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オリロワA part2
1
:
◆H3bky6/SCY
:2025/04/02(水) 21:46:15 ID:MiWqrB860
登場人物全員悪人
【wiki】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaa/
【したらば】
ttp://jbbs.shitaraba.net/otaku/16903/
【地図】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaa/pages/10.html
【過去スレ】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1737876475/
341
:
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:23:35 ID:NyEvLM6Y0
投下します
342
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:24:13 ID:NyEvLM6Y0
To:<o.weissman@abyss.deep>, <s.nogihira@abyss.deep>
Cc:<k.anderson@abyss.deep>
Subject: 【看守官連続殉職事件】最終調査結果報告
本文:
掲題の件につき、以下の通り報告いたします。
1. 事案概要
一カ月前より、秘匿受刑囚『並木 旅人』のシステムAの端末子機(以降、子機と略)に原因不明のエラーが6度発生。
並木 旅人を担当する看守が相次いで不可解な死を遂げた。
2.原因
・並木 旅人の超力強度が子機の超力強度を部分的に上回っていた。
・超力『回帰令(コールヘヴン)』が子機を貫通し、子機をクラッキング。
・看守の死因は、超力『回帰令(コールヘヴン)』による肉体の虚弱化および崩壊と結論付けた。
3.対策
・子機の超力強度の向上。
技術班より、子機の並列運用による超力強度の底上げが可能との提案有。
4.備考
・並木 旅人の超力は既に進化を遂げている可能性が高い。
管理上の名称は『幻想介入/回帰令(システムハック/コールヘヴン)』に変更されたい。
並木 旅人がハイ・オールドである可能性も考慮されたし。
・今回の件を受け、概念系超力者によるシステム子機の変質の可能性が浮上。
また、常時発動型の概念系超力者、および記憶喪失が発生している超力者に関しては、脳波による異常検知の効果が限定的となる。
慎重な対応を求められる。
所長宛追記事項
近くおこなわれる刑務作業に関して、システムBの超力強度について再確認を提言。
ひいては、刑務作業自体の見直しも視野に入れるべきではないでしょうか。
詳細は別途メールにて連絡いたします。
以上
報告者:
Dr. リヴン・レイナード
------------------------------------
343
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:25:05 ID:NyEvLM6Y0
■
ブラックペンタゴン2階。
共用シャワー室。
いくつもの小部屋に仕切られ、他者を決して寄せ付けない衛生の要。そして心の睡眠場とも呼ぶべき一室。
肉体に染みついて蓄積した淀みを溶かし、ままならない現世で黒く染まった心を禊ぎ直して。
生誕の瞬間には授けられていたはずの純粋なる肉体と精神に、少しでも引き戻せるようにと設立された施設である。
しかし、アビスの奥底に封じ込められた悪党は、心の芯までドス黒く染まり、もはや人の道には戻れぬ外道ども。
そんな者たちが、心体の清めの間に立ち入るはずもない。
黒いタイルの床は冷たく、忘れられた墓所のように静まり返っている。
時に置き去りにされたようなその部屋で、ぽつんと響く水滴の音が、その寂寥を浮き上がらせる。
来るはずもない来客をひたすらに待ち望み、しかし課せられた役割を果たすこと能わず。
この世界が破棄され虚空に消え果てるまで、永遠に待ち続けるはずだった、忘れ去られた空間。
その扉が。
重々しく閉ざされた外界との境界が。
目覚めの歌と共に解き放たれた。
封じられていた聖所の扉を初めて開いた女。
名はヤミナ・ハイド。
繊維の隙間を水分と草の葉が埋め、ところどころ擦り切れた衣服。
髪は泥に塗れ、擦り傷も目立つ、冷え切った肉体。
あまりにみすぼらしい来客。
だが、それこそが待ち望まれていた者。
彼女は導かれるかのように、迷わず奥の個室へと参入する。
照明が煌びやかに瞬き。
口を開けて待ち侘びていた脱衣カゴは、投げ込まれた衣服を宝物のように抱え込み。
歓びの舞いを踊るように換気扇がぐるぐるとまわる。
それは世界が創生されてから、ようやく巡ってきた初めての奉仕の瞬間だ。
最奥の聖所で確かな存在感を放つ黒いレバー。
それがヤミナの手によっていよいよ引き上げられると、心地よい温もりの透明が、恵みの雨のように噴き出してきた。
温かい光に照らされて、水滴が宝石のように輝き、冷えた肉体がほのかに紅を取り戻していく。
344
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:26:19 ID:NyEvLM6Y0
「いつだってぇ〜 どこに居たってぇ〜 頑張ってる君へぇ〜 伝えたいよ♪」
液体となった暖かみが髪を伝い、しだれる毛髪を潤していく。
先端まで潤し終えたそれは、その毛先から宙空へと旅立ちを告げる。
やがて地上の黒いタイルを満遍なく染め、その最果てで口を開ける次の循環へと吸い込まれていく。
「♪私がいることうぉ〜 ここにいるってぇ〜 この歌にのせてェ〜」
気体となった暖かみが宙を漂い、空間を柔らかく包み込む。
肩を、背を、指先を、そして冷たい金属の輪に包まれた首ですらも、暖かくほぐしていく。
身体を蝕む冷気を道ずれに、ふわふわと、黒い天空へと浮かび上がっていく。
そうして、その最果てに空いた循環へと吸い込まれて、こちらも役目を終えるのだ。
「私の想い 願い 君の所まで 届け 届けぇ♪」
開闢前後、世界を魅了したアイドル戦国時代。
来たるは終末か、新世界の幕開けか。
不安に怯える人々に、彼女たちが謳う希望は熱狂をもって迎え入れられた。
ヤミナも車の中で散々聞かされて育った世代だ。
小学校の音楽の教科書にも載っているこの曲は、世界中の人間が知っていることだろう。
なお、共用シャワールームで歌うのは迷惑行為である。
善人はやるべきではないだろう。悪人もダメだ。
「と・ど・けェエェエェエェエェ〜〜〜〜〜ッッ!」
なんとビブラートを効かせて個室を震わせるという前代未聞の所業に出たヤミナ。
本当に誰かに届いたら困るのはさておき、まさに神をも恐れぬとはこのことである。
しかし、彼女はかの大海賊ドン・エルグランドからポイントの"奪取"に成功した女。
なれば、これほどの豪胆さも備えて然るべきなのか。
腹の底から存分にパッションを吐き出したヤミナは、暖かい慈雨に包み込まれ、まどろむ。
大熱唱、その余韻に浸る。
水流が黒い床を打つ音だけが鮮明に響き渡り。
差し詰め、三度もの嵐に見舞われ冷え切っていたヤミナの身体は、内からも外からも十分に温もりを取り戻した。
やがてまどろんでいたヤミナの目がゆっくりと開かれ。
「〜♪ 恥ずかしくって目も見れない」
なんということだ大変なことになってしまったまさかの二曲目が始まったのである!
「〜♪ けど夢の中ならできる」
驚嘆すべき図太さ。戦慄すべき厚かましさ。
ブラックペンタゴンを自宅か何かと勘違いしているとしか思えないその余裕。
ちなみにこの女、これで模範囚である。
だが、これも許されるのだ。世界が彼女に厚意を与えているのだから。
「Chu! Chu! Chu!」
いい加減、誰もが感じていることだろう。
なぜこいつは命をかけた刑務作業の最中に、シャワーなぞを浴びているのか。
説明するには、しばし時を遡らねばならない。
■
345
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:28:05 ID:NyEvLM6Y0
■
――――――んなろォッ!!!!
漫然とした思考でとことこ階段まで戻ってきたヤミナを、獣のような咆哮が出迎えた。
狂犬の剥き出しの闘声を浴びて、ヤミナはネズミのようにびくりと全身を震わせる。
「まだやっているんですかね……。こわぁ〜」
上階に駆け上がるときに見た二人組の片割れと、変な半裸男のぶつかり合いが今も続いているらしい。
「上から覗いてみますか……。ちょっとくらいなら大丈夫だよね?」
特に根拠もないがたぶん大丈夫だろ。
そんな安易な気持ちで階段の手すりに手をかけ、足を踏み出せば、
ブルドーザーと形容すべき建材を震わす轟音が、そして鉄板がひしゃげるような甲高い不協和音が、待ってましたとばかりに出迎える。
ビビッて階段から足を踏み外しそうになり、「ひふぃっ!」と喉を鳴らしてしまう。
けれど万物がヤミナを侮っている。
階下で戦う二人は、互いの命の取り合いに夢中だ。上階のネズミの気配など気にも留めない。
「いやあ、迂闊に近づくのは危ないと思ったんですよねぇ〜」
この足め、この足め、のこのこ危険に踏み込みおって。
そんなふうに白々しく過去の選択を塗り替えて、特にアテもなく階段の前をうろちょろする。
下はしばらく騒々しそうだが、さりとて、再度のこのこ上階から様子を見に行く度胸はない。
美人のヤミナに突如ナイスなアイデアがひらめくことに期待するも、
残念ながらヤミナの脳裏に豆電球が灯るには資質も閃きレベルも足りない。
だが、現実はヤミナにささやかな情を与える。
視線を動かしながらなんとなく見回せば、その先にあるのは二階の案内板。
屋内放送室、仮眠室、食堂、共用シャワー室、ロッカー、更衣室、給湯室、トイレ――
二階は生活拠点としての色が濃い。
ピコンっ!
そんなインスピレーションが走った。
無意識に口を丸く開き、丸めた右拳で左の掌を打つ。
ぽんっと空気が破裂するような小気味いい音が、二階の廊下を駆け抜けた。
警備室だ。
二階には警備室がある。
ブラックペンタゴンの各区画を映し出す監視する詰め所がある。
そうとなれば、善は急げだ。
足早に目的の部屋を訪れたヤミナは、入り口から最も近い制御端末の前に着席。
ヤミナは闇バイトで現場のナビゲーターをこなした経験がある。
当然、この手の監視機械の操作は手馴れたもの……とまではいかないが、無事にシステムの起動を引き当てた。
346
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:30:04 ID:NyEvLM6Y0
端末をガチャガチャと操作すれば、5ブロックに分かれた各所の様子がモニターに映し出されていく。
エントランス、図書室、階段、工場エリア、配電室。
午前5時前、人の姿が見えるのは階段部屋のみだ。
モニターに映るのは、鋼鉄の鎧で全身を包んだ強そうな囚人と変な半裸男の激突である。
「……おおっ」
ヤミナは、思わず感嘆の声を漏らす。
『もっと殺す気で来なよチャンピオン』と挑発していた鎧は、
次の激突で、変な半裸男――訂正――チャンピオンに吹き飛ばされていた。
これは決まったな半裸男が勝てるわけないでしょ、という最初の断定をヤミナは即座に翻した。
ヤミナに格闘技の知識など皆無だ。
なんかすごいスタミナを土台に、なんかすごいステップで懐に入り込んで、なんかすごいスピードで殴りまくってるようにしか見えない。
チャンピオンってすごいんだな〜、とNSS(Nanka、Sugoi、S)な小並感を抱くことしかできないが、
そんなド素人をもってしても目を奪われる気迫があった。
腐敗毒を放つフィールド。
逃亡不可の密室。
鎧を一蹴する圧倒的な強さ。
「……どう考えても、チャンピオンの勝ちなのでは?」
もちろんヤミナは最初からチャンピオンが勝つことを疑っていなかった。疑っていなかったのだ。なのでこの結果に異論はない。
鎧が勝てば二階に上がってくる可能性があったが、チャンピオンは留まるだろう。
花のフィールドに鎮座して次の獲物を待つのだろう。
エンダと仁成は図書館にはいない。
すわ、これはついにヤミナを捕えに動いたか?
しかしこの件については、ヤミナもしっかり準備をしている。
ヤミナへの当てつけと嫌がらせだけのために探偵衣装を取り寄せた、エッ・ラッ・ソ〜〜〜〜ッなアルビノ小娘をぎゃふんと言わせる完璧なる武装の用意がある。
『電子ロックと鎧とチャンピオンのせいで降りるに降りられなくなったんです』
この覆せない絶対的法則を前にすれば、相手はごめんというしかない。
世界は世知辛いので、悪意で森羅万象を説明することはできない。
助けに来てくれてありがとうを添えればますます反論不可能。完璧な理論武装である。
「いきますか? いっちゃいますか? いっちゃっていいですか?」
ヤミナはテレビ番組を最初の三回で見切るタイプである。
スキマ時間という言葉も大好きだ。
未だ乾ききっていない囚人服を身にまとい、時間を無為にしてぼけーっと待つのが果たして正解か。
いや、そんなはずがないだろう。
エンダよし。仁成よし。チャンピオンよし。鎧よし。
問題ない。すべての障害は取り払われている。
休めるときにしっかり休むのは立派な仕事だと、どこかのエラい人も言っていた。
なぜシャワーなぞを浴びているのか?
答えは極めてシンプル。浴びられそうな時間があったから浴びたのである。
世界はヤミナを侮っているが、ヤミナもまた世界を侮っている。
メアリー・エバンスが理の異なる無重力空間を当たり前のものと認識しているように。
ヤミナ・ハイドも運命が微笑んでくれる世界を当たり前のものと認識しているのだ。
347
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:31:14 ID:NyEvLM6Y0
■
身体からほわほわと湯気をたたせ、ヤミナは再び警備室へと戻って来ていた。
エンダの刑務服は合わなかった。デイパックの奥底に封印されたままである。
では彼女は何を着ているのか。
ピシッとした青い上着に黒いズボン。
縫い付けられた"SECURITY PATROLS"という表記のタグ。
先ほどまでのみすぼらしい罪人ルックとうってかわって、今や見た目だけは秩序の一員、立派な警備員である。
靴が革靴なら完璧だっただろう。残念ながら靴はそのままだが。
制服効果は適切に発揮され、看守側になったみたいで少し気分がいい。
ヤミナの見てくれはそれなりに良いので、黙っていれば求人ポスターのモデルにも抜擢されうるかもしれない。
ちなみに制服の入っていたロッカーはダイヤルパスワード方式だったが、
管理者が悪党を侮っていたため、パスワードは当然デフォルト(0000)である。
悪党に中を漁られるのがイヤな諸君はちゃんとカギをかけよう。
さて、腐敗毒に晒され続ける監視カメラは、既に朽ちていてもおかしくないのだが、万物はヤミナにチャンスを施す。
気化した腐敗毒は通風孔側に吸い込まれ、いまだ階段部屋のカメラは生きている。
階段部屋に鎧はいない。死体もない。
ロックが解除され、鎧は敗走をきたしたらしいことが分かる。
今は第二ラウンドだ。
只野 仁成 VS チャンピオンのマッチアップが執り行われている。
この勝敗はヤミナ自身の今後に影響する一戦だ。
二人の立ち合いのレベルの高さなど一切合切理解できないので、
素手のチャンピオンに対して銃やら刀を使ってようやく食らいつく仁成、程度の認識である。
そして、チャンピオンはそのことごとくを撃ち破り、仁成に武器を抜く間すら与えていない。
圧倒的ではないかチャンピオンの武力は。
そして。
生命の波動を受けて不毛の大地に草花が生い茂るように。
眠りこけていたヤミナの脳皮質の神経回路がぱちぱちと覚醒していく。
ヤミナの灰色の脳細胞をまばゆい電球が照らしあげていく。
――チャンピオンが階段前に居座る限り、ここが一番安全なのでは?
348
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:32:24 ID:NyEvLM6Y0
開闢以来の画期的な閃きに、ヤミナの頬が思わずへにょっと緩む。
鉄壁のチャンピオンを門番に悠々と朝の準備をおこない、優雅に放送を待つ。なんなら刑務終了を待つ。
我ながら惚れ惚れするような完璧な計画だ。
ヤミナ自身、昔忍び込んだ邸宅のSPにボコボコにされたことがあるが、
無敵の護衛を雇う金持ちの気持ち分かるわあと腕を組んで一人うんうん頷いた。
いやいや、とヤミナは気を引きしめる。
もっと冷静になれ。
楽観的すぎるのは御法度だ。
目先の楽に流されてはいけない。
明日まで篭城できると考えるのは浅はかすぎる。
さすがにチャンピオンもトイレくらい行くだろう。
あるいは10人で挑まれて突破されるかもしれない。
それに思い出せ。
仁成とエンダは横暴だが、ドンほどの乱暴さはない比較的マシな同行者だ。
エンダはその見た目通り、ご機嫌取りとヨイショが通じる。
そんな二人がブラックペンタゴンを探索したがっていたのだ。
チャンピオンが強くてやばいので二階に上がれないエンダちゃんと仁成くん。
なんとか10人くらいどどどどっと送り込み、チャンピオンも袋叩きにして突破するも、時間はもう昼過ぎ。
――困ったな。こんなに広いブラックペンタゴンを調べるなんて無理かもしれない。
弱気なイマジナリーエンダちゃんの前に満を持して登場するのが、上階の情報をたらふく抱えたヤミナさま。
――君がここまで気の利く人間だとは思わなかった。これまでの非礼を謝罪するよ。
――ぐぬぬ……。ぐぬぬぬぬ……。く、悔しいけど、あなたのことを見くびっていた。ご……。ごめん。
非礼を詫びて頭を下げるイマジナリー仁成くん。
そしてイマジナリーエンダちゃんの屈辱的な様子が目に浮かぶ。
――あーあ、ちょっと汗かいちゃったなあ。"バーグラー"ブランドの服とか誰か用意してくれないかな〜。
――うう、ううう……!
「ふふっ、へっへっへ……」
ひそかに小鼻をうごめかす。
頭を下げるイマジナリー秘匿衆に、うんうんくるしゅうないくるしゅうないぞとオトナの余裕を見せつけながら、ほっほっほと笑う――
のはちょっと品がないし逆ギレが怖いので、もうちょっと穏やかに場をおさめるつもりだが。
これはもはや選択の余地などあるまい。
349
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:34:18 ID:NyEvLM6Y0
「いっけええ! チャンピオオォォ〜〜〜ンッッッ!!」
勝つのはチャンピオン。逃げるの仁成。
チャンピオンのスペックに全BETだ!
「右から来てますチャンピオン!
今だ! かわせぇ! 殴り飛ばせッ!
Go! Fight! Win! Let's Get! Victory! Go! Home! HITONARI!」
この女、誰も来れないのをいいことに、チャンピオンの応援を始めた。
チアガールのように、腹の底から声を張り上げ、ダイナミックに踊り始めた。
大悪党が仁義を重んじるならば、小悪党は仁義を踏み躙る。
その点で、この女の右に出るものはいない。
「あっ、殺しはダメですからチャンピオン!
最初は強く当たって、あとは流れでお願いします!」
世界はヤミナに甘い、というよりセキュリティ上、警備室は防音仕様である。
そして数刻後。
チャンピオンの圧倒的な強さ。
観客からの感じ取れないプレッシャー。
ついには仁成から天意が失われ、彼は戦略的撤退に追い込まれる。
「やった、やった、やったやったやったあア!
圧勝快勝大勝利です〜〜!!
変な半裸男とか思っててごめんチャンピオン結婚して!」
ソロスタンディングオベーション。
素晴らしいエンターテインメントの終幕に行われる、最大の賛辞である。
ネオシアン・ボクスにおいて、チャンピオンの快進撃に魅了された観客たちのように。
ヤミナもまたその勝利を最大限に称えた。
心地よい疲労感だ。
ヤミナの心の奥底から、えもいわれぬやりきった感が滲み出てくる。
勝利の美酒の味わいは、かくも格別なものなのか。
なお警備室で歌って踊って騒ぐのは迷惑行為である。
善人はおこなってはならない。
「さてっ、それじゃあ三階で掘り出し物でも見つけますか!」
大きく伸びをして椅子から勢いよく立ち上がり、鼻唄混じりで三階への階段に向かう。
彼女が三階の探索のために警備室を離れて数刻。
毒花の腐食がついにレンズ本体を侵食し、階段部屋を映し続けていたカメラも静かにその役割を終える。
工場エリアのカメラはネイ・ローマンとメリリン・"メカーニカ"・ミリアンの超力に巻き込まれて破壊され。
配電室のカメラはエンダの霞によって回線が朽ち。
図書室のカメラはルクレツィアが投げた本が直撃して覆いかぶさり。
それぞれ使い物にならなくなった。
■
350
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:35:45 ID:NyEvLM6Y0
■
「♪ 一緒に手を取り合って、行ける〜」
ブラックペンタゴン。三階階段。
建物全体にノイズが響いた。
ブラックペンタゴンにおいては、それは天井に取り付けられたスピーカーから流れ出してくる。
「♪……悲しみも、憎しみも全て乗り越えて、輝かしい明日へ〜」
『――――定時放送の時間だ』
オリガ・ヴァイスマンの悪辣なる声色が、島全体に響き渡る時刻が来たのだ。
黒い階段にて、こつ、こつと一定のリズムを刻んでいた足音が一瞬だけ、そのリズムを乱す。
鼻唄混じりのメロディが止まった。
『諸君、刑務作業の進捗はいかがかな?』
ヴァイスマンの問いかけに、口をとんがらせて進捗どうだろうと顔をしかめて考え込んだものの、さして意味はないことに気付いた。
『贖罪を果たし、己の価値をほんの少しでも証明できた者がいれば喜ばしい』
それよりももっと大事なことがある。
ヤミナはデジタルウォッチを起動し、メモを開いて、再び歩き出す。
なお、階段での"ながらウォッチ"は非常に危険なのでおこなってはならない。
『さて、それでは事前に説明していた通り、これより刑務作業の経過報告を行う』
懲罰を受け、アビスの底に消えていった者たちの名前が次々と読み上げられていく。
ある者は悲しみに暮れ、ある者は憎しみを向ける先を失って心に穴を開ける。
彼女たちは悲しみも憎しみも全て乗り越えて、輝かしい明日へ向かっているはずだ。
だが、ヤミナに知り合いなぞ一人もいない。
そもそもアビス自体にヤミナの知り合いがほとんどいない。
アビスにぶち込まれてから二週間しか経っていないのだ。
正確には、恵波 流都はヤミナとはかかわりがある。
ヤミナの関わっていた闇バイト。
あれは、貧しい若者を尖兵に日米の治安を悪化させ、GPAをはじめとした秩序側の威信を削ぎ落し、
自警団の発言力と存在感を向上させる数々の反逆プログラムの一環であった。
だが、そんな思惑などこの女が知るはずもないし、そもそも上の名前を知っているはずもなかった。
彼女はただの文字列として、流都の死を認識した。
他方、チャンピオンの名前は知らないが死んだとは思えないし、仁成もエンダも生きている。
まだまだ三階は安全そうだなと一息つく。
事実、何事もなく三階にまで到着し、ヤミナは聳え立つ巨大な扉を仰いでいる。
世界はヤミナを慈しんでいる。
■
351
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:37:44 ID:NyEvLM6Y0
★
ヤマオリ記念特別国際刑務所。
その医務室の一角は今日一日、特別ゲストのために貸し切り状態である。
部屋の主は中学生にも満たない幼い少女二人。
明らかに制服に"着られている"。
囚人たちが見れば、インフルエンサーを使ってアビスの求人でも始めたやがったのかと首を傾げるだろう。
「はぁ、もうイヤになっちゃう。
アビスで、狭い部屋に押し込められて、これじゃあ犯罪者と変わらないじゃない。失礼しちゃう!」
「私たちは、誤解を恐れずに言えば部外者ですからね」
「部外者も何も、私たちむりやり所長の手下に連れてこられたんだけど?」
「……藍寿は自分で手を挙げましたよね?」
「菜々子お姉ちゃんが無理やり連れてこられたんだから、無理やりなの!」
「分かっていますよ、ふふっ」
高原菜々子。高原藍寿。
今回の刑務にあたり、所長の"伝手"を使って連れてこられた一日刑務官。
彼女たちの業務は、疲弊した刑務官の疲労回復。
高原菜々子の超力『完全力全快』は、人体の状態を"健康状態に変更する"という世界でも指折りの強力な超力である。
母の"恩義"に報いるため、そして菜々子の護衛兼話し相手として、彼女たちはアビスへとはせ参じた。
二人の母親であり芸能界の大物である高谷千歩果は山折村の出身だ。
当然ヤマオリ・カルトが我先にとその触手を伸ばす。そうしなければ、教義の正当性を疑われるからだ。
それはカルトを根切りしたい秩序側にとっても実に都合が良かった。
乃木平は開闢直後、千歩果を"デコイ"に集まってきた国内カルトの大半を一時撲滅したという。
これが高原家との"縁"であり、所長からの"伝手"であり、そして報いるべき"恩義"である。
さて、先の放送は無事終了。
ヴァイスマン――は所用につき不在のため、アンダーソン看守部長からの指示に従い各班をまわった。
刑務官たちを万全の状態に戻し、次のフェーズに備えたのである。
そして、次のお役目まで何をするのかといえば。
「暇ですね……」
菜々子がぼやく。
ダンスのレッスンには狭すぎる。
ボイストレーニングは迷惑だ。
共用スペースや仕事部屋で歌い踊る非常識さを二人は持ち合わせていない。
ならばとビジュアルチェックをしようにも鏡がない。
何もやることがないのである。
アビスに外の物品は原則持ち込めない。
必ず言爺を通して検閲を受けなければならない。
検閲が終わるころには、刑務も終わっているだろう。
菜々子はベッドに腰かけて、両足を交互にぷらぷらさせ、天井の壁紙を目で追う。
変わり映えのしない景色だ。
にわかに飽きてきた。
「藍寿は何をしているのでしょうか?」
「これ。私、お姉ちゃんの護衛だし?」
藍寿が差し出してきたのは、アビスからの支給されたデジタルウォッチ。
刑務作業者たちが着けているものと同じ機器である。
一日刑務官は正規ほどではないにしろ、権限は与えられている。
つまり囚人の立場では知りえない、刑務の状況を知ることができるのだ。
――余談ながら。
ここで得た情報は、決して外には持ち出せない。
黒い粉末状の記憶消去薬を飲み、今日1日の記憶をすべて抹消して退出するべし。
これがアビスの絶対的なルールである。
ウォッチから放たれる液晶のライトが医務室の天井を照らす。
二つの視線が、そのデジタル画面に集中する。
352
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:39:57 ID:NyEvLM6Y0
盤面に孤島が映し出されている。
今まさに刑務作業が執り行われている現場だ。
受刑者たちのものとは違い、全刑務作業者のおおよその現在位置が表示され、
タップすれば、その詳細データも表示される。
監督官たる看守の特権である。
「鑑さんがいるのですね……。日本人の人たちと一緒?」
母親が芸能人である姉妹は、当然日月のことを知っている。
「あっ、一人は模範囚ですか。
ならば、しばらくは安全、なのでしょうか」
「菜々子おねえちゃんは想定が甘いわ。
ここはアビスよ?
こんなところにいる模範囚なんて、表じゃ看守にぺこぺこ頭下げて、
裏じゃ卑劣な顔して悪行を考えているに違いないわ!」
藍寿は指をわきわきと動かし、ぐへっへっへと三下のような笑顔を浮かべはじめた。
少女におさわりは厳禁。破りし者は然るべき罰が与えられる。
菜々子はぽふぽふと藍寿を叩いて懲罰執行である。
「それに模範囚三人もいるけどさあ、なんかおかしくない?
二週間でなれるもんなの!?」
藍寿が指さす名はヤミナ・ハイド。
懲役26年の服役期間二週間。国家転覆未遂の大罪人、そして模範囚。
常時発動の概念系超力者であり、洗脳・精神汚染と分類するが、その詳細は不明との記述だ。
「えぇ……? 手続きにミスでもあったのでしょうか?」
「ん〜、ズルをしたのかもしれないわよ?」
「ズル……ですか?」
一人だけブラックペンタゴン3階に乗り込んでいる時点で、確かにとんでもなくきな臭い動きだが。
「システムAがあるのに、そんなことができるのでしょうか?」
「ふっ、甘いわね菜々子お姉ちゃん。
ハチミツのように甘々だわ!」
藍寿が菜々子に見せつけたのは、システムA子機を搭載したネームプレートだ。
公共機関でよく使われるタイプの備品であり、私はここで超力を使用しないという宣言である。
ただし、アビスのそれは二つのシステムA子機がクラスタリングされていた。
意味は高可用性と性能向上。
すなわち、超力強度の底上げである。
底上げができるということはすなわち、元の強度では足りない事象が過去に発生したということであろう。
「本当はシステムAなんて効いてないのに、澄ました顔で紛れ込んで、油断している菜々子おねえちゃんを……がばっ!!」
「……も、もう。びっくりするじゃないですか。
なんだか、不安になってきました……」
身を縮こまらせた菜々子に対して、藍寿はいたずらな笑みを返す。
「ふふーっ。問題ないわ。
こっちの大悪党も、こっちの怪しい模範囚も、みんな私がお姉ちゃんに近づく前にぶっ飛ばしてやるから!」
藍寿とヤミナはまったく面識はないが、こんな一人でコソコソしてるやつはたぶん大したことない。
そんな侮りを持たれている。
ヤミナ・ハイドは接点のない人間にも侮られている。
実際のところ、ヤミナ・ハイドの超力はシステムAのそのものの強度を超えることはできない。
けれど、彼女の超力はすでに、世界そのものの奥底にささやかな足跡を刻んでいる。
★
353
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:41:23 ID:NyEvLM6Y0
■
ブラックペンタゴン3階。
それは、三メートルほどの巨大な扉だった。
黒鉄の表面には細かな幾何学模様が刻まれ、僅かな金色の線が走っている。
とはいえ、派手さとは無縁で、黒を強調するような控えめな輝きだ。
いかにも重要そうな何かがこの中に隠されていそうである。
ごくりと唾を飲み込み、引き手に手をかけて扉を開……けない。
傍らに扉に溶け込むように、カードリーダーとテンキー錠が取り付けられている。
これはどちらか片方が合致すれば鍵が開くタイプのようである。
「謎解きでもさせたいのでしょうかね……?」
窓にはめられた格子といい、
建築の基礎をガン無視したような構造といい、
ところどころで進行を阻んでくる仕掛けといい、
なぜか内・中・外をまたがなければ一周できない回廊といい、
まるでブラックペンタゴンで大渋滞でも起こそうとしているかのようだ。
浮かんだ考えをまさかねハハハと拭き捨てて、ヤミナはテンキーとにらめっこを始めた。
にらめっこすればパスコードが湧き出てくるなど、狂人の理論だ。
だが、精神をいたく集中させていると神仏等の超常存在の姿を捉え、告知を賜る人間もいるらしい。
精神修行中に現れる神仏はほぼ幻覚だ。殴り飛ばして病院に行くのが正しい対処法である。
ただしヤミナは世界から祝福を受けている。
おぼろげながら数字が浮かんでくる。
『4646』
入力だけならタダだと四ケタの数字を入力。
上昇調の電子音が鳴り、鍵の開く音が聞こえた。
「開いたっ! 私って、もしかして天才!?」
意気揚々と、ヤミナは部屋へと入っていく。
ヤミナの超力は、システムBへ入り込んでいく。
実世界と同じように、システムBで作られたこの世界にも憑りついていく。
わずかにシステムBに結合し、ほんのわずかに世界を変質させていく。
■
354
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:42:53 ID:NyEvLM6Y0
★
高原姉妹は引き続き、刑務島を眺めて時間を潰していた。
「このブラックペンタゴンという建物、本当にたくさん人が集まっていますね」
生存している受刑者のうち、半数近い受刑者が集合している巨大施設。
否が応でも目を引かれてしまう。
「この島に送り込まれたとして、私なら絶対に近づかないわ」
「こんなにたくさんの受刑者がいたら、何が起こるのか分かりませんからね」
「それもあるけれど、もっと別の理由よ」
「?」
「そうね……。私は考えがあるけれど、まずは菜々子お姉ちゃんの考えを聞かせてほしいわ。
ブラックペンタゴンには、何があると思う?」
「何がある、ですか……。
私が考え付くものは、大したものじゃないですけれど……。
島の真ん中で、頑丈そうな大きな建物ですから……。
たとえば島に電気や水を送り出しているとか?
あっ、ひょっとしたら放送の電波を受信する装置があるかもしれませんね」
島全体に満遍なくインフラを行き渡らせるならば、やはり中央に大規模な制御施設は欲しい。
そうすることで平等に、電気や水を送ったり、電波からの放送を手早く行き渡らせることができるだろう。
「きっと、刑務作業を成り立たせている根幹のシステムが置かれているのではないでしょうか」
★
355
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:44:06 ID:NyEvLM6Y0
■
ブラックペンタゴン3階。
そこは、展示室であった。
立ち入ったヤミナは、その精巧なジオラマ群に目を丸くしていた。
中央にでかでかと置かれているのはこの島のジオラマである。
廃墟、山岳、工業地帯、港、そしてブラックペンタゴン。
ブラックペンタゴンは上からみると綺麗な正五角形だ。
中庭には黒い球体のようなモニュメントが置かれており、上から見るとこんなだったのかと素朴な感想を抱く。
睨んでいるとなんだか心臓の形にも見えてくるこの島。解説パネルには、『世界』とだけ書かれていた。
島のジオラマから少し離れて周囲を見ると、山々に囲まれた村のジオラマや、白い神殿のような巨塔、一見ごく普通の建物の模型がある。
『山折村 〜永遠なる聖地〜』
『超力犯罪国際法廷 〜秩序の門〜』
『ヤマオリ記念特別国際刑務所 〜悪の終焉〜』
何やらかっこつけた抽象的な説明が並んでいるが……。
――あれ、もしかしてこれ、ものすごいお宝なのでは?
超力社会の中枢たるICNCこそ知っているが、
山折村、ましてアビスの模型など見たことがない。
外に出てこの情報を売ればだいぶ金になるのでは?
デジタルウォッチにカメラ機能がないのを大変残念に思う。
デジタルウォッチはアビスの備品なのだが、そんなことに気は回らず、ヤミナは心から天を仰いだ。
まなこにアビスの外観をとくと焼き付け、もっとお宝はないかと視線を反対側に移すと、そちらにはガラスケースに入ったオブジェクトが展示されていた。
その中でも目を引くのは、材質不明、白く光る球体のようなオブジェクトだ。
『システムA』
『とある被験体の異能を抽出、システム化したもの。超力社会の要』
簡素な説明だ。
システムAの本体ってこんな見た目だったんだな、と素朴な感想を抱く。
その隣。
『システムB』
『この”世界”の要』
こちらには、ただパネルと抽象的な説明だけが立てられている。
ガラスケースには、何も入っていなかった。
ふーん、と一瞥したヤミナは、ふと壁際に開いた小さな窓に気付いた。
なんとか顔を出して中庭を覗きこめる程度の、小さな窓だ。
そういえば外に面した部屋や廊下には窓があったが、内に面した部屋で窓を見たことがなかった。
それに、トイレを探して一階を駆けずり回っていた時、中庭に行く通路は見当たらなかった。
この建物の中庭ってどうなってんだろ、と、なんとなしに窓から中庭を覗き込んだ。
356
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:45:53 ID:NyEvLM6Y0
――あれはなんだろう。
黒曜石でできたチェスのような黒い円柱の上で、ふわふわと浮かびながら回転する黒い巨大な球体が置かれていた。
噴水に彩られた美しい庭園に調和するような、宝石のように美しいモニュメントが日の光を受けて輝いていた。
なんか高そうなモニュメントだな、と現金な感想を抱くが、ふとどこかで見たような気がする。
後ろを振り返って飛び込んでくるシステムAのオブジェクト。色以外、中庭にあるものにとても似ている。
島のジオラマ。タイトル『世界』。
システムB。『この”世界”の要』
刑務作業における値打ちもの。
当然、恩赦ポイントがその筆頭だが、それがすべてじゃない。
自分だけが持っている情報アドバンテージもまた、交渉のカードとなる。
受刑者の中には、仁成やエンダのようにアビスに反抗し、調査を目的とする人間がいる。
もしあれが本当に"この世界の要"なのなら、情報としてこれほど強力なカードはない。
何より。
刑期を26年に軽減され。
アビスに入ったが模範囚と認定され。
刑務作業でも首輪を棚ぼたで手に入れ。
チャンピオンに安全を担保され。
ブラックペンタゴンの上階を自由に探索できて。
この部屋に一発で入れて。
今、自力で重大な秘密を握ったかもしれないのだ。
いや、握ったのだ。
風は私に吹いている。
娑婆にいたころから数々の甘い話に引っかかってきたこの女が、自制など効かせられるはずもない。
異質なものに、警戒心と共に好奇心が湧く人間の本能を抑えられるはずもない。
「ふふ、ふへへへ……」
世界はヤミナにやさしい。
世界はヤミナにやさしい。
世界はヤミナにやさしい。
だらしない顔を晒して、展示室を退出するヤミナ。
そういえばパスコードなんだっけと一抹の不安がよぎった。
確かこれだったはずと、四ケタの数字を入力。
『5656』
上昇調の電子音が鳴り、鍵の開く音が聞こえた。
不安は消失する。
安心は強まる。
ブラックペンタゴンから逃げ出そうかという選択肢は、もはや失われていた。
■
357
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:47:47 ID:NyEvLM6Y0
★
「私はね、今はブラックペンタゴンには何もないと思うわ」
「何もない、ですか?」
藍寿はその細い指でブラックペンタゴンを指し示す。
周辺には、20名を超える受刑者たちが点在していた。
「大事なものをこんなに人の多いところに置いたら、誰かに壊されちゃいそう。
私なら、四隅のどこかか、または全部に置くわね」
島の四隅。
灯台、小屋、廃墟、工業地帯。
人気の少ない、会場の最果てを指し示す。
「真ん中には、予備だとか、もしものときの発電機みたいなものならあるかもしれないけれど。
私の考えはもっと別のところ。
この刑務作業は戦争の実験よね?」
刑務の目的は刑務協力の条件として聞かされている。
超力を活用した戦争のシミュレーションだと二人は聞いた。
「戦争が続いて、技術が進歩しないなんてこと、あるかしら?
新しい武器とか、ポジション取りみたいなのが現れるのが当然だと思わない?
それに、戦争に勝つための条件だって変わっていくかもしれないわ!」
20年以上前に起きた戦争でも、ドローンを用いた戦術は大きく進歩し、各国が新戦術に対応することを強いられた。
戦争によって、兵器も技術も進歩していく。
「私なら、受刑者を真ん中にいっぱい集めておいて、後半にステージをひっくり返すような新兵器を投下するわ。
この、ブラックペンタゴンの中央に!」
バシッとポーズを取る。
ダンスの最後によく見せる決めポーズである。
「うーん、これって、そういうアビスと受刑者の対決ではないような。ちなみに、新兵器って、たとえばどんな?」
「えっ、それは……う〜ん、たとえば、超力の進化を早くする、みたいな?」
「そんな兵器があるのなら、とっくに使われていそうな気もしますが……。
というか、今日の藍寿、なんだか考え方が意地悪ではありませんか?」
「私はお姉ちゃんの護衛だもん。
最悪を考えるのが私の仕事なの。
今日は私はネガティブになるんだから! ネガティブネガティブ!」
藍寿は唇を尖らせ、腕を組んでふんぞり返る。
だが、その仕草はどこか芝居がかっており、まるで小さな舞台女優のようだった。
背伸びでおませな妹を、菜々子は愛おしいと思う。
「まあでも、そうですね。
意地悪な考え方をするなら、受刑者自身が自発的にブラックペンタゴンに留まりたくなる仕掛けはあるかもしれませんね」
まあ、島の中央に新兵器が来ようが、刑務者の超力が進化しようが、ただのデコイだろうが、島の中で完結してくれるなら問題ない。
今日一日、無事に過ぎてくれれば御の字だ。
とん、とん、と医務室のドアがノックされる。
「高原サポート官。クロノ主任看守が心労で疲弊したらしい。応対を頼む」
「はーい」
仕事の呼び出しを受け、菜々子は藍寿とともに医務室を後にした。
★
358
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:51:35 ID:NyEvLM6Y0
■
世界はヤミナを侮っている。
ゆえに、世界はヤミナに甘い。
彼女の超力は、深層意識に作用する。
自然の可能性を緩やかにねじ曲げる。
けれど、実際のところ、現実を改竄するほどの力は有していない。
意図を以って定められた電子機器の機能を改竄するほどの力は有していない。
展示室。この扉のパスコードを類推させるものは三階各所に散らばっているが、実はどんな4桁の数字でも開く。
"隠された"仕掛けを解いたあなたは”特別”だ。
仕掛けに気付いたあなたは”特別”だ。
だから、あなたがここで手に入れた"成果"は特別なものだ。
そんな祝福を与えてくれるやさしい部屋だ。
中庭には確かにモニュメントがある。
だが、それが何を意味するのかは誰も提示していない。
どうやってたどり着けるのかも分からない。
"何かを保管する"ものなのか?
いや、"何かを制御する"ものなのか?
あるいは、"何かと何かを繋ぐ"ものなのか?
それとも、"中に取り込む"ものなのか?
はたまた、"放出する"ものなのか?
本当に、"ただのランドマーク"なのか?
ヤミナは周囲の状況から、"自分で"その正体に"気付いた"のだ。
自分で気付いたその価値を高く見積もれば見積もるほど、
それを手放すのが惜しくなり、この黒い監獄からは逃れられない。
世界はヤミナに善意を与える。
けれど、人間の強固なる意志と悪意は、ささやかな善意を木っ端に打ち消す。
”普通”でない出来事は、オリガ・ヴァイスマンの超力の前に曝け出される。
それでも黙認されているのなら、それは管理が可能であると判断されたからにほかならない。
彼女はイレギュラーではない。
檻の中に囚われている一受刑者にすぎないのだ。
359
:
私は特別!
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:54:08 ID:NyEvLM6Y0
To:<r.reynard@abyss.deep>
Cc:<s.nogihira@abyss.deep>
Subject: Re:【看守官連続殉職事件】最終調査結果報告
本文:
調査報告書を確認した。
詳細な調査と分析を行い、事案の原因究明および対策案を提示してくれたことに深く感謝する。
しかし、報告書末尾に記載された刑務作業自体の見直しについては、君の職務の範疇を超えた提言だ。
概念型超力者の選出についても、君の抱いた懸念はすべて想定されたケースの範疇であると伝えておく。
刑務作業は予定通り執り行われる。
今後もしっかりと職務に励みたまえ。
以上
------------------------------------
【E-4/ブラックペンタゴン 3F北西ブロック 展示室/1日目・朝】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(小)、各所に腐食(小)
[道具]:警備員制服、デジタルウォッチ、デイパック(食料(1食分)、エンダの囚人服)
[恩赦P]:34pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.ブラックペンタゴン上階・中庭を探索する
1.下の階へのルートを確保する
2.エンダと仁成に会ったら交渉、ダメそうなら逃げる
※ドン・エルグランドを殺害したのは只野仁成だと思っています。
[共通備考]
ブラックペンタゴン2階北西ブロック:3Fとの階段・警備室・屋内放送室
ブラックペンタゴン2階北東ブロック:共用シャワー室・更衣室・仮眠室
ブラックペンタゴン2階南西ブロック:1Fとの階段・トイレ・ロッカー
中庭のモニュメントはランドマークかもしれませんし、他にも意味はあるかもしれません。
360
:
◆TApKvZWWCg
:2025/05/26(月) 20:54:25 ID:NyEvLM6Y0
投下終了します
361
:
◆H3bky6/SCY
:2025/05/26(月) 22:34:50 ID:SMwm7fQY0
投下乙です
>私は特別!
作中でも触れられているけどヤミナが世の中を一番舐めてる
画面越しに出張版『ネオシアン・ボクス』を観戦とは、いいご身分だな、この刑務作業で一番自由なのがお前だ
するすると2階3階と進んでいき、ブラックペンタゴンの最奥まで、メッチャ重要そうなものがちゃんと説明付きで博物館のように置かれている
それそものが蟻地獄のような罠であるという考察、高原姉妹小学生とは思えないほどかしこい、ヤミナは小学生よりかしこくない
あれもこれもが、どこまでヴァイスマンの掌の上なのか、恐ろしいところです
362
:
◆TApKvZWWCg
:2025/05/27(火) 21:21:22 ID:NFxzmCzA0
>>359
【E-4/ブラックペンタゴン 3F北西ブロック 展示室/1日目・朝】
↓
【D-4/ブラックペンタゴン 3F北西ブロック 展示室/1日目・朝】
座標ミスがありましたので修正します。
失礼いたしました。
363
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:02:28 ID:Z7qmPaYM0
投下します
364
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:03:09 ID:Z7qmPaYM0
「神の名において――――」
冷たい風が吹き抜ける岩の尾根で、ドミニカ・マリノフスキは再び祈りを口にした。
髪が風にたなびく。その瞳は青空を映しているはずなのに、そこに広がっているのは、奇妙に滲んだ空だった。
見えない境界線を挟み、世界は別の物に分かたれていた。
地平は緩やかに湾曲し、空間は捩れる。花は溶けるように咲いては、意味もなく花弁が逆さに飛ぶ。
風景すべてが、現実の皮を剥がされて歪められていた。
「――――再び、貴女の信仰を問いに参りました……神の冒涜者よ」
ドミニカの足元に重力が集中する。
空間の歪みに抗うように、彼女は球状の重力場を展開しながら進み始めた。
すでに一度、敗北を喫した戦場。
少女が作り出す夢の世界が、いかに現実離れした破壊の領域であるかを彼女は知っている。
そしてその超力が、神の奇跡とは似て非なる、世界を改ざんする冒涜であるということを。
その醜悪さは以前と同じだ。いや、それ以上に悪化している。
しかし、引き返す気は微塵もなかった。
前回の敗北。己の無力さ。メアリーの力に及ばなかった事実。
それらすべてを噛み締めて、なお歩む。祈りと共に、彼女は再びこの悪夢に挑む。
この地に再び立つためにこそ祈りを捧げ、血を吐いて這い上がってきたのだ。
「これは……神の創り給うた世界ではない」
恐怖はない。
純粋なる怒り悲しみと共に拒絶を伝えるように前へ。
メアリーの領域に、真正面から踏み込むと、重力場が波打った。
その瞬間、空間が悲鳴を上げるように捩じれた。
ドミニカの重力場が、再び強大な世界に飲み込まれる。
前回と同じ現象だ。だが、それを恐れる心はもうない。
「――――審判を下しましょう。神罰の名のもとに!」
叫ぶ。
だが、圧倒的な超力の差により一方的に弾き飛ばされた。
それを、信仰心で埋めようとする姿は滑稽ですらある。
それでもドミニカは止まらない。
止まれない。止まってはならない。
彼女は両手を合わせ、重力場を再構築した。
「我、ここにあり――神への誓いを(コールヘヴン)!」
自らを導く祈りの言葉を口にする。
咆哮と共に、ドミニカの周囲に祈りの輪が瞬いた。
信仰を宿した重力が、再び少女の夢世界とぶつかり合う。
重力と無重力。
現実と夢。
光と闇。
その狭間に、ひとりの修道女が立ち続けていた。
■
365
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:03:29 ID:Z7qmPaYM0
岩肌を砕くように砂礫が跳ねる。
動き始めたメアリーの超力領域から逃れるべく駆けだしていたエネリットたちだったが。
突如、エネリットがその軌道を変えドミニカを追うように岩場を駆けていた。
「どうするつもりだ、エネリット!?」
その背を、数歩遅れてディビットが追う。
風を切る声に、前方を駆けながらエネリットが応じる。
「彼女を支援します――貴重な領域型を無駄死にせるのは惜しい」
ドミニカ・マリノフスキは貴重な領域型の超力者だ。
だが、その超力強度はメアリー・エバンスに遠く及ばない。
世界中を探しても、単独であのメアリーに正面から勝てる領域型などそういない。
単独で挑めば、まず間違いなく敗れるだろう。
少なくとも、事前のブリーフィングでは、そう結論づけられている。
「支援だと? どうやって?」
支援すると言うは易しでも行うは難しだ。
領域型同士の衝突に対して、外部からできることなどそうはない。
その問いにエネリットは突然立ち止まり、くるりと振り返る。
ディビットを見つめるその目には何か策があると言っているようであった。
「そのために、ディビットさんにご協力頂きたいことがあるのですが」
「言ってみろ」
「ディビットさんの超力を、一時的に僕に譲渡していただきたい」
「…………なんだと?」
一瞬、耳を疑った。
足を止めたディビットの顔に、露骨な困惑と怒気が浮かぶ。
だがエネリットはそれに気づきながらも構わず、簡潔に説明を重ねた。
「僕の超力には他人から借り受けた超力を、さらに他者へと間貸しする機能があります。
これを使ってディビットさんの倍加の超力をシスター・ドミニカに貸し与えます」
「……つまり、俺の『4倍賭け』を使ってあの女の超力強度を補強する、と言う事か?」
足りないのなら補える手段を与えればいい。
察しよいディビットの言葉にエネリットは頷く。
「はい。もっとも、僕との信頼度次第で再現度は変わるので、倍率はかなり下がるでしょう。
4倍どころか2倍にも届かない可能性は高い。それでも、ないよりは遥かにマシです」
ディビットの顔に、渋い色が浮かんだ。
「そのないよりもマシな手段のために、俺に丸腰になれと?」
氷るような冷ややかな声。
エネリットに超力を譲渡している間、ディビットは無防備になる。
それは、この戦場で裸同然で放り出されると同じ事だ。
「はい。その通りです」
一片の迷いもなく、エネリットは言い切った。
その躊躇いの無さにディビットは舌打ちをひとつ、苛立たしげに響かせた。
「……いいだろう。貸してやる。ただし、この貸しは高くつくぞ」
「ありがとうございます。それと、もう一つお願いがあるのですが」
「チッ……まだあるのか」
あれだけの無茶を要求しておいてまだ要求を続けようというエネリットに、ディビットの声には呆れを通り越して諦念すら滲んでいた。
「もしこの試みが成功すれば、一時的にメアリーちゃんの領域は打ち消されて無防備になります。
だが、それは再度彼女が超力を張り直すまでのごく短い間でしかない」
つまり、その短い間にメアリーを仕留める必要があるという事だ。
「だが、奴は山の上で、距離がある。そう簡単に詰められる位置じゃない……下手をすれば、またあの異常空間のど真ん中で再起動だ」
そうなれば死は確実だ。
いずれにせよ近接を狙うのはリスクが高い。
「その通りです。だからこそ、領域が途切れたその瞬間を狙える遠距離攻撃の手段が欲しい」
「それを俺に用意しろと?」
「はい。方法はお任せします。僕はシスター・ドミニカに借り受けた超力を譲渡しに行かねばなりませんので、そちらをお願いできますか?」
ディビットは虚空を睨んだ。
超力のない状態で、他の受刑者と接触するだけでもかなりのリスクだ。
その状態で存在するかどうかも分からぬ遠距離攻撃の手段を探せというのか。
無茶ぶりにも、ほどがある。
「……クソッタレが」
悪態をついたディビットの眼光が、再び前方を捉える。
既に刑務開始から六時間が経過している。
4分の1を超えても恩赦Pは未だ得られていない。
「いいだろう…………やってやる」
ディビットはこの提案に命(チップ)を張る事を受け入れた。
どこかで賭けに出る必要があるなら、ここが張りどころだ。
■
366
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:04:24 ID:Z7qmPaYM0
黒く焦げた岩肌には、戦いの余波がくっきりと残されていた。
焼け焦げた地面には、幾筋もの亀裂が走り、蒸気のような熱がまだ残る。
その地に足を踏み入れた瞬間、空気が震え、肺が焼かれるような錯覚に襲われた。
再びそこに踏み入れのは、ドミニカ・マリノフスキ。
血に濡れた囚人服に身を包みながらも、彼女はなお清らかな祈りを口にする。
「神よ……どうか、我に今一度……審判の力を――!」
重力場が再び彼女の周囲に発生する。
それは彼女の信仰が形を取ったもの。
質量を持たぬはずの信念が、重力を捻じ曲げ球体を形成する。
メアリー・エバンスの領域は、既にこの地を飲み込むように広がっている。
生成されたばかりの重力球が、目に見えぬ何かにぶつかり、波紋のように揺れた。
「っ……ぐ……!」
視界が揺らぐ。
空間が裂けるように歪み、色彩が滲み、音が反転する。
この場所はもはや現実ではない。
否、現実そのものが、メアリーの夢によって塗り替えられようとしていた。
あらゆる物理法則が捻じ曲げられ、常識が砂糖菓子のように崩れていく。
空気が、笑う。
地面が、歌う。
世界が、彼女の信仰を試すように無邪気な声で囁く。
――「ねえ、ここでは、神さまなんていらないの!」
「神は、どこにあっても在す!! 誰の心にも……必ず!!」
その叫びと共に、ドミニカの重力場が爆ぜるように拡張される。
再びの祈り。
再びの挑戦。
だが――それはまたしても拒絶される。
領域が衝突する。
圧倒的な強度差で夢の領域が、重力場を押し戻す。
引力が緩み、ベクトルが狂い空間が螺旋のように回転する。
重力の渦が彼女自身を引き裂こうとし、ドミニカの体が引き裂かれそうなほど軋んだ。
「ぅあ、あああああああああああっ……!!」
その悲鳴は、祈りというにはあまりにも痛切だった。
信仰の力で拮抗できる時間は、もはやほんの一瞬。
その間に、身体の感覚が剥がれ、骨がきしむ音すら聞こえるような錯覚に陥る。
それでも、ドミニカは祈りを止めなかった。
一歩。たった一歩でいい。
正しき世界を、神の意志を、もう一度この手で示すために。
367
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:04:36 ID:Z7qmPaYM0
「神罰は……ここに在り……!」
重力場を押し上げ前方へ踏み込む。
しかし、地面は逆巻き、重力場は回転を始める。
自らの引力に巻き込まれ、歪んだ空間に絡め取られるようにして、彼女の身体は引き裂かれる寸前まで追い詰められる。
それでも進む。
泥に塗れ、血にまみれ、歯を食いしばりながら、体を前へ。
神の意志を、この手で届けるために。
泥と血にまみれ、震える膝でなお前へと進む姿は、信仰者というより殉教者だった。
――そのとき。
轟、と空間が震えた。
二つの世界が交差する、一瞬の均衡。
前回と同じ現象。対極の超力が刹那的に衝突し、中和を起こしかけた――だが。
その前に、ドミニカの重力場は限界を迎えた。
「ッ――!」
力が潰れる。
支えを失った身体が宙に浮かぶ。
逆巻く世界に飲まれ、彼女の身体は再び空へと放り出された。
精神力はなお燃え続けていたが、肉体の方は別だ。
繰り返される無謀な突撃によるものもあるが、ネイ・ローマンとの戦闘のダメージも安くはない。
ドミニカの体は既に限界を超えていた。
「く……っ!」
叫びも、祈りも、届くことはない。
重力の反転が解除され、彼女の体が無防備なまま、下方へと引き摺り下ろされていく。
だが――そのとき。
「シスター・ドミニカ!」
声が響いた。
少年のように若く、それでいて意志のこもった声音だった。
現れた彼は、空間の乱れから弾き飛ばされた彼女の体を受け止めた。
「ご無事ですか?」
誠実そうな顔をした青年だった。
「私はエネリット・サンス・ハルトナと申します。
どうか、あなたの信仰の助けにならせてください」
静かにドミニカを支えながら、彼はそう言った。
彼の瞳は、迷いのない光を宿していた。
ドミニカの聖なる祈りに――合理と知略を以って、応えようとしていた。
■
368
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:04:58 ID:Z7qmPaYM0
朝の風が草原を撫で、朱に染まりつつある空気が静かに揺れる。
放送が終わってから、ジョニー・ハイドアウトとルメス=ヘインヴェラートの間にはしばしの沈黙が漂っていた。
便利屋ジョニーは無言のまま地面に腰を下ろしていた。
その傍らでは、怪盗ヘルメスが天を仰いだまま、目を細めて空を見つめている。
「……ドンの名が呼ばれたね」
ぽつりと、ルメスが言った。
ジョニーは短く銃口のような鼻を鳴らしてから、乾いた口調で返す。
「あのまま山から転げ落ちて死んだ、なんてオチなら笑えるが……まあ、あの怪物がそんなタマな訳ねぇか」
吐き捨てるように言ってから、ジョニーは肩を竦めた。
「……ま、誰がどう潰したかは、気にはなるな。まあ、生きていれば近いうちに会うことになるかもな」
発表された死者の名に、大海賊――ドン・エルグランドの名があった。
激突の末、岩山から落下した巨躯の海賊。だが、彼があの程度で死ぬとも思えない。
あれほどの怪物を殺した何者かがいるのなら、それこそが生き残った者によっての脅威だろう。
「それより、だ」
そう言って、ジョニーが立ち上がった。
東の山脈を仰ぎ見る。
「……気づいてるか? 東の空が妙だ」
ジョニーの言葉にルメスはゆっくりと頷いた。
その視線の先で、朝日が奇妙に歪んでいた。
山頂の光景は、現実にフィルターをかけたかのような違和感に満ちている。
世界の秩序そのものを歪ませる存在。そんなものは一つしか思い当たらない。
「うん。メアリー・エバンスが……目を覚ましたみたいね」
確信を込めた声で呟くルメス。
「それで、どうする? このまま無視してブラックペンタゴンに向かうって手もあるが」
依頼人の判断を仰ぐべくジョニーが問いかける。
「行こう。メアリーのところへ」
ルメスの返答に迷いはなかった。
その決断に、ジョニーも異論を挟まなかった。
メアリーへの対処を優先する。
彼らの方針は決まった。
だが――。
369
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:05:26 ID:Z7qmPaYM0
「……その前に、来客みたいだな」
ジョニーが呟くように言ったその瞬間。
岩陰の向こう。朝日を背負いながら、何者かがこちらに向かって疾駆してくる姿が見えた。
その足取りには焦燥と確信が混じっていた。
どうやら向こうも、こちらを認識しているようだ。
「…………知ってる顔だな」
ジョニーが銃頭を険しくする。
ルメスもまた、目を細めてその姿を見つめていた。
「ええ。私も知ってるくらいの大物ね」
イタリア最大のカモッラ、バレッジファミリーの金庫番にして欧州でも指折りの裏カジノ『クリステラ』のオーナー。
そして、血のヴェネチア事件で抗争をたった一人で終わらせた怪物として知られている。
ルメスとジョニーが構える中、近づいてきたその男――ディビット・マルティーニは、涼しい顔で口を開いた。
「便利屋に、怪盗か。いい組み合わせだな」
直接の面識はないがディビットもこの2人のことは把握していた。
特にルメスはキングが殺害対象として挙げた一人だ。
キング討伐の同盟相手候補の一人だが今はそれどころではない。
「よう。大将(オーナー)。まさかノコノコ顔を出してくれるとはな。どういう要件だ?」
ジョニーの声音には皮肉と牽制が滲む。
このタイミングで接触を試みる理由。恩赦狙いであれば、黙って襲えばいいだけの話だ。
なのに、わざわざ正面から声をかけてくるとは、何が狙いなのか。
警戒を強める二人。
だが、実の所ディビットも内心穏やかではない。
現在、ディビットはエネリットに超力を貸出しており超力の使えない状態である。
それを看過されれば交渉が不利になる。
それどころか相手に襲い掛かられては目も当てられない。
故に、求められる立ち回りは看過されぬような慎重さか、それともあえて正直に打ち明ける誠実さか。
「人手を探していてな。お前らが使えそうだったから、声をかけさせてもらった」
ディビットが選択したのは自分の看板を最大限に利用した強気の交渉だった。
単独で武闘派組織を怪物させた怪物としてディビットの名は知られている。
あれは数年に1度の『ジャックポット』の産物であり、今はそもそも超力自体が使えない。
戦闘になれば不利はこちらであろうとも、裏社会での交渉は虚勢こそが通貨だ。弱みは交渉の死である。
「使えそうと来たか。随分と横暴な話だな。こちらも急ぎなんだが」
急ぐようなその言葉にディビットが何かを察したように目を細める。
この状況の置ける火急の要件と言えば思い当たるのは一つだ。
「急ぎってのは……後ろのアレの事か?」
彼は親指で、振り返ることなく東の空を指した。
そこには――空間が歪み、陽光すらねじれて見える『異常』が浮かんでいる。
「ちょうどいい。俺の要件も、まさにそれだ」
ディビットは一歩前に出て続けた。
「――――メアリー・エバンスを仕留める。そのためにお前らには手を貸してもらう」
■
370
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:05:43 ID:Z7qmPaYM0
「♪わたしの ゆめのなかでは――」
メアリー・エバンスは、微笑んでいた。
地形は崩れ、重力は歪み、空はひっくり返っている。
岩肌は空へと舞い、木々は逆さに根を張り、風は火花をまき散らしながら鳴いていた。
だが彼女は、それらをただ純粋に美しいとすら思っていた。
アビスの特別独房から外の世界に解き放たれた彼女によって新鮮な風景だった。
「♪そらはとっても あおくて ふかくて……」
無重力の世界を泳ぎながら、彼女は世界を編み直していた。
否、彼女自身が世界だった。
彼女が息をすれば風が乱れ、まばたきをすれば空がねじれた。
彼女の中で夢と定義されたものが、外界をそうあるべき世界に塗り替えてゆく。
「♪お花も うたってくれるの。お星さまも わらってくれるの」
崖の縁からこぼれた砂利が、逆に昇っていく。
メアリーが首を傾げると、それに応じて空がふわりと笑うようだ。
重力の反転。時間の遅延。物質の再構成。空間の非ユークリッド化。
これが彼女にとっての現実である。
けれど。
「……さっきからね、“ざらざら”がするの」
メアリーは、胸のあたりをそっと抱きしめた。
世界の端で、何かが何度も衝突を繰り返すような感覚があった。
彼女にとっては羽虫が触れたようなもの。
痛みも脅威もないが、少し不快で、鬱陶しい。
「なんでじゃまするの? ……こんなにステキなところなのに」
彼女の唇が、小さく尖る。
純粋な不満と、少しの寂しさが入り混じるように。
メアリーは無重力の中くるりとまわり、裸足で大地に触れる。
だが、地面はもはや地面ではない。
柔らかい本のページのようにめくれ、花が咲き、笑い声が漏れ出す。
「わたしのこと、きらいなの?」
――誰にも届かぬ呟き。
それは祈りではない。
けれど、祈りのように切実だった。
「わたしは、ただ――すてきな夢を見たいだけなのに」
メアリーの視線の先には、誰もいない。
彼女はどこまでも無垢で、孤独で、それ故に無敵だった。
「もし、じゃまをするなら――」
少女はにっこりと笑った。
「――その人たちも、夢のなかに入れてあげなきゃね」
その一言とともに、空間が震えた。
歪みが拡張し、夢の領域がさらに浸食を広げる。
彼女の楽しいお茶会に、否応なく現実が巻き込まれていく。
けれどそこに――一片の悪意もなかった。
ただ、彼女は世界を可愛く、楽しく、優しくしたいだけ。
ただ、それが誰かを傷つけてしまうだけ。
それが、メアリー・エバンスという無邪気な脅威だった。
■
371
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:06:35 ID:Z7qmPaYM0
「あなたの信仰の手助けをさせてください。
私の超力であれば、あなたの力になれるはずです」
まるで天啓のように現れた少年エネリットの言葉には、誠意と敬意が滲んでいた。
しかし、ドミニカ・マリノフスキはその提案を断るように静かに首を横に振る。
「……そのご厚意、感謝いたします。けれど、お力添えは不要です」
端正な声音だった。
拒絶は明確だが、感情ではなく、祈りによって整えられた規律としての拒絶だった。
そんな拒絶の言葉を受けても、エネリットはそのまま視線を外さずに言葉を重ねた。
「なぜですか? 信仰とは、他者の助力すら拒むものなのでしょうか?」
「いいえ。汝、隣人を愛せよ。神は、人が互いに支え合うことを望まれておられる。
けれど。これは神が与えたもう試練なのです。試練は己が信仰心で乗り越えねば、意味がありません」
その言葉に、エネリットはわずかに息を呑む。
拒絶の響きの中に、殉教にも似た覚悟が垣間見えた。
「……これが、神の試練であると?」
「はい。相手は神の創りし世界の秩序を塗り替える破壊者。神の敵に他なりません。
それを討つことこそが、私に課された使命なのです」
ドミニカの声音には、凛とした強い信念があった。
それが彼女はそれが己に課せられた役割であると信じて疑っていないようである。
「無礼を承知で申し上げますが……先ほどから状況は芳しくないように見える。
このまま続けてもあなたは敗北するでしょう。それでも構わないのですか?」
エネリットは静かに、しかし確かな口調で言った。
ドミニカが助力を受け入れるよう誘導するように。
「構いません」
迷いなく断言する。
そのあまりの潔さに、流石のエネリットの表情がわずかに動いた。
「たとえ私が敗れたとしても、私以外にもあの冒涜者を誅さんと動いてくださっている方がいます。
だからこそ、私は何の憂いもなく使命に殉じられるのです」
「ですが、あなたが敗れるということは、あなたの信仰が破れるということ。
この世界が神の否定者を赦したということになりなるのではありませんか?
それは神が否定に繋がるということになるのでは?」
エネリットの問いに、敬虔な信徒は感情を露にするでもなく静かに首を振る。
「私が敗れるならば、それは私の信仰が未熟であったというだけのこと。
それが神を否定する証にはなりません。神は私などより遥かに高き存在。
私が倒れようとも、神は常に在すのです」
「それでは、命は惜しくはないと?」
「命など惜しくありません。神が望まれるのであればこの命、喜んで捧げましょう」
一切の迷いのない声音。
そこに宿るのは、諦観でも絶望でもない。
清らかな殉教者としての覚悟だった。
「ええ。むしろ、それこそが証となりましょう。
この身が滅びても、私の祈りは消えません。
神の御心に届くように、私は生き、そして死ぬのです」
その言葉はあまりにも澄んでいた。
聴く者に痛みすら与えるほどに、透徹していた。
「なぜそこまで、と言う顔ですね。命を投げ出すほどの信仰を理解できませんか?」
エネリットの表情を読み取り、ドミニカは教えを説く修道女の微笑を浮かべる。
「……正直に申し上げればそうです。信仰とは死後の恐怖を和らげるためにあると理解しています。
それに殉じて死に向かうと言うのは、矛盾のように感じられてしまう」
「信仰は恐怖管理理論の一つであると言う考えですね。それもまた一つの信仰に対する考え方でしょう。
このような状態でなれば共に信仰につて語らい、あなたの信ずるものを聞かせていただきたい所なのですが、残念です」
小さく息を吐き、ドミニカは空を仰ぐ。
「――十五歳の時、神の啓示を受けました。
神は、こう仰ったのです」
『君の力は、世に蔓延る悪や神の敵を殲滅するためにある』
「その瞬間、私は理解しました。
この破壊の力には意味がある。
神が私に与えてくださった使命があるのだと」
彼女は空を見上げる。
この世界を見渡し、そしてなお、見据えていた。
「この世界には、神を騙る者がいます。信仰を捻じ曲げ、神の名を騙る邪悪がいます。
私は、そのような偽りを赦せない。それらに私は鉄槌を下す。
それこそが、私の信仰の形。私に託された、『審判』という祈りです」
エネリットは何も言わなかった。
この少女の中にあるのは、狂気でも献身でもない。
ただ、純然たる信仰だった。
372
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:07:11 ID:Z7qmPaYM0
「……その在り方に、恐れはないのですか?」
「あります」
即答だった。
そして、意外な答えだった。
「私は、ずっと恐ろしかったのです。
神が私に与えたもうた力(ネオス)が、ただの破壊でしかなかったことに。
いくら祈っても、神が黙して応えてくださらないことに」
「では、なぜ……それでも信じられるのですか?」
「答えは、得られていません。ですが、祈りとはそういう物。
答えを得るためではなく、答えを信ずるために行うものなのです」
祈りの本質。
祈りとは、自らの信仰の為に捧げられるもの。
「そして、信仰とは恐れを忘れるためのものではない。
信仰とは恐れを抱えても踏み出せる『一歩』を与えるもの」
信仰とは、先の見えぬ暗闇の中で踏み出す勇気を与えるもの。
「それに……あの言葉だけは、胸の奥にずっと残っているのです。神が私に語られた、あの声を。
あの言葉が私を救ったのは紛れもない事実。
だから私は――それを信じたいのです。私を救ってくださったあの言葉を」
ドミニカは、自らの両手を静かに見下ろす。
血に濡れ、震えるその掌に、まだ届いていない何かを探すように。
そして、その掌を合わせる。
神にささげる祈りのために。
「この戦いは、私自身の祈り。
この身を削り、血を流し、命を賭けて。
ようやく――神に届く気がするのです」
しばしの静寂が流れる。
合理主義のエネリットには理解できない、合理を超えたものがこの修道女の中には確かにあった。
魔女の鉄槌。異端の虐殺者。
過ちのような道を重ねてきた聖女。
だが、それでもエネリットは、その祈りを否定することはできなかった。
返す言葉を失ったエネリットを見てドミニカがにこやかに笑い、問いかけた。
「エネリット様……それでは、お聞かせください。あなたは、私にどのような役割をお求めなのでしょうか?」
エネリットの表情が、初めて明確な動揺を見せた。
これは、ただの問いかけではない。
その瞳は、これまで続けてきたドミニカの信仰を助けたいというエネリットの建前を見透かしていた。
侮っていたわけではないが、真意を見透かされた事は驚きに値した。
それに応じるように、エネリットは初めて仮面を脱ぎ捨てたような声で、語る。
「あなたには、あの領域を打ち倒してほしい。それは偽らざる僕の本心です。
ですが、これはあなたの祈りのためではなく、僕自身の目的ために必要なことだ。
だから――――そのためにあなたの力を利用したい」
耳障りのいいお為ごかしを止めて、言葉を飾らず、ただまっすぐに目的を打ち明ける。
「それが、あなたの祈りなのですね」
「はい。僕一人では届けられぬこの願いをどうかあなたに叶えて欲しい」
ドミニカは、目を閉じて静かに頷いた。
信仰とは、己だけのものではない。
願い、想い、祈り――それらすべてが、神に届くべきものなのだと、彼女は信じていた。
それを届けられるのが己だけだというのなら、彼女にその願いを拒む理由はない。
「受けたまわりました。あなたの祈りを、私が神に届けてまいりましょう」
「はい。僕の祈りを、あなたに託します。シスター」
その言葉を合図に、エネリットは静かに膝をついた。
静かに、誓いを立てるように掌を差し出す。
ドミニカは差し伸べられたその掌にそっとふれる。
ドミニカは、血と泥に染まった姿でありながら、聖女のごとき荘厳さを纏っていた。
朝の光を背負った二人の姿は、一枚の宗教画のようだった。
「シスター・ドミニカ。あなたの信仰心は本物だ。その信仰に、敬意を」
「では、祈ってください。あなたも。この祈りが――――神に届くように」
重なり合った掌から、やわらかな光が流れ込む。
それは祝福のようであり、契約のようでもあった。
――神への誓いと、信頼の取引が、この一瞬に交わされたのだった。
■
373
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:07:40 ID:Z7qmPaYM0
「――――メアリー・エバンスを仕留める。そのためにお前らには手を貸してもらう」
ディビットの言葉が落ちた瞬間、場に重苦しい沈黙が広がった。
その中で、ジョニーの鉄製の指がコツ、コツと乾いた音を立てて鉄の頭を叩く。
「――で? 具体的には、どうする気だ?」
ジョニーが低い声で問うた。
陽光の中、鉄錆にきらめくその異形の頭部が、わずかに軋む音を立てて揺れる。
「こちらの用意した領域型超力者同士をぶつけて一時的に奴の超力を無効化する。
それが復帰する前に奴を仕留める。その為の遠距離攻撃の手段が必要だ」
ディビットが簡潔にメアリー討伐の作戦を語る。
「つまり、オレらにその手段を求めてるって事か?」
ジョニーからの確認するような問いに、ディビットが頷きを返す。
考え込むように便利屋がふぅんと唸る。
「距離は?」
「500と少しだ」
「500か……ま、出来なくはねぇな」
その返答と共に、ジョニーが左腕を上げる。
軋みを伴って腕の構造が変化していく。
腕全体が砲身のように太く、重々しく再構築されていく。
「オレの超力なら、体内に組み込んだ金属を再構成して砲台を造ることはできる。
500メートル程度の距離なら弾丸を届かせられるだろうぜ。この銃頭は伊達じゃねぇさ」
平坦な声で語るジョニー。
誇示でも自慢でもない。ただ、できるという事実だけを淡々と述べていた。
「なら話は早い。すぐに準備を――」
ディビットが言いかけたその時、ジョニーが鉄の首をゆっくり振った。
「――気が早ぇな、大将。オレは『できる』とは言ったが、『やる』とは言ってねぇ」
「……なんだと?」
「オレは今、雇われの身でね。やるかやらないかはオレじゃなく依頼人に聞いてくれ」
そう言って、ジョニーは視線を自らの雇い主であるルメスへと送る。
しばし沈黙ののち、ルメス=ヘインヴェラートは静かに口を開いた。
「――――――私は反対」
凛とした声。ためらいのない拒絶だった。
射抜くようなディビットの視線が、真っ直ぐにルメスに向けられる。
「一応。理由を聞いておこう」
「彼女を殺すなんて、そんな解決方法は間違ってると思うから」
ルメスは真っ直ぐに言い切る。
「メアリー・エバンスは、ただ制御できない力を持って生まれた、それだけの子よ。
そんな相手を殺して解決するなんて間違っている」
「その『それだけ』で、何人死ぬだろうな」
ディビットの言葉は冷酷だった。
その眼差しには、現実主義者の鋭さと、殺意に似た光が宿っている。
「そもそも、拒否権があると思うか?」
武力行使に出て無理やり従わせることもできるのだと、見せつけるようにディビットが腕を鳴らす。
もちろんハッタリだが、彼の看板はそのハッタリに実態を与える。
カモッラを単独でつぶしたという圧は十分に機能していた。
そこに含まれる鋭い殺意に言葉を失いかけたルメスの前に、ジョニーが一歩出る。
だが、守るように立った彼の視線もまた、厳しかった。
374
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:08:14 ID:Z7qmPaYM0
「構わねぇぜ。好きに決めな。オレは便利屋で、今の依頼人はお前だ。
お前が『戦う』と言うなら従う。『殺す』と言うなら従おう。
だが、考えなしの無謀には従えないぜ。答えを聞かせてくれ」
ここでディビットと戦うのか、それともメアリーを殺すのか。
便利屋は依頼主に方針を示せと言っていた。
ルメスの表情が、一瞬だけわずかに揺れる。
それでも、彼女ははっきりと答えた。
「――私は、彼女を救いたい」
迷いのない声だった。
義賊として生きる者の、信念が宿った一言だった。
「くだらんな」
理想主義者の夢語りだと、ディビットが一蹴する。
「現実を見ろ。あれは生きているだけで他者を殺す存在だ。
その領域は拡大し続けている。このまま放置すれば誰にも止められなくなるだろうよ。
今は岩山一帯を包むだけかもしれんが、時間が経てばこの島全体を喰い尽くすだろう。
そうなれば刑務作業どころの話ではない。アレはもはや排除するしかない災厄だ――違うか?」
その言葉にルメスは目を伏せ、一拍置いてから言う。
「それは……否定しないわ」
今のメアリーはそこに居るだけで人を殺す、一つの災厄だ。
それは否定しようのない事実である。
ルメスもそれは認めるしかない。
「なら、どうする? 奴が被害を拡大させるのを指をくわえてみているつもりか?」
「そんな事はしない」
それは彼女にとって一番嫌いな見て見ぬふりをするだけの無責任な責任放棄だ。
目の前の不幸や理不尽を許せないから彼女は怪盗をしているのだから。
「なら、つまらん夢物語は捨てて現実を見るんだな。
それとも別の解決策を提示できるとでもいうのか?」
厳しい口調でディビットが追及を続ける。
押しつぶされるような重々し沈黙の後、ルメスが口を開いた。
「解決策なら――――――ある」
予想外の返答にディビットが眉を吊り上げ目を見開く。
ジョニーも、まともな顔があったなら同じ表情をしていただろう。
あの岩山でメアリーの超力に巻き込まれかけた時から、ルメスはずっと考えてきた。
「彼女の脅威は、常時発動型の領域型超力によるもの。つまり、最大の問題は自分の意思で止められないこと。
なら、彼女が制御を覚えて自分の超力を切ることが出来るようになればいい。そうでしょう?」
それは放置でも殺害でもない、第三の選択肢。
それを出来ないと決めつけて、誰も彼女に教えてあげなかっただけだ。
彼女が自分の意思で超力をオフにできるようになれば、この脅威は解決できる。
「確かに、理屈が通ったいい案だな。不可能であるという点に目をつぶれば。
どうやって超力制御の方法を叩きこむって言うんだ?」
不可能を唱える者を嘲笑うような声。
不可能に挑む者は怯むことなく答える。
「私が彼女に直接やり方を伝える」
「…………何だと?」
場に、重い沈黙が落ちた。
ジョニーが腕を組み、ディビットが眉間に深い皺を刻む。
「俺の話を聞いていたか? あの少女には近づけない」
「安全に近づく方法(ルート)があればいいんでしょう?」
そう、ルメスは言った。
その目には、もはや迷いはなかった。
ルメスが静かに、傍らのジョニーに向き直る。
375
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:08:38 ID:Z7qmPaYM0
「ねえ、ジョニー。あなたの超力で投石機(カタパルト)は造れる?」
「……できなくはねぇが……おいおい、まさか」
「ええ。その投石する『弾丸』に、私が潜り込む。あなたの超力で――――私を彼女の元まで送り届けて」
あまりの無茶な作戦に、ジョニーの首が軋む音を立てた。
「メアリーの元に辿り着いて、そこで力の制御方法を直接伝える。
無茶かもしれないけれど、彼女を殺さず事態を終わらせるにはそれしかないわ」
ルメスの語る策を聞き、ディビットがこれ以上ないほど眉間の皺を深くして唸る。
「……正気か?」
成功率は限りなく低い上に、失敗すればまず助からない。
それはもはや博打ですらない。
とても正気とは思えない作戦だった。
「正気かどうかはしらないけど、本気よ。
私は、彼女を救いたい。無力な力で傷つけてしまう者が、排除されるしかない世界だなんて……そんなの、あまりに哀しすぎる」
その解答には揺るがぬ覚悟があった。
それこそが彼女の譲れぬ矜持。
「そもそも、常時展開型にスイッチを伝授するなんてできると思うのか?」
「すぐにできるとは思わないわ、それでもやり方を伝えればいつかできるようになるかもしれない。超力ってそういうものでしょう?」
「悠長な話だな」
「それでも、これしかない」
これしかないというよりは、これでなければ従わないという断言だ。
応じないのでれば戦闘も辞さない覚悟のようだ。
沈黙が落ちた。
しばらく視線を落としていたジョニーが、ぽつりと呟く。
「……お前、バカだな」
ぽつりと呟いて、ジョニーは背を向けた。
だが――
「……嫌いじゃねぇよ、そういうバカは。
いいぜ。やってやろうじゃねぇか。お前のその無茶、この便利屋ジョニーが叶えてやるよ。怪盗(チェシャキャット)」
「ありがとう、便利屋(ランナー)さん」
ルメスがわずかに微笑んだ。
「あんたもそれで構わないよな? 大将」
ジョニーの問いに、ディビットはしばらく無言だった。
深い皺を眉間に刻み、唇を結ぶ。
この作戦はあまりにも非合理だ。
成功率は著しく低く、リスクも高い。
単純に殺害を狙った方が安全かつ確実だ。
成功した所で相手を殺せるわけではないというのもポイント狙いのディビットとしては痛い。
しかし、ここでこの案を否定すれば交渉は決裂。
本作戦において彼らの協力は得られないだろう。
超力がない今のディビットには暴力と言う交渉手段(カード)も切れない。
今のディビットは強気のレイズはしても、ショーダウンは出来ないポーカープレイヤーだ。
エネリット側の作戦が上手くいけば、それが作戦開始の合図となる。
そのタイミングを示し合わせられるわけではない。
その時を向かえて、最悪は何もできない事だ。
時間はあまりない。
それまでに次の手段を用意できるとは思えない。
蹴った所で次善策がある訳ではない。
「……いいだろう。乗ってやる」
そう答えた。
作戦開始時の瞬間は迫っている。
最善でなくとも、ここで彼らの手段に乗るしかなかなかった。
■
376
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:09:23 ID:Z7qmPaYM0
朝日の中、両手を合わせて清廉なる祈りを捧げる修道女の姿があった。
ドミニカ・マリノフスキ。
神罰を執行する者、魔女の鉄槌。
彼女の掌には、エネリット・サンス・ハルトナから受け取った『祈り』が宿っていた。
それは、ディビット・マルティーニが貸し与えた超力『4倍賭け』の力の一端。
奇跡を起こすために、投じられた賭けだった。
ディビットからエネリットに譲渡された超力の再現度は40%。
1の力に3の加算を行い4倍とする能力。理論上、40%で再現できるのは約2.2倍程度。
さらにそこから、ドミニカの信頼度による伝達補正が差し引かれる。
最終的に運用される倍率は微々たるものになるだろう。
少なくとも作戦の立案者であるエネリットはそう予測していた。
「行ってまいります」
迷い無き静かな言葉と共に、大地が裂けるような轟音が走る。
ドミニカ・マリノフスキの身体が、重力場に抱かれて宙へふわりと舞い上がった。
重力の楕円が彼女を抱え、天を撃つ祈りの矢のように加速していく。
彼女はもはや、ただの重力場を操る修道女ではなかった。
信仰を背負った祈りの導弾(グレイスブレット)。
神罰の鉄槌――マレウス・マレフィカールム。
信仰に命を賭した祈りが、世界を貫く弾丸となった。
球状の重力場が黒い尾を引きながら、メアリー・エバンスの世界へ突撃する。
衝突。
いや、それは衝突という言葉では足りない。
重力と無重力。祈りと夢。神の秩序と少女の幻想。
世界と世界が、真正面から激突したような衝撃があった。
それは幾度目となる突撃か。
巡礼のように繰り返される挑戦。
怠けず、驕らず、休まず、諦めず。
日々のように祈りを重ねる。
遥か高く、異なる空を見上げながら。
血に濡れた唇で、静かに祈りを捧げる。
「――我らの父よ、御名を崇めさせたまえ。
御国を来たらせたまえ、御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」
壮絶な地獄ような世界の中で。
目を閉じ、嫋やかに微笑む。
「神の名のもとに――この悪夢を、退けん」
その瞬間、ドミニカの全身に激痛が走った。
眼球の毛細血管が破裂し、血涙と共に視界が血に染まる。
喰いしばった奥歯が砕け、口内に鉄の味が広がった。
命を削るような壮絶な祈り。
それでも彼女は、なおも祈り続ける
ドミニカは、信じていた。
信仰とは、何かを信じ切ること。
誰よりも強く、誰よりも真っ直ぐに。
その行為において、彼女の右に出る者はいない。
だからこそ、ドミニカはエネリットの手を、100%の信頼で握った。
疑いも逡巡もなく、ただひたすらに純粋な心で他者の『祈り』を受け入れた。
その信じる心こそが、奇跡を呼び込む。
その信頼が超力を伝え。
ドミニカの祈りと信仰により補われた超力強度が、エネリットに託された祈りによって倍化する。
それは、新世界の寵児メアリー・エバンスに届きうる、一つの奇跡であった。
377
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:09:37 ID:Z7qmPaYM0
メアリー・エバンスの領域が軋む。
無垢で、無邪気で、無自覚ゆえに恐るべき支配空間が、初めて外部からの抗いに遭った。
それは、彼女の世界にとっての異物。
全てを拒絶する世界の支配者に、かつて一度も経験したことのない、拒絶される恐怖を齎したのだ。
ドミニカの重力場が空間の中心から放射状に波紋を生み出す。
空気がねじれ、花々が裏返り、空の境界が裂ける。
無垢に歪んだ一つの世界が、人間の祈りに押し返されていた。
「神よ……御心のままに、この祈りを以て――正しき秩序を!」
ドミニカが両手を天へと突き上げる。
血に塗れ、焼け、ひび割れたその掌から、祈りが放たれた。
質量を持たぬ、祈りの凝縮。信仰の結晶。
その意志が、メアリーの世界に届いた瞬間――――空が、砕けた。
世界が爆ぜる。
半径500メートルを超える長大な領域が、中心から花弁のように裂けて弾け飛ぶ。
衝撃が世界を打つ。
空間が断裂し、空気が爆ぜ、音が反転する。
現実と夢の接点が、強引に終わりを迎える。
そして、同時に。
ドミニカの重力場もまた悲鳴を上げるように崩壊を始めていた。
相殺と共倒れの末に祈りと夢の拮抗は終わりを迎える。
「……ああ……」
彼女の声は、まるで子どもの寝息のように穏やかだった。
重力場による支えを失った身体が、当たり前の重力に引かれて落ちていく。
そして、そのまま山の斜面へと向かって落下する。
だが、その表情には悔いはなかった。
むしろ、微かな救いを得たような笑みがあった。
血に染まった唇が、静かに囁く。
「……これでようやく……神に届いた、気がします……」
落ちていく身体。
だがその魂は、どこまでも澄みわたっていた。
誰にも看取られず、誰にも惜しまれず。
ただ、自らが信じる神のために。
ドミニカ・マリノフスキは殉教者として、この地に祈りを捧げ、命を果たした。
空は高く、風は静かだった。
やがて誰かが、この一撃を目撃するだろう。
少女の世界が、一時だけ沈黙した事実を。
そしてそれは、次なる一手の起点となる。
――この瞬間、この神無き地に、確かに神の御業が下された。
【ドミニカ・マリノフスキ 死亡】
■
378
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:10:08 ID:Z7qmPaYM0
ジョニー・ハイドアウトの肉体が、軋む音と共に変形していく。
その鋼鉄の体は、まるで大砲のように上体全体を張り出し、下半身は屈強な台座のごとく地面に根を張る。
膝下の装甲が開き、内部のパーツが複雑に展開。足場を固定するように四本の支柱が地面へと突き刺さる。
上半身は回転しながら重厚なフレームを再構成し、肩から伸びた鉄骨が、巨大な腕状のアームと連動して弓のような弧を描き出した。
それはもはや『人間』の形をしていなかった。
投石機(カタパルト)。
兵器として設計されたかのような、その異形の『道具』がそこに完成していた。
「久々のフル改造だ、腰をいわさねぇようにしねぇとな」
ジョニーが唸るように言いながら、変形を完了させる。
その間、ディビット・マルティーニは射出用の弾丸となる石を探していた。
投擲重量の関係上、サイズは出来る限り抑えたいが、ルメスが潜れる大きさである事が最低条件だ。
数分の探索の末、見つけたのは岩陰に転がる一つの礫岩。
恐らく、岩山が戦闘の余波で崩れたの一部だろう。
直径はおよそ30cm、表面は粗く不規則だが均質な無機物でできている。
「どうだ、いけるか?」
ディビットの問いに、ルメス=ヘインヴェラートはコクンと頷く。
「この大きさなら体を折りたためばギリギリだけどいける」
そう言って彼女は、ゆっくりと指先をその岩へと伸ばした。
次の瞬間、彼女の指先がトプンと石へと吸い込まれるように沈む。
それはまるで水面に指を差し入れるような滑らかさ。
無機物の表面が波打つように揺らぎ、彼女の手、腕、肩、胴体と、順を追って呑み込まれていく。
まるで雑技団のショーでも見ているような光景だった。
完全にルメスが石に潜り込むと最後に呼吸用に口だけを出す。
内部には確かに人ひとり分の意識と覚悟が宿っているとは思えないほどに、その岩はただの石と見分けがつかなかった。
ディビットがその石を拾い、ジョニーの射出アームへと慎重に乗せる。
そのままジョニーは、弦のような鉄線を引き締め、照準を調整する。
ディビットはやや後方で待機し、山頂を眺めエネリットからの合図を待つ。
ふと、射出直前の静寂の中で。
ジョニーは鉄の弓を引き絞りながら、ぼそりと口を開いた。
「……ルメス」
「なに?」
珍しく名前を呼ばれた。
石の奥から、かすかに声が返る。
「いざって時は――引けよ。誰かを助けようとして自分が死んじまうなんて、冗談にもならねぇ」
その声色には、鉄ではなく人そしての温度があった。
しばし沈黙があったが、やがて石の中からルメスの声が返る。
「心配ありがとう。でも、大丈夫よ。怪盗ヘルメスを舐めないでよね。引き際は心得てるわ。
失敗したとしてもその時は後悔しながら逃げ出すだけよ」
「――あぁ、信じてるさ」
だからこそ心配なのだが、それは口にしなかった。
「まだ報酬をいただいちゃいねぇからな、ちゃんとおっぱい揉ませてもらうからな!」
「まだ言う?」
岩と投石器が互いに冗談めかして笑う。
それを最後に、ルメスも口を引っ込め、鉄の兵器は僅かに弓を引いた。
379
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:10:30 ID:Z7qmPaYM0
その瞬間だった。
「――――来たぞッ!! 合図だ!!」
ディビットが叫んだ。
遠方の岩場には、脱ぎ捨てた囚人服を長い髪の毛で振るうエネリットの姿があった。
「撃て――――――!」
ディビットの叫びと共に――
ジョニーの腕が、空を裂くように振り抜かれた。
「ッ――――――――――――行けぇえええええッ!!」
重圧の唸りと共に、石が放たれた。
風を切り、空を翔け、流星の如く蒼穹を斬る。
石に宿るは怪盗ヘルメス。
ギリシャ神話の神に名を借りるならば、それは伝令の神であり、救済の使者であり、交渉の神。
言葉を、想いを届けるために、ルメス=ヘインヴェラートは風の翼を得て矢として空を翔ける。
その軌道はぶれることなく美しい弧を描いた。
そして岩山を砕きながら、弾丸はめり込むように『着地』した。
弾丸の中に溶け込むように身を潜めていたルメスはゆっくりと岩の中から飛び出す。
「……っはあ……!」
呼吸を整えながら辺りを見渡す。
空気が肺に流れ込み、身体の感覚が現実へと引き戻される。
そこは、岩山の一角だった。
射出された石は、メアリー・エバンスのに直撃せぬよう僅かに逸れた位置に正確に着弾していた。
完璧な仕事だ。
便利屋の技前に感嘆を漏らす。
ねじれた空もなければ、異常な重力もない。
この瞬間、超力によって歪められた夢の世界――メアリーの領域は、完全に破綻していた。
そして、破壊された世界の中心に、彼女はいた。
胎児のような姿勢で地に伏せる夢を砕かれた少女。
前段階は成功した。
ルメスの賭けはここがらが勝負である。
■
380
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:10:45 ID:Z7qmPaYM0
「……さて、こっちは仕事終いってわけだ」
ジョニーは軋む体をゆっくりと元に戻していく。
金属が鳴り、骨のように変形し、兵器は再び銃頭の便利屋へと姿を戻す。
やがて静かに立ち上がり、無言で岩の道を歩き出した。
「どこへ行く?」
重々しい音を立てて一歩を踏み出したその背に、ディビットが問う。
「決まってんだろ」
振り返ることなく、ジョニーは言う。
「落とした弾の行方を、見届けにいくんだよ」
その声は、ひどく静かで、ひどく優しかった。
「……失敗すれば、メアリーが再起動する。あの範囲に巻き来れればお前も死ぬぞ」
ディビットの忠告に、ジョニーは歩みを止めることなく応じた。
「……便利屋ってのはな。請けた仕事は、最後まで見届けるのが筋なんだよ」
鉄の背が、朝焼けの中へと遠ざかっていく。
ハードボイルドな背中に、ひときわ冷たい風が吹き抜けた。
この瞬間、希望と死は同じ弾丸に乗って空を翔けていた。
それが、奇跡となるか。終焉となるか。
それこそ神のみぞ、知るだけだろう。
【F-5/岩山麓の草原/一日目・朝】
【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:健康
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.怪盗(チェシャキャット)の結果を確認する
2.脱獄王とはまた面倒なことに……
3.メカーニカを探す。見つけたらローマンとの取引内容も話す。
4.夜上神一郎への強い不信感と敵意。
※ネイ・ローマンと情報交換しました。
【ディビット・マルティーニ】
[状態]:健康、超力使用不可
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを稼ぐ
0.エネリットとの合流
1.恩赦Pを獲得してタバコを買いたい
2.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
3.ルーサー・キングを殺す、その為の準備を進める
※『エネリット・サンス・ハルトナ』に超力を【献上】しているため、『4倍賭け』は使用不可能です。
■
381
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:11:21 ID:Z7qmPaYM0
少女は岩の窪みにうずくまり、砂金のように美しい金髪を振り乱しながら、喘ぐように痙攣していた。
まるで、陸に打ち上げられた魚のように。
焦点の合わぬ瞳が、虚空を彷徨う。
かつて世界を歪ませていた異常な力は消え、彼女の身体は現実の重みによって地面に沈んでいた。
彼女にとってはこの現実こそが歪みの世界である。
その傍に、ひとりの少女が静かに歩み寄る。
怪盗ヘルメス。足音すら最小限に抑えながら、岩場の冷気に身を沈めるように膝をついた。
「……やあ、メアリー。こんにちは」
声は優しく、けれど芯のある響きだった。
返事はない。だが、それでいい。
これは応答を求めるための言葉ではない。伝えるための言葉なのだから。
「驚かせてしまったよね。突然飛び込んできて、ごめんね」
ルメスは微笑を浮かべた。メアリーの表情は読めない。
それでも彼女は続ける。
「でも……どうしても、あなたに会いたかった。
どうしても、あなたと話がしたかったの」
少女の目はどこかを見ているようで、どこも見ていなかった。
その視線の奥に、ぼやけた泡のような光がわずかに揺れていた。
「私は、ルメス=ヘインヴェラート。通り名は“怪盗ヘルメス”。
悪人からお宝を盗んで、弱い人たちに返す義賊、そんな風に呼ばれてる。
この世界の行く末についてちょっと秘密を知っちゃってこのアビスに放り込まれたんだけど、それはどうでもいいよね」
ふと、ルメスは視線を落とした。
言葉を選ぶように、ゆっくりと語る。
「私は悪党の金、権力、嘘いろんなモノを盗んできたわ。
でもね、本当に盗みたかったのは――この世界の“絶望”だった」
メアリーの意識が、どこかで微かに反応した。
まるで水中に投げ込まれた声が、波紋となって揺れるように。
「……私もね、たくさんの絶望を見てきた。自分のドジだったり、誰かに嵌められたりまあ色々。
具体的には……子供に話すようなことじゃないね。ボロボロになって、声も出せなくて、助けも来ないと思った。
それでもね……今もこうしていられるのは、たくさんの人が手を伸ばしてくれたから。
その手が、私をこの場所まで連れてきてくれた」
風が吹いた。
岩肌を照らす朝日が、ルメスの背を淡く染める。
「だから今度は――私がその手を伸ばす番」
彼女の手が、そっとメアリーへと伸びる。
けれど、触れない。ただ、そっと存在を示すように。
絶望の中にいる者に、伸ばした手には必ず意味があると信じて。
「君の世界は、たぶん優しいものなんだと思う。
夢と幻想に包まれていて、あなを傷つけるものなどいない、幸せな国。
でもね。君自身が、その夢に飲まれてはいけない。そこに甘えてるだけじゃダメなんだよ」
ルメスは続ける。
「現実は冷たくて厳しいけれど、そこに向き合う事から逃げていたら何にもなれない。立派な大人にはなれないんだよ。
超力に振り回されるんじゃなくて、自分で制御する意識を持つんだ、そうすればきっと君は超力なんかに振り回されずに現実を生きていけるはずだから」
こんな世界でも、救いはあるのだと。
こんな地獄でも、光はあるのだと。
絶望の中でも、必ず希望はあるのだと。
願いを、希望を、祈るように口にする。
「超力っていうのは、きっと人の『意志』の形だから。
だから、君が『やめたい』『止まりたい』って、心から願えば……その力はきっと、君の声を聞いてくれるはずだよ」
メアリーの肩が、かすかに震えた。
微細な、けれど確かな揺れだった。
水の底にいた意識が、ほんのわずか、浮上しようとする気配。
それを見て、ルメスは微笑む。
きっと彼女には見えていない。聞こえていないかもしれない。
それでも、きっと届いていると信じて。
「君が望むなら、私は何度でも来る。
君が誰かを傷つけるだけの『災厄』なんかじゃなくて、人として生きられるように。
……私は、君の味方でいさせて。忘れないで。君には、味方がいるってことを」
それは宣誓だった。
夢の深奥に沈む誰かに、希望を伝えるための祈りだった。
味方がいるという希望がきっと、明日へと繋がる活力になるから。
382
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:12:50 ID:Z7qmPaYM0
沈黙が、再び岩場に満ちる。
けれどそれは、何かが始まるための静寂だった。
ルメスはゆっくりと立ち上がる。
「……さてと。そろそろ、引き際かな」
ショック状態のメアリーが持ち直し始めた気配を感じて怪盗は踵を返す。
再構築された夢の世界が再び現実を侵食する前に、ここから抜け出さねばならない。
言葉を、想いを、希望を。伝えるべきは伝えた。
あとは彼女しだいだ。
ルメス=ヘインヴェラートは、覚悟を決める。
今から逃げたところで、夢の世界に捕まらず逃げる事は出来ないだろう。
だが、この世界に直接攻撃はない。
あくまで殺しに来るような現象が訪れるだけだ。
それを躱しながら、世界の外まで泳ぎ切れるかの勝負だ。
だが、問題はない。
逃げることにかけて怪盗の右に出るものなどそうはいないのだから。
そう自分に言い聞かせながら潜岩に備えて大きく息を吸う。
同時に、メアリーから『不思議で無垢な少女の世界』が領域展開され始めた。
それをスタートの合図として、岩山の中に沈もうとして。
「ぶはっ、ぁ………………え?」
唐突に、血を吐いた。
何が起きたのか。
唇の端から、鮮血が溢れる。
見れば、ダイヤのような形をした穂先が自らの胸から飛び出していた。
振り返る。
そこには――奇妙なトランプの兵隊が立っていた。
赤と黒。スペードにハート、クラブ、ダイヤ。
A、J、Q、K――絵札の名を冠した兵たちが、無言のまま立ち塞がる。
「っ……!」
抵抗の暇も与えず、複数の槍が突き出される。
ザク。
ザクザク。
ザクザクザクザク。
鋭利な音と共に、何本もの槍がルメスの身体を貫いていく。
痛みは、感じない。
ただ、体が沈む。
血飛沫が、夢の空間に赤い花を咲かせた。
少女の想いは、確かに届いた。
伸ばした手には意味はある。
それが、必ずしも、いい意味とは限らないが。
彼女の世界は、静かに沈黙した。
【ルメス=ヘインヴェラート 死亡】
■
383
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:13:39 ID:Z7qmPaYM0
こわい。
こわい、こわい、こわい……!
ここは――どこ?
なにが、おこってるの……?
空が……地面が……。
世界が、ぐにゃぐにゃにゆがんでる。
「……っ、ぅ……ぁ……」
声が、でない。
息が、できない。
風が鋭い。
空気が重い。
太陽がかたい。
重力が、わたしをつぶす。
こわい。
どうして……どうして、こんなことに……?
ここは、いつものおへやじゃない。
ふわふわとうかぶそらのおふとんでも、ゆめのなかでもない。
ここは、わたしのせかいじゃない――!
(こわい、こわい、こわい、たすけて……)
誰かが、少女の世界を壊した。
ただ無邪気に遊んでいただけの少女の夢を。
たった一つの少女の居場所を壊した。
初めての痛み。
初めての侵略。
初めての、外から与えられた害意。
それが、少女に衝撃と混乱を与える。
少女の心は恐怖に染め上げられていた。
「……やぁ……メァ……は……」
そんな時、誰が話しかけてくるような声がした。
水の中のようにくぐもった、ぼんやりした声。
「突然……込ん……ごめんね。
でも……どうして……あなたに……かった」
だれ……?
なにを、いってるの……?
「私は悪党……嘘……を……きたわ。
……本当に……のは……この世界……絶望」
まって、なにそれ……なにをいってるの?
どうして、そんなことを……?
よくわからない言葉。
聞き取れない言葉が過ぎ去っていく。
曖昧だが、確かに何かを伝えようとしている。
「……望むなら……何度でも……。
君……を傷つける……『災厄』……として生きられるように」
遠くで水面が揺れる。
こころのなかが、ぽちゃんと波立つ。
わたしの中に、ひとつの音が届いた。
「忘れ……で。……ミには、味方がいる…………を」
『味方』その言葉だけが、はっきりと届いた。
384
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:14:12 ID:Z7qmPaYM0
「……っ!」
思い出した。
自分を助けてくれる友人。その約束を。
『わたしの名前を呼んで。絶対に助けに行くから!』
いつも夢のなかで、一緒にあそんでくれた、たいせつなともだち。
「ありす……! ありす、たすけて……!」
夢うつつの様な曖昧な意識の中で叫びを上げる。
その瞬間、その呼び声に応えるように――――夢の扉が開かれた。
「メアリー! 待たせちゃったね!」
メアリーの意識の中に白いリボンが空にひらりと舞った。
裂け目の向こうから、銀髪の少女が駆けてくる。
真っ白なドレス、真紅の瞳。夢の中でいつも笑ってくれた――わたしのありす。
「こわかったね、大丈夫。誰かにいじめられたの? ――なら、わたしがやっつけてあげる!」
ありすが指を鳴らす。
空間がトランプのカードで満たされる。
「トランプ兵たち、出番よ! 女王陛下をお守りなさい!」
ハート、スペード、ダイヤ、クラブ。
赤と黒の兵士たちがずらりと列を成し、背後に控える。
わたしは、ありすの背中に隠れた。
なんてたのもしいおともだち。
わたしのこころはうれしさでいっぱいになった。
――でも。
その、ありすの顔が、ふるえた。
「……あれ……? なんだか、変……メアリー、あなたの世界……こんなだったっけ……?」
こくんと、うなずく。
でも、ありすの目から、ぽろりと涙が落ちた。
「だめ……これは、少女の夢じゃない……こんなの、ちがう!」
悲鳴のように叫ぶありすの声が震える。
「これ、だれかの……だれかの“よごれ”が混ざってる……!」
言葉と共に、彼女の手に黒い斑点が染みが浮かぶ。
その斑点は、ありすの足元へと広がり、トランプ兵たちの身体にもじわじわとにじみ始める。
それは、どこかで見たような……まっくらで、にがいもの。
385
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:14:44 ID:Z7qmPaYM0
「やだ……やだやだやだ……こんなの、知らない……!」
ありすが、首を振る。
叫ぶように、ふるえるように。
こわれてしまったようにふるえだした。
それは、無垢で穢れない少女の夢に入り込んだ誰かの『悪意』だった。
怒りと恨みと寂しさが、純白の夢を汚す。
それがありすを侵し、彼女の兵隊を狂わせていく。
「メアリー……あなたの、せかいが……! ……ぅ、あ……あぁ……!」
呑まれる。
汚される。
穢される。
汚染される。
ありすのドレスが、にじむように黒く染まる。
白は黒に、夢は現実に。
彼女の姿が、少しずつ、変わっていく。
「ありす……………?」
その声に応えるように、黒のドレスを纏ったアリスが、笑う。
それは純白な少女の笑みではなく、穢れた妖艶な女の笑みだった。
「さぁ、メアリー。
あなたをいじめた“わるいやつら”を、ぜんぶ、やっつけてしまいましょう?」
黒いアリスが語りかける。
それは、わたしの夢と、誰かの絶望が混ざった混沌。
不思議の国の住人を引き連れて、世界が再び塗り替えられる。
そらが、わらう。
おひさまが、うたう。
おはなが、くるくるまわってる。
なんでもない顔をして、世界はわたしのものに戻っていく。
それがなんだかうれしくって。
それを壊した“わるいやつら”が許せなくって。
わたしは決意するのです。
「わかったよ! こわいものは、ぜんぶぜんぶ、やっつけちゃおう!!」
やさしく、たのしく、うつくしい――。
そんなせかいをまもりましょう。
その奥底で、すべてを壊す悪意がひっそりと笑っていた。
■
386
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:15:29 ID:Z7qmPaYM0
――ルメス=ヘインヴェラートの間違いは、たった一つ。
それは、少女を「純粋無垢な存在」だと思い込んだことだった。
無垢であることは、必ずしも善ではない。
幼いということは、必ずしも清らかではない。
少女が無垢である――それは希望に縋る者が勝手に描いた理想像でしかなかった。
少女は、普通に人間であり。
普通に、自分を守ろうとし。
普通に、悪意を持つこともあるのだ。
元より、メアリー・エバンスの超力『不思議で無垢な少女の世界(ドリーム・ランド)』は、他者を拒絶し、自分だけの安全な夢に閉じこもる『幼児性』の象徴だった。
その力は、無意識の防衛機制として世界を侵蝕し、現実を塗り替え、他者の存在を消し去っていた。
それまではただ『無自覚』であっただけに過ぎない。
けれど今、皮肉なことに。
ルメスの言葉が、夢に方向性を与えてしまった。
「自分の意思で制御すれば、世界は変えられる」
その真っ直ぐな願いは、メアリーの超力にとって最大の引き金となった。
――自分を否定する者は、いらない。
――自分を傷つけるモノは、いらない。
――自分を脅かす現実なんて、消えてしまえばいい。
その否定は、初めて彼女自身の意思で下された。
メアリー・エバンスは、選んだのだ。
黒いアリスに促されるままに。
「すべてを、やっつけてしまおう」と。
そして、最初に『否定』されたのは――ルメス=ヘインヴェラート、その人だった。
夢の世界に潜り込み、手を伸ばしてきた外の者。
助けに来たはずの少女は、逆に否定対象に分類された。
彼女の命を奪ったのは、ただの現象ではない。
ただの暴走でもない。
――それは、メアリーの意思だった。
無意識に周囲を害していた災厄は、初めて自らの意志で人を殺したのである。
不思議の国の住人であるトランプ兵たちは夢の世界の中でも制約も、理屈も、倫理もない。
行動に制限などなく、自由自在に動き回れる無敵の存在だ。
そして女王たるメアリーが命じれば、誰であろうと否応なく殺害する。
ただでさえ他者の存在を拒む世界に、明確な武力が加わったのだ。
これ以上の悪夢があろうか。
もはや、誰もこの世界には勝てない。
メアリー・エバンスを倒すことはできない。
――旅人が植えた「悪意」
――ドミニカが与えた「恐怖」
――ありすが差し伸べた「助け」
――ルメスが授けた「導き」
それらが、すべて最悪の形で交わった。
こうして、夢は自我を得て。
意志を持つ世界が完成した。
否定するための力。
拒絶するための現実。
誰からも傷つけられないための、終わりなき夢。
そして――そこに幼き魔王が誕生した。
誰より無垢で、誰より歪で、誰より壊れてしまった、
誤った旧世界を塗り替える正しき新世界の寵児。
世界を塗り替える少女の夢が、今ここに現実を侵し始める。
387
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:15:54 ID:Z7qmPaYM0
「……?」
だが、現実世界に侵攻を始めたメアリーの視界が、ふわりと浮いた。
世界が、くるくると回る。
重さがない。
風景が、流れていく。
色彩が、輪郭を持たず、万華鏡のようにうねっている。
メアリーは上下逆さの世界の中で上を向いた。
そこには首のない一つの死体が立っていた。
――――それは、他ならぬメアリー自身の体だった。
その背後に、ひとりの青年がいた。
ぼんやりとしたその姿に、記憶がじわりと滲む。
見覚えがある
いつだったか、たった一度だけ。
一人ぼっちだったメアリーの独房に、ひょっこり遊びに来たことがあった。
名前は、たしか……そう。
「……………………エネ…………リッ、ト……」
口が、自然に動いた。
その瞬間、世界が崩れ始めた。
夢の世界が、瓦解する。
無限に続くはずだった少女の王国が、主と共に音もなく砕けていく。
身体が落ちていく。
景色が反転する。
夢が、深い眠りへと沈んでいく。
主が眠れば、夢もまた終わる。
――こうして、生まれたばかりの魔王の夢は何も成すことなくその瞼を閉じた。
■
388
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:16:35 ID:Z7qmPaYM0
「……ふぅ」
少年は短く息をついた。
血の匂いが、朝の風に乗って肌を撫でていく。
エネリット・サンス・ハルトナ。
その手で今、ひとつの命を終わらせた男。
額にかかる血に染まった前髪を、指先で無造作に払う。
メアリー・エバンス。
夢の世界の支配者は、いまや空へと消えゆくただの塵となっていた。
『鉄の女』によって用意された髪の刃――エネリットはそれを、寸分の迷いもなく少女の首に通した。
ルメスたちが構想していた作戦の詳細は、彼の知るところではない。
彼に見えたのは、投石が逸れたその瞬間。すなわち――作戦は失敗したという現実だった。
本来であれば、その時点で撤退していたはずだ。
無駄な犠牲は払わない。
無意味な行動は選ばない。
それが、エネリット・サンス・ハルトナという人物の信条だった。
だが、ドミニカ・マリノフスキとの接触を経て、その判断は変化した。
それは感情ではない。
ましてや哀悼でもない。
ただ、彼女の戦いを見て、彼は悟ったのだ。
メアリー・エバンスと言う脅威に対してこれ以上の『勝機』は、もう来ないだろう、と。
あの瞬間を逃せば、もはや再び掴むことはできない。
そう確信したからこそ、エネリットは突入を選んだ。
事前の予想通り、辿り着くよりも先に再起動したメアリーの領域が展開された。
だが、エネリットは無謀な賭けに出る男ではない。
そこには確かな勝算があった。
ドミニカ・マリノフスキの死に伴いディビットの超力『4倍賭け』は中継地点であるエネリットに返還されていた。
エネリットはこれを使用し、自らの対応力を倍加させていた。
そして、領域の中での動き、想定される展開、重力の歪み、現象のラグ。
基本的な世界の法則は既に予習済みである。
倍化した対応力もあり、領域内の移動自体は容易かった。
対メアリーの作戦会議でエネリット自身が提言した『対応力を上げれば夢の世界は突破できる』という仮説は、こうして現実となったのだ。
トランプ兵の存在は予想外だったが、それらはすべて目の前のルメスを標的としていた。
夢の住人たちは、エネリットの存在を認識しないまま、ただ女王に命じられるまま少女の排除に集中していた。
その隙を逃さず背後からエネリットは、無音のまま接近した。
そして、何の感情も挟まず、何の躊躇いもなく。
領域外で事前に設定しておいた髪の刃を用い、少女の首を跳ね落とした。
少女が感情を得たこと。
少女が悪意を得たこと。
自ら選択し、敵意を向けるようになったこと。
それが仇となった。
もしも彼女が、かつてのように無差別で、無自覚で、無指向の存在だったなら。
背後からの侵入者であろうとも、あっさりと消し去っていただろう。
けれど彼女は、自ら望んで敵を定めた。
意志ある存在として選別を行った。
その瞬間に、選ばなかった何かに対する隙は生まれていたのだ。
少女の夢は無垢でなくなった時点で、無敵ではなくなったのだ。
静かに、消えゆき塵となったメアリーの亡骸が空に舞い上がった
朝日の照り返しが空を照らし、風に乗って少女の命の名残が消えていく。
エネリットは、静かにその空を見上げる。
同じアビスで育った。
アビスの外を知らず、アビスの常識で生きてきたアビスの子。
彼女の終わりに、哀悼の感情はない。
けれど、確かに別れの言葉だけは口をついた。
「――おやすみ。メアリーちゃん」
【メアリー・エバンス 死亡】
■
389
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:17:03 ID:Z7qmPaYM0
風が、静かに吹いていた。
夢が崩れた今、トランプ兵たちの姿はどこにもない。
あの無邪気な破壊者たち――無垢の皮を被った災厄は、霧のように世界から消え去った。
そして、少女が望んだはずの優しい夢の国も跡形もなく、どこにも残っていなかった。
まだ朝靄の残る空の下、ひとりの少年が崩れかけた岩場を歩いていた。
エネリット・サンス・ハルトナ。
彼は、静かに小さく呟く。
「……よし。これで、三つ目か」
手にしているのは、三つの首輪。
一つは、ルメス=ヘインヴェラートのもの。
トランプ兵たちに殺された義賊の証には、『無』の一字が刻まれている。
少女の領域に吸い込まれるように消された彼女の死体は、跡形もなく、どこにもなかった。
一つは、メアリー・エバンスのもの。
主の消滅とともに残された首輪には、同じく『無』の刻印があった。
夢と共に崩れ去った少女の命は、塵となって空に消えた。
そして、もう一つ。
メアリーの首輪の傍ら、転がるように落ちていた謎の首輪。
その表面には『20』という数字が刻まれていた。
出自は不明だが、恐らくはメアリーの世界に殺された誰かのものだろう。
不用意にも災厄に踏み込み命を落とした、名前も知らぬ一人。
メアリー、ルメス、そして名も知れぬ第三者。
その首輪を懐に収め、エネリットは再び歩き出す。
向かう先は、岩山の下。
そこには、ドミニカ・マリノフスキの死体と共に首輪があるはずだった。
風が吹き抜ける岩肌に立ち止まり、ふと顔を上げる。
眼差しは変わらず冷静だ。だがその奥には、わずかに、何かを振り返るような影があった。
「……シスターの首輪を回収すれば、あとはディビットさんと合流するだけ、か」
どこか独り言のように、誰に聞かせるでもなく呟く。
地上に残された戦いの痕跡。
夢の終焉と少女たちの意志。
すべてを記録するように、彼は冷徹に歩を進める。
ディビットと合流後には手に入れた4つの首輪をどう分け合うか、分け前の相談になるだろう。
死も夢も希望も、すべては数字に換算され、秩序の中に数えられていく。
血と夢の狭間で終わったこの作戦は、彼にとっては『通過点』にすぎない。
静かに。淡々と。
ただ風の中を歩いていく。
その足音が、ひとつの決着に幕を引いた。
――こうして、少女たちの夢と祈りをめぐる戦いは終わった。
だが、アビスはまだ、沈黙してはいない。
終わりとは、ただ始まりの形をしているだけだ。
【E-5とE-6の間/岩山/一日目・朝】
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:衝撃波での身体的ダメージ(軽微)
[道具]:デジタルウォッチ、メアリー・エバンスの首輪(未使用)、ルメス=ヘインヴェラートの首輪(未使用)、宮本麻衣の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.シスター・ドミニカの首輪の回収後ディビットと合流
2.ディビットの信頼を得る
※刑務官『マーガレット・ステイン』の超力『鉄の女』が【徴収】により使用可能です。
現在の信頼度は80%であるため40%の再現率となります。【徴収】が対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。
※『ディビット・マルティーニ』の超力『4倍賭け』が【献上】により使用可能です。
現在の信頼度は40%であるため40%の再現率となります。
390
:
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
◆H3bky6/SCY
:2025/06/01(日) 19:17:30 ID:Z7qmPaYM0
投下終了です
391
:
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:42:12 ID:iFBZSaEk0
投下します。
392
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:44:27 ID:iFBZSaEk0
◆
「プロの意見と、手助けが欲しい」
ブラックペンタゴン1F、北東内側ブロック――配電室。
無機質に並ぶ、数多の電気設備に囲まれる中。
神秘的な雰囲気を纏った白髪の少女が、眼前の男に問う。
「籠の中の鳥は、飛び立てそうかい?」
少女、エンダ・Y・カクレヤマが放った言葉。
そこに込められた“含み”に、男は反応する。
口の端をゆっくりと吊り上げて、不敵な笑みを見せた。
「“脱獄王”、トビ・トンプソン」
トビ・トンプソンは、自らの名を呼ぶエンダをじっと見据えていた。
不敵な笑みで応える中で、彼は内心思慮していた。
――――“ヤマオリの巫女”。
――――“何故こいつが此処にいる”。
腹の底から湧き上がった疑問を、トビは決して表情に出さない。
世界最大規模のヤマオリ・カルト。
その巫女として担ぎ上げられていた“神の化身”――“ヤマオリ様”。
既存社会を揺るがしかねない組織で祀られていた、絶対的な象徴(シンボル)。
ある意味で、名だたる大悪党達に並ぶ存在だった。
彼女の真なる名は裏社会でも知られておらず、このアビスに投獄されていたという事実も聞いていなかった。
そう、脱獄王でさえ掴めていなかった――あの銀鈴と同じように。
そもそも例の巫女は、組織の崩壊と共に命を落としたとも噂されていた。
その張本人が、こうして眼の前に現れたのだ。
恐らく彼女は、何らかの理由で秘密裏に投獄された存在。
即ち、あの銀鈴に並ぶ“もう一人の秘匿受刑者”。
その答えに行き着くのに、時間は掛からなかった。
――元より怪しかった“恩赦なるもの”の信憑性が、いよいよ現実味を失ってきた。
そもそも秘密裏の施設であるアビスにおいて、更に秘匿されている受刑者たち。
彼らがこの刑務に複数参加している時点で、アビスが素直に恩赦を認めるとは極めて考えにくい。
あるいは、アビス側にも何か思惑があるのか――今はまだ真相は分からない。
故に、今の自分に出来ることはひとつ。
脱獄王である己が成すべきことは、決まっている。
――“籠の中の鳥は、飛び立てそうか”。
エンダから投げかけられた問いに対し、暫しの思いを馳せた後。
「“フランソワ・ヴィドック”って知ってるか」
探偵風の装いをしたエンダを一瞥して、トビは口を開いた。
「18世紀フランスに生まれた“世界初の探偵”だ。
パリ警察の密偵や犯罪捜査局の創設者として成果を上げ、その後独立して自らの探偵事務所を作った」
不遜な笑みを見せながら、トビは語り続ける。
ぎょろりとした眼が、エンダを見据える。
「――――そいつは元々、“脱獄のプロ”だったのさ」
脱獄王と、探偵の少女。
その巡り合わせの“相性”を言外で訴えるように。
男の眼差しが、エンダの視線と交錯した。
393
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:45:28 ID:iFBZSaEk0
「オレ様に賭けてみないか」
今はまだ飛べないが、可能性は模索できる。
そう伝えるように、トビは提案する。
「2階から3階の調査と、施設の検分。
そいつをオレ様が全て担ってやる」
脱獄王から直々の売り込み。
それをエンダは咀嚼するように受け止めた。
――監視のために飛ばした黒靄の蝿は、今もヤミナを追い続けている。
大まかな位置を探知した限り、彼女は何らかの手段で上層階へと足を踏み入れている。
既に現場の探索も行っている可能性は否定できない。
しかし、あくまで使い走りとして悪事を働いた女と、数多の脱獄を成し遂げたプロ。
実際に現場を見聞きした上でどちらの見解に価値があるかと言えば、間違いなく後者の方だ。
故にこの提案には、確かな価値がある。
「代わりに――――階段前に居座ってる野郎がいる。
エルビス・エルブランデス。かの“ネオシアン・ボクス”のチャンピオンさ」
そして見返りとしての条件を、トビが言及する。
この施設は、狩り場としての機能を有している。
内部の見取り図を眼にした時から、エンダもまたその可能性には勘付いていた。
一箇所のみしか存在しない階段。そこで待ち伏せを行う受刑者が現れることも、決して不思議ではなかった。
「あの野郎が生きている限り、おちおち探索も出来やしねえ」
それはこの施設を調査する上で、紛れもなく大きな障壁となる。
門番が立ちはだかる限り、籠の鳥が翼を広げることは出来ない。
「ヤツを足止め、あるいは排除してほしい」
――――地の底に、最初の朝が訪れる。
それは第一回放送を迎える直前のやりとりだった。
◆
394
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:46:31 ID:iFBZSaEk0
◆
《定時放送の時間だ――――》
ブラックペンタゴン1F、物置部屋。
倉庫も同然の空間に、悪辣なる看守長の声が響く。
第一回放送。この刑務における、最初の定時連絡。
この数時間における死者の名と、これより追加される禁止エリアについての伝達が行われる。
《諸君、刑務作業の進捗はいかがかな――――》
されど、彼は――只野仁成には。
その放送へと耳を傾ける余裕など、ありはしなかった。
呼吸を整えて、そこに佇む男を視界に捉えていたからだ。
距離にして十数メートル。積み上がった荷物の影から、ぬらりと現れた拳闘士。
仁成は戦慄と共に、その男を見据えていた。
《贖罪を果たし、己の価値をほんの少しでも――――》
放送を聞き届けるだとか、連戦の疲弊を癒すだとか。
そんな御託は、この拳闘士には無用の長物だった。
階段前の門番として立っていた男は、仁成の追撃を選んだ。
距離を稼がれる前に、確実に仁成を仕留めに来たのだ。
《さて、それでは事前に説明していた通り――――》
エルビス・エルブランデス。
無敗のチャンピオンが、再び仁成の前に立ちはだかる。
撤退した仁成を追い立てて、再び脅威として姿を現す。
《アンナ・アメリナ、並木 旅人、羽間 美火――――》
そんなエルビスの姿を、無言で見据えて。
身体の痛みが疼く中で、仁成は焦燥を抱く。
つい先程、身を以てその実力を思い知った相手。
無敵の絶対王者は、自分を逃すつもりなど無いのだと。
戦慄を感じるように、仁成は息を飲む。
あの紫骸の庭園からは抜け出したとはいえ。
それでも彼の凄まじい戦闘力に対し、今なお勝ち目があるかは定かではない。
真正面からの殴り合いとなれば、確実に相手に軍配が上がる。
エンダとは、未だ合流を果たせていない。
彼女の安否もまた、確かめねばならない。
395
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:47:00 ID:iFBZSaEk0
《――――宮本 舞衣、恵波 流都、無銘、フレゼア――――》
故に、暫しの静寂と、張り詰めた緊迫が吹き抜けた直後。
仁成は迷わず、瞬時に地面を蹴った。
近くにある荷物棚の側面へと隠れ、王者の視界から逃れようとした。
そう、逃れようとしたのだ。
《以上の者たちが刑務作業により懲罰を――――》
瞬間、仁成の胴体側面に鈍痛が走った。
拳を叩き込まれるような衝撃が、突如として迸ったのだ。
駆け抜けようとしたはずの身体が、成す術なく吹き飛ばされる。
《いやはや、実に順調だ――――》
横転する仁成の身体。
床を転がり、咽ぶように何度も咳き込む。
内臓を揺さぶられるような苦痛が、肉体を駆け巡る。
何が起きた。仁成の思考は混乱を経て、すぐに理解する。
――――遠当ての魔技。百歩神拳。
つい先程の戦闘。自身が行使した技を、エルビスもまた放ったのだ。
《続いて、禁止エリアの指定――――》
最早仁成に、放送を片手間に聞き届ける余裕は無かった。
迫り来る。魔技を叩き込んで間も無く、エルビスが肉薄する。
蹲る仁成をすぐさま追うように、その距離を瞬く間に詰めていた。
《A-4、B-6、C-1――――》
そして、チャンピオンの右拳が振り下ろされる。
仁成はすぐさま床を転がり、その一撃を回避。
――躱された拳が、床の石材を勢い良く打ち砕く。
まるで鉄槌のような破壊力を前に、仁成は戦慄を抱く。
仁成はそのまま横たわった状態で、懐から拳銃を抜く。
拳を振るった直後のエルビスを狙い、発砲――鉛玉を放つが。
スウェーバックのような動作で、エルビスは近距離からの銃撃を回避。
そのままコンマ数秒程度の猶予、刹那の合間に彼は再び地を蹴る。
猛獣のような瞬発力で迫るエルビス。
思わず舌打ちをした直後、強靭な身体能力を振り絞る仁成。
両腕両脚を駆動させ、まるでバネのように身体を跳ね起こした。
跳躍の勢いで後方へと下がり、エルビスとの距離を稼ぎつつ着地。
再び両足を地に付けた仁成は、すぐさま腕を構えて防御の態勢を取る。
顔と胴体を庇うように据えられた両腕――その直後、次々に衝撃が叩き込まれる。
即座に至近距離へと肉薄してきたエルビスが、猛然と拳のラッシュを仕掛けてきた。
防御の上からも構わず、王者の拳撃が次々に襲い来る。
耐える。耐える――必死に耐える。
歯を食い縛り、人類最高峰の身体能力を振り絞る。
三度も受ければ腕さえ使えなくなると見越した威力。
それでも、仁成は耐え抜く。決死の覚悟で耐える。
人類の究極は伊達ではないと、血濡れで叫ぶかのように。
全ての感覚と筋肉を防御へと集中させて、仁成は拳撃を堪え続ける。
凄まじい威力の打撃によって、次々に打ち据えられる。
まるでサンドバッグのように、仁成は幾度も拳を叩き込まれていく。
仁成は既に、悟っていた。
どれだけ足掻こうと、どれだけ引き下がろうと。
この男は、自分を決して逃しはしない。
徹底的に追い詰めて、仕留めに掛かろうとしている。
――それほどまでに、恩赦を求めているのだ。
自分に与えられた道は、二つだけ。
チャンピオン、エルビス・エルブランデス。
この男を倒すか、この男に殺されるか。
ただそれだけなのだと、仁成は思い知らされた。
◆
396
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:47:57 ID:iFBZSaEk0
◆
最初の放送を聞き届けて。
図書室の出入口を通り抜けて。
二人の淑女は、広い通路へと踏み込んでいた。
物置部屋で暫く身を潜めてから、階段での待ち伏せを行う。
じきに受刑者達がこのブラックペンタゴンに集い、乱戦が巻き起こるだろう。
その隙を突いて、弱った敵へと奇襲を仕掛ける。
そうした手筈で動き出そうとした、その矢先だった。
されど――ソフィア・チェリー・ブロッサムは、見誤っていたのだ。
この地の底の要塞が、既に鉄火場と化していることを。
彼女が知りもしない怪物が、刑務へと潜んでいることを。
通路を歩き出した、血濡れの令嬢。
ルクレツィア・ファルネーゼ。
何の脈絡もない破裂音が轟いて。
彼女の脳天が、唐突に爆ぜた。
予期せぬ衝撃に、その身体が崩れ落ちる。
何が起きたのか。
同行者であるソフィアは、理解が遅れた。
全く前触れのなかった奇襲攻撃に、目を見開いた。
唐突な銃声。唐突な暴威。
超力によって気配を断ち、不意打ちを仕掛けてきたのか。
それは違う。ソフィアは、超力による影響を一切受けない。
例え気配を遮断していようと、その存在を秘匿していようと。
その術が超力によるものならば、ソフィアには全く通用しない。
超力による恩恵だとすれば、如何に息を潜めようとも――ソフィアには筒抜けになるのだ。
故にソフィアは、その予兆を全く掴めなかったことに動揺した。
図書室の方角から突如として放たれた“拳銃の発砲”を、一切察知することが出来なかった。
「――――こんにちは、人間さんたち」
まるで硝子玉のように、透き通るような声が響いた。
その声の主の存在に、ソフィアもルクレツィアも気付くことは出来なかった。
相手は突然現れ、突然奇襲を仕掛けた――二人はそれを全く察知できなかった。
ソフィアは無論、ルクレツィアすらもその瞳に驚愕を宿す。
「麻衣がいなくなってしまったの。とっても悲しいことだわ。
また“素敵な兵隊さん達”で遊びたかったのに」
舞うようなステップと共に、その声の主は姿を現す。
銀色の髪を靡かせ、漆黒のドレスを身にまとう――麗しき令嬢が其処にいた。
397
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:49:14 ID:iFBZSaEk0
「でも、悲しみに浸り続けるのは良くないことね。
まだまだ楽しいことが此処にはあるもの。前向きに考えるべきだと思ったわ」
――――何だ、この女は。
――――何者だ、この受刑者は。
――――こいつは、一体何だ?
ソフィアは、驚愕と共に目を見開く。
彼女は、姿を現した淑女を全く知らなかった。
アビスは愚か、特殊部隊に属していた頃ですら存在を把握していない“未知の悪人”。
公的な組織に認知されていない悪党など、大抵は名の知れない矮小な犯罪者に過ぎない。
にも関わらず、そこいらの小物とは一線を画すほどの威圧感を滲ませている。
「歓びというモノは、いつだって寂しい風のよう。
あっという間に過ぎ去って、遠くへと行ってしまう」
これほどのプレッシャーを放つ受刑者の接近に、何故一切気付けなかったのか。
ソフィアは、その答えを理解できない。
ただ悠々と言葉を並べる相手に、戦慄を抱くことしかできない。
そもそも、この受刑者は一体“誰なのか”。
こんな囚人が、アビスに収監されていたのか。
「だから、存分に楽しむ価値が在るの思うの」
ゆらりと、淑女の影が揺れる。
唐突な銃撃で脳天を掻き乱されたルクレツィアを、彼女は見据える。
穏やかな微笑みとは裏腹に――まるで虫か何かを見つめるような眼差しで。
ぞくり、と。
ソフィアは言い知れぬ恐怖を感じた。
――こいつは、人間なのか。
――こいつは、悪魔か何かなのか。
そんなふうに思ってしまう程に、この銀髪の囚人は異様だった。
優雅に佇んでいるのに、人間味をまるで感じさせない。
応戦すら忘れてしまうほどに、ソフィアは唖然としていた。
「ねえ」
秘匿受刑者、“銀鈴”。
彼女は、次なる玩具を見つけた。
「私達と、踊りましょう?」
銀鈴が、笑みを浮かべた瞬間。
銃撃で脳天を破壊されたルクレツィアが、突如として動き出した。
額と後頭部から血を噴き出し、脳漿を噴き出しながら。
それでも血塗れの令嬢(エリザベート・バートリ)は、狂気を纏って銀鈴へと迫る。
「――――ルクレツィアッ!!!」
そんなルクレツィアを目の当たりにして、ソフィアは我に返った。
鋭利な刃のような殺気の気配を、即座に察知した。
それは、眼前の銀鈴が放つ匂いではない。
もう一人。別の新手が、銀鈴の後方で息を潜めていたのだ。
ソフィアが駆け出し、咄嗟にルクレツィアに追い縋る。
そして彼女の前に立ちはだかるように、地を蹴った直後。
その右腕を振るって、銀鈴の後方から放たれた“真空の刃”を掻き消した。
銀鈴が、感心したように「まあ」と声を上げた。
彼女の後方から飛び出し、広い通路を駆け抜ける影。
短いブラウンの髪を持った、オッドアイの男だった。
398
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:50:22 ID:iFBZSaEk0
男は機敏な動きでルクレツィアの側面へと回り、距離を置いたまま三本の”真空のナイフ”を放つ。
ソフィアが再び盾になろうとした矢先、銀鈴が妨害の銃弾を放った。
迫る弾丸に対し、ソフィアは舌打ちをしながら咄嗟に側面へと跳んだ。
――超力に関わらない攻撃に対しては、回避を余儀なくされる。
隙を突かれたルクレツィアはナイフを躱し切れず、その身を刃によって穿たれる。
脳天に受けた銃撃と、死角から放たれた刃。
二度の攻撃をその身に受けて、ルクレツィアは怯む。
――――その目に、愉悦はない。
予期せぬ襲撃を前に、彼女は殺意を宿す。
「貴女。見知らぬ顔ですね」
その治癒能力を活かし、ルクレツィアが強引に躍動した。
自らの超力によって箍の筈れた肉体を操り、眼前の銀鈴へと接近。
悠々と佇む銀鈴の長い髪を掴もうと、その右腕を伸ばしたが。
ひらりと、銀鈴が動いた。
予備動作も、気配も、全く感じさせない。
そんな奇妙で、人間味のない動作だった。
まるで幽鬼のように、希薄な存在感で捨てぷを踏む。
力任せに身体能力を行使するルクレツィアは、銀鈴の奇怪な動きに対応できない。
そのまま右手は虚空を掴み、一瞬の隙が生まれて。
直後に、ピッと首筋に一閃の傷が生じた。
斬撃を叩き込まれた白い首筋から、血が噴き出した。
ルクレツィアは、ハッとしたように振り返った。
銀鈴がゆらりと回避を行った直後。
すれ違いざまに、彼女は手刀を放っていたのだ。
その一撃はルクレツィアの細い首を的確に捉えて、皮膚を抉ったのだ。
「ふふ、丈夫な人間さんなのね。
それが貴女のネオスかしら?
とっても“長持ち”しそうだわ」
ふわりと、ドレスの裾を靡かせて。
銀鈴もまた、踊るように振り返った。
その顔に、微笑みを絶やさぬままに。
深淵にも似た瞳が、ルクレツィアを捉え続けていた。
――ソフィアが、駆け抜けていた。
銀鈴がルクレツィアに意識を向けている最中に、側面からの奇襲を仕掛けんとした。
されどソフィアの前に、男の影が割り込んだ。
まるで彼女の軌道を“予知”したかのように、機敏な動きで立ちはだかる。
「邪魔は、させねえよッ――!!」
その男――ジェイ・ハリックは、ソフィアへと目掛けて右足を突き出す。
槍の刺突のような蹴りが放たれ、咄嗟にソフィアは両腕で受け止める。
交差した腕で靴底を受け止めながら、肩の筋肉を躍動させた。
ソフィアは両腕を解き放つような動作で、ジェイの蹴りを弾き飛ばす。
片足を防がれ、弾かれたことでジェイは体勢のバランスを崩す。
その隙にソフィアが突進。勢いに乗せて、裏拳をジェイの顔面に叩きつけた。
がッ――と、苦悶の声を上げるジェイ。
されど、歯を食い縛りながら堪えてみせた。
即座にカウンターの左フックを、ソフィアへと目掛けて放つ。
ソフィアは咄嗟に後方へと身体を傾け、左拳を躱す。
虚空を切るように空振る拳。隙が生じ、胴体がガラ空きとなる。
その瞬間を見逃さず、ソフィアは瞬時に体制を整え。
脇腹へと目掛けて、手刀の一撃を勢いよく叩きつけようとした。
――――かちゃり。
奇妙な音が、通路に響いた。
刹那の合間に。
ソフィアは、そちらへと意識を向けた。
直感のように、危機を察知してしまった。
399
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:51:28 ID:iFBZSaEk0
ルクレツィアは、幾つもの手傷を負っていた。
その身を刻まれ、穿たれて。
血を流しながら、それでも継戦を続けていた。
――銀鈴には、一撃を与えられていない。
一切の気配を纏わず、一切の殺意を放たず。
極端なまでに予兆も前触れもない動作の数々。
それは戦闘者としての技巧に乏しく、自己治癒と身体能力で強引に戦うルクレツィアの天敵に等しかった。
人体の急所を知り尽くす暴威の数々も、銀鈴を捉えることが出来ない。
「とっても凄いのね、貴女!
いくら刻んでも動じないなんて、ふふっ――」
されど銀鈴もまた、膂力そのものは決して優れていない。
故にルクレツィアを殺し切る決め手に欠けるのだ。
互いに身体能力のみで挑めば、勝負はジリ貧の持久戦と化す。
「――“これ”も、耐えられるのかしら?」
だからこそ、銀鈴は“放り投げた”。
空中を舞う安全ピン。回転と共に放られる円形の物体。
それは幾度となく攻撃を受け、手傷を負ったルクレツィアへと迫る。
ソフィアは、咄嗟に叫んだ。
惚けたような表情で、投げられた物体を見るルクレツィア。
――彼女は強靭な回復能力を持つ。されど、決して不死ではない。
爆炎で木っ端微塵に吹き飛ばされた上で、命を繋げられる保証はない。
駆け出すソフィアは、銀鈴へと攻撃を仕掛けんとする。
されど彼女を妨げるように、ジェイが機敏に飛び蹴りを放った。
対処を余儀なくされるソフィア。防御を行い、ジェイの脚を弾く。
虚空で踊り、そのまま地面を転がる円形の物体。
ルクレツィアは、たんとステップを踏む。
その場から跳ぶように、後方へと下がらんとした。
手榴弾。安全ピンを抜かれて、それは起動する。
先ほどの奇妙な音は、ピンを引き抜いた音だった。
――――そして、爆炎と轟音が迸る。
開闢の時代。超人を殺し切る火力を搭載された、小型爆弾。
人間を焼き尽くすための武器が、起爆する。
その炸裂は、この場にいる四人の視界を赤熱で埋め尽くす。
彼らはそれぞれ、回避行動を取っていた。
破壊と衝撃を凌ぎ切るべく、咄嗟の機動で距離を取っていた。
駆け抜ける四人の行動は、やがて戦局の分断へと至る。
彼らは走る。死の硝煙から逃れる瞬発の果てに、二分されていく。
◆
400
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:52:14 ID:iFBZSaEk0
◆
呼吸を整えて、ソフィアは駆け抜けていた。
敵の気配を探るように、意識を研ぎ澄ませる。
先程の手榴弾の炸裂から逃れる過程で、戦局は二手に分かれていた。
それぞれ別々の通路へと退避し、分断される形となった。
ソフィアはそうしてあの場から追い返されるように、再び“図書室”へと踏み込んでいた。
ルクレツィアとは分断された。
数分前。退避に突き動かされていた刹那、ソフィアは彼女の姿を微かながら視認することが出来た。
あの“ドレスを纏った銀髪の女”と共に、北東ブロック方面へと進んでいく姿が見えたのだ。
幾らかの手傷は負ったとはいえ、現状では行動に支障はない。
開闢時代の人類、それも鍛錬を重ねた者だからこそ、傷が疼きながらも継戦することができる。
故に、ソフィアは構え続ける。
テーブルと座席を囲うように、数多の本棚が立ち並ぶ中。
彼女は、周囲へと意識を集中させる。
あの分断によって図書室へと踏み込んだのは、自分一人だけではないのだ。
――――そして、死角から飛来する。
――――“不可視の刃”が、虚空を裂く。
ジェイ・ハリックの超力、『透明の殺意(インビジブルナイフ)』。
真空のナイフが、真紅の桜(チェリーブロッサム)へと迫る。
ソフィアの背後。その細い首筋へと目掛けて、襲い来る。
不意を撃つ形で鋭く放たれた、虚空の刃。
しかしそれは、ソフィアへの致命打には成り得なかった。
殺気を感知し、咄嗟に振り返ったソフィア。
死角からの攻撃に対し、彼女の反応は間に合わない筈だった。
だが刃は彼女の首筋に触れた瞬間、まるで硝子のように砕け散る。
破裂した刃は脆く崩れ落ち、そのまま消滅した。
ソフィア・チェリー・ブロッサムには、超力が一切通用しない。
五体を引き裂く攻撃だろうと、砲弾すら防ぐ防御であろうと。
人間の精神に干渉する術理であろうと、対象の存在さえも抹消する異能であろうと。
その技が超力である限り、彼女に何の意味も為さない。
それこそがソフィアの超力、『例外存在(The exception)』。
故にソフィアに“不可視の刃”は通用しない。
如何に完璧な不意打ちを叩き込もうとも。
それが超力であるならば、彼女の命を奪うことはできない。
そんなソフィアの虚を突くように。
突如として、ジェイ・ハリックが本棚の陰から躍り出る。
刃に反応したソフィア、その視界の左側面から飛び出してきたのだ。
つい先程――ジェイは気配を遮断し、素早く移動しながら息を潜め。
それから予め生成し、空中に留めさせていた“不可視の刃”を時間差で射出した。
刃が生成後に維持される時間は僅か2秒足らず。
その間にジェイは息を殺したまま鋭く駆け抜け、死角からの奇襲を敢行したのである。
401
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:53:25 ID:iFBZSaEk0
まるで猛禽のように流麗な動きで、ジェイは肉薄した。
その右手に握り締める武器を、眼前へと突き出す。
ソフィアは目を見開きながら、すぐさま奇襲へと対応。
迫る攻撃が超力によるものではないことを、一瞬の内に悟った。
ソフィアが右手の手刀を鋭く振るい、ジェイの振るう攻撃を弾いた。
彼の右腕を逸らすような形で、彼女は斬撃を凌いだのだ。
奇襲への対処に、ジェイもまた驚愕の表情を見せる。
――ジェイの手には、木製のナイフが握られていた。
刺突に適した、杭のような武器だった。
ブラックペンタゴンへと向かう途中、超力の刃で樹木を削って作り出した即席の武装。
持続性の低さから投擲と暗殺にしか用いられない超力に代わり、近接戦闘を想定して用意したものだった。
超力制圧の異能を持つソフィアとて、純粋な武器ならば傷つけることが可能である。
ジェイは意図せずして、彼女への的確な対抗策を用いていたのだ。
刺突のように鋭い瞬発力で、ソフィアの左腕が突き出される。
武器を携えたジェイの右手を抑えようと、掴み掛かる。
しかし彼は、即座に対応――“先読み”する。
掴み掛かろうとするソフィアの腕を、咄嗟に左手の一振りで弾いてみせた。
そのまま間髪入れず、ジェイは即座に右手のナイフの刃を振り上げる。
これに対し、ソフィアは瞬時に身体をすぐ横へと逸らす。
刃が左の二の腕を掠めながらも、怯むことなく。
右手の手刀をジェイの首へと叩き込まんとする。
直後にジェイが、自らの左腕を振り上げた。
再び“先読み”。左前腕で手刀を的確に受け止めた。
防御と同時に、右手の刃をソフィアの腹部へと突き立てる。
手刀を防がれたソフィアは、瞬時の思考を続ける。
左手で振り払うように、ナイフを握るジェイの右腕を弾いて逸らす。
目を見開くジェイ。歯を食いしばり、驚愕の表情を見せる。
その隙を見逃さず、既に引いていた右手の拳を脇腹へと叩き込まんとする。
ジェイは動揺しながらも、後方へと即座に下がる。
右拳のフックを回避。“先読み”によって、軌道を予測した。
それでもソフィアは躊躇うことなく、床を蹴ってジェイへと接近。
電撃的な速度で迫るソフィアを、ジェイはキッと睨むように見据えた。
――――そこから先は、応酬の連続。
――――互いの両腕が、幾度となく交錯する。
拳撃。刺突。手刀。掴み。フェイント。
互いに技を繰り出し、その度に互いの攻撃を凌ぐ。
凄まじい瞬発力と反応速度で、相手の一手を悉く妨げていく。
至近距離。ゼロ距離。眼前で肉薄する攻防。
腕と腕が目まぐるしく放たれて、次々に捌かれていく。
402
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:54:38 ID:iFBZSaEk0
技量においても、余力においても。
明確に優っていたのは、ソフィアの方だった。
反射神経と動体視力によって、的確に敵の攻撃へと対処していた。
対超力犯罪の特殊部隊に所属した過去を持つ彼女は、数多の超力犯罪者を体術によって制圧してきた。
“超力の無効化”という超力を持つが故に、あくまで戦闘は自らの身体能力に頼らねばならない。
そうして死線を潜り抜けてきたソフィアの格闘術は、紛れもなく卓越している。
彼女は応酬の中でも冷静に、淡々と手札を切り続けていた。
対するジェイの表情に、余裕はなかった。
鼻血を流して必死に歯を食いしばり、無我夢中の攻撃を繰り返し。
それでも尚、彼はソフィアとの応酬を成立させている。
ごく短時間の“未来予知”を連続発動し、相手の一手を次々に予測していたのだ。
ソフィアの超力無効化の影響を受けない、生来の異能。
それによる“先読み”を駆使することで、ソフィアに食らいついていた。
そして、15年ものブランクを背負っているとはいえ。
ジェイは暗殺者の家系に生まれ、物心ついた時から戦闘や暗殺の訓練を受けている。
彼にとってはそれが日常であり、それこそが当然の教育だった。
自覚こそ希薄なものの、ジェイの身には研ぎ澄まされた体術が染み付いているのだ。
激突が続く。交錯が繰り返される。
果てしない攻防が、延々と反復されて。
やがてその均衡を崩したのは、ソフィアだった。
ソフィアの瞬発力が、先読みするジェイの反射神経を上回った。
彼女の左手が、ナイフを握るジェイの右腕を掴んで制止させる。
咄嗟の反撃として繰り出された左拳の一撃も、ソフィアは右手で受け止める。
そのままジェイの行動を封じ込めて――両者の顔が、至近距離で肉薄する。
「――――ジェイ・ハリック、ですわね?」
膠着状態。乗るか反るかの状況。
眼前で視線を交わし合う二人。
鋭い眼差しを向けるソフィアと、動揺を瞳に浮かべるジェイ。
互いに睨むような表情で、相手と対峙する。
「知ってんのかよ、俺のこと」
「“予知能力一族”ハリック家のお話は、以前よりかねがね」
拘束から抜け出そうと力を込めながら、ジェイが言葉を返す。
冷や汗を流しながらも、強がるようにソフィアを睨みつけている。
ソフィアはあくまで淡々と、自らの言葉を続ける。
「貴方が行動を共にしていたお方。
アレは、このアビスにおいても“普通”ではないでしょう」
「……まぁな」
肉薄する対峙の狭間で、ソフィアは投げかける。
対するジェイは、自嘲するように苦笑を浮かべる。
403
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:55:24 ID:iFBZSaEk0
ソフィアは、あの銀色の髪を持つ淑女――銀鈴の佇まいを振り返った。
名も知らぬあの犯罪者が何者であるのかは分からなかったが。
彼女が決して“まともではない”ことなど、一目見ただけでも明白だった。
ハリック家。超力時代を経て立場を失った異能者の一族。
公権力のエージェントへと転身した優秀な兄とは異なり、身を持ち崩して些細な犯行で逮捕されたとされる弟。
ジェイ・ハリック――その存在は、一族没落の象徴として扱われていた。
そうして堕ちぶれた男が、此処に来て“悪魔”に手を引かれている。
「お聞かせください」
故にソフィアは、この刹那の交錯の中。
眼前のジェイに対し、問いかける。
「貴方は、彼女と共に」
まるで、己に対する自戒を刻み込むかのように。
自らの葛藤に対する答えを求めるかのように。
「“地獄”へ堕ちるおつもりですか?」
――――お前もそうなのか、と。
ソフィアは、ジェイへと投げかけた。
問われたジェイは、唇を噛み締める。
苦い表情を浮かべて、葛藤を滲ませる。
ソフィアの問いかけに迷いを抱くように。
自らの指針に、躊躇いと不安を抱くように。
彼は僅かな間、その口を噤む。
この遣り取りの最中においても、互いの両腕は拮抗し続ける。
ジェイの両腕を制圧し、行動を留めさせるソフィア。
ソフィアの拘束を振り払うべく、両腕に力を込め続けるジェイ。
問答の狭間においても、二人の攻防は静かに続けられる。
「……分からねえ。俺にも、よく分からねえんだよ」
やがてジェイは、口を開いた。
「でもなぁ」
晴れぬ疑念と、道半ばの混迷の中。
それでも胸の内に、兄の教えが宿り続ける。
「“機を伺え、耐え忍べ”って。
そんな単純な教訓さえも学べなけりゃ……」
己を見失うな、と。
兄はジェイに語りかけていた。
それは今の彼にとって、紛れもない指針であり。
「きっと俺は、今度こそ本当のクズになっちまう」
自らの存在を繋ぎ止める為の、試練であった。
故にジェイは、貫くことを選ぶ。
「俺は、俺に価値があるのかを――――」
瞳に迷いを湛えながらも、ジェイは歯を食いしばる。
その眼でキッとソフィアを見据えながら、彼は啖呵を切る。
「――――ただ、確かめたいんだよッ!!」
次の瞬間。
ソフィアの視界の端で、何かが崩れ落ちた。
それは勢いよく落下し、一瞬の轟音を響かせた。
耳を劈くような音と、物体が床に叩きつけられた衝撃。
思わずソフィアが、目を見開く。
404
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:56:08 ID:iFBZSaEk0
「ッ!!」
近くの灯りが途絶え、幾許かの影が生じていた。
――すぐ傍の天井から、照明器具が落下したのだ。
ソフィアは咄嗟に、反射的に、そちらへと気を取られた。
ほんの刹那。コンマ数秒の判断。しかし、それが命取りとなる。
ソフィアの鼻っ面に、衝撃が叩き込まれた。
鈍痛が顔面に響き、鼻から血を流しながら後方へと仰反る。
両腕を拘束されていたジェイが、頭突きを放ったのだ。
つい先ほど、密かに空中で生成されていた“不可視の刃”。
不可視であるが故に、初撃は悟られない。
刃はそのまま虚空へと放たれ、近くの照明器具を破壊したのだ。
例えソフィアに超力が通用せずとも、周囲の物体へと干渉することは出来る。
照明器具が破壊された際の音と衝撃によって、彼女の注意を僅かにでも逸らすことは出来る。
優秀な戦士であるが故に、ソフィアは咄嗟の反応を強いられた。
「っ、の――――!!」
ソフィアの喉元から、声が漏れた。
頭突きで怯んだソフィアの隙を見逃さず、ジェイは即座に彼女の両手による拘束を振り払う。
自由になった両腕を構え直しつつ、彼は後方へと跳ぶ。
苦悶を堪えつつ、咄嗟に追撃を行おうと右腕を伸ばしたソフィア。
されどその手は、ジェイが握る木製ナイフの一振りによって妨げられる。
ソフィアは即座に右腕ごと身体を引き、迫る刃を紙一重で回避。
攻撃への対処を強いられたソフィア。
彼女から逃れる形で、ジェイは豹の如き瞬発力で後退。
そのまま本棚の影へと姿を隠し――その気配を押し殺す。
暗殺者としての技能。隠密行動の術。
ジェイはこの大図書室にて、自らの技巧を発揮する。
鼻血を拭いながら、ソフィアは呼吸を整える。
並び立つ本棚の陰に潜みながら、敵は虎視眈々と此方を狙ってくる。
特殊部隊に所属していた頃に染み付いた格闘術の構えを取りながら、感覚を研ぎ澄ませる。
ルクレツィアとの合流に急ぐか。
あるいは、此処でジェイ・ハリックを討つか。
気配に絶えず注意を払いながら、ソフィアは思考する。
相手もまた、同行者と分断されている状況だ。
判断を強いられているのは、互いに変わりないだろう。
攻めるか、退くか。周囲に警戒しながら、彼女は決断を迫られる。
――――自分自身に、何の価値があるのか。
先程のジェイの言葉が、ソフィアの脳裏で反響する。
悪魔の手を取り、地獄へと堕ちていく――。
自分と同じ面影を、ソフィアはジェイに微かにでも見出していた。
その姿を感じ取ったからこそ、彼女は問いを投げかけた。
されど、彼は自分とは違っていた。
愛を失い、生きていく意味さえも失い、亡霊と化した自分とは違う。
あの男は――ジェイ・ハリックは、何かを得ようとしている。
葛藤の中で、自らの答えを探し出そうとしている。
それを察したからこそ。
ソフィアは、思い知らされる。
朝焼けにも似た悲哀を、胸に抱いていた。
刹那の戦局で、ほんの一瞬。
彼女は、感傷と悲壮に駆られていた。
【D–4/ブラックペンタゴン1F 北西ブロック(中央) 図書室/一日目・朝】
【ソフィア・チェリー・ブロッサム】
[状態]:精神的疲労(大)、疲労(小)、身体にダメージ(小)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦を得てルクレツィアの刑を一等減じたい。もしも、不可能なら……。
0.ジェイ・ハリックに対処。始末か、ルクレツィアと合流か。
1.ルーサー・キングや、アンナ・アメリナの様な巨悪を殺害しておきたい
2.この娘(ルクレツィア)と一緒に行く 。例え呪いであったとしても
3.あの二人(りんかと紗奈)には悪い事をしました
4.…忘れてしまうことは、怖いですが……それでも、わたくしは
5.やはり、あのハリック家の者でしたか。
【ジェイ・ハリック】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(中)
[道具]:木製のナイフ(樹木を超力で削って作った)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。チャンスがあれば恩赦Pを稼ぎたい。
0.ソフィア・チェリー・ブロッサムに対処。始末か、銀鈴と合流か。
1.銀鈴の友人として振る舞いつつ、耐え忍んで機会を待つ。
2.呼延光、本条清彦、バルタザール・デリージュ、銀鈴に対する恐怖と警戒。
405
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:57:28 ID:iFBZSaEk0
◆
ブラックペンタゴン1F。
北東ブロック中央――『補助電気室』。
そこは配電室のすぐ隣に位置する一室。
大規模な施設の電気供給を補うために、予備の設備が用意された空間だ。
四角いキャビネットにも似た電気設備が、整然と並び立つ。
規則正しく配置された機器の数々が、無機質な内装を形作る。
灰色の壁や天井には、幾つものパイプが張り付くように伸びている。
配電盤などが並ぶ通路。
無骨な施設に似合わぬ、二つの麗しき影。
分断された戦局の片割れ。
その姿を血に濡らした二人の淑女が、対峙する。
共に銀糸のような長い髪を持ち、陶器のように白い肌を際立たせる。
優雅な佇まいと瀟洒な面持ちで、互いに見据え合っている。
負傷が深いのは、“血濡れの令嬢”の方だった。
ルクレツィア・ファルネーゼ。手榴弾の炸裂で、その顔には火傷を負う。
更には幾度かの銃撃に穿たれ、また手刀によって肌を抉られている。
また先刻の手榴弾の炸裂によって、その右肩には火傷を負っている。
――そうした傷のいずれも、徐々に回復が進んでいる。
彼女の超力である黒煙が、その身を治癒させている。
ルクレツィアは、眼前の淑女――銀鈴を見据える。
相手の負傷は浅い。二、三度だけ強引に打撃を与えられただけだ。
彼女は優美な姿を保ち続け、そこに悠々と佇んでいる。
笑みは消えない。飄々と微笑みながら、銀鈴はルクレツィアを見つめていた。
そんな彼女を捉えるルクレツィアの瞳には、嫌悪と関心の入り混じった色彩が宿る。
「――嬉しいわ。貴女みたいな娘と遊べて」
やがて、銀鈴が悠々と口を開く。
「貴女、血の匂いが染み付いている。
粗相をしてしまうのはお互い様みたいね」
鈴が鳴るように、澄んだ声が。
ルクレツィアの鼓膜に、そっと触れる。
得体の知れない手触りのような、奇妙な感覚。
血塗れの令嬢は、眉間へと微かに皺を寄せていた。
「ええ。好きなんですよ、命と向き合うことが」
それでもルクレツィアは、すっと答える。
「誰かを愛でるのも、苦痛に喘ぐのも、私にとっては極上の愉悦です。
人間は愉しいですもの。私は骨の髄まで、それを味わうだけ」
銀鈴の気さくな呼びかけに対し、ルクレツィアは笑みと共に応える。
――それは気を張り、強がるような笑いだった。
「まあ、それはそれは――とっても素敵なことだわ!
私と同じように、人を愛しているのね」
肩の力を抜き、余裕を持って微笑む銀鈴とは違う。
彼女は悠々と、ルクレツィアを見つめている。
「こうして巡り会えたのも、きっと何かの縁ね」
「ええ……そうかもしれませんね」
二人は既に、幾度かの駆け引きを繰り広げていた。
つい先程まで互いの体術を駆使し、敵の命を刈り取らんと攻防を行なっていた。
故に、共に呼吸を整えている。
「お名前。伺ってもいいかしら?」
「……ルクレツィア・ファルネーゼ。貴女は」
「銀鈴。宜しくね、ルクレツィア」
406
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:58:21 ID:iFBZSaEk0
優位に立っていたのは、銀鈴。
一切の気配も殺気も感じさせない攻撃に対し、ルクレツィアは後手に回り続けている。
驚異的な治癒能力も含めて、身体能力においては間違いなくルクレツィアに軍配が上がる。
されど、“血濡れの令嬢”の強みはあくまでフィジカルに物を言わせた強引な攻勢にある。
戦闘者としての技巧に乏しい彼女は、感知不可能の行動を次々に繰り出す銀鈴に対して不利に陥っている。
銀鈴もまた、ルクレツィアを殺し切れるほどの決め手に欠けるという状況ではあるものの。
それでも現状の交戦において常に先手を取り続けているのは、間違いなく銀鈴の方だった。
ルクレツィアの心は、ざわついていた。
まるで焦燥の波が押し寄せてくるかのように。
彼女の思考には、ざりざりとノイズが走っていた。
言い知れぬ不安が、胸中に押し寄せてくる。
これは何なのだろうか、と。
ルクレツィアは、思いを馳せる。
敵へと傾く戦局への焦りなのか。
きっと違う。そんなものではない。
「ねえ、ルクレツィア」
この感情の答えは、眼前の相手から突きつけられている。
ルクレツィアは半ば悟ったように、銀鈴の言葉に耳を傾けていた。
彼女を見るたびに、令嬢の心は掻き毟られていく。
「貴女。とてもかわいいわ」
――――何故ならば。
こんな眼差しで見られたことなど。
生まれて一度も、有りはしなかったから。
「貴女も、遊ぶのが大好き。人間を愛してる」
こういう目を、ルクレツィアは知っている。
人を、自分と同じモノと思っていない。
人を、自分とは違う下等な存在と見ている。
人を人として扱っていないから、幾らでも残酷になれる。
「私といっしょだけれど」
知っている。とうに見知っている。
退屈で、不粋で、つまらない眼差しだ。
人間と向き合おうともしない、稚拙な猟奇だ。
命を粗末に捨てるだけの、味気無い悪意だ。
この世界においては、ひどくありふれている。
「あなたはもっと無邪気」
だと言うのに。
このざわめきは、何なのか。
407
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:58:59 ID:iFBZSaEk0
まるで、店頭に並ぶ愛玩動物として見られているかのような。
ルクレツィア・ファルネーゼという存在を、好奇心で観察しているかのような。
そんな態度で、眼の前の女は自分を眺めてくる。
とうに見慣れた筈の眼差しが、ルクレツィアの胸中を淡々と掻き乱してくる。
「無邪気だから、不安げになってる」
拷問を通じて、散々見つめてきた。
人間が絞り出す慟哭というものを。
紫煙を通じて、散々感じてきた。
人間に刻まれる苦痛というものを。
「――――私と向き合うのが、不安なのね」
ルクレツィアは、何年も、何年も。
貪欲なまでに、喰らい続けてきた。
「かわいいわ。ほんとに」
知り尽くした筈なのに、知りもしない戦慄が押し寄せてくる。
他人という媒体を介したモノではない、己が身を以て“生の感覚”を思い知らされる。
今まで生きてきた中でも、全く異質の――胸の内がさざめくような焦燥感。
「かわいい」
これは、何だ?
その自問の果てに。
“血塗れの令嬢”は。
それを理解する。
「赤ん坊みたい」
たおやかな微笑が、澄んだ瞳が、ルクレツィアを射抜いた。
人ですらない“怪物”に愛でられるような動揺を前にして、彼女は自らの感情の意味を悟った。
――――ああ、これは。
――――“恐怖”なのだと。
生まれて初めて抱くような、動揺。
生まれて初めて感じるような、戦慄。
狩る側。喰らう側。弄ぶ側。虐げる側。
ルクレツィアはいつだって、誰かの上に立っていた。
令嬢は常に、他者の命をその手に握り締めていた。
けれど、今は違う。
今は、目の前の相手に“見られている”。
犬か何かのように、貶められている。
此処に立つ自分は、彼女にとって好奇心の対象に過ぎない。
まるで自分が、孤児や召使い達を弄んだ時のように。
銀鈴という淑女は、私を見下している。
それを自覚した瞬間から。
言い知れぬような興奮に、掻き立てられる。
自らを苛める感覚に、胸の奥底から高揚が込み上げてくる。
ルクレツィアは、情動に揺さぶられていた。
408
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 22:59:39 ID:iFBZSaEk0
何の感覚も、生きる実感も得られなかった幼少期。
けれど他者を嬲ることで、人の苦痛に触れることができた。
自らの超力を使うことで、生の感覚を得ることができた。
苦痛と絶望。人が人であるが故に得られる、極上の快楽。
それを求め続けてきた。渇望し続けてきた。
だからこそ、ルクレツィアは思う。
これもまた、一つの“痛み”なのだろう。
ああ、だとすれば――愛おしさすら感じる。
生粋の“恐怖”を味わうことなど、今まで一度たりとも無かった。
だからこそ今、眼前に立ちはだかる“闇”さえも愛おしい。
自分は紛れもなく生きている。そんな感覚を得られるから。
強がりでしかなかった、強張る笑みは。
獰猛なまでの、不敵で優雅な笑みへと変わっていた。
すっと優雅にステップを踏んで、礼儀正しくその場に佇む。
「ねえ、銀鈴さん」
まるで舞踏会の淑女のように、ぴんと真っ直ぐに佇む。
その身を夥しい程の赤い血に染めようとも。
ルクレツィア・ファルネーゼは、ひどく可憐だった。
そして、彼女は静かに一礼をする。
「悪魔と、踊りませんか?」
彼女は、舞踏へと誘う。
目の前の怪物に、手を差し伸べる。
死の匂いを纏う舞台へと、銀鈴を手招きする。
そんなルクレツィアからの誘いを、じっと見つめて。
銀鈴は、口の両端をゆっくりと吊り上げた。
愛おしさと高揚を掻き抱くように、彼女もまた優雅な所作で応えた。
片足を後ろへと引き、スカートの裾を摘んで――微笑みと共に一礼をした。
「ええ。喜んで」
【D–4/ブラックペンタゴン1F 北東ブロック(中央) 補助電気室/一日目・朝】
【ルクレツィア・ファルネーゼ】
[状態]: 疲労(小)、複数の銃創や裂傷(中)、顔面に火傷(中)、血塗れ、服ボロボロ
[道具]: デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針] 殺しを愉しむ
基本.
0.さあ、踊りましょう。
1. ジャンヌ・ストラスブールをもう一度愉しみたい
2.自称ジャンヌさん(ジルドレイ・モントランシー)には少しだけ期待
3.お友達(ソフィア)が出来ました、もっとお話を聞いてみたい気持ちもあります
4.さっきの二人(りんかと紗奈)は楽しかったです。出来ればもう一度会いたいです。
【銀鈴】
[状態]:疲労(小)
[道具]:グロック19(装弾数22/10)、デイパック(手榴弾×2、催涙弾×3、食料一食分)、黒いドレス
[恩赦P]:4pt
[方針]
基本.アビスの超力無効化装置を破壊する。
0.ええ、喜んで。
1.ジェイで遊びながらブラックペンタゴンを目指す。
2.人間を可愛がる。その過程で、いろんな超力を見てみたい。
※今まで自国で殺した人物の名前を全て覚えています。もしかしたら参加者と関わりがある人物も含まれているかもしれません。
※サッズ・マルティンによる拷問を経験しています。
※名簿で受刑者の姓名はすべて確認しています。
※システムAに彼女の超力が使われていることが真実であるとは限りません。また、使われていた場合にも、彼女一人の超力であるとは限りません。
409
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 23:00:28 ID:iFBZSaEk0
◆
爆発のような轟音と衝撃が、何処からか響き渡る。
別のブロックか通路で、既に受刑者同士の交戦が始まっているのだろう。
されど今の仁成に、そこへと意識を向ける余裕などなかった。
それが手榴弾の炸裂によるものであることも、知る由はない。
物置部屋では、既に幾つかの棚が“腐敗”していた。
徐々に室内へと散布されていく、濃紫の瘴気。
拳闘士を起点に、次々と生まれていく紫花。
戦場と化した空間を、毒が蝕んでいく。
紫骸(ダリア・ムエルテ)――エルビスの超力が、展開されていく。
長期戦になればなるほど、彼の優位は約束される。
仁成は荒れる息を何とか整えながら、迫る敵を見据えていた。
エルビスが“待ち受ける側”だった、あの階段前での攻防とは違う。
むしろ今は、彼が積極的に攻勢に出てくる。
退却の隙を悉く潰すように、仁成へと幾度となくインファイトを挑んでくる。
人類最高峰の肉体を持つが故に、辛うじて粘ることが出来ている。
強靭な肉体を備えるが故に、エルビスの腐敗毒にも気力で持ち堪えることが出来ている。
迫り来るエルビスへと向けて、瞬時に拳銃を抜いた。
所謂、早撃ち。西部劇のガンマンのようなファストドロウ。
距離を詰めてくる相手への迎撃手段として、即座に発砲を行う。
ほんの刹那、迫るエルビスの右拳が風を切った。
脇腹を打ち据えるような低い軌道で、それは虚空へと放たれる。
――そして金属の破裂音が響いた。
放たれた拳が、弾丸を一瞬で打ち砕いたのだ。
先刻の初戦と同様の技巧だ。
銃撃の軌道を先読みし、それに合わせて拳を振るう。
言うのは容易くとも、そう簡単に実行へと移せるものではない。
故に此度もまた、仁成は驚愕させられるが――。
それでも一度は目にした技であるからこそ、彼は後方へとステップしながら対応する。
目視による角度の計測。物質の質量や高度の推測。弾丸の速度。
仁成はこの一瞬で、それを即座に割り出す。
そして、仁成は迷わず銃撃する。
数発の弾丸を、それぞれの角度で瞬時に放った。
反射音。金属製の棚や、無機質な壁面へと衝突。
弾丸は弾き返り、跳ね飛び、そして――エルビスへと目掛けて殺到。
跳弾である。反射した弾丸が、正確な角度で四方から拳闘士を襲った。
逃亡生活の中で体得した武器術により、仁成は拳銃をも自在に操る。
更には人類最高峰の身体機能を駆使し、視力と空間認識能力を極限まで引き出した。
そうして“ぶっつけ本番”で、跳弾を敢行したのだ。
放たれた銃弾の雨は、極めて正確にエルビスを狙ってみせた。
――首や胴体を、ほんの微かに動かしつつ。
――エルビスが、最小限のステップを踏んだ。
弾が掠れる。弾を躱す。
一撃たりとも、直撃はしない。
殺到した筈の跳弾が、悉く外れていく。
僅かな動作のみで、エルビスは完璧に回避する。
跳弾の“反射音”のみで、彼は弾丸の軌道とタイミングを読み切った。
そして、迫る。
エルビスが、再び肉薄する。
即座に地を蹴り、迫り来る。
されど仁成は驚嘆しつつも、最早跳弾すら躱してくることを予想に入れていた。
故に彼は、即座に迎撃の態勢へと切り替える。
410
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 23:01:23 ID:iFBZSaEk0
――拳銃の銃口が軋む。腐敗していく金属が、限界を迎えてゆく。
紫花の腐敗毒に曝され続けた拳銃が、先の発砲で遂に破損を迎える。
使い物にならなくなった鉄屑を、仁成は躊躇なくエルビス目掛けて投擲。
我武者羅な飛び道具など物ともせず、エルビスは突進を続ける。
拳銃が直撃したところで、怯ませるどころか瞬きひとつの隙を作ることさえ出来ない。
迫り来るチャンピオンから、バックステップで必死に距離を取り続ける仁成。
拳の射程から逃れるべく、歯を食いしばりながら後退に徹する。
その跳躍に乗じて、身を翻して出口へと向かおうとするが――。
そうして晒した隙をエルビスは決して見逃さず、即座に“遠当ての魔拳”で追撃。
仁成は対処へと追い込まれる。飛ぶ拳撃に対し、回避や防御を余儀なくされる。
その僅かな猶予の狭間に、再びエルビスが猛追を仕掛けてくる。
決してこの戦場から逃しはしないと、獲物を狙う豹の如く機敏に迫る。
怪物同然の強さを見せつけるエルビス。
己を殺すべく、牙を向き続けるチャンピオン。
目を見開く仁成の視界が、思考が、刹那へと収束していく。
極限の駆け引きの中で、彼は自らを必死に奮い立たせる。
まだだ、まだ膝をつくな、と。
己の力を振り絞って、敵を見据える。
自らの肉体を、全身全霊を持って躍動させる。
――――まだ、死ぬ訳にはいかない。
何が、己を奮い立たせるのか。
ただ生きるためか。刑務から抜け出すためか。
生き別れた家族と再会を果たすためか。
間違いなく、それもあるだろう。
けれど今は、きっとそれだけじゃない。
――――彼女が、自由を求めている。
そう、あの少女が。
自分と同じ、孤独と束縛の中に身を置いていた少女が。
自由と贖罪を求めて、この地の底で生き抜こうとしている。
――――彼女が、償いを望んでいる。
今の自分が、こうも立ち続ける理由。
そんなものが、あるとすれば。
結局、そこに行き着くのだ。
――――いつか、秘密を語り合おう。
あのとき彼女と、そう約束したのだ。
それだけだ、拳闘士(チャンピオン)。
留まるか、抗うか。
往くべき道は、既に決まっている。
――――くす。
そして、声が聞こえた。
まるで仁成の意志に、呼応えるように。
――――くすくす。
あの囁きが、耳に入った。
まるで仁成の決意に、共鳴するように。
411
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 23:03:02 ID:iFBZSaEk0
――――くす。くすくすくす。
あの忌まわしき嗤いが、ぬらりと現れた。
ひどく悍ましく、禍々しく。
悪霊の如く、忍び寄ってくる。
――――くすくすくすくすくす。
祟りを思わせる、その嗤い声。
しかし仁成は、静かなる安堵を抱いていた。
彼女の存在。彼女の証を示す、黒鳥の囀り。
それは仁成にとって、己に寄り添う“昏き光”だった。
――――くすくすくす。くすくすくすくす。
そして、エルビスが。
瞬時にその場から跳躍した。
瞬きの合間に、斬撃が一閃する。
“漆黒の靄”が、鞭のように駆け抜ける。
振るわれた一撃が、荷台や貨物をギロチンのように断ち切った。
跳躍によってその一撃を躱したエルビス。
彼は後方へと着地し、靄との距離を取る。
しかし靄は大蛇の如く唸り続け、枝分かれしながら拳闘士へと殺到していく。
その褐色の肌を貫くべく、黒き敵意が迫り来る。
されどエルビスは、一呼吸を置いた後。
そのまま上半身を屈めた姿勢から、身体を∞の形に回転させ。
猛烈な遠心力を乗せた拳を、次々に打ち出した。
遠心力と反動を乗せた猛打が、黒い靄を打ち砕いていく。
祟りや禍を思わせる敵の攻撃を、鍛え上げた肉体によって破壊する。
乱入してきた黒靄を凌ぎ切り、エルビスは再び拳を構え直す。
――――仕切り直し。
――――エルビスの攻勢が、打ち切られた。
援護のように割り込んできた攻撃を見つめつつ、仁成は乱れた息を整えていた。
後方から姿を現し、すぐ傍らへと歩み寄ってきた影へと視線を向けることはない。
――それが誰なのか。それが何者なのか。
その目で確かめることもなく、仁成には理解できたからだ。
黒い靄が、仁成と“彼女”の周囲に展開される。
超力を否定する力。その力となる“恨み”の不足により、完全なる無効化は果たせない。
それでも無差別に撒き散らされる腐敗毒は、その防御によって軽減される。
「“脱獄王”、トビ・トンプソン」
先程まで響いた嗤い声とは、対照的な。
透き通るような声が、仁成の耳に入る。
「奴との協力を取り次げた」
この地の底で出会い、共に困難を乗り越え。
そして互いの境遇を共有した“同志”が、そこに佇んでいた。
412
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 23:04:04 ID:iFBZSaEk0
彼女が口にした受刑者の名は、当然仁成も認知している。
脱獄のプロ。この刑務から脱出するための要となりうるかもしれない存在。
彼との協力を取り付けたのならば、それは間違いなく大きな収穫なのだ。
「見返りの条件は?」
そして、仁成が問いかける。
当然“ただ”で取引をしたわけではないのだろう、と。
「あのチャンピオンをどうにかすること」
――この施設の調査を阻む、最大の障壁。
無敗のチャンピオン、エルビス・エルブランデス。
彼の足止めや排除こそが結託の条件であることは、想像に難くなかった。
「……だろうな」
だからこそ、仁成はその一言で答える。
苦笑を浮かべながら、視線の先の敵を据える。
エルビスは、今なお連戦の消耗を感じさせない。
凄まじいタフネスとスタミナによって、鬼神の如き継戦を果たしている。
つくづくとんでもない怪物と出会ってしまったものだ、と。
仁成は己の不運を自嘲し、その上で静かに身構える。
この刑務から脱出する糸口を掴むべく、あの男を食い止める。
その為にも――――すぐ傍らに立つ彼女と共に、戦わねばならない。
仁成は、一呼吸を置いた。
そして、決意と覚悟を瞳に宿し。
並び立つ仲間と、言葉を交わし合った。
「――――行くぞ、エンダ」
「――――ああ、仁成」
その遣り取りが、開戦の合図。
リベンジマッチの始まりを告げる火蓋。
第2ラウンドの、幕開けだ。
【D–4/ブラックペンタゴン1F 北西ブロック(内側) 物置/一日目・朝】
【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、探偵風衣装、ナイフ、ドンの首輪(使用済み)、ドンのデジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『エンダの願い』を果たす。
0.エルビス・エルブランデスに対処。可能ならば排除。
1.仁成と共に首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
2.囚人共は勝手に殺し合っていればいい。
3.ルーサー・キング、ギャル・ギュネス・ギョローレンには警戒する。
4.ヤミナ・ハイドを使うか、誰かに押し付けるか考える。
5.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。
※エンダの超力は対象への〝恨み〟によって強化されます。
※エンダの肉体は既に死亡しており、カクレヤマの土地神の魂が宿っています。この状態でもう一度死亡した場合、カクレヤマの魂も消滅します。
※黒靄による超力干渉でエルビスの腐敗毒をある程度遮断できます。
ただし〝恨み〟による強化が発揮しない限り、完全な無効化は出来ないようです。
【只野 仁成】
[状態]:疲労(大)、全身に傷、ずぶ濡れ、服の全面が溶けている、精神汚染:侮り状態
[道具]:デジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
0.エルビス・エルブランデスに対処。可能ならば排除。
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。
5.少女(四葉)にも対処したい。
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。
【エルビス・エルブランデス】
[状態]:疲労(大)、幾らかの裂傷、腹に銃創(軽) 、強い覚悟
[道具]:
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.必ず、愛する女(ダリア)の元へ帰る
0.エンダと仁成を殺す。
1."牧師"と"魔女"には特に最大限の警戒
2.ブラックペンタゴンを訪れた獲物を狩る。
413
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 23:04:45 ID:iFBZSaEk0
◆
(――上層階に行けば、警備室の類もあるだろう。
そいつがあれば施設内の様子を探れる筈だ。
ヨツハの安否もその時に確認すりゃいい)
放送を経て、エンダ・Y・カクレヤマと離別し。
探索を優先して結果的に放置することになった同盟者に対し、僅かに思いを馳せつつ。
トビ・トンプソンは、再び排気管を移動する最中に思慮する。
なぜ自分のような受刑者をこの刑務に参加させた。
なぜ自分という刑務の妨げになるような受刑者を選別した。
なぜ“脱獄王”と呼ばれる犯罪者に、こうして一時的にでも自由を与えたのか。
導き出せる答えは単純だ――“放り込むことに意味があるから”。
自分には何かしらの役割が与えられていると、トビは考える。
役割を与えたのならば、それを遂行して貰わねばアビスにとっても意味がない。
これは単なる刑務ではない。戦術や駆け引きが介在する命懸けの競技、いわばゲームなのだ。
ゲームマスターからすれば、プレイヤーにはイベントを経由して貰わねばならない筈だ。
この刑務とは、何のためのゲームなのか?
最も考えられる推測があるとすれば、それは“超力による戦闘実験”だ。
“開闢の日”以降、世界では表立った大規模戦争は起きていない――不気味な緊張状態のみが延々と続いているとされる。
されど東欧での紛争が示したように、対立の火種は今なお静寂の下で燻り続けている。
いつか超力を動員した国家間の衝突が起きるのも時間の問題であると、表社会でも噂話のように囁かれていた。
故に決して公の場には出てこない“地の底”で、そうした状況に備えた多角的な実験が行われたとしても不思議ではない。
それこそ噂に聞く“秘匿受刑者”が現実のものだったように、少なくともアビスは間違いなく犯罪者に“被検体”としての使い道を見出している。
受刑者同士を意図的に競わせる為の仕組みと、秘密裏に事を進められる“制御された盤面”。
そうしたシステムさえ用意できれば、世界でも記録に乏しいとされる“本格的な超力戦闘データ”を回収できる。
――なればこそ、奴らは実行に移したのだろう。
現状の世界を繋ぎ止めるGPAからすれば、そのデータは喉から手が出る程に求める代物なのだから。
そして土台を用意できたのなら、戦闘実験と並行して“受刑者を使った他の現場実験”を行うことも不思議ではない。
自分のみならず、怪盗ヘルメスやデザーストレのような受刑者も参加させられているのがその証拠なのだ。
彼らのような受刑者には、戦闘以外での明確な価値が存在する。
アビスがそうした面々を使い、実験と共に何かしらのテストを目論んでいると考えるのが妥当だ。
――先刻と同じように、排気口からトビは躍り出る。
1Fの階段前。既にそこには四葉の姿も、エルビスの姿もない。
伽藍堂となっていることを確認したが故に、トビは迷わず降り立った。
そうして今なお残留を続けている紫骸の瘴気から逃れるべく、彼は迅速に移動する。
門番がいなくなった階段を、素早く駆け上がっていく。
エンダによれば、上層階には彼女の同行者が居る。
ヤミナ・ハイドという女囚らしい。可能であれば彼女を回収してほしい、と頼まれた。
結託したよしみということもあり、トビはその依頼もまた引き受けた。
無論、あくまで施設調査が最優先であることは事前に伝えたが。
そう、施設を探ることがあくまで現状の目的なのだ。
414
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 23:05:56 ID:iFBZSaEk0
――――賭けてもいい。
この施設には、間違いなく意味がある。
ブラックペンタゴンは、ただ受刑者達の鉄火場として機能するだけの施設か?
受刑者達を誘き寄せるための誘蛾灯に過ぎないのか?
その可能性も高い。順当に考えれば、この施設自体が何かしらの罠なのだろう。
だが、トビはそれだけではないと推測する。
この施設のみに電気や水道がある可能性からして、既に予見されていたが。
禁止エリアの配置からして、アビスは明らかに受刑者達を中央付近へと誘導することを意図している。
受刑者達の選出に明確な意味があり、彼らに役割を遂行させることをアビス側が見越しているのならば。
24時間のタイムリミットが設けられている中で、彼らを目的から遠ざけるような采配を取るはずがないのだ。
単なる刑務ならまだしも、これは恩赦という賞品を懸けた一種の実験(ゲーム)である。
恐らくは受刑者達を集わせることには明確な意味があり、受刑者達にイベントに挑んでもらうことに意義がある。
――廃墟と思わしき島であるにも関わらず、此処には野生動物の気配は一切存在しない。
この会場が何らかの手段によってアビスが用意した“都合のいい舞台”であることは明白だ。
有り得ないことなどない。開闢後の世界において、それだけは肝に銘じねばならない。
そしてこの刑務場がアビスによって用意された舞台であるのなら、彼らの意向に沿う形で会場が整備されているのも必然だろう。
故にアビスが“目立たない僻地”に刑務の要を設置するとは考えにくい。
あったとしても、それは多少のヒントに過ぎないか、大局には何の影響を齎さない代物である可能性が高い。
そして例え今後ブラックペンタゴンそのものが禁止エリアになるとしても、少なくとも現時点では“調査できる猶予”が与えられている。
電気が通り、水道が通っている可能性が高い。
受刑者達にとっては刑務を生き延びるための拠点となり、恩赦ポイントを稼ぐための狩り場となる。
故に、受刑者同士の争いそのものこそが“刑務の要”を守るための抑止力となりうるのだ。
ブラックペンタゴンは、受刑者達による主体的な相互監視と衝突によって成り立つ施設であるとトビは推測した。
此処に誘われることが、彼らの思惑ならば。
トビは、受けて立つのみだった。
悪党たちの流刑場。地の底の監獄、アビス。
彼らから直々に挑戦状を叩きつけられているのだ。
如何なる悪辣な罠が待ち受けていようとも。
それに挑み、打ち破ってこその“脱獄王”である。
トビ・トンプソンには過去の脱獄において、超力を含む数々の警備システムを出し抜いてきた。
彼は脱獄遂行のために、自らの身体機能を幾度となく“作り変えている”。
ネイティブに多く見られる”脳の自認に基づく心身の変異“を意図的に引き起こしているのだ。
当然ながら心身への負担は大きいため、おいそれと濫用できる手段ではないが。
それでもトビは、その変異を要所において的確に利用し続けている。
そしてアビスへと投獄されたトビは、対ヴァイスマンを見越した術理をも編み出している。
名付けるならば――――“脱獄最適化”。
この刑務を見届ける読者諸氏、その全貌については暫しお待ち頂きたい。
いずれ語られる時が来るであろう。
尤も、脱獄王がその時まで生き残れるか否か。
それは全て、彼の実力と天運に委ねられている。
此処は悪辣なる看守長によって掌握された舞台だ。
冷徹なる悪意の牙は、脱獄王さえも掠め取らんと機を伺い続けている。
彼は所詮、釈迦の掌の上で踊るだけの孫悟空に過ぎないのか。
または緊箍児の束縛さえも超越する、真なる斉天大聖(トリックスター)なのか。
その答えは、今は誰も知らない。
【D-5/ブラックペンタゴン2F 南西ブロック(内側) 階段付近/一日目・朝】
【トビ・トンプソン】
[状態]:疲労(小)皮膚が融解(小)
[道具]:ナイフ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱獄。
0.ブラックペンタゴン2~3Fの調査、そして検分。可能ならばヤミナ・ハイドとも接触。
1.内藤 四葉と共闘。彼女の餌を探しつつ、護衛役を務めてもらう。
2.首輪解除の手立てを探す。構造や仕組みを調べる為に、他の参加者の首輪を回収したい。
3.ジョニーとヘルメスをうまく利用して工学の超力を持つ“メカーニカ”との接触を図る。
4.銀鈴との再接触には最大限警戒
5.岩山の超力持ち(恐らくメアリー・エバンスだろうな)には最大限の警戒、オレ様の邪魔をするなら容赦はしない。
6.ブラックペンタゴンには、意味がある。
※他にも確保を見越している道具が交換リストにあるかもしれません。
※銀鈴、エンダが秘匿受刑者であることを察しました。
※配電室へと到達し、電子ロックを無力化しました。
415
:
We rise or fall
◆A3H952TnBk
:2025/06/02(月) 23:07:03 ID:iFBZSaEk0
◇
人類の究極は、並び立つ同志と共に往く。
黒靄の巫女は、地の底から抜け出すべく奔る。
無敗の拳闘士は、愛に殉じて拳を振るう。
銀の凶月は、人ならざる好奇に嗤う。
血濡れの令嬢は、不敵なる狂気を翳す。
堕ちし桜花は、葛藤の中で過去を求める。
隠忍の暗殺者は、己の価値を渇望する。
不縛の脱獄王は、ただ脱獄の為に駆け抜ける。
――――彼らは戦士。
――――彼らは罪人。
――――立つか、倒れるか。
◇
[共通備考]
ブラックペンタゴン1Fの北西〜北東ブロックの隣接地において、複数の戦局が同時多発的に発生しています。
今後それぞれの戦闘同士が合流して乱戦化する可能性があります。
416
:
名無しさん
:2025/06/02(月) 23:07:47 ID:iFBZSaEk0
投下終了です。
417
:
◆H3bky6/SCY
:2025/06/03(火) 00:09:42 ID:JU3XbRyI0
投下乙です
>We rise or fall
ブラペンでついに始まった本格的な乱戦、秘匿連中が乱戦の中心になっている、対戦カードが決まってワクワクがとまらねぇぜ!
穴熊決め込んでると思い込んでいたエルビスさんが追撃してくるとか怖ぇえ〜!不動ボスが動くという約束事が破られるとホラーめいた怖さがある
只野一人では歯が立たない相変わらずの強さのエルビス、エンダと合流して2対1でも「勝ったなガハハ!」とは全く言い切れないのが恐ろしいところ
殺気なしでヘッドショットかます銀鈴も怖いけどそれで死なないルクレツィア嬢も相変わらずホラー
動きの最適化された銀鈴と無駄の多いルクレツィアでは命中回避に関しては銀鈴有利で、火力がない銀鈴と無限耐久のルクレツィアではルクレツィアが有利というバランス
多くの人間にとっての恐怖だったルクレツィア嬢が、より強大な捕食者に出会い恐怖を覚える、これもまた節理か。その初めての恐怖も楽しめるのは被虐も楽しむのは流石のメンタルではある
これまでいいとこなしだったジェイくんがソフィアと互角に渡り合えるくらいに強いとは、これまで相手が悪すぎただけで予知と超力の2重能力が弱いわけがないんだよね
言われてみれば、事情は違えど悪魔と連れ立ってる2人なんだなぁ。
相手を通して自分の価値を証明したいジェイくんと、全てを捨てても恋人の夢を見たいソフィアではだいぶ価値観が違うけど
トビは自分自身の存在から刑務作業の目的にまで考察がいっているのは流石の鋭さ、頭も回らなきゃじゃない
すでに2階3階の調査はヤミナが行っているけど、ヤミナと違ってトビなら何か見つける期待感がある
詳細はCMの後というヴァイスマン対策、それどうやってるんだ脱獄王!?
418
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:34:47 ID:VSHBuE7.0
投下します
419
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:34:59 ID:VSHBuE7.0
One for all,all for one(一人は皆の為に。皆は一人の為に)
「奴等と闘る前に、訊いときたい事が有る」
弾倉の内部で響く声。外には聞こえぬ、“家族”にしか届かない声。
「まずはサリヤ。“メカーニカ”の鎧はどんなモンだ?」
声の主のは、スプリング・ローズ。欧州に悪名を轟かせたストリートギャング“イースターズ”の首魁だった少女。
至極当然の様に場を仕切っても、誰も何も言わないのは、戦時に於いては“アイアンハート”と覇を競ったストリートギャングのトップが、リーダーに相応しいと認めているからか。
「私達は武闘派じゃ無かったから、あまり戦った事は無いし、戦った所を見た事も殆ど無いけれど…アレはかなり頑丈よ。車に轢かれても耐えたくらいには」
成程。と頷いて、ローズはサリヤへ向けていた視線を、異なる相手へと動かした。
「次は無銘。アンタはサリヤのサポートが有れば、あの狂犬と“メカーニカ”に勝てるか?」
「四葉の負傷の具合は俺以上だが、俺もお前と戦った後だ。何方か一人だけなら勝てるが、二人を相手にするのは無理だな」
「無銘さんは,『二人相手でも勝てる』と言うかと思っていましたが」
ローズの問いに答える無銘。二人のやりとりに、サリヤが割って入った。
「粋がっても始まらん。それに、そんな事を言うのは、互いに死力を尽くして戦った、ローズと四葉に対する非礼だ」
「……そういう、ものなんだね」
「そうだぜキヨヒコ。戦う男の気概って奴だ。ちったぁお前も見倣えよ」
ローズに バシバシと背中を叩かれ、清彦が咽せる。
そんな二人の様子を、無銘とサリヤが温かく見守っていた。
誰もが理解している。
今から戦う相手は、誰もが掛け値なしの強敵で。
この戦いで、“家族”と別れなければならないかも知れないと言う事を。
「じゃあ…決まりだ。3on3と洒落込むか」
ローズが右の拳を左の掌に打ちつけ。
「サポートは任せて」
サリヤがウィンクをし。
「こ…怖いけれど……頑張るよ」
本条は決意を表明し。
「誰かと力を合わせて戦うのは、二度目の経験だな」
無銘はいつもの様に自然体。
「まぁ…機会があれば、私は弾丸になる……。その時は、アンリに宜しく言っといてくれ」
「ああ」
「わ、わかった」
「任せといて」
四人は“家族”。誰か一人の問題も、四人掛りで臨んで解決する。
彼等は“家族”。One for all,all for one。
◯◯◯
420
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:35:32 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
「ヨツハに気を許すなよ。メリリン」
四つの殺意が絡まり合い、鬩ぎ合う、一触即発の空気の中で、ローマンはメリリンに警告した。
「どういう事?アンタ達知り合いでしょ?それとメリリンって呼ぶな」
肩を竦めて、ローマンは疑問に応えた。
「あの駄犬は骨の髄まで戦闘狂だ。さっきは此方がヤル気を見せていなかったから、まだ抑えていたが、始まったら確実に見境が無くなるぞ」
「ええ……」
「ルーサーの野郎のシマ荒らして、アビスに放り込まれた気狂いだぞ。常識が通じるなんて思うな」
天を仰いだメリリンを余所に、ローマンは四葉と本条へと、素早く交互に眼線を走らせた。
未だに茫漠とした気配のままの本条と、獰猛な精気を総身に漲らせ、“その時”を今か今かと待ち望んでいる四葉。
口の両端を吊り上げ、ネイ・ローマンが凄絶な笑みを浮かべる。
餓狼の群れでさえも恐れて退散しそうな、そんな笑み。
「俺だけを見て、俺だけを信じて、俺だけを頼れば良いのさ。メリリン」
「キッッッッッッショ!あとメリリン呼ぶな」
「ハッ!その意気だ!メリリン!」
ローマンの全身に力が漲る。
闘志と戦意が形を成して、全身を包み、大気を震わせる。
赤黒い、乾いた血液の様な色彩のスパークが、ローマンを彩る様に、身体のそこかしこで発生した。
「来いよ牝犬。ケリ着けようぜ」
ネイ・ローマンの超力。破壊衝動を衝撃波として撃ち放つという至極単純なソレは、しかして単純で有るが故に、侮る事は決して出来はし無い。
高威力の破壊エネルギーは攻防一体。生半可な攻撃は撃ち砕かれ、ローマンに届く事は決して無い。
壁の様に撃ち放つ事や、全方位に放出する事も可能な超力は、死角に回り込むことすら許さない。
速度と力で圧倒するスプリング・ローズが、ネイ・ローマンと複数回戦って未だ決着を得られない理由である。
「今のテメェは見るに堪えねえよ」
言葉に込められたのは、嘲りと失望と、ほんの僅かな怒り。
「ルーサーの飼い犬の手下ではあったが…群れのアタマとしては、テメェの事は認めてたんだぜ。
テメェは手下を盾にしないで、いつも先頭に立っていたからな。
“ハイヴ”の時だって、テメェが血塗れになって戦った。手下をぶつける事もできたのによ」
大気が震える。音になら無い振動が、無音のままに、この場にいる全員の鼓膜を震わせる。
ローマンの周囲に溢れるエネルギーだけでも、その猛威を知らしめるには充分に過ぎる。
「それが何だ?今の醜態(ザマ)は、先陣切るのは変わらねぇが、取り込まれて良い様に使われてやがる」
乾いた破裂音が、ネイ・ローマンの周囲で連続して生じる。
音の正体は、高まるネオスが、空気を引き裂き爆ぜさせる事により生じるものだった。
「生きてた時も不細工だったが、今のテメェはlルーサーの手下に飼われていた時より不細工だよ」
四葉の、メリリンの、本条の、全員の耳に聞こえた音。
荒ぶるネオスが、音の域にまで大気を震わせだしたのだ。
「殺してやるよ。スプリング・ローズ」
強く強く、ネイ・ローマンの拳が握り込まれる。殺意と力を僅かも零さぬ様に。
「一つ言っとくぜ。ローマン」
答える声は、十代前半の少女のもの。
一千人の敵も背を向けて逃げ出すだろう、ネイ・ローマンの殺意を正面から受け止め、同等の殺意をぶつけ返す少女が、齢わずかに十三などと、だれが信じるだろうか。
「私は私の意思で、“家族”の前に立っている」
本条の姿は既に無く、本条の居た場所に立つはスプリング・ローズ。
ネイ・ローマンと並び立つ、欧州のストリート・ギャングの絶対者。
「それは誰にも否定させねぇ」
少女の姿が変わる。
矮躯が膨れ上がり、大きく。巨(おお)きく変貌していく。
「例えボスでもな」
真紅の毛が全身を覆っていく。
人体など骨ごと噛み砕けそうな強靭な顎に、生え揃った鋭い牙。
鋭利な刃物を思わせる、凶々しい鉤爪。
矮躯の少女の姿は消えて失せ、そこに立つは人狼(ヒトオオカミ)。
「殺してやるよ。ネイ・ローマン」
421
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:36:03 ID:VSHBuE7.0
かつて欧州のストリートで、幾度も激突した2人。
此処は欧州でも、ましてやストリートですら無い。
何処とも知れぬ孤島で、強いられた刑務で、しかも片方は死人の残響ときている。
それでも。
それでも充分だと。
殺すべき相手がいれば、それで良いと。
立ち込める二人の殺意が宣言している。
広大なエントランスの空間に、二つの殺意が充満し、鬩ぎ合い、弾けて爆ぜるその直前。
「ねぇ、ネイ。私さぁ、もう一度会いたいと思ってる人がいてさぁ…。その人どうもローズと一緒に居るらしいんだ」
最後の鎧を装甲し、内藤四葉が割って入った、
「だからさぁ…。ローズを私が殺っちゃっても……良いよね?」
「……此奴とケリつけるのは俺だ」
「早く会いたいんだよぉ〜。トビさんも待ってるしさぁ」
ローズと殺りあいたいだけだろうが。と、ローマンは心の中っでツッコミを入れた。
しかし、である。この後にルーサー・キングと決着を着けねばならない。
そこを考えると、難敵であるローズの相手を四葉に任せる。というのも手ではある。
四葉とローズ、戦えば五分と五分。どちらが勝つにせよ。生き残った方は無事には済まない。
四葉が勝てば良し、負けた所で、手負の獣を楽に仕留める事が出来る。
ローズの“現状”を考えなければ、という前提付きだが。
「ルーサーとケリつける事も考えると、お前にやらせた方が良いか」
この後の展開を予測し、ローマンは敵意の方向を切り替える。
最早敵は一人だけでは無い。
「ヤッタァ!」
破顔した四葉は、ガッツポーズを決めて前へと出る。
ローズとローマン、何方へも襲い掛かれる場所へと。
「けどさぁ…ネイ。私がローズにぃ、殺されそうになったらさぁ………アンタ私を殺すよねぇ……」
歓喜漲る精気を全身から溢れさせ、四葉が言う。あまりの精神の昂揚に、呂律が上手く回っていない。
死闘を前に猛り狂うその姿は、先刻エルビス・エルブランデス相手に、負傷して逃げ出した敗残の身とは思えなかった。
「当然だ。軍勢型(レギオン)だぞ。お前が取り込まれて面倒なことになる様なら、俺の手で始末した方が、後の面倒がねぇ」
「そっかあ〜〜。そうだよね〜〜〜」
四葉は笑う。口の両端が裂けたと言っても過言では無い程に吊り上がり、歯を剥き出した顔は、笑顔というよりも、屠った獲物に喰らい付く肉食獣を思わせた。
「仕方無いよね〜〜〜〜……クヒッ」
四葉の纏う濃密な闘志を浴びて、ローズとローマンは互いに視線を交わした後、揃って肩を竦めた。
「サシでケリつけたかったんだがな。ローズ」
「物事ってのは、ままならねぇよなぁ。ローマン」
ギャングスターと人狼は、頷き合う。
この先に何が起きるのか、知り尽くした風情だった。
一人メリリンだけが何が何やら理解できずに取り残されていた。
「キヒッ…キヒヒヒヒッ!」
欧州のストリートで覇を競った宿敵同士の間に、狂気そのものの笑声が生じた。
四葉の狂態に、メリリンが不安気にローマンへと近付き。
ローズとローマンは揃って溜息を吐いた。
「キヒヒヒヒヒヒヒヒッ……。ならさぁ……ネイも私の敵って事で良いよねぇ!!」
狂悦、興奮、歓喜、高揚。
複数の感情が混じり合った、聴くもの全てが狂気を感じる声と共に、四葉が行動を開始する。
残った鎧である『ラ・イル』を纏い、手にした長弓から、機銃掃射の如き勢いと数の矢を、三人目掛けて撃ち放った。
鋼人合体した四葉は、宮本麻衣の眷属の中で、最大の力と巨軀を誇るギガンテスに引けを取らない剛力を発揮する。
その剛力を以って、矢羽から鏃に至るまで鋼で出来た矢を射れば、放たれた矢は音速を超えて飛翔し、岩すら貫く魔弾と化す。
「それが遺言かよ、もう少しは気の利いた事言えや。狂犬」
ローマンとメリリンへと飛来した矢は四十と三。その全てを超力で微塵と砕き、ローマンが呆れた口調で呟く。
422
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:36:30 ID:VSHBuE7.0
「テメェも今、此処で死ぬかぁ!?」
大気が絶叫し、床が砕ける。
尚も飛来する鋼矢を悉く塵と変え、ローマンと四葉の間を遮る壁の様に形成された破壊エネルギーが、四葉の五体を砕くべく放たれる。
赤黒い破壊エネルギーは、幅にして20m、高さにして7m。その大きさを以って回避を不能としている。
「アンタを殺してからにするよ!」
手に執るは、長弓に非ず、柄が半ばで俺砕けた“ヘクトール”の鋼槍。
エルビスの拳を防ぐのに用い、守備よく受けたものの支えられず、鋼で出来た柄が砕け、続いて胸甲が撃砕された。
四葉の超力、『pquatre chevalier(四人の騎士)』。武装した四体の鋼の鎧を召喚し戦わせる超力。
召喚に際しては、全てを出すのでは無く、一部だけを出現させるという事も可能。
例えば────騎士の持つ武装のみを出現させるという事も出来るのだ。
「どっせええええええええい!!!!」
鋼の鋒を床に突き立てると、叫喚と共に槍を振り上げる。
大気との摩擦熱で、鋒が燃え出しそうな速度で振り上げられた槍先から、引き剥がされた床が飛ぶ。
優に数百キロは有るコンクリート塊は、ローマン超力とぶつかり、秒と持たずに砕け散る。
赤黒い破壊エネルギーは、次いで四葉を捉え、後方へと跳ね飛ばした。
宙を舞う四葉を見る事無く、ローマンはローズへと向き直り様に、超力を発動させる。
「土は土に、灰は灰に…塵は塵にっっってなあ!!!」
死者を埋葬する際の、祈りの言葉を叫び、拳を振るって、破壊衝動を力と変えて撃ち放つ。
床が捲れ上がる。大気が悲鳴を上げる。轟く音は、龍の咆哮にも似て、メリリンの鼓膜を打ち叩いた。
形容し難い響きと共に、鋼鉄で出来たホールの扉が捻れて曲がり、複数の鋼片へと裂けながら宙を舞う。
壁や床、高く天井にまで達した鋼片が跳ね返って落ちる中を、真紅の影が疾駆する。
「相変わらず単純だなぁ!そんなんじゃあ当たらねえよマヌケ!猿でも少しは工夫をするぜ!!」
「残骸が喋るな!癪に触るんだよ!」
再度放たれる破壊の奔流は、虚しく床を粉砕するだけに終わる。
ローマンが狙いを付けた時には、既に回避行動に移っていたローズは、ローマンの攻撃で砕けて宙へと舞い上がった床の破片を蹴り飛ばして加速、空中からローマンへと強襲を掛ける。
「アホが!」
ローマンが拳を繰り出す。
ローマンとローズ、二人の間の距離は5m。あまりにも離れ過ぎているが為に、繰り出した拳は、空を打つだけに終わる。
拳を放ったのが、ネイ・ローマンでなけれさえすれば。
赤黒い奔流がローズを飲み込み────破壊エネルギーが過ぎ去った後に残る、気配も存在感も何もかもが希薄な男。
「ああ!?」
「良くやったキヨヒコ!姉ちゃんが褒めてやるぞォ!!」
“敵対してはならない”とまで言われるネイ・ローマンの超力。
一度敵対して仕舞えば、怒れる神の劫罰の如くに降りかかる破壊をやり過ごしたのは、本条清彦。
殺意も敵意も持たず、気配さえ希薄で、かつローマンからは敵と認識されていない本条は、ネイ・ローマンの破壊の意志をすり抜ける。
“家族”の中でも、知にも武にも暴にも秀でていない本条が、欧州のストリートの絶対者を出し抜いたのだ。
有りえざる事態ではあるが、不条理が当たり前の様に生じるのが超力が横行する新時代。
軍勢型(レギオン)の特性を活かした回避と奇襲は、ものの見事に成功し、本条はローマンへと迫る。
だが、キングス・デイという巨大組織を相手に戦い続けたローマンは、この程度の不条理には飽きる程に遭遇している。
驚きつつも、意識を余所に、肉体は迅速に対処。
拳にに赤黒いエネルギーを纏わりつかせ、本条の胸部に鋭い拳打。
素人の拳打では有るが、踏んだ場数が動きに洗練を齎し、纏わりつかせた超力が、攻撃に過剰なまでの殺傷性を付与する。
並の“ネイティヴ”であれば、確実に心肺が破裂する威力の拳が、本条の胸部を捉え、鈍い音が生じた。
423
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:36:55 ID:VSHBuE7.0
「そういう事かよ!」
ローマンの拳を受けたのは、本条清彦では無くスプリング・ローズ。
“弾丸”として取り込まれ、能力が劣化しているとは言え、その強靭な毛皮と筋肉は、ローマンの拳打の威力を真っ向から受け止めて微動だにしない。
「ハッハァ!良い家族だろぉ!」
振われる真紅の剛腕。残骸に過ぎぬ身であるとはいえ、欧州のストリートに名を轟かせたスプリング・ローズ。
凡百な強化系ネイティヴならば、躱す事など出来ない速度で腕が振り抜かれる。
「遅えよ」
されども相手はネイ・ローマン。本条清彦の“家族”となる前のスプリング・ローズと複数回殺し合って、決着を見なかったギャングスター。
見慣れたローズの動きよりも、遥かに遅くなっている事に、嘲る余裕すら見せながら、半歩退がってローズの振るった爪を回避、至近距離から凄絶な威力の衝撃波を撃ち放った。
「ワンパだって言ってんだろ」
ローマンが衝撃波を放つよりも早く、後背に廻り込んだローズが、背後から五指を揃えた貫手で、ローマンの心臓を穿ちにいく。
響き渡る鈍い音。ローズの爪を、赤黒い熱風が弾き飛ばした音だった。
右腕を弾き上げられ、舌打ちしたローズが右の蹴りでローマンの足を刈ろうとするも、ローマンは超力を纏わせた脚で床を蹴り、前方へと跳躍。
ローマンが空中で身を捻ってローズへと向き直った時には、既にローズが吐息が掛かる距離にまで密着していた。
ローマンの眼が驚愕に見開かれる。
明らかにローマンの知るスプリング・ローズの動きでは無い。
ローマンの知るローズの動きは、並の獣化系超力者や、身体強化系超力者が比較にならない程の身体強化を用いたゴリ押しだ。
ローズ自身の膨大な戦闘経験が、動きの洗練や駆け引きを齎してはいるが、骨子となるのは超力んk基づく力押し。
それが、明らかに異なっている。
ローマンの動きを予測して、先手を取って動いてきている。
理論の蓄積と、繰り返した鍛錬に基づく理合で動いている
「遅えよ」
先刻のローマンの嘲りをそのまま返し、スプリング・ローズの禍爪が、ローマンの首筋へと振われた。
────間に合わない。
ローマンの脳裏を“死(DIE)”の文字が過ぎる。
メリリンがドローンを操作してボルトを放つも、超力を纏ったローマンの拳すらが通じぬ人狼の体毛を貫く事は出来ず、虚しく跳ね返った。
────死ぬ。
ローマンの胸に沸き起こる諦念。そして諦念を薪として燃え盛る凄まじい赫怒。
ルーサー・キングの首に手が届くというのに、相見える事もできずに死ぬ事への憤激。
何処かの組織に捕まった仲間が、薬漬けにされ、全身を素手で刻まれ砕かれ潰されて、惨殺された動画を見て、報復を誓った時の激怒。
麻薬根絶という大願を果たせず死ぬ事への憤慨。
複数の“怒り”胸の内で渦を巻き、荒れ狂う激情が、身体を突き破って噴出しそうな錯覚を覚える。
今の状態で超力を放てば、ブラックペンタゴンを半壊させる事も出来るだろうが、ローマンが超力を放つよりも速く、ローズの爪がローマンの頭を落とすだろう。
ローズの爪が、首筋に触れる。その瞬間が、ローマンの眼にはやかにハッキリと、緩慢にすら映った。
爪が皮膚を破り、眼前の人狼(ヒトオオカミ)の体毛を思わせる赤が滲んで────。
424
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:37:32 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
ローズの爪が上方に跳ね上げられた。
ローズの体毛を貫けず、跳ね返ったボルトガン床に落ちて、硬い音を立てた。
ローマンとローズの間を奔る剣閃。
両目を薙ぎに来た剣閃を、ローズは右の五爪で受け止め、支えきれずに三歩後退する。
ローマンの眼が、何かを察した様に細められた。
ローマンが浮かんだ疑問の解消に勤しむ間にも、乱入してきた鎧姿は、連続して鋼の長剣を振るい続け、ローズを後ずらせ続けていった。
舌打ちしてローズが大きく後ろへ飛ぶ、ローズを追って跳躍した鎧に対し、ローズの姿がオッドアイの女性の姿へと変わり、鎧へと両手の十指を向けた。
連続して空気が震えた。鎧へと向けられた十の指先から、間断無く撃たれ続ける空気弾。
空気の塊が鎧の表面で弾ける音が響き続けるが、鎧は意に介することもなく猛進し、剣をを振るい落とし、振り上げ、横に薙ぎ、連続して刺突を入れる。
その全てを女は躱すと、再度人狼の姿となって後方へと跳躍。鎧も後を追って跳ぼうとしたタイミングで、ローマンの放った衝撃波が奔り抜けた。
「……ローマン殺したら、無銘に変わってやっからよ。邪魔すんな。狂犬」
ローマンの衝撃波を躱し、怒りを滲ませてローズが言う。
後一息でローマンを仕留められたというのに、邪魔をされたのだ。怒りの一つも湧くというもの。
「い・や・だ・ね!!全員私が喰うの!」
ローマンの生命を救ったのは内藤四葉。
衝撃波を受けて跳ね飛ばされ、床に転がったのものの、即座に起き上がって、ローマンとローズの殺し合いに割って入ったのだ。
ローマンを救った理由は他でも無い。ローマンが死んでローズとタイマンになるよりも、ローマンとローズを同時に相手にする方が面白そうだから。
欧州ストリートの生ける伝説である、ネイ・ローマンを、心ゆくまで味わいたいから。
この、常人の利害損得とは無縁の基準は、脱獄を全てに優先する脱獄王に通じるものがある、
トビと四葉。二人が道連れになるのは至極当然というべきだった。
ともあれ、狂人そのものの四葉の思惑により、ローマンの生命は救われたのだった。
「キシシシッ……。ねぇローズゥ、アンタ“達”の動きさぁ…私凄く覚えがあるんだぁ……無銘さんでしょ?」
手首と指を巧みに動かし、握った長剣を片手で器用に舞わしながら、四葉が
上擦った声で訊く。
「動きが妙に良くなってると思ったら、お前動かしてるのは別の奴か?負けて食われて、チンケなメンツもプライドも、無くしちまったかぁ!?」
四葉に次いで、ローマンの嘲り。
己一人で戦う事も出来なくなった負け犬と、スプリング・ローズを嘲罵する。
「なんとでも言えよ、ボケが。これは今の私の力。私が支え、私を支えてくれる、“家族の絆”だよ」
「………やっぱ見るに耐え ねーわ。今のお前」
殺されて取り込まれて、その様で“家族の絆”。生きている時のローズならば、決して口にしないどころか、思いもしなかっただろう言葉。
それを誇るかの様に語るローズは、殺されて在り方を捻じ曲げられた“残骸”だ。
ローマンにしてみれば、向かい合っているだけで、反吐が出る様な思いだった。
「無銘って奴か?お前を殺したのは」
「ああ?勝ったのは」「俺だ」
ローズの声に、精悍な男の声が被さった。
四葉以外は初めて聞く声で、それでも声の主が無銘という名の男だと即座に理解する。
425
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:38:04 ID:VSHBuE7.0
「テメェ私にしこたまやられて気絶しただろうがっ!」
一人芝居を始めたローズを放置して、ローマンはメリリンへと向き直った。
「おいメリリン。さっき狂犬に空気弾撃ってたのが“サリヤ”か?」
「そうだよ。あとメリリンって呼ぶなクソガキ」
「…“サリヤ”の超力は、あんなモンだったか?」
「いいや…サリヤの空気弾は、大口径マグナム位の威力は有った……けれど、アレじゃあ小口径の弱装弾だ」
そうかい。と呟いて、次に四葉の方を向く。
「おい狂犬。一つ訊きたい事が有る」
「何さ」
「無銘って奴は、どんな超力を使用(つか)っていた?」
「知らない。使わなかったし、強化系じゃないかなぁ」
四葉は過去の死闘を思い出して、懐かしげに呟く。
拳で蹴りで、四葉の纏う鋼の鎧を撃ち砕き、自前の身体能力と、岩をも砕く鎧の剛力とが合わさった、鋼人合体した四葉を相手に、互角に殴り合った無銘の姿。
四葉や宮本麻衣の様に、何かを召喚すること無く、ローマンの様に力を放つ訳でも無く、ローズの様に変身するでも無く、メカーニカの様に、武器を造る訳でも無い。
只々己が五体を以って、四葉と戦い引き分けた強者。
超力が何かと問われれば、身体能力強化系と、誰もが答えるだろうが。
「違うな。ローズと戦って、メリリンに話を聞いて理解ったが、あの軍勢型(レギオン)に取り込まれると、超力が弱体化する。超力で身体能力を強化するタイプなら、ローズを殺すのは無理だ」
「ああ〜。超力使って私と互角なら、弱体化した状態でローズと戦うと……死んじゃうねぇ〜。
つまり、無銘さんは、大根卸さんと同じで……クヒヒッ!悪いねネイ!私だけそのままで!」
「うるせえ盛るな狂犬。楽に殺せるんなら、それに越した事はねぇ。お前と同じにするな」
「はぁ〜。男のロマンとか気概とか無いの?男のクセに。タマ付いてる?」
「うるせえよ!それより狂犬。さっきぶっ飛ばされて分かっただろう?命を助けて貰った借りと昔のよしみだ。詫び入れるなら許してやるぜ」
「んん〜。そうだねぇ、ネイの超力はやりづらいしなぁ……。謝っとこうかなぁ」
虚空を見上げ、腕を組んで思案する。
「とか言うとでも?」
「思わねぇ」
首目掛けて薙ぎつけられた長剣を、ローマンは衝撃波で弾き飛ばす。
「テメェ等二人とも、此処で死ね」
ギャングスターが告げる殲戦布告。その言葉を開戦の号砲とし、三つ巴の死闘が開始された。
◯◯◯
426
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:38:36 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
鋼の長靴が床を踏み鳴らし、長剣が空を裂く音が絶え間なく響き続ける。
衝撃波が大気を軋ませ、床と壁を撃ち砕く。
空気の弾丸が乱れ飛び、真紅の人狼(ヒトオオカミ)が、爪を振るう。
三者三様。沸る殺意を抑えもせずに、他の二人の生を此処で終わらせるべく死力尽くす。
「ッだあありゃああああ!!!」
四葉が、ローマンの胴を輪切りにするべく、長剣を横薙ぎに振るい抜く。
対してローマンは、迫る長剣へと左掌を差し出す。
生身の掌で、鋼の刃を防ぐなどという事は、旧時代に於いての不可能事。
しかしていまは新時代。超力を用いれば、武器や装甲が無くとも、鋼の刃は防ぎ得る。
乾いた音がして、四葉の振るった長剣が弾かれる。
ローマンの左掌に生じた赤黒いエネルギーの塊が、鋼の剣身を弾いたのだ。
刃が弾かれた勢いで、大きく仰け反り隙を晒した四葉へと、ローズの凶爪が振われる。
本条の“家族”に加わり、心の安らぎを得たのと引き換えとなったかの様に、弱くなった人狼(ヒトオオカミ)だが、それでも鋼の鎧を内部の人体ごと引き裂く力は確と有している。
姿勢を崩し、更に不意を突かれた強襲を受けたにも関わらず、四葉は当然の様に爪を回避して、渾身の前蹴りさえ見舞ってみせる。
数歩後退ったローズへと、追撃の刃を振るう事無く、その場から跳躍。刹那の間も置かずに、四葉の居た場所を、鋼の杭が過ぎ去った。
「“メカーニカ”の話は聞いていたけれど、結構やるじゃん!」
杭を撃ち放ったのは、メリリンが作成した杭打ち銃。
設置式ボルトガンとラジコンを材料に形成し、ローマンの攻撃で砕けた床を杭と為して撃ち放つ。
四葉の鎧にも、ローズの身体にも、ボルト如きでは通じぬと識って、新たに作り出した一品だ。
作成して、即座に四葉を狙撃するも、死角から撃ったにも関わらず、簡単に回避されてしまった。
四葉の勢いは止まらない。それどころか、一合交える度に、意気が軒昂となり、全身に力が漲っていく。
ローズとローマンとメリリンの、三人の攻勢を悉く躱し捌いて、寄せ付けない。
脳の自認が身体に影響して、身体機能すら変異させる、ネイティブに見られる特性を、四葉は当然の様に発揮している。
その特性により変異した場所は、脳。
四つの鎧を自らの意思で操るという性質上、四葉の脳は異常とすら言える成長を見せていた。
自律で動く宮本麻衣の“眷属”達を相手にして、四つの鎧を縦横に駆使して渡り合った様に、
狂乱した“眷属”達の猛攻に晒されても、凌ぎ切った様に。
大脳の持つ情報処理能力が、超力によりネイティブの比では無い程に跳ね上がっている。
単騎であってもその脳力は、存分に発揮されていた。
複数方向からの攻撃を全て見極め、優先順位を正確に定めて対処、最適なタイミングを見極めて反撃する。
四体の練達の武技を振るう鎧も、自らの身体能力に、鎧のそれを加算する鋼人合体も、四葉の強さの本質では無い。
大根卸呪魂という、超力に拠らぬ強さを持つ怪物に焦がれた少女は、見事に自らを超力に拠らぬ強さを持つ存在へと育て上げたのだ。
エルビス・エルブランデスと戦った時の様に、脳震盪を起こしても、なおも戦い続けられる程に、四葉の脳は優れている。
427
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:38:55 ID:VSHBuE7.0
対する本条清彦もまた、同様の強みを有している。
傷ついた無銘は戦わず、無銘の指示を受けてローズが動き、戦う。
ローズの劣化した超力を、無銘が補い、動きを練達の武人のそれに変えている。
ローズの感覚と身体能力に、無銘の技量に判断力、この二つが合わされば、四葉もローマンも、有効打を加えるに至れない。
更に本条が 現状のローズでは到底耐えられない上に、回避が困難なローマンの超力に対処し、サリヤが射撃により援護する。
戦闘狂の無銘も、ローマンと決着を望むローズも、メリリンを眼前にしたサリヤも、共に“家族”の為に己を歪めて、協力して敵と対峙する。
この敵には、我意を捨てて、団結しなければ、“家族”が死んでしまうと理解しているから。
嗚呼、美しき家族愛。彼等の絆に敵は無い。
この両者に対するネイ・ローマンは、如何なる強みを有しているのか。
本城清彦と内藤四葉、両者の強みがソフトの部分に有るとすれば、ネイ・ローマンの強みはハードの部分に存在した。
欧州のストリートに君臨し、邪悪の巨魁ルーサー・キングから、殺しておきたい相手だと認識され、刑務早々に大根卸呪魂と渡り合ったネイ・ローマンの強さを支えるもの。
単純な肉体と超力の強さ。そして数多の場数を踏むで得た経験。
撃ち放つ赤黒い超力は、銃弾はおろか超力ですらも捉えて無効化するドミニカ・マリノフスキの重力場をも貫き、
集束させれば、ヤワな超力など軽く弾く強度の肉体を有する、人狼と化したスプリング・ローズすら撃ち倒す。
素の身体能力ですらが、膨大な戦闘経験により鍛え上げられ、下手ね身体能力強化系の超力者ならば、最も容易く殴り倒し制圧出来るレベルに達している。
小賢しい理屈付けなど必要としない。単純(シンプル)な強さ。
殺人者として生きてきた、ジェーン・マッドハッターをして、『格が違う』と言わしめたその戦力。
三人が入り乱れる乱戦であっても、巨大組織キングス・デイを相手に戦い続けたローマンにとって、多対一は、むしろ慣れ親しんだもの。
経験を活かしに活かし、攻防一体の超力を存分に駆使して、他の二人を寄せ付けない。
428
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:39:27 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
振り下ろされる長剣を、ローマンは後ろに下がって躱すと、首筋目掛けて放たれた爪へと、超力を纏わせた拳を打ちつける。
詰めと拳が接触した場所で、乾いた炸裂音が生じ、ローズの体毛とローマンの前髪を掻き乱した。
更なる攻撃を行おうとしたローズの顔面へと、複数方向からボルトが連続で飛来する。
思わず手で目を覆ったローズの腹に、ローマンが超力を纏わせた前蹴り。
生前のローズならば、直撃しただろう一蹴は、ローズが後ろに下がった事により宙を穿つに留まった。
攻撃を空振りした程度で、ローマンは止まらない。蹴り脚を踏み込みに用い、勢いのままに再度の拳打。
この攻撃をローズは大きく横に飛んで回避すると、サリヤの姿に変わりローマンへと指先を向ける。
「洒落臭ぇよ!」
例え十指を用いての乱射であっても、ローマンの超力は空気弾の全てを砕いてサリヤを殺す。
ローマンとサリヤの間を隔たる様に放たれた衝撃波は、本条清彦が擦り抜ける。
だが、本条が擦り抜けたその先には、既にローマンが距離を詰め、超力を纏わせた拳を繰り出していた。
至近距離で範囲攻撃を放たれれば、例え生前のローズの脚を持ってしても、回避は困難。現在では不可能だ。
ならばどうするか?単純な問題だった。先程の様に擦り抜けるしか無い。
そして、ローマンの超力を擦り抜けられる人格は、戦闘能力が皆無である。
つまりは、楽に殺せる。
本条清彦はネイ・ローマンの超力を擦り抜けられるが、ネイ・ローマンその人には無力なのだ。
振われる拳。カリブ海の怪物、ドン・エルグランドでさえもが、受ければ只では済まないだろう猛撃が、本条へと奔る。
本条が受ければ良くて瀕死、普通ならば即死するだろう攻撃は、先刻の蹴りの様に虚しく宙を疾り抜けた。
ローマンが間髪入れずに衝撃波を放つ。
拳が直撃する直前に、本条がしゃがみ込んだのが見えた為だ。
そして至近距離で攻撃を空振りすれば、次に来るものは。
「言っただろうが!家族(私達)を舐めるなってなぁ!!」
当然、スプリング・ローズの猛襲だ。
真紅の剛腕が、ローマン目掛けて五爪を振るう。
衝撃波でローズを後ろに退げる事が出来たとしても、胸を切り裂かれる事は避け得ない。
メリリンが、咄嗟にローマンの襟首を掴んで引っ張らなければ、そうなっていただろう。
メリリンにより、ローマンの上体は大きく仰け反り、ローズの爪は虚空を薙ぐ。
衝撃波を受けてよろめいたローズへと、渾身の一撃を浴びせて仕留めようとしたその時、メリリンがローマン前へと出る。
甲高い金属音を響かせ、鋼の剣身がメリリンの纏う鎧に食い込んだ。
「随分と頑丈じゃない」
「俺のネオスに耐えた位だからな」
あまりの速度でで放たれた破壊エネルギーにより、高速で押し出された大気が、結果として爆ぜる。
ローマンの放つ凄絶な威力。
赤黒い本流が三人の女を呑み込み。直後、ローマンは顔めがけて飛んできた鉄拳を、大きく後ろに飛んで躱す。
429
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:39:55 ID:VSHBuE7.0
「危ないじゃないかクソガキ!」
「加減はしたし、鎧着てるし、敵意無いから問題無いだろ?信じてるんだぜ、メリリン」
「次やったら殺すよ。あとメリリンって呼ぶな」
「戯れるなら、私としなよ!」
ローマンとメリリンの間に割って入るには、内藤四葉。
神々の終末(ラグナロク)の時至るまで、ヴァルハラにて殺し合いを続けるエインヘリヤルの如く、戦いを欲し、求め、望み、渇える狂戦士。
二十を超える鋼矢を、2秒と掛からずローマンとメリリン目掛けて乱れ撃つ。
裏社会で名の知られた殺し屋であるジェーン・マッドハッターが、一撃で敗北を認めた苛烈な超力を複数受けて、その戦意は些かも減衰していない。どころかより一層盛んとなっている。
「じゃあ遊んでやるよ!」
ネイ・ローマンの超力は攻防一体。
銃撃どころか砲撃ですら、飛来する弾を微塵と砕いて防ぎ切り、放った超力で射手を砕く。
突進する普通乗用車程度であれば、台風に遭った木葉の如くに宙に舞わす事が出来る。
かつて、ネイ・ローマンを殺す為に、大型犬トラックが持ち出された所以である。
今もまた、放たれた衝撃波は、鋼矢を全て砕き散らし、四葉に何度目かの空中浮遊を経験させた。
「芸が────」
ローマンの言葉が中途で途切れる。
メリリンに体当たりをされて、跳ね飛んだのだと理解したのは、元居た位置に立ったメリリンの胸に、ローズが強かに強打を撃ち込んでいるのを見た時だった。
胸部の装甲が大きく歪み、分厚い鎧に覆われたメリリンの身体が広報へとすっ飛んでいく。
急いでローズ狙いをつけたローマンは、後背から迫る歓喜と殺意の混合物(ブレンド)を感じた。
「引っ掛かったぁ!!!」
全ては四葉の計算尽く。
ローズから距離を置いてローマンへと攻撃し、ローマンの敵意を自身に惹きつける。
ローマンの意識が四葉に向いている間に、ローズは本条に交替。本条の超力を活かして悟られずに近づき、接近したところでローズに交替。
そして、ローズが渾身の不意打ちを見舞ったのだ
ローズに対し、メリリンが気付けたのは、メリリンの意識が“サリヤの亡霊”に注がれていたからだ。
ローズがローマンへの奇襲を成功させれば、ローズの晒した隙に乗じる。ローマンが迎撃すれば、ローマンの晒した隙に乗じる。
どちらへ転んでも四葉に損は生じ無い。この作戦が前提として、必然的に、ローマンの猛撃を受ける事になるという事を除けば、だが。
後ろから振われた凶刃に対し、ローマンは前転する事で、回避と距離を取る事を両立させる。背中を切先が掠り、熱いものが生じた。
追撃してくる四葉に対し、全方位に衝撃波を放つ事で対処するも────。
「何度も何度も!食わないよ!!」
四葉はローマンを起点として、前後左右に放たれる超力の死角────ローマンの頭上へと跳躍。長剣の切先をローマンへと向け、脳天目掛けて繰り出した。
ローマンもまた、頭上の四葉へと超力を纏った拳を繰り出すが、僅かに遅く、四葉の切先が、先にローマン頭を抉る。
ローマンが致死の一撃を受ける、その直前。四葉は身体の向きを変え、振われたローズの爪と、長剣を噛み合わせた。
「一遍に仕留める好機(チャンス)だったんだけどなぁ」
「そうは簡単には行かないよ」
笑い合うローズと四葉。
四葉がローマンを殺したタイミングに合わせて、四葉を殺害する事で、強敵を2人纏めて撃破するというローズ“達”の目論見は、四葉が気づいた事により失敗に終わった。
同時に振われる剣と爪。超力を放とうとしていたローマンは後ろへと跳び、斬殺を回避する。
「愉しくなってきたねぇ〜!!」
四葉が猛り、
「テメェ等さっさと死にやがれ」
ローマンの苛立ちは募る一方。
「お前等が死にやがれ」
ローズの殺意は変わらない。
430
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:40:17 ID:VSHBuE7.0
交錯する剣と爪と拳脚。
鋼の長靴(ブーツ)が床を踏み砕き、真紅の人狼(ヒトオオカミ)の爪が空を裂き、赤黒いエネルギーが壁を穿つ。
広大なエントランスは、放埒に暴れ回る三人に耐える事など出来はせず、一秒毎にその姿を喪っていく。
「化け物共め…」
メリリンの声は、呻きであり心の軋む声だった。
メリリン一人だけ、着いて行けていない。
三人の戦いは、ネイティブを基準としても常軌を逸脱していた。
元より戦闘の経験の無いメリリンでは、この戦闘に介入する能力を持ち合わせ無い。
制作した杭打ち銃も、このままでは宝の持ち腐れだ。
何か出来る事は無いかと思っても、出来る事が思い付かない。
鋼の刃と爪が交わり火花を散らし。
拳と爪が激突し。
鋼矢を衝撃波が粉砕し。
空気弾を鋼弓が打ち払い。
メリリンが見守る中で、三人の死闘は激化の一方を続けていく。
◯◯◯
431
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:40:44 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
四葉はローマンの拳を剣で受け、ローズの爪と数合撃ち交わし。ローマンの衝撃波をローズ共々後方に跳んで回避する。
着地と同時に、折れた鋼槍を取り出して、床に突き立てると、ローズへと向かい掬い上げ、投げつけた。
「ウゼェ!」
時速にして100km以上の速度で飛来する、100kg近い床の破片を、ローズは腕を振るって弾き飛ばし────視界を鋼色が埋めた。
「ゴアっ!」
床の破片の後から跳躍した四葉が、ローズの鼻面にドロップキックを見舞い、派手に後方へと蹴り飛ばす。
間髪入れず、四葉は折れた槍を床に投げつけると、突き刺さった槍を足場にして、思い切り飛ぶ事で、ローマンの衝撃波を回避する。
空を往く甲冑姿が、不意に大きく姿勢を見出し、地へと落ちた。
「死ねやオラァ!」
墜落した四葉に迫る真紅の影。サリヤが十指から空気弾を放って四葉を撃ち落とし、立て直す前にローズが仕留める。
この連携攻撃に対し、四肢に力を込めて、思い切り跳ぶ事で、ローズの禍爪を回避。
再度放たれた空気弾を、長剣を振るって打ち砕く。
────チャンピオンに壊されて無ければなぁ。
連携の取れた攻撃に、四葉は内心で羨望を覚えた。
エルビスに壊された、三つの鎧が有れば、此方ももっと連携の取れた戦いを披露してやるのに。
紫骸に蝕まれ、破城槌の如き拳を受けて砕けた鎧は、四肢を覆う部分が残るだけで、胴と頭部は未だに修復中だ。
これでは出したところで動かせない。オジェ・ル・ダノワのハルバートも、ヘクトールの長槍も、破損していて戦力として機能しない。
────ああ、でも、手足が有るなら、何とかならないかなぁ。
考えながら、ローズの爪を躱し捌いて、剣を横薙ぎに振るい抜き、後ろへ下がって躱したローズへと、逆方向から再度の横薙ぎ。
ローズが爪で止めたのと同時、前蹴りをローズ腹へと放つも、大きく後方に跳んで躱される。
視界の端で、ローマンが拳を振り上げるのを見て、跳ぼうとした直前。衝撃を受けてよろめいた。
ローズがサリヤへと変わり、十の指から同時に空気弾を放ったのだ。
空気弾に四葉の鎧を貫く威力は無いが、十発同時に直撃させれば、四葉の姿勢を崩す程度の事はできる。
────しまっ
よろめいた身体を立て直すことも出来ず、ローマンの衝撃波が放たれた。
飛来する赤黒いエネルギーの奔流。それを何処か醒めた目で見ているおのれを自覚する。
これは躱せない。これは防げない。これは死ぬ。
醒めた思考で現実を正しく把握し。
────どうせ死ぬなら。いっちょやってみようか。
砕かれた鎧を起動する。現れたのは三対の鋼の籠手。
ひび割れて、指すら欠けている籠手達は、四本が四葉の身体を引っ張って、衝撃波の射線から外し、残りの二本が、ローマンへと殺到した。
「鬱陶しい」
鎧の腕だけが飛んでくるという非条理にも、即座に応じるのが、超力時代に生まれたネイティブ。
衝撃波で二本の腕を吹っ飛ばすも、直後に足元から出現した鋼の脚に、顎を蹴り上げられた。
「俺と戦った時には、使わなかったな」
ローズから聞こえる、男の声。
ローズの“家族”となった無銘の声。
「今さ、やってみたら、出来たんだ」
「あ〜。面倒くささに磨きかけてんじゃねぇよ狂犬」
「凄いでしょ」
右手でVサインをする四葉に対し。
「「死ね」」
ローマンとローズ。相入れない二人の見解がものの見事に一致した。
◯◯◯
432
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:41:56 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
タイマンならば、ローマンは既に本条を下している。
本条がローマンの超力を擦り抜けられる問いったところで、ローマン自身の拳脚に耐えられ無い。
因縁の相手であるローズにしても、生前ならば、ローマンの拡散型の衝撃波ならば軽く耐えるが、今のローズは拡散型だろうが当てれば大きなダメージを受ける。
つまりは、拳の届く位置で衝撃波を放てば良い。
そうすれば、本条に変わっても殴り殺せば済むし、ローっvズのままなら大ダメージを負うだけだ。
ローマンのこの見立ては正しい。この戦い方をされれば本条もローズも諸共に死ぬ。
ならば何故ローマンはそれをしないのか、答えは二つ。内藤四葉の所為である。
衝撃波を放ち、本条に代わった隙を狙おうにも、そこへ四葉の横槍が入る。
四葉にしてみれば、愉しい三つ巴の時間を終わらせたくは無いのだろうが、ローマンにとっては良い迷惑でしか無い。
もう一つはローズの動きだ。衝撃波を放つと、ローズは後ろへ下がる。
ローマンの拳が届か無い位置まで下がる。
そうして、本条に代わって、ローマンの衝撃波をやり過ごす。
その後はサリヤに代わって空気弾を撃つか、ローズに代わって爪を振るう。
この繰り返しだ。この繰り返しで、ローマンを疲弊させ、若実に仕留められる様になるまで弱らせようとしている。
ローマンは知らぬ事だが、今のローズ“達”の動きは、ローズがローマンを殺す為に考えた動きと、性質を同じとするものだった。
「クソが…」
必然として、苛立ちが募り続けて入る。
募る苛立ちの中で、冷静な部分が告げている。
四葉に助けられている状態のローズが、四葉を平然と殺そうとするのは、何か隠し球が有る所為だと。
その隠し球を見せる前に、ローズを殺すべきなのだが、奔放に暴れ回る四葉がそれを赦さ無い。
「クソが…」
戦意が高まる。怒りが込み上げる。
凶暴な力が、身体の内側に充填されていく。
だが、解き放つ事は叶わない。
ローズの動きと四葉の横槍。この二つの要素が、ローマンの怒りに鎖を付ける。
自由の息子達(Sons of Liberty)名を冠する超力が、鎖で雁字搦めに戒められている。
「クソッタレが…」
ローズの爪を衝撃波で弾き、首を薙ぎにくる鋼の刃を回避して、四葉の腹に前蹴りを入れて下がらせる。
大気を震わせ、衝撃波で二人纏めて薙ぎ払い、擦り抜けた本条を無視して、四葉へと拳を振るう。
赤黒いエネルギー奔流が真っ直ぐに四葉へと飛ぶが、四葉は大きく横に跳ぶことで回避。ローマンとローズへと鋼矢を乱れ撃った。
大気が爆ぜ、折れ砕けた鋼の矢が宙を舞う。
四葉の放った矢を、床に伏せて全て回避したローズが、低い姿勢を維持したままでローマンへと走り寄った。
433
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:42:12 ID:VSHBuE7.0
舌打ちして、ローマンはローズの攻撃を待つ。
無闇に衝撃波を撃っても意味が無い。ローズの攻撃に合わせて、カウンターとして放つ事で、ローズを殺す。
身体の周囲に赤黒いスパークを纏わせ、ローマンはローズの攻撃を待つ。
四葉が再度放った矢を、ローマンが全て粉砕する。
ローズがローマンを間合いに捉える。
四葉へと放たれ、躱された衝撃波が、壁に穴を穿ち、朝の光をエントランスへと差し込ませる。
砕けた鋼の矢が床に落ちる音が響く中、ローズが遂に右腕を振るい、ローマンふぁ衝撃波を放った。
衝撃波が床を砕き、底の見えない穴が生じる。
ローズはローマンの背後に居た。
ローマンがカウンター狙っていることを見越した上で、ローマンの攻撃を誘い、自身は背後へと回り込んだのだ。
────ローズの動きじゃねぇ…。
低い姿勢から、飛び上がる様に身体を伸ばしたローズの爪が疾る。
ローマンは、咄嗟に衝撃波を放ちながら前に跳ぶが、間に合わない事は誰よりも、ネイ・ローマン自身が知っていた。
「グア…」
食いしばった歯の間から呻きが漏れた。
人狼(ヒトオオカミ)の爪に切り裂かれた背中から、派手に出血しているのが判る。
前に跳ぶ。衝撃波で爪を弾く。どちらかが欠けていれば、背骨を断たれていただろう。
衝撃波を再度放つ、本条に変わって回避したのだろう、手応えが全く無い。
身を投げ出す様にして床に転がる。此処まで姿勢を低くすれば、立ち上がったローズの攻撃は届かない。
床から見上げたローマンの視界に映るオッドアイの女。
ローマンに右手の五指を、四葉に左手の五指を向けていた。
サリヤ・K・レストマン。この女の超力は、棒立ちのままでも床に転がる人間を殺害できる。
ローマンの動きを読み切った上で、最適な交代を行う。
過去のローズでは、有り得なかった。
群れの先頭に立ち、仲間を庇って────仲間を頼ることをせずに────戦ってきたローズでは、決して行わなかった。
もはやスプリング・ローズはネイ・ローマンの知るスプリング・ローズでは無い。
ネイ・ローマンの敗因は、スプリング・ローズの過去の残影に惑わされていた事だろう。
◯◯◯
434
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:42:42 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
ローマンの視界の端で、メリリンが杭打ち銃を撃とうとしているのが見えた。
遅過ぎるというべきだが、元より荒事に不慣れなメリリンだ。むしろ早い方だと言うべきだろう。
四葉もまた、サリヤが撃ち続ける空気弾に、動きを止められている。
宙に跳ね飛ばされ、落下する最中にありながら、地上を走るローズ眼を正確に射抜くサリヤの技量。
連続して放たれる空気弾は、四葉の眼の部分に集中し、四葉の視界と動きを封じていた。
メリリン間に合わず。四葉は動けない。
ネイ・ローマンは此処に命運極まった。
ローマンへと向けられた、サリヤの五指の指先が、陽炎の様に歪む。
装填される空気弾。放たれれば、ローマンは死ぬ。
怒りが、先程よりもさらに強い怒りが、ローマンの胸中に沸き起こった。
「舐めてんじゃ────」
衝動のままに、エントランスどころか、ブラックペンタゴンに甚大な破壊を齎す衝撃波を放とうとしたその時。
サリヤが横に飛び、ローマンでも四葉でもメリリンでも無い誰かへと、空気弾を撃ち放った。
「メリリン!」
乱入者は、メリリンへと走り寄りながら、ボルト投げ続ける。
投げられたボルトが、サリヤの空気弾により撃ち落とされ、床に落ちて硬い音を立て続けた。
「ジェーン!」
乱入してきたのは、ジェーン・マッドハッター。メリリンの残した痕跡を辿り、メリリンとローマンの交戦した形跡を過ぎて、今此処に合流した。
「メリリン!こんな事してる場合じゃ無くなった!」
血相を変えて叫ぶジェーンに、察したメリリンの顔から血の気が引く。
「山の上の奴かい!?」
「エミリーが、どうしたって?まさかこっちに来るのか!?」
ローマンも事態を察し。
「えっ?メアリーがこっちに来るの!!」
事態を知る全員が恐慌する中で、一人平常運転の狂犬。
そして、事情を知らぬ最後の一人は。
「邪魔……しやがって!」
猛り狂ってジェーンへと襲い掛かった。
元より破格の身体能力は、劣化したとはいえ並のネイティブでは対抗する事など出来はしない。
更にジェーンの超力は、身体機能を強化するものでは無い。ローマンとメリリンの交戦跡から拾ってきていたボルトを取り出すより早く、ローズの爪がジェーンへと迫る。
この猛襲に、ジェーンは硬直も後退もせず、冷静に前進。
意表を突かれたローズの懐に潜り込むと、胸に鋭い右掌打を撃ち込んだ。
「はあ!?」
背後から聞こえた、ローマンの間抜けな声に、ジェーンの口元が僅かに綻ぶ。
ローマンの視界に映る、鮮血を吐いて後退る真紅の人狼(ヒトオオカミ)。
幾ら劣化したとはいえ、ローズの身体は、ジェーンの掌打でダメージを受ける事など有り得ない。
ましてや血を吐くなどと────。
蹌踉めくローズへと、ジェーンの左腕が振われる。
どう見ても50cm以上の間が有ったにも関わらず、ローズ胸が裂け、鮮血が噴き出した。
ローズ胸を裂いたものは、ジェーンの左手に握られていた。
赤い血の球を複数滴らせる銀の糸。ジェーンの髪の毛だった。
435
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:43:25 ID:aaXQZmmg0
「……この、威力……テメェは…カラミティ・ジェーンか」
ローズは取り乱すことも、狼狽える事も無く、ジェーンを睨み据えた。
同じキングス・デイの傘下に在った者同士、ローズもジェーンも互いの事を話には聞いていた。
曰く、キングス・デイに対立したフランスの政治家を、着火したライターを投げつけて消し炭にした。
曰く、ハンガリーの反キングス・デイの集会で喫煙し、数十名を即死させ、数倍の人数を病院送りにした。
曰く、拳銃から放った一発の銃弾で、装甲車を破壊し、中の人間を全員死亡させた。
超力が存在しない旧時代ならば、戯言として片付けられそうな数々の“実績”は、しかして事実として公式な記録に残る。
カラミティ(厄災)の名を冠せられるに足る、凄まじいまでの実績だった。
「話には聞いていたが、噂以上じゃねぇか…」
ローズに血を吐く程の痛手を与えたタネは、ジェーンの右掌に、ジェーンの髪の毛で結びつけられたナットだった。
『屰罵討(マーダーズ・マスタリー)』。生物に対する殺傷性を付与する超力。
小石一つぶつけるだけで、人体に穴を開ける、殺人の為の超力。
生物を殺す事に特化した超力を、劣化している身で受けて、血を吐く程度で済ませた、スプリング・ローズの頑強は、やはり脅威の一言だった。
◯◯◯
436
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:43:44 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
「ドミニカが食い止めているけれど、じきにやられる。そうなったら、此処はエミリーの領域に飲み込まれる」
ローズを警戒しながら、ジェーンが外の状況を説明する。
ローマンに思うところも含むところもあるが、メアリーという直近の脅威が、それらを後回しにしていた。
「早く何とかしないと、私達もやばいって事か」
「エミリーちゃんを止められる人が居るの!?ドミニカって、あの“魔女の鉄槌”!?」
「何でお前は平常運転なんだよ…」
「早くどうにかしないと……」
メリリンとジェーンとローマン。三人が考え込む中で、四葉だけは変わらない。意外に大物なのかも知れなかった。
「早くソフィアを探さないと」
「そうするしか、無いよねぇ」
「いやネイの超力なら、領域の外からエミリーちゃんを仕留められるんじゃない?」
「出来るのかい?」
四葉とメリリンに期待の籠った眼戦を向けられて、ローマンは腕を組んで考える。
「あの山全部覆うくらいだろ…。500m位は有るのか?ルーサーの野郎が相手なら、三キロ離れてても届かせるんだが……」
「褒めてやるから少しは頑張れ」
「いや大分キツイぞ、恨みどころか関わりも無いし。ソフィアってのなら何とか出来るんだろ?其奴にやらせろ」
メリリンの発破も意味は無く。
「ソフィアは超力を無効化する超力を持っている。だからエミリーの領域にも影響されない」
ジェーンの言う様に、ソフィアの協力を仰ぐしか、無い様だった。
「決まりだな。ソフィアって奴が何考えてるかは兎も角、此処に来る可能性は高い。先ず此処を捜すとして……。なぁマッドハッター」
「何?」
「ソフィアって奴は、超力を計算に入れない場合、スプリング・ローズに勝てるか?あの残骸じゃねぇ、生きてた頃の、彼奴にだ」
「不可能ね。彼女は強いけれど、常人の域を逸脱してはいない。ドン・エルグランドの様な怪物とは、訳が違う」
「なら話は簡単だ。一階だけを探せば良い」
ジェーンと会話する隙に、ローズも四葉も乗じない。
エミリーの脅威を知る四葉は兎も角、ローズが動かないのは、今後の趨勢に関わる話だと、理解したのと、少しでも回復する為だろう。
437
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:44:06 ID:VSHBuE7.0
「二階へ通じる階段にはエルビス・エルブランデスが居る。生きてた頃のローズに勝てない様じゃ、エルビスは無理だ。2階には登れねぇ。
メリリンと一緒に行け、ソフィアがゴネるようなら、メリリン、お前ががシメろ」
ソフィア・チェリー・ブロッサムが、果たしてエミリーの始末を引き受けるか?
ソフィアがエミリーを始末するとして、それは今この時か?
ソフィアはエミリーの領域に影響されない。ならばエミリーの領域で刑務者達が死に絶えてから、悠々とエミリーを始末する事も有り得る。
「どうしても直に殺したい奴でも居ない限り、エミリーを利用しようとする筈だ。マッドハッターじゃソフィアのポイントになるだけだろう」
だからこそ、メリリンを付ける。
メリリンの機械は超力で作成されたものだが、原材料は調達した人工物だ。無効化能力といえども、超力に依らず物理的に存在する物には無力だろう。
ソフィアがエミリーを利用しようとするなら、その時はメリリンの出番だ。
「俺は狂犬とクソ犬を躾けなきゃなえあねぇ、頼んだぞ、メリリン」
場を仕切って、的確な差配をする辺り、欧州に名を轟かせたストリートギャングの首領だけだった事はある。
「メリリン言うな!!!」
吐き捨てて、メリリンとジェーンが、エントランスから退出する。
スプリング・ローズは、見送るだけで、後を追って動こうとしない。
「おい狂犬」
「何さ?ローズ」
「此処から先は、黙って見てろ」
「最初からそのつもりだけど?」
「……もうやらねぇのかよ」
「二人だけの決着でしょ?首突っ込むのは野暮ってものでしょ?」
「最初からそうしとけ。アホ」
あまりにもとんでもない言葉に、ローマンが突っ込むも。
「あのさネイ。さっきは私以外にもメカさんも居たでしょ?」
「………いや…ああ……もう良いわ」
何処までも自分勝手で、己の基準で動く狂犬。
世界を渡り歩いた愉快型超力犯罪者。
放埒に奔放に暴れ回り、キングス・デイにすら喧嘩を売ったアホ。
そんな相手に、常識だの道理だのを説くくらいなら、ローズを口説く方が、まだ目は有るだろう。やらないけど。
苦笑して、ネイ・ローマンは、スプリング・ローズの残影と対峙する。
「決着だ。ローズ」
「決着だ。ローマン」
438
:
ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:44:42 ID:VSHBuE7.0
────頑張れ、ローズちゃん。
────ま、負けないで。
────勝てるさ。お前の強さは俺が保証する。
「ありがとうよ。“家族”(みんな)。
────じゃあなアンリ。今度こそサヨナラだ。
シリンダーが廻る。撃鉄を起こす。
放たれる弾丸の名は、スプリング・ローズ。
全開放された超力が、ローズを極限を超えて強化する。
疾る真紅の人狼(ヒトオオカミ)。
迎えるは欧州ストリートに君臨するギャングスター。
幾度もの相剋を繰り返し、二つの影が、激突する。
生き残るは、一人かゼロか。
【E-5/ブラックペンタゴン南・エントランスホール/一日目・朝】
【ネイ・ローマン】
[状態]:全身にダメージ(中) 両腕にダメージ(小)、疲労(大)、右手首にボルトによる刺し傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.やりたいようにやる。
0.ローズと決着を着ける。
1.ブラックペンタゴンでルーサーを探す
2.ルーサー・キングを殺す。
3.スプリング・ローズのような気に入らない奴も殺す。
4.ハヤト=ミナセと出会ったら……。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。
【内藤 四葉】
[状態]:疲労(極大)、左手の薬指と小指欠損、全身の各所に腐敗傷(中)、複数の打撲(大)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.気ままに殺し合いを楽しむ。恩赦も欲しい。
0.ローズとローマン決着が着いたら、無銘さんと再戦する。
1.トビと連携して遊び相手を探す、または誘き出す。今はトビと合流する。
2.ポイントで恩赦を狙いつつ、トビに必要な物資も出来るだけ確保。
3.もしトビさんが本当に脱獄できそうだったら、自分も乗っかろうかな。どうしよっかなぁ。
4.“無銘”さんや“大根おろし”さんとは絶対に戦わないとね!エルビスともまた決着つけたい。
5.あの鉄の騎士さんとは対立することがあったら戦いたい。岩山の超力持ちとも出来たら戦いたい!
6.銀ちゃん、リベンジしたいけど戦いにくいからなんかキライ
※幼少期に大金卸 樹魂と会っているほか、世界を旅する中で無銘との交戦経験があります。
※ルーサー・キングの縄張りで揉めたことをきっかけに捕まっています。
【本条清彦】
[状態]:全身にダメージ、現在はスプリング・ローズの姿
[道具]:なし
[恩赦P]:18pt
[方針]
基本.群生として生きる。弾が減ったら装填する。
0.ローズちゃん。勝って
1.殺人によって足りない3発の人格を装填する。
2.それぞれの人格が抱える望みは可能な限り全員で協力して叶えたい。
3.ブラックペンタゴンへ行って“家族”を探す。
※現在のシリンダー状況
Chamber1:本条清彦(男性、挙動不審な根暗、超力は影が薄く人の記憶に残りにくい程度 睾丸と肛門にダメージ)
Chamber2:欠番(前2番の山中杏は無銘との戦闘により死亡、超力は口づけで魅了する程度だった)
Chamber3:無銘(前3番の剛田宗十郎は弾丸として撃ち出され消滅、超力は掌に引力を生み出す程度だった。睡眠中)
Chamber4:欠番
Chamber5:サリヤ・K・レストマン(女性、詳細不明、超力は指先から空気銃を撃ち出す程度)
Chamber6:スプリング・ローズ(前6番の王星宇は呼延光との戦闘により死亡、超力は獣化する程度だった)
439
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ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:44:59 ID:VSHBuE7.0
◯◯◯
私はドミニカが嫌いだ。
メリリンが居なかったら、きっと殺し合いになっている。
私と同じ殺しにしか使えない超力を持ちながら。
自分を肯定し、殺すしか出来ない超力を押し付けた神様を信じ、信仰に基づいて殺戮する。
何もかもが、わたしとは正反対だ。
私はドミニカが大嫌いだ。
けれども、ドミニカが良い娘なのは確かで。
ドミニカに助けられたのは事実で。
ドミニカが今一人で戦っているのも事実で。
だから、私は、ドミニカを助ける。
ソフィアを必ず連れて行く。
だから────。
「どうかドミニカを死なせないで、神様」
今まで祈った事など皆無な神様に祈り、ジェーン・マッドハッターは、ブラックペンタゴンをひた走る。
【E-5/ブラックペンタゴン南・エントランスホール西側出入口/一日目・朝】
【ジェーン・マッドハッター】
[状態]:全身にダメージ(中)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.無事に刑務作業を終える
1. 山頂の改変能力者に対処。ソフィア・チェリー・ブロッサムを探す。
2.死なないで。ドミニカ
※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました
【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン】
[状態]:全身にダメージ(小)、フルプレートアーマー装備、軽い打ち身
[道具]:デジタルウォッチ、生成ドローン2機、ラジコン1機、設置式簡易ボルトガン。
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。出られる程度の恩赦は欲しい。サリヤ・K・レストマンを終わらせる。
1. 山頂の改編能力者に対処。ジェーンと一緒にソフィアを探す。
2サリヤ・K・レストマンを終わらせる。
3.ローマンに従いブラックペンタゴンを調査する?
※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました。
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ROULETTE
◆VdpxUlvu4E
:2025/06/04(水) 13:45:11 ID:VSHBuE7.0
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