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Fate/Over The Horizon Part7
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この星に生まれたこと、
この世界で生き続けること、その全てを愛せる様に
wiki:ttps://w.atwiki.jp/hshorizonl/
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聖杯戦争のルール
【舞台・設定】
・数多の並行世界の因果が収束して発生した多世界宇宙現象、『界聖杯(ユグドラシル)』が本企画における聖杯となります。
・マスターたちは各世界から界聖杯内界に装填され、令呪とサーヴァント、そして聖杯戦争及び界聖杯に関する知識を与えられます。
・黒幕や界聖杯を作った人物などは存在しません。
・界聖杯内界は、東京二十三区を模倣する形で創造された世界です。
舞台の外に世界は存在しませんし、外に出ることもできません。
・界聖杯内界の住人は、マスターたちの住んでいた世界の人間を模している場合もありますが、異能の力などについては一切持っておらず、"可能性の器"にはなれません。
サーヴァントを失ってもマスターは消滅しません。
・聖杯戦争終了後、界聖杯内界は消滅します。
・それに伴い、願いを叶えられなかったマスターも全員消滅します。
書き手向けルール
【基本】
・予約はトリップを付けてこのスレッドで行ってください。
期限は延長なしの二週間とします。
・約はOP登場話を含めて本編に三作以上の作品投下を行っている書き手のみ可能とします。
登場話候補作はカウント致しませんので、ご注意くださいませ。
・過度な性的描写については、当企画では原則禁止とさせていただきます。
・マップはwikiに載せておきましたので、ご確認ください。
【時間表記】
未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜19時)/日没(19時〜20時)/夜間(20〜24時)
【状態表】
以下のものを使用してください。
【エリア名・施設名/○日目・時間帯】
【名前@作品名】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]
【クラス(真名)@作品名】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]
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新スレになります。
これからも当企画をよろしくお願いします。
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スレ立て乙です。
投下します。
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◆◇◆◇
ひかりが、昇る。
朝日が、姿を現す。
希望と絶望を乗せた、夜風が去る。
◆◇◆◇
飛ぶ。翔ぶ。跳ぶ。
悪魔が、空を跳躍する。
鋸の刃が、宙を舞う。
血に濡れた凶器が、街を見下ろす。
その腕に、黒色の少女を抱えながら。
◆
一歩。一歩。一歩。
雷霆が、地を踏み締める。
蒼き決意を胸に、廃墟を往く。
喪失と継承を経て、眼前を見据える。
その傍らに、桜色の少女を伴いながら。
◆
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◆
黒色の少女は、街を見下ろす。
肉塊にも似た“悪魔”の左腕に支えられながら。
“神戸しお”は、世界を見つめる。
あんなに賑やかだった街は。
あんなに騒がしかった日常は。
もう、ここには存在しない。
嵐が吹き荒れた後のように。
足元に広がる景色は、荒廃している。
破壊と蹂躙の爪痕。
廃墟と化した街並み。
そこに温もりや、色彩はなく。
ただ呆然と、死の匂いだけが漂う。
―――“たたかうって、こういうことなんだ”。
しおは、ふいに思う。
聖杯戦争。祈りの為の戦い。
奇跡の力を目指す、主君と英霊の旅路。
そして、血で血を洗う殺戮の舞台。
多くの命を、超えていった。
多くの犠牲を、見送っていた。
立ちはだかった敵も。
親しみを抱いた身内も。
そして、実の兄も。
遠くへ往ってしまった者達が、確かにいた。
―――“とむらくん”。
―――“この先へと、あなたは行くんだね”。
―――“ぜんぶこわして、とむらくんは立つんだね”。
そうして、命の華花が消え失せて。
焦土と化した大地に、“彼”は立つのだろう。
あの“崩壊”の力で、大海賊さえも打ち破り。
地平の彼方へと、“死柄木弔”は進んでいく。
―――“私は、とむらくんにはなれない”。
―――“私は、とくべつなんかじゃない”。
―――“私がほしいものは、ちがう”。
しおは、見上げた。
聖杯戦争を取り巻く、この一ヶ月間。
ずっと傍にいてくれた、たった一人。
“チェンソーの悪魔”の中で眠り続ける、自らの従者(ともだち)。
鮮血の匂いの先にある“その姿”を、じっと見つめる。
「いっしょにがんばろうね、デンジくん……ポチタくん」
そして、しおは呼びかける。
気が付けば―――“ただの刃”ではなくなっていた、一人の少年へと向けて。
彼は、言葉を返さず。
ただ傍らの少女を一瞥して、跳び続ける。
しおは、想う。
この先も、きっと“何か”が起きる。
今までの短い人生で、知りもしなかった。
そんな戦いや、変化が、きっと待ち受けている。
だからこそ、抱く。
自らの願いを。自らの祈りを。
掛け替えのない、たったひとつの愛を。
◆
-
◆
桜色の少女は、空を見上げる。
“雷霆”と共に歩みを進めながら。
“松坂さとう”は、果てしない蒼を見つめる。
長い夜が、明けた。
先程までの喧騒など、無かったかのように。
空はただ、呆れるほどに澄み切っている。
朝日はただ、穏やかに登ってゆく。
爽やかな景色が、少女を見下ろす。
ここに至るまでに喪ったものなど、知る由もないように。
さとうの隣に、“親友”はもういない。
たった一日。これまでの人生で、何よりも長い一日。
さとうに全力でぶつかり、さとうの隣に立ち。
最期まで愛を貫いて、彼女は去っていった。
そうして託されたもの。
“親友”を守り続けた、雷霆の騎士。
祈りと願いを胸に決意を誓う、一人の少年。
蒼き英霊が、さとうの傍に立つ。
“殉ずるだけではない愛”を知り。
“愛を知り得なかった誰か”を葬り。
砂糖菓子の少女は、己を思い知る。
甘さと苦さが、口の中でほんのり混じり合う。
なけなしのものを手に入れて。
多くのものを取り零して。
自らの世界がいかに脆かったのかを、現実という壁に突き付けられる。
それでも彼女は、歩を止めない。
胸の内に残る灯火に導かれるように。
さとうは、廃墟の街を歩き続ける。
――――笑い声が、聞こえる。
何かを恐れるような。
何かを嘲るような。
そんな奇怪な哄笑が、響き渡る。
不快なまでの不協和音が、耳を劈く。
さとうは、足を止めた。
繁華街の成れの果て。
路地から姿を現す、幾つもの影。
サーベルや銃で武装した、荒くれのごろつき達。
彼らは皆、ケタケタと笑い続けている。
荒廃した景色とは不釣り合いな笑い声を、その大口から零し続ける。
“笑う者達(プレジャーズ)”。
渋谷の“殺戮”より命からがらに逃れた尖兵達。
サーヴァントの使い魔として召喚された彼らは、眼前の“敵”を認識した。
さとうは、息を呑む。
突き尽きられた敵意と殺意。
日常の延長線上とは、まるで違う。
先程の襲撃と同じ、本物の“戦争”の匂い。
少女は、否応なしに身構えさせられる。
そんな彼女を庇うように。
雷霆のアーチャー、ガンヴォルトが立つ。
その手に一挺の銃(ダートリーダー)を携えて。
無数の敵の前に、立ちはだかる。
「さとう」
そして彼は、ほんの僅かな躊躇いを経て。
ただ一言、静かに告げる。
「――ボクを、信じてくれ」
それを伝えることが。
彼にとって、どれだけの恐怖だったのか。
彼にとって、どれだけの重みがあったのか。
さとうには、僅かに強張る少年の声からしか読み取れない。
その上でなお、彼がそう告げた意味を。
その決意の、途轍も無い大きさを。
彼の横顔が、ただ淡々と―――物語っていた。
「うん」
故に、さとうは応える。
ただ一言。彼と共に往く、相棒として。
親友から託された祈りを、手に取る。
さとうは、馳せる。
ここから、きっと“何か”が変わる。
今までの道筋では、知る由もなかった。
そんな戦いや、変化が、きっと待ち受けている。
だからこそ、抱く。
自らの願いを。自らの祈りを。
掛け替えのない、たったひとつの愛を。
◆
-
◆
『さとちゃん』
◆
『しおちゃん』
◆
二人の声が。
何処かで、重なる。
傍にいなくとも。
隣にいなくとも。
愛する者に、想いを馳せて。
《ずっと、いっしょに》
願いを、言葉に。
それぞれの道を、往く。
砂糖菓子の少女達は、愛を喰む。
◆◇◆◇
朝が来る。
新たな夜明けが来る。
夢なら醒めた。
僕らは、何かを成したい。
だから――――進め。
◆◇◆◇
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◆◇◆◇
中野区、デトネラット関連企業のオフィスビル。
その高層階。ガラス張りの壁に寄り掛かって、田中一はぐったりと座り込む。
彼の意識は、浮遊していた。
夢と現実の狭間を、彷徨っていた。
満足感。愉悦感。絶頂感。
―――その果ての虚脱感。
魂が抜け落ちたように、田中は虚空を見つめる。
どこかの映画監督が言っていた。
映画館は、非日常の世界であり。
ニ時間の没入を経て、そこから立ち去る時。
観客は暫し、現実と虚構の間で夢遊する。
きっと今は、そんな感じなのかもしれない。
田中はぼんやりと思う。
先程までの高揚など、嘘だったかのように。
田中の意識は、呆然と横たわる。
あらゆる気力を失ったように、心が唖然と転がる。
祭りが終わった後のような静寂に、じわりと蝕まれていく。
ふいに孤独感が、田中の胸中に訪れる。
小綺麗に整理された部屋を見つめて、言い知れぬ不安感がやってくる。
ここには誰もいない。自分一人だけが、取り残されている。
小さい頃。
遠足の帰り道が、ひどく寂しかった。
あの気持ちと同じような。
急に自分が独りであると突きつけられているような。
そんな遣る瀬無い感覚が、やってくる。
―――敵連合の、田中一。
それが今の、自らの肩書き。
何故だか、現実感がない。
超人たちが戦えば、街は崩れて、天地は裂ける。
まるで映画かなにかの世界だった。
あれだけの戦いが、今は巻き起こっている。
まさしく、人知を超えた戦争が繰り広げられている。
―――なんていうか。
―――ここに、自分が居てもいいのだろうか。
浮かび上がったのは、そんな疑問。
輪の中に入っているのに、不安感と疎外感が込み上げてくる。
自分には、大した力はないし。
もしかしたら、周りだって田中という男を場違いだと思ってるかもしれない。
結局、“混沌”を前にして歓喜したところで。
自分は結局、孤独なのかもしれない。
そんな疑心の中で、不意を付くように。
田中の携帯電話が、着信音を鳴らす。
突如訪れた振動にびくりと驚く田中。
それからじわりと冷静さを取り戻して。
懐にしまっていたスマートフォンを取り出し、対応する。
『もしもーし』
「……もしもし」
電話の主の声に、ぼんやりと応える。
敵連合の一員、星野アイ。
彼女からの連絡であると認識して。
――――唐突に、恐怖が去っていく。
先程まで己の胸を蝕んでいた感情が、中和されていく。
その奇妙な感覚に幾ばくかの戸惑いを覚えつつ、田中は通話を続ける。
『大丈夫だった?田中』
「まあ、なんとか」
『なら良かった。やっぱ悪運強いね』
飄々と嬉しそうに喋るアイ。
その掴みどころのなさに戸惑いつつ。
田中は『じゃ、現状報告するね』というアイの言葉に頷くしかなかった。
“割れた子供達”の殲滅。
アイのサーヴァント、“極道のライダー”の脱落。
海賊同盟の一角“ビッグ・マム”の陥落。
敵連合の司令塔にして黒幕、“M”の計画完遂―――そして退場。
首領である死柄木弔の覚醒と、“霊地”の破壊。
敵連合は、少なくない犠牲を払った。
引き換えに、多くのものを手に入れた。
死柄木弔という“次世代の悪(ヴィラン)”の存在が、連合を高みへと押し上げていた。
田中もまた、ここに至るまでの経緯をアイに伝える。
光月おでんのこと。仁科鳥子と、彼女のサーヴァント“フォーリナー”のこと。
フォーリナーを狙うアルターエゴ・リンボの襲撃のこと。
幽谷霧子と、そのプロデューサーなる人物のこと。
-
『……おっけ、死柄木くん達にも伝えとく』
田中の報告を咀嚼するように、アイはそう答えて。
『じゃ、もう暫くしたら―――』
「あの、星野さん」
アイが話を切り上げようとしたとき。
ふいに田中が呼びかける。
先程まで抱いていた浮遊感。
そして、孤独感を追憶する。
「えっと、その」
『どしたの?』
「……変なこと、聞いてもいいですか」
『……いいよ?セクハラ以外なら』
からかうような一言に、苦笑いしつつ。
田中は、自分の感情を掘り起こす。
ひとり取り残されたとき。
脳裏によぎった不安と動揺を。
彼は、ゆっくりと手繰り寄せる。
「なんていうか……」
頭は大して回らない。
戦う力だって持ち得ない。
度胸や勇気もたかが知れている。
サーヴァントさえ失って久しい。
そんな自分が、敵連合にのうのうと居座っている。
「……俺がここに居ても、いいのかなって」
それは、田中の率直な疑心だった。
何とも言えぬ居心地の悪さが、田中の内心で燻っていた。
『連合に、ってこと?』
「まあ……はい」
ばつが悪そうに、田中は答える。
こんなこと、アイに聞いたところでどうしようもない。
田中はそれを分かっている。
彼女は連合の代表でもなければ、自分の友人や世話役でもない。
ましてやサーヴァントを失っているという意味では、自分と変わらない立場にある。
そのうえで彼は、何となしに聞いてしまった。
同じ連合に属する同盟相手に、自らの不安をぶつけてしまった。
そうすることに意味があるのかは、彼自身にも分からなくて。
それでもなお、田中は誰かに自分の動揺を打ち明けたかった。
―――幾ら歓喜したところで。
―――幾ら高揚したところで。
―――結局これは、俺一人だけの感情なんじゃないか。
田中一という男は、孤独だった。
親しい友人も、気兼ねない知り合いもいない。
他人との付き合いに自信なんか持てないし。
ましてや、自分と周囲が通じ合えるのかさえよく分かっていない。
学校でも、会社でも、愛想笑いを顔に貼り付けて自分を覆い隠してきた。
本当の意味で、誰かと通じ合ったことがない。
他人についての想像力も、どこか欠落している。
そんな己を自覚しているから、田中は肝心なところで自信を持てない。
だから田中は、“何か”を確かめたかった。
それが一体何なのかを、彼自身も言葉に出来ないまま。
『……まあ』
やがて、暫しの沈黙を経てから。
アイは、ぽつりと呟き始める。
『いいんじゃない?』
どこか取り留めもなく。
彼女自身も、ありのままに言葉を紡ぐように。
『なんだかんだ言ってさ』
そして、ほんの少しの間を置いて。
彼女は、ふいに伝える。
『いちおう仲間じゃん?私達』
何気ない、そんな一言。
星野アイが呟いた、ささやかな言葉。
しかし、それは間違いなく。
田中の心の奥底に、突き刺さった。
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―――何迷ってんだよ。
―――お前はもう連合(こっち)の人間だろ。
連合へと足を踏み入れた直後。
“写真の親父”から、己の無価値を突きつけられたとき。
死柄木弔から告げられた言葉が、脳裏に反響する。
あのときの感激と歓喜が、リフレインして。
―――勝手にどっか行くなよ。
―――楽しいのはまだまだこれからなのに。
そして―――あれらの言葉が、いかに価値のあるものだったのかを。
田中はこうして、思い知ることになる。
『ま、最後は敵同士だけどさ』
田中は、呆然とした表情で。
スピーカー越しの声を耳に入れる。
些細な事実であり、些細な言葉であり。
『悪くないじゃん、こういうのって』
されど、このちっぽけな男にとって。
紛れもない衝撃だった。
『私は、後悔とか一杯あったから』
ああ、そっか――――。
何かを振り返るアイの想いに、気付く余裕も無く。
田中一は、己の真実をようやく悟る。
◆
『田中よ。ワシの息子は何を望んでいると思う?』
『“心の平穏”じゃ。息子は生まれ持っての不幸なサガを背負っているが―――』
『それでも“おのれ自身”を肯定し、“幸福に生きる”ことを望んでいるのだッ!』
◆
-
◆
革命を起こしたいとか。
世界を壊したいとか。
全てをめちゃくちゃにしたいとか。
色々と御託を並べて、狂気の理屈を作っていた。
本当は、もっと単純なことだったのに。
ただ、自分を肯定したかった。
自分の存在が無意味ではないことを。
ちゃんと、実感したかった。
仲間が欲しかった。
居場所が欲しかった。
夢や目標が欲しかった。
きっと、それさえあれば。
自分は無価値じゃないと、悟れるから。
だけど、自分にはそんなものが無かったから。
そんなものを見つけられるだけの勇気が無かったから。
だから言い訳を重ねて、自分を呪い続けた。
そして、己の鬱屈を周囲にぶつけることを選んだ。
自分を変えられないし、世の中も変えられない。
己の無力と怠惰を誰よりも分かっていたから、田中は八つ当たりのように世界を否定しようとしていた。
そんなものに意味はないことを、理解していたのに。
―――なあ。誰が悪いんだ?
―――こうなったのは、誰のせいだ?
―――どう考えても、悪いのは俺だよ。
―――俺が、俺を腐らせたんだ。
昔からそうだった。
自分が嫌いだった。
自分を憎んでいた。
自分を否定していた。
だけど、今は違う。
ほんの少し。
それでも、確かに違う。
田中一は、ようやく悟る。
敵連合は、居場所であり。仲間であり。
人生で初めて見つけた、“生きる意味”だった。
死柄木弔。
彼の姿を、田中は脳裏に浮かべる。
その存在を、魂に焼き付けるように。
一人のちっぽけな男が、改めて“悪の王”に平伏す。
己に居場所と仲間を、そして夢を与えてくれた悪党(ヴィラン)に。
田中は、全てを捧げると誓ったのだ。
◆◇◆◇
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◆◇◆◇
―――雷鳴が、響き渡る。
地上に轟く、蒼い閃光。
夜明けを迎えた世界に、輝きが迸る。
けたたましい笑い声が、次々に鎮められていく。
瞬速の勢いで、ガンヴォルトが駆け抜ける。
放たれる追尾弾(ダート)が、次々に海賊を撃ち抜く。
彼らに避ける隙も、防ぐ隙も与えない。
身体に“避雷針”を撃ち込まれた“笑う者達”。
そして――――雷撃。
火花のように弾けて、飛来する雷電。
“雷撃鱗”からの放電が、海賊たちを沈めていく。
彼らなど、もはや敵ではない。
この一筋の雷光の前には、名もなき海賊達など雑兵に過ぎない。
避雷針。雷撃―――それらを迅雷の如し動作で繰り返し、敵を掃討していく。
身体が、ひどく軽い。
魔力が、研ぎ澄まされている。
ガンヴォルトは、思う。
クードスの蓄積によって、彼の霊基には変化が齎されている。
より強く。より疾く。より眩く―――。
その動きは、今までの“雷霆”とは違う。
それだけではない。
彼には、戦わねばならない理由がある。
彷徨い、喪うばかりの生き様の中で。
それでも雷霆を信じてくれたヒトがいて。
そうして託された、誰かがいる。
ガンヴォルトにとっては、それで十分だった。
敗けるつもりなど、なかった。
これ以上取り零すつもりなど、なかった。
彼は、誰よりも迸る閃光だった。
主君のためにその刃を振るう、一人の騎士だった。
―――地響き。轟音。
破壊の風が吹き荒れて。
そして、暴威が駆け抜けた。
ガンヴォルトは待機していたさとうの傍へと即座に接近。
彼女を抱え上げて、瞬時に疾走する。
そのまま間髪入れず、先程までさとうが立っていた地点を“巨大な影”が走り抜ける。
蹂躙走破―――それはまさしく、災厄だった。
その巨躯が走り抜けた地面は。
まさに“旱害”で荒れ果てた土地の如く。
そして、駆け抜けた巨躯の怪物は。
ガンヴォルトとすれ違う瞬間。
その目を見開き、彼を見据えて呟く。
「―――お前が『蒼き雷霆』か」
見に覚えるのある“魔力の波長”を感じ取り。
蒼き雷霆もまた、確信する。
「『青龍のライダー』……その使い魔か」
鬼ヶ島撃墜によって手傷を負い、地上へと放逐され、それでもなお戦場に立つ戦士。
大看板の一角“旱害のジャック”は、己の判断で“戦闘”を開始していた。
-
今もなお生き延びている皮下が体制を立て直す猶予を作るための“時間稼ぎ”。
鬼ヶ島の墜落に乗じて強襲や偵察を仕掛けてくる敵主従に対する“露払い”。
それこそ旱害のジャックが戦場へと駆り出た理由だった。
皮下が生存することは、即ち総督“カイドウ”の勝利へと繋がる。
そしてカイドウを経由して認識していた“蒼き雷霆”の気配を察知し、この戦場まで姿を現した。
突進の勢いを止めて、ジャックは動物形態への変身を解除。
巨漢の姿となった彼は、一定の距離でガンヴォルトと向き合う。
「蒼き雷霆。お前は総督の障害となりうる……ここで消す」
「生憎だが、ボクには止まれない理由がある」
互いに、一歩も引くことはない。
それぞれの獲物を構えて、睨み合い。
その身から、闘志を迸らせる。
「なら、力尽くで止めるまでだ」
「やってみろ。立ちはだかるなら、この雷霆がお前を打ち抜く」
初めから、退く理由などない。
二人はそれを理解している。譲る気もない。
故に、必然の如く―――闘争は始まる。
夜の闇を超えた先で。
新たなる神話の幕が、上がっていく。
「迸れ、蒼き雷霆よ(アームドブルー)」
朝焼けの果て。
蒼天(ソラ)を背負い。
蒼雷(イカヅチ)をその身に宿し。
己が名を、己が存在を、唱える。
「ボクに力を……眩しき唄(ヒカリ)よ!」
その胸に抱く、掛け替えのない祈り。
それは四肢を駆け巡る電流(パルス)のように。
彼の魂に、鮮烈なる波動を齎す。
「猛り狂う旱害に、雷鳴の鉄槌を!!」
◆◇◆◇
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◆◇◆◇
スマートフォンのパスワードは、45510。
彼女にとって、忘れるはずのない数列。
“私達、いちおう仲間じゃん”。
通話で何気なく、そう呟いたとき。
星野アイは、ふと振り返った。
ふいに訪れる感傷。
ずっと堪えていた情動。
“極道のライダー”にだけは、それを打ち明けてて。
しかしこの聖杯戦争の最中では、ずっと自分を偽り続けてきた。
強かに。狡猾に。
上手く、ズルく。
絶対に勝つために。
そう思って、仮面を被り続けた。
子供達のために。ファンのために。
生きて帰るためなら、どんな手だって使う。
その想いは、決して譲れずとも。
それが自分のエゴであることも、理解していた。
自分は“他人を蹴落として勝つ者”なのだから。
せめて言い訳なんかせずに、“悪い女”として立ち回ろう。
それが彼女なりの、せめてもの筋の通し方であり。
自分に寄り添ってくれて、勝利を約束してくれた、“殺島さん”に対する仁義だった。
―――それでも、時には。
―――こんな気持ちも、訪れてしまう。
敵連合とは、短い付き合いであり。
結局は、ただの利害関係でしかなく。
最終的には蹴落とし合うことになる。
そのことは、間違いない。
自分が聖杯を掴むためなら、躊躇だってしない。
だけど、それでも。
“私達は仲間”なんて言葉が、喉の奥から出てきた。
それはハッタリでも、出任せの言葉でもなくて。
ただ何気なく、そう思ったから、言ってしまった。
―――何なんだろう、この気持ち。
皆でつるみあって。
皆で一緒に過ごして。
皆で力を合わせて、立ち向かって。
それぞれの想いを胸に、肩を並べている。
―――B小町の皆とは。
―――結局、上手くいかなくなって。
―――自分の感情にも、嘘をつくしかなかった。
そこまで考えてから。
再び、意識が現実に引き戻される。
もしもし―――電話越しに、田中からの呼び声があった。
我に返ったアイは、はっとしたように思考を通話に向けて。
それから、何でもないと言わんばかりに取り繕う。
口元に、ふっと笑みを作る。
完全無欠。最強無敵。
絶対的、不動のセンター。
可憐な“アイドル”としての表情。
それは、自らの仮面を被り直した証。
「……じゃ、暫くしたら戻るね。留守番お願い」
一人待つ田中に、そう伝える。
最後に一言、付け加えたうえで。
「しおちゃん達、もう一仕事あるから」
◆◇◆◇
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◆◇◆◇
雷鳴が、轟く。
地響が、轟く。
二つの影が、交錯する。
雷霆と旱害。雷神と鬼神。
荒れ狂い、猛り狂い。
そして、刹那の応酬を繰り広げる。
銃撃。雷撃。衝撃。斬撃。
繰り返される暴威。
繰り返される激突。
激しい攻防は地面を揺るがし。
巨躯による衝撃が、コンクリートを幾度も砕き。
辺り一帯に、“粉塵”を撒き散らす。
波紋と轟音に包まれる闘争の中で。
その男は、己の目を見開く。
百獣海賊団、最高幹部――大看板。
三つの災害と呼ばれる、“百獣”の懐刀。
その一角を担う男、“旱害のジャック”。
動物(ゾオン)系悪魔の実である“ゾウゾウの実”――希少なる“古代種”を喰らった大海賊。
その首に懸けられた懸賞金は10億。
海賊の墓場と恐れられる“偉大なる航路”の果て、“新世界”に悪名を轟かせる怪物。
その名は、畏れられ。
その名は、崇められ。
その名は、忌み嫌われる。
彼の暴威によって蹂躙された大地は、“旱害”が起こったかのように朽ち果てる。
故にその異名を取るジャックは、圧倒的な力と残虐性によって多くの敵を葬ってきた。
己の実力を過信した新世代(ルーキー)共も。
正義という看板を振り翳す海軍共も。
百獣海賊団に楯突く身の程を知らず共も。
“四皇”の一角たる総督の意のままに、“旱害”は嬲り殺してきた。
その凶星が、英霊と化した主君を依り代に―――この聖杯戦争に立っている。
そして。
旱害と呼ばれた男は、今。
微かな“動揺”を抱いていた。
蒼き雷霆のアーチャー。
その存在は、旱害のジャックも認識していた。
彼はライダー・カイドウの使い魔であり、それ故にその存在はカイドウの霊基や魔力と接続されている。
カイドウ側が記憶した情報は魔力パスを通じてある程度共有され、雷霆のアーチャーの戦闘能力についてもジャックは事前に把握していた。
にも関わらず、ジャックは“攻め切れていない”。
幾ら激しく攻め立てようと、機敏な瞬発力と防御機構“電磁結界(カゲロウ)”によって攻撃は次々に凌がれる。
その隙を突くように蒼き雷霆は“避雷針”と“放電”による攻撃を繰り返し、旱害の体力を少しずつだが確実に削っていく。
雷霆は、ただ闇雲に躱しているのではない。
こちらの攻撃を的確に分析し、対処し。
そしてその合間を見抜いて、確実に自らの技を叩き込んできている。
それだけではない――――攻撃の出力、火力。
そして、戦闘の技術さえも。
そのいずれも、カイドウから流れ込んできた“情報”を超えている。
――――この男の“魔力”が。
――――以前より、研ぎ澄まされている。
――――この男の“霊基”は。
――――以前より、純度を高めている。
ジャックは、それを理解する。
蒼き雷霆のアーチャーは、強くなっている。
カイドウと交戦した時よりも、間違いなく。
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マスターである松坂さとうは、両者の応酬から離れた地点に立つ。
決して動かず。決して臆さず。
ただそこに――――佇んでいる。
その意味を、ジャックは悟っていた。
“あの少女”は、“雷霆”に十全の実力を発揮させるために。
戦線に割り込まず、尚且つ彼に護らせることもなく。
悠然と、その場から動かずに居る。
“雷霆”が安否を確認でき、そして即座にマスターの窮地へと対応できる―――そんなギリギリの位置で。
そして、そのために。
松坂さとうは受け入れた。
“ボクを信じてくれ”。
その一言に、全てを委ねた。
ジャックは、雷霆のマスターである少女を狙いはしない。
いや―――“狙うべきではない”。そう判断していた。
理由は単純だ。
少女へと狙いを定め、一瞬でも意識をそちらへと向ければ。
この“雷霆”はその隙を狙って、勝負を付けに来る。
荒れ狂う大海賊は、それを理解していた。
右手の曲刀(ショーテル)を、巨躯からは想像も付かぬ瞬発力で振り下ろす。
されどガンヴォルトはこの一撃を瞬間的に回避。
後方へとバックステップしながら、ダートリーダーより避雷針を次々に放つ。
同時にガンヴォルトの背後に展開された一機のビット――“オロチ”が、援護射撃によって7発の避雷針をばら撒く。
一発一発の威力はさしたるものではない。
されど、その全てが“雷撃”の起点と化す。
故にジャックは、対処せざるを得ない―――が。
「――――ナメるなよッ!!」
だが、敢えてジャックは“攻める”。
敵は今、バックステップで斬撃を回避し。
そこから避雷針の銃撃へと繋げた直後。
即ち、未だ直線上に存在している。
ならば、その瞬間を突く。
爆音。爆走。爆進。
巨象(マンモス)へと瞬時に変身したジャック。
戦車のような巨体が、猛烈なスピードで突撃する。
走り抜けた地面は、干魃が起きたように荒れ果てる。
コンクリートは、地割れが起きたかのように粉砕され。
その圧倒的な重量が、眼前のガンヴォルトへと迫る―――。
霹靂のような、一瞬。
蒼き雷霆は、刹那の動作で疾走。
狙いは―――迫り来る旱害。
接近と共に避雷針を撃ち込みながら。
疾風の如く、巨体の至近距離に迫るガンヴォルト。
猛烈な突進さえも恐れず。
雷霆は敢えて“真正面から”挑んでみせる。
そして、零距離へと迫り。
――――眩い閃光が、轟き渡る。
迸る雷撃が、ジャックの顔面へと叩き込まれた。
ライトニングアサルト。
敵へと瞬速で接近し、至近距離から雷撃を叩き込む。
それは“鎖環(ギブス)”の物語へと至る蒼き雷霆が体得する技。
クードスの蓄積による拡張に伴い、自らの霊基に“未来の伝承”の一部が再現されたもの。
-
突進を雷撃によって迎撃され。
地団駄を踏むように仰け反る“旱害”。
それでも即座に態勢を整え。
“武装色”で硬化した右前足を、勢い良く地面へと叩きつける。
地割れが起きんばかりの凄まじい衝撃。
コンクリートが砕け散り、砂塵が巻き上がる。
離れた地点にいたさとうが思わず怯む程の震動。
至近距離に潜り込んだ雷霆は、もはや一溜まりもなく―――。
「―――こっちだ」
そう、思われたが。
ジャックの真上。空中に舞う影。
既に蒼き雷霆は“跳躍”していた。
巨象の脚が振り下ろされる寸前。
その足元を真正面から滑り抜け。
すれ違いざまに、胴体腹部へと真下からダートを撃ち込み。
そして、“電磁結界(カゲロウ)”によって衝撃波を回避。
そのまま滑り抜けた背後から跳躍―――粉塵に紛れるように、彼は空中へと舞い上がる。
ジャックが振り返ったときには、もう遅い。
迸る閃光。駆け抜ける蒼煌。
ガンヴォルトが纏う『雷撃鱗』からの放電。
電撃の嵐が、旱害へと殺到する。
無数の雷霆を前に怯むジャック。
それでも尚、その強靭な耐久力(タフネス)で。
雷撃に蝕まれる身体を、強引に駆動させる。
変身解除―――巨象(マンモス)から、通常時(ヒトガタ)へと戻る。
小回りの効く形態へと変化し、矢継ぎ早に両手の二刀(ショーテル)を連続して振り上げる。
“雷撃鱗”が解除。閃光が途絶える。
そして、“電磁結界(カゲロウ)”が発動。
振り上げられた斬撃を、空中で瞬時に回避。
刃が虚空を切り、直後にガンヴォルトが空中を駆ける。
「取ったぞ、“旱害”――――!」
再び旱害の至近距離へと高速で接近。
雷電を纏ったその左手を、鋭く突き出す―――。
「取ったのはおれだ、“雷霆”ッ!!」
その瞬間。
ガンヴォルトの胴体に、凄まじい衝撃が突き抜ける。
再びガンヴォルトが至近距離から雷撃を叩き込んでくることをジャックは予測し。
敢えて攻撃の隙を作り、ガンヴォルトの動きを促す。
そして敵がギリギリまで接近した瞬間。
刹那の合間に、頭部を“人獣化”。
マンモスの猛々しい長鼻による一突き―――重機関車の突撃に等しい“武装色”の一撃を、ガンヴォルトに叩き込んだのだ。
そう、直撃。その筈だった。
しかし、旱害のジャックは即座に気付く。
胴体に叩き込んだ筈の手応えが“浅かった”ことを。
そして、吹き飛ばされる瞬間。
蒼き雷霆が吐いた言葉を。
「いいや―――ボクの方だ」
ごく短時間のみ自らのダメージを大きく軽減するスキル“シールドヴォルト”。
既にガンヴォルトは発動していた。旱害が自らへと反撃を叩き込んでくることに、先回りするように。
相手の裏を読んでいたのは、何も旱害だけではない。
-
そして――――ガンヴォルトへの対処へと意識が集中していた旱害の肉体に、突如として“鉄”が絡み付く。
自らを囮に注意を引き、至近距離から大技を叩き込むべく。
吹き飛ばされる直前に、蒼き雷霆は既にその技を仕込んでいた。
虚空より現れし無数の“鎖”が、その四肢を捉えていたのだ。
「迸れ、蒼き雷霆よ(アームドブルー)」
―――“閃く雷光は反逆の導”。
―――“轟く雷吼は血潮の証”。
―――“貫く雷撃こそは万物の理”。
魔力が、解き放たれる。
雷光が、弾け出す。
巻き付く鎖に、動きを封じられ。
猛々しき旱害は、その目を見開く。
「“VOLTIC CHAIN(ヴォルティックチェーン)”!!!」
黒鉄の雷鳴が―――咆哮を上げる。
“武装色”による咄嗟の防御さえも突破し。
まるで火花のような迅雷が、その頑強なる肉体に叩き込まれる。
襲い来る雷撃に、旱害は思わず悶え。
呻き声を上げながら、放たれる閃光の餌食となる。
熾烈に迸る雷光は、荒れ狂う災厄をも封じ込め。
やがて、終息へと向かっていく。
―――旱害が、膝を付き。
―――雷霆が、そこに立つ。
肉体を焼き焦がされ、荒い息を吐くジャック。
それを真っ直ぐに見据えるのは、雷電を従える蒼き少年。
象鼻の一撃で吹き飛ばされながらも受け身を取った彼は、一定の距離を保ったまま佇む。
その瞳には、怒りも憎しみもなければ、慈悲もなく。
ただ眼前の敵を前に、覚悟を秘めた眼差しを向ける。
退くつもりはない。敗けるつもりもない。
―――そんな意志を示すような、眼差しを。
膝を付く旱害は、目の前の“敵”を思い知る。
古今東西。時空を超え、世界を超え。
その名を轟かせる存在―――“英霊”の一角たる、その少年を睨む。
皇神(スメラギ)。理想郷(エデン)。
二つの組織。理想と野望の渦巻く能力者の集団。
それらを壊滅させたのは、たった一人の少年。
“SSランクの能力者”。
“皇神の最高傑作”。
“不殺の天使”―――あるいは“同族殺しの鬼”。
数多の名が、彼という存在を示す。
雷の光輝と共に、彼はそこに立つ。
蒼き雷霆、ガンヴォルト。
其れは、新たなる神話。
慈しき詩(ウタ)を胸に、混迷の夜を裂く者。
其れは、一筋の閃光。
やがては龍へと至る、雷鳴の戦士。
例え“反英雄”と嘲ろうと、蔑まれようと。
今の彼は紛れもなく、一人の騎士であり。―――そして、英傑である。
クードスの蓄積による能力拡張。
亡き少女の遺志(ネガイ)――もう一つの“歌”の継承。
それらは蒼き雷霆に劇的な強化を齎した。
彼の中の欠落を埋め合わせ、その霊基の純度を高めていた。
そして、更にその先へと進まんとしている。
-
旱害のジャックは、生前の力を十全に発揮できているとは言い難い。
彼は英霊ではなく、あくまで使い魔だ。
霊基の質や伝説の再現性では、正規のサーヴァントよりも劣る。
その上で鬼ヶ島の撃墜に伴う衝撃で、少なくない手傷や消耗を負っている。
言うなれば、二重の制約を背負っているに等しく。
雨音の果てへと届いた小鳥の唄を魂に刻み、伝説をも超えんとする雷霆との間には、明確な断絶が存在していた。
「……まだ」
しかし、それでも。
「終わっちゃ……いねえぞ」
海賊は、その場から立つ。
焼け焦げた肉体を、気力で動かすように。
再びその二刀のショーテルを、構えてみせる。
旱害のジャックは、紛れもなく破格だ。
三騎士に匹敵する戦闘力。
生半可な英霊を上回る霊格。
かの新世界を生き抜いた、強靭なる闘志。
“使い魔”という型を破る程の力と器を、この男は備えている。
故にガンヴォルトは、目の前の敵を見据えて思う。
――――これで“ただの使い魔”か。
――――寧ろ“英霊”と殆ど変わりない。
例えソレが、いかに劣化していようと。
この使い魔は、かつて大海賊と称された男だ。
並のサーヴァントとは、桁が違う。
雷霆はそれを、直感のように理解する。
未だ膝をつかぬ敵を前に、その実力を悟る。
これほどの存在を使い魔として呼び寄せるとは。
あの“青龍”がいかに規格外の英霊であるのかを、蒼き雷霆は再び思い知らされる。
それでも、尚。
確固たる意志と共に。
背負う遺志(ネガイ)を胸に。
託された少女(イノリ)を背に。
雷霆は、毅然と告げる。
「これ以上は無駄だ。お前は……ボクには勝てない」
「ほざけ。“総督”の障害は叩き潰すだけだ」
負ける道理など、無い。
まだ“余力”に満ちている。
故に、蒼き雷霆は構える。
未だ闘志を絶やさぬ旱害を見据えて。
右手のダートリーダーを強く握り締める。
二人は、睨み合う―――。
◆
「らいだーくん」
「いたよ。あそこ」
「――やっちゃって」
◆
-
◆
雷霆と旱害。
二人は、ほぼ同時に“察知”した。
電磁波による魔力の感知。
見聞色による気配の探知。
両者は、咄嗟に“上空”へと意識を向ける。
閃光を纏いながら、即座に集中する雷霆。
黒鉄のように肉体と刃を硬質化させ、迎撃をせんとする旱害。
コンマ数秒。その刹那に“暴威”が現れる。
――――ぶうん、と。
上空から飛び掛かるように。
機構(エンジン)が起動するように。
けたたましい咆哮が、響いた。
そして、次の瞬間。
それはまるで、隼のように飛来し。
猛り狂う“旱害”の真横を。
瞬速の斬撃が、駆け抜けていった。
ショーテルを握り締めた左腕が、宙を舞う。
黒色の“覇気”ごと斬り裂かれ。
真紅の血液と共に、虚空を飛ぶ。
強靭な肉体の一部が、赤子の手を捻るように容易く。
乱入者の“一撃”によって、勢い良く切断された。
鉄の塊が、駆動する。
殺意の刃が、躍動する。
電鋸の悪魔が、狂動する。
抉られる肉。噴き出す鮮血。
殺意が、吹き荒れる。
殺意が、暴威と化す。
“見聞色”による察知すら超える速度で。
その悪魔は、災厄の如く飛来した。
巨象の左腕を、右手の鋸刃で切り飛ばして。
撒き散らされた粉塵に包まれながら、その場に着地し。
そして、再び“旱害”へと振り返る。
断面から大量の血を流しながら、ジャックは傷口を片手で押さえ込む。
蒼き雷霆は、その悪魔の姿を。
粉塵に覆われた輪郭を、目の当たりにし。
―――思わず、戦慄する。
あれは、何だ。
ガンヴォルトは、目を見開く。
剥き出しの肉塊のような肉体に覆われ。
夥しい血肉の死臭を纏い、放ち。
殺意と凶気を、その身から迸らせ。
頭部のチェンソーが、けたたましい音を轟かせる。
-
蒼き雷霆は、驚愕する。
かつて出会った、どんな“能力者”とも。
この地で出会った、どんな“英霊”とも。
その“異形の存在”は、根本から異なっていた。
世界に撒き散らされる、禍々しき呪詛。
この世ならざる者、正真正銘の悪魔。
そう思うしかない。そう感じる他ない。
彼の中で、警戒が最大限に引き上がる。
魔力パスと念話によって、自らのマスターの安否を咄嗟に確認した。
―――無事だ。少し離れた地点から、粉塵の巻き上がる戦場で何が起きたのかを掴みかねていた様子だったが。
少なくとも“新手が現れたこと”は、間違いなく認識していた。
『―――気を引き締めてくれ。“とんでもないもの”が現れた』
故に、ガンヴォルトは念話で一言そう伝える。
自分達が直面した事態が、如何なるものなのかを。
彼は警戒と焦燥と共に、マスターへと告げる。
瞬間―――轟音。凶風。
再び突き抜ける狂刃。
ジェット噴射のような突撃。
狙うは、仕留め損ねた“旱害”。
手傷を負ったジャックは、驚愕に目を見開き。
咄嗟にその身を逸して、回避を試みる。
そう、“防ぐ”のではなく。
“躱す”ことを選んだ。
この一撃を受ければ“死ぬ”。
百戦錬磨の大海賊は、それを察知した。
この刹那の合間に、それを理解した。
されど。
死というものは。
理性や合理よりも、遥かに疾く。
無慈悲に、襲い掛かってくるものだ。
一瞬。一閃。一撃。
必殺――――大切断。
蒼き雷霆は、目の当たりにする。
手傷を負った“旱害”の胴体が。
その内部の霊核ごと、豪快に“撥ね飛ばされる”。
嵐のような突進と、刹那の交錯。
電鋸の悪魔は、その瞬間にジャックの胴体を横一文字に両断した。
まるで巨木を伐採し、断ち切るかのように。
胴体を切断され、大量の血液を噴き出しながら、肉体が泣き別れになるジャック。
己に何が起きたのかを理解した時には―――既に“決着”が付いていた。
やがて亡骸は魔力の粒子と化して。
旱害のジャックは、跡形もなく消滅した。
◆
-
◆
粉塵に包まれた戦場で、何が起きたのか。
離れた地点に立つさとうに、それを正確に認識することは叶わなかった。
ただ二つだけ、分かることがあった。
空から悍ましい“何か”が降ってきたこと。
そして自身が、奇妙な胸騒ぎを覚えていること。
心臓の鼓動が早まる。
胸の内から、何かが込み上げてくる。
緊張。焦燥。不安。期待。希望―――。
相反する感情が、綯い交ぜになる。
そんな自分に戸惑いながら、戦場を見つめる。
あの蜃気楼の先に、何かがある。
さとうは、直感のように悟っていた。
そこに根拠というものがあるとすれば。
それはきっと、“引力”と呼ぶべきなのだろう。
その足が、ゆっくりと動く。
何かに導かれるかのように。
誘蛾灯に誘われるように。
靄に掛かったような戦場へと、歩み寄っていく。
先に待ち受ける光景を、確かめるべく。
一歩。一歩。一歩。一歩。
さとうは、近付いていく。
舞い散る塵の向こう側を、目指すように。
◆
-
◆
“チェンソーの悪魔”への変身。
その活動限界の時間は、既に迫っていた。
神戸しおとライダーは、百獣海賊団の“生き残り”を追っていた。
それは、渋谷での民衆殺戮に加わった尖兵達の残党狩りのみならず。
鬼ヶ島の撃墜によって放逐され、辛くも生き延びた者達の後始末でもあった。
墜落した鬼ヶ島本陣への突撃は回避した。
連戦の消耗や活動限界もあり、いずれ霊地乱戦から舞い戻ってくるであろう“鬼ヶ島のライダー”と接触する可能性を避けるためだった。
故に今はあくまで彼らの戦力や魔力備蓄を少しでも削り、地盤を切り崩す役目に徹した。
目ぼしい雑兵達を始末したのち、ライダーは“一際大きな魔力反応”を察知。
しおとライダーは“最後の一仕事”としてそれを追い、新宿区まで跳び立っていた。
長期戦に持ち込むことはできない。
だから、すぐに終わらせる。
強襲と共に、一瞬で決着を付ける。
しおとライダーは、言葉を交わすまでもなく判断した。
そして、“チェンソーの悪魔”は。
魔力の気配を追い、戦場を空中から確認し。
上空からの奇襲を仕掛けて、“大看板”へと攻撃を叩き込んだ。
敵もまた巧者だった。
ライダーの強襲を察知し、左手のショーテルで迎撃を仕掛けてきたのだ。
故に初手では左腕を奪うのみに留まり、一撃で斃すことは叶わなかった。
それでも、即座に二撃目へと繋げた。
全霊の瞬発力と共に、再び“敵”へと突進。
相手の回避を上回るスピードで、一閃のもとに両断を果たした。
“悪魔”は、“旱害”を断ち切った。
そして今、その場に佇む一騎の英霊へと向く。
相手は、蒼い雷電の如し魔力を迸らせ。
驚愕と警戒を滲ませながら、右手の銃を構えていた。
「らいだーくん」
電鋸を唸らせる“悪魔”を止めるように。
傍らの少女―――しおが、言葉を紡ぎ出す。
「そろそろ“時間ぎれ”みたい。帰ろっか」
百獣海賊団の殲滅は桁並み果たした。
ライダーの変身はじきに解除される。
これ以上の深追いは必要ないと、彼女は伝える。
暫しの睨み合いと、沈黙の後。
電鋸の悪魔は、その構えを解く。
雷霆のアーチャーは、警戒を解かず。
―――そして、ふいに目を見開いた。
その視線は、神戸しおへと向けられている。
悪魔に抱えられる“彼女”を見て。
何かを確信したかのように、その表情に驚愕を滲ませる。
やがて彼は、口を開こうとしていた。
そんなアーチャーを一瞥しつつ。
しおは、自身を抱えるライダーへと視線を向ける。
ライダーは彼女の意思に呼応するように。
その場から、瞬時に駆け出していった。
◆
-
◆
――――そして。
――――風が吹き抜けた。
◆
-
◆
砂糖菓子の少女は、見つめる。
桜色の髪を、揺らして。
巻き上がる粉塵を突き抜けるように。
自らの傍を横切る悪魔を、目の当たりにした。
風が吹き抜ける、ほんの一瞬の合間。
少女は、“それ”を認識する。
その片腕に抱えられた、幼い影を。
◆
砂糖菓子の少女は、往く。
黒色の髪を、靡かせて。
巻き上がる粉塵の壁を飛び出し。
電鋸の悪魔に抱えられ、戦場を振り切る。
彼が駆け抜けて、その勢いのまま跳び立つ直前。
少女は、僅かに振り返る。
悪魔が擦れ違った、淡い陽炎を。
◆
-
◆
―――むかしむかし。
―――愛を知らない女の子がおりました。
―――少女の名前は、松坂さとう。
―――やがて彼女は、愛に全てをささげました。
―――むかしむかし。
―――愛を見失った女の子がおりました。
―――少女の名前は、神戸しお。
―――やがて彼女は、愛する人とひとつになりました。
―――ふたりは、運命に導かれました。
―――至るはずのなかった世界に誘われて。
―――辿るはずのなかった道へと進んで。
―――ふたりは、それぞれの想いを育んできました。
―――ずっと、いっしょに。
―――死がふたりを分かつまで。
―――死がふたりを分かつとも。
―――愛に誓って。愛に導かれて。
―――祈りを胸に、ふたりは走り続けました。
―――そして、いま。
―――ふたりに、朝が降ったのです。
◆
-
【新宿区(廃墟の繁華街)/二日目・朝】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(小)、ガンヴォルトと再契約
[令呪]:残り1画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:―――――――。
1:しおちゃんに会う。そこにきっと、答えが待ってる。
2:どんな手を使ってでも勝ち残る。
[備考]
※ガンヴォルト(オルタ)と再契約しました。
※神戸しおと擦れ違ったことに気付いてるのかは不明です。
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:胴体にダメージ(中)、疲労(中)、クードス蓄積(現在7騎分)、さとうと再契約、令呪の縛り
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:あの少女は――――。
1:さとうを護るという、しょうこ(マスター)の願いを護る。今度こそ、必ず。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
[備考]
※"自身のマスター及び敵連合の人員に生命の危機が及ばない、並びに伏黒甚爾が主従に危害を加えない範疇"という条件で、甚爾へ協力する令呪を課されました。
※松坂さとうと再契約しました。
※シュヴィ・ドーラとの接触で星杯大戦の記憶が一部流れ込んでいます。
※新宿区に落ちてたミラーピースを回収してます。
※クードスの蓄積によって、『鎖環』での能力が限定的に再現されています。
※一度でもクードスが蓄積されれば、解放・解禁された能力は『電子の謡精』を除いて自由に発動できます。
強化形態への変身も同様ですが、魔力消費が大きいため連続発動は難しいです。
-
【新宿区/二日目・朝】
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:―――――――。
1:敵連合のもとへ帰る。
2:アイさんとは仲良くしたい。とむらくんについても今は着いていく。
3:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
4:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
※松坂さとうと擦れ違ったことに気付いてるのかは不明です。
【ライダー(デンジ/■■■)@チェンソーマン】
[状態]:令呪の効果によってチェンソーマン化中(じきに解除)、血まみれ
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:???
1:しおと共に往く。
2:死柄木はいけ好かない。
3:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
-
【星野アイ@推しの子】
[状態]:疲労(小)、サーヴァント消失
[令呪]:残り三画
[装備]:拳銃
[道具]:ヘルズクーポン(複数)
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
0:私は生きるよ、殺島さん。
1:私は、嘘つきなアイドル。
2:…やっぱりまだ当分は連合(こっち)だなぁ……。
3:デトネラットの迎えやしお達と共に戦線から離脱する。
4:敵連合の一員として行動。いずれは敵対するけど、今は何とかして再契約がしたい。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)との連絡先を交換しています。
【中野区・デトネラットのビル/二日目・朝】
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、半身に火傷痕(回復済)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×3
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命(プルス・ケイオス)』。
1:死柄木弔に、敵連合に全てを捧げる。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
[共通備考]
※旱害のジャック@ONE PIECEが消滅しました。
※残りの大看板は少なくともライダー(デンジ)達は捕捉していません。
-
投下終了です。
-
投下します
-
「琴(キン)や鼓(つづみ)の一つでもありゃ興が乗ったんだがなぁ……」
そのようにぼやいて、あぐらで座した光月おでんは悔しげに夜景を見下ろしていた。
ステージというには人気のないホテルの屋上で、新たな嵐の到来が告げ知らされるより前のことだった。
露店で多くの酒や肴を買い占められる程に人の交わりはあるとはいえ、景色は夜の暗さよりもなお悄然としていた。
「こう、皆でドンチャンやってる時によ、四拍子で『ジャン、ジャラン、ジャン、ジャラーン』って聴こえてくると、おっいつものヤツだなって皆、乗っかってきたもんさ」
元はと言えば、おでんが屋上での腹ごしらえを終えようかと言う頃合のこと。
幽谷霧子が、煮物の完食された器を片付けに訪れたのが発端だった。
煮汁まで飲み干された容器や、酒瓶のうち空になった何本かをひと所にまとめた上で、おでんの鼻歌に興味を持ったのだ。
聴き入られたことに気をよくしたのか、おでんが、もともとこういう歌だと歌詞つきでひとくさり歌い、今にいたる。
「ふふっ…………『シャン、シャラン、シャン、シャラーン』」
遠い目をしたおでんの回顧に寄り添うように、霧子はおでんの口にする前奏を真似た。
柔らかな高音で鋼琴(ピアノ)の調べに似た音をつくる。
物足りない楽器の不足を補おうとするかのように。
その気づかいにおでんは相好を崩し、ふたたびののど自慢に声を発した。
四拍子の笑い声が、海も見えないちっぽけな世界から空へと響く。
とはいえ、聴く者がいれば、それを笑い声とさえ受け取るのかどうか。
まるで、現実にはあり得ない不自然な笑い声をコンセプトにして作詞されたかのような奇矯な発声。
自身の『ふふっ』という控えめな笑い方には似つかわしくないその四拍子に、しかし霧子もまた声を重ねて歌った。
なぜなら、海賊は、歌うのだから。
そして、アイドルも歌うものだから。
――ビンクスの酒を、届けにゆくよ
――海風、気まかせ、波まかせ
――潮の向こうで、夕日も騒ぐ
――空にゃ、輪をかく、鳥の唄
歌詞はおでんの聴きかじりであっても、歌声にはよどみも詰まりもなかった。
霧子の記憶力は、実はとても確かなものがある。
学業優秀ということは、覚える力を鍛えているということでもあり、何より。
彼女はいつも、周りの音をよく聴いて、音のことをよく見ているから。
-
――さよなら港、つむぎの里よ
――ドンと一丁唄お、船出の唄
――金波銀波も、しぶきにかえて
――おれ達ゃゆくぞ、海の限り
その唄は戯れでこそあれ、軽くはなかった。
懐古や浪漫の想いがたしかに乗っていることは、音を聴いていればしかと伝わる。
歌っていると、そこには歌っている『自分』が表れるものだから。
彼らが、海賊(かれら)でいようとした、心の向かう先を感じ取ったから。
いつか、心の指針が定まった光月おでんにも、『行ってらっしゃい』と言わなければならない時が来る。
そのことを確かに、霧子は感じ取っていたから。
声を合わせて歌いながら、心の中では祈っていた。
――ビンクスの酒を、届けにゆくよ
――我ら海賊、海割ってく
――波を枕に、寝ぐらは船よ
――帆に旗に、蹴立てるはドクロ
お祈りには、作法はないけれど、手順はある。
心の中に、ひろびろとした海図を描く。
大丈夫さぁ前に進もうと錨を揚げ、太陽を抱いて帆を張った船を海に出す。
光月おでんとその仲間たちを乗せた、ばーりばりに無敵の海賊船が、冒険に出るのを見送る。
船の上にはおでんも、きっと縁壱も、もしかしたらおでんの大切な人で、家族にあたる人達も。
会ったことはないけれど、アンティーカにとっての恋鐘のような、おでん達にとっての『最強の船長』も、皆がいる。
たくさんの姿をキャンバスに浮かべて、すべて包む宇宙も描いて、色彩をつける。
『おーい、いってらっしゃい』と呼びかけて、航海の無事を願う。
――嵐がきたぞ、千里の空に
――波がおどるよ、ドラムならせ
――おくびょう風に、吹かれりゃ最後
――明日の朝日が、ないじゃなし
いつもは控えめに、アンティーカ全員の歌を聴いて、そこに合わせるための歌い方をする霧子だったけれど。
この時は、おでんと張り合うように、声を大きく張った。
かつておでんと一緒に歌っていた人達は、きっとそう歌っていたんだろうなと思ったから。
そして霧子は、上手な歌唱にこだわる歌手(シンガー)ではなく。
生きざまを魅せるために、想いに寄り添うために表現する、偶像(アイドル)だから。
-
だからこれは、二人きりのアカペラというだけではなく。
もういない人達を讃えて、想いを受け取って、携えていくためのトリビュート・ギグ。
――ビンクスの酒を、届けにゆくよ
――今日か明日かと、宵の夢
――手をふる影に、もう会えないよ
――何をくよくよ、明日も月夜
本当のところを言えば。
彼らのことを思って祈ったとしても、それだけでは必ずしも叶わないことを、霧子は知っている。
もっと言えば。
たとえお祈りが叶ったとしても、それは霧子の祈りが届いたおかげではなくて。
それは他でもないおでん達こそ、帰る場所を誤らなかったおかげで。
そのために頑張った結果だということを、知っている。
――ビンクスの酒を、届けにゆくよ
――ドンと一丁唄お、海の唄
――どうせ誰でも、いつかはホネよ
――果てなしアテなし、笑い話
だから、果てもアテもない笑い話の先で。
それでも光月おでんと縁壱は、望んだ場所に帰って行ける人達なのだと、願うのではなく、信じて。
そこに霧子にできる唯一のこととして応援をするために、この時は歌を合わせた。
この歌を、もしも聴かせたい人ができた時に、聴かせられるように留めるためにも。
それに。
気付けば屋上に居合わせていて、歌声を気に入ったかのように目を細めている縁壱のことが、うれしかったから。
姿はなかったけれど、近くにいることだけは確かである縁壱の兄にも、縁壱さんはこうだったと、お話できることが一つ増えたから。
◆
-
鬼が負った傷は、たちどころに癒える。
包帯を巻かずとも、他者が傷口に対してことさらに気遣わずとも、自ずと再生をする。
癒えることがないとすれば、それは太陽の灼熱にあてられてから消滅するまでの焦がれのみ。
だから幽谷霧子は、一度も彼に『お手当をしましょう』と言えたことがなかった。
けれど、今やその太陽光によって傷を負うことがなくなったその鬼は。
身体の半分に、決して癒えることのない空洞(きず)を抱えていた。
文字通りに半身を失った、迷い子の顔つきをしていた。
何故、弟の縁壱は死んだのだと。
何故、己はこんなにも眩しいものを浴びなければならないのかと。
泣いて、泣いて、泣くだけ泣いて。
泣いて、哭いて、亡くだけ無いて。
泪は、錆びついた心の鍵を回した。
後に遺されたのは、人間とも鬼ともつかない躰に新生した、かいぶつ一匹。
「その身体は……縁壱さんが?」
遺していったんですか、授けたものなんですか。
そう言おうとしたところで、述語は続かなかった。
鬼という身体の特異性について、物質面での知見がない霧子には、詳しくは分からなかったけれど。
縁壱がもういなくなったこと、最期に『何かをした』結果として、その兄が陽光を浴びられていることは察せられた。
風の向きや光の当たり方ひとつで、命は変転する。
光の当て方しだいで、人の手指がいろいろな影絵に変わるように。
見出して、光をあててくれる人がいるなら命の形は変わる。
いろんな命になることができる。
けれど、今その命から返ってきたのは、威嚇になりそこねたような、元気のない声だった。
「縁壱の仕業だと、受け入れるというなら……貴様には、縁壱がそうする心当たりがあるとでも?」
だが、黒死牟こそがもっとも、その理由に納得を得ていなかった。
人間の血と力が融和したことによる陽光克服の促進。
そういった可能性を思い描くだけの視野はあっても、目の当たりにする現実はそうはいかない。
人間にも鬼にも、見たくないものを見るのは難しいことだから。
だから、幽谷霧子に問うのだ。
『縁壱が黒死牟に身体を与える』ことに納得するということは。
お前には、縁壱の遺していった行動の真意が分かるのかと。
-
「縁壱さんは……」
きっと、縁壱にしか分からない、と突き詰められてしまうことなのだろう。
縁壱がずっと、兄に対して想いを伝えようとしていたことを霧子は知っているから。
縁壱もお別れの時には、兄をずっと見ていてどう想っていたのかを言葉にしたのだろう。
その言葉でも伝わらないものを霧子が代弁したとしても、きっと本来のそれとは違う言葉になる。
「セイバーさんから、心を向けられてたなら嬉しいって…………笑ってました」
けれど、縁壱の心は預かっている。
黒死牟さんに見えている『縁壱』さんが、『心を預かってほしいと願った縁壱さん』の形になってほしいと思っている。
六つの瞳を、ぎょろりと開眼できる限度まで開いて、射るように霧子を直視する。
黒死牟のその仕草が、思い出を掻きむしられて動揺した時のものであることは、分かるようになってきた。
「……それだから、お前たちは嫌いだ」
二度目の『嫌い』に、胸は痛む。
慈しくするだけでは、救えないものがある。
だからお医者さんになる為には、知識と医術を身に着けないといけない。
医者になるための勉強をしている霧子にとって、その現実はいつも目の前にある。
黒死牟を手当するための正しい医術を、霧子は知らないかもしれないと、今でも迷っている。
「そうやって日輪を苦痛もなく浴びているのに、さも私と貴様らは同じだという顔をしている。
私も貴様らのようになれるはずだと呼吸(わざ)を説き、同じ枠組みに嵌めて考えようとする。
…… 私の命と、己らの命が、等価交換になるかのような真似をする」
けれど。
かつて、月と向かい合った弟に対してこぼれた、稚拙な本音。
なぜお前たちのことが嫌いなのか。
それと正面から向かい合うことだけは、誤っていないと信じている。
「太陽が待っているなどと、救済のように誘っておきながら。
陽の下に引きずり出される苦痛については、いざその時になってから謝罪する始末」
「はい……」
返す言葉がない、ところもある。
しんと冷えた冬を土の中で過ごす命は、春の陽を浴びようと地表を打ち破るために艱難辛苦を味わう。
冷たく、暗いところから、太陽の下に姿を現すのは、とてつもなく痛みと、息苦しさをともなうに違いなかった。
-
「『己の生まれてきた意味が分からなくなった』など弱音を吐いたかと思えば。
鬼である私に食われて一部になるのが望みだと、正気の沙汰ではないことを。
あげくの果てに、やりたいことをやってくれ、などと……」
最期まで己の望みを叶えなかった弟に対する怨嗟の声だと、受け取る者もいるのかもしれない。
少なくとも、言葉だけならその意味にも通るものだったけれど。
鋭い爪の生えた両手でのどを掻きむしった後のように、痛々しい声だった。
のどに爪痕がざっくりと残っているかのような、血の色をした音。
泥だらけの走馬灯に寄う。
こわばる心と、震える手。
掴みたいものがなくなって、変わっていく自分自身。
「縁壱を糧にするような真似をして……何のために生まれてきたというのか……!」
それは、弟を犠牲にしてしまったと嘆く、兄としての声。
そうとも解釈するのは、霧子の願いにのっとった虚構ではないと思いたい。
「セイバーさんのお日さまは…………痛い、ですか?」
己の命と、縁壱の命は交換していいものではなかったと。
どの言葉もそう言っているように聞こえた。
お前たちは胸を張って陽の下にいられる、そこにいるべき者で、一方の己にはそういう価値はないと。
そうやって自分のことが嫌いになっていくから、お前たちのことが嫌いなのだと。
「ごめんなさい……私には、お日さまの下に、当たり前にいたから。
セイバーさんが眩しいのも、痛いのも、全部は分からなくて」
ごうごうひびく嵐のような声を聴くのは、初めてではなかった。
やりたいことがあり、生まれてきた意味をいくらでも探せる、お前たちと私は違うという迷子の声。
縁壱がもういないことは、痛みとして胸を刺しているけれど。
だからと言って、『気持ちは分かります』と軽々しいことを言えるはずもなかった。
「でも、私は………きっと縁壱さんも、おでんさんも…………」
それでも、彼は初めて幽谷霧子の名前を呼び、すがるように問いかけている。
今でも、霧子の言葉の一言一句を、耳に容れようとしている。
――あなたの命は…………ちゃんと、ここにあります……!
まだお月さまがいた夜の間に、そう言ったように。
私は、「ここにいてもいいんだ」と伝えることはできるけれど。
本当の意味で、『ここにいてもいいんだ』って思うのはきっと、黒死牟さんにしかできない。
-
「あなたに、何をするために、生きてほしいとは……やっぱり言えないけど……」
何のために生まれて、何をして生きるのか。
アイドルにも、医者にもなりたい、どっちつかずの幽谷霧子に、ひとつきりの正解は出せない。
救いたくても、救い方が分からない。
だからちゃんとお祈りにならない人が、世界にはたくさんいる。
あなたは何者にもなれない『かいぶつ』として、間違って生まれてきました。
そう言われて、希望を捨てられた方が安心するのかもしれない。
だから、一人で何もない夜の暗闇で、迷子のままでいようとする。
そこに慣れてしまった者にとって、太陽は眩しすぎて、目が痛いかもしれないけれど。
「あなたに……幸せになってほしい、です」
『ぼくは幸せになる為に生まれてきたんだ』と言えたなら、とても素敵なことだと思う。
六つの眼が、はっきりと揺れた。
「生きていくには、命がある体と、あったかい希望と、どっちも必要だから」
兄がこれからも生きていく糧を与えるために、弟は命を渡した。
それを兄弟からの愛だから飲み込んで受け取れというのは、酷なことかもしれないけれど。
「お兄さんから、要らないって言われてしまったら、悲しいから」
その命を拒絶すれば、奇しくも継国兄弟が滅殺した悪鬼の嘲笑と同じように、縁壱を否定することになると。
黒死牟がその自己矛盾に戦慄して、ぞわりと後退したことも、霧子には理由が分からないけれど。
「私も、縁壱さんの代わりになれないことは分かってます、けど……」
縁壱は、霧子に心を託してくれた。
だから兄弟のことにもう少し踏み込んでも許されるだろうかと、自分を励ますために。
縁壱からもらった巾着の袋を持ち上げ、胸の前にあてるように両手で握りしめた。
六つの定まらぬ瞳が、その布袋へといっせいに向く。
「これからも……セイバーさんのこと、見ています」
大切な人が、ゆるやかに、いろんな形に変わっていくことを、一番近くで見届けて。
それでも大丈夫だと、一緒に歩んでいく。
そういう風に見守られたら歩けることもあると、霧子は知っていたから。
「私にできることは少ないけど。
どう生きたのかを、誰かが見てるなら……何も残せなかった人生には、ならないから」
-
巾着を手のひらで包むと、かたくて細長い手触りの『何か』があることが伝わってきた。
黒死牟の六つ三対の相貌が、食い入るような眼差しを向けていた。
「だから、縁壱さんからもらったお体のこと……お兄さんがお手当して、大事にしてあげてください」
他でもない自分自身で、あなたのことを励まして、お手当しよう。
自分を大事にするのも、きっと勇気が要ることだけど。
その勇気を、あなたに持って欲しいんだとわがままを言わせてほしい。
「縁壱と会って、わずか数時間に過ぎない身の上で……」
棘をたくさんつけたような言葉は、いつもの通りだった。
いつかのように胸倉をつかまれることは絶対に無さそうなほどに、執念はこそげ落とされていた。
「知ったような、ことを」
巾着袋に寄せられていた視線が、天を仰ぐ。
頸が傾けられた拍子に、頬を伝うものがあったようにも見えた。
そのまま、耐えなければ躰が傾いでしまうかのようにぐっと硬直して。
幽谷霧子に視線を向けないまま、平静に戻ろうとする声が放たれた。
「笛を預かったところで、奴の代弁者にでもなったつもりか。思い上がりも甚だしい」
お前の言葉が真だと認めたわけではないと、距離をおくための言葉だった。
しかし、何拍かの間をおいた上で、霧子は理解する。
理解して、眼を細めた。
初めて知ったという喜びを、そのまま声にだした。
-
「この袋の中身を、ご存じなんですね……」
その声を受けて、黒死牟もはたと気付いたように立ち竦んだ。
黒死牟は、『巾着袋』ではなく『笛』と言った。
霧子は大切に預かりこそすれ、その中身をあらためる機会はなかった。
その中身を、黒死牟は知っていた。
弟が大切に扱い、仕舞いには『私の心』とまで称した思い出の宝物を、兄は理解していた。
それは、兄が弟を想う心に、羨望や憎しみ以外のものが確かにあったという証だてに他ならなかった。
◆
恥というものには、際限がない。
今さらになって、語るに落ちるというものを、実演することになったのだから。
光月との果たし合いで、眼を開かされて。
兄弟力を合わせての鬼退治などという物語の振る舞いに、夢から醒まされて。
とうとう今ここで、眼を反らす余地さえもなくなった。
『縁壱が己の贈った笛を大切にしていたことを知っている』と、幽谷霧子の前で明かしてしまった。
そうなっては、もはや否定ができない。
己はとうの昔に、それこそ鬼になってしばらくの、数百年よりも以前から。
継国兄弟の間には憎悪ではない想いがあったことを目の当たりにした上で、眼をふさぎ続けていて。
弟が兄に対して言い放った数々のことは、すべて飾らずに受け止めるべき意味だったのだと。
――あいつは!! お前に!! ずっとそうしてほしかったんだぞ!!
いつぞやの言葉が、断じて冗談ではなかったことも。
――兄上は、この地にてひとつでも、命を殺めましたか
ここにいる鬼と人の混ざりものに、罪は無いとしたことも。
どうしてこうなった、と誰にでもなく問う。
その答えが、眼前で大切そうに巾着袋を握りしめている。
-
予選の間に殺傷をすることなど、いつでも起こり得たことだった。
そうはならなかった。
対敵を望んで夜の街を歩いているというのに、『ついてくる』という動きによってこちらの移動を鈍化させる、面倒な石ころ。
情報収集にでも出向いたかと思えば、およそ長閑としかいいようのない日常の景色しか聞かせなかった。
皮下なる陣営の配下の者たちを斬り伏せようとした時にも、まず話をするのだとごく長閑に止められた。
いつもいつも、『そちらに行ってはダメだ』と言い聞かせるような振る舞いばかりをしていた。
そのようにして、黒死牟が命を殺めなかったという偶然のいくらかは、幽谷霧子がもたらしていた。
弱卒だと見なしていた町娘が、ずっと黒死牟を見ていた結果として。
「……中身を知っていたも何も、忘れるには意外に過ぎただけだ。
子どもの戯れのような笛を、守り袋のように後生大事に持ち歩くなぞ、侍らしくもない」
反論にさえならない、捨て台詞。
だが霧子は、その言葉さえも丁寧に拾った。
「……らしくない、でもないと思います。
私の見た縁壱さんは、音楽を聴くのも好きな人でした。
私とおでんさんがうたうのを、嬉しそうに聴いてくれたから」
それは、知らない出来事でもなかった。
何が楽しくて観客に加わろうという気はしれなかったが、宿部屋の屋上にて響く歌のことは感知していた。
縁壱がその場に混じっていたことも知れたが、いつも酔狂なことをする輩だからと関心はなかった。
いつもそうだった。
剣の話よりも、双六や凧揚げをしませんかと言われる。
他者の生きがいを、児戯より劣るもののように扱うかのように。
まるでばかにした誘い文句だったと、妄執の記憶には刻まれていた。
だが、逆だったとすれば。
切実な望みとして、凧揚げを、兄との遊びを、俗っぽくありふれたものを望んでいたのではないかと。
そんな洞察をすっと腑に落とすには、あまりに取返しはつかなかったけれど。
――そういう生き方を……私も送りたかった。
弟は絶対的な孤高として生きるのではなく、とるにたりない小さな命になることを望んでいた。
-
非の打ちどころのない人格者の、日輪の子。
黒死牟は長らく、そんな夢想でしかないものを視界に定めていたのだと、悟らずにはいられなかった。
「何が楽しいのかと、長らく想っていた」
「…………」
「今も、そうだ……縁壱を一部に宿したところで、奴と同じ景色は見れぬものらしい」
縁壱どころか、今ほどみすぼらしく眩しいものとして空をあおぐ生き物は、そういないに違いなかった。
どうしてここまで青いのかという世界の下で、あまりに矮小に取り残されている。
「はい……見る人によって、空の色は変わるから、でも」
少女は、縁壱の六つの瞳に見入っていた。
そこに写っている空の色を、確かめるかのように。
「その空は、縁壱さんが、お兄さんに見てほしいと思った空だと思います」
あなたの空と、私の空。
その二つが違うことを、むしろ喜ぶように霧子は微笑した。
そこから軽く会釈をして、すぅと小さな息を吸う。
それまで言えないでいたことを、改めて告げるように。
太陽の光には、音があった。
「おはようございます……縁壱さんのお兄さん」
一か月、現界していた。
当然、その言葉を向けられたのは一度や二度ではない。
だが、鬼となった者に、穏やかな朝というものは二度と訪れない。
故にそれは日々、『霊体化せざるを得ない時刻の始まり』を告げる定形語でしかなかった。
かつて継国厳勝という名を持っていたセイバーは、はじめて朝の挨拶としてそれを耳に容れた。
――なぜ、なつかしやと思うのか。
故に、反応は既視感となる。数百年の時を経て耳に届いたような知覚になる。
かつて毎日そう挨拶する者がいたことは覚えていると、深く沈んでいた記憶がわずかに浮上する。
ただ一つの日輪の記憶よりもはるかに霞んで、霞ませることをことさら歯牙にもかけなかった、女と子らの顔がある。
――妻子も、厳勝に捨てられ、もう決して戻ってこないと悟った時は、胸に空洞を抱えたのだろうか。
継国厳勝の写し身は、それを思う。やっと思った。
-
◆
「うわっ……私の出る幕、無さすぎ……?」
などと自虐混じりに言っても、緩和できぬほどには。
実のところ、立場も、体調も、おもわしくはなかった。
もはや焦土と化すのみならず、瓦礫で砂丘をつくったような更地となったグラウンド・ゼロ。
地面と一体になるように伏せられていた等身大以上の瓦礫を引き起こし、即席の日陰を用意して。
鬼の眼の泪が、深くにこびりついた錆を落としている間に。
こちらはこちらで、話をしよう。
「あいにくだが、俺にライダーみたいに上手いこと励ます器用さはないぞ。
色々と面目ないのは、こちらも同じだからな。むしろ、そこに関しちゃ幾らでも怒ってくれて構わない」
それも紙一重で勝ちの目を拾えた、それだけは拾えた単騎の侍と、少女に見とがめられぬよう。
やや距離を置いて、邪魔立てにならぬように控えるためではあったし。
少女をここまで送り届けた弓兵と、戦果報告をするためでもあった。
「私があなたに怒る謂れと言えば……さては、梨花ちゃん絡みで何かあったの?
いや、私がこの世界にまだ留まれている以上、生存はしてるのでしょうけども」
瓦礫に背を預けて座りこむ武蔵に、膝をついて対面する土と血に汚れた影がひとつ。
今はどちらも手傷に汚れた、戦場の華と、戦場の蛭。
血を流した女剣士は、粉塵を被った機甲猟兵と合流していた。
「東京タワーの地下に古手梨花がいた。だが、確保には失敗した」
武蔵にとって、もっとも安否を心配する少女についての話から。
彼女らが光月おでんによって離脱させられてからの単独行動の顛末を語る。
霊地を強奪するべく魔法陣に出現したリンボと、そこに集っていた一同について。
そして田中摩美々との念話を経由して齎された、死柄木弔との間に起こった遣り取りと、魔法陣直上の『崩壊』について。
リンボに宝具を撃ち込むも驚異的な蘇生を果たされ、幽谷霧子のみを連れて脱出したことについて。
田中摩美々から、七草にちか越しに『ライダーの無事』を念話で確かめたことについて。
-
「俺の独断で、古手梨花の救助よりも幽谷霧子の救助を優先した。
たとえ軍法会議があったところで、弁明する余地は何もない」
『独断で』と前置きを容れたのは、アシュレイ・ホライゾンやアイドルたちに無断で下した判断だと強調するため。
ひいては、宮本武蔵の心証の悪化を、メロウリンクだけではなく方舟の一同にまで広げないためでもある。
これが、『古手梨花よりも自分のマスターを優先して救助した』という話ならば、サーヴァントとしては当然と片付けられた。
だがメロウリンクは、マスターの近親者とはいえ、『立場としてはどちらも同盟者に違いない二人のマスター』において優先順位をつけた。
よって、ここに『謝罪』が発生する。
「……いや、リンボの独り勝ちを阻止してくれただけでも大金星なのは、私にもよく分かりますし?
すぐ隣にいる霧子ちゃんともども生き埋めになる危険を冒して、梨花ちゃんを探すのが無茶ぶりだというのも分かります、ええ」
そして武蔵も、『その状況であれば仕方ない』という判断の融通はきく。
その上で。
とてもにこやかに、にっこりと笑顔を作った。
笑ったのではない。威嚇するための笑顔を作ったのだ。
「それでも、八つ当たりの相手ぐらいにはなってほしいんだけど」
くわっと口を、四角く、大きく開いて、眉をななめに吊り上げ、声だけは抑えた上で抗議した。
「そ、こ、は! もうちょっと、頑張ってほしかったなー!
せっかく霧子ちゃんが図らずも拳の鬼さんを会話で引き付けてくれたんだから、もっと探してほしかったなー。
……ぐらいのことは、思ってます。ええ、とっても……はい、この話は終わり」
「面目ない」
武蔵は、割り切ることの玄人ではあっても人格者ではない。
観音様の慈悲に感謝することはあっても、自らは菩薩には遠かった。
かといって、そこで怒りをこじらせても状況は悪化するばかりであることは理解しており。
なおかつ、いら立つ理由の半分は『自らの不始末で負った汚染が進行して焦っているせい』だと自覚もあるので。
せめて発散だけはさせてもらおうというのが落としどころになる。
-
「それで、梨花ちゃんの手がかりは打ち止めなのかしら?
魔力パスは不調もなく繋がってるけど、念話は来ない。
そして現場にいた味方は、逃げるのに精いっぱいだった。
だとしたら、その場に来ていた海賊側の誰かが連れ出したんでしょうけど」
「そうだな……幽谷霧子に警告を送ってくれた以上、あの時点で意識はあったんだろうし発声もできていた。
それなのに、アンタに令呪も念話も送ってこないってことは、通信を妨げる仕掛けは打たれてるんだろう」
「そりゃ、あのわらび頭なら、そのための仕掛けはいくらでも用意できるでしょうね。
でも、その割には梨花ちゃんの口が塞がれてなかったのはかなりの幸運だったのかしら」
結果的には古手梨花が喋れたことによって、幽谷霧子の殺害を紙一重で仕損じていることになる。
そのことを指すと、メロウリンクは苦い記憶をたぐるように眼を細めた。
「あの場で発砲した奴のことを、リンボはマスターと呼んでいたな。
もし人質の娘と会話を楽しもうとする趣味があるなら、ライダーから聞いていた通りの性格だが」
「……貴方たち、リンボのマスターには会ったことがないんじゃないの?」
「会ったことはないけどな。本当のところ、一度メッセージを送ってきたのと同じ手合いじゃないかと思ってる」
――仲間思いの誰かさん。貴女の尽力のお陰で死人が増えました。
――無駄な努力をご苦労様でした
海賊陣営の一斉襲撃が世田谷区にて起こるよりも前に、『プロデューサーの携帯電話を使って』送信された文言。
あれは、割れた子どもたちからの挑発『ではない』というのがライダーの見立てだった。
本職(プロ)の殺し屋が、精神的削りというにも曖昧な嫌がらせを軽々しく送って寄越すのは、あまり似つかわしくない。
それを七草にちかは『性格が悪い』と評したが、ライダーはより厳密に、『リンボと同種の人間だ』と分析した。
その上で、杉並区での戦いでも、東京タワーの地下でも、リンボとプロデューサーの主従は行動をともにしている。
これが意味するのは、リンボの主従はかなり詳しく、283プロ周りの流れを把握していること。
つい先刻まで、リンボを逆襲の対象と定めていたメロウリンクだけは、『ならば、そのマスターとは』という発想を頭の隅に置いていた。
「セイバー……他意や責任転嫁じゃなく、シンプルに聞きたいんだが。
アンタのマスターは『知り合いが聖杯戦争にいるかもしれない』なんて話をしていたことがあったか?」
「え? ……いやいや、そうかもしれないなら『その子も方舟に乗せる』って話になってたでしょうよ。
……それとも、またライダー君の分析みたいな見立てがあるの?」
「誤解されちゃ困るんだが、俺はウチの隊長殿達(アサシンやライダー)がやってたようなプロファイリングはできっこない。
むしろこいつは、カン働きとか気配察知の話になってくるんだが……」
メロウリンクをここまで生き延びさせた、近似値という生存本能(スキル)。
そこには、『運よく被弾しなかった』だとか『大爆発の中で火の粉を被らなかった』という、幸運の恩恵だけではなく。
『こちらに向けられる殺気に反応できた』だとか『銃弾の雨を直観的にかいくぐれた』など、英雄譚の活躍まがいのご都合、も含まれる。
それが、東京タワー直下の魔術儀式の場において一度だけ反応した。
-
メロウリンクをここまで生き延びさせた、近似値という生存本能(スキル)。
そこには、『運よく被弾しなかった』だとか『大爆発の中で火の粉を被らなかった』という、幸運の恩恵だけではなく。
『こちらに向けられる殺気に反応できた』だとか『銃弾の雨を直観的にかいくぐれた』など、英雄譚の活躍まがいのご都合、も含まれる。
それが、東京タワー直下の魔術儀式の場において一度だけ反応した。
――あ……待って下さい……! さっき……どこかから梨花ちゃんの……お友達の声がして……
――ここに来ているのか? さっきの声がそうなら確かにまだ近くにいるが……くそ、間に合うか────?
幽谷霧子がそう言った刹那に、刺すような視線と。
気配を殺すのをとっさに忘れたような、歯噛みと。
誰かを狙った射線上に間合い悪く立たされたような、危機感が背筋を走っていた。
神秘のない実銃であれば英霊には届かないものだし、『まだ近くにいる』という声を放てば霧消したけれど。
【リンボのマスター】が、アイドル達にたいして一方的かつ粘着性の高い嫌悪を持っていることは理解した。
だが、なぜ『古手梨花の友達』だと名乗る行為が、その怒りを格段に煽ることになる?
「……とはいっても、アンタのマスターが囚われてからけっこうな時間がたって
監禁されてる間の言動とかで恨まれててもおかしくはないから、そっち絡みの因縁かもな。
次に現れたら、気を引くのに使えるかもしれない、ぐらいの小さいネタだ」
「次に現われないのが、一番いいんだけどね……に聞くやられっぷりだと、そうあるべきだとは思うのよ」
ちなみに、リンボに関して。
『霊核をやられたのだから、どのみち長く持たないのでは?』という点については、武蔵たちも半信半疑と言ったところ。
武蔵自身が『令呪の効き目次第で、ある程度なんとかなった』という感覚麻痺が生じる例外を、ひとたび体感した上で。
『峰津院大和』や『光月おでん』、『崩壊を持つマスター』のような『規格外の奇跡を起こし得るマスター』の存在を次々と目にしてきた。
あの状況からサーヴァントを復帰させられるマスターも、あるいは……と、『リンボはあの場で復帰して宝具を使えていた』という事実が補強される。
そういった半信半疑の、半分のうちの一割ほどは、武蔵が『それに【あの】リンボだからなぁ……』といった念を持っていることも大きい。
「……参ったなぁ。そういうの、当たってほしくないわ」
溜め息をつくと幸せが逃げるというけれど。
ああ、これは幸せも逃げてるなという実感を持ちながら、武蔵はそれをした。
リンボが現れないこと、だけでなく。
『古手梨花の縁者』として、リンボのマスターが現れることが、あってほしくない。
武蔵は、戦いに湿っぽいものを持ち込みたくない主義である。
そして、もしも『異邦人の旅人である古手梨花の因縁の相手』なんて存在がいるとすれば。
それは敵であろうと、味方であろうと。
その人物と梨花の間柄は、絶対に、重いことになる。
旅人(ストレンジャー)にとって、『切っても切れない縁』がどれほど希少なのかを知っているから。
-
異邦人は、縁を紡ぐことが人よりも難しい。
世界の景色が終わっていくたびに、私はまた置いていくんだと悟る。
置き去りにして、また迷子になって、今度の場所は好きになったとおもったらまた終わって、その繰り返し。
古手梨花という少女との初対面で、可愛らしさによる狂乱の次に抱いたのは、親近感だった。
百年も続けているなんて、すごいなぁ、大変だったんだろうなぁ。
私はさすがに、あと百年も続けられる気がしなかったなぁ、と。
そんな彼女をどうかこれ以上苦しめてくれるなという想いと。
そんな戦いの結末が、きっぱりと湿っぽくないものになるだろうかという憂慮と。
どちらもが武蔵にあるものだった。
「あと、あんたのマスターには関係ない話題で申し訳ないんだが」
申し訳ない、といいつつも、不器用に話題を切り替えようとしたのか。
メロウリンクは、まったく別人のことを問うた。
「仇敵というなら、峰津院大和への悪感情は無いのか?
東京タワーで削られていた時は、ずいぶんと悪態をついていたようだったが」
それは、どこにいるとも知れない安否に対する問題ではなく、極めて直近に抱え込んだ問題だった。
幽谷霧子をバイクの後部座席に乗せて『これから合流する』と念話を発信するにあたって。
極めて簡潔に『七草にちか側の念話』について知った。
曰く、大往生の光月おでんから、色々と奪われた峰津院大和を託された。
曰く、そのライダーがこれから帰還する。
「うーん……そりゃ、『ちょっと見ない間にお坊ちゃんが心変わりするとは思えないんですけど!?』とは疑い中だけどもね」
たとえ、方舟全員の相互同意によって『峰津院大和との交渉の結果次第では受け入れる』という方針があったとしても。
武蔵たちが最後に目の当たりにした峰津院大和は、とても戦いを経て歩み寄りに至ったとは思えないもので。
どんな交渉を交わしたところで結局は弱者の囀りでしかないと、険悪かつ一方的に見下される間柄だった。
後方でひたすら機をうかがうのに徹していたメロウリンクの眼には、武蔵がそれに辛酸をなめていたように見えていたし。
それに関してはその通りだったと、武蔵も頷く。
頷いた上で、それでもと言った。
「実は私、あの少年の物言いに好感を持つところはあったのよ?」
「戦いの中で、ずいぶん煽られるわ見下されるわ、散々な言われようだったが……」
「そりゃ、あれで怒らない奴はいないと思いますし、この野郎こん畜生って本音もあるんだけど」
その言葉が武蔵に響いていたことを、峰津院大和はおそらく自覚していないだろう。
-
――それとも佐々木小次郎は、貴様の身の丈に合わせて剣を振るってくれる腰抜けだったか? 二天一流
自らの専門分野ではない剣士の技を看取り、即座に『宮本武蔵』だと看破する見聞と、専科百般の特異性。
それと同時に、先人を歯牙にもかけない傲慢さの表れでもあった。
しかし、万能の博学多才に対する感嘆と、挑発に対するしゃらくさいという怒り、以外の想いに武蔵は胸を打たれた。
方舟に与するサーヴァントとして、ではなく。
古手梨花を守護するための人斬り包丁として、でもなく。
ただ、宮本武蔵という真名を名乗る女としての私情だ。
「あの少年は、『女武蔵』を驚かなかったし、疑わなかった。
世界広しと言えども、そんな人間にはなかなか巡り会えないものなのです」
――この女、間違いない。宮本武蔵だ! いや、しかし……女……女、だと……?
――わぁー。宮本武蔵……え?女の人、ですよね?
これまで縁を紡いだ者のほとんどが。
『宮本武蔵とは男ではなかったのか』という顔をした。
いや、こちらも『牛若丸は女性だった』と教えられて泣いたクチだから人のことを言えませんけども。
サーヴァントである以上、伝承と性別が違っていること自体はまれによくあること。
その上でなお、女の宮本武蔵とは剪定された一つの世界にしか存在しないはぐれ者。
どの世界を旅しても『二天一流』の開祖の逸話は男武蔵であり、女武蔵は異物だった。
しかし、峰津院大和にとってはそうではなかった。
『女の武蔵はおかしい』というフィルターをかけずに、ただ技の実力のみによる判断で『二天一流』だと断言した。
――待たせたな、佐々木小次郎。
あの炎の夜に追い付いてきた運命の剣鬼を、大和はたしかに佐々木小次郎と呼んだのだ。
「よっと」と小さく声を跳ねさせ、即席の端切れでつくった眼帯を右眼にあてる。
あの夜に藤丸立花が用立ててくれたもののように、器用な工作ではない、巻いた布と変わらないものだったけれど。
-
「むしろ、そっちこそ、恨みをはらさないでおかない復讐者じゃなかったのかしら」
「その括り方は、雑にもほどがあるだろ……」
なるほど峰津院大和から被った実害で言えば、武蔵よりもメロウリンクたちの方が大きいと言えた。
まさにメロウリンクたちの現在地であるグラウンド・ゼロを昨晩に粉砕した、激動の始まり。
それそのものは峰津院大和の命令を引き金としている上で、当人は宗旨替えをしているか怪しいときている。
「……光月おでんは恩人で、事情は知らんが恩人から託されたんだろ。
忘れ形見を捨てられないのはもっともなことだし、それでライダーの重荷だって増えてる。
全部ライダーが独断でやったことだから聞いてない、なんて話にして、の負債を増やしてどうする」
過去、生前の小隊長が行っていたという独断の取引。
まさかの独断専行と、裏切りの真相。
メロウリンクの中では、それらを鵜呑みにすることも、真実だとして許すこともしていない。
だが、板挟みの決断に悩み、上官もまた孤独だった上で、無邪気に憧れとして慕っていたことは否定しない。
それで部隊を自滅させるなど、二度も三度も繰り返したくはなかった。
「ふーん……私は用心棒の繰り返しみたいな生き方だけど、本職の兵隊さんにも色々あるのね。
じゃあそのあたり、簡単に霧子ちゃんにも説明した上で合流といきますか」
「向こうも静かにはなったようだが……下手に声をかけて、いいのか?」
「そりゃ、六つ眼の御仁とあなたは初対面ですものね。
ここは二人とも気ごころ知れた私から声をかけさせてもらいましょう。
おーい、そこの元鞘におさまったお二人さーん!」
「…………どう見ても気ごころ知れてない刺すような視線が、こっちを向いてないか?」
◆
-
投下中すいません、離席せねばならない事情が発生しました
残り四分の一をほど切っていますので、一時間以内に残りを投下させていただきます
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◆
そして四者の対面にはしばしの騒擾があり、出発にはしばしの時を要した。
だがそれも故あって、四者揃っての道行きには相成らなかった。
「気ごころ知れてるとは言ったけど、この組み合わせになるのは想定外だったわ……」
じわじわと、ぐらぐらと不安定に、陽光が高度を上げていく。
つい一日前に、東京にいる誰もが『暑い暑い』と悲鳴をあげていた時間帯が、ふたたび訪れる。
景色はずいぶんと、様変わりしたものになっていたけれど。
沈下した世田谷区の地盤を、二人の剣士が歩く。
セイバー・宮本武蔵と、セイバー・継国厳勝。
進路は北西。
行き先は、渋谷区との区境方面。
目的は、同じくメロウリンクと幽谷霧子が向かっている仲間たちとの合流、ではなく。
そこに黒煙と焦土を散らして墜落した鬼ヶ島跡地の、探知と偵察。
対象は、マスターでなければサーヴァントでもなく、まして使い魔でさえもない。
探索すべき者として、東京タワー崩落にてはぐれた霧子の同行者たちの行方も、また気にかかるところではあったが。
逃げ延びたは千々のバラバラ。たとえ並外れた感知の血鬼術を持つ上弦の参を以てしたところで。
ある程度の時間が経過した今になって、個体識別をしながらマスターを探り当てるのは至難の業となっただろう。
もう一人、田中なる敵連合よりの使者がいたらしいが、こちらは鏡世界の脱出においてはぐれたためにいっそう探索のあてもなし。
また、敵連合との連絡先を持っているというのなら、生きていれば探さずとも連合に拾われるだろうと。
では誰を探しているのかと問われれば、武蔵にとってもあきらめていた者たちだった。
どころか、そちらに話題が転ぶことさえ、予想外だった。
武蔵もメロウリンクも、知らなかったのだ。
幽谷霧子が知らないことを、知らなかった。
彼女はこれまで、会話から得られた断片的な情報と、聞き取った心情によって話を通じ合わせていて。
決して起こったことの全貌が、分かる立場にはいなかった。
古手梨花が自由を奪われていることさえ、東京タワーで姿なき声を聴いた時点で初めて察したほどに。
故に、梨花のサーヴァントとだけ再会する、という事実によって。
梨花の安否が極めて深刻であるらしいと悟ってしまった時に。
無事を問いたくなる者が、新たに三名できる。
「ハクジャさんは……どうですか?」
少しの沈黙があった、その後に。
「生きては、いないと思う」
あくまで現実的な観点から、武蔵は答える。
-
「ハクジャさんは……どうしたんですか?」
少しの沈黙があった、その後に。
「生きては、いないと思う」
あくまで現実的な観点から、武蔵は答える。
サーヴァントとマスターが強制転移で引き離され、令呪の使用も叶わないままに制圧されたのだ。
そんな鉄火場において、脱出計画に心なびいているところを見せていたNPCたちが見逃されているというのは希望的観測に過ぎる。
少なくとも、梨花の護衛をかって出で会談に望んでいたハクジャの安否は、絶望的だと言えた。
そしてそういった状況を、詳細に伝えなかったとしても。
「どのみち、あんな風に拠点が落ちてしまったんじゃあ、ね。
NPCどころか、神秘の力を持った使い魔でさえ生存は難しいと思う」
火の手と黒煙が世田谷区からでも明瞭に見て取れる渋谷区の方角を指し示した。
ハクジャたちが人の身を越えた異能を持ち合わせていたことは理解した上で、なお。
「気がかりじゃない、というわけでは無いんだけどね。
でも、瓦礫の町から生存者を探すのは、砂漠の中からおはじきを探すようなことになると思う」
その上で本音を言えば、生きていてほしいという情だけでなく。
生きてさえいてくれればという、切実な要望もある。
なぜなら皮下の拠点において生き延びていた内通者がいるとすれば。
宮本武蔵が完敗を喫した械翼のアーチャーやそのマスターについて情報を持っているやもしれぬ、ばかりでなく。
声ひとつ以外はまるで手掛かりのない古手梨花について、どのような処遇にあったのか、鬼ケ島墜落前までとはいえ聴けるやもしれないということ。
梨花の安否について口惜しい思いの続いている武蔵にとっては、決して軽くない情報であり。
故に障害となるのは、生存率の薄さと、探知手段が皆無であることに尽きるというのが本音だった。
-
「付近まで寄れば、生きてさえいれば気配を知れるが」
しかし、もっとも意外な人物が障害を突破できると口にした。
もともと、ホテルの上層階に止まっていたアビゲイル・ウィリアムズの異質な存在感を、ホテルの屋外から検知することはできたのだ。
この場合の捜索対象は、マスターでも、サーヴァントでも、まして使い魔でもない人工的な生命体ともなれば。
それだけ気配は周囲から『浮いた』ものとなり、可能性の器よりもむしろ探しやすいと言えた。
まして黒死牟は、人の身でありながら極北の知覚能力を持った継国縁壱の血と魂を取り込んだ直後であり、幾らか感覚が鋭敏なものとなっている自覚がある。
「となると、六つ眼の鬼さんはアイちゃんたちから警戒されていたし、私もついて行った方がいいでしょうね」
「私からも……セイバーさんたちに、お願いします」
だめでもともと。それらしい気配が生存反応としてあれば良し、なければ引き返すと。
少女たちはそのように決断し、黒死牟はその願いを汲んだ。
願いが通ったのは、幽谷霧子との関係が変化したことによるだけでないと、武蔵は思っている。
時間をおかずに、『弟が退去する原因となった混沌(サーヴァント)の主君(マスター)』と対面することを、辞退したのではないかと。
いやしくも侍を名乗ったことがある身であれば、『正面から剣をぶつけた結果に対して、後になってから復讐が云々と言い出すのは論外である』と理解しており。
そもそも激情が決壊した根っこの原因は、敵対者がどうこうではなく兄弟の関係にあると自覚もした上で。
それでも、『太陽(弟)を奪われようという時に発した赫怒』が、時をおかなければ再燃してしまうかもしれないと。
(まぁ、立ち辻をやっていた頃に比べたら、ずいぶん刀身がきれいになったのは良しとしましょう。ただ……)
鯉口をすぐにチャキチャキする程度の協調性しか持たない人でなしだとしても、共に並んで歩けるようになったことは、喜ばしかったが。
-
(私の『錆』こそ、落とさないといよいよ……長くは、ない)
口内に広がる『錆の味』が耐えきれぬものとなり、べっと地面に吐き出した。
べしゃりと地面に叩きつけられたのは、濁った色合いの血の塊。
もはや総身の汚染は、頻度も、程度も、常に無視できぬほどのもとに悪化を遂げていた。
おそらく笑顔を浮かべることにさえ激痛が伴うようになるのも、ありえない未来ではない。
白日の下であっても、『日蝕』によってもたらされた陰りは、華を刻一刻と蝕んでいた。
◆
【世田谷区跡地/二日目・朝】
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、???
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:……。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(大)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』、第三再臨、右眼失明
[装備]:計5振りの刀(数本破損)
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
1:渋谷区での気配探知に同行。
2:梨花を助ける。そのために、方舟に与する
3:宿業、両断なく解放、か。
4:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
5:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※鬼ヶ島にいる古手梨花との念話は機能していません。
-
白日の下に、白い雪のような長い髪が、とても映える人だった。
太陽のピアスがきらきらして、とても似合っている人だった。
お日さまの耳飾りですね、と言ったら、なぜか黒死牟さんの気配がざわざわしたから、よく覚えている。
お日さまの下で、まだここにいたい、生きたいと言っていた。
お日さまの届かないところで、もう会えなくなったと聞かされた。
「ここでいったん停めるぞ。場所はよろしくないが、人気がないのはたしかだからな」
バイクの後部シートから降りて、幽谷霧子は、川べりの景色を一望した。
「この、土手は……公園だったところ、ですか?」
世田谷区の災害跡地から、田中摩美々と合流するための道のり。
それはつまり、方舟の皆が夜明けまでにたどった道のりを、なぞることを意味している。
「ここで何が起こったのかは、その場にいたからじかに話せるよ。
人質の娘に起こったことなんかは、推測や聞きかじりが混じったものになってくるけどな」
火の手が静まった土地は、白い灰と、黒い炭で埋まっていた。
たくさんの鮮血に染まった地面も、モノクロに塗りつぶされていた。
目撃したものが語らなければ、何が起こったのかは分からないありさまだった。
「それに、俺は言葉を選ぶのが上手くない。
気が利かないことを言うだろうし、目線だって偏るかもしれない」
自分はおそらく、語り部としては不適格だろうなとメロウリンクは思う。
なにせ、霧子のことをよく知っている田中摩美々でさえ、電話口でひといきに話してしまうのは良くないと見送ったことだ。
それを自分の口からまとめて話すというのは、摩美々から激怒される怖れさえあることだろう。
「間違いなく……痛みをともなう話になるぞ。それでもいいか?」
だがそれでも、霧子はすべてを知ることを選んだ。
これから向かう場所には、初めて会う人達もいて、これからの話がされているというのなら。
そこで一から説明をもらうのは手数をかけてしまうから、聴けることは聴いておきたいと。
そして、そう言った周りへの配慮とはべつにある、霧子の望みとしても。
-
「セイバーさんには、おはようって言うことができたけど
ハクジャさんには、もうそれが言えないって、私は初めて聴いたから」
どっちかの話だけじゃなく、どちらの話も知りたいのだと。
それが沁みついた仕草なのだろう。
胸に左手をあて、こくりとうなずいていた。
ではどこから話したものかと、メロウリンクは思う。
プロデューサーのこと。
アイドルのこと。
マスターたちのこと。
サーヴァントたちのこと。
NPCたちのこと。
それぞれの陣営について。
これからの方舟について。
界聖杯に備わっていた、全員末梢の権能について。
それらを顧みた上で、霧子から初対面で問われた質問に、まだ答えていなかったと気付いた。
なぜ摩美々のサーヴァントが、話に聴いていた者と違うのかと。
その解答から、メロウリンクは語る。
「ここで起こった戦闘で、三人の仲間が致命傷を負った。
俺のマスターだった女の子と、摩美々のサーヴァントだった男も、そこでいなくなった」
息を詰まらせる小さな音が、霧子の口元からこぼれる。
それは白い灰と共に、残響となって散る。
「俺のはじまりのマスターは、もう一人の七草にちかだ」
己が語るなら、やはり彼女のことからにしたいと。
「昨日の渋谷区で、田中摩美々と一緒に、君を守ろうとしていた女の子だよ」
夜明けを迎えるまでに綴られた、記憶と記録を。
◆
空は済み、今を越えて。
ここから先は、また新しい記録。
-
【杉並区(善福寺川緑地公園)/二日目・朝】
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:アーチャーさん、聴かせてください
1:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
2:摩美々ちゃんに……会いに行きます……。
3:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
4:梨花ちゃんを……見つけないと……。
5:界聖杯さんの……願いは……。
6:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(中・ただし致命傷は一切ない)、疲労(中)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:復讐は果たした。が……
1:田中摩美々は任された。
2:幽谷霧子を方舟へ先導する。『アンティーカ』とやらは、癖のあるサーヴァントを手名付ける才でもあるのか?
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
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投下終了です。一時は大変失礼しました
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>地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─
非常に大規模な戦いと幾つもの物語の交差が繰り返されてきた地平聖杯戦線シリーズの完結となるに相応しい超大作、大変お疲れ様でした……!
継国兄弟の物語の一つの到達点としてあまりにも凄まじく、そして「鬼滅の刃」をなぞるような構成にひたすら舌を巻きながら読みました。
武蔵ちゃんの役割、バブさんの凄まじさ、その果てにどうにか届かせた兄弟の刃という絆。まさに感無量の読み応えがありました。
そしておでんや童磨の死もこれまでのリレーの積み重ねが描き出した結実の感があり、大変よいものを読ませていただいたな…という気持ちです。
散っていった者、生き抜いた者、救われた者。デッドラインの先へ辿り着いた彼らの今後が否応なしに楽しみになる、そんな連作でした。
>アフターダーク
うおおおおおおおおおおおおお!!!!(語彙力を喪失した、ひたすらに感無量の極みに達していることだけは分かる叫び)。
クードスの蓄積と小鳥とのお別れで一皮剥けたGVの初陣、そしてそこに舞い降りるチェンソー様と息つく暇のない見所の連打。
そこから満を持してお出しされる最後の一瞬、これはもう熱くなるなという方が無理な話ですね……。
さとうとしお、GV、そして田中やアイも含めて誰もが成長し変化している当企画のあり方が強く出ている作品だったと思います。
しかしそれにしても一瞬の交錯、あまりにも絵面がドラマチックすぎて堪りませんね。
>向日譚・おはようと日向に手を振る/残響散歌
縁壱亡き後の世界に残された黒死牟と霧子の対話、非常に読み味が優しくていいなあと思いました。
黒死牟への向き合い方が、これは霧子にしか出来ない形だなと思わされる辺りも含めてやはり流石だなと。
今はもう亡いおでんとのエピソードがさりげなく描写されているのもまた演出として心憎く、大変良いです。
一方での武蔵・メロウの絡みもなんというかこう……いかにも友軍同士の会話という感じがあって良いですよね。
とはいえ武蔵ちゃん、前話でも仄めかされていたようにかなり容態はまずそう。沙都子のこともあって大変不穏……。
大変遅れましたが感想になります、お収めください。
松坂さとう&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ])、神戸しお&ライダー(デンジ) 予約します。
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投下します。
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『でも私ホントはどこでもいいんだ』
『例えばね、広くても狭くても、近くても遠くても、苦しくても辛くてもいいの』
『おかえりとただいまがある、それだけで私たちはきっと幸せだったんだよ』
-
◆◆
一筋の風が、吹き抜けたその時。
まず神戸しおが感じたのは、懐かしい匂いだった。
辺り一面粉塵やら血飛沫やらで染まっていて、しおが抱えられた悪魔の身体もそれらや臓物の破片で色とりどりに汚れている。
嗅覚などあってないようなものであるというのに、何故だかその匂いははっきりとしおの鼻腔を擽った。
――知ってる。わたしは、このにおいを、知ってる。
ポチタくん、そう叫ぼうとしたけれど。
口は風に塞がれて、大事なところで声になってくれなかった。
すぐに世界は線になってしおの後方へと流れ、消えていく。
そこに居たような気がする二つの人影。
それが誰であるのかを突き止めることは結局、しおにはできなかった。
いや、違う。
しおにはもう分かっていた、そこに誰が居たのか。
分からない筈がないのだ。他でもない神戸しおに限って、その匂いを間違えるわけがない。
目まぐるしく変わる景色の中でただ一つしおの世界だけが止まっていた。
全てがスピードの彼方に置き去られていく中、彼女の思考だけがそれに逆行している。
彼女の脳裏に時を遡りながら去来したものは――わずかひと月ほどの、甘い記憶。
『ここはお城。私とあなたが暮らすための』
小さなこの手を握って笑ったあの人の顔を覚えている。
柔らかくて、暖かくて、きれいだなと思ったことを覚えている。
何ひとつ、何ひとつだって忘れてしまったものはない。
神戸しおの幼い脳細胞には余すところなく、砂糖菓子のように甘い蜜が沁み込んでいるから。
だから一瞬の邂逅という運命の悪戯など、しおにとっては何の障害にもならなかった。
お城は燃えてしまったけれど。
私たちは、お城を逃げ出さなければならなかったけれど。
それでもあの日々、あの時間のすべては今もしおの頭の中に残り続けている。
金平糖の数が一つだけになっても。
神戸しおはそれを、何を犠牲にしても決して捨てなかった。
捨てないまま此処まで来た。
成長、変化、再会、対決。そのすべてを、噛み締めて。
少女は大きくなった。今、その手は世界の何処にだとて届く"可能性"を秘めている。
「……あは」
昔のしおならば。
あのお城にやって来たばかりの彼女ならば――無邪気に声をあげて喜んでいたのだろう。
-
嬉しいことがあったのなら声をあげて喜ぶ。
わくわくする気持ちを身体と心、その全体を使って表現する。それが子どもの仕事だ。
お城の中で一人家主の帰りを待つ彼女の役目は、ただ愛されるままにそこにあること。
"いってらっしゃい"を、"ありがとう"を、"うれしい"を、"たのしい"を、"いただきます"を、"ごちそうさま"を、
"おはよう"を、"おやすみ"を、"だいすき"を、"さびしい"を、"ほしい"を、"おかえり"を、笑顔で伝える砂糖城のお姫さま。
されど今、お城は崩れた。
お姫さまを守る籠は壊れて。
お城を出たお姫さまは、ただ守られるだけの存在ではなくなった。
誰に何と謗られようとも、決して失くすことのない愛を抱いて。
自分の足で歩き、友達をつくり、初めて"勝ちたい"と思う相手ができた。
お姫さまは知った。
この世界には、いろんな人が居る。
楽しい人。強い人。綺麗な人。変な人。頭のいい人。
そしてそんな、いろんな人達に揉まれながら――それでも自分の気持ちを貫くことの難しさと怖さを、知った。
何かを愛するのはとても幸せなこと。
自分の全てを捧げても惜しくないと思えるような、この世で一番素敵なこと。
しおはそれしか知らなかった。此処に来て、初めて知ったのだ。
――何にも負けない愛(じぶん)を貫くというのは、すごく……本当に凄く、怖いことであるのだと。
『落とし前の時間だよォ〜! 虫ケラ共ォ〜〜!!』
頭をうんと上に向けなければ顔を見ることもできない、巨大な鬼母(マム)の顔を覚えている。
『喜べ。ようやく貴様が、真の意味で私の役に立てる時が来たぞ』
とても恐ろしい鬼と、自分の首を微笑みながら絞めた"あの人"の顔を覚えている。
『違う。お前は、悪の親玉に見初められるような"器"でもなけりゃ――真実の愛だなんて胡散臭いものに目覚めた解脱者でもない。
ただの、巡り合わせが悪かっただけの……誰より純粋な、一人のガキだろ?』
そう言って自分に語りかけた、覆面の怪人(ヒーロー)の姿を覚えている。
『幸せだったんだな、しおは』
最後にもう一度だけ向き合って、それからもう一度背を向け合った人の声を覚えている。
『これこそ、我が最終式。そして、これより過去の産物と化す旧き数式!
さりとてそれでも、御身の唱えた"終末(ほのお)"など容易く貫く終局である!!』
遠くで見ているだけでも眩しくて熱くて仕方ない炎の巨人に、笑いながら独り立ち向かった人の背中を覚えている。
『お前、もう分かってんだろ。自分達以外は糞だって』
破壊の地平線に一人立つ、初めてしおに勝利への意欲と、それを貫けるかの逡巡を与えた人の貌を覚えている。
-
そして。
いつもしおの隣に、時には前に立ってくれた初めての"友達"の存在を覚えている。
嬉しいことも楽しいことも、嫌なことも怖いことも全て覚えて立ったこの時この場所で。
甘い、甘い、もう記憶の中にしかないと思っていたその匂いを嗅いだしおははしゃぎはしなかった。
少女はただ、笑った。
くすくすと、歳相応よりも少しだけ大人びた笑い声を風の音が響く中にひっそりと奏でた。
「……そうだよね。うん、なんにも不思議なんかじゃないや」
言われてみればその可能性は、一番最初に考えるべきだったのだ。
自分の抱く愛、自分が受けていた愛。そのどちらもを信じるならば。
死が二人を分かつまで、死が二人を分かつとも、途切れず絶えぬ愛を誓い合ったのならば。
まず最初に、夢を見るべきだった。
自分達の"愛"が、奇跡を起こして再び互いを結びつけてくれる――そんな夢を。
ああ、楽しい。
ああ、なんて幸せなんだろう。
深い蒼を湛えた瞳から透明な水が零れて目元を濡らす感覚さえ、今は楽しくて仕方なかった。
「――ひさしぶり、さとちゃん」
この言葉を口にできる喜びを前にしては、どんな現実も無力だった。
言葉を交わす間もなく分かたれてしまったことなど、何の苦しみにもならない。
手を繋がなくても、あの胸に抱かれずとも、誓いの言葉が此処になくても。
同じ世界に生き、同じ空を見上げて、同じ風を感じているその事実に勝る悲しみが世界の何処にあろうか。
此処は願いが叶う場所。
界聖杯。優しい祈りに、祝福された世界。
他の誰がこれを残酷だと罵ろうと、神戸しおだけはこれを慈しむ。
だって現に、しおの夢は一つ叶ったのだから。
長い永い旅路の果てに、一瞬だとしてもあの愛にまた巡り合うことができたのだから。
今、神戸しおは幸せだった。
闇の消えた空を見上げながら、ただ泣いて笑った。
救いを得た月の天使は今、湧き上がる感情を誤魔化すみたいに悪魔の身体を抱き締める。
大人になったとはいっても、そうでもしないとおかしくなってしまいそうだった。
悪魔がおもむろに足を止めて、その気配が見知った"彼"のものに戻るまで、しおはずっとそうしていた。
「へえ――会えたのかよ、さとちゃんに」
-
「うん。ほんとに一瞬だったし、姿もほとんどみえなかったけど」
「なんでそれで分かんだよ。別人かもしんねえじゃん」
「? さとちゃんの匂いがしたから、すぐわかったよ?」
「マキマさんかよお前は」
「私、あんなにきれい?」
「そういう意味じゃねーよ。マキマさんもさ、メチャクチャ鼻のいい女だったんだ」
目を覚ました、もとい中の彼と交代したデンジはまず辺りの荒れ果てぶりに絶句したが。
そこはそれ、数多の地獄絵図を渡り歩いてきたデビルハンターである。
生きていればそういうこともきっとあるのだろうと割り切って、すぐに順応した。
目覚めた矢先、しおから"さとちゃん"……松坂さとうと再会した旨を伝えられたが、それについては「ふーん」という具合だった。
デンジは基本、美人美少女というものに対して節操がない。
だが他人の恋路には生憎と毛ほどの興味がないのだ、彼は。
そりゃ良かったなと気のない返事をしつつ、しかしそこでふとあることに思い当たりしおの方を見る。
「てかよ、だったら今からでも引き返した方がいいんじゃねえの? せっかく会えたんだったらよ」
「いいの。あんまり遅くなったら、みんなにも心配かけちゃうよ」
「いいだろ別に。お前の戦う理由がその"さとちゃん"なんだったら、そっち優先するのは当然だと思うぜ」
「ふふー。らいだーくんはわかってないなあ」
「あ〜? ケツの青いガキが何を分かってるってんだよ、逆によぉ」
デンジとしては、しおが引き返すことを選ばなかったのは意外だった。
彼女がさとうに寄せている感情の強さは、文字通りうんざりするほどよく知っている。
散々聞かされてきたし、この戦いの中でも何度となく目の当たりにしてきた。
愛の力と言えばチープに聞こえるが、デンジとしてもそんなあり方には思うところもあった。
それは彼自身、不格好でも拙くとも、一つの"愛"に殉じて生きた逸話を持つ存在であるからなのだったが……それはさておき。
「愛っていうのはね、ここにあるんだよ」
そう言ってしおは、自分の胸の真ん中にそっと触れた。
いつか、砂糖菓子の少女と出会った最初の日に教わったこと。
今もしおの中で生き続けている愛の、そのオリジン。
「だから、寂しくないの。
きっとさとちゃんもおんなじのはず。
さとちゃんがここにいるって、私たちは今おんなじ空の下にいるってわかったら、それだけでいいの」
それだけで、私たちはどうしようもないくらい幸せなんだよ。
「そっか」
そう言って笑ったしおは、どうやら本当にそれで満ち足りているようで。
デンジは「そういうもんかねえ」と言って伸びをした。
「まあ……」
しおがそう言うのなら、彼にそれ以上とやかく言う理由はない。
ただ。此処までずっとやいのやいの言いつ言われつ付き合ってきた相手が、いつになく弾んだ声と足取りで浮かれているというのはそう悪い気分でもなかった。
「よかったな」
-
「うん」
彼らは今や、敵連合という巨悪の片翼だ。
破壊の魔王・死柄木弔が立ちはだかる全てを薙ぎ払い。
彼の崩壊からあぶれた一握りは、"チェンソーマン"が狩り殺す。
「そういえばさ。私、言ったよね」
「何を」
「私だけのチェンソーでいてねって」
「ああ、覚えてるぜ。すげえ人でなしだなこいつって思ったもん」
「あれ、なしにしてもいい?」
「はあ?」
ただ狂おしくあろうとそう願った。
でも、過ごした時間は彼女の光をより研ぎ澄ました。
天、雲の向こうに微けく灯る月明かりから。
空、星々を裂いて降り注ぐ月の光へと。
だからこそ、今。
他人(ひと)を知り、さりとて愛(じぶん)も失わず、降り注ぐ再会の朝を迎えた少女が求めたのは無機で無骨な一振りの凶器などではなく。
「らいだーくんは、私のともだちでいてほしいな」
いつだって自分を守り、助けてくれる。
そうやって自分の願いを叶えてくれる。
"誰か"じゃなく、"神戸しお"が助けを求めたその時に手を貸してくれる存在。
ヒーローのように燦然とはしていなくてもいい。
ただ等身大に、いつでも自分の隣に居てくれる、そんな"ともだち"があればいいと。
成長した天使は今、そんな結論に到達した。
例えば死柄木弔ならば。
独りでも戦えてしまうのだろう。
彼は強いから。その手には全てを滅ぼす力が宿っているから。
だけど神戸しおは、結局のところどこまで行っても力のない少女でしかない。
チェンソーマン。
彼の刃音(こえ)が、必要なのだ。
ああだこうだとぼやきながら渋々、それでも何だかんだ言いつつ付いてきてくれる等身大の友人。
頭は悪い、品性はない、サーヴァントを次から次へと薙ぎ払えるほどの強さは彼自身にはない。
だとしても。
しおは、この粗野で不器用な友人が好きだった。
-
「……ま、今更ハシゴ外すのも後味悪いしな」
デンジにとっての神戸しおは、何とも言えず背筋のむず痒くなる相手だった。
齢二桁にも達していない幼さと、それに見合わない陶酔したような物言いと価値観。
何も考えずにゲームで遊んでいる時の彼女と、"愛"を見据えている時の彼女の姿とが、繋がらない。
そのギャップはデンジにとって、どこか不安定な足場の上を歩き続けているような座りの悪さを与え続けてきたが、さりとて。
此処まで付き合ってきた相手にこうも素直に懇願されては、それを無碍にできるほどデンジは薄情者ではなく。
それに、決して言葉にはしないが――デンジとしても、彼女と過ごす時間はそう悪いものではなかった。
かつて、生真面目な先輩と頭のおかしい同僚と一緒に暮らしていた記憶と。
いつか、この霊基には刻まれていない未来、"誰か"とそうしていたような感覚。
二つの懐かしさを想わせてくれる、そんな穏やかな時間。
兄と妹のように過ごした一月の時間が、彼というチェンソーを動かすための揺るぎない炉心として火を灯し続けている。
「さっさと帰ろうぜ。ゆっくりアイさんに労って貰いてえしな」
「そうだね。私も疲れちゃったし、みんなでゆっくり休もっか」
「どうせまたすぐ忙しくなんだろ。休める内に休んどこうぜ〜」
物語は進む。
彼女と彼と、その他あまたの器を載せて。
全てを押し流すような濁流の中で、たった一つの瞬く奇跡に向けて進んでいく。
これは、少女にとっての中継点。
そして――
新たな大局に備えて静まる街の中で小さく鼓動する、一つの始発点でもあるのだった。
【新宿区/二日目・朝】
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、ご機嫌、決意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:――いってきます。
1:敵連合のもとへ帰る。
2:アイさんとは仲良くしたい。とむらくんについても今は着いていく。
3:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
4:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
※松坂さとうと擦れ違ったことに気付いてるのかは不明です。
【ライダー(デンジ/■■■)@チェンソーマン】
[状態]:令呪の効果によってチェンソーマン化中(じきに解除)、血まみれ
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:まあ、なんだ。よかったな。
1:しおと共に往く。
2:死柄木はいけ好かない。
3:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
-
◆◆
『広くても狭くても、近くても遠くても、苦しくても辛くてもいい』
『――――――――――――――――――――――――』
『ただいま』
-
◆◆
一筋の風が、吹き抜けたその時。
松坂さとうは、確かに"それ"を見た。
蒼き雷霆、ガンヴォルトをして息を呑むほどの何か。
それに抱えられて戦線を去る、黒髪の少女の姿を確かに視界に収めていた。
「……さとう。今のは」
極楽の鬼は去り、親友から受け継ぐ形で自身の従者となったGVの言葉すら今のさとうの耳には入らない。
言わんとすることは言われるまでもなく分かっている。
他でもないさとうに限って、"それ"を見間違うなんてことがある筈もない。
たとえそれが一瞬の交錯であったとしても。
苦界の中、さとうが天使と呼んだ唯一無二の少女の――その面影を、見間違えるなどということがある筈はなかった。
「そっか――」
話には聞いていた。
だから覚悟はしていたし、実際彼女と会うことを目的にもしていた。
なのにいざ実際その姿を目の当たりにしてみれば、どうだ。
感情が現実に追い付かない。追いかけてとGVに命ずることさえ、さとうはこの時忘れていた。
死がふたりを分かつまで。
その言葉を口にした回数は数知れないが。
死がふたりを分かつとも切れない縁があるのだと、今のさとうは知っている。
そして今この瞬間――二人の誓いの言葉は、真に永遠を意味するそれになった。
永遠は、誓いの価値は、現実となって証明されたのだ。
「本当に、いたんだね。しおちゃん」
神戸しおは、此処に居た。
さとうが悩み、苦しみ、時に何かを得、時に失ってきたこの空の下で生きていた。
さとうと同じように戦っていた。
そして、あの冗談のような災禍をも乗り越えて……この一瞬も息をしている。
その事実を目の当たりにして、さとうは力が抜けてその場にへたり込んだ。
駆け寄ってくるGVを手で制し、「大丈夫だから」と一言応える。
「今ならまだ間に合うかもしれない。追いかけよう、さとう」
追いかける。
GVのそんな提案に、さとうはしかし即答することが出来なかった。
-
確かにGVの言うことはもっともだ。
今追い始めれば、あんな一瞬ではなく……もっとちゃんとした再会ができるかもしれない。
お互いの健在を祝し、これまでの話をして、誓いの言葉を唱え合うことだって、きっと。
ならば選ぶべき選択肢など一つだというのに、答えが喉につっかえて出てこない。
やっと絞り出せたその時、さとうが彼へ答えたものは――
「いや」
これまで重ねてきた思慕と方針を、自らかなぐり捨てるそれだった。
「いいよ。しおちゃんには、ちゃんと会えたから」
会って話をしたくない、そう言ったら嘘になる。
しおに会いたくないと思ったことは一度だってない。
此処に来る前も、此処に来てからも、いつだってしおはさとうの世界の中心であり希望であった。
苦難も挫折も問答も、この世のどんな艱難も曲げることのできなかったさとうの愛。
松坂さとうと悪鬼童磨の間に存在した、最も決定的な違い。
伽藍洞の心に宿ったその感情は、さとうを人間にした。
摩耗した童のように生きるばかりだったさとうを――しおだけが照らし、救ってくれたのだ。
でも。さとうは、追わなくていいとそう答えた。
「……いいのか。神戸しおは、キミの"答え"だと思ってた」
全ての迷いと、全ての葛藤。
それを晴らす答え、それが神戸しおだと。
松坂さとうはそう認識していたし、それは今も変わっていない。
「答えを得ずに、キミはこの先へ進めるのか。
この先……次があるとは限らないんだぞ」
GVもそれを知っていて、知っているからこそさとうの言葉には眉根を寄せた。
次があるとは限らない。
彼はそのことをよく知っていた。
本当に――本当によく、痛いほどよく知っていたから。
さとうもそれは、理解している。
小鳥を守れなかった少年が、何故こうも強く言ってくるのかは分かっている。
だからその上で口を開き、彼に伝えた。
-
「"答え"なら……もうもらったよ」
答えは、得た。
あの瞬間、ほんの一瞬。
それだけでもさとうには十分だった。
会いたいと思っていた。あの笑顔をもう一度見たい、抱きしめたいと願いながら戦ってきた。
結果、会えた時間はほんの刹那。
言葉を交わす暇も、見つめ合う時間もありはしなかったけれど。
それでも――今、さとうは自分の心に欠けていた何かがカチリと填まった感覚を確かに覚えていた。
「しおちゃんはね、いつも私にすべてをくれるの。
今だってそうだった……生きていてくれた。私達のために、戦っててくれた。
それだけで、私は――もう迷わずに歩いていける」
しおに会えた。
一目見られた。
今、さとうの世界は澄み渡っている。
沈殿してきた全てが、神戸しおという光によって照らされた。
再会の風が、残った澱みを吹き飛ばした。
であれば、それを"答え"と呼ばずして何とするのか。
「あの子はちゃんと歩いてた。私がいなくても、立派に戦ってた。
だったら……私も、進まないとね」
しょーこちゃんの分も、さ。
そう言って振り返るさとうの顔には、小さな笑みが浮かんでいた。
それはGVが初めて見る彼女の表情だった。
"友達"と話している時に見せるのとは違う、何かを愛する者の顔。
「……聞こうと思ってたことがあったんだ。
キミと共に往く以上、はっきりさせておかないといけないことが」
誰もが育ち、変化するこの世界。
停滞を忌む、この世界で――少女は歩んできた。
呪いのように纏わり付く悪鬼、小鳥の死、そして愛する者との再会。
全てに、意味があったのだ。
GVはそう理解する。それは彼にとって、少なからず安堵に値することだった。
だってそれは。"彼女"の死は、さとうにとっても無駄ではなかったということだから。
-
「キミの目指す勝利は、誰のモノだ?」
「私は」
ヒトは死を見送って育つ。
自ら奪ってきた者でさえも、それは例外ではない。
殺して埋めた小鳥が再び這い出て羽ばたいてきた。
そして小鳥は、少女の心に寄り添って死んでいった。
骸はない。もう、どこにもない。
だけどその生きた意味は、生きた姿は、さとうの籠を取り巻く心(セカイ)に溶けて揺らめき続けている。
小鳥の飛翔は、今度こそ少女の一部になれたのだ。
「私は、私達のために戦うよ」
ずっと、ずっと。
今も昔もこれからも、それだけは決して変わらない。
勝つのは私達だ。私じゃなく、私達。
失われたハッピーシュガーライフの、その完成と成就を。
それだけを――さとうはずっと見据えている。
彼女の聖杯戦争は、そのためにだけあるのだ。
「……分かった。ボクはキミの"答え"に従おう」
ならばもう、これ以上の答えは必要ないと。
悟りGVは、さとうと同じようにしおの去った方角へと背を向けた。
答えは得た。勝利の向きは確認した。
であれば後は、彼女達の物語が再び重なる"いつか"を祈って歩き出すだけだ。
亡き小鳥が今此処に居たとしてもそうするだろうという奇妙な確信を胸に、GVはそう決めた。
-
脳裏によぎる、"誰か"の記憶。
世界を救う恋をした、二人の話。
それを――羨ましい、とGVは思う。
手を伸ばすことはせずとも、それでも。
「(難しいな――――愛するということは)」
心を食む微かな痛みと郷愁を胸に、彼は戦い続ける。
【新宿区(廃墟の繁華街)/二日目・朝】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(小)、ガンヴォルトと再契約
[令呪]:残り1画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:――いってらっしゃい、気をつけて。
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
[備考]
※ガンヴォルト(オルタ)と再契約しました。
※神戸しおと擦れ違ったことに気付いてるのかは不明です。
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:胴体にダメージ(小)、疲労(中)、クードス蓄積(現在7騎分)、さとうと再契約、令呪の縛り
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:この、記憶は。
1:さとうを護るという、しょうこの願いを護る。今度こそ、必ず。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
[備考]
※"自身のマスター及び敵連合の人員に生命の危機が及ばない、並びに伏黒甚爾が主従に危害を加えない範疇"という条件で、甚爾へ協力する令呪を課されました。
※松坂さとうと再契約しました。
※シュヴィ・ドーラとの接触で星杯大戦の記憶が一部流れ込んでいます。
※新宿区に落ちてたミラーピースを回収してます。
[ステータス関連備考]
※クードスの蓄積とミラーピースを介した“遺志の継承”によって霊基が変化しました。
①『鎖環』での能力が限定的に再現されています。
②クードスに関連して解放された能力が『電子の謡精』を除いて自由に発動できます。
これに伴い『グロリアスストライザー』もクードスを消費せず、魔力消費によって行使できるようになりました。
③強化形態への擬似的な変身も可能となりますが、魔力消費が大きいため連続発動は難しいです。
『電子の謡精』による強化形態との差異は現時点では不明です。
-
投下終了です。
デンジの状態表に一部修正忘れがありましたので、収録の時に直しておきます。
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投下します
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ベルゼバブが敗走したのを知った時、峰津院大和が最初に覚えたのは衝撃だった。
あの男はさしずめ、大和の標榜する理想を体現するような存在であった。
勝利も敗北も星の数程噛み分け、弱きも強きも平等に挫き自らの能力を高めていく生来の絶対強者。
自らが弱者に甘んじる未来を許容すれば発狂死するのだとばかりに輝き続けて止まらない暴食の銀河。
些か制御が利かない部分は難点だったが、それを除けば大和はかの破壊者の事を好ましくさえ思っていた。
自身の理想が遂げられた後の世界を生きる人間の少々極端なモデルケースだと。
そう感じながらこの一ヶ月弱の時間を共に過ごしてきた――大和が己が理想を重ねたそんな男が、何処ぞの戦場で散華を遂げたのが先刻の事だ。
“未だに信じられん。奴が消滅する数分前、あちらから伝わってくる魔力の高まりは異常な領域に達していた”
恐らくあの時ベルゼバブは、己が嵌められたサーヴァントという型さえ破壊した状態にあったのではないかと大和はそう推測している。
素晴らしく、そして驚くべき話だ。
サーヴァントとは英霊の座に囚われた永遠の虜囚。
その身でありながら自らの常軌を逸した唯我の精神のみで自己の限界を天元突破し…七つの人類悪にも比肩する災厄へ進化してのけたのだから。
あの瞬間、間違いなくベルゼバブは界聖杯最強の存在だった。
峰津院大和の審美眼を以っての断言だ。
信憑性は折り紙付きである。
だが。
“それでも、奴は負けた…私の力を全て注いだというのに、それでも……敗れ去ったのだ”
もしも戦局の場に自分が立ち並んでいたならと想像する事に意味はない。
ディアラハンなど小手先の魔術を駆使した所で、あの次元の戦闘の渦中で果たして如何程の効き目があったか。
第一ベルゼバブの援護の為に東京タワーを離れていれば、霊地は破壊される以前にカイドウに握られていた可能性が高い。
つまりベルゼバブが敗北したその時点で、峰津院大和の敗北もまた確定していたのだ。
だが大和は敗れた混沌王を憎んではいない。
生前はあれ程辛辣に罵り合った関係だが、彼を無能と謗る言葉も出ない。
大和は、ただ驚いていた。
混沌王の敗亡というあり得ざる事態は――大和が目指す理想の体現者が破壊されるという事態にはそれ程の意味があった。
“何故ベルゼバブは届かなかった? 奴とそれに立ち向かった者の何が雌雄を分けた。
あの時、奴以外の魔力はほぼ感じ取れなかった…更なる強者に蹂躙され散ったという訳では恐らくあるまい。では、まさか奴が……”
純粋に力の大小で超えられたという事は考え難い。
あの次元の強者が矢継ぎ早に出現するようになっては聖杯戦争そのものが青天井だ。
それに、もしそんな事態になっていれば他でもない大和自身がその存在を感知出来ていた筈。
それがなかったという事はつまり、ベルゼバブは弱肉強食の環の中で喰い殺されたという訳ではなく。
“弱者の逆襲に遭い、果てたというのか”
即ち逆襲劇(ヴェンデッタ)。
取るに足らない、足先一つで蹴散らせるような砂粒がベルゼバブの命運を断ち切った事を暗喩していた。
己がサーヴァントの強さは他でもない大和が一番よく知っている。
まして幾多の敗北と苦渋の果てに辿り着いた到達点ともなれば、大和の想像すらも遥かに超えていたに違いない。
混沌を超え蒼穹を統べる混沌の王に至った。
その上で、負けた。
全ての力を使い切りながら泡沫のように消え去った。
何が足りなかった?
ベルゼバブは全てを持っていた筈だ。
最上の肉体、最上の可能性、最上の宝具、最上のマスター。
全てを持ち合わせた絶対強者が何故逆襲なぞに遭い死したのか。
大和の頭脳を以ってしてもその答えを算出するのは容易ではなかった。
それに、解らないのはベルゼバブの事だけではない。
今自分が置かれている状況もまた、彼にとっては弩級の不可解だった。
-
「で。貴様はいつまでそうしているつもりだ」
「悪いな。もう少しだけ我慢してくれ」
誰かに抱えられ、現在進行形で助けられているこの状況は何だ。
何故自分は生きている。
こうまで屈辱的な扱いをされながらも生き永らえている。
もはや辟易に近い想いを抱きつつ、しかし今の大和には強引にこの状況を打破する体力さえ碌に残っていなかった。
“光月おでんめ…。最期まで、調子の狂わされる男だった”
あの瞬間。
敵連合の頭目による大崩壊攻撃が炸裂した瞬間、大和は死ぬ筈だった。
完膚なきまでのチェックメイト。
煩わしくも視界の隅をチラついていた蜘蛛糸が遂に彼の命運を絡め取った。
となれば待ち受ける運命は物言わぬ灰の山に変えられるのみ。
弱者に成りさらばえた敗者は風に溶けて消えるのみ――その筈だったというのに。
邂逅したその時からカイドウを前にしての予期せぬ共闘に至るまで、大和を馴れ馴れしいまでの気安さで邪魔立てしてきた男。
光月おでんが起こした予期せぬ行動が、峰津院大和の死という最後の予定調和までもを破壊してしまった。
「…言っておくが、私の身柄を確保した所でどうにもならんぞ」
愚かな男だったと思う。
行動の全てが行き当たりばったり。
まるで何の支えもなく、道に一本立てられた棒のよう。
どの方向に倒れるかは運否天賦。
たとえ指し示された行き先が地獄だろうと、豪快に笑いながら大股歩きで進んでいく。
義侠の風来坊とはよく言ったものだ。
あれ以上にその二つ名が似合う男は天地の果てまで探してもまず存在すまい。
「戦況が加速しすぎた。都市インフラがこうまで破壊された今、私の財閥が振るえる力はたかが知れている」
否、それだけではない。
問題はもっと別な部分にある。
「何より私はあの傍迷惑な"崩壊"から既に認識されている。
今や峰津院財閥を利用しようと考える行為は、即ち自ら的になりに行くのと同義だ。
戦略兵器を相手に社会戦を挑んでも、得られる物は何一つないぞ」
峰津院財閥という勢力はもはやほぼほぼ無用の長物と化した。
悪魔召喚等の技術がNPC化した彼らに引き継がれているのならばいざ知らず。
斯様に矮小化されたこの世界の峰津院では、死柄木弔という災厄を止められない。
右手の一振りで灰燼と化す、ただ悪戯に数の多い小蝿と同義である。
だからわざわざ抱え込むなど無意味だと。
大和はそうアシュレイを諭したつもりだったのだが――
「…うーん」
当のアシュレイから返ってきたのは、論点のズレた相手に面食らったような困惑気味の声だった。
「そういう訳じゃないんだ。確かにお前ほどの戦力が仲間に加わってくれれば百人力だし、人手なんて多いに越した事はないんだけどさ」
「ならば何故、わざわざ進んでリスクを抱え込むような不合理を冒す。…あの風来坊めへの義理か?」
「そうだな。それがまず半分だ」
大和としては面白くない答えだった。
此処でもまた、光月おでんの名前が出てくる。
峰津院財閥の御曹司として生を受けたその日から、大和の人生には現れなかった類の人種。
自分の力の大きさを認識していながら謙らず、年齢相応の子供(ガキ)に対しそうするように説教を垂れてくる酔狂な男。
今も目を瞑れば脳裏にあの馬鹿笑いが浮かび上がってくる始末。
鬱憤をぶつけてやろうにも当の本人はもうこの世に居ない。
大和がおでんに身の程を理解させてやる機会は、あの崩落の時を境に永久に失われてしまった。
-
「…では、もう半分を聞こうか」
「あの子達の志に寄り添ってあげたいんだ」
「――は。何を言うかと思えば…そんな事か」
「ああ。そんな事、さ」
仮称、方舟勢力。
彼らの掲げる方針…いや、理想と呼ぶべきだろう。
兎に角大和はそれを他でもないアシュレイの口から聞き及んでいる。
「子女の夢想と心中を図るとは、貴様も光月おでんに負けず劣らず酔狂だ」
偶像の少女達はさておき、この灰色の男はそれなりに頭の回る部類だと大和はそう認識していた。
故に方舟による脱出計画の信憑性に関してまでは、然程疑いの目を向けている訳ではない。
界聖杯がみすみすそんな所業を見逃すと思えない事を除けば――困難ではあれど実現不可能ではない計画だと踏んでいる。
彼が理想と定義し、夢想と笑うのはそれを編む者達の心の方だ。
"彼女達"が掲げるその志は、方舟計画そのものよりも余程信用に値しない難業そのものであったから。
「ノアの方舟を名乗っておきながら、見境なく全てを救おうと考える傲慢さ。
全く以って無知、幼稚の極みだ。断言してもいいが、貴様らの無垢な理想は遠からぬ未来土に塗れるぞ」
基本的に。
世界というのは残酷なものである。
理想は破れる。期待は裏切られる。希望は、絶望に変転する。
故に大和はアシュレイが守りたいのだと言ったその"志"に対しては毛程の期待も寄せていなかった。
「誰も彼もを満たし救うなど神の御業を以ってしても不可能だ。
誰一人正攻法でそれを成し遂げられなかったからこそ、今この聖杯戦争(じごくえず)がある。
貴様が先刻私に語った方法を本当に実行する気だとしても…その航路の先に光は見出だせんな」
「手厳しいな。この場に彼女達が居なくてよかったよ」
「逆だろう。悲惨な現実など早く知っておくに越したことはあるまい」
理屈として正当性があるのは大和の方だ。
アシュレイもそれはよく理解している。
運命に弄ばれる実験体として物語を始め、以後もアドラーの交渉人として世界を駆け回る生涯を送った彼は当然知っているからだ。
「確かにお前の言う事は正しい。俺もそう思うよ、皆の前では口が裂けても言えないけどな」
世界の残酷さ。運命の非情さ。
いつだって優しい人から辛い目に遭う、世界の宿痾を。
争い合う誰も彼もを平等に満たす答えなんて物があれば人類はとうに幼年期を終えている。
この聖杯戦争がそんな世界のある種の縮図であるという大和の言葉にも、誰より人間と接し語らい続けてきたアシュレイは強い納得を覚えた。
「順風満帆には行かないだろう。必ずこの先には別れと痛みがある。
そして彼女達はそれを知る度傷ついて、涙を流す。時にはこんな道を選ばなければと後悔だって覚えるかもしれない」
地平線の向こうに辿り着けと言われているのに空を目指している。
その上、誰も見捨てない形で空に飛び立ちたいとまで豪語する。
星を開拓するが如き難業の航路は常に嵐と鉄風雷火。
安寧の時など常になく、一息ついたと思えば底の見えないブルーホールに落ち沈む。
事実、既に痛みは走っているのだ。
目前で失われた二つの希望。
擦り切れながらも不器用に微笑んだ少女と、誰かの星たらんとした戦士の最期は今も全員の脳裏に焼き付いているに違いない。
「だけど」
だが、それでも。
アシュレイ・ホライゾンは「まだだ」の言葉を絶やさない。
「もしもそんな夢物語を叶えられたら、それはとても素晴らしい事だと俺は思うよ」
-
「…、……呆れた男だ。あの風来坊でさえもう少し現実的な航路を選んだろうよ」
彼女達は願っている。
こうしている今も祈っている。
信じているのだ、痛む心を抑えながら。
ならばそれに寄り添うのが、影法師たるサーヴァントの務めだろう。
その夢がいつかきっと叶うように。
彼女達の小さな手が遥かの空を掴めるようにと。
そう願うからこそアシュレイは今、都民数万人を磨り潰し極天を目指した少年を抱えているのだ。
「愚かだよ、貴様は」
「よく言われるよ。…っていうか、あれこれ言う割には逃げないんだな」
「では聞くが、私が此処で逃亡の為に抵抗したとする。貴様はその時大人しく私を逃がすのか?」
「流石に無理だな。英気を養って復活されたらセイバー達の奮戦が無意味になってしまうし」
「そういう事だ。無駄に暴れて只でさえ消耗している身体に鞭打つのは馬鹿の行いだろう」
アシュレイはサーヴァントとしては弱い部類だ。
この界聖杯全体で見ても間違いなく下から数えた方が早い。
そんな彼でさえ、カイドウとの激戦で弱り切った今の大和にとっては十分厄介な障害だった。
つくづく忌まわしい敗北だったと、峰津院大和はそう一人舌打つ。
“…ああ。全く、本当に手痛い失態だった”
右手を握って、開く。
それだけで、自分の肉体が今どんな状態にあるのかを大和は理解した。
あの時。
あの"崩壊"が天から落ちてきた時。
峰津院大和は一瞬とはいえ体内に彼の個性が侵入する事を許してしまった。
結果的に体内魔力を用いての因子排出を行い事なきを得、今では魔術も使用出来る状態にまで回復している。
が――大和の体内には無茶の代償が、今もはっきりと刻まれていた。
“魔術回路が部分的に破損している。魔力生成の速度が異常に遅い。命を繋いだ代償は大きかったな”
崩壊は毒だ。
元より超常特異点に片足を突っ込んだ異次元の個性。
それが聖杯戦争という非日常の環境で育まれ、結果元居た世界で辿る筈だったのよりも破滅的な形で覚醒を遂げるに至った。
この地で既に二騎の英霊を屠り去っているその毒が、傑物とはいえ人の身である魔術師の体内に流入し回路を浸潤したのだ。
如何に即座の排出を試みたといえども只では済まない。
いや、それでも大和はよくやった方だ。
後零・五秒、いや零・一秒反応が反応が遅れていたならば…彼は死体か、生きていたとしても手足一本動かせない廃人となっていた事だろう。
峰津院大和は命を繋いだ。
しかし稀代の神才の力は穢されてしまった。
その代償は、あまりに大きい。
魔力回路の破損。
それに伴う魔力の生成不良並びに循環不良。
これらの要素が大和に齎したのは魔術師としての大きな弱体化だ。
少なくとも今の大和は、ベルゼバブを使役していた頃の彼とは行使出来る魔術の桁に雲泥の差がある。
今の彼では最早ベルゼバブ級のサーヴァントを御する事は不可能だろう。
その事実を前にして、勝利し続けてきた少年は改めて自身が敗者に成りさらばえたのだと理解した。
-
“だとしても”
だが、峰津院大和は死んでいない。
彼は生きている。
心臓は鼓動を刻み、見る影もないとはいえ回路も拙いながらに循環を続けている。
そしてその心も未だ無様な敗者の型に嵌められてはいなかった。
“この私がこれで終わると思うなよ――光月おでん”
潔く死に消え去るつもりだった。
しかし腹立たしくも救われた。
弱った己を抱えている男も、何を言っても殺意を示さない。
生かされる屈辱を噛み締めながら大和は生きる。
そして宣戦布告する。
自分を生かした、もうこの世界には存在しない男に対して。
貴様の判断は間違いだったのだと。
私に情けを掛けるべきではなかったと、あの世で頭を抱えさせてみせると。
全てを失った身で一人誓いながら、彼は境界線の腕の中で揺られていた。
…何処かから。
そんな己を豪放磊落に笑い飛ばす、耳慣れた男の声が聞こえた気がした。
【港区/二日目・朝】
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『閻魔』、『天羽々斬』
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:また重い責務を背負ってしまったな。捨てる気はないけど。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
4:大和の世界、まさか新西暦と繋がってたりしてないよな?
5:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
6:大和についてはひとまず捕虜。逃げられると面倒なのでそれは防ぐ。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。
【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:ダメージ(大)、魔術使用不能(既に回復)、魔術回路に大規模な破損
[令呪]:残り一画
[装備]:『霊脈の槍』
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:この私が、これで終わると思うなよ。
1:……我々はこの場で出会った。それが全てだ。
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
4:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
5:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
6:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。
※押さえていた霊地は全てベルゼバブにより消費され枯渇しました。
※死柄木弔の"崩壊"が体内に流れた事により魔術回路が破損しています。
これにより、以前のように大規模な魔術行使は不可能となっています(魔術自体は使用可能)。
どの程度弱体化しているかは後の書き手諸氏にお任せ致します
◆ ◆ ◆
-
『悪い悪い。城を落とすのもこっちでやる気だったんだけどよ、何処ぞの馬鹿が先走っちまったみたいでな』
公衆電話の受話器の向こうから響く声に、田中摩美々は唇を噛むしか出来なかった。
鬼ヶ島の墜落は死柄木弔の行動が生んだ結果ではなかったとそう分かりはした。
だがそれは何の安堵にもなりはしない。
彼が東京タワーで起こした惨禍。
それもまた、決して並大抵の事態ではなかったからだ。
「何…したんですか。あなた」
『霊地を潰してきたよ。安心しな、お前らの手の奴らは上手く逃げ遂せたらしい』
「それ、巻き込む気満々だったってことじゃないですか……」
既に、にちかのライダーから報告は受けている。
死柄木の手により霊地は崩壊した事。
誰も彼も見境のない破壊の波濤が吹き荒れた事。
アシュレイは辛くもそれを生き延びたが、奮戦していた"義侠の風来坊"は命を落とした事。
死柄木がアシュレイら方舟側の友軍を巻き込まないように調整して崩壊を放ったとは到底思えない。
そしてそれを指摘された死柄木は、鼻で笑ってあっけらかんと答えた。
『当たり前だろ? どうせやるなら大勝ち狙うに越したことはない。聖者でも相手にしてるつもりかよ』
その言葉に摩美々は何も言い返せない。
それに彼女は知っていた。
この恐ろしく、底の知れない男にスイッチを入れたのは他でもない自分だと。
自分が余計な事を言って彼を原点(オリジン)へ回帰させなかったなら、もっと穏当な形になる未来もあったかもしれない。
“この人に…私は何処かで、親近感を感じてた”
主義主張は違えど同じ名を持つ蜘蛛の教え子。
人智を逸した頭脳で辣腕を振るったチェス打ち達の継嗣。
その共通項が摩美々に死柄木という人間を微か、見誤らせた。
確かに連合は同盟相手だった。
海賊同盟という共通の敵に否を唱えるパートナーだった。
だが摩美々達と彼らは根本的に違う。
田中摩美々と、死柄木弔は、全く別の生き物だ。
自分が手を結んでいた相手の恐ろしさが、今になり改めて彼女の背筋を寒からしめた。
『それに。俺達とお前らの同盟もそろそろ潮時だろ』
「…つれないこと言いますねー。まだ海賊さん、生きてたりするんじゃないですか?」
『かもな。ただまぁ、片方は殺せたんだ。嫌でも目の上の瘤になる"同盟"は終わらせてやった』
「なら、もう私達の力なんて必要ない――って?」
『分かったからな。ちゃんと俺達だけで殺れるって、さ』
まずい展開だ。
摩美々は受話器を握りながら歯噛みする。
連合との同盟を組むにあたり、あちらへ遜るような事態は御免だと思っていた。
それに事実、連合も方舟の戦力を欲していた。
だからこそこの奇跡のような薄氷の同盟関係は成立していたのだ。
海賊同盟、そして霊地の争奪戦という火急の問題があったからこそ形はどうあれ手を取り合えた。
しかし――
『ならもう十分だろ。らしい関係に戻ろうじゃないか、アイドル』
-
海賊同盟は破綻した。
霊地争奪戦は完全に終結した。
そして敵連合は、この聖杯戦争の全てを思うがままに出来る程の力を手に入れた。
これらの事実が方舟と連合を隔てていた薄氷を打ち砕く。
もはや彼らは、船に乗らずとも向こう岸へ辿り着けるように成長してしまった。
同盟が終わる。
戦線が崩壊する。
地平聖杯戦線は、役目を終える。
「もっかい――話だけでも聞いてみる気とか、ないですか」
『話? ああいいよ。ただその前に一個だけずっと聞きたかった事があるんだよな。
初めて話した時からずっと気になってた。煽りだの削りだのじゃなくて、本当に純粋な疑問だ』
そうなれば連合に方舟を見逃す理由はない。
崩壊の手は容赦なく、輝く希望を摘み取るため振るわれるだろう。
蜜月などと呼べる程安穏な間柄ではそもそもなかったが、この先には殺意と崩落しか待っていない。
『お前らは望みさえすりゃ俺達の事も船に乗せてくれるんだろ?』
方舟とは融和と相互理解、そして承認の勢力。
対する連合は淘汰と競争、いずれ来る決裂を承服し合って進む勢力。
その性質は真逆に等しく、よって手を取り合う難易度は異次元だ。
一時的にとはいえ共闘を結ぶに至らせた境界線と蜘蛛の手腕には舌を巻く他ないだろう。
『ありがたいぜ。優しさに涙が出そうだった』
電波の先で地平線の担い手が笑っている。
嗤いながら彼は摩美々に言葉のナイフを突きつける。
『世界の崩壊を願うテロリストを、故郷まで安全に送り届けてくれるってんだから』
「――」
『方舟に乗って現れた人間が洪水を起こすんじゃあべこべだけどな。ま、皮肉が利いてて悪くはないだろ』
誰かの笑顔に希望を見た少女達と。
誰かの笑顔に絶望を見た男。
そこに真の意味での理解は決して生じ得ない。
少女達は地獄を知らないし、男は輝く星のような時間を知らないからだ。
『そういう事だ。敵に塩を送る訳じゃないが、夢見る時は適度に現実と折り合い付けるのがコツだぜ。アイドル』
「…私達があなたを置いて帰ると言ったら、それまでなのに。随分と強気なんですね」
『分かってないな。ヴィランが人の弱みに付け込まなくなったら終わりだろ』
思わず言い返した摩美々だが、その言葉は何の脅しにもなっていない。
彼女自身その事は分かっていた。
分かっていても反射的に言葉が出た。
方舟の理想の裏にある、誰かの頑張りではどうにもならない歪み。
その片鱗を見せられた気分になったから――半ば防衛反応的に言い返してしまったのだ。
『もうお前らは自分の理想に呪われてる。お前らは今更、"誰か"を見捨てられない』
「――そこまで、分かってるのに…っ」
『なんでそれを台無しにするような事が出来るんだって? 分からなくていいぜ』
彼女達は何処まで行っても光(アイドル)で。
彼らは何処まで行っても闇(ヴィラン)。
その中道を選ぼうと言うのならば、そこに伴うのは無限にも似た苦痛と煩悶だ。
方舟の主が過去に直面した命題が廻り廻って今、そのクルー達の前へと現れた結果がこの現在。
『出来ないから――アイドルとヴィランだ』
通話が切れる。
途絶を示す電子音が無機質に反響する。
心配そうな顔で覗き込む傍らの二人をよそに、摩美々は暫し沈黙するしかなかった。
-
朝は来た。
しかし何も終わっていない。
彼女達の苦難は続く。
何かを失いながら、坂道を転がるように摩耗しながら…ただ続いていくのだ。
連合との断絶はそれを暗喩するかの如き不穏さで、尊い少女達の未来を祝いでいた。
【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・朝】
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:あっよかったライダーさん……! は? 峰津院大和を連れて来る? は?
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、精神的動揺
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:私達は、それでも――
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大/ちょっとずつ持ち直してる)、深い悲しみ、強い決意、サーヴァント喪失
[令呪]:喪失
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:――ひかるちゃん。私、もうちょっと頑張ってみるね。
1:優しい人達に寄り添いたい。そのために強くありたい。
2:あさひくんとプロデューサーさんとも、いつかは向き合いたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。
◆ ◆ ◆
-
“アイドル共にはああ言ったけど、たぶん生きてんだよなあの海賊(デカブツ)”
方舟の少女との通話を終えて、死柄木弔は一人朝が来たとは思えない閑散とした都市を進む。
東京タワーに崩壊を落とした事で彼の目的は達成された。
港区の霊地は潰れ、龍脈の力は事実上己の総取りとなった。
只惜しむらくはあの場の全員を殺し切れなかった事。
そしてその中には、死柄木が見送った武士と鬼神の如く死合っていたもう片方の皇帝も含まれている。
“気配は露骨に残ってたし、追撃しようと思えば出来た…が、まぁ流石にリスクが勝ったね。方舟には悪い事しちまったな”
明王カイドウ。
穴の底に沈んだ彼に追撃の崩壊を放つ事も可能ではあった。
それをしなかった理由は、万一抵抗を受けた場合死柄木の方にも木乃伊取りが木乃伊になる危険があったから。
無茶な継承の反動に苛まれるこの体で、あのビッグ・マムに比肩するか上回る怪物を相手取るのは並大抵ではない。
意気揚々と出発した時はまだ力と体の齟齬が顕れていなかったから良かったが、いざそれが出てくるとさしもの魔王も深追いの断言を強いられた。
「二日酔いに似てんな。実際間違いでもないのか」
端末を取り出して視線を落とす。
星野アイからの連絡。
連合は既に大方の仕事を終え合流が可能な段階との事。
作戦終了。脱落者は、蜘蛛と極道。
「参ったな。構成員の半分以上が相方無しか…ま、代えが見つからなかったら界聖杯の万能ぶりに期待して貰うしかないな」
最悪、お零れくらいはくれてやってもいい。
上機嫌にそう考えながら歩む白髪の"滅び"。
元々面倒見は悪くない質だ。
彼も彼なりに、この世界で作った連合(なかま)にはある程度の義理を持っているのか。
「――ああ…禪院のゴリラ野郎にも連絡入れといた方がいいか。ジジイが死んで掌返すようなら潰さなくちゃいけないし。
峰津院のお坊ちゃんの実家も撫でておきたいし、デトネラットのハゲ社長に今後も付いてくるか意思確認も必要だ……ハハ、目眩がするぜ」
やる事は多い。
気にする事も多い。
独りになってみて、漸く師の視野がどれだけ広かったのかを実感する。
あの毒蜘蛛然り先生然り、自分はどうやらああいう風にはなれなそうだと破壊の君は嘆息した。
だがまぁ、それでいい。
古い時代をなぞるだけなどつまらない。
地を這う蜘蛛になれないのなら、巣諸共にそれらを蹴散らす魔王になろう。
「力があるってのはいいもんだ。世界がこんなにも広く見える」
霊地争奪戦、終結。
勝者は地平聖杯戦線。
龍脈と悪魔の力の継承者は、死柄木弔。
次の嵐が吹き荒れるまで、あと――
【港区・東京タワー跡/二日目・朝】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、サーヴァント消滅、肉体の齟齬
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:やることが多いなあ、魔王ってのは
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
3:禪院への連絡。
4:峰津院財閥の解体(物理)。
5:以上二つは最低限次の荒事の前に済ませておきたい。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
・炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。馴れるにはもう少し時間が必要です。
-
投下終了です。
死柄木の状態表ですが、×【港区・東京タワー跡/二日目・朝】 ○【港区・東京タワー跡→移動中/二日目・朝】
が正しいです。収録の際に正しく修正しておきます
-
投下お疲れ様です
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
幽谷霧子
アーチャー(メロウリンク・アリティ)
予約します。先例に倣い、生死不明のキャラの生死は秘匿させていただきます
-
七草にちか&ライダー(アシュレイ)
田中摩美々
櫻木真乃
峰津院大和
追加予約します
-
皮下真&ライダー(カイドウ)、リップ&アーチャー(シュヴィ)、古手梨花、NPCキング&クイーン@ONE PIECE予約します
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神戸しお&ライダー(デンジ)
星野アイ
田中一
予約します。
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すみません、死柄木弔も追加予約します
-
前編を投下させていただきます
-
じりじりと角度をきつくする日光が、たくさんの破片になったアスファルトの地面を焼いていく。
がたがたと、港区の土地が広く壊れたことで起こった地盤崩壊で、道路だったものは通過者をやり過ごすたびに軋むようになっていた。。
紙越空魚は、災害跡地を迂回しながら港区を脱出するために、進路を北にとっており。
そのために、粗い路面に舌打ちをしながら自転車(盗品)を漕いでいた。
そう、自転車である。
なぜなら、いよいよ公共交通機関はおろか、タクシーの往来さえこの土地では見かけなくなってしまったから。
そして東京タワーから空魚をその手に掴んで運んできた伏黒甚爾は、打ち合わせを挟んで追撃に出発してしまったから。
もはや東京は、救護活動をどうこうしようという、次元の世界でさないのだと空魚は悟っていた。
空魚が地下で隔離されている間に、全東京都民NPCを震撼させる情報が流れていたからだった。
『この世界は作り物で、お前たちはもうすぐ消滅する再現データで、数少ない本物の人間であるマスターの【聖杯戦争】のために消費されている』
考えをまとめるために費やした十分の間に、まずそれが拡散されていることを知った。
後追いでSNSをたどった空魚の目にも、『もはやタイムラインではそれ以外の話題がない』ほどの勢いがあることが分からされた。
こうなれば、タクシー運転手はもとより、およそ『日常業務』といっていいものに従事できるような存在はごく限られる。
代わりに港区の往来で見かけるようになったのは、『無謀な試み』か『自暴自棄』にかられて逃走しようとする、たくさんの一般車両だった。
そう言った車の一つを、車内でマカロフをパンパンして運転手を排除して使わせてもらうという選択肢もあったことはあったし。
それは、通勤車を運転した経験はなくとも裏世界で重機は乗り回している空魚にとって、できない移動手段ではなかったけれど。
車(アシ)があったところで、道路が断線するなり渋滞するなりしていたら、たちまち意味をなさないわけで……。
結果として、盗用自転車を使い捨てながら移動するのがベストではなくてもベターだということになる。
異界の灰色に身を染めた童女のサーヴァントにひょいひょいと運んでもらうのは、揺れと運ばれ酔いを無視した上で、急いで移動したい時の緊急手段になるだろう。
そのサーヴァントも、今はちょっとした用事でそばを離れさせている。
せっかく常に護衛につけられるサーヴァントと再契約したばかりの身としては不用心かもしれないが。
しかし、『自分たちが優位になるためにできることは何でもやっておきたい』という前のめりさの方が、今は勝っていた。
そうして前進していると、前方の足元にばっと黒い影のかたまりができた。
何事かとブレーキを踏むのと、影があったところに重たいものが激突して、その落ちてきたものが車道へと弾み、投げ出されるのがありありと見えた。
裏世界のグリッチだとか、あれそれの襲撃よりは唐突じゃないなと車道に視線を向ければ。
なるほど、これは左手のビルの屋上から振ってきたんだろうなと思えるものがあった。
-
等身大の男性の身体が、あまり生理的に見つめたくない形に変形し、赤いものをたくさん巻き散らしている。
空魚はそちらを見ないようにしながら、速度を速めがちにペダルを濃いでさっと通過した。
投身自殺する人間の身体がけっこうバウンドするというのは、本当だったんだなと思った。
港区はもともと外資系企業の日本支社やIT企業の高層ビルも多く構えられている。
そんな土地にいた連中が生きることに対して一様に絶望してしまえば、手っ取り早くこういう手段も取るだろう。
ともあれ、こうなればまだビルが倒壊せずに残っているような通りを移動するときは気を付けないといけない。
鳥子が世界からいなくなったことに比べれば、もうどんな死だって衝撃のうちには入らないけれど。
魂に欠落ができたからといって、生存のための危機感までは麻痺してはならないと、しっかり自我は守るべくして守る。
投身した男性だったものが車道をふさいだことで、港区を脱出しようとしていた車列が強引に停まらされるブレーキ音が連続して鳴った。
やがて渋滞になっていく車列から、何人かの運転手や同乗者が降りたつ。
どろりと濁った眼をしながら死体をどかすべく動き始めたことだけ、振り向けば確認できた。
グロテスクな惨劇に動けなくなったり胸を痛めるよりも、とにかく『道路を開けて行き先へと急ぐ』ことを機械的に優先したのだろう。
絶望の中で『渋谷区のような最後を迎えたくない』という結論を出した者たちのとる行動は一つ。
『逃げ場がない予感に苛まれた上でも、なお都心から逃げようとする』だろうから。
「もうすぐ、武蔵野市の境目あたりですし詰めが起こるんだろうな……」
NPC覚醒の規則性などをよく知らない空魚だったけれど、『二十三区の外を目指す』という彼らの行為はまず徒労に終わるのだろうなと推測している。
『事情を知る人間の区外脱出が可能』なんだとすれば、まぁ『東京都外からの物資調達はできない』というルールは意味をなさないわけで。
『せめて苦しみが少ない消滅をしたい』というNPCたちも多数現れるのはさもありなんだが、それが叶うかどうかは望み薄だ。
この様子だと、港区の南東では東京湾に向かう車が渋滞を起こしていそうだ。
そっちは脱出用とかじゃなく、東京湾の水底で静かに楽になるために。
「今日一日は、あっちこっちで睡眠薬や、灯油や、練炭の売り切れかな……いや、むしろ奪い合いか」
――絞首のロープも、たくさん品切れになるのでしょうね……
陰鬱な幼い声で声だけの霊体が寄り添い、アビゲイル・ウィリアムズの帰還が伝わった。
空魚もまだぎこちなく、心の声を返そうとする。
そう言えばこれが『念話』ってやつなのか、と落ち着かないムズムズ感が沸いてきた。
知識としては知っていたけど、サーヴァントがサーヴァントだったせいで使うのは初めてだった。
他の連中は、こんな心を読ませるみたいなことを一か月ずっとやっていたのかと気が遠くなる。
……あるいは、仁科鳥子も、このサーヴァントとしていたのか。
-
――壊してきた?
――大きい道路は、5、6本ぐらい。もう絶対に通れないぐらに断ち切ってきたわ。でも、どうして道路なの?
――今に分かる……いいや、アサシンだけ分かってればいいことだから知らなくていい。
自分の受けた命令がどういう効果を生むのかピント来ないのは、霊基を変貌させていても、素体は子どもということなのか。
アビゲイル・ウィリアムズが果たしてきたのは、『港区から他区へと延びる主要幹線道路のうち、東方向に伸びている太い道路を通行不能にしろ』というものだった。
サーヴァントにとっては道路が塞がれたところで移動になんともないだろうけれど。
一般人のNPCにとっては、まず通行の妨げになる、違う道路を進むことを余儀なくされるような具合に。
どうにかして惨たらしい虐殺を逃れようと必死な連中に、『西に進むしかない』という指向性を与えるために。
追撃をしようとする集団は、まず東京都の東方面ではなく、西方面にいる。
甚爾の呪力認識や、すぐれた感覚器に頼って逃走痕をたどる追跡能力。
そして『敵連合の戦闘事後処理をすっかり待ってからコンタクトをとる』という時間はかかるが確実な手段を用いなくとも。
間違いないのだろうなと、絞り込みはできていた。
もっと絞るならば、渋谷区と新宿区は既にして壊滅状態だから休憩ポイントには選ぶまい。
そして、世田谷区は昨晩のうちに更地になっている。
そう、『脱出を図ろうとしていたアイドル――鳥子とともにいた幽谷霧子の仲間』の一団が襲われて、それで世田谷区が消えた。
東京タワーでの騒動は、そこから数時間をそう隔てないうちに起こっている。
であれば『幽谷霧子が合流しようとする仲間』は、世田谷区からそう離れていない場所を仮の滞在先にしているはず。
なので、二十三区の東ではなく西だ。
世田谷区の隣区は杉並区、渋谷区、目黒区、大田区だが、渋谷区の壊滅は誰もがご存じの通り。
そして、空魚が世田谷区にいたとしても大田区は逃走先に選ばないだろう。
なんせ南と西に会場の端があり、東は東京湾に囲まれているから、北方向から追撃されたら袋のネズミになってしまう。
残るは目黒区と杉並区。
どちらかと言えば杉並区だろうと甚爾は言っていた。
昨晩の時点で二匹の蜘蛛が連合を組んだであろうことはあの峰津院大和も『M』との電話で語っていた。
その敵連合の拠点が中野区にあることは甚爾が知っている。
であれば、仮に敵連合と連携をはかることを念頭において行き場所を選んだのなら、中野区の隣区である杉並区の方がそれらしいだろう、と。
ここで、東方向に向かうための主要な道路を壊してしまえば。
恐慌のあまりワンチャンスを求めて東京から逃げようとする群衆は西へと誘導され、会場の西端に近い一帯で遠からず立ち往生することになる。
ここで重要なのは、目当ての集団が東京タワーでずっと相手にしていたという峰津院大和が。
そしてもう『同盟者』として扱い続けるには零落していて、紙越空魚の右眼のことも、仁科鳥子の為なら手段を選ばないことも知られている、峰津院大和が。
昨晩の新宿事変から、たてつづけの災害に深くかかわっていることを大衆向けの放送で公言していて。
覚醒したてのNPCでさえ、『峰津院大和はマスターなのではないか』とすぐに気付けるほどダントツに著名人だということだ。
もう反壊滅状態になっている港区だけの交通の流れを何とかしたところで、効果は限定的だったり一過性だったりに過ぎないには違いないけれど。
あの峰津院ならば、冷静さを失った群衆と鉢合っても、赤子の手をひねるどころか、蟻の巣にバケツの水を流し込むようにあっさりと撃退するのだろうけど。
大衆が峰津院大和を見つけて大騒ぎが起こるようになれば、居場所の特定をすることは容易になる。
本当にあわよくばだが、他のマスターが周りにいた時に、そいつらの『削り』も狙える。
-
そんなプロバビリティーに恵まれたらいいなぁと期待して。
私の幸運は、鳥子に出会えたこと一点で使い切ってしまった気もするけれど、まだ幾ばくかは残されていたらいいなと切に思う。
「にしても、あっつ………」
ハンドルから右手を放し、手の甲でにじんできた汗をぬぐった。
この暑さだけが、24時間前の東京の午前と変わりないものだった。
どっかで売り切れになってない自動販売機でもぶっ壊して、水分補給をしようと空魚は思う。
どうかこの八月二日の晴天が暑くなり過ぎないよう――早々に曇ってくれないものだろうか。
◆
「そういう質問は、助けられたいって期待してる人がするものじゃないですか?」
七草にちかは、憮然とした。
必ずかの邪知暴虐の王を除かねばならぬという決意なんて全くさっぱりカケラも無かったけれど。
その有名な出だしぐらい軽率に、脊髄反射で発言をした。
田中摩美々の通話が終わった直後のことだった。
――世界の崩壊を願うテロリストを、故郷まで安全に送り届けてくれるってんだから
いや、その問いかけは、話が終わってみればおかしい。
魔王はアイドルなら求めれば救ってくれると【期待をしていない】から、テロリストをやっているんだとあなた自身が言っていたじゃないか。
偶像(ヒーロー/アイドル)は自分たちを救うものではないから、そんな役立たずばかりの世の中だから。
相互理解と絆がある友達(ヴィラン)で力を合わせて、自由かつあるべき姿へと世界を壊す。
死柄木弔の想いを理解したとまでは言えないにちかでも、死柄木の結論がそういうものだと、これまでの通話を聴いている。
「別に漫画やドラマみたいな改心イベントを起こさなかったら舟に乗せないとは言いませんよ。でも!
私はアイドルを当てにしない悪の大魔王(ヴィラン)だけど、アイドルさんどうか助けてください……って。
そんなスタンスの時点で『大魔王』じゃなくて小悪党じゃないですか。なんでそうなった時の自分の格落ちはスルーするんですか」
それで煽ってるつもりは無いです、は無理がありますよねと怒るにちかに対して。
言われた側の田中摩美々は、曖昧に口元だけを緩めた。
「んー……煽るつもりがあったかどうかは、にちかの言う通りなのかもしれないケド」
表情には、翳りと疲労が顕れたまま。
「お節介なら嫌いじゃないケド……『だから気にするな』みたいな話なら、今はちょっと無理かな」
「で、ですよねー……」
ああ、またバカなことを言ったと、何度目かの後悔をして。
気まずい沈黙が生まれるままに立ち尽くすしかなかった。
「頭のどっかで『あの人の中に、夜に泣いてる迷子がまだそこにいるなら』って……思ってたところは、あったかも」
-
言葉として、違うものを与えることはできなかったのか。
あるいは、結局のところ摩美々たちからは与えられないことを確かに踏まえた上で話すべきだったのか。
それらを通話している間も意識の水面下でぐるぐるとさせていたのか、吐露は続く。
「もしも『夜の迷子』がまだあの人の中にいて、その子を泣きやませられたら。
世界を壊す以外のやり方で、足りないのを満たすことも……と思ってたところは、なくなくもなかったかも」
でも、こっちのお節介はきっと遅くて、余計で、合わないもので、とっくに良い友達がいたんだろうね。
海賊を倒した時の電話でも、向こうから楽しそうな声が聴こえてきたし……と言って。
バラエティ番組でも悪びれないキャラクターを前面に出している田中摩美々が。
そうやって己の落ち度を挙げていくのを見ていると、やりきれなさと、無力感が足元をぐらつかせる。
「そんなこと言ってたら……峰津院さんを助けたくないとか言ってた私の方が、よっぽど」
そのせいでさっきの電話だって……と言いそうになって、さすがに言うのは憚られた。
真乃も摩美々も、根っこの原因はにちかには無いと言うのだろうけれど。
摩美々の言葉を詰まらせてしまった副因のひとつに、にちかは関わっている。
――それぞれの世界に行って最善手を探し出す。そこで可能なだけ、彼らの叶うはずだった願いの手助けをする。
にちかのサーヴァントが、その後の世界のフォローならば、全て己が担うと東京のど真ん中で表明したのだから。
ぞして、彼ならば真面目にまっすぐに、その通りにしたのだろう。
死柄木弔が帰還したとしても、その心が救われ、その上で世界の破壊も食い止められるような最大限の努力を果たしたのだろう。
その努力さえも死柄木には、『今さらそんなことしたって魔王は止められない』と言うべきものだったかもしれないが。
少なくともにちかのサーヴァントが『帰還先の世界への影響』を真面目に、限度を知った上で配慮していたことは皆が知っていて。
――なんであなたが……あんなやつなんかに………………
その責任をアシュレイが担うことに対して。
他の人にも聴こえる声で猛抗議したのは、他でもない七草にちかだった。
摩美々からしてみれば、『問題が起こったら全部サーヴァントに丸投げしまーすなんて、誠意も説得力も無くて言えなかった』らしいけれど。
……自分の生きて帰りたい気持ちさえ、全部他人に代弁させて。
そもそも方舟のことをアッシュが最初に提案したのは、にちかが『殺し合いせずに生きて帰りたい』と言ったからじゃないか。
その計画のケアはすべてアッシュに担わせて、話し合いの矢面には摩美々を立たせた上で。
-
――取り零しや、納得いかない答えしか出せない事もきっとある。
――けど願いを諦めて手ぶらで帰れって言うんだ。頭を下げるだけで済ませられる話じゃない。これくらいの骨折りはしなくちゃ釣り合いが取れない
あれだけの無茶と無理を押し通そうとするような努力が、にちかの望みを発端として捧げられているのに。
君のもとに帰ろうと思えることで戦えるんだから、気にするなと言われたところで。
待つことしかできないどころか、傷ついた彼を迎えるための笑顔だってまだちゃんとできやしないのだ。
バサバサバサと、重なるような羽音が鳴り響いて。
野性の鳩を複数、櫻木真乃が肩に乗せたまま悄然としていた。
細い肩が、鳥のせいだけでなく沈んでいて、顔は青ざめていた。
言うかどうか迷ったけれど、というような沈黙を経て、ぽつねんと呟いた。
「峰津院さんが無事に帰れなかったら……峰津院さんの世界は、滅びるんだよね」
「それを言うー?」
「あ、ごめん……」
「ううん、そういう耳に痛いことは、悪い子から言わなきゃいけなかったなって」
カラ元気という言葉にさえ足りていないほど、半端にふわふわとした遣り取り。
耳に痛いこと、とは……と、にちかは自責を断ち切り思い巡らせて。
言葉の意味する事実は、あまりに重たいものだったから。
ずん、と青い空がそのまま落ちてきたような絶望感がのしかかった。
WING準決勝でも、まるで足元がおぼつかないまま踊っていたけれど、それの何倍もひどい。
-
あの、自分でも何をやっていたのか冷静に思い出せないステージ。
――立ち位置に気を付けて『審査員が見てる』サビ前のとこは右足からにする――
――クロス、横、1,2『手がしびれる』音程ちゃんと聞いて――
――ああそうだ次はあのステップだった『うるさい』笑顔がくずれないように――
――パ・ダ・ダ・ダをやらなきゃ『寒い』でも直後にダンダンが来る――
――美琴さんに合わせないと『空気が、息が、息吸わないと』でも笑顔もやらないと、やらなきゃパ・ダ・ダ・ダ――
あの吐き気がこみあげる時間でさえ比較にならない大きなものを、永久に背負っていくのだと確信したような。
もうすぐ、峰津院大和がここに来る。
龍脈の確保は叶わなかった。
おでん達をはじめ何組もの主従が倒れていった。
敵連合は見切りをつけて、陣営としては孤立した。
それでもライダーは帰ってきてくれたことに安堵して感謝する、小さなエゴもあったけれど。
峰津院大和の生存は拾えたし、ライダーが彼を助けたこと自体には、嫌という事は無かったけれど。
念話でも言葉を濁したライダーから察するに、その人は戦闘前に表明したスタンスを変えたわけではないらしく。
――世界の崩壊を願うテロリストを、故郷まで安全に送り届けてくれる
先刻の言葉については、現時点ではそこまで考えなくてもよかった。
実際に死柄木が方舟で帰りたがっているわけではない前提での、『もしも』を前提とした話だから。
――現実において私と貴様は相容れぬ敵であり、貴様の理想論を悠長に待てるだけの時間は、私の世界には残されていない
だが、これからここに現れる男は、『もしも』ではなく事実として。
『彼が生還できなければ、世界一つが滅ぶことになる』だけの事跡を背負っている。
-
そうして作り上げようとしている世界もまた、ライダーの見立てでは『土台が持たない』ものではあるらしいけれど。
彼の使命が、あくまで『世界が滅ばないよう守護することには変わりない』ものであるからには。
その結論が『最大多数を助けたいというなら、峰津院大和が勝利して帰参するために死ぬべきだ』だった時に、七草にちかはなんと答える?
「……とりあえず、あっちの建物にでも入ってようか。不法侵入とか言ってらんないでしょ――」
いつの間にか簡易に塗りなおされたネイルの指先で、摩美々は公園の隣にある小学校を指していた。
ここにいると真乃が目立っちゃうしね、とも付け加えられる。
「あ……そうだよね。ごめんね、目立っちゃって」
真乃が慌てて謝ると、両肩の鳩たちが少し傾いた。
そして気付けば、複数の鳩を乗せたり群がらせることにとどまらず。
ヒヨドリ、オナガ、ツバメ、シジュウカラ、スズメ、カワラヒワ、ムクドリ等からなる鳥類が、付近の枝や手すりや芝生など、あらゆる目につく所にいた。
「……いや、集まりすぎでしょ」
「私も何回か見たことあるけど、真乃が歌い始めるともっとすごいことになるよ」
櫻木真乃は、鳥に好かれる。
いや、鳥に好かれるなどという言葉では生ぬるいほど非科学的に懐かれる。
ペットショップや花鳥園に行けば、ケージの格子ぎりぎりまで鳥類がわっと集まってくる。
道を歩いているだけで鳩を呼び寄せ、肩に留まらせたまま事務所の玄関をくぐることもしばしば。
船に乗ればデッキにいるだけでカモメ達が飛んできて、他の乗船者もおおぜい近くにいる中で真乃にだけ群がり始める。
そして種明かしとして、シンプルに生態系が激変していたという事情があった。
被災地から昨夕時点で退避してきた野鳥が緑地の生態系を偏らせて、ここまでの密集に至っている。
「この公園に人を呼んで、お話はできないよね……ごめんなさい」
「あっ、いえ。どのみちライダーさんなら、ずっと同じ場所に居続けるのは危ないとかで、場所替え指定してきそうだし」
「そういうこと……それに、公衆電話からはもうかかってこないし」
「う、うん……でも摩美々ちゃん、休むなら、ごはんとかばどうしよう……」
「あー……たぶんコンビニとかは品切れだよね? 新宿の時みたいな救護所ってこの辺にあったっけ……」
暗澹とした思いは継続したまま、目先の話は再開されて。
しかし、その会話もふいに途切れた。
摩美々の目線が泳ぎ、ちょっとだけ静かにしてねというように口元に人差し指をあてて、そのまま眼を閉じたからだ。
しばらく間があって、聴いたことをそのまま反復するように言った。
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「アーチャーさんから念話が来た。なんか……霧子と話すことができたから、河辺で寄り道していく、みたいな……?」
◆
杉並区は港区のようなビジネス都市としての色合いは薄く、むしろ閑静な商店街や住宅街といった区画が景観の多くを占めている。
二十三区の中でもとりわけ自然や河川沿い公園が多い一帯で、区役所の広報でも住みよく子育てしやすい街づくりを前面に押し出した都市計画がうたわれることが多い。
だが、地上百メートルに迫る高さの高層ビルディングが存在しないというわけでもない。
まさにそういうセントラルタワーの頂上へと陣取り、伏黒甚爾は標的を視界に収めようとしていた。
杉並区内の四方を見はるかし、並大抵の『狙撃』スキルを持ったアーチャーのサーヴァントよりも抜きんでた精密さを持つ視覚を用いて。
景色におさまった区画にいるすべての人間から『落ち延びた集団ないし主従』を探す。
とりわけ指標となるのは、仁科鳥子らと共にいた所をはっきり確認できた少女、幽谷霧子。
あるいは、その幽谷霧子を連れ去ったアーチャーと思しき青年のサーヴァント。
どうやら仁科鳥子の、この地でそれなりに関係を築いた友人であるらしいことは甚爾の判断に何ら差異をもたらさなかったが。
同じく、依頼人である紙越空魚にとっても、そのことは殺しの判断にいささかの影響も及ぼしていないようだった。
否、影響を及ぼしていないというのは語弊があるだろう。
『向こうは、まだ空魚たちのことを共闘できる仲間だと思っていて、油断を誘えるかもしれない』だとか。
そういった今後の戦いを優位に勧める影響のことであれば、空魚は考えを伝え聞かせる中で検討していた。
開戦間もない当時は日和見がちに家に引きこもっていたのが、ずいぶんと研ぎ澄まされた。
だが、ずいぶん変わったかと言われたら、そうでもないようにも見える。
今の紙越空魚の姿は、そのぐらいに見えた。
イカレているが、イカレ切れてない。
依頼人に対する初めの心象はそれだった。
生き物を一切の躊躇なく殺(と)りに行ける人間は、客観的に見てイカレていると呼ばれる。
そして甚爾の身を浸してきた社会では、イカレていることが長生きする必要条件の一つだった。
その観点からすれば、今の空魚は頼もしいイカレ具合になったと言えるだろう。
甚爾が舗装する血濡れが約束された道を、勇んで走り始めたのだから。
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だが、一方で別の認識もあった。
もしも『変わる』ということが。
人生を変えた女がいなくなることで、腑抜けになるような有様を指すものだとしたら。
べつだん刹那的にも退廃的にもならず、取り戻すことに腐心している紙越空魚は変わっていないからだ。
しかし、もしも『落ちる』ということが。
人生を変えた女が託した遺言(■をお願いね/負けないでね)のことを。
遺した当人はそういう形で叶えることを望んでいなかったんだろうなという手段でしか成せないことを指すものだとしたら。
紙越空魚とどこかの人間を辞めた男には、ひとつだけ共通点じみたものがあるのだろう。
そんな風に過去の誰かと比べることに右脳を少しだけ動かし、その分だけ右眼も微細に動かしていた時だった。
両眼が現実の対象を捕らえた。
とりたて幹線道路ではない細い路地で休息場所を探すのさえ煩わしいとばかりに座りこんでいる、瓦礫の土汚れにくたびれたスーツ姿の生気を亡くした男。
問題はその手に携帯する札を甚爾が視認できたことであり、それはあのリンボが擁していた黒閃の修羅が身体に塗布していた札の形と酷似していたことだった。
仮にあの修羅に連れられて港区から移動してきたのだとしたら、焼失した新宿区と渋谷区の境あたりを戦禍にかからず擦り抜けたのか。
いずれにせよ幽谷霧子の関係者であることは、『プロデューサーさん』がどうこうと、修羅が呼び止められていたことから疑いなく。
そこで交わされていた内容の意味合いはさっぱりと分からなかったが、双方の関係が『救うべき敵方の人質』と見なすには背信行為が強すぎるものであり。
かといって自発的な裏切りを間に挟んだ関係であるにしては修羅の態度が煮え切らぬ様子であったことが甚爾の見解を困難にした。
その男が甚爾の追っていた集団のもとに向かう可能性は低くなく、その為の案内役として利用するにせよ、『土壇場でどちらに味方するか』についてはできれば確証が欲しい。
紙越空魚であれば、別行動中にまた違った背景情報を持っていないだろうか。
――もっともあの場でリンボを援護し、仁科鳥子の死の間接的原因の一端でも担った時点で、心象が最悪になることは避けられないだろうが。
そう算段しながら、甚爾はかねてより依頼人との連携において必需品となっていた携帯電話を再び取り出した。
◆
峰津院の全ては国家の為に。
術師の力は守護の為に。
強者としての責任を果たせ。
そこに揺らぎはない。揺らぎもブレもあってはならない。
だが、現代の国家を生きる者たちの中に、『猿』ではなく『人間』だと呼べる尊い者がどれほどいる。
大和にとって将来の同胞となるやもしれない可能性あふれる萌芽が、甘えた猿どもを守る為に貪られていくのはどういうわけだ。
猿から英雄へと這い上がれる者がいることを否定するつもりはなく。
故に、猿は皆殺しにしていいとまで鬼たらんとするつもりは毛頭ないけれど。
猿は嫌いだという己の感性を疑おうというつもりには、どうしてもなれなかった。
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故に、『おれの友達をバカにするな』という理由で弱者を庇いだて激昂し、『お前は凄い奴だ』と吠えた侍の残響が、未だに消えない。
その男にとっては、衆愚も、現在の峰津院大和も、どちらも等しく人間であり。
それはどちらも、峰津院大和が人間と見なしていない存在だった。
故に、光月おでんの守ろうとした判断基準が理解できない。
それは『方舟』を名乗る、ハーメルンの笛吹きとネズミの集団に対してのそれも同じだった。
もしも『崩壊』が戦場のすべてを覆す前であれば、方舟という集団は確かに盤上で勝ちの目を拾える集団であったのだろう。
他陣営からは意外に思われるやもしれないが、峰津院大和はその点については疑っていない。
大和が方舟を無知蒙昧な、理想足り得ない夢想だと断じているのは、あくまで『思想』の部分においてであって。
その目的を実現するための『手順』に関しては、方舟はむしろ最短で、堅実で、確実な手筋を持って乱戦に挑んでいた。
まだ生きているマスターの無条件の生還。
叶えられる範囲での界聖杯の使用権の分割。
参加者抹消による無効試合(コールドゲーム)の設定の解除。
そこに至るための決着手段は、『界聖杯そのものとの交渉』。
言葉だけを論えば幾らでも誇大妄想の類であればこそ、荒唐無稽さは覆しがたい。
だが、それを妨害する要因は突き詰めれば『宝具の発動条件が極めて限られる』という一点だ。
力を借り受けるための手数が限られていることも、力を行使し続けるだけの時間が不足していることも。
『概念を自在に付与できるという龍脈の真価を発揮した上で、ライダーの霊基を宝具の大規模かつ長時間使用に堪え得る位階にまで強化する』という無法を行使していればどうなったことか。
龍脈に対して目的をたしかに命じることさえ可能であれば、『東京と大阪間の移動手段に過ぎなかったターミナルを、その龍の一尾だけで北極星に届くための軌道エレベーターにまで底上げする』というような無法とて罷り通る。
そういった龍脈の真の用途を銀翼のライダーが知らなかったとしても、『あの峰津院主従の秘宝であれば、所有者である峰津院大和がもっとも効率的に運用すれば魔力プール以上の魔法のランプまがいとなる』可能性に眼をつけていたのだとすれば。
交渉人は、霊地だけを目当てに交渉を仕掛けてきたのではなく。
龍脈と、それを十全に機能させられる峰津院大和の双方を手に入れる意味を理解して無謀な訴えを起こしたのだ。
だが、それも今となっては、『たられば』を付けなければ語れない失敗譚のひとつだ。
大秘宝を獲り、王にはなれなかったのが海賊だ
最強のまま蒼穹に君臨できなかったのがベルゼバブだ。
そのベルゼバブに、どちらが上なのか解させる機会をついぞ持てなかったのが峰津院大和だ。
そして、『界聖杯との交渉』に至るための龍脈(リソース)を保有できなかったのが方舟だ。
龍脈の一つは海賊女帝を下した魔王の腹におさまり、その個性に染め上げられる形で、とても喰らいつくこと叶わぬ猛毒へと汚染された。
いまひとつはその汚染によって根源から干からび、界聖杯という瓶の根底へと胡散霧消した。
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もはやこの土地において、方舟の一発逆転を叶えるための元手(リソース)足り得る資源は存在しない。
ことによっては『平等に手をのばす集団』という看板を投げ捨て、残ったNPCの魂喰いに走るような見苦しさを披露するのやもしれないが。
それさえ、一度に捕食するための手立てを用意していた海賊に比べれば捕食効率にも龍とスズメの胃袋ほど劣るものになるだろう。
方舟の真の目的が『界聖杯に対する交渉とそのための宝具発動』であると、詳らかに聴いた大和であればこそ。
龍脈の確保の失敗が『宝具を発動する手立ての喪失』であり、ほぼ唯一の確かな勝機が途絶えたことを自明とする。
それでもなお界聖杯に『ルールを変えろ』と要求するようであれば。
それこそ『界聖杯自身の魔力』を元手する、つまりライダーが提言した『聖杯自身に生還者を出させる』策にでも走り出す集団に成り下がる他ないが。
果たして『ライダーという英霊がなるべく背中を押すために尽力するから願いを諦めてくれ』と言われて、妥協する者が他にどれほどいるのか。
まもなく方舟は、『願いを諦められない者との殺し合いを避けられないなら、それは生還を願いに掲げる聖杯狙いとどう違うのか』という現実に衝突して沈没する。
もっとも、方舟の現状を知らず、『いつ脱出するともしれない集団』程度にか認知していない主従でさえも。
東京タワーにて龍脈をめぐる戦いに参戦した上で、『崩壊』に飲まれたことを知れば。
『方舟の計画のためには龍脈が必要だったが、それを手に入れることは叶わず敗北した』程度の想像は働かせるかもしれないが。
そして、『峰津院大和を認めさせることが叶わなかった』のが、方舟でもある。
――全てを使うことを許す。
――武装、仲間、異能、命……全てを賭けて私を地に伏せてみせろ。
なるほど、大和自身がその口でそう言った。
そして、仲間を使うことを許すと言ったからには、光月おでんという『仲間』によって禍根を残した方舟側の言い分に、一考する価値を認めてくれないかという問答は、この先で想定されるだろう。
ベルゼバブの敗因を大和は知悉していないが、『ベルゼバブの戦闘が佳境になり、霊地のすべてを搾取したのと同時進行で、光月おでんもまたセイバーの魔力供給に苦しんでいた』という傍証があるからには。
『光月おでんのセイバー』がベルゼバブを相手にした『逆襲撃(ヴェンデッタ)』において、一枚噛んでいたという可能性はある。
であれば、『こちらは仲間の尽力によって峰津院大和のサーヴァントに勝利している』という判定を求めようとする者は現れるかもしれない。
何も、『峰津院大和はたしかに敗北し、光月おでんとライダーがいなければ戦線で誰よりも先に散っていた』という事実から目を背けて、己だけに二重規範を課すつもりはない。
『自身に課したロジックをもとに言明し、不正のない結果が出れば、どんなに業腹でも受け入れる』というアシュレイ・ホライゾンの高評価を、覆すような軽挙に走るつもりはなかった。
だが、霊地をめぐる争いの直接的な、そして唯一ともいうべき勝者はむしろ『崩壊』を行使した魔王であること。
そして何より、当の『勝利』を招いた原因である方舟の価値、『光月おでんとそのセイバー』は、おでんの脱落により両者ともに存在しないことが、大和の納得を否定していた。
崩壊を企図した敵連合の者を、あの時点で方舟側の協力者だったと主張するには、方舟側ももろともに攻撃している時点で苦しい。
そして、そういった小理屈を抜きに、大和自身が納得いっていないという不条理感として。
光月おでんという強き侍の犠牲に、おでんの仲間として見合わない弱者が『ただ乗り』するなら、それは峰津院大和がもっとも嫌悪するところの輩である。
才知、知略、漁夫の利を狙う作戦勝ちなどを、大和は力の一つとして否定しないが、それが『才気ある者を使い潰すための奸智』であれば話は別だ。
今すぐに方舟側のサーヴァントと連戦をしようというほどの軽挙さも無かったし、他の戦局での情報共有を兼ねた話をする程度の義理を果たすつもりはあったが。
仮に光月おでんに奮戦を果たさせた者達が、おでんの命を糧にして生き延びたことに安穏とするだけの可能性亡きたちだったのだとすれば。
大和は光月おでんの守ろうとした成果を、むしろ積極的に烏有に帰さねばならないという決意を持っていた。
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タイトルは「敗者ばかりの日(前編)」とさせてください
残りも期限内に投下させていただきます
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投下します
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その光景を目の当たりにした時、リップ=トリスタンは言葉を失った。
咄嗟に臨戦態勢を取ったシュヴィ・ドーラも同様だ。
神が差し向けるUMAや敵方の否定者と命の削り合いに明け暮れたリップ。
盤上の世界の全てを覆う《大戦》を識るシュヴィ。
彼らをしてなお理解不能の事態だった。
その人物の顕れ方も、最後に見た姿との変わりようも。
「よ。悪いな、ちょっとバタついてて遅れちまった」
男は一秒前までリップ達の周囲に間違いなく存在していなかった。
リップの視界には映らず、シュヴィの解析にも引っ掛からなかったのがその証拠だ。
瞬間移動(テレポート)という魔法にも匹敵する芸当を、リップ達の知る彼は有していない筈だった。
しかし今、現実として彼…皮下真は二人の目前であの軽薄な笑みを浮かべ立っている。
シュヴィの有する各種解析機能も、其処に立つ男が自分の知る"皮下真"と同一人物であるとそう告げていた。
“…妖精種(フェアリー)……?”
愛神アルラムによって創造された、"花"の種族をシュヴィは連想した。
彼の立つ地点。
其処から、コンクリートを土壌にして突如咲き誇り始めた桜の花。
植物学のセオリーを全て無視した自然現象は閑散とした街の中ではひどく場違いな華やかさであった。
「――何があった? お前は死んだものだと思ってたが」
「俺もだよ。ただまぁ、腐っても医者として人命救助に努めてきたからかな。最後の最後でまだ幸運が残ってたらしい」
「はぐらかすな」
リップが前に踏み出し首筋に刃を突き付ける。
不治は勿論有効状態だ。
後少しでもリップの手が動けば皮下の命脈は治療不能の斬閃によって断ち切られるだろう。
そして今、リップには彼の命を奪う事に毛程の躊躇もなかった。
皮下という協力者を失う惜しさよりも、得体の知れない覚醒を果たした彼に対する警戒心の方が勝っていた。
不治は再生の開花を持つ皮下に対して特効だ。
この状況であればまずリップが遅れを取る事はない。
リップ自身そう分かっている。
分かっているのに、何故か背筋を焦燥が這う。
何なら足元を見れる相手の筈の皮下に、初めて相対した時以上の強烈な戦慄を覚えている――
「落ち着けよ。心拍数が上がってる」
「…ッ」
「運が良かったってのは事実だよ。切り捨てたと思ってた人脈に助けられた。それが無かったら、今頃は膾切りにされて渋谷に散らばってたろうな」
リップとそしてシュヴィ。
不用意な行動を起こせば即座に斬り殺されるか消し飛ばされるか、そんな状況。
にも関わらず皮下は饒舌だった。
高揚でもない。自棄でもない。
では其処にあるのは何なのか。
それを知るのは彼のみである。
「とはいえいよいよ後も無いんでな。そろそろ俺も必死に頑張ってみようと思ったんだよ」
「じゃあ何だ。気合と根性でそうなったとでも言う気か?」
「間違っちゃいないかもな。斜に構えて気取ってばかりの大人より、なりふり構うのをやめたガキの方が強いって事もあるんだとこの歳になって分かったよ」
この生物は何だと、リップはそう思った。
元々人間離れした奴だというのは知っていた。
ソメイニンなる物質を体内に宿し適合させた人造の超人と。
だが、今の彼を果たして人と呼称して良いものか判断が付かない。
人ではなく、何かもっと大きな力の塊を相手にしているような錯覚を大袈裟でなくリップは覚えていた。
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「霊地争奪戦は大失敗に終わった。ウチの総督は仕損じた上、因縁の消化にも失敗して傷心中と来てる。
鬼ヶ島の墜落で戦力もほぼほぼ全損、せっせと溜め込んだ葉桜の備蓄もパーだ。
笑えないぜ。盤石に見えた海賊同盟が蓋を開けてみれば一番の負け組に終わっちまった」
「何が言いたい。命乞いか?」
「そうだな…。俺としては正直、もうどちらでもいいんだが。
ビジネスパートナーとしてやって来た相手を放っぽり出して新しい事始めるのも不義理だろ」
どちらでもいい。
その言葉の意味を理解しリップは眉を顰める。
首に突き付けた刃が皮膚を一枚裂いた。
そう思った――だが、そこからひらりと散ったのは桜の花弁一枚。
「そろそろ本気で聖杯を取りに行こうと思うんだ。悠長なのは流石に、もう良いだろって思ってよ」
「良い度胸だ。落ち目の皇帝を今すぐこの場に呼び出すってか?」
「言っただろ? 俺は、どっちでもいいんだ。少なくともお前らに関してはな」
此処で叩き潰してもいい。
今後とも宜しくするでもいい。
皮下は、どちらでもいいのだ。
どの道これ以上悠長な社会戦や陣営戦に興じるつもりもないのだから。
万花繚乱という力は皮下にとって、どれだけ永い時間を費やしても会得する事の出来なかった代物だ。
それを今になって漸く会得出来た。
それの意味する所はこれまでの自分との訣別、呪われた生涯からの解脱である。
故に彼は今や、目前の同盟関係の行く末にさえ頓着していない。
「例えばだが…知ってるか? 峰津院財閥の御曹司、あのクソムカつく大和も多分終わったぞ」
「…東京タワーの霊地が"崩壊"で潰された事は知ってる。だが何故断言出来る?」
「カイドウでさえ対応出来ない事態だぞ? 鋼翼が生きているなら令呪で呼ばない理由がない。
そして聞いた所、龍脈の力は土地に宿る力だ。対して土地そのものを汚染し破壊する死柄木の異能は、さしずめ化学兵器みたいなもんだな。
力の大小以前に源泉を汚されちまったんだ、もうそれは猛毒の沼と変わらない」
一応方舟のお人好しが拾ったそうだが、もう脅威とは呼べないだろう。
皮下はそう語る。
「私見を聞こう、リップ先生。峰津院が落ちたなら次に警戒するべきは?」
「命が惜しければその不快な呼び方は止めろ。…方舟と連合だろ」
「つれないな、元を辿れば同じ医局の人間だってのに…ご明察だ。
脅威度で言えば連合だが潰す重要度だと方舟が勝つ。お前が鞍替えするか悩んでるのもこいつらだ」
空気が張り詰める。
リップとしては、現状方舟は無し――という考えだ。
だがそれでも、万一の時の保障として古手梨花を抱え続けている側面がある事は否定出来ない。
それを皮下に見透かされているという事はどう考えても穏やかでない意味を孕んでいた。
「ま、それも今やどうでもいい。決めるのはお前で、俺じゃない」
「何が言いたいんだお前は。先刻からどうも酔っ払ってるように見えるが」
「俺が今最も警戒してるのは、方舟でも連合でもないって事だよ」
「…何?」
一触即発。
リップだけでなくシュヴィまでもが、常に何かあった時の為の備えを取っているそんな状況。
そこで話は俄に予想外の方へと転換した。
聖杯戦争を破綻させかねない方舟勢力。
今や最大の脅威と言っても過言ではない敵連合。
彼らを差し置いて警戒すべき存在が居ると皮下はそう言うのだ。
「この体になってからどうにも肌感覚が鋭くなってね。アーチャーちゃんなら、もう気付いてるんじゃないかと思ったんだが」
-
「――どうだ、アーチャー?」
水を向けられたシュヴィはやや逡巡した後、小さく頷いた。
「…数分前から……大気に、妙な魔力反応が混ざってる………」
数分前。
つまりちょうど皮下がこの場を訪れた辺りで、シュヴィはそれを観測していたという事になる。
続けてくれ、とリップは彼女に説明を促した。
「最初は、霊地の崩壊で溢れ出したエーテルだろうって…そう、思ってた……。
解析上でも、概ね間違いとは、言えない……。でも………すごく、妙な波長……」
「妙?」
「…なんていうか、とっても……」
「禍々しい。だろ?」
口籠るシュヴィに助け舟を出すように、皮下が口を挟む。
リップは彼を睨んだが止めはしなかった。
機凱種であるシュヴィの解析能力は優秀だが、その分人間的な感性や感覚には乏しい部分があるのは否めない。
その点腐っても人間である皮下の方が、リップに意味を伝える上では適している。
「…そう。例を挙げて言うなら……」
シュヴィはそこまで言ってもう一度口籠った。
しかし今度の中断は先刻のとは意味が異なるようだ。
リップの顔色を少し窺って、それから意を決したように続ける。
そんなしぐさの意味を、リップはすぐさま理解する事となった。
「ゆめで、見た――マスターの世界の空気に、すごく……似てる………」
「――オレの、世界に?」
刹那リップの脳裏を駆け抜けたのは記憶。
良い思い出等ではない。
汚泥のような悔恨と哀切と、そして憎悪で溢れた追憶だった。
運命に玩弄され続けるばかりの人生。
否定という名の呪いが舞い降りた生涯。
誰の所為でもない、望みもしなかった祝福(ギフト)により歪められた幸福。
大いなるものの意思と悪意に躍らされる者達の嘆きと怒りを、リップは確かに覚えている。
神の箱庭。永劫に繰り返す、運命のゲーム盤――
「そうかよ。なら確かにお前の言う通りだろうな、皮下」
禍々しいという形容は言い得て妙だ。
確かにあの世界を表現する上で、それ以上の言葉はない。
美しいものもあった。
尊い日常があった、守りたい誰かが居た。
リップにとって帰るべき世界はあの箱庭だけだ。
その存在を否定し拒絶するつもりは毛頭ない。
だが、だとしても…彼処にはそれを穢すモノが居た。
遥か天の高みから、嗤いながら艱難辛苦を寄越す存在。
リップのその手を永遠に拭えない血と罪と後悔で紅く濡らした神の影が、あった。
-
ワインの樽に一滴の泥水を垂らせば、それだけでどれほど上等な酒も泥水の評価を受けるように。
あの邪神の存在一つだけで、リップの故郷(せかい)は糞の海と呼ぶべき地獄だった。
醜悪な神が愉悦のままに人の運命と命を弄び、あった筈の未来を否定する実験場。
「アーチャー。――それは、"神"か?」
その禍々しい世界と似た波長を感じるとシュヴィは言う。
ならばリップに思い付く可能性は一つだった。
誰かの運命を弄ぶ醜悪なる神。
盤上の支配者と呼ぶに等しい上位存在が、この界聖杯に現出しようとしているのかと。
そう考えて口にした可能性に、シュヴィはおずおずと頷いた。
リップの眼光が更に鋭く険しくなる。
それは間違いなく、彼にとって最大の地雷であったから。
「《大戦》で、相対した……」
正確にはシュヴィが、ではない。
彼女の同族が、文字通りその存亡を懸けて相対し討ち滅ぼしたとある種族の戦神。
創造と破壊を繰り返し、地上全てを覆う大戦の中にあってさえ強勢を誇り続けたモノ。
それと分類を同じくするとある種族に酷似した気配をシュヴィは感じ取っていた。
「…《神霊種(オールドデウス)》の気配に、よく似てる……」
ガリ、と音が鳴った。
リップが頬の内側の肉を噛み潰した音だった。
口端から一筋の血を滴らせながら、青年はこれまでに無い程の形相を浮かべる。
神霊種、それはかつて盤上の世界に《大戦》という厄災を齎した元凶の種族。
一つの概念が神髄を得て実体を結んだ不条理の産物。
神の称号を冠するに相応しい権能を秘めたる――規格外の中の規格外。
「恐らく"そいつ"はまだ完成しちゃいない。要するに今のこれは嵐の前の静けさって事だ」
「何故言い切れる。アーチャーは兎も角として…お前は何の根拠を持って語ってるんだ」
「アルターエゴ・リンボ。窮極の地獄界曼荼羅…聞き覚えはあるな?」
その言葉を聞いた瞬間。
リップの中にも理解の線が一本はっきりと通った。
その名は知っている。
海賊同盟に与し暗躍を繰り返していた存在。
窮極の地獄界曼荼羅なる、聖杯戦争の大前提を忘れ去ったかのような馬鹿げた計画を構想していたという不幸の売人。
女帝は堕ち明王は沈み海賊の君臨は打ち破られた。
では――地獄の曼荼羅を築くのだと豪語したかのアルターエゴは何処へ消えた?
「俺には正直、神だの何だのと言ったふわふわした話はよく分からない。
只こんな碌でもない真似をしでかす奴となればな。話に伝え聞く例のアルターエゴ以外にはちと浮かばん」
「動き出した、って事か」
「全陣営が平等に削られた所だし、まぁタイミングとしては妥当だろ。
もう連絡は途絶えてるが虹花の一人から連合側のサーヴァントが一騎落ちたって報告も受けてる。
皆の嫌われ者をキッチリやり通して、ゲームを自分の土俵に持ち込んだ。全く立派なもんだよ、もっと早く切っとけばよかった」
連合でさえある程度の削りを受けている状況だ。
此処で自分の目的の成就へと無理矢理にでも持ち込めたリンボは、ある意味では先の抗争における真の勝者とすら言えるかもしれない。
曰く神の如き何か。
推定、窮極の地獄界曼荼羅。
胎動するソレを皮下は警戒しており、当初は懐疑的だったリップもシュヴィの所感を聞いた今では苦い顔をする他なかった。
理屈はさっぱり分からないし、実像もまるで見えていないというのが正直な所ではあるが。
この先、目前の二人が訴えている不穏の気配は最悪な形でこの世に現出するだろうと察せてしまった。
リップ=トリスタンは、この界聖杯に存在する誰よりも神の脅威と悪辣さを知っている人間だから。
-
「…話は分かった。で、結局お前は何を狙ってんだ? リンボの撃滅まで手を結んでくれって事か」
「似てるけど少し違うな。リンボの跳梁が目障りだってのはあくまで俺の主観的な感想だよ。
これまで何だかんだ組み続けてきた相手へのちょっとした義理で教えてやっただけさ」
俺が本当に言いたい事は少し違う。
廃墟に放置された椅子に腰掛け、笑う皮下。
「なぁリップ。この戦い、そろそろもういいと思わねぇ?」
「派手な姿になって脳まで蕩けたか」
「もう随分長い事戦ってきただろ、俺達。予選も含めれば1ヶ月以上だ。
本戦自体はまだ始まって30時間って所だが、馬鹿がこぞって派手に暴れたせいで戦況の加速が酷い。
それだけなら良いが、俺達も含めて同盟を組んで生き抜こうって輩が多いから加速する戦況も苦い顔しながら何とか乗り切れちまってる。
そう――乗り切れちまってるんだよ」
本戦だけを切り取って一つの聖杯戦争と見るならば、この界聖杯を巡る戦いは異常なペースで進行していると言えよう。
交戦の勃発ペースからマスター及びサーヴァントの脱落ペース、どれを取っても異常に速い。
その理由は今皮下が説明した通りだ。
無軌道に暴れ回り、都市機能への影響や社会への秘匿を知った事かと無視した大火力を撒き散らす手合いの存在。
峰津院大和ひいてはそのサーヴァントが皮下医院へ襲撃を仕掛けたあの時から今に至るまで、聖杯戦争はほぼ休みなく加速し続けている。
「こうなるともう消耗戦だ。大きな戦いが起こる度、皆少しずつ手持ちを削られていく。
それは手札であり、手足であり、もっと大きなものかもしれない。しかしなかなか減りはしない。
集まって固まってるから、摩耗しても欠損しても立て直しが利くんだよ。
誰も彼もが痩せ細り衰えながら、腹ペコの野犬みたいに目をギラギラ輝かせて殺し合い続ける。まさに地獄絵図だ」
「えらく饒舌だな。戦争に造詣があるとは聞いてたが」
「…若い頃にちょっとな」
皮下は遠くを見るような表情を一瞬見せたが、咳払いを一つしてそれを振り払う。
「兎に角だ。俺が言いたいのは――こうなっちまったらもう、真面目に付き合ってやるだけ損だって事さ」
誰もが失い続ける。
しかし死なない。
誰もが強力な基盤と寄り合いを持っているから滅びはしない。
失いながら、磨り減りながら、それでも生き続け戦い続ける。
そうして戦いの起こるペースとは裏腹の緩やかさで役者が徐々に減っていき…やがて静かに最後の一人が決まる。
年月の経過で石が風に溶けるように。
土の奥底に埋もれた骸が、いつか石になるように。
滴り落ちる雫が、一本の柱に変わるように――。
「先刻言ったように…お前達に関してはもうどちらでも構わない。敵になろうがどうしようが、好きにしなって感じだ」
最強の脅威であった海賊同盟でさえ欠落した。
東京を襲撃の恐怖で支配した割れた子供達でさえ滅亡した。
絶対の強者だった峰津院の鋼翼改め混沌王でさえ、討たれた。
そんな長く痛みの多い戦いにこれ以上付き合う義理など微塵もない。
「だけどそうだな。最後の最後だしせめてお互い腹を割ろうぜ、リップ」
だからこそ皮下真は此処で、最後の商談をリップ=トリスタンという好敵手へと持ち掛けるのだ。
「聖杯戦争を終わらせよう。俺と一緒に――界聖杯を奪りに行かないか?」
◆ ◆ ◆
-
「悪いなお前ら。身の程知らずの馬鹿が、俺を焚き付けやがったもんでよ」
穴の底から立ち上がり、灰の丘…宿敵の墓標と化した旧霊地で四皇は燻る。
胡座を掻いた彼の目前に立つのは一枚欠けた大看板。
"火災"のキングと"疫災"のクイーンの姿がある。
鬼ヶ島は墜ちたが、元より彼らは他の幹部とは一線を画する最強戦力。
かの"旱害"と同様に魂喰いと掃討の役目を果たし続けていた。
もう少し時間があれば、彼らが弟分を討った仇の前に並び立つ事もあったのかもしれないが…
「ジャックはどうした。死んだのか」
「どうもそのようで。チッ、あの野郎! こっちに来てからも変わらずのズッコケっぷりだぜ」
「いいいい、言ってやるな。今おれが此処で生きてられるのはアイツの努力のお陰でもあるだろうしよ」
光月おでんとの戦いの中でカイドウが受けた傷はまごうことなき致命傷だった。
そこに死柄木弔の崩壊を浴びたのだ。
如何に彼が特殊な肉体を持つ怪物であると言えども、本来ならば消滅するのが自然だったに違いない。
それを免れさせた理由の一つには大看板、その他百獣海賊団の兵卒達の魂喰いによる霊基強化が間違いなくあったろう。
ジャックは戦死したが仕事は果たした。
カイドウはそう認識していた。
「なァ。お前ら…」
酔おうにも今は酒すらない。
消沈し傷心した渇き切った心と死に体の巨体。
そこから紡ぎ出された言葉は、皮下の命令通りのそれだった。
「おれの為に今から死ねるか」
大看板達はカイドウの力そのものだ。
彼らの存在を喰らい、その魂を取り込む事が出来ればカイドウは魂喰いとは比較にならない効率での霊基増強を見込む事が出来る。
そうすれば恐るべき皇帝は真の意味でこの地に再臨を果たす。
海賊という終わった筈の脅威が再び産声をあげる時が来る。
そんなカイドウの言葉に、即答したのは火災のキング。
「あんたがそうしろと言うのならすぐにでも」
「即答かよ…! テメェキング! この期に及んでゴマすりに余念がねェなァ!?」
「このバカの首もすぐにでも」
「なんでお前がおれの回答権も持ってんだよォ〜!? こちとらまだ現世のスイーツも女も味わい足りねェんだぞ!?」
漫才じみたやり取りから始まる火災と疫災のどつき合い。
絵面も漫才同然だが、一般人が間に巻き込まれれば一秒の後には全身の捻れた変死体に変わるだろう。
そんなお馴染みの光景を眺めながら、カイドウは嘆息して言った。
「おれは…どっちでもいい。皮下のバカが息巻いて求めて来たってだけだ」
彼は元より感情の乱高下が激しい性格の持ち主だ。
上機嫌に笑ったかと思えば次の瞬間には激怒する。
それはいわば百獣海賊団の日常茶飯事であったが、今の彼のそれは違った。
心の底からの落胆とそれに伴う無気力状態。
光月おでんとの再戦という最大の念願の成就を横槍で終わらされた事実が、彼の中から全ての気力を奪い去っていた。
「下らねェ。何もかもが、つまらねェ」
思えばずっとこうだ。
麦わらの海賊はカイドウの失意を乗り越えて再び目の前に立ちはだかってくれたが、原初の因縁であるおでんはこの結果。
結局の所あの男の中には自分という討つべき敵よりも、守り生かすべき誰かの存在の方が大きく在ったのだと理解したからこそ虚無感は深い。
今、カイドウの目に世界は無味乾燥とした茫漠の荒野のように見えた。
望まない卑劣で宿敵に勝ったあの日よりも虚無の度合いは遥かに深く、出てくるのは溜息のみで泣き上戸にもなれやしない。
いっそこの体に物を言わせて令呪に抗い枯死してやるのも悪くないかと考えたカイドウだったが、そんな彼に異を唱えたのは意外な男であった。
「それでいいのか? あんたは」
-
火災のキングとそう呼ばれた男。
かつてカイドウにそう名付けられた男。
鉄仮面を外し、褐色肌の素顔を露わにした彼が言う。
「どういう意味だ」
「あんたは此処で腐る男じゃないだろう。世界の破壊を掲げた男が枯れて死ぬなんて俺に言わせれば笑い話にもなりゃしない」
大看板はカイドウの走狗だ。
彼に従い、彼と運命を共にするだけの兵隊だ。
しかしそこには確かな過去がある。
地獄のような時代を生き、そして最強の生物に魅入られた男達。
中でも最古参の古株であるキングは特にそうだ。
かつてアルベルと呼ばれていた男は今、その素顔を晒して主君と向き合っていた。
「世界を変えられると豪語する男だ。あんたなら当然、可能だろう。あんたの宿敵を奪い去ったこの街(せかい)を更地に変えるくらいの事は」
アルベルは思い出していた。
自分が如何にしてこの男と出会ったのか。
只切り開かれ、試され、使い潰されるばかりだった己の人生が充足した忠義の日々へと変わったのかを。
『お前は世界を変えられるか?』
『おれにしか変えられねェ!!』
燃え盛る島で聞いた言葉は今も彼の胸に響き続けている。
この残響が消える事はない。
そう心得ているからこそ、彼は龍の枯死を許さなかった。
戦って死ぬのならば認めよう。
敗れて消え去る事は不服だが共に歩もう。
あの"麦わら"のような、新たなるジョイボーイが現れたとしても立ち向かおう。
だが戦わずして死ぬ事だけは認められない。
それは、アルベルの得た救いと憧憬の否定だ。
「おれの命はあんたに貰ったもんだ。あんたの好きに使えばいい。
だが一つだけ、あんたの船員(クルー)として頼みが許されるなら――」
あの日自分を救い上げた言葉と姿。
数十年の年月を捧げて仕えた日々。
その財宝を穢される事だけは、忠臣たるキングも許さなかった。
「どうか再起を。あんたの力を見せてくれ」
「おれに…戦えと命じるのか?」
「たかだか都市一つ潰せば手に入る宝なんて、あんたにとっちゃ朝飯前だろう?」
たかだか都市一つ、たかだか強豪十数体。
それらを蹴散らせば手に入る宝など、一つの時代を相手に戦った皇帝にとってはどうという事もない相手だろうと。
仮面を付け直しながらキングは呟いた。
仮に皮下が同じ事を言ったならばカイドウはすぐさま激昂しただろう。
しかし男は今、只沈黙していた。
小さく息づきながら、静謐を湛えた瞳で腹心を見下ろしていた。
「悪いな。お前ら」
カイドウは王だ。
王道とは死にあらず。
記憶の片隅で誰かの喝破が再生された。
-
生きてこそ叶えられる、死しては叶えられない望みというのがこの世にはごまんとある。
好敵手も城も部下も全て失い、王は孤独に成り果てるが。
それでも、彼だけはそこに居る。
徹頭徹尾最強にして無敵。
一つの時代におけるトップランカーとして全ての海賊に恐れられた怪物の姿がそこには残る。
それは百獣海賊団という群体の真髄。
極論カイドウさえ存在すれば成立するのだ。
全ての爪牙を奪われ、飛び六胞も大看板も潰され、それでも尚討ち入った逆賊達を単身で追い詰め続けたように。
「謝らないでください。それでこそ、おれの惚れ込んだあんただ」
「あァ〜もう! 勝手に話進めやがってェ〜! おれはまだこの世への未練消えてねェんだぞォ〜!!」
「ん? なんだ、お前まだ居たのか」
「ずっと隣で聞いてたわ! ネジ切るぞこのボケ鳥野郎が!!」
鬼ヶ島が墜ち、手下が全て潰れても。
大看板が身を挺しその結果カイドウが一人になっても。
彼はそれでも勝利に向けて邁進出来る。
皇帝は依然変わりなく。
生物としての次元が違うその生物は――界聖杯を手に取れるのだ。
「やるからには勝ってくれよなカイドウさん! で、おれに今度こそキャバクラ行脚の旅をさせてくれェ〜!!」
「後は頼みます。…ま、あんたなら勝つでしょう。そう何度も奇跡が起こっちゃ"ジョイボーイ"の名も褪せちまう」
跪いて首を晒した二人の部下。
その姿が黄金の粒子に変わって消えていく。
英霊の座ではなく、海賊カイドウの霊基の内側へと還っていく。
途端に王の肉体を苛んでいた致命域の手傷が只一つを除いて塞がり、数十秒の時間を掛けてカイドウはその玉体を取り戻した。
胸に刻まれた一筋の新たな刀傷。
再会した宿敵の赫刀で刻まれた一太刀。
鼓動するように痛むそれに手で触れ…カイドウは無人の荒野の只中で嘆息した。
「どいつもこいつも…手前勝手に、おれを置いていきやがって……」
背負わせてんじゃねェよ、青二才が。
遠くを見つめながら発した言葉にももう誰も返さない。
キングは散った。喧しいクイーンの軽口も此処にはない。
光月おでんもこの地平線上には今や存在しない。
なのに自分は戦えと、世界を壊せとそう求められている。
背負いたくもないのに、背負ってしまった。
「誰に物、言ってやがる…おれを……このおれを………誰だと思ってやがる…………」
完全復活には至らねどそれはあくまで肉体の損耗度の話。
その全身に漲る覇気は、彼の力が微塵たりとも衰えていない事を示している。
いやそれどころか、かつての時分よりも明らかに上を行っていた。
未遂に終わりはしたもののしめて数百人以上を虐殺した百獣海賊団による魂喰い。
そして大看板二人の献身――それが最強を更なる最強として成立させた。
「おれは、おれは!」
希望の時、これまで。
安息の時、それまで。
地獄の顕現なぞ待たぬ。
龍が起きてしまったなら、天変地異がやって来る。
「おれは――! "百獣のカイドウ"だぞォォ――――!!」
-
「おおぉおぉおぉおおおおおおおおぉぉぉおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおぉおおおおおおぉおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおぉおおおおおぉおおおおぉおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおぉおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおぉおおおぉおおおおぉおおおおおぉおおおおぉおおぉおぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおぉおおおぉおおおおおおぉおおおおぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおぉおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォオオオオオオオオオ――――――───!!!!!!!」
最後の皇帝、孤軍の王が此処に独り立つ。
その咆哮を以って、大戦争の開幕は告げられた。
◆ ◆ ◆
-
「で、その女と来たらもう俺の事も覚えてんだか忘れてんだか分かんねぇの。
酷ぇと思わねえ? 百年近く甲斐甲斐しく世話焼いて裏から根回ししてって忙しなく動いてたのは誰だって話だよ本当に」
「お前の所業を知っているからかな。微塵も同情出来ないし、むしろ当然の報いだろって感想が込み上げてくる」
「うげー正論かよ。俺正論って嫌いなんだよね…時たまそいつのイカれた毒親が顔出す事もあってよー、こんな甘いマスクしてるけど常に胃薬が切らせないような生活してたんだぜ」
「胃薬なんて効くのか? その体で」
「当然自作の特別品です」
「……、まぁ。やっぱり自業自得だろ」
時が飛んだのかとそう見紛おう。
首に不治の刃を当てられた一触即発の状況は、しかし男二人が並んで廃墟の床に座り缶ビールを傾ける光景に一変していた。
酒は皮下が持参していたものだ。
持っている風には見えなかったが今の彼にとってその程度の手品は呼吸のようなものであるらしい。
シュヴィは彼らの姿を見守りながら、皮下が用意した紙パックのオレンジジュースを啜っている。
しかし彼女は言葉を挟もうとはしなかった。
男二人の語らいに自ら入って行こうとは、思わなかった。
「そら、俺のは話したぜ。次はお前の番だ」
皮下真が明かしたバックボーン。
彼が全てを捨ててでも聖杯を狙うと決めたその理由。
呪われた血。
完全なる生物。
玩弄されるばかりの運命を呪った女とそれに魅入られた愚かな男。
屍を積み上げ、悲しみを失くすのだと豪語しながら嘆きを生み続ける旅路。
全ては――神木だ何だと崇められ続けた一本の桜を終わらせるべく。
皮下真という男は只それだけの為に、この世界へ集った全ての命と全ての願いを踏み躙るのだとそう知った。
「…別に。酒の肴にするような話じゃない」
彼の言っている事もやっている事も最悪の一言だ。
長生きすると、初恋すら取り返しが付かなくなっちまうのか。
そう思いながらもしかし、リップは彼を笑えなかった。
糾する事も出来なかった。
それは彼とは真反対の覚悟であり…だからこそ己が望みを成就させる上では避けて通れない障害であると理解したから。
この冗談のような酒盛りに付き合う事を決めたのも、ひとえにそういう理由だった。
「患者を死なせた。それだけだ」
「医者なら誰もが通る道だな」
「医療に完全はない。医者だって人間だ。どれだけ手を尽くしたって、神のようにはなれやしない。
最善を尽くしに尽くして熟慮を重ね慎重に執り行われたオペでだって、患者は死ぬ。
医術は妥協だって言う教授も居たよ。俺もそれが間違いだとは思わない。全員の死に馬鹿正直に向き合ってたら医者なんてたちまち廃業だ」
現実と理想の線引きが最も求められる職業。
それが医者だ。
全ての病める人を救う事は出来ない、自分の手で切り開いたクランケが目前で死んでいく光景を幾度と見て彼らは成長する。
リップも…皮下だって決してその例外ではない。
死をありふれたものとして受け入れる事は医者として最初に遭遇する関門だ。
「ただ」
しかし。
それが最善を尽くし、熟慮を重ね、慎重に慎重を期し。
想いの全てを込めて臨んだ結果、成功の公算が確定的だったオペだったなら?
「アレは治せる命だった」
-
救えると確信した命を――人の手とは異なる何かの介入によって奪い去られたならどうか。
結果はこの通りだ。
その冗談みたいな命題の回答こそが、今この場で安物の缶ビールを傾けている眼帯の男だ。
神に嘲笑われ踏み躙られた最愛の命。
弄ばれ、つまらぬ娯楽の為に消費された絆。
かの日の運命に対する呪わしいまでの怒りと後悔が、今日の日に至るまでリップ=トリスタンを突き動かし続けている。
「だからやり直すんだ。界聖杯を使い、オレはあの日失った命を取り戻す」
彼は止まらないだろう。
何を殺してでも救う。
何に頼ってでも帰る。
この世界で選ぶ道はどちらか一つしかない。
中間は無いのだ。
それを選ぶ事を許される身であったなら、リップの体に全ての命を否定する力は宿っていない。
「…成程ね。漸く合点が行った」
「不治の出処がか。この通り、只の呪いだよ。それ以上でも以下でもねぇ」
「それもそうだが、どちらかって言うとお前のロールの方だな」
――リップ=トリスタン。
――"医療ミス"で自ら医師としての職を捨て、自暴自棄の末に社会の闇へと身を落とし、今では非合法薬物を売買して生計を立てている。
「お前の話を聞いてみて一つ分かった事がある」
「聞いてやるよ。言ってみろ」
「上位種気取りで見下してくるデカい奴ってのはおしなべてクソだって事さ」
「――は。あぁ、そうだな。まさしくそうだ」
皮下もそういうモノなら知っている。
リップの運命を玩弄した神(それ)に比べればいくらか地に足の着いた存在では有るものの。
神のように"彼女"を扱い、我が物のように手繰ろうとした悍ましい男を知っている。
だからこそこの一点においてはリップへ素直に共感出来た。
何を犠牲にしてでも生かす。
何を犠牲にしてでも殺す。
正反対の願いを抱く二人だが…全ての始まりを作った元凶たる上位者への嫌悪だけは共通していた。
「とはいえ清濁併せ呑むって言葉もある。界聖杯が本当に全能の願望器だってんなら喜び勇んで靴でも何でも舐め回すさ」
「やはりお前とは殺し合うしかないらしいな。俺がどっちの道を選ぶにせよ、お前とぶつからずに終われる未来は無さそうだ」
「全くだ。俺は方舟を許せないし、界聖杯に手を伸ばす競争相手も許せない。笑えてくる程呉越同舟って訳だ、俺達は」
尤も、舟をいつ降りるかはお前の自由だがね。
そう言って皮下は最後の一滴を飲み干した。
酩酊はない。
つぼみの血と細胞、その原液を宿しながら繚乱へと至った彼の肉体は…本家本元の夜桜以上に太源(つぼみ)に近い。
皮下の計画に紛れ込む砂粒たる夜桜十代目の伴侶の少年。
汚名を背負い終わらぬ夢に身を窶した九代目の伴侶。
いずれも及びも付かない領域へと彼は到達しつつある。
「この際率直に言うけどな。オレはお前が嫌いだ」
「だろうね。じゃなきゃもうちょい穏当な扱いするだろ普通」
「オレもオレで、お前の過去を聞いて納得したよ。
馬が合う筈なんて無いんだ。生かしてしまったヤツと、殺してしまったヤツとじゃ」
皮下が白ならリップは黒。
リップが光なら皮下は闇。
彼らの道は何処まで行っても正反対。
始まりも目指す終わりも、決して重なり合う事はない。
「勝つのはオレだ。それは絶対に譲らない」
だからこそ歩み寄りもまたない。
彼らがどちらかの夢に少しでも歩み寄る、そんな事態は有り得ないのだ。
形だけの握手も最早終わった。
二人は酒を酌み交わしたばかりだというのに、既に互いに互いを滅ぼす未来を見据えている。
「…最初は何をトチ狂ったんだコイツはと思ったけどな、お陰で取り敢えずどっちを選ぶかは決まったよ」
「そりゃ何よりだ。火事場泥棒でビールを調達してきた俺も報われる」
航路は決まった。
乗る舟も決まった。
リップもまた缶を傾け、最後の一滴を嚥下する。
缶を握り潰しながら呟いたその眼はもう二度と逢わない相手への感傷にも似た、そんな色彩を宿していた。
「悪いな」
◆ ◆ ◆
-
廃屋の一室。
人質である彼女が押し込まれた其処の扉が開いた。
建付けが悪いのか、骨の髄が軋むような耳障りな音が響く。
その先から姿を現した男の顔を見て、古手梨花はハッと笑った。
「運命に嫌われるのは慣れてる。けど…此処まで来たら筋金入りね、私も」
「そう腐るなよ。敵として言うが、君の強かさにはちゃんと意味があったぜ」
扉を開いたその男は綿毛のような頭をした、薄笑いの男だった。
忘れるべくもない相手。
梨花を今の身分に落とし、彼女の目前で"生きたい"と願った人々を殺めた男。
桜の花弁をはらりはらりと舞わせ佇む皮下真が其処に居た。
「君がリップ相手に上手く立ち回ってなかったなら、アイツは恐らくもっと派手に動いてた。
霊地争奪戦のゴタゴタに乗じて海賊同盟(おれたち)にとっての最適解で動かれてたらどうなってたと思う?」
「…は。あんたに褒められても、生憎そんなに嬉しくはないわね」
「おいおい本心だぜ? リップのアーチャーはブッたまげる程のチートスペックなんだ。
君の存在が彼女の最適運用を行う上でブレーキになっていなかったと言ったら嘘になるだろうさ」
皮下が何を言おうが、梨花にとってそれは意味のない言葉だった。
たった今目の前の扉が開いて、そしてその向こうからリップではなく彼が入ってきた。
その時点で古手梨花は賭けに負けたのだ。
一世一代の大勝負に命を含めた全てをベットして、見るも無残に敗れ去った。
彼が此処に立っている事はその事を酷薄なまでに物語っていた。
「けど残念だったな。リップは腹を括った。アイツは方舟に乗らず、より確実性の高い理想の成就を選んだ」
「酒臭いわよ。慣れない説得に随分頑張ったみたいね、皮下」
「おいおい、株を下げるような事言わないでくれよ。俺達は只語り合っただけだぜ、腹を割ってさ」
リップがもしも海賊側から鞍替えする事があれば、それだけで梨花達の陣営は信じられない程の前進を遂げる事が出来たろう。
梨花は正確に把握している訳ではなかったが、シュヴィ=ドーラはまさしくアシュレイ・ホライゾンが求める条件を全て満たすサーヴァントだ。
機凱種としての演算能力と解析能力。
界聖杯への干渉を行った実績だって既にある。
その彼女ならば、アシュレイの界奏の最適なパートナーになる事が出来たのは間違いない。
だからこそ、これは梨花にとってまさしく大勝負だった。
既にその丁半は示されてしまったが。
「人が誰かを想う気持ちは狂気だ。これを拗らせるとな、人間は何処まででも行けちまう。何にでもなれちまう」
「だから貴方はそう成ったのかしら。皮下真」
「如何にも。んで、アイツもそうらしい。つくづく救えない話だと思ったよ、お互いな」
リップ=トリスタンの選んだ答え。
それは、宿敵との約束された決裂を受け入れながら今の舟に乗り続ける事。
これ以上の摩耗と遅延が生まれる前に聖杯戦争を終結させ界聖杯へと至る事。
古手梨花の言葉には熱があった。
願いの為に覚悟を決めた男をさえ傾がせる想いがあった。
だとしても――誰かを想う熱という無二の共通点には敵わなかった。
-
「次は俺から質問させてくれるか」
「好きにしなさい。今更意地悪をする気はないわ」
「君と沙都子ちゃんの事なんだけどよ。君ら、ホントは見た目通りの歳じゃないだろ」
梨花と視点を合わせるように身を屈めて皮下は問う。
「どうにも体と心がチグハグだ。仕事柄年齢離れしたガキってのは腐る程見てきたが、お前らのはどうもそれとは質が違う気がする。
俺も人の身を超えて長生きしてる身だからかな。何となく親近感みたいなもんを感じるんだよ」
「…ふ、っ。笑わせないで――百年の死も超えてない若造が、魔女と同じ視座に立ったつもり?」
「一応百歳は超えてるんだけどな。ま、答えが聞けてスッキリしたよ。にわかには信じ難い話だが…まぁそういう事もあるんだろう」
百年の死を超えた魔女。
やはり、見た目通りではなかったのだ。
そうだろうと思っていた。
皮下の野望に正面から向き合い、腕を切り落とされても絶望するどころか闘志の火を燃やせる子供など常識的に考えて居る筈がない。
魔女とはよく言ったものだ。
人の身を超え魔へと至ったならば…人間の道理や限界など容易く超克出来るという事か。
「アーチャーちゃんの念話阻害はちゃんと生きてるな。良し良し」
古手梨花が鬼ヶ島を離れて尚念話を使用出来ずに居る理由は、シュヴィが施した念話へのジャミング処置とリップの不治の合わせ技だ。
これが無ければ怒髪天を衝いた女武蔵が飛んで来ている所と考えると皮下としても生きた心地はしない。
とはいえ、逆に言えば今に至るまで武蔵の音沙汰が無いのはそれが正常に効いている事の証明だ。
リップとシュヴィはよくやってくれた。
引導を渡すのは皮下だが、梨花の逃げ場と逆転の目を封じ続けたのは他でもない彼らだと言って間違いない。
「これで勝ったと思わない事ね」
皮下を睨み梨花は言う。
口元に浮かぶ笑みはこの期に及んで尚も不敵。
リップと道を分かつ事になったのは残念極まりないが、だとしても負けはしないとその目はそう誓っている。
「これが運命だと言うのなら…私は、この命が尽きる最期の一瞬まで抗い続けるわ。
知ってるかしら、皮下? 運命なんてね、金魚すくいの網よりも簡単に打ち破れるものなのよ」
「…お前らの所の連中が、必ずそれを成し遂げるってか?」
梨花は笑い。
皮下も笑う。
笑みと笑み、不敵と不敵が交差する――が。
「それには及ばない。お前が自分で成し遂げてくれ、古手梨花」
-
「…え?」
皮下の口にした言葉。
そして起こした行動は梨花の予期せぬものだった。
首を切り飛ばすのだと思っていた手は少女の右腕へと静かに触れるのみで。
拍子抜けとも違う、呆気に取られたような声が漏れる。
皮下の指が皮膚を破り、筋肉へと沈み込むのは一秒と経たぬ内の事だった。
「ッ、あ…!? な、にを……!」
「君達の会話の内容は聞いてる。で、沙都子ちゃんは現在進行形でお供のクソ坊主と悪巧み中だ。
俺らとしてもわざわざ討伐に向かうのは面倒でなー。手間を省けるなら是非ともそうさせて戴きたいんだよ」
「さ、とこ………」
北条沙都子。
その名前に梨花の眉が動く。
生きているだろうとは思っていた。
それは予感ではなく、半ば確信に近い悟りであった。
だが彼女の名前が此処で皮下の口から出て来るのは全くの予想外。
ましてや手痛い敗北を味わった筈の沙都子がもう既に動き出している等、梨花にとっては全くの寝耳に水だった。
尤も皮下らの認識は正確ではなく、魔女の目覚めにはまだ幾許かの猶予があるのだったが――
「とはいえ…ま、そのままじゃ勝てないだろ。俺が言うのも何だがアレは怪物の類だ。
人の身で真っ当に渡り合おうとするのは無理がある――そこで、いつかの腕の償いをさせてくれ。皮下先生から梨花ちゃんへのプレゼントだ」
瞬間、梨花は目を見開いて悶えた。
声にならない声をあげた。
皮下の手から自分の体内へと"何か"が流れ込んで来るのを感じたからだ。
雛見沢症候群の女王感染者として薬物を注射される事には慣れている。
今でこそ頻度は減ったが、昔は副作用の強い検査薬を投与される事もしばしばあった。
だがこれはそのどれとも比較にならない程猛悪で、苛烈なまでの効能を以って少女の肉体をすぐさま蹂躙し始めた。
「ぁ、あぁああッ……!? ッぐ、ぃあっ、あああああああああ……!?」
「ソメイニン。俺の体を満たしてるのと同じ細胞さ。
虹花のアイを覚えてるか? アイツの体に投与してた"葉桜"よりも遥かに濃くて有毒で、その分よく効く原液だよ」
それは呪われた血、呪われた細胞。
人間を人間以上の何かへと進化させる夜桜の血潮。
用法を守れば万病に効く妙薬にもなり得るが、原液の投与なんて本来は言語道断だ。
夜桜の血は人間が扱うには強力過ぎる。
筋肉は爆ぜ骨は拉げ臓器は形を忘れたように自壊し脳は萎縮と変形を繰り返し、すぐさま患者を死に至らしめよう。
忽ちにだ。
原型を失うまでで数秒、命を失うまでで更に数秒が関の山。
だが古手梨花は未だ悶絶と絶叫を繰り返しながらもこの生き地獄に耐え続け命を保ち続けていた。
その事実を目の当たりにして、皮下は満足気に頷き笑う。
「ははは、やっぱり耐えるか。問診の甲斐があったな」
-
先の会話は単なる興味本位のそれなどではない。
皮下は医者だ。医者が薬を投与するとあっては、当然問診は避けて通れない。
古手梨花は人であって常人ではない。
人の限界を何かしらの形で超えた存在である。
その前情報を以って皮下というドクターはソメイニン投与の決断を下した。
ソメイニンを流し込めば只では済まない。
しかしすぐさま死にもしない。
そう確信したから、彼は梨花という敗者を単に潰すのではなく活かす方向を選んだ。
「拒絶反応がキツいだろうがあと数時間の辛抱だ。それが終わればお前は、宿命を清算するに足る力を得るだろう」
――これは皮下の与り知らぬ話だが。
古手家の先祖は、鬼と人の混血であるという。
まだ鬼ヶ淵と呼ばれていた頃の雛見沢へ降り立った神。
それが人と交わり生まれた娘から連なる血脈。
その末裔こそが古手梨花。
長い時は鬼の血を薄れさせたが、しかし完全に消え去った訳ではない。
彼女が古き神の姿を認識し、神と通じ合い世界を繰り返していたのがその証拠。
桜花から連なった血筋の末裔は桜の細胞に対し部分的ながら持ち堪える奇跡を実現させた。
とはいえそれも永遠ではない。
以って数時間が良い所。それが、彼女の余命。
始祖と末裔では比べ物にならず。
じき、古手の血は途絶えるだろう。
「リンボは兎も角、沙都子ちゃんは君をご所望だったみたいだからな。残り少ない命、友達との大喧嘩の為に存分に使うがいいさ」
北条沙都子が神となるのなら。
もう片方の魔女もまたそれに近付くしかない。
魂を削り命を投げ捨ててでも。
そうでもしなければ、絶対の運命に辿り着いた魔女へは及べまい。
神楽の準備は整えられた。
梨花の体表で咲いては枯れてを繰り返す桜の花が、それを残酷なまでに物語っていた。
◆ ◆ ◆
-
「責めてもいいぞ、シュヴィ」
「…どうして……シュヴィが、マスターを責めるの……?」
古手梨花の終焉を聞きながらリップはシュヴィへ言った。
どうして、とシュヴィは聞く。
それに対してリップは足元の缶を屑籠に放り込み答える。
「お前はオレにあっちに行って欲しいと思ってただろ。もう短い付き合いでもないんだ、見てれば分かった」
「……そっか」
「悪い。オレは、古手梨花の手は取れなかったよ」
悪くはなかったかもしれない。
そうしていた方が明るい未来が待っていたのかもしれない。
今でもリップはそう思う。
だが、かと言って改めて彼女の手を取りに行く気にはもうなれなかった。
不確定な未来なのはどちらも同じ。
であれば後はもう、リップ=トリスタンという一人の人間がどちらを選ぶかの究極的な違いでしかなかったのだ。
そしてリップは未来に託す事をやめた。
自分の手で全てを掴み、全てを終わらせる事を決めた。
それだけでそれまでの話なのだ。これは。
「シュヴィは…マスターの、サーヴァントだから……マスターがそう決めたのなら、最後まで一緒に戦うだけ……だよ」
「…お前には、本当に心労を掛けてばっかりだな」
「そんなこと、ない……マスターは、頑張ってるよ……シュヴィは、それを知ってる………」
シュヴィは優しいサーヴァントだ。
彼女は誰かの血が流れる事を望んでいない。
リップもその事は知っている。
だからこそ詫びるのだ。
すまない。オレは、お前の願いには応えられない――と。
これから先、己は数多の血を浴びるだろう。
心優しい機巧少女を兵器として振り翳し、願いを摘み取り命を潰して回るだろう。
そうと決めたからにはもう頭は下げない。
これが最後の…彼女への罪悪感だ。
「オレの願いを――叶えてくれるか、シュヴィ」
「…う、ん……。マスターが、シュヴィにそう願うのなら……。
シュヴィ、も……大切なひとを想う気持ちなら、知ってるから…………」
以上をもって主従の語らいは終わる。
その刃、その砲火は聖杯戦争を終結へと導く為に。
彼方の地で産声を上げた龍の王と共に彼らは戦火を振り撒き続ける。
全ては只一つ。かの日、必ず掴むと決めた過去の為に。
-
【中央区・廃墟/二日目・朝】
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:聖杯戦争を終わらせる。
1:クソ坊主の好きにさせるつもりはない。手始めに対抗策を一つ、だ。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
0:もう迷いはしない。
1:シュヴィに魂喰いをさせる気はない。
2:敵主従の排除。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。
-
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:頭部損傷(修復ほぼ完了)、右目破損(修復ほぼ完了)、『謡精の歌』
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:――そんな顔、させてごめんね。マスター。
1:戦場を監視し、状況の変化に即応できるようにしておく。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない
6:セイバー(宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。
※『蒼き雷霆』とのせめぎ合いの影響で、ガンヴォルトの記憶が一部流入しました。
※歌が聞こえました。
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:右腕に不治(アンリペア)、ソメイニン過剰投与による肉体の変容及び極めて激しい拒絶反応、念話使用不能(不治)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:――――――――――――――――――――
1:沙都子を完膚なきまでに負かして連れ帰る。
2:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
3:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
4:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。
7:私の、勝利条件は……?
[備考]
※ソメイニンを大量に投与されました。
古手家の血筋の影響か即死には至っていませんが、命を脅かす規模の莫大な負荷と肉体変容が進行中です。
皮下の見立てでは半日未満で肉体が崩壊し死に至るとの事です。
※拒絶反応は数時間の内には収まると思われます。
※念話阻害の正体はシュヴィによる外的処置にリップの不治を合わせた物のようです
【港区・東京タワー跡/二日目・朝】
【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:孤軍の王、胴体に斬傷(不可治)、霊基再生
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:皆殺し
[備考]
※火災のキング、疫災のクイーンの魂を喰らい可能な限りで霊基を再生させました。
なお、これを以って百獣海賊団の配下は全滅した事になります。
-
投下終了です
-
投下お疲れ様です! 感想は後ほど。
セイバー(宮本武蔵)
セイバー(黒死牟)
松坂さとう&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ]) 予約します。
-
投下します。
-
◆◇◆◇
アイを隠した胸の奥は。
誰にも、覗かせない。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
ひとつの嵐を乗り越えて。
私達は、ようやく一時の安息を得る。
皆が一息を付いて、その身体を休めて。
ただ静かな時間が、流れていく。
中野区のデトネラット所有のビル。
高層階に位置する広々とした客間。
まるで高級マンションの一室みたいな内装。
リビングのような空間の中で、四人は過ごす。
神戸しおちゃんは、大きなソファーに腰掛けていた。
どこか機嫌が良さそうに、ふわふわと足を軽く揺らして。
ふかふかのクッションを抱きしめながら。
何をするでもなく、軽く微笑みながら寛いでいる。
その相方の、電鋸のライダーくん。
しおちゃんの隣で、だらしなくソファーに身を委ねている。
まるで脱力した猫みたいに、ぽけっとした顔をしていて。
長丁場の疲れを、ぼんやりと癒やしている様子だった。
田中は、何をしているんだろう。
部屋の奥にある、棚を漁っている。
がさごそとたまに聞こえてくるけど。
雑音が迷惑にならない程度に、控え目に何かを探しているみたいで。
そして、私―――星野アイは。
一人がけのソファーチェアに腰掛けて。
皆の様子を見渡しながら、ぼんやりとこの時間を過ごしている。
死柄木弔が帰るまで、暫く休憩。
峰津院財閥の各地の拠点を潰してくるそうで。
今後について話し合うのは、死柄木が戻ってきてから。
それまでの間、四人で体を休めていた。
会話のようなものは、特にはないけれど。
不思議と、気まずさはなかった。
私も含めて、みんな自然体で過ごしてる。
まるで“こんな時間”が当たり前であるかのように。
こうして過ごしているのが、普通であるみたいに。
そうして、この空間の一員になっている私を。
私自身が、俯瞰して見つめている。
完全無欠。最強無敵。
絶対的、不動のセンター。
みんなを魅了する悪魔(メフィスト)。
可憐で狡くて、誰よりも悪い女。
それが私、星野アイ。
それが私の被る、仮面のカタチ。
そんな私の、胸の奥底に。
さっきから、ずっと。
引っ掛かっているものがあった。
それは、きっと。
田中との電話が、発端だった。
あのとき、私が伝えたこと。
あのとき、私が抱いた思い。
このデトネラットの拠点に帰ってくるまで。
私は、ずっと考えていた。
そわそわして、ふわふわして。
落ち着かない気持ちが、ずっと漂っていた。
今まで感じたことのない感情に。
私の心は、捉えられている。
聖杯戦争、本戦。
激動の初日を乗り越えて。
気が付けば、多くのものを失っていた。
-
私の隣に、殺島さんはいない。
あの“子供達”との死闘の果てに、散っていった。
私は、ただ一人取り残されて。
それでも勝ち残ることを、あの人に誓った。
そうして、あさひくんと対峙して。
彼をこの手で、葬った。
奇跡を掴み取るためにも。
私は、勝たなくてはならない。
それは予選の時から変わらない、当然の決意で。
殺島さんがいない今でも、前へ進むことを決めている。
でも。なんだろう。この気持ちは。
私の中で、奇妙な不安が込み上げている。
焦っているような。動揺しているような。
自分で自分の気持ちが、上手くまとまらない。
けれど、何となく。
分かることがある。
この“時間”を。
私は、どこかで恐れていて。
そんな自分に、戸惑っていて。
脳裏をよぎる、元の世界での記憶。
レッスン室。休憩時間。
皆との談笑。建前の顔で語らう時間。
皆が私を褒めそやしてくれるけど。
けれど、何故だか居心地が悪い。
皆が私をどう思ってるかなんて。
とっくの昔に、知っているから。
アイドルは、嘘つき。
私がいなくなったら。
みんな、ひりついた空気になっている。
妬みや嫌悪に塗れた会話を、知っている。
私だけが、仲間はずれ。
そんな一時に、胸が痛むのを隠してて。
でも、今は――――。
ともあれ。
色々と、考えた。
私は、どうしたらいいんだろう。
私は、何がしたいんだろう。
わかっていた。もう、結論は出ていた。
すぅ、はぁ、と深呼吸をして。
自分がこれからやることに、腹を括って。
そして、私は―――視線を動かして。
口を開こうとした、その瞬間。
「……あ、あの」
唐突に、そんな呼びかけが耳に入る。
おずおずと、田中が言ってきた。
私達は、思わずきょとんとした顔を浮かべる。
「ゲームとか、しませんか」
手に取っているゲームソフトをこちらに見せて、反応を伺っている様子で。
そんな田中の顔には、ある種の不安と期待が入り混じってた。
-
田中の思わぬ提案に、ぽかんとしてから。
私はふと、その心にポンと思い至る。
―――ああ。この人、親睦とか深めたいのか。
―――仲間って言われたの、そんな嬉しかったのか。
なんというか。
その妙に無邪気にも思える眼差しは。
初めて趣味の合う友達を見つけた、小学生みたいだった。
この中じゃ一応最年長らしいのに、なんてちょっぴり失礼なことを考えてしまった。
余程友達とか仲間とかに、飢えていたのかもしれない。
きっと田中は、居場所を見つけたのかもしれなくて。
それはある意味で、私も変わらなくて。
ライダーくんとしおちゃんは、ぽかんとしていたけれど。
やがて二人で顔を合わせて、言葉を交わす。
「……ちょうど4人いるじゃん」
「“すいっち”とか“ぴーえすふぁいぶ”とかあったねー」
このデトネラットの客間には、娯楽の設備が用意されてるらしく。
その気になれば、テレビゲームで遊ぶことだって出来るみたいだった。
部屋を何気なく漁っていた田中が、ゲーム機を引っ張り出してきたようで。
みんな、一仕事を終えて疲れてるはずなのに。
何故だか、そういう空気になっていた。
「……やる?」
だから、私も。
戸惑いを覚えつつも。
そんなふうに、問いかけてしまう。
しばしの沈黙を経てから。
皆は、こくりと頷いていた。
◆
「おっしゃパワフルキノコ」
「らいだーくん引き運いいねー」
「ねえカーブ曲がれないんだけど」
「アイさんアイさん、ドリフトしねえと」
聖杯戦争は一休みとなり。
第一回敵連合グランプリ、開幕。
どんどんぱふぱふ。
「スキありぃ」
「しおテメェ」
「さっきから道路飛び出すんだけど」
「星野さん……クッパは上級者向けで……」
客間にあった、大画面テレビの前。
田中がセットしたゲーム機で、レースゲームが始まって。
私達は横並びになって、コントローラーを操作していた。
「うわ待って待って何これ」
「あ……トゲゾー投げたら1位の人攻撃してくれるんです」
「うわー!」
「しおちゃんが爆死した」
「アイさんが爆死させたんスよ」
どうしてこうなった。
私は、心のなかで思う。
色々と考えてた中で。
何だか、いきなり梯子を外された気分で。
「何これ!やばいやばい!」
「おおおおおお!!アイさん!!」
「らいだーくんうるさい」
「……あ、トゲゾー出た」
拍子抜けな気持ちなのに。
そんなこんな思ってるうちに。
気がつけば、割と楽しんでいる私がいて。
-
「何!?今度は私爆死したんだけど!?」
「トゲゾーですってばアイさん」
「一位の人だけねらうんだよー」
「ズル兵器じゃん」
何だかんだ。
皆で、ワイワイと騒いでいた。
こんなことしてる場合じゃないのに。
「なんか……すいません」
「田中そう言いながら容赦ないよね」
「アイさんも俺にぶつかりまくって容赦ねェ」
何処かで、心地良さを感じる自分もいて。
けれど。そんな想いが、地に足つかなくて。
夢と現実を彷徨うみたいに、気持ちが浮遊していた。
「ラストスパートっスよアイさん!」
「ホントだ!やばい!」
「アイさんビリだね」
「そういうこと言うんじゃねえしお」
そして、ふつふつと。
私の中で、未だに“それ”は込み上げる。
焦燥、動揺、不安――――私を苛む、負の感情。
娯楽という麻薬に誤魔化される中で、そんな気持ちが漂い続ける。
「つーか田中一位だったのかよ!」
「なんか、ごめん……へへ」
「田中さん、はやかったねー」
なんだか落ち着かないし。
これじゃ駄目だ、って誰かが囁く。
私を焦らせる声が、何処かで木霊する。
「――――っ、あはは……」
けれど。
今は、ちょっとだけ。
こんな時間も、許してほしい。
再び脳裏をよぎる、いつの日かの思い出。
私を遠ざけて、私を疎む、みんなの眼差し。
“私達はハナからあんたのオマケで、引き立て役”。
そんな風に、陰で吐き捨てられていた。
私は、なんてことない顔を取り繕って、孤高を演じてきた。
ほんとは、結構きつかったんだけどね。
“B小町”のみんなとも。
こんなふうに、また仲良く過ごせたら。
そんな日が来るのを、今も願ってしまう。
そうして、4レース連続のグランプリが終了。
第一回敵連合杯優勝者、田中一。
どんどんぱふぱふ。おめでとう。
よくわからないキレッキレのテクニックを駆使して勝利をもぎ取っていた。
以下しおちゃん、ライダーくん、ビリは私。
私もトーシロにしては頑張った方だと思う。たぶん。
でもクッパはもう使わないと誓った。
◆
-
◆
ゲームの画面は付けっぱなしのまま。
みんな、白熱したレースの余韻に打ちのめされて。
そのままぼんやりと休憩を始めている。
仕事終えたばかりなのに、また別のところで疲れてて。
なのに皆、満更でもなさそうだった。
賑やかな時間というものは、ひどく濃密で。
ゲームの始まりから終結まで、30分も掛かっていない。
“楽しかった”と思う自分を、否定することはできなかった。
でも、そんな時間に。
いつまでも、浸っている訳にはいかなくて。
私の心の奥底。
誰かが、私をせかせかと急かす。
「……さて」
―――早く、早く。
―――間に合わなくなっちゃうよ。
誰かが、私にささやく。
私の背中を押して、焦らせる何かがいて。
心地良いひと時を経て、その気持ちは膨れ上がっていた。
「お手洗い、いってくる」
心の中で、意を決したように。
私は、その一言を呟いて。
それから、しおちゃんへと視線を向けた。
「しおちゃんも済ませとく?」
「……んー」
連れショ―――とライダーくんが言いかけて、ハッとした様子で口籠る。
私の前で下品な言葉を使うのを控えてるらしい。
そういうところが、なんだか可愛らしい。
しおちゃんは、あまり乗り気ではなさそうで。
少しばかり悩んでいたけど。
そんな彼女を観察するよう見つめながら。
私は、自分の“仮面”を整える。
さて。
やらないと。
まるで、課題か何かを済ませるみたいに。
私は、そんなことを思ってから。
「ねえ、しおちゃん」
そっと、しおちゃんに顔を近づけた。
「二人きりで、お話したいの」
囁くような声で、耳打ちして。
「帰ってくる前―――何か、あったんだよね?」
そして、私は。
核心を突くように、そう呟く。
その一言と共に。
しおちゃんは、目を丸くして。
暫しの沈黙の後。
私の誘いを受け入れたように、頷いた。
「……らいだーくん、田中さん。私もいってくるね」
「おう。アイさんに迷惑かけんなよ」
「わかってるってば、もう」
ライダーくんとそんなやり取りを交わして、しおちゃんは私の手をそっと掴む。
小さな手を握り返して、私は微笑み。
そのまま二人で、部屋の外の通路へと出ていく。
―――さて、行くか。
気を取り直して、私は息を整える。
何かに追い立てられるように。
私は、行動に出る。
どれが嘘で、どれが本当なのか。
今の私には、よくわからないけど。
焦燥感のようなものだけが、確かにあった。
-
◆◇◆◇
この甘い想いを。
嘘にしてしまうような。
それ以外のことなんて―――。
◆◇◆◇
-
客間のあるフロアに、NPCは殆ど寄り付いてこない。
Mさんの計らいで“敵連合”がほぼ貸し切っている状態になっているらしく。
四ツ橋さんのような幹部級のメンバーが、業務連絡などでたまに足を踏み入れるくらいだった。
だから私達は人目を気にせず、のびのびと利用することができる。
私達は、小綺麗で広々とした女子トイレへと入って。
用を足すようなこともなく、お互いに向き合う。
女の子だけが足を踏み入れられる、秘密の空間。
ふたりきりでお話ができる、ちょっとした密室。
「……アイさん、やっぱすごいね」
しおちゃんが、私に微笑む。
“何か、あったんだよね”。
その一言を、この娘は咀嚼している。
「気付いてたんだ」
「うん。しおちゃん、帰ってきてからずっと嬉しそうだったもん」
私もまた、しおちゃんに笑いかける。
アイドルとしての、“寄り添うような表情”を作って。
星のような瞳で、砂糖菓子の心を覗き込む。
「田中がいる前でこの話するのもあれかなーって。
しおちゃんが秘密にしたがってることも、すぐ死柄木くんに伝えちゃいそうだし」
苦笑しながら、私はそんなことをぼやく。
ごめんね、田中――なんて、心の中でちょっぴり謝る。
あの海賊達の殲滅を終えて、連合へと帰還したライダーくんとしおちゃん。
そのときの詳しい顛末は、あまり語られなかったけれど。
帰ってきたしおちゃんの様子は、少しだけ奇妙だった。
なんていうか。
目の輝きが、違ってて。
何処か、前を向いてて。
とびきり、可愛らしくて。
心から、満たされてて。
まるで、好きな人と会った後みたいで。
言うなれば、直感で悟ったような。
そんな印象を、私は感じていた。
それは、推理というよりも。
本当にただ、女のカンみたいなものだった。
思えば、空魚ちゃんと仁科鳥子が一緒にこの世界に居て。
しおちゃんに関しても、あさひくんや“松坂”さんがいたのだから。
“その娘”がいたとしても、不思議ではないのだと思う。
しおちゃんは、沈黙する。
悩んで、考え込むような素振りを見せて。
やがて、観念したようにフッと笑みを浮かべる。
「……あのね、アイさん」
隠しても意味なんてない、と察したように。
「さとちゃんと、会ったの」
そうしてしおちゃんは、告白をした。
“愛する人”と再会したことを、打ち明ける。
「……しおちゃんの大好きな、あのさとちゃん?」
うん、と。
しおちゃんは、こくりと頷く。
まるで恋する女の子みたいに。
想いを顔に滲ませて、綻んでいた。
「マスター、ってことだよね」
念を押して聞くような質問。
少しだけ、しおちゃんは躊躇ってから。
先程同じように、頷いてみせた。
「嬉しい?」
「……うん。幸せなくらいに」
しおちゃんは、頰を赤らめながら。
穏やかな微笑みと共に、そう呟いた。
――――ああ、ほんとに。
――――その子のことが、大好きなんだな。
私は、心からそう思って。
やがてしおちゃんから、事の顛末を聞く。
-
戦場の中での、ほんの一瞬の交錯だったという。
甘くて、やさしくて、懐かしい匂いがして。
絶えず願うべきだった“夢”に、気付かされた。
ふたつの愛が引き合って、結びついて。
そうして神戸しおは、愛する人とまた出会った。
それが、しおちゃんの体験したことで。
その言葉を紡ぐしおちゃんの様子を見つめて。
私も、思わず懐かしいような気持ちになって。
「……私にもね」
ぽつり、ぽつり。
気が付けば、自分のことを溢していた。
「そういう人が、いるの」
私の秘密。私の嘘。
それを打ち明けることの意味。
「子供がいるの。私」
―――私は、それを知っていた。
しおちゃんは、目を丸くして。
私のことを、見ていた。
「双子の兄妹。私そっくりで、すっごく可愛いの」
きっと、今の私は。
さっきまでのしおちゃんと。
同じような顔をしているのだろう。
だって。自分の子供達の話をすると。
胸の奥底が、ほんのりと暖かくなるから。
―――なんで、打ち明けたのかって。
―――もういいかな、って思ったから。
だって、私としおちゃんは。
ふいに、夕焼けのよう哀しさが。
緩やかな波のように、訪れてくる。
ひどく、寂しくて。やるせなくて。
けれど。覚悟しなきゃ、前へと進めない。
「その子達とまた会うために……聖杯がほしかったの」
取り零した命を、取り戻して。
愛する子供達のもとへと、笑顔で帰る。
そんな幸せな奇跡が、欲しかった。
だから、聖杯が無いといけない。
ほんとなら、死ぬ運命にあった私。
“ただ帰る”だけじゃ、きっと願いは叶わない。
何でも叶う奇跡の力に、祈らないといけない。
“まだ生きられますように”―――って。
そうしないと、私はきっとあの子達のいるところに戻れない。
だから、私は―――。
そうして、目の前に佇む女の子を見つめる。
「アイさんのそんな顔、はじめて見た」
「そう?」
「アイさん、すごくきらきらしてる」
「……ふふ、ありがと」
しおちゃんへの“確認”は取れた。
この世界には、彼女の愛する人がいる。
なら。もう、十分だ。
今の私は、どんな顔をしているのか。
それを知る術は、なくて。
「……ね、しおちゃん」
そして、今の私は。
「ぎゅってして、いい?」
なんでこんなことを求めたんだろう、って。
言葉として呟いてから、呆然とそう思ってしまう。
-
私のことを、すっと見上げて。
きょとんとした顔で見つめてきたけど。
それから、何かを察したように。
こくり、としおちゃんは頷いた。
私は、ふっと微笑みを浮かべて。
ありがと。その一言と共に、しおちゃんに歩み寄る。
そうして、しおちゃんの細い肩に触れて。
前から―――じゃなくて、後ろにそっと回り込んで。
そのまましおちゃんの背中越しから、その小さな身体をそっと抱きしめる。
「……よくね、こんな風にアクアとルビーを抱き締めてあげたの」
しおちゃんは、振り向いて。
私のことを、ぽわんと見上げえいる。
無垢できらきらした瞳で、こちらを見つめる。
そんな彼女の姿を、私は見つめ返しながら。
その温もりを、確かめるように抱く。
あたたかくて。
心地よくて。
ぼんやりと、少しだけ。
微睡みを感じてしまう。
あと数年もすれば。
アクアとルビーも、これくらいの背丈。
私は、そのことを噛み締める。
この手の中に、あの子達の面影がある。
私は、それを分かっていて。
けれど。それでも――――。
「さとちゃんが、私を見つけてくれたみたいに」
私をじっと見つめたままだった、しおちゃんが。
ふいに、言葉を掛けてくる。
「アイさんも、“その子たち”を見つけたんだね」
そう呟く彼女の瞳には。
ある種の共感のような。
そんな色彩が、宿っていて。
私も思わず、微笑みを返してしまう。
「……うん。そうだよ」
私は、ずっと愛を知らなかった。
物心ついた時から、親からの愛情なんて貰えなかった。
それからの人生。誰かを愛したことも、愛されたこともなくて。
やがてアイドルになって、私は嘘の中に真実を見出そうとした
それから、私は。
“あの子達”に出会うことになった。
必死になって、お腹の痛みに耐えて。
私自身の意思で、この世界へと招いた。
私の子供。愛おしい双子座の星。
私に愛を教えてくれた、大切な子達。
きっと、しおちゃんと同じ。
“さとちゃん”のためなら、どんなことだって出来る。
ああ。私も、一緒だ。
“あの子達”のためなら、どんなことだって出来る。
大切なものを与えてくれた人のために。
そして私達自身のために。
私達は、こうして前へと進んでいる。
-
静かに、息を吐いた。
この腕に収まる、小さな身体。
無垢であどけない、幼い命。
私は、それを確かめる。
何のために―――自分でも、よく分からなくて。
けれど。せめて最後に、触れたかった。
脳裏に、あさひくんの顔がよぎった。
そして、あの“割れた子供達”が浮かんだ。
忘れるはずのない、その面影に。
私はただ、思いを馳せる。
自分が踏み越えたものを、振り返る。
「しおちゃん」
ねえ、神様。
よく知らないけど。
誰だっていい。
とってもえらい、神様。
私は、もう一回。
罪を犯します。
「ごめんね」
なんでわざわざ懺悔したのか、って。
これは、この世のどんなことよりも。
“悪いこと”だから。
そして、そんなことを犯す私は。
アクアとルビーの“お母さん”だから。
「ばいばい」
そうして、私は。
手元に忍ばせた“銀色の刃”を。
しおちゃんの細い首筋へと。
そっと、突き立てた。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
星野アイが、聖杯を掴むためには。
再契約先となる“新たなサーヴァント”を得なければならない。
問題は一つ。
『聖杯戦争の経過を把握する術が存在しない』。
今は誰が落ちてて、今現在で幾つの主従が生き残っているのか。
そんな基本的な情報さえも与えられず、故に限られた情報を元に戦局を推理せざるを得ない。
つまるところ、再契約先となりうるサーヴァントの正確な残存数が分からないということだ。
極端な話を言えば、自分が知らぬ間に大半のサーヴァントが脱落していれば、その時点で詰みへと大きく近づく。
再契約先を探してもたついている間に、気がつけば終盤戦へと突入―――そんな事態に陥りかねない。
問題はもう一つ。
『マスターが脱落し、サーヴァントのみが残留するケースは極めて稀である』。
前線に立つ兵士は殊更に死にやすい。そんな酷く単純な話だ。
そしてサーヴァントを喪ってもマスターは生き延びるが、マスターという魔力の拠り所を喪ったサーヴァントが現界し続ける手段は限られている。
放っておけば短時間で消滅する野良サーヴァントを的確に見つけ出し、迅速に再契約を結べる可能性は限りなく低い。
遺されたサーヴァントと再契約を結ぶために、同盟相手のマスターの脱落を悠長に待つとなれば―――それこそ運任せ以外の何物でもない。
アイがライダーを喪う以前。
デトネラットは監視カメラなどの情報網を駆使し、田中一の再契約先となりうるサーヴァントの痕跡を探ろうとしていた。
しかし結果は空振り。激化していく戦いの中で、都合のいい逸れサーヴァントが発生する可能性が極めて低いことを示していた。
更には田中との情報交換によって、彼が接触した複数の主従についても把握した。
残存主従が当初の半数に近づいていることは推測できる―――その中から再契約先を見つけ出すことは極めて困難である。
戦局は間違いなく佳境へ進んでる。
しかし、残存サーヴァント数は把握できず。
推測できる限りでも、再契約候補を見つけ出すことは絶望的で。
尚且つ、再契約の確率は元から極めて低い。
仮にこのまま他主従が殲滅されて、死柄木弔達だけが生き残ったら。
その瞬間に“自身が聖杯を得る”という目的は紛れもなく詰む。
そして、最後の問題。
それは『神戸しおが松坂さとうと接触したこと』。
この世界には、彼女の大切な人がいた。
つまり、何を意味するのか。
しおが今後も敵連合に与し続けるとは、限らなくなったのだ。
彼女が連合から離脱すれば、再契約先のアテは一切無くなることになる。
現状、敵連合にサーヴァントは一騎。
そのマスターは非力な少女であり。
星野アイにも殺すことのできる相手だ。
その少女は、“最も大切な存在”との接触を果たしてしまった。
死柄木弔という最大の脅威が不在である、今こそが機会だった。
極道のライダーを喪い、小休止に入った今。
この機を逃せば、自身の命運は全て敵連合に委ねられることになる。
生かすも殺すも、死柄木弔の判断次第。
“愛する子供達の元へ帰る”という願いの成就さえも、運否天賦に任せることになる。
たとえ死柄木に仲間意識があったとしても。
それだけは、避けねばならない。
界聖杯が勝者以外のマスターを還してくれる保証など、何処にもないのだなら。
だから今、殺さなければならなかった。
死柄木が戻ってくるまでの猶予の合間。
二人きりの状況で、念話や令呪を使われる前に神戸しおを殺害し。
無理にでもチェンソーのライダーと再契約を結んで、連合から離脱する。
つまり、裏切り者になるということだ。
それでもアイは、聖杯戦争へと復帰するために博打へと出た。
――――色々と、理屈を並べたけれど。
――――きっと、どれも決定打ではない。
ああ、そうだ。
理由は塗り固めたけれど。
どれも間違いではないけれど。
結局のところ、全部言い訳だ。
-
“連合から離れる選択肢は今の所ない”。
“そうする意味がなかった”。
“今や連合は烏合の衆等ではなく、立派な勝ち馬”。
そう考えてたのは自分じゃないか、と。
アイは呆然と、己自身を振り返る。
こんなものは、行き当たりばったり。
穴だらけで、強引な立ち回りでしかない。
一か八かと言わんばかりの、無茶な綱渡りへと走っている。
これが無謀であることは、彼女自身も分かっていた。
それでも、星野アイが動き出した理由。
裏切りという凶行へと至った動機。
―――いちおう仲間じゃん?私達。
田中と電話を交わした、あの瞬間。
星野アイは、自覚したから。
―――ま、最後は敵同士だけどさ。
―――悪くないじゃん、こういうのって。
―――私は、後悔とか一杯あったから。
これ以上、共に過ごしていれば。
きっと敵連合は、“未練”になる。
断ち切れない“思い出”になってしまう。
だからアイは、焦燥を抱いた。
絆されていく自身を振り切るべく、凶行へと走った。
アイは、勝ちたいのだから。
取り零した命を、再び拾って。
愛する家族に、会いたいのだから。
自分を縛るものを、断ち切らなければならない。
絶対に勝つし、一人でも歩き続ける―――“殺島さん”に誓った想いを守るためにも。
―――よくね、こんな風にアクアとルビーを抱き締めてあげたの。
神戸あさひのような。
“子供の命”まで乗り越えた。
そして、今。
再び“子供の命”へと手に掛ける。
あの子達の面影を見出した、女の子を。
そもそも、神戸しおを殺すつもりなら。
なんで悠長に、自分のことを語ってしまったのだろう。
それはきっと、子供への感傷を捨てきれなかったから。
そして、神戸あさひに自分の身の上を伝えたように。
心の奥底では、誰かに私のことを知ってほしかったから。
罪も、業も、墓まで持っていくつもりだった。
何があっても“完璧なアイドル”を演じ続けると、決意していた。
けれど、想いを押し殺せるほど、星野アイは非情ではなかった。
だから、この縁が心に打ち込まれる前に。
この絆を、忘れられなくなる前に。
今から、ちゃんと悪いことをしよう。
“悪い女”で居られなくなる前に。
―――やんなっちゃうね。
―――“酷いこと”をするのって。
―――案外、しんどいものなんだ。
―――ねえ、真乃ちゃん。
初日の夕方過ぎのこと。
あの通話の一件を、ふいに思い出した。
-
新宿の争乱で、心に深い傷を負った“一人のアイドル”。
無垢を捨てきれない“愛しき星屑(ベイビー・スターダスト)”。
あの時、アイは何をしたのだろうか。
今になって、ようやく気付く。
きっと、彼女の背中を押そうとしたのだ。
何かに怯えて、何かを恐れて。
そうして煮えきらない態度で燻って。
延々と足踏みをして、ぽつんと立ち止まる。
そんな櫻木真乃の姿に、自分を投影した。
仮面の下にいる“本当のアイ”が、真乃を見つめていた。
アイは、改めて振り返る。
自分はきっと、真乃に妬いていた。
嘘の仮面を被らず、無垢のまま佇む姿を。
ありのままで居られる彼女を、ほんの少しでも羨んでいた。
きっとそれは、嫉妬と呼べるもので。
だから腹を括るためにも、アイは彼女を諭した。
真乃を通じて、自分を戒めるために。
自分もこうならないように、と。
己自身、覚悟を引き締めるためにも。
そして。
苦しみ、苛まれるアイドルの姿を。
ただ、見ていられなかった。
ああ、つまるところ。
星野アイは、“悪い女”ではなかった。
だって彼女は―――特別で、普通の女の子だから。
完璧で究極。そんな虚飾の下には、愛を求めていた孤独な少女がいた。
きっと。
星野アイは、もう負けていたのだ。
こんな想いに、駆られた瞬間から。
自分の正体を、目の当たりにしてしまった時から。
何かを演じるための仮面は、今。
溢れる感情を堰き止めるための、脆い蓋に成り果てた。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
叫んで、エモーション。
繕ったヴェールはもういらない。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
「アイさん」
夢遊するような意識が。
瞬く間に、現実へと引き戻されていく。
私は、気が付けば床に転倒してて。
頭や身体に、鈍痛が滲んでいた。
「なぁ……何してんだよ」
私のことを呼ぶ声が。
私のことを止める手が。
私のことを見る眼が。
ただ、そこにある。
ただ、そこに。
「なんでだよ、アイさん」
いつの間にか、割り込んできた相手。
しおちゃんのサーヴァント――ライダーくん。
気が付けば彼が、私を見下ろしていた。
しおちゃんは首を掻き切られる前に、私から引き剥がされてて。
けほけほと咳き込みながら、へたり込んでいた。
ああ、ライダーくんが助けに来たんだ。
そうして、私としおちゃんを強引に引き離した。
つまり、そういうことなのだろう。
握り締めてたはずのナイフは、手元にない。
視線を動かしてみれば、離れた地点に転がり落ちていた。
ライダーが引き剥がして、そのまま蹴り飛ばしたのだろう。
殺すための凶器は、もう持ち合わせていない。
「ライダーくん」
そんな現状を、淡々と見つめて。
私はよろりと、その場から立ち上がり。
ライダーくんと真っ直ぐに見つめ合う。
彼の表情に、いつもの気怠さは無くて。
ましてや、照れ臭さを見せる素振りもない。
いつもだったら、嬉しそうな顔するくせに。
心の中で、そんな悪態をついてしまう。
「女子トイレだよ、ここ」
「……すいませン」
「……ライダーくん、気付いてたの?」
「トイレのことっすか」
「じゃなくて」
「……しおを殺そうとしてたこと、っすか」
間が抜けた遣り取りを交わしてから。
真顔のままのライダーくんに、核心を突かれて。
私は、何も言えずに黙り込む。
「しおが、念話してくれたんスよ」
それからライダーくんが、淡々と語り出す。
-
「オレは直接見てねーんだけど……“さとちゃん”の叔母さん」
なんとなく、寂しげな顔をして。
ほんの少しだけ関わって、今はもう居なくなった人のことを振り返る。
「最期に、しおのこと殺そうとしたって」
語り続けるライダーくんの言葉に。
思えばそんなこともあった、と。
私は何故だか、懐かしい気持ちになる。
「それでさ。しおと話してる時の、アイさん……」
ライダーくんは、ほんの一瞬。
しおちゃんへと視線を向けた。
乱れてた息を整えて、再びその場から立ち上がってて。
猫のような瞳で、私のことを無言のままじっと見つめていた。
「そん時の叔母さんと……同じ匂いがするって。しおの奴、伝えてくれたんですよ」
ああ、そっか。
初めて会った時とは違う。
何かが変わって、前へと進み始めて―――。
だから、今のしおちゃんは。
ちゃんと、他の誰かを見ている。
ようやく、気付かされる。
しおちゃんは、私を見抜いてて。
私は、しおちゃんを侮っていた。
その結果が、これであり。
もう私には、後が無くなっていた。
私は、焦燥に駆られて。
無謀な博打に出て。
そうして、自ら雁字搦めになった。
こうなるに至った、無垢な想いさえも。
今の私の頭から、掻き消えてしまっていた。
「ライダーくん」
半ば咄嗟に、反射的に。
そうして私は、口を開いた。
表情。仮面。“嘘”を張り付ける。
「このままじゃ、駄目なの」
私は、ライダーくんを見つめる。
とびきり、真剣な眼差しを作って。
――――きっと、わざとらしいくらいに。
“作り物みたいだ”って、また誰かに言われそうな表情。
そんな自覚があるからこそ、私は思う。
「私だって……勝ちたいんだよ」
ああ。
馬鹿みたい。
もう、無駄だ。
「ねえ。わかるでしょ?」
何言ってるんだか。
自分で自分を、冷ややかに見つめている。
「ライダーくん、私のこと大好きだったじゃん」
営業でも。ライブでも。
こんな虚しさを感じたことはない。
ステージに立ったばかりのへたっぴな頃だって、もっとマシな気持ちだった。
「だからさ、私に乗り換えてよ」
私は今まさに、反旗を翻した。
何を言っても、無意味なのに。
苦し紛れの言葉で、足掻いてる。
-
「しおちゃんが『さとちゃんに聖杯を捧げる』なんて言い出したら、ライダーくんの苦労だって無駄になるんだよ?」
並べ立てる理屈。
切実な事情。
憐憫を誘う振る舞い。
そのどれもが、意味を成さない。
自分が何をしたいのかさえ、よくわからない。
「だから……」
「アイさん」
「聞いてよ、お願い」
「なあ、アイさん」
「ライダーくんがいないと、困るの」
「……アイさん」
いつもなら私に対して、鼻の下伸ばしてるのに。
いつもなら私に話しかけられたら、露骨に嬉しそうにするのに。
「もう、やめようぜ」
今のライダーくんは。
ぴくりとも、笑いはしない。
ただただ、悲しそうに。
私のことを、見つめている。
「やめるって……」
――――何を?
知ってるくせに。星野アイ。
私の中で、誰かがうそぶく。
ライダーくんが何でそんなことを言うのか。何でそんな目で私を視てるのか。
「いつまでも、死柄木くんとつるんでられないんだよ?」
答えなんて、とうに知っている。
それでも、悪足掻きをする自分がいる。
「“敵連合”なんて、しょせん今だけの縁じゃん」
気がつけば、私の口からは。
罵倒するような言葉が、零れ落ちていた。
「なのに……」
そんな自分に、戸惑いを覚えてて。
だけどもう、後には引けなくて。
だから、嘘を演じ続けることしかできない。
「馬鹿みたいでしょ」
―――“馬鹿みたい”。
―――ああ、本当に。
―――その通りだ。
さっきまでの記憶が、脳裏をよぎる。
ほんの十数分前。
私達は、一緒に遊んで。笑い合ってて。
そんな中で、私は思惑を巡らせながら。
今までの人生で得られなかったものを、無意識に噛み締めてて。
けれど。
もう、どうにでもなれ。
だって、私は“嘘つき”を選んだから。
もう、どうだっていい。
ただ、それだけのこと。
「ほんとに、馬鹿みたい―――」
そして。その瞬間。
―――――ぱぁん。そんな音だった。
こんな不毛な抵抗を、打ち砕くみたいに。
何かが破裂するような、乾いた音が轟いた。
-
お腹の位置よりも、幾らか上。
胸の下っ側あたりに、酷く鋭い熱が走った。
呆然とした顔で、私は視線を落とそうとした。
だけど。それを確認するよりも先に。
私の脚が、唐突にバランスを喪った。
よろりと、その場に立てなくなって。
気が付けば、壁に身を委ねていて。
そのままずるずると、床へと崩れ落ちていく。
胸の下が、真っ赤に染まっていた。
ようやく、そのことに気付いた。
折角の一張羅は、台無しになってて。
呼吸をするだけでも、身体が酷く痛んだ。
ライダーくんが、何処かへと声を荒らげてる。
しおちゃんが、何処かへと顔を向けている。
どうしたんだろう。能天気に考える私がいて。
身体の暖かな熱に手を添えながら、視線を動かした。
通路へと繋がる出入り口。
田中一が、そこに立っていた。
真っ黒な拳銃を、両手で握り締めてて。
その銃口からは、硝煙が上がっていた。
動揺と衝撃を押し殺すように、歯を食いしばってて。
壁にもたれかかって座り込む私のことを、きっと睨みつけていた。
「星野さん、は……」
ぶつぶつと、田中が絞り出す。
「俺達の……敵に、なろうとしたんだろ……」
血眼になった両目で。
ひどく震えた声で。
必死になって、吐き出していた。
「だったら……」
そんな姿を、ぼんやりと見つめて。
私は、茫然と思いを抱く。
「殺さなくちゃ、いけないんだよ……」
―――ねぇ。
―――何してんの、田中。
―――無理しないでよ。
◆
-
◆
ライダーが、突然部屋から出ていって。
何故だか、胸騒ぎが込み上げてきて。
そうして田中は、彼を追っていった。
心のざわつきは、止まらなかった。
追い掛けた先では、言い争うような声が聞こえた。
それで意を決してやることが、女子トイレの覗き見だなんて。
なんて間抜けな姿なのだろうと、田中は自分を嘲るように思う。
星野アイが、何か喋っていた。
床には、刃物が転がっていて。
まるでライダーを説得するかのように。
必死になって、言葉を並べている。
そんな彼女と向き合うライダーの眼差しは、悲しげで。
星野アイの言い分は、つまるところ。
“神戸しおを切って、自分のサーヴァントになってくれ”。
そういうことだった。彼女は、ライダーとの再契約を狙っていた。
あの刃物は、きっと。
邪魔になる神戸しおを、殺すための凶器だったのだろう。
それを理解した瞬間から。
田中の中で、何かが砕け散るような音がした。
田中が感じたのは、衝撃だった。
そして、動揺であり。
心を抉られるような、悲しみが押し寄せてきた。
仲間だって、言ったじゃないか。
あんたは、アイドルじゃないか。
だったら。何で、期待を裏切るんだよ。
嘘なら嘘で、ちゃんと騙してくれよ。
こんなのって。何でだよ。
それくらい、知っていたはずだった。
聖杯戦争。奇跡を勝ち取れるのは、たった一組だけ。
蹴落とし合うのは、当たり前のことで。
だというのに、田中の心には、深い傷が刻み込まれていた。
思いを踏み躙られたように、その眼を震わせていた。
―――“敵連合”なんて、しょせん今だけの縁じゃん。
―――なのに……馬鹿みたいでしょ。
そして、アイがその言葉を吐いた瞬間。
田中の心の中で、何かの糸がぷつんと切れた。
-
田中一という人間は、自分を肯定できなかった。
己の価値というものを見出だせず。
ままならない憂鬱を背負い続けて。
人生の意味さえも分からぬまま、ここまで生きてきた。
しかし、この界聖杯で。
彼はようやく、生きる意味を見つけた。
敵連合。そして、死柄木弔。
これこそが自分の居場所だと、痛感したのだ。
死柄木弔を否定されること。
敵連合を否定されること。
それは今の田中にとって。
自分自身を否定されることに等しかった。
彼という男は、何十年もの間。
己に対するコンプレックスで凝り固まっていた。
破滅的な攻撃衝動へと、昇華されるほどに。
結局、見下してたんじゃないのか。
連合に縋るしかない、俺のことを。
何にも持ってない、俺のことを。
そんな疑心を抱いた瞬間。
田中の胸の奥に、憎悪と妄執の炎が灯された。
その懐には、使う機会のなかった“拳銃”があった。
そして、迸るように―――電流が走った。
それからは、迷いなどなかった。
田中一は、病理の男だ。
ちっぽけで虚しい、鬱屈を抱えながら生きてきた。
孤独と閉塞は、時に人間を暴力へと駆り立てる。
淀んだ殺意を醸造し、やがては凶行へと後押しする。
予選期間。聖杯戦争の前哨戦で。
田中一は、既に人を殺している。
一線というものを、とうに越えていたのだ。
だから彼は、殆ど衝動的に。
引き金を、弾くことができる。
そして、田中は撃った。
鉄の引き金を弾いて。
崩れ落ちるアイを、目の当たりにした。
その瞬間から、田中は夢から醒めた。
己の劣等感から作られた妄想は。
眼前の現実によって、容易く消え失せた。
だけど。後には引けなかった。
だって、撃ってしまったんだから。
◆
-
◆
胸元から流れる血は、止まる気配がない。
どくどくと溢れる熱の感覚は、次第に苦痛へと変わっていく。
ひゅう、ひゅう。呼吸の音は、調子外れ。
息がまともに整えられない。
もう歌なんか歌えそうにないな、なんて。
そんなことを茫然と考えながら。
私は、ただ眼の前の状況を見つめ続ける。
「やめろよ、田中」
必死の形相で。
私に近付こうとする田中。
そんな田中を止めようと。
ライダーくんが、割り込む。
「やめろ!!」
声を荒らげて、ライダーくんは。
私に迫る田中を制止しようとしてた。
まるで、私を助けようとしてるみたいに。
―――ライダーくんってさ。
―――やっぱり、私のこと好きじゃん。
まあ、なんだっていいや。
結局ライダーくんは、しおちゃんだけの味方だ。
そりゃそうだよね、なんて思う自分がいる。
だって。殺島さんだって、ずっと私だけの味方だったじゃん。
「らいだーくん!」
田中に掴みかかろうとするライダーくん。
けれど、しおちゃんが声を上げた。
いつもとはまるで違う、切迫した調子で。
その一声と共に、ライダーくんは思わず動きを止める。
「……アイさんは」
そして。
しおちゃんは、一呼吸を置いて。
意を決したように、私を見つめて。
「ちゃんと、おわらせよう」
一言、そう告げた。
その意味を、私は分かっている。
つまり、私はこれから死ぬってこと。
「もう、敵だから。アイさんは……」
しおちゃんは、私を毅然と見つめてる。
対するライダーくんは、戸惑いの様子を隠せていなくて。
苦悩と葛藤を、表情の中に滲ませて。
だけど、ぎゅっと唇を噛み締めて。
それから――――私に迫る田中を、見過ごした。
きっと、ライダーくんも。
とうに分かっていたのだろう。
私はもう、味方でも何でもないって。
庇ったところで、意味なんかないって。
だから、しおちゃんの一言で。
ライダーくんは、受け入れざるを得なくなった。
私の前に、田中が立つ。
拳銃を握る手は、震えてて。
その両眼は、揺れ動いてて。
それでも、私を睨みつけて。
今にも、泣き出しそうな顔で。
真っ黒な銃身を。
私の顔へと、向けていた。
その時になって、ようやく。
恐怖の実感が、胸の内に込み上げる。
ここでもう終わりだぞ、と。
心の奥底で、誰かが囁いてくる。
-
死ぬのは、初めてじゃない。
これで二度目。
痛いのも、怖いのも、知ってる。
だけど。こんなの、違う。
だって、ルビーとアクアがいない。
愛おしい温もりが、何処にもない。
駄目だ。こんなの、認めたくない。
生きなきゃ。
足掻かなきゃ。
何とか、しなきゃ。
そう頭では思ってて。
けれど、身体はまともに動かない。
熱と苦痛だけが、あちこちを這い回る。
結局、すべはどこにもなく。
あるのはただ、闇に落ちていく感覚だけ。
もうどうしようもない。
頭も、体も、そんな風に諦めていく。
それじゃ、駄目なのに。
ほんとに、ひどく寒くて、こわい。
ああ、せめて。
せめて。せめて。
あの子達だけでも。
「ねえ」
私は、声を絞り出す。
か細く、掠れた言葉を。
辛うじて、吐き出す。
「ねえ……みんな……」
必死になって。
弱々しく、右手を伸ばす。
何かに縋るように。
「誰でも、いいから……」
何でもいい。誰だっていい。
お願いだから。お願い、だから。
どうか、受け取ってほしい。
誰でもいいから。誰だって、いいから。
ああ、誰だって――――。
―――“もしもアイさんだけがこの戦いから帰る時が来たとしても”。
―――“私がいたことで、アイさんに届けられるものがあったらいいなって”。
まるで走馬灯のように、唐突に。
あの娘の声が、脳裏に反響する。
方舟と敵連合。“新時代”の幕開けを告げる、あの電話でのやり取り。
櫻木真乃との会話が、追憶される。
-
ねえ、真乃ちゃん。
子供たちの幸せ。私の幸せ。
この想いは、どこに行くんだろう。
しおちゃん達が受け継いでくれるのかな。
真乃ちゃんが届けてくれるのかな。
それとも、何処にも辿り着けないのかな。
答えなんてものは、誰も教えてくれない。
「アクア……ルビー……」
―――“もしも私たちがどうしてもアイさんと帰れない時でも”。
―――“世界を越えてアイさんの大切な人に、何か届けられないかなって”。
真乃ちゃんが言ってたことは。
誰かにとっては、ただの綺麗事でしかない。
だけどそれは、確かな祈りでもあった。
こんな儘ならない世界の中で。
どうしようもない現実の中で。
少しでも心を繋いで、想いを届けてくれる。
そんな慈しい願いだと思う。
「私の……」
ああ、本当に。
そうであったらいいな。
そうじゃなきゃ。
やるせないじゃん。
それすら叶わない世界なんて。
悲しすぎるもの。
だから私は、信じたい。
信じなきゃ、やってらんない。
「私、の―――――」
それは、アイドルと一緒。
アイドルは、祈りを体現するもの。
祈りとは、無垢な願いそのもの。
“誰かに想いを届けたい”という意志。
そして想いは、心という瓶の中身を満たすもの。
私は、それを知っている。
その正体を、分かっている。
つまるところ。
“愛”って言うんでしょ?
◆
-
◆
―――――たぁん。
縋るような懇願の言葉は。
一発の乾いた銃声と共に。
いとも容易く、掻き消された。
◆
-
◆
もう迷わない。
もう許さない。
もう止めない。
殺してやる。
殺してやる。
殺してやる――――。
田中は、呪文を唱えるのように。
自分にそう言い聞かせていた。
それは、腹を括った決意というより。
己を無理やりに納得させるための、暗示だった。
だって、ここで躊躇ったら。
星野アイは“未練”になってしまうから。
彼女が裏切ったことに、納得ができなくなってしまうから。
そうなる前に、殺さなくちゃいけない。
仲間を殺そうとしてきたんだから。
正気に戻ろうとする頭を、必死に抑え込んで。
田中は、ただただ歯を食いしばる。
ああ、そうだ。
殺さなければ、いけなかった。
元々、競い合う敵だったんだから。
―――いや、違う。
彼女が、“死柄木弔”の敵だからだ。
だから、ここで殺さないといけない。
田中がようやく見出した“生きる意味”を、彼女は否定しようとした。
だから、ここでトドメを刺さないといけない。
アイの懇願から、耳を塞いだ。
聞いてしまえば、きっと殺せなくなるから。
自分の心に、そうやってウソをついて。
田中は、黒い引き金を弾いた。
そうしてこのちっぽけな男は。
再び、“人殺し”になった。
眼の前の、すべてが終わって。
呆然と、立ち尽くして。
我に返ったように。
恐怖と動揺が、ただ込み上げてくる。
唖然と震える瞳から、零れ出る。
ぽろぽろと、感情が溢れる。
ああ。
さっきまで、生きてたのに。
さっきまで、遊んでたのに。
こんな風に。こんな呆気なく。
トイレの床で、死ぬんだ。
田中一は、思い出す。
いつだって、朝というものが悲しかった。
このちっぽけな身も心も。
今日という日に、押し潰されるような気がしたから。
そんな自分の日々は、いつまでも同じ。
―――今日は別に、変わらない。
そう思っていたけれど。
今は紛れもなく、何かが変わってしまった。
◆
-
◆◇◆◇
誰かに愛されたことも。
誰かを愛したこともない。
けれど。この愛は、絶対に本物だ。
この甘い世界の、嘘も本当も頂戴。
やっぱりどれも、私なんだから。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
市街地の中に、“焦土”が生まれていた。
まるで大きな災厄が起きた直後のように。
巨大な更地を、都市部のど真ん中に敷いたかのように。
其処は、跡形もなく全てが灰燼に帰していた。
“峰津院財閥”の保有するビル。
その成れの果てだった。
都内に点在する複数の“財閥の拠点”。
それらは、一人の男の手で“殲滅”された。
「―――そうか」
次世代の魔王――“死柄木弔”。
廃墟と化した土地を去り行きながら。
彼は、スマートフォンを片手に摘んで“通話相手”に応対をする。
「死んだのか、あいつ」
ぽつりと、死柄木は呟く。
通話先の主、田中一の声は乾き切っていた。
憔悴したように、淡々とその報告を伝えていた。
自身が各地の財閥関連施設を破壊して回っていた最中に、相応の一悶着が起きたのか。
今となっては、事後報告として聞くことしかできないが。
―――“噓をついて騙すことなら誰よりも上手い”。
―――最初にそう言ってただろ、星野アイ。
この土壇場で、星野アイが裏切った。
そのことに僅かな驚きを感じたのは、間違いなかった。
強かな嘘つき。そんなふうに自負していた“あの女”にしては、余りにも軽率な暴挙であり。
何故星野アイがそれでもなお行動に出たのかを、死柄木には確かめる術はなかった。
ともあれ。
曲がりなりにも“仲間”だった。
この先、彼女の再契約先が見つからなければ。
田中共々、聖杯の“おこぼれ”を与えられないかとも考えていた。
だが、もう詮無きことだ。
あの気積なアイドルは、この世にはいない。
「なあ、田中」
そして、死柄木は囁く。
電話越しの相手に対して。
“自分が星野アイを撃った”。
そう伝えた田中に対して。
「よくやった」
ただ一言、そう告げた。
傷心した自らの仲間を、労うように。
「安心しろよ。俺がいる」
通話先の田中は、わずかな間を開けて。
それから、少しだけ安心したように、相槌を打っていた。
-
敵連合は、元より逸れ者の集まりだった。
そんな面々を引き連れていたのが死柄木であり。
それ故に根深い鬱屈と閉塞を抱えていた田中のことも、悪くは思っていなかった。
彼の死柄木弔への心酔が揺るぎないものであることもまた大きい。
自分が勝ち残った暁には。
聖杯の融通次第では、田中も“元の世界”に連れて行ってやっても構わない。
その時は、晴れて敵連合に正式な仲間入りだ。
通話を終えた死柄木は、一息を付く。
峰津院財閥の殲滅は片付けたが。
禪院との話は、まだ付いていない。
何度か連絡を試みたものの、向こうからの反応はない。
取り込み中か―――間が悪いものだ。
ともかく、一仕事を終えた今。
魔王は、拠点へと戻らねばならない。
今後の方針は、そこで改めて話し合う。
神戸しお。電鋸のライダー。田中一。
禪院を除けば、随分と連合のメンバーは減っていった。
そのことに、思うところが無いわけではなく―――。
その瞬間、遥か彼方から。
“皇帝”の咆哮が、轟いた。
大地そのものを揺るがすかのような。
“百獣の王”の叫びを、魔王は知覚した。
それは、新たなる戦いの始まりを告げる狼煙であり。
故に死柄木は、思いを馳せる。
ああ――――そういうことなのだろう。
きっと、“戦争の終わり”は近い。
ならばこそ。彼は、ただ不敵に笑む。
その果てに立つのは、“俺たち”であると。
敵連合、死柄木弔は嗤う。
【???/二日目・朝】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、サーヴァント消滅、肉体の齟齬
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:敵連合拠点に帰還し、今後の行動を決める。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
3:禪院への連絡。……取り込み中か?
4:峰津院財閥の解体。既に片付けた。
5:以上二つは最低限次の荒事の前に済ませておきたい。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
・炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。馴れるにはもう少し時間が必要です。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
-
◆
あの場の“後始末”は、四ツ橋達が請け負うことになった。
アイがしおを手に掛けようとして、駆け付けたライダーに止められ、そのまま田中に始末された―――そうやって事情は説明された。
同盟の一員が裏切って、返り討ちにあって死んだ。
残された結果は、ただそれだけだった。
そうして彼女の遺体は、粛々と処理された。
これまでの騒乱を生き残ってきたデトネラットの職員達は、淡々と仕事を進める。
戦死者の亡骸を扱うように、物言わぬ遺体が運ばれていく。
もう、一番星のような輝きはない。
星野アイは、どこにもいない。
田中は放心したまま、それでも電話で“連絡”をしに行った。
連合の主たる死柄木弔に、事の顛末を伝えるために。
まるで自分の縋るべきものを、確かめるかのように。
通路の片隅で、しおとデンジは壁に寄りかかって座り込む。
静寂に身を委ねるように、ただ沈黙が流れていた。
星野アイの死によって齎されたもの。
それを無言で咀嚼するように、二人は何も言葉を交わさなかったが。
「らいだーくん」
やがて、ぽつりと。
しおは、口を開く。
「いつかはさ」
そうだ。
本当は、気づいてた。
この場に居る、誰もが知っていた。
「みんな、終わるときが来るんだね」
マスターと、サーヴァント。
一ヶ月もの間、誰もがこの世界で過ごしてきた。
希望。絶望。決意。悲嘆。前進。成長。絆。
様々なものを紡いで、歩き続けてきた。
聖杯という目標を目指して、ここまで辿り着いた。
そして、いつかは“卒業”する時が来る。
「敵連合のみんなとも」
敵連合。ほんの一日だけの縁。
蜘蛛という黒幕の下に築かれた、悪徳の同盟。
打算による結託でしかなかった、その関係性も。
何気ない穏やかな一時や、海賊達との熾烈な闘争を経て、気が付けばある種の絆となっていた。
しかしこの“お城”も、最後は終わりを迎える。
寄り合うみんなは、敵同士。
最後は、死柄木弔と戦うことになる。
しおは、そう悟っていた。
しおは、それを知っていた。
それでも。星野アイの顛末は、確かな爪痕を遺した。
まるで、人がいつか死ぬことを思い知らされるかのように。
現実感の乏しかった感覚が、確かな輪郭を伴って降り立ってきた。
「……らいだーくんとも」
そして。
この世界で出会った。
たった一人の“友達”とも。
聖杯を、手にしたら。
別れを告げることになる。
-
何かが終わることは。
切なくて、寂しいもの。
今のしおは、知っていた。
“さとうの叔母”の最期を、見つめたから。
“神戸あさひ”とのお別れを、果たしたから。
デンジもまた、知っていた。
忘れるはずがなかった。
“何かが終わる”という、その瞬間のことを。
彼の脳裏には、在りし日の姿が浮かぶ。
まだデンジが英霊になるより前。
“あの三人”で過ごした、つかの間の日々を。
しおは、何気なく。
隣にいるデンジに、視線を向けた。
彼をただ、じっと見つめた。
やがてデンジもその眼差しに気付いて。
彼もまた、何気なく、顔を動かす。
互いの視線を、交差させる。
何も言葉を交わすことはなく。
無言と沈黙の中で、静かに見つめ合う。
口には出さずとも通じ合うものを、確かめるかのように。
「だから、せめて」
やがて、しおが口を開いた。
何かを噛み締めて、決意するかのように。
「愛だけは、終わらせたくない」
砂糖菓子の少女はただ、そう告げる。
たった一つだけ残された、なけなしの想い。
それだけは守り抜くと、決意するように。
しおは、無垢な“祈り”を抱いた。
そして―――しおは、振り返る。
あのとき、自分を後ろから抱き締めてくれた。
暖かくて慈しい、あの温もりに思いを馳せる。
彼女は、一番星の生まれ変わりだった。
ほんの少しだけ、静寂が続いてから。
自らの“友達”の言葉を、飲み込むように。
デンジは、頷いた。
「……そうだな」
それ以上は、交わさなかった。
ただそれだけで、今は十分だった。
◆
-
◆
「なあ……」
部屋へと戻ってきて。
デンジが、ふいに呟く。
しおと田中が、視線を向ける。
「ゲーム、どうする?」
三人は、共に同じ方向へと顔を動かした。
野ざらしのまま放置された機器。
付けっぱなしのままのテレビゲーム。
画面の中では、レースのリザルトが延々と流れ続けている。
コントローラーは、4つ。
プレイヤーを失ったまま、そこに置かれている。
最初に反応したのは、田中だった。
真顔のまま、ふらふらと歩いて。
そうして、ぼすんと床に座り込む。
自身が握っていたコントローラーを、再び手に取った。
そんな田中の姿を合図にするように。
しおもまた、先程と同じ位置に座る。
小さな手で、ちょこんとコントローラーに触れる。
二人の姿を見たデンジは、何も言わなかった。
どうするかは、もう決まっていた。
彼もまた腰掛けて、コントローラーを操作して。
そうして再び対戦モードを開始する。
かちかち、かちかち。
ボタンを押す音が、小さく響く。
ゲームのサウンドが、陽気に鳴り続ける。
談笑の言葉は、もう無かった。
コントローラーは。
ひとつだけ、余っている。
誰も触れることはなく。
ただそこに、横たわっていた。
【中野区・デトネラットのビル/二日目・朝】
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:永遠なのは、きっと愛だけ。
1:――いってきます。
2:とむらくんについても今は着いていく。
3:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
4:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:昔もあったな。何かが終わっちまうの。
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
-
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、半身に火傷痕(回復済)、深い悲しみ
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(4発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×3
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命(プルス・ケイオス)』。
0:…………。
1:敵連合に全てを捧げる。死柄木弔は、俺の王だ。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
◆◇◆◇◇◇◇◇◇◇◇
吹き抜ける風を、その身に浴びながら。
流れていく景色を、ただ見つめていく。
きらびやかな繁華街を抜けて、街道へと出て。
やがては住宅街へと向かっていく。
空を覆うのは、きれいな夕焼け。
琥珀のように光って、この世界を見下ろす。
ヘルメット越しに見つめる情景。
響き渡るバイクのエンジン音。
身体を通じて、鉄の震動が伝わってくる。
疾走していく世界に包まれながら。
“私”は、“その人”の背中にギュッとしがみつく。
旋風(かぜ)を感じながら。
“その人”は、子供のように澄んだ眼差しで。
何処か満足げに、ただ笑みを浮かべていた。
“私”を後ろに乗せて、単車を走らせている。
その背中を見つめながら、私は思う。
まだまだ、仕事はままならない。
自分に自信がないと言われれば、嘘になるけど。
社長からは期待されているし。
それでも、アイドルという稼業は楽じゃない。
毎日毎日、レッスンに明け暮れて。
裏では何かと陰口ばかり叩かれて。
業界のおじさん達に向けて、ずっと作り笑顔を浮かべて。
ステージの上では、“理想の存在”を演じ続けている。
そんな激務に反して、得られるのはほんのちっぽけなお給料だけ。
アイドルとは、我ながら難儀なものだ。
割に合わないし、嘘で飾らなきゃやっていけない。
ま、でも。
頑張んなきゃいけないよね。
私には“愛する人達”がいるもの。
それに。嘘の中にも、きっと本当がある。
そういう祈りが、この世界には確かに存在する。
“誰かを愛したこと”だって、嘘から始まったのだから。
-
やがてバイクは、速度を落として。
とあるマンションの前で、停車する。
―――さ、アイ。着いたぜ。
―――お疲れサマだな。
ニッと笑うその表情は、清々しさに満ちてて。
私も思わず、口元に微笑みを零してしまう。
―――ありがと。じゃあね。
そんな風に、気さくに感謝の言葉を述べながら。
単車に乗って去っていく“その人”を、私は見送る。
それからの私は、駆け足だ。
オートロックのドアを開けて。
足早に、らせん階段を駆け上がる。
のろまなエレベーターなんて待ってられない。
仕事の疲れなんて、どこかへと吹き飛んだ。
早く、早く。ひたすらに、自分を急かして。
辿り着いた階の通路を、足早に進んでいく。
息を軽く切らして。
それでも、微笑みを浮かべて。
星のような瞳を輝かせながら。
やがて私は、扉の前で立ち止まった。
手元には、小さな鍵を握り締めていた。
胸の内の瓶は、満たされている。
もう、空っぽなんかじゃない。
この心には、甘いものが詰め込まれているから。
だから。うちに、帰ろう。
ガチャリと、鍵を回した。
―――ただいま!
さあ、アイを唄っていようよ。
この部屋の中は、きっと明るいから。
【星野アイ@推しの子 脱落】
-
投下終了です。
とむらくんの状態表の改行がおかしなことになっていたので、wiki収録時に修正させていただきます。
-
中編を投下させていただきます
そしてすいません、>>103と>>104の間に以下の文章を追記させていただきます
>実のところ、龍脈一騎として連なった竜頭を構成する一体だけは、槍として峰津院大和の懐の内にある。
>『極小になれ』という命令を付与されたことで魔力そのものも縮小した反応を示しており、他の主従から見とがめられた様子はなかった。
>しかし、『本来の竜頭』であれば北極星へ至るための構成因子ともなるだろうそれも、内界では劣化版でしかないことは先刻の戦線で明らかになった通り。
>また、すでに『峰津院大和の武装』としての概念も付与されている。
>仮に大和から奪い取ったところで、界聖杯に至るための舟をと成り得るかは分の悪い博打以下の期待値に相違なかった。
-
「念話でも言ったけど、改めてごめん……作戦を失敗させてきた」
「そこはせめて、『でもにちかとの約束は守ったよ』ぐらいはかっこつけましょうよ……えい」
「てっ……今のパンチ、サーヴァントじゃなかったらけっこう痛そうな音が出なかったか?」
「痛くしてるので」
◆
「お疲れ様でした。それに、ありがとうございます、ライダーさん」
念話とにちかの出迎えでナビゲートされた学校の空き教室にたどり着くなり。
発砲スチロールのパックが入った袋を提げる櫻木真乃が出迎えた。
手元から煮物らしき湯気がまだあたたかく立ち昇る。
全員で囲んで座れるようにと寄せて固められた机にはあと五つばかり未開封のそれらが置かれている。
教室の椅子では男性にとって小さすぎると判断されたのか、挿げ替えられたパイプ椅子はどこから持ち出されたのか。
「こちらこそ。皆の分まで用意してくれてありがとう」
「新宿渋谷方面に入れなくて立ち止まってる救護車が、通行を諦めて近くで配ってくださってました……おひとり様2パックだったので」
「霧子と迎えの人は、今こっちに向かってるところだそうですー。念話で、自分の食事は要らないから食べててほしいって」
同時に配給されていたらしき500ミリペットボトルを、摩美々がそれぞれの席はここという風に並べている。
自然体を意識しているような仕草だったけれど、視線はそれができていない。
アシュレイ・ホライゾンと、その背後に影を落とす異彩を放つ男との双方を、見比べずにはいられないのだ。
真乃も、にちかも、やはり緊張と注目をその男に集めてしまう。
彼女たちが連想したものを、アシュレイ・ホライゾンは察する。
それは、世田谷区に降り立った『絶望の魔人』の面影だ。
美しいという以外に立姿は似ておらず、けれど支配者としての覇気だけは、敢えて似せるかのように纏う。
存在するだけで刃向かえないと他者の心を拉ぎ折る、人の形をした上位者が小さな教室を睥睨していた。
生物としての格という武威を、本気で晒しているわけでは無いのだろう。
少女たちが帰還をねぎらう言葉を発せたのは、それが証拠だ。
ともあれ、アシュレイにとって七草にちかは言うまでもなく、ここにいるマスターの全員が、手をとってくれた仲間たちから託された預かりものだ。
何としても関係を繋いでみせると改めて腹を括り、にちかに向けて紹介の掌を示す。
-
「じゃあ大和、改めて紹介する。まず彼女が俺のマス――」
「知っている。私は貴様らの一切を認めていないが、世田谷の所在をつきとめるにあたって全員の顔と名前は記憶した」
『世田谷』という固有名詞によって誰しもの顔が硬化する。
確かに彼はあの絶望を齎す生命と契約したマスターなのだと、実感が走ったことは想像に難くない。
「そう言わずに。光月おでんだって言ってただろ? 苦い思いをすることがあっても、その苦み渋みも出汁にしろって」
「死人の言葉を都合よく使いまわすな」
「でも、ここで東京タワー以外のことも含めた情報共有を図っておくことの価値は君にだって分かる。
峰津院はもはや最強勢力ではなくなったと君は言った。なら、君も戦い方を変えなきゃいけないことは君自身がよく知っている」
少なくとも彼はこの場でことを起こすほど気が短くないよと、マスターたちに聞かせて安心させる意図も込めてそう伝える。
さらに、とアシュレイはこわばりを隠し切れない少女たちに向けても尋ねた。
「君たちも、開戦前の電話で伝えたとおりだ。ぶつけるものがあれば言ってくれ。
こういうのは、言いたいことを初めに言い合ってすっきりさせた方が後がスムーズだからさ」
遺恨のない関係とは言えない以上、下手に『仲良くしましょう』から初めて途中で双方ともに爆発させるよりも。
出会いがしらに幾らか発散させた方が、中途で逆鱗に触れることが起こった途端に噴出する、という事にはなりにくい。
そう意図しての促しだったが、にちかは首を横に振った。
「あの、ライダーさん……今けっこうやばい時なのは、さすがに分かりますんで。そっちの話し合いが先じゃないですか」
「ああ、それに関しては恥ずかしながらその通りなんだが……けど、『お互いに向こうからの恨みつらみがあるんじゃないか』って抱え込みながら話すのも負担が大きいから」
「すいません……そのへんはお二人がここに来る前に三人で話し合ったんですけど」
と、摩美々が小さく挙手をして中断。
そこに、真乃が続けた。
「えっと。危害がどうこうって言うなら……私達も世田谷区の時は、峰津院さんのサーヴァントさんを倒すつもりが無かった、とは言えないので。
ひかるちゃんもサーヴァントさんを攻撃したし、私はそこで死なせちゃだめ、とか手加減して、なんて言えなかったです。
もちろん、峰津院さんとサーヴァントさんの関係をよく知らない私達が『貴方の大切なサーヴァントを』とか、分かったように言っちゃだめですけど。
……『聖杯戦争でサーヴァントをなくした人は、死んでしまいやすくなる』って分かってたけど、そういう風にしたので」
迎撃のためとはいえ『峰津院大和がこの聖杯戦争において死亡する確率を上げる行為である』と自明だった上で、自らのサーヴァントを応援した。
その事実を無視したように、『恨みつらみ』の話は、もうしたくないと。
「不要な気遣いだな。それこそ被害を受ける受けないの話など、これからいくらでも予測されることだ」
-
違和感。
峰津院大和との間にある埋まらぬ溝という外的要因があるとはいえ。
不在にしている間にずいぶんとマスターたちが静かというか、神妙にしようとしていないか。
それでもアシュレイは、彼女らの言う通りに話を進めることを選んだ。
決して明るくはないこの先の話題に、思考が費やされていたから。
這いずって這いずって、取りこぼして。
それでも飛び立てない今日の終わりが、否応にも予感される。
そういう話になることは、間違いないからだ。
◆
――優勝者を出すことは覚悟しないといけない。
そう、言葉は出ている。
だが、それを『どう伝えるか』となれば『まだだ』と幾ら言葉を探しても、上手くない。
思い浮かぶ言葉のどれを選んでも、『パーフェクトコミュニケーション』には絶対にならないと予感させる行き詰まり。
見渡せば、割りばしを動かし終えてアシュレイの言葉を深刻そうに待つ、三人の少女がいて。
壁際には、座ることを良しとせずに『次にライダーが言い放つ言葉しだいでは、この場で容赦を捨てる』という居住まいの大和がいる。
簡素な話し合いの卓につくことを良しとせず、にちか達が遅い朝食の合間に報告をするだけは耳に容れていた。
敵連合から三度の電話があった事、三度目の通話において同盟は断たれた事が告げられた際には、『それは必然だろう』という一声がアッシュに向けられた。
そして、彼女らの遣り取りに対しての労いを終えれば、あとはアッシュの側から今後の指針を提示する手番が回ってくる。
霊地は失われたが、やるべきことはこれまでと変わらない。
他の主従に接触して妥協点を見出し、協力をとりつけながら、人質二人を救うすべについて考えよう。
それは嘘ではなかったが、しかし優しいその場しのぎであることもアシュレイは否定できない。
何よりも、峰津院大和はそういった丸い回答を『現実の先延ばし』だと唾棄するだろう。
彼が方舟の食卓へと座らないまま立ち合いをしているのは、ある意味、渋谷区で光月おでんと結果的に共闘していた延長だ。
サーヴァントを失った現状で、これまでのように力一辺倒を覇道とするわけにいかないことは理解しており。
今の峰津院大和独力では、『残り全員』は殺せない。
だから『命を救われた』という『今はまだ率先して殺すほどではない借り』があるうちは眼を瞑る。
だが、恩義の貯蓄が尽きるほどのものを見せればその天秤の左右は逆転する、と。
-
「それで……ライダーさんの方も、言わなきゃってことがあるんじゃないですか? いつもの、現状はこうだ、みたいな」
七草にちかから問われ、「そうだな」とアシュレイは間をもたせながら『優しいその場しのぎ』について思う。
もともと、本戦の始まりに界奏を利用しようと提言したときは『龍脈』という因子はまるで計画になかった。
『足りないものだらけを補える協力者がいるかどうかの博打である』ところから始まった以上、振り出しに戻っただけに偽りはない。
だが、未だ23組の主従は確実に残存していた、本戦開始時にそう語るのと。
このままでは東京全土がいつ焦土になるかという佳境において。
『どこかにいる未知の主従の協力を得られさえすれば十全になるやもしれない』と、語るのとでは。
夢と現実の境界をあまりにも無視している。
まして、敵連合から同盟の解体という通達があった直後で。
――そして、つい先刻もはるか東から強者顕在を示す覇気の余波が響いたばかり。
これまでに志が合った『知り合い(ともだち)』以外は、聖杯を狙うことに妥協の余地などないのではないか、と。
昨晩の世田谷区のような喫緊の危機感とは別種の、このままでは詰みに向かうという焦燥は蔓延する。
「東京タワーで、俺が大和に話したことは覚えているか?」
頷く三人。
もし、航界記の開帳に成功したところで、界聖杯と対峙した結果が芳しくないようであれば。
あるいは、『優勝者を出す前の界聖杯に働きかけて望んだ結果を出す』ことが難しいようであれば。
『界聖杯に願いを叶えさせることで、優勝者以外を生還させる』という手段を容認すると、公言している。
だが、いざ『それを見据えよう』とマスター側に提言することは苦渋の決断だ。
『誰かを見捨てて己たちだけ脱出することはない』という公約を振りかざしたところで。
すべての主従に願いを諦めさせたあげく、『優勝者が生まれるまでの犠牲者には目をつぶります』と言っているようなものなのだから。
優勝者が生まれるまではマスターの生存も容認される、ということは。
裏を返せば、『願いが叶えられる頃にはほとんどのサーヴァントはまず退場しているし、マスターの犠牲もどれほど連鎖しているか』ということでもある。
『サーヴァントだけを退場させる。できればあなたを殺す真似はしたくないし、願いに対しても歩み寄りをしたい』というだけでは。
誰しもの要望には寄り添えず、戦いを辞めない者もいる。
それは東京タワー周囲一帯ではぐれマスター単騎によって作られた白い更地が証明している。
-
そして何も、願いを諦められないという想いは悪意によるものだけではない。
あなたたちを死なせるのは悪いことだと知っているけど、それでも叶えたい願いがあり、命を懸けます。
どう譲歩しても妥協しても、相手側の答えが『死んでください』にしかならないならば、応じることは倫理的には正当防衛かもしれず。
そして、少なくとも『相手側の意志を最大限に尊重した結果』ではあるのだとしても。
結局のところ、お前たちも他者の犠牲を容認する偽善者になったのだと。
そういう断罪と、自認とに至ることは避けられない。
今まで直接的な言葉にはしてこなかった『犠牲者を出す』という一語を、告げてしまうことになる。
ひとたび全員の総力をあげた聖杯戦線による『いったんの全員休戦』を成すことが叶わなかった以上。
残存マスターを誰も死なせずに優勝者を決定する、という一縷の望みもついえたばかりだ。
よって、峰津院大和の眼光が『ここが偶像たちのみならず、ライダーに失望するか否かの際だ』と険を増しているのは気のせいではない。
「俺が提示するものの大枠は、あそこで語ったことと変わらない。
ただ、改めてマスターたちの気持ちを確認しておきたいんだ」
そうであればこそ、まずは改めて意思の所在について確認を。
せめて、『彼女たちも同じように考えている』ことを寄りしろに、『その気持ちをサポートする』意識だけは揺らがないように。
「今でも、立場を問わず全員と話をしたいと思っているか?」
肯定が返ってくると思っていた。
三人の少女たちの視線が、三方向から見合わせるように噛み合って。
それはやがてうなずき合いに変わった。
まるで自分から切り出すことを打ち合わせしていたかのように、にちかが単独で口を開く。
「ライダーさん、そういう回りくどいのはもう無しでいいです。
昨日からプロデューサーさんのことばっかり考えてるうちに、ふわっとした話し方が移ったんじゃないですか?」
後半で、『いや自分たちはそこまでは言ってない』という風に、他の二人がわずか狼狽したのはともかく。
「……と、言うと?」
すぅ、と息を吸う音。
まるで、さぁこれから思い切った空気を読めないことを言うぞと観念したような顔で。
しかし顔色は悪くとも眼差しは極めて頑なに、他の二人も同調するようにうんうんと頷くのを横目に。
-
「優勝者を出すことになるかもって言うんでしょ? いいですよ、それでも界聖杯に会いに行きましょ」
やけっぱち――ではなかった。
失礼ながらも、初めに浮かんだのはその可能性で。
なぜなら七草にちかは、あまりにも自分を傷つけやすい子だったからとこれまでを思い返して。
しかしにちかの瞳は、これまでに見たどれでもない想いが宿っていた。
対面に座るアシュレイは、発言に対する驚きと同時に、その瞳に対する衝撃に飲まれる。
そこに宿されているものは何なのか、語るとすれば――
「言いたいことは、それで仕舞いか」
予告。
「揃いも揃って、『崩壊』のマスターに出し抜かれたと白状した揚げ句に、露になった本性がそれか」
殺意。
挙動。
火花。
そして、七草にちかの座席上でアメジスト色の炎弾が燃え上がった。
「――――ッ!!」
この局面において近隣の者に露呈しない程に加減されたそれは、簡易に作られた円卓一帯を盛大に焼け焦がし。
即断によってメギドの貫手を振りぬいた峰津院大和が、青紫の鱗粉を発散させながら教室の中央で炎とは対極の冷徹さを放っていた。
避けたというよりも、ほぼ風圧に押しのけられたような櫻木真乃と田中摩美々は左右に呆然と転倒して。
何が起こったのかと目を見開くばかりの七草にちかは、直前で机を乗り越えて退き倒したアシュレイ・ホライゾンから庇われている。
-
「――念のため聞いておくけど、にちかを殺せば俺も消えることになるのは、分かってたよな?」
峰津院大和の逆鱗を撫でたことは理解して。
ただ、マスターを害そうとしたことに怒りはすれど全く警戒していなかったものではなく。
故に、まず『お前はカイドウの復活を察知した上で、今この場にいる者を皆殺しにする判断をするヤツだったのか』の観点から問うた。
「口上は伝えた。殺意も開示した。その上で回避もできんなら貴様らの瑕疵だ」
なるほどその殺気は地平の戦線で開示されていた圧と等しいものがあり。
アイドルたちは、ただただ竦むしかできない。
「さらに貴様に限って言えば、よもや夢想に取り憑かれたのみならず。
神輿の薄っぺらさに気付かなかったほど落ちぶれていたのは私にも予測不可能だった」
お前は、一度同盟を現実的観点から切り捨てられただけで鞍替えを図るような連中に奉仕していたのかと。
元より方舟の思想に同調するつもりはなかったが、『ライダーがマスターたちの考え方を見誤っていた』ということであれば、矛先はライダーにも向く。
「交渉で提示された『全員の同意による堅い決意だ』という前提さえ虚偽だったとなれば、これは茶番だったか」
「ちょ、ちょっと……!」
自分たちに失望されるだけなら、良くはないけど、まだ良い。
けれど、ライダーが渾身の交渉においてぶつけた心まで否定されかければ反論が出る。
「言いたいことはそれだけかって、全然それだけじゃないです!
……ってゆーかそもそも、これ私とライダーさんとの話ですから!!」
この場を圧倒する覇気の中でも言葉を紡げなければ、全てが終わる。
心底からそう悟って、他の二人もまた口火を切った。
「ライダーさんにも……思ったよりずっと意外そうな顔、させましたよね」
「は、はい。私達の言い方が悪かったなら、それはお二人とも、ごめんなさい」
言葉を間違えたのは申し訳ないと謝罪して、にちかにそう言わせた真意を分担する。
-
「私は………さっきの通話で、死柄木さんに、負けました。色んな意味で」
先ほどの戦線を動かした側にいるという、責任の一端を肯定して。
その一言で苛烈な眼光が向けられ、身を震わせながらも。
「死柄木さんを方舟に乗せることが叶ったとして。
それで死柄木さんが世界を滅ぼしたらどうするのか。
あの時に答えられないまま、峰津院さんがここに来ることになって」
ライダーはその責任を、自分が取ると言ってくれたけれど。
「私の選択が、どこかの世界を滅ぼしていたのかもしれない。
……そう思った時に、峰津院さんが『本当に世界の滅びを背負ってる』ことを、思い出したんです」
摩美々は、『仮定としてお前は世界を背負えるのか』というだけで、あれほどの『重み』を感じたのに。
まさに大和は、『その重みそのもの』を背負った上で理想を語っていることに、本当の意味で気付いたのだ。
偶像達は、滅びの魔王にあれ以上の時間を与えることができなかった。
だが魔王は、それとは知らずに偶像たちに『気付き』を与えていた。
峰津院大和の眼光は変わらない。
弱者からおもねりを持って褒めそやされること自体は、既知のものだから。
だから摩美々にできるのは、おべっかではなく、心から凄いと思ったのだと伝えることだけだ。
「峰津院さんの言ったことぜんぶが正しいとは、思わないけど。
その覚悟は本当にすごいことだし、ライダーさんが東京タワーでたくさん褒めてたのも分かります。
報われない人を助けたくて、世界を今よりもきれいにしたくて、理想のためなら悪になってもかまわない。
それを抱えて戦って、苦しんでた人を、私は知ってるから」
いざ味わってみた魂の重さは、やはり21グラムじゃなかった。
目に見える世界そのものを変えてしまうことは、想像もつかないほど重たくて。
きっと、『彼』も重たくて、しんどくて、顔は笑ってるけど心は泣いてるよ? みたいな感じだったんだろうな、と。
彼の感性が、行動の苛烈さに相反して人間臭いことは知っていたけれど、それでもやっぱり凄いと思った上で。
もう、重ねすぎることはしない。
似てないところもたくさんあると分かっている。
あくまで平等主義だった彼と、実力主義の大和。
この世界ではあくまで狡知に頼る弱者であった彼と、そういう戦い方をもっと嫌悪し、もっともかけ離れた大和。
たぶん彼が目指していた世界こそが、大和に『この世界を腐らせた』と言える根本には違いなく。
大和からしてみれば、引き合いに出されるのも不快だろうけど。
-
「一人でもたくさんの人と一緒に帰りたい。
そうでなくても一緒に歩ける間は、とりこぼしたくない。そう考えてるのは、変わり無いです。
最後はああいうことになっても、死柄木さんの言葉で気付けたのはほんとだから。
だから、もし分かり会えなくても何か遺すために、話を聞くのはやりたいです」
たくさんの人を殺したことに対する考え方だって、彼と大和ではきっとぜんぜん異なるのだろう。
だが異なっていても、どんな心境だったとしても、理想に殉じる道は孤独と切り離せないものだから。
ライダーはその孤独に寄り添おうとしてくれた。
もういない彼に対しても。
眼の前の峰津院大和に対しても、同じように。
「ただ、私達がそう生きようって望むだけで、願いが叶わない人達がいる。
だから、どうしても一緒にやっていけない時に、私達も『奪う人』になるのは本当だと思う」
寄り添うのではなく命を寄越せと、それを必要とする人達はいる。
だから、新たに決めなければいけないのは、認めることだ。
とりこぼさないよう気を付けたところで、『最大多数の生還』は、『気の合う人だけ救う』と紙一重で。
この先、どうあっても相いれない人とどちらかが死ぬまで対立した時、こちらが生き残っていた時は『人殺し』だと。
「君たちは、知っていたのか……?」
生存競争と言えば聞こえはいいけれど。
誰かにとっての『人殺し』と呼ばれる対象になる。
そういう、これまで彼女たちが絶対に言ってこなかった言葉が。
ずっと心の底にあったかのように出てきたから、アシュレイは尋ねた。
「ライダーさん」
今度は自らの番だというように、櫻木真乃が替わった。
「アイさんの決意も、きっと同じ舟には乗れないものでした。
でもアイさんは、私の背中を押してくれたんだと思います」
――汚れても、私は立ち続ける
あの言葉は、強靭さだけではない、強がりのようなものがあって。
だから二度目に電話した時には、仲直りがしたかった。
すごいめぐるちゃんが好きなんじゃなくて、めぐるちゃんが好きだと言った時と同じように。
『すごくて最強で無敵のアイさん』じゃなくて、本音で話してくれた『アイさん』のことが今では嫌いではないと、届けたかった。
「ライダーさんは私達よりずっと長く交渉をしてきた人だから。
全員の説得は難しいって、ご存じだったんですよね……?
それでも、私たちのために、もしもの時の責任を取るつもりだったんですよね」
「それは……」
-
アシュレイからすれば、それをマスターたちが背負うものという認識はなかった。
戦場に立つのは、マスターではなくサーヴァントなのだから。
どうしても分かり合えないと定めた相手を斬り伏せることになるとすれば、それはサーヴァントの役目だと。
「その責任は、一緒に背負います。
私は、誰かの隣に寄り添うぐらいしかできませんけど。
誰かの隣にいるためなら、戦えますから」
《せめて、戦う覚悟くらいはした方がいいと思う。
……そうじゃなきゃ、どんどん取り零していくと思うから》
アイさん、背中を押してくれてありがとう。
次に会った時は、そう伝えたいと思った。
そして、それらは『お祈り』でしかないものだから。
どうしたって、現実の前には裁断される。
「――くだらん。ただの命乞いに美徳を付与しようとしているようにしか聞こえん。
なるべく大勢に寄り添いたいというなら、自分たちより大勢救える者がいれば生還枠を譲るとでも言うのか?」
「その時は、分かりませんよ!」
だから、初めに祈った少女が立ち上がった。
七草にちかが初めてアシュレイの前に出るように起立し、一時は誇張なく最強のマスターだった男に向かい合う。
「これ以上迷惑をかけるなら、消えた方がいいのかもしれない。
でも、私がアイドルになるのをずっと見てる奴がいるんです。
私なんかよりずっと大人で、誰かの為に動ける子で……あんたにとっての、生活保護を受けてるような奴の中に」
かつて大和に対して抱いた怒りが、七草にちかのもとに戻ってきて。
恐ろしいだけでなく、自分よりもずっと頭が良くて才覚を持っている人に、エゴで喋っていると分かった上で。
「……でも、あなたの世界だって、ぎりぎりまで助けるための協力はします。
嫌いだから助けたくないなんて、もう言いません」
その上で、子どもっぽい駄々はできるだけ乗り越えよう。
ライダーからも、『発散の仕方は考えろ』と言われたように。
炎熱がまだ燻るような緊張感の中でアシュレイには納得が落ちた。
帰還先の世界に補償ができるなら永遠の旅をしてもいいと思っていたのは、エゴだったけれど。
【それで彼女たちに負債を背負わせずに済む】と安心したつもりになっていたのも確かで。
「帰ってきて良かったよ……なんだか、立派になったにちかに会えた」
「恥ずかしいこと言うのやめてもらえますか? あの魔王様のおかげなのが、だいぶ悔しいんですよ」
死柄木弔の言いようには七草にちかも怒りを抱いた。
方舟に乗るつもりが無いと分かり切っているのに、乗せてくれたら世界を壊すけどいいかと聞くなんて、と。
でも、それは裏を返せば。
もしも『元の世界に帰ったらたくさんの人間を殺そう』という企みを、誰にも知られず密かに抱いている者が舟に乗っていたなら。
そうなった仮定に、また即答できなかったということでもある。
-
永遠の旅までして願いを補填しようとするライダーがいたから。
『願いを諦めて舟に乗れ』という願いから生まれる残酷さを、見ずにすんでいた。
「ライダーさんがなりたいのは『辛い時、苦しい時、悲しい時に何処からともなく現れて、助けてくれる無敵のヒーロー』なんですか?」
もうとっくに答えを知っていることを尋ねる。
「いいや……共存共栄でいたい、万人に門戸を開きたいのは間違いなく本心だ。
でも その上でなりたいのは、もっと地に足のついた、皆(だれか)の為のヒーローさ」
かつては、理想の英雄を見て、ああなりたいと思っていた。
でも、今ではなれないと知っている。
それと同じように。
彼女たちも普通の女の子であるがゆえに、現実を知っていた。
全員を助けられることは、きっとない。
「そうですよ。どんなに強がっても、なりたい姿はこんな私達でしょ?」
その上で足りなかったのは、覚悟だ。
自分たちだって奪う側にはなり得るのだという、覚悟。
守ってくれたサーヴァントたちの不在において、彼女らはそれを理解した。
「すまない、大和。確かに移動中の俺は、過保護だったみたいだ」
――逆だろう。悲惨な現実など早く知っておくに越したことはあるまい
少なくとも、あの言葉に限ってはぐうの音も出ないほど大和が正しかった。
彼女を脅かすものを、全部排除したかった。
彼女の望む場所に連れていってあげたかった。
でも、危ないものを全部とりあげるだけでもいけないのだ。
「料理で包丁に触らせないのと、包丁を触るときに手を添えて見守るのは、違うよな……」
ようやく違和感の正体に、気付く。
それは、『優勝者を出そう』と言葉にする時に、わずかだけ宿った新たな表情。
七草にちかは、笑おうとしていたのだ。
作り笑いで、ぎこちないけれど。
残りの聖杯戦争を、アイドルとして生きようとしている。
だから、大和にも告げる。
「お前が言う『現実』の見解だって、きっと必要なんだよ。
だから、お前が生き残れるように尽力するから、この子たちにも現実的な意見ってやつをくれないか?
おでんさんだって、俺たちのこういう所には、死った上で手を貸してくれたんだと思うから」
メギドの残滓は、もはや燻りだけが残されていて。
峰津院大和の存在感はやはり規格外の魔人だったけれど、場の全員が彼の外面ではなく心を見ようとしていて。
「詭弁だな」
けれど、やはり力のない言葉だけでは頷けないのが峰津院大和でもあった。
拒否を示す言葉には、それまでの主張を通してもやはり心は靡かなかったという他愛なさだけがある。
-
言い捨て、場の退去を選択する。
カイドウが健在である今、『それの当て馬として今だけは殺さない』と判断するだけの理性は働いた上で。
それでも、彼らと陣営を同じくすることは無いのだと。
「どこに行くんだ?」
「本社の被害状況を確かめる。どうぜハイエナか連合に荒らされているだろうが、事実確認は必要だろう」
「だったら俺たちも手分けして――」
「人質の餌をちらつかされたら、眼前の用事を捨てて右往左往するような輩に何を任せる」
次に会うまでは敵同士にならないのが、貴様らにかける最後の報恩だ、と告げて。
力をなくし、それでも理想は手放せない覇王の器は、どんな引きとめの声にも構わず背中を向けた。
◆
くたびれはて、精魂も文字通りに削り取られていた。
ランサーとの感覚共有によって東京タワー地下の崩落、正体の分からぬ現象を数々目の当たりにして。
海賊同盟の片割れが喪失し、霊地の恩恵は手の届かぬところに行った。
未だに、視界の端では少女の姿をした呪詛が己を問い詰める。
そう言った、直接的な状況の手詰まりを差し引いても。
寿命の九割を差し出して欠落した気力の中で、昨日から安眠もできなかった無理が一気に祟っていた。
本来のプロデューサー業をやっていた頃も、過労を案じられることはたびたびあったけれど。
路地裏に座り込み、さしあたりの疲労感を逃がすことに時間を費やしている。
ランサーに対する魔力供給も極力までカットしたため、霊体がそば近くに感じられるのみ。
そのために気配探知の哨戒力さえも、最低限にまで落とすことになってはいたが。
傍目に見てもまずマスターの休息が第一と思える様相だったのか、猗窩座も警告は述べなかった。
――方法を、間違えるな。そいつの幸せとやらが気になるなら、そいつに直接聞くなりしてみればいい
――その後どうするか、ちゃんと話しておくことだな
――聞かせてくれた……プロデューサーさんの言葉……お祈りを……届けられれば……。
アイドルたちは、己と違って鏡面世界を移動できなかった上で杉並区の激戦から退避している。
であれば、未だに杉並区の近辺にいるのではないか。
己を運び出しながら撤退するランサーに西へと行き先を告げたのは、以前からそんな思い付きがあったから。
だが、何を祈ればいいというのか。
彼女はどうしたら幸せになれるのか。
その答えをもたらし得る少女が、この世界に一人しかいないことは分かっている。
そして、ただ会って尋ねるわけにはいかないという思念もある。
光のもとに連れ戻されるわけにはいかない。
七草にちかの為に聖杯を捧げることがただの形骸なのだとしても、心臓が最後のひと打ちを告げるまでは燃えなければ。
ではどうやって、ただ求めるべき『祈り(こたえ)』だけを聴き取りだせばよいのか。
-
己を呪ってくる七草にちかの幻影が、耳元で囁くように。
この身は、あたたかく迎え入れられるのではなく、滑稽がられて糾弾され嘲笑されるべきだと。
故に、中野区にほど近い杉並区の北に不穏な騒動らしきざわめきがあると告げられた時も。
ランサーを向かわせたことに、まずは偵察、以上の意図はなかった。
その少女、七草にちかがいるかもしれないという緊張感によって、鬼としての感覚共有は再びつなげていたけれど。
ならばどうしよう、という算段はつかなかったから。
無防備な心に『歌声』が聴こえてきたのも、空耳かと思われた。
元より猗窩座の血鬼術にて強化されるのは身体性能であって、感覚器ではなかったが。
上弦の参としての探知はもともと、『生物の動きを掴む』ことに特化したものだ。
優れた歌唱力を持った者が、精一杯に声をあげていることは知らされて。
そこに既視感が、男をくすぐっていた。
共有した聴覚には、鳥の羽音もまた聴こえてきて。
視覚共有に写る燦燦とした街なみは、公園が近いことが察せられて。
だからそれは、半分は記憶から聴こえてきたものだ。
なぜこんな時に、という疑念さえもとばして。
やさしく、やわらかく、寄り添うような声がたしかに耳に入った。
とても懐かしく、久方ぶりに聴く歌声。
【遠い空の果て】
にちか以外の偶像を正視できない苦さとは、切り離された懐古だった。
聖杯戦争という舞台に身を投じるよりも、七草にちかという女の子に出会うよりも。
もっとそれ以前の、23人のアイドルの輝きをプロデュースするより、さらに昔のことだったから。
――スポットライトが当たって、カメラが回って、それでコンデンサーマイクが拾うみたいに、聞こえてきたんだって、声が。
それなのになぜ、いつかの七草にちかの言葉が、重なってしまうのか。
ああ、けれど。
その話を聞いた時は、少しだけ思い出すものがあった。
-
――その、特別な女の子の声が。
はるか過去、その男が『本来のプロデューサー』という形になった日の。
その男の思想の根幹となる、『特別で普通の女の子』が心に刻まれた日。
それは、全てが始まった日の歌。
【星はそっと 流れてく】
アイドルとの出会い。
公園の歌声。
それはヒカリの音楽。
または、クロノスタシス(いつかのおもいで)。
◆
「え……わざわざそれを渡しに追いかけるんですか?『そんな庶民的なものは口に合わん』とか言い出しそうじゃないですか?」
「だめかな……霧子ちゃんたちの分と重ね置きしてたから、まだあったかいんだけど」
「それなら、俺が一緒に行こうか? この状況で理に合わない対立をするヤツじゃないけど、さっきの一触即発のようなこともあるかもしれない」
「ありがとうございます……でも、私達が峰津院さんを怖がってるところばかり見せても、峰津院さんもこっちを信用しにくいんじゃないかって思うので」
「いや……でも、あなたがそこまで……」
七草にちかもライダーも、真乃が一人で大和を追いかけることに懸念は示してくれた。
おそらく、世田谷のことだけでなく、櫻木真乃が新宿事変に立ち会ったことを慮ってくれたのだろう。
真乃とひかるが目の当たりにした『特別な友達ふたりをはじめとした病人たち』の、発端は皮下医院にあったことは後々に分かったことだけれど。
ああいう遭遇を引き起こし、ああいう結末になった原因の一端に峰津院大和が関係している以上、『櫻木真乃にやらせるのはどうなのか』という遠慮を、二人が抱いてくれるのは気持ちとしては優しいと思う。
でも、だからこそ。
「灯織ちゃん、めぐるちゃんとは、ずっと一緒にいられませんでした……ここだけじゃなくて、元の世界でも」
人間関係に、『ずっと』や『絶対』はきっと無い。
283プロダクションが閉鎖し、プロデューサーも孤独にしてしまったのみならず。
イルミネーション・スターズは、三人でおばあちゃんになるまでずっと一緒にいようといっていた。
事務所が閉鎖されるようになったころ、櫻木真乃は二人と離れてめったに会わないようになっていた。
-
この世界には、事務所を続けてくれた人達がいたから、また三人一緒の時間が持てたけど。
ふたたび再会した二人は、やはり当たり前のように『ずっと一緒にいようね』と言っていて。
どんなに本気で『ずっと』だと思っていても、現実はそうならないのが答えだと悟った。
「だから……届けられるかもしれない間は、なんでもやってみたいんです。
私は、誰かの隣にいるアイドルですから」
そういう私を、ひかるちゃんが『きらやば』だと言ってくれたから。
「だれかの隣にいてほしいって……あの人が、思うのかな?」
「えっと……すごい人が報われる世の中にしたいって、峰津院さんは言ってたよね」
櫻木真乃は、思う。
報われてほしい、特別な人を好きになる時は。
たしかにその人のすごいところも好きになるけれど。
でも、それだけなのだろうかということを。
「私は、めぐるちゃん達のすごくないところも好きだったけど。
峰津院さんはそういう風に……どこにでもあるものや、誰かのすごくないもののことを。
好きになったことが少ないのかもしれないって……そう思って」
だから庶民的な味も知ってもらおうとするのは、安直すぎる考えかもしれないが。
「それに、あの人はさっき、おでんさんがいなくなって、私達が生きてることに怒ってたみたいだったから……。
おでんさんの為に怒ってくれていたことだけは、なんだか嬉しくて。だから、大丈夫です」
あの人もまた、光月おでんの喪失をどうにもできずに持て余しているのだとしたら。
せめて、『あなたの隣で、あなたを助けたい人がいるのはおかしなことじゃないんだ』と。
それだけでも伝えたいと思った。
だから言ってきますね、と片手にはビニール袋を提げていたので。
右手を握りこぶしにして、胸の前でぎゅっとさせて、いつもの『むんっ』という仕草をした。
それを見たにちかの瞳が、驚いたように揺れる。
なんだか見覚えのある、懐かしいものを見たかのように。
-
何かを想ったのかなと気になって、もう少しだけ言葉を足したくなった。
「えっと、さっきにちかちゃんが、ライダーさんを元気づけてたのも、とっても『アイドル』だったと思うよ?」
「私……アイドル、近づいてますか?」
「そうだよ」
一言で返事をする。
もう急がなきゃと峰津院大和を追いかけはじめたから、にちかがどんな顔になったのかは見ていない。
◆
また、狡知を弄して小細工をした者がいるらしい。
校舎を出た直後に、峰津院大和は悟った。
なぜなら、人が異様な数で歩いていたからだった。
スーツをくたびれさせ、こけた頬と細い首筋からだらりとネクタイを垂らした、会社員らしき男。
フードを被った、小柄で着弱そうな少年。
亜麻色の頭髪を手入れもそこそこに力なく垂らした、スーツ姿の女性。
金色に染めた頭髪を奇妙な形に盛り上げた、サングラスの不良者。
そういった老若男女を問わない、ただ強引に覚醒させられたNPCだとは知れる人の群れ。
それらが本来ならばただの通学路であるはずの路地を、東から西へと、ぞろぞろと。
それらに加えて、『異様な行列』に驚きや畏怖を抱いたのか、近隣の集合住宅からも人は顔を出している。
どこからかやって来たNPCが、付近のNPCを呼ぶという一過性の人溜まり。
意図はおそらく、世界の崩壊を悟って『東京の外にでる』という無駄な足掻きに走ろうとしてのもの。
戦う権利さえ持たない落伍者たちの群れだった。
見苦しいが、いささか面倒だというのが公園の敷地内にいる大和の所感だった。
とりたてて、その群れをあしらうことは何ら面倒ではない。
もし彼らが峰津院に眼を留めれば即座に『新宿の災害の関わっていたあの男だ』と察知した上で。
ではマスターとして大量虐殺を行い、今もこの世界を消そうとしている男かと、憎悪ぐらいは向けられもする。
しかし、それだけだ。
魔術の行使に制限が加えられているとはいえ、一般人をあしらう程度であればいくらでもやりようはある。
広範囲魔術で虐殺するなり、身体強化術を行使して即座に離脱するなり、数々の手立てはある。
むしろ、先刻放った殺気を周囲に放つだけで、たいていの一般人は腰を抜かすか逃げるか、そうしなくとも悟るだろう。
敵意を持って接すれば、命脈を絶たれるのはどちらかと。
-
だが、校舎に入った時点では見受けられなかった人口密度の急増。
杉並区に意図して集まったような脱出難民の群れという作為性が大和に苛立ちを生じさせていた。
要するに、この人込みが何らかの騒動誘発を目的とした、言わば『釣り』である可能性を否定できないのだ。
魔術を行使して一般人に対処すれば、その気配を探知してサーヴァントがことを起こすという二段構えかもしれず。
人の多いところで一般人を装うには、峰津院大和は認知度が高すぎる。
さらに『崩壊』の浸食を経ていたことが、大和の判断をやや慎重に寄せていた。
先刻の教室でも、身体の損傷を回復することに少しずつ魔力を回してはいた。
七草にちかに見切りをつけて火球をとばした時点でも、『予告して回避の猶予は与えた』上で。
『他のマスターに令呪を使われる前に収める』と全面対決には持ち込まれないよう見極めはした。
だが、最大限でどこまでの戦闘性能を発揮できるか確証がない段階で、罠かもしれない魔術行使をすることに一拍、ためらいが生じて。
その一拍で、場が動いた。
公園を通って人込みを避けようかと横目を配っていた一人が、大和を見とがめて狼狽した声を出す。
声をあげた側が次の瞬間には悪魔でも見たようにへたり込み絶望の顔をしたことが野次馬現象としては特異だったが、周囲もそれに倣う驚愕をした。
『峰津院だ』という固有名詞は波及すれども、大量殺人者に対しては大衆は動けず。
憎悪は持たれていても大和から発される覇気を浴びた恐怖によって、誰も怒声を出せず口を稚魚のようにパクパクと動かすばかり。
その反応に心は動じなかったが、対処は必要になった。
こうなっては仕方ないが、相応の注目は避けられない。
広範囲魔術で邪魔者は掃いながらカジャを付与した身体性能で即時離脱を図ることを判断して。
――お も い ね が い
一音、一音。
音程を取った声が公園へと高らかに、だがやわらかく届いた。。
あまりにも場違いなやわらかさに、大勢の注目が歌う者へと向く。
たしかにそれは歌だった。
公園の敷地へと歩み入ったのは、偶像が一人。
やわらかな要望に、配給食の入ったビニール袋を提げた少女。
櫻木真乃。
――よ ぞ ら を か け る
まさか、『配給食に手をつけなかったから、せめて持たせようと追いかけてきた』とでもいうのか。
その発想は愉快ではなかったが、さらに理解不能なのは歌い始めたことだ。
とっさの判断で、『峰津院大和にかかる注目を少しでも分散させる』と心がけたように。
公園の敷地に、しかし峰津院大和の立ち位置とは違う方向へと、歌い歩みを進めている。
――き も ち と ど き
助けられた、と感じてしまう己が癪であり、不可解だった。
厄介に感じていたのは注目を集めることで事態が悪化するリスクだが、少女は囮になろうとしている。
この声量であれば遠からずライダーたちも場に現れる。
敵の企みがあったところで、マスターを三人擁する『方舟』が釣りだされれば標的の変更なり撤退なりも浮上する。
罠という可能性まで少女が見越しているとは思えないが、『囮』がいることで離脱する労力も少なく済む。
その矛先は『明らかに相手が大和だと知った上で騒動を収めるために出てきた』櫻木真乃へと向かいやすい。
-
だがそれは、替わりに場に残る彼女らが引き受ける厄介ごとを度外視した場合の話だ。
――こ こ ろ は ひ と つ
光月おでんが、なぜ大和を生かしたのかが理解できなかった。
交渉人のライダーが、なぜ的になることを承知で大和を抱え込んだのか理解できなかった。
それと同様の不可解さで、櫻木真乃のやっていることが分からない。
聴衆とて、第一印象はよく通る歌声に圧倒されたが、それを通過すれば不信の念は向けられる。
――ほ し は ひ か り
くるくると注目を集めるようにステップを踏む彼女も、話に聞く『マスター』ではないかと。
それでは彼女もまた、東京に災厄と終わりをもたらす悪魔の一人ではないかと。
NPCからの、むき出しの感情を、化け物を見るような憎悪がやどった視線と、少女の目線が合い。
その刹那だけ、既視感を覚えたかのようにアイドルが遠い目になって。
――み ん な を て ら す
しかし、すぐさま舞台の真ん中で笑顔を浮かべた。
アイドルは、眼をそらさない。
ひとつの歌が終わり、さらに場を途切れさせぬよう別の歌を始めた。
――遠い空の果て
敢えてゆっくりした曲を選んでいるのは、歌詞を深読みされまいとする配慮だろうか。
明るく希望を讃えるような歌は、余命宣告をされた者たちにとってかえって残酷かもしれないからと。
『私は、誰かの隣に寄り添うぐらいしかできませんけど。
誰かの隣にいるためなら、戦えますから』
愚直に、字義通りにその言葉を守ろうとするかのように。
――星はそっと 流れてく
魔力反応に、来た方を振り返れば。
校舎から出てきたばかりらしきライダーが、星辰光なる力を振るおうとしていた。
銀炎をパフォーマンスに用い、群衆の意識を真乃からさらに拡散させようという意図か。
その背後にいるマスター二人が櫻木真乃に向かって頷いているのを見るに。
『行動は驚きだったけれど、判断は肯定する』という意思表示らしい。
――小さな光が 咲く一瞬が
いずれにせよ、理解できないとはいえ離脱する機には違いなかった。
こうなっては場に留まり続ける方が愚かであることにはどんな考えなしだろうとも自明だ。
己に向いた憎悪を引き受けさせる結果にはなるが、それがどう転んだとて連中が自ら選んだ結末だと己に言い聞かせた上で。
速度に重きを置いた身体強化の用意は既に、
-
――とても ま『タン!!』「ぶっ」
歌がただの『声』に一瞬だけ戻り、そして途切れた。
撃ち抜かれた風見鳥がそうなるように、偶像の胴体がくるりと舞う。
顔に笑みを張り付けたまま、胸と背中から血の華がぱっと咲く。
地面にどさりと倒れた時点で、もうそれ以上は動かない。
銃声の余韻は、そう長くは続かない。
一般人NPCから構成された人の群れ。
結果的には、そちらに対処せざるを得ないというサーヴァントらに対する陽動であると同時に。
魔力、呪力という観点からは一切サーヴァントに悟らせることなく接近できる『一般人にしか見えない』男にとっては。
それは、いざという時に紛れられる遮蔽物代わりであると同時に。
『呪具さえ出さなければ集まってきた野次馬の一人と一切判別をつかずに接近される』というチャフとして機能する。
大衆に驚愕の小波が走り抜け。
一瞬で血に塗れて倒れたという事実が伝わることで、それは恐慌の騒乱に変わり。
田中摩美々が、のども裂けるような悲鳴をあげた。
【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ 脱落】
◆
-
投下終了です
長引いて申し訳ありません。後編も期限内には、必ず
-
後編を投下します
-
「いや、あんたが知ってる以上のことなんか知らんし」というのが、通話口からの依頼人の弁だった。
眼下に小さく座り込んだ、憔悴する男に対して、である。
ならば下手に利用して足手まといにするよりは、当初からの『追撃』を進めようと、伏黒甚爾は切り替えた。
通話中だったところに敵連合からも着信が入っていたが、返電するよりもすぐに状況は動いた。
区内に、徒歩、自動車の渋滞を問わずにいく筋か伸びていた難民の行列が、一点で進行に澱みを生じさせている。
NPC同士での暴動が生じてもおかしくない環境下ではあった。
だがそうではないと、近隣で最も高い建物の屋上から遠隔視と精密視の双方によって知っている姿を捕捉。
仕事斡旋人との間で上意下達をぶらすのは生前からの手口だったが、今回の上意は気が利いていた。
東京タワー周辺から退避した痕跡を大まかにたどったところ、どうにも峰津院大和の残穢、臭跡、足跡が浮いていることは把握していた。
つまり、敢えて地上ではなく宙空を移動した線があることを意味していた。
地下に潜るまでの間に横目にした戦闘で、飛行能力を駆使していたのは方舟のサーヴァントだったと思い出しつつ。
まさかあれほど嫌悪していた方舟陣営に絆されたのかと胡散臭い疑惑が生じるも、『同じ方角に逃げた可能性』を踏まえた上での紙越空魚の下準備は効いた。
もともと、方舟陣営の中核を構成していたアイドルたちもまた世間的な認知度は低くないことも併せれば、眼の付け所は悪くない。
元より削りを仕掛ける上で、『殺し過ぎる』つもりはなかった。
削りの効能は、敵の戦力を漸減させることや鈍らせることだけでなく『早くゴールしてしまいたい』と思わせることにある。
要は、決戦を急がせて戦いを活性化させる、潰し合わせる、当て馬に使うことができればこちらも楽になるということ。
それが果たせるなら、はぐれマスターの可能性がある戦力外の少女だろうと、仕留めることにも効果はある。
仲間を失った精神的な痛手だけでなく、『どこからか、また致死の弾丸が飛んでくるかもしれない』という恐怖がついて回るようになる。
故に、櫻木真乃を率先して射殺した。
故に、甚爾は誰しもが見ている公園にいるところを発砲した。
彼らにとっては視界の端にあたる、人並みの後方にまぎれて。
方舟側の主従も姿を現し、とっさに『人ごみ自体に対処しなくては』という意識で動こうとする隙をついて。
頭ではなく胸部を撃ち抜いたのは、血が衣服を濡らすところを分かりやすく見せるため。
ただ『倒れた』のではなく『射殺された』のだと、衆人にも露わにする。
-
遺体になった少女の五体が、どさりと転倒音を響かせた時点で。
少女をマスターだと察した者、察せない者、関係者の全員が『聖杯戦争の襲撃だ』と突きつけられる。
「櫻木……」
群衆のざわめきに紛れながらも。
峰津院大和がその場で娘の名を呼んだことは甚爾にとって意外だった。
紙越空魚から聞いた風評では、たいそうふてぶてしいガキだったとのことだが。
いずれにせよ、削りにかかる二人目はその他称ガキだった。
なぜか方舟側とともにいる警戒視だけではない。
東京タワーで猛威を振りまいていた『龍』と同じ匂いが、峰津院からまだ在るのが決め手だった。
甚爾の探査には一度でも嗅いだ匂いや衣服に隠し持っている形跡なども特定材料となるため、魔力を隠す細工があったところで疑いはない。
未だに龍脈の残滓の一部でさえも、峰津院大和が所持しているのだとすれば。
それを強奪してフォーリナーの戦力源とする旨味は大きい。
校舎にいた他のアイドル二人のうちの一人が、絶叫の果てにふらりと倒れる。
それと前後して、パニックに陥った騒乱がどっと衆人から沸いた。
半端に聖杯戦争なる知識を刷り込まれたばかりの大衆からすれば。
『聖杯戦争の戦闘』とは何が吹き飛んでもおかしくない惨禍の予告に等しい。
わっとバラバラに走り出す者とそうでない者で入り乱れる。
そうでないのは竦んで動けない者や、ストレス反応で心神喪失した者。
転倒し、玉突き、将棋倒し、あるいは意味不明の挙動に走り。
「――メギド」
峰津院は、既に次なる単語を口にしていた。
威力を限度まで上げるよりも『溜め』の時間を削ることを優先したかのような短い言の葉。
そして、発砲音が鳴り響いた一帯が燃え上がった。
火事にしては鮮やかすぎる色合いの爆炎が発散され、付近にいたNPCが十数人単位で焼死か爆死を遂げる。
――見越して、すでに行列の前方へと狂慌の人並みをかき分けていた甚爾をのぞいて。
襲撃者がよく見えないから、襲撃者がいるであろう周囲一帯を皆殺しにする。
あまりの大雑把さに、しかし、狙い通りに動いてくれたと手応えはあった。
そうせざるを得ないよう、誘導するための一発目だった。
周囲にサーヴァント反応も、術師など『力ある者』の魔力も何も感じられない環境で。
一般人の群れに負の感情を向けられる中で、その衆人環視にまぎれて。
『拳銃射撃』によってアイドルを殺害した。
いかに標的が頭脳明晰であろうと、襲撃者は『武器を手に入れた一般人マスターだ』と先入観を持たずにいられない。
東京タワーでも見かけた灰金髪のサーヴァントは、少女二人の前に銀の炎幕を顕現させていた。
次弾が放たれぬよう射線を切るためのものであり、なおかつ狂乱したNPCに殺到して来られないための措置でもある。
だが、拳銃弾くらいでは致命傷を負わない峰津院大和からしてみれば対応は違う。
その男が警戒するのは『襲撃した推定一般人マスターが、サーヴァントを呼ぶ』展開だ。
従来であれば『サーヴァントを呼ばれたところで己の力量があれば』と構える余裕があったが、今は違う。
霊地を使い尽くして資源が限られ、手痛い敗北も経験している中での連戦ともなれば。
『どのみちマスターを排せばサーヴァントも消えるのだから、一手目で襲撃者の確殺を試みる』という思考が重くなる。
襲撃者は『術師殺し』だと知り得ない条件下で。
身の守りよりも攻撃に手数を割いてもらえること。
それはたいそう都合が良かった。
-
人の群れに身を隠しながら、人よりも敏捷な動きで将棋倒しを掻い潜り、大和に対して最短距離となる正面まで詰めている。
呪具を発さないただの小刀を手元に忍ばせ、峰津院がさらに連続して炎弾を放つのを逆光にして、飛び出す。
これより先は、一秒の間に二十四分割で動いても見切れる者の視界だ。
元より、正面からの対決は避けていた。
標的は、おそらく元世界において『当代最強の術師』に相当する人物だ。
いくら『術師殺し』で、かつ因果やサーヴァントの軛に囚われない身の上であっても、再現したいマッチアップではない。
相手が霊的防御で護身していたところで天逆鉾を用いれば即殺の一撃を仕込む余地はあったが。
主目的が『削り』であるからには『呪具を取り出すことで先んじて防衛戦を構えられる』方が面倒ではあったし、
何より下手な刺し方をすることで、龍脈だったものを台無しにしても困る。
だから状況は作った。
万全ではない魔術使いが、その上で防護に割くリソースをさらに削る場面を。
呪縛下にある暴力を開放した肉体にとって、炎の揺らめきは緩やかにくぐれる垂れ幕に等しく。
地を蹴りつけて己の身体を弾丸にしてしまえば、瞬きするより早く喉元に手が届く。
挙動がすべて数十分の一秒で見える視界で、峰津院大和がこちらを向いていた。
動きを捕らえきるまでは叶わないまでも、反射が追いついている――おそらく肉体加護を反射神経、ないし回避能力においても適用させている。
後退り、身をかわそうとする動きを見せているが問題なし。
避けようとするということは、防御力は万全でない可能性が高いということ。
少女二人の前に銀の炎幕を出したサーヴァントが校舎付近から駆けつけているが、こちらも問題なし。
逆の手に持ったままだった役目を終えている大口径拳銃を肩から先の動きだけで振りかぶり、銀炎を突き破る勢いで暴投する。
射線も何もないあてずっぽうだったが、青年のサーヴァントは対応せざるを得ない。
単純暴力の投擲を払い落としている間に、こちらは二人目に到達している。
違和感。
峰津院大和を正視している、その視界で背景にあたる青空が、動いていた。
否、動いているのは空ではなく。
-
――青い空の一面を、翼を広げた鳥たちが羽ばたいていた。
被災地の多数発生による営巣地の変動を考慮しても、多すぎる数。
大掛かりなマジックでも仕掛けられたかのように、青空へと放たれていく。
1秒が多数のコマ送りで表される世界に、やわらかい羽音の書き文字が入り込む。
そのアイドルが歌っていたから、鳥たちが集まっていた。
そのアイドルの歌声が消されたから、鳥たちは飛び去った。
そういった現象を知らない者にとっては、それは自然発生した現象とは思われない。
注意力の幾ばくかは、標的ではなく外部へと向けられる。
その上で、だがパフォーマンスには全く問題なし。
何らかの使役術が介在しているものには見えない。
――さらに違和感。
鳥の羽ばたきによって拡散した注意に、気配が引っかかる。
公園へと急接近を遂げる、人ならざる速度の突進音があった。
考えられるとすれば路地に座りこんでいた男のサーヴァントだと心当たりはあり。
急に戦意を滾らせたのかと不信なところはあれど、今にも姿を現そうとするほどに詰め寄っている。
問題なし。
こちらも乱入の可能性は考慮に入れている。
まず峰津院だけは斬り捨てた上で対応すれば良し。
乱入者がどういうことだと見渡して敵味方を見分ける一瞬の間に、こちらは標的を断ち割っている。
そして既に、あとは腕を振りぬくだけの位置関係に峰津院大和の頸筋がある。
――重ねての違和感。
異常発達した触覚の持ち主は、殺気ある視線を肌に刺さるものとして感知する。
未だこちらの姿を視認していないはずの接近者の視線は、
方位磁石の針のように正確に、甚爾を刺すものとして向けられていた。
歌声に惹かれて集まった鳥がはばたいたことで、警戒心が周囲に拡散されて。
拡散された警戒心は、いち早く乱入を果たそうとする何者かに引っ掛かり。
何者かはなぜか出現前から甚爾に殺気を向けている。
-
――違和感に逆らい続けると、ろくなことがない。
いよいよ見切りをつけて動作を停止。
拳が振るわれるような音と同時に、飛び退いた。
飛来する拳撃が、躊躇なく標的を屠っていれば直撃していた空間を地面ごと穿ち抜き破壊していた。
赤い刺青模様の鬼が、リンボの札を貼った姿で土ぼこりの中心へと重々しく着地する。
視線をわずか横に動かせば、首の皮一枚から血の雫を流れさせた峰津院は既に離脱を選択していた。
矜持の挽回より、あっさりと殺(と)られかけた甚爾への警戒に判断基準を置いたらしい。
甚爾としても、改めて彼我の数を確認。
こちらに敵意を持つサーヴァントが二騎。
さらにマスターしだいでは、正気に返りしだいサーヴァントを呼ばれてもう一騎増える可能性もある。
そこまでに至れば、それは削りを越えた全面戦争だろう。
「――こりゃゴメンだな」
伏黒甚爾は、あっさりと撤退を決めこんだ。
◆
『闘気探知』は魔力の探知ではなく生態反応としての個体識別だ。
生まれたばかりの魔力、呪力を持たない赤子でさえ闘気は微弱に持っている。
そして猗窩座の中にある闘気を示す羅針盤は、一般人同士の闘気でさえ個体として見分けができる。
よって、猗窩座の血鬼術の領域内において、その男は識別できない透明人間ではない。
偵察にあたって感覚を開いたことで、覚えのある闘気もまた公園へと急接近していることを察した。
龍脈の地下陣地にて対峙した、奇妙な男のそれだった。
男が公園に至ったのと同時に櫻木真乃の歌が途切れ、闘気も失われたことで、襲った側襲われた側がどちらなのかはおよそ察した。
主にとって決して失っても心痛まぬ相手ではない偶像を殺害したのみならず。
暫定の奉仕対象である七草にちかに危害を加えかねない位置にいたとなれば、要警戒対象は決まっている。
なぜ幽谷霧子たちの味方をしていた男がくるりと敵味方を逆転させたのかは定かではなかったが。
猗窩座の主も近隣にいる以上、ある程度は主から距離を引き離させるべきだと追い駆ける選択をした。
眼と鼻の先に七草にちかがいることに意識が向かないではなかったが。
歌が途切れたのと同時に主がひどく動揺していることが感覚共有で伝わったので、判断を仰ぐのは控える。
こちらが避けるまでもなく彼女らのサーヴァントとて、人目を集めている中で少女二人を放置して他主従に追いすがることはできない状況だった。
-
よって、猗窩座は場を流して気が乗らない鬼ごっこをしばし選択する。
「お前、もう方舟には戻らないとか何とか言ってなかったか。なんで猿より節操が無いんだよ」
「……猿だというなら、鬼や修羅よりはまっとうな生き物だと言いたいのか?」
お互いに『なぜ相手は方舟の敵か味方か判別つかない真似をしているのか』という一点を疑問として抱いたまま。
【杉並区蚕糸の森公園付近/二日目・朝】
【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:腹部にダメージ(小)、マスター不在(行動に支障なし)
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等(拳銃はまだある)
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:オマエはそう選んだんだな。なら、俺もやるべきことをやるだけだ。
1:鬼ごっこが終わりしだい紙越空魚に連絡。敵連合への返電は……。
2:あの『チェンソーの悪魔』は、本物の“呪い”だ。……こいつ(アビゲイル)もそうか?
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
※天逆鉾により紙越空魚との契約を解除し、現在マスター不在の状態です。
ただしスキル『天与呪縛』の影響により、現界に支障は一切出ていません
【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:頸の弱点克服の兆し、霊基の変質
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:───何者だこいつは。
1:プロデューサーに従い、戦い続ける。
【港区北部/二日目・朝】
【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(中)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:アサシンに次は何を任せようか……。
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
2:リンボの生死に興味はない。でも生きているのなら、今度は完膚なきまでにすり潰してやる。
3:『連合』についてはまだ未定。いずれ潰すことになるけど、それは果たして今?
[備考]※天逆鉾によりアサシン(伏黒甚爾)との契約を解除し、フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。
【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基再臨(第二)、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。
-
◆
命乞いを美辞麗句で装飾しているにすぎないと断じていた。
それを実の伴った言葉として受け止めるだけの力を、光月おでん亡き後の方舟は示せていないのだから。
しかしその娘は、命乞いを願う者であればまずやらないような真似をした。
それが論理的な瑕疵となって、峰津院大和に愉快でない想いを遺している。
今朝方から何度も味わっているこの感覚こそが、光月おでんが形容するところの『苦味』だったのだろうか。
首筋から滴る血をディアで癒し、そこに手をあてると肩口から何かが落ちた。
拾い上げてみれば、白い羽だった。
何故か櫻木真乃の歌に寄せられるようにして集まり、その命が絶たれると同時に飛び立ったうちのひとひらだった。
あっさりと先入観に捕らわれて暗殺を許す所だったのは、とうてい二度目を許されない過ちだったが。
もとより櫻木真乃は敵手を退けるため歌ったわけではない以上、助けられたと受け止めるのは感傷的に過ぎると一線を引きなおす。
ふと、彼女が届けようとしていた配給食のことを思い出した。
始めに教室で席につくよう勧められた時に、彼女はそれを何と呼んでいたか。
記憶はしていたが、意味のある交流になるとは思わなかったから、その時は聞き流していた。
――峰津院さんは、■■■、食べませんか?
記憶に照合がかかる。
櫻木真乃が口にしていたのと同じ単語を、ある人物の固有名詞以外で聴いたことがある。
――おい、お前まさか、知らねえのか
――■■■の味も知らねえ奴が世界だなんだと言いやがって……!
それでは、あの袋の中に入っていた器の中身こそが。
「……あれが、おでんだったか」
受け取り損ねた器を今さらに理解したことに、なんてもったいないと嘆く侍の声を想像した己に辟易する。
どのみち、彼女らを突き放した己に受け取る資格はないだろうと道理の上で割り切りをくだす。
そもそも、その味を知っておくことが理想実現のために役立つとは思えなかった。
ただ、踏み潰す側と踏み潰される側でしかないのだろうと思っていた踏み潰される側が。
踏み潰される前に、無償の善意でどうか受け取ってくれと菓子を差し出してきたような。
そんなわけのわからなさが、いつまでも残った。
【杉並区/二日目・朝】
-
【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:ダメージ(翔)、魔術使用不能(既に回復)、魔術回路に大規模な破損
[令呪]:残り一画
[装備]:『龍脈の槍』
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:この私が、これで終わると思うなよ。
1:まずは正確な被害状況を確認。方舟の一員になったつもりはない
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
【備考】※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。
※押さえていた霊地は全てベルゼバブにより消費され枯渇しました。
※死柄木弔の"崩壊"が体内に流れた事により魔術回路が破損しています。
これにより、以前のように大規模な魔術行使は不可能となっています(魔術自体は使用可能)。
どの程度弱体化しているかは後の書き手諸氏にお任せ致します
◆
もうすぐそちらに到着するという念話を摩美々に送ったが、届いている様子がない。
その時点で不穏な事態が生じたことを、メロウリンクは予感した。
後部シートに乗せて送迎中である幽谷霧子に警告を促すべきか迷っていたところ、予感は確信へと変わる。
「アーチャー……!」
少女二人を片手ずつで抱きかかえるような恰好で、銀翼のライダーが低空飛行にて合流を果たしたからだった。
ライダーの顔には敵兵の急襲を告げる哨戒兵のような切迫感があった。
そこそこ雑に抱えられていたはずの七草にちかは何も文句なしに腕からすべり降りて、いつでも動けるよう身構えている。
そして……。
「摩美々ちゃん……!」
幽谷霧子に高い声をあげさせたのは、ライダーのもう片腕に抱えられた少女が意識をなくしている様子だった。
明らかにただ眠りに落ちたのとは違う、青ざめた顔色がメロウリンクの危機意識を引き上げる。
「詳しい話は後でする。今すぐこのあたり……少なくとも杉並区よりも東の方に退避したい。
摩美々さんの体調は無事だよ。さっきショックを受けることがあったのと、疲れがたまっていたのもあると思う」
赤色と青色の中間のイメージカラーを宿した少女は、憂鬱の青がにじんだ面差しで目を閉ざしたまま。
海中時計の持ち主から託された少女が、これまで気丈にやってきたことをメロウリンクは知っている。
師のように兄のように慕っていた相棒が消えゆく時も、最期まで支えきっていた。
そんな彼女の、積もっていた疲労を噴出させるほど心削られることがあったのかと懸念が生まれ。
そこで『一人足りない』という事実に、認識が追いつく。
-
「櫻木真乃はどうした……?」
口ごもるライダーに、メロウリンクは察した。
それこそが、『後で事情を説明する』ことが必要な重大事だったのだと。
そして、ライダーに変わるように答えたのは七草にちかだった。
「……最期まで、アイドルでした」
にちかの右手は、心臓の前あたりの位置でぎゅっと強く握りしめられていた。
誰かから受け継いだ仕草であるかのように。
それが大丈夫だよと思うための、おまじないであるかのように。
【杉並区(中野区付近)/二日目・朝】
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『閻魔』、『天羽々斬』
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:また重い責務を背負ってしまったな。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
2:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
3:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
4:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
5:大和とはどうにか再接触をはかりたい
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:真乃さん……『そうだよ』って言ってた……
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、気絶
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:???
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
-
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:摩美々ちゃん……
1:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
2:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
3:梨花ちゃんを……見つけないと……。
4:界聖杯さんの……願いは……。
5:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(中・ただし致命傷は一切ない)、疲労(中)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:復讐は果たした。が……
1:田中摩美々は任された。
2:幽谷霧子を方舟へ先導する。
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
◆
-
――今のプロデューサーさんと……前のプロデューサーさんは……ちゃんと繋がって……いるなら……
幽谷霧子は、上弦の参を介してそのように呼びかけたけれど。
その男にとって、『前のプロデューサー』とは、置き去りにして、見失ってしまった何かだった。
『前のプロデューサー』とは、その男にとって『担当アイドルを幸せにできなかった罪人』に他ならなかったから。
『今のプロデューサー』がその頃と比べ物にならないほど罪深い存在に成り下がったとて、その男は許されたものではないから。
――よかったら聞かせてくれるか? ■■のなりたいアイドルについて。それで一緒に考えよう!
ただアイドルの望みに沿えばいいのだと理想論を振りかざし。
――私は283プロのプロデューサーではありますが、その前に■■さんの絶対の味方でありたいと思っています。
――まだまだぺーぺーで至らぬ点もあるかと思いますが、その点だけは誓って違えません。
どの口がそんなことを言ったのか。
結局、何一つ成し遂げられなかった口約束を、アイドルの家族との間で交わすような。
その思い込みと思い上がりが、七草にちかを追い詰めたのではないか・。
幽谷霧子が語っていたような信じるに足る存在であるはずがない。
なぜなら、鬼を自称する者の過去は、慚愧をもとに顧みられるものだから。
たとえ愛のある思い出が混じっていても、妄執を前提とする悪辣な懐古に切り替わり。
往年は宝物のように思っていた日々でさえも、罪悪感が輝かしい面影を色褪せさせる。
眩しすぎて正視に堪えない記憶の中で、ただ『彼女の幸いを願う』という一念だけが刻まれている。
そう、『プロデューサーになった後の記憶』を揺さぶることにかけては、歌は響かなかった。
-
けれど、歌は時間を繋ぐものだ。
たとえ色鮮やかだった日々が取り返しのつかないものだったとしても。
音楽によって、嘘偽りない『あの頃』に立ち戻ることはできる。
取り立てて難しいことはない。
たとえ現在は『推さなくなった』『担当をやめた』アイドルだったとしても。
久方ぶりに歌声を聴いてしまえば、『懐かしい』と思うのは自然なことだ。
たとえ今現在はそうでなくとも、『あの時は大好きだった』という事実に偽りはないのだから。
――遠い空のはて
それは、感覚共有を介して耳に届いた、はじまりの歌だった。
歌声は、タイムマシンになった。
あの日の空を、憶えている。
十代半ばほどの女の子たち、二人から三人ほどのユニットを組む。
それを前提に公募をはかり、書類審査や面接を繰り返しながらも。
どうにも、これだという組み合わせは形にならず、スカウトも不調続きで。
自分で見つけて来いだなんてはづきさんも社長も無茶を言うよな、なんてぼやきながら。
――遠い空のはて、星はそっと流れてく
事務所にそう遠くない公園から、そんな歌が聴こえたのは。
そう、はじめて会った日の空の色は、今日と同じだった。
――小さな光が、咲く一瞬が、とてもまぶしい
やさしい声なのに耳によく残る。
真昼の星のように小さくも心魅かれる何か。
ちゃんとした歌唱指導を受けているという風な歌い方ではない、まだ粗削りな原石の歌。
――はばたける風がもしもふくのなら
公園の中を見回せば、白い鳩たちに囲まれながら歌う女の子がいた。
心の中に灯っている何かの衝動を表すかのように、鳩たちを観客とするかのように。
なんだか不思議な光景なのに、一枚絵のようにしっくりときた。
-
――見上げた彼方へ、飛び立ちたいよ
光のスポットライト。ステージのようにせり出した公園の高台と青空。
そよ風のコンデンサーマイク。
風で若木の擦れる音が、光のシャワーを浴びる音のように聞こえた。
まだ普通の女の子でしかないその子を、輝かせるように。
――どこまでもずっと、晴れ渡る世界
そう。
この子に、輝いてほしいと思ったのだ。
輝きばかりではない、この世界で。
――探しに行くから。想像の翼をさぁ、広げて
あの頃、声をかけていたアイドルも、選考していたアイドル候補生も他に何人もいた。
アイドルたちに順番をつけることはしないし、彼女だけが特別だったわけではない。
けれど、その子だけの特別なところはいくつもあって。
あの時には言葉にしきれなかったそれを、後になって当人にも告げたのだけど。
これから、この子がアイドルたちの真ん中にいてくれたら、いつでも思い出せそうだったから。
輝きばかりではないこの日々の中で。
自分で自分の場所を見つけなければいけない世界の中で。
自分はどこに立って、どんな風に役に立てるんだろうと考えている偶像たちの中で。
みんな特別だし、みんな普通の女の子だということを。
だから……これは、もう最初の奇跡。
『こんにちは』
――見つけた。
-
近づき、声をかければ鳩たちが飛び立った。
たくさんの羽根の音を拍手として、驚いた少女がこちらを向く。
風になびかぬよう、右手で横髪をおさえながら。
それでも身体をくるりと回す時に、シルエットはふわりと揺れる。
その時に、初めて目が合ったのだ。
口の形が、『ほわっ』と動く。
手をのばせば、生まれてくるのは言葉だ。
『突然だけど……君、アイドルになってみる気はない?』
連れて行くよ。
君を必ず。
大空へ。
勇気をさぁ、味方にして。
そんな祈りを抱いたのと、同じ空の下だった。
あの日と同じように、たくさんの羽音が鳴る公園だった。
いつかと同じ、いつかとかけ離れた『予感』に胸を逸らせて、その男は足を踏み入れた。
その公園にいた者が、全てばらばらに逃げ延びた後のことだった。
公園の真ん中には、小さな星が落ちていた。
風に舞い散ったたくさんの羽根が、少女を弔うように積もっていた。
あの日歌っていた少女が、公園の舗装に倒れ伏し眠りについていた。
「聴こえたよ……本当に、きれいな歌声だった」
過去(きのう)が、永遠になる光景が、そこにあった。
地面に膝をつき、男はただ、永遠に目を覚まさない少女を見ているしかなかった。
昨晩に櫻木真乃から電話をもらった時に受け答えをしていれば、ここまで茫とすることは無かったのか。
そんなもしもに耽りながらも、その男は確信する。
たくさんの鳥たちに慕われて、一方であっけなく命を散らして。
最期まで彼女は特別で、普通の女の子だったことを。
そして、やはりその原点(オリジン)は。
翼を持っていた少女たちの、誰もが等しくそうであり。
七草にちかも、彼女が憧れた八雲なみも、そうだったのだということを。
『前のプロデューサー』は、やり方を間違えたに違いなかったけれど。
『前のプロデューサー』を信じさせた、アイドルたちの輝きに偽りはない。
みんなが輝ける世界、そして七草にちかが輝ける世界は、どこかにきっとあったはずで。
己は七草にちかの輝きを見つけるための旅を、共に歩めなかった。
-
歩むための時間はないと分かっているからこそ、呪いにすがることを止められない。
一度でも止めてしまったら、止まって顧みてしまったら、きっと終わる。
犠牲を積み上げた道程には一刻ごとに死神(にちか)が立っていて、嘲笑い鎌を振り下ろす。
捕まらないように走り抜ける。走り抜けた先で、さらに死体を積み上げると分かった上で。
――いったい何をどうしていれば、彼女と一緒に歩めたのだろう。
あなたの行きたいところはどこですか、という霧子の問いかけが心に蘇った。
確かに『行きたかったはずの場所』があったことに、思いを馳せ、うつむいて。
すぐに、顔を上げた。
そこには、もう瞬かない星だった少女の永眠が確かにあり。
そうなるまでの彼女の旅路、彼女と共にいた人達の全てがそこで終わっていて。
この世界には、『ずっとアイドルと一緒に歩んでいた存在』がいると、やっと気付いた。
その男は、『偶像・七草にちかと契約していた彼』のことをよく知らない。
けれど、七草にちかと一か月ともにあり、信頼関係を築くということの難しさはよく知っている。
その青年は、おそらくその難しい仕事を成し得たのみならず。
『聖杯戦争が終わるまでの関係である』という前提を背負いながら、偶像・七草にちかに向き合っている。
何より、今まで『アイドルのサーヴァント』だった者たちが。
どれほど献身的にアイドルの為に奮戦してきたのか、それを無碍にしてきた男はよく知っていた。
星の少女が、緋色の青年が、どれほどアイドルの為に想いと力を尽くしたのかを忘れてはならない。
身勝手と謗られても当然の発想だと、理解している。
彼らと一度対峙し、『一切会話せず問答無用で倒せ』という命令を下しておきながら、今度は彼によって己の答えを得ようと言うのだから。
だが、それでも、会いたいと思わずにはいられなかった。
己と違って、七草にちかへの導きを間違えなかった者がいるのだとすれば。
「終わらせ方が分かったよ、ランサー」
念話ではなく、独り言として呟く。
ランサーとの話し合いができるようになった時に、改めて指針として伝えるために。
-
七草にちかと話さなければ、彼女の幸せは分からない。
その通りだとして、話をしたとても犠牲者の数と時間の制限は揺るがない中で。
勝利がもはやつかめぬものだとして、七草にちかの幸いの為に働きかけられうる相手。
仮に自分があざ笑われるべき何者かだったとして、その糾弾をするだろう事情を知る者。
あるいは『七草にちかを幸せにする』という望みを、己以外に唯一抱いているやもしれぬ存在。
蝋翼以外の答えを得て狛犬に対峙した、銀炎の英雄(ヒーロー)。
「……俺がこの聖杯戦争で、最期に対峙するのは、きっと『彼』だ」
最初の奇跡に別れを告げて。
最後の因果を、確かに予見した。
【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・朝】
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(中)、幻覚
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:………きっと最期に戦うのは、『彼』だ
1:次の戦いへ。どうあれ、闘わなければ。
2:にちか(騎)と話すのは彼女達の安全が確保されてからだ。もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
[備考]プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。
◆
-
こうして、その瓶の中で。
想いがまた一つ、どこかに旅立った。
どこかの誰かに、届けられることを目指して。
――行ってきます。プロデューサーさん。
-
投下終了します
-
投下お疲れさまです!
自分も投下させていただきます
-
それを、最初武蔵は異世界と見紛った。
黒死牟は、幽世へ迷い出たものかと感じた。
東京都・渋谷区。
一月に及ぶ聖杯戦争の中で、現代より遥か以前の時代に生まれ落ちた彼らも幾度か足を運んだだろう町。
しかしそこは今や武蔵達の知る渋谷ではなくなっていた。
それどころか彼らのマスターを呼び出してこの光景を見せたとしても、誰もが皆一様に言葉を失って沈黙しただろう。
「これは……流石に、壮観と言う他ないわね。何をどうしたらこんな有様になったのか問い質したいくらい」
渋谷で起こったことについては武蔵も聞き及んでいる。
海賊カイドウの宝具鬼ヶ島による軍勢召喚、そして起こった大虐殺。
更に鬼ヶ島の墜落で難を逃れたわずかな生き残りも圧死の末路を辿り、区一つが新宿や世田谷に続く形で壊滅状態へと陥ったのが数時間前。
そう聞いていた。なのに――今、武蔵らの前に広がっている景色はそんな血腥い経緯を辿った町とは思えないほどに華やいでいた。
比喩ではない。
文字通り、今の渋谷は華/花で満ちていたのだ。
桜が、咲いている。
俗に言うソメイヨシノの特徴と類似した美しい花々が爛漫と咲き誇っている。
アスファルトやコンクリート、果てには街路樹の残骸や瓦礫の木片からさえも木が伸びて花が咲く。
辛うじて倒壊を免れたビルの内から窓を突き破ってあらぬ方向へ茂る桜。
かつて人間だったろう肉片に根を張って咲く、桜。
桜の幹から宿り木のように育ち枝分かれしていく、桜。
兎角ありとあらゆる桜が立ち並び、区全体が一つの桜並木道とばかりの有様を晒していた。
「魔力は……感じないわね。ていうことはやっぱり、これは――」
異常極まりない、異界の美しさ。
目に見えるほどの速度で成長しては拡散していく桜の樹海は、この町で落命した犠牲者達の墓標のようだ。
風が吹く度に薄桃色の桜吹雪が舞う町で、武蔵は眉を顰めながら花弁の一つを手に取った。
手のひらではらりと解けて消えていく花弁。そこから魔力の波長は感じないが……しかし、この匂いには覚えがあった。
思い出すのは痛恨の記憶。
今に至るまで、武蔵の身と心を苛み続けている敗北の景色。
異界・鬼ヶ島で相対し、武蔵とそのマスターに恐るべき真実を突き付けた男。
武蔵を排除して梨花を攫い無力化し、今に至るまで囚われの身に貶めている宿敵の一人。
-
「皮下、真……」
これは間違いなく、あの男の匂いだった。
相対した時から、妙な男だとは思っていた。
人の形をしているが、間違いなく人ではないと。
人であることを止めてしまっている手合いだと、そう感じていた。
だがそれでも、少なくともあの時は此処までの芸当が出来るほどの力は感じなかった。
単に爪を隠していただけなのか、それとも当時はまだ今ほどの力を振るえる状態ではなかったのか。
真相は定かではないが、今何よりも重要なのは皮下の生死。
「十中八九、生きてるでしょうね。イタチの最後っ屁にしちゃちょっと派手過ぎるもの」
つくづく、悪党ほど死に難いものだとそう実感する。
皮下の生死は未だ不明のままだが、もしも生存しているとすれば――もとい、主従揃って生存しているとすれば厄介だ。武蔵は歯噛みする。
霊地争奪戦の折に東京タワーでわずかな時間だけ邂逅した、海賊カイドウ。
武蔵は数多の世界を放浪し、その中で数多の強敵を相手取ってきた。
怪物超人魑魅魍魎、神仏の類ですらもはや見慣れて始めているほど。
その彼女の目から見ても、あの怪物は上澄みも上澄み。
獣国の雷帝はおろか、ギリシャ異聞帯で目の当たりにした恐るべき神々とさえ比較が容易に成り立つ。
――あれは、武の化身だ。
戦の神、荒ぶる龍(カミ)だ。
もし生きているのだとすれば、誇張なくそれだけで全ての生存者にとって事情が変わる。
単騎で聖杯戦争を終わらせかねない最強の生物。
この界聖杯で、あらゆるルールを取っ払って号令と共に殴り合いをさせたなら最後に残るのがあの巨漢海賊だ。
「それにしても。あーあ、この状況じゃなかったら一献洒落込みたいところだったのになあ。
これだけ見事な桜、世界の垣根を飛び越えて回ったってそうそうお目にかかれるものじゃないわよ。
ねえ、お侍さん。あなたもそう思わない?」
いたずらっぽい笑顔を浮かべて、くるりと後ろを振り返る。
後方にて佇むのは、六つ目の鬼。
桜の枝葉の隙間から降り注ぐ陽光を浴びても、灼けも焦げもしない佇まいがそこにはある。
武蔵の言葉に対して、彼――黒死牟は不動だった。不動のまま、ただ呆れたように言葉を紡ぐばかりだった。
「下らぬ………興味など、ない…………」
「ちぇっ。諸々晴れても堅物なところは変わらないのね」
「お前が、特別軟派なだけだろう……」
軽口に殺意が返ってこないようになったことは、進歩と言っていいのだろう。
唇を尖らせ不平を漏らしながらも、武蔵は内心そう悪い気分ではなかった。
聖杯戦争の世知辛さや過酷さを常に矢面に立って受け止めるのが英霊の仕事だ。
それなら、マスター達とも違う何の気兼ねもなく関わり合える相手が多いに越したことはない。
-
「第一……――休息に耽る前に、やるべきことがあろう」
呟いて、黒死牟は北西の方を見つめる。
そして一足、二足と前へと踏み出した。
その動作の意味は武蔵にも伝わっている。
彼女もまた、黒死牟と同じものを感じ取っていたからだ。
かの方角から漂い、匂う――同族(サーヴァント)の気配。
恐らく新手だろう。形はどうあれ、接触を図らない手はない。
だが自分を連れ立つこともなく一人そちらへ足を向けた黒死牟に対しては、武蔵も多少不満があった。
「ちょっとちょっと。二人がかりでの方がいいんじゃないの?」
「不要だ……貴様に、侮られる筋合いはない………」
「そういうこと言ってるんじゃ――」
「…………それに…………」
黒死牟が一度、その足を止める。
かつては悪鬼と呼ばれ、人を喰らいながら武を語り、妄執を抱いたまま地獄へと堕ちた男。
そして今は、妄執の名残がもたらす痛みを抱きながら尚も生き続けるしかない迷い鬼。
「その有様で、些末な露払いのため身を削るなど……自刃にも似た、不毛であろう…………」
「――、――……驚いた。いつから分かってたの?」
「見縊るな……甚だ不快だ……。骨の髄にまで絡み付いた異界の死毒、一目見ればすぐに分かる…………」
彼は、届かなかった者だ。
至れなかった者だ。
それでもその身は、とうに人の身が辿り着ける武の極致に片足を踏み込んでいる。
明鏡止水。至高の領域。悟り。――"透き通る世界"。
そう呼ばれた眼を持つ黒死牟には、当然のように女武蔵がその身に抱えた毒の色が視えていた。
だからこそ彼は此処で、武蔵を温存する選択を取ったのだ。
毒に侵された身を道半ばで酷使するよりかは、自ら汗を流して未来の"いざ"に備えさせた方が良い。
その思考は一聞すると合理の極みのようだが、しかし自ら以外の何も省みない悪鬼の在り方とは確実に相反したそれだった。
そのことを、果たして黒死牟は理解しているのかいないのか。定かではないし、どちらでもいい。少なくとも武蔵は、そう思った。
-
「ちなみに、ご意見伺ってもいいかしら。……どのくらいヤバそう、これ?」
「……ただちに死に至るものでは、ない……。だが、既に骨絡みだ……此処で貴様が死するまで、永劫にその身を蝕み続ける………」
「……やっぱりね。延々生殺しにされるってわけか――うーん、清々しいほど最悪。可愛い顔してとんだエグいものぶち撒けてくれたわ、あの絡繰娘」
武蔵の身を蝕む毒。
その名を、霊骸という。
機凱種の動力。
回廊から吸い上げては殺し、その残骸として排出された不純物。
人体であろうが霊体であろうが等しく蝕む、まさに異界の死毒だ。
故に通常の魔術で取り払うことは不可能。ましてや魔術に長ける者のいない方舟勢力では、僅かな希望すら見出し難い。
天元の花は蝕まれている。
そしてそれは、彼女が慮っている気になっていた月の鬼にすら見透かされていたようで――その事実に恥じらいを覚えつつ、武蔵は笑った。
「じゃあ、此処は素直にお任せしようかしら。その方がそっちにとっても良い気晴らしになりそうだし?」
「……抜かせ……。知った風な口を、利くな…………」
他人に頼らないことを美徳と覚えるほど、武蔵は稚くはない。
そこまで見抜かれているのなら、もはや是非もなし。
これ以上の議論は不毛だと踏み、黒死牟の厚意に甘えることにした。
鬼の厚意というのも妙な話だが、その妙さもきっと喜ぶべきことなのだろう。
今はもう亡い天禀の剣士と、鬼に向き合い続けたお日さまの少女の顔を脳裏に過ぎらせながら、武蔵は往く彼の背中を見送った。
「ホント……私も、しっかりしないとね」
体内を蝕む激痛は、あの時浴びた毒がまだ生きていることを如実に物語る。
進行増悪を続けるこの毒は、いずれ必ず自分の行く末を翳らせるだろうと断言できた。
二天一流、大胆不敵の新免武蔵が病に侵され不徳の身などと知れ渡れば笑いものだ。
剣を交わして語り合い、偉そうに説教を垂れた相手に慮られた事実を噛み締めながら、武蔵は桜の舞う道を進む。
怖気立つほど美しい桜吹雪も、むしろ望むところ。
彼方の地から響いた覇の咆哮、その余波を浴びながら――武蔵は思わず苦笑した。
大乱は直に始まるだろう。
いや、ともすれば今のが既に銅鑼だったのか。
どちらにせよ、休まる時は恐らくない。
錆付き病んだこの身で何ができるか、不安でないと言えば嘘になるが……
「上等、よ」
ならば良し。
その苦境すら斬り伏せ、己が研鑽に変えてみせよう。
確かな覚悟と共に呟いた一言は、武蔵の心胆に薬のように沁みていった。
◆◆
-
蒼雷、迸る。
桜、桜、桜、桜。
美しき幽世の桜が、数多の血を吸って永らえてきた夜の桜が咲き誇る渋谷の街並みを切り裂くように走ったそれを黒死牟は刀身で斬り捌いた。
雷切なぞ、鬼となったその身ではもはやとうの昔に過ぎ去った偉業に過ぎぬ。
振り被った刃を薙ぎ払うなり、雷霆の跳梁を赦さぬとばかりに無数の三日月が現出して都市の残骸を斬り刻む。
現れ攻めるは、蒼き雷霆。
受けて立つは、月の鬼人。
強い、と思う。
出来る、と感じる。
無言のままに互いの力量を見据えるのは、互いの強さ故のこと。
わずか一度の邂逅にして油断慢心の贅肉を削ぎ落とし、次の瞬間には英霊達はまた風と化した。
月の呼吸・陸ノ型――常世孤月・無間。
溢れ出す、月の雨霰。
巻き込まれれば忽ち肉片に変わるだろうそれを、雷霆の彼はしかとその眼で見据えていた。
見切るなぞほぼ不可能。間合いの外に飛び出すだけでも至難。
剣の心得で言えば黒死牟に遥か劣るだろう蒼雷……ガンヴォルトは、そう確信する。
白昼、晴天の空の下に轟く雷鳴。
雷を扱う鬼には覚えがあった黒死牟だが、眼前の彼が繰り出す技の冴えはそのどれをも超えていた。
斬撃の力場をすらねじ伏せながら、雷は響いてその間を縫うようにガンヴォルトが駆ける。
戦闘経験を頼りにして臨めばすぐさま足元を掬われる月の呼吸を、初見で苦しくも乗り越えるセンス。
厄介だ、と黒死牟はそう思う。それと同時に、ガンヴォルトが彼に向けて何かを放った。
「小癪…………」
追尾弾(ダート)の本質を、歴戦の鬼狩りである彼は即座に見抜く。
故に切り捨てる。その隙を縫うように迫った雷霆の一撃は、しかし事もなく異形の刀身によって受け止められた。
ガンヴォルトの怒涛の攻めを、聳え立つ巌のような堅牢さで受け流す黒死牟。
厳しい剣閃の一つ一つが、這うように空を滑って雷を斬る。
同時、それに付随する形で撒かれた月の力場がガンヴォルトの肩口を掠めた。
「(刀の軌跡に合わせて、鋭利な力場を配置しているのか)」
否、それだけではない。
単なる配置型の罠(トラップ)であれば、警戒していれば造作のない障害だ。
敵が作り上げた領域を踏破して打倒を成し遂げる、それはガンヴォルトにとって最も慣れた趣向の戦いだった。
にも関わらず今、掠り傷とはいえ出血を許したのは、つまり敵方の剣は地雷まがいの罠ではなくもっと性悪な仕掛けを宿しているということ。
-
時間経過と共に、ランダムな収縮/膨張を行う斬撃の力場。
まさに月が満ちては欠けるが如し、この仕組みがガンヴォルトの脳内に浮かび上がる。
舌打ちの一つもしたい気分になった。
面倒などという次元の話ではない――こうも悪辣な仕組みを、これほどまで道を極めた剣士が用いてくるとなれば、難易度は桁違いに跳ねる。
コォオオオオ、という独特の呼吸音が耳を突く。
特殊な呼吸法による自己強化。力場の散布。そして本命の斬撃。
三種の神器を束ねて襲い来るその姿は、ガンヴォルトにはまさしく悪鬼に思えた。
桜舞う町で、陽の光の下で戦っていることの奇妙さを除けば彼はまさしく鬼そのものだ。
展開される次なる剣技。雷雲をも切り裂き輝く月の鬼が、その秘剣を開陳する。
「侮るなよ、セイバー」
月の呼吸・参ノ型――厭忌月・銷り。
桜吹雪を薙ぐ剣を、ガンヴォルトは己が蒼雷で迎え撃った。
その出力はもはや、青龍に遅れを取った時の比ではない。
錆を落とした鬼が、尚も異形の剣を滾らせて舞うならば。
輝くことを望まれた男もまた、己が雷(ねつ)を武器に月光を喰らわんと猛る。
「迸れ――蒼き雷霆よ」
黒死牟の眦が、動く。
出力で彼の剣を上回る熱が、雷霆が吹き抜けてその裾を焦がした。
刹那にして黒死牟は危機を直感する。それと同時に三叉に分かれて肥大化する鬼刀。
迫る稲光を一つ、二つ、いやさ数十と切り捨てながら切り結ぶその表情は厳しい。
手練だ。そう感じた。
技巧ではなく出力と執念、それを寄る辺に戦う手合い。
黒死牟の脳裏へ走ったのは、彼の数百年に及ぶ生涯へ終止符を打った鬼狩りの剣士達との決戦だった。
あの時のことを思い出したその事実をもって、黒死牟は全ての様子見を排除する。
英霊となるに当たりとうに癒えた腹、霞の柱に赫刀で貫かれたそこが疼く幻痛。それが、不吉の予感であると確信したから。
「瞬く月をも撃ち落とす、殲滅の光となれ!」
月の呼吸・捌ノ型――月龍輪尾。
抉り斬る巨大な一閃に、しかしガンヴォルトは退かない。
電磁結界の出力を上げて最大限の防御を実現させつつ、火力と推進力に身を任せて押し通る。
ガンヴォルトが頼ったのは貫通力。ただ一点のみに集約させた、壁に孔を穿って突き破るための力学論。
これを用いて月の薙ぎを超え、遂に黒死牟が彼の雷の届く射程内へと収まった。
響く深い呼吸、それが剣技/血鬼術へと繋がる前に、少年は月を喰うための雷を詠んだ。
「天体の如く揺蕩え雷。
是に到る総てを、打ち払わん……!」
-
――《 LIGHTNING SPHERE(ライトニングスフィア) 》――
生まれ解き放たれたのは、無数の雷球であった。
その数はしかし、クードスが溜まる前のそれとは比べ物にもならない。
更に今回に限って言えば、これは黒死牟を単に滅ぼすためだけに繰り出したわけですらなかった。
「(――牢か)」
そう、牢だ。
黒死牟を取り囲んで逃げ道を塞ぐ、雷の牢。
彼が剣客である以上、足場と剣を振るうための余白は必要不可欠だとガンヴォルトはそう踏んだ。
月の呼吸は血鬼術であると同時に、剣技という型に縛られている。
足運び、歩法、振りかぶる動作に放つ動作。
厳密に完成されたそれを雷球の檻という障害物で妨害し、反撃の幅を極端に狭くする――ガンヴォルトの狙いはそこだ。
しかし黒死牟は、不動。
焦りはせず、息を荒げることもない。
代わりにもう一度、先の焼き直しとなる言葉を吐く。
「小癪」
浅慮、早合点。
悪鬼が剣の型に縛られ動けなくなると、本気でそう夢想したかと。
ガンヴォルトに対しそう突き付けるように、黒死牟は彼にとって初見の不条理を解き放った。
足、腕、身体の重心、いずれも不動のままに放つ伍ノ型。
月魄災渦――月に招かれた螺旋状の斬撃が、彼の行動可能範囲を無理やり押し広げながらガンヴォルトへ迫る。
そして振り上げる、虚哭神去。
小癪と断じはしたが、実際ガンヴォルトの策は黒死牟にとって予想外のそれだった。
だが、ならば予想の範疇に戻してやればいい。
頭上の余白を確保することで堂々と刀を振り上げ、そして降ろす。
月の呼吸・玖ノ型――
「……ッ!」
降り月・連面。
降り注ぐ斬撃は、決して経験の幅が狭くはない筈のガンヴォルトをして理解不能と言う他ない複雑さに怪奇していた。
どうにか受け止めるものの、腕を這う斬り傷がそれが苦し紛れの対応であったことを物語っている。
そしてその上で、追い打ちのように発生した三日月が彼を取り囲んだ。
直感する、死線。
恐るべき相手だと、改めてそう思った。
人の身を超えて尚、幾星霜の年月をただ剣のみに注いだ者。
その技の冴えが、喉元にまで死を突き付けて来ていることを実感した。
事実、このままであればガンヴォルトは数秒後には無数の力場によって膾切りの憂き目に遭うだろう。
そうでなくとも黒死牟の追撃が来て、首なり胴体なりを泣き別れにされるかだ。
どうしようもない詰み、断崖絶壁の淵――ただしそれは、彼に残りの手札がないならばの話。
「氷の鬼を知っているな、セイバー」
-
「死んではいないと、思っていたが……よもや貴様が、童磨を屠ったのか…………」
「いいや、違う。ボクとしてもいつか決着を着けたい相手だったが……結局その機会は得られずじまいに終わってしまった」
思うにあの鬼には、どうしようもなく熱量というものが欠けていた。
ガンヴォルトはそう思う。
頭抜けた力を持っているし、その気になればそれを余すところなく解き放つこともできる。
だが、その力を額面の数値以上にする能力を……炎を、あの童磨という鬼は持っていなかった。
それが、彼が上弦血戦の唯一の敗者として放逐された理由。
彼と何処か似た気配を感じる月の鬼と相対しながら、ガンヴォルトはそう所感を抱いた。
哀れな。それでいて、愚かな男だった。奴がしょうこに対してしたことを許すつもりなどは、毛頭なかったが――
「一時とはいえ轡を並べて戦った相手だ、弔う義理もなくはない。剣鬼よ――その首、貰い受けるぞ」
地獄の観覧席に、知人を送る程度の義理はくれてやろう。
宣言すると共に、ガンヴォルトが灯す雷霆の出力が突如数倍にまで上昇した。
次に驚愕するのは黒死牟の方だ。あまりに急激な数値の上昇。不測の事態が、剣鬼の試算を狂わせる。
計七騎分に相当するクードスの蓄積。
ミラーピースを介して継承した、"彼女"の遺志。
それは、ガンヴォルトの霊基を次の運命へと飛翔させた。
霊基再臨。その上で今、行使したのは――霊基の強化。
魔力の消費が大きい以上易々と使えるものではないが、試しておかなければ有事に備えられはしない。
だからこそ、ガンヴォルトは踏み切った。彼は眼前の"上弦の鬼"を、力の試運転に使うことを決めたのだ。
雷鳴、ひとつ。
次の刹那――ガンヴォルトの姿が、消えた。
「……!」
いや、違う。
黒死牟にだけは、その認識が誤りだと分かる。
至高の剣に及ばんとし、双眸の数を三倍にまで増やした彼の超越的な動体視力であれば目視ができた。
まさに雷霆そのものと化す芸当。高速を超えた、雷速での高速吶喊!
それが事の次第の正確なる実像であると、理解した時にはしかしもう遅い。
「――が」
腹部に食い込んだそれが拳であると理解した時には、既に黒死牟の身体は吹き飛ばされていた。
景色が線へと変わる。虚哭神去を杭代わりにして強引に止めなければ、何処まで飛ばされていたことか。
口元から垂れた血を拭う暇はない。月の剣戟を振るい、迫る雷霆を堰き止めんとする。
その猛攻を引き裂きながら差し迫るガンヴォルトの姿は、さながら雷の化身の如しだった。
次いで叩き込まれる雷撃の応酬。
捌き切れなかった分が身を焼く。鬼の再生能力でも瞬時には賄えないだけの熱傷が、黒死牟の痩身を焦がしていく。
明確な不快さに瞳が歪んだ。黒死牟は退くのではなく、前へと踏み出す。
灼く。灼く――か。
-
「貴様、ごときが………」
我が身を前に、熱を名乗るか。
苛立ちのままに放たれる剣は、明らかに先ほどまでと比べて威力が増していた。
雷という自然現象を相手に刀一本で挑む代償は、些末なものとして切り捨てる。
頸を落とされる前に、頸を落とす。
ごく単純な理屈のままに押し寄せる月の剣技を、しかし今のガンヴォルトの眼は正確に捉えていて。
――《 VOLTIC CHAIN(ヴォルティックチェーン) 》――
走る鎖が、月の呼吸が災禍を呼ぶ前に中空で刀身を絡め取った。
同時に、かの"旱害"にすら膝を突かせた雷が黒死牟の全身を駆け抜ける。
奥歯が砕ける。それどころか顔面の骨そのものが砕けそうなほど牙を噛み締める黒死牟だったが、しかし彼はあくまでも冷静だった。
脳裏をよぎる光景があるのだ。
悪鬼・黒死牟の今際のそれではない。
数時間前。朝日の中に消えていった、忌まわしい顔。
追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて。
それでもついぞ追いつけない、黒死牟にとっての永遠の壁であり、そして■■である存在。
――ああ、そうだ。
この身には、この身を滾らせる熱がある。
炉心のように魂を灼き続け、動かし続ける熱がある。
誓いは破られ、妄執は朝日に消えた。
あの男が、あの弟が自分よりも先に英霊の座へと退去して逝ったその事実が、黒死牟の剣を、それを振るう腕をかつてない領域に高め上げる。
そうして起きた現象は、ヴォルティックチェーンの縛鎖を素の膂力と剣の冴えのみで断ち切るという異次元の所業だった。
かつてならばいざ知らず、今の黒死牟を捕らえるのに鎖の一つ二つではあまりに役者不足だ。
宿業という呪わしき縛鎖から解き放たれた彼にとって、他の鎖が一体どれほどの障害になろうか。
侮りの報いに放つ、拾ノ型――穿面斬・蘿月。雷と、月とが、轟音と閃光を奏でながら激突する。
「……ボクの判断は、間違いではなかったようだ」
温存も出し惜しみもとんだお門違い。
ガンヴォルトは事此処に至り、改めてそれを確信する。
恐るべき鬼だ――そして恐るべき剣客だ。
喉元まで差し迫る刃の冷たさに、心胆から魂が冷えるのを感じずにはいられない。
強い。伊達にあの大戦を生き延びて此処に立っているわけではない。
「(場合によっては……此処で)」
"この先"を遣うことも、視野に入れるべきだ。
ガンヴォルトはそう考えながら、電磁結界が爆速ですり減る現状に眉を顰めた。
-
剣が奔る。応えるように、雷が躍る。
互いに回避よりも攻撃に重きを置いた、光と光、物理と現象の応酬。
ただ、わずかにガンヴォルトの方が優勢ではあった。
根本的な出力の差が、両者の間に存在する差を徐々に徐々にと広げていく。
展開された三日月の減る速度が増している。
それは即ち、黒死牟が敷いている防衛線が少しずつ後退していることを示していた。
このまま行けば遠からぬ内に押し切れる。
その頸を、取ることができる。
そう確信しているにも関わらず安堵を覚えさせないのは、黒死牟の剣に滲む文字通りの"鬼気"だった。
宿業からの解放。
それはしかし、彼の歩む道を安穏に変えはしない。
むしろ逆だ。黒死牟は今も、自身を悪鬼と謗る全ての声を遥かに超える自傷めいた覚悟と執念を自身に課し続けている。
縁壱。己が眼前で消えていった、あの男。
彼が死んで、自身が生き残ったこの現実。
此処でこの剣が、この業が遅れを取るような体たらくを晒すことだけは罷り通らない。決して、許されない。黒死牟はそう信じる。
その思考こそが、彼の剣を縁壱に対する妄執のみを糧にしていた頃のそれより遥か上の領域へと高め上げ。
有利に立ち回り続けている筈のガンヴォルトにさえ焦燥感を抱かせるほどの、鬼気迫る殺陣を実現させていた。
強い。だがそれ以上に、恐ろしい。
知っていた筈だ。過小評価をした試しなど、誓って一度もない。
それでも、こうまで響くものか――譲れぬ何かを抱えた者との戦いというのは。
・・
「月の呼吸・拾漆ノ型――――」
――――呼吸、鳴動。
月輪、胎動――――。
錆の落ちた魂という名の刀身が、新たなる境地へ鬼を到達させる。
忌まわしいほど晴れ晴れとした視界の中で、黒死牟は雷霆を断つための剣を練り上げた。
数百年。止まっていた時計の針が動き出し、詰まっていた澱みが外れたのを皮切りにしたように。
打ち止めとなっていた剣技が、未だ誰も知ることのない型を新生させる。
それを受けたガンヴォルトもまた、最大の力をもって敵を排撃するべく力の真髄を覗かせた。
「GLORIOUS(グロリアス)――――」
雷剣、抜刀。
掲げし威信を切っ先に変えて、月の昇る夜天を切り拓こう。
雷刃極点此処にあり。聖剣をも超えて輝く栄光を齎すべく、ガンヴォルトが咆哮した。
小鳥の献身、遺志。
数多の激戦、邂逅。
その全てが、ガンヴォルトの力に変わって黒死牟を迎え撃たせる。
負けはしない。だから見ててくれ、さとう。
新たな主と彼女の"愛"にそう呟きながら、いざ高らかに雷霆の君は真銘を謳い上げようとして。
「はい、それまで」
そこで――双方の間を取り持つように、この場から逃された筈の女傑が着地した。
-
銀髪、多刀。
一目見た途端に、ガンヴォルトは彼女を手練れであると理解する。
だからこそ彼は顔を顰めた。面倒な事態になったと、そう思ったからだ。
雷剣の開帳でもろとも消し飛ばすのも"アリ"だが、どうするか。
逡巡する彼であったが、しかし彼以上に激しい不快感を滲ませたのは黒死牟の方。
「何用で、この場へ割り込んだ……事と次第によっては、只では――」
「ちょちょ、タイムタイム!
確かに良いところで割り込んだのは認めるけど、そこは私達が現在進行形で超ピンチだってことに免じてどうか! ね!!」
古今東西、死合の最中に横槍を入れられて怒らない剣客は居ない。
女――武蔵自身、気持ちは分かるからこそ彼女は黒死牟に汗を垂らしながら両手を合わせて平謝りした。
武蔵とて、できることなら最後までやらせてやりたかった思いはある。
とはいえ、だ。背に腹は代えられない。
次の大戦の気配が迫っている以上は、此処で黙って戦いの決着を見届けることはできなかった。
「二人がかりでも、ボクは構わない」
ガンヴォルトは、微塵の気後れもなくそう言ってのける。
実際、"試し"とはいえ魔力の消費の大きい霊基強化を切ったのだ。
多少以上のリスクを抱えてでも、敵を落とす方に舵切りするのは当然だろう。
だがそんな彼に、武蔵は内心の"唆り"を堪えながら言葉を向けた。
「もちろん、戦いそのものを悪し様に思ってるわけじゃないわ。
ただ、ね。貴方も感じたでしょ? 見過ごしておくにはちょ〜っと具合の悪い、とんでもなく剣呑な"覇気"」
「……ああ。一度は矛を交えたことのある仇敵だ、当然気付いたさ」
「嘘、貴方アレと戦ったの? 良いなあ、私もこんな面倒臭いことになる前に私的に挑んでおきたかっ――こほんこほん」
青龍は。
四皇カイドウは、生きている。
それだけで今のこの現状は最悪に近いと言ってもいいだろう。
喉から手が出るほど、猫の手も借りたい状況なのだ。今の、自分達は。
黒死牟には後で誠心誠意詫びるとして、今はとにかくやるべきことをやらねばなるまい。
「信じて貰えるかは分からない。何しろ、私は根拠をぽんと出せる身分じゃないの」
「……何が言いたいんだ」
「ただ、話だけでも聞いて欲しいのよ。そして、貴方のマスターにも伝えて欲しい」
それが、今も安否の知れないあの子を救う近道になるとそう信じて。
武蔵は、訝しげに顔を顰めるガンヴォルトに向けて言った。
「みんなで手を取り合って、いっしょに助かる未来があるかもしれない。って」
大戦は近い。
だが、物語は廻る。
時が止まったように、春の風物詩たる桜が咲き誇り続ける渋谷区の只中で。
方舟の理想を聞き、それを素晴らしいと感じた一人の剣士が話を始めた。
◆◆
-
「……ふぅ、っ」
桜舞う、渋谷区のビルの一つ。
もう内部に人は居らず、廃墟然とした姿形を晒しているそこで、松坂さとうは息を吐き出した。
肌にはじっとりと冷や汗が滲み、呼吸を整えながら飲み下したスポーツドリンクがやけに美味しく感じた。
「(耐えられないほどじゃないけど……やっぱりアーチャーの言う通り、結構きついな)」
霊基強化/強化形態。
魔力の消費が大きいとは聞かされていたが、此処でどれほどのものか試しておく必要があるというのにはさとうも同意見だった。
だからこそ、ガンヴォルトに判断の全てを委ねた。
その結果彼は力を解き放ち、今、さとうは返し風である魔力消費の反動で息を荒げている。
一発で致命的、というほどではないのは幸いだった。
けれど、短時間で連発したり本来の継続時間以上の使用を命じるのは少し危険だ。
前に従えていた鬼は、上弦血戦で全力を出した時でさえ燃費面は良好だったが、今回はどうもそうもいかないらしい。
ままならないものだ。もうこの世界では慣れっこだが、うまい話というのはなかなか見つからない。
さとうは溜息をつきながら、窓の外の桜を見やり思いを馳せる。
「しおちゃん、元気にしてるかな……」
さっきはああ言ったが、やっぱり心配なものは心配だ。
彼女が連合で誰と出会い、何を学んだのか。さとうは、何ひとつとしてそれを知らない。
ただひとつ確かなのは、もう神戸しおはお城に閉じ込めて手を引いてあげなきゃいけない"お姫さま"ではないということ。
あの子は、ひとりで歩くことを覚えた。
それが誰のおかげなのかは、知らないけれど。
――しおちゃんが居る。
――この世界には、あの子が居る。
それを踏まえて考えられるようになったことで、さとうの勝利条件は随分とゆるくなった。
自分が勝たなくてもいい。しおが勝てば、それでいい。
最終的にしおが笑える形であるならば、どんな形だってそれは自分の勝利だ。
勝とう、私達のために。
勝とう。あの子のために。
甘い、甘い日々の残滓を鼻腔と口腔に噛み締めながら。
そう改めて誓ったさとうの手に、ひとひらの桜が載った。
それと同時だった――ガンヴォルトからの連絡が、届いたのは。
「……、……」
さあ、どうする。
利用、迎合、敵対。
三つの選択肢を浮かべながら、さとうは足を動かす。
砂時計は、逆さまになった。
◆◆
-
【渋谷区・製薬会社ビル内/二日目・朝】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(小)、ガンヴォルトと再契約
[令呪]:残り1画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:???
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
[備考]
※ガンヴォルト(オルタ)と再契約しました。
※神戸しおと擦れ違ったことに気付いてるのかは不明です。
【渋谷区/二日目・朝】
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:胴体にダメージ(小)、斬撃の傷跡(複数)、疲労(中)、クードス蓄積(現在8騎分)、さとうと再契約、令呪の縛り
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:???
1:さとうを護るという、しょうこの願いを護る。今度こそ、必ず。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
[備考]
※"自身のマスター及び敵連合の人員に生命の危機が及ばない、並びに伏黒甚爾が主従に危害を加えない範疇"という条件で、甚爾へ協力する令呪を課されました。
※松坂さとうと再契約しました。
※シュヴィ・ドーラとの接触で星杯大戦の記憶が一部流れ込んでいます。
※新宿区に落ちてたミラーピースを回収してます。
[ステータス関連備考]
※クードスの蓄積とミラーピースを介した“遺志の継承”によって霊基が変化しました。
①『鎖環』での能力が限定的に再現されています。
②クードスに関連して解放された能力が『電子の謡精』を除いて自由に発動できます。
これに伴い『グロリアスストライザー』もクードスを消費せず、魔力消費によって行使できるようになりました。
③強化形態への擬似的な変身も可能となりますが、魔力消費が大きいため連続発動は難しいです。
『電子の謡精』による強化形態との差異は現時点では不明です。
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、???
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:……。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(大)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』、第三再臨、右眼失明
[装備]:計5振りの刀(数本破損)
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:こっちでも、やるべきことはやらないとね……。
1:渋谷区での気配探知に同行。
2:梨花を助ける。そのために、方舟に与する
3:宿業、両断なく解放、か。
4:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
5:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※古手梨花との念話は機能していません。
-
投下終了です。
-
紙越空魚&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)、アサシン(伏黒甚爾)、ランサー(猗窩座)、死柄木弔、神戸しお&ライダー(デンジ)、田中一予約します
-
すみません、プロデューサーも追加で予約します
-
松坂さとう&アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))
セイバー(宮本武蔵)
セイバー(黒死牟)
皮下真
アイさん(NPC)
予約します。
-
こちらもすみません、古手梨花も追加で予約します。
-
間に合いそうにないので予約を破棄します、申し訳ありません
-
投下します。
-
◆◇◆◇◇◇◇◇◇◇
此処は、麗しき桃源郷か。
あるいは、三途の彼方か。
果てなき地平まで、桜の木々が立ち並ぶ。
桃色の花弁が舞い続ける、幻想的な情景。
行けども、行けども。
視界に映るのは、満開の桜のみ。
世界が、鮮やかな色彩に覆われ。
花雪に包まれるように、彼女は進み続ける。
その美しさを前にして。
少女は、思わず追憶していた。
“桜”の名を冠した、己の先祖を。
遠い過去に遡る、己の起源を。
少女は、思い返していた。
――――古手梨花は。
――――夢を、彷徨っていた。
“行かなくてはならない”。
“早く戻らなくてはならない”。
そんな思いを抱きながら。
梨花は、途方に暮れていく。
まだ、やらなければならないことがある。
まだ、手を取らねばならない者達が居る。
まだ、終わっていない“友情”が残されている。
この桜の迷宮の終着点を、梨花は答えもなく求めていく。
咲き誇る、桜の海は。
平凡な草木のように、其処に在り続ける。
最早それは、儚くも麗しい“特別な存在”ではなく。
まるでタンポポのように、呆然と偏在する。
花弁が、舞う。
花弁が、舞う。
震える呼吸。鼓動する身体。
桜色だけが、無限に繰り返される。
桜色だけが、視界を飲み込んでいく。
行き着く宛もなく。
只管に、走り続けて。
我武者羅に、進み続けて。
やがて少女は―――“魔女”は。
その脚を、少しずつ止めていく。
立ち止まった、視線の先。
一本の、桜の樹の下。
その幹に腰掛ける、ひとつの影。
桜色の景色に紛れ込むような、白い髪。
今にも儚く散りそうな、脆い微笑み。
その姿は、枯れ木のように映るのに。
奇妙なことに――――悍ましい程に、命の光が迸っていた。
無数の桜の樹々に隠れるように。
“彼女”は、静かに其処に座り込む。
誰にも気付かれず、ひっそりと影に咲く。
“奈落の花”であることを、受け入れるように。
そんな佇まいを見つめて、梨花は。
その寂しげな姿に、哀しさを覚えて。
“彼女”の微笑みを、二つの眼に焼き付ける。
これは、あの男から分け与えられた“呪われし血の記憶”なのか。
あるいは、命が燃え尽きていく中で垣間見た“幻影”なのか。
“奇跡の魔女”は、邂逅を果たした。
呪われし血脈を背負う、“夜桜の魔女”と。
そして――――ゆっくりと、手招きをされた。
◆◇◆◇◇◇◇◇◇◇
-
渋谷の市街地に。
桜が、咲いていた。
真夏の空の下に。
鮮やかな華が、繚乱していた。
数多の亡骸に根を張るように。
それらの木々は、アスファルトの町並みを蝕む。
ビルの壁や、横たわる自動車。
砕けた瓦礫に、ベンチや街路樹。
街の残骸を覆うように、枝と花は無数に伸びている。
街を覆う幻想の色彩。
宙を舞う花吹雪。
痛ましい桜色の景色を前にし。
彼はその顔に影を落としながら。
静かに、思いを馳せる。
―――櫻花(オウカ)、か。
かつて心を通わせた者を振り返りながら。
雷霆のアーチャー、ガンヴォルトは霊体化しながら街を駆け抜けていた。
他人へと歩み寄り、他人へと手を差し伸べる意志。
時には他人とぶつかり合うかもしれない、それでも真正面から向き合うことを選ぶ勇気。
それはかつて、オウカという少女に見出した強さであり。
己の一筋の光である、飛騨しょうこに見出した強さだった。
本来ならば――――桜とは。
彼女達の想いのように、麗しいものだった筈だ。
だが、この渋谷の街において。
咲き誇る桜は、死者の墓標として立ち並んでいる。
そのことに、何処か遣る瀬無さのような感情を抱く。
感傷の中で、改めてガンヴォルトは振り返る。
先程まで対峙していた相手とのやり取りを。
オウカ達と同じ“強さ”を垣間見た、ある陣営の姿を。
方舟組に迎合することは無く。
しかし、利害が一致すれば“共闘”はする。
それがガンヴォルト達の出した答えだった。
◆
数十分前。
ガンヴォルトは、女剣士のセイバーから“方舟組の方針”を聞いた。
曰く、彼女達は。
“聖杯戦争からの脱出を目指している”。
不要な戦いを望まず、殺し合いそのものからの離脱を目的とする。
この聖杯戦争は、言うなれば“強制参加”であることも事実であり。
そういった陣営が存在することも、さとう達は少なからず予見していた。
その上でガンヴォルトは――――二人のマスターの祈りのために、戦うことを選んでいた。
そして、“その過程で聖杯を狙う者達と向き合うことを選んでいる”。
それは、全てに手を伸ばして余すことなく救うためでははなく。
そうすることが、聖杯を求める者達へのせめてもの誠意と信じたから。
手を取れる者とは手を取り合い、最善の結末を模索していく。
例え相容れない者がいたとしても、その願いと向き合った上で戦う。
それこそが、方舟の面々が選んだ道だった。
彼女達の方針を噛み締めつつ。
ガンヴォルトは思考する。
-
方舟組の存在は、既に把握していた。
一日目の神戸あさひの炎上を皮切りに、ガンヴォルトはネット上の情報収集を幾度か行っており。
その過程で、SNSアカウントにおける不可解な“タレコミ”を発見していた。
ガンヴォルトは電気を自在に操り、電子機器等へのハッキングも行うことが出来る。
あさひの炎上拡散について調査したように、その書き込みの存在を割り出すことも果たした。
アカウントからの発信は二つ。
片方は、峰津院財閥が保有する霊地の存在についての書き込み。
そして、もうひとつ。
“283プロダクションを中心に聖杯戦争からの脱出を目論む集団が存在する”。
“実際に離脱者が表れた瞬間、聖杯戦争は強制終了となる”。
それは、この聖杯戦争における“脱出派”に関する情報。
彼らの存在の認知と、彼らが目指す計画の影響を流布する密告だった。
一日目の夜間からさとう達が積極的に激戦区へと介入しようとしたのも、これらの情報がきっかけの一つであり。
そして“割れた子供達”の首領がさとうに対して行った情報提供や、その後のSNSアカウントへの返信――方舟組の“対話路線の宣言”などから、ある構図が推測できた。
海賊は方舟の実態を掴み切れていない。
しかし、方舟の脅威だけは認知している。
故に“牽制”という一手を打った。
そして、方舟はその対処を余儀なくされている。
結局のところ、密告そのものには何の確証も存在しない。
書き込みもあくまで“脱出を目指す陣営の存在”と“それに伴う強制抹消の可能性”に触れたのみ。
そもそも脱出の手段というものが本当に存在するのか。彼らの言う強制抹消が一体いかなる筋からの情報なのか。
その裏付けには一切触れられていないし、ガンヴォルト自身も“脱出手段”に対しては懐疑的だった。
予選期間という一ヶ月もの猶予があった中で、それを未だに発動できていない時点で“そもそも実現の可能性自体が極めて低いもの”と捉えざるを得ない。
しかし海賊陣営の取った密告自体は“神戸あさひの炎上”と同じだ。
ネットワーク上での発信を行い、特定の対象を標的にした疑惑の煙を立てて、槍玉に挙げる。
方舟と海賊の敵対関係は、さとうがガムテとの対談の際に聞き出している。
あの密告もまた方舟に対する一種の削りである可能性は高いと考えた。
例え確証が無くとも、“その可能性を提示する”だけで十分に警戒の目を向けさせることが出来るからだ。
女剣士のセイバーが“全員手を取り合う未来”を陣営の看板として提示してきたのも、恐らくはそこが大きい。
彼女達は初めから対話を掲げていたというより、あの密告によってそうせざるを得なくなったのではないか。
脱出路線の継続か、聖杯狙いへの転向か―――その後の現実的な対応はともあれ。
彼らはまず“あの密告”で浮上した疑念を打ち消す指針を示さなくてはならないのだ。
そうでなければ、彼らは“実態は不明だが最優先で叩かねばならない陣営”というレッテルを貼られ続けるのだから。
そして脱出に伴う残存参加者の抹消という噂が立った以上、方舟はそれに対する自分達の誠意も示さねばならない。
この聖杯戦争において、最も消耗戦と耐久戦を強いられる陣営があるとすれば。
それは間違いなく、方舟組である。
ガンヴォルトは己の見解を導き出す。
結果の是非に関わらず、彼らは一旦“どの陣営とも対話をする”というスタンスを取る必要がある。
ただ敵を排除して勝ち残ればいい他の陣営とは異なり、理想や誠意のために彼らは長期戦のリスクを引き受けなければならない。
必ずしも戦う必要はなくとも、戦争が続く限りは粘り抜く必要はある―――そして肝心の脱出計画が本当に機能するものであるかも怪しい。
仮に聖杯を狙う方針に切り替えたとしても、最初から交戦を目的としていた他の陣営に対して初動は確実に遅れる。
セイバー達と連絡先は交換し合った。
方舟組への連絡先と、松坂さとうへの連絡先。
互いのコネクションは作った。
“海賊”のような脅威と対峙する際、場合によっては連携や共闘を行うために。
その為にも、皮下真や青龍のライダーに関する情報共有も済ませた。
その上でさとう達は、“方舟”には乗らない。
ただ彼らに迎合する訳にはいかなかったし、その旨も女剣士のセイバー達に伝えた。
松坂さとうには、聖杯を求める理由がある。
そして今後の陣営全体の方針展開があったとしても、リスクが大きすぎる。
長期戦は必至になり、マスターが戦線に巻き込まれる余地は大きくなるのだから。
博打のような方針にさとうを巻き込む訳には行かないし、さとう自身も念話で方舟組のリスクを認知していた。
だからこそ、思う。
そうまでして、何故彼らはその道を進むのか。
-
方舟側の“対話”というスタンスが、海賊側の密告によって必要に迫られたものだとしても。
彼らには密告の内容自体を否定することも可能だったはずだ。
あれはデマであり、寧ろ海賊側が真偽不明の情報によって盤面を撹乱している―――そんな風に海賊側への中傷として返すことも出来たはずだった。
しかし方舟は、敢えてそれを否定しなかった。
寧ろ脱出計画も含めて真正面から肯定し、その上であの指針を示してきたのだ。
我々は脱出を目的とするが、貴方達の想いを決して蔑ろにはしない。
そう伝えるように、彼らはあの返信を送っていた。
まるで自ら苦難の道を選び取ったかのように。
「貴方ならば、分かっているはずだ」
それ故に、ガンヴォルトは問う。
満身創痍の佇まいでありながら、手練であることが一目で伝わってくる女剣士に対し。
彼女らの願いに協力することを決意した、その想いを。
「その道を進むことで、如何なる苦難を背負うことになるのかを」
“理想”という、茨の道。
ただの少女達が貫くためには、相応の壁が立ちはだかる。
多くの痛みを背負うかもしれない。
多くの悲しみを背負うかもしれない。
それを止めることも、諫めることも、きっと出来たはずであり。
それでも尚、この女剣士はその真摯な祈りに手を貸すことを選んでいた。
「その上で……どうして“理想”を求める」
“理想”に寄り添おうとする彼女に。
そんな疑問を投げかける。
それは、方舟への“疑念”ではなく。
彼女達が進む苦難を案じるような想いから吐き出された言葉だった。
理想を貫く。正しいと信じた道を行く。
それは決して報われるものとは限らないと。
ガンヴォルトという英霊は、誰よりも知っていた。
ガンヴォルトは、ふいに視線を動かす。
先程まで交戦していた、月鬼のセイバー。
黒死牟は、何も言わずに控えている。
その身に闘志を宿らせながらも。
あくまでこの場を女剣士のセイバーに任せると言わんばかりに。
彼はただ、沈黙を貫いている。
「先に断っておくけれど」
それから、ほんの僅かに間を置いて。
やがて、女剣士が口を開く。
「私は“人斬り”に過ぎない」
彼女達の“理想”は素晴らしくとも。
自分はあくまで、ただの剣客でしかない。
己の身の程は、弁えている。
予めそう伝えるように、女剣士は呟く。
その一言に―――ガンヴォルトは、奇妙な感覚を抱く。
「この身を血漿で穢した、一振りの刃。
人を殺める術を研ぎ澄ませた、修羅道の士。
剣の道を極めるなんてのは、そんなもの」
どこか自嘲するように呟く女剣士。
その姿に対し、ふいに懐かしさのような思いが過る。
己を蔑み、嘲りながら。
微かな希望へと、手を伸ばして。
求めるものを掴めずに、彷徨い続けた。
何も得られず、何も残せなかった。
そんな生前の己自身を、ガンヴォルトは追憶する。
-
女剣士のセイバーは、飄々と佇む。
その凛とした面持ちの裏側には。
ある意味で、自分と通じるものが秘められているのかもしれないと。
ガンヴォルトは、ふいに思う。
一迅の雷霆。それ以上でもそれ以下でもなく、ただの暴威として後世に語り継がれたかもしれない。
そんな己の恐怖と、彼女の自認が、何処かで重なる。
「けどね」
しかし、それでも。
今のガンヴォルトの掌には、“希望”が残されている。
そして――――それは、女剣士にとってと同様だった。
そう伝えるかのように、彼女は言葉を続ける。
「私を頼ってくれた“小さな旅人”が、奇跡を追い求めてた」
女剣士は、いつしか。
自嘲するような表情を、静かな微笑みへと変えていた。
「ただの女の子達が、信じるものを直向きに貫こうとしてた」
古手梨花。283の少女達。
信義を貫き、誠意を胸に抱き。
矜持の為に、彼女達は奇跡を追い求める。
突き付けられた運命と向き合い、それでも最善の道を模索し続けている。
例え如何なる結果を迎えようと、“納得”を掴み取るために。
そんな少女達に、宮本武蔵は敬意を払う。
懐かしさと眩しさを、確かに感じながら。
女剣士は、穏やかに微笑む。
「だったら―――そんな想いを守る“正義の味方”くらいには、なるべきでしょ?」
――――そう告げる彼女の脳裏。
浮かんでいたのは、かつて旅の中で出会った少女。
自らに“正義の味方”という道標を与えてくれた存在。
あるべき世界を求めて、宮本武蔵の傍に並び立っていた、“カルデアのマスター”。
長い旅を経て、その記憶は今もなお剣士の魂に焼き付いていた。
「……貴方も“そういうもの”を背負ってるのは解る」
そして、武蔵は呟く。
眼の前のガンヴォルトの本質を、見抜いていたかのように。
「険しい顔だけど――――慈しい眼をしているものね」
彼女のそんな言葉に。
ガンヴォルトは、思わず不意を突かれた。
-
思いもしなかった言葉を前にして。
その脳裏に、記憶が蘇る。
自らを信じてくれた、一人の少女のことを。
この聖杯戦争で出会い。かつて何も成し得なかった雷霆を、真っ直ぐに選び取ってくれた相手。
“貴方だから信じられる”と最期に伝えてくれた、愛おしき翼。
飛騨しょうこの顔が、ふいに過ぎった。
「貴方を否定はしない。例え私達と道を分かつとしても……互いに“貫くべきこと”を選んだだけ。そうでしょう?」
それ故に、ガンヴォルトは思う。
“貴方も、そういうものを背負ってる”。
そう告げた彼女の言う通りである、と。
自分も、このセイバーも―――何かを背負いながら、前へと進んでいる。
だからこそ、いずれ道を分かつとしても。
互いに受け入れ合うことが出来るのだと。
相手に向き合うことには意味があるのだと。
そこに方舟の望む“納得”があると、彼女はその佇まいで訴え掛ける。
「だから、恨みっこなしよ」
ニッと爽やかに笑みを浮かべる女剣士。
彼女のその顔を見て、ガンヴォルトもまた仄かに表情が綻ぶ。
「……セイバー」
何処か、清々しさを心に抱きながら。
ガンヴォルトは言葉を紡ぐ。
「ありがとう。どうか、無事で」
「そっちこそ。御武運を」
そして、“雷霆”と“方舟”は背を向け合う。
互いにそれぞれの道を歩むことを約束しながら。
その上で、各々の進む道を見届ける。
どうか、祝福があるように―――共にそう祈るかのように。
ガンヴォルトが、その場から駆け出す直前。
彼は、ふいに振り返った。
女剣士のセイバー、宮本武蔵。
別れる前に、彼女の姿を横目で視た。
彼女が背を向けて、駆け出すとき。
淡い花弁のような“魔力”が。
ほんの一瞬、溢れ出たように見えた。
◆◇◆◇
――――道を分かつならば。
――――躊躇うべきではない。
――――禍の芽は、摘むべきだ。
そんな風に、忠告することも出来た筈だった。
雷霆のアーチャー。先の交戦で、相応の手練であることは理解した。
例え利害の一致する余地があるとしても。
後々に道を分かつことが明白なれば、まだ余力を残している今の内に敵を排除すべきだと。
その眼を開きし“融陽の鬼”―――“黒死牟”は訝しむ。
されど、彼はその顛末を見送った。
二刀のセイバーと雷霆のアーチャー。
両者の遣り取りに口を挟むこともなく、その着地を無言で見届けていた。
その眼に映る、空の色。
誰もが同じ景色を見ているとは、限らない。
心も同じ―――交わり合うとは、限らない。
されど、それは決して悲嘆に値することではなく。
それぞれの見つめる世界があり、黒死牟がその“朝”を迎えたことには意味があると。
彼のマスターである少女、幽谷霧子は伝えていた。
かつて、妄執と嫉妬に狂い―――黒死牟は、弟である縁壱と袂を分かった。
長きに渡る歪みの果てに、得るものは一つとして無く。
されど、この界聖杯という舞台で、兄弟は再び引き合った。
その身を灼かれる炎獄の再演。
終わりの見えない閉塞の再開。
そんな未来すらも在り得た中で、ひとつの結末を迎えた。
例え、道は違えども。
それでも、向き合うことに意味はあると。
対峙の果てに、交わり合うものが存在すると。
そう信じる“方舟”の姿に、黒死牟は想起した。
本来辿るはずの無かった―――朝日の中で迎えた、縁壱と己の顛末を。
-
そして、もう一つ。
彼が武蔵に忠言をしなかった理由。
雷霆を仕留めるべきだと、告げなかった意味。
その答えは、黒死牟自身も予想をしなかった事柄であり。
しかし――――それ以外に、導き出せる理屈が存在しない。
故に彼は、見つめざるを得なかった。
この場に、幽谷霧子が居たならば。
あの女剣士を止めることは無かっただろう。
ただ、それだけの理由だった。
黒死牟はあの場で、確かに“あの少女”を脳裏に浮かべていた。
そして彼女の存在が、黒死牟を制止していることを。
彼自身が、確かに“気付いていた”。
黒死牟は、戸惑いながらも。
不思議と、動揺は無かった。
そんな筈はないと、否定する気にもならなかった。
まるでその事実を、受け入れるかのように。
だが、今は思案に耽っている時ではない。
「――――“二刀”」
渦巻く感情を、隅に置き。
黒死牟が、武蔵に呼びかける。
武蔵は彼の方へと視線を向けた。
「……あの“葉桜”の、気配がする」
続けて、黒死牟が告げる。
探し人の存在を、彼は察知した。
複数のビルの影。
その隙間に、“異質な気配”を感じ取った。
人間や英霊。そしてNPCとも一線を画す、混ざり物の匂い。
その機敏な感覚を以て、黒死牟はそれを捉えた。
あの“虹花”と呼ばれた者達―――その気配だった。
その一言を聞いて、武蔵は迷うことはなかった。
黒死牟の示す方向へと、共に跳躍していく。
二人の侍が並び、共に進んでいく。
言葉を交わすことはなく―――しかし。
互いに、違和感があった。
宮本武蔵の肉体を蝕む病毒。
機凱種より排出された残穢。
霊骸による浸食が、“抑制”されている。
それを黒死牟は、察知しており。
そして―――彼女自身もまた、薄々感じ取っていた。
朝を迎え、瞼を開きし“侍”は。
桜の花弁を、その眼に捉えた。
“二刀の女剣士”の肉体から溢れ出る、その破片を。
彼は、確かに見つめめいた。
◆◇◆◇
-
きれいな髪の色だね。
まるで、桜みたい。
クラスの女の子とか。
付き合った男の子とか。
バイト先の同僚とか。
色んな人から、そう言われた。
そんな風に褒められたことが、何度があった。
かつての彼女―――松坂さとうは。
それらの言葉に“嬉しさ”を感じたことは無かった。
神戸しお以外の人間に、価値なんて見出していなかったから。
この髪を見ていると、ずっと忌み嫌っていた“叔母さん”との繋がりを思い起こすから。
―――今は、どうなのだろう。
廃墟の一室で、彼女は想いに耽る。
方舟との遣り取りを済ませた“従者”の帰還を待ちながら。
ただ呆然と、虚空を見つめている。
―――しょーこちゃんにも。
―――褒められたことがあった。
―――きれいな髪だね、って。
―――あの頃は、何も感じなかったけれど。
今の自分は、どう思うのだろう。
そんな感情が過ぎった、その矢先。
花弁が、舞った。
淡い色彩の、断片が。
通り過ぎていった。
真夏には似つかわしくない、桜吹雪。
桃色の欠片達が、風に乗って。
少女の周囲を、吹き抜けていく。
うだるような暑さの季節で。
廃墟の屋内であるにも関わらず。
その花弁は、姿を現した。
さとうは思わず、その場から立ち上がった。
警戒に身構えるように。
何かを察したかのように。
風の吹く方を、じっと見据える。
自分の髪色と溶け込むような、桜色の風。
松坂さとうは、ただそれを見つめていた。
手のひらに纏わりついた、一欠片の花弁。
その淡い色彩に、ほんの一瞬だけ視線を落とす。
誰もが崇め。誰もが愛おしみ。
誰もが、それに目を奪われていく。
その美しさに、一瞬だけ心を囚われそうになる。
しかしさとうは、花弁をそっと振り払う。
この手の中にある麗しさが、毒であることを悟ったように。
彼女はただ、息を呑むように身構える。
「――――よぉ、お嬢ちゃん」
そこに根付き、咲いていたのは。
儚げに、そして幽鬼のように佇む。
“一本の夜桜”だった。
「“散歩ついで”に、お嬢ちゃんが居ることに気付いたんでな。寄らせて貰ったよ」
その姿を前にして。
さとうは思わず、息を呑む。
桜の花びらと共に、突如現れた男。
身体のあちこちに、華が咲いており。
まるで此の世ならざる者であるかのように。
男はただ、不敵に笑みを浮かべ続ける。
-
全く以て、未知で。
余りにも、異質だった。
ただの人間にしか見えなくとも、鋭利な刃のような気配を纏っていた禪院とも、また違う。
もはや、それは――――人ですら無いかのような。
まるで夜桜そのものがヒトの形を成しているかのような。
余りにと異質な気配を、眼前の男は身に纏っていた。
故にさとうは、思わず身構える。
いつでも懐の刃物を取り出せるように。
そして、仕込んだ“それ”をすぐに摂取できるように。
彼女は、息を整える。
「ウチの“同盟相手”から聞いたぜ。一緒に居た仲間を殺されて、みすみす生き延びちまった奴の話を」
その言葉を聞いて、さとうは気付く。
ほんの暫く前の出来事、霊地を巡る戦線の最中。
突如として立ちはだかった“機凱のアーチャー”と、猗窩座と呼ばれていた“修羅のランサー”。
彼らの襲撃を囮にするように奇襲を仕掛けて、そして飛騨しょうこの命を奪った“眼帯の男”。
「そいつは桜色の髪をした、10代くらいの女の子だとよ」
眼の前の男は、彼らの仲間であると。
松坂さとうは、有りの儘に悟る。
だからこそ、なのかもしれない。
この夜桜の化身に対し、“強い敵意”が芽生えたのは。
そして、男もまた、さとうが何者であるのかを理解していた。
「“海賊”の、皮下真さんだよね」
「そういう君は、松坂さとうちゃん。ガムテ君から聞いたぜ」
夜桜の男―――皮下真の目的は、“ちょっとした偵察”に過ぎなかった。
一度は逃がしたアイを仕留めるつもりはない。
しかし、“利用しない”とは言わない。
万花繚乱によって活性化したソメイニンによって、彼はアイに宿る“葉桜”の残痕を辿った。
方舟の面々が彼女を探しに来ることは読み取れる。
故に皮下はアイを釣り餌として利用し、彼女と接触した者達の存在を遠方から“確認”した。
気配を悟られぬように極限まで気配を殺し、尚且つ“空間転移”によって瞬時に離脱をしながら。
結果として、女剣士のセイバーが健在であることに皮下は満足した。
北条沙都子とアルターエゴ・リンボ。
古手梨花を奴らにぶつける為にも、セイバーが居てもらわなくては困る。
故に皮下は、彼女に手出しすることはなかった。
その“帰り道”に、彼はマスターの気配を察知した。
なんてことはない。拠点に戻る前の、ちょっとした寄り道だ。
そうして皮下は、松坂さとうの元へと姿を現した。
「―――ま、どうせ行く宛も無いんだろ。
これまでの遺恨は抜きにして、こっちに来る気はあるか?
俺は“愛の告白”を振られたばかりでね。人手がありゃあ楽なのは間違いないんだ」
皮下は、もののついでと言わんばかりに“勧誘”をする。
諸々の因縁は一旦隅に置いて、こっちに来ないか―――と。
そしてさとうは、すぐに悟る。
これは、取引ですらないことを。
この問いかけは“ただの気まぐれ”に過ぎない。
要するに―――自分達に降った上で死ぬか、ここで死ぬか。
偶々見かけたから、投げ掛けてみただけ。
皮下が伝えたことは、ただそれだけのことだった。
-
例え利害関係だとしても、さとうに皮下と組むつもりはなかった。
彼らが神戸しおの属する敵連合と対立する存在であることは、ガムテからの情報提供で把握している。
それに敵連合や方舟とのコネクションを手に入れた今、此処で皮下とも手を組むことにはリスクが生じる。
複数の陣営に取り入り、利害を貪ろうとすれば―――それこそ“二枚舌の蝙蝠”として、警戒の対象になりうる。
故にさとうは、皮下に対処せねばならなかった。
念話での連絡はあった。
アーチャーが戻ってくるまで、数分。
時間を稼がなくては、自分は殺される。
「……うちのキャスターと、しょーこちゃんのアーチャー。
両方引き連れてると言ったら?」
そう理解したさとうは、口を開く。
皮下を牽制するような“嘘”を吐く。
「アーチャーには高ランクの単独行動スキルがある。
マスターが不在でも、彼はまだ現界を続けていられる」
皮下とは手を組まず、彼を突っ撥ねて。
尚且つ、皮下に手出しさせない理由を絞り出す。
そのために、さとうは言葉を並び立てる。
「私の窮地を察知すれば、彼らはすぐに駆けつけてくる」
冷気のキャスターはまだ健在であり、尚且つ飛騨しょうこのアーチャーも単独行動スキルによって現界を続けている。
彼らは今は偵察の最中であり、すぐにでも戻ってくる。
そんなブラフを伝えることで、さとうは皮下の行動を制止せんとする―――。
「偵察に向かっている二騎のサーヴァント。
その片方でも戻ってくれば、貴方は―――」
「御託(ハッタリ)で俺を止められるんなら」
だが。
夜桜の男は。
変わらず、笑みを浮かべて。
「苦労はしねぇよな。お嬢ちゃん」
そして、次の瞬間。
さとうの目の前に、皮下が“現れた”。
手を伸ばせば、容易く届く距離。
瞬きの合間に、彼は空間移動をした。
「で、答えは“ノー”ってことだろ?」
顔を上げた。
桜を纏う男が、嘲笑う。
さとうの頬から。
汗が流れ落ちる。
思考を回転させる。
必死に、必死に。
その場を切り抜けるための策を。
何としてでも、絞り出そうとする。
「じゃ、いいわ」
そんなさとうの驚愕をよそに。
皮下は、ふっと笑みを浮かべて。
それを目の当たりにしたさとうは。
窮地を察知したように。
懐から咄嗟に、刃物を取り出そうとして。
「死ね」
瞬間。
風を切る音。
何かが断ち切れる音。
宙を舞う花弁達が、吹き飛び。
そして。
さとうの首筋が、裂けた。
-
皮膚。筋肉。その先の血管。
肉が切り開かれて、真紅が吹き出る。
溢れる鮮血。流れ落ちる赤。
驚愕と苦悶に表情を歪めて。
少女は、成すすべもなく後ずさる。
首筋を押さえても、血は決して止まらない。
皮下の身体は、何の変化も起こしていない。
開花の能力を行使した訳ではない。
――――ただ、右手を一振りしただけ。
横薙ぎの手刀。そんな単純な攻撃。
それだけで、少女の首を容易く引き裂いた。
横一文字に振るった右手は、血で赤く染まっていた。
それから、間を開けず。
皮下は、“違和感”を覚える。
目を細め、怪訝な表情を浮かべて。
首から血を噴き出す少女を見据える。
――――さして“本気”なんか出さなかったが。
――――少なくとも、“首を刎ねる”つもりでやった。
それが、どうだ。
刎ね飛ばすつもりが、しっかり胴体と繋がっている。
結果としては、首元を掻き切る“程度”で済んでいる。
ソメイニンとの適合を果たし、あらゆる能力が大幅に向上したことを鑑みれば、実に奇妙な事態だった。
つまり、目の前の少女は“一撃を躱した”のだ。
致命傷は避けられなかったとはいえ、咄嗟の瞬発力で即死を免れていた。
夜桜の異能を掌握した皮下の攻撃速度に“反応”してみせる―――常人には不可能な芸当と言わざるを得ない。
やがて、次の瞬間。
肉が蠢くような音が響き。
吹き出ていたはずの血液が。
“止血”されていく。
引き裂かれていた首筋が。
“修復”されていく。
致命傷だった傷口を再生して。
息を整えながら、こちらを睨むさとう。
その姿に、皮下は呆気に取られるも。
「おいおい、女の子が拾い食いか?」
合点が行った。
せせら笑いながら、少女を見据える。
「――――それも“ヤク”と来やがった。最近のガキは荒んでんな」
松坂さとうの目元に。
血液にも似た“赤い紋様”が浮かび上がっていた。
“地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)”。
常人を超人へと引き上げる、禁断の薬物。
砂糖菓子の少女は、一線を飛び越えた。
◆
-
◆
新宿で百獣海賊団の残党と交戦する、その幾許ほど前の時間。
ミラーピースの欠片を回収したガンヴォルトは、近辺を探索する中で“それ”を見つけた。
彼からの念話を受けたさとうは、思案を経た後に。
「位置を教えてほしい」と、ガンヴォルトに伝えた。
そうしてサーヴァントからの導きを経て、彼女は対面した。
――――神戸あさひ。
その遺体を前にして、砂糖菓子の少女は静かに佇む。
――――“しょーこちゃん”が知ったら。
――――きっと、悲しむだろうな。
彼と対面して、さとうは真っ先にそう感じた。
その亡骸を発見したガンヴォルトも、感情は表に出さずとも、声色からは複雑な想いが滲み出ていた。
しょうこに寄り添っていた彼だからこそ、思うところがあったのだろう。
さとうはただ、そう考える。
息絶えた神戸あさひは、満足げに微笑んでいた。
自らの道程に悔いはなかったと伝えるかのように。
何かを成し遂げたと告げるかのような面持ちで、沈黙をしていた。
あの中央区での離別の後に。
神戸あさひがどのような道を辿り、いかにして最期を迎えたのか。
今のさとうに、それを知る術は無い。
それでも、彼女は思う。
――――しょーこちゃんが、何かを貫いたように。
――――神戸あさひも、何かをやりきったのだろうか。
ふいに、そんな感傷が過る。
結局この少年は、最後まで敵でしかなかった。
飛騨しょうこは彼に思うところがあったとしても、さとうにとっては“神戸しおとの愛を脅かす障害”でしかなかった。
故にあの対峙の時も、彼を切り捨てることに躊躇いはなかったし。
今でも彼を認めているつもりはない。
それでも、少なからず思うところがあるのは。
やはり――――しょうことの離別を経て、寂しさを抱いているからなのだろうか。
さとうは、思いを馳せる。
―――叔母さん。神戸あさひ。
―――そして、しょーこちゃん。
見知った者達と、この世界で出会い続けた。
彼らは皆、自分のもとから去っていった。
遠いところへと、旅立ってしまった。
愛の壁となるのならば、誰かを排除することに躊躇いなどなかった。
だというのに、さとうの胸中には何処か切なさのような思いが込み上げてくる。
何かが終わって、何かが変わりゆく。
そんな現在(いま)への実感を確かめるように、彼女は胸に手を当てる。
静かに、深呼吸をする。
浮遊していく感情を、落ち着かせていく。
そして、思考を切り替えた。
あさひとの接触は、ごく僅かな時間だけだったが。
彼の身には明らかな“異変”が発生していた。
アスファルトを打ち砕くほどの常人離れした身体能力を発揮して。
あのキャスターに身体を弄られながら、異常な速度での自己再生を果たしていた。
人間の領域を超えたその能力は、明らかに“外付け”によって得られた異能であり。
薬物か何かによる効能ではないか、というのがキャスターの見解だった。
彼の協力者であった幼狂―――“ガムテ”もまた、人知を超えた瞬発力を発揮していたように。
その効果は、恐らく多少のリスクさえ引き受ければ“誰でも得られるもの”なのではないか。
そう考えた彼女は、神戸あさひの遺体を物色した。
キャスターの見立て通りならば、彼が“それ”を持ち合わせている筈だから。
そして、さとうは。
“極道”を“超人”へと昇華させた力。
“禁断の果実”を、その懐から見つけた。
◆
-
“地獄の回数券(ヘルズクーポン)”。
その力は、常人である松坂さとうを一時的に超人へと引き上げた。
殺意を察知した時点で、口内に仕込んだ薬物を迷わず摂取したこと。
皮下が攻撃を行うタイミングに対し、殆ど直感と偶然で動作を合わせられたこと。
そのまま躊躇のない瞬発的行動によって、斬首による即死を間一髪で躱したこと。
例え首筋を掻き切られようと―――薬物の力があれば、自己治癒によって耐え切れること。
それら複数の要因が、奇跡的に重なり合い。
普段ならば皮下の攻撃を凌ぎようも無かった中で、さとうは致命傷を回避してみせた。
息を整えながら、さとうは刃物を構える。
一振りの短刀(ドス)。可憐な少女には似つかわしくない凶器。
さとうが“割れた子供達”の遺体から回収したそれを、皮下は鼻で笑う。
「――――で、どうする?」
不敵な笑みと共に、殺意を滲ませる。
“地獄への回数券”。それが何だというのか。
そう言わんばかりに、皮下はその右手を突き出す。
己の身に宿る“開花”の権能を、行使せんとする。
次の攻撃で、眼前の少女を仕留めるために。
「……どうするか、って?」
死が、肉薄している。
あと何秒、生き延びられるのか。
それさえも分からぬ筈なのに。
さとうは、怖じることもなく。
「どうもしないよ」
そして、彼女はそう断言する。
次の瞬間に、皮下の意識が全く別の方向へと向けられる。
「もう、時間は稼いだから」
その一言から、間を開けず。
皮下のすぐ傍―――――コンクリートの壁が、砕け散った。
室内の硝子が、衝撃の余波で次々に粉砕する。
鮮明に迸るのは、蒼く輝く閃光。
暴風のような“雷撃”が、怒涛の勢いで皮下へと突撃した。
桜色の花弁が焼かれ、“夜桜”が吹き飛ばされる。
壁面に叩き付けられた皮下は、凄まじい電流によってその身を灼き焦がされる。
瞬速の“稲光”が、宙を舞うように飛び。
やがて少女の直ぐ側へと降り立つ。
「遅れてすまない、さとう」
――――蒼き雷霆。真蒼の騎士。
少女を護るように着地した“英霊”は、凛とした姿で其処に立つ。
「――――サーヴァント、アーチャー。帰還した」
「おかえり。次はもっと早く戻ってきて、ものすごく痛かったから」
マスターと、サーヴァント。
主従が、再び並び立つ。
夜桜の破片が舞う空間の中。
二人は、眼前の敵を見据える。
-
「ったく……いきなり殺す気かよ」
壁面に寄り掛かるように倒れ込んでいた皮下が。
苦笑いの一言と共に、悠々と立ち上がる。
その口元に、笑みを零しながら。
漆色に染まる皮下の肉体。
虹花の一員“クロサワ”の異能である“液体金属化”。
その力で四肢を金属として咄嗟に硬質化させ、“雷撃”を受け止めたのだ。
「ウチの総督から話は聞いてるぜ、“蒼き雷霆”」
つまり――――小手調べの交錯と言えど。
皮下は、英霊の一撃を“防いでみせた”。
そのことに、ガンヴォルトは少なからず驚愕する。
「“総督”……お前が、あの“青龍のライダー”のマスターか」
「その通り。“旱害”を殺ったのはお前だな?」
その男は、“神秘”で満ちていた。
体中に咲く“桜”を起点に、夥しいほどの魔力に溢れている。
最早その佇まいは、人間とは言えず。
まるで自分と同じサーヴァントと錯覚するほどの気迫を、“皮下真”は纏っていた。
「――――ま、今はサーヴァントまで相手にするつもりはねぇ。
どうせマスター殺しも不発に終わったんだ。ここは潔く退くとするよ」
英霊を前にしても尚、男は飄々とした態度を崩さず。
何処か戯けるような素振りで右手を軽く振り、眼の前の少女達にそう伝えてくる。
「帰る前に……一つ、聞かせて貰おうかな」
さとう達が、何も言わずに身構える中で。
桜の花を靡かせながら、皮下は更に口を開く。
-
◆◇◆◇
『私は、ただ』
『私は、ただ』
『幸せに生きたいだけ』
『穏やかに生きたいだけ』
『繰り返される、輪廻の果てに』
『忌まわしき、悪夢の果てに』
『私は、運命を乗り越えたい』
『私は、呪縛を振り払いたい』
『大好きな仲間との、何気ない未来』
『誰にも弄ばれることのない、安らかな平穏』
『欲するのは、それだけ』
『求めるのは、それだけ』
『百余年の惨劇を、私は打ち破った』
『百余年の閉塞は、まだ続いている』
『だから』
『だから』
『始めましょう』
『終わらせましょう』
『この空の続く先にある、奇跡の朝を』
『桜のように崇められる、絶望の夜を』
◆◇◆◇
-
意識と記憶が、混濁する。
過去。現在。遥か昔。ほんの最近。
遠い日々。戦い抜いた一月。
そして、現実と幻想。
全てが綯い交ぜになって。
ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる。
今の自分が、人のカタチを保っているのか。
今の自分が、人で要られているのか。
それさえも、最早うまく捉えられない。
視界をよぎるのは、桜色の欠片のみ。
美しく鮮やかな花瓣だけが、脳髄に焼き付く。
暗闇の中で、古手梨花は。
ただ、藻搔き続けていた。
体中に迸る熱と激痛。
繰り返される肉体の拒絶反応。
歯を食いしばって、叫び声を噛み殺し。
血走った眼を、虚空へと向ける。
幾百幾千―――繰り返した果てに、彼女は奇跡のカケラを掴み取った。
終わらぬ閉塞を打ち破り、未来を勝ち取ることを成し遂げた。
それから数年を経て、掛け替えのない仲間の手で再び惨劇の輪廻へと放り込まれた。
それでもなお足掻き続けた果てに、この世界へと放逐され。
最早“やり直す”ことさえ叶わぬ中で、その命は風前の灯火と化している。
――――それでも、まだ。
――――この命が、尽きていないのなら。
――――私はまだ、終わっていない。
死が運命だと言うのか。
最早カケラすら掴めないのか。
――――だったら。
――――這いずり回ってでも。
――――腸をぶち撒けてでも。
――――血反吐に塗れてでも。
――――奇跡を、もぎ取ってやる。
宿命なんかに、殺されてたまるか。
それが、古手梨花の出した答え。
此処まで、何のために歩んできた。
此処まで、何のために抗ってきた。
此処まで、何のために信じてきた。
ああ。掴み取るためだ。
同じように、道を進む“仲間”がいるのなら。
尚の事、止まる訳には行かない。
そして、それ故に。北条沙都子。
彼女(しんゆう)とのケジメだけは。
絶対に、付けないといけない。
-
彼女だけは。絶対に、止めてみせる。
魔女さえも超えて、神になってでも、箱庭を繰り返すというのなら。
だったら――――自分が、相手になってやる。
“喧嘩”をしたいのなら、存分に付き合ってやる。
古手梨花の激情が、鮮烈に咲く。
――――咲いてやる。
――――桜花のように。
――――見せつけてやる。
――――夜桜のように。
修羅の蕾が、花を成す。
それは、奇跡とも呼べる祝福の具現。
死を目前にした魔女の、最期の意地。
たったこれだけの短時間で。
梨花は、その力を引き出してみせた。
その血脈が持つ素養を、燃えゆく命と引き換えに掴み取ってみせた。
ほんの僅かな可能性。
ほんの僅かな奇跡。
そんなものを手繰り寄せて。
そして、その手に掴み取る才。
言うなれば、それこそが。
マスターが、マスターたる所以。
“可能性”と呼ぶべきものなのだろう。
そして。彼女は、こう称される。
――――“奇跡の魔女”と。
その瞳に浮かぶ、淡い紋様。
散華を目前にした“夜桜”が宿った。
百年もの時を彷徨いし魔女。
その鮮烈なる最期を、飾るかのように。
“奈落の桜”が――――咲き誇る。
◆◇◆◇
-
「俺にはこの“夜桜の血”がある」
そうして、皮下は。
己の身体に咲く、“夜桜”へと触れる。
「見るだけで分かるだろ?こいつは、呪われた力さ」
それは、“一人の女”から授けられた力。
崇められ、利用され、使い潰され。
美しき桜のように佇み、そして静かな平穏を望み続けていた。
そんな儚き華から、皮下はその血を与えられていた。
「俺はこの“祝福”を胸に、聖杯を獲る」
皮下は、噛み締めるように。
何処か愛おしむように。
ほんの微かな微笑みと共に。
ただ、そう呟く。
「さて、お嬢ちゃん。お前には何がある」
そして、皮下は問い掛ける。
無言で身構える少女へと、投げ掛ける。
松坂さとうは、その一言を前にして。
意を決したように、口を開いた。
「――――愛が、ここにある」
その言葉を告げることに。
迷いなど、一欠片もなかった。
始まりは、喪失。
幼くして両親と死別して。
“あの人”のもとで育てられて。
少女は、愛という甘い光を喪った。
十数年もの間。
生まれてから今に至るまで。
その大半の時間を、費やして。
少女はずっと求めて、彷徨い続けた。
この心を満たす、淡い輝き。
それが何処にあるのか、知る由もないまま。
松坂さとうは青い孤独の中で、必死に手を伸ばしてきた。
「愛のために、ずっと生きてきた」
そして、彼女は。
長い長い旅路の果てに。
たった一欠片の“愛”を見つけた。
神戸しお。
彼女への想いに殉じて。
愛のために生きることを決意して。
松坂さとうは、ただ走り抜けた。
例えすべてを失ったとしても。
愛だけは、この手に握り締めたい。
そんな祈りを胸に、彼女は命を使い果たす筈だった。
「愛に、私の答えがあると信じてきた」
しかし、さとうは聖杯に導かれて。
新たな運命を辿ることになった。
―――この世界で、また違う愛を見つけた。
元いた世界では、雨音の中で切り捨てて。
それでも再び出会って、衝突して。
共に過ごしていく中で、さとうは胸の内の想いに気付かされた。
-
ああ、この甘い世界。
たったひとりの、運命の人。
傍に寄り添ってくれた、親友。
キラキラと輝く、数多の感情。
きっと、どれも私なんだ。
そうして松坂さとうは、胸の内の想いを悟った。
「……やっと、見つけたの」
“誰か”の姿が、脳裏を過ぎった。
愛する人と共に、この世界に別れを告げて。
温もりを分かち合いながら、破滅へと身を委ねて。
それでも最後に、無垢な祈りのために命を捧げた。
愛する人への献身。愛する人への想い。
愛する人に送る、たった一つの言葉。
――――生きて。
そう伝えようとした少女が。
きっと何処かに居たのだろう。
“例え死が分かつとも、私達は永遠”。
そんな最期も、きっと美しいものだった。
そんな結末にも、間違いなく意味はあった。
けれど、今の松坂さとうは。
愛を求めた、孤独な少女は。
「――――生きたい」
例え世界から、否定されようと。
例え誰からも、認められずとも。
それでも、この想いは手放したくない。
心の瓶を満たす、この答えだけは譲れない。
そのために、“奇跡の願望器”が必要だった。
「愛する人と、ずっと一緒に」
傍に寄り添って、共に歩き続けて。
永遠の愛を、隣で分かち合いたい。
世界と断絶することもなく。
世界から逃げることもなく。
ありのままの日々を、二人で愛し合いたい。
それが、少女の答えだった。
それは奉仕でも、犠牲の心でもない。
真の意味で比翼となることを望んだ、“愛の誓い”だった。
◆
《ねえ、アーチャー》
《貴方と組む前に、改めて言っておきたい》
《私は、聖杯がほしい》
《しおちゃんと一緒にいるためには》
《奇跡が、必要なの》
《だって、私達の“幸せ”は……》
《社会や世界から、否定されるものだから》
《逃げるのも、隠れるのも、やりたくない》
《私達は、ただ―――ここにいたい》
◆
-
そして、この“怪物(おとこ)”は。
皮下真という、一人の亡霊は。
そんな少女の言葉によって。
己の中に、一つの答えを見出す。
己の中に宿るものの正体を、規定する。
「……愛、ね」
皮下は、ぽつりと呟いた。
その言葉を、確かに噛み締めるように。
目を伏せながら、微かに口元を緩ませる。
――――私はあの子の手を取ったんです。
――――あの子は……お日さまですから。
鮮明な記憶が、皮下の脳裏をよぎる。
ほんの数時間ほど前。
彼が始末した“実験体/ハクジャ”が吐き捨てた、あの言葉。
それを耳にした時は、下らない感傷だと嘲笑った。
今だってそう思っている。
幻想に絆され、信じるべき相手を間違えた、哀れな奴らだと。
尤も、それでも。
奴らが何のために“馬鹿な真似”をしたのか。
その意味だけは、今になって理解できた。
人間であれ、化物であれ。
己が見出した“光”のために、前へと進んでいく。
百余年、何のために彷徨ってきたのか。
あの夜桜に、想い焦がれたからだ。
彼女に魅入られ、彼女の望みを叶えたいと思ったからだ。
その感情に、名を付けるとすれば。
“愛”と、呼ぶべきなのだろう。
皮下は、確信する。
砂糖菓子の少女との邂逅によって。
己が存在してきた意味を、遂に悟る。
――――己の比翼。己の憧憬。
たった一人の“彼女”に捧ぐものを。
「ああ―――それが、いい」
全てを喪い、万花の桜を掴んだ果て。
皮下真という男に、新たなる朝が降った。
故に彼は、静かに微笑む。
夢現を微睡み、平穏を祈り続けた、あの“夜桜”のように。
全てを乗り越えて。
やがて最後に残るもの。
それは――――愛だ。
砂糖菓子の少女、松坂さとう。
夜桜の化身、皮下真。
花弁舞う廃墟で、彼らは共に同じ答えを掴み取る。
愛ゆえに、愛する者の“終幕”を望んだ。
愛ゆえに、愛する者との“永遠”を望んだ。
呪縛を終わらせることに身を捧げた男。
祝福を未来へと紡ぐことを求めた少女。
彼/彼女は、愛のために生きる決意をした。
その胸に抱くもの、その命を満たすものは、同じであれど。
それぞれが目指す道は、断絶している。
「理解したよ。お前は、俺の“敵”だ」
故に、彼は告げる。
松坂さとう。彼女は、己の敵であると。
その言葉は、云うなれば。
自らに“最後の欠片”を与えてくれた少女に対する、最大の賛辞であった。
-
◆◇◆◇
“虹花”の一員、アイ。
皮下の実験体の、唯一の生き残りであり。
古手梨花や幽谷霧子の想いに触れた、幼き少女だった。
皮下との離別の後、アイは“人探し”を続けていた。
ハクジャやミズキらの顛末を伝えるために。
今の古手梨花の現状を伝えるために。
そして、皮下真のことを伝えるために。
霧子達が身を置くという“方舟”の面々と出会える可能性に懸けていた。
そして彼女は、邂逅する。
その気配を前に、恐る恐ると待ち受けて。
やがて、あのとき見た“霧子のサーヴァント”と“梨花のサーヴァント”であることを察した。
故に彼女は、安堵を覚えて。
建物の影で休息を取っていたアイは、“二人の侍”の前に姿を現す。
「アイ、だったわね。無事で良かった」
アイは、眼の前に佇む女剣豪を視て。
微笑む彼女の顔を、目の当たりにして。
「聞きたいことが、沢山あるの」
驚愕したように、目を見開いた。
あるはずのないものを見たように。
虹花の少女は、動揺する。
「うちの梨花のことに、あなたと一緒に居た人達のこと。
それに……皮下のことも」
剣士の問いかけを、よそに。
思わず少女は、ぽつりと呟く。
「―――“夜桜”……?」
その一言を前にして。
武蔵は、呆気に取られて。
しかし、その直後に。
自らの中に流れ込む魔力が。
まるで桜の欠片のように、脳裏に迸った。
-
宮本武蔵の、残された左眼。
その瞳に―――“桜”が咲いていた。
満身創痍の肉体に齎された“祝福”の如く。
一輪の花が、凛として其処に宿っていた。
それは、古手梨花がその呪縛に肉体を蝕まれたように。
宮本武蔵が“呪われし血”に目覚めたことを意味するのではない。
神をも知覚する異種の血脈。
百余年を繰り返した魔女としての神秘。
令呪本来の権能を超えた命令を可能とする、マスターとしての高い素質。
古手梨花が備える複数のイレギュラー的要素が、ソメイニンの大量投与による肉体の変化と結びついた。
急激に浸食されゆく肉体の影響を受け、彼女の体内の魔術回路もまた変化を引き起こしたのだ。
そして激痛と苦悶が迸る拒絶反応の果てに、“魔力の変質”という結果へと至った。
夜桜の血のみに特化し、その肉体を安定させた皮下とは、根本的に異なる。
今の梨花は、混ざり物の“異形”と化している。
その命を凄まじい勢いで蝕み続ける莫大な負荷は、結果として“最後の灯火”と言うべき魔力の性質と出力を引き出した。
夜桜によって変質した、古手梨花の魔力。
それは主従のパスを経由して、宮本武蔵へと流れ込んだ。
その結果、サーヴァントである彼女の霊基にも魔力の影響が及び―――“夜桜の開花情報”に酷似した形で肉体への作用が表れた。
“夜桜の瞳”。
それは、呪われた血に穢された魔力の烙印。
それは、一人の剣豪の新たなる姿への産声。
それは、最期の死合を控える剣豪への祝福。
新免武蔵―――“真打柳桜”。
◆
生き抜け、修羅舞う道。
脈打つ運命、断ち切り。
とこしえにまで刻め。
鮮烈に咲く、万花の想い。
三伏(まなつ)の流桜を。
◆◇◆◇
-
「“割れた子供達”はくたばった」
花弁混じりの風。
飛び交う桜色の断片。
その中心に立つように。
“夜桜の化身”が、嗤う。
「“峰津院”は玉座から引き摺り下ろされた」
加速する争乱の中。
多くの強者が、散っていった。
競い合い、ぶつかり合い。
この街に爪痕を遺しながら。
次々に、削られていく。
「龍を斬った“義侠の風来坊”も、最早この世にはいない」
そうして繰り返される疲弊と摩耗。
誰もが陣営という基盤に支えられ。
この痛みの中を、必死になって生き永らえている。
「もう終わらせようぜ。こんな戦い」
だが、もはや。
そんな虚しい闘争は、不要だ。
聖杯戦争を“終わらせる”。
夜桜の男は、そう告げる。
「善だの、悪だの、何だっていい。
地平を越える“方舟”。地平を見下ろす“敵(ヴィラン)”。地平を喰らい尽くす“神”。
ああ――――それが何だ。全部クソ食らえさ」
ああ、そうだ。
有象無象が幾ら足掻こうとも。
所詮、全てが無意味だ。
「俺が焦がれた“あの桜”に比べりゃ、何もかも塵に等しい」
彼が魅入られた“永劫の夜桜”。
それに比べれば、何もかもが無価値だ。
皮下は、そう断言してみせる。
そうして彼は、己の感情の意味を悟った。
「だから、俺が全てを捧げる」
そう、愛ゆえに。
その心に、灯が燈される。
地平を蝕み、繚乱する。
「――――始めようぜ。“夜桜事変”だ」
そして、告げる。
砂糖菓子の少女。蒼き雷霆。
眼前の“敵”へと、宣言する。
滅びゆく廃都に、狼煙を上げる。
此処から先は、己の手番だ―――と。
やがて、風が吹き抜け。
皮下真は、陽炎のように姿を消す。
欠片のような花唇が、虚空を舞う中。
松坂さとうとガンヴォルトは、言葉もなく。
ただ、これからの戦いに身構えるように。
“夜桜”が佇んでいた地点を、静かに見据えていた。
-
【渋谷区・製薬会社ビル内/二日目・朝】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(小)、ガンヴォルトと再契約
[令呪]:残り1画
[装備]:“割れた子供達”の短刀
[道具]:最低限の荷物、ヘルズクーポン複数枚
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:……そう、愛だよ。
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
2:皮下真に対する強い警戒。
[備考]
※ガンヴォルト(オルタ)と再契約しました。
※神戸あさひの死体から複数枚のヘルズクーポンを回収しています。
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:胴体にダメージ(小)、斬撃の傷跡(複数)、疲労(中)、クードス蓄積(現在8騎分)、さとうと再契約、令呪の縛り
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:方舟には与しない。しかし、手を組める場面では共闘する。
1:さとうを護るという、しょうこの願いを護る。今度こそ、必ず。
2:皮下真とライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
[備考]
※"自身のマスター及び敵連合の人員に生命の危機が及ばない、並びに伏黒甚爾が主従に危害を加えない範疇"という条件で、甚爾へ協力する令呪を課されました。
※松坂さとうと再契約しました。
※シュヴィ・ドーラとの接触で星杯大戦の記憶が一部流れ込んでいます。
※新宿区に落ちてたミラーピースを回収してます。
※セイバー(宮本武蔵)に松坂さとうへの連絡先を伝えました。
また方舟組の連絡先も受け取りました。
※方舟陣営とどの程度情報を交換し合ったかは後のリレーに御任せします。
[ステータス関連備考]
※クードスの蓄積とミラーピースを介した“遺志の継承”によって霊基が変化しました。
①『鎖環』での能力が限定的に再現されています。
②クードスに関連して解放された能力が『電子の謡精』を除いて自由に発動できます。
これに伴い『グロリアスストライザー』もクードスを消費せず、魔力消費によって行使できるようになりました。
③強化形態への擬似的な変身も可能となりますが、魔力消費が大きいため連続発動は難しいです。
『電子の謡精』による強化形態との差異は現時点では不明です。
-
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:さあ、始めようぜ。
1:クソ坊主の好きにさせるつもりはない。手始めに対抗策を一つ、だ。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後の書き手にお任せします。
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
-
【渋谷区/二日目・朝】
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、???
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:……。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:“真打柳桜”、ダメージ(大)、霊骸汚染(中)、魔力充実、令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』、第三再臨、右眼失明
[装備]:計5振りの刀(数本破損)
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:―――桜が、咲いている。
1:梨花を助ける。そのために、方舟に与する
2:宿業、両断なく解放、か。
3:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
4:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※古手梨花との念話は機能していません。
※アーチャー(ガンヴォルト)に方舟組への連絡先を伝えました。
また松坂さとうの連絡先も受け取りました。
※梨花に過剰投与されたソメイニンと梨花自身の素質が作用し、パスを通して流れてくる魔力が変質しています。
影響は以下の通りです。
①瞳が夜桜の“開花”に酷似した形状となり、魔力の出力が向上しています。
②魔力の急激な変質が霊基にも作用し、霊骸の汚染が食い止められています。
③魔力の昂りと呼応することで、魔力が桜の花弁のような形で噴出することがあります。
-
【中央区・廃墟/二日目・朝】
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:夜桜の瞳、右腕に不治(アンリペア)、ソメイニン過剰投与による肉体の変容及び極めて激しい拒絶反応、念話使用不能(不治)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:――――――――――――――――――――
1:沙都子を完膚なきまでに負かして連れ帰る。
2:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
3:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
4:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。
7:私の、勝利条件は……?
[備考]
※ソメイニンを大量に投与されました。
古手家の血筋の影響か即死には至っていませんが、命を脅かす規模の莫大な負荷と肉体変容が進行中です。
皮下の見立てでは半日未満で肉体が崩壊し死に至るとの事です。
※拒絶反応は数時間の内には収まると思われます。
※念話阻害の正体はシュヴィによる外的処置にリップの不治を合わせた物のようです
※瞳に夜桜の紋様が浮かんでいます。“開花”の能力に目覚めているのかは不明です。
-
投下終了です。
-
投下お疲れ様です
北条沙都子 単体で予約します
-
投下乙です
夜桜事変か、、、どうなるんだ、、、
-
投下お疲れ様です!
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
ライダー(カイドウ) 予約します。
-
投下します
-
井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外に何も興味がなかったから。
井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外で何があっても関係なかったから。
そしてわたしも幸せでした。
蛙が井戸の外に出ようとはしなかったから。
◆
おなかのなかで、何かがないている。
朦朧。
酩酊。
混濁。
全ての境目にいる北条沙都子が知覚していたのは、熱と、痛みと、『胎動』だった。
『神』への編成を是とした後に待っていたのは、異界生命体との同化に至る交わり。
何も複数の自我を持ったのは初めてのことではない。
元より人の子・北条沙都子の上から、『魔女』としての北条沙都子を上塗りしている。
だが、そこに『呪われた龍の心臓』と『邪神の一端』が埋め込まれてきた。
界聖杯の内より生じたエーテル塊と、領域外より引き寄せられた生命がぶつかった。
幾つもの界面が衝突する。
『北条沙都子』という概念が分解される。
腸(ハラワタ)が耕され、解体され、再構築される。
内臓どころか、細胞の一つ一つが別々のものに置き換わる。
くうくうおなかが鳴るのと、ぱくぱくおなかが噛みつかれるのが同時進行する感覚。
異界からの呪胎告知。
魔女でさえなお足りぬと殻を破り、更なる上位存在を目指すことへの禊の痛み。
それが沙都子には、幾つもの生き物のなきごえのように聞こえた。
烏の嘶き。
小さな黒猫の声。
脈打つ悪龍の唸り。
または荒ぶる蛇の舌音。
どこかで嘲笑する美しき大猫。
そして、何より、ひぐらしだ。
それのなく頃でなくては。
味わったことのない感覚となつかしい知覚に、沙都子は狂う。
幾つもの、走馬灯を見る。
上位存在として俯瞰するように、カケラとなって現れる。
◆◇◆◇
-
――きっと夢は叶うよなんて、誰かが言ってたけど
――その夢はどこで僕を待ってるの?
鬱陶しい歌。
それが北条沙都子というマスターにとっての聖杯戦争、佳境一日目の朝だった。
サビの部分が耳に入って来たかと思えば、宣伝映像よろしく歌い始めに戻って同じことを繰り返し。
ポスターやキャッチコピーを読みながら歌詞を耳にいれるにつれて、不快感が腹の底からせりあがる。
この時は、よりによって古手梨花が、そいつらに関わっていることを知らなかったけれど。
似たような鬱陶しさであれば、その時ほど酷くはなかっただけで、一か月ずっと味わっていた。
ふわふわとした車酔いしそうな甘ったるい匂いをさせて、流行の話をする東京育ちの少女たち。
エンジェルモートでさえ田舎臭いとばかりに、やたら華美な店でお茶会もどきをして友情を確かめる女子高生。
そういう連中を見下げ果てることで耐えて生きのびていたのも、違いなかった上で。
あの日に、生理的嫌悪感を増幅させた理由はおそらく歌詞にもあった。
――きっと憧れてるだけじゃだめだって知ってるんだ
――僕の靴はまだ白いままで
それは要するに、歌詞のすべてが新しい世界に出て行くことを奨励する歌だ。
永久永遠(とことわ)ではなく夢を叶える方に向かおう。未知の憧れには飛びつこう。
こいつらは、そういう価値観で生きている。
そういう生きざまを消費させて商売にしている。
幼なじみの夢は、そうやって応援していくのがあるべき姿だと。
井の中の蛙に、お前にも翼があるのだと嘯いて世界の外に誘うなんて、滑稽だ。
まして人を辞めた者に、人界の道理は通用しない。
魔女人格の底に眠っていた『北条沙都子』という割れた子どもは、もはや神の贄として食われた。
もう北条沙都子のもとに、『北条沙都子』が返されることはない。
神であれば、世界のありようなど引っ繰り返して自由にできる。
望んだ世界を生み出し、望まない世界は地獄の釜を開けて転覆させる。
他の世界は曼荼羅でも何にでも使われてしまえばいい。
最後に残ることになる唯一無二の世界は、『そこ』だけだ・
ひぐらしがなく、開かずの森へ。
雛見沢村。分校。部活動メンバー。
すべてがある、終わらない昭和58年の六月。
家庭断絶、村八分、祟り、虐待と、人の世の辛酸を嘗めきった少女にとっての、たった一つ。
人生でその時期だけが、心の底から笑えていた幸せな黄金時代。
それが北条沙都子という魔女の――生得領域。
◆◇◆◇
-
数えだして、痛みの数7つ。眠るまでずっと。
黒い鳥が飛んで見えた。
小さい猫は去って消えてた。
心が枯れるまま叫ぶ、その報いを。
◆◇◆◇
帳の内で、猫の鳴き声がした。
物理的に侵入したわけでないことは何となく理解している。
ではどこからでしょうと走馬灯(カケラ)の心当たりを見渡す。
小動物を可愛がろうという心持ちは一切ない。
ただ恩義ある上位存在は大好きな友人を猫と呼び、彼女自身も時に『猫』を自称していたから。
雛見沢から見上げた夜空の星ほどあるカケラの中に、心当たりのない記憶が混ざっていた。
間近に寄せれば、その景色は明らかに己の知っているどことも違う。
どころか、己のものだという質感さえなかった。
異国の、寒そうな風が吹きすさぶ陰鬱そうな村だった。
雛見沢とは似ても似つかない灰色の土地に、霧に囲まれた貧しい景色。
おとぎ話の絵本のような昔風の装いをした西洋人の住民は悉く土気色の顔をしている。
村に響き渡る烏の嘶きの耳障りさは、胎内で蠕動している獣のそれを思わせた。
それによって、確信する。
これは、私の内に入り込んできた『何か』の記憶なのだと。
吊るせ、吊るせ――――。
誰かが叫んでいる。
吊るせ、吊るせ――――。
べつの誰かが叫び、拡大していく。
吊るせ、吊るせ――――。
奴を高く吊るせ、と狂気が伝染する。
吊るせ、吊るせ――――。
悪魔を吊るせと叫ぶ住民たちは、生者ではなく食屍鬼の顔をしている。
――地上の人々は、裁かれる機会を逸した。
――その魂は救われないまま。
――でも、もういいの。渇きに苦しまなくても。
なるほど、と内側に侵入してくる存在を、沙都子は理解する。
これは知っている。
とてもよく知っている。
これは罪を犯した者を罰するための『祭り』だ。
雛見沢の住民が悪いことを『鬼』のせいにするように、その村では『悪魔』が求められていた。
戒律を破った者には罰を与えるのが神だから。痛い目を見ることで人はもういいと赦されるから。
――報いを(punish)!報いを(punish)!報いを(punish)!報いを(punish)!報いを(punish)!
このカケラの持ち主もまた、『神の遣い』であり『魔女』であり、この土地を『繰り返す者』だったのだ。
そしてその考え方は、よく分かる。他者の妄執にまで共感はないけれど。
罪を悟らせるには、惨劇(イタミ)が必要だ。
だから、神は腸(ワタ)流しを要求する。
裏切り者が心変わりをしないなら、心が折れるまで閉じ込めて繰り返す。
さぁ『誰か』をここに誘いなさい。
食屍鬼(おに)さんこちら、手のなる方へ。
招き寄せて、閉じ込めて、繰り返す。世界の全てを私の箱庭にする。
-
――私は……親友が欲しい、と。神の愛の届かない。とても、とても、可哀想な子を……。
――でも……私なら、愛せると、思います。
彼女(ワタシ)は、そういうモノだ。
親友が世界のどこに逃げたって、手を届かせて、捕まえて、引き戻す。
世界中どこにでも繋がる『鍵』を持った神(ワタシ)になら、それができる。
生きている限り誰しもに罪がある。だから敵でさえ救済の対象には入るのだ。
本来のオヤシロ様の生まれ変わりであった親友も、己を殺そうとした敵を赦したのだから。
親友を奪っていく『外の世界』という全人類には、平等に苦痛(すくい)を与える。
大好きな親友には、私のもとから逃げて行った報いを万倍にして受けさせる。
そういう自我(エゴ)で、オヤシロ様は世界を塗り替えるのだ。
◆◇◆◇
あの子が欲しいと――嘲笑った。
◆◇◆◇
半透明の、それでいて銀色の輝きを帯びた泡が弾けた。
少女の腹部から、泡沫がいくつも現われ始めた。
幾つも幾つも、体表を作り替えるように浮かんでは消える。
あたかも銀の小さな花がまばらに咲いては散ってを繰り返すかのようだった。
深淵から半不可視の生命が浮上するように、泡沫の下からは別の姿が形作られていた。
それまで外見においては幼い少女と変わりなかったそれが、龍脈の心臓を源泉とするエーテルを纏っていく。
それは肉体だけでなく、装束にとっても同様だった。
動きやすくも年相応だった、ノースリーブシャツとホットパンツの少女は、まったく別の姿にすげ替わる。
それは黒灰色の袖を振り撒いた巫女装束の形だった。
彼女にとってもっとも思い描きやすい浄衣であるところのそれは、一般的な紅白のそれにはほど遠い。
下着や単(ひとえ)を着こまないまま素肌にじかに纏ったかのように脇の袖が切り離され、胴と袖がまったく繋がっていない。
あくまで彼女にとっての『浄衣』であり、むしろ異端の姿だという証左はいくつもあった。
彼女と共にいた法師の邪な神衣のように、合わせの左半分がごっそりと露出している。
胴の半分は何も着込む余地なくめくりあげられ、垂らされた帯の余りは腹のあたりで三又に分かれた招き手の形をしていた。
代替として左半身を覆うのは、無数の黒灰色の虫だった。
蝶のようにも小魚のようにも見える異形の生物を象った連鎖を、幾本も首から伸ばしている。
羽虫の中央に一つ一つ描かれるのは、赤く見開かれた瞳だった。
繰り返す上位存在の瞳のように、鍵穴の向こうから世界を覗き見る領域外存在のように。
そして何よりも分かりやすい異端者の特徴として。
半透明な触手が、枝葉のように伸び始めていた。
装束の下の肌色が、人間にはあり得ないほど蒼褪めた色に変じていた。
-
ただの人間の身に起こることはあり得ない現象だった。
霊衣をまとうにとどまらない、体質ごと肉体を作り替える限界突破。
霊基の再臨。
現実の肉によってのみ身体を構成する生命には、ありえない事象。
であれば、その身体はもはや生身の肉体でない。
呪いによって加工された龍の心臓。
神霊の受け皿たる英霊の肉体そのもの。
加えて、邪神の権能をわずかでも宿していた『特級呪物』でもある変異物。
それらの全てを拒絶せず取り込んだ器に、生じるべくして生じた紋様の変化。
疑似サーヴァント化を果たしたのであれば、おおむね神霊の側に人格が浸食される。
だか龍脈そのものに心は無かったが故か、器そのものたるアビゲイルが顕在であった故か。
あるいは依り代が以前にも、上位存在の手で人格(アルターエゴ)の調律を経験したことがあったが故か。
そして、それは『英霊融合』ではなく『人口英雄(偽)』が生み出される手口に酷似していたことに依るものか。
彼女が自認するのは、降臨する外からの神ではなかった。
オヤシロ様。
眠りにある少女は、しかし異界の神の眷属ではなく独立した神であると、確かな意志によって選択している。
力を継承した上で、狂気の源泉は禍ツ神の浸食によるものではなく、古手梨花への愛によることに変わりないからこそ。
カケラを渡り歩いてきた魔女は、今日を以って理想のカケラを創造する神になる。
二人の長い旅路を、とうとう終わらせる時が来たのだと。
まどろみの中に、食いしばった口元を緩ませた。
眠っている間に、別の誰かが梨花を始末しているかも、とはいったん考えない。
そういうヘマをしない女かと言われたら、『いつの間にか生死不明になっていた』という前科はあったけれど。
さすがにもう後がないぞという局面でそれはやらないと思いたいところだったし。
決定的な敗北を知らしめる一撃は、己の手で刻みたいのが本音でもあった。
それに、どこに逃げても、決着の時に相対してくれなければ失望するところだ。
せっかくの最後の本気の勝負が、不戦勝でお流れなんてありえないのだから。
たとえ上手く逃げ延びても、死んでも、沙都子が聖杯を手にしてしまえば梨花は永遠に囚われ続ける。
そのことを梨花は、再会の宣戦布告によってもう知っているのだから。
それに、どこに逃げても、決着の時に相対してくれるようなら、やはり失望するところだ。
それは、そうまでしても梨花が『沙都子の選択と違う未来を望んでいる』という証明に他ならないのだから。
そのことを沙都子は、再会の宣戦布告によってもう知っているのだから。
どこまでも、己のもとに高揚をもたらしてくれる梨花のことが大好きで。
どこまでも、己と反対の道を行こうとする梨花のことを憎んでいた。
-
いつもいつも、私が東に行けばいいじゃないかというのに貴女は西に行く。
私が二人の幸せの為に聖杯を目指そうというのに、貴女はくだらない連中とつるんで出て行こうとする。
それほどまでに、外の世界で生きていきたいというのなら。
世界の全てが、惨劇の舞台(ヒナミザワ)になればいい。
それが、『地獄』を定義するための呼び水になった。
宿業を埋め込まれた英霊剣豪が、屍血山河の死合舞台を当然のものとして展開するように。
呪物を取り込んだ異界の巫女は、やり方を知っているかのように夢中にて動いた。
その指で印相を――親指と人差し指を絡める形をつくり、『パチン』と弾く。
音とともに、少女は降り立っていた。
懐かしきカケラを眺めるのではなく、その足で踏みしめる心象風景の中に。
部活の皆に詩音も招いて日が暮れるまで遊んだ河原が、空気の匂いもそのままに再現されていた。
さらに指を弾くたびごとに、景色は次々と切り替わる。
遊んで、笑って、競って、戦って、殺して、そして自殺を繰り返した、懐かしい思い出がありありと蘇る。
梨花と二人で暮らし、最も梨花を殺す場所に使ったプレハブ小屋。
いつも一緒に下校して、時には用水路で心中することになった田圃道。
何度も何度も赤本の棚の前で喧嘩をして轢死体を出した分岐点の本屋。
数えきれないほど縁日を楽しみながら、発症の効果を確かめた神社の祭り櫓。
梨花の百年分も含めて、どれほど汗と血を流したか知れない分校の木造校舎。
景色の全ては思い浮かべられる。
ホームグラウンドという言葉さえ足りない、ありとあらゆるルールを知り尽くした世界。
同じ閉鎖世界でも、『禁忌の降臨庭園』に比べて地獄を冠するには色鮮やかすぎるけれど。
オヤシロ様として降り立つことになる以上、いくらでも惨劇(イタミ)は操れる。
この土地はもともと鬼が沼から幾らでも湧き出てくるところだったのだから。
オヤシロ様が望めば、狂気だろうと災害だろうと起こる世界になる。
それを現実において具現しようとすることが、どれほどの秘奥であるかを生まれたての神は知らない。
己がサーヴァントの悪霊佐府を目の当たりにする機会はなかったけれど、仮に見ていれば連想したかもしれない。
そして、人の身に過ぎなかった頃の彼女であれば、連想した上で恐怖していたことは疑いない。
それが『呪い』のなかでは魔女であっても総毛だつほどの毒性を持った規格外であることに対しても。
人の身で到達するには至難を極める、力と器と研鑽の全てにおいて身の丈を越えた御業であることに対しても。
だがそれを維持するための莫大な力は、界聖杯の地脈そのものでもあった龍の心臓として収まった。
さらには疑似的に英霊を取り込み、『空間を接続して書き換える権能』を宿す巫女となったことで器を変質させた。
その上で『禁忌降臨庭園』という一つの結界術式を鍵としてを体感したことが、研鑽に至ろうとする過程を縮めた。
-
この景色は、あの『降臨者の箱庭』と同じように『招いて閉じ込める』ものだと悟っていた。
生得領域/心象風景の、際限ない拡張。
それが行き着いた先にあるのは、この世を楽園にも地獄界にも塗り替えるものだ。
神秘を持つ者は、それが現実味を帯びるにつれて『固有結界』と呼び。
呪力を持つ者は、それが最高水準に成長したものを『領域展開』と呼ぶ。
切り替わり続けていた景色に、ぱっと光が差した。
山間から太陽が姿を見せて、今見ている景色が『雛見沢の夜明け』だと悟る。
ずっと遠い昔に梨花を連れ出して二人で観に行った、箱庭そのものを一望する視界がある。
そう、単純な話だった。
星の数ほど逃げようとするというのなら、現実(すべて)が沙都子の世界に塗り替わればいいのだ。
なるほど、と理解する。
かつて繰り返す力を与えてくれた角ある存在は、数多の箱庭を見下ろしてはよく笑っていた。
愉快そうに、面白くてたまらないと言わんばかりに。
あの嗤い方は、まさにこういう気持ちだったのか――と、同じように口元が歪むのを感じていた。
その箱庭に、桜の花びらが舞い込んできた。
風にのって数枚、どこからともなく眼前をひらりと横切って足元に落ちる。
春先の景色ではないのにと沙都子はいぶかしみ、しかし疑念はそう長く続かなかった。
ここはまだ夢の世界なのだから、ノイズが紛れ込んでくることもあるだろう、と。
そして、それは真実、夢であったからこその現象でもあった。
かつて、セイレムに接続したアビゲイルと、天文台のサーヴァントにもそれが起こったように。
降臨者の依り代は、距離と空間を越えて繋がる楔として『他者の夢』を介することができる。
誰かの夢とわずかでも繋がり、見るものを共有することがある。
そして沙都子の求める少女は、まさに奈落の夢において満開の夜桜と相対していた。
そのことを知らず、しかし桜の花びらは沙都子の愉快さに水を差した。
あまり好きではない花だ。
昭和58年の雛見沢から進級してしまう時に咲いていた。
あの学園に入学する時にも咲いていた。
誰かが雛見沢から離れる時に、いつも開花する。
皆はその満開を、晴れ姿のように、ありがたいものだと扱うけれど。
それは、『卒業』を意味する花だ。
皆がそれを誉めそやしても、沙都子だけはそれを歓迎しない。
-
ああ、でも。同じように『卒業』を悪いものだと、来てほしくないものだと扱う人がいたなと、思い出した。
そう遠くない、でも遠く切り離したところにある過去のことだ。
――けど黄金時代、お前は……悪童(ガキ)のまま、オレから去っていくんだな
己の居場所ではないと切り離すことを選択した、今はもういない王様。
けれど『悪くはなかった』と、外の世界で初めて思えた硝子の破片。
「ガムテさん、私を羨んでくれてありがとう」
置き去りにしていった立場だ。義理を尽くすようなことは言わない。
だが彼は、『お前は卒業しないなんて良いなぁ』と言ったのだ。
雛見沢の外の住人が、沙都子を素晴らしいと仰ぎ見たのは、初めてのことだった。
ならば、尊いものだと見上げられた己は、『神』としてそのように在り続けよう。
永遠の子どものまま、地平のその先にある箱庭(ネバーランド)に君臨しよう。
「私は絶対に『卒業』しないまま、ここに居続けますから」
絶対のオヤシロ様が口にするのだから、これは本当に絶対の決まり事だと。
瞬間、創造された武器が現われ、彼女はもう一つの手でそれをつかみ取る。
巫女としての姿をとるならば無くてはならない武器、銀の円環を飾った錫杖がしゃらりと音を立てる。
彼女の知る上位存在の持っていたそれによく似ていたが、先端に『扉を開く鍵』のような返しがあるのは記憶と異なっていた。
生得領域(オリジン)の雛見沢に、ひとひら紛れ込んできた。
桜の樹の花弁を、銀の虚樹の揺らめきとともに生まれた錫杖でぐしゃりと踏み潰す。
虚樹の沙羅(はな)が、奈落の桜木に宣戦で応えた瞬間だった。
【品川区・奈落の夢/二日目・朝】
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【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:『異界の巫女』、アルターエゴ『オヤシロ様』半覚醒
[令呪]:残り二画
[装備]:銀鍵の形をした錫杖、トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬、地獄への回数券
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:?????????????
1:脱出の道は潰えた。願うのは聖杯の獲得による、梨花への完全勝利のみ。
2:皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
[備考]
※龍脈の欠片、アビゲイルの触手を呪的加工して埋め込まれました。何が起こるは未知数。
※龍脈のエーテル塊とアビゲイルの肉体を受け入れたことで、疑似サーヴァントに近い体質に変質しつつあります。詳細は書き手に任せますが、『心象風景の具現化』を習得しつつあります。
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投下終了します
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投下乙です
疑似鯖になるか沙都子、、、、
まじでやばいのがどんどん増えてく、、、
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すみません、リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)を予約から外します。
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前編を投下します
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伏黒甚爾とは、と問われたなら。
世界に対するイレギュラーであると、そう答えるのが正しい。
呪力を完全に持たない透明人間。
ある意味で呪われ、ある意味で祝福された異端の子。
卓越した術師であればある程騙される。
存在を探知できない伏兵という想定外に足を掬われる。
そうして幾多の屍の上に付いた異名が術師殺し。
当代最高の天与呪縛にして、闇に潜みあらゆる結界を踏破してやって来る術師達の"死"。
「流石に初めてだな」
そんな男が、感慨すら覚えた様子で呟いた。
彼は常に追う側として生きてきた。
当然だ。呪力を持たない彼の存在はあらゆる術式でも結界でも探知する事が出来ないのだから。
だが今、彼は追われる側として地獄絵図の東京を駆けている。
「何がだ」
「一方的に追われる側になったのは、だよ」
英霊でありながら人間と変わらない存在情報を持つ彼が。
常に位置を把握された上で追撃されているのだ。
これはまさしく異常事態。
全知を体現する六眼でさえ捉えられない男を、観測し追走する者が居る。
(魔力を視てるわけじゃねえのか。サーモグラフィーみてえなもんかな)
万全だった頃の峰津院大和や今は領域の中で眠る蘆屋道満でさえ、甚爾を追跡する事は不可能だろう。
しかし盲いるままに強さを希求し、数百年の時を費やして技を極めたこの鬼だけはそれが出来る。
上弦の参・猗窩座。『修羅』。
その羅針盤は甚爾の存在を常に観測し続け、羅針の範囲を出るまで決して見逃さない。
魔力も呪力も微塵も持たない甚爾だが、肉体の特異性故に猗窩座の探知する"闘気"は人一倍有している。
どれほど優れた術師の視座をも欺く猿を誅する事が出来る唯一の存在。
まさに――
「天敵、とまでは言い過ぎだけどな」
くるりと身を翻す。
そして握った刀身を振り抜いた。
猗窩座はそれを拳捌きでいなし、膝をかち上げて甚爾の顔面を粉砕せんとする。
触れれば砕くと無言の内に豪語するそれを、甚爾は片手で止めた。
猗窩座の眉が動く。彼は上弦の中でも随一の膂力を持つ鬼だ。
一切の加減なく放った攻撃を素手で止められたのは、数百年を合算しても初めてのことだった。
-
(天与、か……)
誰よりも強さに執着し生きてきた猗窩座にはすぐに理解出来た。
並外れて色濃い闘気、鬼の膂力すら涼しげに受け止める肉体。
これぞまさしく天賦。天の与えた祝福(のろい)であろうと。
とはいえ、膝を握り潰されながらでも戦闘を継続出来るのは鬼種の特権だ。
返す刀で放つは――破壊殺・脚式。
流閃群光の乱打を甚爾は刀捌きと体術のみで一発残さず躱していく。
(流石はサーヴァント。特級相当だな、面倒臭いことこの上ねえ)
呪霊の等級に当て嵌めるなら間違いなくその域だ。
討伐に戦略兵器、最低でもクラスター爆弾級の火力を要する次元違いの怪物。
では、それと刀一本肉体一つで渡り合う所業は何事か。
怪物なのはどちらも同じ。
鬼と人、それぞれの土俵でその二文字を体現する武の化身同士が此処に果たし合っている。
「追い掛けられるのは正直想定外だった。ただ、喧嘩売ってきたのはそっちだ」
甚爾の腕が消える。
いや、消えた風に見えただけだ。
上弦の目をして軌跡を追うのが限界の挙動。
これを人間の頃から据え置きの身体能力で成し遂げるのは何の冗談か。
猗窩座は上弦の鬼として何十、何百という鬼狩りを屠ってきた。
その中でもごくごく僅かな、修羅の首に迫った者達。
煉獄杏寿郎。冨岡義勇。そして竈門炭治郎。
そうした選りすぐりの強者達ですら――こと純粋な能力値の勝負では比較にならない。
人として生まれ落ちた鬼。
鬼神の如き男であると、本物の鬼をしてそう看做す他はなかった。
「こちとら育ちが悪くてな、売られた喧嘩は倍値で買い取る主義なんだ。後腐れなく摘んでやるよ」
初速から音に迫るそれを実現した一閃。
猗窩座は鬼とは思えない巧みな足捌きでいなし、そこから刀ごと折る勢いでの凶拳を見舞った。
刀身と拳が衝突し、劈くように甲高い音が轟く。
その結果として散った鮮血と腕はしかし甚爾のものではなかった。
「――何」
生半な得物であれば容易に砕く猗窩座の魔拳。
競り合ってくる事までは想定出来ていた。
想定外だったのは、拳自体の威力を上回って一方的に腕を切り落とされた事。
刀と触れた角度に沿って真っ二つに割断された腕が飛び散り、修羅の輪郭が不格好に歪む。
-
(妙な感覚だ。肉を裂かれると言うよりも、もっと根本の部分から存在を断たれるような――)
猗窩座のそんな所感は的を射ている。
甚爾が今振るっている刀剣呪具、その名は『釈魂刀』。
物体による物体の切断の可否を決定するのは受ける側の硬度だ。
しかしこの釈魂刀はそれを無視する。
硬度ではなく、魂という防御力絶無の領域を参照して切断する呪具。
故にこそ拳鬼である猗窩座に対しては間違いなく特効だった。
破壊殺の猛威越しに四肢を切り落とせることの優位性は言わずもがな。
暴君の手が風と化し刃が中空に踊り狂う中で、猗窩座の全身は次から次へと膾切りの憂き目に遭った。
「破壊殺・砕式――」
速い。
猗窩座が幻視したのは同じ上弦、つい先刻に血戦へと興じた剣鬼の所作であった。
あれが無謬の時を費やした鍛錬と研鑽に由来した高速ならば、これは純粋なる天衣無縫だ。
一方の猗窩座は、手足と胴に無数の刀傷を喰らいながらも鬼の再生力に身を任せてそれらを無視。
「――鬼芯八重芯」
弾け飛ぶ花火の如き血鬼術。
甚爾の一方的な攻勢を挫きつつ、手数での圧殺に持ち込まんとする。
色とりどりに輝き煌めく破壊の異能に、しかし伏黒甚爾は不退転だった。
我が物顔で空に身を躍らせ、あろうことか舞い散る花火の間隙を縫って疾駆する。
足場のない空中を踏み締めて加速する"程度"の道理無視は最早彼にとって茶飯事だ。
唯一自身に迫った一撃のみ釈魂刀で叩き斬り、接近を果たすや否や真横一文字に修羅の胴を断ち斬る。
「修羅とはよく言ったもんだぜ、まったくよ」
猗窩座の胴が、上と下とでズレる。
だがすぐさま再生が始まり、蹴り上げを打ち放った。
釈魂刀で受け止めるが吹き飛ばされ、結果甚爾は数メートル先の地面に着地する。
(術式……とは多分違うな。生態レベルでの不死身もどきってとこか)
少なくとも甚爾が知る不死とは性質もその定義も異なるらしい。
胴体の切断、心臓/霊核の破壊で死なない事は先の応酬で確認済み。
であれば、不死殺しの必要条件は限られてくる。
「脳か頸だな」
猗窩座の眉が動く。
凄絶な笑みを浮かべながら甚爾が跳ねた。
鬼ごっこは既に終わり、構図は殺し合いのそれへと塗り替わっている。
「――ッ」
猗窩座の眉間に厳しく皺が寄る。
苦渋。誰の目から見てもそう思わせる状況が、彼を苛んでいた。
中〜遠距離のレンジを維持して闘うのであれば、優位に動けるのは猗窩座の方だ。
-
だが、甚爾もその事は理解しているから彼に距離を明け渡さない。
猿が最も巧く暴れて理不尽を押し付けられる至近距離を常に保ち続ける。
猗窩座が退こうとすれば、結界術の束縛すら引き千切れる脚力で即座に膝を破壊して阻止。
頭頂部から頸までを標的にした斬撃の嵐を吹かせ、一気に鬼の生命線を文字通り断ちに掛かっていた。
まさに規格外。
鬼をも戦慄させる、突然変異の鬼子。
神の愛憎、その形。伏黒甚爾――鬼狩りならぬ術師狩り、英霊殺し。
「舐めるな」
猗窩座の顔に青い血管が浮いた。
彼はもはや、強さを希求し饒舌に語り散らす陶酔した戦鬼ではない。
過去を認識し、己を知り、ただこの聖杯戦争にのみ心血を傾ける本当の意味での修羅の鬼だ。
だが、それでもこの敗北の危機を前にして無感のまま拳を振るい続けるような腑抜けではなかった。
発起。闘争に明け暮れた魂が燃え上がり、花火を思わす色とりどりの閃光をその拳閃に乗せて迸らせた。
破壊殺・終式――青銀乱残光。
百にも達する乱れ打ちが、釈魂刀の連撃を強引にねじ伏せながら甚爾を襲った。
さしもの甚爾も小さく舌打ちをする。速度、手数、どちらも申し分ない。
流石に手に余ると、そう判断するに足る絶技だったからだ。
捌ける分を捌き、無理な分は躱すか流す。
無傷とは行かないが、生命という名のしのぎを削り合う修羅場では命があるだけ有情だ。
幸いにして、伏黒甚爾の動体視力であれば青銀乱残光の乱打も一つ一つ仔細に観察し位置や速度、その座標までもを把握することができた。
余人には全て同時に炸裂しているようにしか見えないだろうそれも、しかし"技巧"である以上はそれぞれに差異が存在する。
そこが突破口になるだろうと、甚爾は長年の経験と天性の感覚(センス)により確信。
華々しい拳打の嵐とは裏腹の泥臭い捌きぶりで生を繋ぎつつ、機を見て釈魂刀を片手持ちへと切り替えた。
「こっちの台詞だぜ、修羅」
格納呪霊の口からはみ出た"鎖"。
それを握り、銀光の合間を縫いながら猗窩座へと振るう。
彼もまた甚爾の動作に気付き、それが自身の右足を狙っていると判断した時点で重心を左側に傾けることで回避を図った。
が。そこで一つ、誤算が生じる。
「……!?」
避けた。確かに猗窩座はそうした筈だった。
にも関わらず、ある要因によって彼の回避は失敗に終わる。
放たれた鎖。その長さが、明らかに常軌を逸した尺であったこと。
鬼の目算を狂わせたそれは失策を嘲るように空中で撓り、猗窩座の右足を膝下から削り取った。
呪具"万里の鎖"。
両端を観測されない限り、その長さを事実上の無限大へと伸長させる特性を持つ術師殺しの仕事道具。
四肢が三肢へと変動し、それに伴うバランスの崩壊によって乱残光からの追撃が不可能となる。
狙い通りの成果をあげた甚爾は、その時点でこれ以上の回避と迎撃を全て排除。
超高速で差し迫る拳撃の隙間に自らの身体をねじ込んで、理論値の安全地帯を実際に活用するという離れ技で遂に光の波濤を切り抜ける。
それと同時に振るわれる釈魂刀――羅針は、鬼に自動の防御を促すが。
甚爾とて、そのことは承知の上。
防ぐなら防げばいい。その上で――
「刈り取ってやる」
鬼殺を、成す。
鬼人の眼光が、鬼を射抜く。
背筋が粟立つのを、確かに猗窩座は感じた。
自身の命運が断ち切られる危機感と焦燥。
ひどく不快で、魂までも沸騰させるような"それ"に、彼が何事か吠えるべく口を開かんとした。
"天変"が襲ったのは、その瞬間のことであった。
それが"地異"になるまでに、残されていた時間はごく少ない。
-
「――おい、マジで言ってんのか」
「……この気配は――」
修羅場の極み。
互いの命が乱れ飛ぶ、決着を間近で感じる頃合いに。
空の彼方、雲の上、天空の果てに突如として出現したその気配に鬼人と修羅は異口同音の戦慄を覚えた。
これそのものにはどちらも覚えがある。
いつかは対峙せねばならない関門であると、そう心得てはいた。
だがそれは今ではない。誰がこれと、よりにもよってこの怪物と、無策で相撲を取ろうと考えるだろうか。
第三者、それも考えられる限り最悪に近い乱入者の出現を受けた両者の行動はしかし不変だった。
まず目の前の一合に勝利し――その上で上空の脅威に対処する。
甚爾は更に前へ。猗窩座は、黒き呪力を構えた拳に漲らせ。
互いに全速力の全力を交差させ、敵の命を砕き散らさんとした――が。
釈魂刀が悪鬼の首筋へ。
黒く閃く万華鏡が暴君の心臓へ。
それぞれ轟き、殺害の成否が確定するのを待たずして。
空より現れた最悪なる"最強"が、霊体化を解いてその姿を現した。
「――――――――熱息(ボロブレス)」
空を焦がし、地を嘗める灼熱の波濤。
人として生まれながら、悪魔の果実を貪り竜種(ドラゴン)と化した者。
その吐息(ブレス)が、既に破壊され尽くした東京の町並みを再び暴力で以って撫でた。
建物の残骸が、逃げ遅れた人間が、その他あらゆる何もかもが呑まれては黒炭に変わっていく。
伏黒甚爾と猗窩座の両名も、為す術もなく火炎の中に呑まれて消えた。
生死を窺おうにも地上全てを覆う勢いで広がる熱息の中では、そもそもまともに向こう側を見通すことすら叶わない。
時間にして三十秒にも及ぶ、空から地への絨毯爆撃ならぬ絨毯放火――火炎地獄の地上に、一つたりとて無事で済むものなどありはしなかった。
――そう、誰も無事では済まなかった。
しかし、何もかもが死に絶えたわけではない。
伏黒甚爾は、炎の中を持ち前の耐久力で走り回りながら巧みに熱源そのものに曝されることを避け続けた。
とはいえその右腕は火傷に覆われ、また猗窩座の打撃を掠めたことで肋骨も数本ひび割れている。
舌打ちをしながら表情を歪める様が、彼をして不味い、旨くない展開になってきたことを物語っていた。
そして猗窩座は、まず第一に甚爾の斬首を掻い潜ることに全力を注がねばならなかった。
結果として討ち取られることは避けたものの、熱息に直撃したその身体は焼死体のように黒く焼け焦げて見る影もない。
彼が鬼でなかったならば、まず間違いなく致命傷であったろう損傷。
されど、鬼の耐久と再生力を以ってすればこちらもまだまだ傷としては軽微の部類である。
甚爾、猗窩座、双方共に健在。
故に、彼らが取り組まねばならない火急の課題は――
「"雷鳴八卦"」
-
竜から人へと戻り、二十三尺超えという尋常ではない巨体で"落ちてくる"明王への対処であった。
最初に彼が狙い澄ましたのは伏黒甚爾だ。
天与呪縛、フィジカルギフテッドの完成形。人類種として最強の肉体を持つ彼ではあるが、この怪物はそんな甚爾から見ても別格だ。
そもそも生物としての規格が違う。
巨大さも、力も、何もかもが馬鹿げた水準で安定している正真正銘の化け物。
甚爾は旨くない仕事はしない。
不要な戦いも、しない。
意地やプライドのために戦えばどうなるかは、文字通りその身で思い知っている。
だからこそ彼は一も二もなく逃げを選択するが、しかしそれを許す明王では当然なかった。
「チ――!」
鬼の金棒――"八斎戒"を握った巨体が、消える。
次の瞬間が来るまでに素早く游雲へと持ち換え、迎撃という名の防御に打って出られたのは幸運だった。
担い手の力を参照して威力を強める特級呪具は、甚爾が握れば"攻撃は最大の防御"をまさに体現する性能となる。
下手に武器を構えて防御するよりも、全力で迎え撃ち少しでも威力を低減させにかかった方が遥かに目の前で振るわれる究極の暴力を前にしては有用。そう判断した結果の行動だった、が。
甚爾は手練れだ。
故に、一瞬で悟った。
失敗した、と。
合わせ損なった、その確信があった。
そして失敗の代償は、文字通りの手痛い損害で以って支払わされることとなる。
「――――!」
游雲を握り締めたまま、黒い稲妻を纏った金棒に打たれて伏黒甚爾はボロ切れのように吹き飛んだ。
傍から見れば彼の姿は、黒い残像が一筋通ったという形でしか観測できなかったろう。
甚爾は遥か後方のビルに受け身も取れず突っ込み、粉塵を撒き散らしながら血を吐いた。
(おいおい、マジか。なるべくならやり合わずに済ませる気だったが……)
身体の奥底にまで響く、鈍くて重い痛みがあった。
生きていた頃でさえ、他人に殴り飛ばされて此処までのダメージを受けた試しはない。
とはいえ四皇、巨躯の海賊どもが馬鹿力の持ち主なことは甚爾とて把握していた。だからこれ自体への驚きは、そこまで大きくない。
問題はそこではなく――自身を打ち据えた一撃の、その"速度"の方。
(初見じゃ見切れなかった。俺の目でそんなヘマやらかすとはな)
完成された天与呪縛の性能はサーヴァントの基準で考えても決して伊達ではない。
1/24秒というごくごく僅かな、一瞬と呼ぶにすら届かないような間隙ですら見極める動体視力。
それを持ち合わせる英霊など、この界聖杯を巡る聖杯戦争の中にさえそう多くは存在しない筈だ。
甚爾は生まれながらにして、それを可能とする視力を有している。
その彼が――見誤ったのだ。
如何に初見、そして猗窩座から受けた傷を抱えた状態であったと言えどもである。
天与の暴君をして見逃すほどの速度、そこから繰り出される怪力無双の一撃。
悪い冗談だろ、と甚爾は鼻で笑った。失笑すら思わず溢れる。彼の身を今襲ったのはそれほどの事態だった。
そして無論、明王の降臨に居合わせてしまった猗窩座も例外なくこれに襲われる。
-
「何処かで感じた気配だと思えば、リンリンの傘下に居た奴か」
猗窩座の記憶の中から、既に始祖の鬼の記憶はほぼほぼ消え去っていた。
しかし、それでも分かる。
実際に対面してその武を目の当たりにすれば、嫌でも伝わるものがある。
反英霊・悪鬼『猗窩座』の魂が告げていた。
これは――本物の鬼神だと。始祖がそうだったように、天災のように暴虐を吹き荒らしては屍と嘆きを生み続ける存在であると。
海賊同盟の御旗にはもう何の期待もできない。
何しろ、言い出しっぺであり右舷だったビッグ・マムが落ちたのだ。
そして猗窩座は、他ならぬビッグ・マムによって引き入れられた同盟者であった。
いや……仮に彼らを傘下にしたのがマムではなくこのカイドウだったとしても、この期に及んでその事実が果たして救いになったかどうか。
「悪いな。もう傘下は要らなくなっちまった」
かつて猗窩座が感じたカイドウの闘気。
それ自体がまず空前絶後と言っていい規格外だったが、今の彼から感じるのはその時のものとはまるで印象が違っていた。
以前のを沸騰し猛り狂う溶岩の渦としたなら、今目の前から迸って溢れるそれは荒れ狂う嵐の中に揺るがず動じず聳える天高い山岳。
大きく、強く、そして堅く。
静かに、されどただそこに居る/在るだけで他の総てを圧する存在。
聖杯戦争に招かれる以前の猗窩座だったなら、この海賊を神仏と見紛ったかもしれない。
悪鬼羅刹、罪深きもの。あるいは、命を抱いてこの世を生きるもの全て。
それらに誅と然るべき処断を下す、地獄からやって来た王者――
「そういうわけだからよ――てめえ船降りろ」
真上から振り下ろされた八斎戒から猗窩座が飛び退く。
黒い稲妻を伴って落ちてくるそれの威力が頭抜けているのは知っている。
破壊殺・羅針による闘気探知を基にした自動防御も、相手がこれでは一体如何ほどの役に立つか分からない。
されど、猗窩座とて闘いの世界に生きた者だ。
虚しくも強さを希求し続け、今はそれだけを寄る辺に狛犬を務める哀れな男。
癒やし育てることはできなくとも、拳を振るい敵を撃滅することならば誰より長けている。
八斎戒の二打目をどうにか右腕一本の損失で抑えながら、先ほど伏黒甚爾が自身の血鬼術に対してやってみせたように空中へと身を躍らせた。
その上で、再び放つは黒い光拳。
黒閃万華鏡――天与の猿には躱されたが、これほど的が大きければどうか。
黒い流れ星さながらに放たれたそれと、カイドウの鉄槌とが激突する。
世界が爆ぜるような、空間の割れるような。そんな音が、焼け野原の大地を劈いた。
-
「お――ぉおおおぉおおおッ!!」
比喩でなく霊基が軋むのが分かる。
魂ごと砕けても不思議ではないような、そんな衝撃の中で猗窩座は吠えた。
しかし、この激突は彼にとって単なる前座に過ぎない。
力と力の激突、それにより生じた力場を利用して自らの体躯を真上へと意図的に吹き飛ばす。
その上で、狙うのは鬼神の頭部。
天を引き裂くように振り下ろされる踵落としにも、当然のように黒い閃きが微笑んでいた。
黒閃は連続する。一度決めれば、まるでゾーンに入ったように次の光を招くという。
人の身で闘う呪術師でさえそうであるなら、英霊が、修羅が駆使すればどうなるか――そんな命題の答えが今の猗窩座だった。
彼は運命に呪われ、世界に嫌われ、誰もに罵られた悪鬼だが。
ただ一つ、呪わしき力――黒閃だけは彼を愛している。
望まない祝福を足先に込めて、猗窩座は鬼殺成すべく轟かせた。
――だが。
「器じゃねェんだよ、紛い物の覇王色がおれの前で煩わしく瞬きやがって」
その"祝福"を、王は当然のように受け止める。
黒い稲妻を纏った業物が、鬼の強さも矜持も全てかき消すように強く雄々しく瞬いていた。
それを猗窩座は、揺るがせない。
押し切るのはおろか、小指一本分すら動かすことができない。
遊びを捨て、求めるべき決着に向けた高揚さえも奪われ。
今はただ孤軍の王として生きとし生けるもの、全ての前へ立ち塞がる悪竜の王、その本気に――追随できない。
四皇カイドウは遊び好きだ。
彼には戦いを娯楽として味わう悪癖がある。
時に格下の攻撃をあえて受け、その器を推し測り。
時に殺せないと分かっている攻撃をわざと放ち、敵が足掻くのを楽しむ。
そんな彼が仮に初めから遊びを捨て、ただ渇いたままの心で力を振るったならどうなるか。
その答えは――カイドウの生涯に常に付きまとった仰々しい二つ名が物語っている。
「教えてやるよ。本物の、王の力って奴を」
"この世における最強生物"。
最強の称号を冠された使い手ならごまんといる。
彼以上の偉業を成し、彼以上に白星が多く、彼より遥かに黒星の少ない海賊も無数に存在しただろう。
それは一つの時代に取り返しのつかないうねりを生んだ、"海賊王"であり。
彼が初めて乗った血塗れの船を統括していた、"ロックス"であり。
常に最強の名を欲しいままにしてきた、"白ひげ"であり。
未熟だった頃の彼に海賊のイロハを教えた"ビッグ・マム"であり。
海賊王の冒険へ同行し、その名声を継ぐ形で名をあげた、"赤髪"であり。
神話の力を覚醒させ、明王の君臨に終止符を打った"麦わら"である。
されど。
それでも。
ただ一つ――――絶対に揺らぐことのない現実がある。
-
(何だ――こいつは)
それはきっと、猗窩座という悪鬼にとって初めて抱く感想だった。
当惑。混乱、にすら近かったかもしれない。
目の前の存在が理解できない。
破壊殺・羅針は健在だ。頭抜けた闘気を放つ怪物として、猗窩座の五感は常にカイドウの存在を正確に捉え続けている。
だからこそ正確には、猗窩座の脳が追い付けていないのだ。
歩んできた経験の差。相手取ってきた敵の数。
そういう次元ですらない、もっと根本的な生物としての格の違い。
それが、事態を正確に理解させない。
器ではないと、そう大上段から切り捨てたその言葉の通りに。
目の前の皇帝はただ処断する側として、人の世に生まれ堕ちた修羅を俯瞰していた。
「"降三世"――――」
離脱しようとした猗窩座の身体が、見えない引力によって阻まれる。
誰が信じられよう、猗窩座を阻んだのはカイドウが攻撃の為に跳び上がったその余波として生じた気流の檻だった。
空中であるというのも手伝って、鬼の身体能力でさえ引き千切ることはできず、結果修羅は空に囚われる。
そしてそれは、今まさに自分へ振るわれんとしている王の鉄槌から逃れるという選択肢が剥奪されたのに等しい。
避けられないのなら必然、挑むしかない。
拳を構え、破壊殺の極意を灯し、魔力を横溢させて【破壊殺・終式 青銀乱残光】を放つ猗窩座。
死線が彼に更なる進化を促したか、放たれる百の乱打はその全てが黒く輝いていた。
言うなれば終式・黒閃乱残光。
威力、規模、そのいずれも先の血戦で童磨が見せた"曼荼羅"にそう劣らない。
体力の大半を持って行かれるだろうことは覚悟の上で、しかし此処で限界を超えねば死ぬと悟った故の覚醒だった。
月剣の鬼が陽融に至り、新たな境地へ足を踏み入れたように。
修羅もまた数々の戦いと辛酸の果てに、彼に劣らぬ力を発現させるに至ったのだ。
だが――
(何故、止まらない。何故、止められない)
黒い拳撃の群れが、嵐が。
同じ黒色で瞬く稲妻の前に、一つまた一つと押し潰されていく。
百の拳撃を同時に放つという技の性質上、潰された数が増えるにつれてつかの間の拮抗は崩れ始める。
潰されたのが十であればまだ耐えられた。
二十になれば、歯を剥いて鬼の形相で気張る必要があった。
五十になる頃には――既に状況は、拮抗とは到底呼べぬそれへ変わり果てていた。
-
……誰もが言った。
『一対一(サシ)でやるならカイドウだろう』、と。
"海賊王"ロジャー、"白ひげ"ニューゲート、数多くの伝説が生きた姿を知る者達が、彼に対してだけは口を揃えてそう断言したのだ。
これは、生物としての規格が違う。
生まれながらに強く、しかしそれに怠ることなく研鑽を続けてきた笑えるほど生真面目な男。
彼の肉体と性格、そして他の何者も及べないほど強く冴え渡るその才覚が世界最強の称号という夢物語を現実に変えた。
悪龍。明王。皇帝。鬼神。神明。霊峰。覇王。数多の恐れを受け、数多敗北に膝を折り、されど何度でも立ち上がり覇を唱え続けた男。
「――――"引奈落"」
――――怪物カイドウ。
鬼ヶ島に棲む恐怖、ワノ国を統べる悪竜現象。
その絶技は決して小難しいものではない。
現実を調伏などしない、技の冴えで超常現象など起こさない、因果も現実もねじ伏せない。
ただ殴るだけだ。それだけ。ごく純粋で、ごく直球の暴力。
たったのそれだけで、猗窩座は自身の開拓した到達点を打ち砕かれその打擲に頭蓋を粉砕された。
「 か 、 」
視界が吹き飛ぶ。
実際には脳を破壊された程度であったが、猗窩座は確かに己の肉体が原子一片も残さずこの世から消滅した錯覚を抱いた。
上弦の再生力は驚異的だ。手足が吹き飛ぼうがすぐさま再生させるそれは、本来なら即死であろう手傷に対してもすぐに順応する。
猗窩座の砕けた顔が再生し、脳細胞が沸き起こり、カイドウの一撃を受ける前の形が復元されるまでに十秒とかからない。
だが、今回の再生は完全ではなかった。
身体の節々にまで、深い消耗が蜘蛛の巣のように網目を広げているのが分かる。
覇気。自然現象をすら殴り伏せることを可能にするそれを、当然皇帝であるカイドウは極限まで習熟させている。
始祖・■■■■■もまたこの鬼神を前に同じ現象に直面した。
身を苛む覇気の傷は、再生を経て尚鬼の身体とその細胞を蝕み続ける。
結局■■■■■は――それに足を引かれて得意の逃げを封じられ、悪魔の腹に収まった。
「死なねェのか。頑丈だな、……前にどこかでやり合ったか?」
何かの崩れる音がする。
それは、きっと肉体ではない。
もっと奥底、鬼に残されたわずかな心の涯てにある何か。
猗窩座は幸運だった。人間・伯治の成れの果てとしてではなく、猗窩座という悪鬼として招かれていたから。
そうでなければ、もしも生前のまま……強さを求めた彼のままだったなら。
今この瞬間にも猗窩座は存在意義を崩壊させ、狂い哭きながら無駄な特攻を敢行していただろう。
もっとも、特攻という行為の成否については世界線の如何に左右されることはない。
身も蓋もない無情な現実が、成功失敗を問う前の段階に横たわっているからだ。
「まあ好きにしろ。死なねえなら死ぬまで殴るだけだからよ」
――――猗窩座の全速力よりも、カイドウが一撃打ち込む方が速い。
強靭と鈍重は、強者の世界においては必ずしも結びつかない。
カイドウはまさにその体現者であった。
最強にして、最速。
その動作から繰り出された一撃が、立ち上がる前に猗窩座を打ち据え地に臥させる。
-
何度も。何度も。何度も。何度も。
振り上げては振り下ろす、単調な破壊が繰り返される。
血飛沫どころの騒ぎではなく、肉や臓物、骨までが弾けた風船のように飛沫する地獄絵図。
その中にあっても尚、猗窩座は生きていた。生きて現界を保っていた。
彼が、鬼だからだ。
――死を忘れ、永劫に彷徨い続ける哀しい生き物であるからだ。
(何だ、これは)
問うた。
今度は、相手の得体をではない。
他でもない、自分自身の有様について問いかけた。
技の全てを尽くして挑み、虫螻のように敗れて地に臥せり。
立ち上がることすらままならず、文字通り"死ぬまで"打ち据えられるばかり。
蠢く姿は、子どもの戯れで半身を踏み潰された芋虫のようにひどく惨めなものだった。
(俺は、一体、何をしている)
一撃すら当てられず。
血の一滴も、流させることが出来ず。
蹴散らされ踏み躙られ、無力に蠢くばかり。
原型を留めないほど破壊されているにも関わらず、自分の中で何本もの血管が千切れる音がした。
確かに猗窩座は、それを聞いた。
(生きて、生きて、生きて、生きて……死して尚、性懲りもなく再び現世へとまろび出て)
今の猗窩座に、もはや強く在ることへの執着はない。
それが単なる虚ろな、過去の残響でしかないことを既に知っているからだ。
どれほど追い求め、磨き上げ、執着しても決して返らない過去がある。
首が落ち、鬼狩りの剣士達の見守る中で死に還ったあの時――猗窩座は確かに、後悔の宿痾から解放されたのだ。
では何故、己は此処に立っている。
決まっている。応えた願いがあるからだ。
幾千、幾万と存在する英霊の中から、よりによってこんな貧乏籤を引き当てた愚かな男。
途方に暮れた子どものような瞳で、"大人"の責任を背負い立つその何ともつまらない姿を――いつかの自分と重ねたから。
だから立ち上がった。
二度と振るうことはないと、そう思っていた拳を再び血で染めた。
輝くものを殴り砕き、血戦を乗り越え、擦れ耗するばかりの男の狗であり続けた。
(勝利を運ぶと豪語した結果が、これか……?)
止まらない喪失と摩耗を止めることもできず。
寿命を浪費させ、未来が奪われるのをただ指を咥えて見守り、身に着けた力は何を得ることもなく。
挙句の果てには磨き上げた強さも、開花させた力も全て蹂躙されて、上回られて。
地に臥せり、虫螻以下の無様を晒しながら死ぬ。
吐いた言葉、交わした誓い、その何一つとして現実にすること能わず。
ただ、無価値に死んでいくのだ。
飢えて狂った野良犬のように。
それは――
それは、なんて――
惨めで、
滑稽で。
つまらない話、だろう。
「――ま、だだ」
-
巫山戯るな、と。
猗窩座は、顎の骨が砕けるほど歯を食い縛りながらそう吠えた。
落ちてくる鬼神の剛撃を、神懸かりの一足で躱す。
全身の血液を全て鉛に置き換えられたように身体は重く、視界までもが赤く染まっていたが止まりはしない。
そう成り果てても尚、猗窩座を突き動かす怒りがあった。
情けなく、不甲斐なく、呆れるほどに進歩のない自分自身への怒りだった。
『不屈の精神』
『俺たちは侍じゃない 刀を持たない』
『しかし心に太刀を持っている』
『使うのは己の拳のみ』
『はい』
『俺は誰よりも強くなって』
『一生あなたを守ります』
『もういいの』
『もういいのよ』
『おかえりなさい、あなた』
去来する追憶(ノイズ)を振り切って。
それは俺のものではないと吐き捨てて。
猗窩座は、血風そのものと化しながら神のように立つ皇帝へと突貫した。
そこにはもはや鍛えた技も糞もない。
あるのはただ、剥き出しの闘志。
いつか/あの頃、自棄になってそうしていたように。
「アアアアアアアアアアア!!!!」
素流でも破壊殺でもない、あるちっぽけな男の地金が露出する。
-
言うなればこれは、単に力だけ振り翳す餓鬼の所業。
当然そんな生半が、力も技も飽きるほど極めた明王に通じる道理はなく。
「狂犬が……身の程も分からねえか」
文字通りの鬼の形相を、黒い稲妻が照らし出す。
全身が罅割れていく感覚があった。
始祖の血をふんだんに注がれ、数百年もの間人を食らって純度を高め続けた上弦の肉体ですら限界に達しようとしている。
――それがどうした。
「"咆雷八卦"――――!!」
赫怒のままに挑むは、修羅。
もはや何に怒っているのかも、何に狂しているのかも分からぬまま。
天道へ挑む修羅を打ち据えたのは、あまりに無慈悲で順当な一撃だった。
覇王色の覇気。天を統べる資格を秘めた者のみがその身に宿せる、黒き雷。
八斎戒を覆うように纏われたそれが振り抜かれると同時に、猗窩座の拳が木端微塵に弾け飛ぶ。
……もはや、何も聞こえない。
何も見えない。
考えるという機能そのものが崩壊していくのを感じながら、鬼は闇へと堕ちていく。
振り抜かれた八斎戒は、猗窩座の頸を完全に破砕させていた。
斬首と呼ぶには無骨過ぎるが、これで■■■■■の血に連なる悪鬼の消滅条件は満たされる。
再生力に物を言わせた強引な耐久も、こうまで完璧に頸を刎ねられてはもう望めない。
粉砕された頸の残滓が大気に溶けて崩れ去る。
残された胴体が、地に臥せって蠢く。
それに対し、カイドウはただ無感動に八斎戒を振り上げた。
「死は人の完成だ」
此処に、全ての勝敗は決定される。
――まだだ、まだ終われない。
強い者が生き残り、弱い者は惨めに死ぬ。
――俺は、まだ。
役立たずの狛犬は、その汚名を抱いて地に還るのみ。
――奴の言葉に、何も。
「てめえも英霊なら、せめて潔く消え果てな」
稲妻が、朝の東京に轟いて。
愚かな男の命運を完膚なきまでに消し去る、最後の刹那。
悪鬼『猗窩座』は、己の耳にもう響く筈のない"その声"を、聞いた。
――伯治さん。
-
前編の投下を終了します。後編も期限までには。
-
後半を投下します。
-
◆◆
――此処は。
――何処だ。
立ち尽くす猗窩座の周囲に広がるのは、無尽の荒野だった。
炎はない。亡者を責める獄卒の姿もありはしない。血の池など以ての外だ。
けれど。それでも此処が地獄、その風景だと分かるのはかつて一度沈んだ場所だからか。
いや――よぎった考えを猗窩座はすぐに否定する。
猗窩座は地獄に堕ちてなどいない。
此処にいるのは悪鬼。報いなど、顧みることなど捨て去った人食いの鬼だ。
過去(うしろ)を振り向いて、自ら望んで地獄に消えていったのは伯治という愚かな人間であって。
償いの責め苦を越えて尚、他でもない世界そのものに"かくあれかし"と願われ固められたこれはただの怪物でしかない。
であれば、無論。
荒野の真ん中で自分に向けて佇む"その女"も当然、赤の他人ということになる。
つい先ほどまで居た令和時代の東京にはまず居ない、古風な髪型を雪の髪飾りで纏めた女。
花の咲いた瞳でこちらを見つめる手弱女然とした人間が、血濡れの悪鬼なぞと知人であろう筈もない。
「見るな」
だからこそ猗窩座は当然、彼女の存在を拒絶する。
彼女が今此処に居て、自分を見つめていることそのものを否定する。
それは全てを無為にする行いだからだ。
何一つ罪など犯していないのに、愚かな男に寄り添って共に業火に包まれた哀れな女。
その献身も、何百何千年という贖罪に耐えた意味も、何もかもを棒に振ってしまう行為だから。
人の幸福を捨てて修羅を気取った男に輪廻の果てまで添い遂げた優しさを、自ら泥で汚す所業。
故に猗窩座は、彼女の存在を拒み、その視線を否定した。
それが既に悪鬼の行動ではないのだという当たり前の事実に、彼自身だけは気が付かないままで。
「貴様など知らない。俺は地獄の淵からまろび出で、現世に再び解き放たれ殺戮を謳歌する上弦の鬼だ。
地平線の遥か果てまで、屍という屍を積み上げながら進むのだと決めている。
貴様のような弱く儚い人間なぞ、俺にとっては殺すべき塵芥の一つでしかない」
だから消えろと、猗窩座は言う。
女に背を向けて、ただ吐き捨てる。
自分をより恐ろしげで罪深い存在に見せようとするみたいに、露悪的な言動でその存在を装飾して。
この何処とも知れない景色を振り切って、明王との再戦に臨むべく一歩を踏み出す。
そんな鬼(おとこ)の背中に、女は小さく微笑みながら呼びかけた。
「そんな寂しいこと言わないで」
降り積もる新雪のように、一面の荒野の中へ声が響く。
そこには他人を脅す圧力も、胸に訴えかける悲痛も微塵もない。
どこまでもか弱くて、ともすれば足音にかき消されてしまいそうなほど細い声。
なのに猗窩座は、気付けば踏み出したはずの足を止めていた。
まるで魂が"そうしなければならない"と身体を引き止めたように、彼はその場へ縫い止められる。
-
そこからもう、一歩も足を動かせない。
「優しいひと。私の、大好きな――」
「言うな」
「……いいえ、言わせて。私の大好きな、あなた」
「――――」
足音が、近付いてくる。
女の足音が、荒野を踏みしめて。
やがて、動けず立ち尽くすままの鬼のすぐ後ろへ迫った。
手が伸びて、ぎゅ、とその孤独な――そうあらんと自らを戒めた鬼の身体を抱き締める。
弱く儚い力とほんのわずかな熱が、人間のそれではなくなった身体にじわりと伝わった。
「たとえ、"この"あなたが残照でしかないのだとしても。
どんな姿でも、何のために戦っていても……あなたは、あなたです。
静かに朽ち果てていくだけだった、ただの孤独に価値を与えてくれたひと――」
「……、……」
「伯治さん」
愚かな男と、愚かな鬼。
その魂(な)が、此処で重なる。
そう呼ばれてしまったから。
目を背けられてきた人としての名が、悪鬼の形に色をつける。
単なる窩(あな)、空洞でしかなかった鬼が。
彼が捨てた筈のオリジン、人間『伯治』の成れの果て――猗窩座という中身を得る。
いや、直視させられる。他でもない、自身が愛した女の手によって。
「……やめて、とは言わないのか」
それは、何処か観念したような声色だった。
無限城での決戦。鬼狩りの少年に頸を刎ねられ、それでも戦い続けるのだと息巻く猗窩座にかつて女は言った。
伯治さん、もうやめて。
その言葉が、捨てた筈の過去を呼び起こし。
猗窩座が本当に殺したかったものを、数百年余の放浪の末にようやく認識させた。
なのに今、自分を抱き締めている女は"やめて"とは言っていない。
ただ話しかけているだけ。自分の存在を猗窩座に認識させ、そして伯治の名で呼んだだけ。
「だって……今の伯治さんは、もう哭いていませんから。
あの日のように、何もかも見失って哭いているのではなく。
あなたが願いを叶えてあげたいと思う"誰か"のために、一心不乱に戦っている。
そんなあなたに"やめて"だなんて、とてもじゃないけど言えません」
私が伝えたかったのは、一つだけ。
そう言うと、女は何か温かいものを小さく猗窩座の背中に押し当てた。
ちゅ、と小さい音がする。ふふ、と照れたような笑い声を漏らして、女はようやく猗窩座の身体から手を離した。
「私は此処にいます、って。
此処で、あなたのことを見ていますって――そう伝えたかった。それだけなんです」
-
「……莫迦か。お前は」
「ごめんなさい。でも、居ても立ってもいられなくて」
止まるわけにはいかない。
仮にそう求められたとして、今はあの時とは違うのだ。
共に戦うと、願いを叶えてやると誓った男がいる。
死ねない理由も、強くあらねばならない理由も、今はもう憎悪と妄執の霧の中ではなく、はっきりとした輪郭を描いて胸にある。
だから止まれないし、女もそれを理解していた。
頸を落とされ、後は消えるのを待つばかりの男へ。
本人の言うように"居ても立ってもいられず"声をかけた。
振り向いて、とは言わない。
そうすることを、彼は嫌がるだろうから。
重ねて言うが、あの時とは違うのだ。
だから、女が男に求めるのは振り向くことではなく。
「負けないで、強いひと」
負けないで。
こんなところで踏み潰されて、消えてなんてしまわないでと。
妻として、それだけのことを伝えるために声をあげた。
これはそれだけで、それまでの話。
大それたことなど一切ない。小さな愛(エゴ)が、小さな奇跡を一瞬だけ引き起こしたというだけのことだ。
足が、前へと進んだ。
もう阻むものはない。
振り向くこともなく、悪鬼の殻を被って進む伯治。
その足はもう止まらない。振り向くことなど、もちろんない。
けれど。
「恋雪」
一言、名前を呼んだ。
悪鬼ならば口にする筈のない、そもそも覚えている筈もない名前を。
死して尚、餓鬼のように慮られてばかりの自分の情けなさに不快感を抱くと同時に。
悪鬼たらんとしようという意志以上の"そうしなければならない"という感情に突き動かされて、猗窩座は言った。
「―――――」
……その時、鬼がなんと言ったのか。
男がなんと伝えたのか。
その仔細を知るのは、女だけだ。
安息を拒み、不器用に削られ、命運尽きてそれでも戦うことを選ぶ偽りの修羅。
幾多の命を喰らっておきながら、今も命を奪い続ける人喰いの鬼。
もしくは、ある不幸な女の世界を照らした一人の夫。
遠のく背中に、女は優しく微笑んで言葉をかけた。
「がんばれ、あなた」
-
◆◆
――そこで起こった事象は、決して大したものではない。
カイドウが振り抜いた最後の一撃を、猗窩座が素早く飛び退くことで回避した。
それだけだ。それだけだが、此処までずっと虚無感さえ滲ませていた明王の眉間に皺が寄る。
別に追撃などしなくとも、完全な消滅までは時間の問題だろうと察せられる崩れかけの身体。
その崩壊が、何故だか途中で止まった。
崩壊の始点となっていた千切れた頸の切断部が、まるで蛆でも涌いたように蠢いている。
これ自体既に異常な事態なのだったが、カイドウは鬼という生き物について知識を持っていない。
故に、彼を驚かせたのはまた別な現象だった。
「てめえ……」
何度となく叩き潰してやった弱い鬼。
その気配が、少しずつ変わっていくのが分かったからだ。
より強く、更に強く。サーヴァントに対して使うべき表現ではないだろうが、全く別な生き物へと変質を遂げているかのように。
文字通り骨の髄まで覇気による損傷と消耗を打ち込まれている筈なのに、生命力は衰えるどころか徐々に漲っていく。
カイドウにしてみれば全く不明な展開だったが、しかし敵の覚醒を黙って見過ごすことに利などない。
以前の彼ならばいざ知らず。
今、ただ勝つためだけにその身を振るっている彼の行動には一切の手心がなかった。
覇王色の覇気を纏わせた、強力無比な一撃を再生/変質する猗窩座へと容赦なく放つ。
速度は音を置き去りにするほど。威力は、再生も変質もどちらも無に帰させるほど。
全てを台無しにする"それ"が猗窩座の蠢く身体に吸い込まれていき――彼の身を打ち据え、粉砕するまさにその瞬間。
――猗窩座の姿と気配が、一瞬にしてカイドウの眼前から消失した。
「……チッ。令呪か」
令呪による、瞬間的な空間転移。
逃げられたことを理解したカイドウは、舌打ちしながら金棒を下ろす。
最初に一撃入れた"妙な気配の男"も、既にさっさと逃げ遂せてしまったらしい。
両者に等しく痛手を叩き込んだ確信はあるが、仕留めるまでには至らなかった。
カイドウとしては面白くない展開だ。
ただ殺し損ねただけならいざ知らず、あの修羅に関して言えば――むしろ敵に塩を送る形になった可能性も否めない。
「まあいい。誰がどうなろうが……やることは変わらねェんだ」
しかし、そう。
やることは何も変わらない。何一つとして、変わらない。
-
誰がどうなろうが、何がどう変わろうが、叩き潰して殺すだけ。
海賊としてあるべき姿を貫き続けるだけだ。
ワノ国に明王として君臨し続けた年月よりも遥か前、世界中のあらゆる海原を駆け回りながらそうしていたように。
――『しばらくぶりに挑む側に戻ってみるのも、悪くねェかと思ってね……』
一足先にこの聖杯戦争から姿を消した、もとい蹴落とされた腐れ縁の女海賊の言葉が脳裏をよぎる。
ロックスのやり直しなど御免だと思っていた。
おれは乗らない。おれは、ただ君臨し続ける。
海の皇帝として。王者の立場から、聖杯という財宝を手に入れるだけだと。
そのつもりだったのに、今のこの有様は何だ。
いつの間にやら玉座は崩壊し、部下も失い、皇帝である自分が強制的に"挑む側"に戻されている。
気に入らない。非常に不愉快だ。世界の全てが、癇に障る。
こんな時に限って酒もない。鬼を一匹挽き肉にしてみても、それは所詮焼け石に水でしかなかった。
"受け継がれる意志"。"時代のうねり"。"人の波"。
――"新時代"。
四皇たる自分でさえもが、この東京に逆巻く大波の中に呑み込まれているというのか。
「宝を狙う賊として、このおれと競い合おうってんだ――覚悟はできてんだろうな、ルーキー共」
鬼の巨体が龍へと変わり。
再び、天空へと登っていった。
聖杯を、地平線の先を目指す全ての者に宣戦布告をし。
桜吹雪の吹く最前線に舞い躍る悪鬼羅刹の戦神が、また次の戦乱を呼ぶ。
【杉並区→移動開始/二日目・午前】
【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:孤軍の王、胴体に斬傷(不可治)、霊基再生
[装備]:八斎戒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:皆殺し
[備考]
※火災のキング、疫災のクイーンの魂を喰らい可能な限りで霊基を再生させました。
なお、これを以って百獣海賊団の配下は全滅した事になります。
-
◆◆
最後の令呪を使うべきタイミングは、本来もっと早くてよかった。
プロデューサーと、そう呼ばれた男は刻印の消えた腕を見下ろしながら無言でそう振り返る。
念話を交わす余裕すらない激戦の中で、己のサーヴァントが圧倒的に劣勢であることは理解できていた。
出力最大で行使された血鬼術は自身の魔力をごっそりと削ぎ取っていったし、そうまでしなければならない状況の異様さも分かっていた。
なのに彼が早く令呪を使わなかったのは、自分でも身勝手な自惚れだと自嘲せずにはいられないとある直感に起因する。
それは、紛れもなく"プロデューサー"としての直感。
人を育て、導き、羽ばたかせてきた人間としての勘。
葛藤はあったし、リスクを恐れる気持ちももちろんあった。
此処で猗窩座が消滅すれば、もうほとんど燃え滓も同然である自分に再起の目はまずない。
そうなればこれまで犯した全ての罪と全ての裏切りが、何一つ生み出すことなく無為に消える。
それこそプロデューサーにとって間違いなく最悪の未来であり、故にこそ彼は迷い、悩んだ。
そしてその果てに、彼は選択した。
自分の直感を――魔力のパスを通じて伝わってくる、彼方の地で奮闘する相棒の闘志を、信じることを。
「……君が、何か別なものへ変わっていくような気がしたんだ」
敗北の淵に追いやられた絶望と怒りが、鬼の中にあった最後の扉を押し開けるのを彼もまた感じ取っていた。
何しろ、もう一月にもなる長い付き合いなのだ。
猗窩座の気配も、匂いも、すっかり身体に染み付いてしまった。
そこにプロデューサーとしての観察眼と経験則が加わることで、彼は対面もしていないのに猗窩座の変化をいち早く察知することができた。
とはいえ。
自身の下した判断が正しかったのか、それとも救い難い自惚れの産物でしかなかったのか――その答えは、未だ判然としないままだ。
目の前で崩れ落ち、膝を突いて狗のような姿勢で震え蠢く猗窩座の姿はとてもではないが進化を遂げたもののそれには見えない。
切断された頸から上では肉がただゴボゴボと音を立てて泡立つばかりで、見ようによってはただ死の運命を引き伸ばしているだけにも見える。
死ぬものか、負けるものかと、惨めに生き汚く叫び散らして足掻く、往生際の悪い愚者。そう形容することも可能だろう。
現に猗窩座の魔力反応は今まで見たことがないほどに乱れ、また現在進行形で無茶をしているその反動も惜しみなくプロデューサーへ押し寄せてきていた。
-
心臓の動悸が激しい。息は切れて、末期の肺病を患っているかのように痛ましく響く。
流れる汗は雪解け水のように冷たくて、そのくせ首から上だけが異様に熱を持っている。
手足の末端は青白く染まり、視界すらおぼつかず、気を抜けば倒れてしまいそうなほど。
そんな、今にも死にそうな有様で――それでもプロデューサーは、他でもない自分のために足掻き戦い続けている修羅の姿から目を離さない。
離せるものか。どうして、離せる理由があるというのか。
君が戦ってくれるから、君が寄り添ってくれるから、俺はまだこうしてみっともなく生きていれてるのに。
まだこの蝋翼は、描いた理想(ユメ)に向け翔び続けていれてるのに。
「すまない。……そして、ありがとう――ランサー。俺の、たった一人のサーヴァント」
額に浮いた汗を拭って、どうにか形だけでも笑顔を作る。
彼の奮戦に報いるには、その表情が必要だと思ったから。
破裂しそうな心臓に無理を言わせて意識を保ち、今はただ信じて狛犬の再起を待つ。
全ては、そう全ては――――最初の願いを貫くために。
「勝とう。勝ってくれ、一緒に」
輝きなぞとうに失くし、今は燃え上がるばかりと化した薪木達が、朝の東京の一角で静かに熱を灯していた。
【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・午前】
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(大)、疲労(大)幻覚
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:――頼む、ランサー。
1:………きっと最期に戦うのは、『彼』だ
2:次の戦いへ。どうあれ、闘わなければ。
3:にちか(騎)と話すのは彼女達の安全が確保されてからだ。もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
[備考]プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。
【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:頸切断、全身崩壊、覇気による残留ダメージ(超極大)、頸の弱点克服の兆し(急激な進行)、霊基の変質
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:――――――――
[備考]
※頸切断による消滅に抗い続けています。
-
◆◆
「死ぬかと思ったわ」
帰投するなり開口一番に伏黒甚爾はそう言った。
心底『参った』ようなその口振りからは、余程の災難があったのだろうことが容易に察せられる。
実際、彼が生きて帰れたのは幸運によるところが大きい。
甚爾はこの界聖杯戦争でも屈指と言っていい強者だが、それでもあのカイドウに殺す気で粘着されていたなら生存の望みは薄かっただろう。
猗窩座が持ち堪えたこと、そしてカイドウの方も甚爾への追撃より頑丈で死に難い猗窩座を潰すのを優先したこと。
それらの要因が重なって、どうにか最小限の痛手に留めた上での戦線離脱が叶った――そんなところだった。
胴体から滲んだ血と、粉塵で汚れた総身。
そこからは鉄火場の匂いが漂っており、死線を潜り抜けてきたことがひと目で見て取れる。
肋骨も数本折れていたが、その程度はフィジカルギフテッドの持ち主にとってさしたる支障にはならない。
胴を抉り取られたわけでもないのだ。長くても数時間もすれば骨は繋がり、元の形を取り戻すだろう。
「櫻木真乃を殺した。欲を言えばもう一つこなしたかったが邪魔が入ってな、色々あってこのザマだ」
「……お疲れ様。それ以外に収穫は?」
「一つある。俺の見立てだが、峰津院大和は既に術師として死に体だ」
櫻木真乃の射殺による、方舟勢力への"削り"。
空魚(クライアント)からのオファーを彼は見事にこなした。
そんな彼がもう一つこなしたかった仕事というのが、峰津院大和の抹殺と彼の身体に残る龍脈の力の簒奪だ。
しかし彼自身認めている通り、こちらは失敗に終わってしまった。
不都合な偶然と、そして透明人間同然の猿を探知するという想定外の芸当を駆使する新手の乱入によって。
が――大和とわずかでも交戦できたことはプラスだった。
最強とされながらも、呪いと戦うには不自由の多い肉体。
故に甚爾は仕事へ臨むにあたり、五感やそれ以外あらゆる要素を活用した観察と分析を惜しまない。
その彼が峰津院大和と交戦し、抱いた所感。それこそが、先ほどの報告に繋がる。
「昔話になるが、俺は"当代最強の術師"なんてけったいなガキと戦ったことがあってな。
今思い出しても二度と戦いたくねえ相手だった。やることなすこと一から十まで全部デタラメでよ。
で、だ――紙越。オマエが散々脅かすもんだから、俺は"そのレベルの術師"とやり合う腹積もりで殺しに臨んだ」
「……、……」
「結果から言うと、オマエから受けてた報告よりも戦力としては大分劣って見えたよ。
センスと順応の速度は確かに頭抜けてたが、何より出力が低すぎた。
あれじゃどれだけ高く見積もっても一級程度が関の山だ。特級――規格外の怪物の位階をあてがうには弱すぎる」
一級術師。
それは決して、弱者を意味しない。
術師全体で見ても数の限られる上澄みであるし、少なくとも一般人ではどうあがいても敵わないほどの強者であろう。
-
しかし――甚爾らサーヴァントを相手取る上では間違いなく、出力が足りない。
防戦ならばいざ知らず、本気での戦闘になれば確実に不利が付くのはあちらの方だ。
伏黒甚爾が見た峰津院大和は、強者でこそあれど規格外ではなかった。
では紙越空魚は、彼の戦力を過剰に評価してしまっていたのか? それはないだろうと、甚爾は考えている。
「オマエの"目"は特別だからな。そんなオマエが化け物と評価したんだ、それを嘘だとは思わねえ」
「じゃあ、やっぱり……あの霊地争奪戦で?」
「十中八九な。東京タワーが崩壊するあの瞬間に、奴の身に何かが起きた。
その結果、命は繋いだが術師としては死に体同然にまで衰えた。
だからこんな猿一匹に侮られるし、こっちが予定外の新手に対処してる格好の隙も無視して素直に退いたんだろうよ」
空魚は、甚爾の分析を聞いて思う。
これは間違いなく、自分達にとって追い風だ。
峰津院大和は味方の間は生意気な言動に目を瞑りさえすればこの上なく頼もしい後ろ盾だったが、敵になったらその全てが反転する厄介な相手。
東京タワーの地下で大和の奮戦を感じ取っていた空魚は、大袈裟でも何でもなく、甚爾とアビゲイルの二体がかりで掛かっても果たしてあれを倒せるかどうか……と頭を悩ませていた。
そこに舞い込んできた理外の報告。
大和の弱体化――油断できない相手なことは変わらないが、しかし厄介な障害が一つ知らぬ間に消えてくれたと言っても決して過言ではない。
「……で、その傷は乱入してきた奴にやられたの?
そいつってあの時、鏡の世界で襲撃掛けてきた奴なんでしょ? 近接戦メインでアサシンがそこまでやられるとか、ちょっと意外なんだけど」
「いや。そいつと戦ってたらカイドウが降ってきたんだ」
「…………はい?」
「やってられねえよな。流石に天を仰ぎたくなったよ」
……あれが、降ってくるのか。急に。
これには空魚も『ご愁傷さま』以外の感想はちょっと浮かびそうになかった。
よく生きて帰って来てくれたというものである。
「龍に化けて移動しながら、敵を見つけたら相手の状況も都合も無視して速攻で殺しに掛かる。
霊地の争奪に敗北して気でも立ってんのか、奴さんはそういうやり方に切り替えたらしい」
「それ、よく考えなくても最悪じゃない?」
「やってることはレーダーで探知してミサイル撃ち込むのと同じだからな。対応できなきゃその場でお陀仏ってわけだ」
霊地争奪戦が終わり、次の局面に向けた休息と準備の時間がやって来るものだと空魚は考えていたが、どうやら戦争はそう甘くないらしい。
戦略の分野においては素人に毛が生えた程度でしかない空魚でも、直にまた大きな戦いがやって来るだろうことくらいは分かる。
大勢死ぬだろう。ともすれば、これまでのどの戦いよりも多くの命と願いが失われる。
自分のするべきことは、取るべき行動は、その大波に巻き込まれるのを避けながら着実に敵を落としていくこと。
サーヴァントを二騎抱えているという唯一無二のアドバンテージを活かして、犠牲になる側ではなく犠牲を出す側として暗躍すること。
できるできないの問題ではなく、やらなきゃいけない。
できなければ、命も大切な共犯者も永遠に失って終わるだけだ。
そんな虚しい結末になるくらいなら、喜んでこの手を血に染めよう。
――負けないでね。
脳裏に残るその言葉をもう一度反芻して、空魚は「当然」と小さく呟いた。
言われなくても、負けるもんかよ。
誰にも、何にも。負けてなんか、やるもんか。
-
「……あんたも分かった? そういうわけだから、これからは今までよりももっと気を張って――」
「……………………」
「ちょっと、フォーリナー? 何ぼさっとしてんの」
ふと。此処までの会話に絡んでくることなく、黙りこくって何処かあらぬ方を見つめているアビゲイルに意識を向けた。
霊基再臨。契約を鳥子から自分へと移し替えてからというもの、彼女の口数は明らかに減っていた。
不満があるだとか、負い目があるだとか。鳥子のことをまだ引きずっているだとか、そういうのではない虚ろさ。
その白痴じみた静けさに、空魚が思い出したのはいわゆる"神憑り"の逸話だった。
神憑り、神隠し。形は何であれ、神に魅入られた者。
そうした幸運/不運な人間が、その"接触"から別人のように人格が変わってしまう。
外界からの刺激に対しての反応が鈍り、白痴のように虚ろな個我がただ揺らめくばかりとなる。
実話怪談やネットロアの中で何度となく目にしてきたオチ。
それを思い出させる、神聖と狂気の中間とでも言うべき不気味さを孕んで佇むアビゲイル。
彼女の、指が。空魚の声に応えるように動いて――す、と。南の方を、差した。
「匂いがするわ」
「……匂い? 何の」
「なつかしい、匂い。清貧の村、私たちの……」
少女は、笑っていた。
口元を微かな弧に歪めて、微笑んでいた。
「異端なるセイレム。信仰と、痛みが……繰り返す。深い、深い、嘆きの森――」
-
【港区北部/二日目・午前】
【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(中)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:アサシンに次は何を任せようか……。
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
2:リンボの生死に興味はない。でも生きているのなら、今度は完膚なきまでにすり潰してやる。
3:『連合』についてはまだ未定。いずれ潰すことになるけど、それは果たして今?
[備考]※天逆鉾によりアサシン(伏黒甚爾)との契約を解除し、フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。
【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基再臨(第二)、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:――あは。懐かしいわ。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。
【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:腹部にダメージ(小)、肋骨数本骨折、マスター不在(行動に支障なし)
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等(拳銃はまだある)
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:オマエはそう選んだんだな。なら、俺もやるべきことをやるだけだ。
1:敵連合への返電は……。
2:あの『チェンソーの悪魔』は、本物の“呪い”だ。……こいつ(アビゲイル)もそうか?
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
※天逆鉾により紙越空魚との契約を解除し、現在マスター不在の状態です。
ただしスキル『天与呪縛』の影響により、現界に支障は一切出ていません
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投下終了です。
当初は前後編の予定だったのですが、微妙に収まりが悪いので単体で収録させていただきます
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プロデューサー&ランサー(猗窩座)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
古手梨花
予約します
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死柄木弔
神戸しお&ライダー(デンジ)
田中一 予約します。
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田中摩美々&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
幽谷霧子
予約します。
-
投下します。
-
星が、堕ちた。
輝く一番星をその瞳に宿した女は、凶弾に斃れた。
煌めく星が凶星に成ろうとした、その矢先のことだった。
最も無力で、最もこの組織において何の可能性も持っていなかっただろう男が、それを止めた。
輝くために偽り続けた女。
されど、たった一つ。
大切なものを愛することにだけは嘘をつけなかった女。
彼女が取ろうとした行動は連合に対する紛れもない"裏切り"だったが、しかし経緯に反してその遺体は丁重に安置されていた。
銃創は丁寧に塞がれ、開いたままの瞼は閉じられて。ご丁寧に空き部屋へ運び込んだベッドの上に寝かされて。
生前の美しさと可憐さをそのままに残しながら、星野アイは殉教者さながらに弔われている。
その光景を目の当たりにするなり、帰還した魔王は思わず失笑した。
「とんだ皮肉じゃねえか。なあ、星野」
裏切り者として蔑まれ、ゴミのように捨てられているならばまだしも。
こうして道半ばで散った同胞のままとして弔われるなぞ、皮肉としか言いようがないだろう。
アイは裏切り者だ。この女は連合に弓を引き、その結果詰めの甘さが災いして返り討ちに遭って死んだ。
自業自得。憐れむ理由はない。実際死柄木弔は、アイの脱落に驚きの念はあれど哀しみは抱いていなかった。
とはいえ、同じ釜の飯を食って死線を共に超えた仲間だったことは事実で。
その遺骸へわざわざ罵倒を投げかける気には、どういうわけか不思議となれない。
自分で思っていたよりも、俺はこいつをちゃんと仲間と思っていたのかと少し驚く。
アイはともすれば神戸しお以上に、いずれ敵対する――それこそ"裏切る"ことが明らかな人員だった。
だというのにこのザマか。だとすれば、ますますきちんと選択を下してくれた田中には感謝せねばなるまい。
「最後まで油断ならない女だったな、お前。
いつか寝首掻きに来るとは思ってたんだけどよ……ついつい絆されちまってた」
何か一つでも歯車が掛け違っていたなら、アイの裏切りはきっと成功していただろう。
神戸しおが外の世界を知り、他人を見ることを覚えていなければ。
田中一が他でもない星野アイその人との会話を経て、自分にとって敵連合がどういう場所であるのかを自覚していなければ。
しおは死に、少なくとも敵連合と呼ばれる組織は壊滅状態に陥っていただろうことは想像に難くない。
アイの敗因はひとえに巡り合わせの悪さ。
彼女の嘘が通らない、言葉では揺るがすことのできない成長を、連合の構成員達が経てしまったこと。
それが彼女に途中下車を許さなかった。
要するに、アイは詰んでいたのだ。
何も行動することなく待っていたならば、彼女も含めて魔王の温情に預かることも不可能ではなかっただろうが――
-
「わかるよ。お前、それを許せる女じゃないもんな」
星野アイは、欲張りな女だから。
一番大切なものを妥協することは決してしない。
もっと身も蓋もないことを言うのなら、彼女は真面目すぎた。
確実な勝利のみを求めてしまったから、連合の成長と共にどんどん身動きが取れなくなっていった。
その結果、あの場で――死柄木弔が不在であるという最後の好機(チャンス)に飛びつくしかなくなってしまった。
そしてアイは賭けに敗れ、全ての命運を取り立てられて脱落した。
顛末だけを見れば、愚か。嘘を吐き続ける女が雁字搦めになって、端役に撃たれて退場する喜劇。
なのに最後まで自分の生き方に一本線を通し、勝利に向けて歩み抜いたその亡骸は何処か神々しくさえあって。
死柄木弔はそれを見て初めて、"偶像(アイドル)"というのがどういう概念なのかを理解した。
「はは。あいつらもこうなのかな。
だったら厄介だな。同盟とか言ってないで、さっさと潰してればよかったか……」
輝きながら生きる者。
己の輝きを、貫く者。
少なくともこの聖杯戦争における偶像(かのじょ)達は、そういうものなのだと。
遅れながらに死柄木弔は、星野アイの物言わぬ骸を前にして悟り。
礼を言うように身を屈め、眠るアイの額に右手で触れた。
刹那。鼓動消えたアイドルの身体に亀裂が走り、艷やかな髪も美貌も白い肌も、何もかもが灰になって崩れていく。
死体が傷むのを嫌ってか、開け放たれていた窓。
そこから入り込んだ風が、アイの灰を巻き上げて、つむじ風で夜の街へと攫っていった。
きらびやかな星空の果てに。星野アイだったものが――消えていく。
「じゃあな、アイドル。俺はお前のこと嫌いだったぜ」
餞別の言葉も弔いもこれで充分。
裏切り者に手の込んだ手向けの言葉を贈るというのも妙な話だし、自分と彼女はそういう関係ではないとそう思っている。
厄介な女だった。その厄介さの意味を、全てが終わるまで自分に悟らせなかったところも含めてだ。
葬儀屋でもない素人の止血では不十分だったのか、寝台のシーツへべっとりと染み込んだ血痕が目に入った。
死柄木は小さく笑う。
過去を見る時間は此処まで。
此処からは未来だ。
鬼が裏切り、狂女と共に消え。
現人神は討ち死にして、偶像は夜風に消えた。
連合を育てた"犯罪卿"はライヘンバッハならぬラグナロクの滝へ。
もはや敵連合の戦力は自分とチェンソーのライダーのみ。
そろそろ、"連合"を名乗るには苦しい人数になってきたと言えるだろう。
だからこそ、死柄木は一計を案じた。
戦力を増やしつつ、優秀な仲間に報いる理想の一手だ。
今の自分は、もはやただ壊すのみの敵(ヴィラン)ではない。
生み出し、与えることすら自由自在の――魔王なのだから。
-
◆◆
「ようやく分かったよ、アイドル。お前らがどういう生き物なのか」
「こっちからしたら正気を疑うような歯の浮くような台詞も歌詞も、お前らは全部本気で言って、歌ってたんだな」
「光り輝くこと。輝きながら、生きること。
蝋の翼を燃やしながら、ちっぽけな人間の躰で皆を照らす太陽になると吠えること」
「お前ら、全部本気でやってたんだな。
何の力もない無力で非力な常人共が、この状況に置かれて尚そんな世迷言を貫こうとしてたんだ。
はは、はははは、はははははは」
「――イカれてる。狂ってるよ、お前ら」
「だけど認めてやる。その狂気は、油断ならない"光(ヒーロー)"のそれだ」
「お前らは、魔王(おれ)の敵に値する。
誠心誠意全力で、欠片一つ残さず消し飛ばしてやるとも」
「ところで」
「欲張りは、何もお前らの専売特許じゃない」
「俺達ヴィランだって同じさ。一つ手に入れるとまた次が欲しくなるんだ」
「俺はお前らを認めてやった。だから、お前らが欲しくなった。そこでだ」
「――――星を、ひとつ造ってみた。」
「お前らなりに言うなら、プロデュース、っていうのかな?」
◆◆
-
死柄木弔が、帰ってきた。
ゲーム大会は中断せざるを得なくなった。
強迫観念のように、誰一人喋らない部屋の中で響き続けていたボタンの音も今や止まり。
テレビ画面から、場違いな陽気なメロディがただ延々ループするばかりとなっている。
「……なあ、おい。死柄木――お前さ」
一通りの報告と連絡を終えて。
最初に口を開いたのは、デンジだった。
その顔に貼り付いている表情は、何とも形容のし難いものだ。
飲み下せない感情が、言語化のできないもやもやが渦巻いている。
「サーヴァントの俺がこんなこと言うの、マジでおかしいと思うんだけどよ」
しおは、デンジとは違って何か考えているような様子で。
田中はもっと酷い。目を見開き、小さく息を切らして震えている。
なんでさっき以上に地獄の空気になるんだよ、と吐き捨てたい気分だった。
それもこれも、全て悪いのは死柄木だ。
肝心な時に居ないと思ったら、帰ってくるなりとんでもないことをしてくれた。
「お前……人の心とか、ねえの?」
――死柄木弔は、一人では帰ってこなかった。
二人で帰ってきた。そしてそれは、デンジやしおから最近執事のように扱われているハゲ社長こと四ツ橋力也でもなかった。
知らない奴だったが、知らない顔ではなかった。
むしろ真逆だ。この場に居る全員、彼女のことをよく知っていた。
忘れるなんて、無理だ。思い出にするのにだって、まだ時間が要る。
それは、ついさっき。本当についさっき、命の灯火が消えるのを見送った相手だった。
「田中のサーヴァントをどうやって調達するか、ずっと考えてたんだよ。
目障りだった峰津院財閥の関連施設を平らに均しながら、どうしたもんかとな。
今の局面からマスターを殺してサーヴァントを奪い取るってのは正直現実的じゃない。
現に星野はその見通しが立たないから痺れを切らしたってのも無くはないだろ。まあ、裏切る気持ちも分かるよ」
「だからって、よ……お前さ、それは……アレだろ。ちょっと、違うんじゃねえの」
「何も違わないさ。"熱"と"才能"は使いようだ。それなりの量(たましい)を注ぎ込んで造ったから、性能だって保証するぜ」
-
あの時。
女子トイレの中で、響いた銃声。
崩折れる、ついさっきまで仲間だった彼女。
目の前で息絶えた、強くしたたかなアイドル。
星野アイ。しおも、デンジも、田中も、確かに仲間だと信じていた相手。
それは、もしかしたら今でさえ変わらないのかもしれない。
そんな彼女が、立っていた。
ゲームを一緒にしていた時と変わらない笑顔で、そこにいた。
自分のせいで空気がおかしくなったことを気まずそうにしており、人間味だって前と寸分変わらない。
けれど。けれど。今、全員の視界に存在している"この"星野アイの躰には、傷がなかった。
額も、腹も。傷一つなく、服には血の一滴たりとも滲んでいない。
だから、全員が断言できる。これは、違うと。
これは、星野アイではない――あの時、あの女子トイレで死んだ、一番星を瞳に宿す女ではないと。
「星野の血に、ババアの力で魂を与えた」
現に『アイ』の瞳に星の輝きはなく。
それが、彼女が一番星の生まれ変わりでないことを物語っていた。
遡るはスカイツリー決戦。
死柄木弔はビッグ・マムを討ち倒して龍脈の力を簒奪すると共に、女帝の心臓を介して彼女が持っていた悪魔の実の能力をも"継承"した。
天候を従える女。その二つ名を支えていた、マムの能力――魂の徴収と付与。その力が、新たなる魔王の懐に収まった。
彼は"先代"に比べて保有する魂の絶対量もたかが知れていたが、そこは龍脈の力がカバーする。
龍脈の龍。莫大な容量の魂を保有するそれが死柄木本来の魂量にプラスされることで、"当代"は先代にも劣らぬ、魂の操り手として完成された。
手始めに炎のホーミーズを造り。
死柄木は、さて次はどうしたものかと考えた。
雷はそう簡単にお目にかかれるものではないし、黒羽などは手に入れる手段に見当も付かない。
そこで彼が思い付いたのは、ごく単純で、そして彼らしい発想。
元の世界で自分の旗の下に集い、共に戦ってきた連合の仲間。
"炎"に続く第二号のホーミーズも、それになぞらえて造ろうと考えた。
だから"血"は欲しかった。元々造るつもりだった。
その矢先に、アイの死体と対面し。
彼女達(アイドル)の強さと、狂気を理解した。
そこで、死柄木の中で一つ歯車が噛み合った。
「ちゃんと仕事した部下には、報酬をくれてやらなきゃ駄目だろ。
ちょうど、サーヴァントを用立ててやる約束が宙ぶらりんになってたとこだしな」
-
……斯くして、血のホーミーズは誕生した。
いや、そう呼ぶのはあまりにも無粋だろう。
これは、死柄木の知る"血"のように残酷でも無邪気でもない。
眩く、燦然と、輝きながら生きて戦う、そういう女のかたち。
星野アイの死んだ世界で。
その死を以って、彼女は伝説になった。
道半ばで非業の死を遂げた美女として、アイは神格化された。
人として生まれながらに。彼女は、神になったのだ。
そしてこの世界でも同じようにアイは命を落とし。
その死後に、形を失くした彼女という神を象る新たな偶像が産み落とされる。
――偶像のホーミーズ。
――『アイ』。
-
「報酬(サーヴァント)は、こいつでいいか? 田中」
その言葉を最後まで聞く前に、田中は駆け出してしまった。
部屋を飛び出して、足音は瞬く間に遠ざかっていく。
それを困ったような顔で、『アイ』が追いかけていった。
部屋に残されたのは三人だけ。死柄木と、デンジと、そしてしお。
「お前、もしかして本当はアイさんのこと好きだったのか?」
「おいおい。俺が当てつけでやったとでも思ってんのか」
「誰だってそう思うだろうよ。昨日の今日どころじゃねえんだぞ」
「勘違いするなよ、チェンソーマン。俺は星野アイの隠れファンだったわけでもなきゃ、仲間を殺したあいつに腹立ててるわけでもねえ」
死んだばかりの仲間、それも裏切りを画策した末の粛清で散った相手。
その生き写しのような戦力を造り、あろうことか殺した張本人にあてがう。
確かにやっていることだけ見れば、当てつけか皮肉と思われても不思議ではない。その自覚は、死柄木にもある。
だが――大きな力を得ることは、時に人を成長させる。
そんな小さな悪意はもはや、犯罪卿も太鼓判を押す悪の魔王として大成した彼には無縁の代物だった。
死柄木は成長し、他人を見て評価する目を身に着けた。
奇しくもそれは、神戸しおと同じように。
しおへ視線を向け、目と目が合う。
彼女は既に、死柄木の言いたいことが分かっているようであった。
「けどあいつという人間のことは評価してる。
だから、ただ失うのは惜しいと思ったんだ。
偶像(アイドル)の力は、こんなにこじんまりとしちまった今の連合(おれたち)にとって大きなプラスになる」
「……あんな終わりにはなっちまったけど、アイさんはすげえ人だった。
俺だって、できるならアイさんに死んでほしくなんてなかったぜ。
でもあの人、多分誰が何を言っても止まらなかった。そういう目をしてたんだ、あの時のアイさん」
「……、……」
「だから、お前の言いたいことは……まあ、分かるぜ。
けどよ、せめて見た目くらい――その。田中のこと、考えてやっても良かったんじゃねえの?」
「お前なあ」
死柄木は呆れたように鼻を鳴らした。
「使ったのはあいつの血だぞ。
あの女が、"星野アイ(あれ)"以外の見た目になると思うか?」
「……………………、思わねえ、かも」
「だろ? だからあれでいいんだよ。それに」
星野アイは自分を最高のアイドルと信じていたし。
一つの事実として、そう知っていたのだろう。
だから彼女の血で造った『アイ』は、死柄木が何か弄るまでもなく『星野アイ』の生き写しになった。
一番星を宿していた、その瞳以外は。
「田中(あいつ)は多分、突き抜けた時が一番強いんだ」
-
「……まあ。確かに、追い詰められたら何するか分かんねえとこはあるけどよ」
「あいつが俺に、連合に尽くしたいって言うなら、そう成って貰った方が互いにとって都合がいいだろ」
「何だよ、さっきから。ジジイの職業病(ビョーキ)でも感染ったんじゃねえのか」
「一ヶ月もマンツーマンで教えられてきたからな。流石に多少影響受けた自覚はある」
ああはなれないし、なる気もないけどな。
そう言って、死柄木はデンジとの会話を切り上げた。
デンジとしても、こうまで言われてしまってはもう何も言い返せない。
そも、死柄木のやっていることは戦略として見れば至極正しいのだ。
戦力の補充。同盟相手への戦力供給による、第二の裏切りが起こる可能性の排除。
そしてその役を星野アイを象った『アイ』に担わせることで、意思伝達の円滑さも担保する。
連合を最も端的に、かつ確実に強化する上では、間違いなく妙手であると言ってよかった。
頭の中の、多分良識と呼ばれるだろうその辺りの部分が多少の疑義を呈してくることを除けば、別段声高に反対する理由もない。
死柄木がきちんと、此処まで考えた上でやったことだというのなら尚更だ。
敵連合は彼の組織。彼を王とする、悪の連合。
魔王がそれでいいと言うのならば、それが戦術として間違っていないのなら――異を唱える理由はそうないのだから。
「――とむらくん、なんかかわったね」
とてとて、と駆け寄ってくる小さなシルエットがひとつ。
神戸しおだった。ずっと口を挟まず黙っていた彼女が何を言うのかと思えば。
その言葉は、数時間前。彼女がアイに言われていた言葉の写しだった。
「なんかこう……、ちょっとやさしくなった?」
「小首傾げるくらいならパクるなよ。マセガキが」
優しくなった、というのはきっと違う。
死柄木弔という人間の本質は、最初から今までずっと変わっていない。
あるのは憎悪。破壊への渇望。全ての秩序を壊さんとする、敵(ヴィラン)の素養。
ただ一つ。そこに付随していた、社会の犠牲者――憐れな子どもとしての顔だけが、丁寧なお膳立てと教育で鳴りを潜めた。
それはきっと、ジェームズ・モリアーティが彼を魔王として完成させる過程で行った舗装の一つだったのだろう。
被害者意識と泣きじゃくる子どものような弱さ、ある種の無垢さを、連続した成功体験と実際に得られた莫大な力で掻き消した。
そしてそんな教育は、師であるモリアーティの退場によって真に完成したと言っていい。
悪のクライム・コンサルタントの庇護を卒業して羽ばたき始めたことで、彼の中に漲る悪の衝動は全てが思いのままその掌中に収まった。
故にこれは、真の意味での魔王。ヴィラン・死柄木弔ではなく、彼を最初に見初めた巨悪のそれに近い性質を宿す新時代の"皇帝"だ。
力は余裕をもたらし。自由は、視野をもたらす。
死柄木は人を見ることを覚えた。偶像の可能性、ちっぽけな駒の価値、それを知った上で下す手が、たまたま傍から見れば"優しくなった"ように見えるというだけ。真実はほんのそれだけだ。
「みんな変わっていくんだね。アイさんも、そうだったし」
「お人好しだな。殺されかけといて、そんな顔するなよ」
「……するよう。だって私、アイさんのこと、好きだったもん」
しおは笑っていたが、そこには微かな寂しさが滲んで見える。
「アイさん、優しかったし。かわいくて、声もすっごい綺麗で」
「浮気か?」
「ちがいますっ。もう、そういうこと言うと女の子に嫌われちゃうんだよ!」
-
「心配すんなよ。多分もう死ぬほど嫌われてるぜ、主にどこぞのアイドル集団とかから」
しおはこほん、と咳払いをする。
一体何処でそんな仕草を覚えたのか。
一番変わったのはお前だろ、と死柄木は思った。
「……とにかく、すてきな人だったなあって。
アイさんは私を殺そうとしたけど、それでも私、アイさんのこと……なんか、嫌いじゃないや」
しおは、アイという女のことをそう述懐する。
彼女は確かに自分を殺そうとしたし、自分はデンジに頼んでそれを止めさせた。
彼女が死んだのは、彼女自身が起こした行動の顛末でしかない。
なのにしおの中では今も、アイの面影や言葉が、優しくておちゃめな、素敵なお姉さんのそれとして残り続けていた。
「俺もアイさんのことは好きだぜ、今もよ」
「急に入ってくんなよ」
「あ〜〜俺ぁ男のクレームは聞こえねえんだ。悪いな」
思い返すと。
自分は、みんなのことが好きだった。
しおはそう思う。
"叔母さん"は此処でも変わらず、楽しくてしおの気持ちを分かってくれる人だったし。
"ライダーさん"は呼び方がちょっと紛らわしかったけど、子どものしおにとても優しくしてくれた。
"えむさん"は色んなことを教えてくれたし、"とむらくん"とも会わせてくれた。
"ガムテくん"とは最後まで敵同士だったけれど、もっと話してみたかったな、という気持ちが今もある。
"お兄ちゃん"だって、たぶん嫌いではなかった。一緒には生きられなかった、ってだけで。
そして"アイさん"のことは、さっき言ったように今だってぜんぜん好きなままだ。
「なんか、さ。やっぱり」
ふう、と息をついて。
もう戻らない人達の名前を脳裏に並べながら。
「お別れするのって、さびしいや」
大好きなさとちゃんと会えて。
心は、確かに今にも踊り出しそうなくらい昂ぶっていた筈なのに。
横たわって動かないアイの姿を思い出すと、なんだかその気持ちも萎んでしまう。
愛だけが。愛だけが不変なのだと、その真理を炉心にしていなければ、もっとブルーになってしまいそうだった。
そんな、しおの言葉に。
「あいつら、こっちの事情なんてお構いなしにホイホイ居なくなっからな。いちいち気にしてたら胃に穴空くぜ」
デンジは、三人で暮らしていた頃のことを思い出した。
自分が居て、兄のような彼が居て、妹のような彼女が居る。
当たり前だと思っていた、いつまでも続くものだと勝手にそう思っていた、もう戻らない幸せの団欒。
-
――そうだ。いつかはみんな、終わるときが来る。
別れは、いつだって突然にやってくる。
思えば何もかも、奪われてばかりの人生だった。
英霊の座のクソみたいな判定によって、今此処にあるこの霊基は――支配の悪魔を殺した頃の情報で止まっているが。
きっと多分、その先もそんなだったのだろうなとデンジは思う。
神様はよほど自分のことが嫌いらしい。そう思ってばかりの人生だったから。
とはいえ。
だからこそ。
しおはきっとそうではないと、そう思うこともできた。
何しろ自分があのくらいの歳だった頃は、まさに不幸の絶頂だったのだ。
それに比べたらしおはずいぶんと恵まれている。育ちだって悪くない。
おまけに将来を誓い合う相手が居るだなんて、デンジに言わせればそれはもはやけしからんの領域であったし。
「まあ、なんだ。あんま気にすんなよ。
まだ俺も、この馬鹿も居るんだしよ」
「一緒にするなよ。消し飛ばすぞ」
肩を小突かれて、チッと舌打ちをしつつも。
死柄木がその脳裏に描くのは、崩れ去り、何もかも残らなくなったかつての生家だった。
妹も、祖父母も。母親も。愛犬も。そして、 。
――お別れするのって、さびしいや。
つい今しがた紡がれた、幼い少女の言葉。
それを少しの間噛み締めて、すぐに鼻で笑った。
-
◆◆
惨めな姿だった。自分でもそう思った。
場所は廊下の突き当たり、行き止まり。
蹲って、みっともなく吐き散らして、顔は涙と汚物で汚れている。
そんな田中一の後ろから、足音が響いた。
やめろ。来るな。来ないでくれ。頼むから――
彼の懇願をよそに、その声が溢れ、鼓膜を叩く。
「田中」
「――――っ!!」
振り向くなと、そう本能は絶叫をあげていたが。
身体は言うことを聞かず、自然と声の方を向いていた。
そして田中は、予定調和のように自分の行動を悔やむ。
ああ、やっぱり振り向かなければよかった。
ずっと蹲って下を向いていれば、こんなもの、見なくて済んだかもしれないのにと。
悔やみながら、しかしもう二度と目を離せない。
"そこ"には、女が立っていた。
此処に居る筈のない女が、微笑みながら立っていた。
美しい女だった。生前と、ほとんど何も変わらない。まさに生き写しのような姿をしていた。
その美しさが、涙と汚物と汗にまみれた汚い田中の姿とひたすらに対照的だった。
「……なあ、なんでだよ。
なんで、あんた……お前、そんな顔……俺に、そんな顔、するんだよ」
星野アイ。
彼女の血を使って造られた、偶像のホーミーズ。
頭では、これは『アイ』であってアイではないのだと分かっている。
自分があの時撃ち殺した女とは似て非なる存在なのだと分かっているのだ。
なのに、頭の中からあの時の景色と感情が離れてくれない。
――いや。
同じでも、いいのだ。
その筈だ。その筈なのだ。
だって彼女は、死柄木弔の、敵連合の敵だから。
死んで当然だ。殺すしかなかった。仲間を裏切るような奴を生かしておくわけにはいかない。
後悔など誓って微塵もない。
もう一度あの時に戻れたとしても、自分は必ず同じ行動を取るとそう断言できる。
それでも、それでも。
自分に向けられたその笑顔だけは、我慢ができなかった。
「呼んでただろ。アクア、ルビー、って。
あれ、名前だろ? 彼氏か、友達か、きょうだいか、子どもか、分かんないけどさ……」
-
田中は、アイを殺したことを後悔していない。
だが、彼女にはどうしても生きて帰る必要があったのだろうというそれだけは理解できていた。
今際の際に呼んでいた、名前であろう言葉。
それが、命を賭してでも叶えたい願いの欠片だったのだろうと。
その言葉を、田中はしっかりと聞いていた。
聞いていたからこそ、受け入れられないのだ。
目の前にある、その顔が。
「帰りたかったんじゃ、ないのかよ。
俺はそんなあんたを、撃ち殺したんだぞ……。
銃で、撃ってっ、アイドルのあんたを、トイレの床なんかで、無様に――死なせたんだ」
――田中一は人殺しだ。
これからも、王が望むならばその手を血で染めるだろう。
一度外れてしまった箍は、もう戻せない。
吉良吉影のように、彼へ"ただの凡人たれ"と現実を見せる者ももう居ない。
「そんな俺に、笑うなよ。
あんたは……"星野アイ"は、そんな顔、しないだろ……。俺には、俺にだけは……」
それでも。
だとしても。
罪の重さは、万人に対して平等だ。
「大丈夫だよ。恨んでなんかない」
そんな田中に、アイは、『アイ』は、なおも微笑む。
偶像崇拝。死んで神になった女の、生き写し。
故にその微笑みは、星野アイそのものだ。
「"それ"は――――私のものじゃないから」
田中はこの時、理解した。
たぶん、産まれて初めて。
命の重さというものを、理解した。
だからどうなるというわけじゃない。
今更、歩むと決めた道は変えられない。
憧れた魔王に報いたい気持ちは衰えることなく健在で、死ぬことへの恐怖さえもが使命感の前に鈍麻している。
それでも。
理解だけはしたのだ。
同時に、悟った。
もう二度と、『田中革命』は起こらないと。
「行こ、田中」
――この罪(きず)は、そんな逃避すらも自分に許してくれないのだと。
そう、理解した。
「みんなが待ってるよ」
自分が殺した女の顔が。
二つの宝石と、一人の女/母を永遠に離別させた罪のかたちが。
星の消えた、その瞳が。
罪の傷痕(スティグマ)のように、田中をただまっすぐに見つめていた。
-
【中野区・デトネラットのビル/二日目・午前】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、サーヴァント消滅、肉体の齟齬
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:敵連合拠点に帰還し、今後の行動を決める。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
3:禪院への連絡。……取り込み中か?
4:峰津院財閥の解体。既に片付けた。
5:以上二つは最低限次の荒事の前に済ませておきたい。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
血(偶像)のホーミーズを造りました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。今は田中に預けています
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。馴れるにはもう少し時間が必要です。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:永遠なのは、きっと愛だけ。
1:――いってきます。
2:とむらくんについても今は着いていく。
3:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
4:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:昔もあったな。何かが終わっちまうの。
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
2:こいつ、マジでな……人の心とかねえのか?
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、半身に火傷痕(回復済)、精神的動揺(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(4発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×3
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命(プルス・ケイオス)』。
0:…………。
1:敵連合に全てを捧げる。死柄木弔は、俺の王だ。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
※血(偶像)のホーミーズを死柄木から譲渡されました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。
死柄木曰く「それなりに魂を入れた」とのことなので、性能はだいぶ強めです。
-
投下終了です。
-
wiki収録の際にちょっと加筆しました。
主に
・死柄木の肉体の齟齬が解消に近付いている旨
・田中と『アイ』の関係性について
になります。
-
すみません、執筆が納得の行く形で纏まりそうにないので予約を破棄させて頂きます。
1週間強のキャラ拘束となってしまい申し訳ありませんでした。
-
投下直前に申し訳ありません。古手梨花が未登場となりましたので、破棄をさせていただきます
二週間にわたる不要な拘束を、たいへん申し訳ありませんでした
投下します
-
真夏の界聖杯に、春が盛る。
季節を無視して木々の色が変わる。
盛夏もたけなわの新緑の枝先が、寿命短いはずの薄紅の桜に変わる。
そのような非常識を、精々ついでのように齎した皮下真の通過跡を見て。
しかし、リップ・トリスタンはそこに場違いさではなく、見覚えの方を感じていた。
概念系UMA、春夏秋冬。
己が支配する季節を押し付ける、憎き神のお気に入るたる魔獣だち。その中の一体。
人を、建物を、全てを桜並木へと塗り替えてしまう鬼がいたことを、思い出す。
もっとも、愛する女性に由来するものを『神』の手先になぞらえられるなど。
それは極めて皮下の本意でないところだろうとリップは先刻に知ったばかりだったが。
しかし、納得もあった。
それが自対象であれ、他対象であれ。
己でさえ好まない理不尽な枠組みを世の中に押し付けながらでなければ生きられない。
皮下が語っていた最愛の人もまた、否定の業を背負った『不死』の女であり。
不死と不治が不均衡となるのは、相性として必然だったのだと。
――もっとも、不死と不治の間で天秤になっていた『不運』の女を、売り渡してきたリップに皮肉る資格がないことも確かだが。
先刻まで酒を酌み交わす場として使っていた廃屋を、架かっている時計でも確認するような頻度で見上げては顔を背ける。
一時はあの出雲風子とも重ねるところのあった少女が、その一室で不可逆に余命を削り落とされているところだった。
-
委細を承知の上で、顔は合わせない。
形骸化した見張りにのみ徹する。
どちらの船に乗るかを定めた時点で、合わせる顔も、二度と逢う謂れもないと縁を切除したからこそ。
見張っていたとして、もはや逃げ出す余地も助かる目もない状態ではあったが。
捨て駒としてぶつける前に、第三者に踏み潰されたり介錯されるのは、打算としてそれなりに困る。
リンボらの潜伏しているおよその座標はシュヴィが探知した邪気の出所によって特定できるので、目覚めた後でぶつけるには困らないものだったが。
もしも古手梨花が覚醒を果たすようであれば、それをもって直ちにお役御免を被りたい程度の雑用ではあったが。
百獣海賊団は大看板の捕食を持って船から降りきった。
墜落に呑まれた虹花たちも、大犬神の少女が立ち去った時点で完全消失となった。
皮下は開戦を告げると宣った上で渋谷区方面へと向かってしまい、であれば残ったのはリップたちのみとなる。
古手梨花を自らのサーヴァントに拾わせた上でリンボらに突撃してもらうためのアテはあり、その仕込みを見届ける為だとも言っていたけれど。
ソメイニンの残滓と、桜の開花とを撒き散らしながら瞬間移動によって移動している皮下の痕跡から、この廃屋にたどり着くことは容易でないのも、また確かだったし。
もしも、梨花の目覚めの方が先に訪れるようであれば、そのまま北条沙都子の元へと嗾け、その騒動を持って自然合流は果たされるので結果は同じことだった。
その上でなお古手梨花のセイバーらが、先にこの廃屋に駆け付けるようであれば。
その時は依然として『不治』による梨花の即死装置と、武蔵への命令権とを獲得しているリップの方が上手く仕切れるだろうという段取りを組まれていた。
主従揃って前線に出られることを強みとするリップたちにとって、マスターがしばらく足止めされるのは本意ではなかったけれど。
――暗号法則――解析了。磁場制御――試行済。双方向映像通信――成立
その穴埋めとして、リップの手元には『シュヴィが見ている光景』をリアルタイムで共有している端末がある。
正確には、元からリップが持っていたそれに、シュヴィが干渉した結果がある。
機鎧種にとっての視覚機能から観測した映像情報を、現代の携帯端末に対応する動画として転送する。
それは現代の通信技術に一か月かけて習熟したシュヴィであれば、生じさせることは難しくない補助機能だった。
横長の画面になるよう傾けられた液晶には、災害現場を飛ぶ報道班のような画角からの空撮映像が映し出されている。
中央区から西方向へと飛翔することになれば、否が応でも黒ずんだ瓦礫に変わった一帯を幾つも目にする、そういう光景がある。
それは予想するまでもないことだったが、リップとしては『実際にこれを見ているサーヴァントの心痛』については予想した。
かといって『大丈夫か?』なんて言葉は、今さらお為ごかしでさえ使えない。
もはや心ある機械は、その災害へと心を痛める側でなく、振り撒く側としてのリップに従ったのだから。
より厳密には、『従った』という言葉を使うことさえ、シュヴィの覚悟を表すには足りないのだろう。
現状の行動は、他ならぬシュヴィの方から提案されたことなのだから。
カイドウが荒らしに向かった地点から適度に距離をあけてマークし、討ち漏らした主従がいないか、逆に誘き出された主従がいないかを俯瞰する。
どんな戦況に転んでいても、観測衛星の役割だけは維持して全体を俯瞰できる位置どりに居続けるのはこれまでと同じ。
それは今までがそうだったように、正面から戦っては分が悪い皮下一派を奇襲する機会は変わらず狙っていくという方針にも繋がる。
ただ、先の戦闘とはっきり違えているのは『適当に相手をしながら』ではなく『積極的に相手をしながら』戦場を荒らすという空襲の姿勢で臨むことだった。
遅滞ではなく攻勢を。
日和見ではなく早期決着を。
これまでのようにシュヴィの負担に配慮が混じったサーヴァント相手の遊撃ではなく、無差別の攻撃を。
-
――もし……逃げてきたサーヴァントや……マスターが、いたら……シュヴィが、殺すね……
マスターが、いたら、と。
シュヴィはその単語を、敢えて強調した。
それは、覚悟を決めた聖杯狙いとしては当然の明言だった。
いざ最後に勝ち残るためにカイドウの体力を削ってくれる当て馬としての他主従がいること自体は悪くはない。
だが、追われ立てて逃げ出してきた残存主従をそのまま放置する戦略上の理由はどこにもない。
だが、戦争に招かれて間もない時期のシュヴィを知っているリップからすれば、『そこまで言い出すのか』と思わずにはいられなかった。
マスターは、なるべく殺したくない。
その明言があり、その想いを抱くに至ったシュヴィの生前の重さを知っていればこそ。
リップはシュヴィを運用する上で、その心が傷つかぬ形になるよう配慮してきた。
その上で、マスターを殺せと命令したことは初めてではない。
実現には至らなかっただけで。
だが、シュヴィの方から申し出る形で、かねての想いをきっぱり反故にすると口にしたのは初めてのことだった。
そして、惨劇に向かう航路に付き合うと告げた、シュヴィの覚悟を疑うつもりは、断じてないが。
古手梨花のサーヴァントに深手を負わせた時。
そして、先の戦線で、シュヴィは深く語らなかったが『何か』が起こったのだと確信した時。
シュヴィがどのような様子だったのかは、忘れていない。
『サーヴァントを倒そうとする時』でさえ、あんな風になってしまう有り様だったのだ。
――リクからもらった心を大事にしてきたお前が、その心に鍵をかけるのか。
リクじゃない男(オレ)のために、と。
飛び立つ前のシュヴィに、そう聞き返していた。
その手段を取った時に、シュヴィの『心』は最後まで自壊せずにいられるのか。
『心無いことができるようになった心ある機械』という自己欺瞞(つよさ)は、やがて自滅という敗因にならないのか。
リップの方もまた『罪悪感を抱かないと決めた以上、あくまでパフォーマンスを不安視しているに過ぎない』と言う自己欺瞞で覆った上で、追及した。
――シュヴィ……マスターが思うほど、いい子、じゃないよ。生前も、悪いこと……いっぱいしてる。
――それは……
そんなもん、俺に比べりゃ悪事の内に入らないだろう、という反論がこみ上げ。
しかし、それは反論として成立しないというロジックも分かっていた。
遺言という絶対に断われない形で、愛する人の口から『シュヴィは道具だから犠牲者に含まれない』という欺瞞を吐かせ。
結果として、シュヴィの同族数千騎や、多数の異種族が犠牲になる戦いの、戦端を開かせた。
それが、リクをどれほど苦しめる願いなのかを承知した上で。
シュヴィの背負ったそれらを、罪でないと否定するならば。
伴侶にその手を汚させ、罪悪感で苦しませたことなど大したことはないと否定することになり。
じゃあお前はラトラを巻き込んだことが後ろめたくはなかったのか、という反射に刺される。
じゃあお前がシュヴィのマスター殺しに口を挟むことは何もない、という論理になる。
-
――リクに嘘をつかせて、無理させて……神殺しをやらせた……『リクを泣かせない』約束も、破った。
誰も死なせず大戦を終わらせたこと。
それは機鎧種の骸を『道具だから数えない』と解釈して、防戦した天翼種の死屍を視なかったことにして。
あまつさえ、『神殺し』という奇跡にさえも、『殺し』には違いないと胸を痛めてしまう青年を虚偽報告でごまかした、見せかけの結果だ。
リップにとって、それは罪科どころか世界全てを救済した英雄(ヒーロー)達の戦いだ。
否定者もそうでない者も平等に救う、きれいごとを唱える組織(ユニオン)のような。
どんな人間だって彼らの成し遂げたことを知れば絶対に否定できやしない偉業だと、はっきり保証して擁護する。
しかし、過去夢における功労者たち、成し遂げた機械たちには、罪悔が残ったことも知っている。
愛する人を、裏切り、騙して、その果てに護れなかったと。
機鎧種がそういう真面目で、不器用で、純粋で、一途な生き物だとするなら。
『死後がある以上、機鎧種も命である』と認めた今のシュヴィが思うことも、また彼らの不器用さと違わない。
――人類種≪イマニティ≫は……ずっと、こうやって悩んできた……リクの世界でも……この世界のみんなも。
――みんな……すごい…………シュヴィだけ、向き合わないのは……不公平、だから。
英霊の生前の罪は、サーヴァントとして成立した後までとやかく引きずられるものではない。
けれど、悔恨が残る結果だったと省みることはある。
その上で、これまで出会ってきた主従の多くが、あの世界では最弱位だった人類種であることに驚かされた機鎧種は。
誰かのために戦う人間の営みを改めて、たくさん、たくさん見せられたシュヴィ・ドーラは。
――だからシュヴィも……同じように、背負うよ
飛び立つ間際に、そう言って微笑みさえした。
その微笑みと、柔らかい言葉には、機械としての硬さはどこにもなかった。
さっと風が吹いたように、酒宴がもたらした酔いの残りさえも、冷めていくようだった。
人類種≪イマニティ≫。
その言葉を聴くのはもう何度目だろうかと、本物の突風――飛翔が巻き起こす風圧に吹かれながら、思い出す。
その『イマニティ』ってのは何だ、と。
そう尋ねたのは、まだ予選期間の内のことだっただろうか。
シュヴィのぽつりぽつりとした返答でも、それが彼女の故郷における人類への呼称だということは分かった。
だが、それを説明するにあたって『十六種族』云々という言い方が混じったことで、察した。
-
シュヴィの生きた世界で、人間が人類種≪イマニティ≫と呼ばれるようになったのは大戦終結後だ。
あらかじめ過去夢が伝えた『大戦』の歴史と、シュヴィの生涯を知っていたからこそ、想像がついた。
大戦が終わるまでの人間は、どうやら獣の一種、猿の亜種ぐらいの存在価値だったらしく。
多種族世界において『神の子』や『知性体』という定義で括られる一種族としては、認められていなかった。
リップの半生は医学と共にあった。イマニティという言葉の意味が分からないはずが無い。
その意味が人類全体を指すようになった謂れも、分からないではない。
immunity(免疫)という単語に相当する音で呼ばれているのだとすれば。
そう呼びならわすようになった者達は、知っていたのだろう。
シュヴィの夫とその同胞が完遂した、人間が人間だったからこその戦いを。
星の生物進化から生まれた上で、大戦を終結させ、星そのものを蝕んでいた病理を切除したことで。
人類は『免疫(イマニティ)』という名付けを賜り『知性ありしと認められた十六種族』の仲間入りをした。
そんな、史実としては把握していたのかもしれない呼称をシュヴィが使っているからには。
生前は口にしたことのないはずの、言い慣れない呼び方を、敢えて使っているのだとすれば。
心優しい性格、というだけではない。
シュヴィ・ドーラという機械の少女は、人間を愛している。
星ひとつを救った免疫という名付けの真意を察して、己もそう呼びたいと使い続けるほどに。
その人間達を殺す、という葛藤に一か月の時間を置き、哀しみと敬意の入り混じった想いを抱くほどに。
『補足……あった』
声はもはや届かない上空へと消えてから、念話だけが遅れて繋がった。
これだけは言い忘れてはだめだった、という後付けのように。
『シュヴィが会いたいのは……リク一人、だけど。
シュヴィが守りたい人は……二人、いるよ?』
それは、リクじゃない男のためにと、呟いた言葉を受けてのことなのだろう。
何も、一か月の付き合いが軽かったとは思わないけれど。
『俺はリクじゃないのに』と軽く扱うような発言をしてしまったことには、恥じ入るものがあった。
『そうだな……それは、忘れるわけにいかないよな』
心を獲得してからも、機械の正論が非の打ちどころない正論であることには変わりなかった。
リクという男もこんな風に日々、やりこめられていたのだろうか、と想像する。
それほどまでに反論しようがない解答だった。
リップ・トリスタンにとって全てを捧げられる女性は一人しかいないけれど。
命を懸けて守りたい女性は、二人いる。
もしかしたらこの一か月で、三人になろうとしているのかもしれない。
シュヴィもそれと同じだと言われたら。
その事実は、どうしても否定できないからだ。
◆◇◆◇◆
-
『見つけた』
杉並区、という固有名詞を持った区画が黒き灰の焦土と、瓦礫の丘陵に変わっていく地上。
そこに、いつかの忌まわしき『リクの故郷を滅ぼしてしまった記憶』が連想されるのは避けられなかった。
すべての始まりの日。
まだシュヴィがそこに痛みを検知しなかった頃。
今では、その光景が意味することを悟るしかない。
シュヴィが加担しているのは、かつてリクが膝をつき、もう止めてくれと憎悪や懺悔を発露していた営みと、同じものだ。
その自覚(ノイズ)を抑えつけるには、膨大な神経伝達回路の軋みと、冷却の間に合わぬ熱暴走が伴ったけれど。
伴った上で、己を制御すると決めた。
そして、いつかと近似した景色において龍精種の『崩哮』を放つ役割にいるサーヴァント、皮下真のライダー。
その相対から離脱しようとするサーヴァントの存在を、シュヴィは二騎と特定した。
一つは、ライダーの金棒に討たれて高層建築に激突した、魔力探知に反応しないサーヴァント。
危うく撃墜されそうになったという脅威のほどは、記憶の新しいところに保存されている。
すかさず追撃を仕掛けるならこちらだとシュヴィは断じ、しかしライダーの機嫌を損ねぬような形を考慮している間にその人影は焦土の黒煙へと消えた。
その男が魔力に由来する方法で追跡できないことは、経験によって知っている。
しかし、魔力ではなく視覚情報や熱源といった物質面の情報から辿ろうとしても、周囲一帯の炎上による煙幕や熱などがノイズとなった。
さらにただの人類種と変わりない男を辿ろうとするつもりで探索した場合、付近に大勢いる『焼かれている最中の人間』の反応も拾ってしまうことが予測された。
いくら殺戮に加わる心づもりをしたとて、その人々を精査することはあらゆる意味で至難となるものだった。
リップも念話で『流石にそこまではいい』と言った。
こうしてシュヴィの注意はもう一騎のサーヴァント、ライダーに倒されると予測していた方に向けられた。
令呪による転移がなされた以上、それはいくらライダーであっても追跡を諦めるに十分な条件であり、その場を去った判断に瑕疵はなかったけれど。
シュヴィの視点からのみ、拾えていた情報があった。
令呪の発動は、マスター側にも魔力反応が発生する。
それは魔術の心得があったり、自らも異能を宿しているマスターであれば、『魔力回路を閉じる』という自発的な予防を講じられるものだったが。
そのサーヴァントのマスターがそういった術理に心得のない一般人であることを、シュヴィとリップは知っていた。
まだ大きな戦端が開かれるよりも前、もう一人の海賊の元へと視察に赴いた際に。
その男はシュヴィが診た時点で気を失っていたし、中途からシュヴィは霊体化していたので向こうからは初対面に等しいけれど。
生態反応を確認し、古手梨花のような特異性はない――ただ、生命力がひどく目減りしている一般人であったと把握している。
そして、戦場からやや距離を置いて俯瞰していたシュヴィにも、戦線においてそのマスターの憔悴を目の当たりにしていたリップにも。
『サーヴァントに直前まで保護される形で、マスターが近くにいる可能性』を疑うだけの余裕があった。
かろうじて同区内において、マスター側の小さな令呪反応があると気付く余地があった。
そして念話で『見つけた』と伝えたのは、かろうじて火の手が及んでいない緑地公園を眼下にしてのことだった。
-
『なんだありゃ――消え損ないか?』
同じ景色を、動画によって共有するリップが疑問を伝えてきた。
そう思いたくもなるような、奇妙な形のサーヴァントが、マスターたる男性の正面にいた。
頭部か心臓。
サーヴァントであっても、そのいずれかを破壊されれば致命傷となる。そこには霊核が紐付けられているから。
尋常ならざる生命力を担保するスキルや宝具があったとしても、頭部の亡い姿を維持するのは奇特と言っていい。
頸を亡くしたままの姿で、しかし頸以外をそこから摩耗させるでもなく、立ち姿を晒しているサーヴァントがいた。
『妖魔種(デモニア)……?』
先刻まで同じ陣営にいたことは知っている。
その上で、変容を遂げた上でなお生とも死ともつかぬ狭間の状態にある不可解さ。
そして、海賊陣営で見定めた時から人類種のサーヴァントではないことが明らかだったことを踏まえて。
シュヴィが類例として挙げたのは、もっとも多種多様の生態を持つ不定種族の総称だった。
幻想種(ファンタズマ)の特異体、『魔王』によって生み出された世界のつまはじき者たち。
その中には人の形に近い『魔族』と呼ばれる個体もあり、当該サーヴァントは『強いて言えば』という予防線付きで、それに近い容姿だった。
だが、容姿よりもむしろ。
印象の不可解さ、不穏さ、不明瞭さといった感性による連想こそが。
幻想種という『命を持った天災』が生み出した尖兵としての種族。
世界(みんな)を滅(ころ)す幻想(かいぶつ)という絶対悪から産み落とされてしまった生き物。
その枠組みがもっとも近しいのではと、心の副産物たる直観によって思った。
『なるほどな。けど、特殊な種族だからって実は『不死』だったってことも無いだろ。
不死身なら、そもそも貴重な令呪をつかって逃がしたりすることもない』
『霊基の、変質は感じる……でも、疑似的な仮死、あるいは休眠状態と仮定』
だが、その直観が当たっていようと外れていようと。
シュヴィたちにとっての関心事は一つであるべきだ。
そのサーヴァントを、ここから完全消滅させることは容易いのかどうか。
『半端な火力や切断で再生されるかもしれないなら、全部抉り取ってしまえばいい。
お前の『天移』とかいうのは、そういう攻撃への転用もできたはずだな?』
『できる……サーヴァント一体程度なら、粉砕……再生可能部位を残さない』
偽典・天移は元をたどれば天翼種の『空間転移(シフト)』から設計された武装だが、天翼種にとって転移とは攻撃手段でもあった。
三次元の空間を抉り取ることで距離を縮めるために、敵に向けて放てば全てを粉塵に帰す広範囲の空間歪曲として機能する。
あくまで本来のそれより劣化した形で設計されているために、本家本元のように機鎧種の数十体を鉄屑に変えるような代物ではないけれど。
あくまで固定標的と化したサーヴァントに向けて威力を絞れば、再生されるか否かに悩まず『消失させる』には足りると予測された。
-
一時期は曲がりなりにも協力者だったサーヴァントにトドメを刺すことを、両者はもう迷わない。
まず、すでに皮下真のライダーがもう組む理由はなしと切り捨てて始末にかかったこと。
陣営戦をやっていた頃のように『密かに恩を売っておけば皮下の背中を刺すために利用できるかも』と言った膠着を持てる戦況ではなくなったこと。
そして、これまで彼らを殺しにくくしていた『人質がいるからこそ方舟陣営は脱出しない』という防波堤に、さほど拘泥しなくてもよくなったことがある。
たとえ古手梨花の語った『脱出宝具はもうすでに使えるが、人質が抑止力になっている』といういつかの脅迫が、たとえ今さら真実だったところで。
陣営単位での監視や密告がなくなった今、ここで誰にも見とがめられず人質を仕留めたところで、方舟には伝わらない。
まだ人質は生きているかもしれないと敵陣が思っているなら、実際に人質が生きているか死んでいるかによって影響は生じない。
さらにそこに、リップ側の理由を追加するとすれば。
鏡世界を出入りしていた乱戦において、『この男はおそらく余命長くない』という印象を持ったことも根拠だった。
『サーヴァントの方を天移で刈り取ってから、マスターの方はこっちに連れて来い。
いちおう、鏡世界で別行動になった後にそいつはそいつで情報を拾ってるかもしれないからな。
不治で拷問すんのはこっちでやるからお前は連行が終わったら、また――』
さほどのことは無いと言うように告げられていく命令を、しかしシュヴィは遮った。
『マスター……シュヴィに気を使わないで、いいよ』
『何のことだ』
『ここでどっちも……殺した……方が、早く再出撃できる。
ライダー達に、連行を視られたら……色々言われそうだし、そっちの方がお得』
殺し、という言葉を使うのはまだぎこちなかったけれど。
リップの思慮をシュヴィは正しくくみ取り、その上で『自分が殺す』と請け負った。
航路を決めたリップはもはや、シュヴィの心の痛みに配慮するより、他の主従を殲滅することを優先するだろう。
しかし、その為の汚れ役をリップが担うかシュヴィが担うかの二択ならば、できるだけ前者であろうとする。
だから『殺せ』ではなく、『自分が殺すから連れて来い』という言い方をした。
そういう男だと、シュヴィはよく知っている。
『…………なら、任せた。謝らないぞ』
『了解……それで、いい』
突き放した言い方に対して、頷いてみせる。
首を縦に振ったことで、視覚映像も上下にぶれただろうからリップにも頷きは伝わるだろう。
一転して、想いを重く、厳しく、眼下に向けた。
身を重力に委ねるのと遜色ない速さで、急降下を遂げる。
着地の風圧だけで標的を吹き飛ばさないように、勢いは加減した。
初めてのマスター殺しなら、せめて相手の顔から眼を反らしたくはなかったから。
リクは、自らの言葉で死兵になれと命令をしていた時にも。
一切のおためごかしや責任逃れをせず、相手をまっすぐ見て『死ね』と命じていたのだから。
-
ずどんという着地音を鳴らして公園の地を踏めば、やつれた顔の男性がただ驚愕を露わにしていた。
ただ驚くので精一杯の、大戦下で異種族の戦闘に行き会ってしまった人類種(イマニティ)の顔だった。
ああ。
これまでの戦いとは違うと実感を持った。
持ってしまった。
それは感情移入(ノイズ)の始まりだと、分かっていたのに。
やらなければやられると言い聞かせられた今までと違う/もうそんなことは言ってられない
衝撃(エラー)
これほどに脆弱な身で、今まで生き延びていたのか/リクを見出すな
二律背反(エラー)
雷霆のアーチャーの時もリクを重ねないようにしたけど無理だった/リクに似ているのはマスターの方だ
心が二つ(エラー)
それでもリクならきっと、方舟の方に行くことを選んでいた/知ってる
懐古強襲(エラー)
シュヴィたちはこれから、『リクに似たヒト』を殺していく/古手梨花の犠牲と間近にある焦土が、その証だ
それは数秒にも満たない実時間だったのだろう。
だがその間に、眼前の男性から読みとれる心拍が急加速した。
まだ死ねないという想いの証に他ならないそれに対して、心がかき乱される。
それでも、機鎧種とは対応する種族だ。
必要とあれば、必要なように自己進化を促せるし、霊基という枷が嵌められていてもその根本は変わらない。
だから胸を埋め尽くす感情の奔流は故障(エラー)ではない、自己改造の痛みであるはず。
大丈夫、動ける、やれるという確信とともに、『天移』を翳すべく男性達へと片手を伸ばす。
マスターもきっと、同じように苦しかったはずだから。
皮下主従の魂食いという虐殺を幇助した時も。
古手梨花を死なせるのと同義の決断をした時も。
それから――
――天移の対象範囲を目視したことで、付近に『あの女の子』と同年代の、血濡れた少女の遺体があるのを視た。
-
それから――雷霆のアーチャーのマスターだった少女を、リップが殺した時も?
そのわずかな気付きは、手を震わせるきっかけだった。
何かがおかしいと露わになる、きっかけだった。
フラッシュバック――ヒトの生理現象として、知識だけは持っている。
それが体感として初めて、シュヴィの瞳(レンズ)に展開された。
再生された記憶は二つ。
思い出したのは同時。
同じ領域に同じタグで保存されていたように、二重写しの映像が繋がった。
一つは、左の瞳(レンズ)に焼き付いていた血の赤。
先の戦線において、令呪で撤退を促された後。
アーチャーから流入した謎の謡(ウタ)によって集中を削がれ、霊体化に身を委ねる中で。
リップの持つ医療用小刀に血が付いていたことと、同じ血だまりの遺体がそこにあることを知った。
いま一つは、穿たれた右眼に焼き付けられた、シュヴィの記憶ではない鮮血の光景。
先ほどリップが殺した少女――違う、また別の少女の遺体を抱え上げ、慟哭する自分。
違う、自分ではなく『蒼き雷霆』という断片情報をもたらした少年だ。
守とうろして駆け付けたはずの少女を守れなかったと、泣いていた。
彼(リク)のことを守りたかった/彼女を最期まで守れなかった
次があれば、もう二度と手を離さない/今度こそ手を離さないと決めていたのに
僕はまた、大切なものを取り零してしまった/違う、それは貴方を足止めしたシュヴィの、せい――
ああ、そうか。
シュヴィはとっくに彼を足止めしたことで、人ひとりを、彼の大切な人を、殺していたのか。
そう悟ったのが、混線(ジャミング)の始まりだった。
己の内から生じた感傷(エラー)や障害(バグ)ではない。
少年も意図しないところで謡(ウタ)の感染(ウイルス)がすでにあったと、自覚した時には遅く。
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【解けないココロ溶かして 二度と離さない貴方の手】
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もうシュヴィの中にもあると、主張するように。
先刻もシュヴィにだけ聴こえた、意味を解せない謡(ウタ)。
それが再び集音機に届き、機体温度が上昇していくのを感知した。
シュヴィは困惑とともに、片手で右眼を抑える。
そこに、熱をもたらす幻痛、雷霆に穿たれた破損がまだ残っているように思われて。
『――どうしたシュヴィ? 負担が大きいのか? それとも不測の事態か?』
いざ手に懸けねばならない相手を眼前に、悠長に躊躇うような挙動。
それだけではなく、念話のほかに現場の音を拾えないリップには、何が起こっているのか判別できない。
ゆえに、早く仕留めろという叱咤よりも、困惑が念話にのった。
そう、眼前には無抵抗とはいえ、まだ敵性サーヴァントがいる。
理性的な思考がそう促し、シュヴィは無理やりにでも典開(レーゼン)を再起動して。
【いつの日か世界が 終わる時も】
標的たる男性の、顔つきが変わっていた。
ひどく焦っている生理反応があるのは、変わらないままに。
その瞳に、たった一枚だけ切り札を携えたような熱を宿して。
たった一言の、コミュニケーションが放たれた。
「君の中には、アイドルがいるのか?」
意味不明だった。
意図不可解な会話選択だった。
(アイドル……?)
言った当人も、何を言ったのかを整理しきれてない様子だった。
アイドルの意味は分かる。
というより、皮下もリップも昨晩からその言葉を多用していた。
何なら、殺そうとしている男が、その『アイドル』に関係する所属を持つことも知っている。
だが、何故それがシュヴィを指す言葉になる。
偶像、スター、芸能人、業界人、歌手……字義のどれもがシュヴィとはかけ離れているのは確かであり。
『電子の謡精(サイヴァ―ディーヴァ)』/『歌姫(ディーヴァ)プロジェクト』
-
『蒼き雷霆』とともに、意味を刻まれた言葉を思い出した。
驚きを声に出すところだった。
(この人は……ウタが、聴こえて、る?)
◆◇◆◇◆
蒼き雷霆と、心ある機械の間に起こった記憶混濁。
本来なら契約関係のないサーヴァント同士で過去が繋がることは有り得ないという例外を引き起こしたのは、互いのサーヴァントの特性にあった。
記憶さえも電気信号に変換し、『イマージュパルス』という他者が共有可能な力として具現化した逸話を持つという彼の第七波動。
かつて歌姫の力の因子を移植されてそれを模倣した人工知能のように、『受けた攻撃を解析して自己学習する』という彼女の種族特性。
いずれも『電子機器の制御』『解析と再現』という逸話を持つ英霊同士の特性が噛み合った結果。
二騎のアーチャーは互いの過去を断片として入手し、GVだけの『謡(ウタ)』をシュヴィが共有するに至った。
そして、GVの第二宝具によって降臨する謡精の謡声とは当人にしか知覚できないものではあったけれど。
かつて、雷霆のイマージュパルスという形で『生前の再現』として現出した電子の謡精は、万人に見える姿と声を持っていたように。
かつて、実体を持つ人工知能が謡精の力を取り込んだ時、その歌声は万人に聴こえるヴァーチャルアイドルの形態をしていたように。
シュヴィが感染した『謡声』の、二度目の発露は。
かつてアイドルのプロデューサーだった男の耳にも聴こえるものとして届いた。
【解けないココロ溶かして 二度と離さない貴方の手】
そして確信する。
どういう事態が生じているのかは飲み込めず。
現状が命の危機であることは理解しているなりに。
膜を一枚隔てたように、少女の口からではなく不可視のスピーカーから聞こえてくるこの歌声は。
これは、本物の偶像(アイドル)が持つ歌唱の力だと。
国民的ヴァーチャルアイドル・モルフォ。
シュヴィの中にいる歌姫は、かつて間違いなく一国の全土で一世を風靡した偶像だ。
たとえ、輪廻の歌をうたっている時は、たった一人の為だけのアイドルなのだとしても。
むしろたった一人の為に歌うことが、彼女の心願であればこそ。
そのプロデューサーの持論は、『アイドルはやりたいことをやらせている時にこそ輝く』というものだった。
【いつの日か世界が 終わる時も】
奇しくもつい先刻、思い出してしまった。
櫻木真乃をスカウトした時に、単なる歌唱力に留まらない、確かな『魅力』を歌に見出したことを。
ましてや、すでに頭角を現している、一国すべてを魅了したことがある『輝き』にならば、目が留まらないはずはなかった。
-
「君の中には、アイドルがいるのか?」
その上で、その歌声を『サーヴァントたる少女自身のもの』だとは思わない。
これほどの『歌の力』を持ったアイドルが眼前に降り立ったのに、ひと眼でピンとこない、というのは有り得ないのだ。
その男自身も、長らく忘れていたことだが。
これまでに彼自身がスカウトした全てのアイドルの『輝き』を、彼は初対面の印象のみで看破している。
たった一人の、普通の女の子に出会うまでは。
そのたった一人は、内面と外部に現れる輝き方が、一致していなかった。
飾らない素顔を見ていると、みずみずしい『何か』があると思えなくもないのに。
パフォーマンスと言う外付けを被った途端に、くすんで何かのコピーになる子だった。
少女のサーヴァントは、その女の子とは対照的だった。
外付けで植え付けられた、再現であるらしき『何か』の方が、表現者のそれをしている。
その輝きは、まるで恋の歌をうたう翼のようだった。
幼き容姿をしたサーヴァントの少女が、心なしか驚愕を突かれたように挙動を硬直させて。
やがて、その眼光を鋭いものへと変じさせた。
心を向けるまいという目線から、要警戒対象を見る眼に変わるように。
瞳孔の周りにいくつも金色の円環を輝かせて、眼の焦点を精密に合わせるように。
(何かを……覗かれている……?)
連想したのは、審査員の眼線を受けることだった。
ステージの上で一挙一同を凝視する分析官。
にちかも怯えていた、『空っぽですね。何も感じません』『それじゃダメ可愛くないわ』という死刑宣告の数々。
今回はそんな痛罵は飛んでこない代わりに、死神の鎌を振り下ろされることは予想できたけれど。
(こちらを知った風に見敵必殺で襲ってきたのに、観察するような眼をしている。
……一方的に俺たちを知っている?)
自分たちがどういう者かを知っている上で、分析能力を持つらしきサーヴァント。
そういえば皮下が以前、『気絶している間に、リップのアーチャーに診せた』と言っていなかったか。
であれば、彼女のマスターは。
「俺はもう、方舟達と一緒に逃げようとか、まして見逃そうなんて考えていませんよ。その逆をする。
……と君のマスターに伝えても、心変わりは望めないのか?」
どうせこのままでは死ぬという当てずっぽうは、図星をあてたらしく。
推定・リップのアーチャーは「どうして」と小さく口を動かし、マスターに念話を送るかのような一拍を置いて。
-
――――――ドン!!!!!
その一拍で、紡いだ言葉は時間稼ぎになったと証明される。
公園中の土地を揺るがすほどの地鳴りが、背後にいるランサーの足元を震源地として響き渡った。
同時に、これまでともに闘ったどの時よりも苛烈な闘気に己の背が押し倒される。
結果的に庇われるように伏せ倒された中で、頼もしさとは別種の畏怖が背中に刺さったことを感じていた。
それは闘気というよりも、ガムテのライダーが場を圧倒していた際の『意志力』に近い、形ある刃のような。
その刃を纏ったランサーが、頸のないまま己を助けるために動いている。
それだけは、庇うように前に出た頭部のない背中を見て理解したところで。
――俺は誰よりも強くなって、必ず……
記憶に蘇ったのは、過去夢で交わされたランサーの約束だった。
サーヴァントたちの動きを眼で追えないまま、かろうじて目撃したのは、『花火』だったからだ。
『黒い火花の閃きが集った花火』が、ランサーと少女との激突しようかという境界にて、大輪の花を咲かせた。
◆◇◆◇◆
知っていた。
彼女が望むのは、人を呪う黒い火花でも、まして地獄に咲く曼荼羅でもない。
ただ、来年も再来年も当たり前のようにそこにある、二人見上げる花火だということは。
知っていた。
狛治という男の妻が、父の素流によって罪なき人が血を流すところなど見たくない心根の女だということは。
知ってはならなかった。
その彼女が、ずっとこれまでのことを見ていたなどと。
かつての伴侶の陰法師が、再び不名誉として狛犬の二つ名を冠して修羅と化す光景には、胸を痛めたに違いなく。
それでも止まってほしくない、負けないでほしい。
なぜなら、どうか貴方が報われないまま終わってほしくないのだから、と。
それは、祈りだ。
辛く苦しい景色さえも見届ける覚悟を持って。
あなたの幸いの為に寄り添わせてほしいと伝えて。
誰かの為の、幸せの形がしかと見えるまで、見守るというのは。
知ってしまったのなら。
祈りながら見ているというのなら。
恥を抱かないのかと問答した上弦の壱に対して語った通りに。
鬼としての上弦の参は、結局のところ敗者でしかなかったけれど。
それでも貴方が『誰か』の為に戦うならば見守ると、英霊としての生を赦されたのなら。
たとえ生き恥のように頸を斬られた上で足掻こうとも、『誰か』の為には求めることを止められない。
-
その『誰か』は、まだ迎えたい終わりがあるのだと言う。
同じ女を愛した男と対峙して、正しいやり方を選び取れていた可能性を知りたいのだと。
――終わらせ方が分かったよ、ランサー
当代の主は、そう言った。まだやり残したことがあると。
はじめは独り言として、続けて念話として。
――俺がこの聖杯戦争で、最期に対峙するのは、きっと『彼』だ
もしもその彼が正しい導き方を、祈り方を見失わなかったのだとすれば。
それと対話した上で、しかし方舟に乗ることはせず、己が聖杯に対して祈る願いとして定めたいと。
それこそ、『鬼の王』とでも名乗るべき妄執の強さ、恥知らずの発想には違いない。
つまるところ聖杯にすがって願いを叶えるというのであれば、方舟が出航したり聖杯の権能を糺したりする結末は潰すということであり。
貴方たちの営みは尊い、その想いこそが何より大切なものだったのだと賞賛しながら、それを踏みにじる手段を講じるのだから。
自分たちは勝利を得られないサガを持っているけれど、それでも残したい願いがあるから、やり方を倣わせろと。
己はそんなやり方で、願いを叶えて消えるけれど。
貴女達はどうか幸せな世界をやり直せと祈る、やはり己に似ている主には報いたい。
消滅することを宿痾として定められた鬼が、それでも太陽を克服した鬼/蝋翼の現われることを希うように。
他の上弦たちをも立ち塞がるなら血戦でもって番付を覆し、地上最後の、鬼の王として振舞おう。
数百年の研鑽の累積と、明王の波動に触れたことは、闘気だけではないたしかな意思の力を宿し。
呪力(のろい)の黒き火花に愛された拳は、その意志力に属性の色を上塗りする。
ここから先は、貴女を最期まで苦しめた、吐血の赤と、呪(どく)の黒しか見せてやれないけれど。
そんな修羅の道行きにさえ、生前の花火を技の名に関してしまう愚かさにだけは、せめて目を瞑ってくれ。
――――――武装色・黒閃光万雷――――――
◆◇◆◇◆
-
転移術式によってまさに捻じ曲げようとしていた、手を伸ばした先の空間。
その術式の着火場所と、ランサーの拳が神速で激突した――とシュヴィは観測した。
空間が歪曲している端緒と、ランサーの持つ拳撃、魔力が0.000001秒に満たぬ誤差を持って衝突。
着火した魔力の火花はそこに留まらず、海賊たちが『覇王色』と呼称していた圧力と類似した気圧の後押しにより威力を増大。
気圧の纏っていた『色』が火花のそれを帯び、晴天の下に『黒い光の花火』という現象を結実させた。
そんな現象を引き起こした頸から上の無い妖魔を、シュヴィは距離を開けた上空にて念話でリップに報告する。
退避したのは、怖気に駆られてばかりのことではなく。
気圧を感知した皮下真のライダーが引き返して来ないかどうかを、上空に対して警戒するためでもあった。
『龍は……戻ってくる気配、無し……討滅を、続行』
『いや、ここは退いていい。それより、さっきの不調について確認がしたい』
『マスター……それは、ちゃんとお仕事、した後でも………シュヴィは大丈夫、だよ?』
『今さら、お前がちゃんとできないんじゃないかと疑ったりはしてない。そうじゃなく、殺す理由がいったんなくなった』
戦況が変わり、シュヴィとしても標的を改めて解析したことや黒き花火への対応などを経て、歌唱はまた聴こえなくなっていた。
それが他の出来事に集中を割いたことによる、意識の変化によるものだったのか。
あるいは、対応する種族としての機鎧種の身体が、感染した異物への抗体を覚えつつあるのか、その両方か。
いずれにせよ、もう己を躊躇わせるものはない、殺しを履行できるとアピールすれば、リップはそこを疑ったわけじゃないと否定した。
『さっき鏡の世界で見た時とは、眼の色が変わっていた。あいつが言っていたことは、たぶん嘘じゃない』
『うん、シュヴィも……嘘をついてる反応は、見えなかった』
――俺はもう、方舟達と一緒に逃げようとか、まして見逃そうなんて考えていませんよ。その逆をする。
『あれは……方舟を、倒す……という意味?』
戦線で別離する前は、曲がりなりにもアイドルの犠牲者が少なくあってほしいと願っていた風だった男が。
宗旨替えをしたかのように『方舟を看過しない』と言い出し始めた。
シュヴィにとっては不可解だったそれを、しかしリップはおよそ正しく汲み取っている様子だった。
『さっき別れた時はすぐにでも死にそうな顔だったのに、お前の映像ではそうじゃなかった。
もうひと踏ん張りするかって腹は据わってたようだが……否定された側の眼は、変わってなかった』
これまでの人生で、何度も鏡を見るたびに向き合ってきた眼だった。
最後に協力し合った時のそいつは、衝動的に頸を斬ろうとして片目になった日の顔を思わせた。
シュヴィに向かって時間を稼ごうとした時の顔は、ループした後にラグナロクが起ころうと知ったことかと割り切った日のそれになっていた。
あれは決して、気力を取り戻したからといって方舟に迎え入れてもらおうとする者の顔ではない。
-
その確信と、『方舟の者に何らかの執心を抱いているのは事実らしい』というこれまでの感触で、リップはおよそのスタンスを察する。
また、古手梨花や皮下を経由してリンボのマスターについて幾らか聞き出していたこともある。
『愛着を抱いており決着を望んでいるけれど、共に脱出する気はない』という関係性を閃くのは、難しいことではなかった。
『何らかの決着は付けたいけど、願いに妥協はできないから向こうのサーヴァントはむしろ倒す……ってとこじゃないか。
そうなったら方舟側も力づくで取り押さえるかもしれないが、サーヴァントの方も火薬庫みたいになってる今の有り様だと簡単じゃないだろ』
未知の黒き火花と、覚醒を迎える前段階のような休眠を加味した上でなお、戦闘力としてシュヴィに届くかというほどの危機感はなかったけれど。
完全復活を果たしてどれほど力の桁が上がっているかは不確定にせよ、それでも捕縛によって無力化を図るにはあまりに殺気が強く。
それならむしろ、まだ残しておいた方が勝手に潰し合ってくれる方の目がでかいだろう、と。
その判断を説き、リップはシュヴィが上空へと離脱した頃合いで別の質問に移った。
『それで、さっきはどうした? 単に躊躇ってただけじゃないよな。
治ってるはずの右眼が塞がったみたいに、映像がぶれたんだが』
念話以外の音を拾えなかったがゆえに感じ取れなかった、ウタに伴う不調について。
『シュヴィ………アイドル、やらないかって、言われた……』
『は?』
それは、相当に語弊もあり、また細部も違う言い回しから始まるものだったが。
◆◇◆◇◆
もしシュヴィが取り込んだ記憶に、雷霆の相容れぬ仇敵だった復讐者の紅き少年や、その傍らにいた生体ユニットの情報でもあれば。
シュヴィは『P(フェニック)ドール』という概念を把握し、これから己の身に生じるやもしれぬ変化を、具体的に思い描けていたかもしれない。
だがシュヴィはそれを知らず、ゆえにその自己診断は推測が入り混じるものとなった。
『原因……シュヴィと、あのアーチャーの……能力の近似と、推定。
電子機器の解析、および制御(ハック)。
それに、心や脳の活動を、情報(データ)として同期するもの。
……、記憶、戦闘経験を蓄積する宝具の所有も同じ。
全て、アーチャーから受けた攻撃と定義づけられる以上、機鎧種として解明は可能。
解析が進行すれば……ノイズは沈静化すると、推測』
シュヴィの機体は、そもそもが防魔・防毒・防呪・防精霊仕様だ。
であれば、それが歌声であれ『感染』もまた対応すべき攻撃の一環だと認識できる。
そういった説明に、しかしリップは言葉だけで説かれても納得しきれない懸念を示した。
-
『未知のウイルスに感染した割には、ずいぶんと楽観的じゃないか?
沈静化するだろうって根拠でもあるのか?』
『ある』
『その根拠は?』
『解析能力が……戦闘前と戦闘後で改善されていた。
雷霆の類似能力を、模倣して……アップデート、実現した』
先刻の男性の言葉に動揺し、伏せられていた異能でも無かったのかと再解析をしたことで、それが判明した。
初めて目にした時、皮下から診てくれと言われて検分した時は、『生命力の低下した一般人マスター』という程度の所見に過ぎなかった。
それが改めて目の当たりにした時は、『魂に該当する存在情報の九割損失』というところまで、情報として汲み取れるようになっていた。
シュヴィ生来の解析能力に、『歌姫』の精神感応力と、雷霆の制御(ハッキング)能力が上乗せされた結果。
それが決して悪い変化ばかりではないと、シュヴィはその機体を持って体感していた。
『何というか……助けられてるな。お前が腹を括ってくれたことに』
『解析の成功に、じゃなくて……?』
『いや……こればかりは、分からないでいい』
シュヴィに詳しく解説するつもりはなかった。
なぜなら、『お前が覚悟を決めてくれて助かった』という、より直接的な言葉選びができなかったから。
どんな悪役に落ちても、シュヴィのことを己の都合本意に動いてほしい道具のように扱うのは、やはりできなかった。
元の世界でも、リップはずっとそばにいてくれた相棒に対して、そういう態度しか取れなかったのだから。
『……さっきは、やれたんだな?』
『マスターの命令変更があれば、今からでも殺せる』
『いや、それはいい……でも、殺すかどうかの判断は、俺の指示を仰げ。
お前が俺の殺しに片棒を担ぐっていうなら、逆もそうなんだからな』
『マスターは……棒なんて、持ってない、よ? でも、了解』
けれど、シュヴィがどこまでも共に行くと巻き込まれてくれたことで、リップは『脱出派の手に渡れば重宝される力』を憂慮せずに済んでいる。
今のリップ達にとって『シュヴィの権能の拡大』は、聖杯狙いにのみ用立てられるべき活路として見据えられるようになった。
ではこのまま、皮下やそのライダー、周辺にいる者の位置取りを報告するようにとリップは改めて促そうとして。
シュヴィではなく、己のいる場に異変が起こっていると、風の音によって気付いた。
夏風が吹きつけると同時に、リップの背後でざわざわとたくさんの植物が擦れるような音がしていた。
明らかに気配を変えている廃屋の様相にリップは振り向き、そして片目を驚きで見張る。
監禁部屋の窓を越え、壁を無視し、屋根に至るまで。
わずかな壁のヒビ割れに根や枝を張るように、桜の花弁がその一室から吹きこぼれていた。
さながら皮下真が移動した跡と、ほぼ遜色ないほどに。
桜の精どころではない、夜桜の魔女がじかに寝所へと降臨したかのように。
視界には、監禁場所の壁を越えて感染するように狂い咲きを広げる桜花。
聴覚には、耳に張り付くような盛夏の蝉の声。
それはまるで、秋と冬の概念が滅ぼされた世界で。
春(サクラ)と夏(ひぐらし)とが、喧しく喧嘩をしているかのような光景だった。
そしてもう一つ、リップは気付く。
聴覚と視界だけではなく、嗅覚も様相を変え始めていた。
風に吹かれ、恵みの枯れ落ちた錆の混じる曇天の空気ような。
それを嗅いだ覚えは、たった一度だけ、無いではなかった。
遡ること、もう丸一日になるだろうか。シュヴィが電車の屋根上でわずかに交錯したという、あどけなき少女のことを。
彼女に根源的恐怖を齎したサーヴァントのことを、どうしてか思い出した。
【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・午前】
-
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(大)、疲労(大)幻覚(一時的に収まった)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:――ありがとう、ランサー。
1:………きっと最期に戦うのは、『彼』だ
2:次の戦いへ。どうあれ、闘わなければ。
3:もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
[備考]プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。(現在はなりをひそめています。一時的なものかは不明)
【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:頸切断、全身崩壊、覇気による残留ダメージ(極大)、頸の弱点克服の兆し(急激な進行)、霊基の変質
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:――――――――
[備考]※頭部が再生しつつあります
※武装色の覇気に覚醒しました。呪力に合わせて纏うことも可能となっています
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【杉並区→移動開始/二日目・午前】
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:頭部損傷(修復ほぼ完了)、右目破損(修復ほぼ完了)、『謡精の歌』(解析が進行中)
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:――もう大丈夫。手を汚せる
1:戦場を監視し、状況の変化に即応できるようにしておく。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:セイバー(宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。
※『蒼き雷霆』とのせめぎ合いの影響で、ガンヴォルトの記憶が一部流入しました。
※歌が聞こえました。GVのスキル、宝具の一部を模倣、習得しつつあります。現在は解析能力の向上などに表れています
【中央区・廃墟/二日目・午前】
【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
0:もう迷いはしない。
1:シュヴィに魂喰いをさせる気はない。
2:敵主従の排除。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。
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投下終了します
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投下お疲れさまです!
死柄木弔
神戸しお&ライダー(デンジ)
田中一
紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)
セイバー(黒死牟)
皮下真&ライダー(カイドウ)
北条沙都子&アルターエゴ(蘆屋道満)
予約します。予約メンバーは増減する可能性がございますので、その場合は早めに連絡します。
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リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
松坂さとう&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ]) 追加で予約します
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幽谷霧子
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライズン)
田中摩美々&アーチャー(メロウリンク・アリティ) 予約します
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前編を投下します
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着信音が、鳴り響く。
そこは悪の潜む洞穴。やがては都市のすべてを平らげるかもしれない、魔王の寝床。
季節外れの桜が咲き誇り、今まさに"夏を喰らう春"が訪れようとしている都心の一角で。
これから始まる乱痴気騒ぎ、一人の男の愛をインクに書き上げられた大戦争の筋書きが形を結べば黙っている筈などないだろう白い魔王が、端末の向こうから響く声を聞いた。
『待ったか? こっちはちと立て込んでてな、まあ許せよ』
龍脈の簒奪を果たし、晴れて最大勢力の一角と化した敵連合。
しかし構成員も頭脳も次々と散っていった今、残っている協力者は通話の向こうの彼くらいのものだった。
魔王・死柄木弔がまだ只のガキだった頃から、『禪院』という名で連合の"教授"と情報共有を交わしてきた男。
田中一とそのサーヴァントが原因で起こった一悶着の折には、物理的な小競り合いもした相手。
霊地争奪戦終結以降音信不通となっていたその男は突然着信を鳴らしてくるなり、死柄木の悪態も待たず一方的に用向きを告げた。
『連合の王サマが嗅ぎ付けてないってこたぁねえと思うが、直にデカい戦争が起こるぞ』
『何しろどっかの誰かさんが仕留め損ねたデカブツにぶん殴られてきた所だ。見立ての正確さは折り紙付きさ』
当然、死柄木もその気配は感じ取っていた。
遠方から響いてくる地鳴りのような轟音と、肌を刺すような鋭い魔力の波長。
女王リンリンの力を継承して名実共に人を超えたことで、どうやらそちら方面の感覚も見違えるほど鋭敏になっているらしい。
戦争の気配がする。血で血を洗い、命で命を砕き、勝った者が全部持っていく数時間前の"あれ"が繰り返されようとしているのを感じる。
――そうか。やっぱり生きてやがったのか、もう片方の皇帝は。
――駄目だな。駄目だろ、俺が壊したものが這い上がってきちゃあ。
――往生際の悪い老害は、もう一度……今度こそ平らに均してやらないとな。
――今のこの身体でなら、ババアの時よりも色々楽しく殴り合えそうだ――
『で? 今度はこっちから一つ聞かせろよ』
勝つか負けるか、生きるか死ぬか。
何かを得るかすべて失うかの局面を前にしても、死柄木が覚える感情は期待と高揚だったが。
そんな心に水を差すように、『禪院』は鼻で笑って言った。
『あの狸爺、なんて言い残して死んだんだ?』
教授。M。悪の蜘蛛。オールド・スパイダー。
この地に巣を構えた二匹の蜘蛛のその片割れ。
犯罪卿ジェームズ・モリアーティ。
その策謀がもはや連合には亡いことを、この敏い山猿はとうに見抜いていた。
考えてみれば当然のことだ。
Mが存命ならば、死柄木がわざわざ通話に出る理由がない。
餅は餅屋。完全犯罪の紡ぎ手(クライム・コンサルタント)に交渉や折衝の役を任さないなどとんだ宝の持ち腐れだろう。
それをしない理由は、考えられる限り一つだけ。
"蜘蛛"は死んだ。
魔王の完成を見届けたかどうかは知らないが、とにかく今はもうこの東京に存在していない。
だがその事実は、死柄木のさらなる覚醒という最悪の展開と天秤にかけても勝り得るほど大きな――特に『禪院』のような、企てと暗躍を主戦場とする仕事人にとってはあまりに大きな、朗報だった。
『……、』
『"なにも"?』
『何だよ、面白くねえな。悪の親玉を気取るんだったらよ、気の利いた断末魔くらいしたためてから死ねってんだ』
-
とはいえ。
元より死柄木とて隠し通せるとは思っていなかった。
今になって改めて思うことだが、あの老紳士はまごうことなき怪物だった。
あの"先生"でさえ、こと犯罪計画の精度という点では奴の影すら踏めはしないだろう。
そう思わせるほどに老獪で、どこまでも食えない男(クモ)。
そんな怪物の不在を、若僧とガキばかりになってしまった今の連合が偽装できるわけもない。
――で。感想はどうだ。
――よかったな、いい切り時じゃねえか。
――俺をあまり長く残しちゃ旨くないよな、そっちとしては。
そんな死柄木の言葉は、まさしく『禪院』の考えを言い当てていたが。
しかし正体不明のきな臭い猿は、『急ぐなよ』とからから笑ってみせた。
『話はまだ終わりじゃねえ。もう一つ提供できる情報がある』
『――あ? 目的? 役割分担に決まってんだろうが。
生憎と戦略兵器の手持ちは無くてな。痒いところに核を撃ち込めるアテがあるんだ、頼らない手はねえだろ』
さて。
鬼が出るか、蛇が出るか。それとも仏か。
最後だけはないだろう。こんな男が運んでくる話に、そんな慈悲深い結末があって堪るものか。
無言のまま、話の先を促す魔王に対して。
白昼の東京に躍る天与の暴君は、一つ甘言を囁いた。
『――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』
その、言葉に。
魔王は『にぃ』と――白い歯を見せて、笑った。
-
◆◆
何かが起ころうとしている。
皮下真の甘言に乗ったのは正解だったと、リップ=トリスタンは静かにそう悟りつつあった。
リップの決断と、それを尊重し背中を押してくれるシュヴィの優しさ。
それらが混ざり合って絡み合って、止まっていた歯車を再び動かしてくれた。
(……男としては、些か情けないものがあるけどな)
これまで、自分達の聖杯戦争は進んでいるようでずっと停滞していた。
最後に何を選ぶのかすら宙ぶらりんなまま、ただ漫然と目の前の戦いに対処するだけの時間。
決断を渋らせていたのは、きっと自分の中にあった惰弱な甘えだったのだろう。
方舟という夢のような、あの機巧少女を傷付けることなく終われる未来を捨てきれなかった。
だから尻に火が点くまで、中途半端に古手梨花を抱え続け、彼女の扱いについても茶を濁し続けていたのだと今なら分かる。
結果的にリップは"選択"をしたわけだが。
そんな彼を先導してくれたのは、まさにその機巧少女だった。
本当は人を殺すなんてしたくないのに。
自分が手を汚すことすら嫌うような、心優しい女の子なのに。
それでもこの願いと後悔にぴったりと寄り添って、共に歩んでくれる機械じかけの少女。
その優しさに感謝すると同時に自分自身の体たらくを恥じ入ったからこそ、リップは決意していた。
――もう、迷うのはやめだ。
あるかも分からない救いに目移りすることも。
そして、シュヴィの心の痛みを案じることも。
此処ですべてやめよう。それこそが、心を削りながら自分の翼であり続けてくれる彼女への一番の誠実だと理解したから。
ただ戦い、ただ殺す。願いのために悲劇を生み続ける。
神ではなく人として――自分以外のあらゆる願いと祈りと優しさを、『否定』する。
リップ=トリスタンはこの瞬間をもって、否定者の業をまた一つ重ねた。
それは天上の神が差し向けた"理"ではなく、現実をねじ曲げることも決してないが。
たった一つ以外すべての可能性を否定するあり方は、不退転(アンリペア)のそれとして彼の心へ刻まれた。
以上をもって彼は覚悟を決め。腹をくくり。
その上で、背後から響く物音に振り向いた。
開かれる筈のない、開ける者のいない筈の扉が開く。
向こうから姿を現した人影は、既にリップの知る彼女ではなくなっていた。
「見違えたな」
-
「お陰様でね」
藍の黒髪――奇しくも、その"血統"にて当主を名乗る者にのみ顕れるというその特徴。
しかし少女のそれは、今や色を失っていた。
白く、白い、花のような白髪。それを持つ少女の髪や体表には所構わず桜の花が咲いている。
その姿はあまりに儚げで、そして目を瞠るほど、魅入られそうになるほど美しい。
藍を失ったのは当然だった。
夜桜の血筋にて唯一、後継者を産む力を秘める当主の身体には一切の超人的能力が宿らない。
初代夜桜の血を流し込まれて超人と化した今の梨花に、その藍(いろ)を宿す資格はない。
いや。これはもはや、そんな次元の話ではなかった。
リップは知らないし知る由もなかったが、今の梨花の姿は。
千年を生きる霊桜の精を名乗れば誰もが信じ、遥か社の神が人の争いを鎮めるため現れたと豪語すれば恐慌する民草も自然と跪くだろうその神秘的な姿は、まさに――
「視えているわよ、皮下。早く出てきなさい」
「……やれやれ、参ったな。何も、そうまで成らせるつもりはなかったんだが」
初代夜桜。
夜桜の魔女。悲劇の女。
夜桜つぼみの生き写しに他ならなかった。
虚空から像を結んで現れる皮下の顔には苦笑が貼り付いている。
それは果たして梨花に対するものだったのか、自分自身に向けたものだったのか。
「ソメイニンを五感で感知できるのか。凄いな、見事なもんだよ梨花ちゃん。藪を突いて蛇を出した気分だ」
同じ、初代の血を宿す者であり。
また万花繚乱という一つの極致に至り。
夜桜の犠牲者と亡者を星の数ほど見てきた皮下だからこそ分かる。
古手梨花は今この瞬間に限って言うならば、初代の血を御すことに成功していた。
先行きが見えている事実に変わりはないし、"つぼみ"に近付いた見た目は紛れもないその証左なのであろうが、それでも想像以上だったと言う他ない。
五感によるソメイニンの感知。
今や実体すら捨てることが可能になった皮下の存在を、梨花は容易く見破ってみせた。
視えているという言葉は嘘やハッタリではない。皮下はそう確信したからこそ、肩を竦めて笑ったのだ。
「蛇を出したというのなら、もう一つ教えてあげるわ。
もうすぐ此処に私のセイバーが来るわよ。誰かさんのせいで、令呪で即座に召喚とは行かなかったけどね」
梨花の発言に、空気が張り詰める。
彼女のセイバーの強さは、既に周知だ。
終始圧倒的な優位を保ちながら戦っていた筈のシュヴィにさえ一太刀入れてのけた、天衣無縫の女剣豪。
それが此処に来るとなれば、さしもの皮下達もこれまでほど良い旗色は保てない。
-
「……どうやった? 念話による意思疎通は、アーチャーによって妨害させていた筈だぞ」
「気持ちは分かるぜ、リップ。頭抱えたくなるくらい馬鹿げた話だよな。でも多分事実だ。
夜桜の血の影響がサーヴァントの方にも及んでるとしたら、念話というマスターとしての身体機能に頼ることなく"引き合う"ことができたとしても不思議じゃない」
「流石ね。この血のことは知り尽くしているみたい」
「当然だろ。こちとら百年近く夜桜(それ)と向き合ってきたんだぜ」
夜桜の血は、単なる超人遺伝子の枠には収まらない。
ましてそれが初代(つぼみ)のであるなら尚更だ。
神通力さながらに手かざし一つで病を癒せたつぼみの血ならば、遠く離れた人と人が以心伝心に互いの存在を感じ合うことも容易だろう。
しかし、その血は只人にとっては身を蝕む毒だ。
身体の均衡を崩し、肉体の組成を崩し、枯れた花のように醜く朽ちていく。
古手梨花は――そんな血に対する、免疫(イマニティ)を持っていた。
何故なら彼女の、古手の血は鬼と人の混ざり物。
遥か先祖の桜花から連なる血縁の末子。雛見沢症候群の女王感染者。
その上で、百年を超える繰り返しがもたらした神秘の蓄積も付け足されて。
雛見沢という小さな世界において、中心核となるべくして生まれ育った彼女の身体は。
つぼみの血を受け入れ、可能な限り御し、生き写しの姿かたちに恥じない力を宿すに至った。
「とはいえおっかねえな。あの女侍、キレたら話とか通じなそうだしな」
「そうでなくても、私(マスター)をこんな身体にされたんだもの。
さぞかし怒り心頭でしょうね。皮下あんた、まさかあいつの剣が――桜吹雪ぽっちを斬り損ねるなんて、楽観視してはいないわよね」
「そこまで馬鹿じゃないさ。こんなのは所詮……人間が死ぬほど頑張って背伸びすれば手に入る程度の力だ。
サーヴァントや、俺の知る"本物"にかかればそれこそ舞い散る花弁のように儚く脆いまがい物さ」
こうなると、窮地に立たされるのは皮下達の方だ。
武蔵が到着するまでどれくらいかかるか分からないが、退避が遅れればこの場はすぐさま修羅場に変わるだろう。
「だが忘れちゃいないか。君んとこのサムライソードは、このリップの命令に逆らえない」
「何を言うかと思えば。そんなもの」
梨花は、鼻で笑う。
続く言葉は荒唐無稽。
しかし、一度でも女武蔵の武勇を目の当たりにすれば誰もが"有り得ない"とは言えなくなるだろうそれだった。
「命令(ことば)になる前に、斬ってしまえばいいだけのことじゃない」
命令されたら従わねばならないと、そういうのなら。
命令が出る前にリップの首を刎ねればいい。
その上で皮下を殺せば、令呪の縛りは武蔵に対して無用の長物となる。
だが――ひとつ、不可解。それを言葉にして問いかけたのはリップであった。
「……何故それを俺達の前で言う?」
「分からないかしら?」
「確かに、アーチャーから伝え聞くお前のサーヴァントならばそんな芸当も可能だろう。
だがそれは"脅し"にした時点で意味を成さなくなる類の切り札だ。
そう来ると分かっているなら、対処のしようはいくらでもある」
-
脅しに使っていい札と、使ってはいけない札がある。
今梨花が開示したのは、リップの言う通り後者だった。
一度でもちらつかせれば容易に対処される、不意打ちでしか機能しない一撃必殺。
では梨花は所詮子どもだから、そんなことは考えずに勢いですべて話してしまったのか。
答えは否だ。それだけは、古手梨花という少女に限ってそれだけは有り得ない。
彼女が百年を生きた魔女だからではない。
彼女が、雛見沢分校の部活メンバーであるからだ。
全員集えば本職の諜報部隊にも対応できる、知略冴え渡り度胸燃え上がる小さな悪魔達。
その一員である梨花が、カードの切り方という初歩中の初歩を見誤る理屈がどこにあろうか。
「心底図太いガキだな。この状況で、俺達相手に交渉を持ちかける気か」
皮下の言葉に少女が不敵に微笑む。
梨花は、ミスをしたのではない。
武蔵を突撃させて二人斬り伏せる強硬策を見せ札にして、皮下達に交渉を持ちかけたのだ。
「あんたに言いたいことは山ほどあるし、吠え面掻かせてやりたい気持ちももちろんあるわ。
けれど物事には優先順位ってものがあるでしょう。今の私の中じゃ、あんたへの復讐は二番目なのよ」
「だったらまずは感謝して欲しいところだな。無力で非才な君をケンカの土俵に上げてやったのはこの俺なのに」
「黙ってなさい、人でなし。言っておくけれど、こんな力がなくたってやることは何も変わらなかったから」
理由は一つ。
今、こんなところで足を止めているわけにはいかないからだ。
皮下の目論見通りに動くことになるのは癪だが、この身体になってようやく彼の言う意味を理解した。
北条沙都子が――ひとつ屋根の下で百年を共にした親友が、今まさに別な生き物に変わっていこうとしている。
縁側でワインを傾けて魔女を気取り不貞腐れていた過去の自分とはわけが違う、本物の魔女に……いや、それ以上の何かに成ろうとしている。
もはや一刻の猶予もない。
古手梨花は自分の未来を奪った男への報復よりも、言っても分からない馬鹿な親友と本気で殴り合うことの方を優先した。
「あんたの望み通り、私があのバカを止めてあげる。だから退きなさい」
「……言われなくても引き止めたりなんてしねえよ。君を作り変えたのはその為なんだからな」
沙都子を止める。
何としても。たとえ、この身が砕け散ろうとも。
骨の髄までを呪われた桜に冒され、気を張っていなければ意識ごと初代の意思と憎悪に喰われそうな状態だとしても。
梨花はその想いを炎のように燃え上がらせることで自己を保ち、こうして皮下とリップという猛者二人と掛け合っていた。
皮下としても、これ以上梨花に何か悪事を働くつもりはない。
言ってしまえば変成が終わったその時点で、古手梨花はもう用済みだ。
後は北条沙都子と潰し合い、あわよくば相討ちに終わってくれればそれでいい。
第一。こうまで想像以上に咲き誇った新たな"夜桜"に、今更手を加える余地などありはしないのだから。
-
「行って宿願を果たすといい。くれぐれもクソ坊主の奸計には気を付けろよ」
「言われるまでもないわ。沙都子にとって奸計(トラップ)を仕掛けるのは呼吸だもの。
リンボとかいう坊主のことは心底気に食わないけれど、罠を張って悪巧みするって意味じゃ相性も良かったのかもね」
リンボが立ちはだかるというのなら、それでもいい。
その上で沙都子をぶちのめし、首根っこ引っ掴んででも光(こっち)へ連れ戻してやるだけだ。
梨花は皮下達の横を通って、廃屋の出口へと足を進めた。
長話をする余裕も、理由もない。今の梨花にとっては誇張抜きに一分一秒が惜しくて堪らなかった。
それでも。
最後に一度だけ、廃屋を出る寸前に三和土の上で梨花は足を止めた。
大した理由ではない。実際、これはきっと無駄な行為だった。
にも関わらず何故そうしたかと問われれば、その時は梨花もまだまだ人間だったのだと答える他ないだろう。
拒絶反応に苦しみ、生と死の境すら曖昧になる生き地獄の激痛の中で。
夢とも現ともつかない何処か。
強いて言うならば、遥か昔、まだ武士や忍といった存在が大真面目に社会の一パーツとして存在していた頃の景色。
永劫に続く夜の中で。
ひときわ大きく、皮肉なほどたおやかに咲き誇る夜桜の下。
そこで垣間見た、言葉を交わした、一人の女。
三和土の傍らに用意されていた姿見に写った自分の姿は、あまりに"彼女"と似通っていたから。
足を止めて、振り向いて。
ありったけの「この野郎」を込めて、古手梨花は当てつけの言葉を吐いた。
「どう――――きれいでしょう?」
そのまま踵を返し、魔女は外へと駆けていく。
廃屋の中には静寂だけが残った。
は、と皮下は乾いた笑いを漏らす。
扉の閉まった残響を聞きながら、男は肩を竦めて呟いた。
「……クソガキが」
最後の最後でしてやられた。
つくづく今時のガキというのは恐ろしいし、何より神経を逆撫でするのが上手いもんだ。
大人を弄びやがって。奇妙な敗北感を覚えながら、夜桜の血に魅入られた男は埃をかぶったソファにどっかりと腰を下ろしたのだった。
-
◆◆
『可哀想な子。呪われているのね』
『この世に生を受けたその時から、あなたは運命に呪われている』
『苦楽と悲しみが、繰り返す。美しい桜花(はな)として生まれてしまったばっかりに、嘆きで塗れてしまったあなた』
『そしてあなたは、こんなところに辿り着いてしまった。
人を苦しめることしか能のない忌まわしい血。私の声が、せめてあの人に届いてくれればよかったのだけど』
「…………ええ、そうよ。私はきっと、生まれたその日から呪われてるの」
「自分たちが祀っているモノの真実(かたち)すら知らない奴らに、尊い巫女(はな)と崇められて。
人並みの幸せを手に入れられるようになるまでに百年かかった。そしてまだ、この運命は私を離さない」
「でも――私は、不幸なんかじゃないわ。私には仲間がいた。愛すべき日常があった。
私を寝ても覚めても殺し続けたあの世界は、私にとって美しく咲き誇る満開の桜のようだった」
「ねえ、桜の貴方。貴方は……皮下の、あの男の何なのかしら」
『悪魔。魔女。もしくは、呪い』
『そう呼ぶのが正しいわ。"私"が、死にゆくあの人を引き止めてしまった。
ともに生きようと誘ってしまった。あの人がいつか私に伝えた夢幻のような未来を、見てみたいとそう思ってしまったから』
『その罪が、今あなたの身体を巡っている夜桜の血の正体』
『私――夜桜つぼみ、そのものよ』
「……自分の身体のことは自分が一番よく分かるって本当ね。命の灯火が、一秒ごとに薄れていくのを感じるの」
『そうね。あなたは、きっと遠くない内に枯れてしまう。
私の血を一時とはいえ御しているのは凄いことだけれど、それでも毒は毒だから』
「恨んではいないわ。あんたのことも、皮下のことも」
『あなたの未来は、私達の罪によって奪い去られるというのに?』
「今はそれよりも、見据えたいものがあるの。行かなきゃいけない場所がある」
『聞きましょう。それは、何処?』
「腐れ縁の、友達のところ。
私に、あの世界を好きなままでいさせてくれたあの子のところへ」
-
『……友達』
『それがどういうものだったか、もう私には思い出せないけれど』
『羨ましいわ。私にもそんなものがあれば、こうまで腐らずに済んだのかしら』
「ええ。私の、自慢の友達なの」
「バカで、小さい頃から一つも変わらなくて。
元気だけが取り柄みたいな性格してるくせに、嫌なことも心の痛みも全部抱え込むめんどくさい奴」
「世界と運命に絶望していた私の横に、ずっと一緒にいてくれた親友よ」
「そいつと、喧嘩をしなきゃいけないの。
髪の引っ張り合いなんかじゃなくて、殴り合って蹴り合って、女の子らしさなんて欠片もない取っ組み合いの大喧嘩をしに行くのよ」
「あんたが見た希望のせいでぐちゃぐちゃにされた私から、あんたに対価を要求するわ。夜桜つぼみ」
「――力を貸しなさい」
「私の小さなこの手が、小さなこの足が、魔女を気取って泣きじゃくるあのバカに届くように。
あなたが呪いと呼ぶその花を、私の身体と魂に咲き誇らせなさい。"夜桜の魔女"」
『…………それは』
『あなたにとって、地獄を見る選択』
『夜桜(わたし)を受け入れれば、もうあなたは逃げ惑う黒猫ではいられない』
『それでもあなたは、この私に手を伸ばす? この花を、受け入れてみせると――そう謳うのかしら。"奇跡の魔女"』
「愚問、よ」
「逃げて、逃げて。誰かに媚びて生きるばかりの猫なんてもうたくさん」
「たとえ、その先にあるのが地獄だとしても――」
「地獄の先に仲間がいるのなら、自ら踏み込んで引っ張り出す。それが、私の選び取る答え」
「私は行くわ。あの子のところまで」
「だから力を貸して、桜の貴方」
「その呪いも、運命も――今の私にとっては、掴み取りたい祝福だから」
-
◆◆
――私は、ただ。
幸せに/穏やかに生きたいだけ。
繰り返される輪廻の果てに。
忌まわしき、悪夢の果てに。
運命を乗り越えたい。
呪縛を振り払いたい。
大好きな仲間との、何気ない未来。
誰にも弄ばれることのない、安らかな平穏。
欲するのは、求めるのは――それだけ。
二人の魔女の存在が、血を媒体にして混ざり合う。
その血は、古手梨花の身体と心を否応なしに蝕むが。
彼女が挑まんとする少女は、魔女すら超えて神の領分に片足を突っ込んでいる。
であれば人のままで挑めないのは道理。
人を超え、全て失う覚悟を持たずして、どうして魔道に踏み入れようか。
――運命の歯車は回り出し、少女は想定以上の開花を生む。
気配は分かる。
鼓動するように脈打つ、感じ慣れた"彼女"の気配。
どうして気付かなかった。
こんなになってしまうまで、気付かなかった。
自分の愚鈍さに歯噛みしながら、梨花は地面を蹴った。
その速度はもはや、人間が出せるそれではない。
一足ごとに景色が遥か後ろへ消えていく。
否応なしに梨花は、自分が人でなくなったのだと感じさせられていた。
「……あんたをどうすれば止められるのかなんて、私には分からない」
距離が縮まり、感じる気配が強まるにつれて実感する。
自分の親友が、大切な仲間が、自分が知るのとはかけ離れた何かに変わっていくのを。
これだけの力を得た。発狂しそうなほどの苦痛を意思力だけで噛み殺した。
そうまでしても、この先で待つ沙都子に勝てる確証が微塵も抱けない。
もしかしたらすべては無駄に終わってしまうのかもしれない。
黒猫は所詮黒猫で。
怪物に爪を立てようとしても、冷たく払いのけられて終わりなのかもしれない。
けれど。
だとしても――
足を止められない理由が梨花にはある。
彼女と過ごした楽しい時間を、他の何物にも代えられない輝くひとときを何せ百年分も覚えているから。
-
「私も、大概の頑固者だしね。
あんたと胸襟開いて話し合っても……確かにうまくいかなかったかもしれないわ」
自分達の破綻は必定だったのかもしれない。
"今"を愛した沙都子と。
"未来"を見たがった自分とでは、どうやったって同じ道を歩き続けることはできなかったのかもしれない。
もしも自分達二人の破綻が、決裂が。
百年の積み重ねをもってしても覆すことのできない、絶対の運命であるというのなら。
「だから今、全部曝け出して勝負をしましょう。
私も強情だから、絶対に負けなんて認めてやらないけど……それはあんたも同じの筈。
今更幻滅なんて無しよ、お互いに。私達の部活(せかい)じゃ、大人気ないのは美徳なんだから」
その業を、この現在でもって打ち破ろう。
汚い部分もすべて曝け出して、エゴとエゴをぶつけ合って語り合おう。
あの百年は決して無駄になどならないと信じているけれど。
それと同じくらい、この先の未来に開けている道を進むことも尊いと信じているから梨花は譲らない。
当然沙都子も"絶対に"譲らないだろう。だからこれは、お互い様だ。
……ああ。
結局自分達はこうして、あの分校の部活に戻ってきてしまうのだ。
ルール無用の真剣勝負。反則だって何でもあり。
ルールは一つ、最後に勝った奴が絶対正義。
「こんな私達のこと、馬鹿みたいだって……そう思うかしら」
自嘲するようにそう呟いて、梨花は足を止めた。
その上で上を見上げる。そこに立ち、日光を背にしたその影はなんだかとても久々に見るような気がして、場違いにも笑顔になった。
事もなく空中に身を躍らせて、それでいて物音ひとつ立てず軽やかに梨花の隣へ着地する。
この一ヶ月、ずっと梨花の隣に居てくれた彼女。
時に支え、時に叱咤し。自分の良き相棒で居てくれた存在。
ずいぶんと姿は変わってしまったけれど。
それでも心も魂も、何一つ折れてなんかないぞと示すために梨花はなるだけ不敵に笑みを浮かべた。
そして言う。呼ぶ。彼女の名を、その称号(クラス)を。
「ねえ――――セイバー?」 ・・・・
「まさか。とっても素敵じゃない――――私もそんな好敵手欲しかったわ、マスター!」
セイバー・宮本武蔵。新免武蔵守藤原玄信。
道を分かたれて久しかった主従が、ようやく再び並び立った。
-
◆◆
『わかりました。あなたの決意はとても強固。その絶対の意思は、必ずや未来を紡ぐ奇跡を起こすでしょう』
『でも、私は我儘な女だから。この期に及んでまだひとつ、あなたに対価を求めてもいいかしら』
『あなたが求めるだけの力を、私はあなたに与えましょう。
初代の夜桜、すべての呪いの始まりを担う者として。
本来なら"私(つぼみ)"の良心である私には、もはやそれだけの力はないけれど』
『此処はすべての過去と未来が交差する場所。……だから、こういうこともあるのでしょうね』
『あなたは、あなたの願いを叶えればいい。
あなたに世界の尊さを教えてくれた友達と、好きなだけぶつかり合って語り合うといいわ。お膳立ては、私がしてあげる』
『その代わりに。私から、この枯れかけの桜から一つお願いがあるの』
-
◆◆
少女アイは武蔵にすべてを教えてくれた。
アイは幼く、故に語り口調も辿々しかったが、それでも武蔵は急かしたりせず彼女の話したいように話させた。
虹花――悲劇、或いは順当な運命の帰結として皮下に魅入られた集団。
葉桜なる諸刃の剣を体内に宿し、いつか終わりが来るのを知りながら聖杯戦争に従軍していたNPC達。
もっとも生き残りは恐らく自分だけだろうと、少女は寂しそうに目を伏せてそう言った。
あの混沌(ベルゼバブ)めがしでかした鬼ヶ島撃墜、あれに巻き込まれて大多数は殉職したらしい。
戦場に事の善悪無し。
自ら刃を握って臨み、その果てに死んだ彼らに同情はしない。
それは剣士特有の生死観であると共に、名前も顔も知らない花弁達への最大限の敬意でもあった。
尊ぶからこそ慰めない。これもまた、武蔵の中では礼儀の一つだ。
さておき、武蔵が気になったのは彼らに投与されたという"葉桜"のこと。
アイは語った。夜桜の血――この世界には存在しないとある血統の血液を模倣した薬物であると。
それを以って武蔵は、悟る。
皮下は己のマスター・古手梨花に夜桜の血を投与した。
葉桜などではない、正真正銘の"夜桜"をだ。
であればこの霊基の異変にも説明は付く。筋が通る。
そして、悟ったことはもう一つあった。
(……模造品ですら、人体を腐り落ちさせるほど強力だというのなら。
本物の血を流し込まれた人間の身体が、持ち堪えられるわけがない)
何もかもが遅きに失した。
武蔵はこの時、奥歯を砕けるほど強く噛み締めずにはいられなかった。
これは、紛れもない自分の失態であり醜態だ。
敗北し、マスターを奪われ。その窮地に駆け付けることもできず、こうして遠方の地で遅蒔きに終わりが始まったことを知る。
――無様。なんたる無様か、新免武蔵。
剣をぶつけ合い敗れ去るのならばまだ面目は立つ。
だが、鯉口を切ることさえできず、指を咥えて見つめることもできなかったとは。
屈辱に頭と顔が熱くなる。怒りに、魂が震える。
そんな情動を抑えてくれたのは、皮肉にも自らの内側で脈打ち巡る桜の血だった。
-
(これは――)
武蔵の中に巡って廻る、夜桜の血。
巣食っていた霊骸の汚染をも塗り潰す最強の血統が、武蔵に何かを伝えてくる。
それが、彼方の地で苦しみ削られ擦れていく古手梨花の意思そのものであることはすぐに分かった。
途端にもう一度、今度は自身の惰弱を恥じる。
一瞬なれど絶望した。
僅かな間なれど、マスターを信じる心を失くした。
それは間違いだったと今なら分かる。
梨花は、生きている。まだ――戦っているのだ。だからこうして血が脈打つ。私に、心を、伝えている。
たとえ、いつかは夏に喰われて消え去る定めなのだとしても。
諦めず、腐らず、運命に屈さず、金魚すくいの薄網のように破ってやると歯を剥いて吠える梨花の姿を武蔵は確かに垣間見た。
「……ええ、そうね。それでこそ――私のマスターだわ、梨花ちゃん」
そうだ、それでこそ。
それでこそ、この新免武蔵を喚んだマスターだ。
原初神を斬り、後は消え去るばかりだった筈の自分を。
どれほどの苦難を前にしても絶対に諦めず、運命を打ち破り続けた"あの子"に惚れ込んだ私を。
地平線の彼方から招き寄せて、英霊/鬼狩の剣として従えた娘の在り方ではないか。
「いろいろありがと、アイさん。とっても助かったわ。
本当は安全なところまで運んであげたかったんだけど……ごめんね。私、もう行かないといけない」
「……梨花のところに、いくの……?」
「ええ。あの子は、今も一人で戦ってるの」
梨花が何かを目指していること。
そのために、自分の剣を求めていること。
言葉など無くとも、武蔵にはそのことが手に取るように分かった。
全部、この血が教えてくれる。梨花の魂から流れ込む、この熱い桜(きずな)が。
「がんばって。梨花のこと、助けてあげて。
アイさん、また――梨花や、霧子に、あいたい……!」
「……ええ、もちろん。約束するわ、アイさん」
その約束は、もしかしたら守れないかもしれない。
もう一度、梨花をアイの前に連れてくることはできないかもしれない。
それでも――梨花を助けてという、その願いにだけは必ず応えよう。
サーヴァントとして。友人として。そして、未来なき者へ明日の希望を見せた夢見がちな少女の心を守るために。
-
武蔵は駆け出した。
疾風、烈風。都市に吹く一陣の風となってひたすらに駆けた。
向かうは友人の、否。今世の主の隣へと。
その途中。静かに佇む六つ目の鬼と視線が交錯する。
武蔵は、ただ彼の眼を見て。
彼もまた、武蔵の眼を見ていた。
あらゆるモノを斬ることに先鋭化した、神の死さえ算出する天眼と。
至高さえ超えた天上の領域に並ぶため、力を求めた名残である多眼とが、並び立つ。
言葉はもはや無用であった。
武蔵は、言わずとも剣を究めたこの鬼に自分の意思は伝わるものだと信じていたし。
そして鬼・黒死牟もまた――腹立たしくも、武蔵の思う通りにその胸の内を理解してしまう。
彼が小さく嘆息する素振りを見せてくれたのは、即ちそういうことだと。
後のことは任せても構わないと、そういう意味であると。
確信したから、武蔵は思わず口元に笑みを浮かべて佇む鬼を飛び越えた。
思えば、奇妙な付き合いになったものだと思う。
錆の落ちたその月刀ともう一度手合わせしたい気持ちが、こんな時に今更疼き始めたのはいよいよ病気じみているなあと自虐するしかなかった。
果たしてこの欲望、満たす機会はあるやなしや。
こればかりは武蔵の眼を以ってしても、見えない。
まずは目先の運命を斬り伏せぬことには、何も見通せない。
(今行くわ。すぐに駆けつけてみせる。もう待たせたりなんかしないんだから。
そして――)
さりとて。
武蔵には、これから向かう先を死地にするつもりなど毛頭なかった。
斬らねばならない存在が一つある。
清算させなければならない因縁が、この地で一つ増えた。
――虹花の大元締めであり、空を泳ぐ怪物を使役する男。
――この界聖杯内界に"夜桜"の血を持ち込み、見果てぬ何処かを目指す男。
-
アイは彼を、助けたのだという。
優しい子だと思う。その優しさを、武蔵は決して否定しない。
それを否定すれば、彼女に希望を与えたお日さまの輝きをも否定することになる。
生きたいって思えるだけで、生きてていいと。
行き止まりの世界でただ使われ、朽ちるのを待つばかりだった少女が見た"光"を、貶すことになる。
だから否定はしない。その優しさは紛れもなく、彼女の美徳だ。
――――だが。
「必ず、落とし前は付けさせるわよ――――皮下真」
それでも武蔵は、皮下を斬ると決めた。
彼と、東京に君臨し続ける最後の『皇帝』を必ずや討つと決めた。
東京タワーでの攻防戦では、光月おでんに譲った怪物退治の任。
おでんが臥せった今、それを引き継ぐべきは間違いなく自分達だとそう確信している。
見据えるは未来。
挑むのは、現在。
斯くして宮本武蔵は――――古手梨花と、白日の下で再会を果たす。
-
◆◆
『あの人を、どうか止めてあげてください』
『私のせいで眠ることさえ忘れてしまったひと。
こんな眩しいだけの花に、心血も自らの未来も注いでしまった優しいひと』
『どうか、あの人に静かな安息を』
『それが、今此処にいる私の願い』
『私達の物語を、どうか新たな桜(おはな)のあなたが終わらせて』
『桜(わたし)も、人(かれ)も……もう、そろそろ眠るべきだから』
-
◆◆
向かうは、伏魔の領域。
因縁収斂――待ったなし。
-
前編の投下を終了します。
中編以降も期限までには投下させていただきます。
-
中編を投下します
-
自我が、撹拌される。
己という存在が、千々に乱れていく感覚がある。
魂の変質。肉体の歪曲。亀裂と表裏一体の進化論。
視界などある筈もないのに、それでも今の自分がひどく醜い姿をしていることはよく分かった。
生き汚く生にしがみついて、蛆虫のように蠢きながら膨れては萎んでを繰り返す敗者の像。
全身の骨という骨が砕け散っては再生しを繰り返している。
頭の中を巡るのは、思い出したくもない追憶と無為に積み重ねた時間。
そして――呆れ返るほどしみったれた、不器用で愚鈍な男の顔だった。
「……思えば君には、骨を折らせっぱなしだな」
そうくだらないことを宣う姿は反吐が出るほど情けなくて、記憶の中の誰かと重なって見えた。
いつも謝ってばかりの病人達。この男もきっと、似たようなものなのだろう。
魂を奪われ、肉体は摩耗し、もう余命幾許もないことは誰の目から見ても明らかだ。
明日の朝を拝めるかどうかも怪しいような状態で、それでも柔らかに笑うその神経が心底理解できない。
にも関わらず、その言葉が、その姿が、その生き様が――他の何よりも、自分に諦めを許さないのが不思議だった。
「感謝してるよ、本心だ。
俺は、自分のサーヴァントが君でよかったと心からそう思ってる。
誓ってお世辞なんかじゃない。強く優しい君でなければ、俺はきっと此処まで来られなかった」
笑わせる。
人喰いの鬼を捕まえ、言うに事欠いて優しいだなどと。
妄言も大概にしろ。
地獄から這い出てきた血塗れの亡者に、優しさなぞあるものか。
二本の足で――大地を踏み締める。
そうして立ち上がった身体が、少しずつ静けさを取り戻していく。
沸騰した湯のように泡立ち続けていた肉はより強靭に、そして柔軟に安定化し。
それを踏まえて此処まで全身に割かれていた再生と変生が、頸から上だけに集中される。
鬼神の一閃で千切り飛ばされた頸が、少しずつ時を巻き戻らせる。
鬼という生き物の不文律。絶対の急所にして、俺達に残された唯一の慈悲。
何も生まず、何に繋ぐこともない無意味な蛇足を終わらせてくれる最後の逃げ道。
良いのか、と聞かれた気がした。
誰にかは分からない。分からないが、答えは決まっていた。
――良いとも。
安息なぞ、喜んでくれてやる。
どだいこの身は悪鬼羅刹。命を喰らって肥え太る醜悪なる霊基。
尤もらしい過去を振り返りながら、しかしだが殺すと拳を振り回す恥知らずの狂犬。
慈悲の陥穽に訣別を果たし。無力と惰弱の象徴のような名を与えられた鬼は、この時遂にその呪いを克服した。
-
■■■■■からの完全な脱却。
しかしそれは、かつてある女の鬼がしたようにただ彼の支配から外れたというだけを意味しない。
今、猗窩座は■■■■■の支配を抜け。その上で、彼より更に上の領域に棲まう生き物へと変化を遂げたのだ。
他の上弦と同じく今の彼は太陽を克服しており、その証拠に白日に照らされても身体が崩れる気配一つ見せてはいないが――
これは、もはやそんな次元ですらない。
死の克服。いずれは滅ぶという、生き物の運命そのものの超越。
■■のように物理的破壊では滅ぼせず。
そして■■ですら不可能だった、陽の光の下を歩く芸当を可能とする。
未だかつて、一人たりとも誕生することのなかった究極の鬼。
始祖が千年に渡り追い求め、しかしついぞ辿り着くこと能わなかった至上の領域。
青い彼岸花の微笑みなど今更無用。
今此処に、花火の鬼は現実を調伏した。
「……俺は、きっと誰よりも愚かな男だ。
守る救うと豪語して、やっていることは流され続けるばかり。
賢しらに風見鶏を続けるだけのノロマが、君のおかげで此処まで来られた」
幸いにして、振り返る時間は充分にあった。
罪に翻弄され、波に流され続けた聖杯戦争。
さながら滑稽に踊るマリオネットのような、無様で愚鈍な旅路だった。
自分ほど情けなく、そして役に立たないマスターはきっとこの世界に存在しないだろう。プロデューサーは心からそう思っている。
だというのに、どういうわけだかそんな愚か者が二度目の朝日を拝むことができた。
それは、すべて。無能な自分に黙って寄り添い、助け支えてくれた、この狛犬のおかげだと。
心からそう思い、同時に己の弱さを恥じているからこそ、プロデューサーはもう消えてしまった幻の彼女に思いを馳せる。
――君は、まだ俺を見てくれているかな。
――幸せにする。必ず救ってみせる。馬鹿の一つ覚えのようにそう繰り返すばかりの、つまらない男のことを。
心を苛み、削る嘲笑。
視界の端で揺れる視界の陽炎。
それも、現れなくなった今では不思議と寂しい。
そして口惜しいと、申し訳ないと、そう思う。
結局自分は、彼女にただの一度も答えを伝えてやれなかった。
情けない姿を晒すばかり。嗤われることしか能のない矛盾だらけの巡礼者気取り。
-
「勝っても、負けても……多分、これが最後だ」
付き纏う/見守る幻が消えた理由は、見据えるべきものがはっきりと分かったからだろうか。
もしくは、真の意味で後先がなくなったことでようやく踏ん切りが付いたからか。
その答えは、プロデューサー自身でさえ分からない。
彼に分かることはただ一つ。自分の聖杯戦争は、佳境に入ったということだけだ。
カイドウが生存していたことは僥倖だった。
カイドウ。連合の王。未だしぶとく生き残っているのならば、リンボ辺りも含まれてくるか。
そういった派手に戦乱を拡大させてくれるサーヴァントの生存は、残り時間の少ない自分にとって追い風になる。
勝手に戦って残存する主従の数を減らしてくれるのだからありがたいことこの上ない。
勝ち方の巧拙や華やかさを突き詰めるつもりはない。
大事なのは最後に勝って終わるか負けて死ぬか、それだけなのだから。
――視界の端の君。
――あの子によく似た、君。
――君がもし、まだ俺のどこかに隠れているのなら。
「もう、令呪はない」
――どうか。
――俺を、見ていてくれ。
「だからこれは、マスターとしてじゃない。
一人の人間として、君に"お願い"をする」
この無様な旅を締めくくる時が近付いてきている。
全身の血は鉛に置き換わったように重たく、心臓の鼓動は危険な早まり方と破滅的な鈍化を気まぐれに繰り返していた。
重度の眼精疲労のように両目が疼き、口の中には血の味が広がって味覚もとっくに麻痺しきってる。
そんな状態であるにも関わらず、プロデューサーの気分はむしろ晴れ晴れとしていた。
何もかも振り切れたような、本当に翼を得て空へ飛び立ったような。
見果てぬ青空の真ん中で一人、これからの航路を吟味しているような。
不思議な清々しさを感じながら、彼は生まれ変わった従僕に――否、朋友(とも)に手を差し出した。
「君と、この戦いに勝ちたい。俺と一緒に翔んでくれ、猗窩座」
戦いが始まる。
終わるための、叶えるための。
何かを救って燃え尽きるための戦いが、その幕を開ける。
伸ばした手は老人のように痩せ細り、血管が不健康に浮き立っていた。
弱者の手だ。何かを得るために、誰かに縋らねばならない人間の手だ。
-
弱さ。
それはかつて、猗窩座が嫌ったもの。
弱い人間は、正々堂々戦わない。
弱い人間は、欲しいものを手に入れられない。
弱い人間は、すぐに手を血で染める。
けれど今目の前にある"弱さ"はひどく純朴で、思わず毒気を抜かれてしまいそうになるほどで。
似ている、と思った。
どうしようもない悪餓鬼だった自分に、拳を握ることの意味を教えてくれた男に。
或いは、これから斬り殺す相手にさえ誠意と慈悲を貫こうとする愚直な少年に。
猗窩座は失笑する。それはどこか、根負けしたような。意地を張るのをやめたみたいな、そんな顔だった。
伸ばした手と手が、重なる。
向かう先は地獄。それは決して変わらない。その運命ばかりは動かせない。
だとしても。男達は爽やかでさえある心持ちで停滞を破り、燃え尽きるために空へと翔び立った。
目指すは聖杯。目指すは、かつて取り零してしまった少女の幸せな未来。記憶の中に焼き付いて離れないあのはにかんだ笑顔。
――――彼らの戦が、再開(リスタート)される。
-
◆◆
天元の花は去り。
一人残された、もとい彼女に任された鬼は桜舞う天蓋を見上げていた。
見事な桜だ。今更風景に情緒を覚える感性もないが、いつかこんな風に満開の桜を見上げたことがあった気がする。
あれは何処であったか。屋敷の外へ出た折に見かけ、哀れな弟の手を引いて連れ立ってやったのではなかったか。
そこまで思い出したところで、鬼の脳内に弟(かれ)の最期が再生される。
黒死牟は二度、継国縁壱の最期に立ち会った。
一度目は赤い月の夜。
老境に入った縁壱は、一太刀放ったきり沈黙して動かなくなった。
そして二度目は朝焼けの世界。
微笑みながら消えていくあの顔が、火傷のように今も心を冒している。
腹立たしいのは痛くも痒くもないことだ。
あの小娘がそうであるように。ただ、魂に沁みてこの血の通わない身体を暖めるばかりなことだ。
――何処へ向かう。
己に問いかける。
答えは、ない。
――何処へ生きる。
己に問いかける。
答えは、ない。
いずれも、黒死牟が一人で向き合うには難解過ぎる命題だった。
人だった頃から鬼に成り果てて三百余年。
反英霊となり時間の枠組みから解き放たれてからも尚、ただ一人の家族にのみ執着し続けてきた。
それが今更、抱える縮業を灼き溶かされて。優しい日光で抱擁されて。
この晴れ晴れとした世界をどう生きるべきかなど、すぐに答えを出せよう筈もない。
『どう生きたのかを、誰かが見てるなら……何も残せなかった人生には、ならないから』
つくづく、知った風なことを言う奴だと思った。
虫も殺せないを地で行くような、無害で惚けた娘。
何度苛立ち、何度殺意を覚えたか分かったものではないが。
この身体になり、こうして空を見上げ、雲間と枝葉の隙間から覗く太陽に照らされていると不思議と分かる。
あの娘だから、自分は此処へ辿り着けたのだと。
殺すことを善しとせず、自分が生きることよりも"みんな"とやらの幸福を願う、絵空事の産物のような娘。幽谷霧子。
腹立たしく邪魔な存在でしかなかったあのか弱い要石が、いつしか自分にとってそれほどまでに大きな存在となっていたこと。
その事実を、改めて感じながら……あいも変わらず答えは出ぬままに、黒死牟は花弁の中に佇んでいた。
-
桜の天蓋が、割れる。
黒死牟の眼が小さく動いた。
舞い上がった花弁が、雲と化して陽の光を隠す。
桃色の影が落ちた廃墟同然の街に、流星が一つ降り立った。
「………………、………………」
覚えのある顔だった。
身体中に這う、罪人の証の刺青。
自らを罰するようなその装いを、黒死牟は知っている。
この世界で生死を超えた再会を果たし、数時間前には鎬も削った同族だ。
(いや…………)
同族という表現を思い浮かべて、すぐに切って捨てた。
違う。姿形こそ似ているが、黒死牟の眼は彼の体内の変容をはっきりと視認していた。
以前とは比べ物にならないほど研ぎ澄まされ、極限の密度で収斂を果たした筋肉。
心臓は生存のために最適化された結果なのか、そもそも存在さえしていない。
脳も然りだ。中身のすべてが肉と骨、敵を屠るための器官に置き換えられている。
にも関わらず生命活動を問題なく続行できているということは即ち――それらが今の彼にとって真の意味で不要であるということの証か。
構造も生態も、すべてが異形のそれと化していて。
黒く染まったその頭髪は、黒死牟が知る"上弦の参"とは別物に成ったことを暗に示しているかのようだ。
別物。そう、別物だ。これは最早、鬼ですらない。
かつての始祖と同等の領域へと進化を遂げた存在。
いや、太陽を克服していることを踏まえれば更にその上か。
「俺の言葉を覚えているか」
「……殊勝な、ことだ………いつかの約定を、果たしに来たか………」
励むことだと、そう返したのを覚えていた。
生前は、その後相対することもなく。
この世界でも、結局決着が着くまでには至らなかったが。
今では、先の血戦さえ遠い昔のことのように思える。
妄執に狂い、剣を振るって殺し合ったあの時の自分が今のこの有様を見たならばどう思うだろうか。
それほどまでに。そんな益体もないことを考えてしまうほどに、黒死牟は変わった。
だが変わったのは、彼だけではなかったようだ。
桜の花弁を背に立つ見知った/見知らぬ鬼に、黒死牟の手は自然と虚哭神去の柄へ伸びる。
「血戦の続きだ、次は貴様を屠る。
そうして俺は、この身体に纏わり付く最後の因縁を断ち切ろう」
「ただの災厄を目指すと、そう言ったな……斯くあらんと追い求めた結果が、その肉体か…………」
「……さてな。貴様に語って聞かせる義理はない。
だが変わったと言うならば、それは貴様もだろうよ」
童磨の気配は今やぱったりと失せて久しい。
ついぞ変化することのできなかった"弐"は、始祖に続いてこの地を追われた。
「俺の知る貴様は、そんな腑抜けた面はしていなかったぞ」
「抜かす、ものだ……ならば、試してみるか……」
残っている上弦は壱と参。
いずれもこの世界に足を踏み入れ、様々な敵や人間と関わり歩んだことで自己の在り方に変化を生じさせた個体。
鬼という、いずれは滅ぼされて地獄に堕ちるばかりの生物。
その宿業から脱け出し、転がるように我武者羅に生きて今を迎えた二人の鬼が。
今、此処に再び相対する。
上弦血戦は第二幕へ。
「――黒死牟!」
「――猗窩座」
黒死牟が、月刀を抜き。
猗窩座が、暴風と化す。
桜舞う廃都にて、月と花火が乱れ咲いた。
-
◆◆
風が吹いた。
明らかに、自然によるものではない風だ。
それを受けて、松坂さとうは戦いが起き始めたことを察知する。
十中八九、戦いの主は先ほどアーチャーと一戦交えたという六つ目の剣鬼だろう。もしくは、彼らの戦いに割って入ったという女剣士か。
「仲間割れ……とかはないよね、多分」
「ない。彼らは、そういうタイプには見えなかった」
「だよね。……こんな状況で、"理想"なんか追い求めちゃう連中だし」
アーチャー……ガンヴォルトから伝え聞いた話は、さとうにとって少なからず驚きを覚えるものだった。
方舟。一人ではなく集団での生還。界聖杯によって伝えられた総則を無視、いや超越しようとする勢力の存在。
もちろん、頷けはしない。それはできない。さとうの"理想"は、彼らでは叶えられないから。
しおと共に方舟に乗る未来を考えなかったわけではない。でも、自分達の未来を委ねるには方舟の可能性はあまりにか細すぎた。
あれもこれもと欲張るよりも、目の前の一つを確実に手に入れるため努力した方が遥かに得なのは此処でも同じだ。
だから――さとう達は、その誘いを断った。
とはいえ完全に切って捨てたわけではない。
連絡先を交換し、いざという時のパイプラインは残した。
(でも、そっか。今まで、考えたこともなかったけど)
"理想"。
松坂さとうの、理想。
それは、神戸しおと二人で永遠に過ごせる世界だ。
ハッピーシュガーライフ。永久に続く、夢の甘い時間。
さとうは聖杯を以ってそれを叶えるつもりでいる。
そのために戦ってきた。そのために、今も此処に立っている。
(私の"理想"に、しょーこちゃんはいないんだ)
飛騨しょうこは死んだ。
自分を一度殺した女なんかを守るために、死んだ。
そして、自分の描く理想の世界に彼女の席はない。
界聖杯の機能に余裕があれば、生き返らせてあげてもいいかなとは思っていたけれど。
それでも、理想を叶えたその先で待つ"永遠のハッピーシュガーライフ"に、しょうこの居場所はない。
さとうとしょうこは永遠に分かたれたまま、それぞれの時間を生きていく。
友情は、愛には及べないから。
さとうの描いた永遠とは、閉じた世界。
二人きりで永久に、何にも脅かされることなく続いていく時間。
今更それを疑うつもりはないし、今でもさとうは"理想"を追い求めているけれど。
それでも――そのことに一抹の寂しさを感じてしまうのは、この世界であの子に絆されてしまったということなのだろうか。
「……なんだか、らしくないな。我ながら」
-
思わずそう呟いてしまう。
この愛を貫くためなら、人など軽く殺せる。
誰であろうと例外はない。その筈だったのに。
気付けば、友情なんてものの残滓を後生大事に想ってしまっている。
らしくない。
まったくもって、らしくない。
そう思うさとうだったが、そんな彼女に、ガンヴォルトは。
「ボクは、そうでもないと思う」
「……アーチャー」
「キミは最初からそんな風に見えたよ。
そうじゃなかったら、マスターとああも長く付き合ってはいなかっただろう」
「あんなに警戒してたくせに」
「当然だろう。最初はマスターの正気をさえ疑った。
思えば、ボクはあの子のことを何も分かっていなかったな」
「なのに、私のことは友達思いに見えてたって?」
「キミから、後悔や慙愧の念は感じなかった。けれど」
こんなことを、言う。
「あの子を友達だと想ってくれていることは、分かったよ」
思えば、こいつとも大分長い付き合いになった。
最初の頃は、こうして主従関係を結ぶことになるだなんて思ってもいなかったが、人生とは分からないものだ。
初め自分は、あの鬼と……童磨と共に優勝するつもりでいた。
対話も理解もまともにする気はなかったし、分かり合うつもりも毛頭なかったし。
結局最後の最後まで、あれと意思を通わせることは叶わなかった。
だから多分、あの時、あの雑踏でしょうこと出会っていなかったなら、自分は此処まで辿り着けずにどこかで野垂れ死んでいたに違いない。
「……そっか」
今、こうして此処で生きているのは。
全部あの子の、しょーこちゃんのおかげだ。
あの子があの時、手を引いてくれなかったら。
声をかけて、くれなかったら。
今の自分は、きっとなかった。
-
「しょーこちゃん、満足だったのかな」
「だからこそ、こうしてボクは此処にいる」
「それもそうだね。アーチャーは忠犬だもんね」
「……そんなに犬っぽいかな」
「うん。子犬っぽい」
そうか。
あの子は、あれでよかったのか。
本当に変わった子だと思う。
それだけいい子なのに、どうして自分とあんな男遊びをやっていたのかとんと分からない。
"友情"は、"愛"ではないけれど。
でも。それでも。
あの子のおかげで生き延びられたとか、そういう打算は抜きにして。
此処であの子と再会できたことは、良かった。
改めてさとうはそう思い、もう居ない親友を想った。
桜の花弁がひとひら、そんなさとうの頬に触れる。
馬鹿。余計なこと、考えてんじゃないわよ。
なんだかそうやって背中を押されたような気がして、思わずふっと失笑する。
言われなくても、振り切るよ。
呟いて、一歩を踏み出した。
「『偽典・焉龍哮(エンダーポクリフェン)』」
――その瞬間。
松坂さとうの全感覚が、閃光と轟音に撹拌されて消滅した。
.
-
◆◆
シュヴィ・ドーラは最初、渋谷区そのものに空襲を行うつもりでいた。
鬼ヶ島で宮本武蔵に対して用いたものと同等以上の火力で、街を物理的に消し去る魂胆だった。
渋谷の中に感じられる生体反応はごくわずか。
この期に及んでまだ逐一解析をかけてしまう自分の甘さに嫌気は差したが、しかし慙愧の念に思考回路を鈍らせるのはそこまで。
最早躊躇いはしないと。すべてを、マスターのために捧げると。そう誓ったから迷いはしない。
そんな彼女の手を止めさせたのは、解析結果の中に含まれていた覚えのある魔力反応だった。
――雷霆のアーチャー。
黒髪のエネミーの乱入により撤退を余儀なくされたが、あの戦いでシュヴィは彼からあるモノを受信していた。
『謡精の歌』。自身の解析及び各種能力の性能を向上させている、正体不明のウイルス。
それに内包されていた幾つかの見知らぬ単語の一つが脳裏に浮かび、知らずシュヴィは呟いていた。
「蒼き、雷霆(アームドブルー)……」
同時にシュヴィは、自身の行動を変更する。
無作為な空襲ではなく、明確に一個体を狙っての強襲へと切り替える。
標的は言わずもがな蒼き雷霆、自身にあの"歌"を流れ込ませたあのアーチャーだ。
戦力としての彼への評価は高くない。
出力、各種性能、どれも危険視するほどの水準ではなかった。
乱入さえなければ、あのまま戦い続けて問題なく撃破できていただろうとシュヴィの頭脳はそう推測している。
しかし問題は、彼と自身の間に起きた共鳴とも交信ともつかない異常現象。
自分の中に、彼の霊基の一部が流れ込んできたのと同じように。
あの時彼の中にも、自分の断片(パーツ)が流入していたのだとしたら?
(機凱種(エクスマキナ)の解析能力、火力性能、精霊の消費による霊骸排出能力……
それらが、あのアーチャーに、加わっているのだとしたら――)
有り得ない話ではまったくない。
そも、有り得ないことは既に一つ起きているのだ。
他のサーヴァントの一部要素が、戦闘を介して流れ込んでくるなど、普通ならばまず有り得ない。
では何故その事象が生じたのか。シュヴィが考えるのは、機械と雷という彼我の性質の噛み合いだ。
機械が落雷によって誤作動(バグ)を引き起こすように。あの時、何かの異常事態が起きた。
異常が単方向だけのものだったならそれで善し。しかし双方向だったのなら、それは。
(間違いなく、危険……早急に手を打たないと、敵に塩を送ったことになる……)
以上を以って結論は出た。
渋谷区全体への空爆作戦は中止。
代わりに、"雷霆のアーチャー"を抹殺して憂いを絶つ。
幸いにして位置座標を割り出すのに苦労はしなかった。
マスターらしき生体反応と同行していることが一瞬、ほんの一瞬だけシュヴィの思考を停滞させたが――それはもはや、彼女を止める理由にはならず。
「確実に……此処で、葬る……!」
自分自身に言い聞かせるように、そう呟いて。
シュヴィ・ドーラは、かつてとある種族の【王】が放ったという大咆哮を再現した武装を件の座標に向けて発射した。
それこそが『偽典・焉龍哮』。アランレイヴの崩哮、その再演。
都市で放つには間違いなく過剰火力であるそれを撃ち込み、そして――
シュヴィは、霊骸の撒き散らされた爆心地を駆ける一筋の雷霆を見た。
.
-
◆◆
結論を言うと、シュヴィ・ドーラの危惧は的中していた。
シュヴィが『謡精の歌』を介して、"蒼き雷霆"の霊基情報を一部搭載するに至ったように。
雷霆の彼もまた、シュヴィから受け取った『大戦の記憶』を覚醒させていたのだ。
もっとも、肝心のガンヴォルト自身はこれまでそのことを認識していなかった。
そして彼にそれを気付かせたのは皮肉にも、彼女が放った『偽典・焉龍哮』……空より来たる超特大の災厄だった。
窮地の中、ガンヴォルトは出遅れた。
だがそれも無理はない。
機凱種であるシュヴィは自身の魔力反応を隠蔽する兵装を即席で作成し、これを用いて渋谷区全体に自身の魔力を認識し難くするジャミング電波を撒き散らしていた。
天与の暴君とまでは行かずとも。ステルス戦闘機宜しく空から接近したシュヴィが、対城宝具級の火力を予兆なしに放ってくるという事態。
その最中にガンヴォルトが抱いたのは焦燥でも、ましてや襲撃を気取れなかった自身に対する嫌悪でもなかった。
そんな情動にうつつを抜かしている場合ではないからだ。
去来するのは、今はもうこの世界から飛び立ってしまった小鳥の言葉。
さとうのことを頼むと。今際の際、意識が消滅する最期に自分へ伝えたあの願いを。
――ボクは、また裏切るのか。一度ならず二度までも、何も守れない無様を晒すのか。
考えた瞬間に、身体は動いていた。
必要なのは攻撃による破壊範囲からの離脱。
単純だが、しかし簡単ではない。
分かるのだ。あの"災厄"は、単に避ければそれでいいという生易しいものではないと。
視える。双眸に映る視界が、今までとは違う色を帯びていた。
それは機凱種による本家本元の解析に比べれば、精度も正確さも足元にさえ及ばない付け焼き刃でしかなかったが。
それでも今この瞬間、ガンヴォルトにこれ以上に必要な能力(ちから)はなかったと言っていい。
不用意な回避は自分のみならず、抱えているさとうの身をも蝕む。
この毒素――名称:『霊骸』――は、人間の身で浴びて耐えられるものではない。
ならば。
「迸れ、蒼き雷霆よ……!」
魔力放出というスキルが存在する。
魔力の瞬間的な放出による、ごく短時間な能力値の向上。
本来ガンヴォルトはこのスキルを持たないし、今も獲得してはいないが。
自前の雷に、蓄積した威信(クードス)と受け継いだ遺志が成し遂げさせた霊基の向上を掛け合わせることで、彼は擬似的に件のスキルを駆使することが可能となっていた。
それは蒼雷の爆噴射。言わずもがな魔力の消費は馬鹿にならないが、それで命を拾えると考えれば対価としては破格だ。
彗星の尾のように、美しい雷の軌跡を描いて、ガンヴォルトが一陣の光風(かぜ)と化す。
「胸(ココロ)に継いだ想いを糧に、絶望を切り拓く閃光となれ……!」
解析によって算出した、霊骸の濃度が薄い箇所をなぞるように。
ありったけの雷電でわずかな残滓さえ吹き散らしながら、強引に安全圏を作り出しては駆けていく。
ガンヴォルトにとっては気の遠くなるほど長い時間にさえ感じられる逃亡劇だったが、実際にはわずか一秒にも満たない一瞬の出来事だった。
-
――間に合うか。
――間に合え。
祈る少年と、彼を信じて目を瞑り呼吸を止める少女。
そんな二人を呑み込むように、再演された竜王の息吹(ドラゴンブレス)が地へ墜ちた。
「生体、及び魔力反応……」
桜も、廃墟同然の高層ビルも、もの皆等しく消し飛ばされた爆心地。
爆炎と粉塵の立ち上るそこを見下ろしながら、小さく口を開く機凱種の少女。
その言葉が最後まで紡がれるのを待たずに――鈍色の煙を切り裂きながら、燦然と輝く一筋の雷霆が空を撃ち抜いた。
「……残存。初撃による殲滅は、失敗……」
それを片手で払い除けたのは、何も素の耐久力による芸当ではない。
シュヴィが保有する兵装の一つ、『進入禁止(カイン・エンターク)』。
効果範囲可変の防御武装を展開することにより、空を穿つ雷霆を阻んでのけた。
逆に言えば、今のガンヴォルトの火力はシュヴィでも易々とは喰らえないということ。
油断なく武装による防御や回避を駆使し、その上で惜しみないリソースを注ぎ込んで殲滅するべき敵にまで、既に彼はその格を上げていた。
そしてその徹底的とも言えるスタイルは、彼女が己に課した盟約を強調するかのようでもある。
敵を倒す。
誰であろうと、例外なく殲滅する。
マスターのため。リップの、夢のため。
"彼"が過去に目指した、最強のゲーマーだけが目指せる至高の結末に背を向けて。シュヴィ・ドーラは、そう決めた。
同意に誓って(アッシエント)。すべては、あの優しい人類種を苛む悲劇の運命を断ち切るために。
「――引き続き、殲滅を続行する」
空を覆う雲が。
巻き上げられた桜吹雪が。
千々に引き裂かれて、風の刃が数千と吹く。
「さとう。絶対に、ボクから離れないでくれ」
「うん、分かってる。……あいつ、あの時の奴でしょ?」
「…………ああ」
それを見上げるガンヴォルトの眼は、青い炎を宿し。
『歌』、『記憶』。それぞれの想いを受け取り合った二人が、再び此処に激突した。
-
◆◆
そして。
新宿事変、ならぬ、夜桜事変。
ならぬ、渋谷事変。今や東京は数多の因縁が集まる交差点。
次から次へと方々で轟いては唸る戦の気配を感じながら。
この東京に更なる混沌を呼び込む者達が、この時静かに塒を出ていた。
「なあ、マジで混ざりに行くのかよ。静かになるまで黙って待ってりゃいいんじゃねえの〜?」
「俺はさっき理由を説明したつもりなんだが。お前寝てたのか、チェンソー野郎」
「聞いた上で言ってんだよ。大魔王様の考えは荒っぽくていけねえや」
「奇遇だな。俺も未だに野良犬の考え方は分からない」
「てめえも大概貧相な格好してるぜ。昔の俺といい勝負だなあ〜?」
「もう、ふたりともこんな時までけんかしないの! めっ、だよ!!」
死柄木弔。デンジ。そして、神戸しお。
この三人は、何も変わらない。
死柄木とデンジは相変わらず犬猿の仲で、しおはそれを諌める役だ。
年の離れた兄弟のようにも、背丈の違いを無視すれば友達同士のようにも見える。
微笑ましくさえ見えるだろう凸凹さは、とてもではないがあらゆる犠牲を厭わずに敵を排除してきた『敵(ヴィラン)』達とは思えまい。
彼らは、既に行き先を決めている。
それは同じ場所かもしれないし、違う場所かもしれない。
答えを知るのは彼らだけだ。魔王の意思を聞き、これから連合が何処を目指すのかを知った者達だけだ。
盤面は今まさに大きく動いているその真っ最中だ。
だからこそ、彼らの介入は必ずやそこに追加の嵐を生む。
当然だろう。敵とは、ヴィランとは、混沌を生むもの。
社会に混乱をもたらし、自分勝手に掻き回してせせら笑うもの。
故に今、彼らは名実ともにまさしくヴィランであった。
歳も、力の有無も、過去も、願う未来の形さえも関係ない。
何もかも壊して、均して、死体の山のてっぺんで満足げに微笑めるならば。
そういう心を持っている限り、彼らは雌雄を決するその時まで一蓮托生だ。
そしてそんな連合(かれら)のあり方を、田中一は尊いと思う。
尊い。素晴らしい。此処が自分の居場所で、命を懸けてでも尽くす価値があるものと固く信じている。
それでも。今、彼の顔に笑顔はなかった。
微笑みながら隣を歩く、輝きの権化のような美女の存在が、常に彼という陰の者を照らし苛み続けていたから。
俺は、何かを成せるんだろうか。 / 成すとも。成さねばならない。
本当に、何かを。 / 俺を見出してくれた彼に、報いるために。
みんなのためになることが、できるんだろうか。 / それさえできないのなら、お前なんか死んでしまえばいい。
弱さと強がりの相克。
恋慕抱く皆殺しの天使。
すべての崩壊を掲げ、あまねく魂を弄ぶ王者。
十人十色ならぬ、三人三色。
数は減れども、連合の在り方も歩き方も何も変わっちゃいない。
葛藤と、決意と、野望とを渾然一体に織り交ぜながら。
悪魔の行進が、何処かへ向かう。
誰かの希望を奪うため。
誰かの未来を、踏み潰すため。
ヴィランたちが、出撃する。
-
投下を終了します。
後編も期限までには投下します〜〜
-
後編を投下します
-
ぬるり、と。
蛹を破って蝶が羽化するように。
あるいは、母胎の羊水から外界にまろび出て生誕するように。
"それ"は、闇色の墨の中から浮上した。
異様な巨躯の男だった。飢えた肉食獣のようにぎらついた輝きが瞳に宿っている。
粘つく黒墨が、まるで撥水加工でもされているかのようにぬらぬらと身体を伝い落ちていくと、傷一つない真新しい肉体が露わとなった。
実に心地良い。実に、清々しい。
まさに、生まれ変わったような心地だ。
受けた傷も、芯まで響く屈辱も、何もかもが真っ新な黒に塗り潰されて今や何の痛痒もない。
「――素晴らしい。やはり、拙僧の目に狂いはなかった」
男のクラスはアルターエゴ。骸の名をリンボ。
その真名は蘆屋道満。
安倍晴明の宿敵、悪名高き道摩法師。
"かくあるべし"と願われて生まれた、ある哀れな法師のカリカチュア。
異星の神に使徒として選定され、悪逆の限りを尽くして敗れ、にも関わらず欠片たりとも懲りることなく一切嘲弄の宿業のままにあり続ける、醜く穢れ肥大化した自我(エゴ)の雫。
リンボが、一体いつから北条沙都子という次善策を見出していたのかと問われれば、彼はしたり顔でこう答えるだろう。
そんなもの――最初からに決まっているではないか、と。
「怨嗟と絶望。そして、妄執。
実に、実に実に実に見事! この道満めが太鼓判を押しましょう、マスター。
御身のそれは紛れもなく、世界を喰む呪いに他なりませぬ」
そう、最初からだ。
初めてあの娘に召喚され、この地に降り立ったその瞬間から。
既にリンボは、北条沙都子という娘が秘めたる莫大な可能性に目を付けていた。
繰り返す者。時ではなく、世界/カケラの境界を越えて歩む者。
神に触れ、自らも神の如くに死を重ね、人の身ではありえぬ数のカケラを渡り歩いた少女。
沙都子はついぞ気付いていなかったようだが、彼女の魂には地層のように何重にも折り重なった神秘が蓄積されていて。
それを、この悪僧は見逃さなかった。
だから窮極の地獄界曼荼羅という分かりやすく凶悪で危険、かつ完成がすなわち勝利に直結するようなメインプランを掲げつつ、その一方でそれが頓挫することがあればいつでも沙都子を"使う"気で事を進めていたのだ。
とはいえ、綱渡りだったことは認める他ない。
あの時。鏡面の中で、取るに足らない雑兵と気にも留めていなかった傭兵から受けた"復讐劇"は、彼を本当に後一歩まで追い詰めていた。
あの場で龍の心臓と異界の触手を盗み出せていなければ、霊基を半壊どころでなく傷付けられたリンボが再起することは難しかったろう。
しかしリンボは賭けに勝った。
だからこそ、この美酒に浮かされたように心地良い"地獄"がある。
繭を抜け出たリンボが居た場所は、古めかしい蔵のような建物の中だった。
所狭しと並ぶ、悍ましいまでの凶念染み付いた拷問器具やら神像やら。
祭具殿。少なくない世界で惨劇の引き金となった、絶対不可侵の禁足地。
無論、こんな建物は本来の品川区には存在しない。
-
だが、此処はもはや既に品川という地域ではなくなっていた。
リンボの展開した擬似領域によって囲われ、帳を下ろされ、その上で北条沙都子の想念によって塗り潰された正真正銘の異界。
繰り返す惨劇で以って永遠になるのだと求められた、鬼の棲む村――その再現。
沙都子はかつて此処のことを楽園のように語っていたのをリンボは覚えていたが、とんだ皮肉だと彼は笑う他なかった。
「ええ、ええ。
確かにこれは楽園でしょう、大変に居心地がいい。午睡の一つもしたくなってきます。
我らのような獣には、思わず骨を埋めたくなるほど心地良い――地獄の楽園に他ならぬ!」
素晴らしい。
率直に言って期待以上。
これならば、これならば、我が大願を賭けてみる価値もあるというもの。
呵呵大笑しながら、アルターエゴ・リンボは歓喜のままにこの呪わしきエモーションの箱庭を"祝福"した。
此処は子宮だ。
北条沙都子という子どもが、永遠に満たされ微睡み続ける一つの母胎だ。
「存分に酔うがよろしい。夢を見、過去を抱き、想うモノを捕え続けるがよろしい。
何、ともに悪巧みをした仲です。界聖杯をこの腹に収めたその後も、奈落の夢ならいくらでも見せて差し上げましょう。
ふは、ふははは、ははははははははははははははははははははははははは」
沙都子の忠実な従者という顔すらかなぐり捨てて、アルターエゴ・リンボは立ち上がった。
これにて、再誕完了。
霊基、進展。
再臨の時来たれり、我は総てを弄ぶ者!
皆、皆、皆皆皆皆! この蘆屋道満が殺し喰らい骨肉に変えてくれよう!
「ははははははははははははははははははははははははは――――!!」
視界の真下から伸びた血濡れの矛。
自身の心臓が死に際の虫のようにか細く脈打つ様すら愉快痛快で仕方がない。
はてさてまずは何から始めたものか。
目障りな方舟を穢しに穢し呪いに呪い、あらゆる悲劇を被せて絶望のままに狂死させるのも素晴らしい。
もしくは左府の大災厄をこの東京なる都にて再現し、悶えながら死んでいく要石達を嘲笑いながら嬲り殺しにするか。
際限なく湧き上がってくる悪心を善し善しと宥めながらリンボは浮き足立つ己を苦笑と共に諌めようとして……
――――――は?
そこでようやく。
術師蘆屋道満は、自分が何者かに"貫かれている"ことに気が付いた。
-
思考が空白に染まる。
なんだ、これは。一体何が。
この状況そのものに猛烈な既視感を覚えながら喀血するリンボの耳に届いたのは、これまた覚えのある耳障りな嘲笑だった。
「その、声は……!」
「オマエさ、ちょっとは学習しろよ。
カスみたいな格下に胸板ぶち抜かれて痛い目見たばかりじゃねえのか」
この声を、この男を、リンボは知っている。蘆屋道満は知っている!
人間ならば誰もが持つ魔力/呪力を一切持たない、故に英霊や術師の視点からは純粋な五感以外で一切認識することのできない透明人間!
神秘一つ持たぬ非才の身で、愚かにも晴明めさえ嘲ってのけた世にも滑稽なるケダモノ!
格の差を見せつけたものと思っていた。仮に再び相見えることがあったとしても、何ら労することはないと高を括っていた!
――だが!
「貴様――あの下賤な山猿かァッ!!」
凶手・伏黒甚爾の賜った天与は規格外だ。
あらゆる感知能力をすり抜ける時点で十分に異常だというのに、彼の呪縛はその次元にすら留まっていない。
リンボは今この時に至ってようやく彼の"すべて"を理解した。
完成された天与呪縛。フィジカルギフテッドと呼ばれる人種の究極完成形。
術による感知はおろか――展開された領域の壁にすら阻まれることなく、その上で認識されることもなく、自由自在に出入りすることができる存在!
"術師殺し"とそう呼ばれた男の真髄を、癒えた屈辱をそっくりそのまま掘り返される激痛で以って思い知らされる憂き目に遭った。
「まあでも気にすんなよ、術師なんざ大体そんなもんだ。
持って生まれた力が強ければ強いほど、周りの有象無象がチンケな猿にしか見えなくなるんだろ? 山のように見てきたぜ、オマエらみたいな連中は。
だから安心しろアルターエゴ。オマエは何処に出しても恥ずかしくない、至って普通の、模範的な術師だよ」
「ほざけ猿がァァッ!!」
憤怒と共に、リンボの身体から爆発にも似た呪力が炸裂する。
逆鉾を引き抜いて飛び退いた甚爾は、憎たらしい笑みを浮かべながら悠々と回避。
しかも単に避けただけではなく、常人ならたちまち骨まで焦がされる熱の中に身を躍らせて瞬時に反転攻勢を仕掛ける。
どの道たかだか骨まで焼く程度の熱では、甚爾の肌すら焼けはしない。
リンボは口から胸までを真っ赤に染め上げながら、呪の濁流を祭具殿内部へすぐさま満たすことで彼の進撃を止めんとする。
武器庫呪霊を出そうものなら、すぐさま先の一戦でしたように呪殺を図る。今度は咄嗟に仕舞わせなどしない、一撃で、確実に、跡形も残さず祓ってくれる――
牙を剥いて猛る肉食獣に臆することなく、甚爾は手近な神像を蹴って中空から垂直方向に加速した。
焼き直しの足元潰しを無視し、新たな呪具など取り出すことなく釈魂刀を片手に、逆鉾を懐に携えながら襲う術師殺し。
「帳だけならともかく、領域まで展開したのは失敗だったな。
どこの誰が貼ったんだか知らねえが大気中の呪力量がとんでもねえ。
これだけ呪いで溢れた空間じゃ、流石の蘆屋道満サマも呪具の一つ二つは見落としちまうらしい」
「ンン、ンンンンン……! 赤ら顔でなんとも涙ぐましいことよ、流石は粗野な猿でありますなァ!!」
「そんなだからいつまでも二番手なんだよ、オマエ。一から十まで脇が甘えんだ」
有形無形を問わずすべて切り裂く釈魂刀の斬れ味に物を言わせた突撃が、リンボの術と呪を裂いてねじ伏せる。
閉所というロケーションに、不意打ちが成功していることの心理的アドバンテージ。
東京タワーでの交戦とは異なる二つの点を、甚爾は最大限に活用していた。
-
とはいえリンボもまた、流石に術師の最高峰。
自らの法衣の内より、異界のモノ……かの銀鍵の娘を思わす触手を無数に這い出させて、釈魂刀の柄とそれを握る手を絡め取らせる。
力比べで勝とうとは思っていない。
だがほんの〇.一秒でも稼げればそれで良し。
それだけの猶予があればこれしきの猿、笑えるほど容易く押し潰してやるぞと。
そう嘲笑を浮かべかけた、リンボであったが。
「いいぜ。欲しいならくれてやるよ、そんなもん」
「な――――ッご、ばあァァッ!?」
甚爾はリンボの策に一切付き合わず、片腕の拘束を外そうとすることすらなく。
無茶な挙動によって生じる体への反動を、生まれ持った肉体強度のごり押しでまたもや無視してそのまま踏み込み。
そして握り締めた拳を、嗤う肉食獣の右顔面へ――隕石の着弾が如き衝撃で、叩き込んだ。
予想外。
リンボの脳が驚愕と衝撃に揺れる。
この男は、呪具に頼らねば英霊に触れることもできない筈ではなかったのか。
だからこそあの弱い呪霊を体内に飼っていて、先の一戦では己にそこを突かれたのではなかったのか。
リンボの考えは正しい。
実際、甚爾は彼を徒手で殴ったわけではなかった。最後の踏み込み、時間にして一秒に遠く満たないその刹那の内に懐の逆鉾を取り出し、リンボの顔面と自らの拳の間へ投げた。
後はまず逆鉾を殴り、その勢いのままリンボまで拳を到達させれば。
拳の威力はそのままに、非才の身でもサーヴァントを殴り飛ばせる冗談のような手品が完成する。
「何だ、要らねえのか? じゃあ返してもらうぜ。特級の呪具は高えんだよ」
触手からこぼれ落ちた釈魂刀を握り直し、地面に向けてそのまま切先を振り下ろすが――リンボと刀の間に、ふ、と赤紫色の光球が浮かび上がった。
「涙ぐましいと言ったぞ、猿め」
光が爆ぜる。
祭具殿に収められた祭具神具のすべてを焼き払うだけの熱波が吹き荒れ、甚爾は踏み止まれずに壁際まで跳ね飛ばされた。
ペッと吐き捨てた唾には血が混じっている。
内臓まで届く衝撃と熱であったことを、その有機的な赤色が物語っていた。
ゆらり、と。
リンボが、蘆屋道満が立ち上がる。
その顔面は醜く潰れていたが、すぐさま肉が波打ち、骨が泡立ち、血が渦巻いて元の美顔の形を取り戻していった。
貫かれて飛び出した心臓を胸の内側に手で押し戻し、じゅぶ、ぐぢゅ、と艶かしい音と共に復元させていく様は根の国の情事と見紛うほどのおぞましさに満ちている。
「貴様も、あの薄汚い傭兵めも……弱者というのは皆同じですなァ、強者の鼻を明かすことにすべてを懸けている。
そもそも力も技も足りぬから届かぬのだというのに、一撃必倒なる夢物語をいつも夢想している。
そんなものでは。持つ者と持たざる者の差なぞ、決して埋まらぬというのに。
斯くも涙ぐましい努力を重ねているその間にも、刻一刻と差は開いているのだというのに!」
-
「話が長えよ。手短に言え、坊さんの悪い癖が出てるぜ」
「――解りませぬか? もはや遊びは終わりだと、そう申し上げているのですよ」
瞬間。
アルターエゴ・リンボの放つ魔力反応の大きさが、一瞬にして二段階は跳ね上がった。
さしもの甚爾も眉を動かす。
単なる一介のサーヴァントでは明らかに実現不可能な次元の、急激なる超強化。
霊基再臨? いや、違う。これはそういうものではない。似て非なるものだ。
「……オマエ、龍脈を」
「然り然り然りィ! 愚鈍に逃げ惑う間抜け共の目を縫い簒奪するなぞ、このリンボの手にかかれば朝飯前の児戯よ!!」
要石にして巫女にして神体たる北条沙都子の覚醒に伴い、リンボの霊基にもその力が流れ込んでくるのは自明。
故、この瞬間に伏黒甚爾の死は確定した。
「欲を言えば開帳の頃合には拘りたかったが、しかし考えてみればこれもなかなかおあつらえ向き。
小細工と道具に頼ってせせこましく戦う山猿に、先人として本物の力の何たるかを享受してやるのも一興であろう」
奪い取った龍脈の力が彼の継ぎ接ぎの霊基に接合され、いっそ雑なまでの端的さでアルターエゴ・リンボという存在をサーヴァントとは別次元の怪物に変じさせていく。
魔力。呪力。リンボというハイ・サーヴァントの中で常に沸騰していたそれらが、邪悪の神聖を帯びてドロドロに煮詰まっている。
一秒ごとに、悪逆無道の辺獄は哀れな法師のカリカチュアという在り方すらかなぐり捨てて別な存在に変わっていった。
リンボの背後から、九つの龍の白骨化した首が伸びた。
生命も魂も抜け落ちて久しいと分かる無残な白骨が、何故にこうも激しい存在感を持って見る者に畏れの念を抱かせるのか。
これは。
例えるなら、災厄。例えるなら、禍津。例えるなら、暗黒の太陽。
視れば、視られれば、たちまち網膜を焼かれ魂のすべてを呪い尽くされる空の亡哭。
百鬼夜行の果てに現れると言われる、すべての妖魔が逃げ惑う真の恐怖。
あるいは九つの頭を持つ、荒れ狂い生贄を欲する龍神が如し。
「さあ、さあ、終焉の時である!
逃げてもよいぞ、何処までも追いかけて喰ろうてくれる!
刮目! せよ! これなるは穢土に眠る龍を血肉とし再誕した、辺獄ならぬ地獄界――」
人類悪に至れぬことは既に周知。
何故ならこの身に人類愛なぞ、依然欠片もないのだから!
しかし、しかし、平安京と同じ轍を踏みはしない。
取り込んだ龍は完全に支配下。あのじゃじゃ馬のように反旗を翻される可能性は絶無。
今此処に、アルターエゴ・リンボは真に陥穽のない究極の神霊級霊基を手に入れるに至った!
「――――――――禍津日神・九頭竜新皇蘆屋道満! 地獄界曼荼羅大陰謀、その第二幕である!!」
禍津日神。
荒ぶる日の邪神の号を、不遜にも名乗り。
九頭竜の髑髏を戴冠した新皇として、此処に即位を宣言した。
-
リンボの、手が。甚爾に向けて静かに翳される。
今の彼が振るえる力は、もはやサーヴァントの次元に収まっていい範疇のそれではない。
猛威を振るう最強生物、空の彼方に消えた混沌の王、そのいずれにも決して見劣りせぬ異次元の存在。
故に伏黒甚爾は、どうあがいたとて逃げられない。
彼は術師殺し。術師を殺すことはできても、しかし神を殺した試しはない。
「……こりゃ、手に負えねえな」
諦めるより他はなかった。
脱兎の如く逃げ出したとて、天与の脚でさえ逃げ切れはしないだろう。
これはもはや、そういうものではない。
逃げればどうにかなるだとか、そんな穏当な存在ではないのだ。
小さく嘆息し、祭具殿の壁に背を凭れた甚爾。
その無様な諦めに、リンボは嘲笑の貌を浮かべ。
享楽と高揚のままに、彼の五体を四散させる極大の呪を突き出した右手に収束させた。
「愚かで矮小な殺戮人形よ。御陀仏、なさいませ」
甚爾が、この呪詛師を殺そうと思うならば。
唯一の好機は、最初に仕掛けた不意打ちだった。
彼処で命を断てなかった時点で、後はどの道こうなるしかなかった。
龍脈の力を事実上その手中に収めたリンボを、猿の一匹で狩るなど不可能。
故にこれは約束された、予定調和の詰みであり。
伏黒甚爾は毎度ながら損な役回りだと愚痴を吐き捨てながら、静かに辞世の句を詠んだ。
「今だ。やっちまえ、フォーリナー」
.
-
◆◆
「――イグナ、イグナ、トゥフルトゥ・クンガ」
感情が、曖昧だった。
時たま、自分という存在が分からなくなる。
それはまるで、乳に水を注いで薄めたように。
薄れていく。変わっていく。内側から、あるいは遥かな外側から、自分という存在を何かが曖昧模糊にしていくのが分かる。
それでも。
こんな姿、こんな容(かたち)になっても。
まだ、はっきりと覚えている記憶が、あった。
「我が手に銀の鍵あり。虚無より現れ、その指先で触れ給う」
私と同じ、金色の髪。
私と同じ、碧色の眼。
優しくて、強くて、料理が上手で、お話が楽しくて、いろんなところに連れて行ってくれた。
自分に姉がいたなら、こんな感じだったのだろうか。
一緒の布団で隣り合って眠る時、英霊らしくもなくわくわくしながらそう思ったのを、覚えている。
今も、ずっと。
そして願わくば、これからも。
ずっと忘れたくないと、こんな姿になってもまだ、私は祈っていた。
清貧は終わり。敬虔は穢れ。後はもう、目覚めの時を待つばかり。
そうなっても、まだ。
私は、あの人のことが、好きだった。
「我が父なる神よ。我、その神髄を宿す現身とならん」
笑い声が、聞こえる。
――どうして?
そう思った。
もう、あの人はいないのに。
あの人を奪ってしまった者の声が、する。
笑っている。楽しそうに。
悦んでいる。自分の罪など忘れたように。
-
次に、そうか、と思った。
この声の主は、あの色鮮やかな獣は、分かっていないのだ。
自分が踏みつけにした人が、どれほど愛されていたのか。
どれほど尊く、うつくしい人だったのか。
わかっていないから、こうして笑えるのだ。
であれば、そうだ。導いてあげなくてはならない。
憎むのでは、なく。憤るのでも、なく。
銀の鍵を託されしお父様の巫女として、かの救い難き魂を誘ってあげなければ。
「――薔薇の眠りを越え、いざ窮極の門へと至らん――」
――門が、開く。
少女の想いが、鍵穴を回す。
救いの形をした怒り。怒りを塗装して仕上げた、信仰のかたち。
救うべき衆生(てき)は、領域の内側。
領域を自在に出入りするなんて芸当が可能なのは甚爾のような例外のみだ。
しかし。少女こそは、銀の鍵。窮極の門へと通じる、生きた鍵そのもの。
門を介することによって、その存在と意思はあらゆる空間座標に顕れる。
再臨の進行は今だ成長途中。しかしそれでも、領域というごく小さな閉鎖空間への介入であれば決して難しいことではない。
「『光殻湛えし虚樹(クリフォー・ライゾォム)』!」
開かれる、門。
銀の燐光を帯びて輝く"それ"の開門に、リンボは一瞬――目を奪われた。
「これ、は……」
それほどまでの神秘。
邪智暴虐の獣でさえ目を瞠る美しさ。
しかしそれも一瞬のこと。
違う――違う違う違う! 理性が咆哮する、魂が喚き立てている。
これは。これは、そんな生易しいものではない!
視認する。理解する。それだけで精神を存在を魂を冒し、無限の彼方へ誘わんとする冒涜の神聖!
-
「ッ、ご――ぬ、ゥ、ゥウウウウウウ……! 小癪、小癪小癪小癪ゥッ。
考えましたな猿めが! 災厄(カミ)を鎮めるならば巫女を用立てる、ンンンン実に筋の通った思考で、あります、がァ……!!」
"門"から溢れ出したのは、触手の波濤。
かつて呪わしき殺人鬼は、そこに"手"を見た。
それは、決して間違った認識ではない。
この世そのものにまつろわぬ神々が差し伸べる"手"には違いないのだ。
たとえそれが、蛸や烏賊といった海洋生物に酷似した、艶かしく冒涜的に照り輝く触手の群れだったとしても。
「外なる神、何するものぞ!
真体が出張ってくるならいざ知らず、親の七光を翳すばかりの惰弱な巫女など!
この九頭竜新皇蘆屋道満を打ち砕くには、役者が足りぬわア――!!」
だが、だが。
リンボとて、今や神のきざはしに手をかけた存在。
自らを押し潰し、何処かへ誘わんとする導きの手を、力任せに押し退けて引き千切ってみせる。
呪われた村の血塗られた祭具殿が、両者の攻防の余波を受けて文字通り木端微塵に倒壊した。
挑むのは、伏黒甚爾。天与の暴君、殺戮人形。
そしてアビゲイル・ウィリアムズ。降臨者、銀鍵の巫女、そして仁科鳥子の忘れ形見。
「呼んどいてなんだが、見ての通り相当強えぞ。やれるか?」
「ええ……。勿論、やってみせるわ。あの人を導いてあげるのも、私の役割ですもの」
受けて立つのは――禍津日神・九頭竜新皇蘆屋道満。
「ハ。面白いことを言うものだ、この拙僧を導くと?
ンンンン子女の背伸びにしても分不相応。拙僧を導ける教義(おしえ)とはそれ即ち拙僧なり。
……しかし儂もかつては法師として世のため人のため尽くした身。
迷える哀れな子女をどれ、一つ。先立った片割れの下まで送って差し上げましょう!」
銀の鍵を用い窮極の門を開くというのであれば。
リンボは、それに対して禍津の門を開くことで対抗する。
この身この霊基の中で渦を巻く、自分自身にさえ桁の計り切れない膨大な力。
そのすべてを使い、神も猿も等しく屠ってみせよう。それに――
(理外の僥倖。拙僧を出し抜いたと思っているのでしょうが、笑止。
この欲深なリンボめが、一つ手に入れた程度で満足したとでもお思いか)
まだ、己は何も諦めていない。
("百年の累積"、"龍脈の力"。此処まで手に入った。此処まで集まった。
であれば初志貫徹、必ずや――貴様のそれも手に入れてみせようぞ、"窮極の門"よ。
この儂が、欠片程度簒奪しただけで満足だなどと笑止千万ッ)
欲望と執着をぎらつかせて嗤うリンボ。
彼は、気付いていなかった。
ひらり、と。その顔の横を、一片の桜花が横切ったことに。
-
神を僭称する邪悪。
その討伐に挑むのは、猿と巫女の二人だけではない。
リンボは、高揚のあまりにかまだ見落としていた。
自分の前にかつて立ち塞がり、野望を頓挫させた女。
神々の地で原初神を斬って消え、それでもこんな辺境の時空まで自分を追って現れた剣狂いの存在を。
見落としていたからこそ、彼は。
「――――何?」
三度目の瞠目という無様を晒す。
神を名乗るに相応しい強度を有する筈の、その右腕が。
桜の花弁が通り過ぎる軌道に合わせて、寸断されたのだ。
それ自体は大した損傷でもない。一秒もあれば癒せる程度の傷に過ぎない。
問題なのは、そこではなく。
卓越した術師であり、今や災厄そのものの力を宿すに至っておきながら――その自分が、斬られるまで攻撃されたこと自体認識できなかったということにこそ、あった。
「ずいぶん大層な肩書きを名乗っているみたいだけど。力に驕るあまり、前にも況して鈍ったんじゃないかしら」
-
◆◆
アビゲイルの報告を受けて、伏黒甚爾はすぐに動いた。
方向的に彼女が言っているのは品川の方だと分かったから、甚爾の足ならばそれほど時間もかからない。
そして判明した事実が一つ。
品川区。その全域を囲うようにして、何者かの手で結界が貼られている。
帳、と甚爾はそう言った。
外からの侵入を無条件に拒む、非常に強力な檻であると。
此処まで割れれば、必然的に術者の正体も見え透いてくる。
術師殺しである甚爾にこうまで言わせるほどの術師など、そうはいない。
健在だった頃の峰津院大和ならば可能かもしれない、それほどまでの大結界。
その用途はすぐに思い浮かんだ。
外敵の侵入を拒むというのは、即ち中に入られたくない理由があるということ。
例えば、傷を癒すだとか。何かの準備をするだとか。そういう理由だと想像できる。
そしてその点、甚爾達は目の前で結界の主と推定される人物が致命傷を負うのを見ていた。
殺しても死なないを言葉通りの意味で体現するような怪僧だが、本体をああまで傷付けられてはそう容易く再生などできない筈だ。
更にアビゲイルの言った、かの地から漂う奇妙な気配。これも、あの怪僧が一枚噛んでいるとすれば合点が行く。
この界聖杯に集められたサーヴァントは数居れど。
こと悪巧みをすることにかけて、アレ以上に貪欲な輩はそう居まい。
以上をもって、甚爾達はこう結論づけた。
品川区に、アルターエゴ・リンボがいる。
傷を癒しながら、次の何かをしでかす準備をしている。
そして、そうと決まれば選択肢は一つしかなかった。
甚爾はともかくとして、そのマスターにとっては……やるべきことは一つだったのだ。
「……負けないでよね。中から出てきたのがあのクソ坊主だったら、あんたら二人纏めて呪い倒してやるから」
領域の内側は、敵の腹の中のようなものだという。
だからこそ、空魚は品川と港区の境界に立って二人の帰りを待っていた。
本当なら、直接この目でリンボの死に様を見たかった。
鳥子の仇。八つ裂きにして内臓をすべて引きずり出しても飽き足らない怨嗟を、空魚はかの肉食獣に対して燃やしている。
サーヴァントは殺しても死体が残らない。それをこうも惜しいと思う日が来るとは思わなかった。
血が出るほど強く拳を握り締めながら、今頃中で始まっているだろう戦いに思いを馳せる。
――此処での私は、どこまで行っても役立たずだな。
改めてそう思わされ、無性に自分の弱さに腹が立った。
<裏世界>の冒険ではいつだって自分達が主役だったのに、此処じゃまるで添え物だ。
-
あの世界に帰りたい。
あの、青くて恐ろしい世界に。
死ぬような思いを何度もしたのに、それでも気付けば恋しくなっている。
もしかしたら自分も肋戸のように、既に<あちら側>の狂気に冒されてしまっているのかもしれない。
――でも。
――だとしても。
「……いいよ、それでも」
狂っていたって、いい。
それでも、帰りたいのだ。あの日常に。
鳥子が居て、一緒に未知を求めて二人だけの世界を冒険する。
日常に帰ってきたら騒がしい後輩や怖がりなお姉さん、クソ生意気なJKなんかに囲まれてあれこれ騒がしい日々を過ごすのだ。
あの日々を取り戻せるのなら、空魚は正気だろうがなんだろうがすべて捨ててやる覚悟だった。
アルターエゴ・リンボ。あの嘲笑う怪僧を殺すのは、その第一歩だ。
「やっちゃってよ、アサシン。
ぶちのめしてこいよ、フォーリナー。
……あんなクソ坊主、欠片一つ残さずすり潰しちまえ」
負けないでね。
そう言われたから。
負けんじゃないぞ。
そう祈る。
鳥子を穢したあいつなんかに。
鳥子を殺したあいつなんかに。
鳥子を奪ったあいつなんかに。
絶対に負けるなと、心から空魚はそう願っていた。
たとえ蚊帳の外でも、きっと何もしないよりはマシだと信じて。
らしくもなく手を合わせる背中に、ふと。
声が、かかる。
「もし、そこのあなた」
女の声だった。
振り向いて、ぎょっとする。
そこに居たのは、あまりに異色な二人だったから。
多刀を携えた女侍。そして白髪の、身体中から花を咲かした小さな少女。
「そこの孔、あなたのサーヴァントが開けたのかしら」
「あ……は、はい。えっと、今この中でリンボっていうめちゃくちゃ悪い奴が悪巧みをしてて」
「――そ、ありがとう。これ、使わせてもらうわね」
はっきり言って、ぞっとしなかった。
何しろ今の自分は丸腰で。
頼みの綱のサーヴァントは結界の中へ投入している状態だったから。
しかし、女侍にも桜の少女にも空魚への敵意らしいものは一切見られず。
結果、空魚は彼女達が帳の内側、領域の中へと入っていくのをただ見届ける形になった。
――あいつらも、リンボを狙ってるのか……?
だとしたら、ますます因果応報と呼ぶ他ない。
今まで好き放題やって来たツケだ。
誰も彼もから、大切なものを奪って嗤ってきた奴に年貢の納め時がやって来たんだろう。
「……ま、私もそれをやろうとしてるわけなんだけど」
自嘲するようにため息をついて、空魚はその場にあぐらをかいて座り込んだ。
自分にできることはない。もう後は、シュレディンガーの猫箱だ。
最後。此処から出てくるのが、リンボかそれ以外か。
リンボの敗北と自軍の勝利を祈りながら、空魚は空を仰いだ。
――見てるか、鳥子。
――おまえの遺言、ちゃんと守るからな。
そう呟いた声は、果たして。
今は遥か彼方の彼女に、届いたのだろうか。
-
◆◆
彼女の存在を認識できなかったのは、何もリンボだけではない。
アビゲイルも、甚爾も同じ。
リンボの腕が落ちるまで、誰一人気付けなかった。
彼女は――それほどまでに速く、それでいて鋭かった。
吹く風に輪郭を見出すことができないように。
そのあまりの冴えを、誰もが盲点に置いてしまった。
甚爾は驚きを。アビゲイルは「まあ。速いのね」と微笑みを。
そして斬られたリンボはと言えば、納得したように切り落とされた右腕を見つめていた。
「…………………………そう、か」
最初は、静かに。
次の瞬間には、高らかに。
「そうか、そうかそうか、そうかそうかそうか! なるほどそうでなくては甲斐がない!
獣国を越え神々の海を越え、星間都市にまで乗り込んで尚取り逃したのですから!
ようやく追い付いたかと思えば、既に無辜の子女が一人荼毘に臥した後!
そろそろこの怨敵を討ち果たさなくては、魂まで汚名で錆び付くのは確かに自明か!!」
嗤う、嘲笑う、リンボ。
いや、敢えて此処はこう呼ぼう。
異星の使徒、三体のアルターエゴが一角。
亜種並行世界の下総国で宿業をばら撒き厭離穢土の大呪法を成就させ、蓮の台地では孤独な神を誑かし。
神々と人が共存する星間都市山脈にあってさえ、変わらず揺るがず嘲弄と悪意を囀り続けた美しき肉食の獣。
英霊剣豪を斬り、原初神をも斬り伏せた一人の剣士が。
ついぞ最後の最後まで、仕留めること叶わなかった宿敵。
龍脈の力を取り込んで肥大を極めた霊基は、もはや下総で見えた時の比ではなく。
二度の混沌斬りを成し遂げた剣士(かのじょ)でさえ、正面切って相手取るには手に余る相手と言う他はない。
されど。
女は、ただ涼やかに笑っていた。
肌を刺し、魂を侵す禍津日神の邪視を受け流しながら。
いや、その鋭く研ぎ澄まされた佇まい一つで斬り伏せながら。
桜の花弁を、はらりはらりと舞い散らせて。
因縁、醜悪なる汚穢の化身。
九頭竜の骸を背負い牙を剥く暗黒の悪玉。
悉く喰らい尽くす闇の前に凛と立つ、美しきその面影は――まさに夜桜の如し。
-
「ならば善し! 昏き陽の下に、因縁三種纏めてぺろりと喰ろうてくれようぞ!
はは、はははは、ふはははははははは――――!!」
膨張する、神の影。
雛見沢に昏き陽が昇る。
オヤシロさまに非ず、笑覧する上位存在にも非ず。
新たな信仰の神像が、世界を終わりに導く悪意の化身が、高らかに産声をあげる。
"術師殺し"が釈魂刀を構えた。
"銀鍵の巫女"が、静かに無数の蝙蝠を顕現させた。
そして"真打柳桜"は、満開のままに抜刀する。
「貴方のことは心底嫌いだけれど、此処まで永い因縁になったんだもの。
そこに関してはまあ、多少は思うところがないわけじゃないわ」
方舟の少女を殺し。
梨花の親友を利用し、自分の欲望を満たそうとするリンボに憤る境地はもう過ぎた。
何しろ相手は悪逆の獣である。
人類悪にさえなれない愛を知らぬこれにいちいち怒っていたら日が暮れる。
「でもね。貴方がいつまでものさばってたら、"あの子達"が笑えないのよ」
だから。これは義に基づく戦いではなく。
昏き陽の下にて行われる、あの時の焼き直し。
欲を言うならば一対一が良かったが、そこは龍脈などという反則技に頼っているのだからおあいこだ。
勝者は進み。敗者は命を失う、屍山血河の御前死合。
「斬らせて貰うわ、アルターエゴ・リンボ。悪逆なりし蘆屋道満。新免武蔵の名において、宿業両断仕る――!」
――いざ尋常に。
――勝負。
.
-
◆◆
「やっぱり、いいところですわねえ。
東京の細々した町並みと濁った空気に慣れた今じゃ、余計にそう思いますわ」
昏き陽に照らされて、豊かな自然と古めかしい情景がレリーフのように浮かび上がる。
それを丘の上から見下ろしながら、北条沙都子は微笑んだ。
最初から好きだったわけじゃない。
辛いこと、苦しいこと。たくさんあった。
意地悪な叔母に虐められて、大好きな兄が消えてしまって。
お買い物に出かけて小銭を零しても、誰も拾うのを手伝ってくれない。
そんな寂しい時間はしかし、いつしか過去のものへと変わっていて。
あの昭和58年6月、永遠に繰り返した運命の終点を乗り越えた後には、そんな苦しみも寂しさも影も形も残らず消えてしまった。
辛い記憶は、消えないけれど。
此処には、そんなことお構いなしに自分を楽しくさせてくれる仲間がいる。
いつまで一緒にいたって飽きることのない、最高の仲間達。
彼らとこの美しい村で永遠に過ごせたのなら、それに勝る幸せなどこの世にあるものか。
たとえ、時を繰り返してでも。
楽しい時間の行き着く先が、必ず惨劇になってしまうとしても。
そうまでしてでも留まり、しがみつく価値のある時間が此処にはある。
沙都子は、そう信じている。だからこうして、時の止まった雛見沢を作り上げたのだ。
「……私ね、雛見沢が大好きなんですのよ。
不思議なもので、村を離れて初めてそのことに気付きましたの。
見慣れた風景も、古臭いと思っていた家々も、今時の娯楽なんてさっぱり流れてこない時代遅れぶりも。
全部、ぜんぶ、懐かしくて堪らなかった。帰りたくて、戻りたくて……独房の中で毎日気が狂ったみたいに泣いていましたわ」
固有結界。
あるいは、領域。
永遠不変の雛見沢。
やがて世界のすべてを塗り潰す、閉じることのないノスタルジア。
そんな中に、北条沙都子は立っていた。
黒灰の浄衣は、神に傅く者の聖性を意図して歪めたような冒涜感に溢れている。
淫らさすら感じさせる、蠱惑の装い。
触手と異形の虫に群がられ、あるいはしがみつかれて。
過去の防人、異界の巫女。庭園の主、社の神として――降臨/君臨する。
「楽しい時間はいつか終わるもの。
私達の部活だって、魅音さんが卒業してしまってからは退屈で味気ないものに落ちぶれてしまいました。
だからきっとこれは、どうしようもないこと。人間が生きていく上で、決して縁を切ることのできない苦しみなのでしょう。
だけど私、あなたも知っての通り子どもですの。わがままなんですのよ。
仕方ないことなんだから諦めろだなんて、そんなことで……納得して堪るものですか」
人にはそれぞれ、思い描く未来のかたちがある。
たとえ道が分かたれても、時間のすべてが無駄になるわけではない。
誰かの旅立ちを、自分の価値観で否定してはいけない。
で、だから?
-
沙都子は、そんな道徳の時間みたいな正論に耳を傾ける必要など毛頭なかった。
かつて。人だった頃の彼女は、親友の気持ちと決定に寄り添った。
雛見沢を出て、外の世界を見てみたいというその気持ちを尊重した。
結果は、後悔だけだ。その後悔は巡り巡って、彼女を人ではなくした。
もう、"人間"の北条沙都子はどこにもいない。
"魔女"の北条沙都子は、寄り添うのではなく囚えることで親友に未来を諦めさせようとしたが。
此処で佇み、微笑み、想いを吐露するこれはあいにくもう魔女ですらなかった。
絶対の意思が、未来を紡ぐ。
気高く強い願いは、必ず現実となる。
少女は、神になったのだ。
力の大きさに耐え切れず、リンボの苗床になる未来すらあったろうに、彼女はそれを乗り越えた。
神は、理不尽なものだ。
だからもう、神たる沙都子は"諦め"すら求めない。
「ですから私は、私達の夏を永遠にしてみせますわ。
私達が、一番私達らしくあれたあの夏を。
毎日遊んで、遊び倒して、明日になってもまた楽しい時間が始まるばかりだった六月を、永久に遊び尽くすんですの。
くす、どうかしら。考えるだけで、わくわくしてきませんこと?」
くるくると、期待を堪えられずに舞い踊りながら。
沙都子は、新たなる神は、自分の前へ戻ってきた"彼女"を見た。
粘ついた視線は虚ろな妖艶さを孕んでおり、かつての沙都子のそれとは明らかに異なった異彩を放っていたが。
かく言う"彼女"の方もまた、以前鬼ヶ島で邂逅した時とはかけ離れた姿に変貌していた。
白い髪、白い肌。
身体中から咲いては散る、桜の花。
瞳にまで花弁を浮かべ、一人立つ姿は異様の極み。
しかし。しかし――その両目に宿る意思の光だけは、沙都子が知っている"彼女"のままだ。
「ねえ――梨花?」
「……ええ、そうね。
私だって、腐っても部活メンバーだもの。
分かるわ。それはきっと、とても楽しい世界。
だけど夢見心地なんて優しいものじゃない。毎日怒涛のような勢いで遊んで、笑い合って、そうやって過ごす……楽しいことしかない世界」
「そう、そうなんですのよ。
だから梨花、私と共に行きましょう?
あなたがこの手を取ってくれるのなら私、嬉しくて嬉しくて、もうなんだってできそうですわ」
永遠に終わらない部活。
それは、さぞかし楽しいことだろう。
あの最高の仲間達と過ごす以上に退屈しないことなんて、そうそうあって堪るものか。
そこについては、梨花だって異論はない。――けれど。
「馬鹿沙都子。やっぱりあんた、何も分かってないわ」
-
「……梨花?」
「あんな胡散臭い坊主に唆されて、そんなものに成りさらばえて。
酔っ払ったみたいなこと言うのはやめなさい。此処の――これの、どこが私達の雛見沢なのよ」
だからこそ、認められないのだ。
あの夏が尊く楽しいものだったことに同意するからこそ、沙都子の世界(ユメ)を認められない。
否定する。あんたのそれは叶えちゃいけない夢だと、正面切って否を突きつける。
「私とあんたが生まれ育った村に、あんなものはあった?」
昏き太陽が、照らしている。
禍々しい、人を不幸にしかできない不吉の象徴が。
嘲笑うように光を放って、雛見沢の景色を下品な薄闇に染め上げている。
「私達が毎日駆け回った村は、こんなに静かだった?」
人など、一人としていない。
まるで村の模型を、無理やり原寸大のサイズまで巨大化させたみたいに虚ろな村。
それに。古手梨花と北条沙都子が今も愛するあの夏を再現したというのなら、そこには絶対的に足りないものが一つある。
静かすぎる。そう、"この"雛見沢は静かすぎるのだ。
「ひぐらしの一匹も鳴いていない、この陰気な村の――いったいどこを指して、あんたは雛見沢だなんて騙っているのよ」
「あら。梨花には聞こえませんの? こんなに賑やかに鳴いているじゃありませんの。ほら、カナカナと」
鳴いている。
ひぐらしが、鳴いている。
蝉の声が、今も沙都子の耳には聞こえ続けている。
何故なら此処は彼女の領域だから。心象風景だから。
けれど梨花には、そんなものは一切聞こえなかった。
聞こえるとすれば、それは。
沙都子が纏う、邪なる浄衣に付着した異形の羽虫が奏でる羽音だけ。
「何も聞こえないわ。そして、何も見えない。
あんたが馬鹿みたいに信じてる幸福な未来なんて、この穢らわしい世界のどこにも見当たらない」
叫ぶと同時に、梨花は悔やまずにはいられなかった。
此処が、沙都子の描いた世界だというのなら。
この子は一体、どれだけ追い詰められてきたのだ。
こんなに壊れてしまうほど、あの学園での日々は辛かったのか。
こうなる前に、いくらでもやりようはあった筈なのに。
手を引っ張って、無理やりにでも連れ出して。
膝を突き合わせて話しでもしていれば、こんな――自分で自分の宝物を穢してしまったみたいな、悲しい領域(カケラ)なんか見なくても済んだ筈なのに。
-
「……一緒に帰るわよ、沙都子」
……、それは。
きっと、もう叶わない話だ。
それでも梨花は、沙都子にそう言った。
もっとも嘘をついたつもりなんて毛頭ない。
絶対の運命に百年殺され続けて、それでも折れなかった女だ。
死の運命なんて、なんとかしてねじ伏せてやる。
そんでもって、二人揃って本物の雛見沢に帰るのだ。
そのために。そんな夢を叶えるために、今、古手梨花は此処に立っている。
神を名乗る、すっかり悪役が板に付いてしまった馬鹿な幼馴染を一発引っ叩いてやるために、こうして咲いている!
「あんたが馬鹿なことはよく分かった。
だから、心ゆくまで付き合ってあげる。
あんたが嫌になっても離れてなんてあげないんだから。観念して、私の手を取りなさい」
「――、――――ふ。
手を取れ、と言っているのは私の方ですのに。梨花ったら、相変わらずの頑固者で困りますわね」
「当たり前でしょ。鷹野とあんたが寄越してくる性格悪い惨劇に、こっちは何百何千と殺されてきたのよ。
普通の人間なら、とっくに諦めて運命に屈してるわ。
こんな頑固でわからず屋な私を、どうしても頷かせてやりたいっていうのなら」
「ええ、そうですわね。相手に言うこと聞かせたい時にやることなんて、私達には一つしかありませんわ」
互いに、今や徒花。
神を名乗る異界の食虫花と、神に挑む夜桜。
身も心も人ではなくなった、雛見沢という箱庭の虜囚ふたり。
けれど。
されど。
彼女達はそんな大層な存在である以前に、雛見沢分校の部活メンバーなのだ。
「決着をつけましょう、沙都子」
「もちろん望むところですわ、梨花」
勝敗を決めるなら、やるべきことはただ一つ。
部活だ。それで雌雄を決し、負けたら罰ゲーム。
-
時間が動いていようが、止まっていようが。
ひぐらしが鳴いていようが、鳴いていまいが。
過去に囚われていようが、未来を見据えていようが、関係などない。
部活メンバーが集まって、睨み合ったのならそれ即ち勝負の合図。
少女達は――――鬼へと変わる。
「此処は私のホームグラウンド。
私の夢と、希望と、あなたへの想いが詰まった幸福の箱庭。
をーっほっほっほ! 此処で負けるようなことがあればその時は、勉強でもお説教でも、梨花が満足行くまで付き合ってあげますわ!!」
「……ええ、そうね。
自分の庭なら特殊部隊さえ圧倒できるあんたに挑むなんて、我ながら正気の沙汰じゃないと思うわ。
けれど部活は部活。魅音の決めたルールに従って、負けたら私もあんたに従ってあげる。
いつまでも一緒にいてあげれば、それで満足なんでしょう? 付き合おうじゃないの、心行くまで」
「あら。怖気づきましたの?」
「まさか」
梨花の右手に、花吹雪が渦を巻く。
そこから姿を現したのは、双方にとって見覚えのある剣だった。
神剣・鬼狩柳桜。繰り返す者を殺す一振り。
もちろん、これは単なる贋作。記憶を頼りに形作らせた張りぼてでしかない。
けれど――
「燃えているのよ。言ったでしょう? 私だって、あんたや皆としのぎを削った部活メンバーなんだから」
今、此処で。
沙都子と相対するには、これが一番相応しいと思った。
勝負をするなら、相手に負けを認めさせなければならない。
だからこそ、繰り返す者を殺す……北条沙都子にとっての敗北条件そのものな神剣の形を選んだ。
そんな梨花に、応えるように。
沙都子が生み出したのは――拳銃。
「さあ」
「さあ」
神剣と。
拳銃が。
今、向かい合って――
「「私達の部活を、始めましょう」」
――少女達の勝負が、始まった。
-
【品川区・奈落の夢=『禁忌停滞庭園 雛見沢』/一日目・午前】
【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:『異界の巫女』
[令呪]:残り二画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬、地獄への回数券
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:――勝つのは私ですわ。
[備考]
※龍脈の欠片、アビゲイルの触手を呪的加工して埋め込まれました。何が起こるは未知数。
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:夜桜の瞳、右腕に不治(アンリペア)、念話使用不能(不治)、夜桜つぼみとの接続
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:――いいえ、私よ。
1:沙都子を完膚なきまでに負かして連れ帰る。
2:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
3:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
4:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。
7:私の、勝利条件は……?
[備考]
※ソメイニンを大量に投与されました。
古手家の血筋の影響か即死には至っていませんが、命を脅かす規模の莫大な負荷と肉体変容が進行中です。
皮下の見立てでは半日未満で肉体が崩壊し死に至るとの事です。
※拒絶反応は数時間の内には収まると思われます。
※念話阻害の正体はシュヴィによる外的処置にリップの不治を合わせた物のようです
※瞳に夜桜の紋様が浮かんでいます。"開花"の能力に目覚めているのかは不明です。
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【品川区・奈落の夢=『屍山血河舞台 雛見沢』/一日目・午前】
【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:『禍津日神・九頭竜新皇蘆屋道満』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:いざ、いざ! ――昏き陽の下に!!
[備考]
※龍脈の力を沙都子経由で取り込み、霊基再臨を果たしました。
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:"真打柳桜"、ダメージ(大)、魔力充実、令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』、第三再臨、右眼失明
[装備]:計5振りの刀(数本破損)
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:かかってきなさい、悪縁!
1:梨花を助ける。そのために、方舟に与する
2:宿業、両断なく解放、か。
3:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
4:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※古手梨花との念話は機能していません。
※アーチャー(ガンヴォルト)に方舟組への連絡先を伝えました。
また松坂さとうの連絡先も受け取りました。
※梨花に過剰投与されたソメイニンと梨花自身の素質が作用し、パスを通して流れてくる魔力が変質しています。
影響は以下の通りです。
①瞳が夜桜の"開花"に酷似した形状となり、魔力の出力が向上しています。
②魔力の急激な変質が霊基にも作用し、霊骸の汚染が食い止められています。
③魔力の昂りと呼応することで、魔力が桜の花弁のような形で噴出することがあります。
【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基再臨(第二)、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:導いてあげるわ、美しい獣さん。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。
【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:全身にダメージ(小)、腹部にダメージ(小)、肋骨数本骨折、マスター不在(行動に支障なし)
[装備]:『天逆鉾』、『釈魂刀』、武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等(拳銃はまだある)
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:オマエはそう選んだんだな。なら、俺もやるべきことをやるだけだ。
1:正念場だな。
2:あの『チェンソーの悪魔』は、本物の"呪い"だ。……こいつ(アビゲイル)もそうか?
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
※天逆鉾により紙越空魚との契約を解除し、現在マスター不在の状態です。
ただしスキル『天与呪縛』の影響により、現界に支障は一切出ていません
-
【渋谷区(中心部)/二日目・午前】
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、???
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:来るか――猗窩座。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:新生、覇気による残留ダメージ(程度不明)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:殺す
[備考]
※武装色の覇気に覚醒しました。呪力に合わせて纏うことも可能となっています
※頸の弱点を克服し、新生しました。今の猗窩座はより鬼舞辻無惨に近い存在です。
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【渋谷区(西部)/二日目・午前】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(小)、ガンヴォルトと再契約
[令呪]:残り1画
[装備]:"割れた子供達"の短刀
[道具]:最低限の荷物、ヘルズクーポン複数枚
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:こいつは、確か――
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
2:皮下真に対する強い警戒。
[備考]
※ガンヴォルト(オルタ)と再契約しました。
※神戸あさひの死体から複数枚のヘルズクーポンを回収しています。
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:胴体にダメージ(小)、斬撃の傷跡(複数)、疲労(中)、クードス蓄積(現在8騎分)、さとうと再契約、令呪の縛り
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女"シアン"の声を、もう一度聞きたい。
0:――キミは。
1:方舟には与しない。しかし、手を組める場面では共闘する。
2:さとうを護るという、しょうこの願いを護る。今度こそ、必ず。
3:皮下真とライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
[備考]
※"自身のマスター及び敵連合の人員に生命の危機が及ばない、並びに伏黒甚爾が主従に危害を加えない範疇"という条件で、甚爾へ協力する令呪を課されました。
※松坂さとうと再契約しました。
※シュヴィ・ドーラとの接触で星杯大戦の記憶が一部流れ込んでいます。
※新宿区に落ちてたミラーピースを回収してます。
※セイバー(宮本武蔵)に松坂さとうへの連絡先を伝えました。
また方舟組の連絡先も受け取りました。
※方舟陣営とどの程度情報を交換し合ったかは後のリレーに御任せします。
[ステータス関連備考]
※クードスの蓄積とミラーピースを介した"遺志の継承"によって霊基が変化しました。
①『鎖環』での能力が限定的に再現されています。
②クードスに関連して解放された能力が『電子の謡精』を除いて自由に発動できます。
これに伴い『グロリアスストライザー』もクードスを消費せず、魔力消費によって行使できるようになりました。
③強化形態への擬似的な変身も可能となりますが、魔力消費が大きいため連続発動は難しいです。
『電子の謡精』による強化形態との差異は現時点では不明です。
④シュヴィ・ドーラから受信した『大戦の記憶』により、解析能力と出力の向上が生じています。 ※New!
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:『謡精の歌』(解析が進行中)
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:――もう大丈夫。手を汚せる
1:"蒼き雷霆"の抹殺。
2:戦場を監視し、状況の変化に即応できるようにしておく。
3:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
4:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
5:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
6:セイバー(宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。
※『蒼き雷霆』とのせめぎ合いの影響で、ガンヴォルトの記憶が一部流入しました。
※歌が聞こえました。GVのスキル、宝具の一部を模倣、習得しつつあります。現在は解析能力の向上などに表れています
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【中央区・廃墟/二日目・午前】
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:さあ、始めようぜ。
1:綺麗だよ、クソガキが。
2:クソ坊主の好きにさせるつもりはない。手始めに対抗策を一つ、だ。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で"あの日"をやり直す。
0:もう迷いはしない。
1:敵主従の排除。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は"記憶"として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。
【???/二日目・午前】
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(大)、疲労(大)幻覚(一時的に収まった)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:"七草にちか"だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:勝つ。
1:………きっと最期に戦うのは、『彼』だ
2:次の戦いへ。どうあれ、闘わなければ。
3:もしも"七草にちか"なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
[備考]プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。(現在はなりをひそめています。一時的なものかは不明)
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【中野区・デトネラットのビル→???/二日目・午前】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、サーヴァント消滅、肉体の齟齬(9割方解消)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さあ、行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
3:禪院への連絡。……取り込み中か?
4:峰津院財閥の解体。既に片付けた。
5:以上二つは最低限次の荒事の前に済ませておきたい。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
血(偶像)のホーミーズを造りました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。今は田中に預けています
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。後少しで完調します。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:永遠なのは、きっと愛だけ。
1:――いってきます。
2:とむらくんについても今は着いていく。
3:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
4:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:帰ってスマブラがしたい
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
2:こいつ、マジでな……人の心とかねえのか?
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、半身に火傷痕(回復済)、精神的動揺(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(4発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×3
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中■■(プルス・ケイオス)』。
0:?????
1:敵連合に全てを捧げる。死柄木弔は、俺の王だ。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
※血(偶像)のホーミーズを死柄木から譲渡されました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。
死柄木曰く「それなりに魂を入れた」とのことなので、性能はだいぶ強めです。
実際に契約関係にあるわけではありません。
-
以上をもって全編の投下を終了します。
カイドウさんだけ出番がありませんでした、キャラ拘束申し訳ありません……!
-
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)、北条沙都子&アルターエゴ(蘆屋道満)、紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)予約します
-
投下します
-
◆
─────────重大な事実めいて言うまでもない話だが、どだい私には荷が勝ちすぎているのだ。
定位置は1番じゃなくて2番目か3番目。
リーダーとして矢面に立たされる面倒さは避けて。提示された話題を、時に歯の浮くぐらいのいい形にまとめるのは任せて。
かといって全部を全部投げなんてせず、足りないところ、支えるところを俯瞰して見れる、丁度いい立ち位置。
引っ込みがちな子に出番を振ったり、まとめ役がまとめに入れるように話をスムーズに回してあげる調整役。
影の参謀。ダークヒーロー。そういう風に星色になった瞳で名付けられたりしたこともある。
そういうのが、あの中で築いた、私に最も性の合ったポジションだった。
なので───そういうのじゃない、率先してみんなを引っ張っていかなくちゃいけない立場に置かれるのは、やっぱりストレスになるものなので。
話をするのに矢面に立つのも、渡されたプレゼンをよく噛んで味わって、上手く立ち回れるよう交渉するのも。
疲れる。苦労する。ぜんぜん、向いてない。
……メンバーをシャッフルした時は、好き勝手にあちこち行くのを止めて誘導したり、それを眺めて微笑まれたりと、なんかそういう扱いにされたけど。
少なくとも好きじゃないし、いつもやりたいわけじゃないからねってのは、強く断っておきたい。
だいたいここでやってきたのだって、近くでやってた人のまねっこだ。
一ヶ月間、私室の机で黙々と作業しているのを横目で眺めて、気になった事を気まぐれに質問したのを皮切りに始まる『講義』。
文書偽造の手順は教えられないけど、これをするとこういう効果を得られるのですとか。
今見せたのはこういうテクで、こうしたい目的がある時に有効ですとか。
思考の急激な変革や高度な技術取得を必要としない、即興でもできる手段については、細やかに、分かりやすく、丹念に教えられたから。
始めから講義のつもりで聞くのは必要と思っても億劫に感じてしまう質だけど、あえてこっちが興味を持って車で待って、質問に答えながら範囲を広げて講義に展開していくやり口。さすが教授。
今にして思えばそれは、『自分がいなくなった後も上手くやっていけるように育成する気だった』のだろうと。
そんな気はしていたし、そうなってると気づいてからは、意識してあの人の影を追うようにまねっこをしてきた。
でもやっぱり、案の定。
適正があろうが能力があろうが、向いてないものは向いてない。
積もりに積もって弱ってたところに注目度MAXでかかった負傷(ダメージ)が、精神(メンタル)の残量を一撃でゼロにした。
メランコリーが状態化するぐらいさんざん打ちのめされてきて、過去のライブに例のない大敗北をかましても。
痛くてもまだやるぞって。もう無理ーにはしないって頑張ろうとして、真っ先にアイドルらしく歌った仲間が。
崩れて。
潰されて。
捨てられて。
色を失った私の過去が、ガラガラと崩れる音を聞いて。
塔の上から背中を押し出される衝撃を食らって、私は落ちている。
-
落ちている。
落ちている。
真っ逆さまに墜ちている。
上も下も真っ暗闇で。
景色は何も見えない。
上が見えないのは夜だからか。下が黒いのは海だからか。
いま目を閉じているのか、瞑っているのかも区別がつかない。
大火の手も星光も届かない、真夜中の都会。
落ち続けている中で思うのは、墜落による恐慌とは違う。
身を切る風の冷たさと寒さ。
傍に誰もいないまま堕ちていく事への、寂しさだ。
これは私の情景ではなく、『彼』の中にある■のイメージビデオ。
私が会った彼の終着。国中で嫌われて憎まれて、それだけの事をやってのけたある犯罪者。
『その後』を知らない彼の最期は、最愛の友と対決し、真意を見抜かれてなお歩み寄る友を見上げての訣別だった。
私は彼を知っている。
一番の友達を差し置いて何でも知ってるなんて不躾は侵さないけれど。一ヶ月、奇妙な距離感ながら一緒に暮らした長がこっちにはあるんで、ちょっとだけ出過ぎたことを言ってしまう。
何でも上手くできるのに、何でも頑張っちゃうから、誰かがいないとすぐボロボロになってしまう頑張りすぎ屋さんだって、知っている。
───救いのない結末を見せられるのは、こんなにも辛いものなのさ。
着水までの一秒が耐えがたい永遠に感じられる。
墜落までの一秒が目を背けたい刹那に感じられる。
そして。
時間の感覚もなく、見ながらにして体感する果てのない落下で、私の手は掴まれていた。
指先に力を込めると握り返される。寒さを和らげてくれる暖かさと一緒に。
ああ、そっか。
そういえば、そうだった。
これがあの人の記憶なら、最期に待ち受けるのは孤独なんかじゃない。
だって星は、みんなよりもその人を照らしてあげたくて、一緒に空から堕ちてくれたんだから。
■
-
夢は覚めた。
水底へ沈む数秒を飴みたいに引き伸ばした長い時間、浅い昏睡から起こされる。
瞼は重い。頭は痛い。指先だけが、はっきりとしている。
寝ているのも起きているのもどっちも億劫になる怠さを振り払って目を開けると。
「摩美々ちゃん……」
私を見て震えている、青い世界と重なった。
「きり、こ」
早速、しくじる。
会えたら、久しぶりー、100年ぐらいーっ?て、重さを見せず、いつもの薄笑みで振る舞おうと決めていたのに。
繕えないぐらい弱ったところを、よりによって霧子に見せてしまった。
ぎゅっと手を握ってか細く震えた仕草は、回転しきってない寝ぼけ頭でも心労の程を想像できてしまう。きっと良くない再会の仕方をしちゃったのだろう。
「私……どれぐらい寝て───」
「あ……まだ寝てていいよ……もう危なくない……から……」
額に手を置かれてやんわりと起き上がるのを制止される。ひんやりとした、ぬめっとした感触からして、頭に冷えピタを貼られているらしい。
部屋も冷房が利いていて、向こう一日晒されてきた夏の灼熱から久しく解放された温度を保たれて───待って。
「……ここ……どこ……?」
頭を寝かせたまま周囲を見渡す。壁が淡い桃色で統一されて、色んな場所に小物で飾り付けられた女の子らしい装いの部屋だ。
公園で気を失ったらしい自分がどうしてこんな見知らぬファンシー室に案内され霧子に看護されてるのか。
いや、違う。
私、この部屋、知ってる。
間取りも家具の配置も箪笥に何が入ってるか、何もかも記憶にある。
だってここには、何度も遊びに足を踏み入れて──────
「あ〜〜〜〜! 摩美々起きとる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!??」
疲弊した頭蓋を揺るがす、甲高い声。
それ以上に脳を震わせる、懐かしい音色が、私を襲う。
「こ、恋鐘ちゃん……! あんまりおっきな声出したら……だめ……!」
「ん……っ! いかんいかん、そやったね……。摩美々〜〜〜〜〜、起きとる〜〜〜〜〜〜…………?」
氷の入ったグラスやら湯気の立つお皿を乗せたお盆をテーブルに置いてから、両手で口を押さえてゆっくりと様子を窺いに来る。
大仰で横着な動作。見ていて危なっかしくも、見ているだけで照らしてくれる暑い太陽。誰もが認める、L'Anticaの絶対的センター。
柔らかい、安心させる微笑みで見下ろす姿は、偽者らしさなんて微塵もない、どこからどう見ても記憶の世界にある彼女そのもので。
-
「恋鐘」
「ん。そうよ」
さらさら。さらさら。
労って、慈しんで、宝石を取り扱うように髪を撫でる。
メンバー内じゃもっぱらイタズラ対象の筆頭なので、困らせて怒らせる表情の方がよく見られるけど。
誰かが本当に困った時。独りになりそうな時。足に嵌められた重い鎖をなにくそと千切って外に連れ出してくれるのは、いつだって。
「え、なに。これ、なんなの、どうして」
説明。
───誰か、説明を求む。状況把握がキャパオーバーです。
ていうか何で霧子以外に誰もいないの。他の人どした? なんで恋鐘の部屋で寝かされてる? まさかの夢オチ?
「……摩美々? どしたの? 頭痛い? もう少し寝とる?」
「恋鐘ちゃん……摩美々ちゃん、起きたばっかりで、たくさん聞いたら大変だよ……」
本当に。
悪夢だったことにしてしまえたら、どんなに幸福なことだっただろうか。
自分の知性と現実的思考が恨めしい。
「ここ、283の寮だよ……。え、とね……摩美々ちゃんのアーチャーさんとライダーさん……達と会って、摩美々ちゃんを休ませようってなって……。
そしたら……恋鐘ちゃんともそこで会って……じゃあ恋鐘ちゃんの部屋、使っていいって……」
「うちも驚いたんよ〜〜〜! そこら中でなんかどったんばったん大騒ぎしてて、うちも避難所寄らんばってしてたら、空からお兄さんが降ってきて、何しとるとって思ったらそこに摩美々もおって気を失っとるけん。なんか大変そうやったし、そいばうちの部屋使ってよかよ〜〜〜って薦めたけん!」
「いや、そこはもう少し警戒心持っててよ……」
炎散らして飛んできた人を見て、近づいて部屋に上げようって。バズ目当ての野次馬じゃないんだから。
「摩美々は寝てたけど霧子もおったし大丈夫やろ? それにみんな摩美々のこと心配しとったけん、悪い人じゃなさそうやし……」
んんん〜〜〜、と今更になって悩みだす。
限界突破した、無警戒と紙一重の図太い包容さ。どこまでいっても恋鐘らしく、恋鐘のままであり、そんな他愛なさだけで目が滲みかけてくる。こんなに涙もろかったっけ。
ふと、あまりに状況を把握して内容な呑気さに、よもやという疑念が湧いて出た。
「恋鐘……ひょっとして、まだ知らない?」
「ふぇ?」
「その……この世界のこととか、サーヴァント……とか……」
「さーゔぁん……?」
うん、これは知らないや。
霧子に視線で問いかけてみるも、ふるふると首を振って返す。まだ教えるどころじゃなかったといったところか。
「そいで……摩美々達、何しとったの?」
「……………………っ」
「……………………」
……どうしよう。
知らないなら、知らないでもいいんじゃないかと思ってる。
ここは聖杯戦争のための偽の世界で、あなた達はそこで何もできず最後には消えてしまう生贄ですなんて真実、教えてどうなるというのだろう。
変えることも抗うこともできない運命、そんなものを恋鐘に突きつけて、私はどうしたいというのだろう。
そんなの教えたら、恋鐘、泣いちゃうじゃん。
「……気になるー?」
「当たり前やろ! あんなへとへとになって、知らんお兄さんと一緒にどっか行ってて! うちらここんとこ全然会えとらんやん!
咲耶もいないーってニュースになって、もううちずっと心配してたんよ……!」
何も知らず。何も教えず。
大丈夫、自分がなんとかするって目隠しをして、最後を迎えるまで置いていく。
ああ、そんな風にしたくなる気持ち、わかりますよ。
とっても大事で、危ない目に遭ってほしくなくて。
だから、そうやって置いてけぼりにされるのがどんな気持ちなのかってのも、わかるんです。
「恋鐘……落ち着いて聞ける?」
「うん!」
「あんなりいい話じゃないけど、後悔しない?」
「うん!!!」
冷静さなど欠片もない返答を受けて、こっちも覚悟を決めることにする。
横目に見やれば霧子も、不安は隠せないでも話すこと自体に異論はなさそうに軽く頷く。
これから数分の後、月岡恋鐘は界聖杯の真実を知る。
そこで直面することになるであろう、283プロでもひときわ泣き顔の似合わないアイドルの涙を見ることになってしまうのを予め腹に収めつつ。
あるいは。
古びて錆びた教会の片隅で、懺悔を語る信徒のように。
◆
-
「今、彼女が目を覚ましたようだ」
「そうか。ひとまずは越したか……」
華やかなりし女の園ではなく、その外周で、男二人は身を潜めていた。
律儀に用意した過去の累積を見ると年々気温の上限を更新してるらしい、いよいよ頂点に昇り詰める容赦ない夏の天球にも、サーヴァントの健康状態は損なわれはしない。
「襲撃、侵入者の気配は依然なし……古手梨花のセイバーから聞いた長距離砲撃を可能とするアーチャーか、あの時の刺客に追われていたら最悪だったが、現在のところここが割れてる可能性は低い」
「索敵、有り難いよ。人事不省のマスターを抱えてる間に襲われるのはもう御免被りたい」
「ここを離れたとして、月岡恋鐘に危害が及ぶ可能性は考慮に入れたか?」
「聖杯戦争ももう佳境だ。全員が全員、回りくどい包囲や削りより直接的に駒を奪い合う場面まで来ている。
この期に及んでNPCを人質に取る回りくどい真似をする奴は、戦略の意図を度外視した感情任せで周回遅れになってるさ」
とはいえ、その理にそぐわない削りこそが、彼女達にとっては一番の痛手を被るわけだが……。
283寮を使わせてもらってるのも、偶発的接触からの緊急時による要請だ。
サーヴァントがマスターのいる部屋から席を外してるのもその対策の一環、少しでも注意を逸らせるためだ。
同じユニットメンバー同士で囲みたい話もあるだろう。安全管理の観点から、会話は携帯越しに通してもらっているが。
「だから、君は残っていてよかったんだぞ、マスター。生身でこの暑さは結構きついだろ?」
「…………」
入室を勧める月岡恋鐘から保冷剤と飲水だけもらって男所帯(サーヴァント)の側に残ると決めたにちかは、膝を折って項垂れてる。
木陰を確保し、タオルを巻いた保冷剤を首と両脇に置いてあるので体感ではだいぶ涼しくなってるだろうが。
体力の消耗は抑えるに越したことはない。アンティーカ組の同じ部屋は気まずくとも、寮には客室も他の個室もあるのだからそこにお邪魔すればよかったのでは。
そう、何度か打診してるのだけれど、頑なににちかは動こうとはしなかった。
いつもの意固地や自虐ゆえの安穏を拒絶してるのではない、熱も気にならない難問を前にしたように。
「……んで、ですか」
摩美々を寝かせてから「いいえ」「はい」の簡素な返答しかしてこなかったにちかの口が、それ以外の形を作る。
-
「櫻木、さん。死んじゃいました。
あんな、歌ってる最中に突然、タンッって、音がしただけで、倒れて動かなくなっ、て」
否応なく、少なくない経験をした死。
過去にしてイフの自分の眠る様を胸の中で見送りすらした。
慣れるわけも耐性があるわけもないがそれまで見てきた死の中で、櫻木真乃は違っていた。
あまりにも、あっけない。
遺す言葉はない。劇的な演出も起こらない。手向けられるのは乾いた銃声一発。
落ち葉の掃き掃除でもしてるみたいな簡素さで、どうでもいいように詰まれていった。
命の価値を説けるほどの人生観なんて、にちかは持ってない。
峰津院大和のように、人の価値を能力の有無で選別することもしない。
ガラスの靴を脱いだ七草にちかとアイドルの前線を走り続けていた櫻木真乃の価値に差をつけることなんて絶対にしない。
けれどそれなら───どうして2人の最期は、こんなに差があるんだろう?
「なんにもできないで、なんにも言い残せないで。やったこと、ぜんぶ、無駄だったみたいに。」
死んで欲しくなかったのは当然第一として、それでもにちかは自分(にちか)は受け取った。託された。
負けんな。諦めんな。またアイドルやりたいっていうんなら、どんなにみっともなくてもビッグになるって声を張り続けろ。
自分だった他人。鏡合わせみたいに近くて遠かったファンが、今の自分の一部になってるんだと実感できている。
身近な人の死が常に心震わす劇的であればなんて、幻想だ。
姉が冷たくなったのはただの事実で、淡々と処理してしまうものだって聞いている。
あんな風に死んでいい人じゃなかった、そんなのその人の近しい人は誰だって思ってる。
ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ理解していて、けど理屈じゃない部分で納得できないのも、同じなんだろう。
「なのに、なんで私、あの時──────」
だから、疑問は別のこと。
にちかが今、本当に納得のいかない心の揺れ動き。
「すごい、『アイドル』だったなんて──────思っちゃったの」
表情が固まって倒れる前の笑顔が、閃光のように蘇る。
衣装も着飾らない、ステージも音響もないアカペラのゲリラライブ。
マイクを介さない女の子一人の声量では雑踏に飲まれてしまうか細い音でしかなかった歌は、辺り一帯に届いていた。
離れた場所の視点では、観衆の空気は冷え切ってたと言ってもいい。
住居を追われ、死ぬような目に遭って、からがら逃げ延びても待ち受けるのは世界ごとの投棄(パージ)。
絶望の虜にされていた人々に聞こえる明日を願う歌声は、慰問ライブに扱うにも効果の程は見込めていない。
-
けど見ていた。
誰も彼もが注目していた。
そこには魅了とは異なる、自分たちを巻きに焚べて殺し合う『マスター』に対する悪感情が大多数を占めていたとしても。
ブーイングに暴徒乱入、刀傷沙汰に発展してもおかしくない場面で、櫻木真乃は誰もが目を奪われる一番星を宿していた。
音源とは違うだろう、耳目を集めるためゆっくりとしたパフォーマンスはブレがなく。
完璧とも究極とも程遠い、ひとりぼっちのステージで輝きを、イルミネーションスターズの櫻木真乃を一分も崩さなかった。
人が、仲間が、アイドルが死んで、なのに死の衝撃は直前のパフォーマンスへの魅了で麻痺したみたいに薄れていって。
まるで自分がとても冷血な生き物に変わってしまったかのような錯覚が、真夏の太陽の下のにちかを震わせる。
「その答えはもう、マスターが見つけてるんじゃないのか」
自虐もできない自己嫌悪に中毒になりかける頭に、傍らのサーヴァントは落ち着き払って呪文を投げた。
「え……?」
「最期までアイドルでしたって、そう言ってたろ?。だったら、それが真実だ」
聞こえた意味に呆気に取られて、震えが止まる。
「残酷な光景が覆い尽くされるぐらいに、あの瞬間君は櫻木さんにアイドルを見た。
櫻木さんも……自分を見てくれる全員に、全力でアイドルを見せた。そこでもう受け取りは済んでいる」
英雄でない外交官のアシュレイ・ホライゾンの目線からしても。櫻木真乃の歌は見事なものだった。
技術や歌唱力は飛び抜けてるわけでもない。アイドルといってもまだ新米、より優れた表現者なら星の数ほど見てきた。
だが人間には、自分のパフォーマンスを最大限に発揮することができる特定の環境がある。
それが展開される限り、全てが自分に都合よく働く、そう確信できる領域。撃たれるまでのほんの数分、彼女はそれを自力で作り出した。
初見で彼女の輝きを見出し、花開かせようと決意したであろう彼の慧眼に、深い敬意を抱かざるを得ない。
他者との交流に積極的ではない、多分に人見知りの傾向が強いだろう性格であるなら、それを外に発露する瞬間はごく限られたものだったろうに。
公園でふいに目を向けただけの偶然に、運命を定義してしまうような、一等星の輝きを見出したのだから。
「マスターが彼女のパフォーマンスを本気でそう受け取っていたなら……それはちゃんと受け取っていいものだよ。恥じたり、まして自分を責めるようなものじゃない」
「私も……ああいう風にやれってことですか……?」
「託されたものをなぞるだけじゃただの模造(コピー)だ。何も櫻木さんは死を容認してたわけがない。危ない目に遭うかもしれないってぐらいには、考えていただろうけど。
得たものを自分なりに咀嚼して吸収して、全部ものにできずとも、自分が磨いてきたものに乗せて叩きつける。
アイドルの世界でも、そんなに変わらないと思うが、どうだ?」
-
目の当たりにした誰かの鮮烈さを、揺らめく情動を、場にそぐわないからと否定するべきではない。
英雄の幻像を空虚だと屑籠に捨てず抱きしめたアシュレイに、にちかは首にかけていた保冷剤を除いて顔を向ける。
巡る鼓動によりほのかに血色を取り戻しつつある頬を、むにむにと動かして、ぽつり、ぽつりと吐露した。
「……なみちゃんのことが、ずっと好きで、憧れでした。あんな風にキラキラに、楽しそうになれたらって思ったのが、最初の私の理想でした」
「ああ」
「それで、次は美琴さん……あれ、美琴さんの話してましたっけ……」
「聞いてるよ。283の時の相方だろ」
「はい。私なんかが釣り合うはずもないぐらい凄くて、上手くて、カッコいい人です。
本来ならユニットで隣になんかいていい人じゃないから、私が足引っ張って台無しにするわけにはいかなくて、遅れないよう必死に練習してるけど、やっぱ追いつけるわけなくて……」
夢に描いた理想。
息を切らして追いかけた憧憬。
これまでにちかは、ふたつの偶像を到達点に定めて、傷つきながらも走っていた。
「また……増やしちゃっても、いいんでしょうか? 私にとっての憧れ(ヒカリ)を」
そしてまたここに、新しい像を結ぶ。
「こう在りたい。ああ成りたい。雛形にするのがひとつだけじゃなきゃいけないなんて理屈はない。
美しいと思えるものを見られること自体は、悪ではないんだから。
それに後輩の成長に一役買えるのは、先達冥利に尽きるものさ」
そういうのを素直に喜べるアイドルだったよ、彼女はと。そう付け加えられて。
「……そっか。私がまた、アイドルになるなら……あの人たちの後輩に、なるんですよね」
曇りない空を見上げる。
うだるような暑さも、背中を垂れる汗も、今は少しだけ気にならなかった。
周回遅れはここまでだ。
全員で巻き返すぞ。
◆
-
夏の熱気も届かない、淡いピンクのパステル調の中で。
摩美々と霧子は恋鐘に言葉を告げた。
「ん〜〜………………………」
界聖杯。聖杯戦争。マスター。サーヴァント。NPC。消える世界。泡沫の生命。
秘されるべき真実。食せば二度と無知の頃には戻れない禁忌の果実。
「んん〜〜〜〜………………………」
情報の開示は、方舟にメリットをもたらしはしない。
聖杯に近づいたNPCは構成する情報量が増しサーヴァントが捕食する際の魔力効率が上昇する仕掛けがあるが、考慮にすら値していない。
幽谷霧子はマスターのみならず、生存を願うNPCにすらも方舟に乗せる希望がある。
故に残酷な通知を送ることになるとしても、教えずにいられなかった。
───自分もよく知る、けれど元いた世界のない恋鐘が帰るべき場所はどこだろうと思いを巡らしながら。
「んんんん〜〜〜〜〜〜………………………!」
そして界聖杯の真実に触れた月岡恋鐘は。
「2人の言ってること、ぜんぜん分からん〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
ものの見事にパンクしていた。
「聖杯とか、さーゔぁんととか、急に難しい話されても、ちんぷんかんぷんとよ……!」
「恋鐘ちゃん……」
「うん、そういう反応だよね」
許容量を超えてわんわん唸る。
今の恋鐘は決して彼女の認識力の問題ではない。
生きている現状に疑問を持たず日常を過ごす者に、お前たちは偽者でここは偽の世界だと言ってもそう信じることはない。
渋谷から伝播して街の住人が信じざるを得なくなったのは、実演を以て教えられたからこそだ。
知識は俄に信じ難くとも、これからあの怪物に殺されることだけは事実であり、その事実が他の付随する語りも同じ列に続く現実なのだと。
恋鐘はそれを知らない。
皮下の放送は耳に入らず、渋谷の惨事には居合わせずにいたままという、ある種の奇跡的な道程を辿った彼女に、自他が空想であるという実感は薄かった。
「ばってん……摩美々も霧子も、えらい大変な目にあってきたってことは、分かったばい」
あるのはただ、目の前のユニットメンバーに対する、純粋な心配だけだ。
「ず〜〜〜っと頑張ってたとね、2人とも。偉い偉い。それに咲耶も。みんな頑張り屋さんたい……」
真偽は分からない。けどこの2人がこんなに真剣に話してるんだから、じゃあそれは本当なんだろう。
誰とも分からぬ告知ではなく、誰よりも信頼を寄せる最高の仲間の言葉が、確証の担保になっていた。
「……っ」
両目を閉じて涙ぐむ霧子に対して、摩美々は顔を伏せてこみ上げるものを堪えた。泣き虫属性は自分のキャラじゃないのだ。
-
「そいでまた、2人とも続けるん? そのせーはいせんそう?」
「……うん………」
「……そうなるかなぁ」
「プロデューサーも、そこに行くん?」
「───────ん」
ゲームを強いられてるのは、アンティーカだけではない。
恋鐘も会ってるにちかと……界聖杯が作られてからは恐らくどのアイドルも会っていないだろう人のことも、伝えてある。
「じゃあうちも───」
「それはだめ」「それは……だめ……」
「なして〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
即刻で一瞬で時を移さずに出した却下だった。
出鼻を挫かれた恋鐘は前のめりになってずり落ちる、模範的なツッコミで床のカーペットにへたり込む。
「なしてうちは行っちゃ駄目と〜〜〜!? 」
「いや……だから参加できるのはマスターだけって……あーもー……」
もう一度説明するべきか。しかし理解するまでどれだけ時間をかけるだろう。
普段なら滾々と話し続け時間を浪費するのも吝かでもないが、一時休止してるだけで緊急時の真っ只中だ。
何よりも、全てを把握したとして、その後彼女に何が待ち受けるというのか。
「恋鐘……何も言わないのー?」
「ん? 何がー?」
「世界のこととか、街の人のこととか。私、けっこうヤバいこと話したつもりなんだけど……」
「んと……ここもうちも、みーんな造り物ってところ? むむむ〜〜〜そい言われても……うちは今まで元気に生きとったし……摩美々も霧子もうちの知っとるままやし……」
首を捻って愛嬌よく悩む仕草に、自己の存在の否定、これから居場所ごと消える結末への恐怖は見られない。
概要ぐらいは飲み込めているだろうに、『それ、そこまで気にする必要ある?』と疑問を返すように。
「それに、2人の知っとるうちも今のうちのまんまなんやろ?」
「それは……まあ……」
「うん……恋鐘ちゃんは……恋鐘ちゃんのまま……」
「だったら、なんも問題なか! うちは月岡恋鐘で、283プロのアイドル!
咲耶と摩美々と結華と霧子と一緒の、L'Anticaのリーダーたい! それがほんとのままなら、どこにいたってうちはうちばい!」
「─────────────」
天地が返るような、とんでもない発言を聞いた気がする。
自分の記憶と相手の記憶とが、食い違いがなく重なっていれば、偽物かどうかなんて関係ないと。
世界の構造がどうとかではなく、アンティーカとの絆の有無こそが、今の自分を本物足らしめるのだと。
仮初なはずの誰かの似姿は、自分の真理を本気で信じているのだ。
-
「それよかむしろ2人の方が心配ばい……いきなりひとりで知らんとこにお引越ししちゃったようなもんやろ……?
元の家に帰れないのは、寂しかよ……」
辛抱が決壊するのに、さほど時間はかからなかった。
天上天下唯一無二、あまりにも恋鐘な恋鐘ぶりに、不安定だった摩美々の情緒はここで防波堤を乗り越えた。
「や……それは都合、よすぎるでしょ……」
酷いことを言ったのだと、自責していた。
泣かせちゃうんだろう。怒らせちゃうんだろう。裏切られた顔で突き放されたって仕方がない。怯えながらいつ責められてもいいように予行練習していた。
そういう風にしてここで叱られたいって、最低に駄目な甘え方をしてしまった。
「ばか。恋鐘がそんなこと、言うわけないじゃん───……」
摩美々は悪い子で、特に被害を受ける恋鐘はよく叱っていたけど。
欲しい「怒られたい」は、親が子に、姉が妹に、そんな意地悪をしちゃだめでしょって嗜める、あいの還元であって。
本気の感情を交わしあった仲でも、相手を『嫌い』や『憎い』からで怒ったことなんて、一度だってありはしなかった。
愛と憎しみは表裏一体なんて誰かは言うけど。
好きなんだから、嫌いになれるはずがない感情だって、間違いなくある。
「ど、どしたね摩美々!? まだどこか痛む!?」
「ううん……違うよ…………」
狼狽える恋鐘を、背を丸めた摩美々を擦る霧子はかぶりを振った。
「私も摩美々ちゃんも……恋鐘ちゃんがいつもの恋鐘ちゃんで、嬉しいんだ……っ」
本物のリーダー……今となっては疑う余地のない「月岡恋鐘」に、霧子も笑う。
どんな時も寄り添い、暖めてくれる、太陽のような存在感。
ここにいること。生きてくれていること。その全てに感謝したくて、恋鐘に祝福をあらん限りの祝福を送る。
「??? なんかよく分からんが、うち褒められとるん……?」
「うん……恋鐘ちゃんも、偉い子……!」
「んふふ〜〜〜ありがと〜〜〜!」
優しい笑い声に包まれて、摩美々は嗚咽を止めないでいた。
キャラじゃないなんて突っ張りは何処へやら。落ち着いたら途轍もなく恥ずかしくなるに違いない。見ているのは霧子と恋鐘だけでよかった。
だからもう、泣くのはこれで最後にしよう。
詰まる喉が使えないまま、胸の内でそう誓う。
嫌なものは、この際ここでぜんぶ流してしまおう。どうせ昨夜から直してないメイクでドロドロだ。後でメイク落としを借りていちからやり直せばいい。
いつものメイクをして、パンキッシュに決めて、不敵な笑みを装備すれば、悪い子アイドルの摩美々の完成だ。
綺麗だと褒めてくれた色を、もう二度と、くすませたりしない。
◆
-
「摩美々ちゃん……」
「んー?」
「摩美々ちゃんのアーチャーさんや……にちかちゃんのライダーさんから……たくさんのお話、聞いたの……」
「……うん」
「あの……恋鐘ちゃんがいたからずっと言えなかったけど……真乃ちゃんのこと……あと、もう一人のにちかちゃん……」
「……ん」
「わたし……何も知らなくて……知らないまま、ずっと来れなくて……。
みんなが危ないのに、わたしだけ……ひとりで……」
「霧子。しー。恋鐘に聞こえちゃう」
「あ、ご、ごめんね……。でもやっぱり……わたし……」
「だから、言わないでってー。わざわざ背負うことじゃないよ、これ。何でも相談するからって、傷つけたいわけじゃないんだし。霧子があそこにいなくてよかったって、思ってるし。
それに、霧子も向こうでめっちゃ頑張ってたんでしょ?」
「……うん…………。摩美々ちゃんに教えたいお話……いっぱいあるから……!」
「ふふー。それは楽しみー」
玄関前。
身支度を整えて後は扉を開けるだけの2人は暫しの雑談を交わしていた。
半日ぶりのお喋りは久しく合わなかったぐらいの長い間隔がある。283に入ってからもない、怒涛に濃密な一日だった。
「ていうか……うわ、でっか…」
「ふふっ……おにぎりで、いっぱい……」
視線を落とした所には、恋鐘から渡された手提げ袋。
スーパーの買い物用のエコバッグには一個一個が掌大の握り飯が所狭しとごろごろ詰められている。
「てか多すぎだしー」
「お弁当ばい! もうすぐお昼やし、たくさん食べて力つけんとすぐバテてしまうばい! あっちのお兄さんやにちかにもあげたってね!」
どうやら摩美々がメイクを直してる間に冷蔵庫にあった冷やご飯、昨日のおかずの残り物を総動員して作っていたらしい。
作り置きの麦茶も水筒に分けて配ったりと、夏対策の行き届いた配慮には溜め息が出る。
「うち、まだよく分かっとらんけど……摩美々も咲耶も霧子も、にちかもプロデューサーも……みんな揃って家に戻れるよう、ここで応援しとるよ!」
胸の前で、ぐっと握りこぶしを作って鼓舞する。
そんな仕草で、脳裏に過去の記憶が蘇る。幻影は胸に靄をむだけで、さざ波を立てることはない。
「───うん。いってきまーす」
「恋鐘ちゃん……またね……!」
「いってらっしゃ〜〜〜〜〜い!
……あ、そや! 摩美々!! 霧子!!」
ドアノブに手をかけ、扉を開こうとする直前、咄嗟に思いついたように弾ませた声で恋鐘が呼び止めた。
何事かと振り返る2人に、空の手を前に出して。
-
「───うちらが宇宙一ばーい!」
「……!」
鳴り響く5人の出陣の号令に全身が痺れる。
舞台裏でも感じる観客の熱気。躍り出る昂りがリピートされる。
隣と目を見合わせる。
息を合わせ、頷いた。
『アンティーカー───!!』
叩いた手の音の数は、3つだけじゃなかった。
きっと───錯覚では、ない。
錆びついた運命の鍵はここに廻る。
胸に燻る焔をウタに、孤独な泪をネガイに。
彼女たちは今も希望を謳い続ける。
◆
-
【杉並区・283寮前/二日目・午前】
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、『ありったけの輝きで』
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『閻魔』、『天羽々斬』
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:また重い責務を背負ってしまったな。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
2:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
3:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
4:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
5:大和とはどうにか再接触をはかりたい
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。
-
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、過労、メンタル減少(回復傾向)、『バベルシティ・グレイス』
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:行ってきます、恋鐘。
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(中・ただし致命傷は一切ない)、疲労(中)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:復讐は果たした。が……
1:田中摩美々は任された。
2:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、『バベルシティ・グレイス』
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛、恋鐘印のおにぎりとお茶(方舟メンバー分)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:またね、恋鐘ちゃん。
1:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
2:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
3:梨花ちゃんを……見つけないと……。
4:界聖杯さんの……願いは……。
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。
◆
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投下を終了します
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セイバー(黒死牟)
ランサー(猗窩座)
予約します
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投下お疲れさまです!
松坂さとう&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ])
神戸しお&ライダー(デンジ)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ) 予約します。
-
幽谷霧子
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライズン)
田中摩美々&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
プロデューサー
を追加で予約します。
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前編、中編までを投下させていただきます
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まず最初に放たれたのは、龍の神威とも呼ぶべき空震だった。
蘆屋道満が取り込んだ龍の心臓。
大元である龍脈の龍は斯様な能力は有していなかった。
しかし今、その力・性質を担うのは天下にその悪名轟き渡る法師道満。
神は祀り、鎮めるもの。拝跪し、畏れ、敬うもの。
正しく祀り、収め、人にとって都合のいい福音を吐き出す存在に零落させるのは陰陽師の仕事の一つだ。
道満が今しているのもそれに似ていたが、しかし度合いで言えば数段は冒涜的だった。
何しろ彼は今、龍脈の龍という原典を単なる炉心としか見ていない。
龍の心臓を荒駆動させて余剰を濾過して力のみ引きずり出し、その上で自らが望む容(カタチ)に無理やり当て嵌め酷使している。
「なりませんな、神へ刃を向けるなぞ失敬千万。ゆえ罰を与えましょうぞ――このように」
その結果として生み出されるものは、付近一帯を更地に変えるほどのエネルギーの炸裂だった。
空震。いや、もはや魔震とすら呼ぶべきか。
地脈に眠る龍ならばこれくらいはして貰わねばという身勝手極まりない増長と願望が現実の悪夢と化して形を結ぶ。
直撃すればサーヴァントであろうと五体が拉げる一撃に、九頭竜討伐に名乗りを上げた三人は素早くそして利口に対応した。
「門よ」
アビゲイルの片手にいつの間にか握られていた巨大な鍵。
それが虚空へ、他者を主とする領域の内である事なぞ知らぬとばかりの我が物顔で潜り込む。
ガチャリと鍵穴の回る音がした。
次の瞬間、虚空が宇宙とも暗闇ともつかない無明の冒涜を記した口蓋を開ける。
龍神の生んだ震動はそこへ呑まれ、アビゲイル及び最も対抗手段に乏しい伏黒甚爾を魔震の脅威から遠ざけた。
一方で救済策から外された宮本武蔵は動ずるでもなく迷わず直進。
震動という形のない脅威の輪郭を捉えているかのように過たず、桜舞う剣閃でこれを切り裂く。
壮絶な破砕音は万象呑み込む龍の怒り――リンボが斯くあれかしと捏造した偽りの神威が粉砕された音に他ならない。
「とんだ悪食ね。ゲテモノ食いも大概にしなさいな」
「これはこれは…いや、素晴らしい。神明斬りとは。原初斬りの偉業は大層実になったようで」
第一陣は突破。
しかしリンボの顔に焦りはない。
人を小馬鹿にしたような微笑みを湛えながら拍手の音色を空ろに響かせている。
「まぁそれも詮なき事か。下総に始まり希臘に至るまで、随分と入れ込んでおりましたものなあ。
どうです。なかなかどうして心地良いモノでしょう? 誰かの心に消えない傷を残すという所業は」
悪意の言葉を吐きながらけしかけたのは、祭具殿の残骸から浮上した髑髏の怨霊だった。
武蔵の脳裏を過るのは下総の国にて、過去にこの陰陽師が呼び出し使役した名無しの大霊。
成程確かに土地も合っている。
此処は東京、古今東西あらゆる武士の魂が眠る場所。
界聖杯により再現された熱のない贋作だとしても、見る者が見れば因果因縁に溢れた絶好の畑だ。
峰津院大和が其処に着眼し霊地の獲得に舵を切ったように。
この厭らしい陰陽師も彼に学び、土地そのものを武器に変えた。
「勘違いしないで頂戴な。今此処にいる私は、あの子のサーヴァントではないの」
それに対して武蔵は驚きすらしない。
過去を、今はもう瞼を閉じて思い馳せるしか出来ない遠い記憶を。
あえてなぞる事で心を削りに来るなんていかにもこの生臭坊主がやりそうな事ではないか。
だから、かつて世界を救う旅路に力添えした人斬りの女は毅然と答えた。
「大業を遂げ、空にも至り。後は泡と消え去るだけの亡霊なんか引き寄せてしまった娘が居るのよ。
私が今こうして剣を握り、貴方に挑んでいる理由はあの子の為。他の誰の為でもないわ」
-
そういう意味では似ていると思う。
身の丈に合わない運命と宿命を背負わされて、それでも業に呑まれることなくもがき苦しむ女の子。
…だからかと少し納得した。
だからこんなにも彼女の下で振るう剣は手に馴染むのだ、きっと。
「それに…消えない傷を残されたのは何も私だけじゃないでしょう。
貴方がこんな辺境の戦に参戦しているなんて、つまりそういう事としか考えられないものね。異星の神の尖兵さん」
「ンン!」
迫る大霊の腕。
精神を冒し魂を穢し凶死させる呪詛はしかし、かつて相見えた真作に比べれば数段も劣る紛い物。
――遅い。そして浅い。
ならば一体何を恐れろというのか。
新免武蔵、ただ前へ。
そして振るう、桜花の太刀。
怨念一閃。
宿業両断。
刹那にして辺獄の大霊を斬殺し、主であるリンボの首に向け白刃を迸らせた。
「…ええ、認めましょう。この拙僧……御身亡き後、あの小娘めに敗れ去った。
蜘蛛糸の如き奸計は水泡と帰し、正義を気取る若僧の黄金の前に確かに爆散しました」
下総の時とは比べ物にならない太刀の冴え。
神を斬り混沌を斬り桜花に触れて磨き上げた一刀はまさしく真打。
触れれば断つ。
触れずとも斬る。
今、新免武蔵は間違いなく剣豪として一つの極点に達している。
だが。
「です、がァ――」
粘つく悪意が清らかなものを阻む。
神の瘴気か龍の神気か。
リンボは今、武蔵の一刀をその右手一つで阻んでいた。
武蔵の眦が動く。
これほどか。
これほどまでに極まったか、悪党。
その絶句に応えるように肉食獣は牙を剥いた。
「悪党とは懲りぬもの。業とは決して癒えぬもの。
この拙僧、生憎と諦めの二文字を知りませぬ。卒業の二文字を知りませぬ。
ましてやそこにかくも芳しく香る災禍の予兆があるというのに、一体どうして伸ばす手を止められようか!」
「づ…!」
炸裂する神気が武蔵の体躯を軽々弾き飛ばす。
防御も迎撃も許さない一撃は最初の魔震が単なる小手調べに過ぎなかった事を物語っていた。
その隙を突くべく、音速にすら迫る速度で走るは天与。
無策の突撃ではない。
彼は確かにこの場に揃った三者の中では最も能力で劣っていたが、しかし己しか持ち得ない強みを自覚していた。
-
一つは言わずもがな呪力の不所持による透明化。
迎撃一つするにも視覚での認識と反応を要求する点。
そしてもう一つは、抜く事さえ許されれば天衣無縫と呼ばれるモノにさえ届く呪具の数々を有している事。
“釈魂刀の斬撃はあらゆる防御を参照しねえ。龍だろうが羅刹だろうが触れれば斬れる”
リンボの冷眼が甚爾を捉える。
だが軌跡だけだ。
本気の甚爾はサーヴァントの視覚など容易に振り切る。
現にこの場には彼を対象にしたと思しき束縛の呪詛が溢れていたが、それら諸共に斬り伏せて進む武蔵、自前の術で対処できるアビゲイルとは違い、甚爾は単純に脚力に任せてそれを引きちぎり進んでいた。
残像を認識するだけで精一杯の高速移動を繰り返しながら、鎌鼬宜しくすれ違いざまリンボの首をなぞらんとする。
しかし禍津日神を僭称する悪神道満は――それさえ一笑。
「曲芸で神が獲れるものか」
速く動く蝿を箸で捕らえようとするから苦労する。
蝿を潰したければ、炎を焚いて燻り殺せばいいのだ。
「目障りな猿には、どれ、毒など馳走してみよう」
次の瞬間。
甚爾は自身の生命力が肌から霧散していくような得体の知れない感覚に襲われた。
黒き呪力が霧のように、それでいて花畑を舞う蝶のようにリンボを中心に溢れ出している。
“呪霊とは違うな。神霊の類…それも日本のものじゃない。吸い上げて弱らせる黒曜色の呪力と来れば――”
甚爾は呪力を持たない。
だからこそ体力を削られる程度で済んだが、これがアビゲイルや武蔵であったならそうは行かなかったろう。
これは純粋な生命力だけでなく魔力も呪力も…とにかく対象が内包しているありとあらゆる力を吸い上げる貪食の呪いだ。
ましてや高専の等級で換算すれば間違いなく特級相当だろう神の吸精だ、生易しい訳もない。
事実甚爾でさえ数秒と長居すれば致死域まで削られると、あの僅かな時間でそう確信した程だった。
「南米。アステカ辺りか?」
「ほう。知識と見る目はなかなかどうして」
「ゲテモノ食いの神が人間の成れの果てに喰われたか。皮肉なもんだな」
甚爾の推理は当たっている。
蘆屋道満がその霊基の内に取り込んだ神の一体。
暗黒神イツパパロトル。
太陽の楽園にて黒曜石の蝶を侍らせたアステカ神話の女神。
奪い、平らげる事をあり方の一つとして持つ神も今は悪僧の腹の中。
ハイ・サーヴァント…リンボの素性を一つ見抜けたのを収穫として甚爾は利確する。
纏わり付く蝶を撒いて後退しながら、追撃に放たれた黒炎の狐数匹を撫で切りにした。
「侍。オマエ、あの生臭坊主と知り合いみたいだな」
「ええ。知り合いというより宿敵ね。やり口は嫌という程知ってるけど、足しになるような情報はあんまり」
「アイツは神霊の核を取り込んでやがる。可笑しいと思ったぜ、只の坊主にしちゃ幾ら何でも出鱈目すぎるからな」
「…マジ? うぇえええ…悪食にも程があるでしょそれ……」
蘆屋道満は確かに優れた術師である。
生前の段階ですら、かの安倍晴明が認めた程の力量を持った法師であった。
しかしこの界聖杯で跳梁跋扈の限りを尽くすこの"リンボ"は、それにしたってあまりに節操がない。
単なる術師としての優秀さだけでは説明の付かない不可思議を幾つとなく引き起こしていた。
サーヴァントの領分を超えた生活続命法。
話に聞く窮極の地獄界云々とて、明らかに真っ当な英霊では不可能な無茶を通す事を前提とした野望だった。
不可思議とは思っていたが、蓋を開けてみれば何という事もない。
最初から真っ当な英霊などではなかったというだけの事。
「別人格(アルターエゴ)とはよく言ったもんだ。その時点で気付くべきだったな」
「情報提供感謝するわ。本当なら私の因縁、一対一で果たしたい気持ちはちょっとあるんだけども」
「其処は諦めてくれ。ウチのクライアントもアレには恨み骨髄でな、絶対ブチ殺して来いと仰せなんだわ」
それに、と甚爾。
言葉の続きを待たずして無数の羽虫が空を埋めた。
まるでそれは黒い暴風雨。
聖書に語られる蝗害の悪夢のように、狂乱した陰陽を喰らうべく異界の眷属が狂喜乱舞する。
「な、この通りだ。俺としては生臭坊主の処断なんざ誰がやっても構いやしねえんだが」
-
虚ろな顔に、仄かな笑みを浮かべて。
鍵を指揮棒(タクト)に捕食を主導する金毛の巫女。
羽虫の群れが払われた途端、次は触手が這い回る。
波濤の勢いで溢れて撓るそれは鞭のようにリンボを打擲する。
英霊一人原型残さず砕き散らす事など容易なその波が、ケダモノのシルエットを呑み込んだ。
「あは」
恍惚と法悦を虚無の中に織り交ぜて。
嗤う幼さは妖艶なる無垢。
其処には既に、透き通る手の女が生きていた頃の彼女の面影はない。
無垢に色を塗り。
清廉に別れを告げ。
信仰の形さえ、歪みと無念の中に溶かした降臨者(フォーリナー)。
「教えてあげるわ。色鮮やかな悪意のあなた。
私の祈りが、満たされることを知らないあなたの秘鑰になればいい」
異端なるセイレム。
この結界のベースになったある寒村に酷似した穏やかで残酷な村に生まれ落ちた魔女の卵。
最愛の主との離別と、彼女を思う人間への負い目。
そして渦巻く怒りと後悔を肯定された事が卵の殻に亀裂を入れた。
いざ此処に魔女は産声をあげる。
救うと豪語しながら痛みを振り撒く矛盾の魔性。
彼女の鍵が天高く掲げられ、次の瞬間駄目押しに触手が落ちてきた。
「イブトゥンク・ヘフイエ・ングルクドゥルゥ」
紡がれる冒涜の祝詞。
祝福と共に墜落した大質量はリンボの全身を余す所なく押し潰し圧殺するに十分な威力を秘めている。
質量による力押し。
神を潰すならば同じ神を用いればいいのだと、幼い故の直情的発想が此処に最上の形で具現化した。
だが――
「急々如律令」
触手の真下から響く声がある。
刹那、彼を覆う触手の全てが爆散した。
姿を現すは禍津日神・九頭竜新皇蘆屋道満。
血の一滴も流す事なく悠然と佇む姿は、まさに神の如し。
「素晴らしきかな、そして美しきかな虚構の神よ。
それもまた拙僧が描く地獄の理想像の一端を体現しておりますが…」
アビゲイルが鍵を振るう。
リンボが爪を振るう。
火花を散らしながら削り合う異端と異形。
一見すると互角に見える。
だが、明らかに余裕が違った。
じゃれつく子供とそれをあやす大人のような。
そんな、努力と工夫では埋め難い絶対的な差が両者の間には垣間見えている。
「遅きに失したな外なる神。全にして一、一にして全なる貴殿。
人と神の混ざり物、成り立ての魔女如きではあまりに役者が足りぬよ」
空を引き裂く神の手足。
それは確かにリンボの腹に着弾した筈だった。
にも関わらず、極彩色の獣は揺らぎもしない。
たたらさえ踏む事なく、素面の耐久のみで受けてのけた。
もはや物理においてすらリンボに隙はない。
耐久無視の釈魂刀のような例外を除けば皇帝、混沌…その領域に入って初めて痛痒を与えられる次元。
まさに怪物。まさに悪神。
背後に背負った骸の九頭竜が、瘴気を撒き散らしながらその顎を大きく開ける。
-
「吠え立てよ、龍よ」
「――っ」
零距離での龍震の炸裂。
咄嗟に防御の為の触手を呼び出しはしたものの、それでも巫女の痩躯は無残に吹き飛んだ。
桃色の唇を、真紅の血が艶かしく濡らす。
「とはいえ一時は拙僧を魅了した全知の門。その神聖に敬意を示し――ンンンン! 大盤振る舞いにて見送りましょう!!」
リンボはすぐさま追撃の為、総数にして数百にも達する呪符を出現させる。
アビゲイルを取り囲む紙々の舞。
それは宛ら紙の監獄塔だ。
しかしその用途は戒めに非ず。
捕らえた罪人を、祓われるべき悪徳を消し飛ばす抹殺の法に他ならぬ。
…銀の鍵の巫女は空間を超える権能を持つ。
故に監獄ではアビゲイルを捕らえられない。
だがそれが彼女の為の処刑場であり火葬場であるならば――
「破ッ!」
巫女が空間を脱けるよりも、妖術の極みのような火葬塔が焦熱地獄と化す方が早い。
強化された霊基でも耐える事はまず不可能だろう超高熱の檻の中に取り残されたアビゲイル。
そんな彼女を救い出したのは、既の所で塔そのものを一刀両断した宮本武蔵であった。
「ありがとう、お侍さん。危ない所だったわ」
「そういうのは後! 今はとにかく目の前のアレを何とかしましょう。
言っておくけれど、首を取るのは早いもの勝ちよ。私も私であの御坊には煮え湯飲まされてきたんだから」
「勿論。恨みっこなしで行きましょう」
邪魔をするなとばかりに武蔵へ迸った魔震。
それを今度は、アビゲイルが触手を数段に折り重ねた防御壁を形成する事でカバーする。
暴穹の飛蝗を思わす勢いと密度で敵を喰らう羽虫を召喚する巫女に、女侍は相乗りする事を選んだ。
羽虫の波に身を沈ませ、自身の気配や魔力を彼らをチャフ代わりにして隠蔽。
リンボの感覚の盲点に潜り込みながら天眼を廻し一斬必殺の斬撃を叩き込むべく颶風と化す。
「流石は音に伝え聞く二天一流。節操のない事よ」
嘲りはしかし侮りに繋がらない。
リンボは知っている、二天一流の強さと恐ろしさを。
手塩にかけて拵えた英霊剣豪を討ち倒し、己が陰謀を砕いた忌まわしき女。
結果的にリンボが彼女と再び相対する事はなかったが。
依然としてリンボは自身に引導を渡した黄金のヒーローよりも、この麗らかな人斬りの方をこそ真に厄介な敵だと認識していた。
「であればどれ、拙僧は大人げなく行きましょう」
だからこそ油断も慢心も捨て去る。
格下が相手なら隙も見せよう、驕りも覗かせよう。
だが天眼の光、死線を駆ける女武蔵の冴えが相手となれば話は別だ。
リンボの周囲に顕現する無数の光球。
臓物に似た悍ましいまでの赫色を宿したそれは、魔と呪をありったけ練り込んだ呪符を核に造られた即席の黒い太陽だ。
太陽だけで構成された闇の星空。
それが芽吹くように感光するや否や、数にして千を優に超える数の光条が全方位へと迸った。
-
「「「――!」」」
そう、全方位だ。
波を形作る羽虫を鏖殺しつつ其処に潜んだ武蔵を狙いつつ。
今まさに新たな触手を呼び出そうとしていたアビゲイルを撃ち抜かんとし。
背後から迫っていた甚爾に対してもその五体を蜂の巣に変えんと光を放つ。
さしずめ凶星の流星群。
掠めただけでも手足がちぎれ飛ぶ星の追尾光も、今のリンボにとっては単なる余技の一つに過ぎない。
その証拠に――
「凶風よ、吹けい」
漲り煮え立つ呪の風が、災害そのものの形で吹き荒れる。
凶兆、凶象…その全てが今やリンボの思うまま。
そんな呼吸するだけでも死に直結する地獄絵図の中でも、しかし天与呪縛の男は流石だった。
呼吸を完全に断ちながら風圧を引き裂いて吶喊する。
間近まで迫った上で振るう刀身は、速度でなら武蔵の振るう刀にすら決して引けを取らない。
術師殺しはは技の冴えを重要視しない。
剛力を載せて超高速で振り抜く、効果的な斬撃を放つにはそれだけで充分なのだから。
だが……
「ンン。まさに、馬鹿の一つ覚えよな」
リンボは当然のように刃の軌道を見切りながら、己に迫る死に対して笑みを浮かべた。
この男ならば来るだろうと思っていたからだ。
そしてその上で待ち受けていた。
煮え湯を飲まされたままでいる程癪に障る事もない。
“――カウンターか? いや…”
訝む甚爾だったが、その疑問に対する答えはすぐに出された。
リンボの背後。
九つの龍骸が並ぶ向こう側に、絶大な存在感を放つ黒い人形が立ち上がったのだ。
呪霊操術という術式がある。
読んで字の如く、呪霊を操り使役する術式だ。
極めれば呪霊の軍隊を率いての国家転覆すら不可能ではない、数ある術式の中でも容易に上位一握りに食い込むだろう規格外の力。
甚爾はかつてその使い手と相対し、その上で正面から打ち破っている。
だがその彼をしても――今リンボが出した"これ"は、呪霊だの祟り神だのとは全く格の違う存在であると断言出来た。
「黒き太陰の神。名をチェルノボーグと言いまする」
チェルノボーグ。
それはスラヴ神話に語られる、夜、闇、不幸、死、破壊…あらゆる暗黒を司る悪神。
呪霊等とは次元が違う。文字通り世界そのものが違って見える程の隔絶感があった。
「猪口才な猿の曲芸、存分に試してみるが宜しい」
次の瞬間、甚爾は強烈な衝撃の前に吹き飛ばされた。
ただ飛ばされたという訳ではなく、不可思議極まる力で以て殴り飛ばされたに等しい。
即座に跳ね起きようとする彼の頭上に影がかかる。
見上げればそこには既に巨腕を振り下ろすチェルノボーグの姿があり、甚爾は釈魂刀を盾に受け止めるしかない。
真上から押し寄せる衝撃と重量は如何に彼が超人と言えども涼しい顔で受け切れる次元ではなかった。
骨肉が軋む。皮下の血管がブチブチと千切れていくのが分かる。
游雲を抜いていなかった事を悔やむ甚爾は身動きが取れず、それを良い事にリンボが迫った。
「ンンンンン! 無様!」
「ッ……!」
繰り出す掌底。
掌に呪符を貼り付けて放つ一撃は甚爾の内臓を容易に破砕した。
腹を消し飛ばされなかったのは咄嗟に身を後ろに引き、どうにか直撃だけは避けた機転の成果だ。
それでも完全に威力を殺し切る事は出来ず、粘り気の強い血を吐いて地面を転がる。
-
「死ねェいッ!」
肝臓と脾臓が砕け散ったのを感じながらも甚爾の動きは迅速だった。
地を蹴り真上に逃れる。
地面を這う呪の濁流に呑まれるのを防ぐ為だ。
だがそれすら知っているぞと嗤いながら、リンボの呪符が付き纏う。
呪具を切り替えるには状況が悪い。
多少の被弾は承知の上で、刀一本で全て斬り伏せるしか甚爾の取れる選択肢はなかった。
呪符に描かれた目玉が赤く輝き…そして。
「…!」
伏黒甚爾の脇腹が弾けた。
飛び散る鮮血。
優越の笑みを浮かべるリンボ。
しかし追撃は成せなかった。
流星群を斬り伏せながら猛進してきた女武蔵が、呪符数百を鎧袖一触に薙ぎ払って剣閃を放ったからだ。
「おぉ、怖い怖い。流石は宿業狩り。七番勝負を踏破した恐るべき女武蔵と言う他ない」
既に武蔵の剣は鋼の銀色を超克している。
夜桜の血と繋がり、真打の桜に至った事を示す桜色の太刀筋。
剣呑さは美しさに幾らか食われたが、それは脅威度の低下を意味しない。
寧ろ真逆だ。
宿業両断はおろか、神と斬り結んだギリシャ異聞帯の時分よりも彼女の太刀は遥かに高め上げられている。
「神の分霊になぞ頼っていられぬ。貴様の相手は、この拙僧が手ずからしなくてはなァ」
この場において最大の脅威は間違いなく新免武蔵である。
リンボはそう信じていたし、だからこそ彼女に対しては一切驕らなかった。
イツパパロトルやチェルノボーグに頼るのではなく自らが出る。
それは裏を返すまでもなく、禍津日神たる自分自身こそが最大の戦力であるという自負ありきの行動に他ならず――
「はああああああッ!」
「ンンンンンンン!!」
そして現にリンボは、一介の法師でありながら空の極みに達した剣豪と接近戦を演じる離れ業を実現させていた。
用いるのは自らの呪と、遥か異郷の地で会得した仙術。
無敵の自負を抱くに十分なそれらに加え龍脈の力で更に倍率をかけた肉体だ。
三位一体の自己強化はリンボを真の魔神に変える。
現に彼より遥かに技巧でも速さでも勝る筈の武蔵だが、その顔には三合ばかりしか打ち合っていないにも関わらず既に苦渋の色が滲んでいる。
“此処まで高めたか、蘆屋道満…!”
重い。
硬い。
先に斬り伏せた大霊はおろか、伏黒甚爾を吹き飛ばした神の分霊とすら格が違う。
オリュンポスで目の当たりにした機神達にも比肩、ないしは上を行くだろう重さと硬さは悪い冗談じみていた。
「硬いでしょう。それも当然。
鉄囲山の外鎧。そして僧怯の大風…これなるは法道仙人めより掠め取った仙術の粋。
ンン、感じますぞ。これまでの巡り合わせ、鍛錬、試行錯誤! そのすべてが拙僧を野望の高みへ押し上げてくれている!」
「らしくない台詞はやめて頂戴、槍が降るわ。どうせ最後はすべて踏み潰してしまうんでしょう?」
「当然。並ぶモノなき久遠の地獄絵図を描き上げ、万物万象へ阿鼻叫喚の限りを馳走する事。それこそが拙僧の伝える感謝の形なれば」
「でしょうね! 相変わらず、救えないヤツ…!」
迫り合いを長く続ければ腕が砕ける。
現に今のだけでも、武蔵の右腕は罅割れていた。
にも関わらず戦闘を続行出来ている理由は、古手梨花から流れてくる夜桜の力。
初代夜桜との同調を果たした梨花は武蔵にとって、劇的なまでの力の源泉と化していた。
片手の骨折程度の傷ならば忽ち癒せてしまうくらいには。
これでも武蔵に言わせれば十二分にズルの境地だというのに、初陣がこんな怪物となればそれも霞んでしまう。
-
リンボの徒手を桜花の刀で防ぎ。
隙を抉じ開けて刺突を七つ。
それを凌がれれば本命、左右同時の逆袈裟二刀撃。
神をも斬り裂く剣を呪符が阻み、役目を終えたこれが音を立てて爆裂する。
「づ…!」
熱波を直に浴びて顔が焦げる。
癒えていく最中の視界でリンボの背後に、剣を携えた黒い女神が立ち上がるのを武蔵は見た。
「そうれ、隙あり」
イツパパロトルの一閃を止めた瞬間、武蔵は悪手を悟る。
“そうか、こいつ…黒曜石の……!”
黒曜石の蝶を侍らす楽園の導き手。
その剣も当然、強力な吸精能力を宿しているのだ。
手足の力が拔ける。
分霊とはいえ神は神。
夜桜の力さえ上回る速度での吸精に、武蔵の手足から力がガクリと抜けた。
「――唵!!」
禹歩で呪の効力を高め真言一喝。
武蔵が瞠目した。
見えなかったからだ。
見切れなかったからだ、リンボの歩みを。
その代償として真紅の呪が武蔵の総身を丸呑みにする。
咄嗟に刀を構え、二天一流の手数を活かして切り裂き即死は逃れたが、しかしこれさえリンボにとっては予測の内。
当然。
相手は新免武蔵。
神に逢うては神を殺し、仏に逢うては仏を殺す悪逆無道の英霊剣豪を撫で切りにした人斬りの極み。
猿を殺し巫女を封殺できる程度の業で屠れるのならばあの時苦労はしなかった。厭離穢土は遂げられていたのだ。
「等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間――」
怖気の走る詠唱は祝詞ですらない。
それは列挙だ。
人が悪業を抱えて死ねば堕ちるという死後の形、その形相の羅列。
武蔵としても聞き覚えがあるだろう名前も幾つかあり、だからこそ彼女は其処から特大の不吉を感じ取らずにはいられなかった。
「――デカいのが来るわ! 各々、死ぬ思いでなんとかして!!」
武蔵が叫んだ事にきっと意味はなかった。
甚爾もアビゲイルも、その時には既に彼女同様嫌な予感を覚えていたからだ。
呪いが渦を巻く。
冒涜が練り上げられる。
地獄が形を結ぶ。
衆生が住む閻浮提の下、四万由旬の果てへと堕ちる奈落の旅路が幕を開ける。
「堕ちよ――――遥かな奈落、八熱地獄へ!!」
名付けて八熱地獄巡り。
呪の限り、熱の限りがのどかな村の一角を吹き飛ばして三騎の英霊達を焼き払った。
これこそがアルターエゴ・リンボ。
否、禍津日神・九頭竜新皇蘆屋道満。
髑髏烏帽子ならぬ戴冠新皇。
九頭竜を従え。
黒き神を喰らい。
盟友を侍らせ。
そして呪の限りを尽くす、極彩色の肉食獣。
故にその理想の具現たる八熱地獄はすべての英霊にとって致死的なそれ。
逃れられる者など居ない――普通なら。
しかし忘れるな、リンボよ。
しかし侮るな、蘆屋道満よ。
この地に集い、熾烈な予選と数多くの激戦を潜り抜けて二度目の朝日を拝んだ者達はそう甘くない。
その証拠に。
八熱地獄の赫を引き裂きながら現れたのは、アビゲイルが行った再びの宝具解放により呼び出された触手の渦であった。
-
「ぬ……!?」
リンボが瞠目する。
今のは確かに渾身の呪を込めた一撃だった。
視界に入る全て、猿も巫女も人斬りも皆々焼き払う心算の大地獄だった。
だというのにこの小娘は。
よもや――
「馬鹿な…有り得ぬ! アレを……あの熱量を内から食い破っただと!?」
「駄目よ、東洋のお坊さま。地獄(インフェルノ)だなんて僭称したら、神様もきっとお怒りになるわ」
「ほざけ小娘がッ! この拙僧に地獄の何たるかを語るか!!」
規格外の事態に唾を飛ばすリンボ。
その傲慢を窘めながら、アビゲイルは八熱地獄の火力を破って尚余力を残した触手で彼が展開した呪符を悉く押し流した。
殺到する触手は一本一本が外なる神の触腕。
格で言えばリンボの扱う黒き神々にすら勝る絶対と無限の象徴。
さしものリンボも冷や汗を流し、件の二神を顕現させて足止めに使う。
チェルノボーグ、イツパパロトル。
強さで言えば流石の一言。
アビゲイルの宝具解放をすら押し止める働きを果たしていたが、攻防の終わりを待たずして動く影がある。
「手酷く言われたわね、リンボ」
「ッ――新免、武蔵ィ!」
「百聞は一見に如かず。地獄の何たるか、自分の眼でしっかり見て来なさい」
花弁と共に駆けるは武蔵。
神速の太刀筋は今のリンボなら決して対応不能のそれではない。
だが、だが。
アビゲイル・ウィリアムズ、銀の鍵の巫女の無限に通ずる宝具を相手取りながらでは話も変わる。
「…急々如律令!!」
リンボが選んだのは武蔵に取り合う事の放棄。
今や此処ら一帯が己の陣地と化しているのを良い事に地へ埋め込んだ呪力を地雷宜しく爆発させた。
そうして武蔵の進撃を無理やり押し止めつつ、自分は宙へと逃げる。
二柱の黒き神は強力だ。
普通ならばサーヴァントの宝具解放が相手であろうと押し負けはすまいが、しかし今回の相手はアビゲイル・ウィリアムズ。
すべての叡智とすべての空間へ繋がる"門"の向こう側に坐す"全にして一、一にして全なる者"の巫女。
彼女に限っては万一の危険性が常に同居している。
だからこそ念入りに、抜かりなく。
最上の火力で以って相対さねば、禍津日神と化した今の己でさえ予期せぬ一噛みを食らいかねない。
そう考えて空へ逃れたリンボの更に上へと――躍り出た影が一つある。
「よう。そんな成りになっても猿の一匹上手く殺せねぇんだな」
「…ッ! 貴様――」
伏黒甚爾。
この場では間違いなく最も劣った、それでいて最も可能性を秘めた猿だ。
先の一合で力押しは不可能と理解した。
武蔵とリンボが打ち合う光景を見てその感情は更に強まった。
彼は天与呪縛の超人。
生身一つで百年の研鑽をもねじ伏せる規格外。
しかしあくまで超"人"、天変地異を拳一つで調伏出来る程の可能性は持たない。
-
甚爾はそれをよく理解している。
挫折と劣等感に満ちた幼少時代を経て術師殺しに成った彼が、それを知らない訳はないのだ。
だから潜んだ。
敵が繰り出した地獄の炎すら隠れ蓑に使った。
呪殺ないし主従契約を書き換えられる事を厭ってずっと表に出さずにいた武器庫呪霊。
それをあの死地の中でこれ幸いと引きずり出し、呪具の入れ替えを行った。
釈魂刀、龍をも断つ魔剣を納めて新たに取り出したのは――純粋な破壊力でならば最も伏黒甚爾を高め上げられるだろう三節棍の呪具。
即ち游雲。数時間前、この嗤う道化師にも一撃打ち込んだ暴力の塊。
「生臭坊主が羽化昇天なんざ片腹痛ぇわ。身の程弁えて五体投地でもしとけ」
リンボはその瞬間、確かに自身の視界が緩慢と化すのを感じた。
濃密の一言では済まされないあまりにも致死的な暴力の気配。
それを前に脳が走馬灯に酷似した活動をしているのだと気付き、屈辱で顔が赤黒く染まる。
――侮るな、猿めが!
そう叫ぼうとしたし術を行使しようともした。
だがそれよりも、甚爾の振り下ろす棍が彼の顔面を粉砕する方が遥かに速かった。
「ご、がッ――」
游雲は担い手の膂力に応じて威力を向上させる。
完成されたフィジカルギフテッドが、真に全力で振り下ろしたその一撃は当然絶大。
鉄囲山の外鎧も僧怯の大風も押し破って、宣言通り禍津日神を地まで落とした。
粉塵を巻き上げ、地に減り込む無様を晒せていたならまだリンボにとっては救いだったろう。
しかし現実は彼にとって更に非情。
地獄に堕ちたその先では、犇めく触手の海が待ち受けていた。
「――ぬ、あああああ"あ"あ"ッ!?」
二柱の神を相手取りながら。
彼らがリンボの許へ帰れぬよう、帰り道を堰き止めながら。
「つかまえた」
アビゲイル・ウィリアムズは漲る力に物を言わせてリンボ本体を叩きに掛かったのだ。
初撃に続く、二連続での宝具解放は言わずもがな相当の無茶。
空魚へ押し寄せる負担も相応だったが、しかし許可は出ている。
無茶をする旨をアビゲイルが念話した際。
それに対して紙越空魚は、愚問だとばかりに即答した。
――私の事なんて考えなくていい。あんたがそうした方がいいと思うなら、迷わずそうして。
其処にあったのは果てしない程の怒り。
相棒を殺され、穢された事に空魚は今も怒り狂っている。
だからこそ掟破りの宝具二度撃ちは成り。
その結果としてリンボは想定を大きく狂わされ、武蔵と甚爾の連携も相俟ってまんまと触手の坩堝へ叩き落された。
「見ていてマスター。鳥子さんも、空魚さんも」
艶かしく粘液に塗れたそれはしかし断じて凌辱など働かない。
これはもっとずっと悍ましく、吐き気がする程冒涜的な何かの片鱗だ。
「いあ、いあ」
いあ、いあ。
光よ、光よ。
白き虚無が溢れる。
黒く果てなき闇が口を開ける。
その内側に、蘆屋道満は確かに地獄を見た。
境界線の青年の精神世界で目の当たりにしたのとは違う、しかしあれに何ら劣らぬ無尽の地獄を。
意識と精神が埋め尽くされていく。
あらゆる者の精神と肉体を蝕む異界の念。
それは、神さえ誑かす無道の陰陽師でさえも例外ではなく。
狂気と混沌が、愚かな偽神のすべてを呑み込み――
-
「 ンン 」
.
-
下す、その寸前で。
触手の蠢動が止まった。
坩堝の中から嗤い声が響いた。
時が止まる。
誰もがアビゲイルの業の底知れなさを感じ取っていて、リンボの終焉を確信していたからこその静寂だった。
外なる神がもたらす虚無と無限のきざはし。
それは決して並大抵のものに非ず。
一人の殺人鬼が呑まれて消えたように。
跳梁跋扈する蝿声の如き魘魅、蘆屋道満でさえ無力のまま消え去るしかない。
その筈だった――これまでは。
しかし今の彼は道満にあって道満に非ず、リンボにあってリンボに非ず。
龍脈の力と百年の累積を一緒くたに喰らって高め上げたその力は今や、不可避の滅亡すら覆す闇の極星として機能するにまで至っていた。
「実に見事。実に甘美。しかし、しかァし――」
だからこそ此処に闇の不条理が具現する。
絶対不可避の敗亡の内側から浮上する禍津日神。
触手共を消し飛ばしながら。
虚無へと繋がる門を自らの力の大きさに飽かして閉じる離れ業を成しながら。
リンボはその掌に、一つの火球を生じさせた。
「忘れたか。儂こそは禍津日神、髑髏烏帽子を越えて戴冠の儀を終えた九頭竜新皇!
異界の神なぞ取るに足らず。猿の足掻きなぞ嗤うにも及ばず、仁王如きが断てる丈にも非ず!」
それは、一握の砂にも満たない極小の火。
煙草の先に火を灯すのが精々の種火でしかない。
少なくとも傍目にはそう見える。
しかし三者三様。
神殺しを成さんとする者達は其処に、あるべきでない威容を見た。
巫女は遥かフォーマルハウトにて脈打つ生ける炎の神核を。
猿は蠢き沸騰して止まない悍ましい呪力の塊を。
そして人斬りは、手を伸ばしたとて届く事のないお天道様の後光を。
各々確かに拝んだ。
その上で確信する。
あれを弾けさせてはならない――それを許せば自分達は此処で終わると。
巫女が鍵を回し。
猿と人斬りが地を蹴った。
だがすべて遅い。
嘲り笑うようにリンボは諸手を挙げ、歓喜のままに"それ"の生誕を言祝いだ。
「これなるは界聖杯が拙僧に授けた"縁"の結晶」
充填される魔力の桁は尋常ではない。
宝具の格に合わせて言うなら最低でも対城級。
直撃すれば英霊さえ軽々蒸発させる、正真の規格外に他ならない。
-
「屈辱と挫折の中、決して膝を屈する事なく歩み続けた甲斐もあるというもの。
つきましてはこの禍津日神・九頭竜新皇蘆屋道満の前へ立ち塞がった勇気ある貴殿らの葬送、この拙僧が承りましょう!」
蘆屋道満は斯様な力を持ってはいなかった。
力量の問題ではなく、性質そのものが彼の生まれ育った世界には存在しなかったからだ。
故にこれは彼の言う通り、界聖杯というイレギュラーが彼へと仲介した縁の結晶。
地を這い泥を啜り何とか手中に収めた龍の心臓。
受け継いだその脈動から伝わって来た力の最大出力…それこそがこの魔技の正体。
「刮目せよ。跪いて笑覧せよ。これなるは拙僧から貴殿らへと贈る最上の敬意にして至高の葬送」
その名を――
「――メギドラオンでございます」
メギドラオンと、そう呼ぶ。
属性は万能。
あらゆる防御も相性も無に帰す究極の火力。
指で摘める程度の大きさだった火球が天に昇り、見る見る内にそのサイズを直径十メートルを超す巨体へと変じさせ。
それが弾ける瞬間を以ってして、最終最後の屍山血河舞台に万象滅却の爆熱が吹き荒れた。
「はは、ははははは、あはははははははは――!」
響き渡るのは禍津日神の哄笑ばかり。
光が晴れて熱が引き、そして……
-
◆ ◆ ◆
夕暮れの帰り道。
惨めな帰り道。
片手に買い物袋を持って、もう一つの袋を持った親友と二人で帰途に着く。
その道中に会話はなかった。
何とも気まずくて、かと言ってそれを誤魔化せるお誂え向きな話題も思いつかず。
只無言のままに私達は歩いていた。
親も祖父母も居ない、血の繋がらない二人だけが暮らす小さな家へと帰る為に。
「…梨花は、このまま本当にいいんですの?」
「みー。何がですか、沙都子?」
「このまま私なんかと一緒に暮らし続けて、本当にいいのかって聞いているんですのよ」
何があったのかと問われれば本当につまらない事だと言うしかない。
買い物に出向いた先で小銭をぶち撒けた。
けれど拾うのを手伝ってくれる人は誰も居なかった。
今日は週始めで荷物が多いだろうからと追い掛けてきた梨花が拾い始めてようやく、素知らぬ顔をしていた村人達も拾うのを手伝い始めた。
レジで年嵩の店主が差し出してくれた飴玉は一つしかなかった。
梨花の分だけ。
当然のように、自分の分はない。
別に今更傷付く事もない当たり前の光景。
それでもやはり、梨花にこんな惨めな姿を見られたくはなかったとそう思う。
だからこそこんな負け犬の愚痴めいた、八つ当たりのような言葉が出て来たのだろう。
「梨花も知っているでしょう。私はこの村の嫌われ者ですの」
誓って言うが、梨花に敵意をぶつけたい訳ではなかった。
両親が居なくなって意地悪な叔母が死に。
大好きなにーにーも消え、一人ぼっちになった私に一緒に暮らそうと手を差し伸べてくれた梨花。
そんな梨花の事を嫌いになったり憎んだりなんてする訳がない。
だから思い返すにこれはきっと、単にこのどうしようもなく情けない現状の中で少しでも強がりをしたかったのだと思う。
「私なんかといつまでも一緒に居たら…いつか梨花も皆さんに爪弾きにされてしまうかもしれませんわ。
そうなる前に梨花だけでも、村長さんの家にでもご厄介になった方が――」
村というコミュニティそのものに嫌われ、居ない者として扱われ。
いつ何処でどんな死に方をしても誰も悲しまない、それどころか祟りのスケープゴートになる事を望まれてさえいるような現実の中で。
きっと自分はほんの少しでもこの親友に格好を付けたかった。
そんな思いのままに何とか捻り出した問いに、梨花は迷うでもなく笑顔を向けて。
「ボクは沙都子と一緒がいいのです」
「…話、聞いてました? 私と一緒に居たら、いつか――」
「沙都子を一人ぼっちにするくらいなら、ボクも一緒に仲間外れになってしまった方がマシなのですよ」
にぱー、と笑ういつも通りの姿に私は思わず閉口してしまう。
こうまであっけらかんと言われてしまっては毒気も抜かれてしまうというものだ。
そんな私の手をぎゅっと握って梨花は続けた。
「それに。沙都子は一人ぼっちなんかじゃありませんです」
「梨花…」
「魅音も居る。レナも居る。そしてボクが居る。来年になればきっと、もっと沙都子の事を楽しませてくれる人がやって来ますです」
「…なんですの、それ。お年寄りの皆さんが時々言ってる、オヤシロさまの巫女の予言ってやつですの?」
「みー。捉え方は沙都子次第なのです」
オヤシロさまの生まれ変わりがどうだとか。
そういう話はあまり信じていなかったが、こうもはっきり断言されてしまうと二の句も継げなくなる。
「そうですわね。私としたことがらしくないことを言ってしまいましたわ」
「全くなのです。沙都子にそんな繊細な物言いは似合わないのですよ、にぱー☆」
「り、梨花ぁ!? 私だって年頃の乙女ですのよ、ちょっとー!!」
そうして私はちっぽけな見栄の代償をちょっとした悔しさで支払うのだ。
商店街で味わった悔しさと寂しさはそうこうしている内にいつの間にか薄らいでいた。
寂しくても何処か満たされた、親友と往く夕暮れの帰り道。
辛い事も沢山あるけれどそれ以上の幸せがある、こんな暮らしがいつまでも続いていくものだと私は疑いすらせずそう信じていた。
年を取っても、子供でなくなっても…大人になっても。
自分と梨花は二人でこの村で生きていくのだと思っていた。
――沙都子にもボクと同じ夢を見て欲しいのです。
そう言って外の世界への切符を手渡されるだなんて。
そんな未来が来るなんて、この時は想像すらしていなかった。
◆ ◆ ◆
-
ずっと一緒に居られると、そう思っていた。
無条件に信じていた。
それは百年もの積み重ねが知らない内に齎していた確信だったのか。
それとも幼い頃から彼女の存在に救われ続けてきたからこその病理的思考であったのか。
未だ以ってその答えは出ないままだったが、北条沙都子はそもそもそれを必要としてすらいなかった。
「山程繰り返しましたわ。飽きる程の惨劇を用意すれば、貴方もきっと諦めるものだと思ってた!」
引き金を引いて銃弾を放つ。
飽きる程繰り返した動作だが、今や放つのは只の銃弾ではない。
単なる拳銃。
装弾数もほんのわずか、両手の指で数え切れる程度。
だというのに引き金を一度引く動作に合わせて数百発もの弾丸が放たれていた。
まるで機関銃だ。
弾丸の威力も以前までのものとは桁が違う。
一撃一撃が岩を砕き、木々を抉り、空間を削り飛ばす魔弾の域。
自分は人間ではなくなったのだと――沙都子にそう確信させるには十分すぎる不条理だった。
「なのに梨花ったら呆れる程強情なんですもの。巡り巡ってこんな所まで来てしまいましたわ!」
寂しさはない。
悲しみもない。
何故なら自分の所まで梨花も追い付いて来てくれたのだ。
ならば一体何を悲しむ必要があろう。何を嘆く必要があろう。
ああ、なんて喜ばしい。
世界はこんなにも満ち足りていて、そして小さく閉じている。
このまま永遠にこの箱庭が続いていけばいいとそう願わずにはいられない。
「貴方が私の手を取ってくれれば…二度と外の世界なんて願わないとそう言ってくれていれば!
私も、そして梨花も……こんなにしち面倒臭い回り道なんかせずに済んだかもしれませんのに!」
沙都子はハイになっていた。
かつてない程高揚していた。
最初からこの瞬間だけあれば良かったのだ。
聖杯戦争なぞ茶番に過ぎない。
最後に並び立つのは自分と梨花の二人以外に有り得ないのだから、他の役者など一切合切必要なかった。
「だからねぇ、梨花! 私…この部活だけは必ず勝ちます。貴方を打ち負かして、罰ゲームを受けさせてみせますわ。
そしていつか私の望む未来(それ)が貴方にとって罰でなくなるまで……百年でも千年でも、ずっとずーっと一緒に過ごしてあげますの!!」
魔弾はいつしか嵐になっていた。
もうそれは惨劇という規模ではない。
あらゆる物語を、複雑に怪奇した感情を、悲劇の連鎖を。
全て否定して踏み躙り、粗雑且つ無粋な暴力で塗り潰すかの如き喜劇。
神の介入と界聖杯への漂流で魔女達の物語は狂ってしまった。
それを物語るように沙都子の指先が悪夢を奏で、そして古手梨花もまた同じように。
「言ったでしょう。私の話を聞いていなかったの?
そんな事しなくたってずっとあんたの隣に居てあげる。
何千年でも何万年でも、あんたが飽きて音を上げるまで付き合ってやるわ」
-
不条理で以って不条理を跳ね返す。
右手に握った桜の神剣で魔弾を全て弾く。
それはサーヴァントもかくやの離れ業であるというのに、不思議とそれを繰り出せた事に驚きはなかった。
沙都子に出来るのなら自分にやれない筈がない。
トラップの腕や策謀勝負ならいざ知らず、純粋な力比べでならば負けなどするものか。
私だって――魅音や皆に鍛えられた最強の部活メンバーの一人なんだから。
「あんたが私に勝てたなら、ね…沙都子」
「勝ちますわよ。梨花が私に勝てる訳ないでしょう?」
…部活メンバーの中にも力量差はある。
戦う回数が多いから勝ち星の数は自然と増えるが、それでもやはり巧拙はあった。
その点で言えば古手梨花は間違いなく下から数えた方が早い。
「此処は私の庭、私の理想のカケラ。裏山での私の強さは知っていますわよね」
園崎魅音のように圧倒的な万能さもなければ。
竜宮レナのように抜きん出た冴えがあるわけでもなく。
前原圭一のように場を支配する爆発力は持っておらず。
そして北条沙都子のように、罠を張り巡らせて人を陥れる発想力もない。
猫を被って相手を騙くらかすくらいしか取り柄のない永遠のダークホース。
「今の私はそれより更に上。裏山と言わず、雛見沢の全てを支配する神。
絶対の意思を以って未来を定める、"オヤシロさま"と呼ぶべき存在ですのよ。
普通の部活でさえ私に勝ち越せなかった梨花が今の私に勝つだなんて、鼻で笑ってしまいますわ」
「…ふっ。よりによってオヤシロさまだなんて、一番似合わないのを選んだわね」
そんな事は梨花自身百も承知だ。
だが、梨花は猫を被っていた。
部活に限らず、ずっとだ。
惨劇のループの中で蓄積された知恵と根性、滑稽なまでの諦めの悪さ。
担い手としてではなく当事者として惨劇に挑み続けたそのしぶとさは、今の沙都子でさえ決して及べるものではないとそう信じている。
だからこそ梨花は神剣を振るう手を止めない。
地を蹴るその足を決して止めない。
瞳に宿す闘志を、消さない。
「オヤシロさまはそんな物騒な武器なんて使わないのよ。
アイツは誰よりも揉め事が嫌いで、辛い物一つでみっともなく泣きじゃくるような駄目神なの」
「何かと思えばそんな事。知っていますわよ――羽入さんでしょう? ほんの僅かな時間だけ私達の仲間だった、あの」
「あら、覚えていたのね。嬉しいわ。アイツもきっと草葉の陰で喜んでるんじゃないかしら」
舞台はいつの間にか丘を下って。
かつてはひぐらしが鳴いていた、山道の中へと移っていた。
-
不味いとそう思う。
この先は裏山に繋がっている。
裏山は沙都子のホームグラウンド。
ありとあらゆるトラップが張り巡らされた死地だ。
何とか遠ざけなければとそう思った矢先。
そんな梨花の努力を嘲笑うように、景色が見覚えのある場所へと切り替わった。
「残念。逃げられませんわ」
「…驚いた。あんた、本当に化物になったのね」
「此処は私の腹の中。場所を切り替える事なんて自由自在ですのよ。
それにしても化物だなんて心外ですわ。羽入さんが化物と呼ばれれば怒る癖に、私には平然とそう吐くんですの?」
「羽入とあんたは違うわ。今のあんたは神でも魔女でもない。只の化物よ」
異界の羽虫が群がってくる。
それ自体は大した脅威ではない。
が、安心など出来る訳もなかった。
此処があの裏山である事を踏まえて考えれば、この雑でひ弱な攻撃の意味も自ずと浮かび上がってくる。
“本命のトラップを隠すための、目眩まし…!”
「正解ですわ」
何せ戦ってきた年月も百年分だ。
相手の思考は互いに手に取るように解る。
梨花は沙都子の狙いを読み。
沙都子は梨花が気付いた事そのものを読む。
地面を貫いて噴き上がった奈落の棘を躱される事は大前提。
それに合わせて空気中に配備していた魔力のワイヤー線を反応させ、全方向からコンバットナイフを飛来させた。
見覚えのある形だった。
あれは確か、狂気に囚われた園崎詩音が使っていた凶器。
「只のナイフと侮ってはいけませんわよ。今日のトラップは私の集大成、雛見沢の全てを詰め込んでいますから」
「これの何処がトラップよ、馬鹿…!」
沙都子のトラップは抜群のセンスとそして試行錯誤に裏打ちされたものだ。
可愛いものでは黒板消しから、とてもではないが一般人相手には使えない巨大丸太まで。
入念なトライアンドエラーの末に磨き上げられてきた事を梨花は知っている。
だが今の沙都子が繰り出しているこれは最早そんな次元のものじゃない。
事前準備など一切無しに、神である沙都子の気紛れ一つでリアルタイムで無から湧いて来る透明な罠。
沙都子の視点から"かかった"と一方的に認識される事で初めてこの世に出現するそれは当然のように予測不能。
トラップマスターの矜持も糞もない悪辣極まるシュレディンガーの猫箱に、活き活きとした笑顔で新作トラップの構想を語って聞かせてくれた過去の彼女の姿を知る梨花は苦い顔をせずにはいられなかった。
「こんなの、只の後出しジャンケンじゃない。トラップマスターの名が泣いてるわ」
「浅い考えですわね。私、人を超えた存在になったんですもの。理不尽なのは当然でしてよ」
つい一秒前までは安全地帯だった地面の下に急に地雷が出現する。
踏み付けた代償は足元から駆け上がってくる強烈な電流だった。
「い、ぎッ…!」
ナイフの次はスタンガン。
百年のループの中で何度となく地獄を見せられてきた女の十八番だ。この感覚を忘れる訳もない。
古手梨花は今北条沙都子と戦いながら、此処までの旅路を追体験させられていた。
「流石はねーねー。身に余る希望で目を曇らせた梨花の目を明かすにはぴったりの一撃ですわ」
-
想い人への想いを狂気に変転させ。
哀しい暴走を引き起こした女の記憶が電撃を通じて梨花の脳裏を駆け抜ける。
僅かな時間とはいえ一箇所に縫い留められてしまった少女の右足が、次の瞬間弾け飛んだ。
「雛見沢を裏切った者には祟りが下る。一人が死に、一人が消える」
歌うように嘯く沙都子の右手では拳銃が白煙を吹いている。
それを仕舞いもせず、その左手に金属バットが握られた。
「世界の秘密を舞台裏まで知り尽くした今となっては、正直茶番としか言い様のないお話ですけれど。
それでもこの文句自体は結構気に入っていますの、私。
家族を、仲間を、雛見沢を――裏切る者には罰の一つくらいあって然るべきでしょう? 例えばほら、鬼隠しとか」
かつては沙都子の兄、悟史が握り。
彼と入れ替わるように分校へやって来た希望の光、前原圭一に受け継がれたそのバット。
よりにもよってこれを握りながら痴れた理屈を吐く沙都子に憤激が湧き上がった。
片脚の再生を待っている暇はない。
鬼狩柳桜を振るい、バットと神剣で火花を散らす――音を奏でる。
最初の三合は防戦一方。
しかし足が治れば梨花も攻めに転じる。
立ち上がって、勇猛果敢に沙都子へ挑みかかった。
怒りはある。
根性を叩き直してやらねばという使命感もある。
だがその実、脳は実に冷静だった。
沙都子が今再現したカケラの得体を推測し、それを踏まえてこれに続く事態へ当たりを付ける事が出来る程度には落ち着いて物を見れていた。
“圭一が狂気に堕ちる世界の数は少ない。
沙都子が今なぞっているのは多分、レナと魅音がその優しさ故に雛見沢の闇を…鬼を隠してしまった世界。だとしたら、次に来るのは……!”
オヤシロさまの祟り。
一人が死んで一人が消える、雛見沢の闇。鬼の歴史。
それをわざわざ語り出したという事は即ち、その鬼を隠した結果生まれた悲劇のカケラをなぞっているのだと梨花は推測する。
名付けるならば"鬼隠し"のカケラ。
そして古手梨花は知っている。
あのカケラには、明確なアンサーとなるカケラが存在している事を。
沙都子の次の一手が何かを確信しながらも、奥歯を砕けんばかりに噛み締めずにはいられなかった。
よりにもよって――そう来るか。
あの奇跡のようなカケラを、彼と彼女の想いをそんな風に歪めるのか、あんたは…!
「ッ、沙都子!」
「でも安心なさいませ、梨花? 私は寛大な神様ですのよ。
梨花が心から自分の過ちを悔いて、その罪滅しが出来るまで…ちゃんと付き合ってあげますからッ」
一際強く打ち合った、その瞬間を狙い澄ましたように足元が泥濘んだ。
バランスを崩した梨花の足に絡み付くのはワイヤー。
天を見上げる格好で転倒してしまった彼女の視界に、遥か空の彼方から降ってくる鈍い光があった。
それが何であるかなど目を凝らして見るまでもない。
"鬼隠し"で狂気に染まった彼が"罪滅し"をするあのカケラをなぞるのならば、此処で登場するのは彼女以外に有り得ないのだから…!
-
『あれを受けては駄目』
降ってくるギロチン、断罪の刃。
竜宮レナの大鉈を見上げる梨花の脳裏に声が響いた。
自分の体内を巡る超常の血、その大源が囁いている。
『命脈の殆どを断たれるわ。私と同調している今、即死はしないだろうけど』
『…ええ、分かってる。体を真っ二つにされた状態で悠長に這い回ってたら、あっという間に蜂の巣にされて終わりだものね』
だがそう、言われるまでもなく分かっている。
竜宮レナ。
青い炎を静かに燃やす彼女は味方なら何処までも頼もしいが、敵に回るとこれ以上ない程恐ろしかった。
それを誰より知っている梨花に限ってあの一刀を侮るなんて事は有り得ない。
こんな所で致命傷を受けている訳にはいかない。
全意識を集中させ、今や己の物となった血へ思考の全てを傾ける。
この血は夜桜の血。
神の如き力さえ実現させる桜の花。
常識に囚われるな。
そんなもの、金魚すくいの網のようにあっさりと打ち破ってしまえ。
そのくらい出来ずしてこの馬鹿な親友を張り倒す事なんて出来るものか。
確たる思いと共に命の残りを削り落とし、梨花は人体の限界をねじ伏せた。
「けったいな力を手に入れたのはあんただけじゃないのよ、沙都子!」
隻腕から花が咲く。
枝が伸びて、桜の大木を形成する。
絡み付く枝葉で絡め取りながら幹の太さで鉈の切れ味を殺す。
それがこの土壇場で古手梨花が用立てた、人間の体では絶対に不可能な無茶だった。
「ふふ――やるじゃありませんの、梨花。それでよくぞ人の事を化物呼ばわり出来たものですわ!」
「あら、誰に物を言っているの? 魔女としては私の方が遥かに先輩なのよ」
結果、梨花は何とか窮地を脱する事に成功する。
あれだけの無茶をしても受け止めた腕はバッサリと寸断されてしまったが、腕だけならば時間さえあれば回復可能だ。
柳桜を口に咥えて腕の再生を待ちながら地面を踏み鳴らす。
其処を起点に桜が芽吹き、波濤になって沙都子へ襲い掛かった。
本家本元の夜桜ですら始祖以外は不可能だろう芸当。
それも、寿命を代償にする覚悟とこの戦いに全てを懸ける意地が合わされば"可能"に変わる。
「えぇ、えぇ。そうでしたわね。けれど随分と冷たいのではなくて?」
「…? 何を言って……」
「"うまくいった"カケラの事しか覚えていないだなんて、それはあんまりにも傲慢と言うものでしょうに。
まぁそれも魔女らしいと言えばそうですけれど――傲慢な魔女の末路は決まっていますのよ、梨花?」
仕切り直しだ。
早くも肘の先程度まで再生した腕を見ながらそう思っていた梨花の背筋に冷たいものが駆け抜けた。
瞬時に気付きそして理解する。
自分はとんだ見落としをしていた。
そうだ――"罪滅し"のカケラは決して珍しいものではない。
圭一が記憶を継承し、過去の罪を償いレナを救った事だけを見れば唯一無二だが…構造自体は比較的出現率の高いカケラだった。
百年間の中でたった一度の成功例を露悪的に歪めたのが先の大鉈。
では、残り全ての失敗例を現出させるならどんな形になるのか?
その答えを古手梨花は知っている。
「火炙りですわ。さぁ、往生なさいませ!」
「ッ、ぐ…あ、ああああああッ!!」
――黒焦げのバラバラだ。
-
桜の波が炎に包まれた。
骨まで焦がす爆炎が、波を呑み込む津波となって梨花の総身を焼き尽くす。
“ッ…私の、馬鹿! こんな初歩的な見落としをしてるんじゃないわよ、この……!”
分校にガソリンを撒き、生徒全てを人質にして立て籠もったレナ。
その心を救う事叶わなかった世界の行く末は焦熱地獄以外に有り得ない。
傲慢な見落としの罰に悶え狂う梨花を嗤いながら、沙都子は次を用立てに掛かった。
ぱちん。
指を鳴らす音が小気味よく響く。
それと同時に、焼死体宛らの状態から元の美貌を取り戻しつつあった梨花の顔が痛みとはまた別の苦悶に歪んだ。
「…! これ、は……」
「女王感染者が死ねば黒幕の陰謀は最終段階に入る。
雛見沢症候群罹患者の集団発症を抑止する為、雛見沢全体の滅菌処理が行われる…
――緊急マニュアル第34号。神に成り損ねた鷹野さんの分も、この私が使って差し上げますわ――この"祟り"を」
火山性ガスに偽装した有毒ガスを用いた雛見沢村民全員の抹殺。
雛見沢大災害。それが古手梨花が死んだ後の世界、その大半で起こる最大の惨劇だ。
全ての命を"皆殺し"にする。
絶対の意思で運命を手繰り寄せた神が、村の全てを"祟殺し"て終わらせる。
そんな最大の死の形が世界の全てを満たした。
「御大層な血のようですけど、吸える空気のない世界じゃ生存可能な時間はたかが知れていますでしょう?」
…今の古手梨花は超人だ。
無呼吸でも常人の数倍、いや数十倍の時間は活動が可能だろう。
だが決して永遠ではない。
超人だろうが"人間"である以上は必ず限界がある。
そしてそのリミットを無慈悲に早める手段を、此処での沙都子は文字通り無限に所持しているのだ。
発射される銃弾、銃弾、銃弾。
神剣で捌くにつれて刻限が早まる。
試しに息を吸い込んでみたが、その結果は強烈な頭痛と文字通り死ぬ程の体調不良という形で顕れた。
“…駄目ね、吸えない。かと言って制限時間がある状態で勝てる程、沙都子は甘くない……”
ならば詰みなのか。
冷たい汗で全身を濡らしながら、梨花は連想された順当な結末に否を唱える。
“なら――”
不可能ならばねじ伏せればいい。
今の自分にはそれが出来る。
先刻確かめたその事実を寄る辺に梨花は行動に出た。
「ぉ、……お、おおおおおお……ッ!」
「…っ、ふ、あはははははッ! なんですのそれ、とても正気とは思えませんわ!
思わず笑ってしまいますわよ、そんなの! ええ、笑うなと言う方が無茶な話でしょう……!!」
ガスを吸い込んで、苦悶にのたうつ。
銃弾で体を蜂の巣に変えられても構わない。
脳と心臓、生存続行の為に必要不可欠な急所以外への被弾は全て無傷と同義だとそう考える。
そうまでしながら梨花は世界を満たす有毒気体を吸い込み――夜桜の徒でもなければ絶対に不可能な無茶を押し通そうとしていた。
「この死に、あらゆる命の袋小路たる大災害に――適応しようとするだなんて!」
-
祟りだの命の袋小路だの。
大仰な言い方をしてはいるが、結局の所蓋を開ければこんなものは只の毒だ。
今、沙都子は雛見沢を舞台にした惨劇のカケラを再現する事に固執している。
ならば毒の凶悪さそのものは強化されていたとしても、毒の組成や性質自体は据え置きだろうと彼女の拘りを信頼して梨花は賭けた。
毒を敢えて体内に取り込み、超人の肉体の適応能力に物を言わせて耐性を獲得する。
『ひどい無茶ね。上手くいく保証はないわよ』
『…つぼみ。貴方なら、出来る?』
『私の本体なら…そうね、人界の毒を基にしているのなら可能ではあるでしょうけど』
『そう…安心したわ。だって今、私は他でもないその貴方に力を借り受けているんだもの』
その言葉が、何よりの力になる。
今の自分はつぼみだ。
彼女と同調している。
彼女と契約を交わしている。
であれば出来ない筈はないと梨花は克己する事が出来たし、事実その瞬間から目に見えて彼女の体は死界の毒素に適応し始めていた。
『貴方の願いは私が叶えてあげる。だから貴方はまず先に、私の願いを叶えなさい』
『頼もしいわね。でも大丈夫かしら。私の血はあまりにも重く強いから。あまり欲張れば、体の方が先に限界を迎えるわよ』
『――上等、よ。貴方は何も考えなくていい。寄越せるだけ全部私に寄越しなさい』
呼吸が少しずつ取り戻されていく。
身を蝕む痛みが、血を無理に励起させた事による方の痛みで上塗りされていく。
『こっちは百年の惨劇を踏破した魔女なのよ。私に音を上げさせたいのなら、その三倍は用立ててから言うことね…!』
結果、次に目を見開くのは沙都子の方になった。
放たれていた銃弾を斬り伏せ。
作動したトラップの数々を薙ぎ払い。
そうして距離を詰めるなり、まずはこれまでのお礼とばかりに沙都子の脇腹へ一太刀入れる。
「ッッ…!」
「痛いでしょう。泣き虫だったものね、あんた」
「はッ――たったの一撃入れたくらいで調子に乗るなんて、無様が過ぎますわよ梨花ぁッ!」
舞い散る鮮血。
苦悶に歪む蒼白の顔。
夜桜の血で編まれた刀は形こそ神剣だが、その性質は傷口から桜の遺伝子をねじ込む妖刀だ。
異界のモノと混ざり変質した肉体にさえ激痛を齎す強き血。
沙都子はその痛みを受けながら確信した。
これは――この刃は自分に届く。
神に成った自分をさえ殺せる。
その事実は沙都子の全能感を著しく傷付けたが、しかし。
そんな屈辱さえ一瞬の後には歓喜に変わる。
「やっぱり楽しいですわね、本気で戦う部活は。
惨劇を手繰る魔女をやるのも性に合っていましたけど…あぁ、やっぱり私はこっちがいい!」
「ならさっさと戻って来なさいな。どだい似合ってないのよ、あんたに魔女だのゲームマスターだのは!」
「ふふ、ふふふふ――その台詞は私に勝ってから吐く事をお薦めしますわ!」
相手は梨花なのだ。
二人きりで行う一世一代の大勝負。
自分達にとっての、最高の部活の場なのだ。
ああならばこのくらいはしてくれなければ張り合いがないというもの。
指を鳴らす――刹那にして世界が書き換わる。
-
崩れた吊り橋。
真下には沢。
"祟殺し"のカケラの顛末を再現しながら、沙都子は落下していく梨花に銃を向けた。
他ならぬ自らも自由落下に身を任せて虚空に身を踊らせながら。
「お覚悟。なさいませ」
真上から真下へと連続発砲。
物理法則さえ無視して殺到する魔弾は言わずもがな致死だ。
今の梨花は間違いなく超人だったが、それでも頭部と胸部への被弾は徹底して避けている事に沙都子は既に気付いていた。
だからこそ此処から先はその二点しか狙わない。
再生ありきの無茶苦茶な戦法なぞ許すものか。
徹底的に動きを封じ込めて潰して、その上で完膚無きまでの敗北を味わせてやる。
哄笑と共に迫る墜落の魔弾。
それに対し梨花は逃げも隠れも、焦りすらもしない。
「もう見飽きたわ、あんたの反則は」
「あら梨花らしくもない。反則だろうが何だろうが最後に勝った者が官軍、魅音さんはいつもそう言っていたでしょう?」
「ええ、だから咎めるんじゃなく"見飽きた"と言ったのよ」
部活メンバーの中では反則は咎めるものでなく、見抜いた上で打ち破るもの。
だから梨花もそれに倣う。
柳桜を水平に構えて弾丸を弾きながら桜を咲かせ、即席の盾を作る。
沙都子の弾の威力は侮れない。
これしきの守りなど数秒と保たず破られるだろう。
それを承知で梨花は盾から更に枝を伸ばし、それで以って彼女の足を絡め取った。
「んな、ッ…!」
「降りてきなさい。いつまでも神様気取りで見下してるんじゃないわよ――馬鹿沙都子ッ!」
そのまま真下へ引きずり下ろして。
二人の位置座標が挿げ替わるその瞬間、梨花は動いた。
柳桜での一閃。
繰り返す者を殺す神剣、その写し(レプリカ)。
輝き蠢く桜花の刃を、親友の胴へ逆袈裟に閃かせた。
「…ち、ぃいッ……!」
沙都子の口から血が溢れ出す。
異界の羽虫が犇めいて失われた部分の肉を補填するが、体内に入った桜の血まではすぐに掻き消せない。
細胞一つ一つが棘だらけの虫に纏わり付かれているような想像を絶する激痛。
痛い。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――よくも。
よくもこのオヤシロさまたる私にこんなものを味わせましたわねと、沙都子は激痛の中で壮絶に笑いながら沢に落ちた。
水飛沫があがる。
膝を突きながら立ち上がるその姿を、着地を果たした古手梨花が見つめていた。
「立ちなさい、沙都子。それともたった一度やり返された程度でもう音を上げてしまうの?」
-
水飛沫があがる。
膝を突きながら立ち上がるその姿を、着地を果たした古手梨花が見つめていた。
「立ちなさい、沙都子。それともたった一度やり返された程度でもう音を上げてしまうの?」
「…ふッ。誰に物を言っているんですの、梨花ぁ……!」
そう、言われるまでもない。
この程度で折れる精神性ならばそもそも百年のループの追体験に耐えられなかったろう。
北条沙都子には紛れもなく魔女の資質があった。
古手梨花のように運命へ立ち向かうのではなく、運命を弄ぶ側としての才能があった。
そしてそれは今、蘆屋道満の悪意を最後のピースとして完成するに至ったのだ。
たかだか一度の辛酸程度余さず飲み干して糧に変えよう。
その程度の事も出来なくて、何故百年を走り抜けたこの黒猫を…奇跡の魔女を捕まえられるというのか。
「さあ、次は何。そろそろカケラ巡りも品切れでしょう。此処からはあんたが紡いだ悪趣味な蛇足のカケラでも出してくるのかしら?」
「ふ、ふふ。品切れ? 聞き違いかしら。品切れと仰いましたの、今?」
梨花の言葉を受けた沙都子は笑う。
心底おかしくて堪らないという風に。
「雛見沢大災害。昭和58年6月の終着点としては、確かになかなか救えない悲惨さですわ」
だがそれは特定のカケラでだけ起こる出来事ではない。
暴走した何某かによって古手梨花が殺害されるというイレギュラーな事態。
悪魔の脚本家である鷹野三四の手に掛からず梨花が死んだ世界を除けば、他全てのカケラでは滅菌作戦が実行されている。
言うなれば雛見沢大災害は予定調和の一つ。物語を閉じる為の舞台装置に過ぎないのだ。
「まぁでも心当たりがなくても仕方ありませんわね。だって梨花、貴方はその世界であった事を覚えていないんですもの」
古手梨花は全てのカケラの記憶を持つ。
しかし一つだけ。
たった一つだけ、記憶の継承に失敗したカケラがあった。
それは"罪滅し"のカケラをすら上回る奇跡の結晶。
惨劇のキーマン達が皆過去に学び、過ちを繰り返さず。
狂気への誘惑に打ち勝ち、皆で手を取り合って運命を打開した最上のカケラ。
禿鷹の悪意に踏み躙られて尚、最後の世界へと続く希望を体現してみせたとある物語。
その記憶を――梨花は有していない。
だからこそこれを予期する事は彼女には絶対に不可能だった。
…いや。
仮に予想出来ていたとしても、きっと梨花は何も出来なかったろう。
絶対の運命とはそういうもの。
奇跡の介在する余地すら奪い、一方的に結末のみを押し付ける最低最悪の袋小路。
故に沙都子は此処で切り札としてそれを切る事を決めた。
今の北条沙都子はこの閉ざされ停滞した雛見沢に君臨する現人神。
あまねく運命、あまねく惨劇をその掌で弄ぶ事を許された絶対の魔女。
そんな彼女が繰り出す究極の袋小路(うんめい)が今発現する。
「――え?」
異変に気付いた。
その瞬間にはもう全てが遅い。
一太刀入れ、沙都子に小さくない痛手を与えた梨花の体は…どういう訳か一寸たりとも動かせなくなっていた。
-
ガスによる麻痺だとかそういうのでは断じてない。
これはそういうものではない。
まるで世界そのものが時を刻むのを止めてしまったかのように、体の隅から隅までが凍っている。
夜桜の血も流れる事を止めて不変を貫き、細胞も筋肉も全てがそれに倣っているという異常事態。
“違う、これは…”
いいや、違う。
私はこれを知っている。
このカケラを知っている!
記憶と言うには足りない航海の断片が。
継承に失敗した結果、脳の深奥を漂うのみとなっていたとあるカケラの残骸が。
古手梨花に確かな既視感を持って目前の現実を認識させた。
しかしそれは何の希望にも繋がらない。
寧ろ真逆だった。
記憶を辿って既視感を得、そうして理解出来た事実は只一つ。
“これは――避けられない”
避けられない。
これは。
これだけは駄目だ。
そう確信させる光景が脳裏を流れていく。
梨花ちゃん。
最後の最後にごめんな。
運命なんか覆せるって大見得切ったのに…最初にリタイアしちまう。
希望が散る絶望の一瞬。
最高の世界が一瞬で地に落ちる。
その世界で何があったのかは思い出せなくとも、その絶望の味だけは思い出せた。
この凍った世界の中で動ける者は誰も居ない。
覆せない運命が古手梨花を凍らせ、そして北条沙都子の勝利を確定させた。
「終わりですわ、梨花」
…この雛見沢は。
この"禁忌停滞庭園"は。
北条沙都子の心象風景であり生得領域だ。
固有結界化は既に果たしている。
繰り返しによって蓄積させてきた神秘。
龍脈の力。
異界の神の一部。
三種のブーストは沙都子を生半なサーヴァントを十把一絡げに蹴散らせる"神"として成立させた。
そして今此処で解放したのは心象風景の具現化ではなく。
生得領域の内側を空間を司る外神の権能で結界の形に切り分けて梨花一人のみを隔離し、その上で沙都子自身の術式を付与する離れ業だった。
-
「これこそが絶対の運命。強く気高い思いで願った祈りは必ず現実になるんですのよ」
北条沙都子は呪術師ではない。
だがその才能は恐らく、古手梨花の比ではない程に高い。
だからこそ人外化を果たすと同時に沙都子は自らの術式を覚醒させる事に成功していた。
それこそが現実をねじ伏せる最後の隠し味。
絶対の魔女が繰り出す絶対の魔法、それを完成させる最終要素。
「私は、あの尊い時間が永遠になればいいと思った」
北条沙都子の生得術式。
それは――"停滞"。
時へ影響を及ぼす。
時を遅滞させ、愛する時間を永遠に近付けんとする過去への憧憬。
平時であれば彼我の動作に伴う時間を多少動かす程度が関の山であるが。
上述の"離れ業"を前提として打つ場合に限り、彼女の術式は必殺と化す。
「そしてその願いを、私は絶対に叶えてみせますわ。愛する世界の全てを地獄に変えても、必ず…!」
時は止まっている。
動ける者は何一つとしてない。
――故に必中。
時は止まっている。
沙都子の弾丸は撃ち落とせない。
――故に必殺。
「これこそがオヤシロさまの祟り」
必中必殺。
呪術の世界において、人はそれを"領域展開"と呼ぶ。
沙都子は素養はあるが呪術師としては成り立ての未熟者でしかない。
結界の規模は極めて小さく。
おまけに狙える相手も一人のみという有様。
不細工。そして不格好な領域だ。
これでは呪いの王は愚か、呪術全盛の時代を生きた猛者達にすら遠く及ぶまい。
だが――それでもいい。
沙都子は何も気にしない。
目指しているのは強者などではないのだ。
万人を弄ぶ神でなくたって、極論構いなどしないのだ。
「私が貴方に下す、絶対の運命――!」
古手梨花だけが居れば、他には何も要らない。
梨花だけを捕らえ続ける神であれればそれでいい。
自分の全てを曝け出した究極の術式開示。
百年分のカケラ、その内容をなぞり続ける極限の縛り。
以上をもって沙都子の領域は、駆ける黒猫に対して最大最強の効果を発揮する。
-
…弾丸が放たれた。
止まった世界の中を古手梨花は動けない。
その胸に。
脈動すら凍った心臓に、弾丸が優しく触れて――
たん。
そんな軽い音と共に、古手梨花の敗北が確定した。
-
投下を終了します。
残りは完成次第最後まで一気に投下する予定です
-
予約分の残りを投下します
-
メギドラオン。
それは極大の火力に他ならない。
単純な破壊力だけに絞って言えばリンボ自身の本来の宝具よりも数段上を行く。
龍脈の龍を経由してその身に会得した異世界の魔法。
蘆屋道満程の術師であれば、それを最上の形で扱いこなすなど朝飯前の茶飯事だった。
更に禍津日神・九頭竜新皇蘆屋道満として完成された素体をもってすれば尚の事。
結果として歓喜のままに解き放たれた最上の炎は屍山血河舞台の総てを焼き尽くし。
後に残された者達は、当然のように敗残者らしい姿を晒す憂き目に遭った。
「これはこれは」
アビゲイル・ウィリアムズは右腕を黒焦げの炭に変えられ。
新免武蔵は髪房を焼き飛ばされた上、炎の中に生存圏を捻出する為に多刀の半分以上を溶かさねばならなかった。
そして伏黒甚爾の損傷が一番重篤だ。
彼は左腕を肩口から消し飛ばされ、それだけに留まらず左胴全体に大火傷を被っていた。
如何に彼が天与呪縛のモンスターであると言えども、これは紛うことなき致命傷だった。
「皆様お揃いで、随分と見窄らしい姿になりましたな」
らしくもなく息を乱した姿に溜飲が下がったのかリンボは満足げに彼の、そして彼らの有様を嘲笑する。
一番被害の軽い武蔵でさえ二天一流の強みを大きく削ぎ落とされた形。
アビゲイルと甚爾は四肢を三肢に削がれ、後者に至っては生命活動の続行さえ危うい容態にまで追い込まれている始末。
無様。
神に弓引いた者達の顛末としては実に"らしい"体たらくではないか。
そう嗤うリンボだけが唯一無傷だった。
三人が負わせた手傷もダメージも、メギドラオンの神炎が晴れる頃にはその全てが消え失せてしまっていた。
「…大丈夫、二人とも」
「私は、なんとか。でも…」
アビゲイルの眼が甚爾を見やる。
甚爾は答えなかった。
それが逆に、どんな返事よりも雄弁に彼の現状を物語っている。
“…こりゃ駄目だな。流石に年貢の納め時らしい”
冷静に自分の容態を分析して判断を下す。
此処まで数秒足らず。
自分の肉体の事は嫌という程よく分かっている。
何が出来るのかも、何が出来ないのかも。
以上をもって伏黒甚爾は自分の末路を悟った。
“不味い仕事を受けちまったな。タダ働きの果てがこれじゃ全く割に合わねぇ”
ほぼ間違いなく自分は此処で死ぬ。
反転術式なんて便利な物が使える筈もない。
マスター経由での治癒も見込めず、体内は主要な臓器が半分程焼損している有様だ。
今こうして生き長らえている事が奇跡と言っても決して大袈裟ではなかった。
“従っても歯向かっても、結局汚れ仕事やるような奴は長生き出来ねぇってか。…返す言葉もねぇな”
あの時。
伏黒甚爾は、アイドルの少女を射殺した後――芽生えた違和感に逆らわなかった。
-
大人しく尻尾を巻いて逃げ帰った。
それでも結局こうして屍同然の姿を晒すに至っているのはどういう訳か。
問うまでもない。
そういう訳なのだ。
散々暗躍して来たツケか、どうやら往生際という奴が回ってきたらしい。
何か途轍もない幸運に恵まれて生き長らえる事が出来たとしても隻腕の猿など何の使い物にもなりはすまい。
つまり此処で自分は、ごくあっさりと詰んだ訳だ。
仕事人らしくひっそりと…呆気なく。
似合いの末路だ。
甚爾は満身創痍の体の可動域を確かめながら自嘲げに笑う。
とはいえこれで最後なら、もう後先考える必要もない。
最後に死に花咲かせてアビゲイルにバトンを渡せばそれで終いだ。
“化物退治の英雄になるつもりなんざ端からねえんだ。ド派手な英雄譚なんざ、持ってる奴らに任せとけばいい”
例えば、得体の知れない神に魅入られているガキだとか。
例えば、差し向けられた呪いも力も全部真っ向斬り伏せちまう剣客だとか。
華々しい勝利や首級はそれが似合う奴らに任せるのが絶対的にベターだ。
能無しの猿がやるべき仕事はその手伝いと後押し。
奴らが気持ちよく本懐果たせるように裏方仕事で敵を削り、死ぬ前に野郎の吠え面が見られればラッキーと。
そうまで考えた所で、
『猿では儂は殺せぬ。誅せぬ。一芸、一能、道具を用いようと知恵を使おうと、人の真似を超えませぬ』
『黄金ほどの衝撃もない。
雷光ほどの輝きもない。
火焔ほどの鋭さもない。
絡繰ほどの巧拙もない。
鬼女ほどの暴力には、些か足りない』
――違和感。
自らの意思と相反して隻腕に力が籠もった。
その右腕を見下ろす視線は忘我。
次に浮かんだのは苦笑だった。
「俺も懲りねえな」
"違和感に逆らい続けると、ろくなことがない"。
結局の所猿は猿なのだろう。
然り。
この身に正義だの信念だのそんな大層な観念は今も昔も一度だって宿っちゃいない。
只強いだけの空洞。
そしてその空白を埋める物は、もう未来永劫現れる事はない。
自分も他人も尊ぶことない。
そういう生き方を選んだのだから。
そんな青を棲まわせる余地なぞ、この体に一片だってあるものか。
それは今も変わらない。
きっとこれからも。
何があろうとも――。
「フォーリナー」
リンボの五指は今や指揮棒だった
振るその度に呼吸のような天変地異が発現する光景は悪夢じみている。
地震。火災。雷霆に怪異の跳梁、束ねた神威を放てばそれは必滅の審判と化す。
傷口が炭化して血すら流れない欠けた体で地面を蹴り、それらをどうにか掻い潜りながら。
すれ違う僅か一瞬、甚爾はアビゲイルへと耳打ちをした。
-
「――――――」
少女の眼が見開かれる。
だめよ、と口が動いた気がした。
それに耳は貸さない。
伝えるべき事は伝えたと、猿は戦端へ戻っていく。
“しかし流石に坊さんだな。人の陥穽探しは得意分野か”
捨てられるものは残らず捨てた。
何だって贅肉と断じて屑籠へ放り込んだ。
それをとっとと焼き捨ててしまわなかったのが"あの時"の失敗。
だから今回は歯車たれと。
依頼人のオーダーを完璧にこなして座へ帰る、そういう役割に殉ずるべきだと。
そう決めていた。
今だってそのつもりだ。
なのに猿は何処までも愚かしく。
そして、何処までも人間だった。
――後先がなくなった。
未来が一つに定まった。
後任は用意出来ている。
何より今この場を仕損じれば、その時点で仕事は失敗に終わるのが確定している状況。
そんな数々の理由が…言い訳が。
英雄が生前の偉業をなぞるが如くに。
術師殺しの男に、その愚行をなぞらせる。
「…さて」
右腕は問題なく動く。
両足の火傷も軽微だ。
内臓の損傷は重度。
失血で脳の回りは悪い。
何より片腕の欠損がパフォーマンスを著しく低下させている。
仕事人として、術師殺しとして片手落ちも良い所だ。
以上をもって伏黒甚爾は結論付ける。
――問題ない。
「やるか」
悪神と化したリンボを討たずして仕事の続行は有り得ない。
ならばその為に今此処で死力を尽くそう。
この違和感に逆らって。
この衝動に従って。
甚爾は地を蹴った。
無形の魔震を斬り伏せながら吶喊する。
嘲笑うリンボへ獰猛に笑い返して、男は愚かのままに突き進んだ。
-
呪霊の海が這い出でる。
禍津日神の呪力によって無から湧き出す百鬼夜行。
それを切り払いながら進む甚爾の奮戦は隻腕とは思えない程に冴え渡っていたが、しかしそれは大局に何の影響も及ぼしていなかった。
「健気なものよ。これしきの芸当、今の儂には無限に行えるというのに」
夜行は攻め手の一つに過ぎない。
甚爾を嘲笑うように九頭竜の顎が開き、九乗まで威力を跳ね上げた魔震を炸裂させた。
アビゲイルが鍵剣を振るって空間をねじ曲げる。
そうして出来上がった脆弱点を武蔵が押し広げ、力任せにぶち破った。
だが足りない。
無茶をしても尚砕き切れなかった震動の余波が彼女達の体を容赦なく蹂躙する。
武蔵が血を吐いた。
アビゲイルが片膝を突いた。
されど休んでいる暇などない。
甘えた事を宣っていれば、足元から間欠泉宛らに噴き出した呪炎の泉に呑まれていただろう。
「チェルノボーグ、イツパパロトル」
二神が列び立って天元の桜を迎撃する。
暗黒と吸精が、女武蔵の体を弾丸のように弾き飛ばした。
彼らは次の瞬間にアビゲイルの喚んだ触手に呑み込まれ即席の牢獄へ囚えられたが、それも所詮は僅かな時間稼ぎにしかならない。
空に瞬く赫い、何処までも赫い太陽。
先刻三人が見た最強の魔法を嫌でも想起させるそれが弾ければ、地上はまたしても熱波の地獄に置き換わった。
「メギド」
メギドラオンに比べれば遥かに威力は落ちる。
だがそんな事、何の救いにもなりはしない。
最上に比べれば威力が幾許か落ちる。
――だから何だというのだ。
「では十度程、連続で落としてみましょうか」
今のリンボが繰り出せばどんな術でも致命の威力を纏う。
ましてや格が低いという事は、即ち連射に耐える性能であるという事でもあり。
稚気のように言い放たれたその言葉は、彼女達に対する死刑宣告となって降り注いだ。
「絵画を楽しむ趣味は御座いませんでしたが。なかなかに愉しい物ですなぁ、絵筆で何か描くというのも」
この体を筆に、この力を絵具に。
自由気ままに絵を描く。
世界という名の白紙を塗り潰す。
そうして描き上げるのだ、色とりどりの地獄絵を。
地獄の業火より逃れ出んとする不遜者があれば直ちに罰を下そう。
羅刹王を超え髑髏烏帽子を卒業し、現世と地獄を永久に弄ぶ禍津日神と化したこの蘆屋道満の眼が黒い内は斯様な不遜なぞ許さない。
「このようになァ」
「あ、ぎ…!」
鍵を掴み立ち上がろうとした巫女の右足が吹き飛んだ。
リンボの放った呪詛が鏃となって無慈悲に罪人を誅する。
「如何ですか、アビゲイル・ウィリアムズ。純真故に怒る事すら正しく出来ない哀れな貴女」
全身の至る所に火傷を負い、酷い部分は炭となって崩れ始めているその様相は悲惨の一言に尽きる。
そんな彼女の姿にはこの状況でも尚何処か退廃的な美しさが宿っており、それを嬉々と感傷しながらリンボは綴る。
「主の仇を討つ事は愚か、彼女へ引導を渡したのと同じ攻撃で為す術なく膝を突かされる気分は。
是非とも、えぇ是非とも、この九頭竜新皇蘆屋道満へお聞かせ願いたい。それはさぞや芳しい蜜酒となりてこの身を潤すでしょうから」
-
「…とても痛くて、辛いわ。泣いてしまいそうになるくらい」
向けられるのは只管に思慮等とは無縁の悪意。
生傷に指をねじ込んで穿り返すような嗜虐。
それに対し滔々と漏らすアビゲイルの声にリンボは笑みを深めたが。
そんな彼に対して巫女は、鍵を杖によろよろと立ち上がりながら言う。
「可哀想な御坊さま。貴方は、私に怒ってほしいのね」
「ほう、これはまた面妖な事を仰る。
確かに、ええ確かに銀の鍵の巫女たる貴方が髪を振り乱し目を剥いて怒り狂う姿を見たくないと言えばそれは嘘になりますが」
ギョロリとリンボの眼が動いた。
「言うに事欠いてこの拙僧を哀れと評するとは…いやはや、異界の感性というのは解らぬ。
こうも満ち足り、満ち溢れて止まらないこの霊基が貴女には見えぬのですかな?
今まさにこの蘆屋道満は過去最高の法悦のままに君臨し、御身らの奮戦さえ喰らって地平線の果てへ漕ぎ出さんとしているというのに!」
「ええ。貴方はきっと…とても可哀想なひと。酷い言葉と、棘のような悪意で着込んでいるけれど……」
今のリンボは奈落の太陽そのものだ。
底のない黒を湛え、脈打ち肥え太る破滅の熱源。
既にその性質は赤色矮星と成って久しい。
彼はあるがまま思うがままに全てを呑み干すだろう。
まさに至福の絶頂。
哀れまれる理由等何もない。
「本当は…とても寂しいのね。
分かるわ。その気持ちを、私は何処かで知っているから」
巫女はそんな彼の逆鱗を、その指先で優しく撫でた。
「どれだけ手を伸ばしても届かない誰かに会うために歩き続ける。
星に手を伸ばすみたいに途方もない事だと知りながら、それでも諦められない何か。
頭のなかに強く、そう太陽みたいに焼き付いて消えない憧憬(ヒカリ)……」
…朧気に揺蕩う記憶が一つ、アビゲイルにはあった。
それはきっと"この"アビゲイルに起こった出来事ではない。
魂の原型が同じだから、存在が分かれる際に偶々流れ込んでしまっただけの記憶と想い。
ある少女の面影を探して、きっと今も宇宙の果てを旅しているのだろうもう一人の自分の記憶。
「だからお空を見上げているのでしょう。あなたは」
「――黙れ」
そんなものを抱えているから、アビゲイルはこうして悪逆無道の法師へと指摘の杭を打ち込む事が出来た。
昂るばかりであったリンボの声色が冷たく染まる。
絶対零度の声色の底に煮え滾る怒りの溶岩が波打っている。
その証拠に次の瞬間轟いた魔震は、先刻彼女と武蔵が二人がかりで抉じ開けた物より更に倍は上の威力を持って着弾した。
「ン、ンンンン、ンンンンンン…!」
それはまさに極大の災厄。
自分で生み出した呪符も百鬼夜行も全て鏖殺しながら、リンボは刃向かう全てを押し潰した。
立っている者は誰も居ない。
猿が倒れ。
巫女が吹き飛び。
剣豪でさえ地に臥せった。
-
「…いけない、いけない。神たるこの儂とした事が餓鬼の戯言に揺さぶられるとは」
誰一人禍津日神を止められない。
天を目指して飛翔する禍津の星を止められない。
力は衰えるどころか際限なく膨れ上がり、無限大の絶望として悪僧の形に凝集されている。
彼こそが地獄、その体現者。
この偽りの地上に地獄の根を下ろし。
いずれは世界の枠さえ飛び越えてありとあらゆる平行世界を悪意と虐殺の海に変えるのだと目論む邪悪の権化。
そんな彼の指先が天へと伸びた。
昏き陽の輝く空には鳥の一匹飛んでいない。雲の一つも流れていない。
孤独の――蠱毒の――お天道様が口を開けた。
白い歯と真っ赤な舌を覗かせながら、神に挑んで敗れた愚か者達を嗤っている。
「とはいえ今ので多少溜飲は下がりました。拙僧も暇ではありませんので、そろそろ幕を下ろすとしましょう」
そうだ。
これは太陽などではない。
斯様な悪意の塊が天に瞬いて全てを笑覧する豊穣の火であるものか。
彼男の真名(な)は悪霊左府。
かつて藤原顕光と呼ばれ、失意の内に悪霊へ堕ちた権力者の成れの果て。
蘆屋道満の盟友にして、彼の霊基に宿る三つ目の柱に他ならない。
「因縁よさらば。目覚めよ、昏き陽の君」
其処に収束していく呪力の桁は最早次元が違った。
単純な熱量でさえ先のメギドラオンを二段は上回る。
放たれたが最期、全てを消し去るに十分すぎる凶念怨念の核爆弾だ。
全ては終わる。
もの皆等しく敗れ去る。
「この忌まわしい縁の悉く平らげて、三千世界の果てまで続く大地獄の炉心と変えてくれよう――」
太陽が瞬くその一瞬。
リンボの高らかな勝利宣言が響き渡る中。
「ぞ……?」
…しかし彼はそこで見た。
視界の中、倒れた三人の中で誰よりも早く。
灼け千切れた体を動かして立ち上がった女の姿を、見た。
その姿は見る影もない程ボロボロだった。
勇ましく啖呵を切ってのけた時の清冽さは何処にもない。
死に体と呼んでもそう的外れではないだろう。
二天一流を特殊たらしめる多刀も今や二振りが残るのみ。
足を止めて死を受け入れても誰も責めないような、血と火傷に塗れた姿格好のままで。
それでもと、女武蔵は立ち上がっていた。
「――」
その姿を見る蘆屋道満。
惨め、無様。
悪足掻き、往生際悪い事この上なし。
罵る言葉なぞ幾つでも思い付くだろう醜態を前にしかし彼は沈黙している。
得意の嘲笑を口にするのも忘れて。
道満は――リンボは己が霊基の裡から浮上する光の記憶を思い出していた。
-
“…莫迦な。そんな事がある筈がない”
既視感。
本願破れて失墜し。
常世総ての命を殺し尽くすとそう決めた己の前に立ち塞がった男が、居た。
青臭くすらある喝破は子供の駄々とそう変わらなかったが。
それを良しとする神が笑い。
愚かしい程真っ直ぐなその男に、英雄に――剣を与えた。
あの光景と目の前の女侍の姿が重なる。
有り得ぬと。
布石も理屈も存在すまいと。
理性ではそう解っているのに何故か一笑に伏す事が出来ず、リンボは抜き放たれたその刀身を見つめ呟いていた。
「――神剣」
都牟狩、天叢雲剣、草那芸剣。
神が竜より引きずり出した都牟羽之太刀。
霊格では到底それらに及ぶべくもない。
禍津日神は愚か羅刹王にさえ遠く届かないだろう、桜の太刀。
それが何故ああも神々しく目映く見えるのか。
あれを神剣だなどと、何故己は称してしまったのか。
「…そう。貴方がそう思うのならきっとそうなんでしょうね、蘆屋道満」
「……否。否否否否否否否! 有り得ぬ!
そんな弱い神剣がこの世に存在するものか! 世迷言を抜かすな新免武蔵ィ!」
「残念吐いた唾は飲めないわ。他でもない貴方自身が"そう"認識したんですもの。
うん、ちょっと安心しました。私、まだちゃんと貴方の敵であれてるみたいね」
これは神剣等ではない。
宿す神秘はたかが知れており。
神域に届くどころか一介の宝具にさえ及ばないだろう一刀に過ぎない。
だがリンボは先刻確かにこれに神の輝きを見た。
かつて己を滅ぼした、あの雷霆の如き光を。
悪を滅ぼしその企みを挫く――忌まわしい正義の輝きを見た。
「…銘を与えるなら"真打柳桜"。繰り返す者を殺す神剣」
勝算としてはそれで十分。
リンボの示した動揺が武蔵の背中を後押しする。
他の誰でもない彼自身がこの剣に神(ヒカリ)を見たのなら。
それこそは、これが目前の大悪を討ち果たし得る神剣なのだという何よりの証明だ。
たとえ贋作の写しなれど。
贋物が本物に必ずしも劣る、そんな道理は存在しない。
「――おまえを殺す剣よ、キャスター・リンボ!」
「ほざけェェエエエエエエ新免武蔵! 光の時、是迄! 疑似神核並列接続、暗黒太陽・臨界……!」
桜の太刀、煌めいて。
満開の桜に似た桃光が舞う。
見据えるのは空で嗤う暗黒の太陽。
地上全てを呪い殺すのだと豪語する奈落の妄執。
これは呪いだ。
これらは呪いだ。
改めて確信する。
こいつらが存在する限り、あの子達は笑えない。
あの二人が共に並んで笑い合う未来は決して来ない。
…それは。
爆ぜる太陽の猛威も恐れる事なく剣を握る理由として十分すぎた。
「伊舎那、大天象ォォ――!!」
「――狂乱怒濤、悪霊左府ゥゥッ!!」
光と闇が衝突する。
成立する筈もない鬩ぎ合い。
それでも。
負けられぬのだと、武蔵は臨む。
その眼に。
あらゆるモノを斬る天眼に。
桜の花弁が、灯って――
◆ ◆ ◆
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必中、そして必殺。
古手梨花のみを殺す、古手梨花を確実に殺す領域。
時の止まった世界を駆ける弾丸、それは沙都子の先人に当たる女が駆使した運命の形だった。
人の身に生まれながら神を目指した愚かな女。
自分自身でもそう知りながら、しかし只の一度として諦める事のなかった先代の魔女。
今となっては彼女さえ沙都子の駒の一体でしかなかったが。
それでも梨花に勝つ為ならばこれが最良の形だろうと沙都子は確信していた。
上位の視点から異なるカケラを観測する術も持たぬ身で、百年に渡り黒猫を囚え続けた女。
彼女が振るった"絶対の運命"は後継の魔女、今は神を名乗る沙都子の手にもよく馴染んでくれた。
…止まった世界の中を弾丸が駆け。
そして古手梨花は為す術もなく撃ち抜かれた。
胸元から血が飛沫き、肉体を貫通した弾丸は彼方へ飛んでいく。
「チェックメイトですわ、梨花」
夜桜の血による超人化。
それも即死までは防げない。
梨花が頭と心臓への被弾だけは避けていたのがその証拠だ。
そんな解りやすい弱みを見落とす沙都子ではなかった。
部活とは、勝負とは相手の弱みを如何に見つけどう付け込むか。
仮に自分でなくとも、部活メンバーであるなら誰しも同じ答えに辿り着いただろうと沙都子は確信している。
「最後の部活…とても楽しかった。今はこれで終わりですけど、すぐに蘇らせますから安心してくださいまし」
決着は着いた。
役目を終えた領域が崩壊する。
それに伴って止まった時間も動き出した。
世界に熱と音が戻る。
心臓を破壊された梨花の体がぐらりと揺らぎ、地面へ吸い込まれるように倒れていき…
「――なってないわね、沙都子」
完全に崩れ落ちる寸前で、踏み止まった。
――え。
沙都子の眼が驚愕に見開かれる。
演技でも何でもない。
本心からの驚きに彼女は目を瞠っていた。
馬鹿な。有り得ない。そんな筈はない。
弾丸は確実に命中していた――心臓を破壊した確信があった。
それに何十年分という体感時間を鍛錬に費やして技術を極めた自分がこの間合いで動かない的相手に外す訳がない。
じゃあ何故。
どうして。
答えが出る前に思考は中断された。
梨花の拳が、沙都子の呆けた顔面を真正面から殴り飛ばしたからだ。
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「が、ぁッ…?!」
鼻血を噴き出して転がる。
只殴られただけだというのに、先刻刀で斬られた時よりも酷く痛く感じられた。
垂れ落ちる血を拭いながら立ち上がる沙都子の鋭い視線が梨花の顔を見据える。
「どう、して。どうして生きているんですの…! 私は外してなんかない、確実に貴女の心臓を撃ち抜いた筈ですのに!」
「さぁね。私にも…答えなんて解らない。所詮借り物の力だもの。小難しい理屈や因果なんて知らないわ」
そう言い放つ梨花の瞳には或る変化が生じていた。
桜の紋様が浮かび、発光しているのだ。
梨花にはこの現象の理屈は解らなかった。
しかしそんな彼女の裡に響く声がある。
『それは"開花"。夜桜(わたし)の血が極限まで体を強化したその時に花開く力』
…夜桜の血を宿した者は超人と化す。
これはその更に極奥の極意。
流れる血をまさに花開かせる事で可能となる正真の異能だ。
『元々兆候はあったけれど…まさか実戦で使えるまでに至るなんて。梨花ちゃんはつくづく夜桜(わたし)と相性がいいのね』
開花の覚醒は夜桜の力を数倍増しに強化する。
古手梨花は夜桜と成ってまだ数時間という日の浅さだが、しかし初代も驚く程の速度でこれを発動させる事に成功した。
北条沙都子が彼女に対して用いた絶対の運命――領域展開はまさに確殺の一手だった。
認めるしかない。
あれは梨花にとって本当にどうする事も出来ない詰みだった。
梨花もそれをすぐに悟った。
失われた記憶の断片が自分に告げてくる底知れない絶望の感情。
この運命からは逃げられないと、古手梨花の全てがそう語り掛けてきた。
「私は、こんな所で終われないと強く強く思っただけ」
「…ッ。そんな事で……そんな事で、私の運命を破れるわけが!」
「あら。私の通ったカケラを全部見てきた癖にそんな簡単な事も解らないの?
良いわ、改めて教えてあげる。運命なんてものはね、金魚すくいの網よりも簡単に打ち破れるものなのよ」
だとしても。
まだだ、と。
今際の際に梨花は詰みを回避する唯一の手段を捻出する事に成功した。
それが開花。
夜桜の血との完全同調。
簡単にとは行かなかったが。
それでも確かに古手梨花は、北条沙都子が繰り出した絶対の魔法を打ち破ってみせた。
「勝ち誇った顔をしないでくださいまし。たかが一度私の鼻を明かしたくらいでッ!」
「言われるまでもないわ。こっちもようやく温まってきた所なんだから」
これにて戦いは仕切り直し。
沙都子が銃を向け、梨花は切っ先を向ける。
『だけど気を付けて。その体は、開花の負担に耐え切れていない』
そんな事だろうと思っていた。
奇跡とはそう簡単に起こるものではない。
奇跡の魔女となる可能性を秘めた少女も、人の身では依然その偉業には届かないまま。
中途半端な希望は脳内に響く初代の声によって否定される。
『貴女の開花は"奇跡"。肉体の死を跳ね返す、本家本元の夜桜にさえ勝り得る異能』
生存の可能性がゼロでない限り、小数点の果てにある奇跡を手繰り寄せて自身の死を無効化する。
それこそが梨花の開花。
沙都子は絶対の魔女として急速に完成しつつあるが、神の因子を得た今の彼女でもまだ真なる絶対(ラムダデルタ)には程遠い。
だから彼女が扱う絶対の魔法には穴があった。
人間にとっては"無い"のと同義と言っていいだろう限りなくゼロに近い穴。
真なる奇跡(ベルンカステル)と袂を分かった梨花のそれもまた、沙都子と同様に穴を抱えていたが。
絶対のなり損ないと奇跡のなり損ないとでは本来あるべき相性の構図が反転する。
絶対の中に生まれた小数点以下極小の「もしも」を梨花の奇跡は必ず手繰り寄せる事が出来るのだ。
故に梨花は生を繋いだ。
しかしこんな、夜桜の血縁にさえ例がない程の芸当をやってのけた代償もまた甚大だった。
『二度目の開花で貴方は完全に枯れ落ちる。だから事実上、次はないと思っていい』
-
一度きりの奇跡。
まさに首の皮一枚繋いだ形という訳だ。
仮に沙都子がもう一度あれを使って来る事があればその時点で今度こそ梨花の敗北は確定。
断崖絶壁の縁に立たされたのを感じながら――それでも梨花は恐れなかった。
「行くわよ、沙都子」
「…来なさい、梨花!」
地を蹴って刀を振るう。
弾丸が脇腹を吹き飛ばすが気になどしない。
恐れず突っ込んだのは結果的に正解であった。
“力が、使えない…!?”
当惑したのは沙都子だ。
先刻まであれだけ漲っていた力が、急に肉体の裡から出て来なくなった。
消えた訳ではない。
確かに体内に溜まっている感覚がある。
なのに出力する事だけがどうやっても出来ない。
もう一度時を止めて撃ち殺せば済むだけだというその想定が、不測の事態の前に崩壊する。
――沙都子は術師ではない。
だから当然知る筈もなかった。
領域の展開は確かに絶技。
生きて逃れる事は不可能に近い。
だが反面弱点も有る。
領域を展開して暫くの間は、必中化させて出力した術式が焼き切れるのだ。
従って今、沙都子は時を止められない。
黒猫殺しの魔弾を放つ事が出来ない…!
“もう一度あれを使われたら、その時こそ私の負け”
“もう一度あれを使えれば、私の勝利は確定する”
――最後の部活。
その制限時間が決まった。
北条沙都子の術式が回復するまで。
それが、この大勝負と大喧嘩のリミット。
梨花はそれまでに沙都子を倒さねばならず。
沙都子は、その刻限まで逃げ切れば勝ちが決まる。
有利なのは言わずもがな沙都子の方だ。
しかし彼女は、梨花から逃げ回る事を選ばなかった。
-
間近に迫る刀を躱す。
降臨者化を果たした体は完成度で決して夜桜に劣らない。
だからこそ梨花の斬撃を紙一重まで引き付けて躱し、その上で間近から頭部に向け銃弾の乱射を見舞うような芸当さえ可能だった。
梨花はこれを桜の花を出現させて受け止めさせ対処するが、先のお返しとばかりに沙都子の拳が鼻っ柱をへし折った。
次いで腹を蹴り飛ばされ、もんどり打って転がった所をまた銃撃の雨霰に曝される。
「は、はッ…! どうですの梨花ぁ……! 貴方が私に勝てるわけ、ないでしょうが!!」
「げほ、げほ…ッ。はぁ、はぁ……良いじゃない、そっちの方がずっとあんたらしいわよ沙都子。
神様気取りなんて全然似合わない。あんたはそうやって感情を剥き出しにして、生意気に向かってくるくらいが丁度いいのよ……!」
「その減らず口も…いつまで利いてられるか見ものですわね!」
群がる異界の羽虫を斬り飛ばし。
殺到する触手は斬りながら逃げて対処する。
湧き上がらせた桜の木々が触手を逆に絡め取って苗床に変えた。
異界のモノ…沙都子を蝕む冒涜的存在を片っ端から捕まえて殺す食虫花。
古手梨花は徹底的に、神としての北条沙都子を否定していく。
「そう――こんなの全然似合ってない。らしくないのよ、あんたが黒幕とか悪役とか!」
「私をこうしたのは梨花でしょうが!」
「解ってるわよそんな事! だから、引きずり下ろして同じ目線でもう一回話をしようとしてるんじゃない…!」
鉛弾が右腕を撃ち抜いた。
刀を握る力が拔ける。
知った事かと左手で沙都子を殴った。
沙都子の指が引き金から外れる。
知った事かと、沙都子も右手で梨花を殴る。
そうなると最早武器の存在すら彼女達の中から消えていく。
能力も武器もかなぐり捨てて。
二人は只、思いの丈をぶつけ合いながら殴り合っていた。
「そんなまどろっこしい事してられませんわ…! 私が勝って貴方を思い通りにすればいいだけの話じゃありませんの!
雛見沢を、私達を……私を捨てて何処かへ行こうとする梨花の言う事なんて信用出来る訳がありませんわ!」
沙都子が殴れば。
「うるさいわね、馬鹿! 捨てるだの何だのいちいち言う事が重いのよあんたは…!」
梨花も負けじと殴り返す。
容赦のない拳は肉を抉り骨をも砕く。
だが双方ともに、人間などとうに超えているのだ。
少女達は可憐さを維持したまま無骨な殴り合いに興じていく。
「外の世界に行きたい。今まで知らなかった景色を見たい。そう願う事が悪いなんて話は絶対にない!」
「貴女がそんなだから私がこうして祟りを下さなければいけないのでしょうが…!
あんな監獄みたいな学園で、背中が痒くなるような連中に囲まれてちやほやされて暮らす未来。
それが……そんなものが、梨花の理想だったんですの? ねえ、答えて――答えなさいよッ!」
「そんな、わけ…ないでしょ――!」
そうだ、そんな訳はない。
憧れがなかったとは言わない。そういう世界に。
何しろ百年の日々は自分にとってそれこそ監獄だった。
雛見沢の古手梨花以外の何者にもなれない。
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オヤシロさまの巫女。
古手家の忘れ形見。
村人みんなに愛される村のマスコット。
自分は只、そんな世界から一歩踏み出してみたかっただけ。
自分の事なんか誰も知らない世界で自由に生きてみたかった、それだけ。
そしてその横に…一つ屋根の下で一緒に暮らして来た親友が居てくれたらとそう思ったのだ。
「雛見沢症候群も安定して、何処にでも行けるようになった。
そんなあんたと一緒に外へ出て、色んな物を見てみたいと思った。
だからあんたを誘ったのよ。お山の大将になるのが目的だったなら、あんたみたいなお転婆連れてく訳ないじゃないッ」
「だったら…! 私とずっと二人で居れば良かったじゃありませんの!
梨花が一緒に居てくれたのなら、梨花さえ一緒に居てくれたら……!
私だって大嫌いでしょうがない勉強も、いけ好かないお嬢様気取りの連中も…我慢出来たかもしれませんのに!」
一際強い拳が打ち込まれて梨花が蹌踉めき後退する。
荒い息が口をついて出る。
夜桜の血を宿し、仮に一昼夜走り続けても疲れないだろう体になったにも関わらず酷く呼吸が苦しかった。
見ればそれは沙都子も同じのようだ。
「ッ…。それは、……本当に後悔してるわよ。誓って嘘じゃない」
理由や因果を求める等無粋が過ぎる。
彼女達は今、かつてない程に本気なのだ。
だから息も乱れる。汗も掻く。拳が痛くなるくらい力も込める。
「すれ違いがあったとかそんなのは体のいい言い訳に過ぎないわ。
…私はあの時、周りの連中を振り切ってでもあんたに会うべきだった。
ふて腐れてむくれたあんたの手を引っ掴んで側に居てやるべきだった。
病気が治って狂気が消えても、……あんたの心に残った傷までなくなった訳じゃないって事、忘れてた」
北条沙都子には傷がある。
人間誰しも心の傷くらいある。それは確かにそうだ。
でも沙都子のそれは常人と比にならない数と深さであると、梨花は知っている。
両親との不和とそれが生んだ悲しい惨劇。
叔母夫婦からの虐待。
兄への依存とその顛末。
村人からの冷遇。
全て解決した問題ではある。
過ぎ去った過去ではある。
だとしても…心に残った傷痕まで消える訳ではない。
その傷が雛見沢症候群なんて関係なく不意に疼き出す事も、きっとあるだろう。
それをかつての自分は見落としていた。
蔑ろにしていた、見ていなかった。
…それが古手梨花の"業"。
「――なにを、今更」
梨花の告白を聞いた沙都子は思わずそう口にした。
湧いて出た感情は怒りとやるせなさ。
後者は見せる訳にはいかないと。
そう思ったから唇を噛み締めて拳を握る。
そのまま梨花の横っ面に叩き付け殴り飛ばした。
「誰が…! 信じるって言うんですの、そんな言葉……!」
-
梨花は拳を返してこない。
されるがままだ。
地面に倒れたその胸へ馬乗りになって沙都子は拳を振り下ろした。
「何度繰り返しても、何度閉じ込めても! 私がどんなに工夫して殺しても甚振っても追い詰めても…!
それでも最後の世界まで雛見沢の外を目指し続けたわからず屋の梨花!
必死に説得してどうにか心をへし折っても、きっかけ一つあればそうやってまた外の方を向いてしまう!
そんな貴女の言う事なんて……! 何一つ信用出来ないんですのよ、馬鹿ぁッ!」
何度も何度も。
何度も何度も振り下ろす。
鼻が砕けて歯がへし折れる。
顎が砕けて目玉が潰れ、顔を顔として識別するのが不可能になっても沙都子はそれを続けた。
「私は…! 外の世界なんて一生知らないままで良かった!」
何が悲しくて大好きな雛見沢を捨てなければならない。
そうまでして見る価値があるのか、あんな世界に。
「外なんて大嫌い、勉強も都会も全部だいっキライ!
何処もかしこも排気ガス臭くて五月蝿くて暑くて…雛見沢の方がずっといい!
何が良いんだかさっぱり解らない甲高いだけの歌声をバカみたいな音量で流してありがたがってる神経もさっぱり解らない!」
井の中の蛙と呼ぶならそれでいい。
あの井の中には全てがあったから。
北条沙都子が幸福に生きていける全てが揃っていた。
「…私は!」
梨花も同じだとばかり思っていた。
そして今も、自分と同じになるべきだと思っている。
「私は……あの家であなたと一緒に居られたなら、只それだけで良かったのに!」
…それが北条沙都子の"業"。
此処に二人は互いの業をさらけ出した。
梨花の手が。
ずっと無抵抗だった彼女の手が動いて、沙都子の拳を受け止める。
次の瞬間沙都子は顔面へ走る衝撃によって吹き飛ばされた。
顔を再生させながら梨花が立ち上がる。
沙都子も呼応するように立ち上がった。
仕切り直しだ――梨花は再び刀を、沙都子は再び銃を握って相手に向ける。
「…ねえ、沙都子」
「…何ですの、梨花」
忌まわしい花だ。
視界にちらつく花弁を見て沙都子は思う。
桜は嫌いだ。
門出の季節をありがたがる気にはなれない。
"卒業"なんて誰がするものか。
この業は、これは、私のものだ。
誰にも渡さない。
一生、世界が終わったって抱え続けてやる。
-
「私が勝った時の罰ゲーム。今の内に言っておくわね」
そんな沙都子に梨花はこんな事を言った。
沙都子はそれを鼻で笑う。
負ける気などさらさらないのだ、何だっていい。
どんな罰ゲームだって受けてやるとそう不遜に示す。
「ボクは…もう一度、沙都子とやり直したいです」
「――――」
そんな沙都子の思考が止まった。
魔女としての言葉ではなく。
敢えて猫を被り、自分のよく知る"古手梨花"として話す彼女の言葉。
「外の世界への憧れはやっぱり捨てられません。
沙都子の言う通り、ボクは何度だって雛見沢という井戸の外を目指してしまう。
そしてボクの隣に沙都子が居て、二人で同じ景色を見る事が出来たらいい。そんな夢を見てしまうのです」
「…何、を。言って――話、聞いてませんでしたの? 私は……!」
「解っています。だからこれは沙都子にとっては罰ゲームなのですよ」
それはあまりにも愚直な言葉だった。
馬鹿げている。
何を聞いていたのかと思わず反論しそうになったが、罰ゲームの一語でそれを潰された。
理に適っているのがまた腹立たしい。
相手が嫌がる事でなくては罰にならないのだから。
「沙都子が勉強したくなるように、定期テストは毎回ボクら二人の部活にしましょう。
負けたら当然罰ゲーム。それなら沙都子だってちょっとはやる気が出ると思います」
「…付き合ってられませんわそんなの。毎回カンニングでクリアしてやりますわよ、面倒臭い」
「みー。沙都子はやる気になれば出来るタイプだと思うので、そこは実際にやってみて引き出していくしかないですね。
ちなみにボクの見立てじゃ沙都子は二回目くらいから真面目に勉強してくるようになる気がしますです。
部活で負けた罰ゲームを適当にこなすなんて、ボクが許しても魅ぃの部活精神が染み付いた沙都子自身が許せない筈なのですよ。にぱー☆」
「む、ッ…。見透かしたような事を言うのはおやめなさいませッ」
そんな未来は来ないと解っていてもついつい反応してしまう。
威嚇する犬のように声を荒げた沙都子に、梨花は微笑みながら問い掛けた。
「沙都子は、どうしますか?」
「……」
「ボクが負けたらその時は言った通りどれだけだって沙都子に付き合います。
それでも外を目指してしまったら、沙都子が頑張って止めてください。
何なら決して外に出られない…そんなカケラを作って閉じ込めたって構わないのですよ。
ボクに勝って先に進んだ沙都子ならきっとそういう事も出来るようになるでしょうし」
梨花の言う通り、きっと遠くない未来にはそんな事も可能になるだろう。
沙都子にはそもそもからして魔女となる素養が秘められている。
其処にリンボの工作と龍脈の力が合わされば、最早そう成らない方が難しい。
カケラを自由自在に渡り歩きはたまた自ら作り出し。
思うがままに神として振る舞える存在として"降臨"する事になる筈だ。
そう成れれば当然、可能である。
古手梨花を永遠に閉じ込めて飼い殺す封鎖された世界。
ガスが流れ込む事のない猫箱を作り出す事なぞ…朝飯前に違いない。
-
「私、は…」
自分自身そのつもりで居たのに。
今になってそれが何だかとても下らない考えのように思えて来るのは何故だろう。
梨花のあまりに場違いで暢気な言葉に毒気を抜かれてしまったのだろうか。
魔女の力。
神の力。
絶対の運命。
永遠の牢獄。
魅力に溢れて聞こえた筈の何もかもがつまらない漫画の、頭に入ってこない小難しい設定のように感じられてしまう。
「私は…梨花と雛見沢でずっと暮らしていたい。それだけで十分ですわ」
そうして北条沙都子は原初の願いに立ち返った。
此処にはもうエウアもリンボも関係ない。
願いは一つだったのだ。
其処にごてごてと付け足された色んな恐ろしげな言葉や大層な概念は全て自らを大きく見せる為の贅肉に過ぎなかった。
「ちゃんと罰ゲームでしょう? 梨花にとっては。
あの息苦しい学園にも、人混み蠢く東京にも出られないで私と一緒にずっと暮らすなんて」
「…みー。ボクは猫さんなので、沙都子の眼を盗んでお外ににゃーにゃーしちゃうかもしれないのですよ?」
「その時は首根っこ引っ掴んででも捕まえて連れ帰ってやりますわ。逃げ癖のある猫だなんて、ペットとしては面倒なことこの上ありませんけど」
一瞬の静寂が流れる。
それから少女達はどちらともなく笑った。
「――くす」
「……あはっ」
「どうして笑うのですか、沙都子。くす、くすくす……!」
「ふふっ、ふふふふ! 梨花の方こそおかしいですわよ、あははは……!」
もっと早くにこうしていればよかった。
そう思ったのは、果たしてどちらの方だったろう。
或いはどちらもだろうか。
答えは出ないまま刀と銃が向かい合う。
彼女達の部活が…終わる時が来た。
「ごめんなさいね、梨花」
沙都子が口を開く。
その笑みは何処か寂しげだった。
部活はいつだって全力勝負。
手を抜く事だけは絶対に許されない。
それが絶対不変の掟だ。
だから沙都子はこの瞬間も、自分に出来る全力で勝ちに行く。
「終わりですわ」
少女達が想いを交わし合っていた時間。
互いの罰ゲームを提示し合い、久方振りに通じ合って笑い合った時間。
その間に沙都子の勝利条件は満たされていた。
領域展開の後遺症。
術式が戻るまでのインターバル。
それはもうとうの昔に――
「…梨花……」
名前を呼ぶ。
梨花は答えない。
体が動く事もない。
時は、既に止まっていた。
引き金が引かれる。
弾丸が発射される。
二度目の開花は死を意味し。
そして開花以外にこの死を逃れる手段はない。
――たぁん。
長い大喧嘩を締め括るには些か軽すぎる、寂しい破裂音が響いた。
◆ ◆ ◆
-
「――莫迦な」
目を見開いて溢したのは悪僧だった。
美しき獣と称されたその視線は天空へと向けられている。
嘲笑う太陽は既に笑っていない。
代わりに響いているのは、消え逝く悪霊の断末魔であった。
「莫迦な――莫迦な莫迦な莫迦な莫迦なァッ!」
剣豪抜刀と暗黒太陽。
一閃と臨界が衝突した。
起こった事はそれだけだ。
その結果、嗤う太陽は中心から真っ二つに両断された。
文字通りの一刀両断。
それはまるでいつか、この女武蔵という因縁が自身に追い付いてきた時の光景を再演しているかのようで…
「偽りの…紛い物の神剣如きが何故呪詛の秘奥たる我が太陽へ届く!」
溶け落ちる太陽はリンボにとっての悪夢へと反転した。
最大の熱を灯して放った一撃を文字通りに斬り伏せられた彼の顔に最早不敵な笑みはない。
この有り得ざる事態に動揺して瞠目し、冷や汗を垂らしていた。
太陽を落とす花という不可思議を成就させた武蔵はそんなリンボへ凛と言い放つ。
「黒陽斬りしかと成し遂げた。此処からが本当の勝負よ、蘆屋道満…!」
「黙れェ! おのれおのれおのれおのれ新免武蔵! 我が覇道に付き纏う虫螻めがッ!」
駆ける武蔵を包むように闇色の球体が出現した。
それは一層だけには留まらない。
十、二十…百を超えてもまだ重なり続ける。
呪詛を用いて造った即席の牢獄だ。
彼程の術師になれば帳を下ろす技術を応用して此処までの芸当が出来る。
しかし相手は新免武蔵。
そう長い時間の足止めは不可能と誰よりリンボ自身がそう知っている。
急がねば――そう歯を軋らせた彼の左腕が、不意に切断されて宙を舞った。
「…ッ! 死に損ないめが、邪魔をするなァ!」
「憎まれっ子世に憚るって諺、お前の時代にはなかったのか?」
隻腕の伏黒甚爾が釈魂刀を用いて切り落としたのだ。
普段なら容易に再生可能な手傷だが、今この状況ではそちらへ余力を割く事すら惜しい。
暗黒太陽…悪霊左府はリンボの霊基を構成する一柱である。
以前にもリンボは武蔵によってこれを両断されていたが、今回のは宝具による破壊だ。
受けた痛手の度合いは以前のそれとは比べ物にならない程大きい。
「いい面じゃねぇか。似合ってるぜ、そっちの方が道満(オマエ)らしいよ」
不意打ちが終われば次は腰に結び付けていた游雲へ持ち帰る。
咄嗟に魔震を発生させ、羽虫を振り払うように甚爾を消し飛ばそうとしたが――この距離ならば彼の方が速い。
リンボの顔面に游雲が命中しその左半面が肉塊と化す。
あまりの衝撃に叩き伏せられたリンボが見上げたのは嘲笑する猿の顔だった。
「古今東西何処探しても安倍晴明の当て馬だもんなオマエ。ようやられ役、気分はどうだい」
「貴、様…! 山猿如きが軽々と奴の名を口にするでないわッ」
立ち上る呪詛が怒りのままに甚爾を覆う。
-
しかし既にその時、猿は其処に居ない。
片腕を失って尚彼の速度に翳りなし。
天与の暴君は依然として健在であった。
無茶の反動に耐え切れず游雲が千切れ飛ぶが、それすら好都合。
ギャリッ、ギャリッ、と耳触りな金属音を響かせて。
甚爾は折れた游雲同士をぶつけ合い擦れ合わせ、その折れた断面を鋭利な先端に加工。
綾模様の軌道を描いて飛来した無数の呪詛光の一つが腹を撃ち抜いたが気にも留めない。
痛みと吐血を無視して前へ踏み出す。
その上で棍から二槍へと仕立て直した特級呪具による刺突を高速で数十と見舞った。
「づ、ォ、おおおおォ……!」
如何なリンボでもこの間合いでは分が悪い。
相手はフィジカルギフテッド。
純粋な身体能力であれば禍津日神と化したリンボさえ未だに置き去る禪院の鬼子。
呪符による防御の隙間を縫った刺突が幾つも彼の肉体に穴を穿ち鮮血を飛散させた。
「急々如律――がッ!?」
「黙って死んでろ」
こめかみを貫かれれば脳漿が散る。
猿が神を貫いて惨たらしく染め上げていく冒涜の極みのような光景が此処にある。
一撃一撃は致命傷ではなく自己回復――甚爾の常識に照らして言うならば"反転術式"――を高度な次元で扱いこなせるリンボにとっては幾らでも巻き返しの利く傷であるのは確かにそうだ。
だが塵も積もれば山となるし、何より重ねて言うが状況が悪い。
左府を破壊された損害とそれに対する動揺。
それが自然と伏黒甚爾という敵の脅威度を跳ね上げていた。
猿と蔑んだ男に弄ばれ、蹂躙されるその屈辱は筆舌に尽くし難い。
リンボの顔に浮いた血管から血が噴出するのを彼は確かに見た。
「■■■■■■■■■■――!」
声にならない声で悪の偽神が咆哮する。
物理的な破壊力を伴って炸裂したそれが今度こそ甚爾を跳ね飛ばした。
すぐさま再び攻勢へ移ろうとする彼の姿を忌々しげに見つめつつ、リンボは武蔵を閉ざした牢獄に意識を向ける。
“そろそろ限界か…! しかし、ええしかし――今奴に暴れ回られては困る!”
今この瞬間においてもリンボは目前の誰よりも強い。
指先一つで天変地異を奏で、気紛れ一つで視界の全てを焼き飛ばせる悪神だ。
にも関わらず彼をこうまで焦らせているのは、ひとえに先刻経験した予想外の痛恨だった。
重なる――あの敗北と。
輝く正義の化身に。
星見台の魔術師に。
彼らの許へ集った猪口才な絡繰に。
何処かで笑うあの宿敵に。
完膚なきまでに敗れ去った記憶が脳裏を過ぎって止まらない。
そんな事は有り得ないと。
理性ではそう理解しているのに気付けば武蔵の"神剣"を恐れているのだ。
“恐るべしは新免武蔵! 忌まわしきは天元の花! よもやこの儂にまたも冷や汗を流させようとは…!
しかし得心行った。奴を討ち果たすには最早禍津日神でさえ役者が足りぬ!
拙僧が持てる全ての力、全ての手段をもってして排除しなければ――!”
猿の跳梁等どうでもいい。
さしたる問題ではない。
武蔵さえ消し飛ばせれば、あんな雑兵はいつでも潰せる。
かくなる上はとリンボは瞑目。
修験者の瞑想にも似たらしからぬ静謐を宿しながら意識を芯の深へと潜らせ始める。
「天竺は霊鷲山の法道仙人が伝えし、仙術の大秘奥…!」
それは単純な攻撃の為にあらず。
疑似思想鍵紋を励起させ特権領域に接続する仙術の領分。
安倍晴明を超える為に用立てた技術の一つ。
かの平安京ではついぞ開帳する事叶わなかった秘中の秘。
反動は極大、この強化された霊基で漸く耐えられるかどうかという程の次元だが最早惜しんではいられない。
「特権領域・強制接――」
全てを終わらせるに足る切り札。
嬉々と解放へ踏み切らんとしたリンボ。
しかしその哄笑は途中で途切れた。
肉食獣の双眼が見開かれる。
彼の肉体は、触手によって内側から突き破られていた。
-
それは宛ら寄生虫の羽化。
宿主を喰らい尽くして蛆の如く溢れ出す小繭蜂を思わす惨劇。
「ぞ、…ォ、あ?」
片足を失った巫女が笑っていた。
その手に握られた鍵は妖しく瞬いている。
「貴、様」
リンボは勝ちに行こうとしていた。
此処で全てを決めるつもりでいた。
後の覇道に多少の影響が出る事は承知の上で、絶大な反動を背負ってでも目前の宿敵を屠り去るのだと腹を括った。
そうして始まったのが擬似思想鍵紋の励起とそれによる特権領域への接続。
只一つ彼の計画に陥穽があったとすれば、励起と接続という二つの手順を踏まねばならなかった事。
それでも十分に正真の天仙へも匹敵し得る驚異的な速度だったが、"彼女"にとってその隙は願ってもない好機であった。
「――巫女! 貴様ァァァァァァァァ!」
「大丈夫よ。抱きしめてあげるわ、御坊さま」
接続のラインに自らの神性を割り込ませた。
無論これは演算中の精密機械に砂を掛けるも同然の行為。
特権領域とリンボの疑似思想鍵紋を繋ぐ線は途切れ。
逆にアビゲイルが接続されているかのまつろわぬ神、その触腕が彼の体内へ流れ込む結果となった。
臓物をぶち撒け。
洪水のように吐血しながら絶叫するリンボ。
その姿に巫女は微笑み鍵を掲げる。
全てを終わらせる為、絞首台の魔女が腕を広げた。
「さようなら」
リンボの断末魔は単なる雑音以上の役目を持てない。
命乞いか、それとも悪態か。
定かではないままに処刑の抱擁は下され。
外なる神の触手が…かつて彼が求めた窮極の力が――悪意と妄執に狂乱した一人の法師を圧殺した。
…その筈だった。
だが――しかし。
血と臓物に塗れたリンボが。
血肉で汚れたその美貌が白い牙を覗かせた。
「これ、は…?」
途端に神の触腕が動きを止める。
巫女の笑みが翳る。
其処に浮かんだのは確かな動揺だった。
「…油断を」
それが、この処刑劇が半ばで遮られた事を他のどんな理屈よりも雄弁に物語っており。
「しましたねェエエエエエエエエエエアビゲイル・ウィリアムズ!
――――急々如律令! 喰らえい地獄界曼荼羅ッ!」
-
次の瞬間――アビゲイル・ウィリアムズの体が木に囚われた。
溢れ出していた混沌の魔力が更なる異形の力に片っ端から置き換えられていく。
理解不能の事象の中、少女は微かに手を伸ばしたが…その手が誰かに届く事はなく。
哀れな巫女は樹木の中へ。
彼女の存在を核として伸びたのは蒼白の大樹であった。
雛見沢領域を突き破ってその外側は成層圏まで直ちに成長していく異形の大樹。
「…何だ、こりゃ」
思わず伏黒甚爾が声を漏らす。
これは彼をして理解不能の概念だった。
呪いとも違う。
かと言って魔術の領分だとも思えない。
只一つ確かに分かる事は、これが人類にとって果てしなく有害な概念であるという事だけ。
「ン、ンンン、ンンンンンン…! フハハハハハハハハ!
愚鈍なり、そして哀れなりアビゲイル・ウィリアムズ! 銀の鍵の巫女!
漸く……えぇ本当に漸く、このリンボめの手を取ってくれましたなあ!!」
解りやすく溜めのある切り札。
見るからに致命的だと解る大技。
仙術の大秘奥等、所詮は囮に過ぎぬ。
アルターエゴ・リンボの本懐は最初からこれ一つ。
外なる神、"全にして一、一にして全なる者"。
底のない無限の叡智を約束する神性を己が一部に取り込んで新生する事のみ。
彼は一度だとてこの未来を捨てて等いなかった。
手に入った力に溺れ、目指した結末への邁進をやめる事等しなかった!
「冥土の土産に教えて差し上げましょう、猿よ。
これは空想樹と呼びまする。いや正しくは拙僧が独自に再現と再構成を行い仕立てた"亜種"と呼ぶべきモノですが…」
今やリンボはかの異星の神とは接続が切れている。
だからこそこれはあくまで再現された力。
構想だけはずっとあった。
しかし顕現を実行に移すだけのエネルギーが足りなかった。
計画を推し進めながらもさてどうしたものかと考えあぐねていた時に舞い込んだ龍脈の話はまさに降って湧いた僥倖。
見事龍の心臓を掠め取り、百年の因果を持つ要石を堕落させ。
禍津日神を自称出来る程の力を手に入れ、それで漸く準備が整った。
そして外神の巫女はまんまと手中に収まり。
聞けば誰もが唖然とした空前絶後の机上の空論が今遂に現実へと侵食を開始する。
「オロチ、ソンブレロ、メイオール、スパイラル、マゼラン、セイファートにクエーサー!
いずれも何する者ぞ、銀河如きがこの叡智に及ぶものか。異星如きがこの輝きに勝るものか!
これなるは亜種空想樹・窮極の地獄界曼荼羅! 我が野望の結晶――究極至高の地獄そのものよ!」
リンボの髪が白く染まっていく。
髪だけではない、肌もだ。
純白に――蒼白に。
塗り潰されて新生を果たしていく。
宛らそれは新たなる神の降臨だった。
銀の鍵を核にした亜種空想樹へ自らを接続したリンボの力は今や先刻までの比ではない。
「おお…宇宙(ソラ)が見える。虚無の中に鈍く輝く窮極の門が見える。
ンンンン素晴らしき哉、これが真の神の視座というものか……!」
神は成った。
虚空より空想の根が落ちた。
リンボの背から広がるのは翼によく似た異形の触手。
蝉の羽根を思わすそれが伸びていき、少しずつ形を確かにしていく。
昆虫とも蛸とも付かない冒涜の神性そのものと化しながら、彼は歓喜の絶頂を繰り返し羽化登仙を果たす。
-
「へぇ。それで?」
伸びる羽根が動きを止めた。
霊基の変動が急停止をした。
一秒ごとに膨れ上がっていく魔力が静まり返った。
「その真の神とか言う奴は、そんな見窄らしいナリをしてるもんなのかよ」
染まった白髪は瞬く間に艶を失い神聖さではなく単なる老いを思わせるそれへと変わり。
皺だらけのままで固まってしまった羽根は出来損ないの虫を思わせる。
体内を突き破って出現した触手までもが萎れていき、蛸の干物のように情けのない形で安定した。
彼の右腕に像を結びつつあった、アビゲイルがかつて振るっていたのよりも数倍巨大な鍵剣も。
リンボを突如見舞ったあらゆる進化の急停止に伴って形成されるのをやめてしまい、ボロボロと砂のように崩れて消えてしまった。
「…………」
僧はそれを暫く只見つめていた。
何一つ口を開く事なく、只黙ってそうしていた。
やがて漸く目前の現実に理解が追い付いたのだろう。
乾ききって罅割れた唇を開いて吐き出した言葉は――
「…………は?」
心底からの困惑だった。
呆けたように固まっていた眼が次の瞬間、弾けたように見開かれる。
その形相も同じだ。
怒髪天等という生易しい物では断じてない。
ありとあらゆる血管を浮き上がらせ、口角泡を飛ばしながらリンボは絶叫していた。
「な、ッ。何だ――これはァァァァァァァァッ!
力の流入が途絶えている! 神の息吹が聞こえぬ! 門が見えぬ叡智が絶えた羽化が進まぬ何が起きた何が起きた何がァ!!」
…窮極の地獄界曼荼羅とは。
フォーリナー、アビゲイル・ウィリアムズを核として起動される術式である。
この地で得たあらゆる力を重ねがけして作り出した術理と神秘の合成獣(キメラ)、余りに無理矢理な継ぎ接ぎで再現した空想樹。
其処から流れ込む力は全てがアルターエゴ・リンボ、蘆屋道満に糧として捧げられる。
クラス・ビーストへの進化とは行かずとも。
三千世界に地獄を齎しながらあらゆる命を奪い弄ぶ最後の神として完成するには十分な働きが期待出来た。
現にリンボはつい数刻前までそう成るべく霊基の進化を続けていたのだ。
計画は完遂される筈だった。
一度は頓挫した地獄界曼荼羅大陰謀は、外なる神の巫女という新たな人柱を得て"窮極"の一語を付け加え今度こそ成功する筈だった。
なのに今の彼の姿と来たらどうだ。
輝きは失われ門への道は閉ざされ、ソラは見えず羽根は萎れ神の触腕さえも死に絶えて枯れている。
「何をしている空想樹! おのれがァッ、儂の設計に誤りはなかった筈!
何故儂に力を運んで来ぬ! 何故に地獄の拡大が止まっている! 有り得ぬ有り得ぬ有り得ぬ有り得ぬ!!」
そう叫んでも空想樹は沈黙を保つのみ。
種子を撒き散らす事もこれ以上生育する事もなく、只静かに主となる筈だった男を見下ろしている。
何もかもが全く理解不能な事態だった。
焦りと怒りに支配された脳でそれでも考えに考えて、リンボはある可能性に行き当たる。
「さては…ッ」
手順に誤りはなかった。
燃料は潤沢に注ぎ込んだ。
人選も最上のものだった。
何一つ間違いらしい物は思い浮かばない――であれば疑わしい可能性等一つを除いて他には存在しない。
「――晴明ェェェェエエエエエッ! よもや貴様、このような辺境の宙にまで邪魔立てしに顕れたか!!」
即ち安倍晴明。
言わずと知れた陰陽師の最高峰。
法師蘆屋道満の名に常に付いて回った忌まわしき男。
歪み狂い堕ち果てた今も尚癒える兆しのない憎悪の業病を彼の裡に渦巻かせる瞬きの星。
あの男が何処かから介入して自分の野望をまたしても頓挫に導いたのだとリンボはそう確信していた。
「姿を見せよ! この拙僧の道をまたしても阻むか晴明ィ! 貴様は、貴様だけは、貴様だけはこの儂が――」
「違えよ阿呆。勝手に因縁見出して気持ち良くなってんじゃねえ」
だがその確信を。
安倍晴明の介入という妄言を。
にやりと嘲笑を浮かべた伏黒甚爾が真っ向から切って捨てた。
-
「祭具殿でオマエに刺した呪具を覚えてるか?」
無論覚えている。
結果として致命傷にはなり得ない一撃だったが、それでも一度は退けた猿に不覚を取らされた事はリンボにとって小さくない屈辱だった。
鉾のような形をした奇妙な呪具だった。
異質な呪力を放っている事から恐らくは宝具に並ぶ代物だろうと見立てていたが、それが今何の関係があるというのか。
感情が臨界点を突き破った上、晴明の介入という可能性さえ否定されたリンボは呪殺さえ可能だろう凶念を向けながら甚爾の言葉を聞いていた。
しかし甚爾の言葉に淀みはない。
彼は天与の暴君。
神の寵愛と憎悪を一身に受けた存在。
誰よりも強く呪われているからこそ、その体に遠回しな呪殺なぞ通じない。
「あれは天逆鉾ッつってな。触れた術式を強制的に解除できる」
「それが…何だと言う。あの鉾に貫かれた時、拙僧は地獄界曼荼羅をまだ展開等していなかった……!」
「そうだな。確かに俺はあれ以降、オマエを逆鉾で刺しても斬ってもいねえよ」
はッと鼻を鳴らして。
甚爾の眼が活動を停止した空想樹へと向く。
「俺は、な」
その時だった。
止まっていた空想樹が内側から解け始める。
はらりはらりと、まるで桜の花が散るように。
或いは風に乗って舞う紙吹雪のように。
結合が解除され、役目を終えたとばかりに分解されて雛見沢の大気へ溶けていく。
それは奇しくも春に喰われる今の東京によく合致した絶景であったが、リンボにとっては言わずもがな悪夢でしかなかった。
夢の終焉。
野望の頓挫。
言い訳のしようもない敗北の象徴と化した死にゆく空想樹の内側から――何かが一歩、歩み出る。
白い。
何処までも白い少女だった。
淫猥な程に肌の露出は増え、連なる羽虫に似たリボンが申し訳程度にそれを隠す。
ラフレシアを思わす巨大な花をあしらった三角帽子はまさに魔女の象徴のよう。
だがそれら全ての変化が霞む程の特徴が、顕れた少女の額に出現していた。
――鍵穴だ。額に鍵穴が空いている。
茫然と見つめるリンボの事を、少女が漸く認識した。
「こんにちは」
淡い紫に染まった双眸が夢破れた陰陽師を優しく見つめる。
「…………ッ!」
その瞬間。
リンボはゾッと自らの背筋を絶対零度の寒気が突き抜けていくのを感じた。
-
「逆鉾を持ってたのはあのガキだ。オマエがあれを狙ってる事は解ってたんでな。
オマエみたいに欲深で無駄に向上心の強い輩が、多少強くなったからって目の前にある据え膳を無碍にするとは思えなかった」
アビゲイル・ウィリアムズの力は時間と空間の超越。
全ての時間と空間に門を開くその力は、先刻までの半端な状態でも既に片鱗を現していた。
甚爾はリンボと彼女の交戦を観察しながらそれを悟り、その上で好都合だと判断した。
『俺は直に死ぬ。だが、あのクソ坊主の断末魔を聞き逃すってのも癪だ』
天逆鉾。
何処までも肥え太り増長するリンボに待ったを掛けるにはこれ以上ない切り札。
『隙を見て俺の鉾を掠め取れ。リンボはいずれ必ずオマエを狙う。その時が野郎の終わりだ』
それをアビゲイルに託したのだ。
手渡しでなく彼女の力による奪取であれば、驕り高ぶったリンボの眼を欺ける可能性は高い。
そして実際その通りになった。
リンボは甚爾達のやり取りには気付かぬまま、新免武蔵のみを危険視して窮極の地獄界曼荼羅へと手を付けた。
アビゲイル・ウィリアムズを人柱として亜種空想樹の顕現に踏み切ったのだ。
彼女が特級の危険物を…自身の地獄を完膚なきまでに瓦解させる最悪の癌細胞(アポトーシス)を抱えている等とは露知らぬままに。
「で、オマエはまんまとその据え膳をカッ喰らった。毒入りだとも知らずにな」
その結果何が起きるか。
空想樹だの地獄界曼荼羅だのと言えば途方もない物に聞こえるが、リンボがこの地で用いたそれはあくまで術式だ。
かつて白紙化された地球に聳え立った正真の空想樹とは全く性質が違う。
あくまでも再現は再現。
オリジナルの空想樹とはその成り立ちからして全く異なる代物だった。
そしてその真贋の差が、決定的な破滅を齎す。
「オマエは大事な曼荼羅(じゅつしき)の内側に逆鉾を取り込んじまったんだよ、蘆屋道満」
――特級呪具"天逆鉾"
――その効果 発動中の術式強制解除
「どうした? 天でも仰げよ。ま、今見えんのは良くて青空だ。おたくがご満悦で眺めてた宇宙(ソラ)とやらは二度と見えねえだろうけどな」
斯くして空想樹は内側から崩壊した。
正確には、アビゲイルの力を道満に流入させる仕掛けが崩れた。
欲深な道満は空想樹を単なる道具として使わなかった。
自分へ外なる神の力を無尽蔵に供給する苗床として使う気で居たのだ。
その力の送信だけが途切れ。
リンボによって吸われかけた彼方の邪神は――
「きさ、まァァァァァガガガガガガガッ!? ギ、ぃイイイあああああああああッ!!
何だこれは、拙僧の力が吸われ、吸い取られている、だとおッ…!? 巫山戯るなッ、やめろ止まれグガァァアアアアッ!?」
吸い上げられた己の力を、当然のように取り返す事を選んだ。
リンボの中に満ちていた龍脈の力諸共に吸い上げた筈の邪神の力が逆流していく。
全身を内側から鉄の爪で掻き毟られるような激痛に絶叫しながら、リンボは愚弄した甚爾を殺そうとするのも忘れてこの事態の対処に追われた。
“拙い、吸い尽くされる…! やむを得ぬッ、窮極の地獄界曼荼羅との接続を解除せねば!”
空想樹との間に繋がるラインを切断して強引に力の逆流を止める。
これで取り敢えずかの神に全てを徴収される事だけはなくなった。
だがリンボの受難はまだ終わらない。
逆流が止まり漸く落ち着いた筈の体が――今度は内側から、まるでひび割れるように崩れ始めたではないか。
-
“な――何故だ!? 何故拙僧の体が崩れる。何故崩壊が止まらぬ!?
確かに邪神の力は儂の体にとって異物そのもの。完全な降臨を果たす前に空想樹との接続が途切れれば毒になる、それは理解出来る!
だがそれしきの不具合など、ハイ・サーヴァントとして名実共に英霊の生体機能を逸脱している拙僧にとって支障になる筈が…!”
其処まで考えて。
今度はちゃんと答えに思い当たった。
心当たりがあった。
不具合の理由となる現象の心当たりが一つ。
「猿…! 貴様よもやあの時……!」
「正解」
祭具殿での奇襲。
あの時リンボは、天逆鉾で背後から貫かれている。
その時点で伏黒甚爾はリンボの機能を一つ破壊していたのだ。
「嫌がらせの一つになればと思ったんだが、此処まで覿面に効くとはな。
さてはオマエ、回復した気になってただけで根っこの部分はまだ弱ってたんじゃねえのか?
あれだけ派手に臓物撒き散らして絶叫してたんだ。もうちょい大人しく寝とくべきだったな」
それ自体は軽微な損傷に過ぎない。
平時のリンボならば違和感を覚えつつもすぐに対応出来る程度の不具合。
しかし彼の霊核は、甚爾の一撃を受けた時点で既に酷く傷付いていた。
蘇る東京タワーでの記憶。
背後から受けた屈辱の一撃。
取るに足らぬと思っていた傭兵の一刺し。
リンボがその手で戯れに殺めた少女の無念を背負った"復讐(リベンジ)"。
既に過ぎた過去と忘れ去っていたリンボだが、その傷は彼が想像するよりも遥かに根深くその身を苛んでいたのだ。
「そういう訳で年貢の納め時だクソ坊主。見ろよ、お姫様がお待ちだぜ」
体の崩壊が止まらない。
早急に失われた力を補填しなければ命に関わる。
かつてない焦りに狂うリンボへ、少女が一歩を進めた。
彼女は外なる神の巫女。
リンボが取り込もうとして失敗した全知の邪神に寵愛を受けた銀の鍵の担い手。
役目を失った空想樹は、窮極の地獄界曼荼羅なる惨事を地上に広げる事こそなかったが。
中核の巫女へ内に溜め込んでいた力を流れ込ませる増幅器(ブースター)としての役目を果たした。
その結果がこれだ。
二度目の霊基再臨。
肌と髪は白く染まり、額には鍵穴が浮かび。
神との接続が最終段階まで進行した事を示す悍ましい美しさを湛えて、アビゲイル・ウィリアムズは真の意味でこの界聖杯に"降臨"した。
右手が伸びる――前へ。
それに呼応するようにリンボは一歩退いた。
されど、神の眼からは逃げられない。
「――急々如律令ォッ」
力の殆どを吸い取られながら、それでもリンボは吠えた。
そうするしか手がなかったというのも有るが術師の自負がその無茶に理屈を与える。
外なる神の力は脅威だが目前のあれは只の巫女。
神の分霊を使役し扱う己と何が違う。
顕現させるのは巨大なる五芒星。
更にチェルノボーグ、イツパパロトル。
二神に加えて蘆屋道満の呪の粋を全て結集させた大呪術。
「神など所詮は玩具に過ぎぬ。喰らわれ弄ばれるしか能のない木偶の坊に、ましてやその巫女如きに――この道満が遅れを取るなど有り得ぬわ!」
空想樹が破算に終わったならば直接その霊核を喰らってやると。
殺意を漲らせながら肉食獣が咆哮する。
それに対し、右手を伸ばしたまま。
アビゲイルはその額の穴を微かに輝かせた。
そして――
「『光殻湛えし虚樹(クリフォー・ライゾォム)』」
-
…一瞬の後に、蘆屋道満の大呪術は掻き消えた。
チェルノボーグとイツパパロトルが塵と化した。
後に残るのは蘆屋道満、禍津日神…否。
只の"アルターエゴ・リンボ"が一騎だけ。
野望は潰え、手の内の全てを砕かれて。
とうとう往生際を受け入れるかと思われた男は、しかし何処までも悪党だった。
「おおおおおおおお――舐めるなァッ!」
生活続命はとうに機能していない。
神々は使い物にならず盟友も破壊された。
龍脈、邪神、いずれも既に手の内を離れた。
特権領域への接続はこの傷付いた体ではとても行えない。
誰がどう見ても詰んでいる状況でありながら、それでもリンボはまだだと吠える。
彼がまず最初に行ったのは、既に死に体であるチェルノボーグ、イツパパロトルを自らの霊基から切り離す事だった。
“骸の神など糞にも劣る。抱えていても仕方がない…!”
贅肉を切り離すようなものだ。
未だ体内に残っている邪神の力と合わせて切り離し、取り敢えずこれ以上の霊基崩壊を止める。
後は呪術、反転術式の範疇で肉体の復元自体は可能と判断。
二柱の神を失い盟友である悪霊を当面使用不能にされたのは痛手だが、当座の消滅さえ凌げれば再起は決して不可能ではない。
“此処は拙僧の負けとしておきましょう、無謀なる猿と出来損ないの巫女。
しかし忘れるな。いずれ骨の髄まで沁み込ませてくれる…この儂を嘲り笑った報いを……!”
意地の張り合いで全て失っては元も子もない。
此処はこの異界を畳んで退くのが賢明だろうと、屈辱ながらリンボはそう判断を下す。
幸いにして命は繋いだ。
それに…北条沙都子という希望もある。
“あの娘の中にはまだ龍脈の力が残っている筈。ンンンン天はまだ拙僧を見放してはいないようだ。
愉快な見世物故に多少惜しいが背に腹は代えられませぬ。此処を脱出次第すぐに取り込んで――”
次だ。
次は必ず勝ってみせる。
必ずやこの脳裏に描く地獄界を顕現させてみせるぞと。
翳る事なき野望を胸にいざ退かんとした道満の視界の端に――
女が、立っていた。
桜の花弁が視界を横切った。
リンボはこの瞬間、真の戦慄に硬直する。
最早言葉は無用だった。
感情を発散する為の絶叫さえ今だけは要らなかった。
それ程までに巨大な応報が、不動明王が如く其処に立っていた。
「新免、武蔵……」
「漸く顔が見えたわね、蘆屋道満」
そう。
これは敗者を喰らう屍山血河の死合舞台。
途中退場など許される筈もない。
リンボがこれまで用いてきた理を体現するように武蔵は現れた。
彼女の刃と天眼を欺いて逃げ切る程の余力は今の彼には残されていない。
「――下総で斬り損ねたその宿業、両断仕る!」
「おおおおおおおおおッ、儂へ報いろ要石よッ!」
絶叫しながら無理やりに力を回収して。
アルターエゴ・リンボ…いや。
一切嘲弄の英霊剣豪"キャスター・リンボ"は、かつて逃れた死合舞台へと再び立たされた。
◆ ◆ ◆
-
引き金が引かれて銃弾が放たれた。
まさにその瞬間、急に世界の凍結が解けた。
体が動く。
それを理解するなり梨花は無我夢中で真横へ転んだ。
不格好だったが、そうする以外に逃れる術がなかったのだ。
刀で斬るなどと格好付けた事をしている余裕は皆無だった。
“外した…?”
困惑と共に沙都子の方を見て。
梨花は思わず叫び出しそうになった。
領域の再展開をもって勝利を確定させた少女。
猫の敵でありそして親友である彼女は――ぐらりと蹌踉めいて仰向けに倒れ込んでいた。
「…沙都子?」
「――あ…。……、何かと思えばそういう事ですの……」
沙都子は最初こそ驚いた顔をしていたがすぐに事の次第を理解したらしい。
酷くつまらなそうな、興冷めしたような顔で溜息をついてみせた。
その手から握り締めた銃がからりと零れ落ちる。
それが、どうしようもない程にこの戦いの終わりを暗喩していた。
「本当に…どうしようもない貧乏籤を引いてしまいましたわ。結局私、あの方の玩具として踊らされていただけだったんですのね……」
「何してるのよ…早く立ちなさい。私達の部活はまだ終わってない。勝負はまだこれからでしょう……!?」
「…ふふ。どうぞ笑ってくださいまし、梨花。私、自分のサーヴァントに切られてしまったようですわ」
普通ならばそれは逆の場合で起こるべき事態だ。
マスターがサーヴァントを見限って手を切る。
これは聖杯戦争において比較的起こり易い事態だが、その逆は稀有だ。
しかし今の沙都子は他ならぬリンボの手によって力を賜り変生した身。
恐らく力を与える段階で既に、そういう工作が行われていたのだろう。
いざとなれば沙都子の意思に関係なく強制的にその身に宿る神秘と力を回収する――そんな悪辣極まりない工作が。
「…ふざけないで! 何処まで人をコケにすれば気が済むのよ、あんたのサーヴァントは……!」
ふざけるなと梨花は吠えた。
そうせずにはいられなかった。
漸く通じ合えたのだ、自分達は。
魔女だの神だのではなく只の親友二人、部活メンバー二人に立ち返って。
互いの感情全てを曝け出して…勝っても負けても悔い等ないとそう思い合えた。
後は決着を着けるだけだった。
なのに此処まで来て勝負は下衆の横槍で台無しにされてしまった。
こんな理不尽があるか。
こんな非道があるものか。
「…つぼみ! お願い、私の全てを捧げても構わないわ! だから沙都子を……私の親友を助けてッ」
梨花は必死に叫ぶ。
だが声が告げるのは残酷な答えだった。
『ごめんなさい、梨花ちゃん。それは出来ないわ』
「――どうして! あんたは私に力を与えてくれた…私を助けてくれたでしょうッ! そんなあんたならきっと、この子を助ける事だって!」
『それはあなたが夜桜(わたし)の血を取り込んだから。
私は酷く朧気で不確かな存在だから…縁もゆかりもない相手にまで影響を及ぼす程の力はないの』
仮に梨花が沙都子に夜桜の血を与えたとしても結果は変わらないだろう。
皮下という"純血"と、それを賜った梨花の血では値打ちと重みが違う。
ましてや初代の血は一際猛悪に人を蝕む強毒だ。
よって夜桜には沙都子を救えない。
それはつまり、古手梨花に彼女を救う手立てが何一つないという事を意味していた。
-
“力が…消えていく。はぁあ。解ってましたけど本当に最悪のろくでなしだったんですのね、あの方”
沙都子は人間を辞めた代わりに、降臨者という定義(かたち)ありきの存在に変わってしまった。
英霊の領分に踏み入る程強化された体を運用するには、それに見合うだけのエネルギーが要る。
その全てをリンボに奪われてしまったのだ。
体ばかり強くても、それを動かすエネルギーがない沙都子は只静かに枯れていくしかない。
上位存在に見初められて繰り返す力を得、この異界にまでやって来て暗躍の限りを尽くした北条沙都子という少女の哀れな末路だった。
「立ちなさい、沙都子。…立ってよ、ねえ……ッ」
「をっ…ほっほ。何ですの梨花、その顔は。大事なのは過程じゃなくて結果でしょう?
梨花は……あなたは、私に勝ったんですのよ。だったら部活メンバーらしく胸を張って…小憎たらしい顔の一つもしたらどうなんですの」
「――違う! 私は…私は、勝ってなんかない……! こんな勝ち、こんな終わり…認められるもんですか!」
これが勝ちであるものかと梨花は叫ぶ。
後ほんの一秒でもリンボの行動が遅ければ自分は死んでいたのだ。
あの弾丸は時の止まった世界で自分の心臓を撃ち抜いていた。
なのに偶々、ほんの偶々難を逃れる事が出来た。
これをどうして勝ちだなどと称して誇る事が出来よう。
「…いいえ。勝ったのは梨花ですわ」
そんな親友の姿を見ながら敗れた少女は綴る。
負けたのは自分だ。
最後のあれは悪あがきに過ぎなかった。
仮にあの銃弾が彼女の心臓を貫いていたとしても。
それでも自分はきっと、勝ったぞと誇る事など出来なかっただろう。
「何度も何度も何度も何度も、ありったけの悪意であなたの旅路を踏み躙りました。
あの手この手であなたを殺して、自分の小さなわがままに付き合わせようとしました。
そんな私に向けて"一緒にやり直したい"だなんて。
思わず毒気も抜かれますし、根負けの一つもしたくなるというものですわよ。全く……」
思うにあの言葉が決め手だった。
あれが自分の中に渦巻く妄執を吹き飛ばしてしまった。
最後の対話を経て、神だとか魔女だとか今まで執着していた事が何だか凄くどうでもよく思えてきたあの瞬間が。
…きっと、北条沙都子が古手梨花に敗北した瞬間だったのだ。
「でも残念なのは同感ですわ。この部活だけは最後まで続けたかった」
負けを認めているのに勝負に固執するなんて矛盾しているが。
それでもこれが、嘘偽りのない沙都子の本心だった。
最後の最後に横槍が入って終わってしまった事。
それだけは…やっぱり口惜しい。
「沙都子…」
「…大勢殺した。大勢狂わせた。
雛見沢だけの話じゃありませんわ。この世界でだってそう。
でも私もリンボさんの事を言えないくらいにはろくでなしですから。後悔なんて微塵もしていませんわよ」
これもやっぱり本心だ。
今まで重ねてきた罪も業も沙都子は何一つ省みない。
世界の全てと周りの全てを巻き込んで行った攻防戦。
あれもまた、沙都子にとっては一つの部活だったのだ。
だから後悔などある筈もない。
ある筈もない、が。
「ねえ…梨花は、楽しかった?」
-
「……」
「そんなどうしようもないろくでなしとこうして最後に一緒に遊んで、部活をして。
語り合って殴り合って殺し合って…つながり合って。楽しいって、そう思っていただけました?」
「――そんなの…当たり前じゃない、バカ」
一つだけ問いたい事があるとすればそれだった。
梨花は、この強情な友人は果たして楽しんでくれたのか。
その問いに対する答えはほぼほぼ即答で返ってきて、思わず沙都子は目を丸くする。
「…そう」
だがそれはすぐに安堵と喜びに変わった。
「なら、良かったですわ」
同時に改めて思う。
こんなつまらない事、下らない事で安心して喜ぶような精神性が人間の…子供以外の何かであるものか。
“結局、全部梨花の言う通りだったって訳ですのね”
神も魔女も似合わない。
私は、只の人の子。
人間――北条沙都子。
雛見沢に生まれて雛見沢で育った普通の子供。
そんな事、もっと早く気が付けば良かった。
そうしたらこの結末も少しは変わったのだろうかと思うし。
そうだったなら、こんなにも満足したまま死ねはしねなかったかもとも思う。
「そんな顔しないでくださいまし、梨花。別にこれが最後の別れって訳でもないでしょう」
手を伸ばす力はまだ辛うじて残っていた。
伸ばした手で親友の頬へと触れる。
ふわふわ柔らかくてつい引っ張りたくなるほっぺた。
透明な水で濡れてしまっているのが玉に瑕だったが。
「あの村に…私達の雛見沢に還るだけですわ。私は梨花よりも少し先に其処へ逝くだけ。一体何を悲しむ事があるというんですの」
いや、そうでなくたっていい。
行き先が雛見沢でなくたって構わない。
大した差はないのだと今なら解る。
「あなたが何処に行っても…何処に逃げても……必ず追いかけて、その手を掴みますわ。何度だって、必ず……」
「…なら。私は何度だってあんたの手を取ってみせる。今度こそ……今度こそ、絶対に離したりなんかしないんだからッ」
運命は捻れた。
結末は歪められた。
北条沙都子が絶対の魔女に成る事はなく。
古手梨花が奇跡の魔女に成る事もきっとない。
ラムダデルタは誕生せず、ベルンカステルは切り離されたカケラの彼方。
人として生きて別れた少女達の縁は此処で一度途切れる。
だが。
それでも。
もしも彼女達の運命に、魔法と呼べる物があるのなら。
「また会えるわ。そうでしょう」
「…ええ。百年も一緒だったんですもの、すぐにまた会えますわ」
「親友だったもんね。…ずっと一緒だったもんね……」
「はい。そしてこれからも、ずうっと一緒ですわ」
「そっか。…じゃあ、寂しくないね」
「うん。寂しくないんですのよ、梨花」
彼女達はきっと――
「"また"ね、梨花」
「…"また"ね、沙都子」
――また何かのなく頃に。
◆ ◆ ◆
-
「武蔵ィィ!!!」
要石を使い潰す事によって力は戻った。
禍津日神を名乗るには荷が重いが、それでも集められる限り全ての力を掻き集めて結集させたのだ。
となれば後は挑むしかない。
逃げも搦め手も使えないのならば残された選択肢は只一つ。
…この時遂に蘆屋道満は全ての卑劣非道を剥ぎ取られ。
骸一つの英霊剣豪として、挑む新免武蔵を迎え撃つ事を選んだ。
握る呪符に横溢する呪詛が赫の軌跡を描いて炎となる。
要石から引き出した龍の力も惜しむことなく炎に載せる。
結果として生まれ出るのは質量を持った炎という有り得ざる現象。
大気を大地を空間を震撼させながら煌めいた赫炎。
それを手繰り奏でるリンボの姿はまさに妖星の如しだった。
恐るべし、キャスター・リンボ。
安倍晴明の宿敵という大役を勤め上げた悪の陰陽師。
真実は蘆屋道満のカリカチュアなれどその実力は紛れもなく本物。
龍脈の力も合わされば力量ではどの英霊剣豪をも上回る。
エンピレオや黒縄地獄でさえ猛るリンボを破る事は至難であろう。
武蔵もそれは承知だ。
敵が何者なのか。
どれだけ強いのか。
全て理解した上で静寂を保ち、立つ。
言葉は最早無用だった。
だから何も言わない、大仰な口上等以ての外である。
只その信念と思い、重ねてきた因縁の全てを刀身に込める。
あの下総で宿業狩りを担った者として。
そして、古手梨花という小さな少女に召喚されたサーヴァントとして。
全神経全存在を注ぎ込み、此処でこの悪僧と決着を着けるのだと静かに猛る。
「この身この宿業、両断するぞとよく吠えた。
思い上がった人斬りめが。その研鑽の全てを踏み潰し、貴様の天眼を穿り出して我が新たな陰謀の糧としてくれるわ!」
放たれるキャスター・リンボ本気の一撃。
下総では開帳される事のなかった正真正銘の全力。
神の力を失ったとて蘆屋道満は蘆屋道満。
安倍晴明に次ぐ術師として語られたその名は決して伊達ではない。
「――死ねい! 武蔵!!」
当たれば確実に消し飛ぶ。
武蔵はそう確信しながら前へと踏み出し――地を蹴り駆けた。
真打柳桜。
桜花の神剣が、宿命に揺らめく。
古手梨花の開花と奇跡的なタイミングで同調する事により放てた左府両断の一閃はもう再現出来ない。
だがそれでも武蔵はこの時確かに、己の剣がかつてない程冴え渡っているのを感じた。
だからこそ太刀筋に迷いはなく。
妖星の輝きに対し刃を滑り込ませて――
-
斬(ザン)。
そんな音が響いた。
武蔵の姿はリンボの後方にある。
擦れ違う形で交差した両者は暫し動かなかった。
やがて血潮が噴き出し、敗者が天を仰ぐ。
英霊剣豪七番勝負…横紙破りにより先延ばしとなっていたその決着が此処に着いた。
「…――つくづく目障りな女よ。最後の最後で拙僧の道筋に立ち塞がろうとは」
天を仰いだのはリンボだった。
彼の体に袈裟に刻み込まれた斬傷が死合の結末を物語っている。
妖星の輝きは、舞い散る桜吹雪に吹き散らされていつの間にやら姿を消していた。
「我ながら…良い線は言っていたと思うのですがなぁ。
海賊に取り入り、不和と悪意を振り撒き……龍の心臓を簒奪し、巫女の身柄にすら手が届いた………。
後少し。後ほんの一つでも歯車が噛み合っていたならば、拙僧の夢は叶ったでしょうに………」
「これに懲りたら、次はもう少し人の為になる事をしてみなさいな。一応御坊なんでしょう、そんなナリでも」
武蔵の剣はリンボの――蘆屋道満の核を完全に断ち切っている。
左府を断たれ女神と悪神を放逐させられた今の彼ではこれ以上の現界維持はどうやっても不可能だった。
即ちこれにて完全敗北。
再三に渡り界聖杯の盤面を引っ掻き回して跳梁を続けたこの蝿声のような陰陽師に、とうとう終わりの時が来た。
「天網恢々疎にして漏らさず、この世に悪の栄えた試しなし。きっと次も何処かの誰かが立ち塞がってアナタの悪事をぶった斬るわよ? きっと」
「ンンンン…それはまた頭の痛い話だ。しかし――ンフフフフ。うまく行かぬと解っていても、止められぬのだなぁこれが」
世界が崩壊する。
雛見沢という閉ざされた井戸を模倣した誰かの夢が終わりを迎える。
その崩壊に呑まれる形でアルターエゴ・リンボは墜ちていった。
そう、これなるは屍山血河舞台。
敗者の魂を喰らう死合舞台。
故にその末路は必然だった。
宿命。因縁。運命。
全てに追い付かれた最後の英霊剣豪は、己で定めた理に呑まれて消える。
「次は何処でなにを仕出かしたものか。ンンンンン――悪事の種は尽きませぬなァ」
戦いが終わり。
昏き陽の沈む時が、来た。
「それでは英霊の皆々様。
愚かしき常世の総てよ。
これにて暫し、御免……!」
――宿業両断、此処に完遂。
【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業 死亡】
【アルターエゴ(蘆屋道満)@Fate/Grand Order 完全敗北――消滅】
◆ ◆ ◆
-
世界が崩壊する中で、男は一人腰を下ろした。
その半身は欠けていた。
肩口から吹き飛んだ腕の傷口は熱で焦げ付いているが内臓の損傷が巨大過ぎる。
どの道未来はない前提で無茶をしたが正解だったと伏黒甚爾は確信していた。
「ま、やってもやらなくても同じだったって事だ」
賭け金のオールイン。
残弾全部注ぎ込んで勝ち取った勝利と吠え面。
博打の弱い男にしてみれば、なかなかに酔える戦果だったと言える。
詰まる所悔いのようなものはあまりない。
このまま此処で朽ちていけば、もう二度と聖杯戦争なんてけったいな仕事にお呼ばれする事もないだろうが構わなかった。
折角気持ち良く寝ていた所だったのだ。
過重労働の報酬代わりに長い惰眠を貪るのも悪くない。寧ろ魅力的というものだった。
「行けよ。巻き込まれても知らねぇぞ」
「帰らないの?」
「帰ってどうすんだよ、これから死ぬだけの男が」
随分な姿になったものだと思う。
銀に染まった髪と白磁を通り越した蒼白の肌。
仁科が見たら泣くな、と鼻で笑った。
だが置き土産としては十分すぎる程有用だろう。
久遠の彼方に座する虚空の神が遠く離れたこの世界へ送って来た呪い。
銀鍵の魔女、アビゲイル・ウィリアムズ。
紙越空魚が聖杯戦争を制する為に必要なマスターピースだ。
「俺の持ってたコネと情報は此処に来る前にあいつに渡してある。何の問題もねえ」
「そういう問題…なのね、あなたにとっては。不器用な人。本当はとても優しいのに」
「冗談だろ。本気でそう見えてるんだったら、リンボの野郎から良い眼も貰っとくべきだったな」
紙越空魚は甚爾にとって面倒なクライアントでしかなかった。
注文は多いし無駄に覚悟が決まっているから何とも調子を狂わされる。
とはいえ面倒だと思っていたのはあっちも同じだろう。
念話も通じず令呪でも縛れないサーヴァント等、面倒以外の何であるというのか。
つまりお互いに面倒な奴だと思いながら、此処まで戦ってきた訳だ。
「こういう仕事は二度と御免だね。タダ働きにしちゃしんどすぎる。まだ上がれないオマエに心底同情するぜ、アビゲイル」
「空魚さんに」
「あ?」
「空魚さんに――何か伝える事、ある?」
ねえよそんなもん。
そう言いかけて、黙った。
一拍の間を置いてそれから口を開く。
最後の最後なのだ。
それなりに長い仕事だったのだし、一言くらい餞を残しても良いかと思った。
「…そうだな」
散々面倒を掛けられた。
であれば残すべきは決まっている。
「負けんなよ」
そんな呪いこそが相応しい。
踵を返したアビゲイルの姿を見送りながら甚爾は小さく息づいた。
それにしても本当に不味い仕事だった。
もう二度と御免だ。
眼を閉じれば後はそれきり。
深い深い眠りの中へと、落ちていくだけ。
【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦 消滅】
◆ ◆ ◆
-
世界の全てに絶望していた。
目が覚めるなり始まる"知っている"時間。
目に入る全てが色褪せて見えた。
楽しくて仕方がない筈の部活でさえ退屈で仕方なくて。
美しい夕暮れの景色さえ白々しいハリボテに思えてしまう。
此処は井戸の中。
自分を惨劇という名の格子で囚えた運命の檻。
世界の何処よりも美しく、そして悍ましい地獄だ。
繰り返す回数が重なれば重なる程、ループの歩み方もこなれて行ったが。
それでもまだ回の浅い頃は疲弊の連続だった。
無理をして登れば登った分だけ落ちた時の痛みも膨れ上がると知らなかったから。
毎回気体をしては打ちのめされて、引き摺って。
そしてまた殺されて巻き戻ってを繰り返すばかりの日々だった。
いつになっても乗り心地の変わらない、停滞の象徴のような自転車を引き摺って歩く。
影は二つ。
世界の真実など知らぬまま、楽しそうに明日のトラップのアイデアを語る親友が隣に居る。
「ちょっと梨花? 聞いていますの?」
「…みー。ごめんなさいです、沙都子。少し考え事をしていたのですよ」
「最近の梨花ったらそればっかり。…ねえ、やっぱり本当は何か悩みがあるのではございませんの?」
こうして心配されるのは心苦しかった。
けれど打ち明けたからと言って何か変わるとは思えない。
寧ろいたずらに惨劇の渦中へ巻き込んでしまうだけだ。
だから曖昧に笑って濁すのがお決まりだった。
この頃にはもう、梨花はその手の誤魔化し方を心得始めていた。
「ねえ、梨花? 私…今とっても幸せなんですのよ」
自転車を停めて。
数歩分前に進んで、沙都子はくるりと身を翻した。
夕陽が逆光になってその小さな体が照らされる。
綺麗だなと、その時だけは惨劇の事も忘れてそう思った。
「梨花が居て、皆さんが居て…来る日も来る日も楽しい事ばかり。まるで夢のようですわ」
「…でも、夢はいつか覚めてしまうものなのですよ」
「そうかもしれませんわね。けど、それならまた次の夢を見ればいいだけでしょう」
幸せな夢の終わり程痛いものはない。
梨花はその事を多分この世の誰よりも知っている。
だからこそ親友の言葉に、思わず皮肉じみた言葉が漏れた。
そんなみっともない八つ当たりに沙都子は苦笑して、でも続けた。
「しゃんとなさいませ。もしこの夢が覚めても、私はずっと梨花の一番の親友ですの」
「ボクは…」
そんな言葉に背中を押されたような気がして。
気付けば、今まで誰にも口にした事のない"夢"を口にしていた。
「ボクは、いつか外の世界を見てみたいのです」
それは雛見沢という井戸の高さを知っているからこそ芽生えた夢。
古手家の梨花としてではなく、一人の人間として、自分の事なんて誰も知らないような広い世界を旅してみたい。
-
別に海外でなくたっていい。
世界の何処だって構わない。
自分の知らない空を仰いで知らない土を踏んでみたい。
「雛見沢が嫌いな訳じゃありません。でも…どうしてもそんな夢を描いてしまう。それが叶わないと頭では解っているのに」
ほんのそれだけの願いがいつになっても叶わない。
昭和58年の運命は今も自分を捕らえ続けている。
運命の束縛が長引けば長引く程夢見る気持ちは強くなって。
なのに現実問題夢は夢のままで。
その矛盾が針の付いた首輪のように、強く痛く梨花の心を締め上げていた。
「叶わないなんて事はないのではなくて?」
「ボクを縛る物は信じられない程多いのですよ。結局ボクはいつになっても、この井戸の中から出られないのかもしれません。
このとても綺麗で楽しくて、気心の知れた雛見沢という井戸の中で…少しずつ擦り切れて死んでいく。それがボクの運命なのだと思います」
「んー…。梨花はどうしてそう物事を小難しく考えるんですの?」
梨花の答えに沙都子は唸ってしまう。
しかしすぐに、名案が思い付いたとばかりに手を鳴らした。
「そうだ! じゃあその時は、私も梨花について行ってあげますわ!」
「――沙都子が、ボクに?」
「それでしたら安心でしょう? 梨花が臆病風に吹かれても、私があなたの手を引っ張って前に進んであげればいい」
「…みー。沙都子は変な所でドジを踏むから心配なのです」
「な、ななななな何ですのそれー!?」
気恥ずかしくてつい誤魔化してしまったが。
その言葉は本当に眩しくて、救いの手のように思えた。
いつかこの惨劇が終わったならそんな日も来るのだろうか。
沙都子と手を繋いで、二人でこの井戸の外へ出る。
知らない空の下を歩いて想像した事もないような景色を見る。
歩き疲れたら二人で座って他愛ない話で笑い合って、夜になったら寝床で雛見沢の思い出を語り合う。
そんな日々がやって来るのだろうか。
…やって来るのかもしれない。
そう思うと力の抜けた足に、再び活力が戻るのを感じた。
「でも、楽しみにしてますです。いつかその日が来る事を」
「…元気、ちょっとは出ましたの?」
「はい。沙都子のお陰なのですよ、にぱー☆」
もう少しだけ頑張ってみよう。
それはきっととても辛い旅路だけれど諦めたら何もかも失ってしまう。
何処の誰が仕掛けているとも知れない惨劇等に、この未来まで売り渡して堪るものか。
そう思って自転車を再び押し始めた。
二つの影を伸ばしながら家路に就く。
知っている明日が少しでも知らないいつかに変わる事を祈りながら。
大好きな親友と二人、魔女でも何でもない只の子供同士のように笑い合って歩いた。
…そんな事が昔確かにあったのを。
古手梨花は眠りについた友を抱き締めながら、ふと思い出していた。
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【品川区・崩壊領域/一日目・午前】
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:深い悲しみ、夜桜の瞳、右腕に不治(アンリペア)、念話使用不能(不治)、夜桜つぼみとの接続
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:――――バカ。
1:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
2:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
3:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
4:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
5:戦う事を、恐れはしないわ。
6:私の、勝利条件は……?
[備考]
※ソメイニンを大量に投与されました。
古手家の血筋の影響か即死には至っていませんが、命を脅かす規模の莫大な負荷と肉体変容が進行中です。
皮下の見立てでは半日未満で肉体が崩壊し死に至るとの事です。
※拒絶反応は数時間の内には収まると思われます。
※念話阻害の正体はシュヴィによる外的処置にリップの不治を合わせた物のようです
※瞳に夜桜の紋様が浮かんでいます。"開花"の能力に目覚めているのかは不明です。
※『開花』を発動しました。反動で肉体の崩壊が加速しています。二度目の発動は即時の死に繋がります。
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:"真打柳桜"、ダメージ(極大)、魔力充実、令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』、第三再臨、右眼失明
[装備]:刀が二振り(残りは全て焼失)
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:七番勝負、これにて終い。…マスターを探さないと!
1:梨花を助ける。そのために、方舟に与する
2:宿業、両断なく解放、か。
3:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
4:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※古手梨花との念話は機能していません。
※アーチャー(ガンヴォルト)に方舟組への連絡先を伝えました。
また松坂さとうの連絡先も受け取りました。
※梨花に過剰投与されたソメイニンと梨花自身の素質が作用し、パスを通して流れてくる魔力が変質しています。
影響は以下の通りです。
①瞳が夜桜の"開花"に酷似した形状となり、魔力の出力が向上しています。
②魔力の急激な変質が霊基にも作用し、霊骸の汚染が食い止められています。
③魔力の昂りと呼応することで、魔力が桜の花弁のような形で噴出することがあります。
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【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基第三再臨、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:さようなら、不器用な人。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。
【品川区と港区の境界/一日目・午前】
【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(中)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:…どうなった?
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
2:リンボの生死に興味はない。でも生きているのなら、今度は完膚なきまでにすり潰してやる。
3:『連合』についてはまだ未定。いずれ潰すことになるけど、それは果たして今?
[備考]※天逆鉾によりアサシン(伏黒甚爾)との契約を解除し、フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。
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投下を終了します
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皮下真&ライダー(カイドウ)
死柄木弔
田中一&ホーミーズ(星野アイ)
峰津院大和
予約します
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予約を破棄します、キャラ拘束申し訳ありませんでした
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前編投下します
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「改めて謝罪をしたい。本当に済まなかった」
年下の少女にも姿勢を崩さず、腰を折るのを屈辱とも感じてない、必要以上にへりくだらず、さりとて必要最大限の誠意を込めた、模範的な礼だった。
難癖ありきの悪質なクレーマーでもなければ思わず怒気を収めてしまいそうになる、社会人の哀愁と世知辛さを未成年の少女に思わせる、処世物の賜物だ。
「あの瞬間、決して間に合わない距離じゃなかった。もっと彼女への防護を優先すべき余地は十分にあった。
パフォーマンスを援護する意味は必要だったにせよ……より近くにいるべきだった。全ては俺の不徳の致すところだ。弁明のしようもない」
「謝らないでください。それじゃ今度は私とにちかが狙われたかもだし。たらればの話はやめましょー」
話し合いで押し流してなあなあにしたくないと、寮を後にした3人のアイドルに対して深く頭を下げたライダーに。
最初から非難する気も毛頭なかった摩美々からすれば、お門違いもいいとこであると、顔を上げるよう促す。
「……ごめんなさい。嘘です。ほんとはちょっとだけ怒ってます。
もう少し、なにかないと……気が済まない、カモ」
悪戯心か、微小な邪念か。
話を円満に終わらせずに、摩美々は口を尖らせた。
「当然だ。命に関わるのは勘弁して欲しいが、それ以外の恥辱は甘んじて受けるよ」
「はい言質ー。じゃあにちか、なんかライダーさんの弱みになるネタないー?」
「えっそこで私に振るんですっ? えーあーライダーさんの弱み……?
───ああ、はい、アレ。俺には心に決めたツバサがいるんだぜ、とかキメ顔で言っておきながら、いつも周りに幼馴染侍らせてるらしいですよこの人」
「マスターマスター。幼馴染以外をいやに曲解した情報を流さないでくれ。当人達は気にせずとも、周囲からするとけっこうデリケートな政治問題に発展してだな」
「うわーさいてー。ライダーさんはプロデューサーさんみたいに誠実な人だと思ったのにー。
……いや、あの人も割と勘違いさせるようなこと言いまくってるな……」
「あ、あと結局本命は体の中に住んでる男の人で、お前がいないと生きていけない一蓮托生の運命なんだぜーって」
「……嘘だろマスター。そういう目で俺達を見てたのか?」
「はぁ!? これライダーさんの罰ゲームですよね! なんで私まであらぬ目で誤解されてんですか!?」
「はいそこまでー。ここらでお開きとしまぁす」
ぱん、と手を叩く音を合図に、謎の寸劇が幕を閉じ。
我に返ったにちかが、極めて気まずそうに壁に後退する。
アシュレイもメロウも文句ひとつ言わず、方舟組にはすっかり慣れた姦しさに、霧子は「ふふっ……」と珍しいものを見たように微笑み、もう一歩後ずさった。
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「寛大な心遣い、誠に感謝するよ。元気を取り戻してくれたようで安心した」
「はいー。元気ばーりばりばーいでーす」
ピースピースと指でポーズをキメてアピールする、田中摩美々を表すアイコンとしてしっかり定着した、パンキッシュなメイク。
(誤魔化してるが隈が酷い。かなり嵩んでるな。やせ我慢を張れるぐらいの気力はさっきもらえたようだけど)
アイドルでもっとも重荷と重圧を背負う立場に置かされているのが、今の摩美々だ。
にちか達に真乃、霧子と、前に出て行く気質でないメンバーが集まったことで、自然と彼女が牽引役を担う流れになっている。
面倒くさがりで天才肌、ノリが悪いからとレッスンをサボろうとする気まぐれ屋のようでいて、手の足りない箇所に目を向ける視野の広さと、身内の判定を下した人にはさりげなくも世話を焼く面倒見のよさがあることを、事務所の人間は知っている。
電話越しとはいえ、敵連合の頭、蜘蛛の後継者と代理闘争すらも強いられすらもした。
悪の首魁。別世界に生きるが如しの殺人者。プロの交渉人でも骨が折れそうな魔王との対話。
そこに殊に心労をかけた先の一件。気をやるまでいった精神の負荷の重さは計り知れない。
(……まだいける、そういうことか)
戦争と畑が違うとはいえ、アイドル業もまた激務だ。
稼ぎ頭のアンティーカでは要領よく捌いている摩美々は寝る間も惜しむとまでいかないものの、リスクの配分は心得てる。
「と、いうワケでー。場も温まったところですし。ライダーさん、お願いしますー」
その摩美々が先を促している。
ここで立ち止まって休息に費やしていてはいけないと言外に告げている。
体力も精神も限界に達しつつある中で、ここが踏ん張りどころだと心得ている。もう、間に合わないのはごめんだと。
「……ああ。周回遅れはここまでだ。巻き返しに行くぞ」
もういい加減に休ませてやりたい、が本音だとしても。
負担を可能な限り引き受けるのが計画を主導したサーヴァントの責務と前提を置いても。
一時の安らぎを得る行為には、既に意味がないと理解している意志を汲み、アシュレイは頷き議題を展開させた。
時間に余裕、あらゆる暇は足りずとも、叫べる限り、未来(イノチ)の希望(ヒカリ)は続くのだと信じて。
◆
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時間を節約したいということで、別の案件と平行しての作戦会議となった。
「俺達の目標設定を再度確認したい。
大別すると、聖杯戦争脱出の方舟の製作、それに伴うマスターとサーヴァントとの対話。
そして要救助者との接触、回収。確認される対象は、プロデューサーと古手梨花。ここまではいいか?」
「はい……」
「霧子、分かるー?」
「うん……アーチャーさんから……色々なお話……聞いてるから……」
大ぶりのおにぎりを手に取って、めいめいに咀嚼しながら指針を確かめ合う。
酷暑の炎天下でも食欲が失せないよう、しっかりと塩味が効いていて、中にはごろっとした大口の具が入っている。
サーヴァント分含めてもそれぞれ2個ずつは平らげられる計算の数だった。今や栄養に水分補給も必須の任務と化している。
「だが後者において、火球の知らせが入った。プロデューサーと古手梨花の命が、それぞれ異なる理由で尽きようとしている」
再合流した幽谷霧子から与えられた情報は、方舟にとって貴重なものとなる値千金ばかりだった。
光月おでんと古手梨花という、最優のセイバークラスのマスターとの協力体制。リンボが獲物とするフォーリナー、アビゲイル・ウィリアムズとの横の繋ぎ。方舟が界聖杯で一度として顔も合わせられなかった、海賊同盟に囚われていたプロデューサーとの接触。
地平戦線発足に至る前とその最中にあって、方舟の造船と災禍からの防衛に追われていたアイドルからは見えなかった地平の巡礼を、離れていた霧子は乗り越えていた。
吉報か凶報の違いは関係なく、方舟のアイドルの面々は必ず知らねばならないことだったのだ。
「……だから、なんですね。なんでプロデューサーが、私達と会おうとしなかったのか」
おかかのおにぎりに手をつけた摩美々が、抱いてた疑問を解く答えを零す。
彼のホワイダニット。あれだけアイドルとの直の接触をプロデューサーが固辞し続けていた理由。
引っ込みがつかないとか、光の元に戻されるわけにはいかないとか、そういった精神面の話でなかった。
共に歩めるだけの時間が残されてない、肉体的にもう救えないという、単純な理屈だった。
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「下手人は恐らくは、海賊同盟のライダー、ビッグ・マムと呼ばれてたサーヴァントだろうな。Мとの接触時にも似たような事象を確認してたみたいだ。あいつはそれを自力で解除してたらしいが……」
「そのサーヴァントって、もうやっつけられちゃったんですよね? こういうのってそしたらもとに戻るってのがお決まりのパターンじゃ……?」
「……どうかな。魂の扱いってやつは難しい。契約なり能力なりで切り分けられたものが、そう簡単に返ってくるものか。
それに魂はサーヴァントにはエネルギーにもなる。魂をコレクションするぐらいやりくりが出来る奴が追い詰められた時、手を出さない保証はない」
「それって……!」
「この先の時間をプロデューサーとしてアイドルと共に生き永らえる余裕も、その意志もない。
そうなればもう、勝ち目のあるなし関係なく願いに殉じて砕ける以外、彼の行動に意味を持たせられない。
心血注いで何も成せなかったので辞めます───どこにでもありふれていて、最も耐えがたい人生の総括だから」
プロデューサーは聖杯を手に入れるために命を捨てている。
捨て身の覚悟や投げやりになったという気構えではない。「これから死にに行く」のではなく、命は既に「ない」のだ。
賭金は没収された。一世一代の大博打で、宵越しも残さず完全に破産した。
人質の旨味も戦力としての期待もない。
そんな彼に聖杯という唯一縋りつける希望を諦めさせることは。
『もうあなたには何もできないんだから、そのままさっさと燃え尽きてください』と、荼毘に付してやるのが慈悲だと。
プロデューサーはそれを受け入れている。むしろそうやってアイドル達には見捨てて欲しいとすら願ってる節がある。
徹底的な没交渉はそういうことだ。
その果てに生まれるのは、光の奴隷の宿痾。人ではなく現象に近しくなった『ただひとりの七草にちかを救う』ためだけの概念だ。
この世界のどこにもいない七草にちかを救うために、羽根を折り、傷を膿み、無数の痛みを浴びてもアイドルになると吼えたここにいる七草にちかを。
幽谷霧子の生きる、全てが上手く行って幸福のチケットを掴み、アイドルとして戦う七草にちかの世界を、諸共に殺すという矛盾にも、躊躇わない。
君たちは素晴らしい。この世に二つとない尊い花だ。一緒に仕事に携われたことを誇りに思う─────────だが、殺す。
いや、既に『一度目』でそれに加担したも同然の行いをしている以上、尚更引っ込みがつけられない。
彼は英雄ではないのだから、この土壇場で優勝レースに躍り出る逆転劇が起こりはしないし、強者を引き摺り降ろす逆襲者にもなりはしないだろうが。
それに成ってしまい、成った彼を彼女らと合わせる事自体が、そもそもの禁忌であり、敗北だった。
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「提示しなければならないが、俺達の中に失った魂を補填させる手段を持ったサーヴァントはいない。それこそ聖杯の余剰リソースにでも期待する他ない。
唯一の当てとは、今なお取り付く島もない。いてもあいつが一番嫌う枠組みだろうからな……」
一足早くおにぎり1個を平らげたアシュレイは、厳然たる事実のみを渡す。
「だから俺は問わないといけない。
マスター。田中さん。幽谷さん。それでも君らは彼らを救いに向かうか?」
プロデューサーを説得し、こちら側に引き戻して生還するという当初の指針は消失した。
救っても、その先がない。いや、「私では答えにならなくても、せめて生きていたいと思えるようになって欲しい」という前提が崩壊した今、救おうとする行為自体が、彼から全てを失くす。
願いの成就も、生存の手段も与えてやれない。
慕っていた人の後悔と執念に塗れて凋落した姿を見せつけられ、嘆きと慟哭で飾られた、湿っぽい別れの挨拶ぐらいしか渡せないかもしれない。
そういう、残酷を、隠すことなく告げる。
以前までなら、隠そうとしたままだったろう。
欺瞞を使うとはいかずとも、あえて明文化せず疵の残らない言い回しで選択を促していた。
だが、今は。
「救うとか、そういうのは……どうしたら救えるのか、どうすれば救ったってことになるかも含めて、分かりっこないですよ」
答えたのはにちかだった。
「そこまでボロボロになって何やってるんだ、時間がないならなんで早く会いに来ないんですか、どれだけ心配させてると思ってるんだって、言いたいことは山程ありますけど。
それがあの人にとってどれだけの意味があるかだって、今の私には分かりません」
意外にも二個目のおにぎりに手をつける健啖ぶりを発揮し、水筒のコップに入った麦茶を呷って口の中を洗い流してから。
「だから、全部ぶつけてやります」
「あの子が言えなかったこと、私が言いたかったこと、誰かが言うべきだったこと、何もかも洗いざらいひっくり返してぶちまけちゃいます。
こんだけ姿も見せず迷惑かけといて、もう手加減なんかしませんから」
自虐ではなかった。
半ば以上虚勢ではあるかもしれないけど笑みを作って、不敵に塩鮭のおにぎりにかぶりついてみせる。
後がない、という意味では、にちかも同じような立場かもしれなかった。
余分な部分、恐怖すら削ぎ落とされ、だからここで自分のやりたいことを優先して発言できるのだろう。
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「…………まあ、私はにちかほどアクセル全開で正面衝突したりはしませんケド」
次いで前に出た摩美々は、にちかほど意気込んだ様子を出さず冷静さを装って。いつもと同じ薄笑みで。
「私、悪い子ですから。ほっといて置いてけぼりにしちゃう酷い人には、なにするかも分かりませんねー」
沈殿する憂いも淀みもおくびにも出さず、どう悪戯してやろうというアイコンを立てる。
自分を差し置いて悪さをする人。置いていこうとする人に追いかける、黒い猫のように。
「……梨花ちゃんは……咲耶さんの言葉を、私に届けてくれました……」
先にプロデューサーに会い、言葉を交わしている霧子は、もう一人の存在に向けた思いを発した。
契約してるセイバーのパスを伝わる影響と、直後に接触した皮下の配下だった少女からの説明で、会わないままに状況は掴めた。
皮下の再度の拉致。葉桜なる異能の血の注入。元の世界と因縁あるマスターと潰し合わせる鉄砲玉。
肉体を壊死する劇毒は、新たな可能性を花開かせる種でもある。
共に生命が尽きかけてるのは同じでも、梨花の症状はより悲惨なる残酷さを負わされている。
「咲耶さんの言葉を、大事にしてくれて……私にその思い出をくれて……一緒に頑張ろって……言ってくれました……。
だから……梨花ちゃんがまだ……頑張ってるなら……。私達が来たら、お邪魔かもしれないけど……一緒に頑張ろって……応援したい……です」
己がそれを背負わせてしまった因であると理解して。
だからこそ今の自分は生きていられるのだという因果から、目を逸らさないのであれば。
どんな光景が待っていても、迎えに行きたい。もらったものを返せなくても、言いたいことを伝えたい。
あいを受け取り、あいをあげられる、霧子が歌うアイドルの姿で、梨花と会いたいと。
3人の言葉を受けて、アシュレイは薄い笑みを形作った。
「……本当に、過保護だったのかもな。俺も、アイツも」
自分であり、ここにいない誰かに当てた、自虐の笑いだった。
強くなることは正しく、美しい。
困難に折れず、辛苦を研磨材に替え、血と涙の意味を前進の理由へ錬成させられることは素晴らしい。
適者生存、弱肉強食などという雑に一括りにするようなものではない、生きる者凡てに備わる原石だ。
そこに異論は挟まない。光の雄々しさ、眩しさに全身どころか魂までも灼かれた身が、それを保証する。
だが───君達がその強さを得るのは、本当に良かったのか。
それは召喚されて以来、常にアシュレイの喉元に小骨になって突き刺さっていた懸念だった。
剣も銃も取ることのない平和な世界から、一転して戦争に送られ。
殺人者に、破壊者に、悪鬼に、外道に、死神に命を何度も狙われて。生き残る毎に、大切な人を失って。
得たものは必ず人の血肉になる。咀嚼して嚥下して消化した時、それは成長の糧に変わる。それは自然なことだ。
本人の意思も問わず、何の関係もない殺し合いに放り込まれる。
争乱とは大抵そんなものだ。犠牲者はサイコロを振って出た目で決める気軽さで選定される。
だとしても。死ぬよりは遥かにマシだと、痛みと死を与えられ、強くなるしかなかった、強くさせられるしかなかった彼女達を。
強くなったと喜ぶのが、本当に正しいと叫べるだろうか─────────?
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馬鹿を言え。思い上がりもいいところだったと己を痛罵する。
彼女達は強かった。最初に出会った時から、ずっと。
戦いの強さではなく、心の強さ。殺し合いに臨める耐性ではなく、何を目指し、何処に向かうかという精神(こころ)を、始めから持っていた。
彷徨い揺蕩う小舟のようなアシュレイのマスターにも、それはあった。今は埋もれ、気づけなかったというだけで。
彼女達は極楽浄土(エリュシオン)にも灼烈恒星(アルカディア)にも染まりはしない。峰津院大和の掲げる新宇宙にも適合する強者じゃない。
ならば弱者か。それも間違いだ。それは戦いで発揮されない強さを備えているということ。
アイドルという星。
一等星の頂きを目指して競い合い、蹴落とし合う戦場であるのは間違いないだろう。
だがそこで披露する輝きは、見る者全員に光を灯す。
同調した相手に無限の出力と手段を供給するでもない。
美しく正しい、幸せな栄光と勝利を約束するでもない。
宇宙の新生。世界の変革。そんな大それた事とは関わりない。愛と夢と希望を見せるだけ魅せるだけの、いわば幻想だ。
目を灼かず、魂を奪わず、見る者の心を震わせるのみの輝き。
現実的な益をもたらすわけがない、一夜の夢のような少女の児戯。
けど─────その幻想には熱がある。
天から与えられなくても、自ら何かを生み出そうとする情動をくれる。
なんの確約もされないけど、なんとかなるさと未来に進む足に力を入れる勇気を貰える。
「大した世の中ではないが、もう少し生きてやるか」と、そう思わせる数値で見えない「何か」を創造している。
乾いた喉を潤し、傷ついた心を癒やす。寄り添いながらも触れ合わず、どこまでも遠い場所にいながら、誰よりも近く見ている。
夜空に光る、綺羅星(スフィア)のように。
そんな少女の持つ強さを育て、守ってきた一人の男がいた。
芸能界という、恐らくは過酷な競争社会で、ひとりひとりの輝きを尊重し羽撃ける巣をずっと営んでいた。
その人が今、飛べないまま巣を去った雛のために、巣立ちを待つ鳥の涙を振り切って失墜している。
ああ、上等だ。
最も弱く儚く、されど優しき星々の流す涙を止める。星の担い手として一切の過不足なき理由だ。
「───その旨、請け負った。君達の星を届ける翼の任、必ず遂げよう」
赫灼が猛る。運河が踊る。言うに及ばず、是非も無し。
奈落を上がり、崖を階に鳥は翔び立つ。
◆
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……。
…………。
………………………………………。
「悪いな。こっちの構想に付き合わせる形で。ここでなら時間の経過は無に等しいし何かと都合がいいんだ」
「構うな。俺の都合に斟酌する必要などないだろう。現実では寸暇の浪費も許されない」
「そも、俺はとうに壇上に登れる権を破り捨てた身だ。予定にない飛び入りが舞台を荒らすのが歓迎されないのは何処も変わらん。歌姫流では厄介ファン、と言うのだったか」
「結構な驚天動地な台詞をお前の口から聞いた気がするよ、今」
「仮初とはいえ比翼の主、そこに纏わる身辺をお前経由で仕入れるのを怠るはずがないだろう。一度は個人(ヒト)それぞれに問いかけようと馳せた俺ならば、尚更だ」
「ああ、まあ、飽いてはいないようで安心した。外に出さないのはともかく、窓すら塞いでしまうのは幾らなんでも忍びない」
「ならば俺からも言わせてもらおう、我が比翼。お前こそいつまで開帳を惜しんでいる」
「ヘリオス?」
「俺自身の顕現は既に叶わんが、お前を窓にして外界の様子と音を窺う程度の事はできる。
多くの、覚醒(めざめ)の音を聞いた。己の限界を突破し、境界記録帯(ゴーストライナー)なる括りの規格を更新して見せた光狂いの咆哮を。
特に禍々しく響いた、あの夜仕留め損ねた鋼翼の魔、我らの世界の星辰光(ほうそく)にまで侵食せんとしていた。
放置すれば界聖杯そのものを内側から食い破りかねなかった、俺でなくば止められぬ厄災と成り果てていただろう。
その波及を留め、見事討ち取って見せた剣、俺としても目にしたかったものだが───そこは言うまい。俺からの言祝ぎなど何の栄にもならん」
「…………」
「故に尋ねたいのはそこだ。奴らが突破しておきながら、お前にのみ枷が解かれない。この理屈はどういう事か?」
「戦争の場では直接的な殺傷力のみこそが求められる。俺や鋼翼共らのような破壊に重点を置いた気狂いこそが幅を利かせられる。
対して世奏、お前は単体の性能ではなく、周りの星々と繋ぎ合わさり連なる事こそが肝要となる。
どちらも界聖杯(せかい)を内側から変容させられる特異点。なのに許容されるのは前者のみ。
悪が力を思うままに振るうのは推奨され、善は切り詰められた短剣で生き馬の目を抜くしか許されぬ。何だそれは。不公平だと疑問を呈するのは自然だろう」
「解けるカラクリがどこかにある、ってことか? 精神論(いつもの)じゃなく、理論として?」
「所感だ。ユグドラシルの実が落ちてきたたわけでもない。それがなくば承服できんという、捨てられぬ宿痾に過ぎん」
「……どれだけ魔力を注ぎ込んでも半端にしか顕現できない烈奏(おまえ)と。
伴侶(ナギサ)がいなければ数秒も発動できない界奏(おれ)。
マスター差でどうにかなる問題じゃない。確かにこれは手落ちだな。もっとも、俺とお前が全開を許される戦争なんて想像もしたくないが……」
「俺達は、招かれる戦地を間違えたとでも?」
「間違えた……とは違う。招かれるサーヴァントに特に意味はないんだよ。界聖杯は聖杯戦争さえ完遂できればいい。
意味があるのは、重要なのは───────なぜ、俺のマスターが彼女だったかだ」
-
「そこまで気づき、答えに思い至りながら、何を迷うという」
「もし俺の考えが全て正しい場合───彼女は方舟を動かす要になる可能性がある。
けど代償に、マスターに俺と同じ地獄を味合わせることになるかもしれない」
「まして確証のない憶測だらけ、大してよくもない頭を回した穴だらけの推論だ。
最低でも検証の一手……セイバーから聞いた、高い演算能力を持ったアーチャーと協力できるのが一番よかったんだが……」
「だがお前は翔ぶと彼女らに言った。あれは後悔を先送りにせず、偽りなくその願いに沿うという誓いだった。変心の所以は」
「地獄に向かわずともあの子は翔べるって、信じられるようになったから。
同じように乗り越えられると思ってるわけじゃない。そもそも俺とマスターは似ているが違う人間だ。だったら辿る道も答えも変わる。そうだろう?」
「ああ───そうだ。その通りだ」
「その紙片は何だ」
「『こんなこともあろうかと』。
後出しは知恵者の特権だな。俺が頭を悩ませてる問題の殆どに疑問と構想が練ってあるよ。
上を行かれるのはいつもの事で我ながら情けないが、これのおかげで、少し道筋が見えてきた」
「そうか。ならばその時が来たら俺を使え」
「……何だって?」
「案ずるな。ここに来て出張る無粋はせん。炉の火を盛るには焚べる薪がいるという、当然の理屈だ」
「だが……それは……」
「二度も言わすな。俺が認めたお前の決断。お前が信じた光の優しさ。そこに俺が一翼を担うのにいったい何の迷いがあろう」
「……ありがとう。本当に、お前には助けられっぱなしだな」
「もう少し待ってていてくれヘリオス。
例え俺達と関わりのない世界でも、鳥の翼は地平の遥かに続いてる。答えに足る星を見つけられると」
「待つのは慣れている。少しといわず悠久をかけて幾度となく挑むがいい。
たった一度の敗北で善悪が定まるほど、世界は簡単ではないのだから」
◆
概略『NPCとマスター、界聖杯内世界との相互関係について(途中経過) : M』
◆
-
前編を終了します。後編も頑張ります
-
すいません、予約の中から
皮下真&ライダー(カイドウ)の面子だけを破棄させていただきます
キャラ拘束大変申し訳ありませんでした
-
松坂さとう&アーチャー(ガンヴォルト)
神戸しお&ライダー(デンジ)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
皮下真&ライダー(カイドウ) 予約します
-
後編を投下します。
-
◆
戦いは、無言だった。
信義を確かめ合う主張も。
精神を高揚させ、または相手の動揺を誘う文句も。
観戦者からの声援を受け、実力以上の結果を発揮する為のパフォーマンスも、こことは無縁だ。
2人は互いを知っている。
相手が何者で、どういう能力を使い、どのように戦うのかを、深く知悉している。
サーヴァントという形態で再会し、敗北と邂逅がもたらした変化も、先の戦いで修正を済ませた。
もはや言葉の意味は不要ず。
時の果てより招かれ集った同種を屠るのに憐憫はまるでなし。
尋常、神妙、前看板は裂かれて砕かれ、真昼の天下で、鬼が狂う。
「ハァァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
花が舞う。
月が踊る。
叫びは野猿の震え。
獲物を威嚇する獣の本能。そこに人の言葉のような意思の疎通は介在しない。
されど獣が何を思い、何を語っているかは、余すことなく両者に伝わっていることだろう。
「……フ─────!」
殺す。
ただ一点の、曇りなき言霊。
それのみを共有した二匹の鬼は、咲き狂う桜の花弁を蹴散らし凶器を交えるのだ。
眼球に数字は刻まれていない。
序列であり支配の証。長年歴史の影で人々を恐怖させた集団の鬼はもういない。
ここにあるのは狂い鬼。鎖を解かれ日の下を歩く肉なき幽鬼。
名も思い出せぬ主ではない、自ら決めた契約こそが新たな存在理由。
桜吹雪を掻き分けて舞い広がる三日月。
夜の風流を表す季語が日照時に降る奇っ怪な光景。
猗窩座にとっては見慣れた牢獄を駆け抜ける。
(刀を伸ばさずとも、型を出すか)
月の呼吸 玖ノ型【降り月・連面】。
一定以降の数の型で、黒死牟は手に持つ刀を長大化させる。
刃に応じて月輪の力場を発生させる斬撃能力。その効果範囲を広げる為だ。
その刀が、変わっていない。
基本の打刀の形状のままで漆ノ型以降を撃ってきている。
これだけでも、生前とはかけ離れた成長を遂げていると判断するのは明白。
強くなるのは己だけではない。元から小石程度の大きさでしかなかった慢心を噛み砕いた。
(だが───見える)
捌ききれず手足を寸断されていた過去の敗戦の記憶と、眼前の月輪。
密度に切れ味は往時よりも研ぎ澄まされてる筈だが、眼球に映る牙はひどく緩慢だ。
羅針が、視神経が、反射が、筋繊維が、外骨格が。
猗窩座を作る部品、生体が、独立して月を捉えている。
脳天からの飛来をアッパーでかち上げる。
腕を輪切りにする側面は、黒化した腕で掴み、投げつける。地面を這う足払いと衝突し互いに砕け散った。
胴への横薙ぎには助走をつけての飛び蹴り。流線型の真ん中から圧し曲がり力なく墜落した。
大小の肌を触る月輪は全て無視。
攻撃も機動も損ねずに素通りするか、全身から発する剄……覇気が放出が跳ね返す。
-
檻に閉じ込めた灰色熊(グリズリー)が、天然の獰猛さで鉄格子を引き千切って抜け出す絵図。
月刃の包囲網を突破した猗窩座は黒死牟を『拳』内に捉える。
遠当てではこの男に通じない。相手も鬼、本命を与える布石以外の牽制は無意味。
覇気───人類が潜ませた意志の力。
呪力───負の想念の凝縮。
同一の根源から生じ、相似である異世界の概念は、反発せず混じり合い、猗窩座という無関係の住人の中で精製される。
筋肉を増強し。
皮膚を硬質化し。
覇と呪の異なる層が渦を巻いて拳を巻き込み、破壊力を向上させる「ねじれ」を生む。
鬼嵐。
拳周りの空気をねじ回し実物大よりも大きな気流の拳を作り出して月の破片を圧壊させて猛進する。
【壱ノ型 闇月・宵の宮】
針の穴に糸を通す、極細の一迅だった。
しかし月輪と嵐の大技がぶつかり合う狭間で繰り出された居合は、極限の集中状態の間隙を縫う奇襲として成立した。
乱気を手甲にした突きは手首を断ち切られた事で不発に終わり、反撃の二の太刀を振るおうと──────
「破式 縮円牡丹」
───斬られた断面から新しい拳が射出し、黒死牟の左側頭部を撃ち抜いた。
「…………!」
左上の目玉を潰され頭部から血を流す。
斬られてからゼロ秒で再生を済ます超常の復元速度に虚を突かれ、たたらを踏んで後退する。
一度目の交錯で再生の速さを予測していただけに、さらなる上昇は寝耳に水だったろう。
(───通る)
初めて一本を取った、会心の手応え。
参の字とふたつ先の壱の字を持った鬼に拳が届いた。
この身体は戦える。黒死牟に見劣りせず、今や上回りもしてる。
勝てる───希望的観測でない確信が後押しして、一気呵成に攻め立てる。
やや遅れて眼を直した黒死牟へと、猗窩座の連撃が殺到する。
如何に不意を打たれたとはいえ、それで足運びを乱す上弦の壱ではない。
通過した跡に帯電を残す拳の速度にも適切に対応し、拳打蹴足を止めていく。
受け止める最中に、前方を埋める黒死牟以外の方角、左右上方から月輪が竜の顎めいて猗窩座を噛み砕く。
だというのに、猗窩座は止まらない。
斬られてはいる。長刀で発動されるのと同威力同範囲の剣の林は、一欠片に至るまで猗窩座に突き刺さり、撫で斬りにし、膾切りにしている。
そして次の型が始まる頃には、元の状態に再生して戦闘を継続するのだ。
黒死牟も、月輪で死角外から攻めつつ猗窩座の注意がそちらへ分散したのを見計らって自らも切り込む算段をしていたのだろうが、逆に猗窩座の猛攻を止め続ける羽目になってしまった。
被弾を恐れず、無限高速の再生力を盾に、自らは一方的に質量と物量で押し潰す。
まさにそれは彼らの始祖、■■■■■が用いた戦い方。
膨大な生命力という、技や道具で舗装されない、原始に満ちた荒々しい御霊の発露。
完璧に近い存在にとって凄まじく理に適った、武術家であれば唾棄するような暴力が、今の猗窩座だ。
-
(構うものか。己の誉れなど)
武芸者の風上にも置けないと自壊するだけの恥はもうない。
臆面もなく力を振り翳す、そこだけはかつての主と変わりないだろう。
だが、この行為が何を目的としたものであるかだけが───彼岸と此岸ほどの違いを生んでいる。
破壊と殺人を犯すのは同じで、罪は罪で、求めるものが異なるだけ。
永遠は少しも欲しくない。
欲しいものは希望。たったひとりの、小さな未来。
稲光が勝機を予期して、脳内を雷速で駆け巡る。
先行を奪取する。
「青銀乱残光」
構えなし、ノーモーションで解放された終式が、取り囲む月輪を粉微塵にする。
砂利に混じった破片が陽光を反射して、綺羅びやかな星屑の運河を生む。
その河を猗窩座は泳ぐ。
全力を投じて打つ終式の直後にも関わらず、二撃目もまた全力。
至近距離での爆裂に少ない傷を負っても、黒死牟の迎撃は正確だ。
【拾伍ノ型 虧月・牙天衝】。武装色に染まる黒刀の唐竹割り。
「黒閃万華鏡」
応じる黒拳。
中途で不発の憂き目は二度もなく、完全解放で相克する。
純粋破壊のみを目的とする怒涛の閃光が、ふたつ。
絶叫の音は黒死牟が歯を食いしばって地に叩き下ろす黒刀である、猗窩座の血管を破裂させる反動を受けて上昇を目指す拳である。
そこに挟み込まれた罪なき大気であり、振り切れた数値を修正する運営する界聖杯である。
局所の衝突点、ほんの僅かな空間だけが、世界の終わりを現実に先んじて訪れる。
衝突は、互角。
二色の黒は互いの領域を侵食することなく、光の喰らい愛に終始している。
遮二無二カイドウに放った頃より威力を増した万華鏡も、牙天衝に押し負けはせずとも圧せない。
よしんばどちらかに均衡が傾いても、その頃には向かうべき威力は八割方が削がれ、決着の一撃足り得ない。
-
「黒閃」
────結果と前提と理屈を纏めて凌辱して、左から追撃。
威力は右と全く同一。強い攻撃ほどかかる『溜め』の間が忘却されている。
初撃で残量を粗方喰われた牙天衝はあっけなく壊れ、柄を握る指まで意趣返しとばかりに吹き飛ぶ。
「黒閃」
理を問うのも馬鹿らしくなってくる、当たり前に三度目にも稲妻。
刀も防護も抜いた黒死牟の腹腔に突き刺さり、内部で暴発。
内臓は炭化し、肉は挽かれ、骨が胸を飛び出た。
呪力の核心。
打と呪の間の微の誤差が弾き出す閃光。
武をやめ呪いを背負った男に齎されるは、呪力からの喜悦の艶笑。
「─────黒閃!!」
腕に乗った稲妻は天にも昇る。
都合四撃。呪いの申し子の称号を得た鬼の王の万雷は、百年の溝を奔り切った。
獲った。
会心の一撃は呪力の芯を捉え、覇気の武装を押し出し月輪を貫き壊し。
とうとう黒死牟の脊椎を折り、頸動脈を破り、僅かな皮を残して頸がぶら下がっている。
人であれば言うまでもなく即死。
鬼ですら必死の傷。
廃れた数字の序列を遂に覆してのけた猗窩座は、ここでも手を緩めない。
黒死牟は倒した。
陽光焼けにはかからずともじきその身は朽ち果てる。
だが敵はこの男のみではない。
律儀に全員回って倒す必要はないとはいえ、優勝候補に居並ぶ龍王は未だ健在。
灰と化す前に───四百年分滞留した血袋を、ここで飲み干す。
鬼は、人間だけでなく鬼も喰らうことができる。
かつての上弦の序列を競う血戦でも、新たな上弦は敗者を喰らいより力を高めてきた。
禁忌とされた『同胞喰い』の縛りも、始祖の枷を解いた猗窩座にはない。
加えて、相手は上弦の壱。
絶命する窮地の土壇場で、猗窩座と同じく頸の截断を乗り越え再起する可能性は無視できない。その芽を確実に詰むべくの吸収。
鮮血を噴き上げる首の跡に手を押し付け吸収を始める。
始祖に一番近い、上弦の濃厚な血を細胞で味わう。
再臨を果たした身が、一回り膨れ上がるのが分かる。
これならば始祖はおろかその血の記憶にある、始祖の頸を斬りかけた鬼狩りをも上回れると─────
「……何を……………………言っている…………」
■
-
これは総括だ。
黒死牟にとって幽谷霧子とは、如何なる存在なのか。
剣士の素養のない弱者。数えきれないほど喰らってきた肉の一切れ。
斯様な言い逃れは通じない。ただの要石の一言では短すぎて、鬼に疵を刻み過ぎた。
手に刀を持たず、言葉の刃を、武器も肉も素通りして無い筈の心に振るい続けた。
それほどまでに大きくなっていた。武の道や弟で塗布できなくなるくらいに。そして誇りは遠ざかり、弟もまた去った今、目を逸らす事すら許されない。
窘めても殺気を向けても、性懲りもなく■を与え続けた。
嫌いだと、癇癪じみた感情すら受け入れられ、柔らかな陽の元で微笑まれた。
恐れられて、逃げられるのが当然で摂理たる鬼の傍らで、人のままでいながら寄り添い続けてきた。
そんな主と少なくない遣り取りをして、交換するように感情を吐き出し合って。
黒死牟は霧子に安らぎを覚えただろうか。
鬼畜に堕ちた己を掬い上げる、糸を垂らす天女に見えただろうか。
そんなはずがなかった。
あの指が肌に触れようと近づく度、神経が強張る。
あの口から言葉を投げられる度、臓腑が掻き毟られる。
奈落に突き落とされる、頭の天辺から爪先まで走り抜ける悪寒。
怨嗟を向ける弟との死合、窮地に追いやられた瞬間の恐懼と同様の感情を、銀の少女はもたらしている。
狂ってる。どうかしている。
霧子がではなく、そう感じている自分自身に。
上弦の壱の位を死守し畏れられ続けた男の肝の太さなのか、これが。
愕然と戦慄き、有り得ないと頑として否定しなければならないが、靄を晴らされた頭は粛々とそれを認めるしかない。
緑壱の如き、神に愛されし凄絶なる極まった武力もない。
緑壱の如き、非の打ち所が無い完璧な精神もない。
緑壱の如き、この世の条理を覆す超逸した才能もない。
数百年先に生まれ育った、ただ人間であるだけの小娘が、死してなお消しきれなかった黒死牟の影を灼いた。
今となってはその幻想すら、一部、脳に描いただけの神絵でしかなかったが。
-
疎ましくない筈がない。
憎らしくない筈がない。
縁壱にすら抱かなかった、太陽に晒される鬼の恥辱。
憤死して然るべき激情が紛れもなき真であると理解しながら、胸元の最も深い箇所は不思議なほど落ち着いていた。
何故か。
「それが、私にとっての罰だからだ」
自分は鬼として生きる道を選び、そして死んだ。そこに悔いはない。
実の弟の鬼才を妬み家を捨て、人すら捨てて求道に費やした。
例え何度生まれ変わろうとも、同じ選択をしていただろう。そうする以外、自分の人生に価値を見出すことなどできなかったと断言できる。
だが、それでも、この道は間違えていたのだ。
実の弟の才のみにしか目が行かず蔑ろにし、代々の武家も娶った妻と子も無価値と断じ、醜い化け物になってみっともなく生にしがみつき人を殺し続けた。
罪を罪と感じる心がないからと、罪が生まれないわけも、罪から逃れられるわけでもないというのに。
悔いているわけではない。
許されたいわけでもない。
ただ、省みてみたのだ。
何も手に入れられない。何も残せない。何者にもなれない。何の為に生まれてきたのか分からない。
その理由は、一度振り返ってみれば、簡単に見つかっていたようだった。
見逃してきた罪であり、見ようとしてこなかった呪い。
幽谷霧子とはつまり、それを丁寧に拾い上げて眼の前に広げて見せる、罰の顕れだ。
一度死に、その残滓として蘇ってもまだ逃さないと追いかけてきた、頸に当てられた日の刃だ。
恐れるのも当然だった。己の死因となったふたつ、そのどちらも携えていたのだから。
優しき陽だまりなど、とんでもない。
柔らかな光は黒死牟の肌をゆっくりと灼き、克明に罪を詳らかに晒す。
いっそ縁壱の時のように、一瞬で目を焦がされる方がまだましだ。
火炙りに気づいた頃には、磔刑の台に諸手を縛られ、身動きが取れなくなっていた。
縁壱でも光月おでんでも、恐らくはこれは叶わなかった。
だが霧子のみがいれば事足りたかといえば、それもまた否となる。突き立てたとて、否定に走る鬼を振り払える刃を、霧子は持たない。
縁壱なくば、盲いた目を開かせる自覚が足りず。
霧子なくば、がらんどうに埋める心が足りず。
そしておでんなくば、捻れ絡まった因果の糸を力づくで切り落とせなかった。
誰かが欠けていてはこの結末はなかった。黒死牟の罪を認めさせる未来はやって来なかった。
そうまでして、他人に構うことにいったい何の意味がある。
そこまでお膳立てされ後を押されるだけの価値が、果たしてあるのか。縁壱を喰らってまで?
罪を見てもそこに救いが降りてきたりはしない。自己の価値をそう易易と見いだせない。
本懐に至ろうとするほど、本当の望みに向き合う度に、過去の罪業が降りかかる。罪とはそういうことだ。
贖罪の気があろうがなかろうが、気づいてしまった限りはもう逃げられない。
罪は示される。
罰は下される。
鬼たる黒死牟は鬼滅を遂げた。男の罪は数百数千、八熱を巡り責め苦を受け続ける。
ならば濯ぎようのない汚名、とうに灰になった誰かの罪を今になった知った影である、ここにいる己は。
この地に残った、ただひとつの縁に、何をするべきなのか。
『ここ』ではまだ悪行を積んでない、生前の醜さを俯瞰したばかりの『彼』。
ある意味で生まれたばかりの赤ん坊とも言えるような無垢さと、肉体を構成する情報が証明する邪心。
サーヴァントという自身だからこそ獲得できた瞬間(いま)に、男は踵を地面から浮かして離れた。
■
-
怪奇極まる光景に、猗窩座は拳の圏内から飛び退いた。
頸を断ち、吸収して捕食せんとした寸前に、黒死牟の全身から刃の如き無数の棘が飛び出した。
肋骨が肥大化した突き出たとでもいうような生々しい質感の牙。
鋭利な牙とて今の猗窩座が受けても致命傷にならず、我関せず吸収に専念すべきだった場面でも、猗窩座は己の判断を疑わなかった。
武道家を誇れる体質では既にないにしても積み上げた武練と研がれた直感は、不死の体とて危うしとの信号を奢らず発した。
(既に頸の弱点を克服していたのか?)
消滅を免れた黒死牟の五体はますます変貌を遂げていく。
突き出た棘は数を増やし続け、伸長を止めない。全身に刀が刺さった落ち武者か、埋め込まれた冬虫夏草が一斉に芽吹いて肉を突き破った虫かのようだ。
やがて伸びた刃は黒死牟を見えなくして覆い隠す。町中に建てられた奇抜なオブジェ。猗窩座を映し出す磨かれた鏡面に、楕円形の小屋程度の大きさのドームをしている。
繭───猗窩座はそのように形容する。
刀が擦れ合う金属音を鳴らして、それ以上の変化は起こらない。
頸を落としても死なず、行動を続行した。そこは今更講ずる問題ではない。
自分より上の位階にいた鬼だ、この場で、あるいは生前から克服の術を身に着けていても不思議はない。
だが速度までこちらに匹敵してるわけではない。あそこで即反撃に転じなかった点から、再生力は不完全だと看破する。
ならばあれは生やした武器を即席の壁とし、再生の時間を稼ぐ腹か。
にわか柵の防御なぞ障害にもならぬ。地面を陥没させる踏み込みをかけ、ドームごと粉砕すべく拳を掲げる。
羅針の反応が、中にいるであろう黒死牟の闘気を震えながら示すのを見ても臆することなく、硬化した拳に黒い稲妻が纏わりつき射出を整えたところで。
「……成る程…………醜いな……………」
───鏡面に映る、誰かに向けた怨嗟(こえ)。
細い呟きが漏れたと同時に、一斉にドームが弾け飛ぶ。
高速で一帯に四散する割れた刀身はそれだけで骨まで落とす凶器だが、猗窩座の疾走の妨げにもならない。
不規則に散らばる旋風に指を突き入れ、そこから流し込んだ覇気と呪力の混合色が風圧ごと刀辺をさらに細かい塵に還した。
砂塵に紛れようと標的を見紛しはしない。黒死牟は、猗窩座が拳を入れたままの位置に立っている。
狙いは同じく頸部。未知の防御・反撃を承知の上で再生を頼みに右腕を振り下ろす。
「─────────?」
微小に、戸惑い。
妙な手応えがあった。
抜いた拳の先には何もなく、倒れた体も血肉も飛んでない。
結果だけ見れば、空振りといえるだろう。拳が避けられた。それだけの話。
しかしやはり拳には妙な感触がある。痛覚の反応だ。
生命の危険を知らせる信号の用途は希薄になったために、判断が遅れた。
右腕は、斬られた。
頸に達する交差の間に斬り刻まれ、斬り飛ばされ、血霞と化すまで微塵にされた。
斬撃は瞬間で、再生もまた瞬間に済まされた為、振り抜いた体勢のままで膠着していた。
-
「黒死牟───────」
食らわせた仕手の名を呼んだところで、重々しい音がした。
空気が粘りつき、肩にへばりついてのしかかってくる、桁違いの重圧が背後───猗窩座が狙いを定めて拳を通過させた場所にいる。
確認より先に殺気が勝った。
その場を動かす軸足を独楽回しにした後ろ回し蹴り。
それだけで小規模な竜巻きを生じさせる気流の嵐が脚に絡みつき破壊力を数段伸ばすが、またしても旋脚は空を切る。
奇術に惑わされてるような寸劇で。
今度は、直に捉えた。
蹴り上げた脚が顎に触れるか否かのタイミングで、数百規模の細かな斬撃が蹴りを勢いごと消し飛ばし、脚を戻る頃には再生して元に戻ったのを。
改めて向き直って目にする黒死牟は変化を遂げていた。
それは魔人。
あるいは、鬼神か。
着物と袴を包む装甲は、肉身から直接生えて硬質化された骨だ。
骸骨を組み直して着込んでるとも見える、真白い鎧。肩当て、手甲、脚甲。
顔にある六眼すら、鎧の意向として塗られた仮面の一部であるかのよう。
死者の国から這い出た冒涜性を孕みながらも、反射する光沢には多くの属性が内包されていた。
気品、荘厳、誇り……人が掲げ鬼が持ち得ない信念が、鬼の鎧を形作っている。
「らしくもないな。術に頼らず技を磨いてきた貴様が、そんなものを使い出すとは」
「そう……思うのか……今までの私は……剣技のみに拘る……侍であったと……」
「そんなはずが、ないだろう」
饒舌になったものだとは以前の相対でも言ったが。
こうも語りを聞かせてくる様を見せつけられるのは、かつての同胞として些か面食らわざるを得ない。
「だが……海の果てには……斬撃を飛ばす侍など……常であるという……。
そこのうつけならば……今の私もまた、侍とのたまうのだろうな……」
くつくつと、笑い声すら漏れ聞こえた。
戦いで相手の武力を称賛する笑みを目にした事はあっても、ここまで可笑しさで笑うというのは一度として見ていない。
(何だ……?)
ぶれる口調といい、冷静と理知を醸し出す常とはまるで異なる雰囲気。
(まさか……高揚しているのか?)
気勢の乱れは集中の乱れと付け入る隙を穿とうにも、威圧感だけはあの頃より遥かに重い。
-
「─────参る……」
即時、奇妙な感情が吹き飛ぶ。
懐古も困惑も全て忘れ、敵の瞬殺に専心する。
そう、瞬殺だ。一息もつかせぬ間に、殺す。
そうでなくば負けるのは己だと、そんな弱音を飲み干して構えを直す。
鞘から刀は抜かれている。形状は通常の打刀のまま。
放出される力場の発動に全神経を注いで───羅針が振る先に目が流れた。
「……ッ!」
のけぞって下げた頭のあった空が爆ぜた。
真空になって押し寄せる風を顔に受け、視線は既に次撃の方角。
鬼の深化させた猗窩座の反射神経と羅針の合せ技でも見失いかけた黒死牟が逆袈裟に、左の黒閃が応じる。
衝突。電雷。
かち合ったのは1秒の24分割、猗窩座の左肩口から先がこそげ落ちる。
引き換えに作り上げた拮抗で、猗窩座は遂に見えぬ斬撃の正体を見抜いた。
(鎧……! あの甲冑の全てが奴の刀と同じ性質……!
それを手に持った刀に集約させ、一撃に斬撃を重ねがけしている!)
月輪を形成する、黒死牟の鬼としての技。
今の黒死牟が纏う鎧は、その発展形とでもいう能力だった。
猗窩座は目にしてないが、いざとなれば黒死牟は自身の体から刀を生やし、刀の数だけ斬撃を乱射する芸当も可能とする。
全身から生やす刀を箇所によって形と太さを微調整し、生前の、人間時代の甲冑の知識を元に構成。
膨大な骨を材料に生産し分散し、織物を作るかのように丹念に結び合わせて、一式の鎧と成す。
こうして出来たのが、黒死牟の、黒死牟の為の鎧。護りではなく攻めに主眼を置いた、多重斬撃発生器とでも言うべき『斬撃の護り』だ。
……幾ら鬼といえど、ここまで自在な肉体変化を行える個体はほぼ存在しない。
これはひとつの工芸品。臓器をまるごと体内で複製するのと変わらぬ繊細な技工と体力を要求する。
唯一可能としていたのは鬼の始祖である■■のみ。
猗窩座もまた、体内の臓器を消しても生存を可能とする、別系統の離れ業を披露した。
ならば、黒死牟が行ったそれは。
蒼穹の天司、混沌の化身ベルゼバブとの、生と死の狭間で掴んだ呼吸。
日の呼吸、半身たる継国縁壱と同化したことによる体力の強化、陽光への耐性。
鬼を自壊に至らせる精神の安定、2人のマスターが取り除いた光の亡者。
齎された複数の要素が、黒死牟を二者と同じ扉を開かせた。
本来、自滅の為だけに用意された宝具は、自ら罪を直面したことで効果を成さず。
形骸化した肉体変化と断首克服の効果のみを抽出され、未知の宝具へと新生した。
月の呼吸・拾捌ノ型。
【月蝕・号哭鎧装】
「づ……!」
-
───猗窩座は、翻弄されていた。
拳も闘気も、一手足りとも標的に触れられない。空を切るか、空に斬られる。
距離を取ろうと跳んだ次には追いつかれ、一度に繰り出される無数に斬撃の群れにより、体の大部分を一気に削がれる。
再生の速度と抹消の範囲が釣り合ってしまい、届かせられない。
何度かは颶風としか見えない黒死牟に肉薄し拳を届かせる場面もあったが、それらは全て触れる寸前に腕を振った逆方向に弾かれた。
甲冑には現代でいうリアクティブアーマー……爆発反応装甲と同様の仕組みが施されていた。
外部からの衝撃が加わった瞬間、装甲内部に仕込まれた爆薬が炸裂し内部の損壊を防ぐ仕組みだ。
甲冑も同様に攻撃が届くと同時に装甲の表面、即ち刀身が弾け飛び斬撃を自動展開して、威力を相殺するのだ。
鎧を着込んだからといって速力が低下もしていない。むしろ加速する。
足裏に脹脛に、背中の面から力場を発生させ、スラスターの要領で加速を得ていた。
猗窩座の張った羅針を、本体の反射ごと置き去りにするほどの。
縦横無尽。攻守速、三役兼ね備えた黒死牟の軌道は何者も阻めない。
まるで、喜びの舞のようだった。
こだわりを捨て、持てる能力を余すことなく振るう魔人。
我が身を見よ。我が威を見よ。
これは鬼か。侍にあるまじき、鬼に相応しき、暴力に蕩尽する醜き怪物か。
彼の世界に生きた剣士であれば、過半数が是と答えるのだろう。
無辜の命を喰らって得た忌むべき力、風体ばかり侍を気取った愚かな恥知らずと。
浴びせられる無数の正論。それを一喝し呵呵と笑う野卑なる声が、少なくとも1人。
『昔にやった事は、そりゃ褒められたもんじゃねえだろう。許されねえ悪なんだろうよ。
だがおれはそれを見てないし知らん! 何せお尋ね者の海賊だからなぁ!
だから言うぜ! 今のお前の刀には魂がこもってる!! しみったれてコソコソ振るってた前より、ずっとな!!』
頼んでもない幻聴が、無傷の脳を叩きつける。
妄想のはずが、どうしてこうも苛立たせる文句しか出力されないのか。化けて出たでもあるまいに。
もし出てきたのなら、斬るだけだが。
(縁壱)
(俺はまだ、お前に追いつけるか。)
(お前が見たものを見られるか。それともまた遠ざかってるだけなのか)
都合のいい答えは、返ってこない。
心を知る半ばで逝った弟の胸の内を推し量るのは叶わなかったのか。
はたまた。猛る心臓の鼓動が、意味を表しているのか。
構わない。今はただ感じていない。
武士に生まれ、鬼に成って、初めての……この躍動に。
-
「図に、乗るな……っ!!」
凶鬼が咆哮を上げる。
毎秒を寸刻みに合う、想像を絶する斬烈にも耐え、再生を繰り返す。
痛覚も遮断され、内蔵も抜き取った。霊体でも耐え難い喪失感を凌駕する精神こそ、この鬼の最大の武器だ。
(条件が同格になっただけだ。俺が奴に拳が届かないように、奴も俺を殺し切れない。
上弦であった頃よりもむしろ勝率は上)
遮二無二腕を無意味に振るうだけに見えて、内面は冷静に凪いでいる。
決して、圧倒されてるわけではいない。
黒死牟が一方的に攻め立てていても、猗窩座の体力の残量には余裕がある。決め手を欠いた膠着状態だ。
圧倒的な推力と攻撃力と防御力も、次第に体が覚えてきた。
不死身の鬼ならではの死に覚えは、徐々に、しかし着実に新技に順応しつつある。
対応が可能になれば、後は無骨な体力の削り合い。技も能力も関係ない、泥臭く相手を掴む原始の戦いに逆行すれば、再び勝機は巡ってくる。
必ず勝つ。
勝利を捧げる。
負けられない理由。勝ちに行く執念は誰にも劣らない。
自分でない誰かの為に。鬼である男はただ1人の幸福を握るべく、破壊の腕を駆動し続ける。
身につけた力を、技を磨くことに費やした黒死牟。
体の頑健と再生に全てを捧げた猗窩座。
得手の差はあれど互いの力に優劣はなく、戦いは完全な拮抗に移行しつつあった。
戦う理由。掲げる信念。
思いの強さ、性質が勝敗を左右するとは限らない。
勝者は行いが何もかも正当化されるわけではないし、敗者の思いは弱く間違いだったと責められる謂われもない。
出力が同等であれば決着は運否天賦。些細な偶然で傾く天秤でしかない。
そういう意味でいうのであれば、明暗を分けたのは確かに運であり。
「六つ目の、馬鹿兄貴…………っ!」
味方の数が多かったという、計算の値の差でしかなかった。
-
回転しながら投げ込まれる得物。
妨げようとする猗窩座もすり抜けて、磁石同士で引き合うかのように手の内に吸い込まれる。
掌握の勢いを殺さずに鯉口に指をかけ弾き、露わにされる抜き身。
揺らめく紫煙の刃紋。黒光りを放つ刀を目にした途端、黒死牟は察する。
(幻聴の割に喧しいかと思えば、そういう訳か)
ひとり得心し、握り締める。
柄はいやに馴染んで指に吸い付いた。刀の方から離すまいと癒着させてくる、生き物の脈動に怖気が走る。
昔語りに聞く、ひとりでに動き、斬り裂いた犠牲者の生き血を啜るまで止まらない伝承を思い出した。
(望むところだ。操れるものならば、操ってみろ)
【月の呼吸 拾漆ノ型】
型を定めれば、全身の精気が抜き取られる虚脱感が襲いかかった。
徴収の源がこの刀だと知るが、中途で止めることもできず、制御する間も惜しい。意のままに解き放つ方を優先。
自分諸共擲つ感覚はこれまでになく疲労を予感させ、それがいっそ爽快ですらあった。
【紫閃雷獄・盈月】
生まれた黒い剣閃はひとつだけだった。
流血に群がる海のピラニアもかくやの数と獰猛さだった先程の輪舞に比べれば、拍子抜けするほどの単調な袈裟斬り。
それだけに軌跡は流麗なまでに疾く、己の胴に弧月が通るのを許してしまった。
苛烈で凄絶な能力の乱舞を散々に食らわされていた落差で、殊更極限に絞られた一本の線に込められた練達の技を実感させられてしまう。
とはいえ芸術点をつけてやる酔狂さはない。まして死合をくれてやる殊勝さなど。
鮮やかな手並みで美しい切り口は、それゆえに鬼の肉体には有り難い。
再生は面制圧よりなお即時。一撃終えた侍が何かするより先に、これより一撃見舞う猗窩座の方が確実に先を行く。
が、しかし。
(傷口が、消えない……?)
反応装甲も考慮に入れた最大威力の貫手を構えた直前の猗窩座に残る傷。
斬られた箇所、袈裟に綺麗に入った跡は、たちどころに消える再生力を無視して残ったままでいる。
そして体内の異物感が堰を切って、中から裂け割れ出した。
「ガ──────!?」
存在を撹拌する衝撃に悶える猗窩座。
急所を狙われても即死しない特性を得た以上、斬られただけで攻撃を緩める選択肢は絶対に取らない。
にも関わらず庇うようにして体を抱えるのは、我が身に起きた異常への対処に全霊を傾けねばならなくなったからだ。
黒い亀裂が、猗窩座の胴体に生まれている。
黒死牟が入れた線を境界にして孔が空き、広がり続けていく。
チャックから裏返すリバーシブルのぬいぐるみ。呑んだ毒物を出す為に胃自体を裏返して吐き出すカエル。
それと同じ現象が、鬼の体内で無理やり起こされようとしていた。
(斬撃が俺の体内で留まり、成長してる、だと……!)
胸を走る亀裂は稲妻の形状に似ていた。放電を枝葉として手足に染みを移していく。
版図が広がる度に亀裂は開き、斬撃は肥大化。やがては猗窩座の全てを塗り潰す。
傷口に残置して、永遠に同じ箇所を斬り続ける過重月光(オーバーロード)。再生殺しの斬撃。
鬼によって振るわれるは、陽の光ならず、別種の鬼を滅ぼす月の刃。
-
「ガッッッガガ、が、ガァァアアアアアアアアアアアア!!」
力を全て再生に回して、侵食に抗う。
細胞単位で呼びかけて、外からは両腕で力づくで傷口を押さえて塞ごうと足掻くも、切開は止まらない。
それどころか触れた腕に稲妻が乗り移り亀裂が感染する始末。
そう。これはもう攻撃というよりも病だ。かかれば最後、宿主が死ぬまで増殖する、悪質な腫瘍───。
多層化した斬撃にも拮抗してきた再生力も、新たに加わった力によって崩された。
光月おでんの愛用品、閻魔。地獄の鬼も斬り伏せる大業物。
縁が巡り手に渡った、妖刀の側面も持つ禍々しき刀は黒死牟の血肉で出来た魔技にも馴染み、一閃ごとの威力を跳ね上げさせた。
新たな型、新たな武器。
併せて放たれた威力、推して知るべし。
地獄の王の試し切りは、鬼の王さえも地に伏した。
「……………………っっっ!」
顎まで達したことで、叫びすら上げられなくなる。
まだ用を成す瞳だけが、まだだと終わらぬ不屈を訴えている。敗北を受け入れない目。負けるわけにはいかない者を突き動かされた目。
その信念の価値も正しさとも無関係に、鬼は身を喰らい続ける稲妻を甘んじて受け、膝をつくしか他になかった。
抵抗の手段を奪い縫い付けにした猗窩座に、黒死牟は止めを刺しはしなかった。
封殺を決めた時点でどちらに勝者の軍配が上がるかに異論を挟む余地はないにしても。
頸を落とし、血肉を取り込んで消滅させる、殺す終わりを選ばず生殺しで放置するというのは、らしくもない。
当然、そこには理由がある。鎧を脱ぎ捨て身の着に戻った黒死牟は、我が手をじっと見つめた。
刀を握るに相応しい筋を纏った右腕が、末期の老人も同然に痩せ細っていた。根が死んだ枯れ木の幹と大差ない。
意思を込めて気合を入れるとすぐに膨れ上がり事なきを得たが、今までなかった消耗の仕方だった。
腕のみならず、全身に気怠さがつきまとう。呼吸が深くなり、腹の底に鉛が溜まる。
鬼には滅多に訪れない、燃料切れの兆候だ。
鞘に収めた刀に目を移す。過剰かつ急激な生命の及奪。妖刀に相応しい暴食ぶりだ。
こんなじゃじゃ馬を苦もなく使いこなしていた大侍に、今になって鬱陶しさ以外の念を抱いてしまうくらいには。
新たに開帳した型も楽な運用ではない。
鎧という形で固定化し、連続で使用するのは、効果は大でも燃費の面でもまた大だった。
陽の残り火の心臓がなければ長く続けられるものではない。以前なら、使おうともしなかったろうが。
新型の能力と武器の併用は、初手故の見誤りで調整を余儀なくされた。
無計画に濫用しては途中で息切れしかねない。力の激増が判断にブレを生んでいる。猗窩座を仕留める絶好の機会の見送りは、自戒の時間も込めていた。
-
「それで……今の呼び名は……何だ……」
「済まない。こう呼んだ方がすぐ何なのか気づきそうだと思って、ついな」
「助けが要るよう……見えていたか……」
「お前のマスターが言ってきてくれたんだ。おでんさんが渡すよう預けたなら、きっと必要になるって」
第二の理由は、他者の妨害。
割り込んできた第三者───アシュレイ・ホライゾンの介入が、殺意を萎えさせていた。
「初めまして、だな。幽谷さんから話は聞いてるかか?」
「聞かされてる……。同盟……方舟……私の預かり知らぬ場で……下らぬ企みを立てているのだろう……」
重厚な声。威厳すらある様。
アシュレイの想像より二段増しに強壮な佇まいで、血の匂いの染み付いた恐るべき人外の様相だった。
人食いの鬼。強さを求める剣鬼。マスターの霧子以外に先んじて接触していたセイバー・武蔵とアーチャー・メロウリンクの見立て通り。
にちかが見れば『完全に敵のボスキャラの顔じゃないですかー!』と、アシュレイの知識から外れた例えを持ち出していたかもしれない。
ただアシュレイ個人の所感で言わせれば、今こうして対面しても、そこまで悪印象を受ける感じはしない。
面持ちこそ異形で、消し切れない血臭を漂わせているが。
軍人時代から外交官までの遍歴で見てきた殺人者、破綻者と同じ目は、していなかったから。
他の面々はともかく、霧子が頑張って擁護しようと言葉を尽くしてくれたのも大きかった。
人じゃなくて、悪いことをしてきたけど、ここではそうしないで、これから生きようと頑張ってる、誰かの兄だと。
そも、主従仲が悪い組み合わせがこの局面まで生きていられる道理もない。
見込み違いではなく、僅かな期間で人が変わるほど大きな交流があったのだろうと。
そしてその一角を占めるのが、彼女であるのなら。
生前の所業という色眼鏡をかけなければ、2人には独特ながら信頼が紡がれているとアシュレイは判断した。
「アイさん……!」
「霧子さん……あのね、あのねっ……!」
その霧子は桜並木の下で、小さな友人と再会を噛み締めていたところだ。
粛清を恐れて鬼ヶ島に隠れ潜み、半死半生だった皮下を見逃して、唯一知る相手の武蔵に保護されていた葉桜の最後の生き残り、アイ。
犬の耳と尾を生やした黒毛の幼子は、それこそ本当の犬の仕草で霧子の胸で丸くなり、霧子も躊躇なく受け入れ寂しさを和らげようと肩を擦っていた。
「………………」
-
「………………」
霧子へと見やる黒死牟。
抱擁し合う子女の睦ましさに六の視線を細めるのは、微笑ましさの為ではない。
足音にどこか苛立ちも含ませて歩き、2人の間に不躾に割って入った。
「あ……セイバーさん……」
近づいた黒死牟に気づいて霧子が振り返り、いつものように視線を合わす。
鬼の形相に怯えたアイは霧子の背中を盾にした。
「……………決めたぞ」
唐突な、謎の決意。
要領を得ない端的な言葉。相手に理解してもらわず、思ったことだけを思わずに言う子供の仕草。
霧子は待った。疑問を浮かべず、彼が次の言葉を発するのを、静かに。
「今以て……幸福の意味も、己が生まれた価値も解せぬ……。
罪を見たところで……今更贖えるはずもなし……奪った命が還るわけでもない……。
彼奴らが掲げる航海に手を貸すことが清算になるとは……とても思えぬ……」
空は青く。
鳥は歌う。
陽は高い。
澄み渡る清浄な世界は、鬼という生き物を受け入れず否定する。
「心臓を差し出して、勝手に逝った縁壱も……。
荒らすだけ荒らし、刀だけ置いて行った光月も……。
こうして今も、私に罪を突きつける……お前も……。
変わらず忌々しく……憎らしい……」
託されて。
任せられて。
委ねられて。
奪い取るのではなく他者から多くを授けられるようになっても、自身を肯定できない。
目指した存在になれなかった彼は、価値のない自分が生き続ける事に耐えられない。
ただ、それでも。
意味も価値も使命もないとしても、やりたい事だけは、芽生えるらしい。
「私を、見ていろ」
霧子の瞳が、虹彩に揺れた。
「これより始まる戦い……私の劫を、私の流す血を、私の齎す勝利を、その瞳に焼き付けろ。
一時の胡蝶の夢に過ぎない我が生涯を……その魂に刻み込め。
出来ないというのであれば……その首を貰い受ける」
それは侍が戦う理由にするには、余りにも矮小過ぎるが。
一騎のサーヴァントとしても、マスターを貶める悪意を含んですらいて。
鬼の心を知りたいと迫る愚かな娘に。
怪物の幸福を願う哀れな娘に。
血に濡れた我が生、死を撒き散らす無様な道程を。
忘れがたい記憶として、望み通りに見せてやると。
悪魔の取引にしか思えないのに、罵りに続いた声は何故か穏やかですらあった。
斬首の末路は訪れないと。最後まで、お前は変わらぬ目と顔で見続けていると、信じているように。
-
「その儀を以て……我らの契約を満了とする。
さすれば我が名に懸け……誓いを受けるものとしよう」
──────そう。
自分に価値がないのなら。
誰かの為に、剣を取ればいい。
「─────はい。わたしは、見ています。
最後におやすみするまで一緒に……セイバーさんのこと……これからも見ています……!」
花咲く笑顔。
目尻に涙を滲ませすらして霧子は応える。
その顔に、やはり胸を掻き毟られる煩わしさを確かに懐きつつ、黒死牟は無言で頷いた。
──────こうして、誓いは結ばれた。
終幕まで残りながら、比翼を受け入れずに足並みの揃わなかったマスターとサーヴァントが、漸く互いの合意と契約を交わし合う。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯を巡る戦いに、いま最後の一組が真の意味で参戦を果たした。
■
-
「黒死、牟……!」
奈落の壁をよじ登って這い上がった鬼のような、怨嗟と執念に満ちた声だった。
傷口から絶えず斬撃を放出される紫閃に晒され屈していた猗窩座が二の足で身を起こす。
胸の亀裂は消えていた。
傷跡の完治が不可能と見た猗窩座は、塞ぐのではなく移し替える方法に転換した。
起点になる胸に入った痕を、細胞を震わせた覇気で強引に自切し捨てるという、鬼の特性を最大限に活かした生存戦略。根本が途切れれば、細かな枝葉は自然に再生された。
呼吸の機能は必要ないのに、途絶えぬ筈の命脈が断たれかけた焦りが息を荒げさせる。
斬撃に全身が呑まれ、一瞬で細胞を残らず斬り裂かれていれば、無尽の肉体とて潰されてたやもしれぬ。
「……まだだ……………」
憔悴に掠れた喉から漏れる、修羅の声。
「まだ、終わらない……」
掲げた拳に、呪力が纏う。
屈んだ半身に、覇気が集う。
数を数えるのも馬鹿らしい数の刃に刻まれ続け、なおも萎えぬ闘志。
勝利───聖杯の獲得のみが、マスターとサーヴァントを止められる。
分不相応な奇跡を遂げる為。無様な男に餞の徒花を手向ける為。
始祖すら超越した不死の体、心が折れぬ限り滅びの摂理は弾かれる。
千度万回倒れようが億回の先に立ってさえいれば勝者なのだと、特権を恥じず行使しようとして……前に出した足が力なく折れ曲がった。
「─────────?」
よもやここで足を踏み外すとは想定すらしていなかったのか。
傾いた猗窩座の体は呆気なく重力に負け、両手で地面を着いた。
異常はそれだけに留まらない。体の至る箇所に罅が入り、肉体の構成を解いていく。
人間を想起させる黒髪は上弦の朱に、そこからやせ衰えた老人の白へと脱色した。
外見のみならず、内部の変化もまた凄まじかった。腕が上がらない。足に力を込められない。
鬼の時代、人間の時代でも味わった事のない、強烈な疲労感に止めようもなく縛り付けられた。
不滅の化け物など存在しない。形あるものは必ず死ぬ。
そう下される、神託のように。
「何だこれは……っまさか……!」
急激な能力減衰。
機能しない再生。
原因を察した猗窩座は蹲る五体に活を入れ、不可視の鎖を引きちぎって跳躍。戦場を離脱しようとする。
「───行かせはしない」
太陽を背に飛来した、銀炎を纏った刀に弾き返される。
アシュレイの剣閃によって、元いた位置に落とされる猗窩座。
即ち───アシュレイが追いつき、勢いで押し勝てるほど、猗窩座の身体能力が低下しているのを意味する。
-
「横合いから掻っ攫う真似をして悪いな。因縁ある間柄だと見受けるが」
「既に……格付けは済ませてある……。何をする気か知らぬが……用向きがあるのなら……急ぐことだ」
「ああ……分かってる」
同じ世界の同胞だからと引導を渡すだけのこだわりは持たないのか、関心を持たず黒死牟は顔を背けた。
次いで視線は、黒死牟の傍の霧子に移った。
「これで、いいのか? 君もまだ彼と……」
「はい……ちゃんと話し合いましたから……。
摩美々ちゃんとにちかちゃんに……先にお話させてあげたいって……」
憂慮するアシュレイにも、霧子は迷わず。前もって決めた役割に準ずると言う。
「セイバーさん……わたしを、梨花ちゃんのところに……お願いします」
念話で粗方の内容は伝えていたのか。顔を顰めながらも黒死牟は霧子の意に従った。
しがみついたままのアイもついでに脇に抱えて跳躍。ビルとビルの間を抜けて妖気漂う品川区の方角へ消えて行った。
2人が増え2人が去り、残るも2人。
遅れに遅れて契約を交わした主従を見送って、アシュレイは漸く男と相対した。
「来るなら受けて立つが、もう少し待つつもりはないか。すぐ近くにいるんだろう、彼」
「退け……!」
心臓への正拳突き。
問答無用、語らず殺すの初撃を刀の腹でなんとか受ける。
やはり、出力が落ちている。
ここまで来る途中で感じた、アシュレイの知る強者に負けず劣らずの、大気を揺るがす覇気は見る影もなく萎んでいる。
自慢にもならないが直接戦闘に長けたサーヴァントじゃないのだ。完全に優位とは言い難いが、いつぞやのように防戦一方とはいかないだろう。
「マスターからの魔力供給は距離によっても増減する場合があるらしい。近ければ増え、遠ければ減る。
彼は既に供給は愚か契約すら切れかねない状態の筈だ。そして場所が特定できるなら、都市で隠れ住む場所を見つけるのにあいつほど適した英霊はいない」
五連の拳打を刀、炎、フェイントを織り交ぜて凌ぎ、六撃目を止めた威力を利用して間合いを図る。
必殺の距離を狙ってではなく、言葉を尽くす余裕が欲しかった。
猗窩座からは肯定も否定も返ってこないが、誤ってるとは思わない。
元に異常を察知してすぐに離脱しようとした。遠方で視界を共有せず、直に見届けている。それ以外の余裕がないのだ。
彼本人にとっても、彼女達にとっても、悲しい姿には違いない。
故にこそと躊躇う必要がなくなったのなら、この時こそが、千載一遇の機会(アピール)。道端の脇で始まる舞台(ステージ)。
「人質とか、本丸狙いとか、そういうつもりがないのは知ってるだろ。
俺はマスターの願いに沿うだけだ。
彼女達にできること、まだだと諦めず狂い哭く、彼の教え子の歌を届けるのをな」
◆
-
路地裏の光の届かない地面にボロ屑が転がっていた。
いや、そのようにしか見えない人間大の物体が、投棄された人形さながらに地面に横たえられていた。
血の通ってない蒼白の肌は、生きた人間と見なすには「生物」の区分を広げすぎだ。
「───────……………」
虫の息、だった。
虫の呼吸音が外で聞こえてくる筈がない。それと同じだ。
冷たいアスファルトに仰臥しても、自分の心音をはっきりと聞き取れない。
脈も鼓動も遠い。生きてるという実感が持てない。幽霊と言われれば、そうかと納得してしまうかもしれない。
あの日からの自分は、死んだことに気づかず生前の行為を繰り返す、ホラーに出てきそうな幽霊そのものだったから。
「───────……………」
───サーヴァントは契約したマスターからの魔力供給で実体を保つ。
天下無双だろうと一騎当千だろうと、魔力に滞りが出れば能力は一律下降する。
それを補う手段が魂喰いであり、プロデューサーも猗窩座に指示を与え、戦闘の備蓄を貯めさせていった。
逆に、如何に潤沢な魔力を蓄えようとも、マスターなきサーヴァントは現界を保てないのだ。
マスターは要石。幽体に過ぎないサーヴァントを現世に留める。
魔力の不足は後天的に補充の目処が立つのに比べれば、要石を定めるのはマスターの最も重視すべき役割だ。
然るに。
プロデューサーのマスターとしての役割は、失効を迫られていた。
魂の9割を捧げた捨身は、マスターに必要となる生者の判定すら曖昧にさせた。
令呪の存在もあって今まではだましだましで通過できていたのが、ある時を境にしてバランスを欠いた。
令呪の喪失。猗窩座の新生。プロデューサーの魂の損耗の進行。
ひとつでは誤魔化せても、ふたつみっつと重ねればもはや逃れる術はない。
情なぞ一切斟酌しない、情報の計算によって、界聖杯はプロデューサーにマスターの資格なしの判決を下そうとしていた。
「───────……………」
そっと息を吸い、吐くだけのことでも、じわじわと身体が消耗していくのが、擦り減りきった精神でもはっきりと実感できる。
プロデューサーは以上の事実を知らない。
知識もなく、正確に我が身を顧みれるだけの状況にない。
分かるのは、自分のせいでランサーが負けてしまうという事のみだ。
-
勝利を誓った筈だった。
やすやすと勝てるとは一片足りとも思わない。
生き残った相手は、才能も運も、戦いに求められるものはどれも自分を上回る傑物ばかり。
半ばで潰えて何の意味もなく死ぬのを覚悟した。
諦観。自虐。欺瞞。
何度も何度も、本当に何度も、自分の愚かさを叩きつけて、それでも勝ちたいと願った。幸福を願った。
台無しだった。
勝つ為ならどれほど搾り取っても構わない。枯れ死にしてしまっても本望だ。
唯一の仲間、道化に勝利を捧げると手を取ってくれたサーヴァントにそう言っておいて、自分のした事が巡り巡って彼の首を締めている。
自分でなければ見込みのあった勝利を、取り零した。
足を引っ張るだけの、どこまでいっても役立たず。
「───────……………でも、まだ」
終わりに等しくても。
終わりにはなっていない。
まだランサーは戦っている。
諦めず、勝利を得ようと狂い吼えている。
自分のせいでやせ細り、あれほど圧倒していた戦いぶりが、素人目ですら翳りが見えるぐらい衰弱していても、拳を振るい続けている。
相手は、自分が最期に戦う相手と見定めたライダーらしい。
なるほど、こんなところだけはよく当たる。終わらせられる話をつけてくれる相手が来てくれるとは。
「なら、やらないと」
横たえた上半身を持ち上げて、壁に手をついて立ち上がる。
ただそれだけのことに小一時間もかけたと勘違いするほど曖昧な頭で、のろのろと身を起こす。
さっきまでは首を回すこともできない、糸の切れた人形だったのに、不思議と力が戻っていた。
時間が体力を僅かにくれたのか、僥倖の所以を考える間もなく動き出す。
立っているのもおぼつかない身体を壁にもたれながら、よろめく足取りで外を目指す。
「うわ、ひっっっどい顔」
声を、聞いた。
-
懐かしい声。
望んでた声。
いや、声自体はもう聞いてる。電話越しに、ランサーの感覚越しに。
だがこの子が『そう』ではないと考えていても、やはり直接目の当たりにするのとは、衝撃の度合いが、違うのだ。
「休憩とか顔色とかさんざ私に言っといたあなたが、何でそんなボロボロになってるんですか。
そんなになるぐらい大事だったんですかね、そっちの私。実は同姓同名他人だったりしませんー?」
通ろうとしていた路地の外。
眩いライトを逆行に浴びて、影になった輪郭が、記憶の残日と一致する。
隣には、あとふたつの影が立っている。
ひとつは男のシルエットをしてるらしいが、際立った特徴が見当たらず印象に乏しい。
反してもう一方は───暗がりでも、後ろ姿だけでも、すぐに判別がつく色と髪型の象徴(アイコン)で。
紫の影は近づかない。
今はまだ、先に行くべきは彼女だと、逸る気を押さえるように肩を抱いて。
先を行く翠の少女は、甲高い音を鳴らすガラスの靴じゃない、なんてこのないスニーカーで歩いてきて、彼の前で止まった。
「どうもです。久しぶり……じゃないか。あーもーややこし。
あえてですけど、ここじゃは会ってないんだし、まずは自己紹介しちゃいますね。
──────初めまして、プロデューサーさん。七草にちかです」
奈落。
ステージの下。スポットライトの届かぬ地の底。壇上に出る時を待つ場所。
ここを上がるために、ふたりがいる。
◆
-
【渋谷区・路地裏(アシュレイ達とさほど離れてない)/二日目・午前】
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、『ありったけの輝きで』
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:───どうもです。
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、過労、メンタル減少(回復傾向)、『バベルシティ・グレイス』
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:まずはにちかの順番。───今は、まだ。
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(中・ただし致命傷は一切ない)、疲労(中)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:復讐は果たした。が……
1:田中摩美々は任された。
2:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(大)、疲労(大)、幻覚(一時的に収まった)、マスター権喪失の兆し。
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:"七草にちか"だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:……。
1:………きっと最期に戦うのは、『彼』だ
2:次の戦いへ。どうあれ、闘わなければ。
3:もしも"七草にちか"なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
[備考]
※プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。(現在はなりをひそめています。一時的なものかは不明)
※魂の九割を失い、令呪を全損したのが併さり、要石としてのマスターの資格を失いつつあります。
-
【渋谷区(中心部)/二日目・午前】
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『天羽々斬』、Wの報告書(途中経過)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:アイドルの願いを彼へと届かせる。今こそ。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
2:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
3:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
4:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
5:大和とはどうにか再接触をはかりたい
6:もし、マスターが考察通りの存在だとしたら……。検証の為にも機械のアーチャー(シュヴィ)と接触したい。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。
【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:新生、覇気による残留ダメージ(程度不明)、消耗(大)、全能力低下、再生力低下、白髪化
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:殺す
[備考]
※武装色の覇気に覚醒しました。呪力に合わせて纏うことも可能となっています
※頸の弱点を克服し、新生しました。今の猗窩座はより鬼舞辻無惨に近い存在です。
※プロデューサーとの契約のパスが不全になったことで各能力が大幅に低下しています。
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、『バベルシティ・グレイス』、アイさんといっしょ
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛、恋鐘印のおにぎりとお茶(方舟メンバー分)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:梨花ちゃんに、会いに行きます。
1:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
2:セイバーさんのこと……見ています……。
3:界聖杯さんの……願いは……。
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、疲労(大)、誓い
[装備]:虚哭神去、『閻魔』@ONE PIECE
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:勝利を、見せる。
0:罪は見据えた。然らば戦うのみ。
1:お前達が嫌いだ。それは変わらぬ。
2:死んだ後になって……余計な世話を……。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
※宝具『月蝕日焦』が使用不可能になりました。
-
投下を終了します。
最後に幾つかタイトルの本文の修正を。
>>499の最後の文章は『M』でなく『W』です。
タイトルふたつは、以下のようにお願いします。
『航海図:最果てにありながら、鳥は明日を歌うでしょう』
『鬼滅譚:君の心臓になれたなら』
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七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)、田中摩美々&アーチャー(メロウリンク=アリティ)、プロデューサー&ランサー(猗窩座)予約します
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前編を投下します
-
今にして思えば。
俺は心のどこかで、遅れてきた青春を謳歌するサークル活動のような気分だったのかもしれない。
何もそれは、遊びのようにお気楽にやっていたというわけじゃない。
むしろ真剣さを疑われたなら、昨日から脅迫も含めてどれだけ死を予感したと思っているんだと言い返したさもある。
じゃあどういう方向で例えたんだと聞かれたら、人間関係ということになるのだろう。
別に本物のサークル活動で友情やら恋やらの味を覚えたことなんて無かったけれど。
気兼ねなく、あるがままに付き合える仲間。
共に戦い、共に同じ籠のパンを食べて、共に遊び、承認して承認される関係。
思えば俺の世界に、そんな『他者』はいなかったんじゃないかと思えてくる。
拗らせた自意識と怠惰でしかない自業自得によって、ペットのオカメインコぐらいを例外に繋がりを閉ざしてきた。
――前はもう連合(こっち)の人間だろ
敵連合は、『自分の世界に他者がいないはぐれ者』でさえも受け入れるのだと知った。
その時の感動や充足に関しては、そこから色々あった今になってさえもありありと思い出せる。
俺は一時の快楽のみに終わらない、本当の生きる喜びを見つけたのだと確信した。
ソーシャルゲームに熱中する合間に聴こえていた『で、それがどうした? 何になる?』という冷たい自問。
それは、もはや聴こえなくなっていた。
ただ、仲間と一緒に同じテレビ画面を見て、楽しく盛り上がりながらゲームをする、なんてありふれた幸せが手に入った。
我ながら呆れるぐらい青々とした気分で、そういう事を言える適正年齢はもう6年ぐらい前に終わっただろと自虐しながらも、思っていた。
この関係は、絆は、ずっと続くのものだ……なんて。
この戦いは聖杯を勝ち取って願いを叶えるためのものなんだという口上を、言葉の上でだけは分かったふりをしていた。
だって俺たちが最後に勝ち残ったら、万能の願望機とかいうものは手に入るんだろう。
まして俺たちのボスはサーヴァントを失っているんだから、自分の分とサーヴァントの分と二つ願いが叶うかもしれない。
だったらおこぼれの願いで、敵連合の身内同士は殺し合わずに終わるような結末だって作れるんじゃないか。
漠然とそんな風に、一人合点でどうとでもなるだろうと思い込んでいた。
いや、これは正確じゃない。
そういう理屈は、きっと自己正当化のために後から、何ならついさっき、思いついたものだ。
和気藹々とゲームの中のレースに興じていた俺は、そんなこをと考えてなかった。
だって、俺の人生で『虚しさを満たしてもらう』なんてことは初めてだったのだから。
これが本物の絆だというなら、ソシャゲでレア度が高いカードを拾った時のような一時の快楽で終わるはずがない。
この先の人生で『死柄木のために死ぬ』ことはあっても、『死柄木がくれた仲間を疑う』必要なんて無いのだ。
いや違う、何なら『そう思っていた』というのさえも嘘だ。
もっとシンプルに、俺は『ここにいる奴らと最後まで一緒に笑い、連合に骨を埋める自分』しか夢想していなかった。
死柄木弔の導きに従いさえすれば、俺はここにいられる。
どうせ俺たちのボスなら何とかしてくれる。
たぶん、せいぜいそのぐらいにしか思っていなかった。
-
たぶん、そんな風に思っていたことを決して口にしなかったのは正解だった。
アイどころか、一番先のことを考えて無さそうなライダーからでさえも、怪訝な顔をされたんじゃないだろうか。
もし俺以外の仲間が、『おこぼれ生還』では足りない、聖杯(ネガイ)を獲りたいと言い出したら?
冷静になった今では……と振り返れるほど、今でも冷静じゃないけれど。
それなりに時間を置いて、怒りが消えて後悔だらけになった脳みそで考えただけでも。
すぐに、そんな手痛い反論くらいは自分でも浮かんでくる。
――自分が勝ち残った暁には。
――聖杯の融通次第では、田中も“元の世界”に連れて行ってやっても構わない。
死柄木弔は。
『今ここにある連合が終わる』ことに関しては、否定しなかった。
雌雄を決するその時まで一蓮托生。
敵連合は、そもそも初めからそういう集まりだったことを前提にして、受け入れていた。
――アイさんは
――ちゃんと、おわらせよう
連合でいちばん何を考えているか分からない、一番幼いガキでさえも、『終わる』ことに否はなかった。
三人になった遊戯室の沈んだ空気で、全員が悲しんでいることは分かったけれど。
再開したレースが、淡々と進行していくうちに。
渋谷に出かける時の雑談が、あまりに『これまでどおり』だと感じるうちに。
神戸しおとデンジもまた、受け入れているんだと悟った。
こいつらにとって、敵連合の終焉は寂しいもので、仲間との別れは悲しいもので。
そこまでは俺も同じ気持ちだと共感できるものだけれど。
けれど、そこまでだ。
哀しいけれど最後にはちゃんとさよならをして、その先の人生を目指そう。
そんな気構えなど、俺にはカケラもなかった。
アイが最期に口走った、『アクア』とか『ルビー』という、俺の知らない名前。
そんな風に呼びかけるような人と人との繋がりなんて、俺は敵連合以外に何も持ってない。
まして『敵連合が終わった後の人生』なんて、なおさら想像の外だ。
死柄木は俺のことを、元の世界に連れて行くと言ってくれたけれど。
お前らにとっての敵連合は、通過儀礼でしかないものだったのかよ。
死柄木にとっての敵連合は、終わったら次を見繕う程度のものだったのか。
敬意を抱いていたのは間違いない連中に、そんな黒い情念が宿ってしまって。
そこでやっと、これは友情じゃなくて、依存だとか執着だと気付いた。
元の世界でも、つまらない執着に囚われて破滅してきたというのに。
だから、ツケが回ってきたんだ。
大義としては、敵連合を裏切った者から、敵連合を守るためだったのだとしても。
感情としては、お前の一方的な期待と幻滅でしかない偏執で、あの女は殺されたんだぞと。
そんなだから、星のない偶像が、そして血の悪魔が、俺の元にやってきたんだ。
◆
-
渋谷区にやや近い新宿区の一区画。
大看板・ジャックを筆頭にした百獣海賊団の猛者たちが惨禍を振り撒いたことで建物は倒壊し。
旱害が枯らし、雷霆が粉塵に変え、電鋸が掃討し、その武威を振るい尽くしたことで。
後には、壊されて、均された、瓦礫の丘陵がそこかしこに。
蹂躙走破によって破壊された者達が降り積もる、旱魃と岩塊とだけが残された。
炎天下の蜻蛉が、コンクリートの跡地をぐらぐらと歪める。
ヒビ割れたアスファルトの路地には静けさが積もっていたが、無音ではなかった。
集音機でも使用すればかろうじて聴きとれるほどのうめき声と、弱っていく心拍。
あと数時間もしないうちに屍体へと変わることを約束された、半死半生の新宿区民。
魂喰いではなく戦場の掃討を目的として駆けられたことによって、死の時間がわずか延びたNPC。
そんな生き霊の混在する丘陵のひとつを、美しい立ち姿の女が昇っていた。
艶めく黒髪を、乾いた風に翻して。
血糊のついた末期の衣服ではない、新品の衣装をはためかせて。
「なぁ…………お前『B小町』の持ち歌は覚えてるの?」
未だにこわごわとしか話しかけられない、そんな暫定主君からの質問に、その従者はけろりとして答えた。
「知らないよ。でも、ビルを出る前に一曲覚えてきた。
デトネラットの拠点を引っ越した時に、社員さんが『アイ』達の荷物なんかも移してたから」
「アイドルって、避難場所にまで自分のCD持ち込んでたのかよ……」
「ううん、B小町の曲じゃなかったよ。たぶん車で移動する時のBGMだったんじゃないかな。
車の運転ができるサーヴァントさんと一緒に動いてたみたいだから」
だいぶ古い曲みたいだし、きっとサーヴァントの方の好みなんだろうね、と。
素体となる人間の生前をあれこれ推量しながら、すらりと細長い脚を歩かせる。
昇る、昇る。
丘陵の頂上へと、ステージに上がるための階段を踏むように、一歩一歩と上がる。
借りものの『B小町』としての衣装に、髪飾りはセンターを示すウサギのマスコット。
その手には己が血を凝固させた短刀を、いざという時のために携えながら。
両手を背中に回して、短刀付きのそれを後ろ手に組んで、足取りは弾むように。
こいつの中身、いちおう死柄木(男)の魂なんだよな?
田中一が、そう首をかしげたくなるほど『女の子』然とした歩みの仕草で。
魂を与えた親元であるところの死柄木弔は、丘陵のふもと、田中の近くでそれを見上げている。
自ら始めた新しいことの成果を見守るように、いつものうすら笑いで。
田中に『お前のサーヴァントだ』と檀上の女を差し出した時と、変わりない距離感で。
-
やがて、往年の『絶対的センター』と同じ姿をした人口の偶像が、丘陵の頂上へと上り詰めた。
べつだんの緊張も、気負った様子も見られない。
それが本来のアイもそうだったのか、彼女がホーミーズであるが故のことなのか。
それは、アイドルのライブなどに興味を持ってこなかった田中にはどうしても分からなかった。
往年のアイドルと同じ立ち姿で、目に見える観客が二人しかいない、旱害に遭った街路通りをすっと見渡す。
その両眼に、星の輝きはない。
しかし、文字通りの意味でアイドルの血を引いて生まれている。
容姿や敵連合というコネクションを、生まれた時から持ち合わせている。
しかし、血のホーミーズを構成する『血の遺伝子』は、星野アイの肉体だったものだ。
ホーミーズの性質は、憑依先が持つ性能を拡張する。
雲や絨毯のホーミーズであれば飛行が可能となり、刀剣のホーミーズは刃が伸長する。
血のホーミーズだからこそ生前の情報を擬態したというのであれば、身体性能もアイを模倣したものとなり。
注がれた魂の量が多ければこそ、そこに性能の頑丈さ――『人間離れした声量と音圧に耐える内臓の頑健さ』が生まれる。
そして、これは『芸術方面に際を持つ者が、その身体能力を異常活性させた場合』に起こりえる事例だが。
生前の星野アイは、決して『その発想』には至らなかったが。
発想に至ったとしても、アイドルの矜持と、普通の女の子としての心を持ったアイがそれを認めたかは別の話だが。
例えばそれが超一流の歌手であれば、薬物投与によって人を殺傷する『殺戮歌(ころしうた)』へと覚醒した事例もある。
「さて、どんなもんになるかステージを観ようじゃないか」
田中を誘うように。
田中は観るべきだと促すような死柄木の声を合図にしたように。
悲しい歌いだしが、鼓膜をがんと揺さぶった。
『孤独な者よ安らかに
世界が貴方を忘却(わす)れても
私は貴方を思い出す
私は貴方を忘却(わす)れない』
-
テレビCMやSNSを流し見しているだけで聴こえてきたB小町の華やかな歌とは、似てもにつかない。
けれど、間違いなく『テレビで聴いた歌声』と同じ声帯から、悲しさ虚しさの唄が紡がれた。
その声を響かせるために、マイクも音響設備も必要なかった。
もしここがアイドルの夢の聖地、ドームであればその天井をも揺るがしたのではないかというほどの音圧だった。
田中は殴られたがごとくのけぞって両耳を塞ぎ、しばし遠くへあとずさり。
死柄気もその圧にこそ動じなかったが、五月蠅いなと歩みを遠くに進ませた。
アイを模したホーミーズは、かねて指示された通りに、歌う。
瀕死者の埋められた、眼下の区画一帯へと向けて。
『貴方を忘却(わす)れたこの世界
貴方は孤独に闘った』
壊れ果てた新宿の町に、独唱が響く。
極道者が愛した歌舞伎町も、大病院が居を構える日向の土地も、もはや区別付かぬ街の残骸と成り果てた。
真夏の蜻蛉だけが瓦礫の血糊をかわかす慈雨のように、瀕死人の絶命を急がせる乾きのように、景色をわずかに彩る。
そんな街を悼むかのように落とされる歌詞は、誰の耳にも届くもので。
『己は此処だと爪痕を
貴方は孤独に闘った』
麻薬が流通する世界の歌姫のように、それ自体を音響兵器とするような凶悪さまではない。
よく響きわたり、瓦礫の下にいても届き、そして心を惑わせる恐怖はありありと伴う。
けれど、そこまでだ。特異なサーヴァントたちの覇気に当てられたがごとき、精神錯乱以上の実害はない。
だが同時に、ひどく酷薄な役割をも帯びていた。
歌声の届けられる方角へと足を向けた死柄木が、通りの中央に立つ。
手持ちの簡易マイクに小さなホーミーズを宿して、己の声を『拡声』させる手段を獲得する。
『孤独な者よ安らかに
世界が貴方を見棄てても
私は貴方を抱きしめる
私は貴方の傍らに』
コーラスがきりの良いところで一時途切れる。
ここまで聴かせれば、聴力さえ生きていれば誰しもに届いたろうという頃合いで。
崩落した密室の壁ごしに、瓦礫越しに、閉じ込められた、逃げられなくなった、埋められた者達が。
これは一体なんのパフォーマンスだろうと、迎えに来た死神の先触れを幻聴するような恐怖を抱いた時点で。
『さて――』
取って替わるよう、死柄木弔が自己紹介もなしに呼びかけた。
死に切れぬ者たちに向かって。
『――――――――』
布告は、手短で明瞭なものだった。
二択を迫るものだった。
今、その魂を手放してすぐに楽になるか。
間もなく、より大きな恐怖を伴う手段で消し去られるか。
そのいずれかを選ばせてやる、と。
言い切り、幾らかの静けさを挟んで。
-
死柄木弔は、その手を伸ばす。
アイの声を持つ女は、歌を再開する。
『貴方を見棄てたこの世界
貴方は孤独を生き抜いた』
通常時であればあまりにもあっけらかんと、簡素で信じがたい、その布告は。
しかし、『NPCの覚醒』という変異を果たした前提で。
『可能性の器』であるという、覇王の覇気さえ低減する精神防護も無い、NPCの身で。
恐ろしいまでの完成度を伴った『脳を揺らす歌』に恐怖しない者はいなかった。
崩れた瓦礫の下から。
ドアや壁がひしゃげ、閉ざされた密室の透き間から。
そして世界が終わるまではと逃げ場にされていた、半壊の地下鉄出口から。
田中にとっては初めて目の当たりにする、『寿命(ソウル)』なるものが細長く立ち昇り、死柄木の元へと向かった。
そして、ぶちりぶちりと植物の細長い根でも引っこ抜くように。
解脱した魂は、死柄木の腕ひと振りにまとめて収穫され、取り込まれた。
『敗北(まけ)るものかと前を向き
貴方は孤独を生き抜いた』
死柄木弔がわざわざ足を止め、神戸しおたちを先行させて。
魂を狩るための舞台を始めたことには、幾つかの意図があった。
一つは、新生、ホーミーズとして駆動するアイの性能試験。
いま一つは田中に戦力を与えたことで相応の寿命を消費してしまい、その上で己の予備資源となる魂を確保すること。
もともと、兵隊にするために寿命を出し入れできるなら他人のそれを使えばいいという発想は死柄木にもあった。
勝利のために寿命を削るリスクを死柄木は怖れないが、己よりも他人を削った方が効率が良ければ、やらない理由はない。
そして、やれるかどうかは既に試した。
峰津院財閥を消し去ろうと都内を巡った時、すでにその社員を使って魂の収奪を試みたのだ。
本人の魂よりも格段に質が劣るものではあった、というデメリットは別としても。
結果として、他人から魂を奪うには厄介な条件が色々あると分かった。
例えば、対象に『声を聴かせる』必要があったこと。
例えば、死柄木弔に恐怖を抱くことで発動するらしいこと。
この激戦地において、聖杯戦争のことを知らされた覚醒NPCはすでに状況に恐怖しているか、瀕死の身の上に恐怖している。
田中を滂沱させた魔王の風格があったとて、巨女の海賊ならぬ身で、恐慌の街から注目を集め、声を届かせた上で。
見る見るうちに恐慌の対象を塗り替えるのは、手間として容易ならぬ工程だった。
誰もが目を奪われていく偶像を素として、生まれた人形がいなければ。
-
『世界が貴方を嫌悪(きら)っても。私が貴方を愛してる』
急ごしらえの偶像が声を届かせ、逃げられない盲者たちの耳目を開く。
いったいこの歌は何だ、どうしてこれほど怖気が走るのかと。
まったく新種の畏れに憑かせた上で、魔王が二択を迫る。
あまりの唐突さに、脅迫めいた二択を飲み込めぬ者達が多数いたところで。
歌声が再開された時点で、既に『恐ろしき歌声は、その男の指示が齎している』という感情の導線はできている。
最後の仕上げとして、死柄木はさらに手をかざして瓦礫から突き出た鉄骨へと触れた。
歌声が浸透するのに併せたような速さで、景色の輪郭が崩れていく。
蜻蛉に歪んでいた残骸の丘陵が、無量大数の塵屑へと変わっていく。
そのような崩壊の伝播したところから、さらに幾筋かの魂が立ち昇り、死柄木に吸われた。
身体が崩れていくことで、意識の曖昧だった者さえも遅まきながら根源的恐怖を知覚した。
そんな最後のひと押しによって追加で魂を差し出した者たちを、おまけのように収獲する。
『世界など知るものか』
もともと死人だらけの場所ならこんなもんかと、死柄木がぼやいたことで。
あらかた魂が狩り尽くされたことは告げられ、あとは放射状の更地が残った。
歌が終わるまでは舞台が続くと、偽りのアイドルはラスサビを手向けていた。
そんな一人舞台を見て、田中は思う。
脳を揺らされぬよう、歌をじかに浴びない彼女の後方へと隠れるようにして。
今、死んでいった者のなかに、もし偶像・アイのファンがいたらどう思っただろうと。
推していたアイドルが、別人のように恐怖を煽るよう歌い始めたかと思えば。
その歌声は、自らに死をもたらす死神の鎌だったらしいと震えて逝くのだから。
推していたアイドルに裏切られた、と思うのだろうか。
あんなにファンを『愛してる』って言ってくれたのに、騙されたと。
心にもないことを言って騙していたなら、騙されたまま逝きたかった、とでも。
-
――アイが『敵連合なんて今だけだ』と言った時の、俺みたいに?
そんな連想をして、身体がぞわりと震えた。
『私は永遠(とわ)に
貴方の孤独に寄り添おう』
田中一は、孤独だったところをアイから寄り添われて。
彼女らを仲間だと信じていたように、思っていたけれど。
それは実のところ、『信奉』に近いものだったんじゃないか。
なぜなら、俺たちはたしかに理解し合っていたと主張しようにも、何も知らない。
アイの動機の根源であるらしい『アクア』と『ルビー』の意味するところも。
己に殺された彼女が、何を想っていたのかということも。
敵連合が終わるということについても、そうだった。
おそらく、神戸しおやそのライダーが離れがたいほど好きだから『敵連合に終わってほしくない』とは少し違う。
集団の一員扱いされて、輪の中で遊んでいられる時間を終わらせたくないから。
自分の命に存在意義が欲しいから、敵連合に命を捧げようとしていた。
背負った罪の裏側にある己の矮小さから、田中は目を逸らせない。
『世界など知るものか
壊れてしまえそんなもの』
舞台上の偶像は、嘘だ。
彼女はアイドルのアイ、その人ではなかったし。
おそらく、『世界など壊れてしまえ』と想いながら歌っているわけでもない。
音楽への造詣を持っていない田中にも、それが『心のこもった歌声』ではないと分かる。
これは、ものすごく神がかって上手なカラオケだ。
素体の優秀さによって、上手さだけで人を魅せて恐怖を煽るものではあるけれど。
どこまでも、『パフォーマンスが圧倒的に上手い』という、それのみに特化している。
本来のアイであれば歌をこう解釈してこのように表現した、という個性や固有の『輝き』が、欠けている。
星のきらめき、個性という彩色のない黒色彗星(カラーレス・アイドル)が、アイの模倣をしていた。
どことなく本物と遜色ないほど精巧なバーチャルアイドルか、音声合成ソフトの歌い手を思わせる。
そして、世界なんてぶっ壊れろと謳いながら、本音はそこに無いなんて。
本音では、ただ敵連合の皆が命じたからそうする、という追従で満足しているなんて。
むしろそれは本物のアイではなく、田中一のようじゃないかとさえ思う。
『孤独な者よ』
ずっと孤独だった。
何をしていても、ずっとむなしかった。
一瞬の快楽にとどまらない、永遠の充足を求めていた。
ようやく手に入れたと思った充実を、己の手で引き金を引いて終わらせた。
-
おそらく、田中は世界をどうにかしたいわけじゃなかった。
世界を壊すのも、皆でわいわいとマリオカートに興じるのも。
田中一という男が無意味な存在でなくなるなら、どっちでも良かった。
病みついた底辺の男は、世の中が壊れでもしなければ何も変わらないと漠然と思っていた。
そうすべきだと思った宿命や恨みがあってではない。たまたま、矛先が世の中を向いていただけだ。
もしも召喚したアサシンが親友になれる奴だったら、リンボに会っても地獄計画何だそれ、になっていたかもしれない。
今や崇敬する彼のように、神々しいまでの強い意志によって望んだ世界があるわけではなかった。
『安らかに…』
歌の余韻が後を引いた先にある大地は、あまねく塵にかえっていた。
建物の残骸も、人の亡骸も、すべて判別のつかぬ白い塵として積もるばかり。
死柄木を起点として、全てが無価値に塗り替わった景色。
それは田中一が初めて、魔王・死柄木弔を目の当たりにした時とも似通った光景だった。
そこに屹立する威容は、いささかの移ろいもない。
むしろ覚醒したばかりの危うさは抜け落ち、安定し、神々しさは増していた。
ただ、それを見届ける心持ちがあの時とは異なっていた。
田中一はもはや、己もそこに加われるのだと期待に胸踊らせていた『革命』の志願者ではなかった。
彼の始まりのサーヴァントが、願いとして追い求めたもの。
敵連合にいたことで、田中も初めてそれを求めていたと自覚したもの。
『心の平穏』を失った男の姿が、そこにあった。
◆
「そりゃ、会場(ハコ)の人数限界だけはどうしようもないわな……」
パフォーマンスは大仰にやってみたものの。
集まった魂は、質、量ともに成果として物足りないものだった。
こればかりは『逃げ遅れた奴といっても死体か瀕死がほとんどだろ』という正論で斬れてしまう以上、やむを得ない。
そうまでしてかき集めたとしても、やはり他人の魂と自分の魂では、強さも頑丈さも比べるべくもない格差がつく。
効率が悪いし、兵隊欲しさに大規模にやっていれば悠長にもなる。
今後は基本戦術としてはやらない、と結論づけた上で。
しかし、収穫物としての成果はともかく、『状況の改善、改良』としての成果はそれなりにあった。
というより、こちらの方こそが本命だった。
-
ひとつは、『兵隊』としては力不足ではあれど、『哨戒機』『伝令』ぐらいの役割は果たせるホーミーズならば複数生み出せたこと。
寿命の備蓄が数多くあった海賊女帝の手駒に比べれば、『哨戒網』と呼べるほどしっかりしたものではなかったけれど。
いつ電波塔が機能停止するかも分からないほど都内が荒れ果てた現状で、連絡のアテがあることは悪くなかったし。
何より、先刻から天与の暴君との通話がまたも繋がらなくなっているというタイミングに都合が良かった。
ここから先の戦いは、彼が語っていた『爆弾』の破裂する機をうかがえた方がより優位に立てる。
「でも、駆け付けるお客さんもいなかったのはちょっと悲しいかな。けっこう遠くまで聴こえたと思うんだけど」
ステージから降りてきた偶像のホーミーズが、静かなままの周囲を見てそう言った。
「これから遅れて駆けつけるファンがいるかもしれないだろ? それを確かめのも込みで、お前らの仕事だ」
「アイドルに厄介ファンの突撃を相手しろって? けっこうな無茶振りだよね」
強かそうな笑みで擬人化したアイは言い返したが、彼女はすでに己の役割を飲み込んでいる。
予備資源となる魂の収穫と、偶像のホーミーズの性能試験。
それに付随する、もう一つの目的がこれからアイと田中に任される仕事だった。
追悼歌(ライブ)と、連動しての周囲の崩壊。
決して目立たぬわけではないその催しに、誰も釣られず無視されるということは。
無視せざるを得ないほどの激動がどの主従をも巻き込み、既に各地で戦端は開いている。
仮に見とがめられ、もう一人の海賊のような脅威となるような輩が降ってきたとしても。
二体の分身たるホーミーズ、龍脈を取り込んだ身体、場合によっては南下して渋谷区の他の戦線とぶつけるなどやりようはあったが。
それはそれで、天与の暴君から聞かされた『爆弾』が育ち切るまでの陽動として。
品川区で動いているらしき連携相手が決戦直後に叩かれない為にも、都合がよさそうではあったが。
禪院から連絡が寄越された品川区で。
桜が咲き誇り、先刻は爆音も生じたという渋谷区で。
這い上がってきた海賊も、地獄を創る企みの一派も、そして此方には来なかった方舟の一派も。
どの主従も決戦の地を渋谷区より北に移すつもりはなく、『海賊』と『暴君』たちだけでない全員に近い顔ぶれが集っている。
この戦場を乗り越えれば聖杯戦争も最終盤に入るのだと、その目途が確かめられた。
それはライブ自体の収穫よりも、よほど価値のある報せだった。
-
「田中」
敢えてホーミーズではなく、それを従えさせた人間を呼んだ。
わざわざ擬人のアイを作ったのも、死柄木なりに彼に眼をかけているからこそだから。
「……あ、ああっ」
上ずった応答で、田中は居直った。
先刻からずっと、新たなアイと目を合わせまいとするようにその後ろに立っている。
「俺はこのまま、祭りに盛り上がりを提供しに行ってやるさ……お前らがやることは分かってるな?」
「渋谷区の周りで……戦場から逃げようとする連中がいたら区内に囲い込む……だろ?」
「何ならそのまま残党狩りを任せてもいい。……もし運悪く手に余る相手を釣り上げたなら、その時は連絡しろ」
戦場の様相を、多数の主従が落ちて、死柄木が最後の勝者へと大きく前進するための戦いへと仕上げる。
であれば、渋谷区近隣から逃げ延びよう、まずは日和見しようという者がいれば戦場へと囲った方が都合がいい。
舞台を作ったのは、『決戦の地に入ること自体は躊躇する者』がいれば、その耳目を惹くためでもあった。
何より、血のホーミーズは歌唱によって『目立つ』ことができる。
これから囮と誘導とを兼ねた遊撃役として配置するには適した人選だった。
そして、そういった戦局の推移に関することとは別に。
田中一を、『連れ帰ってもいい』と考えている死柄木弔としては。
「まぁ、お前はお前のやりたいようにやればいいさ」
命令遵守への期待ではなく、勝手気儘であることを望む。
罪と向き合う孤独とアイという力とを携えて彷徨わせる中で、何かが吹っ切れることこそを期待する。
結局のところ。
田中一は、敵連合の仲間である資格がないのかという話になれば。
死柄木弔も、他の者達も、『そんなことはない』『仲間だと思っている』と答えたことだろう。
そもそも死柄木弔は、仲間にたやすく『失格』の烙印を押すような長でもない。
かつて容易く外部の者を信用したせいで仲間を死なせるという失態をした者も、蟠りなく受け入れている。
けじめを付けさせるために過酷な任務を与えることはしたし、ある意味では田中にそうしている最中でもあったが。
だから田中一の苦悩とは、あくまで田中ひとりの心を舞台にした話である。
昔の田中と消しゴム集めを競っていた同級生が、べつだん田中を見下さずに『同じ趣味の仲間』と思っていたように。
星野アイが田中のことを恨んでいるかどうかについて、彼女は己を刺したストーカーさえも愛したがった女だという事実があるように。
これまでもここからも、田中の世界は主観に基づいた弱さの独白によって綴られる。
だが真に怖いのは、弱さを攻撃に変えた者だ。
生きづらいサガを抱えた者達が好きに生きるのが敵連合で、そこでは集団内で好き勝手にすることも含まれる。
だからこそ、老蜘蛛が田中一に見込みがあると言ったことも。
他者を導くことを覚えはじめた死柄木弔が、田中一に期待をしていることも。
それぞれの直観にもとづいた、真なる事実であった。
-
【新宿区・渋谷区付近→???/二日目・午前】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、サーヴァント消滅、肉体の齟齬解消
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さあ、行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
3:禪院への連絡。……取り込み中か?
4:峰津院財閥の解体。既に片付けた。
5:以上二つは最低限次の荒事の前に済ませておきたい。
[備考]※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
血(偶像)のホーミーズを造りました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。今は田中に預けています
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。ほぼ完治しました。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
※偵察、伝令役の小型ホーミーズを数体作成しました。
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投下は以上となります。後編も期限内には
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投下お疲れ様です!
前編を投下します。
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始まりは二人だった。
きらきら、ぽろぽろ。
甘くてやわらかい、私たちの世界の色。
◆◆
雷光が、地を駆ける。
蒼熱の軌跡が、降る砲火を次々と躱していく。
その速度は既に、数刻前の遥か上を行っていた。
加速。回避の精度。どちらも異次元の領域。
機兵の少女との共鳴によって得た解析能力が、ガンヴォルトの世界をより深く精密なものに変えているのだ。
以前までならば見えなかったもの。
そして聞こえなかった音が、つぶさに感じ取れる。
世界の深度が、先ほどまでとは明らかに違っていた。
だからこそ見える。対処ができる。迎撃が、追いつく。
(あの時――)
全能感をすら抱かせてくる、自己という機体の格段な性能向上。
しかしガンヴォルトは生憎、それに酔える気分ではなかった。
強さと判断の冴えを自覚すればするほど。
そして、これならばあのアーチャーに届き得ると。
そう思えば思うほどに――瞼の裏に蘇ってくる喪失(いたみ)がある。
(あの時、ボクにこれだけの力があれば……君を失うこともなかったかもしれない)
彼女の存在がまだ一欠片でも残っていたならば、叱咤の声が飛んできていたかもしれない。
けれどどれだけ待っても、あの賑やかな声がガンヴォルトの鼓膜に触れることはなく。
自分のマスターだった少女はもうこの世界のどこにも存在しないのだと、否応なしにそう実感してしまう。
それでも。
ガンヴォルトは、もう振り返らない。
別れは済ませた。後悔に唇を噛む力があるなら、それは彼女との誓いを果たすことに注ごう。
夜空を切り裂く稲妻のような鋭い眼光に、弱気の色は微塵もない。
上空からやって来る流星群の如き弾薬爆薬の大瀑布、その層が薄い点を即座に見抜いて――雷霆(ヒカリ)を放つ。
空が、爆ぜた。
一つの炸裂が次から次へと誘爆して、昼夜の区別もつかない壮絶な赤色に染め上げられていく。
そんな戦火の色彩を、ガンヴォルトの雷が切り裂いた。
それは、闇の中を一筋駆ける光条そのもの。
戦火を断ち、空の色を奪い返し。
そして雷霆は、穿つべき敵へと刹那の内に押し迫る。
――だが。
その一撃に対し、機兵シュヴィ・ドーラは避けるでもなく手を翳した。
一見すれば単なる自殺行為以外の何物でもない行動。
腕はおろか、半身を吹き飛ばされても決して不思議ではない威力がガンヴォルトの雷には込められているのだ。
蒼き雷霆を見縊ったか。いや、そんなことはあり得ない。
こと彼女に限ってだけは――【機凱種】の少女に限ってだけは。
-
雷と小さな手が衝突する。
が、可憐な手が砕け散ることはなかった。
火を噴くことすらもなく、雷が渦を巻いて彼女の内側へと吸収されていく。
ガンヴォルトの目が驚愕に揺れる。一方のシュヴィは得意げにするでもなく、ただ起こった事象を確認して小さく頷いた。
――仮説、立証。一定以下の威力であれば、既存機能及び武装の応用で吸収可能と判断……――
ガンヴォルトが雷霆を放ち。
シュヴィが、それを片手で払う。
此処までは先ほどの焼き直しだ。
しかし違ったのは、今回シュヴィは払うことさえしなかったこと。
雷の吸収。
そんな能力を、本来機凱種は持っていない。
が、今の彼女は歌と記憶の共鳴によってガンヴォルトと性質を一部共有(シェア)している。
彼がシュヴィの解析能力を得て、より巧みな正面戦闘を可能としたように。
シュヴィは彼から蒼き雷霆の力を受け取り、自らの一機能としてアップデートすることに成功した。
即ち今、雷とはシュヴィにとって燃料の一つ。
以前までに比べ、彼女の機体に対する有害性が格段に低下していた。
本来、機凱種は精霊を動力としている。
しかし彼女の場合、そこに雷が追加された。
シュヴィはその点に着目し、精霊回廊に取り込むのと同じ要領で自分に向け放たれた雷を吸収。
ガンヴォルトの一撃で傷を負うどころか、逆にそれを自身のエネルギーにする手段を確立したのである。
「キミの方が、得た力と身体の食い合わせがよかったということか」
元々、機械とは雷と親和性の高い概念。
であればこそ、機械の解析能力を生身の肉体にインストールされたガンヴォルトよりも力の相性が良かったのだろう。
彼としては言うまでもなく具合の悪い展開だったが、とはいえ影響としては軽微だろうと考えていた。
シュヴィは今、"一定以下の威力"と言った。
要するに、所謂大技に部類されるような火力は食えないのだと推測する。
元よりこれほどの強大な相手をそこな小技で討ち取れるとは思っていない。
ガンヴォルトが恐れているのはそれよりも、彼女が自分の力を攻撃に転用してきた場合のことだった。
「仮称――『偽典・蒼き雷霆(アームドブルーアポクリフェン)』」
機巧少女の背に生えた翼が、蒼雷を纏い発光する。
その姿はさながら、怒れる天使のよう。
地上に罰を下すべく遣わされた、天翼の徒を思わせた。
雷翼に集約され増幅されていく蒼き雷霆。
ガンヴォルトはこの瞬間、すぐさま確信した。
少なくとも平時の火力であれば、彼女は間違いなく自分を超えている。
収束、収束、収束……小さな翼に溜まっていく雷電はああ、一体どこまで。
-
「――【典開】――」
ドーム状にシュヴィを覆い出現した光の球には見覚えがあった。
それは紛れもなくガンヴォルトのスペシャルスキルの一つ、『ライトニングスフィア』に他ならない。
しかし彼が使うのとはまるで性質が違っている。
ガンヴォルトが、複数の雷球を発生させ手数で敵を攻撃するのに対し。
シュヴィのそれは自らを一個の雷球の内側に収めるという、全くオリジナルのそれと異なる用法だった。
彼女は機凱種。
応用と効率の追求にかけて、彼女達の右に出る存在はいない。
そんな機人に新たな動力など渡してしまえば、改造されるのは言うまでもなく当然のことだ。
徹底的な解析と試算演算により施された自己改造(アップデート)が、蒼き雷霆を自分にとってより都合のいい形に歪めていき。
そうして生まれた輝かしい殲滅兵器の大雷球が、ガンヴォルトの見上げる上空で急激に膨張した。
「――――『LIGHTNING SPHERE』――――」
球の形を維持したまま弾けることで、上下左右東西南北全ての方向方位へと雷の大熱波が殺到する。
ガンヴォルトの同技が対個人用ならば、これはまさしく対軍用。
殲滅効率と破壊力を研ぎ澄まし、無体なほどに突き詰めた雷霆の爆弾であった。
「力を使いこなしているのが、自分だけだと思わないことだ」
――煌くは雷纏いし聖剣。
――蒼雷の暴虐よ、敵を貫け。
ガンヴォルトが片手に、雷剣を握る。
それは『スパークカリバー』と呼ばれるスキルだった。
以前は放つばかりだった雷剣は、しかし今はガンヴォルトの手に握られている。
そう、彼もまた共鳴により得た新たな力を最大限に活用しているのだ。
解析と演算による雷霆の出力の調整。
単純な威力であれば以前よりもむしろ下がるが、その代わりに以前ではあり得なかった力の安定化を実現することに成功した。
その結果誕生したのが、帯剣して駆けるガンヴォルトという新たな姿だ。
触れれば彼と言えど焦がされる雷の熱波を掻い潜り切り破りながら、ダートを放って上空のシュヴィを牽制する。
そして次の瞬間、ガンヴォルトは空へと跳んだ。
「――――!」
放電によるロケットブースト。
緻密な電力操作は空さえ彼の戦場に変える。
雷剣の一閃がライトニングスフィアの波を完全に断ち切り、更にそれでは飽き足らず奥のシュヴィを叩き斬らんと振るわれた。
それに対しシュヴィは、無数の大気刃を放つことで防御と迎撃を両立させる。
-
『偽典・森空囁』。
森精種の魔法を模倣した気刃は、直撃すれば間違いなく人体が泣き別れにされるギロチンだ。
雷撃鱗による防御で受け止められるのも恐らく数発が限度。
此処でもガンヴォルトは一手のミスすら許されない。
先ほども見せた疑似魔力放出を応用し、雷剣を振るうと共に雷の炸裂を発生させた。
これにより気刃の進行を押し止めながら後退することで、回避と次弾の用意を同時にこなせる。
(たかだか三発の被弾で此処まで削られるのか……恐ろしいな)
雷撃鱗の目減りが著しい。
あと二発も受けていれば完全に破られ、自分は斬殺されていただろうと遅蒔きながら理解し肝を冷やす。
(それに――)
雷撃鱗越しに、身へ沁みてくる不吉な感覚がある。
初撃として放たれた魔龍の咆哮の際にも感じた、極めて凶悪な毒素の気配。
まだ重篤な汚染を受けるまでには至っていないが、このまま長く戦っていればいずれは深刻化するだろうという予感がある。
求められるのは短期決戦。それでいて、可能ならば雷撃鱗越しだろうが一撃も貰わないこと。
改めて指針を明確化させると同時、ガンヴォルトはその姿を一瞬の内に消失させた。
「……!」
次はシュヴィが驚く番だった。
視界から唐突に消失した標的。
しかしレーダーは彼の存在を引き続き捉え続けている。
そう、ガンヴォルトは消えたわけではない――そう錯覚するほどの速度で、シュヴィの背後まで回ったというだけで。
「速度でなら、ボクが上のようだな」
持久力でならば、恐らく勝負にもならないだろう。
だが極短距離であるのを前提にするならば、ガンヴォルトは確かにシュヴィの上を行ける。
『一方通行』も『偽典・天移』も使用に適さない近距離戦の間合いでなら、その目を置き去れる。
「ぐ…………ッ」
身体を走った電撃が、吸収の構えを取る間もなく彼女の痩身を駆け抜けた。
思わず漏れ出す呻き声。視界がノイズで歪む。
そんな彼女が振り返った時には、既にその腹に膝が打ち込まれた後だった。
苦悶を訴えている暇はない。
膝蹴りはあくまでも身動きを封じるための前座。
本命は、電熱をこれでもかと横溢させながら感光しているその雷剣だ。
なればこそシュヴィは、自身も雷剣を即座に生成することで対応する。
奇しくも今度は彼女の方が、従来通りの使い方をする番であった。
-
「――――『SPARK CALIBUR』ッ――――!」
雷剣の投影と射出。
それは、ある種自爆めいた一手だ。
何しろこの間合いの近さで雷剣同士が衝突すれば、生じる衝撃と熱にシュヴィ自身も巻き込まれてしまう。
つまりそんなリスクを取らねばならないほど、今のガンヴォルトに接近されるのは不味いと判断したということ。
雷が、花火のように美しく午前の空を彩る。
ガンヴォルトは雷剣を破損すらさせることなく、シュヴィの一手を防ぎ切った。
一方のシュヴィは自身の雷剣の爆裂に巻き込まれて多少の損傷を被りながら、蹴鞠のように吹き飛ばされていく。
それをすぐさま、蒼雷の彼が追う。
体勢を立て直すまでに到着するのは容易だと、強化された脳髄が彼にそう告げていた。
だが――
「【典開】」
少女の声が響く。
瞬間、ガンヴォルトは異様な寒気に背筋を凍らせた。
空中で姿勢を安定させている最中の少女。その、小さな手に。
黒い、どこまでも黒い、宇宙の闇とも瞼の裏の黒ともつかない――黒い槍が、生まれた。
ガンヴォルトは、その本来の主を知らない。
この界聖杯の中で恐らく最も傲慢で、そして最も道理に憚ることをしなかった男。
少なくとも"強さ"にかける欲望は欲深の殿堂である海賊達すら及びもつかなかったに違いない。
それほどまでに強く、果てしなく貪欲に強さを追い求めた混沌の覇王。
ベルゼバブという怪物が握っていた槍の凶悪無比さを知らない彼でさえ、あれが何か途方もない物だということは確信出来た。
……本家本元の混沌(ケイオス)に比べれば、ほんの一握ほどの脅威度しか宿さない模造品(レプリカ)であるにも関わらず。
――やっぱり……性質の完全再現までは不可能だった…………でも――
ベルゼバブの消滅に伴い、ケイオスマターも全てこの界聖杯内界から消滅した。
が、シュヴィはその前に乱戦の中で撒き散らされた一欠片を掠め取っていたのだ。
それを元手にして再構築し、今の今まで他の武装と共に格納していた紛い物の混沌。
それこそが、今シュヴィが取り出した黒槍の正体だった。
「これでも……あまりに、充分すぎる…………!」
「――――ッ!」
戦慄と共に放った雷の鎖が、さも当然のように払い除けられた。
スペシャルスキルでさえ一撫でで吹き飛ばす槍を片手に、シュヴィが突貫してくる。
防御か。迎撃か。ガンヴォルトは一瞬の逡巡の末に後者を選んだ。
この少女を相手に後手に回るのは何よりも避けるべき事態だと。
前回の、そして此処までの戦闘を通じてそう理解していたから臆さない。
雷剣を振り翳し、雷速の踏み込みと共に一閃刻まんと疾駆する。
-
その判断は、正しい。
機凱種とは"なんでもあり"の種族だ。
手数の怪物。手札の化物。
次から次へと凶悪極まりない武装を釣瓶撃ちしてくる手合いに先手を許すなど、自殺行為以外の何物でもない。
正しいには、正しかった。
だが――
「ぐ、ゥ……!」
それは、シュヴィによる力ずくの後の先で一転悪手に覆される。
シュヴィは決して近接戦闘に優れたサーヴァントではない。
むしろ不得手と言ってもいい。
かつての鬼ヶ島で宮本武蔵に対してやったような、適度な距離を保ちながらの集中砲火こそが彼女の勝ち筋の正道だ。
だがそんな大前提の事実を、この模倣されたケイオスマターは当たり前のようにぶち壊した。
重い。明らかに身体能力の性能が先ほどまでのそれと違う。
まるでこの槍自体が意思と指向性を持って、シュヴィを強く高め上げているかのような不条理。
意味不明な事態に苦い顔をするガンヴォルトだったが、驚いているのは当のシュヴィも同じだった。
――……びっくり………。欠片一つでこんなにうるさいんだ……――
身体が勝手に動く。
解析を待たずに、これが最適だとばかりにシュヴィを動かしている。
ベルゼバブは既に界聖杯を去り、この槍に埋め込まれた一欠片のケイオスマターは今や単なる遺留品でしかないが。
それでも、己の持ち物を遣うからには半端は許さんとばかりに槍そのものが不可解な引力を持って自分を動かしているのをシュヴィは感じていた。
だが、利用しよう。
呑まれない限りは、道具として使う。
それにこの熱は、きっと有用だ。
これは、機凱種(わたしたち)にはないものだから。
(尋常じゃない)
ガンヴォルトは戦慄しながら、黒槍の猛攻と相対していた。
一撃打ち合うごとに腕が軋む。雷剣は此処までたった数合の衝突で、既に弱々しく点滅し出してしまった。
これと殴り合うなど馬鹿げている。その発想からしてずれていると言う他ない。
ならば距離を取るか。だが――そうなればあちらは、また大火力の限りを尽くして追い回してくるだろう。
(どっちに進んでも地獄、か……!)
ガンヴォルトは此処で、完全に光が途絶える前に雷剣を投擲した。
イミテーション・ケイオスマターの切っ先がそれと真っ向衝突し、当然のように粉砕する。
気の滅入る光景だったが、此処までは想定の範囲内。
彼が続いて敢行したのは、あろうことかシュヴィのお株を奪う引き撃ちだった。
――『ライトニングスフィア』。
生成する雷球のサイズを更に小型化し、その分普段の数倍以上の弾数を用立てる。
-
「吹き荒べ――《LIGHTNING SPHERE》!」
それに対するシュヴィの対応は、やはりと言うべきか追撃だった。
イミテーション・ケイオスマターを片手に、雷球の嵐の中へと身を躍らせる。
次から次へと砕け散っては消えていく、雷球達。
何の足止めにもなっていないのは明白だったが、しかしこれでいい。
一度は取った距離を、今度はこちらから詰める。
一見すると無駄な行為だが、重要なのはシュヴィが別口の処理に手間を割いた直後であること。
隙と呼ぶにも遥かに及ばないだろう、ほんの一瞬。
だがそれも、雷霆の彼ならば――蒼き雷霆のガンヴォルトならば。
「獲らせてもらうぞ、アーチャー!」
「……………………!」
破裂した雷球が生む一瞬の閃光。
その向こうから、一本の矢が如き速度でガンヴォルトが再来する。
接近を果たすなり黒槍が彼の喉笛を狙うが、来ると分かっていれば避けることも必然可能。
自動防御に頼るのではなくちゃんと確実に回避し、その上で渾身の雷霆をシュヴィの胴へと叩き込んだ。
「…………か、……は――――ッ」
確かな手応え。
内部の機構を幾つか潰した手応えがあった。
体内から体表へと、蒼白い火花が噴き出しているのがその証拠だろう。
となれば此処で引き下がる道理はない。
此処で地面へ叩き落とす。
飛行の優位性を奪った上で、最大火力を打ち込んで仕留める――冷静にそう判断したガンヴォルトだったが。
次の瞬間彼は、恐るべき黒槍の表面が沸騰するように泡立っているのを見た。
(……なんだ……?)
とはいえやることは何も変わらない。
怯むな。気圧されるな。
自分に言い聞かせながら右手に雷霆を煌かせたところで、ガンヴォルトは自身の足に鋭い痛みを覚えた。
そこに突き刺さっていたのは、ガンヴォルトもよく知る武装だった。
避雷針(ダート)。この戦闘でも何度となく使用している飛び道具である。
それが右足の甲に、深々と突き刺さっている。
そう気付いた瞬間には、確かに空へと跳び上がり、ホバリングして滞空状態を維持しながら戦っていた筈の彼の身体が――
「――ッ、何……!?」
真下へと、まるで何かに引っ張られるように超高速で墜落を始めた。
理解不能の事態の中で、ガンヴォルトは自分の足に突き刺さったダートから伸びる極細の糸を視認する。
共鳴によって解析能力を得ていなければ、とてもではないが視認することなど困難だったろうか細い糸。
いや――正確に言うと、糸のように見えるほど細い鎖。
(……ヴォルティックチェーンか!)
雷に対する制御能力で、既にシュヴィはガンヴォルトにかなりの水をあけていた。
先のあまりにもあまりな無体さに変化したライトニングスフィアの猛威は記憶に新しいだろう。
それほどまでに卓越した制御が可能なシュヴィであれば、スペシャルスキルを攻撃でなくこうして搦めに転用することも朝飯前だ。
引き落とされながら、ガンヴォルトは次の攻撃を必ず迎撃するべく魔力を回す。
-
今、ガンヴォルトは身動き取れない落下中の身だ。
言うなれば絶好の攻め時であり、あの機械人形がこの機を逃すとは思えない。
仕損じれば死ぬ。見誤れば死ぬ、油断すれば死ぬ、足りなければ死ぬ。
喧しいほどに鳴り響く本能の警鐘は今の彼に言わせれば丁度良いくらいだった。
来るなら来い。空を穿ち、消し飛ばしてやる。
そう猛るガンヴォルトはしかし、次の瞬間それでもまだ想定が甘かったのだと思い知らされることになる。
空――天使のように佇む機凱種の右手に握られた、黒き槍。
それが脈を打っている。黒い心臓という言葉が、少年の脳裏を過ぎった。
錯覚などでは断じてない。まるであの槍そのものが一つの生物であるかのように蠢いては震えを繰り返している。
怯えているのか。否、違う。そんなわけがあるものか、"彼"に限って。
"彼"より零れた欠片の一つが、斯様に軟弱な姿など晒すわけがない。
であれば震えの意味は、決まっている。
闘争と殺戮。蹂躙と踏破。覇の道を貫く、混沌の渇望――即ち。
武者震いだ。
「黒に、染まり…………
無へと、回帰せよ…………!」
これは、さしずめ妖刀の類によく似ていた。
真剣の蒐集家は、その刀の生死や息衝きを握った瞬間に感じ取るという。
死んだ刀はただ静かに眠り、冷たく鈍い感覚のみを届けるが。
荒ぶる刀は脈を打つ。熱を持って、握った者の手足から心臓へと衝動という名の鼓動を送る。
それが特別極まった刀のことを、人は畏れを込めて妖刀……呼んで字の如く、妖しき刀剣と呼称したのだ。
もちろん、シュヴィ・ドーラはそんな好事家の薀蓄じみた理屈になど造詣はない。
だがそんな彼女でも、この槍を握ればその一端を感じ取れた。
これは自分が持つどの武装とも違う。明確に、意思の残滓を感じる一振りだ。
黒の偽槍が輝く。
暗く、黎く、輝きながら光全てを飲み込む闇の極点が瞬く。
シュヴィは闇(ヒカリ)の禍槍を、真下へ引かれて墜ちるガンヴォルトに向け投擲した。
闇の流星に美しさはない。あるのは、怖気が走るほどの暴性のみだ。
ガンヴォルトが自分の想定の甘さを悟ったのはこの時点でのことだった。
「【典開】――――ケイオスレギオン・アポクリフェン」
ただ投げつけられた、破壊の一撃。
天地神明、万物万象に対して破壊以外の何も齎さない混沌の一槍。
瞬間、世界の全てが衝撃と閃光によって黒く塗り潰された。
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破壊の規模では先の『偽典・焉龍哮』には遠く及ばないが、その分局所に対する破壊力ならばこちらが遥かに上を行っている。
直撃すれば比喩でなく、ガンヴォルトは霊基ごと爆散していただろう。
威力も貫通力も破格を極めている。何しろ今シュヴィが放ったケイオスレギオンは、試行錯誤の果てにベルゼバブが行き着いた結論の一つだ。
混沌を槍の形に収束させて放つ。範囲ではなく点への火力を高め上げることを狙った、対海賊・対侍・対煌翼用に仕立てた殺戮兵器。
奇しくもシュヴィも、その使用法に行き着いていた。
というより、これが一番理に適っていたから必然的にそうなったというのが正しかった。
一欠片のケイオスマターを素に鍛え直した模造品の黒槍。
シュヴィの力では肥大化も放出も難しかったため、最も効率的に敵を殺傷できる用法となると投擲という形に行き着くのは自明だったのだ。
白煙の中から、槍を引き戻す。
右手に黒槍を握りながら、シュヴィは小さく呟いた。
「魔力反応、依然残留――殲滅行動を続行」
そう、ガンヴォルトは生きていた。
シュヴィの目を欺くことは不可能だ。
気配遮断に長けるアサシンですら、かの天与呪縛のような例外でもない限り彼女の前でその存在は筒抜けとなる。
渾身の一撃だった。それを防がれたことに多少の驚きはあったが、しかしやることは変わらない。いや、むしろ単純になったとすら言える。
感じ取れるガンヴォルトの魔力が、明らかに弱くなっていたからだ。
あのケイオス・レギオンを生き延びたのは凄まじいが、しかし相当な無茶をするのは避けられなかったらしい。
衰弱している。傷ついている。消耗している。であれば、手数に物を言わせられるシュヴィにとっては願ってもない状況だ。
――もう一度、『偽典・森空囁』を放って……確実に仕留める……。
無数の真空刃で炙り出し、それでも足掻くようなら今度は焉龍哮の出番だ。
どう足掻いても負けはない。シュヴィの脳裏では既に、ガンヴォルトへの王手(チェック)が成立していた。
後は試行錯誤を重ねて王手を完全なる詰み(チェックメイト)に変えるだけの作業である。
武装典開。混沌の流星を受けて死に体同然に疲弊した雷霆を引き裂くべく、シュヴィは森精種の秘技を此処に呼び出さんとした。
そこで。シュヴィの思考に、異物が一つ割り込んだ。
「………………?」
――気配……?
――こっちに、近付いてきてる……?
「新手……?」
呟いた小さな声色が。
けたたましい、鼓膜を引き裂くようなバイクの音色に引き裂かれたのは数秒としない内のことだった。
――――ヴゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!!!!!!!!
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!!! ヴゥウウウウウウウウウウウウヴヴヴヴヴヴヴヴ!!!!!
ヴウンヴウンヴウンヴウン!! ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴウヴヴヴヴヴヴヴン!!!! ヴンヴン!!!!
ヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァ!!!! ヴァァァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァ!!!!
ヴァァァァァァヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!!!! ヴォオオオオオオン!!! ヴゥウウウウウウウン!!!!
ヴゥウウウウガガガガガガガガ!!!! ヴゥウウウウウウウ―――――───ンンッッッ!!!!!
-
下品。騒音。
粗暴。粗雑。
無粋。醜悪。
この世のありとあらゆる罵詈雑言が当て嵌まるような音響の暴力が、世界全てを劈きながら地平線の向こうから現れた。
シュヴィの大規模破壊攻撃によって均された廃墟の町、さながら世紀末の一丁目のような末法の世をバイクに乗って駆けてくる。
撒き散らす爆音。掻き鳴らす粉塵。その現れ方は信じられないほどド派手なのに、相反してシュヴィの下に届いた魔力反応は小さかった。
今まさに止めを刺そうとしていた雷霆の君よりも、間違いなく二段は下。
そんなこともあって、シュヴィは一瞬。
時間にしてほんの一瞬ではあるが――心から困惑した。
(……なにあれ)
なんだってあんな芸もない登場をするのか。
まるで見せびらかすみたいな登場は、合理では説明できない不合理に満ちていた。
とはいえ、英霊としての格が大したことないのなら取るべき対処は単純でいい。
シュヴィは予定通りに『偽典・森空囁』を解放/典開。
ガンヴォルトも新手のバイク乗りも、纏めて微塵に切り裂いてしまう。
迫る刃を前にして、バイクが宙へと浮いた。
鋼の騎馬から伸びているのはチェーンだ。
それを使い捨て前提で真空刃に絡め、切断されながら空を進むというウルトラCを成し遂げる。
無茶苦茶。滅茶苦茶。道理も合理も糞もない、たまたまできているだけの向こう見ず。
「あンのクソ王様野郎に言われて来てみればよォ〜! ちょうどよく潰し合ってくれてんじゃねェかァ〜〜!!」
騎手は、異形の姿をしていた。
顔面から生えたチェンソー。
叫ぶ言葉は、バイクの音色にも負けず劣らず下品で粗暴だ。
見ればバイクの運転方法も滅茶苦茶である。チェーンを車輪に搦めて無理やり動かし、挙動を自分に制御できるそれに変えた上で運転している。
運転技術はないに等しい。
そこらのツーリングが趣味の若者を捕まえてきた方がまだ上手いだろうそれは、とてもではないがライダークラスの騎乗とは思えなかった。
「漁夫の利いただいてくぜ〜!? このチェンソーマン様がよォ〜〜!!」
チェンソーマン。
そう、彼の名はチェンソーマン。
やることなすこと全てが無茶苦茶で滅茶苦茶で破茶滅茶。
悪魔でありながら悪魔を狩り、時に恐怖を時に畏敬を集めて回る地獄のヒーロー!
その背中に、ちいさな――銀月の少女を背負いながら。
颯爽登場したチェンソーマンは、百もの刃を乗り越えて機凱種の少女へと肉薄した。
「ラアアアアァアアアアアアアア!!!!」
戦況が変わる。
不穏分子が、かき乱す。
因縁の対決。『歌』と『記憶』、受け継ぎし者達の邂逅。
知ったことかと、チェンソーの音がそれを引き裂く。
無粋も無粋。無作法も無作法な常識外れの乱入劇。
しかしそれも、彼らにとっては立派な正道だ。
予定調和を壊し、定石を乱し、全部グチャグチャにしてブチ壊す――それこそ、敵(ヴィラン)の本懐なのだから。
彼の名はチェンソーマン。
されど今は、ヴィランの尖兵。
いつか魔王と果たし合う、月の天使の友人(ウェポン)。
漁夫の利、滅茶苦茶、一人勝ち。
想定し得る限り最大の戦果を貪欲にも求めて、彼はこの一騎討ちに横から堂々名乗りをあげた。
-
◆◆
「ふん」
「うわあああああああああああ!!!!!!」
シュヴィが黒槍を振るう。
それが、チェンソーマンの駆るバイクから伸びたチェーンを引きちぎった。
更に前輪も容赦なく薙ぎ払い、亀裂と衝撃に耐えられず彼の愛馬は哀れ海ならぬ空の藻屑と化す。
「俺のチェンソーマンバイクがアアアアア!?」
空中に投げ出されながら、チェンソーマンは悪足掻きのようにチェーンを伸ばした。
相手の身体に巻き付けての無理やりの戦闘継続か、引きずり下ろしての近接戦を狙った咄嗟の判断は悪くない。
だが、逆に言えば今の彼に取れる選択肢はそのくらいしかないということでもある。
シュヴィは至って落ち着き払ったまま武装を展開。機銃掃射で騎馬を失ったライダーをその主もろとも蜂の巣にせんとした。
……余談だが、彼がこの時駆っていた"チェンソーマンバイク"とはやたらめったらにチェーンを巻き付けて自分好みの操作性に無理やり歪めただけのとんでもなくお粗末な品物であった。
もしもこれが、もっとちゃんとした力と経緯で誰かが拵えた"超(スーパー)"のつく逸品だったなら話も違ったのだろうが、所詮彼一人の頭脳と力ではこの程度が限界だったらしい。
「わ。おちるよ、らいだーくん!」
「お前置いてくりゃよかったァアアアア! 田中のおっさんから『アイ』さん借りてくればもっとよかった!!」
「こんな時でも女の人のことはわすれないんだねぇ」
「男の子だからなぁ!」
どしゃーん! と盛大な音を立てて、少女とそれを抱えたヒーローが地に落ちる。
しかし子守りはもはや慣れたもので、しっかり抱きかかえたままの着地に成功していた。
冷や汗を拭いながら、チェンソーマン……改めデンジは空の少女を睥睨する。
よくも俺のバイク(盗品)を。そんな恨みつらみの念がそこにはこれでもかと込められていた。
そんな彼の存在を、じっと見つめる影が一つある。
言うまでもなくそれは蒼き雷霆、ガンヴォルトその人だった。
デンジの乱入により期せず助けられた彼。
その眼差しはしかし、デンジではなく。
彼が抱えている小さな少女の方へと向けられていて。
「キミ、は……」
つい数刻前に感じた、気配。
ほんの一瞬、すれ違った少女。
見間違う筈もない。彼女のサーヴァントである以上、それだけは許されない。
声に気付いたのだろう。怪訝な目を向けるデンジをよそに、ガンヴォルトは続けた。
「神戸しお、だね?」
-
「うん。そうだよ」
その答えを以ってこの時、ようやく真の意味でガンヴォルトは"彼女"との邂逅を果たすに至った。
飛騨しょうこと松坂さとう。そして神戸あさひの物語の中心に常にあり続けた一人の少女。
甘く甘い、それでいてひどく苦い、甘みと苦み/幸福と不幸の螺旋のような物語。
砂糖菓子の日々(ハッピーシュガーライフ)の主要人物、その最後の一人。
神戸しお――、一度は運命を分かった少女が今。
劈くチェンソーの音色に抱えられながら、ガンヴォルトの前へと再度現れていた。
「あなたは、さとちゃんのサーヴァントさん?」
「……ああ。今はそうだ」
「今は、ってことは……前はちがったの?」
「いろいろあってね。でも今のボクは間違いなく、彼女のサーヴァントだよ」
キミが、そうなのか。
しおを見つめるガンヴォルトの目には感慨のようなものがあった。
思っていたよりも小さい。そして、幼い。
なのにこの凄惨な戦場の中に立ちながら、物怖じ一つしていない。
――愛、か。
ガンヴォルトは此処に来て飽きるほど聞いたその単語を思い出していた。
愛は不可能を可能にする。愛は、ヒトを強く変える。
思えば彼女が見せたのも、彼女が変わったのも、全てが愛だった。
自分とあの二人の旅路は、いつだって愛に支えられていた。
そして今、こうしてようやく真に邂逅できた少女もまた、夜空のように深い愛をその幼い眼差しに湛えていて。
松坂さとうと、神戸しお。
甘く、甘い、その日々が。
決して一方通行のものではない、相思の賜物なのだとガンヴォルトはそう理解した。
死が二人を分かつまで。
いや、死が二人を分かつとも決して揺るがないもの。
脳裏を過ぎる懐かしい"彼女"の顔、笑顔と歌声(こえ)はまるでその在り方に触発されて行われた自動再生のよう。
ガンヴォルトは小さく拳を握りながら、しおではなく彼女を守るチェンソー頭の防人に視線を向けた。
「そう訝しまなくてもいい。ボクは君達に対して敵意はない」
「俺ぁあの子が味方の方が良かったけどな。何だって俺が手ぇ組める奴はこうも毎回男なんだよ」
「……意味が分からない。この状況で性別の違いに何の意味が?」
「決まってんだろ。可愛い女と一緒に戦えた方がアガるだろうが……まあでもウン、ありゃちょっと小さすぎか。犯罪者にゃなりたくねえからな」
倒錯しているのか――ついそんな感想を抱いてしまうガンヴォルトだったが、与太話に興じている余裕は生憎とない。
空から放たれ迫る爆撃を雷霆で切り払いながら、彼は話を続ける。
-
「さっき一度すれ違ったな」
「あ〜? 悪いな。あん時の俺は俺じゃねえんだ。だからアンタとはこれが初対面だぜ」
「とはいえ、今の会話を聞いていれば分かっただろう。ボクは――松坂さとうのサーヴァントだ」
「……まあ、な。"さとちゃん"のサーヴァントなんだったら、そりゃ俺らと揉める気はねえよな」
「此処から北西の方にさとうを避難させてる。しおをそこまで逃がすんだ」
シュヴィ・ドーラは怪物だ。
生前から今ままで数多の能力者や兵器を相手取ってきたガンヴォルトでさえ、そう評価せざるを得ないほどにあの少女は強い。
演算。状況判断。火力。手数。そして純粋な手札の数まで、何から何まで反則じみている。
少なくともあれを相手にマスターを守りながら戦うなどほぼほぼ不可能だ。
更に、理由はそれだけではない。
「あのアーチャーは攻撃に載せて毒を撒く。英霊の魂まで蝕む猛毒だ」
「マジかよ。やり口エグすぎねえ? なんかの条約に引っ掛かんじゃねえの?」
彼女が撒き散らす汚染物質……霊骸。
あれが何よりのネックだった。
地獄への回数券を服用していれば多少は被毒を抑えられるかもしれないが、相手は英霊さえ冒す毒素なのだ。それで十分だとは到底思えない。
だからこそガンヴォルトは、いざという時の危険は承知でさとうを避難させた。
本当ならば守りながら戦うのが一番なのだろうが――それはあまりに不可能を極める。
初撃で見せた規模の破壊兵器を連発されるだけで、ガンヴォルトは容易く詰むだろう。
そして相手はその手の選択も躊躇なく行える、合理と効率の殲滅兵器だ。
マスターを戦場に同伴はさせられない。彼の進言を受けたデンジも、それには納得するしかなかったようで。
「話聞いてたろ。俺らが引き受けてる間に行きな」
「うん。ありがとね、らいだーくん」
「ガキのお守りしながらあんな戦争女と戦うのは勘弁だぜ。いいからさっさと――」
「さとちゃんに会えるの、らいだーくんが乗せてきてくれたおかげだから」
あの一瞬。
すれ違うように会えただけでも十分だった。
それだけでも、最後まで戦えるだけのエネルギーを貰うことができた。
けれど運命とは数奇なもの。
巡り合わせとは、不思議なもの。
いや。数奇でも不思議でも、ないのかもしれない。
死すら超えて愛し合う二人が同じ世界に存在しているのなら。
二人が引力のように引き合って、離れてもまた巡り合うのは――当然のことなのかもしれない。
だけど。
此処まで自分を連れてきてくれた……乗せてきてくれたのは、紛れもないこのぶっきらぼうで欲望に素直な友人だから。
だからしおは、ちゃんと"ありがとう"を言うことにした。
さとうと出会うよりも更に前。親切にして貰ったらお礼を言いなさいと、そう教えてくれた気がする。
-
「後でさとちゃんのこと、らいだーくんにも紹介するね。すっごくかわいいんだよ」
「……うんざりするほど聞かされてきたけどよ。そんなにかわいいの?」
「うん。さとちゃんよりかわいい子、私知らないよ」
「へぇ〜……。じゃあ運賃代わりによ、後で俺も挟ま」
「それはだめ」
「やる気なくしたァ〜」
彼らは、彼女らは、"別れ"の味を知っている。
それはいつだって、突然にやってくるものだ。
昨日まであったものが、ある日急になくなる。
さっきまで普通に生きていた人間に、もう二度と会えなくなる。
それでも、彼らは別れを恐れない。
まるでちょっと買い物に出かけるみたいに軽口を叩き合って、そのまま相手に背を向ける。
しおが駆け出した。
シュヴィとて、みすみす逃げるマスターを逃すつもりはない。
すぐさま追撃行動へ移ろうとするが――その足にチェーンが絡み付き、それを辿ってチェンソーマンが接近する。
「カップルの間に挟まろうとする奴は嫌われんだぜ。知ってたかよ、アーチャー」
幾多の悪魔を屠り地獄に還してきたチェンソーと。
もういない混沌から受け継いだケイオスマターが、激突する。
ギャリギャリと激しい音を鳴らしながら回転する刃でさえ、ケイオスマターを素に作られた偽槍を害することは困難だ。
散る火花と共に刃こぼれが目立ち始めるチェンソー。
シュヴィの脚が彼の腹部を蹴り抜き、上空百メートル超えの高所から大地へと真っ逆様に墜落させる。
その上で放つ大火力砲撃の雨霰。
それはデンジを木端微塵に消し飛ばすかに思われたが――彼に辿り着く前に、噴き上がった稲妻の束によって逆に跡形も残らず掻き消された。
「――オッケー。敵じゃねえってのは本当みてえだな」
「試したのか?」
「仕方ねえだろ。こちとら味方だと思ってたら実は、なんて展開が日常茶飯事なんだよ。カマくらいかけるぜ」
「いや、結構だ。そのくらい用心深い方がボクとしても安心して背中を任せられる」
「気持ち悪い表現使うんじゃねえよ。男と背中合わせなんてサブイボだぜ」
そう、これは共同戦線。
デンジ一人ではシュヴィに勝てないだろう。
ガンヴォルト一人でも、その火力全てを破って命脈を断つのは至難の筈だ。
だが今、彼らは二人。ある二人の少女と、彼女達が紡いだ愛の物語が引き寄せた異界の縁。
顔を合わせるのは初めて。
言葉を交わすのも、言わずもがな。
それでも彼らはこうして共に立てる。共に、立ち向かえる。
彼らは隣人だ。どうしようもなく愛に生き、その果てに終わった少女達。
閉鎖と自閉の末に歪み果てた運命に与えられた延長戦に列席することを許された、彼女らの友人達。
雷が舞う。
電刃が、猛る。
見下ろすのは機凱種の冷眼。
悪魔にさえなる覚悟を決めた少女に迷いや躊躇いは期待できない。
「もう一つ聞いとくぜ。あいつらの方に何かあったらどうすんだ」
「心配無用だ。詳細は省くが、すぐに向かえる手立てはある」
「そりゃ何より。目の前の戦い以外にごちゃごちゃ考えなきゃいけないのは苦手でよ」
武装が展開される。
鋼の翼が、著しく肥大化する。
ガンヴォルトから流れ込んだ力をも糧に、今なお機能の拡大を続ける機凱種。
再び龍の咆哮が轟き渡ったその瞬間、既に愛の隣人達は駆け出していた。
これは砂糖菓子の日々、その未来を守るための戦い。
さとうとしお、比翼と連理が再び巡り合った証明のように。
彼女達が心を通わせ、己が命運を預けた英雄達が舞い踊る。
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前編の投下を終了します。
続きも期限までには必ず。
また、幽谷霧子&セイバー(黒死牟) を予約に追加します。
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紙越空魚&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
予約します。
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投下します
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己が魔術師としてはもはや国家守護を謳えるような力に至らないことは、己自身がもっとも理解している。
魔術師として上澄みではあれど、一戦力としては『兵器』たりえず『優秀』の域を出ないのが個体としての限度。
そこには、あの峰津院が零落したと蔑まれ引きずり落とされる側になるという確定した未来があり。
惑星の管理者気取りからの侵攻を跳ね除けるに際して、難度が遥かに増したという重責があった。
生まれ落ちた時から、その生まれに背かぬように、生まれに適うようにと。
できる限りの全てを賭して積み上げてきたものが、もののわずかで『崩壊』した。
そこに痛痒を覚えないとすれば、それは偽りだった。
だが、痛みを感情として表すような生き方など読み書きを覚えるより昔に廃棄している。
全ては己の敗北が招いたこと、実力で劣った者が窮地に陥れられた結果だと、己の主義に殉じる心算はできている。
その上で見苦しくも逆襲者として足掻くことを、『屈辱をもって命を助けられた』という事実に課している。
その上で、屈辱に耐えながら勝機をうかがうとして。
最終的な勝ちを手にするための、合理性のみで動いたとして。
方舟陣営に身柄を置くこと自体は、延命のためには理にはかなっていた。
今の己は、サーヴァントでさえ相手によっては正面戦闘で迎え撃つことが敵わない。
改めて痛感することとなったのは、まさにその方舟を立ち去ろうとする間際でのことだったが。
このまま『個』として勝ち残るのは限界がある上で、いかな価値基準にあるのか集団の総意として大和と組むことに否はないと言う。
その集団に所属する上で強いられる譲歩は、最低でも『仮にお前が優勝するとしても、願いとして他者の生還を叶えてくれ』という小さくないものだが。
こうなった現状では聖杯戦争終了後のことを憂慮するよりも、聖杯戦争終了時までの生存率を上げることを重視すべきでは、という理はあった。
だが、現状であればこそ、『願いを妥協する』ことを約束した上で慣れ合う余地は無いとも言える。
王に返り咲こうとする者の判断としても。
峰津院大和が、今もなお羽ばたく為にも。
魔術回路そのものが破損しては、個としてポラリスに示すだけの力に不備がある。
つまり、交渉で議題にされたところの『帰った先にある本命』によって滅びを打破する勝算が、乏しくなっている。
むろん魔術回路の総量に左右されない技術資源、悪魔を従わせる調略、峰津院として動かせる力、そして帰還先の龍脈までは途絶えていないが。
たとえ界聖杯の権能に疑いがあろうとも。
世界の生まれ変わりを成しとげるために、聖杯は確保すべきものとしての重みを増している。
これに関しては、求められるのはライダーが補償として打ち出した『語り合い』ではなく、実際の戦力なのだから。
――まだ生きているマスター。彼らと語り合い、答えに折り合いをつけて、それぞれの世界に行って最善手を探し出す。
――そこで可能なだけ、彼らの叶うはずだった願いの手助けをする
それともあの男ならば、『元いた世界の人々や召喚された人外たちと語り合い、頼れ』と言うのだろうか。
残された力を元手として、己の傘下を集めるのではなく、他者の助けを恃みにしろと。
今の社会に浸かる人類にも見どころありと信じて、全盛期の大和と肩を並べる者が台頭することを期待するかのように。
-
それこそ、峰津院大和に反意を唱えてきた者たちが語る、もっとも理解しがたかった概念に触れる。
ある男は俺が守りたい者の中にはお前の言うところの価値のない者がいると吠え。
ある女はこれまで目を向けることはないと見なしていたものに価値があるかのように、おでんを勧めてきた。
理解をさせられないものには、従えない。
それが『お前の理想はひとたび置いておけ』という、『死ね』よりも逆鱗に触れる言葉であればこそ。
身体強化の術式で都内の拠点を巡視した上で、新宿区を経由して渋谷区へと駆ける。
以前は電話の数本で済ませられた確認を、己が足で行うことに対する余分な感情のしこりはない。
己を動かす燃料となる屈辱の域をはみ出た感傷など、不要だからだ。
魔力反応を殺してNPCに潜めるほどの隠形能力を有するサーヴァントの一人に容易く命を獲られそうになった上で。
鬼が出るか蛇が出るか、むしろ鬼の類もふたたび現われると確定したような戦場に足を向けることは、理解した上で。
あたかも『まるで懲りていない』という嘲りを受けるかのごとき愚行と取られることは承知しながら。
それでもなお、今すべき最善の行動は『覚悟とできる限りの備えを尽くした上で、踏み込む』という一択に絞られた。
なぜなら、峰津院大和はいわゆる『はぐれマスター』に該当するからだ。
これはサーヴァントを連れて行こうとしてもできない、という単純な意味ではなく。
はぐれマスターは生き残っていく上でそうするしかない、という戦略上の問題があった。
これより先の戦局ではただのはぐれマスターは、『戦地から遠ざかる』ことがそのまま勝機の見落としに直結するリスクがある。
そもそも『最後のひと組まで残った主従が勝者となる』という大前提は、およそ全ての参加者に漠然と信じられている。
全員に告知された『最後まで戦いに参加する資格を有していた者を勝者とする』という言葉の意味をそのままに受け止めるとしても。
あるいは、予選の終幕が告げられるにあたって追加された規定を深読みするとしても。
『聖杯戦争終了の条件が満たされた際、内界で生存している可能性喪失者についての送還処理は行われない』
勝者となった者以外の、すべての生存していたマスターは削除される。
それは裏を返せば『マスターが二人以上生き残っていたところで、その中から勝者ひとりと、その他敗者を峻別する基準はある』ことを意味する。
であれば聖杯は、当然【最後までサーヴァントを従えていたマスターが掴めるように】降臨するのではないか、と。
そうであれば、『はぐれマスターのままで居続ける』こと自体が、生き残るための難度上昇以前に、そのまま敗因になり得る。
生き残り続けたところで、最終的な生死を決める【優勝賞品の取り合い】において大きなディスアドバンテージを敷かれるのだと。
だが、これだけでは聖杯の獲得と生還とが絶望的になったことを意味しない。
打開する為の手段は、安易なものだけでも三つは並ぶ。
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一つは、再契約を果たすこと。
ただしそれを成すためには、この局面において主君を殺されても殺害者との再契約に同意するほどには不仲なサーヴァントがいることを楽観的に恃みにしなければならない。
少なくとも、大和自身が手をくださずともマスターが死亡しており、はぐれサーヴァントができた現場に出くわす期待値はそれ以下には違いないのだから。
二つ目には、妥協をして談合を図ること。
聖杯に懸ける願いが競合しない『サーヴァント付きのマスター』と手を組み、同盟者に聖杯を獲らせて『優勝者以外の生還を願えないか』といった競合しない願いを叶えさせること。
峰津院大和にその妥協をする意思があるかは別として。
そして第三の手段は、マスター自身の手で皆殺しを実行すること。
マスターの身であっても大抵のサーヴァントを下せるほどの圧倒的な実力。
それを持って主従そろって生存する全ての競合相手を排除し、己のほかに聖杯を手にすべき器はいないような盤上にする。
これまでの峰津院大和であれば、当然として第三の方法を選んでいた。
万全であった時の峰津院大和は、戦力資源と仕込みありきとはいえ最強生物を冠する明王への挑戦にさえも助力を求めないほどの自我と実力とを兼ね備えていた。
だがそれを成し得た資源は手元に残った龍の一片を除いて枯渇し、龍の一頭は白き崩壊によって強奪されている。
そして、今となっては全てを殺し尽くすかどうかの壁がきわめて難関となったのだとしても。
最終的に、最優先して、『最後の一組になろうとする主従の戦い』が起こった際に、その一組を主従ともども滅ぼす算段は立てなければならない。
正規の手段によって王の座につく経路が絶たれているのだとすれば、残された手段は『簒奪』ということになるのだから。
そしてその『優勝候補』となる者は、またひとたび大規模な交戦が生じれば確実に絞り込まれる。
故に、渋谷区のほど近くから響いてきた、哀悼のかけらもなさそうな鎮魂歌と。
それに伴って響く、瓦礫が崩れて地形の蠕動する音に対して。
峰津院大和が抱いたのは、『このような露骨な釣りをかけられずとも』という苛立ちと。
先刻の愉快ではない記憶を、脳髄を逆撫でするように『あれはこうではなかった』という形で揺り戻される腹の底からの不快感だった。
よりにもよって『歌声』を、薄っぺらい挑発行為のためだけに己に聴かせた者は死に値する。
そう瞋恚を抱く一方で、『意図はどこにあるのか』と言う戦略としての腹づもりであれば読めるものがある。
故に、大和の取る選択肢は不本意ながらも『しばし足を止める』の一択であった。
偶像を用いた演出に、反応して現われる者がいるのか否か。
それによって、『既に決戦の戦端は開いている』ことを確認できるのは、大和の側とてまた同じであるからだ。
-
結果として、大和もまた舞台(ライブ)を開催した者と同じ見地に到達した。
咆哮により顕在を告げ知らせたカイドウは既に別の臨戦態勢に入っている――既に他の者は集結していると。
そしてその悪趣味な催しの会場から、大和のいる方角へと接近する異物があることも、また察知していた。
自己強化魔術(カジャ)によって明敏にした五感から伝わってくる情報だけでなく、カイドウやおでんらとの交戦経験。
それは魔術の力量こそ減退した今になっても、『覇気に当てられる』という実演を繰り返したことにより大和の感性をさらに研いでいた。
その上で、敢えて接近する者を回避しようとせず、そのまま進んだ。
何故なら、知っていたからだ。
その接近者の雇い主が、何者であるかを。
己がスカイツリーで体感し、杉並区では『方舟』との同盟解消に至ったとを聞いたことで。
術師としての峰津院大和に致命の傷を負わせ、光月おでんから庇われたという顛末を起こした『崩壊』。
ひとたび電話ごしに会話したこともある。
――――よぉ、お坊ちゃん
全てを壊して、ただ混沌を望むと答えた相容れぬ者。
それが今でもなお同じ『崩壊』を奮っている。
加えて、『偶像』に由来する新たな力を得ている。
地平への戦線の勝者として、界聖杯に迫りつつある勝ち馬として。
弱い身体へと矯正された今の大和が、それでもなおどこかで打倒しなければならない相手だ。
それが新たな手駒を得たらしいというのに、何らの情報も得ないまま撤退して、『崩壊』と『未知』の双方を相手するような激突は迎えられない。
踏み潰すという支配者の裁定ではなく、どのような手合いで最悪の目が出たとしても生き延びるという逆襲者の覚悟を宿す。
研ぎ澄ました完成から相手の持つ覇気、実力者としての総量を推し量り、退路も視野に入れた戦略を複数並べる。
拠点の被害跡地を巡る過程で入手してきた物品の使いどころも、確かめた上で。
相手の出方次第で、搦め手をどう使うかをも検討する、など。
以前は、まず論外とは言わずとも次善の策以下だった考え方を、見苦しく生き延びるために己のものとしていく。
果たして現れたのは、人の姿をした人ではない女と、守られるように女のはるか後方についていた只人の男だった。
-
「ストーカーさん、見っけ」
女の口からは、強かそうな軽い言の葉。
声の質から、歌っていた偶像だと分かる。
右手には、真紅のナイフを握りしめていた。
人目を忍ぶストーカーであってもパーカーに隠して持ち運べそうな大きさの短刀だった。
それは鉄錆の匂いがひどく濃かった。血液を凝固させて作り上げた武装なのだろうかと推測する。
その女が人では無い、能力で生み出された傀儡だということはすぐに分かった。
陰陽術に扱われる道具に、形代というものがある。
毛髪や爪など他人の一部を埋め込んだ人形を、その人物そのものだと認識させる術式だ。
簡易なものであれば呪法を受ける身代わりとして機能するし、逆に『呪いの藁人形』として当人を傷つけるために使うケースもある。
高位の術師であれば、生活続命の法とは異なれども『形代を当人そっくりの式神として使役した』という逸話もある。
眼前の女からは、そういった『人間、それも屍者の肉体の一部を利用した呪具』と同じ匂いがあった。
そして、形代となった女の顔には覚えがあった。
これは面識だの芸能界事情だの以前の問題にあたる。
この都内で一定以上の知名度を持った人物の顔を、大和が記憶しているのは当然だったからだ。
なるほどと視線で見据えるだけで足腰を抜かしそうなほど震わせる、どこにでも見かける屑を体現したような男との関係をおよそ察する。
マスターだった芸名『アイ』を名乗る女は殺され、その生前の才覚はよりによってあの穀潰しを護衛するために悪用されている、と。
峰津院大和がもっとも嫌悪し侮蔑するところの、世界の縮図のような光景がそこにあった。
ひとえに冷静でいられたのは、己自身もまた『戦力外にも関わらずに庇われて生かされた』という立場に堕ちていたからだろう。
間違っても同じ扱いをされたくはないが。
――ザンダイン
詠唱なしの無言で、衝撃波の刃を一閃させる。
巨大な巌をも砕く破砕エネルギーが女の胴体へと局所的にぶつけられ、断ち割った。
否、まばたきの刹那だけ、『断ち割った』と言える状態にはなった。
激突箇所がバシャンと、水面に斧を打ち付けたような波紋に変じた。
出血がほとばしったのではなく、液体でできた人形(ヒトガタ)に刀を振り下ろしたかのような手応えのなさ。
そして衝撃波に打ち付けられた後も、平然と形を保っている女。
「あー、びっくりした」
-
術式の不備による仕留めそこないではなかった。
大和の叩き出せる火力そのものは弱っているとはいえ、それでも衝撃の魔術としては高位に相当する。
それこそ対魔力にでも阻まれない限り、サーヴァントにも通じる神秘は十分に備わっていた。
であれば通じない理由は単純なこと。
女の本質が液体であることに加え、極めて頑丈な身体をしていたから。
能力者自身の魂を多く分け与えられたホーミーズは、覇気を以って斬りつけられたとしても破壊に至らない。
「たしか『残党狩り』でもアリってことは……ここで倒しても、いいんだよね?」
自問自答するように女は一つ呟き。
うん、と口端を釣り上げて。
言い終わる頃には、短刀による刺突が大和のいた場所を貫いていた。
「――――ッ!!」
舞台下の奈落からステージ上へと躍り出る、その為に使われていた身のこなしと跳躍。
それが異常強化を果たした身体性能によって、空を飛ぶ宝具でも得たような疾風と化する。
ダダダ、と足音が姿を置き去られたかのごとく遅れて届き。
それは踏み鳴らしたアスファルトを穿って破壊するステップと化していた。
……身体の一部どころではない。どこぞの魂でも転写されたか?
カジャを付与された跳躍で空中に逃れ、数階建て家屋ほどの高度からその間一髪を確かめる。
頭をよぎるのは、生活続命の法という術式。
よもや、優良サーヴァントに相当する魂をそのまま付与されたのではないかと思えるほどに。
その絡繰人形に積まれたエンジンは規格外だと敏捷さ一つで知れた。
回避できたのは、その身体が踊り手としては優秀でも、『喧嘩』には不慣れであり――前動作が派手だったから。
たまたま、その不慣れを解消する手はずであるべき緒戦で当たれたという幸運の産物だった。
女は「残念」と悔しさもなく嘯いて。
ナイフの投擲を第二撃に変えて放った。
とっさに大和は、雷鳴の魔術を用いて迎撃する。
顔面からそう離れていない空中で赤き刃と稲妻が絡み合い、反動の火花を浴びながらもかろうじて着地。
直前で迎撃が間に合ったのは、血液凝固によって生まれたナイフだと見ていたから。
鉄分でできたナイフと稲妻。鉄と電気という引き合う性質同士だからこそ、刃が雷撃の方へと逸れた。
でなければテトラカーンなど障子を重ねたほどの防護にもならない豪速の投擲が、大和の顔を貫いていたに違いなかった。
昨日にその防護呪文を、リップという男の走刃脚が放つ刃にも使用したことがある。
その上で女が放つ一撃の重さは、はるか比較にならないと勢いだけで知らしめられた。
-
女はしたたかに、余裕の有無など読みとれない不敵さで、護衛している男との距離が十分かどうかをちらと気にした風に振り返る。
すぐさま右手の指を爪で切り裂いて、その傷口から血の刃をふたたび生み出した。
そこから先の戦いは、大和の防戦一方となった。
なるべくしてそうなるという推移であり、当然の帰結だった。
彼女は多量の魂を外皮の堅固さと柔軟さに直結させた血の悪魔。
大和はその『血液』という性質に着目して炎熱での蒸発、雷撃での誘導を試みるも、どれも焼け石に水。
液体である己に自覚があるのか熱そのものには警戒した素振りを見せるも、生命としての地力が根本的に開いていた。
血の悪魔が戦い方に不慣れであること、攻撃手段が単純な刺突であるために格闘の術理としての先読みが働くこと。
それらを駆使して数度の交錯をかろうじてやり過ごした時点で、ゼイゼイと鈍い音が聴こえた。
それが己の呼吸による情けない音だと、遅れて気付いた。
落ちぶれたものだと実感する。
これまで、魔力資源の枯渇により身体が襤褸のようになったことはあっても。
シンプルに身体強化の効能が追いつかず、肉体の無理によって戦闘で汗だく、息切れ、痙攣をおこすことはなかった。
杉並区での襲撃とて、たとえ暗殺者の側が奇襲を用いなかったとしても正面戦闘で容易く突破されていたことは予想に難くない。
己が昨晩までは他者に水をあける側にいたからこそよく分かる。
今の大和が昨晩までの大和と決闘すれば、龍脈や霊地支援を抜きにしたところで数十秒と持たないことだろう。
己が傍目からはどう見えているのかは、護られている男の顔つきから理解できる。
巻き込まれまいとする怖気と、原因の知れぬ陰鬱さがあったところで、なお打ち消しきれぬ期待と高揚からの食い入る眼差し。
いくらか戦いのさなかに過酷な思いをしたところで、己の戦果として強者が倒されるとなれば、高鳴らずにはいられない顔。
これまでの人生で、峰津院大和を侮ってきたものから飽きるほど向けられてきた、厭わしい顔つきだ。
それが侮りではなく、真実として実力が通用しないことから齎されたのは初めてだったが。
弱体化した峰津院大和であれば、今の己の力でも通用するのではないか、と。
そんな筈が、無いだろう。
少なくとも、『お前の力』のように錯覚していいものではない。
男にそう告げる代わりに、動きの鈍った獲物をいよいよ仕留めると地を蹴った悪魔に言い放った。
この戦端が斬られてから、初めて敵に向かって言葉を発した。
-
なぜなら回避に徹する傍らで密かに紡いでいた真言を、唱え終わったからだ。
「――良いのか? 仮にも従者(サーヴァント)がマスターを無防備にして」
今の大和に、高位魔術を二つ同時に無詠唱で放つような真似は――相手方にとっての二回攻撃は、できない。
しかし、埋伏の呪いを片手間に発動させるために、時間をかけてでも詠唱を積んでいれば。
ぞわり、と付近一帯に空気が粘性を纏ったような瘴気が満ちた。
「田中――!」
異常事態のきざはしを感じた血の悪魔が、振り向き、ありふれた苗字を叫ぶ。
男の顔色が、さっと蒼褪めた。
空気の豹変に、トラウマでも揺さぶられたかのごとき劇的さだった。
なるほど、『それ』を持っているからには、呪詛を生業とする術師との間に良からぬ接点でもあったらしい。
はじめに男を一瞥した時点で、大和はその懐にある『呪符』を見とがめ、考慮に入れていた。
その呪符――田中にとっては護符であるそれから、五芒星の紋様が浮かび上がった。
平安の最高位陰陽師が一人、芦屋道満の作成した護符が、峰津院大和の『呪』を受けて暴走を始めた証であった。
「それっ――」
血を纏う女が瘴気の正体にあたりをつけ、即座に護衛対象の元へと引き返すべく地を蹴った。
呪符や護符という器に格納されていた式神を開封し、暴発させる。
式神や霊魂、そして呪具の類を縛ること、呪う事にかけては大和にも一日の長どころでないのものがあった。
むしろ実物としての炎、雷撃などを招来してぶつける攻勢呪文よりも霊的・魔術的な攻撃への対処こそが峰津院としては本領とさえ言える。
平安の陰陽師として最高峰の一角が作成した符であることが障害となり得たが、その符が万全ではないことも大和は見切っていた。
その護符には、古傷(セキュリティホール)があった。
大和自身はその傷の由来までは把握していないが――もとは四枚あったそれが、三枚に減った時の出来事だった。
あるサーヴァントの父親がその男に捨て身の特攻を仕掛け、田中に呪詛を吐きながら消えた。
その特攻は息子の余命をわずか伸ばしたのみの結果に終わったが――息子の方は喪失の間際に『そのままでは致命に至る』呪詛を殺害者に刻んだ。
であれば、性質としてそのサーヴァントの分身であり血を分けた父親、何より幽霊でもあるハートファーザーが、同じ呪詛を田中一にぶつけなかった道理はなく。
その呪いは田中自身に向かわず、田中に降りかかる災禍を肩代わりする、自爆の後に残された護符三枚へと刻まれた。
陰陽師の用いる護符とは、持ち主が被ることになる呪詛を身代わりとして受けるための式紙を宿した『形代』でもある。
時に巨大な角を生やした牛鬼の形をとり、時に雷鳴を降らせる白鷲の姿をも取る疑似生命が、髪の毛を埋められたわら人形のごとく蝕みを肩代わりしている。
その蝕みを突破口として、護符を呪符へと変じさせたのだ。
-
瘴気が飽和し、五芒星が弾けた。
傍目にはかの術師がチェスのホーミーズを暴走させた時と同様の臨界突破、そして膨張ゆえの破裂。
護符が3連単の花火のごとく連鎖的に起爆し、呪詛によって田中の命を刈り取る――その、寸前に。
「それ、捨ててっ――――!」
偽りのサーヴァントのような体を成す偶像が瞬歩のごとく駆け付け、引き剥がす。
戦慄によって両目をかっと見開いたまま棒立ちする男の懐に手を入れ、符を取り除く。
その時点で、女の右手にあった呪符が三枚、爆音と閃光とを放った。
「あ……………???」
血の悪魔が庇うこと自体は、大和の想定内。
そして起爆がもたらした被害は、血の悪魔の想定外だった。
ザンダインやメギドの数々に揺るがなかった魂の写し身が、崩れた。
起爆の起点である右手からもとの血だまりへと形が崩れ、ばしゃりと肩口、右半身が人から液体へと無力化される。
「やはり、護符に籠められた呪力は相当のものだったらしい」
護符を作成した術師の力量を、大和は素直に認めた。
讃えた、と言っていい。
なるほど、血の悪魔は通常攻撃に対して極めて強固だ。
生半可なサーヴァントでさえ、攻撃を通すこと自体にひどく難儀するものと察せる。
しかし、霊的攻撃に対してはどうか。呪いには呪い返しが通る。
英霊やホーミーズのチェス兵士には、たぐいまれなる術式と最高位の術師ありきとはいえ、宿業を埋め込んでの暴走がまかり通る。
血でできた人形を構成するものが『憑依させた魂』であるというのなら、その接合ごと叩ける霊的攻撃は有効打に成り得る。
そして、その予想はずばり当たらずとも遠からずという、大和自身は知らぬ逸話だが。
ホーミーズには――かつて、『霊魂の力を付与された斬撃』は特別に効いたように――霊的攻撃には弱いという特性がある。
ぞじて、それだけが切り札ではない。
「駆け引きならもう一枚二枚は、追加の札(カード)を伏せておくものだったな」
かつて東京タワー到着時に紙越空魚に対して下した採点。
それを、己の行動においても大和は遵守した。
-
追加札、一枚目。
先刻の都内巡業、方舟の者には自社の被害状況を看ると言いながらも併せて立ち寄っていた製薬会社。
それは昨晩の内に皮下から送り付けられた多量の情報から割り出した、デトネラットの傘下団体の一つであり。
対海賊の陣営戦を行っていたならば『あるだろう』と予想し、実際に『分析・複製用』として配布されていたそれを口内に含んだのだ。
すぐさま行使しなかったのは、真言を唱える上で集中阻害になるから――活性化した不慣れな感覚で無詠唱の攻勢魔術と真言を並列処理するのは望ましくないと判断。
追加札、二枚目。
その薬物――地獄への回数券を摂取すれば、両目の周りには特徴的な罅割れが生じると試しの服用で確かめている。
それを『肌がひび割れる以上、体細胞の損壊である』と推定し、回復呪文(ディア)を同時発動。
特徴的な紋様を即時修復し、外見では『それまでと変わりなく見える状態』を作り出して、対応される余地を削る。
こうして、それまでとは段違いの速度を得た奇襲が成立する。
身体の反応速度をもってすれば追いつけたアイは、半身を崩している。
田中を守るため手足を動かすことが間に合わず、武器生成による投擲では薬物を得た速さに間に合わない。
まずは確実に刈り取れる可能性の器をと、鋼の硬度を得た貫手が田中の頸を切断すべく奮われる。
茫然としか表せない顔のまま、恐怖することさえ間に合わないまま。
田中はその絶命を受け入れるしかなく。
「――――――!!」
土壇場で、悪魔もまた追加札を引き出していた。
咆哮と言う手段によって。
歌声、の体はなしていない。
言うなれば発声練習のかけ声。
しかし拡声器も無しに街中に響き渡るほどの声量を至近で浴びせるのは、音響兵器に等しく。
「くっ――――」
防ぎようのない音という攻撃を、しかし回避だけは成立させた。
頸を守られた田中が、音響には耐えきれず倒れ込むのを横目に。
-
頸をぐるりと強引に向けられた時点で『声』を警戒し、横跳びに音波の射程から離れる。
それこそ遭遇した時点で、相手が『歌っていた』者だと割れた時点で。
『歌』を用いた何かを仕出かすことを、警戒に入れていたからこそ。
同時に舌を噛み、舌下の痛覚で耳の痛みにマスキングを図る。
それでもなお薬物による修復を待たねばならぬ音圧の衝撃と、聴覚神経へのダメージ。
それが癒える合間を縫って、血の悪魔もまた人の形へと修復を成していた。
かろうじて五体を取り戻すのももどかしく、昏倒した田中を抱えて渋谷区方面へと駆け去っていく。
逃走の早さそのものは、追いつけそうにないというわけではなかった。
その上で深追いをしなかったのは、相手方の狙いが『戦場への誘き出し』にあることが見え透いていたからだ。
明らかに能力ある他のマスター、ないしサーヴァントから『力の供与』を受けた者が単騎でうろついていたのみならず。
逃げるならば激戦区から離れようとか、渋谷区へ侵入する足止めを図ろうという意図もなく、むしろ南下するよう逃げている。
そこに『逃げ』と並行してあわよくば『釣り』を狙おうという意図を見出さないわけにはいかなかった。
その上で、小型化させ隠匿していた龍脈の槍を使わずに戦えたこと自体は幸いだったと評価できた。
やはり中堅以上のサーヴァントやそれに相当する存在を相手取ることは相当に難しくなったと忸怩たる内省も抱く。
隙をついてのマスター狙いを試みるなどという搦め手を取りいれるようになった『らしくなさ』に対する恥の意識はあり。
しかし、恥じて歩みを止めるぐらいならばとうに己は再びの自害を試みている。
では、この先はどうなのか。
独力で相手獲ることは至難と目される上位者たちが潰し合っているからと、戦地から離脱するのか。
それに対する選択は、はっきりと決まっていた。
釣りにはかからない。
しかし、血の悪魔たちが誘った方角とは別の経路から、戦地へと侵入する。
いまだに己がこの都市の頂点だと誤認している、零落したはぐれマスターの無謀な参戦。
権力も暴力も契約者も何もかも失いながら、未だ力を保ったまま顕在である海賊や魔王に挑もうとする愚かな蛮勇。
我が身はそう嘲弄されても仕方のない有り様であることを、自覚して受け入れる。
己の力が及ばずに敗北した結果を、知った風なことを言うといった他責の怒りにすげ替えるつもりは毛頭無い。
その上で、もはや自ら死ぬような真似も、戦いの放棄もしないという逆襲の意志は、屈辱の意識などはるかに及ばなかった。
-
まさに今、陣営同士の戦いに区切りがつき、戦争も終盤に向かおうとするこの局面において。
次の事変から遠く離れて、強者同士が潰し合うことを期待するような日和見に徹していれば。
戦況がどう動いたかという感知もできず、誰が『最後の一組』として残りそうかという予測もできぬまま。
己の関わることが叶わない戦場で、最後のサーヴァントが脱落するという未来を定めてしまう懸念がある。
聖杯戦争の終わりに立ち会えず、何もせずして界聖杯から消されるという最悪の末路に陥るつもりはなかった。
故に、拙速な振る舞いだろうとも歩みを止める事だけはしない。
もとより、昨晩から何も食べていないという事実は大和の行動に支障を生じさせない。
生来の修練、その一環として妙漣寺より得度を受け、一か月食事を摂取せずとも生きていける身体となった。
その上で道中、拠点とは言えないまでも財閥の管理課にあった倉庫に立ち寄り。
備蓄品として唯一備えてあるかどうかを確認した食糧はあったが、それは見当たらなかった。
『おでん』という品目の料理がいったいどのようなものか。
峰津院大和がそれを確かめることは、未だに叶わなかった。
【新宿区・渋谷区付近→???/二日目・午前】
-
【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:ダメージ(小・地獄への回数券にて回復中)、魔術回路に大規模な破損
[令呪]:残り一画
[装備]:『龍脈の槍』
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具、地獄への回数券
[所持金]:超莫大
[思考・状況]基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:この私が、これで終わると思うなよ。
1:まずは正確な被害状況を確認。方舟の一員になったつもりはない
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:崩壊の能力者を敵連合の長、死柄木弔だと認識しました。ホーミーズ(アイ)の能力の一端にアタリを付けています
【備考】※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。
※押さえていた霊地は全てベルゼバブにより消費され枯渇しました。
※死柄木弔の"崩壊"が体内に流れた事により魔術回路が破損しています。
これにより、以前のように大規模な魔術行使は不可能となっています(魔術自体は使用可能)。
どの程度弱体化しているかは後の書き手諸氏にお任せ致します
◆
-
もしかしたら、と想っていたのは確かだ。
峰津院大和は弱くなったらしい、というのはどっかとの連絡を終えた死柄木からふわっと聞いていたから。
一時期はどんなに恐ろしい存在だったのか知れないけれど。
今のそいつが強大な力を持っていないというなら。
今の俺を守る力があるというなら、なんて。
けれど。
だがしかし。
知っていたはずなのに。
それは、拳銃という力を持っているだとか、サーヴァントという力を持っているだとか。
そういった次元によって『勝てる』と見なし得る存在ではなかった。
いや、弱くなったという話はおそらく正しいのだろう。
たびたび話には出てくる海賊とやらと比べたら、たぶんアイツの武力が大したことないというのは本当で。
けれどそれは、決して『俺がアイツより強くなった』という結果に繋がることはないのだ。
だってどう考えても生命としてはあっちの方が上等で、価値あるものを積み上げて、戦争に適合した存在だ。
そして俺は、俺の殻を破ることさえおぼつかないままだった。
今では畏れの対象になったリンボがやって来る時の気配が、今更のように感じられて。
そしてアイに似せた女の姿が俺の目の前で崩れた時。
恐怖と同時に、わずかな高鳴りもいよいよ停まった。
――お前、自分が殺した女の遺産みたいなもんを酷使して、そいつに似た女の後ろでイキって、虚しくなんないの?
自分自身の声が、冷淡にそう問いかけてきた。
直後に、鼓膜が破れそうなショックと音圧で、ぐわんと頭が揺れて。
アイ。
死柄木。
峰津院。
リンボ。
写真の親父。
アサシン。
揺れた頭に、走馬灯が回って回って。
-
……ああ、あの時親父が必死に止めてくるわけだよな、と。
それだけは確かに納得した。
アサシンよりも敵連合を選んだことは、まったく後悔してないけど。
俺とアサシンと親父の仲がまずくなった、最初のいさかいの是非に関しては。
あの時は自分でも内省した風にやり過ごしたけど、本当にまったく親父とアサシンが正しかったと。
そう認めてしまった時だった。
心にべったりとくっついていた何が、剥がれた。
たぶんのめり込む時の依存心だとか、執着心の源めいていた、何かが。
「…………なぁ、偽アイドル」
朦朧から醒めて、運ばれながら呼びかける。
俺が、聖杯戦争において実質的に初めて手に入れた『自由に使える戦力』。
アイの見た目さえなければ一時は欲しくてたまらなかったそれに護られて、しかし心は熱くならない。
実質的な敗戦の後だというのに、こんなはずではなかったという焦りさえなかった。
しかし、悲しくないわけでもなかった。
「んー?」
その顔と、至近距離でがっつり目を合わせたのはしばらくぶりだった。
まだ、峰津院から受けた何かしらの爆発は治りきっていないらしく。
抱えられてはいるけど、運ぶためにかろうじて腕を作ったと言う様子で、指なんてまだ再生してない。
それでも俺の安全を優先しているこいつの忠誠心が、どっから来ているのか。
作られたものとしての死柄木への忠誠心の延長なのかは知らないけど、尽くしてくれたのは感謝している。
だから礼の言葉を吐いた後に、こぼしたのは本音だった。たぶん、かなりの。
「……世の中に、『こいつさえ持ってれば勝てる』ものなんて、どこにも無かったんだな」
世界に一つだけの消しゴム。
絶滅してしまったSSR鳥類を引き当てたガシャ結果。
そして、敵連合も、ようやくの『居場所』に関しては、もの呼ばわりはできないが。
俺は『これがあれば大丈夫だ』という安堵感を求め続けていた。
-
「だって、ものの価値がどうこうじゃなくて、最後は俺がやったことで決まるんだよ」
何者でもなかった。
何もしてこなかった。
つまりは、そういうことなのだった。
およそ一か月にもわたる『夢』から、ようやく醒めたような悲しさがあった。
◆
『人間、シャーロック・ホームズになれるかもしれないという夢からはすぐ醒める。
でも、ワトソン役にはなれるかもしれないという夢を見ることからは簡単に醒めない。
少なくとも、心のどこかに『出会いさえあればワンチャンあるかも』を置き続ける』
そんな風に聞いたのは、勤めていたゲーム会社の企画会議で視点人物がどうこうの話をしていた時だったか。
記憶としてそこそこはっきりしているから、まださほど課金にのめり込んでいなかった新採間もない時期のことだろう。
何故こんな時にそんな事を思い出すのかと言ったら、心当たりはあるからだ。
もっとも俺にとってのそれは、ワトソンなんてはっきりした役どころではなかった。
それこそ『偉大な存在に導かれる一員になって、爪痕を遺したい』ぐらいの、漠然としたモブからの脱却願望だ。
結果で言えば俺が行き着いたのは、ホームズではなくモリアーティのところだったけれど。
俺は『できる人間』になれるかもしれないという夢からはすぐに醒めた。
少なくとも小学三年生になる頃には。
でなきゃ、勉強でも運動でもコミュ力でもなく、消しゴム集めで目立ちたいと執心することは無かっただろう。
そうだ、昔から『プルス ウルトラ/ケイオス(もっと先へ)』なんて考え方は、俺には苦手だった。
自分を磨いて注目を集めるのは早々に諦めて、消しゴムのレア度で認められようとした。
就職でも上を目指そうとは思わなかったから、俺なんかでも追い出されないユルい社風のゲーム会社に入った。
課金に歯止めが効かなくなっていく自分に弁解するために、『過去の過ちを取り返すため』だと嘯いた。
-
けれど、一人目は街角の殺人鬼だった。
どんな巨額の課金を積んでも手に入らない、希少で奇跡的な聖杯戦争へのチケット。
そして、猟奇殺人という分野において間違いなく超一流で、超一流だからこそ英霊になれた、サーヴァント。
そんな英霊が、ともに願いを叶えるために二人三脚で勝ち残ろうと言うのだ。
英雄(ヒーロー)が、満たされず独りで落ちぶれていく人生から連れ出してくれた。
この界聖杯(セカイ)では、俺みたいなつまらない奴でも一番星に導いてもらえるのだ。
今にして思えば、聖杯戦争に招かれた時点で、俺はそういう『夢』に没入していたのだと思う。
偉人のそばにいる、名前ありの役にはなれるかもしれないという夢。
その夢は、一人目の信仰対象との繋がりが切れた後でさえも、醒めることはなかった。
二人目は、地獄計画、なるものを引っ提げて現われた混沌のサーヴァントだった。
一人目は少しも俺の要望に沿ってくれなかったけど、リンボは違うとのめり込んで。
地獄計画というなら、まさに閉塞した日常を打ち破るのにぴったりじゃないかと魅入られて。
最後には、リンボにはリンボで相方と定めたマスターが別にいるのだと突き放された。
炎上する豊島区へと、向かわざるをえない道中で。
ふたたび、眼を向けられず、放逐されたように感じていた。
過去にクラスの流行に取り残された時。
その敗北感を千倍にしたような闇の中にあって。
こうなっては、もう敵連合とやらを頼るしかないと歩いて、歩いて。
走って。走って。
みっともなく泣いて。
三人目の、最後の、そしてようやく実物として出会えた、救世主がいた。
この男なら、今度こそ俺を導いてくれる。
この場所なら、俺の居場所になってくれる。
今思えば、やはりプルス何とかは苦手なままだった。
引っ張ってもらうばかりでは、もっと先に行くどころじゃないのだから。
おそらく。
死柄木弔のために敵連合の采配をしていたMは、俺の本質を見通していた。
だから『お使い』なんてものを命じて、いっとき引き離したのだ。
-
頼れる者が自分しかいない現場を経験しろ。自分で自分のすることが分かるようになれ。
それが大局を見ながら、死柄木(ボス)のために貢献することに繋がる。
きっとそうあれる奴が、敵(ヴィラン)として完成していくのだ。
なんてことない、入社したばかりの新入社員がよく言われるのと同じだ。
俺も数年前に言われたはずだが、よく覚えちゃいなかった。
部署の仕事の流れを分かるようになれ。指示待ち人間になるな、と。
他の奴らはできて、俺にはどうにも苦手だったらしいものだ。
連合に縋っていた自覚は、あった。
だからこそ、こいつは俺のことを見下しているんじゃないかという疑って、罪を犯したんだ。
その結果が、こうやって自分が殺した女の似姿に護られている現状の姿だ。
きっと仲間は絶対に殺さないような奴が、『俺はここにいて幸せだった』と言いながら満足できるんだ。
ボスに縋るんじゃなくてボスの負担を減らそうとできる奴が、ボスにとってのヒーローになりたいと目指せるんだ。
価値のありそうなものに流されるんじゃなく、自分の価値を高められる奴が、好きに生きたと胸を張れるんだ。
そういう克己も芯も、自分自身も無いんだと、もう眼を逸らせなくなった。
だから俺は、俺のヴィランアカデミアから落第したのだ。
気付けば卒業したくないと密かに駄々をこねていたのは、俺しかいなかった。
アイドルオタクを無為な連中だとバカにしながら、結局のところオレはずっと偶像の追っかけをやっていたんだ。
「俺は、もう敵連合(あいつら)の所にいれば満たされるなんて思えない」
それは別に、死柄木のことが嫌いになったわけじゃない。
アイの件によって恐ろしいと感じることが増えたのは確かだが、そのせいじゃない。
むしろ恩義と感謝で言えば、よりでかくなったとさえ言えるだろう。
ここまでダメなやつだと分かった俺を、それでも受け入れていたのだから。
ただ俺の方が、魔王の側近になんてなれない程度のヤツだったと分かったんだ。
「でも、この道を選んだのは俺だから」
-
それ以外の道(ルート)を閉ざしたのは、他でもない俺だ。
敵連合が終わってしまえば他に居場所が無いのも。
アサシンと写真のおやじを切り捨てたのも。
アイを撃ち殺したのも。
その上で、今日は昨日と決定的に違う日になった。
夢から醒めたのだ。
そして俺は中途半端な夢の中だったけれど。
アイツらはそうじゃなくてずっと本気だったというのはよく分かる。
「俺はこれからも死柄木の家来で、それはお前も同じだ。
だから俺は、お前を俺のサーヴァントとは呼べない。
俺たちは、たぶん同類だよ」
それに、忘れたくはなかった。
『あいつ』は本当に、俺のサーヴァントだったと。
だって、俺も同じように自分以外に何の興味も持っていなかったのだから。
「俺は、どこまでいっても俺にしかなれない。
どうしようもない田中一として、終わる時まで敵連合(アイツラ)のために生きて。
それが必要なら、連合(アイツラ)のために死んでやる」
ずっと抱いていた執着を捨てる方法が、分かった。
そうなれるんだという高望みから吹っ切れることだった。
これから何度となく、アイを撃ち殺した時のような罪を背負っても。
それによって、心の平穏が得られなくなっても。
むなしいままでも、笑えなくても。
それこそが、せめてもの。
嘘でも本当でも『仲間じゃん』と言ってくれた。
たぶん俺よりはるか上等な女を失わせた殺人犯としての、ケジメなのだと思った。
【渋谷区・新宿区寄り/二日目・午前】
-
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、音響兵器によるショック(回復中)、精神的動揺(鎮静)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(4発、予備弾薬なし)
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:人殺し・田中一(ヴィラン名・無し)
0:敵連合に全てを捧げる。死柄木弔は、俺の王だ。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
※血(偶像)のホーミーズを死柄木から譲渡されました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。
死柄木曰く「それなりに魂を入れた」とのことなので、性能はだいぶ強めです。(現在は体の部分欠損を再生中です)
実際に契約関係にあるわけではありません。
-
投下終了です
途中までタイトルが前編のままになっており申し訳ありません
後編で合っています
-
投下お疲れ様です!
自分も中編を投下させていただきます。
-
◆◆
感情がキラキラ、あなたでキラキラ。
この甘い世界、嘘になるなら。
それ以外のことなんていらないよ。
愛を唄っていようよ――この部屋の中なら。
「きっと明るいよ」
◆◆
-
その再会を遮る者は、もうなかった。
シュヴィの追撃は二体の英霊に阻まれて届かず。
地獄への回数券で増強された身体能力は、しおの足取りをより速く確かなものへと変えた。
地を蹴って、足を弾ませる。
一度は見送った再会は、まるで我慢のご褒美のようにしおを待ってくれていて。
視界の先にあった、忘れる筈もない面影を見つけるなり――自然と足が止まった。
見渡す限り、廃墟の町。
焼け野原も同然の大地を咲いて、桜の苗木が芽吹いている。
それがまた大きく育って、花弁を散らす。
さくらいろ。まるで、彼女の髪のような色。
桜の舞い散る中に。
一筋の黒が、歩み出た。
黒。星空の黒。月のような純粋さを、甘く蕩ける糖蜜のように際立たせる蒼黒。
それをまとった少女の足取りは、ふたりが出会った頃と何も変わらない。
あれはそう、雨の日。
ひとりきりのしおは、彼女と出会った。
桜色の女の子。きれいで、かわいくて。とっても優しい女の子。
空っぽのビン。だけど壊れてない。
何かを信じているから。だから、壊れない。
私、なれたかな。
あなたのビンを埋めるきらきらに、なれたかな。
忘れてたこと。
忘れたかったこと。
もう、今は痛くない。
全部、あなたのおかげ。
甘くて痛くて、飲み込めないほどの。
初めての気持ちを私にくれた、あなた。
『全部忘れていいよ。大丈夫』
『忘れても生きていけるよ』
この気持ちになんて名前をつけたらいいのかは、今でもわからない。
すきとか、大事とか、それも間違いじゃないけどきっとそんなありふれたものじゃない。
だってそれは、私の。
神戸しおという女の子の、はじまりだから。
そんな簡単な言葉で、言い表せるわけがないんだ。
あの日、あの屋上で。
息が詰まるほど熱くて苦しいてっぺんで。
ふたり一緒におそらへ落ちて、でも私だけが死ねなくて。
あなたに助けてもらって、生きながらえて。
白くて四角い、甘さのなごりが残るだけの病室で、ずっとずっと考えてた。
あの時、どうして私だけを生かしたのか。どうして、先に行ってしまったのか。
考えたところでもう全部遅くて。
あなたは、どこにもいなかったけれど。
でも、今なら分かる。
お別れを知って。
誰かが誰かを想う気持ちは、無限大なのだとそう知った今なら。
-
――生きるために、愛するんじゃなくて。
――愛するために、生きて、死にたい。
――あなたは、そう思ったんだね。
――だから私を、たすけたんだ。
心のどこかで信じてた。
誰に何を言われようとも。
あなたの不在を、感じ取っても。
それでも信じてた。
私達は、死で分かたれてしまったけれど。
じゃあ、それで私達の愛が終わってしまうのかと言われたら。
きっと、そんなことはない。
そんなこと、ないよ。そう、信じてた。
甘い。
だけど、痛い。
口の中がいっぱいで、とてもじゃないけど飲み込めない。
この気持ちに、名前をつけるなら。
すきとかきらいとか、恋とか……"愛"でさえきっと足りないと分かるから。
私は、決めた。この気持ちに、名前をつけるなら。
それはきっと、あなたの名前がいい。
「――――――――さとちゃん」
名前を呼んで、びっくりした。
この世界でも何度だって口にしていた名前。
らいだーくんに、とむらくんに、アイさんに、話していた筈の名前。
なのに今はまるで、何年もずっと口にしていなかったみたいな感覚だった。
-
――しおを見つめる、瞳が揺らめく。
彼女は、ただそこに立っていた。
桜の舞う渋谷区の中で、ただ一人。
しおを、待っていた。
彼女にとっては、一ヶ月ばかしの別離。
されどしおにとっては、永遠と見紛う永い時間の果ての再会。
そこには無限大の差があるのに。
それでも、彼女達の抱く熱と想いはまったくの同じ。
同じ温度と、同じ深さを保って……ただ互いだけに向けられていた。
「しおちゃん――――――――」
名前を呼ぶ。
名前を、呼び合う。
それだけでああどうしてこんなにも愛しいのか。
こんなにも胸が高鳴って、止まらなくなってしまうのか――。
気付けばしおは、駆け出していた。
そこには何の理由も必要なかった。
さとうがいて、自分がいる。
それだけで、他の何もいらなかった。
この時、彼女達は確かに世界でふたりきり。
飛び込んできた、しおを。
さとうは、両手で迎え入れた。
驚きなんてどちらも浮かべちゃいない。
愛し合い繋がれたふたりは、こうして顔を突き合わせるまでもなく感じ取っていた。
しおは、雷霆を。
さとうは、電刃の音色を聞いて。
互いの存在を感じ取り、再会を予感していた。
これはただ、そんな予定調和が叶ったというだけのこと。
愛し合うふたりがまた巡り合うのは当然のこと。
だから、驚きになんて値するわけもない。
これは――ごくごく当たり前のことなのだから。
でも。
-
「さとちゃんだ……さとちゃんの、においだあ……」
世界のすべてが空白になることくらいは、許されるべきだろう。
彼方から聞こえる轟音も地響きも、今だけは何も聞こえない。
永い離別の果て、再び巡り合った想い人の胸に顔を埋めて。
深呼吸をして、その匂いと熱を鼻いっぱいに吸い込みながら。
しおは、本当に幸せそうに笑った。
そんな彼女の小さな頭を、その蒼の髪の毛を、さとうの手が優しく撫でる。
「……しおちゃんだ。ほんとに、しおちゃんなんだね」
「うん。しおだよ。えへへ、さとちゃんったら触っただけでわかるんだ」
「わかるよ。だって、大好きなしおちゃんのことだもん」
「私も、さとちゃんのことならなんでもわかるよ。だいすきなさとちゃんのことだもん」
まるで、ふわふわな動物の毛並みを撫でているよう。
甘くてとろけるような香りは、全部あの頃のままだ。
少し背が伸びて、声が低くなって、髪が伸びたけれど。
ずっとずっと会いたかった人。
大好きで、大好きでたまらない――しおちゃん。
もう二度と離れたくない、大切な人。
「しおちゃん」
「ん。なあに、さとちゃん」
だから、さとうは言うのだ。
ずっと言いたくて言えなかった言葉を。
この世界に来てから、ずっと言いたかった言葉を。
初めて会った時からずっとずっと伝えたかった気持ちを込めて。
ありったけの笑顔で、砂糖菓子の時間を共に歩む片割れに囁いた。
「おかえりなさい」
「うん。ただいま」
ぎゅ、と。
抱きしめる腕にもっと力を込める。
愛しいあなたに"おかえり"を。
愛しいあなたに"ただいま"を。
そして、これからの未来に"おはよう"を。
ずっと言いたかった言葉たちが、やっと言える。
だから、嬉しくてたまらなかった。
だから、幸せだった。
だから――
「もしかしたら、ここも危なくなっちゃうかもしれないから」
しおはそう言うと、さとうの胸から少しだけ離れて。
そして目の前の彼女に、花咲くような微笑みを浮かべながら両手を広げた。
それは、ふたりの合図。
この世のどんなことよりも甘く幸せな、ふたりきりの時間のはじまり。
「せっかく"おかえり"も"ただいま"もできたんだし――ちかいのことば、しよ?」
-
「いいよ。ふふ、なんだかご褒美みたい」
さとうは、此処が戦地であることも忘れて彼女の前に跪いた。
まるで結婚式の、本当の"誓い"のように。
この瞬間だけは、争乱も時間もすべてを忘れた。
ただお互いだけを瞳に映して――あのお城の時間を取り戻す。
そう、これは"誓いの言葉"。
愛し合うふたりにとって、何よりも大切だった儀式。
此処は、あのお城ではないけれど。
月明かりの差し込む、ふたりだけの部屋ではないけれど。
そんなこと、何の問題にもならない。
あの部屋に戻らなくたって、さとうとしおは今この瞬間だけは、世界でふたりきりだった。
「やめるときもすこやかなるときも、とめるときもまずしいときも」
まるで、絵本の読み聞かせをするように。
口を寄せて、しおはそっと言祝ぐ。
愛おしさを隠さずに囁く。
ふたりの"ちかい"は、途切れなく。
世界の垣根を、いやそれ以上の隔たりをすら超えて、此処に再び結ばれた。
そう、それはまさに――
・・・・・・・・・・・
「しがふたりをわかつとも」
死が二人を分かつとも、途切れない誓い。
この世界の誰にも、断ち切れない絆。
愛し合うふたりだけに許される――本当の永遠。
彼女たちは、あの夜永久に分かたれた筈だった。
さとうは死んで。しおは、生きる。
その永遠の別離は、今この瞬間に覆された。
それを、人は。奇跡と、そう呼ぶのだろう。
けれど彼女達だけは違う。彼女達は、それが必然であることを知っている。
「私は、さとちゃんが大好きなことをちかいます」
――誰かを愛する気持ちがあるならば。
――やってはいけないことなんて、この世にはない。
――ならば。
――愛し合うふたりに、不可能だってあるものか。
-
甘く、とろけるような。
清らかに、祝福するような。
うんとキラキラするものだけ集めて飾った、かわいい小瓶のような。
そんな言葉を囁きながら、しおはさとうの額にちゅっと口づけた。
その小さな唇の感触が、さとうには何より心地よい。いとおしい。
あの頃。手当たりしだいに漁って探していた"愛"なんかとは違う、どこまでも深く底のない愛が今自分に触れている。
互いの熱を交換し、幸福を分け与えるように。
しおの唇が、しばらくそうして触れていた。
痛みも、苦しみも、恐怖も、寂しさも。喪失感も。
なにもかもを埋め合わせる、愛の砂糖菓子。
「……だいすき、さとちゃん。またあえて、ほんとにうれしい」
「私も。大好きだよ、しおちゃん。ずっとずっと、ずうっと会いたかった」
さとうは、お返しみたくしおの頬に自分のそれを重ねる。
ちゅ。甘い感覚と熱を、分かち合う。
どこまでも、幸せだった。
見果てぬ幸せがふたりを囲み、その行く先を祝福していた。
「もう、ずっといっしょかな?」
「きっとそうだよ。だって、こうしてまた会えた」
「私ね、絶対に勝つってきめてたの。さとちゃんのためにも、私自身のためにも」
「うん。知ってる。たくさんがんばったんだもんね、しおちゃん」
「だけどね。もう、かつぞー!って気持ちじゃないんだ」
「どうして?」
「だって、さとちゃんに会えたんだもん」
ぎゅう、と。
しおは、再びさとうに抱きついた。
さとうも、同じ強さで彼女を抱きしめ返した。
この再会を。そしてこの愛を。
噛み締めて、舌で転がすみたいに。
このうんと甘い確信を、味わって離さない。
「私とさとちゃんがいっしょにいるのに、他のだれかに負けるなんてあると思う?」
にぱ、と笑って。
天使は、そう告げた。
そうだ、彼女は天使だ。
お月さまのようにきれいな、蒼い天使。
この世のすべてのものに愛され、この世のすべてに愛を振りまく。
さとうの愛した少女は、そういう存在だった。そして今はもう、その愛はさとうだけに注がれている。
そんな彼女が、こう言うのだ。
であれば、そうなのだろう。
地平線の果てに向かう物語は、此処で結末が定められた。
愛し合うふたりを阻めるものなんて、この世にはもうなにもない。
死さえ超えて輝く砂糖菓子の絆は、他の誰かになんて決して切れないのだから。
さとうは、しおのことが大好きだった。
初めて会った時からずっと、今も変わらずに好きだ。
彼女のためなら、なんだってできると思った。
彼女の笑顔のためならば、なんでもすると。
今でもそう思っている。だから――
「うん。勝とう、しおちゃん」
「うん。いこう、さとちゃん」
聖杯戦争に。
地平線の彼方に。
ふたりで手を取り合って、そう誓った。
そして見上げる――桜の天蓋を。
さあ、嵐が来る。春の嵐が、この渋谷にやってくる。
一筋の稲妻が、天地を引き裂きながら轟いた。
-
◆◆
空を自由自在に舞う人型の爆撃機が、地上を埋め尽くす砲火を放ち続けていた。
尽きることのない手数に物を言わせての圧殺戦法は、言わずもがなとんでもなく凶悪な代物である。
そも、シュヴィというサーヴァントはこの界聖杯戦争の役者すべてを見ても文句なしの上澄みに食い込めるだろう領域の存在だ。
そんな彼女がこうして行う釣瓶撃ちを、涼しい顔で受け流すなど当然大多数のサーヴァントにとってはむちゃくちゃな無理難題だ。
「ッあああ! どんどこどんどこうるせえなあ、この全身戦争犯罪女がア!!」
デンジが悪態つくのも無理はない。
一人でこれと戦わされていたらと考えると、思わず背筋が寒くなる。
まず間違いなく、目論見通りに踏み潰されてしまっていたことだろう。
しかし――チェンソーでは落としきれないだろう銃弾砲弾の雨霰を、真横から薙ぎ払う輝きがある。
蒼き雷霆(アームドブルー)、ガンヴォルト。
雷の帯が爆発と炎を消し飛ばし、飛ばす避雷針はシュヴィでさえ意識を集中しなければ回避し損ねかねない牽制弾だ。
片手に顕現させたスパークカリバーに、デンジのチェーンが巻き付いて。
その状態でホバリングを行うことにより、チェンソーマンは空へと躍り出た。
彼の全身が蒼く輝いているのは見間違いなどでは断じてない。
現に、ほら。彼は勇猛に叫んでいる。
「ギャアアアアアアアアア! ビリビリするゥ〜ッ!?
おいアーチャー! テメエなぁに俺まで感電させてんだよ! アッちいんですけど!?」
「四の五の言わないでくれ。これでも出力を抑えてるんだ」
全身を流れる高圧電流は、彼に限っては致命傷にはなり得ない。
なぜなら彼は武器人間。支配の悪魔がウェポンズと呼称した、そういう者達と同類の存在。
身を焼かれ、激痛に絶叫しながらも――ぶうんと刃音響かせ、しぶとく蔓延り続ける。
やけくそ気味に腹を括ったチェンソーマンが空を駆ける。
チェーンを駆使して立体的な機動力を発揮し動く様は、まさにコミックの中のヒーローじみている。
電刃が黒槍と火花を散らす。
一合二合三合と切り結ぶたびに、周囲の空間が歪曲していく。
チェンソーの刀身を蒼き稲妻が幾条にも走り抜けるその熱で陽炎が生まれているのだ。
シュヴィは錐揉み状に回転しながら砲撃を放つも、功を奏していない。
更に両者の競り合いへ横槍を入れたのは、蒼き雷霆の少年であった。
「っ…………!」
煌く雷撃一閃。
ボディに亀裂を入れられ、シュヴィが呻く。
それでも尚彼女は即座に反撃を試みようと黒槍を構え直したが、そこには既に敵の姿はなかった。
-
「シャアアアアアアアアッ!!」
――上……!
雷鳴轟く。
デンジはガンヴォルトによる雷撃での疑似魔力放出をブースター代わりにし、上空からの振り下ろしを敢行していた。
このままでは唐竹割りだ。危機を察したシュヴィは咄嵯に槍を振り上げ、その切先を受け止める。
「――――捉えたぞ、アーチャー」
だがそれは悪手だった。ガンヴォルトはシュヴィの対応を確認すると同時に、電撃を解放していた。
一瞬の眩さ。蒼い閃光が視界を覆い尽くし、次いで訪れるのは凄まじい爆音である。
落雷によって大地を揺るがせるほどの衝撃が発生し、シュヴィの身体が弾き飛ばされた。
視界が歪む。ノイズが強くなり、今度は彼女自身の身体から火花が散る。
なんとか致命傷を避けられたのは咄嗟の判断の賜物だった。
後わずかでも精霊を暴走させ、自爆同然に自らを吹き飛ばして後ろに捌けるその判断が遅れていたならば、今頃シュヴィはスクラップと化していたことだろう。
だが、それでも痛手であることに変わりはない。
歯噛みしながら展開する弾幕が瞬時に貫かれ、炸裂して炎の壁になる。
シュヴィには見えていた。その向こうから身を焼かれることも厭わずに突っ込んでくる、チェンソー頭の怪人の姿が。
なんて出鱈目。なんて、無茶苦茶。槍を握る手に力が籠もる。
同時に、シュヴィは再度のケイオスレギオン・アポクリフェンの解放を即断した。
――接近戦じゃ、不利なのは此方のほう………! なんとか状況をリセットしなければ、此処で狩られる…………ッ
漲っては溢れ出す、混沌の魔力。
ケイオスマターの解放は、シュヴィが持つ他の武装と比べて極悪なまでに燃費が悪かった。
マスターへの負担が気にならないわけではなかったが、しかしこの状況では背に腹は代えられない。
ここで負けるわけにはいかない。想像しただけで怖気の走る未来を振り払うように、シュヴィは闘争の偽槍を解き放った。
が。
「な…………あ、っ?!」
「へへっ、お前よぉ! さては慣れてねえだろ、武器使って戦うの」
その手が、直前で絡め取られた。
巻き付いたチェーンが、投擲の軌道をあらぬ方向へと逸らす。
重ね重ねになるが、シュヴィは決して身体能力に優れたサーヴァントではない。
膂力勝負など以ての外だ。ケイオスマターという破格の素材を使って鍛造した偽槍はその脆弱性をある程度カバーしてくれてはいたが、それでも動作の繊細さやいざという時の機転の巧拙までは補いきれない。
少なくとも実戦――なんでもありのダーティファイトという土俵において、彼女は眼前のデビルハンターよりも確実に格下だった。
-
「そんな大振りの動きで構えてたらよォ、バカでも邪魔しに入るってモンだぜ」
結果として。
必殺かつ起死回生の一手となる筈だった黒い流星は、遥か天空へと昇っていく。
それはさながら、この混沌の本来の担い手である男が辿った末路をなぞるように。
そしてシュヴィが晒したその隙は、当然の如く致命的なものだった。
蒼き雷光が瞬く。ルール無用のヒーロー/ヴィランが、武装の展開が完了するのを待たずしてシュヴィへ迫る。
「く、ぁ――――!!」
電刃ならぬ、雷刃一閃。
シュヴィの胴体に深く裂傷が刻み込まれ、少女は蚊蜻蛉のように地へと墜ちていった。
どしゃりと落下したシュヴィを、落下のエネルギーが齎す衝撃波が打ち据える。
霊核こそ砕けてはいないものの、それでも損傷は明らかに甚大だった。
右腕は砕けて内部の配線が露出し、胴体部分も内側が所々ひしゃげている。
華奢な肢体は、もはや立つことさえままならない――本来ならば。
「…………ま、だ……!」
だが、それでもシュヴィは立ち上がる。
未だ彼女の双瞳からは闘志が消えていない。その身が放つ覚悟は微塵も衰えない。
それは、本来ならば合理の結晶である彼女ら機凱種には不自然な粘り。
どう考えても最適解は即座の撤退であるというのに、尚も継戦を選ぶのはあまりに"らしくない"行動だった。
もはや戦線は始まっている。
二組の主従が据え膳のように並び立ってくれたこの機会を逃したくはない。
マスターの。あの心優しい、そしてあまりに哀しい男の願いを叶えるためにも。
だからこそシュヴィは合理に背いて、可能な限りの応戦と勝機の模索を選択した。
損傷は無視できない域だが、幸いにして直ちに生死に関わるほどのものではない。
言うなれば──無視できる。
ならば尚更ここで退くわけにはいかない。彼女は己が身を奮い立たせ、次なる行動へと移った。
「【典開】…………!」
精霊の抹殺に伴い、地に墜ちたシュヴィの翼に魔力が満ちる。
その色は、まるで彼女の焦燥を表すように荒々しく濁っていた。
この行動をしかし、見逃さなかったのはガンヴォルトだ。
彼はすぐさまシュヴィの頭上へと躍り出ると、此処まではデンジへの援護に用いていた雷剣を振り被った。
-
「《SPARK》───」
蒼く迸る刃は神罰もかくやの荘厳と、艱難辛苦と世界のあらゆる過酷に挑む少年の青を併せ持つ光閃だった。
全力なのは何もシュヴィだけではない。彼女という格上に挑む側も同じなのだ。
その証拠に、ガンヴォルトの雷電の出力は先ほどまでと比べても明らかに向上していた。
空から落ちる蒼き稲妻の聖剣が、少年の咆哮と共にその銘(まな)を解き放つ。
「―――《CALIBUR》……!!」
轟々と音を立てて迫る轟雷一閃。
もはや宝具の解放にさえ匹敵するその出力は、ある程度の無茶に起因したものだ。
喰らえば木端微塵に消し飛ぶか、そうでなくても霊核を砕かれ機能不全に陥ることは免れないであろう一撃をしかと見据え、シュヴィは武装を行使する。
取り出したのは攻撃ではなく防御のための武装。
集束、集束、集束、集束――ただ一点に。
「―――『進入禁止(カイン・エスターク)』!」
機凱種の本領は、何も手数に物を言わせた飽和攻撃だけに非ず。
彼女の持つ武装は、決して無限に湧き出る訳ではない。
しかし、その悉くが強力無比。サーヴァントの虎の子に匹敵する破格の性能を誇っている。
例えばこの『進入禁止』は、束ねに束ねて密度を上げれば戦神の一撃すら凌いでのける至高の盾だ。
十六種族(イクシード)が死力を尽くして殺し合い、血で血を洗って世界を穢したあの大戦にて彼女達を脅威たらしめていた技術力の数々。
それは機凱種の異端児/世界に打ち勝った夫婦の片割れとして英霊の座に登録された今も、シュヴィの身を存分に助けていた。
(ッ、硬い……そして分厚い! 押し切れない……!)
ガンヴォルトの焦燥を、シュヴィは鋭敏な観察機能によって察知する。
肌の血色。体温の変化、発汗。呼吸の乱れ。
あらゆる生体反応が、シュヴィにとっては相手の思考を逐一垣間見ることのできるスピーカーだ。
雷剣を凌ぎ、防ぐ。それと同時に、続けてまたしても非攻撃用の武装を典開。
「【典開】」
刹那、地に膝を突いていた筈のシュヴィが消えた。
瞠目するガンヴォルト。
どこへ消えた、その答えをくれたのはチェンソーマンだった。
「逃げられてんじゃねえか! 上だアアアア!!」
「……ッ、瞬間移動(テレポーテーション)か!」
そう、真上。
彼らよりも遥か上空の高みに、わずか一瞬にしてシュヴィは転移を果たしていたのだ。
長距離移動用武装『一方通行(アイン・ウィーク)』。
空間を破壊し、それを即席のワープゲートとして利用する――ある世界では"魔法"の一例として挙げられる芸当。
それを苦もなく奇跡にも頼らず、あくまで技術力の一つとして当たり前に成し遂げながら上を取ったシュヴィ。
更に典開、三度目。此処でようやく、シュヴィ・ドーラはガンヴォルト及びチェンソーマンへの攻撃を再開する。
-
「【典開】……………………!!」
いや――違う。
これはそんな次元ではない。
ガンヴォルトもチェンソーマンも、そこに集約される魔力の桁を感じるなりそう確信した。
「おい……なあ、アーチャーさんよ」
まるでそれは、爆発寸前の核爆弾。
破局噴火を二秒後に控えた活火山。
超新星爆発を起こす、その今際の星。
ケイオスレギオン・アポクリフェンは所詮小手先の模倣だった。
だがこれは、紛れもないシュヴィ自身の――『機凱種』固有の極大武装。
故に、その威力・出力はこれまでシュヴィがこの地で見せてきたどの攻撃と比べても次元が違う。
「――あれ、流石にまずくねえか」
とはいえ、模倣であることに違いはない。
機凱種の特技とは猿真似(コピー)。贋物を作り、蓄えること。
差異があるとすれば年季の有無。
改良と分析を重ね、より効率化されたケイオスマターならばいざ知らず、精製から数時間程度ではポテンシャルを引き出すのにも限界があった。
しかし重ねて言うが、これは違う。
これはかの大戦の中で模倣され、機凱種の秘奥の一つとして格納されていた虎の子だ。
最高効率で放たれる《大戦》最強の暴力の一つが今、雷さえもかき消す輝きと共に放たれた。
「――――――――『偽典・天撃(ヒーメアポクリフェン)』」
それは。
十六種族の中でも極めて高い武力を保有する種、天翼種(フリューゲル)の最大最強の一撃。
本家本元には劣ろう。しかしてそれは、この武装が弱く惰弱なものであることを意味しない。
霊核の粉砕はおろか、英霊二騎が此処に存在していた痕跡すら残さず消し去るのに十分過ぎる光の波濤が降り注ぐ。
チェンソーマンには言わずもがな為す術もない。
光を斬るなど、さしもの彼でも不可能だ。ましてこれだけの熱と破壊力を秘めた、"爆光"ともなれば。
ああ、こりゃ――死んだかもな。
そう悟る彼の視界を、光が無情に覆い尽くしていき……
その、一面の白(しろ)の中で。
黒(シュヴィ)は、確かに見た。
一縷、ほんの一縷。
天翼の無慈悲なる裁定を、引き裂いて迸る蒼の星を。
.
-
世界が、爆ぜる。
否、その表現は正しくない。
正確に言えば、それは──空が、哭いている。
天が地を撃する神罰と、その幕切れを良しとしない雷が衝突して。
あまりに巨大すぎる熱と熱の衝突により、空間そのものが軋み悲鳴をあげているのだ。
混沌と女王、そして日輪の子が……三つ巴の末に遭遇した現象にも似た異常な光景。
アポカリプティック・サウンドを思わす音色の中で、シュヴィは確かにそれを見た。
――嘘。相殺、した……? 出力最大の、『偽典・天撃』を…………!?
蒼き雷霆。その、怜悧かつ勇猛な眼光を。
彼の手から立ち昇る、どこまでも鋭く猛る蒼の色彩を、見た。
信じられない。あり得ない。如何に霊基を強化されたサーヴァントと言えど、この一撃を正面から打ち破るなど。
それは。それは、あの大戦の中でさえ通用する……文字通り、天を墜とすがごとき偉業に他ならないのだから。
もっとも、天射りを成し遂げたガンヴォルトの姿もまた壮絶なものだった。
全身の至るところを重度の火傷が這い、骨の折れている箇所も一箇所や二箇所ではない。内臓も複数個潰れているだろう。
極めつけは片目だ。血を流しているそれは、開かれぬまま沈黙を保っている。
どうやら今の激突の余波で焼き切れ、潰れてしまったようであった。
――けれど。
――それでも。
――ガンヴォルトは依然として健在。何に怖じることもなく、空の機械天使へ向け駆けている。
「迸れ、蒼き雷霆よ」
無論。
これは、理論なき番狂わせではない。
ガンヴォルトの霊格は決して高くない。彼の強さは、サーヴァントとしては精々並程度が良いところだ。
だが、彼には奥の手がある。『満ち行く希望(フィルミラーピース)』。かつては『新たなる神話(プロジェクト・ガンヴォルト)』とも呼ばれた、ひとつの幻想。
戦えば戦うほど。
交われば交わるほどに蓄積されていく威信――クードス。
それが満たされ条件を達成した時。
ガンヴォルトは、己の器を凌駕する。
そして今、皮肉にもこのシュヴィ・ドーラとの共鳴を通じて彼はその性質にさえ変化を及ぼすに至っていた。
-
クードスを介さずの自己変容。
威信蓄積の成果の、先取り。
これを以ってガンヴォルトは、自らの霊基を劇的に強化する手段を一つ手中に収めた。
燃費は劣悪。長時間の解放はマスターであるさとうの身を蝕むことになる。そのことは、百も承知だ。
だが――それでも今この場だけは、使わずに切り抜けることは不可能だと判断した。
愛し合う二人を守るため。小鳥の誓いを守るため。蒼き雷霆の少年は、黒死牟と相対した時でさえ片鱗を覗かす程度に留めた強化形態を開帳したのだ。
「天を騙る鋼を打ち砕き、永久の愛を寿ぐ光明となれ……!」
その上での超出力。出し惜しみのない一撃は、模倣された天撃を相殺し。
少なくない代償を支払いながらも、最後の一手を打ち込むに至らせた。
次、致命に怯える羽目になったのはシュヴィの番。
機械仕掛けの思考回路が、二つの選択肢を示す。
――もう一度『偽典・天撃』を放って、撃ち落とす。
――もう一度『進入禁止』を展開して、受け止める。
どちらを選んでも賭けになるのは間違いない。
『進入禁止』は本家本元の『天撃』をさえ防げる武装だが、本物の天翼種を知るシュヴィにさえ今のガンヴォルトの力は未知数のそれに写っていた。
逡巡の時間は一秒にも遠く満たない、時間に直せばほんの一瞬のこと。
が。そのわずかな迷いは、横から乱入したヴィランの介入によって押し広げられた。
「撃たせるかよクソガキがァアアア! 丸焼きは百歩譲っていいけど消し炭は御免だぜェ!!」
チェーンを伸ばしながら迫る、チェンソー頭の怪人。
まさにヴィラン然としたその姿が、今のシュヴィにはかつてないほどの脅威に見えた。
(まず、い……! 彼に対処してる暇は、ない……ッ)
浮かんだ選択肢をねじ伏せて。
傲岸不遜に三つ目を要求してくる、チェンソーマン。
シュヴィの頭脳であれば、それを捻出することも決して難しくはないだろう。
しかしノータイムでとは行かない。信号の伝達、演算の過程。そこにはどうしても、僅か……ほんの僅かながら時間が生じる。
そしてその"時間"は、迫る雷霆がシュヴィの痩身を消し飛ばすには十分すぎた。
――間に合わ、ない……。嘘、駄目、駄目駄目駄目駄目……ッ! そんなの、だめ……!!
死ぬ。ここで終わる。
終わってしまう。彼の夢が、失われてしまう。
それは嫌だと、少女の中の0と1では表現することのできない心が悲鳴をあげる。
それは、それだけは、絶対に受け入れられないと。
その想いだけがシュヴィを突き動かし、思考回路をショート寸前まで高速で稼働させた。
-
――あの人は……マスターは……。あの、優しい人は……ッ
――シュヴィのこと、信じて……待ってて、くれてるんだから……!
――こんなところで、終わらせない……!
――絶対、負けたりなんかしない……ッ
――だからお願い、答えを……!
――答えを、シュヴィにちょうだい……!!
哀願は、されど奇跡を起こすことなく。
武装の展開ももはや、今となっては間に合わない。
迫るチェンソーマンを咄嗟の迎撃で弾くことはできたが、精々それが限界だった。
追い詰められたシュヴィが縋ろうとしたのは正真正銘、最後の手段。
できることなら。本当に、使わぬまま終わりたかった奥の手。
――ごめん。ごめんなさい、ごめんなさ、い。
――ごめんなさい、みんな。
間に合うかどうかは分からない。
そも、本当に使えるのかどうかも。
だからシュヴィは此処までこれだけは使おうとしなかった。
いざ開帳を試みて本当は使えませんでした、では洒落にならないから。
それが合理的な理由。もうひとつ。非合理な理由も、ひとつ。
――裏切って、しまって。ごめんなさい。
この武装を。
この『宝具』を、使うことは。
それそのものが、"彼ら"の生き様に対する何よりの冒涜だったから。
けれどもはやシュヴィが縋れるものはそれを除いて他にはなく。
迫る雷霆を前にしながら、ぎゅっと目を閉じて己の回路の奥深くまで意識を潜行させた。
まさに、そんな時の出来事だった。
戦禍の渋谷区、春が夏を食らう満開の廃都。
そこに居合わせた全員が、一人の例外もなく……全身の内臓と骨を凍てつく氷に置き換えられたかのような、壮絶な寒気を覚えたのは。
.
-
「――――か、ッ」
雷が、落ちた。
ガンヴォルトが放ったものではない。
その雷撃は、他でもない彼を叩き伏せるものだったから。
走った閃光と、轟いた衝撃の激しさに眼球が裏返る。
咄嗟に舌を噛まなければ、確実に失神していただろう。
そうでなくとも脳が軋み、意識が撹拌され、視界が千千に乱れる重さだった。
何が起きた。
いや、分かっている。
ガンヴォルトも、更に言うなら直接矛を交えたわけではないがデンジも、この気配を知っていた。
ただし、それは彼らにとって何の救いにもなりはしなかったが。
「おい。仮にも一時はウチの旗ァ貸してやってたんだ。おれの目の届く場所で無様な戦いしてんじゃねェぞ」
確かに、気配は同じだ。
声も、彼らの知るものだ。
得物も外見も、何ひとつとして変わったところはない。
だが、分かるのだ。分かってしまうのだ――別物だと。
「お、……前は………!」
血を吐き、地に臥せりながら。
それでもなんとか立ち上がろうと試みつつ、ガンヴォルトは口の朱を拭うのも忘れてその巨体を睨み付ける。
見上げなければ全体像を認識することすら困難な巨体は悪い冗談のようで、今でもこれと初めて相対した時の衝撃は色褪せず彼の中に焼き付いていた。
だというのに、ガンヴォルトは言う。言わずにはいられなかった。
「お前は、……誰だ……!」
――この戦いが始まったその時から、彼は最強の存在だった。
まさしく不動明王。戦神。龍王にして鬼の王。
武の化身、力の象徴、悪魔の如き男、次元の違う生き物。
その称号が揺らいだことは一度としてない。
だが、彼に並び立つ者はこの地で既に複数誕生していた。
混沌の王と化した、星を統べる蝿の王ベルゼバブ。
遍く事象を斬り伏せて悪鬼滅殺を成す日輪継国縁壱。
皇帝殺しを成し遂げた白の魔王死柄木弔。
ある心優しい青年の内に棲まう、煌翼の救世主ヘリオス。
時を超え、死を超えて再び龍の前に立った侍光月おでん。
"彼"の強さが翳ることはなくとも。
"彼"を討ち果たし得る者達は、次から次へと現れた。
であれば、一人だけ胡座を掻いてもいられまい。
世界最強の生物でさえ、歩みを止めてはいられない状況がやって来たのだ。
「百獣海賊団"総督"。海の皇帝。そして――この戦"聖杯戦争"の"勝者"」
彼は、常に最強だったわけではない。
最初は挑む側だった。時には追い越されることも、あった。
敗北を重ね、仲間を失い、囚われて断頭台に押し込まれることだって数ほどあった。
不覚を喫した相手との決着を、不本意な形で取り逃すことさえ――あった。
-
そしてそのたび、彼は自らを鍛え上げてきた。
強くなることで、その敗北と後れを強引にねじ伏せてきた。
強くなればなる程、彼の前に敵はいなくなる。
あらゆる敵を屠り、踏み潰し、乗り越えていく。
その果てに辿り着いた場所こそが――この玉座。
荒ぶる海を統べ、荒くれ者どもを率い、遂には界の海さえも踏破せんとする偉大な皇帝。
「カイドウ。お前ら、全員この場に首と身包み置いていけ」
最後の皇帝・カイドウは名乗った。
そうすることで、己に刻み込むように。
自分が此処にいる事実を、天地全ての存在へ告げるように。
彼は、強くなった。
この期に及んで更にその強さは膨れ上がっている。
成長は、覚醒は……先に挙げた者達の専売特許に非ず。
誰より真面目に研鑽を重ね、頂の位を守り続けてきたこの男に。
他の者にできたそんな当たり前の所業が、不可能である筈がないのだ。
「死ぬにはいい景色だろう。此処がてめえらの旅の終わりだ、超新星(ルーキー)ども」
夜桜前線、北上完了。
桜の花弁に包まれながら、今、最後の鬼が暴れ出す。
黒い稲妻を纏いながら立つその姿を――ああ。
荒神と呼ばずして、他に何と呼べばいいのか。
-
◆◆
桜が、咲き誇る。
焼き払われて大半が消えた筈の桜が、再び地を裂いて街を彩り始める。
清らけき永久の春。或いはいと悍ましき、永劫の春。
そんな中に一人、形を結ぶシルエットがあった。
貼り付いたような笑みを浮かべて、永遠を誓い合った二人を見つめる彼こそはこの桜檻の主。
四皇カイドウを従え。
機凱種シュヴィと手を組み。
この"夜桜事変"を主導した、全ての元凶だ。
「さあ、始めようか」
さとうが、しおの手を握る。
しおがそれを、握り返す。
皮下真は、上等だと笑みを深めた。
「答えをくれた礼だ。此処にお前らの愛の墓標を立ててやるよ」
桜の樹の下には、死体が埋まっているという。
この華やかな桜の園が、誰かの愛の墓標になる。
さとうとしおか、皮下真か。それとも、彼の同盟相手であるこれまた"愛"抱く青年か。
満開の時、来たれり。
これは、"愛"を貫く戦いである。
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投下終了です。
残りは恐らくあと2編くらいになるかと思いますが、まとめて投下しようと思います。
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すみません!
この間の投下に抜けがあったので、さとしおパートだけ再投下します
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その再会を遮る者は、もうなかった。
シュヴィの追撃は二体の英霊に阻まれて届かず。
地獄への回数券で増強された身体能力は、しおの足取りをより速く確かなものへと変えた。
地を蹴って、足を弾ませる。
一度は見送った再会は、まるで我慢のご褒美のようにしおを待ってくれていて。
視界の先にあった、忘れる筈もない面影を見つけるなり――自然と足が止まった。
見渡す限り、廃墟の町。
焼け野原も同然の大地を咲いて、桜の苗木が芽吹いている。
それがまた大きく育って、花弁を散らす。
さくらいろ。まるで、彼女の髪のような色。
桜の舞い散る中に。
一筋の黒が、歩み出た。
黒。星空の黒。月のような純粋さを、甘く蕩ける糖蜜のように際立たせる蒼黒。
それをまとった少女の足取りは、ふたりが出会った頃と何も変わらない。
あれはそう、雨の日。
ひとりきりのしおは、彼女と出会った。
桜色の女の子。きれいで、かわいくて。とっても優しい女の子。
空っぽのビン。だけど壊れてない。
何かを信じているから。だから、壊れない。
私、なれたかな。
あなたのビンを埋めるきらきらに、なれたかな。
忘れてたこと。
忘れたかったこと。
もう、今は痛くない。
全部、あなたのおかげ。
甘くて痛くて、飲み込めないほどの。
初めての気持ちを私にくれた、あなた。
『全部忘れていいよ。大丈夫』
『忘れても生きていけるよ』
この気持ちになんて名前をつけたらいいのかは、今でもわからない。
すきとか、大事とか、それも間違いじゃないけどきっとそんなありふれたものじゃない。
だってそれは、私の。
神戸しおという女の子の、はじまりだから。
そんな簡単な言葉で、言い表せるわけがないんだ。
あの日、あの屋上で。
息が詰まるほど熱くて苦しいてっぺんで。
ふたり一緒におそらへ落ちて、でも私だけが死ねなくて。
あなたに助けてもらって、生きながらえて。
白くて四角い、甘さのなごりが残るだけの病室で、ずっとずっと考えてた。
あの時、どうして私だけを生かしたのか。どうして、先に行ってしまったのか。
考えたところでもう全部遅くて。
あなたは、どこにもいなかったけれど。
-
でも、今なら分かる。
お別れを知って。
誰かが誰かを想う気持ちは、無限大なのだとそう知った今なら。
――生きるために、愛するんじゃなくて。
――愛するために、生きて、死にたい。
――あなたは、そう思ったんだね。
――だから私を、たすけたんだ。
心のどこかで信じてた。
誰に何を言われようとも。
あなたの不在を、感じ取っても。
それでも信じてた。
私達は、死で分かたれてしまったけれど。
じゃあ、それで私達の愛が終わってしまうのかと言われたら。
きっと、そんなことはない。
そんなこと、ないよ。そう、信じてた。
甘い。
だけど、痛い。
口の中がいっぱいで、とてもじゃないけど飲み込めない。
この気持ちに、名前をつけるなら。
すきとかきらいとか、恋とか……"愛"でさえきっと足りないと分かるから。
私は、決めた。この気持ちに、名前をつけるなら。
それはきっと、あなたの名前がいい。
「――――――――さとちゃん」
名前を呼んで、びっくりした。
この世界でも何度だって口にしていた名前。
らいだーくんに、とむらくんに、アイさんに、話していた筈の名前。
なのに今はまるで、何年もずっと口にしていなかったみたいな感覚だった。
――しおを見つめる、瞳が揺らめく。
彼女は、ただそこに立っていた。
桜の舞う渋谷区の中で、ただ一人。
しおを、待っていた。
-
彼女にとっては、一ヶ月ばかしの別離。
されどしおにとっては、永遠と見紛う永い時間の果ての再会。
そこには無限大の差があるのに。
それでも、彼女達の抱く熱と想いはまったくの同じ。
同じ温度と、同じ深さを保って……ただ互いだけに向けられていた。
「しおちゃん――――――――」
名前を呼ぶ。
名前を、呼び合う。
それだけでああどうしてこんなにも愛しいのか。
こんなにも胸が高鳴って、止まらなくなってしまうのか――。
気付けばしおは、駆け出していた。
そこには何の理由も必要なかった。
さとうがいて、自分がいる。
それだけで、他の何もいらなかった。
この時、彼女達は確かに世界でふたりきり。
飛び込んできた、しおを。
さとうは、両手で迎え入れた。
驚きなんてどちらも浮かべちゃいない。
愛し合い繋がれたふたりは、こうして顔を突き合わせるまでもなく感じ取っていた。
しおは、雷霆を。
さとうは、電刃の音色を聞いて。
互いの存在を感じ取り、再会を予感していた。
これはただ、そんな予定調和が叶ったというだけのこと。
愛し合うふたりがまた巡り合うのは当然のこと。
だから、驚きになんて値するわけもない。
これは――ごくごく当たり前のことなのだから。
でも。
「さとちゃんだ……さとちゃんの、においだあ……」
世界のすべてが空白になることくらいは、許されるべきだろう。
彼方から聞こえる轟音も地響きも、今だけは何も聞こえない。
永い離別の果て、再び巡り合った想い人の胸に顔を埋めて。
深呼吸をして、その匂いと熱を鼻いっぱいに吸い込みながら。
しおは、本当に幸せそうに笑った。
そんな彼女の小さな頭を、その蒼の髪の毛を、さとうの手が優しく撫でる。
-
「……しおちゃんだ。ほんとに、しおちゃんなんだね」
「うん。しおだよ。えへへ、さとちゃんったら触っただけでわかるんだ」
「わかるよ。だって、大好きなしおちゃんのことだもん」
「私も、さとちゃんのことならなんでもわかるよ。だいすきなさとちゃんのことだもん」
まるで、ふわふわな動物の毛並みを撫でているよう。
甘くてとろけるような香りは、全部あの頃のままだ。
記憶にあるよりも少し大人びた声色は、それでも昔のように澄んでいる。
華奢な身体つきの感触もまた変わらない。
全部全部、昔のままだった。
さとうの知る頃と同じままの、神戸しおという女の子のカタチをしていた。
それがどうしようもなく嬉しくて、しあわせすぎて。
――舌が馬鹿になってしまうほど、甘い。
「ほんとはね。さっき、すぐにでもこうしたかった」
「……うん」
「でも、かえらなくちゃいけなかったから。
私ね、友達がたくさんできたんだよ。さとちゃんは嫌がるかもしれないけど、みんなでがんばってここまでこれたの」
最初は、ひとりで戦うつもりだった。
チェンソーの彼という武器を携えて。
ひとりで、なにもかも壊して。
そうやって聖杯を手に入れるつもりでいた。
でも、違った。たぶんそれじゃ、自分は此処まで来られなかったと今ならそう思える。
いつだってそばに誰かがいた。
それは、世界を呪う魔王であり。
それは、蜘蛛糸の紳士であり。
それは、星を宿す偶像であり。
それは、夢の残響を纏う神であり。
それは、破滅を憩う凡人であり。
それは、愛のままに生きた女であり。
それは、この愛を拾い上げてくれた少年だった。
もういない誰か。
まだ生きている誰か。
彼らの存在が、いつだってしおの武器だった。
歩むことをやめた者から消えていくこの世界で、しおはいつだって孤独ではなかった。
それはきっと、少女にとっての何よりの幸運であり。
翼がちぎれて病室に堕ちた天使を再び空へと戻す、驚くほどやさしい答えであった。
-
「そっか」
大きくなったな、と思う。
身長の話だけではない。
かつて出会った頃のしおは、もっと幼くて脆く見えた。
それこそまるで、砂糖菓子のような。
強く触れたら崩れてしまいそうな、脆さ弱さと表裏一体の尊さがあった。
「がんばったんだね、しおちゃん」
「――うん。とっても。さとちゃん、ほめてくれる?」
「もちろん。私、とっても嬉しいよ」
けれど今は違う。
目の前にいる彼女は、あの頃よりずっと強かに見える。
自分の足で立って、自分で考えて歩いてきた強さがある。
それは、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけさとうにとっては、寂しいことだったけれど。
でも、今腕の中で幸せそうに微笑む姿は確かにあの頃のままで。
ただそれだけで、こんなにも胸が温かくなる。
こんなにも満ち足りてしまう。
彼女が自分の足で、時に喜び時に苦しみ、傷つきながら此処まで歩いてきてくれたことが嬉しくて嬉しくて堪らない。
(……変わったのは、たぶん私も)
さとうは心の中で、小さくそう呟く。
目指す理想は変わらない。
しおも同じものを求めてくれていると、確認するまでもなくさとうはそう信じている。
即ち、永遠不変のハッピーシュガーライフ。ふたりきりの、誰にも邪魔されず穢されることのない幸福の時間。
ただ――だとしても。
ずっとずっと会いたかった人。
大好きで、大好きでたまらない――しおちゃん。
もう二度と離れたくない、大切な人。その成長が、あんなにも嫌っていた彼女の変化が、どうしてだか今は嬉しくて。
「しおちゃん」
「ん。なあに、さとちゃん」
だから、さとうは言うのだ。
ずっと言いたくて言えなかった言葉を。
この世界に来てから、ずっと言いたかった言葉を。
初めて会った時からずっとずっと伝えたかった気持ちを込めて。
ありったけの笑顔で、砂糖菓子の時間を共に歩む片割れに囁いた。
-
「おかえりなさい」
「うん。ただいま」
ぎゅ、と。
抱きしめる腕にもっと力を込める。
愛しいあなたに"おかえり"を。
愛しいあなたに"ただいま"を。
そして、これからの未来に"おはよう"を。
ずっと言いたかった言葉たちが、やっと言える。
だから、嬉しくてたまらなかった。
だから、幸せだった。
だから――
「もしかしたら、ここも危なくなっちゃうかもしれないから」
しおはそう言うと、さとうの胸から少しだけ離れて。
そして目の前の彼女に、花咲くような微笑みを浮かべながら両手を広げた。
それは、ふたりの合図。
この世のどんなことよりも甘く幸せな、ふたりきりの時間のはじまり。
「せっかく"おかえり"も"ただいま"もできたんだし――ちかいのことば、しよ?」
「いいよ。ふふ、なんだかご褒美みたい」
さとうは、此処が戦地であることも忘れて彼女の前に跪いた。
まるで結婚式の、本当の"誓い"のように。
この瞬間だけは、争乱も時間もすべてを忘れた。
ただお互いだけを瞳に映して――あのお城の時間を取り戻す。
そう、これは"誓いの言葉"。
愛し合うふたりにとって、何よりも大切だった儀式。
此処は、あのお城ではないけれど。
月明かりの差し込む、ふたりだけの部屋ではないけれど。
そんなこと、何の問題にもならない。
あの部屋に戻らなくたって、さとうとしおは今この瞬間だけは、世界でふたりきりだった。
「やめるときもすこやかなるときも、とめるときもまずしいときも」
まるで、絵本の読み聞かせをするように。
口を寄せて、しおはそっと言祝ぐ。
愛おしさを隠さずに囁く。
ふたりの"ちかい"は、途切れなく。
世界の垣根を、いやそれ以上の隔たりをすら超えて、此処に再び結ばれた。
そう、それはまさに――
・・・・・・・・・・・
「しがふたりをわかつとも」
死が二人を分かつとも、途切れない誓い。
この世界の誰にも、断ち切れない絆。
愛し合うふたりだけに許される――本当の永遠。
-
彼女たちは、あの夜永久に分かたれた筈だった。
さとうは死んで。しおは、生きる。
その永遠の別離は、今この瞬間に覆された。
それを、人は。奇跡と、そう呼ぶのだろう。
けれど彼女達だけは違う。彼女達は、それが必然であることを知っている。
「私は、さとちゃんが大好きなことをちかいます」
――誰かを愛する気持ちがあるならば。
――やってはいけないことなんて、この世にはない。
――ならば。
――愛し合うふたりに、不可能だってあるものか。
甘く、とろけるような。
清らかに、祝福するような。
うんとキラキラするものだけ集めて飾った、かわいい小瓶のような。
そんな言葉を囁きながら、しおはさとうの額にちゅっと口づけた。
その小さな唇の感触が、さとうには何より心地よい。いとおしい。
あの頃。手当たりしだいに漁って探していた"愛"なんかとは違う、どこまでも深く底のない愛が今自分に触れている。
互いの熱を交換し、幸福を分け与えるように。
しおの唇が、しばらくそうして触れていた。
痛みも、苦しみも、恐怖も、寂しさも。喪失感も。
なにもかもを埋め合わせる、愛の砂糖菓子。
「……だいすき、さとちゃん。またあえて、ほんとにうれしい」
「私も。大好きだよ、しおちゃん。ずっとずっと、ずうっと会いたかった」
さとうは、お返しみたくしおの頬に自分のそれを重ねる。
ちゅ。甘い感覚と熱を、分かち合う。
どこまでも、幸せだった。
見果てぬ幸せがふたりを囲み、その行く先を祝福していた。
「もう、ずっといっしょかな?」
「きっとそうだよ。だって、こうしてまた会えた」
「私ね、絶対に勝つってきめてたの。さとちゃんのためにも、私自身のためにも」
「うん。知ってる。たくさんがんばったんだもんね、しおちゃん」
「だけどね。もう、かつぞー!って気持ちじゃないんだ」
「どうして?」
「だって、さとちゃんに会えたんだもん」
ぎゅう、と。
しおは、再びさとうに抱きついた。
さとうも、同じ強さで彼女を抱きしめ返した。
この再会を。そしてこの愛を。
噛み締めて、舌で転がすみたいに。
このうんと甘い確信を、味わって離さない。
-
「私とさとちゃんがいっしょにいるのに、他のだれかに負けるなんてあると思う?」
にぱ、と笑って。
天使は、そう告げた。
そうだ、彼女は天使だ。
お月さまのようにきれいな、蒼い天使。
この世のすべてのものに愛され、この世のすべてに愛を振りまく。
さとうの愛した少女は、そういう存在だった。そして今はもう、その愛はさとうだけに注がれている。
そんな彼女が、こう言うのだ。
であれば、そうなのだろう。
地平線の果てに向かう物語は、此処で結末が定められた。
愛し合うふたりを阻めるものなんて、この世にはもうなにもない。
死さえ超えて輝く砂糖菓子の絆は、他の誰かになんて決して切れないのだから。
さとうは、しおのことが大好きだった。
初めて会った時からずっと、今も変わらずに好きだ。
彼女のためなら、なんだってできると思った。
彼女の笑顔のためならば、なんでもすると。
今でもそう思っている。だから――
「うん。勝とう、しおちゃん」
「うん。いこう、さとちゃん」
聖杯戦争に。
地平線の彼方に。
ふたりで手を取り合って、そう誓った。
そして見上げる――桜の天蓋を。
さあ、嵐が来る。春の嵐が、この渋谷にやってくる。
一筋の稲妻が、天地を引き裂きながら轟いた。
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再投下を終了します
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続きを投下します。
-
戦況が変わる。
皇帝カイドウの乱入は、それを齎すのに十分すぎる青天の霹靂だった。
ゆらり、と。陽炎のように、その巨体が揺らめく。
シュヴィの眼には、そう見えた。
だが逆に言えばそれは、彼女/機凱種ほどの高度な観測手段を持っていなければ視認することさえままならない初動動作ということでもあり。
事実ガンヴォルトが"攻撃されている"と気付いた時には、既にカイドウは彼の目の前にまで迫っていた。
「"雷鳴八卦"」
「が、ご……ッ!」
八斎戒を力強く握り、ただ振り抜く。
やっていることはそれだけだ。
特別な技術や小難しい理屈など何ひとつ介在する余地のない、極めて単純な攻撃。
しかしそこに最高クラスの敏捷性という要素が一つ加わるだけでただの殴打が不可避の稲妻に変わる。
雷撃鱗が砕かれ、ガンヴォルトの華奢な身体があっさりと吹き飛ばされる光景は悪夢のようだった。
「何だ? だらしのねえ。てめえには一度見せてるだろうが」
それは絶対強者の言い分だ。
本物の雷にも届く速度で放たれる通常攻撃、そんなものに一度見た程度で順応できる手合いなどそうはいない。
強化形態――スーパーガンヴォルトとなった今でも動体視力が追い付かないほどである。
まして今のガンヴォルトは全身に纏った雷鎧の強度も、以前に比べて格段に上がっている状態だ。
にもかかわらず、ただの一撃で直撃した箇所のみとはいえ雷撃鱗が砕けて剥がれた。
化物め。
そう毒づかずにはいられない。
まさに怪物の中の怪物――今の今まで死力を尽くして果たし合っていたシュヴィの存在すら霞むほどの、圧倒的すぎる"個"の強さ。
それでも、ガンヴォルトはまだ負けていない。
心の膝を折るなど以ての外だ。
たとえ何が相手だろうが、どれほどの絶望が立ち塞がろうが。
彼はただ一言――「立ち上がれ」と、己にそう命じ続ける。
血反吐を撒き散らしながらでも、這いつくばってでも、必ず勝つのだとそう誓って。
「舐めるなよ、海賊……!」
カイドウが再び地を蹴ろうとした瞬間、ガンヴォルトが後の先で動いた。
その動きは先程までよりもさらに速い。
雷鳴八卦。彼を打ち抜いた先の一撃のそれにも匹敵する。
一瞬で距離を詰め、雷霆を振るう姿はもはや閃光にも等しい。
-
だが対するカイドウもまた、目を見張るほどの反応速度でそれに対応した。
轟く稲妻を、それと同等以上の速さで振るう得物で打ち砕く。
放つ、放つ。砕く、砕く。手数と手数、力と力の応酬が、刹那の間に幾度となく繰り返されていく。
ガンヴォルトは、自身の力の高まりにかつてないほど感謝していた。
最初に邂逅した時にも感じたことだが――こいつは格が違いすぎる。
クードスを解き放って強化形態で戦うことは大前提。そうでなければ、そもそも戦いにすらならない可能性が高い。
だからこそ、霊基の変質によって後先を考える必要がなくなったことは素直にありがたかった。
おかげでこうして出し惜しみなく力を解き放ち、なんとか怪物の暴力に付いて行くことができている。
「舐めるなよ、だと? 抜かすじゃねェか」
言葉と共に繰り出される攻撃が、いよいよ苛烈さを増してきた。
雷速の連撃でさえ捌き切るカイドウが繰り出すのは、より速く鋭い打擲だ。
もはや視認することも困難な速度で振るわれる凶器に、少しずつ拮抗が崩れていく。それでもなお、ガンヴォルトの攻撃の手は止まらない。
否、止められない。
この怪物相手に少しでも手を緩めれば、その瞬間に敗北が確定すると理解しているからだ。
その考えは実に正しかったが、しかし……
「ならその気にさせてみろよ。おれァ今どうしようもなく渇いてんだ」
ガンヴォルトが維持してきた戦線が、遂に破られる。
カイドウの巨大な脚が地面を踏み締めると同時に轟いた激震。
それは相手の脚を地に固定し、逃げの一手を潰す拘束技として機能する。
その上でカイドウが試みたのは、あろうことにこれまたごくごく単純な……単なる突進だった。
しかし、それはあくまでただの体当たりではない。
その速度と威力たるや、まさに桁外れ。
六メートルを優に超える巨体が音にも迫る速度でぶつかってくるのだから、尋常な衝撃である筈もなかった。
「"羅刹蹂躙"――――」
ガンヴォルトが咄嵯に身を捩り、どうにか直撃を避けたと見えた次の瞬間には。
その身体が、宙へと舞い上がっていた。
直撃を避けたとしても、衝撃だけで英霊を空へ打ち上げる恐るべき威力。
カイドウと目が合う。その紫電の眼光に背筋を粟立たせてしまったことを、一体誰が責められるだろうか。
「――――"雷鳴八卦"ェッ!!」
空へ振り抜かれる八斎戒。
既に二度見た技ではあるが、逃げ場なき空中で受けるとなればその危険度も捌く難易度も必然的に跳ね上がる。
集中の余りに、脳の血管が切れそうだった。
対処し損ねれば死ぬ。比喩でなく、この界聖杯から退場する羽目になりかねない。
そうなるわけには行かないからこそ、ガンヴォルトはカイドウの思い通りになることを善しとしなかった。
あらん限りの雷を手元に集中させ、そのエネルギーで以って受け止めつつ微かに攻撃をズラして致命を避ける。
次の瞬間、まるで落雷のような爆音が轟き渡った。
「ッ、おォ……!?」
「舐めるなと、言った筈だ」
ほぼ零距離で、すれ違いざまに叩き込まれた蒼い雷霆がカイドウの巨体を貫いたのだ。
いかに強靭な肉体を誇るカイドウとはいえ、肉を素通りして体内へ伝わる電流が相手では無痛とはいかない。
漏れる呻き声。スーパーガンヴォルトの火力は、彼ほどの怪物でも涼しい顔で受け止められるものではない。
「《LIGHTNING SPHERE》……!」
-
直撃するなりカイドウの巨体を飲み込んだのは、彼の巨躯をも丸ごと包み込む巨大な雷球だった。
ライトニングスフィア。既にシュヴィに向けて使った技であるが、その威力と規模は先ほどまでのを遥かに超えている。
ガンヴォルトの代名詞である蒼き力が、雷球の内側を荒れ狂う稲妻の奔流となって暴れ回る。
スーパーガンヴォルトの出力ならば、これだけでも宝具の真名解放に匹敵する威力が伴う。
少なくとも、まともに喰らえばまず間違いなく無事では済まない。
しかしそれは、まともに喰らえばという条件に加えてもう一つ。相手が道理の通じる"まともな"相手であることを前提にした場合だ。
その点彼が今相手取っているこの怪物は、その前提条件の真逆を地で行く生き物と言っていい。
雷球の内圧が臨界に達し、飽和へと向かい始める寸前。
白目を剥いていたカイドウの眼球が、ぐるりと戻ってきて。
骨まで焦がす超高圧の雷電に焼かれているとは思えないほど冷たい声で一言、言った。
「で?」
――直後、雷球が。
内側から放出された圧力に耐えかねて粉々に砕け散る。
「こんなものか?」
その光景を目の当たりにしたガンヴォルトは、内心で舌打ちせずにはいられなかった。
あれだけの電撃を真正面から浴びて尚、彼が漏らした苦悶はわずかに一瞬。
パフォーマンスのような呻きを引き出せただけというのだから、苛立ちの一つも溢したくなるのは道理だろう。
ガンヴォルトは改めて、目の前の男が規格外という言葉でさえ表し切れないルール無用の怪物であるのだと理解した。
「随分でけえ魔力を放ってやがるから、ちったあマシになったかと思ってたが。とんだ期待外れだぜ」
「心配しなくても、お前の期待には応えてやる。望み通りその身体に、終わりの痛みを刻んでやろう――!」
雷霆が迸る。
カイドウは迫る雷撃の嵐の中へ、知ったことかと直進。
雷の熱も閃光も、肌を通じて体内に伝わる電流も全てねじ伏せる。
力。ただただどこまでも圧倒的で、純粋な力。それが、彼の成すあらゆる無理を道理に変えてゆく。
悪夢だった。悪夢そのものだった。これこそが、カイドウなのだ。かつて己が打ち倒された男は今なお自分よりずっと格上なのだと、そう認めざるを得ない。
そして、だからこそ。
たとえ何があろうとも、どんな理由がそこに在ろうとも。
負ける訳にはいかないガンヴォルトも、過去を改めてねじ伏せる。
出力は常に最大。この地で重ねた運命の交差(クードス)と、或る小鳥の遺命とが何より強い力となってガンヴォルトに限界を超えさせる。
「はああああああ――ッ!」
輝く雷霆そのものと化して、カイドウの速度へ強引に追いつく。
刹那、八斎戒と雷剣が正面から衝突して莫大な衝撃波を生んだ。
力比べでならば勝てる望みはない。その現実を、魔力の放出による強制的なブーストで埋め合わせる。
ビリビリと大気が震える中、ガンヴォルトとカイドウの視線が交差する。
刹那にして、両者が鍔迫り合うのをやめた。
それは当然、諦めから生まれた行動ではない。
より確実に敵をねじ伏せるため、打算ありきで判断し動いた結果であった。
「――"降三世引奈落"!」
「《SPARK CALIBER》――!」
真上から振り下ろされる、鬼神の金棒。
真下から突き上げる、雷霆の巨剣。
二つの刃が交錯する瞬間、再びの轟音と共に衝撃が弾けた。
両者が共に後ろへと下がる。ガンヴォルトは雷の鎖を顕現させ。カイドウは、その身体を閃光で包んだ。
刹那。彼らの最初の邂逅、そこで演じられた戦闘の構図が再現される。
カイドウは青龍に成り。そしてガンヴォルトはそれを捕らえるべく、ヴォルティックチェーンを引き出した。
だが単純な焼き直しとは行かない。最強生物も、蒼き雷霆も――あの頃とはずいぶんと変わった。多くの経験と喪失を積み重ねた。
そんな彼らが、かつての戦いと同じスケールでしか戦えない凡夫である筈など当然ないのだから。
-
天へと、高く。
舞い上がった龍を、地から雷霆が睥睨する。
まるで、世界が天地で二つに分かれたようだった。
地には雷光。天には青龍。
どちらもが、神話の生き写しの如き力を宿している。
龍が顎門を開いた。雷光が、輝きを蓄えた。
一瞬の膠着。それが破られるのと同時に――世界が神話(えそら)に呑まれる。
「"熱息(ボロブレス)"!!」
「《VOLTIC CHAIN(ヴォルティックチェーン)》!!」
カイドウの吐いた龍炎を、雷の縛鎖が引き裂く。
それはかつての邂逅では成らなかった迎撃。
この意味するところは、それほどまでにガンヴォルトの出力が上昇しているということ。
龍王の熱息を引き裂いて活路を作り出せば、次に鎖は本来の役目を果たす。
巨大な龍体に纏わり付きながら、先のライトニングスフィアにも劣らない熱と通電を見舞うのだ。
されどガンヴォルトの表情は依然として固い。
火球を破った。その巨体を戒めた。
それだけで封じることのできる相手ならば、そもそも数多の能力者を打倒してきた彼が遅れを取ることはなかっただろう。
現にカイドウは、英霊を消滅に至らしめるに十分な電流を受けながらもはや苦悶の一つすらこぼすことなく――
「"龍巻壊風"」
さも当然のような顔をして、次の天変地異を投げつけてきた。
竜巻。そして、万物薙ぎ払う暴風。
その両方が、カイドウの意のままに具現して戦場の全域に展開される。
今のガンヴォルトの出力でさえ、一撃ではとても消し切れないほどの規模と密度。
それでも彼は、怯むことも躊躇うこともなかった。
逆巻く風を、嵐を。己の魔力を限界まで高めることで、強引に束ねて押し返さんと試みる。
「災禍を力に変えるのが、お前だけだと思うな」
「その言葉、そっくりそのままてめえに返してやるよ」
直後、ガンヴォルトが覚えたのは寒気。
咄嵯に電磁結界と雷撃鱗を同時に展開し、迎撃ではなく防御の体勢を整える。
同時に、カイドウを縛るヴォルティックチェーンが弾け飛んだ。
青龍が顎門を再び開く――しかしそこに収束していくのは今度は炎ではない。
今度は。黄金色に輝く、自然の災禍の象徴。そして神話において、荒ぶる龍が自在に扱うと語られた天の怒りそのものであった。
「確か名前は……こうだったか? ――――"大雷球(ライトニングスフィア)"」
ガンヴォルトのSP(スペシャルスキル)。
さっきカイドウの身を焼いた筈の雷球が、色合いこそ蒼と異なる金であるものの、形も威力も兼ね備えて意のままに再現されていく。
「ッ……!」
なんという出鱈目。
なんという、滅茶苦茶。
龍が巻き起こせる現象ならば全てはカイドウの思い通りで。
彼の力の範疇で模倣できる攻撃は、当たり前のようにコピーされる。
その上これは、このライトニングスフィアの出力は。
先ほどガンヴォルトが彼に放ったものよりも、ずっと。
-
「お、……おおおおおおおおおおおッ――!」
咆哮と共に、金雷と蒼雷が激突する。
壊風の吹き荒ぶ戦場が、今度は光で包まれた。
笑みすら浮かべぬまま、カイドウが龍化を解く。
空中で解き放たれた鬼神が、ヴォルティックチェーンの残滓を薙ぎ払って地へ降りる。
振り翳すのは大業物、八斎戒。
賽の目の結果は実のところ、それほど関係がない。
大雷球を捌けなかったならそれまで。
仮に捌けたなら実に見事。次は降りてきたカイドウの剛撃に対応するか死ぬかを選べ。
それが叶わないのならそれまで、捌けたなら実に見事。次は……、……。その繰り返し。
絶対的な強者を相手にするというのは、即ちそういうことなのだ。
一つ乗り越えればまた次が、それを乗り越えてもまた次が。
敵の息の根を止めるまで延々と、限界を超えた艱難辛苦が降り注いでくる。
雷球が、弾ける。
果たしてこれは、単なる雷球の四散に留まるのか。
蒼き雷霆の少年の魂が弾けた瞬間なのではないのか。
その答えの如何を気にする余裕もないままに。
チェンソーマン/英霊デンジは、こちらもこちらで大変に絶望的な戦いを強いられていた。
「ッ……クソァ! ちょこまかちょこまか鬱陶しいんだよ!!」
ガンヴォルトの相手をカイドウが引き受けている以上、必然的にデンジの担当はシュヴィ・ドーラになる。
そして言わずもがな、デンジにとって自由自在に空を飛び回るシュヴィは相性最悪の相手であった。
デンジの攻撃は当たらず。一方でシュヴィは、手の届かない位置から一方的に暴力を叩き込んでくる。
いつか、鬼ヶ島を囲う海で女武蔵が演じたのと同じ……いやそれ以上に絶望的な戦局。
思わずデンジが吐き捨てたのは詮ないこと。
とはいえ愚痴を溢したところで、現状が改善することなど一切ありはしないのだったが。
弾がデンジの手足を撃ち抜いて。
爆風が、その身を焦がす。
立ち上がろうとすれば刃が降ってきて、咄嗟に避けようと転がった身体を惨たらしく刻む。
霊骸の汚染に蝕まれた彼の口からは血反吐がとめどなく溢れ、体調も言うまでもなく最悪だった。
「ハァ……ハァ……! どっちに転んでも地獄とか、勘弁してほしいぜ……!!」
毒づく影が爆炎に再度呑まれる。
シュヴィはその光景を、ただ無感のままに見下ろしていた。
さながらそれは、かつて"彼"と出会う前の彼女のよう。
愛を知らず、感情(こころ)を知らず。
機凱種という全体に奉仕する一機体として大戦の地を駆けていた頃の姿を思わす、まさに機械じみた冷たさを纏った姿であった。
-
もう、迷いはしない。
あの時確かに、そう決めた。
だが、それでも甘かったのだと今では思う。
死の淵に瀕し、心からの絶望と悔恨を味わった。その事実は、或る種のトラウマとしてシュヴィの思考回路に刻み込まれていた。
負けはしない。
失わない。
あの人に、これ以上喪わせない。
その一心が、かつて誰も殺さないと誓う男に連れ添った少女を冷血たらしめた。
この世。世界の全てを裏切ってでも、この頭脳に今も焼き付いた"彼ら"の生き様に反してでも。
――今はただ、己の栄光の為でなく。
リップ=トリスタンという心の優しい、それでいてあまりに哀しい男のために全てを使おう。全てを、費やそう。
シュヴィはそう決めた。誓いは更に強固になった。ならば、もう手抜かりなどするものか。
「俺としちゃ、テメエに恨みはねえんだけどよ〜……!」
砲撃砲撃砲撃砲撃砲撃砲撃/射撃射撃射撃射撃射撃射撃。
逃げ場は少なく、しかしあえて皆無にはせず。
意図して残した安全地帯(オアシス)へ飛び込んだところに本命の一撃を込める。
デンジはまんまとそれに引っ掛かり、見るも無残に右腕を肩口から吹き飛ばされた。
痛みはある。衝撃もある。だが――そんなもの、チェンソーマンは慣れっこだ。
「テメエらが居ると、俺のツレが困ンだってよ。
俺以外のカップルなんざどうなろうと知ったこっちゃねえけどよお……相手が可愛い女だってんなら、話も変わってくるよなア!!」
爆発の衝撃を利用して跳び上がる。
自分とシュヴィの間を隔てる一番大きな壁は、単純明快に"高度"。
逆に言えばそれさえ詰められればどうにでもなると、デンジはそう判断していた。
空を飛ぶ悪魔を相手取った経験はある。
それは正確には、"この"デンジの記憶ではなかったが。
支配の悪魔の打倒から更に未来。チェンソーマンとして悪魔を殺し回って承認欲求を満たしていた時の記憶、その片鱗は今も彼の中にあった。
チェンソーのリーチを超えた間合いを保ちながら殴ってくるいけ好かない相手に対して、まず真っ先に考えるべきは近付く方法だ。
その場にあるありとあらゆるものを使って、なりふり構わず距離を詰める。
そこさえ埋められれば、後は得意のゴリ押しでどうともでなる――だからデンジは此処で、シュヴィの攻撃の苛烈さそのものを利用した。
「しおの奴をずっと助けてきた強くて気の利く色男となればよぉ! "さとちゃん"が俺に鞍替えする可能性もまあまああるんじゃねえの――!?」
動機は不純。
それはかつてなら、シュヴィの合理的思考に一縷の隙を作る要素であったかもしれない。
デンジはめちゃくちゃだ。チェンソーマンという、悪魔の常識さえ超えた災厄を継ぐ者として十分すぎるほどに彼は型破りだ。
しかし今のシュヴィに対しては、その一切が意味を成さない。
彼女はもう、そもそも相手の言うことに耳を貸さないから。
目指すのも見据えるのも、勝利の二文字ただそれだけ。
だからこそデンジに勝機はなく。同じ高さまで上り詰めて放った渾身の斬撃も、彼女の武装解放の前にあっさりと躱されてしまった。
「『制速違反(オーヴァ・ブースト)』」
武装と呼んでは語弊があるかもしれない。
正確にはこれは、機凱種が共通(デフォルト)で有するブースターだ。
精霊を一気に吸い込んで屠殺し、それによって生まれた霊骸の排出により生まれる運動エネルギーで加速する加速用装備。
そのオーバーテクノロジーから繰り出される速度は、デンジという英霊が対処できる次元を優に超える。
「あっ!?」という声がむなしく響く中、しかしシュヴィはあろうことか減速の兆しをまるで見せない。
『制速違反』。
『制速違反』。
『制速違反』。
『制速違反』。
『制速違反』。
攻撃自体は回避できたというのに、尚も止まらないブースターの連続稼働。
点と点を延々と繋ぎ続けるその動作は、無論意味のない愚行にあらず。
加速――加速――加速――加速――加速――とめどなく。
-
重ねがけに次ぐ重ねがけ。
シュヴィ・ドーラの天翔ける速度は、制速違反の稼働回数の重なりに比例して天井知らずに増幅していく。
姿形を残像で捉えられたのなど、今となっては遠い昔のこと。
音速を超越し、大気摩擦の熱のみで空間にプラズマを生み出しながら駆ける彼女は極高速と呼んでいい次元に達して余りある。
――そっか。
――あなたも……"愛"のために、戦ってるんだ…………。
デンジの漏らした言葉を脳内で反芻しながら、シュヴィはそんな感慨を覚えた。
彼はきっと、自分の知らない"愛"を知っているのだろう。
そしてサーヴァントとして、それを守るために戦っている。
口ぶりはぶっきらぼうだが、シュヴィはそこに不器用な愛の形を見出した。
それは、そう。彼女がかつて心を通わせ、生涯を誓い合った――ある不器用な男のような。
「でも」
そこに思うところがないと言えば嘘になる。
シュヴィは、もう無感の機械ではない。
彼女はその想いで数百数千という同胞たちの未来をも変えた特異点。『意志者(シュピーラー)』と繋いだ『解析体(プリューファ)』。
デンジのむちゃくちゃさの中に。シュヴィはシュヴィなりに、マスター……神戸しおへの感情を見て取った。
そこにあるのは確かな絆で。形はどうあれ、"愛"で。それを理解し心を痛め呑み込んで、その上でシュヴィは断ずる。
「それは……あの人の未来にとっての、障害でしかない……ッ」
ゆえ、彼女は望んだ。
愛よ潰えろ。それは邪魔だと。
そう断言して、少女は軌跡となる。
わずか一瞬の交差。デンジが見たどの悪魔よりも速い速度で迫るシュヴィに対し。
チェンソーマンになって尚、デンジは不吉な予感を覚えて咄嗟に飛び退く程度の対処しかできなかった。
彼の右半身が、大きく抉れて消える。
ただの体当たり――機凱種にあるまじき直線的な攻撃であったにも関わらず、デンジは一瞬にしてそれだけの損害を被ったのだ。
「ッ……!」
さしもの彼も、息を呑む。
が、体勢を立て直す余裕はなかった。
身体は舞い上がって吹き飛び、そこにシュヴィが飛んでいくの以上の速度で押し迫る。
彼女の右手には、再び黒槍が……ケイオスマターの複製品が握られていた。
その穂先が、両腕を吹き飛ばされて打つ手の消えたデンジの心臓を貫く。
鋭利な乱杭歯の生え揃った口が、かっと開かれ。チェンソーマンが、血反吐を吐いた。
「――ギャアアアアアアア!! 痛っ……痛ッてえええええええ!! 死ぬ!! 死ぬ死ぬ死ぬゥウウウ!!!」
瞬間デンジが覚えたのは、壮絶などという言葉では尽くせないほどの激痛だった。
痛い。痛い。自分という存在が、根本から蝕まれすり潰されていくような痛みが思考を塗り潰していく。
全身をバラバラに引き裂かれたかのような衝撃と苦痛に、意識さえ遠ざかりそうになる。
それもその筈。いや……この有様でさえ、彼にとってはこの程度で済んで幸運だったとすら言えよう。
-
ケイオスマターは不死殺しの究極。
貫いたものを腐らせ滅ぼす、必殺の魔槍に他ならない。
今シュヴィが扱っているのはあくまでもその残滓を核にした模造品だが、それでも不死者に対する特効性能は健在らしかった。
デンジの悶絶がそれを物語っている。
悶え苦しみ、動きを迎撃に割くのも忘れてのたうつ彼の胴体を、最高速度まで加速したシュヴィの一槍が今度こそ粉微塵に破壊した。
飛び散るデンジの肉片、残骸。
そこに飛びつく影が一つ、あった。
大雷球の炸裂から飛び出した、傷だらけの少年。
辛くも最低限の相殺を成し遂げて死線を切り抜けたガンヴォルトが、間一髪でデンジのスターターを引く。
ぶうん、と音がした。
それだけで、確定していたデンジの死は撤回される。
ガンヴォルトがすぐ彼の性質に気付けたのも、シュヴィとの共鳴で得た解析能力の賜物だった。
デンジの胸元のスターター。そこにだけ、彼のものとは明確に異なる魔力反応があるのを事前に見て取っていたのだ。
よって蘇生は成る。チェンソーマンは不滅の存在。
胸のスターターを引く者がある限り――狂おしきデビルハンターは何度でも蘇る。
「目は覚めたか、ライダー」
「……おう。ったく、もうちょい早く助けに入れよな」
「悪態に付き合っている暇はない。今ボクらは生死の瀬戸際に居ることを理解してくれ」
「説教臭えんだよテメエはよ。……んなこと言われなくっても分かってるっつの。こっちは胴体消し飛ばされてんだぜ」
希望的観測は、実のところあった。
ガンヴォルトは霊基の強化と、そこに駄目押しで開帳した強化形態。
デンジはつい今の今まで殺されかけていたシュヴィが相手だという事実。
それらが彼らの背中を押し、現実的な勝機というビジョンを見せていた。
だが、蓋を開けてみればどこまでも現実は無情で不動。
カイドウはあいも変わらず最強で。シュヴィは弱さ甘さを更に切り捨て、より容赦のない機械として再起してしまった。
「こりゃ、各個撃破は無理だな」
「同感だ。奥の手がないわけじゃないが、それでもリスクが勝る」
「……しゃあねえな。俺もこれ以上派手に爆発四散するのは御免だぜ」
「助かる。……良かったよ。さとうの比翼が、キミのような優しいサーヴァントで」
「見込み違いだろ。ンなこと言われた試し、今までに一度もねえよ」
いいから、さっさとするぞ。
そう言ってチェンソーを猛らせるデンジに。
ああ、とだけ答えてガンヴォルトは並び立った。
構図は悪夢そのもの。
聳え立つ鬼神と、彼と陣営を同じくする兵器。
いずれか片方でも手に余るというのに、彼奴らは仲間割れの兆しも見せずに戦線を共にしている。
悪夢でなければ、地獄か。
二つの絶望を前に、しかしヒーローとヴィランは揺らぎなく。
「"さとちゃん"ってどんな女なんだ?」
「……強い子だと思う。自分の愛にまっすぐで、何を失おうとも――傷つきながら、迷いながら。まっすぐ歩き続けられる。そんな少女だとボクは思った」
「俺の入り込むチャンスはあると思うかい?」
「倒錯しているのか?」
カイドウが、金棒を振り上げた。
シュヴィが、武装の開帳の予兆を見せた。
ガンヴォルトは、雷を携えて。
デンジは、刃の稼働音を激しく掻き鳴らす。
それと同時に――桜の木が、渋谷全域を埋め尽くすように激しく咲き誇って。
戦端は、理不尽なほどの激しさでもって第二幕へと移行した。
-
◆◆
満開の桜が、咲き誇っている。
虚空から出現したその男に今更驚きはしない。
さとうも、しおも。あまりに経験を積みすぎた。
しおの手を引いて飛び退きながら、口内の紙麻薬を強く噛みしめる。
しおの方も、とっさに懐から取り出した紙麻薬を服用。
一瞬にして自分を超人に変え、ハッピーシュガーライフを引き裂く乱入者の無粋を力ずくでねじ伏せる。
「世も末だな。薬物乱用者のバーゲンセールかよ」
皮下を中心に顕現した木々。
瞬時に都市は、樹海と化す。
無論これはただの桜ではない。
ソメイニンによって編まれ育まれた"夜桜"の木。
伸びる枝や根は、触れた生き物の命を文字通り出涸らしになるまで吸い尽くす捕食器官だ。
更に、その上――
桜の根本から吐き出してくる異形の塊までもが、愛し合うふたりを穢そうと猛り狂っているから事態は更に最悪を極める。
「……しおちゃん、絶対離れないで」
「うん。さとちゃんの方こそ、私から離れたらだめだよ」
私が守るから。
私が、助けるから。
もう守り守られの関係性は崩壊した。
両方が、両方を守るのだと伊達でも酔狂でもなくそう想い合う二人が駆ける。
それを追い立てるのは、桜の怪物達。
夜桜の血から生まれ、単純明快な指向性だけを与えられて解き放たれたこれに名前を与えるならば……。
「俺のアイデアじゃないんだけどな。桜坊と、そう呼んでやってくれ」
桜坊(さくらんぼう)、それが相応しいだろう。
夜桜の運命に抗い。醒めない夢に身を投じた愚かな男が考案した悪夢。
皮下はその記憶をなぞり、愛を食らう桜毛虫も同然の存在としてけしかける。
此処に来る前、NPC達の避難所を強襲して二百人あまりを加工して用立てた兵隊達だ。
さとうとしおは、地獄への回数券の効能で超人と化している。
だが彼女達の生来の戦闘能力は、いわゆる平の極道と比べてもまだ下だ。
そのため回数券を服用したところで、正真正銘の超人達に匹敵できる次元ではない。
一方でこの"桜坊"は――スパイの中でも更に上位一握りとされる実力者たちでようやく対処できるレベルの怪物だ。
故に彼女達で敵う道理はなく。
彼女達も、そう理解していた。
「大丈夫かな」
「だいじょうぶだよ。だって一ヶ月もいっしょにいたんだから」
「……そっか。しおちゃんがそう言うなら、きっと大丈夫だね」
にぱ、と笑うしおの姿に寂しさを覚えないと言えば嘘になる。
それはきっと、子がだんだんと自立していく寂しさに近いのだろう。
さとうはしおの親ではなく共に愛を育み合う仲であったが、それでもやはり成長していく彼女の姿には悲喜交交の感慨を覚えてしまう。
今でもそれは変わらない。此処に来る前のしおは、自分以外の他人に対して決してこんな顔はしなかったから。
でも、その"彼"がこの一月自分に代わってしおを守り続けてくれたことは確かで。
だからこそ、さとうは現れた"彼"の姿を――ちょっとの悔しさと共に見つめるくらいに留めることができた。
-
桜の樹海が、切り倒される。
開ける視界。その中から音が響く。
ぶうん、ぶうん。けたたましい音と共に現れたのは、チェンソー頭の怪人。
彼は、しおとさとうの前に二本の足で着地して。
振り返ることなどしないまま。押し寄せる桜坊を、猛る電刃にて血霧に変えた。
その姿を、さとうがちゃんと見るのは初めてだ。
だから、目に焼き付ける。
自分のしおに勝手に近付き、あまつさえひとつ屋根の下で共に暮らした人間がいるだなんて気持ちのいい話では決してなかったが。
それでも、事実として。
この一月の間、自分の天使を守ってきたのはこの男なのだ。
"らいだーくん"。
神戸の家族も、自分も。
誰もいない環境で、あの子と共にあり続けた防人。
チェンソーの異形頭と返り血で汚れた全身は、まさにスプラッタ映画の怪物役といった風体だが。
彼を見つめるしおの眼には確かな信頼の念が宿っており、自分に対するのとは明確に違うその好意を見て――さとうは思った。
――そっか。言ってたもんね、友達ができたって。
しおは、友(かれ)を見上げていた。
彼の、血濡れの仮面の奥にある瞳を。
その素顔を知っているからこその、彼女の無垢な信頼が見ているさとうにも伝わってくる。
「怪我ねえか?」
「うん。らいだーくんこそ……だいじょうぶ?」
「一回木っ端微塵になったよ」
「そっかぁ。よかった」
「話聞いてたか?」
なるほど、とさとうは思った。
不死。身体が粉砕されても生存を継続できるのか。
そこで脳裏に浮かんだのは、さとう自らの手で袂を分かったあの鬱陶しい鬼の笑顔だった。
あれのことは最後まで、全くと言っていいほど好きになれなかったが――今だけは因果を感じてしまう。
さとうとしお。引き離された砂糖菓子の日々の欠片たちは、奇しくもどちらも不滅のサーヴァントを引き当てていたのだ。
想いは不滅。
それがお互いを想い合う、"愛"なら尚のことだ。
だからこそこの巡り合わせになった、なんて考えてしまうのは自惚れ過ぎだろうか。
そんなことを考えるさとうの方に、チェンソー頭の"らいだーくん"が振り向いた。
「……おい、しお。この人が"さとちゃん"なのかよ」
「うん! らいだーくんのおかげで、もういっぱいお話できたんだよ」
「――――」
彼の視線が、さとうの身体を頭から足の先まで嘗めるように見回す。
何せ見た目が見た目だ。さしものさとうもやや身構えたが、次の瞬間にしおのライダーが口を開いて言った言葉は。
「かわいい〜〜〜〜〜!!!!」
さとうのそんな警戒も、さとうが彼に対して覚えていた一抹の信用も、すべてすべて跡形も残さず吹き飛ばすのに十分すぎるそれだった。
-
時が止まる。少なくともさとうの中では。
そんなさとうのことをよそに、ライダー……デンジはしおにひそひそと耳打ちを始めた。
「おい、めちゃくちゃ可愛いじゃんお前の彼女。聞いてねえぞ」
「でしょ〜? さとちゃん、世界一かわいいんだよ。私のじまんなの」
「マジかよ……。俺ぁてっきり、だいぶお前の脳内補正が入ってるもんだと思ってたぜ」
「そんなことしなくたってさとちゃんはかわいいしきれいだもん」
「お前もな、顔写真くらい持って界聖杯に来いよバカ。
……ヘヘヘ。うっす。俺ライダー、こいつのサーヴァント。
一応今までこいつのこと、ま〜〜それなりに? 身を挺して守ってきた感じなんだよな。うんうん」
さとうは今まで、それなりに色んな男を見てきた。
何しろさとうは顔がいい。なので、人並み以上に男は寄ってくる。
そんなさとうにとって、このデンジという男は実に見慣れたタイプだった。
こんなのと一緒にいたのか。私のしおちゃんが。
ショックを受けながら、さとうはしおの両肩に手を載せて。
「しおちゃん。友達を作るのはいいけど、友達になる相手は選ばなきゃだめだよ」
「なんでえ!? 俺今いいことしか言ってなかっただろ!!」
・・・・・・
「下心がにじみ出すぎ。彼女とかできたことないでしょ、ライダーくん」
「はあああああ!? いや……あるわ! 女なんざ頼まなくてもあっちから寄ってきたね! 夜の学校でデートしたことだってあるんだぜ!!」
諭すさとうに抗議するデンジ。
そんな二人を見ながら、しおだけが楽しそうに笑っていた。
「おいしお、お前もなんとか言えよ。
この女顔はいいけど中身は最悪だぜ。初対面の相手に童貞のレッテル貼ってきやがった」
「しおちゃん、この人に変なことされたりしなかった? 大丈夫?」
「するかよ! 俺ぁテメエと違ってガキに欲情はしねえんだよ!!」
「初対面の相手に劣情は出してくるのに?」
「してねえだろ! さっきのは……ただの感想だ感想! 表現の自由がこの国では保証されてんだぜ!!」
まあ、予想できたことではあった。
らいだーくんとさとちゃん、たぶん仲良くなれないだろうなあ。
そんな予感がこうして的中していることもなんだかおかしくて、しおはくすくす笑う。
こんな光景だって。今までたくさんがんばって、たくさん見送ってこなければそもそも見られなかったものなのだ。
だから嬉しくて、おかしいし。
自分の好きな人たちがこうしてわーきゃー話しているのを見るのは、なんだかとっても嬉しかった。
そんな三人に、次いで押し寄せる桜坊。
そして皮下の放った、人を吸い尽くす桜の奔流。
デンジが舌打ちをし、再び構えを取るが。
今度は彼の出番はなかった――デンジのチェンソーが木々とその眷属へ触れるよりも先に、煌いた蒼い稲妻がそれらを焼き払ったからだ。
地に降り立つ、金髪の少年。
彼は振り向かないままで、さとう達へと言う。
-
「喧嘩は後にしてくれ。これからすぐ、此処は戦場になる」
「別に喧嘩してるつもりはないけど。ただ正論を言ってるだけ」
「じゃあ俺が買ったこの喧嘩は何なんだよ」
「突っかからないでほしいんだけど」
「ああ?」
「……後にしろと言ったぞ、ボクは」
好き好んでマスターを危険に晒したがるサーヴァントはいない。
既に喪失の痛みを経験しているガンヴォルトが、その例外ではある筈はなかったが。
にも関わらず彼がこっちへ移ってきたというのは、即ちそういうこと。
この先は、守りながらでなければ戦えない。
カイドウの乱入もさることながら、魔人と化した皮下真の存在が一番厄介だった。
回数券の服用程度でどうにかなる相手でないのは言うまでもなく明らか。
見えないところで殺されるのが一番最悪なのだから、多少のリスクは受け入れてでも見える位置で戦うのが賢明なのは自明だ。
「……あなたのことは信用してる。
だけど、大丈夫なの。あのアーチャーは毒を撒くんでしょ? それに――」
「地獄への回数券、だったね。あの紙麻薬があれば、ある程度影響は軽減できる筈だ。
それでも皆無ではないだろうし、浴びることは絶対に避けるべきだろうが……
その懸念への回答は、キミが危惧してる"範囲攻撃"についてのと同じ答えになる」
「……、……」
「ボクを、ボク達を、――信じてくれ」
霊骸による汚染。
そして何より、シュヴィ・ドーラによる広域破壊に巻き込まれて命を落とす危険性。
さとうが思い浮かべた危険は、当然ガンヴォルトも思い当たっていた。
確かに危険だ。正気の沙汰ではない。しかし、これ以外に術もない。
日和ればその手抜かりを、皮下が必ず突いてくる。
自分とデンジの足が止められている間に彼の手でさとう達が殺されてしまうことこそが、ガンヴォルトにとって最も警戒すべき展開だった。
だからこその合流。
あまつさえ、信じろなどという不確かな言葉。
けれど。さとうは、やっぱり此処に来た時に比べていくらか変わったらしい。
自分でもそう思う。そうでなければ、此処は安堵ではなく無責任な物言いへの怒りを覚える場面に変わっていただろうから。
「……わかった。任せるから、応えてね」
「もちろんだ。キミ達の愛と、"彼女"の遺命……誓って裏切りなどするものか」
思い返せば。
あの男を焚き付けたのは、他でもない自分だ。
あの亡者のような男に、愛という答えを与えてしまった。
その結果がこの地獄絵図だというのなら、自分は逃げずに向き合うべきなのだろう。
さとうは、そう思う。
自分で蒔いた種。自分で売った喧嘩は、自分で収拾を付けるのが筋だ。
「ライダー」
「なんだよ」
「私、あなたのことはたぶん嫌い。しおちゃんがヘンな影響受けてないか心配で心配で仕方ない」
「楽しくゲームしてただけだよ! 飯もちゃんと三食食わせてたぜ!!」
「でも、しおちゃんの"友達"ってことだけは信じるから」
デンジのことはたぶん嫌いだ。
その言葉に嘘はない。
少なくとも、天使に近づけていい存在ではないとそう思っている。
即物的で欲望にまみれていて、下品で粗野。
大事なしおに近づけてはならない条件を一から十まで満たしている。
-
――けれど。
彼がしおの"友達"であることまで疑う気は、さとうにはなかった。
彼は守ってくれた。自分の大切な人を。愛する少女を。
文字通り身を粉にして、この一ヶ月傷ひとつなく守り通してくれた。
だから。
「守ってね、しおちゃんのこと」
「……おう」
「私のことはどうでもいいから。
あなたは、サーヴァントとしての役目を絶対に果たして」
「言われるまでもねえぜ。この戦いが終わったら、嫌でもありがとうございましたって言わせてやるよ」
しおのことは、任せる。
握ったこの手を離すつもりはないけれど。
それでもいざとなったら、自分の手が届く範囲を超えることが起きたなら――その時は頼むと。
さとうは委ね。デンジは、受け取った。
神戸しおをめぐる縁が、此処で確かに通じ合って。
ちょうどそれが果たされた瞬間に、桜の木々が今度は別の衝撃で吹き散らされる。
降り立つ巨体は、相変わらず悪い冗談じみていた。
カイドウだ。単体でさえ十分すぎるほど悪夢なのに、空では件のアーチャーが臨戦態勢で待機している。
夜桜事変のすべてが此処にある。そう、すべてが。
さとうは、周囲を一度見渡してから――ぎゅっと、しおの手を握った。
呼応するようにしおが握り返す。そんな力の行き来が、この絶望的と言ってもそう間違いではない状況の中で一番の希望としてさとうの心を照らしていた。
「俺の焦がれた桜に比べれば、何もかもが塵に等しい。そう言ってたよね」
「ああ。事実だからな。癇に障ったか?」
「別に。私も、言うことはあなたのそれと大差ないよ」
夜桜を宿す、愛を見出した男が笑う。
さとうも彼を見据えながら、笑った。
笑える状況ではまったくない筈なのに。
何故だか今は、この顔が正しいとそう思えたから。
「私達の"愛"は、この世の何よりも尊くて眩しいの」
「そりゃ上等だ。そのくらい啖呵切ってくれなきゃ張り合いがない」
これは、なんてことのない。
可能性がどうだとか、そんな大層なものじゃ決してない。
ただの、愛の重さの比べ合いだ。
だからこそ、殺意を剥き出しにした冷たい顔は似合わない。
相手のより重く大きな愛を突きつけてやろうと思うなら。
きっとこの顔が一番相応しい。さとうはそう確信していた。
「踏み潰してあげる、皮下先生」
「吸い尽くしてやるよ、砂糖菓子」
ハッピーシュガーライフ。
夜桜の呪いとその清算。
二つの"愛"が、遂に真正面から激突する。
-
◆◆
まず最初に轟いたのは、シュヴィによる絨毯爆撃だった。
土地の歴史をなぞるが如き、爆炎と轟音と衝撃の海が桜並木を焼き尽くす。
それでも焼かれた端から再生していく絶景は、常世の風景とはとても思えなかった。
そんな異界の絵図の中を、蒼の軌跡が走る。
炸裂する前に誘爆させてしまえば、そう大した脅威ではない。
誰もが考えはするが、現実に敗れて見失う攻略法を大真面目に貫き通す。
対空砲のように迸らせる雷霆を、シュヴィは黒槍で振り払い。
そして返しとばかりに放たれた大気刃に、ガンヴォルトはありったけの火力を打ち込み相殺した。
――やっぱり……霊骸による汚染を、警戒してる………なら、好都合……
単に避ければいいだけの攻撃を馬鹿正直に打ち砕いてくるのは、詰まる所そういうことなのだろう。
シュヴィは判断を下すなり、昨日ならば確実に不可能だったろう容赦のない一手に打って出た。
即ち、マスター狙いで放つ大火力。カイドウの熱息を手持ちの武装と技術で真似た大火球の放出だ。
言わずもがな霊骸を撒き散らしながらの炸裂であるそれは、ガンヴォルトが今抱えている"縛り"を容赦なく突いた手に他ならない。
敵手の撃墜よりも、マスターの庇護を第一に考えて動かねばならない彼は圧倒的に不利。
ならば、そこを突かない手はない。実に機凱種らしい、合理的な最適解だ――脳裏をよぎる面影を振り払いながら、少女は非道に徹する。
翼の展開。
火力の分散。
カイドウの吐く熱息を参考(ベース)に、より一般人の虐殺に最適化した焦熱の万華鏡。
となれば必然、ガンヴォルトは火力を迎撃に注ぐのを余儀なくされる。
そしてシュヴィへの対処だけに注力するとなれば、当然。
「何を余所見してやがる」
カイドウが自由に暴れ回る、最悪の事態が具現する。
炎の曼荼羅模様をガンヴォルトの雷光が消し晴らす。
そこに間髪入れず飛び込んだ巨体が、黒雷を帯びた一閃を放った。
強化形態でも持て余す衝撃。それは最早避けたとしても、その余波のみで身を削る域に達していた。
食いしめた歯が軋む。
返しに放ったのは、即席の電磁砲。
スペシャルスキルと呼ぶには足りないが、それでもこの形態で放つのだから英霊の身体に風穴を空ける程度は造作もない。
そんな定石を、カイドウは素の耐久力だけで突破してくる。
単なる突進で電磁砲を弾き、その上で再び金棒の剛撃を見舞ってくるのだから最悪だった。
-
「ぐ、あ……!」
漏れ出す苦悶。
構わず追撃せんとするカイドウの背中に、チェンソーの刃が突き刺さった。
煩わしげな顔で鬼神が振り向く。
その振り向きざまの一撃だけで、デンジは全身の骨を砕かれながら吹き飛ばされた。
「電ノコ頭の小僧。そうか」
今は亡きビッグ・マムから聞かされた、"ガキ共"の話を思い出す。
敵連合。生意気にも四皇へ弓を引き、その討伐などという夢物語を唱えてみせた烏合共。
しかしそんな下馬評を覆し、遂には女王殺しと玉座の継承を成し遂げてみせた超新星達。
生憎と――カイドウとしても恨み骨髄の"魔王"は不在のようだが。
電ノコ頭のライダーというその特徴は、彼女から聞いた話と合致していた。
「お前だな。リンリンを殺したのは」
「ハァ、ハァ……! あア!? 人違いだぜ、仇討ちがやりたきゃ死柄木を探してこい、よ゛ッ……!!」
ガンヴォルトから矛先をデンジへと切り替えて。
カイドウは、何とか立ち上がったその横っ面に金棒を見舞った。
身体の内側が粉々に砕ける音を聞く。しかし彼には悲鳴をあげる暇すらない。
桜の大樹に受け止められるなり、皮下による操作だろう。幹や蔦が身体に絡み付いて彼を喰らい尽くさんとする。
如何に高純度のソメイニンで作られた魔樹とはいえ、果たしてサーヴァントを咀嚼することが実際に可能であるかどうかは定かでなかったが――
別にその答えがどうであろうと、彼の命運には一切関係なかった。
「言われなくてもお前ら殺した後はそうするぜ。連合(てめえら)は一人も逃さねェって決めてんだよ」
カイドウが、八斎戒を振り上げる。
空間を引き裂く轟音をあげながら、神の裁きそのもののような黒い雷が天を劈く。
数多の悪魔を相手取り、そして狩ってきたデンジでさえ、一目で格が違うと理解させられてしまう光景。
集中していく力、力、力力力――覇の究極じみたそれが咆哮と共に叩き付けられた瞬間、彼の総身は一撃で粉砕された。
ビッグ・マムの暴虐すら霞む、純然たる武の極み。
故にこれは、あまりにも順当すぎる結末だと言う他ない。
チェンソーマンの刃はそもそもカイドウの皮膚を破ることすら一苦労するナマクラで。
得意の"めちゃくちゃ"も、此処まで素のスペックが違いすぎてはまるで用を成さないのは明らかだった。
刃は通らず、チェーンは引きちぎられ、一撃受け止めるのすら不可能に近く、避けるなんてできるわけもない。
不死の性質は既に割れている。
それは厄介でこそあれど、直ちに夜桜に連なる者達を脅かすものではない。
死ななかろうが戦場に介入する能力がないなら木偶の坊と同じだ。
更に言うならデンジの不死が条件付きの復活であることも、彼が先ほどシュヴィに滅された瞬間の下りで割れてしまっていた。
スターターを引かせるな。
カイドウの無言の目配せに合わせ、皮下が桜製の牢獄を組み上げていく。
より複雑に、より堅牢に、デンジの遺骸を囚えて創り上げる不死封じの祠。
大樹の形を成していくその建設作業が、不意に止まった。
-
「……あ?」
皮下の意思によるものではない停止。
それが経路の断絶と、生命の終末による"枯死"であると彼が認識した瞬間には。
桜の牢獄は、内側から細切れに切り裂かれ。
その奥底から飛び出した黒影が、疾風の速度でカイドウへ突貫し斬撃を繰り出していた。
「成程な。運び屋(ライダー)とはよく言ったもんだぜ」
「…………………」
「あの弱ェガキはお前を載せるための器ってとこか。
道理で妙だと思ったよ。リンリンの野郎があんなナマクラで指詰め(エンコ)されるとは思えねェんでな」
スーパーガンヴォルトでさえ、拮抗するのは一瞬が限度だった。
にも関わらず桜の祠から飛び出したその黒影は、既に数秒に渡って力比べをし続けているのだから驚嘆に値する。
臓物をマフラーのように巻き付けた彼の姿は、一見するとデンジとそう変わらないように見える。
だが、カイドウには分かる。強さが違う、速さが違う、繰り出す殺戮技巧(ころしわざ)の冴えが違う。
丸っきり別軸の存在へと成り代わっている――自分達四皇にすら比肩し得る怪物へと、存在のステージが切り替わっている。
拮抗を崩して、影が跳んだ。
素面の脚力でさえ龍化したカイドウはおろか、シュヴィの限界高度にまで跳躍を可能とする脚力は何の冗談か。
彼の身体から触腕のように伸びた無数のチェーンが、龍に向かい禍々しく伸びていった。
「洒落臭え」
カイドウの暴威が虚空を殴る。
そう、虚空をだ。
触れていない。接触を介さずに、自身に迫る悪魔の触腕を粉砕してのけた。
それに驚いた様子もなく降下してくる悪魔の高速斬撃は、秒間数百にも届く死の暴風に他ならなかったが。
カイドウはその"数百"を、単なる力で"一"に束ねた上で撃墜する。
三桁余りの斬撃全てを、力に飽かしたただ一打のみで解決する――素の身体能力がカンストした純粋なる絶対強者でなければ不可能な芸当。
「"桜襲八卦"――」
総撃を受け止め。
その上で、凌駕する。
黒雷を纏う桜吹雪が散る光景を、確かに悪魔は見た。
相殺……しかし無論、そんな結果で満足するカイドウではない。
八斎戒を、大きく後ろへと引く。
"雷鳴八卦"及びその派生技とは異なる構えだ。
見据えるのは、漲る殺意と共に迫り来るチェンソーの悪魔。
今彼が繰り出そうとしている攻撃は、そんな目障りな超新星を撃ち落とす迫撃砲だった。
「――"威国"ゥ!!」
かの"鷹の目"を始め、技を極めた者がしばしば身に着ける"飛ぶ斬撃"。
だがカイドウの放ったそれは、最早剣戟の範疇に収まる威力はしていなかった。
巨人族の秘技を単独で再現する離れ業、亡きリンリンと共に会得した一撃を此処で放ったのは彼なりの弔いのつもりなのか。
-
斬撃と斬撃が、激突する。
それと同時に凄まじい衝撃波が炸裂したが、さしもの悪魔もこの状況では分が悪かった。
跳ね飛ばされて宙を舞う――しかし休む暇はない。
すぐさま無防備な彼に向けて、機凱種の少女が放つ『偽典・森空囁』が殺到したからだ。
(霊基の情報が、丸ごと置き換えられてる……
カイドウの言う通り、さっきまでのライダーとは全くの別物……すごく、禍々しい魔力――)
シュヴィが思い出したのは、かつて彼女に恐怖を与えた降臨者(フォーリナー)の気配だった。
あれとは別物。しかし、よく似ている。
理解してはならないもの、理屈では語り尽くせない悍ましいまでの凶の気配。
アビゲイルの場合、それは"狂気"だった。
そしてこのチェンソーの悪魔は、さしずめ"殺意"と言ったところか。
神戸しおは、デンジが戦闘不能に陥るなりすぐさま令呪を切った。
令呪は彼女にとって限られた資源だが、躊躇いはなかった。
その決断が功を奏し、桜の牢獄は破られて戦局は変わる。
押し寄せる無数の気刃を全て正面から斬り伏せながらシュヴィへの距離を詰めていくその姿を見れば、誰もがしおの判断の正しさを悟るだろう。
――更に狙われたシュヴィに対し、雷霆の彼が悪魔へ加勢する形で襲い掛かればいよいよ事態は大混戦の様相を呈してくる。
「卑怯とは言うなよ、アーチャー!」
「……っ。お互い、様……!」
イミテーション・ケイオスマターを用いての、擬似的な自動防御でガンヴォルトの攻撃へ対処。
何より警戒すべきはチェンソーマンだ。
『偽典・森空囁』を正面突破できる化物に対しては、さしもの偽槍も焼け石に水としか思えない。
しかしそれは、強化形態に入ったガンヴォルトに対しても同じことが言えた。
(さっきより、明らかに強い……! 何より、速い…………ッ)
押し切られかけている。
そしてこの状況では、一度でも均衡が崩れればそれ即ち致命傷への直結と言って差し支えない。
そんなシュヴィに助け舟を出したのは、悪魔と雷霆の双方から袖にされた海賊だった。
怒りのままに船を漕ぎ、機械狩りの航路へ割り込んだ天変地異が暴れ回る。
「おい……このおれを放っぽり出してんじゃねェぞガキ共ォ!」
炸裂する覇王色の覇気。
彼ほどの使い手が繰り出せば、それはもはや宝具の炸裂にも等しい。
空間の震撼と嵐にも似た強烈な物理的圧力を生み出しながら、チェンソーマンとガンヴォルトにそれぞれ一撃ずつ見舞っていく。
雷鳴八卦、神速の二度撃ち。途端に機凱種狩りの布陣は崩れ……自由になったシュヴィは更に天高くへと飛翔した。
「避けるかどうかは、任せる……。巻き込むつもりで撃つから、そっちで対処して…………」
「好きにやれ。おれも好きにやる。元々敵同士だろうが、飛び火で潰れるようならお互いそれまでだ」
「……うん…………。じゃあ……好きに、やる……」
元々生真面目な質なのだろう。
あるいは、優しいと言うべきか。
カイドウの答えを受け取って、シュヴィは小さく頷いた。
それと同時に結集していく魔力。
手元の黒槍がふわりと空に溶けて、まるで霧のように周囲へ漂い始める。
-
「……うん…………。じゃあ……好きに、やる……」
元々生真面目な質なのだろう。
カイドウの答えを受け取って、シュヴィは小さく頷いた。
それと同時に結集していく魔力。
手元の黒槍がふわりと空に溶けて、まるで霧のように周囲へ漂い始める。
「黒に染まり、無へと回帰せよ――――」
シュヴィ・ドーラはケイオスマターの真の担い手ではない。
おまけに、今彼女の手元にあるケイオスマターの量は極めて微小。
それ故、彼女はベルゼバブ本人ほどの出力でこれを使いこなすことはできない。
だが此処で、シュヴィの明晰な頭脳はその大前提をねじ伏せる一計を案じた。
ケイオスマターは汎用性の怪物だ。
加工すれば聖から邪まで、あらゆる属性を網羅した武装に変化するほど。
その性質を、シュヴィは彼の最期の戦いを観測する中で確認していた。
だからこそ。此処で彼女が講じた一手とは……掟破りの、既存武装との乗算。
「【典開】」
広範囲を焼き払うことにおいてなら、『偽典・天撃』をも上回る『偽典・焉龍哮』。
それにケイオスマターを重ね合わせることで、本来シュヴィには不可能だった芸当を可能に変える。
焉龍哮の破壊範囲はそのままに、ケイオスマターの殺傷力と純粋な破壊力を掛け合わせブーストする改造武装。
或いは――
「――――ケイオスレギオン・アポクリフェン!!」
ケイオス・レギオン、その真の形。
黒い、黒い、巨大なるエネルギー球。
全てを焼き払う。全てを、押し潰す。
ベルゼバブ本人は強者との戦いの中で見切りを付けた従来通りのこの形が、今のシュヴィにとってはむしろ都合良かった。
何故なら眼下の彼らには――守るべきものがあるから。
破壊できる範囲、殺せる命の多さ、それらは――多いに越したことはない。
「ッ、なんて、奴だ……!」
そしてその狙いは、ガンヴォルト達に対しておぞましいほどに覿面だった。
チェンソーマンは攻撃の性質的に、手数を捌くことはできても巨大かつ広域に被害の及ぶ攻撃を相手取るのには向いていない。
だからこそ、此処はガンヴォルトが単騎で対処せねばならない事態になってくる。
しかし如何に強化形態であるとはいえ、シュヴィの繰り出す大火力を正面から相手取って反動がない筈はなかった。
(ボクが対処する以外の選択肢はない。ただ……一体、あと何発保つ? この身体は……!)
あの『偽典・天撃』を破っただけでも、ガンヴォルトの身体は満身創痍の状態に追い詰められた。
今回だって無傷では済まないだろう。マスター達に傷を負わせず、かつ霊骸の汚染も被らせないために対処は完璧に行う必要がある。
それ自体はいい。傷付くのを厭うつもりはない。
だが――それだけではジリ貧だ。早急にどちらか片方だけでも落とさなければ、削り切られるのは間違いなく此方の方だという確信がある。
-
雷の柱が、天へと伸びて。
黒の破壊が、世界を覆い尽くした。
ガンヴォルトは、無事に役目を果たす。
しかしその姿は……仕損じた側である筈のシュヴィよりも、ずっと痛々しいものとなっていた。
「はあ、はあ、……ッ」
右腕は完全に焼け焦げ、口からは血反吐をぶち撒けている。
霊骸の汚染もそろそろ無視することのできない領域に入っていた。
不甲斐ない。ガンヴォルトは、自分をそう糾す。
(膝なんて、突いている場合じゃないぞ)
その想いが、痛む場所の方が遥かに多い身体を突き動かす何よりの原動力となってくれる。
シュヴィの追撃を捌き。迫ったカイドウの殴打に合わせ、抜群のタイミングでガードを張ることができた。
平時ならば見えない動きも、今なら見える。
最初の内こそ面食らっていたが、何度となく目の当たりにしてきたことで今ではカイドウの速さにも眼が追い付くようになってきた。
紛れもない好機。集約させた雷霆を、八斎戒を振り抜いた瞬間の巨体――その心臓目掛けて見舞う。
「……ぐぅッ!」
「《SPARK》――《CALIBER》ッ!」
「うゥッ、効いたぜ……内臓狙いの攻撃たぁ、鬱陶しい野郎を思い出させるじゃねェか!!」
首を落とす。
そうでなくとも霊核を砕く。
その気概を込めた雷剣が、何度目かの八斎戒との激突に軋む。
こうなると明確に不利を負うのはガンヴォルトの方だ。
だが、みすみす同じやり取りを繰り返してやるつもりもない。
スパークカリバーの刀身を通じて、ありったけの電流をカイドウの身体へ流し込み、何を言われようが怯まず内部破壊の一辺倒に徹する。
それでも小揺るぎもせず君臨を保ち続けるこの"皇帝"は、言わずもがなの話だがあまりに規格外すぎた。
掠めただけで脇腹の骨が砕ける。
撒き散らされる覇王色が、弱った肉体に鞭を打ってくる。
カイドウの姿が消える。対処し損ねれば死ぬと悟り、全神経を注いだ迎撃に臨み。
辛くもそれが成功した手応えを得た、まさにその瞬間――
「……アーチャー!」
さとうの声が響いた。
瞬間、ガンヴォルトは全ての行動を中断する。
そうせざるを得なかった。
ガンヴォルト達の戦う空中と、さとう達の居る地上。
その間を隔てるように、桜花の分厚い膜が出現したからだ。
-
皮下が自分達を狙って動くのは、誰もが分かっていた筈だ。
さとうもそうだったし、ガンヴォルトが例外であった筈はない。
しかしながら、いざ戦いの中でそっちにだけ意識を割き続けるのはあまりに至難だ。
何しろ相手はカイドウとシュヴィ。生き残っているサーヴァントの中でも、間違いなく最上位に近いだろう二騎であったのだから。
「あんまり責めてやるなよ? お前のサーヴァントが弱いわけじゃない。こっちの戦力がでかすぎるんだ」
皮下の姿が、揺らめくようにして消えた。
かと思った次の瞬間には、彼は既にさとうの目の前に居る。
咄嗟にしおを突き飛ばした――が、それには及ばない。
皮下の狙いは、最初からさとうただ一人であったからだ。
「ッ……!」
「――さとちゃん!」
皮下の腕が、さとうの腹を貫く。
飛び散る血潮と臓物は、言わずもがな致命傷。
失血で死ぬのを待たずにショック死しても不思議ではあるまい。
しかしさとうは、皮下を蹴り飛ばして強引に彼の腕を身体から引き抜き、後退することに成功する。
壮絶な激痛も甚大な負傷も、今の彼女にとってはさしたる問題ではなかった。
地獄への回数券。弱く孤独な者達を道を極めた魔人に変える麻薬が、砂糖菓子の少女を超人に変えている。
「そっかそっか。そうだったな、首を斬らなきゃいけないんだ」
では、皮下に首を狙われていたら今のでさとうは死んでいたのか。
それはない。少なくともさとうは、皮下が一撃で殺しに来る可能性も考えていた。
この身体で何ができて何ができないのかは既に試し終えている。
即死を避けるためにあらゆる痛みを受け入れる回避行動の取り方は、もう何十回とイメージトレーニングを重ねてきた。
避けねばならないのは、首の切断と部位欠損。
クーポンは即死級の傷でも賄ってくれるが、欠損に対してだけは効き目が極めて鈍感だ。
だからこそさとうは皮下に下手に対抗することをせず、しおの手を引いて駆け出した。
「無駄に決まってんだろ」
その行く末が、桜の壁で阻まれる。
もはや皮下の力は完全にサーヴァントの領域に踏み込んでいた。
今生き残っているサーヴァントの中でも、彼に対抗できる者は限られるだろう。
そんな男に対し、逃げに徹するとはいえ"たかだか"超人化を頼りに臨まねばならない状況の絶望度は並外れている。
しおが、皮下に向けて発砲した。
幼い天使にそぐわぬ無骨な武器は、今は亡きジェームズ・モリアーティからお守りにと渡されていたものだ。
クーポンの効果で強化された身体は、反動で腕を痛めることもなく正確な射撃を可能にする。
更に言うなら狙いも良かった。頭部。脳を破壊する射線をきちんと構成できていることは、初めてにしては上出来どころの騒ぎではないだろう。
殺人の才能をさえ窺わせる筋の良さ。
それはしかし、皮下という魔人に対し突き付けるカードとしてはあまりに弱すぎた。
「……っ!」
「頼みの綱が銃かよ。いいね、そういう所の浅慮さは子どもらしくて好感が持てるぜ。
でも駄目だろ。そんな豆鉄砲じゃ俺はおろか、ガムテ君の所の極道小僧(ガキ)一人だって殺せねえぞ?」
脳漿が飛び散る。
皮下の美顔が崩れる。
だが、それだけだ。
次の瞬間には、まるで何事もなかったかのように傷が復元していく。
零れた脳漿が戻り、肉と骨が癒え、弾丸が出来損ないのポップコーンみたいに外へと吐き出された。
-
「アーチャーも、君の虎の子のらいだーくんも……頑張っちゃいるが、まだちょっと忙しそうだ」
分断からの、マスター狙い。
聖杯戦争における定石を、呆れるほど常識外れなやり方でなぞる。
もはや手段に固執することなどとうに止めた皮下だが、それでも彼女達を屠るのはこの手で成したい仕事だった。
自分というどうしようもなく愚かで鈍い男に、この感情の意味を教えてくれたさとう。
そんな彼女の"愛する人"であるしお。
彼女達の愛を引き裂き葬って乗り越えることは、この"夜桜事変"であげる最初の花火として実におあつらえ向きだと思ったから。
「令呪を使うか? まあそうだよな、それしかない。
でもって、それでお前はまんまと手札を失うってわけだ」
「……ずいぶん饒舌なんだね。そんなに気に入った? 私の伝えた"答え"は」
「ああ、悪くない。だからこれは俺なりの、お前への礼でもあるんだぜ――松坂さとう」
令呪を使うのならそれでいい。
しおは先ほど既に一画使っていたし、さとうに至っては今回の使用で残画数がゼロになる。
そうして手札を少しずつ削いでいくのもまた、皮下にとっては目論見通りだ。
今死ぬか後で死ぬか。彼女達の未来は、ひとえにその二択でしかない。
「そら、選べよ。俺はどっちでも構わないぜ」
振り上げられた腕に、満ちていくのは炎だった。
虹花。芥と散った花弁の一枚、"アカイ"と呼ばれた少女の開花。
全て焼き払う憤怒と空虚の炎を、皮下は少女達の墓標に選んだ。
渦巻く炎が球になる。クーポンを使っていなければ熱風だけで眼球や肌が炙られるだろう高熱の中で、皮下は死神を気取っていた。
指揮棒のように掲げられた腕が、死刑執行の合図のように落ちる。
その動作の最中――やむなしと令呪を使おうとしたさとうの袖を、しおがきゅっと掴んだ。
――?
――?
疑問符を浮かべたのは、二人同時。
さとうは当然のこととして、皮下真もまた同じだった。
しおの行動があまりに奇妙だったからだ。
さとうが令呪を使ってアーチャーを喚ばねば死ぬこの状況で、何故それを止める必要があるのか。
自分のライダーを喚んで健気な献身を見せる気なのかもしれないが、それにしたっていささか奇妙だ。
とはいえ皮下のすべきことは変わらない。
砂糖菓子の二人を火刑に処さんと、あげた腕を今度こそ振り下ろそうとして。
そこで――
「――――――――」
一瞬。
そう、ほんの僅かな時間。
されど、僅かなれど確かに。
皮下はその時、自身の思考を空白で染め上げられた。
-
比翼の袖を掴みながら、自身を見据える天使。
彼女の瞳。その、星空のように深い瞳と視線が交差した瞬間。
まるでそれこそ麻薬でも服用したみたいな浮遊感と、思考の異様な鈍麻が襲ってきた。
――毒? いや、まさか。そんなわけがない。皮下は湧いた思考を自分で切り捨てる。
自分の体内を満たしているのは夜桜の血だ。
この世に存在するどんな毒物よりも強く、そして的確に人間を蝕む呪いの花だ。
その上万花繚乱の境地にまで到達している今の自分に通用する毒なんて際物を、この瞬間まで連合の少女が隠し持っていたとは考え難い。
では、何が起こった? 何が原因で、今自分は確殺の状況で呆けた面を晒すような愚を犯してしまったという。
皮下真。
その聡明な頭脳が、答えを導き出すよりも速く。
神戸しおの稼いだ一秒足らずの"時間"は、希望の果実を実らせた。
「――感謝する。神戸しお」
桜花の膜が、蒼に焼かれて消え去った。
天から落ちてきた少年は、ひどくぼろぼろだった。
片腕は焼け焦げ、身体中至るところに銃創や打撲痕が目立って痛ましい。
しかし。しかし、その双眼に宿る意思の光と。
彼に付き従う蒼の輝きは依然、微塵たりとて翳ることなく健在で。
だからこそ彼の姿は、少女達が一つ運命を跳ね除けたことをこの世の何よりも雄弁に物語っていた。
皮下の放つ炎が、火山の破局噴火と見紛う勢いでもって炸裂する。
自分で生み出した桜をすら焼きながら迫るそれは、砂糖菓子の愛を焼き尽くす彼の"愛"。
だが。愛すべき、懐かしき歌声を聞いた少年の決意と誓いを阻むには、それではあまりに役者が足りぬ。
炎が、弾け飛び。
皮下の右半身が、文字通り消し飛んだ。
稲妻を纏いながら自分達を助けてくれた、愛する"さとちゃん"の相棒を見ながら。
神戸しおは、今はもう遠いところへ行ってしまった二人の大人(サーヴァント)と過ごした時間を思い出していた。
-
◆◆
『やめといた方がいいな。多分しおちゃんには向いてねえ』
――地獄への回数券。
それを手に入れたしおが真っ先に思ったのは、これがあれば自分も戦えるようになるのでは、ということだった。
服用することですごく強くなれることは知っていたし、それなら自分でも、とそう思ってしまったのだ。
だからしおはまず、クーポンの生産者である(厳密には彼が造ったものではないようだが)星野アイのライダー・殺島飛露鬼に相談してみたのだが。
返ってきた答えは、上記の通り。
苦笑しながらの、しかしそれでいて確かなトーンでの否定だった。
どうしてかと聞いてみると、殺島は紫煙を吐き出しながら。
『確かにこの麻薬(ヤク)……あー、"おクスリ"は人間をメチャクチャ強くしてくれる優れものだ』
『実際こいつを服用(キメ)れば、今のしおちゃんでも筋骨隆々(ムキムキマッチョ)なプロレスラーをボコボコにできるだろうな』
『けど、そりゃあくまで素人(カタギ)が相手ならの話。
ちょうどこの聖杯戦争みたいな殺し殺されの世界じゃ、生兵法(せのび)して強くなった気になるのは自殺行為だぜ』
『……そうだな。その拳銃(チャカ)、ちょっと貸してみろよ』
しおは拒むでもなく、素直に彼へ銃を手渡す。
すると殺島はそれを構えて。
部屋の天井に向けて、たんたんたんたんたんたん――とちょうど六回、引き金を引いた。
しおは思わず、驚いて拍手をしてしまう。
天井に命中して跳ねた弾丸が、すべて壁掛け時計の文字盤に命中したのだ。
それも「2」「4」「6」「8」「10」「12」と、きれいに2の倍数だけを狙って。
『これをオレ達みたいなろくでなしの世界じゃ、極道技巧って呼ぶんだけどよ』
『こういうことを今からしおちゃんが覚えるってのはまず無理だ。だってしおちゃんはよ、銃なんて生まれてこの方触ったこともなかったろ?』
『で、仮に今から必死こいて練習して……上手いこと身に着けられたとしてもだな』
『それはほぼ間違いなく実戦じゃ通用しねー。相手もサーヴァントを連れてるからな。
マスター狙いで一対一(タイマン)仕掛けたって、令呪でサーヴァント呼ばれりゃおじゃんだ。
それどころか、連合(うち)のボスや峰津院の某みたいに化物じみて強えヤツだって紛れてるかもしれない』
『自分も戦おうって気持ちは立派だけどな。ま、さっきも言ったがやめといた方がいい。荒事はオレらサーヴァントに任しとけ。な?』
そう言われてしまうと、しおとしても頷くしかなかった。
実際、殺島の言わんとすることはするりと頭に入ってきた。
彼なりに噛み砕いて話してくれたからというのもあるだろうが、それが正論なことはしおにも幼いながらに理解できた。
ヘンに背伸びして、その結果死んでしまったら何にもならない。
ちょっとの退屈さを感じながらも、おとなしく諦めようとしたしおに――
『フム。果たしてそうかな』
そんな声をかけた、蜘蛛がいた。
-
『私には、しお君。君にはかなりの才能があるように見えるが』
『おいおい、冗談キツいッスよ"M"。ドスでも持たせて突貫させるつもりですかい』
『まさか。確かに私も、しお君が前線に立って極道者らしく戦うなんて話は無謀だと思うよ』
ただ、思うにだ。
君達の言う極道技巧とは、何も武力だけに限定された概念ではないのではないかね。
蜘蛛の言葉に、殺島は表情を引き攣らせる。
マジかこいつ。そんな内心が顔に滲み出ていた。
『……ま、確かにそういう手合いは数人知ってますよ。
例を挙げると"殺戮歌(ころしうた)"なんてのも居ましたね。
で、M。あんたはこの子にその手の才能があると?』
『うむ。しお君には一つ、間違いなく抜きん出た才能がある』
しおは嬉しくなって、蜘蛛の方へと駆け寄っていく。
彼がとても頭のいい、先生のような人であることはしおもうんと知っていた。
だからそんな彼にお墨付きを貰えたことがとても嬉しくて、居ても立っても居られなくなったのだ。
自分にも戦う力があれば、いざという時みんなのために動けるかもしれない。
――みんなと戦うときに、役に立つかもしれない。
そんな内心も、今思えば彼には手に取るように分かっていたのだろう。
期待できらきら輝く瞳を、蜘蛛は静かに指差した。
『愛嬌だ』
『……あい、きょう?』
『もっと分かりやすく言うなら、可愛さとも言えるネ』
『……? らいだー"さん"、私っていま褒められてるよね?』
『理解理解(あーあー)……。ま、確かに小児性愛(それ)も広い範囲で見りゃ犯罪って言えないこともねえか』
『極道君?? 君、ルビの下に何かとても不名誉な言葉を隠していないかね???』
こほん、と。
漫才の方に傾きかけた流れを引き戻すように咳払いをして、蜘蛛は続けた。
『とにかくだ。しお君、君の一番の武器は"可愛い"ことだよ。これは間違いない』
『君は純粋だ。君は純真だ。君は、無垢だ。その性質は、悪に堕ちた今でも本質的には変わっていない』
『堕天使が、堕ちて尚天使の名で呼ばれるように。君は今も、人の心を魅了する輝きを宿している』
……。
しおが、おずおずと口を開く。
『でも……、それでどうたたかえばいいの?』
『基本的には、極道君の言う通りだ。君に戦いは向いていないし、そもそも君が戦うべきではない。
チェンソーの彼は頑張ってくれているよ。おとなしく彼に任せて、その勝利を祈っているのが一番だろう』
『……うぅん。えむさんの言いたいこと、難しくてよくわかんないよぅ』
『話はちゃんと聞きなさい。"基本的には"と言っただろう』
蜘蛛の眼光が、ぎらりと煌いた。
彼が時折見せる、しおでさえ背筋が寒くなってしまうような"悪"の兆し。
それを見せながら、蜘蛛は天使に教鞭を振るった。
『もしも。本当に追い詰められて、何一つ手がない時。
或いは、今此処で手札を使うわけにはいかないという時。
そんな時には、今日此処で我々と交わした会話を思い出しなさい』
『……おもいだすだけで、いいの?』
『ああ。君ならば、それで十分だ』
天使たる、君ならね。
そう言って、蜘蛛。
ジェームズ・モリアーティは、愉快そうに笑っていた。
-
――これは。
殺島飛露鬼とジェームズ・モリアーティ。
二人の敵(なかま)がまだ生きていた頃、彼らと交わした会話の一幕だ。
神戸しおにはきっと、才能がある。
しかしそれは、安易に開花させていいものではない。
倫理の話ではなく、そもそもクーポンという付け焼き刃に頼って戦場に立つべきではないという話だ。
だから殺島は戦う手段を欲した彼女を諭し、モリアーティもそこについては否定しかなかった。
だが。
神戸しおには、才能がある。
人殺しの才能も、そうかもしれない。
けれどきっとそれ以上に、彼女には大きな才能が備わっている。
誰も彼もの心を魅了し、掴み、時に狂奔すらさせる尊い輝き。
可憐で、無垢で、純真で。聖性さえ感じてしまうような、純白の天使。
しおは天使だ。人の世に生まれ落ちた、天使のような女の子だ。
その才能を。
持って生まれた輝きを。
地獄への回数券という起爆剤を用い、一気に増幅させたならどうなるか。
答えは簡単だ。
神戸しおの輝きは、もはや単なる長所の域を飛び越えて。
道を極めた者の技巧――極道技巧となる。
神戸しおの極道技巧。
それは、魅了。
他人を魅了し、自分の聖性で狂わせる天使のさえずり。
不意打ちで駆使されたそれは、一瞬とはいえ皮下にさえ隙をねじ込んだ。
蜘蛛の仕込んでいた糸の一つが、此処に来て他人の計画を狂わせる。
しおの使った切り札は、雷霆の到着を間に合わせ。
愛を終わらせようとした男を、逆に袋小路へと追い込んだ。
-
「……クソ。だから嫌なんだよ、最近のガキは。
どいつもこいつも可愛げがねえ。何度言わせる気だよホント」
皮下は、事の理屈を理解して悪態をつく。
予想できるわけがない、そんなもの。
完璧な不意打ちだった。極限の緊張状態に、意識外から猫騙しを打ち込まれたようなものだ。
恐るべきはジェームズ・モリアーティの慧眼。
炎の中に消え、店仕舞いを終えた今になっても尚、彼の残した蜘蛛糸は教え子達を導き続けている。
そしてヴィラン連合に仇なす敵(ヒーロー)を、欺き嘲笑い転ばせ続けている。
「終わりだ、皮下真……!」
迫る雷霆の前に、再生が追い付かない。
万花繚乱を果たした今の自分であれば、このレベルのサーヴァントにも応戦できる自信はあったが……しかしもう一撃食らうのは不味かった。
再生の緩慢さはガンヴォルトの火力の高さを物語っており、さしもの皮下も死の気配を感じずにはいられない。
カイドウは間に合うか。シュヴィはどうだ。
間に合わなきゃ終わりだな。まったく見事にしてやられたものだと言う他ない。
そんなことを考えながらも、しかし皮下は笑っていた。
その口が動く。辞世の句か。いいや、違う。
――愛に生きると決めた者が、そんな簡単に自分の感情を諦めるわけがない。
「いいや――――終わるのはお前らだ」
追い詰められた男が薄笑いを浮かべながら紡ぎ上げた勝利宣言。
それと同時に、桜吹雪が舞い散った。
春の象徴のような絶景の中から、一陣の風が吹く。
いや――それは風ではない。その姿に、面影に、松坂さとうは覚えがあった。
「……しおちゃん、下がって!」
忘れるものか。
忘れられるものか、その顔を。
ちょうど今のように、神出鬼没に現れて。
自分から知人を……大切な人を奪っていったこの男の顔を!
眼帯の男。
その出現は、言わずもがな彼女にとって最大の凶兆であり。
そして男が振り上げた銀の義足(アーティファクト)は、今度こそさとうの命運を断ち切るのに十分過ぎる凶器だった。
アーティファクト『走刃脚』。
英霊にさえ匹敵する瞬発力から繰り出される、超高出力の鎌鼬。
だめだ、と悟る。それは生物の本能的な直感だった。
避けられない。今からでは、もう何も間に合わない。
そんな状況で彼女にできるのは、せめてしおに危害が及ばないよう足掻くことくらいで。
さとうにとっての忌まわしい死神である"否定者"リップ=トリスタンは、命を拾った少女へあるべき結末を届けるべく死を揮った。
-
◆◆
皮下が到着してすぐに、リップもこの地へ駆け付けていた。
彼は強力な暗殺者であり否定能力の持ち主だが、それでも皮下に比べれば戦闘能力ではだいぶ劣る。
だからこそ、彼は隠れ潜むことを選んだ。
皮下がばら撒く桜の樹海。超高濃度のソメイニンで編まれた、グロテスクなほど美しい常春の中に身を沈めた。
単なる隠形とはわけが違う。積み重なった桜坊の遺骸と木々、それを迷彩服代わりに直接身体へ貼り付けての極めて高度なカモフラージュだ。
英霊の感知能力をさえ皮下の能力で阻害し、じっと息を潜めて機を待つ――ガンヴォルトの攻撃の巻き添えを食って舞台に上がることもなく即死する可能性とてある危険な賭けであったが、その点は皮下の悪辣さと自分の相棒の献身を信用した。
そして、その結果。リップは、こうして賭けに勝った。
――あの"チェンソー頭"は厄介だが。
――"雷霆のアーチャー"が居なくなれば、シュヴィとカイドウの二騎がかりで圧殺できる。
最優先はシュヴィと好相性のガンヴォルト。そのマスター、松坂さとう。
狙いは実り、走刃脚は彼女の身体を細切れに引き裂かんと唸りをあげた。
斬首がベターではあるが、そうでなくとも構わない。
どの道同じことだ。一撃。たった一撃でも入れられれば、そこで勝負は決する。
彼のそれもまた、間違いなく完璧な不意打ちだった。
神戸しおが土壇場で、今生きている誰も知らない切り札を使って皮下を欺いたように。
リップもまた、自分自身を隠し玉として潜ませることで確殺の一手を打つことに成功した。
リップに気付いていたのは皮下陣営――"夜桜前線"のメンバーだけ。
さとうとしおはもちろん、ガンヴォルトもチェンソーマンも気付けてはいなかった。
作戦は成功し。
さとうは、詰んだ。
後は鎌鼬が彼女の可憐な容貌を引き裂いて、それで終わり。
容赦のない無慈悲な結末に、少女は為す術もなく。
時が止まる錯覚を覚え、融解の雨はしとどに降り注ぐ。
「終わるものか」
――その結末を、否と断ずる者がいる。
「終わりになど、するものか。
ボクは……!」
あと一手。
それで目的を果たせる。
そこでリップは、走刃脚に突き刺さった小さな異物を見た。
針だ。途端に感じたのは寒気。自分が何か致命的な見落としをしていた事実に気付き、咄嗟に脚を引き戻そうとする。
だが。
「もう何も、あの子から奪わせない!!」
次の瞬間、放たれた鎌鼬もろともにリップの身体を横殴りの稲妻が吹き飛ばした。
意識が消し飛びかける。全身が焼け、細胞全てが沸騰したような熱感がリップを容赦なく苛んだ。
地面を転がり、桜の花弁に塗れながら、膝を突いて蹌踉めきながら立ち上がるリップ。
その隻眼には、仕損じたことへの悔恨と不可解が滲んでいた。
-
――ガンヴォルトは、シュヴィとの共鳴で解析能力を得ている。
だがそれは、大元である彼女のに比べたら見る影もないものでしかなかった。
その上、彼はシュヴィとカイドウという強敵の二枚看板を同時に相手取らねばならなかったのだ。
シュヴィのばら撒く破壊が。カイドウの放つ覇気が。
超常のチャフとなり、リップという本命を巧みに隠す。
彼らの狙いは、実に巧妙でよくできていた。
ただ一つそこに誤算があったとするならば。
ガンヴォルトが解析と思考のリソース、そのほとんどを常に地上の二人へ割きながら戦っていたこと。
唯一さっきの桜幕による分断だけは危なかったが、逆に言えばそれでも一秒程度しか遅れを取ることはなかった。
それほどまでに、あの喪失は彼にとってトラウマで。
そしてそれほどまでに、小鳥との誓いは彼にとって大切だった。
『さとうを、守って』
今も脳裏に響いているその声が。
彼に、二度目の喪失(うんめい)を破壊させる。
蒼き雷霆。ガンヴォルト。
その輝きは英雄となりて。
今、遂に間に合った。
「マスター……っ!」
リップへの追撃は、シュヴィが割って入ったことで防がれた。
しかしガンヴォルトも、簡単には諦めない。
小鳥の仇。あの純朴な、春風のような少女の未来を奪った男。
これは戦争だ。殺すことは罪ではなく。殺されることは、単なる巡り合わせの悪さでしかない。
ガンヴォルトはそう理解している。
だから、リップに道義に基づいた怒りをぶつけることはしない。
彼自身を糾弾したい気持ちを燃やしているわけでも、ない。
――だが逃がさない。その為に、此処に来て雷霆の少年は更に出力を跳ね上げる。
「……いいよ、アーチャー」
当然、その分の負担はさとうに押し寄せる。
強化形態の継続運用はただでさえ疲労が大きいというのに、その上こうして出力のギアを上げれば更に消耗は巨大化する。
しかし、さとうはそれを受け入れた。
背負うから、好きにやってと。
そう彼を赦し、そして彼に託した。
「あの子の仇、取ってきて」
無言の首肯で、その主命に応じ。
ガンヴォルトの雷剣が、一撃でシュヴィのイミテーション・ケイオスマターを破壊した。
-
機械の瞳が見開かれる――驚愕に。
偽槍とはいえ宝具に見劣りしない強度はある筈なのに、それを叩き切るなど尋常ではない。
かつてない危機感の中、相棒を援護するためにリップは走刃脚から光を飛ばす。
だがそんなもの、彼女達を"見ている"ガンヴォルトにとっては何ということもない茶々だ。
飛ばした避雷針で軌道を反らして無効化し、進む足を止めることさえしない。
「離脱だ、アーチャー!」
「うん…………! ……【典開】……!」
流石に分が悪い。
皮下の桜も、ガンヴォルトに対して足止めすらできていない状況だった。
だからこそシュヴィは此処で、マスターを連れたまま空に逃れることを決める。
「『一方通行(ウイン・ヴィーク)』……!」
空間をこじ開けての瞬間離脱。
桜の海から、曇天の空へ。
移動した瞬間に、シュヴィを襲うのは黒い凶影だった。
地獄のヒーロー。
デビルハンター。
鬼を滅ぼし、女王を斬り、今再び地獄の釜を開けてこの地に蘇った悪魔が刃音を響かせながら斬りかかってくる。
転移先を読まれていた――その恐るべき殺し勘に戦慄するが、身を凍らせている暇はない。
イミテーション・ケイオスマターを再構築し白兵戦に対応。
……しつつ、天から襲ってくる神罰さながらの落雷をあらん限りの火力武装で打ち消す。
稼げた時間は微小だが、これでいい。
何故ならあの怪物が、一人だけ蚊帳の外に置かれて大人しくしている筈もないのだから。
シュヴィの予想通り、身を焦がすような鬼気を滲ませながら、標的を自分に切り替えたチェンソーマンを襲う巨影が駆け付けてきた。
「おれを無視してんじゃねェって、言ってんだろうが……!」
「…………!」
「言葉が通じねェんならよォ――死んで覚えやがれェ!」
降三世引奈落。
カイドウの大技は、防御の構えをまったく無に帰させながらチェンソーマンを空中の攻防戦から退場させた。
それは一見すると、彼が不覚を取ったように見える。
だが次いで地上で繰り広げられた光景に、カイドウは唇を噛まずにはいられなかった。
-
チェンソーマンは墜落する過程でチェーンを伸ばし、立体機動を行い座標を調整。
その上で、地上に取り残されたさとう達への攻撃を再開しようとしていた皮下の初撃を潰した。
着地までの過程で三十七体の桜坊を斬殺し、着地して二人を狙う桜の侵攻を押し留めながら、チェーンによる薙ぎ払いで残りを鏖殺。
手駒を全て潰すなり、少女二人をひょいと抱え上げると――そのままその足で皮下真の抹殺に向かう。
「はッ――やっべえなこりゃ」
炎熱。凍結。質量に任せた圧殺攻撃。
ほとんど濁流と言っていい勢いで押し寄せる桜の暴力に、チェンソーマンは何も特別なことをしない。
正面突破する。ただ殺す、ただ切り裂いて突き進む。
海割り神話をこの上なく暴力的な手段で再構成したカリカチュアのような、身も蓋もない蹂躙劇。
万の花が咲き乱れているのなら、その全てを根切りにしてしまえばいいだけだろうと。
あまりに無体な理屈を突きつけ実践してくるチェンソーの彼は、今の皮下ですらまったく手に負えない相手と言う他なかった。
「ライダー、てめえッ! このおれを利用しやがったな……!?」
が、それを黙って見ているカイドウではない。
何より彼を憤慨させているのは、自分の乾坤一擲の一撃が体のいい移動手段・加速装置として利用されたことだった。
チェンソーマンはあの時、わざとカイドウの降三世引奈落に直撃した。
少なくとも彼であれば、もっとスマートで負担の少ない形で凌ぐことは可能だった筈なのだ。
しかしあの状況では、自力で地上まで急ぐよりもカイドウという体のいい馬鹿力持ちを頼る方が手っ取り早かった。
だから実行し、当たり前のように成功させた。
代償に全身の骨という骨が砕けたが、所詮その程度。
不死身ゆえのふざけた理屈を大真面目に貫きながら、彼はしお達を守る仕事をしっかりこなしてのけた。
それが、カイドウにしてみれば気に入らない。怒髪天を衝きながら剛撃一閃、血塗れのヒーローと打ち合う。
「気に入らねェ野郎だ。此処まで舐めた真似されたらよ、晒し首にでもしねェと気が済まねえな」
地面へ投げ出される、さとうとしお。
クーポンの影響でさしたる傷にはならないし、あのまま抱えたまま戦われるよりはこれでもずっと安全だ。
カイドウは速い。数メートルの巨躯とそれに見合うだけの重量を有していながら、彼が金棒を振るう速度は音を超える。
そんな相手と戦うチェンソーマンの傍に居たなら、常人に毛が生えた程度でしかない彼女達の身体は撹拌されて只では済まないだろう。
それほどの相手なのだ、カイドウは。
四皇という生物の強さを知るしおはそれが分かるからこそ、さとうの手をぎゅっと強く握った。
死柄木弔が、ジェームズ・モリアーティが、そしてこのチェンソーマンが。
皆で命を懸けて挑み、あらゆる手を尽くしてそれでようやく倒せたあのビッグ・マムに並ぶ――もしくは凌駕さえするだろう規格外の怪物。
幼い彼女も、緊張と不安に心を苛まれずにはいられない。
祈りを捧げ、手から伝わってくる愛する人の温度で心を落ち着かせる。
大丈夫、だいじょうぶ――きっと勝てる。
信じる想いは、果たしてチェンソーの彼に届いたのか。
定かではないが、しかしその奮戦はまさに獅子奮迅と言うべきものだった。
「"軍荼利"ィ――――"龍盛軍"ッ!!」
覇王色を纏い漆黒に染まった大業物が、幾重にもブレて見える。
あろうことにカイドウが此処で繰り出してきたのは連撃だった。
ただでさえ一撃一撃が破城鎚もかくやの威力を秘めているというのに、それが嵐の如き勢いで連発されるのだから危険度は比にならない。
それに対しチェンソーマンは、その異次元レベルに研ぎ澄まされた動体視力で一発ずつ捌いていくという難行を駆使し切り抜ける。
-
一秒を十三分割して、割り振られた各個のわずかな時間で一撃毎丁寧にいなすのだ。
カイドウが剛の究極であるならば、彼のはさながら柔の究極。
負傷と衝撃による内部破壊のダメージを最低限に刻みながら、押し寄せる流星群もとい龍盛軍を斬殺する。
斬殺の嵐は確実に流星雨の終わりを見ていたが、しかしカイドウも止まらない。
連撃を打ち切り、その隙へまんまと踏み込んできたチェンソーマンに音速超えのカウンターを見舞う。
「"金剛鏑"!」
「…………!」
チェンソーマンの腹部が弾け、臓物が地を汚した。
八斎戒から放たれた衝撃波が、弾丸となって彼を撃ち抜いたのだ。
そしてその衝撃が生むわずかな後退をカイドウは見逃さない。
踏み込む――覇者の進軍。次いで轟くのは、やはりあの"雷鳴"以外にあり得なかった。
「――そォら、どうしたァ!」
雷鳴八卦、炸裂。
壮絶な破壊音が響き、チェンソーマンの背骨が破砕する。
だが、次に驚くのはカイドウの番だった。
あろうことにこの悪魔は、雷鳴八卦の直撃を受けながら。
吹き飛ぶことなく、地面に足をめり込ませて杭代わりにすることで踏み止まってのけたのだ。
「……馬鹿げた野郎だ。鋼翼の奴を思い出すぜ」
返しに吹く刃の暴風を受け止めながら、カイドウは鬼ヶ島での激戦を思い出す。
肌感覚としては、チェンソーマンと戦うのはあの忌まわしきベルゼバブと戦った時のそれに近かった。
得体が知れず、すべてが馬鹿げた規格外。
真面目に戦えば戦っただけ損をする、何とも腹立たしくそして油断のならない相手。
ともすれば、死柄木弔よりも。
真に警戒するべきはこの怪物なのではないかと、カイドウは本気でそう思う。
チェンソーの刃に脇腹を斬り裂かれれば、その激痛の激しさにも驚いた。
自分の肉体が、この刃を介して現在進行形で"殺されて"いる――こいつは自分を、狩ろうとしている。
そう理解したからこそ、カイドウは「上等だ」と牙を剥き応えた。
鬼神が再び龍へ変わる。
次の瞬間、チェンソーマンの胴にカイドウの牙が食い込んだ。
噛み砕いて殺す。咀嚼して粉砕する。
その実に怪物らしいやり方からチェンソーマンは、口内へチェーンを展開して無理やり出口をこじ開けることで逃れたが。
「守ってみせろよ? ウォロロロロロロ――"熱息"!!」
さとう達も当然のように巻き込む規模の熱息が、直後カイドウの口内へ渦巻き始めたから事態はそう簡単には解決しない。
チェンソーマンは龍の身体を刻みにかかるのを断念し、カイドウの顎を真下から蹴り上げた。
これほどの巨体を一部とはいえ浮かせるその脚力は、確かに恐るべき混沌王と並び称されるのも頷ける。
出口を失った炎は、青龍の口の中で暴発。
これによりさとう・しおの両名にまで災禍が及ぶことはなくなったが――しかし間近の彼は只では済まなかった。
牙の隙間から溢れ出した業炎に身を焼かれ、爆発で全身を蹂躙され今度こそ吹き飛ぶチェンソーマン。
とはいえ自身の体内で熱息が暴発したのだ、カイドウも無事では済まない筈だったが……
-
「切り刻んでやるよ……! "壊風"……!!」
忘れるなかれ、これは怪物だ。
この世における最強、そんな称号を欲しいままにし続けてきた超越者なのだ。
故に当然のように無反応。効いた素振りすら見せず、平然と追撃する。
鎌鼬がチェンソーマンの身を引き裂き、桜並木を鮮血で染め上げた。
しかし――重ねて忘れるなかれ。
彼が今戦っている、この悪魔もまた怪物だ。
悪魔さえ恐れ、名を聞いただけで震え慄く地獄のヒーロー。
既に無事な箇所が皆無に等しい身体で残りの鎌鼬を引き裂き、それどころかカイドウに向けて打ち返す始末。
当のカイドウも打ち返されたそれを事もなく鼻息で吹き消してしまうのだから、およそどこにも尋常な要素が存在しない。
身を焦がす炎を泳ぎ。
身を刻む鎌鼬を斬り。
竜殺し成すべくひた走る。
カイドウの龍鱗を、チェンソーの刃が引き裂いた。
迸る鮮血は、それだけでも本来ならば破格の戦果。
しかし返す刀でカイドウは覇気を纏い、尾の一閃でチェンソーマンを叩き落とした。
「"龍巻壊風"!」
強化版の天変地異を、またも斬殺して。
竜巻と鎌鼬の中に混ざって降り注ぐ火球も同じように処断していく。
それはまさに、地獄の神話の再現だった。
何度となく殺され、その度に立ち上がり、あらゆる悪魔を殺し尽くしてきた血塗れの英雄は止まらない。
やがて龍が、再び鬼神に戻れば。
鬼神は八斎戒を振り翳し、あろうことか手近な空間を渾身の力で殴り付けた。
「"皇帝"に挑むことの意味を教えてやるよ。
お、おおおおおお、おおおおおおオオオオオオオオ――!!」
瞬間、空が悲鳴をあげて震撼する。
限界を超えて鍛え抜いた覇気を武器と自分自身に纏わせ、その上で尚力任せに殴り付ける力技の究極形。
それはこの地には呼ばれていない、かつての皇帝の一人。
カイドウがまだ見習いと呼ばれていた頃、彼と同じ船に乗っていたある男の技の模倣だった。
彼が世界最強の"生物"ならば。
その男は、世界最強の"海賊"と呼ばれた。
見事な死で己の航海録を"完成"させた豪傑に敬意を表し、皇帝殺しを標榜するルーキー達へ示す現実の壁としよう。
解き放たれる震破(クラッシュ)。
世界を滅ぼす力、それを自らの力で再現する。
雷鳴八卦の直撃さえ上回る衝撃波に呑まれ、チェンソーマンはとうとう限界に達しようとしていた。
跳ね飛ばされるその半身が、糸が切れたように脱力する。
彼にとって死とは束の間のものでしかないが、しかしまったく無縁というわけではない。
死んでも蘇るだけで、死という概念自体は彼にも存在している。
-
故に今、チェンソーマンの命は尽きる瀬戸際。
八斎戒を構えたカイドウが迫る中、半身不随と化した身体をそれでも生消えるその時まで殺戮のために駆動させんとする姿は壮絶に尽きたが。
そんな彼の胸を、背後から撃ち抜くように。
桜舞う空の彼方から、一閃の光が降り注いだ。
「……おい、リップ! 余計な真似してんじゃねェぞ!!」
光が風穴を穿つ。
血が溢れ出すが、それそのものは悪魔の駆動を止めるにはこの状態でもまだまだ心許ない豆鉄砲でしかなかった。
従ってチェンソーマンをきちんと殺し切ったのは件の光ではなく、着弾してすぐに訪れたカイドウの打擲だった。
跳ね飛ばされ、停止するチェンソーマン。
しかしすぐに、胸のスターターが引かれ。
ぶうんと、悪夢の音を奏でて――地獄のヒーローは復活する。
だが。
「………………、」
無謬である筈の彼が。
微かな驚きを滲ませて、自分の胴から溢れる血に触れていた。
もう一度言おう。チェンソーの悪魔は不死身の存在だ。
故にこそ彼は、地獄のあらゆる悪魔を敵に回しながらその暴威を那由多の果てまで轟かすことができた。
手足がもげようが。
全身を砕かれ、焼かれようが。
首を切り飛ばされようが――何事もなかったかのように復活する。
それが彼という存在を定義する理(ルール)。
ああでは、今彼の身を襲っているこの事態は何なのか。
上空からの射撃で撃ち抜かれ、空いた風穴。
その傷だけが、死を覆し復活した今も変わらず残り続けていた。
単に傷痕が残っているだけだとか、そんなチャチな話ではない。
血は流れ続けているし、それに合わせて内臓の欠片が顔を覗かせている。
傷が。喰らったあの瞬間から――まったく癒えていないのである。
「……黙ってろ、海賊。俺には俺の戦い方があるんだよ」
――不死身。
どう殺されようと、何度でもエンジンをふかして復活する。
それがチェンソーマンという悪魔の理(ルール)。
「喰らったな。俺の攻撃を」
ならば。
「鬱陶しいだろうが我慢してくれ。
その傷はもう」
――――リップ=トリスタンは、まずその理を否定する。
「俺が死ぬまで、治らない」
-
◆◆
チェンソーマンは、自身の肉体に不明な異変が起こっていることを認識した。
傷が癒えない。そう大きな負担ではないが、奇妙な能力で自身の不死性に干渉されているのは明らかだった。
ならば根源を断つまで。
シュヴィに守られて空を舞う眼帯の男を殺して呪いを断つべく、地を蹴り跳躍しようとして――
足が動かず、再びの驚愕に彼は停止する。
できない。
跳べない。
ならばとチェーンを伸ばし引きずり降ろそうとする――できない。
そもそもチェーンを動かすことができないのだ。
まるで、リップという存在を害する一切の行動が禁じられているかのように。
神、悪魔。海の皇帝さえ恐れない万夫不当の悪魔が、たかが人間一人殺せずに天を仰いでいる。
「これで、お前はもう俺を殺せない」
リップ=トリスタンは、理の否定者である。
神々の醜悪な道楽に巻き込まれ、望んでもいない力を授けられた運命の犠牲者である。
彼は命を救うべく立ち上がった者。
自分の全てと呼べるほど、大切だった少女。
その運命を覆すために、メスを取った一人の医者。
しかし、神は。そんな決意と努力を嘲笑うように――彼に、命を奪う力を与えた。
その名は不治(アンリペア)。
ありとあらゆる"治"の否定。
リップが与えた傷は、彼が死ぬまで絶対に治らない。
それは単純な治療行為のみに留まらず適用される。
リップは先ほど、わざわざご丁寧に自身の能力の種をチェンソーマンへ語って聞かせた。
彼ほどの理性的な男が、驕りや嘲りのためにそんな無駄を冒すなどあり得ない。
あれは単なる手の内の開示ではない。
自身の否定能力――不治の力を最大限に働かせるための、"攻撃行動"だ。
「俺を殺せば……傷が治っちまうからな」
あらゆる治療行為の否定。
その中には、治の否定者たるリップ本体を殺して能力の影響を取り除く行動すらもが含まれる。
故にチェンソーの悪魔は、もう彼を攻撃できない。
瞬間のことだった。リップは先ほどチェンソーマンを撃ち抜いた走刃脚を用いて加速し、一気に地へと降る。
-
走刃脚は古代遺物(アーティファクト)。
神の道楽のために繰り返す世界の中で、形も性質も一切変えることなく残り続ける道具達の一つ。
古き世界の記憶を宿すこれら遺物は、魔術世界で言うところの神秘に区分される性質を宿している。
だからこそ、リップはサーヴァントであるチェンソーの悪魔に傷を付けることができたのだ。
サーヴァントさえ貫き、血を流させる極めて高性能の武装。
そんなものを英霊以外の生命体に使ったならどうなるかなんて――改めて考えるまでもないだろう。
「行かせると、思うか……!」
真っ先に止めに入るのはガンヴォルト。
不治の影響を受けていない彼は、今もリップを殺すことができる。
加減なしの雷霆を放つ構えを取った――そんな彼を、お返しとばかりにシュヴィが止めた。
「……そっちこそ、行かせない……ッ」
典開――『通行規制(アイン・ヴィーク)』。
その用途は、厳密に言えば防御ではなく、迫る攻撃を"逸らす"ことに重きを置いている。
……かつて。龍精種の【王】の咆哮を逸らすために用い、最愛の人の故郷を焦土に変えたこれを。
人類種の少女達を間接的に殺すために用いるというこのシチュエーションは、さながら道を過った女への皮肉じみていた。
だが、武装は彼女の思惑通りの働きをこなす。
もはや正面から防ぐのは至難なほどに猛りをあげているガンヴォルトの雷霆を、リップを目掛け放たれたそれを――『通行規制』は無慈悲に逸らす。
明後日の方へと消えていく誓いの雷は、彼らにとっての絶望の象徴か。
自分の思考回路に割り込んでくる悔恨と呵責のノイズ。
それを振り払うように、シュヴィは眼前の敵手を消し飛ばすべく最大火力を放つ準備を開始した。
――彼女の方を、リップ=トリスタンは振り向かない。
振り向かぬまま、走刃脚を最高速で稼働させて地まで向かう。
標的の少女達を囲うように出現した皮下の桜は、チェンソーの悪魔が振り抜いたチェーンの鞭撃によって一掃されたが、構わない。
(治癒行為の禁止。そこには、少なくない例外がある。
あれだけ無茶苦茶してくる奴なら、能力の穴を突いて強引に殺しに来る可能性も否定はできないが)
そう、例えばそれは。
リップの知る、とある"不死"者のように。
それをされてしまえば、彼以上の身体能力で殺しに来るあの悪魔相手に自分ができることは皆無に等しい。
ほぼほぼ間違いなく殺されるだろう。引き裂かれ、切り刻まれ、人殺しの咎人に相応しい死に方を用立てられるに違いない。
そんな危険性を文字通り身を以って引き受けてくれるのが、もう一体の怪物。海賊カイドウだ。
(カイドウは馬鹿じゃねえ。口で何と言おうが、俺達の狙いはちゃんと理解してる筈だ。
チェンソーのライダーは奴が止める。雷霆のアーチャーは、シュヴィが止める。
皮下を余力で牽制することはできても――俺を止め切ることは不可能だ)
走刃脚を装備したリップは、その性質上死神に等しい。
此処でも彼の不治が。この忌まわしい能力が、腹立たしいほど彼の背中を押す。
既にリップの速度は時速数百キロに達していた。
出力最大、最速状態。それはもはや、地獄からの回数券で増強(ブースト)した眼でさえ追い切れない域に達して余りある。
これだけの速度から繰り出される、治療不可の一撃。
掠っただけで終末が確定する、死神の鎌。
どう考えても少女達は詰んでいた。
しおが皮下に見せた"奥の手"も、種の割れた今ではまともに機能するとは思えない。
「友達の件は悪かったな。だけど、諦めてくれ」
酷薄な宣告を、一つ。
呟いたリップに、さとうは逃げるでもなく歩み出た。
-
「さとちゃん、だめ……!」
「ごめんね、しおちゃん。
でも、これは私がやらなくちゃいけないことなんだ」
その右手には、一振りの短刀が握られている。
元は"割れた子供達"の一人が持っていた、今のさとうにとっては唯一の得物。
皮肉なほどにその感触が手に馴染んだ。
小鳥を殺したあの時を、否応なしに思い出させてくれる。
制止するしおに一言だけ告げて。
さとうは、迫るリップへ無謀と分かって踏み出した。
――言葉を交わす気なんて、少しもない。
――あの子を殺したことを責めるつもりも、ない。
――自分にその資格があるとも、思っていない。
そもそも、彼女が自分に対して平気な顔で接していたことがまずおかしいのだ。
自分がそれに対して応えていたことも、まるで以前のままみたいにつるんでいたこともそう。
自分は殺した側。奪った側で。あの子は殺された側。奪われた側なのに。
それでもあの子は、生きていた頃とまるっきり同じだった。
ぱたぱたと健気に走り回って、誰かの世話を焼いて。いつでも明るくて、そのくせ弱い部分はちゃんと弱くて。
――思わず、何か勘違いをしてしまいそうなくらい。
――飛騨しょうこは、あの頃のままだった。
(……ごめんね、しょーこちゃん。
私、きっとあなたのためには戦えない)
しょうこの死を悲しむ資格は、自分にはない。
その役目はあの心優しい雷霆なんかがやればいい。
だってほら、この通り。
自分は今だって、自分を助けて死んでいった少女を取り戻そうだなんて欠片も考えていないのだから。
求めるのは自分達の幸せな未来だけ。
その閉ざされた世界に。
賑やかな小鳥の囀りは、存在していない。
(だからこれも、きっと自分のため。
でも、それじゃいくらなんでもあんまりだから)
これは、自分としおのためだ。
願い求めたハッピーシュガーライフのため、ただで殺されてなんかやれない。
だから無謀だろうが挑んで、未来を切り開くしかないとそう考えた故の行動だ。
でもそれじゃあんまり、死んでいったあの子が気の毒だから。
さとうは、武器を握って戦う理由の中にひとつ。
あの子のぶんの重みを、加えてあげることにした。
(さ。いくよ、しょーこちゃん――)
愛する人は、この世にひとり。
でもきっと、友達と呼べる人間もこの世にひとりだ。
さとうがあれほどまでに自分という人間を、その中身をさらけ出した相手は他にいなかった。
短刀を握る手に力が籠もる。
迫る相手を見切るなんてことは、人を殺した経験が多少あるだけのさとうにはできるわけもない。
勝ち目はゼロに等しい。それでも、今此処でこの役目を自分が引き受けなければすべてが失われると分かっていたから恐怖はなかった。
リップが迫る。その風圧を感じながら、さとうは願う。
-
もういない、たったひとりの友達に。
一度はこの手で殺したのに、それでもまだ纏わりついてきたあの小鳥に。
そんなことを求める資格なんてないと分かっていても――それでも願った。
あの子ならきっと聞いてくれるだろうからと、そんならしくない甘えを抱いて。
「――お願い。私に、少しだけでいいから力を貸して」
生きるか、死ぬか。
彼女達と彼らの未来を占う一瞬が、遂にその幕を開けようとした。
その瞬間、だった。
「――――言った、だろう」
声が、響く。
満身創痍の、掠れた声。
骨の髄から振り絞るような声は痛ましく、されど清澄な覚悟に満ちていて。
天から響くその声が、リップへ、さとうへ、そしてどこかで見守るあの小鳥へ――強く強く、響き渡る。
「もう何も、奪わせないと――――!!」
-
◆◆
――うたが、きこえる。
――いつかのうた。
――あのこの、うたが。
ガンヴォルトの元で猛る魔力/電力。
その出力が急激に、跳ね上がっていく。
これまでのですら、十分過ぎるほどに出力過多であったというのに。
それがただの前座でしかなかったとでも言うかのように、輝くものが溢れては収束を重ねひとつの神秘へと収斂していく。
誓いの結実。
紡いだ絆と、乗り越えた場数の昇華。
ガンヴォルトがこの界聖杯で成してきたすべてが。
彼というサーヴァントの周りにあったすべての縁が、その輝きを作る礎だ。
威信(クードス)が集約されていく。
諦めず、愚直なまでに誓いを守り続ける少年の想いに寄り添うように、それは形を結び過去最大の輝きを編むに至っていった。
「――ッ……! 出力、最大! イミテーション・ケイオスマターの結合を解除、開帳予定の武装への統合を開始…………!!」
それを最も最初に脅威と認識したのは、彼との直接戦闘に及んでいたシュヴィ・ドーラであった。
例外を除けば自身が保有する中で最高の殲滅力を誇る武装の開帳に、予定になかったケイオスマターの合成を開始し威力の底上げを図る。
それほどまでに手を尽くさねば、きっと凌ぎ切れない。
押し潰すのではなく、自然と凌ぐことを考えて思考を回してしまう。
聖性を意味する白に。
破壊を意味する黒が、混ざる。
陰陽を描く太極図のように白黒混在した渦が生まれ、天翼の秘技は鋼翼の混沌によって穢される。
出力は最大をさえ超えて、その先へ。
すべては目の前の脅威を排除するために。
そのためだけに全力を尽くし、シュヴィは満を持して最大の一撃を解き放った。
「【典開】――――『偽典・混沌天撃(バアルゼブル・アポクリフェン)』ッ!!!」
『天撃』+『ケイオス・レギオン』。
いずれもまがい物同士なれど、禁断の融合であることに変わりはない。
かつて彼女を殺した天翼種の女に、滅殺された鋼翼の覇王。
彼らでさえ直撃すれば致命傷、それどころか即死にすら繋がるだろう輝きが爆裂する。
-
しかし――
ガンヴォルトは、不動だった。
焦りもしない。慌ても、しない。
彼はただ、下だけを見ていた。
守るべき者達だけを見て、佇んでいた。
「――掲げし威信が集うは切先。
――夜天を拓く雷刃極点。
――齎す栄光、聖剣を越えて……!」
天撃。
混沌。
知ったことか――邪魔だ。
これは聖剣をさえ超える輝き。
「越えろ…………!」
彼女達の愛と。
小鳥の祈りに報いる、安らぎの光。
裂帛の気合と共に紡がれた祝詞に応えるように、一振りの巨雷剣が出現して。
「《GLORIOUS(グロリアス)――――――――――――――STRIZER(ストライザー)》ァアアアアアアアアアアッ!!!!!」
混沌が、裂ける。
天撃が、爆ぜる。
その輝きは、混沌の天撃を一撃の下に粉砕した。
否、それだけでは止まらない。
小鳥殺しの否定者と、夜桜前線の主。彼と盟を結んだ、餓える海賊。
彼らが殺し合う桜漬けの大地へと、ガンヴォルトはシュヴィの生死を確認するのも待たずに最高速度で臨んだ。
すべきことは一つだ。さとうを救出し、この場を離脱する。
出力。速度。いずれも、常に最大。
霊基は過剰な出力で今にも張り裂けそうだったが、そんなことは些事と断じて無視する。
「アーチャー……!」
ガンヴォルトではなく。
自身の相棒の方へと、リップが一瞬意識を逸らした。
彼は目的のため、どこまでだって非道になれる男だ。
事実リップにはその覚悟があり。だからこそ、此処まで幾多の血でその手を汚すことができたのだろう。
だが、しかし。彼という男は冷徹ではあっても、冷血ではない。
一月の間、寝食から戦い、作戦のすり合わせに至るまであらゆる時間を共にしてきた相棒。
自分の願いを叶えるために、歪めてはならない信念まで歪めてくれた。
そうまでして、このどうしようもない男に寄り添ってくれた――たったひとりのサーヴァント。
その身を案じる気持ちが。ほんの僅か/ほんの一瞬だけ、さとうを殺さねばならないという使命感に勝ってしまった。
彼は、情を捨てたのではない。
情を、押し殺しているだけだ。
彼もまた、愛のままに生きる男だから。
そしてこの窮地で、ほんの僅か顔を覗かせたその"情"を。
どこまでも苦く研ぎ澄ました殺意のみを纏っていた男が滲ませたその甘さを――松坂さとうは見逃さない。
-
さとうは、短刀を投擲した。
刺すのでも、斬るのでもない。投げた。
用途を知らない子どものような稚拙な攻撃。
しかし。地獄への回数券を服用し、超人と化した今の彼女ならば。
一枚で鼠が羆を殺し、素人が格闘技の世界王者に圧勝できるほどの力を得られる近代麻薬の大傑作。
道を極めるその工程を吹き飛ばし、力をもたらしてくれるそれを口に含んでいる、今のさとうが投げたならば。
それはもはや、やけっぱち紛いの悪足掻きではなく。
はるか格上の手練れをも殺傷し得る、鋭い殺意の刃となる。
「……づ、ッ……!」
リップの胸に、短刀が突き刺さり。
それは彼の胸板を貫通して、激しい鮮血を撒き散らさせた。
意識が薄れる。即死しなかったのは奇跡だと言っていい。
だが致命傷であることに疑いの余地はなかった。
たまたま心臓を避けているだけで、重要な血管は何本も文字通り断ち切られ現在進行形で命の源を外に垂れ流し続けている。
死ぬ。
死が迫っているのが分かる。
小鳥を殺した咎人へ。
小鳥に愛された少女が、応報を与えた。
リップは、仕損じてしまったのだ。
捨て切れなかった甘さの断片。人間性の、最後のひとつ。
それが彼の首を絞めた。彼を、死へと追いやった。
だが――
「まだ、だ……!」
そんな結末をも、リップは壮絶な形相で否定した。
頬の肉を噛み潰して、失血で薄れる意識を強引に覚醒させ。
走刃脚を全力で駆動させ、周囲へなりふり構わず鎌鼬を撒き散らす。
ガンヴォルトに阻まれるのは想定の範囲内だ。
あくまでも意図は牽制。一瞬、ほんの一瞬でも猶予を作れればそれでいい。
-
――地獄への回数券。
一介の女子高生を、古代遺物持ちの否定者をすら殺傷し得る超人に変える驚異の薬は、何も彼女達だけの専売特許ではない。
リップの懐にも、紙片程度のサイズながらクーポンが入っている。
幸い、腕や脚をやられたわけではない。
クーポンを服用すれば、あの異常な回復力でこの程度の傷は簡単に癒せる。
重要なのは、クーポンを口に運ぶ一瞬の隙を作ること。
だからこそリップはまず、自分への攻撃の手を止めさせることに腐心した。
クレセント。そう名付けた三日月状の斬撃/鎌鼬を、氷上を舞い踊るスケーターのように激しく舞いながらばら撒いていく。
激しい動きの代償に出血は加速し、ただでさえ迫っているタイムリミットへのカウントダウンが更に加速したが――気に留める暇はなかった。
(死ねない……! 死ねるか、こんなところで……!
神も、あいつの墓標もない――こんな辺境の世界で!
この夢を、この願いを……終わらせるわけには、いかないんだよ……!!)
……この時。
リップ=トリスタンが狙っているのは、あくまでも松坂さとうだった。
何故なら神戸しおのサーヴァントは不治に囚われ、その上カイドウによって足止めを食らっている。
故に脅威とは判断せず、ガンヴォルトを食い止めるためにさとうを攻め立てることをこそ第一に考えて行動していた。
だが、無論。
これほど激しくがむしゃらに舞いながらクレセントを放てば、その破壊はほとんど360度/全方位に向かい放たれることになる。
リップの狙ったさとうにはもちろん。
厳密には彼の狙いの外にいたしおにも、不治の鎌鼬が降り注いでいく。
そのことに最初に気付いたのは、さとうだった。
続いてガンヴォルトが気付く。チェンソーの悪魔も、恐らく同タイミングだったに違いない。
しかし――
「おおっと。駄目だぜ、うちの総督をこれ以上袖にしないでやってくれよ」
悪魔の行く手を阻むように。
これまでで最大サイズの、桜の幹で編まれた巨壁が出現した。
それはチェンソーマンにしてみれば、もちろん容易く切り破れる薄壁でしかなかったが。
壁を刻んだその瞬間、カイドウの一撃が主の元へ向かわんとする彼を叩き潰す。
「よくやった、リップ。お前のおかげで厄介なのを落とせそうだ」
嗤うのは、皮下真。
愛を自覚し、この戦端に火を点けた夜桜の魔人。
彼は神戸しお――チェンソーの悪魔を従える少女を排除できるこの好機を見逃さなかった。
チェンソーの悪魔は、死柄木弔にも匹敵する目下最大級の脅威。
想定以上の強さを見せるガンヴォルトも厄介ではあるが、不死という性質を加味すればより邪魔臭いのは間違いなく此方だろう。
だからこそ此処で皮下は、その妨害に全力を尽くす。
助けになど行かせるものかと、新たな季節を拒む常春の桜並木を顕現させてカイドウと共に悪魔を阻み続ける。
不治。夜桜。そして、この世における最強の生物。
三種三重の"壁"と"蔦"に絡め取られては、不死身の英雄もそう容易くは抜け出せない。
そしてその間にも。
事態は既に、取り返しのつかない状況にまで進んでいた。
-
「あ……」
クレセントの刃が、しおに向かい迫る。
しおは、取り乱すことはしなかった。
彼女の中にあったのは、自分でも驚くほどあっさりとした感情。
私、此処で死んじゃうんだ――そんな悟りめいた諦観が、その他あらゆる感情を無視して胸の中に広がっていく。
不治の鎌鼬。
クーポンの効き目など、これの前では何一つ意味を成さない。
手足の欠損程度に留められたのならまだ巻き返しようもあるだろうが、軌道は明らかに胴体への直撃コースだ。
走馬灯、という言葉を聞いたことがある。
曰く、死に瀕した人が最後に見る夢のようなものなのだとか。
なら、今のこれも"そう"なのだろうか。
目の前にあるのは、ただ無慈悲に迫ってくる"死"で。
脳内に溢れるのは、愛しい人との記憶ばかり。
――ああ。
――せっかく、会えたのにな。
むせ返るほどに甘くて。
うっとりするほどに幸せで。
そして、どこまでも満たされる。
さとちゃんといる時間は、いつだってそうだった。
だから最後に、大好きな彼女と一緒に過ごせたことは嬉しかったけれど。
それでも――やっぱり、もうちょっと一緒にいたかったな。そんな気持ちはどうしてもあって。
――あ、そうだ。
――さいごに、さとちゃんになにか言わないと。
――なにもいえないままおわかれだなんて、さびしすぎるもんね。
引き伸ばされた最後の時間の中で。
しおは、小さな頭でああでもないこうでもないと言葉を絞り出す。
その結果、ちょっとよくばりになった少女は二つ言い残すことにした。
どっちも、どうしても伝えたかったこと。
となれば、後はありったけの笑顔だ。
「さとちゃんっ」
恐怖がないのは幸いだった。
愛する人へ最後に向ける顔は、やっぱり笑顔が一番だと思うから。
「ごめんね。ありがとう!」
うん、これでいい。
これで――。
ざしゅっ。
びちゃり。
-
◆◆
『――さとちゃん!』
淡くて、脆くて。
あなたとの時間は、いつだって溶けてしまいそう。
『私ね、友達がたくさんできたんだよ。さとちゃんは嫌がるかもしれないけど、みんなでがんばってここまでこれたの』
やがて終わるのなら。
『だいすき、さとちゃん。またあえて、ほんとにうれしい』
枯れて果てるのなら。
『ごめんね。ありがとう!』
この愛をくれたあなたに――
-
◆◆
ガンヴォルトの想定を崩したのは、リップの見せた意地だった。
常人ならショックで即死に至っても不思議ではない、致命傷。
大動脈を断たれながら、それでも彼があれほどの暴れぶりを見せたこと。
クーポンを服用していなかった筈の彼が、自らの意思――失った愛への執念だけで人の限界を超えたこと。
……それでも。
ガンヴォルトの背中には、小鳥の翼が生えていた。
それは、彼女の遺命。
命を散らした少女が、最後の最後に残した言葉。
さとうを、守って。
令呪の輝きと共に刻まれたその誓いが、彼の足を速めた。
そして彼は、間に合った。
蒼き雷霆の少年は今度こそ、守りたいものを守ることができたのだ。
ただ一つ。
ほんの一つ、そこに理想と違うことがあったとすれば。
それは、彼の前に立ち塞がった今度の運命は……二つ、あったということ。
それはさながら、制御を失い暴走するトロッコだった。
線路は二股に分かれていて、そのどちらにも人が居る。
トロッコの行き先を操ることはできるが、停車させることはできない。
――どちらか片方は、必ず死ぬ。救う命と、殺す命を選択せよ。
そんな使い古されたチープな命題を思わす状況が、現実の産物として彼の前に広がっていた。
ガンヴォルトの答えは、決まっていた。
守るべき誓いは、彼の中に今もある。
それに抗う気はなかった。
松坂さとうを救う。神戸しおを、切り捨てる。
小鳥の愛した親友を助け。砂糖少女の愛する天使を、殺す。
迷いはなく。
迫るクレセントの撃墜は、滞りなく行える――その一方で。
ガンヴォルトはどこかで、これから起こるだろうことを悟っていた。
――最初。
この少女に対する印象は、最悪だった。
自分の都合で親友をすら殺し、そのくせのうのうと付き合い続けている異常者。
もしも不穏な兆候があれば、その時はこの手で処断しようと思っていた。
-
でも、それが単なる倒錯でも、ましてや妄念の類でもないことはすぐに分かった。
彼女の語る"愛"は、本物だ。
彼女は本気で、誰かのことを愛している。
その愛のためになら、何にでもなる覚悟を持っている。
迷いながら、傷つきながら、時には涙だって流しながら。
それでも進み続ける姿を――いつからだろう。嫌いだと思えないようになったのは。
『アーチャー』
頭のなかに、声が響く。
ああ、と思った。
悲しみはある。やるせなさも、ある。
でも、怒りはなかった。
あの子の命をなんだと思っているのかと、そう怒鳴る気にはどうしてもなれなかった。
むしろあったのは、納得。
そして諦めにも似た、感慨だった。
確かにキミは、そうするだろうな。
キミは、誰よりも愛の深い子だから。
キミは――そうしてしまうだろう。
ボクに、そうすることを求めるだろう。
それが生む結果を、知りながら。
それでも、キミは。愛のために、そうするだろう。
『……本当に、駄目か。
考え直しては、くれないか』
『無理、かな』
『キミの気持ちは、知っている。
キミがそうすることに、理解はできる。
でも――ボクは、それをしたくない。だって、それは……』
『あの子の気持ちを、裏切ってしまうことだから。でしょ』
ああ。
まったく救えない話だが、きっと自分が彼女を悪しく思わないようになったのはこういうところなのだろう。
松坂さとうは、人殺しだ。彼女の手は罪と血に穢れている。
彼女は、愛のために人を殺すことを厭わない。
自分の大切な気持ちを貫くために、何かを踏み躙ることを躊躇しない。
そしてそれは――自分自身でさえも、例外ではないのだ。
彼女はこの世界で、あの優しい小鳥と過ごす中で……そんな答えを見つけたように見えた。
-
『わかってる。全部、わかってるよ』
『……だったら』
『でも、ごめんね』
トロッコを停めることはできない。
その行き先は、二つに別れていて。
どちらか一方で、その車体は必ずひとりを轢き殺す。
ガンヴォルトは、さとうを選んだ。
でも、さとうは――。
『この気持ちのことは、嫌いになりたくないんだ』
彼女の右手に刻まれた、刻印。
その最後の一画が、強い輝きを放った。
それと同時に、ガンヴォルトの身体に魔力が流れ込んでくる。
『お願い、アーチャー』
最後の令呪を使って紡がれる命令。それがなにかなんて、もう聞くまでもなく明らかだった。
『しおちゃんを、守って』
命令の重ねがけ。
小鳥の祈りが、甘い願いで塗り替えられる。
さとうは、答えを見つけた。
その時から、終わりは決まっていたのかもしれない。
ガンヴォルト自身、彼女がしおと再会を果たした時から。
心のどこかで、こうなることを感じていたのかもしれない。
違うのは、それが遅いか早いかだけで。
いずれ、さとうは――その"答え"に殉じてしまうと。分かっていたのかも、しれない。
-
『キミは、ひどい女だ』
『……うん。自覚してる』
『でも。だからこそ、キミなのか。さとう』
『うん。愛があるから、私なの』
『…………キミらしい答えだ。でも、少し変わった気がする』
『そう?』
『ボクに、キミの命令を弾くほどの力はない。
だけど――どうか、最後にひとつだけ聞かせてくれないか』
令呪が、ガンヴォルトの身体を"答え"の方へと突き動かす。
撃ち落とす筈だった鎌鼬へ、雷霆が飛ぶことはない。
そうしていたら間に合わないからだ。
未だ残る未練とは裏腹に。彼の身体は、皮肉なほど効率的に駆動した。
じきに、すべてが終わる。
さとうを糾弾する気にはやっぱりなれなかった。
これができなければ、それはもうさとうではない。
飛騨しょうこが命を懸けてでも守り抜いた、彼女の大切な友人ではないのだ。
けれど最後に、せめて。
せめてこれだけは聞きたかった。
『キミにとって――この世界であの子と過ごした時間には、意味があったかい?』
そんな、ガンヴォルトの質問に。
さとうは、小さく笑ったように見えた。
そして。
『……そうだね』
砂糖少女は、その脳裏に小鳥の笑顔を思い描きながら。
『苦くはなかった、かな』
そうとだけ、答えた。
水っぽい音が一つ、鳴った。
それと同時に、空から光の雨が降ってきて。
そして――
-
◆◆
殺った。
リップはそれを確信しながら、自身の口内へ地獄への回数券を放り込んだ。
紙片から溶け出す薬効、身体の節々にまで瞬時に伝わっていく覚醒作用。
今にも消えかけていた意識が鮮明化する。
出血が止まり、心臓はその埋め合わせとばかりに大量の血液を即時生産する。
視界の端で、血を噴き出しながら崩れ落ちる桜髪の少女の姿が目に入った。
しかし感慨や達成感に浸っている暇はない。
更に言うなら、この"感情"に向き合っている余裕もない。
――そうか。庇ったのか、あの女。
松坂さとうは助かる筈だった。
リップが意図せずして迫っていた二者択一。
雷霆のアーチャーは、間に合う筈だった。
だがそれを、恐らくさとう自身が拒んだ。
彼女を守る筈の雷霆は、主へと迫る"死"を素通りして。
切り捨てられる筈の小さな少女を、守った。
そこにあった、"愛"に。
自分の命すら擲つ献身に。
思うところがなかったと言えば、きっと嘘になる。
リップは情を捨て切れず、それを麻痺させる方法だけ学んできた男だから。
少女の選択は、痛みとまではいかずとも――確かな苦さを彼に与えていた。
だが、もう一度言うがそれに向き合っている暇はない。
走刃脚は無茶な駆動と、"雷霆"が放つ電撃の余波で半壊状態だった。
今すぐにでも此処を離脱しなければ、せっかく繋いだ命が無為に終わる。
シュヴィが放った牽制射撃を隠れ蓑にして、リップは失敗の代償をごく利口に支払っていく。
空に、雷霆が跳ぶのを見た。
自分よりも、何とか生き残っていたシュヴィの確実な撃破を優先したのか。
(だとしたら、却って好都合だ……二度目の喪失は堪えたらしいな、アーチャー)
だとしたら、それは愚策だ。
リップは内心で悪役めいた揶揄をしながら、悠然と生を繋ぐ。
令呪はまだ二画残っている。
此処で令呪を使い撤退してシュヴィを回復に努めさせれば、この戦いは自分達の事実上の勝ち逃げということになる。
-
ガンヴォルトの"強化形態"について、リップは知識を持っていなかったが。
あのレベルの急激な霊基強化が永続的なものであるなんて話は、十中八九ないだろうと踏んでいた。
つまりマスターであるさとうを殺せたなら、それ以上まともに相手をする理由がない。
後は逃げて魔力を使い切らせ、元の霊基に戻らせればそれでほぼほぼ無力化は完了する。
記憶の共鳴により多少強化されているとはいえ、強化形態さえ解ければシュヴィの敵ではない。
だからこそ。
ガンヴォルトは此処はシュヴィではなく、リップを狙う必要があったのだ。
彼は自分から詰みの方にひた走ってしまった。
馬鹿な奴だ。演技がかった冷笑は、一度は乱れかけたリップの心を実に効率よく麻痺させてくれた。
――リップの横を並走するように、赤黒い何かが飛んできた。
――訝しげに眉を顰める、リップ。
――最初は球体に見えたそれが、どうやら誰かの"心臓"であるらしいと分かった瞬間、彼の脳裏をある不死者のシニカルな笑顔が過ぎった。
「悪いな――不死(それ)はもう知ってんだ」
心臓が、弾ける。
いや、そう見えただけだ。
実際には、弾けるように再生した。
抉り出して投擲した心臓から、チェンソーマンが再生する。
不治の否定能力には、穴がある。
治療意思を持たない行動。
例えば、攻撃のための傷口の切除。
不死の屁理屈は、しばしば不治の理を力ずくでねじ伏せる。
忌まわしい弱点だったが、しかしそれに不覚を取った経験がこの時リップを助けた。
(どんな理屈を捏ねたのか知らないが、お前はもう一つそれを練らなきゃならない。
それよりも俺が令呪を使ってこの場を離脱する方が、圧倒的に――)
動揺する必要はない。
即死さえ避けられれば、死の運命はクーポンが跳ね除けてくれる。
今この状況でも不治は変わらずこいつを苛み続けている筈だ。
であれば、問題ない。事実、リップの考えは正しかった。
如何に地獄の英雄・チェンソーマンと言えども、流石にこの状況ではリップに有利な要素が揃いすぎている。
彼は確実に仕損じる。リップの逃走が完了するまでに、間に合わない。
敵が、本当にチェンソーマンだったなら。
-
「――――あ?」
リップの腕が、宙を舞っていた。
発動寸前だった令呪が、光を失ってただの刻印に戻る。
べしゃ、と音を立てて地面に落ちたその腕は彼にとっての生命線の喪失を意味しており。
だからこそリップには、次にやってくる殺意の暴風を凌ぐすべがなかった。
Chainsaw blood。
ぶうん、ぶうんと音を立てながら。
間近で解き放たれた暴力が、リップの両足を古代遺物ごと引き裂いた。
彼の血に濡れながら佇むチェンソーマン。
その身体には――治らない筈の風穴が、どこにもなかった。
(…………馬鹿、な)
リップの頭の中で、パズルのピースが次々と嵌っていく。
散りばめられた、ひとつひとつは小さな違和感。
ガンヴォルトが何故、主の仇ではなくシュヴィを優先したのか。
チェンソーの悪魔が何故、心臓を投擲して肉体を再生させるという治癒行動を取ることができたのか。
その答えが、今になって浮かび上がってくる。
――シュヴィを優先したのではなく、シュヴィを足止めするのが狙いだったから。
――心臓を投擲するその瞬間、既に霊基の主導権はチェンソーの悪魔から彼の"器"へと移っていたから。
――霊基の入れ替え(スイッチ)で不治を解除し。
――戦闘力で悪魔に数段劣る"器"を止めさせないために、ガンヴォルトがシュヴィを引き受ける。
否、シュヴィだけではない。
彼は今、自身の霊基の未来を犠牲にして皮下とカイドウの両名すらもを引き受ける難行を果たしていた。
間断なく降り注いでいる節操のない雷霆が、その証拠。
彼は乱心してなどいなかった。
舞台はずっと、ある一つの結末のみを目指して進んでいたのだ。
-
即ち、リップ=トリスタンの抹殺。
不治の否定者を、その理ごとこの界聖杯から消し去ること。
そして手品の種に気付いた時にはもう、何もかもが遅すぎた。
「別にさ、アンタに恨みはねえよ。
俺正直、あの女のこと好きじゃなかったし。
顔は良いけど性格キツいんだもん、結構がっかりだったぜ」
変身が解ける。
チェンソーマンとしての姿から、少年デンジとしての姿に。
その片手に残るチェンソーだけが、彼がかつてそうだったことを物語る唯一の要素だった。
令呪は使えない。走刃脚は両足ごと破壊された。
地獄への回数券、破壊の八極道が生み出した"傑作"も――身体部位の欠損だけは補えない。
「けどよ……」
あらゆる思考が、脳裏に湧いては消えていく。
脳内へ警鐘のように響く、シュヴィの念話はもはや半狂乱と言ってもよかった。
だが助けの手が一向に来ないということは、つまりそういうことなのだろう。
蒼き雷霆。ガンヴォルト。ある少女を、一羽の小鳥から託されて。
そしてまた、誓いを背負わされてしまった男。
彼が、シュヴィを止めている。
その存在さえなければ、リップが生き延びる目はいくらでもあったろうに。
「……しおは、友達(ダチ)だからさ」
少女達の、愛の因果。
少年達の、愛を護る意思。
それらが、彼の命運と望んだ未来を見るも無残に切り刻んだ。
「アイツ泣かされたら、流石に黙ってられねえんだわ」
リップは諦めなかった。
何かを言おうとしたのか。
口を開きかけて――デンジはそれを待たなかった。
チェンソーの刃が、彼の首に食い込んで。
そのまま、一息に胴体から切り離した。
-
◆◆
救える命だった。
治せる、命だった。
自分の目の前で冷たくなっていく、あいつの顔を覚えている。
まるで眠るみたいに目を閉じて、静かに命の灯火を消していくあいつ。
それは、リップ=トリスタンという人間にとって決定的な挫折で。
そして、世界を呪う否定者リップが怨嗟の産声をあげた瞬間だった。
――救いたい。
他の誰を殺しても、何を失っても構わない。
最後にあの日失くしたものを取り戻せるなら、自分は何にだって手を染めよう。
誰の何だって否定しよう。
この願い、この祈り以外のすべて、すべて。
否定して、否定して、否定して、否定して……。
そうして最後の最後にただひとつ、願ったものを救えればそれでいい。
そう思っていた。
そう思って、此処まで来た。
そして、今。
リップの目の前には、死だけが残っている。
――何処で間違えたんだろうな。
――俺は、一体何処で。
何処で、と問うならば。
きっと、最初からなのだろう。
世界を呪い、犠牲を善しとし。
悲劇の痛みに心を拗らせて、その癖いつまで経っても人の情を捨てきれない。
そんな生き方を選んだ瞬間から既に、自分は間違えていたのだとリップは思う。
やってくる結末は、きっとひとつしかなかった。
まさにあの"神"が喜んで、手を叩いて笑覧するようなおあつらえ向きの悲劇/喜劇。
自分の手のひらで恥知らずに踊り狂いながら、約束された破滅へとひた走っていく運命の道化(ピエロ)。
その生き方を変える機会は、いくつもあった。
それは、元いたあのクソッタレな世界でもそうだし。
この界聖杯に来てからも、多分そうだった。
-
拒んだのは、俺だ。
他でもない、自分自身だ。
馬鹿は死んでも治らない。
そういうことかと、自嘲したくてももう表情筋すら動いてはくれなかった。
――悪いな、シュヴィ。
――俺は、雇い主としちゃ最低の部類だっただろ。
――お前は、優しい奴だから。
――俺なんかに喚ばれたりしなかったら、きっと多くの命を救えただろうな。
結局、最後まで何ひとつ報いてやれなかった。
心配ばかりかけて、苦労ばかりさせて。
やりたくもない仕事をいくつもさせて。
約束も、生き様も、何もかもを裏切らせて――そうまでして、これだ。
勝利ひとつ持ち帰れずに終わる。
馬鹿げた話だ。とんだお笑いだ。
そうだ。自分は、極まりきった馬鹿だから。
死んだくらいじゃ治らない、筋金入りだから。
だから、最後に残す言葉は決まっていた。
今にも消えそうな意識を集中させて、最期の念話をシュヴィへと送る。
『シュヴィ』
本当に、迷惑ばかりかけてしまった。
そして最期にもまたこうして、迷惑をひとつ残していく。
でも、どうしても諦めきれないのだ。
それを諦めることだけは、どうしてもできないのだ。
――俺がいて。
――ラトラがいて。
――そして、あいつがいる。
神の享楽のために奪われたいつかの日常を、取り戻したい。
あの日々に帰るためなら、自分は何だってするし、何だってできる。
何だって、できてしまう。
『――――後は、頼む』
これは、きっと呪いだ。
十分過ぎるほど呪ってしまったあいつを、俺は更に呪う。
恥知らずだと分かっている。見苦しいと、自分でもそう思う。
それでも。その見窄らしさをすべて呑み込んで、リップは無様に希った。
頼む。
お願いだ。
どうか、助けてくれ。
あいつを。
ラトラを。
……俺を。
俺たちを。
助けて、くれ。
あの笑顔のある世界に、還してくれ。
意識が消える。
命が失われる、最期の刹那に。
もう暗闇が満たすだけになったリップの中へ、ただひとつ。
――だいじょうぶ。
――あとはシュヴィが、ぜんぶやるから。
――だから、だから……
そんな声が響いたのは、果たして末期の幻聴だったのか。
答えは得ぬまま。失って、あがいて、もがいて、そうやって生きるしかできなかった男は、深い深い闇の中へと沈んでいった。
――おやすみなさい、マスター。
誰にも迎えられることはなく、しかしほんの少しの安堵感を抱いて。
世界に呪われた否定者が一人、この世界を去った。
【リップ=トリスタン@アンデッドアンラック 脱落】
-
◆◆
甘くて痛くて、飲み込めないほどの。
はじめての気持ちに、あなたの名前をつけよう。
淡くて脆くて、溶けてしまいそうだ。
やがて終わるのなら、わたしの命をあげよう。
「この愛を、くれたあなたに」
すべて、あげよう。
-
そびえ立つ桜に、背中を預けながら。
松坂さとうは、自分の死期を悟っていた。
リップはどうやら死んだらしい。
ただ、兎にも角にも打ちどころが悪すぎた。
右腕ごと腹部を半分ほど切り裂かれて、出血はとっくに致死量。
着弾の時の激しい吐血でクーポンを吐き出してしまったため、もうそれに頼った回復も望めない。
これだけ血を流してしまっていたら、持っていた残りのクーポンの薬効も溶け出してしまっているだろう。
仮に無事に使えるものが残っていたとして――それでも、助かる可能性はきっとないに等しい筈だ。
あまりに血を流しすぎたし。身体として使えなくなっている箇所が、あまりに多すぎるから。
「……よう。大丈夫――じゃ、ねえよな」
「うん。さすがに、駄目そう」
「……そうかい。なんつーか、悪かったな。守ってやれなくてよ」
「別にいいよ。今更責めても、仕方ないし」
「かわいくねえの」
「あなたにかわいいとか思われてもしょうがないでしょ」
巨大な、巨大な、桜の木。
これも急に牙を剥き始めるのかもしれないが、今のところは大丈夫そうだ。
そこにもうまともに動かせなくなりつつある身体を凭れさせて、さとうは座っていた。
「しおちゃんが、へんなこと学んじゃいそうでちょっと不安なんだけど。
しおちゃんのこと、よろしくね。私、たぶんもうすぐ死ぬから」
「へいへい。……ま、最後まで付き合ってやるつもりだからよ。安心しな」
「あなたのこと、正直あんまり好きじゃないけどさ」
「何だよ」
「しおちゃんのはじめての"友達"が、あなたでよかったとも、ちょっとだけ思うの。
なんでだろうね。こんな下品で下心満載の男なんて、しおちゃんに近付いてほしいわけないのに」
「死ぬ前に俺が殺してやろうかア〜?」
「それは嫌かな。とりあえず、連合の人たちには負けないでね。
しおちゃん、その人達のこと結構好きみたいだから……付け入られないように目を光らせておいて。
しおちゃんがすぐにこっちに来たら、承知しないから」
「親バカがよ」
「親じゃないよ。愛し合ってるもの」
「か〜ッ、甘ったるくて胸焼けするわ。お前やっぱしおの彼女だよ、そういうトコはマジで似てるぜ」
その膝に頭を載せて、彼女の天使が寝息を立てている。
自分が命を救われたことも知らずに、すうすうと眠りこけている。
その頭を撫でながら、さとうはこれから死ぬ人間のそれとは思えない穏やかな笑みを浮かべた。
-
「……よかった。アーチャーが、この子を助けてくれて」
しおの身体には、傷ひとつ刻まれてはいない。
ガンヴォルトは完璧に仕事をこなした。
さとうとの誓いを果たしてくれた。今も、果たし続けている。
砂糖少女の命と引き換えにして、塗り替えられた約束を。
「お前さ」
デンジは、腰を下ろしてさとうと目線を合わせた。
正直に言って、もう少しお淑やかな女の子だと思っていた。
だが蓋を開けてみればどうだ。デンジの入り込む隙なんて、二人の間には真実皆無だった。
こうまで来ると、もはや苛立ちや反感を通り越して感心する。
眠りこけたしおの顔を、さとうに倣うように見つめながら。
「なんでそんなに、こいつのこと好きなんだよ」
「……直球すぎ。デリカシーとか、ないのかな」
「うるせえなあ死にかけが。……お前顔いいんだしよ、別にこいつじゃなくても――男でも女でも、いくらでもいたんじゃねえの?」
そんなことを、問いかけてみた。
実際問題として、他に選択肢はあった筈なのだ。
もしも、彼女が選んだ相手が神戸しおでなかったなら。
この小さな少女でさえなかったなら――さとうはきっと、こんな世界に来なくてもよかった。
愛を守るために他人と戦うこともなく。
誰かの命を奪うことも、なく。
人並みの幸せと、人並みの愛を享受して幸せになることができていたのではないか。
少なくとも、こんな場所で。
こんな惨たらしい死に方をすることなんてなく。
もっとずっと先のいつかの日に、幸せな最期を迎えられていたに違いないのだ。
そんなデンジの問いかけに、さとうは微笑んだまま。
愛する少女の寝顔を慈しみながら、言った。
「子どもだね。わかんないんだ」
「わかんねーよ。わかりたくもねーぜ、正直」
「愛っていうのはね、代えの利くものじゃないんだよ」
自分は――あの雨の日に、しおを見つけた。しおを、選んだ。
たとえ何があっても絶対に裏切らないし、離れないし、傍にいる。
彼女と一緒にいられたら、それはこの世のどんなことよりも幸せだと思ったから。
しおはさとうのすべてで、世界そのもので、生きる意味だった。
-
だから、自分の選択は間違っていなかったとさとうは確信している。
もしこれが間違いだったとしても、もうやり直すことはできないけれど。
後悔はない。それだけは、絶対だ。
そしてそれが、今のさとうにとっては一番大事なことだから。
きっとしおが目を覚ました時、さとうはこの世にいないだろう。
これが、今生の別れになる。そう分かっていても――恐怖はなかった。
そんなことよりも、彼女に自分の一番大きなものを贈って逝ける事実が誇らしくて仕方なかった。
「しおちゃんが、私にそれを教えてくれた。
この子は、私の……わたしの、天使だった」
砂糖菓子のように甘くて、綿飴みたいにふわふわしていて、マシュマロみたいに柔らかい。
かわいくて、たまに綺麗で、驚くほど心の支えになってくれて。
いつも、いつでも一緒にいてくれて。
一緒にいるだけで、笑顔になれて。
生きているのが楽しくなって。
生きていこうって、思わせてくれる。
甘い。しおと過ごす時間は、いつだって蕩けるように甘かった。
それは、命が終わろうとしているこの瞬間だってそうだ。
しおは今、とても穏やかに眠っている。
きっともうすぐ、目を覚ますだろう。
――本当は、最期に少しでいいから話をしたかったけれど。
「しおちゃんといるとね。世界が、きらきら輝くの」
「……、……」
「あの子は私に、おかえりを言ってくれた。
あの子のおかげで、私は、ただいまが言えた」
「……そんなのでいいのか? もっとなんか、いろいろあるんじゃねえの」
「うん。それだけで、よかったの。私達は、それだけで」
それ以上に望むことは、何もない。
それだけに、さとうは喜んですべてを懸けられた。
たとえそこに、自分の命が含まれていたとしても。
何の後悔もなく、こうして笑顔で終わることができる。
あの子がいたから、此処まで来れた。
あの子がいたから、こうやって変われた。
松坂さとうは――――本当の"愛"を知れた。
-
「しおちゃんのくれた"愛"を抱いて、私は生きた」
その愛のために、私は死のう。
この胸に抱いた、この子への愛だけを抱いて。
悔いは、ひとつもない。
怖れも、ひとつもなかった。
満ち足りた気持ちのまま、幸福な眠りに就く。
もう、目はほとんど見えなくなっていたけれど。
それでも、膝の上ですやすや眠る彼女の顔だけは、はっきりとわかった。
「だから今度は、私がこの子にあげる番」
その小さな頭を撫でる手が、止まる。
まだ動く内にと、この世で一番美しい言葉を捧げるように、その唇を動かして。
さとうは、愛する天使の名を、呼ぶ。
ありったけの愛と、ごめんねと、ありがとうを込めて。
「しおちゃん」
今まで、本当にありがとう。
ほんとは、もっと一緒にいたかったけど。
でも、繋がりなんてなくたって。
私達は、きっといつまでもずっと一緒だから。
私は寂しくないし。しおちゃんも、そうだといいな。
「だいすき…………」
そこで、さとうは目を閉じた。
安らかに閉じられた瞳は、もう二度と開かないだろう。
静かな。とても、安らかな死に様だった。
力の抜けた手は、しおの頭に載ったまま。
最後まで、二人は繋がりあったまま。
――――天使を抱いて。
――――少女は、落ちる。
デンジが、ゆっくりと立ち上がった時。
そこにもう、松坂さとうの命はなかった。
ラストライフは幕を閉じ。
少女の物語が終わり、少女の物語が始まる。
-
◆◆
これでよかったのか。
それで、よかったのか。
分からないまま、少年は戦っていた。
轟く雷霆は、過去最大の猛りを見せていて。
今にも壊れそうなその霊基は、主の遺命を愚直なまでに果たし続ける。
状況は三対一。にも関わらず彼は、驚くべきことに戦線を単独で成立させていた。
皮下のけしかける桜花を物ともせず。カイドウの突撃と暴虐を、受け止めて正面からぶつかり合う。
無論、無事でなど済んでいない。
肉体は血塗れで、所々が破綻を始めている。
未来を犠牲にした、最後の奮戦。
そう呼んで差し支えのない、代償付きの奇跡。それが今のガンヴォルトの姿のすべてだった。
――しょうこ。
――さとう。
散っていった二人の名を、反芻する。
結局、自分はどちらも守れなかった。
守ることが、できなかった。
誓いを果たす代わりに、新たな誓いを結んで。
そして今は、その誓いを守るために戦っている。
少女達の愛、その最後に残った輝くいのちを守るために。
上空。
シュヴィ・ドーラもまた、既に満身創痍だった。
グロリアスストライザーの衝撃で蹂躙された身体は、既に所々が機能不全に陥っている。
機凱種の性質上自己修復は可能だが、少なくとも一度退いて回復のために時間を掛けるのが先決なのは間違いない。
そして無論。そんな簡単なことが分からないほど、シュヴィは故障してはいなかった。
――――後は、頼む。
最後に残った、その言葉。
守れなかった人、守りたかった人。
彼の願いだけが、シュヴィを突き動かしていた。
リップは死んだ。
守れなかった。
結局自分は、あの優しい人に何もしてあげられなかった。
――でも。まだきっと、できることはある。
最後の願いを叶えるために、シュヴィは駆ける。
ただ飛ぶ。この身が罪の炎に焼かれ、燃え尽きてしまったって構わない。
-
雷霆と機巧が、未来すら燃やしてぶつかる中。
依然として空虚を抱えながらそれに付き合っている海賊が、静かにあらぬ方を見た。
チェンソーの悪魔は悪くなかった。リンリンの小指を落としたというのも頷ける、怖気が走るほどの強さ鋭さがあった。
だがそれも、今はもうない。自ら強さを捨て、単なる器に肉体を戻す愚を犯して消えていった。
それはカイドウにとって実につまらない、興醒めする幕切れであったが――そんな彼の肌を、慣れた気配が刺した。
「……不思議なもんだな。死んでからも、あの時と同じなのか」
胸の傷が疼く。
すべての仲間を喰らい、孤独の王となったこの身に。
唯一残った、この地で受けた鬼滅の刃――その傷が、疼いている。
感じるのだ。
近くに、光月おでんが……否。
奴の担っていた剣を、受け継いだ者が居る。
当のおでん本人は、またしても自分を置いて黄泉へ渡ってしまったというのに。
またしても、此処でも――奴の想いと生き様を受け継いだ誰かが、確かに息衝いているのか。
覇気を飛ばす。
それは、視線だ。
見ているぞ、と。
お前を知っているぞ、と。
この世に、"受け継いだ"お前の逃げ場など何処にもないぞ、と。
突き付けるように放たれた覇気を受け取ったのは……カイドウの見立て通り、彼が決着を望んだあの"バカ殿"の生き様を知る者。
朝焼けを超え、新たな旅路へと踏み出した、一体の鬼であった。
-
◆◆
戦いが行われていることを、品川区に向かう一行が悟ったのは当然の流れだった。
別に、特別な技量だの観察眼だのは必要ない。
たとえ無知な子どもだったとしても、此処で何か途方もないことが起こっていると自ずと理解するだろう。
それほどまでに激しい激震が、渋谷区の一部と言わずその全域を震撼させていた。
目指すのは品川区。奈落の夢と呼ばれた、とある少女の夢想が散ったその跡地。
そこに赴き、方舟の船員(クルー)である古手梨花と合流するのが彼らの目的だ。
その筈だった。しかし順風満帆には行かぬもので、まず足を止めたのは黒死牟であった。
「異な真似を…………」
見聞色の覇気。
極めれば擬似的な未来予知すら可能になるというその"色"により行われた、戦意の遠当て。
それは黒死牟に、自分達が激戦の渦中に居るであろう何某かに認識されているのだという事実を知らせた。
過ぎ去るか。それとも、付き合ってやるべきか。
普通に考えれば前者以外の選択肢はないが。
もしも袖にして、此処まで殴り込んで来られれば事というのも違いない。
「セイバーさん……? えと、どうかしましたか………?」
「視られて、いる……この気配は恐らく、新宿を滅ぼした"青龍"だろう………」
新宿を滅ぼした。
その言葉に、霧子が小さく雰囲気を強張らせたのが分かった。
皮下医院のあった、新宿。仲の良かった患者さんもたくさん居たし、良くしてくれたスタッフだって居た。
けれどもう、あの街はこの界聖杯のどこにもない。
すべて、滅ぼされて消えてしまった。青龍と鋼翼、二体のサーヴァントの激突によって。
咲き誇る、一面の桜並木。
進めば進むほど、どんどん樹海めいた景色になっていく。
口を開いたのは、アイだった。
その顔つきは神妙だ。当然だろう。虹花の最後の生き残りであり、未だ体内に葉桜――ソメイニン――を残している彼女には、分かる。
「……アイさん、わかる。近くに、かわしたさんがいる――」
アイが助けた命。
助けてしまった、人。
夜桜事変の黒幕、愛を知った放浪者。
皮下真。そしてカイドウ。
方舟の敵が間近に居て、しかもあちらからも認識されてしまっている事実に緊張が走る。
重ねて言うが、選択肢は二つだ。
この場をただ通り抜けるか。
それとも、カイドウの"遠当て"に応えるか。
投げられた賽の目は、落ちてみるまで分からない。
毒にも薬にもならない"目無し"で終わるか。凶運の"嵐"が吹くか。
そんな時、だった。
霧子が、視界の先に人影を見含めたのは。
-
「…………あ…………」
ひときわ大きく育った。
墓標のような、大樹の下だった。
女の子がふたり、眠っている。
その"ねむり"の意味は、違う。
医学の道を志す霧子には、一目で分かってしまった。
小さな黒髪の少女に膝枕をして、安らかな微笑みを浮かべて眠る彼女は――もう、生きていないと。
墓守のように、二人の傍に佇む少年。
彼と、目が合った。
ふうと小さくため息を吐き出したように見えたのは、果たして気のせいか。
これは、初めての邂逅。
敵連合の少女と、そのしもべが。
方舟の少女達に、遂に接触した。
死をもって、物語は途絶えず。
献身をもって、次へと繋がる。
――愛は、終わらない。
――愛を、唄い続ける。
――きっと、この部屋は。
――まだ、明るいから。
-
◆◆
あったかい。
やわらかい。
甘くて、でも少し苦くて。
溶けてしまいそうになる。
この気持ちに、名前をつけるなら。
それはきっと、あなたの名前。
――さとちゃん。
そうだ、きっとそれがいい。
あなたの名前が、ちょうどいい。
ねえ、さとちゃん。
すきだよ。だいすき。
さとちゃんといるのが、一番しあわせ。
今ならわかるよ。あの時、さとちゃんが私を生かした理由。
伝えたいの。もっと、お話をしたいの。
だから――
「いかないで……」
白い、白い世界で。
伸ばした手は、空を切り。
少女は静かに、目を覚ました。
-
◆◆
「――――ああ」
「また、たすけてくれたんだ」
「ずるいなあ」
「ずるいよ、さとちゃん……」
桜の木の下で事切れた、愛する人の笑顔は。
思わず笑えてしまうほど美しくて、しおは笑った。
――さとちゃんの、ばか。
呟いた声に、答えてくれる人はもういない。
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ 脱落】
-
◆◆
ハッピーシュガーライフ。
◆◆
-
【渋谷区(西部→南西)・戦場/二日目・午前】
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:全身にダメージ(大)、スーパーガンヴォルト、クードス蓄積(現在8騎分)、令呪の縛り、マスター喪失
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女"シアン"の声を、もう一度聞きたい。
0:ボクは――
[備考]
※"自身のマスター及び敵連合の人員に生命の危機が及ばない、並びに伏黒甚爾が主従に危害を加えない範疇"という条件で、甚爾へ協力する令呪を課されました。
※松坂さとうと再契約しました。
※シュヴィ・ドーラとの接触で星杯大戦の記憶が一部流れ込んでいます。
※新宿区に落ちてたミラーピースを回収してます。
※セイバー(宮本武蔵)に松坂さとうへの連絡先を伝えました。
また方舟組の連絡先も受け取りました。
※方舟陣営とどの程度情報を交換し合ったかは後のリレーに御任せします。
[ステータス関連備考]
※クードスの蓄積とミラーピースを介した"遺志の継承"によって霊基が変化しました。
①『鎖環』での能力が限定的に再現されています。
②クードスに関連して解放された能力が『電子の謡精』を除いて自由に発動できます。
これに伴い『グロリアスストライザー』もクードスを消費せず、魔力消費によって行使できるようになりました。
③強化形態への擬似的な変身も可能となりますが、魔力消費が大きいため連続発動は難しいです。
『電子の謡精』による強化形態との差異は現時点では不明です。
④シュヴィ・ドーラから受信した『大戦の記憶』により、解析能力と出力の向上が生じています。 ※New!
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:『謡精の歌』(解析が進行中)、全身にダメージ(大)、マスター喪失
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:シュヴィは――
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。
※『蒼き雷霆』とのせめぎ合いの影響で、ガンヴォルトの記憶が一部流入しました。
※歌が聞こえました。GVのスキル、宝具の一部を模倣、習得しつつあります。現在は解析能力の向上などに表れています
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:?????
1:綺麗だよ、クソガキが。
2:クソ坊主の好きにさせるつもりはない。手始めに対抗策を一つ、だ。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
-
【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:孤軍の王、胴体に斬傷(不可治)、全身にダメージ(小)、霊基再生
[装備]:八斎戒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:皆殺し
[備考]
※火災のキング、疫災のクイーンの魂を喰らい可能な限りで霊基を再生させました。
なお、これを以って百獣海賊団の配下は全滅した事になります。
【渋谷区(西部→南西)・戦場外部/二日目・午前】
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:……ずるいよぉ。
1:とむらくんについても今は着いていく。
2:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
3:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康、やるせなさ
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:……任していくなよ、ホント。
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、『バベルシティ・グレイス』、アイさんといっしょ
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛、恋鐘印のおにぎりとお茶(方舟メンバー分)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:この子は……?
1:梨花ちゃんに、会いに行きます。
2:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
3:セイバーさんのこと……見ています……。
4:界聖杯さんの……願いは……。
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、疲労(大)、誓い
[装備]:虚哭神去、『閻魔』@ONE PIECE
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:勝利を、見せる。
0:罪は見据えた。然らば戦うのみ。
1:お前達が嫌いだ。それは変わらぬ。
2:死んだ後になって……余計な世話を……。
3:この状況を――
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
※宝具『月蝕日焦』が使用不可能になりました。
※おでんの刀の気配をカイドウに認識されています。感情が重いね……
-
以上で投下終了になります。
タイトルは「この愛をくれたあなたに」(1)〜(6)になります。
収録の際に分割処理、および言い回しの微妙な修正をしておきます。
-
投下します。
-
◆◇◆◇
蝉の声が、遠くから聞こえてくる。
みんみん、みんみん、騒がしい。
うだるように、じっとりと。
湿った熱気が、肌に張り付いてくる。
額から流れる汗を拭った回数は、覚えきれない。
どいつもこいつも、馬鹿げた戦いを繰り広げて。
余りにも濃密な出来事を経ていたことで。
ふいに、忘れていたことがあった。
ここは都内であり。
今日は8月2日であり。
真夏のど真ん中ということだ。
そう、つまるところ。
東京の8月は、ばかみたいに暑い。
暫く共に居た峰津院大和なんかは、ずっと涼しげなツラを下げていたけど。
冷静になって考えてみれば、今の時期の都内はめちゃくちゃ暑いのだ。
私/紙越空魚は、路地裏にひっそりと佇む自販機の前に立つ。
アサシンとフォーリナーが“出撃”してる最中、私は離れた地点で待機していたけれど。
流石にこの暑さの中では水分補給が必要だな、と思った。
ICカードを取り出して、リーダーにタッチ。
ピッ――――残高、81円。
余裕で足りない。
100円にも届いていない。
ほんの二秒ほど、無言で立ち尽くす。
間抜けな沈黙に一瞬耽った自分を、微妙に恥じらい。
私は仕方なく懐から財布を取り出す。
細かい小銭とかあったっけな。
てか、自販機って地味に高いんだよな。
そんなことをぼんやり考えながら、私は二つ折りの財布を開く。
安っぽい合皮素材で作られた中身。
小銭を漁る前に、ふと覗き込んだ。
二、三枚だけの千円札。
いつ作ったのかも覚えてない諸々のカード。
適当に突っ込んだ割引券なんかの束。
その中に、“紙くず”が紛れ込んでいた。
ああ、そういえば。
こんなもの、押し付けられたな。
すっかり存在を忘れてた。
割引券の中に紛れ込む、一切れの紙片。
ほんの少しだけ、懐かしくなったけれど。
結局それは、本当に単なる“紙くず”でしかない。
―――いや、なんでこんなの取っておいたんだ。
自分で自分にツッコミを入れるように、そんなことを思った。
-
言ってしまえば、それは“あいつ”から押し付けられたゴミに過ぎない。
別に何の縁起も感じないし、さっさと捨てればいい代物だ。
けれど、何故だか分からないけれど。
なんとなく、名残惜しさを感じて。
結局今に至るまで、こうして財布の中に放置されている。
ちゃりん、ちゃりん。
取り出した小銭を、自販機に投入。
赤いランプのボタン目掛け、指先を動かす。
ピッと一押し。―――ガコン。
購入した500mlのスポーツドリンクを取り出し、そのまま迷わず蓋を外す。
ここ最近スポドリしょっちゅう飲んでるな、なんて思いつつ。
口を付けて、ごくりと一杯。
キンキンに冷えた、甘く爽やかな味。
ほんの一瞬だけど、至福の時間である。
水分補給は大事だ。
束の間の潤いで、すっと気が安らいで。
先程の“紙くず”のことを思い返しながら、何気無しに虚空を見上げた。
そろそろフォーリナー達も連絡入れてくるかな。
何となく、そう思ってた。
さっきと同じ。方舟の連中はしっかり削って、例のカイドウとやらが空から降ってきても、アサシンは生き延びた。
何だかんだ言ってあいつは、幾ら草臥れてもちゃんと戻ってくる。
私はこんなふうに、あいつの帰りを待つ。
そう。いつも通りの流れ。
いつも通りの、仕事の工程だ。
そんなことを考えて、ふいに我に返る。
アサシンが帰ってくることは当たり前だと思っている―――そんな自分に気付いた。
思わず、妙な気恥ずかしさのような感覚を抱いたけど。
結局、自分の中ですぐに納得した。
別に面と向かって褒める気にもならないけど。
あいつが優秀なのは、間違いないのだから。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
『おう、来たか』
『悪いな。わざわざ出向いてもらって』
『マークしてた連中が動き出した』
『“本戦”も始まる前だってのに、元気なもんだ』
『で、俺も既に“仕込み”を済ませている』
『今は“待ち”の時間だが、結構な仕事でな』
『お前にも手伝って貰いたいことが……』
『……何してたかって?』
『見りゃわかるだろ』
『賭けてんだよ、ボートに』
『待ってる最中のヒマ潰しにはなるだろ』
『ほら見ろ。レース始まってるぞ』
『おっ』
『よし、来た』
『行け、行け行け』
『そのまま逃げ切―――』
『――――は?』
『………………』
『………………』
『……ま、気にするな』
『こういう日もあるんだ』
『信用は“仕事”で取り返すさ』
『そういう訳だ』
『…………さて』
『これ、お前にやるよ』
『記念品だ。御守にでもしとけ』
『……縁起が悪いってか?』
『ボロ負けした後は儲けられるんだよ』
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
路地裏の段差に腰掛けて。
ペットボトルの首を片手で摘んだまま。
私はぼんやりと、空を見上げていた。
コンクリートの隙間から覗く、真っ青な景色。
廃墟で寝泊まりしていた頃を思い出す。
まだ家族がいた、昔の記憶。
家の中に居ることを嫌って、いつも外へと飛び出して。
趣味も兼ねて散策した廃墟で、時に一晩を過ごした。
思えば、たまにこんなことをやっていた。
廃屋の中で、なんとなく横になってみて。
ぼろい天井の隙間から覗く空を、ただ眺め続けてた。
あの瞬間。あの時だけ。
私は、何も考えなくて済んだ。
学校のこと。
家族のこと。
宗教のこと。
空を見つめている間だけは。
日々のしがらみから、解放された。
ほんの少しの合間だけでも、自由になれた。
鳥子と出会って、私の日々は変わった。
けど、今は不思議と、昔の気持ちを思い返していた。
マスターは、サーヴァントの夢を見るらしい。
界聖杯から与えられた知識に紛れ込んでいたのか。
何故だが私は、そんなことを知っていた。
けれど、あいつの夢なんか、一度も見たことがなかった。
今になって振り返ると、当然のことなんだろう。
魔力パスが繋がってないとか、そういう問題じゃなくて。
結局あいつとは、他人みたいな距離感だったから。
だから今も、こんなふうに。
私は、何処かぼんやりとした感覚で。
フォーリナーからの念話を、受け止めていた。
―――どうやら。
―――アサシン、逝ったらしい。
二刀流のセイバーと共闘し、フォーリナーと連携を取り。
リンボのヤツに一矢報いて、勝利への道を切り開いたという。
あいつは最後の瞬間まで、自らがやるべき仕事を果たしたらしい。
-
フォーリナーからその報告を聞いた時。
私はただ、「そうなんだ」と思った。
脳裏に浮かんだのは、その一言だけ。
リンボをぶっ飛ばして仇討ちを果たしたのに、「ざまあみろ」なんて言葉は何処かへと消えていた。
何というか、実感が湧かなかった。
いつも出歩いてて、たまにふらっと帰ってくる。
得体の知れない根回しや暗躍を繰り返して、不敵な顔で成果を持ち帰ってくる。
猿だ何だと自嘲しながら、いつだって仕事は完璧にこなしてくる。
そんなあいつが、私の視界の外で、ぽっくりと死んだ。
ああ、そうなんだ。
もう一度、思案してみても。
浮かび上がった言葉は同じ。
間の抜けた感嘆だけが、ごとんと落ちる。
それ以上のことは、浮かばなかった。
なんというか。
疎遠になった知り合いが、いつの間にか交通事故で亡くなってたみたいな。
親しくはない昔のクラスメイトが、知らないうちに自殺してたみたいな。
そんな身近で遠い距離を、心の中で感じていた。
そんな自分を見つめて、思う。
私は、悲しんでるんだろうか。
あいつがいなくなって、寂しいんだろうか。
ふいに、そう考えてみたけれど。
どうにも今ひとつ、ピンと来なくて。
結局は、ただ漠然とした感覚だけが転がっていた。
―――思えば、アサシン。
―――最期まで、真名言わなかったな。
―――別に私も聞かなかったけどさ。
私とアサシンは、結局なんだったのか。
呆然とした感情の中で、そんな疑問を抱く。
聖杯戦争は、二人で一つ。
時空を超えた古今東西の英霊と、それを従える主人によって行われる。
どの主従も一ヶ月という時を共に過ごし、此処まで生き抜いてきている。
私は、振り返る。
鳥子の亡骸を前にした、あのとき。
私が責め立てた、あのとき。
フォーリナーは、ただ謝って。
身体を震わせながら、涙を流していた。
あの瞬間に、私は理解していた。
ああ、こいつは鳥子を好きだったんだと。
私の知らないところで、鳥子とフォーリナーはそれなりの関係を結んでいたんだと。
マスターとサーヴァントは、一蓮托生だ。
一ヶ月の間、未知の世界で生死を共にしている。
片手を喪っていた鳥子のように、その過程で多くの試練を経ている。
信頼や絆が生まれるのも、きっと当然のことなのだろう。
鳥子とフォーリナーの間には、単なる主従関係以上の結び付きがあった。
願いや命を相手に託し合い、互いの時間を一つにするというのは、そういうことだ。
もしかすると、他の主従も同じなのかもしれない。
この聖杯戦争の中で、利害関係以上の縁を手に入れている。
―――じゃあ。
―――私とあいつは、どうだったんだ。
-
主従ですらない。魔力の繋がりもない。
マスターとサーヴァントの契約も、合理的な判断であっさりと捨てられる。
お互いに何の情も親愛も感じないまま。
私達は、本戦まで生き延びてしまった。
そして、別れの挨拶も経ることはなく。
アサシンとの唯一の縁は、知らぬ間に断ち切れることになった。
死闘の果てに鳥子の仇敵を見事討ち取って、自分自身も力尽きる。
そんなふうに、私の直接関わらないところで、あいつはこの世界から去っていった。
手の中にあるスポーツドリンクは。
あちこちに水滴を纏いながら。
まだ何とか、冷えたままでいてくれている。
私の思考に、猶予を与えてくれるみたいに。
私達は、何だったのか。
強いて言葉にするなら、雇い主と仕事人。
あるいは、ちょっとした協力関係。
“共犯者”には程遠い、月並みで希薄な繋がり。
絆も親密さもまるで無い、事務的な関係。
鳥と魚。猿と魚。
二つの境界線は、ひどく掛け離れていた。
けれど。
ぼんやりと胸に空いた孔について考えて。
その意味を手探りで知ろうとして。
―――あれ。
私はふいに、気付いたことがあった。
脳裏によぎったのは、“共犯者”のことだった。
仁科鳥子。私の、たったひとりの相棒。
秘密の場所で出逢った、ただひとりの掛け替えのない存在。
私は、アサシンのことを何も知らない。
知ろうともしていなかった。
じゃあ、鳥子のことはどうだったか。
そこに思い至って、私は辿り着いてしまう。
私の隣には、鳥子がいた。
私の傍には、鳥子がいた。
私の相棒は、鳥子だけだった。
私の共犯者。仁科鳥子。
鳥子は、掛け替えのない存在で。
鳥子は―――――。
―――あれ?
思えば、私は。
“鳥子も同じじゃないのか”?
脳裏をよぎる、そんな自問。
-
アサシンの奴がいなくなって。
あいつのことを振り返って。
そうして私は、一つの思いに行き当たった。
私は、鳥子のことをよく知らない。
いや。眼の前にいた鳥子のことは、知っている。
けれど、鳥子の奥底まで踏み込むことは、していなかった。
それに気付いた瞬間。
私の中で、何かが嵌るような音がした。
パズルの最後のピースが見つかったように。
自らの中の欠落が、ようやく埋め合わされた。
この時になって。
私はやっと、掴むことが出来た。
私という人間のカタチを。
―――ああ。
―――そっか。
鳥子の生育過程。家庭環境。
“ママとお母さん”に育てられた生い立ち。
その二人を事故で喪った過去。
閏間冴月という“昔の女”との関係。
そして、鳥子が私を真剣に好きで居てくれたこと。
仁科鳥子という人間について。
知ろうと思えば、もっと知ることが出来た。
例え空回りになるとしても、踏み込もうとする意思を持つことだって出来た筈だ。
けれど私は、無関心を貫いていた。
眼の前にいる“いまの鳥子”にしか、関心を向けていなかった。
それは―――アサシンに何一つ興味を持たなかったのと、ある意味で同じだった。
私は誰かの過去や内面に、興味を持とうとしない。
他人に振り回されるような人生に見切りを付けて、“いまの自分”だけで完結することを選んだ日から。
私は、鳥子との出会いで変わってからも尚、他人への一線を何処かで引き続けていた。
そうして。
私は、やっと悟る。
◆◇◆◇
『自分も、他人も、尊ばない』
『そう在るって決めたんだよ』
『どうせ俺は、なんの価値のねぇ猿だ』
『自分を肯定する楔は、もう要らない』
『依頼人(てめえ)が望むんなら』
『俺は、ただの暴威でいい』
『その方が、楽なんだよ』
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
アサシンと過ごしてて。
鳥子のやつを喪って。
そうして、あんたも喪って。
フォーリナーから、最期を聞かされて。
ようやく、気付いた。
―――私も、ある意味。
―――あんたと、同じだったんだな。
“不器用な生き方”しか出来ないから。
結局、自分も他人も素直に尊べない。
私もあいつも、生きることが下手だった。
――――負けんなよ。あいつは最期にそう伝えてくれたらしい。
もしかしたら、違う道があったのかもしれないのに。
何処かで割り切ってしまって、諦めてしまって。
そうして自分の生き方に、淡々と線引きをしていた。
そんな自分を“そういうものだ”と無意識に納得して、そこで立ち止まってしまう。
だから私は、アサシンとお互いに関わろうとしないまま自己完結していた。
“共犯者は鳥子だけ”―――“だからこいつは相棒でも何でもない”。
私は自分の中の骨子に従って、アサシンに対する思考を止めていた。
けれど、結局のところ。
鳥子との関わりも、同じようなものだった。
“共犯者”という関係に拘ったまま、好意にも応えてやれなかった。
だから何も伝えられないまま、私達は死に別れてしまった。
自分や他者との関わりにおいて。
未知の領域に踏み込むことを、何処かで避けていた。
何かを尊ぶための関心や努力を、無意識に軽んじていた。
言い方を変えるならば―――そう、私は。
“ファーストコンタクト”をしていなかったのだろう。
―――不思議な感じがする。
―――何だろう、こう。
―――ものすごい近道をした気がする。
本当ならば、導き出すのにもっともっと時間が掛かってそうな事柄なのに。
今の私は、何処か冷静に、そこへと辿り着いている。
何故だろう。その理由は、自分でもすぐに理解できた。
例え聖杯で取り戻すとしても。
その最期を無かったことにするとしても。
それでも、“鳥子を喪った”からこそ。
私の視座は、決定的に揺さぶられたのだ。
そしてあいつと―――アサシンとこうして別れたことで。
私の中で揺れ動いていた輪郭が、ついに明確な形を伴った。
改めて、振り返る。
鳥子が何を想ってきたのかも。
鳥子がどんな人生を歩んできたのかも。
鳥子のことを私自身がどう思っているのかも。
私は表面だけをなぞって、深入りをしようとはしなかった。
何も知ろうとせず、何も踏み込まず―――。
そのことに対する後悔が、どっと押し寄せてきた。
私は、ここまで気付かされても。
誰かに目を向けることに、自信を持てなかった。
それでも。私は、理解することが出来た。
鳥子を取り戻した時に、まず何をしなければならないのかを。
だからこそ、決意を新たにした。
―――ごめん。
―――本当に、ごめん。
―――鳥子。また会えた時には。
―――今度こそ、一緒に向き合おう。
そして。
“あんた”からすれば、きっとどうでもいいことなんだろうけど。
それでも、私は思っている。
気付かせてくれて、ありがとう。
最後まで勝つために戦ってくれて、ありがとう。
“あんた”とも向き合えなくて、ごめん。
今は亡き誰かに、私は想いを馳せる。
それは、ただひとりの共犯者ではなく。
ほんの一月の付き合いだった、あいつのことだった。
-
やがて、私は。
財布の中から取り出した“紙くず”に、目を向けた。
クーポンや割引券の隙間に挟まっていた、ぐしゃぐしゃの切れ端。
大層な賭け金。三連単狙い。
意味不明なまでに強気。
そのくせ大外れした舟券。
聖杯戦争の予選期間に、あいつから押し付けられたもの。
この一ヶ月の間。
あいつとの思い出の品があるとすれば。
こんな下らないものだけだ。
それが、何となく可笑しくて。
私は―――思わず、苦笑いをしてしまう。
けれど、不思議と。
清々しい気持ちだった。
紙切れをポケットに突っ込んで。
私は再び、空をじっと見つめた。
私達の秘密の場所。
裏世界の景色は、ひどく蒼かったけれど。
こんなところでも。
空の色は、思ったより蒼く澄んでいる。
右手の中にあるペットボトルを見つめて。
それを、照りつく日差しに当てる。
透明な器と、透明な液体。
透き通る中で、空の青がすんでいる。
私は掲げるように、その色彩を見つめた。
くそったれリンボの最期に。
アサシンが託したフォーリナーに。
そして、似た者同士の不器用なあいつに。
「かんぱい」
ばかみたいに暑い夏の日の午前。
幾ら拭えども溢れる汗を、煩わしく思いつつ。
ペットボトルのスポドリで、あいつを労る。
風情もへったくれもないけど。
今の私にやれる、なけなしの餞別だった。
◆
-
◆
《フォーリナー……いや》
《ねえ、アビゲイル》
念話は、相変わらず慣れない。
頭の中で語り合うのは、やっぱり不思議な感じがする。
《今が無理なら、後でも良いから》
《聞かせてほしいんだ》
それでも、今は。
伝えなければならないことがあった。
《あんたと一緒に過ごしてた時の、鳥子のこととか》
《あんた自身のこととか》
むず痒いけれど。
少しだけ、照れ臭いけれど。
それでも、もう悔やみたくはないから。
私は、自分のサーヴァントに呼びかける。
《……なんていうのかな》
《ちゃんと知りたいって、私が思ったから》
それから、やがて。
アビゲイルは、少しだけ驚いたように沈黙して。
《……ええ。喜んで》
一言。穏やかな声で。
そう返してくれた。
◆
-
◆
帰ってきたフォーリナー、アビゲイルを見たとき。
私は、思わず目を逸らしていた。
蒼い右眼で彼女を“視認”した瞬間から、すぐに理解してしまった。
“これを直視したらヤバい”と。
“こいつはとんでもないものだ”と。
覗き込んだら、きっと飲まれる。
踏み込んだら、きっと喰われる。
裏世界とも、また違う。
未知の何かが、此方を見つめている。
おいで、おいで、と。
闇の底へと、手招きをしている。
あいつ―――とんでもない置き土産を残したんだな。
戦慄と同時に、感謝の念が浮かび上がる。
こいつが居れば、確かに“勝てる”。
あいつは全額費やしたギャンブルに打って出て、途轍もないリターンを掴み取った。
その稼ぎを、私は受け継いだ。
あいつから託された呪い。
あいつが命を賭して繋いだもの。
私はそれを受け止めて。
意を決するように、アビゲイルを見た。
銀色の髪と、蒼白の肌。
魔女を思わせる、漆色の衣類。
可憐な容貌の奥底に眠る、濁流のような混沌。
禍々しい闇の果てへと触れかけて。
私は、躊躇いを抱いたけれど。
それでも―――狂気を宿した瞳に宿る想いを、感じ取って。
苦笑するように、私は微笑んだ。
ああ。こいつ。
こんな姿になったのに。
それでも―――私のことを、案じている。
あいつを喪った私を、心配している。
「……おかえり。アビー」
「……ただいま、空魚さん」
こいつは、鳥子のサーヴァント。
鳥子と絆を育んだ、あいつの従者。
私にとっての、味方だ。
改めてそれを受け入れて、言葉を交わし合った。
そうして私は、思考を切り替える。
聖杯戦争は、佳境へと向かっている。
アルターエゴ・リンボの陥落によって、それは明白となった。
-
アサシンが残した情報に、“陣営の勢力図”があった。
敵連合。海賊同盟。方舟陣営。峰津院財閥。
大半の参加者が、そのいずれかに関与しており。
そして霊地乱戦によって、その均衡は大きく崩れた。
”蜘蛛“およびビッグ・マム陣営の退場。
峰津院大和の魔術師としての陥落。
勝馬へと一気に上り詰めた死柄木弔。
大きな損害を受けながらも依然として健在である、皮下一味。
さて。ここから先、どうなるか。
リンボへと奇襲を仕掛ける前に、アサシンはこう言っていた。
“カイドウが落ちるか、生き残るか”。
“それで全てが決まる”。
最強の英霊として君臨するカイドウ。
この乱戦でそいつを落とせなければ―――残された主従は詰む。
陣営戦が崩れつつある中、今は強大な敵を混戦や数の利で落とす最後の機会なのだ。
アサシンが修羅のランサーと戦っていた際にカイドウが割り込んできたことからして、そいつ自身も間違いなく理解している。
敵側に徒党を組ませる余地を作らせず、強襲によって先手を打っている。
今もあれだけ派手に動いているのならば、カイドウの動きを感知し始める主従も出てくるはずだ。
それ故に、この乱戦は間違いなく瀬戸際である。
そして。
仮にここでカイドウが落ちれば。
“敵連合”か。“方舟”か。
いずれかが最後に立つことになる。
乱戦の動向を踏まえつつ。
私達は、どう立ち回るか。
今のアビゲイルの武器に、打って出るか。
あるいは、今の状況に対して様子見に回るか。
いずれにせよ、勝つための術を見極めなけれならない。
此処まで来た。
此処まで生き延びた。
鳥子を取り戻すためにも。
私は、勝たなければならない。
―――負けないでね。
ふいに、そのとき。
鳥子の声が、聞こえた気がした。
ほんの数刻前と同じように。
共犯者の言葉が、脳裏をよぎった。
―――負けんなよ。
そして、奇しくも。
“あいつ”が最期に遺した餞も。
そんな一言だった。
私の口元は、一文字に結ばれていたけれど。
気が付けば、ふっと笑みが零れていた。
「負けんなよ、か」
何の笑みだろうか。
一瞬、自分に疑問を抱いて。
けれど、その答えはすぐに出た。
ああ、これは―――勝つための笑みだ。
最後に勝つのはきっと、不敵に笑える人間なんだろう。
「負けるかよ」
だからこそ。
大負けの思い出は、もう要らない。
こっからは、取り返しに行く時だ。
ねえ、鳥子。
全部終わったら、ちゃんと謝るから。
だから、今度こそ。
二人でちゃんと、語り合おう。
私達のことを、すべて。
賭け金を使い果たして。
あいつは、散っていった。
賭け金を託されて。
私は、ここに立っている。
なら、もう迷わない。
このまま私は、戦い抜く。
始めよう、博打(ゲーム)を。
それで鳥子を取り戻せるんなら。
ああ、上等だ。
◆
-
◆
あいつについて知ってること。
とんでもなく優秀なこと。
なのに、博打が下手くそなこと。
あいつが遺した形見。
掻き集められた情報。
得体の知れないコネ。
そして、財布の中の紙くず。
ろくな思い出なんて無いけれど。
また会う時があれば、きっと笑い話にはなる。
あんたが最後に、何を思っていたのかも。
その時にでも、聞き出すとしよう。
じゃあね、アサシン。
不器用で無愛想な、あんちくしょう。
似た者同士で、同じ穴のムジナ。
最後まで戦い抜いてくれた、私のサーヴァント。
◆
【品川区(渋谷区付近)/一日目・午前】
【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基第三再臨、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:さようなら、不器用な人。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。
【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:じゃあね。私のサーヴァント。
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
2:さて、どう出るか。
[備考]※フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。
-
投下終了です。
-
アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))
アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
皮下真&ライダー(カイドウ)
予約します。
-
神戸しお&ライダー(デンジ)
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
予約します
-
ギリギリになってすみません。
予約分を投下します
-
そも、NPCとは何なのか。
ノン・プレイヤー・キャラクター。
ゲーム盤に対し独創性を持って介入することのできない駒。
つまりチェスやこの日本で言う将棋の駒はNPCとは呼べない。
何故なら彼らは対局者(プレイヤー)の意思に基づいて戦場を駆ける存在だから。
例に出すなら小説の登場人物の方が適当だろう。
彼らは筋書きに縛られている。
物語というシステムにその生誕から末路までを余すところなく支配されている。
頁を捲る読者の手に合わせて言葉を発し、動き、生きて死ぬ存在。
不確定要素の介在する余地が一切ない、完全にコントロールされた登場人物。
まさに"操作不能の(ノンプレイヤー)"キャラクターだ。
では此処で、我々が今囚われているこの世界にその前提を重ね合わせて考えてみる。
界聖杯が自身の体内で主催した此度の聖杯戦争におけるNPCも、この定義に当て嵌められる存在と呼んでいいのか。
その答えは恐らく否である。
界聖杯がNPC(以下『界聖杯NPC』と呼称する)に与えている『空白』は明らかに過ぎたものだ。
後天的に激しい精神的刺激を与える事で彼らは『可能性』を萌芽する。
つまり彼ら界聖杯NPCの内部には、本来あるべきでない『可能性』というデータの入り込む空白が存在していると考えられる。
我々の敵性勢力が目を付けたのは此処だ。
これはともすれば聖杯戦争の前提を崩壊させかねないセキュリティホールである。
界聖杯NPCとマスターを区別する要素である『可能性』の後天的付与はそれ即ち魂の容量を増やす事に直結するからだ。
この陥穽を利用した魂喰いは従来のパワーバランスを大きく崩す要素になり得るし、現時点では理論上の話に過ぎないがマスター権限を手に入れて"奈落を上がる"界聖杯NPCなんて存在が出現する事態さえ考えられる。
界聖杯が人形達の中に空白を残したのが単なるミスなのか。
それともこの仕様が齎す混沌を期待しての布石だったのかは現状不明。
私見を述べるならば、今回の聖杯戦争には特定主従に対しての討伐令発布等の戦いを加速させる要素が極端に不足しているように見受けられる為、戦況の極端な遅滞――現実には野放図に暴れ回るイレギュラーの存在により、遅滞どころか寧ろ急加速を辿っていたが――を解消する為のある種スパイス的な要素として残していたと考える事は可能だと感じる。
話を戻そう。界聖杯が何故陥穽を残したのかは少なくとも我々にとってはそう重要なファクターではない。
我々が注視すべきなのは、そもそも何故空白は生まれたか。
何故其処に空白があるのかの方だ。
倫理や配慮は抜きにして事実のみを並べ上げた場合。
聖杯戦争におけるNPCの存在の意味は大きく分けて二つだろう。
一つは世界に社会を作る為。マスターという木を隠す森を作る為。要するに背景としての存在意義。
そしてもう一つは魂喰い。魔力の補填と戦力増強で戦術に幅を生む為。要するに餌としての存在意義。
そう。彼らは背景であり餌なのだ。
マスターの都合で生まれマスターの都合で消費され、世界の都合で絶滅させられる家畜化動物であると言っていい。
にも関わらず、何故そんな彼らの中に都合よく可能性が収まる空白なんて物が存在しているのか?
喰われて終わるか世界ごと畳まれるかの存在に発展の余地を与える等、普通に考えれば意味はない。
界聖杯に諧謔や死にゆく者の風情を嗜む嗜好があるとも思えない以上、これは極めて不可解な謎である。
――Why done it(なぜ犯行に及んだのか)?
私は其処にこそ、我々『方舟勢力』にとっての希望があるものと考える。
拙論に記す『世界の秘密』の論考が、彼女達の『航海図』の支えになればこれ以上の喜びはない。
◆ ◆ ◆
-
時が止まる錯覚を覚えた。
知らぬ顔ではない。
そんな筈がない。
其処にあったのは男が世界の何よりも求め悔やんだ少女の顔で。
自他の全てを犠牲にしてでも救ってみせると誓った、願う未来の前身だった。
「君、は…」
初めて会った時の記憶が蘇る。
走馬灯という喩えは今の彼には冗談にならないが。
アイドルとプロデューサーの関係として凡そ最悪と言っていいだろうファーストコンタクト。
それでもオーディションから這い上がってきて、晴れてアイドルの座を勝ち取ったみずみずしく輝く少女。
かつてシューズを捨てて去っていった後悔の象徴が…自分という愚かな男を何度でも立ち上がらせてくれる偶像が。
「話聞いてました? 知った顔相手に二回も名乗るのとかヤなんですけど」
身の丈に合わない労苦を自らに課し続けた男の前に立っていた。
男の失敗は、自分の持つ可能性の幅というものを見誤った事。
超人にはなれない。自分はつまらない只の凡人だ。
そう自罰しながらも、彼は自分の体に負担を掛けるのを止めなかった。
最後に一つ輝くものを掴み取れればそれでいいと言い聞かせながら歩み続けた。
その結果がこれだ。
似合わない蝋の翼は天への到達を待たずして溶け落ち、既に墜落が始まっている。
では今彼が見ているのは末期の幻覚なのか。
消えた筈の"彼女"が肉体の衰弱に合わせて再び顔を出してきたのか。
言うまでもなく、違う。
「にちかですよ。あなたに随分愛されちゃってる、なんだか色々吹っ切れちゃったどんぐりです」
今は石ころって名乗りそうになりますね。
そう言って肩を竦める姿は幻の彼女とは違っていた。
何様の目線で言うのだと自分でも思うが――大きくなった。
見た目ではなく精神的にひどく成長した。そんな印象を受けた。
「なぁにやってんですか人の見てない所で。ブラックなんだろうなぁとは薄々勘付いてましたけど、それにしたって行き過ぎでしょ」
本物だ。
この彼女は…いや。
彼女達は、間違いなく本物。
馬鹿な男を探して此処までやって来た輝き達。
崩れ落ちないようにするだけで精一杯だった。
覚悟は決めていたつもりだったが、やはり頭の中で想定するのと現実にそれと向き合うのとじゃ話が全く違う。
刹那にして脳裏を駆け巡る彼女達と過ごした輝く時間。
色とりどりの眩い輝きで溢れた、儚い春のような一時が嫌でも思い出される。
気付けばプロデューサーは笑っていた。
場違いとは承知の上だ。
しかしそれでも、彼はこれ以外に取り繕う手段を知らなかった。
「…ははっ。そうか――」
何処までも締まらない男だ。
ああも悟った風な事を言っておいて、すぐにこの様とは。
命を削るような心臓の鼓動がいつの間にか和らいでいた。
猗窩座が戦闘行為を中断したのだと察し、其処で改めて悟る。
どうやら自分は詰んだらしい。
最後の最後に清算しようと思っていた因縁が気付けば自分を取り囲んでいた。
今此処は逃げ場のない檻の中。
逃げ出す事も目を背ける事も、もう出来ない。
「――来てしまったんだな、にちか」
-
来てくれたんだなと言いかけた。
思い留まって言葉も直せた事には我ながらよくやったと自賛したくなる。
それは自分が口にするべき言葉ではないからだ。
何もかもを裏切り、振り回して、悲しませて。
そうしてこの行き止まりまで流れてきた男が言っていい台詞ではない。
でもその言い草は寧ろ彼女にしてみれば不服だったようで。
『七草にちか』は唇を尖らせ、眉を顰めて口を開いた。
「なんですかそれ。散々子どもに心労掛けた大人の言い草じゃないでしょ」
彼女達の祈りを知っている。
直接全て見てきた訳では勿論ないが。
あの"お日さま"との再会と対話は彼にそれを知らせるのに十分過ぎた。
「…まぁ、そういう恨み言はこの際後にします。
言いたい事は山程……ほんっっっっとに山程ありますけど、長々と話してられそうな顔色には見えませんし」
思ってくれたのだろう。
考えてくれたのだろう、沢山。
心を引き裂くような葛藤と煩悶が其処にはあったに違いない。
先頭に立って自分と向き合うにちかは勿論。
それを見守る紫の少女の顔からもその事がハッキリと伝わって来た。
“今更だが…俺はプロデューサー失格だな”
最早そう名乗る事すら烏滸がましい。
仮に赤の他人の立場からこの光景を見たならばその時自分が覚える感情は間違いなく義憤であったろう。
――君がアイドルにそんな顔をさせてどうする。
「まず、私が一番伝えたかった事を言いますね」
浮かび上がる今更の言葉を掻き消すように、風前の灯と向き合った偶像の少女は言った。
「私、アイドルになります」
その言葉は。
この世界で味わったどんな苦痛よりも燦然と輝く衝撃になって響いた。
数多のアイドルを見てきた男だ。
にちかの顔を見てすぐに、今の彼女が後ろを向いていない事は分かった。
其処には輝きがあった。
挫折と失敗。何度も現実を思い知らされて傷付きながらも、転がるように我武者羅に前へと進んでいたあの頃のままの。
輝きが、あった。
「話すと滅茶苦茶長くなっちゃうんですけどね。応援してくれた人が居たんです」
だからもしやと思った。
その言葉が出る事を予想出来なかったと言えばきっと嘘になる。
しかし繰り返すが、頭の中で想定するのと現実として向き合うのは全く違うのだ。
苦痛に迷い。
絶望に呪い。
男にとってこの界聖杯で過ごした時間はあらゆる苦悶に塗れた阿鼻地獄の如きものであったが。
彼を苛んだ如何なる苦痛も、今浴びた煌く星光のような一言に比べれば蚊の一刺しにも遠く及ばなかったに違いない。
-
「知ってます? 石と砂に境界線はないんですって」
受け売りだろうなというのはすぐに分かった。
それはにちかが言うにしては、あまりに抽象的な台詞だったから。
「元を辿れば二つはおんなじもので…どっちも丹念に磨けば宝石になる」
"彼"に伝えられた言葉なのだろう。
無責任な想像だが、始まりはどん底だったに違いない。
自分の罪。育て上げられなかったアイドル。
シンデレラの夢を自ら締め括るようにシューズをゴミ箱へ投げ込んだにちか。
その始まりがどん底でなかった筈がない。
そんな彼女を立ち直らせたのが、自分が最後の敵と見据えた"彼"だというのは因果な話だった。
「私ってほら、見ての通り単細胞ですから。優しく理解たっぷりに煽てられてまんまとやる気出しちゃったんですよ。
でも知っての通り、聖杯戦争って死ぬ程ハードでしょ。肉体的にも精神的にも。
何度となく揺さぶられて…何度となくやめたくなりました。けどそういう訳にもいかなくなっちゃった」
「…理由を。聞いてもいいか?」
「ファン一号ができたんですよ。で、その子と約束したんです」
思い浮かぶ顔が一つあった。
でもそれを肯定するべきではないと思った。
"あの子"を敵と呼んだ自分にその資格はないだろうから。
そしてその予想は的中していた。
ファン一号なんて呼び方をすればきっと憎まれ口が返ってくるだろうが、勝手に逝った方が悪いと開き直ってにちかはそのまま話を進める。
「なみちゃんみたいになってやるから見てろ、って。
形やスタイルを猿真似するだけの贋物なんかじゃなくて、なみちゃんみたいにキラキラ格好良く輝くアイドルになってやるって」
ガラスの靴はサイズが合わない。
他人の持ち物なのだから当然だ。
にちかはいつかのシューズを選ぶしかなかった。
華々しさも格好良さも理想にはとんと及ばない、石ころにはお似合いのシューズ。
でもそれが今はどうしてか悪くない。
「ファンと呼ぶには性格キツい子でしたけどね。でもま、約束破るってのも据わりが悪いし…」
くるくると髪の毛先を弄びながらにちかは言う。
「他の皆さんにも色々と、その…支えて貰っちゃいましたから。今更前言撤回なんて格好付きません」
照れ隠しの為の動作。
それを見て紫色の少女、田中摩美々が小さく笑った。
分かっていたことではあった。
彼女達は強い子だ。
誰もが輝く為の可能性を秘めている。
誰かになる為の翼を秘めている。
脚本家(プロデューサー)なんて居なくたって彼女達は羽ばたけるのだ。
ほんの少しきっかけさえあればいつだって少女は偶像に化ける。
今のにちかはまさにその実証だった。
「だから、アイドルになります」
彼女はまさに地獄の先に咲く花だ。
死が渦巻く可能性の墓場で芽吹いた一輪の花。
愚かな男が命を懸けてでも手に入れようとした未来が今この現在で眩く輝いている。
「あなたが命を懸けてくれなくたって、"七草にちか"はこうやってステージに帰ってきました」
視界が眩むのはきっと幻でも容態のせいでもない。
今になって蘇る言葉の群れ。
頭の中に優しい祈りがリフレインする。
『プロデューサーさんが、しあわせになれるって……信じてないと……』
『プロデューサーさんがお願いする……にちかちゃんの……幸せのこと……』
『分からない、ままに……なっちゃうから……』
いいや――駄目だ。
自分が七草にちかの隣にいることは、罪だ。
自分が七草にちかを幸せにすることは、できない。
それが七草にちかの幸福に繋がろうとも、自分のような存在が手を伸ばすことなど
-
宿業は両断された。
もはや、呪いはない。
.
-
「…にちか」
道化師の嘲笑は響かず。
悪意が介入する事もないこの路地裏で、男は羽ばたく事を決めた少女に語り掛けていた。
「一つ聞いてもいいかな」
「なんですか。あんまり難しくない事でお願いしますね」
「にちかの」
今になって銀の祈りを思い出した。
自分に問いかけて希った少女の献身を振り返った。
そうする事を阻む呪いはない。
内から響く声も聞こえない。
『私を幸せにする必要なんて、ありません』
…確かにそうかもしれない。
泣きそうになる程辛辣な言葉だけれど、それはある種の答えだったのかもしれない。
誰かを幸せにするなんて思い上がる事は最初から全て間違いで。
自分がしてきた事は一から十まで只の空回りと余計なお世話でしかなかったのかもしれない。
そう思っても口は止められなかった。
問わねばならない。
この体がまだ動く内に。
そうでなければ必ず後悔するとそう思った。
取り返しが付かなくなってから後悔するのはもう沢山だ。
「にちかの幸せって、なんだ?」
顔は幽鬼のように蒼白で、手足は極寒の中に居るように冷たい。
呼吸の乱れは常態化して不整脈もまた然り。
その癖体温は酷く高く四十度にも迫る勢いだ。
誰がどう見ても長くは保たない。
直にマスターの資格は愚かこの世界に留まる資格すら失う事は明白な男の問いに。
"七草にちか"は迷う事なく口を開いた。
◆ ◆ ◆
結論から述べよう。
私は『空白』の正体は、ある種の名残なのではないかと推察する。
界聖杯が世界の垣根を越えて参加者、曰く可能性の器の招集を行っているのは周知の事実だ。
本戦に残った人員の数こそ二十数人だが、予選段階のそれも含めればその数倍は器が居た物と考えられる。
事実私が独自に調査しただけでも予選で脱落したと思しき人間を二十人ほど探り出す事が出来た。
一つの都市に最低でも四十以上のサーヴァントが並立して存在している状況が続いていたと考えると戦慄を禁じ得ないが、其処については置く。
私が今回目を向けたいのは、聖杯戦争の『予選』が行われる更にその前についてである。
我々はこれまで予選こそが参加者の篩い分けを行う工程だと考えていたが、本当にそうなのか。
否"それだけ"なのか。我々の知る予選とはあくまで最終試験で、本当はその前にも篩いの段階が存在していたのではないか…と私は考えた。
界聖杯による可能性の器の吸い上げは、我々が思っているよりも遥かに大規模かつ無慈悲な物だったのではないだろうか。
予選に存在した器の数は多くても百に届くかどうかという所だろうが(東京の都市機能が存続可能なレベルの被害しか生まれていなかった事を論拠に推定した数であり、数値の正確性については保証しない)、本来はもっと天文学的な数値の器が界聖杯に蒐集されていた可能性はないか。
具体的に言うならば、1400万人ほど。
◆ ◆ ◆
-
放った拳が剣の前に阻まれる。
鬱陶しい蚊を振り払うように側面へ一撃見舞った。
だが、砕けない。
その事実に猗窩座は改めて瞠目する。
返しとして放たれた銀炎に皺の寄った腕が焦がされる熱ささえこの衝撃の前には霞んだ。
“此処まで、衰えが進んでいるのか…ッ”
鬼として完成された猗窩座。
その威容も覇気も今や見る影もない。
白髪も亀裂に溢れた体も衰えの象徴だ。
今こうしてどうにか戦いの構図を維持している事にも以前では想像も出来ない程の負担が掛かっている。
もう居ない鬼の始祖は生前、鬼狩りとの最終決戦において毒を受け九千年の老いを被った。
しかし今の猗窩座を襲う衰えの度合いはそれとさえ比較にならない程色濃くそして猛悪だった。
この程度のサーヴァントに拮抗されている。
数刻前は愚か生前と比べても酷く見劣りするだろう有様に歯噛みが止まらない。
それでも悪足掻きのように拳を放つが、相手に与える手傷よりも体が悲鳴を上げ自壊する損傷の方が大きい始末であった。
「もう一度言わせてくれ。今は待って欲しい」
戦況はあくまで互角だ。
押し切ろうと思えば押し切る事は決して不可能ではないだろう。
だがこれが他のサーヴァントだったならばこうは行かない。
カイドウのような上澄みどころか、あの怪物と打ち合う前に矛を交えた猿すら今の猗窩座には次元違いの難敵となる筈だ。
噛み締めた歯根から血が噴き出した。
彼の体は今やその"強さ"に付いて行けていない。
「別にこれはこっちの事情って訳でもないんだ。おまえが大切に思う"彼"にも間違いなく意味がある」
「…戯言を。貴様が奴の何を知っている」
本当に応じる気がないのなら聞く耳を持たなければいいのだ。
そう分かっている筈なのに、猗窩座は目前の男の言葉に応えてしまっていた。
相手は交渉人。対話で活路を生む事にかけては無二の才能を持つ男。
そんな概念が存在しない国と時代を生きた猗窩座にもその事は察せていたが、だというのにこうして付け入る隙を与えてしまう。
それは果たして衰弱による余裕の欠乏が生んだ迂闊だったのか…それとも。
「おまえや彼女達程じゃないけど、知ってるよ」
アシュレイは猗窩座の言葉にそう答える。
その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
何を笑っている。猗窩座が拳を放つ。
悪い、ついな。それを受け止めてアシュレイが続ける。
「うちのマスターもそうだけどな、あの子の友達も皆彼の事となると口数が多いんだ」
283プロダクションのプロデューサー。
彼は少女だったアイドルを発掘し、時にはアプローチに応対してステージの上に導いてきた。
田中摩美々。幽谷霧子。櫻木真乃。そして七草にちか。
誰もが彼と関わりながら育ち輝いてきた。
輝き切れた者も輝き切れなかった者も皆そうだ。
彼女達と関わる中で必然、アシュレイもその人となりはある程度知る事が出来た。
-
「凄い人だと思った。決して嘘じゃない」
同時に親近感も覚えた。
交渉人とプロデューサーと言えばまるで違う世界に生きる者同士に聞こえるが、他人と向き合う仕事という点では二人のあり方は似通っている。
「俺は平和な世界ってものを知らないからな。話せば長くなるから割愛するけど、物心付いた頃からずっとすぐ傍に戦火があった」
人と向き合う事。
何度でもめげずに語り合う事。
"彼"の姿は生まれる世界の違ったアシュレイだと言っても決して言い過ぎではないだろう。
「平和と安全が保証された世界の中で、ああまで見事に人を育てられる人間…素直に尊敬するよ。
こんな場所でさえなかったなら一度話をしてみたかった。酒でも酌み交わしながら、のんびりとな」
アシュレイが出会ったアイドル達の中に一人として没個性な娘は居なかった。
石ころを自称していたにちかでさえ、彼に言わせれば個性の塊に見えた。
にちかの精神性に彼の存在が寄与していないと言えば嘘になるだろう。
つまりアシュレイはこの世界で、彼女達を通じてプロデューサーの手腕を見て来たのだ。
その結果がこの感想だ。
凄いと思った。尊敬する。
自分が同じ立場だったとして、果たして此処まで見事にやれたか自信がない。
「おまえのマスターは凄い人だ。そしてだからこそ、今は俺のマスターの歌に耳を傾けて欲しいんだ」
「ならば問おう。何故だ。未来を捨てて歩む覚悟を決めた男がそんな事の為に時間を浪費する意義が何処にある」
「勘違いしないで欲しいんだけどな。俺は別に"彼"の覚悟を間違ってると否定したい訳じゃないんだよ」
アシュレイは猗窩座の問いに即答する。
「何かに命を懸ける事はある種の狂気だ。けれど同時にとても尊い輝きでもある。
それを赤の他人が知ったような口で糾弾して否定するなんて酷い傲慢だろう?
生きる意味も、命の価値も人それぞれだ。相容れなかったら刃を交えるしかないが、その覚悟の重さまでは否定したくない」
「では、何故」
「だいぶ色眼鏡は掛かってるかもしれないけど、うちのマスターも随分と変わったんだ。
別に当時の彼女だってそう悪いもんだったとは思わないが…あの子は大きく成長した」
プロデューサーの決意や覚悟が間違いだと断言して叩き潰したい訳ではない。
そうした所で意味はないと分かっているし、何より彼女達はそんな事を望んでなどいないだろう。
優しい子達だ。こんな世界には一生触れる事なく生きて欲しかったとそう思うくらいには。
であれば命を、明日を擲つ覚悟を決めた男の道を阻んでまで言葉を聞かせたいと願う理由は一つしかなかった。
「今のあの子を見て欲しい。誰よりあの子の事を考え思ってきた彼に、あの子がどれだけ大きくなったのかを知って欲しいんだ」
そんな大した理由なんかじゃない。
只、知って欲しい。
見て欲しい。今の彼女を。
貴方が"幸せになって欲しい"と願った少女がどれだけ大きく強くなったのかを見て欲しい。
きっとそれは彼と彼に救われた少女達、その双方にとって有意義な時間になるだろうから。
そう思ってアシュレイ・ホライゾンは今此処に立っている。
そんな彼の言葉を聞き――猗窩座は吐き捨てた。
「下らん妄言だ」
「手厳しいな。でもおまえも、それが彼にとって意味のある事だと理解してはいるんだろう。だから今は拳を止めてくれている。違うのか?」
「…俺はあの男のサーヴァントだ。それ以外の価値も願いも持ち合わせない狛犬だ」
猗窩座の生きた時代にアイドルないしそれに類する仕事は存在しなかった。
だからこそそんな時代を生きて鬼に成りそして死んだ男には、下らないという感想しか出て来ない。
-
されどアシュレイの続く言葉は図星だった。
理解は出来ないしするつもりもない。
だが流石に一月も付き合えば多少の気心は知れて来るものなのか。
目前の邪魔な男が放つ言葉が、あの男にとって必ずしも無価値ではないとそう思ってしまった事は否定出来なかった。
「あれの意思は俺の意思だ」
千人を殺せと言うのなら従おう。
逆に千人を守れと言われても、従おう。
今の猗窩座はそういうものだから。
狛犬として成すべき仕事を果たすだけの存在だから。
もしも此処で――にちかの言葉を聞いた彼が心変わりを起こしたならば。
自分は間違っていた。
此処から先は彼女達の未来を守る為に戦いたいと己へそう告げたならば、猗窩座はそれに反目しないだろう。
「もう一つ問わせろ。方舟のライダー」
己は狛犬だから。
主の望みを叶える傀儡だから。
その役目を逸するつもりは今までもこれからもない。
願いへ付き従う。
あの不器用な男の意思を叶える、それだけの鬼となる。
最後の瞬間を迎えるまでそれは変わらない。
決して。何が起ころうとも、決して。
「よしんば七草にちかの言葉が、あの男の魂を揺るがせたとして」
だからこそ問うのだ。
問わねばならない事を。
そして答えの解り切っている事を問いかけるのだ。
「あの男の命が…貴様らの望む未来とやらに辿り着くまで持ち堪えると、本当にそう思っているのか」
猗窩座は己を喚んだ彼の事を信じている。
人間の意思の力は時に現実の壁をさえ覆す。
彼はそれを知っている。
そうでなければ鬼が人間に敗北する筈がない。
腕の一本を吹き飛ばされただけで命を落とすようなか弱い生き物が、全てにおいて優位を誇る鬼を滅ぼした事実。
それこそが彼らの可能性の底知れなさを物語っていた。
だからこそ猗窩座は283プロダクションのプロデューサーを務めるあの男のそれも信じている。
彼は勝つだろう。
彼は聖杯戦争を制して必ずや望む結末を叶えるだろう。
…じゃあ、その後は?
「俺のマスターはこの世界と共に朽ち果てる。それは最早どうやっても動かぬ結末だ…違うか?」
無理だろう。
命を繋ぐには余りに失い過ぎた。
その弊害はこうして当初の想定よりも早く顕れている。
"プロデューサー"は未来に辿り着けない。
方舟の出航が叶う叶わないに関わらず、それはどうやっても動かない現実だった。
◆ ◆ ◆
-
仮説。界聖杯NPCとは、蒐集され切り捨てられた器の成れの果てなのではないだろうか。
判定基準は不明。内包する何らかのエネルギーを見ているのか、それとも採用試験宛らに一から経歴を漁って選考したのか。
しかし重要なのは経緯ではなく顛末だ。
界聖杯は蒐集した器の中から予選まで上がるに足る数十〜百数十の主従を選定し、何処かのラインで足切りを掛けた。
そうして残った千数百万の器を抹殺しNPCとして再利用した結果が可能性の代入が可能な『空白』を含有した彼らなのだとすれば、単なる背景兼活餌に過ぎない彼らに過剰な発展の余地が用意されていた事にも納得が行く。
無論反証も思い浮かぶ。もし仮にこの仮説が正しいと置いて考えると、家族や一族ぐるみで蒐集されている器が余りに多すぎる点だ。
田中摩美々の両親。
七草にちかにとっての七草はづき。
更には彼女達の周囲に当たり前のように存在していた顔見知りのアイドル達等もこの中に含める事が可能だろう。
言うなれば縁故に依り過ぎている。
だがこれは、私達が実際に目の当たりにして来た光景を加味する事で不可解からある種の合理に変わるものだと私は考える。
一度前提に立ち返りたい。
界聖杯が『器』に対して求めるのは『可能性』だ。
そしてそれは恐らくこの世界へ降り立った時の含有量に限った話ではない。
この世界での経験と戦いを糧に其れを培養し、より大きく強く肥え太らせていく事をこそこの願望器(セカイ)は望んでいる節がある。
どんな作物にも収穫のノウハウと言うものがある。
適した季節であったり栽培方法であったり、農薬の種類や頻度であったり。
『可能性の器』もその例外ではないのではないだろうか。
赤の他人同士の偶発的な化学反応に賭けるよりも、元々何かしらの形で繋がりのあった旧知同士が互いに高め合う方が効率よく培養出来る。
特にそれが特殊な力を持たない一般人であるのなら尚の事。
近親者や友人等、器及び元器同士の間に存在する関係の網目が現実世界顔負けに複雑でランダム性に欠けている理由はひとえにそれだろう。
我々のよく知る彼女達が、互いに支え合い励まし合って格段に成長していったように。
界聖杯は縁を辿って器を集め剪定を行い、そうして余った不合格者の残骸を背景に転用しているのではないか。
即ち『優先』ではない。
あったのはきっと『優遇』だ。
弱者に対しては可能性の深化を狙って可能な限り日常の外殻(テクスチャ)を再現し。
そうでなくとも強く在れる強者に対しては未知との遭遇による化学反応狙いと、聖杯戦争を盛り上げ可能性の爆発に寄与するように過剰と言っていい程の社会ロールを宛てがう。
不合格者の残骸を配置して作り上げた大農園。
それこそがこの界聖杯内界の真実である可能性は非常に高い。
我々が想像していた以上に界聖杯は合理的かつ無慈悲にこの世界を運営している。
微塵の悪意も存在しない、空の青から大地の砂粒の数までのあらゆる要素が可能性の培養という目的の遂行の為だけに構成された世界。
――其れがこの私、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティが推測する『世界の真実』である。
◆ ◆ ◆
-
「解りませんよそんな事。だって今の私、まだ全然幸せじゃないですし」
にちかの回答は身も蓋もなかった。
幸せの形なんてなってみるまで解らない。
今が幸せでも何でもないのは大前提だ。
先刻まで仲良く話していた相手が突然命を落としてしまう。
こうしている今だって何処からか恐ろしげな刺客が襲い掛かってくるかもしれない。
こんな世界に幸せを見出すなんてとてもじゃないが不可能だ。
「ていうかそもそも、アイドルになろうとするのって――幸せになろうとする事と一緒なんじゃないですか?
不幸になる為にステージを目指す人間なんて居ないでしょ。
今の私はそりゃ確かに色々背負っちゃいましたけど、それでも義務感とかそんなつまんない物に呪われて歩いてる訳じゃないですよ」
けれど自分は今、幸せになろうとしている。
少なくともにちかの自己評価ではそうだった。
しみったれた顔でステージに戻るつもりはない。
奈落を上がるならそれに相応しい顔でそうするべきだと思う。
「だから、まぁ…そうですね。私の幸せが何かとかそういう話はよく解んないですけど」
アイドルになる。
決めたからには後はもう一直線だ。
面と向かって伝えてしまったのだし後には引けないし引く気もない。
いつか夢見た憧憬に届くように、歌って踊って泥に塗れよう。
そしていつか――
「幸せになりますよ。これから」
これまでの全てを笑い飛ばせるくらい幸せになってやろう。
「にちかは、幸せになります」
「…そうか」
――にちかは、幸せになるんだ。
かつて譫言のように呟いたその言葉が。
他でもない彼女自身の口でなぞられる。
視界の端で踊る罪の陽炎はもう居ない。
けれど彼女の言葉は、ある意味では正しかったのだ。
七草にちかを幸せにする必要なんてない。
そんな事をしなくたって彼女は自分で幸せの方へ歩いている。
ゆっくりかもしれないし、転んで泣き言を漏らす事だって有るかもしれない。
でも、確かに前へ。
幸せの方へと、進んでいる。
「なんですか、お爺ちゃんみたいな顔しちゃって。そんなに安心しました?」
「あぁ、安心したよ」
「だったらもう馬鹿な事は此処までにしてください。あなたを待ってる人は私だけじゃないんです」
もう居ない人も居る。
それでも決して遅いなんて事はないのだとにちかは思う。
だから手を伸ばした。
力強く、有無を言わさぬ勢いで。
「時間の都合で省きましたけど、本当は言いたい事がまだ山程あるんです。過労死しない程度に聞いて貰いますから、ほら」
――言う。
「一緒に帰りますよ、プロデューサーさん」
-
差し伸べられた手は余りに眩しく見えた。
今や寒さしか感じない体にとって、縋り付きたい程に暖かく感じられた。
年甲斐もなく縋り付いて泣きたくなる。
張り詰めた糸は今にも切れてしまいそうだった。
だから男は、283プロダクションのプロデューサーは、骨が砕ける程力を込めて踏ん張らなければならなかった。
「ありがとう、にちか。それに摩美々も」
その手を取れば自分は救われるだろう。
これは蜘蛛の糸だ。
地獄の中に垂らされた蜘蛛の糸。
縋り辿れば暖かな極楽浄土が待っているという確信がある。
だからこそプロデューサーの取るべき選択肢は決まっていた。
選べる未来は一つしかない。
この愚かしい物語を始めたその時からずっとそうだった。
そしてそれは、今この瞬間だって変わっちゃいない。
「ごめんな」
この手でアイドルには触れない。
未来ある子どもを縊り殺した手で触ればせっかくの翼が汚れてしまう。
プロデューサーは人を殺した。
幼い少年を縊り殺し、彼女達とそう変わらない年頃の少女が惨殺されるのを黙って見ていた。
擦り減らしたのが自分の命だけだったなら救いの手を取れたかもしれない。
しかし283プロダクションのプロデューサーは、人を殺しておきながらおめおめと少女達の好意に甘えられる程無慙無愧ではなかった。
この身に救われる価値はない。
そして、この身が救われる事もない。
喉の奥からせり上がってきた血を無理やり押し戻して拳を握る。
――答えは得た。
もう大丈夫だ。
器としての資格さえ消えてなくなる前に最後の仕事を果たすべく、プロデューサーは己が相棒へと念話を送る。
-
“ランサー。君には迷惑を掛けっ放しだったな”
思えば本当に、最初から最後までずっと迷惑を掛けてきた。
とんだハズレを引かせてしまったものだと苦笑せずには居られない。
“迷惑ついでにもう一つだけ、俺の我儘に付き合ってくれないか”
感謝している。本心だ。
自分のサーヴァントは彼しか居なかった。
彼でなければ此処まで来られなかった。
覚悟を決め、命を奪って罪に塗れながら歩む事は出来ても。
こうして彼女と対面し答えを受け取る事は出来なかっただろう。
本当に――こんな自分には過ぎた狛犬だった。
心からの感謝と共に続けようとした言葉を待たずに猗窩座が言う。
“いいんだな”
“あぁ。もう、大丈夫だ”
破滅は始まっていた。
後は気合に任せて聖杯戦争の終幕までしぶとく生き残ってやるか、最悪彼に願いを託す結末さえ想定していたがどちらも最早無用らしい。
もっと早く気が付ければよかったという後悔がないと言ったら嘘になる。
なるが、最後の最後に道化から少しでも格上げが出来た事だけは上等だろう。
となれば最後にやるべき仕事は決まっている。
“ありがとう、ランサー。君のお陰で此処まで来れた”
“くどい。俺は只与えられた役目を果たしただけだ”
“…ははっ。そういう所は本当に変わらないな。堅物め”
プロデューサーは大変な仕事だ。
人の心と未来を背負って育てる大役だ。
引き継ぎをするに当たって最後にもう一つだけ、要らぬお節介をさせて貰うとしよう。
“これで最後だ。遠慮なく全てを使い果たしてくれ”
「…それでいいのか。"プロデューサー"」
「ああ。これでいいんだ」
傭兵の錆びた言葉にプロデューサーは頷いた。
そのまま地面に腰を下ろして胡座を掻く。
無駄な体力を使う事は避けたかった。
一分一秒でもこの世界に長く留まれるように楽な姿勢を取る。
「ごめんな。君達の手は取れない。俺は、救われる事だけは出来ないから」
少女達の顔を見る事が辛いが目を背ける事はもうすまいと誓った。
表情筋が麻痺し始めた顔で無理やりぎこちない笑顔を作る。
以前のように笑えているだろうか。
「散々迷惑掛けたからな。最後だ、何でも言ってくれ。にちかだけじゃなくて勿論摩美々も」
笑えていたら、いいのだが。
「君達の声が聞きたいんだ。今まで耳を塞いでいた分、うんと沢山」
◆ ◆ ◆
-
以上が善の蜘蛛、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティが遺した論文だ。
時間の無い中で何とか合間を縫って執筆していたのだろう。
厚み自体は然程でもないし、内容も要点を絞って極限にまで要約されている印象を受けた。
アシュレイ・ホライゾンが抱いた自身のマスターに対しての疑念。
それについて考えを巡らせる上で最も厄介だった問題が、"だから何なのだ"という点だった。
七草にちかという器に付随するある種の不自然さ。
同一人物が二人招来されてあろう事か本戦まで生き残っている事実を始めとして頭を捻りたい箇所は幾つもあったが、その先に進めない。
その岩盤をウィリアムの遺した論文、いや紙片は破壊こそしなかったが小さな穴を穿ってはくれた。
知恵者が遺した"こんな事もあろうかと"を頼りに境界線は思考を重ねる。
そして行き着いた一つの可能性。今、彼はそれを希望として舟のオールを握っていた。
抑止力という言葉がある。
端的に言うならば世界の安全装置だ。
世界の延長を目的に働きその要因を消し去る存在。或いは概念。
例えば根源到達。
例えば人理定礎崩壊。
例えば人類悪顕現。
そうした災禍を食い止めるべく働く力の存在によって世界は水面下で防衛されている。
抑止力は非常に強力な概念であり、その前に敗れて消えた野望は幾星霜と言っても決して過言ではないだろう。
その点この『界聖杯』という現象は異例だったと言っていい。
この世の何処でもない空間に存在座標を置き、単一の世界に限らずに蒐集を行う事で抑止の働く余地を分散。
徹底したプログラミングで介入を阻み隠蔽に隠蔽を重ねてこれ程の規模の所業を今日の日まで大きな齟齬もなく進めてきた。
界聖杯の排斥の為に派遣された守護者は次から次へと逆に排斥され、介入と防衛の鼬ごっこを続けながら今日の日を迎えた。
しかし――界聖杯の防衛も完璧ではなかったのだろう。
守護者の削除は出来ても、たった一つ残った残骸の事は見落としてしまった。
『考えてみれば妙な話だ。極晃奏者なんて存在を進んで招き入れるのは運営からすればリスクでしかない。
極晃へのアクセス権限を剥奪してまで使おうとするくらいなら、最初から選ばなければ良かったんだ』
アシュレイ・ホライゾンは世界との契約を結んではいない。
彼に守護者の資格は非ず。
だが、極晃星という一つの極点に到達したその存在は例外的にカウンターガーディアンの資格を満たした。
『つまり。俺という存在は恐らく界聖杯にとって想定外の介入者…コンピュータウイルスのような物なんだろう』
界聖杯は抑止からの防衛に成功した。
極晃奏者から極晃へのアクセス権を剥奪し徹底的に封印。
其処までは見事だったが、流石に全力の極晃奏者を相手取るのは界聖杯と言えども至難だったのだろう。
防衛に成功こそしたものの…廃棄物(ダストデータ)と化した奏者の完全な消去には失敗してしまった。
『俺にその時の記憶はないし、取り戻す事も恐らく望めはしないだろうが。
…我ながら逆境には慣れてるんだな。死に際、残骸の霊基だけでもこの界聖杯に刻み付ける事に成功した』
アシュレイ・ホライゾンはコンピュータウイルス。
アシュレイ・ホライゾンは、有り得ざるサーヴァント。
であればそんな彼と結び付くマスターもまた有り得ざる器であるのは必然だろう。
『その折に――本来NPCとして終わる筈だった少女が俺という存在と結び付き後天的な可能性の獲得を果たした』
つまり。
仮称・『NPC七草にちか』は、世界に対するバグのような存在である。
自分という介入者に引きずられて変化してしまった界聖杯の綻びそのもの。
完全無欠の箱庭に亀裂を刻み得る、自滅因子(アポトーシス)の可能性が非常に高い。
緋色の糸を辿り灰と光の境界線が行き着いたのはそんな回答だった。
◆ ◆ ◆
-
猗窩座が拳を構える。
未だその肉体は全盛期に比べて無残な程に衰弱したままだ。
アシュレイでさえ恐らく互角に戦える、その程度のスペック。
しかし其処から漂って来る気迫は先刻までの比ではない。
アシュレイは改めて問い掛ける無粋はしなかった。
そんな事をせずとも、彼が何故そうしているのかは理解出来たからだ。
「そうか。それが"彼"の答えなんだな」
「そうだ。そして俺は、奴のサーヴァント」
雪の結晶を彷彿とさせる紋様が地面に出現する。
破壊殺・羅針。
臨戦態勢に入った猗窩座に対し、もうアシュレイは制止は望まなかった。
「最早言葉は無用だろう。剣を取れ、星を廻せ。七草にちかのサーヴァント」
「…そうだな。せめて期待に堪えられるよう頑張らせて貰うよ」
「奴の敵は俺の敵だ。その存在――この忠が果てる前に、完膚なきまでに喰らい尽くしてやる」
立ちはだかるは悪鬼・猗窩座。
ある愚かな男が信じたたった一人の狛犬。
銀の炎が立ち昇り、アシュレイが地を蹴る。
彼らの最後の戦いが輝きの中でその幕を開けた。
【渋谷区(中心部)/二日目・午前】
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『天羽々斬』、Wの報告書(途中経過)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:…そうか。貴方はそれを選んだんだな。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
2:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
3:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
4:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
5:大和とはどうにか再接触をはかりたい
6:もし、マスターが考察通りの存在だとしたら……。検証の為にも機械のアーチャー(シュヴィ)と接触したい。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。
【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:新生、覇気による残留ダメージ(程度不明)、消耗(大)、全能力低下、再生力低下、白髪化
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:主命を果たす。最後の時まで。
[備考]
※武装色の覇気に覚醒しました。呪力に合わせて纏うことも可能となっています
※頸の弱点を克服し、新生しました。今の猗窩座はより鬼舞辻無惨に近い存在です。
※プロデューサーとの契約のパスが不全になったことで各能力が大幅に低下しています。
-
【渋谷区・路地裏(アシュレイ達とさほど離れてない)/二日目・午前】
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、『ありったけの輝きで』
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:……は?
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、過労、メンタル減少(回復傾向)、『バベルシティ・グレイス』
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:――次は私の番。最後に、せめて。
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(中・ただし致命傷は一切ない)、疲労(中)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:復讐は果たした。が……
1:田中摩美々は任された。
2:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(大)、疲労(大)、幻覚(一時的に収まった)、マスター権喪失の兆し。
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:"七草にちか"だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:答えは得た。さあ、最後の仕事を始めよう。
[備考]
※プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。(現在はなりをひそめています。一時的なものかは不明)
※魂の九割を失い、令呪を全損したのが併さり、要石としてのマスターの資格を失いつつあります。
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投下終了です
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死柄木弔、峰津院大和、紙越空魚&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)予約します
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前編投下します。
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◆◇◆◇
景色の向こう側。
果てなき蒼い空を背負い。
二つの流星が、衝突を繰り返していた。
閃光と爆炎を絶えず迸らせながら、鎬を削り合う。
渋谷区から始まる熾烈な交戦は、佳境へと突入していた。
躍動する戦いの最中に、戦場は隣接する目黒区へと移っていた。
それぞれのマスターを喪った二騎のアーチャーは、互いが互いを足止めしながら死力を尽くしていた。
目黒区の高層ビル、その屋上にて。
桜の花びらが舞い続ける中。
二つの影が、彼らを遠目から眺めていた。
夜桜の化身、皮下真。
鬼ヶ島のライダー、カイドウ。
戦線から離脱した主従は、二騎の交戦を傍観する。
―――潮時だな。あいつらはじきに死ぬ。
皮下は、淡々とそう結論付ける。
雷霆と機凱。2騎のサーヴァントは、今も熾烈な衝突を続けている。
マスターという魔力の供給源を喪い、度重なる攻防の果てに満身創痍となっている。
彼らの存在はもう長くない。消滅の瀬戸際に立たされている。
そんな中で相手の最後の足掻きを防ぐべく、共に足止めをしている形となっている。
皮下は、カイドウと念話で打ち合わせ。
そしてすぐさま決断した。
この場は離脱するべきである、と。
―――“じきに『方舟』の連中が来る”。
―――“俺達は、俺達の決着を付けに行く”。
―――“アーチャー。後は任せるよ”。
皮下は機凱のアーチャーにそう伝えて、戦線から離脱した。
それはつまり、実質的な“捨て駒”の宣言だった。
放っておいても死ぬお前達の相手をしている暇はない、後は好きにやってくれ。
皮下はそうして、死へと向かいつつある者達を突き放した。
死地に立たされているアーチャーには、最早それを意に介する余裕すら無く。
去りゆく皮下達を前にして、彼女が何を思ったのか―――皮下は知る由もなかったし、興味もなかった。
―――リップ・トリスタン。松坂さとう。
―――見事なもんだったよ。
―――桜の一欠片くらいは、手向けてやるさ。
“誰か”のために魂を捧げて。
“誰か”のために命を燃やす。
やはり“愛”というものは、人を狂わせる。
そして―――何処までも、その身を懸けるに値する。
万花の領域へと至った皮下は、それを改めて噛み締める。
此処まで“同盟相手”として組み続けてきたリップも、己に答えを与えた“敵”であるさとうも、最期まで見事なものだった。
―――尤も、“それまで”だ。
残された彼らの従者にまで義理立てする気はない。
この乱戦の中、いずれ消え行く存在に目を向けている暇などない。
彼らがその存在を懸けて戦い抜いたように。
皮下達にも、臨まねばならない戦いが待ち受けている。
光月おでんの刃を継ぐ者。
そして、古手梨花とそのセイバー。
方舟に連なる者達と、じきに激突する。
-
二騎の英霊と万花繚乱へと至った皮下という三人を相手取っていた“蒼き雷霆”。
その奮戦は紛れもなく異常であり、修羅の如し強さを発揮していた。
死に花を咲かせている―――それ故に、最後の灯火としての大立ち回りを演じている。
これ以上相手をしていれば、無駄な労力を削られることになる。
やがて訪れる決戦に向けて、体力と魔力を温存するべきである。
皮下とカイドウは念話によってそのことを共有し、そして判断した。
「―――総督」
そうして皮下は、呟く。
桜の花弁が、笑みと共に舞う。
「存分に暴れさせてやる」
傍らにて気迫を放つ青龍を、横目で見ながら。
夜桜の化身は、不敵に嗤う。
「今度こそ、取り逃がさせねぇよ」
皮下は、悟っていた。
カイドウは、二度に渡って“宿敵との因縁”を取り逃がしている。
“光月おでん”。ワノ国に散り、そしてこの世界で再び散った、無頼の侠客(おとこ)。
最強の海賊は、この侍との望むべき決着をついぞ果たせなかった。
華々しき結末は、常に横槍によって阻まれる。
男は、皮肉な運命を呪い―――そして“大看板”の激励によって再起した。
取り零し続けてきた宿縁。
されど、天運は再び男に道を示す。
世界最強の海賊を、決戦へと導き。
彼もまた、己の運命に決着を付けんと望む。
「……ああ。もう、逃がしやしねえ」
故に“百獣の青龍”は、そう応えた。
今度こそ、全身全霊を持ってケリを付ける。
その為にも、此処で消耗を強いられる訳にはいかないのだ。
そしてそれは、皮下にとっても同じだった。
――――分かるよ。
――――お前も、来るんだろ。
――――なあ。“つぼみ”。
この身に宿る、“夜桜”の血脈。
やがて来る決着を待ち受けるように。
静かな鼓動を、打ち続けている。
“怪僧(リンボ)”と“邪神”の禍々しい気配は、ぷつりと消え失せた。
汚濁のような混沌が、この舞台から消滅した。
そして、この身と共鳴する“夜桜の気配”は今もなお健在である。
その意識は―――紛れもなく、こちらへと向けられている。
―――“あいつ”が、憑いている。
―――古手梨花。想像以上だったよ。
―――お前は“夜桜の宿命”へと踏み込んだ。
皮下は理解する。
古手梨花は、因縁にケリを付けた。
彼女は己の命を燃やし、最後の戦場を見据えている。
親友とのケリを付けた“その先”の戦いを、察知している。
夜桜つぼみの写身と化した古手梨花を一目見た時から、皮下真は悟っていた。
最早、古手梨花との対峙は必然となった。
そして光月おでんとの因縁もまた、此処に。
夜桜の化身と、龍桜の鬼神。
二人の修羅は、それぞれの因縁を見据える。
決戦は近い。勝利の時は、近い。
その果てに掴み取るものは、ただ一つ。
万物の願望器――――界聖杯だ。
「――勝ちに行くぞ、皮下」
「――勝とうぜ、カイドウ」
夏の嵐が吹き荒れて。
忌まわしき“夜桜前線”が迫る。
-
【目黒区(渋谷区・品川区付近)→???/二日目・午前】
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:行くぜ、“奇跡の魔女”。
1:綺麗だよ、クソガキが。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:孤軍の王、胴体に斬傷(不可治)、全身にダメージ(小)、霊基再生
[装備]:八斎戒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:皆殺し
1:ケリを付けてやる。
[備考]
※火災のキング、疫災のクイーンの魂を喰らい可能な限りで霊基を再生させました。
なお、これを以って百獣海賊団の配下は全滅した事になります。
-
◆◇◆◇
愛を見失った鳥達は。
寂しさに惑い、地にひれ伏すも。
それが本能とでもいうかのように。
再び、はばたく。
澄みきった蒼い空は。
降り注ぐ雨のように。
鳥達を、融かしていく。
それでも。
飛び立つ鳥達は目指す。
己の愛のよすがへと。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
――――閃光が、迸る。
――――市街地の上空に。
――――雷鳴が、轟いた。
“蒼き雷霆(アームドブルー)”。
二つの雷撃鱗が、真正面から激突する。
鎬を削り合う雷球と雷球。
衝撃と摩擦と共に雷電が弾けて、烈しく拡散する。
四方に飛び散る電撃が、周囲の建造物を抉るように破壊していく。
反発し合う力が、幾度となく衝突を繰り返す。
共に空中を飛び交い。互いに高速で機動しながら。
二騎の英霊は、死闘を繰り広げていた。
雷霆のアーチャー、ガンヴォルト。
機凱のアーチャー、シュヴィ・ドーラ。
ふたつの蒼雷が、宙を駆け抜ける。
雷光と発火炎が、次々に炸裂する。
『一方通行』。『制御違反』。
圧倒的な高速機動を繰り返すシュヴィ。
しかしガンヴォルトは凄まじい瞬発力によって、敵の動きへと追従を繰り返す。
全身の肉体を電流によってブーストさせ、シュヴィの奇襲に対しても『解析』と『微弱な電磁波』による察知で完璧な対応を取り続ける。
幾ら不意を突くことを狙おうと、限界まで突破した霊基の前では意味を成さない。
これは、紛れもない神話の戦い。
小細工。小手先。もはや意味など無い。
残されたものは、真正面からの激突だ。
二人は、何かを託された。
二人は、何かを受け継いだ。
去っていった者の遺志を背負い。
英傑はただ、我武者羅に立ち続ける。
この場からの撤退。
戦線からの離脱。
回復への専念。
最優先すべき合理的行動。
シュヴィの思考回路に浮かび上がる選択肢。
死線の狭間で、その実現を模索し。
しかしそれが無意味であることを、彼女はすぐに理解してしまった。
ガンヴォルトもまた、退くことはない。
ヒーリングヴォルトによる生体電流の活性化。
ブーストヴォルトによる“第七波動”の加速。
荒療治のような治癒と補給を繰り返し、己の中の限界を引き出し続ける。
この場からの離脱は、考慮しない。
考慮する余裕などない。
そう、無駄だ。
もう、不可能なのだ。
二人の戦いは、幕引きへと向かっている。
-
ここを離脱することで、相手に“最後の一手”を打たせないためにも。
互いが互いを、死力を尽くして食い止めていた。
それは今もなお二人が戦い抜いている、唯一の合理的な理由だった。
理解できる。
“自分”も。
“相手”も。
先は長くはない。
悟っていた。気付いていた。
ガンヴォルトも、シュヴィも。
既に、己と敵の現状を理解していた。
共鳴と解析を繰り返した二人には、互いの霊基の状況が視えていた。
肉体の多大な負荷。
魔力の膨大な消耗。
霊核の致命的な損傷。
瀕死の瀬戸際。満身創痍。
二人の道筋に、終焉が待ち受けている。
放っておいても、彼らはじきに消滅する。
それでも、雷霆と機凱は激突を繰り返す。
何のために戦っている。
何のために立っている。
何を得て、何を亡くした。
幾ら問い掛けても、答えは見えてこない。
ただ、二人は。
まるで本能や使命に突き動かされるように。
自らの内にある何かを証明するかのように。
我武者羅にぶつかり、死闘を繰り広げていた。
これは、諦めなのか。
それとも、意地なのか。
最期の、存在証明なのか。
彼らを取り巻く視界は、余りにも鮮明だった。
蒼く迸る閃光が、極彩色に弾け飛ぶ。
現実。虚構。過去。現在。未来。
まるで全てが入り乱れるような錯覚すら抱く。
今、自分達は生きているのか。死んでいるのか。
それさえも、曖昧になりつつある。
幻想の中を浮遊するような感覚の中で、二人は跳躍と飛翔を繰り返す。
鮮烈な色彩の蒼空が。
二人の認識を、かろうじて現在(いま)に繋ぎ止める。
止め処無い激突と撃ち合いを繰り広げながら、ガンヴォルトの五感は極限まで先鋭化される。
歌が、聴こえる。
懐かしい、かつての歌が。
喪われたはずの、愛しき歌が。
これは、誰へ向けられたものなのだろう。
記憶の残響が、ガンヴォルトの脳裏を駆け抜ける。
聖者と同化し、消滅した“彼女”の魂。
己の中から再び喪われた声。
激闘の果てに、結局何も得られず。
“彼女”の面影を背負う少女を、ただ託すことしか出来なかった。
ああ。過去が、焼き付く。
けたたましく、反響を繰り返す。
立ちはだかる“白き鋼鉄の少年”。
彼を支える“慈しき歌”。
彼に歌いかける“謡精”。
己に寄り添うものは、何処にもいない。
孤独な囀りを、吐き出しながら。
ただ我武者羅に、足掻き続けて――――。
果てなき葛藤と残響。
歌は、今なお響き渡る。
雷霆と機凱。
ふたつの霊基が、二重唱を奏でる。
-
この歌は、誰が為に。
この戦場。この戦火。
機凱の弓兵との、最後の死闘。
その果てに得られるものは、何なのか。
奏でられる歌に、祝福は在るのか。
愛を歌った小鳥。
愛に己を捧げた砂糖菓子。
二人は、もうこの世界には居ない。
小鳥の騎士であることを誓った己は。
結局、彼女の祈りを貫くことは出来ず。
小鳥から託された砂糖菓子を守り続けた己は。
最後は、彼女の死を以て幕引きへと辿り着いた。
蒼き雷霆は、ただ生死の狭間を突き進む。
己の戦いとは、己がここに立つ意味とは、一体何だったのか。
繰り返される葛藤と自問の中で、歌は呪縛の如く流れ続ける。
まるで、あの時のように。
歌が、己の敵として苛むかのように。
この青空の下で、雷霆は果ても分からずに翔び続ける―――。
そんな思考を、引き裂くように。
空中での応酬の最中。
エネルギーの回復のために、電磁結界を解除した一瞬。
鋭い斬撃が、ガンヴォルトを襲った。
電磁結界(カゲロウ)による消費を避けるべく、反射的にその身を捻って回避行動を取る。
斬撃が頬を浅く裂いて―――血が流れる。
ヒーリングヴォルトで即座の治癒を試みる。
傷は塞がらない。傷が治らない。
『偽典・森空囁』とは、軌道が異なる。
同じ真空の刃でありながら、明らかに初手の動作と攻撃の性質が違っていた。
故にガンヴォルトは、対処が一手遅れた。
そのとき彼は、目を見開いた。
「【典開】」
蒼い空を背負い、機凱の少女が呟く。
その両足に―――甲冑のような装甲が纏われている。
まるで“古代の遺物”のような彫刻が掘られたそれを、雷霆は見据える。
その正体に気付くまでに、時間は掛からなかった。
小鳥の命を奪い、砂糖菓子を死に至らしめた、あの男の脚と同じ――――。
「『偽典・走刃脚(ブレイド・アポクリフェン)』」
走り抜ける、斬蹴。
駆け抜ける、風刃。
ガンヴォルトが“小鳥”の想いを背負ったように。
シュヴィ・ドーラにも、“彼”が着いている。
次の瞬間。
風を裂く音が、幾度となく響いた。
機凱の弓兵が、連続で脚を振るった。
雷霆のアーチャーへと、夥しい数の“死”が迫る。
斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃。
斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃――――。
数多に分裂して飛来する、鎌鼬の嵐。
無数の“三日月(クレセント)”が、拡散した。
-
雷撃鱗。そして、放電。
蒼き閃光が、宙を舞う。
瞬時に放たれた避雷針を介して、次々に雷撃が鎌鼬を撃ち抜いていく。
されど、その無数の攻撃は捌き切れず―――幾つかの斬撃が雷電の壁に到達し、掻き消されていく。
斬撃と雷撃。
その応酬が、繰り返される。
――――再現できたのは、純粋な“治癒の阻害”のみ。
――――敵からの攻撃を“治療行動”と見做して妨げることは出来ない。
シュヴィ・ドーラは、己の“模倣”の結果をその場で分析する。
傷を受けた“蒼き雷霆”は、今もなお己との交戦を成立させている。
即ち“攻撃すら治療行為と見做される”という呪縛は機能していない。
恐らくは、急拵えの解析による機能不全か。
あるいは、魔導とは異なる原理の“権能”であるが故か。
されど、“治癒阻害”という要は忠実に再現されている。
ならば、十分――――不足はない。
―――出力、加速。
―――三重起動、実行。
―――武装接続、結合。
―――【典開・新約】。
「―――『森精・壊風走刃(ブレイドブレス・テンペスト)』」
斬撃は、三重に加速する。
“森精種”の操る、鎌鼬の魔術。
“鬼ヶ島のライダー”が放つ、鎌鼬の吐息。
“不治のマスター”が駆る、鎌鼬の蹴撃。
速度と手数の倍増。単純明快な暴威。
その全てが、蒼き雷霆へと襲い掛かる。
貫通。七連射。拡散。
数多の避雷針を使い分け、電撃を繰り出す。
決死の攻撃で、斬撃を撃ち落としていく。
それでも―――夥しい数の迅風は迎撃を掻い潜り、雷撃鱗の防御すらも引き裂いていく。
鎌鼬は、空を裂き。
周囲に飛散する死風が、街を断つ。
花火のように拡散し、降り注ぐ。
聳え立つビル、コンクリートで固められた道路。
並ぶ街路樹、放置された自動車――――それらが次々に、引き裂かれていく。
雷の防壁を突破し、幾つもの斬撃がガンヴォルトを襲う。
引き裂かれる皮膚。溢れ出る鮮血。
咄嗟にシールドヴォルトを発動し、僅かにでもダメージを軽減していく。
ヒーリングヴォルトは、やはり機能しない。
傷の治癒が、発動しない。
それは、呪いだった。
神から与えられし、忌まわしき力。
リップ・トリスタンという男が背負った、不条理の原罪。
彼が操る力にして、彼が恨み続けた、宿命の象徴。
UNREPAIR IMITATION GAME
――――不治・機巧心悸――――
「私が死ぬまで――――」
模倣されし“理を否定する力”。
神に授けられし“呪われた異能”。
「その傷は“治らない”」
愛に殉じた男は、逝った。
彼の力は、消滅を遂げた。
そして、今。
機械仕掛けの少女が、その権能を“再臨”させる。
シュヴィ・ドーラが放つ攻撃。
その全てが、“不治の呪い”を帯びる。
-
「迸れッ―――“蒼き雷霆(アームドブルー)”!!!」
凄まじい手数を前にして。
ガンヴォルトの防御と対処は追い付かない。
その身を風刃で次々に裂かれ、削られていき。
負傷と消耗が襲い来る中、彼は迷わず詠唱を行う。
―――天体の如く揺蕩え雷。
―――是に到る総てを打ち払わん。
「ライトニング、スフィア―――ッ!!!」
ガンヴォルトの周囲に展開された巨大な雷壁が、迫り来る鎌鼬を掻き消していく。
無数の雨霰の如く飛び交う斬撃が、雷の障壁によって相殺される。
世界は、今も尚。
鮮やかに、駆け抜けていく。
蒼き雷霆、ガンヴォルト。
彼の視界と認識は、嵐の如く荒れ狂う。
己を包む雷霆の閃光と、夥しい迅風の雨。
破壊と暴威の濁流の中に、彼は命を懸けて挑む。
自らの存在の全てを、この戦いで燃やしている。
少女達の残響が、幾度となく繰り返される。
――――これでよかったのか。
――――それで、よかったのか。
誓いと祈りの狭間で。
死線と奮戦の狭間で。
砂糖菓子を喪った時の想いが、反響する。
――――何故、喪い続けたのか。
――――何故、何も報われなかったのか。
――――何故、彷徨い続けたのか。
――――何故、守れなかった?
終わりのない、自問自答。
己の旅路への、拭えぬ疑念。
振り払った筈の迷いは、守るべき少女達を失った今。
過去の亡霊の如く、雷霆の魂へと擦り寄っていく。
蒼き雷霆。
その戦いは、伝説だった。
能力者と非能力者。
根深い断絶と、消えぬ対立。
混迷の世界を、彼は駆け抜けた。
たった一人の少女を、守り抜くために。
能力者の組織と、単身で争い続けた。
その果てに得られたものとは、何なのか。
――――喪失と、孤独に過ぎなかった。
結局はこの手の内から、何かを取り零していくだけだった。
手を伸ばし、希望に焦がれ、やがて虚空へと堕ちていく。
ガンヴォルトの脳裏に、鼓膜に。
あの日の歌が、フラッシュバックする。
己を鼓舞する祈りが、木霊し続ける。
ああ、同じだ。
あの頃と、同じだった。
育ての親に等しい師を手に掛けて。
全てを失ったガンヴォルトに寄り添う“電子の謡精”。
彼にとってそれは、己の心を癒やす“救い”にはならなかった。
“彼女”を死なせた。そんな己の罪を突き付けられる、呪縛として背負ってしまった。
――――何を間違った。
――――それさえも、分からなかった。
――――凍てつく世界を、転がっていた。
雷霆の葛藤。苦悩。虚無。
その隙間に割り込むように。
轟音が、響き渡った。
-
無数の鎌鼬を突き破るように放たれた、龍精の閃光。
一筋の流星の如く駆け抜けたそれは、ライトニングスフィアによる障壁さえも貫通した。
『偽典・焉龍哮(エンダーポクリフェン)』―――『対人特化』。
その出力を抑えて絞り、凝縮させ、貫通弾の如く放ったのだ。
通常時のような砲撃と比べれば、火力による制圧力は大きく劣るとは言え。
規模を一転まで集約させたことによる貫通力は、ガンヴォルトのスペシャルスキルをも突破してみせた。
咄嗟に電撃のエネルギーを全身に纏い、反射的な防御行動を取った。
しかしその衝撃まで相殺することは叶わず、ガンヴォルトの身体は大きく吹き飛ばされる。
そのまま彼は地に落ち、荒れ果てたコンクリートの道路を転がり。
それでも何とか受け身を取って、上空へと意識を集中させた。
――――そして。
――――その瞬間。
蒼き雷霆は、目を見開いた。
市街地。上空。蒼き色彩の果て。
宙に浮かぶ“機凱の少女”。
その魔力が、極限まで凝縮され。
まるで激流の如く、解き放たれていく。
そのとき、雷霆は悟った。
無数の鎌鼬による攻撃で、相手は“時間を稼いでいた”。
自らの宝具を解放するまでの猶予を、手繰り寄せていたのだ。
そして発動の準備を経て、“砲撃”によってガンヴォルトを吹き飛ばした。
敵と強引に距離を取り、己の切り札を最大火力で放つために。
―――無数の鉄の蔓だった。
幼い少女を模した、機械の身体から。
“それ”は夥しく、激流の如く、溢れ出した。
混沌と渦巻く“魔力”が、そのカタチを構築していく。
彼女の機体に。彼女の背中に。
鋼鉄の翼が、創られていく。
それは、余りにも大きく。
余りにも、神々しく。
余りにも、眩く―――。
その姿を目の当たりにして。
蒼き雷霆の脳裏に浮かんだイメージ。
それは、“超新星”だった。
この世界に生まれ、降臨した、極小の天体。
奇跡によって形作られた、機械仕掛けの恒星。
その中心に取り込まれた少女は、神の如し威容を示していた。
鉄と鋼の機神―――“械翼のエクスマキナ”。
破滅の極星が、空に君臨していた。
◆
-
◆
蒼い空が、果てしなく広がる。
“リク”が求め続けていた色が、視界を覆う。
その世界の美しさは、打ち拉がれる程に鮮明であるのに。
シュヴィ・ドーラの“心”に訪れていたのは、あの戦乱の世界を覆っていたような“哀しみ”だった。
指揮体(ベフェール)の許可は、必要なかった。
これは己の宝具。己の神話。その具現なのだから。
自らの意思で、完全なる解放が行える。
英霊の座に眠る、全機凱種―――そのクラスタとの同期状態へと移行する。
リップ・トリスタン。
マスターの願いは、果たせなかった。
彼を喪ったとき、既に己の霊核は大きく損傷していた。
度重なる激戦による消耗に加えて。
雷霆のアーチャーが放った『グロリアスストライザー』による衝撃と損傷が、予想以上に深く刻み込まれていた。
故に、理解してしまった。
己が消滅するのは、時間の問題であると。
リップの望みを貫くことは、叶わないと。
何かを託すことさえも、届かない。
シュヴィの思考回路が、ノイズを繰り返す。
亡きマスターへの後悔と呵責が、反響し続ける。
それでも尚、今は駆け抜けていくしかない。
蒼き雷霆は、最後まで立ちはだかった。
最早後が無いのは、きっと彼も同じなのだろう。
シュヴィはただ、それを理解して。
共鳴した記憶と感覚の中で、彼へと目を向ける。
歌が、聞こえる。
歌が、止まない。
慈しい祈りと、願いが。
反響を繰り返し、奏でられる。
そこに宿る想いを噛み締めて。
その歌の意味を悟って。
シュヴィは、答えに辿り着く。
ああ―――“この人”も。
哀しみを抱きながら。
“愛”を背負ってたんだ。
慈しい歌声(ねがい)は。
暖かな愛(いのり)は。
心と心を、結び付ける。
敵と味方。善と悪。
その断絶さえも、超越する。
-
しかし、それ故に。
シュヴィは、悟る。
譲る訳には行かない、と。
例えこの戦いが、此処で終わろうとも。
証明しなければならない、想いがある。
ここで朽ち果てることが、避けられないのなら。
己の存在を、最期の時まで懸けていきたい。
相手が、掛け替えなき愛を背負っているように。
どんな理屈を並び立てられようとも。
最早シュヴィを止める枷にはならない。
やがて、記憶回路が熱を帯びて。
彼女が体験した過去が、鮮明に浮かび上がる。
リップ。己を手繰り寄せたマスター。
“大切な誰か”のために悪人を演じようとした、不器用で慈しいひと。
そして、もうひとつ。
己の手を取って、永遠の愛を誓い。
自らに心を与えてくれた、“生涯の伴侶”。
彼の顔が、温もりが―――鮮やかに蘇った。
それだけで、十分だった。
己の身体と心が、満たされていく。
最期の瞬間。
例え惨めでも、虚しくとも。
最早、恐怖の一欠片も無かった。
少女は、全てを解き放つ。
――――“対未知用戦闘アルゴリズム”。
――――“起動する”。
◆
-
◆
「これが……私の、最終勧告……」
神をも穿つ巨影の鉄翼が、顕現する。
天に浮かぶ超新星が、繚乱する。
「全武装……戦力、戦術を賭して……」
全弾。全火力。全てが“不治の呪縛”を伴う。
殲滅と破壊の天罰が、降臨した。
「貴方の闘争(ゲーム)を、終わらせる。
蒼き雷霆……“ガンヴォルト”」
そして、“記憶の共鳴”によって。
機巧の少女は、その名を知覚していた。
故に、彼女は告げる。
最後に送る餞別の如く、敵の名を口にする。
「―――『全典開(アーレス・レーゼン)』」
新たなる神話よ―――此処に滅びろ。
機凱のアーチャー、シュヴィ・ドーラ。
その伝説の象徴。具現化された奇跡。
鋼鉄の巨翼が、蒼き雷霆を見下ろした。
圧倒的なまでの兵装。
圧倒的なまでの火力。
圧倒的なまでの暴威。
その全てが、眼前の敵へと向けられる。
蒼い空を背負い。
巨影の翼は、そこに君臨する。
ガンヴォルトの心に訪れたものは。
恐怖でも、戦慄でも絶望でもなかった。
ガンヴォルトとシュヴィ。
あの霊地乱戦での接触を経て。
二人の記憶は、互いの霊基へと流入していた。
それぞれが経験した闘争。旅路。想い。
繰り返される解析の中で、その知覚へと至る。
―――“この想い、心”。
混濁。同期。共鳴。
―――“機械に生まれて、命を貰った”。
彼女の歩んだ道程が、逸話が。
―――“その全てを、この251秒に賭ける”。
雷霆の脳裏を、鮮明に駆け抜ける。
-
死力を尽くし。
互いの身を削り合い。
消滅へと向かう瀬戸際まで。
存在の全てを懸けて、凌ぎ合った。
そんな相手に対して、奇妙な想いを抱いた。
これは、何なのだろう。
ガンヴォルトは、己の認識を省みる。
その威容は、ただの殺戮の具現ではなく。
何かを成し遂げて、未来へと託すための“意地”であると。
記憶が浮かび上がる中で、彼はそれを理解していた。
これだけの力を解き放ち。
彼女は、何を成そうとした。
そうまでして。
彼女は、何を望んだ。
ガンヴォルトは、記憶に問いかける。
瞬間。
ノイズが走り。
思考に割り込む。
映像。過去の事象。
解析の果て。
機凱の英霊、その核心。
蒼き雷霆は、其処へと至った。
少女が守り抜いた、一欠片。
それは愛の証明。愛の象徴。
婚約指輪(エンゲージリング)。
機凱の少女―――その根源の祈り。
雷霆の胸の内。
込み上げてくる感情の波。
彷徨い、足掻き、戦い続けて。
何かを得られたのかも、分からず。
大切なものを喪って、傷付きながら。
それでも前へと進んでいくことしか出来ない。
己の望み。己の願い。
蒼き雷霆は、青空の下。
その瞳を、苦悩の雨に霞ませる。
眼の前の少女は、違う道を歩んでいた。
例え己の心を差し出そうとも。
勝利のために、身も心も捨てたとしても。
その証だけは、決して手放さなかった。
大切な者との愛。
決して手放してはならない想い。
松坂さとう。飛騨しょうこ。
彼女達は、死にゆく時まで貫いた。
そして、機凱のアーチャーもまた。
最期の瞬間まで、祈りに殉じた。
この感情は――――いったい、何なのか。
ガンヴォルトの心が、混濁する。
反響する過去。己に寄り添うシアン。
命なき彼女に業を見出した、かつての自分自身。
擦れ違う心。擦れ違う想い。
その果てに支払うことになった代償。
やがて彼の胸中にある熱が、昂ぶりと共に零れ落ちる。
“雷霆”は、そんな己に気付いた。
“機凱”は、そんな彼に気付いた。
◆
-
◆
「貴方は――――」
「ボクは――――」
◆
「―――泣いて、いるの?」
「―――泣いて、いるのか」
◆
-
◆
その意味を問うには。
もはや、遅すぎた。
相対した、二つの祈りは。
駆け抜けていくしかない。
破滅の流星が、解き放たれ。
蒼き雷霆が、吼えた。
◆
-
前編投下終了です。
後編も期限内に投下させていただきます。
-
後編投下させていただきます。
-
◆◇◆◇◇◇◇◇
小さな、部屋だった。
からっぽで、何もない。
仄暗い屋内には、家具の一つも置かれてない。
四角い箱。白塗りの壁や天井。
木目のフローリングは、埃を被り。
窓から、朝焼けの光だけが射す。
伽藍堂の空間に、穏やかな茜色が灯る。
朧気な薄明りの部屋は、寂寞に包まれる。
静かに、漠然と、時間だけが流れていく。
そんな“マンションの一室”で。
ボクは壁に寄りかかるように、腰掛けていた。
沈黙の中で、虚空へと視線を向けながら。
緩慢な時の流れに、身を任せていた。
桜色の髪を持つ“砂糖菓子の少女”が、ボクの隣に座る。
薄暗い部屋の茜色を、静かに見つめている。
ボクも、彼女も、ただ其処に居る―――。
『……どうか、これは』
沈黙を、静かに断ち切るように。
傍らの少女に、ボクは語りかける。
『ボクの懺悔だと、思ってほしい』
それは、己の旅路の果てに得た“答え”であり。
そして、己の背負った“罪の告白”だった。
『ボクはこの世界で、愛の姿を見た』
ボクは、振り返った。
この聖杯戦争で辿った物語を。
共に歩み、背負い続けた、二人の少女を。
飛騨しょうこ。
“今度こそ、向き合いたい”。
彼女は歌い続け、断絶を乗り越えた。
小鳥は死の果てに、祈りを繋いだ。
雨を越え、慈しい唄を歌い、真っ直ぐな愛を親友へと届けた。
松坂さとう。
“愛のために、生きたい”。
彼女は無垢な祈りを抱き、駆け抜けていった。
砂糖菓子は死を超えて、祈りに殉じた。
受け取った想いを胸に、運命の愛へとその命を捧げた。
『死が分かつとも、決して終わらない』
そんな少女達の羽ばたきを、ボクは最期まで見届けた。
『……キミたちの愛に、そんな祈りを見出した』
しょうこも。さとうも。
何処までも、愛に直向きだった。
彼女達だけではない。
さとうの想いを受け止めたしおも。
想いを抱く機凱のアーチャーも。
誰もが愛に殉じ、愛を貫いていた。
『ボクは、キミたちとは違った』
けれど、ボクは。
そう、在れなかった。
『愛を、呪いにしてしまったんだ』
.
-
遠い日の記憶。
歌を紡ぐ少女は―――シアンは、かつてのボクが歩む意味の全てだった。
彼女は、守らねばならない存在だった。
しかし、ボクは。
傍らに寄り添う愛を。
受け止められなかった。
『ボクの傍らに居てくれたシアンを、自分の罪の証と見てしまった』
かつて、シアンは命を落とした。
ボクの師に等しい存在だった、アシモフの手によって。
彼女は、共に死にゆく筈だったボクに、自らの想いを託してくれた。
シアンの自己犠牲的な献身によって、ボクは命を繋ぎ止めた。
守るべき少女に、ボクは救われた。
そうしてシアンは死を超越し、ボクに寄り添う“謡精”と化した。
そんな彼女に、ボクは自らの罪を見てしまった。
シアンを守れず、シアンを救えず、結局は彼女を死に至らしめた―――そんな己の業が、常に纏わりついた。
――――ボクは、シアンを守れなかった。
――――彼女を死者にするばかりか。
――――彼女の方がボクを守って、その存在を捧げたのだ。
だからこそボクは、寄り添うシアンに苛まれた。
生命の枠組みを越えて、ボクにしか知覚できない霊体となったシアンは、次第に他者への関心を失っていった。
人間であることを喪失したかのように、彼女はボクだけに笑顔を振り撒いた。
その姿に、ボクは自らの罪を更に見出していった。
彼女がこうなったのは、他でもない己のせいだと。
やがてボクの中で、シアンは“かつての罪の象徴”へと変貌していった。
『ボクは、ボクの中にいる“愛する者”を、受け入れられなかった』
シアンとの旅路に打ち拉がれたボクは、“一人の少女(オウカ)”に新たな心の支えを見出した。
彼女は摩耗して打ち拉がれたボクを、暖かく受け入れてくれた。
新しい居場所に己の拠り所を見つけたことで、ボクはシアンを無意識に“過去”として規定してしまった。
そしてシアンにも、日常からの疎外の果てに、自らが“死者”であるという決別を受け入れさせてしまった。
ボクとシアンの想いは、すれ違い続けた。
互いに案じ合いながら、心は結び付かず。
それ故に、最後は互いに互いを手放した。
『だからこそ……彼女を喪ったんだ』
きっと、シアンにあの結末を迎えさせたのは。
彼女を籠の中に束縛した“高天の皇神”でも、その手で死を齎した“もう一人の雷霆”でもない。
ましてや、彼女の力を強奪した“理想郷の使徒”ですらない。
―――“自分は、もうここにいなくてもいい”。
―――“彼は、ひとりでも生きていける”。
シアンにそんな想いを抱かせた、ボク自身だ。
あの瞬間、ボク達の旅路は終わりを告げた。
聖杯戦争を通じて。
さとう達との出会いを経て。
幾つもの想いに触れて。
死してなお、寄り添い合う“愛”を見て。
ボクは、答えに辿り着いた。
『ボクの中に、もうシアンの声は届かない』
そうして、ボクは。
その答えを―――受け入れた。
ボクの中にあるシアンの声。シアンの歌。
結局それは、過去の記憶が生んだ幻影に過ぎない。
己の後悔と悲嘆が作り出した、執着の証でしか無い。
『それでいい。それが、答えなんだ』
シアンは、もういない。
それだけなら、とうの昔に分かっていた。
けれど、今のボクは。
シアンを喪ったことの意味を、やっと受け入れられた。
自分には、彼女と再び会う資格などないのだ。
-
しょうこ。さとう。
ボクは彼女達のようになれなかった。
愛する人と向き合えず。
愛する人の死を越えられず。
共に在る未来へと、目を向けられず。
自らの業に、ただ押し潰された。
だからこそ、永遠の愛を貫けなかった。
これは、ボクに与えられた罰だ。
エゴを貫き通して、世界を掻き乱して。
結局何も掴み取れなかった、罪人の顛末だ。
聖杯を得ようとも、得られずとも、関係はない。
愛を裏切った過去の業は、どんな奇跡でも拭えない。
故にボクは、今度こそシアンを喪ったのだ。
愛を喪失し、ボクは思い返す。
この舞台で出会った少年の姿を。
―――神戸あさひ。
―――彼の願いは、既に聞いていた。
彼は、“家族との幸福を得ること”を求めた。
掌から零れ落ちた妹を取り戻して、全てをやり直したい。
それは即ち、さとうを内面化した妹の存在を否定することだった。
ボクには、その意味が理解できた。
大切だった者の変貌を受け入れられず、“奇跡”によって己の道を取り戻そうとしている。
言うなれば、それは。
相手の意思の否定であり。
自己満足のための行為であり。
身勝手な独善に過ぎない。
そう断じることも出来ただろう。
―――それでも、神戸あさひを憎めなかったのは。
―――ボクもまた、エゴのために戦っていたからであり。
―――ボクと同じ業を、彼に見出したからだった。
かつてボクは、シアンとの決別を受け入れるしかなかった。
今の彼女は“ミチル”であり、自分が守り抜こうとした“シアン”はもういない―――。
ボクは、抗いようのない結末を受け止めた。
それが彼女にとって幸福であると信じて。
神戸あさひは、違った。
彼は、ボクの合せ鏡だった。
変わってしまったシアンを認められず、彼女と共に在る時間を取り戻そうとする―――そんな“有り得たかもしれないボク自身”だった。
愛する者との断絶ほど、大切な者との離別ほど、胸を引き裂かれることはない。
故にボクに、彼を否定する資格などなかった。
否定など、出来るはずがなかった。
満足気に事切れていた彼が、最後に何を思っていたのかは知る由もない。
ボク達と別れて、そして命を落とすまでの間に、何を得て、何を見出したのか。
その答えはきっと、彼自身にしか分からない。
ボクはただ、ボクの道を歩むしかない。
シアンを喪った。彼女の声は届かない。
その現実を、受け止めるしかない。
-
『ボクは、せめて……』
だからこそ、ボクは思う。
一呼吸を置いて、口にする。
『彼女の人生の幸福だけでも、祈り続けたい』
己になんの価値も無いというのなら。
せめて愛する人の価値だけでも祈りたい。
『愛を貫こうとする誰かの想いを、守り抜きたい』
己は何も手に入れられないのなら。
誰かの愛(ネガイ)だけでも、守り抜きたい。
ボクのように、取り零すことのないように。
慈しき誰かの道筋を、照らして往きたい。
『……それがボクに出来る、贖罪だ』
きっと、ボクは。
心の何処かで、それを理解していた。
だからこそ、この聖杯戦争に―――ボクは召喚された。
シアンの声を、望まないのなら。
シアンの喪失を、受け止めたのなら。
何故、ボクはサーヴァントになった?
答えはただ一つ。
ボクのこれまでの旅路に、納得が欲しかったから。
自分の戦いに、意味があったのか。
それを確かめたくて、ボクはしょうこの歌に呼び寄せられた。
しょうこの想いを守り抜くことで、自分の存在する意味を確かめたかったのだ。
エゴを貫き、エゴを押し通し。
そうして、後悔を背負い続けても。
ボクには、ボクのエゴを貫くしかない。
変わらぬ己のサガを自嘲して。
ボクは、喪ってきたものを振り返る。
『アーチャー』
ボクの隣に座る“砂糖菓子の少女”。
彼女はボクの言葉を聞き届けてから、静かに口を開いた。
『あなたのそれは、“愛”だと思うよ』
そうして、彼女は。
ボクのエゴを、想いを。
シアンに抱いてきた感情を。
そんな言葉と共に、肯定する。
『今でもずっと悔やみ続けるくらい、その娘を愛していたんだね。
けれど貴方は、そんな自分を見つけられなかったから……聖杯戦争に招かれた』
ボクは思わず、目を丸くして。
彼女の方へと、視線を向けた。
『自分を好きになれないのって、辛いよね』
彼女はゆっくりと、ボクの方を向いて。
その瞳で、ボクを見つめていた。
彼女は、自嘲するように微笑んでいた。
まるで過去を振り返るかのように。
自らの“出自”を、追憶するかのように―――。
-
『……私としおちゃんの想いは、途絶えなかった』
そして彼女は、言葉を紡ぐ。
『しょーこちゃんの祈りだって、私に届いた』
自分の愛と、この世界での道程。
それらを噛み締めるように。
『みんなの愛を、あなたは繋いでくれた』
ボクのことを、見つめ続ける。
『だから。あなたと、その娘の愛も……』
彼女の言葉を、ボクはどう受け止めていたのか。
自分自身にも、それを知る由はなかったけれど。
『終わることなんてない』
宝石のような、彼女の紅い瞳は。
ボクのことを、真っ直ぐに捉えていた。
それだけは、確かなことだった。
――――貴方は、皆の愛を繋いだ。
――――貴方の愛も、終わりはしない。
彼女はそうして、ボクを肯定してくれた。
戸惑いと、動揺。そして、一欠片の感慨。
ボクの胸に、様々な感情が去来する。
『……ねえ、アーチャー』
小さな部屋を包む、朝焼けの茜色。
箱庭の中をぼんやりと照らす、微かな薄明かり。
それは仄暗くて、何処か物悲しくて。
『しょーこちゃんの傍にいてくれて、ありがとう』
けれど、今は。
少女の想いに寄り添われて。
その朧気な光に抱かれて。
小さな安らぎを、覚えていた。
◆◇◆◇◇◇◇◇
-
◆◇◆◇◇◇◇◇
――――極光と、爆熱。
――――破局と、災厄。
――――轟音。轟音。轟音。
――――五感が、塗り潰される。
――――破壊が、降り注ぐ。
――――死が、幾度となく。
――――己を、押し潰しに来る。
周囲は、最早焦土と化していた。
まるで戦火に飲まれたかの如く。
市街地は、破壊の限りを尽くされていた。
次々に飛来する爆炎と熱弾。
機関砲の如く放たれる怒涛の質量。
破滅の嵐を齎す、徹底的なまでの空爆。
其処には、焔獄が顕現していた。
燃やされ。砕かれ。穿たれ。崩され。
怒涛の咆哮がけたたましく轟く中。
全てが、灰燼に帰していく。
世界の終末が訪れるかのように。
全てが、焼き尽されていく。
上空。何処までも蒼い空。
鮮明な景色を背負い、“機械仕掛けの極星”は地上を見下ろす。
視界に入る都市ごと纏めて、敵を焼き尽くすべく。
その巨大な鉄翼より展開される“無数の砲身”から―――“魔弾”を次々に繰り出す。
劫火が荒れ狂う、禍災の中心。
猛き蒼雷が、激流に抗うように。
眩き閃光を、迸らせる。
「おおおおおおおおおォォォォォォォォォォォォ―――――ッ!!!!!!!!!」
ガンヴォルトは、ただ吼えていた。
自らの肉体と霊基から、ありったけの魔力を引き出し。
迫り来る爆撃を、全力の雷電によって凌ぎ続ける。
雷撃鱗が、次々に襲い掛かる光弾を掻き消す。
迸る放電が、無数の降り注ぐ鉄塊を撃ち抜く。
弾ける落雷が、数多もの熱源を撃墜していく。
幾十。幾百。幾千。幾万
夥しい物量と熱量の弾幕。
凌ぎ切れ。灼き切れ。断ち切れ―――。
血に汚れた身体を振り絞り、ガンヴォルトは雷電を我武者羅に放出する。
「――――迸れ!!!“蒼き雷霆(アームドブルー)”ッ!!!」
最早、限界など受け入れない。
負傷、消耗、疲弊―――そんなものはどうだっていい。
摩耗していく魔力の肉体に、必死で鞭を打つ。
使える燃料を只管に焚べて、雷霆は叫ぶ。
―――閃く雷光は反逆の導。
―――轟く雷吼は血潮の証。
―――貫く雷撃こそは万物の理。
「“VOLTIC CHAIN(ヴォルティックチェーン)”――――ッ!!!!」
幾重に解き放たれる、巨大な鉄鎖。
まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされ。
その全てが電撃を放出しながら、膨大な数の掃射を焼き払っていく。
しかし、間髪入れず。
漆黒の槍が、連射される。
それは、風を切り裂きながら。
“無数の鎖”を、いとも容易く突き破る。
-
混沌の黒槍。
イミテーション・ケイオスマター。
幾つにも分裂させた武装を、砲弾の如く放っていた。
ガンヴォルトは、即座に駆け出す。
轟炎の流星が降り注ぐ中を、必死に走り抜ける。
黒槍から逃れながら、歯を食いしばる。
雷撃鱗は、最早“解除されなかった”。
途切れぬ砲撃を防ぎ、凌ぎ、時に削られながら。
それでも即座に“修復”を繰り返し、展開を続けていた。
クードスの蓄積。託された祈り。
令呪による加速。共鳴と解析の連鎖。
そんな中で繰り広げられた、果てなき死闘。
ガンヴォルトの霊基は、既に限界を超越していた。
“爪”を経た先の伝説。
オルタ化したガンヴォルトにとっては、未来における戦い。
“鎖環(ギブス)”の逸話さえ、彼は既に再現していた。
あの“旱害”との戦いで、雷霆は己の未知なる伝承を“自らの能力”として手繰り寄せている。
未来のガンヴォルトは“第七波動(セブンス)”の限界を超え、“暴龍”と称される圧倒的な力を得ていた。
その影響により“蒼き雷霆”の出力は飛躍的に上昇した。
そうして到達した“次の段階(ネクストフェーズ)”―――その一つが“雷撃鱗の常時発動”である。
永続する雷撃鱗が、致命傷を妨げる。
降り注ぐ暴威から、ガンヴォルトを守り続ける。
しかし、それだけだ。
止め処無い圧倒的な猛攻に対し、ただやり過ごすことしか出来ない。
攻めなければ、詰む。
このままでは、物量に押し潰される。
蒼き雷霆は、決死の覚悟で力を振り絞る。
「迸れ、“蒼き雷霆(アームドブルー)”……!!!」
―――天体の如く揺蕩え雷。
―――是に到る総てを打ち払わん。
「―――“LIGHTNING SPHERE(ライトニングスフィア)”ァァァッ!!!!」
暴龍の咆哮と共に、放電を繰り返す雷球の壁が展開される。
迫り来る絨毯爆撃を掻き消しながら、ガンヴォルトは跳躍した。
雷球を纏い、ガンヴォルトは飛翔する。
業火の雨霰の中を、強引に突き抜けていく。
弾ける雷電。
駆け抜ける霹靂。
繰り返される爆炎。
あらゆる弾幕を突破しながら。
蒼光の雷霆は、機凱の天使へと目掛けて翔ぶ。
歌は、聞こえない。
爆音と轟音だけが、鼓膜を響かせる。
感覚の全てが、死の狭間に立っている。
最早、己と敵だけしか見えない。
ただ突き進むことだけが、存在を奮い立たせる。
再び降り注ぐ、“混沌の黒槍”。
雷壁に直撃する、致死の刃たち。
閃光が迸り、その熱量が拮抗し。
そして―――相殺へと至る。
激突したケイオスマターとライトニングスフィアが、ほぼ同時に消滅した。
「迸れ……“蒼き”、“雷霆”……―――!!!」
霊基の魔力を滾らせて。
雷霆は、すかさずに“次弾”を解き放つ。
―――煌くは雷纏いし聖剣。
―――蒼雷の暴虐よ、敵を貫け。
「“SPARK(スパーク)”――――“CALIBUR(カリバー)”―――――ッ!!!!」
雷撃の巨剣を突き立てて、流星の如く突進を続ける。
破壊を齎す無数の嵐を、凄まじい勢いで突破していく。
-
轟音。衝撃。波紋。爆炎。
夥しい数の弾幕を振り切り、ガンヴォルトは只管に翔けていく。
前へ。前へ。前へ、前へ、前へ―――。
肉体の限界さえも突き抜けるように、彼は我武者羅に前進していく。
その刃を、雷撃を。
視線の先に居る敵へと届かせるべく。
彼は只管に、飛び続けた。
そして、ガンヴォルトは。
数多の極星を、突き破り。
数多の破壊を、超えて。
シュヴィの眼前へと、迫る。
まさしく稲妻の如く突き抜ける“雷霆”を前に。
シュヴィは、その両眼を見開いた。
「進入禁止(カイン・エンターク)」
―――典開。
雷剣を妨げる“壁”。
刃を受け止める“防御”。
しかし、迸る閃光は。
立ちはだかる防壁さえも、貫かんとする。
「進入禁止(カイン・エンターク)」
―――二重典開。
“壁”が、持ち堪える。
それでも雷剣は、吼える。
それでも雷剣は、挑む。
「進入禁止(カイン・エンターク)―――!!」
―――三重、典開。
“壁”が、遂に上回る。
蒼雷の剣が、限界を迎えた。
輝く刃が弾け、砕け散る。
「迸れ、“蒼き雷霆(アームドブルー)”!!!
械翼を撃ち抜く、極光の昇雷となれッ!!!」
だが―――まだだ。
まだ、終わらない。
蒼き雷霆は、それでもなお吼える。
ありったけの魔力を絞り出し、叫び続ける。
少女の祈りに報いる、“威信”の雷剣。
この手に、再び解き放つ―――!
―――掲げし威信が集うは切先。
―――夜天を拓く雷刃極点。
―――齎す栄光、聖剣を超えて。
「“GLORIOUS STRIZER(グロリアスストライザー)”――――!!!!!」
雷光の聖剣が―――三重の防壁を、粉砕した。
硝子の破片のように、粉々に砕け散っていく。
-
肉体が、消耗していく。
魔力で構築された殻が、次第に朽ちていく。
ガンヴォルトは、それを悟っていた。
マスター不在の中、令呪のブーストと自前の魔力によって現界を繋ぎ止め。
度重なる連戦とダメージにより、霊核は既に限界を迎えている。
そんな状況において、彼はスペシャルスキルの連続発動という離れ業を成し遂げた。
まさしくそれは、意地による限界の突破だった。
されど、境界線を飛び越えたのは彼だけではない。
マスターを喪いながら宝具の全力解放を行い、死力を懸けて猛り続けている。
それは、シュヴィもまた同様だった。
「ッ、『全方交差(アシュート・アーマ)』―――!!」
驚愕に表情を歪ませたシュヴィが、即座に対処を行う。
全方位に対する“霊骸”の噴射。推進力と猛毒による、形無き防壁。
「ッ、ぐ、あああああああ――――ッ!!!!」
ガンヴォルトが、絶叫する。
既に全身を“霊骸”に汚染されている彼にとって、それは致死の呪いに等しく。
その苦痛は、瘴気は、ガンヴォルトの肉体を瞬く間に蝕んでいく。
最早、立ち向かうことなど出来ない。
最早、足掻くことなど出来ない。
この害毒を前にして、雷霆は堕ちていくしかない。
―――その筈だった。
ガンヴォルトが、歯を食いしばった。
聖剣を突き立てるように構えたまま。
彼は、眼前の敵を見据えていた。
「―――――まだ、だ……」
全身を猛毒に蝕まれながら。
ガンヴォルトは、闘志を滾らせた。
「まだ……終わらない……ッ!!!」
その姿を、前にして。
シュヴィは―――戦慄する。
「貫けェェェェ――――――ッ!!!!!」
そして。
聖剣の刃が。
遂に、霊骸の防壁を。
一閃するように――――切り裂いた。
雷電が、弾けるように迸る。
瘴気を貫き、閃光を走らせ。
眩き蒼で、鮮明に視界を染めた。
シュヴィは、目を見開く。
三重の防壁。霊骸の噴射による阻害。
幾重にも重ねた防御が、突破された。
その意地に、その咆哮に。
少女は、気押されかける。
-
―――迫る。
―――迫る。
―――迫る。
―――迫る。
雷電が、聖剣が。
シュヴィへと、迫る。
荒れ狂う“暴龍”が。
機凱へと、迫る。
その身を穿つべく。
その身を貫くべく。
一直線に、突き抜ける。
そして、眩き刃は。
シュヴィの、機械の肉体を。
間もなく、貫かんとした―――。
――刹那の合間に。
――シュヴィの思考が、入り乱れる。
“蒼き雷霆”から流れ込んだ記憶が、情報が。
まるで走馬灯のように、けたたましく反響していく。
“蒼き雷霆”。最強の“第七波動”。
解析を繰り返し、己の武器へと昇華させた能力。
その力の真髄を、一瞬の狭間に喚び起こす。
“掲げし祈歌が集うは切先”。
“轟かせるのは相想の叫び”。
“戦禍を裂く雷刃極光”。
“齎す栄光、械剣を超えて”。
“この遊戯に、幕を下ろせ”。
――――瞬間。
――――蒼き雷霆が、目を見開いた。
熱と共に、痛みが駆け抜ける。
意識が揺さぶられる。
視界が、紅に染まる。
五感が、崩壊していく。
迸るような異常が、神経を灼く。
蒼き雷霆が解き放った“聖剣”は。
真正面から、打ち砕かれていた。
機凱が放つ“一撃”が、その雷鳴を引き裂いた。
「私、が……」
そして、ガンヴォルトは気付く。
“何か”に貫かれていることに。
“何か”に穿たれていることに。
「一手、先を……行った……」
やがて彼は、視線を落とした。
真紅の血液が、止め処なく溢れている。
抗えぬ苦痛が、己を蝕んでいく。
“機械仕掛けの聖剣”が。
雷霆の身体に、深く抉り込まれていた。
秘めたる第七波動の力を解き放つ能力『UNLIMITED VOLT(アンリミテッドヴォルト)』。
威信を宿した聖剣を解き放つ究極の雷撃『GLORIOUS STRIZER(グロリアスストライザー)』。
ガンヴォルトの第七波動を解析し、自らのものとして取り込んだシュヴィは、その極限の力を“結合”した。
「『聖典・蒼雷煌刃(グロリアスストライザー・テスタメント)』」
即ち、それは――――必殺の聖剣。
この遊戯に幕を下ろす、機巧の鬼札。
その刃は“不治の呪縛”に祝福される。
機械仕掛けの聖剣は、蒼き雷霆の聖剣を上回った。
◆
-
◆
堕ちていく。
意識が、身体が、魂が。
奈落へと、墜落していく。
終焉の幕が、下りていく。
動け、動け、動け―――。
幾らそう訴えても。
肉体を支える雷電は、応えてくれない。
全身が“霊骸”で朽ちていく。
振り絞られた魔力が枯渇していく。
五感も、掠れていく。
鼓動の熱が、失われていく。
呼吸すらも、ままならない。
腕を、足を、指先を動かそうと藻掻いても。
身体は人形のように、呆然と揺れるのみ。
胴体を一直線に貫かれて。
深く抉られた刺傷から、鮮血が溢れ出る。
体中を灼くような熱と痛みに蝕まれ。
ガンヴォルトは、宙を舞うように転落していく。
走馬灯が、過る。
懺悔が、脳裏に浮かぶ。
“大切な人を守ってほしい”。
二人の少女は、己に祈りを託した。
魔力パスを通じて、彼女達の遺志はこの身に刻み込まれた。
―――ボクは、いったい。
―――何を成し得たのだろう。
戦禍の雨に。
葛藤と苦悩は、融けていく。
その疑問に答える者は無く。
蒼き雷霆は、死の淵へと身を委ねていく―――。
その時、彼は。
その眼を、見開いた。
己の身から零れ落ちていく“破片”を。
霞む双眸で、確かに捉えていた。
『満ち行く希望(フィルミラーピース)』。
それは、全てを映し出す夢幻の鏡片。
蒼き雷霆が愛した少女の力を封じ込めた、心の断片。
-
己の転落と共に、虚空を舞う“彼女との縁”。
ガンヴォルトは、必死に手を伸ばそうとして。
しかし、その掌は何も掴めず。
伸ばされた手は、行く宛もなく。
だというのに。彼の脳裏には。
――――“うたが、きこえる”。
――――“いつかのうた”。
――――“あのこの、うたが”。
あの時の感覚が、鮮明に蘇っていた。
跳ね上がる魔力と電力。猛る威信。
己の想いと誓いに寄り添う―――“翼”への安らぎ。
ガンヴォルトの薄れゆく視界は。
離れゆく鏡片を、確かに捉え続けていた。
それは、己と彼女を分かつ“呪縛”の象徴であり。
そして、己と彼女を繋ぎ止める“祝福”の具現だった。
その破片は、今。
彼にとっての、最後の“絆”となる。
――――満ちていく。
――――求めた希望(あした)が。
――――その心に、焼き付く。
――――翼(いのり)が、此処にある。
霊基に、再び魔力が流れ込む。
雷電が、己の魂を駆けていく。
悲壮の暗雲が、切り裂かれていく。
再び彼は、手を伸ばした。
取り戻された気力を振り絞り。
摩耗しきった肉体を、動かした。
届け。届け。届け。届け――――。
「――――届け」
その掌の先に。
蒼き雷霆は“光”を見た。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
小鳥は歌う。
慈しい唄を。
小鳥は目指す。
心の果てへと。
小鳥は、羽ばたく。
愛を取り戻すために。
失意の濁流を抜け。
曇天から一条の光が射す。
その時、既にもう。
歌声を融かす雨は、上がっていた。
蒼い空を仰いで。
あの日の歌を背負って。
小鳥は、永久へと飛び立つ。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
《ねえ、お願い―――!》
《彼は今も、ずっと戦い続けてる!》
《貴女を見失っても!誰かの幸せのために、走り抜いてるの!》
《だからっ!応えてよ、シアン!》
《彼のために、歌を奏でて!!》
《アーチャー!》
《あんたを、独りにさせない!》
《挫けそうになったら!》
《私も、傍にいるからっ!》
《あなたが居たから、さとうと向き合えた!》
《あなたが居たから、私はまた唄えたの!》
《慈しいあなたの旅路を、誰にも呪わせない……!》
《あの娘の歌を!!あなたに、届けさせて!!》
《――――GV!》
《あなたと出会えて―――》
《私はずっと、幸せだったよ!!》
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
小鳥の唄だけは。
決して、誰のものにもならない。
如何なる解析も、模倣も、捉えられない。
その詩は、彼女だけのものだ。
何故なら、彼女は。
言葉を融かす雨の中でも。
愛のために、歌い続けたから。
雨は、上がった。
愛の唄は、空へと届いた。
慈しき小鳥、飛騨しょうこは。
蒼き雷霆、ガンヴォルトのマスターだ。
彼女は、叫んだ。
祝福(ウタ)を、繋ぎ止めた。
“電子の謡精(サイバーディーヴァ)”。
それは、孤独に戦う少年に寄り添う。
一人の少女の、祈りの力である。
二人のマスターの遺志を受け継ぎ、限界を超越した“霊基”。
機凱の弓兵との死闘により、極限まで到達した“共鳴”と“解析”。
心を記録するミラーピースを介して、届けられた小鳥の“祈り”。
彼女を呼び起こす奇跡が、祝福が、此処に揃う。
その歌は、いつだって。
彼が“再起”する時に奏でられる。
―――愛だけは、終わらせない。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
―――解けないココロ溶かして―――
―――二度と離さない、あなたの手―――
《あなたは、死なせない》
《今度こそ、私が傍にいるから》
――――“SONG OF DIVA”――――
《立ち上がって、GV―――!!!》
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
―――雷鳴が、轟いた。
―――歌が、響いた。
蒼き閃光が、眩い輝きを放つ。
絶望を超越した極光が、降臨する。
嵐のように吹き荒れる魔力の渦。
巻き起こる激流の如く、迅雷が駆け巡る。
愛の歌が、聞こえる。
愛の歌が、木霊する。
愛の歌に、紡がれて。
その雷は、極限へと到達する。
波紋が、大地を揺らす。
解き放たれる“力”が、衝撃を巻き起こす。
溢れ出る雷電の煌きが、轟き渡る。
舞い上がる粉塵は、やがて“英霊”の纏う気迫に散らされていく。
その身には、数多の傷を背負う。
摩耗と疲弊は変わらず、彼の肉体を蝕む。
それでも、今の彼は―――先程までの瀕死の姿とは、明らかに違っていた。
溢れ出んばかりの魔力の高まりが、その霊基を究極の域へと導く。
蒼き雷霆―――ガンヴォルト。
煌めく稲光の中心に、彼は立つ。
荒れ果てた焦土に、凛として佇む。
混迷の朝を、満ちゆく“希望”が切り裂く。
“新たなる神話”が、ここに幕を開ける。
シュヴィ・ドーラは、目の当たりにした。
満身創痍の姿で復活した、“蒼き雷霆”の姿を。
癒えぬ負傷と消耗を背負いながら、それでも
精悍に佇む“英霊”の姿を。
霊核を確実に撃ち抜いた筈なのに―――雷霆は今もなお健在だった。
そのことに、シュヴィは驚愕を隠しきれなかった。
―――そして。
―――少年の傍らに寄り添う。
―――“電子の歌姫”を。
―――シュヴィは、認識した。
金色の髪を靡かせて。
胡蝶のような衣装を纏い。
碧い羽を、背中から拡げていた。
まだ幼さの残る、その眼差しに。
確固たる意志と覚悟を、宿していた。
“歌姫”は、守護霊のように雷霆へと寄り添う。
その直ぐ側で、彼女は歌い続ける。
“電子の謡精(サイバーディーヴァ)”。
蒼き雷霆の伝説と共に往く、祈りの歌姫。
孤独に戦い抜いた少年に寄り添う、たった一人の少女。
慈愛と祈念をその胸に抱き、奇跡はそこに降臨する。
雷霆の傍らに寄り添う“少女”。
その姿を、視覚に焼き付けて―――。
シュヴィは思わず、言葉を漏らす。
「あなたは……“天使”?」
そして、その瞬間。
“雷霆”の魔力が、迸るように昂った。
まるで、天をも撃ち抜く稲妻のように。
まるで、天をも引き裂く暴龍のように。
その気迫が、歌姫の加護と共に―――解き放たれた。
-
シュヴィは瞬時に、自らの武装を解き放つ。
その鋼鉄の巨翼によって、“殲滅”を開始せんとする。
敵は“雷霆”と“歌姫”――――。
全火力を駆使して、徹底的に、確実に仕留める。
「【典開】―――――」
故に、躊躇いはしなかった。
初手より、最大火力を放つ。
迷うことはなかった。
この一撃で、仕留める。
例え、仕損じたとしても。
次の爆撃で、討ち滅ぼす。
灰燼すらも、遺してはならない。
「偽典・混沌天―――――」
瞬きの刹那。一瞬の狭間。
シュヴィは、信じられぬ現象に直面する。
蒼き雷霆の姿が、突如として“消えた”。
その視界から、忽然と消失し。
即座にシュヴィは、魔力反応を探知しようとした。
その瞬間の出来事だった。
―――貫くような衝撃が、突き抜けた。
―――弾けるような破砕の音が、轟いた。
シュヴィの思考が、理解が、振り切られる。
何が起きたのか。それを認識するまで、半歩遅れる。
自らに起きた異変に気付いた彼女は、驚嘆に目を見開く。
全典開の械翼。
その巨影が、崩されていた。
右翼の中心が、“雷撃”に撃ち抜かれていた。
翼の右半身が、大きく損壊する。
走り抜けた衝撃に、そのバランスを崩す。
何が起きた。一体、どうなっているのか。
シュヴィは、その攻撃の正体が分からなかった。
視認どころか、魔力探知をも掻い潜って、その一撃は叩き込まれた。
やがてシュヴィは、ようやく認識する。
自身の感知を突破して―――気が付いた時には既に滞空をしていた、“蒼き雷霆”の姿を。
彼は一瞬で宙を翔け抜けて、その身を雷撃の流星と化し。
シュヴィの探知さえも振り切って、巨翼の半分を貫いたのだ。
振り返ったシュヴィは、己に背を向けるガンヴォルトを視た。
―――いつの日か 世界が終わる時も―――
―――あなたさえいれば 怖くないの―――
飛翔した雷霆を支えるのは。
愛を歌い、揺蕩う“謡精”。
少女は、ただ謡い続ける。
少年への想いを貫くように。
その唄は、戦場を駆け抜けていく。
―――冷たく降りしきる雨[降りしきる]―――
―――陽炎消えて[陽炎]―――
響き渡る歌。
少年を導く祈り。
蒼き雷霆は、いま。
焦がれ続けた愛と共に在る。
-
シュヴィは、焦燥と動揺に駆られる中。
残された隻翼で、ありったけの武装を解き放つ。
怒号のような咆哮と共に、それは解き放たれる。
「【典開】―――――ッ!!!」
『偽典・焉龍哮』―――『一斉掃射』。
拡散する追尾弾の如く放射される、獄炎の濁流。
龍精種の放つ魔技『崩哮(ファークライ)』。
それを模倣し、殲滅へと特化させた爆撃。
破滅の流星群が、雷霆へと殺到する。
「迸れ」
―――切れ間から差し込んだ―――
―――光の梯子 生命の道標(コード)―――
「蒼き雷霆“アームドブルー”」
―――あどけない寝顔見つめる―――
―――月明かり真白の花―――
蒼き雷霆は。
ただ静かに、呟く。
迫り来る死の影を前にしても。
彼は動じず、怯まず。
その詠唱と共に―――無数の鎖を、展開する。
張り巡らされる巨大な鎖。
迫る『焉龍哮』を、真正面から受け止め。
迸る雷電によって、その全てを搔き消していく。
―――戯れに裂いた水面に―――
―――広がって消えていく―――
それは、シュヴィが解析した『ヴォルティックチェーン』のようであり。
しかし、出力と威力は、桁違いに跳ね上がっている。
彼女は、間もなく気付く。
これは『ヴォルティックチェーン』とは違う。
この能力は、技は、己でさえも知らない技であると。
記憶の共有による『解析』を経ても尚、この術理には辿り着かなかった。
ガンヴォルト―――オルタ。
その力は、奇跡の果てに解放された。
今ここにいる彼が本来体得していない異能。
暴龍へと到達した『未来の雷霆』が行使する、拒絶と破滅の力。
それは本来の彼自身が掴み取る技ではない。
されど、飛騨しょうことの離別を経て。
威信(クードス)の蓄積を経て。
解析による潜在能力の解放を経て。
自らの限界さえも突破したガンヴォルトは、己の伝説の極点へと至った。
―――茨の道でも優しさ―――
―――此処にある胸の奥に―――
鎖環(ギブス)の伝承と逸話は。
既に、彼のものと化している。
故に、この究極の技さえも行使できる。
“第八波動”の力に飲まれ、臨界点を超えて発動した異能。
未来の伝承において、それは己の仲間へと向けられた。
しかし今は、違う。
蒼き雷霆は、己の意地を貫き通すために、その技を放つ。
-
シュヴィは、咄嗟に発動しようとした。
解析。敵の武装と能力を読み取り、己のものへと昇華する。
機凱種の中でも『解析体』と呼ばれる個体が持つ技能。
その術を使えば、恐らくは雷霆を守る『歌』さえも模倣できる――。
―――解けないココロ溶かした―――
―――あなただから―――
しかし。
だというのに。
彼に寄り添い、歌い続ける少女を見て。
シュヴィは、足踏みをした。
覚悟を振り絞り。
懸命に歌い続けて。
その未来に、祈りを捧げて。
歌姫は、其処に佇む。
たった一人の少年を、支えている。
そんな少女の姿が、視界に焼き付く。
思考回路に、刻み込まれる。
その鮮明な姿が。
シュヴィに、衝撃を与える。
解析―――出来ない。
この能力は、模倣し得ない。
否、違う。
シュヴィは“躊躇った”
何故ならば。
それが彼の“よすが”であることを。
彼の心の拠り所であることを。
シュヴィは、理解してしまったからだ。
自分だけの愛(ココロ)を、他者に差し出す。
自分だけの愛(オモイ)を、他者に捧げる。
その重みを、その意味を、彼女は誰よりも知っていて。
だからこそ、躊躇した。
少年に寄り添う、無垢な愛を―――“模倣”することなど出来ない。
そして。
蒼き雷霆は、呼吸を整える。
自らに寄り添う『意思』を噛み締めて。
無数の鎖を、次々に解き放つ。
これが、究極の雷撃。
これが、最強の雷霆。
天を穿つ、極限の技。
伝説は、幕引きへと至る。
――――祝福。選択。再生。覚醒。
――――救済。顕天。未来。愛情。
――――雷霆よ、迸れ。
――――拒絶しろ。
――――拒絶しろ、哀しみを!!
「オクテスッ、ヴェトォォォォォォ―――――――!!!!!!!!!!!」
―――蒼雷が、蒼天を裂いた。
無数の鎖を起点に、空と雲を穿つ雷撃が解き放たれた。
まるで、宙を舞う『星屑の嵐』のように。
解き放たれた至高の雷電は、械翼ごとシュヴィを飲み込んだ。
◆
-
◆
翼が、焼け落ちていく。
己の力が、崩れていく。
限界を超えたガンヴォルトの雷撃。
それは、全典開―――シュヴィの切り札さえも打ち砕いた。
己は、負けるのだろうか。
雷撃に焼かれたシュヴィの中に、そんな想いが過る。
なけなしの意地だった。
霊核の損傷は、修復不可能な域に届いている。
最早、消えてゆくことは避けられない。
だからこそ、シュヴィは。
ガンヴォルトを此処で食い止めることを選んでいた。
彼をみすみす逃して、最期の足掻きをさせないためにも。
せめて、この場で刺し違えてみせる。
そう思考して、戦い抜いていた。
――――それだけじゃ、ない。
そんな“合理性”に割り込むように。
思考には、ノイズが走り続ける。
それは、心あるが故に芽生える“感情”。
命ある者が持ち得る、有機的な“非合理性”。
――――私は、ただ。
――――この人に、勝ちたい。
記憶の共鳴。度重なる激突。
繰り返される交錯の中で。
シュヴィは、ガンヴォルトの想いを掴んでいた。
彼もまた“大切な誰か”のために戦い抜いて。
自らの意志を、愛を、貫かんとしている。
そんな彼に対して、共感と慈悲を抱き。
同時に―――“負けたくない”と思った。
それは、心あるが故の想い。
共に祈りを握り締める相手への、一欠片の対抗心。
愛を背負い、愛を貫くことで、己の存在証明を果たす。
それは即ち、エゴと呼ぶべきものなのだろう。
心という動力が、駆け抜けていく。
祈りを焚べて、限界を突き抜けていく。
械翼は崩壊した。
無数の武装には、もう頼れない。
即座に発動できる武器は、数少ない。
しかし。
それで、十分だった。
この力があるのならば。
ああ―――構わなかった。
◆
-
◆
機械仕掛けの肉体は、電撃で焼かれ。
内部のあちこちから、鉄屑が軋むような音が響き。
顔の左半分などの外殻も損壊し、無機質な鋼鉄の素体が顕になっている。
既に魔力の肉体は消滅寸前になりながら。
地上へと堕ちたシュヴィは、それでも立つ。
彼女は、眼前に降り立った敵を見据えた。
アーチャー――蒼き雷霆、ガンヴォルト。
彼は、真っすぐにシュヴィを見据えていた。
その傍らに、歌姫が漂いながら。
雷霆は、最後の決着を悟ったように身構える。
「【典開】」
翼を失ったシュヴィ・ドーラ。
彼女が解き放つ、最後の武器。
それは、大地を焼き尽くす咆哮でも無ければ。
天を引き裂く一撃ですらない。
「『偽典・走刃脚(ブレイド・アポクリフェン)』」
―――彼女が受け継いだ。
―――祈りの、証だった。
機凱の両足を覆った装甲を見て。
蒼き雷霆もまた、身構える。
「……『蒼き雷霆(アームドブルー)』」
その掌に雷撃を纏わせて。
彼は、眼前の敵と対峙する。
沈黙と、静寂。
焦土と化した戦場に。
荒れ果てた風が、吹き荒ぶ。
刹那のような時間。
永遠のような睨み合い。
互いの呼吸が、意識が。
鮮烈なまでに、研ぎ澄まされていく。
―――そして
―――二人は。
―――同時に。
―――疾走した。
駆け抜ける二つの閃光。
交錯する雷撃と斬撃。
擦れ違い、突き抜けていく。
一瞬の間に、全てを賭けて。
二人は、死線の果てへと到達する。
再び、世界から。
音が、消え失せた。
荒廃した大地で。
二人は、背中合わせで佇む。
一秒でさえも、無限に感じられる。
そんな交錯と余韻の果てに。
やがて、その場に崩れ落ちたのは。
機凱のアーチャー。
シュヴィ・ドーラだった。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
―――シュヴィ。
―――ごめんな。
お前は、悪党の俺とは違う。
目的のために、俺が捨てたものを。
お前はずっと、持ち続けていた。
そんな慈しいお前を、俺なんかに付き合わせた。
俺は所詮、運命に踊らされる道化だった。
挙句の果てに、最期までお前を呪ってしまった。
それでも。
身勝手だとしても。
俺のエゴだとしても。
お前だからこそ、伝えたい。
今まで、ありがとう。
シュヴィ。
お前は、俺が捨てた“心”だ。
お前と出会えて、良かった。
お前が居たから、俺は救われた。
だから、いつかまた。
一緒に、ゲームを始めよう。
俺の大切な仲間も、交えて。
今度こそ、皆で勝とう――――。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
壮絶な火力の応酬、その果てに。
周囲一帯の街並は、焦土と化していた。
空爆によって焼き払われたように。
人々が生活を営んでいた市街地は、硝煙に包まれた更地と成り果てていた。
鮮明な青空に見下されながら。
戦禍の舞台に、風が静かに吹く。
穏やかな息吹のように。
傷付いた街を、癒やすかのように。
死闘は幕を下ろし。
其処には、沈黙が横たわる。
機凱のアーチャー、シュヴィ・ドーラ。
彼女はただ、空を見つめていた。
最早、その身は動かなかった。
幾ら魔力を振り絞ろうとしても。
機巧の肉体は、応えてはくれない。
仰向けに倒れる少女に、終わりの時が訪れる。
故にシュヴィは、茫然と思う。
―――果たせなかった。貫けなかった。
―――リップの最期の願いに、報いることが出来なかった。
霊核の損傷という壁に阻まれ、もはや己の現界の維持は不可能であると悟り。
せめて雷霆のアーチャーだけは食い止めることを選び、互いの意地をぶつけ合い。
そしてシュヴィは――――敗北した。
リップは、己に全てを託した。
それなのに、自分は―――。
彼の望みを、叶えられなかった。
彼の祈りを、繋げられなかった。
剰え、彼の遺志にも応えられず。
なけなしの意地さえ、押し負けた。
慙愧の念と、瀕死の身体に打ちのめながら。
しかし、不思議な心地の中で。
ゆっくりと、視線を動かした。
自身の右手に触れる“暖かさ”。
優しく添えられた“温もり”。
シュヴィはその正体を、すぐに察した。
雷霆のアーチャー、ガンヴォルト。
彼は、横たわるシュヴィの側で膝を付き。
彼女の右手を―――そっと握っていた。
その最期を、見届けるかのように。
悲嘆の闇へと、墜ちることのないように。
ガンヴォルトの傍に、“謡精”はもう居なかった。
彼はただ一人で、其処に佇んでおり。
それでも今は、死にゆく少女に寄り添うことを選んでいた。
「……やっぱり……」
己が消えゆくことを悟りながら。
シュヴィは、ぽつりと呟く。
「泣いて……いるん、だね……」
手を添える少年の温もりを、確かめながら。
シュヴィは、言葉を紡ぎ出す。
「……誰かの、ために」
その温もりの意味を、少女は知っていた。
理解できない筈がなかった。
-
誰かのために、意地のために、祈りのために。
自分の痛みと哀しみを押し殺して、それでも走り続ける。
そんな“慈しい人の姿”を、シュヴィは知っていた。
「すまない」
そして、ガンヴォルトも。
少女の想いを、噛み締めていた。
「キミとも……違う道が、あれば」
誰かに寄り添い、共に歩もうとする。
誰かの痛みを知り、支えようとする。
何かを背負う誰かのために、自分も背負うことを選ぶ。
ガンヴォルトは、そんな少女の在り方を見つめていた。
「手を、取り合えたのかもしれない」
二人の記憶と感情は、融け合い。
共に分かち合い、理解へと至った。
この死闘の果てに、少年と少女は。
「ボク達は……同じ、だから……」
互いに歩み寄り。
互いに慈しんだ。
その胸に抱く想いを。
その心に宿る、一欠片の愛を。
「“シュヴィ”。どうか、幸せに」
だからこそ。
“蒼き雷霆”は、餞別を手向ける。
“記憶の共鳴”の果てに知覚した、彼女の名を呼びながら。
例えこれから、共に消え行くとしても。
それでも、彼女の“幸福”を―――願わずにはいられなかった。
そんな彼の想いを受け止めて。
シュヴィは、呆然とした顔を浮かべて。
しかし気が付けば、その口元には。
穏やかな微笑みが、零れていた。
何故だが、その時。
シュヴィは、思った。
――――“彼”の声が、聞こえると。
共に歩み、傍で寄り添ってくれた。
そんな“マスター”の声が、届いたような気がした。
心の中で反響した“彼の言葉”は。
シュヴィを案じるように、慈しくて。
シュヴィを労うように、穏やかで。
それがただの幻であるのか。
魔力パスに宿った彼の意思であるのか。
確かめる術は、無かったけれど。
彼女にとっては、それが聞こえただけでも十分だった。
-
―――蒼き雷霆。
―――彼も、同じだったのだろう。
彼もまた、声を求めていた。
その声との繋がりを噛み締めることが。
彼にとっての、安らぎだった。
シュヴィは、それを確認した。
「“ガンヴォルト”」
そして――その名を、呼んだ。
終わりへと向かっていく中で。
シュヴィは、“愛”に触れる。
その心に遺された、一つの哀しみが。
安らかに、浄化されていく。
「あなたも……幸せ、に……」
腕の中に居た少女。
シュヴィ・ドーラは、消えてゆく。
蒼い朝の光に、融けていくように。
身体を構築する魔力が、霧散していく。
穏やかな笑みを湛えて。
果てしない、蒼い空の下で。
風と共に、散り行く。
“少女”を看取った―――桜の花のように。
――――リク。
朝日の中で去り行く少女は。
最期に、そう呟いていた。
その名の意味を。
ガンヴォルトは、既に悟っていた。
解析。感応。記憶の共鳴。
彼女が抱いていた愛を、彼は知覚している。
だからこそ彼は―――シュヴィの最期を、見届ける。
慈しみを、その瞳に湛えながら。
ガンヴォルトは、魔力の粒子となる少女を見守り続けた。
空は、果てまで澄んでいた。
稲光のように、鮮明な蒼だった。
そんな色彩へと還るように。
愛を抱く少女、シュヴィ・ドーラは。
この舞台から――――姿を消した。
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ 消滅】
-
腕の中にいた少女は、去っていき。
光の欠片と化して、空へと舞っていく。
花弁のように消える温もりを、見送りながら。
ガンヴォルトは静かに、哀しげに、微笑んだ。
そして、空を見上げた。
蒼い情景を、視界に焼き付けて。
少年は、ゆっくりと立ち上がった
舞台の上から、降りていくかのように。
彼はただ、か細い足取りで、歩き出す―――。
―――ああ。
―――ボクも、潮時だ。
彼は、既に理解していた。
己の霊基が、とうに限界を迎えていたことを。
意地と気力だけで、現界を果たしていた成し遂げていた。
崩れゆく霊核をものともせず、此処まで戦い抜いた。
あらゆる能力を振り絞って、決死の覚悟で戦い抜いた。
それはまさに、限界の踏破だった。
ここまで戦い抜けたのは、奇跡であり。
“彼女”が寄り添ってくれたからなのだろう。
――――今はもう、あの歌声は聴こえない。
それでも、構わなかった。
酷く満足で、清々しい気持ちだった。
脳裏に、一人の少女の顔が浮かぶ。
この聖杯戦争で、自分を呼び寄せたマスター。
取り零した愛と再び向き合うために、翔び続けることを決意した“慈しい小鳥”。
彼女の唄が、笑顔が。
ふいに頭の中を、駆け抜けた。
それだけで、もう悔いはなかった。
それだけで、彼は満たされていた。
もう振り返ることはない。
ただ一つ、願うことが在るとすれば。
――――神戸しおと、そのライダー。
――――彼らの旅路の果てに、幸福があらんことを。
飛騨しょうこ。松坂さとう。
彼女達が繋いだ愛の先にいる少女。
彼女達の未来が、“幸せなもの”であってほしい。
それだけが、今の雷霆の願いだった。
それでいい。それが、彼の祈りだった。
そして―――少年は、空を見上げた。
空の果てへと届いた唄に。
想いを、馳せていた。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
消えてゆく。
ボクの存在が。
座へと、還っていく。
『あなたと、その娘の愛も……』
『終わることなんてない』
誰かの声が、聞こえる。
誰かの歌が、聴こえる。
『あなたと出会えて―――』
『私はずっと、幸せだったよ!!』
これは、走馬灯なのだろうか。
最期に見る、夢なのだろうか。
その答えは、分からなくて。
けれど、その声の先に。
ボクは、眩い光を見ていた。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
―――慈しい風が吹いて。
―――懐かしい匂いがした。
◆◇◆◇
-
◆◇◆◇
永遠のような時間が。
ただ静かに、流れ続けていた。
光の中に、包まれるように。
記憶の果てを、揺蕩うように。
暖かな静寂に、身を委ねていた。
此処は―――何処なのだろう。
そんな疑問を、ふいに抱いて。
意識が少しずつ、覚醒へと向かっていく。
ボクは、ゆっくりと瞼を開いた。
雲の一つも無い、青々とした空。
果てまでも鮮明な色が、視界に入った。
それは先程まで見つめていた景色と、似通っていて。
自分は、生きているのか―――そんな疑問を抱きかけた。
しかし、そうではなかった。
ボクはそのことに、すぐ気付いた。
その“懐かしい声”を聞いて。
ボクは何かを悟って、受け入れた。
『おかえりなさい、GV』
仰向けに横たわるボクの顔を、“彼女”は覗き込んだ。
薄い紫色の髪を靡かせて、紅い瞳でボクを見つめる。
ひどく、懐かしい声で―――懐かしい顔だった。
爽やかな風が吹く平野で、ボクは“彼女”の膝に頭を乗せて眠っていた。
ボクは呆然と、“彼女”を見上げていた。
あの“奇跡”を経て、今度こそ別れへと至ったと思っていた相手が。
ボクのすぐ傍に、確かに存在している。
「―――――シアン……?」
ボクは、“彼女”の名を呼んだ。
“彼女”は―――“シアン”は、慈しみを眼差しに込めて。
ボクのことを、じっと見つめていた。
-
『あなたを苦しませて、ごめんなさい』
そしてシアンは、そう告げる。
その声に、切なさを滲ませて。
『あなたを独りにして、ごめんなさい』
ボクは、彼女の言葉を聞き届ける。
シアンの懺悔を―――ただ、受け止める。
『私は、あなたを支えられなかった』
彼女の顔に浮かぶ、悲しみを見て。
ボクは思わず、言葉を零しそうになった。
――――そんな顔をしてほしくない。
――――キミに罪なんかない。
シアンの謝罪に、そう返しそうになって。
けれどその言葉は、喉の手前で堰き止められた。
彼女が悔やむ意味を、ボクは理解してしまったから。
“自分のせいで、貴方を傷付けてしまった”。
それは―――ボクも、シアンに抱いていた感情だったから。
『そして……』
それから、彼女は。
一呼吸の間を置いて。
悲しみの顔を、微笑みへと変えた。
『誰かの祈りを守ってくれて、ありがとう』
――――そう伝えたシアンに。
――――ボクは思わず、目を見開いた。
『愛を唄う小鳥が、私に伝えてくれた―――』
感慨を噛み締めるように、シアンは呟く。
ボクの傍に寄り添ってくれた“小鳥”。
その歌は、彼女へと届いていた。
『あなたは最期まで、慈しい歌のために戦っていた』
彼女の言葉が。想いが。
ボクの心を、静かに癒やしていく。
胸の内に抱いてきた葛藤が。
その慈しさに、解かれていく。
『おつかれさま。どうか、ゆっくり休んで』
そうして、シアンはボクに笑いかける。
穏やかで、安らかな彼女の声に。
ボクは思わず、言葉を失いかけて。
-
「……ボク、は」
けれど、ボクは。
意を決して、言葉を紡ぐ。
「キミの存在と、向き合えなかった」
シアンが、己の悔いを伝えたように。
「キミを喪った罪ではなく、キミ自身を見つめるべきだった」
ボクもまた、伝えたかった。
「ボクこそ……キミに、謝らなくてはならない」
彼女への想いを。
彼女に抱く、懺悔を。
シアンがそれを届けたように。
ボクも、それを届けたかった。
それこそが――此処まで背負い続けた、ボクにとってのケジメだったから。
そんなボクの告白に、シアンは。
何処か切なげに、優しく受け止めるように。
静かな微笑みを浮かべていた。
『……一緒だったね、私達』
―――ああ、きっとそうなのだろう。
ボクはただ、それを悟った。
ボクも、彼女も。
互いを想い、互いを愛し、運命を共にして。
それ故に、ボク達は擦れ違った。
信じ合っているにも関わらず、ボク達の感情は平行線を辿っていった。
だからこそ、ボク達は。
後悔を抱いて、此処まで至った。
愛する者を支えられなかった哀しみと共に。
ボク達は、歩み続けた。
『みんなの想いは、ずっとあなたと共に在る』
そして今、やっと二人は結びついた。
穏やかで、澄み切った、碧空の下で。
互いに後悔を分かち合いながら。
祈りの言葉によって、浄化された。
-
『私も、今度こそ……あなたの隣で寄り添うから』
シアン。
キミが、此処に居る。
そんな想いを、伝えてくれる。
それだけで、十分に幸福だと言うのに。
『だから。何度でも、伝えるよ』
彼女は、何処までも。
愛おしい言葉を、繋げてくれる。
『ありがとう、GV』
シアンが、ボクの頬に触れる。
優しく撫でるように。
ボクという存在を、確かめるように。
今の彼女は、とても幸せそうに笑っていた。
『私の――――愛する人』
彼女の温もりが。
ボクを、優しく包む。
その暖かさに触れて。
ボクはようやく、悟った。
ああ、そうか。
そうなんだな。
シアン、ボクは。
ここにいて、いいんだ。
――――良かった。
「ありがとう、シアン」
ボクは、微笑んでいた。
掛け替えのない安堵を胸に抱いて。
その安らぎを、抱いていた。
「――――ボクは今、幸せだよ」
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪 消滅】
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投下終了です。
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投下お疲れ様です
同じく投下させていただきます
-
戦争が終われば、世界の終わりが始まる。
その、前に。
◆◆
桜の花びらが、散り急ぐその下で。
幽谷霧子は、教会のステンドグラスの絵を思い出していた。
そこが教会であれば、数多く見かける構図のそれは。
きらきらと輝く、聖母子像の硝子細工だった。
(女の人と一緒にいる……小さな子……)
それは決して、眼前の光景が喜ばしいものに見えたということではなく。
むしろその逆で、ただならぬ終わりの出来事を迎えた少女たちだったけれど。
(たくさん、たくさん……音がする……)
物音は、ひとつもなかった。
動かない二人の少女と、立ち尽くす一人の少年と、静寂ばかりがあった。
だから音になって響くのは、色と、痛みだ。
たくさんのそれらの、細かな接合。色に色が重なって見えるもの。
色が眼に刺さるように、まぶたを熱く、悲しくさせてしまうもの。
人影をぼうっと見下ろすような、木の幹の罅割れた茶色。
降り注ぐことを止めない、花びらの桜色。
流れ落ちる髪の、女の子を彩る桜色。
そんな桜色に翳された、脈打っていない面差しの白色。
女の子を覆い尽くす、包帯を巻く余地のない血の赤色。
乾いた赤も、濁った赤もあれば、濃き緋の鮮やかな赤も、入り混じる。
つまりそこに見えるのは、ペンキをぶち撒けたような単一色の、血糊ではない。
血糊の下に、その血を湧き出した『ざっくり』とした傷の赤色がある。
(…………っ)
-
一度、眼を逸らさない意志だけは固めていた。仁科鳥子を手当した時に。
それでも直視して震えたのは、むごさというよりも痛さだった。
痛々しさだけではない、愛情の切なさのようなもの。
だって、この傷を負った上で最期に成したことが『笑顔で膝枕をする』という慈愛だったのだから。
その対象は、半身を起こして寄り添うのは。
服と印象とで、空の蒼を纏った女の子だった。
横髪のおさげ二つは差し色のように黒くて、霧子に顔を見せない向きで。
ぱちりと身を起こして、桃色の少女に向かって言葉をいくつか語り掛けて。
そのままじっと止まって、視線を逸らさなくなった。
命がいなくなった女の子に、身体を受け止められたまま。
生きている肌の色をした顔が、白皙の顔と向き合っている。
声をかけることを躊躇ったのは、それがまぎれもなく哀悼の時であるように見えたからだ。
きっとこれは霧子が知り得なくても、たとえ辛いことだったとしても、大事な時間。
邪魔をしてしまったら、きっと二度とは訪れない時間。
気まずそうな顔を見せた少年も、だから近くで立ち尽くすだけに徹していたのだろう。
しかし、何事かをもたらした危機は終わっていないのではないかと、懸念する者がいるのも無理からぬことでもあった。
「霧子、霧子。アイさん、危ない匂いが近づいてないか警戒するね! 」
しっぽをぶるんぶるんと意気軒高に揺らし。
髪の毛と判別つかぬ犬耳を、いわゆるイカ耳という警戒の形にして。
鼻をくんくんとさせながら、幼き犬姿の少女はぱたぱたと駆けていく。
接近者の探知であればセイバーがやってくれると、そう止めるのは避けた。
自衛のために匂いをかぎ取ろうとするのはアイ自身が安心するための行為であることも分かったし。
何より出会ったばかりの女の子たちをあまり大勢で囲んでも、緊張が大きくなるかもしれないから。
「うん、ありがとうアイさん」
「アイさん?」
友人にお礼を伝えただけのはずが、それは相手方に反応をもたらした。
-
霧子の立姿と、背後のセイバーの異相を代わる代わるに温度の違う顔で見比べていた少年が。
知り合いの名前でも持ち出されたように、怪訝そうな声を出したのだ。
そして、幼き少女の小さな背中もまたぴくりと揺れた。
初めて外界からの声に反応したその背中には、返り血があった。
膝枕に至る過程で身を預けて、もう一人からもらったのだろう。
肩甲骨がありそうなあたりに、二つ。
血が乾いて、腫れたかさぶたのように見えた。
千切れた羽が生えていた跡。
それが、くるりと身を回して見えなくなる。
「アイさん……?」
とても久しぶりにあった知己の名前を呼び返すように。
そう反復して細い首が、雫をたたえていた瞳が左右に動いて。
ぱっちりと、目と目が遭った。
であれば、霧子が次にすることは決まっている。
お辞儀だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
銀色の月を湛えた蒼色の少女。
白色のお日さまを宿した水縹色の少女。
少女がふたり、はじめましてをした。
-
距離はそのままに、しかし少女と目線を合わせるために腰は落とす。
女の子の大きくてあどけない瞳に、今では涙はなかった。
「いきなりの、挨拶で……ごめんなさい……」
まずはお詫び。
そして自己紹介も大事だが、『お話ができるかどうか』を確かめるのも大事だ。
それは、お話どころではない怪我をしていないかどうか、でもあるし。
あなたが言葉を交わしたくない時なら、それを無理じいしないと伝えたいのもそう。
何より、わたしたちが警戒をさせてしまっていたなら、解きたいのが一番にある。
女の子のことを霧子はまだ何も知らないし、それは女の子の方も同じだから。
謝らなくていい、という仕草でふるふると首を横にふる女の子を、改めて見つめる。
返り血を除けば、これといった外傷は見受けられないように見えた。
ずっとそばにいた少年が手当などを焦っている風ではないから、その点は心配無用かもしれない。
そして、挨拶や受け答えは今のところしっかりしており、意識も明瞭。
大事そうに見つめていた人との、別れの後。
そして見知らぬ闖入者がいた今、という時にあって動揺したところはない。
それはショックを受けることがあったが故のぼんやり、という風でもなかった。
特にふらつきもなく立ち上がり、すっくと背筋を伸ばして目線もしっかりと霧子達に向けている。
霧子のすぐそばに黒死牟がいた上で、なおそうだった。
これまで多くのマスターが、子どもか大人かを問わず驚いたり恐怖してきた、その人を。
(アビーちゃんの時みたいに……セイバーさんは大丈夫だよって、言わなきゃと思ってたけど……)
それはその子の世界の見え方によるのか、心に起因するのか、それとも無理をさせていないか。
ぱっと思い浮かんだ色んな考えは、しかしもっと微笑ましい理由がすぐに取って替わった。
女の子が立ち上がって最初にしたのは、かたわらにいた少年の服の裾をちょんと掴むことだったから。
……サーヴァントさんへの信頼、かな。
ふふっと、笑いそうになるのを今はだめと抑える。
頼られた少年の方は「お前、こういう時ぐらい……」と、まごまご言いかけていたけれど。
少年の二本の脚は、いつでも女の子を庇えるような立ち位置だったのを霧子は見ていたから。
ふたりの信頼は双方向のもので。
この人がいるならひとまず大丈夫、という事なのだろうと霧子はいったん受け止める。
「はじめまして。それに……お返事をしてくれて、ありがとう」
何を想っているのと『声』を聴きたい気持ちはあるけれど。
霧子が近づいてもいい時なのか、心配はあるけれど。
-
まずはその様子から読みとれる心配を、優先しよう。
大きな災禍を経験したらしい様子。
さっきまでは泣いていた子。
そう、泣いていたなら。
こういう時は心と身体の怪我の心配だけでなく、生きるための営みも頭から抜けがちになる。
また炎天下で、昨晩のような動乱の渦中にいたなら、汗もすごく流しているはず。
そして、この酷暑の元で、給水施設も販売もない街で。
そして齢十にも満たぬ子どもという、極めて脱水しやすい条件。
「もし、大事な時間なら……近づかない方がいいなら、少し、離れてるから」
あなたの悲しみに、想いに、邪魔をしたいわけではないと前置いて。
荷物から、ピンク色の水筒を取り出した。
甘くはないけど、苦くもない。
恋鐘はしっかり、おにぎりに合う飲み物がいいと気遣いをしてくれた。
「怪しい人じゃ、ないよって……そういう話も、要るかもしれないけど」
彼女の口にあうかどうかは分からない。
そもそも何か口にしようとする気持ちでさえないかもれない。
けれど、このままでは乾いてしまう人を、放ってはおけないから。
「まずはお茶を、飲みませんか……?」
とくとくと、苦くない麦茶だと分かるようにコップを傾けてその色を見せながら。
気持ちが雫になって溢れてしまった時に、枯れぬよう注ぎ足すものを。
流した涙のぶんだけ、いつかの涙になってくれるものを。
麦茶の注がれた水筒のコップを、そっと差し出した。
◆◆
神戸しおは、『松坂さとうの死』をその眼で見るのは初めてだった。
一度目に彼女がそうなった時、瞳に移っていたのは暗闇だったから。
-
ぱりんとビンが割れる音がしたと思ったら。
あなたが私を助けたんだと分かったら。
二人で歩いていた道のりだったのに、あなたが消えて。
夜道に投げ出された時には、もう私は一人きりになっていて。
あたりを見回して、『さとちゃーん!』と大きな声で呼んだ。
それなのに返事はかえってこなかった。
どうしようって、うつむいていたら。
ふわりと舞い降りて後ろから抱きしめるように。
あなたの愛が、私のところに降ってきてくれた。
私の愛は私の中にあることを教えてくれた。
だから寂しくないよ、ずっと一緒だよって。
いつか再会するその時まで、この甘さと生きていくんだと思った。
それが、一度目のさとうとしおの別離だったから。
思わず抱きしめたくなる、キスしたくなるピンク色の女の子は、血は赤かった。
神戸しおに全てをくれた少女を目にした時に。
初めて見る、美しい姿と、ずるい笑顔に。
しおの世界は、時間を止めた。
あなたという気持ちは本当に――。
(不思議だね、どんどん形が変わっていく)
甘くて痛い、毒を帯びた蜜のような狂おしさも、熱も、明るさも変わらない。
死がふたりを分かつものではないという確信も、同じまま。
だから寂しくないよと、笑顔はまた教えてくれる。
でも。
(あの時のお別れは、こんな気持ちじゃなかった)
白くて四角い病室で、しおはこんな風に泣かなかったはずだ。
甘さに融かされる熱い痛みとはまったく別にある、こんな。
こんな、冷たくて真っ赤な痛みは初めてだった。
寂しくないよ。
初めてじゃないもの、大丈夫。
でもどうしてこんなに、哀しいんだろう。
-
理由が分からなくても、望みははっきりと分かる。
もっと生きているあなたに触れたかった。
まだまだたくさんのことを話したかった。
ごめんねとありがとうの二つよりたくさんのことを、本当は伝えたかった。
私の中にある、あなたという気持ちがワガママを言う。
いちばん正直な気持ちを叫ぶ。
――これからもずっと、一緒にいたい。
その、望みは。
――ずーっと一緒だよ。さとちゃん、だいすき。
かつて生まれ変わった時に誓った言葉と、違っているような。
どっちも違わず真実なのだと、心ではよく分かっているけれど。
なんだか言葉だけは矛盾したことを言うような望みで。
(だって、二度も助けてくれるなんて、さとちゃんの方がずるをしたんだから)
それも元はと言えば、最愛のあなたがずるいせい。
だって、今度は私が守る番だと思っていたのに、二度も助けてくれるんだから。
そんな風に言い返したくなって。
おかげで、しおは思い出した。
(…………そっか、私、あの時も哀しかったんだ)
愛って何なの、私にはわかんないよ、と。
あなたを夢の中で問い詰めた時に、涙はなかったけれど。
そこで、一緒に死のうって二人で決めたのにと、泣きわめくことはしなかったけれど。
愛する少女と共に墜落し、助けられたことで、しおは確かに生まれ変わった。
生まれ変わったということは、一度死んだということだから。
死ぬほどの、致命傷を心に受けたということだから。
かつて、まだ友達ではなく武器だった少年が、少女をイカレていると評したように。
敵として立ちはだかった狂童の王子が、『もう塞がってる』と割れたこと自体は否定しなかったように。
共に死のうとしたはずの松坂さとうから助けられた時、神戸しおは心の亀裂を受けていた。
あの時、今この時みたいにいかないでと、ワガママを言わなかったのは。
哀しいなんて言葉でも表せないぐらい、心を占めるあなたが大きかったせいでもあるけど。
(どうしてなのか、分からなかったから)
-
さとうがどうして、しおを助けたのか分からなかった。
ただ、それが愛だったとは分かるから、ずっと考え続けて。
それでも『どうして』が分からないということは。
もらった献身が、意味することを受け取れないということだから。
『さとうが何をしたのか』と、『しおが何をしてもらったのか』ということが。
いちばん大事なところがぽっかりと空白になっていて、そこに向けるべき感情の向かう先がなかった。
でも、今は違っているから。
あなたは、愛するために生きて死んだんだと、しおは真実にたどり着いていたから。
だから。
神戸しおは。
しおを愛するがために死んださとうを、初めて見た。
それが、目を覚ました神戸しおに、訪れた未知の源泉。
松坂さとうの、ラストライフの証明。
神戸しおが、真実の先に見つけたもの。
ここは物語の終わりで、ここは物語の始まり。
あなたの名前を付けた気持ちを、また知った瞬間。
時間が止まっていたのも。
大事な友達が、ただそっとしてくれたのも。
あなたと見つめ合うために歩みを止めていたのも。
全てはただ、その時間を噛み締めるために費やされた。
(ごめんね、ありがとう――は、もう言わなくていいよね)
それは既に、伝えていたから。
さとうももう一度そう言ったと、しおには確信があるから。
「――――」
その上でなんて囁いたのかは、内緒。
たとえデンジにだって、これは教えてあげられない。
そのために、他の人には聴こえないぐらい小さな声で、耳元に言い残した。
-
ただいまとおかえりも、ごめんねも、ありがとうも、愛の言葉も、ぜんぶ言った。
そして『いってきます』をする為に、少女は玄関を立ち上がる。
「アイさん?」
かたわらにいてくれたデンジが、もっと前にお別れした人の名前を呼んだ。
どうしてらいだー君から、今その名前が呼ばれたんだろう。
アイさんに関係する誰かが、やって来たのかな。
「アイさん……?」
デンジにつられるように、呼ぶ。
ラストライフを見届けて振り向く。
しおは再び、界聖杯がくれた世界と繋がった。
◆◆
麻酔の香りがするお姉さんだ、としおは思った。
真っ白で、清潔そうで、よく干されて現れたシーツみたいな、病室の香り。
もしかしたらしおが覚えているそれは、麻酔だけでなく往来する看護師さんの匂いなども混ざっていたのかもしれないけれど。
幽谷霧子が携えている医療行為に携わる者の香りを、神戸しおは『麻酔の香り』のようだと見なした。
「ありがとう。落ち着きました」
「どういたしまして……おそまつさま、でした」
ふふっと控えめな笑顔。
演技の上手いアイさんを見た後とはいえ毒を盛るような余白は感じさせなかった。
何より、もし心配ならと先回りで毒見まで申し出られてしまった。
結局おかわりして二杯もいただいてしまったのは、この人の飲む分を考えれば図々しかったかもしれない。
心は区切りをつけても、体は消耗していたことを知る。
こういうところは大人になれないんだなと実感する。
「わたしは、幽谷、霧子っていいます。こっちはわたしのセイバーさん。
ちょっとこわく見える、かもしれないけど……こわがらなくていい、頼もしい、サーヴァントさんだよ」
わたしの、という時だけ気恥ずかしそうな、はにかんだ様子があった。
なんだか最近契約したばかりのような照れ方をするお姉さんだな、としおは首をかしげる。
デンジは「ちょっとか……?」とぼやいていたけど、たぶん自分のサーヴァントを「見た目は怖いけど」と断じたくない優しさなのだとはしおにも分かる。
その優しさは、しおにお姉さんの名前よりももう一歩くわしい手掛かりをもたらした。
-
今さら同盟相手を探すような暇もない戦いに次ぐ戦いの真っ最中に、そんな事情関係なく優しさで声をかけてまわる人。
そういうことをする集団がいるとこれまでMが、アイが、弔が、たびたび話題にしてきた。
そういう集団がいる、としか知らない。
その人達が何をしているだの、脱出がどうだこうだの話をしている時。
しおはしおでデンジと過去の話をしたり、デンジが鼻の下をのばすのを叱っていたから。
しおが覚えているのはひとつだ。
聖杯戦争をやろうとしない人達がいるらしい、と。
ともあれ、名乗り返すことにいやはない。
「わたしの名前はしお」
下の名前だけを名乗ったのは、たぶん『しおちゃん』という声の音が鼓膜に残っているから。
「わたしの大好きな人が呼んでくれた、大切な名前」
そう付け加えたくなったのは、しばらくその声が呼ぶ『しおちゃん』は聴けないんだと、しお自身に言い聞かせるのに似ていた。
『大好きな人』と言ったところで、デンジがそわそわと彼女の眠る木に視線を向ける。
そんなに心配しなくても大丈夫だよと説明する代わりに、彼の服を握った手を元気そうに揺らしておく。
「うん……大好きな人からの名前を、大事にしているしおちゃん……そう呼ばせてくれてありがとう」
まるでしおが発言する一言一句が得難いもののように、霧子はうんうんと頷いていた。
改まっての自己紹介をするなんて田中さんが来た時以来だな、と懐かしく思い出す。
……とむら君たちにまた会った時に、さとちゃんを紹介して自慢できなくなっちゃったな。
そんな未練にかられたしおが、心にちょっとだけ顔を出した。
「こっちはライダーくん」
「どうも……いちおう、こいつの保護者みたいなことやってます」
片手で後ろ髪をぼりぼりとかきながら、へこりと自己紹介をするデンジ。
ここで保護者の顔を出さないわけにはいかない責任感と心配と、でも鼻の下はのびる正直さと、全部が顔に出ていた。
ちょっと釘を刺したくなって、付け加えた。
「さっきわたしの大事な人を口説こうとしてたの」
「えっ」
「色魔か」
「俺はさすがに厳粛に臨むつもりはあったんだからお前も空気読もうな!?」
キン、と鯉口が切られるか否かの瀬戸際でデンジが絶叫する。
べつにデンジがさとう以外の女の子にもいい顔をするのは全然かまわないのだけど。
さとうを簡単に目移りが効くように扱われるのはかなりむかっとくるのだ。
-
一方で霧子の眼線は、うろうろとあたりを動いていた。
他にも紹介したい人がいるのかな。
そう閃いたことで、しおもまた思い出した。
もともと同じ戦場で戦っていたのは、四人だったことを。
「ライダーくん。さとちゃんのアーチャーくんは、どうなったの?」
それは、霧子と会話しながら片手間に念話で聴けることではなく。
だからしおは、声に出して尋ねた。
アーチャーのクラスならば単独行動スキルによって現界し続けられるはず。
……と、すぐ導き出せるほどしおはルールを隅から隅まで暗記しているわけではなかったけれど。
あれだけ強い敵がたくさんいて、デンジ一人だけで切り抜けられたと思えない状況となれば。
彼はなにかをしてくれたのでは、という話になる。
「お前の安全を絶対に確保するって……別れ際にそう言ってたよ」
デンジはためらいの後に、そう教えてくれた。
寂しさ悲しさよりも、やや後ろめたさが勝っていそうな雰囲気。
アイさんを終わらせた時よりは、叔母さんを失った後にしおを見る時の感じに近いだろうか。
「そっか」
だから、経緯は分からないなりに。
アーチャーがその意志でこの場にいない選択をしたことは分かった。
それなら、もう会えないままになってもいいかというと良くなかったけれど。
「……まだお礼が言えてないや」
あの時さとうがしおを助けてくれたなら、アーチャーはその為に動いてくれたのだろうというお礼。
そもそも、さとうをあの場に連れてきてくれたお礼。
アーチャーはしおの為にではなく、さとうのサーヴァントだからそうしてくれたのだとしても。
デンジがあの場までしおを連れてきてくれたように、あの巡り合わせは彼のおかげでもあるのだから。
さとうだけでなく、彼に言いたい感謝の想いだってある。
それに、しおと再会を果たすまでのさとうの話だって、彼の口から聞きたかった。
「アーチャーくん……そう呼ばれてる人が、しおちゃんの為に、戦っているんですか?」
「敵は各地で暴れまわったという新宿での“青龍”……百獣のカイドウと見受けられるが」
霧子とそのサーヴァントが、一拍遅れて話題を追いかけてきた。
霧子はしおのことを心配した風にデンジに尋ねて、サーヴァントの方は戦況確認をするかのような温度差はあったけれど。
「なんで名前まで分かんの?……いや、あんだけ目立つならそりゃ有名にもなってるか」
「それは……おでんさんが、会いに行くって……言ってたひと、ですよね」
-
どうやらこの人達は、今アーチャーが戦っている人達と関わりがあるらしい。
もしかして、ここで彼らに事情を話すことは、悪い方に転ばないんじゃないかなと。
どうなるというはっきりした計算はできない、ただばくぜんとした予感でしおは口を開いた。
「二組いたうちの一組は、そういうサーヴァントだったよ。
アーチャーくんは、さとちゃんのサーヴァントさん。
さとちゃんから、私を守るように命令されて戦ってくれてるんだと思う」
アーチャーを助けたい気持ちはある。
けれど、ただ引き返してはその覚悟が無駄になることも分かっている。
そんな儘ならなさが、しおに口を開かせたと言った方が正確かもしれない。
「主を守れなかった償いに、遺命を果たし主の知己だけでも生かそうという心算か?」
六つ眼のセイバーは、古めかしく難しい言葉でそう言った。
そしてそれは、ただの事実確認だったのかもしれないが。
しおにとって、さとうのサーヴァントが仕事をしなかったように言われるのは愉快ではない。
「アーチャーくんは、さとちゃんの命令をちゃんと守ったんだよ。
さとちゃんは、自分よりわたしのことを守るように言ってくれた。
アーチャーくんは、そのとおりの仕事をしてくれたんだから」
「そう……わたしのサーヴァントさんが、知らずに……失礼なことを言って、ごめんなさい」
しゅん、という音が聴こえてきそうなほどにかしこまって。
眉尻をさげた霧子が、左手を胸にあてる仕草で謝ってきた。
しおの語る物語に、本当に感じるものがあったかのように悲しそうにしている。
このお姉さんには、わたし達が愛し合っていることがどこまで伝わっているのかな。
見下すでもなく、ただ疑問としてしおは思う。
そういえばデンジに会うまでのしおは、自らの愛を打ち明けて自慢するほど周りに心を開いてなかった気がする。
「その、二組って言うけどよ。もう片方の眼帯のマスターの方は、もういねぇからな?
あの後、俺らがきっちり倒しといたよ」
デンジがしおの顔を覗くようにして言う。
その言葉に、最後に見た三日月の形をした風雨を思い出して、胸はちくりと痛んだけれど。
-
「そう……ありがとう」
デンジがそれを、すぐさま教えようとしてくれたことが嬉しかった。
仇を取ってくれたこと自体よりも、デンジが「仇を取る」という熱意で動いてくれたことが嬉しかった。
「ならば、前線にいるのは実質カイドウのみか……」
「いや、相手のサーヴァントもアーチャーだったからまだ動いてたし、もう一組のマスターもばりばりに戦える奴っぽかったよ。
それに、なんかやたら強いNPCの兵隊みたいなのもうじゃうじゃいたし」
NPCの兵隊、という言葉に何かの覚えでもあったのか、霧子は顔をこわばらせる。
「さとちゃんはそのおじさんを、皮下先生って呼んでた」
もしかして知り合いなのかな、と思って言ってみたことだったけれど。
そういえばさとちゃんも、あの人と知り合いみたいだったなと、記憶が揺り戻された。
『踏み潰してあげる、皮下先生』
『吸い尽くしてやるよ、砂糖菓子』
砂糖の匂いと、桜の匂いが入り混じる宣誓。
お互いに愛する人がいて、その為に戦うことを確認するかのような会話。
ふたりとも、笑っていた。
どちらも胸に抱くものは、同じであるかのように。
それは、別離の痛みとはまた違う苦しみを生み出していた。
どうしようもなく胸をツンとつかれるような、初めての気持ち。
さとうを失わせた皮下たちが憎い、という感情とは少し違う。
もともと彼らの射線上にいたのはしおであり、しおはその結末そのものは受け入れていて。
誰でもないさとう当人が、それを捻じ曲げたのだから。
ただ顔がうつむいてしまうのは、男もまた『愛』を知る者だったということ。
……私と、さとちゃんが、一緒にいたのに。
彼らの『愛』から、しおはさとうを守ることができなかった。
これで二人の戦いの勝敗が決した、とは思わない。
夜桜の男達がもたらしたさとうの死では、二人は分かたれないけれど。
砂糖菓子の甘さは、吸い尽くされずに胸にあるけれど。
さとうとしおの愛は、彼を踏み潰すことができなかった。
苦いとも、辛いとも、痛いとも違うそのしこりを言葉にするなら。
………………くやしいよ、とっても。
さとうを守れず、守られたことが悔しい。
あの人達の『愛』の力が、二人を追い詰めたことが口惜しい。
-
さとうが敗北した、とは思わない。
己の矜持を賭けて愛する人を生かし遂げたこと。
デンジがその為に刃をとり、彼らの一人を倒した事。
それを、ただの敗北だと切り捨てられていいはずがない。
けれど、愛(それ)があれば負けないと信じるのがしお達だけでなかったことも、また確かだった。
世界を知り、他者を知り、強固な自我(つよさ)を持った人達を目の当たりにしてきた。
その強さには、『彼らにも愛する人がいる』という重みだって含まれるのだ。
それを、しおは悔いて見直す。
侮っていたつもりはなかったけれど、それでも。
外の世界を生きる人達もまた愛を抱えていて、その強さをもうしおは見ていたのだから。
『……よくね、こんな風にアクアとルビーを抱き締めてあげたの』
『さとちゃんが、私を見つけてくれたみたいに』
『アイさんも、“その子たち”を見つけたんだね』
子どもたちを愛し、しおにも仲間でファンとして向き合ってくれたアイさん。
皮下先生と、一緒にいたアーチャーの主従。
あの人達の愛は、強かった。
最後にはみんな、終わらせるのべきものだとしても。
――だから、せめて
――愛だけは、終わらせたくない
その愛はしおだけの特別なものだけれど。
同じ願いは、誰しも抱くのだろうか。
人が全て失っていくとき、最期に残るのは愛だけになるのなら。
誰かとともにいたいから、聖杯を求める。
誰かを失いたくないから、聖杯を求めない。
今まで戦ってきた人達も、そうだったのかもしれない。
これから戦う人達も、みんなそうなるのかもしれない。
愛を願いにしていないという死柄木弔だって、友情を感じさせてくれることはある。
彼を導いたおじいちゃんが、彼を大切に想った結果として今の彼があることも知っている。
取り戻したい、報われてほしい、生きていきたい、あるいは一緒に死にたい。
最愛の人のために聖杯に懸ける願い。
あるいはマスターとサーヴァントが、お互いの為と望む願い。
もしくはしおの中にもある、お別れするのは寂しいなという飲み込むべき葛藤。
……そういう愛と、私はこれからもぶつかっていくんだ。
そんな実感と畏れとを、胸のうちに燻らせていた時間。
それはそのまま、沈黙となって表れていたらしい。
-
デンジと霧子がしゃがみこんで名前を呼んでいることに気付いて、しおは我に返った。
いけない、ずいぶんと一人で沈んでしまっていたと反省。
あなた達が心配するようなショックは受けてないから、大丈夫だよと答えようとしたところで。
「ごめん……なさい……!!」
ほとんど叫ぶような謝罪が、全員の注意を引いた。
木陰からいたたまれないように飛び出してきた女の子が、がたがた震えながらしおへと歩み寄る。
しおよりもさらに二つ三つは年下なんじゃないかと思える、大きな犬耳を生やした幼い子だった。
これまでの話から己の大罪を掘り当ててしまったかのように、大きな眼を凍り付かせて真っ青になっている。
「アイさんがっ……さっき皮下さんを助けたから……皮下さんがあなた達を襲って……それで……」
しどろもどろに紡がれるのは、どうやら告解のようだった。
彼女は以前に皮下の命を助けたことがある。
それがなければ、皮下が木陰で眠る女の子の命を奪うことは無かったと。
その因果関係を彼女なりに理解して、まっとうな良い子の呵責によって飛び出してきたらしい。
デンジは「つーか、この子何者?」としおよりも幼い闖入者がいた狼狽が先行して。
六つ眼のセイバーは、正直に暴露しなくともと思ったのか「話を煩雑に……」とぼやく。
「あの、しおちゃん……アイさん、まず一人ずつ、お話を――」
霧子は何か仲裁めいたことを始めようとしていた。
それを遮って、しおは口を開く。
どうにも、心のこもらない声が出た。
「いいよ、気にしてないし。そういうの欲しくないから」
なぜなら、謝られても特に心が動くところはなかったから。
-
少なくとも、当の『皮下さん』にだって純粋な憎しみは向かっていないというのに。
それをこの子のせいだと怒れというのはもっとピンと来ない話ではあったし。
かといって、『あなたは悪くないよ』なんて言葉を返すような優しさを向けるには。
『さとうの死因を自称する』という形で、さとうとしおの別れに割って入られるのは、愉快ではなかった。
「え…………でも……アイさんといっしょにいる人、みんな不幸になって……」
「さとちゃんが決めたことを、自分がやったみたいに言わないでほしいんだけど」
小さな女の子の大きな瞳が、ぱっちりと見開かれたまま凍り付く。
デンジがとっさに、「いやすんませんね…! こいつオブラートに包むってことができないヤツで」と霧子にぺこぺこし始める。
なるほど、確かに乱戦冷めやらぬ中で、親切にしてくれた人にまで事を荒立てて、良いことは一つもないのだろう。
口から出した言葉は引っ込められず、しかし誤解は避けようとしおはつづけた。
「気にしてないのは本当。だって私達も、お互い様だから」
「お互い、様……?」
意図をつかみかねるように立ち竦む幼い少女に向かって。
しおは、ごまかすつもりは無いと告げる。
何故なら、さとうと別離したことはもう誰の眼にも見えているのだから。
愛する人とお別れして、その次に願うことなら、予想されてしかるべきだから。
「私達も聖杯を目指してたから。最後にはあなた達みんなを殺すつもり」
憎しみはなく、許しもなく。
ただ愛のためにあなた達を殺す。
幽谷霧子からの優しさは受け取り、それに対して感謝もある。
傷心のときにもらった慈しさを、あたたかく、好ましく思うぐらいには、しおは『ただのガキ』だから。
けれど、これまで感謝を抱いた人達もそうしてきたように、あなた達も終わらせる。
その発言は、幼き少女のみならず、その場自体に緊張感を生んだ。
六つ眼のセイバーは開戦の布告かと問い詰めるようにデンジを睨む。
デンジは「え、今ここで言う?」と、しおに意志の真偽を問う眼を向ける。
この場を穏当につなぐだけなら、傷心した少女として振舞い、助力を引き出した方が益はあったのかもしれない。
例えば、しおの慕っていた敵連合の別のアイドルであれば、実際にそうしたのかもしれないけれど。
(この人達がとむらくんの敵なら……曖昧に仲良くしても、とむらくんから見て、ややこしいかもしれないし)
敵連合としての神戸しおを思い出し、『慣れ合いの結果として一緒に行動する』のは良くないんじゃないかな、と線を引いた。
自ら『アイさん』と名乗った少女は、ただ茫然と潤んだ眼を揺らし、おそるおそると尋ねる。
-
「大好きな人と一緒にいたんじゃないの……?
聖杯を取ったら、一人しか生きて帰れないよ?」
それは、スタンスの不備を説くつもりはなく、ただ分からないという聞き方で。
だからしおは、『他の子から見ると分からないものなんだな』と変な発見をした。
私達と繋がりのない人達には、そういう風に見えるんだな、と。
「私達は初めから、二人の未来のために戦ってた」
それは、私達がいつか裏切る前提で結びつくはずがないという当たり前の表明。
そして、今はそれだけでは無いのだと友達(デンジ)にも聞いてもらうための発露。
甘い砂糖菓子の時間を取り戻し、愛する人の真意を確かめること。
その夢は一度だけ叶い、叶ったときにはもう真意を理解できるようになっていた。
これまでの旅路は、『愛するために生きたから』という答えをくれた。
さとうは再び、その在り方を貫いて物語を終えた。
ならば、しおが貫くべき愛もまた決まっている。
しおもまた、生きるために愛するのではなく。
「これからは、愛するために生きるの」
火照る頬、早さを増していく脈拍。
その病気に、お薬やお手当ては効かない。
-
「そっか……」
そして、だからこそ。
彼女は、パンを求めていない。
自分の救い方を、知っている。
聖杯があれば、ハッピーエンドに到達する。
方舟からの慈しさが、介入する余地はない。
「それが、しおちゃんの……心からの『声』で……界聖杯さんに、言いたいことなんだね……」
幽谷霧子は、手を差し伸べる余地なしと告げられて。
神戸しおの旅路を制止するのではなく、理解しきるでもなく。
一緒に歩くことができないという悲しみの心は、たしかに宿した上で。
敵対を宣されたことも含めて、それをありのままに受容した。
◆◆
初対面で思ったのは、とても大切な人を想う時間を覗いてしまったということだった。
ひとつの絵画のように一緒にいる二人から伝わる、融けてしまいそうなほどに熱い想いの音がした。
視線というものに熱があることを、誰かに『視線』を向ける立場である霧子はよく知っていたけれど。
桃色の女の子を見つめる小さな子の眼差しは、霧子が見てきたどの『子どもの視線』とも異なっていた。
与えられるものをただ享受する子どものように幼くはない。
むしろ、慈愛を纏ったままに眠りにつく少女に、同じ温度で応え返すように慈しみに満ちている。
ただの幼子であれば、ちらと視線を向けただけでも血の気が引いてしまうような。
そんな血の海にある斬殺の痕も、すべて大事に愛おしむように。
二人の間にあるものを、その光景だけで知ったつもりになることはできなかったけれど。
小さな彼女が、眠りにつく彼女のことを、生きる糧のごとく想っていること。
その熱さと、大きさと、未知の輝きは、にじみでるカケラであってもよく伝わった。
それは幽谷霧子がたくさんの視線と声とを受け止めて生きてきたというだけではなく。
少女たちの心が露わになるところに居合わせた偶然によって、彼女たちから伝えられたものだった。
「しおちゃんの声……たくさんじゃないけど、聞かせてもらったから。
それが、『さとちゃん』って呼ぶ人を……どうしたら幸せにできるか、分かってるお祈りだって、分かるから」
-
アイにおいでおいでをして、落ち着かせるように喉元を撫でる。
この子は頭を撫でるよりこっちの方がいいらしいと、長くない付き合いではあれ分かってきた。
これは絵本の読み聞かせ会などでは、ままあることだけれど。
誰か一人の感想だけを、それが正しいように褒めるのはなるべくしない方がいい。
『あっちが肯定されているなら、私は違う想いだけれど間違ってるのか』と傷つく子どももいるから。
だから、しおちゃんに向き合いたいからと言って、アイさんを蔑ろにしたいのではないと示した上で。
「霧子さんは……私と、さとちゃんのことを、分かってるの?」
それは、『方舟』なる人達の一員として、とむら君から何か聞いてるのかな、ぐらいの意味だったけれど。
霧子は言葉どおりに、『この短時間でどれほどのことが理解できるのか』という風に受け止めて。
けれど問答としては成立するように、首をゆっくりと横に振った。
「もしわたしが分かるよって言ったら、しおちゃんは……短い時間で、大好きな人を、言い尽くせることになっちゃうから」
二人の関係を、すぐ理解できるもののように扱うつもりはなく。
けれど、『あなたみたいに小さな子が、好きな人のために手を汚すことはない』という常識で測れないことも分かる。
「そのお祈りは……しおちゃんの胸の中にあることを道標にして、待つやり方は、無理なのかなって……聞いても、いい?」
「そうしたら、私はさとちゃんより、ほかの人たちの命を優先したことになるから」
黒曜石みたいに透き通った漆黒の瞳が二つ、前だけを見ている。
この子は、霧子の、誰かの、つくったパンだけでは満たされないのだ。
この子を生かし続けられるのは、きっと甘い甘いおさとうだけ。
それは、世界でたった一人にしかつくれないもの。
たとえそれが、客観的には『もっと幾らでも他の幸せがある』と大人から言われることでも。
この子にとっての真実が、絶対にそうでないことは分かった。
霧子はもうすでに、『他のみんなのプロデューサーにはなれない』と言った人を見ているから。
「でも、もし私達の気持ちが分かっていても……霧子さんは止めるんでしょう?」
聖杯戦争をしないんだからと、そう問われる。
それもまた、いずれぶつかる問いかけだったのだろう。
いつかは訣別する不安を、やはり無垢な子どもから、一度は体感していたけれど。
ほんとうに『絶対に相容れません』と言われたのは初めてだから、震えはごまかせなかった。
――アビーちゃんが持ってるものが……危なくても……。
――怖いことが起きちゃうのも……なんとなくだけど、わかっていて……。
――けど、そうじゃないのも……アビーちゃんの願いも、ちゃんと……届いてるから……
あの時にそう言ったのは、定まっていた答えだった。
たとえ結果として、哀しいことを齎すのだとしても。
誰かに対して『好き』になることを、動機としての大切な想いを、否定したくはない。
――鳥子さんが大好きなこと……そのためにすっごく頑張れること……ぜんぶ、知れたから……。
――ここが……アビーちゃんにとって……帰りたい場所なんだって……思えるなら……。
――もし……一緒に行けなくても………………わたしは、ふたりのこと……応援したい、です…………
一緒に行けなくても、『大好きなこと』を知れた人のことは応援する。
そう言ったのは、今でも本当だった。
けれど霧子達のやりたい事が叶えば、しおの祈りがおそらく潰えるのも真実だった。
-
「そうだね……わたしはアイさんにも、他の友達にも……『ここにいていい』って、言いたい。
でもそれは…………しおちゃんの、帰りたい場所とは…………違ってくる、ことだよね」
「うん。今までに会った聖杯を目指してる人は、私の『好き』を認めてくれたよ。
でも、それは同じやり方を選んだ友達の言葉だから、嬉しかった」
でもあなた達は、聖杯を目指すやり方に頷かないんでしょう、と。
……わたしだって、あなたの『好き』を応援したいから、わたしの命を差し出します。
そう答えるのは、きっと違う。
もしも彼女に殺されることがあっても、きっと応援したい気持ちは変わらないけれど。
殺されることを前提にすることは、今はできない。
霧子も友達との間で、託されたこと、送り出されたこと、一緒にやり遂げたいことがある。
――私を、見ていろ
まだ終わっていない契約も、交わしている。
「しおちゃんの命は助けたいって……わたしのサーヴァントさんにお願いは、できるけど。
それだけだと……しおちゃんの心は…………満たされない、から」
方舟という集団として、いったい神戸しおにどれほどの提案ができるのかは、ここでは言えない。
その話をするなら、にちかのライダーをはじめ、みんなに諮らねばならないから。
だから霧子に答えられるのは、願いと願いが対立した時に霧子がどう区切るのかということ。
幽谷霧子の中にある答えで。
仲間たちの在り方まで誤解されぬよう、方舟としての指針には則った上で。
霧子ならこうするという選択肢は、一つだけ頭に残っている。
口に出して言うのは、とても勇気が要ることだった。
結局、自らを危険に晒しているではないかと反対されたら、否定しきれないから。
このやり方でも、すべてを拾うことはできないから。
笑顔にするどころか、泣かせてしまうことだから。
「もし本当に、しおちゃんのお祈りを……わたし達が、閉め出す時が来たなら……」
けれど、あなた達の『好き』を肯定することまで、嘘にしたくはないから。
みんな同じ舟には乗れないのだとしても。
みんな乗せたかった人達のことが、霧子は好きだから。
だから救えなくても、寄り添うことだけは挑みたい。
「わたしは…………しおちゃんが、願いを諦めないで戦う気持ちの全部を受ける」
この子は、わたしに牙を剥く権利がある。
-
ただの生存競争であれば、どっちが勝っても恨みっこなしかもしれないけれど。
彼女の『声』を肯定したというなら、願いを閉ざす時に生まれる怒り、嘆き、反抗、殺意、ううん、もっとそれだけじゃない。
『そうはさせない』と叫ぶ心の全ては、願いを聴いてしまった霧子が受け止めるべきものになる。
アイドルは、自らの幸せを放棄するお仕事ではないけれど。
自ら望んで、分かってもらおうとすることを選んだなら、その選択には覚悟がともなうものだから。
「それが力ずくになるなら……セイバーさんたちにも、納得して………一緒に頑張ってもらわなきゃ、いけないけど」
無抵抗で、ただ殺されるために攻撃を受ける、ということはしない。
そして霧子に気力が尽きるまでぶつけたところで、解決することではないし。
あれほどの想いを秘めた女の子のぶつけるものが、霧子を殺せないとは思わない。
けれど、女の子が救われるための唯一の方法を、自分が阻止するかもしれないのなら。
その感情をすべてぶつけられた上でなければ、彼女に生きてほしいというその先の話ができない。
「もちろん、そうなるまでに……わたしが生きてられるかどうかも、分からない場所だけど」
そうなったとして、受け止められなければ、霧子がいなくなるか、しおがいなくなる結末が待っている。
霧子の自己満足(エゴ)で、愛し合う二人が未来を阻まれるかもしれない。
イルミネーション・スターズなら、それでも関わり続けることで、思い出として残りたいと言うだろうか。
放課後クライマックスガールズなら、『それなら、なおのこと全力で迎え撃たなければ失礼だ』と苦渋の決断をするだろうか。
アルストロメリアも、『好きっていう気持ちはどうにもならないから』と、エゴとエゴのぶつかりあいだけは肯定したかもしれない。
ストレイライトであれば、ノクチルであれば、シーズであれば……。
「あなたを殺せなかったら、諦めると思ってるの?」
「思ってない。しおちゃんには……願いを叶えるだけの、熱があって。
だからどっちかが、立てなくなって倒れるまで…………ずっと続くと思ってる……」
倒れるまでステージに立つなんて、どんなユニットであっても論外だけれど。
だから倒れない覚悟で、声であっても暴力(こえ)であっても聴き終える。
アンティーカの、幽谷霧子としては。
彼女の救い方を霧子が阻んでしまうなら、せめて彼女を愛した人の願いは。
神戸しおに生きてほしいという願いだけは、捨てたくないけれど。
彼女たちの『愛』そのものは肯定したいという意志は、その愛がもたらす痛みも知った上でなければ、説得力がないから。
「私の願いを受け止められるのは、界聖杯さんだけだよ」
できないと思われていることは分かったし、それは無理もないことだ。
霧子への侮りではなく、胸に抱くものへの矜持によって。
そして、比翼を結んでくれた奇跡への感謝によって。
-
「界聖杯さんが……好きなんだね」
「私とさとちゃんを、巡り合わせてくれたから」
この子にとっては、愛する二人を分かとうとする方舟の方が残酷で。
束の間とはいえ、再会を齎してくれた界聖杯の方がはるかに慈しい。
それはその通りだと、受け入れる。
霧子たちのしていることは、聖杯戦争への叛逆なのだからなおのこと。
けれど、霧子たちにとっても界聖杯は、単一の感情では括れない『相手』になっていた。
「わたしたちはきっと、界聖杯さんにとって敵だけど……今は、訊きたいこともあるから」
可能性がないと見なされしだい刈り取られる、残酷なシステムだと思ったのは本当のこと。
けれど縁壱が笑っていたのは、覚えている。
その笑顔は、兄弟の再会がなければ生まれなかったことも理解している。
――界聖杯さん。
――あなたの願いは、なんですか?
――あなたの物語は、そこにありますか。
「色んな人の願いを訊いたから……全部の願いを抱えて、会いに行きたいの」
「霧子さん……ううん、霧ちゃんでいっか。我が儘だね」
「うん。アイドルは……とっても我が儘だから」
我が儘なまま、ここまで来たよ。
必ずしも良い子じゃなかったし、これからもそうだよ。
そう言ったら「それはこっちの専売特許なんですケドー」と反対されそうだけれど。
「それは知ってる」
アイドルがそういうものだとは、知っていると。
誰かを思い出すように、しおの右眼だけがちょっと動いた。
「……互いに言うことは言ったと見えるが」
すっと、会話を終わらせるように。
物語の項に栞でも挟むように、無造作に。
セイバー、黒死牟が仕切り直しを齎した。
今これ以上、主張のぶつけ合いに時間を浪費することはできないと。
-
「そこの卑しい小僧。貴様の先決事項が主の安全確保だというなら、早急に退去するが良い」
「卑しいって何だよ。別に公序良俗ってやつを乱したわけでもねぇだろうが」
「ライダーくん、ライダーくん。これ、もしかしてアーチャーくん達とも関係あることだから」
正確には、アーチャーなるサーヴァントが敵対していたという者達についてだ。
遠当てを放ったカイドウは、それからすぐさま進路を南方へ――ここに来る途上の標識が『目黒区』を指していた方角へ向けた。
黒死牟を誘っていると言うには渋るような――やや離れた路上で動いていた前線が移動したため、それを追って動いたという風な進行だった。
つまりカイドウは、黒死牟を放置しても逃げはしないだろうと半ば見込んでいる。
それはおそらく、光月おでんの縁者――刀を受け継いだことから後継者と見なしたが故の認識であったとすれば、面白くない信用であったが。
いずれにせよ、義侠の風来坊の縁者であるというだけで、そこまでの執心を傾ける輩だというのならば。
遠からず、対立の構図が成ることは見えた。
「私は既に、百獣のカイドウから敵と見定められた」
◆◆
生きていることは物語ではないけれど。
生きていれば物語は始まる。
世界を終わらせる為に。
ふたたび戦争の時間が始まる。
【渋谷区(南西)・戦場外部/二日目・午前】
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:私も、愛するために生きる
1:とむらくんについても今は着いていく。
2:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
3:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
-
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康、やるせなさ
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:……え、あのデカブツたち、戻ってくんの?
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
2:コブ付き……いや、違うよな。頭から眼を六つ生やした奴と付き合いたい女なんているわけねぇよな……
[備考]※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、『バベルシティ・グレイス』、アイさんといっしょ
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛、恋鐘印のおにぎりとお茶(方舟メンバー分、二杯分消費)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:皮下さん達が、来る……?
1:梨花ちゃんに、会いに行きます。
2:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
3:セイバーさんのこと……見ています……。
4:一緒に歩けない願いは、せめて受け止めたい……
5:界聖杯さんの……願いは……。
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、疲労(大)、誓い
[装備]:虚哭神去、『閻魔』@ONE PIECE
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:勝利を、見せる。
0:罪は見据えた。然らば戦うのみ。
1:お前達が嫌いだ。それは変わらぬ。
2:死んだ後になって……余計な世話を……。
3:刀とともに、因縁までも遺して逝ったか……
[備考]※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
※宝具『月蝕日焦』が使用不可能になりました。
※おでんの刀の気配をカイドウに認識されています。感情が重いね……
-
投下終了します
続けて
七草にちか(騎)&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
田中摩美々&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
予約します
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皮下真&ライダー(カイドウ)
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
神戸しお&ライダー(デンジ) 予約します
-
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)を追加予約します
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投下します
-
解ってはいたが、これ程か。
田中一及び彼の連れる"血の悪魔"との交戦を経た峰津院大和は口元から伝う一筋の血を手の甲で拭いそう思った。
土地殺しの汚染を受けて断絶した魔術回路。
天禀とは名乗れないだろう身の丈に収まった事は自覚していたが、いざ実際に戦ってみると余りの体たらくに絶句させられた。
これが敗北の味だと言うのなら存外に苦い物だと認めざるを得ない。
自分の意識が他人の体に押し込められているような精神と肉体の齟齬。
それは天下の峰津院財閥が誇る麒麟児、大和をして慣れるまでに時間を要するだろうと感じる程の認め難い違和だった。
“連れている悪魔は上等だが使い手がとんだ凡夫だった。あれしきの雑魚を相手に尻尾を巻いて逃げ去る羽目になろうとは…”
あの"血の悪魔"自体はなかなかの物だった。
未熟さは否めないが出力だけならば全盛期でも油断のならない相手と認識したに違いない。
しかしそれを使役している男の方は予選を勝ち抜けた事が不思議でならない程の凡夫。
身に余る借り物の力を振り回して悦に浸る小物など、峰津院大和の牙城を脅かせる筈もない。
平時の大和ならば大した苦戦もする事なく制圧と調伏を終えていた事だろう。
この体に崩壊を食ませる前の、規格外を地で行く彼であったならば。
“ベルゼバブの莫迦には見せられない姿だな。罵倒嘲笑で済めばいいが、最悪その場で首を落とされていたか”
推定。今の自分の実力は全盛期の三割に届くかどうかという所か。
目も当てられない有様とはまさにこの事。
依然として弱者の立場に甘んじはしないものの、それでも峰津院の名を背負って立つ者としては落第点も甚だしい。
“破損した回路の修復は…あの世界へ戻る事が出来れば、アテを探る事くらいは可能だろうな。
だがこの世界でそれを望むのには無理がある。それこそ界聖杯の力でも無ければまず不可能だ”
今から大人しく方舟に鞍替えするのが最適解なのは大和とて解っている。
あの"善き人々"達は己を受け入れるだろうし、今も健在なその智慧と才能は彼女達の戦いを大いに助けるだろう。
しかしそれは界聖杯の権能…大和の理想を遂げる為の階を完全に放棄して背を向ける事と全く同義だ。
だからこそ峰津院大和はその道を選ばなかった。
その安直な救いにこそ背を向けて踵を返した。
一見不合理とさえ取れるその行動も彼の中では立派な合理だった。
大和という強者、選ばれし者にとってはその愚行とも取れる強情こそが最も理屈に合う。
界聖杯は手に入れる。
空前絶後の宇宙現象が持つ熱量と権能を掌握してポラリスへの道を開く。
ベルゼバブを失ったのは痛いが、全能を僭称する全容不明の願望器なのだ。
失ったしもべの埋め合わせと自身の身を襲った欠落のカバーを果たしたその上でポラリスへの謁見を果たせれば全ては帳消しになる。
まだ己が理想は死んでいない。
この身、この魂が此処にある限り。
峰津院大和が峰津院大和である限りその日は永劫に来ないものと断言する。
故にこそ大和は今この状況になっても何一つとして諦めてなどいなかった。
全てを果たす覚悟を双眸に宿して、口元の血は拭い去り痕跡ごと消し去って強者の貌を作る。
「案ずるな。負けはしない」
その言葉は先に逝った悪魔への餞だった。
一瞬たりとて気を許せた時間はない。
大和にとってはいつ起爆するとも解らない核爆弾そのものであったし、最悪本当に雌雄を決する時が来る可能性も含め想定する必要があった。
しかしそれでも、大和にだとて矜持はある。
あの災厄そのもののような男を曲がりなりにも従えていた身として、奴の軽蔑を買うような無様な戦いをするつもりはなかった。
-
友情と呼ぶには気安さが足りない。
義理と呼ぶのは柄ではない。
この感情を称するならばきっと"意地"というのが最も正しいだろう。
無様を晒せばアレに嗤われる。
やはり余を従えるには遠く能わぬ羽虫であったかと鼻を鳴らされる。
大和にはそれが我慢ならない。
それを承服出来る男であったなら、そもそもこんな所を独りで歩いてはいないのだ。
「先に逝った君がハンカチを噛んで屈辱に震える程見事な戦いで、地平線の彼方とやらに至ってやるさ」
最後までどちらが上かを教えてやる事は叶わなかったが。
界聖杯を手中に収めて聖杯戦争を終結させられたなら、さしもの奴も認めざるを得ないだろう。
それでも認めないというのならその時こそ実力行使で叩き潰してやる心算だった。
殺しても死なないような怪物だったのだ。
閾値を超えた屈辱を浴びれば単独顕現を成し遂げ襲い掛かってくる可能性も十二分にあるだろうと、大和は本気でそう思っていた。
…それは彼らしくもない夢であったのかもしれない。
荒ぶる悪魔を滅殺され、天禀と称された力を見るも無残にもぎ取られ。
自身の手足も同然だった財閥をも土に還された男が見る、分不相応な夢。
しかしどんな輝かしく荘厳な夢にも必ず果ては訪れる。
その真実が夢である限り、その幕切れは一つを除いて有り得ない。
「よう、奇遇だな。お前もこっちで涌いた妙な気配を辿って来たのかい」
夢とは醒めるもの。
朝の訪れと共に終わるもの。
如何に傑物・峰津院大和と言えどもそれは変わらない。
彼にとっての夢の終わりが、静寂を孕んだ裏路地の向こう側から歩いてきた。
病的な程の、純白と言っても誇張ではないだろう頭髪。
掻き毟った傷痕が凄惨に残る乾ききった皮膚。
実際に目にするのはこれが二度目。
一度目は距離の遠さも相俟ってまともに顔を見る事も出来ていなかったが、それでも大和は瞬時に男の素性を理解した。
――この声を。
この全てを呪うが如き声を、忘れられる筈もない。
傲岸不遜にも己へ宣戦布告を行ってきた"王"。
そして今は名実共に聖杯戦争の全てを平らに均さんと覇を吐く…崩落八景の魔王の声を。
「私の運も筋金入りだな。まさか此処で貴様と顔を合わせるとは」
「ウチのメンバーからは上手く逃げ遂せたらしいじゃないか。
ブラボー、大したもんだ。褒めてやるよお坊ちゃん。半身不随でよく俺達のアイドルを退けたもんだ」
「虫唾の走る形容は止めて貰おうか。あの暴れ馬が半身では、脳の血管が何本あっても足りん」
死柄木弔。
敵連合の王。
霊地争奪戦に幕を下ろし、実質の一人勝ちを成し遂げた魔王。
峰津院大和の全てを奪い去った男が、微笑みながら大和の行く手を阻んでいた。
-
「龍脈の力を喰ってさぞかしご満悦のようだな。今の貴様は全能者の顔をしている」
「まぁな。視野が広がるってのは良いモンだと心底思ったよ。
何よりこの力を持ってるのが俺だけってのが最高だ。生憎と戦闘狂(バトルジャンキー)の気持ちは解らないんでね」
「ベラベラとよく喋る。思っていたより可愛いな、連合の王」
「褒め言葉として受け取っておくよ。おたくはもう喋る余裕も無さそうだもんなァ、ゴミ山の王様」
大和がこの品川区に足を踏み入れたのには理由がある。
死柄木が先刻言ったように、この地から異様な魔力の反応を感じ取ったからだ。
今の大和は藁にも縋らねばならない身分。
使える可能性のある物は一つでも多く掻き集めておかなければならない。
しかし強い輝きとは誘蛾灯。
それに引き寄せられたのが彼一人である道理はなかった。
「お前よ、もう前程強くねぇんだろ?」
死柄木弔は満足する事を知らない欲望の徒だ。
社会を平らにして破壊するその野望が叶うまで、どんな力をも貪欲に吸収して育つ悪の暗黒天体だ。
だからこそ彼は全てを持つ強者でありながら、大和と同様にこの地に涌いた"力"を求めてやって来た。
全盛期の大和でさえ命懸けの戦いを強いられただろう怪物。
しかし今の彼はとうに全盛期ではなく、その力は大きく目減りしている。
「ツラを見れば解るよ。ショボくれたツラしてる」
「……」
「素っ頓狂な頭の風来坊(ヒーロー)が助けてくれたのは幸運だったな。
余生は十分楽しめたかい? ロスタイムはもう終わりだぜ。ゲームセットのお時間さ」
都市一つを一撫でで消し去れる連合の王にしてみれば――今の大和は単なる凡夫に過ぎない。
彼と死柄木の間の格付けはあの東京タワーで全て決してしまった。
光月おでんの献身によってほんの僅かな追加時間(ロスタイム)を得ただけの敗残者。
かつて宣戦布告をした峰津院の主は今や、見窄らしい負け犬にまで成り下がっていた。
「心が折れたか?」
死柄木が笑う。
「歯の根が震えるか?」
死柄木が嗤う。
「こんな所に来なきゃよかったって後悔してるか?」
死柄木が嘲笑う。
「哀れな坊っちゃんに選択肢をくれてやるよ。
今此処で俺に殺されて無慈悲に消えるか、俺にありったけの寿命(いのち)を捧げてせめて穏やかな時間切れに身を委ねるかだ」
言って彼は手を差し伸べた。
それは言わずもがな大和にとっての最大限の侮辱。
強者のみの世界を目指した男が、弱者として救いを手向けられる恥辱の極みに他ならない。
突き付けるのは二択。
凄惨なる死か、穏やかなる死か。
そして今の死柄木が突き付ける二者択一は最早単なる諧謔の域には留まらない。
「――『DEATH』 OR 『TIME』……?」
死か時間か。
命を選ぶ権利はない。
魔王と行き遭ってしまったから。
彼のロスタイムはもう終わってしまったから。
死柄木の背後に見える死の威容は決して幻でも何でもない。
ソルソルの実の能力、ソウル・ボーカス――亡き女王から継承された力が鎌首を擡げる。
歴戦の英霊ですら呑み込む恐怖の声に曝された大和は…フッと笑った。
「私が消沈しているように見えると言ったな。であれば貴様は嘆くべきだ。龍脈の力は、腐った眼までは治してくれなかったらしい」
-
途端に死柄木の声が霧散する。
死など受け入れぬ。
時間など貴様に恵まれるまでもない。
微塵の恐怖も絶望も抱いていない強き者の志が、魂を犯す言葉の全てをレジストした。
「私が筋金入りだと言ったのは己が身の不運ではない。悪運の方だ」
峰津院大和は確かに衰えた。
何もかもを失い、今の彼もまた孤軍の王だ。
だが大和は弱くなった訳ではない。
力が翳ろうとも――手駒全てを失おうとも。
峰津院大和が此処でこうして生を繋いでいる以上、其処に弱さの二文字が当て嵌められる事は決して無いのだ。
「忌まわしい土地殺し…魔王気取りの裸の王をこの手で玉座から引き摺り下ろせる機会に恵まれたのだ。これが僥倖以外の何だと言う」
大和の言葉に偽りはない。
心根を偽る弱さは魔王の突き付けた"言葉"に抵触する。
死柄木は微塵たりとも大和の魂を吸収出来ていない。
それが、峰津院大和が依然健在である事の何よりの証拠だった。
「来るがいい、相手をしてやろう盗人。そしてあわよくば、我が手に収まる筈だったその力を在るべき処へ戻してやろう」
「雑魚の遠吠え程見苦しいものはないぜ。大和君よ」
「遠吠えかどうかは、これを見て判断して貰おうか」
大和の右手に握られた得物を見て死柄木の眉が動く。
それが何であるか理解出来ない筈がない。
何故なら死柄木弔はそれと全く同じ由来(ルーツ)の力を体内に飼っている。
即ち龍脈の力。これを吸い上げて槍の形に凝集させた極槍。
さしもの魔王も一笑に伏す事の出来ない勝算が其処にはあった。
「驚いたぜ。キッチリ潰したつもりだったんだが」
「生憎、予期せぬ形で命を拾ってしまったものでな」
「ハハ。つくづく目の上の瘤だな、ヒーローって人種は。何処までも俺達の邪魔をしやがる」
龍脈の力の強大さは死柄木自身よく知っている。
要するに、己へ挑む最低限の資格は示してみせたという訳だ。
肩を竦めて失笑しながら、死柄木はその背後に揺らめく炎を具現させた。
全身に火傷の痕と継ぎ接ぎが浮いた焼死体のような男。
彼がこの地で最初に生み出した炎のホーミーズだ。
「飛んで火に入る夏の虫だ。お前の火葬にゃ相応しいだろ」
「この短い時間で随分使いこなしているじゃないか。盗人にしては大したものだ」
大和は龍脈の槍を片手に挑発的な笑みを浮かべる。
其処には恐怖も焦燥も、それを誤魔化す空元気も一切含まれていない。
峰津院大和は依然変わらずあるがままに超然の歩を続けている。
相手がたとえかつての下僕にも届き得る超越者であろうとも、彼がその歩を止める事は決してなかった。
「ソレは私のモノだ。返して貰うぞ、盗人の王」
「やってみろよ負け犬が」
死柄木の背後。
炎のホーミーズが爆熱と煌く。
刹那、彼ら二人を挟んだ裏路地が焦熱の内に熔け落ちた。
◆ ◆ ◆
-
四皇ビッグ・マムはソルソルの力を完全に使いこなしていた。
その点後継である魔王死柄木は彼女程取れる戦略に幅がない。
才能でならば決して劣らないが、こればかりは年季の差であった。
しかし立ち塞がる敵を葬り去るという一点にかけては別だ。
死柄木弔は誰よりも強く深く世界の崩壊を望む者。
二人の魔王が共に太鼓判を押した魔王の器。
そんな彼が生み出したホーミーズの性質は必然、何かを破壊する事に強く適合を見せる。
「やれよ『荼毘』――お前の偏執(のろい)を見せてみろ」
地上に太陽が具現した。
生きとし生ける物全て焼き尽くす偏執狂の死炎が生物の生存圏を瞬く間に剥奪する。
存在するだけで命を削られる焦熱。
呼吸するだけで気道が焼け爛れる蒼い炎。
その中で峰津院大和は怜悧な眼光を輝かせる。
そして槍を振り抜く――熱波が割かれ、己の生存圏を奪い返す。
肌を焼く熱は魔術で体表面に膜を貼る事で最低限に抑えた。気道も然りだ。
「自分の火葬炉を既に用立てているとは。健気じゃないか溝鼠よ」
今の大和が死柄木に対し火力勝負を挑んで勝てる道理は万に一つも無い。
相手は文字通り破壊の権化だ。
自然災害を相手に相撲を取るような物である。
どう考えても自殺行為以外の何物でもない…本来ならば。
だがその決まり事を覆すジョーカーこそが、大和の右手に握られている極槍であった。
「あまり私を失望させるな。貴様に龍(カミ)の誇りがあるならば、あの僭王めの首を取って汚名を濯ぐがいい」
その声に応えるように槍が轟く。
熱を押し返し、切り裂きながら大和は進んだ。
死柄木の顔に驚きが走る。
予想だにしなかったのだろう、今の大和にこれ程の芸当が可能だとは。
“無理押しなのは、否定出来んがな”
無論涼しい顔の裏には相応の苦労がある。
そもそも龍脈の槍は本来カイドウとの決戦で用立てた使い捨ての極槍だった。
其処に死柄木の横槍が入り、大和は死に瀕し…そして光月おでんというイレギュラーによって生を繋ぐ事となった。
その後大和は捨てる機を逸してしまったこの槍を小型化の上で隠匿化させていたのだ。
それ自体は大和が会得している数々の術を応用して容易く成せたが、問題は極槍の力を今の自分の身の丈に合わせて安定化させる事であった。
「はッ――!」
「うぜえな。大人しく燃えとけよ」
火球を斬る。
熱を槍の魔力で蒸発させて無害化させる。
距離を詰め、死柄木に向けて一撃放つ。
死柄木はそれを飛び退いて躱したが、それは大和にとって寧ろ幸いだった。
「避けたな」
麒麟児の口元が歪む。
不敵な、傑物の貌になる。
「安心したよ。どうやらちゃんと効くらしい」
…今の大和が握っている極槍の出力はカイドウ戦のそれに比べて数段は落ちている。
相応しくない担い手が握れば、妖刀は自我を奪い担い手を傀儡に変えてしまうように。
絶大な力を秘めたこの槍は、力無き者が握れば余りの力の前に自壊を余儀なくされる程の劇物だった。
かつての大和ならば問題はなかった。
英霊でさえ余程の上澄みでなければ持て余すだろう極槍を特に不具合もなく担う事が、現にあの場では出来ていた。
しかしそれも――峰津院大和の魔術回路が完全だった頃の話。
-
大和は今こうして龍脈の槍を握るにあたり、暴れ狂う災害めいた魔力の鼓動を毎分毎秒リアルタイムで制御し続けねばならなかった。
一瞬でも怠れば安定は崩れて槍は暴走するだろう。
そうなれば百パーセント大和は助からない。
命懸けの綱渡りであると同時に、それと並行して死柄木弔という最悪の敵を相手取らねばならないというのだから難易度は荒唐無稽の域にある。
「殺す前に一つ問おうか」
にも関わらず。
今大和は笑っていて。
死柄木は苛立ったように眉を顰めていた。
「方舟に刺客を送ったのは貴様かな」
「俺がやる前に世界を壊されちゃ敵わないんでね」
「そうか。ならばつくづく都合がいい」
常人ならば泡を食って一秒も保たずに破綻するだろう難題を。
大和は今この瞬間もこなし続けている。
その上で魔王の機嫌を損ねる程に力を見せ付け続けているのだ。
何故、と問われたならば。
彼を知る者はこう答えるだろう。
「弔いなどと宣う仲ではないが、情を掛けられたままでは私の矜持が許さん」
――峰津院大和だから、と。
「お人好しの船乗り共に代わってこの私が報いを与えよう。さぁ応報が来たぞ。卑小な地金を晒せ、下衆――!」
龍脈の槍が煌き。
死柄木がまた一歩後退する。
振るおうとした腕が巧みな槍捌きで弾かれた。
死柄木の個性は目を瞠る程の成長を遂げていたが、それでもその性質自体は据え置きだ。
五指で触れなければ"崩壊"は発生しない。
大和はこの僅かな間の邂逅を通じて、既にその種に気付いているようだった。
『おいおい』
声がする。
死柄木のではない声だ。
荼毘と名付けられた炎のホーミーズが嗤っている。
継ぎ接ぎの顔を引き裂くようにして、歯を剥き出している。
『こっちは折角の初陣なんだ。ちょっとは空気を読んでくれよ――殺したくなっちまう』
大和の眉が動いた。
先のはあくまで小手調べだったのだと瞬時に理解する。
荼毘の腕に凝縮していく炎。
熱、熱、熱、熱――何処までも高まるそれは既に宝具の域にも届く火力と化していて。
「 赫 灼 熱 拳 !」
死刑宣告じみた一言と同時に、燃え盛る拳となって大和へ放たれた。
体表を覆わせた膜を貫通して肉に伝わってくる死の焦熱。
咄嗟に回復魔法を唱えて損傷を最低限に留めながら、大和は次を紡いだ。
「――メギド」
だがしかし悲しきかな。
敵方のが業火ならば大和のそれは篝火にも満たない炎でしかなかった。
-
当然のように掻き消される攻撃魔法。
が、大和の狙いは最初から相殺等にはない。
自身の魔法が粉砕される折に生じる衝撃の力場を利用しての加速だ。
「ハッ。見窄らしいなァ天才君!」
迫ったのは死柄木だった。
振るわれる五指との接触は言わずもがな即死を意味する。
テトラカーンによる反射で対処するのも考えたが、それはあまりにリスクが大きすぎる。
死柄木の崩壊が伝播の性質を秘めている以上、反射の殻そのものを伝って崩壊が自身に届かない保証はないのだ。
「そういうのを無駄な努力って言うんだぜ。年貢納めて地獄へ行こうや!」
驚くべきは死柄木の身体能力。
体術を極めている大和をして、互角と判断せざるを得ない程に極まっている。
しかし大和は尚も笑った。
荒れ狂う死を間近にしながら微塵の臆病風にも吹かれていない!
「ザンダイン」
「ッ――」
近付いてくるのなら弾けばいい。
大和が唱えた魔法はザンダイン。
轟いた衝撃波が、死柄木の身体を強制的に後退させる。
崩壊の手が遠ざかったのを良いことに大和は即座に次を詠唱。
「ジオダイン」
「洒落臭えなァ!」
轟く雷光を握り潰す死柄木。
荼毘の追撃が迫る中でも大和はしかし、彼から目を外さない。
「マハブフ」
次いで氷雪。
荼毘の熱を呼び寄せて焼き払った死柄木に、大和は。
「タルカジャ」
そう唱えた。
死柄木が構える。
しかし次はない。
それは攻撃魔法ではないからだ。
「やはりな」
声が聞こえる。
その瞬間既に、大和は死柄木の眼前にまで迫っていた。
タルカジャとは強化魔法。
ジオダイン、マハブフ――いずれも申し分ない威力の魔法だが、大和はこれを本命を隠す為の囮にしたのである。
「貴様の才能に関しては認めざるを得ない。よくぞこの短期間で其処まで化けたものだ。だが」
峰津院大和が見抜いた死柄木弔の弱点。
それは。
「センスに頼り過ぎている。要するに超極上の付け焼き刃だ」
経験量の欠如であった。
踏んできた場数が足りない。
なまじ才能にも力にも恵まれているから、技術や駆け引きの領分を軽視している。
それこそ攻撃魔法の中に別な魔法を潜ませて本命を通す等というほんの単純な策にさえ、コロリと引っ掛かってしまうくらいに。
「師に恵まれなかったな」
その言葉と共に、龍脈の槍を一閃。
死柄木の身体から血風が舞う。
傷は浅いが、重要なのは手傷を負わされたというその事実だ。
力を無くして衰えた負け犬。
そう侮っていた相手に一太刀入れられた事実は、実際の手傷以上の深さで魔王の心を蝕む毒になる。
-
「――荼毘」
『あいよ。ムカつくお坊ちゃんはきちんと炭にしちまわねえとな』
巻き起こる炎の竜巻。
巻き込まれれば骨まで焼き尽くされると誰の目にも解るが、大和は退かない。
ある程度の火傷は承服して前に進み、そのまま大上段から槍を振り下ろした。
「貴様に空は似合わん」
「づ、ッ」
此処で一つの不可解が死柄木を苛む。
龍脈の槍。
大和の握る極槍から放たれる魔力の量が、平時と被弾時とで一致していない。
平時の規格であれば不安定な空中だろうと問題なく受け止められる筈だった。
にも関わらず死柄木はあっさり地に叩き落され、膝を突く無様を晒してしまっている。
訝しげな顔に気が付いたのか、大和はまるで講釈を垂れる教授のように微笑んだ。
「そう難しい事はしていない。確かにこの荒ぶる龍の力は今の私の手には余る代物だが。
必要な時にほんの一瞬リミッターを外し、またすぐに戻す。この程度の負荷ならば、回復魔法も併用すれば十分に耐えられる」
0.1秒にも満たない刹那の瞬間だけ、龍脈の槍に施している安定化を解除する。
溢れ出した負荷が肉体を破壊する前にまた蓋をして安定させれば、最低限の反動で限界以上のポテンシャルを引き出せるという寸法だった。
これによって一つの事実がより確定的なものとなって浮上する。
それは――峰津院大和が出し惜しみをしないと決めたなら、その力は荒ぶる魔王に届き得るということ。
即ち。
「どうした、笑みが消えているぞ」
峰津院大和は死柄木弔を殺せる。
そんなごく端的な事実であった。
「笑えよ。それすら失くせば、君は本当に単なる社会の塵でしかないだろうに」
「は」
気分は最悪。
増長していた所に冷や水を掛けられた形なのだから無理もない。
だが、死柄木は大和の言葉を受けて笑みを取り戻した。
下僕と同様の引き裂くような笑顔。
底のない憎しみに裏打ちされたアルカイックスマイル。
「悪い悪い。堪え性がないのは昔からでな。教えてくれてありがとよ」
そうだ――忘れていた。
この界聖杯は化物の犇めく蠱毒の壺中。
力を手に入れた今でもそれは何ら変わらない。
初めてあの皇帝と戦った時の事を思い出せ。
驕り高ぶった王がどうなるのか、自分は知っているだろう。
なあ。死柄木弔。
「そうだなァ…。アンタはそれで負けたんだもんな、先生……」
後に平和の象徴と呼ばれる男に打ち倒された先代を想って死柄木は更に笑みを深めた。
それに対して大和は不敵を崩しこそしないものの、警戒の度合いを一段引き上げる。
明らかに死柄木から漂う気配が変わった。
暴れ狂う獣から、一人の悪へと移り変わったのを確かに大和は見た。
「折角の試運転なんだ。いっそチャレンジャー気分で行こうか」
瞬間。戦場に一筋の風が吹く。
大和が己の頬に手をやった。
其処から垂れ落ちる真っ赤な雫は、紛れもなく彼自身のものだった。
「さあ、嵐が来るぜ」
途端に響き渡るのは騎馬の咆哮。
かつて騎士を載せた獣の嘶きではない。
夢に狂う愚か者を載せた、鉄獣の駆動(エンジン)音だ。
「出番だぜカミサマ――燃え尽きるまで駆け抜けちまえ」
-
それは、鋼の騎馬を駆る極道者の形をしていた。
これなるは風のホーミーズ。名を『ライダー』。
かつて敵連合に所属し、霊地を巡る決戦で討死した現人神。
暴走族神・殺島飛露鬼…その生き写しが次の夢を見据えて疾走する。
「が…!」
爆速にして破茶滅茶。
疾走の軌道を読み損ねれば轢死すると大和は瞬時に理解した。
だが恐ろしいのはその突撃と接触する事だけではない。
すれ違っただけで撒き散らされる鋭利なる鎌鼬。
そして…
「"狂弾舞踏会(ピストルディスコ)"」
騎手が握る二丁拳銃。
その銃口から放たれる弾丸状のソニックブームだった。
技名の通り、踊り狂うように跳弾しながら迫るそれが最も厄介だ。
何分数が多すぎるために龍脈の槍で落とすにも限度がある。
故に肝要になるのはどれだけ回避でやり過ごせるか、なのだったが――
『おいおい、放っておくなよ。寂しいじゃねぇか』
炎の悪意がそれを黙って見ている道理はない。
跳弾の雨を驚異的な反射神経と感覚で切り抜けた大和を蒼炎の奔流が襲った。
しかし炎を切り裂いて現れた槍の穂先が、炎魔の脇腹を貫く。
生を繋いだ大和の身体には、見るも痛々しい火傷の痕が刻まれていた。
「爆ぜろ」
王の命令に応えて荼毘が爆ぜる。
彼は無形の存在、ホーミーズ。
我が身を炎の爆弾として炸裂させ、大和に殺し切るという事を許さない。
撤退するのと共に更なる熱を押し付けて、極めつけは嵐(ライダー)の蹂躙走破だった。
「ぐ、ッ」
受け止めただけで腕が軋む。
槍のお陰で最悪の事態だけは避けられたが、相手は音速超えの暴風だ。
吹き飛ばされるのを余儀なくされた大和の視界の隅で悍ましい死が揺らめく。
死柄木弔が、その五指で大地に触れていた。
「お前の講釈、タメになったけどちょっと的外れだったよ」
死柄木弔の異能は"崩壊"。
触れた物、それに触れていた物――どちらも等しく塵へと還る。
幾多の加護と障壁に守られている大和でさえ例外ではない。
「師(せんせい)には恵まれてるんだ。今も昔もずうっとな」
だが相手は峰津院大和だ。
狂おしきベルゼバブにさえ呑まれなかったその天禀を塗り潰す事は魔王にだとて容易ではない。
崩壊の効果は大気にまでは及ばない。
ならば地への接触さえ避けていれば、都市一つ消す規模だろうが無傷でやり過ごす事が出来る。
大和は即座にそう判断して跳躍する。
そのまま、落ちてこない。
魔法を用いた疑似浮遊による崩壊の回避はしかし死柄木にとっても想像していた範疇の対応だった。
「今度はお前が落ちろ――"赫灼熱拳"!」
真上で再び像を結ぶ炎のホーミーズ。
拳を振るうや否や、再び偏執狂の熱拳が大和を襲う。
-
だがこれを大和は龍脈の槍で迎え撃った。
タルカジャによる身体能力の強化。
そして極槍の瞬間的なリミッター解除。
二枚の伏せ札の解放によって衰えた身でありながら荼毘の死拳を凌いだのは流石と言う他ない。
とはいえ、凌いだだけだ。
「落ちろって言ったぜ。魔王(おれ)は」
炎が晴れると同時に視界へ迫ったのは死柄木の狂笑だった。
「穢れめ。この私に触れられると思うか」
「思うさ。だって一度触れてるんだ」
「戯け――ならば身の程を教えてやろう」
速さでは大和。
確かな鍛錬に裏打ちされた槍術は卓越の次元にある。
死柄木の血肉を抉った回数は開幕数秒で既に二桁。
だがその手傷がいずれも致命に届いていないのも事実だった。
“…獣め――”
まさに獣だ。
荒削りも極めればこうまで行き着くのかと驚嘆せざるを得ない。
相変わらず死柄木の動きに技はないが、だからこそ彼の動きは大和をして予測不可能だった。
出鱈目に賽子を転がしているみたいな不規則性に必殺の両手が混ざり込んで来るのだから事態は混沌を極める。
大和ですら頭痛を覚える程の攻防が、文字通り足の踏み場のない空中で繰り広げられていく。
「ジオ」
均衡を崩したのは大和だ。
死柄木の肩口を掠める小規模な雷撃。
威力は低いが、元より攻撃が目的ではない。
「…ッ」
電撃を受けて筋肉の動きがブレる。
それに伴い、死柄木の厄介な動きが鈍った。
其処を大和は見逃さない。
狙うのはまず個性の基である腕――死柄木はこれを、嵐のホーミーズの力を手繰り寄せる事で強引に回避。
しかし彼も解ったらしい。
自分が先と同じ轍を踏んでしまった事が。
「四肢の切断は有効か。貴様の再生も万能ではないようだな」
龍脈の力による超人化にせよ。
地獄への回数券による超活性にせよ。
死柄木の手持ちのカードでは部位の欠損を賄えない。
その上で頼みの個性が特定の部位に依存しているとなれば、大和の側にも光明が見えた。
「逃げ惑え。達磨になりたくなければな」
即殺は最早狙わない。
嵐の如き刺突の嵐で両手を狙う。
それでいて五指には決して触れないようにする。
大和の振るう槍の命中精度は針の穴を通すが如し。
過つなど有り得ないと確信した死柄木は、空へ舞い上がった暴走風神の気流を鉄槌のように振り下ろして流れを断ち切りに掛かった。
――その顎先を、大和の肘打ちが痛打する。
「ご、ァッ…!?」
「師には恵まれていると言ったな。これしきの搦め手も見抜けない凡夫がよく吠えたものだ」
-
顎は人体の急所。
ましてやタルカジャで強化された体で打たれたならば、今の死柄木だとて無反応では済まない。
脳震盪が生む隙は一瞬にも及ばない物であったがしかし十分。
放った突きが死柄木の左二の腕に命中し、肉を引き千切って鮮血を散らさせた。
「私が体術の応用を修めたのは七つの頃だったぞ」
次いで腹を抉りつつ魔力を解いて死柄木を吹き飛ばす。
地面を水切り石の如くバウンドしていく魔王の腹からは臓物が零れていた。
“確実に断ったつもりだったが…足りなかったか”
死柄木の左腕が再生しているのが見えた。
切断し切れなかったのは痛恨だったが、二度目はない。
次は必ず断ち切れると確信して、大和はすぐさま地を蹴った。
蹌踉めきながら立ち上がる死柄木の膝を貫いて無理やり体勢を崩させ、槍の穂先で両眼を薙ぎ切る。
「アギダイン」
それと同時に吹き荒れる炎を呼び寄せ、魔王の体を黒炭に変えた。
――が、炎の中を引き裂くように手が伸びる。
舌打ちを一つしながら断ち切りに移行する大和だが、叶わない。
これまで踏み締めていた地面が突如"どろり"と半液状の泥濘に変わった為だった。
「『荼毘』を地中に遣ったか。器用だな」
「多芸は…先代(マム)譲りでね」
触腕のようにうねりながら迫る蒼炎。
槍で切り払いつつ、大和は死柄木の額を打った。
“活路は肉弾戦にある。攻めを切らすな”
このまま両手を潰し、肉塊になるまで貫く。もしくは――
極槍の制御と精密な動作、そして今後を見据えた戦略立案を三所並行して行う大和。
しかしながら此処で不測の事態が彼のプランを断ち切った。
液状化した地面から瀑布のように噴き上がった…大熱風である。
「ぐ――ァ、が…!」
只の熱風ならば今や既知。
焦る程の不測にはなり得ない。
が、問題は熱風に付随していた"おまけ"だった。
大和の展開している防御を貫通する程の威力で飛んできた灼熱の鎌鼬。
先刻までは確かになかった筈の付属品が、彼の肩口を骨まで灼き抉ったのだ。
激痛に沸騰しようとする意識を理性で抑え込む。
そう、忘我の境に立っている暇はない。
そんな姿を晒せば――出来上がるのは黒く炭化した蜂の巣だ。
-
「"炎弾舞踏会(ショートバレットディスコ)"」
ホーミーズの掛け合わせ。
二つ以上の性質を併せ持った異界現象の構築。
死柄木弔が能力者として次の段階に進んだ事を物語る不条理が具現する。
灼熱の鎌鼬など所詮は序の口。
今大和が対面しているのは、超灼熱のソニックブーム弾が数十以上の方向から跳弾して来るという悪夢じみた光景だった。
「…マハブフダイン!」
思わず声が荒ぶる。
喚び出したのは魔法の吹雪だった。
極冷の風が熱弾を冷やし、大和の周囲の僅かな空間にだけでも安全地帯を作り出す。
が――
「ブチ抜け」
それを文字通りブチ抜く機影が一つ。
焔の騎馬を駆りながら暴風で止めどなく加速した"神"が其処に居た。
「ッ、お、おぉおおおォッ…!」
防御した大和の両腕が瞬時に熱傷で醜く爛れていく。
タルカジャによる自己強化(ブースト)等これを前にしては焼け石に水だと確信した。
無尽蔵の天変地異をエンジン代わりに走る暴走風神は止め切れない。
であれば力の出し惜しみは死に直結する――選択肢は一つ。極槍の限定解除だ。
「だよなァ。おまえはそうするしかないんだ」
爆裂した魔力が炎騎馬を弾く。
余波で音熱弾をも焼き切り、大和は晴れて死線を抜けるが。
其処に迫って嗤う男の手がその隙を突く。
「ちゃんと人間じゃないか。超人ぶるなよ、青少年」
――ゾ、と寒気が駆け抜けた。
峰津院大和にそれを感じさせられる存在が一体どれ程居るだろう。
死神に背骨を直接撫でられるような寒気に、大和は無茶の反動で軋む体を駆動させて迎撃する。
しかし次の瞬間、大和は目を見開く羽目になった。
振るい死柄木の頭蓋に吸い込まれた筈の槍が…情けなくも空を切ったからだ。
“――蜃気楼!”
蜃気楼。
高密度の冷気層と低密度の暖気層の境界で起こる屈折現象。
死柄木が繰り出した炎魔の火力と、大和が安全地帯構築の為に放った氷雪。
その二つが噛み合った事によって環境は整い。
其処に付け込む形で、炎そのものを従えている死柄木が偏執狂の死炎を演出の為に使った。
「言ったろ。先生には恵まれてるんだ」
本当の死柄木は大和の真上。
あの霊地争奪戦の結末をなぞるように、白い魔王は空から訪れて。
「お前もその一人さ。ご教授ありがとな」
破滅の腕を、只振り下ろした。
-
「――ザンダインッ!」
大和が吠える。
今度の衝撃は自爆の色を多分に孕んでいた。
全身の骨を砕きながら強引に距離を稼ぐ。
熱風の残滓に体を灼かれながら、それでも回復魔法の行使は後に回す。
幸いにして地獄への回数券の効力もまだ生きていた。
アギ、ブフ、ジオ…比較的消費の少ない小粒の魔法を用いた飽和攻撃。
兎に角死柄木の返し手を可能な限り阻害せねばならないと判断した結果だったが、しかし。
此処で大和を苛んだのは、やはりと言うべきか弱り衰えた己が肉体だった。
“…ッ。流石に酷使が過ぎるか……”
此処までに大和は幾度となく魔法を使っている。
低級魔法ならばまだしも、ザンダインやマハブフダイン等の上級魔法も複数発使っているのだ。
幸いにして魔術回路の損傷が大きい現状でも、大和は魔術師としての上澄みに入れるだけのスペックを維持出来ている。
だがそれはあくまでも常識の範囲内に収まる"強さ"だ。
短時間での乱発と複数回に渡る龍脈の槍の限定解除、それによって押し寄せて来た反動…
それらは回数券で癒せる物理的損傷とは別物の疲弊となって大和の体に累積していた。
“死柄木を倒さない事には未来はない。しかし刺し違えるようでは意味もない。優先すべきは余力を残しての生存、だが…”
そんな利口が通じる相手ではないから厄介なのだ。
自身を囲むように出現した鎌鼬の檻を前に、大和は唇を噛む。
その上で檻の中の温度が少しずつ上昇し始めている――檻がファラリスの雄牛宛らの処刑具へと変わりつつある。
「…邪魔だ――退け!」
結果、またしても大和は極槍による強引な突破を強いられる。
窮地を切り抜ける代償に余力を少しずつ失う。
其処に迫る死柄木の死手に対処する動きも、明らかに精彩を欠き始めていた。
“削りを覚えたか”
戦って思い知った事がある。
死柄木はあまりにも貪欲だ。
彼は常に、全てを学んでいる。
自分が壊したいものを壊す為に必要な力、その全てを吸収し続けている。
だからこそ大和という難敵を前にして、死柄木は力押しの一辺倒をやめた。
巧みに手を重ね本命を隠し数を用立て…大和という砂の城を削り落としに掛かっている。
そして実際にそれは成果をあげつつあった。
大和が極まった体術の粋を投入しても尚、死柄木の体に触れる事がなかなか出来なくなってきているのがその証拠だ。
「撃て。蜂の巣にしちまいな」
指令一つで吹き荒れる風の音弾。
大和の頭脳と演算能力であれば、数百発の不可視弾の跳弾軌道を読みその上で回避する事程度は造作もない。
にも関わらずこの時。
彼の右腕に、一発の音弾が風穴を開けた。
-
「…!」
瞠目。
不覚に対する僅かな動揺。
それを死柄木弔は見逃さない。
「あはははははは――!」
接近して振り翳される死、死、死。
大和は自分の脳が食い潰される音を聞いた気がした。
閾値を超えた苦境に、脳の計算と疲弊した肉体のパフォーマンスが噛み合わない。
最悪の想像が脳裏を掠めた。
このまま行けば恐らく自分は遠からぬ内に――。
“…潮時だな。これ以上は身が保たん”
躱しながら大和は悟る。
それでも戦意は消していない。
現に今、放った穂先が死柄木の頸動脈を断ち切った。
相手が死柄木弔という魔人でなければこれで勝負は決していただろう。
「ぐ、…ぅ、うッ……! か、はッ――!」
頸動脈を断ち切られ。
大量出血しながらも斬首を恐れずに前進し、前蹴りで大和の内臓を蹴り破るような化物でなければ。
外れている。
狂っている。
狂気のヴィラン、白の魔王。
老蜘蛛ジェームズ・モリアーティの最高傑作。
「凄えなぁ! グチャって手応えがあったぜ、肝臓かどっか潰れただろ!
それなのに俺の崩壊(これ)だけは躱し続けるとかよぉ、どっちが魔王なんだって話だよなぁ!!」
崩壊の手を躱しながら距離を取り再生の暇(いとま)を稼ぎに走った大和。
そんな彼に死柄木が向ける嗤いはしかし嘲笑ではない。
それは高揚だ。
全てを思い通りにできる力を手に入れたとそう思っていた自分に思いがけず舞い降りた更なる躍進の可能性。
新しい玩具を手に入れた子供のような全能感が彼を何処までもハイにしている。
「――決まってるぜ、魔王は俺だ」
殺意が大和を射抜く。
逃さないと燃える眼光は狂気のままに。
そしてそんな王の宣言を歓迎するように、大和の前に炎魔・荼毘が出現した。
「だからおまえを殺して…おまえの強さも、俺のもんにして先に行くよ」
狂笑のままに炎魔が輝きを放つ。
その肌に亀裂が走るのを大和は見た。
熱量の次元があまりに違う。
超新星の爆発を、大和は連想した。
蒼く蒼い、人型の星が弾ける光景。
美しき死がこの出会いも嘗めた辛酸も全てを抱擁しながら――
「プロミネンス――――バァァァァァァァン!!!!」
峰津院大和の痩身を無情無慈悲に呑み込んで。
死柄木弔は、峰津院大和との決戦に勝利した。
-
「間抜けが」
だが。
「貴様なぞに、この私が」
その結末を――
「これ以上何一つ渡すと思うか」
否を断ずる者が、居る。
「――マカラカーンッ!」
◆ ◆ ◆
-
――マカラカーン。
その効力は魔法攻撃の反射。
大和は死柄木が龍脈の力とは別に"ビッグ・マム"の力を引き継いでいると判断した時点から、この魔法を切り札として伏せていた。
濫用は出来ない。
死柄木の呑み込みの速さは全てにおいて異常だ。
この男ならば確実に、マカラカーンの存在を考慮しその上で此方を削り切る手段を見つけ出してくる。
だから隠し続けて機を待った。
死柄木が確殺を狙って大火力に訴える瞬間を待っていた。
「ッ、ア゛…! ガ、ギィイイイイッ……!?」
放った火力は反射されて死柄木を焼き尽くす。
殺し切れはしないだろう。
あちらも只焼かれるだけではない筈だ。
だが――それでいい。
必要なのは決定的な隙だった。
幾多の不測に翻弄され、余力を吐かされて最早肉体はボロボロだが。
それでも一番最初に決めた突破口(ルート)はこうして変わらず輝いていたから。
「見事な物だ。連合の王」
そう、まさに潮時だ。
此処らで戦いを終わらせる。
この魔王の跳梁に幕を下ろす。
そして己が作ってしまった、亡き偶像への借りさえも此処で清算しよう。
「貴様は紛うことなき強者だった。私の見据える理想の世界に住まう資格ありと断言する」
龍脈の槍――限定解除。
これ自体は此処までに何度とやって来た事だが、今回はもう一瞬ではない。
死柄木を葬るまでの数秒、力の蛇口を開けっ放しにする。
生じる負担は当然跳ね上がるが…此処でこの最大級の障害を落とせるのならば背に腹は代えられなかった。
「だが、貴様の夢見た荒野は決して顕現しない。無秩序の混沌なぞに世界を売り渡す等――誰が認めるものか」
そうして放たれるは決着の一槍。
傲岸不遜にも世界の崩壊を望んだ魔王は、かつて己が貪り食らった龍の力によって命運を断たれる。
「妄執もろとも散り消えろ、死柄木弔――!」
-
その一瞬を切り裂くように。
両者の間に割り込んだ影があった。
龍槍の主が瞠目し、魔王は獰猛に笑う。
眩い光のような男だった。
筋骨隆々の体躯。
貼り付いた笑顔は彫像のように深い。
世界の誰もを安心させるような力強さを持ちながらその口が言葉を紡ぐ気配はまるでなく。
それこそが、この影が"平和の象徴"等では断じて無いのだと物語っていた。
「こいつはとっておきだったんだけどな…本当に大したもんだよお前」
極槍の炸裂に先んじて影が大和の懐へ入り込む。
速い――その瞬間に大和はこの正体を理解した。
“此奴は…まさか、"光"……!”
光のホーミーズ。
それならば自身が反応出来ないこの速さにも納得が行く。
しかしそれでは解答としては不十分。
只の光ではこの姿を象れない。
光の傍には闇があり。
功績の陰には罪がある。
ソレと同じだ。
これは光であると同時にもう一つ――
「"光"と"衝撃"だ。ハイブリッドって奴さ」
ビッグ・マムが疲労した融合ホーミーズのように。
死柄木弔が作り上げた、光と衝撃の合神英雄!
その名を…
「刮目しな。英雄譚の時間だぜ――なぁ! 『ヒーロー』!!」
英雄(ヒーロー)と、そう呼ぶ。
「UNITED――STATESOF――――SMAAAAAAAAAAAASH――――――!!!!」
振るわれる剛拳。
テトラカーンの詠唱は間に合わない。
いや、間に合ったとして耐えられるか。
その加護さえ正面突破しかねない愚直なまでの強さが其処にはあった。
死柄木弔が最も憎悪し。
そして同時に最も信じる力の象徴。
ある英雄の偶像が、此処に戦いを終結させた。
反転した勧善懲悪。
魔王の為の英雄が旭日を落とす。
◆ ◆ ◆
-
「…ちぇ。逃げられたか」
轟いた衝撃と閃光が消え去った時、もう其処は街の体裁を成していなかった。
所々が焼け焦げ砕け、暴風に切り刻まれて惨憺たる有様。
死柄木はジャケットを羽織り直すと脱力したように腰を下ろす。
「強えなアイツ。弱らせといてよかったぜ」
峰津院大和という男が如何に規格外なのか嫌という程思い知らされた。
まさかこの体になって早速生死の境に立たされる事になるとは思わなかったし、実際紙一重だった。
とはいえ最終的に勝ったのは己だという自負はある。
大和はいけ好かない餓鬼だったが、死柄木としても実に有意義な戦いだった。
「力を持ってるだけじゃ駄目なんだな。チッ、クソゲーすぎだろ全く」
技と発想次第では窮鼠だって猫を噛み殺し得る。
自分がもっと完璧な悪だったならば、あの焦燥を味わう羽目にはならずに済んだろう。
無敵に等しい力は所詮只の力でしかなく。
それを振り回す自分自身が極まっていなければ、それは滑稽な裸の王様に過ぎない。
では何を以って力を振るえばいい?
何を以って破壊すれば、付け入る隙もない完璧を実現出来る?
「もっと考えなくちゃあな。目障りな奴ら、全部綺麗に退かせるように」
負った手傷の修復を進めながら死柄木は得た力を弄び計画を練る。
因縁はまた一つ清算した。とりあえずケリは着いた。
魔王の進軍は依然として止まらない。
彼は自ら考える。
貪るように取り入れる。
暗黒の星は育ち続けている。
今も、これからも…何処までも。
【渋谷区・品川区寄り/二日目・午前】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、全身にダメージ(大/回復中)、龍脈の槍による残存ダメージ(中)、サーヴァント消滅、肉体の齟齬解消
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さあ、行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
[備考]※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
血(偶像)のホーミーズを造りました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。今は田中に預けています
風のホーミーズを使役しています。見た目は殺島飛露鬼@忍者と極道をモデルに形成されています。
光と衝撃のホーミーズを使役し、その上で融合させています。見た目はオールマイト@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。ほぼ完治しました。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
※偵察、伝令役の小型ホーミーズを数体作成しました。
◆ ◆ ◆
-
「…、アレを仕損じるとはな。つくづく己の体たらくに反吐が出そうだ」
峰津院大和は奇跡的に戦線の離脱に成功した。
ホーミーズの光撃が自身の放つそれよりも先に命中すると判断するや否や、極槍の魔力を攻撃ではなく退避の為に運用したのだ。
言うなれば擬似的なロケットブースター。
何とか死柄木の追撃を喰らう事なく離脱を果たせたのだったが、しかし代償は大きかったと言わざるを得ない。
その事は肘の先から千切れ飛んだ右腕を見れば明らかだった。
“しかし収穫もある。龍脈の槍。私に残された虎の子の実運用を試せたのは前進だな”
だが大和は只前のみを向いていた。
歩む脚は止まらない。
臆病風は彼の毛一本とて揺らせない。
甚大な消耗と片腕の欠損を抱えても尚、未来の勝利に繋がる収穫の価値を冷静に見定めている。
龍脈の槍は紛れもなく切り札と言っていい性能だった。
血の悪魔との戦いで見せなかったのは正解だったと改めて確信する。
恐らくあの凡人諸共に悪魔を屠る事も出来たろうが、それをしていれば死柄木戦は先のより遥かに絶望的な状況に堕していただろう。
災い転じて福と成す。
回復は必要だが、少し光明が見えた。
次だ。次こそ必ず勝利する。
意思の力の燃焼は止まらない。
峰津院大和の前に進む意思を止める事など、それこそ魔王にだとて不可能なのだ。
…そんな彼の視界の先に、佇む人影があった。
その姿を認めて――大和は「フッ」と口元を緩める。
「久しぶりだな。紙越空魚」
「そうだね。そっちは随分色々あったみたいだけど」
紙越空魚。
霊地が崩壊して以降は有耶無耶になっていた相手が其処に居た。
見れば、何処となく漂わせている気配が違う。
元々ネジの外れた所のある女だったが、明らかに一皮剥けた様子だった。
いや…踏ん切りが付いたと言うべきか。
「因果なものだ。まさか君で詰むとはな」
「解るんだ?」
「隠しているつもりだったか? であればもう少し淑やかにする事だな」
空魚のマカロフが大和に向けられる。
その動きに淀みはなかった。
覚悟の決まっている人間の手付きだった。
彼女に何が起こったのかは薄々察せられる。
念願叶わず、と言った所か。
喪失が彼女の中にあった最後の一線を断ち切った。
斯くして今、紙越空魚は峰津院大和にとっての死神として其処に立つ。
その傍らに影法師のように侍る蒼白の少女の存在が、大和に一切の可能性を与えない。
-
「死柄木といい君といい、けったいなものを継承した物だ。
忠告しておくが、その娘を余り直視しない方がいい。それは君の手にも目にも負えないモノだ」
「…どうも。ていうか何。死柄木弔に会ったの?」
「会ったも何もつい先刻殺し合ってきたばかりだよ。流石にこの体では荷が勝ったがね」
化物め。
空魚は内心で悪態をついた。
霊地争奪戦の顛末は聞いている。
連合の王が乱入し、全てを台無しにしたらしい事も。
そんな相手と衰弱した体で戦っておいて何故生きているのだこの男は。
弱り、隻腕にさえ成りさらばえているというのに相変わらずの底知れなさが鼻に付く。
「らしくないね。諦めてるんだ」
「往生際と言うものは弁えているつもりでね」
「ふーん、そう。ま、足掻かれても困るんだけどさ」
空魚はマカロフを大和へ向けた。
アビゲイルに任せても構わなかったが、そうしなかったのはせめてもの良心だ。
一時は付き合いのあった同盟相手。
どうせ幕を引くならこの手でやってやる。
そのくらいの情は空魚の中にも残っていたらしい。
「最後に言い残す事。ある?」
「無――いや。どうせなら一つ問わせて貰おうか。君のような小市民であれば良い答えが期待できそうだ」
「喧嘩売ってんの」
眉根を寄せる空魚だったが。
大和が口にした"問い"を耳にすれば、その表情の意味は苛つきから訝しみへと変わる事になった。
「"おでん"というのはどういう食物だ」
「…は? え。何、頭でも打った?」
「単なる興味だ。やけに私に付き纏う名前でな、大方見窄らしい庶民食だろうと推察するが」
「あぁ、うん…。まぁ間違いじゃない……んじゃないかな。私もそんな好きな訳じゃないけど」
調子を狂わされ、放つ殺意もついつい萎む。
とはいえ今際の際なのだ。
知ってるんだし答えてやるか…と空魚は続ける。
「よくある煮物だよ。出汁の中に色んな具…卵とか大根とか、後はちくわとかもかな。
地域によって色々差もあると思うけど、兎に角あれこれ入れて煮込むだけ。屋台とかで売ってたりもする」
「成程。道理で私が知らん訳だ」
「まぁあんたの口には…そんな合わないんじゃないかな。あんたの言う通りザ・庶民食って感じの味だしね」
それにしても何だってこんな事が気になるのか。
何処かで知識マウントでも取られたのか、此奴。
そんな事を考えながら空魚は指を引き金へと掛ける。
今際の希望には答えてやった。
であれば後は終わらせるだけだ。
「参考になった?」
「ああ。褒めて遣わそう」
「じゃあ撃つよ。動かないでね、狙い反れたら無駄に苦しむのはあんたなんだから」
-
空魚と大和の付き合いは短かった。
呉越同舟と呼ぶにも足りないような、僅かな付き合い。
だから空魚は大和が今何を考えているのか等まるで知らない。
あの合理性の塊のような男が、何故におでんなんて料理の仔細を訊いて来たのか。
その経緯を想像する事すら出来なかった。
只、此奴にもあれから色々あったんだろうなと心の中でそう結論付けて。
僅かなりとも付き合いのあった相手を撃つ事への逡巡を、忘れる筈もない華やかな"あいつ"の笑顔で掻き消して空魚は引き金を引いた。
「じゃあね、大和」
「ああ。達者でな」
マカロフの銃口が鉛弾を吐き出す。
それと同時だった。
これまで殊勝に死を受け入れると言う顔をしていた大和が、地を蹴ってそれこそ弾丸宛らに加速したのは。
「――ッ!」
空魚が目を見開く。
しかし再装填等間に合う筈もない。
大和は懐に納めていた龍脈の槍を隻腕で握り、そのまま空魚の心臓を目掛けて突き出した。
龍脈の力を反動恐れず解放しての最高加速で繰り出された不意討ちは今の大和に可能な最大限だ。
峰津院大和は諦めてなどいない。
死を受け入れてなどいない。
その選択肢は既に否定されたものだ。
潔く敗北を受け入れて浄土へ渡る。
貴き者の美しき在り方に、否を唱える背中がある。
迫る崩壊の前に一人立ち。
身勝手で理解不能な理屈を撒き散らし。
最後まで豪放磊落な破天荒のまま消えていった男。
そして空に舞う無数の鳥達の姿を覚えていた。
それが、それらが。
取るに足らない筈の記憶二つが、大和に"生きろ"とそう命じ続けているのだ。
“愚か者共め。この私が、貴様らの狂った理に揺るがされるなど有り得ん”
此処で空魚を殺害しサーヴァントを奪い取る。
その上で再び聖杯戦争に名乗りを上げる。
峰津院大和が熾天へと至る最後の階が此処に有る。
“私は、私の意思で――生きる。この先へ、限りないポラリスへと至ってみせるのだ……!”
空魚の眼が蒼く輝くが最早遅い。
大和の極槍が迫り、そして。
「駄目よ。そんな非道い事をしたら」
彼の最後の一撃は、鍵剣の一閃の前に阻まれた。
胴体が張り裂けて鮮血が噴き出す。
心臓を断ち切られた感覚が、峰津院大和に命の終わりを冷たく教えていた。
「マスターが…あの人が悲しむもの。だから、御免なさいね」
銀の巫女が嗤っている。
ち、と少年が舌を打った。
そのまま大和は受け身も取れずに地面へと倒れ臥した。
それきりだった。
◆ ◆ ◆
-
無様な戦いをしたものだ。
峰津院大和は漆黒に消える意思の中で、この界聖杯での戦いをそう振り返った。
霊地を手中に収める事は叶わず。
聖杯への道はこうして志半ばに終わり、あの馬鹿げた怪物にどちらが上かを示す事も出来なかった。
己がこの地で得た物は何もない。
何も得ぬまま、失うだけ失ってこの世を去る。
これを無様と呼ばずして何と呼ぶのか。
しかし最も不可解なのは、文字通り死ぬ程無念だというのに、直に消えるこの心には不思議な清々しさが存在している事だった。
それはまるで澄み渡る青空のように。
――どうして空は青いのか。
『おれはお前らに張った! 賭けた! だから気にせず、最後まで突っ走りやがれ!!』
思い出した言葉に失笑する。
あの馬鹿侍は今も何処かで笑覧しているのか。
だとすれば心底腹立たしい。
そもそも貴様と出会ったのがケチのつき始めだったのだと文句の一つも言いたくなる。
“望み通り走り切ってやったぞ。これで満足か?”
――お陰で最悪の気分だ。
大和は吐き捨てた。
何も得ず何も成し遂げられなかった男が清々しさを抱いて死ぬなんてこんな馬鹿げた話もない。
やはり自分はあの東京タワーで死ぬ筈だったのだ。
それを生かされ、時間を与えられた。
その延命で得たのは一つの勝利もない余生。
こうして地面に這い蹲って死ぬだけの予定調和。
…それでもあの男は呵呵と笑って「良かったじゃねェか」等と言うのだろうと確信が持ててしまい、つくづく嫌気が差す。
得るものはあったんだろう? 本当はよ。
いけしゃあしゃあとそう言ってのける風来坊の顔を、よりにもよってこの今際で幻視してしまう。
“……下らん”
生かされ、守られた。
挑んで敗れた。
最後の瞬間まで走り続けた。
峰津院大和の自負を砕き、その上で最後まで貫かせるような時間だった。
“だが、そうだな”
とはいえ発見があった事は認めざるを得ない。
この自分が取るに足らない弱者の偶像などに守られた事。
その死に僅かなりとも感傷を抱いてしまった事。
それは紛れもなく、この時間があったからこそ得られた発見で。
“意味はあった。そういう事にしておいてやる”
根負けしたように大和は響く幻聴へそう応えた。
不思議と屈辱には感じなかった。
何しろ己は何一つ曲がっていない。
抱いた理想は今も変わらずこの胸に。
死の一度や二度で諦める気も毛頭ない。
いずれ必ず、天の星へと至ろう。
今回は無理でも次は必ず。
叶えるその日まで、この足で突っ走ってやる。
曰く王道とは死に非ず、らしい。
“では、私が死ぬ道理は、ないな…”
その証拠に今もこの胸には理想の灯火が輝き続けている。
峰津院大和は死なない。
この志は不滅のままにひた走る。
いつか真に最後の時を迎えるその日まで。
――さあ、往こうか。
王の落日。
されど理想は墜ちず。
光る月に照らされた旭日は、鳥の舞う青空へと駆け出していった。
【峰津院大和@デビルサバイバー2 to be continued...】
◆ ◆ ◆
-
心臓が弾けんばかりに高鳴っている。
頬を伝い落ちる汗の雫が雪解け水のように冷たかった。
アビゲイルに斬り裂かれた大和は地に伏し動かない。
広がる血溜まりの大きさが、彼の命がこの地上を去った事を如実に物語っている。
だが空魚の脳裏には今も疑念が貼り付いていた。
「…本当に死んだの、こいつ?」
「ええ。死んでいるわ、命の気配を感じないもの」
峰津院大和が。
この男が、これしきで本当に死んだのか。
そんな疑いを抱かずにはいられない。
結局紙越空魚は最後の最後まで彼の鼻を明かす事が出来なかった。
空魚にとって大和は命尽きるその瞬間まで、底の知れない超人で…そして。
「本当に、ホンッッットに、最後までムカつく奴だなぁ……ッ」
思わず青筋が立ってしまうくらいムカつくガキだった。
アビゲイルの太鼓判が押された今でも、またあの不敵な声が聞こえて来るのではないかと警戒してしまう。
それが杞憂だと言うのは空魚とて解っている。
主を失って霧散し、悲鳴のような音を立てて消えていく龍脈の槍。
大和の死を暗に証明するそれを見つめながら空魚は口を開いた。
「…アビーあんた、あれ取り込めないの」
「できるけど…あまり意味はないと思うわ。もう殆ど残っていないもの」
「成程ね。最後のアレ、本当に全力だったって訳か」
――お前、そういう事するんだ。
空魚は何となく意外に思った。
この峰津院大和という男は、そういう柄ではないように思えたからだ。
横のアビゲイルが護衛を仕損じる可能性がどれだけ絶望的に低いか解らない訳でも無いだろうに。
それでもあの瞬間、大和は賭けたらしい。
自分の未来に繋がる唯一無二の道を必死こいて突っ走った。
その事実は空魚にほんのりと、感傷未満の小さな感慨を抱かせた。
此奴にも色々あったんだなという感慨。
そして、そんな此奴を今自分は殺したのだという実感。
「…悪いけど死体漁らせて貰うからね。こっちも必死なんだから」
ポケットの中には妙な紙片が数枚入っている。
今は亡きアサシンが超人化を可能にする麻薬が出回っているとか言っていたのを空魚は覚えていた。
それ以外の道具は…使い方の見当も付かない。
実際空魚が悪魔召喚の為の道具を持ち去った所で、何かに活用出来るとは考え難い。
麻薬らしき紙片を回収するだけに留めたのは賢明だったと言えよう。
「空魚さん、終わったかしら」
「うん。とりあえずこの辺から離れよう」
最後に一度だけ空魚は後ろを振り向いた。
線香をあげてやるような間柄ではない。
化けて出る柄でもないだろう。
そもそも殺した当人が被害者を悼むなんて煽り以外の何物でもないと空魚は思う。
只、それでも…何となくそのまま立ち去るのは気が引けて。
-
「大和」
最後に一言だけ、残してやる事にした。
「じゃあね」
【品川区(渋谷区付近)/一日目・午前】
【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基第三再臨、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:さようなら、不器用な人。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。
【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ、地獄への回数券
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:ま、ゆっくり休みな。
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
2:心臓に悪いわ馬鹿。二度と蘇ってくんなよ。
[備考]
※フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。
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投下終了です
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予約を破棄します
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前半を投下します
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『……蝋の翼しか操れない俺で良ければ、飛び方は教えてあげるよ』
アシュレイ・ホライゾンがマスターと認めた女の子に、そんな恰好を付けてから。
またたく間に数日が経過しようとしていた。
その間、特に何もなかった。
(俺、こんなに『女の子』とやって行くことに不慣れだったか……?)
聖杯戦争の進展という意味でも、彼女の夢に対する進展という意味でも。
劇的なドラマの発生だとか、二人の関係の深化だとかは、全く何も。
まったくといっていいほど、何もなかった。
もちろんそれは差し迫った危険が起こらなかったということでもあるし、それは喜ばしいことだったが。
また同時に、彼女が『もう一度アイドルをやりたい』と叫んだあの時点から、何も前進が無いということでもあった。
当たり前のことではあるが。
ライダーのサーヴァントたる己は『アイドルになる方法』なんてものは詳しく知らない。
そもそも仮初の日常において『やっぱりアイドルになりたい』と七草はづきに直談判して、返り咲くための一歩を……といった活動ができる訳でもない。
だから、七草にちかにこうしてみようという提言を、まだ差し出せていないのが現状だった。
せめて彼女の理解者ではありたいと、親しくなるための会話を試みはしたが手応えは初対面ほど芳しくなかった。
用事があれば一緒にやらせてくれないか、と誘っても『サーヴァントって家政夫をしに来たんですかねー?』とすげなくされる。
数日かけて分かったのは、どうやら本来のにちかはかなり分別のはっきりした子だということだ。
多忙な姉と、家族は実質二人きりの生活だ。
そこに寂しさや『飢え』が皆無というわけでは無さそうな一方で。
周りの目上には、遠慮のない生意気さを発揮しながら、しかし『馴れ馴れし過ぎる』という不快感は抱かせない。
それは裏を返せば、『甘え上手』という性格と、『甘えは良くない』という裏腹がどちらも混ざっているということ。
要するに、いきなり出会ったばかりの『他人』と相方として一緒に生活しようということになって。
分かりました楽しくやりましょうと、『家族』のパーソナルスペースに受け入れるような子ではないのだ。
それはつまり、七草にちかが日々を生きるにおいては、『居候』としての己は無力であることを意味しており。
-
――って言うか、料理とか洗濯物とか手伝われたって、細かい置き方とかで絶対お姉ちゃん変に思うじゃないですか!
――私の護衛で大変なサーヴァントさんに家事まで手伝わせて、そのせいで家族バレするって、私はどんだけ無能なんですか?
こうしてアシュレイのサーヴァントとしての当面の仕事は、『家庭のゴミ出し』になった。
家事に加わる権利は獲得したけれど、『こんな顔をさせて……』という反省が残った。
にちかがアパートの玄関扉をばたんと開け、大きく膨らんだ『燃えるゴミ』表記のある指定ビニール袋を表札の下に出す。
アシュレイは霊体化によって玄関を通過し、実体化してごみ袋を掴む。
なるべく静かな足取りで、音をたてないようにアパートの共用廊下を歩き、戸外へ出てゴミ捨て場へと向かう。
賃貸の安価なアパートでの生活音というものは、存外に隣室へと響くのだった。
特に玄関を開け閉めする気配というのは明瞭で、室内にいても『ああ、お隣さんは今日も出勤するんだな』と察せてしまうものだ。
バタバタと玄関をくぐる音の重さ軽さや慌ただしさなどは、それが登校する女子生徒なのか出勤するサラリーマンなのかまで判別できてしまう。
つまり、幾らサーヴァントと言えど、アシュレイが通常人と同じように七草家で生活していく為には……。
『じゃあゴミ出しに行ってくるよ(バタン、コツコツ…、カンカンカンカン……)』などと家族同然に振舞うのはまず避けねばならない。
いくら偽りに設定された世界とはいえ『あのお姉さん、もしかして同棲を始めたんじゃないかしら』などと姉に噂が立つのはにちかが嫌だったし。
何より、七草はづきにだけは同居人が増えたことを勘繰られると、たいそう面倒なことになるのだから。
どさりと、ゴミ袋を近所共用の捨て場に投棄する。
『最近越してきた人だろうか』といった誤解を避けるために、用事を終えれば即で霊体化する。
こんな事しかできないなんてな……と溜め息が出そうになる。
もちろん身辺に不穏な者がいないかの警戒など、サーヴァントとしての最低限も並行してはいるつもりだけれど。
……いや、人によっては『こんな事どころか……』と眉を顰められるような関係であることは分かるのだ。
少なくとも生前の伴侶たちがこの光景を目にしようものなら。
『さすがに私達の大切な人がそんなぞんざいに扱われるのは…』と懸念したかもしれない。
客観視してみれば、自分たちの関係は『距離を縮めようと努力するサーヴァントに対して、マスターの女の子は刺々しい』というものだから。
――でも、家族の代わりになれないなんてのは、当たり前の話だからなぁ。
殺し合いを視野に入れた緊張感の中で、出会ったばかりの男を家族のように家庭に迎え入れろなんて、無茶を言ってるのはこっちだ。
それを『サーヴァントなんだからマスターと一緒にいるのは当たり前だ』なんて一般論で押し切るのはあまりに乱暴だろう。
――俺は、何をしに来たんだろう。
――俺には、何ができるんだろう。
だから、悩み続けよう。
なんせ、そんな彼女の家に入ることを許されているのだ。
玄関から先を当たり前のように踏ませてもらい、生活を見守らせてもらい。
今後こういう外出をするならと、父親の形見らしき衣服まで与えられ、それを着終われば同じ洗濯機まで使わせてもらっている。
これからアイドルとして皆に笑顔を振りまき、誰よりも幸せになる子の、そんな場面に立ち会わせてもらえている。
それも、普通に知り合うのであれば家の中に踏み込める立場になるまでに要する時間を、『サーヴァントだから』という一事で省略している。
これで頑張らなきゃ嘘だろうと気合を入れなおして『ただいま』と念話を送り、七草家のダイニングへと踏み込んだ。
食卓の上に、弁当箱が三つ並んでいた。
そう、三つだった。
小学生のお弁当だといっても通用しそうなほどに、こぢんまりとした箱。
それよりはまだ大きい、でも女性モノなんだろうなという小さく丸みのある箱。
そして、それらよりずいぶんと大きくて四角い形の、明らかに男性モノの弁当箱。
-
まるで父親と年長の姉と年少の妹との、三人家族であるかのように。
熱いものや水気があるものは先に盛り付けて冷ますというお弁当の原則通りにご飯が先に詰められ。
その横に昨晩のおかずの残りらしきラップのお皿が、これから副菜にしますという趣きで配置につき。
さぁこれからメインのおかずができるぞとばかりにエプロン姿のにちかがキッチンに向かい合っている。
そんな彼女がチラと振り向き、アシュレイがいる気配を察して、念話を送ってきた。
『……なんか不満でもあります?』
『い、いや……俺の分も作ってくれたんだなー、うれしいなーって』
絶対に『そこまでしてくれなくて良かったのに』とは聴こえないニュアンスを気を付けたが、伝わったかどうか。
『……余計なお世話だったなら、今のうちに言っといてくださいね?
一応こっちも、荷物があったら霊体化できないから邪魔なんだよなーとか思われたら即引っ込めるつもりなんで』
『い、いや、決してそんなことは無い! 男として、こういう事をしてもらえるのが嬉しくないはずないだろう!』
なるほど、たしかに今日の予定はあらかじめにちかに伝えていた。
ここ数日で日常訪れる場所の安全は確かめたし、別行動して会場外に出ようとした場合の事なんかを試そうと思う、と。
それを聞いてからの彼女は、なら日中にアッシュが一息つく時のお弁当を、と姉妹の分だけでなく作ろうとしてくれている。
『いや、『男として』とか、そういうカンドー的な深読みをされると重いんですけど。
べつに二人分でも三人分でも、作るの大差ないんで。
学校がある私と、仕事があるお姉ちゃんの分は作らないわけにもいかないし』
念話は相変わらず、つっけんどんではあったけれど。
目線はアシュレイに向けられることなく、フライパンの隣にある小鍋の汁物を確かめていたけれど。
その口元は、少しだけうれしそうに、ゆるんでいたように見えた。
『まーそれに、三人分作るのは別に初めてじゃないですしね。
プロデューサーさんにも作ってたことはあったんで。特別扱いを期待したなら、残念でした』
念話での言い方は相変わらず突き放すような態度だったが、それはまったく気にならない。
だって、贔屓目なんていっさい抜きに、彼女はあまりに可愛いのだ。
いや、贔屓目を抜いて彼女を見るのは、それはそれで難しいけれど。
――お弁当食べます? 作ってきたんですけど
想像してみた。
彼女がプロデューサーなる人物に対して、初めてそう言ったところを。
さっきの彼女は、何でもない、手間としては変わらないことだと言ったけれど。
社会人の男性に向かって、年頃の女の子が、『そんな昼ご飯よりも私が用意したこっちを食べてみて』と口にするのは。
リスクを孕んだ好意……とまで言うにはやや大げさだが、十分に、とても、勇気が要ることだろう。
-
そして、過去にプロデューサー相手にそういう勇気を発揮したことがあるから。
今の彼女は、アシュレイにも同じ優しさを発揮する歩み寄りを示してくれたのだ。
――これじゃ、俺が一人だけで空回りしたようになってたみたいだな。
『サーヴァントだから』という立場に恵まれて、共に暮らすことを許されていたように思っていたけど、違っていた。
彼女の父親が残してくれた『衣服』や『弁当箱』という郷愁だとか。
そしてプロデューサーがにちかに芽生えさせてくれた、歩み寄りの努力だとか。
にちかを幸せにしようとしていた人達の、そういった遺産があったおかげで。
七草にちかが、知り合って間もない若い男を、立ち入った家族の場所に迎えてくれている。
俺はもしかして、他の誰かが入れないものかと舗装した道の上を、近道させてもらっているんじゃないか。
『あ、そうだ。霊体化じゃなくて実体化して外に出るなら。
……ついでに、スーパーへのお使いとかお願いしても、いいですか?』
『それぐらいなら喜んで……晩ご飯の買い出しかな? 何を作るんだ?』
『…………焼きそば、です』
だから、迷うことなんてどこにも無くて。
俺はただ、最後まで俺ができると思ったことを全部やるだけなんだと。
小さな目印がそこに灯ったように、心は明るくなった。
ここは、彼女から入ることを許してもらえた場所で。
俺でない誰かが歩いた足跡のおかげで、ここにいることを許してもらえたのだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二度目となる雪の結晶と銀炎の喰らい合いは、一度目とまるで色彩を違うものにしていた。
銀の炎と相対する拳は、漆塗りをしたようなあまりに硬い輝きを纏っていた。
雪の結晶に陣を敷き、銀炎の剣尖と爆ぜ散る花火は、毒より黒い漆黒をしていた。
「ガァァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「オオオオオオオオオォォォ――――!」
一度目の応酬で交わされたような停戦を求める呼びかけはない。
あるのはただ全身全霊で、野人に戻ったかのように力を振り絞るための号砲。
黒き流星雨という、自然界に有り得ざる嵐。
嵐が銀炎を掻い潜り激突音を鳴らすたびに、血片を飛ばす。
それは拳の風圧が、アシュレイ・ホライゾンの身体を斬り刻む血潮であり。
その風圧を銀炎の推進力で突破して、猗窩座へと打ち込まれる剣戟の血潮だった。
-
みるみると増えていく総身の血糊に、両者とも呻かず歯を食い縛るのみ。
生前に味わった慣れも含めて、身体に刃物が入る感触などとうに既知と化している。
一対一において、緒戦から大きく様相を変えたのは色合いだけでなかった。
緒戦において、アシュレイはただ殺されまいと銀炎を鎧にしての防戦一方に徹していた。
比翼の相棒からの置き土産である炎の防陣と快癒とがなければ、ろくな戦いにならなかっただろう。
武術家としての闘いにおいて、猗窩座が極めた者でありアシュレイが永遠の不向き者である構図は覆しようなかった。
その一方的な攻勢と、防戦だったものが。
攻勢と攻勢のぶつかり合い、という構図にまで双方が肉薄していた。
命を削るだけの気迫を持った攻勢と、それを躱すのではなく迎え撃とうとする攻勢だった。
「お前……っ! さっきより、少し……背が、縮んでるんじゃ……ないのか!?」
「もう息を切らしている貴様よりよほどマシだ」
命を削る攻勢とは文字通りでしかなく。
鬼の側に、もはや無限高速の再生はないと承知の上で。
己が現界の為に維持されるべき力を、猗窩座は猛攻激化の為だけに費やしている。
鬼という種が、徒党を組んで始まりの鬼に反乱しない為だけにある『共食い』という捕食の本能。
それを『己自身』に適用し、筋肉や血液といった戦いに必要な部位以外の細胞をエネルギーに置換。
なぜなら、主(マスター)から供給される経路(パス)はもはや蜘蛛の糸ほどにも僅かなのだ。
であれば、燃やす薪を追加するより他の思案はなかった。
とはいえ、それで消滅の際にいる主君から搾り取る量が和らぐというわけでもない。
『遠慮なく全てを使い果たしてくれ』という最後の命令に対して、どこまでも忠実に。
主君にとっても敵にとっても死をもたらす悪鬼であるまま、最期まで地獄の底を抉じ開け続ける。
「――ガッ……く!?」
ガギギキィィン……と、腕と金属が衝突したとは思われぬような鈍く甲高い激突音が何重にも連鎖した。
猗窩座の手の甲に血の筋が数本ばかり走ったが、拮抗に耐え切れずに退いたのはアシュレイの方だった。
追撃に対応するためにかろうじて構えは維持するが、黒い覇気を強引にまとった猛打によって脚はみっともなく笑っている。
――ずいぶんと、愚直な真似をするようになった
見下すとまでは言わないが、呆れに似た実感を猗窩座は抱く。
防戦に回らないようになったアシュレイ・ホライゾンは、むしろ敢えて強引にでも猗窩座の拳を『受ける』戦い方を選択していた。
覇気によって重みを増した攻撃に耐えるために、生前に仕込まれたのであろう剣の型から『いなし』や『受け』に使えるものを厳選。
銀炎による推進力を刀剣の速度と破壊力に上乗せして、『回避』ではなく『迎撃』を主にして継戦する。
言葉を用いることで呼びかけてこなくなった青年は、引き換えに猗窩座の拳を無理にでも受けるようになった。
まるで、猗窩座たちにもはや言葉によって何かを語るつもりが無いならば。
猗窩座の拳を食らうことが、受け止めることが、残された語らいの手段になると信じるかのように。
さりとてそこに、相手は死にかかっているのだからこれぐらいの余裕はあるという慢心はない。
明日を棄てた者の力強さを、過小評価も過大評価もしていない身の引き締めがある。
すぐにでも命尽きそうな重病人を、看取るまで死合った経験でもあるかのようだ。
-
――主(マスター)の残り寿命が更に削られてしまうと、決着を焦ることはしないのだな
まさかこの期に及んで戦いに応じないとまでは思ってはいなかったが。
少女たちとあの男とが会話をする時間が欲しいというのが青年の望みだと言うのならば。
これ以上魔力を浪費してあの男の残り寿命を削ってくれるなと、勝ちを焦ってくるやもとは予期していた。
さすがにこの局面ともなれば甘さを請う余地はないと身に染みたのかと、猗窩座は解釈したが。
「プロデューサーの為に、これ以上力を使うなとは言わないよ」
まるで、猗窩座がそう思考するのを見計らったかのような機先の制し方をしてきた。
「言っても止まらないことは分かっているし……さっきこっちにも念話が届いたからな。
プロデューサーに聴かれたことと、それにどう答えたのかは聞いた。
こっちは言いたいことを言うから、そっちもぶつけてくれ、だそうだ」
何をだ、と尋ねて悠長な会話劇を引き延ばすつもりはなかったが。
相手方も時間稼ぎの意図はないと示したかったのか、早口ぎみに結論を述べる。
「向こうは大丈夫だと俺は信じる。
だから俺が今、借りを返したいのはあんただ」
何をどうすれば大丈夫だというのか。
それを問うつもりも起こらず、猗窩座はドッと地を蹴って拳を振りかぶる。
あの男から己は滑稽だろうかと問われて、猗窩座は否定しなかった。
滑稽で、役立たずでしかいられないなら。
せめて『説得されたら撤回する程度の決意で、何人も殺していた恥知らず』にはなりたくはない。
鬼になろうとしてなりきれず人のまま苦しみぬいた男の、最後の砦とさえ言っていい心のよりどころだ。
それを『まだやり直せる』などと阻もうとすることは身体の芯から受け付けないし、微塵も容赦は起こらない。
次の一撃は、断じて受け止めさせない。受け止められるわけがない。
この局面においてなお、猗窩座の拳は破壊力を増すための極意を掴んでいた。
元より素流――『拳が内包する衝撃を、物質に伝導すること』には、猗窩座は極意を持っている。
衰えた肉体のさなかであっても、習得した覇気の『より応用された使い方』に勘付き始めていた。
これから降りぬく拳は、『内部破壊』の力を内包する。
拳が撃ち抜く力だけでなく、激突点から衝撃が無限に拡大して全てを破壊する。
青年剣士はかろうじて斬りかえしの型を構えようとする。
しかし、明らかに剣速が追いついておらず、猗窩座からすればもたついてすら見える。
すでに降りぬかれる一撃の射程内に置かれ、治癒術も追いつかぬほど『砕かれる』ための的になり――
-
――ぞわりと、嫌な具合の既視感が走った。
嫌な予感がする、という事実をいぶかしむ。
なぜならその青年に、かつて頚を斬った痣の少年のような『潜在性』は絶対に無かったからだ。
土壇場で何かしらの劇的な打開策に目覚めるには、闘士としての才覚が無さすぎる。
それなのに、覚えのある『変化』を感じさせたのは、どういうわけか。
この敵にはこれまで会敵した暴君や皇帝のように、武の境地に達するだけの資質は無い。
痣の剣士のように至高の領域に至る呼吸術も、鬼を灼くと記憶する赫い刀も宿る余地が――
「銀月墜翔(アルテミス・スラスター)」
ボッ――と火の手が勢いづいて点ったかのような、耳障りとともに。
――銀炎の刀が、それまでの火力上限を大きく超えて炎の大河をつくった。
かつて猗窩座の頚に一刀を入れた、斜陽をの現し身のように。
剣速も、威力も何もかもが、刀そのものに推進装置を取り付けたかのように増大した。
鬼狩りの剣士たちは剣技において無から炎の影を表わしたが、その面影と青年の剣筋が重なる。
『内部破壊』の破壊殺と、またたく間に速度をあげた炎刀の一騎打ちとなる。
――速さで、追い抜かれた。
「爆血刀(バースト)……!!」
裂帛の叫びとともに。
アシュレイの一刀が、初めて猗窩座の胴体を袈裟斬りで大きく斬り裂いていた。
噴水のような失血と、多段斬りされたような灼熱ともに、己の身体が抗えず傾いでいく。
それはただ『燃えている刀で斬られた』という熱と痛覚に留まらない。
銀炎の奔流と、最高温度に達した鋼の剣と、『燃える液体状の劇薬』の、三重奏で斬られた。
刃の推進力が上乗せされ、拳速をつきはなす寸前。
銀の炎渦の透き間から垣間見えた刀身は、たしかに『赫い』色をしていた。
「ガッッッ、ガ、が、アァァアアアアアアアアアアアア!!」
脚が頽れる。
断ち割られた胴体が、今の再生力では復元しないと激痛で悟らせる。
実際の威力にしてみれば、それは鬼狩りの赫刀ほど覿面の相性ではなかったのだろう。
しかし再生が大きく衰えた気迫頼りの身体で、袈裟斬り、深手の火傷、延焼する『何か』を同時に浴びてしまえば。
「――再生、不発……確認」
ゼィという呼吸の合間に、青年の一声。
ぽたりと、降りぬかれた剣尖から滴ったのは、『食欲』を齎す血液――つまり猗窩座ではなく青年の血液。
血の区別がついたことで、気付く。
緒戦において、この青年が吐き散らした血と肉片は、爆炎を帯びていた。
その爆炎を、青年は己が速度を上げたり敵手を退けるための推進剤にしていた。
戦いのさなかに刀身を少しずつ血で濡らし、刀が緋色に染まったと見抜かれないために銀炎で覆い隠す。
本来なら火力に上限がある銀炎刀を『引火する血液』によって連鎖爆発させ、推進力と威力を底上げした。
-
「潮時と……言うか……!」
斬り落としは成功した上で、青年は拳の届く範囲外に着地している。
これでは後はただ、癒えない半裂きの身体で細切れを待つのみ。
猪口才な小細工勝ちだとは言えない。己も既に、この戦法を一度真似た。
上弦の鬼だけの血戦で、血と肉片を推進剤に替える戦法を模倣している。
ああ、だからこそ。
「――まだだ!!」
猗窩座もまた、己の血肉と術とをどこまでも使い潰すのみ。
男を殴れずに倒れようとしている?
それがどうした、男を破壊するために、男を殴る蹴るする必要はない。
破壊殺・万葉閃柳の軌道を、そのまま黒く武装した拳に応用する。
あとひと刹那で青年を粉微塵にしていた覇気の収束を、拡散させずにいっそう右拳にまとめる。
初めは打突、須臾の時を挟んでから血鬼術の呪力、黒き花火を閃かせる頃合いは決して過たない。
再生も阻害され、限界に近付いている肉体で行使することは度外視である無茶。
自覚する。気迫で押し通す。
一度は上弦の壱を超えて■■■■■の肉体に至ろうとして得たものを全て使い潰し――『鬼の最期の悪あがき』たる衝撃波を放つ。
青年は異様な闘気の増大に戦慄の顔をつくり、炎を身体に纏わせて空気の層を鎧にしようと試みるも、追いつかず。
ドン――――!!!!
猗窩座を起点に、雷が中空に生まれたような轟音と黒い大閃光が迸った。
全方角の空間が、全てを粉塵に帰すように空気を爆裂させる。
全方位の土地に、大蜘蛛の巣のごとき亀裂が地割れとして刻まれる。
拳圧へと呪力と覇気の刃が上乗せされた一撃が、全方位への無差別な衝撃波として一帯を刻んだ。
-
「ガ………ガ、ガ……ガ……ガッ……」
アシュレイもまた、血と皮膚の亀裂にまみれた襤褸となって吹き飛び、血に落ちる。
内臓の攪拌と、横隔膜の止まらない痙攣による音程の乱れたうめき声。
衝撃波そのものに血鬼術の効力はないために銀の炎は作用するものの、損傷が深いために癒しは遅々とするのみ。
そこには胴体のぐずぐずに崩れた男二人が、瀕死そのものに地面をのたうち回る絵図が描かれた。
三半規管が完全に狂わされた激痛の中で、アシュレイはやや離れた場所に修羅も倒れ伏していることを感じ取る。
その男が、崩壊の進行する身体を酷使した反動でやはり立ち上がれずいることも。
その男の乾坤一擲によって、相討ちも辞さぬほどの殺意で殺されかかったことも。
(……プロデューサーの……意向を……汲んだ殺意、だよな……)
痛みを無視することはできずとも、痛みの中で思考を続けざるを得なかった環境の杵柄で、足掻きの傍らに思う。
これほどに濃密な殺意を浴びたのは、人生でもそうそう縁が無かったなと。
お前を殺すという執心の殺意ならば、何度も身に染みてきた。
蝋の翼になった男を斃して、ただのアシュレイ・ホライゾンを取り戻そうとするレイン・ペルセフォネからの殺意。
どうしても弟子に最後の稽古をつけるべく、気を抜けば死ぬぞと本気で相対された恩師からの殺意。
しかし、男の拳からはそのような『思うがゆえの殺意』は僅かも無い。
ただ殺さずにはおかないものを殺すというだけの殺意。
しかしその意を受けて、アシュレイはまったくかけ離れた感想を抱いた。
(…………やはり――アンタは、慈しい)
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もしも合理の話をするなら、この戦いでアシュレイが死なないに越した事はないのだ。
プロデューサーは最後まで偶像たちと方舟の敵でありたい一方で、この先にちかが死ぬことまでは望んでいない。
そしてアシュレイの消滅は、七草にちかのその後の生存率を大きく脅かすのだから。
だが、このサーヴァントはどこまでも『方舟の敵たる狛犬』という概念に殉じている。
お前にはあの男が守りたかった者達を、まして全てを擲ったたった一人の少女を含めて託すことになるのだから。
修羅の殺意ぐらい踏み台にしてみせろというプロデューサー側の餞別にして最終試練。
その役割を忠実に果たす『プロデューサーの武器』としての立場に徹している。
それを思考の放棄だ、マスターにとっての最善を考えていないマニュアル対応だと上から目線になるのは簡単だが、適切じゃない。
今のプロデューサーの在り方が蝋翼のそれで、ランサーがその意向に従うだけだというなら、その真意はおそらく。
――極論、男にとってはこれからどうなるという事情よりも、『プロデューサーを望み通りの形で死なせてやる』ことこそが大切だから。
男が救いなど要らないと言うなら、救いを取り除く。
男が地獄に落ちないわけにいかないと言えば、落としてやる
男が怨嗟の責め苦を、滑稽だという糾弾を受けたいなら、受けさせてやる。
男が『最後まで敵として憎まれ役として死にたい』というなら、引継ぎ役の安否などより『敵であること』を最優先に置く。
-
(プロデューサーとは……似た者主従なんだろうな)
アシュレイには、恩師のように武力から人柄を理解する才覚はない。
だがそれでも、闘志を応酬させ、殺意の質を推しはかることで伝わってくるものがあった。
拳を受けたことで感じ取ったのは、必要以上に嫌われようとする突き放しの大仰さだった。
似た人を知っている。ここ一か月で詳しくなった。
他人が自分をそうそう好きになるはずないと、いつも心のどこかで思っている。
形振り構わない、己自身を削って融かすような戦いを厭わない者は、己のことも嫌うものだ。
他人がやがて自分のことを嫌いになるのを待つぐらいなら、いっそこちらから見放されたいと自滅行為に走る。
……それでも、根っこのところでは情が強く、身内に甘い性格をしているから。
大切な人から『もうやめて』と腕をひかれたら、足を止めてしまう性格をしているから、敢えて突き放す。
そういう性格でなければ、これまでの没交渉を、サーヴァント側が積極的に加担していた説明がつかない。
プロデューサーには寿命という覆せない枷があり、ゆえにどんな会話も無為であるという彼の結論。
それが心からの本心で、また正論でもあることは確かだと思う。
だが、すでに幽谷霧子と対話を行って『そのやり方でにちかは幸せになれない』、と。
話を聞いた限り、それ自体は至極もっともで真っ当な指摘を受けているのだ。
『にちかの幸せはなんだ』と聴かれたと、にちかが念話してきたことからも、指摘に意味はあった。
それらも見てきた上でなお、アイドルとの対話など無為であると断じてきたというなら。
『プロデューサーとアイドルの間には、まだ交わされるべき言葉がある』という可能性を見ないよう、わざと目を瞑っている。
己のことを心底から愛している人達から呼び止められたら、止まってしまうかもしれないという心を知っている。
ことここに至るまで、主従ともに正視できなかったのは当たり前だ。
『プロデューサーが裏切って犠牲にしようとした女の子たちは、プロデューサーを憎むどころか最後の最後まで心配していました』なんて。
そんな物語を、まっとうな良心を持った男が直視してしまったら心が潰れる。
だから、ここに至ってもなお敵対しか有り得ないのは必然だ。
もはや地獄に落ちていく末路しかないなら。
『最後まで皆から愛されていたのに』と嘆かれて消えていく末路ではなく。
最後まで迷惑な男達だった、役立たずだったと憎まれて消えるほうが、マスターの望みにかなっているから。
マスターを想うがために、救済ではなく破滅を求めてアシュレイを殺す。
(絶対に……そんなことにはさせない)
うめき声は止まった。
双方ともが、同時に。
-
立ち上がるべく足掻いていたランサーの身体が、膝をかろうじて曲げ伸ばしできる態勢を見つけ、四つん這いから浮上する。
血走った羅刹の眼光で、二本の脚で地を踏めるようになりしだいお前を終わらせると射殺しながら。
挙動の意図は分かりやすい。
もう再生が見込めない彼は、アシュレイが回復しきる前に強引にでも致命傷を追撃するしか勝ち筋がないのだ。
そしてアシュレイの選択肢も、同じく立ち上がってその追撃に真っ向から応じること一択となる。
地面に血肉がぼたぼたこぼれ、膝をがたがたと笑わせながら。
それでも這いずって逃げながら、回復しきる時を稼ぐような真似だけは有り得ない。
これは、狛犬たちが七草にちかというアイドルの担当を継いでいく男を見定めるための機会でもあるのだ。
『残り寿命の差で負けた』なんて理由で勝ちを持って行かれたとして、先任のプロデューサーが安心できはしない。
この男達には絶対に、アシュレイが持てる力の全てを動員して、ぶつかり合いで上回られたという決着を与えなければならない。
それに、この勝負に勝ち残った上で伝えなければならない。
そもそも、前提が違うのだということを。
大丈夫。
君のマスターは、悪いところへは落ちないよ。
彼がプロデュースしたアイドルたちが、そんなところに落とさないから。
七草にちかは、幸せになるのだと。
念話からの報告で答えを識った時に、アシュレイ・ホライゾンからもまた迷いが祓われた。
――だから、全部ぶつけてやります
――あの子が言えなかったこと、私が言いたかったこと、誰かが言うべきだったこと
七草にちかが幸せになるなら、彼にぶつけるべき言葉はおのずと定まる。
それはきっと今のアシュレイが、あの男に伝えたい言葉とかけ離れていない。
だから彼のことは彼女たちに任せられる。己はただ全力でランサーに示せばいい。
「人でありながら再生するというのに、その脆弱さか…………やはり貴様は気に入らない」
「再生する身体で……再生しない女の子をぼこるために……ずいぶん手間取ってた奴の台詞か?」
「抜かせ……貴様はあの小娘の……影さえ踏めていないぞ」
七草にちかは弱くないし、俺たちもこの先やって行けるぐらいには弱くないんだと。
少なくとも好きな女の子を初対面で『つまらん』呼ばわりされたことは忘れてないし、その借りは今ここで返せる。
その上で、先刻の問答の最後の問いかけには答えよう。
「「――参る!!」」
狛犬と呼ばれた男とかつて蝋翼だった男は、最後の突撃を敢行した。
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-
「とりあえずー……話すこと、それなりにありますから。これ、飲んでください」
さっき塗りなおしたばかりのように、つやつやした紫のネイル。
その指先に掴まれて差し出されたのは、赤いアルミ缶だった。
「お、おう……こんなの、どこで」
283プロでも御用達の銘柄。リカバリーソーダ。
名前は炭酸水だが、成分としてはむしろいわゆるエナジードリンクだ。
さぁこれから営業に出るぞという時には欠かせず、効果のほどは事務員もアイドルにもお墨付き。
それも一番味が濃くて強い、赤ラベル。
「近くの壊れた自販機から……たった今、アーチャーさんがちょろっと」
ちらと紫髪の綿飴おさげが振り向いた先には、もはや壁として見張りに徹しますという無言の傭兵がいる。
なるほど、たしかにわずかでも体力と魔力を持たせるというなら、栄養補給としてはもっとも効果があるだろう。
どすっ、と手のひらに液体の重みと冷たい缶の手触りを落とされて、妙ななつかしさに気が抜けた。
もはや感覚もない壊死寸前の指をプルタブにつけて、のろのろと引き起こす。
茶色く変色した指が露わになり、摩美々たちが必死にぐっと耐えるような息の飲み方をした。
そう言えばいつもの摩美々なら、プルタブを開けておく気遣いをした上で手渡しそうなものだ、と違和感に気付く。
そこはやはり、彼女も悲しみと動揺を背負っているのだろうと申し訳な――
――ぶしゃっと開け口から怒涛の勢いで噴水が暴発し、炭酸水が顔を直撃した。
「ぐぼはっ――――!?」
鼻の頭あたりから泡の弾ける液体をぶち撒けられ、のけぞる。
缶を取り落とす。
何があった。
いや、事態は分かる。
アルミ缶は、手渡される前によく振ってあったのだ。
そして彼女なら、それをやるかと言えば、過去にはよくやった。
本当に、何回もあったことだ。
ファミレスで一緒に食事をしたら、カレードリアにタバスコが入っていたり。
ラーメンの中に、大量の一味を投入されたり。
この感覚は、たしかに懐かしいのだが。
-
「ま、まみ……」
ま、まみみ〜〜!!といつもの叫び声をあげられないのは、困惑があればこそ。
いたずらをする子ではあったが、今する子では絶対にないと。
彼女がそういう風に弁えた聡い子だと知ってたのだが。
今、やるか?
それが信じられず、呆ける事態となった。
自分で言うのもなんだが、彼女は余命いくばくもない者にこんな事をする子では……。
「えい」
ひょいっと。
まるで無造作に。
犯人を確保する女刑事のように、手際よく。
缶を取り落として、大きく隙ができた右手を、摩美々の手が取った。
「捕まえました」
右手が、摩美々の細い手にがっしりとホールドされていた。
とても絶望的な宣告。
何だったんだという現実感の無さ。
それだけはできないんだと、あれほど伝えたのに。
なまじ『頭を冷やす』という行為を、直前に比喩でなく仕掛けられたために。
『そんな……』と動転した声を出すこともできず、ただ茫然として。
しかし、いささかの揺るぎも無い摩美々の声がすぐに届いた。
「救われたくない気持ちも、事情も、分かりました。
その上で、私がこうしてる理由ならあります。
でも、説明してる間にジタバタされても、もっと身体に悪いことになりそうなので…。
『別にあなたは救われてない。ただ罠に引っ掛かって無理やり捕獲されただけ』
そういうことにして……先に話を聞いてください」
『暴力で意に反して捕まった』という体裁に持って行くための、空気が読めないまでの悪ふざけ。
いや、さすがにそれは屁理屈だろうと抗議したくも、摩美々はこんなに理屈が先行する子だったろうかという違和感もあり。
しかし相手に負い目を与えないためにあれこれと小理屈をつけるあたりは摩美々らしい気もした。
少なくとも、『人に気を遣わせないために気を遣う』子だったのは覚えている。
「さすがに病人みたいな人に炭酸水ぶっかけるのは、ぎりぎりシャレにならないとは思ったんですけどねー……」
「それ以上に時間がない非常事態だし……私は何するか分からないって、作戦会議のときに予告はしたんで」
にちかとのハラハラしたような遣り取りにかぶせるように、さらに背後の傭兵が会話に差し込みを入れた。
「先に釘を刺させてもらうぞ。
この子らは絶対に言わないだろうが、今のあんたはそもそも死に方を選べる立場じゃない。
地獄に落ちるのも、言いたい放題に言われるのも避けられないが、握手だけは避けられる……なんて都合が良すぎるとは思わないか?」
-
情け容赦の一切ない正論だった。
なまじ『もう一人のにちかのマスター』という恨まれて当然の立場があるだけに、何も言えない。
『その少女が絡む一点だけに限れば、彼は方舟のスタンスから半独立している』ことは東京タワー地下の戦いで知っている。
「でも……俺の手で、摩美々の手を汚してしまった」
「それがー……プロデューサーがいない間に、こっちも色々ありまして。
昔たくさん殺したーって言ってたサーヴァントさんと、フツーに手を繋いでたり。
未遂に終わっちゃいましたけど、あの新宿事変を起こしたマスターさんともそうしたかったり。
失敗もバッドコミュもしたけど……でも今さら、人を殺した人と手をつないで、汚れるかどうかの所にはいないんです」
だからまずは話を聞いて。
そう訴える裏側で、本音は煙に巻いてしまいこんでおく。
――君達の手は取れない。俺は、救われる事だけは出来ないから
(裏返せば『君たちの手を取れば俺は救われるんだ』って……かなり、殺し文句ですよねー……)
そんなことを言われたら、真っ先に掴まずにはいられない。
そう思っていたけど、さすがにこれ以上『お前の自業自得だ』という意味合いの言葉を重ねるのは憚られた。
片手を繋いだままである限り動けない摩美々の後ろから、にちかが「今度は本当に普通のですよ」と改めて缶を差し出す。
今度はちゃんと、プルタブのあらかじめ開けてあるリカバリーソーダ(赤)を。
「なんで君たちは……こんな奴に、こんな至れり尽くせりなんだ?」
なけなしの使命感として、飲み物に口はつけながらも。
救われること自体には、やはり納得していない。
ズタボロのメタメタなのに、そんな頑固さだけはある声で彼はそう言った。
「まず誤解がないように言っときますケド……怒ってはいるんですよ、わたしたち」
「ですねー、もうめちゃめちゃに怒ってると言っても、言い過ぎじゃないです」
ちら、とにちかが摩美々に促すような目を向ける。
自分がさっきかなりのことを話した分、今度は摩美々の番だと言ってくれているのだろう。
内心でありがとうと頷き、もう話をするのを待ちに待っていたのは本当なので、厚意に甘える。
「話を聞きたいと言われたので、もう正直に言っちゃいますねー。
あのお別れの動画のメッセージは、かなりショックでした」
「ああ、うん…………さすがに徹底的に突き放した、自覚はあるよ」
「もう私達のところに帰って来ないって言われたことも哀しかったですけど。
それよりも、私達のプロデューサーを、あなたが死なせようとしたことに一番怒ってます」
――君達のプロデューサーは死んだものと思ってくれて構わない。
あの時点で、かつてのプロデューサーは本当に死んでいたのか、面影もなくなっていたのか。
まずその時点で色々と疑問というか『違うんじゃないかなぁ』とは思っているけれど。
どっちにせよ、プロデューサーが、『皆が大好きだったプロデューサー』のことを。
目的のために殺してもいい男だと思っていたのは、確かな事で。
-
「プロデューサーの命が……プロデューサーにとって軽かったことが、哀しかったですね」
「…………」
「あなたが覚悟していた糾弾と、違うところを責めてるのは、分かってますよ」
「まぁ……さすがに、裏切りを責めるような言葉の方を……覚悟していた、かな」
「そっちをあれこれ責めた方が……プロデューサーさんも気が楽になりますよね。
楽にしてあげた方がいいのかもしれないとも、思いましたけど。
でも、あの動画が出たあとのチェインでも、みんな責めるより『何があったの?』って心配してたから。
さすがにそれを無視して、『みんな裏切りにショックを受けてました』とは言えないですねー……」
「つまり、完全に裏目だったってことか…………俺が皆を、突き放したのは」
「あんまりプロデューサーさんの良心をえぐり続けるのもアレなんで……。
心配したってことだけじゃない、ただの恨み言も言わせてもらいますね」
たとえプロデューサーが、今にも生き恥で死んでしまいそうな顔をしていたとしても。
摩美々は、『貴方はとても愛されていました』という事実だけは、偽ることはできなかった。
それを伝えようとしたのは、摩美々だけでなく他のアイドルたちも同じだったのだから、なおさら。
『その上で伝えたい事』がこの先に控えていたというのもあるし。
ただ、その話をする前に、『これまで目をそむけていたものを見せてくれ』という彼の要望も叶えるため、話題を変えた。
「私と真乃の家族(サーヴァント)に、『いなくなれ』ってスタンスだったことは、フツーに怒ってますよ」
聖杯を狙うために、アイドル達のサーヴァントを斃した。
それだけなら、まず聖杯を狙う是非から始まる話だし、そもサーヴァント側も覚悟して応じたという経緯を無視して彼だけを責めたりしない。
あの頃のプロデューサーたちが『せめてマスターであるアイドル達だけでも助かってほしい』と必死だったことは分かっているし。
それだけ追い詰められていたプロデューサーの孤独を、誰かが掴んであげなきゃと思った気持ちは今でも変わりない。
「プロデューサーは、余裕がない中で、命を懸けて、私達を一人でも助けようとしてくれた。
その為にやったこと全部は肯定しないけど、それだけ心配してくれたことには『ありがとう』って思ってるんです。
でも、私も、真乃も、一か月ずっと一緒にいて、支えてくれた人のことだから。
私たち、もう一人のにちかとだって、仲良くなっていたから。
『サーヴァントが一緒にいるより、はぐれマスターにしておいた方が私達のためになる』なんて。
そんな理由で、本当にそんな理由で、あの人を狙ったのも、にちかが死ぬことになったのも、怒ってますよ」
プロデューサが襲ってきた事情に脅迫があったことは察しているし、襲ってきたこと自体を今さら咎める気持ちにはならない。
でも、メールでも彼のランサーも『アイドルのためにサーヴァントはいない方がいい』という態度だったことには、腹に据えかねるものがある。
「すまない。そこは本当に……返す言葉は、無いよな。
君たちからすれば、俺にとってのランサーを『これ以上は役にたたないから』と殺されたようなものだから」
そもそも一か月事務所を離れていた奴が『戦いから身を引いた方が君たちの為だ』なんて押し付けること自体がお門違いだった。
そう独白したのは『プロデューサーを辞めた自分が、こうした方が身の為だと押し付けた』ことに矛盾を感じるほどの、とてつもない生真面目さゆえか。
「プロデューサーらしくないやり方、ではありましたね……。
プロデューサーは、アイドルの話を聴かない押しつけは、しない人だから」
-
自分の考えた最適の、生存戦略という靴に合わせろと。
こうすれば、この芸能界(セカイ)で生きていけるのだから、ただこちらの方針に従ってほしいと。
それがかつてのプロデューサーが、もっとも忌避しているやり方だったし、だからこそ今までの彼もまた『合わない靴』を履いていた。
「たぶんプロデューサー……嫌われようと、してたんですよね」
「ははっ……そうだな、君たちから『以前のプロデューサーはまだ死んでないんだ』と思われるわけには……いかなかったからな」
プロデューサーという仕事は、誰かを巻き込んで初めて成立するから。
彼は自分の見たい結果をもたらす為に、誠意を示して、人の協力を請うことができる。
みんなが彼の為なら少し位がんばってもいいかと思うようになる。
それが貴方の持つ一番大きな力だったから。
だからこそ海賊陣営の所に行っても、『人質になる』ことを抜きに価値を見出された、渡り合えていたし。
その一方で彼の立ち回りは、『かつての知り合いとその縁者に関すること』にだけ限定して、精彩を書いた。
アイドルに対してだけは、彼はいつものプロデューサーらしく振舞い、自分の罪(やるべきこと)に巻き込むことは、できなかったから。
「……だから、そうやって全部自分だけで背負ったことに。私たちは……一番、怒ってるんですっ!」
今だってそうですよ。
無関係な人を犠牲にしたから救われることができない、という話なのに。
貴方は、今まで何を背負っていたのかを。
自分が何をしたのかを、打ち明けてくれないじゃないですかと。
泣いてしまったせいで言葉を止めることだけはできないから、かなりぶつ切りに、ぽつぽつと訴えた。
「三人、殺したんだ。予選で」
「……はい」
「最初の子は、君たちと変わらない年の少年でね。
ただ、生きたいと望んでいただけの子だった。
悪い子じゃなかったんだ。同盟さえ組もうとしてた子だった。
……そんな子に、俺は殺意を向けた」
「一人目から…………重たい……ですね」
「他にも、俺のせいで犠牲になった人がたくさんいる。
事務所の子たちもそうだし、『海賊』にいる時も、そうだ。
他のマスターと協力して、女の子のマスターを一人殺した。
最期に一緒にいた友達を突き飛ばして庇うような、そんな気立ての良さそう子だった」
「はい」
「……摩美々たちだって、ずいぶん色々あったみたいじゃないか。
たくさんのお別れをした摩美々に、これ以上の犠牲を乗せるなんて、できないよ」
「お別れしたのは本当ですけど……一緒に背負う人がいなくなった、とは思ってないです」
『アンティーカー───!!』
ついさっき、恋鐘と一緒にいたあの時、手と声はたしかに五つあったから。
それを忘れなければ、私はきっと自分だけで背負っているとは思わずにいられる。
「プロデューサー、言ってたじゃないですか。
『仲間になれると思った』から、皆を集めたんでしょ?
だから仲間が間違えた時に……誰かだけのせいってことはないです。
だって、ここまでプロデューサーが拗れる前に……もっと、話し合うべきだったし。
事務所が閉じて会えなくなるまで、いくらでも踏み込めたのに、そうしなかった」
「その……摩美々がそこに、責任を感じてくれたことまでは否定しないよ?
でも、この世界にいた俺は、仲間として、プロデューサーとしての仕事なんてしてない。
全く役立たずで、この先さえ一緒にいられないのに、業だけは押し付けていくなんて。
……そんな救われ方をしたら、それこそ俺は俺を許せなくなる」
「そうですね……手を掴んでいても、一緒に分け合おうとしても。
……そこにプロデューサーが納得してなかったら、意味がない」
だから話は、いったん区切り。
俺はどうしてもそちらには行けないのだと、プロデューサーは拒絶する。
摩美々はいつだって、『こっちに来ていいんだよ』というドアは開けておいた方がいいと思っているけど。
同じドアをくぐれないという信仰を相手が持っていたら、その光が行き届かないことも、分かっていて。
-
彼に体温(ぬくもり)を与えたとしても、それを彼が享受しないなら、どこまでも彼との間には並行線が横たわるのみ。
守るなどと妄言を履き散らかし、それさえも尽くしたい相手には余計なお世話だった男に巻き込まれて、一緒に堕ちるなと男は語る。
でも、まだだ。
「だけど。プロデューサーは、もしにちかが自分の勝手な事情で家出してて……とことん堕ちた結果で、人を殺したら。
よくもはづきさんを裏切ったな、とかで嫌いになったり……そんな子は救われちゃいけないって、そう言うんですか?」
アイドルは、他の人達の犠牲にまで、全てに許しを与えられる女神ではないけれど。
にちかの為に皆がさんざん迷惑をかけられた、というなら。
せめて、『その結果はにちかの為になるのか』と、迷惑はかけよう。
それに対して帰ってきたのは、溜め息だった。
苦笑にさえならないし、苦笑するほどの元気も残ってない。
ただ、『そんなたとえ話を前提にして考えることはできない』という拒絶。
「そのたとえは、いくら何でもにちかに失礼すぎるよ。
俺がにちかのプロデュースを失敗したから……にちかの役に立てなかったから。
だからにちかは出て行ったんだ。仮定であっても、にちかに罪があるように言うもんじゃない」
そもそも自分がにちかに対して役立たずだったからこんなことになった、そこを取り違えてはいけないのだ、と。
あの無意味でくだらないプロデュースを否定して、彼女をやり直させたかった。だから自分はこんな事を始めた。
その原点を、もはやにちかに全て捧げることは『贖罪』ありきだと結びついてしまった『役立たずの狛犬』としてのこれまでを。
『にちかが幸せになれないのが理不尽ではなく、彼女自身の落ち度だったならば』なんて想像をすることはできない。
罪があるとすれば、子どもにそこまで思いつめるほどの選択をさせてしまった大人の方なのだから。
「だったら、本人に聴いてみればいいじゃないですかねー?」
けたたましく突き刺すような。
プロデューサーをしていた頃に何度となく聴いた。
むすっと機嫌の悪い声が割り込んだ。
彼の期待に反して。摩美々の期待通りに。
-
「ずばり七草にちかがここにいるんですけど。
本人がその場にいるのに、本人をスルーして『きっとにちかはこう思って出て行ったんだ』とか。
そっちの方が、よっっっぽど、失礼じゃないですか?」
ふんす、と鼻息を荒く。
腰に手を当て、両足をやや広げて立った仁王立ちに近い形で。
『なぜ七草にちかはあなたの元から去ったのか答えよう』と、とんでもないことを彼女は言う。
「君は……失踪した……俺にとっての、にちか、なのか?」
その確認は、もはや彼にとってブラックボックスだった。
もはや確かめる気も起こらず、野暮といってさえ良かったかもしれない。
この世界に、にちかが何人もいると知ったばかりの頃は、『自分にとっての彼女がいるのか』を気にしていたけれど。
にちかは幸せになる、という答えについては共通の答えなのだろうと確信を得られた今、改めてそれを問う必要はなかったし。
『久しぶり……じゃないか』と別人を匂わせる発言もたくさんあったのだから、たぶん違うんだろうなと思っていたけれど。
「それはどっちでもいいです」
しかし、彼女はすげなく真実を拒否した。
そこは『なぜ当人に聴かないのだ』という質問に答えるために、むしろ必須事項だと思うのだが。
「だいたい、私、WINGに敗けた日に事務所から帰る途中で、他のサーヴァントにいきなり予選一発目で襲われたんですよ?
運よくライダーさんが来てくれたけど、死にかけたし、めちゃくちゃ危なかったんですからね。
気が付いたら頭の中に聖杯戦争の情報がたくさん詰め込まれてるし、ライダーさんはまた夢を叶えようってなんだか口が上手いし。
その後ずっとお姉ちゃんとも暮らしてたんだから、一か月前に手紙を書いた気持ちなんて、もし当人でもとっくに思い出せないですよ」
どっちなのかという核心部は重要じゃないという小理屈をあれこれ並べた上で。
「でも私は『あなたのプロデュースしたにちか』が、何て言うかは知ってます」
あまりに断言するものだから、力の入らない身体でなお困惑するしかなかった。
「俺が知ってるあの子は……そんなに、自分を見つめるのが得意じゃなかったよ?」
「私も、得意じゃなかったですよ。でも最近、色々ありまして。
もう一人の私もそうだけど、けっこう価値観違いめの知り合いが増えたりとか。
本当に最近、なんか、自分そっくりだなっていう人を見かけたりもして。
……一番最悪な時の自分って、なんかこういう事するやつなんだなって」
彼女のそっくりさんが、そうそういるとは思えないけれど。
そう思う自分をよそに、彼女はこちらに近づいて、膝を折り曲げぎみにして。
ものすごく、こちらを凝視するように監察するように見据えて。
「だから……私がプロデューサーさんのことをどう思ってたのか、言わせてもらいます」
ついでに、まだ言ってなかったことをはっきり言わせてもらうので、と。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
決着をつけるためのそれぞれの戦いと会話とに、至る前に。
七草にちかも、未だ知らないところで交わされた会話の続き。
『片翼。その仮説が正しかったとして、一つだけ腑に落ちん存在(モノ)がある
……いや、違うな。存在しないからこそ腑に落ちないと言った方が良かろう』
『存在してしかるべき存在……それはもしかして、【WINGの決勝を敗退した七草にちか】のことか?』
『その通り。界聖杯が【可能性の培養環境】を優遇するというなら、事の発端となる者は存在させて然るべきではないか』
-
世界の真実についてはなるほど分かった。
しかし、それを彼女らの物語に当て嵌めてみれば、看過できぬ違和感がある。
ましてそれが『七草にちか』の物語を左右する違和感であれば、他らなぬアシュレイもまず発想して然るべきことだと。
頷き、その違和感は誤っていないという確認のためにアシュレイは語る。
『まず、【七草にちかがWINGを決勝敗退し、失踪した世界】……仮に【失踪世界】とでも呼ぼう。
界聖杯に可能性を見出されたアイドルの『器』は、失踪世界から偏って蒐集されている。これは事実だろう。
少なくともそうではない世界から来た関係者、幽谷霧子、二人の七草にちかそれぞれには、同じ世界から訪れた知人の実例が無い。
一方で失踪世界から来た者は、これまで判明しただけでも櫻木真乃、田中摩美々、プロデューサー、そして推定白瀬咲耶がいる。』
『白瀬咲耶なる故人と我々に一切の面識はなかったはずだが、そこに含められるのか?』
『一応283プロに関係するマスターの来歴については、世田谷のアパートにいた時にかなり詳しく聞き込んでいるよ。
そこで摩美々さんから【今思えば、いつにも増してはづきさんに優しくて、働き過ぎを心配していた】と聴いている』
『失踪世界の住人であれば、そうもなろうという事か』
故にこそ、【界聖杯は失踪世界にこそ多くの可能性を拾った】という前提を元に先の論は展開される。
『可能性がある世界……と言うよりは【願望機を求めようとする動機がある世界】ぐらいの眼の付け方かもしれない。
【奇跡でも無ければもう一度前に進まない】というのは、プロデューサーに限らずあの世界の関係者の総意だったようだから』
もちろん、その為に犠牲を払っても良い者となれば、さらに絞られることは確かだけれど。
『願望を持たない者より、持つ者が優遇して吸い上げられるか。さながら選抜基準を設けた第二太陽(アマテラス)だな』
『飛躍した仮説だという自覚ならあるよ。そして新たな疑問も生まれる……お前が抱いた違和感もそれだな』
そこまで『願望機に至ろうとする動機の有無』と『培養環境の構築』を基軸として世界を創り、可能性の器を集めるというならば。
やはり、『アイドルを目指さなかった七草にちか』であったり、『決勝戦に至らず失踪していない七草にちか』であったりを蒐集するよりもまず。
『アイドルになれなかったことで決定的に挫折し、失踪した七草にちか』を、この世界の『元アイドルにして七草はづきの妹』のロールに据えるべきではないか。
失踪世界の七草にちかであれば、聖杯を求めようとする動機も、他のアイドル達やプロデューサーと係わるだけの因縁も、まず申し分は無い。
少なくとも界聖杯は、NPC配置にともなうバグもあったとはいえ『二人以上の七草にちか』を確保するだけの関心を彼女たちに示しているのだから。
『俺としての結論を言う前に……状況証拠から出させてくれ。
【界聖杯は、招いた器が聖杯に託す願いの有無と具体性を見抜いている】という根拠だ』
『何処からだ?』
『俺に残された資料の中には、MとWとの通話記録がある。そこに、櫻木真乃さんの証言も併せた結果だ。
Mの陣営には、【星野アイ】というマスターがいる。少なくとも今朝の時点では。
そのマスターは、運営に自らの願いを把握されているとしか思えない環境(ロール)を与えられているんだ』
星野アイは若干二十歳のアイドルにして隠し子を持つ母親であり、その愛する我が子こそが戦う動機である。
それはかつて二匹の蜘蛛が双方ともに太鼓判を押した【推理】であり、櫻木真乃がその愛に触れた【推察】でもある。
そして、それを前提とする推察がもう一つある。
星野アイの動機であった、その『隠し子』は、この世界においてNPCとして存在しない。
苺プロダクションの人々、B小町のメンバーといった彼女にとっての日常は再現された上で、我が子だけが欠落している。
我が子にあたりそうな年頃のNPCが星野アイの周囲には存在しない、という事実は二人の知恵者の通話記録でも触れられていたし。
何より苺プロに愛する我が子を残していたのだとすれば、都内のNPCが大量虐殺される中で拠点に身を潜めることは母として難しい。
『これは明らかに恣意的だろう。星野アイさんのモチベーションと直結するNPCだけが、初めからいないものと設定されているんだ。
【星野アイの動機を把握し、我が子との再会が叶う環境に置かない方がいいと判断している】以外には説明がつけられない』
『理解した。界聖杯は、器の抱くであろう願いに応じて、再現元の世界から設定を改変している、と』
『ああ、だから、ここから先の仮説は全部それを前提にする』
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界聖杯は、参加者ひとりひとりの動機に対応して、相当に細かい事情の斟酌と対策を施した【設定の改変】ができる。
それが行われているならば、283プロダクションを巡る設定(ロール)の複雑さにも見えてくるものがある。
『これはWの言っていたこととも重複するが、【283プロダクションを用意しない】という選択肢は界聖杯にとって有り得なかった。
アイドル達の、人としての可能性をこれまで養ってきた土壌なんだからと、事務所単位で移植する必要ありと判断されたんだ。
俺も283プロにまつわる事情について詳しく知ったのは昨日からのことだけど、相当に特異な事務所だったことは間違いないんだよ。
徹底したアイドルファーストの姿勢と、良くも悪くも『仲良し事務所』と評判になる甘さ。事務所の方針押しつけを断固として避ける潔癖さ。
たぶん283プロ以外の移籍先を用意してそこで芸能活動をさせるようなロールでは、育成ノウハウはとうてい再現できなかったんだろうな』
そして。
ここから先は、その都合に合わせて設定(ロール)が改変される。
『283プロダクションという環境を用意するためには……。
【七草にちかの失踪によって事務所が閉じている】という設定(ロール)を採用することができなかった
七草はづきの発病と、天井社長の挫折。この二つは、にちかが失踪すれば不可逆で発生してしまうからな』
失踪世界から招かれたプロデューサーが欠勤するかどうかまで、界聖杯が見越していたかは分からない。
だが、この世界では設定(ロール)こそ用意されるけれど、そうやって創られた社会が壊されること自体は容認される。
はじめに開業している事務所(モノ)さえ置いておけば、そこが閉鎖しようが壊れようが参加者の選択の結果として放置されただろう。
そもそも開戦時にたしかに存在していれば、どんなに脆い土台の上であっても【縁故の者同士が交流する】という目的は果たされる。
『かといって、【にちかが優勝した世界を採用する】だとか【事務所に入らなかった世界を採用する】こともできなかった。
それは、きっと星野アイさんの子どもがこの世界で再現されなかった理由と同じなんだ。
七草にちかを、願望機によって幸せにするために戦おうとしている参加者(プロデューサー)がいる。
だから『選択しだいで別の人生をまっとうしている七草にちか』なんて設定を、見せるわけにはいかない』
結果的に『もう一人の七草にちか』を見たことは、プロデューサーにとって却って刺激となってしまったけれど。
そもそも『奉仕対象は聖杯が無くとも幸せになれかもしれない』と思わせる余地など、運営にとっては無い方がいい。
『だから、【失踪】という事件だけを排除した上で、【にちかは幸せになれてない】という世界にする必要があった。
そこで作り出したのが、【決勝戦に進出する前にアイドルを辞めて、失踪までには至らなかったにちか】がいる世界だ』
七草にちかの敗退と挫折だけを採用し、失踪するほど思いつめたという経緯を削除する。
そのやりくりをした結果、七草にちかは準決勝の時点で敗退しているという設定(ロール)ができた。
なるほどと納得した話し相手は、しかしすぐさま意を汲んだ追及を切り返す。
『貴様……【採用した】とは言わず【作り出した】と言ったか?
まるで、この世界はどこかの再現ではなく、無から設定を生み出したかのような言い様ではないか』
『……理解が早くて助かるよ。っと、これは皮肉じゃないぞ。
いきなり切り出すには衝撃が大きいことだから、白状する機会ができて良かった』
咳払い。
ある意味では、ここから先にあるだろう真実こそが。
七草にちかという少女に奉仕していた、これから対面するプロデューサーの主従にとっては重要だ。
-
『ここまでの仮説が全て通ったとして。
おかしいのは、俺とマスターが出会った時のことだ。
何故なら……俺たちは、WINGを敗退した彼女が帰路についた直後に出逢ったんだから』
『其処に何か不審があるのか?』
『これは世田谷のアパートで、ここ一か月の283プロの運営やら何やらの話と一緒に聴いたんだけどな。
本来の283プロの事務所は、東京都【二十三区外】の、聖蹟桜ヶ丘という土地にあるんだそうだ。
……じゃあなんで、俺のマスターは元の世界の事務所を出てすぐに【二十三区内で】襲われて俺を召喚したんだ?
そして何故これまで、283プロが初めから中野区にあったかのように違和感を口にしなかったんだ?』
『…………』
『俺が抑止力だった時のことを覚えていないように。
俺の契約者であるマスターの記憶にも、齟齬がある』
もともと、『七草にちかはたしかに準決勝敗退を経験した』という事実を保障するものは、七草にちかの記憶のみ。
あとは強いて言えば、『WINGの準決勝を敗退した帰路で、そのままサーヴァントに襲われるという形で呼ばれた』という状況証拠がせいぜい。
『NPCは設定(ロール)を己の記憶だと認識する』『予選以前に一次審査が行われている』という前提条件が加われば、それらは覆される。
『……大切な人の記憶が弄られてるかもしれないってのは、不愉快なもんだな。
蝋翼になってた俺と再会した時のナギサたちの気持ちが、今はもう少し分かったかもしれない』
アシュレイ・ホライゾンが想像するマスターの辿った経緯とは、つまりこういうことだ。
七草にちかは、WINGの準決勝を危なげながらも『勝ち残った』。
未だに八雲なみのステップを取り入れてノイズが生じるという悪癖は顕在だったけれど。
その上で当時の審査員はなお響くものがあったのかトップアピールの配転を与え、決勝のステージに進ませた。
――ごめんな――――もう、笑顔じゃなくたっていい
――大丈夫だ、仏頂面してたって
――笑えとか…………笑うなとか
――鏡見てきます…………
そしてそこから先は、かのプロデューサーが眼にした顛末と同じものとなる。
七草にちかは彼女のものだったロッカーを片付け、シューズを廃棄した。
プロデューサーと言葉を交わすことなく、283プロダクションを去った。
やがて『夢を見て、ごめんなさい』という書置きだけを残し、失踪する。
その家出に至った心境は、アシュレイには正確に判断しきれないけれど。
けれど彼女の物語は、挫折をした果てに失踪を遂げた旅路としては締め括られなかった。
万能の願望機に挫折と燃え尽きた痕に残った燻りの願望を掬い上げられ、箱庭に招かれたのだ。
初めは、『WINGの準決勝を敗退した後、失踪もせず実家住まいをしている』という設定(ロール)を与えられて。
すぐに『可能性の器足り得ないノンプレイヤー』だと篩を落とされ、設定(ロール)としての記憶を己のものだと上書きされて。
-
『七草にちかは、自分の設定(ロール)を疑わないNPCにまで、一度落とされている。
この前提があれば、齟齬はすぐに解けるんだ』
端的に言って。
七草にちかは、本来であれば新人アイドル登竜門の決勝戦にて敗退を経験した世界の住人であり。
櫻木真乃や田中摩美々ら、何より失墜したプロデューサーと同世界の人であり。
それが界聖杯の篩分けによる『NPC化』の境遇に堕とされた際に、『界聖杯内界の設定(ロール)』に適合させられた。
結果として、傍目から見れば『己の境遇を優先した設定(ロール)を作ってもらったかのようなマスター』が生まれたのではないか。
『俺のマスターの境遇に合わせて、この世界の設定が作られたんじゃない。
界聖杯の都合で作られた設定に、マスターの記憶の方が巻き込まれていたんだ』
『ならば蝋翼に堕ちた歌姫たちの導き手は、違いなく己が愛した女と同じ舞台にいたということか』
『ああ。プロデューサーの方が、俺のマスターを自分の世界のにちかだと認識してるかは分からないけど
……でも、プロデューサーの認識がどうであったとしても、今のにちかが出す答えは変わらないと、俺は思う』
何故なら七草にちかはもう、『自分』を見つける一歩を踏み出しているから。
他のアイドルと係わり、鏡に映したような自分自身と係わり、誰かと対話することを知り。
プロデューサーという他者から見た自分を知り、結果として自分自身を見つめなおしたから。
七草にちかは、きっと『決勝を敗退した七草にちか』が何を想っていたのか、もう知っている。
だから今のにちかは『七草にちかが失踪した理由』だって、たとえ覚えてなくとも答えられる。
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「結局、WING決勝まで私はなみちゃんのステップに頼って。
……それで、順当にツケが回ってきたって感じだと思うんですよね。
アレさえなかったら絶対に勝ってたって言ってくれた人がいて、そう思うようになったんですけど」
すらすらと、言葉はつい昨日体験したことのように口から出てきた。
よくもまぁ見てきたように、と昨日までの自分が見ていたら呆れそうなふてぶてしさだけど。
なぜだろう、嘘をついてるとか、口からでまかせを言っているという感覚はない。
存在しないはずの記憶を、今思い出したような既視感ともまた違う。
言うなれば、『七草にちか』という少女はこうだったんだろうなという確信のような、直観のような。
少なくとも、決勝でもなみちゃんのステップを踊ったのは絶対にマジだろうなと思っている。
ファンができたんだと直視する前の自分に、そのステップを外す度胸があったとはとても思えない。
「……悔しいとか哀しいって言うより……あー、これで終わった、って感じだったんですけど。
これで、自分はなみちゃんでもアイドルでもないって思いながら、踊るのは終わったんだなって。
そんなことを考えてるうちに……ごみ箱にシューズを突っ込んだりして……」
-
『準決勝を敗退した記憶』と、『失踪した七草にちかの話』との間でくい違うところに、思いを馳せる。
その時の七草にちかに寄り添うことは、思いのほか難しくなかった。
世田谷のアパートで事情を聴いたときは、『その世界の私は何やってんだ』とひっくり返ったというのに。
きっと、『追い詰められた七草にちか』にそっくりな人が、目の前にいるからだ。
ああ、自分は役立たずだって思いこみながら無茶しすぎる人は、近くで見たらこんな風に見えるんだなって。
目の前にいるボロボロの人と、過去の七草にちかの姿と、その人達はどんな痛みを抱えているのか。
だんだんと像を結んで、心の痛みがじくじくと伝播する。
それさえも分かったふりかもしれないけど、これが共感だったらいいなとにちかは望む。
「プロデューサーさんが、いつもみたいに暗い顔して私のところに来るんだろうなって思いました」
待ってました、とは言わない。
少なくとも当時の自分は、『待ってた』と言えるほど露骨に甘えることは良しとしていなかったと思う。
けれど。
来ることを疑っていたかと言えば、疑っていなかったと思う。
少なくとも『準決勝までの記憶』の時点で、それぐらい誠実な大人であるように見えていたし。
苛立ちや悲しみを、迷惑にぶつけるしかできないのに。
それでも、誰もいないより、そばにいてくれた方がうれしい。
七草にちかは、そんなわがままな女の子だから。
「プロデューサーさんは、私のところに来ませんでした」
だからきっと、そのぐらいに些細なきっかけだったのだ。
七草にちかが家出に至った心境は、書置きをのぞけば一切不明。
WING敗退に『彼女と深く話した人間はいない』ため、彼女の悩みについてはブラックボックスの中だと。
その失踪の経緯を聞いた上で、ひとつ勘付いたことがあった。
審査をひとつ勝ち上がるたびに、プロデューサーは必ずにちかの元に話をしにやってきた。
……にちかはそう覚えている。
もしかすると、その決勝戦後に限っては、プロデューサーはにちかの元を訪れなかったのではないかと。
どんなアイドルとのコミュニケーションにおいても必ず行われていた過程が、その時だけは欠けた。
「あの頃の私は、今にもまして面倒くさいやつだったので……」
そして、それならばとにちかはトレースできる。
『追い詰められた自分』の前にそんな状況が提示されたら。
この世界に来るまでのにちかならどう受け止めるだろうかと。
-
「ああ、とうとうプロデューサーさんも、私に愛想を尽かしてくれたんだなって思いました。
そうですよね。私、めちゃめちゃ当たりがきつかったですもんね。
当時の私、ほんとうにめちゃくちゃネガティブでしたから、そんな風に思って。
……それで、あの手紙に、『夢を見て、ごめんなさい』とか書いたんです」
当然、姉が入院までしたのに家を空け続けるつもりなんか無く。
だからきっと、そのにちかが帰れなくなったのもやむにやまれぬアクシデントなんだろうなと思うし。
そのアクシデントみたいなことが無ければ、きっと。
さ迷っていた七草にちかが、またプロデューサーにばったり見つけてもらえて。
もう一度、アイドル七草にちかが始まるような、そんな未来だってありえたかもしれない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「今思えば、声かけられるわけないだろって、感じですよね。ほんとに。
自分のシューズを敗退からすぐにゴミ箱にぶちこんでるアイドルなんて、声かけづらすぎますもん」
君はアイドルになれると。君の姉は必ず俺が説得すると。君は最高のアイドルだと。
そう告げるつもりだった。
彼女が、自らのシューズをゴミ箱に捨てる姿を見るまでは。
そこで、世界は分岐した。
「もし、あの夜にプロデューサーさんと会話することがあったなら。
たぶん、『もう何も考えられないやー』とか言ったりして。
ロッカーも片付けなきゃですねー、みたいな無駄な空元気で喋って。
それでも、このまま家に帰るしかないんだなって気持ちになって。
……けど、夢をまた諦めきれなくなって、お姉ちゃんに頼んだりして。
きっと、それだけのことで終わってたと思います」
それは七草にちかが、WINGの決勝戦を負けた場合の話ではあるのだろう。
しかし、七草はづきからいつも通りに『プロデュースお疲れ様でした』と労われて区切りがつく、そんな結末。
ずっと『どうしてだ』と問いかけ続けていた、七草にちかという箱の中身は。
いざ答えを聴いてみると、不謹慎ながらも呆けたような気持ちになった。
あっけなさ、と言ってしまっては本当に失礼だが。
何度も何度も、視界の端にいたにちかの幻影から聴いていた恨み言のような、憎しみは一切ない。
「そうか……」
けれど、目の前の彼女が嘘をついているようにはとても見えなかったし。
ならば真実はそうだったのだろうと受け入れる。
つまり、己がアイドルとのコミュニケーションを決定的な場面で怠ったのが敗因であったのだ。
最終的に事務所が閉鎖され、多くのアイドルの未来が閉ざされた過ちの原因は、やはり己にあったのだと納得があり。
「結局、ぜんぶ俺のせいだったんだな――俺がにちかと話せない、役立たずだったから」
己の罪状はいっさい詳らかになった。
俺は、大事な人間が心を危うくしている時に、そばにいないような奴だったのだ。
やはりそんな男は、救わ「違いますよ、全然そこじゃないですよ今まで何を聞いてたんですかバカじゃないですか?」
-
今までで一番の暴言が、食い気味に、ものすごい早口で飛び出した。
もうこれ以上の自傷の連鎖など、一切を終わりにしようとばかりに。
「私は、ささいな行き違いの、ちっぽけな家出だったって言ってるんですよ?
私がバカだったのも、ほんとのことですけど」
「あ、ああ。それは俺がにちかを一人にしたから――」
「そうなるぐらいには、プロデューサーさんに甘えてたって言ってるんですけど」
……もしかして今にちかから、普段なら絶対に聴かない言葉を聴いたか?
にちかが、自分に、甘えていた。
その言葉のインパクトだけで、空いた口がふさがらない。
「最後の最後に、行き違いが起こっただけです。
だからわたしが、プロデューサーさんにプロデュースされた時間は、間違ってなかったって言ってるんですよ。
さんざん迷惑かけたし、黒歴史もたくさんあるけど、けっこう大事な思い出なんです」
思い出づくりに、事務所に来たわけじゃないと、言っていたのに。
いや、そこじゃない。
この子は、いったい何を言っているのだろう。
まず有り得ないような言葉がつぎつぎに飛び出して、意味をつかむために間があいてしまう。
「いや……だってにちかは、さっき、幸せじゃなかったって」
「べつに、お互いに、失敗しなかったとは言いませんよ。
でも私のせいで落ちる気だったものを『俺のせいで落ちた』なんて言われたくないし。
そもそも283にあなたがいなかったら、私の研修採用自体がありえなかったでしょ。
今さらですけど、こっちに来てから283プロも悪くないなって、思えるようになってきて。
ああいう毎日が続いてたら、いつか普通に笑える時だって来てたんじゃないかと思います」
この世界に来てから、憧れるようなったアイドルも増えた。
そのアイドルを望む空に羽ばたかせるプロデュースをしたのは、やはり彼だった。
だったら、誰かが彼にこう言ってやるべきだった。
そして、誰もが彼にこう言ってやりたかった。
けど、彼だけがそれを受け取らなかった。
誰もの想いをまとめて、にちかはぶつける。
「もっと分かるように、シンプルに、はっきり、言います。
あなたは、あなたが言うような『役立たずのプロデューサー』なんかじゃないって言ってるんです。
あなたのことをそんな風に言うヤツがいたら、そいつに私がパンチを食らわせてやりますよ」
あなたは役立たずの狛犬なんかじゃない。
彼だけが彼のことを、そう思っていなかった。
-
「……………っ???」
だから、彼はそう言われて『知らない』という顔をする。
このまま役立たずの何もなせなかった男として死んでいくはずだった。
それを良しとしていたら頬に拳をいきなり叩き込まれたような、間の抜けた顔をする。
「え……いや、だって。……俺は、確かに、人を」
「失敗もやらかしも、人殺しもしたのは分かってます。
でも、あなたは283のアイドルに、たくさん、色々くれた。
プロデューサーとしては働き者で、たぶんすごい人ですよ。シンプルなことじゃないですか」
だからこれを、たとえ貴方の命が残り短いのだとしても絶対に伝えなければいけなかった。
だって伝えなければ、あなたは勘違いをしたまま去り逝くことになるんだから。
「いや……だって、にちかはさっき、ファン一号のおかげだって。それは俺じゃなくて……」
「もちろん、プロデューサーさんだけのおかげでここにいるわけじゃないですよ。
でもあなたのした事だって、今日までのにちかの中に入ってます……おかしくないでしょ?」
「だいいち……もう一人のにちかが、にちかを見てファンになったステージってー、WING再放送ですよね。
それって設定(ロール)かもしれないけど、元々プロデューサーが連れて行ったステージじゃないですか」
だったらきっかけはプロデューサーの働きですよ、と摩美々も援護射撃をする。
君たちは強かったと、アシュレイ・ホライゾンは言った。
その強さを磨いたのは、誰と出会ったことによるものだったか。
まだ暗い夜空にひっそりと、輝いていた頃の私達を見つけてくれたのは。
羽に虹が生まれるための魔法をくれたのは、望む空に連れ出してくれたのは。
初めから彼女たちが強かったと言うなら。
初めから彼が、努めを果たしていたことと同義である。
「で、でも、今になって、いきなり、そんなことを……」
「や……いきなりこの話しても、『摩美々は怒ってないの?』って、説得力ないじゃないですか……」
「もし、ですよ。もしも、私の言うことが、言葉だけで納得できないなら……」
はぁ、と心を決めたように。
にちかは膝を伸ばして背筋もまっすぐにして。
「歌とダンスを見てもらう……には狭いですけど。
歌だけでも、聴いてください」
すべての始まりと、同じ提案を持ちかけた。
あの時の倉庫よりもさらに狭い路地裏で。
閉じ込めるまでもなく、動けないその人に向かって。
「きっと平凡な女の子だって思われそうですけど。
あなたから、余計な真似をねじ込むなって言われた意味は、分かるようになってきたので」
既視感に息をのみ、血走った目を見開いたその人は。
「いいのか……?」と、与えられてはいけない機会を貰えたように、身を震わせる。
「聴いてください」
-
七草にちかの、精一杯の声と、最高の笑顔を。
あなたに届けたいので。
「聴いて行けばいいじゃないですか」
プロデューサーの右手の甲を隠すように握りしめて、摩美々は後押しした。
その時間を稼いだもの、リカバリーソーダのおまじないと、『右手に贈ったプレゼント』のことは隠す。
令呪は、素人の手で、おいそれと奪うことができるものではない。
しかし譲渡するだけなら、与える方が手を重ねて譲渡の意思を示すだけで行える。
彼に生じる外見的変化が、過労死や老衰死ではなく『サーヴァントのような消失の前兆』だった時点で。
摩美々は、その消滅が『界聖杯側からの采配』であるならあるいは、といちかばちかで譲渡を実行。
賭けはどうやら成功し、その死因は『マスター権喪失で今すぐ』から『寿命で間もなく』にまでは猶予ができた。
憔悴したプロデューサーは、衝撃の発言の連続で余裕をなくしており、サーヴァントとの念話も遮断。
ライダー達の戦闘もおそらくクライマックスで、それに気づくだけの余裕は誰にも無いだろうともなれば。
このお節介(トリック)をわざわざ種明かしするような無粋を、彼女は犯さない。
ただ、己の言いたいことも代わりに言ってくれたアイドルのステージを促すのみ。
「ここにいるにちかの歌を聴いて、自分がプロデュースした女の子の続きを見て。
『にちかをプロデュースして良かった』って思えたなら、それ以上の納得はないでしょ」
そう言っている間に、アーチャー・メロウリンクがごそごそと気を効かせてくれていた。
手近に転がっていた、黄色い、プラスチックのビールケースをひっくり返し、にちかのそばへと台座のように設える。
なるほど、確かによく声を聴きとるなら、実際のステージのような高低差が少しでも必要だろう。
「ちょっとー。アーチャーさん、気が利き過ぎじゃないですか? 本当にアイドル詳しくないんですかー?」
「いや……酒場だと、歌って踊れる女がいる店もけっこうあるから。割とこういうノリもあるんだ……」
「ああそっか、アーチャーさんも男の人ですもんね」
「情報収集の為に出入りしてただけだからな」
「……どうもです」
背中を押してくれた摩美々たち主従に感謝して、手を握られたままたにちかを見上げるその人に、一礼。
『狂い哭け、お前(にちか)の末路は偶像なんだから』と呟き。
右の拳を胸元でぎゅっと握りしめて、ビールケースへと足を乗せた。
七草にちかは、奈落を上がってステージに立つ。
プロデューサーは、奈落を引き上げられて特等席に座る。
奈落(ここ)を上がって、二人がいる。
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前半投下終了です
後半も期限までには投下します
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後半を投下します
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鬼としての再生能力。
主君たる狛犬の覚悟に応じて獲得した、修羅としての異能。
それらの全てを剥ぎ取られた従者としての狛犬が、最後の決め手として選択したのは己の原点だった。
素流――鈴割り。
ふり抜かれる真剣の側面を捉え、真っ向から拳で叩き追って継戦手段を奪う。
その後、直ちに胴を貫く。
あと数撃も交戦ができるかという崩壊もすぐ眼前にある現状では、『先刻のように何をするかしれない炎刀を叩き折、すぐさまとどめを刺す』というのが最短手であると踏む。
加えて二度にわたる交戦によって、青年の闘法に対して『尋常の剣士よりさらに刀を手放すことへの忌避感が強い』ものがあることを見抜いていた。
おそらく、術理としては鬼狩りの剣士と似通ったものがあるのだ。
得物そのものが特殊な成分からできており、炎刀の威力を生むにあたって貢献している。
通常の日本刀より硬質と視えるあの刀剣を用いなければ、悪鬼滅殺の力を十全に振るえない。
故に、二手で確殺する。
もはやあちこちが空洞だらけになった身体で、最後の羅針を高らかに踏み抜く。
なけなしの闘気探知が、同じくガタガタに不安定になった青年の生態反応をとらえる。
地を蹴った青年の一撃が到達するまでを目測する。
萎びた手足。止まらない出血。
それでも通すべき意地が二人分。
男と男が、心を燃やすために叫ぶ。
「「オオオオオオオオオォォォッ!!!!」」
青年の刀身はすでに血も乾いており、元の銀炎刀の剣尖のみとなっていた。
爆血による火力上限を超えた燃焼で刀剣が灼熱の高温と化し、新たな血を付与してもすぐに乾くような有り様。
もはや雌雄を決するのは、剣戟と鈴割の一騎打ちのみ。
――必ず、捉える。
それが単なる拳士と剣士の決戦であるがゆえに、猗窩座の矜持は奮い立つ。
相手の剣には炎という異能の付与こそあれ、猗窩座にもまた雪の結晶という羅針盤が最期に残された。
その結晶を形作る惜別の懐古を、噛み締める。
劣化した現在の反応速度では、足腰も癒えきらぬような青年の走駆さえ颶風のごとく感じられるからこそ。
この雪が、ともにあってくれて本当に良かった。
おかげで、座したような有り様に戻った窩(あな)だらけの猗(いぬ)は、最後まで鬼滅の刃に追いつける。
-
己の拳は、銀刀を穿てるように動く。
闘気を辿る糸は吸い込まれるよう青年の攻撃の先端へと向かう予測線を描き、勝利を確信する。
だからこそ。
青年は、その予測線ごと覆す蛮行に出た。
「……何!?」
猗窩座の集中が向かう矛先、己の銀刀を投げ捨てたのだ。
なんの未練も無さげに、さっと。
代わりに即で持ち替えたのは、背負っていたもう一振りの日本刀。
白く塗られた拵え。直刃。天をも斬り落としそうな切っ先。
刀そのものが、宝具の位階に達しうる名刀。大業物21工。
光月おでんの愛刀の片割れ、天羽々斬。
(至高の領域にある強者の力か……!)
もう一振りの反抗刀ほど露骨な気配ではないにせよ。
その刀にたしかに宿る『痣者に至った強者』の気配に猗窩座は既視感とともに驚愕する。
同時に。
星の媒介たる特殊合金(アダマンタイト)を失ったことで、即消失にかかっていたアシュレイの星辰光が。
光月おでんの気配に繋ぎ止められるように、天羽々斬に対して、もらい火のようにわずかだけ灯った。
偉大なる海の刀鍛冶に打たれた刀には、使い手の神秘の一部が乗る。
赫色か、黒色かという力の質の違いこそあれど。
持ち手が籠める力の質に呼応して、『色変わりの刀』と成る。
発動体という星辰奏者が力を奮うために常とする鉱石の力はなくとも。
アシュレイが振るう星を、それこそ英霊を斬るために必要な最低限の『神秘』だけが、刀身に乗る。
銀炎は既に無い。
ただ英霊を斬るに要るだけの神秘を残し、あとは刀そのものの斬れ味を信じて、頼ればいい。
選ぶべき型は一つ。
かつてこの世界の最上位、ベルゼバブに対しても。
隻腕、助勢ありとはいえ条件が噛み合い、十全の態勢で振るわれれば正しく奥義として機能した。
心技体、三相合一……駆け寄り、ただ真っ直ぐに胴を両断する為の一刀。
――絶刀・叢雨
その構えを動体視力と羅針の働く限り視界に追いつかせていた猗窩座は。
しかし刹那が万倍にもなる走馬灯のごとき世界において、信じられぬと驚愕した。
(闘気が、消える――!?)
正しくは、消失ではなく薄くなった。
羅針の示した先からふっと身を潜めるように。
その刹那だけ、かつて馬鹿正直に真正面から頚を斬った少年剣士の眼差しを重ねて。
しかし別の生き物になったというほどの異常性は、青年からは発散されていない。
彼自身は、闘気を消せない。
なぜならアシュレイに剣士としての才覚は無いから。
修羅場において呼吸に、痣に、透き通る世界に目覚める余地など持ち合わせていない。
-
だからそれは、第一に猗窩座の消耗、術の衰えによる反射の鈍化を前提においた上で。
闘気の有無ではなく、量と質による話だった。
得物を入れ替え、星辰光を限りなく発動値(ドライブ)から基準値(アベレージ)に近づけたことで。
星辰奏者としてのアシュレイの強さの桁は低下。一気に身の丈が縮んだかのように闘気が縮小する。
そこに加わる、闘気までは透けずとも無我の境地、限りなく明鏡止水において放たれる一刀。
剣士としては永遠の未熟者であるアシュレイも、その型を放つ限っては理想的なゾーンに入れる。
(この期に及んで……殺気も憎悪も無いと言うか――!)
元よりアシュレイは、その敵に対して愛する女を侮辱され怒りこそすれ、慈しさを向けているのだから。
戦いに向かう意思の中に、殺意が全く見受けられないただ静かな境地において放たれる一刀は。
今からお前の頚を斬る、と言う意思ひとつだけで己を斬り伏せた、かつての一刀とここに来て面影が一致した。
猗窩座の羅針盤が、針先を狂わせる。
加えて、流れるような捌きの鈴割りをアシュレイはこれまた『透かし』によって潜り抜けた。
剣先をくるりといなし、攻撃の手をすり抜けたようにしか見えない絶技を手首の返しだけで実現する。
何度見せれば覚えるのだと体に叩き込まれた、クロウ・ムラサメの十八番。
恩師からの直伝の拳を、恩師からの直伝の秘剣が、上回る。
白刃、一閃。
剣の極みが、忠義の狛犬たらんとした鬼の胴を裂き、両断。
「鬼が……人から、学ばないと思うな!」
――しなかった。
アシュレイの手首に伝わる、壁。食い止められた感触と同時。
ガキンと鉄塊に当たったように、絶刀が男の腹の真ん中に埋まったまま止まる。
「抜けない――!?」
己を攻勢する魔力を残り一滴まで絞り出して武装色の部分硬化を行使し、一撃を体内で止めた。
だけでなく、その硬化を利用することで身体を貫いた得物をそのまま固定し、アシュレイをその場に縫い止める。
-
鈴割りが破られた時点で、猗窩座はすぐさま不屈の一手に備えていた。
再生しない身体で致命傷を受けた上で、なおできること。
生身の身体しか持たない者が、己の命を燃やして戦うということ。
そういうことをする時、猗窩座の前に立ちはだかった只の人間たちは。
己の身を投げ出してでも、鬼を道連れにしようと。
肉を斬らせてでも猗窩座の動きを封じる狂気で、掴みかかってきたではないか。
「獲ったぞ! 七草にちかのライダーッ……!」
故に、猗窩座は命と引き換えの一手であっても一切躊躇しない。
俺は俺の命令(責務)をまっとうすると閃光のように残る全てを燃やし、一手を稼ぐ。
愕然とするアシュレイの顔色に、今度こそ替えの得物、猗窩座を斃すための武器はないことを確信して。
『…獲ったぞ、アーチャー』
ああ。
あの時と同様に、紙一重だったと。
奇しくもいつかの勝利と、初めに偶像たちの従者の一人目を、仕留めた時と同じ言葉が口から出て。
「いいや、獲られない」
――ドクンと、その鼓動がひときわ強く跳ねる。
-
そう。
かつての勝敗と同じだったからこそ。
かつてと同じ決着には至らない。そこに決意は新生する。
「伸ばす手は、まだあるんだ」
確信とともに、右手だけを刀から手放した。
その右手を伸ばす。同時に右眼の眼光が、その魂を見つけてきたように煌めく。
アシュレイの世界に、新たな星の光が差し込む。
さぁ。
消えない傷を抱いた星々/宿命よ。
憧れの私(じぶん)を描く星の詩を。
どうか今ひとたび、奏でさせてはくれないか。
「今なら分かる!
君はまだ、俺の中にもいるんだろう!!」
――トゥインクル・イマジネーション(なりたいじぶん)、発動条件確認。
――アシュレイ・ホライゾンに譲渡先を指定。
――コード『プリキュア』、承認。
かつて、大宇宙を創造した女神たちから星の戦士に譲渡され、サーヴァントの霊基に再現された力(イマジネーション)。
英霊の規格の中で扱うようにオミットされ、しかし力の質そのものは星辰光と、ごく類似したそれ。
その力は、かつて女神から戦士に渡されたように。戦士の決戦で、彼女たちから全宇宙に伝播したように。
人から人へと伝わり、元の担い手が消滅しても残留するという性質を持っている。
スターパレスという外宇宙ではないために誰から誰にでも万能の行き来をすることはできないが。
かつて心を通わせて共闘し、混沌の覇王をともに相手取り深い交錯を果たしている、彼女とアシュレイの間であれば。
ともに星を燃やす者がいるほど強くなるプリキュアと、『誰かの力の付属』だけに一点特化した星辰を持つ抑止力くずれの歯車であれば。
『元抑止力』という【己の在り方】を知り、己のやりたいことを悟ったことで『イマジネーションの覚醒条件』を満たし。
この戦闘における最終目標をかつての『彼女』と完全に同じくして、星辰光の出し入れ(スイッチ)の為の相互同意は通じ合い。
――やっぱり、一発ひっぱたかないと気が収まりませんから!
ここに、想いは一致した。
「どうして、貴様が此処にいる――!?」
猗窩座はここに、最大の驚愕を露にする。
アシュレイの闘気が、その性質を別人のものに替えたから。
彼もよく知る別の英霊の星が、満を持したように現れたから。
その拳に宿っていたのは、炎ではなく強烈な光輝だったから。
-
きらきらという形容がふさわしい桃色の五芒星が拳の先から生まれ。
力場となって、猗窩座の拳をぴたりと止めていたから。
アシュレイは高らかに、その英雄の名前を呼びあげる。
「アーチャー・キュアスター!!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
このビールケース、踏み台に使うにはこんなに小さかったんだ。
黄色いプラスチックの底板に体重を預けて、にちかは不思議な切なさを抱いた。
同じものを畳の上に置いて即席のステージを作り上げた、幼いころの思い出がよみがえったから。
点いていたテレビをリモコンでぶちりと消して『にちかちゃんのステージをやりま〜す!』と言えば。
家族のだれもがわっと目を輝かせて、本物のアイドルに向けるようにエールを送ってくれた。
幼いあの頃、アイドルになることはあんなにも簡単だった。
いつから、簡単じゃなくなったんだろう。
大人になるって、なんだか悲しい。
簡単じゃなくなったと言えば、言葉をぶつけるのだってそうだった。
あなたは役立たずなんかじゃない。
そう伝えようと決意するまでに、迷わなかったと言えばうそになる。
だって、それが本当に救いになるかどうかなんてわからないじゃないか。
アシュレイにも作戦会議の時に、そう言ったことだけれど。
七草にちかを幸せにする必要なんてない。なぜなら貴方がかけてきた言葉は無意味な妄言だったから。
七草にちかを幸せにする必要なんてない。なぜなら貴方がかけてきた言葉は実を結ぶはずだったから。
その二つのどっちがより救いになるかなんて、にちかには分からないのだから。
何一つ成し遂げられずに無駄だったのだから止めるべきだったと言われるのと。
そんなことをしなくても貴方は全てを持っていたのだから止めるべきだったと言われるのと。
絶望感としてはどっちも変わらないじゃないかと、感じる人だっているかもしれない。
なら決め手は何だと言われたら……きっとアシュレイは、伝えることを選択してくれたからだ。
それが時に残酷な回答だとしても。
――マスターは間違いなく特別に思われているよ。
『あなたはとてもとても大きな愛を向けられていたんだよ』という言葉がにちかに伝えるべきことだと、信じていたからだ。
そんな彼の視線が、七草にちかへと今向けられている。
あくまで歌をうたいにステージに上がった以上、歌い始めまで目は合わせないつもりだけど。
-
らーらーらー、と。
発声練習にさえ足りない、あどけないイメージトレーニングで少しだけ音を踏んで。
そう言えば私(あいつ)も、この歌を見てるのかなと想いを馳せる。
いや、今肝心なここで観てないとか言われたら、もう色々と台無しだけど。
めちゃくちゃ緊張はある。
笑顔もあるかは分からない。
練習はしてきたけど、他人から見ても笑顔にみえるのかどうか。
だけど、今日のありったけの輝きもある。
踏み出す自分を好きになろうって、やわらかい声で。
なみちゃんとは違う女の子の手が、『むんっ』という掛け声とともに、背中を押している。
櫻木真乃から七草にちかに、イマジネーション(なりたいわたし)は伝播した。
歌うべき曲は、決まっていた。
『ひんやりして ね ぴったりじゃない
今夜 わたしを つれていく靴
そうだよ 赤いじゅうたん駆けて
そうだよ 月までだって行けるわ』
本来の歌い手は、『そうなの?』と首をかしげながら歌っていたのかもしれなくても。
それでも聴く人には『そうだよ』と呼びかけようとしてくれたことは、感じているつもりだから。
靴を履かせてくれてありがとうという感謝の気持ちが。
少しでもこの歌で表現できていたら嬉しい。
だから、『私は間違いなく、あなたにプロデュースされたにちかの続きなんですよ』と証明するためには。
絶対にこの歌でなくちゃいけないのだ。
だから、アイドルになろう。
ただ、アイドルが好きな平凡な女の子が八雲なみの歌を模倣するんじゃない。
この歌に込められた心を表現するためにステージに立つ、アイドルでなくちゃダメなのだ。
七草にちかは、胸を張って、望む天(ソラ)へと飛ぶ(落ちる)ための星になろう。
-
七草にちかは、顔をあげる。
すぅと息を吸い、自分の声が伸びて、響いていくための第一声を謳いだした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どうしても何も、見たままさ」
猗窩座の拳を防ぎ、アシュレイは答える。
これは彼女の星の光、そのままだと。
だからそれは、聖杯戦争の頂点にして極点(ハイエンド)たる魔神でさえ、一度は殴り倒した拳。
たとえ未熟でも、『誰か』とともにあることで強くなるという、どこにでもある特別な輝き。
『さぁ――やっちゃってください』
アシュレイはその星辰(ヒカリ)の中に、確かに幻聴でない声を聴いた。
なぜならプリキュアは、彼のような者が現われる時にこう叫ぶものなのだから。
『――――英雄(ヒーロー)の、出番です!!』
今度こそが青年を殺すための最後の一撃だと全てを乗せた拳を止められた猗窩座は、動けない。
否、それ以前の問題として。
『その光がいま一度己を引っ叩きにやって来た』ことに立ち竦む。
むしろ、『やはり』と思った自分自身がいることに気付く。
これまでの戦いで猗窩座を打ち倒し、窮地に追いやった者なら何名もいた。
天与の暴君、偉大なる海の皇帝、太陽と融け合った鬼滅の月刃。
しかし。
『あなたは』
『…やさしい人なんですね』
猗窩座から『鬼』としての顔を引き剥がさせた者は、たった一人しかいなかった。
そしてあの戦場に嘲笑する獣の介入さえなければ。
少女はその鬼ならぬ狛犬を打ち倒し、狛犬の主を引きずり出したやもという『もしも』は、猗窩座とて思い描いた。
故に悪鬼の慣れの果ては、宿命が巡ってきたことを悟る。
あの時の借りを、返される時が来たのだと。
「「星辰(スタアアアアアアアアアアァァァァァ)流転之拳(パアァァァァーーーンチ)!!!!」」
だから、この光(やさしさ)からは絶対に眼を逸らせない。
両眼を見開いた猗窩座の顔へと、格闘技ですらないただの喧嘩殺法の拳が。
それでも波濤のような勢いを伴って、もう絶対に立ち上がれない流星群(ラッシュ)を降り注がせた。
――生まれ変われ、少年
いつかと同じ声を、人間の時、鬼の時、英霊の今と、みたび聴いた。
-
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
狂い哭くように。
いきなり最重要のフレーズから。
たった一声、にちかは歌い始めた。
『そうだよ』
そうだよプロデューサーさん、と。
たった一言、ワンコーラス。
それは、かつて自分はアイドルにはなれないと思っていた少女が。
それでも自分はアイドルになれたなら、と口ずさんでいた歌で。
彼もまた飽きるほどににちかの口から聴いた歌。
「あ――」
だから男には、その歌を聴いただけで分かってしまう。
以前の彼女にはなく、今の彼女にあるもの。
ただ背中を押してくれたアイドル歌を『聴いて聴いて』と模倣するだけでなく。
その歌の意味を彼女なりに寄り添って、理解しようとして。
その上で、自分のメッセージとして、男になんと語り掛けているのか。
【そうだよ、あなたは私のプロデューサーだよ】と。
そういう意味がはっきり伝わり、男の聴覚と心とを揺さぶった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
アシュレイ・ホライゾンの星の輝きが、修羅であろうとした男の『鬼』の面を殴り倒し。
七草にちかのありったけの輝きが、その男の脳髄を『色彩』として貫いて。
その輝きが、狛犬の主と狛犬の従者を灼いたのは同時だった。
此処に、聖杯戦争でもっとも 慈しい鬼退治/慈しい鬼、退治 は、終幕を迎える。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
-
「ああ……」
涙腺など、とうの昔に乾いたと思っていたのに。
彼女のそんな声を、そんな表情を見てしまっては、無理だった。
透明な液体が、くたびれはてた男の頬をみるみると滑った。
「笑えてる…………にちかが、笑えてるよ………!」
誰よりも近く、誰よりも眩しく見上げる特等席で。
きっとアイドルとしてはまだ未熟な、けれど男がずっとみたかった顔に焦がれの眼差しを向ける。
「そうですよ」
いいなー、にちか、と。
摩美々は内心の声だけにとどめる。
別に今さら、彼だけの担当アイドル、にちかの立場に据わりたい気持ちはないけれど。
アイドルは、ステージ袖のプロデューサーがどんな顔をしてるかなんて歌ってる時は普通見れないものだから。
アイドルがWINGを優勝した時の天井社長にさえ勝る勢いで泣き始めたその人の隣で、摩美々は囁く。
歌い続けるにちかの声を聴く邪魔にならぬようにと、ひそやかな声で。
呪いではなく、祝福になるようにと願って。
「にちかは幸せになります。
でも、それはあなたの居場所(おかげ)でもあります」
涙ともともと血走っていたのとで、もうすっかり真っ赤だった両目が、まばたきを忘れたように固まった。
「…………俺なんかもいて、いいのか?」
「いいも何も、わたしたちだって幸せでした。あなたのおかげで」
にちかの歌が、原曲の間奏の部分で同じく待機するように途切れたのを見計らって。
これまで色んなことがあったんだよというニュアンスをにじませて、付け加える。
「もちろん、摩美々にこっちでもアイドルやらせてくれた人とか、他の人達のおかげでもありますけどねー」
「ははっ……にちかも同じことを言ってたな」
なんだ。
あなた、そんなボロボロでも笑えるんじゃないですか。
「あなたがくれたものは、私達の中に、ずっとありました」
一人目のファンである、あなたに感謝しています。
あなたがどうなっても、みんな、あなたを『あい』しています。
でもそれを伝えるには、思い出の中できれいなままのあなたとだけ握手するのじゃ足りないんだ。
あなたがしてくれた幸せなことは受け止めるけど、あなたの業は切除して手を取りませんなんてこと、こっちはできない。
-
「だから今さら、手を取らないってことはできませんよ」
それでもと手を重ねた理由に、やっとたどり着けた。
ぶつけるべき言葉は、全てにちかの声と歌とが届けてくれた。
だったら摩美々からさらに伝えることは、『にちかだけじゃない』ということだ。
「わたしたちをアイドルにしてくれて、ありがとうございます」
あなたが私達を見つけてくれてから。
今日までにあった全ての軌跡は。
何一つ当たり前じゃなくて。
だからこそ全てが愛しくて。
「これ、24人全員からのつもりで言いましたから」
「…………」
「さすがにここで、抜けがけはしたくないですからね」
「ははっ……」
「や……吹き出すとこじゃ、ないでしょー」
「ごめん……全員の代弁ってことは円香の分とかも入ってるのかと思ったら、つい」
確かにプロデューサーに、全員が全員直球ストレートの礼を言うとは限らないかもしれないが。
そんな笑い話の、あくまで延長のように。
いつもコミュニケーションを取る時のように。
彼のレスポンスは5秒以内で返るってくる様になった。
そう、これはいつもの、やたら暑苦しくて話好きな人との会話だ。
「君たちに俺の業を背負わせて、本当にいいのか?」
「さっきからそう言ってるじゃないですか」
「……今まで、済まなかった」
「本当にそうですよ」
「……今からでも、君たちの船に乗せてくれるかい?」
「遅いですよ…………でも、どうぞ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
-
『もういいんだ、ランサー
俺は彼女たちの元に戻ることにした。
最期の時間を、一緒に過ごしたい』
地面にいびつな大の字を描き、殴り合いの喧嘩の後のように男二人が横たわった状態で。
猗窩座は、己のマスターもまた根負けしたのだという念話を聴いた。
元より、マスターの意思自体には反対しない立場を持っていた猗窩座である。
そうか、と二つ返事で頷いたが、それでようやく全て終わったという諦念が胸に落ちた。
その男の声に、念話であろうと終始宿っていた重しのような澱みはもうなかった。
最後の間際で意見を変えたことに対する、不満はない。
むしろ己の敗北があればこそ、向こうでも似たような文句のない一撃があったのではと察する。
だが、悔いはあった。
あの男の心が、仮に救済可能で、引き返す居場所もあるものだったなら。
結局、己が主にただ同調することを選んだのは、苦しみを引き延ばしただけに終わったのではないかと。
「あんたが寄り添って力を貸してやらなきゃ、そもそもあんたのマスターはこの会話に至るまでに死んでたんじゃないか?」
どこまでもお節介な勝者が、同じく倒れたままそう言った。
心を読むな。心眼スキルの所有者でもないというのに。
「無駄だというなら、この戦いだってマスターの会話が終わった時点で決着する、勝敗が着地点に影響ないものだったかもしれない。
でも、あんた達は俺から力を示されないと納得して後を託せなかっただろうし。
……何より限界のもうこれ以上は無理だってところまで粘ったからこそ、納得できることもあるのは知ってるから」
それはきっと向こう側でも同じことで。
お前は七草にちかの幸せを償うために戦う必要なんてない、と残酷な前提を置かなければ。
お前は役立たずでもなければ滑稽でも無かったと。
アイドルが幸せになれるのはお前のおかげでもあるんだ、と。
アイドルとそのサーヴァントたちが揃って絶対に伝えたかった、伝えるべき賛辞には至れなかった。
「力を尽くして戦う機会がないまま喪ってしまえば……後悔に囚われ続ける、か」
そう独白したのことに、感じる所でもあったのか。
疲れ切った身体であるはずなのに、相手はまたも語り始めた。
「生前のさ……まだガキの頃だったんだけど、守りたい女の子がいたんだ。
でもそれは叶わなかった。屋敷に賊が押し入って、実際は賊じゃなかったんだが、生き別れになってさ。
何とかその子を逃がそうとしたけど行方不明。守れなかったって自分を責めて、それが生前の俺を作ったよ」
尋ねてもいないのに、己の過去をぺらぺらと喋る。
ただ空虚な、守れなかった、当時は恥部でしかなかった思い出だと。
「蝋の翼を燃やして、残り寿命をどんどん削って、無理やり戦う手段を手に入れたんだけどさ。
そうまでして守りたかった人から……『私達がいてほしかったのは、ただの優しかったあなただ』って言われた。
向こうは向こうで俺を死なせたと思って泣き続けて。実は生きてた男が寿命を削ってたら、そりゃ怒るよな」
「こちらの主と引き合いに出したいのか?」
「いや……女の子の訴えには、叶わないなって話だよ。
いくら自分が許せないと思ってても、相手にとっての自分は役立たずなんかじゃない。
きっと向こうであんたのマスターが聴いた言葉は、そういうものだと思う」
-
守れなかったことに頭を下げ続けた夫に対して、妻は微笑して『もう充分です』と言った。
許す許さないではなく、とっくに元々のあなたに救われていたのだから、と。
謝られている側は、いささかもそんなことを気にしていなかった。
ああ、だから彼女は、恋雪は。
俺の行く先に勝利を確信して、応援していたのか。
仮にそれでも己のことを敗北させる者がいるとすれば。
それはかつての彼女のような強さを持った者で、決してあの男を悪いようにはしないだろうと。
「俺たちの後悔は、的外れの誤ったものだったか……?」
「そうは思わない。後悔を抱いた側にとっては、でかい問題だと思うよ。
でも、自分の力だけで、独りでいるだけで正解を引き続けるのは、俺には無理だ」
だからさっきは、己の力をああいう形で示したのだと言った。
男が最期に持ち出した切り札は、彼自身の強さではなく、他者から譲り受けた力によるものだったから。
「背負った業も、ずいぶんと重さを増やしているようだが」
「重たくはあるけどな。こういう事があるなら、悪くは無いから」
そう言うと、伏せてあった両手を持ち上げた。
先刻、その右手には少女からもらった星の光が握られていた。
トゥインクル・イマジネーションは長時間続かない、という法則に則り、もう光は無い。
そしてもう片方の手には、譲り受けて持ち替えた業物を掴んでいた。
「……念話を交わす余裕ぐらいならあるが、何か、あるか?」
「ありがとう……と言っても、ぶつけたい事自体は彼女たちが言ってくれただろうし。
彼女たちと話をする時間を長く作ってやりたいのも、本当だからなぁ」
こういう性格の男ならば、己よりむしろマスターの方と話したかったのではないかと。
そう思って念話での伝言を振ってみたが、どうやら当たりだった。
「ここは順当に、謝礼と謝罪で。
あなたが先ににちかと交流してなかったら、俺はあんなににちかと馴染めなかった。
いい想いをして申し訳ないのと、にちかを見つけてくれてありがとうって。
いや、もちろんあの人がにちかを見つけたのと俺の契約に因果関係はないんだが。
一か月と、二日……あんなに可愛い子を、ひとり占めしてしまったようなものだし」
「長いな。長すぎる」
「すまん……覚えきれなかったか」
「言われたそばから念話していたから、それはいい……返答があった。そのまま伝える。
『摩美々のサーヴァントからも、前に似たような礼と謝罪をがあった。
あの時に言い返せなかった分も含めて伝える。
こちらこそ彼女たちと共にいて、守ってくれてありがとう。』だそうだ」
「あんたの所も長いな……」
一番長く喋らされたのは、念話も含めて伝言したこっちだ。
そう言い返し、それでも長々と喋った声色によって、向こうの心は分かった。
-
『お前は、もう大丈夫なんだな』
ならば、己の仕事は終わった。
男に対して果たすべきことは、もう無いのだから。
ならば自分にも最後の伝言はあるだろうかと少し待つ。
感謝も、謝罪も、そのどちらも何度も何度も聴いてきた。
だから最後も、そのどちらかを言われるのだろうと思ったが。
『ランサー……恋雪さん、きれいな人だったな』
驚いた。
何も憂いがなければ、こいつはこんな話題を振ってくるのか。
過去を見られていたことは知っている。
だが、妻の人となりを言及されたのは初めてだった。
これが最後の会話だとも分かっている為、拒絶や逃げで返すわけにもいかない。
『ああ……俺は、あの人がいいんだ』
『ははっ。君がそんな声音で喋るのを、初めて聴いた』
そちらこそ、人が幸せそうにする話を聞くのを、心底から好んでいるかのような声だった。
『俺は、旦那さんをずいぶん連れまわしてしまったからなぁ……宜しく言っておいてくれ』
『ああ……伝えるまでもなく、お前のことも気を逸らせながら見届けていただろうさ』
既に最後の遣り取りは交わし終えたと思っていたけれど。
今度こそ悪くない挨拶をして別れることができたと、意外な喜びがあった。
ああ、そう言えばと。
一応仮にも、妻がいる者として。
こういう結果になった以上、他人の好きな女を『つまらん』呼ばわりした分と。
そして何より、一度は『生きろ』と願わずにはいられなかったマスターに、幸福な人生を貰った感謝の分と。
さすがにそれらを何も言わず去るのわけにはいかないかと、肉声にして一声言った。
「――すまなかった」
こいつもまた主君と似た者同士であるようだから、これで謝意も感謝もこの一言で読み取られるだろう。
【ランサー(猗窩座)@鬼滅の刃 消滅】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
-
「サーヴァントにまで恵まれて……なんだか申し訳ないな」
「その分……途中の苦しみも物凄かったと思いますけどね」
それでも苦しみ足りないなら、まぁ私達もできる範囲で付き合いますよと。
だからそう言ってくれる人がいるのが、恵まれてると言っているんだけどな。
そうは言っても己の幸運についてまた反論しても、堂々巡りになりそうではあって。
そんな感想と、今では『ありったけの輝きで』を歌っているアイドル・にちかの立姿が、重なって。
ふと、そこに重なる別のにちかのビジョンが見えたように思った。
――君はso luckyな人です、そうたぶんね
なぜだろう。
ツンとすまして釣れない態度の。
でもどこか楽しそうにそっぽを向く、そんな歌声で。
いつかの七草にちかが、ソロの歌を歌っている姿が、思い描けた気がした。
今歌っているのは違う曲だけれど。
真乃の歌を選んだ、その心境にどんな変化があったのかは聴けなかったけれど。
あのにちかが、『踏み出す自分を好きになろう』なんて歌詞を歌うことを、選べるようになったんだな。
なら、彼女の幸せに関する憂いは本当にない。
だからこれから喋るのは。
本当なら、もはや開くことさえ重たい口を開けて交わすのは。
彼女たちの、心ではなく命が生きていくために、必要な伝達。
「でも、これは返さなきゃいけないな」
まず、中途で気付いていた令呪を摩美々の手へと、譲渡し返す。
「え……」
マスター資格の有無ではなく、もはや『時間』の方によって己に時が来たと。
そう告げる、眠気のような脱力感が己を壁へとすっかりもたれさせていたし。
であれば、この令呪は彼女らの元に返さねばならないのと。
-
「ここからの話は、どうかにちかのライダー君に伝えてほしい」
摩美々から繋がれた僅かな命によって、拾うことができた『声』の話をしなければならないから。
先刻プロデューサーの身を襲っていたのは、令呪の完全喪失を区切りとする可能性の器としての資格剥奪。
つまり彼の頭に響いていたのは、予選の篩分け終了時に資格なしと見なされたマスターに行われた処理と同じだ。
――マスター資格喪失者『2名』の付与魔術回路の回収を実行。
予選の間にサーヴァントを失ったマスターに対して『対象を可能性喪失者と再定義。XX名全員の可能性剪定完了を確認』と。
本戦参加者へのアナウンスとはそれぞれ別個の指令を送ってこの世界から削除したように。
「さっき……本戦が開始した時みたいに……頭の中に、界聖杯の声を聴いて――」
――エラー。近隣の『可能性喪失者』と『資格者』の判別を誤認。
――七草にちかをマスター資格者と訂正し再実行。
彼のマスター顕現は、令呪の有無によって『マスターの資格がある/ない』のラインをずっと往復していた。
そこに、『魂の九割が既に界聖杯にあること』と『令呪の削除に対する割り込み的な譲渡』、さらには『サーヴァントの先行喪失追加』とエラー発生の下地があった。
結果的に、彼を削除しようとするにあたって、一部、『本来なら参加者に知らされない情報』が紛れ込んだ。
告げたことで摩美々の顔色が変わっていくことには大変申し訳なくも、伝えないわけにはいかない。
それで罪滅ぼしになるとは思えないが、彼らの今後を左右する情報であったことは察せられたが故に。
そして――。
「どうですかどうでしたか!? アイドル・七草にちかのワンマンライブ!」
その伝達も終えた上で、ステージを降りた彼女が。
いつもの人をからかう時の顔で、ずずいと顔を寄せてきた。
-
「ああ……まるで『俺のお願いを叶えちゃうぞのコーナー』って感じだったよ」
もはやその顔さえぼやけて見えるほどに眼は曇っていたけれど。
それでも彼女は、笑っていることだけは間違いないのだろう。
だからこそ、あと一声、もう一声でも話したいと口を開く。
「うっわ、その言い方はだいぶおじさん臭い……」
「ほとんどにちかが言ったことの引用じゃないか?」
本当にたわいもない会話なのだけれど。
たくさん悲しませる言葉を伝えてしまった分。
「でも……にちか、ちゃんと笑えてたよ」
ランサーの言葉は、たわいない話でも恋雪さんの生きる希望になっていたとか。
あわよくば、俺の言葉もそうだったらいいなと思う。
暗い夜道を照らす明かりのように、というのは格好つけすぎか。
でも俺の明かりは、彼女たちが取り戻してくれたから。
だから死にたくないと思える。
もう死んでもいいと思える。
それでも生きていたい。
全て違わず本心だ。
つまり、俺は再び。
生きている。
「そ、そりゃあ当たり前ですよ。だってまたアイドル、やってくんですから!」
「そうだな……これから、ファン感謝祭も、もしかしたらGRADとか……ほんとのソロライブも、あるんだよな」
彼女たちのおかげで、また生きられた。
それでもまだ時間が欲しいなんて。
本当に愚かな奴だと思うけど。
それでも、まだたった一言。
もう一言だけ、でも言わせてほしい。
「かわいいぞ、にちか」
【プロデューサー@アイドルマスター シャイニーカラーズ 消滅】
-
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その暗闇を歩くのは、初めてではない。
さらに言えば、数時間前にも満たぬ最近でさえ、一度踏み込みかけた。
故にその道をたどる足取りは、とても勝手知ったるものだった。
だが以前の帰路と今回の帰路では、一つだけはっきりと異なる点がある。
以前の帰路には、お前を悲しませる物語しか見つけられなかったけれど。
今度は土産話ができる。
どうやら頼まれた願いは、果たせたらしいと。
『帰ったよ』
……ああ、ならば勝利とは。
俺にも、お前にも。
ここに自分の小さな居場所があるという事か。
【役立たずの狛犬@鬼滅の刃 鬼滅】
【役立たずの狛犬@アイドルマスター シャイニーカラーズ 鬼滅】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
-
「いいんですか?……この後、霧子たちの方にも駆け付けないと……」
「それはそうだが、ライダーとの合流待ちでもあるからな。いったん休め」
「にちかの方……行かなくていいんですか?」
「【もう一人の方】と長く一緒にいた経験則なんだがな。ありゃ一人にした方がいい時だ。
……それに、俺はお前のサーヴァントでないかもしれないにせよ、相方ではあるからな」
「どうも……いや、おんぶって」
「抱きかかえるよりは寄りかかりやすいだろう。男臭いのは勘弁しろ」
「臭いとかはないですけど……」
「ありがとうな。俺のマスターの分も、ぶつけてくれた」
「…………」
「ぐちゃぐちゃに汚していいぞ。たぶん摩美々のサーヴァントだって、受け入れただろ」
「……一つ、いいですか。先に伝言しないと、気になって休めなそうで」
「なんだ……あの男との最後の会話で、何かあったのか?」
「まぁ……伝えたら私、ほんとうにぐちゃぐちゃになるので。ライダーさんに伝えるのは、よろしくで」
「…………了解した」
「にちかが、マスターじゃなくてNPCだったとか、そんなことを言ってて――」
-
投下終了です
すいません、ぎりぎりまで書いていて状態表を放置していました
今夜中にはかならず合わせて投下します
-
【渋谷区(中心部)/二日目・午前】
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『天羽々斬』、Wの報告書(途中経過)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:もっと言葉を交わしてみたかったな。でも、ありがとう
1:まずはにちか達の元へ。それから霧子さんたちもだな
2:今度こそ梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
3:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
4:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
5:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
6:大和とはどうにか再接触をはかりたい
7:もし、マスターが考察通りの存在だとしたら……。検証の為にも機械のアーチャー(シュヴィ)と接触したい。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。
アーチャー(星奈ひかる)のイマジネーションを星辰光として発現しました。今後も発現するかどうかは後続に任せます。
-
【渋谷区・路地裏(アシュレイ達とさほど離れてない)/二日目・午前】
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、『ありったけの輝きで』
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:…………。
1:アイドルに、なります。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
WING決勝を敗退し失踪した世界の七草にちかである可能性があります。当人の記憶はWING準決勝敗退世界のものです
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、過労、メンタル減少(回復傾向)、『バベルシティ・グレイス』
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:今だけは、誰も顔を見ないで
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーの言葉……どういう意味なんだろう
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
※プロデューサーの遺言を聴いてメロウリンクに伝えました。七草にちかNPC説に関することのようです
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(中・ただし致命傷は一切ない)、疲労(中)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:ライダー(アシュレイ)と合流。
1:田中摩美々は任された。
2:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
※田中摩美々からプロデューサーの遺言を聴き取りました。七草にちかNPC説に関することです
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全文の投下を終了します
この度は遅れて大変申し訳ありませんでした
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生存者全員予約します
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前編を投下します
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械翼シュヴィ・ドーラが墜ちた。
雷霆ガンヴォルトは、天を撃ち落とした代償に命を散らした。
斯くして盤面は整理され、満を持して夜桜前線の本命が動き出す。
即ちカイドウ。
鬼ヶ島の怪物、皮下医院に棲んでいた龍王。
聖杯戦争の運命を決定付ける門番であると同時に、すべての器にとっての絶望として立ちはだかる"最後の皇帝"。
覇気が轟く。
比喩ではない。
技術として体系化された"戦闘技術"だ。
覇王色の稲妻が、真昼の渋谷に吹き荒び天地を刹那にして黒々と彩る。
その中を縫うように駆け抜ける巨体は、まさに悪夢そのものだった。
死の突貫。圧倒的強者が行う走破はそれそのものが蹂躙の意味を帯びる。
止まらない――止められない。
誰が止められるものか、この怪物を。
人間では無理だろう。
英霊でも、背筋を凍らせるに違いない。
ならば。ならば――
「来たな、命知らずが」
――鬼ならば、どうか。
カイドウの眼光が鈍く輝く。
それを正面から受け止める男の眼光は、しかし六つあった。
異形の貌を持ち、死と血肉の香りを溺れるほどに漂わせながら白日の下に立つ悪鬼。
名を黒死牟。
彼の刀が、虚ろに哭くその鬼刀が、銀の軌跡を描いて揺らめく。
カイドウの道を、覇者の進軍を阻むように出現したのは月の檻だった。
何十、何百という剣豪を捻り潰してきた男だ。
ひと目見ればそれが触れれば斬れる斬撃の月閃だということは理解できたが、だからと言って取るべき行動は何も変わらない。
「しゃらくせェな」
剛撃一閃。黒雷を纏った金棒が振り抜かれた瞬間、月の力場は音を立てて粉々に砕け散った。
名有りの技ですらないただの通常攻撃。
それだけで渾身の月檻を打ち破られた事実に、黒死牟の眉が動く。
だが動揺にまでは至らない。此処までは想定通り。相手が怪物なことなど端から分かっているのだから、いちいち反応していたらキリがない。
――四皇カイドウ。
――界聖杯に君臨する"怪物"の一体。
――あの鋼翼と殺し合いを演じ、都市一つを滅ぼした最強生物。
黒死牟は、鋼翼の悪鬼……ベルゼバブの強さを覚えている。
忘れる筈もない。魂にまで焼き付いている。
自分と、天元の花。そして己が妄執の的であったあの弟が三人並んで挑み、それでも最後の最後まで勝ち切れるか定かでなかった化物。
それと同格の存在と斬り結ぶにあたり、つまらない期待や尊厳など持ち込むだけ無駄だ。
だからこそ黒死牟の続く行動は速く、それでいて的確だった。
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用立てるのは数。
数、数、数、数――しかして質を蔑ろには決してしない。
意識するまでもなくデフォルトで今の黒死牟にはそれが出来ていた。
一振り一振りがかつての渾身にも匹敵する鋭さで冴え渡る、斬波の濁流。
カイドウの巨体に亀裂が走る。
刃を掠めた箇所から血が滲み、雫となって垂れ落ちたのが見えた。
彼が怪物たる所以は、何もその怪力だけではない。強度もだ。
如何にサーヴァントといえど、生半な刃ではカイドウの薄皮一枚破くことすら不可能だ。
その証拠に予選では、彼に血を流させることが出来たサーヴァントは一体として居なかった。
だが今、黒死牟はカイドウと戦えている。
以前の彼ならば不可能だったろう。
黒い火花を己がものとした上弦の参でさえ為す術なくねじ伏せられる怪物に、錆び付いた妄執の刃で太刀打ちできる道理はない。
しかし今。黒死牟の刃を覆っていた錆は落ち――その焦瞼は融陽に至っている。
月の呼吸・陸ノ型――常世孤月・無間。
閻魔。地獄の大元締めの名を冠した妖刀が猛り狂う。
気を抜けば魂までも乗っ取られそうになる暴れ馬の刀だが、黒死牟はこれを既に制御下に置いていた。
元より数百年の研鑽を経て、剣士としては頂点に限りなく近い領域へと達していた黒死牟。
その可能性を堰き止めていた妄執が解けた今、彼の両腕が妖刀の一振りも御せない棒切れであろう筈もなかった。
「曲芸だな」
「見目だけの、芸かどうかは……貴様の身で……確かめるがいい…………」
まさに、無数。
複雑に編み込まれた反物のように、美しさすら思わす月刃の群れ。
カイドウの言う通り曲芸の美しさと、そして活人剣の烈しさがそこには同居していた。
「確かめるまでもねェよ……」
黒死牟の顔を視界に収めた時、カイドウが抱いたのは既視感だった。
肥大化した六つの眼の異形さに隠れてはいるが、見れば面影は確かに似ている。
"あの男"。カイドウをして、規格外の強者であると一目でそう認識させられた侍。
かつて光月おでんのサーヴァントとしてこの東京に現界していた――"耳飾りの剣士"に。
あの化物侍の縁者が、あのバカ殿の刀を握っているのだ。
一体どこに楽観視できる要素があるという。
覇気を漲らせ、ただ渾身の力で振り抜く。
「――"雷鳴八卦"」
硝子の砕けるような音を、黒死牟は聞いた。
『常世孤月・無間』の太刀を砕きながら迫ったカイドウの姿を辛うじて見切り、半歩の移動で雷鳴八卦の直撃を避けられたのは見事の一言。
しかしただ避けた程度では終わらないからこそ、彼は"海の皇帝"の称号を欲しいままにしてきたのだとすぐに思い知らされる。
脇腹に走った衝撃と骨の砕ける激痛が黒死牟にそれを告げていた。
“掠めたのみで…これか……”
単なる衝撃であれば鬼の肉体はそれを無視する。
が、全撃が覇王色の覇気を纏っているカイドウの手抜かりない攻撃の前では話が変わる。
物理的損傷自体は再生力に物を言わせて無視出来ても、押し付けられる覇気の猛威は黒死牟の肉体に残留して内から亀裂のように蝕むのだ。
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「にしても多いな。界聖杯の野郎、やはり狙って身内ばかり招いてやがるな」
「何の話だ」
「お前に似た鬼をもう二体叩いてんだよ。どいつもこいつもやたらと死に難い、殴り甲斐のある連中だ」
恐らく内の一体は猗窩座だろう。
近接戦に秀でない童磨がこれと切った張ったを演じられるとは思えない。
となれば、残るもう一体は今や面影を思い出す事も出来ないあの"始祖"か。
「しかし逃げ足が速ぇ。いい加減取り逃すのにも嫌気が差して来たんでな、今回は確実に首を落とさせて貰うぞ」
「…励む事だ……精々な………」
月の呼吸・漆ノ型――厄鏡・月映え。
放った月閃が一撃の下に粉砕される。
つい先刻鬼という生物の限界を超克した猗窩座と相対した黒死牟であったが、その彼をしてもこの海賊は別格と言う他なかった。
素の膂力が既に"至った"猗窩座を遥かに上回っている。
質量なき力場を力ずくで粉砕しながら迫ってくる姿は一体何の冗談か。
月の呼吸・捌ノ型――月龍輪尾。
その胴を泣き別れにせんと薙ぎ払われた刃は金棒に止められ役目を終えた。
次の瞬間、カイドウの姿が消える。
冴え渡った五感が上だと認識した時には既に黒き稲妻が轟いていた。
「"降三世――引奈落"ゥッ」
「…………!!」
真上から落ちてくる打撃を受け止めた瞬間。
黒死牟の両腕の骨が末端に至るまで余さず粉々に砕け散った。
それでも剣を取り落とす事がなかったのは、得物自体に助けられたが故だった。
まるで己を担う以上はそんな不甲斐ない姿は許さぬとばかりに、黒死牟の砕けた両腕に自然と力を籠もらせたのだ。
虚哭神去では受け切れなかっただろう。
そもそも刀身自体が粉砕されていた筈だと黒死牟は確信する。
「止め切るか。当然だな」
カイドウが呟く。
「おでんの刀は、かつてこのおれに消えない傷を刻み込んだ妖刀だ。たかだか本気でぶん殴ったくらいであの馬鹿殿が砕けるかよ」
「成程…その傷は光月に負わされた物だったか……」
「そういうてめえは何だ? おでんとどういう仲だ。応えてみろよ、攻撃の手は止めねェが」
「安心しろ…敵に情けを求める程、落魄れてはいない……」
黒雷帯びたる剛撃が一秒の内に数十と振り抜かれる。
それに対応出来ている黒死牟もまた十分過ぎる程に異常だった。
上弦の参が死に瀕して己を乗り越えたのと同じように、然し彼とは別の形で黒死牟もまた限界の向こう側へと行き着いた。
その成果がこの奮戦だ。
四皇と切り結べる腕と冴え、得物。そして執念。
其処に目障りな銀の太陽を加えれば、今の黒死牟を支える全ての出来上がり。
「忌まわしい男だった。息を吸って吐くように、此方の算段を掻き乱す…そんな男だった」
「全く以って同意見だ」
月の呼吸・拾ノ型――穿面斬・蘿月。
-
雷鳴八卦の疾走を止められずに砕け散る。
猛追するカイドウを相手に防戦一方の状況だが苛立ち一つ顔には浮かべない。
既にそんな段階は過ぎ去った。
錆の落ちた上弦の壱…己の柱を見出した剣士の心はそう簡単にブレなどしない。
砕ける月の残骸に合わせて踏み込む。
込めるのは裂帛の気合。
しかし乾坤一擲とは思えぬ静けさを飼い慣らす。
月の呼吸・壱ノ型――闇月・宵の宮。
神速の横薙ぎを放ちながらも口は動き続ける。
故人を偲ぶように、悪態をつく。
「死して尚、毛程もその存在感が薄れぬのも…癪に障る……」
「諦めろ。そういう男なんだアイツは。おれなんてもう何十年と引きずってる」
カイドウの業物が唾を吐いた。
いや、違う。
そう見えただけだ。
まるで唾でも吐き捨てたかのようにノーモーションで爆ぜたのは衝撃波。
名を金剛鏑と言うその"小技"が、闇月・宵の宮を押し返しながら黒死牟を強制後退させる。
「嵐だ。誰も彼もを巻き込みながら好き勝手して、その癖一人で何やら満足しながら何処かへ消えちまうのが常なのさ」
そして地を離れた足が再び安定を得る前に、カイドウの次撃が侍を襲った。
覇気を溢れさせた八斎戒で行う出鱈目な乱撃に技名はないが、しかし脅威の程度では此処までに見せてきた絶技の数々と何も変わらない。
カイドウそのものが資本なのだ。
彼が繰り出すというその時点で大技から小技まで、全ての技が破壊的な威力と速度を得る。
「残された奴は、いつ来るかも分からねェ次の嵐に備え続けるしか出来ねェのにな…! つくづく傍迷惑な野郎だぜアイツは!!」
まさに天災だ。
地震が台風の迷惑さを説いているような、何とも奇怪な光景だった。
遮二無二食い付くので精一杯の黒死牟がもしも鬼でなかったなら、既に彼は戦いについて行けず死んでいただろう。
打ち合うだけで骨が砕けて臓腑が混ざる。
これに比べれば己を含め、誰もが鬼の真似事をしていただけだったのだとそう認めざるを得ない。
――本物の悪鬼。
百獣では飽き足らず地獄の果てまで征服を果たした大戦神。
四皇カイドウ。先刻上弦の参が噛み締めたその威容の全てを、壱たる男は遅れて味わされていた。
「悪態の、割には…」
しかし食い繋ぐ。
不格好でも、無様でも一向に構わぬと。
侍の威厳をかなぐり捨てた泥臭い殺陣で黒死牟は皇帝の前に立ち続ける。
月の呼吸・漆ノ型――厄鏡・月映え。
五閃から成る大斬撃で足を絡め取り、その隙間には月の力場を満たす。
「名残惜しそうな、面をする……!」
「惜しくねェ訳がねえだろうが」
カイドウはそれを、またしても正面突破。
それもその筈だった。
彼はそも、撒き散らされる力場の影響を受けていない。
黒死牟の血鬼術の肝である揺らめく月刃の存在を単純な肉体強度に物を言わせ無視しているのだ。
-
彼の肉体に辛うじて通るのは黒死牟が自ら放つ剣技のみ。
そしてそれでさえ…この巨体を削り切るまでに果たして何百回、何千回繰り返せばいいのか解らない有様。
「待ったぜ、長ェ事な…! だからこそこの東京に来てるって聞いた時にはそりゃあ心が躍ったモンだ!」
斬撃五閃を八斎戒で薙ぎ払う。
恐ろしい事にそれが罷り通るのがこの男なのだ。
純粋な膂力でならばベルゼバブをさえ上回る、まさに武の化身。
その姿が、掻き消える――来ると黒死牟が認識出来たのはまさに彼の驚異的な武才の賜物。
「しかし何だ? こりゃよォ…! おでんはつまらねェガキに殺され! アイツと因縁果たす筈だったおれはむざむざ生き長らえてるだと!?」
カイドウが十八番、雷鳴八卦。
月の呼吸・伍ノ型 月魄災渦。
振らぬ斬撃という常識外れが辛うじて迎撃を間に合わせる。
だが必然。担い手の力が介在しない剣技が怪物の力を抑え込める筈はない。
「どいつもこいつもふざけやがって…! このおれをコケにするのも大概にしやがれェ!!」
「………!」
「てめえもてめえだ、目玉野郎」
力の前に災渦が調伏される。
次の瞬間黒死牟を撃ち抜いたのはあろうことに雷だった。
カイドウが怒気を滲ませて彼を睨んだ瞬間、現実の事象としてその巨体から轟雷が炸裂したのだ。
彼は龍の力をその身に宿す能力者。
かつては遠きワノ国に、そして今は東京の大地に君臨する龍神なり。
であれば風雨に雷火、龍の隣人たるそれらを遣えぬ道理は存在しない。
「おでんの刀を受け継いでその程度とは笑わせる。光月の家紋はてめえの細腕には重すぎるんじゃねェのか? あ?」
雷を纏いながら突っ込んでくるカイドウの姿はまさに荒ぶる神の如し。
その威容の前では鬼の恐ろしさも霞もう。
如何な侍の剣でさえ、霞もう。
現に受け止めただけで黒死牟は吹き飛ばされた。
次いでカイドウが人型のまま吐いた熱息がそのシルエットを爆炎の中に案内する。
「…大体、『天羽々斬』はどうした。おでんの剣は二刀流、一刀じゃ再現出来ねェぞ」
黒死牟は強くなった。
信じられない程に強くなった。
錆は落ち、その剣は今や全盛期を遠く置き去る冴えを見せている。
三百年の停滞を乗り越えた彼は、最早上弦の壱として無意味な時を重ねていた彼とは全くの別物だ。
――それでも。
それでも、此処まで力の差がある。
剣が通らない。
力で押し勝てない。
相手の全挙動に翻弄され、苦悶一つあげさせる事が出来ない。
それが黒死牟の前に横たわる無情なまでの現実だった。
「つまらねェ。とんだ期待外れだ」
黒煙の中に立ち尽くす黒死牟の影を見つめるカイドウの眼にあるのは諦観だった。
下らない三文芝居でも見せられたような落胆と諦めが其処には満ち溢れている。
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「てめえ如きが奴を騙ってんじゃねェよ雑魚が。おれァ今…虫の居所が悪ィんだ……」
カイドウを知る者ならば誰もが知る彼の習性。
極度の精神不安定。
彼が示す負の感情は、そのいずれもが一秒後には赫怒に変転しかねない地雷に等しい。
「お前はあの"耳飾りの侍"にも"おでん"にも、まるで届いちゃいねェ……」
静謐のままに八斎戒を振り上げる。
黒き雷、覇王の象徴がそこに集約されていく。
それは宛ら、閻魔が判決を下す為に振り下ろす槌のようだった。
これは裁きの一撃だ。
身の程を弁えず、天翔ける龍に手を伸ばした下賤な鬼へと下す裁定だ。
「お呼びじゃねェんだ――消えろ半端者がァ!」
剛撃が天から地へと。
炎の中に独り立つ黒死牟へと振り下ろされる。
英霊であろうが粉微塵に破壊し得る、剛力の極致。
それを以って下される処断は死罪の言い渡しを意味しており。
故にこの瞬間、罪深い鬼の生涯は二度目の幕引きと相成った。
「お前は…」
その筈だ。
紛れもなくその筈だった。
「お前は……誰を見て戦っている……」
黒死牟ではカイドウを止められない。
彼の剣は鬼神の剛撃を押し返せないし。
彼の脚は怪物の速度を凌駕出来ない。
此処までの戦いでも散々示されて来た残酷なまでの力の差。
故に黒死牟の敗北は最早確定事項であった筈なのだが、しかし――
「光月おでんか…それとも、我が弟……継国縁壱か……?」
此処に理解不能の事態が一つ生まれていた。
カイドウの一撃が止められている。
彼が死ねば大業物の一つに数えられるだろう八斎戒が足を止めている。
「舐めるな」
訝しむように眉根を寄せるカイドウに答えを示すように煙が晴れた。
炎と煙が引き裂かれて消え、怪物の一撃を受け止めた黒死牟の姿を白日の下に晒す。
「貴様の相手は、私だ……」
彼は――鎧を纏っていた。
戦国を馳せる武士のように厳しく。
その身一つで鉄火場を駆ける人間の無骨と、天命を超えて世に蔓延る鬼の無法とが同居した剣の鎧装。
それを纏った黒死牟が震え一つ帯びずに立ち、そして光月の傾奇者から受け継いだ『閻魔』の刀身でカイドウを止めている。
「既に常世を去った……亡霊等では、ない……」
全く以って予想外に過ぎる事態であったがカイドウは冷静だった。
彼は強者だ。度を超えた予想外は寧ろその思考を冷静にさせる。
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黒死牟が纏った"鎧"、それはいい。
だが今八斎戒を止めているのは鎧ではなく剣だ。
黒死牟を打ち据えるその前の段階で足止めを食っている。
その不可解への解答は、しかしすぐに示された。
此処までは膠着していた筈の趨勢が崩れる。
あろうことか押され始めたのはカイドウの側だった。
時間が経つにつれ強まる黒死牟の力が、単なる気合や根性である筈もない。
“此奴…! 斬撃そのものを何重にも重ねて、増やしてやがるのか……!?”
黒死牟の纏う鎧は只の甲冑に非ず。
これは盾であり、それ以上に剣だ。
斬撃を無限大に増幅する外付けのブースター。
一振りの剣ではカイドウに及ばないだろう。
だがそれを無数に重ね、打ち勝てるようになるまで続けたならどうか。
一枚の紙も折り畳み続ければやがて月へと届くように。
黒死牟は剣の本道を逸脱した彼だけの奥義で以って、此処にカイドウとの間に存在した性能差をねじ伏せてみせたのだ。
月の呼吸・拾捌ノ型――月蝕・号哭鎧装。
大きな別れと大きな出会いを経て磨き上げられた月刀が辿り着いた新天地の具現である。
「私を見ろ、カイドウ」
雑魚と断じた剣士に押し返されたたらを踏む。
認め難い現実に瞠目するカイドウへ黒死牟は言う。
「戦狂いならば…それらしい貌(かお)をするがいい……それが、貴様らの流儀というものだろう……」
それに対し、カイドウは。
「――ほざいてんじゃねェぞ」
不快感を示すと共に、放つ鬼気の勢いを数倍以上に跳ね上げた。
此処までの戦いで見せていた武威ですら彼にとっては本気でも何でもなかった。
格下を屠る為に必要な力だけを出しつつ、光月おでんの刀を受け継いだ後継者の力を見定めていただけ。
その事実を突き付けられながらも黒死牟は揺らがない。
鎧を纏いながら、無数の斬撃を纏わせた一刀を構え待つ。
「見る価値がないから見ねえんだ」
横溢する覇気。
覇王色、選ばれし者の黒雷。
黒き呪力とよく似たそれはしかし紛うことなき別物。
黒い閃きは微笑む相手を選ばないが――黒い稲妻は微笑む相手を、選ぶ。
「リンリン…縁壱…鋼翼…おでん…! 果たし合いてェ奴から死んでいく、消えていく!
この戦場の、受け継いだ光を振り翳して大口叩くばかりのてめえの一体何処に向き合ってやる価値があるってんだ!」
是、まさに覇王。
死に時を失った渇きの王。
敵も仲間も皆失った孤軍の王に他ならない。
「死ぬのが望みなんだろう。なら良いぜ、その思い上がりごと砕いてやるよ」
カイドウは確かに戦狂いだ。
彼は戦場の悦というものを理解している。
強者と殺し合い、そして叩き潰す悦び。
命の散華を間近に感じながら演じる果たし合いの美しさを介している。
だからこそ尚更、彼は笑わないのだ。
既に見定めた強者達は皆この地を去ってしまった。
因縁ある連合の王ならばいざ知らず、光月の名を背負って立つには荷が重すぎる異形の侍一匹に何故笑みを浮かべられるという。
「戦争は終わる。おれが勝って、お前らが負けるだけだ」
「そう思うのならば…」
カイドウは笑わない。
嘲り一つとしてその顔を彩る事はない。
渇く――乾く。
好敵手の去った地上は斯くも物寂しい。
足りぬ――足りぬ。満ち足りぬ。
だからこそ怒りだけを抱えて、金棒を振り上げるのだ。
それに対して黒死牟は不動のまま。
微笑みを忘れた戦狂いの鬼に向け、言い放った。
「試して、みるがいい……この私に挑む事でな……」
-
「雑魚が――弁えやがれッ!」
カイドウが駆ける。
その速度はまさに迅雷が如し。
目視だけでも指南のそれを招き寄せた黒死牟の判断は正気とは思えない。
それでも彼は、彼だけは己が剣を信じていた。
混沌を知り、喪失を知り、そして日常の価値を知った剣。
光月の武士から受け継いだ地獄の王の名を冠する妖刀。
向かい来るのは正真正銘の鬼、鬼神カイドウ。
相手にとって不足なし。
黒死牟が息を吸い込む。
カイドウが、迫る。
激突の瞬間は勿体付ける事なく訪れた。
「"大威徳雷鳴八卦"!!」
「――ッ!」
そして決着もまた刹那。
月の呼吸・拾陸ノ型――月虹・片割れ月と銘されたそれに斬撃を重ねた凶剣。
それこそが黒死牟の放つ迎撃だったが、しかし拮抗すら相成りはしなかった。
カイドウの本気は片割れの月を、無数の斬撃が描き上げる虹をも粉砕。
そのまま勢いの九割を残しながら黒死牟の鎧へと着弾した。
隕石の着弾でももう少し易しいだろうという程の衝撃に黒死牟の内側が悉く破壊される。
さりとて月の鎧の本領は此処でこそ真に発揮される。
号哭鎧装の本質とは接触を媒介して反応する斬撃の爆発装甲。
触れた物も者も等しく斬り裂く攻防一体、否攻を以って防を実現する剣鎧。
カイドウの一撃に対してもそれは問題なく作用し、反応した。
「ぐ、ガッ…!」
こればかりは月の力場を無視出来る強度を持つカイドウでも無傷とは行かない。
単純に斬撃の精度が違う、深さが違う。
無理矢理打ち砕こうとすれば肉を刻まれる凶刃の茨道。
それは狼藉の代償とばかりに鬼神の巨体に無数の刀傷を刻んでいったが――
「これが――」
カイドウは止まらない。
それどころか益々強くなる。
最初通っていた斬撃が余りの覇気に次々と弾かれ始める。
斬撃をねじ伏せ、その発生による攻撃及び衝撃の散逸も力任せに打ち破っていく。
号哭鎧装が意味を失い始める異常事態。
黒死牟がかの混沌・ベルゼバブの姿を思い出してしまうのは無理もない事であったろう。
「こんなもんが、俺がてめえを見なきゃいけない理由か?」
破茶滅茶にして無茶苦茶。
道理が理として作用しない怪物。
月の鎧が過剰駆動の代償として悲鳴をあげ始める。
-
慟哭する斬撃はカイドウの薄皮一枚剥がす事なく。
そしてとうとう、大威徳雷鳴八卦…一時は光月おでんをも沈黙させた剛の究極が黒死牟の鎧装へと到達した。
「度胸は買ってやるよ。だがお前はやっぱり役者じゃねェ。お前じゃ…あいつらの代わりは務まらねえんだ」
極めた技が力の前に押し負ける。
砕ける鎧、斬撃の残響が歌になって散る。
これにて幕引きは確定した。
黒死牟は所詮"向こう側"には辿り着けない。
偉大な母のように力強くはなく。
混沌のように無茶苦茶ではなく。
鍋奉行のように無理を通す力は持たず。
そして弟のように全てを圧する冴えをも持たない。
役者ではないのだ。
カイドウの言葉が彼の積み上げた全てを否定し、押し潰す。
黒い稲妻が身の芯まで焼き尽くす激痛の中、黒死牟は現実となって押し寄せた何度目かの敗北を前にして――
「――まだだ」
只一言、そう呟いた。
瞬間カイドウの背筋に寒気が立つ。
次いで覚えたのは驚愕。
何だ、これは――何故こんな雑魚に寒気を覚える。
四散するまでの瀬戸際、僅かな一瞬で苦し紛れに刀を振り上げた姿がこうも底知れなく映るのだ。
カイドウはずっと彼の握る剣のみを追っていた。
閻魔。妖刀の如き、使い手を自ら選ぶ剣。
宿敵の忘れ形見であるそれだけに執着していた。
カイドウが追っていたのは光月おでんの影。
死を超えて再会し、そしてまたしても決着を果たせなかった男の残像だった。
だが。
この時、それが初めて崩れる。
「…てめえ――誰だ」
違う。
誰だ、これは。
これはおでんの剣ではない。
あの男が、こうも禍々しく繊細な剣など振るうものか――!
「ようやく」
紡ぎ出されたその言葉を受けて黒死牟は小さく。
本当に小さくだが、しかし確かに微笑った。
「ようやく……私を見たな、カイドウ……」
-
…上弦の壱、黒死牟がこの地で辿り着いた極致の剣。
月蝕・号哭鎧装。
攻防の概念をすら崩壊させる、固定観念と侍の誇りの向こう側に辿り着いた彼ならではの妙技。
しかし彼が得た奥義はそれだけではない。
黒く、玄く、黎い――まさに一筋の月光を思わす太刀。
カイドウへ見せそしてその端から砕かれてきた技の数々にさえ遠く劣る、激しさとは無縁の静かなる一刀。
号哭鎧装を粉砕して勝利を得んとしたカイドウの間隙を縫うように放たれた"それ"。
必然、回避叶わず巨体に吸い込まれたその斬撃が皇帝の巨体を刻んだ瞬間。
「お、ぉ――」
海の皇帝は――嵐に出遭った。
「――ぉおおぉおおおおッ、があぁぁああああッ!?」
カイドウの肉体は確かに強靭だ。
黒死牟レベルの剣士でさえ傷を与える事は容易ではない。
にも関わらず彼は今、たった一筋の刀傷を受けて絶叫しながら悶絶していた。
「なッ…んだ、これはァ……!? 痛みが引かねェ…身体の崩壊が、止まらねェ……!」
最初カイドウはそれを、斬撃の重複による威力の増幅かと思った。
先刻自分の攻撃を受け止めた時と同じ要領で本来なら有り得ない威力を実現しているのだと考えた。
然し違う――これはそんなものではない。
傷口から体内に滲み入り蝕み暴れ回る斬波。
かつて"死の外科医"と呼ばれた男が魅せたように。
"殺戮武人"と呼ばれた男が、天地程も力量の違うカイドウへ一撃当ててみせた時と同じように。
そう、この斬撃の正体は…
「内部破壊、か…!」
月の呼吸・拾漆ノ型――紫閃雷獄・盈月。
単純な威力も破壊規模も他の奥義に劣るが、その分一度斬撃を刻めさえすれば齎す破壊力は唯一無二にして空前絶後。
鬼の王の領域に踏み入った修羅や、このカイドウと言った規格外の怪物共さえ地に臥させる魔剣。
鬼滅の刃…そう呼ぶに足る月光の恩寵が黒死牟の敵を無慈悲に灼き清める。
カイドウが如何に怪物でも、体内にて反響し続ける攻撃を前にしては鬼の王と同じ憂き目を辿らざるを得ない。
止まらない斬撃に吐血し、遂には膝を屈する。
それでも月の剣は鬼の生存を許さない。
無慈悲なる滅びの嵐が目前の鬼神を塗り潰していく。
「――参る……!」
大威徳雷鳴八卦の直撃。
三肢と胴の八割を失ったが、一肢残ったのは僥倖だった。
杭のように地面へ突き立てて踏み止まり、残りの手足が再生するなりそれ以外の部位修復を待たずに踏み込む。
狙うは必殺。
謳うは鬼滅。
盈月の輝きに蝕まれる鬼神の首筋に閻魔を振るう。
光月に呪われた哀れな怪物を終わらせる為の一撃を、放つ。
――月の呼吸・参ノ型 厭忌月・銷り。
◆ ◆ ◆
-
鬼が立っていた。
そして鬼が倒れ、天を仰いでいた。
漂うのは血の臭いと荒く乱れた息遣い。
勝者と敗者。両者の色はこの上ない程に対比されている。
「何故、と…問うて、おこうか……」
「おれの体内で無限に膨れ上がり続ける斬撃……良い線は行ってたぜ」
倒れているのは六つ目の鬼。
胴体を無残に拉げさせながら、彼は問うていた。
一方立っているのは巨躯の鬼。
胴に刻まれた二つ目の刀傷から血を零しながらも、その体は未だ暴力的なまでの生命力に溢れている。
「実際…それをされると弱ェんだおれ達みたいな生き物は。
どんなに外側を鍛えた所で、内臓まで筋骨隆々に育ってくれる訳じゃねェ……其処を直接破壊されちまったらそりゃ痛ェし、死にもする」
紫閃雷獄・盈月。
黒死牟が切った鬼札は間違いなくカイドウに対して覿面の一撃だった。
この怪物を滅ぼせる可能性を確実に内包している絶技だったと言っていいし、それはこうしてカイドウ自身も認める所だ。
にも関わらず両者の勝敗をこの形に落とし込んだ物は何か。
「ただ――おれには"覇気"がある。極めた覇気は…時に"理屈"さえをも凌駕する」
それは覇気。
奇しくも先刻、黒死牟が破った旧い同胞も会得していた技術に依るものであった。
「体内で膨れ上がり、おれを喰らいながら育っていく斬撃……確かに厄介だったし脅威だったさ。
だからおれは、その斬撃を己自身の覇気で押し潰した。潰し、ねじ伏せ……粉々にして消してやったんだ」
過剰な覇気に能力は通じない。
定められた運命を、彼らの力は時に殴り飛ばす。
死地に追い込まれたカイドウがやってみせたのはそれだった。
体内で暴れ狂う斬撃を調伏し、こうして再び立ち上がった。
何たる常識外れ。
何たる、無法。
怪物カイドウ。
ワノ国に棲まう、龍に化ける、鬼神――
「お前、名前は」
勝者が敗者に問い掛ける。
慰めの為の質問ではない。
カイドウがそれをしたと言う事の意味は、もっと重い。
「…人としての名は、とうに捨てた……。今は、黒死牟と……そう、呼ばれている……」
「黒死牟。最後に一つ聞かせろ」
カイドウは最初、彼の事など見ていなかった。
彼が見ていたのは刀と、光月おでんの面影だけだ。
またしても取り逃してしまった決着に対する悔恨の影のみを追っていた。
孤軍の王の眼を覚まさせたのは、黒死牟が魅せた盈月の輝き。
カイドウをして死を間近に感じる程の凶剣が――過去に呪われた鬼神の眼に現在(いま)を割り込ませた。
だからこそカイドウは黒死牟を強者として記憶する為に名前を聞いたし。
自分に現在の価値を再認識させた剣士(つわもの)にこう問うのだ。
「この世界にはまだ…おれが見るに足るものが残ってるか?」
「何かと思えば、そんな事か」
カイドウは孤独だった。
孤軍であり、そして孤独だった。
彼が出会ってきた強者は皆還ってしまった。
後に残ったのは聖杯へと続く無味乾燥とした旅路。
それをひたすら歩き、無感情に槌を振るってねじ伏せるだけの時間。
それがずっと続く物だと思っていた。
其処に否を唱えたのがこの黒死牟。
光月おでんの刀を受け継いだ一体の鬼であった。
カイドウの問いを受け。
黒死牟は言う。
幼子に世界の広さを問われた大人のように――
「知りたいの、ならば…その眼で、見て来るがいい……」
世界の広さを知った者として答えた。
世界を駆け回った海賊に、このちっぽけな界聖杯(セカイ)の意味を仄めかした。
カイドウはその答えを受けて、一瞬硬直。
しかし次の瞬間に、彼は――
「良い答えだ。海賊(おれ)好みだぜ」
白い歯を覗かせて笑った。
其処にはもう孤独の名残はない。
王の再起を祝福するように、気配が一つ増える。
倒れ臥した黒死牟とそれを見つめるカイドウ。
彼らの背後に降り立ったシルエットが一つ。
-
「大変な役目押し付けといて、私が言うのも何だけど」
桜の花が、風に合わせて舞い散った。
カイドウが振り返る。
黒死牟は呆れを含んだ眼差しを送った。
そして新顔の剣士は――花咲くように微笑んで。
「最高よ、お兄ちゃん」
人外魔境決戦、その第二幕。
「おい――躍らせてくれるじゃねェか」
桜の因縁を此処に晴らそうと、鬼神に向けて鯉口を切った。
-
◆ ◆ ◆
人外魔境渋谷決戦・『閻魔決戦』 勝者――"百獣のカイドウ"
次幕『桜花決戦』 ――"百獣のカイドウ"対"真打柳桜・宮本武蔵"
◆ ◆ ◆
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投下終了です。続きも期限までには
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中編を投下します
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綺麗な桜が一面に咲き誇っていた。
剣鬼が来たる明王の迎撃に赴き、残されたのは少女達と一人の少年。
其処に悠然と姿を現す男が一人在る。
歩いて来た訳ではない。
走って来た訳でもない。
その男は虚空(そら)より現れた。
つむじ風が花弁を巻き上げ、偶々それが人の形を描き上げたように。
そんな幻想小説の一片のような美しさで現れた男こそは、この渋谷を地獄に変えた張本人。
「揃ってるな。手間が省けて何よりだ」
「皮下、先生…」
「おう。久し振りだな霧子ちゃん。何だかんだであれ以来顔を合わせる機会も無かったなぁ」
気さくに片手を上げて挨拶する姿からは想像も出来ないだろう。
この男は何百、何千という人間の命を踏み台にして立っている。
それは何もこの聖杯戦争で築き上げたスコアではない。
妖桜に魅入られて定命を超え、不幸と嘆きを芋蔓式に増やし続け永らえてきた彼もまた一体の化物。
皮下真。旧川下医院の若き院長にして、最強の怪物カイドウの手綱を握るマスターである。
「にしても運が悪いなぁアイ。折角逃してやったのに、こんな前線に出てちゃ駄目だろ」
「…アイさん、死にたくない。だけど……霧子や梨花にぜんぶ任せてじっとしてなんか、いられない……!」
「バカな奴だ。ミズキは何を教えてたんだか。親に恵まれないのは相変わらずらしい」
肩を竦めて視線を外す。
皮下が今此処に居るのはアイの愚かさ、そして優しさあっての事だ。
彼自身その事は理解しているが、しかしそれは自分の求める未来を妥協する理由には成り得ない。
恩は堂々と仇で返そう。
幼い優しさには付け込もう。
目的を叶える為なら不義の一つ二つは何のその。
恥じず悔いず顧みぬ――無慙無愧。
「…こちらこそ、お久しぶりです……皮下、先生。ずっと、また会いたいって……思ってました……」
「俺もだよ。出来れば君が方舟とか言う胡散臭い連中に取り込まれる前に会っておきたかった。
俺みたいな悪人が言うのも何だけど、霧子ちゃんは優しさの塊みたいな子だからなぁ。他のマスターよりずっと楽に取って食えると思ってよ。
葉桜を注入すれば善人ヅラした時限爆弾としても使えるなとか考えてたよ。今だから言うけどな、予選の君は流石に怪しすぎたぜ」
霧子を守るサーヴァントの存在は皮下にとって問題ではなかった。
鋼翼や女王レベルの戦力でもない限り、カイドウの持つ圧倒的武力の前には皆雑兵も同じなのだから。
しかしその当ては外れ、藪医者と医師を志す少女の縁は時現在に至るまで絶たれっ放しだった。
霧子は方舟という拠り所と戦う理由に出会い…既に其処に皮下の奸計が立ち入れる隙間は存在しない。
「方舟の計画を知った時すぐに思ったよ。君の考えそうな事だって」
「わたしだけで、考えたことじゃありません…みんなで、そうしたいねって……そう思えたから」
「不思議なもんでな。他の奴が言ってる分には寝ぼけてんのか此奴らって思うのに、君が言い出したと思うと"霧子ちゃんらしいな"って思える」
「そう…ですか。今言うことじゃないかもしれませんけど…それは、少しだけ……嬉しいです……」
「人殺しに褒められて喜ぶなよ。未来の医者が無辜の犠牲者を蔑ろにしてちゃ世も末だぜ」
皮下真は幽谷霧子という少女の人となりを、同郷のアイドル達程ではないが知っている。
その印象を一言で言うならば『今時珍しいくらい馬鹿正直な善い子』だ。
子供と言っても醜さは必ずある。
承認欲求であったり嗜虐心であったり、或いは純粋な好悪であったり。
眼を輝かせて高尚な夢を語っていた学生が現場の過酷さ、患者のケアの大変さを目の当たりにしてサボり方を覚えていく過程だって腐る程見て来た。
-
しかし霧子にはそれが無かった。
彼女の立ち振る舞いには一切の影がなかったし、どんな気難しい患者にだって笑顔で根気強く接していたのを覚えている。
その非凡さもまた皮下が霧子を怪しんだ理由の一つだったのだが…閑話休題。
「あの…聞いてみても、いいですか……」
「勿論。どう転ぶにせよこれが最後なんだ、遠慮なく何でも聞いてくれ」
「…先生は、どうして……界聖杯さんを、求めているんですか……?」
霧子の問いに皮下は僅かな逡巡もなく返した。
いきなり答えを突き付けるのではなく、まずは問い返す。
「霧子ちゃんは、人を好きになった事ってあるかい?」
「それは…まだ、です……アイドルなので……」
「はは、そっかそっか。アイドルってのはそういう仕事だもんな。野暮を言っちまったか」
頭を掻いて。その双眸に桜の紋様を灯し、皮下は続ける。
「俺は…多分あるんだ。いや、もしかしたらその手の情じゃあないのかも知れないけどな。
百と余年生きて来て、今も忘れられない……片時も忘れた試しのない出会いがあった。
綺麗な、綺麗な花さ。近付き過ぎて魂まで取られちまったが、まぁ、実の所あんまり後悔はしちゃいない」
これを愛と呼んだ女が居た。
そう言って皮下が眼を向けたのは神戸しお。
かつて彼に愛(こたえ)を教えた女の片翼だった。
「別に夫婦になりたくて手を差し伸べた訳じゃないがな。実際面倒だと思った事もあったし、貧乏籤引かされたと思った事も数知れない」
「……」
「霧子ちゃんは医者志望だろ。だったら一つ意見を聞いてみようかな」
松坂さとう――皮下の感情に名を与えたのは今は亡き彼女だ。
砂糖菓子の少女。
燦然と輝く、燃え尽きるような愛を貫いて生き抜いた女の言葉が今も爪痕となって皮下の心に残り続けている。
ずっと名前のない感情でしかなかった"それ"が輪郭を帯びた途端、これまで静かに鼓動していたその情念は打って変わって皮下を蝕み始めた。
これが愛。
誰かを想うという事の烈しさか。
噛み締めると共に決意は強まった。
必ず果たさねばならない。
この愛だけは、何を犠牲にしても貫き通さねばならないと。
「安楽死問題についてどう思う?」
「…、それは……」
「現代医学は完璧には程遠い。結核や癌はある程度治せるようになったし、エイズだって極限まで発症を遅らせられるようになった。
だが現実問題、手出し出来ない病気ってのが相当数あるのは無視する事の出来ない現実だ。
筋ジストロフィー、ALS……末期癌なんかも含められるな。後は先天性の染色体異常なんかも人の手じゃまだどうにも出来ない。
霧子ちゃんはそうした現実的に救いようのない患者に対し、慈悲を以って死を下す事は正しいと思うかい」
「……いっぺんに」
何故急にそんな話に、という困惑は多少あった。
けれど霧子は皮下の言う通り医者を志す身だ。
逃げてはならないとそう思った。
だから自分が今までに得てきた知識と勉強した内容、それらを踏まえて自分の中に構築した考えを辿々しくしかし確かな声で並べていく。
「いっぺんに、肯定も否定も…するべきじゃない事だと、思います……。
人の命はとても大事で、かけがえのないものだけど……ずっとずっと苦しくて痛いまま、自由がなくて辛いまま……
ルールなんだから生き続けろって言うのは、あんまりだとも……思うから。
わたしはまだ、先生のその質問にちゃんとした答えは出せそうにないけど…わたしなりに答えるなら、こんな感じです……」
-
「うん、悪くない。というか満点回答だな。まさにその通り、医者はそれに肯定も否定もするべきじゃない。
偉そうな顔して椅子にふんぞり返りながら御高説垂れるバカよりよっぽどマシだ」
皮下は笑って頷く。
「人の生き死には何処まで行っても個人の宗教観だ。明確な答えなんて百年議論したって出ないさ」
霧子ちゃんは良いお医者さんになれそうだな。
そう笑って言う姿は、まさに教え子を見る教師のようでもあり。
だからこそ次にその口から出た言葉の剣呑さは一際光っていた。
「俺の願いは愛する者の死だ。何百年と頑張って生きて来た患者に、そろそろ安息をくれてやりたくてな」
「っ」
皮下は愛を知った。
いや、自覚した――と言うべきか。
砂糖菓子の少女に感情を名付けられた。
しかし彼の願いは永遠とは異なる。寧ろその真逆だ。
愛するからこそ死なせたい。
死なせてやりたいというその気持ちが、覚醒(めざ)めた彼を突き動かす燃料に他ならなかった。
「記憶や人格の連続性が損なわれるなんてのはまだマシな方でさ。
酷い時は人の形すら保てない。全身の細胞が活性と自壊を繰り返す無限地獄だ。
おまけに定期的に毒親が訪ねてきて体を切り取ったり抉ったりと忙しない。
只消費されるだけの時間を、死ねない体で生き続ける事に何の値打ちがある」
霧子は何も言えなかった。
圧倒されていたからではない。
彼女は優しい娘だ。
お日さまのように眩しく暖かく、万人を分け隔てなく照らす光だ。
そして誰かを救う道に進めるだけの頭があり、努力も重ねている。
それら全ての要素を持つからこそ――何も言えなかったのだ。
不用意な慰めや同情の言葉を此処で吐く事がどれ程無責任で残酷な事かが解ったから。
「だから俺は聖杯に願うんだ。君達の命を祭壇に捧げて、俺の細腕じゃ到底切り倒せないあの桜を絶やしてやるのさ」
「……」
「ま…そういう訳だ。期待させてたなら悪いが、俺はどうやったって君の方舟には傅かない。
その為の"夜桜事変"だ。その為の"夜桜前線"なんだ。此処で聖杯攫わなきゃ、死んでいった飲み友達にも笑われちまう」
皮下が思い描いたのは眼帯の青年だった。
間違いなく敵だったが、しかし何処か憎み切れなかった男。
彼はもうこの世に居ないが、皮下にも人でなしなりに多少の義理を見せてやるくらいの甲斐性はある。
願いを叶えられなかったあの男がハンカチを噛みながら血涙流すくらい見事に、俺は本懐を遂げてやろうと。
そう思うからこそ夜桜事変の黒幕は揺るがないし変わらない。
愛という不変で以って、方舟の少女と相対する。
「わたしは…」
皮下の言葉を咀嚼するのは並大抵の事ではなかった。
百余年の思いが軽い訳がない。
愛するが故に殺す、その覚悟が生半可な訳がない。
敵は敵と割り切ってしまうのが最も単純な解決法である事に疑いの余地はなく。
しかし幽谷霧子は――幽谷霧子であるが故にそれをしなかった。
真正面から受け止め、咀嚼し、飲み込んでその上で口を開く。
「わたしは…先生に殺されてあげることは、できません」
-
「そりゃそうだろうな」
「でも……先生のその気持ちが、間違いだって…そう否定する気にも、なれません」
命は差し出してあげられない。
けれどその気持ちはきっと間違いなんかじゃない。
「実は…ずっと知りたかったんです。先生が何のために戦ってるのか……何のために、命を奪うのか……」
幽谷霧子は優しい少女だ。
アイドルのスター性ともまた違う輝きを放つお日さまだ。
そんな彼女は、過去に縁のあった敵の事を"そんな人も居たな"と片付けられる程利口な思考回路をしていなかった。
ずっと考えていた。
思い出しては思いを馳せていた。
皮下真――予選期間を共にした彼の心と願いについて。
そして答えが出た今、霧子が覚えた感情は…安堵。
「先生は、すごいお医者さんだから……」
一方の皮下は狐につままれたような気分にならざるを得なかった。
目前の少女が何を言っているのか、本気で解らなかったからだ。
この状況で出て来る言葉か、それが。
今から殺し殺されの命のやり取りをしようとしている相手に掛ける言葉か、それが――
「先生は…どんな人にも、いつも笑顔で診察をしてました……。
赤ちゃん、妊婦さん、おじいさん、おばあさん、にぎやかな人も人見知りさんにも…いつも、笑ってた……」
「建前だよ。解るだろ、ちょっと考えたら」
「それでも…患者さんにしてみたら、皮下先生は……優しくて、とっても頼れる……素敵なお医者さんだったと思います……。
病気になって病院に来る人って、みんなすごく不安だから…先生みたいな人に診察して貰えたら、安心すると思うんです……」
端的に言おう。
皮下真は幽谷霧子を甘く見ていた。
類稀な優しさを秘めた、お人好しな女の子とその程度にしか思っていなかった。
――たかだか"類稀"という程度で、地獄に堕ちた剣鬼を照らせるものか。
「こんなお医者さんになろうって、わたし…皮下先生を見て、そう思ったから……」
「……」
「だから、先生が…先生の持つ願いごとが、誰かへの優しさに溢れたもので……わたし、なんだか安心しちゃって……」
でも、と霧子。
ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい…わたしは、みんなのことを裏切れないし、捨てられません……。
だから…わたしの気持ち、わたしの大切な人たちの気持ち、ぜんぶ込めて……先生に、ぶつけます……」
「は――いいね。ちょっと見ない間に一皮剥けたみたいだ」
霧子は手を差し伸べはしなかった。
彼女はもう、無垢に融和だけを夢見る子供ではない。
聖杯戦争とはその名の通り戦争なのだ。
譲れない願いを持って戦う者と、皆で手を取り合って帰りたがる者とが完全に解り合える道理など端から有りはしない。
解り合えない相手は必ず居る。
好悪とは別として、どちらかが潰えるまで戦わねばならない相手というものがこの世界には存在する。
それは霧子にとってとても悲しく寂しい事だったが。
それでも…優しい陽光は、自分の考えに適応出来ない者を癇癪に任せて灼き苛む事を選ばなかった。
目を見て話を聞く。
そうして理解する。
敵対するしかないとしても。
どちらかしか生き残れないのだとしても…せめてそれだけは、この世界に共に存在していた器(なかま)として譲りたくなかった。
「初めて君等の事が少しだけ好きになれたかもだ。綺麗事にも質があるな」
「それは…不謹慎ですけど、ちょっとだけ嬉しいです……。みんな…わたしの、大事な人たちだから……」
「ま、それも含めて全部これから俺が殺す訳だけどな」
これにて対話という名の対決は終了。
勝者無し。敗者もまた、無し。
「残念だよ。出来れば君には、俺みたいなロクでなしとは関わらずに生きて欲しかった」
-
皮下の輪郭が揺らぎ、より怪物らしく桜の花弁を撒き散らす。
それに合わせて前に躍り出たのはチェンソーの少年だった。
否、サーヴァントである以上は『ライダー』というクラス名で呼ぶべきか。
「話終わったかよ。じゃあそろそろ殺すぜ藪医者野郎」
「スーパードクターに向かって人聞き悪いな。霧子ちゃんのお墨付きだぜ」
霧子の五体を引き裂かんとした桜の枝葉がチェンソーの前に木片と化す。
次の瞬間、やや遅れて霧子を抱きかかえたのはアイだった。
黒死牟が単独でカイドウの迎撃に出た理由は、必ずやマスター狙いで顕れるだろう皮下への対処の為だ。
「ていうか良いのかよ。お前とそこのおチビちゃんは連合側だろ? 方舟のクルーが死ぬ分には得しかない筈だろう」
「あぁ? …スーパードクターってのは寝ぼけた脳ミソしてんだな。おいしお、言ってやれよ」
箱舟と連合が相容れる事は決してない。
其処に関しては皮下の言う事は十割正しい。
にも関わらずデンジが、そのマスターである神戸しおが箱舟に与する意味があるとすれば。
それは――
「お医者さん、さとちゃんの敵だったんでしょ?」
彼女は皮下が啖呵を切った愛の片割れだから。
彼が率いた戦線の一員であるリップ=トリスタンが殺めた女の片翼だから。
「だったらまずはあなたから。さとちゃんのかたき、取らないと」
「…やれやれ、こりゃ参ったな。いつの時代も"愛"に勝る地雷はないらしい」
射竦める蒼瞳に皮下は肩を竦める。
言葉で懐柔出来るとは思っていたが、自分の踏み付けていた地雷の想像以上の大きさに恐れ入った。
されど臆病風に吹かれはしないし、勝利を疑う心も欠片もない。
サーヴァントと虹花の生き残り。
マスター一人で受け持つには過剰と言っていい戦力を前にしながらも皮下は微塵とて怖気付いてはいなかった。
理由は一つ。勝算があるからだ。
「とはいえ、中身がお前なら俺で十分事足りる」
「随分自信家なんだな。俺ぁこう見えてもヒーロー呼ばわりされた事もあるんだぜ」
「種は割れてる。中身を交代するにはリソースが要るんだろ? さしずめ令呪一画で一回の交代って所か。
で…そっちのロリっ子ちゃんの令呪は残り一画。そりゃマスター相手には切れねえよな、此処で切ったら後が無くなっちまう」
皮下真は超人だ。
最初からそうだった。
ならば万花繚乱の境地に至った今の彼はさしずめ魔人か。
その戦闘能力は下手なサーヴァントであれば片手間に蹴散らせる程度には高い。
「唯一怖かったのはおっかない顔の剣士君だった。けどそいつは総督の所に向かって…どうやらもう死にかけらしい」
霧子の表情が強張る。
そう、皮下にとって厄介な存在はデンジではなく黒死牟だった。
流石にあのレベルの技量を持つサーヴァントが相手となると危険が出る。
しかし彼はカイドウの迎撃に出ていて不在。
鬼の居ぬ間に何とやらではないが、今この場に皮下の跳梁を止める事の出来る者は存在しない。
デンジは"交代"さえ起きなければ勝てない相手ではない。
アイに至っては言わずもがなだ。
以上を以って皮下は勝算を見出した。
此処で箱舟のクルーと、かつて自分の前に立ちはだかった"愛"の残骸を抹殺する。
もしもデンジが"交代"するようなら令呪でカイドウを呼ぶ。
その選択肢の存在が、目前の敵勢力を抑える"縛り"にもなる。
「俺は夜桜だ。燦々眩しいお日さまにはご退場願おう」
対話の時間は此処まで。
桜の咲く、夜が来る。
皮下を中心に育ち殖えていく夜桜の樹海。
霧子やしお、アイはおろかデンジでさえ貫かれれば危ういだろう吸精の妖樹。
他人の命を吸い上げて肥え太る血塗れの歴史を象徴するような花咲く災禍が顕現する。
「下がってろ、しお」
「まって、らいだーくん」
踏み出そうとしたデンジを制したのはしおだった。
足を止める理由が思い付かない。
そんな彼をよそに、しおは指差す。
桜のカーテンのその向こう。
微かに生まれた揺らぎの方を。
「だれか、くるよ」
-
…花嵐が裂ける。
全てを呑み込む春が、新たな春を受け入れる。
白く染まった頭髪と肌。
皮下のように、身体中から咲き乱れては消えていく桜の花弁。
その姿は霧子達の知る"彼女"のものとはかけ離れていたが。
しかし解る。
伝わる――彼女の名が。
どんなに変わり果てようと、その双眸に宿る光は紛れもなく霧子が、そしてアイが知る少女の物だったから。
「梨花…ちゃん……?」
「みー。心配かけてごめんなさいなのです、霧子、アイ」
古手梨花。
ずっと離れ離れになっていた箱舟のクルーの一人。
久方振りの再会に霧子達が覚えたのはまず安堵。
そして、困惑。
彼女の姿はあまりに自分達の記憶にあるそれと違っていたから。
何があったのか。
何をしようとしているのか。
聞きたいことは山程あったがしかし悠長に問答をしている暇はない。
久闊を叙する事を桜の魔人は許してくれないからだ。
皮下の視線と梨花の視線が――二つの桜が交差する。
「よ。痴話喧嘩は終わったのかい」
「お陰様でね。ちゃんと終わらせて来たわ、私達の因縁は」
「無理すんなよ。立っているだけでも辛いだろうに」
古手梨花は夜桜の血を流し込まれて超人と化した。
彼女は先祖の血縁と百年の因果を以ってその血を扱いこなしたが、それでも完全な適応を果たした訳ではない。
それどころか血の酷使は梨花の残り時間を更に早める結果を齎した。
北条沙都子との決着を着けた彼女の"その時"はもうすぐ其処にまで迫っている。
体内器官は再生と崩壊を絶え間なく繰り返し、皮下の言う通りこうしている今も地獄の苦痛に苛まれ続けていた。
「…そういう訳にも行かないのよ。約束してしまったもの」
「やれやれ。俺はアンタの為にやってるんだがな…上手く行かないもんだ」
肩を竦める皮下の言葉は梨花に向けられたものではなかった。
彼は、梨花の体に何が起きたのかを理解している。
まるで生き写しのように変わったその外見が何よりの証拠だ。
血の中に混じっていた"始祖の桜"…皮下のよく知る彼女の"良心"。
古手梨花はそれと接触し、血の力を引き出すに至ったのだとすぐに悟った。
であれば。梨花が始祖とどんな約束を交わしたのかには察しが付く。
“安定してる時のアイツは優しいからな”
とはいえやるべき事は何も変わらない。
皮下真は、"夜桜前線"は揺らがない。
-
古手梨花を見据える視線にその意志を籠める。
梨花は身動ぎ一つせずにそれを受け止めた。
「あんたには言いたい事も溜まってるものも山程あるのよ。この機にかこつけて、全部ぶつけさせて貰うわ」
「そりゃ怖い。ぶん殴られるくらいじゃ済まなそうだ」
双方、瞳に桜が宿る。
開花は最早前提だ。
此処に居るのは夜桜の使徒二人。
共に始祖の血を宿した、繚乱の子等。
“…逃げる事はまあ、出来るな。死にかけの夜桜一人程度ならやり過ごせるしそれが賢明だ。
もしも本当に梨花ちゃんがアイツを……つぼみを宿してるって言うんなら、どんな無茶苦茶が出て来るか解ったもんじゃないからな”
皮下は考える。
利口なのは時間稼ぎだ。
何が飛び出すか解らないびっくり箱に本気で向き合うなんて馬鹿げている。
やり過ごして、躱して、力を温存する。
桜が枯れてから改めて箱舟の誅戮に臨む。
最適解はそれだ。
そう確信している。
解っている、その上で――
「俺も…、甘ぇな」
皮下はそうしなかった。
不合理にして愚か。
その自覚を抱いた上で、敢えて目前の因縁に向き合う。
これは彼にとって不要な戦いだ。
黙っていても古手梨花は死ぬのだから。
偶々つぼみと繋がれた幸運な桜は枯れ果てるのだから。
にも関わらずそうした理由を、一言で形容するならば。
「いいよ。やろうか――古手梨花。元を辿れば自分で蒔いた種だ。責任くらいは持つとしよう」
「上から目線ね。悪いけどもう逃さないわよ、皮下真。…私と、彼女の抱える全部。これからあんたにぶつけてあげる」
――愛、と。
そう呼ぶべきなのだろう。
「始めましょう。"夜桜事変"を」
-
◆ ◆ ◆
人外魔境渋谷決戦・『昼夜決戦』 ――勝者無し
次幕『桜花決戦・裏』 ――"皮下真"対"古手梨花"
◆ ◆ ◆
-
『田中ってさ』
「なんだよ」
『私(アイ)の事好きだったの?』
「ぶっ…げほっ、ごほっ……! お…お前、いきなり何言うんだよ」
『うわ図星っぽい反応。もしかして正鵠、ヘッドショットしちゃった?』
「…んなわけねえだろ。夢見るにしても相手選ぶわ」
『そんな事ないでしょ。現場でよく見たよ、田中みたいな人』
「それがフォローになってると思ったら大間違いだからな。後お前は現場(ステージ)立った事ないだろ」
『記憶にはあるもーん。私(アイ)は結構好きだったみたいだね、この仕事』
「だろうな。そうじゃなきゃ彼処まで貫けねえよ」
『私は好きとかそういうのじゃないから、ちょっとだけ羨ましいな。私にとってアイドルは仕事じゃなくて、役割だからさ』
「…、で。お前、なんでいきなりそんなトンチンカンな事言い出したの」
『え? だって田中、私(アイ)に未練タラタラみたいだから』
「……やっぱそう見える?」
『うん。たまに私の事じっと見てるし、正直結構キモいかも』
「悪かったな。…仕方ねえだろ、自分が殺した人間が起き上がって隣に居るようなもんなんだから。俺は凡人だから、そう簡単には慣れられない」
『人殺したの、私(アイ)が初めて?』
「いいや。二人目だ」
『あはは、立派なシリアルキラーじゃん』
「まあな。…やっぱりさ、命の価値ってのは誰しも等価じゃないんだなって思ったよ」
『難しい話? それ』
「簡単な話。顔見知り殺すのは、やっぱ違うわ」
『ま、そりゃそうだよね』
「…お前、あの人の記憶引き継いでんだよな」
『そうだよ。まあ、あくまで記憶として持ってるだけだから…信念とかそういうのは抜けちゃってるけど』
「なら知ってるだろ。俺はさ、あの人に救われたんだ」
『ああ。なんか言ったんだっけ、私(アイ)』
「お前じゃなくても…本物のアイさんでも、そんな程度の印象かもしれない。
実際あの人は、別にそんな熱い気持ち込めて言った訳じゃないんだろうし。
でも……それでもさ。あの時の俺には…適当でも何となくでも、兎に角必要な言葉だったんだよ。ありがとうって、言いそびれちまった」
『そっか。私は私(アイ)じゃないけどさ』
「うん」
『田中がそう言うんなら、代わりに受け取っとくよ』
「…ありがとよ。偽物に言うのも何だけど」
『細かい事は気にしない。で』
「で?」
『ちょっとはスッキリした?』
「そこは"元気出た?"だろ。アイドルなんだから…、……まあ。確かにスッキリはしたかも」
『なら良かった。元気の方はどう?』
「そっちは間に合ってる。ムカつくけどさ、あのクソガキと戦って…見事に一杯食わされて、ちょっと目が覚めたんだ」
-
『すっごい子だったよね。あれまだ高校生かそこらでしょ? 死柄木君といい若者の人間離れは深刻ですなぁ』
「あぁ。アイツの事はよく知らないけど…凄い奴だと思うよ。多分俺じゃ逆立ちしてもああはなれない」
『田中だもん。すぐ凹むしヘラるしベソかくし』
「う、うるせえな…言うなよ。俺だって気にしてんだから」
『あはは。ちょっと可愛いかも』
「…兎に角。俺はさ、どうやってもあんな化物にはなれないんだ。
俺は俺のままで、何をするかで俺の価値を証明しなくちゃならない。
そうしなきゃ俺はいつまでも……消しゴムやソシャゲに命懸けてた頃のままだ。それで敵(ヴィラン)なんて名乗れやしないだろ」
『……』
「こう見えてさ。のめり込む事には自信があるんだ」
『消しゴムとかソシャゲとか?』
「そう。一回のめり込むと周りが見えなくなるし、後先も考えられなくなるんだよ。
…まぁ多分何かの病気だな。そういう病院に行けば診断書の一枚でも貰えると思う」
『じゃああれだ。田中は今、連合(わたしたち)にのめり込んでるんだ』
「寧ろこれから、かな。…自分でも情けなくなるくらい回り道ばっかりして来たけどさ。
峰津院の事だってそうだ。俺、昔――つっても昨日だけど。拳銃一丁であのガキにカチコミかけようとしてたんだよ」
『…自殺志願?』
「自分でもそう思う。今はな。けど、実際峰津院への突撃は一日遅れで果たせた訳だろ。結果はああだったけど」
『惜しかったねー。それなりに効いてた筈だから、もうちょっと入念にプランを立ててたらいけたかも』
「つまり俺は、ようやっと自分がやろうとしてた事が出来る所まで来れたんだよ。
で…峰津院にはしてやられたけど、アイツのお陰で一番大事な事にも気付けた。これで多分、ようやっとスタートラインだ」
『田中ってさ』
「なんだよ」
『めっちゃ真面目だよね』
「…そうか? ダメ人間だろ、自分で言うのも何だけど」
『そんなあれこれ悩んで考えて、一歩進んでまた一歩戻ってさ。見ててじれったくなるくらい真面目に見えるよ』
「そういう生き方しか出来ないんだよ。さっきも言ったろ。俺は峰津院のアイツや…死柄木みたいには生きられないんだ。
無理して勢い任せに走り出すのは出来なくもないけど、そんな付け焼き刃が持つ価値なんてたかが知れてるって此処に来て痛い程解った。
この一日半で、俺が握り締めてたナマクラの刃は一本残らずへし折られちまった。
俺の『田中革命』なんて此処じゃ何の意味もない。キチガイに刃物持たせて無双出来る世界観じゃないんだもん、当然だよな」
『それはそれで需要あると思うけどね。私(アイ)は実際、元の世界じゃそれで死んでるわけだし』
「お前さ、峰津院やカイドウにナイフ刺して殺せると思うか?」
『…次の瞬間には田中のたたきが完成してそうだね。ポン酢としょうがが合いそう』
「要するに『田中革命』は大人の事情で打ち切りって事。もう一回始められる気もしないしな」
『ふーん。でもなんか残念だなぁ。私は結構好きだよ、私の陰に隠れてイキイキしてる田中も』
「オブラートに包めよ。…俺の『革命』は、アイツに全部預ける事に決めたんだ」
『アイツって? まぁ、聞かなくても解るけど。一応聞いてあげる』
「死柄木弔。俺とお前の王だ」
『ですよねー。言うと思った』
「アイツは…本当に凄い奴だ。峰津院もカイドウも、誰だって及びも付かないって断言出来る。
死柄木なら……俺の革命(こころ)を引き継いでくれる。アイツが創る地平線が、俺にとって最高の『田中革命』だ」
『あんま無理しちゃ駄目だよ。田中はすぐ背伸びするし、その分ツケ食らってゲロ吐きそうな顔するのがお決まりなんだから』
「ゲロくらい幾らでも吐いてやる。もう一度、あの地平線を見られるなら」
『頑張るねぇ。でもそれなら私も一安心だ』
「なんでだよ」
『だって死柄木君は私にとっての創造主(パパ)だから。田中が聖杯を狙うってなったら、私はパパの方に着かないといけなくなるでしょ』
「…ああ、そういう。確かにお前、死柄木の子供みたいなものだもんな」
『そうそう、だから安心したの。田中を殺したらさ…なんかこう……後味悪そうだし。
犬とか猫とかを思いっきり蹴って殺しちゃったみたいな、そんな気持ちにはなりそうだから』
「……お前、やっぱり俺のこと舐めてない?」
『舐めてないよ。可愛いなって思ってるだけ』
「それを舐めてるって言うんだよ巷では。一応人様のガワ被ってんだから、人間らしくしとけ」
-
『はいはい。マスターの言う事には従いますよー……っと。あ、これも覚えたよ。次は何聴けばいい?』
「あー。今何曲目だったっけ」
『三倍速で十三曲目。そろそろアルバムが一個出せそうだね』
「流石だな。アイドルを基にしたホーミーズだから、曲覚えんのも速いのか」
『まぁね。…でも本当にこんな事して意味あるの? さっきみたいに適当に声張り上げるだけでもちゃんと戦えるよ?』
「流石にアイドルの攻撃方法が奇声ってのは拙いだろ。…まぁそれは冗談として、意外とシナジーあったりするんじゃないかなと思ってさ」
『そういうもんなのかな』
「なんでお前が解らないんだよ。解っててくれよ」
『だって赤ちゃんなんだもん。田中がそうしろって言うんなら従うけどさ。これだけ覚えたらカラオケで無双出来そうだね』
「戦場で無双してくれ。…で、何か気に入った曲とかある?」
『んー。ちょっと待ってね』
「……」
『……』
「…………」
『…………あ』
「決まった?」
『これかな。四番目に聴いたやつ』
「…これ?」
『うん、これ』
「『ヒカリのdestination』。…イルミネーションスターズって奴らのか。何処がツボにハマったんだよ」
『んー。特にないかな』
「…お前な…」
『でも、なんかそれが一番ビッと来たんだよね。何でだろ』
「……まあいいや。じゃあ、残りはそいつらの曲聴いててくれ。何倍速まで聴き取れる?」
『何倍でも。田中の方こそ、私の事舐めないでよね。――私、アイドルのホーミーズだよ?』
「そっか。なら頼むよ、最高速度で記憶してくれ」
『オッケー。頑張って記憶(レッスン)するね』
「……」
『……』
「…………」
『…………』
『――出来た。全部覚えたよ』
「ああ、お疲れ。…こっちも色々考えが纏まった」
『色々調べてたもんね。私に曲聴かせながら自分はグーグルフル稼働。忙しいなぁって思って見てた』
「こっちは必死なんだよ。トチったら最悪死ぬんだから」
『で? 田中は私に何をさせたいのかな』
「お前さ」
『うん』
「エコーロケーションって奴、出来る?」
『日本語訳からお願いしたいかな』
「…声を出して、その反響で周りの物や地形を探知するんだ。クジラとかコウモリがよくやるんだってさ」
『いくらアイドルの血から出来てるからってコウモリ呼ばわりは傷付くなぁ』
「良いから。出来るのか出来ないのか答えろよ」
『多分出来るんじゃない? アイドルのホーミーズってさ、要するに音のホーミーズみたいなもんだから。音で出来る事は大体出来ると思うよ』
「出来れば超音波くらい甲高い声でやりたいんだよな…そっちはどう?」
『ああ、それはいけるよ。ていうか峰津院君と戦ってる時もそれで揺さぶりかけてたし。実は』
「…解った。そっか、出来るのか……それが出来るなら大分変わってくるな……、……」
『ありゃりゃ、ブツブツタイムに入っちゃった。オタクだねー』
「――駄目だ、悪いけどお前も考えてくれ『アイ』。頭痛くなってきた」
『私そういう頭使うのはさっぱりだよ。オリジナル譲り』
「猫の手でも借りたいんだよ! 悪巧みはお前のお得意だろ…!?」
『遠回しに悪女って言われちゃった。…しょうがないなぁ、出来る範囲でだよ? で、田中は何しようとしてんのさ』
「…海に落とす」
『え?』
「夢見てる奴ら、全員海に落とすんだ」
「死柄木の地平線に、余計な船なんて必要ない」
「俺とお前であいつらを全員殺す。死柄木が暴れ出す前の前哨戦だ」
◆ ◆ ◆
-
――箱舟を守るサーヴァントの一人、メロウリンク・アリティ。
彼は抜け目のない男だ。
283プロダクションの"プロデューサー"と相対するに当たって、周囲に"結界"と呼んでも差し支えないだけの防衛線を構築してあった。
実際にはプロデューサーはにちかとの会話で答えを得、只穏やかに滅んでいく事を選んだ為使う機会はなかったが。
逆に言えば事がそうならなかった場合…狛犬が狂犬のように暴れ狂った場合。
それを想定して、いつでも最悪の事態に対処出来るだけの備えはしてあった。
古典的なブービートラップを基礎にしつつ"犯罪卿"が遺した自分用の重火器の類もふんだんに活用した二重三重の防衛線。
大袈裟でなくサーヴァント相手にさえ通用するだろう罠が、少女達と愚かな男の決着を取り囲んでいたのだ。
彼女達と彼の結末に誰も横槍を入れられないように、という意味も込めての備え。
事実それは、仮にプロデューサーが猗窩座を呼ぶという最悪の行動に出た場合でも対応出来るだけの水準に達していたが。
だが――ひとつの物語に緞帳が降りる傍らで"それ"は着々と進行していた。行われていた。
『お前さ。エコーロケーションって奴、出来る?』
エコーロケーション。
声音の反響を用いての状況把握。
人間でそれをやるのは常人の感覚ではまず不可能。
だが『アイ』はアイドルのホーミーズ。
彼女を生み出した死柄木自身でさえ予期しなかった事だが、彼女は自称する通り、ほぼ音のホーミーズと言っていいだけの万能性を宿していた。
先代であるビッグ・マムが世界最高の歌姫の遺体を用い同じ事をしたとして、このように上手くは行かないだろう。
英霊の力は因果因縁に引っ張られやすい。
死柄木弔は個人の"個性"が良くも悪くも尊重される世界に生を受け、そして呪いのような"個性"を授かった。
だからこそアイドルという存在が――ひいてはオリジナルである星野アイが持つ個性が、ホーミーズ化した際に強く表出した。
それは思わぬ誤算であり。
そして田中一という男が、星野アイという偶像の聖性を信用しているが故に辿り着けたマスクデータ。
超音波レベルにまで研ぎ澄まされた『アイ』の声は誰にも聞こえぬ最大音量で渋谷の街を駆け巡った。
しかし誰にも気付けない。
アイドルの少女達は勿論の事、サーヴァントにさえそれを聞き取れた者は一人も居なかった。
英霊の知覚能力をすら超えて響き渡る歌姫の反響(エコー)。
『アイ』の声は瞬く間に渋谷に存在する全ての生命体の位置と魔力反応・生命反応の大きさを炙り出し。
メロウリンク・アリティが張り巡らせていた無数の罠の存在をも克明に描き上げた。
であれば後は何も難しい事はない。
サーヴァントにも匹敵する身体能力。
にも関わらず、人間を素材にして出来た事実上の『星野アイのホーミーズ』である為に放つ魔力反応は人間と変わらない程の極小。
アサシンクラスの気配遮断…程度は劣るが、"術師殺し"の天与呪縛にも似た存在単位での迷彩を施しながら『アイ』は駆けた。夜闇に躍った。
爆弾を壊し地雷を壊す。
ワイヤートラップを引き千切り、火炎放射器を蹴り砕く。
エコーロケーションにより寸分の狂いなく正確に座標を把握出来ている以上、メロウリンクのトラップフィールドは彼女のステージも同然だった。
結果として――時間にして三分足らずの内に全てのトラップを破壊。
誰も知らぬ間に、少女達は丸裸に変わる。
-
「俺が望むのは地平線だ」
田中一は、メロウリンクの存在等知らない。
箱舟にゲリラ戦のエキスパートである傭兵が在籍しているなんて知る由もなかった。
彼がやろうとしたのは位置把握。
死柄木の敵が何処に居るかを知ろうとしただけ。
余りに愚直。
余りに凡庸。
しかしその平凡さが――此処では最高の結果を生み出す。
「死柄木の地平線に…箱舟(おまえら)は要らない」
彼は端役だ。
奈落の底で蠢いているのが相応の虫だ。
アイドルに並ぶ資格はなく。
石ころ、どんぐりでさえ彼にはきっと過ぎた役柄。
しかし。
この界聖杯は、あらゆる可能性を許容する。
「皆殺しにしてやるよ。さあ――俺達の『田中革命』を始めようぜ」
革命の狼煙は上がる。
悪の憧憬だけを載せて。
狂気のままに物語はあるべき形を取り戻す。
死を孕む一番星が、断頭台となって輝く色彩を切り裂いた。
-
中編の投下を終了します。
残りは纏めて期限までに投下します
-
後編を投下します
-
人は死ぬ。
誰であろうと。
男であろうと女であろうと。
老人であろうと、子供であろうと。
その時が来れば誰しも呆気なく死ぬ。
この世から永久に消えてなくなってしまう。
そう解っていた筈だった。
七草にちかは、それを見ていたから。
「びっくりしました」
もう一人の自分がそうなった時の事は今も鮮明に覚えている。
生意気でいけ好かなくて、でも誰よりも自分の事を見てくれていた彼女。
最後に少しだけ微笑んで冷たくなっていった姿を忘れるなんて出来る訳がない。
だというのに、今間近で起こった一つの死をにちかは何処か現実感のない気持ちで受け止めていた。
「プロデューサーさんって、死ぬんですね」
櫻木真乃だって死んだ。
七草にちか。櫻木真乃。
そして、プロデューサー。
消えてしまった彼のそれは他の二人とは違う物だったかもしれないけれど、命が失われたという点では同じだろう。
皆同じ人間の筈なのにどうしてだか今回だけは実感が持てない。
あの人が死ぬ訳がないと…自分でも驚く程何の疑いもなくそう思っていた事ににちかは今頃気付いた。
長いこと、本当に長いことこっちの頭を悩ませてくれた困った人。
でもこの世界を出て元あった日常に帰るその時、彼の姿は必ず自分達と共にあるものとそう信じていた。
そして帰り着いたなら手間取らされた分も含めて美味しいお高い焼肉でも奢って貰うのだ。
当分は顎でこき使う日々で、それを姉のはづきに咎められて。
摩美々も便乗してプロデューサーに"悪い子"らしいちょっかいを掛ける、そんな日常が続いていくものと疑わずに居た。
考えてみれば、結末なんて最初から解り切っていたというのに。
今にも死にそうな顔をしているあの人。
真乃のアーチャーを単独撃破する程強い彼のランサーと、戦力としては凡夫に過ぎない自分のライダーが互角に戦えているらしい事実。
それらを踏まえて考えれば、プロデューサーが既に限界…それすら超えた状況にある事なんて察せた筈なのだ。
であれば当然、その先も。
彼に必ず訪れるその結末も――解っていた筈だった。
或いは田中摩美々は既に悟っていたかもしれない。
にちかよりも敏いあの"悪い子"ならば。
にちかが目を背けてしまっている現実を、一足先に見据えてしまっていたのかもしれない。
「私、プロデューサーさんだけは大丈夫だって思ってました。何ででしょうね」
いや、理由なんて一つしかない。
283プロのアイドル達が大切な存在でなかったと言うつもりは微塵も無いが、それでもやはりあの男はにちかにとって特別な存在だったのだ。
背伸びしたどんぐり。
海を目指して激流に身を投げた石ころ。
バカで身の程知らずな小娘が乱暴に差し出した手を「それでも」と取ってくれた人。
それが彼だから。
-
「そっかぁ…」
アイドルになんてならなければ、こんなに辛い思いはせずに済んだのかもしれない。
身の丈に合った幸せを噛み締めて生きるだけでもそれなりに幸せだったろう自覚はある。
生きるだとか死ぬだとかそういうおっかない話に巻き込まれる事は多分無かっただろうし。
多分もっとずっと呑気に、それでいてゆったりと高校生らしい日々を過ごせていたのだろうと思う。
――それでも七草にちかは、"出会わなければ"と思う事は出来なかった。
以前ならば出来たかもしれない。
この世界に来る前、来た直後でもいい。
全てを諦めて臍を曲げていたあの頃なら、きっと出来た。
でも今はもう無理だった。
その強がりで以って疼く傷口を塞ぐには、にちかは輝くその意味を知り過ぎた。
「ほんとに死んじゃったんだ」
箱舟が出港を果たし元の世界へ帰り着けた未来。
其処でもきっと、七草にちかはアイドルを続けるだろう。
また一からレッスンに挑んで、かつて敗れた舞台に再び挑む。
そうやって自分の夢を叶える為に邁進していくに違いない。
けれど。もうその風景に、あの"プロデューサー"の姿はないのだ。
「…顔ぐちゃぐちゃにして泣き崩れてくれるとか思ってたでしょ。
でも残念でした。何せ散々泣いてきたんで、プロデューサーさんの分の涙はもう品切れです」
何があったとしてもプロデューサーの声は響かない。
機嫌を悪くしたにちかの八つ当たりを受け止めてくれる事もない。
にちかを見て、かわいいと――そう呼んでくれる事もない。
嬉しい事も哀しい事も腹立つ事も、もう何一つとして彼と共有する事は出来ないのだ。
それが"死"。
命を終え、別れるという事。
また一人、大切な誰かがにちかの傍を離れて逝ってしまった。
「その代わり、あっちに戻ったらうんと笑って生きてやるんで。あの世から確認よろです」
天国か地獄かは知りませんけどね。
まぁ運が良かったら、お釈迦様がちょっとは事情を汲んでくれるんじゃないですか。
空に向かって一人、少女は歌うように贈った。
涙はもういいだろう。
彼の辿ってきた道筋をにちかは詳しく知っている訳ではない。
だが…きっと散々泣いてきたのだろう事は解る。
そんな彼に死んだ後まで涙を見せるというのも酷な話だ。
それに――やっぱり。
「アイドルは、笑顔が大事。ですもんね」
滲みかけた視界を拭う。
そしてにちかは空に笑った。
あなたが育てたアイドルは此処に居るぞと。
此処から、生きていくぞと。
心でそう叫んで笑った。
それは、鬼のように生きた一人の人間に対して七草にちかが贈る――精一杯の餞だった。
◆ ◆ ◆
-
――タン!!
.
-
◆ ◆ ◆
田中摩美々から受け取った情報をアシュレイ・ホライゾンに伝えた。
メロウリンクは傭兵であって、戦術家でも交渉人でもない。
かの蜘蛛達のように数局先まで見据えた緻密な計算等専門外だし、従ってにちかの真実について自ら考えを巡らす気も然程無かった。
だが、プロデューサーが最後に遺したというあの言葉。
あれが一体何を意味する物なのかはやはり気になった。
もう一人のにちかとの付き合いも随分長いのだ。
あの少女が一体この世界にとって。そして自分達にとっての何であるのか。
考えた所で結論は出ないだろうが、一つ確信している事はある。
“彼女の真実が、俺達の今後を支える最大の骨子になる”
つまり箱舟の旅路も佳境へ入ったという事だ。
恐らく直に事態は大きく動く。
そういう意味でもアシュレイとは早く合流を果たしたいし、彼の所感を聞きたい所だった。
“…二人には――少なくとも摩美々にはもう少し時間が要るだろうけど、な”
此方に背を向けて蹲る摩美々の背を見ながらメロウリンクはそう思う。
立派な男だったのだろう。
道は間違えたかもしれないが、そうでなければ多感な時期の少女達にああまで慕われはすまい。
であればきっと別れを受け入れるには時間が要る筈だ。
摩美々程の大人びた少女であっても。
…いや、或いは大人びているからこそ。
“無理をさせないのも、俺達の仕事か”
いいだろう。
それが仕事だと言うなら是非も無し。
亡き犯罪卿の顔を心に思い浮かべながら、メロウリンクは小さく笑った。
まさにその時の事だった。
彼の耳が、ある不吉な音を捉えたのは。
――タン!
-
「何…!?」
聞き慣れた音だった。
銃声。
しかし数刻前に聞いたのとは似て非なるものだ。
櫻木真乃を襲った凶弾とは音の重さが違う。
拳銃ではない。これは、この音は…
“狙撃銃(ライフル)…!?”
メロウリンクが覚えたのは驚愕。
アイドル達をプロデューサーに接触させる上で、彼は最大限の準備をしていた。
ブービートラップの設置。
多種多様な感知システムの設置。
狙撃に使えそうなポイントを潰す事だって抜かりなくやっていた筈だ。
犯罪卿の死後、メロウリンクは彼が隠していた大量の近代兵器を全て引き継いでいる。
だからこそセキュリティは万全な筈だった。
大袈裟でなく鼠一匹通さない体制を作り上げられていた筈なのだ。
なのに何故――
何が、起こっている――
“…いや、そうじゃない。今は――!”
――考えるのは後だ。
銃声の方角的に狙われたのは間違いなくにちか。
最悪の事態は想定しても仕方がない、
今想定すべきは次善ならぬ"次悪"の事態。
七草にちかは何者かに狙撃された。
だが致命傷は負っておらず、まだ生き永らえているという事態を想定する。
「摩美々!」
にちかを救出する。
その上で襲撃者に応対する。
可能ならばにちかには令呪でアシュレイを喚んで貰う必要もあるだろう。
脳をフル回転させながら、メロウリンクは摩美々へ向けて叫んだ。
摩美々は顔を上げていた。
しかし彼女は――彼の顔とは違う方向を向いていた。
「え…」
誰も居ない、居る筈のない方。
そちらを向いて、鼻声で呟いている。
驚きを孕んだ声だった。
メロウリンクが彼女の視線を追った時、その先には…
「星野、アイさん?」
「はじめまして。摩美々ちゃんだよね、あなた」
――見惚れる程美しい女が、微笑みを湛え立っていた。
「死柄木君から伝言。"バカにして悪かったな"だってさ」
-
「…ッ、摩美々! 伏せろ――!」
メロウリンクの声を聞いた摩美々。
彼女の反応が間に合ったのは不幸中の幸いだった。
そうでなければ全てが終わっていただろう。
星野アイ――此処に居る筈のないその女が。
星のように微笑みながら奏でた、その歌声によって。
――ヒカリのdestination そのしっぽを捕まえたい
知っている歌だった。
摩美々も、そしてメロウリンクも。
前々からか空き時間に聴かされたかの違いはあったが、双方にとって馴染みのある歌だった。
それが女の…『アイ』の口から飛び出した瞬間。
弾け飛ぶ爆弾のような"音"の暴力が、摩美々とメロウリンクを諸共に吹き飛ばした。
「はじめまして、こんにちは。そして多分さようなら」
アイドルと歌手は違う。
アイドルは、踊るものだ。
歌って踊るからこそのアイドル。
華麗で可憐なステップ一つ、二つ、三つ。
『アイ』がメロウリンクに追い付いた。
「地平線に海はないんだよ」
――見失わないで、夢がある限り。
物理的破壊力を宿すに至った死の歌声(イルミネーションスター)が、メロウリンク・アリティの全身を最短距離で蹂躙した。
◆ ◆ ◆
-
「…思ったよりブレるんだな」
田中一は狙撃銃を下ろし、十二階建てマンションの屋上で呟いた。
『アイ』のエコーロケーションで場所の割り出しに成功したのは幸いだった。
となれば後は迷ってなんかいられない。
『革命』の熱量をその身に今一度宿しながら、田中は引き金を引いた。
この銃は『アイ』が解除したトラップの中にあった物だ。
それを拝借し、ドラマやアニメの見様見真似で狙撃を試みたのだったが…結果は期待通りには行かなかった。
田中は緑髪の少女の頭を吹き飛ばすつもりだった。
しかし現実はフィクション程上手くは行かない。
風速。反動。距離減衰。
様々な要素が重なって弾丸はブレた。
当たったのは少女の片腕。
令呪のある方だったかどうかまでは確認出来なかった。
狙撃を受けるなり、少女は駆け出した。
それはひどく不格好な歩みだったが――動く的に当てるのは言わずもがな静止している対象に当てるよりずっと難しい。
田中の第二射第三射は当たらず空を切り、結果として彼は少女を取り逃してしまった。
“けど狙撃銃の弾丸だ。まず間違いなくもう腕は使い物にならないだろうし…早く処置しなきゃ出血多量で死ぬだろ。
そしてアイツが近くで暴れてる以上、多分そう簡単には処置とか出来ない筈だ”
くよくよしていても仕方がない。
当てられただけマシだと割り切って次の行動に移る。
愚策にも思えるが、田中は『アイ』の戦う戦場に近付く気で居た。
“『アイ』を呼び戻す令呪が俺にはない。離れすぎてる所を箱舟(あっち)の奴に狙われたらお終いだ”
怖くないと言えば嘘になる。
もうリンボの護符はないのだ。
正真正銘、丸裸にも等しい状態。
そんな状態で死地に赴く事――怖くない訳がない。
だが足は動いた。
臆病風はもう吹いちゃいなかった。
「勝つぞ、『アイ』。俺達が死柄木の邪魔者を排除するんだ」
その足を動かすのは信仰。
理屈を超えた絶対的な崇拝。
言い換えるならば、
「…アイドルなんだろ、お前ら。でも悪いな。こっちはヴィランなんだ」
きっと、こんな言葉が相応しい。
「お前らの輝きは、俺みたいな雑魚のヘタレに奪われて終わる」
――『革命』。
-
◆ ◆ ◆
人外魔境渋谷決戦・『偶像決戦』 ――"田中一""『星野アイ』"対"箱舟"
◆ ◆ ◆
-
不測の事態が起きた。
アシュレイ・ホライゾンがそれを悟ったのは、七草にちかからの念話が断絶した事だった。
メロウリンクからの連絡もない。そもそも通話が繋がらない。
好敵手の死を悼んでいる暇はなかった。
盤石の体制が崩れた。
彼は知らない。
それは奇しくも、かつて彼が成し遂げたのと同じ。
小さな小さな砂粒による運命への叛逆だった等とは知る由もない。
“契約のパスは生きてる。今ならまだ、間に合う筈だ…!”
幸いにして距離はそう離れていない。
間に合いさえすれば何とかなる。
逆に間に合わなければ全てが終わりだ。
だからこそ是が非でも間に合う必要があった。
駆けながらアシュレイは反芻する――先刻、メロウリンクから届いたプロデューサーの言伝て。
『にちかはマスターじゃなくてNPCだった』
それを以って全ての仮説は確信へと変わった。
箱舟は大きく動く。
活路が見えた。
逆転ホームランの準備は完了されたのだ。
七草にちかはNPCである。
但し、存在の草の根からそうだった訳ではない。
界聖杯による極めて恣意的な改変で舞台装置に仕立てられた、言うなれば後付の人形。
しかし界聖杯でさえ予想だにしない偶然の雫が一つ落ちた。
抑止力が派遣した極晃奏者…星辰界奏者(スフィアブリンガー)アシュレイ・ホライゾンの存在だ。
界奏は界聖杯が持つ無限大の力の前に敗れ去って消滅した。
が…今際の際に存在を刻み込む事には成功する。
何たる奇跡。何たる偶然。
雫が落ちた先に居たのは、界聖杯の都合で犠牲になった少女だった。
宝具『天地宇宙の航界記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』――即ち界奏はサーヴァントの身には余る力だ。
星辰体で満ちる新西暦が舞台と言うのならいざ知らず。
法則自体がまるで異なる新天地でさぁ使えと言われてもまず間違いなく不可能だ。
その前提は今この瞬間に至っても変わっていない。
令呪三画の使用。そして霊基の確実な崩壊。
それだけの条件と代償を呑んで、それでもものの数秒が限界。
かつて煌翼との戦いで見せたような界奏本来の使い方――人類史そのものと交信しての戦闘等到底不可能だ。
出来る事は辛うじて一つ。
界聖杯への干渉と機能改変。
それによる、脱出経路の瞬間構築。
そしてそれこそが箱舟勢力の最終目標である。
-
“只、必要な工程は幾つかあった。界聖杯の座標特定。そして干渉を可能とする能力者の探り当て……”
機械があっても動作方法が解らなければ動かせない。
理屈はそんな所だ。
界奏は万能だが全能ではない。
だが――
“にちかについての仮説が当たった時点で前者、座標特定の工程は無視出来る”
界聖杯は七草にちかに対して恣意的な干渉を行っている。
これは最早ほぼほぼ間違いないと言っていい事実だ。
ならば話は早い。
自分とにちかの間に存在する契約のパス。
其処を利用して界聖杯がにちかという器に接続(アクセス)した記録を遡行してやる。
“界聖杯は機械みたいなものらしい。そして此処は奴の体内だ。操作があったならその交信記録は必ず残っている筈。其処に賭ける”
聖杯戦争は既に佳境に入っている。
今更悠長にダウジング宜しく座標を探っている暇はない。
こればかりはギャンブルだった。
但し、勝ちの目が透けて見えているギャンブルだ。
従ってアシュレイは此処で転ける可能性についてはほぼほぼ考えていなかった。
問題はもう一つの条件の方だ。
“機械のアーチャーとの接触は結局目処すら立ってない。この世界から人奏まで経路を辿るのも至難だ”
…実の所アテがない訳ではない。
ないが、しかしこれを積極的に頼るのは余りに挑戦的過ぎる。
それこそがアシュレイ・ホライゾンが"継承"した力。
かつての仲間、櫻木真乃のアーチャー…星奈ひかるの"イマジネーション"であった。
イマジネーションは心の力。
感情に呼応して力が湧き上がり、奇跡を起こす。
この圧倒的なまでの正の指向性。
これを上手く使えれば、或いは理屈を無視した界聖杯への干渉も可能なのではないか。
アシュレイはそう考察していたが如何せん確証がない。
結果の見えない綱渡りに皆の命を賭けて挑む程、アシュレイは向こう見ずな男ではなかった。
これ以上停滞するようであれば。
その時は本気で、界奏に頼らない解決方法についても模索する必要が出て来るだろう。
何にせよ先ずは情報の共有と相談が不可欠だ。
彼がそう考えていた丁度その時の事だった。
別れの痛みに黄昏れる箱舟を、巨大な異変が襲ったのは。
“アーチャーが迂闊をするとは思えない。となると、アイツの策を根本から否定出来る奴が現れたって事か…”
いずれにせよ事態は最悪に近い。
アシュレイの頬を汗が伝う。
冷や汗だった。
箱舟は今、危機に曝されている。
“兎に角今は、急ぐしかない――!”
駆けるは境界線。
箱舟を牽引する若き交渉人。
周りの全てが線に変わるような速度で駆ける中。
彼は、不意に誰かとすれ違った。
そのまま通り過ぎて――そして。
「…ッ!」
戦慄する。
今此処に人が居るわけがない。
死の桜が支配する渋谷の街はとうに無人のゴーストタウンと化している。
そんな場所に民間人等、居るわけがないのだ。
痛恨。アシュレイは足を止めて振り返った。
瞬間、彼が見たのは…
『――赫灼熱拳』
空の色より尚蒼い、炎の奔流。
-
「ッ、が――ああぁあああッ!」
咄嗟に星辰光を発現させる。
それと同時に全力で放ち、相殺を試みた。
しかし反応が遅れた代償は焼損という形で彼の体を苛む。
魂にまで絡み付くような熱に顔を歪めながら、それでも何とか切り払って敵手を睥睨するアシュレイ。
全身が継ぎ接ぎだらけの異様な風体をした男だった。
魔力反応は感じる――が、サーヴァントではないとすぐに理解する。
応戦か。リスク承知での逃走か。
アシュレイは考えるが、その考えはすぐさま中断を余儀なくされた。
降って来たからだ、空から。
それは白い男だった。
原初の白ではなく色を抜いたが故の白色。
そんな色を纏っていながら、しかし聖なるものなど微塵も感じさせない青年だった。
アシュレイの背筋が粟立つ。
理由等言うまでもなかった。
知っているからだ。
その邂逅は一瞬にも満たない物だったが、アシュレイは確かにこの男を認識していた。
「東京タワーに居たよな? お前」
そして男の方もまた――アシュレイ・ホライゾンの事を覚えていた。
港区・東京タワーにかつて存在した霊地。
其処での争奪戦はしかし横槍によって御破算と相成った。
全てが崩れ去ったのだ。
因縁も、目論見も、霊地そのものさえ跡形も残さず崩した者が居る。
「仲間から連絡があってさ…結構世話の焼ける奴なんだ。だから多少援護でもしようと思ってよ」
「今は精神的に取り込み中でな。出来れば帰って欲しい――なんて言ったら、聞いてくれるか?」
「考えてあげてもいいぜ。お前が此処で首を差し出すなら」
それは、箱舟勢力が前に進む上で。
いつか必ず対面しなければならない障害だった。
「にしてもお手柄だなアイツ。って事はアレだろ。お前らが"箱舟"って訳だ」
対話は不能。
言葉を交わしてもそれが心にまで届かない。
何がどうあっても箱舟と融和を拒絶する存在。
そしてそれに率いられた、箱舟が白なら黒を地で行く勢力。
「――敵連合…死柄木、弔」
「こっちもやろうぜ、全面戦争。何も老害共の特権って訳じゃねえだろ?」
――敵連合。
「来いよ"境界線(ホライゾン)"。光も闇も、石も砂も、社会も混沌も…全部纏めて均すのが魔王(おれ)だ。地平線を見せてやる」
-
◆ ◆ ◆
人外魔境渋谷決戦・『地平決戦』 ――"魔王・死柄木弔"対"灰と光の境界線(アシュレイ・ホライゾン)"
◆ ◆ ◆
-
そして――
「何処もかしこもお祭り騒ぎね。出遅れてしまったかしら」
「出遅れたもクソもないでしょ。むしろそれならそれで好都合だよ」
完成した"銀の鍵"と空の文字を冠する女は、人外魔境と化した渋谷の街を悠然と闊歩していた。
「私達が総取りする。誰が勝とうが負けようが、私達にはもう何も関係ない」
最早、尊重するべきものなどこの世界には無いのだから。
であれば後は壊すだけだ。
何もかもを壊す。
求められたままの役割を果たしてやる。
戦線を超え、地平線の彼方へと至るための行軍を。
「――行くよアビー。私達の光を取り戻そう」
「ええ、マスター。必ずや、何を犠牲にしても」
死線(デッドライン)は終わらない。
――今も尚。
◆ ◆ ◆
-
【渋谷区(南西)・戦場『桜花決戦』/二日目・午後】
【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:『四皇』、胴体に斬傷(不可治)、全身にダメージ(小)、体内にダメージ(大)、霊基再生
[装備]:八斎戒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:――楽しくなってきたじゃねェか! なァ!!
[備考]
※火災のキング、疫災のクイーンの魂を喰らい可能な限りで霊基を再生させました。
なお、これを以って百獣海賊団の配下は全滅した事になります。
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:"真打柳桜"、ダメージ(極大)、魔力充実、令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』、第三再臨、右眼失明
[装備]:刀が二振り(残りは全て焼失)
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:――最高よ、お兄ちゃん!
※古手梨花との念話は機能していません。が、夜桜の血経由で意思疎通する事は可能です。
※アーチャー(ガンヴォルト)に方舟組への連絡先を伝えました。
また松坂さとうの連絡先も受け取りました。
※梨花に過剰投与されたソメイニンと梨花自身の素質が作用し、パスを通して流れてくる魔力が変質しています。
影響は以下の通りです。
①瞳が夜桜の"開花"に酷似した形状となり、魔力の出力が向上しています。
②魔力の急激な変質が霊基にも作用し、霊骸の汚染が食い止められています。
③魔力の昂りと呼応することで、魔力が桜の花弁のような形で噴出することがあります。
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、誓い、疲労(大)、全身にダメージ(大)、覇気の残留ダメージ(大)
[装備]:虚哭神去、『閻魔』@ONE PIECE
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:勝利を、見せる。
0:罪は見据えた。然らば戦うのみ。
1:敗北…か……。
2:お前達が嫌いだ。それは変わらぬ。
3:死んだ後になって……余計な世話を……。
4:刀とともに、因縁までも遺して逝ったか……
[備考]※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
※宝具『月蝕日焦』が使用不可能になりました。
-
【渋谷区(南西)・戦場外部『桜花決戦・裏』/二日目・午後】
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:行くぜ、“奇跡の魔女”。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:深い悲しみ→決意、夜桜の瞳、右腕に不治(アンリペア)、念話使用不能(不治)、夜桜つぼみとの接続、肉体崩壊の進行
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:始めましょう、“夜桜の番”。
[備考]
※ソメイニンを大量に投与されました。
古手家の血筋の影響か即死には至っていませんが、命を脅かす規模の莫大な負荷と肉体変容が進行中です。
皮下の見立てでは半日未満で肉体が崩壊し死に至るとの事です。
※拒絶反応は数時間の内には収まると思われます。
※念話阻害の正体はシュヴィによる外的処置にリップの不治を合わせた物のようです
※瞳に夜桜の紋様が浮かんでいます。"開花"の能力に目覚めているのかは不明です。
※『開花』を発動しました。反動で肉体の崩壊が加速しています。二度目の発動は即時の死に繋がります。
※肉体崩壊が限界に近付きつつあります。
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:私も、愛するために生きる
1:とむらくんについても今は着いていく。
2:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
3:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康、やるせなさ
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:何か始まったけどどうすんのこれ?
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
2:コブ付き……いや、違うよな。頭から眼を六つ生やした奴と付き合いたい女なんているわけねぇよな……
[備考]※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、『バベルシティ・グレイス』、アイさんといっしょ
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛、恋鐘印のおにぎりとお茶(方舟メンバー分、二杯分消費)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:先生…梨花ちゃん……
1:セイバーさん、大丈夫かな……
2:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
3:セイバーさんのこと……見ています……。
4:一緒に歩けない願いは、せめて受け止めたい……
5:界聖杯さんの……願いは……。
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。
-
【渋谷区・路地裏(アシュレイ達とさほど離れてない)『偶像決戦』/二日目・午前】
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、『ありったけの輝きで』
片腕に銃創(ほぼ千切れかけ)、出血(大)、気絶
[令呪]:不明(撃たれた腕がどちらかによっては喪失)
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:――――。
1:アイドルに、なります。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
WING決勝を敗退し失踪した世界の七草にちかである可能性があります。当人の記憶はWING準決勝敗退世界のものです
どちらの腕を撃たれたかはお任せします。
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、過労、メンタル減少(回復傾向)、『バベルシティ・グレイス』
全身にダメージ(大)
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:――――。
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーの言葉……どういう意味なんだろう
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
※プロデューサーの遺言を聴いてメロウリンクに伝えました。七草にちかNPC説に関することのようです
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(大・ただし致命傷は一切ない)、疲労(大)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
鼓膜損傷、音響兵器による各種感覚不全
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:――――。
1:田中摩美々は任された。
2:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
※田中摩美々からプロデューサーの遺言を聴き取りました。七草にちかNPC説に関することです
【渋谷区(『アイ』・283組の近く)/一日目・午後】
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、『革命』
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(4発、予備弾薬なし)、狙撃銃
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:人殺し・田中一(ヴィラン名・無し)
0:敵連合に全てを捧げる。死柄木弔は、俺の王だ。
1:勝つ
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
※血(偶像)のホーミーズを死柄木から譲渡されました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。
死柄木曰く「それなりに魂を入れた」とのことなので、性能はだいぶ強めです。(現在は体の部分欠損を再生中です)
実際に契約関係にあるわけではありません。
-
【渋谷区(中心部)『地平決戦』/二日目・午前】
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)、全身に火傷(回復中)、焦燥
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『天羽々斬』、Wの報告書(途中経過)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:よりによって、此処で、か…!
1:にちか達の元に急ぐ。が…
2:今度こそ梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
3:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
4:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
5:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
6:大和とはどうにか再接触をはかりたい
7:もし、マスターが考察通りの存在だとしたら……。検証の為にも機械のアーチャー(シュヴィ)と接触したい。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。
アーチャー(星奈ひかる)のイマジネーションを星辰光として発現しました。今後も発現するかどうかは後続に任せます。
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、全身にダメージ(ほぼ完全回復)、龍脈の槍による残存ダメージ(中)、サーヴァント消滅、肉体の齟齬解消
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:箱舟を消す
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
[備考]※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
血(偶像)のホーミーズを造りました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。今は田中に預けています
風のホーミーズを使役しています。見た目は殺島飛露鬼@忍者と極道をモデルに形成されています。
光と衝撃のホーミーズを使役し、その上で融合させています。見た目はオールマイト@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。ほぼ完治しました。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
※偵察、伝令役の小型ホーミーズを数体作成しました。
-
【渋谷区・???/一日目・午後】
【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基第三再臨、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:さあ、おしまいを始めましょう。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。
【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ、地獄への回数券
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:やるよ、アビゲイル。
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
[備考]
※フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。
-
投下を終了します
-
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
田中摩美々&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
死柄木弔
田中一 予約します
-
すみません、該当作の投下から24時間経過前に予約されていますが
今回のみは特例という形か、あるいは今後このルールは余り深く考えなくても宜しいということでしょうか?
単純なミスだった場合はすみません。
今後の予約取りにも響きそうなので、確認よろしくお願いします。
-
>>929
失念していましたが、いい機会なので該当のルールについては削除します。
終盤であること、ルール変更により新規書き手の参入がないことを加味しました。
-
>>930でした、失礼。
-
神戸しお&ライダー(デンジ)
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
紙越空魚&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
皮下真&ライダー(カイドウ)
予約します
-
予約分、前編投下します。
-
――いつからだったのかな 憧れてたその場所
叶えて たどり着きたい その未来
◆◆
-
何が起きた。
何故、此処にいる?
そもそもこいつは"何"だ。
星野アイ? いや違う。
櫻木真乃から聞いたアイは、間違っても歌声一つで破壊力を生み出すような怪物ではなかった筈だ。
ならば、これは一体――渦巻く疑問にはキリがない。
だからこそ、メロウリンク・アリティがそれら疑問を全て後回しにし、目の前の敵への対処のみを考え行動したのは賢明だった。
「ッ、ぐ、ォ――」
至近距離で炸裂した『アイ』の歌声は、メロウリンクの全身を容赦なく蹂躙した。
メロウリンクは異能生存体、因果律さえ超越した運命の近似値だ。
コンマ1%の可能性をものにする男。致命傷を避けながら生き延びる、天性の才能。
当然今、彼が直面しているこの状況は、"近似値"の発動条件を満たしていたが――
何分此処には逃げ場がない。
破壊的音量で放たれる物理的破壊力を伴った歌声は、均一な死で満たされている。
近似値は所詮近似値。本家本元の異能生存体ならばいざ知らず、彼にはこれを凌げない。
幸運は降り注がず、音はメロウリンクの骨を砕き、肉を拉げさせ、その身体をゴミのように吹き飛ばした。
「――づ、ッ!」
だがそこはメロウリンク・アリティ。
間近で爆撃が炸裂するなど日常茶飯事の炎臭い戦場を生き抜いた傭兵である。
肉の中で骨が茨のように咲き乱れる激痛を堪えながら、彼は『アイ』に対し即座に対応した。
「わ」
投擲したのはいわゆる圧力鍋爆弾。
圧力鍋の内側に爆発物と雷管を仕込んだ、テロリスト御用達の廉価兵器だ。
本来であれば携帯電話やキッチンタイマーを起爆装置に用いるのが定番だが、メロウリンクはこれを既に改造し終えている。
圧力鍋爆弾とは名ばかりの実質的な手榴弾と化させ携帯していたそれが、今此処で活きた。
偶像の顔の直前に投擲された爆弾。
サーヴァントであれば通じすらしなかったろう攻撃だが、しかし『アイ』は魔力の塊という点では同じでも広義のサーヴァントとは異なる。
従って威力さえ足りていれば、問題なく爆薬による破壊は彼女の身体に通るわけだ。
……もっとも、それは。
「いったあ……。酷いなあ、アイドルの顔にこんなもの投げ付けるなんて」
当たればの話であるし、本当に威力が足りているならばの話だが。
『アイ』は起爆寸前の圧力鍋爆弾を片手でひょいと払い除けた。
その後爆弾は起爆し、破片と爆炎を撒き散らしたが、それは『アイ』にしてみれば多少痛い程度のダメージでしかなく。
舌打ち混じりに後続を用意しようとしたメロウリンクの動きを遮るように、その声帯が破局を紡いだ。
-
「――瞳のIllumination 輝く無限の可能性――」
炸裂する輝きの星(イルミネーションスター)。
その威力はもはや、波状に引き伸ばした破城槌といって相違ない。
幸いだったのは、彼女の矛先がサーヴァントであるメロウリンク単体に向いていることだろう。
もしも無力な少女である田中摩美々がこの距離でこの歌を聴いた/喰らったなら、文字通り命に関わる。
両手が動くことを確認したメロウリンクの"近似値"が働く。
咄嗟に逸らした首の動きが、『アイ』の踊り舞うような蹴撃をどうにか躱させた。
「避けるんだ。すごいね」
追撃――避ける。
――避ける。避ける。
掠めるだけに留めて、生を繋いでいく。
光景だけを見れば、メロウリンクが技術で『アイ』を圧倒しているようにも見えるだろう。
だが現実としては、彼はただ命からがら避け続けているだけだ。
言うなればそれは、猛禽がすばしっこい小動物を時間をかけていたぶり遊んでいるようなもの。
生を繋ぐことが、活路の有無と一致していない。
気まぐれで生かされているだけでしかないのだと、メロウリンクは心底理解しながら唇を噛んでいた。
「――私たちのキ・セ・キ 繋がってく――」
眼圧が上昇し、内臓が潰れてメロウリンクは血を吐きながら吹き飛んだ。
目から溢れ出すのは血涙だ。
巨大な衝撃を受けたことにより、耐えきれず眼球そのものが悲鳴をあげているのだ。
息を吐くだけで、全身のあらゆる場所が痛む。傭兵として血に塗れた日でさえ、此処までの苦痛があったかどうか定かでない。
しかし吹き飛ばしてくれたのは、実のところメロウリンクにとって僥倖だった。
痛みこそすれど、まだなんとか自由の利く両腕で瞬時に対ATライフルを構え――発砲する。
「効かないっての」
そう言って片手で払い除けようとする、『アイ』。
だがしかし、先ほどの圧力鍋爆弾のようにはいかなかった。
払うこと自体には成功したものの、その右手からは確かに血が滴っている。
驚いた顔で傷口を見つめ、「……わお」と呟く『アイ』の様子は、それが彼女にとって予想外の負傷であることを証明していた。
(……助かる。お前まで駄目なら、いよいよ打つ手が見つからないところだった)
先ほど用いた圧力鍋爆弾は、あくまでもこの世界のあり物を使って造った即席兵器に過ぎない。
だがその点、この対ATライフルは違う。
これは英霊の座からはるばるこの地にやってきたメロウリンクが長らく相棒としてきた、孤独な機甲猟兵達の愛銃だ。
そこに宿る神秘は、薄いとはいえ当然ながら現地調達品などとは格が違う。
このライフルでの射撃ならば、さしもの『アイ』も当たって無傷とはいかないらしい。
-
「びっくりしちゃった。やっぱり腐ってもサーヴァントだね、馬鹿にしたら痛い目見ちゃうか」
「……口は災いの元だ。薄々そうだろうと思ってはいたが、やはりサーヴァントではないんだな」
「ん? そうだよ。別に隠してもないし、あそこでぐったりしてる摩美々ちゃんなら見ただけで分かるんじゃないかな」
そう言って『アイ』が示した先では、摩美々が片腕を抑えながら息を切らしてメロウリンク達の方を見つめていた。
先の一撃(ワンフレーズ)は決して彼女だけを狙ったものではなかったが、それでも人間の身で浴びるには強烈すぎたのだろう。
抑えている右腕は明らかに折れていて、全身に受けているダメージも遠目でも分かるほど大きいようだった。
――まずい。改めて、メロウリンクは焦燥に歯噛みした。
(継戦の心得はある。俺だけなら、まだある程度持ち堪えられる)
もしも仮に、今此処に立っているのがいつかの"鋼翼"だったなら。
そしてプロデューサーのサーヴァント、"拳鬼"だったなら。
メロウリンクは恐らく抵抗の余地などなく、芥虫を踏み潰すように抹殺されていたことだろう。
しかしその点、この『アイ』は彼らほど洗練された存在ではないように見えた。
強力ではあるが、それだけ。鋭く研ぎ澄まされたものがないため、やろうと思えばそれなりに戦いを引き伸ばせる公算があった。
だがそれは、あくまでもメロウリンク一人だけだったならば、の話。
彼にとって成すべきことが自己の生存だけだったならば、の話だ。
――今の彼には、二つの"成すべきこと"がある。
そこに、メロウリンク・アリティという一個人の生存は必ずしも含まれない。
マスター・田中摩美々の守護。安否不明の七草にちかの安全確保。
これら二つこそが、傭兵ではなくサーヴァントとしてこの場にいるメロウリンクの最重要任務だ。
そしてその場合、この"偶像"を相手取りながら成し遂げる難易度は……破格なんて次元ではなかった。
「……何故、マスター達を先に狙わない?」
「え?」
「俺を嬲り殺しにするよりも、その方がずっと手早い筈だ。それが分からないほどの馬鹿には見えない」
「あはは、敵にそれ聞いちゃうんだ。いいよ、教えてあげる。それはね」
不可解なのはそこだ。
『アイ』は今、明らかにメロウリンクを意図して狙っているように見える。
効率と合理性だけを見るならば、狙うべきは彼でなくマスターである摩美々達なのは明らかだ。
実際、メロウリンクにとってもそうされるのは最悪の展開。
なのに『アイ』はそれをしていない。その理由は何かと問うたメロウリンクに、『アイ』は笑って答える。
「うんと絶望してほしいんだって」
「……、……何?」
「あなた達、死柄木くんに楯突いたでしょ。
箱舟……だっけ。そんなやばめな計画まで建ててさ、死柄木くんとあの子の"連合"の邪魔してきたじゃん? ずっと」
『アイ』は確かにメロウリンクの見立て通り、未熟な存在だ。
強さはある。ただ、年季はない。
言うなれば生まれたての戦闘者であり、付け入る隙があるとするならきっとそこだ。
しかし、かと言って聖杯戦争のセオリーも分からないほどの馬鹿ではない。
田中摩美々を狙うのが最善だなんて、そんなことは彼女だって当然分かっているのだ。
なのにそれをしない理由。それは、そういう指示が下りているから。
彼女を此処に投入した、小さな小さな運命の砂粒であり――あるちっぽけな"悪"の、意思だ。
「だから、絶望してほしいんだってさ」
"彼"は、連合を愛している。
そして死柄木弔という魔王を、崇拝している。
きっと、誰よりもだ。
世界を白く塗り潰すあの"崩壊"を、彼は誰よりも奉じ焦がれている。
そんな彼にとって箱舟とは、そしてそこにいるアイドル達とは目障りで憎たらしい邪魔者以外の何者でもなかった。
魔王の未来に立ち塞がる邪魔者達。
忌まわしく鬱陶しい、ガキども。
ただ殺すだけじゃ飽き足りない、どうせ殺すのなら――
「死柄木くんの邪魔をしたアイドル達が、うんと絶望して苦しんで、泣きじゃくりながら死ぬようにしろって。そう言われたの」
――その"死"は、絶望に満ちたものであるべきだ。
-
"彼"は、そう考えた。
"彼"は、そう信じた。
そして『アイ』は、それに従う。
"彼"の相棒として、"彼"の願いを忠実に叶える。
殺す、確実に。
摘み取る、絶対に。
後悔させる、必ず。
自分達という悪に背いたこと、連合の未来を阻んだこと。
死柄木弔という魔王が目指す未来を遮る、箱舟なんて思想を唱えたことを悔やませて絶望の中で踏み躙る。
それは信心の狂気。皮肉にも、"革命"などとはかけ離れた圧政の虐殺命令だった。
「だからまずはあなたに死んでほしいなって。摩美々ちゃんとはそのあとゆっくりお話するからさ」
そう言って笑う『アイ』に、メロウリンクは幾つもの記憶を過ぎらせた。
それは彼女達と――箱舟という優しい思想に命をかけた、アイドル達と過ごした時間。
彼女達は、生きていた。
こんな地獄みたいな世界で、それでも懸命に足掻いていた。
そして、輝いていた。彼女達は無力だったが、しかしちゃんとアイドルだった。
田中摩美々。七草にちか。櫻木真乃。幽谷霧子。
そして。
そして。
『…手を。握ってもらっても……いいですか』
――――――――そして。
「そうか」
対ATライフルを握る手が、静かに軋んだ。
メロウリンクは激情家ではない。
声を荒げることなど稀だし、この状況でも彼の心は荒ぶってはいなかった。
彼の中にある感情はごく静かで、そしてごく端的だった。
踏み躙るのだという、彼女達の生き様を。
絶望で染め上げるのだという、彼女達の笑顔を。
よく分かった。
理解出来た。
この女と、これを遣わした元凶が何を望んでいるのか。
そしてその上で。
メロウリンク・アリティは――決める。
そんなことは、させない。
その意思を口にするべく、喉を動かし。
敵手の喉を穿つべく、引き金に指を載せ。
メロウリンクが一世一代の鉄火場に臨もうとした、まさにその時だ。
『アイ』とメロウリンク、二人の会話に割り込む――か細い声が響いたのは。
「……なんですか、それ」
よろり、と立ち上がるシルエットがひとつ。
そこに、偶像と傭兵の眼差しが向く。
一つは興味。一つは驚きと焦り。
二者三種の感情を浴びながらも、少女は『アイ』だけを見ていた。
「それの、そんなのの……」
少女の名前は、田中摩美々。
メロウリンク・アリティの現マスターであり。
今は亡き若蜘蛛(モリアーティ)の忘れ形見でもある少女。
「――どこが、アイドルだっていうんですか」
そして。
偶像(アイドル)。
「そんなことのために、そんな気持ちのために……」
折れた片腕を、抱えながら。
ぜえぜえと荒い息を吐き、ただ立っているだけでもふらついてしまう有様なのに。
それでも、しっかりと――はっきりと。
絶望を運ぶために遣わされた後輩(アイドル)を見据えて、言った。
「……あの子の歌を、うたわないで……!」
-
◆◆
押し寄せたのは、地を嘗め尽くすような炎の濁流だった。
それは波だ。地上のすべてを押し流す、死が凝集したような洪水だ。
継ぎ接ぎ面で笑いながらこれを繰り出す男が、サーヴァントとも人間とも異なるある種使い魔のような存在であることはすぐに分かった。
その上で驚く。驚くしかない。たかが使い魔の身で、これほどの出力を繰り出せる存在がよりにもよって"あちら"の手に渡っていることに。
「おいおい」
既に火力だけを見れば、対軍宝具の域に達して余りある。
間違いなく規格外だ。少なくとも、単なる小手調べの段階で繰り出されていい一撃ではない。
アシュレイ・ホライゾンは銀炎を撒きながら、地を蹴って建物を足場に跳躍した。
空中への逃走。それは確かに地の洪水――ならぬ"洪炎"から逃れることは確約してくれたが、しかし安全を意味はしない。
空にて微笑む白い影。引き裂くように笑うその男が、すべての希望を奪い去るのだ。
「天下分け目だぜ。もっと派手にかましてくれよ、じゃなきゃとんだ肩透かしだ」
ビルが崩れる。
土砂災害さながらに降り注いでくるコンクリートの波が、神秘をも蝕む毒で汚染されていることは既にアシュレイも承知していた。
東京タワーでの襲撃。そこで目の当たりにした、空前絶後の土地殺し。
個性"崩壊"――万物、万象、生きとし生けるもの、形あるものすべてを無に帰す憎悪と妄執の具現。
伝播の特性を得た崩壊は、文字通り一欠片でも掠めれば即座に致命傷へ繋がる。
アシュレイは故に、細心の注意を払いながら対応することを強いられた。
銀炎を帯状に伸ばして崩壊の砂を焼き、溶かして離脱する。
月乙女(アルテミス)の火は癒やしの炎。
半身を焦がされてもたちまち癒せる破格の治癒能力だが、それでも魔王の毒そのものを塗り潰せるかは怪しかった。
賭けるには分の悪すぎる勝負。何しろ失敗すれば死ぬのだから、易々と打って出られる筈もない。
「生憎と、そっち方面はからっきしでな……!」
噴き出した銀炎はそのまま迫る魔王・死柄木弔へと向かう。
確かに火力では彼の崩壊に及ぶべくもないが、宝具を用いた攻撃である以上まともに浴びて無傷で済むとも思えない。
そんなアシュレイの予想はしかし、最も悪い形で裏切られた。
「言い訳すんなよ。夢見せるのは得意なんだろ?」
『地獄への回数券』と龍脈の力による体質変化、その重ねがけ。
流石に不死身ではないだろうが、限りなくそれに近い存在に仕上がっていることは確実だった。
銀炎で焼かれた端から復元されていく皮膚が、肉がその証明だ。
そしてそれにアシュレイが歯噛みするのと同時、悲鳴をあげる摩天楼の中に轟いた無数の銃声が彼の耳と肉体を劈いた。
-
「ガ、ッ……!?」
「マスク外したヒーローなんてただの冴えない社会人さ。現実(トゥルーフォーム)なんてガキに見せちゃいけない」
四方を駆け回る鉄騎馬の人型を辛うじて視認できたが、その速度はもうアシュレイの目に追える次元ではない。
そんな超音速で縦横無尽に爆走する暴れ馬が、的確に狙いを定めた跳弾という無茶苦茶を押し付けてくるのだから悪夢と言う他なかった。
もしもアシュレイ・ホライゾンの星辰光が煌翼との同調による変化を辿っていなかったなら、彼は今頃既に再起不能だったに違いない。
削られたそばから全力で癒やしを回す、魔王の所業に倣うような無茶でアシュレイはどうにかこれに対抗。
続く鉄騎馬本体による轢殺走行を紙一重で躱しながら――騎手の胴に一閃、刻むことに成功した。
「……肝に銘じとくよ。でも的外れだ。俺を指してヒーロー呼ばわりだなんて、見る目ないにも程があるぞ魔王」
倒せたとは思っていない。
あれも恐らく、炎を操る継ぎ接ぎ男と同じ使い魔の類だろう。
こんな規模の戦いができる手駒が無数に揃っている事実に目眩を覚えるが、泣き言を言っている暇はなかった。
迫る死柄木、その腕をいなしながら剣を振るい、再生性能の高さに関わらず削り落とせるだけの致命傷を狙って切り込む。
「おいおい。お得意の対話は俺にはナシかよ? 寂しいね」
「おまえとの対話は、もうあの子が散々やってきた筈だ。
それで分かり合えなかったなら、是非もない。後は雌雄を決するしかないと思ったが、違ったか?」
「いいや、正解だ。お利口さんじゃないかサーヴァント。
まさしくその通り――この世には、どんなに言葉を交わしてぶつかり合っても分かり合えない人間ってのが一定数いるもんだ」
アシュレイ・ホライゾンは凡庸な英霊だが、剣の腕前においては抜きん出た練度を持つ。
文字通り命がけで教わった師の剣は、今も彼の魂に色褪せることなく刻まれている。
そんな彼の振るう剣術を、心得もない素人崩れが初見で凌ぐなど言うまでもなく至難だ。
しかし死柄木は、持ち前の獣じみた直感と強化された五感に物を言わせてそれを初回から成し遂げる。
峰津院大和との戦いで見せたのよりも、更に二段は身のこなしが鮮やかになっている――恐るべきは、その驚異的な吸収力と成長性。
そしてそこから繰り出される"崩壊"の手。
凶悪すぎる相性(シナジー)が、優しい炎を引き裂きながらアシュレイに迫っていく。
「悲しいことだが、否定はしない」
とはいえアシュレイも、ただで死にはしない。
東京タワーの一件で実際に"崩壊"の猛威と性質を見ていることが、少なからず功を奏していた。
バックステップで手のリーチから逃れつつ、銀炎の渦で死柄木を取り囲む。
如何に再生持ちとはいえ、四肢を崩せば自由は奪える。
狙ったのは焼損、要するに部位破壊だった。
その上で一歩踏み込み、斬首を狙ってアダマンタイトの一刀を振るう。
死柄木の性能は出鱈目だったが、アシュレイは更に上の不条理を既に知っている。
即死以外は無傷と同義、そんな狂った正論(りくつ)を振り翳してくる救世主に比べれば――目の前の魔王はまだまだ易しい。
-
「全てを破壊し、虚無の地平線を紡ぐ。
……全く共感はできない思想だが、おまえがそうなるに至った経緯を知らない以上は頭ごなしに否定するつもりもないよ。
あわよくば手を取り合える余地を探りたかったが、それも無理だというのなら無理強いはしない」
「いいね。ちゃんと見てるじゃないか、現実」
手応えは、なかった。
空を切る感触に眉を顰める。
銀炎が内側から弾け、溢れ出したのは蒼炎だった。
赤よりなお熱い、狂気の炎。
咄嗟に銀炎を檻状に展開して軽減させなければ、最低でも半身は吹き飛ばされていただろうとアシュレイは理解する。
「上から目線で手を差し伸べて、それが突っ撥ねられりゃ存在心に留めてブッ殺す。
いいね、やっぱりお前は英雄(ヒーロー)向いてるよ」
しかし、休む暇はない。
相殺した端から迫る継ぎ接ぎの拳が、炎を帯びている。
そこから噴き出す赫灼の一撃は、先ほど既に見ていた。
舌打ちをしながら距離を取り、放たれた熱拳を辛うじて凌ぐ。
返しに放った銀炎の津波と、蒼炎の防波堤が真っ向から衝突すれば。
蒼と銀の熱が混ざり合い――赤い大爆発を引き起こして、大規模なクレーターを作り上げる。
「分かり合えなくていい、できないから。だから――英雄(ヒーロー)と敵(ヴィラン)だ」
「そりゃ、ずいぶんと寂しい話だけどな――!」
爆発を切り裂きながら襲いかかるのは、跳弾舞踏会(ピストルディスコ)……風のホーミーズの銃乱射。
本来なら相当な脅威だが、再生能力持ちのアシュレイにとっては辛うじて鬱陶しいの範疇に収められる攻撃だった。
多少の被弾は許容して無理やり前に進み、ロケット噴射の要領で炎を放出し高速機動で荼毘の死炎を切り抜ける。
煌赫墜翔とは流石に行かないが、それでも小技としては十分だ。
「おまえとの対面は、遠からずやってくるだろうと思ってたよ。
そしてその時、先頭に立っておまえを受け止めるのは俺であるべきだとも思ってた。
あの子に――摩美々に任せっきりで、俺はおまえという人間のことを直視したことがなかったからな」
「テロリストとの交渉にガキを使うなよ。学徒動員じゃねえんだから」
「勘違いしないでくれ、あれはあの子自身の意志だ。
ずいぶん手酷くやられたみたいだったけど、それでもあの子なりに前に進めたようだったよ。残念だったな、ちゃんと意味はあったわけだ」
「そうかい」
応酬が、繰り広げられていく。
死の腕を掻い潜り、銀閃でどれほど刻めるかの勝負。
さしもの死柄木も無傷とはいかなかったが、彼もまた水準に満たない負傷は実質無効化できる身分の人間だ。
損傷と喪失を度外視して振るわれる獣の戦闘スタイルは、場馴れしているアシュレイでさえ胆が冷えた。
"崩壊"が耳を掠めかけた時点で、攻撃行為を中断して耳朶を切り落とす。
掠っただけで死が確定する以上、こんな自傷じみたやり方も許容しなければならない。
なかなかどうして、精神の削られる戦いだった。
-
「……こうして実際に見て思ったよ。おまえは、多分俺達みたいな他人が語るべきじゃない悲しみを背負っているんだな」
「知った口を利くじゃないか。これから殺す相手に同情して、エモーションに浸るのが趣味か?」
「おまえの殺意を浴びてみて、確信した。おまえに対しては多分、どんな対話も施しも暴力になる」
踏み込んでの一撃は薄皮を裂くに留まる。
しかし狙いはそこじゃない。
刀身を伝った輝く銀炎を、死柄木の全身に燃え移らせることだ。
「おまえを救えるのは、きっと俺じゃない。そのことを申し訳なく思うよ」
「は」
炎に包まれながら、死柄木は笑った。
涙の雨(レイン)が癒やすのは、"彼女"に愛されている者だけだ。
魔王が月乙女に祝福されることは決してない。
そして、再生能力があるからと言って生きたまま全身を焼かれる激痛までもを無視できるわけでもない。
死柄木弔は人間だ。
肉体は超人でも、生物としては人間のそれから何も変わっていない。
彼を今苛んでいるのは、人間であれば決して耐えられない筈の苦悶。
であるにも関わらず――全身を銀炎で包まれながら、髪の毛を逆立たせながら、死柄木はただ笑っていた。
引き裂くように。そして、この地平線上に存在する生物全て、否定して踏み躙るように。
「それでいい。俺はこんなに"救われてる"」
突き出された腕を避ける。
それを悪手と気付いたのは、コンマ一秒後のことだった。
側頭部に炸裂する衝撃に脳が揺さぶられ、視界がぐらつく。
「ッ……!」
当たり前のように人間に殴られたことに疑問を抱く余地はなかった。
龍脈の力を取り込み、更にどうやら"それ以外"も喰らったらしい魔王の身体だ。
サーヴァントであることが彼を相手にする上で何か一つでも優位になると、そう考えるのは甘すぎる。
咄嗟に体勢を立て直そうとするアシュレイは当然、崩壊を真っ先に警戒するが。
死柄木にしてみればそのことを踏まえて、別な手札を切ればいいだけだ。
「微温い炎だ。フレイムヒーローの足元にも及ばない――『業火燎原』」
「ご……ッ、が……!?」
"荼毘"に集約されていく熱、熱、熱。
それは彼の指を通じ、旋風となってアシュレイを吹き飛ばした。
焼き焦がされて散っていく肉、しかし真に厄介なのは破壊力ではない。
敵を拘束した状態で吹き飛ばせるという、言うなればアシュレイの動きそのものをコントロールできる性質だ。
柱状に吹き上がった竜巻が、アシュレイを上空へと押し上げていく。
――そしてその真上まで飛び上がったのは、炎燃やす偏執狂の写し身だ。
-
『赫灼熱拳(ジェットバーン)』
上から下へ、天から地へ。
アシュレイを焼き払う炎の柱が具現する。
癒やしの炎を持つことは、しかし不死であることを意味しない。
むしろ覚醒能力が封じられている現状、アシュレイは不死性において死柄木と同格かそれ以下と言ってもよかった。
そんな状態で受け止めるには、この炎はあまりにも凶悪すぎる"死"であり――
「で、念には念をだ。お前が箱舟の頭なんだろ? だったら確実に殺さなくちゃなあ」
よしんば生き残ることが出来たとしても、その先は与えない。
死柄木が触れたのは、もはや骨組みだけになった高層建造物だった。
彼の手に触れるなり崩れ、死の滝と化すビルディング。
それに合わせる形で、風のホーミーズが――神の写し身が形を失い、純粋な風の塊と化し空中で炸裂する。
「俺の世界に境界線(おまえ)は要らないんだ。
俺の願いが叶ったその先は、光も闇もありゃしない……ただの白い混沌があるだけさ」
するとどうなるか。
ホーミーズ達でさえ、直撃すれば死柄木の崩壊を免れることはできないが……彼らが撒き散らす副次的な自然現象はその限りではない。
炸裂の余波で生じた暴風域に乗って、崩壊の毒素を含んだ瓦礫と粉塵の山がアシュレイに襲いかかるのだ。
まさしくそれは滅びの砂嵐。自ら考え学習し、そうして育っていく魔王の新技にして最悪の殺し技。
確実なる崩壊の魔の手が、箱舟の要アシュレイ・ホライゾンの死を確定的なものへと変えた。
「消えろよ。ご都合主義(ハッピーエンド)に用はない」
……これが――魔王・死柄木弔。
先代(オール・フォー・ワン)が見出し、犯罪王(モリアーティ)が磨き上げ、連合(なかま)が育んだ正真の怪物。
社会の犠牲者という形にさえもはや囚われない、あるがままに望む未来を手繰り寄せる全能者。
彼の描く未来に、光も闇も、灰色だってありはしない。
あるのは"無"だ。全てが均され、滅び、消え去った虚無の地平線。
彼こそは箱舟の否定者。
優しい結末を求める誰も彼もがいずれ直面する、最強最悪の壁。
そしてその彼の手により、他でもないアシュレイ・ホライゾンが今滅んだ。
それが意味するところはひとつ、全ての優しさと輝きの完全敗北。
死の暴風が吹き抜けたその先に、希望らしいものは何一つとして存在の権利を保てない。
-
「……、……?」
その筈だった。
しかし微生物一匹生存できない死界の中で、佇む影が一つ。
胎動する光の波動。
煌めき始める可能性。
「……はは。おいおい、マジかよ」
刮目せよ――――可能性(イマジネーション)が始動する。
「言葉を借りるぞ、相棒。今の俺に必要なのは、きっとお馴染みのあの言葉だから」
命が消え果てるどころか、彼の身体には傷一つない。
あったのかもしれないが、それは既に月乙女の加護で復元されている。
生存の余地など絶無であった筈の暴風域の中で、極小の可能性を掴み取ってみせたこと。
それはまさに、超極上のイマジネーションが彼を助けた結果だった。
「まだだ。まだ、負けを認めちゃやれないな」
魔王をして驚きを禁じ得ない、冗談のような生存続行。
崩壊の運命(さだめ)を跳ね除けて歩み出た姿は、あいも変わらず戦闘狂のとは全く違う優しさに満ちていて。
けれど、どこか得体の知れない――単純な強さよりもずっと厄介な脅威を滲ませながら、アシュレイ・ホライゾンはそこにいた。
「さあ、ここからだ。来るがいい――明日の光は奪わせない」
「上等だよ、英雄(バケモノ)め――根絶やしにしてやるぜ」
魔王、英雄。
崩壊、共存。
鏖殺、生還。
地平、箱舟。
戦いは続く。
二人の激突と共に、残骸の街が消し飛んだ。
-
◆◆
「君さ、今の状況わかってる?」
『アイ』が口にしたのは、率直な疑問だった。
窮地に際して立ち上がった田中摩美々。
その行動は勇敢だが、それ以上に無謀でもある。
摩美々はアキレス腱なのだ、箱舟陣営の。
彼女を先に潰されてしまえば――メロウリンクの死もまた確定し、まだ辛うじて命を繋いでいる七草にちかの命運も自動的に尽きてしまう。
だからこそ、摩美々が選ぶべきだった答えは沈黙。
『アイ』が命じられた嗜虐に、その余分に甘えて生を繋ぐことだった。
少し考えれば分かりそうなものだが――しかし彼女は、声をあげた。
そのことが解せず、『アイ』は思わず小首を傾げてしまう。
「アイドルがどうとか関係ないでしょ。そんなことより、今は自分のサーヴァントを心配してあげたら?」
メロウリンクの有様は、なかなかに凄惨だ。
致命傷こそ避けているものの、逆に言えばそれだけ。
命に関わらないというだけで、手傷としては相当な深手に達している。
それなのに今この状況で、まさかアイドル談義なんて持ちかけてくるとは思わなかった。
『アイ』は口元に指を当て、その迂闊と薄情を指摘する。
しかし摩美々は揺らぐことなく、毅然と言い放った。
「……そんな言葉が出てくるのは、アイドルじゃないです。
あなたが本当にアイドルだったら……あなたが本物の『星野アイ』さんだったら、そんな言葉は出てこない筈」
「分かるんだ。まあそりゃそうだよね、本物のアイがこんなにめちゃくちゃできるわけないし」
「そうじゃ、なくて……」
星野アイと『アイ』は似て非なる存在だ。
片や人間。片やその残骸を元に生み出された強化コピー。
サーヴァントをすら正面から叩き伏せる戦闘能力と、声を使った無限大の応用。
こんな真似ができる存在をアイドルとは呼ばないと言われたなら返す言葉もなかったが、彼女が言いたいのはそういうことではなく。
「関係なくなんか、ないんです。私達にとっては」
それよりももっと前の段階の話。
『アイ』の在り方の問題について、だった。
「アイドルって言ったって、いろんな子がいる。
明るい子、クールな子、ちょっとおバカな子、大人のお姉さんみたいな人。
でも、みんな……輝くために。きらきら輝いて、自分を、誰かを……照らすために、歌ってる」
-
櫻木真乃は、皆に元気を与えて。
幽谷霧子は、皆の心を照らして。
七草にちかは、生きるために輝いた。
田中摩美々(じぶん)も――そして、星野アイもきっとそうだった筈。
アイドルは何かを照らすために歌って、踊る。
そういう生き物だ。
界聖杯を肯定するわけではないが、"可能性の器を集める"というコンセプトにも合っているとそう思える。
ステージの上、そこに立つアイドル達。
そこには無限の可能性が広がっていて、だからこそ誰も彼もみんな尊いのだと摩美々は思っている。
あの世界で、そしてこの世界で、その両方で見てきた優しくて愛おしいヒカリのステージ。
「そんな、何の感慨もなく……誰かを壊すためにじゃ、ない」
けれど『アイ』には、それがない。
敵連合が送り出した新人アイドルにあるのは、ある種作業的な無機質さだ。
彼女にとって声とは道具で、歌とは武器だ。
死柄木弔によって生み出された、箱舟を殺すためのアイドル。
偶像の血から生まれ落ちた、悪魔のような超新星(ホーミーズ)。
彼女の歌に情熱はなく、歌うことや踊ること、何に対しても一つだってこだわりはない。
歌えと言われたから、歌う。
覚えろと言われたから、覚える。
やれと言われたから――ステージに立つ。
「真乃は……あなたが歌ったその歌をうたってた子は、とっても楽しそうに演るんです。
見てる人が、思わずくすっと笑顔になってしまうような。
落ち込んでいる人が、もうちょっと頑張ってみようかなって、元気になれるような」
「……、……」
「あなたのとは、ぜんぜん違う。もっと、ずっと……あの子は、すごかった」
「うん、よくわかんないや」
ごめんね、と笑って『アイ』は肩を竦めた。
何やら熱心に語ってくれているので耳を傾けてみたが、結局何が言いたいのやらさっぱり分からない。
たぶん摩美々ちゃんにしてみればそれがまず駄目なんだろうなあと思いつつも、『アイ』は一歩前へと踏み出す。
「私はアイドルだよ。そう作られた、連合製の、あなた達のためだけの偶像(アイドル)」
これ以上、わけの分からないアイドル論議に付き合ってやる義理も理由もない。
よって『アイ』は、此処で田中摩美々を摘み取ることを決めた。
-
その前言撤回は不合理。彼女の『プロデューサー』の意向に背く行為。
それを自ら選んでいること、それに意味を感じることもなく。
「イルミネーションスターズ。"人の手で輝かす光"って意味なんでしょ?
だったら誰かに求められて歌って輝く私は、その名前に相応しいと思わない?」
メロウリンクの銃弾が飛んでくる――片手で払う。
二度目はコツを掴んだ。もう、流血すらせずに払えてしまう。
くるりと身を翻して軽く"声"を浴びせてやれば、ごろごろと地面を転がりながら鈍い音を立てる。
傭兵は傭兵。戦闘者ではなく、ステージの上で輝く歌姫に勝る光を放つこともない。
その確信を持ちながら、『アイ』は摩美々の方を向いてすう、と息を吸い込み。そして――
「……じゃあ」
全てを決める、最後の歌声を吐き出そうとして。
「あなたを、推してくれる……そんな人は、いるんですか」
その言葉に、ふと。
何故だか、喉が止まった。
「あなたは……っ」
『アイ』はアイドルだ。
しかし、田中摩美々が言うようなアイドルではない。
必要だから歌い、殺すためにパフォーマンスする。
与えられた武器が歌声だったからそれに頼るだけで、これが銃でも金棒でも何も変わらない。
まさしく偶像のホーミーズ。
偶像という型を忠実にこなし続ける、そんな存在。
だが。
だが、元を辿れば、その身体に流れている血は――
「あなたは、誰かの【推しの子】ですか?」
――現代最高峰のトップアイドルのものだ。
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前編の投下を終了します。
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残りを投下します。
たぶん大丈夫だと思いますが、スレ足りなくなったら次スレにいくかもしれません。その時はごめんなさい
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アシュレイ・ホライゾンが何をしたのか。
その答えは、まさしくイマジネーションにある。
トゥインクル・イマジネーション。
上弦の参に討たれて散った星の戦士から"継承"した、なりたい何かになるための力。
これを用いて猗窩座を下したアシュレイだったが、かの力は今も彼の中に渦巻き続けていた。
覚醒を捨てた相互理解の星では、死柄木弔という凶星の輝きに打ち勝てない。
だからこそ、もっと大きな輝きが必要だった――元ある輝きをもっとずっと大きくする、イマジネーションが必要だった。
崩壊、滅ぼす力。
それとは真逆の、明日に繋げる力。
それを解放し、自らの剣に、そして星へと付与(エンチャント)することでアシュレイは死柄木の死風を内側から吹き散らしたのだ。
赫灼熱拳を両断しながら、死の運命を跳ね除けて立ち上がったアシュレイ・ホライゾン。
彼のと死柄木の眼光が交錯し、アシュレイは炎を。死柄木は滅びを解き放った。
「少女趣味か? 似合わねえぜ」
「なんとでも言え。俺にとっては、何より誇らしい力だよ」
本来、アシュレイの出力で死柄木と渡り合うことは困難な筈だった。
本命の崩壊はおろか、振り翳してくるホーミーズ達の火力でさえアシュレイの数倍以上はあるのだ。
天駆翔ならばいざ知らず、涙の雨で拮抗するには相手が悪すぎる。
しかしその欠点を補ったのが、イマジネーション――無限にも通じる力だ。
銀炎の出力が目に見えて向上している。
気合と根性、かつて彼が袂を分かった概念が働いていなければ説明の付かないような不条理。
それを以って、アシュレイは死柄木の放った本気の崩壊を相殺してのけた。
形あるもの全てを滅ぼす崩壊は、"まだ"形なきものを滅ぼす領域にまでは到達していない。
死柄木の眉が動く。四皇を知る男をして驚くに足るだけのものを、今のアシュレイは発揮していた。
「萎えるぜ。気持ちよく勝てそうだったのに」
「背負ってるんでね。こんな俺を待ってくれてる奴がたくさんいるんだ、そう簡単に屈しちゃやれないんだよ」
滅びと希望の余波が飛び交う中で、踏み込んでくるアシュレイに死柄木は苛立たしげに舌を打つ。
そうして振るわれる剣閃は、やはりというべきか先ほどのとは比較にならない威力を秘めた轟閃であった。
再生があるとはいえ無策に受ける気にはならない、それだけの一撃。
身を逸らして避けながら、片手に渦巻かせた炎を浴びせかけるがアシュレイは避けすらしない。
「そんでもって言わせて貰うぞ、魔王。"その程度か"」
体表に星辰光を纏わせることで、具体的な行動を一つも起こすことなく死柄木の熱を殺してみせたのだ。
そして右手を翳せば、そこから溢れ出すのは威力を大幅に増した銀の炎。
蒼炎とぶつかり合って猛烈な熱を散らしながら、しかし両者共に一歩も退かない。
溶け落ち始めるアスファルト。足裏から伝わってくる灼熱にも構わず、魔王と境界線は攻防を繰り返す。
-
烈風と死炎を入り混じらせ、骨の髄まで焼き尽くそうとする死柄木。
それに対してアシュレイは、イマジネーションの鼓動に任せた異常出力で対応する。
猗窩座との戦いで見せたものと比べて、格段にアシュレイはイマジネーションをその身体に適応させつつあった。
星辰光という異能に精通していること――更に、自身の星を三度に渡って"変更"してきた経歴故の順応の速さ。
サーヴァントならではの年季と慣れの速さが、アシュレイ・ホライゾンを此処に来て星の戦士にも届くイマジネーションの使い手として完成させた。
(見える。斬れる。扱える――素敵な力だな。とびきり優しくて暖かくて、そして強い。まさに君に相応しい力だと思うよ、アーチャー)
この瞬間の攻防に限って言うならば、アシュレイは完全に死柄木の上を行っていた。
炎と風の二重奏をこじ開けて通した一突きで、魔王の脇腹を抉り飛ばす。
衝撃で後退させられた死柄木の口から、二度目の舌打ちが出る。
次の行動は予想できる。火力を引き上げての一撃必殺だろう――厄介だが、しかし読めている。
アシュレイはそのまま一歩前へ踏み出し、"キラキラ"の宿る拳を握って――
「ッ――!?」
死柄木弔の顔面を、ただ全力を込めて殴り飛ばした。
単に傷を癒やせばいいというものではない、"覇気"にも通じる深い衝撃が彼の顔面を突き抜けた。
初めて味わう感覚に、死柄木は溢れ出る鼻血を手のひらで受け止めながら呆然とする。
殴られた。ただそれだけだ。
それだけなのに、こうまで痛い理由が分からない。
ひしゃげた骨格も折れた鼻も復元はすぐに済むが、しかし鈍い激痛は残り続けていた。
「……ムカつくな。どいつもこいつも、俺に気持ちよく暴れさせてくれない」
峰津院大和の不敵な微笑を、嫌でも思い出す。
目の前の青年の顔に、重ねてしまう。
最初は取るに足らない相手だと思っていた。
皇帝達はおろか、大和と比べても恐るるに足らない相手。
か細い希望に縋って生きるか弱い者達の柱として実に"らしい"、弱小のサーヴァントだと高を括っていた。
だが此処で、その認識が改められた。
そんな相手に今自分は殴り飛ばされ、無様に地面を転がったのだ。
認め難い現実に苛立ちが巻き起こる。
その感情が脳へと伝わっていき――……、やがて冷たく渦を巻く、濁流の如き殺意へと変換されていった。
「船乗り如きが王様を殴り飛ばしたんだ。極刑だな」
殺意の爆発と同時に、死柄木が地面に触れようとする。
アシュレイはそれをさせるわけにはいかない。
死柄木の崩壊の射程は数キロメートル以上だ。
此処で放たれれば、同じ区の中にいるにちか達が巻き込まれるのは必至だった。
「――させるかッ!」
一足で間合いへと踏み込んで、一刀を放つ。
アシュレイは、そうしなければならない。
それは彼が抱えている明確な"縛り"だ。
守るべき人を背にしているという、"縛り"。
そしてそれを、死柄木が利用しない筈はなかった。
「本当に……金言だと思うよ。先生」
-
――その時、アシュレイ・ホライゾンは背筋に強烈な悪寒を覚えた。
目の前で繰り出されようとしている崩壊に対しての恐れではない。
死柄木弔のその後ろで、ゆらり、と……揺らめいた影があった。
それを見た瞬間、アシュレイは背骨の代わりに氷柱をねじ込まれたような気分になった。
筋骨隆々のシルエット、濃い陰影が浮かび上がった顔立ちは巌のよう。
見た目だけを見れば、似ても似つかない。
背丈も、年齢も、恐らくは辿ってきた人生も違う。
いや、それどころかこれは見た目がどうあれただの写し身だ。
死柄木弔がその能力を使って作り上げた使い魔(ホーミーズ)、その一体でしかない。
分かってはいる。分かってはいるのだ、アシュレイだって。
だが、そう分かっていても尚――心の中に、"あの英雄"の姿を思い浮かべてしまうのは何故なのか。
「守るものが多いんだ、ヒーローってのは。それがお前らの愛すべき素敵な弱点さ」
アシュレイ・ホライゾンは"英雄"を知っている。
おとぎ話の中に伝えられる、フィクションの存在ではない。
現実の市井に生まれ落ち、貧しい中で研鑽を繰り返し、弛まぬ努力と実直な精神性で頂点へと上り詰めた全ての人々の希望。
人々の心に差した不安の影をその背中一つで掻き消しながら、いつだって弱音の一つも漏らすことなく歩み続けた永遠の憧憬。
知っているからこそ、アシュレイは一目見た瞬間に確信した。
この男は、この象徴(おとこ)は――あの英雄(ヒーロー)と同種の生き物だと。
「知ってるみたいだな、英雄を」
「……ああ、よく知ってるよ。いつだって"誰か"のために立ち上がり続ける、そういう人のことならな」
「俺も同じさ。よ〜く知ってるんだ……そんな奴の強さも弱さも。"平和の象徴"の光も闇も」
「じゃあ、これは――」
笑みを浮かべることのない、彫像のようなその顔に宿る気迫は鬼気と呼ぶべきそれだ。
比喩でなく、対面しているだけで全身の筋肉がビリビリと痺れてくるのを感じる。
ただの写し身でこれならば、一体本物の英雄はどれほどの武威を纏った存在だったのか見当も付かない。
だがそれと同時に、アシュレイは身に沁みるような痛ましさをも感じていた。
「……おまえの知る、"英雄の影"ってことか」
「その通り。単なる紛い物だけどな、それでも結構気に入ってるんだ。
中身なんざあってもなくても、力さえあれば大抵のことはどうにか出来ちまう。
皮肉が効いてるだろ? どうあっても矛盾と犠牲から逃げられない生き物の再現としちゃ我ながら上出来だ」
「俺はその人のことを知らないが、見てて気分のいいものじゃないな」
これは、死柄木の知る英雄の影の側面そのものであり。
そしてそれ以上に、彼が抱く果てしない憎悪の賜物だと分かったからだ。
まさに、悪意を以って描かれた英雄のカリカチュア。
力だけを捏ね合わせて、崇高なものの一切を取り払った一切鏖殺の英雄譚。
「――なんだか、無性に悲しくなるよ」
「そうかい。なら嬉しいぜ」
対話の時間が、終わる。
アシュレイは防御の構えを取りつつ、ありったけの星をありったけのイマジネーションを込めて廻した。
-
生半な防御では貫かれる、そんな確信があった。
死柄木はこの英雄を憎んでいるが、同時に誰よりもこの英雄を信じてもいるのだと今のわずかな会話を通じて理解した。
そのアシュレイの判断に一切の間違いはなかったが、しかし――
「せっかく出会えたライバルが、大嫌いな英雄野郎に轢かれて死んじまうんだから」
――結論から言うと、それでもあまりに足りなかった。
英雄の影が、消える。
刹那、アシュレイが見たのは"光"だった。
そして感じたのは、骨の髄まで砕かれるような"衝撃"だった。
「かッ――――は、……!?」
アシュレイの身体が、ガードごと吹き飛ばされて宙を舞っていた。
受け止めた両腕の骨が粉々に砕け散る。それどころか内臓が潰れて骨と混ざる。
即席のミンチを体内に拵えながら吹き飛んだ先にあった建造物を貫通して、それでもまだ止まらない。
一体どれほどの威力で殴られたのか見当も付かなかったが、何より驚愕すべきは英雄の影がこちらへとみるみる内に近付いてくることだ。
(おい――冗談だろ、ッ……!?)
自分の手で殴り飛ばした相手に、素の脚力だけで追い付いてくるなど馬鹿げている。
だが同時に納得もあった。あれが影なれど英雄を再現した存在ならば、このくらい出来て当然だとも思えてくる。
何故ならアシュレイが知る英雄もまた、不可能を息吐くように可能にしてのける、そういう存在だったから。
自分が今戦わねばならないのは、まさしくそういうモノなのだと否が応にも理解させられた。
追い付いた英雄の鉄拳が、今度はガードも許さずアシュレイを地へと叩き落とす。
「ぐ――が、ァッ……!!」
頭蓋が砕けて、脳漿が噴出する。
即死を避けられたのは奇跡だった。
脳の損壊と並行して癒やしの炎を帯びなければ、確実にアシュレイは死んでいただろう。
なけなしの反撃として銀炎を――それでもイマジネーションを開帳する前に比べれば格段に向上した威力で打ち放つが、しかし結果は予想通り。
接近の風圧だけで、炎のすべてを無力化する。
吹き散らして、吹き飛ばして、単なる火の粉に変えてしまう。
そして堂々と拳打の嵐を繰り出すのだ。それは最早、重機関銃(マシンガン)の一斉掃射と然程変わらない。
違うところがあるとすれば、一撃一撃の威力が鉄を砕き金剛石をも押し潰す領域に達していることだろうか。
「速くて重いだろ? こっちの世界が誇る、みんなの憧れ"平和の象徴"さ。
こいつと対面しちまえば、どんな巨悪も向こう数ページで蹴散らされるコミックのヴィランに成り下がっちまう!」
イマジネーションの力がなければ、アシュレイは間違いなく木っ端微塵にされていたに違いない。
そうでなくても、防御と回復を並列で行い続けなければ命はなかったほどの修羅場なのだ。
そしてその上、敵はこの英雄だけではない。
笑みを浮かべながら視界に入った死柄木の姿に、アシュレイは即座に決断を一つ下す。
英雄の拳にわざと直撃し、肺を粉砕されながらも吹き飛ばされることで無理やり英雄との距離を確保したのだ。
この英雄は厄介どころの騒ぎではない弩級の脅威だったが、それでも光に目を灼かれて見落とすわけには行かない事実がひとつある。
あくまでも敵は死柄木なのだ。倒すべき敵という意味でも、警戒すべき敵という意味でも。
-
「はッははははァ――!」
「ぉ、……おおぉおおおォ――!」
迫る死柄木、その凶手を的確に一発一発捌く。
掠めたなら何よりも優先して接触箇所を切り落とし"伝播"を防ぐ。
アシュレイはこれを、鼻血が出そうになるほど深く集中しながら成し遂げていた。
英雄が追い付く前に死柄木を捌き、なおかつなるだけ速度の出る刺突で即死を狙っていく。
「辛そうだなァヒーロー! だが無理もない! 俺の《英雄(ヒーロー)》の前じゃ、クソ生意気な峰津院のガキでさえ敗れ去った!!」
「……っ! おまえ、大和を――あいつを、殺したのか」
「だったら良かったんだけどな、上手く逃げられちまったよ。
だがまあ十中八九死んだだろ。派手な戦いには落ち武者狩りが付き物さ。俺の言いたいコト、分かるよな。箱舟のヒーローくん!」
それを死柄木は、一切恐れない。
首を裂かれても、肺を両断されても、怯まない。
一秒たりとも無駄な時間を使うことなく、アシュレイとの戦いを続行し続ける。
その姿にアシュレイは、かつて相見えた強欲竜(ダインスレイフ)の影を見た。
いかなる負傷にも死の恐怖にも頓着することなく目的に向けて邁進し続ける――狂気の竜の気配を、垣間見た!
「お前らが必死こいて助けた未来ある若者は、何も生み出すことなく俺の犠牲になっちまったよ!」
巻き起こる蒼炎。
空中には、狂った笑顔で笑いかける"荼毘"の姿。
炎の渦に取り囲まれたアシュレイが脱出した時、その視界を埋め尽くしていたのは英雄の厳相だった。
「けどよ。まあ……俺も鬼じゃないんだ。慈悲ってやつをくれてやる」
『"TEXAS"――――』
その英雄が拳を構え、技名を叫ぶ時。
すべてのヴィランは、己の敗北を悟る。
反転したヒーローにとっての"敵"とは、即ち同じヒーロー。
どう謙遜しようとも、箱舟の少女達にとって揺るぎなくヒーローであるアシュレイ・ホライゾンは当然その条件を満たしており。
故にこそ今、彼にとって英雄は究極の絶望として立ちはだかった。
「せめてお前を信じた娘達が死ぬところだけは、見ないで済むようにしてやるよ!」
『――――"SMAAAAAAAAAAAAAAAASH"!!!!』
――死柄木の哄笑が響く中、アシュレイに轟撃が着弾する。
台風の数倍にも達し、天候をすら変えるとされた拳圧が彼の身体を隅から隅まで蹂躙した。
吹き飛ばされた先はこれまでの戦いで築き上げられた瓦礫の山。
そこに頭から突っ込んだアシュレイに対しての火葬役は炎のホーミーズ・荼毘が務める。
「おさらばだ、箱舟のヒーロー。船は船でも海じゃなく、三途の川にかける橋になっちまったな」
蒼炎、炸裂。
死柄木弔が知る限り最高の火力を誇る炎が、再現されて境界線の青年を完膚なきまでに焼き尽くしていく。
燃えろ、燃えろ。灰になるまで、いや灰になっても燃え続けて死に果てろ。
それでこそ最高の"否定"になる。
魔王の憧憬を邪魔立てする偶像達の描いた、夢。
そのすべてを地に貶める、これ以上ない否定の墓標を造ることができるのだ。
「夢を見るのは俺だけでいい。誰も彼も、結局は無価値さ」
――俺は誰にも止めさせない。
止められない、とは言わなかった。
止めさせない。立ちはだかろうが、すべて崩して殺し尽くす。
箱舟に限った話ではない。真の意味で、誰も彼もだ。
いつか袂を分かつことを前提に道を共にし続けてきた、あの砂糖菓子の少女でさえその例外ではない。
この夢は、この世界の夢は、全て俺のものだ。
ヴィランの王は、魔王は傲岸不遜にそう言い放つ。
彼は、誰にも何一つとして譲らない。
譲りはしない――それが王の決定で、異を唱えればすべてが塵と化す。
しかし。しかし。
「反論は、させてもらうぞ」
燃え尽きた、燃え殻の山の中から声がする。
-
さしもの死柄木も、これには驚きを浮かべざるを得なかった。
英雄による鉄拳制裁、ならぬ鉄拳"粉砕"。
そしてトドメの蒼炎による火葬――生き延びられる可能性は一縷にも満たなかった筈だ。
なのに、声は事実として響いていて。
黒炭の丘に一人立つその影は、紛れもなく"箱舟のヒーロー"のそれだった。
「俺は……、界聖杯のやり方には賛同できない。それに正直、理解もできない。
たとえそれが存在意義だとしても、巻き込まれた側に言わせれば傍迷惑の一言だ。
一番優秀な器を選び出すなんて言えば聞こえはいいが、実際にやってることは独裁者の戯言じみた強硬策だ。賛成できるところが、一つもない」
アシュレイ・ホライゾンは、悪の敵ではない。
アシュレイ・ホライゾンは、平和の象徴でもない。
彼は、対話を求める者だ。
善にも、悪にも。老人にも、子供にも。
必要とあらば愛する者の仇にだって、彼は言葉を投げかけるだろう。
「けどな。この地に集められた皆を指して"可能性の器"と呼んだそこだけは、ちょっとだけ同感できるんだ」
この世界でアシュレイが出会ったのは、戦場なんて概念とは無縁であるべき少女達だった。
銃火ではなく歌声が飛び交う場所を戦場と呼ぶ、そんな牧歌的思考がまかり通る世界で安穏と生きるべき子どもたち。
けれど彼女たちは、そんな世界の住人にしてはあまりにも強かった。
彼女たちだけの強さを、間違いなく持っていた。
それはアシュレイでさえ予想だにしなかった輝き。
人々を魅了し、癒やし、鼓舞する――舞台上の偶像ならではの強さ。
そして強さを持っていたのは、何も彼女たちアイドルに限った話ではない。
「誰も彼も、みんなが可能性を秘めていた。
あの子達も、大和も、……おまえだってその例外じゃないと俺は思ってる」
「説教臭えな。結局何が言いてえんだ?」
「おまえは、それを無価値と呼ぶんだろう」
峰津院大和とは、最後まで真の意味で手を取り合うことはできなかった。
そこに後悔はあるが、しかしそれが彼の生き様だったのだとも思う。
アシュレイが背負う彼女たちと比べて優劣をつけるなんて、とんだ傲慢だ。
彼には彼の信念があり、それを貫いて生きたのだ。
ならば、他人が手前勝手な主観で評価を下すなど無粋の一言。
アシュレイにできるのは、ただその最期に想いを馳せることだけ。
――しかし。
-
「その手で、その力で……おまえは、この世界にある可能性を全部蹴散らすんだ」
「当然だな。俺は、俺の未来だけを見てる」
「そして振り返って、殺してきた全部を無価値だったと呼ぶ」
「もう一度言うぜ。当然だ――そいつが勝者の権利ってやつだろ。違うかい、ヒーロー?」
「そうだな、きっと違わない。一概に否定できることじゃないと、そう思うよ」
この男は――
この魔王は。
そのすべてを指して、無価値だと断ずる。
殺し、殺し、踏み躙って、振り返って。
無価値だったと、そう笑うのだ。
それはきっと、人類の長い歴史に当て嵌めて語るならば紛れもないひとつの"正論"。
勝者に与えられる権利はいつだって略奪と、敵の価値を主観で語る権利だ。
これを否定することは即ち、人類の歩んできた歴史そのものの否定にも等しい。
アシュレイもそのことは分かっている。だから、否定しない。
「でも、"俺"はそれを認めたくない」
「傲慢だな」
「ああ、傲慢さ。でも仕方ないだろ? 俺はあくまでいち英霊でしかない。神様でも、仏様でもないんだ」
だから、これはただの"反論"なのだ。
正当性だの歴史だの、そんな議論はするつもりもない。
そこにある理屈はただひとつ。
俺は、それが気に入らない――その一言のみだ。
「死柄木弔。おまえにとって、おまえの夢以外のすべては無価値か」
「そうだ。俺の夢見る地平線だけが、俺にとっての意義のすべてだ」
「その過程で散っていったすべてには、本当に何の意味もありはしないのか」
「ない。過ぎたことを振り返って、お前は強かったぜくよくよすんなよって励ましでもすりゃ満足か? ――寒いぜ、俺には無理だね」
箱舟と連合が。
アシュレイと死柄木が相容れることは、この通り決してない。
どちらかがどちらかを倒し、敗れた方は消えてなくなる。
彼らの間に存在する結末は、ただひとつそれだけだ。
「――そうか。じゃあ、俺は命を懸けてそれを阻むよ」
アシュレイが、剣を構える。
まだ再生も追い付いていない身体で、それでも剣を構えた。
「死柄木弔。俺は――おまえの夢を、否定する」
「そりゃ結構だがな、現実は見えてるか?
お前に何がある。何ができる。答えろよ、箱舟!
俺にも、この英雄にも勝てやしない雑魚が。綺麗事を並べ立てるしかできない夢追い人が!
なあ――教えてくれよ、境界線(ホライゾン)! どうやってこの俺の……魔王(おれ)の夢を否定してくれるってんだ!?」
「決まってる」
唱えるべき言葉は、決まっていた。
それ以外、何一つ存在しないと言ってもいい。
脳裏に描くのは彼女達の笑顔、散っていった者達の顔。
この世界で出会ったすべての縁、その肖像。
「勝つさ。おまえのすべてに」
それを以って、宣言する。
誓うのは勝利、それただひとつだ。
"勝利"とは何か――その答えが出せずとも。
今此処で心血注いで掴み取ること、そこに意味がないだなんて欠片たりとも思わないから剣を握る。
「そのためになら、俺は――――」
鳴動するのは、銀の炎。
愛する女の名前を冠した、涙の雨(レイン)。
死を想う月(ペルセフォネ)の美しさを宿したそれと、戦友(スター)の遺志を武器にして。
アシュレイ・ホライゾンは此処に、過去に浴びたひとつの言葉を思い出していた。
-
『狂い哭け、祝福してやる。おまえの末路は"英雄"だよ』
『光のように、闇のように、強く優しいお前ならきっと皆(だれか)を救えるさ』
――是非も無し。
「――――この世界でただ一人の、魔王(おまえ)だけの宿敵(えいゆう)になろう」
英雄なんて肩書きが似合うとは今でも思えない。
それでも、今だけはそう名乗ろう。
魔王退治は古今東西英雄の仕事、それが定番なのだから。
「――――――――――――――――――――――――、――――――――――――――――――――――――」
放たれたその言葉に、魔王は茫然と目を見開いていた。
予想外だったのだろう、彼の言葉は。
ヒーローと呼び煽ってはいても、実際に憎むべきそれらの輝きをアシュレイから見出すことはないと高を括っていたのだろう。
だからこそ、死柄木弔は此処で現実の問題として理解する。
今、目の前に立つ境界線の青年はまごうことなき英雄で。
その放つ輝きは――自身の憎んだ平和の象徴(かれ)にも通ずる、ひどく眩しい閃光であると。
「上等だ…………」
表情の消えた顔に、笑みを新しく貼り付ける。
魔王として相応しい表情(かお)は、既に心得ている。
誰に求められたペルソナでもない。
他ならぬ死柄木弔が、彼自身が、そうあるべきと心得た顔だ。
忌まわしいヒーローを迎え撃つ時、最高のヴィランが浮かべる顔が笑顔(これ)以外にあるものか。
「来いよ英雄(ヒーロー)! お前のすべて――すべてすべてすべてすべて!
この魔王(おれ)が否定してやる、粉々に崩して踏み躙ってやる!
さあ、楽しめ! 俺の、俺だけの……! 逆襲劇(ヴェンデッタ)の始まりだ!!!」
――哄笑、響き渡って。
箱舟と連合の激突は、英雄(ヒカリ)と魔王(ヤミ)の対決に姿を変えた。
決着の時はすぐそこにまで迫っている。
どちらが勝つのかは未だ暗中の只中。されど、確かなことはひとつ。
勝つのは、一人だ。
どちらかが勝って、どちらかが死ぬ。
箱舟と連合、そのどちらかが――此処で滅びる。
互いの夢の運命を載せて、共存と崩壊が激突した。
-
◆◆
「?」
『アイ』が最初に抱いたのは、驚きだった。
「この子は何を言っているんだろう」という驚き。
そして――「この感覚はなんだろう」という、驚き。
「? ?? ????」
『アイ』には、それが理解できない。
彼女は星野アイの血を使い生み出されたホーミーズであり。
星野アイのクローンであり――沼男(スワンプマン)たる存在だ。
見かけは同一人物。声も精神性も、間違いなく星野アイの生き写し。
だが、ただひとつ。そこには。
アイをアイたらしめる、アイドルたることにかけての熱だけが欠けている。
「……やっぱり、わかんないんですね」
困惑する『アイ』に、摩美々は小さく言った。
煽るような口調ではなかった。
むしろ、落胆するような……哀れむような。そんな声色だった。
メロウリンクと彼女の視線が、合う。
摩美々はその視線の意味を理解して、こくりと頷いた。
今ならば、行ける。そう確信したからだ。
そして事実、『アイ』は目先の困惑にかまけて走り出したメロウリンクを目で追おうともしていない。
狙撃を受けて負傷した七草にちかの容態確認に赴いた彼を止めることも忘れたその様子が、田中摩美々の投げた質問が生んだ効力の程を物語る。
「私達は……みんな、誰かに推されて生きてるんです。
それはファンの人達だったり、同じアイドルの仲間達だったり、……プロデューサーさんだったり、しますケド」
――『アイ』は星野アイとは似て非なる存在だ。
彼女の生み出された意味に、殺戮以外の形などある筈もない。
連合のために生み出され、連合のために歌い/殺す、アイドル。
それが偶像のホーミーズ・『アイ』。そこには今の時点でも、一寸の狂いも生じてはいない。
死柄木の考えは間違いなく妙案だった。
星野アイは、アイドルというジャンルにおいて283プロ産マスターの誰をも超えている。
彼女は間違いなく、現代……界聖杯における最高の歌姫に違いなかった。
そんな女を使って生み出した新たな歌姫が、連合のアイドルが、弱い筈はない。
現に彼女はメロウリンク・アリティの布陣を粉砕し、箱舟を詰みに追い込もうとしているのだ。
けれど。
そこにひとつ。
たったひとつ、瑕疵があったとすれば――
-
「あなたには、いるんですか。自分を推してくれる誰かが」
「……? ……??、……???」
「いないんだったら、厳しいことを言いますけど」
――星野アイがアイドルという仕事にかける感情を、死柄木弔は知らなかった。
アイは、生まれながらのアイドルだ。
そうなるべくして生まれたと言ってもいい才能を持った、そういう女だった。
しかし彼女にとってアイドルという仕事は、単なる生きる手段というわけではなかった。
星野アイであり続けるために生じた痛み。
星野アイであり続けるために、許容しなければならなかったもの。
そのすべてを、死柄木弔は知らない。
彼が知っているのは、すべてが終わった後のアイだけだから。
彼女の苦労も、熱も、秘められた45510(きもち)も、何も知りはしなかった。
けれど。
「あなたは、まだアイドルなんかじゃない」
――『アイ』は、そのすべてを覚えている。
当然だ。彼女は、星野アイの血から生み出されたスワンプマンなのだから。
「舞台の上にも、一度も立ってない。
オーディションも受けてない、ダンスや歌の練習だって、したことがない。誰かを――喜ばせたことも、ない」
『アイ』にはこの感情の意味も理解できない。
これは何。これは何だ。
吐かれている言葉は、すべて取るに足らない命乞い未満の戯言。
ちょっと地面を蹴って前に踏み出て、手なり足なり振るえばそれで終わらせられる囀りでしかない。
なのに、どうして――
「そんな、あなたが……!」
――この少女の口にする言葉が、こうまで胸に響くのか?
「私や、みんなの……【推しの子】だった、あの子みたいな――真乃みたいな、アイドルであるもんか……!!」
『アイ』は偶像のホーミーズだ。
図らずも、死柄木弔はそう名付けた。
血のホーミーズと名付け、彼の同胞である少女をなぞっていればこうはならなかったかもしれない。
しかし名は体を表す。彼女は血である以上に、偶像(アイドル)のホーミーズ。
星野アイという最強で無敵のアイドルを再現するべく生み出された、一番星の生まれ変わり。
そんな彼女にとって、田中摩美々の言葉は無視することのできない最上の刃として機能する。
さながらそれは、火に対しての水。
さながらそれは、森に対しての火。
さながらそれは、怪物(ジャバウォック)に対してのヴォーパルの剣。
他の何よりてきめんに響き渡る言葉が、『アイ』の動きを止め。
その偶像性を否定し、存在の意義を奪ったその時――
タン!!
銃声がまたひとつ、響いた。
-
◆◆
時は、わずかに遡る。
田中摩美々の作ったわずかな隙、それを信じて駆け出したメロウリンク。
彼が駆けつけたその先で見たのは、地に倒れ伏した少女の姿だった。
七草にちか。アシュレイ・ホライゾンのマスターであり……メロウリンクがかつて共に過ごした娘が、想いを託した少女。
そんな少女が、血溜まりを作りながら倒れていた。
唯一の救いだったのは、彼女の胸元がまだちゃんと上下をしていたこと。
救いでなかったのは、それ以外のすべて。
強いてあげるならば、そう――
「……、……そうか」
――手首の先から、凶弾によって吹き飛ばされた……令呪の刻まれていた方の腕。
「なら、お前に託すしかないな」
落胆している暇は、一秒だってありはしない。
メロウリンクはにちかに背を向けた。
少なくとも今は、そうするしかなかったからだ。
摩美々を一人にしてはおけない。
彼女と『アイ』を対面させたまま手当てを行っていれば、最悪箱舟勢力のすべてが終わることになりかねない。
だからこそ今は、命尽きる瀬戸際にある少女へ背を向けるしかなかった。
唇を――血が出るほど噛み締めながら。
今、彼方で戦いに臨んでいるのだろう、彼女のサーヴァントへと想いを馳せながら。
「………………勝てよ、ライダー」
そう呟いて、己が今護るべきマスターの許へと駆け戻るしか無かった。
ひとつの銃声が響き渡る、その十三秒ほど前の出来事であった。
-
◆◆
英雄の進撃が、アシュレイ・ホライゾンを――箱舟の英雄を打ち据える。
その威力は、言わずもがなにして絶大。
だがしかし、だ。それだけの痛打をもってしても、アシュレイは崩れない。
立ち続け、持ち堪え……あろうことか返礼だとばかりに、英雄の胴を、平和の象徴の写し身を斜め一直線に切り裂いてのけた。
この英雄は、死柄木弔がその憎悪心と執着をふんだんに注ぎ込んで作り上げたホーミーズ。
当然生半な一撃で砕けるほど柔ではないが、それでも傷の深浅に関わらず斬られたのだという事実は変わらない。
無敵を誇り、峰津院の神童さえ打ち砕いた英雄のホーミーズが初めて他者から受けた手傷。
その事実が、両者の激突の中で意味を成さないとは到底思えなかった。
「消えろ、英雄――!」
死柄木の魔手が振るわれる。
宿る個性は崩壊、英霊であろうと無に帰す界聖杯最強の攻撃手段。
対するアシュレイはその一刀に銀炎を纏わせ、炎が生む推進力を用いて手を逸らすという手段で回避を成功させた。
その偉業を誇るでもなく忽ちに刃を動かし、魔王の胴体を十重に切り刻んでいく。
更に炎剣による爆破めいた熱の炸裂で、死柄木の肉体を黒く炭化させて責め苛む。
それは宛ら――悪を浄化する、天上の業火のように。
「いいや、消えないさ――消えられないんだよ、背負っているものがあるからなッ!」
当然ながら、死柄木は単純に灼いた程度では止まらない。
彼は名実共に一匹の怪物であり、ケダモノであり、魔王だ。
負傷したという事実そのものを破却しながら、英雄殺しの偉業を成すために迫ってくる。
放たれた蒼炎に銀炎で立ち向かい、凶手を鍛えた身体能力と判断能力に物を言わせてどうにか流す。
地面に触れようとすれば足を使い蹴り飛ばして防ぎ、返す刀で首と心臓を狙い澄ます。
「ち……!」
さしもの死柄木も、思わず苛立ちを滲ませるほどの奮戦。
アシュレイ・ホライゾンが此処までやれるなどと、彼は当初想像もしていなかった。
身の丈に余る理想を抱えた小物だと、英雄を僭称する雑魚だとばかり思っていたのだ。
しかし今となっては、その評価は撤回せざるを得なかった――魔王は今、確かにこの英雄に苦しめられていたから。
渦を巻いて吹き上がる蒼炎。
それにアシュレイが吹き飛ばされ、地を穿つように足を踏み下ろしてどうにかその場に留まる。
が、間髪入れずそこに英雄の鉄拳が墜ちてきた。
脅威度で言えば、死柄木が振るう崩壊にも迫り得る……無策で受ければ確実に死へと繋がる凶拳だ。
「づ、ッ……!」
咄嗟に剣で受け止めたが、やはりというべきか代償は大きい。
押し返すなど不可能とすぐに分かる、それほどの膂力がその拳には込められていた。
単なる写し身でこれならば、一体真作がどれだけ強かったのか想像するだけで背筋が寒くなる。
しかし同時に、たかが写し身、妄執の絵筆で描き上げられた影ごときに負けていられるかとアシュレイを奮起させたのも事実であった。
-
なりたい自分――魔王のためだけの宿敵。
ヴィランに対する、ヒーロー。
その想いに呼応するようにして、受け継いだイマジネーションが脈動する。
同時に膨れ上がる力は、まるで正真正銘の英雄……光の使徒が如しであった。
優しい涙雨に目覚めた代償に失った筈の、光の力。
それを擬似的に呼び覚まし、アシュレイは此処でその出力を格段に上昇させる。
今までは及ぶべくもなかった力比べの天秤が、少しずつ彼の方へと傾き始めた。
押し返していく、英雄の拳を。
やがて爆発のような衝撃が轟いて……新旧二体の英雄が、共に弾かれ吹き飛んだ。
「おいおい」
ゾッとするような声が響き、次の瞬間には崩壊が迫る。
地を伝って迫るそれが、にちか達の居る方角に向けたものでなかったのは不幸中の幸いだった。
死柄木は今この状況において、要石の破壊よりも目先の敵を排除することをこそ先決と判断したのだ。
一体どこまで続くのかも分からない崩壊の猛威を、アシュレイは――炎の推進力に頼ったロケット飛行で、回避。
空中へと逃れながら、追って来た英雄と再び拳/刃をぶつけ合う。
「駄目だろ、英雄譚に背いちゃあ。偽物は本物に駆逐される運命だぜ、甘ったれ!」
「お前のそれの、どこが本物だ――英雄(ヒーロー)を見てきた一人として、断じて認めちゃやれないなァッ!」
イマジネーションはフル稼働。
先代、星奈ひかるがもしも生き延び、その先の戦いに辿り着いていたならば。
そのIF(もしも)を具現化させたかのように、アシュレイは今対処不可能の難業に喰らいつき続けていた。
光と衝撃、そして見果てぬ執着。三種のエネルギーを注ぎ練り上げられた珠玉の反英雄に、単なる気合と根性で喰らいつく様は悪夢じみている。
(まだだ、まだだ、まだだ――まだ、まだ、まだまだまだまだッ)
すべてを焼く光などになるつもりはない。
そうなってはすべてが台無しだし、そもそもそんな輝きは己には似合わないと自認している。
英雄など柄ではないと、今でもそう思っているが。
それでもそう名乗った以上は、自分がなりたい英雄像(カタチ)くらいははっきり抱けているつもりだ。
誰も彼もを焼く光じゃなくていい。
太陽なんかじゃ、なくていい。
ただ、自分の大切な人達と――こんな自分で照らせる誰かの心を、優しく暖かく照らせる仄かな煌めきであればいい。
果てしない彼方から押し寄せる洪水より、皆を守り出航する箱舟の漕ぎ手のような。
そんな優しく等身大の英雄であれと、アシュレイは他でもない己自身に対してそう望んだ。
(力を貸してくれ、星の戦士――俺は彼女達を守りたい!)
はい、と応じる声が確かに聞こえた気がした。
次の瞬間、アシュレイの剣が"英雄の影"を吹き飛ばす。
死柄木の眼に、何度目かの驚愕が滲む。
魔王の信じる英雄像を弾いたその所業は、言わずもがな彼の怒りを買った。
-
「死ね、身の程知らずが」
吹き荒れるのは、アシュレイがかつて一度退けた死の暴風だった。
瓦礫や砂粒に崩壊を伝播させた、文字通り最強最悪の敵技巧(ころしわざ)。
しかしそれに対しても、アシュレイはもう怯まない。
迷うことすらも、ない――己を信じて、剣を高く掲げる。
灯るのは天駆翔ならぬ月乙女。優しく、されどそれ故にこの世の何より強くしなやかな炎。
それを、イマジネーションに任せたありったけの出力で……ただ、放った。
「はあああああああああああァァァァッ――――!!!」
出力最大、涙の雨(マークレイン・アルテミス)。
涙の雨は、覚醒現象に通じることのない優しい炎。
しかし今に限り、その大前提は無視される。
イマジネーション、何も犠牲にすることのない優しい覚醒がアシュレイの背を押した。
そうして放たれた銀炎は過去最大の出力で、死柄木弔の繰り出した死の暴風を呑み込み焼滅させる。
「ッ……!?」
そしてそのまま、魔王の五体を呑み込んだ。
肌が焼け、肉が溶ける銀色の地獄から跳び上がれたはいいが、受けたダメージは甚大だ。
アシュレイ・ホライゾンは今、魔王死柄木弔と互角に戦えている。
魔王の傷付いたその有様こそが、異変の生じた今の戦況を何より正確に表していた。
「づ……ッ、はは、ははははははは! マジかよ、やるじゃねえか箱舟ッ! 此処までとはなあ、正直まるで思ってなかったぜ!!」
死柄木が、狂おしい笑顔を湛えながら叫んだ。
しかしそれは、敗北宣言に非ず。
その証拠に彼を中心に放たれる殺意、魔力は桁外れに高まっている。
死柄木は紛れもなく魔王であり、ヴィランであるが。
窮地に瀕してなお強くなるその性質は、皮肉にもヒーローのそれに通ずる不条理であった。
「魔王(おれ)を殺すか!? 英雄!!」
「殺すさ、魔王。俺とあの子達の絆に懸けて」
「はははははは――いいぜ、面白くなってきやがった! お前もそう思うよなあ、《平和の象徴(オールマイト)》ォ!!」
牙を剥きながら笑う魔王に呼応するように、英雄の影、オールマイトのカリカチュア――その存在感が高まっていく。
それは決して気の所為などではない。
現実に、その存在が強化されているのだ。
一秒前より格段に強く。アシュレイが超えた限界を、更に飛び越えて強くなる。
-
そこに理屈は存在しない。
だが、その無茶苦茶さこそが何よりの理屈であった。
写し身なれど、その外殻(ガワ)は不撓不屈のヒーローのそれで。
そしてそれを現出させた主は、この世の誰よりもその男を憎み、その男の強さを信じている。
ならば最早、あらゆる理屈は不要の産物と化そう。
目の前の敵を、当然のように"彼"は乗り越える――それが英雄という生き物だから。
「――殺せ! 英雄譚を見せてみやがれ、平和の象徴ォッ!!」
主が下す大号令と共に、光輝く衝撃の英雄は線と化した。
次の瞬間にはもう、打ち倒すべき英雄/敵の目の前。
振り被るその拳に、しかしアシュレイもこれ以上怯みはしない。
相対する英雄をしっかりと見据え、そして言葉を紡ぐのみだった。
「……来い、英雄。その影たらんと生み出されたモノよ」
箱舟の英雄は、象徴の英雄を前に逃げも隠れもしない。
それが光であれど、影であれど、もはやさしたる違いはなかった。
航路に立ち塞がるならば、魔王の意のままに動くのならば、敬意を以って打ち倒す。
同じ英雄の肩書きを名乗り剣を握った者として、それ以外は不要だと心得ているから迷わない。
「成し遂げさせて貰うぞ、俺の英雄譚をな――!!」
『HA HA HA HA HA HA HA HA HA HA――!!』
英雄の顔に、初めて笑みが浮かんだ。
受けて立つと、そう宣言するように笑う英雄。
その拳が、音をも超えて乱れ飛ぶ。
それに合わせるには、剣戟ではどう考えても手が足りない。
アシュレイは意を決して、剣を鞘へと収めた。
代わりに引き出すのは、先代から引き継いだひとつの奥義。
上弦の参たる拳鬼にも通じた渾身の一撃だ――この状況で持ち出すに不足なし判断し、アシュレイは拳を握る。
あろうことか彼は、拳一つで頂点に成り上がった英雄に対して……同じく拳で勝負を挑んだのだ!
「行くぞ、アーチャー!」
叫ぶ言葉はそれだけで十分。
彼は星の戦士に非ず、しかし抱く想いは同じ。
守りたいというその気持ちに、イマジネーションは最上の相性を発揮する。
振るわれる無数の拳打(つよさ)に向けて、アシュレイはただ光(やさしさ)を放つ。
「星辰(スタアアアアアアアァァァァ)、流転之拳(パアァァァァ――――ンチ)ッ!!!!」
それは、キュアスターから引き継いだ拳。
敵を打ちながらしかし否定しない、優しさありきの星の輝き。
ヒーローの基本は余計なお世話だ。誰にでも言葉をかけ、向き合い、そして手を差し伸べる。
これはその精神性を体現するが如き、優しい拳。
だからこそ、か。過去最高の相性を発揮した星辰の拳は、英雄の影の轟打とさえ互角に打ち合うことを可能とした。
一撃一撃が、重い。
ぶつかり合う度に、比喩でなく霊核が軋む。
生まれかける弱気をねじ伏せて、次を放つ。
そうして辛うじて成立する拮抗を、アシュレイは決して譲らない。
-
「……あなたが誰かは、知らない。
でも、あなたがとても偉大な英雄だったことは分かる」
答えが返ってこないのは分かっている。
それでも言葉を紡いだことが、何より明確に彼の人物像を物語っていた。
「……待っている子が、いるんだ。
こんな辛く苦しい世界の中で、それでも未来を望む子達がいるんだ。だから――!」
成り立っていることが不思議なほどの打ち合いの中で、アシュレイはがらんどうの英雄に語りかける。
その行動に意味はない。
分かっている、アシュレイとてそんなことは。
それでも言葉を止めず、拳も止めない。
真正面から殴り合いながら、身体を一秒ごとに崩壊させながら――叫んだ。
「――今だけは道を開けてくれ、ヒーロー!」
喝破する言葉と同時に、拳が拳をすり抜ける。
すり抜けた拳はそのまま、英雄の影、その横っ面へと叩き込まれた。
アシュレイは間違いなく、"彼"に比べれば単なる凡夫だ。
しかしイマジネーションの輝きを、想いの真髄を込めた今の拳は、英雄の玉体をも揺るがす。
英雄が、揺らぐ。
体勢を崩し、空中でたたらを踏んで後退する。
が、無論それでは終わらない。
『UNITED STATES OF――――!』
ヒーローが、そのホーミーズが、凄絶な覇気を放ちながら拳を構える。
そこに宿るのは、彼が出せる限り最大出力の一撃だ。
龍脈の槍を携えた峰津院大和をさえ一方的に下した、英雄の威信のそのすべてを載せた一撃に他ならない。
今のアシュレイでさえ、正面からの火力勝負で打ち破るのは恐らく不可能。
彼自身それを分かっていたからこそ、アシュレイは一も二もなく踏み込んだ。
これを放たせてはならない。正真正銘の全力が開帳される前に、自分は英雄として、英雄殺しを成し遂げなければならない……!
(思い出せ――いいや、そうするまでもない。
あの日、あの時……! あの人から受け継いだすべては、今もこの霊基(からだ)に刻まれているだろうッ)
アシュレイが此処で縋ったのは、彼が何よりも信頼する奥義に他ならなかった。
構えるのは、剣。星辰の拳でさえ足りない、より確実な一撃が今は必要だった。
それは、まごうことなき絶技。
心技体、三相を完全に合一させることで初めて成立する剣戟の極致。
かの救世主さえ思わず見惚れた、まさに剣の粋の頂点に君臨する御技である。
三相合一が成ったのならば、之を以って体現するは剣の極み。
これを指して、先人は――その曇りなき刃をこう呼んだ。
-
「明鏡、止水……!」
かつて師の薫陶を受け、皆伝に至った至高の一刀。
かの鋼翼をすら斬り捨てた、アシュレイ・ホライゾンが持つ究極の矛。
手は、一寸たりとも過つことなくかの日の記憶を再現する。
最期の稽古。最期の教え。師と過ごした、最期の時間。そのすべて。
「絶刀――――――――叢雨ェッ!!」
それは、終局を告げる一刀。
英雄の拳が放たれるよりもなお速く。
放たれた刀身と共に、アシュレイは英雄を通過した。
英雄の影、その動きが止まる。
死柄木弔が最上の執着を寄せた功罪の化身、荒ぶるその一切の挙動が停止した。
「……俺の、勝ちだ。《平和の象徴(オールマイト)》」
あえてその名で呼んだのは、誰に対しての敬意だったのか。
世界がズレ、英雄の玉体が斜め一直線に両断される。
崩れて消えるその間際、かの者がサムズアップを浮かべたのは果たしてアシュレイの見間違いだったのか。
その真偽を確かめる暇は、彼にはなかった。
「死ね」
英雄を落とされても、その主は健在。
漆黒の殺意を灯しながら迫る魔王に、勝利した英雄は当然向き合わなければならない。
彼が今斬り捨てたのは、魔王の妄執の写し身だ。
彼が何より憎み、そして何より執着する憧憬そのものだ。
それを、絶刀を以って斬り捨てた。
それに無感でいられるほど、死柄木弔という男は超越してはいなかった。
「言われずとも、受けて立つさ……!」
アシュレイが、炎を放つ。
同時に前へ踏み出て、剣を振るう。
絶刀には遠く及ばねど、力・技巧共に一流に届いて余りある鋭剣。
だが、それは当然のように空を切る。
死柄木は驚異的な動体視力で以って、イマジネーションによる強化を受けた今のアシュレイの剣をすら見切っていた。
-
峰津院大和と交戦した時のそれさえ遠い過去に思えるほどの、成長。
成長する魔王という脅威性に、アシュレイは悪寒を覚えずにはいられない。
ジェームズ・モリアーティは……もう一匹の蜘蛛は間違いなく慧眼だった。
死柄木弔の存在は早い段階で認識していたが、よもや連合の王がこれほどの傑物だとは予想もしていなかった。
恐ろしい。皇帝達でさえ霞むほどに、昏く滾った凶星が今アシュレイの目の前にいる。
即座に人間一人を消し去れる火力の銀炎を力ずくでこじ開けて、死柄木が懐に入った。
彼の拳を、剣の柄を側部にぶつけることで弾く――が、瞬間アシュレイを襲ったのは激烈なまでの"衝撃"だった。
「な、に……!?」
「吠え面かいたな、ヒーロー」
――ホーミーズ、"英雄(ヒーロー)"。
アシュレイ・ホライゾンが破壊したかの者は、光と衝撃、二つの属性を融合させた合神存在だった。
死柄木は絶刀が彼を斬り伏せる寸前、咄嗟に"衝撃"の方だけを回収していたのだ。
本来なら結合を解除して両方を回収するのが最善だったのだが、そこはアシュレイが上手であった。
彼の絶刀のあまりの速さ、そして冴え故に、死柄木の手が及んだ時には既に"光"のホーミーズは両断されてしまっていたのだ。
平和の象徴、その影。
死柄木の憎悪の象徴たる英雄像は二度と具現化しない。
だが、彼の手にはこうして"衝撃"が舞い戻った。
英雄の"力"。それは今、死柄木弔の拳に宿っている。
「……田中摩美々に言われたよ。お前、本当はヒーローが好きなんじゃないのかって」
『あなたは、初めはヒーローが好きだったんじゃないですか?』。
取るに足らない箱舟の少女に言われた言葉が、しかし今でも死柄木の心には深く突き刺さっていた。
「咄嗟にキレちまったが、思えば恥ずかしいことをした。
図星だったんだよ、認めたくはないけどな。ああ、そうだ――初めは確かにそうだった。
俺は……好きだった。そしてなりたかった。ヒーローっていう、誰かをたすける存在に……憧れてたんだ」
それこそが、死柄木弔。
――否。
『志村転弧』の、原点(オリジン)。
彼は今此処で、英雄の影を失って初めてそれを直視する。
そして、受け入れた。受け入れて尚、彼は凶悪に、ヴィランの王として笑うのだ。
「結局ヒーローにはなれなかったし、今やなりたいとも思わないが……ああしかし、この力を振るえるってのはなかなかに感慨深いものがある」
振り被るその拳の危険度を、アシュレイは誰より知っている。
まずい、とそう思うが、既に何もかもが遅い。
回避、防御、いずれも間に合わない。
既に拳は引かれている。後は、ただ放つだけだ。
「そうはなれなくても、力だけならこうして振るえる。
さあ、蹴散らされてくれよヒーロー。魔王の初陣を、派手な死に様で飾ってくれ……!」
――志村転弧。ヒーロー志望。
――現・死柄木弔。ヴィランの王。
そして。
「CATASTROPHE CRIME OF――――」
地平線の果てへとひた走る、全ての悪の象徴(ヒーロー)。
「――――SMAAAAAAAAAAAAAAAASH!!!!」
炸裂する拳が、アシュレイを打ち据えた。
それと同時、アシュレイは大量の血を吐きながら吹き飛ぶ。
-
そのダメージは言わずもがな甚大で、意識すら消し飛びそうになるほどだった。
剣をどうにか握り続けられているのは、ほぼほぼ奇跡と言っていい。
それほどまでの一撃が、重さが、今箱舟の英雄に直撃したのだ。
「はは、はははは、はははははははは――――!!!」
死柄木の哄笑は、止まらない。
そして、アシュレイを襲う魔の手もまた止まらない。
吹き飛んだその五体を、空中で射止めるものが幾つもあった。
それは小さな鉛弾、もといそれを模した風の塊の群れ。
数十もの風弾がひしゃげたアシュレイの身体を貫き、縫い止め、空中で磔にする。
「『跳弾舞踏会』――」
既に死んだ同胞の奥義。
極道技巧、それさえ今は魔王の思うまま。
そして次に用立てたのは、やはり蒼い炎だった。
「――『赫灼熱拳』!」
炎の波濤が、アシュレイの銀炎をさえ押し流しながら焼き尽くす。
それでも止まらない。ようやく解放された彼の目の前に死柄木が肉薄し、踵落としで頭蓋を砕きながら地に落とす。
「しかと見たぜ、"英雄殺し"! 大したもんだ、ああ全く大したもんだよお前!!
けどなあ! 忘れてんじゃねえぞ、最後に勝つのは俺だ!
模造品(カス)殺してイキってんなよ――悪の親玉は此処にいるんだぜ!?」
上機嫌のままに、或いは喜悦にも似た怒りのままに。
靴底に蒼炎を灯しながら、死柄木はアシュレイを踏み潰した。
そのまま何度も何度も、何度も何度も何度も――足を振り下ろす。
ぐしゃ、ぐしゃり、と肉を踏み潰し焼き焦がす音が連続する。
「英雄譚(サーガ)は終わりだ! 箱舟(おまえら)以外誰も、そんなもんは望んじゃいないのさ!!」
蠢く肉塊を蹴り飛ばして、無数の弾丸で蜂の巣に変える。
逃げの一手は許さない、騎馬の突撃で叩き潰す。
燃やす、撃ち抜く、轢き潰す、殴り潰す。
ありとあらゆる暴力で以って、魔王が英雄を打ち砕く光景が此処にある。
「みんなの総意ってやつさ、死んでくれよヒーロー!
おまえさえ消えてくれれば、後はみんな枕を高くして眠れるのさ!
なあ、おい! おいって! はははははもう死んじまったか? 違うよなあ、んなわけねえよなあ! お前サーヴァントだもんなあ!!
ちゃんとこの手で壊してやらないと、しぶとく無様に此処にのさばりつづけるんだよなあ!!?」
死ね、消えろ、崩れろ、潰えろ。
ありったけの殺意が、ハッピーエンドを呪う逆襲劇が此処にある。
この世界は、とうに箱舟を認めない。
差し伸べられた手を掴める人間から死んでいった。
――応答せよ、箱舟の主。我らは箱舟を求めない。
――出航するというのならば、今すぐその船を撃沈させる。
そんな剣呑なる敵意が、残酷な意思が、優しさを否定する願いが、今魔王という形を取って英雄の前に立っている。
「――死ねよ、消してやる。今日がお前らのドゥームズデイだ」
死柄木の足が、アシュレイを蹴り飛ばした。
そして手を振り上げる。
すべてを消し去る崩壊の手が、地に触れるまであと幾ばくもない。
英雄殺しは成し遂げた。
しかし、それだけだ。
その先には、彼は辿り着けなかった。
真に成すべきは魔王殺し――箱舟の意思を貫くことだったのに。
アシュレイ・ホライゾンは、それを成し遂げられずに此処で死ぬ。
魔王の宣告のその通り、跡形も残さず消えてなくなるのだ。
死刑執行の手はただ冷淡に地へと触れて。
そして、すべての終わりが境界線を呑み込んでいく。
箱舟の命運は、此処に完全に尽き。
英雄と魔王の決戦は、魔王の勝利に終わる――――
-
「……………………あ?」
その、筈だった。
誰がどう見ても明らかな、終わりの一瞬の中。
よろりと立ち上がる、アシュレイ。
彼の手前で、押し寄せる崩壊が――
まるで、見えない力に遮られたかのように、弾かれて――
-
「天来せよ、我が守護星――鋼の地平線に祈りを籠めて」
.
-
紡ぎ上げられる詠唱(ランゲージ)。
それは、しかし天駆翔にも白騎翔にも、ましてや月乙女にも非ず。
降誕するのは、かつて英雄アシュレイ・ホライゾンが辿り着いた極点の悟り。
長い旅路の末に彼が見た、真の至高三界(トリニティ)……即ち、第四の極晃星。
数多の祈りを自分という宇宙に描き上げる、最果ての星に他ならなかった。
創生――星をもたらす者。
星辰界奏者……箱舟の少女達が目標としていた最終到達点が、すべての終わる瞬間にその全貌を表した。
不可解。
この世界における界奏の発動条件は、生前とは比べ物にならないほど極悪なものであった筈だ。
大前提として令呪三画。それでようやく、数秒の発動が罷り通る。
そうまでよしんば発動できたとしても、界聖杯への干渉を行う足がかりは自前で用意しなければならない。
実際に干渉を可能とさせる能力の目処も然りだ。
前者は辛うじて満たせていたが、後者については未だ闇の中。
シュヴィ・ドーラが既に堕ちた以上、成し遂げることは事実上不可能でさえあった。
そう、箱舟は事実上詰んでいたのだ。
シュヴィが散ったその時点で、彼らは天へと伸ばす梯子を失ってしまったから。
その上で、敵連合の狂信者による銃撃が七草にちかの令呪を全損させたことも手伝う。
間近にまで迫っていた悲願は散り、箱舟の航路は霧の中。
心優しい願いを乗せたまま、祈りの船は難破する――筈だった。
遥かの別宇宙から流れ着いた、輝きの力/イマジネーション。
限界突破と袂を分かったアシュレイに対し受け継がれた、その力さえなかったのなら。
イマジネーションとは、圧倒的な想像力。
なりたい自分になるために、成したいことに挑む時に、無限大の力を付与する奇跡の力だ。
即ちこれは、アシュレイもよく知る精神論の極み――覚醒現象の亜種だと言える。
爆発力では一段劣るが、その分受け手も世界も何一つ壊すことなく輝きで満たす優しい極光。
そしてそれは……放浪の末に優しい渚(こたえ)を見つけた青年に対して、覚醒よりも遥かに強く適合する力であった。
ともすれば星奈ひかるのそれにも届く、圧倒的な適合度。
猗窩座戦で片鱗を見せ、この魔王戦で開花に至ったその力は、ひかるの宝具であった『トゥインクルイマジネーション』までもを引き出した。
あり得ざる筈の完全継承。此処に、星の戦士が再臨する。
心から溢れ出すイマジネーションは、奇跡の行使を可能とする。
以上をもって、すべての条件は段飛ばしに達成された。
令呪三画分のエネルギー。
誰かを救いたいという想いにより達成。
界聖杯座標の特定。
もはや不要。
界聖杯への介入を可能とする能力者の用意。
同上。
発動できる時間は数秒が限度。
完全解放を遂げた界奏に、サーヴァントとしての縛りなど存在しない。
-
とはいえ、代償はある。
この宝具を発動した以上、アシュレイ・ホライゾンの消滅は確定事項と化した。
界奏を再び鞘に収めるその瞬間、アシュレイは霊基もその現界も保てずに消滅するだろう。
だが、十分すぎる。完全な形を得た極晃奏者にとっては、ほんの数分でも"なんでもできる"十分な時間だ。
誓いを違えるつもりはない。
刻限が訪れるその瞬間まで、対話と救済に明け暮れよう。
そうして、箱舟はとうとう出航の時を迎える。
手を取り合えた相手とは、肩を並べて。
どうしてもそれが叶わなかった相手のことは、乗り越えて。
一度は地に落ちた極晃奏者、抑止の御遣いが再び"界"そのものへと否を唱える。
何度となく、失敗してきた。
何度となく、失ってきた。
箱舟の旅路は、敗北と喪失の積み重ねだった。
それでも、誰一人諦めなかった。
彼女達は、いつだって未来を見ていた。
だからアシュレイは、それを護るために戦い続けて。
そして今この瞬間、とうとう星に手を伸ばせたのだ。
……これは、彼らの、そして彼女達の旅の終点。
すべての想いが結実し、そうして迎える大団円の銀河(ギャラクシー)。
天地宇宙の航界記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere bringer)――
光も闇も受け止めて、共に歩むための星光が、遥か遠き天の神へ向けて伸びる梯子となった。
-
「いいや」
「勝つのは」
「――――――――――――俺だ」
その、結末に。
夢の果実が実る瞬間に、奈落から手が伸びる。
光も闇も受け止めるのは、何も彼だけではないのだから。
光と闇を共に抱いて受け入れる、そういう境界線があるのなら。
光と闇、その両方を等しく殺す、そういう地平線もあるのだと。
証明するように、吠え立てるように――逆襲劇が航界記を貫いた。
-
◆◆
死柄木弔は、その輝きを見た瞬間に理解した。
やはり、自分にとって最も倒さねばならない敵はこいつだったのだと悟った。
この星光は――自分の理想の対極だ。
地平線ならぬ境界線、赦しと融和で救う星。
これが成立することは、即ち魔王の敗北に等しいと分かった。
何としても、止めねばならない。
何をしてでも、この"英雄"を殺さなくてはならない。
そう思った彼が取った咄嗟の行動。それは文字通り、自身の死さえも恐れない狂気の実現だった。
ああ、誓おう。
死のうが殺す。
何があろうが、こいつは此処で殺す。
必ず終わらせて、跡形も残さず消し去ってやる。
彼は炎のホーミーズを無形に戻すなり、あろうことか自分自身の肉体へとそれを流し込んだ。
もちろん、言うまでもなく自殺行為である。
血は瞬時に爆薬と化し、肉は火薬となり、死柄木弔はこの瞬間一個の爆弾に変わる。
それで以って実現したのは、究極の瞬間加速だった。
一歩間違えば心臓まで崩壊して死亡する綱渡りと引き換えに、最高速度を飛び越えた"瞬速"を得る。
そうして駆けた死柄木の右腕が、アシュレイの胸を貫いた。
崩壊の腕が、遂に箱舟の主/星辰界奏者へと触れる。
霊核を握り潰して破壊しながら、完成した箱舟を崩壊させるべく笑みすら消して吠えた。
「あ゛あぁああ゛ああ゛あ゛あ゛アア゛ア゛ア゛アア゛アア゛ア゛ア゛!!!!」
「お、おおおおおおおおおおおオオオオオオオオオッ――――!!!!」
アシュレイもまた、叫ぶしかない。
何たる皮肉だろうか、死柄木が使った奥の手は彼にとって馴染みの深いものだった。
一切の反動を無視して究極の反動加速を行う技、かつて彼と片翼が『煌赫墜翔』と呼んだ技そのものだ。
崩壊の手は既に触れている。界奏が完成さえすれば、どうにか持ち堪える手段と交信することも可能だろう。
しかしそのためには――、この魔王が送り込むあらゆる憎悪を前に星の輝きを保ち続けなければならない。
もはや、どちらにも言葉を紡ぐ余裕はなかった。
軽口を交わし合えるのは、互いに余力を残しているからだ。
けれど今、彼らには双方共に後がない。
死柄木は、界奏が完成すれば実質的に詰む。
崩壊が通った以上界奏の持続時間並びにアシュレイの現界時間を大幅に削れたのは間違いないが、それでもまだ足りなすぎる。
そして何より、彼の夢を否定する対極の星が完成してしまった時点でどうあれ連合の魔王は敗者に堕ちる。
だからこそ、負けられない。かつてない全力で"個性"を流し込み、彼は希望の死を願う。
-
そしてアシュレイも、界奏を発動できなければその時点で終わりだ。
イマジネーションは本家本元の覚醒現象に比べて、爆発力としぶとさで大幅に劣る。
かの煌翼が持つような不撓不屈はどうやったって彼には不可能で、故に一度死が確定すればもうやり直しは利かない。
だからこそ、負けられない。後先すべてを懸けて星を駆動させ、彼は希望の勝利を願う。
「滅びろォ、英雄――――!!」
「――――滅びるかよ、魔王!!」
攻防は壮絶に、そして着実に進んでいた。
死柄木の憎悪が、アシュレイのすべてを呪い、穢す。
が、その一方で優勢なのは明確にアシュレイの方だった。
界奏の起動は崩壊というイレギュラーの介入で遅滞している。
確かに遅れているが、それでも極晃の星は伊達ではない。
遅れながらも、その上でなお確実に完成の時を間近にさせつつあった。
向こう数秒ほどで、英雄と魔王の戦いに、そして箱舟と連合の戦いに決着が着く。
それを悟り、境界線は魔王を呑み込むように吠えた。
あと頼れるのは、本当に気合と根性、それだけだ。
無人の地平線では寂しすぎる。叶えるなら、皆の笑顔に繋がる水平線がいい。
ならば己が、目の前の闇と彼女達の光とを隔てる境界線となろう。
残り一秒。
界奏の完全解放を目前にして、最後の全力を込めるアシュレイ。
異変が起きたのは、まさにその時のことだった。
「な……、……――――!?」
起動寸前、最後の最後。
そこに至って、突如として宝具起動のためのラインが途切れたのだ。
単なる接触不良では間違いなくなかった。例えるならばそれは、経路そのものを強引に引きちぎってしまったかのような。
再接続、再接続、再接続再接続再接続再接続再接続再接続――失敗、失敗失敗失敗失敗失敗。
無数のエラーを返されながら、アシュレイは事の真相に当人よりも早く辿り着いていた。
「まさか、おまえは……」
-
――滅奏という力がある。
それはアシュレイにとって、先達にあたる極晃奏者の力であった。
彼は、星を滅ぼす者。
大切なものを守るため、あらゆる光を滅ぼした冥王。
その能力は反粒子生成による、星辰光の対消滅。
原理は全く違うが、しかし今死柄木弔が到達したのは彼と同種の境地だった。
"個性"は、成長する。
かつて女王との戦いで、崩壊を伝播させる性質を手に入れたように。
結果、都市一つさえ消し去れる力を我が物にできたように。
死柄木弔は今、葬るべき英雄との最終局面という極限の状況においてもう一段自分の限界を飛び越えたのだ。
魔力そのものの強制崩壊。
遂に彼の手は、事此処に至って無形さえ掴む次元に到達した。
死柄木はその進化を以って、完成しゆく極晃星に対する接続を断絶させたのである。
無論、本来の極晃奏者を相手に用いるにはあまりにか細い理屈だ。
本来なら、恐らく強引にパスを繋がれてねじ伏せられる芸当だ。
――そう、本来なら。アシュレイ・ホライゾンが、サーヴァントという型に貶められてさえいなければ。
――或いは、彼が界奏という最も攻撃性に乏しい極晃星でさえなかったなら。
魔王の再覚醒は無駄な足掻きとして切り捨てられ、天地宇宙の航界記は問題なく描かれ始めていただろう。
「消えろよ、ヒーロー。これは……俺の、物語だ……!」
人の身でありながら、孤独の身でありながら。
冥王の逆襲劇の片鱗にさえ届いてみせた魔王が、星空のすべてを黒く塗り潰していく。
「これが、俺の――!」
よって、此処に勝敗は決する。
最期の一瞬、アシュレイの口元が微かに動いた。
しかしその声すらも、魔王の咆哮にかき消されて――
「俺の、地平線だ――――!!!」
――境界線は、超えられた。
-
◆◆
銃弾の主は、メロウリンクであった。
七草にちかの腕の止血は、とりあえず済ませた。
とはいえ摩美々を放置しておくわけにもいかない、許された時間はごくごくわずか。
応急処置程度の止血しかできなかったため、未だに彼女が危機的状況にあることは変わらない。
だが、そこは彼女の頑張りに賭けてみるしかなかった。
今、最も避けねばならない結末は"全滅"だったからだ。
そのためにも、今はまず――あの"偶像"を葬り去る必要があった。
そうして戻った先で、メロウリンクは見る。
二人の偶像と、そして戦場に現れた三人目。
見るからに冴えない風貌ながら、そこに狂気の光を宿した凡夫を見た。
発砲するまでに、一瞬だって躊躇いはなかった。
あれが星野アイを象った何者かの関係者であると、メロウリンクの直感がそう告げていた。
頭部を目掛けての発砲は、即断即決。
しかしその弾丸は、『アイ』の腕によって阻まれ弾かれる。
「……もう、大丈夫なのか?」
男の足は、惨めなほどに震えていた。
一目で分かる――あれは凡人だ。
大それた運命を背負うには値しない、狂ったフリでもしなければ自分を貫くこともできない弱者だ。
「うん。ごめんね、自分でもよくわかんないんだけど」
「……気にすんなよ。お前、中身はあの人と同じなんだろ。だったらまあ、多少は効いても仕方ない」
『アイ』は星野アイとの連続性を持たない存在だ。
だが、その内面がまるきり別物というわけではない。
偶像として生み出された存在に投げかける疑問として、摩美々の言葉は間違いなくクリティカルだった。
存在意義の破綻にも繋がる根源的命題に直面した『アイ』を、田中一の窮地が現実へと引き戻した。
皮肉なものだ。
田中があれほど嫌悪していた情けない弱さが今、戦況を強引にでも修正するカードとして機能したのだから。
「……いちおう仲間だろ。俺達」
いつか、同じ顔の女からかけられた言葉をわざとなぞって。
田中は、残る二人の敵を見据えた。
箱舟。死柄木の、そして敵連合の敵だ。
生かしておく理由はない――奴らは、否定すべき存在だ。
「殺せ、『アイ』。それでこそ――連合(おれたち)のアイドルだ」
「……はは。オッケー、うん、そうだね。それでこそ、『私』かあ」
『アイ』が、田中の前に立つ。
傭兵が、アイドルの前に立つ。
もはや小細工が介入する余地はなかった。
どちらかが勝って、どちらかは死ぬ。それ以上でも、以下でもない。
「了解、殺してくる。だから――」
くるり、と振り向いて笑う女の瞳に星(アイ)はなく。
けれど、その口から紡ぎ出したその言葉だけは。
「――そこで、私を推しててよ。田中」
少女との対決を経て起きた、ほんの小さな変化だったのかもしれない。
-
◆◆
そして――。
少女が、眠りの底から浮上する。
片腕の肩から先が、まるで麻痺したように冷たかった。
どうなっているのかは、正直あまり見たくない。
けれど布が巻き付けられている感触はあって、誰かが手当てをしてくれたのだろうと察する。
大事な腕だった。みんなの希望が乗った、箱舟を動かすための鍵。
それが吹き飛んでしまったことを嘆く暇は、残念ながら少女にはなかった。
七草にちかは、魔術師ではない。
特別な力など何も持たない、ただのどんぐり改めただのマスターだ。
マスターなのだ、彼女だって。
だからこそ、にちかには分かってしまう。他の誰よりも早く、"そのこと"が分かってしまった。
……、思えば、何度も何度も当たってしまった。
自分の中で荒れ狂う感情をぶつけて、嫌われるようなことを何回もしてしまったと思う。
だけど、にちかが何度そんな姿を晒しても、彼は変わらない笑顔で笑いかけてくれた。
変わらない頼もしさで、誰よりも前に立って、優しい未来のために頑張ってくれていた。
彼は、初めて会ったあの日から――ひとつだって変わっちゃいない。
石と砂に境界線はないんだと、飛び方なら教えてあげられると言ってくれたあの日から、ずっと彼は彼だった。
穏やかで、なのにすごく頼もしくて。人の弱さに寄り添える、そんな強さを秘めた人。
ああ、と思う。
思えば、やっぱり似ている。
今はもういない"あの人"と、彼は、とても似ていた。
だからなのだろう、ああして臆面もなく当たり散らせたのは。
取り繕うことなく、自分の中の汚い部分も全部ぶつけてしまえたのは。
自分は、彼に甘えていたのだ。彼があまりに優しくて、あまりにあたたかい人だったから。
「………………ライダー、さん」
千切れた腕を、それでも伸ばす。
多分動かしてはいけないのだと分かっているし、動かすと麻痺していた分の痛みが蘇ってきて涙が出たけれど。
それでも、にちかは真昼の空に手を伸ばした。
小さな子どもが、遥かの星空に触れようとするみたいに。
手を伸ばして、ただ――過去も、未来も、夢も、現実も、何も関係ないひどく純粋な言葉で願った。
「いかないで」
願う瞳から、涙が溢れて。
身体の中から消えていく"彼"の熱を、嘘だと否定しながら。
――――すまない、マスター。
七草にちかは、確かに、彼の声を聞いた。
-
◆◆
【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ 消滅】
【渋谷区・路地裏(アシュレイ達とさほど離れてない)『偶像決戦』/二日目・午後】
【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、『ありったけの輝きで』
片腕欠損(簡易だが止血済み)、出血(大)、サーヴァント喪失
[令呪]:全損
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:――いかないで。
1:アイドルに、なります。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
WING決勝を敗退し失踪した世界の七草にちかである可能性があります。当人の記憶はWING準決勝敗退世界のものです
どちらの腕を撃たれたかはお任せします。
【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、過労、メンタル減少(回復傾向)、『バベルシティ・グレイス』
全身にダメージ(大)、右腕骨折
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:この人には、負けちゃダメだ
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーの言葉……どういう意味なんだろう
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。
※プロデューサーの遺言を聴いてメロウリンクに伝えました。七草にちかNPC説に関することのようです
-
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(大・ただし致命傷は一切ない)、疲労(大)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
鼓膜損傷、音響兵器による各種感覚不全
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:目の前の敵を倒す
1:田中摩美々は任された。
2:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。
※田中摩美々からプロデューサーの遺言を聴き取りました。七草にちかNPC説に関することです
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、『革命』
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(4発、予備弾薬なし)、狙撃銃
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:人殺し・田中一(ヴィラン名・無し)
0:敵連合に全てを捧げる。死柄木弔は、俺の王だ。
1:勝つ
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
※血(偶像)のホーミーズを死柄木から譲渡されました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。
死柄木曰く「それなりに魂を入れた」とのことなので、性能はだいぶ強めです。(現在は体の部分欠損を再生中です)
実際に契約関係にあるわけではありません。
【渋谷区(中心部)『地平決戦』跡地/二日目・午後】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、全身にダメージ(極大/回復中)、龍脈の槍による残存ダメージ(中)、サーヴァント消滅、肉体の齟齬解消
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:箱舟を消す
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
[備考]※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
血(偶像)のホーミーズを造りました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。今は田中に預けています
風のホーミーズを使役しています。見た目は殺島飛露鬼@忍者と極道をモデルに形成されています。
光のホーミーズが消滅し、合神ホーミーズは作れなくなりました。衝撃のホーミーズは残っています。
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。ほぼ完治しました。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
※偵察、伝令役の小型ホーミーズを数体作成しました。
※個性が進化しました。魔力や星辰体などに対しても崩壊を適用できるようになりました
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投下終了です。
次スレに移行したいのですが、今ちょっとしたらばの調子が悪いみたいなのでもう少しお待ち下さい。
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新スレを建てました。
以降の投下・ご予約はそちらでよろしくお願いします。
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