裁かれ、二国は講和。復興が始まった。
エンダは元信者たちを引き連れ、組織のトップとして帰還事業を果たしてきたのだ。
――うん? それ以上に増えてるじゃないかって?
――ええ、そうですね。
――だって、みんな帰る場所を失ったって言うんですもの。
――だから、一晩でもどうかなって。
――帰る場所を失った哀しみは、私にもよく分かりますから。
欧州最大のヤマオリ・カルト。
山折に属する者を拉致し、非道な実験を繰り返していたのは過去の話。
エンダは自身に降りた土地神や、自分を慕う穏健な信者たちと協力し、組織に革命を起こした。
組織そのものを生まれ変わらせた。
人々を故郷から連れ去っていく非道の団体から、人々を故郷へ帰す団体へ。
そして、帰る場所のない人々や、信じるべきものを失った人々の寄る辺となる団体へ。
貧困。紛争。抗争。薬物。飢餓。差別。テロリズム。
故郷を失い哀しみに喘ぐ者たち。
命を失い現世と幽世の狭間を彷徨う者たち。
欧州を席巻する哀しみの連鎖を和らげるべく、組織を作り替えたのだ。
そこに生者と死者の区別はない。
超力によって、魂の想いを感じ取れるエンダにとって、同じ人であることに変わりはない。
迷える人々に等しく差し出される一泊の宿だ。
――私も攫われて、最初は思うところもたくさんありましたけれど。
――それ以上に哀しくなってきたんです。
――神はこの世界を救わないんだとか、神は私たちを見放したんだとか。
――裏社会の悪い人たちだけじゃなくて。
――GPAの偉い人や、慈善家の人たち。果ては、神父様たちまでそんなことを言っている。
エンダはかつて自分の超力を深く知るため、英国のとある神父とリモート越しの面会を果たしたことがある。
それは、死者の思念を取り込み、精神世界に内包させる群体型の超力者であった。
エンダと同じく、死者の思念を纏う超力者であった。
神を深く信仰し、周囲から高い尊敬を受けている神父であった。
そんな徳の高い聖職者でさえ、神を見失いかけている。
哀しみを背負っている。
813
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:43:02 ID:L0e4MWiE0
――神さまをこの身に降ろした一人として、それだけは否定したかったんです。
――けれど、これは私のワガママ。
――神さまを縛り付けたくありませんでした。
――ですから、見守ると言ってくださったとき、本当に嬉しかった。
神は人々を救わない。
神は我々を見放したもうた。
そうして絶望していた人々に、"神さま"が寄り添ってくれる。
生者も死者も分け隔てなく、"神さま"が寄り添ってくれる。
それは、神を騙る不届者なのかもしれない。
信仰を愚弄する異端なのかもしれない。
エンダという少女は神を蔑ろにし、得体の知れない邪神の信仰を広げる紛れもない悪なのかもしれない。
けれど、こんな哀しみに満ちた世界にも、寄り添ってくれる"神さま"は確かにいるんだと証明し続けたかった。
それがエンダという少女の夢。
とある側近の男の子が、はじめて"神さま"を信じ、安寧を願った時、エンダも自分事のように喜んだ。
元信者たちが新しい居場所を見つけたとき、エンダは涙を流しながら笑顔で送り出した。
そうして、出会いと別れを繰り返しながら家をここまで大きくしてきた。
――ありがとう、神さま。
――私ひとりじゃ、きっと打ちひしがれていました。
――きっと他の人たちと同じように、この世界に絶望していたと思います。
――だから。
――私は本当に神さまに会えてよかった。
――ありがとう。
――私と一緒にいてくれて、ありがとう。
ああ。
これは泡沫の夢。
紫煙によって作り出された"神さま"の夢想郷。
だって、そうでなければ。
私たちの大切な家の名前を思い出せないはずがないのだから。
これはそうあってほしかった未来。
これはそうはならなかった未来。
神は人を救わない。神は"神さま"を救わない。
故に"神さま"は世界≒神を恨む。
哀しみと恨みを携え、この世を彷徨う魂を再び霞として纏い、"神さま"はエンダとして世界に戻る。
814
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:43:49 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北西・北東ブロック連絡通路外側 機械室前廊下>
エンダが目を覚ました瞬間、見た光景。
それは、エンダを守るように立ち塞がる、仁成の大きな背中だった。
絶望的な勝算の中、覚悟を決めてエルビスを食い止めようとする仁成の姿だった。
「仁成ぃっっ!!」
エンダが魂の奥底から叫ぶ。
人間嫌いで辛辣な、人ならざる上位存在。
それが、無力で無垢な子供のように、恥も外聞もなく叫ぶ。
それは、超力も神力も宿らないただの振動の伝達。
それでも、その響きは仁成の拳に何かを灯した。
衝突音よりも先に、エルビスの肉体が大きく吹き飛ばされていた。
その鍛え上げられた肉体が、凄まじい勢いで後ろに押し退けられる。
チャンピオンの砲弾のようなストレートよりも早く、仁成の拳がエルビスの身体に届いていた。
それはエルビスにも、仁成にとってすら予想外の事態であった。
自らの限界を超えた出力に、仁成は唖然とする。
数年にわたる逃亡生活、ずっと戦ってきた仁成には分かる。
この一撃は自分の実力を超えた一撃だった。
すぐにエンダがその名を呼び、意識が現実へ引き戻される。
エンダは仁成を先導し、逃亡劇が再開される。
孤独で、独りで、自分のためだけに戦い続けてきた彼に、その現象は言語化できない。
だが、仮に理由があるとするならば。
傍らに並ぶ足音が、不思議とその答えに近い気がした。
815
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:44:48 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北東ブロック外側 機械室>
超巨大施設であるブラックペンタゴンを支える機械室は、やはり相応に巨大な部屋である。
複雑に絡み合った空調管や配線の群れが天井から壁面へと這い、どこかで稼働する機器の唸りが床板を震わせる。
壁に沿って設けられた補助通路は立体的に張り巡らされ、まるで迷宮の一角のようだった。
――くすくす。
――くすくす。
本来、この島には存在しないはずの羽虫が、機械室の扉前にまで忍び寄っていた。
やがてそれは、扉の隙間に染み込むように身を押し付けたかと思うと、
次の瞬間、霧のごとく厚い鋼鉄の障壁をすり抜けて内部へとすり抜ける。
――くすくす。
――くすくすくす。
そして、新たな生贄を求めて、飛び立とうとしたところで。
――――――斬。
黒蝿は白銀の軌跡に触れ、その身を塵と化した。
「なんだ、今のは」
黒蝿を一刀に斬り捨てたのは征十郎。
周囲の喧騒を確かめるべく、出入り口に向かう途中で、異質な存在の気配を捉えた。
それを一刀のもとに斬り捨てたのだ。
「げっ、ヤマオリ様じゃん」
タチアナが言葉の端に露骨な嫌悪をにじませる。
ヤマオリ様。
魔王ほどではないがまた突飛な単語が現れ、征十郎の眉間がわずかに寄る。
耳慣れない響きだが、どう解釈しても山折村と無関係とは思えない。
「もうお前の突拍子もない話にいちいちリアクションを返すのも辟易してきたのだが……。
なんだ? そのヤマオリ様というのは。
また村の誰かなのか?」
「いや、私の話は全部事実ベースだからね!?」
タチアナはそう主張するが、少なくとも山折村にそのような名前の神や怪異の伝承は存在しなかった。
外の人間が土地の名を勝手に怪しげな連中の呼名に使い、噂を膨らませることは珍しくないが、やはり当事者としてはあまり気分のいいものではない。
「ヤマオリ様ってのは、欧州最大のヤマオリ・カルトの巫女様。
本名は知らない。ってか、アビスで生きてたことも初めて知ったし。
たぶん、噂の秘匿受刑囚ってやつだよ」
「ヤマオリ・カルト……あの冒涜者どもか」
征十郎の声が自然と低くなる。
816
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:45:17 ID:L0e4MWiE0
ヤマオリ・カルトとは、開闢以降各地で勃興した、新興宗教群の総称。
"ヤマオリ"という概念を崇め奉る集団だ。
だが、実態は"ヤマオリ"にまつわる物品や人間を見境なく接収し、
誘拐や窃盗はもちろんのこと、生物テロや薬物テロにまで手を染める犯罪結社のような存在である。
無論、八柳流を修めた征十郎とその母が標的にならないわけがなかった。
それどころか、無関係な父や友人まで巻き込んだことも一度や二度ではない。
山折村に関わる人間にとって、ヤマオリ・カルトの連中は敵対的異星人のようなものだ。
言葉は模倣、会話は鳴き声。
見かけ次第、ためらいなく制圧すべき永遠の宿敵である。
加えて、秘匿受刑囚とされるほどの凶悪な犯罪者ときた。
どれほど警戒しても足りないことはないだろう。
「お前が狙われるのも、警戒するのも道理だな」
「でしょ? アイツら全ッ然かわいくないんだから!」
……どことなく漂ってきた誤魔化しのニオイを征十郎は見逃さなかった。
「……本当のところは?」
「ルーさん――ルーサー・キングの依頼でちょこっと、本部を、ね?」
「それだけか?」
「……私がヤマオリ様の暮らしてた村を襲ったことにされてる」
「ん??」
「いやね、五年前に山折村にカチ込んだって言ったじゃん?
シビトのおっさんが捕まった後、放置された村人がヤマオリ様のいた村になだれ込んだらしくて、めちゃくちゃ小言を言われた」
征十郎は頭を抱える。
やっぱコイツここで斬ったほうがいいんじゃないのか?
この調子だと、受刑者と出会うたびにギャルの余罪がもりっと追加されてきそうだ。
タチアナは自業自得だが、いずれにせよヤマオリ・カルトの連中は押しなべて話が通じない。
故に斬り捨てるべき相手には違いなく。
と、ここで征十郎は一つの違和感をおぼえた。
「……待て、お前、そのリアクションからするに、依頼に失敗したのか?」
あの凶悪極まりないギャルが、ヤマオリ様などというビッグネームを見逃して帰る?
とても考えられない事態である。
「あの子、超力を封じてくるわ、信者爆るたびに強くなってくわ、なんでも器用にこなすわでめちゃくちゃ強いの。
あの時は周囲から潰していったら、ちょ〜っと手ぇ出せないバケモノになっちゃって……。
いやー、参った参った ☆彡」
口調で誤魔化しているが、清々しい敗北宣言であった。
機械室は壁の厚みが必要な関係で、連絡通路から東に曲がって、少々奥まった箇所に扉がある。
征十郎は壁を背に、連絡通路の様子を伺った。
この世ならざる美しさの少女が、なぜか探偵服を着て、護衛らしき男と共に向かってくる。
「ただ守られているだけの子供にしか見えんが……」
「ヤマオリ様って二重人格なんだよね。
普段は虫も殺せなさそうな深窓の令嬢を演じてるけど、
ちょっかい出したら、尊大で冷酷非道な祟り神さまが出てくるぞ〜」
タチアナの話を総じるに、ヤマオリ様は条件次第で異常な戦闘力を発揮する類の超力者らしい。
一撃で殺せなければ狂暴化して手が付けられなくなる。
ならば征十郎の超力はうってつけであるが、護衛らしき男と、さらに後ろの男が予測不能のノイズである。
「で、どうする征タン? カチ込む?」
「お前が完敗するほどの相手にバカ正直に突っ込むやつがあるか。
この部屋に入ってきたところを一撃で仕留める」
「征タンなら真正面から『斬る……!』って言いながら突っ込むものだと思ってたんだけど」
「お前、さっきから私をなんだと思ってる。
少なくともお前よりは常識に満ち溢れているぞ」
「そうかなあ」
「少なくとも私は、掘られても芋のように余罪が出たりはせん。
……お前との果し合いがなければそうしていたがな」
「……やっぱやるんじゃん」
軽口をかわしながらも、着々と奇襲の準備を進めていく。
機械室入り口頭上の補助通路に身を移し、標的が入室した瞬間に頭上から仕留める算段だ。
近づいてくる足音と、徐々に大きくなるくすくす笑いを聞きながら、征十郎は奇襲のタイミングを測っていた。
817
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:46:07 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北西・北東ブロック前連絡通路中央 補助電気室前廊下>
足音が遠のいていく。
身体を貫く痛みと共に、肺の奥に溜まった紫煙が吐き出される。
温んだ頭がクリアになり、エルビスはゆっくりと立ち上がる。
エンダと仁成はいったんは逃げおおせた。
だが、この程度で諦めはしない。
それはダリアへの誓いであり、そしてエルビスの意地でもあった。
機械室の入り口から、轟音が響いた。
瓦礫と機械の残骸が廊下にまで飛び出している。
何者かが、二人が飛び込んだ瞬間を狙ってその悪意を炸裂させたのだ。
だが、ポイントを奪われた可能性があるにも関わらず、エルビスには何の動揺もなかった。
――あの仁成という男が、その程度で死ぬタマか?
チャンピオンとの本気の試合を4ラウンドも生き延びた男が。
家族に再会するという願いを秘めた男が。
そして大切な女をそばに置いている男が。
今更ケチな横槍程度でくたばるだろうか。
――そんなはずはないだろう。
その程度でくたばるのなら、既に自分が下している。
機械室の入り口が塞がれたのなら、出口で待ち構えればいい。
エルビスは何の焦燥もなく、堂々と次の舞台へ移る。
そこにいる一人に、声をかけて。
「俺はあいつらを追う。
お前と事を構えるつもりはない」
「そうかよ。俺だってアンタとやり合う趣味はねえさ」
補助電気室、その機材の影から現れたのは、ネイ・ローマン。
アイアンハートのリーダーにして、ストリートを束ねる新進気鋭のギャングスタ。
あの牧師の命を狙い、なお潰されずに立ち続ける強者。
それほどの強さでありながら、刑期はたった15年。
あまりに旨味に欠けるその受刑者は、ポイント狙いならば徹底して交戦を避けるべき相手だった。
先の仁成との会話。
エルビスの心中に仁成への興味は確かにあったが、それだけであれば会話には応じたかどうかは分からない。
決め手は、潜んでいた第三者の存在である。
仁成たちが別の受刑者を巻き込もうとしていたことくらい、エルビスも気付いていた。
そしてネイ・ローマンの存在に気付いたからこそ、背後からの奇襲を警戒し、時間をかけて出方を伺ったのだ。
結果的には取り越し苦労だ。
ローマンからは殺気も、欲望も感じられなかった。
ローマンから発せられるのは、俺を巻き込むなという無言の警告のみ。
200ポイントの獲物を放り出して、15ポイントの強者と時間を潰すつもりはなかった。
「牧師の居所は知らん。会ってもいない。
探しているなら他をあたれ」
「そうさせてもらうぜ。
もっとも、他にも落とし前を付けたいヤツがいてな。
そっちを優先するがよ」
ローマンは図書室へ足を進める。
エルビスは補助電気室を通り抜けて先に向かう。
「ああ、そうだ」
再び動き出したエルビスに、背後から声が届く。
「俺の女がいるんだよ。
アンタと事を構えるつもりはないが、メリリンに手を出そうってんならアンタとて容赦はしねえ」
「俺はダリアにこの身を捧げた。その女がどんなに魅力的だろうと、手出しはしないさ」
それはある意味、ローマンからの宣戦布告であった。
愛を語っていた男に、一人の男として敢えて伝えておきたかった。
お前の愛は深いだろうが、俺の愛も負けちゃいない、と。
チャンピオンはギャングスタとすれ違い、交わることなく各々の道を進む。
それは世界のどこにでもある、何の変哲もないすれ違いであった。
818
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:46:51 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 南東ブロック外側 倉庫>
ブラックペンタゴン。
システムBの中央に位置する、漆黒の建造物。
それはまるでブラックホールのように受刑者たちを引き寄せていく。
ディビットとエネリット。
今もまた、新たな二人の受刑者がブラックペンタゴンの門をくぐり抜け、足を踏み入れていた。
倉庫に踏み入った二人が早々に見つけたものは二つ。
一つは誰かを誘導するように付けられた傷であり、工場エリアへと続いている。
もう一つが、二人にとって重要なものであった。
それは、コンテナに詰め込まれている備品の物色の痕跡。
より正確に言うなら、食料補給の痕跡である。
「床にパンくずが落ちてやがる。
誰かが必要に迫られて、急いで食事を終えたって証拠だな」
「そして、死体や血の跡が近くに残っていないということは、この食料が毒や罠ではないという証拠ですね」
実際にディビットが免疫を四倍にして、携帯糧食を毒見。
本当に何の変哲もない食品であった。
もうすぐ十二時間、特にエネリットにとって補給は死活問題であったが、それがこうもあっさり解決できた。
「これはただの勘だが、長居はすべきじゃなさそうだ」
「同意見です。早々に離れるべきでしょうね」
「標的がいなければ、だがな」
水と食料の確保について、二人は危機感を持って議論を重ねていた。
それらがこうも簡単にそれらが手に入る状況は異常にすぎる。
問題は、多くの受刑者がこの建物に集い、その中にエネリットの標的が存在する可能性が高いという点である。
キングなら、この建造物の異常性を知った上で留まる選択は取らないだろうが、バルタザールがどう動くかは分からない。
食料に加え、大量の標的がいるとなれば、むしろ積極的に留まる可能性のほうが高いだろう。
必然的に、エネリットもこの建物に留まる理由ができてしまう。
つくづく、イヤらしい仕掛けである。
「手早く用を済ませましょう。
おそらく、三グループ程度と接触することで、おおよその受刑者の分布は把握できるはずです」
「いいだろう、それで行こう」
方針を手早く決定。
エネリットはクラッカーと果物で素早く栄養を補給する。
その間にディビットは聴力を四倍にし、屋内に響く争いの音を捉える。
「予想通り、鉄火場だな。
五人や六人なんて数じゃねぇぜ、十人はいそうだな」
爆発、破壊、悲鳴。
目立つのは、爆発と悲鳴。
ただし悲鳴はいつの間にか止まり、代わりに巨大な爆砕音が響く。
遠くのエリアで争っているらしく、どこで争いが起こっているのかは分からなかった。
一方、爆発の方はすぐ近くで起こっていた。
これに加えて、重い何かが倒れるような重低音に、金属同士がぶつかるような甲高い騒音。
十中八九、機械室で争いがおこなわれている。
「バンビーノ。準備はできたか?」
「ええ、食事は済ませました」
「機械室で騒いでる奴は、十中八九ギャルだ。
まさかポイントで手榴弾をしこたま買い込んでバラ撒いてるなんてことはないだろうよ」
「ギャル・ギュネス・ギョローレン。
会話はできるが話が通じない危険人物、でしたか」
欧州で活動していたギャルのパーソナリティについては、ディビットも当然把握している。
キングス・デイともバレッジファミリーともつながりを持ち、その独特の価値観に基づいて破壊活動をおこなう傭兵。
表向きこそフレンドリーだが、ポイントで釣ることは決してできないだろう。
根本の価値観が常人とは異なる、いわば怪異の類だ。
それでいてキングと通じている可能性もあるギャルは、可能であれば排除しておくべきコマである。
「では、まずは機械室の方から?」
「いや、その近くを一人でうろついてるヤツがいやがる。
まずはそちらと接触し、情報を得るべきだろう」
「分かりました。それでは、誰が来たとしても」
「ああ、手筈通りに済ませよう」
かくして、ディビットとエネリットの二人はブラックペンタゴンの奥へと侵入する。
最初の目的地は、補助電気室方面。
819
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:48:00 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北東ブロック外側 機械室>
――斬。
征十郎が人影を穿つ。
だが、それは肉ではなく霞だった。
ヤマオリ様は白髪の美しい少女、しかし貫いたのは黒髪のナニカである。
仕損じた。
そう認識するのと、手筈通りに通路への道が爆破され、塞がれたのは同時だった。
直後、迫りくる男の剛拳。
刀の腹で受けようものなら、刀身がへし折られてしまうだろう。
征十郎は後ろへ大きく跳び退き、中空の配管群の上に足を乗せた。
くすくす、くすくすと嘲笑うかのような笑い声を残して、黒霞でできた少女は霧のように散っていく。
ヤマオリ様を一撃で仕留め、直後に爆発で退路を断ち、護衛の男を二人がかりで仕留める。
その構想はあえなく瓦解した。
「手荒い歓迎だね。
八柳の人斬りは、八柳らしく礼儀を知らないらしい」
壮絶な笑みを浮かべるヤマオリ様に、征十郎の背筋がうすら寒くなる。
言外に、学校を襲撃して子供たちを斬り殺した開祖への呪詛が含まれている気がした。
エンダの黒蝿は図書室と配電室、集荷エリアに補助電気室、機械室。周辺のすべての部屋に飛ばしている。
そのうち、図書室と機械室の黒蝿の反応が消失した。
凄腕が待ち構えていることくらい予測できる。
来ることが分かっているならば、いくらでも対処法はあった。
「八柳の人斬りだけじゃないね。
さっきの爆発。ギャル・ギュネス・ギョローレンがいるだろう。
なるほど、錚々たる悪党どもだ」
「私は自分を悪党だと理解している。
だが、カルトを率いて山折の名を汚すお前に悪党呼ばわりされるのは心外だな」
「ふっ、山折を汚したのはそちらだろう?」
――くすくすくす。
――くすくすくすくす。
恨みが肥大化していく。
会話を重ね、記憶を掘り下げ、恨みを醸成させていく。
神を降ろしたエンダという少女は、神と会話をすることができた。
この世ならざる者の声を聞くことができた。
八柳に斬り殺され、永遠に囚われ、偽りの命を与えられて弄ばれた山折の住人たち。
かつて彼女はその呪詛を聞き、自分のことのように苦しんだ。
運命に見放された『ヤマオリ』の屍人に対して思うところはあるが、その原因となった八柳に対して良い思いなど一つもない。
まして、八柳の所業を知りながら呪われた剣術を修める輩に、加える情けなど持ち合わせていない。
「……エンダ」
「……分かってる」
囁くような声で仁成が名を呼ぶ。
恨みに呑まれていないかを確かめるようにその名を呼ぶ。
エンダは憎悪の仮面をかぶり、その奥で理性の光が灯らせている。
退路を塞がれたことで、エルビスの追跡は免れた。
だが、あの男がこれくらいで諦めるはずがない。
それはエンダも理解をしている。
だからこそ、次の一手を胸の奥で組み上げていた。
「……ギャルは話も常識も通じない。
アイツが何か話しかけてきても、鳴き声だと思ったほうがいい。
あれがチャンピオンを前にして、どう動くか予測もつかない。
ままならないけど、今は部屋を無事に出ることを考える」
「……分かった」
820
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:48:15 ID:L0e4MWiE0
直後、頭上の配管で極小の爆発が起こる。
配管が千切れ、エンダの頭部目がけて落下してくる。
仁成は慌てた様子は一切なく、傍らの少女の身体を抱えあげて、離脱。
床を蹴る一瞬、エンダの目が細くなった。
次の瞬間、増幅された黒霞の刃があたりの機材を紙細工のようになぎ倒す。
配管を次々に引き裂き、照明を壊していく。
ほどなくして、熱を含んだ白い吐息のような蒸気が、配管の裂け目からほとばしった。
漏れ出た水が床を濡らし、湿り気と熱気とが混じり合う。
視界が濁り、ぴゅうと噴き出す蒸気が笛の音のような高音を伴い、足音すら覆い隠す。
熱とともに蒸気が噴き出し、視界が悪くなる。
仁成とエンダは配管と蒸気の迷宮の中へと紛れ込んでいく。
「私の超力をよく理解した戦術だね。
さすがに一筋縄じゃいかないけど、今回はそれを利用させてもらうよ」
エンダの超力は恨みによって強化される。
だが、浅い恨みというのは徐々に忘れられる。
時間が経てば経つほど、恨みは薄れる。
逆に姿を見せれば、声を聞かせれば、それだけ恨みは残りやすくなる。
だから、"ギャル"はエンダの前には姿を見せず、征十郎だけが前に出て戦った。
裏を返せば、それはエンダたちを見失いやすいということである。
タチアナと征十郎は同時に舌を打つ。
してやられたと思うほかない。
恨み骨髄のような顔をしておきながら、ヤマオリ様は最初からまともに交戦する気がなかったのだ。
蒸気の向こうで影が走る。
蒸気の粒子に音が反響する。
足音、倒壊音、爆発音。
絡み合い、反響する。
「入り口は一つだ! 抑えるぞ!」
「りょーかい!」
征十郎とタチアナは視界の確保できる補助通路上を走り抜け、もう一方の出口へと向かう。
視界の悪い中、機械室の下層を二つの影が走り抜ける。
それはタチアナの血による爆撃を、つかみどころのない霧のようにすり抜け、一心不乱に出口へと向かっていく。
タチアナと征十郎は出口で合流、そのまま影を追い、反対側の連絡通路へと脱出。
霧の向こうには、大柄な影と小柄な影、二つの影が立っていた。
821
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:49:09 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北東・南東ブロック連絡通路中央 補助電気室前廊下>
「よう、カンピオーネ。そんなに急いでどこに行くつもりだ?」
新たな男の登場に、エルビスの足が止まる。
その威圧感は、あの牧師に勝るとも劣らないものであった。
「バレッジの金庫番に、アビスの王子か……」
欧州の大物ギャング。ディビット・マルティーニ。
かつて、ヴェネチアで権勢を振るっていた敵対組織をたった一人で壊滅させた怪物。
「まあ、そう威嚇するなよ。
俺たちは殴り合いをしに来たわけじゃあない」
相対してみて思う。只者ではない。
これほどのプレッシャーを放つのであれば、エルビスとしても手こずる相手だろう。
それでいて、刑期は20年。ネイ・ローマンほどではないが、割に合わない相手だ。
何より、二人はエルビスが来ると分かっていて待ち構えていた節がある。
そんな彼らの要件とは何か?
「俺たちは戦力を求めている。
それも、"ドンを倒せるほどの"戦力をな」
それは、戦力の拡充であった。
すなわち、エルビスのスカウトだ。
だが、語られたその内容には大きな違和感がある。
エルビスは、その内容を反芻する。
何故、"ドンを倒せるほどの"戦力なのか?
死人が蘇ったのか、あるいはそのような超力持ちが存在するのか。
あるいは――
「俺は身の程を知ってるさ」
エルビスは静かに語る。
エルビスは、その意味に当たりを付けた。
ディビットが倒そうとしている相手、それすなわち。
822
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:50:08 ID:L0e4MWiE0
エルビスは思い返す。
それは、エルビスが入獄して一週間ほどのことだったか。
その日は、食事の時間がいつもとずれていた。
訝しみながらも看守に連れられて食堂に向かうと、一人の男がすでに席についていた。
ルーサー・キング。
音に聞く、世界の暗部を統べる暗黒街の帝王であった。
――まあ、座れよ。
一番奥の席を堂々と陣取り、監獄にしては上質な椅子に深く腰を沈める。
そしてゆったりとした仕草で煙草を口元に運び、白い煙を吐き出した。
一受刑者が監獄内でそのような態度を取れるということがまさに異常であった。
――近頃の裏格闘技界の流儀には疎いがな……。
灰皿でタバコを軽く叩いて灰を落とすと、ひどく寛いだ表情でエルビスを見据えた。
――飯の誘いにも応じられねえほど、荒んじゃあいねえだろ?
これはたまたま食事時間がかち合っただとかそういう次元の話ではない。
キングが、意図を以ってエルビスを食事に誘ったのだ。
刑務官を後ろ目で見れば、"目こぼし"が発生している。
この異常事態を最大限に警戒し、だが決してそれを表には出さず、静かに椅子に座る。
――ハッ、常在戦場ってヤツか。
――チャンピオンってのはそうでなくちゃあな。
エルビスの警戒を見抜きながら。
目の前の老人から、目の前の巨悪から、流れてくる感情。
それは、まるで子供の無垢な好奇心。
これにはさすがのエルビスも困惑する。
――おいおい、俺がボクシングに興味を持っちゃ悪いかい?
――人間である以上、娯楽ってヤツは必要さ。
――チャンピオンを一度は夢見た一人として、君のことは買っていたんだ。
キングの体術はボクシングの型を土台としている。
ある程度裏に通じた者であれば、それは常識の中の常識だ。
ネオシアン・ボクスにおいて、選手に支給される鋼鉄の手甲。
それは、キングス・デイが協賛していることの証に他ならない。
――俺はどんな形であれ、頂点に立った奴には敬意を払う。
――辿り着くまでの困難さも、その座を守り続ける重圧も知っているからだ。
――179勝0敗だったか?
――ラテンアメリカの伝説と呼ばれるのも納得だ。
子供のように目を輝かせ、饒舌に話すキング。
その表情が一転、真剣みを帯びたものに変わった。
アイスブレークを終え、本題に入ろうというのだ。
――悪かったな。
――うちが無節操に手を伸ばしたことで、つまらねえ奴らをつけあがらせた。
――君の経歴に傷が付いちまった。
牧師の後ろ盾を得たことで、最強のチャンピオンですら、俺には逆らえない。
そんな麻薬のような快楽がネオシアン・ボクスの胴元のマフィアを蝕んだ。
チャンピオンが強ければ強いほど、それを支配下に置く自身の万能感が肥大化する。
それが、チャンピオンが懇意にする女を犯すという愚か極まる行為がおこなわれた真相であった。
だが、そんなことよりも、牧師が謝罪の言葉を述べたということ自体が驚愕すべき内容だった。
そして、続く言葉はエルビスを恐怖に陥れた。
――ダリア、だったかい?
――詫びと言っちゃあなんだが、彼女の面倒を俺のところで見てやってもいい。
それは謝罪だった。
そして脅しだった。
キングを殺しうる実力者、そして正当な恨みを抱いてしかるべき男に対して、キングはこう述べたのだ。
お前の家族を知っているぞ、と。
牧師には逆らうな。
その言葉の意味を、エルビスはあの時噛み締めた。
アビスに堕ちた極悪人が恋人面をして償いをしたところで、枷でしかないだろうと牧師の提案を断り。
エルビスの心はそこで一度、完全に折れた。
――そうかい。
――まあ、辛気臭い話はこれくらいにしよう。
――今日は食事を楽しもうじゃないか。
その日の食事会は、砂とゴムを食べているかのように、空虚で何の味もしなかった。
823
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:50:43 ID:L0e4MWiE0
「俺は身の程を知ってるさ」
牧師相手に殴り合いで勝つ?
リングの上なら可能だろう。
それこそ、肉体的な強さならエルビスは牧師を確実に上回る。
ボクサーの夢破れた老人と若きチャンピオンではその地力が違う。
だが、殺し合いにおいては、エルビスは牧師に勝つことは決してできない。
それは武器の有無ではない。
いかに武装しようとも、武装越しに拳を叩きこめばいい。
それは手下の数ではない。
いかに徒党を組もうとも、全員まとめて打ち倒せばいい。
それは超力の練度ではない。
いかに強力な超力の使い手であろうとも、使わせる前にノックアウトすればいい。
では、チャンピオンが牧師に勝てない理由とは何か。
無敵のチャンピオンが無敵である理由にして、最大の弱点。
それは、愛する女が手の届かない場所にいるということだ。
未だに牧師が表社会へ隠然たる影響力を及ぼしているのは、アビスにすら息のかかった看守がいるからこそ。
キングが協力者に一言合図を送れば、それだけでエルビスへの報復が約束される。
報復の仕組みを知らないエルビスに、合図がどのようにおこなわれるかは分からない。
監視をおこなっている看守にリアルタイムで合図を出すのか、それとも刑務が終わった後に何らかの方法で外と連絡を取るのか。
それを知るすべは一切ない。
ダリアともう一度会うために刑務を勝ち抜く。それはエルビスの悲願だ。
だが、同時にそれはエルビスの我儘だ。
ダリアの知らないところで牧師の怒りを買い、ダリアを破滅に巻き込んでしまったら。
そうなれば、エルビスは未来永劫、後悔に苛まれるだろう。
だから、エルビスは牧師には絶対に勝てないのだ。
「バレッジとて、同じことができるんだろう?」
そして、社会的影響力について言うならば、ディビットであっても同じこと。
キングさえいなくなれば、アビスの"目こぼし"を取り仕切れるほどの男だ。
キングとディビット。アビスの外にまで影響力を及ぼす二人に、エルビスは抗えない。
一方で、ディビットもダリアの身柄を口実に、エルビスを無理やり従わせるようなことはできない。
そのようなことを口走りでもすれば、エルビスは確実にキングの庇護下に入るからだ。
ディビットと相対したとき、エルビスはまず二人の首輪を見た。
ディビットとエネリットという個ではなく、二人のポイントを見たのだ。
それは、エルビスがポイントを狙って動いている証拠であり、キングの下についているわけではないという確信であった。
「他を当たってくれ。
そっちの王子にも、今、手は出さないでおこう」
「そうか、残念だ」
エルビスはディビットの申し出を穏当に断る。
そうなれば、ディビットに為すすべはない。
ディビットは、キング討伐の戦力として彼を引き込むことを断念した。
824
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:51:55 ID:L0e4MWiE0
■
エルビスは牧師に決して敵対しない。
――それを、ディビットが理解していないはずがない。
「それでは、僕からの依頼はどうでしょう」
依頼主が入れ替わる。
ターゲットが入れ替わる。
いまだ表社会をも牛耳る帝王から、影響力のすべてを奪われた敗者へと入れ替わる。
エネリットは自身の持つ未使用の首輪、100ポイントを餌に、チャンピオンという強者に手を伸ばしたのだ。
エルビスはその提案を咀嚼する。
エネリットの持つ首輪、100P。確実に手に入れられる100Pだ。
だが、エネリットのパートナーはディビットである。
これからはすべてのポイントをエルビスが回収する。
そんなナメた約定をこの金庫番が認めるはずがない。
それを知ったうえで、エルビスは言う。
「悪くはない提案だな。
奴らも徒党を組み始めている。
秘匿も、"アイアンハートのリーダー"も、一筋縄ではいかんだろう」
ディビットがぴくりと眉間を動かす。
アイアンハートのリーダー、すなわちネイ・ローマンの目撃情報。
キング討伐のパートナー、その筆頭候補である。
「あんたたちの推測通り、俺は恩赦を目指している。
手を組むのはやぶさかではないが、ポイントの分配はどうなっている?」
仮にエネリットから100Pを譲り受けたとして、残りは300P。
だが、エネリットと手を組むことで、仕留めるべき受刑者の数が増えてしまっては本末転倒である。
事実、今エネリットと結託すれば、6人の受刑者を仕留める必要が出てきてしまう。
――そのようなことを、ディビットとエネリットが考慮していないはずがない。
「僕たちは交互に首輪単位でポイントを得る契約を結んでいます。
僕の戦力となってくれるならば、僕の分の首輪所有権はお譲りしましょう」
「で、次に首輪を得る権利は俺にあるワケだが……。
確かに、カンピオーネからすれば面白くない話だな?」
ディビットは不敵に笑う。
「なあ、カンピオーネ。アイアンハートのリーダーは、どうしても殺したいヤツかい?」
「奴の刑期を考えれば、深追いする気はない」
「なら、俺の好きにしてもいいということだよなあ?」
実のところ、ディビットは周辺にネイ・ローマンがいることはとっくに看破していた。
ブラックペンタゴンの物資搬入口周辺、衝撃波によってなぎ倒されたような痕跡。
道中の工場エリアにも似た痕跡があるとなれば、この周辺にいることは間違いない。
そして言外の交渉を重ねた末に、ディビットはエルビスから、ネイ・ローマンが図書室にいるという情報を得たのだ。
首輪を得る権利の一時放棄は、言うなれば"情報料"である。
「バンビーノ、俺はいったん別行動を取る。
約定通り、その間に得たポイントに俺は関与せん。好きに分けるといい」
エルビス・エルブランデスは巨大な戦力であるが、その扱いについては決めかねる部分が多かった。
故に、ブラックペンタゴンに突入する前に選択肢を二つに絞っていた。
彼が牧師のために動いているのなら敵対を。
ポイントのために動いているのなら懐柔を。
そして、キングの討伐という呑めない条件を先に出すことで、エネリット側の勧誘ハードルを下げ、自陣営に引き込んだのだ。
ディビットは、キングの陣営に傾きうる巨大な戦力、エルビス・エルブランデスを中立に引き込む。
エルビスは、ディビットとローマンを結託させることで、ポイントの低い強者たちの行動を縛る。
エネリットは、単純に対バルタザールとして巨大な戦力を得る。
三者三得の結果をディビットは導き出した。
エルビスが裏切る可能性については、バレッジの看板がにらみを利かせてくれるだろう。
「放送の後、例の場所で落ち合いましょう。
それでは、検討を祈ります」
「ああ、そっちもうまくやれよ」
ディビットとエネリットは各々の目的のため、一時的に別行動を取る。
ネイ・ローマンの勧誘。
戦力を加えてのポイント獲得。
新たな戦力との連携の確認。
それぞれの思惑を胸に、男たちは動き始めた。
825
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:53:00 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北東・南東ブロック連絡通路外側 機械室前廊下>
機械室から飛び出したギャルと征十郎の前に、大柄なそれと小柄なそれ、二つの影が立っていた。
仕留めるべく、征十郎が刀を構えて突進し――。
それは、黒い"髪"によって受け止められた。
二つの影。
エルビス・エルブランデスと、エネリット・サンス・ハルトナ。
追っていたはずの影は霞のように霧散し、跡形もなく消えていた。
タチアナと征十郎を嘲るようなくすくす笑いが、どこからか聞こえてくる気がした。
【D-5/ブラックペンタゴン北東ブロック中央・補助電気室/一日目・昼】
【ディビット・マルティーニ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、ドミニカ・マリノフスキの首輪(未使用)、メアリー・エバンスの首輪(未使用)、携帯食料
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ルーサー・キングを殺す、その為の準備を進める
1.ネイ・ローマンと提携を結ぶ
2.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
3.タバコは……どうするか。
【D-5/ブラックペンタゴン北東・南東ブロック連絡通路/一日目・昼】
【ギャル・ギュネス・ギョローレン】
[状態]:疲労(大)、“タチアナ”
[道具]:学生服(ブレザー)、注射器
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.――――
1.周囲の喧騒を鎮める
2.改めて征十郎を燃やす。
※刑務開始前にジョーカーになることを打診されましたが、蹴っています。
※ジョーカー打診の際にこの刑務の目的を聞いていますが、それを他の受刑者に話した際には相応のペナルティを被るようです。
※永遠は斬られたので、今後は年を取ります。
【征十郎・H・クラーク】
[状態]:ダメージ(大)
[道具]:日本刀
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.――――
1.周囲が喧噪を鎮める
2.復活したら改めてギャルを斬る。
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、宮本麻衣の首輪(未使用)、携帯食料
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.エルビスを戦力として運用する
2.ディビットの信頼を強める
3.…命を懸ける理由、か。
※現在の超力対象は以下の通りです。
【徴収】などが対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。
①マーガレット・ステイン(刑務官)
信頼度:80%(超力再現率40%)
効果:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『鉄の女』
②ディビット・マルティーニ
信頼度:40%(超力再現率同値)
効果:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『4倍賭け』
【エルビス・エルブランデス】
[状態]:疲労(大)、腹部にダメージ、幾らかの裂傷、腹に銃創(軽) 、右腕、右肘にダメージ、強い覚悟
[道具]:ルメス=ヘインヴェラートの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.必ず、愛する女(ダリア)の元へ帰る
0.ディビットが戻る前にポイントを稼ぐ
1."牧師"と"金庫番"には特に最大限の警戒
2.ブラックペンタゴンを訪れた獲物を狩る。
826
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:53:57 ID:L0e4MWiE0
■
<ブラックペンタゴン 北東・南東ブロック連絡通路外側 機械室前廊下>
エンダと仁成は、いまだ機械室の霧の中に紛れていた。
エンダの超力で作り上げた黒霞の替え玉を先行させ、征十郎たちを欺いたのだ。
近くで見ればすぐに分かる粗悪なダミーではあったが、それをカモフラージュするために照明を落とし、蒸気で部屋全体を覆ったのだ。
征十郎と会話を交わしたのは、恨みの補充のためである。
本物のエンダを間接的に悲しませたといういちゃもんで、大した補充はできなかったが、それでも何とか仕上げることができた。
補助電気室に飛ばした黒蝿の動向から、機械室の出口に人間が二人待ち構えていたことも分かっていた。
征十郎たちを引き連れてチャンピオンと当たるより、先に征十郎たちをぶつけて疲弊させたところに割り入るほうが消耗が少ないだろう。
ギャルの刑期が短いはずがない。
エルビスは必ずギャルを狙うはずである。
そうして得られたつかの間の休息であった。
「ねえ、仁成。
図書室でした話、覚えてるかな?」
「ああ。エンダの夢と、僕の過去の話だったね」
いつか信頼できるようになったら、お互いの夢を話そう。
そう決めた二人だけの約束。
「チャンピオンと夢の話、してたでしょ」
「……聞いていたのか?」
エルビスには、エンダを妹のように思っていると話していた。
本人に聞かれていたら恥ずかしいどころではない。
というより、不敬である。
「全部は聞いてない。けど、最後にそんな会話で〆てたところだけは、聞こえた」
仁成はほっと胸をなでおろす。
霧の向こうで、エンダがしてやったりという表情を浮かべた気がした。
それは神ではなく、年相応の少女が見せる表情のようだった。
「だったら、私の夢も聞いてくれないと不公平でしょう?」
「そうだね」
くすくすとエンダは笑う。
ぞっとするような笑いではなく、純心を秘めた笑顔を見せる。
エンダは静かに語り出す。
エンダという少女が、籠の中の巫女として何を聞き、何を感じていたのかを。
そして、彼女の夢を。
神を見失った人々のいる世界で、"神さま"が寄り添ってくれる家を作りたいという願いを。
現実には、その夢は潰えた。
ヤマオリ・カルトを創設した並木旅人が、自らの組織にGPAのエージェントを呼び込んだのだ。
エンダを信仰していた者も、そうでない者も、分け隔てなく皆殺しにされ、エンダの理想は潰えた。
エンダ本人は死に、仇敵である旅人も知らぬところで命を散らし、残ったのは道を失った"神さま"だけ。
そんな状況で、すべてをゼロから作り直す。途方もない夢だ。
「君が人間を憎んでいるのは分かってる。
嫌いな人間に安らぎを与える家なんて、君にとっては地獄のように感じられるんじゃないのかな?」
「僕一人なら、きっとそうだね。
世界に絶望して、打ちひしがれていた僕なら、そう感じていただろう。
けれど、君が隣にいる」
白い蒸気が、二人の声を柔らかく包み込んだ。
「だから、僕ももう一度歩き出せる」
仁成が、過去を語る。
そして、小さなころに抱いた夢を思い出す。
警察官。正確には、"お巡りさん"だった。
GPAや自警団が遠い外国のように感じるほどの田舎で、外敵や病の脅威も薄れたこの時代に。
身近に感じられる、人々を笑顔にできる職業がそれだったから。
世間の広さも悪意も知らず、誰もが成り上がることを夢見るこの世界で、しごく常識的な夢しか持たなかった。
その夢も長い逃亡生活で朽ちて、ひび割れてしまったけれど。
「僕は、君に会えてよかったと思う」
隣にいる、純心で放っておけない小さな"神さま"と一緒なら。
もう一度あの頃の純心を取り戻せる気がした。
「僕と……一緒にいてくれてありがとう」
束の間の休息に、二人は語り合う。
夢。過去。人生を、二人は語り合う。
視界を覆い尽くす霧の中。
結露が二人の頬を伝っていた。
827
:
合理と純心の混じり合う場所
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:54:20 ID:L0e4MWiE0
【D-5/ブラックペンタゴン北東ブロック外側・機械室エリア/一日目・昼】
【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:ダメージ(中)、疲労(小)
[道具]:デジタルウォッチ、探偵風衣装、ドンの首輪(使用済み)、ドンのデジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『エンダの願い』を果たす。
0.エルビス・エルブランデスとギャル・ギュネス・ギョローレンに対処する。
1.仁成と共に首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
2.囚人共は勝手に殺し合っていればいい。
3.ルーサー・キングには警戒する。
4.ヤミナ・ハイドを使うか、誰かに押し付けるか考える。
5.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。
※エンダの超力は対象への〝恨み〟によって強化されます。
※エンダの肉体は既に死亡しており、カクレヤマの土地神の魂が宿っています。この状態でもう一度死亡した場合、カクレヤマの魂も消滅します。
※黒靄による超力干渉でエルビスの腐敗毒をある程度遮断できます。
ただし〝恨み〟による強化が発揮しない限り、完全な無効化は出来ないようです。
【只野 仁成】
[状態]:疲労(極大)、ダメージ(中)、全身に傷、右掌皮膚腐敗、右手薬指骨折、左頬骨骨折、左奥歯損傷、ずぶ濡れ、服の全面が溶けている、精神汚染:侮り状態、強い覚悟
[道具]:デジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
0.エルビス・エルブランデスとギャル・ギュネス・ギョローレンに対処する。
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。
5.少女(四葉)にも対処したい。
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。
828
:
◆TApKvZWWCg
:2025/08/11(月) 16:54:43 ID:L0e4MWiE0
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