■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■

オリロワZ part2

1 : ◆H3bky6/SCY :2023/02/16(木) 20:43:28 FrquUUYk0
【この企画について】
ゾンビだらけの村を舞台にしたオリジナルキャラクターによるバトルロワイアルです。

【wiki】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaz/

【したらば】
ttp://jbbs.shitaraba.net/otaku/16903/

【予約スレ】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/16903/1669810644/l50

【地図】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaz/pages/10.html

【前スレ】
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1669975499/l50


"
"
2 : ◆H3bky6/SCY :2023/02/16(木) 20:44:07 FrquUUYk0
【舞台について】
・山に囲まれた田舎町、山折村が舞台となります
・唯一の出入り口であるトンネルは地震で倒壊しているため通り抜けはできません
・地震の起きた直後であるため他の建物も倒壊している可能性があります
・周囲は山々は特殊部隊によって封鎖されているため山越えを行おうとした場合メタ的な都合で確実に処理され死亡します
・妨害電波が展開されているため通信機器はスタンドアローンでしか使用できません、これは特殊部隊員も同様です
・電話回線やインターネット回線といった外部への連絡手段は全て遮断されています
・上記設定は物語の進行によって変更される可能性があります

【地図について】
・施設はキャラシートに合わせて追加する予定です
・施設の要望があれば参考にしますのでキャラシートのついでに書き込んでください

【異常感染者[ゾンビ]について】
・参加者以外の村民はゾンビとなって村内を徘徊しています
・ゾンビは正気を失っており攻撃的な人格を持ち本能に従った行動をとります
・どの程度の攻撃性なのかは元の人格に依存します
・事態の解決後に回復の見込みがあるため、あまり殺さない方がいいかもしれません

【女王感染者[A感染者]について】
・参加者の誰か1名がA感染者となります
・誰がA感染者であるかはメタ的な都合で後付けで決定されます
・死亡者がA感染者であるかどうかは監視映像を解析した研究員が判断するため定例会議パートで裁決されます
・A感染者の死亡が確認されると本ロワは終了します

【支給品について】
・特殊部隊員は防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフが固定初期装備となります
・村民に支給品はありませんが、元から持っていた物を初期アイテムとして持たせることは可能です
・そのキャラが持っていて不自然なものでなければ特に制限は設けませんが度を過ぎた物や数だった場合、企画主判断でNGを出す可能性があります
・無限容量を持つ不思議ディパックはありません

【定時パートについて】
・参加者向けの放送は基本的にはありませんが、放送設備はあるため後の展開次第では行われる可能性があります
・6時間ごとに特殊部隊隊員と研究所所員の定例会議が行われ、定例会議パートが投下されます
・このパートは企画主である私が書きますので募集などは行いません


3 : ◆H3bky6/SCY :2023/02/16(木) 20:44:40 FrquUUYk0
【予約について】
・予約を行う際にはトリップをつけてください
・予約は必須ではありません
・予約期間は予約開始から5日とします
・1作以上投下している書き手のみ予約延長が可能となります
・延長期間は3日とします
・分割投下は無しです
・自己リレーとなるキャラを含む予約は作品の投稿から48時間は禁止します(投下は可)
・トリップ変更などでこれらルールを回避しようとした場合は悪質とみなし1発アウトとします(管理人からは分かりますので)
・上記ルールは進行状況によって変更される場合があります

【作中での時間表記】(深夜0時スタート)
深夜:0〜2
黎明:2〜4
早朝:4〜6
朝:6〜8
午前:8〜10
昼:10〜12
日中:12〜14
午後:14〜16
夕方:16〜18
夜:18〜20
夜中:20〜22
真夜中:22〜24

【状態表テンプレート】
各話の最後に以下のテンプレに従って表記してください。

【現在エリア/詳細位置/日付・時間】

【キャラクター名】
[状態]:
[道具]:
[方針]
基本.
1.
2.


4 : ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:09:44 x8GRdFa60
投下します


5 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:10:29 x8GRdFa60


―――それは、春の匂いが薫る3月下旬の頃、灯が消えた部屋の中で。
窓から垣間見える夜空は白と黒のコントラスト。真っ白なベットと毛布に包まれながら、夜桜舞い散る街景色を眺め続ける毎日が淡々と続く中でのこと。

清潔、そして夜の静寂の中で、ただただ死期を待つだけの人生。
世界がこんな汚れたものだと思える様になったのは、いつからだったか。
いつからだったか。一日、また一日。日を経るごとに、青い空がいつの間にか灰色の陰鬱なものに見えるようになったのは。
いつからだったか、毎日欠かさず開いていた携帯の電源をオフにしたまま放置したのは。
いつ、自分が死ぬのだろうか。夜にまじりながら飛ばされ何処か遠くへ流れていく、桜の花びらのように。
短く太く、そして満開の咲き誇って、風に吹かれて儚く散っていく。

そんな桜のような、綺麗に咲いて散っていくだけど人生を、恨んだ。
でも、恨んでもどうにもならない事は知っていたから、一頻り夜中に泣いて泣いて、ぐちゃぐちゃになった頭の中を無理やり丸め込んで。
両親と相談して、生まれ故郷で余生を過ごす事を決めた。田舎のきれいな景色で心を癒やしたかったとかそいうのではなく、ただ逃げたかったのだ。
恨みも、悲しみも、怒りも。――そしてどうしようもない後悔からも。その全てから逃げ出したかった。
たった一人の友達に、謝罪する勇気すらなく。罪悪感だけ押し付けて、逃げようとした。
そんな悔やんだ気持ちからも、逃げ出そうとした。

視線が過る。月明かりが照らした、何の変哲もない勉強机。
壁に掛かった、今まで行きてきた証、思い出のプリクラ画像。
書き留めていた台詞のメモに、化粧道具が入った化粧箱。
―――大したこともない、白いパワーストーン。

いつの頃だったのだろう、数年前のお誕生日で"あの娘"から貰った宝物。
なけなしのお小遣いで、柄でもないバイトで体を壊して。
そんな無理しなくても、気軽なやつで良かったじゃない、なんて軽く笑い掛けた、そんな思い出。

捨てようとした。あの娘に係わる何もかもを、忘れようとしたけれど。
何度も何度もゴミ箱の底を見つめて、投げ捨てようと腕を上げて。
腕が震えて、結局放っておいたままで、最後の最後まで捨てられなくて。
結局のところ、呪いのように、祝福のように、引っ越すその時になっても、放せないまま。




その白いパワーストーンは、「大切な人に会える」という謳い文句で売られていたもので。
半ば嘘八百と思われ、その手の商法の人間によって高値で売られてたもので。
哀野雪菜から貰ったそれを、愛原叶和は終ぞ捨てることはなく。
山折村に移り戻った後も、その生命が腐り落ちるその時まで、肌見放さず持ち続けたという。


"
"
6 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:10:44 x8GRdFa60
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


蝋燭の火の如き、朧気な少女ではあった。
所々に巻かれた包帯と、不自然ともいうべき肉を腐らせた様な火傷の痕。
煙水晶(スモーキークォーツ)色の濁った瞳が真に見据えるのは、目の前の二人ではなく、虚空の果てにあろう誰か。
行方知れずの未来を求めて、宛もなく彷徨う黒い亡霊(ざんがい)である。

「……誰、ですか?」

事実、今の哀野雪菜を説明するには亡霊というのはある意味正しい表現だ。
壊してしまったもののために、たった1つの残骸を抱えて、自殺衝動にも似た衝動で"女王"を探し続ける。
後悔したくないからと、出来の悪かった自分が今やれる唯一のことだと。
自分は無為で無価値で石ころで、そんな自分に目を付けてくれたあの娘すら、自分が殺してしまったと。
永遠に続く後悔を抱えて、今まで生きていた考える葦こそが、哀野雪菜ではあった。

「……お前こそ、誰だ。何が目的だ?」

天原創は冷静沈着だった。
先の登場に多少は反応したがそれはそれ。自分自身も兎も角で、先の日野珠の件で少々動揺しているスヴィアより先に、即座に対応。スヴィアもまた天原の対応から彼女の立ち位置を見定めようと一旦は黙って入る。
文字通り底の見えない、幽霊のような少女。喪服のような濃い黒のセーラー服が、昇る太陽の輝きを吸い込んでくような暗さを、彼女自身も文字通り抱えたままに。


「……哀野雪菜。女王を、探してる。」

無感情とも、興味なさげとも取れる、乾いた返答の声。
少なくとも天原創に哀野雪菜という人物に聞き覚えはない。小中高、大人も含めできる限り山折村の元から住人の情報は、潜入任務にあたり最低限手に入れている。彼女もスヴィア同様、村の外の人間、と言うのはある程度察しはついた。
その上で、女王を探す理由。無理に焼灼止血を試みた痕跡が見られるような少女を、そのまま放っておく、と言うのは多少バツが悪い。

「……探して、どうする?」
「――殺して、終わらせる。」

儚げな印象に反しての、明確な意思の籠もった一言。

「止めないと、いけないから。―――止めなきゃ、私が。」

哀野雪菜を突き動かすのは、二度と後悔したくないという衝動。
どうしようもなく行方知れずになった感情の止まり木を探したくて。
それは、恐らく彼女自身すらも、何処にたどり着くか分からないのだから。

「女王を探してこのパンデミックを何とかする、という目的はこちらも同じだ。」

少なくとも、女王を探す。パンデミックを解決する、と言う一点においては二人にとっても共通している。

「だが、女王の殺害でなんとかなるとは俺たちは思っていない。」

そう。その女王関係者というのが問題だ。
保有している異能も、まずそもそも誰が女王関係者であるのか。それを調べる切っ掛けすらろくに無い。女王関係者が他の正常感染者と同じである、という保証はまったくない。

「……そもそも、放送からしても、何かを誘う罠という可能性だってあり得る。あれが真実であるという保証は現時点ではない。」


7 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:11:03 x8GRdFa60
まず前提として。あの放送を行ったのは誰なのか。
少なくとも、内容だけを掻い摘めば村人に対して起きてしまった惨事を沈静化させるための告発だろう。
だが、天原創は少なくともそうとは思っていない。地震という偶発的な自然災害があったとしても、研究施設が生半可な事でこんな惨事を起きるのか?
最低限の耐震設備は完備しているだろう、もしもの時は隔壁閉鎖やら何やらで多少の犠牲を払ってでも停止するはずだ。だが結果として、事故という経緯でウイルスが漏れ出し、放送は流れた。

「いや、仮に放送が真実だとしても、それによって起こる事が、本当にウイルスの死滅だけなのか?」

そう、それだ。女王関係者を殺せばウイルスは死滅する。だがその先は?
既にウイルスの影響を受け変質した脳や、その身に宿る異能が齎す結果はどうなるのか?
多少の後遺症が残る、とは言われていた。わかりやすい例えとすればスヴィアの異常な聴覚のように、発達した五感がそのまま残る類ならまだマシなのかもしれない。もし仮に異能そのものすら残ってしまうというのなら前提が覆りかねない。
・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも、本当に女王を殺して解決するのか?

「それ以前に、あの放送。本当にその放送者当人の意思によるものなのか?」

天原創がこの村に潜入した経緯はそもそも山折村という厄災蔓延るパンドラボックスの中身を調査することだ。断じて研究所のウイルスが前提、という訳ではない。
引っかかったのは、あの時の日野珠の錯乱。上月みかげの異能に反発した結果のようにも見えた。
だが、錯乱の前の。意味の分からない単語。
これは憶測であるが、「日野珠は既に何者かによって記憶を弄くられていたのではないか?」と。
そうなると前提が違ってくる。もしかすれば、それこそが山折村に蔓延る厄災の正体なのかもしれない、と。
その上で、あの放送がもし「第三者の手引き」によって、引き起こされたのだとすれば。

「……研究所の不始末か、災害から連なった不可抗力か。それとも第三者の企み。」

―――本当の意味で、今なお惨劇の舞台裏でほくそ笑むであろう、黒幕の目論見か。

「はっきりと言わせてもらおうか。もし仮に女王関係者を殺したとして、ウイルス騒ぎが収まったとして。それが別の混乱の引き金かもしれないぞ。」
「………っ」

そう言い終えて、初めて二人の前で哀野雪菜の顔が少しだけ歪む。
言ってしまえば哀野雪菜の行動は衝動に満ちたもので、要するに八つ当たりの自己正当化に親しいもの。
これ以上後悔したくないという理由(エゴ)から零れた、ちっぽけなレゾンデートル。

「でも、止めないと。……私が。止めないと。」

だから、止まらない。止められるわけが、無いと。
今更そんな危険性を知った所で、それで足を止めてしまったら。
それこそ、それこそ本当に。

「……じゃないと、私は。あの子の思い出まで―――」
「キミはそれで、終わらせてどうするつもりなんだい?」

割り込むように、声を出したのはスヴィア・リーデンベルク。
澄んだ瞳で、哀野雪菜を見つめている。

「哀野くん、と言ったね。ボクは、キミが早く楽になりたいようにしか見えないよ。」
「……どうして、ですか。」

針の筵を、土足で踏み込まれたような感覚。
スヴィアという"大人"は、雪菜が天原との問答をしている間、その体に残る傷を確認・観察した。
軽く組み上げた論理のパズルを、一つ一つ嵌め込むように、スヴィアは言葉を続ける。

「キミの体に残る傷は、包帯で隠れているのを除けば大体が裂傷に分類されるものだ。その上で服の傷と下半身の傷が少ないを鑑みるに、自転車を走らせている最中にガラス片に引っかかって転んだだとかだろう。」
「……。」
「だが、一つだけ明らかに原因が違うであろう腕の傷がある。他の傷跡同様焼灼止血を施しているが、傷の塞ぎ方を鑑みるに恐らくは咬み傷の類か。二つの目立つ窪みのようなものには酸でも流し込んだような不自然な跡。…もしかしてだが、既にゾンビを一人、殺しているのかい?」
「………!」

探偵みたいな推論は苦手なんだけどね、と溜息まじりに付け加える。
だが、凡そ当たっているであろう銀髪の天才の言葉に、思わず呆気となる他なく。
雪菜も根底の芯に刃物を突きつけられた肌寒い感覚が過っていた。


8 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:12:05 x8GRdFa60
「……生憎、カルネアデスの板を説くつもりはないが、この状況下ではキミの説明次第で正当防衛も成立するだろう。」

スヴィアに彼女の咎をこれ以上追求するつもりはない。言った通り、このパンデミックという未知の災害、そしてゾンビに襲われるという異常事態。ゾンビに襲われ、無意識に慣れない異能を使ってしまったと言うならば、それは正当防衛が成立する十分な事由となる。

「だが、これ以上、例え不可抗力であったとしても、キミには人殺しは重ねてほしくはない。……これは、ボク個人の勝手な願いでしかないんだけれど、ね。」
「……何も知らない癖に、知る必要も無い癖に、先生みたいなこと言うんですね。」
「なって一年の新米だが、一応ボクは先生だよ。」

人の心に踏み込こまれる感覚が、己の後悔を暴こうとするその優しい声が、哀野雪菜にとっては苛立ちでしかない。相手に悪意など一切なく、何ならこちらを気遣っている。
いや、そういう人物なのだろう。鳥が空を飛ぶ事が当然のように、自分のような『子供』に手を差し伸べるような、聖人君子とまでは行かないが、その手のお人好しなのだろうと。

「キミのその『女王と殺す』という方針には納得できないが。『女王を探す』という事なら出来る限りは手伝おう。……このままだと、キミは使命感と罪悪感で雁字搦めのまま自ら壊れて――。」
「………いい加減にしてください。」

だから、哀野雪菜は我慢ならなかった。無性に怒りが湧いてきた。
取りこぼし続け、後悔し続けて、自己肯定が低い刹那の衝動に身を任せる彼女にとっては。

「あなたは、優しいです。優しいですよ。だったら私なんかよりも叶和を助けてくださいよ。」
「叶和、とはキミの親友?」
「……私はあの子に謝りたかったのに。嫌われてるかもって意気地なしで。他人に迷惑かけてばっかりで、そんな私なんかよりも、どうせなら叶和を助けてほしかったのに。」

我慢できなかった。耳障りの言い救いを並べる目の前の誰かの言葉が。
それに悪意も皮肉もないことはわかっている、真正面からの善意でぶつかってきているのは分かる。
その輝きは、自分には眩しすぎるものだと。後悔してばかりの自分には、要らないものだと。

「……哀野くん、キミは……。」
「誰にも分かって何てほしくないです。分かってもらえなくても良いんです。……私には後悔しか無いから、それすらも私から零れ落ちたら、私が生きている意味なんてないのにっ!!!!」

後悔だけが、哀野雪菜を繋ぎ止めている唯一だったから。友人と再び向き合うこと出来ない。そんな滑稽な人形(コッペリオン)だったなら。せめて、この感情(こうかい)だけは見失いたくはない。
既に苦い顔をしているスヴィア。哀野雪菜が抱えている後悔の根源は、人生経験から積み重なった自己肯定の低さからなるもの。
もはや、それは救いを拒絶し、自ら死出の旅という名の、女王関係者探しに駆り出す程のもので。前向きな自殺衝動にも近い、自傷行為。

「ごめんなさい。でも、そんな救いなんて要らない。救われなんていい人間じゃない。ずっと後悔ばっかしてきて、ずっと大切なものを取りこぼし続けた、悪い子だから………。」
「……っキミは!」

でも、やはり、やっぱり。見ず知らずの二人に前置きながらも謝ってしまう哀野雪菜は、何処までも拭いきれないものを背負った咎人。
相容れなく、救われる資格なんて無い。二度と後悔したくなくて、この後悔を捨てたくなくて、だから救いから手を払う。
意を決したように雪菜が両手をポッケの内側に突っ込めば、ほんの少し苦しい表情。ポッケから抜けば、その手は既に鮮血に染まっていた。


9 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:12:23 x8GRdFa60
「――下がってください先生!」
「……ッだから。……だから、邪魔しないでっ!!」

様子を見守っていた天原創が叫び、駆けたのは少女の叫びとほぼ同タイミングであった。
手を血で染めた、つまりそれは何かの液体か、自らの構成物を媒介として発動する類の異能。
狙うのは血に濡れていない手首の付け根。恐らくポッケの中に刃物か、察するに道中で拾ったガラス片でも仕込ませておいたのか。兎も角、それも警戒するに越したことはない。

「……天原くん……っ!?」
「大丈夫です、すぐに終わらせる。」

もはやこうなっては致し方なし。只者ではないのは察せられているが、ここまで早い対応を見られては素性を隠すのは困難。事情は後で話そうと思考を切り替える、まずは目の前の彼女を抑える。
即座に手首を掴み、地面に打ち倒す。殺害が目的ではないので、地面が草原地帯なのはある意味良かったのかもしれない。
俊敏な動きに対応しきれなかった哀野雪菜は両手首を押さえられ地面に倒れ、天原創を見上げる形に。

「下手な真似はするな。怪我をしないという保証はないぞ。」

冷徹な目だと、哀野雪菜は実感した。
間違いなく、住む世界が違う。思わず恐怖で背筋が凍るような感覚。その気になれば、自分なんかあっという間だというのに。
でも、そのぐらいの覚悟がないと、女王関係者を殺すことが出来ないというのなら。
迷うなと、心の奥底でもうひとりの自分が叫んでいる。そうだ、だってもう一人殺してしまっているのなら。

「でも、それでも、私は……!」

脚を振り上げ、遠心力で靴を上空に投げ飛ばす。
天原創とて安々と嵌る訳がない、最小限の動きで回避しようとして。その為にほんの少しだけ手首を離して、掴み直して。その腕に浸る、赤い液体に気づかず。

「……わたしが、やらなきゃ……!」
「……ぐ……!」

哀野雪菜がやったのは、血に濡れた手を傾けただけ。
だが、哀野雪菜の異能は、その体液全てに腐食性を付与するもの。
天原創が掴み直した時に、ちょっとでも良いからそれに触れるように。
天原創の異能無力化はあくまで対象に触れる事が条件だが、『既に物質化されたもの』に対しては有効範囲外となる。触れられれば異能の発動は防げるが、既に発動した異能によって液体として物質化したものには無意味なのだ。

「ぐ、う………!」
「天原くん、大丈夫か!」

多少ながらも肉が腐る感覚に思わず手を抑え離れてしまう。
天原が離れたのを見越して雪菜は起き上がり、ガラス片を取り出して自らの血を付着させる。
血が触れた部分が既に腐り始めているが、簡易的なナイフとしては十分。
哀野雪菜にとって即興劇(アドリブ)は慣れ親しんだもの。異能の内容をある程度把握し、活用する。
異能とはある種『想像力』であるため、そういう事はある種の哀野雪菜にとっての得意分野だったのだろう。

「やあああああああ!」

そして、腐ったガラス破片のナイフを手に、突撃する。
少なくとも邪魔は出来ないようにすればいいと、そう思ってた。もし仮に殺すかもしれないとしても、既に一度やったことで。

「そっちがその気なら……!」
「……ッ!」

対する天原も、相手が『殺す気』であるなら手加減はしない。痛みを堪えマグナムを取り出し、構える。
既に弾丸は充填済み、上手く武器だけ狙えれば御の字だがそんな余裕はない。
ほんの少し動揺するも雪菜は動じはしない。一か八か、血液と接触した瞬間に弾丸を溶解できればと思考する。
既に火蓋は切られた、撃ち抜かれるか、溶かし穿つか。そして引き金は引かれて―――。


10 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:12:38 x8GRdFa60



「――ダメだっ………!」




――雪菜、ダメ!!





「――――え?」




「……なっ!?」





何か見えないものに止められるように、雪菜の動きが止まり。
銃声と共に、鮮血が舞った。


11 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:12:53 x8GRdFa60
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


これは、いつかの過去。
なんてことのない、人生の1ページ。

「間違いを選択出来るのも、また大事だと思ってるんです。」

スヴィア・リーデンベルクが教員採用試験しての数日後ぐらいだったかの話。
試験の際に知り合った教師の女性に食事に呼ばれて、他愛も無い会話を繰り広げていた時の頃。

「選択?」

揺れる青い髪が今にも印象に残る、彼女が残したある言葉。

「生き物はどんなに悩んでも、効率化しても、何れは間違いを犯してしまうものです。だからといって、正しい選択をし続けるのが良いものとは、私は思っていません。」
「どうしてそう思うんだい?」

それは、ただの人生の1ページだったのかもしれない。
あるいは、なんてことのない誰かの戯言だったのかもしれない。
元いた職場柄、スヴィア・リーデンベルクはその言葉を当時はいまいち理解できてはいなかった。

「私たちは、間違いを選ぶことが出来る生き物なんです。色んな間違いを重ねて、時には後悔を抱えて、それでも、だから、自分の選んだ、決して裏切れない何かの為に。例えそれが、大したものじゃなくても。……例えそれが間違った選択で、後悔を齎すものだったとしても。」

だからこそ、人間なんだと。間違いを選べる誰かだからこそ、苦しんだり、後悔する残酷な生き物だと。
それでも、一度決めた尊いものを、それを裏切らないままに。
例え無駄になったとしても、自分が自分であることを、最後まで貫く為に。

「だから、だから私は。――選択して、もしも何度間違ったとしても。今出会って話してるような、あなたのままでいてください。」

それを、スヴィア・リーデンベルクは覚えることにした。
そう、青い髪を揺らす、蒼海の如き瞳の彼女を。
妙にミステリアスながらユーモアに溢れたそんな彼女を。


――『青葉遥』と名乗った、そんな不思議な彼女の事を。


12 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:13:38 x8GRdFa60
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

硝煙だけが、漂っている。
世界は凪となり、吹き荒ぶ風はなく。
地面に流れる流血と、呆気にとられ座り込んだ少女。
カラン、と。拳銃が地面に落ちる音、震える手を見つめる少年。

「ま、全く……焦らないで、ほしいな。天原、くん………。」

スヴィア・リーデンベルクは、二人の間に割り込む形となり、結果天原創の放った銃弾に撃ち抜かれた。
幸いにも、割り込みに動揺した天原の照準がずれて、右肩を貫通する形とだけなったのは不幸中の幸いか。

「……な、ぜ……。」

少なくとも、スヴィアの行動はある意味『間違い』ではあった。天原が狙っていたのは彼女の脚で、撃ち抜くことでの無力化だ。
だから、ここで割り込む必要など無かったはずなのだから。先走った、と言ってしまえばそれまでだが。
一歩でも間違えたら、天原創がスヴィア・リーデンベルクを撃ち殺していた、という結末になりかねなかった。
なのに、だから、我慢ならなかったのだろう。無事脚だけ撃ち抜かれる可能性なんて分からない。いやそもそも天原創が銃を取り出した時点で、スヴィアは何も考えずに静止しにいったのだ。
その結果で、傷ついたのはスヴィア自身で。
哀野雪菜はその結果を、信じられないものを見るような目で、見つめるしかなく。
自分だけに聞こえた、自分を止める声が、死んだはずの彼女の声が、頭の中でぐるぐると回ったままで。

「……哀野くん。ボクだって、拭いきれない後悔を背負っているんだ。」

息を荒げながらも、右肩を抑えながらも、スヴィアは雪菜に語りかける。
それは、大怪我をしているにも関わらず、先生のような、そんな優しさで。

「……この村に来た理由だって、自分が止めていれば行方不明にならなかった誰かの為。さっき割り込んだのは、天原くんが『人殺し』になるだなんてダメだって、衝動的にさ。」

結局は早とちりだった、と乾いた笑いを浮かべた。
心配させまいと、できる限りの笑顔を浮かべた。

「間違ってしまっても、こうやって未だ情けなく生きているんだ。でも、行き急ぐ必要だなんてないんだよ。……そもそも、キミが殺してしまった友達は、本当にキミのことを、恨んでいるのかい?」
「―――それ、は。」

恨んでいる、と言おうとして、哀野雪菜の思考が止まる。
そう思い込もうとして、あの声を思い出して、言葉が詰まる。
もしかしたらただの思いこみかもしれない、罪の意識から逃げようとしただけかもしれない。
でも、本当に、あの声は幻聴には思えなくて。否定したくても、否定できなくて。

「でも、私が。私が止めないと。じゃないと、私。私、は―――。」

また、間違ってしまった。やっぱり、後悔を背負ってばっかりの人生だと。
勝手に勘違いして、突っ走って、こうして、またどうして嫌な気持ちになって。

「……哀野くん。このウイルス騒ぎを止めたいのは、ボク達も同じだ。……もし、後悔したくなんて無いって、失いたくないものがあるって思うのなら。ボクたちに、協力してくれないかな?」
「…………。」

また、そんな救いの手を、なんて思ったけれど。
でも、この人も、何か後悔して、間違えて、それでも前を見ている人だって思った。
私なんかと全然違って、後ろ向きな自分とは違う、そんな人だと、哀野雪菜は。

――いいんだよ、雪菜。あたしなんかに縛られないで、自由に生きても。

また、聞こえる。それは言葉どころか、音ですら無いかもしれない、心の中で浮かんだ何かかもしれないけれど。それでも、後悔を拭い切れるなんて思っていないけれど。
神様に嫌われた自分でも、そんな道を踏み出していいのだと、あの子が言ってくれたのなら。


13 : 此処でなく、現在でなく ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:14:00 x8GRdFa60
「……いいんですか、私なんか。」
「いいさ。基本的に、去る者は拒まず、さ……ぐっ……!」
「……! …確か商店街の北口、ドラッグストアがあるから。」

気が抜けたのか、肩を抑えてスヴィアが苦しみだす。
やはり無理をしていたのだろうというのは明白。雪菜が咄嗟にスカートの裾を破り捨てて布を作り、患部を縛って出血を止める。
彼女の傷の状態を悪化させないためにも、示す行き先は商店街北口にある大手チェーンのドラッグストア。

「……先生、僕、は……」
「天原、くん。……悔やむ必要は、ない、さっ……。ボクが、先走ってしまったせい、でもあるんだから。……すまない、結局、こうなってしまった……。」

一方、半ば蚊帳の外になりかけた天原創は、情けなくも怪我人のスヴィアに諭された。
本当に、お人好しだと、動揺する心の中で、そう思うしかなく。
情けない無理をした笑顔を見せる、そんなスヴィアの顔が、天原創の目に焼き付いていた。

「はは、早く上月くんたちを、探さないと、いけないのに……ボクの、せいだな………。」

あの時と同じく、後悔ばかりだと。彼を止めなかった選択をしてしまった時と同じく。
あの子たちを追いかけるはずが遠回りになってしまった結果を自嘲して。
天原創に罪悪感を押し付けてしまったと後悔しながら。
哀野雪菜に肩を背負われながら歩く自分の情けなさと同時に、次の方針をどうするべきかと考えて。
それでも一人、ほんの少し前向きなれた哀野雪菜の姿に、スヴィアはちょっとは気が楽になったのだ。

「………何をしているんだ、僕は……」

そして、やりきれない気持ちと後悔に、拾い直した銃を握りしめて。
天原創は、ただただ苦い顔をしながら、二人についていくことしか、出来なかった。


【E-5/商店街/一日目・朝】
【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:右肩に銃痕による貫通傷(止血済み)
[道具]:???
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.先生は、生徒を信じて、導いて、寄り添う者だ。だからボクは……
2.ボクってば、情けないな……
3.上月くん達のことが心配なのに、このザマだと、探すことすらままならない……
※『去年山折圭介が上月みかげに告白して二人は恋人になった』想い出を真実の出来事として刻みました。ですが、それが上月みかげの異能による植え付けられた記憶であるということを自覚しました。

【天原 創】
[状態]:健康、動揺(大)
[道具]:???、デザートイーグル.41マグナム(7/8)
[方針]
基本.この状況、どうするべきか
1.女王感染者を殺せばバイオハザードは終わる、だが……?
2.スヴィア先生、あなたは、どうして……
3.何をやっているんだ、僕は……!
※スヴィアからのハンドサイン(モールス信号)から、上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ました

【哀野 雪菜】
[状態]:後悔と決意、右腕に噛み跡(異能で強引に止血)、全身にガラス片による傷(異能で強引に止血)
[道具]:ガラス片(道端で拾ったのポケットにいれている)
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。これ以上、後悔しないためにも。
1.止めなきゃ。絶対に。
2.この人(スヴィア)をドラッグストアまで運ぶ。それから……?
3.あの声、叶和なのかな……?
4.叶和は、私のこと恨んでるの? それとも……?
5.この人(スヴィア)、すごく不器用なのかも。
[備考]
※通常は異能によって自身が悪影響を受けることはありませんが、異能の出力をセーブしながら意識的に“熱傷”を傷口に与えることで強引に止血をしています。
無論荒療治であるため、繰り返すことで今後身体に悪影響を与える危険性があります。
※止血の為にスカートを破りました。何がとは言いませんが見えるかどうか後述の書き手におまかせします。
※雪菜が聞いた『叶和の声のようなもの』に関して、思い込みによる幻聴か、もしくは別の要因のものであるかどうかは、後述の書き手におまかせします。


14 : ◆2dNHP51a3Y :2023/02/24(金) 19:14:14 x8GRdFa60
投下終了します


15 : ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:26:55 77.R76Vo0
投下乙です

>此処でなく、現在でなく
女王を狩ると言う強迫観念に追い詰められていた雪菜が、体を張ったスヴィア先生のお蔭で少しは救われたのかな?
そしてスヴィア先生は体張りすぎぃ! 見た目は子供でもムーヴが一貫して大人だわこの人
逆に天才エージェントとはいえ天原くんはまだ精神的には若い、色々と鬱屈した物が溜まってそうでちょっと不穏ね
能力面や精神面で補い合えそうな面子ではあるんだけど、不安定なところも多くて意外と怖いチームかもしれない

それでは私も投下します


16 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:28:26 77.R76Vo0
朝陽が低く照りつける高級住宅街には朝の静けさが漂い始めていた。
いやそれは朝の静けさというより、災害直後の人気のなさに起因するものだろう。
立ち並ぶ高級住宅の一軒にはシャッターが閉じられたガレージが備え付けられていた。

ガレージの内装は白く塗り固められた壁で囲まれており、天井は高く、照明が全体を照らしていた。
打ちっぱなしのコンクリートの床面には地震で天上から剥がれた灰色の塵が所々に散らばっている。
奥隅には愛車の整備をするための様々な雑貨を並べる収納棚が備え付けられており、地震による影響かその中身が地面に乱雑に転がっていた。

締め切られた空間は朝を告げる光が差し込まず、換気口だけが唯一の外の世界のつながりのようだ。
さわやかな外の空気と違い、ガレージの中はどこか息苦しく感じられる。
そこにガレージに主役たる車はおらず、その代わりにガレージの中には異質な3人が閉じ込められていた。

シャッタースイッチのある壁際に腹部から血を流す年にそぐわぬ成熟した外見の少女がもたれかかっていた。
この少女、岩水鈴菜こそがこの密室を作り上げた張本人である。
己が異能を使いシャッターを固く閉ざしたのは危険すぎる男を閉じ込めんがため。

カレージスの隅、冷たいコンクリートの上に横たわるのは緑色の肌をした巨人である。
明らかに人の枠から外れた小山のような巨体。
脳を損傷し意識を朦朧させている和幸と名付けられた元豚のオーク、いや元オークの豚である。

閉じ込められた全身を迷彩色の防護服で固めた大男、大田原はシャッターへと近づくと確かめるようにコンコンとノックする。
鉄とも違う不思議な返りだ。固い水という矛盾した印象を受ける。
シャッターの状態を確認すると、そこから僅かに距離を取るように一歩下がった。

そして、トッと地面を蹴って巨体が跳んだ。
傍からその様子を見ていた鈴菜が驚きに目を見開いた。
炸裂した飛び後ろ回し蹴りが、シャッターに重量級の衝撃を奔らせる。

「なるほど」

当の本人は何事もなかった地面に着地すると冷静に呟き、自身が蹴りこんだシャッターを再度確認する。
鉄板すら打ち砕くような一撃の直撃を受けても、シャッターには傷一つなかった。
尋常なものではない。閉じ込められたと言うのは嘘ではなさそうだ。

「…………納得はしたか?」

鈴菜は血を流し続ける腹部を手で押さえながら、不敵に笑って言葉を吐く。
血の気の引いた顔色は青いままだが、イニシアティブを握っていることを主張するために強気は崩さない。
男は答えず、ガレージを物色するように歩き回ると、収納棚から落ちた使い捨て雑巾とガムテープを拾い上げた。

そうして鈴菜の前まで歩いてゆくと腹の傷に合わせるようにその場に屈みこんだ。
そして腰元のホルダーからナイフを引き抜く。
突き付けられた鈍い光の鋭さに思わず鈴菜がぎょっとする。

「何を……」
「弾丸を摘出するだけだ。少しだけ我慢しろ」

言って銃創に向かって素早くナイフが揺らめいたかと思うと、先端を引っ掛けて弾丸を摘出した。
傷口を抉られ一瞬、鋭く焼けるような痛みはあったが、既に銃弾を受けた後だ。
飽和気味だった痛みが多少増した程度である。

血の溢れ始めた傷口を雑巾で抑え、強く圧迫した状態でガムテープをグルグル巻きにして固定する。
そうして名医もかくやという手際で止血は完了した。

「っ………………ふぅ」

ひとまず安堵の息を吐く。
まだ痛みはあるが、出血死は避けられそうだ。

あっさりと要求が通ったのは少しだけ拍子抜けしたが、まだここからだ。
次に和幸の治療をさせ、少しでも情報を引き出すべく交渉に挑まねばならない。
だが、その前に先んじて相手が要求を突き付けてきた。

「扉を開け」
「まだなのだ、その前に和幸の傷も……んんぅ…………っ!?」

鈴菜の言葉を遮るように口に雑巾を詰められ、ガムテープで塞がれる。
突然の凶行。鈴菜の頭が混乱する。
これから交渉を始めよう状況を理解していないのか、口を塞がれては話せない。
混乱している間にあれよあれよと後ろ手に親指を結束バンドで拘束された。


17 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:29:46 77.R76Vo0
「扉を開け」

繰り返し述べられる端的な要求と共に、背後に回った男が手袋に包まれた無骨な手で少女の細い指先を優しく摘まんだ。
男は状況を誰よりも正しく理解している。その感触に少女も次に起こりうる事態を理解し始め、その背筋が凍る。
そして口に詰められた雑巾が自殺防止の措置であると気づいた時には、すべてが遅かった。

「…………っぅううッッッッ!!!」

枯れ木でも折ったような乾いた音とくぐもった悲鳴がガレージの静寂を乱した。
神経の集中する指先に激しい痛みが奔る。
全身に脂汗が滲み、目じりには涙が浮かんだ。
口を塞がれ呼吸もままならず、荒い鼻呼吸を繰り返す。

少女の小指は第一関節から逆側に曲がっていた。
見事にへし折られた小指には内出血も殆どなく綺麗なものであった。
腹部の出血は止血こそしたものの、失われた血液を取り戻した訳ではない。
出血を伴わず苦痛を与える手法として取られたのがこの方法である。
小指をへし折った無骨な手が、何事もなかったようにすっと薬指へと移動する。

「扉を開け」

機械的な繰り返し。
それは嗜虐性を満たすでもなく、躊躇いを殺してやっているでもない。
ただ、扉を開くために必要な作業として行っている。
不気味なガスマスクも相まって感情のない虫のようだ。
それが何よりも恐ろしい。

だからと言って異能を解除し扉を開く訳がない。
扉を開けば用済みになって殺されるのは目に見ている。
何よりも、こんな奴のいいなりになってなるものか。
特殊部隊という危険な存在を絶対に表に解き放ってはならない。
鈴菜は強い決意と覚悟をもって、雑巾越しの奥歯を強く食いしばった。

「んぅんんぅぅうううう……………………ッ!!」

まるで割りばしでも折るみたいな気軽さで、薬指がへし折れる。
耐えがたい痛みが指先を貫くのに、口を塞がれその叫びを吐き出すことすらできない。
行き場を求めた衝動が体内を暴れまわり、胃と喉が痙攣を繰り返す。
嗚咽と嘔吐感が止まらず、口の中に溜まった唾液と胃液が雑巾に吸い込まれてゆく。

どうして自分がこんな目にあっているのだろう?
何のために、こんな痛みを耐えているんだっけ?

曖昧になりかけたその目的を思い出す。
そうだ、うさぎが助けを呼びに行ってくれている。
扉を開くのは、うさぎが助けを引き連れてきた瞬間だけだ。

災厄を鎮める岩水の人間として、多くの人を助ける。
そのために、この危険な男は絶対に自由にしてはならない。
改めて決意を思い返し、自分自身を奮い立たせる。

………だが、それはいつになるのだろう?
交渉に持ち込むのに失敗した以上、鈴菜にできるのは耐える事しかない。
いつ来るともわからない助けが来るまで、この責め苦は続くのだろうか?
一瞬、そんな弱気が脳裏を過った。

「扉を開け」

何一つ変わらぬ感情のない声を聴く。
本当に何一つ変わらない。鉄で出来ているかのようだ。
痛みで朦朧とし始めた頭を覚醒させるように中指がへし折れた。

激痛を味わいながら、そこで鈴菜は気づく。気づいてしまった。
指を折る間隔が、一定間隔である事に。

拷問において、一定間隔という事は重要だ。
一定間隔に額に水滴を落とすだけで人は気が狂うとさえ言われている。
必ず痛みがやってくるという恐怖は推し量りがたいものがあった。

間隔は30秒ほどだろうか。
つまり、この永遠のような責め苦はまだ1分半も経過していない。
たったそれだけ。
その事実が絶望の黒い染みとなって心に広がる。

うさぎがきっと助けを呼んできてくれる。
本当に?

うさぎは助けてくれる人を見つけられるのか?
見つけられたとして、その人たちはこの男を倒せるのか?
そもそも、うさぎは本当に助けを探してくれているのか?
自分だけが助かりたくて逃げていたりはしないだろうか?

普段は浮かばないような疑心が次々と脳裏をよぎる。
そんな訳ないと理解していながら、心の奥底でその疑念を拭いきれない。

ここで出会ったばかりの赤の他人が都合のいい助けを呼んでくれるかもしれないなんて。
そんな不確かなもののために、体を張る必要などどこにもない。

そもそも。

みんなを殺そうとする男から皆を守護する。
そんな責任を何故負わねばならないのか。


18 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:31:55 77.R76Vo0
「扉を開け」

地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように、この状況から逃れる唯一の解決策が提示される。

開いてしまえばいい。
言いなりになってしまえばいい。
この男を開放してしまえばいい。

このまま嬲り殺されるくらいなら、扉を開いてイチかバチか逃げ出した方がまだ助かる。
幸い両脚は無事だ、皮肉にも腹部の止血も完璧だ、指の痛みを無視すれば走れないこともない。
そうすればこの責め苦から解放される。

楽になれと、悪魔のささやきが脳内に響き渡る。

だが、その誘惑を振り切って揺らぐ心を、ぎりぎりの所で必死に押しとどめた。

彼女の心を薄皮一枚で留めるのは、閉じ師としての誇りである。
極限状況が人の本質を突き付けるのならば、この誇りこそが彼女の奥底に残る本質。
災厄を防ぎ多くの人を救う閉じ師としての仕事を誇りに思ってきた。

近年、閉じ師でも感知できない災害が全国的に増えていた。
それは地震のみならず様々な天変地異の件数自体が増加していた。

ベテランの閉じ師である父にも原因は分からず、そのことについて最近の父はいつも思い悩んでいた。
その背を見て、早く一人前になって父の助けになるのだと、懸命に修業を重ね青春を捧げてきた。
これはその使命を忘れ友達や恋人と遊びたいなんて、浮かれていた罰なのだ。
そう自分に言い聞かせ、次に来る痛みに耐えるべく鈴菜は雑巾ごと奥歯を強く噛み締めた。

人差し指が折られた。
だが、どうしようもなく涙が零れた。
零れ落ちる涙を止めることができない。

痛い。
右手全ての指が折れ曲がり、常に痛みを訴えかけてくる。
心に秘めた決意などとは関係なく、どうしようもなく痛いのだ。

守護りたかったもの、夢見たもの、憧れたもの。
その全てが、ただの痛みによって涙と共に押し流されていく。

人間は痛みに勝てない。
決意や崇高な理想など、痛みの前に曖昧になってゆく。
死ぬ覚悟だって出来ていたはずなのに、その過程でしかない痛みに押し流されてゆく。

「ぅ……………………ぷッ」

痛みとストレスに精神が限界を迎え、ついに鈴菜が嘔吐した。
口を塞がれた状態での嘔吐は、吐瀉物によって喉が塞がるため窒息の危険性がある。
その異常にいち早く気付いた拷問官は、張り付いた髪の毛ごと素早くガムテープを剥ぎ取った。
口内から汚物に塗れた雑巾をズルリと抜き取ると、コンクリートの床にびしゃびしゃと吐瀉物がぶちまけられる。

「ぉうぇえッ…………ッッ!!」

口が解放されたその一瞬の隙をついて、鈴菜は自らの舌に噛み付いた。
鈴奈とて決して、死にたいわけではない。
まだ生きていたいし、人並み以上にやりたいこともたくさんある。

だけど、ゾンビになるかもしれないと聞かされた時に自らの舌をかみ切ろうとしたように、誰かの迷惑になるくらいなら死を選ぶ。
そんな岩水に生まれたモノとしての覚悟が彼女にはある。

「が…………ぷっ!?」
「まったく。油断も隙も無いな」

だが、彼女の自死は口内に差し込まれた野太い指によって防がれた。
せめてもの抵抗に、差し込まれた指を噛み千切ってやろうと思い切り噛みつくが。
ケブラー繊維で編まれた防刃手袋は噛み切れず、むしろ歯のほうが持っていかれそうだ。

そして二本目の指を口内に差し込まれ、少女の咬合力を上回る指の力で無理矢理口を開かれる。
その隙間に再び新たな雑巾を詰め込まれ、彼女は口(じさつ)を封じられた。

「再開と行こう―――――扉を開け」

言って、何の感傷もなく拷問が再開される。
右手の指は終わり次いで左手の指へと取り掛かる。
雑巾越しのくぐもった悲鳴がガレージの中に響き渡った。




19 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:33:39 77.R76Vo0
「ふぅッ…………ふぅッ!!」

少女の鼻から過呼吸なまでの荒い息が漏れる。
塞がれた口内に突っ込まれた雑巾を歯が折れんばかり勢いで噛み締めていた。
あれから2分。結束バンドでつながれた親指以外の全ての指への拷問を彼女は耐えきった。

これは大田原にとっても予想外の粘りである。
指の1、2本でも折れば根を上げると思っていたが、よもや指8本まで粘られるとは思いもよらなかった。
少女を殺さぬよう出血させないと言う制限があるとはいえ、ただの少女と侮っていたのは確かである。

まあ、だからと言って、ここで終わる訳ではないのだが。
感服はすれどそれを表に出すことなし、手を抜くこともあり得ない。
全ての指をへし折った無骨な手が何事もなかったように小指まで戻り、より深く第二関節を摘まんだ。

「ぁっ…………っ…………ぁ…………!!」

その感覚に、鈴奈の全身が恐怖に引き攣って喉が痙攣する。
鈴菜は耐えきった。耐えきったがまた耐えきれるかは別の話だ。

あの痛みをもう一周?
いや、既に折られた指をもう一度折られるのだ、繰り返されるのは先ほどまで以上の痛みになるだろう。
想像するだけで発狂しそうになるほど脳の奥が痺れる。

「扉を開け」

もう聞き飽きた言葉を皮切りに地獄が再開される。
先ほど以上の地獄が。

笑えるくらいにリズムよく指が折れてゆく。
一定間隔で刻まれる音は、まるで小気味いい音楽みたいだ。
次々と折れてゆく指と共に心が、己の中の尊厳が破壊されてゆく。
肉体に痛みが刻まれ、頭の中が痛みと痛みが痛みに痛みで埋め尽くされる。

痛い。
痛い痛い痛い。
なんでどうして自分こんな目に合わなければならないのか。
帰りたい帰りたいこんな村に来なければよかったもう帰して。
誰のせいだ誰が悪い誰のせいでもない千歩果のせいだ違う違う千歩果せいじゃない恨んじゃいけないこんなこと考えちゃいけない。
私は痛い痛い私の意思で選んだ私の決意をもって私の私のわたわたわたわたしはもういやだやめて痛い助けて誰か誰か誰か。
きっとうさぎがきっと助けを呼んでくれるもうすぐだ考えが甘かった全然来ないじゃないか本当に助けなんて来るのかうさぎを信じなくちゃ仲間を疑ってはダメだ信じろ信じろ信じられなくても信じろ早く早く早く早くしろ助けて誰でもいいから助けて私が悪かったから謝る謝るからどうか助けて痛い痛い痛い。
私は間違ってないこんなやつに負けてたまるか痛みなんかに負けるものか和幸を見捨てればよかった和幸だけを閉じ込めて逃げればよかったんだそんな事してたまるか私は閉じ師として恥じない行いを逃げ出したい見捨てなくてよかった私は間違ってないどう考えてもこいつが悪いだろ痛い痛い痛いもう殺して嫌だ死にたくない私にはまだやりたいことがたくさんたくさんあるのに人々を救わなくては覚悟ならしている昔からそうしようと私の意思は誰かの責任になんかしては痛い痛い痛い誰かお父さん助けてわたしは止めて止めて止めて助けてお父さんお父さんお父さん嫌だもう嫌だ痛い痛い助けて助けて助けて助けて痛い痛い痛い痛い痛い嫌だいやだいやだもうやめてやめてやめて!

そうして――――2週目の地獄が終了した。

右手の全ての指は逆さまに折れ曲がり、まるで逆向きに拳が握られているようだ。
こうなっては治療を施したところで、もう元に戻ることはないだろう。

腰元から下は垂れ流した小便でびしょびしょに濡れていた。
全身をビクビクと痙攣させ、もはや自身の体重すら支えられず己の小水の上に倒れこんでいる。

耐えたというより、もはやまともな思考もできていない。
最後の方はろくな反応すら返さなくなっていた。
廃人になる寸前と言った風である。

だが、そのような状態になってなお、ガレージの扉は閉じられたままであった。

「………………」

全ての指をへし折った大田原は無言のまま鈴奈を見下ろし、拷問の手を止めていた。

大田原は多くの人間を壊してきた。
だからこそ人間の壊し方も、その加減も見極められる。
このまま続けたところで死ぬことはないだろうが、精神の方が耐えられないだろう。

拷問は趣味や嗜好で行うモノはない。
あくまで扉を開けさせるという目的を達成するための手段である。
心を折る必要があるが、心を壊しては意味がない。
彼女の肉体には小休止が必要だ。

そう結論を下した大田原は鈴菜から離れ踵を返した。
鈴菜は痛みで曖昧になった頭で見つめる。

離れてゆく背は拷問の終わりを意味していた。
いや一時的な中断かもしれないが鈴菜は耐えきった。
そんな希望が僅かに鈴菜の中に灯る。

終わるはずもないのに。
そんな、ありもしない希望に縋った。


20 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:35:10 77.R76Vo0
鈴菜から離れた大田原が足を向けたのはガレージの隅だった。
そこに転がる巨体、和幸の元へと近づいて行った。
ヒュンと風切り音が鳴る。
同時に、びちゃりという水音が鳴って、倒れこむ鈴菜の目の前に何かが落ちた。

鈴菜の作った黄色い水溜りにジワリと赤が広がる。
それがなんであるか気づき、悲鳴のように鈴菜の喉が鳴った。
それは切り落とされた緑色の耳だった。

「そら。起きろ、デカブツ」
「ぐぅわぁぁあああああああああああああああッッ!?」

意識を昏睡させぐったりと倒れていた和幸の巨大な手の平にナイフが突きたてられる。
大田原はそのまま手首を捻り傷口をグリグリと抉った。
その痛みが、気付けとなって混濁していた和幸の意識が覚醒する。

「扉を開け。そうしなければ、30秒毎にこいつの体の一部を削ぎ落していく」

これ以上、鈴菜の体は傷つけられない。
だからと言って、拷問の手を止める訳がない。
故に、大田原は自身の苦痛ではなく、仲間の苦痛へ攻め手を変えた。

天秤にかけられるのは仲間の命と見知らぬ多くの命だ。
極限状況にて突きつけられる究極の選択。自分の命は差し出せても鈴菜は決断できない。
何より治療を求めたはずの仲間が脅しの道具にされると言う状況は強烈なストレスとなって脳を焼く。

だが、鈴菜が決断を下せず戸惑っている間にも和幸の解体は進んでゆく。
ナイフが奔り、逆側の耳がガレージの壁に張り付いた。
ネバついた血液で一瞬張り付いた耳が、ボトリと地面に落ちる。

大田原からすれば気軽なものである。
拷問対象はあくまで鈴菜であって、和幸はただの拷問道具に過ぎない。
死なれては困る相手と違って、こっちは最悪死んだっていい。

「扉を開けろ」
「だめだぁあ!!! 開けるなあああああああああああああああああああああ!!!!」

熱量も意見も正反対の声が響く。
その声が鈴菜の脳を揺らして気が狂いそうになる。
熱を孕んだ腹部の痛みとジクジクとした右手の痛みで、頭がおかしくなりそうだ。

やめてと叫びたかった。
だが、それはできなかった。
口枷によって叫ぶ口をふさがれているのもそうだが、それ以前に、叫ぶ資格など鈴菜には無い。

その凶行を止める手段を持っているのに、止めようとしないのは鈴菜の意思だ。
誰かを助けるために、誰かを見捨てる矛盾。その矛盾が鈴奈を苛む。
何のために、誰のために、この痛みに耐えてきたのかすらわからなくなる。

自分が傷つくわけでもないのに刺されたように胸が痛い。
胃の奥が苦しくて気持ちが悪い。今にも吐き出してしまいそうだが、もう胃液しか出てこない。

だけどそれ以上に、少女の心を抉ったのは、己の中に生まれた一つの感情。
こうして仲間が傷つけられているのに。
心の奥底に痛めつけられているのが自分ではなくてよかった、と言う安堵の気持ちがあった。

なんて醜い。
己の中の醜さが、たまらなく情けなくて悔しかった。

多くの命を救え。常に誇り高くあれ。
閉じ師として生きた岩水の誇り。
自分なりに、それに恥じないように生きてきたつもりだった。
けれど、その気高さも、痛み一つで剥がれ落ちるメッキでしかなかったのか。

それからどれほど時間がったのか。
永遠のようでもあり一瞬のようでもあった。
和幸を解体する大田原が血まみれのナイフを振った。
ナイフについていた血糊が地面にへばり付く。

和幸の大きな体には刳り貫いたような穴が幾つも開けられていた。
両耳は削がれ、鼻は平らに慣らされていた、瞼を裂かれた眼球は常に見開かれ、唇を失った口元は歯茎が剥き出しになっていた。
それでもまだ息があるのはとんでもない生命力だ。
だが、それでもそろそろ限界だろう。
これ以上続ければ確実に死に至る。

だが、大田原はそこで手を止めていた。
死んでもかまわないつもりで扱ってきたが、実際殺してしまうのは色々と不都合もある。
殺害は拷問対象の心を折る最後の一手になる可能性もあるが、逆効果になる可能性も大いにあるからだ。
仲間の死に報いるために意固地なるなんて手合いを大田原は多く見てきた。
目の前の相手がそうである可能性も否定できない。むしろここまで観察した限りでは高そうな可能性である。

大田原は暴力に酔う性質でも殺人嗜好という訳でもない。
秩序を守護ることを是とする守護者である。
その過程において非効率な手段はとらない。


21 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:35:51 77.R76Vo0
いかに強い心を持っていようとも、拷問対象はただの少女だ。
訓練されたプロならまだしも、心の動きなど手に取るようにわかる。

少女の心に僅かに出来た、暗い安堵という隙間。
そこに忍び込む様にカツンと、足音をガレージに響かせる。
自らに近づく足音に鈴菜がビクンと身を震わせた。

「休憩は終わりだ。再開と行こう。次は足か? いや目を抉ろうか」

眼球の前に血の滴り落ちるナイフが突きつけられる。
腹部の銃創や両手の痛みは未だに治まっていない。
一度間をおいて熱を冷ましたからこそ、再開される痛みに耐えられるだろうか。
鈴奈は不安と恐怖に震え、絶望に視線を落とす。

だが、後ろから髪を掴まれ無理やり引き上げられる。
そのまま寝転んでいる状態からその場に座らされると、目の前の惨状を目の当たりにさせられる。

そこで片目を潰され、瞼を裂かれむき出しになった瞳と目が合った。
血だらけで転がる顔無しの巨人。
これから辿る自分の末路。

「それとも――――――こいつと同じようにしてやろうか」
「…………………………ぁ」

それで、折れた。

これまで自分を支えてきた誇りや矜持。
折れないよう、負けないよう、ずっと意地を張り通していたものが完全に折れた。
むしろ、ただの高校生がよくここまで折れなかったと評価すべきだろう。

一度折れてしまえば、感情は箍が外れたように溢れ出した。

死にたくない死にたくない
嫌だ嫌だもう嫌だ痛いのは嫌だ。
今すぐにでも逃げ出したい。
使命なんて知らない。誇りなんて知らない。
そんなもの投げ出してでも逃げ出したい。
どうしても助かりたかった。

大田原はその目を見て、少女の心が折れたのを確認した。
拷問が趣味嗜好ではなくあくまで目的達成のために行われていたモノである。
恐らくもう一度大田原が繰り返せば、大人しくその要求に従うだろう。
ならば、ここで手を止めるのは必然である。

目的達成した、その一瞬の空白。
最後の命令を口にしようとした、その隙をついて。

「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「!?」

緑の怪物が再起動した。
その瞬間、大田原は自らの失態を認めた。

「しまっ………………」

しまったと思った時にはもう遅い。
狭いガレージ全体を震わす咆哮と共に、大田原の背後から道路標識が振り下ろされた。

炸裂するのはかつて魔王軍の精鋭であったオークの命を賭した一撃である。
それは、この瞬間打ち出せる最も効果的な一撃だった。
斧が如く振り下ろされた道路標識が肉と骨を深く切り裂き、間欠泉のように噴出した赤い血が天井を濡らす。
天井にできた水たまりが雨のようにボタボタと降り注いだ。


22 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:39:13 77.R76Vo0
降り注ぐ血の雨を浴びるのは迷彩色の大男。
大田原には傷一つない。
一瞬の虚をつく不意打ちじみた攻撃にすら反応して、咄嗟に身を躱していた。
だが大田原にとって、攻撃を避ける事しかできなかった事こそが問題だった。

袈裟気味に振り下ろされた道路標識は鈴菜の肩口から胸の中央まで深く食い込んでいた。
生気のない瞳。喉奥から吐かれた大量の血が、行き場を求め鼻から溢れる。
ポンプする様に傷口からは大量の血液が噴き出す。
年齢にしては発育した乳房を両断し、脂肪の断面を露わにしながら心臓まで至っていた。

犬山うさぎを守る。
それこそ和幸が自らに誓いを立てた使命だ。
その誓いを守るためには、うさぎのいる外にこの男だけは出してはいけない。
そのためには、こうするしかなかった。

「鈴、菜…………す、まな……い」

犠牲にした少女に謝罪の言葉を述べて、全ての力を振り絞った和幸の体は倒れた。
平たくなった顔から自らの作った血だまりに沈む。
同時に、完全に生気を失った鈴菜も力尽きた

寒々としたコンクリートの上に損傷の激しい二つの死体が転がる中、最強の存在はただ一人、傷一つなく立ち尽くす。
血だまりと小便と嘔吐物。人間からから吐き出される汚物の詰め合わせが広がる冷たい檻。
その牢獄に閉じ込められた。

完全にしてやられた。
言い訳のしようもない。大田原の失態である。

逃亡した少女が連れてきた助けを引き入れる際に、救援ごと皆殺しにして脱出するプランBもあったが。
少女が未帰還である可能性と、異能者の集団を相手取るリスクを鑑みてこのプランAを取ったのだが、やや性急すぎたか。

あの少女には、全てを守護らんとするために己の全てを捧げる覚悟があった。
そしてあのデカブツには一人を守護らんがために己と仲間の命を捧げる覚悟があった。
その二つの覚悟を見誤った。

「……さて、どうしたものかな」

独り呟く。
出口のない鉄の牢獄。
最強の男はここからの脱出方法を探さねばならなかった。

【和幸 死亡】
【岩水 鈴菜 死亡】

【C-4/一軒家のガレージ/1日目・朝】

【大田原 源一郎】
[状態]:右腕にダメージ、全身に軽い打撲
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理
1.ガレージからの脱出方法を探す
2.追加装備の要請を検討

※ガレージにはシャッターの他に出入り口はありません。シャッターは鈴菜の異能によってロックされています。
※鈴奈と和幸の荷物がガレージ内に転がっています


23 : 二つの覚悟 ◆H3bky6/SCY :2023/02/24(金) 20:39:29 77.R76Vo0
投下終了です


24 : ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:05:20 ERTl0h1I0
投下します。


25 : 山折村血風録・破 ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:08:58 ERTl0h1I0
『死ね……クソジジイ……』

何故助けてくれなかったのか。そう意味する言葉が老人に刃の如く突き刺さる。
しとしとと降る雪解雨が少女の身体の饐えた男の臭いを洗い流す。
黒髪から滴り落ちる雨粒が頬の痣を、赤く腫れぼった瞼を濡らす。
薄月より漏れ出した淡い光が怒りの籠った双眸と共に乱れたセーラー服を照らし出す。
穢されたその姿こそ、八柳藤次郎の新たな咎。
奇しくも環円華の今際の言葉は、あの日の愛弟子から吐かれた悪罵と酷似していた。



―――故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪。
―――即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経。

経を唱え終わり組んだ手を解く。そしてゆっくりと目を開く。
八柳藤次郎の一日は座禅から始まり、座禅で終わる。
六十余年の間で己の中に染みついた習慣は、例え亡者が蔓延る地獄になろうとも、己の命運が尽きる日になろうとも変わらない。

ここは猟師小屋から東の森林地帯。その手前にある『民宿やまと』。大和あい媼が経営する民宿。
清潔に保たれた和室には所狭しと注連縄や仏像、天河石などが麗々しく飾られており、ある種の神々しさが醸し出されていた。
上質な檜製の食卓の中央に鎮座する花瓶。山折村の象徴花である夾竹桃と色とりどりの薊が活けられており、眩んだ目に癒しを齎す。
いびつな神聖さと清澄な自然の調和が『民宿やまと』が山折村に訪れる観光客に愛される理由の一つである。
そこで、藤次郎は昂った精神を治めるために休息を取ることにしていた。

急須から注いだ熱い煎茶。湯気の立つ若芽と豆腐の即席味噌汁。糠床から頂戴した沢庵の糠漬け。ザックから取り出して湯煎した非常食の白米。
質素な朝餉を前に藤次郎はただ一人両手を合わせる。

「いただきます」

一礼の後、煎茶に口をつけて喉を潤す。白米を咀嚼し、素朴な甘みを噛み締める。
味噌汁を啜り、鹹味を楽しんだ後に沢庵の糠漬けを齧る。コクのある酸味に舌鼓をうつ。
食事の最中、ふと花瓶に活けられた花の一つである赤薊が藤次郎の目に留まる。
脳裏に過るとある女性の顔。八柳道場の玄関口に飾られている花瓶。その中に活けられている色鮮やかな花々。
面倒そうな顔で大きな花壺に水を注ぐ幼い頃の哉太。その傍らで満面の笑みを浮かべ、活けるための花束を抱えるセーラー服の少女。
時が経ち、一人寂しげな表情を浮かべながら花壺に花束を活ける金髪の愛らしい顔立ちの女性。


「茶子は、花が好きな子だったな……」




26 : 山折村血風録・破 ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:09:35 ERTl0h1I0
とある晩秋の土曜日。落陽差す八柳新陰流山折道場の片隅にて風が吹き荒れ、樫の木の二重奏が奏でられる。
若い門下生に指導する巨漢の男は奇妙な演奏を忌々しげな、赤髪の小柄な少女は羨望と畏怖の混じった眼差しを向ける。
奇妙な演奏会の奏者は二人。八柳新陰流創設以来――否、剣に捧げた人生の中でも見ることのなかった天賦の才の持ち主達。
それが18歳の少女と14歳の少年であるとは誰が想像できようか。
演奏に使用される楽器は木刀。鳴る音は八柳新陰流の剣術。
雀打ち、乱れ猩々、空蝉、鹿狩り、三重の舞、天雷―――。
幾度となく続く剣はどの技も形だけであるのならば誰もが真似できるもの。ゆるりと舞えば八柳新陰流は健康促進の体操にもなる。
だが、二人の剣はその側面を持たず。敵方の刃を折り、叩き伏せることを目的とした限りなく殺人剣に近い活人剣。
活劇を彷彿させる殺陣。荒々しくも流麗に連なる剣舞。八柳道場にいる中で技を認識できる者は己と浅葱樹翁、その孫娘の碧だけであろう。

永遠に続くかと思われた暴風を思わせる形稽古。その終わりは唐突に訪れる。

少女の上段からの振り下ろしを少年が受け流そうと木刀同士が十文字になるよう受けた瞬間、双方の木刀がぽきり折れた。

『ぎゃーー!茶子姉のせいで折れた!』
『違う違う。哉くんが受け流し失敗したせいっすよ。碧ちゃん、そこんとこどう思う?』
『あ……ええと、その……』
『大丈夫大丈夫。正直に言っても哉くんは勿論、愛しの『山折センパイ♡』も君のことを嫌いになんてならないからさ』
『それは……でも……わたし……』
『ほむほむ……哉くんが雑魚だったせいだって。やーい、ざぁこ♪ざぁこ♪』
『碧ちゃんは何も言ってないだろ!くそ……いつか絶対分からせてやる……!』
『あわわわわ……』

道場で繰り広げられる青春の戯れ。その様子に樹と共に苦笑する。

『昔を思い出すね、藤次郎君』
『そうですね、樹先輩』

戯れはすぐに終わる。次いで碧が木刀を構えると茶子が折れて短くなった木刀を構え、かかり稽古が始まる。



八柳哉太と虎尾茶子。かつての弟子、沙門天二は疎か己や浅葱樹すらも超える逸材。その才能は控えめに言って桁が一つ違う程。
哉太は未完成の器ではあるものの剣に人生を捧げてきた藤次郎ですらも才能の底が見えない。未熟である今ですら、己が勝てるかどうか怪しい程。
茶子は体格に恵まれていないが、剣に至っては『八柳新陰流歴代最強』に相応しい実力を身に着けている。
太刀筋はほぼ完成されており、今の自分どころか全盛期の自分すら超えかねない強さを持つ。
だが、精神面においては二人とも年齢相当に未熟。
哉太は容姿こそ若い頃の己と瓜二つであるが、妻や息子夫婦の血が強く出ているのか、穏やかで自己肯定感の低い性格。
茶子は偶像もかくやと斯くやと言わんばかりの愛くるしさと美しさを併せ持つ女性。社交的かつ負けん気が強い、芯のある性格。
しかし、失策のツケを支払わされて以降、藤次郎の見た限りではあるが、どこか危うい雰囲気を持つようになった。


27 : 山折村血風録・破 ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:10:05 ERTl0h1I0


朝餉を終え、煎茶を口に含む。
藤次郎は天を仰ぎ、ぼそりと呟いた。

「何故堕ちた、網太」



八柳藤次郎と木更津網太。二人は同じ山折村で生まれ育ち、夢を語り合った友であった。
しかし、数十年の時が流れるにつれ、生き方も、立場にも違いが生まれた。
藤次郎が八柳新陰流を創設し山折村に帰還したとき、網太は『木更津組』と呼ばれるならず者の集団を率いて村を闊歩していた。
竹馬の友が堕ちた。その原因を探るために藤次郎は山折村を調べ、『歪み』を知った。
その『歪み』からかつての友を救うべく、奔走したが己の謀略は悉く失敗に終わった。

『なあ、藤次郎。お前は棒振り遊びをするだけの猿でおればいいんじゃ……』

十余年の歳月の中で友情が歪みに歪んで憎悪へと変貌した時、網太に告げられた言葉。
理性的にも、本能的にも山折村は滅ぶべき存在として認知した頃。自身の人生で培ってきた正義は逃避を許さない。
そのツケを支払わされることなった8年前の事件。

弥生の夕暮れ時。
藤次郎は一人、木更津組の事務所へと呼び出された。
策略がいつものように失敗に終わり、遂に己自身で支払わされることになるのかと覚悟した。
だが、ただで殺される訳にはいかぬ。藤次郎は己の手足となる打刀と脇差を持ち出して歪みの巣窟へと向かった。

『よう来たな、藤次郎先生』
『王仁か。貴様に用はない。網太を出せ』
『まあ落ち着け。親父は診療所で寝ている。引退した老人をいじめるために剣を磨いていたわけではないのだろう?俺は話し合いをしに先生を呼び出したんだ』

よくもまあ口の回る男だと藤次郎は蔑んだ。
王仁の周りには銃火器を構えた息子達。そして傍らには今にも抜刀せんと刀に手をかける元最強の門下生、沙門天二。

『息子の閻魔はどうした?人でなしの貴様でもやはり息子には情を持っているのか?』
『口を慎め、ジジイ。俺の親父に――』
『逸るな天二。あの盆暗は麓でバイクを乗り回している』

藤次郎と王仁の間にぴりぴりと張り詰めた空気が漂う。
その空気を断ち切ったのは王仁の言葉。

『なあ、先生。今まで俺らはアンタの面子を考えて大抵の事には目を瞑ってきたつもりだ。だが、今回は少々やり過ぎたな』

王仁の目が細められる。それは獲物に狙いを定めた毒蛇のようにも思えた。
やはり制裁か。望むところ。己の命が尽きようとも、王仁と天二は必ず斬る。
その様子を感じ取ったのか王仁はまあまあと宥めるように両手を動かした。


28 : 山折村血風録・破 ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:10:51 ERTl0h1I0
『交渉だと言ったろう。老人は気が短くていけねえな』
『……どうせ碌なことではあるまい。儂の腑か?それとも土地の権利書か?』
『それじゃあ先生に対してのケジメにはなりゃせんだろうか』

宥めるような穏やかな口調で藤次郎に語り掛ける。
王仁の目が更に細められ、口角が釣り上がり、三日月の如く弧を描く。

『今週末、木更津組で食事の会合がある。そこで今後の組の立ち回りを話し合い、その後は女だ』
『……』
『そこで、アンタの言う『山折村の根源』について俺が口を滑らせちまったらどうなるだろうな?』
『――――ッ!!』

鷲掴みにされたのように心臓が激しく脈打つ。
山折村の根源。それは怨敵である前村長すら知らぬ絶対的な禁忌にして山折村を終わらせる劇毒。
根源を知りうるものは藤次郎の知る限り、今現在までは二名。己と―――。

『落ち着けよ先生。アンタにはもう一つの選択肢がある』
『――――』
『今度の会合、女が集まらなくてな。岡山林業勤めの虎尾さんのご令嬢……アンタの孫と一緒に可愛がっていたよな?』

もう一方の選択肢も最悪のもの。己が理性では差し出せと囁くが、育んできた愛情が、信じてきた正義が、それを拒む。
立ち尽くす咎人へ向けて、断罪者は冷え切った声で選択を迫る。

『これがケジメだ。今選べ、八柳藤次郎』
『……ッ!』
『選ばんかったら山折村も虎尾茶子も己の孫も全部終わらすぞ糞爺!!』

孫も含めた全てを捨てるか、村そのものを滅ぼすか、愛弟子を贄として差し出すか。
藤次郎の理性(こたえ)は既に決まっていた。

『先生よぉ、アンタは謀には向いてねえ。棒振り遊びをするだけの猿であれば良かったんだ』

帰り際、藤次郎の背中に木更津王仁の侮蔑しきった声がかけられる。

その日の夜、下校途中に虎尾茶子は連れ去らわれ、穢された。



時は流れ、孫の哉太が都内の進学校へ通うために上京することが決まった。
その前日、彼と特に親しい仲であった少女――今は女性となった金色に髪を染めた愛弟子が一人、道場で花束を作っていた。

『……哉太へ贈るのか?』
『そっす』
『ここで作らなくても良いだろうに』
『うち、今はリフォーム中っす。親父とお袋は麓のホテルで仲良くしてます。あたしは最後だし、哉くんの部屋に泊まる予定です』
『……哉太ももう一人の男だぞ』
『大丈夫っすよ。あの子は童貞拗らせていてもヘタレだし。あたしも手を出す気はまだありませんよ』

軽口を叩きながらもせっせと花束を作り続ける。
飾られる花の名前は何か、と問う前に茶子が口を開く。


29 : 山折村血風録・破 ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:12:33 ERTl0h1I0
『この白いのはマーガレット。こっちの黄色いのはヒヤシンス。ピンクがコチョウラン。そんでコチョウランと色が被るけれど、こっちはヴィオラ』
『それでこれは随分と可愛らしい向日葵だな』
『割と高かったんすよ、季節外れのものが多いし』

遂に完成した花束を前に茶子は満足気な笑顔を浮かべる。
茶子の作品は花について疎い藤次郎から見ても見事な出来栄えであった。
花束を覗き込む藤次郎に茶子は気づく。

『……今度、先生にもプレゼントしましょうか?花束』
『……いいのか?』
『日頃お世話になってますし、あたしからの気持ちを込めて作ります』

儂にそんな資格はない。何も知らぬ茶子にそう言いたかったが、彼女の古傷を抉るのを躊躇う。
己が咎の身代わりで受けた娘。孫娘のように可愛がっていた彼女は、昔と変わらぬ笑顔を向けた。

『……先生、アンタは正しいやり方をした』

道場を出る前に背中にかけられる茶子の言葉。その言葉に思わず振り返る。
月から差す光に照らされる愛らしく美しい茶子の顔。それはまるで能面のように無表情だった。

後日、茶子から笑顔と共に色とりどりの花束を手渡された。
妻に花の種類を聞く。飾り付けられた花の名は待雪草、三枚葉の白詰草、狼茄子、赤薊。

『あの子、花言葉についてはまだ知らないみたいね』

苦笑する妻に藤次郎は首を傾げる。
そして翌年の藤次郎の誕生日に、茶子は花蘇芳の苗木が贈ってくれた。




30 : 山折村血風録・破 ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:13:49 ERTl0h1I0
「お世話になりました」

この場にはいない、大和あい媼に向けて一礼する。

朝餉の後、藤次郎は申し訳なさを感じながら備え付けてあった箪笥を漁り、着替えた。
現在の服装はYシャツにスラックスのスーツ姿。村の会合など重要な行事に参加する時の衣装。

これから先どうするのか。答えは既に出している。
一切鏖殺。その指針に変わりはない。
無垢である孫も。己が咎の代償になった愛弟子も。全てを斬る。
既に虎尾茶子の両親も、八柳哉太の両親も切り捨てている。
あの時、山折村を終わらせる選択肢を取らなかった後悔は拭えない。
せめて今、地獄の蓋が開かぬようにするために穢れなき魂を滅ぼす。

虎尾茶子も、八柳哉太も命のやり取りは知らぬ。
哉太は性格故に自分を斬る決断をするのは万に一つしかないであろう。
茶子は己と同様に悪を憎む正義感として育てた。しかし、真っ直ぐな性格故情が厚く、背後からの闇討ちなどせずに己を説得しようとするだろう。
故に、最大の難敵は沙門天二と見極める。
逃げられた小田巻女史も、命の狩人たる特殊部隊員も全て。何一つ残さず。
山折村に最後に残った悪鬼を斬るまでは止まらぬと決意する。

だが、八柳藤次郎は所詮井の中の蛙に過ぎぬ無知蒙昧の老人に過ぎない。
藤次郎は知らぬ。八柳哉太の心は幼き日のままではないことを。
藤次郎は知らぬ。自分の想いこそ山折の歪みの一部になっていることも。
藤次郎は知らぬ。己の祈り(ゆがみ)は哉太には継承されず、贄として差し出した弟子に継承されていることを。
藤次郎は知らぬ。虎尾茶子は山折の歪み、藤次郎の罪科を藤次郎以上に知り尽くしていることを。
藤次郎は知らぬ。愛弟子が贈った花の意味を。
夾竹桃と赤薊が咲き乱れる山折の道を咎人は一人、征く。


【B-5/森林地帯・民宿やまと前/一日目 朝】

【八柳 藤次郎】
[状態]:健康、スーツ姿
[道具]:藤次郎の刀、ザック(手鏡、着火剤付マッチ、食料、熊鈴複数、寝袋、テグス糸、マスク、くくり罠)、小型ザック(ロープ、非常食、水、医療品)、ウエストポーチ(ナイフ、予備の弾丸)
[方針]
基本.:山折村にいる全ての者を殺す。生存者を斬り、ゾンビも斬る。自分も斬る。
1.出会った者を斬る。
2.小田巻真理を警戒。


31 : ◆drDspUGTV6 :2023/02/25(土) 00:14:51 ERTl0h1I0
投下終了です。
期限を超過してしまい、大変申し訳ございません。


32 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:04:56 7AFUOC7I0
投下します


33 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:06:15 7AFUOC7I0
 銃声の音が室内によく響く。
 これだけでは穏やかではないと思われるものの、
 射撃訓練場での音であるとなれば、何もおかしいことではない。
 互いに並んで銃を構えていたのは乃木平天と広川成太の二名。
 射撃の練習と言うことで、広川が丁度近くにいた天を誘って今に至る。
 弾丸を全て撃ち終えたことで耳当てを外し、銃を置いた後広川が呟く。

「天先輩、本当に下手ですねー。」

 何とも言えない結果に思わず苦言を零してしまう広川。
 人を模した的に全弾当たってはいるが、急所となる部分に絞ると今一つだ。
 隣で同じように射撃をやってみた広川の方がずっと精密に狙えている。
 別に下手なわけではない。と言うより下手だったらSSOGに所属するはずもなし。
 人並み以上の技術はある。ただ、これが特殊部隊となってくると微妙なレベルなだけで。
 広川からすれば年上の先輩。先輩がこれだとは余り想像していなかった。

「と言うより、広川さんが私と違って凄いんですよ。
 成田さんからも腕はいいと聞いてましたが、これほどとは。」

「いやいや褒めすぎですって。
 それに、銃がうまくないだけで他で補えばいいんですよ。」

「この前の走り込みで小田巻さんの後ろにいた私の強みを問いますか?」

「またまた御冗談を〜……え、マジ? 真理ちゃんの後ろマジ?」

「本当です。」

 流石に疑いたくなるワードに笑い飛ばすが、
 乾いた笑いとガチのトーンで語る天の姿に同じように目を逸らす。
 冗談ではなかった。ついていくことはできても追い抜けたわけではない。
 これも同じく人並み以上ではあるが、他はインフレを起こした傑物ばかり。
 努力だけでは越えらえない才能の壁が、此処にはどこにでもあるかのようだ。
 経験豊富な年上の先輩だけでなく、次々と参入する後輩たちも同じになる。
 サバイバル技術による経験から来る立ち回りができる南出に、
 少年兵と言うある意味最も経験豊富になりうる逸材のオオサキ。
 前も後ろも優れた人材がひしめいているのがSSOGの環境だ。

「あの、前から思ってたんですけど。
 天先輩ってなんでこんなところにいるんですか?」

 広川から見た天の評価は『パッとしない人』になる。
 潜入任務に溶け込める黒木とは違う意味合いのもの。
 悪く言うつもりではないが、どうも特殊部隊にいる人間らしくない。
 身体能力を見ても、銃の腕を見ても、人格的にもらしさがないのだ。
 あくまでとりあえずここにはいられる程度には強いものの、それだけ。

「あ、もちろん向いてねえとかの悪い意味じゃないです。
 ただ、風雅先輩みたいな事情があるわけでもないですよね。
 と言うより、天先輩みたいないい人が特殊部隊って何かチグハグで。」

「それを言うなら、広川さんも似たようなものではないかと。」

 広川と言う男を理解するにはそう時間はかからない。
 言動の節々から出てくるヒーローや正義の味方に対する憧れ、
 時折の決めポーズやサブカルの話題になると特に饒舌になる姿。
 天にとって一つ下であるためほぼ同年代であるはずなのに、
 まるで高校生と会話しているような気分にさせられる。
 嘗ての高校生活のような、ワイワイと楽しめてしまう。
 そんな雰囲気を作るのがうまい人物だと思っていた。

 けれど、此処はヒーローのような活躍を望む彼が憧れるような世界ではないだろう。
 必要であれば無抵抗の人間だって殺す必要のある、暗部の仕事は天にも経験がある。
 やることはさながらダークヒーロー、見方次第でギャングやマフィアの類とも受け取れる。
 決してこれは善良な市民を守る仕事とはかけ離れている。彼の言うヒーロー像を求めるなら、
 特殊部隊とかに入らず、普通の自衛隊や警察官の方がよほどそれらしいものになるだろう。

「何を言ってるんですか、
 此処は間違いなくヒーローが集まる場所ですよ!
 日本にとって悪となる存在を排除し、正義を守るんですから!」


34 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:07:04 7AFUOC7I0
 軽くシャドーボクシングをしながら広川は答える。
 彼にとってはこれこそヒーロー。なりたかったことだ。
 確かにスーパーマンとかコミックとは離れたものであり、
 功績とかは世間的には知られることはないので、少々寂しくはある。
 しかし影ながら人を助ける仕事であると言う達成感や充足感はあった。
 迷いのない返答。とてもキラキラした表情ではあったものの、

「……それは、私からすると違うと───」

 反対に天の表情は余り良い顔はしなかった。
 広川はこの仕事を誇りに思っている。いや、想いすぎているのではないか。
 そんな不安が何処かあり反論しようとするも。

「乃木平さーんッ!!」

 言葉を遮るように訓練場へと、
 小田巻が姿を見せて猛ダッシュで駆け寄る。
 走り込みの時とはまるで別の全力ダッシュは、
 こんなに早かったのかこの人と少し呆然としてしまう。

「え、小田巻さん? どうしたんで……」

「テメエ小田巻ィ!! 逃げてんじゃねえぞぉッ!!」

「うわ、もう追いついた!?」

「そりゃサイボーグだしな。」

 質問の答えはすぐに分かった。
 続けて美羽が鬼の形相でその場に登場。
 小田巻は天の肩を掴んで盾のように構える。
 とりあえず何があったかはおおよそ予想がつく。

「さすが天先輩。女受けのいい顔だけありますね。」

「いやそれとは違うような気がしますよ、これは!
 まず事情を伺いたいので、美羽さんは少し落ち着いて───」 

 最早お約束のパターンのようなものだ。
 天が暇であればとりあえず美羽の対応はよくあること。
 いつもの仲裁に駆り出され、双方に顔を向けて意見を聞く。
 その光景を見て広川は思う。ある意味、これが唯一の強みなのだと。
 隊員の殆どは癖が強いか、我が強い人達ばかりで構成されており、
 当然一部の隊員とは広川も余り関わりたくないのはいる。その逆も然り。
 けれど天と言う男は、誰とでも言葉を交わして理解を深めようとする。
 皮肉ばかりで嫌われがちな伊庭でも、マイペースでついていけない南出でも、
 隊員としての礼節を弁えない美羽やオオサキであったとしても関係ない。
 誰とでも付き合えるし、関わることのできるその器用さにあると。
 それはつまるところ、任務の状況や環境に適応した動きができることだ。
 任務は命懸けであり、当然肉体や精神のコンディションは数十秒で下がる。
 彼はその状況下でも、その状況に応じた適切な対応ができるのではないか。
 この人は確かに強くないが、代わりにミスをしないので死ににくいしぶとさ。
 頼もしいとは言えない、しかし敵からすれば余りにもこれは面倒くさい。
 例えるならば、ゲームにおけるボスの取り巻きがポジションに近いだろうか。
 別に倒さなくてもいいのだが、放っておけばそれはそれとして厄介な存在。
 もっと簡単に言えば縁の下の力持ちだ。

「あーもう、風雅先輩も落ち着てくださいってー!
 真理ちゃんも怒らせたくてやったわけじゃないんですから。」

 暴力沙汰に発展しかけてたのもあり、
 流石に加勢しないとまずいと思って彼も割り込む。
 結局、天はこの時言おうとしていたことは言えなかった。
 後はタイミングが悪かったり一緒に組むことがなかったり、
 巡り合わせの悪さから山折村の任務まで共に参加することはなく。
 真面目な彼は当然私語も控えていたので会話をすることはせず、
 この時の反論は最後まですることはないまま胸の内に秘めている。
 そして、この言葉を口にする相手はもうこの世にはいない。
 永遠に返すことのない言葉になるとは、知る由もなく。


 ◇ ◇ ◇


「おい、起きろ。時間だ。」

「いたっ。」

 ガスマスクをノックと呼ぶには少し強めの衝撃に目を覚ます天。
 あれから二人は特に苦労することはなく浅野雅の雑貨屋へと到着。
 店は商品は殆ど崩れてたが建物の形を保っていたので物色する必要があり、
 成田が武器のことを調べている間に、天は二階で休息をとっていた。

「え、もしかして寝すぎましたか!?」

 手の氷は六月の気温もあって完全に溶けた。
 陽が昇って気温が上昇した中だと少し惜しくもある。

「いや、別に予定してた程度の時間だから問題ないさ。
 ところで乃木平。まさかと思うが薬やってるとかないよな?」

「あるわけないでしょう!?」

 寝る前に軽い情報だけ提示されたものの、
 異能と言う荒唐無稽に何度も目にしたが余りにも斜め上が過ぎる。
 ハヤブサⅢはまだいい。しかし山奥の村にワニ、しかもこれが正常感染者。
 子供の空想ですら想像を超えているもので、寧ろいかれてるとしか思えない。
 彼が薬物中毒で幻覚を見ていたと言った方が真実味があると言えよう。


35 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:07:57 7AFUOC7I0
「コホン。改めて、情報共有をさせていただきます。
 まず……えーっと、本当に、湖にワニがいまして……」

 成田に案内されながら、二人は情報を共有していく。
 一応真実なのだろう。彼がふざけた人物ではないことぐらいわかる。
 しかし、一度実物を見てみないことにはどうも現実味が感じられない。
 異能ではなくワニと言う、中途半端に現実的な存在が嘘臭く感じてしまう。
 これで熊や猪が正常感染者と言うのであれば、まだ現実味があると言うもの。
 実際に熊も感染者としているのが何とも言えないところではあるが。

「ま、それ抜きにしても過労死する経緯のようで。」

 ワニと交戦して即座に病院で鬼ごっこすることとなり、
 更にハヤブサⅢとも遭遇した上で先の野性味溢れる少女と交戦。
 六人の中で最も弱いと言えど天を手玉に取る連中ばかりと戦っている。
 大田原でも多少難儀しそうなのを短時間で請け負う量と質ではない。
 この疲労度を考えると、診療所の方についた方がお得だったと言える。
 特に氷の少女に成田は興味が沸いた。ハヤブサⅢの助力があったとは言え、
 実質的に二度も天と交戦して生き延びたのは中々にそそられる相手だ。
 此処まで散々面白みのないゾンビの相手をしてきたのだから、
 次は少女同様にいきのいい人物を撃ってみたいものだと。

「ハヤブサⅢの異能だが、恐らく視覚の強化だろうな。
 記憶力が凄まじく良くて能力抜きで戦ってたなら別だが。
 滑らない異能とは、乃木平は小粋なジョークもできると見える。
 今度飲み会の時ネタにしてみたらどうだ? 案外滑らないかもしれないな。」

「冗談で思っただけですから、余りネタにしないでください。」

 月明かりだけの中、自分だけが滑らない優位を保って戦うことができる。
 なら滑る未来が見えているか、滑る場所を把握してないとできない芸当だ。
 前者については貫通しない弾丸を撃つ理由がないことで除外されるので、
 結果的に視覚が強化されて凍った地面が見えていたのが近しいと判断した。
 直接的な戦闘に影響はないが、此方にとって厄介極まりない異能だ。
 彼女は今も此方が視認できない距離から気付いてる可能性だってある。
 その上で氷使いと恐らく研究員。戦力としては現状一番厄介な勢力だろう。
 このまま勢力が拡大すれば、異能も相まって個人での対処は極めて困難だ。
 なるべく早めに崩しておきたいところだと成田も判断していた。

(あの子は此方にとって好都合ですが……)

 カニバリズムと言う本来人から外れた行為を、
 平然と行ってる以上あの子供(クマカイ)は感染者やゾンビも狙う。
 此方も狙ってるがそれを差し引いてもこちら側の負担が減るのは事実。
 けれど、無駄な犠牲を減らすように立ち回る天としては少々賛同しかねる判断だ。
 感染者減らすためにライオンを村に放つようなもの。放置してもいいゾンビも犠牲になる。
 だからと言って、別案を提示できない以上は割り切らざるを得なかった。
 強くないが故に、邪道も受け入れざるを得ないことにどこか歯がゆく思う。

「ところで、調査の結果はどうだったんですか?」

「ああ、あったさ。此処は雑貨屋じゃなくて武器商人かと疑うレベルだ。」

 言葉と共に店の近くで横転したコンテナトラックを開く。
 中には雑貨屋のトラックとは思えぬ非現実的なものが揃っている。

「ベレッタにレミントンにジュニア・コルト……いや、
 流石に研究所の関係者としてもこれは多くないですか?」

 拳銃、狙撃銃、ポケットピストル、更に日本刀に手榴弾やボディスーツ。
 充実過ぎるラインナップに防護服の中で引きつった顔になる天。
 これからデスゲームでも始めるのかと疑いたくなってしまう。
 いくら研究所の関係者と言えどもこれには限度と言うものがある。

「この日本刀や銃とかもだが土汚れから察するに地面にでも埋まってたか。」

 土に突き刺してたとしても、柄の部分まで汚れるわけがない。
 埋まってなければ成立しない状態で放置されてるように見えた。

「え、刀が自生してるんですかこの村。」

「ワニと出会っておかしくなってるぞ、お前。」

 精神的な疲労が垣間見えた発言な気がした。
 刀が地面に埋まってる=刀が自生するは何をどうしたらそう思うのか。
 荒唐無稽なものに出会ったことで彼らしからぬ発言に少しばかり呆れる。

「とは言えこの村はそもそも研究所からしてきな臭い。
 木更津組を筆頭とした反社会勢力もいる。武器を隠す奴はいるだろうさ。
 それを見つけ次第回収していた、と言ったところか? ご苦労なことで。」


36 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:08:40 7AFUOC7I0
 彼等には与り知らぬことではあるが、
 木更津組のブローカーである宝田一によって仕掛けられた多数の武器。
 村には地震の影響で露呈した結果潮干狩り感覚で武器が見つかる量の割に、
 余りそれらを見つけた人物が少ないのはそういうことでもあったりする。
 彼以外に見つからないように隠されたと言っても隠した本人はブローカー。
 スパイを監視する役割を担う浅野雅の目から逃れなかった一部は回収された。
 それでもまだまだあるので、探そうと思えば出てきてしまうのだが。

「この村、ひょっとしなくてもやばい村なんです?」

「だろうな。全く、小田巻も不運な奴だよ。
 休暇でこんな村に来ちまうとは、どんな運を持ってるのやら。」

「本当に災難で……え? 小田巻さん?」

「あ、言っちまった。」

 わざとなのか本当なのか、
 少々わかりかねる言動で肩をすくめる成田。
 ブリーフィングではキレた美羽の対応に追われていたこともあってか、
 天は作戦内容の一部については聞きそびれた状態で参加している。
 勿論必要な分はちゃんと後で大田原が説明していたので問題ないが、
 逆に言えば必要のない、と言うよりは大田原は少し懸念したこともあり、
 小田巻の存在については伏せた状態にしておいて作戦内容を伝えた。

「言っちまったことだし言うが、小田巻はいるぞ。
 ゾンビか正常感染者かは現時点では判断できないが。」

「そう、ですか……小田巻さんもこの村に。」

 村については作戦前にネットで軽く調べた程度だが、
 確かに彼女が好きそうなラーメン屋が口コミにあった。
 今度彼女に勧めてみようかとは思ったが、本当に来ているとは。
 声のトーンから、意気消沈しているのが手に取るように分かる。

「可愛い後輩は撃てないとか言うつもりはないよな?」

「少なからず、後ろ髪は引かれるでしょうね。
 『小田巻さんにも協力してもらおう』と言うような、
 彼女を生存を重視するかのような提案を思いつく程度には。」

 嘗ての記憶で盾にされたり伝言役を頼まれたりと、
 何かと頼られるを通り越して利用されてるのが否めない間柄だが、
 彼にとっては後輩の一人だし、今後彼女が活躍できるだけの強さを知っている。
 部隊の損益もだが、彼女をよく知る人物として殺すことになるのは気が引けてしまう。

「アイツが女王感染者だったらそれはそれは無駄な虐殺だな。」

 殺しを楽しむ身としてはそれは寧ろ好都合だが、
 一方でそのやり方については任務に支障が出る行為だ。
 もし彼女が女王感染者だった場合無駄な命が犠牲になるだけ。
 犠牲者をなるべく減らすのが念頭にあるであろう天とはかけ離れた行為だ。

「ですが必要なら戦い───いえ、撃ちます。」

 しかし、意外な答えに少しだけだが成田は面食らう。
 人の命を取捨選択ができる立場は基本的に医者等の領分であり、
 決して汚れ仕事をする自分が神様気取りに命を選ぶ権利などない。
 殺した相手を忘れないのが唯一できる贖罪と思う彼には最早愚問。
 自らこの銃を手にした。自らこの防護服を着た。自らこの地へ参じた。
 なら道は一つだけだ、同じ職場の人間だからと擁護も加減もしない。
 もっとも、あくまで覚悟だけ。小田巻の優秀さはよく知っている。
 異能で更なる強化を得ている彼女を相手にするのはより一層厄介なはずだ。

「まあ、甘い考えを口にしてしまいますが、
 可能なら黒木さんと合流してほしいものですけどね。」

 黒木はハヤブサⅢを標的としての活動だ。
 現地にいるのであれば協力できる可能性は高い。
 そういう意味では可能なら会って欲しいとは思うがそれはそれ。
 出会って正常感染者であるのなら迷わず引き金を引くつもりだ。

「それで、この武器の山どうします? 一部は持って行けそうですが。」

 全部と言うと流石にこの量は重すぎる。
 中には万が一奪われたら防護服を貫通する威力の高い銃もある。
 性能が良いからと持って行けば、ゾンビどころか死すらあり得てしまう。
 持って行ってもいいのは少しか、或いは奪われてもいいものに絞っておく。

「とりあえずポケットピストルはお前が持っていけ。
 威力が低いから、奪われてもさほど問題ないだろ。」

「あ、はい。」

 携帯性のある銃は威力が低く防護服の貫通は難しい。
 それは既にハヤブサⅢとの交戦で身をもって経験している。
 念の為威力は確認しておくものの、さほど問題はないだろう。


37 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:10:18 7AFUOC7I0
「成田さんにレミントンはいいかもしれませんが、問題は環境ですね。」

 本来ならば狙撃銃は一方的に敵を攻撃できる代物。
 成田は狙撃の名手。距離さえとってしまえば一方的だし、
 同時に成田程の優れた狙撃ができる人間はそうはいないだろう。
 しかし、そうはいかないのが村の状況。崩れかけた建物では足場は安定しないし、
 最悪倒壊する危険だってあるのに加え、季節は六月で夏が近づいてきている状態。
 屋外では暑さの中補給がない状態で何時間も動かずに待つのは極めて危険。
 狙撃は屋内を推奨したいのに殆どできず、屋外では消耗が激しい。
 絶望的なまでに狙撃と言う行為は状況と噛み合ってないのだ。

「ま、いざと言う時は狙撃の必要が迫られたなら使う程度だな。」

 もし視覚強化が事実でハヤブサⅢの手に渡ったら相手は人間スコープ。
 スコープなしで狙撃されかねない危険を孕んではいるものの、
 倒壊の危険がない建物だってある可能性は十分にあるし、
 その時のアドバンテージを考えると持っておきたくはあった。

「後のはどうします?」

「破壊するならグレネードやトラックに銃弾ぶち込んで燃やすのもいいが、
 あの黒田爆斗みたいなことをやっても目立つ。埋めるにも時間はかかるだろうし、
 視覚が強化されてるとみていいハヤブサⅢに、その隠し方は即座にばれるだろうな。」

 視覚の強化と言う戦闘に直接的な有利を齎さない能力。
 しかし元が優れた人物に渡った瞬間やりづらいことこの上ない。
 しかもこの暑さの中埋める作業は過酷だ。どうにも効率が悪くなる。

「あ、それでしたら一つ。雑な手段ですけど。」

 天の提案により武器を回収した後二人は別の家の部屋の一つへ武器を纏める。
 置いた後、倒れていた本棚を完全に空にして軽くしてから立てかけ、
 医療テープをある程度貼って部屋を出て、テープをドアの下にある隙間に通す。
 テープをそのまま引っ張れば少し派手な音が扉の向こうで響く。

「これでどうですか?」

「なるほど、つっかえた部屋は壊さないと開けられないと。」

 試しに扉を開けてみるがドアを開くことはできても、
 本棚がつっかえてる上に武器の山も死角で視認するのは困難。
 無論破壊して強引に開けることはできるし、それを実行できる能力に目覚めた人もいる。
 しかし地震が起きた最中で建物に逃げ込む人物の目的の殆どは、休息をとりたい場合だ。
 他の部屋が開くなら態々時間をかけてまで開かない扉に固執する理由はないだろう。
 入れなかったとしても地震の影響で本棚が倒れて開かなくなった、と認識するのが普通だ。
 万が一、弾切れを起こした場合に最悪ドアを破壊して武器の調達としての意味合いも含む。
 武器の調達はドローンに指示を送ればできると言えども時間差を考えると、
 いざと言う時の調達に使えるようにしておきたくもあった結果の判断だ。

「ハヤブサⅢが浅野雅を研究所関係者だと気付いてる可能性も観点に、
 とりあえず無関係な家に放り込んでみましたが、大丈夫でしょうか。」

「可能性は低くはないが、高くもないと言ったところだ。」

 よほどのことがなければ見つからないが、
 そのよほどがありうるが殆ど机上の空論だ。
 考えても仕方ないので放っておき外へ出る。
 外へ出てみれば、燦々と照らす太陽の下。
 防護服で覆われてる都合熱は逃げることがなく汗が簡単に噴き出す。
 屋外で長時間の活動は補給もできないので死に直結しそうな暑さだ。

「ところでカードキーだが、俺が預かるぞ。」

「分かりました。」

 間違いなくこれはハヤブサⅢが求める代物。
 となれば黒木に渡しておくのが良いだろうが、
 休んだとはいえ連戦続きで消耗してる天に渡して、
 変なところで死んで落とされても色々と面倒になる。

 ついでに此処まであの野生児以外まともな奴と出会ってない。
 その野生児相手も殺せてないのでどうにも物足りなかったところだ。
 異能によって自分が重要なものを持ってると認識する可能性もあるだろう。
 ならば寄ってこい。その方が好都合であるし、自分の目的も果たせる。。

「……癖も程々に、って言わなくても大丈夫でしょうね。」

 ガスマスク越しなので顔は分からないが、
 恐らく笑みを浮かべているのだろうと何となく察する。

「心配か?」

「いえ、私情は持ち込んでも仕事に支障を出さない。
 成田さんのそういうところは、個人的に信用してますので。」

「『そういうところは』ねぇ……嫌われちまったもんだ。」

「嫌いではありませんよ。苦手なだけです。
 後、残念そうなフリしても騙されませんから。」


38 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:11:58 7AFUOC7I0
 隠しきれない暴力性についてはもう分かっている。
 正反対な性質は到底受け入れられるものではないし苦手だ。
 けれども、彼は残虐ではあるが決して無差別殺人をする殺人鬼に非ず。
 破綻者であると同時に仕事はちゃんとこなしている、本物のプロ。
 一見殺しを楽しむ瞬間が油断しそうに見えて、実際は油断も隙もない。
 唯一の隙と思って仕掛けてみれば藪蛇をつつくようなものだ。
 仕事は真摯に遂行するスマートさが成田が評価される所以。
 この男は常に周囲を見ている。熱で相手を感知するガラガラヘビのように。
 苦手と評価は別だ。この人は優れた人物。だから教えを乞うことも必要だと。

「乃木平、お前は東に行ってこい。俺はこの辺りの感染者を探す。」

 北の高級住宅街は広川、美羽、大田原がいるはず。
 此処に追加で戦力を投入しても効率が悪いので別の方を選ぶ。
 黒木もそれを理解して他の場所を回っているかもしれない。
 一度合流するのであれば、それ以外の場所を選択するに限る。

「はい、わかりました。」

 此処でのやることは終えた。後は本来の仕事に戻るだけだ。
 なるべく陽に当たらないように建物の影を通りながら天は離れる。
 軽く見送ったと、使えそうな建物を探すべく成田も動き出す。

(ハヤブサⅢ、少し相手してみたくはあるがどうだか。)

 氷使いと刃を交えるとなると必然的に彼女が難題だ。
 ただでさえ狙撃は環境の都合強みが失われやすい中で、
 視覚強化された相手なんてものに遭遇したら狙撃は更に困難になる。
 とは言え、視覚の強化とは何もメリットだけを与えるものではない。
 余計な物や本来気にならないものでも強烈な刺激になりうる。

(例えばこれとかな。)

 スマホについているライトの機能。
 夜道を歩くのに困らなくなる便利なライトだが、
 一般人でも不意に喰らえば目をくらませるものを受ければ、
 通常よりも視界を遮る効果が強くなるのは間違いない。
 狙撃銃で居場所を知らせるのは愚かな行為ではあるが、
 光で妨害できる可能性は十分にあるだろう。
 加えて雲一つないこの快晴は此方としても不利だが、
 同時に反射もしやすくあらぬ被害を生み出すのも間違いない。

(ま、ああは言ったものの俺も北へ向かうかもしれないが。)

 戦力過多なので北上するのは保留としておいたが、
 高級住宅街は名前の通り金をかけて作った頑丈な家が多い。
 狙撃に使える建物がある可能性は高いので視野には入れておく。

 今度こそ楽しめる。
 もう面白みのないゾンビはうんざりだ。
 野生児でもハヤブサⅢでも氷使いでも構わない。
 ずっと待ち続けて物足りなかったのだから存分に楽しませてくれ。
 より取り見取りの戦場。まだ見ぬ獲物の品定めをするかのように、
 登りきった朝陽の下には似つかわしくない男が街を徘徊する。

【E-4 商店街/1日目/朝】

【成田三樹康】
[状態]:健康
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、双眼鏡、研究所IDパス(L2)、謎のカードキー、浅野雅のスマホ、レミントンM700
[方針]
基本.女王感染者の抹殺。その過程で“狩り”を楽しむ。
1.周辺の散策。位置関係から高級住宅街は必要次第で動く
2.「血塗れの感染者(クマカイ)」に警戒する。
3.「酸を使う感染者(哀野雪菜)」も探して置きたい。
4.「氷使いの感染者(氷月海衣)」に興味。
5.狙撃に使えそうなポイントを探しておく。
[備考]
※乃木平天と情報の交換を行いました。
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※レミントンの弾をどれだけ持って行ったかは後続の書き手にお任せします。




『何を言ってるんですか、
 此処は間違いなくヒーローが集まる場所ですよ!
 日本にとって悪となる存在を排除し、正義を守るんですから!』

(それは、違うような。)

 眠ってる間に見た嘗ての記憶を天は思い返す。
 正義を守ると言うのは、確かにそうかもしれない。
 ただ、正義と言うのは結局お互いが持つものだ。
 よくある話だ。正義の反対は別の正義でしかない。
 正義なんてものは生きたり勝った者が正義と主張しただけで、
 この世界の何処を見渡そうともそんなものは存在しないのだと。

 手垢のつきまくった物語の題材として多くの作品が存在する。
 広川はそれを理解してないか、考えてないかのようだった。
 古来より続いてきた勧善懲悪の物語のように敵は単純な悪。
 自分達は国のために尽くすから正義であり、邪魔する奴は悪なのだと。
 だからこそ倒してしまおう、何処か子供じみた感覚が拭えない。
 以前任務で一緒に行動した際に劣勢に追い込まれた時にも、
 広川はヒーローらしさとかけ離れた悪態をつくこともあった。


39 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:13:58 7AFUOC7I0
(戦う敵にも、信念や想いと言うのはあるんですよ。)

 多くの作品でそういうのに主人公たちが直面した時、
 悩んだり葛藤した末に改めて答えを出して再起する展開は多い。
 悪い言い方になるが、広川は正義やヒーローと言ったことを主張こそしているが、
 彼自身の芯となる部分はどこかあやふやで、結果独善的な面が少なからず感じられた。
 身も蓋もない言い方をすると、ファッションヒーロー。

(それが正解でしょうし、隊員も大体がそうだと思うのは確かですが。)

 相手の事情を考えない。それは特殊部隊としては正しい。
 殺す相手をいちいち考るべきではないと言うのはそれでいいだろう。
 と言うより、割り切れず殺した相手を覚え続ける天の方が異常になる。
 これを口にすればまず大多数からは否定的な意見が飛ぶだろうことも。
 なのでこれはあくまで一つの考えだし、押し付けるつもりもない。
 ただ、広川が憧れるヒーロー像とは少しかけ離れてる気がしてならなかった。

「……言うべき、だったのでしょうか。」

 此処での任務は必要以上の殺しも視野に入る。
 無関係だが邪魔でしかないゾンビを必要ならば処理する必要が。
 場合によっては後輩である小田巻すらも手にかける状況もある。
 それを考えると言うべきだったのか。彼の事だからゾンビも遠慮なく、
 小田巻と会っても『嘗ての仲間が敵に……燃えるな!』となっていそうだ。
 しかし、言って変に腕を鈍らせたら申し訳なくも思い言えなかった気はする。
 結局どれが正解かは永遠に分からない。無限に続く選択肢の枝は答えを出させない。
 今後、永遠に消えることのないそのモヤモヤを抱えたまま、東へと歩を進めた。

【乃木平天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)、
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、医療テープ、ポケットピストル(種類不明)
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.東へ向かう。
2.黒木さんに出会えば色々伝える。
3.あのワニ生きてる? ワニ以外にも珍獣とかいませんよね? この村。
4.某洋子さん、忘れないでおきます。
5.美羽さん、色々な意味で大丈夫でしょうか。
6.能力をちゃんと理解しなければ。
7.小田巻さんもいるんですね。ですが必要なら撃ちます。

※ゾンビが強い音に反応することを察してます。
※もしかしたら医療テープ以外にも何か持ち出してるかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換をおこなっています。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。



※E-4の家屋に浅野雅が用意してた武器+回収した武器があります
 該当する部屋は倒れたタンスで開かない為、入手と確認は困難です


40 : 旭日昇天前 ◆EPyDv9DKJs :2023/02/25(土) 10:14:59 7AFUOC7I0
以上で投下終了です


41 : ◆H3bky6/SCY :2023/02/25(土) 15:28:05 1Kvav.Lw0
投下乙です

>山折村血風録・破
やはりこの爺様が出ると時代小説のような雰囲気が漂う
八柳流で爺様が圧倒的な印象だったから哉太と茶子の方が強かったってのはやっぱ爺様異能で相当強化されてるんだね
また暴かれる村の暗部、木更津組との因縁、ヤクザしてますねぇ!滅んでよかった!
生贄にされた茶子の心中はいかばかりか、花言葉調べたら殺意の籠った花言葉ばかりでこわい……
そしてタイトルも序、破ときて急が来るのだろうか

>旭日昇天前
死後出番の増える男、広川。相変わらず独善的なヒーロー像の愉快な男だ
武器の自生する村、タダですら強い特殊部隊の装備が制限付きとは言え強化さてしまった
狙撃手に狙撃銃。狙撃するには条件が悪いにしてもかなりやべぇぜ
天くんは相変わらず特殊部隊らしからぬメンタルでやってんねぇ、他の面子が割り切りすぎと言うのもあるがまあ特殊部隊としては正しいのか


42 : ◆m6cv8cymIY :2023/02/27(月) 00:29:18 lHFikhLE0
斎藤拓臣 投下します


43 : Normal End ◆m6cv8cymIY :2023/02/27(月) 00:29:47 lHFikhLE0
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

地獄が現世に顕現したようなあの悪夢の一日から、一体どれくらいの月日が経ったのだろう。
季節は真夏、盆の時期だろうか。

窓から差し込む陽光に顔を照らされ、むくりと起き上がる。
目覚まし代わりに脳を揺さぶるのは、街を覆い尽くすほどのけたたましい蝉の鳴き声だ。
シャツ一枚パンツ一丁でベッドからよろよろと出て、時計を見る。
具体的な時刻は記憶に残らなかった。もう昼過ぎだなと理解しただけだ。
灼熱の陽光がコンクリートへと降り注ぎ、陽炎のように空気がゆらゆらと揺れている。


網膜に映るのは、安アパートの一室。
洗濯籠に突っ込んだだけの衣類に、吊るしたままの洗濯物。
ベッドから半分ずり落ちている敷布団と、穴の開いたシーツ。
流し台に突っ込まれたままの皿と箸。
適度に埃の溜まった棚に、ゴミ箱代わりにしている40Lの指定ゴミ袋。
充電率100%のスマホと、スリープ状態で放っておかれたPC。
割り箸の立てかけられた空のカップ麺と缶ビール、それと半分ほど入ったコーヒー牛乳。
机の上に整理しているようで半分ずり落ちたネタ帳の山と、乱雑に置かれた風俗店の名刺。
そして高価故にこれだけはしっかりとメンテナンスをおこなっている取材機器。

どこからどこまで見ても、見慣れた自室だ。
何の変哲もない、かけがえのない日常だ。
失いかけて、その貴さがはじめて分かる。
自分は、今こうして生きている。


持ち帰った村の惨状は、贔屓にしてもらっている週刊誌や、SNSを火付け役に、
一気に大手マスメディアにまで広がり、海外メディアまでもがこぞって記事を打ち出した。
大手マスメディアも地方メディアもSNSも動画配信サイトも、連日あのゾンビパニックの話で持ちきりだ。

ネット記事に引用されている画像は、まさに自分自身があの村で撮影したゾンビたちの写真だ。
少年のゾンビが人間の死体を食い、自身も襲われたあの衝撃的な映像はテレビニュースで全国公開された。

時の内閣は責任を取って総辞職。
永田町の妖怪と言われた与党幹事長の野部も、自身の選挙区での不祥事ということで遂に辞任に追い込まれた。

人死にも出たために不謹慎ではある。
不謹慎ではあるが……必死こいて掴んだネタが世間を動かし、ついには倒閣まで至るというのはやはりライター名利に尽きると思うのも事実だ。


44 : Normal End ◆m6cv8cymIY :2023/02/27(月) 00:30:35 lHFikhLE0
――本当にそうか?
――本当に自分のネタが世間を動かしたのか?


どうやって生き延びたのか。
靄がかかったかのように思い出せない。
まだボケが始まる年齢じゃない。
新型ウイルス後遺症のブレインフォグというやつだろうか?
ワクチンはしっかりと5回打ったはずだが。

「いや、思い出したぞ。自衛隊の救助部隊が来たんだったな。
 そうだ、そうだ。迷彩の防護服を着た連中だった。
 思えば、本当に運がよかったんだな……」


決定的なシーンを思い出せれば、そこをとっかかりに前後の状況も思い出せる。

消防車に乗り込み、そのまま西へ西へと消防車を走らせ、村の西端へと到達した記憶がある。
商店街から東にはゾンビの姿が見えた。
南は、銃声を聞いた方角に近くて行く気にはなれなかった。
北はゾンビだらけで論外。
そして西だけはなぜか一切ゾンビが存在しなかった。
何かの罠かと思いはしたが、消防車を走らせれば、診療所の駐車場まで楽に到達できた。
診療所の前の道を妖しい紅白の巫女がうろついていたが、あれがゾンビを浄化していたのだろうか。
だが、もはやゾンビだろうが神職だろうが、声をかける気力はもうない。
そもそも、剣を携えた人間に話しかけたところで、ロクな目には遭わないのは目に見えていた。
スマホのカメラで後姿を数秒ほど撮影し、それっきりだ。
その後は診療所で消防車を乗り捨てて、西側の山へと踏み入った。
消防署から拝借した地図に記されていた地元の人間しか知らないような道――ほぼ獣道といって差し支えない道なき道を進んでいった先で、
防護服に身を包んだ集団を見つけたのだ。


今思い返せば、間違いなく自衛隊だ。
だいたい、迷彩服の防護スーツに身を包んだ連中が自衛隊でなくてなんなのだ。

ゾンビパニックを抜きにしても、トンネル崩落が起こった。
救助のための部隊が送られてくるのは当然のことだろう。
そして彼らに助けを求めたはずだ。
そこから先の記憶はない。
記憶はないが……。

「夜通し走り回って、散々死ぬ思いをしたんだ。
 そりゃ、緊張も途切れるわな……」

安堵と疲労で、身体が限界を迎えて、その場で倒れてしまったのだろう。
そして、無事に保護されて病院に担ぎ込まれたのだと推察できる。
自分は今ここで、生きている。これが事実なのだ。


もっとも、何があったのかは結局謎のままだ。
自衛隊が村に踏み入った以上、なんらかの結論は出たのだろうが、記者クラブに属してもいないフリーライターに真相はまわってこない。
それと、結局和雄から託されたおもちゃを直接渡すことはできなかった。
そもそも一色洋子が無事にあの村を脱出できたのかも不明だ。

ふと思う。
もしもの仮定でしかないが、バスで和雄に声をかけられなければ、何も分からぬままトンネルの崩落に巻き込まれて死んでいたのではないか?
逆に和雄におもちゃを託されたタイムラグがなければ、それはそれで前方で起こった崩落に巻き込まれて命を落としたのではないか?
そうなったらそうなったで別の行動をとっていたのかもしれないが、何もしないのも居心地が悪い。
こういうときは、風俗にでも行って下世話な話をしながら昏く沈んだ気持ちを発散するのだが……。
目の前で死なれたんだ、さっぱり忘れるのもそれはそれで気分が良くない。


「そういや、盆だったっけな?」

赤の他人。たった一日限りの縁。
けれど、墓参りくらいしてもバチは当たらないだろう。
今日の日付は思い出せない。思い出せないが、別に特定の日付でないと墓参りをしてはいけないなんてこともあるまい。


45 : Normal End ◆m6cv8cymIY :2023/02/27(月) 00:31:01 lHFikhLE0
風景が切り替わる。
墓地の場所はすでに分かっていた。
そこに和雄の墓があることを確信して、すぐそばの墓地へと足を踏み入れた。

「あの子の住んでたところは、こんなに近所だったのか。
 偶然もあるもんだな……ん?」

目当ての墓の前で、小学生くらいの女の子がお参りをしていた。
顔は見えない。陽光がきついのか、逆光なのか、顔に穴がぽっかりと開いたかのように認識ができない。
ただ、供花のための花を入れてるおもちゃ屋のビニール袋は見覚えがある。


「まあ、わざわざ声をかけることもないよな」

すでに墓参りは終えた後のようで、女の子は足早に立ち去って行った。
その先にいるのは母親だろうか。
彼女らが誰なのかは聞いてはいないが、そういうことなのだろう。
そう考えると、与田先生ご一行に晒した態度はあまりよくなかったな。
もし生きてたら、詫びの品でも持っていくか?
そんなことを考えつつ、目的の墓石の前まで移動する。

真新しい墓石には九条家之墓と刻まれており、花立には百合や菊の花が生けられていた。
そこに一本、いつの間にか持っていた菊の花を差していく。
全部捧げ終わったら、井戸から汲んだ水を水鉢に注いで、余った分は墓石の上から浴びせ清める。
義理を果たしたというとあまりに大袈裟だが、少しばかり罪悪感は薄らいだ気がする。

所詮は一日限りの関係だ。
生きているうちに、和雄のことはやがて記憶から消え、時折思い出すだけの関係になるのだろう。
だからこそ、今やっておかないといけなかったことだ。


ふと、隣に無縁仏の墓石群があることに気付いた。
墓地の向こうには、立派な消防署の建物が見える。

あのとき、殺害した消防団員のゾンビのことを思い返しながらもう一本、持っていた花を捧げる。
こんなところに埋葬されているはずもないことは分かっているが……。
そうしないと自分の気持ちが落ち着かないというだけだ。

「ううっ、さっぶ……。
 夏ってこんなに寒かったか?
 まさかゾンビの幽霊が俺を祟ってるなんてことはないよな?」

気が付けば、逢魔が時と言われる昼と夜の境目に差し掛かっていた。
ますますけたたましくなる蝉の声に、まるで異界へと迷い込んだような錯覚を覚える。

やることはやった。もう帰って寝よう。
アパートの扉を開けると、汚い部屋が出迎えてくれた。
やはり、ここが一番落ち着く。

「ただいま」

なぜか無性に言いたくなったその言葉を口に出し、ベッドへと倒れ込む。


今回はとんでもないことに巻き込まれてしまったが、自分はライターだ。
飯の種となる限り、書くのをやめることはない。
明日にはどこか別の場所で取材をするのだろう。
そして、読み流されたり、読者に叩かれたり、記事の内容がちょっとした騒ぎになったりしながら、毎日を過ごしていくのだろう。

夢のないしみったれたことを考えてしまったが、悪いことではない。
それが人生であり、明日を生きるということだ。
明日からはまた仕事を再開しよう。
まだ見ぬ記事が俺を待っている、なんてことを考える歳じゃないが、それなりに快適にやっていけるだろう。
そんなことを考えながら、目を閉じる。

目を閉じてしまえば、あとは吸い込まれるように眠りに誘われた。
今日は、いい夢が見られそうだ。


※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*


46 : Normal End ◆m6cv8cymIY :2023/02/27(月) 00:31:52 lHFikhLE0
通称、安眠香。SSOG隊員の南出耶衣梨だけが調薬できる非認可の睡眠ガスだ。
監視カメラに取り付けた装置から音もなく噴射される催眠ガスは、吸い込んだ参加者を即座に夢へといざなう。
SSOG入隊前、無人島でのサバイバルに心折れかけた彼女が、自分用に、とある薬草類からブレンドした。
糞ったれた現実から逃げ出すために作った『逃避』のための薬だ。


疲労は肉体を蝕む。
ストレスは精神を蝕む。

高山を越えて村外に脱出するという行為。
女王感染者を殺すでもなく、運命に抗うでもない。
この行為そのものが、自棄であり、心折れた証左である。

せめて夢の中くらい、いい思いをしたい。
すべてを忘れたい。
心も身体も弱り切った者が、三大欲求にはたらきかけ、睡眠の快楽へといざなうこの香に耐えられるはずがない。
人間は苦痛に耐えることはできても、快楽に抗うことはできないのだから。
夢の世界への一方通行。意志だけで後戻りする道はない。

そして、一度夢へと招かれれば、二度と生きて目を覚ますことはない。
間を置かずに追いついたSSOG隊員は脳に弾丸を食いこませ、ナイフで脳と心臓を分かち、確実に処理をおこなう。


山越えをしようとする村人を抹殺するだけならば通常兵器でも事足りただろう。
遠隔操作で発射可能なテイザー銃なども部隊には存在する。
だが、村人には異能がある。
どのような異能があるか分からない以上、ガスによる罠も設置されているし、画像認識による自動掃射が可能な銃器も設置されている。


斎藤拓臣は風景に溶け込む異能である。
サーモグラフィを付ければ位置は知れるものの、銃器やテーザー銃だけでは取り逃がしていたかもしれない要注意人物であった。
けれども、範囲に影響するのであれば、風景に溶け込む異能であろうが関係ない。
深い睡眠に由来する脳の休息は、拡張区域の活動すらも休止させ、異能の自律的な発動を防止する。
殺傷力の高い毒ガスもあるが、こちらは国際的に禁止された化学兵器にあたるため、事後処理工作も考えれば安易な使用はためらわれる最終手段だ。
その点、睡眠ガス程度であれば問題はない。同じく非認可ではあるが。

持ち運びが仰々しくなる関係上、抹殺任務の隊員には持たせていないが、
広大な山々における逃亡を妨害する設置系の罠として使う分には問題ない。
三籐探による人間心理のプロファイリングと、五十嵐フジエによる地の利を活用し割り出したポイントへの罠の設置である。
逃亡者を取り逃しはないし、万が一切り抜けたところで、待っているのはSSOG隊員による追撃だ。
故に脱出は最初から不可能であった。



拓臣の活動を停止させた隊員は、その亡骸へと近づく。
処理終了のダブルチェックである。
見た目だけであれば確実に死んでいる。
だが、擬態をおこなうような応用が為されていないとは言い切れない。
そのためのチェックである。
体温。脈。物理的な接触による、そこに死体があるという確認。

「ターゲット、活動停止を確認」
「同じく、活動停止を確認。擬態の可能性もなし」
「ターゲットの所持品を確認。複数の記録媒体を所持。
 おそらく現地での貴重な記録と思われます。
 すべて臨時作戦指令室へと送ることにしましょう」
「了解しました」

デジタルカメラ、ICレコーダー、メモ、筆記用具、スマートフォン、現金、その他雑貨、山折村周辺の現地地図。
貴重な現地からの記録媒体である。
拓臣の持ち物のすべては臨時作戦指令室へと送られた。

斎藤拓臣は何も知らないまま、自分が死んだことすら知らないままにその生を終えた。
けれど、彼が撮った記録はムダに破棄されることはなく、一コマたりともぞんざいに扱われることもない。
日本を裏から守る部隊の作戦行動の一助として、丁重に取り扱われる。
それだけが、最期まで鳴かず飛ばずであったライターへの手向けであろう。


【斎藤拓臣 死亡】

※斎藤拓臣の所持品
デジタルカメラ、ICレコーダー、メモ、筆記用具、スマートフォン、現金、その他雑貨、山折村周辺地図
以上はすべて臨時指令室へと送られました。


47 : Normal End ◆m6cv8cymIY :2023/02/27(月) 00:34:09 lHFikhLE0
投下終了です。
場外退場の設定がまずければ、ご指摘ください。


48 : ◆H3bky6/SCY :2023/02/27(月) 01:01:24 sotbTJp60
投下乙です

>Normal End
ついに出たか逃亡禁止ルールにひっかかる死亡者が、最初に放送を聞きそびれたのが尾を引きまくった結果だなぁ。
幸せな夢の中で眠るように死ねたのがせめてもの救いか
やはり情報は大事。情報で飯食ってるライターが情報弱者だった故に死ぬと言うのは皮肉な話だ、結局誰からもまともに話も聞けなかったしね
九条くんに託されたお土産が斎藤さんを村に引き留める生存フラグだったから、手放してしまった時点でお土産と共に生存フラグも投げ出してしまったようでもある


49 : ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:11:08 VrP9kIS20
投下します


50 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:12:05 VrP9kIS20
朝の訪れを告げる日の光は人のいない民家であろうとも差し込むものである。
音のない静かなトイレの一室にも窓より光が差し込み、光を浴びて埃が舞う。

そんな静寂を打ち破るように、突然便座の中からぬぅと手が伸びた。
その手は便座の端を掴むと、引き上げるように体を持ち上げた。
現れたのはトイレの妖怪などではなく、小太りの中年男だった。

男はトイレの下水から這い上がってきたという訳ではない。
男が現れたのは、便器の上に浮かぶ透明な檻の中からである。

異能『愛玩の檻』
能力者の歪んだ願望を世界に具現化した、愛玩物を決して逃さぬために閉じ込める檻。
そこから自由に出入りできるのは檻の使用者ただ一人だけである。
つまりは、そこから出てきたこの男こそ檻の主たる宇野和義だ。

檻よりトイレに這い出た宇野はゆっくりとトイレの扉を開いて隙間から慎重に外の様子をうかがった。
視線だけを泳がせひとまず異変がないことを確認すると、足音を殺しながら外に出る。
そのまま偵察がてら一通り家内を見回るが、既に全員出ていったのか人の気配はなさそうだった。

家の中に誰もいないことを確認終えた宇野は、改めてトイレに戻る。
妙に興奮した様子で頬を紅潮させながら便座を見つめていた。
何かを掴む様に手を出し、そして何かを壊すように手を握る。
瞬間。設置された檻が破棄されその中身が出現した。

それは人形のように華奢で可憐な少女だった。
ドレスの様にフリルの付いた赤い服から伸びる手足は陶器のように白く、赤い服も相まって彼岸に咲く花を思わせる。
保護欲を掻きたてる幼さの中に、女の色香と妖艶さを覗かせる、男を狂わすファムファタール。
彼女を見て狂わぬ雄はいないだろう。

他ならぬ宇野もまた、少女に狂わされた一人である。
あの日、草原で踊る少女を見た瞬間から、その心は侵略されていた。
逃げ延びた逃亡犯と言う稀有な立場を捨ててでもこの少女を手に入れたい。
そう思わせるだけの魅力が少女にはあった。

便座の上に現れたリンはすやすやと寝息を立てている。
檻に閉じ込められていたにもかかわらず大した度胸だ。
宇野は米俵よりも軽い少女の体をお姫様抱っこで抱え上げ、寝室にしていた2階の部屋に場所を移した。

優しく少女の体を布団の上におろして毛布を掛けると、改めて窓の外を見た。
遠目に見えていた争いも既に収まっているようである。
ふと見下ろせば、朝日に照らされる近場の道路にゾンビに食い散らかされた死体が一つ転がっていた。
痩せ細り食い荒らされ見る影もないが、服装からして閻魔だろう。

宇野がリンと共に身を隠してから、この家で何があったのか想像に難くない
残った二人が疑心暗鬼となって言い争いでもしたのだろう。
いや、もしかしたら争いあったというより、一方的な殺害だったかもしれないが。

状況を確認し終えた宇野は視線を室内に戻した。
そこにあるのは、かわいらしく寝息を立てる天使の寝顔である。
宇野の呼吸が荒げられ、だらしなく顔が綻ぶ。
少女に触れようと無意識に伸びた腕を必死で押しとどめる。

お楽しみは後でだ。
蜜月の時間は特殊部隊が村を焼き払うまでと限られている。
一刻も早く彼女を可愛がる玩具の揃った自宅へと辿りつかなくてはならない。
いつまでも寝顔を見守っていたいけれど、優しく肩をゆすって眠っていたリンを起こす。

「おはよう。リンちゃん」
「…………おはよう、ウノのおじさん」

目を覚ましたリンはかわいらしく「くぁ〜」とあくびをしながら眠気眼をこすり周囲を見渡す。
そのままきょろきょろと首を振って、目当てのモノが見当たらなかったのか首を傾げた。


51 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:12:44 VrP9kIS20
「あれぇ? エンマおにいちゃんたちは?」

いくら探せどそこに閻魔の姿はない。
当然だ。彼の死体は家の外でゾンビに齧られている。
宇野は優しい笑みを張り付けたまま、しれっとした態度で言う。

「閻魔様と月影さんは用事があるって先に行っちゃいましたよ」
「ええ〜!? 先にいっちゃったの!?」

リンが驚きの声を上げた。
眠って起きてみれば頼りにしていた閻魔が自分を置いて出て行ったなどと、リンからすれば青天の霹靂だろう。

「おにいちゃんたちのようじってなに?」
「なんでも、忘れ物があるとかで取りに行ったみたいですね」

なんとも適当な言い訳であるが、リンは疑問を持たず「そっかぁ」とその言い分を受け入れた。
人を疑うという事を知らぬ純粋無垢さだ。
それこそが宇野が惹かれたリンの天使性であり、男の黒い欲望はその純粋さを都合よく利用する。

「けど、さみしいな……エンマおにいちゃんと逢いたいよ」

そう言ってリンが肩を落とす。
言い分には納得したが、その内容にまで納得した訳ではない。
リンにとって閻魔は自分を危機的状況から助けてくれたヒーローだ。
信頼していた閻魔が自分を置いて行ってしまったというのはリンにとっては悲しい出来事である。
そんなリンを慰めるように宇野がなでるように肩にふれた。

「大丈夫だよリンちゃん。閻魔様とは僕のお家で合流する予定なんだ」
「ほんとう!?」
「ああ本当だよ。だから一緒に僕の家に行ってそこで待っていよう」
「うん!」

喜びの声と共にパタパタと足音を立ててリンが廊下を駆けてゆく。
宇野は笑顔のまま、その背を見送り、ゆっくりとその後を追った。

閻魔が待っているなどももちろん嘘だ。
だが、リンにはまだ閻魔への執着が残っている。
宇野としては嫉妬心を煽られ心中穏やかではない話だが、無理にこれを否定して宇野から離れて閻魔を追うとでも言いだすのが最悪の展開だ。
そうならぬよう、閻魔を餌としてリンを釣り出す方向に話を変えた。

弾むような足取りで階段を降りてゆくリン。
だが、玄関の付近にまで来たところで何か違和感があったのか、その足が止まる。
下半身に気持ち悪さを感じてリンがスカートをたくし上げると、そこにはびしょ濡れになったショーツがあった。
小便に向かったトイレで檻に捕らわれ、ほとんど漏らすようにぶちまけてしまった結果である。
その感触が気持ち悪くて、リンはその場で下着を脱ぎ捨てるとポイとその辺に投げ捨てた。
2階から宇野が降りてきたちょうどそのタイミングだった。

「どうかしたのかい?」
「うんん。何でもない」

本当に何でもない様子でいうモノだから宇野もそれほど気にすることなくリンの脇を通り抜け玄関の扉を開いた。
先導するように宇野は表に出ると、さりげなく閻魔の死体が転がっている方向を避けるようにリンの視線を誘導する。

「それじゃあ行きましょうか、リンちゃん」
「うん! ウノのおじさんのおウチに行こう!」

二人は振り返ることなく、様々なパニックを生み出した家を後にした。




52 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:15:40 VrP9kIS20
登り始めた朝日が目に入り虎尾茶子は目を細めた。
もうすっかり村は朝を迎えていた。
崩れた建物、どこか捲れ上がったような地面。
夜に紛れていた大地震の余波が徐々に露わになってゆく。

そんな中を彼女は情報収集のため、双眼鏡で見かけた民家に向かっている最中である。
役場で見た登記を思い返せば、確か最近引っ越してきた袴田さんとかいう変わり種の小説家の家だったか。
村に迎合するでもなく、住宅街からわずかに離れた場所に一軒家を構える辺り、家主の偏屈さがうかがえる。

別段その民家の家主に会いたいわけでも、そこ誰かがいる当てがある訳でもない。
なんとなく見かけたから向かっているだけである。

果たして、話の出来る正気な人間がいる可能性がどれだけあるのか。
茶子はこの事態の元凶たる研究所の関係者ではあるものの、どの程度の感染者が正気でいるのか派遣のバイトでは予測もつかない。
もしあの民家に話を聞ける相手が誰もいなければ、そのまま人のいそうな高級住宅街の方に移動する事になるだろう。
そんな無駄手間にならない事を祈りながら高級住宅街の方をちらりと見ると、そちらから歩いてくる影が見えた。

すぐにさっと身をかがめ、双眼鏡を取り出して影を確認する。
ズームを絞ってゆくと、双眼鏡のレンズに映ったのは見覚えのある顔だった。
山折村で農家を営んでいる宇野和義という男である。

地元農家と村役場の非正規職員。
建築関連の部署に努める茶子とは直接的な関わりがあった訳ではないが、宇野が役場に顔を見せた際には挨拶がてら雑談をする程度の顔見知りである。

妙にこそこそした様子だが、ゾンビや異常者に見つからぬようにすると言うのは状況を考えれば不審と言う程でもない。
接触すべきか無視すべきか迷う所だが、経験上顔見知りの地元住民だからと言って安全とは言い切れないのが辛い所である。
だが虎穴に入らずんば虎子を得ずと、ある程度のリスクを飲み込む決意をしたところである、接触はすべきだろう。

「ん?」

双眼鏡を覗いていると大柄な宇野の影にもう一つ小さな影が隠れていることに気づいた。
少女である。
こちらは見覚えのない顔だ。

年のころは10にも満たない、下手すれば小学校に入ったばかりの年齢に見える。
偶然現れたと言う子ともなく、どうやら宇野と連れ立っているようである。

こんな状況にもかかわらず妙ににこやかな二人の様子が気にかかるが、子供安心させるためと言うのならわからないでもない。
どの道接触するつもりだったが、子供がいると言うのであればなおさら無視できない。
茶子は身を起こすと、宇野たちの方へと近づいて行った。

「おはようございます。宇野さんじゃないっすか」
「虎尾さん、どうしたんです? ひどい怪我じゃないですか」

あえて身を隠さず正面から声をかける。
現れた茶子の様子を見て、宇野が驚きの声を上げた。
それも当然だろう、応急処置を施してはいるが血の滲む包帯で左手を固定されている状態だ。
見るも無残な酷い有り様である。

「ああこれっすか? 銃キチ刑事とちょっとありまして。宇野さんも気を付けたほうがいいっすよ」
「薩摩さんが? あぁ……」

銃キチで通じる辺り、流石は同郷の村人同士と行った所だろう。共通認識がある。
あの人がまさかそんな事を……とはならないあたり然もありなん。
むしろいつかやると思っていたというのがこの村の住民の総意であろう。

「それで、宇野さんはどちらに向かわれるおつもりなんっすか?」
「自宅の方に向かおうかと、夜の散歩中に地震に出くわしてしまったもので、家族も心配ですし」
「なるほど。確かにご家族は心配でしょう。けど、確か宇野さんのご自宅も古民家の方でしたよね?
 あたしもそっちから避難してきたんっすけど地震で建物が崩れて近づくのは危険っすよ?」
「そうかもしれないですねぇ。けれど行かない訳にはいかないですから」

自宅に向かうと言う宇野の決意は固いようだ。
ひとまずの忠告はした。ならばこれ以上茶子が止める理由もない。
それよりも気にかかるのは。

「ところで、そちらのお嬢さんは? 見ない顔っすけど」

茶子の視線が宇野の脇に佇んでいた見覚えのない少女を指す。
少女の事に触れられた宇野はあたかも今気づいたような何かを誤魔化すような仕草を取った。


53 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:17:13 VrP9kIS20
「あぁ……彼女はこの場で出会ったリンちゃんと言う子で、こんな状況ですし子供が一人でいては危ないですから同行してるんですよ」
「ああ、そうなんっすね」
「あまり知らない人が話しかけては、リンちゃんが怖がっちゃうのでご勘弁を」

咄嗟に宇野は自らの大きな体でリンを遮るように立ち位置を変えた。
宇野としてはリンに下手なことを話させるのはよろしくない。
だが、そんな宇野の事情など茶子が構うはずもなく、ひょいと宇野を避けて、目線を合わせるように屈みこみリンへと話しかける。

「そうですか? 人懐っこそうな子じゃないですか、ねー? リンちゃん。あたしは虎尾茶子だよ。よろしくね」
「うん。リンだよ! よろしくね、チャコおねえちゃん!」

少女たちが元気よく挨拶を交わす。
仲良く笑いあう少女たちの姿は、一見すればほほえましい光景だが、それを見た宇野の心に広がるのは焦燥である。
極上の餌を目の前にしてお預けを喰らって涎を垂らす犬のようでもあった。
今の宇野にとって茶子は獲物を掻っ攫おうとする邪魔者でしかない。
念願のリンをようやく独占できたのだ。こんなくだらない会話は早く切り上げて目的地に向かってしまいたい。
だからと言って強引に会話を打ち切って不審がられても面倒になるのも避けたい。
そんな焦燥を抱えている間に茶子とリンは会話を進めていく。

「リンちゃんは村の外の子だよね? どこから来たのかな?」
「うんん。この村だよ」

思いもよらぬ返答に茶子が眉をひそめた。
近年の村長が行った政策により若者人口が増えたとはいえ、2000人程度の小さな村だ。
村の子供の顔など把握しているはずだが、リンの事は見たことがない。
茶子の中にある悪い予感が確信へと変わって行くが、その様子をおくびにも出さず質問を続ける。

「そうなんだ。リンちゃんのお家は村のどの辺にあるのかな?」
「うーん。よくわかんないけどお家はあっちの方だよ」

そう言ってリンが西の方を指さした。

「それって、山の近くの草原にあるお家?」
「うん。そうだよ」

茶子は役場の建築部に務めているだけあって、山折村の建築物は大方把握している。
住宅街から外れたその方向にあるのはヤクザ事務所と、隠れるように建てられた別荘が一つ。
その家の主の名は確か。

「――――――朝景礼治」

『少女性愛調教師』朝景礼治。
この村に巣食う多くの闇の一つ。
そう言った輩の居所を把握する事こそが、茶子が役場に勤める理由の一つである。

「あさかえれいじ! パパの名前だ!」

呟きにリンが大きく反応を見せた。

「朝景……さんが、リンちゃんのお父さんなの?」
「? 違うよ。パパはパパだよ。たまに訪ねてリンをかわいがってくれるの」
「かわいがる」
「ふだんは、みんなとちょーきょーしのおじさんと暮らしてるんだ」

リンに合わせて屈みこんでいた茶子が立ち上がり、その視線を宇野へと向ける。
剣呑な光を帯びた鋭い瞳に、宇野は思わず怯んでしまった。

「宇野さん。リンちゃんはあたしが預かります」
「え!? どうしたんですかいきなり!?」

突然の言葉に宇野は驚愕と困惑を隠せずにいた。
宇野からすればリンを他人に預けるなんてありえない話だ。
ようやく手に入れた天使。彼女が居なければ終わりが始まらない。


54 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:18:25 VrP9kIS20
「この子は未成年略取誘拐、及び児童性的虐待の被害者である可能性が高いからです。
 役所の人間として、いえ大人としてこの子を保護する必要があるからです」

つまり、この少女は朝景礼治の被害者である可能性が高い。
己が被害者である事すら理解できていない幼子。
これを放置しておくなど茶子に出来ようはずもない。

「いやいやいやいや。だとしてもケガ人にそんな、負担をかけられませんよ。僕がちゃんと責任もって預かりますから」

茶子の提案を慌てて否定する。
だが茶子としてもここは譲れない。

「ご心配なさらず、これでも八柳流免許皆伝。片腕でもゾンビ相手に後れを取ることはありません。子供一人くらいは守って見せますとも。
 それにヒャッハーしてる銃キチ警官は行き過ぎにしても、災害直後って犯罪率が上がる物なんですよねぇ。
 そんな中、男一人で幼女を連れまわすっていうのも、ほら、危ないじゃないですか」

性被害にあったかもしれない児童を男と一緒に行かせるのは不安であると言外に述べていた。

「それとも、どうしてもリンちゃんを連れていきたい理由でもあるんっすか?」
「それは…………」

問われ宇野は口ごもる。
リンを連れて行く茶子に同行すると言う手もあったが、自宅に向かうと言った以上今さら目的を撤回はできない。
かと言ってリンを自宅に連れて行く合理的な理由もない。
なにせ本当に性犯罪が目的なのだから、堂々と言えるはずもなかった。

「……ケンカしてるの?」

不安そうな顔をしたリンが割って尋ねる。
子供というモノは不穏な空気に対して敏感だ。

「リンちゃんの前でこう言う話をするのもなんですし、場所を移しましょうか」
「そうですね」

宇野から提案はもっともだ。
自覚のない被害者にお前は被害者だと突きつける様な真似をするのは茶子としても本意ではない。

「ではあちらの方に、リンちゃんは少しだけそこに隠れて待っててね」
「うん?」

ひとまず、事態をよくわかっていないリンを安全な場所に置いて、茶子と宇野は市街地の方へと向かってゆく。
流石にゾンビがいつ来るとも分からぬ状況で幼女を置いて遠くまで離れるつもりはない。
話し声が聞こえない程度の距離まで離れれば十分だろう。

「それで、宇野さ、」

住宅街の一角に入り、茶子が宇野を振り返る。
瞬間。

その眼前に鋭い刃の先端が迫っていた。

戦場において人を撃てる兵士は15〜20%しかいないと言う調査結果がある。
人を傷つけるにはハードルがあり、戦場と言う異常な状況においてもそれを乗り越えられる人間は非常に稀だ。
そして何のことない日常生活においてそのハードルを容易く超えてしまえる異常者も確かに存在する。

5件の拉致監禁及び殺人犯。
宇野和義は間違いなくその異常者の一人だった。
人を殺すという一点において、躊躇いがないと言うのは大きな強みである。

戸惑うように狼狽える様子を見せながら、茶子の後をついて行く宇野は半身にした後ろ手を自らの腰元にやっていた。
その腰元には民家より拝借した、雑草を刈るための物であろう、鎌が隠し持たれていた。

そして市街地に入って、リンからの死角となった瞬間。
農家にとって使い慣れた武器を、何の躊躇いもなく茶子の脳天に向けて振り下ろしたのである。
正しく雑草を刈るがごとく、人間の頭部を柘榴と裂く一撃はしかし。


55 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:19:14 VrP9kIS20
「分かるんすよねぇそう言うの」

逆手に構えたサバイバルナイフで受け止められた。
宇野和義が生まれながらの先天的な異常者であるならば。
虎尾茶子は怒りと憎悪を燃料とし、狂気の域に至る程の鍛錬によって生まれた後天的な異常者だ。

ここまでのやり取りを経て、茶子の宇野への疑いは確信へ変わっていた。
少女に向けられる男の情念。受け入れるしかない弱い存在を喰い物にする腐れ外道。
自らに向けられたそういうものを茶子は多く見てきた。
その全てが彼女にとって唾棄すべき吐き気を催す邪悪である。

今の茶子は手傷を負って絶不調な状態である。
片腕は動かず、まともに戦える状態ではない。

だが、それがどうした。

少女を食い物にするような悪鬼羅刹を斬り捨てるために剣を取った。
喰われるだけの兎ではなく、捕食者を刈る虎になるために。
もう負けないように、その為に鍛え続けてきた。

茶子だって清廉潔白という訳でもない。
青い青い青少年と違って、正義感なんて掲げる年でもない。
自分が助かるためなら、女であるというだけで欲情するような男なんて、見捨てる事も厭わない人でなしだ。
だが、そんな人でなしにも譲れない信念はある。

あの子は自分だ。
強い大人に媚び諂わねば生きていけない弱い子供。
そんな過去の自分を救うために強くなった。

それを見捨てるくらいなら死んだほうがましだ。

鎌を防ぐ逆手持ちのナイフ。
宇野は知らぬ事であろうが、それは八柳流には存在しない構えであった。

茶子は受け手を滑らせそのまま柄頭で鳩尾を打った。
反吐を吐いて下がった頭部に向けて、打ち上げるように降りぬいたナイフで顎下を切り裂いた。

防御、崩し、攻撃を一連の動作で行う反撃技。八柳流・登り鯉。
薩摩相手に炸裂するはずだった技である。
本来であれば崩しは刀を持たない肘鉄で行われるのだが、左腕の利かぬ茶子はこれを刀の柄頭で打つ事で補った。

八柳流をそのまま使うのではダメだ。それでは赤点の動きしかできない。
ゾンビや素人相手に遅れをとることはないが、それ以上を相手取るならその先が必要だ。

八柳流を左腕が動かないことを前提とした技に再構築する。
それは変則技の域を超え、片腕というオリジナル。
ならばもはや八柳流に非ず。

「これはもう、虎尾流創設しちゃおっかなー?」

だが、完成にはまだまだ程遠い精度だ。
片手故に取り扱いやすさを優先して長柄の武器ではなくナイフを選択したためだろう。
本来は顎下から頭部を割る技であったのだが、顎先を裂くにとどまっていた。傷は浅い。

一代にして己が流派を完成させた八柳流も、道場での棒振りで完成させた流派だ。
虎尾流は実戦で鍛え上げてゆくしかない。
この状況であれば練習相手には事欠かない。
実戦の中で八柳流以上のものに仕上げてみせる。

「ケツ顎になって男前が増したじゃないっすか、宇野さぁん」
「う…………ぐっ」

ボタボタと血が流れる顎を抑えている宇野を煽る。
宇野は悔しさを噛み殺すように奥歯を鳴らした。

月下で踊る様を草原で偶然見かけたあの日から、宇野の心を捕食した姫(プレデター・プリンセス)。
このままでは、ようやく手にした念願のリンを奪われる。

これは宇野にとっての終活である。
VHが発生した時点で自身の命はあきらめている。
死は恐ろしくはない。
それよりも恐ろしいのはこの愛が成し遂げられぬこと。

宇野にとって監禁は愛だ。
過去の拉致監禁殺人だって愛した結果、相手が死んでしまったというだけだ。

この愛を成し遂げられぬなら死んだほうがましだ。


56 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:19:44 VrP9kIS20
宇野が駆け出す。
茶子に向かってではない。
踵を返して向かったのは、高級住宅街の奥へである。

「逃がすか…………!」

片腕を固定した状態での全力疾走は走りづらさはあるが、小太りの中年相手を取り逃すほど鈍くはない。
駆け抜ける茶子の足取りは早く、一瞬で距離が詰まる。

追いつかれそうになった宇野が角を曲がって家同士の間にある路地へと逃げ込む。
だが悪あがきだ。すぐにでも追いつける。
そう確信した茶子が、同じく角を曲がったところで。

宇野を完全に見失った。

路地から宇野の姿は完全に消えていた。
障害物など何もないような路地だ、隠れられそうな場所もない。
何より、あの小太りの巨体をそう簡単に見逃すはずもない。
ありえない現象である。
つまりは。

「…………異能か」

常に警戒していたが、ここで使われた。
急に姿を消したと言うのなら瞬間移動の類か。
だが、本当にそうなら逃げると決めた瞬間、すぐに使えばいいだけの話だ。
わざわざ路地にまで逃げ込み発動したと言うのは気にかかる。

発動の瞬間を見られたくなかったとするならば、単純な瞬間移動と言う訳でもないのだろう。
そうなると何か罠の可能性もある。深追いをするのは危険か。

異能への警戒はし過ぎると言う事はない。
少女を魔の手から救えた、それだけでも良しとすべきだろう。
そう考え、茶子は宇野の後を追う事を諦め、その場を引き返した。

結果から言えば、その判断は正しいモノだった。
茶子が引き返したそのすぐ先。
そこにその透明な檻はあった。

そのまま進んでいれば宇野が待ち受ける透明な檻に囚われていた可能性は高いだろう。
檻に捕えてさえしまえば、敵は無力化する。
皮肉にも薩摩相手の苦い経験が彼女を救ったと言える。

檻の中に逃げ込んだ宇野は血の滴り続ける顎を抑えながら憎悪を燃やす。
付けられた傷などはどうでもいい。
許し難いのはリンとの絆を引き離された事である。

リンの所有権が閻魔の手元にあった時とは違う。
一度手に入れたモノを奪われたというのは耐えがたい苦痛だ。

愛に殉じるというのは死ぬまで殺り合うという事ではない。
茶子が剣道の有段者であることは元より知っているし、先ほどの攻防で正面からでは勝てぬ相手と分かった。
無謀に挑み死ぬのは違う。
いつか必ず成し遂げるという意思こそが愛に殉じるという事だろう。

絶対に、何としても、あの女からリンを取り戻すと誓う。
これは彼にとっての愛の誓いだった。

【D-4/『愛玩の檻』内/1日目・朝】

【宇野 和義】
[状態]:顎に裂傷
[道具]:なし
[方針]
基本.リンを監禁し、二人でタイムリミットまでの時間を過ごし、一緒に死ぬ。
1.絶対にリンを取り戻す。


57 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:21:12 VrP9kIS20
市街地よりリンの元まで戻ってきたのは茶子一人だった。
当然宇野の不在をリンが不審がっていた。
リンになんと説明すべきか、茶子はわずかに逡巡するが、そのまま説明することにした。

「宇野さんはね、キミを浚おうして悪いことをしようとしていたの」

大人の悪意にさらされていた事実を突きつける事になるが、無知であることが正しいとは限らない。
むしろ自衛のため知ることこそが彼女のためになるとそう信じた。
何より、この少女に自分の都合で嘘を付つきはくはなかった。

「ウノのおじさんはわるい人だったの?」
「ええ、そうよ。だからお姉ちゃんが追っ払っちゃった」

信じていた大人の裏切りを伝えられリンは少しだけ肩を落として落ち込んだ。
しかし、すぐに明るく表情を変えて顔を上げた。

「じゃあ! おねえちゃんはわるい人からリンをたすけてくれたの?」
「そうなるのかな?」
「そうなんだ……ありがとうね、チャコおねえちゃん」

そういって花のような笑顔を見せた。
その笑顔を見て自分は間違っていなかったと確信する。

「リンちゃんもう誰にも縛られる必要はない、何に媚びる必要もない、あなたは自由よ」

そう言って少女を、過去の自分を抱きしめた。
言いたかった言葉を、言われたかった言葉を投げかける。
茶子は助けたかった誰かを救えた。
それだけでよかったと思える。

「じゃあ、お礼をしなくちゃね」
「お礼?」

ちゅ、っと頬にキスされた。
かわいらしいお礼に茶子の顔が思わず綻ぶ。

だが、熱烈なキスの雨はそこで止まらず、徐々に口元へと移って行き唇が触れた。
これは少し行き過ぎじゃないか? とそろそろ止めようとした瞬間。
口内ににゅるりと舌が割り込んで粘膜を生き物みたいにくすぐった。
思わず茶子はリンの体を引きはがすように身を離す。

「なっ、にを…………!?」
「何って、お礼だよ?」

そう言いながら口元に唾液の糸を引かせたリンが首をかしげる。

「違う! そんなことをする必要はないのよ! あなたはもう誰にも媚びる必要なんてない」

茶子は悲鳴のようにヒステリックな叫びをあげる。
それを受けてリンは不思議そうなキョトンとした顔で首を傾げた。

「こびる? 違うよ、これはお礼だよ。チャコおねえちゃんもうれしいでしょう?」
「違うッ! どうしてそんな……」

言葉を失う茶子。
分からないからではなく、分かっているからこそ絶望が深い。

「だって――」

クスリと笑う少女から淫靡な女の顔が覗く。
貴族のような上品な所作で少女が自らのスカートをたくし上げると、縦筋のような未熟な性器が露になった。

「――――パパはこうしたら悦んでくれたよ?」

何の悪気もなく無垢な少女は言う。
差し出せるものは自らの体だけ。少女は他人の喜ばせ方などこれしか知らない。
そういうやり方しか人との繋がり方を知らないのだ。
他の方法など教えてくれる大人などいなかった。

その少女の在り様こそが何よりも茶子の精神を抉る。
そこにいるのは大人に気に入られようと媚びるように笑う過去の自分だ。

何も知らない純粋無垢なアリスだった頃の自分。
抵抗もできず汚い男どもに慰み物にされるだけの弱かった自分。
いや、抵抗するという選択肢すらない、ただ喰い物にされるだけの弱者だった頃。
否定したい自分。なかった事にしたい自分。

「……うぷっ」

突きつけられた心的外傷に茶子が吐き気を抑えるように口元抑え、足元をふらつかせた。


58 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:22:03 VrP9kIS20
「どうしたの!? 大丈夫、おねえちゃん!?」

突然顔色を悪くした茶子に、リンが驚きスカートから手を放して駆け寄った。
過呼吸気味に呼吸を乱す茶子を落ち着かせるように優しく胸元に抱き寄せ頭をなでる。

「大丈夫。大丈夫だよ、チャコおねえちゃん。こわがらないで」

リンの異能『プレデター・プリンセス』
それは誰か一人を対象として自身に庇護欲を植え付けると言う無自覚な異能だ。
これまでその能力は木更津閻魔を対象として発動していたが、閻魔が死亡したことにより新たな庇護対象(ターゲット)を求めていた。

そして茶子の異能『リベンジ・ザ・タイガー』も少女と同じく無自覚に発動していた。
彼女の異能は自身に行われた精神干渉を無効化しその効果を相手へと跳ね返すという、絶対に心だけは誰にも侵されないという意識の具現化。

つまりは、互いに無意識化で異能を応酬していた。
その結果がこれだ。

「よちよち。安心してねチャコおねえちゃん。こわいものがあってもリンが守ってあげるから」

リンは茶子に強い庇護欲を覚え、未成熟な少女は母性を目覚めさせた。
取り乱す成人女性を落ち着かせるその様子はさながら聖母のようだ。

だが、それこそが茶子にとっての呪いである。
花のような無垢な笑顔は穢れていないのではなく、穢れを知らぬだけの毒花だ。
綺麗なのは花弁だけで、穢れた地面から養分を吸い上げた花は根本から腐っている。

二度とそうならないために、二度とそうさせないために。
その手を取るために茶子は強くなった。

誰にも負けない。
それこそ■■にだって負けないくらいに、強くなったはずなのに。

「チャコおねえちゃん、だいすき♪」

少女は笑う。
無垢なまま、穢れぬまま。

過去の自分を救いたいのであれば、その手を振り払うことはできない。
茶子は己が信念のために、この少女を守護らなければならなかった。

だからこそ、目をそらす事は許されない。
己を救わんとするならば己が心的外傷と永遠に向き合い続けることになる。

誰を救いたかったのか。
何を救いたかったのか。
その思いを置き去りにしたまま。

過去はどこまでも亡霊のように付きまとう。

【D-4/道/1日目・朝】

【虎尾 茶子】
[状態]:動揺、左肩損傷(処置済み)、左太腿からの出血(処置済み)、失血(中)、■■への憎悪(絶大)
[道具]:木刀、双眼鏡、ナップザック、長ドス、サバイバルナイフ、爆竹×6、ジッポライター、医療道具、コンパス、缶詰各種、飲料水、腕時計
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させる
1.極一部の人間以外には殺害を前提とした対処をする。
2.有用な人物は保護する。
3.未来人類研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
4.■■は必ず殺す。最低でも死を確認する。
[備考]
※自分の異能にはまだ気づいていません。
※未来人類研究所関係者です。

【リン】
[状態]:健康、虎尾茶子への依存と庇護欲
[道具]:なし
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.やさしいチャコおねえちゃんだいすき♪
2.リンをいっぱいあいして、チャコおねえちゃん。
[備考]
※リンは異能を無自覚に発動しています。
※異能によって虎尾茶子に庇護欲を植え付けられました。


59 : 過去の亡霊 ◆H3bky6/SCY :2023/03/09(木) 00:22:14 VrP9kIS20
投下終了です


60 : ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:26:40 R6cHkFCc0
投下します


61 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:27:40 R6cHkFCc0
昔から空想が好きだった。

空想で紡がれた沢山の物語たち。

外の世界は怖いから、優しい物語の世界に私は夢中になりました

空想の中で私はお姫様。

きらびやかで、ふわふわで、時に切ない。

そんな物語に囲まれながら、お城の中でお姫さまは暮らしていました。

だけど、そんなお姫さまを外の世界へ連れ出そうとする人が現れました。

お母さんに聞きました

彼は一番偉い人の子供だって。

つまりはこの世界の王子さまだ。

どうやらえばりんぼうの王子さまは同い年のみんなを従えたいみたいで、私はその最後の一人。

強引でわがままで、だけど優しい私の運命の王子さま。

お姫さまは王子さまに連れられその世界を知るのです。

そして王子さまにふさわしいお姫さまになろうと決めました。

そうしていればいつか運命にたどり着けると夢見るように純粋に信じていたのです。

けれど、知るのです。

知りたくもない現実を。

現れたのは本物のお姫さま。

私はお姫さまなんかじゃなかったのです、

本物のお姫さまは別にいて、王子さまは私の王子さまなんかじゃなくって。

現実の私は地味で卑屈な何のとりえもないただの女の子でしかなかったのです。

夢は夢のまま。

現実になることなどないのです。




62 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:28:07 R6cHkFCc0
日野珠は混乱の最中にいた。

頭の中は無茶苦茶だった。
覚えているはずの事を忘れていて、知らない事を知っている。

記憶や思い出は自身を形どる証明に他ならない。
それが不確かであるという事は自分が今立っている世界が不確かであるのと同じ事だ。
誰かに都合のいいように記憶をいじられ自分自身が分からなくなる。
そんな状態で、とても正気ではいられない。

そんな不安定な状態で信じていた姉のように慕っていたみかげの不可解な言動に、いよいよ少女の混乱は極まり気づけば何かから逃げるように走り出していた。
それを追うのは二人の少女。朝顔茜と上月みかげである。
一人は純粋な心配から、一人は自らの行いを償うため。
だが、そんな少女たちの追いかけっこの行く手に、一人の男が立ちふさがっていた。

「薩摩さん!?」

茜が叫ぶ。
現れたのは村の交番勤めの警官だった。

ただの警官ではない、警官であるにも拘らず村の危険人物として知られている男である。
平時であれば関わり合いたくない男なのだが、今はそれどころではない。
こう言った緊急事態において警官という立場や役割というモノは信頼感を生む。
何より、今は混乱して逃げ出した珠を捕まえなければならない状況である。

「珠ちゃん、捕まえてください!」
「え、あ。お、おう」

茜が薩摩に呼び掛ける。
突然の呼びかけに思わず薩摩は反応を返した。

脇を走り抜けようとした珠の手首を反射的に掴むと、そのまま捻り上げて脇固めの体勢で押さえつける。
そこは腐っても警察官。小娘一人拘束するなどそれこそ赤子の手を捻るようなものだ。
強引だが、混乱していた珠を引き留めることに成功した。

「ありがとうございます! けど乱暴すぎ!!」

茜が苦言を呈しつつ駆け寄ると、薩摩から珠の身柄を引き継ぐ。

「いやぁああっ!! 離して!!」
「落ち着いて、珠ちゃん!!」

肩を掴んで説得を試みるも、発狂したように叫びをあげる珠は聞く耳を持たない。
珠が何に怯えているのか、何が彼女をここまで追い詰めたのか。
茜にはわからない。分からない以上説得のしようもない。

そこに、わずかに遅れてみかげも追いついてきた。
彼女は理解している。
珠が何に怯えているのか、何が彼女をここまで追い詰めたのか。
その一因を作ったのは他ならぬ彼女なのだから。

「…………聞いて珠ちゃん」

今も頭も抱えて苦しみ続ける少女。
それは己の犯した罪の具現だ。
そこから目をそらさず、ためらいながら、それでも一歩近づく。

「私が悪かったの、私が――――」
「――――いや、その前に俺の話を聞けぇい!」

だが、そんな少女たちのドラマに不純物が割り込んだ。
村の警官、薩摩圭介だ。

「なんです? ちょっと、私たちそれどころじゃないんですけど」
「それどころだろうがよぉッ!!!」

大の大人が大声で少女の意見を遮った。
その勢いに気圧された少女たちがおびえたように肩をすくめる。
全員の視線を一身に集めた警官は、わざとらしくコホンと咳払いする。
そして先ほどまでとは打って変わった落ち着いた大人の態度で、少女たちに向けて語り始めた。


63 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:28:25 R6cHkFCc0
「大声を出して済まない。だが、今この村がどうなっているかを思い出してほしい。
 俺たちの山折村は未曽有の危機に晒されている!! 村民としてこれ以上に優先されることなどあろうか!? いやない!」

演説も3度目ともなれば語り出しも滑らかである。
志を同じくする同志の勧誘。
だが、今回はこれまでとわずかに前提が違った。

「そんな状況で俺たちがすべきことは何か!? 女王感染者を見つけ出すことだ!」

薩摩は昭和生まれの昭和育ち。いわゆるX世代である。
体罰上等な時代を生きたこの男は、逆らう人間が出たら撃てばいいという暴力による統制を計画の前提としていた。
むしろ逆らう人間が出れば銃を撃ててラッキーくらいの浅い考えが根底ある。
だから勧誘の際にも本音を話し、その理念に同意してくれる『真の仲間』を集っていた。

「もちろん殺すためじゃない、女王を守護るためだ! 何故なら女王も我らが愛すべき隣人なのだから。
 愛する村民同士が殺し合うような魔女狩りは絶対に許してはならないことだ。そんな悲劇は俺には耐えられないッ!!」

だが、銃による恐怖統制は女王殺害の可能性を孕むと気づかされた。
感染を拡大させ日本中、いや世界中にパンデミックを引き起こし、銃を自由に撃ちまくれる世界を実現する。
それこそが薩摩の最終目標。
道半ばでバイオハザードを終わらせる訳にはいかない。

「女王は君たち自身かもしれないし、君たちの友人や家族かもしれない。
 そんな相手を切り捨てるような真似は出来ない…………ッ! 出来るわけがない。そうだろぅ!?」

薩摩の計画の実現には多くの戦力、多くの同志が必要である。
恐怖と暴力なしで仲間を得るには心を打たねばならない
という訳で薩摩なりに考えた結果、感動路線に舵を切ることにした。
薩摩は語っていることに深い信念がある訳ではなく、それらはすべて銃を撃つための後付けの理由でしかない

男は独り身で40も超えると自尊心で凝り固まり意固地となるか、恥も外聞もなくなるかの2極化するものである。
薩摩は後者だ。銃が打てるなら何でもいいという拘りのなさ。言動を翻すことに何の躊躇もない。

「俺たちの敵はこんな事件を巻き起こした研究所の連中と、証拠を隠滅するため送り込まれた特殊部隊の連中だ!
 あの放送だって研究所の人間の言葉だ! あんな言い分なんて信じる事はねぇ! 俺たちの村を無茶苦茶にしようとする特殊部隊に徹底抗戦を仕掛けるんだ!」

それに、村民を殺せずもはやゾンビしか撃てなくなるのかと落ち込んだが、まだ1000点の標的が残っている。
多くの楽しみを奪われた薩摩だったが、その鬱憤を晴らすように対特殊部隊に狙いを絞った。
山折村の総力を結集して特殊部隊を迎え撃つ。

「俺たちには異能の力と、何より同じ村民としての絆の力がある。力を合わせ一致団結すればどんな相手にも勝てるはずだ!
 山折村村民の魂を見せる時だ! 特殊部隊の連中を見返してやろうぜ!」

薩摩は視野が狭く自分の世界に浸りすぎてしまう悪癖があるが、今回はこれが功を奏したのか思わず自分で涙をこぼすほどの熱演である。
聞くものの心を動かすこと請け合いであると薩摩は確信していた。

「俺は村を救いたいッ。この村を守護る警察官として! そのための力を貸してくれみんなッ!!」

盛り上がるような言葉で締めくくられる。実に感動のスピーチだった。
これが講演だったなら万雷の拍手で喝采されただろう。

問題があったとするのならただ一つ。
自身の語りに夢中になりすぎて周囲の状況を理解していなかった事くらいだろう。
それによって虎尾茶子を取り逃すという失態を2度も冒しているが、ここに至っても反省がない。
それ故に、こんな失態を犯すのだ。

つまりは、薩摩の演説など誰も聞いていなかったのである。




64 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:29:27 R6cHkFCc0
警察官が気持ちよく熱弁している横で、煩い外野の声など聞こえていないかのように少女たちは向き合っていた。
後悔と罪悪感。恐怖と猜疑心。それぞれの抱えた想いをぶつけあうように。

優しい幻想(ゆめ)を見る時間はもう終わりだ。
そろそろ、現実(あくむ)を受け入れよう。

「珠ちゃん。私、気づいたの……うんん。気づかされた。私はずっと現実を見てなかったんだって」

みかげはこのバイオハザードが起きてから、現実を見ていなかった。
辛い現実から目をそらし、空想の翼で羽ばたく幸せな夢の世界の住民だった。
だが、多くの人たちが彼女に現実を教えてくれた。

「都合のいい妄想を見て、その妄想をみんなに押し付けた。きっとそれが私の『異能』なんだと思う」

懺悔の様にその力を語る。
己が語る思い出を他社に共有する彼女の異能。
それは自覚なく無意識化で行われた事である。
だが、無意識であろうとも罪を犯した事実は消えない。

「…………ごめん、ごめんね。珠ちゃん。私の幻想はあなたを傷つけた。
 それは決して、してはならない事だったのに……本当にごめんなさい」

彼女の目を覚まさせた決定的な要因は、取り乱し発狂する珠の姿だった。
自分のエゴで、可愛いい妹分を傷つけてしまった。
告発よりも説得よりも、その事実が何より彼女を打ちのめした。

彼女は誰かを傷つけたかったわけじゃない。
どれだけ辛くても苦しくても、それだけはしてはならない事だった。
誰かの想いを踏みにじるような事だけはしてはならなかったのに。

「私、圭介くんが好きだった」

みかげは己の心情を吐露し始めた。
思えば、この想いを誰かに告白にするのは初めての事である。

ずっと秘めた想いだった。
誰にも知られることなく、報われることもなく、日の目を見ることなく終わった宝石のような彼女の想い。
その想いが今、宝石箱の奥底から白日の下に取り出されようとしていた。

「……告白も出来ない、そんな勇気もなかったくせに、光ちゃんを羨んで、嫉妬して」

それが彼女の現実。
彼女の恋は告白すらできず終わってしまった。
それ以前に最初から終わっていた恋だった。

圭介が誰か好きかだなんて、みかげは最初からとっくに気づいていた。
だって、ずっと見てきたんだから。

圭介の事を誰よりも見てきた。
それこそ光が現れる前から。

照れた時に鼻頭を掻く癖。
嘘をつくとき眼を逸らす癖。
強がるときに眉間を寄せる癖。
本人すら気づいていないような癖だって沢山知ってる。
そんなみかげが、圭介の想いに気が付かない訳がなかった。
それこそ本人すら気づいていない頃から、光が好きなんだって気づいていた。

私の方が先に好きだったのに。
運命のように惹かれあっていく二人の様子を、誰よりも近くで見てきた。

「……けど、光ちゃんの事も好きだった」

みかげは圭介が好きだった。
だけど、光も大切な親友だ。
これも、どうしようもない彼女の本音だ。

「光ちゃんの事も嫌いになれなくて……ッ。圭介くんへの想いも諦められなくて……ッ。
 割り切れもせずに、どうしたらいいのかわからなくて…………ッ!!」

だからこそ、二人が付き合い始めたと聞かされた時、笑って自分の想いを飲み込んだ。
吐き出したところで、大好きな二人を困らせるだけだから。
その関係を壊してでも想いを伝える勇気がなかった。

「だから……光ちゃんに自分を重ねて、自分が圭介くんの恋人だなんて妄想して自分を慰めてた。
 私は光ちゃんを好きだった圭介くんが好きだったのに…………都合よくその在り方を歪めてしまった」

中途半端で、どうしようもなく弱い。
だから現実から目をそらして空想に逃げこんだ。
それは自らの恋を否定する行為だったというのに。


65 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:29:50 R6cHkFCc0
「私は、弱くて醜くて、そのせいで誰かを傷つけて……私は…………最低っ」

弱いことは悪ではない。
けれど、誰かを傷つけてしまったことは言い訳のしようもない悪だ。
傷付いた珠の姿こそが彼女の弱さが招いた罪の証である。

青春の痛みは辛く苦しい。
だけど、その痛みを抱えたところで死ぬわけじゃない。

それなのに彼女はその痛みを異能と言う形をもって誰かを侵した。
自分が辛いからってそれは誰かを傷つけてもいい言い訳にはならない。
その痛みも苦しみも彼女だけのものなのだから。

彼女の結論(せいしゅん)は間違いではなかったけれど、その結論を誰かに押し付けるのは間違いだった。

彼女は涙ながらに悔いていた。
自らの弱さを。
自らの罪を。
自らの恋を。

だけど。

「違うよ…………」

それは違う。

「…………違うよ、みか姉」

涙と共に吐き出された剥き出しの本音。
いつも優しく穏やかだった姉貴分の懺悔のような後悔の念。
それをぶつけられた珠は、己の混乱を忘れ正気を取り戻していた。

「みか姉は最低なんかじゃないよ。そりゃあ……全部が悪くないわけじゃないけど、けど、それってそんなに悪いこと……?」

恋をすることは悪くない。
珠はまだ恋を知らない子供だけど、そんなことくらいは分かる。
そんな事を何故、本人だけが分からないのか。

失恋の痛手。
それは胸が張り裂けそうなほど辛い物だ。掻き毟る程に心が苦しい。
涙で枕を濡らす夜もあっただろう。いろんな後悔で頭を悩ませ眠れない夜もあるだろう。

その痛手を好きな人との痛い妄想で慰める。
そんななもの、誰にだってある痛い青春の1ページだ。

青春に正解などない。
あーすればよかった、こーすればよかった
そんな後悔を抱えて、それでいいのだ。
これはどこにでもあるような失恋で、ありふれたような胸の痛みで、それでよかったのだ。

間違うことは間違いではない。
引きずって、拗らせて、間違いながら一歩ずつ大人になっていけばいい。
真っ只中の思春期では割り切ることはできなくとも、いつか笑って振り返られる日が来るかもしれない。

だが、このバイオハザードによって全ては一変した。
彼女の心は異能と言う形をもって露になった。
行き場をなくした思春期の心が、誰かを殺しかねない凶器となった。
悪いと言うのなら、間が悪かっただけだろう。

「けど、私は珠ちゃんを傷つけた」
「そんなの……ッ! みか姉が悪いんだったら私もおんなじだよ。みか姉が悩んでるのも気付かなかった……!」

珠はみかげが姉の恋愛で思い悩んでいたなんて気づきもしなかった。
すぐ近くで大事な人間が苦悩していたなんて知らなかった。
無邪気に姉と圭介の恋愛話で盛り上がり、気が付かないうちにみかげを傷つけていたかもしれない。

誰かを傷つけたのが悪いなら珠だって悪い。
そんな事にすら気が付かず、騙された様な気になって、心の中でみかげを責めた。

「私の方こそごめんなさい、みか姉…………ッ」
「そんな、珠ちゃんが謝る事なんて…………ッ」

そうして少女たちは抱き合うようにして声を上げて泣きあった。
互いに罪を悔いながら、許しを与えあいながら。

「……朝顔さんもごめんなさい」
「えっ、わ、私?」

落ち着きを取り戻したみかげが茜に頭を下げた。
口を挟まず二人のやり取りを見守り、涙ぐんでいた茜が話題の矛先が唐突に自分に向けられ、わたわたと取り乱す。

「あなたにも同じことをしてしまいました、先生たちにも謝らないと」
「うーん。私としては上月さんの恋バナ聞いただけで、何をされたわけでもないよ。だから気にしなくていいよ」

当事者やその身内にとっては青天の霹靂であろうが、こう言っては何だが、茜にとっては所詮他人の恋愛話である。
その組み合わせが間違っていた所で、実際の所、実害はない。
茜からすれば謝られる程の事ではなかった。

「けど、下手をすれば、大変なことになっていたかもしれません」
「そうなってないんだから、いいじゃないかな?」

この未曽有の大災害で、みかげの異能が大きな事件の引き金となった可能性はあっただろう。
だが、そうはなっていない。なっていなのだから気にすることはないのだ。
楽観的だが、茜らしい許しの言葉だった。

少女たちの諍いはひと段落した。
どうやらBGMと化していた警官の演説も終わったようだ。
これで、大きな爆弾は処理され、後はスヴィアたちの元まで戻るだけである。


66 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:30:23 R6cHkFCc0
そのはずだった。
だが、

「……………………ぁ」

何かに気づいたように珠が声にならない声を上げた。
落ち着きを取り戻した珠が、自らを抱くようにして震え始めた。
先ほど以上の尋常ではない怯え。その様子に慌ててみかげが問いかける。

「どうしたの珠ちゃん!?」
「…………く、来る」

珠が怯えながら、震える指先で彼方を差す。
それは先ほどまでの記憶の欠落と言う自らの内側に宿る恐怖ではなく、外側から襲い来る外敵と言う恐怖。

全員の視線がその指先を追うが、そこには何もない。
だが、彼女の目には確かに映っている。

「―――――――光が、来る」

背筋が凍るほどに悍ましい。
すべてを飲み込むような巨大な光が。

「…………へぇ」

視線の先。
どこか感心したような声と共に、物陰から何者かが姿を現した。

全身に着こまれた迷彩色の防護服。
思いのほか線の細いシルエットからして女性だろうか。
それはゾンビと言う異常が闊歩する村内に於いてもなお異質な存在感を放っていた。

この村にとっての災厄。
送り込まれた処刑人。
高らかに叫ぶように、その存在の名が呼ばれる。

「――――――特殊部隊ッ!!」

その歓喜の声を上げたのは警察官、薩摩だった。

薩摩の懸念は殺してしまった相手が女王だったら、この祭りが終わってしまうことである。
だが、特殊部隊ならそれに当てはまらない。
つまり、銃を撃ってもかまわない相手が現れたという事だ。

薩摩は喜び勇んで四股のように大股開きで腰を落とすと。
右手に実銃、左手に指鉄砲の二丁拳銃を構えた。

銃を構えた特殊部隊と対峙して、銃を突きつけ合う。
これはこれでウェスタンのガンマン同士の対決みたいでカッコいいかもしれない。
なんて、少しだけ気分を良くして、薩摩が背後の3人に向かって決戦を叫ぶ。

「さあ、お前ら! 戦るぞ――――!!」
「――――逃げよう!」

だが薩摩の号令を遮るように茜の声が割って入る。
迷うことなく逃亡を選択すると、茜は両手で二人の手を引いてそのまま薩摩を置いて走り出した。
元より薩摩の演説など聞いていないし、聞いていたとして同意する理由もない。

こう言った緊急事態において警官という立場や役割というモノは信頼感を生む。
か弱い女学生の背中を預けるのに不足ない相手だと言えるだろう。
そこに感謝はあれど、罪悪感は生まれない。
故にこそ振り返ることなく茜は駆け抜けていった。

「あっ。ちょ、お前ら…………ッ!」

それを引き留めようにも、目の前の特殊部隊を無視する訳にもいかない。
特殊部隊とは言えここにいるのは女らしきが一人だけ。
薩摩一人でも勝てないという事はないはずだ。

「チックショーッ!! やってやらぁ!!」

ヤケクソ気味に怒鳴りを上げ、銃を連射しようとした次の瞬間だった。
先んじて鳴った銃声と共に、手にしていた銃が弾かれ地面に落ちたのは。

「は?」

相手の狙撃によって撃ち落とされたようである。
正確に手元を打ち抜くトリガーハッピーとは比較にならない正確なエイム。

だが、トリガーハッピーの神髄を見せるように、薩摩はそれに怯むよりも撃つことを選択した。
剣の達人すらも撃ち抜いた、子供遊びが如きから放たれる異能による予測不可能の初見殺し。
左手の指鉄砲から大口径の威力を持った空気砲が放たれた。

だが、その砲弾は何にも当たることなく空気を穿った。

特殊部隊の精鋭は、ボクシングのダッキングのように頭部を沈め弾丸を当然のように回避する。
透明な弾丸が通り過ぎるその様は、傍から見れば何も起きていないようにすら見えただろう。


67 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:31:37 R6cHkFCc0
弾丸を回避した特殊部隊は、鋭い踏み込みでそのまま斜め前へと切り込んでゆく。
狙撃、回避、間合い、全てにおいて圧倒的な立ち回りで、あっという間に薩摩の懐にガスマスクをした迷彩服が潜り込んだ。
そんな相手と実際に戦った薩摩の率直な感想が。

(え…………特殊部隊ってこんなに強いの!?)

これである。
追い詰められた薩摩はいともたやすく取り乱した。
焦りのまま手あたり次第の銃を乱射してやろうと両手の指を懐の敵へと向ける。

「ぐぅゅああああああああああああああッッ!!??」
「人様を指で差すんじゃねぇよ。失礼だろうが」

だが、突き出した指を握られ、そのままへし折られた。
これは銃口を捻じ曲げられたも同義である、異能の弾丸は撃てなくなった。

人間に銃口を折り曲げる様な筋力はない。
だが、指の骨なら心得があれば簡単に折れる。
肉体に依存する異能の欠点だ。

相手は掴んだままの折れた指を引き寄せ、薩摩の脇を固めて地面に組み伏せた。
奇しくも先ほど薩摩が珠を制圧したように、あっさりと。
つまりは、薩摩と特殊部隊の間には警察官と女子中学生と同じレベルの差があるという事だ。
こんなのが何人も送り込まれているとしたら。

(…………村民なんて何人集めたところで無理じゃね?)

薩摩は痛みに喘ぎながら、どこか冷静な頭でその結論に今更至った。
元よりいろいろと破綻していた計画であるのだが、いよいよもって根幹から揺らいできた。
ここまで行くと流石の薩摩も気づく。
特殊部隊を撃退するなんて夢物語なんじゃないかと。

「二つ尋ねる。余計なことを喋れば殺す、回答が虚偽と判断しても殺す、黙っても殺す。それを念頭に置いて答えろ」

体を拘束された状態で背後から冷酷な声が響く。
そして後頭部に難い感触が押し付けられる。
それが何であるかなど、他ならぬ薩摩が間違う筈がない。

「ハヤブサⅢについて知っているか?」
「ハ、ハヤブサ…………? そ、そんな鳥の事なんて知らないぞ!」
「この女の事だ」

言って、薩摩の眼前に一枚の写真をチラつかせる。
望遠撮影された解像度の低い写真だが、そこには人ごみの中に一人の女性が映っていた。

「……え、あっ。ああ。見たことがあるような、ないような…………」
「どっちなんだ!?」
「あぅッ!?」

ハッキリしない様子の薩摩の腕を締め上げる。
薩摩が痛みに喘ぐ。

「思い出した、思い出しました……!! 何日か前に来た観光客の女だ! 交番にも来た!」
「そこでどんな話をした?」
「し、知らない、対応したのは俺じゃない……!」

訪れた観光客に対応したのは巡査部長だ。
薩摩はその様子を交番の奥で愛銃の手入れをしながら何となく覗いていただけである。

「チッ。使えねぇ。なら質問を変える。
 研究所について何か知ってる事はあるか?」
「け、研究所?」

この場で出る研究所とはこのバイオハザードの元凶となった研究所に他ならないだろう。
だが、それはおかしい。
特殊部隊は研究所の事後処理をする部隊のはずである。
それが研究所について尋ねると言うのはどういうことなのか?

「そ、そうか!? お前ら一枚岩じゃないんだな!? なら俺達で力を合わせよう! 一緒に研究所の奴らをやっつけようぜ!」

敵対していた者同士が手を取り合い共通の巨悪を撃つ。
まさに劇場版の展開である。
研究所の連中を相手に銃が乱射できるならそれはそれで構わない。
だが。


68 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:32:02 R6cHkFCc0
「――――余計なことはしゃべるなと言ったはずだが?」

驚くほど冷たい声。
そんな提案に相手が乗るはずもない。
むしろ、この回答で薩摩が何も知らぬことを確信したようだ。

後頭部の鉄の感触から膨れ上がった殺意が伝わってくる。
薩摩の心が絶望に震える。
その頭をよぎるのは何故と言う疑問だ。

どうして俺がこんな目に。
どうして世界は俺のささやかな夢すらも叶えてくれないのだろう。

「俺はただ、銃を撃ちまくりたかっただけなのに……」

彼の理想とする銃を撃ちまくれる世界。
薩摩は銃を撃っても銃に撃たれる覚悟がない
そもそも撃つ覚悟すら持っていないだろう。
ただ撃ちたいだけの子供じみた動機しかない。

それ故に、最期までその理想が自身も撃たれるかもしれない世界であると自覚することはなかった。

目覚めの合図の様に銃声が鳴る。
身勝手な絶望の中、薩摩の命は刈り取られた。

【薩摩 圭介 死亡】



放送室に居た特殊部隊の女、黒木真珠は目的を情報収集へと切り替え周囲を探索していた。
標的を待ち伏せる選択肢もあったが、壊れた施設に見切りをつけて立ち去ることにした。

そうして、ほどなくして4名の正常感染者を発見。
気配を殺して近づき不意打ちで制圧する予定だったのだが、あえなく発見され奇襲は失敗に終わった。
まさか警察官ではなく小娘の方に発見されるとは思わなかったが、奇襲を諦め正面からの制圧に切り替えた。
結果はこの通りである。

異能に目覚めた警察官に対して圧倒的な立ち回りで完勝。
だが真珠はもちろん相手の異能を把握していたわけではない。
単純にあの状況で無意味なことをするはずがないという状況判断と、向けられた殺気を読んだのである。
それは潜入として武器に見えない暗器や仕込み武器などを相手取ってきた経験値の高さによるものだ。

結果的に警官を殺害した真珠であるが、秘密部隊において皆殺しではなく唯一特殊任務を任された隊員である。
彼女が住民へ行うアクションはハヤブサⅢの目撃証言と標的が向うであろう研究所に関する情報収集だ。
そうでなければ最初の銃撃で銃ではなく頭を打ち抜いている。

足元の死体は警察官と言う事もあって何かしらの情報を持っていそうだと思ったのが空振りだった。
ハヤブサⅢが数日前から村に滞在していた裏が取れた程度のモノだ。

真珠は薩摩の死体をその場に放置して女学生たちの足取りを追うことにした。
薩摩が稼げた時間は尋問を踏めても精々数分程度のものだ。
真珠が全力で追えば今からでも十分追いつけるだろう。

逃げだしたのは学生と思しき小娘3人。
期待は薄いが3人もいれば何か知っている者がいてもおかしくはないだろう。

仮面の下で凶悪な牙をぎらつかせ、狩人が駆けだした。




69 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:32:29 R6cHkFCc0
「熱ッ!?」
「あっ。ごめんなさい」

走っていた少女たちが足を止める。
二人の手を引いては知っていた茜だが、彼女はまだ上手く異能のコントロールが効かない。
焦っていたこともあり、掴んでいた手から漏れだしてしまったようである。
火傷になる程ではないがみかげの手首が少し赤くなってしまっているようだ。

「いえ、大丈夫ですから、それよりもどこに向かうつもりなんですか?」
「どこって……ごめん、逃げなきゃで一杯だったから考えてなかった」

このアクシデントで少しだけ冷静になって周囲を確認する。
そこは特殊部隊との遭遇地点から僅かに離れた高級住宅街と商店街の間にある未開発の草原だった。
夢中になって走っていただけで、考えなしに走り出したからスヴィアたちのいる方向と真逆に来てしまったようだ。
かと言って、今さら特殊部隊がいる方向に戻る訳にも行かない。

「薩摩さんが追い払ってくれてればいいけど……」

足止めの残った(残した)警察官を思う。
ただの女学生からすれば、何となく特殊部隊の方が強そうと言うくらいで警察官も特殊部隊も強さに大差ない印象である。
普段からいつ銃を撃つとも分からぬ危険人物として山折村の治安を脅かしているのだから、こう言う時に役立ってもらわねば困るのだが。

「ダメ! 光がものすごい速度でこっちに近づいてきている!?」

それを否定するように、珠が叫んだ。
何かを光として捉える珠の索敵能力がまだ危機が去っていない事を伝えている。
まだ距離はあるようだが、立ち留まっている場合ではない。

「…………ここからなら商店街が近いです。だから二人は先に行っていてください」

彼女たちの強みは土地勘である。
何もない草原よりは入り組んだ住宅街や商店街に逃げ込んだ方がまだ逃げ延びる目があるだろう。
しかし、みかげのこの言葉に納得がいかないのか茜が珍しく怒ったように眉を吊り上げる。

「……二人は、って、上月さんはどうするつもりなの? まさか変なことを考えてるんじゃないよね?」

すぐ背後に死神が迫る中、足を止めたまま、しっかりと相手の眼を見て真剣な声で問う。
それだけ大切なことだ。

「変な事なんて考えてませんよ。ただ追って来る相手を、少しでも足止めしようってだけです」
「えっ!? ダメだよみか姉! 一緒に逃げよう!!」
「そうだね。私達に悪かったと思ってやってるんなら的外れだよ」

贖罪のつもりで命を張ろうとしているのなら的外れだ。
許しを得た以上、彼女に償うべき罪などない。

「そんなことは思ってません。このまま3人で逃げるよりそっちの方が助かる可能性が高いと考えただけです」

3人でまとまって逃げるより、1人が残って2人が逃げる。
そちらの方が確実に多くの人間が助かる。簡単な損得勘定だ。

「なら私が残るよ、一番戦闘向きの異能だし」
「大丈夫ですよ。戦う訳じゃありません。足止めだけなら私の方が向いてます」
「どういう意味?」
「罠を仕掛けて足止めするだけですから、『私がマタギの六紋さんから訓練を受けていたのは知っているでしょう?』」

みかげが伝説の猟師の弟子であることは周知の事実だ。
確かに足止め役としては適任だろう。

「ここにあなたたちが居ては罠も仕掛けられません。さあ、もう時間がありません。早く行って!」
「ダメッ! 嫌だよ、みか姉…………!」

珠は否定するが光はすぐそこまで迫っている。
もう時間がないのは他ならぬ珠が一番よく分かっている。
議論の余地はない。みかげは珠ではなく茜へと話しかけた。

「朝顔さん。珠ちゃんの事よろしくおねがいします」
「……わかった。けど絶対、追いついてね。絶対だから!!」
「みか姉……みか姉ぇ!!」

嫌がる珠を引っ張って茜が走り出す。
一人残るみかげはぐずる珠に向かって優しく微笑むと、最後の言葉を投げかけた。

「珠ちゃん。あなたの記憶、あなたの想いはあなただけのモノだから。大切に…………大切にしてね」



「…………ごめんね」

二人の姿が遠くなってゆく様を見つめながら、誰に言うでもなく呟くようにそう言った。
初めて異能を自覚的に使用した。
異能を使った事を謝罪した舌の根も乾かぬうちにまた異能を使ってしまったが、それは許してほしい。

これは贖罪などではない。
ただ、みかげの行いを許してくれた2人だからこそ、どうしても守護りたかった。
それは純粋なみかげの想いだ。

もちろん死ぬつもりなど無い。
特殊部隊を凌ぎきるそのための力が、今の彼女にはあるはずだ。

彼女は静かに拳を握り、戦う決意を固めた。


70 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:33:53 R6cHkFCc0


迷彩服の影が草原を駆けていた。
しなやかに草原を懸ける様は正しく黒豹。
僅かな痕跡を見逃さず、標的に向かって逸れることなく一直線に進んでゆく。

そして、喰らい付くべき標的の影は思いのほか早く見つかった。
それは逃げるでもなく、待ち受けるように立っていた。
そして、向かって来る真珠に向かって言葉を吐く。

「それ以上進むのなら気を付けた方がいいですよ。『そこにはさっき私が地雷を埋めておきましたから』」

その声に、真珠がピタリと足を止めた。
急停止して、マスクの下の目を凝らす。

「地雷だぁ? ハッタリだね素人がそんな真似できるわけがねぇだろうが」

村の小娘にそんなことが出来ようはずもないと、本来なら一笑に付すような話である。
同じ特殊部隊の隊員である元少年兵オオサキ程ではないが、真珠もそれなりに危険に対する鼻は効く。
少なくともその真珠が見た限りでは周囲に罠を仕掛けたような痕跡は見受けられない。
短時間でここまで完璧な罠設置が行えるなど、それこそ特殊部隊員レベルの熟練した工作員でもなければ不可能な仕事だ。
だが、言葉とは裏腹にどういう訳か真珠はこうして足を止めている。

状況を判断する理性はここに地雷など無いと告げていた。
だが、ここに地雷が仕掛けられていると本能が信じている。
まるで彼女がここに地雷を埋める、その光景が脳裏に浮かぶようかのに。

「ずいぶんな言いようだね。『私に罠のイロハを教えてくれたのは、お姉ちゃんじゃないですか』」
「………………なんだと?」

その言葉に真珠は銃口を突きつけながら確認するように敵の姿をまじまじと見る。
登り始めた朝日に照らされるその姿。
その顔に見覚えなど。

「『わからないのも仕方ないよ。だって10年ぶりだもん』」
「10年ぶり……」
「『久しぶりだね、お姉ちゃん。昔、近所に住んでいた上月みかげだよ。私の事、覚えていますか?』」

相手の証言と己の記憶を確かめる様な数秒の間。
みかげの異能によってその二つはイコールとなったはずである。
だが、異能はこの場で降って沸いたような力だ、確実であると断言できるほどの信頼は置けない。
まるで地獄の沙汰を待つような時が流れる。

「ああ……まさか、お前がこんな所にいるとはな。因果なもんだなぁ? みかげ」

そう言って、答えのように銃口を上に向けた。
まさか昔可愛がっていた妹分に特殊部隊の任務で再会するなど運命とは数奇なものである。

無論、それは幻想。
異能は狙い通り、特殊部隊にも作用したようである。
架空の想い出で足止めした相手と、架空の地雷原を挟んで対峙する。

「そうですね。まさか私もこんなところでお姉ちゃんと再開するなんて思いませんでした。
 『共働きでいつも両親がなかなか家にいない私のお世話してくれて、色んな事を教えてくれたよね』」
「ああ、そんな事もあったな」

懐かしむように頷く。
当然みかげの語る想は全て出鱈目の嘘っぱちだ。

彼女の両親はともに健在だし共働きでもない。
何より彼女の住処は山折村から出たこともないのだから外の人間と幼いころに出会う筈もない。

シルエットと声から辛うじて分かる若い女性であると言う情報。
それだけを元に、近所に住んでいた妹分であるという思い出を植え付けた。

空想こそが彼女の武器。
自覚的に使用すればこのように、使いようによっては尊厳をも否定できる最低の力だ。
だが、その最低な力が今、最悪の特殊部隊を足止めをしていた。

「だが、生憎お喋りしているほど暇じゃねえんだ。2つ尋ねる。答えろ」

思い出話を早々に切り上げ、改めて銃口を突き付ける。
それはみかげにとっても都合がよかった。
下手に長話をすると齟齬が出て異能が破たんする可能性がある。
それは皮肉にも珠の件で学習していた。

「この女について知っている事はあるか?」

地雷原越しに突き付けるように写真を見せる。
遠目だが写真に写っている女性の顔はなんとか見て取れた。
その顔には、どこか見覚えがあった。


71 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:34:43 R6cHkFCc0
「……最近村に来た観光客で、確か田中花子さん、だったかな」

ある意味で印象的な名前だったから憶えている。
村の風俗について興味があるからと世間話と銘打って積極的に住民に聞き取りを行っていたから、みかげも少しだけ話したことがあった。

「チッ。あのアマ。適当な偽名を名乗りやがって」

かつて自身が適当に名乗った偽名である事も忘れ真珠は標的を誹った。
だが、この村内で通っている偽名を知れたのは収穫である。

「この地震が起きた後でこいつを見かけたことは?」
「いえ。見かけてません」
「そうかい」

そこまで都合よくはいかない。
真珠もそこまで期待はしていない。

「じゃあ次の質問だ」
「待ってください。一つ答えたんだからこっちからも一つ聞かせて下さい」

果敢にも相手の言葉を遮りみかげがそう切り出した。
だが、みかげは銃を突き付けられ尋問をされる側だ。
本来であれば質問など出来る立場ではないのだが。

「…………いいぜ。答えるかは別として聞くだけ聞いてやるよ」

本来であれば応じられぬ交渉ではあるのだが。
昔馴染みに対する情か、真珠は質問を許した。

「この村で何が起きているの? あなた達はこの村をどうするつもりなんですか?」
「質問が2つになってるが、まあいいさ。どうせ片方には答えられねぇ。
 生憎だが、この村で何が起きているのかは私らも知らないんでね。
 だが、どうするかってのは単純さ。このバイオハザードを収束させる。それが任務だ」

真珠が語るのは真実ではあるのだが、放送によって既に公開されている範囲の真実だ。
だからこそ真珠は素直に答えたとも言えるが、折角の質問の機会を無駄にしたとも言える。

「収束って……こんな方法でですか?」
「ああ、住民を皆殺しにしてでもだ」
「どうしてッ!?」
「おっと、次はこっちの順番だ」
「ッ」

思わず感情的になって喰ってかかろうとした所を冷静に制される。

「研究所について何か知っていることはあるか?」
「研究所……?」

このバイオハザードの元凶。
もちろん、ただの学生であるみかげが知っていることなど無い。

「――――――ええ、それなら知ってます」

だが、みかげはそう答えた。
その答え(えさ)に興味深そうな目で獲物が喰いついた。

「へぇ…………そいつぁ、詳しく聞きたいね」

みかげが一番足止めに適している。
二人を行かせるための方便だったが、あながち嘘と言う訳ではではない。
相手の思考を操れるのならば、行動すらも誘導できるだろう。

だが、あまりに現実から乖離した内容は破綻する。
下手な嘘は自らの首を絞めるだけだ。

「『両親が研究所の関係者だったんです。私の両親が研究者だったってご近所だったお姉ちゃんも知っているでしょう?』」
「…………そう言えば、そうだな」

研究で両親が多忙であったみかげの世話を焼いていた。
そんな思い出がみかげの脳裏に思い出される。

「信じて貰えないかもしれませんが、私なら研究所を案内できます」

案内役を自ら買って出る。
これならば、しばらくは時間を稼げるだろうし、何より珠たちからも遠ざけられる。

「私の言葉を、信じてもらえますか?」
「ああ。お前の言葉を信じるぜ」

真珠はみかげを肯定する。
その言葉は嘘ではない。
異能は確実に働いていおり、真珠はみかげの言葉を信じている。
それは確かだ。


72 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:35:39 R6cHkFCc0
「だが――――――」

狙いを定めるように銃口が向けられ。
引き金指がかかる。

「…………え?」
「――――さよならだ。みかげ」

複数の発砲音が響いた。
確実な死を与えるべく、2発の弾丸が少女の頭と胸に吸い込まれるように向かっていった。
少女から2輪の赤い花が咲く。

確かに真珠は異能の影響を受けていた。
だが、何の違和感も覚えていなかったわけではない。

珠が記憶の齟齬に発狂したように、破綻した大量の情報は脳に強い負担をかける。
だが、珠の発狂はその根底にみかげへの信頼があった。だからこそ、その信頼を裏切る情報に混乱をきたしたのである。
感情を挟まないのならば、スヴィアのように齟齬を処理する理性と知性があればこの矛盾は処理できるのだ。

最初の質問からして、みかげは研究所と特殊部隊が一枚岩でない事すら理解していないのは明らかだった。
にも拘らず彼女は研究所の関係者であると答えた。
如何に異能で説得力を後付けしようと、異能以外の証言の部分で矛盾していた。

それを理解しながら真珠が研究所について尋ねたのは念のためと言うのもあるが、違和感に対する確認でもあった。
そもそも、顔を隠し個人を特定できる要素のない真珠の知り合いを名乗った時点でおかしな話である。

なにより、相手を疑ってかかるのが仕事な潜入員が、相手の言葉を頭から信じている。
そんな自分自身こそが真珠にとっての最大の違和感だった。

故に結論は黒。
みかげの言動からは何らかの虚偽、誘導する意図が見受けられた。
質問に応じたのだって殺す前提の冥途の土産だ。

殺す前に話してもいいかと言う程度の情を与える事には成功したが、そこまでだ。
真珠は異能によって植え付けられた昔馴染みとしての情は確かにあるにも関わらず、みかげを撃った。

親兄弟であろうとも任務のためなら殺す。
そういう手合いの人間がいるという事をみかげは理解していなかった。
勉学に勤しみ友人と遊び恋に思い悩む、そんな当たり前の日常に生きる女子高生では無理からぬ事だろう。

あるいは利用価値があれば生かす道もあっただろうが。
そうでないのなら身内であろうと例外は許されない。
それが彼女なりの矜持である。

昔馴染みの妹分だった少女への、せめてもの手向けとして相手をしてやったが、随分と時間を取られてしまった。
逃げた2人を今から追うのは不可能、とまでは言わないが、追いつけるかどうかは厳しいラインだろう。

トントンと指で拳銃の腹を叩きながら、ブリーフィングで山折村の地形情報を思い返す。
現在位置は作戦行動区分で言うところのD-4辺り。
高級住宅街と商店街の間であり、どちらかと言えば商店街が近い。

まともな判断力があるのなら商店街に逃げ込むだろう。
その判断は正しい。
痕跡の残りやすい草原であれば足取りは終えるが、市街地に入られた時点で追跡は困難になる。
その上、入り組んだ地形で土地勘を生かして逃げられては、後追いで探し出すのはかなり厳しい。

だが、真珠からすればようやく出会えた正常感染者たちである。
ただの女学生が研究所について知っているとは思えないが、意外な手合いが重要な情報を知っているなんて事も往々にある。
このまま見逃すのは惜しい。

追いつけるかは別として、ひとまず追ってみるとしよう。
そう決断を下し、地雷原を回避しながら市街地へと向かった。

【上月 みかげ 死亡】

【D-4/草原/1日目・朝】

【黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.女学生二人(日野 珠、朝顔 茜)を追う
2.ハヤブサⅢのことを知っている正常感染者を探す。役に立たないようなら殺す。
3.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています




73 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:35:58 R6cHkFCc0
「はぁ…………はぁ。大丈夫、珠ちゃん?」

茜に引き連れられ珠は商店街にまでたどり着いた。
その表情はどこか心ここにあらずと言った風に呆けている。
それは、置いてきたみかげを気にかけていると言うのも確かにあるが、それ以上に。

『あなたの記憶、あなたの想いはあなただけのモノだから。大切に…………大切にしてね』

別れ際のみかげの言葉が脳裏を離れない。
頭の中で繰り返しのように響いていた。
それは、徐々に広がるように脳内を駆け巡り、絡まった糸のような彼女の記憶を解きほぐしていった。

それは異能による記憶改竄の否定。
自らの行いを清算するために少女が残した最後のひとかけら。

だが、その影響は思いもよらぬところにまで及んでいた。
それはみかげの与えた異能のみならず、それ以外の要因による記憶操作にも影響を与えた。

「思い…………だした」

珠の脳裏に思い浮かぶのはあの日の草原。
探索をしていた珠が見たのは白衣を着た研究所の人間たち。
それだけではなかった。

白衣の男と、それに手引きされ秘密の入り口のような場所に案内される何者かだった。
どこかの国の工作員か、それとも国家転覆を目論むテロリストか。それが何者であるかなど珠は知るよしもない。
ともかく彼らは研究所にいる内通者の手引きによって、侵入口を確保していた。

それが何か、揉め事があって殺された。
これが珠の目撃した顛末だ。

研究所に潜り込んだ内通者。
研究所を狙うどこかの組織。
そして研究所の入り口。

研究所に繋がる重要な情報。
それが誰にとってどんな意味を持つかも理解できないまま。

その全てを少女は見た。
そして思い出した。

朝になれば須らく夢は醒める。
目覚めた現実がどれほど辛く苦しいものであろうとも。

【E-4/商店街入り口/1日目・朝】

【日野 珠】
[状態]:錯乱(中)
[道具]:なし
[方針]
基本.思い……だした。
1.みか姉…………。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました

【朝顔 茜】
[状態]:健康
[道具]:???
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.特殊部隊から逃げきって上月さんと合流する
2.優夜、氷月さんは何処?
3.あの人(小田巻)のことは今は諦めるけど、また会ったら止めたい
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※能力に自覚を持ちましたが、任意で発動できるかは曖昧です


74 : 目覚めの朝 ◆H3bky6/SCY :2023/03/20(月) 21:36:32 R6cHkFCc0
投下終了です


75 : ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:54:39 chNwpiC.0
投下します


76 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:55:08 chNwpiC.0
今をときめく天才探偵少女は、いまだ十二歳の小学生。
子供にミスの一つや二つあって当然、責めるものなど誰もいない。

けれども彼女は探偵でありながら、恋に恋する純情少女。
恋を本とウワサで知る、恋愛経験ゼロ年生だ。
厳しい訓練を積んだ一流エージェント・天原創ですら、異性を前に鼓動は抑えきれない。
まして、同世代と隔絶して人恋しかったアニカに、甘酸っぱい感情を御する経験などあるはずもなく。
ゆえに抗う術を知るはずもなく。

特殊部隊の抹殺任務という前情報、過去の経験による先入観、そして今しがた見た悪夢。
言葉の選択をあやまつには十分すぎるバッドコンディション、加えて彼女の聡明さを剥ぎ取る厳選キャストたち。
若気の至りともいえるその短絡さ、その答え合わせには間を置かない。


(あっ、殺される……?)

蛇に睨まれた蛙。猫の前の鼠。鷹の前の雀。
天敵に標的とされた獲物たちはあまねくこのような恐怖を味わっているのだろうか。
心臓を握りつぶすような冷たい殺意は、か弱いその身をぶるりと震わせる。
これまで逮捕に導いてきた凶悪犯罪者たちは、ただの犯罪者ごっこだったのだろうか、そう思えるほどに鋭く冷たい殺気だ。
天宝寺アニカはようやく己の失言を悟った。

同時に、事態は動き出した。
ダン、と、フローリングの床を足で打ち付ける音が聞こえた。


真理の即応力は部隊随一。
その割り切りの速さ、切り替えの速さは、電光石火さながらである。
対峙した相手からすれば、減速せず、ウィンカーも出さずに右折してくる車のようなものだ。
初動に至るまでには一切のラグはなく、故に予測不能。


だが、動いたのは真理ではなかった。
家屋を揺るがすかのような強烈な踏み込みの重低音を響かせたのは哉太であった。

真理を上回る反応を見せたわけではない。
例えるならば、早押しクイズで問題を聞いてからボタンを押すか、最初の一節でボタンを押すかのようなもの。
真理がアニカの語った内容に基づいて決断したのなら、哉太はアニカの声の調子に基づいて決断した。
そのタイムラグはそのまま初動の差に帰結する。
初動の差は特殊部隊員と一般剣術家の差を大きく埋め、タイミングを逆転せしめた。

哉太の強烈な踏み込みは、これより猛撃体勢に移るというこれ以上ないアピールである。
なれば真理にはライフルを選択する余地などない。
選ぶべきは近接武器。
肩から下げた警棒、その一択。
出遅れた以上、まずは攻撃よりも防御である。

条件反射的に飛び退き、予測される脇差の一撃を叩き落すことにすべてのリソースを捧げる。
異能を無意識に発動させながら、上下左右あらゆる方向からの一撃に対応できるように気を巡らせる。


だからこそ。

哉太が攻撃に移らなければ、そこに空白の時間ができる。

「アニカ! 俺の真後ろに付け!」
「Got it!」

端的に言えば哉太のそれはフェイントであり、時間稼ぎだ。
真理は警棒のホルダーに手をかけ、哉太は脇差の柄に手をかけた。
まさに一触即発、だが互いに武器は抜かれない。
武器を抜けば、あとは殺し合いだ。
今が事態の分水嶺。


77 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:55:26 chNwpiC.0
哉太とはすみ、そしてアニカは玄関から見て上座の位置に、真理は下座の位置に。
他方、夜帳は比較的真理の位置に近く、誠吾は客間のすぐ外、玄関の軒下で見張りをしている。
来客応対マナーからすれば赤点の席次案内、招かれざる客を迎え入れるにあたっては最適解。


目算、この場の最大戦力は哉太である。
真理が仮に人質を取るならアニカ一択。次点ではすみとなろう。

真理の同行者の二人は人質足り得ない。
夜帳は薬剤師でありながら毒にも薬にもならず、
誠吾はじゃれ合いレベルながら哉太と言い争った。
そもそも哉太たちから見ても立ち位置がグレーゾーンの二人である。
無理に人質にしたところで窮地に陥るのみ、脅しにはなり得ない。


(あの人の孫なのよね。
 やっぱり銃弾斬れる技量はあるのかしら……ああもう、最悪!
 落ち着け、相手に隙を悟られちゃダメよ。正面突破、退却、交渉、どれにする……?)

最初の一手に先手を取られた時点で空白の期間を生まざるを得ない。
外部からの変化を期待するのは悪手だ。
奥からさらに人が現れるか、八柳藤次郎がいよいよ到着するか、あるいは真里の前科を知る女学生二人が到着するか。
いずれも真理にとってはマイナス要素でしかない。

正面突破は厳しい、人質も封じられた、となれば退却か交渉か。
客間の壁に取り付けられた厳かな掛け時計の秒針が時を刻む。


他方、哉太にとっても、楽観視できる状況ではない。
(一瞬あれだけの殺気を向けてきたくせに、何事もなかったかのように凪いでやがる。
 あのマザコン野郎と違って隙もねえ、いや、隙があるのかどうかが分からねえ。
 モザイクがかかってるような得体の知れない相手だ。
 どうする? このまま退くのを待つのか?)

アニカとはすみは後方部隊、特にはすみは異能を含めても一切の戦闘力を持たない。
良くいえば守るべき非戦闘員、悪意のある言い方をすれば足手まといだ。
相手が真理だけなら哉太自身が前衛として壁となれるが、同行してきた夜帳と誠吾の立ち位置が定まらない。
三人を相手取るほどの体力も残っていない。


チッ、チッ、チッと、幾度秒針が刻まれただろう。
十か、三十か、六十か。


緊張の糸は秒を追うごとに張り詰め、けれど激情は秒を追うごとに緩まっていく。
本能から理性へとスイッチが切り替わっていく。
どちらかの深呼吸が聞こえた。
それが合図だった。

「話し合いをしましょうか。
 お互いに誤解があるようだから」


交渉に臨むための両輪とは、建前と武力。
平和を望むという建前。
実力行使に出れば痛い目を見ると思わせるだけの武力。
どちらが欠けても成り立たず、そしてどちらの陣営にもそれらは健在である。
真理は哉太も、身を守っただけだという建前が通じる。
だから言葉が引き出せる。
言葉を引き出せた時点で、初動対応で軍配が上がったのは哉太である。

(最悪の事態は回避できた。
 だが、まだ気は抜けねえ……。
 この女はクロに限りなく近いだろ)
(寿命縮んだ……。マジ早まった……! まだよ、まだ言い訳は通じるはずよ。
 退くにしても心象は上げておかないと後で詰むでしょ。さすがにこの場の全員敵にまわすのはヤバいって!
 落ち着きなさい、冷静に冷静に、気取られちゃダメよ……)
(バカバカバカ! 何やってるのアニカ!
 これじゃパートナー失格じゃない!
 ……calm down。さっきのミスは忘れなさい! 話し合いが、『話し合い』が始まるんだから)
(小田巻さんの異能には興味がありましたが、一瞬見せたあの気迫。
 本当に特殊部隊ならば実力行使は厳しいですね。
 八柳さんも閻魔さんとは隔絶した実力の持ち主のようだ。迂闊な行動は致命的ですか。
 リンちゃんには及ばずとも、素晴らしい女性たちがいるのですが……。番犬たちが邪魔だな)
(ふぅん、特殊部隊、ね。
 これまでの証言にウソはなさそうだけれど……。
 青、赤、青、赤、赤……。そして一番赤いのは月影さん、と。なるほどね、誰に付くのがいいのかな)
(特殊部隊という言葉が出たのにはびっくりしたけれど……、彼女はずっと対話の姿勢を崩していませんよね〜?
 感情任せの強行は、ときに取り返しのつかない事態を招くわ。
 哉太くんだって、その恐ろしさはよく知っているはず。同じ轍を踏ませないようにしないと……)





78 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:55:42 chNwpiC.0

特別警戒態勢。
哉太も真理も、いっそ過剰なまでの警戒心を以って対坐する。
真理の警戒心に呼応して、その異能が静かに真理を包み込み、感情をベールの向こうに覆い隠していく。

「こういう誤解を招くから、不用意に口に出したくはなかったんですけどね。
 『元』陸上自衛隊特殊作戦群、小田巻真理。
 二カ月前に離隊しています」

これが特殊作戦群『SOG』から秘密特殊作戦群『SSOG』へと転属した彼女の、正式な書類上の経歴である。
アニカに出会ったのも試用期間であり、時系列にも矛盾はない。

他組織の引き抜き、自衛隊上がりの叩き上げ、経歴に関わらず、SSOG所属後に骨の髄まで叩き込まれることはただ一つ。
日本国に秘密特殊作戦群など存在しない。
この原理原則である。
これを貫くことに一切の違和感も罪悪感もない。


「で、その『元』特殊部隊様がよ、なんだってこんな辺鄙なド田舎に来てるんだ?」
「哉太くん!」

哉太のねめるような態度と憎まれ口を、はすみがぴしゃりと遮った。

「やりとりは始終見てたから、気持ちは理解するわ。
 だけど今一度、言葉に気を付けて、ね。
 あなたは一度、気持ちを落ち着けたほうがいいわ」
「……はい」

話題の当事者が目の前にいると分かっていても、不用意な言葉は控えるべきだと分かっていても、どうしても言葉が攻撃的になってしまう。
その自覚がある。
話し合いははすみに任せて、哉太は素直に後ろに下がった。

「カナタ、カナタ」
「なんだよアニカ」
「Don’t be sad instead be happy。」
「いや、分かってるって」

哉太は後ろ目でアニカを意識すると、ばつの悪そうな顔で頭をぽりぽりと掻いた。
真理が実力行使に出ないように、番犬のようにどっしり構えておくべきだろう。
そう考え、どすんと腰を地に着けて座るが……。

(なんだ、この違和感)
顔を見ているのに記憶に残らない印象の薄さ、背景のように薄い存在感。
特殊部隊関係者であることを隠す必要がなくなったからか、それともこれが異能なのか。
全力の警戒すら容易くすり抜けてきそうで得体が知れない。
武芸を修める哉太だからこそ気付いたのかと思ったが、アニカも無言で冷徹な視線を向けている。
ならばおそらく、はすみも夜帳も誠吾も気付いているはずだ。


「真理ちゃん、話を続けようか。
 二人はある意味当事者だし、話を進めるのは、しがらみのない人間のほうがいいでしょ?」

真理の違和感に気付いたのか気付いていないのか、誠吾も見張りの片手間に会話に入り込んでくる。

各々立場は異なるも、全会一致で避けるべきことがらは一つ。
疑念を膨らませない。
膨らみすぎればやがては爆弾のように破裂し、周囲に大きな混乱をもたらす。
争いに発展し、被害者が出るのは誰も望まない。
探り合う空気の中、真理の申し開きが始まる。


79 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:56:01 chNwpiC.0
「なぜ私がこの村にいるのか、ですよね?
 大した理由じゃなくて悪いですけど、ただの旅行ですよ」
「旅行? ということは、観光かな?」
「そう。再就職活動で疲れ切った心と身体を、大自然の中で癒す。美味しいお酒と食事で英気を養う。
 これが自分を労わるということでしょう?」
「ああっ、分かります〜。
 私もきつい仕事を終えた後は、すい〜と・お〜くまや山オヤジさんのお店によく寄るんですよ〜。
 美味しさは、煩わしさも不安も、みんな吹き飛ばしてくれるんですよね〜」
「そう、それよそれ! そういうことよ!
 私には心の洗濯が必要なの。命の水が必要なの!」
「カナタ、この人たち、ダメな大人の香りがするわ!」
「あなたたちも大人になれば分かるわよ、この理不尽な世の中がさ」
「ええ、ええ、ウイルス流出だなんて、本当にふざけていますよ〜。
 こんな不満、溜めておいてもいいことなんてありません。
 私が聞きますから、つらいこと、全部ぶちまけちゃってもいいんです。ね?」

盛大に口論し、謂れのない疑いをかけられて、ささくれ立った心に捧げられる共感。
聞き上手で性格の悪い同僚にいつもそうしてもらうように、
傷心を労わり、焦慮を鎮め、心に溜まった毒素を絞り出しては、薬湯を染み渡らせるように癒していく。
北風に対する太陽のように、冷たい感情をときほぐしていく。
専門の訓練など受けていなくとも、派閥を渡り歩いて親世代の老人たちを仲裁し続ければ自然と身につく対人技能だ。
同調は尋問の基本姿勢である。

「つらいこと? 言いたいこと? 山ほどあるに決まってるでしょう!?
 何がバイオハザード、何が女王、何が村の呪い。
 私は一切関係ないでしょうが!!
 私は今回のことは100%無関係なの!
 なのに斬り殺されかけるし、いきなり疑われるし!
 無実の証拠だってあるんだから!」

腰のおしゃれなポシェットに手を突っ込み、満を持してバシン! と叩きつけたのは、カギ、三枚の紙ペラ、そして一枚の台紙だ。

古民家群に居を構える忍者屋敷さながらの民宿『ひだ』のカギ。
三枚の紙ペラは、領収書だ。
『ふわふわけ〜きオムレット』。
『くそうめぇ〜せうゆ』。
そして地酒『山折』三合分。
昨日の至福の軌跡を示す三枚である。

そして、山折村観光スタンプラリーの台紙。
ご当地ヒーロー山尾リンバが地域活性化プロジェクト:『山村▲むすめ』に扮し、
てくてくと歩くイラストが付いたファンシーな台紙である。

「VHの後に宿を取ることも、スタンプを押すことも、領収書を発行することも不可能!
 これこそが、私がこのVHに関わっていない鉄壁の証拠です!」

バス停前、すい〜と・お〜くま、そして山オヤジのくそうめぇら〜めん。
レシートの軌跡どおりにぽすん、ぽすん、ぽすんとスタンプが押されている。
神社のスタンプは残念ながら空白だ。八柳剣術道場も空白である。

「なるほど、内容も日付も、これなら潔白の証明になるね」

まさに昨日からこの村に滞在していたという鉄壁のアリバイだ。
なにより、作戦前に三合の地酒を飲むなど、考えるまでもなく隊員として落第だろう。

「……Sorry、Ms.マリ。あなたのことを誤解していたみたいだわ。
 昨日から滞在していない限り、これらを用意することは不可能ね」
「では〜、お互いに不幸な行き違いがあったということで……」


アニカは、呑み込む。
容疑を、疑念を、その可能性を、ひとまず呑み込む。
彼女自身が探偵であるからこそ、そして一度は真理を出会い頭に告発するという失態を犯したからこそ、もう勘だけで黒だとみなすことはできない。
平時の殺人事件であればアリバイ崩しも試みるだろうが、今はそのような行為に意味はない。
もし怪しいと感じたなら、丁寧な身辺調査を以って、あらためて内情を探るしかない。
探偵が活躍できるのは犯行後、百歩譲っても今まさに行われようとする犯行のみ。
起こりうる事件に対して先んじて打てる手は限られるのだ。


けれど、この場にいるのは様々な経歴と職業の六人。
アニカの信条に沿ってコトが進むはずがない。

「少し待ってください」
「えぇと、どうしましたか、月影さん?」
「小田巻さんがただの観光客なのは分かりました。
 ですが……。だからこそ特殊部隊と繋がりがないというのは、早合点では?
 内通者だという可能性は排除できませんよ」


80 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:56:18 chNwpiC.0
「えぇと……、どういうことでしょうか〜?」

はすみの仲裁に待ったがかかる。
声の主は、それまで沈黙を守っていた月影夜帳だ。

「小田巻さんが観光客であることと、特殊部隊の仲間だということは両立するでしょう?
 VHが起こった後に特殊部隊の側に引き入れれば良いわけですから」

彼が何を言いたいのか、アニカは察した。
そもそも真理がクロ、かつ特殊部隊が絡むとすれば、可能性は三つ。

最も可能性が低いのは、元々研究所がこの村でVHを起こすつもりで準備をしていたパターン。
現実性は限りなく低い上に、疑いの種があちこちにバラ撒かれる危険な考え方だ。
加えて、元々計画されたものだったとすれば、内情を知ると思わしき虎尾茶子にも飛び火しかねない。
すべての不可能を除外した後に残ったならば選ばざるを得ない程度の可能性であろう。

一つは、特殊部隊が人海戦術で正常感染者を少数作成していた、
あるいは臨床実験前のワクチン等を入手しており、抗体を得た隊員を送り込んできたパターン。
治療方法が確立しているならば可能性としてはゼロではない。
もっとも、先ほどのスタンプシートとレシートで明確に否定されたパターンでもある。

もう一つ、それらより格段に、確実に実行されうるパターンが存在する。

「Ms.マリは村を封鎖している特殊部隊じゃないわ。
 けれど、村内に正常感染者の元隊員がいると分かっているなら、特殊部隊が秘密裏に接触して協力を仰ぐ可能性は否定できない。
 she's a spy。そう言いたいのね?」
「ええ、ご明察の通りです」

ただの一般人ならば、スパイとして現地で雇うにはあまりにもリスクが高い。
だが、勝手知ったる元隊員ならばどうか。
部隊の気風もやり方も熟知している。
まさに即戦力となるだろう。

緊急条項として書類や法律に明記されているかどうかは問題ではない。
夜帳にとって重要なのは、『それができそうだ』ということである。


「驚きました。ものすごい想像力ですね。
 副業に作家でもやってみたらどうかしら?」

真理はスパイではない。特殊部隊からの刺客でもない。
夜帳の言い分は100パーセント難癖だ。
鼻で笑いとばすべき軽虚な妄想だ。
――探られて痛い腹がなければ。

気丈に振る舞いつつ、真理の内心で滝のごとく汗がしたたり落ちる。
無意識に、左手で右腕の火傷を庇うように覆い隠してしまう。
強く疑われているこの状況自体が、村での前科二犯の真理にとって看過できるものではない。
人生のツケは最も苦しいときに必ずまわってくるという言葉を思い出した。

最初に取り逃がした女学生が接触してくれば、あるいは八柳藤次郎を押し付けた女学生が逃げ延びて来たら、天秤は容易に傾き転覆するだろう。
かといって、助けてくれた女学生を襲いました、女学生にあなたの親族の殺人鬼を押し付けて逃げましたなどと今さら告白したところで、
心象は悪化の一途をたどるだけだ。

そもそも気丈に振る舞うべきではなかったのか?
恥もかなぐり捨てて哀れさを演出すべきだったのでは?

証明すべきものからして、間違っていた。
求められるは、安全ではなく、安心。
必要なのは、『やっていない』証拠ではなく、『これからもやらない』証拠だったのだ。
そんなもの、すぐには出せない。

あらゆる過去が牙を剥き、焦燥が心を蝕む。
けれど、彼女に宿った異能はまわりにそれを決して悟らせない。


81 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:56:31 chNwpiC.0
「月影さん、その仮説はいささか強引ではないかしら〜?」
「Mr.ツキカゲ。可能性だけは確かに私も考えた。
 けれどこれはquibble。言いがかりでしかないわ」
「そのとおりだ。私は小田巻さんを根拠もなく疑っています。
 ですが、みなさん多かれ少なかれ、その可能性に行き着いているはずでしょう?」
「……」
そんなことはない、そう強く否定することはできない。
それは、この期に及んで危機感に欠けるお花畑だということを白日の下に晒す行為だ。
はすみが多少強引にでも和解を優先したのは、藤次郎の件があるからだ。
哉太や夜帳ほど真理を強く疑っているわけではないが、完全なシロと決めつけてもいない。

「それでも、追放するのはどうかと思うのだけれど……」
「小田巻さんが一般人ならともかく、武器を持った元特殊部隊ですよ?
 ……恥を忍んで言いますが、私は臆病な小心者だ。
 こちらの情報がすべて搾り取られた挙句、準備万端の特殊部隊が突入してくるなんて情景すら浮かんでしまう」

夜帳の懸念もある意味当然のものではある。
もはやこれは常識や理論の問題ではない。
真理の信用の問題なのだから。


「哉太くん、君はどうだい? さっきから険しい顔をしているようだけど?」
「一つ質問をして、結論を出したい。
 小田巻サンよ、あんた数か月前まで部隊にいたんなら、装備とか、要注意メンバーのことは分かるよな。
 本当に特殊部隊と関係ないなら、そいつらの情報を教えてもらえるか?」

袋小路に陥っていく。
情報の漏洩は自衛隊法第59条に違反するが、そこは問題ではない。
問題はもっと根本的なところであり、かつ至極単純だ。
SSOGがどう動いているのか分からない。
なにより、SSOGに同僚を売れという要求はお話にならない。
だから、

「……それは、分からない」


こう答えるのが精一杯。
部隊の内実など紛れもない機密事項、そんなことは常識だ。
その常識が路傍の石にも劣るこの状況で、どこまでも非協力的なその態度は、決裂を想起させるには十分すぎる。
信頼関係を醸成しようとしない者は、他人からも信頼されない。

「機密事項だからですか? それとも、別の理由でも?」
「……」

夜帳のさらなる追及にも、真理は口をつぐむ。
哉太たちは間違いなく特殊部隊の情報を何か持っている。
そう確信している。
だからこそ、口から出まかせに答えることはできない。

仮に現役の特殊部隊員だと答えれていれば、部隊を売ることはできないという答えを返していただろう。
好悪はともかく、まだ納得感は得られる回答だ。
『元特殊部隊員』という半端な関係者のアピールが、彼女の評価を定まらないもの、理解し難いものへと落とした。
ミステリアスを通り越して、背中を見せてはならない人間だという領域まで押し出した。

「回答はありませんか。
 私はこの集団内の立ち位置が定まっていませんから、結論はみなさんに従います。
 間違いのない決定をしていただきたいものです」
「お互いに事情を呑み込むことは、……できなさそうね」
「はすみさん。悪いけど、俺はこの人に背中を任せるのは無理だ」

哉太は拒絶する。はすみもアニカも、それ諌める言葉を次ぐことはない。
信頼関係を醸成しようと努めず、煙に撒こうとする態度はデッドラインに抵触する。
加えて、警戒すればするほど真理の異能が強くはたらき、代わりにこの場にいる者の不信を買う。


もちろん、情報を伏せているのは真理だけだと思うなかれ。
真理とて、哉太たちがいくつも隠し事をしていることには勘付いている。

圭介から聞いた特殊部隊の襲撃に言及していない。
奥の三人を呼び出して、戦力開示をおこなっていない。
これら個々の事象にまでは行き着かなくとも、話の流れからも開示していない情報があることくらいには行き着いている。
けれど、それを指摘したところで何になろうか。
弁明の場にインプットされるのは不信感、アウトプットされるはもはや沈黙のみ。


「夜帳さん、見張りの交代いいかい?
 真理ちゃんも、哉太くんたちも、ちょっといいかな?」

煮詰まる状況、重苦しい空気。
誰が最初に口を開くか。
汗のにじみ出る張り詰めた空気の中で、声をあげたのは誠吾だった。

「僕が彼女を連れて行こう。
 僕が真理ちゃんを連れてここを出て行く。それでどうかな?」


82 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:56:41 chNwpiC.0
思わぬ提案だった。
誠吾が真理を連れて、袴田邸を出て行く。
落としどころとしては悪くはない。
真理は対話や弁明の足掛かりを得られ、哉太たちにとっては信用できない人間が袴田邸から離れ、
はすみの懸念したグループの分割が防がれ、そして夜帳にとっての邪魔者が二人も立ち去る。
それでも、これまでの会話の流れからすれば、若干の唐突さは否めない。

「一応、経緯を聞かせてもらえないかしら〜?」
「それは構わないんだけど、語る前に一つだけ、みんなに隠し事をしてたことを詫びないといけない。
 僕の異能は、実は光が見えるだけじゃないんだ。
 他人の心の状態を光として可視化できる異能だと推測している」
誠吾に向けられた五人の視線が興味から真剣みを帯びたものへと変わる。
特に顕著なのは月影夜帳であり、誠吾の目に映る色も鮮血を思わせる真紅へと変わっている。

「その異能で、彼女の潔白が分かった、ってことかしら、Mr.ウスイ?」
ある意味、刑事事件専門の探偵事務所に閑古鳥を鳴かせるような異能だ。
いち早く反応したアニカに対し、誠吾は苦笑いを浮かべる。

「ご期待に添えなくて悪いけれど、そこまで万能じゃないよ。
 具体的なことなんて何一つ分からないし、隠し事があるかないか止まりの精度だ。
 ロジカルな説明なんてアニカちゃんの足元にも及ばないし、
 真理ちゃんが天来の大ウソつきならばどうしようもないんだよね」


誠吾はばつが悪そうに、眉間に指をあてた。
使い勝手はあまりよくなさそうな異能だ。
それに、ここまでの話に、真理に付くような要素は一つもない。
首をかしげる女性陣に対して困ったような微笑みを浮かべ、誠吾は言葉を続ける。

「無実も秘密も見抜けない、とてもちっぽけな異能さ。
 それでも心を覗き見られるのは気持ち悪いだろうと黙っていたんだけど。
 この異能に意見を引っ張られるから、あまり話し合いにも口を出さなかったんだけど。
 けれど。けれどね。真理ちゃんの光が弱まってくのが見えるんだ。
 今も、赤い光が弱く、弱くなっているのが見えるんだよ」
「それは自業自得だろ?
 だいたい、気を落としてるから同情するってのは違うんじゃないのか?」
「そうだね。哉太くんの言うことは至極正しいと思うよ。
 けれど、同時にこうも思うんだ。
 傷ついているときに、一人も味方がいないことが、果たしてどれほど辛いことだろうって」


傷つき引き裂かれた心を労わるかのように、誠吾はゆっくりと、やさしく語る。

誠吾の回答に、約一年前の哉太の記憶が呼び起こされる。
あのときから、それまで笑い合っていたのが幻だったかのように、彼らの絆はあっけなく千切れて消えた。
山折圭介から罵倒され、日野光には険しい目を向けられた。
両親は日々憔悴していき、藤次郎は現実を受け入れきれずに困惑していた。
そんな中で、ただ一人。

『あたしは哉くんを信じてる。
 たとえ村中が敵に回ったとしても、あたしだけは哉くんの味方だから』
誰よりも先にかけられた茶子の言葉は救いだった。
十年来の親友に見放され、誰からも怯えの色を向けられ、生き地獄と化した村での日々に垂らされた救いの糸だった。


だから、誠吾の言うことが分かってしまう。
あのときの自分に、わずかに二人を重ねてしまう。
真理こそが祖父をハメようとしている大罪人だと思っていたのに、悪印象が覆い隠されてしまいそうになる。


83 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:56:51 chNwpiC.0
「教師ってのはロマンチストの集まりでね、成り行きで教職に就こうなんて人は一人たりともいやしない。
 一人一人に理想の教師像があるんだよね。
 僕のクラスの今期の学級目標はね、『地球上で一番たくさんの"ありがとう"を集めるクラスになろう』。
 僕は生徒たちに胸を張れるような、彼女らに恥じない人間でありたいんだよ」
「だから、小田巻さんに手を差し伸べる、ということなんですね?」
はすみの問いに、誠吾は大きくうなずいた。

「確かに彼女は隠し事をしていたのかもしれない。
 今も、僕らに言えないことの一つや二つは抱えているのかもしれないね。
 けれど、彼女も彼女なりにVHを解決しようとしてくれているだろう?
 僕はその志を疑わない」

真理は自分が特殊部隊関係者だということは隠していた。
だが、岳の仮説を伝えるにあたって、一切の細工をおこなっていない。
一言一言に付随する信用の動きを目視できるからこそ、その部分は疑っていない。


「彼女は僕とは比べ物にならないくらい心身ともに強くて、この村を一人で横断することだってできるんだろう。
 それでも、心が傷つかないなんてことはないでしょ?
 だって、人間だ。一人の女性なんだよ。
 今だって、僕の目には弱弱しい青い光が見えてるんだ。
 身を挺して戦って、誰からも顧みられないなんて、誰にも感謝されないだなんて、
 そんなのあまりに、あまりに報われないじゃないか」


どこか遠くを見ていた哉太が、ふうとため息をつく。
「いいさ、俺はこの人は信じてないが、あんたは信じよう。
 あんたが本気なら止めない。追いもしない。
 月影さん、あんたはどうだい?」
「彼女が私たちに関与しないのであれば、私は何も言うことはありません。
 彼がいる間は暗躍も不可能でしょうから。
 お互いに遭うことはなかった、それで構いませんよ」

大勢は決まった。
こうなればアニカもはすみも、二人に反対意見を述べることはない。
誠吾に手を引かれて、真理は袴田邸を後にする。


『諸君の存在は決して世に出ることはない。
 活躍が人の目に留まると思うな。感謝の言葉を期待するな。
 暗闇の中で汚泥を啜り続けるような過酷な任務が続くものと思え。
 そして、だからこそ、諸君らの心を決して裏切らない確固たる価値を持ちたまえ。
 もし諸君を心から信頼してくれる人間を見つけたならば、その人間を大切にすることだ』

奥津隊長から新人隊員への激励の言葉を、真理はふと思い出した。
誠吾の瞳に映る自身の鏡像に、サファイアのような輝きが宿っている気がした。





84 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:57:01 chNwpiC.0
誠吾と真理の二人は袴田邸を後にする。
無事に出で立つに際して、哉太から真理に言伝が一つ。
次に出会ったときに誠吾がいなければ、敵とみなして容赦はしない。
それが哉太たちから送られたメッセージだ。

八柳藤次郎排除のための共闘には至らず。
道行く人間に注意を促し、人によっては袴田邸へと送り込んでいくことになるだろう。

当面はもう一つの言伝、嵐山岳の唱えた解決策を実行するため、研究所を目標とする。
もっとも、場所が分からないため、当面の目標は登記情報のある村役場、あとは道中の放送局か。
緊急時ともなれば、村長室に入ってマル秘印が押された記録を覗くくらいは許容範囲だろう。

「さっきはごめんね、一人で語っちゃったけれど、ちょっと恥ずかしかった?」
「あの状況で恥ずかしがる余裕なんてありませんでしたし。
 それに、あそこまで言われたら、なんていうか、悪い気はしません。
 さっきの言葉どおり、私だって一人の人間なんですから」
「そうか、よかった。
 ……これは独り言なんだけどさ。
 君が今日までに何をしてきたか、僕は問わない。
 もし、君が仮に村の人に手出しをしていたとしても、僕は責めない」
「それは……」

視線を右腕の火傷へと落とした。

「何も言わなくていい。仮にそうだったとしても、それだけの理由があったはずだから。
 僕が君を守るよ。
 強さなら、君の足元にも及ばないかもしれないけれど。
 言葉の刃から君を守ることはできるはずだから」

真理と目線を合わせ、心を見透かすような透明な瞳で、心の深層まで届く声で。

「僕はあなたを信じるよ」

それまでの軽薄さを消し去り、ささやくように言葉を乗せる。
傷んだ心に言葉が染み入り、心の内側で反響する。
そのシンプルな言葉は一笑に付すにはあまりにも甘美だった。

真理の心に蒼炎が灯る。
特殊部隊という鬼札は決して逃さない。
じわりじわりと毒のように広がっていく信頼に、誠吾は心の中でほくそ笑んだ。





85 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:57:11 chNwpiC.0
袴田邸の軒下で誠吾と真理の背を見送りながら、哉太は神妙な顔をして佇む。

「カナタ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。ちょっと嫌なことを思い出したもんでさ」

一年前のあの日、山での特訓から帰宅する最中の出来事。
頭からわずかに血を流しつつ、森の中を誰かに追われるように必死で逃げる日野珠の姿を目にした。
珠に声をかけようとしたが、気配を感じて珠の後方に目を向ければ、彼女を追う何人もの見慣れない連中の姿があった。
只事ではないと彼らの前に立ち塞がり、何をしていたのかを問いただすと、回答はこうだ。

『我々は山で倒れていた少女を見つけて診療所まで運ぼうとしていた。
 だが、目を覚ました少女が錯乱して逃げ出した、それを追っていたのだ』

けれどもあの珠がその程度であれほど取り乱すとは思えない。
哉太はその回答に疑念を抱き、連中との間にひと悶着起こしてしまったのだ。
それでも哉太の、八柳流門下生の名誉にかけて、流血沙汰には至っていない。

その翌日。
哉太は傷害事件の加害者として取り調べを受けた。


相手は村長の招いていた医療研究者。
弁解しようにも、すでに村中に噂が広がっていた。
珠に無実を証言してもらおうと必死で詰め寄ったが、何も覚えていないとの回答しか得られず、光や圭介から眉をひそめられた。
誰も来やしないだろうと横着し、修行場に残していた木刀からは血液の付着が確認され、信頼が崩れていった。
現場付近から珠の血液も発見され、木刀に付着した血液に珠のものも混じっていたことで、より亀裂も深まっていった。
残ったのは哉太が暴行をはたらいたという証言と、珠にまで手を出したのではないかという疑惑。
友人の絆をずたずたに引きちぎるには、十分だった。

今思えば、あれが『研究所』の連中であり、珠は何かを知ってしまったのだろう。
そして自分は村への憎悪を植え付けられ、村を出て行ったということになる。
だが、研究所への憎悪よりも今は。

「茶子姉、無事かな……」
あのどん底にて、無条件に信頼を示してくれた茶子。
研究所について何かを知る彼女の安否が、今は無性に気になる。
彼女が研究所側の人間だということを知らず、藤次郎の凶行も未だ受け入れきれないまま、哉太は探し人を思いやる。





86 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:57:32 chNwpiC.0
誠吾たちが邸宅を出て行ったあと、夜帳もあらためて和義やリンの行方に関して尋ねるが、やはり求めていた答えはない。
だが、高級住宅街から古民家群へ最短距離で移動するなら、この周辺は必ず通過するはずだ。
(田園地帯を経由して大回りか、あるいは商店街の南側を迂回しているのでしょうか?
 当初は学校を目指していたのだから、宇野さんの自宅は古民家群のでも北よりの位置にあるはず……。
 であれば、今しばらく、時間には余裕がありますか)

そんな考え事をしつつ、廊下を徘徊していると、はすみとばったり鉢合わせた。

「あ、月影さん。どちらに行かれるんですか〜?」
「ああ、ちょっとトイレに行こうと思いまして。
 それから、万が一のときのために家の構造を確認しておこうかと」
「まず、トイレは反対側ですね〜。
 それと、向こうは眠っている子たちがいますから、お静かにお願いします。
 もうそろそろ起きてくる時間だと思いますけれど」
「ああ、わざわざすみません」
「いえいえ〜、それとこの家の地下室には行かないほうがいいですよ。
 家主の袴田さんが地下室の扉の向こうでゾンビになっているようで〜」
「分かりました。気を付けておきます」
「それと、もしよければなんですが〜、後でみなさん診ていただけませんか?
 もちろん、月影さんが専門のお医者さんではないことは理解していますけれど」
「それは構いませんが、皆さん了解はしてくれますかね?」
「そこは立ち会いますし、私からも説明します」

医師のように診察することはできないが、たとえば痛みに応じた薬を処方することなどはできる。
ロキソニンと限定しないが、痛み止めなどの処方も可能だろう。
何より、問診にかこつけて、全員の異能と性格を把握する機会かもしれない。
邪魔な大人二人が出て行き、異能抜きで障害になり得るのは今のところ哉太のみ。
八柳藤次郎が気になるが、未だ姿を現さない。
真理の出まかせだったか、別の獲物を見つけて道を逸れたのかもしれない。
ならばこちらもしばらくは余裕があるだろう。
夢に邁進するために、夜帳は考えを巡らせていく。

真理という分かりやすい異分子に眩まされ、袴田邸の面々は危険人物の存在に気付かない。
祖父の乱心という情報に気を乱されて、過去の傷跡に捉われて、彼ら彼女らは内憂にたどり着かない。
信頼という闇に紛れ、吸血鬼はより深みへ深みへとその身を潜ませていく。


87 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:57:45 chNwpiC.0
【D-4/袴田邸/一日目・朝】
【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、全身にダメージ(小・回復中)、顔面に腫れ(回復中)、頭部からの出血(回復中) 、疲労(大)、精神疲労(小)
[道具]:催涙スプレー(半分消費)、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、包帯(異能による最大強化)
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.休んだらここにいる皆からHearingするわよ。
2.Ms.チャコが地下研究施設について何かを知ってるかもしれないわね。
3.私のスマホどこ?

※他の感染者も異能が目覚めたのではないかと考えています。
※虎尾茶子が地下研究施設について何らかの情報を持っているのではないかと推理しました
※異能により最大強化された包帯によって、全身の傷が治りつつあります。


【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、全身にダメージ(中・再生中)、臓器損傷(再生中)、全身の骨に罅(再生中)、疲労(大)、精神疲労(中)、山折圭介に対する複雑な感情
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.見張り中
2.アニカの推理を手伝う。
3.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
4.爺ちゃんが虐殺なんてしてるわけないだろ! ないよな……?
5.圭ちゃん……。


【犬山はすみ】
[状態]:異能理解済、疲労(大)、異能使用による衰弱(大)、ストレス(中)
[道具]:救急箱、胃薬
[方針]
基本.うさぎを探したい。
1.アニカの聞き取りの準備をする
2.今は自分とここにいる子供達のことを考えて、休憩する。
3.生存者を探す。



【月影 夜帳】
[状態]:異能理解済、ストレス(中)
[道具]:医療道具の入ったカバン、双眼鏡
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.八柳哉太を遠ざける
2.和義の情報を得て、少女の誰かの血液を吸う
3.和義を探しリンを取り戻して、リンの血を吸い尽くす

※吸血により木更津閻魔の異能『威圧』を獲得しました。


88 : 情操ネゴシエーション ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:57:58 chNwpiC.0
【D-4/一日目・朝】

【小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾5/5)、血のライフル弾(10発)、警棒、ポシェット、剣ナタ
[方針]
基本.生存を優先。女王感染者を殺して速やかに事態の処理をしたい、が、迷いが生じている。
1.役場に向かう
2.女王菌を隔離するため研究所を探す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
4.結局のところ自衛隊はどういう方針で動いているのか知りたい

※まだ異能に気付いていません。


【碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図、寝袋)
    山歩き装備、暗視スコープ、ライフル銃(残弾5/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.真理の信頼を得て手札とする
2.役場に向かう
3.女王菌を隔離するため研究所を探す
4.捨て駒を集める

※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。
※真理の隠形には気付いていますが、異能かどうかは確信していません。


89 : ◆m6cv8cymIY :2023/03/26(日) 23:58:16 chNwpiC.0
投下終了です


90 : ◆H3bky6/SCY :2023/03/27(月) 20:41:28 ic5p2BPQ0
投下乙です

>情操ネゴシエーション
真理はたまたまいたSSOGの人間とか実際立ち位置が特殊すぎるのもあるけど、初動のやらかしが足を引っ張りすぎている。まあ実際やる気だったので言い訳できないんだけど……。
自らの手札を明かしてその心の隙間に滑り込む碓氷先生のやり口もなかなかに狡猾、確かに真理はボディガードとしては申し分ないがこのまま懐柔されてしまうのか特殊部隊。
そして真理の騒動を隠れ蓑にまんまと忍び込んだ吸血鬼、薬剤師というポジションも相まってまずいことになりそう。善人の集まりであるが故に眠ってる3人も受け入れてしまいそう。
少年たちの袂を分かった過去の事件も研究所がらみだったのか。この村もたいがいだがやはり研究所もたいがい元凶。


91 : ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:34:07 0.dw2qdU0
投下します


92 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:37:29 0.dw2qdU0
「行っちゃった。慌ただしい人ね」

赤い消防車で走り去ってゆく男の姿を見送って田中花子は他人事みたいに呟いた。
与田四郎も押し付けられた荷物をめんどくさそうに眺めるばかりで、去ってゆく男を見送りもしない。
ただ一人、氷月海衣だけが心配そうな顔で男の行く末を案じていた。

「……行かせてよかったんでしょうか?」

この村は危険地帯だ。
車内であればゾンビは近づけないだろうが、特殊部隊に見つかる危険性は高い。
ましてや村から出ていくなんて奴らが張っている網に自ら飛び込む自殺行為である。
止めてやるべきではなかったのかと言う海衣の問いに花子は悩むでもなくあっさりと答えた。

「別にいいんじゃない。何かあったのなら、それはそれで彼の運命でしょう」

返す花子の反応はドライだ。
彼女は全てを救うヒーローではない。
出会った人間すべてに責任を持つわけではない。

「それよりもセンセ。さっき手渡された荷物は何だったのかしら?」
「えっと、女の子向けの着せ替え人形みたいですね。こんな状況でこんなものを渡されても困るんだけどなぁー」

与田は心底面倒そうに呟いた。
人情など無いのか、その場に捨ててしまいそうな興味のなさである。

「…………それ、私が預かってもいいですか?」

海衣がそう切り出す。
その言葉に込められた並々ならぬ決意のような色を見逃さなかったのか花子が尋ねた。

「お知り合い?」
「はい、私が見捨ててしまった女の子です」

これまでの経緯は話しているが、少女の名前までは伝えていなかった。
海衣は洋子を見捨てた。
その事実を忘れてはならない、目をそらしてもならない。

「そう。一応確認しておくけど。受け取ってどうするつもり?」
「洋子ちゃんに届けます」

洋子は既に死んだ。
何をしようが彼女に報いることはできない。
それを理解した上で、意味のない事をしようとしている。

「ま、そうね。余裕があるのならいいんじゃない」

だが、それを花子は非難も否定もしなかった。
出会った時に喰らったお説教のように、無意味な感傷だとてっきり一言くらいはあると覚悟していたが。
ドライでありながら感傷を否定しない、不思議なバランスの人である。

「いいんですか?」
「ええ。どうせ最終的に病院に向かうのだもの。ついでにそれくらいは構わなくてよ。
 それに、善行は否定すべきことではないわ」
「善行……なのでしょうか?」

洋子は既に死んだ。
何をしようが彼女に報いることはできない。
これは死者へのお供え以上の意味はない。

「私はただ……自分が楽になりたいだけなのかもしれないのに」

洋子のために何かすることで、洋子を見捨てた自分の気を楽にしようとしているのではないか。
そんな、打算的な醜さが頭を離れない。

「固いわねぇ……これが若さかしら」
「ははっ。そう言う事を言うとなんかおばさん臭いですねぇ」

花子が与田の頭叩く。


93 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:38:44 0.dw2qdU0
「与田センセのちゃらんぽらんさを少しは分けてあげて欲しいわね」

はぁ……とため息を付いて、改めて海衣へと向き直る。

「いい海衣ちゃん。そうだとしても、だからと言ってそれは誰に咎められるような事でもないでしょう。
 責める人間がいるとしたならそれはあなた自身よ」
「………………」

海衣は何も言えなかった。
その通りだ。
海衣を許せていないのは何より自分自身である。

「自分自身を救う事は悪ではないわ。人助けを善行とするのなら自分自身を救うのもまた善行であるべきなのよ」
「それは……都合が良すぎませんか?」
「そうね。だから都合の良さを受け入れる図太さを持ちなさい」
「…………努力します」

自罰的になりすぎている。
そんな自分は海衣だって本当は嫌だ。
自分自身が誰よりも嫌いなのだから。

「ただし、あくまで余裕のある場合ね。自身を犠牲してでもなんてのはダメ。
 善行は自分自身を守って、その上で余裕のある人間が行う行為なんだから、身を切ってまでする事ではないと覚えておきなさい」

善行は自らを危険にさらしてでもするようなことではない。
講釈を垂れる花子はその価値観を正しく実践しているのだろう。
手の届く範囲の人間は助けるが、助けられない斎藤はあっさりと見切りをつける。
その割り切りこそが、彼女を彼女たらしめる天秤である。

「なら、私達の事も余裕があるから助けてるんですか?」
「それは違うわ。あなたを守るのは正当な取引による契約よ。与田センセの方は……まあそうかもね」
「えぇ……」
「冗談よ(半分くらいは)。研究所の関係者として、センセの情報提供は必要だからね。利害関係があるうちは守るわよ」

花子が与田も守護るだけの理由はある。
利害が一致しているうちは、と言う条件付きだが。

だが、それは一方的な契約ではなく与田だってそうだ。
花子の近くにいるから危険に巻き込まれることも理解しているが、花子の近くにいるから危機から守護って貰えるのだと理解していている。
それらを天秤にかけて、今は、花子に同行する道を選んでいるのだ。

そう言った取引によって成立する関係性を互いに理解しながら、軽い調子で飄々としたやり取りをしている。
そんな達観したような大人の関係は、今の海衣には理解できそうにもなかった。




94 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:41:03 0.dw2qdU0
「思ったより人がいないわね、商店街」
「いるにはいますけど……」

朝陽が上がった商店街からは荒廃と絶望が照らし出されていた。
建物の倒壊や道路の損壊により、商店街の風景は地獄のように荒廃している。
屋根は崩落し、ガラスは割れ、看板も落ちていた。
薄汚れた瓦礫が街路を覆っており、剥がれた街路のタイルが捲れ上がっていた

情報収集のために訪れた商店街ではあるのだが。
所々に人影があるにはあるが、それらはゾンビばかりである。
一見した限りでは正気を保った正常感染者はいなさそうだ。
地震発生が深夜だったこともあり、殆どが商店街で商いを営み店舗の二階を住居としている住民だろう。

「商店街にC感染者がいたとしても普通に考えれば建物の中に避難してるんじゃないですか?」
「まあそうよねぇ…………」

とは言え、建物一つ一つを当たってゆくのは現実的ではない。
かと言って大声で呼び回るわけにもいかないだろう。

「大通りを練り歩いてウィンドウショッピングと洒落込みましょう。
 誰か隠れているなら向こうからアプローチしてくれるかもしれないし」

ひとまず商店街の大通りを進み、誰かからのアプローチを待つ方針に決まった。
村民の海衣もいる上に、仮にも村医者をやっている与田もいる。
加えて3人組という事もあって、危険人物とは思われまい。
危険人物に襲い掛かられる可能性はあるが、それは花子が対応すればいい。

「ちょっと、ごめんなさいねぇー」

そう言いながら先頭を行く花子がゾンビを軽くいなして無力化していく。
自分は傷つかないことはもちろん、ゾンビも傷つけることなく制圧していっている。
いとも容易く行っているが、どれだけの実力があればできる行為なのか。
正直、海衣であればゾンビ一人に後れを取ってもおかしくはない。

「田中さんは何者なんですか?」

ゾンビを投げ飛ばし後ろ手に拘束していたその背に思わず抱えていた疑問を投げていた。
彼女がただの観光客ではないのは誰の目にも明らかだ。
果たしてその正体が危険なものではないと言えるのだろうか?

「それは、知らない方がいいわね」

そんな直接的な問いに対して、花子は曖昧に誤魔化すでもなく真正面から否定の意を示した。

「どうしてです?」
「世の中には知ってしまっただけで危うくなる情報もあるという事よ」

花子としてもこの期に及んで一般人を装って実力を隠すなどという事はしないが、自らの口から正体を明かすというのは憚られる。
それは彼女の請け負っている任務の特性上と言うのもあるが、それ以上に相手を慮ってのこともあった。

「とりあえず、私は謎の美女ってことで、納得してもらないかしら?」
「自分で美女言いますか」

ウインクを決める花子に与田が横からツッコむ。
どうにも緊張感の薄い2人のやり取りを厳しい瞳で眺めながら、海衣がため息をつく。

「……わかりました。あなたの正体は問いません。けど目的だけは聞かせて下さい。
 田中さんは……いえお二人はこの村で、これからどうするつもりなんですか?」
「そうね。いい機会だし、現状の整理もかねてお互いの最終目標をすり合わせておきましょうか」

なんとなく同じような目的で動いているという認識はあるが、言語化して明確にしておくのは大切である。
必ずしも一枚岩である必要はないが、最低限互いの目的が衝突しないかは確認しておくべきだ。
そうでなければ最終的に物別れという事にもなりかねない。

「まず、私のこの事件に関しての目的は『事態の終息』ってところかしら」
「それはバイオハザードを解決させるってことですか?」
「もちろんそれも含まれるけど、厳密に言えば少し違うわ。
 仮に女王感染者が死亡してこのバイオハザードが終息したとして、それですべてが解決するわけではないのよ」
「どういう意味ですそれ?」

思わず、横から与田が問い返す。
海衣も同じような表情をしていた。


95 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:42:42 0.dw2qdU0
「そうね。それじゃあ、その説明を兼ねて少し現状を整理しましょう」

その疑問を受け、花子が教師のように話を進めて、3本の指を立てた。

「この山折村で起きている事件のポイントとなる出来事は3つあるわ。
 1つ。大地震によって引き起こされたバイオハザード。
 2つ。放送による何者かによる告発。
 3つ。そして村に特殊部隊が送り込まれた。
 これらは別々に片付けなくちゃいけない問題よ」
「研究所と特殊部隊は分かりますけど、告発に関しては分けて考えるようなものなのですか?」

海衣が疑問を挟んだ。
同時に知らされた出来事だからだろうか。
あの告発は研究所によるバイオハザードと一連の出来事という印象が強い。

「ええ。むしろあれがこの出来事の中では一番異質であると言えるわ」

バイオハザードの発生とそれに伴う証拠隠滅のための特殊部隊。
それらは流れとしては自然に繋がるだろう。
だが、あの告発者だけは一連の流れに存在する必要がない、イレギュラーだ。

「本来であれば、住民たちは何も知らされず混乱のまま48時間が経過して、村ごと特殊部隊に隠滅される。と言う流れだったはずよ」

それを変えたのがあの放送だ。あの放送はまるで、ゲームにおける基本ルールの説明のようだ。
あれがなければ村民たちはルールの分からないゲームの中に取り残され、あっという間にゲームオーバーになっていただろう。
明らかに今の流れを作った、ターニングポイントだ。

「それで言えば事後処理を担うはずの特殊部隊が、事後でもない今、女王暗殺を狙って介入しているのは本来の想定とは違うはず」

口元を押さえ呟くように言う。
つまりは特殊部隊側の独断専行。
バイオハザードという土台に2つの独断専行が乗っかった混沌(カオス)が今の山折村の状態だ。

「バイオハザードを起こしたモノの意志。あの放送を流したモノの意志。特殊部隊を介入させたモノの意志
 少なくとも3つの意志が存在している。だから1つ解決しただけではダメなのよ、それだけでは他の意志によって殺される」
「……バイオハザードが起きたのは自然現象なのでは?」

バイオハザードは地震による影響だ。
自然現象に意志があるとするならそれこそ神の意志である。
この疑問を花子は否定するでもなく僅かに肩をすくめるだけで答えた。

「そうね。どちらにしても。他の意志が事態をややこしくしてるという事だけ理解して貰えればいいわ」
「他の意志があると、どう違うんです?」
「本来であればバイオハザードを解消した時点で終わるはずだったんだけど、それで終わらなくなったという事よ」

例えば、特殊部隊の目的はバイオハザードの終息、及びパンデミックの防止だ。
女王暗殺はあくまでその手段にすぎず、他に解決方法が見つかっていないからそうしているだけにすぎない。
だからこそ、特殊部隊に先んじて女王暗殺以外の方法でバイオハザードを解決すれば特殊部隊は撤退させられる。

はずだったのだが、それは特殊部隊が事後処理に徹して、女王暗殺に介入しなかった場合の話である。
仮に放送に従って村民同士の自己解決がなさていれた場合、放送内容にあった特殊部隊の介入は放送者の妄言だったと責任を押し付けることもできただろうが、今となってはもう無理だ。
自分たちを含む正常感染者に既に特殊部隊の姿が目撃されている。
ここまで好き勝手やっておいて口止めもないだろう。

故に、このバイオハザードが解決したとしても殲滅は終わらない。
正気を失ったゾンビたちはともかく、正常感染者は生き残ったところで口封じに皆殺しにされる。
マッチポンプもいいところだ。特殊部隊の介入はむしろ住民の首を絞めたことになる。

少数の正常感染者を切り捨て、多くの異常感染者が救える可能性を残し、感染拡大のリスクを最小に抑える。
大局としてみた場合、その判断にも理はあるだろう。
だが、当事者としてはたまったものではない。

どうダイスを振ろうとも正常感染者には生き残る目がない。
周囲を取り囲む特殊部隊を全滅させるなんてのは現実的ではないし、できたところで次の部隊が送り込まれるだけだ。
そんなことになったらそれこそ国家転覆を狙うテロリストに身を窶すしかなくなってしまう。

とは言え、花子一人生き残るだけならばどうとでもなるのだが。
その先で必要なのはどちらかと言えば武力より政治的な駆け引きだ。
通信さえ繋がれば、その辺は彼女の”上”が彼らと交渉してくれるだろう。

だが、それも花子一人だけの話だ。
機密保持の観点から一般人まで保護するのは難しいだろう。
そんな夢も希望もないことはわざわざ口にはしないが。


96 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:43:16 0.dw2qdU0
「じゃあ次は与田センセ、あなたは最終的にどこを目指してるの?」
「どこと言われましても。この件に関しては僕も完全に巻き込まれた側なので、生きてこの村を出られればそれでいいですよ」
「あら、マッドサイエンティストとしてこの事態を利用して実験を進めてやるぜ! うはははー! という感じではないのね」
「ないですよ。副所長じゃあるまいし」

与田の目的は生存。
面白みのない答えだが、彼に限らず大抵の住民の目的はそうだろう。
巻き込まれた側としては当然の結論と言える。

「それじゃあ、海衣ちゃんはどう? 何を目指しているの? 生き残るのは当然として他にも何かある?」
「私は…………」

問われ海衣はぐっとこぶしを握り締めた。
目指すべきもの、自身のしたい事など決まっている。
その決意を改めて言葉にする。

「――――私は真実が知りたい。どうしてこの村がこんなことになってしまったのか」

いつか出ていこうと思っていた。
この村からも、両親からも逃げ出そうと、そうずっと決意してきた。
都会から落ち延びた両親はこの村を悪く言ってばかりだったけれど、それでも、海衣にとっては生まれ育った自分の村だ。
その村がどうしてこんなことに巻き込まれねばならなかったのか、誰かに託されてからではなく自分の意志でその理由を知りたいと思っている。

「だ、そうよ。センセ」
「そこで僕に振りますか」

元凶たる研究所の職員は苦笑いを浮かべた。
一応そのくらいの良心あったらしい。

「ともかく。二人とも私の目的とも一致しているようで何よりだったわ。
 全ての事態を解決していけば自ずと真実は明らかになるし、そして何より――――そうしないと生き残れない」

そんな過酷な現実を明らかにする。
これは真実と生存を求める二人の目的と一致する。

「では、この三つを解決していく。私たちのパーティーはこの方針で行きましょう」

そう締めくくる。
自らの目的に組み込むために上手く言いくるめられた気もするが。
現状、彼女に付き従うのが一番明確なのも事実である。

「あっ。そうそう。海衣ちゃん」

チョイチョイと花子が手招きする。
なんだろうと海衣が近づくと、内緒話をするように耳元で何かを呟いた。

「………………え?」
「よろしくねん」

何か意外なことでも聞かされたように海衣は驚いたような表情を見せたが。
対照的に花子はいつも通りの軽い調子で何かを任せるように肩を叩いた。

「ところで与田センセ。靴紐ほどけていてよ」
「え。ホントですか?」

言われて、靴紐を確認するべく与田がその場に屈みこむ。

「って、ローファーなんで靴紐なんて、な……い!?」

立ち上がろうとした所をいきなり花子にドンと押し出された。
バランスを崩して後方にたたらを踏む。
何をするのかと抗議しようとした瞬間、彼の頭上を何かがすり抜け、背後の居酒屋の看板が弾け飛んだ。

「………………へっ」
「走って!」
「はい!」

唖然とする与田の手を取り、海衣が物陰へと駆けて行った。
花子は彼女らに追従せず、一人大通りへ向かって走り出した。




97 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:43:54 0.dw2qdU0
「……二手に分かれちまったか」

狙撃手――――成田三樹康は商店街の中でもひと際高い3階建ての大型ホームセンターの屋上にいた。
市街地において迷彩色は逆に目立つため、その身は寝具エリアから適当に見繕った白いシーツに包まれていた。
落下防止の安全柵となる網目状のフェンスの隙間に銃口を潜らせ、俯せの体制でスコープから標的の様子を覗く。

商店街内の狙撃場所を見繕っていた成田が辿り着いたのがここである。
過去の任務で何度か市街地での狙撃も経験しているが、このような場合、本来であればマンションなどの一室を徴収しそこから狙撃を行うモノである。
だが、今回はターゲットの位置を特定できない遭遇戦である。360度見渡せる視界の開けた場所が必要であった。

遠くまで見渡せる高さと開けた視界を持ち大地震の中でも安定した足場を保っている。
少なくともこの商店街における最高の狙撃ポイントがここであったことは疑いようはない。
狙撃失敗は故にこそだろう。

狙撃ポイントを事前に押さえておくのは作戦行動中の基本だ。
古い建物も多く地震の被害も大きいこの商店街に置いて狙撃に適したポイントは限られる。
だからこそ、最も優れた狙撃ポイントに現れた狙撃手の存在を狙撃前から把握していたのだろう。

想定した通りの超視力をハヤブサⅢが持っているとすれば、その程度は容易かろう。
驚異的なのは単純な視力ではなく、常にそこに意識を割き続けた集中力と警戒力だ。
そうして、あえて隙だらけな研究者の男を前に出して、まんまと成田に引き金を引かせた。

ともかく、初撃は外れた。
外した以上、挨拶程度に終わらせてこのまま撤退するのが無難な選択だ。

狙撃は一発勝負。
狙撃手は一発撃ったなら、成否にかかわらずその場を離れるのが定石である。

だが、成田は素早くボルトアクションを行うと宙に空薬莢を排出する。
そして、ボルトを前方に移動させ、ボルトハンドルを下げると、次弾をチャンバーに装填した。

その場に止まり狙撃を続ける。
そう決断を下したのだ。

狙撃手が場所を移動する理由の一つとして、一度失敗した狙撃を続けて成功させるのが難しいと言う理由が挙げられる。
警戒して身を隠した標的を遠距離からあぶりだすのは難しいからだ。
その為に狙撃ポイントを変え別角度から攻める必要がある。

だが、今回はそれに当てはまらない。
氷使いと白衣の方は既に物陰に身を隠したが、ハヤブサⅢの姿はいまだスコープ内に捉えているからだ。
物陰に隠れるでもなく大通りを駆け抜けていた。
その逃げ方はかなり杜撰だ。

(わざとだな)

それが陽動であるのは明らかだ。
だが、問題は何を目的とした陽動なのかだ。

順当に考えるのなら、狙撃手を仕留めるべく囮が引き付けている間に別動隊が動いているパターンだろう。
狙撃手は距離を詰められ寄られると弱い。
別方向に逃げた二人が狙撃手を潰すべく向かってきている可能性はある。

だが、仮に攻め込んできたとしても、屋上への唯一の入り口にはブービートラップが敷かれている。
扉を開いたところに物が落ちてくる程度の代物だが、音で侵入に気付きさえすれば対応は可能だ。
むしろハヤブサⅢと引き剥がした状態で氷使いと遊べるのは成田からすれば願ったり叶ったりな展開である。

なにより、危険な役割を素人に任せられないお優しさなのか、それとも重要な場面を任せられるほど他者を信用してないのか。
黒木や乃木平から聞く限りではハヤブサⅢは最後の詰めは必ず自分で行うタイプであると言う印象を得ている。
素人に別動隊を任せるようには思えない。

むしろ、もっとも効果的な作戦は素人2人を囮にしてハヤブサⅢが狙撃手を仕留める事だ。
2人は死ぬだろうが、狙撃手も仕留められる。
そう言った手段を取らず、自ら姿を晒している時点でこちらを仕留めようと言う狙いではないのだろう。

そうなると、先に逃げた2人が逃げる隙を作るための囮役であると考えるのが妥当な線だ。
ならば相手が最も嫌うのは囮役を無視して逃げた2人を仕留める事だろう。
そう考え、標的を変えるべく望遠スコープを動かそうとした、瞬間。

スコープ越しに鷹の眼と目が合った。

1kmを超えるあり得ない距離を挟んで、互いの静かに燃える視線が交錯する。
互いが互いを認識しており、認識されている事を認識していた。

それは警告だ。

成田にとって最も危険なのはハヤブサⅢに寄られることである。
素人などいくら来ようと物の数ではないが、奴に近づかれるのは危険だ。
この距離をして、それが事実であるとビリビリと肌に伝わってくる。

あの視線はお前がスコープで誰を狙っているかは分かっているぞ、という相手からのメッセージだ。
視線を外した瞬間、先ほど危惧した通りの作戦へと変わり、身を潜めた奴は囮から刺客へと変わるだろう。
故に、この視線は外せない。


98 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:44:26 0.dw2qdU0
(恐ろしいねぇ…………ハヤブサⅢ)

あろうことか視線一つでこちらの行動を誘導してきた。

怖い相手だ。
あまりに怖くて、存在しているのが我慢ならないくらいだ。
黒木には悪いが、ここで排除した方が安心できる。

成田は改めて腹這いの体勢でレミントンM700を構える。
単純にあの視力を前にしては別の狙撃ポイントに移動したところで即刻補足されるのがオチだろう。
ここが最も優れた狙撃ポイントであるのは間違いないならば、ここで狙撃に集中した方がいい。

こういう展開になるのなら乃木平に残ってもらってスポッターを任せればよかった。
そんな詮無きことを心中で愚痴る。

スポッターは風向きや風速を図り、周囲の状況確認を行う見張り役だ。
ただですらガスマスクで視界が狭まって上に、狙撃中は視界が狭まる。
標的以外の様子を確認するのは難しい。

彼我の距離は約1km。
入り組んだ市街地を進むとなれば、全力疾走であろうとも5分はかかるだろう。
仮に別動隊が攻めていると想定しても、十分に撤退の猶予はある。

今回の標的は兵士ではなく村人だ。遠距離攻撃の手段を持つ可能性は薄い。
場所がばれたところでカウンタースナイプのリスクも低いだろう。
懸念すべきは成田のように村内で狙撃銃を手に入れた可能性と『異能』だが。
1km先を狙えるような実力者が都合よくいるとは思えない。
いるとするのならスコープの中に捉えているエージェントだが、それらしい動きはない。

とまあ長々と言い訳を並べたが。
本音を言うのなら、退屈なゾンビ狩りにはもう飽き飽きだ。
そろそろ生きのいい相手を撃ちたい。

弾丸は遠距離狙撃に適した.300ウィンチェスターマグナムが1ダース。
もちろんここで全弾撃ち切るつもりはない。
5発を上限として、撃ち終われば即撤退すると決める。
それまでは少し遊ばせてもらうとしよう。

全身の防護服で風向きは肌で感じられないので、フェンスに括り付けたハンカチの揺れを視界の端で確認する。
スコープ越しに標的を見据えて重力を計算して照準をやや上に合わせた。銃口が1度ズレれば1㎞先に届く弾丸は17mもズレてしまう。
標準をミリ以下の精密動作で調整しながら相手の動きを予測し、弾丸の到達地点と合わせるようにタイミングを合わせ、引き金を引く。
発砲音を置き去りにして、弾丸が音速の3倍で放たれ1mmも狂いなく標的の頭部に飛来していった。

だが、標的は苦も無くそれを躱した。

狙撃に合わせるように移動速度を変化させ予測到達ポイントをズラし、弾丸を素通りさせる。
打ち下ろされた弾丸は商店街の地面に当たり石畳を爆ぜさせた。

.300ウィンチェスターマグナムを使用したレミントンM700の弾速は約2,800〜2,900フィート/秒(約853〜884メートル/秒)である。
約1㎞離れた相手に着弾するまで僅かに1秒余りの猶予しかない。
だがそれは逆に言えば、1秒以上の猶予があると言う事だ。

人間の反射神経の限界は0.1秒。
狙撃の瞬間を認識できるのならば理論上は避けられる。

だが、それを成立させるには、1km先の相手の指先の動きまで見えている必要がある。
そんな視力は現実的にはありえない。どだい不可能な話だ。
それを成し遂げるからこその『異能』か。

(目が良いとは予測していたが、ここまでのレベルとはね)

見てからライフルの弾丸を避ける輩など、百戦錬磨のスナイパーと言えでも初めて出会う。
単純な狙撃は通用しない。
敵のミスを期待するのも望み薄だろう。

(どこに向かっている?)

標的は朝日を背にした成田の直線上、西側に進んでいる。
狙撃手に向かって距離を詰めるのではなく離れるように逃げている。
何か目的地があるのか、それとも単純に射程外まで逃げる算段なのか。
囮にしてもその動きは不可解だ。

だが、どのような狙いがあるにしても、行かせなければいいだけの話だ。
その足を止めるべく成田が次弾の引き金を引いた。

放たれた弾丸が一直線に狙うのは花子ではなかった。
彼女が駆け抜けるその脇にあった、2階建ての町銀である。
地震の影響でひび割れていた強化ガラスに音速を超える衝撃が奔りぬける。

直撃すれば致命傷になりかねない巨大な破片に、目に入れば失明にも繋がりかねない細かな破片。
あらゆる危険を含んだ鋭利なガラス片が、シャワーのように花子に向かって降り注いだ。

だが、エージェントは止まらず、降り注ぐガラスの隙間を見極め、雨粒を避けるようにすり抜けて行った。
避けきれない小さな破片はスーツの上着で振り払う。
そうして驚くべきことに、輝く透明な死の雨を無傷のまま突破した。


99 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:44:51 0.dw2qdU0
「ヒューッ」

その様子をスコープ越しに確認して、思わずマスクの下で感嘆の息を吐く。
全てを見極められる視力を持っているとしても、あれを無傷で切り抜けるとは人間技ではない。
仮に同じ視力があったとしても同じ芸当が出来るのは特殊部隊でも片手の数ほどもいまい。最も別の方法で切り抜ける輩はいるだろうが。

次弾を装填しながら次の狙いを考える。
だが、ここにきて敵の動きが変わった。一路西へ向かっていた軌道を変え北側の脇道に入った。
だいぶ西に進んでいるが、北側は氷使いと白衣が逃げて行った方向である。
既に2人が逃亡できるだけの時間を十分に稼いだと言う事だろうか。まさか合流するつもりだろうか?

だが、それは悪手だ。

俯瞰から見る光景と地上から見る光景は違う。
どれだけ視力がよくとも見えない位置のものは見えない。

例えば真上。
高所より見下ろす成田には見えていても、地面を駆けずり回る花子には見えない。
自身の駆け抜ける真上の建物がどうなっているかなど鷹の目であろうとも見えはしないだろう。

引き金が引かれライフル弾が花子の通り抜ける脇道の建物を撃ち抜いた。
通常であれば如何にライフル弾とは言え、鉄筋コンクリートを破壊することなどできない。
だが、地震によってひび割れ脆くなっている個所を狙い打てばこの通り。

花子が駆け抜ける脇道を潰すように、巨大なコンクリート塊が墜ちてきた。
倒壊が倒壊を生み、建造物が崩れ落ちる。
点では仕留められないならば、面で潰すだけである。

脇道は完全に倒壊した。
駆け抜ける花子は通路の出口にヘッドスライディングのように飛び込んだ。
体制を崩しながらもギリギリのところでなんとか圧殺を免れて、生還を果たした。

だが、それは一時しのぎにしかならない。
体勢を立て直すまで1秒はかかるだろう。

ボルトアクション式の狙撃銃は新兵であれば次射まで5秒はかかる。
だが、成田は1秒で完了する。

その1秒の隙で、詰みだ。

次弾の装填を完了。照準を飛び出した標的へと合わせるように滑らせる。
見えていようが避けようがない、音速を優に超える絶対必中の魔弾が放たれようとしていた。

だが、音速を超えるライフル弾丸よりも早く到達する物があった。

――――――光だ。

音速を超え光速。
スコープ越しに差し込んだ強烈な光が成田の目を焼いた。
奇しくも、成田がハヤブサⅢ相手に想定した対応策をまんまとしてやられた。

標的が怪しい動きをしたのならいくら何でも喰らわない。
だが、光は最初からそこに在った。

その光を放ったのは朝日を反射する巨大な鏡だった。
そんな都合のいい物が花子の駆け抜けた先に設置されていたのである。
だが、商店街のど真ん中に巨大な鏡などおかれているはずもない。

買い物客の憩いの場となる噴水広場に張られていたのは氷であった。
それは、朝日の入射角から反射角まで綿密に計算されて造られた氷の鏡だ。
氷。氷使い。

だが、強烈な光を浴びさせたところで怯むのはせいぜい数秒程度の話である。
ハヤブサⅢはいまだ遠く、別動隊も氷の鏡を作っていたのならこちらに寄っている暇はない。
1km以上離れている距離を詰めるのは不可能だ。
成田と違い、敵にこの隙を付ける様な遠距離攻撃の手段はないはずだ。

逃げるだけの時間は稼げるだろうが、逃げるだけならばこんな回りくどい方法は必要ないはずだ。
ならば何のために。

その疑問に答える様な異音が成田の耳に届く。
成田が屋上の入り口に仕掛けたトラップの音ではない。
方向も違う。鳴るはずのない場所から、もっと異様な何かが聞こえる。

ここにたどり着ける存在など、いるはずがない。
いるはずがない、だが。

一人だけ、例外がいた。




100 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:47:04 0.dw2qdU0
商店街の建造物を屋根から屋根へ飛び移る一つの影があった。
影はトラップを仕掛けた正規の入り口ではなく、ホームセンターの窓枠や地震で崩れた壁の凹凸を駆け上がるようにして屋上に到達した。

屋根を飛びぬけ壁を駆け上がる恐るべき身体能力の持ち主。
まさに野生児としか呼びようのない、野生の申し子、クマカイである。

クマカイにとって鳴り響いた銃声こそが、標的の位置を知らせる合図だった。
銃声がマダラ模様の狩人が放つ撃音であることはクマカイも理解していた。
つまり狩人は何者かを狙っている。獲物を狙う瞬間こそが狩人の一番の隙だ。
それを理解していた野生児はその隙を見逃さなかった。

狩人を狩る狩人。
これこそがクマカイの本質である。

あの時は勝てなかった。
だが、今ならば勝てると、治療もそこそこに駆け出し、ホームセンターの屋上へと辿りついた。

そして壁面を駆け登った勢いのまま、素足で屋上を駆け抜け槍のように蹴りを放つ。
足音を頼りに霞む瞳で振り返った成田は咄嗟にレミントンを盾にして受け止めるが、勢いまでは殺しきれない。
ガシャンという音と共に、成田の体はフェンスを破って空中に放り出された。

時が止まったような一瞬の浮遊感。
体が風にさらわれ、目の前に広がる景色が一瞬にして変わる。

徐々に回復してゆく視界に映る風景が高速で流れて行く。天が遠のき地面が近く。
落下してゆく中で自身の失態を悟りながら、成田は堪える様に体を丸めた。

瞬間、破裂音と金属のひび割れる音が混ざり合ったような轟音が鳴り響いた。

成田が落下したのは駐車場に止められていた車の上であった。
そこに背から落ちた成田がゆっくりと立ち上がり、パキリと足音を鳴らす。
車から降りて周囲に砕けて周囲に飛び散ったガラス片を踏みしめ、防護服についたガラス片を払う。

頭部や手から落ちぬよう最低限の受け身は取った。
車に打ち付けた背に痛みはあるが、特殊防護服の強度と自動車がクッションになったおかげで致命的な傷はない。
成田も五点着地くらいはできるが、あのまま落ちていればさすがに無傷とはいかなかっただろう。

ハヤブサⅢの異能と遠視スコープ越しの成田の視力は互角だった。
だが、視界が違った。
成田には成田に見えていたものがあり。
ハヤブサⅢにはハヤブサⅢにしか見えていないものがあった。

相手には建造物の屋根を渡り歩く伏兵の動きが見えていたのだろう。
見ていない所は見えない。射撃と言う極端に視界が狭まる状況ではそれを捉えるのは不可能だ。
そして、刺客が辿り着く瞬間に合わせて仲間が氷を用意したポイントに到達した。

氷使いとこれを生かすハヤブサⅢ。
確かに厄介な組み合わせだ。
乃木平が後れを取るのも頷ける。

成田としても狙撃手が超長距離戦でしてやられる屈辱を味あわされた。
すぐにでもこの屈辱を返しに行きたいところだが、同時に確かに黒木が適任だと納得する。
アレを仕留めるには大田原のような突き抜けた例外を除けば、同レベルの思考を持ち尚且つ強みで勝てる黒木が望ましい。
流石は我らが奥津隊長殿の采配である。

それに屈辱を返すよりも、まずは目下に迫る脅威を排さねばならない。
落下する寸前、霞む瞳でかろうじてとらえた影は男のモノだった。
だが、あの異常な身体能力と独特の殺気は人皮を被る野生児のモノだ。
まったく足癖の悪い、5歳の娘の方がまだ躾がなっている。

「躾の時間だ、野生児」

屋上から降りてくる相手を駐車場で迎え撃つか、それともホームセンターに入って室内戦を行うか。
狙撃銃からハンドガンに持ち替え、特殊部隊の狙撃手は野生児を待ち受けた。

【E-5/ホームセンター「ワシントン」屋上/1日目・朝】

【クマカイ】
[状態]:右耳、右脇腹に軽度の銃創、肋骨骨折、内臓にダメージ(小)、嶽草優夜に擬態
[道具]:スタングレネード
[方針]
基本.人間を喰う
1.マダラの人間を喰らう
3.特殊部隊及び理性のある人間の捕食
4.理性のある人間は、まず観察から始める
※ゾンビが大きな音に集まることを知りました。
※ジッポライターと爆竹の使い方を理解しました。
※スタングレネードの使い方を理解しました

【E-5/ホームセンター「ワシントン」駐車場/1日目/朝】

【成田 三樹康】
[状態]:背中にダメージ
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、双眼鏡、研究所IDパス(L2)、謎のカードキー、浅野雅のスマホ、レミントンM700、.300ウィンチェスターマグナム(8発)
[方針]
基本.女王感染者の抹殺。その過程で“狩り”を楽しむ。
1.嶽草優夜に擬態したクマカイに対応。
2.「氷使いの感染者(氷月海衣)」に興味。
3.「酸を使う感染者(哀野雪菜)」も探して置きたい。
4.ハヤブサⅢを排除したい。
[備考]
※乃木平天と情報の交換を行いました。
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定しています。


101 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:48:09 0.dw2qdU0


「5時の方向。狙撃手。今から相手に撃たせるから、位置を確認したらセンセと噴水広場に向かって。
 朝日が狙撃手の方に反射するよう氷を作ってもらえる? 朝日と氷の反射角はセンセに計算して貰えばいいわ」

花子が海衣に耳打ちしたのはそんな内容だった。
その後、彼女の予言通りに狙撃は行われ、事態についていけていない与田を引き連れ、海衣は道中で事情を説明しながら中央の噴水広場に到着。
与田の指示の元、氷の鏡を作り上げると、後は物陰に隠れて花子の到達を待った。

「ふぅ……助かったわ。完璧な仕事だったわ、お二人さん」

物陰に身を隠していた二人の元に、息を切らしながら現れた花子が労いの言葉をかけた。

「まったく……長距離射程でスナイパーの相手なんてやってらんないわよ。
 とりあえず。第三戦力を当てたけどここからどうなるかは分からないわ。今のうちに逃げましょう」

愚痴るようにそう言って、僅かに焦ったような様子で商店街からの脱出を促す。
この商店街はもはやスナイパーの射程内。安全圏などない危険地帯だ。

スナイパーが落ちた所までは確認した。
だが、あれで死んだとも思えない。
可能性もあるが、ぶち当てた謎のパルクールマンが倒す可能性もあるが、即刻離脱すべきだろう。

正直、最後の一瞬は花子をしても危なかった。
少しでも遅れていたら建物の崩壊に巻き込まれてぺしゃんこだっただろう。

一人なら一人で別策を講じるだけではあるのだが、それでもやはり花子一人で特殊部隊に抗するのは厳しい所である。
表情には出していないが弾丸を避けられたのも割とギリギリであった。

流石の彼女の異能をしても1㎞以上離れた相手の指先の動きまでは流石に見えてはいない。
彼女が捉えていたのはスナイパーの存在と銃口の大まかな方向くらいのものだ。
それでも十分に異常な視力ではあるのだが、撃たれてから弾丸を躱すには足りない。
弾丸を躱せたのは予測したころを寸分違わず撃ち抜いてくれたスナイパーの腕前と、もう一つ彼女の眼に見えていた物が大きい

微かだが、彼女の眼には放たれる前の弾丸の軌道が見えていた。
限定的な未来予知。
全てを見通す神の瞳が、未来すら捉え始めた。

異能が進化している。
いや、これはウイルスへの適応が進んだのか。

考えるべきは、果たしてこれは花子だけに起きた現象なのかと言う点だ。
それとも、時間の経過により異能者全員に起きる現象なのか。
もしそうだとするのなら、48時間と言う時間制限の意味合いも変わってくる。
これは落ち着いたところで改めて与田に診てもらう必要があるかもしれない。

「ともかく、今はこのまま北に抜けましょう」

そう言って3人は商店街の脱出を目指した。

【E-4/商店街中央・噴水広場/1日目・朝】

【田中 花子】
[状態]:疲労(中)
[道具]:ベレッタM1919(7/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、謎のカードキー
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.商店街を脱出し人の集まる場所で情報収集
2.診療所に巣食うナニカを倒す方法を考えるor秘密の入り口を調査、若しくは入り口の場所を知る人間を見つける。
3.研究所の調査、わらしべ長者でIDパスを入手していく
4.謎のカードキーの使用用途を調べる

【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、精神疲労(小)、決意
[道具]:スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.何故VHが起こったのか、真相を知りたい。
2.田中さんに協力する。
3.女王感染者への対応は保留。
4.朝顔さんと嶽草君が心配。
5.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。


102 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Aurora」 ◆H3bky6/SCY :2023/04/01(土) 19:48:49 0.dw2qdU0
投下終了です


103 : ◆drDspUGTV6 :2023/04/10(月) 23:55:30 QpJdiQM.0
投下します。


104 : ◆drDspUGTV6 :2023/04/10(月) 23:56:15 QpJdiQM.0
それは想いのカタチであった。
それは祈りの収斂進化であった。
――――それは禍(まが)きモノであった。
誰もそれに触れてはならぬ。誰もそれを探ってはならぬ。
ヒトの信仰こそ、ヒトの畏れこそ、それの力となるのだから。
――――ヒトはそれを『怪異』と呼んだ。



荒廃し、半ば廃墟と化した高級住宅街。
怪獣でも暴れまわったかのような有様のヒトの住処の一角に悠然と建つ一棟のガレージ。
石の牢にて閉じ師の末裔である少女が与えられる地獄をただひたすら耐えていたその時。
パンドラの扉の前に『それ』はいた。

(若いメスの臭いが一つと豚とも人間とも言えぬ臭いが一つ。そして繊維と酒精と酷似した臭いが一つ……おそらく人間の臭いだろう)

六月の陽光に照らされる三メートルはあろう巨躯と全身を覆う暗褐色の体毛。
鉤爪は刃の如く、口顎より時折覗かせる歯もまた同様に鋭い。
右目は抉れ機能を喪失しており、対となる左目は失った右目の分の怨念を宿すかのように煌々と輝いている。
『それ』の名は、オスの羆―――独眼熊。

結局のところ、独眼熊は銃を使うことは叶わなかった。
熊の前足は人間と同じ五本の指を持ち、鋭利な鉤爪で巣穴を掘り起こして獲物を捕らえることも可能である。
しかし、人間のように五指を精密に動かすことは極めて困難である。
その上銃はあくまで人間が使用する前提で作られた道具。手のサイズそのものが違う羆が扱えるはずがない。
そのため、独眼熊は彼が目指す『猟師』のように銃を使用した狩りは断念せざるを得なかった。

貫かれた脇腹から血が滴り落ちる。雷火により焼かれた臓腑が苦悶の声を漏らす。
その度に脳裏に過るのはただの獲物である筈だった若いメス二匹――"ヒナタサン"と"ケイコチャン"。
喰われ糞として捻り出される程度の価値しかないと侮っていた兎からの痛手は独眼熊の自尊心を酷く傷つけた。
生まれた屈辱と憎悪は思考を塗りつぶす程深く、当面の目標であった山暮らしのメスの討伐の優先順位を下げるほどであった。
現在、独眼熊の武器は己の肉体のみ。異能により発達した知能はこのままでは二の舞を踏むと判断する。
彼の現在の目標は自分でも使える武器を探すこと。その中で人間がいれば『道具』として使ってもいいと考えた。

(……やはり、どうにもならんな)

コンクリートの壁を音を出さぬように前足で軽く押す。返ってくるものは無機質な感触だけ。
口惜しいが今の自分は無力。石壁を破壊して中に逃げ込んだ獲物を引きずり出すことは現状では不可能。
嘆息し、武器を探すべくガレージを後にしようとした瞬間。

「――――――!!」

自分のねぐらへ侵入する、人間ではない『ナニカ』の臭い。




105 : ロイコクロリディウムの器 ◆drDspUGTV6 :2023/04/10(月) 23:57:27 QpJdiQM.0
ずりずり、ずりずりとフローリングの床を巨漢が、仰向けのまま青々と茂る芝生へと赤いラインを引いて移動する。
否、男は既に息絶えている。肘から下を失い、臓物を露出させた肉塊は脂肪がたっぷりついた脚を何かに掴まれて引き摺られていた。
肉塊の名前は気喪杉禿夫。僅か数十分前に腹いせとばかりに獣に貪られた哀れな犠牲者。
それを乱雑に動かしているモノは黒々とした硬い鱗を持つ生物、ワニ。
ぶよぶよの足を一匹のワニが巨大な顎で挟み、身体をくねらせながら後ろ歩きでベランダの方へと移動させる。
そして頭を器用に動かし、ベランダから芝生へと放り出す。肉塊はうつ伏せに落ち、芝生の緑を赤黒く濡らす。
落ちた肉の前にはベランダ上の個体と寸分違わぬ姿のワニ。今度は左肘を挟み、ずるずると引き摺っていく。
バケツリレー方式で巨体を移動させた先。積み上げられた肢体の数々を絶え間なく貪り尽くしていくモノ。
強大な顎から血を滴らせ、ギョロついた小さな瞳で獲物を無我夢中で喰らい続けるそれはワニであった。
だが、贄を運んできたワニと比較すると倍以上のサイズ、即ち四メートル以上はあろう巨躯は群れのボスに相応しい姿である。
庭の中心で悠然と佇み、餓鬼の如く肉を貪り続ける王者の名はワニ吉。それに贄を差し出し続けるスケールダウンした姿形のワニ達は彼が異能により生み出した傀儡である。

王――ワニ吉とて何も思考せず喰らい続けるのは本意ではない。
異能に目覚めた当初は長年の夢を叶えるために人形遊びの延長とは言え、生み出した分身に名前をつけ、家族として愛情を注いでいた。
しかし診療所を襲撃した際、悍ましき肉塊の一部を喰らった瞬間、彼は餓鬼道へと堕ちた。
今のワニ吉は極限の飢えを満たす以外の考えを持たぬ畜生である。



このままではいかぬ。
思考を放棄し、ただ貪りつくすだけの獣と化したワニ吉の中にある『それ』は独り言ちた。
『それ』はワニ吉が襲撃した診療所にて蜘蛛の巣の如く肉を張り巡らせていた異形の存在。
一色洋子の生誕と共に彼女の体内に存在する兄と同等の高魔力を魂や身体機能と共に喰らい続けてきた呪巣。
その名は『巣食うもの』。現代に至るまで一色家の血筋の中に封じ込められてきた絶対悪。
神職であれば名を知らぬものがいないとされる史上最悪の厄災として山折村の伝承として語り継がれていた。

現在、巣食うものは神楽春姫の神聖を感知し、高級住宅街へと逃げ延びていた。
あれと邂逅すれば間違いなく己は滅ぼされる。直感で巣食うものはそう判断している。
今すぐにでも、あれを滅ぼさねばならぬ。だが、現状で巣食うものに打つ手はない。
現在の宿主であるワニ吉は只人と比較にすらならぬほどに強靭な肉体と有用な異能を持つ存在である。
しかし、ヒトと比較すると知性が到底足りぬ。常に脳を刺激し続けなければ途端に野生へと戻ってしまう。

異能を把握するために欠けている何か。その最後のピースが分からない。
そのためには死骸でも構わぬ。一色洋子の手を引いていた小娘――氷月海衣のような正常感染者を見つけ脳を調べなければならぬ。
だが、今打てる手は一色洋子の異能『肉体超強化』の再現を急ぐための栄養補給以外はない。
山のような冷たい死骸をワニ吉に喰わせ続けさせる中、ワニ吉の舌に感じる僅かな熱。
それは、気喪杉禿夫の血肉であった。

正常感染者の死体。時間があまり経過しておらず、ワニ吉の視界を通してみたところ、頭部に損傷はない。
待ち望んでいた存在に厄災は笑った。これの頭蓋を割り、脳を飲み込んで解析すれば異能を理解できるかも知れぬ。
そう思考してワニ吉の脳に信号を送り、食事を一旦中止するように命令した。
しかし、愚王の野生は止まらない。知性を放棄した畜生は口顎に力を加え、気喪杉の骨を砕き、肉を貪る。
厄災に初めて焦りが芽生える。血の通うものを嘲笑う魔にとってワニ吉の苦しみになど到底理解できるものではない。
ワニ吉が脳を傷物にする前に食欲を停めるべく、神経へと働きかけた瞬間。


106 : ロイコクロリディウムの器 ◆drDspUGTV6 :2023/04/10(月) 23:58:09 QpJdiQM.0
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

雄叫びと共に柔らかな腹に衝撃が走り、ワニ吉の身体が吹き飛ばされ、血で染まった芝生の上を転がる。
何事かと思い、体勢をと問えると同時に異能により生み出した従者が襲撃者へと襲い掛からせる。
ワニの全速力は時速約五〇キロ。一般成人男性の全速力以上の速さで疾走可能である。驚異的な咬合力と異能より起因する連携を潜り抜けられる存在は稀。
例外があるとするならば、物辺天国や神楽春姫のような強力または相性で勝てる異能を持つ正常感染者でなければ生存は不可能であろう。

だが、襲撃者はその例外中の例外。

襲撃者に襲い掛かるワニ吉の分身は三体。一体は護衛として主たるワニ吉の傍らで身構えている。
招かざる者の三方には全長二メートルにも及ぶ巨体。それが自動車並みの速さで突っ込んでくる。
顎を開き弾丸を彷彿させるような速度で突撃する異国の獣。

「ヴヴヴヴ――――――!!」

憎しみを絞り出すような唸り。それと同時に僅かに横に動いて後方より迫る分身を回避する。
すれ違うワニに対し、それは四股を踏むように後ろ足で脳天に体重を掛ける。
霧のように胡散する分身。犠牲など気にも留めず左右より迫る下僕達。
左方より迫る獣に対し、襲撃者は剛腕を振り下ろし頭蓋を叩き割る。
だが右方のワニへの対処が遅れ、右腕と思わしき部位へと噛みつく。
肉を嚙み千切るべく、顎の力を強める僅かな時間。それの隙間を見逃すことなく、襲撃者は勢いよく右側へと倒れこむ。
それが本物のワニであるならば、その程度の衝撃は意に返さず、骨ごと砕いて無力化させ、王の新たな食事として差し出すである。
しかし、これは異能により生み出した分身。頭部にある程度の衝撃を与えれば消え失せる紛い物。
襲撃者の目論見通り、襲い掛かった下僕の身体は胡散した。

ワニ吉の視界で巣食うものは襲撃者の正体を探る。
抉れた右目に暗褐色の体毛に覆われた巨体。視界の機能を残した左目は憎しみに塗れている。
無傷ではないといえ、群れの狩りを突破した存在に瞠目する。

「ヴッ……ヴッ……ヴッ……ヴッ……!!」

小太鼓を鳴らすような唸り。
度獲物として喰らった死肉の食べ残しに対して異常な執着を持ち、奪おうとする不届き者に対しては明確な敵意を露わにする存在。
その生物の名称は羆。この地に現れたのは銃の名手ですら仕留められなかった凶暴な羆。
仮想名称『独眼熊』。悪意という知能の到達点に辿り着いた魔獣である。



死肉が散らばる芝生。そこに佇むのは巨大な蜥蜴擬きとそれの親玉らしき巨大な生物。
群れを作る爬虫類など知らぬが、自身の獲物を奪う存在であればそれは忌むべき人間でなくとも外敵に他ならない。

「チクショウ!!コノヤロウ!!」

威嚇の意味を込めて、かつて自分の右目を穿った白髪交じりのオスの使った罵倒を投げつける。
一瞬、蜥蜴擬きの親玉の目が見開かれた気がした。その程度の威嚇で一瞬でも怯めば好都合。
思考を取り戻す時間を与えずに畳みかけて仕留めよう。


107 : ロイコクロリディウムの器 ◆drDspUGTV6 :2023/04/10(月) 23:58:35 QpJdiQM.0
「ブオオオオオオオオオオ!!!」

咆哮と共に巨大生物へと突撃を仕掛ける。それに対し、初動が遅れつつも蜥蜴擬きは回避すべく身体を器用にくねらせ、脇にずれる。
巨大ワニの巨体をすり抜ける瞬間、独眼熊は後ろ足に力を籠め、後方へと跳んだ。
ワニの反応が僅かに遅れる。それが致命的であった。
独眼熊の三〇〇キロを超える巨体はワニの背鱗板を踏みつけ、その衝撃は硬い皮膚に覆われた内臓へと少なくないダメージを与える。
ガフッとワニの口から空気を吐き出すような息が吐き出される。
魔獣は身体の上で身体を反転させ、分身と同じ末路を辿らせるべく脳天に向かって鉤爪を振り上げた瞬間。

「ギィ……!!」

視力を失った右方――右脇腹に走る激痛。首を動かしてみるとそこには腹部へ牙を立てる蜥蜴擬きの子分が一匹。
思わぬ激痛にバランスを崩し、騎乗していた巨大ワニの身体から振り落とされる。
皮膚を食い破ろうとするそれを振り払うべく左右に転がり続けると、それは思ったよりも早く振り解かれた。
想像以上に呆気なく痛みから逃れられたことに疑問を感じつつも、巨大ワニに対応するために仰向けの状態から起き上がろとする。

突然、視界が白で覆い尽くされる。驚いて思考が空白になった瞬間、全身に衝撃が走った。

巨大ワニ――ワニ吉もただ黙ってやられているわけではない。
分身体がやられたことで自分の身に危険が迫っていることを感じ取り、現在まで何よりも優先してきた食事を中断して事の対処へと当たった。
目の前の脅威――己の中で本能に囁きかける『ナニカ』に従い、それに従うように動いた。
五〇〇キロにも及ぶ身体にプレスされ、窒息しかけて藻掻き苦しむ羆。
野生の獣としての順位は決定された。仕留めるべく、残り一体の分身を呼び寄せ、ダメ押しとばかりに異能を使用して傀儡を呼び寄せようとしたその時。
プツリ、と唐突にワニ吉の意識は途絶えた。



圧し潰され、ミシミシと全身の骨が悲鳴を上げる。圧迫された肺から空気が吐き出され、すぐさま酸素を補給すべくハッハッと荒く呼吸する。
独眼熊の脳裏に浮かんだもの。己の生涯にて何度も遭遇してきた感覚―――死。
幼少期より幾度となく晒され続けてきたその感触は、異能によって拡張された脳に刺激を与え、忌まわしき記憶を呼び覚ます。
右目を奪った猟師のオス。自身の縄張りを奪った山暮らしのメス。
北の大地にて共に穏やかに過ごしていた母を目の前で撃ち殺し、幼い自分を鉄檻に閉じ込めて連れ去った猟師共。
屈辱が、憎しみが、途絶えかけた意識と共に生存本能を呼び覚ます。
現状を打破すべく薄くなりかけていた知恵を回す。生き延びる時間を延ばすべく、両前足で視界を覆う腹を押し返す。
その途中、唐突に蜥蜴擬きの動きが止まった。
同時に独眼熊の丁度口当たりに来るように白い皮膚の移動してきた赤黒い肉の影。
まるで『喰え』と言わんばかりに移動してきたそれに対し、酸欠状態が続いてあまり働かなくなった魔獣の脳が『喰らえ』と命ずる。
朦朧とする意識のままその部位に牙を立て、噛み千切った。

瞬間、魔獣の脳に『ナニカ』が寄生した。




108 : ロイコクロリディウムの器 ◆drDspUGTV6 :2023/04/10(月) 23:59:20 QpJdiQM.0
これまでのやり取りを経て、厄災はワニ吉から独眼熊へと宿主を乗り換えることに決めた。
ワニ吉の異能は確かに強力だ。しかしそれを万全に使いこなすための理性が足りない。
この状態で神楽春姫を筆頭とする神職関係者や強力な異能の持ち主共に太刀打ちできるとは限らない。
特に己の本来の力を悪霊程度にまで削ぎ落した忌まわしき血――隠山(いぬやま)一族を根絶やしにするためには一刻も早く力を身につけなければならぬ。
異能を解析し、その力を自在に操れるようにするために必要な最後のピースは宿主が知性。それも己ではなく、宿主が持ち得なければならぬ。
特に己にはあらゆるものを害する知性――傲慢、強欲、嫉妬、憤怒などを始めとした人の業を煮詰めた原罪たる悪意が必要だ。
故に本能を抑えきれずに脊髄反射で動く畜生では解析が難しいと判断した。
そして、その器は都合よく目の前にあった。

手始めにワニ吉の脳に信号を送り、己の企みが羆に感づかれぬように対処させる。
八百長じみた諍いである程度の体力を奪い、抵抗する手段を一つに絞らせるまで追い詰める。
その後はワニ吉の脳に刺激を送り、仮死状態にさせる。
知恵を得た魔獣を器に厄災は己の存在を植え付けることを選択した。



蜥蜴擬き――否、ワニ吉の腹肉を喰らった瞬間、極度の興奮状態にあった独眼熊の心は凪いで落ち着き始めた。
生命への危機に瀕した際の焦りは消え、残るのは未だ燻ぶり続けている人間への呪詛や怨念。食事としての興味のみ。
動かなくなった巨体を前足で払いのけ、体の自由を取り戻す。
ワニ吉の異能によって生み出された異能は既に目の前で完全に動きを止めている。

また襲いかかってきては面倒だ、と前足を脳天に振り下ろして始末した。
現在、自分の外敵となる存在はこの空間には存在しない。改めて、自分の状態を確認する。
左脇腹には貫通傷。胃腸を始めとした内臓には圧迫された痛みと電撃によって焼かれたダメージが残っている。
そして右腹には先程、自分の仮初の肉体が傷つけた歯形。
この傷を塞ぐためにはこの場に残る肉を食い尽くし、取った栄養を肉体に還元する他はない。
そのために独眼熊(巣食うもの)は自分の意志で一時的に極限状態の空腹状態になり、積み上げられた人肉を貪り始めた。。
骨肉をかみ砕き、臓腑を引き千切り、血を啜る。肉片一つすら残さぬほど喰らい尽くし、余すところなく全て栄養として還元。
取り込んだ栄養はヒナタサンやケイコチャン、ワニ吉達より受けた傷の修復に充てる。
だが、右目は治さない。失った右目は己の戒め。人間への憎悪を燃やし続けるための楔なのだ。

程なくして積み上げられた亡者達の血肉は一つ残らず腹の中に納まり、右目を除いた傷も全て塞がった。
残る肉体は二つ。未だ夢見心地のワニ吉と自身が喰らっても未だほとんどの肉を残す正常感染者の死体の二体。
この二体だけでも傷の修復に充てた亡者の肉の総量を上回る量。

巣食うものにより浸食された自我のまま、独眼熊は知恵を回す。
正常感染者が使用する自然の摂理に反した力――異能を発生させる器官は脳。
それを取り込むための手っ取り早い手段は経口摂取。即ち捕食である。

「ァ゛……ア゛……ァ……」

一時的な仮死状態が解けたのか、ワニ吉は呻き声を上げながら、バタバタと手足を動かそうとする。
だが、それ以上のことはできない。厄災はそれを見越し、ワニ吉の脳を誤動作させ、神経の大部分を麻痺させた。
既にワニ吉は狩人に非ず。食われるのを待つだけの食物連鎖の底辺へと身を落とした。
只の獣肉と化したワニ吉の頭蓋を割り、脳を露出させる。

(所詮、畜生は畜生か……)

ワニの脳はおよそ十四グラム。羆の掌どころか人間の幼体の手にも乗るサイズの肉塊に魔獣はせせら笑った。
脳を傷つけぬように鉤爪で丁寧に繋がっている神経を引き離す。細心の注意を払って掌に載せ、口に含んだ。
舌の上に乗せ、牙に当たらぬように咀嚼せずに飲み込んだ。
胃に落ちてはただの栄養となってしまう。異能を解析するためにはそれでは駄目だ。
そこで、巣食うものは独眼熊の肉体を一時的に変化させることを選んだ。


109 : ロイコクロリディウムの器 ◆drDspUGTV6 :2023/04/11(火) 00:02:58 d4cwDHTM0
やり方は理解している。
診療所にて一色洋子の死肉を膨張させ、食事を続けている亡者を取り込んだ時のように筋肉を動かせばいい。
食道付近の肉を絞り上げ、胃への到達を防ぐ。その際、独眼熊の肉体に激痛が走る。呻き声が巣食うものの中に響く。
ワニ吉の時のように下らない生命本能とやらで肉体の動きが止まっては面倒だ。
二の舞にならぬようにするために、巣食うものは独眼熊の痛覚を奪った。
その働きの後、絞り上げた食道の間で落下を止めている脳を厄災は解析し、情報を異能により拡張された独眼熊の脳へと送る。

ワニ吉の異能『ワニワニパニック』。それを再現すべく脳より読み取った遺伝情報を叩き込む。
異能を使うための『素材』が足りなければ厄災としての力を使い、独眼熊の肉体を変化させた。
それでも足りなければ、目の前の肉塊を喰らわせ、栄養を肉体変化のための素材とする。

ワニ吉の肉を貪らせながら、独眼熊の遺伝情報を変化させ、異形の姿へと変えていく。
暫くして巣食うものの仕事と独眼熊の『進化』が終わる。

「あー、あー、あー。しんかとはいいものだな」

拙いながらも、独眼熊は意味のある言葉を発する。
厄災との同調により、進化を続ける脳は独眼熊に足りなかった知識を植え付けた。
肉体もまた同様。体毛の下には弾丸すら弾く黒々とした強靭な鱗板が生え、短い尻尾は暗褐色の毛が生えただけのワニのそれへと変わる。
全身の骨格はかつての宿主であった人間の姿をベースに熊の強靭な筋肉を纏わせ、二足歩行を主としたものに変化させた。
そして口は骨格そのものがワニのものをベースにした口顎へと変え、捕食の効率を上げた。
変化を終えたその姿は羆とワニの合成獣。魔獣と呼ぶに姿形へと進化を遂げた。

「あとは、あのせいじょうかんせんしゃだな」



進化が終わる。
およそ七〇〇キロの正常感染者の血肉を己の糧とした魔獣は嗤った。
両肩から生える腕は羆のもの。しかし生えている鉤爪は太刀の如く鋭く、硬いものに。
そして独眼熊が何よりも臨んでいた銃を使うための腕。それは両脇腹より熊の腕と人間の掌を合成させたような物を生やしている。

「いっしきようこのいのうにはおよばぬが、あのおとこのいのうもいいものだ」

感情により身体能力を際限なく上昇させる『身体強化』。その異能を脳に巣食った厄災によって理解した。
一色洋子の『肉体超強化』の再現はまだ諦めていない。より多くの今以上に正常感染者の脳を取り込んで解析し、必ず顕現させる。


110 : ロイコクロリディウムの器 ◆drDspUGTV6 :2023/04/11(火) 00:03:42 d4cwDHTM0
では、今後はどうするか。
己に痛手を負わせた"ひなた"と"けいこ"の異能は魅力的だが、まだ手を出すべきではない。
より多くの異能を取得し、確実に仕留められるようになってから『猟師』として狩る。
次いで以前より狙っていた山暮らしのメスと石牢に逃げ込んだ人間二匹と豚らしき生物一匹。
手に入れた銃や取得した異能を使って狩る存在としては相応しい獲物達。
二者とも殺すつもりではあるが、優先順位はどうするか。

そして、神楽春姫と未だ姿を見せぬ隠山(いぬやま)血筋の人間共。
己を滅する忌まわしき者共。邂逅せずともそれらを滅する方法――己が異能で生み出した分身ではない傀儡にて滅ぼす。
当てはある。それは巣食うものが読み取った独眼熊の記憶、地獄の始まり。

『ウイルスは空気感染によって伝播する…………既に村中に広がっているだろう。致死性のものではないが……研究途中の未完成品であるため人体にとって有害な副作用があり…………脳と神経に作用して人間を変質させる性質を持っている。』
『恐らく……既に隠滅用の特殊部隊により周囲は封鎖されているだろう』

今の自分と瓜二つの分身を伴い、厄災は嗤う。

「テン……ソウ……メツ……」

【ワニ吉 死亡】

【D-3/とある一軒家・跡地/1日目・朝】

【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生、『巣くうもの』による自我侵食、知能上昇中、烏宿ひなたと字蔵恵子への憎悪(極大)、人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、分身が1体存在
[道具]:ブローニング・オート5(5/5)、予備弾多数、リュックサック、懐中電灯×2
[方針]
基本.人間を狩る
1.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
2.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
3."ひなた"と"けいこ"はいずれ『猟師』として必ず仕留める。
4."山暮らしのメス"(クマカイ)と入れ違いになった人間を狩るか、石牢に逃げ込んだ人間二匹と豚一匹を狙うか(どちらかは、後続の書き手さんに任せます)
5.神楽春姫と隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼす。
6.空気感染、特殊部隊……か。

※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※正常感染者の脳を捕食することで異能を取り込めるようになりました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じことができるようになりました。
※分身に独眼熊の異能は反映はされていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※銃が使えるようになりました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。


111 : ◆drDspUGTV6 :2023/04/11(火) 00:04:03 d4cwDHTM0
投下終了です。


112 : ◆H3bky6/SCY :2023/04/11(火) 01:39:04 X9W7ZLpg0
投下乙です

>ロイコクロリディウムの器
キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!! 喋るんけお前!? ある意味一番の驚き
そして始まる弱肉強食の野生の大戦争。いや熊もワニも普通の田舎にはいないからね? 田舎特有の野生の大戦争に見せかけてなんだこの戦い。
ナニカさんはめっちゃ宿主を渡り歩くヤドカリかなにか? 表で戦う獣たちとは違う黒幕的立ち位置で美味しい所を持って行っている
ただですら強い独眼熊にいろんなものが乗っかってヤバい、熊の肉体が強化されたらそれだけで相当ヤバいのに分身まで、この爆弾がどこに向かうか目が離せないですねぇ


113 : ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:26:49 yhNQSnb.0
投下します


114 : 研究所探訪 ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:29:00 yhNQSnb.0
山折総合診療所。
用もないのに集って茶飲み話に花を咲かせる。
田舎の診療所はそんな老人たちの憩いの場であった。

だが、その様子はここ数年の村の急激な発展により一変する事となる。
開発の余波は診療所にまで及び、否、余波どころではなく、その震源地であるかのように診療所の開発は最優先で行われていった。
そしてもはや診療所の域を超え、最先端医療を提供する県内有数の医療施設となっていた。

そんな田舎に存在すること自体が不自然と思える程な巨大な診療所を、一人の女が訪れる。

現れたのは赤。
巫女服をまとった少女である。
頭には黄色いヘルメットをかぶり、手にはおよそ現実とは思えぬ光り輝く聖剣を携えていた。
どれを取っても病院を訪れる格好としては相応しくない、珍妙極まる来訪者である。

その巫女は血濡れであり、纏う紅白の巫女服は赤に染まっていた。
張り付いた血液は返り血という訳ではなく、紛れもなく巫女本人の血液である。

そういう意味では通院するに相応しい姿ではあるのだが、彼女の目的は治療を求めての事ではない。
そもそも彼女の目的地は診療所ではなく、その奥にあるこの事態の元凶たる研究所だ。

場に相応しいか相応しくないかは己自身が決める事。
そう言わんばかりの圧倒的な自信をもってその場に君臨する。
正しくそれは女王と呼ぶに相応しい存在だろう。

神楽春姫。
村の始祖たる一族にして、すべてのウイルスを従える女王である。
自称だが。

そんな女王を歓迎するように診療所の自動扉が開いた。
地震よってドアの一部はひび割れているが、自動扉の機能はまだ生きている。
病院のように人命にかかわる施設には災害時の非常用電源があるものだが、どうやらこの山折総合診療所でも非常用電源が働いているようだ。

院内に足を踏み入れると、ひんやりとした静寂が春姫を出迎えた。
静寂の中を進んでゆくと、雪駄を擦るような足音が廊下に響く。

朝日が照り始めたとはいえいまだ薄暗い診療所の廊下。
夜に比べればいくらか明るくなったとはいえ、どこか不気味さすら漂う内を欠片も怯える様子を見せずに巫女が悠然と突き進む。

堂々と進めるのは女王たる春姫はゾンビに襲われることはないからと言うのもあるだろう。
だが、それ以前の問題として、そもそもゾンビの影すらも見当たらなかった。

ここは診療所本館の1階フロアだ。
入院患者が眠っている入院棟と違って、地震の起きた深夜には人はほとんどいなかっただろう。
だとしても、夜勤の医師や看護師くらいはいるはずだが、あまりにも静かだ。
いくら災害が深夜に発生していたといえどもここまで人がいないのは妙である。

異様なのはそれだけではない。
廊下の壁に刻まれた何かを引きずったような一本の線。
そして何かに気づいたように春姫が形のいい鼻をすんすんと鳴らす。

鼻腔に香るのは鉄の匂い。
自身の服にこびりついたものとは違う、血の匂いだ。
廊下を進んでゆくに比例して、その香りは強くなってゆく。

その先に恐ろしい物が待ち受ける予感を感じながら、恐れを知らぬ女王は足を緩めることなく進んでゆく。
そして、廊下の角を曲がったところで、その答えが目前に広がった。

「…………行儀の悪い」

不快そうにつぶやくと、春姫が眉をひそめ巫女服の袖を口元にやる。
広がっていたのは春姫をして眉をひそめる凄惨な光景であった。

噎せ返るような血と臓物の匂い。
まるで血の池のような大量の血液が廊下にぶちまけられていた。
広がる血だまりの中には頭髪や耳や指と言った体の一部が紛れていている。
その傍らには唾液のような液体に塗れた衣服や眼鏡といった装飾物が汚物のように吐き出されていた。

それは『食事』の跡だった。
まるで行儀がなってない、食い散らかしっぷりである。
血抜きもワタも取ってない生肉を喰らって美味いものなのか?

どう見てもそれは人の所業ではないだろう。
熊かなにか大型の肉食獣に食い散らかされたように見える。
大地震にバイオハザード、そこに熊害まで加わるとなるとこの村を襲う混沌も極まり過ぎだ。

だが、獣の体毛らしきものはどこにも落ちておらず、その代わりに壁には入口から続く巨体を引きずったような跡が刻まれていた。
見ようによっては固い体表で削られたようにも見える。
どうやら捕食者が立ち去った跡のようだ。

奇妙なのは、壁に刻まれた線が一本であるという事だ。
これほどの巨体であればここに侵入するまでに一本、出ていく際にもう一本。
二本の線が重なるように痕跡が残るはずだが、出て行ったような痕跡はあるが、入ってきたような痕跡はない。

つまりはこの『獣』はここで成長したのだ。
常であればあり得ぬ埒外の成長。
それが、この乱痴気騒ぎで生まれた『異』な存在であると春姫は確信する。


115 : 研究所探訪 ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:30:07 yhNQSnb.0
血だまりを睨むように凝視していた春姫は何を思ったのかその場に屈みこむ。
そして、手を伸ばして細く白い指を血だまりの中に突っ込んだ。
彼女は手間や労力は厭うが意外かもしれないが自身が汚れる事を厭わない。
どのような状態であろうとも己が完璧であると知っているからだ。

指先を血と唾液で汚しながら、血だまりの中にある白衣の胸ポケットをまさぐり何かを抜き取る。
それは顔写真の付いた職員カードだった。
IDパスにもなっているようだ。診療所のどこかで使えるのだろう。

IDパスを手に入れた春姫は血の池を超えて診療所を先へと進む。
健康優良児である彼女は病院には縁遠い存在なのだが、山折村の住民として診療所を訪れる機会くらいは何度かあった。
院内の構造はある程度は把握している。

向かうのは昔から気になっていた、ある所だ。
ロビーから繋がるわずかに狭い通路を潜り、一枚の扉の前で立ち止まった。
ドアには関係者以外立ち入り禁止というお決まりの警告が書かれている。

昔から子供心に思ったものだ。この先に何があるのかと。
その答えが、今得られてようとしていた。
春姫は警告文に構わずドアノブに手にかけた。

だが開かない。
捻る途中でノブが固い物にぶつかった。
当然であるが鍵がかかっているようだ。

扉に鍵穴はなく、その代わりに扉の横にはカードリーダー式の電子錠がついていた。
春姫はそこに先ほど拾ったパスを通してIDを読み込ませる。
すると横のランプが許可を示すように緑色に光り、カードリーダーのパネルが開いた。

そこには電卓のように0〜9の数値ボタンが並んでいた。
上部のディスプレイを見る限り、4桁の数字を入力できるようだ。
扉を開くにはどうやらカード認証と数値認証の2重の認証が必要なようである。

春姫は迷うことなく『0401』と自分の誕生日を打ち込んだ。
だが、返ったのはビーというエラー音。
そんな馬鹿なと眉を顰めた。誕生日が無理なら手詰まりである。

どうしたものかと春姫は何の気無しにIDパスを見た。
適当に裏返してみてみると、そこにはおあつらえ向きに4桁の数値が奔り書かれていた。

このパスの持ち主が忘れぬようにメモ書きをしていたのだろう。
セキュリティ意識の低い老人のやりがちな危険行為だ。
どれほどセキュリティを厳重にしようとも扱う人間のセキュリティ意識まではどうしようもない。
人類がどれだけ発展しようとも、この手のヒューマンエラーはなくならなることはないのかもしれない。

この降って沸いた幸運を当然のように享受して、春姫は数値を入力していく。
すると、ピッという機械音と共にガチャリと鍵の開く音が鳴った。

深淵へと続く扉の鍵は開かれた。
神聖さを帯びた巫女がその扉を開く。
その先に広がっていたのは、これまでの院内と変わらぬ様子の廊下であった。

凄まじい胆力、あるいは何も考えていないのか。
春姫はどのような危険が待ち受けるともしれぬ全ての元凶たる敵の本拠地へと躊躇いなく踏み込んでゆく。
真っすぐな廊下を進んで突き当たったところで角を曲がると、すぐ目の前にエレベーターがあった。

「▽」しかない呼び出しボタンを押すと、光を放ち反応を示した。
自動扉と同じく、地震の影響で動かなくなったなんてこともなく稼働しているようだ。

とは言え、このまま稼働し続ける保証などどこにもない。途中で停止し閉じ込められる可能性もある、
その上、どこに繋がっているかもわからないエレベーターだ。
まともな人間であれば乗り込むのに躊躇するだろうが、生憎と乗り込むのはまともな人間ではない。

春姫はエレベーターに当然のように乗り込むと内部のパネルを見つめた。
パネルには現在いる1階の他にB1、B2、B3のボタンがある。
診療所は3階まであったはずだが、上階に昇るボタンは見当たらない。
それだけでこのエレベーターが診療所とは隔絶した世界に繋がっている物なのだと分かる。

春姫は試しにB3のボタンを押してみるが、暗点したままで反応がない。
続けてB2、B1と押して行くが同じく反応はなかった。

壊れているのかと思ったが、エレベータパネルの下部に、先ほどの扉に備え付けられていたようなタッチパネルがあることに気づく。
そこにIDをタッチするとポーンという音と主に何かが稼働した。ここでは数値の入力は必要ないようだ。

試しにB1を押すと、今度はボタンが光った。
それに気をよくして続けざまにB2、B3と全てのボタンを押してゆく。
全てのボタンを押すのは迷惑行為ではあるのだが彼女以外に乗る人間がいないのだから誰にも迷惑はかけないし、そもそも押したところで反応がなかった。
このIDパスではB1までしか降りられないという事だろう。

そうこうしているうちにエレベーターの扉が閉じる。
彼女を乗せた箱が静かな揺れと共に地下に向かって動き始めた。
蜘蛛の糸を探して、地獄を生み出した地下へと向かう。




116 : 研究所探訪 ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:31:56 yhNQSnb.0
到達を告げるポーンと言う音と共にゆっくりと両開きの扉が開く。
徐々に垣間見えるそこには別世界のような白く輝く清浄な空間が広がっていた。

地上の地獄とは異なる白い地下の天国。
診療所も白く清浄なイメージはあったが、同じ白でもこの研究所は未来にでも迷い込んだかのような洗練された印象を与える。
地下は地震の被害が少ないとも言うが、最先端の耐震強度故か壁にはヒビ一つ見て取れない。

エレベータを出てまず目についたのは、正面にある一室だった。
そこは壁ではなくガラスで仕切られており、お洒落なカフェテラスを思わせるような作りである。
おそらく休憩や談話を行う休憩室(リフレッシュルーム)だろう。

流石にこんなところに業者を入れるわけにもいかないのか、自動販売機やディスペンサーのような物は設置されていない。
だが、個人で持ち込み可能なコーヒーメーカーやケトルと言った備品が見て取れた。
もっとも、それらは地震によって割れ落ち、備品は床に落下して破損してしまっているのだが。
いくら建物自体の耐震強度が高かろうとも内部に置かれた備品まではそうはいかないようである。

研究者とは言え人間だ、日の光も浴びず地下でずっと研究を行っていては気が滅入る。
あるいは科学者であるからこそ、根を詰めすぎずリフレッシュを行った方が効率的であると理解しているのだろう。
こういった福利厚生に力を入れるのなら意外とホワイトなのかもしれない。
春姫はうむうむと頷きながらそんなことを思った。

ひとまず納得を得たのか、春姫は興味を失ったように休憩室から視線を切る。
エレベーターから出た左手側は壁に突き当たっていため、右手側の通路を進んでゆく。
そして休憩室を越え、隣室の扉までたどり着き、そこで静止する。

ガラス張りのリフレッシュルームと違いしっかりとした壁に区切られていたその部屋には手前と奥の計二つの扉があった。
春姫は自身の目の前にある手前側の扉に手をかけるとドアノブを回す。
ノブが抵抗なく回った、どうやら鍵はかかっていないようだ。

開いた先は明かりがついていないのか薄暗く、開いた扉の隙間から部屋に光が差し込んで行く。
薄暗闇に目を凝らして見れば、そこには簡素なベッドが並んでいた。どうやらここは仮眠室のようだ。
もしかして研究者たちは家にも帰らずここで寝泊まりしていたのだろうか?
だとしたらとんだブラックである。春姫は考えを改めた。

薄暗いのも仮眠室であるためだろう、視界の悪い室内を入口からきょろきょろと見まわす。
異能のおかげで春姫に襲いかかることはないが、ベッドの上には何体かゾンビが寝ているようだ。
恐らく仮眠中にウイルスに侵されてしまったのだろう。
威風堂々とした女の侵入にむしろゾンビの方が驚いているようである。
それを気にした風でもなく、春姫はそっと扉を閉じて仮眠室を後にした。

さらに通路を進んでゆくと曲がり角に突き当った。
通路は右にL字型になっているようで、正面の突き当りには新たな部屋の扉があった。
春姫は角を曲がる前に、まずは正面の部屋へと入ることにした。

その扉を開いた瞬間、これまでの薬品めいた匂いではなくどこか嗅ぎなれた匂いが鼻を突いた。
それは紙の匂いだった。どうやらここは資料室のようである。
法律家である父の部屋を思い出させるその匂いに興味を惹かれたのか、春姫が資料室へと足を踏み入れた。

資料室には様々な書物や資料が並んでいた。
書籍が電子化される時代においても、まだまだ紙の資料は有用なようだ。
並んでいると言ってもそのほとんどが地震によって地面に落ちているのだが。
倒れた本棚の下敷きになっているゾンビもいるが、春姫はそれらを無視して本棚を躱すように歩きながら、雑多に散らばった本のタイトルを確認していった。

『Interactions between Neurons and Bacteria: Effects on Microbial Brain Function』
『El impacto de los rayos cosmicos en la Tierra』
『Sicherheitsbedenken und Bedenken hinsichtlich der Impfung von Impfstoffen』
『Die Beziehung zwischen Stress und Gehirnfunktion: Mechanismen von Stressresistenz, PTBS, Depression und anderen』
『?于人??知?世界?生的影?』
『Угроза резистентных к препаратам бактерий и ситуация с разработкой новых антибактериальных препаратов』
『Zusammenhang zwischen bakterieller Infektion und Enzephalitis: Erreger, Symptome und Therapieerlauterungen』
『The Role of Neurotransmitters and Their Relationship to Diseases: Dopamine, Serotonin, Norepinephrine, and Others』


117 : 研究所探訪 ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:33:01 yhNQSnb.0
資料室に落ちていた本のタイトルは多様な言語で書かれた。
常識はなくとも教養はあるのが春姫という女だ。
流石に全てとはいかないもののある程度の内容は理解しているようだ。

様々なジャンルの専門書が並んでいたが、傾向として脳や細菌に関するものが多いようである。
医学関係と言う事もあり英語やドイツ語が多いが、中には日本語の書物もいくつか目についた。

『ウイルスの進化と感染症の流行について 』
『細菌が齎す人体への影響について』
『ワクチンの安全性と接種に対する懸念点』

日本語書籍の殆どが細菌やウイルスに関する著書であり同じ著者によって書かれているようだ。
著者の欄にはこう書かれていた『著 - 梁木 百乃介 - 』と。
聞いたこともない名前である。もっとも一般人が細菌学者の名前なんて知っている方が珍しいだろうし、妙な知識の豊富な春姫と言えどもそこまで行くと守備範囲外である。

広い資料室を一通りぐるりと回ったが、どうやらこの資料室には研究成果などのこの研究所で作られた独自資料は保管されていないようだ。
世界各国の専門書が集められており、中には希少性な物もあるのだろうが、ここに置かれているのは本屋で売っている物の寄せ集めでしかなかった。

春姫が欲しているのは今起きている事態を引き起こした研究成果である。
然しもの春姫もここで1から勉強した所で事態が理解できるはずもなし。
ここに彼女の求めるものはない、春姫は資料室を後にした。

資料室から出た春姫はL字路の先へと進んでゆく。
通路を進み、まず目に入ったのはトイレであった。
中を確認するまでもない所である。催している訳でもなし春姫は無視して先に進む。

トイレから少し進むと今度は通路の左右に扉があった。
特に逡巡するでもなく春姫は僅かに位置の近かった左手側の扉へと向かって行く。

扉を開くと、鼻を突いたのは先ほどの資料室とは真逆のこれまで以上の薬品の匂いだった。
ブースで区切られた白い机に薬品棚。ビーカーやフラスコと言った実験設備も揃っているようだ。
ようやく研究所らしい設備がお目見えしたようだ。

だが、素人目だが一見した感じでは特殊な器具は見あたらない。
フラスコやビーカー、顕微鏡と言った見覚えのある物ばかりで、印象としては学校の理科室のようにも感じられる。
ここは専門の研究室と言うよりは簡易的な個人研究ブースなのだろうか。

大したものはなさそうだが、それでも何らかの研究成果やこの事態解決に繋がる物があるかもしれない。
そう考え研究ブースに踏み込もうとしたが、直前で踏み出した足を止める。

室内には割れたビーカーやフラスコの破片が散らばっていた。安全靴ならまだしも雪駄で踏みこむのは危険だろう。
それに、地面に転がっている破片の中には割れた薬瓶も含まれており、気化した危険な薬品を吸い込む可能性もある。
春姫は踵を返すと扉を閉じて部屋を後にした。

続いて研究ブースを出て正面、通路右手側の扉へと向かう。
他の部屋より僅かに重い扉を開くと、そこにあったのは埃臭い倉庫であった。

倉庫に置かれているのはフラスコやビーカー、シャーレなんかの予備の実験用具である。中には白衣や手袋なんかの着替えもあるようだ。
さらには電球やトイレットペーパーなどの日常雑貨や缶詰やインスタント食などの食料品なども備蓄されていた。

元より雑多な倉庫だったからこそ地震によって荷が崩れてしまえば足の踏み場もない。
見る限りただの備品倉庫。大したものも置かれてないのは明らかだ。
そう考え扉を閉じようとしたところで、ふと気づいた。
薄暗く雑多な倉庫だったから気づかなかったが、部屋の奥に扉があるようだ。

果たして何の部屋なのか。
それを確認すべく、仕方なしに春姫は崩れた倉庫へと踏み込こんでいった。
面倒なので雑多に散らばる荷物を踏みつけながら進んでゆく。
破片が転がっている危険そうな箇所は避け、適当に転がっていた乾パンを拝借しつつ、出来うるかぎり安全なルートを辿って部屋の奥までたどりついた。

倉庫の奥にあった扉には「配電室」と書かれていた。
この先にあるのは、地震が起きても健気にこの地下設備に電気を供給し続ける電気系統を管理している場所のようだ。
その手の知識に興味がない春姫が入ったところで何が分かるでもないだろうが、とりあえず扉に手をかける。

だが、扉には鍵がかかっていた。
しかもこれまでの電子鍵ではなくシリンダーのついた物理鍵である。
何とかならんかと未練がましくガチャガチャとドアノブにチャレンジを続けるが何ともならない。
鍵がないとどうしようもなさそうだ。

他の施設と違う鍵がかけられているのは、研究とは別の専門性求められる場所だからだろうか?
散らかった倉庫を突っ切ってきたがどうやら無駄足だったようである。女王はすごすごと散らかった倉庫を引き返した。


118 : 研究所探訪 ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:33:30 yhNQSnb.0
埃臭い倉庫を出る。
先ほど倉庫から拝借した乾パンの包装袋を解いて、ガリガリと朝食を齧りながら通路を進む。
だが、少し進んだところで通路の突き当りにたどり着いた。どうやらこのフロアはここで終わりのようだ。
突き当りには前方と左右、三つの扉がある。

秘密の研究所と言っても、まだまだこのフロアは浅瀬にすぎないのか。
通路の端から端まで来たが、今のところ大した成果は得られていない。
このフロアにはあまり重要な施設が置かれておらず、真なる深淵はもっと下のフロア、地下深くに広がっているのか。
それとも、この三つの扉の先に何かこの事態解決の一助になる物があるだろうか?

春姫はまずは右の扉を選んだ。
全て調べるのだから正直どこからでもよかったが、強いて言うなら三つの中で一番大きそうな部屋だったからだ。

そこは白いタイルが敷き詰められた大部屋だった。壁は黒くどこか重々しい。
部屋の奥には椅子と机が2つ配置されており、机の上には複数のモニターが並べられていた。

明らかにこれまでとは毛色の違う内装だ。
それもそのはず、この部屋は研究を目的としたこれまでの施設とは根本からして異なる部屋なのだから。
どうやら、ここは侵入者を監視する監視室(モニタールーム)のようだ。

監視室には白衣とは違う制服姿のゾンビが2体屯していた。
恐らくモニターを監視する監視員だったのだろう。

春姫は彼らを無視してモニター前の椅子に勢いよく座ると、意味もなくくるりと一回転した。
そして改めて映し出されていたモニターの映像を注視する。
流石に全てが生きている訳ではないが、いくつかのモニターは煌々と光を放っていた。
ここも他の施設と同じく電源は動いているようだ。

画面に投影されていたのは診療所の本館と入院棟の正面入口。職員用の裏口だった。
そして先ほど春姫も通って来たエレベータ通路を含む、診療所内の何か所かが映し出されている。
恐らく研究所に繋がる場所を監視していたのだろう。

だが、どの画面を見ても研究所内部の映像はない。
この施設があくまで外部からの侵入者を監視する施設であるためだろうか。
モニタールームで屯する警備員たちがあっけなくゾンビになったのは、内部で起きたバイオハザードには対応できなかったのはそれが理由なのかもしれない。

だが、このような場所を監視しないなどありうるのか?
内部監視をしているのはここではない別の部屋なのか。
あるいは機密であるからこそ映像が残せないという事なのか。

ともかく、この部屋があれば外敵への警戒は万全だ。
ともすれば特殊部隊が空爆を行おうとも地下施設であるここであれば影響はないかしれない。
事実、ここは安全に引きこもるには最適な場所ではあるのだろう。

だが、春姫の目的は引きこもることではない。
村の始祖たる女王として、この村を導き、救いを齎さねばならないのだ。

そんな強い意志をもって女王は警備室を後にする。
そのまま警備室から出て正面の扉に入っていった。

そこは警備室に比べればかなり手狭な部屋だった。
沢山のロッカーが並んでいる事から、研究員が着替えなどを行うロッカールームのようだ。
地震によってロッカーは倒れており、その衝撃で扉が開いたのか、ロッカーの中身はこぼれて地面に散乱していた。
その中には研究員の私物も含まれており、あるいはそこから重要な何かが見つかるかもしれない。
調査する価値は大いにあるだろう。

だが、春姫は踵を返した。
雑多に散らかる惨状を見て調査する気が失せたからだ。
倒れたロッカーを立て直して直して、地面に落ちた残留物を事細かに調査する。
そのような地道な力仕事は春姫の趣味ではない。
春姫はロッカールームを後にした。


119 : 研究所探訪 ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:33:53 yhNQSnb.0
ここまで来れば賢明な諸兄はとっくにお気づきかもしれないが。
当の本人としては自信満々ではあるのだが、彼女は致命的なまでに探偵に向いていない。
あらゆる場所で踵を返しすぎである。

確かに、神楽春姫という女は運命に愛されたような豪運を持っている。
あらゆる過程や手続きを飛び越して、研究所の内部にまでたどり着けたのがその証左だろう。
だが、それで何とかなるのも限界がある。

ここまでも一瞥しただけで各部屋を見切ってきたが、もっと痕跡を見落とさぬよう詳細に調査すべきだった。
興味が向いたものにしか目を向けない、その気質が完全に足を引っ張っている。

だが、その事実を指摘するような仲間もおらず、春姫はロッカールームを後にした。
春姫は突き当りにあるこのフロアの最奥にして最後の扉へと手をかけた。

他の部屋と違って鍵がかかっていた。
配電室のような物理鍵ではなく、エレベーターと同じく電子鍵である。

わざわざ鍵がかかっているあたり、何かあるのではという期待が持てるが。配電室の時のようにそもそも鍵を開けるのかと言う懸念もある。
試しにパスをタッチキーにかざすと、最初の扉と同じく数値入力のパネルが出現した。
同じ4桁の数字を入力すると鍵の開く音が鳴り、意外なことにあっさりと扉は開いた。

春姫は無言のまま手にかけたドアノブを捻る。
ゆっくりと開いた扉の先からは、妙にひんやりとした空気が流れ込んできた。

その先にあったのは部屋ではなかった。
上下に繋がる折り返し階段とその踊り場だ。

ここから階段を降りて行けば、下のエリアにも行けそうである。
もしそうならばパスはいらないんじゃないか? などと甘い考えが浮かんだが、そこまでうまい話はない。
実際に階段を下りてB2フロアの踊り場にたどり着いたが、扉には当然のように電子鍵がかかっていた。

これまでのようにIDパスをかざすがエラーの赤が光るばかりである。
どうやらこのIDパスの権限で侵入できるのはB1までのようだ。
恐らくB3も同じ結果になるだろう。ここより先に進むにはより上位のIDが必要となる。
どうやら彼女の運命力でごり押せるのもここまでのようだ。

とは言え、今は強引な手段に出た所で咎める物などいない非常事態である。
最悪、扉を破壊してしまえばいいし、そもそも平時でも手段を躊躇うような女ではない。

いっそ爆破でもしてしまうか。
などと割と本気で検討する春姫だったか、生憎と爆薬の用意はない。

手元には剣があるが鋼鉄製の扉を斬鉄するのは春姫の細腕では流石に厳しいだろう。
研究所にある薬品を組み合せば爆薬の一つくらいなら生み出せるだろうか?
その手の知識はないが、ここには資料室がある。参考になりそうな書物には事欠かない。

何にせよこんな何もない踊り場で考えていても仕方がない事だ。
ひとまず、春姫は上のフロアに戻ることにした。
研究所にとどまり策を講じるか、いったん研究所を出て別の方法を探るか決めることとしよう。

【E-1/地下研究所・B2 階段扉前/一日目・朝】

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
※自身が女王感染者であると確信しています


120 : 研究所探訪 ◆H3bky6/SCY :2023/04/14(金) 20:35:10 yhNQSnb.0
投下終了です

B1見取り図です
ttps://img.atwiki.jp/orirowaz/attach/10/4/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80B1.png


121 : ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 19:56:31 mf6jnQeg0
投下します


122 : 友の家を訪ねる ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 19:57:21 mf6jnQeg0
「おやびん。ありがとうございました」

ある日、圭介が学校に向かう道中。
いつものように合流してきた友人、湯川諒吾が深々と頭を下げていた。
友人と言っても、年齢差があるためか対等な関係と言うより上下関係のある兄弟分といった関係なのだが。

「いきなり何の話だよ? あと、おやびんはいい加減やめろっての」

頭を下げられる覚えなどないのか、圭介が不可解な顔で諒吾を見つめる。
この2人の関係が始まったのは圭介が小学4年生になり、諒吾が小学2年生になった頃からである。

それはちょうど村長が代替わりした直後の時期であり、当時は村の子供たちも少なかったため学年の垣根なく一つの教室で授業が行われていた。
子供の頃の2歳差というのは大きい。同じ教室で事業を受けていたため交流自体は容易だったが、その年齢差もあってかあまり深い交流のない2人だった。
だから下級生がそれまで交流のなかった上級生に進んで意味もなく話しかけるなんてことは小さな村の中で珍しいことであった。

そんな中で、露骨に圭介に擦り寄ってきたのが諒吾だった。
諒吾は彼の曾祖父の意向で村長の息子である圭介に宛がわれた友人である。

幼いながらに諒吾も自分の役割を理解していたのだろう。
子供なりに精一杯の媚びを売り、最大限に相手を持ち上げる敬称が「親分」だった。
それが子供らしく舌足らずな「おやびん」と言う呼び方になって、それが関係性と共に今になっても続いていた。

「いやぁ、それがなんでも、住宅の抽選が当たったみたいで」

へへっと謙りながら諒吾が言う。
受託の抽選。それは圭介の父である村長が推し進める住宅開発についての話だった。
村の北部の田園地帯を取り潰して、そこに新たに高級住宅を建てようという計画である。

この政策は開発に反対する一部の頭の固い保守派の住民を除けば多くの住民に受け入れられ、その大半が今の古臭い住居を捨てて高級住宅へと引っ越しを希望していた。
同時に村外からの住民の受け入れ政策も進めていることもあり、住居移住の権利は応募多数で抽選制になっていたのである。
冒頭の礼は、それが当選したことに対する礼らしい。

「んなもん、俺に礼を言ってもしゃーないだろ。どう選んでるかも知らねーし」
「まあそうなんすけどね、けどひい爺さんや親が礼を言っとけって。畑に近い家に選んでもらえて助かりましたって」

湯川家は代々山折村で農家を営んできた家系である。
そんな湯川家に残された田畑に近い南東側の家が都合よく宛がわれたのは確かに出来すぎた話だ。

その辺の抽選は村長のお膝元である役所で処理されている。
息子の親しくしている友人が選ばれたというのは何かの忖度があったのかもしれない。
実際はどうだったかは別として、少なくともそう考える人間は発生するだろう。

「ま、いいさ。それについて変に言ってくる奴がいたら言えよ」
「いやまぁ。その辺は慣れたもんなんで気になくていいっすよ」

諒吾は曖昧に言葉を濁すが否定の言葉はない。
それは言外にそう言った物言いがあるという事実を示していた。

開発の割を食うのは広大な土地を有している田畑からという事もあり、農家の多くが開発に反対している保守派のスタンスである。
その中で、改革派のトップである村長に媚びを売る湯川家の蝙蝠のようなスタンスは、口さがない批判に晒されることも少なくはなかった。
実際に忖度があったかどうかは不明だが、こうして恩恵を受けたとなるとその風当たりも強くなるかもしれない。

「ったく、下らねぇよな。こんな小さな村で派閥だのなんだの」

こんな片田舎で派閥だの何だの、面倒な人間関係に振り回されている。
いや、田舎だからこそ、こんなつまらない言い争いをしているのかもしれない。
しがらみだらけな小さな世界でまったく嫌になる。

「……どうなるんすかねぇ、山折村は」

見通しの見えない未来への不安を吐露するように諒吾は呟いた。
村長が変わってから数年。村は変革の時期を迎えていた。
古きは新しきに生まれ変わると言えば聞こえはいいが。
古きものばかりの片田舎においてそれは全てを打ち壊すに等しい改革だ。
その改革が成功するのかなんて誰にもわからない。
もしかしたら村の伝統すら破壊しつくして、自然消滅するよりも悲惨な終わりを迎えるのかもしれない。

「俺っちも家の農家を継ぐことになるんでしょうけど……このまま村が開発されていったら農家なんてやっていけるんっすかねぇ」

開発を広げて行く上で、まず取り潰されるのは広大な土地を占有している田畑だ。
実際、今回の高級住宅街建造においては大きな田園地帯を取り潰して開発が行われている。
田園地帯はまだ残っているが将来的にどうなるのか。


123 : 友の家を訪ねる ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 19:57:58 mf6jnQeg0
消えていくのを待つしかない限界集落だった山折村の若者人口もここ数年で増えてきた。
何もしないままだったら、こんな小さな村など時代の波に飲み込まれて数年もせずに消えてしまっていただろう。
村の開発が進んで便利になってゆくのは村にとっては良い事だ。

だが、それが必ずしも全員にとって良いことであるとは限らない。
諒吾は農家なんて継ぎたくないという今どきの若者とは違って、積極的に農家がやりたいという今どきの若者らしからぬ少年である。
田畑が取り潰されていくのは彼のような人間からすれば悪いことだろう。
だからこそ、今山折村は開発をめぐる派閥争いなんかに巻き込まれているのだが。

「おやびんが村長になった時には、農業の拡大をお願いしやすよ」

揉み手で圭介へと媚び諂う。
山折家に生まれた圭介は将来の村長である。
村長は公選によって選ばれるものだが、この閉ざされた山折村においてはそうではない。
公選制になって久しいが、暗黙の了解により対抗馬など一度も現れるはずもなく。
村名と同じ名を関する山折家による実質的な世襲制となっていた。

どれだけ嫌がろうともそんな大人の中心に圭介は据えられる。
それが山折家に生まれた圭介の逃れようのない運命だ。

「村長になった時つっても、しばらくは親父の時代だろ」

だが、将来的に圭介が村長の座を継ぐとしても、それはまだまだ先の話だ。
少なくとも、父親が村長を引き継いだくらいの年齢になるまでは関係のない話である。

「だいたい。今の調子なら、山折家が村長やってくって仕組みも変わっていくかもな」

時代と共に制度も移り変わってゆく。
山折家が山折村の長じゃなくなる日も近いのかもしれない。
あるいはその変化は圭介の代で起こる出来事かもしれない。
それこそ春姫あたりが被選挙権を得られる年齢になったら暗黙の了解を破り出馬しかねない。
まあ、あの変人に人望で負ける気はしないが。

「ええっ!? おやびんには村長になっていただかないと、俺っちもこうして媚び売ってる甲斐がないってもんですよ」
「太鼓持ちが、言ってくれんじゃねぇか」

そう言って笑いあう。
こんな冗談を言い合える程度にはこの2人は胸襟を開いた関係だった。

媚びを売るのも忖度も、親側の勝手な意向である。そんな事情に子が従う道理はない。
周囲は2人の関係を勝手に受け取り勝手に解釈するだろうが。
圭介と諒吾はそう言った事情を理解したうえで、友人関係を築いているのだ。

「まあ、まだ習わしとして俺も『成人したら』。村長としての教育が始まるらしいけどな」

この村がどうなるのか、村長がどうなるのか、どれもこれも不確定な未来の話だが。
少なくとも今の圭介は村長になる線路に乗せられている。
その道を進んでいくしかない。

「へぇ。そうなんっすね。って村長の教育って何するんっすか?」

村長の勉強と言われても、村長が何をしているのかと言うのは傍から見れば漠然としていてイメージがしづらい。
それは直系である圭介も同じなのか、どこか投げやりに答える。

「さぁな? 大体は親父の手伝いだと思うけど、あとは村の歴史でもお勉強するんじゃねぇの」
「この村の歴史って……空から巫女が舞い降りて生まれたとか、なんか妖怪が封じられてるとかっすかね」
「んな迷信がある訳ねぇだろ。昔からクソ田舎でしたで終わりだろ」

これも時代の移り変わりか。
それとも村の歴史などに若者が興味をもたないのはいつの時代も同じなのか。
こんな寂れた村の歴史など迷信程度にしか妙味を持たれていなかった。

「けど、成人してからって話ですけど、なんかもうじき成人の年齢が引き下げられるって噂ですよ」
「マジかよ」

モラトリアムの時間はあまり残っていないようだ。
法律も変わり、改革によって村も少しずつ変わって行く。

だが、変化は受け入れる覚悟を確かめるように少しずつ緩やかに訪れるものだ。
急に何が変わるという訳でないだろう。

いきなり世界が変わるわけでもないのだから。




124 : 友の家を訪ねる ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 19:58:35 mf6jnQeg0
変わり果てた世界の中を、一人の少女が走っていた。

未曽有の大地震が襲い、小さな村の景色は崩れ去った。
村の地下に存在する秘密の研究所から漏れ出したウィルスにより発生したバイオハザード。
そしてその事態を解決するべく送り込まれた特殊部隊。
混沌に次ぐ混沌により、穏やかだった村の姿は見る影もない。

山折村の住民である少女、犬山うさぎは焦りの汗を滲ませ、息を弾ませながら走っていた。
生まれ育った村の変わり果てた光景が流れていくが、今の彼女に周囲の景色に目を向ける余裕はなかった。
何故なら彼女は逃亡と救援探しの真っ最中だったからだ。

うさぎを襲ったのは、送り込まれた特殊部隊の中でもとびっきりの最強の男だった。
そんな最強の男に狙われて、ただの女子高生であるうさぎがこうして逃げ切れるのは奇跡である。
もちろん、それはうさぎだけの力によるものではない。

仲間である鈴菜と和幸が命懸けで彼女を逃がし、時間を稼いでくれている。
大丈夫だという鈴菜の言葉を信じているが、和幸は重症を負っていた。
すぐにでも助けとなる人間を見つけて応援に行かないと最悪の事態もあり得るだろう。
早く早くと逸る焦りが背筋を蟻のように駆けずり回る。

焦燥の時間は永遠のようであり、実際は数分にも満たなかっただろう。
走り抜けていたうさぎは、ようやく人影を見つけた。
朝日が逆光になってよく顔が見えないが、二人組のようだ。

「おーい! そこの人たちぃ! お願いします、止まってくださーい!!」

構わず大声で呼びかける。
事態は一刻を争うのだ。
相手が安全かどうかなど吟味している余裕はない

助けとなってくれる人間かどうかも分からない。
最悪の場合、別の特殊部隊の人間と出会ってしまう可能性だってある。
それでも、接触せざるを得ない状況だ。

人影は呼びかけに足を止めてくれた。
うさぎはそこに駆け寄ってゆく。
近づいて行くと、その人物が見て取れた。

「圭介くん! それに光ちゃんも! 一緒だったんですね、よかった!」

幸運なことに、出会ったのは顔見知りだった。
この村の長である山折家の嫡男、山折圭介。
手をつないだその先にいるのは、その恋人である日野光だ。

犬山家は山折村の神社を代々預かる家系である。
村の長である山折家とも古くから付き合いがあり、村の開発をめぐる対立からあまり友好的とは言えないが、家同士の付き合いもそれなりにあった。
まあそれ以前の話で、この小さな村で生まれ育った子供たちは皆顔見知りなのだが。

「…………うさ公」

どこか辟易したような声で圭介はうさぎの名を読んだ。
傍らの光は無言のまま、圭介に隠れるようにして佇んでいた。
普段から優しい笑顔が印象的な穏やかな人だったが、どこか顔色が悪いように見える。
これだけ村がめちゃくちゃになって色々あれば無理からぬことかもしれないが。

そして、圭介の恋人とつなぐ逆の手には巨大で物騒なものが握られていた。
それは建物の壁や車を容易く貫通するほどの威力を持つ凶器。
南アフリカの武器会社デネル・ランド・システムズが開発したダネルMGL(多連装グレネードランチャー)である。

あまりに物騒な凶器ではあるのだが、一般的に知られる拳銃とはあまりにも形状が違ったため、知識のないうさぎには掃除機にしか見えなかったが。
なんで掃除機持ってるの? などと言う呑気な質問を行えるような余裕のある状況でもない。

「っ。けどそうですよね……光ちゃんを連れてる圭介くんに頼むわけにもいかないですよね」

うさぎは苦々しい顔で言葉を詰まらせる。
二人との再会は喜ばしいものだったが、この出会いはうさぎの目的に沿うものではなかった。

うさぎは助けを求めていた。
ここで圭介に助けを求めるという選択肢もあるのだろうが、助けは誰でもいいという訳ではない。
下手な増援は犠牲者を増やすだけの行為にしかならないだろう。

相手は戦闘のプロである。
最悪、薩摩でもいいから出来るなら警官や猟師、もしくは数で相手を追い返せるような集団が望ましい。

圭介は日常においては頼りなるリーダー的存在だ。
友人である春姫は圭介を蛇蝎のように嫌っているが、個人の主義主張の問題だろうしそれはそれ。
うさぎからすれば圭介はいつもみんなを引っ張っていく頼りになる先輩である。

だが、今は日常ではない、非日常における異常事態である。
圭介が屈強な特殊部隊相手に助けになるかと言うと難しいだろう。
ましてや、彼は恋人を守護っている最中だ、無理強いする訳にもいかないだろう。


125 : 友の家を訪ねる ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 19:59:09 mf6jnQeg0
「すいません! こっちから引き留めておいて申し訳ないのですけど、急いでいるので行きます!」
「待てよ。何をそんなに急いでいるのか知らねぇが、事情くらいは聞かせろ」

だが、急ぎ立ち去ろうとするうさぎを圭介が引き留めた。

「そ、そうですね」

確かに、ここで事情も説明せずに立ち去っては圭介たちを危険にさらす可能性もある。
何にも知らないまま圭介たちが特殊部隊のいる方に向かって危険に巻き込まれてしまう可能性もある。
それはうさぎも本意ではない。
手短に事情くらいは話しておくべきだと思いなおして、走り出そうとした足を止める。

そんなうさぎの様子を圭介は暗い瞳で見つめていた。
彼がうさぎを引き留めたのは事情を聴きたかったからではない。
うさぎにうさぎの目的があるように彼には彼の目的があるからだ。

圭介はこの事態を解決すると決めた。

そのためには原因となる女王感染者を排除する必要がある。
だが、誰が女王であるかの判別方法はなく、殺して確かめるしかない。
全てを取り戻すためには、このピースを隠したパズルのような地獄のゲームをクリアせねばならない。

それでもやると決めたのだ。

この村の住民の一人として。
村を預かる将来の村長として。
なにより、愛する人を取り戻すために。
全てを殺しつくす覚悟を決めた。

その決断に躊躇いがないと言うと嘘になる。
そもそも人殺しなんて好き好んで誰がやりたいと思うのか。

それでもやらねばならない。
他の誰もやらないとしても。
いや、やらないからこそ自分がやらねばならないのだ。

それに、既に圭介はゾンビになった学友たちを道具のように使いつぶしている。
戻る道などない。

だが、政策によって誘致された外からの移住民であった山岡伽耶とその取り巻きたちと違って、うさぎはこの村で生まれ育った地元民だ。
圭介にとっても子供の頃から知っている顔見知りである。
それを殺すというのはどれほどの覚悟が必要となるのか。

母はゾンビになった。
父や友人たちも、きっとそうなっているだろうという希望的観測を並べ、彼らを殺す必要はないと自分を安心させた。
だが、もしそうじゃなかった場合に自分はどうするのか。

なんて半端な覚悟や決意。
そんな覚悟でこれから先、やっていけるはずもない。
平穏無事でいるうさぎの姿を見てそれを思い知らされた。

圭介にとって光以上に大切な存在なんかない。それは変えようのない事実だ。
問われているのは、大切な物のためにすべてを踏みつけにする覚悟はあるかという事。
古くからの知り合いである犬山うさぎは、その覚悟を試すにちょうどいい試金石だった。

鋭い目つきで周囲を見る。
生憎、操作できそうなゾンビはいない。
ただの女子高生一人殺すのにグレネードランチャーをぶっ放すなんてオーバーキルもいいところだ。
これから先、特殊部隊のような強敵を相手にするのだ。無駄弾は撃たず、グレネード弾は温存しておきたい。

故に、殺すのならばナイフだろう。
圭介が殺した特殊部隊の男から奪い取ったサバイバルナイフ。

引き金を引くだけで人を殺すのとも違う。
誰か(ゾンビ)に銘じて殺すのとも違う。
相手の喉を切り裂き、人を殺した感触を自らの手に直接刻み付けるのだ。

圭介はうさぎの死角となるよう後ろに回した手で、腰元のサバイバルナイフの柄を握る。
事情を話そうとしているうさぎに向かって、一歩、近づこうとしたところで。

「私のお友達が特殊部隊と戦ってるんです! すぐに助けを呼んでこないといけなくて……!」

その言葉を聞いて、圭介が動きを止めた。


126 : 友の家を訪ねる ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 19:59:43 mf6jnQeg0
「…………特殊部隊、だと?」
「はい。村の外から来た鈴菜さんって女の子と和幸さんが私を逃がしてくれて、今も特殊部隊と戦ってるんですよ……!」
「カズユキ?」
「うん。圭介くんも知ってますよね? 和幸さん」

圭介も村民の中に暁和之と言うプロレスラーがいるのは知っている。
だが実際は豚の和幸なのだが、ウィルスによって前世の姿を取り戻したなどと言うミラクルCが起きたなどわかるはずもない。

「だから、せっかく2人に会えたのに残念ですけど、すぐにでも助けを呼んでこなきゃいけなくって」

そう言っていそいそと走り出そうとする。
仲間が命を懸けて足止めしてくれている一刻を争う事態だ。
これ以上詳しい事情を説明している時間はない。

「待て、行くのはいいけど、そいつらはどこにいるんだ? 場所だけでいいから教えろ」
「どこって、えっと……」

問われて、うさぎは何か言いづらそうに僅かに回答を躊躇う。
だが、ここで逡巡している時間もないと気づき、その答えを口にした。

「…………諒吾くんの家ですよ」

出てきたのはうさぎとは同学年の級友にして、圭介の友人の名だった。
うさぎも二人の親しさを知っていたからこそ、言い出しづらかったのだろう。

戦場となっているのは友人宅である。
その情報を受け、圭介は神妙な面持ちで「そうか」と呟く。
そして僅かに考え込むように押し黙った。

生憎、うさぎに気長に返答を待っている状況でもない。
気づけば、時刻は既に6時過ぎになっていた。
時間の経過を歓迎できる状況でもないが、今なら新しい召喚ができる。

「お願い、着て…………!!」

うさぎが祈りを捧げる。
瞬間、草原に黒い鬣を風に靡かせる美しい馬が出現した。
その馬の体つきは彫刻のように美しく筋肉質であり、光沢のある栗毛の毛並みが朝日をキラキラと照り返していた。
一見すれば厳しい顔をしているようだが、落ち着いた瞳は深い知性を感じさせた。

圭介は突然現れた馬に驚き目を見開くも、すぐにそれがうさぎの異能であると理解する。
うさぎは現れた馬へと跨った。

「うさ公」

圭介はなにかを決意したような声で馬に跨ったうさぎの背に呼び掛ける。
振り向いたうさぎの視線を誘導するように南の方を指さす。

「あっちの方に八柳の奴がいる。ゾンビになってないまともな連中何人かで固まってるみたいだ」
「え、哉太くんが? 帰ってきているんですか!?」

村から出て都会に行った八柳哉太が帰省しているのは初耳だった。
だが、哉太の居所を知る様子の圭介は彼らと合流していない。
こんな状況だ、正気を保った人間は固まって行動したほうがいいはずなのに。

「圭介くんは……哉太くんと合流しないんですか?」
「俺は…………あいつらとは別にやる事がある」

先ほど特殊部隊の居る場所を聞いたことも合わせ、まさか向かうつもりだろうか、という考えが頭をよぎるがすぐにその疑念を否定する。
圭介が光をどれだけ大切にしているかは、傍から見ていてもわかるくらいだった。
普段から無鉄砲なガキ大将ではあるのだが、光を連れている以上無茶なことはしないだろう。

圭介と哉太が喧嘩別れしたとは聞いていた。
基本的には別の友達グループであったため当事者ではないのだが、狭い田舎世界だそういう風のうわさくらいは耳に入る。
この様子ではまだ仲直りはしていないようだ。

普段ならともかく、鈴菜たちの置かれている状況を思えば言葉を尽くして仲裁しているような時間はない。
一刻も早く、哉太たちと合流して助けに向かわなければ。

「ありがとう、圭介くん! 光ちゃんも! お互い無事にまた会おうね! それじゃあ、お願いウマミちゃん!」

慌ただしくも別れの挨拶を述べると、踵で軽く馬の腹を蹴って発進の合図を出す。
最後まで光は一言も発しなかった。普段のうさぎであればそれを気にかけるのだろうが、危機的状況に急かされている事もありそれを気にかけてる余裕はなかった。

軽やかに蹄を鳴らしてうさぎを乗せた馬は駆け抜けていった。
どこで乗馬の心得など得たのか、あっという間に駆け抜けていくその様は正しく人馬一体と言う風である。


127 : 友の家を訪ねる ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 19:59:58 mf6jnQeg0
あっという間に朝日に消えていくその様を圭介は見送り、学校へ向かっていた足を住宅街の方に向けなおす。
もちろん、うさぎから聞いた特殊部隊の居るという湯川邸に向かうためだ。

特殊部隊を排除する。
それが湯川邸に向かわんとする圭介の目的だった。

自分の命を狙われた先ほどとは違う。
明確に自分の意志により、進んで排除しようとしていた。

圭介が哉太の情報をうさぎに与えたのは特殊部隊の情報を得た対価という訳ではない。
むしろ情報を聞くだけ聞いて殺してしまう選択肢もあっただろう。
そうしなかったのは、いわば保険だ。

光は絶対に取り戻す。
その決意に陰りなどない。
しくじるつもりなどないが、それとしくじった場合の策を考えないのは別の話だ。

圭介の最優先目標は光を取り戻す事だ。
仮に自分が死んでも、それだけは果たされなければならない。
哉太たちが他の方法で事態を収束させてくれるのならそれはそれで構わない。
圭介は他の人がやらない圭介なりの方法でやるだけだ。

特殊部隊の連中も奴らなりのやり方でこの事件を解決しようとしているのだろう。
無関係な村民を皆殺しにしてでもこの事態を解決しようとしている。それに関しては圭介も同じだ。
ならば、それを行おうとしている相手を排除するのは矛盾しているのかもしれない。

だからと言って、奴らが解決してくれるのを待つなんて選択肢はあり得ない。
奴らは圭介たちの命を狙っているし、所詮奴らは村を荒らしている部外者だ。
そんな奴らが解決してくれるのを待つなんて、そんなのはクソくらえだ。

それに、特殊部隊と圭介の目的を同じくするのはバイオハザードの解決までだ。
その先で光が平穏な暮らしを取り戻すには、いずれにせよ特殊部隊は排除しなければならない

自分がしくじった場合、哉太たちをぶつけて特殊部隊を仕留めてもらう。
うさぎはそのために情報を運ぶ白兎だ。

これは山折村の問題だ、村民である俺たちで解決する。
部外者なんかにめちゃくちゃにされてたまるか。

バッドエンドで終わるにしても。
どのような結末になるにしても。
終わりは自分たちの手で掴み取る。
そうでなければ納得も妥協もできない。

(そうだろ…………哉太)

自分がしくじってもあいつなら。
そう言うある種の信頼がそこにはあった。
これでも同じ道場に通った仲だ。
哉太の強さは一番よく知っている。

それよりも今は圭介の脳裏に浮かぶのは別の友人の顔だった。
避難していて家主は不在だろうが。そこは勝手知ったる他人の家。
通い慣れたいつもの道筋を辿って、友の家を訪ねるとしよう。

【C-4/道/一日目・朝】

【山折 圭介】
[状態]:健康、精神疲労(中)、八柳哉太への複雑な感情
[道具]:木刀、懐中電灯、ダネルMGL(5/6)+予備弾6発、サバイバルナイフ
[方針]
基本.VHを解決して光を取り戻す
1.女王を探す(方法は分からない)
2.正気を保った人間を殺す。
3.湯川邸へと向かいそこにいる特殊部隊を排除する。
4.知り合いを殺す覚悟を決めなければ。

※異能によって操った光ゾンビを引き連れています
※学校には日野珠と湯川諒吾、上月みかげのゾンビがいると思い込んでいます。

【犬山 うさぎ】
[状態]:馬上。動揺、蛇再召喚不可(早朝時間帯限定)
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.家族と合流したい&少しでも多くの人を助けたい
1.南にいると言う八柳哉太を探して鈴菜と和幸を助けに戻る


128 : 友の家を訪ねる ◆H3bky6/SCY :2023/04/26(水) 20:00:26 mf6jnQeg0
投下終了です


129 : ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:29:14 yB.AVyOQ0
投下します


130 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:31:53 yB.AVyOQ0
袴田邸のリビングにて、薬剤師による患者の診察が行われていた。
不健康そうな顔色をした陰気な男の正面に座るのは健康的な容姿の少年である。
彼らを見ると、どちらが患者か一目ではわからないだろう。

診察を受けていたのは健康的な少年、八柳哉太だった。
ケガ人を診ることになった薬剤師夜帳は、アニカの強い勧めによりまず最も重症だとされる哉太の体を診ることになった。

夜帳は男の体に興味などないし、薬剤師が行うのは薬の処方でありケガ人の診断は本来であれば医師の仕事だ。
だが、花園に潜む一番の邪魔者である哉太の状態を把握しておくことは今後にとって重要だと判断し、医師の真似事を承諾したのである。

リビングには夜帳と哉太だけではなく、眠っている面々が起きた時の繋ぎ役として夜帳と顔見知りのはすみが残っていた。
疲労が顔に見られることから夜帳に栄養剤を処方されたはすみは、部屋の片隅で椅子に座り、チビチビとそれを飲んでいた。
普段からの飲み慣れたエナドリ系とは違う薬品の味がしたが、その分効果がある、ような気がする。
はすみは治療の様子をチラリと見ながら栄養剤を味わっていた。

夜帳は、上半身を裸にした哉太の体を確認するように触れていく。
一番重症であると言う話だったが、哉太の体には目立った傷はほとんど見られなかった。
だが、血液が付着し傷付いた衣服からして、負傷があったのは事実だろう。

「信じがたいことですが、既に回復しているように見えますね」
「はい。俺は、そういう異能みたいです」

夜帳の言葉に哉太は自らの異能を認める。
肉体再生。不死の怪物ノスフェラトゥに相応しい異能だ。
期せずして哉太の異能を把握できた。

男の血なんて吸いたくもないが、是非とも欲しい能力である。
だが、今は問診の時だ。ここで欲は出さない。
妙な動きをして不審がられてはどうしようもない。

夜帳は、いつものように事務的に薬剤師の仕事に励むことにした。
人とのコミュニケーションは苦手だが、仕事に関する話であれば事務的にこなせるので気は楽である。

「傷は癒えているようですが、痛みはありますか?」

そう夜帳が訊くと「…………いえ」と哉太は答えた。
夜帳は腹部を強く押して確認すると「ぅ……ぐっ」と哉太が苦しそうな声を漏らす。

「これは問診なのですから、強がりは不要です。まだ痛みはあるようですね」
「……少しだけ」

強がりを見抜かれ、哉太は素直に傷を認める。
夜帳は淡々と自前の医療箱から処方薬を取り出し、輪ゴムでまとめて哉太に渡した。

「それでは痛み止めを出しておきます。異能による回復もプロセスが分からない以上感染症のリスクもある。念のため抗生物質も処方しておきましょう。
 状況が状況ですので難しいかもしれませんが、出来る限り空腹時は避けて服用してください」

バイオハザードの真っただ中で感染症のリスクと言うのも笑えない話だが、診断としては的確だろう。
ここで毒殺してやろうなどと言う欲は出さず、完全に薬剤師の仕事に努めていた。

「それでは。お大事に」

事務的にそう言って診断を締めくくる。
夜帳としては事務的に務めた言葉だが、周囲からすれば誠実さのように映る不思議な言葉だった。


131 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:36:01 yB.AVyOQ0
丁度哉太の診察が終わったタイミングで、リビングの扉が開かれる音がした。
休憩していた誰かが目を覚まして、リビングにやってきたようだ。

「あれ、えっと」

最初に目を覚ましたのはひなたのようだ。
扉を開いたところに見慣れない顔があることに扉を開いた体制のまま僅かに戸惑っていた。
戸惑うひなたにはすみが対応する。

「おはようひなたさん。よく眠れた?」
「え、ええ。おかげ様で。おはようございます、はすみさん。八柳くんも。それで、こちらの方は…………?」
「紹介するわ。こちら薬剤師の月影夜帳さん。ひなたちゃんも顔くらいは知ってるんじゃない?」
「ああ……そう言われれば」

言われて見れば見覚えのある顔だった。
あまり印象には残っていないが、こんな人が診療所に居た気もする。

「烏宿ひなたです。よろしくお願いします」
「どうも。月影です」

礼儀よく頭を下げるひなたに夜帳は不愛想のまま軽く会釈を返した。
何処か鋭い目つきのまま、ひなたの体をまじまじと見つめる。

「烏宿さん。体中に傷があるようですが」
「ああ、これですか」

夜帳はひなたの全身にある熱傷を確認する。

「今ちょうど月影さんに診てもらっている所なの〜、ひなたさんも診て貰ったら〜?」

はすみがそう提案した。
自力で応急処置はしているが、確かに専門家がいるのなら診てもらった方がいいのは確かだ。
ひなとしてはよく知らない男性に体を診られるのは乗り気ではないが、はすみが身元を保証している以上疑うのも失礼だ。

「それでは、お願いします」
「じゃあ、俺はアニカの所に行ってます」

女性の診察が始まると言う事で気を使ってか、哉太はリビングを出て見張りしているアニカの所に向かって行った。
先ほどまで診察を受けていた哉太と入れ替わりにひなたが夜帳の正面に座った。

夜帳はひなたの診察を始めた。
熱傷の程度を評価するため、まずは傷口を注意深く観察する。
簡単な手当てはしているようだが、皮膚表面には赤みがあり、水ぶくれが見られる。
だが、幸いにも深刻な状態ではなさそうである。

「意識や呼吸も正常。熱傷は軽度のようですね。傷の具合はどうですか? 痛みはありますか?」
「まあ多少は、けど傷を負ったのは地震の直後くらいなので、今はそんなにですけどね」

強がるでもなく素直に答える。
袖をまくって詳しく傷を診ると、皮膚は所々焼けるように黒ずんでいた。
これは感電による熱傷に見られる特徴である。

「感電でもしたように見えますが、熱傷の原因は何ですか?」
「原因ですか……? えっと、ちょっと雷を浴びる機会がありまして…………ハハッ」

そう言ってひなたは誤魔化すように笑う。
これは暴走した恵子によって負わされた傷である。
それを正直に告げるのは色々な意味で少々躊躇われた。

「雷? 大地震の後で?」

だが問診の体で夜帳は疑問を掘り下げる。
もしかしたら異能を把握するヒントを得られるかもしれない、と考えての事だ。
ひなたが返答を答えあぐねている所で、再びリビングの扉が開く音がした。

「ひなたさん…………ここですか?」

おずおずと開いた扉の隙間からリビングを覗き込んだのは恵子だった。
ひなたを探してリビングを彷徨う視線が、知らない男の存在を確認した所で完全に固まった。

「あ、恵子ちゃん」

男性恐怖症の気がある恵子が知らない男がいる事に固まっているのだろう。
あわててはすみが執成そうとしたところで、様子がおかしいことに気づいた。

恵子はまるで石にでもなかったかのように完全に固まっていた。
男性に怯えた反応だとしても、幾らなんでも過剰すぎる。


132 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:37:43 yB.AVyOQ0
「ああ。すいません。私の異能のせいでしょう」

リビングの奥から声を上げたのは夜帳だった。

「私に恐怖を感じた人間の動きを止める、と言うモノのようです」

そう自らの異能の詳細を告白した。
それは真実であり、嘘である。
これは閻魔から奪った閻魔の異能だ。

「そうなんですね。だったら異能を解除してもらってもいいですか?」
「それがどうにも私の意思でオンオフできるようなものではないようで」
「常時発動型(パッシブスキル)と言う事ですか。少々面倒ですね」

そうなると、この異能は男性恐怖症の恵子とは相性最悪だ。
同室に居させることすら危うい。

「注射を撃つときなんかには便利そうですけどね〜」
「薬剤師って注射OK何でしたっけ?」
「人手が足りない感染症予防のワクチン接種に薬剤師も駆り出されましたからね。
 その経験が異能に反映されたのかもしれません」

などと適当な事を並び立てる。
こうして閻魔の異能を隠れ蓑にして吸血鬼の異能は秘匿されたままとなった。

「う〜ん。後で恵子ちゃんも診てほしかったけど、この様子じゃ難しそうね〜」

はすみの異能で傷は癒えたとはいえ、骨折を伴う重傷だった。
念のため診てもらった方がいいと思ったのだが、この調子では難しそうである。

「私が恵子ちゃんを奥につれていくから、二人は診察を続けてね〜」

はすみが固まった恵子をよいしょと担ぎ上げ、奥の部屋へと運んでゆく。
なんだか彫像でも運んでいるようだった。

「さて、中断してしまいましたが、問診を再開しましょうか」
「え、ええ」

二人きりになったところで問診が再開される。
はすみとしてはあまり説明したくない話だが。
夜帳が胸襟を開いて自らの異能を明かした以上、黙っておくのも不誠実だ。

「実は……雷っていうのは恵子ちゃんの異能で、たまたま私も同じ電撃を使う異能なんですが」
「なるほど。電撃の異能ですか」
「あっ。事故みたいなもので、恵子ちゃんは悪くはないんですけど」
「わかってますよ」

慌てて言い繕うひなたに落ち着いた様子で応える。
夜帳からすれば疑似餌で鯛が釣れたようなものだ。中々の釣果だ。

「電撃による熱傷ですか。患部を冷水で洗浄したい所ですが、水道も止まっているようですし消毒だけしておきましょう。
 軽い炎症が見られるので性抗炎症薬も処方しておきます」

言いながらを薬剤師は消毒剤を用いて熱傷を消毒してゆく。
消毒剤の匂いリビングに漂い、消毒の瞬間は傷口が少しチクリとしたが、ひなたは我慢して治療を受け続けた。
一通りの治療を終え。夜帳は清潔なガーゼで傷口を覆い、包帯で固定して行き、最後に一言。

「お大事に」

そうやって治療を終えたところで、恵子を運んでいったはすみがリビングに戻ってきた。


133 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:39:07 yB.AVyOQ0
「あ、はすみさん。恵子ちゃん。どうでした?」
「寝室まで運んで落ち着いたところで動けるようにはなったんだけど〜、後でひなたさんが行ってあげた方がいいかも〜」
「そうですね。ついでにそろそろ勝子さんも起こした方がいいですかね?」

そんな会話をしているところに、リビングの外からドタドタと言う慌ただしい足音が近づいてきた。
リビングの扉を開き飛び込んできたのはアニカと見張りをしていたはずの哉太だった。
哉太が慌てた様子で声を上げて叫ぶ。

「表に、馬が…………馬が走ってます!」

その知らせに首を傾げながらも、リビングにいた全員が慌てて外に飛び出した。
そこにあった光景は言葉の通り、悠然と村を走る馬の姿だった。
その姿を見たはすみが叫ぶ。

「う、うさぎ〜ぃ!?」

馬の背には彼女の実妹が騎乗していた。
妹に乗馬経験など無いはずだが、まるで体の一部の様に見事な乗馬技術である。
だが、そんな感心をしている場合ではない。

大まかにコチラに向かってはいるが、このままでは通り過ぎる勢いだ。
はすみは慌てて玄関から飛び出し小さく跳躍を繰り返しながら両手を振って猛然と駆け抜ける馬を制止する。

「お〜〜い!! 止まって〜〜ぇ!!」
「ッ!? お姉ちゃんッ!?」

姉の存在にうさぎが気付いた。
その意をくんだ馬が自主的に方向を変え、はすみたちの直前までやってくると綺麗に静止する。
体を屈めた馬の上からうさぎが飛び降りると、姉妹がひしっと抱き合った。

「無事でよかった…………!」
「うん。お姉ちゃんも」

地震によって引き裂かれてしまった姉妹の再会だった。
互いの無事を心より喜び合う。

だが、その喜びも一瞬。
すぐさまうさぎの表情は真剣な物へと変わり、縋るように叫ぶ。

「お姉ちゃん。お願い! 助けて!」

うさぎが届けたのは再会という幸運だけではなく、事態を直下に急転させる報せであった。

「私のお友達が、特殊部隊と戦ってるの!」




134 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:41:08 yB.AVyOQ0
早馬によって届けられた救援要請によって事態は一変した。

うさぎを迎えた計8名、全員が集められた応接間は緊張感に包まれていた。
叩き起こされた勝子に、恵子の後ろに隠れているがひなたも臨席している。
ひなたは視線を落とし、なるべく哉太と夜帳を見ないよう努めているようだった。

緊急会議の議題は「特殊部隊に襲われているうさぎの友人の救出」について。

特殊部隊。
このバイオハザードにおけるジョーカー。
全てをなかった事にするべく送り込まれた、生存者たちにとって最強にして最大の障害である。

生き残りを目指すのならば避けて通るべき相手だが。
生き残りを目指すのならば避けて通れない相手でもある。
元より特殊部隊員への対策は話し合う予定であったが、うさぎの齎した火急の知らせによりその予定が前倒しになった。

「四の五の言ってる場合じゃございませんことよ! すぐに助けに向かいましょう!」

うさぎからの説明を受け、高らかに第一声を上げたのはノブレスオブリージュの精神を持つお嬢様、金田一勝子であった。
この極限状況においても、助けを求める人間がいるのなら助けるという当たり前の善性はこの場の人間からは失われてはいない。

「待ってください」

だが、これに待ったをかける声があった。
その場の全員の視線が発言者へと向けられる。
そこに居るのは先ほど合流した男。夜帳だ。
視線晒されることに慣れていないのか、夜帳は僅かに怯んだものの主張を続ける。

「…………いえ。救援に向かうこと自体は私も反対はしません。
 ですが、救援に向かうという事は、特殊部隊と戦うという事ですよ?」
「もちろん。覚悟の上です」

覚悟のこもった声で哉太が即答する。
どれだけ強大な相手であろうとも戦う覚悟なら出来ている。
これには勝子も縦ロールを揺らして大きく頷いた。

「あなたたちに覚悟が出来ていても全員がそうではないでしょう。
 少なくとも私は無理だ。私だけじゃなくこの中にだって戦いに向いていない人間もいるでしょう」

そう言って、夜帳はひなたの肩越しに様子を伺っていた恵子に視線を向けた。
その視線に大きくビクリと肩を震わせ、動きを止めた。

戦いに慣れている人間ばかりではない。
異能はどうあれ、恵子のように根本的に戦闘に向いていない人間はいる。

「厳しいこと言うようですが、彼女が戦えるとは思えません、一緒に行っても足を引っ張るだけでしょう」
「それに関しては月影さんに同意します。全員で行くのには私も反対」

ひなたも夜帳の意見に同意する。
戦闘は数が多いほうが有利なのは確かだが、それはあくまで全員が戦力として計算できる兵士の理論だ。
居るだけで足手まといとなる者はどうしようもなく存在する。
足手まといを連れて行くのも無駄に死者を増やすだけだ。

「もちろん…………理解しています」

それは哉太とて理解している。
だからと言って見捨てる訳にはいない。

「まさか、一人で向かおうってわけじゃないでしょうね」
「それはダメですわよ!」

異常事態だらけのこの村でも頭抜けた危険地帯に向かおうと言うのだ、一人で行くのは無謀すぎる。
死にに行くわけではない、助けに行くのだ。ならば出来うる限り戦力は欲しい。
そうなると結論は決まっていた。

「なら、Teamを分けるしかないわね」

アニカのこの提案に異論を挟む者はいなかった。
救援に向かうチームととこの場に残っての防衛を行うチームに部隊を分ける。
問題はどうチームを分けるかだ。


135 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:44:21 yB.AVyOQ0
「救援は急いだほうがいいでしょう。なるべく足が速い人がいいんじゃないですか?」
「足って言うならうさぎの乗ってた馬があるじゃない、というかあの馬は何〜?」
「えっと、私が召喚したウマミちゃんです」
「召喚? つまりそれがウサギのPSIという事かしら?」

少し散らかり始めた議論を夜帳がまとめる。

「それでは、こうしましょう。その馬に乗れるだけの精鋭を送りこむ。その他はここで待機して帰りを待つ。これでどうでしょう?」

送り込むのは少数精鋭。
兵は拙速を尊ぶ。馬の脚なら迅速に現場に向かえるだろう。

「けど、ウマミちゃんに乗れるのは、かなり無理しても私とあと2人までだと思いますけど…………」

馬の背に乗せられるのは馬体重の1/4までとされている。
この場には極端な肥満がいるわけではなく、むしろ小柄な女子ばかりという事もあり、無理をすれば3人は乗れるだろう。
それでも騎手であるうさぎを含めれば2名まで、と言うことになるが。

「いや、うさぎちゃん。君はここに残った方がいい」
「えっ…………けどッ!」

ここで待っていろと言われても納得など出来ない。
自分を逃がしてくれた友達が戦っているのに、自分だけ安全な場所で待っているだけなんてできるはずもない。

「いや、私もそうすべきだと思う」
「…………お姉ちゃん」
「うさぎ、あなたが行ったところで足手まといになるだけよ」

実の姉が厳しい言葉を投げかけた。
友人が心配なのは理解できる。何もせず待っているのは辛いだろう。

だが、これから向かうのは確実に戦闘が行われる最大級の危険地帯。
自己防衛すらできない人間が行ったところで足を引っ張るだけである。
悔しいだろうが、うさぎは戦力にならない。
本当に助けたいのならここで待機して、貴重な席を空け渡すのが一番の貢献だろう。

「だからうさぎちゃん教えてくれ。現場はどこだ?」

哉太に問われる。
その答えを告げると言う事は自らがここに残り救出を託すと言う意思表示に他ならない。
うさぎは自らの我侭をぐっと呑み込み、その答えを告げた。

「……諒吾くんの家です」
「諒吾くんの? そうか……」

哉太が村から出ていくまでは仲良くしていた友人だ。
友人の家が荒らされていると言うのは業腹だが、これなら案内はなくとも正確な場所は分かる。
道案内は不要だ。うさぎが危険地帯に舞い戻る必要はない。

「わかった。俺は行く。俺と一緒に戦ってくれる気があるのなら名乗り出てくれ」

哉太がその場の全員に呼びかけた。
特殊部隊と戦う覚悟のある同志を募る。

「オッホッホ! もちろん私も行きますわよッ!!」

高らかな笑い声と共に名乗りを上げたのは金髪お嬢様、金田一勝子だった。

「そもそも哉太さん。あなた乗馬は出来まして?」
「い、いや」
「私は出来ましてよぉ。乗馬はお嬢様の嗜みでしてよぉ、オッホッホッホ!」

うさぎをこの場に残すのなら、代わりの御者が必要となる。
乗馬の心得があり、あの怪物気喪杉とも渡り合った勝子であれば戦力としても申し分ない。
勝子の参戦は必須であろう。

席はあと一つ。
残った人員の中で戦力として強力なのはひなただろう。
猟師(またぎ)としての覚悟、銃を扱う技術、異能も戦闘向きだ。

だが、ひなたは恵子を放ってはおけない。
相性の悪い夜帳が残ると言うこの場に恵子を残して行くのは心配が残る。
恵子の精神的ケアを考えれば間を取り持つひなたは残った方がいい。
かと言って恵子を共に戦場に連れて行くなんて選択肢もないだろう。

ひなたが残らずとも、人当たりのいい犬山姉妹がいればめったなことはないだろうが。
恵子の近くにいてあげたいと、ひなた自身がそう思っている。
故に、ひなたは手を上げず静観することに決めた。

はすみの異能もサポート能力と言う意味では役に立つだろう。
だが、ようやく再会できた姉妹から離れるのも気が引ける。

そうなると最後の席は埋まらず。
最悪、哉太と勝子の2人で死地に向かう事になる事も覚悟しようか、と言う所で。


136 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:48:05 yB.AVyOQ0
「I can't help it.私が同行するわ。相棒(パートナー)としてね」

最後の1席にアニカが名乗りを上げた。

「いいのか? 確実に戦いになるんだぞ?」
「of course! 私が役に立たないとでも?」
「まさか。頼りにしてるさ相棒」

直接的な戦闘力はなくとも集団戦であればアニカの頭脳や機転は大いに役に立つだろう。
それに関しては哉太も大いに信頼を置いている。

こうして、救援部隊は八柳哉太、金田一勝子、天宝寺アニカの3名に決定した。
決まるが早いか救援部隊とうさぎは表に飛び出した。
御者である勝子を先頭に、アニカ、哉太と3名が大人しく待っていた馬へと乗り込む。

「どうかっ……。鈴菜さんと和幸さんをどうかお願いします……!」
「ああ、うさぎちゃんの友達は必ず助ける。だから待っていてくれ!」
「任されましてよ!!」

全員がしっかりと馬上に乗り込んだことを確認し、勝子が馬へと出発の合図を出す。
3人を乗せた馬が走りだした。

「あっ。それと、ウマミちゃんは7時になったら帰っちゃうから、お気を付けて!!」
「え!? 帰りますの!? どういう事ですのぉーーー!?」

勝子の叫びが馬影と共に遠く朝日に消えていく。
僅かに遅れて出てきた一同が、一様に心配そうな表情でその姿を見送った。
残された者に出来るのは無事を祈る事だけだろう。

だが、その中でただ一人、内心でほくそ笑む者がいた。
集団の内に潜伏する吸血鬼、月影夜帳。
これは彼にとって実に都合のいい展開だった。

花園に潜む異物、哉太と言う邪魔者は去った。残ったのは女性だけである。
そうなるよう議論の方向を持っていたのは夜帳だが、そうせずとも流れ的にそうなっただろう。
獲物も二人減ったが、一人増えたのだから悪くない状況である。

とは言え自己申告の通り、夜帳は喧嘩が得意と言う訳ではない。
残ったのが女だけとは言え、流石に異能者4人相手にするのは厳しいだろう。
出来るのなら混乱に乗じて一人ずつ。犯行がばれなければなおよい。

そのためにはあと一押し。
何か大きな混乱があれば、その混乱に乗じて動けるのだが。
救援部隊が戻ってくるまでに、何かひと騒動起きないだろうか?

【D-4/袴田邸/一日目・朝】

【犬山 はすみ】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、異能使用による衰弱(中)、ストレス(小)
[道具]:救急箱、胃薬
[方針]
基本.うさぎを守りたい。
1.アニカたちの帰りを待つ
2.生存者を探す。

【犬山 うさぎ】
[状態]:蛇再召喚不可(早朝時間帯限定)
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.鈴菜と和幸、哉太たちの無事を祈る

【烏宿 ひなた】
[状態]:感電による全身の熱傷(軽度・手当て済)、肩の咬み傷(手当て済)、疲労(小)、精神疲労(中)
[道具]:夏の山歩きの服装、リュックサック(野外活動用の物資入り)、ライフル銃(0/5)
[方針]
基本.出来れば、女王感染者も殺さずに救う道を選びたい。異能者の身体を調べれば……。
1.防衛隊として恵子たちを守護る。
2.生きている人を探す。出来れば先生やししょーとも合流したい。
3.VHという状況にワクワクしている自覚があるが、表には出せない。
4.……お母さん、待っててね。

【字蔵 恵子】
[状態]:ダメージ(小)、下半身の傷(小)、疲労(小)、精神疲労(小)
[道具]:夏の山歩きの服装
[方針]
基本.生きて、幸せになる。
1.ひなたさんについていく。
2.ここにいる皆が、無事でよかった。

【月影 夜帳】
[状態]:異能理解済、ストレス(小)
[道具]:医療道具の入ったカバン、双眼鏡
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.混乱に乗じて誰かの血を吸いたい。
2.和義の情報を得て、少女の誰かの血液を吸う
3.和義を探しリンを取り戻して、リンの血を吸い尽くす
[備考]
※吸血により木更津閻魔の異能『威圧』を獲得しました。
※哉太、ひなた、恵子、うさぎの異能を把握しました。


137 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:49:20 yB.AVyOQ0


野生の世界に生きる動物たちにとって、嗅覚は命を繋ぐ重要な生命線である。
嗅覚の優れた動物と言えば真っ先に思い浮かぶのは犬だろう。
人間にとって身近な存在であり、人間の1万倍とも言われる驚異的な嗅覚力で知られている。
しかし、犬よりも嗅覚に優れた動物が野生の世界には数多く存在していた。

その一種が熊であり、犬の実に8倍の嗅覚を持つとされている。
一説によれば、獲物の匂いを30キロメートル以上先から嗅ぎ取ることができた、なんて話もあるくらいだ。

山折村に生息するヒグマ、独眼熊は、その嗅覚を駆使して村内の状況を把握していた。
人里では雑多な臭いに紛れて、状況を詳細に把握することは困難だったが、標的の周辺の匂いだけは見逃さないよう注意を払っていた。

そんな独眼熊の嗅覚が捉えたことがある。
それは、ヒナタサンとケイコチャンの群れに異変が起きたことだった。

山でも嗅いだことのない、人間と混じったような奇妙な臭いのする動物が高速で群れに接触したかと思うと。
その後いくらかあって、何名かの匂いが謎の動物と共に離れて行った。
群れの分断が起きたのだ。

集団は独眼熊にとって厄介な存在であった。
山に生息する野犬や猿のように集団で狩りを行う動物に対して、独眼熊は苦戦を強いられたことがある。
集団の厄介さは身に染みており、群れの数が減ったことは狩りの好機である事を理解していた。

しかし、独眼熊は今回、その好機を逃すことになる。
『猟師』に敗れたことから、『猟師』として敵を仕留め、相手の尊厳を破壊することに執着していた。
まだ彼女らと対峙するには『猟師』としての練度が足りていない。

人間的な思考が生じたからこその拘りと言う余分によって生まれた悪意に満ちた目標。
この執着がなければ、独眼熊はすぐに狩りに向かっていただろう。
熊が知能を得たことは驚異的なことであるが、今回ばかりは獲物にとって幸運だったのかもしれない。

しかし、状況に動きがあった以上、無視はできなかった。
何より体の奥底から湧き上がるような奇妙な焦燥感が独眼熊を襲っている。
それは本能の奥底でナニカがざわついている気配だった。
熊の鋭い嗅覚により齎された情報が宿敵の匂いが強くなったとナニカに運命的な予感を与える。

だが、嗅覚だけでは状況を完全に把握することはできない。
ならばどうするか。

独眼熊は戦略的思考を働かせ、直接的な偵察が必要だと結論づけた。
狩りに置いて現状を把握することは重要であり、野生の世界でも偵察を行う動物は存在する。
百獣の王と呼ばれるライオンでさえ、狩りの前に狩場を偵察することがある。

なにより、今の独眼熊には偵察にちょうどいい手足がある。
分身の試運転を兼ねて、偵察を送り込むのも悪くない。
その結果次第だが、宿敵たる存在がいるのであれば本体が出向くこともあるだろう。

独眼熊はそんな決意のもと、状況を把握するための偵察を開始した。
その行動は、野生の獣としての本能と、人間並みの知能を持つ独特の戦略性が交じり合ったものであった。
それらの要素が絡み合い新たな戦いの火種を生もうとしていた。

【D-3/とある一軒家・跡地/1日目・朝】

【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生、『巣くうもの』による自我侵食、知能上昇中、烏宿ひなたと字蔵恵子への憎悪(極大)、人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、分身が1体存在
[道具]:ブローニング・オート5(5/5)、予備弾多数、リュックサック、懐中電灯×2
[方針]
基本.人間を狩る
1.ヒナタサンとケイコチャンの群れに分身を偵察として送り込む。偵察結果に応じて動く。
2.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
3.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
4."ひなた"と"けいこ"はいずれ『猟師』として必ず仕留める。
5."山暮らしのメス"(クマカイ)と入れ違いになった人間を狩るか、石牢に逃げ込んだ人間二匹と豚一匹を狙うか(どちらかは、後続の書き手さんに任せます)
6.神楽春姫と隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼす。
7.空気感染、特殊部隊……か。
[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※正常感染者の脳を捕食することで異能を取り込めるようになりました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じことができるようになりました。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※銃が使えるようになりました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。


138 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:50:42 yB.AVyOQ0


地震によって凸凹になった地面を踏みしめ、一頭の馬が駆け抜ける。
多少の荒れ地をものともしない力強い足取りは、この馬がかなりの名馬であることを示していた。
そんな名馬の背に連なるように乗っているのは三人の男女だ。

「少々乱暴な運転になりましてよ!!」

先頭に座る御者の少女が高らかに叫ぶ。
地震の余波で道路に出来た亀裂を減速することなく軽快に跳び越えた。
その飛躍はまるで鳥のように鮮やかな物である。

バランスを崩さぬよう勝子が馬の首筋をしっかりと押さえつけるように掴みこむ。
やや力技なところもあるが見事な乗馬技術である。
愚鈍なゾンビなどついて来れようもない。
単純な移動速度のみならず、ゾンビを回避できると言う意味でも時間短縮となっていた。

「すぺぺぺぺぺ」
「アガガガガガ」

だが、後方の搭乗者たちにとっては快適ともいかない。
鞍も手綱もない状態では激しい揺れに対するクッションもなく、その振動が搭乗者たちの身体にダイレクトに伝わっていた。
後方の同乗者は落ちないように必死に騎手にしがみ付くことしかできなかった。

「道はこっちでよろしいんですの!?」
「あ、ああ、こここのままま道なりに北上してくべっ!」

哉太が振動に舌を噛みそうになりながら答える。
道案内が出来るのは家を知っている哉太だけだ、答えないわけにもいかない。

だが、哉太にとっても山折村は数年ぶりの故郷。
近年の開発によって風景は変わり、ましてや地震によって地形が変わっている。
勝手知ったる友の家への道のりとは言え、間違いのないよう馬上で揺られながら注意深く周囲を見渡す。

「ッ!? 止まってくれ!」
「ほ!?」
「きゃ!?」

突然、哉太が叫んだ。
反射的に御者である勝子が急ブレーキをかけると慣性によってアニカの体が馬上から落下しかける。

「わ、ぅおっと…………ッ!」

その体をギリギリで哉太が掴んで引き上げた。

「んもう! なんなんですのぉ!?」
「悪い! 少しあっちの方に寄ってくれ! 一刻を争う事態だというのは、わかっている!
 けど、これから特殊部隊と戦おうというのなら必ずプラスになる!!」

そう言いながら哉太が東の方を指差した。
勝子が眼を細めると、そこには朝日に紛れた人影があった。

「つまりは、あそこの人達と合流したいと言う事ですの!? 誰なんですのぉ!?」
「俺よりも強い姉弟子だ!」
「姉弟子? つまりMs.チャコがいるの!?」

八柳流の姉弟子にして免許皆伝の達人。
これから強敵と戦おうというこの状況に置いて、これ以上ない助っ人だ。

「negotiationは任せるわよ!」
「ああ、時間はかけない!」
「そう言う事なら、向かいますわよ! みなさま重心を傾けあそばせ!」

足による合図と重心操作により、馬の進行方向を操作する。
進路を東へ。人影に向かって加速させた。

「茶子姉!」
「哉くん……」

人影の前まで辿り着いたところで、馬の停止を待たず哉太が馬上から飛び降りた。
安堵とも驚愕ともとれない表情で少年を出迎えた女は、静かに少年の名を呟いた。

「って。その傷はどうしたんだよ茶子姉!?」
「これは……ちょっと不覚を取ってね」

慌てて駆け寄る弟弟子から、そっと恥を隠すように身を小さくする。
そこでようやく、哉太は茶子の体の陰に子供が隠れている事に気づいた。


139 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:52:26 yB.AVyOQ0
「その子は?」
「……この子はリンちゃんよ。今は私が…………保護している」

どうにも歯切れが悪い返答だった。
突然馬に乗って現れた闖入者を不思議そうに見つめながらリンが問う。

「ねぇ。チャコおねえちゃん。この人達だぁれ?」
「このお兄ちゃんは八柳哉太くんって言う私の弟分で、えっと……」

紹介しようとして言葉に詰まる、馬上の同行者二人は茶子の知らない顔だった。
その戸惑いを察したのか、馬上の二人が自ら名乗りを上げる。

「私は天宝寺アニカよ」
「金田一勝子ですぅわ〜ぁ!!」

オッホッホと勝子が高らかに笑う。
だが呑気に自己紹介をしている場合ではない。
哉太が用件を切り出す。

「茶子姉。俺達はこれから特殊部隊と戦っている仲間を助けに行く。一緒に来てくれ!」

駆け引きも何もない端的な要求をぶつける。
だが、既に信頼関係のある二人にとってはこれだけ十分だ。

「哉くん。けど……今は」
「茶子姉…………?」

十分だったはずなのだが、どうにも茶子の反応は悪い。
怪我のせいだろうか、どこか元気もないように見える。

不安そうに顔を曇らす茶子を安心させるようにリンが手を握りしめる。
茶子はそれで安心するでもなく、僅かに体を強張らせた。

「んもぅ! どうしますの? ウダウダやってる時間はございませんことよ!?」

馬上の勝子が決断を急かす。
ただですら時間のない中での寄り道なのだ。
即決で終わると言うから来たのに、これ以上時間をかけてはいられない。

茶子が煮え切らない態度なのは哉太としても予想外だった。
哉太の知る茶子であれば、この手の誘いに一も二もなく飛びついたはずである。
何か事情があって断るにしても、竹を割ったような性格で即決するはずだ。
だからこそ時間のない中で足運んだのだが。

「no problem. それならその子の面倒は私が見るわ」

そう言ってアニカが馬上から飛び降りた。
小さな音を立てて着地すると、堂々とした態度で長い金の髪をかき上げた。

「アニカ?」
「Ms.チャコ。あなたの懸念はこの子の安全をどうするか、と言う事でしょう?
 なら、私がこの子を保護してハスミたちの所に戻ればproblem is cleared。そうでしょう?」

茶子がリンを気にしているのは態度からして明らかだ。
ならばその懸念を取っ払ってやればいい。

「けど戻るって、アニカ……」
「そんな顔しなくていいわ。より強い人間が向かうのが正しいsituationだもの」

是より向かうのは確実な地獄が待つ戦場である。
より強い戦力が加入するのならそちらを選ぶが正当だ。

「それに何にせよ、全員は乗れないんだから、誰かが残る必要はあったのよ」
「……うっ、そう言えば、そうだな。失念してた」

敬愛する姉弟子との合流できそうなこと喜び、すっかり人数制限については頭から飛んでいた。
女子供が中心と言え流石に5人乗るは無理だろう。
当初の予定通り説得が完了しても誰かが下りる必要はあったのだ。
そんな事、ここに向かった時点でアニカは最初から理解していた。


140 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:53:56 yB.AVyOQ0
「なんと言うか…………悪い」
「I don't mind.悪いと思うのなら、必ず生きて帰ってきなさい」

哉太に叱咤の言葉を送って、アニカは茶子へと向き直る。

「Ms.チャコ。これで問題ないわよね?」
「え、ええ。ありがとう……」
「あなたにも聞きたい話が幾つかあるわ。カナタと一緒に戻ってきなさい。その時に話を聞かせてもらうわ」

茶子には研究所関係者である疑いがある。
その事について問いただしたいところだが、今は緊急事態。
話を聞くのは全てが終わって事態が落ち着いてからだ。

「ええっ! チャコおねえちゃん行っちゃうの!?」
「ごめんねリンちゃん。必ず迎えに行くから…………お願い。今はアニカちゃんと一緒に行っててくれる?」

視線を合わせて頭を撫で、懇願する様に頼み込む。
リンは拗ねるように口を尖らせぶー垂れるが。

「分かったよぅ……けど、早く戻ってきてね」

そう意見を聞き入れた。
リンは聞き分けのいい素直な子供である。
だからこそ直視できない辛さがあるのだが。

その眩しさから眼を逸らすように茶子が馬上に乗り込んだ。
哉太も改めて最後尾に乗り、その姿をアニカとリン、幼い二人が見送る。

「必ず戻る。待っててくれ」
「Yeah.先に戻って当初の予定通り、推理を初めておくわ」
「さあ、とっとと参りますわよぉ!」

勝子が馬の腹を蹴りだすと、3名の精鋭を乗せた馬が走り始めた。
あっという間に遠く、小さくなってゆく背を見送り、アニカは視線を自身よりも小さな少女へと向ける。

頷きはしたものの名残惜しそうに見えなくなった背を見送り続け、リンはその場から動かなかった。
仕方ないと言った風にアニカはリンの小さな手を取って、先導するように歩き出す。

「それじゃあ行くわよ。Miss.リン」
「…………うん」

リンは後ろ髪を引かれながらもトボトボと歩き始めた。

【C-4/道/一日目・朝】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(大)、精神疲労(小)
[道具]:催涙スプレー(半分消費)、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、包帯(異能による最大強化)
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.ハスミたちの所に戻りましょう。
2.Ms.チャコが地下研究施設について何かを知ってるかもしれないわね。
3.私のスマホどこ?
[備考]
※他の感染者も異能が目覚めたのではないかと考えています。
※虎尾茶子が地下研究施設について何らかの情報を持っているのではないかと推理しました
※異能により最大強化された包帯によって、全身の傷が治りつつあります。

【リン】
[状態]:健康、虎尾茶子への依存と庇護欲
[道具]:なし
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.とりあえずアニカおねえちゃんについて行く。
2.チャコおねえちゃんの帰りを待つ。
[備考]
※リンは異能を無自覚に発動しています。
※異能によって虎尾茶子に庇護欲を植え付けられました。


141 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:55:23 yB.AVyOQ0


小さな少女が仲良く手を繋いで歩いてゆく。
白百合の咲き乱れる美しき花園の如き尊き光景である。
そんな秘密の花園を、物陰に身を隠しながら遠くから見つめる影があった。

「ハァ……ハァ……リンちゃん」

息を荒げるのは小太りの中年男性だ。
リンと無理心中を目的とする変質者、宇野和義である。
彼はずっと身を隠しながらリンたちを付け狙っていた。

茶子とてリンを狙う変質者の存在を忘れていた訳ではない。
普段であればこのような判断ミスはしなかっただろう。

過去の自分と同じような境遇にあるリンを見捨てられない。
だが、同時にリンは茶子にとって目を背けたい過去の亡霊である。

武道を極めし心は鋼。ヤクザや特殊部隊であろうとも恐れはしない。
だが、心の柔らかい部分に触れる存在だけは直視する事すらできなかった。

リンを見捨てられず、かといって直視もできず。
逃げ出したいという弱さと、逃げ出さないと言う強さの矛盾。
そんな茶子の葛藤は彼女の精神を追いつめ疲弊させた。

故に、アニカの提案は茶子にとって正しく渡りに船であった。

信頼のできる相手にリンを預け、リンの安全を確保した上でリンから離れられる。
一時的とはいえリンから離れていい理由が与えられた。
この矛盾を解決する都合のいい言い訳に縋るように飛びついてしまった。

リンを付け狙う宇野の存在を忘れていた訳ではないが。
すぐに仲間と合流できると言う話であれば大丈夫だろうと、都合のいい希望的観測でその問題を見送った。
普段の茶子であれば絶対にしない判断である。

宇野からすれば、彼女たちにどのような事情がありどのようなやり取りがあったかなど知る由もないしどうでもいい。
重要なのは、最大の邪魔者である茶子は去り、代わりの守護者は小さな子供であると言う事だ。
これはリンを取り戻す絶好の機会である。

幼女二人の後をつける不審者は興奮を抑えられない様子で息を荒げた。
連続婦女監禁殺人犯、宇野和義は必死に口元を抑えながら静かに動き始めた。

【C-4/高級住宅街近くの草原/一日目・朝】

【宇野 和義】
[状態]:顎に裂傷
[道具]:なし
[方針]
基本.リンを監禁し、二人でタイムリミットまでの時間を過ごし、一緒に死ぬ。
1.絶対にリンを取り戻す。


142 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:56:18 yB.AVyOQ0


「大丈夫か茶子姉? 調子悪そうだけど」

馬上で揺られながら、いつもと違う様子の姉弟子を心配そうに哉太が見つめる。
振り落とされないよう、片腕で馬体にしがみついている茶子の体を背後から支えた。

「そうだ、痛み止め、あるんだ。いる?」

哉太はそう言ってポケットから夜帳からもらった薬を取り出し、茶子へと差し出す。
しかし、茶子は断るように首を振る。
彼女を苦しめているのは体の痛みではなかった。

「……大丈夫。大丈夫だよ哉くん。すぐに調子取り戻すから。少しだけ放っておいて」

茶子は馬上で目を閉じ深呼吸を行い精神を集中させる。
少なくとも今は精神的負荷の元から一時的にだが解放された状態だ。
いつまでも引きずってはいられない。精神を切り替えるべきだ。

万全でなければ是より向かう死地には如何に茶子とて対応できまい。
肉体はともかく、すぐにでも精神は引き戻しておかねば命に係わる。

「こっちであってますの?」
「あ、ああ。もうすぐだ」

決戦は近い。
救出の成否にかかわらず、死闘は避けられないだろう。
哉太も茶子ばかりを気にかけている場合ではない。
闘争にむけ静かに集中を高め精神を研ぎ澄ましていく。

(んん? なんですの……?)

2人が黙りこくった所で、御者である勝子が何かに気づいたのか僅かに目を細めた。
遠くから、何かが物凄い速度でこちらに向かって接近してくる。
それがゾンビではない、なにか異様な人影であると気づいた瞬間、勝子が集中を打ち破る甲高い声で叫んだ。

「なんかこっち来ますわよぉ!!?」

【C-4/道/一日目・朝】

【金田一 勝子】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(大)
[道具]:スマートフォン、金属バット
[方針]
基本.基本的に女王感染者については眉唾だと思っているため保留。他の脱出を望む。
1.特殊部隊に襲われている人達をお助けしますわ。
3.能力のこと、大分分かってきましたわ。
4.先程の白豚といい、ロクでもねぇ村ですわ。
5.生きて帰ったら絶対この村ダムの底に沈めますわ。

【虎尾 茶子】
[状態]:安堵、左肩損傷(処置済み)、左太腿からの出血(処置済み)、失血(中)、■■への憎悪(絶大)
[道具]:木刀、双眼鏡、ナップザック、長ドス、サバイバルナイフ、爆竹×6、ジッポライター、医療道具、コンパス、缶詰各種、飲料水、腕時計
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させる
1.今はリンから離れて、哉太の手助けをする。
2.極一部の人間以外には殺害を前提とした対処をする。
3.有用な人物は保護する。
4.未来人類研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
5.■■は必ず殺す。最低でも死を確認する。
[備考]
※自分の異能にはまだ気づいていません。
※未来人類研究所関係者です。

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、全身にダメージ(小・再生中)、臓器損傷(小・再生中)、疲労(大)、精神疲労(中)、山折圭介に対する複雑な感情
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、痛み止め、抗生物質
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.湯川邸へと向かいうさぎの友人を助けに向かう。
2.救援が終わったらアニカの元に戻って推理を手伝う。
3.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
4.爺ちゃんが虐殺なんてしてるわけないだろ! ないよな……?
5.圭ちゃん……。


143 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:57:58 yB.AVyOQ0


「これは奇怪な」

藤次郎は、広大な草原に立っていた。
風はどこか冷たく、荒廃した大地は老人の心の様に乾いているように見える。
藤次郎は村の古道を疾駆する馬の姿を垣間見た。

その馬は、麗しき鹿毛に身を包み、まことに見事な風貌であった。
村に於いては到底あり得ぬ存在であり、まさしく優雅な幻影のように彩られている。

かの山中にヒグマが出没せしめ猟友会を騒然とさせた、なる噂は藤次郎の耳にも届いていた。
だが、野生の馬が存在するなどいう話は、この村で生まれ育った老人の耳にもとんと入ったことがない。

だが、あり得ざる名馬の存在よりも、それ以上に藤次郎の心臓を跳ねさせる物があった。
それは馬上に跨る人影の存在だ。
それが何者であるか確認できた瞬間、藤次郎は驚愕に目を見開き、同時に心躍らせ口端を吊り上げた。
彼の胸には驚きと期待が入り混じり、言葉を奪われた。

その馬の背には3つの人影があった。
先頭では見知らぬハイカラな服装の女性が馬を操っており、彼女の存在は藤次郎には見知らぬものだった。
しかし、その後ろに乗るもう2人の姿が誰であるかなど見紛うはずもない。

一人は血の繋がりのある愛孫であり、愛弟子でもある八柳哉太。
もう一人は若い女の身でありながら免許皆伝を与えられ天才、虎尾茶子である。
他ならぬ藤次郎がその才に比類無きと称した比翼の愛弟子である。

哉太をこの穢れ果てた悪村の凄惨なる清算に、巻き込みたくはなかった。
それは紛れもない藤次郎の本音である。
この村から離れ、都会で誠実に健やかに暮らしてほしいと心から願っていた。

だが、既に賽は投げられ、運命の車輪は回り始めていた。
妻子を斬り捨てた今、何を躊躇うことがあろうか。
哉太の帰省がこの時期に重なったこともまた運命なのだろう。
運命ならば受け入れねばならない。

茶子は己を恨んでいよう。
山折村の秘密を守護るために、藤次郎は彼女を贄として捧げた。
それは正当な恨みだ。恨みを晴らす権利が茶子にはある。

殺されてやるつもりなど毛頭ないが、来ると言うのなら受けて立つのが務めだ。
晴らしたくば晴らすが良い。
その力があるのなら。

「―――――――ハッ!」

口から零れたるは喜びにも似た歓喜の笑みか、あるいは自嘲の笑みか。
年甲斐もなく若者のように弾むような足取りで駆ける。

血沸き肉躍るとはこのことか。
村の因習に対する憎悪とは異なる、熱き激情が全身を巡る。

向かい風が彼の体を吹き抜ける中、彼は手に握る刀を見つめた。
起こり得る運命の予感が心を満たしている。

どれだけ鍛えようとも老化による肉体の衰えから逃れられない。
技だけは磨き続けているが、これもまた血の滲むような狂気の果てに達した境地である。
己が才に恵まれていると思ったことは一度たりともない。
若くして達人の域に届かんとする2人は遠く及ばぬ小石のような才だろう。
通常であれば、そんな天才二人を相手取って勝てるはずもない。

だが、今の藤次郎の肉体は全盛期を超え、魔境の域に達していた。
精神は嘗てない程充実し、直感も過去最高の鋭さを持って冴え渡っている。
己がこれほど強くないことは藤次郎自身が誰よりも理解していた。

この力の充実は異能によって得た物だろう。
だが、この穢れた村を殲滅せしめるためならば、異能であろうとも使えるものは使うべきだ。
技においては天賦の才を持つ二人だが、まだ精神は未熟である。
この力を持ってすれば、十分に勝機はある。

鬼に逢うては鬼を斬る。
馬に逢うては馬を斬る。
孫に逢うては孫を斬るまで。

己が野望を止める者がいるのなら、それはこの二人を置いて他になし。
彼らが共にいるというのは、果たしてその選択が正しかったのか、と運命が問いかけているようにも思える。
ならば、その答えが示されるのは、この一戦の果てに。

【C-4/草原/一日目・朝】

【八柳 藤次郎】
[状態]:健康、スーツ姿
[道具]:藤次郎の刀、ザック(手鏡、着火剤付マッチ、食料、熊鈴複数、寝袋、テグス糸、マスク、くくり罠)、小型ザック(ロープ、非常食、水、医療品)、ウエストポーチ(ナイフ、予備の弾丸)
[方針]
基本.:山折村にいる全ての者を殺す。生存者を斬り、ゾンビも斬る。自分も斬る。
1.馬を追い斬る。
2.小田巻真理を警戒。


144 : 風雲急を告げる ◆H3bky6/SCY :2023/05/08(月) 21:58:10 yB.AVyOQ0
投下終了です


145 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:08:45 sbo2Dono0
午前7時の商店街。
普段であれば仕入れの荷車が行きかい、あるいは各商店の従業員が商品の陳列をおこない、はたまた開店までの仕込みをおこなう時間帯である。
もっとも、夜に開くお店なら店主も従業員も床に就いているかもしれないが。
行き交う人々は通勤通学路として通りを歩く学生たちや作業員であり、店から追い出された酔いどれたちだ。
店主たちは午前の営業時間に向けて黙々と準備を重ねる、そんな時間。


しかし、そんな光景も今や夢幻。
街に残る記憶でしかなく、残滓でしかない。
割れた窓、ぶちまけられた商品、歪んだシャッター、落ちた看板、めくれ上がった石床。
それは、人が住まなくなり打ち捨てられた、村の終焉そのものの姿だ。
山折厳一郎が予見し、なんとしてでも防ぎたかった終末の風景そのものである。
過疎化による終焉と、VHによる終焉という決定的な違いはあるものの、滅びには違いはない。


吹きすさぶのは生暖かい湿気た風、それに混じってときおり何かが崩れる音が通り抜ける。
死界そのものと化した静寂の廃墟。
そこに、ぱぁんと乾いた目覚まし時計が一発鳴り響いた。
銃声という目覚まし音は、生も死も認識せぬままにまどろんでいた商店街の住人たちを目覚めさせる。
たった一発ゆえに発信源こそ見失ったが、次の不届きな合図を住人たちは待ち続ける。




146 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:09:21 sbo2Dono0
「……っ!」
「肩、大丈夫ですか?」
「まぁ……、見た通りだよ。痛くないと言えば嘘になる。
 ……なぁに、キミたちが……顔をしかめる必要はない。
 代わりに、キミ……たちは、どちらも……、傷つかなかった。
 名誉の負傷……、として、ボクはこの傷を誇ろう」
「誇る誇らないの前に、それじゃ先生が長生きできないです。
 今だってそう。怪我を治すことを最優先すべきなのに、はぐれた生徒さんたちを探しに行きたがってる。
 まっすぐ歩くことだってできていないじゃないですか」
「いや、そこまで無様なことには……あっ……?」
雪菜に反論しようとしたスヴィアはよろけ、雪菜を巻き込んで路傍に倒れ込んだ。
爆音による内耳機能の損傷の結果である。


「いや、これは、参った……な」
朝までの6時間。
スヴィアは聡明さと親しみやすさ、ときおり理想を表に出しつつ、生徒たちを信じ、なだめ、見守り、ときにはからかいながら、導いてきた。
それが責務なのだと言い聞かせ、多分にも演じた。
けれども生徒の半数とはぐれ、肉体もイエローゾーンに瀕すれば、余裕を表に出すほどの余力は湧いてこない。

「あなたが教職にプライドを持っているのは分かる。
 だがまともに歩けないくらいに負傷が深いのだとしたら、どこかで休むべきでしょう」
見かねた創が諫言する。
一体どの口が言うんだい、と反論を受ければ、縮こまるしかない立場なのはかくも承知。
一言紡ぐたびに自己嫌悪感に苛まれるが、それでも必要な提言だ。
だが、スヴィアは身体を起こしながら、ふるふると頭を振る。

「まずはここを……、抜けるべきだ。長居は勧められない。
 想定よりも住人――ゾンビの数が……、多くてね。
 大半は屋内だが、留まる、のは、危険だね」
「このまま進むほうがいい、と?」
「目立つ……真似を、しなければ、問題ないさ」

古民家群側は外をうろつくゾンビが際立って多い。
商店街の外周をまわるよりは中を突っ切る方が危険は少ないと考えられる。

「ああ、哀野くんはボクの異能を知らないのか」
なんで分かるんだと純粋な疑問を顔に出す雪菜に対して、創が移動がてら軽い説明を加える。
その割に雪菜の登場に気づけなかったのは直前に起こった何者かの銃弾乱射のためなのだが……。
流れ弾の当たった創が気まずい顔をするのは致し方ないだろう。


仲間への誤射など、エージェントとして要再教育級のミスである。
スヴィアは笑って流せるポカ話であるかのように語るが、当たり所が悪ければ彼女は冷たい骸であった。

それでも、スヴィアは創を責めない。無視しない。悪態もつかない。
創への態度は、事が起こった前後で変わらない。

(あなたが何事もなかったかのように振る舞えば振る舞うほど、自分の惨めさを突き付けられるみたいだ)
口に出してしまえば、まわりまわって自分を呪う感情だ。
そんなものが心の奥底に渦巻いていることに、軽く自己嫌悪に陥る。

大人としてのプライドか、教師として理想の姿に殉じているのか。
彼女は生徒に余計な罪悪感を植え付けないよき教師であり、中学生男子のプライドを傷つける悪い教師である。
そのできた人間性がよりいっそう、創の罪悪感を刺激する。
創の内心には、エージェントとしての少なからぬ自負があった。
ひるがえって、その自負がこの局面において、無力さと惨めさを引き立てる。

無論、そのトラウマで手を鈍らせるような凡骨ではないが、100%割り切れるほど人生を達観してはいない。
少なくとも、彼女の容態には責任を持とうと考えるくらいには。
だが、そこまで考えたところで、喉に小骨が引っかかったような違和感を覚える。


147 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:09:38 sbo2Dono0
(……プライド? 理想? それだけか? 本当にそれだけか?
 むしろ、研究所関係者としての贖罪じゃないのか)

雪菜に目を向ければ、初めて出会った時のようなやけばちな言動こそ収まっているが、未だ昏い決意を秘めているようにも思える。
自分が何とかしなければならない、自分がウイルス騒ぎを止めなければならない。
雪菜は抱えきれない後悔に押しつぶされそうになりながら、そのように語った。

だが、果たしてそれは雪菜だけか?
スヴィア本人がその口から語っていたではないか。


スヴィアは危険を承知でみかげを見守り、またはぐれた彼女らを負傷を押して探しに行こうとしている。
その高潔な人間性は偽りではないだろう。
教師としての矜持もウソではないだろう。
そこに自罰という調味料を、贖罪というエッセンスを、たったひとつまみ。
それだけだ。ただそれだけで、文字通り使命として、彼女は命を使い果たすのではないか?


「やはり一度どこかで休息しましょう。
 考えていたよりも状態が深刻に思えてならない。
 近場への物資調達だけなら、先生を無理して連れて行く必要はないでしょう」
「私もそう思います。先生はどう見ても強がりすぎ。
 言いたい放題にお説教して、そのくせ勝手に負わなくていい傷を負ってる。
 私のほうが心配してしまうくらいに……」

先生が生徒に説教されては立つ瀬がない。
子供が頬を膨らませて抵抗するように、数秒ほどスヴィアは無言で抵抗するが、二人の有無を言わさぬ真剣な声色に……。

――かちっ。かちっ。
ゾンビたちの呻き声と足音の蔓延る中、異質な音がスヴィアの耳に届いた。

(スイッチ?)
創からでも雪菜からでもない。
遠くから流れてくる機械音だ。

――ぱさっ。ぱささっ。
――しゅー、しゃるるるるるるる。

(なんだ? 何かが焼ける音?)
火が伝っている音にも思えるが、断言はできない。
自然と長考を選択してしまい――

――ぱん。ぱん。ぱぱん。ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱん!

「っ!!」
「伏せろっ!」

スヴィアたちの後方、商店街の出入り口付近での激しい爆発音。
最初の音が鳴るや否や、創が女性二人を地面に押し倒す。
当の創は地面を女性二人を地面に這いつくばらせると、音の鳴っていたほうに即座に目を向ける。

視線の先では、わずかに煙が垂れ込めるだけ。
誰もいなかった。
事故なのか、何者かの意志がはたらいているのか、それすらも定かではない。

言えることはただ一つ。
音に導かれて住人が姿を見せた。
先ほどの爆音は商店街に訪れた観光客への祝賀のくす玉であったのか。
よそ者たちを出迎えるかのように、山折村の住人たちが次々と通りへと繰り出していた。


148 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:09:52 sbo2Dono0
「いや、いやあぁぁぁ……」
「っしゃっせぇぇェェ……!!!」
「フヒィィィィ!!」

定食屋ウエイトレス、腕組みをしていそうなラーメン屋。
元の職業が一目で分かる恰好をした、けれど目を剥いて唸り声をあげる店員たち。
それと一人混じる頭以外は全裸のパンティマスク。
地震で崩れた壁の隙間から、割れた窓ガラスの間から、ひしゃげたシャッターの隙間から。
よりにもよってこのタイミングで大挙して押し寄せてきた。
シャッターの下りた店でも、中からガンガンとシャッターを叩く音がする。
多くのゾンビが創たち三人を獲物と定めている。

「な、何このゾンビ!?」
「桃照……お前……」
当然顔見知りとてゼロではない。
見知ったクラスメイトも混じっている。

「フッヒャアアアァァァ!!」
「っっ!」

雪菜にいの一番に飛び掛かってきた一番槍男の全裸パンティゾンビは――
「すまん、桃照!」
創が横合いから華麗に尻を蹴り飛ばす。
桃照は脇に積み上げられた段ボールにシュートイン。真っ先にクラッシュアウトだ。
その敗北ポーズは犬神家である。

「彼はともかく、だ……。
 ゾンビたちも、……さっきの音に、反応したのだろう、ね。
 聴覚……は、無意識に、はたらく感覚、だからね」
「いいから、無理はしないで!」
スヴィアの聴覚はゾンビすら叩き起こす爆音をまともに受けてしまった。
質量すら伴うような脳に響く甲高い音は、スヴィアの鼓膜を通じて内耳すら強く揺さぶる。

創がはじめに発砲したタイミングは、三樹康と天が武器を隠れ家に放り込んだタイミングだった。
今しがたの爆音は、クマカイが三樹康を獲物と見定めた後の出来事だった。
もう少しタイミングが悪ければ、彼らの牙が向く先も変わっていただろう。

いずれの運命も創ら三人は免れ、正常感染者も特殊部隊も近づいてこない。
近づいてくるのはまどろみから叩き起こされたゾンビたちだ。
桃照はただの前座。
飲食店が建ち並ぶ村のグルメ通りの両サイドの商店から、背後の古民家群から、
音に引き寄せられたゾンビたちが続々と姿を現し、視界に入った創たちの元へと集結している。

「僕がしばらく引きつける。
 これでも、一通り護身術は身に着けてる。
 その間に、哀野さんは先生を連れて避難をしてほしい。
 任せていいか?」
創の言葉に、雪菜は力強くうなずく。

「もちろん、二人の安全を確認したら僕もすぐに合流する。
 悪いが、頼む!」

出会いこそ最悪だったが、スヴィアの身体を張った説得を通して、わだかまりは流れ去った。和解した。
少年少女の会話を、スヴィアはそう評した。
傍目にはそう見えるかもしれない。
けれども。

(しっかりしなきゃ、私が守らなきゃ……)
雪菜の精神状態とて、決して良好なものではない。




149 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:10:07 sbo2Dono0
自らを追い詰め、傷付き、悔やむスヴィアを前に、雪菜は一度振り上げた拳の降ろし所を見失った。
スヴィアが完璧な大人であったなら、持つ者から持たざる者への施しとして差し伸べられた手など振り払っていただろう。
けれども、彼女から覗き見えた後悔と悔恨の念が、どこか雪菜自身とリンクした。
怒り狂う他人を見て冷静になるように、慌てふためく他人を見て落ち着くように。
悔やみうなだれるスヴィアを見ていると、なんとなく、ただなんとなく、彼女に共感してしまった。
生まれも見た目も道筋も、何もかも違うのに。今さら、欺瞞にすぎないのに。
この人を野垂れ死にさせたくないな、と思うくらいには、スヴィアに共感してしまった。

知的な雰囲気はメッキのようにパリッとはがれ、
そこから覗く彼女のこころは不器用で、危なっかしくて、とても見ていられない。
それが雪菜のスヴィア評。

雪菜は大人に過剰な期待はしていないけれども、それを差し引いても、大人とは思えないほど見ていて不安になる。
先生のくせして、無茶しかしていなくて、ハラハラしてしまう人。
それでいて、とてつもなくお節介で、みえっぱり。
火元に飛び込んでは勝手に命を削って、放っておけば今すぐにでも死んでしまいそうな、子供のような小さな先生。
そんなかっこ悪い人だからこそ、差し伸べられた手を取れた。


一人ぼっちの義務教育時代。
誰ともかかわらず、やることもなくて、いつも学級文庫から本を借りては読み。
物語を読んでは、主人公に憧れた。
どうしようもない灰色の現実から救い出してくれる王子様を待ち望んでいた。
進学するにつれて、どんなに運命に翻弄されようとも、手を差し伸べてくれる人がいて、最後には幸せになる主人公たちを、頁一枚を隔てて眺めていた。
自分は脇役。名もなきエクストラ。十把一絡げのキャスト。
ほかの誰かを主役にした現実という舞台から、いつの間にか退場するのだろうと。

『……いいんですか、私なんかで』
『いいよ。来る者は拒まず、っていうじゃん? ってか、誘ったのあたしだし。
 ほら、この前原作読んでたじゃん。それなら今度の新作舞台、絶対気に入ると思うんだよね。
 あたし、これでも超オタクだよ? 劇場とかよく行くし超好き! どうよ、あんたも一緒に沼に入らん?』

だから、手をすくいあげてフロアに連れ出してくれた彼女に、そこから見える景色に、どうしようもなくひかれて。
色を失ったはずのモノクロームな世界に再び色が咲き乱れ、世界はこんなにいろんな顔を見せるんだなんて思えるようになったのは、そのころからだったか。
すたぁの隣の小さなキャストだったけれど、舞台も悪くないのかなと思ったのは初めてだった。

額縁舞台を照らす照明を消して、消して、消して消して消してまわって。
舞台は自身の手で幕を引いてしまったけれど。
二度と開かれないはずの緞帳の内側でもう一度、声を聞いた。

友の声が道しるべ。
友とはじめて出会った時の言葉のリフレイン。
幕の向こうから投げかけられたか細いアンコール。
観客席にいた、なけなしの命のチケットを握りしめたたった一人の小さな観客だからこそ、雪菜は取ったその手を手放せない。




150 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:10:29 sbo2Dono0
どこか遠くから流れ来る銃声が、痛みのフラッシュバックと共にスヴィアの意識をびりびりと引き裂く。
ほうぼうから聞こえるゾンビたちの怒りと哀しみの声が、精神力をごっそり削り取っていく。
避難に適した店舗はことごとくゾンビたちの向こう側。
雪菜一人ならともかく、内耳を揺らされ足元のおぼつかないスヴィアでは物量に競り負ける。

だから雪菜は先の店舗には向かわない。
どのみち、入り口が解放されているならゾンビも追ってくるのだ。
だから目指すは目と鼻の先、シャッターの隣にあるカギのかかった勝手口。

商店街を行き交う人は普段目もくれないドア。
従業員と窃盗犯を除いて、そこにあることすら意識しない扉だ。
二本の金属のでっぱり――ラッチボルトとデッドボルトで開け閉めをするタイプのドアなら、異能でこじ開けられる。


異能を使うとは、自身を傷つけること。
スヴィアは何か言いたげにしているが、敢えて見ない耳を貸さない。
その肩口の銃創を晒しながら訴えたところで、なんの説得力があるものか。
たらりと血を滴らせ、ガラス片を濡らせば、完成するのは即席の物理式ピッキングツールだ。
カギ穴ではなくストライクとの隙間にガラス片を挿し込み、ノコギリを挽くように動かせば、みるみるうちにデッドボルトは削れていく。

一度荒事が起これば、スヴィアがやれることは何もなく。
怪我人は怪我人、何もしなくても体力は削られていく。
ただでさえ頭がくらくらとするのだ。
生徒二人を信じて待つのみである。


「イやあぁぁぁ……」
「っせぇぇぇェ!!」
「ふっひひぃぃぃぃ!」
「こっちだ!」

悲運を嘆くような嗚咽を漏らすゾンビたちを挑発するように、創が手を叩きながら駆け回る。
即座に復活し、雪菜をつけ狙う桃照を、再度蹴りあげて、二度段ボールの山へと突っ込ませる。
ねじり鉢巻きのように白いタオルを頭に巻いたラーメン屋店主を、足を払って地面に転がした。
創を追ってきた黄緑髪の中性的な定食屋ウエイトレスに対しては、脳を揺らすことを狙って、アゴをかすめるような軌道の右手パンチで撃ち据える。

「い゛、や、いやあぁぁぁ……」
若いウエイトレスのゾンビが絞り出す声はまるで悲鳴のようだ。
一瞬だけ脳裏をよぎった罪悪感、そのほんのわずかな時間でぎょろりと白目が回転する。
倒れかけていた体躯をびんと伸ばして復活し、伸びきっていた創の腕を逆につかんだ。

「ちぃ!」
アーチェリーの大会で好成績を残すほどの技と姿勢は、ゾンビとしては一切反映されない。
けれど、しっかりと鍛え上げた肉体は残っている。
下半身を土台とした掴みは、ちょっとやそっとでは切り離せない。

(……くっ、『ゾンビ』ってのは言い得て妙だな。
 死体に乗り移った精霊が身体を動かす。
 ……この精霊の代わりがウイルスってワケか)

肉体を実際に動かすのは本人の意志ではなく、ウイルス。
だからこそ、意識を断ち切るのではなく、ある程度のダメージ蓄積がなければ無力化には及ばないのかもしれない。
より手荒な真似も必要か。

そう考え、手首を支点に肘を突き出して捕縛を外そうとしたところで、
「なんだ……?」
ゾンビが力無く崩れ落ちた。
創は何もしていない。露出した右腕を素手で掴まれていただけだ。


腕をまくったラーメン屋の店長が、発症前の記憶を再現しているのか、威勢のいい掛け声とともに飛び掛かってくる。
これは実証だ。その露出した腕を右手でつかむ。

(1、2、3……)
たった一秒で目に見えて抵抗が抜け、三秒後にはやがてずるりとその場に倒れた。

(よし!)
確かな効果を実感する。
これが創自身の異能だと理解した。

スヴィアの様子を見るに銃は使えない。
素手でゾンビの群れを無力化するしかない厳しいミッション。
エージェントは荒事もできないわけではないが、この領域では武術家や特殊部隊には一段劣るだろう。
だが、ゾンビを無力化したこのチカラが自身の異能だというならば、渡りに船である。

「これならゾンビはなんとかなりそうだ……!」
そんな希望を見た。
けれど、安易な考えであった。


151 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:10:44 sbo2Dono0
「(´・ω・`) ヴヴヴゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛……!!」
後方から、らんらんと迫ってきたのは、巨大な豚のペルソナであった。

(な、なんだ? こいつ?)

新たに創の視界を塞ぐかのように現れた新手のゾンビは、190センチを超え、100キロ近い体重をほこる巨体である。
入り口近くの肉屋、『トコトントン』から現れた彼女は肉の解体でもしていたのだろうか、
装着していた作業用エプロンはところどころ血と肉汁で汚れ、手袋は薄いピンクに染まっている。
後光を受けて正面は影となり、陰影くっきりとしたその姿は非常に不気味だ。

そしてガタイ以上に目を引くのは頭。
頭に装着したつぶらな瞳の豚ペルソナは異様である。
放送後、正気を失っても他の人間に危害を加えることがないようにと、苦肉の策で被ったという事情など、知るものはここにはいない。
感じ取れるのは、その巨躯から繰り出されるすさまじい威圧感のみ。
捕まれば抜け出せる気がしない。

衣服ごしで異能が作用するのかは未知数。
衛生面に最大限に考慮した作業服は、ありとあらゆる肌の露出をきっちりと抑えている。
巨大な豚さんペルソナはそのまま防具として機能し、頭部周辺の露出すらゼロである。
分厚く着込んだエプロンと肉の鎧。
その体格、文字通り格が違う。


「ヴン! ヴン!」
「ダダダダダダダダダダ!!」
ゾンビはまだまだ現れる。

崩壊した古民家群から大袈裟に現れたのは、二人のゾンビのコラボである。
小綺麗な衣装に身を包み、楽器のような一味違った声を出す中背の小太りの男。
アニメキャラのような緑髪ツインテールにド派手な紅白の水玉スーツを着たお笑い芸人のような若い女。
彼らが生き生きと言葉を発していれば、ユーモアのある弁舌と軽快なトークによって一目で収録だと分かったであろう。
『たった数年で若者二倍!? 少子化対策最前線! 山折村に訪問してみた!』 という地域紹介系の動画配信なのだと認識したであろう。

「パララララララ……!」
「ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!」
喉を鳴らして配信動画の効果音のような声を出すスケキヨメガネの男に、
テンションを上げすぎてトリップしたようにしか見えないパピヨンマスクの女は、
廃墟に突撃して亡霊に憑りつかれたホラー系配信者の末路そのものである。
視聴者がいればテンションも上がる。
承認欲求という準本能にしたがって商店街に異音を響かせる二人は、爆竹や銃声の代わりとなってほかのゾンビたちを呼び寄せる。


「うふふ、うふふふふ……」
商店街の奥からあらわれた新手は、パピヨンマスクに負けず劣らずド派手な衣装を着こなした道化師の女であった。
古くから山折村に住む住人たちにとっては、毎年村祭りの時期に保育園や小学校に来てくれるおなじみのアイスクリーム屋さん。
今年も商店街でアイスクリームを通学中の子供たちに配っていた彼女は、
引っ越してきてから一年と経っていない創やスヴィアにとって、正体不明の不気味な道化師以外に形容のしようがない。

肌色の部分を念入りに消し、頬まで口紅を真っ赤に塗りたくり、
何よりゾンビでありながらにっこりと笑みを浮かべたその容貌は、どう見ても人を殺すタイプのピエロである。
距離的にはスヴィアと雪菜のほうが近いのだが、二人をまるで視界に入れていない。
欲望のまま、創へと一直線だ。


「HAHAHAHAHAHA!!」
そして極めつけがこいつだ。
ボロボロのトレンチコートに身を包み、頭には仮想用のゾンビマスク。
ご丁寧にモンスターグローブを装着し、ノコギリを右手に固定したそれはもはや怪人である。
包帯ごと腕にぐるぐる巻いて固定したノコギリに、たとえ理性を失っても山折村への殺意を手放すまいという強い意志が感じられる。
狂人か、殺人鬼か、破滅主義者か、心中希望者か、はたまた村全体への怨恨か。
その殺意は、ゾンビの中では頭一つ抜けている。


152 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:10:57 sbo2Dono0
数人気絶させてもゾンビは減らない。
それどころか、先に気絶させていたウエイトレスが再び目を覚まし、起き上がろうとしている。
一度気絶させれば一日持つほどの強力さはないようだ。
数秒で気絶したゾンビは、十数秒ののちに起き上がる。

まだ気温が上がっていないというのに、じわりと額に汗がにじむ。


「そっちはどうなってる!?」
「もう少し、もう少しで……」
ガチ、と金属が断ち切れる音がする。
「開いた!」

雪菜がやや歓喜気味に声をあげると同時に――

「フヒィィィィ!」
「ぃやっ!」

三度ゴキブリのように復活し、本能と欲望に任せて、一心不乱に振り乱して襲い来るパンティマスクは――
「いい加減にしろ!」
「フビャアァァッッ!」


創が三度その桃尻を蹴り飛ばせば、スピードそのままに軌道をそらし――

「アラアラァァ?」
創に向かって一心不乱に迫っていたピエロの胸に飛び込んだ。
禁断のドッキングは欲望と欲望のコンタミネーション。
子供も大好きバニラエッセンスの香りに誘われて、がっちりホールドされてしまったその姿は食虫植物に絡めとられた小虫のようであり、
お姉さんと未成年の見るもおぞましい享楽の宴がこれから始まるのだろう。

二人の水遊びは――
「先生、早く先に中に入ってください」
「そうさせて……、もらうよ」

二人の――
「WAHAHAHAHA!!」
「(´・ω・`) ヴゥ゛ゥ゛!!」
「剣術は修めていないんだが……!」

二人の行く末を見届ける者は誰もいなかった。


153 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:11:08 sbo2Dono0
創が手に持つのは掛け看板。
表面には丁寧な文字で『CLOSED ―― 本日は閉店いたしました』と書かれている。
モクドナルドの入り口扉から拝借したものである。

「HAHAHA!!」
率先して創に襲い来るゾンビマスクの怪人。
恐怖の化身のような造形だが、その実は技一つない力任せの振り落ろし。

「軌道が見え見えだ!」
ノコギリの軌道に木口を合わせることは造作もない。
掛け看板にノコギリが見事に食い込んだ。

「GAAAAAA!!」
木目に対して直角に振り下ろされたノコギリが、掛け看板をたたき割ることはない。
それどころか腕に固定したノコギリが中途半端に食い込んだために、身体の自由は大きく制限されてしまう。

「(´・ω・`)ヴヴゥ゛ゥ゛ゥ゛!」
巨体を揺らしながらやんやんと迫りくる豚のペルソナを横目で確認。
視界が悪いのか体重のためか、動きは鈍重だ。

ゾンビマスクはノコギリを引き抜くために、看板ごと強引に引っ張ろうとする。
そこで創が敢えて踏み込むように押し込んでやれば、力のつり合いが崩れてゾンビマスクが後方にたたらを踏んだ。
姿勢を崩した隙をついて、ふところに飛び込んだ創が渾身の体当たりをしかけ――

「GOAAAAAA!!」
「(´・ω・`)ヴヴ……?」
体重の軽い創の肉体でも、全体重で体当たりをすれば、ふんばりを突き崩すことくらいはできる。
よろけたゾンビマスクは豚さんペルソナに衝突し、二人まとめて盛大に転倒する。
ゾンビといえどものしかかる0.1トンの巨躯を容易には押しのけられない。


「ワ゛ァァ〜〜〜!!」
「ワワワワワワアアアッッ!!」
勝利に紙吹雪でもまき散らそうというのか。
興業のように音と声で煽る配信コラボゾンビを筆頭に、ゾンビの宴はまだまだ終わらない。
全員を相手にする体力はない。

「はやく、こっちです!」
特に危険そうなゾンビ二体が一時的に行動不能であることを確認すると、
扉の影から覗く雪菜の手招きに導かれるままに、その身を屋内へ滑り込ませた。




154 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:11:36 sbo2Dono0
商店街の入り口に面した一等地の商店、その屋上。
そこから、迷彩服に身を包んだ男――SSOG隊員、乃木平天が下り階段を静かに駆け抜け地上に降り立った。
地上の喧騒を思い返しながら、その考えをまとめる。


実力や運用上の現場判断とは別に、組織図としての立場上では、責任者に最も近い立場にあるのが天だ。
大田原や成田、美羽との関係は、端的に言えば先任軍曹と幹部候補生の関係である。
現場での指示を仰ぐことに異論はないが、その結果責任を引き受ける立場にはある。

この作戦をどう終わらせるか。
常に念頭におかなければならない。

完勝できるなら問題ない。
ターゲットを殺害後、ゾンビとなった村人が正気に戻る前に撤退すればよい。
隊員として与えられた任務は見敵必殺である。
(だが、私は遂行できていない)


SSOGの女王斬首作戦はどれくらい正常感染者に広まったのだろうか。
一度情報が拡散すれば、女王感染者を討っても正常感染者とSSOGとで殺し合いが起こる可能性が高い。
その間にゾンビとなった村人が正気に戻れば、山折村全体とSSOGとで殺し合いが始まるだろう。
こうなってしまえば、48時間後に空爆で村を焼き尽くすのと結果的には何の違いもなくなってしまう。作戦失敗に等しい。

『手柄を立てるために、村を封鎖するはずの隊員の一部を率いて斬首作戦に踏み切った』
そう主張し、村人の怒りの矛先をすべて引き受け、奥津隊長と自分の首を引きかえにSSOGという組織を守る。
とまあ、そのようなことも考えなければならないくらいには窮屈な立場だ。
そして、すでにそのルートには枝が一本伸びている。
ターゲットの取りこぼしは許されないだろう。


では、今まで通りにターゲットと接触して、交戦し、それが可能なのか。
答えは否。
これまでの戦績からもそれは明らか。

ワニを取り逃がし、氷の異能者を取り逃がし、ハヤブサIIIと研究者の男を取り逃がし、野生児を取り逃がした。
否、後者二回は敗走と言い換えていい。

想像力だけでは到底予測できない異能のバリエーション。握り続けられたイニシアティブ。
人智を超えた異能を持つ人間に先手を許すことは、相手に首を差し出すに等しい。
他の部隊員は敵に先手を許しても相手を返り討ちにできる実力を有しているが、残念ながら天はその極致には至っていない。
射撃の腕前もナイフの腕前も、自分が一番よく分かっている。


だからアプローチを変える。変えなければならない。
交戦する前に、異能とターゲットの人となりを理解するのだ。
交戦に役立つ異能なのか、そしてゾンビと出会った時にどう対処する人間なのかを理解することが必要だ。
彼らの人となりを理解すればするほど殺害後の罪悪感も強まるだろう。
彼らの謳うまっすぐな正義が天の身も心も焼き尽くすだろう。
彼らの名前が、姿が、言葉が、所作が、バックボーンが、天の記憶に挟みこまれ、その心を蝕んでいくだろう。

(伊庭さんの気持ちも分かるような気がしますよ。
 今さらの話ですが、ね)
それで心折れるようならば、SSOGの任はとっくに解かれている。
今も現場に立っていることが彼の意志表示である。


155 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:18:27 sbo2Dono0
ゾンビを創たちの元に誘導したのは天だ。
商店街のおもちゃ屋で拝借した爆竹花火で、古民家群や商店街北東区域のゾンビたちをおびき出した。
誰が主戦力なのか、誰が司令塔なのか、各人の異能は戦闘向きなのかどうか。
それを測るにはゾンビとの小競り合いを誘発するのが最も適任である。
とりたい手段ではなかったが、万全を尽くさなければ死ぬのは自分だ。

ゾンビも色々と個性があるが、音に敏感に反応するのは変わらない。
感情があるのかは不明だが、大きな音には若干攻撃的になる。
そして、ゾンビ同士より、対正常感染者への反応のほうが激しい。
山折村商店街渋谷ハロウィンとでも言うべき光景だが、この程度はもう耐性が付いている。
天の動揺は誘わない。


(少年の彼は、右手に触れることで意識を奪う異能でしたね)
ゾンビ限定かどうかは不明、付加効果も不明である。
装備で防げる可能性もあるが、早合点は危険すぎる。
彼の右手には要注意だろう。
本人に複数のゾンビを打ち倒すほどの地力があり、状況判断が早く、銃を所持しているのも極めて厄介。
まだまだ若いが、交戦時には彼がおそらく一行の司令塔にあたると思われる。

(『哀野』さんの異能はカギ開け……。血液で切れ味を高める……。
 いや、ストレートに、成田さんが話していた酸を扱う異能者、か。
 血液そのものが酸として作用する……といったところでしょうか?)
だとすれば輪をかけて厄介な相手だ。
うかつに殺害して返り血を浴びようものなら、大田原や美羽ですら即座にミッション失敗となるだろう。
最新鋭の防護服といえども、扉をこじ開けるほどの強酸への耐性は有していない。
近距離戦は絶対厳禁。
情報アドバンテージのある天自身が確実に仕留めるべき相手である。

(そして、『先生』の異能は不明瞭。
 ですが、花火の音に大きな反応を見せていたことを考えれば、聴力の強化は十分あり得る異能でしょう)
視力の強化という異能を持ったハヤブサIIIがいた。
聴力や嗅覚等の五感が異様に強化された異能者がいるのは極めて現実的なラインである。

足音を可能な限り立てず、隠密性を重視した潜入・尾行は、逆に悪意ある外敵が近づいているこれ以上ないアピールとなるだろう。
ゾンビと自分の足音すらすべて聞き分けるほどに鋭敏なのか、
それこそコミックのように筋肉の動きを耳で聞き分けて予知することすら可能なレベルなのかは確認が必要だが。

(そして、三人ともゾンビには極力被害を出さないように努めていた、と)
ゾンビを嗾けておきながら、彼らが極力殺害を忌避するスタンスであったへの安堵も自覚している。
このあたりが伊庭に偽善者と呼ばれる所以なのだろう。
ともかく、ゾンビとの戦いを避けるなら、必然的に移動ルートが限られてくる。


156 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:19:18 sbo2Dono0

三人が侵入したと思われるのは村のファストフード店の一つ。
当然だが、客の出入りする入り口とは別に、従業員の出入りする扉や搬入のための裏口がある。
だが、商店街の北側に、ターゲットの三人の姿はまだ見えない。
明らかに目立つ白い学ランからして、最低一人は村外の生徒と思われるため、この短時間のうちにファストフード店を出て身を隠すことはできないはずだ。
未だに表のゾンビは騒がしく、その存在をアピールしているため、表口からの脱出はおこなっていないだろう。
小休止のために、予想通り店内に留まっているようだ。
怪我人とゾンビ相手の大立ち回りの後と考えれば、不自然な判断ではない。が……

(確かな救助を期待できない、いつゾンビが扉を破って侵入してくるとも分からない状況で、いつまで篭城を選ぶでしょうか。
 面倒なのは、私自身の存在がすでに露呈し、警戒されている場合ですが……)


シミュレート。
最も理想とする展開は、偵察か物資調達のために一人だけが裏口から外に出てくるパターン。
一対一で対峙することができる理想の展開だ。
逆に三人同時に外に出てきた場合、全員をその場で仕留めるのは厳しい。
主力の少年、初見殺しの少女、偵察役の女性、誰を優先するかは判断に迷うところだ。
このまま篭城を選ばれる可能性もある。
人間相手の篭城とは違い、表のゾンビたちはいずれ立ち去る。
大人しく建物内に避難しておくパターンも考えられなくはない。
この場合、天のほうから攻め入るしかないが、守りは堅固だろう。
ただし、銃創を負った人間がいる中で、いつまで篭城できるかは判断が分かれるところであるが。
どの選択肢を取るだろうか。

裏口の扉、カーテンの閉められた窓。
向かいの建築会社の敷地内の物陰に身をひそめ、天は息を殺して待機する。
(まずは根競べになりますかね)
犯人の外出を見張る刑事のように、天は屋内に潜んだターゲットを待ち続ける。




157 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:19:42 sbo2Dono0
創たちは八人掛けの長いソファを占拠して、調理場に残っていた骨なしフライドチキンとコーヒーによる軽食を摂っていた。
しっかりとラップでくるまれていたのは、大地震後に炊き出し目的で確保されたものだからであろう。
スヴィアの十分な治療には至らないが、せめて血は必要だ。
創の右手で気絶させられ、従業員専用フロアに押し込められたモックの店長に、雪菜はひそかに感謝の念を抱く。

「ああ、確かに……、一時的だが、聴力が元に戻った。
 記憶の齟齬ももうないな。珠くんの突発的な言動……、合点がいったよ」
「僕の異能は、『ウイルスの効果を除去する』もので間違いなさそうだ。
 だから、ゾンビを気絶させることもできる、と」
「けれど、ウイルス……は、死滅するわけじゃない。根本的な、解決からは、まだ遠い……ね」
「それで女王を鎮静化させることはできないんですか?」
「済まない、その確証は、まったく持てない……」
「どの道、女王を判別できなければ意味がないということだろう。
 それで、緊急の課題だが、ゾンビたちを嗾けた第三者がいる可能性がある、と」
「可能性だが、ね。音が混じり合って、ね……。追うことはできなかった。申し訳ない」
今も外でゾンビたちが乱痴気騒ぎを起こしている。
ダダダダダダ! とシャッターを叩き、ガツンガツンと扉に攻撃をしかける。
さながら異音の見本市のなか、人一人の足音や声を聞き分けるのは至難の業だろう。

「……先生、謝ってばかり。悪いことなんて何もしていないのに」
「そう……だね。気を付けよう」
極限状態で一晩過ごし、肉体を負傷して、銃声による過負荷まで受けて、どうして最良のパフォーマンスを発揮できるはずがあろうか。
スヴィアは研究員にすぎず、エージェントでも特殊部隊でもないのだから。
睡眠とはいかずとも、ソファに身体を深く沈め、彼女は身体を休めている。


「仮に誰かが裏で糸を引いていたとして、目的はなんなんでしょうか」
「異能の偵察か、陽動、あるいは分断目的といったところだろうな。
 最悪、裏口から出た途端に銃弾かナイフが飛んでくる可能性もあるぞ」
「外の……様子は……ダメだ。表のゾンビが……立てる音に、覆い隠されてしまう」
表にはゾンビの群れ、裏には暗殺者が待ち受ける可能性。
面倒な状況だ。

表の方は扉二つの余裕があり、それぞれ金属棚で扉をつっかえさせている。
しばらくはもつだろうが、破られる可能性もある。

もし敵やゾンビがいなければ、見張りの一人を残して、もう一人が物資を調達してくる手があった。
今はスヴィアの容態がいつ悪化するかも分からない状態で、篭城を強いられた形だ。
疑似的なタイムリミット。
ゾンビの襲撃が意図的としても、どこまで意図されたものなのか。
今の状況まで見越していたとすれば、非常に狡猾な相手と言えよう。

篭城、偵察、全員で脱出。
パッと思いつく限りでも、選択肢はある。
見えざる敵はそこにいるのか、いたとして敵の狙いはどこにある?


(考えろ、もう失敗は許されないぞ……)
(これ以上の失態をおかすわけにはいかない……)
失敗し続けた者同士、壁を隔てた内と外。
ゾンビたちの喧騒が収まらない中、静かに戦いは始まっていた。


158 : 忸怩沈殿槽 ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:19:57 sbo2Dono0

【E-5/商店街・モクドナルド店内/一日目・朝】
【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:右肩に銃痕による貫通傷(止血済み)、耳鳴り、軽い眩暈
[道具]:???
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.先生は、生徒を信じて、導いて、寄り添う者だ。だからボクは……
2.ボクってば、情けないな……
3.上月くん達のことが心配なのに、このザマだと、探すことすらままならない……

【天原 創】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、
[道具]:???、デザートイーグル.41マグナム(7/8)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.もうこれ以上の無様は晒せない……
2.女王感染者を殺せばバイオハザードは終わる、だが……?
3.スヴィア先生、あなたは、どうして……
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています

【哀野 雪菜】
[状態]:後悔と決意、右腕に噛み跡(異能で強引に止血)、全身にガラス片による傷(異能で強引に止血)、スカート破損
[道具]:ガラス片
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。これ以上、後悔しないためにも。
1.スヴィア先生は絶対に死なせない。
2.止めなきゃ。絶対に。
3.あの声、叶和なのかな……?
4.叶和は、私のこと恨んでるの? それとも……?
5.この人(スヴィア)、すごく不器用なのかも。
[備考]
※通常は異能によって自身が悪影響を受けることはありませんが、異能の出力をセーブしながら意識的に“熱傷”を傷口に与えることで強引に止血をしています。
無論荒療治であるため、繰り返すことで今後身体に悪影響を与える危険性があります。
※雪菜が聞いた『叶和の声のようなもの』に関して、思い込みによる幻聴か、もしくは別の要因のものであるかどうかは、後述の書き手におまかせします。

【E-5/建築会社敷地内/一日目・朝】
【乃木平天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、医療テープ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具(※)
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.屋内にいる三人を仕留める
2.能力をちゃんと理解しなければ。
3.黒木さんに出会えば色々伝える。
4.小田巻さんもいるんですね。ですが必要なら撃ちます。
5.あのワニ生きてる? ワニ以外にも珍獣とかいませんよね? この村。
6.某洋子さん、忘れないでおきます。

※ゾンビが強い音に反応することを察してます。
※診療所や各商店から医療テープ・爆竹花火・着火機具以外にも何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換をおこなっています。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。


159 : ◆m6cv8cymIY :2023/05/16(火) 21:20:33 sbo2Dono0
すみません、先に投下宣言するのを忘れていたのですが、これで投下終了です。
失礼しました。


160 : ◆H3bky6/SCY :2023/05/16(火) 23:11:19 6GTdmsr60
投下乙です

>忸怩沈殿槽
敵も味方も真面目の集まりだから、全員が何かしら気負いすぎている、特に失敗続きの男衆はやらかしそうな雰囲気がある
天は他の特殊部隊の奴らと違って搦め手を弄するあたり厄介ですねぇ、いやこれに関しては他の特殊部隊が脳筋すぎるだけだな……
個性豊かな山折村のゾンビたち、ちょっと豊かすぎない? やっぱりこの村元から変人の巣窟だわ
創くんもようやく異能を把握してきたけど対特殊部隊で生かせるだろうか、やっぱり聴覚みたいな五感強化は過敏すぎてデメリットも大きいね


161 : ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:27:23 7OOfybXA0
投下します


162 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:28:41 7OOfybXA0
大地震とバイオハザード。
二つの未曽有の大災害により人の姿が消えてしまった朝の住宅街は、しばしの静寂に覆われていた。
だが、その静けさを打ち破るような幾つもの音があった。
それは靴音。住宅街の石畳を規律よく踏み歩く足音が静寂の中に響いていた。

その足音は1つや2つでは足りない。街路に響く足音は10を優に超えている。
重いブーツの音は力強く、スニーカーの音は軽やかな俊敏さを感じさせるように、それぞれの個性や体格によって異なる音を響かせていた。
そんな不揃いの足音でありながら、歩くリズムは完全にシンクロし、まるで一つの楽曲を奏でているかのようだ。

集団を率いるように先頭を行くのは仲睦まじく手をつないだ少年と少女である。
引き連れられているのは意識のないゾンビたちだった。
これを操る事こそ少年、山折圭介に目覚めた異能である。

目的地に向かう道すがら、圭介は住宅街に彷徨っていたゾンビを掻き集めた。
集まったゾンビの総数は一個分隊にまで達している。

高級住宅街は外部からの移住してきた住民が多い。
集められたゾンビたちは大半が通りすがれば挨拶をする程度の関わりの薄い人間たちだ。
だからと言ってその命を使い捨てていい訳がないが、まだ割り切りやすいのも事実だ。

命に優先順位を付けている時点で村を率いる村長としては失格だろう。
それでも光を助けると決めた。この決意だけは揺らがない。

足音は一つの意志の下に統一され、足並み揃えて行進する様はさながらゾンビの軍隊のようである。
これから挑むのが特殊部隊であるのなら、戦争するのにお誂え向きだろう。
街路を進み続ける分隊は、さっと手を挙げた圭介の合図により一斉に停止し足音も一瞬で静まった。

集団を率いて歩き慣れた道のりを進んでゆくと見慣れた家の前へと辿り着いた。
ガレージのある赤い屋根の家。圭介の友人である湯川諒吾の家である。
そして特殊部隊の襲撃を受け戦場となっている場所であもった。

静止した足音の代わりに住宅街に響いてきたのはコーン、コーンと言う何か重々しい音だった。
その音は圭介の目の前にあるシャッターの閉じたガレージの中からが響いているようだ。

(……何の音だ?)

圭介が眉を顰める。
ただ壁を叩いているだけの音にしては鋭利な響きだ。
住宅街の騒音がないからだろうか、その音は必要以上に周囲に響いているように感じられる。

少なくとも戦闘音ではない。
もっと静かに、淡々と何かの作業をしているような音だ。

不規則で、機械的と言うより人工的。
中に誰かがいて、この音を鳴らしているのは間違いないだろう。
だが、ガレージのシャッターは完全に締め切られており、ガレージには窓もないため中の様子は伺えない。

争うような様子がないという事は、少なくとも事態は既に何らかの決着を得ているようだ。
既にうさぎの友人2人は特殊部隊によって殺され、ガレージに残った特殊部隊の人間が何かをしている。
力の差を考えれば一番可能性が高いのはこれだが、そうなると何故特殊部隊の人間が立ち去らずガレージの中に留まっているのかが分からない。

うさぎの友人たちが奇跡の勝利を収めた可能性もなくはないだろう。他ならぬ圭介がその奇跡の体現者だ。
うさぎの帰還をその場で待っている、というのならガレージ内に人が残っている理由としても納得できる。

それとも特殊部隊の足止めに成功し何らかの膠着状態にある可能性もあるだろう。
はたまたこの音を出しているのは今回の件とは無関係な誰かと言う事もありうる。

何にせよ判断材料が足りない状態で何を考えたところで、ただの推論にしかならない。
命を懸けた行動を選択するにはもう少し確証が欲しいところだ。
だが、完全に閉め切られたガレージ中の様子を知る方法など……いや、ある。

その方法に思い至った圭介は光以外のゾンビたちをその場に待機させ、ガレージ前から離れて湯川邸の玄関まで移動した。
そして、玄関先にある郵便受けの蓋の裏を調べる。
そこにはセロテープで鍵が張り付けられていた。

田舎特有の防犯意識の緩さだが、鍵をかけているだけましである。
村外からの移住民は施錠する物も多いが、古民家からの引っ越し組はまだまだ古い田舎の感覚が抜けていない。

他人の家の鍵を勝手に開くのは僅かな後ろめたさがあるが、圭介は無言のまま玄関を潜る。
何時もであればこの玄関を潜るときは湯川家の誰かが出迎えてくれるのだが、歓迎の声はない。
もっとも正気を失った住民の出迎えがなかったのは幸運だったのかもしれないが。


163 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:29:16 7OOfybXA0
靴のまま上がり込むと迷うことなくリビングまで移動する。
そしてリビングの壁に埋め込まれたモニターへと手を伸ばす。
電源が生きているのか、それとも電池か充電式なのかモニターは無事に映し出された。

湯川邸には玄関前とガレージ内を映す監視カメラが設置されている。
玄関に鍵を放置する家とは思えない防犯意識の高さだが、これはボロボロの古民家を捨ててピカピカの新居に引っ越せるのが嬉しかった一家が、とにかく最新鋭のモノを付けたがった結果、無駄に付けた監視カメラである。
農家の軽トラなんて盗む人間がいる訳がないだろ、とよく諒吾をからかったものだが、こんな形で生きるとは思いもしなかった。

圭介は玄関前を映し出していたモニターを操作して画面を切り替える。
小さなモニターにガレージの現状が映し出された。
そこに映し出された光景を目の当たりにして、思わず圭介は「うっ」と言葉を飲んだ。

明度が不鮮明な監視カメラの映像だったのは幸運だっただろう。
転がるのは無惨に引き潰され切り裂かれた二つの死体。
ガレージは真っ赤に染まり、凄惨な光景が広がっていた。

だが、うさぎから聞いた情報では村の外から来た少女と、カズユキ――村のプロレスラー暁和之と言う話だったはずだが、転がっている死体は少女と巨大な怪物のモノだ。
少女の方はいいとして、プロレスラーの方は異能で異形化でもしたのだろうか?

何にせよ村人がまたしても殺されたのは事実だ。
自分を縛る檻だと思っていたこの村が傷つけられるたび、圭介の中に身を切られるような痛みがある。
自分はこの村を愛していたのだなと、こんな形で気づかされるだなんて思いもしなかった。

血と肉と死が転がるガレージの中で、ただ一人立っているのは防護服の男だ。
奇跡など起こらず、当然のように特殊部隊が勝利していた。

だが、勝者であるはずの男はその場を立ち去るでもなくガレージの壁際で何かをしていた。
ガレージに工具箱でもあったのか、ノミとトンカチのような工具で壁を削っているようだ。
閉じ込められているのか? と一瞬思ったがそれならばシャッターを破壊した方が早いだろう。
わざわざ丈夫なコンクリートの壁を破壊しようと言うのはよく分からない。

ともかく、ガレージ中には特殊部隊の男が留まっていると言う事は分かった。
それを確認した圭介はモニターの電源を落とし、湯川邸を後にした。
そして再びガレージの正面に立つと、恋人と繋いでいた手を放し待機していた全軍と共に後方に下がらせる。
代わりに右腕に握っていたMGLを両手で構え、巨大な銃口をガレージのシャッターへと向けた。

ガレージごと中の特殊部隊を吹き飛ばす。
グレネード弾は薄いシャッターなど容易く打ち破り、ガレージの中を炎で蒸し焼きにするだろう。
諒吾は文句を言うだろうが、後で修繕費を出してやればいい。

「――――――――死ねよ」

村の侵略者を排除するのに、もはや躊躇いなどない。
引き金を引き、シャッター閉じたガレージに向けてグレネードを打ち込んだ。

爆音と共に巨大な炎が上がった。
爆風に圭介は目を細めながら、その結果を見届ける。

炎が晴れる。
その先にあったのは、何一つ変わらぬ風景だった。
シャッターは健在であり傷一つない。

グレネードの直撃を受けシャッターの一つも打ち破れないなどあり得ない。理に合わない現象だ。
そしてそのような事が、異界と化したこの村ならばありうる事を圭介は知っている。

だが、特殊部隊に異能は扱えないはずだ。
そこで圭介は先ほどモニターに映っていた特殊部隊の男がガレージ内で壁を削っていた姿を思い返す。
なるほど、と圭介は結論を得る。足止めに残ったどちらかが、異能を使って命を懸けて特殊部隊を閉じ込めたという所か。

圭介は湯川家のガレージ構造もよく理解している。
シャッターで塞がれている正面以外に出入り口はない。
小さな子供であれば換気口から脱出できるかもしれないが、中にいるのが成人ならば脱出不可能だろう。


164 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:29:50 7OOfybXA0
「ハッ! ざまぁねえな特殊部隊!」

中へと罵倒の声をかける。
返答はない。
その代わりに、グレネードの爆音によって中断されていた掘削音が再開される。

「だんまりかよ、なんとか言ったらどうだ?
 テメェらはこれまでいったい何人ウチの村人を殺してくれたんだ? 挙句に無様に閉じ込められてテメェだけは助かりたくて無駄な努力をしてんのか?」

嘲笑と共に挑発めいた言葉を投げかける。
しかし、返る言葉はない。
返るのは淡々と壁を削るような音が響くばかりだ。

「なんとか言えよ! どうなんだ、おいッ!?」

無視を続ける相手に先に感情を爆発させたのは圭介の方だった。
村を蹂躙することをなんとも持ってないかのようなその態度は許し難いものがある。
ギリと奥歯をかみしめ、怒鳴りつけるように声を荒げた。

「散々俺たちの村を荒らしやがって! 勝手に訳の分からない研究を始めて、失敗したら勝手に皆殺しだぁ? ふざけんなっ!
 テメェらだけの都合で村の運命が決められて堪まるかッ! 俺たちの事は俺たちが解決するんだよ部外者はすっこんでろ!!
 テメェらはそれが失敗した時にだけ出張ってきやがれってんだ! ケツだけ拭いてりゃいいんだよッ!」

身勝手でただ感情の爆発をぶつける様な主張。
だが、その声を受けてか、壁を削る音がピタリと静止した。
そして、ようやく檻の中の男が重い口を開く。

「…………来たか」
「何………………?」

瞬間、圭介の眼前を突風が吹き抜けた。
何かが鼻先を霞め、削れた傷口から血が糸のように血が流れる。
突風の行く先にあったのは地面に槍のように突き刺さる道路標識だった。

カラカラとハンマーが石畳の地面に引きずられる音が響く。
音に引きずられ、視線を這わす。
住宅街の道上に立っていたのはクマを思わせる大柄なシルエットだった。

「いやぁ。てっきり乃木平辺りかと思ってたけど、まさかアンタだったとはな、大田原サン」

声は女のモノだった。
忘れるはずもない。見紛うはずもない。
女が全身に纏うのは、圭介が仕留めたあの男や中にいる男と同じ迷彩色の防護服――――すなわち特殊部隊だ。

最悪の事態だ。
1人は閉じ込められているとはいえこの場に特殊部隊が2人集結した。
どうしてここに集まったのか、と言う疑問は瞬時に氷解した。

壁を削っているように聞こえたあの音だ。
あれは救難信号だ。ガレージに閉じ込められた特殊部隊があの音で救援を呼んでいたのだ。
壁を破壊しようとしていたのも本当だろうが、掘るタイミングを調整することで自力の脱出作業と周囲への救援要求を同時にこなしていたのだ。

「救援要請に応じてくれて感謝する。だが作戦行動中に濫りに名前を呼ぶなIronwood」
「そいつぁ失礼、1等陸曹殿。どうせ皆殺しにするってのに相変わらずマジメなこって」
「―――――Ironwood」

聞くだけで震えあがりそうな威圧感の籠った声。
Ironwoodと呼ばれた女は肩をすくめて応える。

「へーへーIronwood.了解。Mr.Oak」

言いながら意識をガレージ内の要救助者からガレージ前にたむろする一団へと向ける。
より正確に言うなら、その先頭にいる圭介にだ。


165 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:30:40 7OOfybXA0
「で? アタシはドッチを優先すりゃいいんだ?」

救助か、排除か。
まず行うべきはどちらか、階級上の上官へと指示を仰ぐ。

「聞くまでもない――殲滅だ」
「了ぉ解ぃ」

ゆらりと凶悪な獣が牙を向く。
マスクの下にあるギラついた眼光が圭介を射貫き、全身に重厚な殺気が圧し掛かった。

「くっ……ぁああっ!」

その殺意に気圧されるように、思わず圭介はダネルMGLの引き金を引いてしまった。
一刻も早くこの重圧から逃れたい一心で放たれたグレネードが空中を舞いながら標的に向かって行く。

着弾と共に耳に響く轟音が閑静な住宅街に広がった。
衝撃を伴った爆風は街中を吹き荒れ、燃え盛る炎は瞬く間に黒煙と共に高く舞い上がる。
煙と炎が絡み合い、まるで地獄の門が開かれたかのような光景が住宅街に広がってゆく。

火花が舞い散り、火の粉が舞う。
周囲の空気は灼熱と化し、僅かに離れた位置にいる圭介の吸い込む息すら焼けるように熱を帯びていた。
これほどの爆発。如何に特殊部隊が超人であろうとも、直撃を受け生き残れるはずもないだろう。

「――――――っぶねぇな」

だが、炎の中より声がした。
燃え盛る炎のスクリーンに、歩み出る人型の姿が浮かび上がる。
その足音に地面は震え、炎はその存在に畏怖するように退いてゆく。
炎の海を割るようにして、特殊部隊が恐怖と絶望を振り撒きながら歩み続ける。

圭介は思わず息を飲んだ。
特別性の防護服は炎の海をものともしない。
オレンジ色の炎が防護服に反射し、その恐ろしさを照らし出す。
炎の中を進む特殊部隊の姿は、地獄の底から這い上がる死神のようであった。

だが、炎と煙は防護服で防げたとして、グレネードの直撃まで防げるはずがない。
それは他の特殊部隊で実証済みだ。
ならば、生きている以上何か別の理由があるはずだ。

その理由を探る圭介の目が炎上を続けるその火中に、燃え上がる鉄塊があることに気付いた。
グレネードが直撃したのはこの鉄塊、つまり車だ。

偶然そこに在ったという訳ではない。
グレネードの発射に気づいた女が傍らに路上駐車されていた車を咄嗟に引き寄せ盾としたのだろう。
大規模な炎上は盾となった車体から漏れ出した燃料によるものである。

だが、盾となった車は軽だったとしても1トン近くある鉄の塊だ。
それを咄嗟に片手で引き寄せるなど、人間技ではない。

それもそのはず、彼女はただの人間ではない。
最新鋭の技術により体の大半を機械化したサイボーグ。
それが彼女、美羽風雅という女の正体だ。

「なんで素人のガキがんなもん持ってんのかは知らねぇが。
 MGLってこたぁ、広川殺ったのぁテメェだなぁ――――ッ!」

歓喜と狂気の混じった声。
仮面の下に浮かぶ獣のような凶悪な笑みが透けて見えるようだ。
絶対的な死の恐怖に圭介の全身が一瞬で総毛立つ。

「ッッ!? 行けお前らッ!!」

背後で待機していたゾンビに追い詰められた王の指示が飛ぶ。
号令一下、十数のゾンビの軍隊が機械の怪物に向かって突撃を始める。
だが、特殊部隊の女は動じることなく、不動のままその場に立ち尽くすだけだった。

そしてゾンビが眼前にまで迫ったところで、ようやく最初の一歩を踏み出す。
その一歩は、地面を揺るがすほどの重さが秘められていた。


166 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:31:26 7OOfybXA0
「ハッハァ――――ッ!!」

炎を背にサイボーグが笑う。
豪快に振るわれた腕がゾンビの頭を砕きその体を吹き飛ばした。
続けて放たれた前蹴りは破壊の極致を表すようにゾンビの体を粉々に砕き肉と血を周囲にぶちまける。

サイボーグが手足をふるう度に一体、また一体とゾンビが蹴散らされていく。
圭介の集めたゾンビの軍団は、特殊部隊の誇るサイボーグの前ではまるで玩具の兵隊でしかなかった。
まるで波が岩に打ち砕けるように、突撃するゾンビたちは強大な力によって次々と吹き飛ばされて行く。

圭介が最初に戦った特殊部隊員の男も確かに強かった。
だが、あれは人間の範疇の強さだ、目の前の相手は違う。
怪物性で言えば市街地で暴れていた気喪杉に近い、だがあれとは闘争者として次元が明らかに違う。
人間と戦っている気がまるでしない、怪獣でも相手にしているようだった。

だが、逃げる訳にはいかない。
圭介は自らの背後に待機させた光の存在を思い出し、恐れを押し殺して逃げ出したくなる足を踏みとどまらせた。
MGLを正面に構えて、ゾンビ相手に大立ち回りをしている特殊部隊を捉える。

ゾンビたちが足止めをしている間にゾンビごと吹き飛ばす。
自らが従えた者たちを自らの手で葬り去ることになるが、目的のために手段を選んでいられる状況ではない。
その覚悟を決め、引き金に指をかけた。

「遅ぇ!」

だが、この期に及んで今更覚悟を固めている様ではあまりにも遅い。
美羽が手を伸ばし、一体のゾンビの頭を掴むとその体を軽々と振り上げ、圭介に向かって投げ飛ばした。

「ぐは…………ッッ!?」

凄まじい剛速球が腹部に直撃して圭介の体が大きく吹き飛ばされた。
60kg超の鉄球が直撃したようなものである、そのダメージは計り知れない。
圭介の体が硬い石の地面を転がってゆく。

「っ…………は……ッ!」

ようやく止まった頃には全身はスリ傷だらけになっていた。
そして吹き飛ばされた拍子に手にしていた武器を落としてしまったことに気づく。
すぐに拾い上げようと、起き上がるよりも早く目の前に転がるダネルMGLへと手を伸ばした。

「ッ……ぐあああああぁぁっッ!!!」

だが、その手の甲は上から踵で踏みつけられた。
見上げるまでもなく、踏みつける軍靴を見ればわかる。
そこに居るのは特殊部隊のサイボーグ、美羽風雅だ。

「よぅ、クソガキ。ウチのヒーロー志望者が世話んなったみてぇだなぁ」
「くぅッ!!」

見れば、一個分隊のゾンビ部隊は完全に壊滅していた。
原型をとどめているモノすらいない、完全なる蹂躙。
それほどの破壊を苦も無く成し遂げた怪物を睨み、圭介は吠える。

「ヒーロー志望者…………? ああ、クソヒーローなら無様に命乞いしながら押っ死んでったよ!」

この状況で果敢に言い返すその言い様を気に入ったのか、美羽はへぇと口元を吊り上げる。

「いいね。そうこなくっちゃ。そうじゃなけりゃ『返し』の甲斐もねぇ」

どうせなら獲物は活きのいいほうがいい。
同僚を殺したのが、つまらない輩だったそれこそ興ざめだ。

「返しだぁ? 敵討ちでもするつもりか!? ざけんなッ! お前らが先に俺たちの村を無茶苦茶にしたんだろうが!」
「あ゙ぁん? 最初はアタシらじゃなくて研究所の……ま、テメェらからすりゃ一緒か」

投げやりに呟き、自己完結で納得する。
その口調は乱暴ではあるが、敵討ちをしに来たにしては恨み骨髄という声色でもない。

「別にテメェを恨んじゃいねぇさ。結局の所、戦場で死ぬのは弱ぇからだ。野郎が殺されたのは野郎が弱いのが悪かったのさ」

広川の死に対して思う所がない訳ではないが。
広川を殺した相手に対しては別段恨みという感情は持っていない。
何だったら任務も達成できず脱落した広川の方に怒りを覚えるくらいだ。

「はっ。恨んでねぇだぁ? 口ではそう言っても、結局テメェも恨みを果たしたいだけだろうが!」
「違うね。コイツぁ恨みじゃなくケジメの問題だ。舐められたままじゃ終われねぇんだよ」

まるっきりヤクザの言い分だ。
原因がどちらにあるかなど問題ではない。
一度始まった報復の連鎖はどちらかが根絶やしになるまで途切れることなどない。

「まあ、理由はどうあれこれからテメェは蹂躙される。このアタシにな。
 それはテメェが悪ぃからじゃねぇ、テメェが弱ぇからだ、弱ぇやつは戦場では無価値だ」

弱者は強者に何をされても仕方がない。
特殊部隊の女は残酷な戦場の真実を語る。


167 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:31:54 7OOfybXA0
「さて、このままテメェの頭を踏み潰すのは簡単だが、それじゃあ返しにならねぇよなぁ?」

正常感染者を殺すのは特殊部隊としての任務だ。
ただ殺すだけでは個人的なケジメにはならない。
それとは別に暴走族の頭として身内を殺された返しをしなくてはならない。

「っと、その前に、だ」

圭介を踏みつけたまま、美羽は上体だけを捻って自らの背後に迫っていた敵の顔を掴んだ。
そこに居たのは圭介にとっても予想外の人物。

「光ッ!?」

美羽に背後から襲い掛かろうとしたのは、後方に避難させていた光だった。
鉄のような腕に捕まり光の頭部が圧迫される。
正気などないはずの喉奥から小さな声で悲鳴が上がった。

圭介は光を操っていない。
そもそも圭介が光を危険にさらすような真似をするはずがない。
美羽に追い詰められ、ゾンビを制御する余裕を失っていた。

制御を離れた今、光を動かすのはゾンビの自由意志だ。
それはゾンビの本能で目の前の相手に襲い掛かっただけなのかもしれない。
それが圭介を助けに着たように見えただけだ。そんなはずはないのに。

「やめろ!! 光は関係ない!!」
「テメェのツレだろ、関係ねぇってこたぁねぇだろ」

言って、片手でつかんだ光の頭を握りしめた。
だが、すぐに違和感を覚えたのか目を細めて掴んでいた光の顔を凝視する。

「あぁん? んだよ、こいつもゾンビかよ! お人形遊びかぁ? 気持ち悪ぃ」

吐き捨てるように言う。
先ほどまでゴミのように片付けてきた奴らと同じゾンビだ。
だが、全軍特攻に加わらなかった事からして、何らかの特別扱いを受けているのは明らかだ。

「わざわざ侍らしてるってこたぁテメェのスケか? それとも狙ってた女をこの機に乗じていいようにしてんのか?」
「うるせぇ!! 今すぐ光を離せって言ってんだよ!! このゴリラ女がッ!!」

これまでにない剣幕で噛み付く圭介の様を見て、天啓を得たりと仮面の下で美羽が笑う。

「決めた――――まずはこいつを殺す」
「なっ――――――」

その宣言に、圭介は言葉を失う。
これは美羽の個人的な『返し』だ。
本人ではなく大事な人が殺されるというのは仲間を殺された返しとしては妥当だろう。

「待てっ! 止めろ! テメェが殺したいのは俺だろうが!」

腕を踏みつけられたまま、圭介が必死に暴れまわるが相手はびくともしない。
本当に鉄の塊のようだ。
自分の力では何をしても動かせない。そんな絶望が重く心に圧し掛かってゆく。

効果は無くとも足元でバタつく相手が鬱陶しいかったのか。
美羽は手の甲を踏みつけていた足を上げ、そのまま足裏で顔面を蹴り飛ばした。
頭部に直撃を受け圭介の脳が揺れる。

「テメェは後だ、そこで見てろ」

美羽の力をもってすれば蹴り一つで圭介の頭蓋を体から吹き飛ばすのも容易い事だ。
だが、そうはしない。そうでければ『返し』にならない。

「ッ…………やめろぉッ! やめてくれぇ―――――ッ!!」

だが、砕けた鼻から垂れ墜ちる鼻血を拭う事もせずに圭介は美羽の足首にしがみつく。
縋るような無様な姿だが、無様であろうとも構わない。これだけは諦めきれない。
このままでは光が殺される。
諦められるはずがない。

「逃げろッ! 逃げるんだ光ぃ!!」

逃げるように異能で光に指示を出す。
だが虫も殺せぬ光の力で美羽の怪力を振りほどけるはずがない。
ミシリと言う音と共にサイボーグの指先が光の頭にめり込んでいく。
先ほどまでの超人的な大暴れを思えば、人間の頭などトマトのように握りつぶせるだろう。


168 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:32:22 7OOfybXA0
「うわああああああああああああああああああッッッッッッ!!!!!」

喉を裂く様な絶叫。
無力な圭介では間に合わない。何もできない。
少年の絶望が世界に響き、まるでスローモーションのように彼の世界は全てが遅くなった。

聞こえるのはバクバクと音を立て脈動する自分の心音だけ。
まるで全身が心臓になったよう。
血が逆流し、胸に灼熱を流し込まれたような痛みが伴う。

光が死ぬ。光が死んでしまう。
目の前に突き付けられるその真実に圭介の脳内は破裂寸前にまで膨れ上がる。

満ちるのは怒りと憎悪。
光を守れない自分自身への怒り。光を奪おうとする敵への憎悪。
憎悪と殺意と絶望がシナプスとなって脳内で弾ける。

異常に加熱した脳と、異常に冷めた冷静な脳が共存して脳が痺れる。
それはまるで自分とは別の存在が脳を制御しているかのようだった。

異能が目覚めた瞬間にも感じた脳が世界に繋がる感覚。
一本だった不可視の触手が数え切れないほど伸びていくよう。

意識が世界に拡張される。
いや、意識が世界を拡張していく。
己の意識が現実を侵食していくようだ。

「よーく目に焼き付けなぁ! テメェの女が弾ける様をよぉ!!」

無慈悲な特殊部隊の咆哮が響いた。
それを合図に、止まっていた世界が動き出す。

光を握る手に力が籠められ、パンと、何かが弾ける様な音がした。

「な、に?」

驚愕は誰の口からだったか。
響いた破裂音は光の頭が弾けた音ではなく、ましてや圭介の脳の血管が切れた音でもない。

それは遠方からの狙撃音だった。
美羽の背後、炎と黒煙の壁を突き抜け弾丸が飛来したのだ。
弾丸は美羽の肩甲骨辺りへと吸い込まれ、掴んでいた光を取り落とす。

「バっ…………」

バカな。声にならないそんな驚愕と共に美羽が弾丸の飛来した方向を睨むように見つめる。
弾丸の風圧により穿たれた穴から猟銃を構える猟師の姿が垣間見えた。

伏兵を残していた?
いや、それならば狙撃は最初の全員突撃の際に行うべきだ。
それに、ここまでに美羽がその気なら殺されていた場面も何度かあった。
ここまでもったいぶる理由がない。

何より、今の狙撃はただの狙撃ではなかった。
弾丸は炎と黒煙の向こうから来た。
狙撃手からターゲットが見えていないのだから、狙撃など不可能なはずだ。

そして何より、驚愕すべきはどこにも殺意がなかった事だ。
殺意があればそれを読める、だがそれがなければ気づきようもない。

いや、正確に言えば、殺意はあった。
だがそれは美羽の足元に無様にしがみ付く少年から発せられたものである。

殺意と照準が違う。
銃を構え引き金を引いたのは猟師であっても、これは圭介の殺意による弾丸である。
このような異次元の狙撃。如何に特殊部隊の精鋭と言えど避けようがない。

「テェェエエンメェェェェッッッ!!!」

だが、恐るべきはサイボーグ。
中型の獣を一撃で仕留める弾丸の直撃を受けてもその肉体は健在である。
直撃受けた部位の機械構造は破損しているが、一撃ならば致命傷には至らない。
連続して喰らえばマズかろうが狙撃があることは分かった。警戒していればそう簡単に喰らう美羽ではない。

だから、問題は別の所。
美羽の肉体ではなく、防護服に穴が開いたと言う事である。


169 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:33:05 7OOfybXA0
「チィ…………くッッ!!」

瞬時に状況を理解した美羽は身を翻した。
スレッジハンマーを片手に、振り絞るように全身を捩じる。

「間ぁに合えええぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!!!」

剛と、台風のように回転して跳躍する。
放たれる一撃の向かう先は圭介でも光でもない。
死力を尽くした一撃が放たれたのは、大田原が閉じ込められたガレージだった。

コンクリート壁にスレッジハンマーの一撃が炸裂した。
大量の火薬でも爆発したような衝撃が叩き込まれる。
強力な一撃を代償にスレッジハンマーが砕け散るが、強固なコンクリートの壁が砕けた。

「――――――よくやった。Ironwood」

破損した箇所を起点に、内側から食い破るようにコンクリート壁が弾けた。
無骨な巨大な手でヒビを広げながら、怪獣めいたサイボーグ以上の脅威が現れる。
少女とオークが命を賭して封印した最強が、鉄筋コンクリートの檻から解き放たれる。

並び立つ絶望。
美羽の隣に大田原が立つ。
その光景はこの村の住民にとっては不可避な死を告げる絶望その物だ。

「では。連携して対応に当たる、まずは…………!?」
「ぅうああ――――――ッ!!」

だが、制圧の指示を出そうとしていた大田原に向かって、横合いから美羽が襲い掛かった。
突然の乱心に流石の大田原も驚きを隠せず、僅かに反応が遅れる。

掴みかかってきた手を避けきれず腕を掴まれそのまま押し込まれた。
恐ろしいまでの圧力。大田原と言えでも機械の筋力には及ばない。

バイオハザードにより村に蔓延するウイルス。それを防ぐための防護服である。
そこに穴が開いてしまえば、あとは正常感染者に成れるかどうか、2%のギャンブルだ。
美羽はそのギャンブルに敗北して、ゾンビとなった。

そして――――――ゾンビならば操れる。

それが村の王たる圭介の異能だ。
手を伸ばし、新たな家臣に向かって王は命じる。

「目の前の相手を殺れ、ゴリラ女――――――!」

その命令に従い、ゾンビとなった美羽が大田原を掴んだ腕を振りまわした。
万力が如き握力で振り回され、100㎏超の巨体の両足が浮き上がる。

そのまま地面に叩き付けんとする刹那、大田原はその流れに逆らわず浮いた両足を振り上げ鳩尾と顎に二連脚を見舞った。
衝撃に握力が緩む。その隙を見逃さず大田原は前蹴りを放つと共に腕を振り払って拘束を脱した。

僅かに距離が離れる。
その隙に腰元からナイフを引き抜き追撃へと前出た。

だが、そのナイフを振りぬこうとしたところで、大田原の動きが静止する。
瞬時に前傾姿勢を解いて上半身を仰け反らせた。
同時に、黒煙の先から放たれた弾丸がその眼前をすり抜ける。

ガレージ内で銃声は聞いている。
狙撃があることは警戒していたし、銃声から狙撃方向も把握していた。
タイミングばかりは撃つなら今であろうと言う当て推量だが、実際に撃たせてみておおよその仕掛けは知れた。
大田原はその場に足を止め冷静に現状を確認する。

中距離には司令塔と思しき正常感染者の少年とゾンビと思しき少女。
ガレージ内で聞き及んでいた音声と美羽の現状からして、少年は恐らくゾンビを操る異能者だろう。
少年の利き腕は美羽に踏みつけられ折れてしまったのか、左手に拾い上げたダネルMGLを握りしめている。
高火力な火器。点の狙撃と違い、美羽を足止めに使いもろとも吹き飛ばされては大田原と言えども避けようがない。

近距離には特殊部隊の同僚である美羽。
筋力は人知を超えた機械のソレ、耐久度は正しく鋼鉄。
自衛隊最強を誇る大田原とでも仕留めるのは簡単ではない相手だ。

任務は女王の可能性がある正常感染者の抹殺。
ゾンビはそこに含まれず、事態が解決されれば元に戻る可能性もあるという話だったはずだ。
ならば、ウイルスに侵されたとは言え美羽を殺す必要はない。

だが、ターゲットを守護し、任務達成の障害となるのであれば排除する。
美羽と言う個人に対する付き合いもそれなりにあったし、幾多もの視線を共に乗り越えてきた部隊同士の仲間意識もある。
それでも正義のためなら躊躇いなく実行できる。それが大田原と言う男だ。

何より、美羽は加減できる相手ではない。
戦うのであれば殺すつもりで行かなくては大田原が危うくなる。


170 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:33:17 7OOfybXA0
遠距離には炎煙の向こうに構える謎の狙撃手。
ブラインドの先から行われる狙撃は驚異の一言だが、仕掛けさえ分かっていれば避けること自体は不可能ではない。
だが、それも狙撃手単体であった場合の話だ。美羽の相手をしながら狙撃手の警戒をするのは相当に精神が削れる。
その上、一発でも霞めれば美羽の二の舞ともなればかなりの綱渡りだ。
少なくとも黒煙越しにブラインドスナイプが可能なこの状況で戦うべきではない。

頭を潰すのが戦術の基本だが、遠近の守護者を突破して司令塔を潰すのは難しいだろう。
このまま戦ったところで勝ち目がまったくないという訳でもないが、無視できない程度に敗北のリスクはある。
ここは一旦引いて仕切りなおすべきだ。

そう決断するや否や、大田原は躊躇うことなく崩れたガレージの外壁に足をかけて、そのまま屋根へと上っていった。
通常、狙撃手が居る戦場でこのように高台で身をさらすのは自殺行為だが、狙撃手の目は少年だ。
それを理解しているからこそ、あえてその逃走経路を選んだ。

そこから赤い屋根へと移り、巨体とは思えぬ機敏さで屋根を渡り歩いて撤退していく。
圭介は深追いをせずそれを見送る。

美羽や兵衛なら追えるかもしれないが、司令塔である圭介がついていけない。
追うのは難しいだろう。

だが、今はそれでいい。
特殊部隊を手駒に加え、最強の特殊部隊を退けた。
十分すぎる成果だ。深追いをする必要はない。

なんとか生き延び、そして2度目の特殊部隊戦を経て理解した。
有象無象をどれだけ用意しようとも強敵には通用しない。必要なのは精鋭だ。

前衛と後衛。
それぞれの強力な駒を手に入れた。
特に、あの場面で兵衛を手に入れたのは幸運だった。

最初から伏兵として残していた訳ではない。
あの瞬間、世界に広がった異能の触手が、彷徨っていた六紋兵衛を捉えたのだ。

この調子で精鋭を集めて、特殊部隊にも負けない最強のゾンビの軍団を作り上げる。
それを成す異能(ちから)が今の圭介にはある。

その力をもってすれば特殊部隊の駆逐も夢ではない。
その先の女王探しも、力があれば楽になる。

僅かに見えた、光を取り戻すための希望の光。
美羽の言葉は正しい。
戦場において弱さは罪であり、強さは正義である。
全てを取り戻すために力が必要だ。

踏みつぶされた右手は骨折しており、左手は銃で塞がれている。
守護りきった恋人の手を握る事は出来なくなってしまったけれど、全ては光を取り戻すために必要なことだ。
そうやって、圭介は戦いの決意を固めてゆく。
そんな圭介を見つめる恋人の目にはどこか悲しみを湛えた光が宿っているようにも見えた。

【美羽 風雅 ゾンビ化】

【C-4/湯川邸前/一日目・午前】
【山折 圭介】
[状態]:鼻骨骨折、右手の甲骨折、全身にダメージ(中)、精神疲労(大)、八柳哉太への複雑な感情
[道具]:木刀、懐中電灯、ダネルMGL(4/6)+予備弾5発、サバイバルナイフ
[方針]
基本.VHを解決して光を取り戻す
1.女王を探す(方法は分からない)
2.正気を保った人間を殺す。
3.精鋭ゾンビを集め最強のゾンビ兵団を作る。
4.知り合いを殺す覚悟を決めなければ。
[備考]
※異能によって操った日野光(ゾンビ)、美羽風雅(ゾンビ)、六紋兵衛(ゾンビ)を引き連れています。
※美羽風雅(ゾンビ)は拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフを装備しています。
※六紋兵衛(ゾンビ)はライフル銃(残弾3/5)を背負っています。
※学校には日野珠と湯川諒吾、上月みかげのゾンビがいると思い込んでいます。

【C-4/高級住宅街/1日目・午前】
【大田原 源一郎】
[状態]:右腕にダメージ、全身に軽い打撲
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理
1.撤退
2.追加装備の要請を検討
3.美羽への対応を検討(任務達成の障害となるなら排除も辞さない)


171 : Zombie Corps ◆H3bky6/SCY :2023/05/19(金) 21:33:32 7OOfybXA0
投下終了です


172 : ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:11:29 7t06WpSA0
投下します


173 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:13:15 7t06WpSA0
高級住宅街と商店街の間にある空白地帯。
草木が疎らに生い茂っており、放置されたボロボロの空き小屋がところどこに点在していた。
それは急激な開発によって生まれたエアポケットである。

今ではここは主に子供たちの遊び場になっており。
時折やんちゃな学生やずぼらな主婦が商店街から自宅に向かうショートカットに利用されていた。

そんな整備されていない道ともいえない道筋を、2人の少女が駆け抜けていた。
それは遊びでも日常の一部でもない、追ってくる狩人から逃れるための命懸けの逃亡である。

「ハッ…………ハッ…………」

茜が息を切らしながら珠の手を引いて走る。
二人の脳裏に繰り返しの様に浮かぶのは共通した一つの言葉だ。

『あなたの記憶、あなたの想いはあなただけのモノだから』

向かい来る特殊部隊の足止めに残った、上月みかげが最後に彼女たちに送った言葉。
それは自らが歪めてしまった、全てを修復する贖罪の言葉だった。

この言葉によって、異能によって歪められた認識は修復され、
改竄された記憶は正しいモノに戻ってゆく。

だが、珠は未だに混乱の只中に居た。

彼女に施された記憶改竄はみかげの異能のよる物だけではない。
研究員と謎の連中とのやり取りを目撃してしまった事により、研究所によって行われた薬物と暗示による記憶改竄。
みかげの異能は長らく頭の中で絡まっていたそれら全ての糸を一つ一つ解きほぐしていった。

正しい事実。
忘れていた事実。
ねじ曲がっていた事実。
大量の記憶の奔流が珠の小さな頭の内を駆け巡る。

それが齎すのは認識の齟齬が修復されたと言うだけではない。
記憶は正されるだけで失われるわけではない以上、自身の記憶がおかしくなっていた事にも嫌でも気づく。
それら全ての事実と、そこに対する自身の感想と感情と向き合いながら、珠は自分を取り戻している最中だった。

「ダメッ、今は走って…………!!」

足の止まりかけた珠の手を取って、茜が強引に先導する。
茜は食い縛るように自らの唇を噛んで努めて感情を押さえていた。
それは、異能が暴発しないようにするためと言う事もあるが、そうしなければ茜自身が今すぐ踵を返してみかげの下に戻ってしまいそうになる。

認識が修復されたことにより、茜にも猟師の教えを受けたなどと言うみかげの言葉が嘘だと分かってしまった。
ただの女子高生であるみかげが特殊部隊を相手に出来るはずがない。

今すぐに戻ってみかげを助けに行きたい。
だが、それはダメだ。
それこそみかげの覚悟を台無しにしてしまう。

みかげの嘘が分かったことにより、どうしてそんな嘘をついたのか、その意図まで理解できてしまった。
それを理解した茜のすべきことは、みかげを信じて珠をどこか安全な場所まで連れて行くことである。

商店街はすぐそこだ。
逃げ込んだところですぐに安全になると言う訳でもないだろうが。
学校の帰りに寄り道して買い食いしたり適当に店を冷やかしたり、裏道も細道も知り尽くしている。
そこまで逃げ込みさえすれば、何とか逃げ切り身を隠すことくらいはできるだろう。




174 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:16:58 7t06WpSA0
3人の男女が商店街の裏道を走っていた。

商店街は狙撃手のテリトリーとなっていた。
一時的な無力化に成功して今は平穏は保たれているが、どうなるかわからない以上すぐに離脱すべきだろう。

先頭を切るのは大和撫子然とした少女、氷月海衣だ。
村の住民であり、ある程度の土地勘を持っている彼女が商店街脱出の先頭に立っていた。
できうる限り人気のない物陰を選び、最短で商店街から道筋を選んでゆく。

とは言え、海衣は最低限の店舗と道筋を把握しているだけで商店街に詳しいという訳ではない。
海衣は両親の厳しい教育の下、真面目な少女を演じてきた。
商店街にはたまに学業に必要な物を買いに行ったりするくらいで、それだって大抵は母が済ませてしまう。
多くの習い事を抱える彼女に他の学生たちのように放課後の買い物や買い食いなんて自由が許されるはずもなかった。

そんな彼女にだって遊びの誘いがなかったわけではない。
海衣を気にかけてくれる優しい人たちはいて、何度も放課後に遊びに誘ってくれた。
その度に申し訳なく思いながらその誘いを断ってきた。

だけど一度だけ、そんな海衣の境遇を見かねたのか、無理矢理放課後の商店街に連れていかれたことがある。
そこで始めて買い食いをして、始めて肉屋のコロッケを食べた
店主は覇気がなかったけど友人と一緒に食べた80円のコロッケは今まで食べたどの食べ物よりおいしかったのを覚えている。

その帰り道、買い食いがバレないために急いで帰るためのショートカットした道筋を教えられた。
今辿っているのはその道筋だ。
思い出の道筋を、今は生きるために駆け抜けている。

殿を務める花子は器用にも半身のまま背後に目をやりながら、殆どバック走のような体制で走っていた。。
それでいて走る速度は与田なんかよりも安定して早いのだから恐ろしい運動神経である。

逃走ルートの確保は海衣任せ、自身は後方の警戒を優先していた。
狙撃手の一時的な無力化に成功したが、それもどれほど持つか。
今は謎の男が抑えているが、いつ復活するとも分からない以上、狙撃手への警戒は切れない。

これが狙撃手の厄介さだ。
いるかもしれないというだけで警戒に集中力が削られる。
安全を期するなら一刻も早く狙撃手のテリトリーである商店街から離れたほうがいいだろう。

常に彼女の頭の中には分割思考の様に幾つものタスクが同時に奔っている。
花子の頭の中では逃亡と警戒だけではなく、次の行動について思考が裂かれていた。

商店街を抜けた後でそこに向かうべきか。
当面の目的は情報収集だが、思った以上に特殊部隊の手が広い。

殲滅を目指しているのなら当然だろうが、人が集まりそうな場所には必然的に敵も待ち構えている。
このまま市街地に向かうのは相応のリスクを覚悟せねばならない。
単純に人の多い所に向かえばいいと言うものではないとなると情報収集のハードルは上がっている。

花子一人ならその程度のリスクは呑み込めるのだが、護衛対象が2人もいるとなると渦中に飛び込んでいくのは躊躇われる。
せめて相棒が生きていればよかったのだが。いや、ゾンビになっただけで生きてはいるのだけど。
そう言えば、ホテルに縛り付けた相棒は元気しているだろうか?

そんなどうでもいいところにまで思考が達した所で、商店街の出口が見えてきた。
そのまま走り続け、3人が商店街を抜けだす。
だが、そこで先頭を走っていた海衣が足を止めた。


175 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:17:49 7t06WpSA0
「ッ、誰か来ます!」

建造物が途切れ視界が開けたところで、向かってくる人影に気づいた。
どれだけ視力が良くとも死角がある限り見えないものはある。
後方を警戒していたこともあり花子も気づくのが遅れた。

向こうから走ってくる人影はもはや接触は不可避の距離にいた。
それに大きな反応を示したのは海衣だった。

商店街に向かうモノ。商店街から出ようとするモノ。
双方が向かう先にいるのならば、バッティングしてもおかしくはない。

それ以前に、この道筋は彼女に教えられたものなのだ。
ならば、この再会は必然であったとも言える。

「朝顔さん……!?」
「って、氷月さん!?」

クラスメイトとの再会だった。
色々ありすぎて半年ぶりにでもあったような気持ちだが、再会と言っても毎日に学校で顔を突き合わせて入るので実際は昨日ぶりだ。
予想外のタイミングでの再開に呆然とする海衣の肩を花子が叩く。

「探していたお友達?」
「ええ……まぁ。そうです。私の友人の朝顔茜さんです」

海衣がそう花子たちに茜を紹介した所で、茜が海衣に飛びついた。

「ちょ、ちょっと…………!」
「嬉しい! 友達だと思っててくれてたんだ!」

何度誘っても袖にされていたし、彼女の事情を無視して強引に誘ったこともあったから、迷惑がられているんじゃないかと内心で思っていたが。
そうじゃないと分かってこんなに嬉しいことはない。

「ってそれどころじゃないんだった!」

だが、思い出したようにすぐさま離れる。
自らの置かれている危機的状況を思い出し喜んでいる場合ではないことに気づいた。
そして焦りをそのまま吐き出すように茜が叫ぶ。

「私たち、特殊部隊に追われているの!」




176 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:21:32 7t06WpSA0
「えぇッ!? またですかぁ!?」

与田が悲観の籠った声で叫んだ。
彼らが特殊部隊から逃げてくる少女を保護するのはこれで2度目。
特殊部隊との接敵はこれで3度目だ。海衣に限って言えば4度目となる。
この調子ではこの小さな村に特殊部隊が何人送り込まれているのか分かったものではない。

「特殊部隊に追われてるって話、詳しく教えてもらえるかしら」

焦りを見せる与田や茜と対照的に冷静な問いが投げられた。
海衣との再会に喜び彼女しか目に移ってなかったが、茜は今頃になって花子たちの存在を認識する。
与田の方は診療所で顔くらいは見たことはあるが花子に関しては完全な初対面だ。

「えっと……あなたは?」
「田中花子よ。よろしくねん、茜ちゃん。そっちの子も」

パチンとウィンクして珠へと視線を送るが、反応はない。

「君は……日野さんの妹さん、だよね? 顔色が悪いようだけど、大丈夫なの?」

心配そうに海衣が問うが、やはり大した反応はない。
クラスメイトの妹と言うだけであまり直接的な交流があった訳ではないが。
遠目で見かける彼女はもっと活発な印象だったが、今の彼女はどこか不安定で見る影もない。

「その……一言で説明するのは難しんだけど、珠ちゃんはいろいろあって、混乱していて」

茜が代わりに弁明するが、彼女たちに起きた出来事は一言で説明できる様なことではない。
同行していた茜ですら珠に起きた出来事を完全に理解できている訳ではないのだから説明のしようがない。
その辺の事情を察してか花子が話を進める。

「そう。その辺の事情は落ち着いてから聞かせてもらうとして。それよりも今は、すべきことがあるでしょう」

そう言って、花子は茜たちが走ってきた方向を見つめる。

「とりあえず、今のところは追手の姿は見えないわね」

少なくとも花子の鷹の目の及ぶ範囲に追手の姿はなかった。
多少の猶予はあるようだが、余裕で構えてもいられない。

「それは……特殊部隊が襲ってきたときは警察官である薩摩さんと一緒にいて逃がしてもらったんだけど、突破されたみたいで
 追いつかれそうになったところで……その、一緒に逃げてた上月さんが時間を稼いでくれてて」
「上月さんが…………?」
「足止め、ねぇ……」

花子が訝し気に呟く。
ただの素人が特殊部隊相手に足止めなど無謀な話だが、今の村人には異能がある。
異能の内容と使い方次第だが、まったく不可能と言う訳ではないだろう。

「…………上月さんの助けには向かえないのでしょうか?」

経緯を聞いた海衣が躊躇いがちにそう切り出す。
海衣の言葉に茜も希望を込めた視線を向ける。

「そ、そう! そうだね全員で行けば何とか!」

襲撃を受けた時は戦う理由がなかったから逃亡一択だったが、みかげを残してきた今となっては話は別だ。
人数も増えて、大人も2人いる今なら何とかなるかもしれない。

何より海衣の中に花子ならばと言う期待があった。
海衣からすれば花子は自身の素性を隠した信用しづらい胡散臭い人物ではあるものの、その実力だけは信頼している。
合流して戦力も増えた、これだけ人数がいれば特殊部隊にだって対抗できるかもしれない。
だが、その希望を否定するように花子が首を振る。

「ごめんね。それは無理。そればっかりは上月さんって子の実力と天運に任せるしかないわ」

花子は救うべき命、切り捨てる命を割り切れる人間だ。
彼女はトロッコ問題で躊躇なく決断できる。

それは正しいか正しくないかではなく、自分の判断基準を疑わないという事だ。
己の中の優先順位を間違えない。
そうでなければエージェントなどやっていけない。

友達の友達は友達なんて理論で手を伸ばしていたらどれだけ大きな手でも足りなくなる。
特にこんな村民はほぼ知り合いなんて人間関係の狭い界隈ではなおのことだ。
手を伸ばせる人数には限りがある。

確かに花子の中で全員で特殊部隊を仕留めるというプランもなくはない。
だが、今の状況ではそれは厳しい。

人数が増えたと言っても戦力確認すらできてない。
そんな状況では策も練れないし、連携などとれるはずもない。

何より開けた草原と言うのも条件が悪い。
錯乱した珠を庇いながらの戦いになる。
1人、2人ならともかく、それ以上となると花子一人でカバーしきるのはさすがに厳しい。


177 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:24:43 7t06WpSA0
「酷なことを言うようだけど、切り替えて。まずは自分が生き残ることを考えましょう」

他者を慮れるのは美徳だが、自分を第一に考えてこそだ。
この辺は与田の生き汚さを見習ってほしいところである。

「ッ。…………わかりました」

助けに行くのだって命懸けになる。
他人に向かって命を懸けろなんて誰も強制はできない。
それは彼女のも理解していたのだろう。
茜がこの意見を飲み込む。

「なら、すぐにでも商店街に逃げこまなくっちゃ! 詳しいお話はそちらで」

こんなところで立ち話をして追いつかれたのではみかげに顔向けできない。
話をするのは商店街に逃げ込み安全圏を確保してからで十分だ。

「商店街に逃げ込む、か。なるほど。外様の特殊部隊相手に逃げ切るには悪くないプランね」

花子が頷きながら肯定する。
地の利を生かして逃げるのは理にかなっている。
だが、今の商店街に限って言えばそうではない。

「けど、今は商店街に行くのはお勧めしないわ。
 私達も逃げて来たところなのよ、商店街にいる特殊部隊の狙撃手から」
「そ、そんな…………」

それを聞いた茜が言葉を詰まらせる。
必死で逃げ込もうとした先にも特殊部隊がいるという最悪の知らせだ。
逃げ道を塞がれ、茜の顔にも不安の色が目に見えて増えてきた。

「けど、商店街に行けないならどうしたら…………」

茜が不安を漏らす。
逃げ込むとするなら住宅街だが、ここから住宅街まではそれなりの距離がある。

大所帯になる程、全体の機動性は落ちる。
これを改善するには部隊としての練度を上げるしかないのだが、即席の寄せ集め部隊ではそれも期待できまい。
このまま逃げたところで追いつかれる可能性が高い。

「田中さん…………」

不安そうにする茜を支えながら、海衣が縋るような眼で花子を見つめた。
海衣の性格からして自分一人の問題なら、そんな風に助けを求める様な真似はしなかっただろう。
だが、友人の身の安全も関わってくるとなればそうも言っていられないようだ。
花子としては海衣のそう言った一面が見られたのは喜ばしいのだが、状況的にはあまり喜んでばかりもいられない。

「そうね。まずは避難先を決めましょう」

花子が事態を取り仕切るように切り出した。
だが、決めるといっても候補があるようには思えないが。

「住宅街ではダメなんですか?」
「ダメではないんだけど、念のため避けた方がいいわね」
「どうしてです?」
「理由はいくつかあるんだけど、詳しく説明している時間はないから簡単に大きい所だけ説明すると。
 追手もそこに逃げると読みやすく、他の危険がある可能性が高い場所だからよ」

様々な意味で住宅街は危険度が高い。
商店街のように逃げ込んだ先にも特殊部隊が居ました、では目も当てられない。

「ここから西側に全員で隠れられそうな建物はあるかしら?」

花子が少女たちに尋ねる。
花子も事前のフィールドワークくらいはしているが、地理の情報は地元民に尋ねた方が確実だ。

「ここから西なら……保育園があります」
「……保育園か、悪くないわね」

それなりに広さがあり身を隠す場所もある。
今時の保育園は変質者対策で周囲を壁で取り囲っているため籠城にも向いている。

だが、問題もある。
住宅街もそうだが、ここから西側にある保育園に向かうとなるとさらに時間がかかる。
移動に時間がかかる程、追手に追いつかれる危険性も増す。
その程度の懸念を理解できない花子ではないはずだが、気にした風もなく話を進める。

「そうね。じゃあとりあえずあなた達はそこを目指して、そこで隠れていて」

まるで他人に指示するのような物言い。
それに気づいた海衣がその疑問を指摘する。

「あなたたちって、田中さんはどうするつもりなんです?」
「私はここに残ってちょっと内職をね」

何でもないように言うが、それはつまり一人でここに残るという事だ。

「ダメですよ! それじゃ上月ちゃんとおんなじ……」

茜が拒否反応を示す。
自分たちを逃がすための時間稼ぎ、これでは先ほどの繰り返しだ。


178 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:27:13 7t06WpSA0
「大丈夫よ、何も直接対峙するわけじゃない。ちょっと地面をいじるだけ。やる事が終わったらすぐに私も追いかけるわ」

舗装されたアスファルトや石畳と違って、未整備の草原や土壌は痕跡が残りやすい。
ただですら大人数の移動はそれだけで痕跡が残りやすいのだ。
大量のゾンビでもいてくれればそれで誤魔化せるところもあるだろうが、元より裏道であるためかゾンビもそれほど見かけない。
痕跡を辿られては、どれだけ意表を突こうとも追いつかれてしまう。

追手が猟犬ならば、これを逃すはずがない。
安全を確保するにはどの道その痕跡をどうにかする必要がある。

「保育園についたら、まずは出入口の確認と脱出ルートの確保。
 もしかしたら通ってたとかで知ってるかもだけど、構造が変わってる可能性もあるから確認しておいて。
 それが出来たら周囲を監視できる場所を見つけて最低一人はそこで周囲を監視すること。できれば外からは見つからない場所が理想的ね。
 地震のおきた時間帯からして保育園にゾンビはいないとは思うけど、警戒は怠らないように。
 後は保育園に誰か来た、もしくは既に誰かいた場合。それが確実に信用できる人間でない場合はすぐにその場を離脱するように」

有無を言わせぬ決定事項を告げるようにテキパキと指示を出してゆく。
だが、空気を読まずこの流れに口を挟む男がいた。

「ちょっと待ってくださいよ! 花子さんが居なくなるのは困りますよ! 僕にこの子たちの世話をしろっていうんですか?」
「いや、センセはお世話される側だと思うけど……」
「それに逃げてる最中に誰かに襲われたら誰が僕の事を守ってくれるっていうんですか!?」

何とも情けない言葉だがここまで堂々と言われるといっそ清々しさがある。

「あら、私と二人きりになりたいってお誘いかしら? なら与田センセも残ってくださっても結構よ」
「いや、それはちょっと……」

自分がまきこまれると察するや否や即引くあたり潔すぎる。

「だったら、わがまま言ってないで海衣ちゃんたちと一緒に避難してちょうだい。ついでに与田センセは2人の異能を診て説明してあげて。自覚することで得るものもあるでしょう」
「えぇっ!? なんで僕が」
「はいはい。あなたの身を護る事にもなるんだから文句言わない」

与田を適当にあしらい、海衣たちへと向き直る。

「保育園について10分経っても合流できないようなら、私は死んだと思って行動して頂戴」
「死ぬって、それは……」

不穏な言葉に海衣が顔を曇らせる。

「念のためよ。さっきも言ったけど直接対峙する訳でもないし、無理をするつもりはないから」

作戦行動をとる場合、最悪を想定しなくてはならない。
そうでなければいつまでも死人を待って、全滅なんてことにもなりかねない。
そうならないための取り決めだ。

「ですけど…………」

無理をしないという花子の言葉はあまり信用できない。
これまでも、一番体を張って無理をしてきたのは他ならぬ花子だ。
いや、信用されていないのは海衣たちの方か。
それだけの役割を任せられると思われていないのだ。

「それよりも、海衣ちゃん。ちょっといい」

僅かに表情を沈めた海衣の耳元に花子が顔を近づける。
花子が何かを告げると、海衣が表情を強張らせ、周囲に聞こえない小声のやり取りが何度かあった。

「頼りにしてるわ」

そう言って海衣の肩をポンと叩いて花子が離れる。

「ちょっと待ってくださいよぉ! 話がまとまったみたな感じになってますけど、逃げた先にも特殊部隊が居たらどうするんですかぁ!?」

まだあきらめていなかったのか、与田は抗議を続ける。
2度あることは3度あるともいう。
2方向からきているのなら3方向にいる可能性も否定できない。

花子のいない状況で出会いでもしたらそれこそお終いだ。
そうはならないよう避難先を選んだつもりだが、可能性はゼロではない。

「そうねぇ……その時は」

花子は悩まし気にうーんと唸り、とびっきりの笑顔で言う。

「諦めて?」




179 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:29:06 7t06WpSA0
結論から言えば、花子が工作を終えるまで、特殊部隊が到達することはなかった。

花子は保育園に向かった本物の痕跡を周囲から消して、商店街に向かっているように見せかけた茜と珠、2人分の足跡を偽造した。
少なくとも追手が標的をただのJKだと思っているのならこれで十分騙せるだけの仕事はした。
時間をかければもっと徹底的にやることもできるが、追手とバッティングするのは避けたい。
この辺が潮時だろう。

出来るだけのことはやった。
果たしてこれが成功するかどうかは、相手の能力や性格、どこまで慎重かによるだろう。
追手の詳細を茜から聞き取りはできなかったのは痛いところである。
まあ、どの程度の時間的猶予があるのか分からない状況だったので仕方ない話なのだが。

鷹の眼が東の草原を見る、まだそれらしい人影はない。
足止め役の少女は十分な時間を稼いでくれたようだ。
最悪単独での交戦も視野に入れていたが、そうはならなかったのは幸運である。

だが、このまま誰もやってこないと言う状況はまずありえないだろう。
どちらかはここに来る。
それこそ足止めに残った少女の勝利もあると花子は考えていた。

花子の異能は直接的な攻撃力を持つ物ではないが、異能の脅威は理解している。
異能の何より恐ろしい点は、誰がどのような力を持つかが分からないと言う点だ。

単純な火力であれば銃器の方が上だろう。
だが、何が来るかわからないと言うのはそれだけで恐ろしい武器となる。

殺し合いなんてものは一発が嵌ればそれで終わる。
初見殺しが嵌れば、特殊部隊に対して勝ちを得る事も十分にあり得るだろう。

そう言った意味では、こちらには異能を解析できる与田がいるのは大きい。
あの先生が正常に機能すれば対異能者のアドバンテージが取れる。
もっとも、ここまで幸か不幸か異能者との戦闘はなく、特殊部隊ばかりと戦っているのだが。

特殊部隊が勝利したのであれば残党を狩りに。
少女が勝利したのであれば茜たちとの合流を目指して。
相打ちでもない限り、勝者がここにやってくるはずだ。

追手が標的を見失った可能性もあるが、特殊部隊が素人の追跡もできない間抜けなら話は簡単なのだが。
そんな希望的観測を元に動く訳にもいかない。

ここで待っていれば、遠目にやってくる人物の顔くらいは確認できるだろう。
多少のリスクはあるが、これを確認しておいた方が次の動きが確実になる。

僅かに身を潜め待つ。
すると、遠目に人影が姿が見えてきた。
花子の視力でなければ捉えられない距離。

ガスマスクに迷彩服の防護服。
同じ規格の装備であるため個人は特定できないが特殊部隊だ。
体格からして女性だろうか。分かるのはそれくらいである。

予想通りの最悪の展開だ。
そう都合よくはいかない。

既に賽は投げられた。
あとは結果を御覧じろ。

花子は見つからぬよう身をひそめながら、保育園に向かって音もたてずに走りだした。




180 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:32:25 7t06WpSA0
風景に紛れるような迷彩色が草原を駆け抜けていた。

それは獲物を追う狩人だ。
秘密特殊部隊の黒木真珠、彼女は取り逃した標的を追っていた。

だが、足止めに残ったみかげの相手と地雷原を迂回したことによるタイムロスはやはり大きかったようだ。
完全に出遅れてしまい、標的の姿は既に影も形もない。

だが、姿は捉えられずとも痕跡は追える。
狩人は草原を駆け抜けながら、注意深く地面を観察していた。

朝になってくれたおかげで足跡もよく見える。足跡は情報の宝庫だ。
足先の向きは逃亡方向を示し、足跡の深さを見ればそれがいつ頃刻まれたモノなのかもおおよそわかる。
歩幅の変化を読み取れば相手の体力や精神状況すら見て取れる。

そして足跡のみならず生い茂る草木の状態に注意を払えば、相手が草原を駆け抜ける際に触れた草や踏みつけた枝が散見される。
玄人であればその手の痕跡は残さない。そうなるよう動くのが身に染みているが、素人はその辺に気にかけないので分かりやすくていい。
これらを辿っていけば逃走経路が見えてくる。

やはり足跡は商店街に向かっているようだ。
しばらくその足取りを追って行き、足跡が商店街の入り口に向かっているのを確認する。

足跡によれば既に商店街に逃げ込んだようである。
未整備の荒地と違って整備された市街地に入られると痕跡を追うのは困難だ。
これ以上は時間の浪費になりかねない。

追跡もここまでか。
そう真珠が撤退しようとしたところで、ピタリとその足を止めた。
その場に膝をつきそれまで流し見で確認していた地面を触り、状態を詳しく調べる。

通常であれば見逃していただろう。
だが、真珠は違和感に気づいた。
その原因は皮肉にもみかげにあった。

みかげが死亡しようとも、彼女の異能の効果は健在だった。
それが時間経過で快復する物なのか、永続的なものなのかは術者であるみかげすら分からなかっただろう。

現在の真珠の認識では自らが教えを与えた罠の達人を相手にしてきたばかりという認識である。
そのためスルーするはずの違和感にも敏感に反応するくらいに、彼女の中の警戒度は上がっていた。
それが原因で足取りがやや遅くなったのも事実だが、今の状況に限って言えばその慎重さが功を奏した。

足跡のサイズや歩幅。周囲の草木や枝葉や小石の配置に至るまでよく再現されているが、整いすぎている。
これまでの足取りを見る限り、小さい女の方はもっと不規則で不安定だった。
よくよく観察すれば巧妙に見せかけているが工作の跡が見て取れる。

「……………どー言う事だこりゃ?」

一人呟き、トントンと銃の腹を指で叩いて思考に没頭する
明らかにただの女子高生の仕事ではない、プロの仕事だ。
だが特殊な訓練を積んだみかげのような例もある。
この工作が行われたこと自体はよしとしよう。

確かに隠蔽工作は追っ手を撒くのに有効な手段である。
有効であるからこそ気にかかる。

みかげは十分な時間を稼いだ。
だが、逃げている奴らからすれば、みかげがどの程度時間を稼げるかなど分かるはずない事だ。
こんな工作をしているような余裕はないはずである。
そんな時間があるなら、さっさと商店街に逃げ込んだ方がいい。

ならば、何故こんなことをした?
答えは簡単、そうする理由が出来たからだ。
何かしらの事情で商店街に侵入できなくなった、そう考えるのが妥当だろう。

だとすると問題なのは、その理由が何であるかより、その理由をどうやって知ったかだ。
遠目から見てわかるような理由ならここに立っている真珠にもわかるはずだ。
そうではないとするならば、何処かから何らかの情報を齎されたと言う事になる。

商店街を抜け出そうとする誰かと出会った?
そこで商店街で起きた何かしらの事情を知らされ商店街を回避した。
それならば一応の筋は通る。
その上で商店街に追手である真珠を誘導できれば万々歳だろう。


181 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:34:26 7t06WpSA0
商店街に向かったように見せかける工作が行われている以上、普通に考えれば商店街には向かっていないと言う事になる。
だが、あえて商店街に向かう偽装の痕跡を発見させて、本当に商店街に向かったなんて可能性もある。
問題は、相手の思惑や戦術レベルをどこまで考慮するかだ。

結論はすぐに出た。
考えるまでもない。

分からない、だ。

当然である。
よく知りもしない相手の実力や思考など分かるはずがない。
ならばどうしたらいいのか。

潔くあきらめるというのも一つの手だが、取れる手段ならもう一つある。
全て都合よく決めつけで考えてしまえばいいのだ。

真珠の任務はハヤブサⅢの抹殺だ。
それ以外は最悪切り捨てていい。

逃亡していた女学生たちが出会ったのはハヤブサⅢで
この隠蔽工作を行ったのもハヤブサⅢだと都合よく仮定する。

その前提で考えれば見えてくる。
あの豪華客船で一時的とはいえ背中を預けた仲だ。
奴の思考パターンならある程度はトレースできる。

「…………商店街はないな」

まずはその選択肢を消す。
工作の跡をあえて発見させて裏をかくなんてやり方は如何にも奴がやりそうな方法ではあるが。
本当に商店街に逃げ込んだのなら、工作を行うのはその道筋じゃない。
商店街に入った後で地の利を生かしつつ、そこで罠を張るはずだ。

そうしなかったという事は、やはり何かしらの商店街に入れない事情があるのだろう。
担当地区から考えて成田か乃木平に襲われでもしたか。

商店街ではないとなると、どこに向かったのか。
真珠がやって来た東方向はないとして、北の高級住宅街か、西方向のどちらか。

開けた草原の続く西方向よりも入り組んだ住宅街の方が近く、追手は巻きやすい。
セオリーで考えれば住宅街を選ぶ。
だが、当然追手側もそう考えることは相手にだって読めているだろう。

この工作は女学生たちを逃すためのモノである。
それは間違いない。
ただで人を助ける女じゃない。
報酬を得るため先に逃がした女学生たちとの合流を目指すはずだ。

早急な合流を目指すなら、短時間で共有可能なランドマーク的な施設がある方が望ましい。
だが、似たような建造物が立ち並ぶ住宅街では追手が追いづらいのと同じく合流もまた難しくなるだろう。
仮に田中さんの家で合流と言われても、地元民ならともかく外から来た人間にはわかるまい。

となると、住宅街よりもこちらの意表を突きつつ安全が確保できる西側。
女学生たちは恐らく地元民。村内の建造物については詳しいだろう。
彼女たちに尋ねればセーフハウスの心当たりが出てきてもおかしくはない。

安全圏に達するのに時間はかかるだろうだろうが、その時間は自分が稼げばいい。
そう考えるのがヤツらしい思考だろう。

この向こうに、何か施設があったか。
トントンと指でリズムを取りながらブリーフィングで共有された山折村の地図を頭に思い返す。

高級住宅街の外れ。
南西に保育園があったはずだ。
ヤクザ事務所の向かいと言う立地が妙に印象に残ったのを覚えている。

全てを自分の都合のいい前提で行った推察だが、一応の結論は出た。
みかげに時間をかけ過ぎた時点で、逃す確率は高かったのだがら、この予想が外れたところで痛手でもない。

「ま。行ってみますかねぇ」

当て推量であったとしても一度決めたからには手を抜かない。
真珠は保育園に向けて駆け抜け始めた。




182 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:36:00 7t06WpSA0
花子を残して海衣たちは保育園に向けて走っていた。

先頭を茜に任せ、珠、与田と続き、海衣はその殿を務めていた。
彼女の頭の中では花子に耳打ちされた言葉が思い出されていた。

「最悪、保育園での戦闘になる可能性があるから、その準備と覚悟だけはしておいて」

花子が行ったのは追手を商店街に誘導し、その誘導工作が見破られた場合に備えて避難先から高級住宅街を外すという二重の策だ。
だが、彼女は常に最悪を想定する。
さらに、それらすべてが看破された場合に備え、保育園を舞台とした決戦を想定していた。

追手を撒ければよし、そうでないなら殲滅する。
彼女が講じたのはそういう作戦であった。

逃げ回るばかりではいられない。
いつか倒さなければならない相手だ。
ならば有利な地形で待ち伏せて倒す。
それは理解できる。

「ちょっと待ってください。どうしてそんな事、私だけに?」

分からないのはそこだ。
全員に共有するでもなく、わざわざ耳打ちしてまで海衣にだけ打ち明けるのは何故なのか?

「あなたが鍵だからよ」
「私が…………?」
「そう、相手が斥候(スカウト)としてどれだけ優れていたとしても、読めるのは茜ちゃんたちと工作をした何者か、つまり私が合流した所までよ。
 あなたと与田センセの存在までは読み切れない。そのようにするわ」

予測ではなく、そうすると、はっきりと断言した。
その言葉の強さには頼もしさを通り越して恐ろしさすら感じる。

「これは与田センセと……そうねぇ珠ちゃんにも内緒にしておいて。あの二人は戦闘はできないだろうし。
 茜ちゃんと共有するかはあなたの判断に任せるわ」

それはつまり、茜を巻き込むかどうかは海衣が決めろという事だ。

「まあ、最悪そうなるってだけで、そうならないよう努力するわ。気負わないで待ってて」

気負わすようなことを言うだけ言って、強張った海衣の肩をポンと叩いて。

「頼りにしてるわ」

そんなことを言った。

よくわからない人だ。
本音なのかただの世辞なのか、その真意は海衣にはわからない。
だが、分からなくとも任された以上は全力を尽くす。

海衣はそうやって生きてきた。
両親に従って、従順に見えるよう従ってきた。
生きるために。

これからもそうするだけだ。
生きるために。

「見えて来たよ!」

先頭の茜が叫ぶ。
考え事をしていた顔を上げると、海衣の目にも見えてきた。

決戦の地、保育園が。


183 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:36:50 7t06WpSA0
【D-3/保育園近く/1日目・午前】

【朝顔 茜】
[状態]:健康
[道具]:???
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.保育園に逃げ込む
2.優夜は何処?
3.あの人(小田巻)のことは今は諦めるけど、また会ったら止めたい
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※能力に自覚を持ちましたが、任意で発動できるかは曖昧です

【日野 珠】
[状態]:錯乱(中)
[道具]:なし
[方針]
基本.思い……だした。
1.みか姉…………。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。

【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.生き延びたい
1.とりあえず保育園にまで付き合う
2.花子を待つ

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、精神疲労(小)、決意
[道具]:スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.保育園で田中さんを待ちながら、もしもの決戦に備える。
2.女王感染者への対応は保留。
3.嶽草君が心配。
4.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。

【D-3とD-4の境/草原/1日目・午前】

【田中 花子】
[状態]:疲労(中)
[道具]:ベレッタM1919(7/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、謎のカードキー
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.保育園にいる海衣たちと合流する。
2.診療所に巣食うナニカを倒す方法を考えるor秘密の入り口を調査、若しくは入り口の場所を知る人間を見つける。
3.研究所の調査、わらしべ長者でIDパスを入手していく
4.謎のカードキーの使用用途を調べる

【D-4/草原/1日目・午前】

【黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.保育園に向かう。
2.ハヤブサⅢのことを知っている正常感染者を探す。役に立たないようなら殺す。
3.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています


184 : catch and kill ◆H3bky6/SCY :2023/06/01(木) 21:37:14 7t06WpSA0
投下終了です


185 : ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:34:44 k.yodTXU0
投下します。


186 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:35:46 k.yodTXU0
きんいろのかみにあおいおめめ。ほうたいでぐるぐるまきだけどおにんぎょうさんみたいにとってもかわいいかお。
手をつないてくれているアニカおねえちゃんはまるでえほんからとびだした「ふしぎのくにのアリス」みたい。
あこがれていたアリスみたいなおんなのこといっしょのおさんぽはうれしいはずなのに、とってもさびしい。

『リンちゃんはもうだれにもしばられるひつようはない、なににこびるひつようもない、あなたはじゆうよ』

そういってだきしめてくれたチャコおねえちゃん。アニカおねえちゃんとおなじきんいろのかみのきれいなおんなのひと。
チャコおねえちゃんのことをかんがえるとドキドキするのに、アニカおねえちゃんにはそんなきもちにならない。
おなじきんいろのかみなのになんで?っておもってあるいていると、むこうがわからでてきたのは、

「やあ、またあえたね。リンちゃん」

うそつきの、ウノおじさん。



「リン、Have a closer look……えいっ」

掛け声と共にハンチング帽が宙に浮き、階段を降りるかのような緩慢な動きでリンの目の前まで移動する。
宙に浮いた帽子はぴょんと飛び跳ね、くるくる回り、ぴょこぴょことステップを踏む。

「ほわぁ、なにこれぇ……」

帽子が踊るという魔法のような不思議な光景。それを前に幼い少女は感嘆の息を漏らす。
しばらく踊り続けると、帽子は動きを止める。そして大きく飛び跳ね、リンの頭に着地する。
驚いて目を丸くしている彼女の頭から帽子を取り、得意げな笑顔を見せるリンと数年ほど年の離れた金髪の少女、天宝寺アニカ。


187 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:36:14 k.yodTXU0
「どう?これが私のPSI『テレキネシス』よ。どう?すごいでしょ?」

数分前、蹄の音を背後にアニカはリンの歩幅に合わせながらはすみ達の待つ袴田邸へと足を進めていた。
その最中でリンに異能やこれまでの経緯について質問を投げかけていたが、彼女の返答は歯切れの悪いものばかり。
何故かと問い詰めるべくリンの方を向く。彼女は今にも泣きだしそうな怯えた表情を浮かべていた。そこでようやく己の失態を悟った。
現在の同行者は自分より年下の、それも小学校低学年と思わしき幼女。彼女から見ればアニカも十分大人である。
そんな大人に強めの口調で責め立てられたら子供はどう思うか。そんなの怖いに決まっている。
大人としての振る舞いを求められ、同い年の子供達には距離を取られつつあるアニカにとってそれは何よりも辛い。
リンから情報をスムーズに得るため、「怖いお姉ちゃん」というイメージを払拭するためにアニカは彼女に異能によるパフォーマンスを見せることにした。
そして、その目論見は―――。

「すごいすごーーい!もういっかい!もういっかいやって、アニカおねえちゃん!」

大成功。たちまちリンの表情は明るくなり、ぴょんぴょんと飛び跳ねてもう一度と帽子のダンスをせがむ。

「OK、いいわよ。それじゃあ、It's show time!」

愛らしい少女のアンコールに答え、アニカは再び異能を使用し、先程よりも激しく華やかにハンチング帽のダンスを披露する。
演目を終え、リンの表情を伺う。自分に向けられた笑顔は純粋に楽しんてくれたという満点の笑顔。
暗雲が立ち込めつつあったリンとの関係が晴れ渡り、アニカは安堵に胸を撫で下ろした。
屈みこんでリンと視線を合わせる。今度は怖がらせないように優しい言葉で、柔らかな笑顔を見せて問いかける。

「リン、私がMagicを使えるようになったみたいに貴女も特別なMagicが使えるようになっている筈よ」

言葉を選びつつ、リンの異能を聞き出そうとするとリンは再び大きく目を開いた。

「マジック?さっきのっててじななの?リンはてじななんてできないよ」
「ええと、これは手品じゃなくて異能……じゃ分かりにくいか。魔法、魔法よ」
「まほう!?リンもアニカおねえちゃんみたいなまほうつかいになりたい!」
「そこからか……」

リンの今までの挙動から推測すると、彼女はそこかしこにゾンビが闊歩しているという異常事態を正確に把握していないようにも思えた。
同行者であった虎尾茶子が現実を認識させないために動いていたとも考えたが、それはすぐさま却下された。
彼女をよく知る存在――自分のパートナーである八柳哉太曰く虎尾茶子は面倒見の良い自立した大人であることを聞かされている。
言葉通りであるのならば子供であろうとも、否子供であるからこそ現実を認識させるために行動すると考えられる。
現に茶子は肩に重傷を負っている。負傷した現場を間近で見たのであれば、自分を含めた知らない人間には強い警戒心を持つ筈だ。
だが、リンは大人たちの言う「いい子」のまま、このVHで生き延びていた。それも異能という自然の摂理に反した力の存在を理解せずに。
クールダウンした今だからこそリンの様子が「正常」であることに違和感を感じることができる。
ショッキングな出来事に遭遇したため、現実逃避をしているとも考えたが、アニカが見る限り、その様子は見当たらない。
リンの境遇、VH発生後からの経緯など数多の疑問が浮かぶ。それを解消するためには状況証拠だけでは足りず。
リンの口から語られる彼女が認識している現実という証言が必要だ。だがその前に―――。

「リン、怖がらせてしまうかもしれないけど落ち着いて聞いてね。今山折村では―――」

自分たちの置かれている状況を怖がらせないように、それでいて危機感を持ってもらうために言葉を選んで説明をした。
途中、リンは顔を強張らせたが、それでも最後まで「いい子」のまま話を最後まで聞いてくれた。


188 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:37:05 k.yodTXU0
「―――これが私達が置かれているSituationよ。Sorry、怖がらせてしまったわね」
「………じゃあ、チャコおねえちゃんは、リンたちはこわい人たちにたべられちゃうの?」
「No problem。心配しなくていいわ。リンにも、おそらくMs.チャコにも私のようなSpecial PowerをGetしていると思うわ。
Special Powerを使えるようになれば怖い人達からきっと身を守れるはずよ。使い方を教えるから私の話をしっかりと聞くてね」



曰く顕現した異能は突然生えた第三の腕。呼吸と同様に無意識で発動するのもあれば最低限の己の意思決定がなければ発動しないものもある。
天宝寺アニカの異能は後者。己の意志決定により神経回路への働きかけというプロセスが最低限必要となる。
リンはどうか。情欲の沼で淀んだ栄養素を吸い上げ、「愛される」動きを自然体で行える幼き姫君にとって顕現した異能はどちらのタイプに分類されるのか。
その異能に気づき、意識的に使えるようになった彼女の選択は―――。



「――――ッ!」

瞬間、アニカの思考と意志を塗りつぶして脳に直接働きかける衝動。目の前で小首を傾げる華奢な少女に感じる強い庇護欲。
自分の命を投げ打ってでもこのか弱い少女を守らなければ。VH解決なぞ無視して、最悪殺人を犯して――――。

「―――はぁッ……!」

探偵としてのプライド。自分にとっての絶対禁忌。それらが異能による思考の浸食を押し留め、「天宝寺アニカ」としての己を取り戻させた。
異能のロジックを理解し、自分の意思を取り戻せれば解除は容易い。何度も己の中で自問自答を繰り返し、庇護の鎖から脱出する。
胸を抑えて荒く呼吸をするアニカの前には心配そうに表情を伺う赤い服の少女、リン。

「ご、ごめんなさい、アニカおねえちゃん!」
「No……problem。ちょっと眩暈がしただけだから心配しないで」

困惑し、駆け寄ろうとするリンの前に片手を突き出して「大丈夫」というサインを出す。一通り呼吸を整えるとアニカはリンに向き合う。

「リン、貴女のPSIは使った人に対して強い愛情を抱かせるPSIだと思うわ」
「リンのことをすきになってくれる……?」
「Yeah。でも気を付けてね。リンのPSIは使い方を間違えると貴女の大切な人を傷つけてしまうものになるから……」
「……うん」

思い当たる節があるのだろうか。アニカの忠告を聞いたリンは元気をなくし、俯いてしまった。
ともかく、これでリンは今の状況が異常であることも、自分の異能についても彼女なりに飲み込めたと思う。
落ち込んでいるリンの手を取り、袴田邸へと足を向ける。しかし、そこでアニカの脳に一つの疑問が浮かぶ。


189 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:37:29 k.yodTXU0
(リンのPSIがBrainwashingの類だとすると、どうしてあの時、Ms.チャコはあっさりと手を離したのかしら?)

あの時の虎尾茶子の様子は焦燥はしていても、異能による影響は受けていないように思えた。
むしろ茶子の手を引いていたリンの方が茶子に依存しているかのようだった。違和感を解消すべく、脳内で映像と音声を巻き戻して再生する。
手を離した時の茶子の安堵の表情。茶子の手を離した時のリンの声色。手をつないでいた時のリンの表現しがたい笑顔。
再生、巻き戻し、ズーム再生、巻き戻し、スロー再生、巻き戻し……。
ほんの僅か、違和感の正体に指を掠めたその時。

「……どうしたの?リン」

目の前の何かから逃れるようにアニカの背後にリンが隠れた。彼女の怯えた様子から危機感を感じた探偵少女は視線を前方に向ける。

「やあ、また会えたね。リンちゃん」

農作業着を着た小太りの男が人の良さそうな笑顔を浮かべて歩いてきた。



「リンさま、しょうとうのおじかんですのでベッドにおはいりください」
「はーい」

きょうのねるまえのおべんきょうはいつもごはんをくれるおねえさん。
おまたをふいたあとにパジャマにきがえて、ちょうきょうしのおじさんにするみたいにありがとうのあいさつをする。

「リンをきもちよくしてくれてありがとうございます!」
「はい、リンさま。どうかよいゆめを」

おねえさんはでんきをけして、しろいいたにまほうのカードをかざしてドアをあける。
きもちいいことをしてくれるのはいいけれど、いつもぶーってしているからリンはきらい。
リンをばっちいものをみるめでいつもみてくるからおねえさんのめはだいっきらい。
だから、おねえさんにいたずらしちゃった。
きづかれないようにちかづいてスカートのポケットからまほうのカードをぬきとった。
とってもつかれているみたいだったから、カードをとられたことにおねえさんはきづいていなかった。
リンはもう7さい。あかずきんちゃんやふしぎのくにのアリスだってリンとおんなじとしでぼうけんしている。
いままでずっといい子にしていたから、いちどくらいならいいよね、パパ。




190 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:37:59 k.yodTXU0
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ほら、子供だけだと今は危ないから一緒に行きましょう、リンちゃん、それと―――」
「天宝寺アニカよ。こんな状況だからこそAdult maleには警戒しているの」
「ああ、君があのアニカちゃんか。僕は宇野和義。山折村で農家をやっているしがない男です。
山折村には観光に来たのかな?安全な場所を知っているから僕と一緒に来て―――」
「No,I'm good。今私達は安全が保障されている場所に行くところなのよ、Mr.ウノ」

にこやかな笑みを湛えて歩み寄る宇野。それに対して一歩後退りながらアニカは対応する。
衣服の裾を掴んで彼から逃れようとするリンの様子からみるに、彼女にとって宇野は強い警戒心を持っているらしい。
改めてアニカは宇野の挙動や視線の動き、声色を確認する。
こちらを安心させるためであろう声色や柔らかな笑みは一見するとこちらを純粋に心配するものと考えてもいいほど穏やかで優しい口調だ。
顎にはガーゼで簡易的な処置が施された裂傷。布に沁みた血の跡から察するに傷を負ってからそこまで時間が立っていないようにも思える。
「農作業中についた」と言い訳が立ちそうな傷だが、下から一直線の傷から見るにその線は薄く、誰かとの諍いがあり、その最中でつけられた傷だと推察できる。
そして自分の背後に隠れているリンに向けられる視線。ねっとりと身体を舐めまわすような不快な視線。
自分が幾度となく晒されてきた視線が、自分より幼い少女に向けられていた。
日常生活であるのならば邪な心を持つ人間は存在しても実行する前に最低限の理性が働き、妄想だけに留めるであろう性癖。
しかし、現在はVHの真っ只中。どうせ長生きできないのならと凶行に及ぶ人間がいてもおかしくはない。
僅かな時間で行った宇野和義の簡易的なプロファイリング。それを以ってアニカは彼を危険人物であると判断した。

「安全とは言ってもねぇ……今の状況じゃ道中で危険人物と鉢合わせするかもしれませんよ。ですからここは男手が必要じゃないんですか?」
「だから土地勘のある貴方が道を案内するってことね。Don't worry。ゾンビの対処法は知っているし、危険人物と鉢合わせても私の異能なら対処できるわ」
「うーん、そっかぁ……それじゃあ僕はどうすればいいのかなぁ……」
「不安なら一緒に私達の拠点まで行きましょうか?」

その言葉に服を掴んでいる手が一層強く握りしめられる。「大丈夫よ」と宇野に聞こえぬような小さな声でリンに語り掛ける。

「それはちょっと厳しいですねぇ…。だって」

宇野の歩幅が大きくなり、アニカ達と距離が狭まっていく。

「それじゃあ」

宇野の右手が背後に回される。

「リンちゃんと」

宇野がアニカ達の数歩前で止まる。
アニカは異能を使用し、背中のショルダーバッグのファスナーを開ける。

「二人っきりに」

宇野の手には手には草刈り鎌。
ショルダーバックから催涙スプレーが転がり、宇野とアニカの間で静止する。

「なれないじゃないですかぁあああああああ!!」


191 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:38:29 k.yodTXU0
頭上に振り上げられる刃。そのまま振り下ろされれば頭はざっくりと割られ、血の雨を降らせるだろう。
しかし、その惨劇は起こることはない。鎌を振り上げられたと同時に催涙スプレーが彼の眼前まで浮遊。そして勢いよくOCガスが噴射された。

「ぎ……あああああああッ!」

鎌を落としてのたうち回る宇野を尻目に、アニカはリンを背負う。

「アニカおねえちゃん!どうするの!?」
「あのDangerous personから逃げるのよ!」

アニカが向かう先は仲間達の待つ袴田邸ではなく、現在場所と目と鼻の先にある高級住宅街。
無理をして袴田邸へと向かい、ひなた達と協力して対処することも考えたが、男の危険性を考えて却下した。
距離的にも自分が追い付かれる可能性が高い上に、あそこには非戦闘要員が多数存在する。
特に男性恐怖症を患っている恵子には気喪杉禿夫とは別ベクトルの危険人物とは会わせたくない。
故に結論は一つ。自分が宇野和義を最低限の安全が保障された場所で再起不能にしたうえで、リンを連れて袴田邸へと帰還する。
勝算については現在の所持品や「テレキネシス」という己の異能から判断すると、宇野の無力化は可能だと考えた。

瓦礫を避けつつ高級住宅街へと数時間ぶりに足を踏み入れる。
アニカの運動神経は同学年の女子の中では上位に位置するものであるが、疲労とリンを背負いながらの疾走によりスタミナが尽きかけている。
対する狩人の宇野は現役農家。体力や足の速さは小学生女児とは比べるべくもない。
いくら催涙スプレーがクリティカルヒットしたとはいえ、調子が戻ればすぐにアニカ達に追いつく筈だ。
住宅地へ入った直後、己の足に代わる移動手段を探すべく辺りを見渡す。

「―――あった!」

とある一軒家の前に落ちている車輪付きの運動用具。

「アニカおねえちゃん、こののりものはなに?」
「スケートボード!現役小学生探偵のSuper Itemよ!」

足でボードを蹴り起こし、リンを背負ったままボードへと足をかけた。片足である程度の加速をつけた後にボードの上に乗り、疾駆する。
途中、瓦礫やコンクリートの亀裂でバランスを崩しそうになるが、持ち前のバランス感覚や異能によるボードの軌道修正により何とか乗り越えた。
高級住宅街の奥へ、奥へと潜り、宇野和義への対処が可能な家を探す。それなりに大きな家を見つけるとパワースライドでボードを静止させた。
「有磯」と表札が掛かっている家のガレージには軽トラック、庭にはシャベルや噴霧機を始めとした農作業具が置かれている。
宇野の武装になりそうなものが多かったが、追いつかれる可能性を考えると贅沢を言っていられる余裕はない。。

ガレージの横にスケートボードを立てかけて、リンを降ろす。心配そうにこちらを見上げるリンを安心させるために笑顔を見せる。
玄関の引き戸を開けようとすると案の定、鍵が掛かっていた。
武力担当の八柳哉太がいれば非常事態ということでドアを蹴り飛ばして住居へと入ることができたが、今この場にいるのは非力な子供二人。
数時間前にスクーターや乗用車のキーなしで動作させたときと同じように、異能を使用して開錠する。

「ここにかくれるの!?」
「No、ここでAmbushするのよ!」




192 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:39:44 k.yodTXU0
おひるごはんをたべているとき、きのうのおねえさんがまっさおになってリンのおへやにはいってきていた。
あかいカーペットをひっくりかえしたり、ベッドのしたをみていたりでおおあわて。
リンのゆすって「カードキーをしりませんか!?」っていってきたけど、しらないっていったらかえるさんみたいなへんなこえをだしてでていった。
とってもいいきみ。リンをばかにするからだ。パパにおうちをおいだされちゃえ。

ピー。ちょうきょうしのおじさんにおやすみなさいをいったあと。つみあげたえほんのうえにのってまほうのカードでドアをあける。
リンがおへやをでるときはいつもパパかちょうきょうしのおじさんといっしょ。きょうはリンひとり。さあ、だいぼうけんにしゅっぱつだ♪
ドアがひらくとでんとうでめがちかちか。リンはとってもわくわく。リンのおうちはどうなっているのかな?
おとをたてないようにぬきあしさしあししのびあし。あかいふくをきているからリンはあかずきんちゃん♪
おおかみさんにみつかったらこわいおしおきがまっている。みつからないようにたんけんだ!
リンのおへやのとなりにはたくさんのおへや。ドアノブはみつからない。
まほうのカードであけようとしてもリンはちっちゃいからしろいいたにとどかない。あきらめてうえのかいをぼうけんしよっと。

とことこ、とことこ。かいだんをのぼると、まどにはおほしさま。おじさんといっしょのおさんぽでみつけたいちばんぼし。
リンがわるいことをしてるってわかるけど、そんなのわすれちゃうくらいきれいなおほしさま。
おほしさまにみとれながらろうかをあるいていると、「んーー!んーー!」ってへんなこえ。
リンのすぐとなりのおへやからきこえてくる。ちょこっとだけドアがひらいている。こっそりすきまをのぞきこんでみる。

そこにはリンがきらいなおねえさん。すっぽんぽんで×(ばってん)にはりつけにされている。
おくちにはリンのおべんきょうによくつかわれているボールギャグ。スポットライトにてらされていて、おねえさんのまわりにはカメラがたくさん。
リンがびっくりしていると、おへやのおくからおとこのひとがいっぱいでてきた。
おとこのひとはスーツのこわいかおのひと、あたまピカピカのひと、おなかでっぷりのおじさん。なかにはちょうきょうしのおじさんもいた。
おねえさんはくびをふってないていた。おとこのひとたちはたのしそうにわらっている。
きらいなはずなのに、おねえさんがかわいそう。おねえさんのまわりにいるおとこのひとたちがこわい。
おとこのひとたちがなにかはなしている。むずかしいことばばっかりでわからない。

ちょっとするとおしゃべりがおわる。それといっしょにおとこのひとたちのなかからひとり、おねえさんのまえにたつ。
おねえさんがなきやんでかおいろがすごくわるくなる。
――――パパ?なんでパパがいるの?なんでわらっているの?なんでナイフをもっているの?



「なん……なのよ……これ……!?」

転倒した家財道具や商品として出荷予定であった野菜や果物が散乱しているフローリングの床。
テーブルの上に置かれた包装された顆粒剤、乾燥茶葉、牛乳瓶に詰められスムージードリンク。それらを前に探偵少女は頭を抱えた。

ゾンビや危険人物がいないかなどの最低限の安全確認を行った後、アニカはリンの手を引いて有磯邸へと侵入した。
そこで宇野を安全かつ確実に行動不能へとするための手段を構築すべくリンと手分けして道具を集めることになった。
距離が取れたとはいえ、地面には靴やローラーの跡が残っており、宇野が自転車などの移動手段を手に入れることを考えると時間はない。
そのことを頭に入れながら有磯邸一階の探索を行っていた矢先に見つけたのが3つのアイテム。
顆粒剤は阿片。乾燥茶葉はマリファナ。毒々しい色彩のスムージーは前述の2つを含む多くのの違法薬物がブレンドされたもの。
「ラリラリドリンク」とラベルが貼られたそれは薬物事件に関わってきたアニカの目から見ても異質。
「山折村にはヤクザがいる」と哉太から聞いてはいたもののここまで大っぴらに薬物の取引がされているとは思ってもいなかった。

(発注書によるとCustomerはMr.アサカゲ、Mr.コロシアイ……不吉な名前ね。それにアサノ雑貨店。村の小売店にも卸されているみたい)

彼らが山折村の住民かつ正常感染者になっていれば危険人物である可能性が高い。
そう考えつつプリントされた発注書の束をペラペラとめくり名前を頭にインプットしていく。


193 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:40:07 k.yodTXU0
(残りは二人……いえ、二ヶ所ね。山折総合診療所近辺と、確かこの住所は山折村のNortheast……Public square裏手の森林地帯のはずだわ)

最後の二枚に記述されている発注先にどこか違和感を感じる。発注量は個人で使う分には多いと感じるが、販売目的でならば浅野雑貨店のようにおかしな部分は見当たらない。
発注先の住所も別段おかしな部分はない。だというのに、この気持ち悪さはなんだ
そもそも「ラリラリドリンク」なる違法薬物の値段がおかしい。違法取引されている薬物の相場と比較して安価すぎる。
疑問がぐるぐる頭の中を駆け巡る。底なし沼の如く思考の深みへと沈んでいく。そして、

「――――ニカおねえちゃん、アニカおねえちゃん」

すぐ傍で聞こえる舌足らずな幼い声。ハッとして声の方へと視線を下げると服を引っ張り不安げな表情を浮かべた幼い同行者の姿。

「アニカおねえちゃん、だいじょうぶ?おかおいたくない?」
「……Sorry、リン。大丈夫よ。ボーッとしてたわ」

頭を撫でてリンを安心させる。そして改めて現状を確認する。
有磯邸にてアニカが集めたものは薬物商品を除くと使えそうなものは泡消火器に殺虫スプレー、バトニング用マチェット。
リンに持たせたエコバッグから二階から集めた物資を出すように促す。

「ごめんなさい、アニカおねえちゃん。つかえそうなもの、あんまりみつからなかった……」

申し訳なさそうに俯いたリンがエコバッグがひっくり返し、集めた物資が床に転がる。
ビニールロープ、農業雑誌、ファッション誌、化粧品の数々、家主のものと思われる女性ものの寝間着など。
リンの自己申告の通り、宇野の撃退にはあまり役に立たないと思われるアイテムが転がる。

「Shake it off。気にしなくていいわ。集めたものをうまく使ってDangerous personを撃退するのは私の仕事だから」

そう。今集めた物資を上手に使うのはアニカの仕事だ。己の異能は自分の近くに物が多ければ多いほど性能を十分に発揮できる異能。
宇野の異能が分からない以上、使用される前に戦闘不能にしなければならない。
二階の探索をリンに指示したのにも理由がある。探索途中に宇野が現れた場合、リンよりも先に自分に注意を向けさせるためだ。

「アニカおねえちゃん、リンにもできることある?」

上目遣いでアニカを見上げるリン。アニカが仕事をしているのに自分は何もしていないということに罪悪感を感じているのだろう。
彼女に異能を使用させて動きを封じるということが一瞬頭を過ぎったが即座に却下した。
護衛対象、それも危険人物のターゲットを危険に晒すなどできるはずもない。
かといって手持ち無沙汰にするのもリンが納得するようには思えない。そこでアニカはマチェットをリンに渡すことにした。

「Trapを作るとき、リンが見つけてくれたビニールロープを使おうと思うの。使う時になったら声をかけるからこれでロープをCutしてくれると助かるわ」
「……うん」

アニカの手助けというにはあまりにも小さな雑務。言外に何もするなといっているようなものだ。
リンは当然納得していないようだが、それ以上できることがないため、渋々といった感じで了承する。

「それじゃあ、早速Trap makingを――――」

じゃり、じゃり……と砂を踏む音が聞こえる。それが少しずつ、少しずつ有磯邸へと近づいてくる
アニカの表情が強張る。リンがアニカの後ろへと隠れる。
二階の階段への距離はそう遠くない。だが自分達が階段を上りきるよりも招かれざる招待客と鉢合わせするの方が先であろう。
足音が止まる。一呼吸置いた後に、ガラリと戸が開く。

「逃げちゃア……ダメじゃないですかぁ……リンちゃん?」




194 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:40:35 k.yodTXU0
からだがうごかない。

「―――――――。―――――――」
「――――――!――――――!」

おねえさんをとりかこんだおじさんたちがわーわーってはしゃいでる。パパはなにかいってるみたい。
パパがなにをいっているのかわからない。わかりたくない。きみつほじ?いはん?ばっそく?いみがわからないよ。
すなっふ?うらビデオ?ひょうほん?おじさんたちのことば。わからないわかりたくないしりたくないしらない。
からだがうごかない。

そうしてパパがナイフでおねえさんのおなかを
あかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかひもあかあかあかあかおにくがこぼれあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあか
ひめいひめいひめいひめいひめいおへやにもどらなきゃあかひめいあかあかあかあかあかあかわらいごえひめいひめいあかうであしあかあか
あかひめいひめいからだがひめいあかひめいあかうごかないあしひめいひめいひめいひめいあかうでひめいあかあかあかあかあかあかひめい
みみをふさいでもひめいひめいひめいひめいひめいひめいきこえてくるあかあかあかあかにげなきゃひめいひめいあかあかあかあかあかあか
あかひめいひめいあかごめんなさいあかひめいひめいひめいひめいひめいあかひめいひめいゆるしてひめいひめいあかあかあかひめいひめい

おねえさんのめが、リンをみた。ボールギャグでふさがれたくちで、リンにいった・

「う  そ  つ  き」

うごけるようになった。はやく、はやくおへやにもどらなきゃ。ぼうけんなんてしなきゃよかった。まほうのカードをとらなきゃよかった。
ドアをカードであけてベットにとびこむ。アリスのおにんぎょうとあかずきんちゃんのおにんぎょうをだきしめてめをつぶる。

『うそつき』『どろぼう』『おまえのせいだ』『なんでわたしがこんなめに』『おなかをさいてやる』『おなかにいしをつめてやる』
『くびをはねておしまい』『むちでたたいてやる』『おまえもまっかにしてやる』『おまえもばらばらにしてやる』『おしおきしてやる』

あたまのなかでおねえさんのこえがきこえる。パパたちのうれしそうなこえがなんどもきこえる。みみをふさいでもきこえてくるこえ。
なんども、なんども、なんども、なんども、なんども―――――――。



ミシリ、ミシリとフローリングを踏む音が一歩一歩と居間へと近づいてくる。同時に聞こえる男の荒い息遣い。
背後には男の獲物である幼い少女。彼女の小さな手がアニカの服をぎゅっと握り締める。
幾度となく対峙した凶悪犯罪者達と酷似したプレッシャー。獣の如き嗅覚にて潜伏先を補足した事実に探偵少女は焦りを感じた。
道具は万全とはいかずとも及第点。しかし宇野の異能が分からず、罠の設置もできていないため準備は不十分。
宇野と相対せずに罠によって意識を落とす算段であったが、その目論見は泡沫と化した。であるならば自身が少女を守護する罠になるほかはない。

「いぃ〜ま、迎えにいきますかぁ〜らねぇ〜」

宇野の間延びした声が家内に響く。声の大きさや歩行速度から、居間までの時間は10秒もないだろう。
異能を使用して消火器を宙に浮かせ、ドアの方へと歩みと共に移動させる。足音はすでにドアの一メートル先まで近づいてきている。
宇野がドアを開けるより先にアニカは異能によりノブを回してドアを開けた。

「はァ〜〜〜い、アニカちゃ〜ん。リンちゃんはどこに―――」

言葉が終わるより先にホースを宇野の顔面へと向けて泡を噴射させる。
しかしそれは先刻の二番煎じ。予測は容易い買ったであろう、宇野は両腕で顔を覆い、泡で視界が封じられることを防いだ。
宇野とアニカの距離は二歩半ほど。右手には鉈。振り下ろしには宇野は一歩の踏み込みが必要であるが、投擲であれば不要。
しかし、アニカのすぐ後ろには宇野の愛すべきアリスドールたる天使、リンの姿。投擲が誤りリンを穿てば悔やんでも悔やみきれない。
一時撤退は愚策。かの有名な天宝寺アニカであれば更なる手段を用いて己の愛を阻むであろう。
自身の異能はどうか?アニカとリンが密着している上、異能の発動には数秒であるが時間が必要だ。その隙に対処されては困る。
既に檻は、確実に対象を束縛するために罠として設置してある。故に結論は一つ。踏み込んで反応する前に踏み込んで少女の頭蓋を叩き割る。
決断するや否や宇野は視界を防いだまま一歩足を踏み込んで―――


195 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:41:03 k.yodTXU0
「うわぁぁッ!」

リンが二階で集めてきた化粧品の一つ、化粧水の瓶を踏んで宇野は前のめりに転んだ。
それでも鉈からは手を離さず、丁度アニカの頭上に来るように刃が振り下ろされる。
鉈が振り下ろされることは既に想定済み。消火器を頭上に移動させて脅威から身を守り、リンの手を引いて後ろへ数歩下がった。
ドスンと宇野の巨体がフローリング上へと倒れ込む。5秒も満たない時間で宇野は起き上がるであろう。
行動するための武器は既にある。探偵少女はバッグからスタンガンを取り出す。
痛みに呻きながら立ち上がろうとする宇野。この距離では自分の腕の長さでスタンガンを充てることは不可能。
しかし、アニカの異能である「テレキネシス」はこの時のために存在する。

「あガ……ガガガガガガガガガガガガッ!」

両手をついた状態の宇野の首に充てられる強力な電圧により白目を向いて痙攣する。身体に浴びせられた泡が通電を促進させる。
アニカのスタンガンはワンオフ品。市販のスタンガンとは頑強さも電圧の出力も比べるべくもない。
電流の流れる時間は数秒程度。しかし、宇野の意識を刈り取るのには十分な時間であった。

「……アニカおねえちゃん。もう、だいじょうぶなの?」

5分にも満たない宇野との対決。本当にこれで終わりなのか、というリンの不安が伝わる。
異能で手に持っていた鉈を遠くへ飛ばした後、アニカは残心をとる。

「……Yeah、Mr.ウノは意識を失っているわ。私達の勝ちよ、リン」

その言葉と共にアニカとリン、両者に安堵の息が零れる。時間、準備、手段。ありとあらゆるものが不足している中での綱渡りの戦闘。
映画のように自分が望んでいたスマートな決着とはいかずともリンという託された少女の護衛ができた。



「……Mission complete。これでMr.ウノはもう動けないはずよ」
「ほんとうに、もうウノおじさんはリンたちをおいかけてこない?」
「……少なくとも私達が仲間に合流するまでの時間は稼げるはずよ」

アニカ達の目下には手と足をビニールテープで拘束されて転がっている危険人物、宇野和義。
ピクリとも動かないが呼吸が確認できていたため、死んではいないようだ。

「それじゃ、Dangerous personが目を覚ます前に家を出ましょう」
「はーい」

殺虫スプレーを始めとした宇野撃退のために回収した物資をバッグに詰め込んでいく。その最中、瓶詰のスムージーを前に手が止まる。

(ラレラレドリンク……こんなものが、平和そうな村で売られていただなんて……)
「どうしたの?」
「……なんでもないわ。行きましょう」

言葉と共にドリンクをバッグにしまい、リンの手を引いて部屋を後にする。村を闊歩するヤクザ。違法薬物の加工商品。その発注先。
過去、テロが起きた研究施設と同様の脳科学の研究を行っている未来人類発展研究所。極めつけは現在進行形で発生している災害。
闇が闇を招きよせ、ピタゴラスイッチのように連鎖反応を引き起こしている。
断言しよう。八柳哉太の故郷は―――山折村はおかしい。培ってきた経験が、探偵としての直感がそう告げる。
ともかく、事態収束のために自分ができることは情報収集と推理だ。一旦袴田邸へと戻り、聞き込み調査をしなければ。
そう考えつつ、玄関から一歩足を踏み出した瞬間。

「―――――――え?」

視界が闇に染まった。


196 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:41:25 k.yodTXU0
ゆらゆらと宙に浮く感覚。異能が使用できず、音も触感もありとあらゆる感覚が黒く塗りつぶされている空間に漂う。
唯一動くのは己の頭脳。状況を理解し、打破するために頭を働かせて解を探し出す。
その答え合わせは数秒も経たないうちに訪れた。

「やあ、アニカちゃん」

天窓のように開いた暗闇に浮かぶ人の良さそうな中年男性の笑顔―――宇野の穏やかな笑み。
声を出そうと喉を絞り上げても出てくるのはヒューヒューとした掠れた呼吸音のみ。
その直後、アニカの身体に降り注ぐ火がついて煙を発する淡紅色の花。煙を吸い込んだ瞬間、アニカは咳き込む。喉が焼け、吐き気を催す。
理由を、花の名を悟り、アニカの心に絶望が広がる。

花の名は夾竹桃。「危険な愛」の意味を持つ山折村の象徴花である。



天宝寺アニカは持ちうる限りの知識と経験を活かし、できうる限りの最善手を尽くしたのであろう。
しかし、蓄積された疲労や異常事態における幼さゆえの焦りが僅かに彼女の持つ判断力を鈍らせた。
故に、宇野和義がなぜ異能をしようとしなかったのかという違和感には目を向けることはなかった。
結果、宇野が短時間で意識を取り戻し、長袖シャツの中に隠し持っていたカッターナイフの刃を発見できず、脱出を許したのであった。

自分から天使を奪った罪は重い。すぐにでも檻の中に入り、アニカの根を止めるために異能により作られた檻へと入ろうとしたが――――。

「――――――ウノおじさん」

天使が、自分を見つめていた。脳に叩きつけられる感情。艶やかな黒髪にぷっくりとした頬。細く、柔らかな手足。
監禁し、愛してきた少女達には感じたことのない暖かな愛情。父性本能か、母性本能か、性欲かも分からぬ感情。
想いが全て目の前の天使に埋め尽くされる。一秒たりとも彼女から目を離したくない。
もう二度とこの娘を奪われぬためにも邪魔者は消してしまわなければならない。
庭に植えてあるのは山折村の象徴花、夾竹桃。殺害手段はすぐに生まれた。

「リンちゃん……もう大丈夫ですよ。邪魔者がいない場所で、二人で最期まで一緒にねェ……」
「さいごまで?」

庇護者を求める幼く愛らしい少女。手に何かを持っているがそんなことは気にならない。
抱きしめると感じる体温。鼻孔をくすぐるミルクの香り。その姿はさながら芸術品。一挙手一投足、全てが愛おしい。
木更津閻魔達と一緒にいた時とは比べ物にならない思いが胸を駆け巡る。これからこの天使を独占する。誰にも邪魔させるものか。

「はい、さいごまで」
「そっか。ウノおじさん、リンをあいしてくれる?」
「もちろん。僕は最後までリンちゃんと一緒にいます」
「リンをまもってくれる?」
「……リンちゃんはもう誰にも怖がる必要はないよ。誰にも媚びる必要もない。君は僕がずっと守ってあげる」
「そう……」

首に回される細腕。幼い吐息が、小さな口が新たな守護者の口元へと近づいていき―――。


197 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:41:40 k.yodTXU0


「う   そ   つ   き」

刹那、吹き出す血しぶき。




198 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:42:06 k.yodTXU0
とことこ、とことこ、もりをあるく。リンはあかずきんちゃん。びょうきのおばあさんにぶどうしゅとチーズをとどけなくちゃ。
いっぱいあるいていくともりをぬけて、きでできたおばあさんのおうちについた。
ドアをあけるとそこにはべっどにねそべったリンのきらいなおねえさん。
おばあさんはどこ?おねえさんにきく。するとおねえさんはすごくこわいかおになった。

『おまえのせいだ』

おねえさんのおなかがぱっくりわれる。なにがなんだかわからない。
こわくなってにげようとしたけれど、ドアのまえにはナイフをもったりょうしさん―――パパがいた。

『おまえはうそつきだ』

こわいかおでパパがいった。パパとおねえさんにはさまれてにげられない。
ベッドのうえにおしたおされて、あかずきんとおようふくをぬがされた。

『うそつきにはおしおきだ』『うそつきおおかみのおなかにはいしをたくさんつめてやる』

じたばたしてもからだがうごかない。やだ……こないで……これからはずっといいこにするからゆるして……やだ……やだ……。

「いやあああああああああああああああああああ!!」

とびおきた。よかった、ゆめだ。きのうのこともきっとゆめ。わるいゆめなんだ。
リンのとなりにはあかずきんちゃんとアリスのおにんぎょう。そしてまくらのそばには―――。

「リン、どうしたんだい、そのカードは?」

びっくりしてとびあがる。びくびくしながらこえのほうをみるとだいすきなパパ。
パパのいうとおり、まくらのそばにはまほうのカード。

「きのうはねるまえにどこにいっていたんだい?しょうじきにいいなさい」
「あ、あのね、パパ。ききたいことがあるんだけど、いつもごはんをだしてくれるおねえさんは―――」
「わたしのしつもんがさきだ。しょうじきにいいなさい」

こわいふんいきでパパがきいてきた。いつものパパとはちがう。なんだがとってもこわい。
しょうじきにいったらどうなるんだろう。きのうおへやをぬけだしておねえさんを―――-。

「――――――ッ!」

ことばが、でない。きのうのはゆめ……じゃない……?

「しょうじきにいいなさい」

おねえさんのめがリンをにらみつける。おじさんたちのわらいごえがなんどもくりかえされる。

「しょうじきにいいなさい」

いつものやさしいパパじゃない。でもしょうじきにいったらどうなるの?

「しょうじきにいいなさい」

うそをついてもパパはとってもあたまがいいからリンのうそなんですぐバレちゃう。

「しょうじきにいいなさい」

だから、リンは「いい子」でいるためにこたえた。

「ごめんなさい、パパ。このカードはおへやにおちていたの。なんだろうってしろいたにくっつけたらドアがひらいちゃった」
「それで、どうしたんだい?」
「すごくびっくりして、おねんねしないでおへやからでたらパパにめってされるっておもったからこわくなっておねんねした」

パパはなにかをかんがえこんでいる。リンのこたえがまちがっていたらどうなるのかわからない。
もし、パパがリンを「わるい子」っていったら……きのうのおねえさんみたいに……。

「――――そうか、リンはいい子だ。しょうじきものでえらいぞ」

リンのこたえにパパはまんぞくしてとってもやさしくわらってくれた。いつものパパにもどってくれた。

「ああ、いつもリンにしょくじをはこんでくれるじょせいだね。かのじょはわるいことをしたからもうこのやしきにはいないよ」

やっぱりっていうきもち。パパにとっていい子じゃないと、リンは―――このおやしきのひとたちはパパにおしおきされる。

「リンがうまれるまえにもね、チャコっていうおんなのこがパパからにげだしたんだ」
「ずっといい子にしていたのににげてしまったからとてもざんねんだったよ」
「うそつきおおかみはわるいこだ。みつけたらパパのこわいおしおきがまっているからしょうじきものでいなさい」

パパはリンがいい子でいたらずっとやさしいパパでいてくれる。
しょうじきのなかのうそも、パパがうれしいってよろこんでくれるのならリンはうそをつく。
だからリンをずっとあいしてね、パパ。


199 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:42:51 k.yodTXU0


パパはうそつきだ。いい子にしてたらやさしいパパのままでいてくれるっていったのにリンをたべようとした。
エンマおにいちゃんもうそつきだ。リンといっしょにいくっていったのに、リンをおいてっちゃった。
ウノおじさんもうそつきだ。エンマおにいちゃんとごうりゅうするっていったのに、リンにわるいことをしようとしてる。
だから―――――。

「うそつきおおかみさんのおなかには、いしをつめなきゃ」

くびをおさえているうそつきにぶつかってひっくりかえす。

「な……んで、どうし……て……ぼくは……リンちゃんを……あいして……まもって……」

リンのちからでリンがだいすきになったウノおじさん。チャコおねえちゃんのいうとおり、ウノおじさんはうそつきおおかみさんだ。
おなかにのっかってナイフをふりおろす。ぶたさんみたいななきごえがきこえる。うるさいなぁ。
えいってちからをこめておなかからおへそまでナイフをひっぱっていく。
ぶーぶーびーびー、とってもうるさい。リンのおようふくとおててがまっかっかになっちゃった。ばっちい。
あとはいしをつめなきゃ。でもいしがみつからないなぁ。しかたない、かわりのものでがまんしよう。

りょうてにちからをいれておなかをひらく。そしてまわりにあるものをうそつきおおかみさんのなかにつめこんでいく。
トマト、キャベツ、くつ、なす、きゅうり、スリッパ……わからないものも、いろんなものもいっぱいつめこむ。

「なにを……やっているのよ……」

おんなのこのこえがする。そのこえはリンにいろんなことをおしえてくれたとってもやさしい、とってもいい子のふしぎのくにのアリス。

「アニカおねえちゃん♪」



目の前の惨劇に言葉を失う。
唐突に宇野和義の異能が解除され、何事かと玄関から這って移動した先には、宇野の腹部にのしかかり、血濡れになっているリンの姿。
宇野和義は既に絶命している。周囲には彼の臓物と思わしき肉塊が散らばっており、地獄絵図と化していた。

アニカは命に係わるほど煙を吸っていたとは思えぬほど中毒症状が軽い。それでも自立歩行が困難な状況ではあるが。
その種は彼女が顔にミイラのように顔に巻き付けていた包帯に合った。
この包帯は犬山はすみが上限まで異能による強化を施し、再生機能を付与させた代物。
口を覆うまで包帯を巻いていたため、夾竹桃の毒煙による中毒症状を軽減させていた。
これがアニカの命が助かった要因の一つ。もう一つ。これこそが最大の要因。

「アニカおねえちゃん♪もどってきてくれてよかった♪」

手にマチェットを持ち、満面の笑みでアニカに駆け寄るリン。彼女が宇野から退いたことによりその惨状が明らかになる。
宇野の鳩尾から臍部にかけての深い裂傷。切り裂かれた腹部には果物や野菜など、手短にあった物体が詰め込まれている。
それはまるで童話「赤ずきん」の婆騙りの狼が猟師に石を詰め込まれたかのよう。

「な……んで……こんな……ことに……」

自分の目の前で殺人が起きてしまった。それも自分より幼い少女が起こした。しかもその殺人がなければ、自分は死んでいた。
天才美少女探偵としてのプライドがガタガタと崩れる音がする。今まで培ってきた正義感が否定されたかのようだ。

「だって、ウノおじさんはうそつきでチャコおねえちゃんとアニカおねえちゃんをじゃまものあつかいしたんだよ?」
「でも……だからって……」


200 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:43:31 k.yodTXU0
アニカの嘆きを他所にリンは聖母のような優しい笑顔を今まで守ってきてくれた心優しいアリスへと向ける。

「アニカおねえちゃん、リンにとくべつなちからをおしえてくれてありがとう。まもってくれてありがとう」

くすり。言葉の端で浮かべる妖艶な微笑。それと共に脳に語り掛ける「リンを愛せ」という信号。
一度解除できれば精神がどれだけ弱っていても解除は容易い。瞬きの間に催眠から抜け出す。

「リンのちから、アニカおねえちゃんにはもうきかないんだ……ざんねん……」

ぶーと頬を膨らませるかつての守るべき少女。彼女はいったい何者なのか。その変貌が恐ろしい。
絶句するアニカを尻目にリンはスカートの裾をつまんで、令嬢のように一礼する。

「ばいばい、アニカおねえちゃん。チャコおねえちゃんのつぎにすきだよ」
「まっ―――――――」

その言葉と最後にリンの姿がだんだんと小さくなっていく。そして残されたのは殺人によって命を拾った正義の探偵。
もしリンに異能を教えていなければ。もしリンにマチェットを渡していなければ。もし―――――。
あらゆるIFが脳裏を駆け巡る。そして行き着く先は惨めな自分。自責の念が己を蝕む。

「リンを……追いかけなくちゃ……」

ふらつく身体に鞭を撃ち、天宝寺アニカは立ち上がる。
急いで追いつかなければ。これ以上あの子が惨劇を引き起こす前に。これ以上あの子が危険な目に合わないように。

【宇野 和義 死亡】

【C-4とC-3の境目/有磯邸/一日目・朝】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(大)、精神的ショック(大)、後悔、夾竹桃による中毒症状(中、回復中)
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、包帯(異能による最大強化)、スケートボード、ラレラレドリンク、ビニールテープ
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.私がもっとしっかりしていれば……。
2.リンを追いかけなくちゃ。
3.Ms.チャコが地下研究施設について何かを知ってるかもしれないわね。
4.何なのよ、この村は……。
4.私のスマホどこ?
[備考]
※他の感染者も異能が目覚めたのではないかと考えています。
※虎尾茶子が地下研究施設について何らかの情報を持っているのではないかと推理しました
※異能により最大強化された包帯によって、中毒症状が治りつつあります。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※浅野雑貨店、山折総合診療所、広場裏の森林地帯に違和感を感じました。


アニカおねえちゃんはとってもいい子だからすき。ふしぎのくにをぼうけんしたアリスみたいでとってもかわいいおんなのこ。
そして、リンをだきしめてくれたとってもきれいでとってもやさしいチャコおねえちゃん。
うそつきおおかみさんからリンをまもってくれたとってもかっこいい、リンのおうじさま。
リンがはじめてだいすきになったおんなのひと。わるいパパからにげてリンをたすけてくれたんだね。
チャコおねえちゃんのことをかんがえるとおむねがキュンってしちゃう。だきしめられたときのことをおもいだすとドキドキしちゃう。
チャコおねえちゃんがどこにいったのかはわからない。チャコおねえちゃんがいないとなきたくなっちゃう。
えほんだとおひめさまはおうじさまとキスをしてしあわせになるんだって。だから――――。

「まっててね、チャコおねえちゃん」

【C-3/高級住宅街/一日目・朝】

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存と庇護欲、血塗れ
[道具]:マチェット、エコバッグ、化粧品多数
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.チャコおねえちゃんをさがしにいく。
2.うそつきおおかみさんなんてだいっきらい。
3.だいすきだよ、チャコおねえちゃん。
4.リンのじゃまをしないでね、アニカおねえちゃん。
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。


201 : 愛しの■■へ ◆drDspUGTV6 :2023/06/11(日) 22:44:22 k.yodTXU0
投下終了です。


202 : ◆H3bky6/SCY :2023/06/12(月) 20:37:29 9HGr2WmA0
投下乙です

>愛しの■■へ
リンちゃんがついに殺っちまったぜ! 宇野さん関してはまぁ自業自得
幼女を付け狙う宇野さんのサイコっぷりも怖かったけど、リンちゃんがもっとこわい……純粋さと罪悪感のなさという子供らしさを兼ね備えたモンスター
アニカも宇野さん相手に罠と異能を生かして頑張ったけど、守護っている少女がより恐ろしいモンスターだったんだからご愁傷様すぎる
VH関係なくスナッフビデオは撮られてるわ薬物まで出回っているとか、次々と明かされる山折村の腐敗っぷりにもいい加減慣れてきた
リンちゃんもこのVHで壊れてしまったのではなく、この村によって既に壊されていた村の被害者だよねぇ、山折滅ぶべし


203 : ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 20:41:05 kZZk13DM0
投下します


204 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 20:43:31 kZZk13DM0
「躾の時間だ、野生児…………!」

言って、特殊部隊の狙撃手、成田三樹康はホームセンターの屋上を睨み付けた。
彼の視線の先には成田を屋上から駐車場まで叩き落としてくれた野生児がいる。

落下の際に打ち付けた背の痛みは動けなくなるほどではないが、全く気にならないともいかない。
機動力は3割減と言ったところか。もっとも余り動き回るようなスタイルではないのでさほど支障はないが。

屋上のクマカイは成田を蹴落としたことに満足してそのまま去っていく可能性もある。
だが、奴が狩人ならば、仕留め損ねた獲物を放っておくはずがない。
とどめを刺すべく降りてくるはずだ。

このまま成田もホームセンターに突入すれば中でかち合う事になるだろう。
射撃戦なら障害物の多い室内戦は悪い選択ではない。
撃ち合いであれば大抵の相手であれば成田が勝つ。

だが、敵は徒手空拳。
こちらの銃撃を掻い潜って近接を狙ってくるだろう。
死角や遮蔽物の多い室内戦が有利に働くのは相手の方だ。

狙撃手にとって有利な地形は射線が通り、身を隠す遮蔽物がある地形。
すなわちこの駐車場である。

こんな小さな村で必要なのか? と思うほど広大な駐車スペースが広がっていた。
「ワシントン」の看板を確認する。ホームセンターの営業時間は〜22:00。
地震発生が深夜であったためか駐車場に停められている車は少なく、翌日の商品補充のためか運搬用トラックが止まっている。
落下した成田のクッションとなった車は駆け込みの客が駐車したものだろう。

成田は自分が潰してしまった車から離れ、隣に駐車されていた車へと移る。
装備を狙撃銃からハンドガンに持ち替え、特殊部隊の狙撃手はボンネット越しに銃口を構えた。
出てきた瞬間に頭を打ち抜くつもりで、照準はホームセンターの正面入口に合わせて野生児を待ち受ける。

だが、その想定は甘い。
あのクマカイが、素直に正面入り口から出てくるはずもない。

成田を蹴り落した際に壊れたフェンスから、クマカイが飛びだした。
頭から真っ逆さまに墜ちるように、ホームセンターの屋上から落下する。
殆ど飛び降り自殺だ。怖いもの知らずにもほどがある。

だが、クマカイにとってビルの側面を降りることなど階段を歩くも同じことだ。
ホームセンターの僅かな凹凸に手足を引っ掛け、四つ足のままで駆け降りてゆく。

「階段使えよ、野生児!」

H&K SFP9からレミントンM700に持ち替え直し、落下するように落ちてくるクマカイを狙撃する。
それを読んでいたかのようにクマカイは壁際に触れていた手を離して、下に向かって壁を蹴った。
地面に向かって加速する。その急激な速度変化を追いきれず弾丸は壁に銃痕を付けるに留まった

飛び降りても受け身のとれる高さであると判断したのだろう。
それでも2階ほどの高さはあるが、この野生児にとってはその程度苦でもない。
クマカイは駐車場のコンクリート地面にネコ科動物ようにしなやかに着地した。

その着地を狙って成田が再び持ち替えたハンドガンで銃撃を行う。
だがクマカイはいち早くその場を飛び退き、近場に駐車されていた運搬用のトラックの影に隠れた。

着地狩りを読んでいた、と言うより勘がいい。
人間ではなく野生の獣を相手にしているようだ。

成田は拳銃を構えたまま照準越しに敵の隠れるトラックを睨み付ける。
無理に回り込んだりせず、次の動きがあった瞬間に蜂の巣にするつもりで敵の出方を窺う。
機を待つことに関してスナイパーに勝るモノなどいない。
相手が焦れて飛び出した瞬間が終わりである。

その予測を裏切らず、堪え性のない野生児が動いた。
トラックの荷台からクマカイが勢いよく飛び出す。
狙いすましたように撃ち込まれた弾丸が、標的に直撃した。

だが、その弾丸は金属音に弾かれる。
飛び出したクマカイの手には、搬入トラックにあったであろう金属製のドアが握られていた。
全身を覆い隠すようなそれを盾にしながら一直線に強引な突撃をしてくる。

その足を止めるべく、数発弾丸を撃ち込んだがハンドガンでは金属扉を撃ち抜けない。
成田はすぐさまハンドガンを収め、扉ごとぶち抜ける狙撃銃に持ち替えるが、クマカイの方が一手早い。
距離を詰めたクマカイは盾にしていた扉をそのまま成田に向かって投げ付けた。

狙撃手は構えを取ったまま身を屈め、潜り抜けるようにして投げつけられた金属扉を避ける。
だが、その後ろに追従するように距離を詰めていたクマカイがいた。
素手の距離へと間合いが詰まる。


205 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 20:45:31 kZZk13DM0
「シャ―――――ッ!!」

クマカイが凶爪を振り抜く。
狙いはマスク。爪先でも掠めれば、どこかに引っ掛けて跳ね飛ばせる。
振り上げるようにして特殊部隊の弱点を攻撃した。

「ッッ!?」

だが、その一撃は間に差し込まれた腕によって防がる。
成田は遠くから眺めていた乃木平との闘いから、そう来ることを読んでいた。
半端な刃物よりも切れ味が鋭いクマカイの爪も防刃効果のある防護服を切り裂くには至らない。
彼女の野生は科学の粋には届かなかった。

戸惑うクマカイを成田は前蹴りで引き剥がすと、バランスを崩した相手に向けて手にしていた狙撃銃を構える。
この間合い、バランスを崩した状態であっては如何に超人的な身体能力を持つクマカイとは言え避けられない。
引き金に指をかけ、とどめを刺そうとした。瞬間。
成田の持つ狙撃銃がバトントワリングのようにクルリと銃身を回転させた。

「「!?」」

困惑は双方から。
クマカイを狙っていた銃口が成田の顔面に向けられる。
戸惑いの暇もなく狙撃銃の引き金が引かれ、朝の駐車場に銃声が鳴り響いた。

「ッ…………!」

だが、成田は自らに向かって弾丸が放たれる直前で銃口を払いのけ、ぎりぎりで回避に成功する。
放たれた弾丸は防護マスクを逸れ明後日の方向へと飛んで行った。
取り回しの悪い狙撃銃だったからこそ避けられたが、
小回りの利く拳銃だったら避けようがなかっただろう。

目の前で引き起こされた光景にクマカイも呆気に取られていた。
己が狩られると覚悟した瞬間、突然の前の相手が狙撃銃で自殺を始めたと思いきや自らそれを防いだ。
傍から見れば訳の分からない行動である。
当然だ、なにせ成田自身ですらわかっていない。

これが異能による攻撃であるのは明らかだった。
だが、クマカイの異能は食人によるコピー能力。
このような現象を起こせるはずがない。

ならば、答えは一つ。別の異能者がいる。
それを瞬時に理解した狙撃手の視線が駐車場を這い、その姿を認めた。

黒の祭服が風に揺れる。
まるでこの世ならざる枯れた幽鬼。
駐車場の入り口にその男は立っていた。

「―――――物部天国」

成田がその名を呼ぶ。
国際指名手配された日本の破壊を謳うテロリスト。

直接SSOGに任務が下った訳ではないので詳細な情報までは降りてきていないが。
天国が率いるテロ組織に最近怪しい動きがあるという程度の話は公安筋から耳に入っていた。
それがまさかこのような場所に居ようとは、思いもしなかった。

「…………国ぉ家のぉ……狗めぇが…………ぁッ!」

地獄の底より響く呪詛のようなしゃがれた声。
狂気を汚濁で煮詰めたような酷く澱んだ眼が特殊部隊を見つめる。
そこに込められた侮蔑と憎悪はそれだけで人を殺せるほどの圧があった。

その姿を認めた天国の脳が疼く。
脳の根本に残留する弾丸が発火するように熱を帯びる。

忘れもしない。
壊れた脳裏に焼き付いて離れない。
マスクの下より覗く、切れ長で爬虫類のような冷たい目。

嘗て公安によって行われたテロ組織掃討作戦。
混乱に乗じて逃げ延びた組織の首領。
それが物部天国であり、そのネズミ狩りに駆り出されたのがSSOGである。

隠れ家である下水道を逃げ回っていた天国を追いつめ、その頭を打ち抜いた狙撃手こそ、成田その人だ。
下水に流され糞尿と汚物に塗れたその恥辱と痛みと恨みを、天国は決して忘れはしない。
そして成田にとっても仕留めそこなった獲物だ。狙撃手として目の前の相手の生存は恥辱である。


206 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 20:48:36 kZZk13DM0
天国が指の欠けた手で、銃口を向けるように自らを撃ち殺した狙撃手を指差す。
しわがれた喉から、最もありふれた呪いの言葉が吐き出される。


「――――――――死ね」


その言葉に呼応するように成田の手が動いた。
ボルトアクションによって薬莢を排出すると、コッキングを行い次弾を装填。
再び銃口を自らに突きつけ自殺の様に引き金を引く。

だが成田は身を仰け反らせ、あっさりとそれを避ける。
そもそも狙撃銃での自殺など、やろうと思ったところでそう簡単にできる事ではない。
長い銃口を固定するのは困難であり、引き金は手から遠くそれを引くのも無理な体制となる。
そのような不安定な狙撃など避けるだけなら大して難しい話ではない。もちろん特殊部隊基準の話だが。

だが、疑問は残る。
これはどういう異能だ?
自殺願望を植え付ける異能?

成田は脳内に愛する妻と可愛い娘の顔を思い浮かべ自らの精神状況をセルフチェックする。
今度の休日には娘が初めての手料理を披露してくれる約束だ。待ち遠しくて仕方ない。
成田の心は愛と希望、生きる気力に満ち満ちている。精神状況は正常だ。
この自殺行為は精神から来るものではない。

ならば異常は成田ではなく狙撃銃に起きているのか?
狙撃銃自体が暴走しているとするのならば対処は簡単だ。今すぐに狙撃銃を捨ててしまえばいい。
引き金を引くものが居なければ弾丸が打ち出されることはないのだから。

だが、成田はそうしなかった。
狙撃銃から狙われ続ける現状維持を良しとした。

何故なら、そうであると言う確証がない。
現状が対処不可能な危機的状況であるのなら博打を打つのも一つの策だが
そうでないのなら状況が悪化する可能性のある行動をとる必要はない。

そして、結果から言えばその選択は正解だった。
物部天国の異能。
それは自らの持つ武器が自らを襲う、自業自得の罰を与える自滅の呪い。
最も強い武器が己を殺す呪いの対象となる。

スナイパーにとって最も強力な武器は狙撃銃に他ならない。
だからと言って仮に狙撃銃を捨てていたのなら次に選ばれるのは小回りの利くハンドガンになっていただろう。
そうなれば呪いによる拳銃自殺は回避不可能となっていただろう。

成田は自らを狙う狙撃銃を持ち続ける決断を下した。
それはつまり片腕を封じられた状態でクマカイと天国の相手をするという事だ。
自らを殺そうとする自分の片手と合わせて、実質3対1。

だが、何の問題もない。
この程度の窮地、乗り越えられずして何が秘密特殊部隊か。

「…………死ね――――死ね、死ねぇッ!!!」

特殊部隊の狙撃手に向けテロリストから散弾の様に呪いの言葉が投げつけられた。
その言葉に従い、自らを殺すべく成田が狙撃銃に次弾の装填を始める。
同時に、テロリストの逆方向から地を這うような四つ足の野生児が襲い掛かった。

最悪の挟撃。
だが、成田は慌てることなく、その全てに対応した。

熟練した狙撃手である成田はボルトアクションを片腕で行う事が出来る。
その特技を生かし、狙撃銃をあえて利き腕とは逆の左手で持つ。
両手を塞ぐことなく呪いを左手に集約させ、フリーな右手にハンドガンを持った。

そして成田は自らの指差の動きに集中し、狙撃のタイミングを検知。
それに合わせてハンドガンの底でトンと狙撃銃の銃口を叩いて狙いを逸らすと、そのまま右手のハンドガンを滑らせ迫りくるクマカイの足元を撃つ。
クマカイは足を止め飛び退き、車の影に隠れた。
次いで身を反転させ天国を狙うが、既にクマカイと同じく車の影に隠れたようだ。

この状況で圧されているのは、むしろクマカイと天国の方だ。
成田を取り囲みながら近づくこともできず、駐車されている車の影に隠れて様子を窺う事しかできなかった。

当然、そのような状況を良しとするクマカイではない。
狼の様に機敏な動きで駐車されている車の影を伝っていくと、成田の後ろへ回り込んだ。

そして成田が振り返るよりも早く、その背後へと襲い掛かる。
成田はそれを振り返るでもなく、仰け反るようにして僅かに首を傾けた。

「ぉぐ…………ッ!?」

するとそこから飛び出した弾丸がクマカイの脇腹を掠めた。
狙撃銃の威力は掠めるだけでも肉を抉る。
飛び掛かろうとしたクマカイが腹部を抑えながら後方に飛びのいた。


207 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 20:52:10 kZZk13DM0
狙撃銃による呪い。
成田にもこの異能の特性が分かってきた。

狙撃銃による呪いは常に必殺を狙い頭部を撃ち抜こうとして来る。
天国の意思を具現化したような大した殺意だが、撃ちやすい手足ではなく無理な体制でも頭部を狙い続けるのは余りにも単調だ。

駆け引きもなく、ただ頭を狙ってくるだけ。
そう分かっていれば避けることはそう難しい事ではない。
それどころか自らの頭部を狙う弾丸の射線上に敵を置き、呪いを利用して避けた弾丸で狙い撃つ。
このような曲芸も狙う事が出来る。

続けて、成田は仰け反った体制のままハンドガンの照準を合わせる。
狙うのは天国。車の影から飛び出した頭部目がけて引き金を引く。
放たれた弾丸はかつての再現の様に脳天目がけて吸い込まれて行った。

弾丸が直撃し、衝撃にたたらを踏み天国が仰け反る。
ヘッドショットが決まり、完全に仕留めた。かと思いきや、天国がすぐさま跳ね起きた。

自らの頭部を狙った弾丸を、天国はその手で受け止めていた。
無論、素手と言う訳ではない。
その手には何か粘土のような塊が握られており、それで弾丸を受け止めたようだ。
それが何であるかを認識した成田の背筋が凍る。

そして天国は手にしていた粘土に小さなパイプを刺すとそのまま目の前へと放り投げた。
成田はすぐさま身を翻し、飛び込むようにして近場の車の陰に逃げ込んだ。
それが何であるか分からぬクマカイは一瞬反応を遅らせたが、成田の慌てた様子と危機を知らせる野生の勘に従い、僅かに遅れながらトラックの影へと飛び込む。
それとほぼ同時だった、突き刺されたパイプが地面に触れたのは。

瞬間、駐車場に爆風が吹き荒れ、轟音が響き渡った。

凄まじい爆発が巻き起こる。
炎と破片が空に舞い上がり、盾となった車越しに衝撃が伝わる。

C-4爆弾。
軍事や民間で広く使用されているプラスチック爆薬で構成されている非常に強力な爆発物だ。
粘土の様な可塑性があり、その爆発力から爆破工作や建物破壊などの様々な軍事作戦に使用されている。

C-4の特徴として衝撃や熱に対して高い耐性を持っている安定性が上げられる。
そのため弾丸を打ち込んでも誤爆することはあまりない。
だとしても、爆弾で弾丸を受け止めるなど正気の沙汰ではない。

狂人。
そう称するに相応しい狂い果てた男。
それが物部天国だ。

爆破により破損し盾としての役割を果たせなくなった車の残骸から成田が離れる。
そして周囲に駐車されている車から離れ、周囲に駐車された車のない中央へと移動した。

敵が爆薬を持っているという事実は戦況を変える。
何故なら、駐車場の車に既にC-4が仕掛けられている可能性があるからだ。

天国がどこをどう動きどの車に触れてきたのか。
活発なクマカイの動きに気を取られ、天国の動きまでは完全には追いきれていない。

爆弾がどこに仕掛けられているかもわからない。
そもそも仕掛けられていないかもしれない。
だが、仕掛けられている可能性がある以上、下手に近づくことができない。

爆破の盾として逃げ込んだ先が爆破されるなんてことは戦場ではよくある事だ。
成田が優秀な特殊部隊員であるからこそ、その可能性を無視できない。

車に近づけないという事は、今C-4爆弾を投げ込まれたら車を遮蔽物として隠れることができないと言う事だ。
あまりにも危うい危機的状況に置かれていた。

だが、この危機的状況よりも気にかかる事が成田にはあった。
物部天国が爆弾を持っていたと言う事実。
そこがどうにも引っかかった。

交通機関や建造物の爆破はテロの常套手段。
爆弾はテロリストが持つに相応しい武器だろう。
そこに疑問はない。

成田が引っ掛かっているのは別の所だ。

物部天国。
日本転覆を目論むテロ組織の首領。
公安がマークするテロルのカリスマ。

そんな男が何故こんな辺鄙な村にいるのか。
いくら物部天国が狂人であろうとも何の目的もなしにC-4を持ち歩くわけがない。
ならば、なんの目的でここに居て、この爆弾で何を爆破するつもりだったのか?

それとも――――既に何かを爆破した後なのか?




208 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 20:55:14 kZZk13DM0
山折村に秘密裏に作られた地下研究所。
日の届かぬ灰被りなその資料室に似つかわしくない美しい一人の巫女がいた。
彼女こそ、この村を救う事を使命とした女王、神楽春姫である。

巫女は重厚な書棚に囲まれた空間で、優雅に本を手に取り、そのページをめくっていく。
書物のページをめくる音はまるで知識のささやきのようだ。
彼女の指先は繊細に、そして確かに書かれた言葉を辿っていく。
黒曜石のような目を滑らせ黙々と知識の海に向き合っていた。

と言うのは嘘である。
春姫は仮眠室のベッドでゴロゴロと寝ころんでいた。
怠惰な休日さながらの様子で、漫画でも読むように資料室から適当に持ち込んだ資料に目を通していた。
ちなみに元から仮眠室にいたゾンビたちは彼女の神気に中てられて部屋の片隅で大人しくしている。

しばらくそうしていたが、読んでいた資料を閉じると枕元に積んでいた山の上に置く。
ひとまず何冊か資料に目を通したが、結局爆薬の作り方など分からなかった。
無駄に細菌と脳科学について詳しくなっただけである。

資料室には世界各国多様な専門書があったが無秩序に集められたと言う訳ではない
この研究所で行われているのは兵器開発ではなく細菌研究だ。
細菌兵器である可能性もあるが、どちらにせよ爆薬とは縁遠い。
爆薬の作り方が書かれているような資料は用意されていなかった。

こうなってくると下層に突入するには正規のカードキーを探し当てるという正攻法しかない。
だがそんなモノどこで手に入れればいいのか。
ここにいるゾンビは下級職員ばかりなのか持っていそうな気配はない。
このままでは手詰まりだ。

どうしたものかと、うーんとあくびをするように両手を伸ばして寝返りを打つと、その拍子に壁際に立てかけていた宝剣が倒れた。
ガンと、倒れた宝剣がフローリングに打ち付けられ、僅かなへこみが出来る。
それを見て、ふむ。と頷いた。

そして何を思ったのか春姫はベッドから飛び起き仮眠室を出ると、真っ直ぐに研究所の最奥へと向かう。
その扉を開くと、ひんやりとした空気の漂い、打ちっぱなしのコンクリートが春姫を出迎えた。
別のフロアに繋がる階段の踊り場である。

そのまま彼女は地上に戻るのではなく、地下向かって階段を下って行った。
定石を守らぬ女。段階を踏むなどと言う発想がそもそもない。
B2の踊り場を通過し、そのまま最下層のB3へ。

最下層であるB3の扉の前に立つ。
そこにはキー認証と番号入力のみならず、上層では見られなかった新たな装置が加わっていた。
どうやら網膜による生体認証のようだ。より厳重な管理体制が敷かれていることかから中の設備の重要度が伺える。

だが、ここに来たところでどうすると言うのか。
当然鍵など無く入る手段などない。
入力する番号とて同じとは限らない以上、その何一つとしてクリアできていない。
これに対して春姫の示した答えは、これだ。

「っ………………せぃッ!!」

掛け声とともに、扉に向かって振り上げた宝剣をガンガンと打ち付け始めた。
剣術の達人の様に華麗に斬鉄とはいかずとも鈍器のように叩き付けることはできる。
春姫自身、宝剣を儀式用の飾り剣だと思っていたが、思いのほか頑丈であることが分かった。
故に、このような強硬手段に出た。

だが、相手はただの扉ではない。
秘密裏に行われていた地下研究所の秘密を守護する扉である。
その材質は銀行の金庫扉にも使われているような合金が使用されている。
ドリルや溶断機を使おうともそう簡単に破壊できるものではない。
そんな扉を刃物で破壊しようなどと、本来であれば徒労に終わる浅知恵にしかならない発想のはずだったのだが。

ガキンという音。
何度か打ち付けたところで、削れて開いた隙間に刃先が入った
全てを破壊する必要はない、どんなカギだろうと閂になっている所を壊してしまえば開くものである。
入った隙間を軸にテコの原理で宝剣に全体重を乗せたり柄頭を蹴りつけたりして損傷を広げていく。

本来であればこれはありえない事だ。
だが、今のこの宝剣は、異世界を救った聖剣の力を宿していた。
切れ味と頑丈さは伝説級のそれである。

その力を利用して削り、抉じ開け、扉を開く。
伝説の剣を草刈り機やピッケルにするがごとき所業だ。
異世界の人間が見れば卒倒するような聖剣に対する扱いである。

「…………………よしっ!」

一仕事終えた春姫が額の汗をぬぐう。
最奥の秘密を守護る扉は錠の部分がボコボコに破壊されていた。
役目を果たす事も出来なくなった扉がゆっくりと開かれる。

研究所の最奥。
過程も定石も常識も完全に無視した女によって、一連の騒動に纏わる深淵への扉はこうして開かれた。

春姫が壊れた扉を押し開く。
その扉を開き、そこに広がっていた光景を目にした瞬間。
春姫が目を見開き動きを止めた。


209 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 20:57:13 kZZk13DM0

――――――死体だ。

そこには大量の死体が転がっていた。

地獄と化した山折村において、死体などもはや珍しくもない。
だが、目の前で広がっている光景は、それにおいても異様だった。
死体たちは死に際する恐怖と絶望、あるいは歓喜に顔を歪ませていた。

ウイルスとゾンビが溢れる地上とはまた違う地獄が広がる地下。
誰もが侵入を躊躇うような空間に彼女は恐るべき蛮勇で踏み出してゆく。

春姫は不愉快そうに眉を歪めながらも周囲を観察する。
死体はその大半が銃によって死亡しているようだ。
そしてその服装から3つの所属に分かれているのが見て取れた。

一つは、白衣を着た死体。
研究所の研究員だろう。この場に居て当然の存在である。
彼らは逃げようとした所を撃たれたのか、その大半が背を撃たれており、白衣を赤に染めていた。

もう一つは、B1の監視室にいたゾンビたちと同じ服装をした死体。
この研究所を守護る警備員だろう。
彼らは研究員たちを守ろうとして襲ってきた何者かと争い、職務を果たし殉職したようだ。

そして最後の一つ。
それはここまでで見たこともない神父のような祭服を纏った男たちだった。
彼らの死体にはどこか狂気じみた笑みが張り付いており、信仰に殉じた殉教者のように見える。

いや違う。
この服装。春姫は見たことがある。
それはこの研究所の中ではなく、この研究所にたどり着くまでの道中だ。
春姫に不敬を働いた気狂い。奴の服装に似ているのだ。

状況を鑑みるに、この祭服連中が研究所に攻め入ったのだろう。
警備員たちと銃撃戦になって相打ちになったと言ったところだろうか。
だとしても全員が綺麗に全滅したとは考えづらい。
生き残り最後にとどめを刺した人間いるはずだ。それがあの気狂いなのだろうか?

ひとまず中に踏み込んだ春姫は、まず近場に転がっている研究員の死体に触れた。
死体は冷たく、体温は既に失われている。
人間と言うより冷凍から解凍された直後の肉の塊に触れたようだ。

それ以上に印象的なのはその硬さだ。
死後硬直と言うヤツだろう。関節が固定されたように動かなくなっている。

確か死後硬直は10時間前後がピークであり、ピークを過ぎると硬直は和らぐと聞く。
腹の具合からして、現在時刻はもうすぐ8時になろうという頃合いだろう。
地震発生は確か昨日の22時前だったと記憶している。

となると死亡推定時刻から考えるに彼らが殺し合ったのは地震発生の前後の事だろう。
だが、それは少しおかしい。
この事件はバイオハザードを機にして起きたのではなかったのか?
それより前に殺し合いが行われたのはどういうことなのか?

様々な疑問を抱えながらも春姫は一旦死体から離れる。
そして死体の転がる地獄のような廊下を進んでゆく。

『脳神経手術室』『新薬開発室』『感染実験室』『動物実験室』

B1と違って防護服もなしに突入するのは躊躇われるような物騒な名前が立ち並んでいた。
春姫は根拠のない自信で突き進む女ではあるが、危険とわかっている場所には踏み込む阿呆ではない。

防護服を死体から剥ぎ取ってもいいのだが、銃撃で穴が開いていては使い物になるまい。
何より、洗濯もしてない他人の着古しなど春姫が着るわけがなかった。
そうして、廊下を進んでいくと『細菌保管室』と書かれたプレートの前にまで辿り着いた。

細菌保管室の壁には大きな穴が開いていた。
ウィルスはここから漏れ出したのだろう。
ここがバイオハザードの発生地点。全ての始まり。グランドゼロ。

その穴が地震によって崩れモノではないのは春姫の目にもすぐに見て取れた。
何故なら、穴の周囲は黒く煤焦げた跡が残っており、この壁が爆破によって破壊されたのは明白だったからだ。
状況から見れば祭服の男たちの仕業だろう。

祭服の男たちは何者だったのか。
何のためにこんな事をしたのか。
分からない事だらけだが。
分かった事実が一つ。

このバイオハザードは、地震によって引きこされた天災ではない。

人為的に引き起こされた人災である。

【E-1/地下研究所・B3 細菌保管室前/1日目・午前】

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
※自身が女王感染者であると確信しています


210 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 21:02:08 kZZk13DM0


「まさか――――――お前が元凶か? 物部天国」

成田は、その結論を得た。

この村で天国のテロの対象になりうるとしたら、それは研究所以外にないだろう。
日本の国家転覆を狙う天国の目的と研究所の破壊がどう繋がるのかまでは分からないが。
もし、すでにそのテロ行為が完了しているとしたら。
そのテロ行為によって研究所のウイルスが漏れ出したのだとしたら。

この地獄は物部天国の作り上げた地獄と言う事になる。

SSOGの任務はあくまで事後処理。
原因究明は二の次ではあるのだが。
目の前に元凶がいるとなると流石に話も変わってくる。
それが自分の仕留めそこなった男であるというならなおさらだ。

「お前はここで死ぬべきだな、物部―――――!!」
「――――――ぉ前が、死ねぇ!」

言って、天国の手からC-4が投げ込まれた。
爆弾の有無を理解している天国と、脅威が潜んでいる可能性すら理解していないクマカイは車のバリケードに隠れている。
このまま爆発すれば、遮蔽物もなく身を晒している成田一人が死ぬことになるだろう。

だが瞬間。呪いによる狙撃銃による自殺と交錯するように成田のハンドガンが火を噴いた。
まるで二つの体があるように自殺を避けながら標的を撃つ。
0.2秒の早打ちが放り投げられたC-4へと直撃する。

だが、C-4は弾丸を打ち込んだところで起爆するようなことはまずありえない。
多少の軌道が逸れた所で無防備な成田が被害を受けるのは変わらぬ事実だ。

当然、そんなことは成田も理解している。
だから、狙ったのはC-4そのものではない。
そこに差し込まれた小指ほど小さなパイプ、すなわち雷管である。

「ぐぉおおおおおおおおおおおおッ!!」

雷管が弾け、C-4爆弾が爆発する。
成田は咄嗟に地面に落ちていたクマカイが投げつけた鉄扉を拾い上げた。
直撃を防げるほどの強度はないが、遠目の爆発であればこれで十分防げる。

天国も車をバリケードとしていたが、投擲の直後の近接による爆発では熱と衝撃を完全に防ぐことなどできない。
炎と熱が天国の身を焼き、その動きが僅かに止まる。
爆風の中、成田も小さな盾を構えるのに必死で動くことはできない。

故に、そこで動けたのはクマカイだけだった。
無知故の怖いもの知らず。
野生故の勝機を逃さぬ嗅覚。
車の影を伝うように獣がごとき速度で駆け抜ける。

その向かう先にいるは成田ではなく――――天国。

これは元より包囲網ではなく三つ巴。
始めから味方などおらず、ここにいるのは全員が敵だ。

クマカイがこれまで天国を狙わなかったのはこの場でもっとも強いオスが成田だったからだ。
それを狩るために天国を利用していたが元より協力関係ではない、ただの利害関係だ。
だが、先の爆発に巻き込まれかけたクマカイは天国を脅威として認識した。
故に隙を見せれば狩るのみ。

駆け抜ける勢いを乗せた飛び蹴りが天国の胸部に叩き込まれた。
メキメキと樹木がヘシ折れるような乾いた音が響く。

「ごふぅ…………ぉ前ぇはぁ――――」

水気を含んだしゃがれ声。
塊のような血を吐きながら、胸部に突き刺さったクマカイの足を天国が掴んだ。
やせ細った非力な男の拘束などクマカイの力であればすぐさま振りほどける。

だが、それよりも早く、枯れた枝木の様な指でクマカイを差した。
日本人を呪うテロリストが潰れた喉で声を放つ。

「――――――違ぅなぁ」

指さしていた手を伸ばし、指の欠けた痩せた手のひらがクマカイの頭を優しく撫でた。
あまりに予想外のその行動にクマカイもあっけにとられて動きを止める。


211 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 21:06:00 kZZk13DM0
物部天国は狂人である。
だが、いや。だからこそ殴られたから殴り返すなどと言う程度の低い次元で生きていない。

憎悪で身を焼かれ続けながら。
恨みで脳を焦がし続けながら。
それでも忘れぬ信念がある。

全ての日本人を滅ぼす。
嶽草優夜に擬態した黄緑の髪に騙されたという訳ではない。
彼の唱える日本人とは血筋の話ではない。
飼いならされた精神の話だ。

誰にも侵されていない。
誰にも飼いならされていない。
その心は自由だ。
ならば、天国にクマカイを害する理由はない。

己の生存と言う野生の絶対命令を上回る信念と言う名の狂気。
人の世という汚濁で濁り切った眼の色。
男の奥底にある野生の世界に存在しないその在り方にクマカイは慄いた。

人喰い熊にも正面から向かい、銃を持った狩人にすら背を向けた事がない。
そんなクマカイが、目の前の相手を恐ろしいと感じている。

それが屈辱であるとすら感じる余裕すらなく、クマカイは駆け出した。
敵に背を向け、この場から逃れるためだけに駆ける。
それは次に勝つための一時的な撤退ではなく、純然たる恐怖による逃亡。
クマカイにとって初めての経験である。
そのままクマカイは脇目も振らず逃げ出していった。

炎が舞い上がる。
去っていく野生児の背を見送り、血濡れのテロリストが爆発を受け炎上する車から離れた。
その胸骨は砕け、大量の吐血をしながらも、その眼は変わらぬ暗い光を宿したままだ。

カランという音が鳴る。
焼けこげた鉄扉を投げ捨て狙撃手が立ち上がった。
左手は別の生き物のように次弾の装填を続けている。

下水道で生まれた因縁がこの駐車場に集約する。
秩序の守り手と秩序の破壊者が揺らめく炎を挟み対峙した。

「よぅ。テロリスト。この地獄は、お前が作り上げたって事でいいのかい?」
「違ぅなぁ……私ぁ欺瞞に満ちぃた虚飾をぉ破壊しただヶだ。こぉれがぁ世界のぅ真実の姿だ」
「真実……?」
「そぅだ。救世なぁどと言ぅ戯言を唱ぇる愚者の城を爆破し、私がぁこの世が地獄でぁる事を示したのだ!
 この地獄こそ我が怒ぃの具現、絶望の具現でぁると知れ…………!」

天国が何をするでもなく、始めらこの世は地獄だ。
天国が行ったのは、その事実を誰もが見える形に可視化したに過ぎない。

どこぞの辺境の地で秘密裏に世界を救う研究が行われているという噂を聞いた。
そのような誰もが切り捨てる世迷事を真に受け、壊しに来たのが天国だ。
今の日本に救う価値などない。
世界を救う研究を行っているのなら世界を破壊するまで。

狂人の妄言にしか聞こえないが、証拠が出るわけでもなし自供としては十分だ。
ここから先に言葉は不要。
爬虫類のように感情のない冷たい瞳と沈み切った汚泥のような漆黒の瞳が衝突して冷たい火花を散らす。

炎が弾ける音だけが響く僅かな静寂。
それを壊すように、今もなお続く狙撃銃の呪いが、合図の様に鳴り響いた。

刹那。成田の右腕が閃光のように揺らめく。
この距離の早打ちで成田に勝てる人間など世界広しと言えど5人といまい。
瞬きの間にH&K SFP9が構えられ、その銃口が”成田の”こめかみに突き付けられた。

天国の呪い。
その呪詛は天国の殺意によって強まるのか、あるいは異能の進化か。
ついにその呪いは左手の狙撃銃のみならず右手の拳銃までも操り始めたのだ。

皮肉にも、成田が一流の狙撃手であったため全ての動作は一瞬で完了した。
取り回しの悪い狙撃銃と違ってハンドガンは抵抗する間も与えずこめかみに突き付けられ、パンと軽い音が響きわたる。
頭部を撃ち抜かれた成田の体が力なく倒れた。


212 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 21:06:43 kZZk13DM0
赤く照らされる黒衣が熱風に揺れる。
燃え盛る炎の前に立つは、黒き宣教師が一人。
狂った信仰を唱えるように、誰に言うでもなく世界に向けて高らかに声を上げた。

「私の怒りが貴様らに伝わっているか!? 私の憎悪が伝わっているか!?
 この国が私たちを苦しめ続けた限り、私の怒りは消えることはないのだ!
 この美しい国の裏側に潜む腐敗と欺瞞、それを隠蔽し続ける権力者たち! それに付き従うだけの狗どもよ!
 彼らはこの国を我が物顔で支配し、私たちを奴隷のように扱ってきた! 日本の体制が私たちの人間性を踏みにじり、尊厳を奪ったのだ!
 その腐敗にどれほど多くの人々が犠牲になったか知っているか? どれほど多くの家族が破壊され、人々が絶望に沈んでいるか?
 彼らは血で血を洗う戦争に私たちを引き込んだ! それは彼らの欲望のためだけだった! 彼らの利益のために、私たちの命が捧げられたのだ!
 このようなこと赦せるはずがない! だからこそ、私はこの国を転覆させるのだ!
 私の心には燃える怒りが宿っている!私はこの国を滅ぼし、彼らのこの国を支配から解放する!
 そのためには破壊だ! すべてを破壊しつくしか道はない! 今ある日本と言う国、国民、文化、秩序、その全てを破壊しつくす!!
 私はテロリストだと呼ばれるかもしれないが、私はテロリストと呼ばれることを誇りに思おう!
 私はただの復讐者ではない! 私はこの国に正義をもたらす存在なのだ!
 彼らが踏みにじった正義を、私は取り戻すのだ! この醜き日本に生まれたことを嘆いてもしょうがない! 私は選んだ! 私は下した!
 私は自らの運命を受け入れず戦う事を!  怒りを闘争のエネルギーとして、この国を変えるのだ!
 私はこの国を引きずり下ろし、悪しき支配者たちに裁きを下すだろう!
 私の手には爆弾があり、この国を揺るがす力を秘めている! 私はこの地にて正義を実行した! 今、この瞬間から、私の怒りがこの国を襲うだろう!
 世界の醜さを知らず安穏と暮らす日本人たちよ! 私の存在を知るがいい! 私の存在を恐れるがいい!!
 私は日本を転覆させ、新たな秩序を築く! 私の手でこの国を破壊し、再生させるのだ!
 私の正義が、この国を包む闇を照らすのだ! 私の叫び声が、この社会に真実の光をもたらすのだ――――――!」


「――――――うるせぇよ」


聞くに堪えない演説が、弾丸によって強制邸に停止させられた。


213 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 21:09:00 kZZk13DM0
どこからか飛んできた弾丸が天国の頭部にぶち込まれる。
弾丸は頭蓋を貫き脳に達すると、その奥底に残留していた弾丸に衝突した。
そしてビリヤードのように弾かれ弾丸が後頭部から排出され、駐車場の地面にカランと落ちる。
天国の脳内で狂気を育てた憎しみの種は地面に赤い花を咲かせた。

この弾丸を放ったのは成田だ。
死んだはずの成田が倒れた体制のまま、天国の脳天を撃ち抜いたのだ。

成田は確かに自分のこめかみを撃ち抜いた。
だが、弾丸は成田を殺すことができなかった。
これこそが、今回の作戦にこの装備が選ばれた理由である。

隊員の安全性を考慮して持ち込む装備は防具となる防護服の強度を超えないモノに限定する。
真田副官のこの提言は強力な火器があってこそ本領を発揮できる狙撃手としては窮屈に思っていたが。
その決定に助けられた。副官は流石に慧眼であったという事か。

撃ち抜いたのがマスクではなく防護服に包まれたこめかみ部分であったのは幸運だった。
いや、あるいはかつて脳を撃ち抜かれた天国の殺意がそうさせたのかもしれない。

だが、弾丸の貫通は防げたが防護服は衝撃まで受け止められるわけではない。
そのため脳震盪により一瞬気を失っていたのだが、煩い声に目を覚ましたのである。

天国の異能は天国の殺意の具現だ。
既に殺した相手に殺意もないだろう。
天国が殺したと確信を得た時点でその呪いは解除される。
意識を取り戻した成田は、自由になった銃で高らかに演説する天国を撃ち殺したのだ。

天国の死亡を確認し、ふぅと息を吐いて立ち上がる。
このバイオハザードの元凶となった狂ったテロリストは仕留めた。
だが、それで何が解決する訳でもない。
このバイオハザードは元凶を仕留めたところで止まる類のモノではないのだから。
これは報告書に記述する文章が数行増えるだけの話でしかない。

正常感染者を一人仕留めた。
それだけの戦果だ。
事態は何一つ止まらず、彼の任務は続く。

せっかく手に入れた狙撃銃も随分と撃ち尽くされてしまった。
残弾は虎の子となる一発。おいそれとは撃てなくなった。
いざと言う時の切り札として切り所は考えねばなるまい。

そうして動き出そうとした所で、僅かに成田の足元がふらついた。
脳震盪はまだ完全に回復した訳ではないようだ。
回復するまでは大人しくしておいた方がいいだろう。
ひとまず、成田は身を隠して休息をとることにした。

【物部 天国 死亡】

【E-5/ホームセンター「ワシントン」駐車場/1日目・午前】

【成田 三樹康】
[状態]:軽い脳震盪、背中にダメージ
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、双眼鏡、研究所IDパス(L2)、謎のカードキー、浅野雅のスマホ、レミントンM700、.300ウィンチェスターマグナム(1発)
[方針]
基本.女王感染者の抹殺。その過程で“狩り”を楽しむ。
1.脳震盪が回復するまで休息
2.「氷使いの感染者(氷月海衣)」に興味。
3.「酸を使う感染者(哀野雪菜)」も探して置きたい。
4.ハヤブサⅢを排除したい。
[備考]
※乃木平天と情報の交換を行いました。
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定しています。

【E-4/商店街/1日目・午前】

【クマカイ】
[状態]:恐怖。右耳、右脇腹に軽度の銃創、左脇腹に銃創、肋骨骨折、内臓にダメージ(小)、嶽草優夜に擬態
[道具]:スタングレネード
[方針]
基本.人間を喰う
1.この場から逃げる
3.特殊部隊及び理性のある人間の捕食
4.理性のある人間は、まず観察から始める
※ゾンビが大きな音に集まることを知りました。
※ジッポライターと爆竹の使い方を理解しました。
※スタングレネードの使い方を理解しました


214 : 元凶 ◆H3bky6/SCY :2023/06/15(木) 21:09:21 kZZk13DM0
投下終了です


215 : ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:52:10 dSzqull.0
投下します。


216 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:52:49 dSzqull.0
深山は異界だ。
ありとあらゆる命の揺りかごであり、畏敬の念を抱いて接するべき場所だ。

どこからともなく聞こえてくるフクロウの鳴き声。
正体不明の獣が近づいてくる足音。
間断なく聞こえてくる虫たちの羽摺りの音。
闇の奥で光る、獣の瞳。

夜に生きるすべての命が、山に踏み入った自身へと一斉に視線を向ける感覚。
山の神が、そこに息づくものの眼を通して、自分を見ているのではないかとすら思う。

狐の嫁入り。
歩けど歩けど抜け出せない霧の山道。
恨みを募らせた動物が変化するという祟り神。
人間の声を語り、おーいと呼び掛けてくる『一言呼び』。

科学的にはあり得ない。
ヒグマの存在と違って、100%オカルトだ。
一般的にそんなものはいるはずがないし、ひなたも現代っ子らしく、成長してからは怪異なんて信じてはいなかった。
けれども、せんせーは山に生きる者として、そういうものを信じているという。

『一般的には迷信そのものだと思います。
 けれど、猟師は机の上でレポートをまとめる仕事じゃない。
 実際に山に分け入って命の応酬をおこなうわけです。
 そして、この感覚は実際に猟師になって体感するしかないんですが……。
 やはり科学と非科学が僕の中に同居するようになりますね』

人が積み重ねてきた知見なしには生きられないが、それに固執すれば必ず歪みを招く。
人と自然との間に線を引いて、お互いの領分を侵さないようにしなければならない。
それが猟友会の理念で、その境界を守るのが山折村猟友会の仕事だと、せんせーはそう言っていた。


深山の神秘性を信じているのはせんせーだけじゃない。
山折村の筆頭猟師の六紋名人だってそうだった。

『かはは、まあ若ぇやつはみんなそうだろうな。
 俺自身、若ぇころは迷信なんて下らねえと思ってた。
 けどまあ、山で生きるってのは理屈じゃねえ。
 諸先輩から受け継いできた伝承も口伝も、案外バカにはできねえぜ?
 なんなら、そうだな? 夏休みの自由研究にでも、神楽の総ちゃんとこに話を聞きに言ってみろよ?
 神秘も迷信も伝承も、大喜びで語ってくれるぜ?
 あいつの事務所なんざ、本の半分は自費出版の歴史と伝承モノだからな』

結局、民俗学より生物学のほうが興味があったがゆえに、神楽弁護士事務所に足を運ぶことはなかったが。
深山と里山の境界まで足を運ぶようになって、そういうものもあるのかなと思うようになってきた。

そういうのをバカにしていたのは、猟には一切出ない及川さんだけ。
漆川さんとはそういう話をしたことはないから分からないけれど、
いつもハイテク機器を見せて実践してくれる大金持ち猟師のししょーも、せんせーと似たようなことを言った。
ある程度長く猟友会で活動して来た人は、皆似た立場を取るらしい。
山には人間の関わってはならないものがいるというのだ。


217 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:53:07 dSzqull.0

神秘。神を秘める。
山折神社で何を祀っているのかは誰も知らないという。
けれど、鴨出さんは、あの神社はあたり一帯に覇を唱えた荒神の怒りを鎮めるために作られたという。
本当に誰も知らないのか? 歴史の中にうずもれていったのか、それとも敢えて名を奪われたのか。
それは今となっては誰にも分からないだろう。

山折神社でもうじきおこなわれるはずだった、神楽家主催の鳥獣慰霊祭。
一般的におこなわれる健康促進の平和的な儀式ではなく、もっと荒々しいもの――
怒れる山の神を打ち倒し、鎮めるような、そんな性格を持つ儀式。
村人あるいはその縁者から選出された憑代役の若い少女の前で、神職の人間が剣舞を舞う儀式。

『総ちゃん、話は変わるが、今年の慰霊祭の件、憑代の一色さんとこのお嬢さんだったっけな?
 ありゃ、本当に憑かれてないか?』
『だからこそ、今年は厳重に警戒網を敷いているんですよ。
 手を抜いて万が一があれば、娘の春姫や犬山のお嬢さんが鴨出さんの二の舞になりかねんのでね』
『真麻ちゃんなあ。昔は総ちゃんとこの奥さんにも引けを取らない別嬪巫女さんだったってのによ。
 命が助かったってだけでも御の字ではあるんだが』
『ピーエル・F・大天寺氏やジャック・オーランド氏をはじめとした、著名な霊媒師の先生方にもこちらから頭を下げて招いています。
 どこの宗派かも分からん、おかしな祭服を着たうさんくさい連中には早々にお帰り願うことにしたが』
『はぁ〜、まあ俺にゃ幽霊だの悪霊だのといったバケモンはどうにもできねえし、頭のおかしい連中も専門外だ。
 身体持ってる野生のバケモンなら、頭ぶち抜いてやるけどよ。
 じゃあ、俺たちは例年通り参加しとけばいいんだな?』
『ええ、猟友会の面々は例年通りの手筈で。
 念のため、無関係な方々には参加を控えるように通達したほうがよいでしょうな』

猟師小屋を訪れた神楽総一朗さんと六紋名人の会話だ。
リスク管理が甘いどころか皆無なオープンな会話であった。
その内容も、一歩間違えれば『因習』とすら呼ばれかねない村の風習。
そして、七不思議の最後の七番目と言われる、昔神社で起こったという山の神の降臨の会話。

今考えれば、ひなたに聞かせていたのだろう。
真夜中に襲ってきた異常なヒグマ個体は、深山の異界を意識させ、思い出させるには十分だった。




218 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:53:26 dSzqull.0

「シーツを三枚。五枚あれば万全です。できるだけ清潔なものを見繕ってきてください。
 包帯や消毒液は数がないでしょうから、こちらの重症患者用の部屋へ。
 洗面器に水はまだ入れなくてもかまいませんが、すぐに入れられるようにしておいてください。
 備蓄品の数の管理はしっかりとお願いします。
 それからはすみさん、重症患者用のシーツには異能による祝福をおこなっていただく予定です。ご準備を。
 ただし無理は厳禁です。
 はすみさんが万一体調を崩したら、字蔵さんはすぐに私を呼ぶように」

哉太たち三人を送り出したあと、袴田邸に残った五人がまずおこなったのは、怪我人の搬送先としての準備である。
少なくとも特殊部隊とやり合った人間が運び込まれてくることは分かり切っているのだ。
哉太や勝子が万が一無傷だとしても、鈴菜や和之まで五体満足とは到底考えにくい。

家主の袴田伴次は災害対策をしっかりおこなっていたのだろう。
風呂桶には清浄な水が並々と張られており、机の脇の段ボールの中にはダース単位で入った水が用意されていた。
カセットコンロや非常食、懐中電灯なども机の上に並べられており、
地下室でゾンビになっていたのも備蓄を取りに行っていたのだろうと容易に想像がつく。

医師ではないとはいえ、夜帳は唯一の診療所勤めだ。
彼の指示にしたがって、簡易的な治療部屋が作られていく。
鈴菜たちがここに運び込まれた後、どれだけ迅速に治療ができるかが命の分かれ目になるだろう。

身体を動かしている人間の中には、男性恐怖症の恵子も入っている。
無理はしなくてもいいよとの提言を受けた上での、本人の希望だ。
もっとも、骨折した身。
本当に手を動かす仕事を希望したときは全員に止められ、実作業ははすみの補助であるが。


「恵子ちゃん、大丈夫〜?」
「ええ、と。大丈夫です。
 怖くない……というのとはちょっと違うかな。
 なんていうか、目の前の仕事でいっぱいいっぱいで考える暇がなくて……」
夜帳は怖い。感情的な父親とは違い、物静かな植物のようではあるが、はっきり言えば不気味だ。
けれど、誰かの命が危機にさらされた状況で、自分一人が部屋の隅で怖い、怖いと震えているのを想像したとき。
感じたのは、みんなに取り残されることへの恐怖だった。
(死にたくない。生きていたい。
 死ぬことがあんなに怖いことだなんて、私は思い知った。
 それが分かっているのに、私だけが命を救うために動かず震えてるなんて、ひなたさんやみんなは私のことをどう見るだろう?)

身体を張ってうさぎを助けたという鈴菜や和之。
彼女らは快復すれば、また人を助ける側に回るのだろう。
そのときも、怖い怖いと怯えているのだろうか。

そう考えたとき、とてつもなく恐ろしかった。
けれど、もし今ここで動けるなら。
ヒーローの隣に並び立つことができるのなら。

夜帳のほうは意識的に目を合わさないようにしているようで、初見のころのような恐怖はない。
何より、目の前の仕事が恐怖を感じる暇を与えてくれない。
ほんの半日前まで、父親の言うとおりに動き、ただ父親に怯えるだけだった自分が、今はほかの人を助けるために動いている。
それを自覚したときにの変化に困惑もあり、けれども心の底から少しだけ力が湧き上がってくる気がする。

「大丈夫です。ええと、ええと……、大丈夫です」
「う〜ん? 何か気になることがあるんじゃないかしら〜?」
「それは……こんなときなのに、なんだか気持ちが昂ってる気がするんです。
 私、おかしくなってないですよね?」
「いいの。それでいいのよ。
 絶対に生き残りましょう。ね?」

字蔵誠司のままごと人形。
そんな囚われの身に降って湧いた変化の機会だ。

不安や、高揚。それは未来のことを考えているからこそ起こる。
恵子は未来のことを考えているのだ。
だから今は、はすみは彼女を肯定する。




219 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:53:40 dSzqull.0
「うさぎちゃん、大丈夫……ではなさそうだよね?
 そわそわしてて落ち着きがなくない?」
「え、そんなことはないよ!
 大丈夫、大丈夫だって」
「その割には、目の焦点が合ってなかったり、どこかぽーっとしてたような?」
「それは、その、……でも、鈴菜さんや和幸さんは今も危険な目に遭ってるだろうし、
 哉太さんや私より小さい女の子を危ないところに送り込んで、私だけ休むのもどうかなって……」
そりゃそうか、と納得する。
ひなたとて、恵子が特殊部隊と同じ部屋の中で取り残されていて、待機を命じられたら不安で不安でたまらなくなる。
そんなパターン、万に一つもあり得ないだろうけれど。

「月影さん、なんかよく効くお薬とかないんですか?」
「あるにはありますが、すぐに薬に頼るのはあまりよくない考え方ですね。
 薬の依存癖がついてしまうと、彼女自身の将来に影を落としますので」
ひなたの質問を夜帳は一蹴する。
ひなたとて、ダメ元で聞いてみただけなので、ほーんという薄い反応が出てくるだけであったが。

「しかし、今は緊急事態だ。抗不安剤を処方しておきましょうか。
 催眠作用がありますので、はすみさんの立ち会いの元、安全が確保されている状況で飲むように。
 今飲むのはおすすめしません。
 別のやり方で不安を解消できるのであれば、ぜひそちらを勧めます」

吸血鬼としての夜帳は、ぜひここで飲むことを勧めたいわけだが、
薬剤師としての夜帳が、用法容量を守った適切な服用を勧める。

「ところでさ、和之さんってあの大柄なプロレスラーの人だよね?
 もし怪我をしてたとして、八柳くんと勝子さんで連れて来られるのかな?」
「えっ……? プロレスラー?」
「……えっ?」

「あ、ああ〜! 暁さんじゃなくて小学校で飼ってる和幸さんだよっ。
 ほら、私たちが中学生のころに来た黒豚のあの子!」
ひなたはうさぎの一年先輩。
うさぎが高校一年生の飼育委員なら、一学年上でのそのポジションにあたるのはひなたである。
故に、和幸とも面識があるのだ。

夜帳の頭には、黒豚と聞いてクエスチョンマークが浮かぶ。
しかしすでに動物のゾンビとも正常感染者のクマとも直に接したひなたにとって、驚くほどのものではない。
「じゃあ、黒豚の和幸が来るんだ? ええっと……和之さんよりは軽い……のかな?」
「ごめんなさい、言い忘れてたんですけど、4メートルです」
「……?」
「異能で4メートルのオークになってます」
ついに現実はひなたの脳すら振り切って、空間にクエスチョンマークが満ち溢れてしまった。




220 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:53:53 dSzqull.0
「ごめんね!」
「がばばばばばばああっ!!」
地下室に隔離されていた袴田伴次は、ひなたの電撃鉄バールに触れて意識を落とした。
ひなたは、ロープで素早くその手足を縛りあげ、無力化した。

「これで大丈夫かな」
「どうも。お手数かけます」

和幸が4メートルのオークであるならば、治療等はすべて庭で処置する以外にない。
あるいは、状況次第では訪問看護になるだろう。
何か使えるもの……台車などの運搬器具でもないかと、夜帳はひなたを連れて地下室に踏み入った。

地下室はかなり広いようだ。
普通に用具置き場にしている一角もあるが、小説のネタ帳なのだろうか、資料置き場となっている一角もあった。
ある一角には、古今東西のスピリチュアルなグッズやお土産が所狭しと並んでいた。
ボージョボー人形やディアブロの仮面、能面のように暗闇で見ると肝を冷やすようなものもあれば、
錫杖や数珠、輪袈裟のような日本の昔ながらの法具もある。
山折神社で売っている除霊グッズや縁起物も並べられていた。

他方、こちらは人体の資料なのか、人体模型にマネキン、男女両方の高級ラブドールまで置かれており、
民族衣装から国際スタンダードな礼服まで無造作に詰め込ませたクローゼットがいくつか並んでいた。

高級住宅街に邸宅を構えるだけあり、博物展でも開けそうなほどに多様な資料類だが、凶器になりうるものはない。
刃先の引っ込むナイフやウォーターガン、爆弾の模型はあったが、これも武器にはなり得ない。
ライフル銃の弾が落ちているなどの現象はさすがになかった。

「そこの青いビニールシートを庭に運んでいただけますか?
 私はほかに有用な備品がないかを確認しますので」
「うん、分かったよ。他には何かあるかな?」
「何かあれば呼びますので、あとは上で休んでいてください」
「りょーかい。ヒグマの件も、あとで話すからね」
ひなたはビニールシートを抱えて地上へと上がっていった。

和幸の話から動物の正常感染者も存在するということが周知され、そしてヒグマへと話が転がった。
ひなたと恵子を襲った巨大ヒグマの情報については、哉太たちも含め共有されていないはずがない。

夜帳も誠吾や真理と共に、そのヒグマの被害を直に確認している。
それが本当にヒグマなのか、それともツキノワグマの異常個体なのかを論じる気はない。
重要なのは、異能を得た人食いクマがひなたや恵子を食い損ね、近辺にいる可能性があるという一点。

そんな危険な存在の対応優先度が下げられているのは、数時間前にひなたたちが深手を負わせることに成功したためである。
ライフル銃で脇腹をぶち抜き、恵子の雷撃で内臓を焼くという、人間ならば致命傷に等しい傷。
そんな傷を簡単に癒やせるはずはなく、その状態で再襲撃はないだろうとの見立てである。

当たり前だが、ひなたらを熊になど食わせる気は毛頭ない。
野生の流儀に乗っ取るなら、この邸宅は夜帳のナワバリにあたる。
真理のような理性的かつ受け入れがたい人間による混乱は望むところだが、命を汚く食い散らかす畜生の来訪など決して望まない。

防衛力の拡充は必要だろう。
治療の準備も中年男性への噛みつきも、実にやりたくないところだが、後々来るであろうご褒美を確実に得るために手は抜かない。
作業用の前掛けを装着し、返り血に十分注意しながら、夜帳はぴくりとも動かない袴田家の家主へとその牙を剥いた。




221 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:54:06 dSzqull.0
「えっ、羊が出てきた?」
「紹介するね、メリーちゃん。
 干支の動物を呼ぶのが私の異能なんだけれど……って、あれ? いっぱい来た!?」
何かを思い立ったのか、庭に繰り出したうさぎ。彼女を追うように庭に出たはすみと恵子。
そして現れたのが、純白の毛におおわれた羊の群れである。
何匹もの羊たちである。

「羊……。はじめてみました。
 もこもこしてる。本当にもこもこしてる。
 メリーちゃんと、……他の子は名前ってあるんですか?」
「一頭だと思ってたから、全員の名前を考えられてないんだよねえ……」
「メェエェェ……」
「ンメエエ……」
「ごめんね、後でちゃんと考えるからね」
メリーちゃんつながりでマリーちゃんにミリーちゃん……と付けるのはさすがに憚られた。
ムリーちゃんとモリーちゃんはありえない。

「あの、その……。触ってもいいですか? ちょっとだけ、触ってみてもいいですか?」
「そんなにびくびくしなくても大丈夫だよ。この子たちは噛まないから」
「じゃあ……」
「めええぇぇ〜」
ばふっ。ばふっ。

「ふわぁぁぁ、ふかふか!」
ぽふっ。ぽふっ。

「あ、……私も」
ふわっ。ふわっ。

おそるおそる恵子がその身体に触れ、温かく心地よい羊毛に掌をうずもらせる。
そのふわっふわっ感に引き寄せられ、はすみもしれっと羊毛にうずもれる。
うさぎはというと、庭の置石に腰かけて、あやすような手つきで、まわりを囲む羊たちに優しく触れていた。

食事の世話も糞の処理も、そして力尽きた動物の埋葬も手馴れているうさぎだからこそ、この羊たちはこの世界に生きる動物とは少し違うことが分かる。
羊毛を水に浸ければ多少なりとも汚れが浮き出るような、リアルな動物ではない。
ここにいるのは、女の子の理想の羊を体現した、もふもふもふもふもこもこもこの毛並み自慢のふわふわ羊。
動物に慣れていないインドア女子の恵子にも、不快な思いは一切させない、そんな極上の触れ合い専用羊。
汚れも獣臭さもない動物が存在しようものか。
けれども、メンタルをふかっと包み込む癒し系の動物であることだけは確かだ。
その触感を、今はただただ享受する。

「ふぅ……」

やはりうさぎにとっては、動物に囲まれているのが落ち着く。
つらいことがあったとき、困難に直面したとき、うさぎはしばしば飼育小屋へと駆け込んでいた。
愛を以って接すれば、必ず愛で返してくれる。
うさぎには仲の良い友人や頼れる友人も多かったが、最後に不安を打ち消してくれるのは彼らだった。

「うさぎ、どう? 落ち着いたかしら〜?」
「あ、お姉ちゃん。
 うん、少しは落ち着いたかな……」

鈴菜がうさぎを信じて送り出したのに、自分がその思いを信じ切れないでどうするのか。
哉太たちにすべて託しておきながら、不安をあからさまに出すのは彼らにとっても失礼だ。

「よしっ!」

いったん気持ちの整理がつけば大丈夫だ。
ぱちっと頬を叩いて、然るべき時を待つ。
たとえば春姫であれば秒でこの境地に達しているだろうが、うさぎも遅まきながら到達する。
それをはすみがにこやかに見守っていた。


222 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:54:20 dSzqull.0
他方、恵子もとろりと顔をとろかし、心も安定してきたようだ。
そこに訪れる新たな客は。
夜帳の手伝いで遅ればせながら庭に出てきた、中学時代では先輩飼育委員だったひなたである。
「あっ、おお〜、羊がいっぱい。本当にもっこもこなんだね。
 みんなうさぎちゃんのとこの子たちなの?」
「はい。一頭だと思ってたら、群れで来てくれたそうです」
「なるほど〜。群れてるイメージがあるもんね。
 ほら、英語でも『sheep』の複数系は『sheep』だったりするしね?」
「そんなテキトーな……。
 異能が強くなって、たくさんの動物を出せるようになったのかもしれないですよ?」
「異能が強くなる、か〜。
 これ、ウイルスなんだよね?
 なんか感染症の重症化っていうイヤな言葉が浮かんできちゃったんだけど」
「うっ……。現実を突きつけるみたいな言い方……」
「よし、こんな夢のない言葉はやめようっ!
 それより、ねえこの子、触っていいかな? 触ってもいいかな!? いいよね!?」
「メェェェ……」
会話がてら荷物を脇にまとめたひなたは、眉をひそめる羊にかまわずその好奇心を存分に発揮し、その羊毛にダイブした。

――バチバチバチバチバチバチッ!
「ぶーーーっ!?」
「メェェエエエエッ!?」
「ああっ、メリーちゃん!?」

危険な好奇心には、相応の制裁が課される。
恵子に触れて帯電していた羊毛がいっせいにひなたの顔に張り付いたのだ。

「メェェ!! メエエエ!!?」
「静電気! 静電気!!」
「電気止めて!」
羊毛から救い出されたひなたは、顔にパイをブチ当てられた女芸人ばりに愛嬌ある顔芸を披露し、一同どっと笑いが巻き起こった。




223 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:54:36 dSzqull.0
人間のメス四匹の姦しい鳴き声が風に乗って聞こえてくる。
警戒心など毛先ほどもない。
今何が迫っているかすら思い至らない、くだらない鳴き声だ。

(ゆだん、しているな)
魔獣の分身は風下から、土と石瓦の立派な防壁で囲まれた人間の巣にゆっくりと近づいていた。
これは偵察だ。狩りの一環ではあるが、狩りそのものではない。
巣の内部はまわりを囲う防壁によって、今いる位置からは中の様子は見えないが、熊は嗅覚と聴覚で獲物の位置を知る。
これほど騒いでいて、見失うほうが無理だ。
無性にイライラするのが不思議だが。
人間達に気取られぬように、慎重に慎重に歩を進める。

進化した肉体、それも分身ともなれば、運用にはまだまだ慣れない。
テレイグジスタンスを実現した異能ではあるが、寸分たりとも同じ動きとはいかない。
独眼熊本体が指示を出すのであれば、この距離ならば約一秒のタイムラグが起こる。
つまり、肉体的には頑強だが、ヒグマ個体としての総合能力は進化する前の身体に劣る。

独眼熊も、その進化した脳であっても、そうなる原因を究明できていないが、それは大きく分けて二つある。
独眼熊が分身体を動かすために、巣食うものとウイルスという二つの中継地点が必要であることが一点。
『クマクマパニック』は制御に巣食うものを介しているため、オリジナルよりも取り回しに劣るのだ。

そして嗅覚と聴覚を重視するヒグマと、視覚と第六感を重視する巣食うものとで、五感に対する重みづけが異なったことがもう一点。
要するに巣食うものの知識データベースにクマの嗅覚や聴覚からの切り分けが存在しないのである。
だからといって、逆にすべてを分身体に任せれば、ヒグマとしての本能で動き出し、知能は一切生かせないだろう。
視力については人間の視力をベースにする選択肢もあったが、皮肉にも巣食うものが憑いたことで一色洋子の五感が大きく失われ、活用には足らなかった。

(ちからはありあまっているというのに、じゆうにうごかせないのはもどかしいものだ)
意外と制約が多いことに辟易するが、慎重に立ち回ることが求められる状況だ。
これくらいの動きにくさのほうがかえって好都合なのかもしれない。


"ひなた"と"けいこ"のいる人間の巣に近づくにつれ、内部の情報密度も高くなっていく。
湧き上がる不快感も増していく。

"ひなた"と"けいこ"だけなら底は割れた。
電撃は厄介だが、進化した肉体と使い捨ての肉体があれば優位には立てるだろう。

問題は三点。
明らかに血の臭いを纏わせた何か。
臭いを嗅ぐのもイヤな何か。
そして、人間なのか何なのか分からない謎の動物の群れだ。


224 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:54:52 dSzqull.0
(ひとつは、やまぐらしのメスとおなじいのうか?)
ただし、それが二体なのか三体なのか、それとも四体なのか判別がつかない。
大勢の人間が混ざり合い、分離して、正確な数がつかめないようになっている。

(こっちは、あたまがいたくなるな)
おそらく不快感の根源。
本能的に嫌だというよりは、後天的なトラウマに近い。
進化の置き土産なのだろうか。脳の奥が疼くのだ。

(なぞのどうぶつ。これがいちばんもんだいだな)
ほかの人間たちを連れて高速で離れたはずの動物と、ほぼ同じ臭いを発する動物の群れ。
間違いなく異能であろう。
かつ、先の不快感も同時に発せられている。

考察をするに、この分身体と似て異なる異能だ。
自身の全力を上回る速度で移動する動物を、一瞬で数体作り出す異能と独眼熊は理解した。
肉体は進化したが、速度はヒグマとしての肉体を超えることはない。
正面から襲いかかっても、バラバラに逃げられてしまうのがオチだろう。
それだけで抑止力としては十全である。

血の臭いがする何か以外は、何かしらの不快感を与えてくる。
"ひなた"と"けいこ"がそうなるのは理解できるが、他がなぜそうなのかは不明だ。
(もうすこし、じょうほうがほしいな)
さらに巣へ近づいたところで、異能生物の臭いの質が変わった。

(……? きづかれたか?)
外敵に見つかったとき、生物はストレス臭を発する。
ストレス臭が一頭から強まり、その一頭がメェメェと不気味な声でけたたましく吠えれば、ほかの異能生物も同じく吠え始めた。

(――ここで、ひくか?)
ヒグマとしての本能は撤退を提案する。
だが、その目が土壁の向こうから顔を覗かせた一人のメスを捉えた。
気付いているのかいないのか、片目となったクマの視力では捉えられない。
だが、そのぼやけた姿を網膜を通して脳で処理させた瞬間、撤退の二文字は消えた。
独眼熊にとっても出所は不明な、脳を焼くような憎悪と歓喜が心の底から湧き上がってくる。

(ああ、これがいぬやまか)
ニタリと凄惨に嗤う。

知識だけでしか知らなかった宿敵。
ヒグマとしての宿敵、白髪交じりのオスや山暮らしのメスとは違う。
『ナニカ』そのもの徹底的に貶めて、名を奪った宿敵の一族である。

再考。
隠山がいるというのなら、方針も変わる。
警戒されているというなら、それもかまわない。
それを前提に出方を伺ってみてもいいだろう。




225 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:55:31 dSzqull.0
「メリーちゃん? どうしたの?」
羊という種は一匹が鳴きだせば、群れ全体が大合唱を始める。
にわかに始まったアンサンブルに異変を感じたはすみは、庭の少し高まった置石に登って双眼鏡を覗き、顔色を変えた。

四本腕のクマともワニともつかぬ怪生物がレンズに映り、警戒しない人間などいないだろう。
その正体の筆頭候補は、研究所から逃げ出してきた生物兵器。
だが、その姿を見たとき、はすみに胸騒ぎが起こった。
ひなたから聞いていた、片目の傷。クマを思わせるその体躯。
そして、診療所によく見舞いに行っていた少女――一色洋子から感じ取っていた嫌な気配を感じられたのだ。
薄幸の少女であった彼女は感情の表現もつたなかったが、ときおり何者かに憑りつかれたかのようにニタニタと笑うことがあった。
熊とワニの合成獣の顔など判別できるはずもないのに、その表情が脳裏をよぎった。
証拠などないが、確信を持って言える。あれは、よくないものだ。

「みんな、家の中に避難して。
 けれど、すぐに逃げられるように、準備だけは整えておいてね」
普段の間延びした口調とは違う、真剣な口調だ。
その様子に、思い思いに戯れていた三人も事態の急変を察する。

「何が見えたんですか?」
恵子の質問に、一瞬だけ逡巡し、答える。

「あなたが言っていた例のヒグマ……あれはもうヒグマとは言えないわね。
 本物の怪物になって戻ってきたみたいよ」




226 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:55:46 dSzqull.0
袴田邸は急ピッチで対応に追われた。

「一枚書いたよっ! 届けて!」
うさぎは袴田邸の書斎で破邪の護符を書き上げる。
独眼熊を知らないうさぎはその温度差に面食らうも、護符の作成は家業で毎月おこなっていることである。
袴田邸の書斎ですらすらと書き上げてしていく。

「は、はい!」
恵子が作品を待つ編集者のように待機し、完成品を受け取ってははすみの元へ運ぶ。
果たしてうさぎの書いた護符に破邪の力があるのかは不明だが、はすみの異能に破邪の力が宿るのは確からしい。

「はすみさん、顔色がいよいよ優れないようですが」
「大丈夫……とは誤魔化せませんよね〜。
 けれど、ここは無理します。
 大切な家族やその友人を護るための、ふんばりどころですから〜」
「そうですか。ですが、危険水域に達したら、問答無用で止めますので」
はすみの異能は生命力を消費するため、夜帳がつきっきりではすみの体調サポートだ。
うさぎと部屋が分かれているのは、生命力を吸われていくさまを、彼女に見せないためである。

「これ、戸口に貼ればいいの? どこから貼ればいいかな?」
「そこは、ひなたさんにお任せするわ〜。
 熊としての例の獣を一番知っているのはあなただから、ね」
「分かった。行ってくるね!」
完成品はひなたが受け取り、邸宅を囲む門と、壁の脆くなっている箇所へと貼り付けていく。


うさぎ以外の全員が脅威を身に染みて把握しているからこそ、行動は迅速だった。
バケツリレーのごとく護符が運ばれ、袴田邸を囲む門へぺたぺたと貼られていく。

野生のヒグマに護符など効くのかという疑問がひなたと恵子には湧いたものの、これはヒグマの言動を思い返せば即座に氷解することだ。
人間が中にいるのではないかと勘繰るほどに悪意ある豊かな表情。
恐怖が最高潮に達したところで優しく名前を呼び掛けて、怖れで喉を潤すその悪辣。
何をするにも確実に恐怖を煽るその姿勢は、畏れを食らう怪異そのものである。

また、窓から侵入できるはずなのに、わざわざインターホンを鳴らして恵子に招き入れさせる手口。
山の中で『おーい』と呼んでくるのはクマだから、絶対に近寄るなとひなたは先輩猟師たちに教わった。
もちろん、それは怪異ではないものの、声やノックで人間に呼びかけ、おびき寄せたり扉を開けさせるものの例は枚挙に暇がない。
余談ながら、招かれなくても家に入ってくるがゆえに、逆説的に妖怪の総大将と呼ばれる怪異がいるほどによく知られた話である。

犬山家は鳥獣慰霊祭をも実施する、深山の超自然的な方面での専門家ともいえる家系だ。
であれば、素直に従うべきだとひなたは考えたし、恵子もひなたの考えに従う。

そして、何度目かの護符を貼り付けに行ったとき、ついに門の向こうから、ざっ、ざっと足音が聞こえた。
「ヴッ……!! ヴッ……!!」
コツ、コツという小太鼓を鳴らすような音と、荒い息遣い。
つい数時間前に聞いた、興奮したクマの発する音だ。
ただし、まるで女性のような声が混じっている。
護符の効力を確かに感じながら、ひなたは残りの戸口の守りを固めていく。


227 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:55:58 dSzqull.0
一致団結してクマの姿をした怪異に抗するなか、一人だけ不満を秘める者がいた。
月影夜帳。戸籍上は日本人だが、今や彼はトランススピーシーズであり、スピーシーズアイデンティティは吸血鬼だ。
そして、八柳哉太や犬山はすみによって、すでに招き入れられた怪異である。
ゆえに、護符が貼られるたびに、身が締められるような感覚に襲われる。

今のところ慎重に立ち回っているが、元より彼は気の長い性質ではない。
でなければ我欲を抑えきれずに三度も女性を殺害し、本人の預かり知らぬところで逮捕状まで出ているなどということがあろうものか。
仮にこのVHがなくとも、死刑は免れ得なかったであろう。
これまで彼女たちに協力的であったこと自体、大幅な譲歩なのである。

「うっ……」
ゴホ、ゴホとはすみが咳き込む。
各戸口に貼り付けるだけ貼り付けて、清めの塩に異能を付与していた。
しかし、盛り塩として、四隅に置くには足りない。

元々の相性の良さもあって、法具の作成にはさほど生命力を消費しなかったが、それでも数が数だ。
栄養剤や補助食品をありったけ広げて投与し、ドーピングのごとく騙し騙し繋いでいたがもはや限界に近い。

「ストップです、はすみさん。
 陳腐な言い回しで申し訳ないが、これ以上はあなたの寿命を削りかねない」
ドクターストップという強い言葉を使うのは憚られたが。
異能の行使を夜帳が止める。

「ですが、果たしてこれだけの準備で足りるかどうか」
「私はそのようなことを言っているわけではありません。
 私は言いましたね? 危険水域になったら問答無用で止めると」
はすみの態度は煮え切らない。
どれほどの脅威か、まだ相手を測り切れていないためだ。
だが、夜帳は夜帳で別の基準がある。

「命を削る異能を乱発して!
 それがどういう影響をもたらすか!」
「ひっ……!」
「月影さん、声抑えて!」
夜帳が声を荒げ、恵子が固まる。
ひなたがそれをとりなした。

害はないと念じ続けたためか、視界に入れるだけで固まることはなくなったのだが、
驚けばやはり夜帳の異能にあてられてしまう。
恵子は彫像のように動かなくなっていた。

「お姉ちゃん!? えっ、何かまずいことでもあったの?」
「なんでもないわ〜。後先考えずに異能を使いすぎだって、月影さんに怒られただけよ〜」
「でも。さっき、命を削るって……」
「無理をするなっていうことだから、ね?」

夜帳の声に反応し、うさぎもはすみのいる部屋に立ち入ってくる。
こうなってしまえば、強引に主張を押し通すことはできない。

「取り残された人が何を思うか、聡明なあなたなら分かるでしょう」
不快感は消えないが、それでも夜帳は穏やかで優しい声を出すように努める。


228 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:56:11 dSzqull.0
敵意すら滲ませるような不快感が表に出てしまったことは失策。
だが、それまで真摯に役割に取り組んでいたという事実が他者からの評価を覆さない。
人間は信じたいようにしか信じない。
「目をつぶれるのは、あと一回です。
 最も効果のあるもの一つに絞ってください」
心配そうに見つめるうさぎの姿と、夜帳の正論に、はすみは折れた。

「地下には厄除けになりそうなものが収納されていました。
 付き添いますから、確実なものを選びましょう。
 烏宿さん、申し訳ありませんが、字蔵さんのフォローを。
 犬山うさぎさん。未成年にこの場を任せることを恥じ入りますが、しばらくの間、よろしくお願いします」
「少しだけ休んだら、すぐに復帰するわ。
 だから、それまでなんとか持ち堪えて、ね」
犬山はすみは、月影夜帳と共に袴田邸の地下室へと歩を進める。

「お姉ちゃん!」
「そんな、今生の別れじゃないんだから大袈裟よ〜。
 いい? 万が一があったら、打ち合わせた通り、よろしくね?」
彼女がどこか遠くに行ってしまうような胸騒ぎを覚えながら、うさぎは姉を見送る。

この言い知れない不安はなんだろう?
もう一度、メリーちゃんたちに癒やしてもらおうにも、彼らももう帰る時間だ。
それに、姉のいう怪異が迫りくる中、安易に外に出ていいものか。

外に意識を向けたとき。

バン。

一度だけ門が強い力で叩かれる音がした。

夜帳もはすみは地下室だ。
ひなたは恵子とともに、同じ部屋にいる。
家に残っている人間ではない。
では、哉太やアニカたちが救出を終えて戻ってきたのだろうか。

「だれか、あけてください」

小学生の女の子のような幼くかん高い声だ。
だが、これはアニカの声ではない。
二人は知る由もないが、リンの声でもなかった。

「洋子ちゃん?」
うさぎはひなたと顔を見合わせて、ごくりと唾を飲み込む。




229 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:56:30 dSzqull.0
「地下は暗いので、足元に気をつけてください。
 足を滑らせたらシャレになりませんからね」
「わかっていますよ〜」

地下室は、床板を外してそこから通じる階段を降りるような造りとなっている。
色々と運び込まれていることからも分かるように、階段は意外と傾斜が緩く、気を付けさえすれば幼児でも容易に上り下りできるだろう。
光源は電気ではなくランプによって確保されており、壁に映った自らの影が意志を持つようにゆらゆらと揺れる。

「ウウウ、ウアアア……!」
「!?」
暗がりから聞こえてきた怨嗟の声に、はすみが思わず身を強張らせる。

「大丈夫です、先ほど来たときに、ひなたさんがしっかりと拘束しましたので」
夜帳はこともなげに言い放った。
実際問題、袴田伴次が自由に出歩いていたら、ひなたも夜帳も何事もなかったかのように地下室から戻ってきてはいないだろう。

袴田伴次は神社のお得意様でもある。
ただし、神仏に傾倒する大和家とは違って、
無神論者だと神社で堂々とのたまいながら、小説のネタとして、お祓いグッズやお清めの塩などを購入していく。
関わってはならないリストにまでは入れないが、
無神経な言動で村人の気持ちを逆撫でし、鴨出真麻や郷田郷一郎としばしばトラブルを起こす頭の痛い人物ではあった。

だが、そんな人物であるがゆえに物資は豊富だ。
はすみは地下室の保管物を一瞥し、銅製の錫杖を手に取った。
山折神社ではなく、勝慎之介が営んでいる寺社のほうから取り寄せたものだろう。
「なるほど、それを選ぶのですね」
「私たちは哉太くんや茶子ほどの武術の心得はありませんので、
 進退窮まったときに一発でも当てて怯ませられれば、と思いまして〜」

はすみは怪異と位置付けているが、片目のヒグマには確かに肉体もある。
純粋な幽霊や悪霊ではなく、悪魔憑きに近い。
現世の肉体で強引に突破してくる可能性も捨てきれない。
何より例の怪異が払われた後、純粋なヒグマの本能に従って襲いかかっててくるのが一番怖い。
だからこそ、法具でもあり武器でもある銅製の錫杖を選び、異能を行使する。

生命力が抜け落ちていく。
全身を脱力感が襲う。
思わず床へとへたりこんでしまう。


「大丈夫、ではなさそうですね?」
「ええ、おっしゃる通り、少し、異能を使いすぎたかも、しれません」
「この錫杖は重さもある。
 これは私が上に届けましょう。
 はすみさんはしばらくここで息を整えたほうがいい」
「すみません。
 妹たちをよろしくおねがいします」
夜帳は錫杖を受け取ると、どこから用意したのか、布を巻きつけてくるみこんだ。
そして、入り口に向かい、錫杖を立てかけて。
外には出ることなく、開け放たれていた扉を静かに、パタンと閉めた。


230 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:56:42 dSzqull.0
「月影さん? えっ、なんでまた扉を〜?」
「念のため、上の彼女らには聞かせたくないことがあるからです」
「聞かせたくないこと、ですか〜?」

はすみは訝しむ。
誰も来ない密室で、男性が女性にむりやり迫る。
はすみにもそれが何を意味するか、その知識はある。
だがまさか、このタイミングで?
一般常識に照らし合わせれば、彼は侮蔑すべき女性の敵ということになるが。

その口元から覗く異様な長さの牙を見たとき。
先ほどまで全幅の信頼をおいていたはずの薬剤師が、得体の知れない存在へと変わったのが分かった。
同時に、自分の身体が人形にでも変貌したかのように、身体の動きがぎこちなくなっていく。

「ずっと、我慢していました」
ひた、ひたと足音が地下室に響く。
へたり込んだ姿勢のまま、ずりずりと後ずさる。
錫杖にはとても手は届かない。

「異能を自覚したときから。
 ……いえ、違いますね。
 己の遺伝子に刻まれたささやかな欲望を自覚したときから、ずっと」
向けられているのは気喪杉のような汚らしい性欲ではない。
これは、食欲。
それを理解したとたんに、目の前の相手が理解できなくなる。
わずかに動かせた身体が一切動かなくなる。

「希望が決してかなえられないこの世を嘆き、
 せめて行動に移しては、私自身の身体にも裏切られることに絶望し」
これでも、村の慰霊祭では春姫と剣舞を演じている身だ。
八柳家には到底及ばないが、夜帳相手なら一撃与えて怯ませるくらいならできるだろう。
異能の酷使は、その最低限の体力すら奪い、
異能の発動は、その僅かな希望すらも根こそぎ摘み取っていった。

「その抑圧が今日、ようやく解放されるのだと」
彼の身勝手な語りに、これだけは分かる。
月影夜帳は村を騒がせていた『吸血鬼』だ。
分かったが、何もかも遅すぎた。


231 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:56:55 dSzqull.0
硬直した身体に、優しく牙が突き立てられる。
痛みはなく、ただただ命が液体となって流れ出て行く、未知の感触。
不快感がないのが不気味さを際立たせるが、はすみにはもう何もできない。

そして、夜帳は念願の乙女の血に喜びを噛み締める。
夢にまで見た乙女の血。
それまで吸ってきたすべての血と、あらゆる食材が後塵に帰す歓喜の味。
これを飲んでしまえば、ほかのすべての食材がバカらしくなる。
そして……。

「うげぇぇっ!?」
(え? ええぇっ……?)
美味と同時に吐き気が襲い来る。
それは夜帳にとってもはすみにとっても、あまりに予想外。
人間の血を飲んで平気なわけがないだろうという常識はさておき、勝手に血を飲んで嘔吐は悪い意味で衝撃すぎる。


(な、なぜですか?)
木更津閻魔のような粗野なバカや、気喪杉禿夫のような人間未満の醜男の血がまずいのは当然だとしても、はすみは見た目麗しく、品も家柄も申し分ない。
薬剤師としての知識は、役場の激務によるストレスと、異能の行使による体力の低下、常習的に摂取しているモンエナによって汚染されたのだろうと解を導き出す。
それも影響がゼロだとは言わない。
だが、愛血家としての本能はもっと別の部分に原因を見出した。

吸血鬼と巫女。光の勢力と闇の勢力。聖なる者と邪なる者。
彼女は、いや、犬山家の姉妹は、吸血鬼が決して取り込めない相手なのだと。
たとえるなら、最高級の寿司屋で高級海老を食べてみたら、甲殻類アレルギーに罹っていたことが判明した。
そんな致命的な想定外だった。

「動ける……!」
硬直が解けた。
『威圧』は恐怖を媒介に肉体の動きを止める異能である。
要するに自分が狩られる者だと思ったときに相手に逆らえなくなる異能だ。
夜帳が連続殺人鬼であり、吸血鬼であったことには恐怖しかなかったが、彼が自爆したことでその恐怖は払拭された。

「くっ、……!」
夜帳の声を置き去りにする。
待ちなさい、と言おうとしたのだろうか。
その声をあげる余裕もなさそうだ。

錫杖が入り口付近に立てかけられている。
威圧の異能こそあれど、夜帳の身体能力は自分と比べても低いくらいだ。
気力を失い、血も流れ出ているという大ハンデだが、それでも法具があれば夜帳には負けない。
軋む身体に鞭打って、よろよろとそちらへと歩を進める。
錫杖まであと三歩、二歩、一歩。

手を伸ばしたところで、
「あっ……」
暗がりから伸びてきた手にその腕を掴まれた。

「ガアアアアッ……!!」
そこにいたのは、袴を着た古めかしい風体の中年男性であった。
だが、血走った目と、むき出しにした歯は、これまで何度も見てきたゾンビそのものである。
168センチの中背ながら、体格のいい男性の力にはとても太刀打ちできるものではない。

何より……。
(身体が、動かない? どうして、あの男の異能が!?)


232 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:57:09 dSzqull.0
「肝を冷やしました。
 袴田さんに待機していてもらってよかったですよ」
闇の中から、ぼそりと声が聞こえる。
闇の中、ゆらりと立ち上がった吸血鬼が、ひたひたと近づいてくるのが聞こえる。

すべての血を飲み干すことで他人の異能を得られる異能。
言い換えれば、血液を通して異能ごとウイルスを取り込む異能。
逆に言えば、自分の血液を流し込むことで取り込んだ異能を他人に分け与えることもできるということだ。
輸血は、感染症の媒介経路としてはオーソドックス。
飲み干した血の量という上限こそあるものの、自らの力を分け与えた眷属を作り出す能力はなんとも吸血鬼らしい。


任意で発動する異能はゾンビに使いこなせるはずもないが、閻魔の異能は常時発動のパッシブな能力である。
ゾンビを恐れる者が身を竦ませるのは何もおかしいことはない。

袴田伴次のゾンビは、はすみの腕をとって強引にひっぱり、従者のように主に獲物を差した。
上下関係は明白だ。
月影夜帳は、このゾンビを従えている。

「まことに、まことに残念ながら、貴女の血は私の口には合わないようです。
 ですが、今朝はこのままお帰しするわけにはいきません」
その震えるような声は、心底悔やんでいるのだろう。
吸血行為に失敗したことを今生の別れのように告げるその姿は、価値観の相違を浮き彫りにする。
到底理解し合えるものではない。彼は正しく怪異である。
だが、何もできない。命乞いも、罵倒も、遺言すら。

夜帳が再度牙を突き立てたその目的は、血を飲むためではない。
はすみの血を零れさせるための一噛み。
神聖なる巫女の血が、地下室の床へとくとくと沁み込んでいく。
この極上の血を吸えないことに、夜帳が涙を流す。
土壇場に聖なる力が発動するような夢物語はもう訪れない。
身体の中から熱が抜け落ちる。
とく、とくと血が流れ落ちるたびに、冷たい骸へと一歩、また一歩近づいていく。

「〜〜〜!!、〜〜!!」

声なき悲鳴が地下に響く。
いったい、どこで間違ってしまったのか。
彼と二人で地下室に入ったことか、彼を信用してしまったことか、それとも神職の家系に生まれながらその正体を見抜けなかった力不足か。
そんなもの、答えは決まっている。
自分が、招き入れてはならないものを家に招き入れてしまったことだと。

(みんな、逃げて……)
威圧の異能によって、身体は石のように動かない。
最期に浮かぶのは大切な妹の姿だ。
断末魔すら残せずに、犬山はすみは人間としての生を終えた。




233 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:57:20 dSzqull.0
ドンと門をたたく音がする。

「たすけてください!」
それは女性の声だった。
まだ年端もいかぬ女の子の声である。

「いぬやまさん、なかにいれてください!」
うさぎはこの声の主をよく知っている。
診療所で静養している一色洋子の声だ。
はすみと春姫がしばしば診療所にお見舞いに行くにあたり、うさぎも着いていったことがある。

「おおきなけものが、わたしをおいかけてくるんです!」
ひなたはうさぎにアイコンタクトを取る。
うさぎはふるふると首を横に振る。

彼女たちから、門の向こうは見えない。
それは向こうからも同じだろう。
だが、門の向こうの声は、門前に自分たちがいることを確信して話しかけてくる。
それが熊なら話は通る。
何より、目の前の相手からは、隠しきれない獣臭さと血の臭いがする。
そして、ひなたが聞いた興奮したクマの唸り声。
そこに含まれた声帯の振動が、今の声の主と似通っている。




234 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:57:32 dSzqull.0
風下の門に手をかけたとき、電撃のような強烈な衝撃がはしった。
痛覚を奪ったはずの独眼熊に、確かに痛みがあったのだ。
肉体に直接痛みが与えられるのではない。
精神、すなわち巣食うものを直接排除している。

(これが、いぬやまのいのうか)
嫌がらせに長けた隠山らしい異能だ。
出入り口や外壁にかかる大木の周辺など、およそ侵入できそうな場所にはすべて護符が貼られていた。

門を破るだけなら可能だ。
分身体の野生を解き放てばよい。
だが、それでは偵察としても猟師としても片手落ちだろう。

『猟師』として敵を仕留める。
それはつまり、狩られる者を自分が選別し、逃げ惑う獲物を捕獲・殺害し、戦利品として持ち帰ることである。
猟師が真正面から獲物に対決を挑むことは決してないように。
対等な立場での命のやりとりなど、ハナから望んでいない。

そこで、試みたのは対話である。
声を用いて交信し、情報を収奪する人間の行為。
風向きと空間さえ間違えなければ、相手が見えている必要もないし、相手からの対話も必要ない。
門ひとつ程度の距離なら相手の臭いの粒子は嗅ぎ分けられる。
つまり、対話と言いながら、独眼熊のそれは一方的な情報の収奪。

門の向こうにいるのは三人。
一人は"ひなた"。
"けいこ"もその奥、巣の中に控えているようだ。
『銃』の臭いはない。
自身でも銃を調べて、分かった。一度に撃てるのは五発。つまり、弾切れだ。
"ひなた"はいま、猟師を放棄しているのだろうか。

そしてもう一人は、おそらく隠山の一族。
なお、最も血が濃く、陰湿で許しがたい隠山の跡取りはこの場に出てきていないらしい。
他の一人と、家の奥に引きこもったままだ。

「もんを、あけてください」
言葉だけで、隠山と"ひなた"のストレスが上昇していくのが分かる。
まあ、予想通りこちらの存在はすでに割れているようだ。
では、アプローチを変えてみよう。


235 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:57:46 dSzqull.0
「わかりました。
 あなたたちのなかまにたすけてもらいます」
先の石牢に向かった、やつらの仲間のことを口に出す。
隠山と"ひなた"の臭いが急変した。
そこにいながら、決して口を割らなかった二人に動揺がはしった。

別動隊の人間達は、あの石牢に閉じこめられた人間を救出しにいった。
根拠はなかったが、方向とタイミングから推測し、それが見事に当たった。
あそこは血の臭いが漂っていた。
生き残っていたとしても、深手を負っているだろう。

巣に引きこもるだけならばそれでいい。
だが、何も知らずに巣へと戻ってくるものにまでは手を広げられない。
外の仲間を見捨てるか、今ここで護符を破り捨てて招き入れるか。
強制的な二択である。

庭に数多く展開していた異能の動物が、一頭残らず消えていく。
これは譲歩のサインか、交渉の準備か。

次のステップに進んだことに、独眼熊はほくそ笑む。
強力な護符の効力も、一度破棄したなら紙切れも同然。
一度中に入ってしまえば、以降は受け入れられる。
あとはやりたい放題だ。

中の全員を品定めし、獲物としての刻印を刻み込んでやろう。
何時間でも何日でも、猟師と獲物の決して覆らない関係を保ち、力尽きるまで追い回そう。
なんなら、隠山でも"ひなた"と"けいこ"でもない一人くらいは、道具として使ってやってもいい。

ただし、隠山はダメだ。
その異能は決して相容れない。
奴らだけは今すぐ、本体を出向かせてでも殲滅するとしよう。

そんな未来図を描いているところに、動きがあった。
水を注ぐ音がしたかと思えば、隠山のまわりにやはり同じような臭いの動物が何頭か現れ、三方に散っていく。

(なんだ?)

動物の気配は、壁をするすると上り、土壁の瓦の上に立つと。
そこではじめて、独眼熊の分身体は上を見上げる。
柄杓を持った三匹の猿が独眼熊を見下ろしていた。

東方の大社では神の遣いとされる猿である。
みざる、いわざる、きかざる、で有名な三猿だ。
厄除けとして猿を呼び出すなら、やはり斉天大聖か三猿だろう。

臭いの粒子を拾って、本体にまで情報を届けるタイムラグ。
その僅かな時間で、独眼熊は完全に後塵を拝した。
目と耳と口めがけて、三猿は柄杓の内容物――清め塩を水に溶かして異能を施したもの――聖塩水をぶちまけた。


236 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:58:00 dSzqull.0
「ヴォアアアアアアアア!!」
五感をつかさどる四器官に対して、毒物にも等しい溶液をぶちまけられ、独眼熊はもんどりうつ。
体毛と鱗で覆われた肉体も、聖液には一切の耐性を持たない。
面の範囲で三方から襲ってくる液体を手で受け止められるわけもなく。
その痛みは分身体を通り越して、巣食うものにまでダイレクトに響き渡る。

けれども、最も重要な嗅覚はまだ無事だ。
復帰をはかろうと、あたりの様子を嗅ぎ分ける。
隠山と"ひなた"の臭いが強くなっている。
(いや、ちがう。もんが、ひらいた?)

「ほんっとに、よく効くんだ。
 それじゃ私も遠慮なく、やらせてもらうから。
 お待ちかね、あなたのだいっきらいな、銃だよ!」

ライフルに弾はない。
袴田邸に武器はない。
では、この銃とは何か?

答えは水鉄砲。
ただし、タンクに聖塩水のたっぷり詰まったそれは、怪異限定で実銃をはるかに超える有効性を示す。

怪異に遭ったら、堂々とせよ。
決して恐れるな。
常に主導権を握り、てのひらで転がせ。

はすみから説かれた心得であり、隠山家が陰湿な一族だとナニカから言われる直接の原因。
けれど、それが力劣る人間が山の荒神に対抗できる有効な手段なのだ。

「あなたは、人間には絶対に勝てない」
怪異を怪異たらしめるもの。
それは畏れであり、恐怖であり、信仰だ。
俗な言葉で言い表せば、メンツこそが力の源である。

「山の獣は、猟師には絶対に勝てない」
名状しがたきものに対し、時には名を付けて具体化し、時には名を奪って畏れを収奪してきた。
守り神には信仰を捧げて力を与え、祟り神は丁重に扱って正負の力を逆転せしめた。
それでも人に害を為す荒神は他の神に概念を取り込ませ、蛇足的な概念を付け足し、力を丁寧に削いでいった。

鬼が大豆を嫌うように。
信仰の尽きかけていたアマビエが人々の信仰によってその神力を取り戻したように。
ミャクミャク様が老若男女問わず人間の畏れと信仰を同時に獲得して、神とあやかしのひしめく禁忌地方で急激に勢力を伸ばしたように。
八尺様がその姿で口伝され、あらゆる媒体で取り上げられて強烈に力を得て、だがその姿ゆえに人間の情欲に晒されて変質してしまったように。
八重垣が八尺様の伝説をハックして力を急激に高め、その斜陽とともに一転、力を失ったように。

言霊を、呪詛を。
今日新たに生まれた怪異に刻み込む。

「だって、そういうもの、でしょう?」
独眼熊。狩人に三度敗れた山の王者である。
片目の熊は、猟師には絶対に勝てない。
片目の熊を乗っ取った怪異は、犬山と神楽、そして猟師に水鉄砲で調伏される。
そして最後のパーツ。
猟師でも神職でもない無力な一般人の少女、字蔵恵子の目に焼き付けられたことで、これは新たな退魔の童話となる。

山降りる、ヒグマあらわる一軒家。
ヒグマは人に、勝つべくもなし。

そんな特大の呪詛を受け、電撃と共にストレートで発射された聖塩水が分身体の鼻をぶち抜き。
導電性抜群の食塩水が電撃を全身にまわらせ。
独眼熊の意識をナニカの意識ともども完全に刈り取った。


237 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:58:26 dSzqull.0
ぴくりとも動かない怪異を前に、うさぎとひなたは胸をなでおろす。
怪異であったからこそ、裏道ともいえる方法で撃退できたが、これが本物の合成獣であればなすすべもなかっただろう。
魔獣は門の扉につっかえるように倒れ、門を閉じることができそうにない。

「お、お疲れさまでした!
 すごかったです! 私は、見ているしかできなかったけれど……」
「いや、私も最後に一発水鉄砲撃っただけだからね?」
「それを言ったら、私だって三猿のみんなに水撒きお願いしただけですから」
思い返せば、賞賛されるほど大したことはしていない。
童話の三枚のおふだのように、それを作った人がすごいだけだった。
けれども、少女たち三人だけで怪異を追い払った。
完全勝利である。

少女たちの鈴を鳴らすような笑い声が朝の邸宅に響き渡る。
さて、この巨体をどうすればいいんだろうかと魔獣に視線を当てたところで、三人の視線が固まる。

「ヴヴヴ……!」
魔獣は生きている。
それも、人の悪意を煮詰めたような存在ではなく、圧倒的な暴として。

「ヴアアアア!!」
魔獣が立ち上がる。
本体の意識は途切れたが、分身体の彼らはただの異能。すなわち道具にすぎない。
ただの道具に退魔の術を施したところで、何の意味もないことは自明であろう。

隠山殲滅の命を受けた分身体は、刃物のようなツメが彫刻刀ケースのようにずらりと並んだ腕を振り上げる。
その矛先はもちろんうさぎであり……。

「キィィ!!」
「みざる様!」
その腕が振り下ろされる前に、三猿が分身体の顔に取りついた。
だが、それも一瞬だ。
ヒグマとワニの腕力にただの猿がかなうはずもなく、あっという間に振り払われてしまう。

「うさぎちゃん、逃げて!
 こいつはキミを狙ってる!」

ひなたがその脚にしがみつく。
異能を全力で展開し、髪は金色に輝いている。
小手先の化かし合いはもう通用しない。
ここから先は、野生の命のやり取りだということをひなたは自覚した。
だから、ここで消し炭にする覚悟でエネルギーを放出する。

「ヴヴヴァァアアア!!」
分身体が悲鳴をあげる。
電撃は確かに効いている。
体中を濡らした食塩水が、電撃を全身に巡らせる。
けれど、生命力に満ち溢れた700キロの体格の魔獣を仕留めるには程遠い。

「あっ……!」

その太い脚から生じる莫大なエネルギーに抗えず、必死でしがみついていたひなたはついに振り落とされる。


238 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:58:46 dSzqull.0
魔獣の瞳がひなたを鋭く射抜く。
ひなたを猟師として仕留めるという誓いは本体の理性によるものだ。
本体から解き放たれた、本能だけの分身体にその理屈は適用されない。

ずん。
ずん。
ずん。

「ひなたさん! 立って!」
「三猿様! どうかひなたさんを助けて!」
少女二人の言葉などまるで意に介さず、両腕を抑えようとする猿ごとき、まさしく足止めにもならず。
散々妨害してくれた邪魔者を踏みつぶそうと、巨体とは思えぬ速さで怪物が近づく。
ひなたが体勢を整え、立ち上がる時間など与えない。
無慈悲に、ハチのように踏みつぶす。

「ダメぇっ!!」
恵子の呼びかけもむなしく、足が振り上げられて……。

脚を振り下ろした魔獣。
けれど、肉を踏みつぶした感触はない。
ただ、地面を強く踏み付けただけだ。
ひなたは一歩先にその身を転がせていた。

ならばともう一踏み。
今度は狙いは正確だ。

「???」
けれど、骨を砕き、肉を押し潰すことはかなわない。
踏みつぶす直前に、ワープのようにひなたの肉体が移動していた。
何が起きたかはひなたにも分かっていない。
けれど、恵子の声が聞こえたと同時に、彼女に引っぱりあげられるような気がして。

恵子を見る。
彼女は恐怖を押し殺して、歯を食いしばって、うん、と頷いた。
ひなたの髪と呼応するように、恵子の髪も淡く光っていた。


まだ両親が健在だったころ、学校に通っていたころの理科の実験。
電気を流して磁石を作る実験。
羊の群れが現れるのなら、三猿を呼び出せるのなら、怪物に変貌する異能があるのなら。
だったら、こんなのだってあっていいじゃないか。

異能は脳の力。
それぞれのウイルスから女王ウイルスを通して、ひなたと恵子の異能に相互作用が発生する。
二人の間に磁力が発生する。
ひなたとけいこ。
S極とN極に、+極と-極に、今日新たにH極とK極が現れた。

ひなたの電磁力を帯びたものは恵子のほうへと引き寄せられ、恵子の電磁力を帯びたものはひなたへと引き寄せられる。
恵子からひなたへと雷撃が放たれて。
ひなたに当たる直前に、それは反発し。
引き寄せる力と排する力が拮抗したその雷撃は、ひなたの周辺をただよい、ひなたに纏われる膜となる。
その危険性は、三猿が即座に魔獣から離れて見守るほど。
一度限りの雷膜は、ひなた単独の電撃とは殺傷力は比べ物にならず。
「ヴヴ、ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛!!」
それでもまだ、魔獣は倒れない。

ストレスで溜め込んだ雷撃は尽きた。
電撃を生み出すだけのカロリーも残りわずかだ。
あと一押し。あと一押しだ。

その最後の一手は、手ずから飛び込んで来た。


239 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:58:59 dSzqull.0
「みんな、遅れて本当にごめんなさい!」
「お姉ちゃん!?」
邸宅の奥から現れたのは、はすみと夜帳である。
表で戦いが起こっていることなど、想像もしていなかったのだろう。

「ひなたさん、これを受け取って!」
水撃も感電も、魔獣を払うには一押し足りない。
けれどもこれだけは、元々獣除けとして使われ、物理的に相手を破壊する武器として、由緒正しい代物だ。

山折村の寺院に奉納されていた錫杖。
酒代を買うために勝慎之介が袴田伴次に売り払った、正真正銘の法具である。
はすみがありったけの異能を付与した武具がようやく届いた。

恵子のすぐそばを通って彼女の電気で帯電した錫杖は、ひなたに引き寄せられるようにその手に収まった。
電気伝導率に優れる銅で作られたそれはひなたの異能を十分に受けて、バチ、バチと神々しく光り輝く。
遊環が電磁力で互いに引き合い離し合い衝突して、ギャラ、ギャラとけたたましい聖音を鳴り響かせる。

遊環は獣除けのために作られたともいわれている。
その音は、本能だけで動く魔獣が嫌悪するに足る。
異能で強化されたそれは、クマにとってはまさに音量兵器の域に達しているだろう。
押されている。この肉体を以ってして、押されている。
魔獣は、恐怖した。
つまり、月影夜帳にも犬山はすみにも、わずかながらに恐怖した。
二人の『威圧』が発動する。
決定的な、そして致命的な隙。

「恵子ちゃん!」
「はいっ!」

かかげた杖頭に、恵子から受け取った雷が落ちる。
それはバチバチと蓄電し、紫電の輝きを放った。

「はああああっっっ!!」
美を解さない野獣ですら、一瞬見惚れるその輝きは。

「ヴァ……?」
振り下ろされた杖頭と共に、雷が落ちるように魔獣の脳天に叩き落された。
何が起こったのか分からない、という声をあげ、分身体は跡形も残さず、幻のように消失した。
袴田邸を外から襲った脅威は、いま、ようやく去った。
今度こそ、少女たちは息をつくことができるようになったのだ。


240 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:59:13 dSzqull.0
「うそぉ、あれがニセモノって、そんな……。
 確かに何も残ってなかったけど……」
ハムスターのように水と菓子パンをほおばりながら、ひなたがげんなりとした声をあげる。

「犬山うさぎさんも気付いていたのではないかと、はすみさんが話していましたが」
「ええっと、確かにちょっと変というか。
 ドラドラちゃんとか三猿様みたいな存在なのかなって」
なお、三猿は庭で見張り中である。
その身軽さで、大きな怪我はないようだ。

「一応、話を聞くに本体にもダメージは与えていそうですが……。
 確か、八柳さんたちのところに向かおうとしていたのでしたね?」
二人の顔が曇る。
あの怪異は、湯月邸のガレージの件を知っていた。
直接出向くか待ち伏せするかは不明ながら、そちらに危害を加える可能性は十分に高い。
少女の声で助けを求められたら、勝子など確実に引っかかってしまうだろう。

「私はその魔獣と直接対峙したわけではないので、詳細を語れません。
 それに、私は湯月さんの家など知りませんよ」
「あ〜、そっか。となれば……」
「私たちが行くしかないんだよね?」

特殊部隊と一時間以上戦い続けるとは思えない。
いいにしろ悪いにしろ、決着はつくはずだ。
仮に特殊部隊が勝利していたとすれば、ここはとっくに襲撃されているだろう。

「分かった、いくよ。
 ただし、恵子ちゃんを驚かせないように気を付けてよ?」
「そこは私よりはすみさんを信じるべきでしょう。
 彼女がいる限り、私から字蔵さんを怖がらせるようなことは起こりませんよ。
 はすみさん自身が限度を超えた無茶をしない限り、という前提条件は付きますが」
「あ〜、それは、う〜ん……」
うさぎがどこか遠くを見るような目で視線を逸らす。
夜帳もそんなことは知っている。
モンエナを常習的に飲み、診療所に栄養剤をもらいに来るような人間が、無茶をしないはずがない。

「ちょっと〜? 三人とも、聞こえているんですけど〜?」
「ごめんね、お姉ちゃん!」
「え〜、ゴメンナサイ!」
「ふふっ……」
隣部屋にいるはすみ本人から直々に怒られが発生した。
その様子を、恵子が堪えるように笑う。

「大丈夫です。
 私も、ひなたさんに迷惑をかけないように待てますから」
「お、おお〜? 言うようになったじゃん!」
「そうなれたのも、皆さんのおかげですから」
初めて会った時の幸薄さがウソのように、明るく笑う。
ひなたの腑に落ちる。
正しく、彼女にとっての夜明けが訪れているのだと。


「恵子ちゃん、さっきからひなたさんのことをずっと話しているんですよ〜。
「あっ、はすみさん、それひなたさんに言っちゃダメだって!」
「ん〜? それじゃ、後でその話聞かせてもらおうか〜?」
「大した事じゃないから、大した事じゃないから!」
「ふふっ……」
意趣返しと言わんばかりに、はすみが堪えたように笑う。
恵子は赤面して、わたわたと慌てている。
何もなければ、彼女はこのような性格だったのだろうか。

「ほら、お水飲んで」
「んく、んく、ぶふっ、ごほっ、ごほっ……」
はすみから手渡された水を恵子が疑いもせずに飲み干し、咳き込む。

「ほら〜、焦って飲もうとするから〜。
 ゆっくり飲んでいいの。誰にも咎められることはないから。
 ……ひなたさん、どうかしたの?」
「え? いや、なんていうか……、大丈夫そうだな〜って」
別に子離れではないけれど、彼女の様子にちょっぴり寂しく、けれどもちょっぴり嬉しく思う。


哉太たちの元へ向かううさぎたちと三猿を見送った三人。
恵子はそれから、ひなたの活躍を物語のようにはすみに話す。
高揚して推しを語るその様は、まさにヒーローを語る子供そのものだ。
けれども、肉体に疲労は蓄積していたのだろう。またしても眠気が襲ってくる。
この家に来てから休んだとはいえ、せいぜい3時間。
育ち盛りの女子高生には到底足りない睡眠時間である。
こっくり、こっくりと船を漕ぐ恵子とそれを微笑みながら見守るはすみ。
夜帳は、袴田邸から離れていくうさぎとひなたを静かに見送っていた。




241 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 22:59:30 dSzqull.0
これは、夢か現か。

(はすみさんの声が聞こえる)
「どうせ死ぬからぞんざいに扱っていい。
 そんなはずないでしょう?
 農家のみなさんだって、出荷するニワトリさんやブタさんに最後まで愛情深く接しているはずよ?」

(何の話をしているんだろう?
 ニワトリさん? ブタさん? 家畜の話?)
この理屈は未だに噛み砕けていない。
きっと、実際に動物を育てて、その動物の命をいただくようにならなければ分からない感覚なのだろう。
自分は、登校ごとそれを投げ出してしまったけれど。
中学校のころにやってきた黒豚の、和幸くん、だっけ。

(ああ、そうか。
 きっと、和幸くんが死んでしまいそうなんだ)

うさぎさんが救いたがっていた和幸くん。学校で飼ってた、黒豚くん。
命をいただく自覚を持つのが目的、だったっけ。
嵐山先生や六紋名人を招いて、動物を食べるのがどういうことなのかを学んで。
うさぎさんの友人の、背の低いかわいらしい子が名付け親だったっけ。
最期まで必ず幸福に暮らせるように、和幸なんだって。
(意外と学校のこと、覚えてるんだなあ……)

自分も、ひなたさんも、うさぎさんたちも、和幸くんを決してぞんざいに扱ったことはないはずだ。
彼は幸せに逝けるのだろうか。

「最後まで愛を忘れてはいけないの。
 余計な恐怖を与えてはダメ。
 最期は心安らかに旅立っていければ、それほど幸せなことはないと思うわ〜」

いや、大丈夫だろう。
ひなたさんやうさぎさん、はすみさんに見守られて、惜しまれながら送られるのなら。
「心構えを学び直すべきですよ〜。
 命をいただく者として、最低限の礼儀は忘れちゃダメですからね〜?」

目が開かない。こういう大切な場面に居合わせられないのは本当に情けないけれど。
(もし、生き残ることができたら)
「ええ、だから、ね」

(ひなたさんやうさぎさんと、また、学校に、行ってみようかな)
「彼女にお別れと感謝の言葉を送りましょう」


「いただきます」


頬に流れてきたのは、涙だろうか。
歓喜なのか、悲哀なのか、よく分からない液体が、ぽつんと私の頬をつたっていった。




242 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 23:00:16 dSzqull.0
「!!」
あり得ないことが起きた。
まとわりつく不快な聖気を払いのけ、ようやく落ち着いてきた頃合いだった。
"けいこ"から血が流れ出し、隠山の中に吸い込まれていったのだ。

「ヴッ!!」
自分の獲物だ。
猟師として仕留め、復讐とするその一環だ。
そして、存在そのものに押し付けられた『猟師に征伐される魔獣』というスティグマを払うそのパーツの一つだった。
此度おこなわれたことは、獲物の横取りにほかならない。
それも、横取りをした不届き者はよりにもよってあの隠山である。

「ヴッ!! ヴッ!! ヴッ!! ヴッ!!」
散々コケにされたうえでの獲物の横取り。
猟師に勝てず、水鉄砲ごときに怯むという要らぬ弱点を強制され、神霊としての格がまたも落とされた。
いつもの隠山のやり口だ。
積年の恨みも募って、独眼熊と巣食うものの怒りは頂点に達した。
"ひなた"は先ほどの家を離れた。
裏で糸を引いて嘲笑っているであろう隠山を、原型も残らないほどにすり潰す。


分身体を再度呼び出し、その様子はさながら、終末の日に現れるという狂気の怪物の進軍であった。
しかし、鋭い嗅覚も優れた聴覚も、ほかのことに気を取られていれば発揮できない。
激怒し、まわりに注意を払えない王者は必ずその頂点の座を追い落とされる。

ズガン!

そんな音と共に、視界が赤に染まる。

「ヴァアアッ!!」
忘れもしないこの痛み。

まだ無事な分身体の身体で探ってみれば、そこにいたのは四人の人影だ。
その中でも特筆すべきが、山暮らしのメスや"ひなた"とはまた別の、自身に消えない屈辱を与えた白髪交じりのオス。
六紋兵衛。
ヤツが己を狩るために、再び馳せ参じたのだ。

銃弾の盾とすべく、そしてやつを屠るべく、ありったけの分身を展開する。
隠山といえども、白髪交じりのオスといえども、これだけの分身相手には押しつぶされる以外の道はない。
そんな驚異の魔獣軍団を、防護服に身を包んだメスが、事も無げに屠っていく。
防護服への注意も必要とせず、機械部分のスリープも気にせず。
破壊の権化として、分身を屠る彼女こそが特殊部隊だ。

(しらがのおとこは、とくしゅぶたいとてをくんだのか?)
あり得ない。
だが、自身の両目を奪うほどの男なら、よもやそれすらも可能かもしれない。

まったくの殺気もなく、目を撃ち抜いたオス。
ありったけの分身体を正面から屠るメス。
それに加えて、さらに二人の正常感染者。

独眼熊は、屈辱の五度目の逃亡を果たした。
もはやこれは、呪いである。


243 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 23:02:18 dSzqull.0


直接接触している光以外は、統率に個体差が現れる。
特に兵衛はスナイパーという役柄上、少し距離を離して配していたのだが、どうにもふらふらと隊列から外れようとすることがあった。
そこで、兵衛の行く先に何かあるのかと目的地を任せてみたところ、遭遇したのがワニとクマを掛け合わせたような魔獣の群れである。

あんなもの、研究所の生物兵器以外にあり得ない。
それが堂々と群れで村の中を闊歩している。
怒り以外にどのような感情が湧こうものか。

ボスと思われる統率個体を六紋に命じて撃ち抜くと、風雅の身体能力に任せて群れの有象無象を屠った。
ただし、ボスは目を潰したのにも関わらず逃亡し、群れの他の個体は幻であったかのように消え失せた。
追撃に踏み切れなかったのは、ライフル銃の弾薬が心もとなく、
グレネード弾も離れすぎた個体に当てる自信はなかったというだけのことだ。

点々と伸びるのは魔獣の血の跡。
これを追うか、戦力を増強するか。
次期村長の考えは分からない。
村を襲う悪意にもはや消えぬ刻印を刻みつけた猟師は、将来の村長に黙々と従う。
その目が何を視ているのかは、誰にも分からなかった。

【字蔵 恵子 死亡】
※下手人は犬山はすみであるため、異能は75%分しか月影夜帳にわたっていません

【C-4/道/一日目・午前】
【犬山 うさぎ】
[状態]:蛇再召喚不可
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.鈴菜と和幸、哉太たちの無事を祈る
2.哉太たちに独眼熊の脅威を伝える

【烏宿 ひなた】
[状態]:感電による全身の熱傷(軽度・手当て済)、肩の咬み傷(手当て済)、疲労(小)、精神疲労(中)
[道具]:夏の山歩きの服装、リュックサック(野外活動用の物資入り)、ライフル銃(0/5)、銅製の錫杖(強化済)、ウォーターガン(残り75%)
[方針]
基本.出来れば、女王感染者も殺さずに救う道を選びたい。異能者の身体を調べれば……。
1.哉太たちに独眼熊の脅威を伝える
2.生きている人を探す。出来れば先生やししょーとも合流したい。
3.VHという状況にワクワクしている自覚があるが、表には出せない。
4.……お母さん、待っててね。


244 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 23:03:19 dSzqull.0
【D-4/袴田邸/一日目・午前】
【犬山 はすみ】
[状態]:異能理解済、眷属化、価値観変化、『威圧』獲得(25%)
[道具]:救急箱、胃薬
[方針]
基本.うさぎは守りたい。
1.夜帳の示した大枠の指針に従う
2.生存者を探す。

【月影 夜帳】
[状態]:異能理解済、『威圧』獲得(25%)、『雷撃』獲得(75%)
[道具]:医療道具の入ったカバン、双眼鏡
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.はすみと協力して、乙女の血を吸う
2.和義を探しリンを取り戻して、リンの血を吸い尽くす
[備考]
※哉太、ひなた、うさぎ、はすみの異能を把握しました。
※袴田伴次、犬山はすみを眷属としています。
※袴田伴次に異能『威圧』の50%分の血液を譲渡しています。
※犬山はすみに異能『威圧』の25%分の血液を譲渡しています。

【D-3/高級住宅街/一日目・午前】
【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生とそれによる自我侵食、左目に銃創、知能上昇中、烏宿ひなた・犬山うさぎ・六紋兵衛への憎悪(極大)、犬山はすみ・人間への憎悪(絶大)、異形化、
    痛覚喪失、猟師・神楽・犬山・玩具含むあらゆる銃に対する抵抗弱化(極大)
[道具]:ブローニング・オート5(5/5)、予備弾多数、リュックサック、懐中電灯×2
[方針]
基本.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
1.神楽春姫と隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼし、怪異として退治される物語を払拭する。
2."ひなた"は『猟師』として必ず仕留める。
3.六紋兵衛と特殊部隊(美羽風雅)を仕留める。
4.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
5."山暮らしのメス"(クマカイ)と入れ違いになった人間を狩る。
[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じことができるようになりました。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※銃が使えるようになりました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。

【D-3/高級住宅街/一日目・午前】
【山折 圭介】
[状態]:鼻骨骨折、右手の甲骨折、全身にダメージ(中)、精神疲労(大)、八柳哉太への複雑な感情
[道具]:木刀、懐中電灯、ダネルMGL(4/6)+予備弾5発、サバイバルナイフ
[方針]
基本.VHを解決して光を取り戻す
1.女王を探す(方法は分からない)
2.正気を保った人間を殺す。
3.精鋭ゾンビを集め最強のゾンビ兵団を作る。
4.知り合いを殺す覚悟を決めなければ。
[備考]
※異能によって操った日野光(ゾンビ)、美羽風雅(ゾンビ)、六紋兵衛(ゾンビ)を引き連れています。
※美羽風雅(ゾンビ)は拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフを装備しています。
※六紋兵衛(ゾンビ)はライフル銃(残弾2/5)を背負っています。
※学校には日野珠と湯川諒吾、上月みかげのゾンビがいると思い込んでいます。


245 : 化け物屋敷 ◆m6cv8cymIY :2023/06/25(日) 23:03:44 dSzqull.0
投下終了です


246 : ◆H3bky6/SCY :2023/06/26(月) 20:34:24 gzhgZiFo0
投下乙です

>化け物屋敷

始まるオカルト怪異バトル、この村やっぱり山ほど厄ネタを抱えていたわ
お札や聖水が有効な辺り、ジャンルがゾンビ物から和ホラー物になったような雰囲気がある

月影さん吸血鬼気取りなだけだと思ってたけど聖属性に特攻喰らうガチ怪異判定だったとは
はすみお姉ちゃんは血筋のお陰で吸い殺されるのは避けられたけど、逆に血を流し込まれて眷属化してしまったのはある意味で死よりもつらいことかもしれない

恵子ちゃん……ようやく明るく前向きになってきたところだったのに、フラグだったか、悲しい
操られてのことはいえはすみが恵子を殺しただなんてうさぎとひなたが知ったらどうなるのか、想像するだけでも怖いですねぇ

あれだけみかげたちが苦戦した熊軍団をあっさり殲滅できる圭ちゃん軍団つよい
独眼熊くんはどんどん強化されているものの負け続き、ナニカくんも割と碌な目にあってないし、この組み合わせひょっとすると負の巡り合わせだったのか


247 : ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:05:11 8yeFX4dE0
投下します


248 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:05:57 8yeFX4dE0
創くんですか?
特務機関を辞めてからは直接会ってませんけど、近況は入ってますよ。
一応、私が書類上の保護者ですし。

いや、それをほっぽいて特務機関を辞めて国外の諜報機関に移ったのは悪かったと思ってますけど。
こっちにも事情があったと言いますか……。
何より創くんを一人前と認めて一人でやっていけると思ったからこそ、ですよ!
必死じゃないですー、言い訳じゃないですって。

いやいや、子供だからって侮っちゃいけませんよ。
この私が仕込んだんですから。今の時点で十分に優秀なエージェントですよ。
なにより意欲と才能があった。あの年齢で当局に認められている時点でその才能は証明されています。

二次成長の途中ですから肉体は完成していませんが、知識や技術だけならアナタにだって引けを取らないかもですよ?
順当に経験を積んでいけばとんでもないエージェントになるかもしれません。それこそ脅威になりかねないくらいに。

後は女の子に耐性を持ってくれるといいんですけどねぇ。あれで結構男の子なんだよなぁ。
いやいや、手なんて出さないですよ。アナタじゃあるまいし。私にとっては弟みたいなものですからね?
まあそれで任務をしくじるようなことはないとは思いますけど、あの調子じゃ潜入なんかはまだまだ難しんじゃないかなぁ。

それに、なまじあの若さで優秀過ぎたせいで、何でも自分ひとりで解決してしまおうとする嫌いがあります。
妙に完璧主義なところがあるとでもいいましょうか。そもそも彼の始まりが全てを奪われた挫折から始まっている、だからこそ自分ひとりで何もかも解決できる存在になろうとしているのかもしれません。
師匠としては完璧に拘る事は完璧でないと気づいて欲しいところではあるんですけど。
その辺は他人の使い方が上手いアナタを見習ってほしい所ですが……いや、やっぱ見習ってほしくないな。創くんがアナタみたいになったら世も末だ。

ええ。もちろん分かっていますよ。
任務でぶつかり合うようなことになっても容赦しない。
その辺は弁えてます。お互いにね。

それじゃあ、そろそろ次の任務に出発するとしましょうか。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


249 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:06:39 8yeFX4dE0
朝のモクドナルドの前には沢山の人がひしめき合っていた。
最近村に進出したばかりのファーストフード店。
物珍しさから山折村の若者たちがこぞって通っていたが、この行列は朝モックを買い求めるためものではない。
なにしろ並んでいるのはゾンビである。
彼らの狙いはビーフ100%のハンバーガーではなく、店内に閉じこもった人間たちの血肉である。

モクドナルドの店内でスヴィア達が身を隠していた。
ゾンビの大群に追い詰められ押し込まれた彼女たちは、8人掛けの客席に座って改めて負傷したスヴィアの傷を見ていた。
飲食店だけあって、クルーが指を切ったり火傷した時のために救急箱くらいは用意されていたようだ。

「……先生は」
「ん……?」

治療の傍ら雪菜がおずおずとスヴィアに話しかける。

「先生は、行方不明になった誰かを探しに来たって……」
「ああ……」

雪菜を説得する際にそんな事を口にした事を思い出す。
あの時は必死で、銃弾を喰らった直後と言う事もあり曖昧だったが。

「そうだよ……ボクの親友だった未名崎錬という男が……行方不明になったと聞いてね…………。
 いてもたってもいられず……この村に来てしまった」
「そう、なんだ。私と同じ……」

親友を訪ねてこの村を訪れた。
それは雪菜と同じ理由だ。
同じ傷を持っている。それが、嬉しい。

ひとまず治療はしてみたが簡易救急箱では流石に銃創の本格的な治療は難しい。
これ以上の手当をするならはやりドラッグストアや薬局に向かう必要がある。

「…………それで、少年……この状況、どうすればいい?」

苦し気な声でスヴィアが創に問いかける。
この状況での作戦立案は創の役目だ。
誤射と言う失態をその身で受けても、その信頼は揺らいでいない。
その信頼を裏切らぬよう、創は深く思考を巡らす。

「……全員で正面から抜け出しましょう」

そう結論を出した。
出てきたのは愚策とも言える全員での正面突破だった。

「流石にそれは、危険すぎませんか?」

これに異議を唱えるのは雪菜だ。
ゾンビの待ち構える中を負傷したスヴィアを連れて出ていくなど、恩義のあるスヴィアの安全を第一に考える雪菜にとっては看過できない。
せめてゾンビが去るまで籠城するなり、別動隊で薬を調達してくるなり、もっと安全策があるはずだ。

「どの選択にだってリスクは付きまといますよ」

何者かが意図的にけしかけているのならゾンビが立ち去る望みは薄い。
籠城は増援などの状況の好転が見込める状況で行うべき策である。
治療が必要なスヴィアを抱えた状況だからこそ長期戦は避けるべきだ。

仮に創が治療物資を補給しに行ってここにスヴィアたちを残して出て行ったところで、それが安全であるとは限らない。
むしろそれが敵の狙いである可能性がある以上リスクは付きまとうモノだ。

「一番危険なのはこの状況に乗る事だ。何者かがコントロールしている盤面から脱したい」

この状況を嗾けた何者かの目的や正体は分からないが、悪意を持って状況をコントロールしているのは確かだ。
その流れに乗ること自体が危険である。
そこから脱するには流れに逆らう一手を打ちたい。

そのためにはどうにかしてこの場から離脱する必要がある。
正面をゾンビたちで固めたという事は、これを仕掛けた誰かは裏口で待ち伏せをしている可能性が高いだろう。
そうなると正面を突破して抜け出すのが一番相手の出鼻をくじける。

「だが……あれだけの、ゾンビたちを掻い潜るなんて…………可能なのかい?」

スヴィアの疑問も当然である。
それが出来なかったから、こんなところまで押し込められているのではないのか。
負傷したスヴィアを抱えた状況であのゾンビの群れを突破するなど可能なのだろうか?

仮に不殺の縛りを解けば不可能ではないだろう。
だが、ゾンビも元は何の罪もない住民である、殺すのはできうる限り避けるべきだ。

「確かに、全員を打ち倒すのは難しいでしょう。ですがこの場を離脱するだけなら不可能ではないと考えています」
「…………その心は?」

そう言って創は右手の袖をまくる。

「その道を僕がこの右手で切り開く。脱出ルートに立ち塞がるゾンビだけをこの手で昏倒させ一点突破します。
 哀野さんはスヴィア先生をサポートしながらその後ろをついてきてください」

自らの異能の性能は理解できた。
この右手で脱出経路を作って逃げ出す。
全てのリソースをその一点に集中するならば不可能なミッションではない。


250 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:07:02 8yeFX4dE0
「そんなことできるの?」
「ええ。僕なら出来ます」

瞬時に最短ルートを見出す状況判断力。
その道のりに塞がる最低限のゾンビを見極め昏倒させる体術。
どれもが天才エージェントである創にしかできない仕事であり、創にならできる仕事だ。

「いいよ…………それでいこう」
「先生…………!?」

スヴィアはこのプランに乗った。
だが、雪菜の方は納得がいっていない様子である。

「正面突破という事は、その傷でゾンビの中を走り抜けていくことになるんですよ。大丈夫なんですか?」
「構わないさ。いずれにせよ……この状況を脱する必要はある……だろう?」

敵の術中にハマったまま手をこまねている状況こそ最悪だ。
実現可能なプランが提示されたのだからそこに乗るべきだ。

雪菜は自らの唇を噛む。
確かに雪菜もこの状況を打破できるような腹案がある訳ではない。
結局、最初に言われた通り、どの選択にもリスクが付きまとうと言うのが答えなのだろう。

「…………わかりました。先生は私が支えます!」

全員の同意を得て、三人が入り口前まで移動する。
自動扉の前には金属棚が置かれており、ゾンビを防ぐバリケードとなっていた。

「それじゃあ行きますよ……っ!」

そのバリケードを雪菜がどかすと同時に反応した自動扉が開く。
瞬間、弾かれるように創が駆けだした。

入り口をふさぐようにモック前に屯していたゾンビたち突っ込み先頭にいた店長ゾンビにタッチ。
振り返りざま、その横にいた定食屋とラーメン屋に鬼ごっこのようにトトンとタッチしていく。
触れられたゾンビが次々と昏倒してゆき、塞がれていた出口は切り開かれた。

「僕に続いて走って!」

振り返ることなく背後に向かって叫び、創が前方のゾンビの群れに向かって加速する。
ワンタッチで稼げる時間は十数秒。
十分だ。負傷したスヴィアを連れていても100mは稼げる。

駆け抜ける創。
まずは全力でこちらに向かってきた桃照の尻を叩く。
意識を失った桃照は走ってきた勢いのままゴロゴロと転がって、段ボールに突っ込むとでんぐり返しの途中みたいな体勢で止まった。

続いて、掴みかかろうとしたスケキヨマスクを振り払うようにして手首に触れ、噛み付いてきた水玉スーツの額を叩くように触れる。
接触は最低限。全員を倒すのではなく進行方向上にいるゾンビに触れるだけでいい。
それだけで次々とゾンビが昏倒して行き、脱出の道筋が明確に見えてきた。

雪菜はその背を追いかける。
スヴィアを支えながらと言う事もあるのだろうが。
それを考慮に入れてもただ後ろを走るだけの雪菜よりも、進行方向のゾンビたちの攻撃を避けながらタッチを繰り返す創の方が速い。

創は止まらず、軽やかに踊るピエロの投石を跳躍して避け、ゾンビマスクのノコギリを滑り込むように屈んで躱す。
そして、すれ違いざまに双方にタッチすると、ゾンビが倒れる。

これで包囲網は殆ど突破できた。
雪菜たちもついてこれている。
最後の障害となるのは壁のように立ち塞がる巨大な豚女のゾンビだけである。

巨大な豚ゾンビが全身で乗りかかるように向かってきた。
創はその鈍重な動きを避けて懐に入り込むと、そっとその巨体に触れる。
瞬間。電源を落としたようにゾンビの意識が途切れ、ゆっくりと巨体が倒れて行った。

これで逃亡ルートの障害となる全てのゾンビは倒れた。
脱出ルートの外にいたゾンビたちは後方から追ってきているが、愚鈍な動きでは追いつけまい。
後は駆け抜けるのみでミッションコンプリートだ。

そう確信を得た、瞬間。
創の背筋に氷塊が落ちた。

それは稲妻のような踏み込みだった。

巨大な豚ゾンビが倒れ、その陰から一つの影が身を躍らす。
剣鉈を片手に踏み込んできたそれはゾンビではない。
本能だけで動くゾンビとは動きのキレが一線を画している。
明確な意思を持った、すなわち正常感染者だ。

ゾンビの中に伏兵が紛れている可能性を読み逃した。
いや、想定していなかった訳ではない。
ゾンビの中に敵が紛れていても見抜けるはずだと己を過信した。

だが、見逃した。
何故ならこの伏兵には完全に気配がなかったからだ。

気配を殺してゾンビの中に紛れ、暗殺者の様にこの一瞬を狙いすましていたのだ。
気配なき暗殺者。
あるとするならば、踏みしめる足音くらいのものだろう。

「危ないッ!」

故に、それ反応できたのは違う足音に気づけたスヴィアだけだった。


251 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:07:22 8yeFX4dE0
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

新人の評価?
一隊員に過ぎん俺にそんな事を聞いてどうする。
そんなものは隊長や副長が行うものだろう。

なに? ふむ。
共に背を預ける同僚としての意見が聞きたい?
ふ。相変わらず。口が巧いな。

まあいいだろう。
何を意外そうな顔をしている。雑談なのだろう?
俺だって同僚とただの雑談くらいはするさ。
それで新人についてだったか?

オオサキはあの若さで完成している。
その育ちの特殊さゆえだろう。戦場のシビアさを誰よりも理解している。兵としては申し分ない。
だが、忠義心に欠けている。この国の秩序を守護らんとする理念を理解していない。
あれでは傭兵変わらぬ犬っコロだ。その辺の自覚は今後しつけて行かねばなるまいよ。

小田巻は技量や身体能力は十分水準に達している。磨けばさらに光るだろう。
だが精神面が未熟だ。自主的な判断力に乏しく戦術理解度が低い。危機的状況における判断ミスも多い。
あのアンバランスさは危なっかしい。背中を預けるにはまだまだだな。
まずは状況に動じぬ精神力を鍛え上げねばなるまい。

南出はサバイバル技術に関しては既に隊内でも有数だろう。
野外戦の技術も高く薬学にも精通している。ああいった特殊技能は希少だ。
だが、市街戦はてんでダメだ。いくら何でも極端が過ぎる。
それに自分本位な行動が目立ち連携面で不安が残る。課題も多いな。

あとは……乃木平か。
あいつに関しては少し問題があるな。

違う、そうじゃない。実力の話ではない。
そこに関して不満はない。新人としては十分にやれている。
あいつの問題は、そもそも自分の役割を理解していない事だ。

俺達のような駒と違って、奴はその駒を操る打ち手だ。
今奴がここにいるのは駒を動かすには駒の理解を深め、信頼と実績を勝ちうるためのいわば下積みだ。
この隊を仕切る人間はそうでなければならない、駒だって現場を知らない人間に命を預けられないからな。

確かに我々は成果を求められる。
それこそがSSOGの存在意義であり義務だからだ。
我らの成果には国民の安寧と正義が掛かっている。

だが、だからと言って我々と同じ成果を上げる必要がない。
あいつはそこを勘違いしている。
駒と同じ成果など、そもそも求めていないと言う事だ。

駒を超える成果を残せと言う意味ではない。
求めているのは我々には出せない、我々とは違う成果だ。

俺は俺のやり方に一切の疑問を挟まない
だが、俺のやり方が必ずしも正しいとは限らない。
手足ではなく、頭としての役割を果たせと言う事だ。
奴に期待するのはそんなところだ。

その為には一皮むける必要があるだろうな。
勝利なり敗北なり切っ掛け一つで人は変わるモノだ。
それが出来なければ死ぬだけだ。

これは自分で気付かなければ意味がない事だ。俺が言っても仕方あるまい。
と言うより、その程度も気付けない男に命も背中も預けられない。
だからお前も黙っておけよ。こんなロッカールームでの雑談などな。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


252 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:07:52 8yeFX4dE0
遡る事十数分前。
スヴィア達がファーストフード店で食事をとっていた頃。

商店街の一角で、特殊部隊に所属する者同士が対峙していた。
一方が銃を突きつけ、一方が降参の意を示すように両手を上げている。

袴田邸を追放された真理と碓氷は役所を目指して商店街を進んでいた。
大通りではなく商店街を経路に選んだのは真理の案だ。
周囲が開けた大通りより、遮蔽物があり入り組んだ地形の方が護衛がしやすいからだ。

真理が警戒しているのはゾンビではなく特殊部隊である。
どのような装備が持ち込まれているか不明な以上、射線の通る場所は避けたい。
成田が狙撃銃でも構えていたら一発で終わりだ。あの人ならこちらの顔を認識しても喜んで撃つだろう。

だが、その代わりにゾンビや正常感染者と遭遇率は上がる。
角を曲がったところで不意にバッティングするなんてことは十分にありうる。
だが仮にそうなったとしても碓氷を連れて逃れられる。そう言う技術を真理は習得している。

もっとも、出会い頭にであった相手が同じ技術を仕込まれた特殊部隊の隊員でなければの話だが。

通りの角を曲がったところで、真理の目が身を顰める迷彩色を捉えた。
特殊部隊の纏う防護服は自然の多い山折村での任務であるためか、市街戦を想定した都市迷彩ではなく自然に紛れるための迷彩色である。
そのため市街地において特殊部隊の存在はむしろ発見しやすい。
ここで発見されるのは致し方ない。

特殊部隊の方も真理たちの存在に瞬時に気づいた。
自覚なき異能の恩恵により真理自身の気配は隠せていたものの、碓氷という素人を引き連れているのが足を引っ張った。
カンと何かを蹴った音が響く。
真理が斥候として先行していても、それに続く碓氷の立てた物音までは消せない。

故に、互いの発見はほぼ同時だった。
互いを認識した瞬間、瞬時に臨戦態勢に入り天は振り返ると同時に銃を構え真理は剣鉈を構えた。
だが、その顔を確認して一方は驚きからその動きを止め、一方は決意を固めた様に構えを解く。

「…………すいません。碓氷さん。賭けになりますが私を信じてください」

背後の碓氷にだけ聞こえるような声で呟くと、真理は剣鉈を地面に落とし両手を上げた。
最悪、大田原が相手でもなければ、全力で抵抗すれば碓氷だけは逃がすことくらいはできただろう。
だが、真理はそうせずすぐさま降参の意を相手に示した。

その行為を見て碓氷は一瞬表情を歪めて歯噛みする。
特殊部隊と遭遇してしまうと言う最悪。
真理が相手にしている間に自分が逃げる算段もあったが、こうもあっさり降参されてはどうしようもなかった。

思わず「ふざけるな!」と叫びかけたがそれをぐっと飲み込む。
叫んだところで、それは生存に繋がらない。
次の手に向けてどう立ち回るか考えるべきである。

真理の色は信頼を示す青。少なくとも裏切ってはいない。
この場は真理に任せる。生き残る目はそれしかないようだ。
そう状況を理解し、碓氷も真理に従うように両手を上げた。

「抵抗はしないのですね。小田巻さん」
「その声は、乃木平さんですね」

真理は内心で安堵の息を漏らす。
ひとまずの賭けには勝った。

山折村で任務にあたる隊員との接触は元よりどこかでせねばならない事だと考えていた。
今後どう動くかを考える上でSSOGの方針を知るのは必須事項である。
ここで、ようやく接触の機会を得られた。

問題は誰に接触するかである。
問答無用で殺しに来る大田原や成田のような相手は駄目。
話の通じない美羽のようなのも論外である。
隊員がこれらの場合は真理も一応の抵抗を見せただろう。

素直に姿をさらして降参したのは相手の特徴を見極めての事だ
体格からして男性、背丈は平均的で筋肉質という訳ではなく中肉中背。
該当する隊員は三藤、広川、乃木平、吉田。いずれにしても比較的話の通じる隊員である。

少なくとも問答無用で撃ち殺されるという事にはならず、言葉を交わすだけの余地は与えてくれるだろう。
そう予測を立てたからこそ、素直に降参の意を示したのだ。交渉のために。
すなわち本番はここからである。


253 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:08:14 8yeFX4dE0
「小田巻さん。そちらの人は?」

その前に天が同行者である碓氷の存在を訪ねる。
自らに話題と視線を振られ碓氷は僅かに怯んだ。

「現地の協力員で碓氷さんです。私たちは今私たちなり事態を解決しようと動いています」
「なるほど」

それが唯一の生存の道だ。
事態に巻き込まれた側としては当然そう動くだろう。

だがそれもSSOGが送り込まれていなければの話である。
住民の排除を優先する特殊部隊を止めなければ生き残る道はない。

「念のため確認しますけど、こちらの自主解決を待つわけにはいきませんか?」
「なりませんね。そちらの事情はこちらの任務には関係のない話だ」

住民の自主解決を待つというのは研究所の方針である。
だが、SSOGはその方針に逆らってここにいる。
確実な解決のためギリギリまで待つなんてリスクは抱えられない。

「あなたたちに与えられた任務は女王の暗殺による事態の収束。
 しかし女王特定の手段を持たないために手あたり次第正常感染者を殺している。違いますか?」

真理が自ら推測した任務内容をぶつけてみるが天は応えない。
如何に身内とはいえ作戦内容を明かすわけにはいかないからだ。
それを理解している真理は反応を待つことなく話を続ける。

「そして、こうして巻き込まれた私も標的であるという事ですね?」
「見逃してくれと言う話なら無理ですよ。我々にとって任務は絶対だ」

天とてそこまで甘くはない。
必要とあらば親兄弟でも殺すのが秘密特殊部隊だ。
任務の標的が仲間であろうと例外はない。
同僚を撃つ覚悟などとうに出来ている。

「ええ。私もSSOGの端くれ、その理念も理解していますし納得もしています。
 ですけど、その中でも効く融通はあるでしょう?」

当然、真理も死ぬために接触したわけではない。
むしろ、生存のための糸を針に通すために来たのだ。

「私たちを殺すのはかまいません。ただその順番を融通してください。
 私たちを殺すのは最後にしてくれませんか?」

そう、自らの処遇を要求する。
つまりは、今は見逃してくれとそう言っていた。
この発言に天が眉を顰める。

「……その言葉の意味が分かってますか?」
「ええ。もちろん」

不快感を示す天の問いをあっさりと肯定する。
これは成田との議論でも出た話だ。
仮に真理が女王だった場合、死なずに済んだ命まで死ぬことになる。
真理はそれを理解した上で、自分を助けてほしいと要求していた。

己が可愛さの命乞いなど滅私奉公を旨とする大田原あたりが聞いたら激怒しそうな話だ。
被害を最小限に抑えたい天としても受け入れがたい提案である。

「もちろん、ただでとは言いません。私たちの処分を保留していただけるのなら、我々は乃木平さんの指揮下に入ります」

この提案に碓氷はなにをと表情を歪めるが異議を申し立てられる流れではなかった。
確かに、この状況では特殊部隊の傘下に収まるしかない。
だがこのような提案が受け入れられるのか?

碓氷のこの疑問に反して天がこの提案を即断はしなかった。
むしろ考慮するように考え込んでいるようだ。

天がここまでの自身に戦力不足を感じていたのも事実である。
真理の提案はそれ補える、利害の一致がある提案なのは確かだ。

自らが優先すべきことは何か。
全ての標的を平等に殺すという公平性か。
戦力不足を補う利を優先する合理性か。
それとも、同僚を殺したくないという人間性か。


254 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:09:34 8yeFX4dE0
「…………いいでしょう。その提案を受けましょう」

考え抜いた結果、天はこの提案を受けることにした。
他の隊員なら間違いなく即座に蹴っていただろう。
天だって先ほどまでは自分もそうするだろうと思っていたし、この任務に当たったばかりの頃であったならこのような判断は下さなかった。

特殊部隊員は成果を求められる。
成果のためなら手段を選ばない。
これは全ての隊員に共通した認識である。

天にとってはその意味合いが他の隊員とは少し違った。
どんな手段を取ってでも成果を出す。
無様な撤退を繰り返し、追い込まれたからこそ出せた答えである。
それが柔軟な成長ととるか、追い詰められた人間の苦肉の策ととるか難しいところだが。

「ただし最後に殺すと言うのは約束できません。あなたが死ぬタイミングはこちらで決めます。
 私が不要と判断した時点で殺すし、少しでも女王の疑いありと判断した時点で殺します。それでよろしいですね?」

あくまでこれは処分を一時的に保留したに過ぎない。
何時でも都合のいい時に首を斬る、それを承知の上で従えと、必ずしも最後に殺すと約束したわけではない事を強調していた。
真理はその条件を飲んで頷いた。
互いに納得できる落としどころとしては妥当なところだろう。

なにより、今の真理には迷いがあった。
真理は特殊部隊に所属する人間ではあるが、この作戦行動に関わりはない被害者でもある。
その半端な立場で、自分の判断で動かざる負えない状況に追い込まれ、自分がどう動くのが正しいのか分からなくなっていた。
だからこそ、天と言う頭に従って迷い無き手足に戻りたかったのだ。

「だが、それは小田巻さんに限った話だ。そちらの方はダメだ」
「…………うっ」

そう言って碓氷に銃口を向ける。
同じSSOGの真理はともかく、素性も実力も知れない碓氷を受け入れる余地はない。
当然の判断である。
だが、その射線に真理が身を割り込ませた。

「待ってください。碓氷さんも同じようにお願いできませんか?」
「何故です?」
「碓氷さんにはこの村で助けてもらった恩義があるので、見捨てられません」

誰も信じてくれなかった状況で、自分についてきてくれたという恩義がある。
結局、袴田邸で懸念された結果となってはいるのだが。
追放の結果そうなったというのはなんとも皮肉な話である。

「……………恩義」

その返答に思わず天は言葉を失う。
この状況で恩義を持ち出す、ズレた感性。
異常な状況でも正常な人間性を持ち出す異常性。
この歪さこそが小田巻真理という女だ。

「いいでしょう。ただし条件を付けます」

ここまでくれば毒食わば皿までだ。天も腹を決める。
だが、だからと言って無条件に受け入れると言うつもりもなかった。
これはあくまでこれは利害の一致による取引だ、そうでないのなら受け入れる意味はない。
それは真理も碓氷も同じことだ。

「まずは、成果を見せてください。使えないと判断した時点で切り捨てますので悪しからず」


255 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:09:57 8yeFX4dE0
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

新入りの有望株? そりゃ乃木平だろ。
なにせ将来の幹部候補様だ。今のうちに尻尾でも振っときゃ美味しい餌をくれるだろうぜ。
ま、あいつが死ななければの話だがな。前回の幹部候補様は1年持たなかったろ?

あん? そう言うジョークや忖度なしの話? しゃーねぇな。
そうだなぁ。大抵の奴はオオサキを推すんだろうが、あたしは小田巻を推すね。

何故かって?
そういや、小田巻の初任務のメンバーにお前は入ってなかったんだっけか?
任務で何かあったって訳じゃないさ。いつも通りの汚れ仕事だ。標的をミンチにしてお終いさ。

問題はその夜の話だ。
標的をミンチにしておきながら、初めて人を殺しておきながら、あいつは打ち上げで平然と焼肉を食ってやがったんだぜ。
乃木平なんて初任務の後はゲーゲー吐いてたってのによ。

よく喰えるなって尋ねたら、あいつなんて言ったと思う?
「だって、美味しいじゃないですか焼肉」だとよ。笑っちまったぜ。

オオサキや南出も初任務の後で平然とした顔して喰ってたって?
そりゃそうさ、あいつらはとうの昔にその程度の事は慣れ切ってる。
戦場や無人島で育てばああはなるさ。

あたしも似たようなもんでね。
これでも道場で育った身だ、物心つく前から親父と4人の兄貴に仕込まれている。
実戦になったら殺す気でやれ、その時は絶対に躊躇うなってな。
そう言うスイッチがあんのさ。

大田原さんみたく使命感で塗りつぶすでも、成田さんみたく行為自体を楽しむでもいい。
お前だってそうだろう? この部隊の人間には誰しも人殺しを容認するだけのスイッチがある。
そうじゃなければ、やってられない。

あいつはスイッチなしでそれが出来ている。何があったでもなく当たり前みたいにな。
と言うより、人間的な感情を保ったまま、それはそれと割り切れているのさ。
これはこれで稀有な才能だ。あたしとしてはこの才能を推したいね。

話としてはこんなとこだが、それで?
こんなこと聞き回ってどうするつもりなんだ、探さんよぅ。
ただの趣味? ……あぁそう。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


256 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:10:25 8yeFX4dE0
創が立ちふさがる最後のゾンビを昏倒させて、脱出の道筋が見えた一瞬の隙。
その機を見てゾンビの群れから飛び出したのは剣鉈を構える真理だった。

「危ない…………ッ!」

足音の違いによってその不意打ちに気づいたスヴィアが、肩を貸していた雪菜を振り切って創を後ろから突き飛ばした。
直後、振り抜かれた狂刃が創を庇ったスヴィアの背を切り裂く。

「くっ…………!」
「先生!?」

倒れそうになるスヴィアを慌てて雪菜が支える。
その光景を見て創は言葉を詰まらせた。

またしても自分の失態で誰かが傷つき、またしても誰かに庇われた。
それは創にとっては自身が斬りつけられるよりも痛い失態である。
しかし、それ以上に。

ガキンと、火花と共に金属音が弾ける。

追撃に振るわれた剣鉈を、直前で割り込んだ創がデザートイーグルで防いだ。
不意打ちは防げなかったが、敵の存在を認識した今なら遅れをとることはない。
繰り返される失態にいい加減嫌気がさしてきたが、敵を前に後悔で足を止めていてはそれこそ無能だ。

「あなたはどうして…………ッ?」

そこまでするのか。
唾競りをしながら、そんな言葉が喉まで出かかる。
いくらなんでも、ただ責任感が強いからと片づけるにはこの献身は異常である。

だが、そのような問いかけをしている暇はなかった。
敵は止まってなどくれはしない。

真理が手首を返して銃身を弾いた。
それを受け、創は銃身を滑らせて牽制のために引き金を引く。
それにいち早く反応した真理は、無理はせず後方へと引いた。

「こいつは僕が引き留めます! 哀野さん、スヴィア先生を連れて行ってください!」

創が襲撃者に向き合いながら叫ぶ。
足を止めていてはゾンビたちが復活してしまう。
そうなっては全員逃げられない。
せめてここで汚名返上せねば、エージェントとして立つ瀬がない。

「待てっ……少年……1人で無理は…………」
「任せました。行きます…………!」

抵抗する力もなくスヴィアが雪菜に引かれて駆け出していく。
残された少年と女が距離を探り合うようにして睨み合って対峙する。
その背後では昏倒していたゾンビたちが徐々に起き上がって行いた。

「一応、聞いておきますが、あなたの目的は何です? どうしてこんなことを?」
「答える義務はないですね…………ッ!」

言って、真理が仕掛けた。
担いでいたライフルを構え、足元に向けて引き金を引く。
鳴り響いた銃声に周囲のゾンビが反応して群がるように集まってきた。

ゾンビは二人に向かって、唸り声をあげて襲いかかる。
二人は互いから一切視線をそらさず、ゾンビの攻撃を避けながら攻撃を仕掛け合う。

噛み付いてきたゾンビの攻撃を掻い潜り、創が真理へと銃口を向ける。
それを受け真理はぐいと傍らのゾンビの襟を引き寄せ盾とした。
放たれた大口径マグナムはゾンビの体に吸い込まれてゆき、貫通した弾丸はその体内で軌道を変え明後日の方向に飛んで行った。

「ちぃ」

創が舌を打つ。
相手はゾンビを犠牲にすることに躊躇がない。
ゾンビが何の罪もない村人であることは理解しているだろう、殺すべきではないという事もいう認識もある。
だが、それはそれで仕方がないと割り切っていた。

不要に殺しはしないが、必要とあらば殺す。
そのスタンスは互いに共通したものだが、そのハードルの高さが違った。

だが、だからと言って真理もむやみにゾンビを殺すつもりはない。
何故なら、遮蔽物として利用できるからだ。


257 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:10:51 8yeFX4dE0
真理は盾としたゾンビを創に向かって蹴りだすと、そのまま他のゾンビの陰に隠れた。
ゾンビの陰に隠れ死角に入った瞬間、真理の気配が途切れる。
創を持ってすら特定困難な完全なる気配遮断。
完全に己が異能を自覚した立ち回りである。

その自覚を得た切っ掛けは天の言葉だ。
「それにしても小田巻さん、腕を上げましたね。全く気配を感じませんでした」
何気ない言葉だったが、これまでの自分の行動、相手の反応を顧みてもしかしたらという気づきがあった。
それを生かした戦術をとるのにゾンビの群れが入り乱れる乱戦は都合がいい。

これは技術なのか、異能なのか。
この2択問題に創は即座に異能であると結論付ける。
何故ならこの自分が目の前で見失うレベルの気配遮断など異能でしかあり得ないからだ。
厄介と言えば厄介だが、他の異能を警戒しないでいいのだと考えれば楽なものだ。

創はゾンビの影を渡り歩き、死角を辿って行く真理の姿を追う。
沢山のゾンビに紛れた状況ではスヴィアのように足音で辿るのは難しいだろう。
そのため、創が追っているのは真理そのものではなくゾンビたちの反応だ。

創からは視覚でもゾンビたちには見えている。
その反応を追っていけば真理の動きは自ずと判明するだろう。
そして、ゾンビたちの反応が自分の背後に回ったところに銃口を合わせる。

狙い通り、デザートイーグルの銃口が真理を捉えた。
だが、その引き金を引かれるよりも一瞬早く、真理は剣鉈の先端で銃口を弾きその射撃を逸らす。
銃が跳ね上げられたその隙をついて、返す刃で少年の体を貫かんとした、瞬間。
創が真理に向かって銃を持っていた逆の手――――右腕を振るった。

「ッ!?」

真理は即座に攻撃を中断し、大きく身を翻してそれを躱した。
天から得た情報、そして先ほど目の前で繰り広げられた大立ち回りから、創の異能は右手で触れた相手を昏倒する物であると真理は認識していた。
そして、先ほどの大袈裟な回避行動を見て、創も敵がそう認識していると確信を得る。

そう誤解しているのならそれを利用して、右手を警戒させておく。
その方が立ち回りやすい。

互いの距離が開き、ジリと相手の様子を伺う睨み合いとなる。
ゾンビたちは襲い掛かってくるが、二人は睨み合ったままそれをあしらいながら互いの好きを窺う。

真理の目の前にいる相手は年若い中学生くらいの少年である。
だからこそ心の奥底に油断があったことは否めない。

そして、それは創も同じだ。
防護服を着ていないことから特殊部隊ではないとそう認識していた。

だが、攻防を続けてゆく中で互いにその認識を正していく。
この敵は強い。
油断すれば狩られるのは自分であると、そう認識するに足る相手であった。

油断を無くし、二人は全力で衝突を始めた。


258 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:11:26 8yeFX4dE0
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

今日もおつかれー。
さて、私達も晴れて花のJKになってしばらくたった訳だけど。
高等部に上がったところで校舎が変わっただけで思ったより何にも変わんないよねぇ。
まあ、村にはこうして新しい店が出来て、放課後溜まれる場所が出来たのはいいことだけどね。

ところでさぁ。担任になった碓氷先生ってどう思う?
そう言う陰口みたなことはダメって、マジメだね光兎ちゃんは。
けど、都会のJKはこんな風にファーストフード店で先生の悪口なんかで駄弁って盛り上がるもんなんだってさ。
それに別に悪口言う訳じゃないしいいじゃない。

ほらほらバーガーのソースが零れてるよ朝菜ちゃん。
ナプキンでお口を拭き拭きしましょうねぇ。

私? 私は嫌いじゃないかな。
お話は面白いし、何よりイケメンだしさ。
スーツがびしっとしてて誠実そうに見えるよねぇ。
そうだね光兎ちゃん。シティボーイって例えは古いと思うけどこんな田舎ではなかなかお目にかかれないタイプだよね。

けどさぁ。先生って田舎が嫌でしょうがないって感じだよねぇ。
ま、それは私らもおんなじなんだけどさ。
隠し通せてると思ってそうなところがかわいいよねぇ。

あれ? わかんなかった?
結構露骨に態度に出てたと思うんだけどなぁ。
そうだね。私の勘違いかも。

うん。光兎ちゃんの言う通りだと思うよ。
先生としてちゃんとしてくれてば田舎をどう思ってようが別にいいよね。

けどさあ、一つ上の2年の人たちって、いじめとかあるらしいじゃん?
こわいよねー。ウチの学年も三上くんとかが巻き込まれてるらしいじゃん。

そうだね朝菜ちゃん。
私たちの学年はみんな仲良しだもんね。そんな風にはならないよ。

けどさー、ウチ学校って、学年ごとに担任が決まってる訳じゃん?
生徒数が増えて学年ごとに分かれたと言っても1クラスしかないし。
つまりはさ、あの人たちって去年は碓氷先生が担任だったってことだよね。
そう考えるとちょっと心配になるよねぇ。

確かに、そうなんだよね。
それなのに碓氷先生の悪い評判なんて一度も聞いたことがないんだよね。
よっぽど立ち回りがうまいのかなぁ。
……嘗めてるよねぇ。

あっ。ストロー噛んじゃってた☆
新しいの貰って来るねぇん。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


259 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:12:22 8yeFX4dE0
スヴィアを支えながら商店街を雪菜が走る。
彼女は一直線にドラックストアを目指していた。

ひとまずゾンビたちのいない安全圏まで逃げ延びる事はできた。
創が引きつけてくれているのだろう。後方を気にしながら走っていたがゾンビたちは追ってきてはいないようである。
彼の事も心配ではあるのだが、今は気にしている余裕はない。
一刻も早くスヴィアの治療をしなければ。

「―――――止まってください。お二人さん」

だが、彼女たちを止めるものは後方ではなく前方にいた。
己が失態を挽回すべく目の前の問題に掛かりきりになった創が見逃していた。
敵は単独ではなく複数犯であり、逃走経路に待ち伏せている可能性。

少女たちの行く手に立ち塞がったのは、スーツ姿の若い男だった。
その手にはライフル銃が握られており、その銃口はスヴィア達に向けられている。
そして、それはスヴィアの見知った顔だった。

「…………碓氷、先生」
「おはようございます。スヴィア先生」

学校の朝のような挨拶をしてきたのは、スヴィアと共に学校で教鞭を振るう碓氷誠吾だ。
そんな彼が、何故こうして銃を向けているのか。

碓氷が殺人嗜好の異常者で災害に乗じてという訳ではないだろう。
碓氷の様子は正気を失っているようには見えないし、錯乱しての事という訳でもないようだ。
どちらかと言えば、必要に迫られ追い詰められたような切迫した表情をしている。
そうなると、このバイオハザードで誰かを殺そうとする理由として考えられるのは。

「まさか……あなたも女王を狙って」

もしそうだとしたら、雪菜も何も言えない。
女王を狙って誰かを殺そうとしたのは雪菜も同じだからだ。

山折村においては人を殺そうとする人間が悪であるとは限らない。
自分や大切な人間を取り戻そうとするただの人間であるのかもしれない。
あるいは、それらは全てを救わんとする英雄かもしれない。
この地は単純な善悪や倫理観で測れない地獄である。

「ん〜。まあそんなところです。僕も死にたくないですから」

碓氷は曖昧にこれを肯定する。
嘘ではない。
協力している特殊部隊の方針がそうであるからそれに従っているに過ぎないが、死にたくないからやってるというのは本当だ。

「僕は僕が生き残る可能性が高い方法を選ぶだけですよ」

交渉中は肝を冷やしたが、結果としては碓氷にとって悪くはない状況である。
ここで実績を残して信頼を勝ち得れば、生存率は大幅に上がるだろう。
もちろん捨て駒として使い捨てされないよう警戒する必要はあるが最大の脅威である特殊部隊の傘下に入れたのだ。
台風の目に入れたようなものである。
最終的な生存を考えればこれ以上ないともいえるだろう。

後は2000人の住民から選ばれるたった1人の女王。特殊部隊の殺害対象。
そんな2000分の1の不幸に当たっていなければ生き残れるはずだ。

真理を懐柔して恩を売っておいた甲斐があったというモノだ。
だが、現在の碓氷は真理のコネで採用されたバーターでしかない。

ここで成果を上げなければ殺される。
そうならないためなら同僚を売り渡す事も厭わない。


260 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:12:45 8yeFX4dE0
「やめるんだ……碓氷先生。そんなことをしても……後悔が残るだけだ……」
「そうかもしれません。けど死ぬよりはましでしょう? 死んでしまっては後悔もできない」

「……あの放送を……鵜呑みするのは危険だ。女王を殺したところで…………解決するとは限らない」
「その可能性があるのも認めますが、それはやってみないと分からないことだ。解決する可能性も等しくある」

「……仮に、ウイルス騒ぎが収まったとしても……誰のどう言う意図が……絡んでいるのかを見極めなければ…………それが別の混乱の引き金になりかねない…………!」
「それはウイルス騒ぎを解決しない理由にはなりませんね。問題が複数連なっているのならなおさらだ。一つ一つ片付けて行かなければ話にならない。
 それとも、別の騒ぎが起きるかもしれないから大人しくウイルス騒ぎに巻き込まれて死ねと言うのですか?」

思春期の少女と違って、碓氷は精神の成熟した大人の男である。
相応の理論武装が出来ており説得は困難だ。
傷を押してスヴィアは叫ぶ。

「だが……他に方法はあるはずだ……!!」
「教職者らしい絵空事だ。では、その方法とは何ですか? 具体的なプランでもあるのですか?」
「それは…………」

言葉に詰まる。
具体的なプランはこれから探すところだ。
だが、48時間の時間制限がある。これから探すなどと言う気長なプランは受け入れられない。

「つまるところ、あなたの言葉は僕と同じ死にたくないだけのただの命乞いでしかない。
 自分が女王候補として殺されたくない、違いますか?」
「違うね…………私が死んで解決するなら喜んで死ぬさ」
「そんなっ……先生」

スヴィアの言葉に雪菜が悲痛な声を上げた。
碓氷は相手を見定めるように目を細める。

「…………恐ろしいなぁ」

碓氷が呟く。
恐ろしいのはこんな状況にもかかわらず、スヴィアの色が青色であると言う事だ。
ここまでの説得も、死んでも構わないという言葉も彼女は本気で言っている。

「ですが、まあ僕らは平行線だ。分かり合える事なんてないでしょうし、分かり合うつもりもありません」
「撃つのなら私から撃ちなさいよ!!」
「ダメだ……哀野くん!」

雪菜が両手を広げ庇うように前に出た。
射撃の素人である碓氷が確実に相手を仕留めるにはそれなりに近づく必要がある。
そんな距離で雪菜を撃てば、その返り血でただでは済まない。
少なくともこれでスヴィアは助かる。雪菜はそう考えていた。
だが、碓氷は首を振った。

「いいえ、撃ちませんよ」
「なっ。それは、どういう……?」
「僕は、ただの時間稼ぎですから」
「はッ――――!?」

その言葉に慌てたように振り返る。
その背後には近づいてくる迷彩色の防護服があった。

「ご苦労様です。よく足止めしてくれました」

表の騒ぎを聞きつけ、裏口から駆け付けた特殊部隊の男。
乃木平天が銃を構えて立っていた。


261 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:12:59 8yeFX4dE0
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

看護師さん。私ね、親友がいたんだ。そう。都会に居た頃に。
今はこんなだけどさ、これでも髪なんかも染めてスクールカーストの上位だったんだよ私。
今もちゃんとそう見える? うん……ありがと。

それでさ、その子、人付き合いが下手な子だったんだよね。
なんて言うか、人との距離感を掴むのが苦手なんだよ。

他人に怯えて、臆病で弱くて。思い込みが激しくて。
他人を信用できない癖に、信用できる相手を求めてる。

だから、ちょっと優しくされるとすぐに相手に依存しちゃう。
一度心を許すと心配になるくらい依存しちゃって他の事が見えなくなる。
そんなだから私みたいなのにコロっと騙されちゃうんだよ。
ほんと…………バカな子。

……色々あって愛情に飢えてる子だったからさ。
あの子はずっと居場所を欲しがってた。
それを、私は知ってたはずなのに……っ。

それなのに……それなのに私、あの子に酷い事を言っちゃった……っ。

あの子が私以外に頼る人間なんていない。
私以外に、どこにも居場所がない。

そんな事……私は知っていたのに。
私だけが、知ってたはずなのに……っ。

どうしよう……私。

……あの子はどうするんだろう
私は…………どうしたらいいんだろう。

ダメなの。
こわいの。

嫌われてたらたらどうしよう。
許されなかったらどうしよう。

そんな事ばっかり考えて、謝ることもできない。
それを確認してしまうのが怖くて、メッセージも見れない。

自分勝手に突き放して、自分勝手な都合であの子を拒否し続けてる。
ずっと自分の都合ばっかりで、本当に、私は…………最低っ。

それに、こんな骨と皮みたいな姿を見られたくない。
雪菜にだけは見られたくない。
だから、会いたくない。
会いたくない。
……会いたいよ。

ぅう…………くぅ……っ。
嫌だよ私…………このまま、死にたくない……。
死にたくない…………死にたくないよぅ……。

ぅ……取り乱してしまって、ごめんなさい。
看護師さんも、いきなりこんな事を聞かされても困ってしまいますよね。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


262 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:13:21 8yeFX4dE0
「動かないでください。無駄な抵抗はやめた方が賢明かと」

道を挟み、銃を構えた特殊部隊の男、乃木平天がスヴィア達の背後に現れた。
この状況こそが、裏口での待ち伏せがしくじった場合の次善策。

標的が正面からの強行突破を図った場合。
伏兵による奇襲、待ち伏せによる足止め、後詰による挟撃を行う。
集団であったからこそとれた戦術である。

特殊部隊の隊員はこの地では基本的には単独対集団のとなることが想定されている。
それを覆せてこそのSSOGだが、天はその領域に至れていない。
特にハヤブサⅢとの戦闘はそれが顕著に出た。

だが、こちらも集団であれば、その問題はクリアされる。
質に限らず指揮できる駒があるというだけで取れる戦術は無限に広がる。
作戦行動をとれるのならば後れを取ることはない。

「…………くっ」

銃を持った男に前後を挟まれ雪菜は庇うようにしてスヴィアを抱き寄せる。
特殊部隊と手を組んでた住民がいるなどと想定すらしていなかった。

碓氷が同じ女王狙いだったと言う境遇に、どこか共感して躊躇ってしまった。
それが間違いだった。碓氷が立ち塞がった時点で、相手の事情なんか無視して強引に突破していればよかったのだ。
けが人を抱えた状況で、挟撃を受けては逃げようが無い。
いや、今からでも遅くはない、特殊部隊の方は無理でも銃の構え方もおぼつかない教師の方ならば。

「油断しないでください。あなたを突破して逃げるという手もまだある」
「おっと。それは怖い」

天の到着に意識が弛緩しかけた碓氷がその言葉にライフルを構え直す。
それに雪菜が悔し気に奥歯をかみしめる。
今の一言で、その最後の手段も封じられた。
こうなっては、銃殺刑を待つ罪人と同じである。

(スヴィア先生…………1人で走れますか?)

天たちに聞こえぬよう雪菜が小声でささやきかける。

(……正直、厳しいかもしれないが……なんとかしてみよう。どうするつもりだい?)
(私が何とかするから、だから先生は逃げて!」

そう言って、雪菜が駆けだした。

「哀野くんッ!!?」
「なっ!?」

雪菜のその行動に全員が驚愕の声を漏らした
雪菜が向かっていくのは碓氷ではない、特殊部隊である天の方だ。
ガラス片を握りしめ、頭と心臓と言った急所だけは両手で隠して一直線に向かって行く。

その突撃を受け、天は慌てることなく構えていた拳銃の狙いを定める。
そして冷静に向かってくる雪菜に受かって、その引き金を2度引いた。
弾丸が少女の肩と腹部を打ち抜き、返り血が宙を舞った。

これこそが雪菜の狙いである。
自らの体液を腐食性の酸とする彼女の異能。最も効果を発揮するのが血液だ。
それは防護服によって守護られた特殊部隊にとって致命となる死の雨だった。
赤い酸の飛沫は天に向かって降り注ぎ、その表面を溶かして行く。

「――――酸の血液ですか」

だが、

「確かにそれは僕たちに有効な攻撃だ」

そう言って、特殊部隊の男は手にしていたぼろ切れを放り投げた。
それは作戦開始前に荷物を改め碓氷より徴収した寝袋である。
寝袋は酸の雨を受けボロボロに溶け落ち、使い物にならなくなってしまった。
だが、一度きりの盾としては十分だ。

「しかし、対策をしてればどうという事はない」

事前情報があれば対策はできる。
これも十分な偵察と情報集をしたからこそ。
未知であるという異能者の最大級のアドバンテージも情報があれば覆せる。

「ぁ…………くっ」

決死の奇襲に失敗した雪菜がその場に膝をつく。
弾丸は貫通しており、傷口は酸による止血で血は止まっているが、銃撃の痛みはそう簡単に耐えられるものではない。
雪菜はその場に蹲り、動くことすらできそうになかった。
傷を抱えたスヴィアも動けない。

「終わりです」
「哀野くん……ッ!!」

返り血を浴びぬよう、距離を置いて銃を突きつける。
その場を動けぬ雪菜は俯いたまま。


263 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:13:45 8yeFX4dE0
「……いいえ。終わるのはあなたもよ」

そう言って自らの首元にガラス片を押し当てた。

「なっ…………」
「動かないで! 少しでも動いたら私は頸動脈を切り裂いて自殺するわ……!」

自らの命を人質とするような行為だ。
命を奪わんと殺しに来た相手にそれが何の意味があるのか?
碓氷は首をかしげるが、天はその意図を瞬時に理解し身を強張らせた。

酸の血液。
頸動脈の血管が切れれば先ほどとは比べ物にならない大量の血が噴き出すだろう。
この距離では飛び散った大量の血しぶきを全て避けるなどできない。一度きりの寝袋という盾も使い切った。
いや、噴水が如き頸動脈の出血は寝袋ごときでは防げないだろう。

相手が自殺する前に比較的出血量の少ない場所を打ち抜き射殺する、という手もあるにはあるが、最後の力で自殺を完了される可能性もある。
飛沫が防護服に当たって穴が一つでも空いたら致命傷となる天としてはそうもいかない。

「わかりました。ここは引かせて……」
「動くな…………ッッ!!」

後方に距離を取ろうとした天の足を雪菜の叫びが引き留める。
砕けんばかりに食い縛る口端から血を零し、血走った瞳は狂気すら感じさせた。

「…………動くな、まずは武器を……捨てろ」
「………………」

撤退と見せかけ、飛沫の届かぬ距離まで引こうと言う算段を見透かされた。
距離を取られれば終わると、他ならぬ雪菜自身が一番よく分かっているからだ。

混沌としてきた状況に、どうすればいい? と碓氷が視線を送ってきた。
碓氷が背後からヘッドショットできるなら解決する話だが、狙撃の腕など期待はできまい。
天はそのまま銃をスヴィアに向けているよう視線を返す。

「先生っ。私がこいつらを引き留めるから、今のうちに逃げて…………っ!」
「ダメだ。逃げるようなそぶりを見せたら撃て……!」

互いの叫びがぶつかり合う。
スヴィアが動けば碓氷が撃つ。
碓氷が撃てば雪菜は自殺しそれに巻き込まれて天も死ぬだろう。

一人の少女の自らの命も惜しまぬ狂気によって、誰かが動けば連鎖的に誰か死ぬ、そんな膠着状態に陥っていた。
状況を動かせるとしたら小田巻だが、戦闘は継続中のようだ。
駆けつけるのはまだ時間が掛かるだろう。

穏当に事態を収めるには要求に従い武器を捨てて、引くしかない。
だが、だからと言って引き下がれない。
己が矜持を捨てて素人まで引き入れ、ここまでやって何の成果もなしでは余りも無様だ。

「……素人にしてやられました……では素直に引けないんだろう……なら、成果をくれてやる」

唐突に、その場に蹲っていたスヴィアがそんなことを言い出した。

「どういう意味です?」
「ボクは…………元研究所の人間だ」
「ええ。それは把握していますよスヴィア・リーデンベルグ博士」

事前のブリーフィングで、村内で確認された重要人物は共有されている。
元研究所所属の人間が学校教師としていたともなれば警戒もするだろう。

「……流石は特殊部隊、優秀だね。だがそれなら……ボクの持つ情報の価値も理解できるだろう……?
 ボクはここに残って君たちに情報を与えよう……その情報と引き換えに…………彼女だけでも見逃してやってくれないかい…………?」
「話になりませんね。あなたが何を知っているというのです?」
「黒幕だよ」

間髪入れず差し込まれた答えに、天が虚を突かれたように動きを止める。

「ボクは…………この事件を引き起こした黒幕を知っている」

ハッタリにしても随分と大きく出たものだ。
そう天が切り捨てようとしたが、スヴィアは続ける。

「……未来人類発展研究所八王子本部、脳科学部門第7班元主任にして現副部長――烏宿暁彦。
 そして……この山折村支部に何者かを手引きし……直接的に事態を引き起こしたのは…………その部下である未名崎錬という男だ」


264 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:14:10 8yeFX4dE0
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

では、任務の内容を確認しましょう。
私達の任務は村の地下にある研究所で行われている研究内容の調査。
場合によっては破壊工作も含みます。

ええ、私もまったくバカな任務だとは思いますよ。
こんな事をしている場合じゃないと言うのに。
どこまで行っても人類は愚か、と言う事ですね。
ですが、お仕事ですので。

村には観光客として潜入します。
私が教師として潜入するプランもありましたが。
流石にこれだけ小規模なコミュニティだと採用枠が限られて、そちらはスヴィアさんの取られてしまいましたね。

スヴィアさんですか?
ええ、彼女には接触して内偵済みです。

今所の印象だと白ですね。
まあ引っかかる所がないでもないですが、研究所のと直接的な関わりはもうないでしょう。
ただ、これから向かおうと言う先に彼女がいると言うのも偶然にしては出来過ぎているのも確かです。

個人的な印象ですか?
アナタと違って、私そんなにプロファイリング得意じゃないんですけど……。
まあ、いいですけど。

そうですねぇ。話してみた印象としては知的で穏やかな理性的な女性だと思いましたよ。
ただ無意識でしょうが、過去に対する話題だけはやや後ろ向きな言動が多く、恐らく何らかの後悔を抱えていると思われます。
恋愛絡みの話題は露骨に避けてたことから男絡みだとは思いますが。

そして、言動の端々から責任感の強さは伺えました。
それこそ必要以上に背負う傾向が見えましたね。
多分、自分だけじゃなく身内の罪も自分の責任だと思うタイプですねあれは。

さあ……? それはどうでしょう。
この村の研究所にいる昔の男を追ってきたってのは流石に下衆の勘繰りすぎる気もしますが。
まあ偶然と切り捨てるよりかは、一応筋は通った理由ではありますね。

とりあえず、村での諜報活動はお任せします。
田舎町では私は少々目立ちますので。

嫌ですよ。この髪は私のトレードマークなんですから。
その分、戦闘はお任せください。
研究所にお抱えの特殊部隊なんかが居ても、私一人で壊滅して差し上げますよ。
私、最強なので。

え、何ですその偽名。正気ですか?
いや、うーん。まあこの国のありふれた名前と言えばそうなんですがありふれすぎていると言うか……うーん。
ま、いいか。その辺はお任せします。

それじゃあそろそろ向かいましょうか。
次の任務の舞台――――山折村に。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


265 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:14:40 8yeFX4dE0
「未名崎錬…………それって…………」

雪菜が呆然と呟く。
スヴィアがこの村を訪れることになった理由である、探していたと言う親友の名だ。
その名が何故、このタイミング出てくるのか。
この地獄の様な現状を生み出した者の名前として。

スヴィア・リーデンベルグ。
彼女が山折村を訪れたのは行方知れずとなった親友を探しての事である。
危篤となった未名崎錬の恋人である四宮晶の呟きを頼りにこの村にやって来た。
そこに嘘偽りはない。

だが、その目的が達成されたかどうか、その成果が語られたことはない。

あるいは、既に探し人を探し当て出会っていたとしたならば。
そこで何らかの事情を聴いたとするならば。
その事を、誰にも言えず抱えていたとするならば。

彼女の行き過ぎた責任感も、意味合いが変わってくるだろう。

「どういうことです? そんな情報をどこから……」
「おっと…………これ以上は…………こちらの条件を飲んでからだ」

天は考え込む。と言うより考えざるおえない。
心中覚悟とはいえ、一時的に武力が拮抗したとろで切り札となる情報を出す。
上手いカードの切り方だ。

だが、情報の真偽が不明すぎる。
確かに、研究所本部の脳科学部門の副部長のポストに烏宿暁彦と言う男が据えられているのは事実だ。
脳科学部門の部長は隊長たちのとの会議に同席した長谷川真琴。つまりは副部長とはそれに次ぐ権力者と言う事になる。

今回の作戦と直接的な関係はないため他の隊員はそこまで把握しているかは怪しい所だが、事前に資料に目を通していた天はそれを把握している。
だが、未名崎錬なる一研究員までは把握してない。

この情報を司令部に伝えられれば裏は向こうで取ってくれるだろうが。現時点では真偽を判断のしようがない。
これがこの場を凌ぎきるためのブラフである可能性は高いだろう。
元関係者と言う事もあって信憑性のある名前を出すことだって難しくはないはずだ。

「その情報が本当であるという確証がない。信用できませんね」
「信じられないと言うのなら……キミたちは……重要な情報を逃すことになるね……」

特殊部隊の任務は女王暗殺による事態の解決。
今この瞬間別の場所で実行犯たる天国を射殺した成田のように、それ以外の成果を考える必要はない。

だが、頭たる天の立ち位置は違う。
その後を考えねばならない。原因究明も無視はできない。
嘘とも言い切れない以上、ここで切捨てるのも躊躇われる。
せめてどのような内容を語るかくらいは聞いておきたいところだが。

「仮にこの少女を逃がしたとして、あなたが口を割るとも限らない」
「取引で嘘なんてつかないさ……何だったら……尋問でも拷問でもしたらいい。
 女一人の口を割らせるなんて…………君たちからすれば、簡単なことだろう?」

散々この村でそれ以上のことはしてきただろうと皮肉を込めて言う。
天は仮面の下の色違いの目を細め、自らの役割と成果について思案する。

「…………いいでしょう。この少女は逃がします。その代わりにあなたを連れて行きます」

どの道、何の成果も得られず終わる所だったのだ。
膠着状態を打開し、一応の成果を得られると言うのなら乗らない手はない。
天は雪菜に向けていた銃口を上げる。

「行っていいですよ。背中を撃つような真似はしませんので」
「ふざけないで! 勝手に話を進めて決めないでよ! 嫌よ、私は逃げない! 先生が人質になるくらいなら私が死ぬ!」

そうヒステリックに叫んで、首に押し当てたガラス片に力を籠める。

「哀野くん!」
「ッ…………先生」

怒りすら籠ったスヴィアの叫びがそれを引き留める。

「……自分から死ぬなんてのはやめてくれ。頼むよ」
「そんなっ、わた、私は……っ」
「なぁに……心配するな。捕らえられたところで……すぐに死ぬわけじゃない。2人生き残るためにはこれが最良の策だ」

それは嘘だ。
スヴィアが生かされるのは情報源である間だけだ。
情報を全て聞き出し終えたら容赦なく殺されるだろう。
そんなことは、この場にいる全員が理解してる。

「行くんだ……行ってくれ。ボクを思うのなら……どうかボクの覚悟を無駄にしないでくれ」
「うぅ…………くっ」

そう言われては反論のしようもない。
雪菜が涙を流しながら立ち上がると、走り出してゆく。
腹部を撃たれた直後でその足取りは歩くような速さだが、約束通り天は自らの横を通り過ぎる雪菜をスルーする。
地面に落ちた酸の涙が地面を溶かした。

それを最後まで見送り、天がスヴィアたちへと近づいてゆく。

「まずは小田巻さんと合流します。碓氷さん合図をお願いします」


266 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:14:59 8yeFX4dE0
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

モクドナルドの店先で、若き天才エージェントと新人特殊部隊員は激しい衝突を続けていた。
その足元には多くのゾンビの死体が転がっていた。

あるいは盾とされ。
あるいはライフル弾の射線を隠す目隠しとして利用され。
あるいは視覚を確保するために排除され。
多くのゾンビが2人の戦いに巻き込まれその命を散らしていった。

真理は元より、創もその流れに逆らわなかった。
ゾンビを庇って自らの身を危険に晒す訳にはいかなかったと言うのもあるが。
なにより、隠れ蓑となるゾンビが減ることは、真理の異能を削ぐ最大限の効果があると理解していたからだ。

創もゾンビを殺すこと自体は躊躇わない。
それこそゾンビに限らず正常感染者だろうが必要があれば殺すだろう。

だが、できうる限り殺さぬよう努めてきた。
あの燃え盛る炎の中で自分を救ってくれた誰かの様に誰もを救うヒーローの様に。
自分にならそれが出来ると思っていたから。

だと言うのに、それが出来ないのは実力が足りていないからだ。
自らの至らなさこそが、彼に苦い思いをさせる正体だ。

だが、ゾンビが減った事でようやくフィールドが整い、敵を見失う事はなくなった。
ようやく本格的な攻勢に出られる、と考えた所で。
遠くで銃声が響いた。

どこかで空に向かって弾丸が打ち上げられたのだ。
それを確認した真理が創から離れるように後方に引いた。

それを見て、創はようやく別動隊の存在に気づいた。
今のは撤退の合図だ。
足止めをしているつもりだったが、足止めされているのはこちらの方だった。

「待てッ!」

らしくない無意味な叫び。
待てと言われて待つ人間などいない、すっと真理が物陰へと姿を隠す。
真理の異能で撤退に徹されれば追う手段はないだろう。

「くっ…………!」

創は慌てて銃声の在った方向に向かう。
合流地点は別にあってその場にいるとは思えないが、駆けださずにはいられなかった。

少し走った所で前方からやってくる誰かを発見した。
向こう側からやってきたのは腹部を押さえボロボロになった雪菜だった。

「哀野さん!? いったい……」
「――――スヴィア先生が特殊部隊に攫われた」

創の言葉を遮るように雪菜が暗い声でそう告げた。
震えるほどに握り締めた拳の中にはガラス片が握られており、滴る血が石畳を溶かした。

「…………あなたのせいよッ。あなたが無茶な作戦を立てるから!
 私言ったよね! もっと安全な作戦があるんじゃないかって!?
 偉そうに自分なら出来るって言っておいて、結局何にもできないじゃないッ!!」

雪菜は沸き上がるままに黒い感情をぶつける。
何も出来なかったのは雪菜も同じ、身勝手な言い分だ。
それでも罵詈雑言は止まらなかった。

創は返す言葉もない。
これらは全て創の失策だと創自身がそう責任を感じていた。

作戦立案をしたのも指揮をしたのも創である。
失敗を取り返さなければと下らないプライドに拘って視野狭窄に陥っていた。
その結果がこれだ。

「返してよ! 私の大事な人を! 取り返してよッッ! 今すぐにッ!!」

誰かに依存し執着した存在を失うのを恐れる少女は縋るように少年に掴みかかる。
掌から滴り落ちる血液が、掴んだ創の二の腕を焦がした。

残されたのは心身ともに傷付いた少年と少女。
何の成果も得られず、多くのモノを失って。
それでもなお傷つけあうのか。


267 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:15:55 8yeFX4dE0
【E-5/商店街・モックとドラッグストアの間/一日目・午前】

【天原 創】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、
[道具]:???、デザートイーグル.41マグナム(3/8)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.もうこれ以上の無様は晒せない……
2.女王感染者を殺せばバイオハザードは終わる、だが……?
3.スヴィア先生、あなたは、どうして……
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています

【哀野 雪菜】
[状態]:後悔と決意、執着と依存、肩と腹部に銃創(異能で強引に止血)、右腕に噛み跡(異能で強引に止血)、全身にガラス片による傷(異能で強引に止血)、スカート破損
[道具]:ガラス片
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。これ以上、後悔しないためにも。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.止めなきゃ。絶対に。
3.あの声、叶和なのかな……?
4.叶和は、私のこと恨んでるの? それとも……?
5.この人(スヴィア)、すごく不器用なのかも。
[備考]
※通常は異能によって自身が悪影響を受けることはありませんが、異能の出力をセーブしながら意識的に“熱傷”を傷口に与えることで強引に止血をしています。
無論荒療治であるため、繰り返すことで今後身体に悪影響を与える危険性があります。
※雪菜が聞いた『叶和の声のようなもの』に関して、思い込みによる幻聴か、もしくは別の要因のものであるかどうかは、後述の書き手におまかせします。

【E-5/商店街・北端辺り/一日目・午前】

【小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾0/5)、血のライフル弾(10発)、警棒、ポシェット、剣ナタ
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.乃木平たちとの合流
2.女王菌を隔離するため研究所を探す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。

【E-5/商店街と建築会社の間/一日目・午前】

【乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、医療テープ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具(※)
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.小田巻さんと合流後、場所を移してスヴィアを尋問する。
2.小田巻さんと碓氷さんを指揮する。不要と判断した時点で処する。
3.能力をちゃんと理解しなければ。
4.黒木さんに出会えば色々伝える。
5.あのワニ生きてる? ワニ以外にも珍獣とかいませんよね? この村。
6.某洋子さん、忘れないでおきます。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを察してます。
※診療所や各商店から医療テープ・爆竹花火・着火機具以外にも何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換をおこなっています。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。

【碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    山歩き装備、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.女王菌を隔離するため研究所を探す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。
※真理の隠形には気付いていますが、異能かどうかは確信していません。

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷、右肩に銃痕による貫通傷(止血済み)眩暈
[道具]:???
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.尋問に応じる
2.ボクってば、情けないな……
3.上月くん達のことが心配なのに、このザマだと、探すことすらままならない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません


268 : それぞれの成果 ◆H3bky6/SCY :2023/07/01(土) 18:16:13 8yeFX4dE0
投下終了です


269 : ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:23:42 lxa3xg7Y0
投下します。


270 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:24:45 lxa3xg7Y0
『おれ、いつかヒーローになる!』

春の穏やかな日差しが差し込む剣術道場にて。玩具の剣を天高く突き上げた堂々たる佇まいで宣言する少年。
子供向けの活劇――弟子の一人が言うには『特撮』というものらしい――に影響されたのであろう齢十にも満たぬ孫の決意に思わず頬が緩む。
屈んで目線を合わせる。穢れを知らない孫の瞳は朝日にも負けぬほどきらきらと美しく輝いていた。

『なれるぞ。哉太が誰かを守る、という強い志があればな』
『守りたいもの……?』
『そうだ。儂には婆さんやお前、お前の両親……山折村の人々がおる。哉太には誰かいないのか?』
『おれ?うーん……圭ちゃんはおれより喧嘩が強いし、光ちゃんと珠ちゃんは圭ちゃんが守ってくれるし。うーん、うーん』
『ははは、力の強さは関係ないぞ。力がなくとも誰かに寄り添い、力となる。それさえできれば哉太はヒーローになれる』
『……よく分かんない』
『今は分からずとも良い。そうさな、もう少し大きくなれば自ずと理解できるであろう』

顎に手を当てうーんと唸る幼き孫。その頭を撫でてやると複雑な表情を浮かべる。そして―――。

『一番乗りーーー!ってなあんだ、もう哉くんいるじゃん……』

肩まで伸びた濡羽色を靡かせ、登場する子供が一人。
哉太よりも数年ほど年上の少女。哉太は露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

『茶子姉、朝からうっさい!』
『あ、先生おはよっす』
『無視すんな!』

先程の悩ましい姿はどこへやら。哉太は騒がしい来訪者――虎尾茶子へと文句をぶつける。

『だいたい茶子姉はいっつもおれをバカにして……あだっ!』
『一番早く来たならモップ掛けくらいしなくちゃデコピンの刑だ』
『してから言うなよ!』
『あーいえばこーいう。そんな生意気言ってたら女の子にモテないよ。そんじゃモップ掛けしますね。ほら、哉くんもちゃっちゃと歩く!』
『おれは別に女になんか……ああもう、自分で歩けるから引っ張るなよ!』

片手に玩具を持ったまま、ずるずると引き摺られる哉太を見送る。
八柳哉太と虎尾茶子。二人の戯れは己と嘗ての親友、木更津網太の在りし日のやり取りを思い出させた。

『二人なら大丈夫。大丈夫だ、きっと……』

山折の歪みを知らぬ純粋無垢な二人。
かつて道を違った愚かな老人と同じ轍を踏まぬよう、藤次郎は祈った。


271 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:25:48 lxa3xg7Y0


「なんか?!それって烏宿さん達が言ってたヒグマ?!それとも……」
「スーツを着こなして二足歩行でダッシュするお●ックベアーなんて知りませんわよ!耳に●●メン詰まってますの!?」
「勝子サンの見た目で言うとアウトな気がするんだけど!!」
「哉くん、誰が言ってもアウトだよ!」

亡者蔓延るゴーストタウンに響く駿馬の蹄音とそれに追従する追跡者の砂利を踏む疾走音。
そのコーラスをバックに麗しい見た目の男女が馬上で騒ぎ立てる。

金田一勝子、八柳哉太、虎尾茶子の三人は犬山うさぎの要請を受け、湯川邸にて特殊部隊と相対している彼女の友人を救助に行く最中である。
うさぎによると要救助者は女子高生の岩水鈴菜とプロレスラーの暁和之の二名。
彼女の異能により召喚した馬の出現時間は午前七時まで。馬が消える時間まで凡そ三十分前後。
湯川邸と袴田邸への往復を考えると急ぎ湯川邸へと向かわなければならない。

背後より迫る殺気。常人であれば身を竦ませ、思考を停止させるであろう禍々しい死神の気配。だがその気を受ける三人は只人では非ず。
金田一勝子は不死鳥の如く黄泉還りを続けた誇り高き金田一一族末裔の長姉。
八柳哉太と虎尾茶子はいずれも立場の違いはあれど現代の鉄火場にて命のやり取りを得た武芸者である。
故に三者とも異常事態の中の異常事態においても平時と変わらぬ思考が可能であった。

「だったらあの豚野郎みたいにトチ狂った感染者か!?」

そう叫びながら哉太は背後を振り返り、馬との距離を縮めつつある追跡者の正体を探る。
黒スーツ姿で短く切り揃えられた白髪に伸びた白髭。利き手に刀を手に持ち、疾走する長身痩躯の老人は―――。

「爺ちゃん!!」

安堵と歓喜の入り混じった声で哉太は己の師――八柳藤次郎を呼ぶ。
その言葉と同時に哉太の前で馬にしがみついていた茶子が一瞬、身を固くした。

「哉太さんの知り合いですの!?」
「ああ!俺と茶子姉に剣術を叩きこんでくれた俺の家族だ!」
「でしたら――」
「ああ!味か――」
「勝子ちゃん!!馬の速度を上げて!!」
「え?」
「早くッ!!!」

金切声と聞き間違えんばかりの声量にて虎尾茶子は叫んだ。
その迫力を前に勝子と哉太は目を丸くする。


272 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:26:32 lxa3xg7Y0
「な……どうした茶子姉!?爺ちゃんは――」
「あたしらに殺気をぶつけてぶっ殺そうとしてくる爺が味方な訳ないだろ!!!」

普段の飄々とした姉弟子とは思えぬ切羽詰まったような彼女の声色に動揺を隠せない。
「何かの間違いだ」と否定するため、哉太は藤次郎に再び声をかけるべく背後を振り返り、言葉を失った。

爛々と燃え盛る獅子の如き鋭い眼光。
朝陽に照らされる鈍ら刀の赤黒い輝き。
スーツとスラックスを湿らせ、Yシャツと白髪を鮮やかな紅に染めあげた姿。
喜悦を表す禍々しい三日月を描く口角に、その隙間より覘く犬歯。
こちらを視認しても尚、未だ枯れ木のような痩躯より放たれる悍ましき剣気。
その姿はまさに悪鬼であった。

ふと、老人と手をつないだ幼い兄弟のゾンビがすれ違う。
その刹那に赤染の刃が振るわれる。それと同時に二人の首がころりと落ちる。
地に着く前に藤次郎は小さな方の首を掴んで下手投げをした。

「勝子サン!!」
「―――ッ!?ええ!!」

馬の股下を潜り抜けた首の行き先は馬の疾走先。異物にて転倒を目的とした投擲。
勝子は哉太の声にて瞬時に狙いを判断し、手綱を引いて障害物の少ない大通りから瓦礫やゾンビで溢れかえった小路へと行先を変更させる。

「これでッ!距離をッ!取れますわねッ!」

瓦礫を躱しつつ、確認するように背後の八柳流の武芸者二人に問う。
哉太は打刀の峰で打ち、茶子は木刀を振るって群がるゾンビを吹き飛ばしつつ、同時に答える。

「いや、まだだ!」「まだ速度を緩めないで!」
「え」

予想外の返答に勝子の頭に疑問符が沸き、思わず振り返った。

「な……な……なんですのォォォォォォォ!!?」

瓦礫などの障害物に足を取られることもなく、藤次郎は馬との距離を縮めつつあった。
剣鬼は地を這うのではなく、壁を蹴り、反対側の壁へと移る。その反復作業にて疾走していた。
途中、ゾンビとすれ違えば刃を振るい、その頸を落としていく。
技の名は『猿八艘』。狭所にて銃火器を持ったヤクザ者共と斬り結ぶために生み出された凶手の技である。


273 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:27:07 lxa3xg7Y0
馬の速度が一瞬緩む。ふ、と藤次郎は嗤う。
剣聖の異能にて極限まで強化された脚力にて壁を蹴り、空高く飛ぶ。
構えは上段。振り下ろし先は左腕に包帯を巻いている最強の門下生ではなく、八柳流きっての麒麟児たる少年。

「哉くん!!」
「ああ!!」

茶子の言葉で哉太は馬上で振り返り、打刀を構える。
祖父と孫。互いに足は地に着かず、万全な体勢ではない。しかしてこの一合は才ある者以外にはできぬ立ち合いである。
藤次郎の技は上段からの振り下ろし『天雷』。哉太の技は受け流しの術『空蝉』。
どちらも平時においては体操の一環。しかし、武芸者にとっては形稽古の一部。

血濡れた妖刀と薄らと淡い光を放つ聖刀が火花を散らして十字に交差する。
打ち合った藤次郎の鈍が哉太の業物の切っ先へと滑り、受け流される。藤次郎の眼前に割れたコンクリートが映る。
体勢を立て直さんと藤次郎が宙で身体を捩ると目の前に現れたのは火のついた爆竹二本。
間を置かずに破裂し、藤次郎が仰け反る。視界を失った僅か四半秒。視界を取り戻した時に左目に映ったのはサバイバルナイフの切っ先。

「―――ッ!」

茶子の投擲したナイフが左目を潰し、藤次郎は僅かに苦悶の声を上げる。
剣聖の異能により若き天才達の術や物体の動作は予知できていた。しかし、対処不可能な状況を動かしたのは比翼の連携。

「―――くく。見事だ」

突き刺さったナイフを引き抜き、投げ捨てる。
狩られるだけの兎では非ず。よもすれば己が狩られるかもしれぬ。
左目から歓喜の血涙を流す隻眼の剣聖は獰猛に笑った。

「なんですのーー!!あのびっくり老人はーー!!」
「短距離ならあたしも哉くんもできるけどなーー!」
「ゑ」
「あんまり時間は稼げそうにない!哉くん、引き続き後ろの警戒お願い!」
「…………」
「哉くん!!」
「――ッ!ああ、茶子姉悪い!!」

茶子の叱咤により哉太は我を取り戻す。
殺人鬼へと変貌した尊敬する祖父。その事実は哉太に決して小さくないショックを与えた。

『お孫さん?それはお気の毒。あの人はあなたも迷いなく斬るわよ。
大人げない?そうかもね。けれど、事実は事実。受け入れられないなら、死を以って思い知ることになるでしょうね』

脳裏に過る小田巻真理の諫言。「何かの間違いだ」と否定したかった彼女の言葉は現実という刃に変わり哉太の逃避を断ち切った。
己が悪と定めた相手であれば躊躇わず斬れ。その言葉を守り、迅速な判断を下した茶子。
対して自分はどうだ?昔から変わらず姉弟子におんぶに抱っこではないか。
これでは茶子姉を―――。


274 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:27:36 lxa3xg7Y0
「勝子サン!!速度を上げてくれ!!また爺ちゃんが迫ってきた!!」
「Geht klar(了解)!」

哉太の言葉で勝子は馬を急がせ、瓦礫を躱しつつ馬は更に速度を上げた。

「勝子ちゃん!!行き止まり!!」
「ええ、知ってますわ!!」

焦りを滲ませた声の茶子に対し、勝子は落ち着いた様子で返答する。

「茶子さん、爆竹はまだ残ってますの!?」
「残り四つ!」
「丁度ですわね!!」

その言葉に茶子は問を抱き、どういうことかと問う前に哉太が茶子だけに聞こえるような声量で答えた。

「勝子サンの異能だ」

手負いの老獣が獲物を今度こそ仕留めんと疾走する。
道中に瓦礫や罅割れはなく、速度は最高速度。
袋小路に追い詰められた獲物を前にしても剣聖に慢心はない。
走りながら若人達の様子を観察する。
火のついた爆竹が四つ茶子からハイカラな少女、哉太へとリレーされる。
先程と同じ手ではあるまい。茶子や哉太が木更津家の阿呆息子とは知性も胆力も違うことは藤次郎自身が一番良く理解している。
なれば、手を打つ前に足を奪う。

刀を下段に構え、腰を落とす。半呼吸置いた後に地滑りの如き疾走にて距離を詰める。
術の名は『這い狼』。対敵が得物を構える前に疾走し、速度を落とさずにすれ違い様に刃を振るい、足を奪う技である。
疾走する様はまさしく狼。哉太は振り返らずに四つの爆竹を遠方へと放り投げた。
一瞬、哉太の奇行に疑問を覚えるが既に技の水月。刃を振るおうとするも、第六感が告げるのは斬り飛ばされた馬の脚ではない。
直感の告げる通りに刀を構えなおすと突如、馬が蜃気楼の如く消え失せた。
代わりに現れたのは破裂寸前の爆竹四つ。藤次郎は二度刃を振るい、導火線を断ち切った。

(異能か……)

またしてもしてやられた。だが老人に落胆はなく、あるのは歓喜。

「――やはり彼奴らこそ儂の最大の難敵よ」

きひひ。
切っ先より血を滴らせ、隻眼の悪鬼は歪んだ笑みを浮かべる。




275 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:28:04 lxa3xg7Y0
『あ。おーい、無事ですか?茶子先輩に……哉太先輩』
『おーっす、碧ちゃん。結構揺れたねー』
『おう……しばらくぶり、碧ちゃん』

夜十時半。古き木工建築物が建つ古民家群。街灯が赤・黒・金の髪の若者たちの姿を照らした。
赤髪の少女――浅葱碧。黒髪の少年――八柳哉太。金髪の女性――虎尾茶子。
それぞれ八柳道場にて剣術を学んだ天才達である。

『その……俺……』
『あ……いいえ!わたしは噂なんて信じてませんよ!哉太先輩が暴力沙汰を起こせるような人じゃないことは知ってますし!』
『そーそー。一年前のことを気にしてるのは古臭いジジババ共に哉くん含めた圭介軍団ぐらい……あ、媚び塚もいたか』

「ケッ」と吐き捨てる茶子と精一杯のフォローをする碧。二人の姿にほんの僅かだが哉太の中に巣食う罪悪感が薄れた気がした。

『で、だ。勢いのまま臨時避難所になった道場から飛び出してきたんだがどうする?俺は商店街で必要なものを買い集めようと思っている』
『まーあたしは役場直行だね。はすみやおハゲ様一号二号も多分何徹もするだろうからあたしも同じくらい仕事しなきゃね』
『わたしはその、哉太先輩と一緒に必要物資を商店街で集めようと……』
『碧ちゃんは山折達のいる高級住宅街に向かった方が……』

哉太がそう言うと、茶子はハァーと深いため息をついて彼の肩に手を置いた。

『哉くんさぁ……失恋した女の子の気持ちくらい考えなよ。圭介にフラれて旅に出ますって書き置きして一週間行方眩ます程繊細なんだよ、この娘』
『秘密にしてって言ったのにぃ……茶子先輩の裏切り者ぉ……』
『あー気まずいよな、それ。だったら俺と一緒に買い出しに――』
『いや、哉くんは圭介達のところに行きな』

茶子の思わぬ提案に哉太は言葉を詰まらせた。一年前の事件は茶子も碧も知っている筈だ。
「どうして」と理由を問う前に碧が口を開いた。

『圭介先輩達が困っていると思います!光先輩とみかげ先輩と珠ちゃんのストーカーもいるから危険だし……哉太先輩が助けに行ってください!』
『ヤクザの事務所もあるしね。圭介と諒吾じゃ手に余ると思うんだわ。こんな可愛い後輩を野獣の巣窟に放り込む訳にも行かないだろ?
それに……圭介の奴、意地っ張りだから君が大人になって早く折れてやりなよ』
『―――そう、だな……。できる限り、努力する』

逡巡しながらも茶子の言葉に首肯で返答する。素直な弟分に茶子は優しい笑みを浮かべ、彼の背中を叩く。

『良し。話はまとまったことだし、行こう。その前に……碧ちゃん、ほい。これ買い出しの費用ね』
『あ、ありがとうございま……ええええ!ごごご五万円!?』
『お釣りがあったら好きなもん買いな。模造刀でも買って『ヒノカミ神楽ー』って道場で練習していいよ。あたしが許可する』
『許可するのかよ』
『な……なななななんでそんなことをををを……!』
『いやぁ、ほらさ。あたしもたまに早く来ることがあるんだよ。そしたらほら。碧ちゃんが踊ってた』
『―――――』
『碧ちゃんが死んでるだろ。止めて差し上げろ』

白目を剥いた碧を揺り起こす。そして改めて茶子が二人に向き直り、茶子が号令を出す。

『じゃあ、あたしは役場で仕事。二人はそれぞれ役目を果たしたら樹爺さんと先生のいる道場に集まってジジババ共の世話な』
『うっす』『はい』
『それじゃあ解散!』

『ところで……わたしもなんですけど、どうして皆木刀を、哉太先輩は何で刀と脇差持ち出しているんですか?』
『自衛用』『正当防衛用』
『わたしが言えたことじゃないですけど物騒ですよ。哉太先輩に至っては警官に見つかって職質受けたら一発アウトです』




276 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:28:35 lxa3xg7Y0
「これからどうしますの!?この距離ではあのお●ックモンスターにすぐに追いつかれますわよ!!」

異能によるトランスポートの先――遮蔽物の少ない大通りにて疾走を続ける美馬の馬上にて勝子は二人の剣士に問う。
彼女の言葉通り、異能により強化された藤次郎の身体能力及び索敵能力では彼らが補足されるのは時間の問題であろう。
決断をすべく茶子が口を開く前に、哉太が声を張り上げた。

「俺が爺ちゃんの相手をするから茶子姉と勝子サンは諒吾くんの家に向かってくれ!!茶子姉、諒吾くん家分かるよな!?」
「分かるけどッ!あれは多分特殊部隊員よりも強いよ!どうするのさッ!?」
「俺の異能は自己再生の異能だ!急所さえ守れば十分に勝ち筋はある筈だ!」

困惑した声を絞り出す茶子に向かって話す。そして一呼吸置いた後に再び哉太は声を上げた。

「爺ちゃんの手足を奪ってでも必ず止めて見せる!全て終わった後に法の裁きを受けさせるんだ!!」

ほんの一瞬だけの沈黙。勝子と茶子に浮かぶ感情は納得か、それとも呆れか。

「そうですわね!!残りの余生は豚箱で臭い飯を食わせましょう!!」
「……ま、哉くんならそういうと思ったよ」

一番に口を開いたのは勝子。納得したというような声で哉太の言葉に肯定の意思を見せる。
次いでため息と共に言葉を紡いだのは茶子。こちらは少しだけ呆れているような声色。しかし言外に了承の答えを返した。

「それじゃあ降りるから馬の速度を―――」
「ちょおおおお!!もうすぐウマミさんがご退去されますわ―――!!?」

驚愕の声を上げながら、勝子は馬の手綱を引いて、速度を減速させる。
しかし完全な静止に間に合わず、午前七時を迎えると同時に馬の姿は掻き消え、三人の身体が宙に投げ出される。

「きゃっ!」「くっ!」「うおっ!」

三人は地面へと転がる前に受け身を取り、肉体へのダメージを最小限に抑えた。
素早く体勢を整えて工法を確認するとこちらへと疾走してくる老人が一人。いうまでもなく藤次郎である。
もう一刻の猶予もない。

「――――ッ!茶子姉!勝子サン!後は頼んだ!!」

背後の二人に叫んで、哉太は悍ましき剣聖へと疾走する。
死へと向かっている自覚はある。最悪、相打ちになってでも止めなければならない。
背後の大切な人への未練を残しながら、打刀を構えて若き剣士は師へと立ち向かう。




277 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:30:11 lxa3xg7Y0
草木も眠る丑三つ時。山折総合診療所の地下空間にて懐中電灯を手に持った男が二人、足元に警戒しながら突き進んでいた。
一人は中年に差し掛かろうとする逞しい体つきの男。つい先日、山折村の村長になった男、山折厳一郎。
もう一人は中年を既に通り越して老人へ変貌する手前の長身痩躯の上品な顔立ちの面影を残す男、八柳藤次郎。
二人は山折村の歪みを探るべく、田宮院長へと交渉し、この日の深夜に限り診療所の地下施設を探索する許可を得たのである。

『なあ、藤次郎先生。こんな黴臭いところに山折村の歪みって奴が本当にあるのかよ』
『ああ。蛇茨の一族から聞いた話によればここに山折村の禁忌が眠っているらしい』
『胡散臭えな。総一郎辺りならば飛びつくかもしれんが、眉唾者だろ。遂にボケたか、爺さん』
『生意気抜かすな、厳一郎』
『誰のおかげで交渉が進んだと思ってやがるんだ』
『そこはお前に感謝している』
『だったらもっと敬ってもいいんじゃないか?』
『昔からお前は煽てると調子に乗る性分であろう。いつまで若造のままでいるつもりだ』
『へいへい。先達様のありがたいご忠告、しっかりと心に刻みましたよ』
『はぁ……まあ良い。探索を続けるぞ』

コツコツと草履と革靴の足音を響かせ、施設内を探索する。
鍵のかかった扉があれば、院長より借りたマスターキーを使って開錠していき、部屋内を調べる。
しかし、出てくるのは綿埃と錆びた実験機材、そして住み着いた溝鼠だけであった。
その度に藤次郎は大きなため息をつき、厳一郎は大あくびをする。

施設内の探索が粗方終わり、残りは一部屋のみ。

『むぅ……』
『何も無かったろ?山折村は昔からド田舎でしたで終了。めでたしめでたし』
『そう……かもな。すまんな、厳一郎。老人の戯言に付き合わせてしまって』
『いきなりしおらしくなるなよ爺さん。餓鬼の頃に戻ったみたいで割と楽しかったぞ』
『そうか……。ところで、明日の仕事はどうするつもりだ?』
『嫌なことを思い出させるなよ……。残りの仕事はせいぜい書類整理くらいだし、総一郎に頭を下げて代理を頼んどいたから問題ない』
『要領がいいことはお前の美点ではあるな』
『だろ?』

普段の村長としての威厳を投げ出し、昔のように軽口を叩く厳一郎に苦笑する。
そして、マスターキーを使用して最後の部屋の扉を開けた。

『ここは……書庫か……?』
『みたい……だな』

顔を見合わせ、二人は改めて部屋の中を懐中電灯で照らす。
そこには本棚にぎっしりと古書が敷き詰められており、黴の臭いがするものの、保存状態はそこまで悪くないように思える。

『確認するぞ』
『全部って訳じゃ、ねえよな』
『それらしい本を見るだけでいい。時間も時間だからな』

藤次郎は本棚からラベルのはがれた本を手に取り、中身を確認する。
厳一郎も藤次郎に倣い、適当な本を手に取り、ペラペラと頁を捲った。

だが、そこに記されていたのは山折村の原罪そのもの。
紙を捲る音がする度に脳に刻まれるのは人の悪徳。山折村の罪科そのもの。
額から汗が吹き出す。喉の奥から掠れた声が漏れる。
本を読み終え、次の本に手を伸ばす。そこに書かれていた事柄も山折村の悪意。
ちらりと厳一郎の様子を見る。気怠げな雰囲気は鳴りを潜め、目を見開いて山折村の歪みに目を通している。

気づけば腕時計は朝の七時を指していた。田宮院長と約束した時間は残り僅かだ。
藤次郎と厳一郎。どちらの顔色も青褪めている。沈黙が書庫を支配する。

『……ここにある本、持てるだけ持って行って焚書するぞ』
『……だな』

先に口を開いた藤次郎に厳一郎は機械的な相槌を打った。
山折村の歪み。それは単純なものではない。複雑怪奇に絡み合い、歪みが歪みを読んでいる。
村の存続を願うのならば目を逸らすこと。村民の幸せを願うのならば山折村を廃村へと追い込むべきもの。


278 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:30:48 lxa3xg7Y0
『……先生、どうするつもりだ?』
『……分からん』

二人の重い足取りが地下施設の中に響く。
藤次郎にとっても厳一郎にとっても山折村は愛すべき故郷。
特に藤次郎にとっては「古き良き村」として深い愛着を持っていた。

『……俺は、山折村を存続させるべき……だと思う。総一郎も、剛一郎も一緒に育った村だ』

厳一郎の選択は歪みの封印。藤次郎も、愛する妻や息子夫婦たちのためにもそうすべきだと感情で考えている。
しかし、理性では公表し、廃村へと追い込むべきだと思考している。
だが、新しき村長である山折厳一郎の意思はどうなる?そう考えると、理性を追いやってしまう。

『厳一郎、今宵のことは他言無用だぞ……』
『……分かっている』

力なく頷き、厳一郎は藤次郎の後ろを追従する。
山折村の歪み。一つ一つならば都市伝説、昔話などと笑っていられるもの。
ともすれば新たなホラースポットとしてネタにできそうなものである。
しかし、その歪みを複雑に繋げ、絡ませた人物。確認した書物にて必ず記されていたとある人物。
彼の名は―――。



「―――ふむ、来たのは貴様だけか。茶子はどうした?」
「………爺ちゃん、何でこんな馬鹿げたことをしてるんだ……」

亡者蔓延る地獄街。鉄錆の臭いを運ぶ微風が立つ生者二人の身体を撫でる。
片や格式張った帰り血塗れの洋装を纏う老紳士。片や平服を所々己の血で染めた老紳士の面影のある少年。
歓喜と苦渋。老人と若人。師と弟子。相反する命題を以って祖父と孫は対峙する。

「なに、疑問に思うことはあるまい。我が悦楽のためよ」
「訳……分かんねえよッ……!!」
「未熟な貴様には未来永劫分かるまい」

ぐにゃりと嘲りに歪んだ表情が哉太の眼に焼き付く。
その姿に一瞬、数時間前に相対した魔人気喪杉禿夫の粘ついた笑みを幻視した。

「喜べ、哉太。貴様に手土産をやろう」

悍ましき狂笑を浮かべたまま、藤次郎は後ろ手に隠していたある物体を突き出した。
短く刈り込んだ黒髪。太い眉に一重の瞼。下膨れした頬。見間違うはずもない、幼馴染の親友の顔。


279 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:31:15 lxa3xg7Y0
「諒……吾……くん……!」

山折圭介の子分にして八柳哉太の弟分。
心の奥底では、また六人で笑い合いたいと願っていた。
その願いはもう叶うことはない。

目を見開く哉太を他所に悪鬼は嗤い、手に持った頸を前へと放り投げる。
そして先程とは打って変わって穏やかな笑みを浮かべて哉太の方へと一歩、一歩と足を進める。
ぴたり、と諒吾の頸の前で悪鬼は足を止める。振り上げられる足。鉄杭の如き震脚が地を震わす。
諒吾の頭蓋が砕け、脳や血が藤次郎の草履と黒い足袋を濡らす。

「儂はこの地獄にて斬った頸の数など数えておらぬ。逃がしたのは一つ。嵐山岳が逃した小娘一人だ。
この地にいる人間は殺す。来訪者も住民も特殊部隊の人間も、例外は誰一人認めぬ」

血濡れた切っ先を愛する家族へと突きつけ、鏖殺を宣言する。
分かり切っていたことだが交渉の余地はない。
奥歯が砕けるほどに口を噛み締め、握り締めた柄から血が滲み出る。
前を見据え、聖刀を構える。獰猛な笑みにて対敵も同様に妖刀を構える。

一条の風が吹く。それを合図に二人の武芸者は同時に駈け出した。



「うぷ……げェ……!」

有磯邸より少し離れた小路。崩れたコンクリートブロックの陰で天宝寺アニカは嘔吐していた。
朝食として食べた菓子パンを全て吐き出し、荒い息を吐く。壁に手を付いて立ち上がろうとするも、立ち眩みを起こし、座り込んでしまう。

(さっきよりはだいぶ楽になったけど……まだ、きついわね……)

彼女の体を蝕むのは夾竹桃の毒。宇野和義の策と己の失態が重なった結果である。
その毒はアニカの顔全体に巻かれた包帯――犬山はすみの祝福を受けたもの――により回復しつつあった。
このまま安静にして時を待てば快復するであろう毒だが、アニカの頭にはその選択肢はない。

(はやく……リンを見つけなくちゃ……!)

殺人を犯した幼き少女。彼女は保護者である虎尾茶子を探してこの危険地帯を彷徨っている。
リンの無事も気になるが、それ以上に異能と彼女のパーソナリティが引き起こすかもしれぬ事象に猛烈な不安を感じる。


280 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:31:41 lxa3xg7Y0
もしアニカがリンに異能を教えてなければ殺人の咎を負うことはなかった。
もしアニカが宇野和義を見誤らなければ二人ではすみ達のところへ戻ることができた。
しかし、そうはならなかった。

アニカはリンに異能を教えたせいで、幼い少女の選択に「殺人」という項目が追加された。
そして、その殺人がなければ宇野和義はアニカを殺し、リンを弄んでいた。

堂々巡りになる思考。その経路でガリガリと削れる探偵としてのプライド。否定される自分の正義。
その事実は未だ成長過程にある少女の精神を容赦なく抉った。

もうこれ以上、失態を犯せない。
弱った精神が焦りを生み、衝動に突き動かされるまま、少女は矮躯を動かす。

スケートボートの上にしゃがみ込み、手で地面を蹴ってゆっくりと走り出す。カラカラと音を立て光差す抜け道へと走り出す。
目指す先はアニカ自身にも分からない。



血風が嵐の如く吹き荒れる。業物と鈍がぶつかり合い、火花を散らす。
嵐の中心にいるのは八柳哉太と八柳藤次郎。風を生み出すは八柳新陰流の剣。
破壊を生み出す輪舞の中には何人たりとも侵入を許さない。強引に割り込めば待つのは死。

「―――ッ!」
「―――ククク……」

少年は苦悶の表情で顔を歪め、老人は喜悦の表情で顔を歪める。

藤次郎の異能は『剣聖』。己が刀剣と認めたものを身に着けた時に限り、肉体的なギフトを授ける。
哉太の異能は『肉体再生』。己の治癒力を引き上げ、死を遠ざける。
この闘争において必須であるものは肉体的な強さと殺人の技術。
平時であれば技術や全盛期に近い肉体を持つ哉太が圧勝するが、異能によるブーストが若さを軽々と追い越す。
藤次郎の左目は潰れているが、魔人とも称すべき強さにおいては些事である。
嵐の如き藤次郎の剣に哉太は一方的な防戦を強いられていた。
瞬きでもしようものなら、その瞳は未来永劫開くことはないであろう剣舞。

悪鬼の狙いは哉太の異能を知ってか知らずか急所。時折牽制を入れつつ猛攻を続ける。
しかして、藤次郎は哉太との斬り合いにて違和感を感じる。

(此奴、既に儂の剣筋を見切り始めておる……!)

全身を膾切りにされながらも哉太は藤次郎の刃に追従しつつあった。
己の第六感をもすり抜けんとする恐るべき才能。最強の門下生たる虎尾茶子にも匹敵する。
刃を折ろうにも己の刀といくら斬り結んでも刃こぼれ一つしていない業物。
このまま持久戦を続ければ、何れ己の頸にも届くである。
しかし、哉太は藤次郎には決して届くことはあるまい。武芸者として不可欠なものが一つ、欠けている。


281 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:32:05 lxa3xg7Y0
「貴様、未だ迷っているな」
「――――ッ!」

八柳流『登り鯉』にて哉太の剣は防がれ、肘鉄によって体制が崩される。しかし才能のなせる業か。返し刃は首に届かず逸らされる。
一瞬の空白。しかして振り下ろしを行えば、それは防がれるであろう。故に手は一つ。

「この期に及んでまだ儂を敵と認識しておらんのか!!青二才!!」

激昂と共に回し蹴りが哉太の脇腹へと吸い込まれていく。
カハッと哉太の口から血の混じった空気が吐き出され、後方に飛ばされた。
地を滑りつつも哉太は体制を整えようとするものの、既に遅し。
藤次郎の縮地術を以てすれば瞬く間に詰められるであろう距離。

「腑抜け」

言葉と共に地を蹴る。何とも詰まらぬ戦であった……独り言ち、刃を振るう直前。

哉太を守るように唐突に表れたのはコンクリート塀。
衝突する寸前に静止し、剛剣にて石を切り裂いた。
破壊された先には哉太はおらず。その場所にあったのは小さな石礫。

「全く……任せておけと言いながら、何ですの?この体たらくは」

呆れの混じった少女の声。そのすぐ傍では驚愕で目を見開いた哉太の姿。

「諒吾くんの家に言ったんじゃないのか……?」
「それは茶子さん一人で行くことになりましたわよ。陽動して負傷者と距離を離すのであれば自分だけでいいとおっしゃってましたわ」
「そうか……茶子姉ならできそうだな……」

豊満な胸を張り、不敵な笑みを浮かべる少女に安堵した様子で話しかける哉太。
藤次郎は察する。この少女が己の追跡を振り切った立役者であることを。
金属バットを藤次郎へと向けて少女は高らかに笑い、宣言する。

「私の名は金田一勝子!誇り高き金田一姉妹の頂点にていずれ日本を導く女!お●ックジジイには臭い飯を食わせてさしあげますわ!!」



『―――えーと…これで現在、山折村に潜り込んでいるネズミ共の報告書は以上っす』
『ご苦労、Ms.Darjeeling……と言いたいところだが、何か隠しているのではあるまいな?』
『疑り深いですねーー。流石殺人鬼匿って店を経営してるだけのことはあるわ』
『軽口はいい。お前の口で確認させろ』
『はいはい。エージェント中学生は学校では陰キャムーブかましてボッチ。合法ロリ教師も自宅ではここ数日は写真眺めてるだけでした。
まあ、二人とも研究所については何も知らないみたいでしたよ。調べるつもりもなさそうだし。
それから来月村の祭りがあるみたいで、特別ゲストでジャック氏や著名な霊媒師の方々が来るみたいですわ』
『……まあいい。ふざけた態度はともかく、貴様の集めた情報だけは今まで正確だったからな。そこだけは信用しよう。』
『そいつはどーも。浅野さん、あたしが知らない間に八柳道場のお孫さんに責任をおっ被せたことを許すつもりはないからな』
『勝手に吠えていろ。蛇茨と関わりのある貴様と言えど所詮捨て駒だ。機密保持を遵守し、せいぜい我々に尽くせ』
『チッ……分かってますよ、浅野さん。ここ一年でアンタ以上に働いたんだ。ボランティアじゃないんだからしっかりと報酬は払えよ』




282 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:32:51 lxa3xg7Y0
一ヶ月程前の浅野雑貨店でのやり取りを思い出す。
天原創は日野珠を始めとしたクラスメートと友好関係を築いている。。スヴィア・リーデンベルグは友人の手がかりを探り続けている。
上記の情報を隠して報告した。愛しい弟分の心に深い傷を負わせた当てつけだ。
天才二人は優秀であるが辿り着けまい。辿り着いたとしても「彼らは想像以上に優秀で裏をかかれた」とでも言い訳すれば納得はできないが理解はする。
機密保持の契約は一応完璧に遵守しており、徹底的な理性で動いている浅野雅は生存させるメリット考えてこちらを消しに来ることはない。
虎尾茶子は報酬を受け取るまでは、未来人類発展研究所山折村支部において必要不可欠な人材なのだから。
報酬を受け取った後に消されるということもない。信頼商売である以上、口を割らなければ最低限それは保障されている―――。

「―――筈なんだけど監視があるしVHが起こった以上、遵守も糞もないよなぁ……」

そうぼやきながら茶子は住宅街を走り抜けていた。
彼女の目指す先は特殊部隊員の待つ湯川邸――ではない。
VH発生前にて知り得ている情報。鳥獣慰霊祭に招かれた特別ゲスト。意図的に流した高級住宅街の危険人物の情報。
そして、役場にて観察した『彼』のパーソナリティ。
VHが起こらなければ危険人物から友人を守るために使っていたであろう人物。しかしVHが発生した以上、その役目は果たせずに終わった。

前提は崩れ、自身の復讐は前倒しになった。自分に必要なものは『彼』自身ではない。だが怨敵絶殺のためには『彼』が必須だ。
自身や友人の美貌を使って約束をこじつけていたものの、『彼』がいつまでもこの地に縛り付けられている保証はない。
だが―――。

「アあ”ああああ〜………」

右手に銃を持って彷徨っている灰髪の男。想い人には及ばぬものの整った顔立ち。髪型があの子に似ているのが少し腹立たしい。
その姿を視認し、虎尾茶子は口角を釣り上げた。



八柳血風録。その最中に現れたるは誇り高き淑女、金田一勝子。
彼女の出現により血風録は第二幕が始まる。

「哉太さん!」
「ああッ!!」

哉太と藤次郎の斬り合い最中で、勝子の声が響く。勝子の指から砂粒が弾かれ、哉太と藤次郎の間に挟まれる。
藤次郎は拡張された第六感、哉太は信頼を以て剣豪は互いに後ろへ下がる。
直後、現れたのは地震によりへし折られた街路樹。強化された藤次郎の膂力であるのならば背後の孫ごと断ち切るのは容易い。
ひらりと樹木から頭上に葉が落ちる。頭上数センチのところで葉が自家用車へと変化する。
いくら藤次郎の腕力と言えど、これを破壊するには力が足りず、当然これも読み切り後方へ跳躍する。
乗用車からガソリンが漏れる。目を細めて勝子の姿を確認すると、マッチに火をつけていていた。
だが、藤次郎はあえてガソリンの上へと立つ。砂粒を弾き、再び勝子の転送が実行される。
しかし、火の着いたマッチは出現しない。勝子は異能による転送を行わないことを読み切っていた。
勝子と藤次郎の間には遮蔽物はない。藤次郎の脚力を以てすれば一息で詰められる距離である。
読みが外れたことに動揺するが、すぐに砂粒を指に乗せ、弾こうとする。
藤次郎は勝子に肉薄せんと、後ろ足に力を入れる。縮地を使う寸前に背後から気配を感じ、振り向きざまに刀を振るう。
一瞬、目に映ったのは若き剣豪、八柳哉太。藤次郎がその首を断ち切る前に哉太の姿が消え、瓦礫が現れる。
藤次郎の刀で瓦礫が両断される。ほんの僅かな、一拍ほどの隙。
藤次郎の脇腹に鈍痛が走る。視線を下げると金属バットを振り被った勝子の姿。
未来予知にて次の手が予測される。しかし、体勢を崩した藤次郎にできることはない。
せめてもの足掻きとばかりに勝子の頭上に刀を振り下ろすが、彼女の背後には腰を落とした哉太の姿。
藤次郎の鈍が哉太の業物に受け止められる。勝子はすぐさまその場を離脱する。
受け止められた刃が滑り、受け流され、その勢いのまま剣がかち上がり、右腕に到達し、一気に降り抜かれた。


283 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:33:36 lxa3xg7Y0
「ぐ……おおおお……!!」

呻き声と共に藤次郎は一歩下がる。そのすぐ傍に彼の右腕が落ちる。
哉太の使用した技は八柳流『登り鯉』のアレンジ。体勢の崩しは勝子が実行した。
しかし、藤次郎の左手には愛刀が健在。断ち切られる瞬間に持ち手を変えたのである。
第六感による未来予知への対策。その方法は退路を断ち、行動を限定させる。どうしようもない状況へと持っていくのだ。

「……これで終わりだ。爺ちゃん」
「……貴方のしでかしたことは決して許されませんわ。死を迎えるその時まで、悔い続けなさい」

中腰になり、荒い息を吐く藤次郎へと哉太は切っ先を向ける。勝子は腕を組んで悪鬼へと厳しい目線を投げていた。
何と甘いことか。たかが片腕を落とした程度で彼奴等は勝利宣言をしている。

「く……クククククク……!」

藤次郎は天を仰ぐ。希望にあふれた若者二人に嘲りの声が漏れた。
悪鬼の哄笑に二人の身体がびくりと動く。

「もう勝負はついたとでも戯言を吐いたとは……阿呆どもめ…!まだ立ち合いは終わってはおらぬ!」

全身から発せられる剣気が二人の肌に突き刺さる。
左目の右腕を失いつつも未だ魔人の闘争心は衰えを見せず。古き剣聖が求めるは屍山血河の死合のみ。

「―――哉太さん!」
「―――分かってる!」

再び刀を構え、縮地術にて藤次郎の眼前へと哉太は肉薄した。
聖刀と妖刀。再び火花を散らすが、片腕を断ち切られた影響か、今度は哉太に軍配が上がった。
しかし、その表情からは先程まで限界まで張り詰めていた気迫が僅かながらに薄れていた。
遠方にいる金田一勝子も同様。様子を観察しながらも余裕が見える。
二人の油断に藤次郎は密かにほくそ笑んだ。

再び斬り合いが始まる。刃が音を鳴らすたびに剣風が舞う。しかし、先程のような勢いは見られない。
藤次郎は哉太以上に弱っている。藤次郎と哉太の身体能力は未だ大きく差を開いているものの、技術にて対応はできる。
一瞬、勝子と哉太の視線が混じる。その隙を藤次郎は見逃さなかった。
哉太が押し切られ、後ろに半歩ほど下がる。同時に勝子の指に砂粒が乗る。


284 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:34:13 lxa3xg7Y0
彼らは藤次郎の異能について九割ほど正しい考察をしていた。その上で最善手を尽くしていた。彼らは慢心せずに全力を尽くしていた。
しかし一割の考察の隙間。そこに人斬り鬼がぬるりと入り込んた。

「――――カッ!!」

藤次郎の全身から放たれる強烈な剣気。気迫に押されつつも彼らの行動に支障はない。
指から砂が弾かれる刹那の時間。その合間を縫うかのように藤次郎の鈍が凄まじい速さで振るわれた。

転送する寸前で勝子の見えざる手が砂粒を掴む。
その手が消える寸前、斬撃が奔る。
見えざる手が裂けていく。裂けていき、その手が真っ二つに裂けていく。
斬撃は止まらず、砂粒を発射した右腕を中指から裂き、肩まで到達した。
結果、勝子の右腕は文字通り「真っ二つ」になる。
剣聖の見えざるものの断絶。それは異能使用の第三の腕にも適用される。

一瞬の空白。そして―――。

「う……あああああああああああああああああああああああッ!!!」
「勝子サン!!」

痛みに絶叫する勝子。その声に藤次郎への注意が一瞬逸れる。
当然藤次郎はその隙を見逃すはずもなく。

「――――貴様は何も学ばぬな」
「―――くッ!!」

藤次郎の『天雷』を哉太が受ける。勢いを殺しきれず、哉太はたたらを踏んだ。
剣気の揺らぎを見逃さず、受け流しが失敗と見るや藤次郎は身を翻して足を回し、踵を哉太の脇腹へと叩きつけた。

「ガ……!」

ミシリと骨が悲鳴を上げ、衝撃が内臓に伝わり、吐血した。
哉太の長身が一瞬宙を浮き、凄まじい速さでコンクリート製の門塀を、ガラス窓を突き破り、とある民家内まで吹き飛ばされた。

「…………」

哉太が吹き飛ばされた方向とは真逆。チラリと異能を切り裂いた少女の方へと顔を向けた。
這いながらもこの場から離脱する勝子の後ろ姿。
あの傷では自分が手を下すまでもない。亡者に見つかればそのまま冥府へ旅立つであろう。
敗走者から視線をを外し、飛ばされた目下の最大の難敵へ向けて足を進めた。


「――――ガハッ!……ゲホ……ゲホ……!!」

とある民家の和室。
剣士は血を吐きつつも急いでガラス片の布団からすぐさま起き上がる。
全身の裂傷。折れた肋骨。蹴撃による内臓の損傷。受けた傷は決して浅くはないものの、行動に支障が出ることはない。
しかし、彼の精神はそうはいくまい。


285 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:34:51 lxa3xg7Y0
「―――勝子サン……!」

脳裏に過るのは倒れ伏す仲間の姿。藤次郎の異能を見誤った己の失態に違いあるまい。
一刻も早く手当てをしなければ勝子の命が危うい。だが、藤次郎がその隙を見逃すはずもあるまい。
浮かぶ最悪の結末。それをすぐさま振り払い、彼女の元へと駈け出そうとするが―――。

「―――どこへ向かうつもりだ」

玄関から聞こえる厳かな老紳士の声。沈黙を破るかのようにミシリミシリと鳴るフローリング。
刀を握り締め、招かざる来客の来訪へと備えた。

「―――まだ、死合いは終わっておらぬぞ、哉太よ」

廊下よりぬっとと妖怪のように顔を出す血濡れの剣鬼。
緩やかに歩みを進め、哉太の前に立つ。互いの水月まで凡そ数歩で足りる距離。

「女の陰に隠れ、使い捨てて生き残った気分はさぞ心地よかろう」

藤次郎は哉太の無様をあざ笑う。その言葉に少年は僅かに視線を下げる。
見え透いた悪鬼の挑発。しかし、むざむざと生き延びてしまった少年にとっては堪えた。

「―――爺ちゃん、婆ちゃんを殺したのは……本当……なんだな……」

力ない言葉で尊敬していた師へと問いを投げかける。
今更そんな下らない問いを投げる孫の心情など露知らず、藤次郎は鼻で笑い、解を投げた。

「耳まで腐り落ちたか。何度でも言うぞ。あの愚かな老婆は既に黄泉へと旅立ったわ。
盆暗な貴様の父も、貴様と言う失敗作を孕んだ母も、剣の道より逃げ出した腑抜けの浅葱樹も、道場に逃げだ者共も全て斬り捨てたわ」

罪科を嬉々として語るたびに哉太の全身から気が抜けてくるのを感じる。
「見込み違いか」と一瞬過るが、藤次郎の独白は続く。

「そうさな、樹も一人で逝くのは心細かろう。孫の碧も直に送ってやる。
孤児を武の道へと誘った虎尾夫妻も待つ地獄へな。冥府への旅路も賑やかな方が良い」

消えかかっていた哉太の気が完全に消える。県の構えが解かれ、己へと向けられていた視線が下がる。
それでも構わず、老人は歪んだ笑みを見せながら語り続ける。

「それと茶子も殺そう」

ぴくり、と哉太の肩が反応する。

「お?どうした?彼女の命が惜しくなったか?安心せい、貴様の首級の横に彼奴の頸を並べてやるわ。
貴様が何も知らぬ頃、儂がヤクザ共に売り飛ばした穢れた娘御なれど、首二つを眺めながら飲む酒はさぞ美味かろう」

今の己は哉太にとっての絶対悪。彼が望む「ヒーロー」であるのならば、何らかの反応をしてほしいものだ。
しかし、返ってくるのは沈黙。落胆し、剣を構える。

「ではな、未熟者よ。無知蒙昧な己を呪い、地獄に落ちるがいい」

地を揺るがす震脚。僅か数歩ばかりの縮地と同時に袈裟懸けに鈍が振り下ろされる。
虚しき勝利を手にする刹那。少年の腕が動く。
振り下ろされた剣が円月を描いた動作にて巻き取られる。続く手を未来予知の異能が読み取り、退避が間に合わぬと判断させる。
時を待たずして鳴らされる地面。振りかぶられる剛剣『天雷』。
それを『空蝉』にて受ける。しかし、剣から伝わる衝撃を流しきれず藤次郎にたたらを踏ませた。
間を開けずに振るわれる下段からの斬撃。それを予測し、後方へと飛ぶことで回避した。

藤次郎は改めて哉太の瞳を覗き込む。
眼には忌まわしき悪鬼への殺意がにじみ出ており、気配そのものも先程の腑抜けた男とは思えぬほどに憎悪が噴き出している。
「虎尾茶子」という逆鱗が、八柳哉太の武芸者として不可欠なものを生み出した。
その事実に悪鬼は嗤い、己の絶殺を望む存在へと言葉を投げかける。

「かかってこい、ヒーロー」
「ぶち殺してやる、糞爺」


286 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:35:31 lxa3xg7Y0


「くっ……あ……!!」

縦に真っ二つに裂かれた右腕を抑え、金田一勝子は血の線を引きながら地面を這って進んでいく。
肉と骨は断たれ、上腕骨頭にてギリギリ繋がっている状態。直ぐに処置しなければ出血多量で死ぬ。
激痛を堪えながらも少しずつ扉の拉げた。民家へと距離を縮めていく。
あと僅かで玄関へと到着する。その時、脳に響くのは「■■をたすけて」という天啓じみた救援要請。
なぜか逆らうことができず、植え付けられた使命感の赴くままにその方向を見ると、じっとこちらに顔を向ける赤い服の童女。
その数メートル先にはゆったりとした動きで彼女に迫るゾンビ達。
「あの子を守らなければ」自身の重傷を無視し、手頃にあった石を掴んで自分と石をマーキングする。
童女の進行方向と反対側へと石を投げ、地に着いた瞬間に異能を発動させて場所を入れ替える。
しかし、ゾンビを集めることはできない。彼らを収集する方法はこの手の中にある。
スカートのポケットからスマートフォンを取り出し、アラームを鳴らす。
すると、ゾンビ達が童女への追跡をやめ、こちらへと向かってくる。

「良かった……あの子を守れましたわ……」

安堵の息を漏らし、迫り狂うゾンビ達をボヤけた瞳で見据える。
ゾンビ達の手が勝子へと迫る。その刹那に届く幼子の声。

「リンをまもってくれてありがとう、おねえちゃん」



血風録の第三幕の規模は最小。しかしどの演武よりも苛烈を極めたもの。
血風と共に砕けた家具の破片が宙を舞う。閃光と鮮紅が幾度となく重なり合い、激しい二重奏が鳴り響く。

「オオオオオッ!!」
「―――――ッ!!」

憤怒に塗れた少年の雄叫びと共に振るわれる絶殺の刃。それを捌き続けるのは手負いの悪鬼。
先程とは打って変わり、命の狩人は八柳哉太。逃げる獲物は藤次郎へと変わっていた。
それでも藤次郎には焦燥はない。寧ろこの状況を愉しんですらいる。

ヒトの限界値に限りなく近づいた魔人共の乱舞が続く。
老紳士の全身が刻まれ、着用していたスーツが襤褸へと変貌し、至る所から血が垂れる。
しかし、老紳士もただ切り刻まれている訳ではない。
返す刃が少年の頭を叩き割らんと振り下ろされる。少年はそれを躱しきれず、右耳が付け根から吹き飛ばされる。
だが際限なく噴き出す憎悪は少年に痛みを感じさせず。絶対零度の殺意を持ったまま少年は老人に反撃する。

「ヅ……ああああッ!!!」
「ぐ……おおおおおッ!!!」

妖刀と聖刀。再び重なり合い、哉太と藤次郎の剣舞は鍔迫り合いに持ち込まれる。

「くぅぅぅぅッ!!」
「しぃぃぃぃ……!!」

片腕なれど未だ藤次郎の腕力は健在。異能による身体能力の爆発的上昇は若人の力を尚も凌駕する。
徐々に押し込まれる哉太の身体。前進する藤次郎の身体。
ふと、唐突に哉太の力が一瞬緩まる。押し切ったという訳ではない。それを第六感と己の経験が判断する。
見ると鍔迫り合いをするのは哉太の右腕。もう片方の手は脇差の柄に添えられている。


287 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:35:57 lxa3xg7Y0
弾丸のように発射される脇差。狙いは藤次郎の右眼。

「―――クッ…!!」

咄嗟の判断で顔を動かし、刀刃は既に不要となった左目へと吸い込まれる。
突き刺さる脇差。だが脳には到達していない。
崩される藤次郎の体勢。痛みにより生まれた刹那。緩む藤次郎の腕力。

「う……おおおおおおおッ!!!」

雄叫びと共に哉太の業物が藤次郎の身体を鈍ごと吹き飛ばす。
勢いよく半壊した箪笥へと衝突する。藤次郎の口から酸素と共に鮮血が吐き出される。
哉太にとって絶殺の叶う機会。藤次郎にとっては絶命の危機。
だが、若き武芸者の追撃は訪れることはない。

「――――ッ……フゥゥゥゥゥ……フゥゥゥゥゥッ……!!」

少年は身体を崩し、刀を杖に震える身体を起こして片膝立ちする。
折れた肋骨。損傷した臓腑。尽き欠けているスタミナ。それらのマイナス要素を抱えた上で限界を通り越した肉体の酷使。
藤次郎と互角に渡り合える能力と引き換えにその振り戻しはそれなりの代償を哉太の肉体へと求めた。

限界を超えた肉体に鞭を打って立ち上がり、打刀を握る。そして忌むべき邪悪を見据える。

「ククククク……きひひひひひひ……」

藤次郎は嗤う。己を追い込んだ哉太を。己を仕留め損なった愛弟子を。
藤次郎は笑う。そして確信する。己の勝利を。

「あと一手……であったな」

言葉を返す気もないのか。はたまた返すことができぬほど活力を消耗してしまったのか。
額から汗を流し、荒い呼吸を繰り返す哉太を見据え、藤次郎は宣言する。

「認めよう。貴様は我が生涯において最大の敵であることを。
そして受けよ。我が生涯における最高最後の一刀を。地獄に持って行け、我が秘蔵の術を!」




288 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:36:42 lxa3xg7Y0
「く……うぅ……」

スケートボードを片手に持ち、額に脂汗を浮かべながらも忙しなく首を動かし続けるリンを探し続けるアニカ。
激しい運動を抑えたお陰か。吐き気や眩暈は落ち着き、小走り程度の速度であるならば可能になった。

「アラームの……音?」

耳に届く電子音のアラーム。この辺りのゾンビの数が少なくなっているとはいえ、救援信号として大きな音を鳴らすのは危険だ。
ゾンビから襲われぬために避雷針として正常感染者が流していると考えられた。
だが、もしリンが鳴らしているのだとしたら?
彼女は幼くも年齢にそぐわぬ知能を有していることが彼女とのやり取りで分かっている。
しかしリンは感情の制御ができぬ幼子。茶子を待ちきれず、探してもらうために拾ったスマートフォンを鳴らしているものだとしたら?
呼び寄せられるゾンビ。異能を行使しても通用せず血肉を貪られる幼子。
最悪の結末が頭を過ぎり、アニカは音の方へと駈け出した。

「アニカおねえちゃんもチャコおねえちゃんをさがしてくれるの?」
「Yeah……。危ないから一人で勝手にどこかへ行っちゃダメよ……貴女が危ない目に会ったらMs.チャコに合わせる顔がないわ……」
「……ごめんなさい……」

アニカの軽い叱責を受けて申し訳なさそうにリンは俯いた。
当然の結果というべきか、リンはアラーム音の近くでキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。
彼女の心情を読み取り、説得を試みると以外にもあっさりとアニカの同行を許してくれた。

「…………」

ちらりとアラームが鳴り響いている方向を見る。
投げ出されているスマートフォン。そのすぐ傍で何かに貪りついている三体のゾンビ。

ほんの僅か。ほんの僅かだがアニカの脳内に現れるエマージェンシー。
リンの肩を叩いて、アラーム音が鳴り響く方向へ指を差す。

「リン……あそこに誰がいるか分かる……?」
「わかんない」

あっさりとした返答。今は彼女を問い詰めるべきではない。感じる違和感を敢えて無視する。
ゾンビ達に気づかれぬよう、リンの手を引いてゆっくりと歩を進める。
距離を縮めるごとに頭の中で大きくなる危険信号。やかましい程鳴り響く心臓の鼓動。
最後の一歩を踏み出す。

地べたに投げ出されたブレザーの裾。ゾンビ達の隙間から覗く金色の髪。時折聞こえる呻き声。
彼女の名前は既に知っている。彼女は自分達一党のリーダー的な存在。
アニカの顔が一気に青褪める。喉が渇く。掠れた声でアニカは叫んだ。

「Ms.ショウコ……!!」




289 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:37:16 lxa3xg7Y0
色彩が薄れていく世界。混濁する意識。
虚ろな目で金田一勝子は空を見上げていた。

(どう……なっているのでしょうか……?)

身体が取り返しのつかないことになっていることは理解できている。
その証明として、つい数分前に感じていた激痛は既になくなり、腹部に感じるのは何かがいるという違和感だけ。

(おや……?)

感じていた違和感が消える。自分に集まっていた人間達が遠くにいく。
一呼吸のあと、現れたのは守りきれた黒髪の幼子と帽子を被った少女。
朝日に照らされ、そよ風に靡く美しい金髪。霞み出す記憶の中から該当者の名前を探し出し、その名を呼んだ。

「利……子……」

自分と同じ美しい黄金の髪を持つ妹。誇り高く美しい自分に憧れの目を向けていた気の弱い少女。

(そうか……わた……くしは……莉子と一緒に家出をして……)

事実とは違うストーリー。勝子は妹にだけ行き先を告げて家出をしていた。
アニカも自分と同様に現状に不満を以て家出したと聞いた時、仲間意識を持っていたため淀んだ意識にて生み出した存在しない記憶。
それでも彼女にとっては地獄にて垂らされた、か細い蜘蛛の糸。もう一度家族に会いたいという願いの顕現。

「―――――!―――――!!」

少女が勝子に向かって何かを叫ぶ。双眸から流れる大粒の涙が勝子の頬を濡らす。
ふと、少女は顔に巻き付けていた包帯を解いて傷口を抑えようとする。

「この……傷では……もう……。ですから……無駄使いは……止めなさい……!」
「――――!」

何と言っているのか分からない。しかし、それでも少女は手を止めようとしない。
現実を受け入れきれないだ。子供だから……という甘えはこの地獄では通用しない。
何とか動く左腕を動かし、逃避を続ける少女の頬を張った。
ペチ、と軽い音が響く。目を丸くする少女。今度は張った彼女の頬に優しく手を当てる。

「聞き……なさい……。貴女は……いずれ……人を導く……淑女に……なりますわ……。
悲しむな……とは言いません……。ですが、それでも……歩みを……止めないで……」

勝子の手に重ねられる少女の小さな手。涙を流しつつも力強く少女は頷いた。

「わたくしは……最期は畳の上で……言ったの覚えているでしょう……?可能であるのならば……私を……運びなさい……。
それから……私の髪を……ツバサに……」




290 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:37:48 lxa3xg7Y0
原型を留めていない家具。割れたフローリング。一部が沈んだ畳。生々しい傷跡がつけられた壁。
破壊の数々が為された一室。その中に二人の男が佇む。
一条の風が吹く。

「―――ぐ……ぁ……!!」


少年が両膝をつく。時を待たずして刀を持った右腕がずり落ちる。型から噴き出した鮮血が落ちた右腕の上に落ちる。
その様子を老人―――八柳藤次郎は冷酷に見下ろす。

「…………」

本来ならば確実に絶命させる一刀。
しかし、左目の喪失により狭まった視界。右腕の喪失により不安定になった体幹。
幾重に重なった悪条件は異能によるにより極限まで強化された身体能力の恩恵をすり抜け、必殺には至らず。
悪戯に少年――八柳哉太を苦しめるだけの結果に終わった。

死の淵に立たされても尚、哉太の目から闘志は消えない。残った左手で必死に転がった右腕に手を伸ばす。
それを見逃さず、右腕を蹴飛ばして遠方に追いやる。

「詰み……だな……」

未だ憎しみの目を剥ける哉太に穏やかな声で宣告する。

「糞爺……地獄に落ちろ……」

発せられる負け犬の遠吠え。その言葉を噛み締め、剣を構える。

「さらばだ、哉太。じきに儂もそこへ逝く」

愛しき孫の頸を断つべく、振り上げて降ろす―――その直前。

崩れた瓦礫の隙間。そこから飛来する何か。
第六感が告げる危険信号。
対処しようにも尽き欠けていた体力では不可能。
破裂音を鳴らし、飛来するもの―――銀の弾丸は哉太の頭をすり抜け、振りかぶった藤次郎の左腕―――正確には剣を握った手へと吸い込まれた。
激痛と共に吹き飛ばされる鈍と己の左手。その肉が哉太と藤次郎、両者の顔にかかる。
倒れ伏す寸前、弾丸の跳んできた方へと顔を向ける。

艶やかな金色の髪――前髪が赤黒く染まっている。
人形のように美しく愛らしい顔―――その顔を悍ましい歓喜の色に染め上げている。
色白の綺麗な手―――その手には剣ではなく、大口径のリボルバーが握られている。

呆然とした表情で、藤次郎は襲撃者の名前を呟く。

「虎尾……茶子……!!」




291 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:38:19 lxa3xg7Y0


忘れもしない地獄。
頭を割られた父の傍らで、浅黒い肌の男が首にナイフを突き立てられた母に腰を振っている。
部屋の隅で六歳になったばかりの娘は身体を縮ませていた。

何の変哲もない中流家庭。両親と娘。三人家族はこの日まで幸せに過ごしていた。
その幸せはいとも容易く崩れ去った。

残った娘に向けて男は優しい声色で問いかける。
震える娘の頭を撫で、神を掴んで玄関へと引き摺る。
当然娘は泣き叫ぶが周りの大人たちは誰も反応しない。男も女も皆媚びた笑みを生陰ている。

連れていかれた先は山奥の屋敷。娘は『教育』を受けた。
繰り返される痛み。抉り続けられる幼い心。その中で娘は生きる術を身に着けた。
感情を殺し望まれるよう振る舞う。気配を殺し周りの景色と一体化する。
聡明な娘が身に着けた悪魔達から逃げおおせるための技術は、思いのほか早く役に立った。

八歳となった日のとある満月の日。ご褒美と称して夜の散歩に行かれた時。
調教師の目を盗んで必死に草原を駆け抜けた。
しばらく走った後、背後から怒号が聞こえる。
必死の形相で疾走する。フリルのついた服やパンプスのせいで走りにくいが気にする暇もない。
追手を巻くために森林へと入る。息を殺して森と一体化する。
やがて追手の気配が消える。それでも息を潜める。
そこからしばらく過酷な自然が少女を襲った。

空腹を紛らわせるために土を掘り、糞尿の臭いのする甲虫の幼虫を嚙み潰す。
渇きを癒すために、腐葉土の上にたまった水たまりの水を飲み干した。
しかし、森に捨てられて熊に拾われた少女のようにはいかず、娘は徐々に衰弱していった。

糞尿に塗れて倒れ伏す娘。もはや死を待つばかりであった。
浅く呼吸をし、虚ろな目で空を見上げる。

『―――い、虎尾さん!し……敷地に女の子が……!!』

ふと耳届いた男の声。その後に自分へと向かってくる足音。
追手が遂に自分を見つけたのかと諦観し、娘は運命を受け入れる。

―――そして、娘は『虎尾茶子』となった。



「良かったぁ……生きていてよかったぁ……!」

跪いて傷だらけの哉太を片腕で抱きしめる茶子。
胸から聞こえる茶子の鼓動。鼻孔を擽る香水の香り。同時に感じる己の生存。

「…………」

何も言わず、残った左腕を茶子の背中に回し、幼子のように顔を埋めた。
姉弟子と弟弟子。八柳流の比翼。言葉を発さずとも互いの心情は伝わる。
永遠に続くかと思われる暖かい抱擁。地獄の最中にいるとは思えぬほど穏やかな時間が流れる。


292 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:39:25 lxa3xg7Y0
「――――これも、運命か……」

穏やかな時間の終焉を告げる弱々しい老人――八柳藤次郎の声。
哉太と茶子は抱擁を止め、己が師へと視線を向ける。

「……爺ちゃん……」

様々な感情が混じった哉太の声。一時は憎み、絶殺せんと刃を振るった相手。
闘争が終焉を迎えた今、彼の心中にあるのは虚しさだけであった。
もう自分には血を分けた家族はいない。目の前の老人によって斬殺された。
唯一残っているのは目の前の罪深き剣鬼。それも命の尽きる寸前。

沈黙が空間を支配する。哉太が何かを言おうとする前に藤次郎は穏やかな声で二人に語り掛ける。

「……儂は、山折村の歪みが許せなかった。歪みを正そうとしたが……すべて失敗に終わった……。
何が正しいのか分からなくなった……許せとは言わぬ……ただ謝らせてくれ……」

藤次郎は目を伏せる。先程と同一人物とは思えぬ弱々しい姿に哉太は言葉を詰まらせる。

「歪み…って……何だよ……!」

やっとのことで声を絞り出すも、その言葉は弱々しい。

「……お前は何も知らなくていい……儂の知る……清きお前であってくれ……。
生まれた時より、お前を知っている……。だから――――」

瞬間、藤次郎の顔にブーツの爪先が突き刺さり、痩躯が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、血の塊を吐き出す老人。

「な……に……を……!!」

縮地にて距離を詰め、強烈な前蹴りを喰らわせた下手人の名はかつての罪の証――虎尾茶子。
哉太と藤次郎。両者は驚愕に目を見開いた。

虎尾茶子は憎悪していた。
ヤクザ共に供物として捧げ、己の過去を思い出させた藤次郎を。
何食わぬ顔で八柳哉太に近づき、その穢れ切った思想を叩きこまんとする八柳藤次郎を。

そんな輩が八柳哉太の先達を名乗るなど。
たかだか血のつながった程度で最大の理解者などと騙るなど。

「―――烏滸がましいんだよ、老害が」


293 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:41:20 lxa3xg7Y0
絶対零度の冷え切った声。
藤次郎の前に立ち、左目に突き刺さった脇差を回し、傷を抉る。

「ぐああああああああああああッ!!」

絶叫する老人。その様子など気にせず、茶子は言葉を続ける。

「てめぇの糞下らないロビー活動なんざ成功するわけねえだろうがクソジジイッ!!
山折の歪みだァ!!?てめェの独善が一番歪んでいるんだよ老害!!!」
「ぐおおおおお!!!ぎいいいいいいぃ!!!:」

何度も何度も脇差を回し、その度に藤次郎は絶叫する。
ヤクザ共に売り飛ばした。藤次郎との死合いの中で茶子が憎む理由を哉太は知った。
言葉を掛けようにも哉太は茶子を制止する言葉が見つからない。

「――――チッ!!!」
「――――あ”ッ!!」

勢いよく脇差を引き抜いて後方へと投げる。投げた刃は哉太の眼前の床に刺さった。
荒い息を繰り返す茶子。彼女の拷問に息も絶え絶えの死にかけの剣聖。
己が怨敵を見下ろし、茶子は口を開く。

「『マルタ』実験」
「な……なぜそれを……」

茶子の口から発せられる山折の禁忌の一つ。その言葉に藤次郎は残った右目を限界まで開いた。

「鳥獣慰霊祭の目的。未だ続く名を失った荒神の土着信仰。『巣食うもの』に生み出された怪談使い。集団疎開児童を使用した前頭葉摘出手術。
『マルタ』廃棄場に併設された第二実験棟、蛇茨の役割、地下研究施設―――でかい厄ネタはこれだろ?」

愛弟子より語られる山折の歪み。細分化された古き歪みの根本。己と山折厳一郎、木更津王仁以外は知り得なかった情報。
何故それを知っていると問う前に、茶子が再び口を開く。

「―――旧陸軍軍医中将、山折軍丞(やまおりぐんじょう)」

その名は、消えるべきであった歪みを表面化させた男の名。山折村を忌地と変えた絶対禁忌にして歪みの根源。
しかし、まだ茶子の断罪は続いた。

「そして、彼が残した『ヤマオリ・レポート』」

これこそ、藤次郎や厳一郎が知らぬ歪み。これを知るは今は亡き蛇茨の三代前の当主と虎尾茶子。そして―――。

「そのレポートは未来人類発展研究所に保管されている」

想い人が聞いていることにも関わらず、藤次郎を絶望へと突き落とすためだけに茶子は事実を口にした。


294 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:42:45 lxa3xg7Y0
「―――なんで……茶子姉が……未来人類発展研究所を……」

哉太は声を震わせて茶子に問う。悲しげな表情を浮かべて。首を哉太の方へと向ける。

「……ごめん、哉くん。あたし、関係者なんだ……」

優しくも苦しげな茶子の声色。十年近く育んできた絆がそれを真実だと告げる。

「―――ところで、いつから聞いてたの?アニカちゃん」

かさりと庭の茂みが震え、天宝寺アニカと彼女と手をつないだリンが姿を現した。

「チャコおねえちゃん!やっとあえたーー!」
「ちょ……ちょっと……!!」

アニカの手を振り解いて全力で走り、哉太の脇をすり抜けて茶子の胸へと飛び込んだ。

「あのね、あのね!アニカおねえちゃんがしごとのおはなしをしているからかくれていてっていったからがまんしてリンはおとなしくしてたよ!
それとね!リンはアニカおねえちゃんをたすけたんだよ!えらいでしょ!!」
「うんうん、偉い偉い。よく頑張ったねーリンちゃん」
「えへへへへ……♪」

茶子に頭を撫でられ蕩けた顔でリンは喜んだ。
一しきりリンを褒めた後、茶子は哉太の前まで歩き、彼の前で突き刺さっている脇差を手渡し。アニカの方へと視線を向ける。

「アニカちゃん、哉くんの腕を拾っておいて。繋いで最低限の処置をすれば再生は早くなると思う。
哉くん。辛いだろうけどすぐにここを出るよ」
「……That's right」「……分かった」

リンと手をつないだ茶子の指示に従い、出発の準備をする二人。
二人が和室を出たことを確認すると、未だ呆然としている藤次郎へと歩み寄る。

「チャコおねえちゃん、このおじいちゃんはだあれ?」
「このクソ爺はあたしをいじめた奴だよ。目が腐るから視界に入れちゃダメだよ」
「わかった!」

リンは藤次郎を人睨みした後すぐ、茶子の背後へと隠れた。

「クソ爺……アンタの鈍、貰っていくぞ」

虚ろな目の藤次郎の返答を待たず、彼の傍にあった刀を手に取った。
そしてリンの手を引いて、玄関へと足を運ぶ。部屋の出口まで来た辺りで茶子は一度、藤次郎の方を向いた。

「先生、アンタは棒振り遊びに熱中する無知蒙昧な猿であれば良かったんだ」




295 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:44:10 lxa3xg7Y0
「すぐにここから離れるよ」

開口一番。茶子は哉太達二人に告げた。

「……待ってくれ。爺ちゃんと戦闘している時、勝子サンが……」

言葉が終わる前にアニカの手が哉太のシャツを掴み、俯いてゆっくりと首を振った。

「――――そうか」

事実を噛み締め、沈痛な表情を浮かべて相棒と同じように俯いた。

「―――うさぎの友人達は既に死んでいて助けられなかった」

沈黙を破るかのように発せられる茶子の言葉。
哉太とアニカは同時に茶子の嘘に気づく。だが、哉太はそれを指摘することはできなかった。
茶子の報告は虚偽であるが、それは成果を出せずにおめおめと戻ってきた時の免罪符。大義名分なのだと。
仲間を失い、自身も重傷を負った。現状、戦闘可能な人間は同じく負傷した茶子一人。
非戦闘要員二人を抱えたこの状況で自殺行為に違いない。

「――――そんなの納得できるわけないでしょ!!」

それに異を唱えるのは相棒のアニカ。甲高い声を上げて茶子の嘘を見抜いて否定する。
哉太が諫めようにも徹底的に打ちのめされた彼にそんな気力は残されていない。
瞬間、アニカに向けられる強烈な殺気。

「――――ッ!!」

小田巻真理に向けられたものと同様のものにアニカの矮躯が硬直する。
間を置かずに振るわれる長ドスの居合の一閃。
アニカの頸に届くその瞬間、同じく抜かれた哉太の脇差によって防がれる。

「え……あ……」
「茶子姉……寸止めでも止してくれ……」

へたり込むアニカの前に哉太は覇気のない声で茶子を諫めた。

「―――哉くん。キミ、あたしのことは絶対に憎めないでしょ」
「…………」
「あたしも、同じだ。でも、剣を向けることはできる」

今にも泣きそうな声で茶子は語る。その言葉通り、哉太は茶子同様に決して憎むことはできない。
しかし、茶子とは違い、刃を向ける勇気はない。
長ドスを納刀し、二人へ背を向ける。彼女に付き従うリンは不安そうな表情をしていた。

「Ms.チャコ。貴女は私達の味方なの?」

茶子の背へと向けてアニカは問うた。茶子は背を向けたまま、答える。

「あたしは『まだ』哉くんの味方でいるつもりだよ」




296 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:48:05 lxa3xg7Y0


茶子を先頭に背後を振り返らずに一行は走る。
高級住宅街には特殊部隊員がいる。その情報は彼らを急かすのには十分であった。
走っている間は現実を忘れることができる。喪失感から目を逸らすことができる。
アニカも哉太も疲労を忘れ、必死にリンを背負おう茶子の後ろをついて行った
途中、湯川邸のある方向から破壊音が聞こえた。それでも速度を緩めずに走り続けた。

森林地帯まで走り続け、そこで一行は怪我の処置や情報交換することにした。

「……腕、固定しておいたよ。アニカちゃん。後は異能で哉くんの腕がくっつくまでお願いね」
「……Yeah」
「……悪い、助かる」

哉太は俯いたまま、手当てをしてくれた二人に礼を述べる。
添え木と茶子の医療道具の包帯により処置を施されたものの、綺麗に切断されていたため動かせそうにもない。

「……少し休んだら移動するよ」
「……分かった。それまでリンちゃんと一緒に見張りをするよ」
「……Yeah。リンの異能、一度受けて解除したから大丈夫だと思うけど、気を付けてね」

アニカの言葉に何の反応も示さず、怠慢な動きで双眼鏡を片手に少し離れたところまで哉太は歩く。

既に四人にそれぞれ情報は共有されており、リンの異能と彼女の危険性は三人とも理解している。
念を入れ、茶子はリンに『お願い』して、哉太がリンの魅了に溺れないため、アニカと同様の対策を取らせた。
当然、茶子にもリンの異能が使われたが、どういう訳か、茶子には魅了の異能が無効化された。

「………」

改めてアニカは茶子を見る。
怪我を負った肩にはアニカの顔全体に巻かれていた包帯が巻き付けてあった。
包帯の祝福は本物らしく、肩肉が徐々に再生しつつある。
当然、ただで包帯を渡したわけではない。茶子にそれ相当の見返り――自分達の護衛と聞き取り調査の許可を求め、それを彼女は了承した。

「―――そろそろ出発しよう」

茶子の号令で三人が集まり、それぞれの荷物を持って歩き出す。
咲き乱れる夾竹桃。
花の匂いに囲まれながら、傷を負いながらも彼らは行く。


297 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:48:43 lxa3xg7Y0
【B-4/森林地帯/一日目・午前】

【虎尾 茶子】
[状態]:疲労(小)、精神疲労(中)、左肩損傷(再生中)、失血(中・再生中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)
[道具]:ナップザック、長ドス、木刀、マチェット、ジッポライター、医療道具、コンパス、缶詰各種、飲料水、腕時計、八柳藤次郎の刀、スタームルガーレッドホーク(5/6)、44マグナム弾(6/6)、包帯(異能による最大強化)、ガンホルスター
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.天宝寺アニカ、八柳哉太を利用する。
3.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
4.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
5.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
6.さて、これからどこに向かおうか。
7.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※自分の異能にはまだ気づいていません。
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※異能による強化を受けた包帯により肉体が再生しつつあります。

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、全身に裂傷(再生中)、左耳切断(処置済み・再生中)、失血(大・再生中)、右腕切断(処置済み・再生中)、肋骨骨折(再生中)、
疲労(極大)、精神疲労(極大)、精神的ショック(極大)、悲しみ(極大)、喪失感(大)、無力感(大)、自己嫌悪(大)
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカ達を守る。
2.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
3.茶子姉のことを信じたい、けど……。
4.ごめん、うさぎちゃん。
5.爺ちゃん……どうして……。
6.圭ちゃん……。
[備考]
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確信しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(特大)、精神的ショック(極大)、夾竹桃による中毒症状(小)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、決意
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ラリラリドリンク、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪。
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.Ms.ショウコ……。
2.Ms.チャコにHearingをして少しでも情報を引き出さなきゃ。
3.カナタの事が心配だわ。
4.リンとMs.チャコには警戒しないと。
5.私のスマホはどこ?
[備考]
※他の感染者も異能が目覚めたのではないかと考えています。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確信しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※浅野雑貨店、山折総合診療所、広場裏の森林地帯に違和感を感じました。

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、血塗れ
[道具]:エコバッグ、化粧品多数、双眼鏡
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.うそつきおおかみさんなんてだいっきらい。
3.あたらしいおようふくほしいなぁ。
4.リンのじゃまをしないでね、アニカおねえちゃん、カナタおにいちゃん。
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。




298 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:50:26 lxa3xg7Y0
「ぐ……うおおお……」

呻き声を上げ、荷物から取り出したナイフを加え、藤次郎は這っていく。
発動する剣聖の異能。しかし、致命傷を負った藤次郎にとってそれは苦しみを先延ばしにする以上の意味を持たない。
だが、無様を晒してでも、残り僅かな命を燃やしてでも行かねばならぬ。
藤次郎を突き動かすのは使命感。
かつての親友のように道を誤った弟子――虎尾茶子。
既に老人二人と同じ轍を踏んだ八柳流の弟子二人。
せめて、彼女の危険性を知らしめるために、正常感染者と会うために。
赤子にも劣る速度に手這い続け、民家の門塀を過ぎる直前―――。

「―――――ッ!」

突如鳴り出すベルの音。音の出所はどこだ、と探る前に振動で落ちてきたのは目覚まし時計――茶子が仕掛けたものである。

「まずい……!!」

身を隠そうにも時すでに遅し。
目の前に現れたるは老婆と中年夫婦。どちらもどこか、己が真っ先に殺した妻と息子夫婦に似ていた。

(儂の……生涯は……何のために……)

己の肉を貪られる音を聞きながら、藤次郎は絶命した。



夢を見ていた。
友人達とよく行くとあるファミリーレストランでの出来事。
調子に乗る背の低い童顔の少年――通称オタク君は、長身の少年と向き合ってカードゲームをしている。
別のテーブルでは金髪の探偵が自分の妹に勉強を教えている。
そのすぐ傍で背の高い少女と小柄な少女、巫女服が似合いそうな少女が楽しくお喋りをしている。
別の方へと視線w向けると、管を巻く黒髪の女性とそれを宥める金髪の小柄な女性。
その光景に少し苦笑しながら眺める誇り高き金田一勝子とその想い人の少年、ツバサ。

(もしかしたら―――そんな未来もあったかもしれませんわね)

徐々に途切れていく意識。もう終わりなのだと理解する。
何もかもが消える寸前、その目に映るのは想い人。

(ねえ……ツバサ……。私が生きてきた意味はあったのでしょうか……?)

その問いにいつもの困った顔を浮かべる少年。
そして確かに聞こえた彼の声。

『おやすみなさい、勝子お嬢様』
「ええ。おやすみなさい、ツバサ」

【八柳 藤次郎 死亡】
【金田一 勝子 死亡】


※八柳藤次郎の遺体はC-3にてゾンビに捕食されています。遺体の周りには藤次郎の所持品が散らばっています。
※金田一勝子の遺体はC-3の民家内のベッドに寝かされています。遺体のすぐ傍にはスマートフォンが落ちています。


299 : 山折村血風録・窮 ◆drDspUGTV6 :2023/07/12(水) 20:53:02 lxa3xg7Y0
投下終了です。
期限超過、大変申し訳ございませんでした。


300 : ◆H3bky6/SCY :2023/07/13(木) 00:15:31 hzJx1X7g0
投下乙です

>山折村血風録・窮
遂に藤次郎が落つ。実力もやってる事もとにかく強烈な爺さんだった
八柳流によって繰り広げられる凄まじい剣劇の応酬
片目片腕でもなお衰えぬ藤次郎は元よりそれと渡り合える哉太も麒麟児と呼ばれるだけはある
しかし最期を持っていくのは茶子の復讐心である、復讐を果たし終えた茶子はどうするのか

歪み言うてる爺ちゃんが一番の歪みだってのはそれはそう
山折村を憎悪していながら山折村を体現したようなキャラだったのは皮肉である
そして明かされれる『マルタ』実験という山折村の禁忌の一つ。一つ? まだあるの……?

リンちゃんが自覚的に異能使い始めた
使い方がえぐいわりに何の罪悪感もないのが恐ろしい、小悪魔ってレベルじゃねえぞ!
正義感と行動力、そして謎の高い戦闘能力で何気に八面六臂の活躍をしていた勝子の脱落は痛い、安らかに眠れ


301 : ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:22:52 2o02Aswo0
投下します


302 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:24:04 2o02Aswo0
整備のされていない荒れ地を4人の男女が1列になって駆け抜けていた。
年代の近い女学生の中に場違いな白衣の男が混じっている奇妙な集団である。
活発そうな先頭の少女、茜が目の前に見える建物を指さして叫んだ。

「見えて来たよ!」

彼女の指さす先に見えてきたのは目的地である山折保育園である。
彼女たちは特殊部隊に追われ、避難を余儀なくされた者たちである。

保育園は周囲を壁で取り囲まれていた。
壁面には園児たちの描いたであろう動物や棒人間が楽しそうに踊っている絵が描かれている。
その周囲を忍び返しの付いた真新しい白い柵が侵入者を拒むように取り囲んでいた。
それは大人であれば越えようと思えば越えられる程度の高さの壁に不安を覚えた保護者からのクレームによって最近できたものである。

壁を伝うように走ってゆくと程なくして正面入り口に行き当たった。
入り口は両開きの門扉によって閉じられていたが、壁と違って門扉には忍び返しが付いてはいないようである。
その気になれば乗り越えられそうだ。

「私が行って、開けてくるね」

そう言って茜は門扉の天井に両手をかけると、ぐっと力を籠め一気に跳躍して門扉を乗り越えた。
そして保育園の敷地内へと着地する。

「うわっ。懐かしっ」

校門を越えたところで茜が目の前に広がる風景を見て思わずそう漏らした。
ここはかつて茜も通っていた保育園である。
年下の兄弟でもいない限りは訪れる機会はない場所だ、こうして中に入るのは10年以上ぶりである。
園児の頃など記憶など朧げなものだが、それでも実物を見れば流石に記憶も多少は蘇ってくると言うものだ。

砂場に滑り台、ジャングルジムといった遊具の置かれたグラウンドが広がり、その奥には小ぶりな2階建ての校舎が構えている。
一見した限りでは細かな違いはあれど全体的にはあまり変わっていないようだ。
ただ檻のように周囲を取り囲む柵のせいで、内側から見る外の景色の印象はかなり変わって見える。
それが少しだけ残念だった。

この山折保育園は茜も通っていた保育園だ。つまりは村が発展する前からある施設である。
校舎はかなり小ぢんまりとしたもので、近年増えてきた子供人口に合わせて改築予定だとか言う話だが、村がこうなってしまった以上どうなるのか。

だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。
茜は向き直ると門扉を調べる。
不用心な事だが幸運にも門扉を閉める閂には南京錠のような施錠はされておらず、閂を外すだけで開きそうだ。
茜は門扉の閂を外すと、門扉を開いて海衣たちを招き入れる。

「おまたせ! みんなも入って!」
「ありがとう、朝顔さん」

ひとまずは保育園に避難できたことを確認して海衣は安堵の息を吐いた。
全員が入ったところで念のため門扉を閉めて閂をかけておく。

「まずは手分けしてゾンビや他の人がいないかを確認しよう。
 安全確認をしながら脱出ルートと監視ポイントの確保を行う、それでいい?」

花子の言葉を思い返して海衣は次の行動の指示を始めた。
これに茜が「異議なし」と元気よく返事を返すが、難色を示す大人が一人、与田だ。

「手分けする必要あります? 誰かが潜んでたら危ないじゃないですか、全員で行動しましょうよ」
「それは……そうですが」

与田からすればこの保育園は花子が合流するためのランドマーク、一時的な避難所だ。
だが、花子はここが決戦の地になる可能性を示唆していた。

そうであるのなら、戦いのための準備をする時間が必要だ。
しかし与田には黙っていろと言われているので直接そういうわけにもいかない。
とは言えここで時間をかけていては本末転倒である、どう説得すればいいのか。

「なら2、2に分かれるのはどうです?」

海衣が困っているのを察してか、横から茜が助け舟を出した。

「私と珠ちゃんがグラウンドの安全確認をしながら脱出ルートの確保をする。
 氷月さんと与田さんは周囲を監視できそうな場所を探しつつ校舎を調べる、これでどうです?」

茜が折衷案となる割り振りを提案する。
いざと言う時に戦闘に使える異能を持つ海衣と茜が別れるのは戦力バランスとしては悪くない。

「危ない人が隠れてるなら早めに見つけといた方がいいですし。
 それにほら、花子さんがくるまでに安全確認ができてないと怒られちゃうかもですよ?」

茜がそう続ける。
海衣は反応を伺うようにして与田に尋ねた。

「与田さんもそれでいいですか?」
「嫌だなぁ、僕は最初から反対なんてしてないですよ?」
「…………」

時間が惜しい状況だ、海衣はいちいち突っ込んだりせず話を進める。
ともあれ、方針は確定した。
4人はそれぞれに別れ保育園の探索を始める事にした。


303 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:25:08 2o02Aswo0


決められた割り振り通り、茜と珠はグラウンドを探索していた。
開けたグラウンドに隠れられるような場所は少なく、遊具や用具入れのロッカーがあるくらいである。
ひとまず物陰を軽く調べた後、校舎の裏手へと探索の足を延ばす。
園児時代の朧げな記憶によれば裏口はこの辺にあったはずである。

「珠ちゃん大丈夫なの?」

校舎裏へと向かいながら、茜は珠の様子を気遣う言葉をかけた。
みかげの一件から珠の様子は沈んだままだ。
ただ落ち込んでいるというより混乱したようなどこか呆けた様子である。
その心境はいかばかりか。

「……うん。大丈夫。落ち着いてきたから。ありがとう茜さん」

珠はゆっくりと頷いた。
彼女の記憶の混乱はようやく落ち着いてきた。
自分の中で色々と感情の整理もついてきた。

「みか姉は……私たちを守るために、あんな嘘をついたんだよね……?」
「うん…………そう、だね」

追ってくる特殊部隊から珠たちを逃がすために、自分がマタギの指導を受けただなんて嘘を付いた。
みかげからすれば、珠たちの記憶を歪めた罪滅ぼしのつもりだったのだろう。

花子は諦めろと言っていたが、簡単に割り切れる問題ではない。
みかげを助けに行けもしないこの現状は茜ですらつらい状況である。
彼女と親しかった珠からすれば身を裂く思いだろう。

「けど、みか姉は間違ってると思う」
「え…………?」

だが、珠から出てきたのは意外な言葉だった。

「だって勝手に自分が悪いだなんて自分で決めて、嘘までついて危ないマネなんかして。私、みか姉に怒ってるんだよ」

みかげにとっては罪滅ぼしのつもりだったのかもしれないが、そもそもみかげに償うべき罪などない。
何度もそう言ったのに、勝手に自分で自分の罪を決めて勝手に償おうとした。
みかげに咎があるとするなら、そこだろう。
誰かがそうしなければならない状況だったとしても、あんな騙し討ちみたいなやり方はないと思う。

「だから、次に会った時に勝手した事、怒ってあげないと」
「うん。そうだね。そうしよう…………!」

みかげが生き延びて、再会できると信じて珠は未来を語り、茜もそれに同意する。
それがどれだけ望みの薄い事であるかなど理解しているけれど、それでも信じることを止めたくはなかった。

少女は少し大人びた表情で遠く光の見えない東の空を見つめた。
みかげは珠にとっては優しく頼りになる年上の女性だった。
けれど、彼女は思い悩み間違うこともある、一人の弱い少女だったのだ。
それをもっと早く理解してあげるべきだった。

あまりにも苦い経験を経て現実を知る。
少女は少しだけ大人になった。


304 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:26:36 2o02Aswo0


校舎の調査を担当する海衣と与田はまずは1階を探索していた。
限界集落だった頃から変わらぬ校舎は小さなもので、1階にあるのは年少クラスの教室と職員室、あとはトイレくらいである。

園児の教室には机や椅子のないため、人影の確認だけなら一瞥するだけで済む。
むしろ個室を確認しないといけないトイレの方が面倒だった。

更に面倒なのが職員室である。
教員用の机が並び、雑多で死角も多い。
与田は海衣の後ろに隠れるように追従しており、あまり役に立ちそうにない。
海衣は仕方なしに覚悟を決め、職員室の中を突き進んでゆく。

「水月さんも保育園は懐かしいものですか?」

流石に女子高生の後ろに隠れる成人男性という図にバツの悪さを感じたのか与田が話しかけてきた。

「いえ、私は……通ってなかったですから」
「あれ? 水月さんは山折村出身だと思ってましたが違うんです?」

デリカシーのない質問だなと海衣は静かに目を細める。
富豪だった夫婦が没落して山折村に落ちのびてきてから生んだのが海衣である。
生まれも育ちも山折村だが保育園には通ってはいなかった。

「両親が付きっ切りで見ていたから……通う必要はなかったんです」
「へぇ。熱心なご両親なんですねぇ」

義務教育と違い、保育園は両親の育児負担を減らすためのものである。
海衣は物心つく前からずっと両親が付きっきりで教育していたから、義務教育でもない保育園に通ったことはなかった。
だが、その教育は熱心などという生ぬるいものではなかった。

「そんないいものじゃないですよ。礼儀作法だの花嫁修業だの物心つく前からそんな事ばかりさせられて」

両親が返り咲くために、顔も知らないどこかの富豪に嫁ぐための技術ばかり叩き込まれた。
それは子供を売り飛ばすも同然の行為だ。
だから、そこから逃げ出すために両親に隠れて勉強を続けてきた。

「僕も子供の頃から勉強ばかりでしたけどね。まあ僕の場合は好きでやってた事ですけど」
「そうなんですか?」
「ええまあ。勉強と言っても、好きなことを好きなように学んでいたらこうなったって感じですよ」

海衣にとって勉強は両親の元から逃げ出す逃避の手段だ。
勉強自体を楽しめていたというのは海衣からすれば羨ましい話である。

「与田先生は研究所の人なんですよね…………?」
「まあ……そうですね」

海衣に対してハッキリ明言したことはないが、花子との会話を聞いていればわかる事である。

「自分が、頑張ってきた成果がこんなことになってしまって、与田先生はどう思ってるんです?」

それは与田を責める文脈で言っているのではない。
頑張った先に報われなかったらどうするのか。
自分の境遇と重ねてただそれが聞きたかった。

「うーん。事故は不幸だったと思いますし、バイオハザードを引き起こしてしまったのは研究所の管理責任があると思いますけど。
 自分がやっていた研究自体は間違っていたとは思わないですね」
「それは、今でもですか?」
「ええ。正しいと思ってやってた過去が変わる訳でもないですから。まあ大した仕事を振られてなかったですけど……」

それが強い信念のもとになされた発言なのか、究極の無責任からの発言なのかは分からないけれど。
結果がどれだけ悲惨であろうとも行ってきた過程に後悔はないと研究所の研究員はそう言っていた。

「あっ。けどこうなった責任とれとか言う話はやめてくださいね。そういうのは上の人にお願いしますよ」

後者かもしれないなと海衣は思った。


305 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:28:12 2o02Aswo0


2組は調査を終え、校舎の昇降口に集まっていた。
そこで互いの探索で得た成果を報告し合う手筈である。
まずは茜が報告を始めた。

「とりあえず、校舎裏やグラウンドには誰もいなかったよ。ゾンビもなし。
 裏口は校舎奥にあるんだけど、あれって給食の運搬口だったんだね、いやー今更知ったよ」
「朝顔さん」

すぐに話の逸れる茜を海衣が窘める。

「ごめんごめん。裏口には校舎の外から回り込んでも行けるけど、校舎に繋がる給食運搬用のルートがあったから、いざとなればそのルートで逃げられると思う。
 けど、裏口には鍵がかかってたから、鍵は必要かな。多分職員室にあると思うけど」
「大丈夫。それは回収しておいた」

そう言って海衣がポケットから鍵を取り出す。
職員室を探索した際に先んじて裏口の鍵を拝借していたようだ。
これで脱出ルートに関しては問題なさそうである。
茜の報告を聞き終え、続いて海衣が探索結果の報告を始めた。

「校舎(こっち)にも誰もいなかった。とりあえず園内は安全みたいだ」

花子の予測通り深夜の保育園にいた人物はいなかったようである。
先んじて誰かが潜んでいた、と言う事もなさそうだ。
この保育園内にいるのは海衣たち4人だけと考えていいだろう。

「2階の保育室から出られるベランダが監視に適していると思う。まずはそこに移動しよう」

海衣の言葉に従い4人は監視ポイントと定めた2階のベランダへと移動する。
流石に校舎の反対側までは見えないが、それなりに視界も広く校門から花子たちがやってくるであろう方向まで監視できそうだ。

ひとまずの安全は確保され、脱出ルートと監視ポイントも確保できた。
僅かだが状況を落ち着き余裕ができたところで、与田が茜と珠に向き直る。

「それじゃあ、今のうちにお二人を診ておきましょうか」
「診るって怪我をですか? それはありがたいですけど……」

診療所の医師である与田に念のため診ておいておくに越したことはないとは思うが。
メンタル面のケアは必要であろうが、周りの助けもあってか今のところ怪我と言う怪我はしていない。
僅かに戸惑う茜と与田の間を海衣が取り成す。

「与田先生は他人の異能を見抜く異能を持ってるから、診てもらった方がいい」
「そうなんだ。けど自分の異能くらいなんとなくわかってるよ?」
「それを「なんとなく」じゃなくしようという事」

診ると言っても、胸に聴診器を当てたりする必要はなくただ見るだけで完了する異能だ。
実際の所、視界に収めれば済む話なので改めて診るまでもなく、それを伝えるだけの作業なのだが。

「まずは朝顔さんですが、あなたは超分子振動を操って手で触れたモノの熱振動を大きくする異能ですね」

そう与田が茜の異能を要約する。
しかし説明を受けた茜は首を傾げた。

「振動、ですか? けど、私の異能って炎が出たりするんですけど」
「温度は分子振動のふり幅ですから。大気の発火点に達する温度が生み出せるなら炎が出ることもあるかもですね」
「?? どいう事?」

茜は理解できないのかますます首をかしげた。
そして助け舟を求めるように海衣へと視線を送る。

「えっと。温度っていうのは、物質の熱振動をもとにして規定されていて、振動が大きい程温度は高くなるものなんだ」
「振動すると温度が上がる…………震えると体が温まるとかそんな感じ?」
「うーん、シバリングとはちょっと違うんだけど、どう説明すれば……」

説明がうまくいかず海衣は頭を悩ませる。
これまで一人で勉強ばかりしてきて、人に勉強を教える機会なんてなかったから、こういった説明は苦手だ。

「まあ、原理としては電子レンジと同じですよ」
「いやー、電子レンジの原理が分からないんですけど……」
「…………電子レンジか」

そう与田が説明をまとめる。
茜としてはよくわかっていないようだが、海衣はなにやら納得してるようだ。
とりあえず茜への説明義務は果たした与田は、続いて珠へ説明を始める。

「日野さんはこれから起きる事象を光の大きさとして可視化する異能ですね」
「事象ってなんですか?」
「ゲームで言えばイベントみたいなものですね。人や物に関わらず大きな出来事ほど大きな光として見えるようですね」

光の先には落ちている物があったり、訪れる人が見えたり。
言われてみれば腑に落ちる心当たりはいくつかある。
そして、襲いかかかった特殊部隊はかつてないほど大きいな光に見えた。
あれがイベントの大きさと言うヤツなのだろう。


306 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:29:00 2o02Aswo0
「じゃあ、今も何か光は見えるの?」
「えっと、外の方には何にも、園内なら……あの辺が光ってるかな……?」

茜から差し込まれた疑問に対して、珠が指さしたのはグラウンドにある花壇だった。
2階から見る限りではなんの変哲もない花壇だ。何かが埋まってる訳でもさそうである。

「本当にあってます?」
「僕に言われてましても。彼女が見てるのはあくまで何かるかもという可能性ですから」

珠が見ているのはあくまでこれから起きる可能性だ。
必ずしも今そこに何かあるとも限らない。

「なら、見張りはこのまま私がやっていい?
 私の異能が一番見張りに向いてると思うし、誰か近づいてるなら見逃さないよ」

そう珠が自ら見張り役に手を上げた。
ここまで呆けているだけで迷惑をかけたのを少しでも取り返そうと張り切っているようだ。
確かに、訪れる存在を光としてとらえられる珠であれば見張りには適任だろう。

「なら珠ちゃんはこのまま2階で周囲の見張り。私と朝顔さんは念のためグラウンドに降りて入り口と周囲を警戒。
 与田先生はここで珠ちゃんについて、彼女がなにか見つけたら私たちに報告してください。いいですか?」
「ええ、いいですよ。安全そうだし、パシリは得意ですから!」

与田は思った以上に快く連絡係を受け入れてくれた。
それに若干引きつつも見張り役と連絡係の2人を残して海衣と茜は1階に降りて行った。

ベランダから教室に入り、1階へ着く会談に降りる。
いろいろとバタバタしていたが、ようやく海衣と茜は2人で落ち着いて話が出来そうな状況になった。

「……朝顔さん。少しいい? 話があるんだけど」

1階に降りてゆく階段の途中で、ふと海衣が足を止め僅かに思いつめた様子で切り出した。
その様子に気づいた茜も足を止めて振り返る。

「いいけど、どうしたの改まって?」

不思議そうに海衣を見つめ彼女の言葉を待つ。
だが、自分から切り出しておいて、どう話せばいいのか海衣は僅かに逡巡する。

「特殊部隊が追いついて、ここで戦いになるかもしれない」

どう伝えたらいいか考えぬいた結果、そのまま伝えることにした。
遠回しな言葉を選ぶなんて器用な真似なんてできないし、危険が迫る可能性を誤魔化しても仕方がない。

「準備がしたい。手伝ってくれる…………?」

そう言って、祈るように手を伸ばす。
誰かに頼ることに慣れていない彼女の精一杯。
不安を押し殺して伸ばされた手を、茜は迷うことなく掴んだ。

「もちろん。何したらいい?」
「ありがとう。一つ考えがあるんだけど、そのために確認することがある」

協力が得られたことに感謝を伝えながら、海衣は妙なことを訪ねた。

「朝顔さん。あなた、氷は溶かせる?」


307 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:29:17 2o02Aswo0


「ねぇ。与田先生」
「どうしました? 何か見つけたんですか?」
「うんん。そうじゃなくって聞きたいことがあって」

ベランダから周囲に目を向けたまま珠は隣で退屈そうにしていた与田にそう切り出した。

「診療所のお医者さんだと思うんだけど、白衣を着た若いお医者さんって心当たりってある?」
「白衣と言われましても、白衣はみんな着てますからねぇ」
「うーん。それもそっかぁ……」

当然と言えば当然の返答である。
当てが外れて珠が口元をとがらせた。

「その人がどうかしたんですか?」
「何でもないよ。見覚えのない人を前に見かけたから、ちょっと気になっただけ。多分先生より若い人だったと思うんだけど」

珠の曖昧な誤魔化しも特に気にした風でもなく与田は答える。

「僕より若い人ってなかなかいないですよ。あの診療所に研修医はいませんから。
 ああけど、そう言えば一人東京の方から飛ばされてきた人は人がいましたっけ。
 なんでも本部の副部長のお気に入りで、いきなり主任だってんだからやになっちゃいますよねぇ。僕なんて3年働いても全然出世しないのに」

そう言って与田は己の境遇を愚痴りはじめた。
だが、突然始める大人の愚痴を聞かされる中学生の気持ちもやになってしまうと気づいてほしい。
珠は適当に相槌を打ちながら、肝心の所を尋ねる。

「それでその先生は何て人なんですか」
「ああ、名前はですねぇ――――」


308 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:29:50 2o02Aswo0


「花子さんが帰ってきましたよーー!」

見張りを始めて程なくして、2階から駆け降りてきた与田が昇降口からそう叫んだ。
これ以上花子の到達が遅れていたなら、彼女は死んだものとしてこの場を離れる手筈だった。
グラウンドでその報告を聞いた海衣はそうならなかった事に、ひとまずほっと胸をなでおろした。

海衣は花子を出迎えるべく門扉の方へと小走りで近づいて行く。
それとほぼ同時に閉じられた扉門を苦も無く飛び越え花子が保育園の中へと着地した。

「おかえりなさい。ご無事で何よりです。首尾はどうなりましたか?」
「うん。お出迎えありがと。そうね。悪い方の懸念通りになりそうだわ」

その報告に海衣が表情を引き締める。
保育園での決戦が現実味を帯びてきたようだ。

「ところで、茜ちゃんは何をしてるの?」
「あれは……練習と言いますか、実験と言いますか」

視線の先では、茜が手にした何やら奮起している。
よくわからないが、うまく行っていないようだ。

「ふーん。それで、海衣ちゃんはどういう作戦を考えたのかしら?」

グラウンドの様子を見ながら、花子が海衣に尋ねた。
見透かしたような、試すような物言いにもいい加減慣れてきた。
海衣は怯むことなく花子の視線を見つめ返し、自らの考えた作戦を説明する。

「……なるほどね。少なくとも私にはない発想だわ」

海衣の提案を聞き終えた花子は神妙な様子で頷いた。

「ダメ……でしょうか?」

不安そうに海衣が訪ねるが、花子はどこか悪い顔をしながら首を振る。

「いいえ。悪くない案よ。私にはない発想だからこそいい。これなら追手があの子だったとしても十分に嵌められる」
「あの子?」
「こっちの話。そうねぇ。少し足りない所もあるけど、その辺はフォローするわ」

そう言って海衣の提案をベースに足りない部分を補強し始めた。
聞いたばかりの作戦に的確にメスを入れ手を加えてゆく。

「あとは準備が間に合うかね。時間はそれなりに稼げただろうけど、それでもギリギリか。
 よし、ここまで来たらセンセたちにも手伝わせましょう」

そう言って、昇降口から不思議そうな顔でこちら見つめている与田に視線を向ける。
それを見て、海衣も少しだけ気になっていた事を思い出した。

「ところで、混乱してる珠ちゃんはともかく、なんで与田さんにも戦いになるかもって言っては駄目だったんですか?」
「だって私がいない状況で特殊部隊と戦うかもなんて聞かされたら逃げるでしょ、あの人」

あっけらかんとそう言ってのけた。
それはそうだと納得する。

「ところで作戦名はどうするの?」
「作戦名…………ですか?」
「そ。決めといた方が気分が上がるでしょ」

そう言うものだろうか。
海衣にはよくわからない感覚である。

「あなたの作戦よ、あなたが決めて」
「そうですねぇ…………それじゃあ――――」


309 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:31:17 2o02Aswo0


保育園からいくらか離れた草原。
荒れた野に溶け込むような迷彩色が疾風のように駆け抜けていた。
それは抹殺任務を負った秘密特殊部隊の隊員、黒木真珠という女だ。

真珠は標的が保育園に逃げ込んだと定めた。
確証と言うより、当たれば良し、外れれば出直しの博打である。
その結果を確認すべく一路保育園を目指していた。

そしてしばらく走っていると真珠の視界にも保育園の賑やかな絵柄の壁が見えてきた。
何とも緊張感の薄れる絵だが、標的に関わらず敵が潜んでいる可能性のある場所だ。
真珠は警戒を最大限に高め、走っていた歩調を緩め慎重な足取りで距離を詰めてゆく。

そして、たどり着いた保育園の外壁に背を這わせ銃を構える。
周囲を警戒しながら慎重に壁を伝うように移動して、入口へと回り込む。
閉じた門扉がマスク越しの視界に入った。
罠の有無を確認してからそれを軽く跳躍して乗り越える。
音もなく園内に入り込んだところで。

「んだぁ…………こりゃ?」

そう戸惑いの声を上げた。
たどり着いた保育園は異様な有様になっていた。

そこにあったのは氷の城だ。
壁に覆い隠されていたグラウンドにはいくつもの氷塊が壁のように突き立ち、空を覆い隠すように氷が天を塞いでいた。
氷壁が張り巡らされまるで迷路のようである。

「いつの間にか舞浜にでも迷い込んじまったかぁ……?」

真冬の北海道ならまだしも、6月の岐阜でこんな氷が自然発生したなんてことはあり得ない、
この迷宮の存在は逆にこの保育園に何者かが潜んでいる事を証明していた。

これを作ったのは特殊部隊がやってくることを予測した何者かであることは間違いない。
状況からして恐らく足跡の隠蔽工作を行った人物だろう。

これがハヤブサⅢであるという想定で追ってきたのだが。
元より無理な当て推量ではあったが、当てが外れたと真珠は感じていた。

こんな露骨で目立つやり方は奴のやり口じゃない。
もっと陰湿で目立たないやり方を好んでいたはずだ。

真珠の任務はハヤブサⅢの抹殺。
無視するわけではないが、正常感染者の排除はひとまずは二の次にしていい。
その状況で、リスクを冒してまで標的のいない場所に飛び込むのは躊躇われる。

罠だと分かっている場所に突っ込んでいく馬鹿はいない。
飛び込むとしたら、飛び込まざるをえない理由がある場合くらいのものだろう。
露骨な罠に付き合わせるには『餌』が必要だ。
極上の餌が。

真珠で言うなら、そう――――そこに標的がいた場合だ。

漆黒の瞳が氷の城内に人影を捉えた。
その瞬間、全身が総毛立ち、口端が吊り上がる。

真珠は反射的に構えていた銃の引き金を引き保育園の入口から弾丸を打ち込んでいた。
弾丸は人影に直撃して、標的がひび割れて砕け散った。
視界に映ったのは本体ではなく、氷鏡に映った虚像だったようだ。

だが、構わない。
何せようやく見つけたのだ。
探し求めていた標的、ハヤブサⅢの姿を。

氷面上に一瞬移っただけだが見間違えるはずがない。
標的は鏡像の映る範囲、つまりはこの氷の迷宮の内部にいると言う事だ。

真珠は氷の迷宮へと自ら足を踏み入れて行った。
露骨な罠に露骨な餌だが、こうまでちらつかされては踏み込むしかない。
ようやく見つけた獲物だ、無視などできよう筈もない。

「らしくなってきたじゃねぇか」

無視したくともできない状況にする。
この陰湿さこそ真珠の知るハヤブサⅢだ。
真珠は罠が待ち構えると知る氷の迷宮へと踏み込んでいった。


310 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:31:49 2o02Aswo0
氷面鏡に自身の姿が反射する。まるでミラーハウスだ。
どこに何がいるのか正確な位置が分からなくなりそうだ。
全身を防護服によって守られているため分からないが、周囲の気温も相当下がっているはずだ。

罠を警戒しながら慎重に氷の通路を進んでいくと、視界の端にまたしても標的の姿が一瞬移った。
それも鏡像だったのか、銃口を向けるがすぐさま消えた。

(…………誘い込まれてるな)

ワザと姿をちらつかせている。
この先に罠があるのは確実。
問題はどういう罠かだ。

「付き合うかよ」

言って、真珠は目の前の氷壁を前蹴りでぶち抜いた。
大人しく迷路に付き合うギリはない。
最短距離を突き進んでゆけばいいだけだ。

壁か崩れたことにより、迷宮全体が僅かに揺れた。
この氷城は急造の一夜城以下の数分城だ、下手に破壊すると倒壊しかねない。
それを理解しながら真珠は構わず敵の罠ごと破壊する勢いで、砕氷機のように氷を砕きながら突き進んでゆく。

「ちょっとちょっと。相変わらずやり方が強引ね」

強引な突破に、たまらず相手の方から出てきたようだ。
氷でできた袋小路。拳で殴り砕いた先に、白い息をため息の様に吐いてその女は立っていた。
逢いたくてたまらない恋人に出会ったように、口端を吊り上げ熱のこもった視線を向ける。

「…………よぅ。会いたかったぜハヤブサⅢ」
「ハロー。ここまで追って来られるのはあなただと思ってたわ。真珠」

言って、楽しそうに笑いあいながら、あの時と同じように互いに銃を突き付けあう。
海上の豪華客船で生まれた因縁は氷の迷宮で再会を果たした。

「けど、ダメじゃない真珠。私なんかに釣られてこんな所に来ちゃうなんて」
「問題ねぇよ。あたしの標的は端からてめぇだよ」

そう言って、銃を構えながら顎先で相手を指す。
その言葉に花子は意外そうな顔で僅かに目を見開くと、すぐに眉をひそめた。

「そう言う事? だったら出て行かない方がよかったかしら………しくったわぁ」

失策に悔しさをにじませるよう目を細める。
住民の皆殺しではなく花子を仕留めるという別任務を担っているのなら、露骨な罠を嫌ってそのまま保育園を避けたかもしれない。
餌をちらつかせ引き込んだのは早計だったか。
まあ事前に知りようのない話なのだから仕方ないと気を取り直す。

「それで、SSOG(そっち)はどれだけ事態を把握してるのかしら?」
「アホか。言う訳ねぇだろ。これから殺す相手と今更情報交換もねぇだろ」
「そうね。けど、あなたを殺しちゃったらもう情報を聞けないじゃない。今聞いておかないと、ねぇ?」

女エージェントは変わらぬ微笑のまま、さらりと言ってのけた。
その言葉を受け、特殊部隊の女は愉快そうに笑った。

「違ぇねえな。じゃあ聞いてやるよ、お前何でこの村にいる? 何を探ってやがった?」
「言うと思う?」
「思わねぇな」

拷問にかけたところで簡単に口を割る相手ではないことは互いに理解している。
情報を引き出すのならもっと別のアプローチが必要だろう。

「お互い持ってる情報をオールインして勝った方が全取りってのはどうかしら」
「悪かねぇ提案だがダメだね。お前が報酬を持ち逃げしないと限らない」
「信用ないわねぇ」
「ったりめぇだろうが。てめぇがあの船で何したか忘れたわけじゃねえだろうな」

二人の因縁が始まった豪華客船での潜入任務。
情報を持ち逃げしたあの時の仕打ちを忘れてはいない。


311 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:32:10 2o02Aswo0
「そうね。けどお互い重要な話は明かせないとして、明かせるカードくらいはあるでしょう?
 せめてどうして私を狙うのかくらいは教えてくれてもいいでしょう?」

真珠は僅かに押し黙る。
答える必要はない問いだ。
だが、研究所にハヤブサⅢがどう関わっているのか興味があるのも事実だ。
その対価として支払うのにこの情報の価値は如何ばかりか。

「別に大した理由じゃねぇよ。当初はお前らだけが特殊部隊を倒しうる戦力と想定されていたからだ」
「あら。それは光栄かつ迷惑な話ね。けれど、当初はってことは今は違うのよね?」

この問いに関しては真珠は肩を竦めるだけで否定も肯定もしなかった。
異能が素人ですら特殊部隊も殺しうる劇薬であるだなどと想定しろと言うのが無理な話だ。
今のこの村は特殊部隊すら殺し得る初見殺しが横行している。

「まだ私を狙ってるってことは理由はそれだけじゃないでしょう?」

単純に戦力的な脅威と言うだけなら、誰もが危険人物となりうる今の状況でも花子だけ狙い続けるのは無意味な話だ。
まさか私怨と言う事もあるまいし、それでも任務を続けるからには何か別の理由があるはずである。

「おっと、こっちの番だ。お前はこの村に何をしに来た? 何が目的だ」
「決まってるでしょ、そりゃあ研究所の調査よ。観光でもしに来たと思った?」
「だぁほ。研究所の何を、何のためにって話だよ。お前とブルーバードが送り込まれるなんて早々ある話じゃねえだろ」

こんなでもハヤブサⅢは世界でも指折りの工作員だ。
動くからには相応の事情や背景があるはずである。
研究所は蓋を開ければ開いてはならないパンドラの箱だったが、事前にそれを知っていたのだろうか?

「それを調べるための任務だったのよ。ここの地下研究所で行われている研究内容と進捗状況の確認。
 そして、それが都合が悪い状態だった場合、破壊工作を行う。それが私がこの村に来た理由よ」
「あん? ってこたぁ、研究所ぶっこわしてウイルスをバラまいたのはお前か?」
「場合によってはそうなっていた可能性は否定しないけど、今回の件は違うわ」

やるにしたってこんな無駄に被害をまき散らすようなやり方はしない。
これは事故か素人、あるいは狂人の仕業である。

「それじゃあ私の番。結局私を狙う理由はなんなの?」

改めて問われ真珠は大きく舌を打つ。
しぶしぶと言った態度で答える。

「通信機だよ。お前の持ってるそれがなければ、妨害電波は一般通信を妨害するだけでよくなるからな」

隠蔽工作を目的とするSSOGにとって最悪なのは外部への連絡が取られる事だ。
その中で最も厄介なのが花子の持つ通信機である。
これがなければ、妨害電波は一般回線を塞ぐだけで済む。
つまり、花子が死ねば軍用回線が解禁される。
特殊部隊は連携が解禁され大幅に強化されると言う事だ。

「あらら。責任重大ね私」
「心配すんな。てめぇの死んだ後の話だ、あの世なら責任逃れもできるだろうよ。
 じゃあ次だ。肝心な部分を話せよ」
「あら、どういう意味かしら?」
「惚けんな。誤魔化しが通じる相手じゃねえぞ」
「ま、それもそうね」

先ほどの花子の説明は『何を』するつもりだったのかという目的部分でしかない。
肝心の「何故」そうする事になったのかという理由部分を説明していない。

「けど、流石にその情報はお高いわよ。今のまま支払いが足りないわ」

誤魔化しではなくハッキリと否定する。

「はっ。ふざけやがってそれじゃあこっちが払い損じゃねぇか。なら釣りは命で払ってもらおうか」

言って真珠の殺気が膨れ上がり言葉が途切れる。
互いに明かせるカードはここまで。
後はやることは一つだけ。


312 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:34:42 2o02Aswo0
ジリと、凍ったグラウンドを踏みしめ静かに睨み合う。
弾かれたように視線がぶつかる。
瞬間。白いマズルフラッシュが氷面に反射した。

同時に引き金が引かれ、互いに首を傾け弾丸を躱す。
真珠は弾丸追いかけるように距離を詰め、花子は逆をつくように氷の通路を駆けだした。

花子は駆け抜けながら背後に向けて牽制の銃弾を放つ。
だが、真珠は気にせずその後を追って駆け抜ける。
走りながらの射撃などそう簡単に当たるものではない。
何より、当たったところで最新鋭の防護服の前では致命傷にはならない。多少は痛いが。

最短距離を駆け抜ける真珠が背後に追いつく。
強く地面を蹴り、花子の背に向けて矢の様な飛び蹴りを放った。

「くっ…………」

花子は上体を振り向かせガードを挟むが、勢いに弾かれ地面を滑る。
体勢を崩したところに容赦なく弾丸が撃ち込まれる。
だが、花子はすぐさま氷柱の影へと跳び退き身を躱した。

真珠はすぐさま氷柱を蹴り砕くが、既にそこに花子の姿はない。
見れば、砕いた氷柱の先にある氷の通路を真珠から離れるように駆け抜けていた。

「ちっ」

近接戦ならば圧勝するのは真珠だ。
まともにやり合わないのは当然の立ち回りだが、だとしても狙いが読めない。
仕留める算段があるのか、それともただの時間稼ぎか。

氷の迷路で時間を稼いでいる間に、他の連中を裏から逃がそうとしている。
みかげが逃がした連中を匿っているのならばありうる可能性だ。
迷宮と言う形からも時間稼ぎという目的はイメージしやすい。

いや、だとしてもこんなど派手な迷宮を築き上げる必要はないはずだ。
ハヤブサⅢであれば時間を稼ぐだけなら保育園の校舎でも出来るだろう。

奥に誘い込み、氷の城を倒壊させてそれに巻き込もうとしている可能性。
単純に考えれば一番あり得る罠だろう、この迷宮も圧殺に必要な氷を用意したという事で説明もつく。
だがそうなると囮となったハヤブサⅢまで巻き込まれる。
奴に対処できる程度の規模の罠ならこちらが対処できない道理はない。

自爆覚悟の戦術を取る女か?
そもそもこんな氷の城自体がらしくない。
奴の思考とトレースしように急激にノイズが混じって狙いが読めなくなる。

真珠は先読みを諦め、読めないのならば狙いごと破壊するつもりで駆ける。
そして、ハヤブサⅢを追って角を曲がった所で広がる氷の回廊の上。
そこに標的が背を向けて立ち止まっていた。
それは誰の目にも明らかな隙だったが、真珠はその奇妙な行動に警戒し即座に距離を取った。

「―――――――そこ」

未来視でもするかの如く、振り返った花子が真珠の足元を指さした。
何かが来る。その直感に従うように、震える様な振動と共に氷の天井が崩れ落ちた。
真珠の頭上にむかって巨大な氷塊が落ちる。

だが、その程度の事は予測済みだ。

「こんなもんで仕留められるかよッ!」

頭上に落ちてきた氷塊を戦斧のような回し蹴りで打ち砕く。
氷柱割りの一つや二つ彼女にとっては容易いものだ。
氷塊は踵に触れた瞬間、簡単に弾け飛んだ。

いや、簡単すぎる。
殆ど手ごたえがない、
これでは氷と言うよりほぼ水だ。

(………………水?)

蹴りから居直った真珠が周囲を見る。
溶けているのは天井だけではなかった。
強固だった氷壁は汗をかいたように濡れている。

その気づきを得た瞬間。氷の城が一斉に溶け落ちた。


313 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:35:18 2o02Aswo0


特殊部隊の女が辿り着くより少し前。
保育園のグラウンドでは茜を除く4人は急ピッチで氷の迷宮の建築に勤しんでいた。
与田と珠がホースで水をまきその水を海衣が凍らせる。
花子が全体を見て形を調整しながら建築作業を進める。

「何で溶けないのぉ〜!」

そんな中、グラウンドの端で茜は握りしめた氷を片手に苦戦していた。
茜は熱を生み出す異能のはずなのに。
どういう訳か氷がまるで溶ける気配がない。

茜による氷の迷宮の解凍は作戦の要である。
これが出来なければそもそも海衣が立てた作戦が成り立たない。

「電子レンジで氷は溶かせないのよ」
「え、そうなんですか?」

現場監督を務めていた花子がそう囁いた。
苦戦している茜を見かねてアドバイスをしに来たようだ。

「正確には「あたため」では氷は溶かせないので「解凍」にする必要があるってことね」
「あたためと解凍ってどう違うんです?」
「はい。センセ解説」
「え、何んです?」

話を振られた与田が水撒き作業の手を止めて駆け寄ってくる。

「何で電子レンジで氷が溶けないのかって話」
「ああ。えっとですね、電子レンジはマイクロ波によって物体の水分子を熱振動させ過熱させるんです。
 けど、氷は固形物ですから水とは固有振動数が違うんですよ」
「こ、固有ぶん…………?」
「要は氷を溶かすには氷に合わせた振動数が必要ってことね」

小難しそうな用語に思考を停止させかけた茜だが、花子が簡単に要約してくれたので事なきを得た。

「けど、振動数って言われてもわっかんないよ」

話は理解できてもどうしたらいいのかまでは理解できない。
氷の固有振動数と言われても何が何だかだ。

「厳密な原理を理解する必要はないんじゃない? むしろ、そういう過程をすっ飛ばせてこその異能でしょう?
 要はイメージよ。氷を溶かすイメージを持ちなさい。きっと、原理は後からついてくるから」

花子のアドバイスを受け、茜は氷の城を作るべく頑張っている少女の姿を見つめる。
氷のような表情でずっと一人で机に向かって少女。
海衣の作った氷を溶かす、凍った心を溶かすように。

「………………それなら、出来るかも」


314 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:36:15 2o02Aswo0


凍てついた氷の迷宮は、一人の少女の生み出した熱によって溶け落ちた。

迷宮を構成していた大量の水が洪水のように一斉に降り注ぐ。
その中心にいた花子と真珠を水浸しにするが、防護服に全身を包んでいる真珠に影響など殆どない。
影響があるとしたら生身で氷水を浴びせられた花子の方である。

壁となっていた氷壁が消え視界が開ける。
そこには真珠たちを挟むようにして地面に手を付く二人の少女の姿があった。

どちらかがこの氷の迷宮を作り出した異能者であると真珠は瞬時に理解する。
つまり、罠は迷宮のどこかにあったのではなく迷宮その物。
あの大掛かりな氷の城自体が真珠をこうして濡らすためだけの罠だったのだ。
となると狙いは真珠を巻き込んでの再凍結。真珠を氷に閉じ込めるつもりだ。

だが、そんなことをすれば近くにいるハヤブサⅢも巻き込まれる。
真珠が纏っているのは極地戦を想定した最新鋭の防護服だ。
同条件ならば割を食うのは相手の方である。

そんな事には構わず少女の腕から冷気が放たれた。
濡れた地面を伝って氷が奔る。
氷は一瞬で真珠の足元へとたどり着き、全身を這い上るように伝って行った。

氷に飲み込まれる。
その直前、真珠は同じ境遇にある標的を見た。

「まったく、順路を無視してくるから立ち位置調整が大変だったわよ」

だが、凍結したのは真珠だけだった。
所々に霜のような氷は張り付いているが花子は凍り付くでもなくその場に平然と立っている。
そうして氷に捕らわれた真珠から離れるように一歩下がるとその霜もあっという間に湯気となって消えて行った。

花子の立つグラウンドからは白い蒸気が立っている。
どういう訳か、花子と真珠を挟んで、グラウンドは極寒と灼熱に別れていた。
正確に言えば二人を挟む二人の少女によって、世界は切り分けられていた。

熱を下げる異能者と熱を上げる異能者。
同系統でありながら対極の異能者が都合よくこうして集まっている。
その運命がこの熱寒の世界を作り出し、エージェントと特殊部隊員の命運を分けた。

「ッ……嘗、めるなッ!」

だが、この程度では止まらない。
特殊部隊の女は全身を覆う氷を物ともせず動き始めた。
現代科学の粋を集めた最新鋭の防護服はこの程度でどうこうなるモノではない。
大きく腕を振るって関節を固める氷を砕き、叩き付けた腕で腰元の氷を引きはがす。
そして根のように張り付いた足を振り上げようとしたところで、それを阻止するように花子が力強く手を振り上げた。

「――――――撃ち方、始めぇッ!!」
「なっ!?」

その合図に真珠は狙撃を警戒するが、彼女に向けられたのは銃口ではなかった。
グラウンドの端。小さな少女が構えるのは花壇のホースだった。
鉄砲は鉄砲でも水鉄砲である。

ホールの先端からビームのような勢いで大量の水が放出された。
真珠の両足は氷によって固定されておりそれを避ける術を持たない。
水流の直撃は防護服の力で跳ね返せたが、その水は真珠を攻撃する目的ではないことなど明らかだった。
伝う冷気がホースから吹き出した水を次々と凍らせてゆき、真珠の体を徐々に巨大な氷が覆って行く。

「……このっ、こんな」

氷を溶かして凍らせる。
言ってしまえばただそれだけの策。

敵の戦術レベルに合わせて対策を練るのは戦術の基本と言える。
故にこその見落とし。こんな子供だましの様な策を読み切れなかった。

「こぅんんのぉおおおおおおおおッッ!!!」

真珠が叫びをあげ全身を振り乱して体に張り付いた氷を振りほどかんと足掻く。
だが、それよりも新たに氷が張る速度の方が早い。
全身を覆う氷は牢獄のように厚く重なって行き、真珠の体を閉じ込めてゆく。

「ちっくしょおおおおおおおお――――――!!」

絶叫すらも氷中に閉じる。
この瞬間、保育園の中央に1体の氷像が完成した。


315 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:37:13 2o02Aswo0
水が打ち付ける音だけが静寂のグラウンドに響く。
ホースを地面に置いた珠がゆっくりとグラウンドの中央にある氷像へと近づいて行った。
珠はらしからぬ鋭い目つきで氷像を睨みつける。

「死んじゃった、の?」
「どうかしらね」

ここに特殊部隊の女がいるという事はその足止めに残ったみかげを突破してきたという事だ。
みかげの生存を信じているが、それでも思う所はある。

もしそうだとしたら、目の前の氷像はみかげの仇ともいえる相手になる。
珠にとっては許せない相手だろう。
だからこそ、花子は珠に役割を持たせた。

海衣の作戦から花子が付け加えたのは2点。
自らを餌として敵を誘い込むこと。
そして、最後の詰めで珠を巻き込んだことだ。

溜飲を下げさせるのが目的ではない。
使える物を使うため、その感情を利用した。

どれだけ憎い相手だろうとも普通の人間は人殺しを忌諱するものだ。簡単に人を撃つことなどできない。
だが、銃の引き金は引けずとも水鉄砲なら打てる。
海衣は珠をそこまで巻き込めないと考えたのだろうが、花子はそこまで考えて巻き込んだ。

「まあ、あなたも思う所はあるでしょうけど、放置するしかないわ」
「…………はい。そうですね」

そこに役目が覆えた海衣が近づいてきた。
そして珠と話していた花子へと耳打ちする。

「…………トドメは刺さないんですか?」
「できれば刺したいけど、氷が邪魔になって手段がないのよね。このまま窒息してくれればいいんだけど」

正直花子としても特殊部隊は減らしておきたい。
だが、花子のベレッタM1919では防護服は撃ち抜けない。それは証明済みである。
マスク部分を狙えば可能性はあるかもしれないが、それも厚い氷が覆って難しそうだ。
防護服を突破できるとしたら茜の異能だが、氷を解かすことになるのは藪蛇になりかねない。
今後も対特殊部隊を想定するなら高火力の銃器が欲しいところだ。

「とりあえずこの場を離れましょう。いつまでも氷像の前でやり取りしているのも気味が悪いしね」

花子が全員に呼び掛ける。
氷中に閉じ込められた経験などないので、中の状態がどうなっているのかはわからないが。
生死すらわからず、相手が聞いていないとも限らない状態で、次の目的地なんて相談するのは躊躇われる。

5人は念のため氷像を回り込み事前に確保しておいたルートで裏口へと向かって行った。
裏口の鍵を開き、動けなくなった氷の彫像を残して保育園を後にする。

「それじゃあ、改めて茜ちゃんと珠ちゃんの話を聞きたいし、落ち着けるところを探しましょうか」


316 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:37:54 2o02Aswo0
【D-3/保育園脇の道/1日目・午前】

【田中 花子】
[状態]:疲労(中)
[道具]:ベレッタM1919(3/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、謎のカードキー
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.落ち着ける場所を探して茜と珠から話を聞く。
2.診療所に巣食うナニカを倒す方法を考えるor秘密の入り口を調査、若しくは入り口の場所を知る人間を見つける。
3.研究所の調査、わらしべ長者でIDパスを入手していく
4.謎のカードキーの使用用途を調べる

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(小)、決意
[道具]:スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.保育園から離れる。
2.女王感染者への対応は保留。
3.嶽草君が心配。
4.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。

【朝顔 茜】
[状態]:疲労(小)
[道具]:???
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.保育園から離れる。
2.優夜は何処?
3.あの人(小田巻)のことは今は諦めるけど、また会ったら止めたい
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※能力に自覚を持ちましたが、任意で発動できるかは曖昧です

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)
[道具]:なし
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.保育園から離れる。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。

【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい


317 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:38:30 2o02Aswo0


人の消えた保育園に冷たい風が吹いた。
グラウンドの中央には人間を閉じ込めた美しさと残酷さを兼ね備えた1体の氷の彫像が聳え立っていた。

氷中の真珠は氷に閉じ込められながら、静かに眼光をぎらつかせている。
彼女の体は防護服に守護られ、水の一滴も流れ込んでいない。
凍傷や低体温症の心配はないだろう。

問題は酸素を取り込めないこの状況だが。
あらゆる極地戦を想定されたこの防護服は当然、水中戦も想定されている。
周囲からの酸素供給がなくなった場合、吸収缶による呼吸洗浄から圧縮酸素による酸素補給に切り替わる仕組みとなっていた。
圧縮酸素の残量は精々1、2時間程度。それまでにこの氷の牢獄から脱獄せねばならない。

とは言え、日当たりも風通しもよい屋外である。
完全に溶け落ちずとも、ある程度溶け落ちれば中から砕ける。
それくらいまでは酸素も持つだろう、だがかと言って無駄遣いもできない。

興奮は呼吸量を増やす。
真珠は静かに氷の中で頭を冷やして精神を落ち着けていた。
その内側で怒りと殺意を煮えたぎらせながら。
氷の中からマグマが解放される瞬間を待っていた。

【D-3/保育園グラウンド中央/1日目・午前】

【黒木 真珠】
[状態]:氷漬け
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.ハヤブサⅢを殺す
2.氷使いも殺す。
3.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています


318 : 対特殊部隊撃退作戦「CODE:Elsa(仮)」 ◆H3bky6/SCY :2023/07/14(金) 22:38:54 2o02Aswo0
投下終了です


319 : ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:43:14 gMlX.Evw0
投下します


320 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:44:01 gMlX.Evw0

『――ったく。証拠潰しのためとは言え、ちとやりすぎたか』

ノイズが走る記憶の残響の中唯一鮮明に聞こえるもの。
気怠そうに吐き捨てる、そんな男の声。

『生き残りか。目撃者は一人も生かすつもりはなかったが……』

それは、どのような人物だったのか。
黒い髪なのか、金色の髪なのか不明瞭な髪の色。その瞳は昏く、そして赤く燃えるように輝いて。
特徴的なのはその右足。義足なのだろうか。『鏡のような鉱石』で構築された、まるで――

『このまま代わり映えの無い未来はつまらん、せっかくだ。"保険"は掛けておくか。』

黒い煙が、僕の口の中に入り込む。
苦くて、それでいて懐かしいような。
力が、抜けていく。意識が曖昧に、微睡む暗闇へと落ちてゆく。
ドクン、と大きく心臓が鼓動を鳴らす。

『"マルタ実験"。この言葉を刻んでおけ。最も、当分お前はそれを思い出すことはないがな。』

その言葉の意味を、当時の僕は何も知らない。

『ついでに流し込んでおくこの知識は特別サービスだ。"思い出した時"に、交渉の道具として役立つだろう。』

だけど、その男の人は何故か微笑んでいた。
何か期待しているように思えた。
炎の向こうから、豹の顔をした兵隊さんみたいなのが数人、やってきた。

『※※※※!※※※※※※※※!』
『おっと、どうやら余計なアオハル女が追っかけてきやがった。』

豹顔の兵隊さんから何か報告を受けたのか、男の人は僕に手を降って、兵隊さんと一緒にその姿が黒い煙になって消えていく。

『もし生きていたら、答え合わせはしてやるさ。じゃあな。――その生に幸あらん事を。』

僕はこの記憶を忘れるだろう、思い出さないだろう。
だけれど、確かなことだけは一つ。
『■■■■■』という真名を名乗ったあの男は、人間ではなく―――








その答えにたどり着くことなく。そして僕は、記憶を失った。


321 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:44:16 gMlX.Evw0


ほんの少しの小休止。割れたガラスが散らばった店の中で私は項垂れている。
あいつに話しかけるのも億劫になっている自分自身が情けない。
感情の行き場をなくして、あの有様なのは、私の悪癖なのだろう。

「……ばかだなぁ、わたし。」

心地よいはずの朝日の暖かさが、気持ち悪くへばり付いてくる。
本当は、こんな事している暇なんて無いのに。
早く、先生と助けに行きたいはずなのに。

――※※※※※※※※※※※※※

ノイズが。耳鳴りが。私の思考の邪魔をする。
頭の中がかき回されるような気持ち悪い感覚。
頭に血が回らないのか、クラクラと視界が定まらない。

――※※※※※※※※※※※※※

スヴィア先生が攫われた。私は何も出来なかった。
結局余計に混乱させただけ。
あいつのせい。もっと良い作戦あったのに、信じた私がバカだった。
違う、私のせいでもあるのに、彼一人だけに責任を押し付けて。

――※※※※※※※※※※※※※

……あれ。そういえば、私。何で女王感染者を探そうとしてたんだっけ。
そういえばだった。私は後悔したくないなんて思いで来たのに。
結局私は後悔し続けてばかりの人生で。

――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※

思考が、定まらない。
私は、一体。何を、したかったの。
そうだ、先生。先生を、助けないと。
あいつには、頼らない。私、一人で。

――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※


急がないと、行けないのに。足が、動かない。
あれ、私。何で、倒れて。
力が、抜けて。なんだか、眠たい。

こんな所で、立ち止まっちゃ。だめ、なのに―――。


「せん、せい。いか、ない、で……。と、わ、いかない、で………。」


――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※
――※※※※※※※※※※※※※


322 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:44:45 gMlX.Evw0
● ● ●

「………あれ?」

目を開けると、私は教室の机で眠りこけていた。
眼の前の風景はたくさん並ぶ椅子と机、そして大きな黒板。窓から差し込む陽光。吹き抜ける心地よい風。
間違いない、ここは私の過去の風景。かつて通っていた学校の教室の中。

「……これは、夢?」

どう考えてもおかしい光景。まるで用意された舞台に出演した役者のような違和感。
明晰夢、というものを昔聞いたことがある。夢であると自覚できている夢の事らしい。
つまりこれはそういうものなのだろう、けれど太陽の暖かさや風の感触は余りにも鮮明。
夢なら早く覚めて欲しいと心底うんざりしそうになった途端に、かつての思い出がフラッシュバック。

叶和が居たから私の人生は色づいた。
全てがモノクロだった景色に始めての色彩をくれた。
あの子との思い出。始まりから、終わりまで。何もかもが。
リフレインして、まるで映画のように流れる光景が、懐かしくて、苦しくて。

「……あ。」

涙が、流れている。懐かしさで、思い出が瞳から溢れ出して。
ああ、そうなんだ。私はそうだったはずなのに。
後悔したくないからと、突き進んで突き進んで。
私は、強くないはずなのに。
我慢、しすぎたんだ。

本当なら、こんなはずじゃなかったんだ。
叶和に謝って。許してもらえても許してもらわなくても。
それで、終わったはずなのに。
なんで、こんなことになったのかな。
わたし、もう。楽になっても。






「――ようやく話せるね、雪菜。」


323 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:44:58 gMlX.Evw0


「……え?」

ヒューッっと風が吹いて、カーテンが靡いて。背後で響いた声に振り向けば。
私の大切な友達の姿が、そこにあった。

「なん、で……。」

嗚咽が止まらない。涙がとめどなく溢れ出てくる。
だって、ありえないはずだ。私はあの娘に何をしてしまったのか。それを理解っている。
これが夢だと分かっていても、泣き出したくなる。
だって。
だって。
だって。

「……って言っても、雪菜にとっては数時間ぶりだと思うけど。」

あの時の姿で、私に殺される前の姿。病気でやせ細ってしまう前の。
大切な、親友の姿。

「……と、わ。」
「……ふふっ。」

小悪魔っぽく舌を出して微かに笑う彼女の姿。
そう、これは夢だ。夢の世界なんだ。だからあの彼女は私の妄想でしかないはず。
妄想のはずだと、思いたかった。
だって、あの娘は、愛原叶和は私が殺してしまったはずで。あの娘は私を恨んでいるはずで。
あの時の言葉だって、本当は私の思い込みかもしれなくて―――。

「ほんっと、雪菜は変わらないよね。」

そんな私のぐちゃぐちゃな思いは、叶和にはお見通しだ。
だって、これでも数年の付き合い、私のことなんて嫌というほど分かってる。
分からないはずがないのだ。

「役に嵌るとそれっきり。懐いたらそのまま依存しちゃいそうな危ない子。思い込んだら一直線の突拍子。『そういうところだよあなた』なんてまあ陰口叩かれても仕方ないというか。青春デビューと一歩踏み出したら盛大にすっ転んだけど結果的に成功した子とかそんな。」
「あぅ……。」

……なんか途中から辛辣になってない?。
でも私って面倒くさいって思われてだろうし。仕方ないのかな本当に。

「……あははっ。雪菜、顔赤いよ?」
「えっ、あっ、これは、そのっ……あはは……っ」

指摘されて、始めて自分が気恥ずかしい表情だということを自覚したのは数十秒後。
真正面から指摘されるのは恥ずかしくて、もじもじしながらもぎこちなく。

「やっと……笑ってくれた。」
「……あ。」

叶和に言われて。そういえばと気づいた。久方ぶりに笑えた。
本当に大したことのない事なのに。笑うことが出来た。
先生の時でも笑顔なんて見せなかったのに。
そして叶和は、何故か気が緩んだのか、こんな事を喋りだしていた。

「……雪菜に話すのは気恥ずかしいんだけどさ。……ずっと見てたよ。自棄になって女王感染者を探そうとしてたこと、雪菜そっくりな抱え込みがちな大人にシンパシー感じてたこととか。」

ずっと見ていた。ずっと見ていたのだと、言われて。こっちのほうが気恥ずかしくなる。
つまり、私が叶和を殺して、自暴自棄になっていたのをずっと見られていたというのだから。
ええとつまり、それは要するに先生に会って気を許した所とか特殊部隊の人相手に啖呵切ったりした所も。

「叶和。それって世間一般だとストーカーって言われても仕方のないことだよね。」
「……真っ当に何も言えません。幽霊になって調子乗ってました。あと雪菜がやらかしそうなの見て思わず声出してしまいました。」

指摘された直後に親友は平謝りした。とどのつまり、あの幻聴だと思っていた叶和の声もそういうことなのだろう。というかさらっと幽霊って単語出てきたということは一部始終見られてたじゃないですか幾ら友人相手だとは言え恥ずかしすぎる。
でもね、叶和。そう思ってくれたことが私にとって一番嬉しいことなんだよ。

「……友だちの多い世渡り上手、青春大好きお節介焼きの叶和だったら、仕方のないことだよね。そんなあなただから、私は一度救われたんだよ。」

そういう貴女だから。私は、哀野雪菜という一人ぼっちの少女は生きても良いと思えたから。

「……雪菜ったら。ほんっと。ほんとにね…………。」

叶和の声が、震えている。これから告げる事を、怖がっている。
うん、そうだよね。それは私も同じだから。だから、吐き出しても、良いんだよ。
言わなくても、分かってくれるとは思ってる。


324 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:45:11 gMlX.Evw0


「ごめん、なさい……。雪菜の気持ちを知らないで。嫌なこと言って、突き放したりして、ごめん……っ!!!」

泣いている。私にだけは、泣き顔なんて見せなかったあの娘が。
私にだけは、こんな顔見せなかったのに。
あの時だって、涙一つも流さなかったはずの、愛原叶和が。

「怖かったの……! 雪菜に嫌われたままだったのが……! 忘れたかった、思い出も何もかも封じ込めて全て……! そうしたら、雪菜をこれ以上嫌いにならなくてすむから……!」

結局のところ、私と同じく臆病だったのだろうか。
思い出に残る輝いていた彼女の姿はなく、さっきまでの私のように、自分の犯した罪を許されたくて懺悔するしかなかった、ただの普通の女の子だった。

「……だから、これ以上、あたしを嫌いにならないで……ごめんなさいっ……ごめんなさいっ………!」

同じだったんだ。私も、叶和も。仲直りしたかったんだ。
だけど、それはウイルス騒ぎなんて言う対岸の火事に巻き込まれて、こんな事になってしまった。
私の罪が叶和を殺してしまったことなら、叶和の罪は私を突き放したこと。
泣きじゃくる叶和の姿は、私の心まで締め付けてる。私のせいでもあって、あの娘の責任でもあって。

『……もし、後悔したくなんて無いって、失いたくないものがあるって思うのなら。』

だったら。私がするべきことは。

「………さない」
「雪菜?」

押し倒すように、私は叶和の身体を抱きしめた。
夕日のあたる床板の感触が心地よい暖かさだった。
叶和の身体は、熱かった。
心臓の鼓動が、はっきりと聞こえる。

「貴女を一生、許(はな)さない。」
「―――――ッ。」

愛原叶和。かつて私を光に導いてくれたプリマステラ。
そして、私に絶望を押し付けた流れ星。
でも、私にとって大切な過去は色褪せない。
全てがモノクロ景色だったとしても、その色彩だけは誰にも奪わせなかった。

「……いいの?」
「うん。」
「また、友達だと思ってくれるの?」
「まだ、友達のままだよ。……ずっと、ずっと。」
「……本当に?」
「本当。この言葉は決して、演技じゃない。」

叶和。私はね。貴女を友達じゃないなんて、一度も思ったこと無いよ。
ずっと、貴女という友達を、貴女というエトワールを。
だから私は、愛原叶和を永久に許(はな)さない。
赦(はな)したく、なかった。

「じゃあさ雪菜、目を瞑ってくれる?」
「……はい?」
「いいから、お願い。」

叶和に言われるがまま、私は目を瞑って。
口元に、仄かに感じた甘い感触。
身体が、舌が交わる感触。
熱く灯す身体、電気が流れるような感覚。
……女の子同士でこんな事。
ああ、でも。この世界は私の心の中で。
ここは、胡蝶の夢だから。


あの時に、気づいていれば何かが変わったのかな。
この愛(おもい)に、この気持ち。
でも、いいよね。
今は、この夢の中で、繋がろう。
だって。私は――愛原叶和のことが、大好きだったらしいから。


325 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:47:09 gMlX.Evw0


「……お別れの時間、だね。」

交わる中で、叶和のか細い声が聞こえる。
分かっていたはずだ、これは一度きりの奇跡。
罪と罰が紡いだ、小さな呪い。友達が託してくれた福音。
叶和の身体が透けている。別離の時間は無慈悲に訪れる。

「助けたい人が、私のように信じられる人が出来たんだよね?」

そう。やらないといけないこと。
私と同じ、私のように、過去の後悔に苛まれ、その呪われた罪悪に縛られ続けるあの人を。
あの人が、本当に間違いを犯してしまう前に。
鏡写しなお人好し、スヴィア先生を。


「じゃあ、救ってあげて。後悔とか責任とかじゃなくて。雪菜自身がやりたい事の為に。」


先生を救う。


「私の力、貸してあげるから。」


救って見せる。


「行ってらっしゃい。私の主人公(ともだち)」


今度こそ、"私達"が。









■ ■ ■

ウイルス感染者に共通する点として、誰もがウイルスによって脳及び神経組織に異常が起きているという点だ。だが、起こる異常というのはウイルス毎によって変化する。
正しくはウイルスが人体に侵入した時点で個人ごとに変化し、正常感染者の適応度によって発現する異能は変化するのだ。
適応できなかった異常感染者はそのまま生きた屍となるのだが、それは別に異能を発現しなかったというわけではない。ただ「使えない」のだ。
だが逆に、異常感染者の血液を何らかの手段で"適応"出来たのなら、その血液ドナーの異能を使うことが出来るかも知れない。ただし、それにはその血液への適応もまた必要となる、そんな可能性。

ここで思い出してみよう。哀野雪菜は能力自覚前にゾンビと化した愛原叶和に右腕を噛まれた。
この際、混ざったのだ。愛原叶和の血が。
だが、その時はまだ哀野雪菜に自覚はなく、罪と後悔に押し潰された行動にひた走っていた。

ここで別の話題を挟むが。この山折村と呼ばれる場所は、霊が見えやすい。
そして霊や魂という存在が、溜まりやすい土地をしている。
もっともその由来としてかつて『夜摩の檻』と呼ばれたこの土地の特性や、"ある実験"の目標の一つにも関わってくるのだが、閑話休題。

結論だけ言ってしまえば、哀野雪菜は適応した。
それは、雪菜を放っておけなかった愛原叶和が過度な干渉を行ってしまったことで。
それは哀野雪菜に混じっていた愛原叶和の血に誘われた結果であり。
ただし、少量の血では本来不可能なはずを、胡蝶の夢において愛原叶和の霊魂が哀野雪菜と混ざって消滅したことで。
哀野雪菜は、感染者で初の二重能力者(クロスブリード)となったのだ。
それは、ある科学者が幼少の頃に夢見、そして脳科学という形を以って成そうとした。
『人と人との心を繋ぐ』という思い描いた世界平和の理想への第一歩だった。

余談であるが、愛原叶和が本来宿るはずだった異能の名は『線香花火(せんこうはなび)』
使用者の寿命を代価に、対象の肉体を活性化させる強化系能力である。


326 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:47:25 gMlX.Evw0
■ ■ ■

「哀野、さん?」

天原創が目の当たりにしたのは、見るからに雰囲気が変化したであろう哀野雪菜の姿だった。
別に外見が180度変化したとか、そういう事ではない。
いや、変化はあった。まるで、もう一つ魂が混ざったかのように。その瞳の宝玉の如き鮮やかな深紅色へと変貌していた。
それ以上に何かが、間違いなく彼女の中で何かが変わったのだ。

ほとぼりが冷めた、という訳ではない。
あのミスは間違いなく己の責任であり、彼女に責め立てられるには十分な理由だと抱え込んでしまったが故に。
だから、「これ以上あなたは頼りにならない」と三行半を叩きつけられる可能性も考慮していただけで。
その場合最悪スヴィア・リーデンベルグを見捨てるという選択肢もあったわけで。
だが、その万が一の選択は選ばれることはないだろう。

「……さっきは感情的になって、ごめん。」

彼女から謝罪の言葉が出た。最悪の想定をしていた天原創にとってはそれは面食らう出来事。
そこには自分を真摯に見つめる視線があった。自棄っぱちと依存に塗れた彼女はもう居なかった。

「今度は、一緒に考えよう。一緒に、先生を助けよう。」
「……何故なんですか。」

だから、問わずには居られなかった。
自分の繰り返した失態を知ってなお、それを告げる意味を。
喪失から始まった人生、これ以上失わないためにと。
その為に、ただ完璧であろうと―――。

「どんなに輝く星だって陰りはあるものだって私は知っているから。それでも良いって思ってるから。」

彼女がプリマステラは、一度陰ればすぐに壊れる儚いものだった。
それでも彼女はその星の変わらぬ部分を好きになった。
好きになったからこそ、彼女は最後まで変わらなかった。

「一番星でなくても良い。完璧超人でなくても良い。……傷ついて、背負って、その重荷を支え合って。」

彼女は数多の後悔の果て、答えを得た。
彼女は彼女の中にある「決して捨てられない思い」の為に。

「でもね。そんな大した理由じゃないかな。……これ以上、大切な人を失いたくないって思っただけ。それだけで十分だから。」

その「捨てられない思い」というのが。自分を導いてくれた愛原叶和(プリマステラ)の事でもあり。
そして、自分を再び間違った道から拾い上げてくれたスヴィア先生でもあるから。

「……だから。手伝ってくれない? 私一人じゃ、頭が足りないから。」

彼女の言葉に、天原創は何を思ったか。
彼の原点(オリジン)は喪失からの奪還だ。誰もかもを守れる力が欲しかった。
だがその結果がこのザマだと叩きつけられ、彼の心は少なからず傷ついた。
彼女もまた、傷ついたというのに。

『一人で何でもかんでも背負い込みすぎるの、ほんっとキミの悪い癖だよね』

苦笑交じりに、"彼女"が言っていた言葉が今頃になって天原創は思い出す。
特に覚えておく理由もないはずのただの戯言を、どうしてこんな時に限ってと。
でも、彼女一人で任せても奪還はほぼ確実に失敗に終わりそうなのは何となく。

「彼女は重要な情報を握っている証人でもある。あのまま特殊部隊に連れ去られるのはまずい。」
「……!」

その予想を告げただけの言葉は、肯定の意。
哀野雪菜の顔が、ほんの少しだけ微笑んだ。

「……哀野さんからも、何かアイデアがあるなら、よろしくお願いします。」

完璧であろうとして、挫け、それでもなお全てを背負おうとしたエージェントは。
何度かの挫折を得て、漸く自らを包む卵の殻にヒビを入れて――――。


327 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:48:08 gMlX.Evw0


『夜摩檻村』

『マルタ実験』

『8月6日』

『聖剣』

『死者蘇生実験』

『神降ろし』

『第二実験棟の事故』

『異界を繋ぐ門』

『亜紀彦(あきひこ)軍曹』

『ヤマオリ・レポート』

『魔王』

『依代』









『■■■■■』









「―――――は?」

そして、天原創は思い出した。『■■■■■』によって刻まれ、一度は忘却させられた記憶を。










「……カラ、トマリ。そうだ。あいつの名前は、カラトマリ。」








【E-5/商店街・モックとドラッグストアの間/一日目・午前】

【天原 創】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、記憶復活(一部?)
[道具]:???、デザートイーグル.41マグナム(3/8)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.もうこれ以上の無様は晒せない……
2.女王感染者を殺せばバイオハザードは終わる、だが……?
3.スヴィア先生、あなたは、どうして……
4.……カラ、トマリ。そうだ。あいつの名前は、カラトマリ。
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。

【哀野 雪菜】
[状態]:強い決意、肩と腹部に銃創(異能で強引に止血)、右腕に噛み跡(異能で強引に止血)、全身にガラス片による傷(異能で強引に止血)、スカート破損、二重能力者化
[道具]:ガラス片
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.止めなきゃ。絶対に。
3.ありがとう、そしてさよなら、叶和。
4.天原、さん……?
5.この人(スヴィア)、すごく不器用なのかも。
[備考]
※通常は異能によって自身が悪影響を受けることはありませんが、異能の出力をセーブしながら意識的に“熱傷”を傷口に与えることで強引に止血をしています。
無論荒療治であるため、繰り返すことで今後身体に悪影響を与える危険性があります。
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。


328 : 未来福音 ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:48:20 gMlX.Evw0




































「漸くだ、漸く面白くなってきた。」

『ともかく、私の娘はちゃんと生き残れるのやら。」

『最も、"オレ"には関係ないことだがな。ハハッ!』


329 : ◆2dNHP51a3Y :2023/07/22(土) 22:48:31 gMlX.Evw0
投下終了します


330 : ◆H3bky6/SCY :2023/07/23(日) 01:17:24 IljV78mU0
改めて投下乙です

>未来福音
険悪ムードでどうなるかと思ったけど、親友がメンタルケアしてくれてだいぶ持ち直したね
まさか幻聴がマジモンの幽霊だったとは、怪異もいれば幽霊も集まる、もう何度目かもわからぬ何なんだこの村案件
想いと共に異能も引き継がれ、治癒能力が上がる異能は自傷が必要な異能と相性もよさげ、果たしてどこまでやれるのか
女の子同士の行き過ぎた友情は夢だからセーフ、セーフです

創くんの過去もこの村に繋がるのか、まだ点と点だけどどうつながっていくのか
そして急激にきな臭くなってきたカラトマリ、異世界までも絡んできそう


331 : ◆drDspUGTV6 :2023/07/23(日) 12:45:35 c002Ue1Y0
大変申し訳ありません。
拙作「朝が来る」及び「山折村血風録・窮」において、作品の内容と八柳哉太とスヴィア・リーデンベルグのキャラシの時系列においてのミスがありました。
まとめwikiにて下記のように修正いたしました。作品の内容に修正はありません。
「朝が来る」
親分と子分第一号。もう二度と会うことがないと思っていた元親友同士が二年半ぶりに言葉を交わす。→親分と子分第一号。もう二度と会うことがないと思っていた元親友同士が一年ぶりに言葉を交わす。
それは、中学卒業と同時に起きた大きな確執に合った。→それは、去年起きた大きな確執に合った。
「山折村血風録・窮」
それから来月村の祭りがあるみたいで、特別ゲストでジャック氏や著名な霊媒師の方々が来るみたいですわ』→それから来週村の祭りがあるみたいで、特別ゲストでジャック氏や著名な霊媒師の方々が来るみたいですわ』
一ヶ月程前の浅野雑貨店でのやり取りを思い出す。→先週の浅野雑貨店でのやり取りを思い出す。


332 : ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:06:49 Zdm9iwH.0
投下します


333 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:07:13 Zdm9iwH.0
商店街の北端を東に駆け抜けていく三人の人影。
村人と特殊部隊が殺し合っているこの村で、その一団は異色の組み合わせであった。
女学生のように小柄な女性教師、スヴィア・リーデンベルグと、彼女を背負って移動するスーツ姿の男性教師、碓氷誠吾。
この二人だけならば、同じ学校で教鞭を取る二人が同行しているという見方もできるだろう。
だが、その二人を先導するのは、村人とは決して相容れないはずの特殊部隊である。


診療所から持ち出した医療テープと、誠吾の非常持ち出し袋に入っているガーゼで、スヴィアの最低限の止血は終えた。
だが、銃創と裂傷によって満身創痍となった人間がそう簡単に移動できるはずがない。
故に誠吾がスヴィアをおぶさり、天の先導のもと小走りで商店街の北端を駆け抜けていく。

小柄な女性とはいえ人間一人を背負うという負担は大きい。
特殊部隊として訓練を積んだ天ならばともかく、一般人の域を出ない誠吾では、
音を出さず、なおかつ痕跡を残さずに土の上を歩くなど期待はできない。
天が背負うという手段もあったが、誠吾が機転を利かせた。
履いている靴を、所持していた山歩き用の靴のほうに履き替えたのだ。

事前に商店街のゾンビを集めてうろつかせていたことで、まわりはすでに足跡だらけ。
天はSSOGとして、当然痕跡を残さずに移動する術を習得している。
一方で、誠吾はヘタな工作などせずに目的地に向かって歩く。
彼らを追うには、ゾンビの足跡というダミーまみれの足跡の中から、ノーヒントの中で誠吾の痕跡だけを探し出して追っていく必要がある。
誠吾の頭からつま先までビシッと決めたコーディネートは印象深く、仮に創が真理の猛攻を凌ぎ切って雪菜と合流したとしても――
いや、合流してその容姿を詳細に伝えられれば伝えられるほど、創は混乱することになるだろう。

そしてその背におぶさるということは、両手が塞がるということ。
後続のために紙片やパンくずでも撒こうものなら、即座に露見するということだ。
かといって捨て身で抵抗しようとも、犠牲になるのは誠吾だけで実りはない。
負傷した小娘一人に最大限の警戒を以ってあたる、スヴィアにとってはなんともやりにくい相手である。

「それで、どこに向かうつもりだい?
 できることならば、近場をおすすめしたいな……。
 肝心なところを……聞きだす前に、ボクが力尽きてしまいました、では恰好がつかないだろう?」
「そう遠くはない。それに各所でしっかり処置もおこなうので、命の心配は無用です」
スヴィアを同行させてはいるが、決してペースを握ることは許容しない。
天は当初の潜伏場所、建築会社を通り過ぎて、東へ、東へと向かう。
見えてきたのはかつての山折村のランドマーク。
発展著しい商店街と時代に取り残された古民家群を分かつ位置に建てられた、昭和の香りがただよう古めかしい施設だ。
「ああ……放送室か。なるほど……、ね」

戦時中から存在し、山折村の発展を見届けてきた放送室。
今では誰も見向きもせず、いずれ解体されるであろう建物の筆頭。
そして昨晩、すべての住人がその存在を思い出したであろう施設。

こここそが、予め打ち合わせておいた集合場所。
ただし、スヴィアの納得とは別に、当初集合場所として選んだ理由は実に単純明快でくだらない。
事情を知らない三樹康が真理を狙撃するという締まらない結末を回避するためである。
当初から、向かうべきは東以外になかった。

そして、スヴィアの納得通りに、ここを訪れる意味は一つ増えた。
此度の黒幕は烏宿暁彦、そして未名崎錬だとスヴィア・リーデンベルグは言う。
であれば、あの放送主は誰なのか?
彼らなのか、それともその息のかかった者なのか?
調べる価値はあるだろう。




334 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:07:33 Zdm9iwH.0
「小田巻さん。もう到着しているとは。さすがに早いですね」
天の到着と共に音もなく建物の影から姿を現したのは、スヴィアのその背を斬り裂いた女、真理である。

ラベンダー色のサマーセーターのところどころに滲み出ている汗。
激しい運動をおこなっていたことが一目で分かる。
ところどころ赤黒く滲んでいるのは、服の模様ではなく血飛沫であろう。
目視で確認できる状態とは裏腹に、息を切らした様子はまるでなく、澄ました顔つきで平静さを保っているそのアンバランスさ。

スヴィアは不敵な表情をなんとか貫くものの、その姿を目にするだけで、スヴィアの鼓動は徐々に速くなり、呼吸も荒くなっていく。
自分を殺そうとし、創を殺そうとした女がそこに澄ました顔で立っているのだから、理性とは別に本能が最大限に脅威を訴える。
彼女の瞳は底の見えない黒淵のようであり、今この瞬間に自分の首が飛ぶような錯覚すら覚える。
危険度なら、目の前の特殊部隊員、乃木平天をはるかにしのぐだろう。


「あれ、その人……?」
天を臨時の上官と定めた以上、なんでその女殺してないんですか? などとは口が裂けても言えないが、
ターゲットの一人を引き連れていることに真理が訝しんだのは確かである。

「山折村の現教師・元研究員のスヴィア・リーデンベルグ博士です。
 今回の件について重要な情報を掴んでいるようでしたので、取引をおこないました。
 最も危険な役どころを任じておきながら、小田巻さんには申し訳ないですが……その都合上、哀野さんも健在です。
 そちらの首尾はどうでしたか?」
「目標は健在。
 やはり例の左手に阻まれ、処……仕留めるには至っておりません。
 ……これ、結果的にはよかったんですかね?」
「そうなったことは認めますが、口には出さないように!
 聞くまでもないですが、尾行はされていませんね?」
「ええ、そこは問題ありません」

真理の得た異能と培ってきた技能。
この二つを以って追手を撒くことに徹すれば、たとえハヤブサIIIや三藤探であってもリアルタイムでの尾行など不可能だ。
認識に依存しない機械による追跡のみが真理を追うことができる。
それを覆すとなればやはり異能だが、創の異能は左手が起点であり、真理のように追跡に適した異能ではない。
潜入捜査には役に立つだろうが、ターゲットの尾行に使えるものではない。
少なくとも、彼にはつけられていない。


「あれれ? スヴィア先生? 大丈夫ですか?」
真理の報告に、きゅっと身を固くしていたスヴィアの力が緩んだ。
誠吾が背中でそれを感じて、念のために声をかける。
同行者二人の一応の無事が確認されたことで、取り繕っていた気丈さも身体を強張らせる緊張感も丸ごと、スヴィアからすっと抜け落ちたのだ。

「小田巻さん。放送室に着いたら、まずはあらためて彼女の応急処置を」
「あ〜、そりゃそ〜……はい、了解しました!」
慌てて言い直す。
自分で傷付けた相手を自分で治療するという不毛な作業ではあるが、足手まといを抱えて戦場をかけまわるのはなおさら御免願いたい。
そして、天としては三樹康から遠距離狙撃されたり、創や雪菜から追跡を受けるリスクは極力減らしたい。
最終的に殺害するにしても、現時点の処置は必須である。


335 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:08:13 Zdm9iwH.0
「真理ちゃん、僕からも頼むよ。
 元研究員とのことだけど、今は僕の同僚でもあるんだ。
 彼女に同行してもらう以上、いたずらに苦しむのを見るのは忍びなくてね」
先ほどまでの雪菜に聞かせれば、一体どの口が言うのだと激昂するだろう。
スヴィアが身も心も健康であれば、ジト目で皮肉たっぷりになじっていたことだろう。
声にも態度にも出さないが、スヴィアの真紅の輝きは、今や夜帳以上に強まっていた。

「前にも言った通り、僕は僕の信念に則って行動するだけです。
 特殊部隊と手を組むことになったことに後悔はしていません。
 それでも、スヴィア先生の命が失われずに済んだことに、安心していますよ」
真紅の意味を知りながら、誠吾はこともなげに言い放つ。

それは徹底した利害関係者であるという表明。
天はその言葉に眉をひそめているが、その光は水のように限りなく透明に等しい青だ。
信頼はしないが、闇雲に不信に思っているわけでもないニュートラル。
要するに、利害のみで感情が絡まないのならばそれはそれで扱いやすいという話である。
一方で、彼を高潔な理想主義者と認識している真理は、その言葉によって青い光がより強まる。

誠吾は特殊部隊にずぶずぶに入れこむ気などさらさらなく、厄ネタに積極的に首を突っ込むつもりもない。
だから平気で美森を見捨て、円華を捨て置き、藤次郎という災厄が訪れることが分かり切っている袴田家の面々から離れたのだ。

重要視される必要はない。されども捨て駒の扱いは困る。
毒にはならない、たまに薬になる、鶏肋の扱いが理想だ。
その立場を固めるために、思ってもいないことでもすらすら口に出せるのが、碓氷誠吾という男であるが、
今回はすべてが建前というわけでもない。
スヴィアの命が失われなかったことで彼は本当に安堵したのだ。
今しがた知ったばかりの、彼女の経歴。
研究所に所属していた天才研究員という肩書きは、VH収束へのプラチナチケットとなのだから。


336 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:08:28 Zdm9iwH.0
「碓氷さんの言い分はともかくとして、だ。
 あなたの本格的な処置は、この近くにある浅野雑貨店……研究所の私設特殊部隊の拠点にておこないます。
 責任者の浅野雅女史は死亡の確認が取れていますので心配は無用です」
浅野雑貨店は表向きは雑貨屋でありながら、その実は研究所特殊部隊の拠点の一つだ。
先に三樹康とガサ入れをおこなった際に、危険物はすべて検めている。
その際、武器防具類や麻薬と思われる物質のほかに、米軍に支給されるような応急処置キットの存在も確認している。
特殊部隊は素肌を晒せないため利用できないが、村民には有用だろう。

「私設特殊部隊……?」
誠吾と真理は心穏やかではない単語が現れたことに眉をひそめる。
どう見ても違法に違いない研究をやっているような組織だ。
そんなド違法組織が秘密裏に特殊部隊の一つや二つ抱えていることは何もおかしくはない。

そして、スヴィアは元々所属していた関係もあり、その存在を知っている。
表向きは施設の警備や新作武具の受け入れ検証をおこない、
しかし裏では被験者や逃亡した研究員の処分もおこなっているという後ろ暗い噂の絶えない部門だった。

「ずいぶんと、手際がいいね……。
 機密情報は……、キミたちに全部降りてきているのかな?
 だったらこの際、キミたちの持っている研究所の機密情報を……、全部ボクにバラしてしまうのはどうだろう?
 案外、すんなりと……、第二の解決策が見つかるかもしれないよ?」
「大口をたたくならば、まず何かしらの論拠を携えてから始めるべきですね。
 尤も、あなたの前職は研究者だ。
 私に言われるまでもなく、その程度は理解しているのでしょうが」
スヴィアのペースには断固として乗らない。
ペースを握るべきはあくまで天だ。
プロフェッショナルとして、いっそ冷徹なまでにスヴィアを突き放す。
スヴィアは肩を竦めようとして、傷の痛みで身を強張らせた。

「順を追って行動します。
 まずは、スヴィア博士の話の裏を取る。
 その一環として、例の放送を流した人物について、調べさせてもらいます」

放送局で調査すべき事項。
昨晩、山折村を地獄へと突き落とした例の放送の裏を可視化する。
ノープランでスヴィアの話を聞いても、いいように言いくるめられるだけだ。
それを防ぐために、ニュートラルな状態で可能な限り手札を増やしておきたかった。

放送は村人たちだけでなく、天も確かに聞いた。
その全員が全員、VHは地震を原因とする事故だと述べていたことを記憶している。
スヴィアの言う通り、黒幕がいるというなら、これは決定的な矛盾だ。
あの切迫した声色が放送主自身の演技であったのか、それとも黒幕に銃でも突き付けられて脅されたが故の焦りだったのか。
真相は分からないが、あの誠実そうに思えた放送主はとんだペテン師だったということだけは確かだ。

果たして鬼が出るかヘビが出るか。
一行は放送局の前に展開した。




337 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:08:49 Zdm9iwH.0
(誰かが放送局に出入りした痕跡は一切ありませんね……。
 ならば、まだ放送局の中に潜んでいるのでしょうか?)
実のところ、同僚の黒木真珠が放送局には訪れているのだが、
彼女はハヤブサⅢに作戦を看破されることを嫌い、彼女でも見抜けないように本気の隠蔽工作をおこなっていた。
発見できないのは仕方がないだろう。

「お二人とも、放送局の入り口からは離れていてください。
 開けた途端に銃撃を受ける可能性がある」
「おっと、それはよくない」
「向こうが何かしてくる前に処理しますから大丈夫ですよ。
 気楽に待機していてください」
特殊部隊二人――真理が元特殊部隊という建前は突き崩すつもりはないが――という構成にいっそ頼もしさすら覚えつつ、誠吾は扉の射線上から離れる。
それを合図に、真理がライフルを構えて内部を標的にさだめ、天が音もなく扉を開く。

誰もいない。
人間どころか、ゾンビすらいない。
音も気配も、あらゆる要素が人間の痕跡を否定する。
すぐに突入し、死角へと銃を向けるが、やはり誰の姿もない。


未名崎錬か烏宿暁彦、あるいは研究員のゾンビがいれば話は分かりやすかった。
もっとも、黒幕がゾンビになるという間の抜けた話は最初から期待していない。
自爆覚悟でない限り、感染対策も万全を期しているはずだ。

例えば、この防護服。
これは自衛隊が未来人類発展研究所に開発を依頼し、年度はじめに納品されたものである。
開発元かつ本部の人間なのだから、取り寄せる手段などいくらでもあるだろう。
故に、防護服に身を包んだ私設特殊部隊のメンバーが待ち構えていると考えていたのだが、推測は外れたようだ。

「碓氷さん、スヴィア博士。
 中に入ってください。そこの談話室で待機を」

この期に及んで逃亡などおこなわないだろうが、念のために同行者二人を招き入れる。
何の緊張感もなく誠吾が放送局に足を踏み入れ、スヴィアも続いてよろよろと入室する。

天は戦闘力こそ他の隊員に劣るが、調査や考察については劣りはしない。
何か手がかりはないかと放送機器を一瞥したところで、違和感に気付いた。

(……………………?
 入り口には誰かが出入りした痕跡はなかったのに、放送機器には触れられた形跡がある?)

あらためて配線やルーター、電源設備を調査する。
そこに誰かがいたと推測してあらためて痕跡をたどれば、確かに短時間誰かがここで何かを調査をしていたようにも思える。
だが、出入りの痕跡は残さずに放送室を調査するというのは、一研究員というよりも訓練された人間の動きと思われる。
三樹康が放送局を訪れたとは聞いていない。
(黒木さんがすでに訪れたということでしょうか。
 あるいは、ハヤブサⅢという線もありうるか)

だとして、彼女たちはここで何を結論付けたか?
天が出した結論は、五時間前に真珠が出した結論と一致した。
放送設備が地震によって壊れていることを知った。
そして、放送がこの放送局から流れたものではないことを知った。




338 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:09:27 Zdm9iwH.0
「乃木平さんは時間がかかりそうですし、話でもしませんか?
 スヴィア先生。いや、スヴィア博士と呼んだほうがいいですかね?」
「……好きに呼びたまえ。今さら……、碓氷先生と良好な関係を……、築くことはできないと思うけれどね」
真理は清潔な布と医療テープであらためてその怪我を処置しながら、自殺や逃亡をしないように油断なくスヴィアを監視している。
誠吾は古びたソファに腰かけようとしたが、うっすら埃を帯びているのに気付き、一瞬だけ顔を歪めて、立ったまま話をおこなう。

「僕とて本位ではありませんでしたが、熟慮して出した結論が今の立ち位置につながったわけですから、ヘタな釈明はしません。
 けれど先も言った通り、僕は僕の信念に沿って生き残る方法を探すだけです」
「なるほど? ……ではそんな実利主義の先生が、わざわざ声をかけたということは……、ボクは先生のお眼鏡にかなったわけだ」
「ずいぶんと嫌われてしまいましたね。哀しいなあ……」
「胸に手を当てて……、立場を考えてみたらどうかな?」
棘のある言葉に真理が眉をひそめるが、誠吾はそれを手で制する。
スヴィアにとって、碓氷誠吾は裏切り者だ。
よりにもよって特殊部隊と手を組んで自分たちに銃を向けた人間であり、ともすれば特殊部隊以上に侮蔑の対象である。
その辛辣さには誠吾も苦笑せざるを得ないが、織り込み済みだ。

「それで、先生は……、こんなボクに何を期待しているのかな?」
「それはもちろん、大いに期待していますよ。
 女王感染者を見つけ出してくれることを」

誠吾が持っているカードは個人の立場も好悪をも超えて、手を携えさせる鬼札なのだから。


「…………」

沈黙が降りる。
同じような話は道中、創ともおこなっている。
情報が足りなさすぎるということで先延ばしになったのだが、
誠吾の態度はそれが可能だという確信すら見え隠れする。

「話にならない。情報が足りなさすぎる。
 ゼロから始めて簡単に判別できるのなら……、特殊部隊はボクたちを無差別に殺しに来ないと思うのだけどね?」
口に出すのは呆れの色。
だが、誠吾は余裕の態度を崩さない。

「おっと申し訳ない、少し大雑把すぎました。
 結論から申しますが、僕らは女王菌の発するシグナルを遮断し、女王感染者を村人から隔離すれば、VHは終わると考えています。
 ですが、なにぶん僕は脳に影響するウイルスなんてものは門外漢でして。
 スヴィア先生にはその手段を、研究者の視点から探し出していただきたい。
 専用の機材や部屋が必要なのか、それとも……。
 そうですね、たとえばレントゲン室、X線診療室に一定時間篭っておけばそれでいいのか?」

スヴィアは一瞬言葉を失った。
それは、放送室で調査をおこないつつ、背後の会話に聞き耳を立てていた天も同じだ。

「あれ、その話まだやってなかったんですか?
 てっきり、それ込みで取引したんだと思ってたんですけど……」
真理だけはこの調子で驚きのベクトルがずれていたのだが……。


339 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:09:52 Zdm9iwH.0
碓氷誠吾はただの教職員に過ぎない。
専門の教科であれば知識はあるのだろうが、本人も言った通り脳科学の専門ではないはずだ。
人間としてまったく信用できなかった誠吾が述べるVH解決のその内容。
彼が情に一切囚われないがために、逆説的にその信用度が反転する。

「まさか碓氷先生も研究所の関係者……? いや、むしろ他の研究員に接触を?
 一教職員がこの短時間でたどり着ける回答には思えないが……」
「いやいや冗談はよしてくださいよ、そんな特殊部隊に目を付けられるような身分じゃありませんって。
 この話を持ってきたのは嵐山さんと真理ちゃんで、僕はそれをあなたに伝えているだけだ」
別に特殊部隊と行動しているからといって、女王を特定してはいけない決まりなどない。
むしろ、真理がただの正常感染者と証明できるなら、特殊部隊側としてもこれはメリットだ。
「小田巻さん? 彼の話は本当ですか?」
「いや、てっきりそういう理由でこの人を助けたんだと……。
 私、この人が研究所の関係者だなんて知りませんでしたし……」

天は深い溜息をつく。
真理は確かに、『私たちは今私たちなりに事態を解決しようと動いている』、と言っていた。
このあたりの報告の甘さと早合点については、いかにSSOGといえども、若手といえば若手らしいのか。
引き抜き前は天性の才能でそれでもやっていけたのだろうが……。
表の部隊では手に負えなくてSSOGに飛ばされたのでは、というヘタな勘繰りを浮かべては頭から追い出した。

SSOGとしては、必ずしも乗る必要はないのだが、ふとイヤな予感が脳裏を過ぎった。
どうしても確かめておかなければならないことがある。

「小田巻さん。不明ならば不明でもよいので、正確に答えてください。
 誰に、そして何人に、それを話しましたか?」




340 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:10:13 Zdm9iwH.0
天は額に手を当てて、目を閉じて考え込む。
女王感染者の隔離案。発案者の嵐山岳は死亡したが、誠吾も含めて最低四人には伝わっている。
月影夜帳、犬山はすみ、八柳哉太。
そして直接話してはいないが、おそらく上記の三人を通して伝えられたであろう人物が天宝寺アニカ。
拠点の袴田邸にいた人間は、最低でも4人以上かつ他の人間との接触は失敗。

今のところ接触した人間は全員が村人か身元の確かな有名人であり、そこにハヤブサIIIをはじめとした工作員はいないことは誠吾に裏を取った。
だが、現時点で情報が現時点でどれだけ広まっているのかは不明だ。
八柳藤次郎という、真理を以ってして逃亡一択の凶悪な異能者が迫っているとなれば、既に一部は袴田邸を出立している可能性もある。

さて、特殊部隊の目的はVHの収束であって、村民の皆殺しではない。
村人のほうで解決してくれるのならば、結果として問題はない。
だが、それはあくまで女王感染者の死亡によって解決する場合の話だ。

これまでに得た情報を列挙し、整理する。

黒幕の存在という未確定情報。
VHは女王感染者の殺害以外でも解決する可能性があるという未確定情報。
VHが事故ではなく、故意におこされたものであるという推測。
村のスピーカーから流れた放送は、村の放送室から流れたものではないという事実。
放送室を調べた何者かがいるという事実。
女王感染者の特定方法が村人の間に広まったという事実。
ハヤブサIIIとブルーバードの村内滞在情報。
ハヤブサIIIが連れていた白衣の男。

いくつかの不確定要素が混じったうえでの推測ではあるが、これはまずいことになるのではないか。

「出発します。少々、時間が惜しくなりました」
一体何が分かったのか、という問いに答えることなく、天は一行を引き連れて足早に放送室を後にした。




341 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:10:33 Zdm9iwH.0
天国の処理を終えた三樹康が次に向かったのは浅野雑貨店、その裏手にある民家であった。
天が浅野雑貨店にあった大量の武器を隠匿し、扉をつっかえさせて自由に開け閉めできなくした民家である。

ホームセンター『ワシントン』は物陰こそ多いが、爆弾が爆発炎上するという派手な戦闘が起こったばかりだ。
周囲の人間も集めやすいだろう。自分が健康体であれば歓迎だが、今はダメだ。
一方でその広さが仇となり、すべての出入り口を封鎖するにも相当の時間と相応の労力がかかる。
ならば比較的近場にあり、かつ発見されがたい民家のほうが時間も労力も費やさないと判断した。

道すがら、はぐれゾンビが行く手を阻む。
負傷していようがゾンビ一体に負けるほど軟弱な鍛え方はしていない。
鎧袖一触、逆手に持ったナイフですれ違いざまに頸動脈を斬り裂いて終わりだ。
深い傷口から噴水のように血が噴き出し、ゾンビはどさりと倒れて動かなくなる。

だが――
「ちっ、やっぱ普段通りにゃ行かねえよな」

客観的に見れば、ゾンビの殺害という結果に変わりはない。
だが、三樹康の主観的観点ではやはり本来のパフォーマンスからは程遠い。
一流のスポーツ選手が徹底的に体調を管理し、ルーティン化するように、三樹康も意識して自己を管理してきた。
だからこそ、今の不調も手に取るように分かってしまう。

今の三樹康が拳銃による射撃をおこなったとして、腕前は小田巻真理や広川成太などの中堅と同程度か、それよりも若干劣る程度か。
まして、狙撃銃によるミリ単位の精密射撃を成功させるには相当の負荷がかかるだろう。
微風や気圧といった、普段生活する分には意識する必要がない要素ですら、命中精度を左右しうるのだ。
まして、標的を定めている間に、一瞬でも意識が飛ぶなどしてしまえば、目も当てられないことになる。

目的地の民家に到着すると、ヘビがその身を狭所から滑り込ませるように、三樹康は扉と壁の隙間をするりと潜り抜ける。
だが、無造作に放り込まれた武器の山に不意に足が当たり、山が小さく崩れた。
通常は起こり得ないミスだ。
やはりパフォーマンスの低下が窺い知れる。

脳震盪と一言にいっても症状によって安静期間は異なるが、通常は一週間ほどの休息を勧められる。
作戦行動中ゆえに一週間など不可能だが、それでもある程度まとまった時間の休息は必要だ。

(作戦行動は最長であと一日半、と。なかなか骨が折れるねこりゃ)
背を壁につけ、拳銃を抱いて身体を休める。
外からは見えないように、だが万が一侵入者がいれば確実にその頭を撃ち抜けるように。
そんなベストポジションを確保し、最低限の警戒を保ったまま、肉体の休息を摂る。




342 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:10:49 Zdm9iwH.0
一分か、十分か。
ふと、瞼を開いた。
眠っていたわけではない。
ただ目を閉じて静かにしていただけだ。
しかし、静寂の中に異質な物音が混ざったことに気が付いた。

整然とした足音。
訓練を受けたプロのものだ。
それが民家の前で足を止めた。

(一目で分かるような痕跡は残していないはずだが?)
ならば特殊部隊をも凌ぐ特技の持ち主か、それとも異能か。
にわかに緊張感が高まったところで、先にコンタクトを求めてきたのは扉の前の人物のほうだった。

「Crepitans? そこにいますか?」
同僚だ。乃木平天である。
天であればこの場所を知っているのは理解できる。

だが、天は東側へと移動したはずだ。
何のためにここに?
それに今さらコードネームで呼ぶのも不可解だ。
こつん、と一発床を叩き、返事をおこなう。

「まずは聞いてから判断をしていただきたい。
 小田巻さんとの接触をおこなった結果、この作戦行動の前提条件が覆りかねない懸念点が発見されました。
 ゆえに、私は村人の一部と取引をおこない、これから研究所に向かいます。
 これは私の独断ではありますが、司令部にも報告はおこないます」

聞いてから判断しろとはいうが、なんとも判断に困る話だ。
真理が生存を目論んでこの話を吹き込んで来たのなら、寝言をほざいた口ごと延髄を撃ち抜いて終わりだが……。
天には大局的な視点も期待している。
早急に成否の判断を下すべきではない。

「続きは中で聞く。
 それで、今はお前を何と呼べばいいんだ?」
「乃木平、で大丈夫です」
「乃木平、ね。察するにだが、お前大方、不意打ちで小田巻から名前呼ばれただろ?」
それと、誰かに聞き耳を立てられている可能性も思いついたが、これは口には出さない。

「そこについては申し開きのしようもありませんね……」
「面倒だが、普段からコードネームで呼ぶように習慣づけるべきなのかね?
 それは後で考えることか。
 外で突っ立ってないで、入ってこいよ」
ひらひらと手を振り、天の入室を許可した。




343 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:11:02 Zdm9iwH.0
「結論から話します。
 この懸念が当たっていた場合、VHの収束について、研究所側が判断ミスを冒す可能性が高まる。
 つまり、女王感染者が生存していながら、我々に撤退命令が下される可能性があるということです」
天から伝えられたそれは、斬首作戦の失敗を意味するものだ。
それどころか、事後処理にすらしくじるということであり、奥津隊長は確実に更迭されるであろう。

「ずいぶんでかい話に膨らんだこって。根拠はあるんだろうな?」
「村人の間に噂が広まっています。
 『女王感染者を隔離し、女王菌の発する信号を遮断することで、VHを収束させることができる』
 村の有識者が、48時間のタイムリミットという要素と、ウイルスに感染した鳥類の動きを観察して導いた仮説のようですが、
 私が聞いた限りでも筋が通っているように思います」
「確かワニが正常感染者なんだっけか?」
動物に感染する事実は、ワニ吉という動かしようのない前例が存在する。
ならば鳥に感染するのも違和感はない。

スイッチの切り替えのために一言二言言葉を交わした際に、真理のほうから伝家の宝刀として切り出されたのだろう。
見敵必殺を絶対とし、実際にそれを為す実力のある三樹康や大田原、風雅では決してたどり着けない情報でもある。
頭にダメージを受けた今の状態で小難しい理論まで聞くつもりはないが、面倒ごとが現れたことは察した。

有識者というのが眉唾だが、村人の中には未来人類研究所の所属員もいるはずだ。
なにせレベル2のセキュリティカード保持者がゾンビになっていた。
研究者のゾンビや正常感染者がいても何もおかしなことではない。

「それで、なぜ作戦が失敗すると考えた?」
「この作戦行動における撤退の段取りはあなたも知っての通りです」
三樹康は目を閉じ、帰還命令の段取りを思い返す。
直接的には、司令部からの撤退指令に準ずる。
VHの終了条件は女王感染者の殺害だが、研究所がVHの収束を確認し、宣言することでようやく撤退命令が出される。
その判断材料は『HE-028-C』ウイルスの感染者、すなわちゾンビの様子を確認するという間接的なものだ。
これは事前のブリーフィングにより共有されている。

「もし、女王感染者が隔離されることでVHが収束するとしてだ。
 殺害による収束と、隔離による収束を見分ける材料がありません」
「ああ、伝えたいことはよく分かった。
 やだねやだねえ、こういう、気持ちよく任務に集中できないような事態は勘弁してほしいもんだ」


344 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:11:21 Zdm9iwH.0
三樹康もその意味を理解した天の報告。
それはつまり、女王の隔離でVHが収束した場合、
SSOGが封鎖を解いた後に、生き延びた女王感染者によってVHの第二波が起こりうるということである。
しかもこの場合、女王感染者は自身が女王であることを自覚しているであろう。
後手にまわれば、最悪日本列島がゾンビの巣窟となり、この国は文字通り滅亡する。
原則として作戦行動中に余計なことを考える必要はないわけだが、
なるほど、看過するにはあまりにもリスクが高い。

「どうした? 俺の反応が意外か?」
「もう少し根拠を詰められるかと思っていましたので。
 今の話の段階では、女王感染者の動きが結論ありきになっている感じは否めませんからね」

三樹康の納得が想定以上に早い。
だが、その違和感は三樹康の回答を聞いて氷解した。

「VHの実行犯、物部天国が研究所を爆破してウイルスをまき散らしたと自白した」
「えっ?」
思わぬ情報に、天は一瞬だけ呆ける。
元々、ハヤブサⅢによる隠蔽や事故を危惧していた。
彼女は白衣の研究員と村民を連れており、明らかに女王殺害以外の収束方法を探している。
SSOGと接触した以上、それを欺く手段も考えているだろう。
だが、実際に自白をした元凶がいるのなら、話はさらに深刻になる。

「ああ、悪いがヤツを尋問しようってんならムダだな。
 ホームセンターの駐車場で、脳天ぶち抜いたから、今頃は汚ねえ肥料にでもなってるんじゃないか?
 まあ、テロリストの自供を百パーセント信じるってのも考えものかね?」
「いや、……今回に限っては信憑性はあるでしょう。
 スヴィア博士から提供いただいた情報――研究員の中の一部勢力が、外部からの実行犯を招き入れてVHを引き起こしたという情報と大枠が一致しますので」
「先の放送と物部の自供も矛盾するしな。
 研究所の連中だって、あのイカレたテロリストが外からぶっ壊したのと、地震でぶっ壊れたのと、
 その判断すらつかないような雑な仕事はしねえだろ。
 天国の一味は確実にいるってこった」
放送と物部天国の自供が矛盾するということは、放送主はやはり黒幕の一味の可能性が高い。
状況証拠がそろえば、天の懸念を頭ごなしに否定することはできない。
女王をいったん確保して保護しておき、悪意を持って二度目のVHを起こす可能性だって否定しきれない。

「ただな、結局のところ、これは推論にすぎんわけよ。
 全員をそっちに割けないのは分かるよな?」
「ええ。無視できないレベルではありますが、全戦力を割くほどの説得力も有していない」
仮に研究所の調査に全振りして、ただの杞憂でしたという結末になりでもすれば、全員の貴重な時間を数時間単位で失うことになる。

「そのような権限もありませんからね。
 ですから、司令部に通達のうえで、私の責任で請け負います」
「ま、それが関の山だろうな。で? 話はこれだけか?」
これだけであればただの情報共有だ。
軽視してはならない話だが、作戦行動にマイナスにこそ作用すれど、プラスには作用しない。


だが、三樹康の問いに、天はふるふると首を振る。
もう一つ。これこそが天が話しておきたいことだ。
「先も申し上げた通り、私はこれから研究所に向かいます。
 そこで、事態を大きく動かしたい。
 ウイルスの調査と共に、研究所の放送室から、村全体に放送をおこなうという構想を立てています」


345 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:11:48 Zdm9iwH.0


「放送――ねぇ?」
「ええ、深夜に村全体に放送がおこなわれましたね?
 あれと同じように、放送を流します。
 ただし内容は、女王感染者の判別方法が判明した、というものを。
 研究所の放送室が破壊されていなければ、
 あるいは研究所とは別に放送設備が用意されていなければ、という前提条件が付きますが」
黒幕の存在が形を為してきたとなれば、放送室も研究所の管轄にある可能性は高い。
いるかも分からない先客さえ排除すれば、自分たちも同じように使うことができるだろう。
どこかの森林の奥にでも独立して存在していれば、大見得を切っておきながらいきなりおじゃんになるのだが……。
そのときは潔く中止にするだけだ。

「ほ〜、判別方法、ね……。
 いつもの博愛主義が首でももたげたのかい?」
三樹康は皮肉を込めた声でなじるが、そこに小馬鹿にするような色はない。
なぜなら、天の構想に判別の有無の真偽は取り入れられていないから。

「これが真に村人への福音となるか、非情な罠となるかは、スヴィア博士の成果次第になりますね。
 個人的な希望はさておいて、我々が従うべきは司令部からの指令です」
放送はおこなうが、その内容の真偽は問題にしない。
放送をおこなうこと。それそのものが作戦行動である。

「ときにもうすぐ12時間が経過しますが、何人と遭遇し、何人を手にかけましたか?」
「五人、そのうち仕留めたのは物部天国の一人だけだな」
「私は十一人。人数は同じく一人です。
 遭遇人物の一人は例の野生児ですので、重複していますが」
「いや、四人だ。俺もハヤブサⅢと遭遇した。
 素人二人引き連れてるってのに、無傷で逃げ切られちまったがな。
 対応力の怪物だねありゃ」
「あなた相手に無傷で、ですか?」
ハヤブサⅢの戦績に驚きの色は隠せないが、そこに言及すると話が脇道にそれてしまう。
コホンと咳ばらいをして、話を元のレールに戻した。

「ともかく、我々二人が手にかけたのは11時間で二人です。
 さらに、一人が初期配置を誤って診療所に降り立ち、そのロスが痛い。
 状況は芳しくありません」
もちろん、クマカイや八柳藤次郎のような無差別に村人を襲う危険人物はいる。
だが、これを当てにするようではSSOG失格である。
同様に、大田原と成太にすべてを任せるような姿勢も論外だ。
成果は自ら動いて作り出していかなければならない。


346 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:12:08 Zdm9iwH.0
「まあ、俺はそもそも正常感染者とほとんど会えてないわけだが」
「そこも問題点の一つです。
 小さな村とはいえ、やはり相応に広く、隠れ場所も多い。
 たとえば小田巻さんのような気配を消す異能者が逃げに徹すれば、残り37時間逃げ切られる可能性もある」

誠吾が浅野雑貨店での雑談がてら、真理から聞き出した彼女の異能。
――あるいは、雑談を装って天に聞かせたのか。
――重要な情報をさりげなく出してくるのは、偶然なのか有用性のひそかなアピールなのか、その判別はできなかったがそれは別の話だろう。
実際に、真理が徹底的に逃げに徹した場合、これは完全にお手上げだ。
気配を完全に遮断できるSSOG隊員を村中ひっくり返して二日で確保するなど、三藤探や大田原源一郎が十人いても難しい。

「ですが、女王の判別方法が見つかったと放送で流れれば、どうでしょう?」
いつVHが終わるのか、誰が女王感染者なのか。
先の見えない真っ暗闇に戦々恐々としていたところに、道しるべがおかれたとしたら。

「タイムリミットまで逃げ切るより、女王でないことを確定させることを選ぶとは思いませんか?」
「全員が全員、そうとも限らないだろ。
 万一女王だと判別すれば、その場でズガン、だ。
 いっそ全部人任せにするって選択をするやつも出るだろうさ」
「そのパターンも否定はしませんが、少なくとも事態は動く。
 我々が村中を探し回るより、村人のほうから来てもらうほうが確実だ。
 あなたのような戦闘スタイルであれば、なおのこと」
そう、村人のほうを動かすということは、十分な準備も下見も可能となる。
タワーディフェンスのように、狙撃ポイントを見繕い、押さえておくこともできる。

「つまり、偽放送で村人を釣って、希望を胸に集まってきた標的を撃ち放題ってか。
 ヒューッ、乃木平殿はエゲツないことを考えるぜ!」
三樹康の茶化しに天は顔をしかめるが、非情な構想であるのは、その通りだろう。
わざわざ希望を持たせておいて、それを摘み取るような行為だ。
かつての幹部候補であった伊庭が、燃え上がるような正義漢から徐々に擦り切れていった理由を実感する。
この仕事は、こころが摩耗する。

「で、その放送はお前が流すのかい?」
「いえ、こちらは協力者――村で教師を務めている、碓氷さんに一任する予定です。
 我々特殊部隊が放送を流したところで、見え見えの罠以外の何者でもありませんからね。
 ですが、村人が身元を明かせば、半信半疑ながら動くものは増えるでしょう」
天と違って村人に敵対する立ち位置になく、真理と違って村内での知名度があり、スヴィアと違って崇高な信念や正義感などない。
故に、最も希少性が低く、代替可能で、けれども重要な1ピースだ。
そして、彼なら放送を躊躇なく実行できるだろう。

「これはプラスアルファの構想です。
 Crepitans、あなたは引き続き作戦行動をおこなう。
 そして、私の構想通りに事が動けば、それをうまく利用していただければ、と」
そう、三樹康がやることはいずれのルートでも変わらない。
放送が流れなければ、村内を移動しつつ、正常感染者を殲滅する。
放送が実際に流れれば、希望を胸に秘めて研究所を目指す感染者をルート上で待ち伏せて狩る。
思考がひと手間増えるが、元々の作戦と互いに阻害することはない。
そのうえで、うまくハマれば相乗的に効果を発揮する。

「念のため聞くが、正常感染者が押し寄せてきたとして、全員捌き切れるのか?」
「私一人ではできないでしょうね。
 ですが、小田巻さんを引き込んでいます。
 彼女の技能に異能、それと地の利を生かして、立ち回るつもりです」
真理は入隊直後から、狙撃を得意としていた。
それに加えて、気配を消す異能がある。
これはどこにでも配置できて、どんな場所も絶好の狙撃ポイントにできる黄金のユニットである。

けれども。
天は三樹康にこう尋ねた。
「もしよろしければ、絶好の狙撃ポイントなど、いくつか見繕っていただければ、と」




347 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:12:36 Zdm9iwH.0
天が民家を後にする。
三樹康は引き続きここに残り、先ほどの会話を思い返す。

そもそもが、ここで天が三樹康に遭ったことこそが偶然であり、
本来の目的は武器の収納庫と化したこの民家から、役立つものを見繕うことだったようだ。
要するに物資確保のために立ち寄ったということだ。
一応、銃声の回数を覚えており、三樹康が武器の補充に来る等の可能性も考えてはいたようだが。

では三樹康に遭わずにどうやって研究所に入るかという話だが、天はすでに研究所IDパス(L3)を所持していた。
だからこその研究所探訪であり、それを活用しようと思いついたのだろう。
ハヤブサⅢも研究所への侵入を試みているはずだが、そこは一歩リードしていると思われる。

L3のパスでL1やL2に侵入することはできない可能性があるため、
浅野雅から回収したIDパス(L2)やカードキーも手渡し済みだ。

気になっていた酸の異能者、哀野雪菜の追加情報は共有された。
彼女は分かりやすいイレギュラー要素である。
それと、ハヤブサⅢが遅れて研究所を訪れ、一悶着起こす可能性もある。
あるいは、天国一派か黒幕本人の待ち伏せに遭い、計画変更を余儀なくされる可能性だってある。
そもそも放送設備が研究所になければなんともしまらない結果に終わるのだが……。
この村で未来はいつだって不確定だ。

ただ、盤面を大きく動かすその方向性は悪くない。
天自身の手で成果をあげるのではなく、最も成果を期待できる人間を補佐し、そのための場を整える。
プレイヤーとして成果を上げるだけではなく、チームメンバーの成果をサポートすることを選択した。
その選択も、二者択一ではなく、一つがムダになっても次の選択に移れる、そんなリスクヘッジを効かせた性質である。
現場で急造した一手としては十分なものだろう。


そして、三樹康に問うた狙撃ポイントの意味。
話の内容だけならば、ベテラン狙撃手の三樹康から、狙撃手として未熟な天が絶好のポイントを乞うものである。

けれども、言葉とは異なる対話がおこなわれた。
手話を用いた、音によらない対話だ。
もし真理が狙撃ポイントに現れたのなら、撃ち抜くこともやむなし。

正常感染者と確定すれば、真理は強力な戦力である。手放す理由など一切ない。
だが、女王感染者の可能性を捨てきれない場合、要注意ターゲットに転ずる。
まず白兵戦で天自身が勝てない。さらにそこに気配を消す異能が付いてくるともなれば、大田原でも一筋縄ではいかないかもしれない。
圧倒的な戦力で考える間も与えずに殲滅するか、不意をついて一撃で仕留めるしかない相手となるのだ。

さて、これは趣味に近い話なのだが。
SSOGの隠形スキルを持ち、さらには自在に気配を消す異能を操る。
条件が揃ったときにはじめて猟が解禁され、いざ事を構えれば乗るか剃るかの一発勝負。
まさしくハントにおける幻の生物である。
薩摩のようなポイント制を三樹康も採用するのであれば、ハヤブサIIIと同じ1000点のターゲットに位置付けるだろう。
不意に遭遇して流れで仕留めるより、格別の浪漫がある。

先輩として、若い命を詰むのは心苦しいところだが。
指導教官の一人として、自らの手にかけるのは悲しくてたまらないが。
スナイパーとして、幻のターゲットを仕留めたいという欲が出てくるのは仕方がないことだろう。

ふう、と大きく呼気を吐く。
少し入り込み過ぎた。
せっかく作戦行動を阻害しないプランを提示してきたというのに、三樹康自身がそれに固執しては顔が立たない。

(ま、過度な期待はせずに待つかね。
 あいつが計画を実践するにしても、早くて夕方以降になるだろうしな)
あくまで未定のボーナスステージだ。
発生したら大いに楽しませてもらうとしようか。

浅野雑貨店から小型の軽トラックが走り出し、南の道路を西へと走り抜けていく、その音を聞きつつ。
三樹康は銃を胸に、密かな愉しみを抱いて、再び彫像のように動かずに身を休め始めた。




348 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:13:10 Zdm9iwH.0
「乃木平さん。言われた通り、回収してきました」
「ご苦労様です」
真理は忍びのように目的地へ赴き、誰にも気付かれずに目的のものを入手して車中に戻ってきた。

「うげっ……!」
「っ……」
目的のもの。
誠吾が思わず声をあげ、スヴィアが目をそらしたその物体は、生首である。
トリップした麻薬中毒者のような凄惨な笑いを浮かべ、死ぬ瞬間まで己に酔いしれていたであろう男の生首。
それはこのVHの実行犯。そして、2%の確率を潜り抜けて正常感染者となった男、物部天国の成れの果てである。

『正常感染者』物部天国。
天はそこに一抹の疑問を挟んだ。
彼は本当に2%の確率を潜り抜けたのだろうか?
テロリストの頭目として隠然たる影響力を行使していたこの男が、
ゾンビとなって活動不能になるリスクを飲み込み、研究所に対してテロをおこなったのか。
彼が大人しく2%の正常感染者になる可能性に甘んじるだろうか?

ゾンビになればその狂信的な理想は水泡に帰す。
二度と理想に邁進できなくなる可能性を織り込んだうえで、ウイルスのケージを破壊したのだろうか?
物部天国は狂人だ。その可能性はある。
だが、同程度にそうでない可能性もある。

ワクチン、抗体、免疫、あるいは特効薬。
彼は黒幕の一味であるからこそ、確実に正常感染者となる手段を確保していたかもしれない。
あるいは、正常感染者となるなんらかの条件に合致したからこそ、彼が実行犯に選ばれたのかもしれない。
若干の願望も混じっているかもしれないが、被検体として天国の脳を持ち去ることを決めた。


隔離によってVHが収まるかを判別するだけなら、おそらく必要ないことだ。
だから、これはスイッチの切り替えである。
三樹康と密約を結びながら、そのときまで真理が女王から除外される道程は閉ざさない。
それが今回のスイッチなのだ。

自身の主義に傾倒しすぎず、されども振り払いはせず。
天秤が傾きすぎないようにバランスを取りながら、手の届く範囲でやれることはやる。
その結末は後からついてくるだろう。

研究所までの道のりは、天が夜に一度歩いた道だ。
車の走行を妨げるものはなく、ゾンビの数も少ない。三樹康が射撃してくることもない。
何事もなければ、無事に研究所までたどり着くだろう。

天は診療所に配備され、助けを求めて訪れる村人を死に追いやる、そのような初期配置であった。
今、天は再び診療所に舞い戻り、希望にすがって研究所を訪れる村人を処理する案を考えている。
過酷な任務にぶつかった結果として、上からの指令ではなく、自らそれを選択肢へとあてがった。
SSOGの色に染まっていく。そんな自分に、天は自嘲した。




349 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:13:26 Zdm9iwH.0
山折村の教師として正式に着任して、すぐのことだったか。
下校時間のHRを終えてひと段落したところで、同僚の涼木匠から来客の連絡があった。
未名崎錬。
まるで手がかりのなかった友人との邂逅に、スヴィアは昂る気持ちを抑えきれなかった。

なぜ連絡もなく消息をくらましたのか、晶を残して何をやっているのか。
らしくもなく、感情のまま一方的に言葉をぶつけてしまった。
ありとあらゆる思いを、その場でこみあげてきたままに、彼にぶつけた。
あるいは、自分から身を引いたことの後悔を、今さら彼にぶつけていたのかもしれない。


何の印刷もない、ただLevel3とだけ書かれた薄いカード。
匠を通して錬から間接的に渡されたそれが、何か重要なものだとは思っていたが、
研究所に関わるカードキーだというのは、天に知らされてようやく知った。

Level2のキーには身分証明書が貼り付けられている。
何も書かれていない真っ白なこのカードは、つまりスヴィアのために錬が用意したものだ。

なんとしても同志として仲間に引き込みたかったのか、それとも内心では引き留めてほしかったのか、あるいはただ被験者として観察したかったのか。
それは彼に聞かなければ分からない。
彼の手を取るべきだったのか、それとも振り払うべきだったのか。
彼に同調するべきだったのか、それとも諫めるべきだったのか。
無数の選択を一つずつ選んでいった結果、それが誤りだったのか正しかったのかすらも分からないけれど。
運命のいたずらか、正常感染者『スヴィア・リーデンベルグ』は、研究所――山折総合診療所へと向かうことになった。

思考をクロックアップ。意識をクールダウン。
解析か、隔離か、それとも別の解決策があるのか。
黒幕がこのVHに何を求めているのか。
異能で聞きだした、特殊部隊の企み。
それらを超えて、生徒たちを無事に生き残らせるには?

特殊部隊がスヴィアを利用して調査をおこなおうとしているように、今ならスヴィアもまた特殊部隊を動かせるはずだ。
己がたとえ壊れようとも、必ずVHを終わらせるという絶対の誓いを以って、スヴィアもまた研究所へと向かう。
眩暈と負傷でぼろぼろなのにも関わらず、まるで脳が二つあるかのように、スヴィアの感覚は冴えていた。


350 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:13:43 Zdm9iwH.0

【F-4/道・軽トラ内/一日目・昼】

【小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾0/5)、血のライフル弾(10発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、物部天国の生首
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.乃木平の指示に従う
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。

【乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L2)、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く
2.スヴィアを尋問する。
3.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
4.情報収集につとめ、村人の異能を理解する。
5.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
6.黒木に出会えば情報を伝える。
7.犠牲者たちの名は忘れない。
8.あのワニ生きてる? ワニ以外にも珍獣とかいませんよね? この村。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。

【碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:なし
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.ウイルスを解析し、VHを収束させる
2.尋問に応じる
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません


351 : 対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」 ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:13:54 Zdm9iwH.0

【F-5/浅野雑貨店裏の民家/一日目・昼】

【成田 三樹康】
[状態]:軽い脳震盪、背中にダメージ
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、双眼鏡、浅野雅のスマホ、レミントンM700、.300ウィンチェスターマグナム(1発)
[方針]
基本.女王感染者の抹殺。その過程で“狩り”を楽しむ。
1.脳震盪が回復するまで休息
2.「酸を使う感染者(哀野雪菜)」を警戒。
3.ハヤブサⅢを排除したい。
4.「氷使いの感染者(氷月海衣)」に興味。
5.都合がつけば乃木平天の集敵策に乗る
6.小田巻真理が指定の場所に現れれば狩る
[備考]
※乃木平天と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定しています。


352 : ◆m6cv8cymIY :2023/07/25(火) 23:14:10 Zdm9iwH.0
投下終了です


353 : ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 20:37:11 FDdPJIZ20
投下乙です。

>対感染者殲滅構想「OPERATION:TD」

天くん色々根回しして連携を取って動いている、この辺が他の特殊部隊員とは違いだわ
村民を釣り出す放送作戦や天国さんの生首持って行ったり天くんもなかなか振り切れた感がある
嵐山せんせーの女王隔離案が孕む第二波のリスクは事態収束を目的とする特殊部隊としては看過できないだろうね
そして、その作戦を聞いてたスヴィア先生、盗み聞きにうってつけな異能である

碓氷先生は難しい立ち位置でよう立ち回っとる、誰にもいい顔する蝙蝠スタンスがどうなるのか
逆に小田巻さんはポロっと漏らしたり立ち回りやべーけど、実力があるから厄介すぎる
異能も合わせて仕留めるのが難しすぎるから対策も必要になるわな

既に直接先生と錬くんが出会っていたとは
カードキーを、しかも最高レベルのL3を渡した錬くんの意図はなんだったのか、確かめられるのか



後は、読んでて気になる点がいくつか

>女王感染者の特定方法が村人の間に広まったという事実。

>>340にある上記1文ですが
広まったのは隔離案であって、特定方法ではないと思ったのですがどうでしょう?

あとは創の異能が左手になってますが右手ですね


354 : ◆m6cv8cymIY :2023/07/26(水) 21:10:44 S51eHpRw0
> 広まったのは隔離案であって、特定方法ではないと思ったのですがどうでしょう?
> あとは創の異能が左手になってますが右手ですね

ご指摘ありがとうございます。校正漏れでした。
以下のように修正します。

>女王感染者の特定方法が村人の間に広まったという事実。
→隔離案という女王感染者の特定につながりうる方法が村人の間に広まったという事実。

左右はwikiのほうで修正しておきます。
失礼いたしました。


355 : ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:30:24 FDdPJIZ20
修正乙です

それでは私も投下します


356 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:31:40 FDdPJIZ20
朝の喧噪の代わりに猿の鳴き声が住宅街に響いていた。
人気の消えた住宅街を北上するのは2人の少女と3匹の猿である。
目を隠した猿と耳を塞いだ猿と口を押えた猿が、少女たちを守護るようにせわしなく動き回っていた。
猿が住宅街を飛び回る光景は何とも不思議な光景である。

聖なる猿に守護されるうさぎとひなたの2人が向かうのは、特殊部隊の襲撃にあった湯川邸である。
鈴菜と和幸が足止めを行い、哉太とアニカと勝子が救援に向かった因縁の場所。
うさぎからすれば、逃げるしかなかった道のりを引き返している事になる。
その心境は如何ばかりか。

彼女たちの目的は湯川邸へ向かった哉太たちへの警告を行うことだ。
分身を使い、言語を操り、搦め手を使う、この生物災害によって生まれた異常生物。
あの熊の言動から隻眼の熊は哉太たちの動向を把握しており、その本体が彼らの下に向かった可能性がある。

哉太たちが飛び出してから1時間以上の時間が経過している。
早馬で駆け付けた哉太たちとの時差もあり、すでに特殊部隊との戦いは何らかの決着はついているはずだ。

最悪なのは鈴菜たちが既に殺されており、駆け付けた哉太たちも殺され、のこのこやってきたうさぎたちまで殺されてしまう三次被害である。
だがプロならば最悪を想定して動くのだろうが、素人なのだから信じて送り出した彼らを信じて動く。
望むのは最善のハッピーエンド。そうでなければ夢も希望もありはしない

しかし、現時点では特殊部隊の襲撃もないが、同時に哉太たちも戻っていない。
どちらも音沙汰がないという事は、勝者も追って来れないほどの手傷を負ったか。
救出もしくは逃亡に成功して、どこかに隠れている哉太たちを特殊部隊の追手が探しているのか。
あるいは、相打ちになってしまったのか。

少なくとも、鈴菜たちを助けた哉太たちが生きているのを大前提とするならば。
帰還していない彼らが何かしら救援が必要な状況になっている可能性は高い。
そこにあの独眼熊が襲撃すればひとたまりもないだろう。

妨害電波によって連絡を封じられた状況では助けを求めることもできない。
救援が必要な状況になっているのであれば、こちらから迎えに行く必要がある。

もちろん下手に動けば熊は元より、特殊部隊と出会うリスクもある事は分かっている。
だが、うさぎたちの周囲をせわしなく三猿が動き回り警戒と哨戒を行ってくれている。
三猿の守護もあってか、今の所誰にも出会うことなく危険に晒されることはなかった。

と言うより、住宅街にはゾンビが妙に少ない。
誘蛾灯のようにゾンビが集める何かがあったのか。
深夜に訪れた時はそれなりにいたはずだが、まるでどこかに掻き集められたような空白地帯が出来上がっていた。
ゾンビが徘徊する光景も悍ましいが、ここまで人気がないとそれはそれで不気味である。

もうじき湯川邸にたどり着くと言う所で云わザル以外の二猿がキキーと鳴き声を上げた。
何か見つけたのかと思い振り返ったが、そうではなさそうだ。
三猿が仲良く横一列に並んでうさぎたちを見つめていた。

「あっ」

それで気づいた。
もうじき時間帯が移る頃合いのようだ。
猿の時間は終わりである。

「……ありがとう。三猿様。また12時間後に会おうね」

うさぎがここまでのお礼を述べる。
次に召喚できるのは時計の一つ廻った12時間後。
それまでの短いさよならである。

「色々助かったよ。ありがとね」

独眼熊撃退に貢献した三猿にひなたも感謝の念を述べた。
2人向かって三猿が抑えていた手を振りながら消えて行った。

騒がしい猿たちが消えたとたん静寂が住宅街を包む。
静寂は否が応にもこれまで押さえつけていた寂しさと不安を思い出させる。

湯川邸は近い。
辿り着けば、どのような形であれ決着を目の当たりにすることになる。
希望を信じている。信じているからこそ、確かめるのが恐ろしい。

「行こう。うさぎちゃん」

その不安を打ち消すように、ひなたがうさぎに声をかける。
うさぎは一度だけ地面を見つめ、ぐっと強く息を飲み込んだ。
そして覚悟を決めたように重くなった足を前へと踏み出す。

「うん。行きましょう」


357 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:33:25 FDdPJIZ20


「なに、これ…………?」

湯川邸近くの路地にたどり着いた2人は。そこに広がる光景に言葉を飲んだ。
静寂な住宅街には、あってはならない不穏な空気が漂っている。
彼女たちの記憶にある友人宅は、その表情を一変させていた。

まず彼女たちの目についたのは、目の前にある道路標識だ。
ただの道路標識ではない。
交通の安全を守るという役目も果たせずどこかからねじ切られ、投げ槍のように投げ捨てられたのか。
石畳の真ん中に深く突き建てられた刺さって寂しく斜めに傾いていた。

そしてその脇の石畳は不気味な罅割れがあった。
ひなたは足元に屈みこみその罅を調べる。
それは銃痕だった。

「この銃痕…………」

銃痕から銃の種類を言い当てるなんて曲芸はひなたにはできない。
だが、どことなく名人の使っていた猟銃を思わせた。

「どうしたんですか?」
「ううん。何でもない。こっから先はヤバそうだから気を付けて行きましょう」

確証のない銃疵にいつまでも拘泥している訳にもいかず、ひなたは立ち上がって街路を進んでゆく。
その路上の傍らには、爆撃でも受けた廃墟のような車が駐車されていた。
その車の残骸は炎に包まれた瞬間のまま固定されたように見え、ここで起きた出来事の苛烈さを物語っていた。

まるで紛争地の戦場跡だ。
それは淡い希望を打ち砕き、この先に待ち受ける最悪の想像を掻きたてるに十分な光景である。

だが、それでも結末を確認しない訳にもいかない。
みかげとうさぎは竦みそうになる足を動かし前へと進む。
そうして2人は湯川邸の前にまでたどり着くことができた。

辿り着いてまず何より目に付いたのは邸宅前に散りばめられている大量のゾンビの死体だ。
死体は散りばめられていると表現するのが適切だと思えるほどに、何か強大な力によってひき潰されたように損傷していた。
およそ人間にやられたとは思えない。それこそ熊にでも襲われたような有り様である。

熊害の警告のためにここまで来たが、もしかしたら手遅れだったのか。
そんな考えが一瞬ひなたの脳裏をよぎるが、すぐにその考えを自ら否定する。
周囲に獣らしき体毛は落ちておらず、傷跡も爪で裂かれたような鋭さはなく力任せに引きちぎられたような切り口だ。

これは獣ではなく人間による犯行だ。
純粋に人間離れした人間。おそらく気喪杉のような怪物じみた異能者だろう。

ひなたたちは恐る恐る転がるゾンビの死体を調べてゆく。
この半日足らずで随分と凄惨な光景にも見慣れてしまったが、さっきまで命だったものが辺り一面に転がっている光景は生理的な嫌悪を催させる。
何より地元民である2人にとってはこのゾンビたちも見知った顔である。
外部から移転してきた人間の多い高級住宅街の住民は登下校の際に挨拶を交わす程度の顔見知りだが。
それでも、その無惨な死を一つ一つ確認するたび胸の奥底が重い濁りが積もっていくような感覚をうさぎは味わっていた。

「勝子さんたちは、いないようね」

一通りの死体を確認し、そこに哉太たちが含まれていないことを確認する。
壮太はともかく、派手な外見をした勝子やアニカを見逃すことはないだろう。
ひとまずここで哉太たちが殺されたと言う事はなさそうだ。

ひとまず、その事実を確認して、うさぎは恐ろしくて無意識に目を背けていたガレージを見た。
そこにはうさぎを逃がすために特殊部隊を足止めを鈴菜と和幸がいるはずだ。

ガレージを取り囲むコンクリート壁は無惨にも破壊されていた。
無慈悲な力によって破壊されたコンクリートは、まるで怪物の一撃でも受けたようだ。
その凄惨な有り様にうさぎは顔を青くしながら不安そうな所作で胸の前で手を合わせている。

「私、中を調べに行くね」
「あっ…………うん。気を付けて」

ひなたはサムズアップを返して、崩れたコンクリート壁に手をかけてその上に登てゆく。
胸に手を当てふぅと大きく息を吐き、覚悟を決めてガレージの中をそっとのぞき込んだ。


358 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:36:01 FDdPJIZ20
「………………うっ」

ガレージの中を見たひなたが思わず口元を抑える。
そこには血だまりに沈む巨大な緑の肉塊があった。

その顔面は耳と鼻が剥がれ落ち、全身の分厚い肉は抉るように刻まれていた。
これは殺すことですらなく、ただ傷つけることを目的とした傷跡だ。
等間隔に刻まれた傷口には一切の躊躇いらしきものは感じられず、実行者の冷淡さが伝わってくる。

そして、ガレージの奥には少女の死体。
肩口から斜めに裂かれた傷は腰元にまで達しており、袈裟に切られた体はまるで銀杏の葉っぱのようだ。
全ての関節が逆側に曲がってしまったその指は青黒く変色しており、まるで拷問にでもあったかのようである。

特殊部隊の男が自分を閉じ込めた鈴菜たちを拷問をして殺害でもしたのだろうか?
そしてガレージの分厚いコンクリートを破壊して、集まったゾンビを蹂躙した?
これが単独で行われたとするならば、単純な身体能力だけではなく精神性を含めて気喪杉や独眼熊を超える怪物だ。

(………………これをうさぎちゃんに見せるのは酷ね)

獣の腸抜きや生物部での解剖なんかで普段から多少の耐性のあるひなたですら吐き気を覚える光景だ。
喰らうために感謝して頂戴するのとは違う、人間の業によって作られた醜悪な地獄である。

死体となったこの2人が恐らくうさぎを逃がしたと言う鈴菜と和幸だろう。
中に生存者はいない。
それを確認したひなたはガレージの壁から降りる。

「……どう……でしたか?」

不安を隠しきれない様子でうさぎが尋ねる。
ひなたは答える言葉を持たず、ただ沈痛な面持ちで首を横に振った。
それだけで、中の二人がどうなったかを理解したようだ。

顔面蒼白となったうさぎは唇を強く噛み締め視線を落とした。
救助はかなわなかった。
その事実は2人に助けられたうさぎに深い影を落とす。

「うさぎちゃん…………」

どう声をかけていいのか分からず、ひなたが言葉を詰まらせる。
だが、その心配を振り切るように目じりに浮かんだ涙を拭ってうさぎは気丈にも顔を上げた。

「……私は大丈夫です。ここで立ち止まってたらそれこそ鈴菜さんや和幸さんに申し訳がたちません」

強がりなのは目に見えているが、今はそれでいい。
生憎、弱音を吐いていられるような状況ではないのだ。
今すべきことは哉太たちに迫る熊害を知らせる事だ。
うさぎもそれを理解しているからこそ、気を張っているのだろう。

「けど、哉太くんたちはどこに行ったんだろう……?」

この場にあるのはガレージ内の凄惨な死体と、無惨に散らばったゾンビの死体だけである。
うさぎたちを襲った特殊部隊はおろか、救援に向かったはずの哉太たちの姿もない。
ならば、哉太たちはどこに行ったのか?

ここで何らかの戦闘行為があったのは間違いない。
流れから言えば、特殊部隊と哉太たちの戦闘があったと考えるのが自然だ。
だが、それにしたって被害の規模が大きすぎる。
人間同士がぶつかり合ったというより、怪物同士が戦争でもしたかのようだ。

猟銃と思しき銃痕とミサイルでも撃ち込まれたような廃車も気にかかる。
哉太たちはそんな装備をしていなかったはずだ。
特殊部隊の装備だとするならば状況はかなりマズい。

この火力に溜まらず逃げだしたというのなら、哉太たちを責められはしない。
こうなっては、上手く逃げ延びどこかに隠れている事を祈るばかりである。

だが、そうだとしても鈴菜たちの救助に失敗した哉太たちはどこにいったのだろう。
既に袴田邸に戻っておりすれ違いになったのか、それとも手傷を負ってどこかに避難しているのか。
助けに向かった哉太たちまで二次被害にあったのかもしれないともなれば、救援を求めたうさぎとしては気が気ではない。

探し出そうにも特殊部隊が潜んでいるかもしれない状況で大声を上げて呼びかけるわけにもいかない。
周囲を探索する手段が必要だ。
効率的で、隠密的で、確実な手段が。
そしてその手段は、うさぎの手にあった。


359 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:36:34 FDdPJIZ20
「お願い……来てっ!」

時刻は9時台。
少女の祈りによって新たな動物が世界に召喚された。
対応する干支は西を示す動物、すなわち酉である。

黒と茶色が美しい模様を描いた翼が広げられた。
風になびく羽毛は光の加減で色調を変える微妙な色合いを持ち、朝日に煌めき虹色に輝いた。
幻想的なその姿はまさに空の王者と呼ぶに相応しい優雅さと迫力を兼ね備え、圧倒されるほどの美しい姿をしていた。
それは一羽の鷹だった。

立派な鷹が、うさぎの腕を宿り木として止まる。
鷹の足には人の肉など容易く破る鋭い爪があり、本来であれば鷹匠であれど皮製の手袋が必要となるのだが、どうやら鷹の方がうさぎに爪を立てぬよう気遣っているようだ。
空の王者が少女に傅くように首を垂れていた。

ひなたはその様子を見て、驚きを隠せずにいた。
鷹匠もかくやという見事な手際である。
思えば馬の時もそうだ。
姉のひなた曰く、うさぎに乗馬経験はなかったはずである。

何より動物を扱う上で信頼関係というのは重要である。
懐いていないと命令など聞かない。

最初から懐き度がMAXになる。
彼女の召喚にはそういう特性があるのかもしれない。

「お願い。タカコちゃん…………哉太くん、アニカちゃん、勝子さんの3人を探して!」

願いを込めて鷹を空へと解き放つ。
鷹は返事のように甲高い鳴き声を上げて、大きく翼を広げ優雅な動きで空気を掴む。
その翼音は風の音と一体となり、自然の調べを奏でるかのように少女たちの耳に響いた。

美しい青空に風に乗った空の王者が舞う。
高く透き通るような青空は地上の地獄など知らぬかのようだ。
立派な鷹が颯爽と羽ばたいている姿は、まさに自然の美と力強さを象徴するようである。

鋭い光を宿した鷹の眼が、上空から山折村を見渡した。
鷹の視力は動物の中でも最上位に位置する。
俯瞰から周囲を見渡せる上空ほど偵察に適している場所はないだろう。
その視線は一点を見据えるように鋭く、獲物を捕らえるために決して逸らすことはない。

その漆黒の瞳が地上にいくつかの人影を捉えた。
ほとんどはゾンビだろう。そこから探し人を見分ける必要がある。
鷹の優れた視力を持ってすれば上空からでも地上の獲物を正確に見分けることができるだろう。

だが、地上を見つめていた鷹は何かに気づき、一つ大きく羽ばたきその軌道を変えた。
風に乗って一気に急上昇し、その俊敏な姿勢で空中で姿勢を整える。
同時にその下を謎の物体が過ぎ去って行く。

侵すものなどいないはずの空の領域に異物があった。
絶対的な制空権を侵す人工物、ドローンだ。
鷹が周囲を見れば、浮かんでいるのは1台や2台ではない。
幾つものドローンが山折村の上空を飛び回っていた。

鷹はドローンを不愉快そうに睨み付ける。
空の狩猟者たる鷹の嘴と爪をもってすれば落とすのは容易い。
実際海外では違法ドローンの除去に鷹を採用している警察もあるくらいだ。

だが、鷹はそうせず、ドローンを避けるように空を泳いだ。
今は主の令を優先する。
ドローンを無視して、鷹の眼は人を探して大地を見つめた。




360 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:38:15 FDdPJIZ20
「おかえり、タカコちゃん!」

周囲をぐるりと一周して鷹はうさぎの元に戻ってきた。
爪を立てぬよう優しく腕に止まった鷹を、うさぎは労うように羽をなでる。

「どうだった? 誰かいた?」

うさぎが偵察結果の報告を求める。
それに対し、鷹はその嘴に咥えていた短い枝を2本、長い枝を2本。計4つの枝を北方向へと吐き出した。
その先にあるのはうさぎの家、すなわち神社である。
それの指し示す意味はつまり。

「神社の方に4人いるって事?」

その問いを肯定するようにキーと鳴いた。
4人。枝の長さから言って子供が2人、大人が2人と言う事だろうか。
哉太、アニカ、勝子の3人とは数が合わない。
誰かと合流して1人増えた可能性もあるが、別の集団である可能性も高い。
少なくとも数からいって特殊部隊ではないだろう。

上空から把握できるのは屋外にいる人間に限られる。
哉太たちが室内に避難していた場合、鷹が見逃していてもおかしくはない。
この4人に接触すべきか、うさぎは考え込んでいた。

同じくその様子を見ていたひなたも考え込んでいた。
ひなたが考えているのはうさぎとは別の事についてた。

賢すぎる。

ひなたには飼育係であるうさぎとはまた違う、生物部やマタギとして動物に関わってきた知識がある。
興味の薄いことをすぐ忘れるひなたのような人間を三歩歩けば忘れる鳥頭とあだ名することもあるが、実際の鳥は頭のいい動物である。
手紙を届ける伝書鳩や言葉を覚えるオウムもそうだ、都会のカラスなんかはそれこそ人間の子供並の知能の高さをもっている。

だが、だからと言って鳥による偵察など普通は成立しない。
単純に鳥が見聞きしたものを知る手段がないからである。
首輪にカメラを付けてみるなどの方法はあるが、そう言った道具でもなければ斥候として成り立たないだろう。

それをこの鷹は意思疎通の困難さを理解し、枝を使って意思を伝えるという工夫を見せた。機転が利きすぎている。
ましてや上空からゾンビと正常感染者を見分けて人数を正確に報告するなど人間でも簡単な事ではない。
何より、人のいる方に導くだけならまだしも、報告だけ行って判断をゆだねるというのは役割を理解しすぎている。

もちろん長い時間をかけて専用の訓練を積めば不可能ではないだろうが。
そんな調教をされた動物が毎回召喚されるというのは、都合がよすぎる。

三猿たちもそうだ。
そもそも日光東照宮に祀られる三猿が召喚されていると言うのもおかしな話だ。
ひなたが直接見たわけではないが、話によれば龍も召喚したと聞く。
そんなものが召喚できた時点で世界のどこかにいる動物を召喚しているというのはあり得ない。
うさぎの異能は、果たして本当に召喚なのか?

もし仮に召喚でないとするならば、その場で動物を生み出している事になる。
それは生命の創造だ。異能とは、そこまで神の領域を犯すものなのか?
そうでないとするならば、果たしてその命はどこから来たものなのか?


361 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:41:06 FDdPJIZ20
ひなたの悪い癖だ。
そんな状況ではないと分かっているが、どうしても気になる。
こんな状況でも知的好奇心が勝ってしまう。

親譲りの研究気質が故か、持ち前の探究心が疼く。
不思議な事、わからない事、納得できない事。その全てが知りたい。
疑問があるのならそれを解き明かしたいと思ってしまう。

「ねぇうさぎちゃん。ちょっとおかしな事を聞くけど、召喚した動物が殺されたことってある?」
「え…………うん。ここに案内してくれたスネスネちゃんが…………」

召喚した蛇が特殊部隊の男に踏みつぶされた瞬間を思い返してうさぎは俯いた。
彼女にとって動物の死は人間の死と変わらない、辛い記憶である。

「そこから体調に異変はない?」
「…………はい。特には」

鈴菜の事もあって色々精神的に疲弊しているが、肉体的には問題なさそうである。
ここまでの情報から、ひなたは動物たちはうさぎの命を分割して動物を創造してるのかと推測していた。
つまりうさぎが都合のいい動物を作り上げた。それならば動物たちの賢さも、うさぎに従順なのも納得である。
何より動物たちが例外なくウイルスに適応できている事にも、適合者であるうさぎを元にしているのなら説明がつく。

この推測が当たっているのなら、動物が死亡した場合うさぎの命が削られるはずである。
だが、そう言った影響は今のところないようだ。
それとも1/12ではまだ自覚できる程の影響がないだけだろうか?

逆にひなたの推測が外れていて、うさぎの異能が本当に召喚だとするならば、どこから召喚された?
龍なんてそれこそ異世界でもない限り説明がつかない。
そんな都合のいい生態系が存在する異世界があるとでも言うのだろうか?
それこそ幻想(ファンタジー)である。

「ごめんね。急に変なことを聞いて」
「ううん。構いませんけど…………」

うさぎは不思議そうな顔をしているが、ひとまず話を打ち切る。
周囲を警戒してくれる鷹がいるとは言え、いつ独眼熊がやってくるともわからないのだ。
いつまでもここに居てはミイラ取りがミイラになりかねない。
方針は早めに決める必要がある。

「それで、勝子さんたちの行き先だったよね」
「はい。神社の方の4人か、袴田邸に戻っているのか」

もちろん。上空からは見えない室内にいる可能性だってあるが、その場合はうさぎたちには手の打ちようがない。
彼女たちにできるのは鷹が見つけた4人を哉太たちであると判断して接触するか。
それとも、哉太たちは既に袴田邸に戻っている可能性を考え引き返すかの2択だけであった。




362 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:43:41 FDdPJIZ20
何故、うさぎの召喚する動物たちはウイルスに適応しているのか?

彼女たちが知る由もないが、ガレージで事切れている鈴菜もかつて同じ疑問を抱いていた。
そこから彼女は一歩踏み込み、動物たちの脳から抗体が取れるのではないかと考えたが、鈴奈は非情になりきれず実行には至らなかった。
では、ひなたはどうか?

うさぎもひなたも動物好きだが、その方向性が違う。
うさぎが動物に持つのは共に生きる友人としての愛情。
ひなたが持っているのは生体としての探求心だ。

元々ひなたは異能者の体を調べたいとは思っていた。
それが解決の糸口になるのならばという建前もあるが、それ以上に世の理に合わない異能を発現させるその仕組みに興味があった。
かと言って異能者の解剖などという人体実験めいたマネが許されるはずもない。

だが人間は難しいかもしれないが、”動物ならば許されるかもしれない”。
状況は彼女がそう考えてもおかしくはない段階に移行しつつある。
とはいえ、動物を愛するうさぎに解剖させてと正面から頼み込むほど無神経ではない。

基本的にはひなたは他人の気持ちを慮れる少女である。
それこそ自暴自棄になるような出来事でもない限りは、そのような強硬策に出ることはないだろう。。

【C-4/湯川邸前/一日目・午前】
【犬山 うさぎ】
[状態]:蛇再召喚不可
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.神社の4人を調べるor袴田邸に戻る

【烏宿 ひなた】
[状態]:感電による全身の熱傷(軽度・手当て済)、肩の咬み傷(手当て済)、疲労(小)、精神疲労(中)
[道具]:夏の山歩きの服装、リュックサック(野外活動用の物資入り)、ライフル銃(0/5)、銅製の錫杖(強化済)、ウォーターガン(残り75%)
[方針]
基本.出来れば、女王感染者も殺さずに救う道を選びたい。異能者は無理でもうさぎの召喚した動物の解剖がしたい。
1.神社の4人を調べるor袴田邸に戻る
2.生きている人を探す。出来れば先生やししょーとも合流したい。
3.VHという状況にワクワクしている自覚があるが、表には出せない。
4.……お母さん、待っててね。


363 : 空から山折村を見てみよう ◆H3bky6/SCY :2023/07/26(水) 21:43:53 FDdPJIZ20
投下終了です


364 : ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:43:56 9kDLOWPo0
投下します。


365 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:46:09 9kDLOWPo0
『やあ、兄さん』

腐葉土から滲み出した湿気と生温い風が木々を湿らせる雨季へと季節が移る狭間にて。
背後から聞きなれた同族ののほほんとした唸りが隻眼の獣の耳へ届く。顔を顰め、身体ごと振り返る。。

『何の用だ?』
『特にないよ。たまたま兄さんを見つけたから声をかけたんだ』
『ぶるぶるぶる……恐いよ、風』

赤い布を上半身に纏った肥満体のオスの若いクマ一頭と一般的な個体より大きなオスのタヌキが一匹。
オスグマは左前脚に蜂蜜の香りが漂う壺を持っており、目を細めて歯を見せた「ニンゲン」のような友好的は笑顔を見せている。
その一方、首から林檎の入った竹の籠をぶら下げているタヌキはこちらの視線に身体を振るわせて怯えていた。

『そんなに怖がらなくても大丈夫だよ、タヌキ。兄さんとぼくは昔から助け合ってきた友達同士だから』
『誰がトモダチだ。ニンゲンの真似をしおって気色悪い』
『ひどいこと言うなぁ……』

タヌキを宥めつつ、媚びるとも見下すとも違う「ニンゲン」のような笑顔をこちらに向ける肥満体の同族に苛立ちを募らせる。

気色悪い笑みを浮かべるこの若いオスは忌まわしき人間共から「熊野風」と呼ばれているらしい独眼熊にとって数少ない友好的な接触をする獣。
風との付き合いは彼が幼獣時代、独眼熊が成獣なりたて――彼の右目が健在であった頃まで遡る。


時は住処が紅葉で彩られる秋季。来たる冬季に向けて獣が各々冬を超す準備を行う季節。
その頃の自分より巨大なツキノワグマとの縄張り争いに負けて冬眠のための巣穴を追い出され、餌場すら奪い取られて途方に暮れていた時。

『独りぼっちなの?お兄さん』

口に岩魚を咥え、小さな唸りと共に無防備にこちらへと近づいてくる小熊が一頭。独眼熊の前に岩魚を置いて『食べていいよ』と促す。
近くに母熊はいないらしく、この小熊を喰らってもなんら己の身に危険は及ばないと判断。

『母親はどうした?』
『んーと、ご飯を取りに行くっていったきり、ずっと戻ってきていないんだ』

疑うべくもない。彼の母親は自分の母親と同じく人間共に獲物として狩られたのだ。
そんなことも知らず、能天気にこちらにすり寄ってくる小熊。自分にとって冬を越すための絶好の獲物にも思えた。しかし――。

『お前、冬ごもりのための巣穴は見つけたか?』
『うん、あっちの方にあるよ』
『そうか。なら我も一緒に行こう』
『どうして?』
『巣穴を間借りさせてもらう。その代わり、お前が成獣になるまで面倒を見てやる』

立場は違えど、孤独な彼に過去の自分を重ねてしまった。小熊ただ一頭で生きる彼に。
そこからこの小熊が成獣になるまでの共同生活が始まった。

ある時、小熊が人里に降りて蜂蜜を奪い、逃げ回っていた際は独眼熊が人間を誘き寄せて彼を逃がした。
またある時、独眼熊が獲物を狩れずに飢えていた際は、小熊が木の実や魚を取ってきて共に腹を満たした。
その奇妙な関係は小熊が独り立ちしてからも続いていた。もっとも成獣になってからの頻度は減ったが。


『ところで、だ。そこのクマの言葉を介するタヌキをいつになったら喰らうのだ?』
『ひィ……!!』

ジロリと左目でタヌキを睨みつけると彼はずんぐりとした身体を一層強く震わせ、風の背後へと隠れた。

『ああほら、兄さんが怖〜いこと言うからタヌキがびっくりして隠れちゃったじゃない。大丈夫だよ、タヌキ。ぼくは友達を食べないから。
それと兄さん。ぼくにはニンゲンの友達からもらった"熊野風"って名前があるんだ。"お前"じゃなくって"フウ"って呼んでくれると嬉しいな』

えへんとでっぷりした腹肉を揺らして自慢する風に独眼熊は怪訝な表情を浮かべた。
ニンゲンの友達?主義主張には口を出すつもりはないが、風の警戒心のなさには不快感を隠さずにはいられない。


366 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:47:02 9kDLOWPo0
『ニンゲンのトモダチ?言っている意味が分からんぞ』
『そのままの意味だよ。"ウサギ"っていう名前のメスでとっても優しいんだ。
ウサギの住処に行くと壺たっぷりの蜂蜜や甘くておいしい林檎を貰えるんだよ。』
『…………』
『それとね、ボール遊びもしてくれるんだ。ウサギが投げたボールをキャッチして、キャッチしたボールをウサギに投げ返す遊び。
あ、それからお返しにぼくの背中にのせてあげるとウサギはとっても喜んでくれ……兄さん、どうして地面に頭をくっつけてるんだい?』
『…………いや、もういい』

あまりの危機管理能力のなさに怒りを通り越して呆れ、何も言えなくなる。
この阿呆は自分が人間に飼われている自覚すらないらしい。
ふと何を思ったのか、風はタヌキから林檎を受け取ると壺の蜂蜜に浸して、ずいっと独眼熊へと差し出した。

『はい、どうぞ。ニンゲン嫌いの兄さんもウサギとなら仲良くできると思うんだ。ニンゲンが作った林檎はおいしいよ』
『いらん!』

気色悪い笑顔と共に差し出された蜂蜜浸しの林檎をはたき落とす。べちゃりと林檎が腐葉土へと落ちる。
『ああもったいない』と風は能天気な唸りの後に土のついた林檎を口へと放り込んだ。

『もうお前に言うことはない……が、人間に現を抜かすのはそこまでにしておけよ』

捨て台詞のような警告を風に残し、独眼熊は風に背を向ける。
どこで教育を間違えたのか、小熊の頃から言い聞かせていた人間の悍ましさや危険性は彼の中に根付かなかったらしい。
もう奴がどうなろうと知らん。山暮らしのメスや白髪交じりのオスにでも狩られてしまえ。
憤りを隠さずに足音荒く独眼熊は森の奥深くへと去っていく。

『ねえ、風。何度も聞くけど本当に君のお兄さん、大丈夫なの?』
『大丈夫だよ。兄さんは威嚇が大好きなだけだから』
『そ、そうかなぁ……?ぼくには乱暴者にしか見えなかったけど……』
『そこまで兄さんは乱暴者じゃないよ。兄さんはただ―――なだけなんだから』

『聞こえてるぞ!』

『ヒィ……ごめんなさい!』
『兄さんは耳がいいなぁ』

それは未曽有の大災害が起こる数日前。山折村北部のとある山中での出来事であった。



倒壊した建物や崩れたコンクリ塀が並ぶ高級住宅街。民家と民家の間の小路にて、巨大な生物が足を引き摺っていた。
巨顎と丸い耳、体毛と鱗を持つ三メートル程の二足歩行の怪物。ワニとクマの合成獣とも呼べる悍ましき姿をしている。
地球上の生物とかけ離れた見た目であるが、彼は未来人類発展研究所の実験によって生まれた生物ではない。
災害により異能に目覚め、更に山折村の怪異に寄生された人食い熊の変異体。独眼熊と呼称されていたヒグマのなれの果てである。

「ヴヴゥーーー……!グゥーーー……!」

憎悪と怨恨の唸りが閑散とした住宅街に響き渡る。
独眼熊は激怒していた。
己の縄張りを奪い、未だ姿を見せない山暮らしのメスに。
右目を奪うのにも飽き足らず、残された左目も穿った忌まわしき猟師のオスに。
銃で追い詰めて二度も己に苦汁を舐めさせた新米猟師の"ひなた"に。
怪異としての力を削り取るに飽き足らず、獲物と定めていた"けいこ"を横取りした隠山一族に。
猟師と手を組んで己の走狗たる分身を討った特殊部隊に。
そして何より―――。


367 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:47:39 9kDLOWPo0
(五度……五度目だ……!我は何をやっているのだ……!)

五度も人間に謀られて深手を負い、その度に逃げの一手を打つ他なかった己自身に対して。
己は獣としてヒトとは比べるべくもない強靭な肉体を持ち、知恵もつけ、進化も果たした。
だのに人間に対しての行動は馬鹿の一つ覚えと言わんばかりに突撃・突進・体当たりと知恵をつける前とさして変わらぬ行動ばかり。
対して人間共は害獣として駆除せんと脆弱な肉体を生まれ持った知恵で補い、確実に追い詰めていく。
もはや独眼熊に後は残されていない。以前のままでは再び対峙した際、今度こそ駆除されるだろう。
数多の失態失策を得て、力を経た魔獣は漸く人間を「取るに足らない獲物」ではなく「排除すべき脅威」であると認識した。
ふぅと息を吐いて頭に巣食うナニカに働きかけ、無理やり猛り狂う衝動を抑え込んで頭を冷やす。

(だが、どうする?以前のように分身を突っ込ませるだけでは先程の二の舞だ。銃を使うにしても猟師共と同じように使えるとは限らん)

"ひなた"が銃を撃った時のことを思い出し、肉体変化にて生み出した人間の腕で構えてみる。
引き金を引けば獣を射殺す弾丸が発射されるが、臭いだけでは命中精度が極端に下がる。
かといって視力も頼りにならない。右目は言わずもがな、左目も白髪交じりのオスに穿たれて水を張ったように視界がぼやけて映る。

(であるならば、蜥蜴擬きから奪った異能はどうだ?)

蜥蜴擬き――ワニ吉の脳を喰らって得た分身を生み出す異能『ワニワニパニック』。現在は『クマクマパニック』と名を変えた異能。
分身を一つ、新たに生み出す。ついでにもう一つ生み出そうと試みるも失敗に終わる。
分身の生成に上限はないが、時を待たずに分身を生み出すのは不可能であると判断。小半刻ばかりの時が経たねば分身の再生成は不可。
そして分身に異能を反映させることは――。

(隠山共の巣へ分身を斥候に行かせたとき、我が操作をすれば肉体変化の異能を用いて一色洋子の声を出させることができていたな)

きっかり十五分が経ち、二体目の分身を生み出す。そして発音、肉体の変化を分身に強要する。同時に五感の共有を分身達に命じる。

(……なるほどな。頭目と定めた"い号"には視界や肉体変化を適応できたが"ろ号"には肉体の変化は適用されない。だが行動だけは両方に命令できる)

先程の襲撃に失敗したが得たもの自体は非常に有益なものであり、八方塞がりになりつつあった現状を打破できる鍵になるかもしれない。

(だが、未だに肥満体のオスより得た異能は分身に反映できない。油断は禁物だ)

もはや己の力を過信することはできない。窮鼠の一嚙みが自身を絶命させる牙になりうるかもしれないのだ。
だが、行動を起こさねば自身は狩られる弱者へと転落するであろう。

(どちらにせよ、亡者ではない獲物を見つけて経験を積まねば……ん……?)

鼻に着く酒精(アルコール)の僅かな匂い。それが徐々に近づいてくる。
油や煙の匂いの混じった特殊部隊のものではない、ヒトと豚の血の混じった匂い。石牢の周りで嗅ぎ取ったもの。

(ああ、なるほど。これが特殊部隊の匂いか)




368 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:48:31 9kDLOWPo0
タァン……!

遠方より発せられる猟銃の発砲音が震災跡地と化したゴーストタウンに木霊する。
その音に反応を示したのは迷彩柄の防護服に防弾・防刃製のガスマスクを被った巨漢――日本最強の特殊部隊員である大田原源一郎。
美羽風雅隊員及び六紋兵衛を支配下に置いた山折圭介から戦術的撤退を余儀なくされ、ターゲット達の打倒手段を模索している最中であった。

僅かな時間で目視した限り、山折圭介が支配していた猟師――六紋兵衛の猟銃は総弾数約五発程のライフルと目測。
今の発砲が六紋の猟銃と仮定し、相当甘く見積もってリロードしていないと考えれば残弾数は三発から四発。
高級住宅街担当の広川成太の姿は未だ視認できず。既に絶命したと判断。
かといって放置するわけにはいかず。数少ない正常感染者である以上、確実に始末しなければなるまい。

山折圭介の護衛にはサイボーグである美羽が存在するため、近接戦闘は避けるべき。
その上、圭介の視界に入れば六紋の狙撃が待ち構えている。
であるのならば手段はただ一つ。

拳銃による山折圭介の隠密狙撃である。
SSOG随一の狙撃手である成田三樹康には到底及ばぬものの、大田原の狙撃術は一般隊員を上回る。
物陰に隠れ慎重かつ迅速に銃声の方向へと駆ける。すると――。

「ヴゥゥゥゥゥゥ……!」
「ア"ぉォォォォ……!」

赤いシャツを着た肥満体のヒグマと一般的な個体よりサイズが大きな狸が民家の曲がり角から現れ、こちらへと首を向ける。
語るまでもなくゾンビである。

(豚人間と言い、人間以外にも感染するウイルスだとはな……)

そう思いつつも即座にサバイバルナイフを構え、臨戦態勢を取る。
SSOGにとって目の前の事象など任務遂行に比べれば足らぬ問題。精々事後報告書に記述する事柄が一行増える程度の些事であった。

「ブォォォォォォ……!」

ヒグマのゾンビが大田原へ向け、成人男性の全速力以上の速さで突進を仕掛けてくる。
それと呼応するように狸のゾンビも大田原の足元へ牙をむいて駈け出す。

ヒグマの頭蓋は並の銃弾であらば弾くことを大田原は知識と経験で既知済み。
眼球に当てれば脳へと届く可能性もあるが、限りある弾数はできる限り節約したい。
故に大田原はナイフ一本による対処を選択した。

突進するヒグマの体格より低く身を屈め、巨体へ向けて疾走。すれ違う瞬間、頸動脈目掛けて一閃。
突然の出来事にヒグマは対応できず、大田原の十数メートル先で漸く静止。噴き出す赤黒い血がナイフを濡らした。
次いで牙をむいて大田原の左頸部へと襲い掛かる大狸。狸の咬合力であればあるいは防護服に傷をつける可能性も僅か乍ら存在しうる。
その可能性は決して見逃せるものではない。足を振り上げ、着地点を通り過ぎる瞬間に全力で叩き潰す。

ぶちゅりとした肉の潰す音の後、タヌキは残る身体を痙攣させて血の海に沈む。
それに目もくれずに大田原は致命傷を与えたヒグマのゾンビへと身体を向ける。
血を流しすぎたのかヒグマの動きは非常に緩慢なものに変わり、漸くこちらに図体を向けたようだった。
突進を仕掛けられる前に大田原はヒグマゾンビへと接近し、右目へと拳ごとナイフを突き刺してグリグリと何度も捻る。
大量の失血か、はたまた脳のダメージが生命活動を許容できる範囲を超えたのか、ヒグマのゾンビは大きな音を立てて巨体を沈めた。

ヒグマをナイフ一つで倒した。しかしその事実にも大田原の心に何ら達成感もない。
かつて北千歳駐屯地での野外訓練にて、メスのヒグマに遭遇した際の行動をなぞっただけに過ぎない。
彼の心を満たすのは自分の手で秩序を維持したと実感した時。即ち任務を遂行した時以外ない。
ただ無駄に時間を消費した、という感想以外は持たなかった。

ヒグマと狸の死骸には目もくれずに道を通過し、大田原は大通りへと出た。
そこにはガソリンの漏れて潰れた乗用車や崩れたブロック塀、ガラスの割れた一軒家を視認。
また、その一軒家の門塀の近くでは三体のゾンビが老人に群がって捕食活動を行っている。


369 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:49:16 9kDLOWPo0
(どうやらここで戦闘があったようだな)

群がる三体のゾンビを無力化し、老人の遺体を検分する。
スーツ姿の老人には右腕がなく、左手も銃で撃ち抜かれたのか歪な傷を負っていた。
全身の至る所には細やかな裂傷。倒れ伏す老人の口付近にはアウトドア用のナイフが転がっており、辺りには彼の所持していた物資が散らばっている。
現場検証から察するに老人はここで戦闘を行い、対敵を退けたものの致命傷を負っていたため、ゾンビに成すすべもなく捕食されたと考えられる。
老人の近くには子供二人と男女一人ずつの足跡が見て取れる。その足跡は子供一人分が減り、山折村の北部である森林地帯へと向かったいる。
気になる点が一つ。女の足跡は他の三人のものと比べて薄いのだ。まるで訓練を受けてきた人間のものに思える。

(ハヤブサⅢであれば分かりやすい痕跡を残す失態はしない。となると候補は二つ。小田巻か、またはそれに匹敵する存在か)

即ち小田巻相当の正常感染者を含むグループが老人を襲い、彼に退けられて森林地帯へと逃走した。
小田巻が集団を率いて戦ったとしても梃子摺るとなれば、老人は強力な異能の持ち主であったのだろう。
どちらにせよ排除すべき存在が森林地帯へと向かったのは事実。
仮に小田巻であったのならばSSOGが包囲している森林地帯を突破を目指すなど愚を犯すはずがない。
時間と共に戦力を増強していく山折圭介の排除を優先すべきか。森林地帯へと向かった小田巻らしき人物がいると思われる一団を追うべきか。
思考と決断の僅かな隙間。五秒にも満たぬ逡巡。それを縫うように。

ダァン、ダァンと猟銃の発砲音が南南西より響く。
その方向へと頭を向ける。配布された拳銃――H&K SFP9のパラベラム弾のものとは思えぬ重低音。
即座に大田原は決断した。

発砲元である山折圭介ら一団、または村の猟師と思える正常感染者を排除する。
村の猟師であるのならばいわずもがな処分。
山折圭介が他の正常感染者と戦闘をしているのであれば優先的に山折圭介を排除し、彼と敵対している正常感染者も皆殺しにする。
確率は低いと思われるが、広川成太が山折圭介と戦闘を行っているのであれば彼と共に山折圭介を排除する。
先程と同様、秩序の具現者たる死神は巨体に似合わぬ静かな疾走にて狩場へと向かう。



「なかなか、あたるものではないな。そら、もっとすばやくうごけ。れんしゅうにならぬだろう」
「ヴッ……ヴッ……ヴッ……!!」

四本足のワニとクマの合成獣が二本の足で直立。舌っ足らずのと共に人間の腕で猟銃を構えて発砲。
発砲先は六足歩行の同じ爬虫類と哺乳類が悪魔合体を果たした個体。こちらは獣成分を多く残しているらしく声を発することも二足歩行もしていない。

(なんだ、これは……)

瓦礫の陰より様子を伺った大田原。彼の頭を一瞬フリーズさせる奇妙かつ悍ましい光景。
数時間前に駆除した巨大な豚人間が可愛く見えるほどのモンスターが目の前で銃を撃っている。
未来人類発展研究所の動物実験で生み出された怪物か、または異能により変異した元クマか元人間か。
山折圭介との戦闘確率が高いと思っていた大田原の予想を遥か斜め上に裏切った結果になった。

幾度かの発砲の後、遂に直立した怪物の銃弾が逃げ回っていた六足歩行の怪物の腹部へと命中する。
ガァと呻きを上げて巨体を横たえる六足歩行の怪物。地響きがあたりに響く。
それを確認すると、銃を持つ怪物は大顎を剥いた笑顔らしきものを浮かべて倒した怪物へと歩み寄る。

「では、とどめといこう」

痙攣する死に体の怪物へともう一方の腕――ナイフがずらりと並んだような鋭い爪を振り降ろして腹を裂いた。
腹を裂かれた怪物はひときわ大きく身体を震わせる。銃を人間の腕に持った怪物は獲物の傷口から腸を引っ張り出していたぶるように弄ぶ。
知性を持っているとしか思えぬほどの邪悪。その暴虐から銃を持った怪物を正常感染者と判断。
ふと、怪物は臓物を弄んでいた手を止め、鼻をすんすんと鳴らす。


370 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:49:48 9kDLOWPo0
「にんげんが、のぞいているな」

大田原の隠れていた瓦礫の隙間へと向けて発砲。しかし命中精度は低いらしく、大田原と数メートル離れた瓦礫へと銃創をつける。

「かくれおにでもしているつもりか?ならばおにをふやしてやろう」

下卑た笑いと共に怪物の傍に粒子が収束する。それが頭から形作り、怪物と寸分違わぬクローンと思わしき物体が出現する。
「ゆけ」と大田原の方へと怪物は人間の指を向けると、クローンはすぐさま飛び掛かった。
すぐさま転がって怪物の着地点から逃れ、銃を構えてクローンの潰れた右眼球へと銃弾を放つ。
牽制のつもりで放った銃弾だがクローンの目を貫くと、途端にその巨体は霧のように胡散する。

(なるほど。このデカブツの親玉の異能は分身を作成するもの。頭部または眼球に衝撃を加えると消える分身体か。
となると、先程親玉が銃で撃った怪物もまた分身体。頭部を狙うと消えることを知っていたため、首から下を狙っていた訳か)

親玉の身体がヒグマベースだと仮定するならば、手持ちの銃を頭に撃った程度では死なないだろう。
一時撤退などという選択肢はない。正常感染者である以上、駆除の順番が変わっただけだ。
例え逃げたとしてもヒグマの性質が残ると仮定するとその性質上、こちらを獲物として追いかけてくる可能性が高い。故に迎撃が推奨。
だが己の経験則や知識以上に、大田原自身の本能が目の前の怪物の存在を許容できない。必ず駆除しなければならない。
生命倫理に反する悍ましき姿。人間の悪意を詰め込んだかのような行動。己に向けられる昆虫を思わせる奇異な眼差し。
大田原はオカルトなど存在を証明できぬ曖昧なものを決して信じない。それでも尚、確信する。この怪物の中には―――

歴戦の勇士は戦闘態勢へと移行する。
瓦礫の物陰から隠れていた分身体が現れ、大田原に敵意を向ける。
崩れた家の二階の窓からう分身体がガラスを突き破って飛び降り、親玉を守るようにその前へ立つ。
怪物の親玉は持っていたリュックサックからショットシェルを取り出して猟銃に補充する。
怪物と勇士、彼らは同時に口を開く。

「かりのじかんだ、にんげん」
「標的を確認。速やかに処理する」

―――近代科学では決して証明できない「ナニカ」がいると。



「ゆけ」

親玉の号令と共にが身を屈め、四つん這いで大田原へと突っ込んできた。
その背後では怪物が狩猟用のショットガンを今にも発砲せんと不格好な姿勢で構えていた。
また、猟師の真似事をしている親玉の傍らでは一帯の分身体が守護者の如く控えている。

怪物の特徴を確認する。
全長三メートル前後で体重は恐らく七〇〇キロ。数時間前に駆除した豚人間のワンサイズダウン。それは分身体にも適用される。
また、守護する存在がいないためそちらに狙いを定めて隙を作ることは不可。
だが知性の方は未だ発展途上。野生の名残が行動のところどころに残っており、付け入る隙があるとすればそこだ。


そして現状。
ヒグマの突進は時速約五六キロ。一般道路における最大の法定速度に匹敵する。
まともに喰らえば防護服の性能が高いといえど、無事では済まないだろう。
それを対処したとしても待っているのはショットガンによる狙撃。
命中精度があまり高くないとはいえど防護服に穴をあける可能性が高い。故に油断は禁物。
また、周囲には大田原の全身を隠せる遮蔽物は存在せず、絨毯から身を守るものは防護服のみ。
二つの攻撃を掻い潜りつつ、攻勢に映らなければならない。

身を分身体よりも低く屈め、後方へと数歩ほど下がる。
巨体が激突する一歩手前。怪物の大顎が頭上を通過する刹那。屈伸していた両足を発条の如く跳ね上げて拳を頭上に突き出す。
頭蓋すら軽々と砕く大田原の鉄拳が大顎を砕き、衝撃が脳にまで達し、血液すら零さずに分身体が掻き消える。
その空白を縫うかのように親玉が猟銃の引き金を引く刹那。
大田原は拳銃を手に取り、崩れた体勢のまま怪物へと発砲する。
飛来する弾丸を傍らに佇んでいた分身体が立ちふさがり、身を挺して親玉を守った。
遮蔽物となった分身体。怪物の指は動きを止めず、そのまま引き金を引いた。

ダン、と破裂音が鳴り響く。
散弾は大田原に到達せず。奴隷が主の攻撃を阻害して対敵の手助けする不本意な結果に終わった。
倒れ伏す分身体。目論見が外れ、驚愕の表情を浮かべる怪物。
その隙を見逃さず、二体に狙いを定めて発砲する。
ダン、ダンと二発のパラベラム弾が吐き出される。
一発目は血に伏せる寸前の怪物の下僕。右目に命中し、掻き消える。
二発目は表情を凍り付かせた怪物。ヒグマの特性から頭蓋に命中したとしても効果は薄いと判断。
牽制のつもりで右わき腹に着いた、鱗が付いていない薄橙色の人間の左腕に発砲する。


371 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:50:24 9kDLOWPo0
「グゥッ……!」

低い唸り声を上げ、痛みに顔を顰める。
しかしすぐに体勢を整える。そして目を吊り上げ、激憤の表情を浮かべた。
底から間を置かずに大田原へと銃口を向けて発砲。
だが、素人同然の射撃など歴戦の勇士に通じる筈もなし。ダッキングの要領で身を屈めて頭上に弾丸を通過させる。
三発、四発、五発と銃口から獣狩りの鉄矢が吐き出されるが、いとも容易く回避。

「……チッ!」

弾切れを悟ったのであろう。怪物は舌打ちする。一時撤退をするべく大田原へ背を向けて頭を守るため四つん這いになり、走り出す。
怪物の底は知れた。だがこのままおめおめと逃走を許すつもりはない。
怪物に追従するように大田原も走り出すが、距離が少しずつ離されていく。
大田原のトップスピードは時速三五キロ前後。その倍近くはあるヒグマの疾走には追いつく筈もない。
拳銃をヒグマの右後脚へ向けて発砲する。あくまで威嚇射撃。ほんの一瞬でも動きを止められれば成果と考えていたが―――。

「ガァ……!!」

銃弾が怪物の堅強な鱗を貫き、傷口から血が零れ落ちる。怪物の疾走速度が目に見えて落ち、流れる血が点々と道しるべを作り出す。

大田原は知る由もないが犬山うさぎや烏宿ひなたらの奮闘により、怪物――独眼熊は銃に対する抵抗力が本体、分身問わずに落ちている。
その振れ幅はあまりにも大きい。弱体化前は熊撃ち用のスラッグ弾すら防げる。
対し、数多もの弱体化を猟師と隠山一族、一般人達に付与された現在。皮膚の強度は銃に対して人間の柔肌程度にまで落ちている。

(あの鱗は防弾・防刃性能を備えていたと考えていたが、見掛け倒しか?)

血の跡を辿って独眼熊を追跡しつつ、大田原は思考する。
あまりにも呆気ない。そう感じつつも速度を緩めず、確実に殺せる距離まで走り続る。
後ろ足に負った傷故か、怪物の速度は以前の六割程度まで落ち込んでおり、もうしばらくすれば射程範囲まで届く距離になっていた。
追う側と追われる側。人間の極限に至った現代の戦士の前には如、何に強靭な肉体を持つ獣でさえも狩られる側に回らざるを得ない。
圧倒的有利な状況であろうとも大田原は一切油断せず。標的の息の根を止めるその時まで殺戮機構として機能する必要悪。

怪物が角を曲がり、道路の脇道へと逸れる。
大田原も怪物に倣って追従せんと脇道へと曲がろうとする。

「―――ガァアアアア!!」
「―――ッ!」

角を曲がる寸前。いつ潜んでいたのであろう、怪物の分身体がコンクリート塀を突き破り、大田原へ刃の如きかぎ爪を振り下ろす。
ずらりと並んだ五本のかぎ爪は鋭利かつ強靭。名のある刀匠の鍛えた刀剣を思わせる。
あれが掠めでもしたら、防護服が引き裂かれて己も美羽風雅のようなゾンビの仲間入りだ。

爪がガスマスクを叩き潰す寸前、バックステップで怪物の射程圏内から離脱する。
振り下ろされる剛腕が地面へと叩きつけられる。爪がアスファルトを抉り、新たな罅割れを生み出す。
たかが分身一体であれば銃は不要。総弾数の多いH&K SFP9と言えど無駄な消費は避けたい。
対処は大田原にとって容易い。豚人間やヒグマの経験を合わせれば確実に排除できる。

アスファルトから暗褐色の右前足を持ち上げる寸前。その巨大な手に足をのせて腕を駆け上がる。
予期せぬ人間の動きに怪物は一瞬動きを止めるものの、すぐさま残る左前脚を駆け上がらんとする大田原へ振るわんとする。
だがそれより先に、大田原が腰から抜いた白銀が怪物の潰れた右目を貫いた。
腕の振るわれる寸前の紙一重。目ごと分身体の脳が抉られて只の幻影となり、現世界から強制退去させられた。

着地し、パンくずの役割を担う血の痕跡の方向――逸れた脇道へと顔を向ける。

「ヴウゥゥゥゥ……!」

そこは袋小路。その最奥にて手負いの怪物が歯を剥き、銃を片手に持って威嚇の唸りをあげている。
傍らにはリュックサック。周りには予備弾が転がっており、弾を詰め込む前にこちらが現れてしまったようだ。


372 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:50:50 9kDLOWPo0
正義執行。
それを成すべく銃を構えて唸り声を上げる獲物へと距離を詰める。
だが――。

「――――かかったな」

怪物の口角が釣り上がる。
同時に大田原の足元より現れる分身体のかぎ爪。
反応が僅かに遅れたが、分身体の出現か所を予測し、前方へと速度を殺さずに転がることで何とか躱す。
すぐさま体勢を立て直し、銃を後方へと向ける。
罅割れたアスファルトから両腕が這いだし、分身体が三メートルにも及ぶ巨体を表した。
同時に背後から聞こえる銃弾を装填する音。そして背後から向けられる殺気。

「おわりだ、とくしゅぶたい」

じりじりと距離を詰める分身体。ゆっくりと狙いを定める親玉。
最後の最後で弱肉強食の優劣は逆転し、怪物が再び王座へと返り咲いた。
獲物を追いかけていた狩人はもはや絶体絶命。その命を散らすまでそう時間はかからないだろう。

それが大田原源一郎でなければ、の話だが。

乗用車並みの速度で突撃を仕掛ける分身体。道幅が狭く常人ならば回避行動は不可。
後ろに下がろうにも待っているのは怪物の頭目。距離が縮めばその分だけ銃の命中精度が上昇する。
だが、大田原は敢えて突っ込んでくる分身体へ向けての前進を選ぶ。

「やぶれかぶれとはおろかな」

大田原の愚行を見逃さず、怪物の親玉は銃口を彼の巨体へと向けて引き金を引く、その寸前。

「――――なッ……!」

大田原が壁を蹴って跳躍する。三角跳びの要領で分身体の背に着地する。
既に引き金は引かれている。弾丸は寸分違わず分身体の頭部へと命中。衝撃が脳へと伝わり、偽りの肉体が消えゆく。
その直前、大田原の巨体が宙を舞い、体操選手もかくやというサマーソルトにて方向転換と有効範囲への接近を同時に行う。

「な……に……!?」

驚愕に目を見開く怪物。猟銃の引き金を引こうとするも、吐き出されるのは銃弾にあらず。カチリとした無慈悲な音のみ。
例え充分に弾丸が装填されたとしても大田原に命中することは決してないだろう。

地に足が付く。その寸前で大田原は未だ忘却の彼方にいる怪物へと銃を向け、発砲。
吐き出されたパラベラム弾が怪物の傷のない左目を貫き―――その異形をかき消した。

「―――――馬鹿なッ……」

衝動的に口をついて出た驚愕。大田原の思考が一瞬停止する。

手に持った物体を透明化させる極道の剣客。
硬質化した筋肉の鎧を纏う大男。
人ならざる巨大な異形へと変貌した豚人間。
水で作られた鍵を生み出し、ガレージへと命を賭して己を閉じ込めた少女。
ゾンビ軍団を率いて己に次ぐ実力を誇る美羽風雅をも走狗へと変えた少年。
最後の少年を除き、大田原が確実に葬り去った正常感染者達。

怪物の異能は少年――山折圭介と相似しているものと踏んで、親玉と思わしき個体を狙っていた。
その推察は誤りであり、知性を持った個体ですら分身であった。
だとするのならばこの木偶人形を操っていた存在はどこにいる。
動揺を抑えて冷静さを取り戻す。分身を生み出す異能者の正体を探るために行動を起こす僅かな空白。
その答え合わせは間を置かずに行われた。

「―――――!!」

背後から猛烈な速度で迫る異形。
顔に憤怒と喜悦の交じり合った表情を張り付けた怪物
それが腹部から腸をブラブラと揺らしながら時速一〇〇キロを優に超える速度で迫る。

「――――終わりだ、特殊部隊」

対応が遅れ、呆然としていた三秒にも満たぬ空白。
眼前で囁かれる流暢な囁き。
それを認識すると同時に大田原源一郎の巨体は轢き飛ばされた。




373 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:51:54 9kDLOWPo0
猟師と手を組んで召喚した分身共を軽々と屠った特殊部隊員。
その事実を目にし、無策での特殊部隊への対峙は己の死と同義と認識。脅威度は隠山及びひなたら猟師と同等と判定する。
だが、この地獄と化した山折村にて貴重な異能に目覚めていない人間であり、ある意味異能の吸収よりも優先的に捕獲すべき対象。
『七不思議のナナシ』を最後に怪談使いを生み出す力すら失った荒神たる己の力を取り戻すための鍵。
それを確実に無力化する為、独眼熊は一芝居打つことにした。

始めに生み出した"い号"分身体を自身の生き人形(アバター)と設定。親玉であるというリアリティを出すために銃を持たせる。
進化した自分と同じような発音をさせたがったが『ナニカ』を経由して命令を送る際に異能が劣化してしまうらしく、進化前の拙い喋りになってしまった。
そして、ハンティングに必要な分だけ分身体を生み出し、それぞれ罠とするため所定位置に配置する。

獲物を誘き寄せるための鹿笛は猟銃。
い号を狩人、自身を分身体と役割を一時的に入れ替え、おびき出した特殊部隊の前で分身体を操作して狩りという演目を実施。
分身を本体と徹底的に思い込ませるため、過去の己の愚行を分身体に行わせる。痛覚を失っていることを幸いに、より残虐に自身を嬲らせる。
その際、特殊部隊の注意をこちらに向かせぬように念を入れ、心臓の拍動を弱めて一時的な仮死状態に陥らせる。
そこから先は『ナニカ』のコントロールの元、い号を使い、自身のもう一つの異能を最大限に生かせる場所――袋小路へ特殊部隊を誘導する。
特殊部隊の注意がこちらからい号へと向き、距離が十分に離れたことを確認すると仮死状態から戻って自身も移動を開始。
袋小路へと追い込んだ際、より大きな隙を生み出すためにい号の視界を通して割れたコンクリート下に分身を召喚。
い号の視界が消えたと認識した瞬間に異能を発動。憎悪・憤怒を適度に爆発させて強化した肉体にて袋小路へと追い込んだ獲物へと突進。
歯車が一つでも狂えば忽ち水泡に帰す粗だらけの策。半ば賭けであったが、独眼熊の目論見は成功した。



大田原ら特殊部隊に支給された防護服。
防御性能は未来人類発展研究所の折り紙付きであり、防刃・防弾だけでなく耐衝撃性も従来の防護服を凌ぐ。
一般道を走る乗用車の衝突――時速六〇キロの衝突であれば非常に軽微なダメージまで軽減する。
だが、異能により強化された独眼熊の体当たりは中型トラックに等しい一撃。更に理性で制御し、本来の威力を半分以下にまで落とした一撃である。
結果として独眼熊の激突は科学の結晶を打ち破り、自衛隊最強の大田原源一郎に決して無視できないダメージを与えた。



激突する寸前、大田原は衝撃に備えて後方へバックステップした後に身を固めた。
その直後、怪物のぶちかましが大田原の巨躯を吹き飛ばす。
後方のコンクリート壁を突き破り、そのすぐ後ろの民家のガラス戸を破壊して反対側の道路へ水切りの要領で地を滑る。

「……くっ……フゥ……!」

肺が圧迫されて空気が吐き出される。受け身を取ってダメージを抑えたものの、仰向けの体勢を戻してすぐに立ち上がることは不可。
再び戦闘態勢へ移行するためにはおよそ三〇秒を要すると判断。その間に肉体の損傷具合を始めとした状態認を実施。
頭部は最優先で守ったため損傷なし。全身は防護服の性能によるものか、骨折はなく打撲や擦り傷程度で済んでいる。
だが、その衝撃は決して軽視できるものはない。息を整え、僅かでも休憩を挟まなければふらつきが起こるだろう。
次いで装備を確認。サバイバルナイフはナイフホルダーに確認。拳銃は―――なし。
大田原は装備を手放すという己の失態を恥じ、首を動かす。自身から十メートルに確認。
立ちあがり、銃を取るべく歩みを進めようとするが―――。

ズドンというナニカが落下した重低音。
大田原と拳銃の狭間。そこに現れたるは異形――独眼熊。
付いた鉄錆の匂いや酒精の匂いから大田原の位置を察知し、野猿の如き跳躍にて移動したのである。
ふらつき、呼吸を乱しながらも怪物を見据え、ナイフを抜構える。一嚙みすらできぬ窮鼠を前に独眼熊は嗤う。

「さあ、仕切り直しと行こうか」

そこから先はもはや語るまでもない。




374 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:52:36 9kDLOWPo0
もし美羽風雅がいれば、烏合と化した分身共を屠り、怪物本体すらも大田原と共に対処し、確実に葬り去っていだだろう。
もし成田三樹康がいえば、撒き餌を二人で難なく捌き、分身と同様に銃に弱い本体の足掻きもその狙撃術にて無力化し、確実に駆除できたであろう。
もし乃木平天がいれば、その危機管理能力の高さ故、分身が嬲った本体の頭部に止めの一撃を差し、確実に怪物の策をご破算にさせただろう。
もし広川成太いても、黒木真珠がいたとしても同じ。その後の結果はどうあれ、独眼熊は確実に仕留めていた。
しかし、そうはならなかった。
敗因はただ一つ。日本最強は、歴戦の勇士は、その圧倒的な強さ故ただ一人であったことに尽きる。



海洋の王者シャチ。逆叉という別名の他、「キラーホエール」という異名を持つ海の頂点捕食者である。
頂点と呼ばれる所以はその高い知能にある。彼らは遊びながら狩りを行うのだ。ただ獲物を狩るだけでは面白くないと理由だけで。
餌となる海豹を尾ヒレで何度も宙に打ち上げるなどで嬲り、弄び、散々遊びつくした後は海に引き摺り込んで肉を貪る。

独眼熊と大田原源一郎。彼らの現在の関係はシャチと海豹の関係にあった。
大田原の身体は何度も宙を舞い、振り回され、叩きつけられ、踏みつぶされる。
いかなる抵抗も悪足搔きにすらならない児戯と同等の意味しか持たない。
暫くして勝者の遊びが終わる。

「まあ、こんなもので良いだろう」

独眼熊の足元には大田原源一郎。四肢は全てあらぬ方向へと曲がり、手足は一部はぺしゃんこに潰されている。
ガスマスクのレンズ部分は吐血か出血か、べったりと真紅で塗りつぶされていた。
幼児が遊び壊した人形。その言葉で説明がつく有様であった。
だが、大田原は虫の息でありながらも生きている。

「ふむ、脳や心臓は潰れていないようだな」

大田原の巨体を仰向けに動かし、顔を近づけて独眼熊は様子を伺う。
独眼熊には目的がある。故に無力化するという意味も込めて死なぬように、壊れぬように丁寧に大田原を遊び壊した。
常人であれば防護服を纏っていようとも絶命しているであろう重傷。
生きながらえたのは極限まで鍛えた肉体か、鋼鉄の如き揺るがぬ気高く強い精神故か、時の運か。
否、どれか一つ欠けていたとしても大田原はヒトの形を保っただけの肉塊へと変貌していたであろう。
だが、それも最早苦しみを長引かせるだけであり、奇跡でも起こらない限り大田原はものの数分で死体へと変わる。

何を思ったのか、独眼熊は大田原の頭を守っていたガスマスクを力任せにむしり取る。
ブチブチと音を立てて金具と繊維が引き剝がされ、大田原の頭部が露わになる。
それは余程の運がなければ動く死体の仲間入りを果たす死刑宣告に等しい。

「ほう、日本の防人らしい巌の如き面構えよ」

両目から流れる血涙。鼻は潰れ粘ついた赤を垂れ流す。耳と口も同様。顔中のありとあらゆる穴から血が滴る。
まさしく悲惨の一言に尽きる。比較的無事な頭部でこの有様なのだから、首から下は更に悲惨な状況になっていることが容易に想像できる。
未だ意識を保ち、こちらへと敵意を隠さない四角い顔を眺め、独眼熊は感嘆の声を漏らす。

「しばし猶予をやろう。言い残すことがあれば聞いてやらんこともない」

目を細めて歯を剥いた笑顔の様な凶相を浮かべ、頭を勇士の顔へと近づける。
声を出すどころか呼吸すら苦痛であろう。それでも大田原は息を吸い込み、無防備に顔を近づける怪物へ向けて何かを吐き出す。
べちゃりと独眼熊の体毛に何かが付着する。それは粘ついた血の混じった淡であった。

「ク……ハハハハ。なんと気高い」

肉の健気な抵抗に怪物は嗤う。
滅私奉公。平和の礎となるならば己の死もやむなし。
大田原源一郎の精神は死を前にしても決して揺るがない。壊す覚悟以上に壊される覚悟などとうの昔にしている。
例えこの地で岩水鈴菜と和幸に行った拷問を受けたとしても、大田原は己が死ぬその瞬間――否、死んだとしても決して折れない。


375 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:53:03 9kDLOWPo0
「その強靭な心に免じて機会をやろう。せいぜい死なぬように気張れ」

大田原へ顔を近づけ、口を開ける。獣臭と共にベロンと長い舌を出す。
ナニカの異能『肉体変化』を使用。舌肉を細く細く変化させる。
蛭のような細さに変わっても変化を止めずさらに細く。数秒後にはハリガネムシの如き舌――血の滴る触手へと変貌する。
質量をそのままに変化させたことで長さも数倍まで伸びた。
伸びた触手を器用に操り、朦朧としながらも未だはっきりと己への敵意を向ける大田原へ――その右耳へと侵入させる。
侵入した触手は鼓膜を突き破り、中耳、内耳を通り過ぎ、右脳へと到達する。

「オ"……ヴ……ア"ッ……!」

頭蓋と脳の隙間に入り込んだ触手は目下の肉塊を決して傷つけぬように蛞蝓のように粘液を垂らしながら這いずる。
皺がなぞられる度に大田原の身体がビクンと跳ね、目と鼻から血を更に流す。
その様子を愉しみながら、『ナニカ』は幾度も凌辱を繰り返す。

「……これくらいで良かろう」

気が済んだのか、はたまたある程度の成果があったのか、独眼熊は大田原への凌辱を止めた。
触手を脳を傷つけぬように巻き取って脳から内耳、中耳、鼓膜まで戻る。そして巻き戻しのように肉体変化にて触手を元の長い舌へと戻した。
改めて未だ痙攣を続ける大田原の様子を確認する。

(ふむ。試みは成功……したか?)

山折村を襲った生物災害。細菌に適合しなければ、動く屍と化す史上類を見ない厄災。
医学を知らぬ獣と荒神の視診に過ぎないが、大田原の体温は失われておらず、ウイルスに適合したようだ。
運が大田原を生かしたのか、大田原は肉体を再生させる異能を身に着けたようだった。
その証拠に死に体であった大田原の身体からペキペキと骨が再生する音が聞こえ、土色であった彼の顔色が血色を取り戻し始めている。

(手応えはそこまで感じなかったが、脳に刺激を与えれば異能を目覚めさせることができるらしい)

最早己に血の通う存在に怪異を産み付ける力もなし。走狗を生み出す信仰も隠山に毟り取られた。
であるのならば未知――科学に挑むほかはない。次こそまぐれではなく、己の力で走狗を作り出す。

(では、異能に目覚めた特殊部隊の男はどうするか)

意識を失っていても異能により肉体を再生させ続けている特殊部隊の男。
以前――隠山らから敗走する前であれば、ためらわずに脳を喰らっていたであろう。
だが、無様な敗北が独眼熊から傲慢を消し去り、警戒心を植え付けた。

我にも天敵がいる。それは猟師であり、神楽であり、隠山一族。
例え己だけが力をつけても人間はそれを上回る策により翻弄し、死へと誘う。故に――

(こいつは生かしておこう)

放送が真実であるのならば怪異でも獣でもない特殊部隊は山折村の住人を忌まわしき隠山ごと葬り去ってくれるだろう。
例え志半ばで死んだとしても所詮捨て駒。その時は再び操り人形を作るか、肉体を捨てて他の正常感染者に乗り移れば良かろう。
尤もそう簡単にこの肉体を捨てる気は非ず、あくまで最後の手段。だが用心するには越したことがない。

(他の特殊部隊もこいつと同格かもしれん)

鬼神の如き強さを誇った眼下の大男。予想が当たっているのならば同じ策が通用するとは思えない。
まだ一回凌いだだけだ。勝利の余韻に浸ることなく、更に気を引き締める。
たまたま時の運で成功しただけ。独眼熊が余韻に浸るのは力を完全に取り戻したその時のみ。

(次は取るに足らぬと侮っていた山暮らしのメスを狙ってみるか)

狙うのは過去の失態。愚かであった己への決別とケジメを兼ねてターゲットを絞る。
異能により力をつけた己の怨敵はこの状況に適応し、更なる力を身に着けているかもしれない。
弱者へと身を落としてから知る人間の脅威。用心に用心を重ねなければこちらが狩られる。
傲慢を消し去り、衝動や怒りに任せた行動を戒める。準備を重ねて『猟師』として確実に仕留める。
そのためには銃を回収してからこの場を離れて身を隠し、手始めに分身を増やすことから始めてみるとしよう。
だが、その前に―――。

(まずは自傷を回復せねばな。いくら強靭な肉体とはいえ、血を流しすぎた)

そのための死肉はある。特殊部隊の男から判断するに肉塊は近くにあるだろう。
踵を返し、そちらへと身体を動かす。歩みを進める直前、眠る特殊部隊の男へと顔を向けた。

「貴様は我に歯向かった武士(もののふ)の中で一番強い。その強さに恥じぬよう、精々役に立て」


376 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:54:23 9kDLOWPo0


独眼熊(巣食うもの)は決定的な誤認識をしている。
確かに大田原源一郎はウイルスに適合し、異能に目覚めた。
しかし、それは彼らの所業によるものではない。
外気に触れた時点で大田原源一郎は僅か2%のギャンブルに勝ち、異能に目覚めていた。
人間の脳は歴史が生み出した数多の天才を以てしてでも未だ解明されない未知の領域。
それをたかだか半日前に知恵をつけた畜生と探求心の欠片もない悪霊如きが理解など未来永劫できる筈もない。
故に凌辱は意味を為さず、ただ彼らの自尊心を満たすだけの自慰行為に過ぎない。

また、大田原が目覚めた異能にも問題があった。
肉体を再生させる異能。それは合っている。だがその恩恵の代償は大きい。
肉体の再生速度を極限まで上昇させ、それに伴い肉体強度や反応速度も強化される。代わりに『人間』の血肉を求める。
異能の名は『餓鬼(ハンガー・オウガー)』。この地にて亡者と化した黒ノ江和真が得る筈だった異能である。
人間ではない、彼らすらも駆逐対象とする存在を生み出したことを露知らず、独眼熊(巣食うもの)は次なる実験対象を探す。

新たに生み出された厄災は生誕の時を静かに待ち続ける。

【C-3/高級住宅街/一日目・昼】

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染、意識混濁、全身粉砕骨折(再生中)、臓器破損(再生中)、全身にダメージ(絶大・再生中)、右鼓膜損傷(再生中)、右脳にダメージ(中)、異能による食人衝動(中・増加中)
[道具]:防護服(マスクなし)、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理
1.???
2.追加装備の要請を検討
3.美羽への対応を検討(任務達成の障害となるなら排除も辞さない)
※ウイルスに適応して正常感染者となり、異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』を取得しました。
※異能による肉体の再生と共に食人衝動が高まりつつあります。


377 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:54:50 9kDLOWPo0


『兄さんはただ意地っ張りなだけなんだから』




378 : Monster Hunter ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:55:12 9kDLOWPo0
「そら、見たことか」

独眼熊の眼下には見慣れた獣の名残。熊野風と呼ばれていたヒグマとそのトモダチのタヌキ。
特殊部隊に付着していた血の匂いから彼らが駆除されたことは何となく理解はしていた。

頭蓋を砕かれたタヌキ。
自分と同じように右目を抉られた熊野風。
愚鈍で出来の悪い獣とその友達。
共存などという世迷い事にうつつを抜かした末路がこれだ。

その死を嘲笑う『ナニカ』とぽっかりと穴の開いた己の心がせめぎ合う。
『ナニカ』は傷を治すために早く喰らえと極限の空腹状態に陥らせ、捕食を急かす。
だが、『独眼熊』としての何かがなかなか行動へと移らせない。
涎がだらだらと流れ、地面に水溜まりを作る。

仕方なく、大顎を開けてタヌキの遺体をまるごと口に入れる。
バキバキと骨が砕ける音とぐちゃぐちゃと肉が潰れる音が木霊する。
その血肉を一つ残らず栄養へと変換し、左目の修復へと充てる。
金輪際、熊の言葉を介するタヌキは生まれぬだろう。

そして、治った左目でかつて面倒を見ていた小熊を見る。
蜂蜜が大好きで人間の様な気色の悪い笑顔を見せていたオス。
救いようのない姿で屍を晒した阿呆。
その笑顔をもう二度と拝むことはならず、くだらない話を聞くことはない。
彼が入れ込んだ"うさぎ"とやらが彼を見ればどうなるだろうか?
眼から汁を垂れ流して、石の下に彼を埋めるのだろうか。
それとも、彼の身体を解体し、火に通して貪るのであろうか。
その行動の意味を理解できないし、するつもりも毛頭ない。
故に、独眼熊は彼なりの弔いを行う。

「…………悪く思うなよ、風」

"うさぎ"という人間のメスから与えられた忌み名。
兄と慕う己にも呼んで欲しがっていた彼の固有名称。
終ぞ呼ぶことのなかったその名を呟き、彼の遺体へと口をつける。

暫く後、獣二匹が転がっていたところから独眼熊は去る。
残っていたのはそこで何かか死んでいたであろう血痕だけであった。

【C-3/高級住宅街・道路/一日目・昼】

【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生とそれによる自我侵食、知能上昇中、烏宿ひなた・犬山うさぎ・六紋兵衛への憎悪(極大)、犬山はすみ・人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、猟師・神楽・犬山・玩具含むあらゆる銃に対する抵抗弱化(極大)
[道具]:ブローニング・オート5(5/5)、予備弾多数、リュックサック、懐中電灯×2
[方針]
基本.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
1.己の慢心と人間への蔑視を捨て、確実に仕留められるよう策を練る。
2.準備が終わり次第、"山暮らしのメス"(クマカイ)と入れ違いになった人間の匂いを辿り、狩りに行く。
3.異能に目覚めた特殊部隊の男(大田原源一郎)は放置し、人間の数を減らさせる。
4.神楽春姫と隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼし、怪異として退治される物語を払拭する。
5."ひなた"、六紋兵衛と特殊部隊(美羽風雅)はいずれ仕留める。
6.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
7.特殊部隊がいれば、同じように異能に目覚めるか試してみたい。
[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じことができるようになりました。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※銃が使えるようになりました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。
※脳を適当に刺激すれば異能に目覚めると誤認しています。


379 : ◆drDspUGTV6 :2023/08/08(火) 20:55:50 9kDLOWPo0
投下終了です。


380 : ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 21:43:06 aIw84qOo0
投下乙です

>Monster Hunter

在りし日の山の様子、動物たちにも複雑な人間関係ならぬ動物関係があったんだなぁ
けど野生のクマに餌付けしちゃダメだようさぎちゃん!
そんな彼らもゾンビ化してあっさりと殺されてしまうのも寂しさがある

負け続きのナニカ&独眼熊さんもついに最強の敵相手に大金星
大田原さんは流石の強さだったけど、敗北を積み重ねて慎重さを覚えた相手の方が一枚上手だった
独眼熊もスペック上は非常に強いですからねぇ、それが生かせればそら強いよ

適合して異能に目覚める特殊部隊がいつか出るかもとは思っていたけど、まさか大田原さんになろうとは!
ただですら強いのに鬼に金棒すぎるけど、代償も大きい。果たして大田原さん的にそれは容認できるのだろうか


それでは私も投下します


381 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 21:45:58 aIw84qOo0
山折神社から下った山道脇には青々とした木々に囲まれた森林地帯が広がっている。
周囲を山々に囲まれた山折村ではあるが、参道へ繋がる道のりであるためかその森はどこか神聖な雰囲気が漂っていた。
それはこの有事においても変わらず、木々の隙間から零れ落ちる柔らかな光が降り注ぎ、静謐な空気を保っている。

山折村の鏖を目論む魔人、八柳藤次郎との激闘を終え、心身ともに疲弊した哉太たちは人目を避けて森林の中を進んでいた。
彼らの姿は深い木々に隠れており、そう簡単には見つけられない、隠れ進むにはうってつけの地形である。
見つけられるとしたら上空を飛び回るドローンか鳥くらいのものだろう。

「ありがとな。とりあえずもう押さえとかなくても大丈夫そうだ」

そう言って先を進む哉太が真後ろにいるアニカに礼を述べた。
その言葉を受けて傷口を固定していたアニカが自らの異能を解く。
異能の精密動作にはそれなりの集中力を要したのか、アニカが息を吐いて首元の汗をぬぐった。

切り落とされた哉太の腕も最低限は繋がった
辛うじてだが指の感覚があるのが分かる。
とは言え、まだ無理に動かせるような状態ではない。
しばらくは安静にしておく必要があるだろう。

薩摩に吹き飛ばされた茶子の左肩も、撒かれた包帯の力によって回復しつつあった。
はすみの異能によって祝福された包帯は回復を促進する。
欠落した肉が蠢いているのが感覚的に分かる程だ。
殆ど千切れたも同然だった左腕が快復しつつあった。

いずれも現代医学をもってしても回復するかも怪しい重症だった。
それがこれほど短時間で快復するなどありえない事だ。
異能とは常識を覆す力であると改めて実感させられる。

アニカもしばらく安静にしていたおかげで夾竹桃の毒による中毒症状もそれなりに回復してきたようだ。
全員の状態がある程度落ち着いたところで、アニカが足を止める。

「そろそろ聞かせてもらうわよ。Ms.チャコ。あなたからは聞きたいことが山ほどある」

その言葉に全員の足が止まる。
アニカがまるで敵でも見るような鋭い視線で茶子を睨み付けた。
疑いを持っている事を隠しもしないその様子に、闘争でも始めるかのような剣呑な気配が漂う。

「…………けんか?」

不安そうな声でリンがきょろきょろと二人を見つめる。
周囲の気配に子供は敏感だ。
特にリンは大人にとって都合のいい子供として調教された少女である。
大人の機微を読み取ることに関しては天才的と言っていい。

「大丈夫よ、リンちゃん。心配しないで」

不安を滲ませるリンを安心させるように柔和に笑い優しい手で頭を撫でる。
そして厳しい視線を向けるアニカを受けて立つように向き直る。

「いいわよ。答えましょう。何なりと聞いて」

質問に応じるのは包帯を貸与する条件である。
包帯の効果は本物だった以上、この申し出を拒否もできまい。

「I'll listen to you.アナタは研究所とどういう関係なの?」

探偵は重要参考人に向かって直球に質問をぶつける。
山折村を襲ったバイオハザード。
元凶たる研究所の一端にようやく手がかかった。


382 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 21:49:17 aIw84qOo0
「私は、未来人類発展研究所に雇われたアルバイトよ。
 研究所を探る外部からの人間を調査して報告するのがお仕事、草の者ってやつね」
「なんで、茶子姉がそんな事……」

哉太が痛みを堪える様に表情を歪め絞り出すように問う。
分かっていた事とは言え、慕っている姉弟子の口から村をこんなにした連中との繋がりが語られるというのはやはりショックが大きかったようだ。

「目立たないと言う意味で地元民が都合よかったんでしょうね。その上腕が立って有能な人間なんて私しかいないでしょう?」
「Just a second.それは研究所側の事情でしょう? アナタが研究所に協力している理由は何?」

自らを持ち上げ茶化した様子で茶子が言うが、アニカはそのノリには付き合わず冷静に問い詰める。

「そりゃあもちろん、公務員の副業も解禁されて、ギャラもよさそうだったから」
「茶子姉…………」

なおも軽い調子で続ける茶子を哉太が縋るような子犬のような瞳で見つめてくる。
流石に哉太も茶子が質問を曖昧に煙に巻こうとしているのに気づいたようだ。
その視線に、ため息交じりに茶子が呟く。

「……わかったわよ」

茶子の中には哉太に対する罪悪感がある。
アニカが論理的に詰めて、哉太が感情的に訴えかけてくる。
哉太は意図していないだろうが厄介な連係プレーだ。
元より誤魔化しきれるとも思っていなかったが、茶子は諦めたように佇まいと振舞いを正した。

「心配しなくとも別に研究所に賛同して協力してたという訳ではないわ。
 研究所に近づいたのはあくまで私の目的のために研究所を利用できると思ったからよ」

それを聞いて哉太がひとまず胸をなでおろす。
少なくとも心から研究所に付き従っていると言う訳ではなさそうだ。

「つまり体だけの関係、心まで預けたわけではないってことよ」
「茶子姉。言い方」

真剣な表情のままふざけたことを言う、いつもと変わらない哉太の知る茶子だ。
だが同時に、先ほどの魔での藤次郎に憎悪をぶつけた時のギャップに複雑なものを感じてしまう。
何が彼女をあそこまでの憎悪に掻きたてたのか。

「in the first place.アナタはどうやって研究所の存在を把握したの?」

村民には秘密裏に行われている研究である。
接触しようにも権力者か関係者以外はそもそも知りようのないはずだ。

「元々役場勤めで村に出入りする人間や不審な物資の輸送なんかはある程度把握できたからね。
 そこから仲介屋に当たりを付けて接触したの」

村の人流や物流を管理する役所勤めの強みだ。
表ざたに出ないような不自然な動きがあればすぐに察せられる。
だが、それで正体不明の組織に接触するなど、傍から見てもかなりリスキーな行動だ。

「教えてくれ、そこまでして成し遂げたい茶子姉の目的って何なんだったんだ?」
「この村をよくしたい、それだけよ」

淀みなくハッキリと答える。
それは茶子の偽らざる本音である。

鋭い洞察力を持つアニカから見ても今の発言に嘘は感じられない。
だが、アニカの中に僅かな違和感があった。
嘘はないが、小さく何かが引っかかる。

「よくするって、どうやってだよ?」

目的は手段を正当化しない。
目的がどれだけ素晴らしくとも、問題はその手段だ。
藤次郎のように、その方法が全てを穢れとして滅するなどと言う強硬策であったとしたらとても容認できない。

「大丈夫よ。あの爺みたいに何もかも滅ぼす何て極端な真似はしないわ」

もはや茶子は藤次郎への憎悪を隠しもしない。
実孫の哉太としては辛いところだ。
祖父の凶行を目の当たりにした今となっては弁明の言葉もないが、同時にあれほどの狂気に捕らわれた祖父を哀れに思う心もある。
だからこそ、祖父が何に捕らわれ、祖父と姉弟子の間に何があったのかを知りたい。

「この村を食い物にする闇や腐敗を撤廃する。そいつらを見つけ出して叩き潰すだけ。
 私はこの村が好き。お義父さんやお義母さん。哉くんや碧ちゃん、はすみたちのことを愛しているわ」

茶子はこの村を深く愛している。
助けてくれた虎尾家の両親には感謝しているし、共に育った友人たちや、かわいい後輩たちが好きだ。
育んでくれたその土地への感謝。四季折々の美しい風景。互助関係から成り立つ田舎ならではの温かい人々との交流。
自分を受け入れてくれたこの村を愛している。

「けどね。だからってすべてを受け入れられるわけじゃないの。
 嫌いなところはあるし、許せないこともある」

茶子はこの村を深く憎んでいる。
救われない子供たちを産み落とし、多くの罪なき者を蹂躙し闇に沈めた。
周囲から隔絶されたこの土地は様々な犯罪の温床なり、多くのモノを喰い物にする人ならざる悪鬼どもをのさばらせている。
自分を壊して穢したこの村を憎んでいる。


383 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 21:52:43 aIw84qOo0
彼女の中には山折村に対する狂おしいほどの愛憎があった。
悪性の腫瘍だけを排除して憎悪の根源を一掃すれば、愛するだけの村になる。

「ほら、好きな男には悪いところを直してほしい物でしょう。私のがしたいのはそういう事」
「I mean, isn't it a woman's magnanimity to love even the imperfect parts?」
「あら、言うじゃない。けどそれも限度があるって話よ」

珍しくアニカが全文英語で反論している、哉太には意味は理解できなかったが、何か当て擦りが行われている事だけは分かった。
目の前で繰り広げられる気の強い女の攻防に、少年は黙るしかない。

「So? その目的と研究所のpart timeがどう繋がるのかしら?」

アニカが話を戻す。
むしろ研究所は村をこんな惨状にした排除すべき邪悪だ。
そこに属することはむしろ目的に反しているようにも思える。

「その辺の監視も含めて、よ。まあ……こうなるのを防げなった時点で説得力はないかもしれないけど」

つまり茶子は研究所のために不穏分子を監視すると同時に、研究所が不信な動きをないか監視るための二重スパイのような物だった。
研究所の研究成果が村に被害をもたらすのを防げなかったのは茶子からしても忸怩たる思いである。

「含めて、という事はprimary purposeは別にあるのでしょう?」

アニカは細かな言動を見逃さず、追及を続ける。
何より、研究所の監視と言うのは自分の目的のために利用するという最初に語られた話と一致しない。
自ら接触するに足る別の目的があるはずである。

「ええ、そうね。私が研究所に接触したのは、奴らがそれなりに巨大な組織だったから。
 村の闇を一掃して綺麗にするには、まず村のゴミの散らかり具合を把握しないといけないじゃない?
 けれど、それがどこまで根深く、どこまで広がっているのか私個人では調べようがなかった」
「I see.個人で調べられないのなら、すでに知っている可能性の高い組織を利用しようと考えたのね」

この村に蔓延る闇の根は深く個人で調べるには手に余る。
ならば、蛇の道は蛇。その闇に近く、力のある組織を利用すればいい。
研究所がこの地に根を張るのならば、その地に纏わる厄ネタを事前に調査しないはずがない。

村内の知っていそうな人間に尋ねるという手もあったが。
老人連中は闇の当事者である可能性があったため迂闊に尋ねる訳にもいかなかった。
藤次郎は元より、村長を筆頭とした村の重鎮たちも何に足を踏み込んでいるか分かったものではない。
その点、研究所は新興組織、少なくともこの村に対するしがらみは少ない。

「もちろん私も研究所が全てを知ってるとは思ってないわ。あくまで情報源の一つとして利用していると言うだけよ」

闇を探る茶子の手は多方面に伸ばされている。
研究所だけではなく役所勤めもの一環だ。

「…………convinced.アナタが研究所に同意して付き従っている訳ではないことは信じましょう」

アニカはそう言う。
心の底から信用したというより話を進めるために必要だから認めたという風だ。
それはお互いに分かっている。だからこそ口にはしない。

「当面の私たちの目標はこのZombie panicの解決。そこに関してはobjectionないわね?」
「ええ。そうね」

このバイオハザードの解決。
それは村の壊滅を目論む藤次郎や、混乱を利用して己の欲望を満たさんとする気喪杉のような例外除けば巻き込まれた人間全員の共通目標だろう。
そこは茶子としても同じである。

「それじゃあ、アナタが研究所から得たその情報を教えてもらうかしら」

そしては聞き取り調査はここからが本題だ。
彼女が得た情報の中に、事件解決に繋がる何かがあるかもしれない。

「今更機密保持もないけど、その辺は私としてもそれなりに苦労して手に入れた情報なんだけど」

情報を得るために1年間。
自分の有用性を売り込むために雑用から用心棒まで、それこそ声高にはできない非合法な事だってやった。
この村の闇を払うためにより深い闇へと足を踏み入れて、信頼貯金を貯めてようやく得た情報である。
包帯を貸与された対価としては些か払い過ぎな気もするが。

「あら。アナタは私のbrainを利用したいんでしょう? そのためにはInputが必要だと思うわよ」

アニカたちを利用しようとしている茶子の思惑など見抜いといるぞと告げると同時に、自らそれを利用してきた。
恐るべき機転のよさ。それこそが、アニカが茶子にとって有用であるという証明である。
互いの利害は一致した以上、話さざる負えない。


384 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 21:54:49 aIw84qOo0
「……わかったわ。けど、ここから先は、哉くんは聞かない方がいいかもね」

そう言って、警告するように哉太に視線を移す。

「どういう意味だ……?」
「哉くんが今の学校を卒業してどうするつもりかは知らないけど。
 もし、この村に戻って生きていくつもりなら、知らない方がいい事実もあるって事よ」
「聞かせてくれ」

哉太は迷うことなく即答した。
そもそも迷う余地などない。

「茶子姉が何を抱えているのか、爺さんがどうしてああなったのか。俺は知りたい、知らなくちゃダメなんだ!」

強い決意をもってそう宣言する。
もはや彼方にとってこの事件は巻き込まれただけの他人事ではない。
祖父を狂わせ、姉弟子を悩ます何かがあるのなら知る必要がある。
その熱意に押し負け、茶子は諦めたように少しだけ目を伏せた。

「………わかった。できれば、哉くんには知らずに居てほしかったんだけど」

姉弟弟子の間で話はまとまったようだが、傍からそのやり取りを診ていたアニカは今のやり取りに違和感を覚えていた。
先ほどと同じ、何か小さな、喉に小骨が引っ掛かったような小さな違和感。
それが何なのか掴み切れないが、今のやり取りは何かがおかしかった。

「場所もちょうどいいし、少し移動しましょう。説明はそこでするわ」

だが、それを追求する間もなく、茶子が森林から山中へと移動して行った。
アニカたちもそれを追って、けもの道を歩き始めた。



茶子に案内されてアニカたちがたどり着いたのは山腹にある『穴』の前だった。

繁茂する山林の奥深く、蔦が絡みく古い木々の隙間にその穴はあった。
草木がその周囲を避けているかのようにぽっかりと穴が開いており、まるで木々たちがそこに在る何かを拒んでいるようである。

浮かび上がってきた入り口には岩が無造作に積み上げられており、その奥には暗がりが覗いている。
岩肌には青みがかった苔や、埃っぽい土がこびりついており、積み重ねられた時の流れを感じさせた。

その入口は黒黄色ロープによって封じられており。
ロープには掠れた文字で「立ち入り禁止」と書かれた朽ち果てた木板が吊り下げられている。

朽ち果てているがその横穴は明らかに人工物である。
少なくとも動物の巣や、自然と出来たただの横穴という事はなさそうだ。
不気味な沈黙がその中から漂ってきて、森の中に立ち込めている自然の物とは対照的に、何か異次元的なものを予感させる。

「廃炭鉱……?」

その寂れた入り口を見つめながら、アニカが疑問を漏らした。
山中にある横穴にアニカはまず炭鉱を想像した。
だが、この周囲の山で鉱物が取れるなどと言う話は聞いたことがない。

「さあ、入りましょう」

茶子が異世界への案内人の様に、寂れた雰囲気が漂う洞窟の前に立つ。
立ち入り禁止のロープを上に押しのけ、深い暗がりが広がっている洞窟の中に足を踏み入れた。
無邪気にリンがそれに続き、哉太も大して躊躇うことなく洞窟へと入って行った。

一人取り残されたアニカは闇の先を睨み付ける。
この先に、どのような秘密が待ち受けているのだろうか。
謎が待っているのならば、踏み込むのが探偵だ。
アニカは闇に向かって足を踏み入れた。




385 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 21:56:48 aIw84qOo0
「うわぁ、ひっろぉぃい…………っ!!」

ただっぴろい空間に少女の声がこだまする。
広い空間があれば駆け回らずにいられないのは犬と子供の本能なのか。
目の前に広がる空間に向かってリンはパタパタと走り始めた。

「あんまり奥の方に行かないようにねぇーっ!」
「はーい!!」

互いの大声が反響する。
炭鉱のような入り口を進んだ先にあったのは何もない空間だった。
位置としては神社の真下辺りだろうか。
入り口からの僅かな光源しかないはずなのに、洞窟内は妙に明るい。

茶子によって案内されたこの謎の空間に驚いているのはアニカだけだ。
事態をよくわかっておらず無邪気に喜んでいるリンはともかく、哉太も当たり前のように受け入れている。

「カナタ。ここは何なの…………?」
「何って言われても、大空洞だけど?」

戸惑うアニカとは対照的に、哉太はあっさりと答える。
ここは村の子供たちなら誰でも知ってる定番の遊び場だ。
立ち入り禁止にされているが、悪ガキたちはそんなルールを守らない。
かく言う哉太も圭介たちと忍び込みよく遊んだものである。

「What! そんな物があるなんておかしいわ!」

だが、村の人間にとっては当たり前でも、外の人間から見れば異常な空間だった。
そこに在ったのは炭鉱でもなんでなく、巨大なアイスクリームディッシャーで切り抜かれたような空洞だけが広がっている。
下手なドームよりも広い、明らかに自然にできた空間ではない。
だが、かと言って何か目的をもって作られた空間にも見えない。

「…………わざわざ連れてきたという事は、アナタはここの正体を知っているのよね、Ms.チャコ?」

要領を得ない哉太から茶子へと質問の矛先を変える。
茶子は大空洞の奥へと一歩踏み出し、アニカたちを振り返る。
ぽっかりと切り取られたような空間を背にして、その空間自体を示すように自由な右手を広げた。

「ここが――――第二実験棟跡よ」
「第二実験棟?」
「そう。戦時下に行われていた旧陸軍の秘密実験場よ」

不穏な響きに哉太が眉を顰める。

「hang on! あなたはそんな話をどこで知ったの?」

アニカが声を荒げる。
探偵は情報そのものではなく、それをどうやって得たのかと言う背景を問うた。
研究所の情報を聞けると思っていたのに、まさか旧陸軍の情報が飛び出してくるとは思いもしなかった。


386 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 21:58:59 aIw84qOo0
「――――――ヤマオリ・レポート」

そして、その名を告げる。

「…………確か、爺ちゃんに対してもそんな事を言ってた」

罵詈雑言のように向けられた言葉の中にそんな単語が含まれていたことを思い出す。
そして、こう言っていたはずだ。
そのレポートは未来人類発展研究所に保管されている、と。

「協力者の報酬として、アナタはそのreportを見たという事ね」
「ええ。実験の詳細データに関しては長い月日で紛失したのか、あるいは何者かによって焚書にされたのか、存在しなかった。
 けれど、旧陸軍軍医中将、山折軍丞が自ら残した報告書だけは別の所に保管され残存していた」
「山折?」

登場した山折の名。
この村が関する名前にして、この村を収める村長の名字である。

「そ。圭ちゃんのひいひいお爺ちゃんね」
「wait a minute! 軍医中将と言えば軍医のtopよ。そんな人間が報告書を手ずから残した?」

将官は軍司令部で報告書を受け取る立場である。
ましてや戦時中の将官は殿上人と言っても過言ではない。
現場に赴き、自ら報告書を認めるなど、そうあることではないだろう。

「元々この土地の権力者だった軍医中将が、自分の故郷を実験場に提供したってわけ。
 山によって外界から隔離されたこの村は秘密の実験をするのにうってつけな環境だった。
 そして地元住民の協力を取り付けるのに軍医中将が直接指揮を執るのは必須だった。
 山折軍丞としても地元を差し出している以上失敗はできない。直接赴いたとしてもおかしくはないでしょう」

報告書でも読む様に淡々と続ける姉弟子を哉太が制止する。

「待ってくれ茶子姉! その言い方だと……村が総出でその研究に協力していたように聞こえる」
「そう言ってるのよ哉くん。この実験に関しては村全体が共犯者だった」
「そんな…………いや、けど、そんな話聞いたことがないぞ」

この村で生まれ育った哉太ですらそんな話は一度も聞いたことがない。
村全体が関わっていたのならばそんなことはありえないはずだ。
その疑問に答えたのは茶子ではなくアニカだった。

「Naturally.80年近く前の話なんだからカナタが知らなくても無理はないわ。
 ちょうど当時を知る人間がいなくなるcycleでしょうしね」

実験があったのは第二次大戦中、80年近くも前の話である。
村人全員が口を噤めば知る者が鬼籍に入っていなくなる時期だ。
それにしたって決して口を割らない一枚岩の結束がなければ不可能なことではあるが。

「ともかく。backgroundは理解したわ。それで、ここで具体的に何が行われていたの?」

切り取られた様な不気味な空間。
こんなところでどのような実験が行われていたというのか。


387 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:00:13 aIw84qOo0
「この研究棟では異世界について研究されていた、らしいわよ」
「異世界?」
「そ。戦時中の物資不足を解消するための、新たな土壌を開拓するためと言う名目らしいわ」

あまりにも突飛な話が飛び出してきた。
だが、あくまでレポートを読み上げる淡白さで茶子が説明を続ける。

「ここでは異世界に繋がる次元の壁、異界を繋ぐ門を開く実験が行われていた。だけど」
「…………だけど?」
「実験中に起きた事故によって実験棟ごと消滅した。第一実験棟から出た破棄物と一緒にね」
「つまり、その事故のimpactで出来たのが、この大空洞という事?」

空間ごと刳り貫かれたような巨大な洞。
異世界に繋がる次元の扉を研究していた研究棟の実験事故。
異次元に飲まれたとでもいうのだろうか。

「そう。それ以来この大空洞付近の次元が特定の条件下において不安定になることがあるようになったらしいわね。
 人や物が消える『神隠し』が起きたり、逆に向こうからの『漂流物』が現れたりね」

人が異世界に飲まれる。
あるいは向こう側の生き物が現れる事もあったのかもしれない。

「そう言や聞いたことがある。圭ちゃんの叔父さんが昔『神隠し』にあったって…………!」

哉太が思い出したようにつぶやく。
哉太たちが生まれるよりはるか前の事件だが、村長の弟が神隠しにあって消えたと言う話は圭介から聞いたことがある。

「ambilibabo.信じがたい話ね。あまりにも常識から外れすぎている」
「同感ね。このレポートを読んだ当初は戦時の狂った軍部の妄想だと思ってたわ」

茶子だってレポートに書かれていた全てが真実であるとは思っていなかった。
狂った軍部がそういう実験を行っていたことが事実だったとしても、実験内容に関しては眉唾だ。
だが、異能などと言う超常的な力が溢れる今となっては、異世界の一つや二つ程度、あり得ないと否定することもできなくなってしまった。

「ついでに言えば、この仕組みを利用して商売を始めたのが蛇茨の爺様。
 実験で出た廃棄物の処理を任されていた蛇茨家の当主がどういう経緯だったかまでは知らないけれどその偶発的な条件を知った。
 そして、それを死体や廃棄物の処理に利用し始めたの」
「…………マジかよ」

哉太からすれば蛇茨の一族も子供の頃からする地元の良き隣人だ。
そんな人間が非合法な死体の処理をしていただなんて、覚悟をしていたが次々と明かされる事実にくらくらしてきた。

「そんなことまでreportに書かれていたの?」
「いんゃ。この辺は蛇茨のお嬢から直接聞いたのよ」

闇を知るための情報源の一つ。
情報を得るために、前当主の急死により代替わりしたタイミングから蛇茨の現当主と交流を重ねて仲を深めてきた。

彼女がこの仕事を辞めたがっていたというのも大きいだろう。
『神隠し』の具体的な条件までは聞き出せなかったが、蛇茨家にとっては絶対に漏らしてはならない秘中の秘であるこの秘密を洩らした。


388 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:02:47 aIw84qOo0
「それで、『マルタ実験』ってのは何なんだ? その異世界の研究の事なのか?」

哉太が訪ねる。
あの時、茶子が祖父に向けて告げた言葉。
祖父の動揺を誘った、歪みの原因と思しきキーワード。

「それは違うわね。こっちじゃなく今でいう所の診療所の地下、第一実験棟で行われていた実験の通称よ」
「that means.731部隊のようなことが、この村で行われていたという事かしら?」
「ええ。そういう事よ」

明かされた事実にアニカが僅かに顔を青くした。
だが、一人ついていけていない哉太は一人首をかしげる。

「731部隊って?」

哉太が問いを投げる。
その問いに、アニカと茶子が表情を険しくした。
無知を責めると言うよりは、説明を躊躇っているような顔である。

「……731部隊というのは、戦争中に日本が秘密裏にoperationしてた部隊で、細菌兵器の研究・開発機関の事よ」
「秘密部隊に細菌兵器…………」

アニカの説明に現状と重なる単語が出てきた。
その先を茶子が引き継ぐ。

「マルタとは731部隊における人体実験の実験体を示す隠語なの」
「なっ…………!?」

哉太が言葉を失う。
つまり、この地で行われていたマルタ実験とは人体実験の事を示しているという事だ。
731部隊ですらこのような実験は国内で行うことはできないと海外を拠点としていた。
もし仮に本当に国内で行われていたとするのなら、それ以上の厄ネタだ。

「So? 第一実験棟では何を研究していたの?」

投げかけられた問いに、茶子は答える。
人体実験まで行い何を研究していたのか。

「第一実験棟で行われていたのはズバリ、『不死の兵隊』の研究」
「『不死の兵隊』?」
「名目は言うまでもなく大国の物量に対抗するための兵力の確保。
 死なない兵士をテーマに死者の蘇生や不老不死を研究していたらしいわね。
 生体再生の研究のために意図的な傷害を繰り返したり、当時としては最先端の遺伝子改変なんかも試みられていたそうよ。
 後は集団疎開児童の脳みそをケーキ見たいに解剖したり、新兵の死体なんかも使って死んでも動くゾンビのような兵隊を作ろうとしたとか」

聞くだけで気分の悪くなってくる内容だ。
だが、ゾンビと言うのはまたしても現状との奇妙な符合である。

もしそんな非人道的な行いに村中総出で協力していたとしたらならば、歪みと断ずるのも理解できる。
ましてや藤次郎からすれば、祖父母世代、下手をすれば自分の親が関わっていた可能性すらあるのだ。
むしろ高潔であるほど許し難い事実であったのかもしれない。


389 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:04:39 aIw84qOo0
「けど……そんな出来もしない非人道的な実験に村全体が協力していただなんて」
「非科学(occult)や実現不能な夢物語(delusion)に奔るのは戦争末期にありがちな狂気の産物ね」

実現不能な妄執に多くの命を犠牲する。
それこそが悲惨な戦争の一端である。

「出来もしない? 本当にそうかしら?」

だが、これを否定する声があった。

「どういう意味かしら?」
「レポートの最後にはこう書かれていたわ」

『一九四五 〇八 〇六 ■ ガ 降臨 サレタリ 。 ■■ 亜紀彦 軍曹 ノ 蘇生 ニ 成功 セリ』

「何分古い資料だからね、一部は掠れて読めなかったけれど、確かにそう書いてあったわ」

1945年の8月6日。
日本人なら誰でも知っている日だ。
広島市への原子爆弾が投下された日である。

「成功したってのはどういう事だ?」

それが真実だとするならば不死の兵士が生まれたと言うことになる。

「さあ? 少なくともレポートに以後の記録はないわ。その後すぐに終戦しちゃって研究も止まっちゃったんでしょう」

敗戦を決定付ける被害と同時に生まれた研究成果は活用されることはなかった、と言う事だろうか。

「だったら研究所はその研究を引き継いだって事か?」

随分と遠回りしたが、ようやく研究所に話が繋がった。
ゾンビに、異能と言う力。
この村の現状こそ不死の兵隊が軍靴を鳴らす地獄そのものではないのか。

「異能やその類のもの関するreportはなかったの?」
「少なくとも私の確認したレポートの中にはなかったわね」

実験詳細は焚書にされているため不明だが。
少なくともレポートに残された実験の概要には書かれていなかった。
その点だけは今回の事件と異なるようだ。


390 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:05:58 aIw84qOo0
「after all.研究所は何をしようとしているの?」

山折部隊の研究には戦時という理由があった。
では未来人類発展研究所の研究は何のために行われているのか?

「お題目だけは聞かされているわ。曰く――――――世界を救う新薬の研究だそうよ」

世界を救う。
思いのほか大きなお題目が飛び出してきた。
組織が掲げるお題目などそんなものなのかもしれないが。

「世界を救う? どうやって?」
「悪いけど、それは知らない。これは本当。
 具体的にどういう研究が行われていたかまでは私の立場では把握できなかった」

茶子は立ち位置としては末端も末端。
どれだけ探りを入れようとも、研究所の最奥に触れるにはまだまだ信頼が足りなかった。

「研究を引き継いでるってんなら不死の兵隊とかじゃないのか?」
「That's not right.おそらくそれは違うわ」

哉太の意見をアニカが否定する。

「まず第一にMs.チャコの報告から異能らしきinformationがどこにも出ていない。異能を持つ兵士を作ろうというのならばこれはあり得ない」

現時点のこのバイオハザードにおける最大の特異点。
感染者が目覚める異能という力。
戦力しての兵隊作成を目的とした研究でこれに触れないという事はあり得ない。
それはつまり当時の研究では異能は関わりのない項目であったという証左である。

「第二にZombieの扱いの違い。先の研究では死したまま動くZombieは成功例、対して今のVHではZombieのようになるのはウイルスに適応できなかった失敗例よ。まるっきり逆だわ」

目指す先が異なっている。
何より成功例たる正常感染者たちは殺されれば死ぬ。
不死者ではない。

「Above all.その研究の内容まで引き継いでいるのなら、アナタに簡単に情報を漏らすはずがない」

過去にこの村で行われていた非人道的な実験の情報。
村にとっては禁忌とされる情報でも、研究所にとってはどうでもいいからこそ簡単に開示した。
研究所にとって重要な研究内容に関しては秘匿を徹底していることからその差は明らかだ。

「けど、まるっきりirrelevantだとも思わない」

わざわざこの村を選んで研究をしているからには何か意味があるはずだ。
その意味こそがこの事件を解決するための重要なファクターになるのかもしれない。


391 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:09:40 aIw84qOo0
「ともかく、私から話せるこの村と研究所の繋がりはこんな所よ」

導き出される結論はどうあれ、渡せる材料は渡した。
どう料理するかアニカ次第だ。

「waited! アナタにはまだ話していないことがあるんじゃないの?」

だが、話を終えようとした茶子に待ったがかかる。
藤次郎が凶行に至った理由の一端は理解できた。
だが、その藤次郎に茶子が恨みをぶつけて殺害した理由は明かされていない。

「ええ、勿論あるわ。けど勘違いしないで。
 私はあくまで包帯の対価として、この事態の解決のために必要な情報を提供しただけ。それ以上のことは話すつもりもないわ」

あくまで研究所の引き起こしたバイオハザード解決のために研究所の情報提供を行っただけである。
個人的な因縁や、その他に知り得た村の暗部については元より語るつもりはない。

「exactly.私に対してはそうでしょうね。
 けど、カナタに対しては説明義務があるんじゃない?」

どういう経緯があるにせよ茶子は哉太の目の前で祖父を殺した。
身内の少年に対してそうしなければならなかった理由を説明する義務がある。

「村人全員殺そうなんてイカれたジジイよ? あの状況なら誰だってそうするわ」
「そうかしら? アナタには個人的なresentmentがあったように見えたけど?」

必要に迫られた正当防衛と呼ぶには藤次郎に見せた憎悪は行き過ぎている。
あれは明確な私怨によるものだ。

「否定しないのね」
「言ったでしょう? 話すつもりは、ない」

にべもない態度の茶子に、アニカが眉を歪める。
二人の間に火花を散らすような剣呑な空気が漂い始めた。

「おい、二人とも、いい加減に……」

当事者を置いてヒートアップする二人を哉太が制止しようとする。
だが、それよりも早く、二人の間に割って入る小さな影があった。
大空洞を駆け回っていたリンである。
雰囲気に敏感なリンが、険悪な雰囲気を敏感に察して割り込んできたようだ。

「チャコおねえちゃんを、イジメちゃダメだよ?」

大きく見開かれた漆黒の瞳がアニカを見つめる。
自滅を誘う愛。
解除法は心得ているが、それでもなお油断すれば自分が自分でいられなくなる恐るべき異能。

「いいんだよリンちゃん。そんなことしなくて」
「うん。分かった!」

柔らかく肩に手を置き茶子がリンを制止する。
それでリンは大人しくなったが、その無垢な脅威は健在である。

敵意も悪意もない愛らしさと言う凶器。
少女は庇護すべき対象であり、排除のしようもない。
ある意味で最強の護衛だ。


392 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:12:42 aIw84qOo0
ともあれ、リンの介入によって熱くなっていた場の雰囲気もいくらか冷めたようだ。
改めて哉太が仕切りなおす。

「俺からも頼むよアニカ、これ以上茶子姉を責めないでやってくれ」
「アナタのgrandfatherの事よ? 本当にいいの?」
「ああ。茶子姉が話したくないんならいいさ。無理に聞き出したいわけじゃない」

本音を言えば姉弟子が祖父を何故あそこまで憎悪するのか、その理由は知りたい。
だが、知る事が姉弟子を傷つけるのならば、そこまでして知りたいとは思わない。

だが、哉太はそれでよくとも、アニカは納得いかなかった。
あれ程の事があってあくまで茶子の肩を持つ哉太の態度もお気に召さないようである。
その苛立ちをぶつけるように、改めて茶子に向かって釘を刺すように踏み込んだ。

「これだけは言っておくわ。コチラとしてもこのZombie panicを解決するためならいくらでも協力する。
 けれど、私もカナタもアナタの個人的なrevangeに付き合うつもりはないわよ」
「あら。どうしてアナタが哉くんの方針まで決めるかしら?」
「パートナーだからよ」

当然のように言い切った。
当てつけの様な物言いに、茶子がピクリと眉を動かす。
そして感情を露にするように僅かに語気を荒くする。

「それならこれはこの村で生まれ育った村人同士の問題よ。
 これは個人的な復讐なんかじゃない。腐りきった汚泥の排除は、この村を良くするために必要な事なのよ……!」

この村は根本から腐っている。
根腐れした苗を取り換えるのは簡単ではない。
村に蔓延る悪鬼たちの駆除は村の浄化には必要な事だ。

時間をかけて一つずつ浄化する長期的な計画だった。
だが、このバイオハザードによって計画は随分と前倒しになってしまったが、膿を出すにはいい機会である。

八柳藤次郎、木更津組、朝景礼治。
今現在の村を狂わせるこの3つだけは何としても潰す。
それが村の浄化を目指す茶子の為すべきことだ。


393 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:16:16 aIw84qOo0
「この村を、良くする…………?」

最初から言っていた茶子の目的。
それをアニカが呆然とした小さな声で反復する。

「no way……アナタはこの村を、これからregenerationしようと思っているの?」
「? そう言ってるでしょう?」

不思議そうな顔で茶子が首を傾げた。
先ほどから何度も言っている事だ、今更改めて確認するようなことではない。
だが、その反応にアニカが言葉を詰まらせる。

先ほどから感じていた違和感の正体に気づいたのだ。
茶子の語る村の再生論は全て『現在進行形』だった。

ウイルスが蔓延し、ゾンビとなった村人は大量に殺され、特殊部隊に攻め込まれている。
村の惨状はもはや復興などと言う次元ではない。
この村は誰がどう見ても終わってる。

状況のよくわかっていない災害が起きた直後ならともかく、すでにVHの発生から半日が経とうとしている。
いい加減、現実も見えてきたころだろう。
この惨状を見てなお、取り戻せると信じているのなら、それは希望ではなく狂気や妄執の類だ。

ましてや虎尾茶子は現実が見えていない素人とは違う。
多くの闇を見てきた玄人のはずだ。
そんな彼女がその程度の事を分からないはずがない。

見えていないのではなく見ていないのだ。
村がなくなるという現実を。
彼女が現実を受け入れられないのは、村に対する愛憎ゆえだ。

村を良くしたいと言う思いと、この村を滅ぼしてしまいたいと言う二律背反。
一方だけでも狂おしいまでの情念が彼女の中に躁鬱のように渦巻いていた。

そのどちらも山折村という軸がなくなったら、成り立たない。
愛のみで子供たちに未来を見た剛一郎とも違う。
憎のみで罪科を地に求め全てを殺しつくそうとした藤次郎とも違う。
彼女の執着は村そのものにある。

それ故に、山折村がなくなるなど彼女の中ではありえない。あってはならない事である。
VHの発生直後に遠藤と呑気にやっていたのは、そう言った正常性バイアスによるものだ。
彼女にとって山折村とは良しであれ、悪しであれ、そこに在らねばならないのだ。

この村に対する愛憎が虎尾茶子を成す根本だとするのなら、折れてしまえば成り立たなくなる。
だからこそ、茶子は計画が前倒しになったとは考えていても、計画がご破算になったとは考えていない。

「Ms.チャコ。アナタは…………」

アニカの茶子に対する警戒が別の方向に高まっていく。
彼女は既に、正気ではないのではないか?

「どうしたの?」

言葉を詰まらせるアニカに茶子が問う。
その様子はこれまでと変わりない。

「…………No, it's nothing.」

アニカは何も言えなかった。
その事実を突きつけることも、その事実を否定することもできない。
探偵の語彙力をもってしても次の言葉が見つからなかった。

彼女はとっくに壊れている。
それはこのVHで壊れたのではない。
あの怖い家でとっくに少女(アリス)は壊されていたのだ。
そこに山折村という新しい中身を詰めただけ。

「そう。これ以上ないなら追求はここまででいいかしら?」

茶子としても十分すぎるくらいに応じた。
アニカがこれ以上追求出来ないのならばこの話は終わりだ。

「なら、そろそろ出ましょう。長居するような場所でもないわ」

曰く付きの場所だ長居するような場所でもない。
4人は不穏な空気を拭ききれぬまま。
薄暗い大空洞を後にして、外の光が差し込む出口へと歩き始めた。


394 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:17:19 aIw84qOo0
【A-4/山中大空洞出口付近/一日目・昼】

【虎尾 茶子】
[状態]:疲労(小)、精神疲労(中)、左肩負傷(再生中)、失血(中・再生中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)
[道具]:ナップザック、長ドス、木刀、マチェット、ジッポライター、医療道具、コンパス、缶詰各種、飲料水、腕時計、八柳藤次郎の刀、スタームルガーレッドホーク(5/6)、44マグナム弾(6/6)、包帯(異能による最大強化)、ガンホルスター
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.天宝寺アニカ、八柳哉太を利用する。
3.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
4.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
5.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
6.さて、これからどこに向かおうか。
7.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※自分の異能にはまだ気づいていません。
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※異能による強化を受けた包帯により肉体が再生しつつあります。

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、全身に軽度の裂傷(再生中)、左耳負傷(処置済み・再生中)、失血(中・再生中)、右腕負傷(処置済み・再生中)、肋骨にヒビ(再生中)、
疲労(極大)、精神疲労(極大)、精神的ショック(極大)、悲しみ(極大)、喪失感(大)、無力感(大)、自己嫌悪(大)
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカ達を守る。
2.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
3.茶子姉のことを信じたい、けど……。
4.ごめん、うさぎちゃん。
5.爺ちゃん……どうして……。
6.圭ちゃん……。
[備考]
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(大)、精神疲労(大)、精神的ショック(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、決意
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ラリラリドリンク、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪。
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.Ms.チャコは正気なの?
2.カナタの事が心配だわ。
3.リンとMs.チャコには警戒しないと。
4.私のスマホはどこ?
[備考]
※他の感染者も異能が目覚めたのではないかと考えています。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※浅野雑貨店、山折総合診療所、広場裏の森林地帯に違和感を感じました。

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、血塗れ
[道具]:エコバッグ、化粧品多数、双眼鏡
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.うそつきおおかみさんなんてだいっきらい。
3.あたらしいおようふくほしいなぁ。
4.リンのじゃまをしないでね、アニカおねえちゃん、カナタおにいちゃん。
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。


395 : ヤマオリ・レポート ◆H3bky6/SCY :2023/08/08(火) 22:17:56 aIw84qOo0
投下終了です


396 : ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:09:03 XB.BK6.E0
投下します


397 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:11:08 XB.BK6.E0
人が踏み入れること無き山林の奥地は、燃え上がるような熱狂に包まれていた。
その熱狂の中心にいるのは対峙する一匹のメスと一匹のオスである。
この山に住まう動物たちがその周囲に取り囲むように集まり、燃える程の熱狂を生み出していた。
ここに人間はいない。完全なる野生の世界。

メスの方は人間の少女の姿をしているが、その中身は獣そのもの。
赤子の時にこの山に捨てられ、一匹の雌熊に育てられた名もなき少女である。
少女は獣の娘として成長し、山の中で生き抜いてきた。
人の世の理など知らぬし、野生の掟こそ彼女の掟。

対峙するは少女の5倍の体積はあろうかという巨大な独眼の熊である。
この山は彼らヒグマたちによって支配されていた。
ヒグマたちはその強大な力で山の動物たちを支配し、恐れられていた。

本州に生息していないはずのヒグマが何故岐阜の山脈に存在するのか?
その疑問に答えられるものなどいない、その答えに意味はない。
何故ならここは力こそ全て。生こそ全ての世界。
ヒグマたちがその力をもってこの地を支配していたという事実こそが全てである。

だが、たった一人の少女によってその支配構造が打ち砕かれようとしていた。
少女の母熊はツキノワグマだった。
岐阜県での生息を確認されている在来種。
彼女の母熊は熊同士の闘争に敗れ、ヒグマによって殺された。

目の前で育ての親を殺された野生の少女は激しい怒りと悲しみ包まれ、その野生を覚醒させた。
少女は次々にヒグマたちを叩きのめし、そして目の前にいるのは最後の一匹だ。
これを倒せばこの山の支配構造は変わる。

山の動物たちはその騒ぎを聞きつけ一堂に集結していた。
この山における最強の衝突。
山の王者が変わる歴史的瞬間を見届けんと、オーディエンスたちは大盛り上がりである。
鳥たちは空から、獣たちは地上から、そして木々の間から小動物や昆虫までもが熱狂して、新たなる山の王者の誕生の瞬間を今か今かと待ち望んでいた。

ヒトの少女と独眼の熊。
共通する言語を持たない二人の間には交わす言葉などない。
山に生きる全ての生物が見守る中、その視線が交錯する。
瞬間、それが戦いの合図となった。

少女は素早く駆け出し、その小柄な体格を生かすように木々の間を巧みにすり抜けてゆく。
木々を盾にするような動きを見せる少女に対して独眼の熊は、構わず木々ごとなぎ倒す勢いで巨大な爪を振るった。
それを迎え撃つ少女の蹴りと振り抜かれた熊爪が衝突して、弾けるような衝撃が走り、周囲の動物たちの毛並みをビリビリと揺らした。

繰り返される衝突に木々が揺れ、地面が震えた。
ギャラリーは、その衝突の度に驚き、歓声、そして時には悲鳴をあげる。
山全体を戦場とするように、その中心で二匹は力の限り衝突を繰り返した。

そして、ついに決定的な瞬間が訪れた。
勝負を焦ったヒグマが大振りの一撃を少女に放った。
だが、少女はそれをうまくかわし熊の側面に回り込んだ。
伝説の猟師に撃ち抜かれた片目の死角。

熊は完全に少女を見失い。刹那、強烈な一撃が叩き込まれた。
その一撃は強靭な骨に支えられた熊の脳を激しくシェイクする。
巨大な熊は悲鳴を上げる事すらなく、昏倒してその場に倒れた。

大きな砂埃が舞い、その場に一瞬、時が止まったような静寂が広がった。
その静寂を打ち破るように少女は勝利の雄たけびを上げた。
それを合図とするように山の動物たちが新しい王者を称えるように歓声のような鳴き声を上げた。

敗者は地に伏せ、勝者は天に雄たけびを轟かせる。
少女と独眼の熊の戦いは、山折山の伝説として動物たちの間に語り継がれていくのであった。




398 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:12:48 XB.BK6.E0
店が立ち並ぶ人里の地。
まるで空でも飛ぶかのように野生児が風を切る。
超人的な身体能力で、重力など無視したように縦横無尽に商店街の屋上を駆け抜けていた。

だが、行われているのは華麗なパルクールなどではなく、その実、尻尾を撒いた逃亡である。
ホームセンターでの激戦。
そこで刻まれた恐怖からから一刻も早く離れたいという衝動的な行動である。

山の王者たるクマカイは敗走を期していた。
ヒグマにすら勝利する彼女に敗北感を刻みこんだのは、吹けば飛ぶような痩せ細ったオスだった。
あの枯れ木の様な手足など、クマカイが少し力を込めただけでへし折れる。
実際一撃であのオスは瀕死に追い込めた。
戦えば確実にクマカイの方が強かったはずだ。

だと言うのに、どう言う訳か敗走しているのはクマカイの方だ。
野生の世界は強い方が勝つという絶対かつ単純な掟によって縛られている。
だが、人間の世界は野生の世界とは違う法則で動いていた。

野生において逃走は恥もなければ敗北でもない。
生き残って生を繋ぐ事こそが至上である。
だが野生にも、いや、野生だからこそ譲れぬ矜持がある。

これまで味わったことのない精神的な敗北。
肉体ではなく意思と言う狂気に負けた。

仮にマダラのオスに敗北したのならばここまでの精神的ダメージは追わなかっただろう。
アレは強者だ。ともすれば山の獣の誰よりも。
だが、クマカイを打ち負かしたあのオスは小鹿にも劣るような弱者だ。
肉体面では勝っていたからこそ、その在り方に理解不能な悍ましさがあった。

強い者が勝つとは限らず。
むしろ弱者の臆病さこそが脅威となる。

げに恐ろしきは人の世か。
お山を越える複雑怪奇な魔境である。

勝利が蚊トンボを獅子に変化るように、敗北は百獣の王をシマウマに変化る。
このままでは心が負けてしまえば、クマカイは山の王としての誇りすらも失うだろう。

敗北の汚名を濯がなければならない。
敗北の汚名を濯ぐには勝利しかない。
彼女の喉は勝利への渇望によって砂漠で彷徨う遭難者のように乾いていた。




399 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:15:23 XB.BK6.E0
年々暴対法の締め付けは強くなり反社組織の取り締まりは厳しくなっている。
昨今はワシらヤクザでございーと看板を掲げるだけで逮捕されかねないご時世である。
だが、この小さな田舎村が世間から隔離された閉鎖的な環境であるがためか、この山折村に根を張る木更津組はいまだに堂々と代紋を掲げた事務所を構えていた。

追手である特殊部隊を閉じ込めた氷の檻を残し、保育園から離れた花子たち一行。
彼女たちが移動したのは、その時代錯誤な悪の城の中だった。
堅気の人間であれば近づくのに躊躇う場所ではあるのだが。
ここを拠点にしようと言いだしたのは花子である。

事務所の周囲はゾンビの死体だらけだった。
ゾンビ喰われた死体もいくつかあるようだが、大半は鋭利な刃物で切り裂かれていた。
ほれぼれする程に見事な太刀筋。花子から見ても達人の業である。

辺り一面に死体の転がる凄惨な光景だが、検分する限り死体は切り殺されてからそれなりの時間が経過していた。
細かいところを無視すれば、ゾンビは全滅しているこの周辺はある程度の安全が確保されているという事である。
それらを加味してこの死体だらけのヤクザ事務所を落ち着ける場所として選択したのだ。人の心がない結論である。

ともかく、特殊部隊の対処で手一杯だったが、ようやく腰だけは落ち着けられそうだ。
5人は2階にある、ひと際豪華な組長室に場を移すと、VH発生からここまでの経緯を互いに共有し始めた。

「そう、アナタたちは創くんとスヴィア・リーデンベルグと一緒にいたのね」

珠たちの話を聞き終えた花子がつぶやく。
妙に知った風なその呟きに、茜が反応を示した。

「天原くんと先生と知り合いなんですか?」
「直接的な面識はないわ。まぁ知り合いの知り合いってとこね」

スヴィアが有名な学者だか研究者だったという噂くらいは生徒たちも聞いたことがある。
その絡みで知っていてもおかしくはないだろうと納得できるが、創まで知っていると言うのは偶然にしてはできすぎだ。

「彼がこっちに来る前の保護者とたまたま同じ仕事をしてて、話を聞く機会があったのよ」
「へぇ。それはまた偶然」
「ねぇ。偶然」

素直に驚く茜に花子は笑顔で適当な相槌を打つ。
珠たちも特に気にせず聞き流していた。
それよりも気になる事があるからだ。

「先生や創くんも心配いていると思うんで合流でたらいいんだけど……」
「そうねぇ。私としてもスヴィアさんにはお会して話を伺いたいところなのだけど。
 だいぶ混乱した状況だったようだし向こうがどう動いたのかわからないとなると、合流するのは難しそうね」
「そう、だよね……」

珠は露骨に肩を落とす。
バラバラになったのは自分が混乱して暴走したからだ。
迷惑をかけてしまった2人がどうなっているのか心配だった。

「それに、みか姉も……」

特殊部隊の女が保育園にたどり着いた時点で足止めに残ったみかげの運命は望み薄だ。
だが、自分の目でその終わりを確認しない限りはどれだけ望みが薄かろうと生きていると信じている。

「希望を持ち続ける事はいいことよ。こんな状況ではなおさらね。
 ひとまず追手はどうにかできたわけだし、あなたがその子を探したいというのなら止めはしないわ」

みかげを秤にかけてトリアージした花子だが、この希望自体を否定はしなかった。
絶望的な状況だからこそ、希望は捨てるべきだはない。

「ただし、私はこの事態を解決ために動くその方針を変えるつもりはないわ。
 その過程で上月さんを探すのは構わないけど、わざわざそちらの捜索に手を裂くつもりはない。わかるわね?」
「……うん。わかってるよ」

ついでで探すのはいい。
けれど、みかげの安否確認を優先するのならここでお別れだと言っていた。
珠は一瞬目を閉じて小さなこぶしをぎゅっと握りしめる。

「大丈夫です……私は、花子さんたちと行きます」

決断する。
火の玉の様に突っ込んでいくだけでは何も変わらない。
まずは前を向いて出来る事をしなければ、それこそみかげに怒られてしまう。
花子はこの決断を「そう」と受け止め、仕切りなおすようにパンと一つ手を叩く。

「では、話を前に進めましょう。
 さっきも話したけど、私たちはこの事態を解決するためにウイルスの発生元である研究所を調べようとしているの。
 けど、研究所に繋がる診療所には奇妙なナニカが巣食っていて近づけない。
 なので秘密の入り口を見つける必要があるんだけど、何か知らない?」

ただの女子学生2人。
何か知っているとも思えないが、ダメ元でも聞いてみるのが肝要だ。

「あのぉ……それと関係してるかわからないんですけど」

珠がおずおずと手上げた。
このように思わぬ成果が転がり込んでくることもあるのだから。




400 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:17:43 XB.BK6.E0
「つまり、あなたは白衣連中の怪しい会合を目撃したと?」

珠の口から語られたのは、みかげの異能によって解放された、封じられていた記憶。
赤い血に彩られた、悍ましき光景である。

「うん、マンホールみたいな穴の前で最初は白衣の人同士が揉めていて、だんだん口論になって。
 それから主任って呼ばれた人が、祭服を来た人たちを呼び込んで……」
「口論してた相手がその祭服たちに殺された、と」

口にしづらいその先を花子が口にし、珠がそれに頷く。

「それはいつ頃のお話かしら?」
「一年くらい前だった……と、思います」
「…………一年前」

口元に手をやり花子が僅かに考え込む。
数秒、思考の海に沈み。背後の与田へと振り返る。

「ねぇ、センセ。祭服連中に心当たりは?」
「ないですね」
「なら主任って人は?」
「そりゃあ、ありますけど。主任なんて何人もいますしどの部署の主任だか……。
 それに一年前ともなると当時の役職まではあんまり覚えてないですね」
「あっそう」

本当に頼りにならない参考人である。

「ちなみに、あなたたち記憶の消去とかそんな事できるの?」
「本部でそういう研究しているという話は聞いたことがありますね。
 長期記憶は無理ですが、まだ固定化される前の短期記憶なら操作できるとか」

未来人類発展研究所は脳科学の研究が行われている。
記憶操作もその成果の一つという事か。

「祭服たちは何者なんでしょう? 今回の事件と関わりがあるのでしょうか?」

同じく珠の話を聞いていた海衣が疑問を呈した。
このバイオハザードは地震による事故によって引き起こされた、という事になっている。
研究員と祭服連中の黒い繋がりがあったのは分かったが今回の事件と関わりがある事なのか。

「さて、それは調べてみないと分からないわね。
 少なくともマンホールみたいな穴って言うのは気になるわ。
 珠ちゃん。その会合が行われていたのはどの辺のことかしら?」
「えっと……たしか、あれ?」

記憶の中にある取引場所を指し示すべく、珠が窓の外を見つめた所で何かに気づいた。

「どうしたの?」
「えっと、あの辺に動く光が……」

視界の端にちらつく光に気づいた。
珠は起きる出来事を光としてみる異能を持つ。
彼女が光を捉えたという事実は無視できるものではない。

言われて花子が超視力で目を凝らし、その詳細を確認する。
そこには建造物の屋根を駆け抜ける人影があった。
よく見れば初めて見る顔ではない、その姿には見覚えがある。

「……んんぅ? あれ、パルクールマンじゃない?」
「パルクールマン?」
「商店街で特殊部隊に向かって行った少年の事よ」

商店街での特殊部隊の狙撃手との攻防戦。
花子たちが逃げる隙を作るべく狙撃手に向かっていった少年である。
まあ実際は、特殊部隊を狙う動きをしていたのを体よく利用しただけなのだが。
あれがなければ全員無傷で狙撃手から逃れることはできなかっただろう。

必死の形相で駆け抜ける様子からして、敗走しているようだ。
だが、特殊部隊相手に生き残っただけでも大したものだろう。
このままの勢いで突き進めば、そのうちこのヤクザ事務所の近くまでぶつかる軌道である。

花子たちからすれば一方的な恩義はある相手ではあるのだが、接触するかどうかとなれば話は別だ。
このまま事務所内に隠れてやり過ごすのがベターである。
もちろん花子としてはそうしたいところなのだが。

「どんな人なんです?」

何気ない疑問のように茜が聞いてきた。
小さな村だ。同年代の少年少女が知り合いである可能性は高い。
花子としては余り答えたくはないのだが、聞かれてしまった以上は答えない訳にもいかない。


401 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:21:41 XB.BK6.E0
「そうねぇ。年は多分、海衣ちゃんたちと同じくらいかしら、黄緑のポニーテールの少年ね」

その特徴を聞いて同じ心当たりに行きついたのか海衣と茜の2人が顔を合わせて反応を見せた。

「それって…………」
「優夜じゃない?」

嶽草優夜。
2人の同級生。特に茜は普段からよくつるむ友人である。
この村でそんな特徴的な髪色をしているのは彼しかいなかった。
と言うより、黄緑ポニーテールの少年なんてこの小さな村に限らずそうそういるものではない。

「迎えに行かなきゃ、行こう氷月さん!」
「待った。その子、屋根の上を飛び回ってるけど、そういう事が出来る人物?」

海衣と共に出迎えに行こうとする茜を花子が止めた。
商店街を屋根から屋根へと渡って行く様はなかなかに超人的である。
あれくらいはできる人間を花子は沢山知っているし、花子自身もやれと言われれば出来ないこともない。
とは言え、この小さな村に住まう普通の学生が出来るのかと言うと疑問が残る。

「どうでしょう? 足は速いですし運動神経はいいほうだったと思いますけど、そこまでじゃあ……」
「うーん。身体強化系の異能なのかもしれないよ?」

身体能力の強化、あるいは重力や風を操っている可能性もあるだろう。
通常では無理でも、今のこの村には無理を可能とする異能と言う力がある。

「なら、あの時、特殊部隊に向かって行ったっていうのは嶽草くんだったって事ですか?」
「そうなるわね。優夜くんっていう子はそういうことをする人なのかしら?」

花子は特殊部隊に自ら向かっていった少年の攻撃性を危惧していた。
だからこそ下手に合流を言い出さないようあえて口にせずにいたのだが。

敵の敵は味方という単純な話でもない。
あの時、狙撃手に向かっていったのは村に攻め入った特殊部隊に対する義憤からなのか。
それとも無謀で無差別な攻撃性によるものなのか。
下手に能力が高そうな分、それが判断できない限り、合流するのに懸念が残る。

「する……かも、しれないですね」
「人に喧嘩を売るような奴ではないですけど……。
 すんごい異能に目覚めて調子に乗って村を守ろうと特殊部隊に向かっていったっていうのは……ある、かも」

友人の性格を思い浮かべ少女たちは妙に苦々しい顔で答える。

「バトルジャンキーとかリスクの高いほうを選ぶギャンブラーそういう訳ではないのよね?」
「むしろ真逆の慎重な人ですよ。見た目に反して。
 いつも誰かの頼み事を聞いて人助けをしているような人なので。悪人ではないかと……」
「まぁ、抱えきれないタスクを自分から背負って逃げ帰ってる、って言うのはあいつらしいちゃらしいかも」

両名の評価は良好だ。
花子は変装した別人である可能性も疑っていたのだが、行動と人格のズレも今の所それほどない。
別人と認めるだけの根拠は薄そうだ。

なにより、海衣と茜がいると知ってこちらに接触しようとしているという状況ならともかく。
偶然コチラが相手を見かけたという状況だ、わざわざ先んじてその友人に変装する理由がない。

「心配のしすぎですって、世話焼きとお人よしが服着てるような奴ですから」
「まあ……そうね。直接の知り合いであるあなたたちの眼を信じましょう」

わざわざ特殊部隊と言う強者を狙ったあたり、無差別犯という可能性も低い。
意図したものかどうかがは不明だが、商店街でこちらを助けてくれたという実績もある。
友人との合流を望む少女たちを止めるだけの理由がない。

「行こう。早くしないと、優夜の奴通り過ぎちゃうよ」
「あっ、ちょっと。引っ張らないで」

花子の許しを得て、茜が海衣を引き連れ事務所から飛び差していった。
その後を追って花子たちも事務所の階段を下って行ったのだった。




402 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:24:51 XB.BK6.E0
「おーーーい、優夜ぁ!!」

外に出た茜は、優夜が通り過ぎないよう声を上げてこちらの存在をアピールしていた。
その隣には、連れ出した時のまま手を繋いだ状態で海衣も立っている。

「おっ。気づいたみたい」

手を振る茜の姿に気づいたのか、空中を進む少年がその軌道を変えた。
逃走から合流に目的も切り替わったからだろう、姿が急速に近づいてくる。

僅かに遅れて事務所から出てきた珠の眼にも、その姿がはっきりととらえられた。
それはとても大きな光に見えた。
この地獄のような舞台で探していた友人との再会は奇跡のような大きなイベントだろう。
珠だってみかげや創を見かけたならこれくらいの光に見えてもおかしくはない。

だから、そういうモノだと納得してしまった。
珠の異能は出来事の大きさは光の大きさで判断できるが、その好悪を判別できない。
それが珠の失敗。

そして、その人影が花子以外のみんなにも目視できる距離まで近づいてきた。
そこで僅かな違和感があった。
近づいているにもかかわらず、減速しない。むしろ加速している。
その違和感を切り裂くように、誰かが叫んだ。

「違います、そいつ本人じゃありません!!」
「ッ!?」

叫んだのは少年少女の友人関係と無関係な与田だった。
その姿を肉眼でとらえた瞬間、彼の持つ異能を見抜く異能によって別人であると見破った。
だがその叫びは余りにも遅い。
自分には無関係な再開だとチンタラ事務所から出てきたのが災いした。
それが与田の失敗。

「…………え?」

だが、異能と言う力を得ようとも彼女たちは戦士ではない。
咄嗟の緊急警告に対して瞬時に臨戦態勢を取れるような精神構造をしていない。
友人との再会と考えていた海衣はよもや攻撃されるなど想定しておらず動けなかった。
それが海衣の失敗。

故に、その声に反応できたのは花子だけだった。
聴覚と神経が直結しているような素早さでベレッタM1919を抜いて銃を構える。

だが、立ち位置が悪い。
出迎えに行った茜と海衣が壁となり、斜線を通すには横に一歩ズレる必要がある。
その一歩よりも襲撃者の方が早い。
それが花子の失敗。

それぞれがミスをした。
一つ一つは小さくとも積み重なったミスは大きな損失を生む。

海衣に向かってミサイルが如き勢いで蹴りが放たれた。
その初撃を防げず、凄まじい跳び蹴りが少女の胸部に炸裂した。




403 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:28:05 XB.BK6.E0
この村には少女の幽霊が出るらしい。

誰も見たいことのない少女が夜の草原を散歩する。
この手の噂には昔から事欠かない村ではあるのだが、その噂は少しだけ毛色が違っていた。
なにせ、その幽霊は昼に出る。
ついでに言えば、両親もいて身元もはっきりしているらしい。

それはただの村の子供じゃないのか?
と言うツッコミはごもっともなのだが、幼稚園生だった当時の私たちは本気でそんな噂を信じていた。

この小さな村で生まれ育った同年代の子供たちはだいたい友達である。
多少の仲の良し悪しやつるむグループはあれど、知らない子供などいるはずもない。
自分たちの知らない子供がいるのは幽霊に違いない。
言い出したのは山折くんだったか、八柳くんだったか。
ともかくそんな結論に至ったようだ。

幽霊の正体を知ったのは保育園を卒園して小学生になった時だ。
古臭いだけの何でもない教室に、その少女は現れた。

優雅な所作に、気品ある礼儀作法。
同じ土地で育ちながら、ずっと隠されていた宝石のような女の子。
氷のように凛とした表情は煌めいているようにすら見えた。

野山を駆け回って遊んでいたサルだった私はその美しさに圧倒された。
義務教育まで軟禁されるように育てられたのだと知ったのはずっと後の事だけど。
おとぎ話の中から抜け出てきたお姫様が現れた! と、おバカな子供だった私は本気でそう思ってドキドキしていた。

彼女は休み時間にも誰に寄せ付けない氷の様な雰囲気を纏っていた。
ずっと一人で黙々と机に噛り付いてノートにペンを走らせていた。
その態度は休み時間はグラウンドで遊ぶことしか考えてない子供にはなかなか理解しがたかったようで、からかうような男子連中も少なからずいた。
「なんでそんなことしてるんだよ」と机を囲んでからかい交じりに尋ねられ、ポツリと「いえではべんきょうできないから」とつぶやいた、あの悲しそうな顔を覚えている。

彼女の両親は毎日のように学校が終わると迎えに来た。
美しいお姫様は、捕らわれのお姫様だった。
まるで悪い魔法使いに連れ去られてしまうように、お姫様に自由はなく。
幼心にも、それが過保護な愛情ではないと気づくのに時間はかからなかった。

どうにも私は拾われっ子らしい。
それでも、とても大事に育てられた。
拾ってくれた両親の事は本当の親だと思っているし、両親から愛情を疑ったことはない。
友人にも恵まれ暖かい人たちに囲まれ孤独を感じたことなど一度もなかった。
だから彼女が両親から向けられていた感情に、それは違うと思えたのだ。

村の長が変わって、子供たちが増えて、校舎が増えて。
私達も義務教育を終えて、高校生になって、新しい校舎に通うに様になった頃。
彼女を迎える両親の姿も見なくなった。

単純に世間体を気にしての事だろう。
田舎の人間にならどう思われてもよかったが、都会から越してきた人達に偏見の目で見られるのは嫌だったのだろう。
私も少しだけ大人になり、そう言った機微が分かるようになって、彼女のを取り巻く状況も見えてきた。

私は、好機だと思った。
長年の夢をかなえるべく、攻勢をかけることにした。
もうお姫様だの幻想を信じる様な年でもない。

私はただ、彼女とお友達になりたかったのだ。




404 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:32:02 XB.BK6.E0
「海衣ちゃん…………ッ!」

友人の皮を被った襲撃者――――クマカイの魔手が迫るその刹那。
繋いでいた海衣の手が背後に引かれる。
そしてダンスでもするようにクルリと体が入れ替わり、茜が前へと身を躍らせた。

茜は与田の声に反応した訳ではない
友人の姿を視界に捉えて、直接その顔を見て、目の前の相手は別人だと、なんとなくわかった。
仲のいい友達なのだ、それくらいは分かる。

そして気が付けば体が動いていた。
考えるよりも先に動いてしまうのは自分の悪い癖だ。
けれど、その悪い癖で友達を助けられたんだから良い癖だったのかもしれないな。
なんて。最期の瞬間までそんなどうでもいい事を考えていた。

氷が砕けるような冷たい音が鳴り響いた。
それは叩き込まれた蹴りによって少女の胸骨が砕けた破滅の音である。

杭の様にめり込んだ足が振りぬかれ、茜の体がバッドで打ち出されるボールのように大きく後方に弾き飛ばされた。
それと入れ替わるように、斜線を確保した花子が一瞬遅れて襲撃者を銃撃する。

クマカイは茜を蹴りぬいた反動を利用して後方へと宙返りして身を躱すが、放たれた弾丸はその頭部を掠めた。
弾丸が頭蓋を滑るよう頭部を削り、剥がれた頭皮の下から新たな頭皮が出現する。

ネコ科動物のように空中で反転したクマカイが四つ足で着地すると自らを狙撃した花子を睨み付ける。
その視線を真っ向から受け止めながら、花子は背後の与田に問う。

「あれは、どういう手合い?」
「喰った相手の肉を被る異能者です」
「そう。つまり、あの身体能力は素ってわけね」

目の前の相手は海衣たちの友人どころか、その友人を殺してその皮を被った輩だと言う事だ。
未来を見るには対象を注視する必要がある。
見破れなかったのはそれを怠った花子の失態だ。

「センセ、茜ちゃんを診て上げて」
「いや、診ろって言われましても…………」

与田が言葉を濁す。
その意味するところを理解しながら花子は続ける。

「いいから。お願い。アレは私が相手するわ、安心して。そっちには絶対に行かせないから」

花子はこれまで用意周到に策を弄して強敵を撃退してきたが。
今回はこれまでとは違う、こちらが奇襲を受けた側である。
小細工なしの正面戦闘となる。
そう言うのは本来であれば相棒の役割なのだが、逃げも隠れもせず花子は前へと踏み出た。

「ぐぅるるるるるるるぅぅううううッッッ!!!」

威嚇するような獣の嘶き。
クマカイも目の前のメスがこの群れのなかで一番強い獲物だと本能的に理解している。
だからこそ勝利せねばならない、己が野生を取り戻すために。

獣が四つ足で地面を蹴った。黄緑のポニーテールが揺れる。
同時に後ろ足で足元に転がる一刀両断されたゾンビの生首を蹴りだし、牽制の礫とする。
迎え撃つ花子は銃のグリップ底で生首を弾き、そのまま矢のように迫る獣に正確に銃口を構えた。

だが、野獣は直進するのではなく、途中にあった電柱を蹴りだし稲妻のように急角度で動きを変えた。
速さと強さを突き詰めたその動きは目にも止まらぬ速さである。
加えて、死角を突くような多角的な動き。
効率化された武術とは違う、狩りに最適化された野生の動きだ。

だが、それ故に、読みやすい。
銃声と共に、高速で跳ねるクマカイが撃ち落とされる。
放たれた弾丸は、胸の中心に正確に叩き込まれていた。

クマカイの動きは確かに速い。
確かに速いが、それだけだ。
対処できない手数や範囲攻撃、捉えられない達人の技術の様に、見えても対応できない類のものではない。
見えていれば、落とせる。


405 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:35:26 XB.BK6.E0
「ギッ……………!!」

撃ち落とされたクマカイは地面に叩き付けられるよりも早く、宙で回って跳ねるようにして立ち上がる。
胸に打ち込まれた弾丸は纏った肉で止まっていた。
皮を脱ぎ捨て囮とする戦術は取らなかったのはこのためだ。
体を掠めた弾丸の威力から、このまま肉の鎧とした方が効果的であると判断した。
実際結果はこの通り、小口径の弾丸なら防げた。

「いいわよ。何度でも何度でも撃ち落としてあげる」

だが、それも一度きりである。
肉の剥がれた同じ場所に打ち込まれればそれで終わりだ。
衝撃までは受け止めきれず、逆流した胃液を喰いしばった口端から垂れ流す。

女から放たれる言葉の圧にクマカイは背筋に僅かな痺れを感じた。
目の前のメスから感じられる猟師とも狂信者ともまた違う、別種の凄み。
方向性で言うならマダラのオスどもに近い。

これでは足りない。
もっと、もっともっともっと。
もっと力を。

そうでなければ、また負ける。
勝者は全てを得て、敗者は全てを失う野生の掟。
クマカイは勝利せねばならない。
この敗北感を濯ぎ、己が誇り(やせい)を取り戻すために。

足元が爆ぜる。
駆けだすその速度は正しく疾風迅雷。先ほどまでの比ではない。
真っ直ぐに花子に向かうのではなく、電柱のみならずヤクザ事務所の壁を蹴りピンボールのように跳ね回る。
そして、足元に転がるヤクザともの死体を踏み砕きながら、その肉片を目晦ましとして撒き餌の様に周囲へ打ち上げる

文字通りの肉の壁に隠されたその動きは、もはや捉えようがない。
それは目にも止まらぬ動きを超え、目に映りすらしない動きだ。
常人であれば自分が死した事すら気づかず、一撃で首をへし折られているだろう。

だが、花子には全て見える。

飛び散る肉片。
その隙間で跳ねまわるクマカイの動き。
光の矢のような勢いで首を刈りに来た一撃をブリッジのような体制で躱すと、すれ違いざまに鳩尾を思い切り蹴り上げた。
クマカイの小さな体が打ち上げられ、バイク事故のように自らの勢いできりもみ回転しながら吹き飛んで行った。

全てを見通す異能の目。
これを前に、半端な目晦ましなど無意味だ。
敵を注視することで未来予知すら可能とする神の瞳。
そして花子には捉えた動きに反応できる反射神経と運動能力がある。

どれほど小細工を弄そうとも、勝利せねばという焦りが、動きを単純化させる。
どれだけ速度と威力を上げても、当たらなければ意味がない。
焦れば焦る程、花子にとってはいいカモだ。

吹き飛ばされたクマカイの体は受け身もとれず地面に叩きつけられ、そのままゴロゴロと転がる。
肉襦袢も地面削られてゆき、真の姿が露わになって行く。

そしてその回転が止まった後になってもクマカイはしばらく立ち上がらなかった。
心折れたのか、土下座のような体勢のまま蹲って動かない。

怯える小動物のように小さく蹲る様は憐れを誘う光景だが。
ロクに話も出来そうにない相手だ。この相手から得られる情報もないだろう。
無差別に人を襲う危険人物。生かしておく価値もない。

花子は一切の感情を動かさず、地面に削られ剥き出しになった生身の後頭部に銃口を向ける。
狙いをつけ、引き金に指をかけた。
後はそれを引くだけという刹那、それよりも一瞬早く、蹲った野生児から、何かが放り投げられた。
全てを見通す瞳が、スローモーションのようにそれを捉える。

スタングレネード。

爆音と閃光により周囲の人間を無力化する閃光発音筒。
土下座の様な体勢は怯えて勝負を諦めた訳ではなく。
目と耳を守るのに最も適した体勢だった。

ギリギリまで引き付けたスタングレネードが炸裂し、音と光が世界を包んだ。




406 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:37:52 XB.BK6.E0
「朝顔さん! 朝顔さん!」

泣き叫ぶように倒れこんだ茜に海衣が縋りつく。
茜はその呼びかけに応えることもできず苦し気に浅い呼吸を繰り返し、口から塊のような血を吐いた。

「処置します、離れてください……!」

そこに与田が駆け付け海衣を引きはがした。
海衣は自失茫然とした様子で胸の前で手を合わせる事しかできなかった。

与田が茜の服を脱がせ傷口を確かめる。
胸部は大きく凹んでおり、強打を受けて胸腔に血液が蓄積する血胸が引き起こされている。

「……麻酔を打ちます」

麻酔と言っても、ヤクザ事務所から拝借した薬物である。
合法的なものではないが毒も薬も使いよう。
痛み止めの麻酔の役割は果たしてくれるだろう。

同じく事務所にあった注射器で麻酔を打ち込み、続いて空になった注射器を脇下に宛がう。
使いまわしは衛生的によろしくないが緊急事態だ。
針を深く突き刺し、胸腔内に溜まった血液の吸引を試みる。

慎重に肺に溜まった血液を抜き取ってゆく。
処置が完了した辺りで麻酔が効いてきたのか、いくらか呼吸が落ち着てきた。
苦しげな表情が和らいだことに、その様子を見守っていた海衣が胸を撫で下ろしたところで。

「朝顔さん――――何か、言い残したことはありますか?」

与田がそう問いかけた。
遺言を聞くようなその言葉に海衣が与田に掴みかかる。

「どういう……つもり?」
「どうもこうも……無理ですよ、こんな所じゃ手術なんてとても」

茜の負った傷は致命傷だった。
折れた肋骨がいろんなところに突き刺さっており、内蔵にも大きな損傷がある。
最新鋭の設備で手術すれば助かる見込みはあるかもしれないが、手術道具の一つもないこの状況では治療は不可能だ。

最初から与田が行っていたのは回復のための治療ではなく。
最期の時間を与えるための終末医療だった。

「…………そん、な」

茜は助からないと。
医師に宣告に目の前が真っ暗になる。

「お願いです……助けて、助けてください! 朝顔さんを助けてください……お願いします……ッ!!」

怒りを秘めた抗議は、縋りつくような懇願へと変わる。
だが、どれだけ頼まれようが与田にはどうしようもない。
ただ苦々しい表情で視線を逸らす事しかできなかった。

「…………いいの、先生を……困らせないであげて」

それでも諦めきれずに食って掛かろうとする海衣を制止する声があった。
茜だ。

「朝顔さん……!?」

海衣は与田の掴みかかっていた手を放して茜の横に屈みこむ。
解放された与田は乱れた襟を正すと、空気を読んでその場から静かに離れた。
これ以上出来ることはない。残されるのは少女たちの時間だ。

「…………手、ごめんね、せっかく……教えてもらったのに」

咄嗟の事だったからだろう。
繋いでいた海衣の手には火傷の痕が刻まれていた。
コントロールの仕方を学んだのに、また暴発させてしまった。

「いい……っ。そんなことはどうでもいいから…………!!」

焼けた手で再び彼女の手を取り握り締める。
火傷の痛みなどどうでもいい。
大切な友達がいなくなってしまう。

「…………どうして? どうして私なんかを庇ったの?」

あの時、狙われたのは海衣だった。
茜が手を引かなければ、こんなことにはならなかったのに。
洋子の時だってそうだ。自分を助けて誰かが死ぬのはもう沢山だ。
自分には誰かに庇われるような価値はないのに。


407 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:39:29 XB.BK6.E0
「友達を、助けるのは…………当たり前じゃん」

海衣の疑問に茜はそんなことかと、唇を震わせながら笑顔を作る。

「…………嬉しかったよ…………友達って……思ってくれてたこと」

ずっと一方的な思いだと思っていたから。
思わず抱き着いてしまうほど、本当に、嬉しかったのだ。

「私……ずっと氷月さんの事…………綺麗だなって思っていた。
 …………見た目だけじゃなくて、周りに流されず……自分を貫く姿とか……すごいなって…………」
「違う。私は、そんな立派な人間なんかじゃ……」

海衣はゆっくりと首を振る。
凄くなんてない。
海衣は逃げる事しか考えていなかった臆病者だ。

両親から。
この村から。
何もかもから逃げ出したかった。

だけど、海衣が人間関係を築けなかったのは両親のせいだけではない。
この村を出ていくと決めた時から、全てを遠ざけていたのは自分自身だ。
いつか必ず別れる相手と心を通わせる勇気がなかった。
それは海衣の弱さだ。

「…………いいよ、それでも」

立派じゃなくても、美しくなくても、臆病者でも、弱くたっていい。
それを含めてあなたなのだから。

「私は……あなたと、お友達になりたかったの」

お姫さまじゃなく、ただあなたとお友達になりたかったんだ。
それが叶った願いの先、ずっと秘めていた願いを叶えよう。

「ねぇ…………海衣ちゃんって呼んでいい?」

ずっとそう呼びたかった。
そう言えば、あの時咄嗟に呼んでしまったなと思い出して少しだけ照れてしまう。

「……うん…………うんっ!」

少女は止めどなく大粒の涙を零しながら頷きを返し、取りこぼさぬよう大切に両手で少女の手を握りしめる。
だが、握り返す力は悲しいほどに弱い。
熱を放つはずの彼女の異能は働かず、体温も失われてゆく。

両手から大切なものが零れ落ちてゆく。
血が、熱が、命が。
繋ぎ止めようと強く握りしめてもそれは無意味で。
ただ、何も出来ない己の無力さをただ突きつけられる。

「ぅあ…………ぁ。ダメ。ダメだ、死なないで…………死なないで茜ちゃん!」

懇願も空しく響く。
全てが失われてゆく。
その絶望を覆い隠すように、瞬間、世界を音と光が包んだ。

強烈な光が目を潰す。
音は爆撃の様に鼓膜を突き抜け、脳を揺らした。

だが、全てがどうでもいい。
光や音よりも、目の前で消えゆく命の方が大切だった。
大切な友達が居なくなってしまう。

全てが白く染まる光の中で、握りしめる手の感触だけが確かだ。
だが、繋いだ手から力が失われるのが分かった。

「ぅぁ……ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」

少女の喉の奥から、全てをかき消す慟哭のような絶叫が響いた。
シナプスが火花の様に炸裂して脳が弾ける。
内側から発生する灼熱で臓腑が焼ける。
絶望と黒い感情が己の中を支配する。

終わる世界。
全てを終わらせてしまいたい脳内(イメージ)が世界を塗り替えるように広がって行く。

少女の全身から冷気の嵐が噴き出し、暴走する吹雪となって辺り一面に吹き荒れた。
光と音を食い破るように、彼女の殺意が氷となって世界を覆う。


408 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:42:07 XB.BK6.E0
「ッ!?」

今まさに視界を潰した獲物に襲い掛からんとしていたクマカイに向かって、一条の氷が奔った。
スタングレネードに対して防御態勢を取っていた花子たちと違い、クマカイは完全なる攻撃態勢となっていた。
故に、その一撃は強力なカウンターとなる。
襲い掛かる氷の棘が全身へと降りかかり、その一欠片が眼球を掠めた。

「ぐぅっ…………ッ!!?」

クマカイは瞬時に攻撃を取りやめ、動物のような機敏さで後方へ引く。
氷河期のような環境変化。
野生に生きる者は自然には絶対に勝てないと身に染みて理解している。
環境ごと変える力には慄くしかない。

生存本能と自尊心が天秤にかけられ、音を立て砕ける勢いで歯噛みする。
クマカイは引く事を選んだ。
禊は叶わず、敗走を繰り返すしかない。
苦々しい思いを抱えながら、クマカイはその場から離れて行った。

「どこだ…………どこに行ったッ!? 殺す…………殺してやる!!」

殺意と怨嗟の声をまき散らす。
少女はふらつきながら、霞んで殆ど見えない瞳で仇の姿を探していた。

音に揺さぶられて耳鳴りがして激しく頭が痛む。
怒りと悲しみによるものか、それとも閃光に焼かれての事か、流れる涙が止まらなかった。

凍って行く涙を地面に落としながら。
まともに動くのも辛い状況であろうとも止まれない。
暴走する様に憎き仇を探し求めていた。

「止まりなさい。もう逃げたわ。アナタでは追いつけない」

止まれと言う声がした。
だが、海衣は言葉を無視して突き進む。
友の仇だ。
止まれと言われたくらいで止まれるはずがない。

「落ち着いて。いつものあなたらしくもない」
「離せ! アナタに何が分かる!!?」

掴まれた手を乱暴に振り払う。
落ち着けるはずがない、落ち着くつもりもない。
なんとしても友の仇を殺すまで、何がっても止まれるものか!

明らかに暴走する海衣。
それに対して花子は怒るでも窘めるでもなく、氷以上に冷たい声でただ事実だけを告げる。

「能力を解きなさい。このままだと与田先生と珠ちゃんが死ぬわ」
「………………あっ」

その言葉に急速に頭が冷えた。
振り返って、ようやく僅かに回復してきたぼやけた視界で背後を見る。

「ぅっ……ぅ…………」
「………………さ、寒い」

そこには、地面に伏せて彼女の生み出した冷気の波に巻き込まれている珠と与田の姿があった。
フラッシュバンによって身動きを取れなくなった所に襲い掛かった寒波をもろに浴びたようだ。
このまま続けば下手すれば凍死しかねない。

そして回復してきた視力で見れば、一番ひどい被害を被っていたのは目の前の花子だった。
花子の左手は氷に包まれていた。
殺意の氷が向けられたクマカイの一番近くにいたからだろう。
それに巻き込まれて半身を氷に覆われたようだ。


409 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:44:13 XB.BK6.E0
「あの…………私っ」

自らの仕出かしてしまった事を自覚し、海衣が顔を青くしてゆく。
復讐心に捕らわれ仲間たちを傷つけてしまった。

「いいのよ。まだ大した被害が出たわけじゃない。センセと珠ちゃんには後で謝るとして。
 わざとやった訳じゃないのだからそこまで気に病む必要はないわ。反省して二度と繰り返さなければそれでいいのよ」
「…………はい」

項垂れたまま反省を示す。

「けど……田中さんの手が」
「ま、そうね。氷は溶けるのを待つしかないわね」

冷気に煽られただけの与田たちはともかく、花子の左手は氷に覆われている。
こればかりは自然解凍を待つしかない。
奇しくも先ほど閉じ込めた特殊部隊と同じ状況だが、防護服に包まれた無効と違い生身で氷の触れ続けることになる。
凍傷は免れないだろう。

そして、被害を受けたのはもう一人。
体温を失った死体は氷中で氷葬にされていた。
氷に閉じ込められた彼女を解き放つ手段は彼女と共に失われた。

動かすことも触れる事すら許されない。
己の暴走の咎。

「……すいませんでした。落ち着きました」
「ん。茜ちゃんのことは敵を見抜けなかった私の判断ミスよ。それに関しては恨んでくれて構わないわ」
「恨むだなんて、そんな…………」
「ま。その辺は今は内にしまってちょうだい、まずは珠ちゃんたちを介抱しましょう」

そう言って花子はショック状態で動けないままの球たちの下へ向かって行く。
花子はああ言ったが、責任があるとしたならば他ならぬ海衣自身にある。
花子を恨んでなどいない。

だが、茜を殺したあの女を許すつもりはない。
何より奴は、嶽草優夜の皮を被っていた。
つまり嶽草も殺している。友人2人分の仇だ。

その仇は必ず取る。
復讐心に身を任せて殺意を暴走させたりはしない。
暴走する本能ではなく、氷のような理性で殺してやる。
そう氷の棺を見つめながら、掌の痛みに誓う。

【朝顔 茜 死亡】

【D-3/木更津組事務所前/1日目・昼】

【田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、謎のカードキー
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.珠から聞いたポイントの調査。
2.診療所に巣食うナニカを倒す方法を考えるor秘密の入り口を調査、若しくは入り口の場所を知る人間を見つける。
3.研究所の調査、わらしべ長者でIDパスを入手していく
4.謎のカードキーの使用用途を調べる

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.珠と与田に謝罪する。
2.女王感染者への対応は保留。
3.茜を殺した仇(クマカイ)を許さない
4.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、フラッシュバンによるショック状態、軽度の低体温症
[道具]:なし
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.記憶の場所に案内する。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。

【与田 四郎】
[状態]:フラッシュバンによるショック状態、軽度の低体温症
[道具]:研究所IDパス(L1)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい




410 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:45:10 XB.BK6.E0
超自然的現象によって生み出された冷気によって、クマカイは撤退を余儀なくされた。
氷の棘が刺さった左目からは朱い涙の様な雫が流れていた。
完全に失明した訳ではないだろうが、風景が霞んで殆ど見えなくなっている。

日に2度敗れる、2度目の敗走だ。
野生児は悔しさを滲ませながら、道筋を走る。

駆け抜けてゆくうち、自然の残る雄大で牧歌的な風景はどこか冷たい都会的な景色へと変わって行った。
それは人間が便利で文化的な生活を送るために多くの自然を切り開き生み出した最新部
高級住宅街と言う、彼女の生きた自然の世界とは対極の人工の世界の入り口だった。

動物たち喧騒は都市の静寂に塗りえられた。
青々とした木々は冷たい石とコンクリートの建造物に置き換わってゆく。

体に負った傷や痛みよりも、その光景に息苦しさを感じてしまう。
空に太陽が浮かんでいるのに暗闇の底を走っているような閉塞感があった。
まるで地の底にいるかのよう。

遠く見つめれば、すぐそこに在るはずの故郷は遠く。
山に住まう動物たちもゾンビとなっているだろう。
かつて、そこには熱狂もここでは感じられない。

その山に彼女を待つ者などいない。帰る場所など既に失われている。
彼女が知る由もないが、このVHの始まりの時点で自らの手でその縁を断ち切ってしまった。
もはや、どこにも戻る場所のないひとりぼっち。

閉塞の檻。
絶滅の迫るニホンオオカミのように、孤独の中を走る。
世界が終わったような倒壊と崩壊が並ぶその先で。

懐かしい宿敵(とも)に出会った。

異常なまでに筋肉質な体つきと天を突くような巨躯。
分厚い体毛の生える表皮はワニの堅固な鱗で覆われた。
災害と厄災によって生まれたクマとワニの成れ果て。

野生の少女は血濡れの瞳とボロボロの体で笑みを浮かべた。
母の仇にして山の王者の座をかけて雌雄を決した宿敵。
姿形は変わり果てていたが、それでもすぐに分かった

彼らの山は失われた。
互いに姿も歪み、何もかもが変わり果てた。
ここには決闘を見守るオーディエンスはいない。

だが、それでも、そこに敵が居る。
全てが変わり果てたその先でも、それだけで、ここには野生があった。

人食いの少女と独眼の熊が対峙する。
共通する言語を持たない二人の間には交わす言葉などない。
見守る物などいない静寂の中、ただ視線だけが交錯する。

「――――――なんだ、まだそんな野生(もの)にこだわっているのか」

だが、熊の異形がありえない言の葉を吐いた。
そこには周回遅れを見下す様な嘲笑と悪意が込められていた。
ああ、なんて人間らしい声。
言葉の意味は分からずとも、その悪意だけはクマカイにも理解できた。

その挑発に応えるようにクマカイが喉を鳴らすように嘶き、四つ足で地面を踏みしめる。
交わす言葉も、傷の舐め合いも、孤独への慰めも不要だ。
あるのは元より殺し合う宿命。


411 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:45:56 XB.BK6.E0
「ぐぅぅううああああああああああああああぅうぅッ!!!」

クマカイが負傷を思わせぬ疾風の様な速度で駆けだした。
独眼熊はこれを迎え撃つが、巨大な体躯では機敏な動きに付いていけない。
クマカイはあっという間にその懐に飛び込んだ。

だが何をするでもなく、クマカイはその脇をすり抜けるようにそのまま駆け抜けて行った。
それは視覚でも聴覚でもない、野生の直感。
目の前の存在がソウでありソウでないと理解していた。

クマカイは分身に惑わされず、何の迷いもなく隠れ潜んだ本体へと一直線に向かう。
角の先に潜む相手に向かって、砕く勢いで対面の壁を蹴り三角跳びの要領で飛び込んでゆく。
その流星の様な勢いは、熊の分厚い筋肉もワニの強固な皮も一撃でぶち抜くだろう。
そんな彼女を。

「――――――――ばぁ」

出迎えたのは銃口だった。
銃声が響き、クマカイの体が撃ち落とされた。
それは野生としての誇りを捨てた一撃である。

野生は既に野生ではなく。
敗者は既に敗者ではなかった。

「ははははははッ! これが狩りか、人間どもが夢中になるわけだ!」

嘲笑が轟く。
策を練り準備を重ねた。

分身を見抜いたという成功体験を与えてやれば、簡単に飛び込んでくるだろうと踏んでいた。
後は避けようのない狭い通路で的を撃ち抜くだけである。
よく知る相手だからこそ動きを誘導するのは簡単だった。

罠を張り動きを誘導して獲物を撃ち抜くその快楽。
策がハマった瞬間には野生の時とは比べ物にならぬ興奮があった。
その下卑た笑みからは、猟師としての誇りなど微塵も感じられない。

舗装された冷たい石畳に赤い血液が流れ、溝に沿って流れてゆく。
猟銃の一発を胸に受けたクマカイは地に伏せながら、天を衝くような巨大な獣を睨み付ける。

あの熱狂に燃える山で、共に雌雄決した野生はそこにはなく。
この孤独を分け合えるはずの同族は既に消え果てていた。
彼女は独り、野も花もない場所で朽ちる。

「ではな、野生の王よ。その称号はくれてやる」

野生を超越した獣はそう言い残すと。
かつて同族だったものから向けられる侮蔑の視線に気が付くことすらなく、トドメの一撃を打ち込んだ。




412 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:47:30 XB.BK6.E0
巨大なヒグマが小さな少女を喰らっていた。
勝利の美酒に酔うように、その血肉を味わう。

喰らう度、ベキ、バキと固い荷物を無理矢理折り畳むような鈍い音が響く。
3メートルを超える巨体が、その半分にも満たぬ小柄な少女の肉に収まってゆく。
そして、見るだけで誰もが恐れる合成獣の姿がただの少女へと変わって行った。

クマカイの異能『弱肉強食』
喰らう事を起点とする能力だったからだろう。
殊の外、相性がいい。
肉を纏う異能はすぐに馴染んだ。

自らの異形が相手の警戒を煽ることはナニカも理解していた。
無用な警戒は狩りの邪魔だ。
如何に相手の油断を引き出すかが肝要である。
この姿は狩りに置いて、実に都合がいい。

銃を握る。
そして右に左に素早く構えを繰り返す。

「これは、いい」

熊手の時とはまるで違う、実に手になじむ。
人の手で扱うために造られた武器である。
人の手になじむのは当然のことだ。

人の思考を得て、人の皮を被り、人の武器を操る。
果たしてそれは熊か? 人か? それとも別のナニカなのか?

勝利は蚊トンボを獅子に変化る。
ならば、熊であれば何に変化る?

その答えを知る者などどこにもいないだろう。

【クマカイ 死亡】

【C-3/高級住宅街・道路/1日目・昼】

【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生とそれによる自我侵食、クマカイに擬態、知能上昇中、烏宿ひなた・犬山うさぎ・六紋兵衛への憎悪(極大)、犬山はすみ・人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、猟師・神楽・犬山・玩具含むあらゆる銃に対する抵抗弱化(極大)
[道具]:ブローニング・オート5(3/5)、予備弾多数、リュックサック、懐中電灯×2
[方針]
基本.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
1.己の慢心と人間への蔑視を捨て、確実に仕留められるよう策を練る。
2.準備が終わり次第、"山暮らしのメス"(クマカイ)と入れ違いになった人間の匂いを辿り、狩りに行く。
3.異能に目覚めた特殊部隊の男(大田原源一郎)は放置し、人間の数を減らさせる。
4.神楽春姫と隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼし、怪異として退治される物語を払拭する。
5."ひなた"、六紋兵衛と特殊部隊(美羽風雅)はいずれ仕留める。
6.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
7.特殊部隊がいれば、同じように異能に目覚めるか試してみたい。
[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫とクマカイの脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』、『弱肉強食』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じことができるようになりました。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※銃が使えるようになりました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。
※脳を適当に刺激すれば異能に目覚めると誤認しています。


413 : THE LONELY GIRLS ◆H3bky6/SCY :2023/08/25(金) 22:47:40 XB.BK6.E0
投下終了です


414 : ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:42:02 Vut.XgHQ0
投下します。


415 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:42:45 Vut.XgHQ0
西洋の食文化―特にフランス料理において、代表的な食事スタイルであるフルコース。
歴史は一六世紀半ばから始まり、現在に至るまでイタリア・オーストラリアの食文化を取り込んで発展を続けている。
しかし、如何に時間が経とうともその格式の高さは変わらず、未だ食文化のトップに君臨し続けている。
山折村にも自らフルコースを考案する若き紳士が一人。それを再現すべく麗しき助手と共に今、旅立つ。



「宇野和義さんの、住所……ですか〜?」
「ええ、役場勤めの貴女なら知っているかと思いまして」

袴田邸の応接間にて。ソファに座るはすみはきょとんとした表情で隣合って座る夜帳の陰気な顔を見上げた。
ひなたとうさぎが袴田邸を出発してから既に数十分。口下手な自分の話の齟齬へ突っ込む存在がいない二人きりの空間。
当初の目的――リンを連れ去った宇野和義の情報を聞き出すまたとない機会が意図せずに訪れた。
聞き取り先は犬山はすみ。夜帳の異能によって彼の従順たる眷属となった麗しき乙女である。

はすみは山折村役場の施設課一職員でありながら、人当たりの良さや強い責任感により、度々村内のトラブル背負い込んできた苦労人である。
本来の業務である公共施設の管理から始まり、村の重鎮達の殴り合い寸前の議論の仲裁に至るまで彼女は身を粉にして働き続けていた。
また、彼女自身も村のイベントに積極的に参加するなどして村民と交流を深めているため、彼女のことを知らない村民はいないと言われている程。
そんな彼女だからこそリンを連れ去った宇野の住所も知っている可能性が高いと踏み、向かう先――古民家群にある彼の住処を聞き出そうと考えた。

「ええと……ごめんなさい、分かりません。宇野さんの奥さんには野菜を貰ったりしていたんですけど〜。住所も聞いておけば良かったでしょうか〜?」
「……そう、ですか……」
「本当にごめんなさいね〜」

心から申し訳なさそうに目を伏せるはすみを責める訳にもいかず、夜帳は小さく溜め息をつく。
はすみの現在の状態や誠実かつ真面目な性格から鑑みるに、彼女が自分に嘘を言っている訳ではないだろう。
そんな彼女に対して無知を詰るほど自分は狭量な人間ではない。落胆こそすれ、怒る理由はない。
あわよくばという目論見が外れ、別の手段を模索しようとすると。

「でも、市民課担当の安遠課長……安遠真実さんのデスクに宇野さん一家の住民基本台帳のペーパーがあると思いますよ〜」
「……なんですって?」

はすみの間延びした声に夜帳の動きが止まり、同時に頭に疑問が浮かぶ。
ここ数年、村長である山折厳一郎によって辺鄙な山折村にもIT化の波が訪れ、住民票などの個人情報は大部分がデータ化されたとのこと。
また都会から出戻りしてきた安遠も同様。厳一郎が周囲の声を無視し、前任の字蔵誠司を異動させて安遠を課長へと昇格させたらしい。

「安遠さん主導で役場のデジタル化を進められたと聞いていたのですが、役場のPCならともかく彼がペーパーを保管する理由が理解できかねます。
……そもそも彼は前職がシステムエンジニアだ。栄養剤を処方する際にも周りに吹聴していました。根拠はあるのですか?」
「安遠課長自身が私におっしゃられてましたよ〜。ええと、確か茶子が有休を取っていたゴールデンウイーク二週間前でしたね〜。
その時食堂でお昼をご一緒させて頂いたのですが――――」


416 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:43:07 Vut.XgHQ0


『日本は平和で秩序の保たれた国というのが万国共通の認識でしょう。しかしそれは表向きです。実際は秘密結社が政府の中枢機関に根を張り我々の平和を脅かしているのです。数年前、政府高官の娘が海外旅行中に国際テロ組織に誘拐されたというニュースがありましたよね。あれは日本政府への警告ですよ。日本政府は秘密結社の契約を反故にしたため誘拐されたのです。運よく現地の軍隊が助けたと報道されていしたが僕は違うと踏んでいます。秘密裏に行われた取引で返されたのです。取引の内容は不明ですが、日本にとって不利益なものだったに違いありません。その証拠が今日の不況だ。もし政府が秘密結社との約束を破らなければ今も僕は都内でSEとして第一線で活躍しているはずです。時代錯誤の字蔵前課長のもとでこき使われていた時期は屈辱でした。しかし、捨てる神あれば拾う神ありとは言ったもの。村長が僕に正しい評価を下さったお陰で今の地位に就いて腕を振るうことができています。ああと、話が逸れてしまいましたね。秘密結社は日本政府に限らず世界をも牛耳っているのです。秘密結社の名前はフリーメイソンです。フリーメイソンは日本を完全に支配下に置くべく暗躍しているのです。頻発している地震も彼らが地下で核を爆発させて発生させている人工地震だと言われています。他にも急速に広まった5G通信も彼らが洗脳電波を流すために発展させた技術だとも言われています。これ以上フリーメイソンの思惑通りにはさせない。その意志の元、僕は動いています。プライベートではアルミホイル帽を被って過ごすのもその一環です。その意味を理解できない輩が多いことが嘆かわしい!妄想だと言う村民もいずれ真実に気づくでしょう。ちなみに村長は僕の主張を聞いてくれた数少ない一人です。アルミホイルを被る僕には苦い顔をしていましたがいつか理解を示してくださるでしょう。役場のデジタル化、あれは僕が提案したものですよ。若者が多くなった今こそ導入すべきだと訴えたところ、理解を示してくださいました。この村に潜り込んだ構成員でも僕が組んだセキュリティは突破できていないようです。しかし、フリーメイソンの技術は世界屈指のものです。いずれセキュリティが突破されて、個人情報が書き換えられてしまう恐れがあります。その対策として僕は紙でも住民台帳などを保管しています。原本があれば例え改竄されたとしても元に戻すことは簡単ですからね。僕をコケにする連中はいつか僕に泣きついてくる日が来るはずだ。こんなはずじゃなかったってね』




417 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:43:59 Vut.XgHQ0
「彼、正気ですか?」
「ええ、不思議なことに」

人間の補完機能とは恐ろしいものだ。
はすみの話は要点を抑えた内容だったのだが、夜帳の脳内ではキィキィと彼の耳障りな声が内容を勝手に膨らませて再生される。
ともかく、壊れた蛇口の如く彼の口から垂れ流された妄言の中にも有益な情報があった。
どうやら宇野和義の個人情報が記述されている住民基本台帳のペーパーは安遠真実のデスクに保管されているらしい。
彼のデスクの場所を知っているのは同じ職場の人間のみ。あの変人と交流のあるはすみに任せた方がいいだろう。

「夜帳さん、どうしましょうか〜?」

こちらを覗き込んで小首を傾げた愛嬌のある仕草をするはすみ。媚びるような男心を擽る彼女に思わず夜帳の頬が緩む。
これで当初の目的が達成される手がかりを得た。時間的にも既に宇野は自宅に到着している可能性が高い。

「役場へと向かい、宇野さん一家の住所を探しましょう」

強い意志を持って答える。
待ち伏せて取り戻すという目論見は崩れたが、夜帳がリンを助け出して彼女から信頼を得るというのも悪くはない。
寧ろそちらの方が、リンの血を吸い尽くすには都合が良い。。
贅沢を言えば万全の状態で迎えに行きたかったが、時間をかけるほどリンの生存率が下がっていくのが現状だ。
袴田邸でメンバーの到着を待っていては永遠にたどり着けぬものになってしまう。
多少のリスクを負ってでも追い求めるだけの価値が、あの幼き姫君にはある。

「疑問に思ったんですが、どうして宇野さん宅へと向かいたいんですか〜?お子さんは二人とも男の子のはずなんですけど〜」
「ああ、それは彼に連れ去らわれた女の子……リンちゃんという名前の子の血を吸い尽くそうかと思いまして」

当夜帳は初考えていた言い訳で繕わずにありのままの願望を曝け出して正直に答えた。。
それは夜帳が巷で噂されていた女性ばかりを狙って殺害し、血を啜った殺人鬼だと自供するようなもの。
自ら危険人物であるという自己紹介に対してのはすみの反応は、いつもと変わらない朗らかで優しい笑顔。

「そうだったんですか〜。変なことを聞いてごめんなさいね、夜帳さん」
「いいえ、寧ろ情報共有を怠った私にこそ非があります。こちらこそ申し訳ない」

犬山はすみは既に夜帳に血を分け与えられて吸血鬼の従順たる眷属になり果てている。
影響は彼女の心にまで及び、夜帳という怪異を是とする神職にあるまじき価値観へと変貌させた。
既に袴田邸ではすみと夜帳の毒牙にかかった犠牲者がいる。

「貴方の中で永遠に幸せになれるといっても恵子ちゃん一人じゃ寂しいと思うわ〜。
夜帳さん、この家に集まった女の子達も幸せに導いてもらえないかしら〜」
「ええ、いいですとも。不肖月影夜帳。麗しき乙女達のために尽力いたしましょう」

両手を差し出して淀んだ瞳で夜帳を見つめるはすみ。恍惚とした淫蕩な表情は狂信者そのもの。
その手を取り、真摯な眼差しで己の信者を見つめ返す夜帳。
彼らのやり取りは演劇の一幕、永遠の愛を誓うシーンを彷彿させる芝居掛かったやり取りであった。


418 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:44:27 Vut.XgHQ0
字蔵恵子。烏宿ひなたに救われてから様々な困難を乗り越え、その末に幸せを掴みかけた少女。
己の殻を破って外界へと羽ばたく寸前。悪意に煮詰められて捕食されてしまった哀しき末路を辿った。
その魂は肉体という器を身に着けた異能と共に抜け出して吸血鬼の魂と交わった。

夜帳のキスマークのついた魂の抜け殻は布団が敷かれた居間に寝かされている。
果実のように瑞々しい肌はその潤いが抜けてドライフルーツを思わせるようなカサカサとした肌へと変わった。
ふっくらとして細身ながらも程肉のついた手足も病人のように瘦せ細り、愛らしい顔立ちもその面影を僅かに残すばかり。
ただ、その寝顔だけは遊び疲れた子供のように安らかなものであった。

はすみの思考はそのまま。しかし彼女の価値観は歪まされ、女性は夜帳に吸い尽くされてこそ至上の幸福であると認識している。
自分よりも他人を優先する奉仕体質。地獄においても変わらぬ性質は主の幸せのための十分に発揮されるであろう。

「では、夜帳さん。準備をしましょうか〜」



ヒトという生き物は贅沢で欲深い存在だ。夢を叶えても決して満足はせず、新たな夢を生み出して催促を続ける。
かく言う己もヒトの性には抗えない。リンに限らず多種多様の乙女の血を求めるようになってしまった。
年甲斐もないと自覚しながらも夜帳はうきうきと心を躍らせながら準備を進めていく。
近くにはすみがいなければ歌を口ずさんでいたのかもしれない。

夜帳が己の中に巣食う性癖を自覚したのは学生時代。
同級生の女子がカッターで指を切り、保健委員としての義務をまっとうしていた時。
手当てが終わり、女子生徒が保健室を出た後。何気なしに彼女の血が付着した手を舐めた。
途端に溢れる充足感。スポーツや芸術に励んでも満たされなかった己が満たされる感覚。

時が経ち、己の歪な性癖に苦悩して何とか矯正しようしていた暗黒期。
血が好きであるのならば美食でも代用できるはずと世界中の様々な美食を味わった。
しかしどのような食事を味わっても「美味しい」と感じるだけで心が満たされることはなかった。
女性へ執着があるのならばと思い、恋人を作って愛を育んだ。
恋人への愛は本物であったと今でも断言できる。恋人も自分を愛していたと言える。
しかし、それでも心が満たされることはなかった。些細な行き違いから喧嘩別れをしてしまった。
そのことがきっかけか、友人達は愛想を尽かして夜帳から離れていき、彼はたった一人になってしまった。

苦しみに苦しみ抜いて、たどり着いた先が辿り着いた先が原点回帰。乙女の吸血である。

(袴田邸に訪れた乙女が六人。どなたも心身共に美しい方々でした)

字蔵恵子、烏宿ひなた、犬山はすみ、犬山うさぎ、天宝寺アニカ、金田一勝子。
何の偶然か。夜帳の根城に集まった乙女達は指折りの美女美少女ばかり。
その上、与えられたギフトは乙女の血を堪能することができ、その力を身に宿すことができる素晴らしき異能。
これだけの条件・逸材が揃っているのならば、長年の夢――乙女のフルコースが完成するのかもしれない。
若き紳士は夢見心地で目を閉じ、乙女達の赤ワインのような美しく味わい深い鮮血を夢想する。


419 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:44:57 Vut.XgHQ0
月影夜帳が考案する、うら若き乙女のフルコース。

前菜(オードブル)は字蔵恵子。儚げで華奢な雛鳥を彷彿される可愛らしい少女。
先程吸い尽くしたその命は、ほど良い酸味と塩味と僅かな甘みがきいた食欲を呼び覚ます味だった。
控えめながら歩みを進めようとしていた彼女の命が表現されていて、幼気な見た目も夜帳を満足させる一品に仕立て上げられていた。
例えるのならば、生ハムが巻かれた水牛のチーズとフルーツトマトのカプレーゼ。

スープは一品に相応しい乙女が袴田邸にはいなかったので未決定。
メインを着飾るような心優しくも譲れない芯のある美少女が望ましいと考えている。
犬山姉妹を考えていたが、口惜しいことに彼女らの血は夜帳の体質を否定するもの。
仮に現時点の情報で候補をあげるとするならば犬山うさぎの友人である岩水鈴菜。
うさぎ曰く、大人びて儚げな美貌に反して幼い部分を残す性格であるとのこと。
勝子らに助けられた鈴菜の血を治療すると偽って飲み干すのもいいかもしれない。

魚料理(ポワソン)は烏宿ひなた。彼女の名前が示す通り、その容貌は活力あふれたその姿は太陽を彷彿させる。
天真爛漫かつ好奇心旺盛な彼女の瞳の奥に隠された確かな知性に、他の少女達にはない美しさを感じた。
もし夜帳が運命と出会わなければ、彼女がメインを飾っていたといっても過言ではない少女。
味を想像するのならば、ラタトゥイユソースの肉厚な本マグロのミィキュイ。
生命力が満ち溢れた彼女の血は、肉料理と変わらぬ満足感を与えてくれるだろう。

口直し(ソルベ)は天宝寺アニカ。ビスクドールを思わせる美貌もさることながら、何よりも目を引くのは長く美しい金の髪。
『天才』と各種メディアで持て囃されるだけあって、何気ない仕草からも育ちの良さや聡明さが滲み出ている。
欠点といえば護衛が見苦しい男であったこと。同じ剣道有段者でも見麗しい乙女であったなら文句はなかったのだが。
想像するのならば、アップルミントを添えたブラッドオレンジのソルベ。
幼くも品の良さが見える彼女の味は上品で爽やかな柑橘類のように、肥えた舌をリセットしてくれるだろう。

そして肉料理(ヴィアント)。つまりフルコースにおけるメインディッシュにあたる逸品。
夜帳にとって至上の乙女でなければならない。それに該当するのは只一人。
『リン』。夜帳の理想を体現したような美しさと愛らしさを併せ持つ真紅のドレスを身に纏った幼き姫君。
華奢で美しい手足。黄色人種とは思えぬほど白く透き通った肌。夜空を思わせるような濡羽色の黒髪。
黄金比を体現したかのような芸術品とも称すべき身体。それを包むラッピングは夜帳好みの鮮血のような赤。
容貌は妖艶と無垢が入り混じった天使そのものと言えるもの。仕草一つとっても男という存在を狂わせかねない色気が漂っている。
彼女こそ夜帳の理想の体現。彼女を一目見た時、夜帳の中で「美しさ」という概念が書き換わった。
例える味は想像がつかない。しかし、前の四品ですら前座にしかならぬだろうと確信している。

しかし、最後の逸品がなければフルコースは終わらない。
最後の締めこそ至上のフルコースを司る素晴らしき乙女でなければ、夜帳の美学が許さない。

デゼールは金田一勝子。リンを除いた四人の乙女と同様に彼女もまた穢れなき美しい女性。
貴族の様な上品な立ち振る舞いや女性として完成したといえる芸術品の様な肉体美、顔立ちも夜帳好みの西洋風の美貌。
気高き精神や集団を率いるカリスマ性もまた彼女の美しさを引き立てる要素に違いはあるまい。
その味を想像すると柑橘類のメレンゲと生クリーム、アイスクリームを挟んだヴァシュラン。
酸味のアクセントが聞いたコクのある濃厚なクリームの様な血液は、最後の逸品とは思えぬほど高カロリーなものだろう。
しかし今の夜帳の食欲は若さを取り戻している。デザートは別腹という言葉がある通り、その味を楽しめると確信している。

(……いけませんね、こうなってくると食前酒やサラダ、食後のコーヒーまで欲しくなってくる。我ながら贅沢な悩みだ……)

しゃがみ込んで準備を進めていた手を止め、夢のフルコースに想いを巡らせる。
今まで感じたことのない夢見心地。無防備になった夜帳の背後に人影が迫る。


420 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:45:22 Vut.XgHQ0
「―――夜帳さん。大丈夫でしょうか〜?」
「ひゃうッ!」

肩に置かれた女性の白い手に驚き、夜帳は文字通り飛び上がった。
尻餅をついて背後を見やると、はすみが目をぱちくりとさせていた。

「ごめんなさい、夜帳さん。驚かせるつもりはなかったのよ」
「い……いえ、気にせずに。私も早く準備をしなければ……」

真摯にあるまじき醜態を見せてしまい、夜帳は激しく動揺する。
その様子を微笑ましく笑い、はすみは夜帳の口元に人差し指をあてた。

「…………勃牙、してますよ」

紳士はひどく赤面した。



「お気遣い、感謝いたします。異能がバレては行動に支障がでますからね」
「いえいえ〜。夜帳さんのパートナーとしては当然のことですから気になさらず〜」

異能の発動の隠蔽するため、夜帳ははすみと共に不織布のマスクをかけた。
このご時世だ。マスクをしていたとしても不審に思われないだろう。
改めてはすみと向かい合い、持ち出す道具や装備、彼女の状態など出発前の確認を行う。

「これは……モデルガンですか〜?」
「ええ、こちらは私の異能を発動させるために使います。流石は小説家のお宅だ。ネタ出し用の物資も豊富でした」

閻魔から奪い取った異能『威圧』は恐怖をトリガーとして効果を発揮する常時発動型のもの。
外見に限れば本物とほとんど差異が見当たらない精巧な作りのモデルガンを向けられれば、一般人ならば少なからず恐怖を感じるだろう。
ましてや現在の山折村は猟銃が地面から生えてくる異常事態。異能発動の成功率は高い。
サブウェポンとして金槌も持ち出している。標的が背中を見せた瞬間、殺さずに無力化できる。
医療関係者として信頼を得るための薬物も含めた医療道具にも不足している物資はない。
恵子を眠らせた抗不安剤のストックもまだ十分にある。薬剤師としては暴力ではなくこちらで目的を果たしたいところだ。

また、はすみも同様に袴田邸の物資をかき集めて夜帳のサポートができるような装備を整えた。
荷物としてはかさばる救急箱の医療道具は夜帳のものと大部分が被るため、最低限のものを持ち出すことに決めた。
また、夜帳に差し出す供物を捕獲するアイテムはスタンガン。袴田が持っていた理由はネタのためか、自己防衛のためか。
宇野からリンを取り戻す時のことを考えて柳刃包丁も台所から持ち出した。彼女自身も『威圧』を持っているのでそれを生かすための物資。
リンのアフターケアも考えてテーブルにあったチョコレート菓子と水筒も回収しており、彼女らしい細やかな気遣いが見て取れる。

「―――と、まあこんな感じで大丈夫でしょう」
「お疲れ様です〜」

苦労を労うようなはすみの笑顔へ夜帳もまた笑顔で返す。
彼女を眷属にして正解だったと何度目か分からない満足感を覚える。
山折村でのはすみ老若男女問わず誰からも好かれる信頼できる女性という安心安全のブランド。
夜帳の従順な下僕と化してからその奉仕体質は、彼に都合がいいものへと変わっている。
そんな彼女を易々と手放すわけにはいかない。そのためには。


421 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:45:46 Vut.XgHQ0
「はすみさん、これをどう思います」
「――ッ!」

汚物を扱うかのような親指と人差し指で摘まんだ所作ではすみ自身が作り出した護符をはすみの目の前に突き出す。
ずいっと顔に近づけると彼女は心底嫌そう美貌を歪ませて顔を背けた。

「…………そんな汚らしいもの、見せないでください……」

夜帳とて好き好んでこんな悍ましいものに触れてなどいない。
自分の傀儡となった彼女の状態を確かめるためだ。もしかすると彼女の異能にも影響が出ているのかもしれない。

「この護符は異能により生み出されたものだ。貴女の御妹のうさぎさ―――はすみさん、大丈夫ですか?」
「く……ぅ……」

言葉が終わる前に頭を抱えて苦しみ出すはすみに夜帳は護符を投げ捨てて彼女の顔を覗き込む。
頭を抱えて苦悶の声を漏らすはすみの様子を気遣いつつもその原因は何かと考える。
医療関係者としての考えは違う血液型で輸血したため拒絶反応が起きたと考えた。
しかし、袴田に血を分け与えたときは、夜帳の血液型とは違うものであったが生ける屍と化していた袴田の身体に異変は見られなかった。

(はすみさんの血筋は神社の家系。私の異能は吸血鬼に関係するもの。だとすると血が混じったことで拒絶反応が起きたのでしょうか?)

陰と陽。吸血鬼と巫女。血筋からして犬山はすみは怪異とは決して相容れぬ存在。
吸血鬼に新生した怪異としての夜帳の思考が顔を出す。その考えが正しいとするのならば。

「はすみさん、私がOKを出さない限り異能の使用を控えるように」
「え……でも」
「貴方のためではありません。私のために言っているのです」
「…………はい」

ある程度、体調を取り戻したはすみは夜帳の言葉にうなだれる。
夜帳の忠実な下僕と化したはすみにとって、彼の言葉は何よりも優先される。

はすみがあらかじめ持っていた異能を使用した場合、彼女の身に何が起こるのか不明。
替えの利くゾンビではない貴重な手駒を失うリスクは避け、安全策を取るべきだろう。
しかし、他人を優先する彼女の性質から考えると自分が見ていないところで勝手に異能を使用してしまう可能性もある。
面倒事を避けてできる限り安全策を取りたい夜帳は、念のため釘を刺しておいたが、いつ破られるか不安で仕方ない。

(全く……度が超えた奉仕体質というのも考え物ですね……)
「では、そろそろ出発――」
「ま、待ってください!」

「何か」と眉を潜めてはすみの方を向くと、差し出されたのは紙切れ。

「これ、ひなたさん達が帰ってきたときの書き置きです。念のため、確認お願いします。
それから私達が出ていったことを怪しまれないように部屋の配置を変えてから出発した方が――」




422 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:46:18 Vut.XgHQ0
『こんばんは、星空が綺麗ですね。少しお話しいいですか?レディー』

『謹んでお断りって言ったらどうする……話の途中で銃弾撃ちこむとか正気かしら?ブルーバード』

『少なくとも下で職員を虐殺した貴女には言われたくありませんね』

『その根拠は何かしら?私以外にも同じ服を着た連中が下で堂々と歩きまわっていた筈よ』

『……貴女以外に防護服を着た連中はSSOG。彼らのターゲットはテロ組織の残党。研究所関係者ではないはずです。
貴女が殺しまわっていたのは研究所関係者。死体の損壊具合も異なりました。
残党の死体は原型を留めていないものが多数。銃火器によるものが多かった。対して、研究所関係者の死体は全て鋭利な刃物によるもの。
先程銃弾を弾いた技量を見るに、下手人は貴女でしょう?』

『だと言ったらどうするかしら?今更貴女が正義のためだとか言ったらお笑いね』

『……隣にいる拘束された研究員。彼を保護するために派遣されました』

『あら奇遇。私も彼を回収するために呼ばれたのよ』

『私と貴女の目的は違うみたいですね』

『同じでしょう?』

『同じというのならば彼をもっと丁寧に扱ったらどうですか?せめて拘束と目隠し、口枷を取ってくださらない?』

『無理ね。守秘義務がある以上、彼には静かにして貰わない……あッ……コイツ!』

『……ッ……そこの人、聞いてください……!彼女は――――!それから……できれば……僕は大丈夫だってス……ガッ!』

『ったく、油断も隙もないな。暫く寝とけ……で、どうするの?ヘリが来るのはあと五分。大人しく引けば五体満足で貴女を見逃してあげるわよ』

『そちらこそ彼を解放すれば五感無事で見逃しますよ。私は最強なので実力差を理解して正しい判断を期待します』

『奇遇ね。私も最強なの。どうやらそちらも引く気はないようだし、残念だけど交渉決裂ね』

『ええ――』『では―――』

―――殺し合いましょう。


四月某日の関東地方にある離島、新島にて。
ここ数年で急激に開発が進んだこの孤島に建設された複合施設『テクノクラート新島』。
その施設を中心に、既にリーダーを失ったはずのテロ組織が新島全土を占拠した前代未聞の大規模テロ事件。
事態収束まで一週間、日本どころか世界も注目していたこの事件は派遣された自衛隊によって収束したと言われている。
しかし現地の住民によると、とある二人組が事件を解決に導いたと言われており、名前は伏せられていたが一人は有名人だったらしい。。
また彼らと同様に観光客であろう女性も事態収束に一役買ったとされ、現地の人々からメディア越しに名無しのヒーローに感謝の言葉が述べられていた。


423 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:46:53 Vut.XgHQ0
死傷者こそ大規模テロとは思えぬほど少なかったものの、国民を恐怖に陥れたこの事件の熱はそう易々と冷める筈はない。
事態が収束して二週間――ゴールデンウイーク前でも流れるニュースはおススメ観光スポットではなく、大多数がテクノクラート新島のテロ事件である。
多少落ち着いてきたとはいえ、熱中は未だ冷めず。山折村の住民もよくこのテロ事件を話題にしている。
山折村に潜入捜査中の若きエージェント――天原創もこの事件に注目し、山折村の調査と並行して独自の情報収集に務めていた。

山折村の古民家群南東部。そこには荒くれ者が集う『八藤空手道場』が建っており、木更津組事務所ほどではないにせよ治安の悪い地域になっている。
八藤空手の師範や跡取り息子がガラが非常に悪いことも相まって、用事があるか余程のもの好き出ない限り、村民の大多数はそこに寄り付かない。
そのような危険地帯にある一軒の古民家を『天原遥』という仕事で家を空けがちな姉が家を借りている、という設定で創は一人暮らしをしている。
そのせいか、学校ではそれなりに親しい友人がいるのにも関わらず、創の家に遊びに来るクラスメートはほとんどいない。
例外があるとするのならば、日野珠や堀北孝司、岡山林などの物好きな友人達や、創を気に入った八藤空手跡取りの八藤龍哉くらいである。

(国際社会を揺るがし兼ねない事件にも関わらず、犠牲者の数は極端に少ない。
事態収束のために特務機関のエージェントが多数派遣されたとはいえ、この少なさはおかしい)

ノートパソコンから特務機関のデータベースにアクセスし、派遣されたエージェントの名簿と彼らの報告書に目を通す。
かつて創も参加した国際犯罪シンジゲートの殲滅作戦の時のように同僚達の死を覚悟していたが、彼らは怪我の大小はあれど全員生還。
重傷である者も治療に専念すれば早々の現場復帰が可能な塩梅である。
しかし、なぜテロリスト達ががテクノクラート新島に狙いを定めたかの理由は不明。
テロ首謀者の男は自衛隊やSOGに引き渡された以外の記述はなく、勤務していた筈の研究所職員や存在するはずのテロ残党達は行方不明。
表向きは収束したとされている事件だが、創には真相が闇に葬られたようにしか思えなかった。

『■■■■』『■■■■■』

「く……ゥ………!」

前触れもなく脳に響くノイズが軽い頭痛と共に訪れる。痛みと不快感に創は顔を歪める。

(…………根詰めすぎたかもしれないな。少し休もう)

時計を見ると既に夜九時。少し遅い夕飯時だ。
この時間になると山折村の飲食店や小売店はほとんど閉店しており、開いていそうな店は居酒屋。未成年である創では入店拒否される可能性がある。
友人宅へお邪魔して夕飯をご馳走になることも一瞬頭を過ぎったが、何と言うか気恥ずかしいので即座に却下。
冷蔵庫の食材は空。インスタント食品もなく、あるのは僅かな白米オンリー。食料が尽きていることを知っていたのに買い出しを怠った自分が悪い。
さてどうしたものかと頭をひねっていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。

「人参ジャガイモ玉ねぎ白米カレールー。こっちのチルド便は鶏肉豚肉牛肉シーフードミックス。カレーでも作れってことですか、師匠」

荷物の発送者は『天原遥』。創の師匠――青葉遥本人。
特務機関から国外の諜報機関に映った彼女には創の架空の保護者のことは知らされていないはずである。
だがあの人は創が想像がつかない方法で独自に情報を仕入れたのだろうと創は確信していた。
創の頭には得意げにピースサインをした彼女の姿。あの人には永遠に叶わない気がする。

「夕飯は肉じゃがでも……これは」


424 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:47:15 Vut.XgHQ0
師匠の意向を無視して献立を決める。食材を冷蔵庫へしまい込むために荷物を漁ると、一通の手紙と何かが入ったウエストポーチ。
手を止めて手紙を開くと暗号で書かれた文章が並んでいた。
曰く、創も知っているのかもしれないが自分もテクノクラートに派遣されていたこと。
そこで真実を探るべく研究施設に潜入したが、所属組織不明の女性工作員に阻まれて重要参考人の保護に失敗したこと。
何とか手に入れられた情報をもとに近々山折村に向かうことになったこと。
創にも協力を仰ぐかもしれないから、可能な限り学校内を除いてプレゼントしたウエストポーチを身に着けていて欲しいこと。
言うまでもないかもしれないが、ウエストポーチの中身は確認して欲しいこと。
それから学校生活は楽しいか、今度キミの口から聞かせて欲しいとのこと。

創の中に奇妙な寂寥感が漂う。
青葉遥の来訪。それは創の任務が終わりに近いということ。
定期的に本部に贈っていた調査レポートに記述された情報は微々たるもの。
年単位の任務だと思っていたがテロ事件で手に入れた情報が思いの他大きく、それによって大幅に短縮されたらしい。
何故か思い浮かぶのは学校で友人達と過ごした日々。その日々にピリオドが打たれるのはいつの日か。

「…………ゴールデンウイーク、堀北達と遊びに行ってみようかな」



特務機関のエージェント達には高いスキルが常に求められ、それをクリアできないと特務機関の下部組織へと回される。
一線で活躍するエージェントには戦闘能力、追跡術、多くの専門知識、整った容姿といった専科百般が求められる。
余計な警戒心を抱かせないための最後の条件も重要で、クリアするために整形手術を行ったエージェントも多い。
天原創は厳しい訓練と生まれ持った才能で手術を受けることなく、全ての要件を高水準でクリアしている。
精神面が未熟であるという欠点があるものの、一四歳という若輩者でながら既に前線で活躍している。。

故に時間を要したもののゾンビ達の足跡から不自然に北口へ向かう足跡を見つけ出し、その後を追うことが可能でだった。
足跡の向かう先は放送局。当初は誰もがそこで地獄の始まりを告げるチャイムが鳴らされたと思われていた発信源。

大地震の影響か、はたまた年季の影響による者か。放送室内の設備は大部分が破壊されてその機能を喪失していた。
長年村人に見向きもされなかったのか故に綿埃があちこちに積もっており、そこを踏み躙った足跡は見当たらない。
その中で創は只一人、特殊部隊らが訪れたという手がかりを探索していた。

(………当てが外れてしまったのか?そもそも放送室に向かっていたとはいえ、碓氷誠吾らと断定したのは早計過ぎたか)

頭に過るのはバイオハザード発生後から現在に至るまでに失態の数々。
最たるもの、が護衛対象であったスヴィア・リーデンベルグが特殊部隊一行に連行されたこと。
そして、同行者である哀野雪菜との会話の最中で蘇る己の記憶。
未だノイズがかかり靄がかかった記憶。それはどれも『山折村の『厄災』と関わり深いと確信するキーワード。

エージェントとしての天原創であるのならば、そ血らの調査こそ事態収束の鍵となる優先事項と認定。
最優先で調査のために動くだろう。スヴィア・リーデンベルグを見捨てて。


425 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:47:35 Vut.XgHQ0
(そんなことを考えてしまうなんて、非人間的だな……僕は)

一瞬でも彼女を見捨てること考えてしまった己に自己嫌悪を感じる。
記憶と当時に思い出したのは『天原創』という人間のオリジン。少年の原点たる想いがその選択を拒絶する。
エージェントとして正しいのは見捨てる方が正解だと思う。しかし今の自分が優先しているのはスヴィアの救出。
個人の感情を優先するエージェントとは思えぬ三流以下の判断。同じエージェントがいたのなら誰もが創を厳しく咎めていたことだろう。

だが、創の師匠――青葉遥なら、ほんの少し困った笑顔を浮かべながらも自分の背中を押してくれる。そんな気がする。
それだけで創の中に少しだけ力が沸いてくるように感じる。

放送室では手がかりが見つけられず、期待薄とは感じながらも談話室を調べる。
こちらもあるものは年代物のソファに綿埃の被った木製のテーブル。手使えそうなものはバールぐらいしかない。
もしスヴィアが何らかの治療や尋問を受けていたのだとしたら血痕などの痕跡があってもおかしくないのだが、一向に見当たらない。

(ここも手がかりなし……か。だとするのならばスヴィア先生はどこに……ん?)

談話室を出ようとドアを開けた時。隙間に隠された『それ』を創は見つけた。



「天原さん、手がかりはありましたか?」

放送局手前で待つ短い黒髪の少女――哀野雪菜が創を出迎えた。
微々たる可能性に過ぎないが、特殊部隊との戦闘があると想定し、彼女に見張りを頼んでいた。
本人は不服そうであったが、特殊部隊と正面から戦える戦力は現状は創しかいない。
放送局という閉鎖空間での戦闘を想定すると雪菜は足手まといになりかねない。
その事実を身に染みて理解している雪菜は、創の判断に口を挟むことなく彼を送り出した。

「はい、発見できました。これです」
「これって………糸……じゃなくて髪?」

差し出されたのは二本の糸。老人の様なごわごわした白髪ではなく、透き通るような美しい銀の髪。
そのような特徴的な髪を持つ人物は山折村にはたった一人――スヴィア・リーデンベルグしかいない。

「……特殊部隊の隠蔽工作は完璧だったと思います。事実、僕もスヴィア先生の髪を発見できるまで半信半疑でした。
彼女は特殊部隊の監視をすり抜けて、命がけで痕跡を残したと思われます」
「そう……ですか……。あの、天原さん。スヴィア先生は何を思って……髪を……?」
「…………分かりません」

俯いて力のなく創は答える。その声にほんの一時間前のような覇気はない。
つい先程までは済む世界が違う人間と断定して彼の力に縋っていた自分。自分の事ばかり考えて彼を詰ってしまった。
叶和との会話を経て自分を取り戻した時、彼の姿は以前と違ってとても小さく見えた。
生き方が違っているとはいえ彼もまた自分と同じ。色々なものを背負いすぎてパンク寸前になっている。
表には出していないが疲弊しきった様子を見てそう感じ、彼にシンパシーを感じた。
であるのならば、自分ができることを彼にしなければ。


426 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:48:12 Vut.XgHQ0
「天原さん、顔を上げてください」

雪菜の言葉に創はゆっくりと顔を上げる。一見ポーカーフェイスだが雪菜には怯えているように見えた。

「ごめんなさい。私、天原さんのことを完全に信用しきれなくて隠していたことがあるんです」
「……そうですか。でしたら無理に話していただかなくても……」
「だからこれは自己満足。少しでも私を信じてくれるのならば、見て欲しいです」

創の反応を待たずに右腕――叶和が残してくれた痕。彼女と自分を繋ぐ最後の証。そこに手を当てる。
もう私は大丈夫。きっと大丈夫だから。貴女の想いはずっと――永遠に。。
魂からくみ上げる叶和の想い。散る儚げな火花のイメージ。その具現は痕(きずあと)に。手のひらに。
手を離すとそこに彼女の証は存在しない。真っ白なキャンパスへと変わり叶和の面影はなくなった。

改めて創の方へと顔を向ける。
驚いたように傷のなくなった右腕へと視線を向けていた。

「哀野さん、これは一体……」
「…………信じてもらえないかもしれないけれど、大切な親友からの贈り物です。
奴らにスヴィア先生が連れ去らわれてから、目覚めました」

何かを考えるように創は黙り込む。
創が自身の正体を隠しているように雪菜も事情を隠している。
息が合わないちぐはぐな二人芝居。とても見せられるものではないけれど、賭ける思いは一緒。

「天原さんの事情は知らないし問うつもりもない。だから私のことも今は何も聞かないでください」

随分と都合のいいことを言っている自覚はある。
創のポーカーフェイスは僅かに崩れ、困惑の色が見え隠れしている。

「だから天原さんを利用して私はスヴィア先生を助けます。天原さんも私を利用してスヴィア先生を助け出してください。
天原創という一人の人間の価値を私は信用します」

言葉と共に差し出す右手。私は守ってもらう立場ではないという傲慢を彼に見せつける。
一瞬彼はきょとんとしていたが、口元に明確な笑みを浮かべた後、自分の手を取った。

「分かりました。僕も哀野さんを利用してスヴィア先生を救出します。
その後に僕も事情を話しますから貴女も異能を身に着けた経緯を話してください」

出会いは最悪で協力に至った過程もほぼ成り行き同然。
だがわだかまりは解け、共通の目的を得たことで再び対等な関係としてを取り合う二人。
そこに―――。

「そこの二人〜!大丈夫ですか〜!」

北方から届く間延びした女性の声。
創と雪菜は身構え、声のした方へと視線を移す。
そこには巫女服姿の女性と少し離れた所に猫背気味の陰気な長身の男性。
犬山はすみと月影夜帳。奇妙なカップルがこちらへと駆け寄ってきた。


427 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:49:09 Vut.XgHQ0


「…………そうですか。まさか碓氷さんと小田巻さんが……。こちらの不手際でご迷惑をおかけしました」
「いえ、お気になさらず。こちらこそ貴重な情報をありがとうございます」

夜帳は創からもたらされた情報に顔を歪ませる。
夜帳と創。二人の情報交換はどちらもタイムリミットが存在するだけあり、提供する情報は最小限。。
情報交換の途中、雪菜に割り込まれてぼかされた『先生』とやらの存在――特に性別が気になるが、今は気にしている場合ではない。

改めて思い浮かぶのはろくでもなさそうな顔つきの碓氷誠吾と愛らしい顔つきの小田巻真理。
所詮彼らは自分の身可愛さに自分達を売るろくでもない連中だったのだ。
小田巻は愛らしい女性である故に許せそうであるが、碓氷は論外。
初遭遇の時に殺しておけばと心底後悔する。
そんな苦労を知ってか、傍らのはすみは握り締めた彼の拳を優しく解きほぐすように美しい手で撫でる。

「夜帳さん、私がいます。そんなに落ち込まないでください」

はすみの瞳には優しい色が灯っており、ささくれだった夜帳の心に再び潤いをもたらした。
その様子を創と雪菜が訝しげに――特に雪菜に至っては敵意すら見えた。
余計な警戒心を抱かせてしまったか、とちょっぴり反省。
ごほんと咳払いし、改めて創へと話を切り出す。

「天原さん、話の途中で『烏宿ひなた』さんの名前が出た時、明らかに動揺されてましたよね?」
「それは……有名人だったので驚いただけです」
「……あぁ〜。確かひなたさんは山折村独自の固有種を発見したとかでその界隈では有名人ですからね〜」
「なるほど。補足説明ありがとうございます」

再び見せられるはすみの色気の漂う笑顔。その笑顔が向けられているのは自分だけ、ということもあり夜帳の自尊心が満たされる。

だが、心の均衡が保たれたところで問題が解決するわけではない。
これから向かう先で特殊部隊と遭遇するリスク。
役場で手に入れた宇野の情報をもとに極上の少女を頂けリターン。しかも麗しい少女のおまけつき。
リスクも大きいが、それを上回るほどのリターン。
安全第一の夜帳に訪れる苦渋の決断。心配そうに見上げる従僕を他所に夜帳の苦悩が一層深まる。
そんな夜帳を露知らず、少年は紳士に告げる。

「僕達は先生を助けるために役場へと向かいます。犬山さんと月影さんはどうしますか?」




428 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:49:37 Vut.XgHQ0
結局リターンの魅力に抗えず、夜帳とはすみは創達に同行することになった。
創曰く、特殊部隊と戦闘して生き残れたのは自分の異能が戦闘用かつ強力な者であったかららしい。
詳細については不明。彼の傍らにいる雪菜も信頼が足りないせいか、終始口をつぐんだままであった。

だが、それでもいい。時間をかけて彼女の心を解きほぐしていけばいずれ自ら話してくれるだろう。
幸いにも傍らにいるのは山折村でも屈指の善人、犬山はすみ。
その人柄に心を許しているものは多く、特に地獄と化したこの地において、男性に対し一層警戒心を持った少女達の心を解きほぐす存在となってくれるだろう。
それでも足りなければ強硬策を持たせているのでさして気にする必要もない。

そして傍らで番犬のように隣を歩く少年、天原創。
ベルトに差しこまれた拳銃に手に持つバール。強力な異能を持っていると申告した彼は邪魔だ。
閻魔のように阿呆でもなければ、感情の起伏が分かりやすい哉太でもない、正体の知れない少年。
だが、哉太のように心底くだらない正義感とやらがあるのだろう。
乙女の正義感は美しいと感じるが、野蛮な男の正義感など見っとも無いにもほどがある。
何とか彼を雪菜から引き剥がして彼女の血を啜りたい。
もし、行先に特殊部隊がいればその正義感とやらを煽り、相打ちに持ち込ませたいものだ。

その手段、それは傍らで歩く美女。

「―――はすみさん、お願いいたしますよ」
「―――ええ、喜んで」



スープは哀野雪菜。白い肌に巻かれた包帯が、彼女の美しさを隠すベールのよう。
情報交換のときに見せた彼女の瞳は穢されることへの嫌悪感と潔癖な心が見て取れた。
字蔵恵子を思わせる儚げな印象だが、内面は彼女と正反対。燃え上がる様な決意があった。
血の味はおそらくオマール海老のビスクスープ。ほど良い酸味が彼女の強さを際立出せるような味。
もっと彼女と交流を深めれば、その味の再現度を深められるかも知れない。

「――――ああ、楽しみだ」



”天原さん、読唇術使えますか?”

隣りを歩く雪菜の手が故意的に創の手へと当たる。
見ると、創を横目で見ながら雪菜が口を分かりやすく動かしていた。

”私は使えません。ですから一方的な会話になります。”
”月影夜帳と犬山はすみは信用できません。”

その言葉に創は頷く。彼らは地獄を潜り抜けたにしては妙な落ち着きがあり、そこに違和感があった。
渡された情報は妙にリアルで信憑性が高い。故に情報の大部分は真実であるのだろう。
だが、彼らは本当に事態収束を目指しているのか?

”月影夜帳は私のことを品定めをしているような目で見ていました。”
”犬山はすみも同様です。私個人の意見ですが……彼女は、私の母のようでした。”

女性としての視線。それは創にとっては貴重な意見だ。
創は初心な少年であるが、任務となると別人のように変わる。
例え妖艶な女性が艶やかな衣装を身に纏い、誘惑してきても躊躇いなく拘束し、情報を聞き出せるという自負がある。
任務とは関係ない一般人との交流は少なく、そういった女性の意見は非常に貴重なもの。
雪菜の意見に、心で感謝の言葉を述べる。

ふと、思い出すのは青葉遥からの手紙。彼女が唯一失敗した任務のこと。
彼女と互角に渡り合い、最強のエージェントという称号に泥をつけた所属不明の女性工作員。
そのコードネームは、「Ms.Darjeeling」


429 : ムッシュ月影の夢想食紀行 ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:50:22 Vut.XgHQ0
【E-5/Y路地手前/1日目・昼】

【天原 創】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、記憶復活(一部?)、犬山はすみ・月影夜帳への警戒(中)
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(3/8)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.スヴィア先生を取り戻す。
2.スヴィア先生と自分の記憶の手がかりとを得るため、役場へ向かう。
3.月影夜帳らからの情報はあまり信頼できないが、現状はそれに頼る他ない。
4.役場では特殊部隊と戦闘になるかもしれないので警戒を怠らない。
5.珠さん達のことが心配。
6.「烏宿ひなた」という感染者が気になる。
7.「Ms.Darjeeling」に警戒。
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。

【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(異能で強引に止血)、全身にガラス片による傷(異能で強引に止血)、スカート破損、二重能力者化、月影夜帳への不快感(大)、犬山はすみへの不信感(大)
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.ありがとう、そしてさよなら、叶和。
3.天原さんに全てを背負わせない。自分も背負う。
4.月影夜帳の視線が気持ち悪い。何か、品定めしているみたい……。
5.犬山はすみはまるで昔の母を見ているようで何一つ信用できない。
[備考]
※通常は異能によって自身が悪影響を受けることはありませんが、異能の出力をセーブしながら意識的に"熱傷"を傷口に与えることで強引に止血をしています。
無論荒療治であるため、繰り返すことで今後身体に悪影響を与える危険性があります。
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。

【犬山 はすみ】
[状態]:異能理解済、眷属化、価値観変化、『威圧』獲得(25%)
[道具]:医療道具、胃薬、不織布マスク、スタンガン、水筒(100%)、トートバッグ、お菓子、柳刃包丁
[方針]
基本.うさぎは守りたい。
1.夜帳さんの示した大枠の指針に従う。
2.女性生存者を探して夜帳さんに捧げる。
3.役場に向かい、安遠真実のデスクから宇野和義の住民基本台帳を探す。
4.夜帳さんに哀野さんを捧げたい。きっと恵子ちゃんみたいに幸せになれると思う。
5.天原くんの処遇は夜帳さんに任せる。
6.………………うさぎ。
[備考]
※月影夜帳の異能により彼の眷属になりました。それに伴い、異能の性質が変化したのかもしれません。
※袴田邸に書き置きを残しました。内容は後続の書き手にお任せします。少なくとも月影夜帳が不利になる情報は記述されていません。また部屋の配置も変わっています。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています。


【月影 夜帳】
[状態]:異能理解済、『威圧』獲得(25%)、『雷撃』獲得(75%)、高揚
[道具]:医療道具の入ったカバン、双眼鏡、不織布マスク、モデルガン、金槌
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.はすみと協力して、乙女の血を吸う
2.和義を探しリンを取り戻して、彼女の血を吸い尽くす。
3.役場に向かい、はすみに和義の現住所を探させる。
4.天原創から哀野雪菜を引き離し、彼女の血を吸い尽くす。
5.特殊部隊と遭遇した場合は天原創を身代わりにする。
[備考]
※哉太、ひなた、うさぎ、はすみの異能を把握しました。
※袴田伴次、犬山はすみを眷属としています。
※袴田伴次に異能『威圧』の50%分の血液を譲渡しています。
※犬山はすみに異能『威圧』の25%分の血液を譲渡しています。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています。


430 : ◆drDspUGTV6 :2023/09/01(金) 21:51:11 Vut.XgHQ0
投下終了です。


431 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/02(土) 00:45:44 iZcm6JAA0
投下乙です

>ムッシュ月影の夢想食紀行

これが月影さんの美少女フルコース、お前はトリコ?
月影はすみペアは相手を立てるはすみの性格もあり一見すればいい主従に見える
価値観は捻じ曲げられてるけど、人となりはそのままなので勃牙を指摘される所はなんか……えっちだね………

ちょくちょく出てくる哉太やアニカたちが巻き込まれたテロ事件、結構いろんな奴らが関わっている
最強エージェントの青葉さんと互角に戦う謎のエージェント「Ms.Darjeeling」いったい何者なんだ……?

エージェントとして優秀でも青春を楽もうとする少年の心のある創くん、短所でもあるが長所でもある
雪菜は親友効果で不安定だった頃が嘘のようにメチャクチャ安定しておる
心の余裕があるとこうも違うのか他人を気遣う余裕と経験則から怪しい相手を見抜く観察眼が磨かれている
そして、役場に向かう呉越同舟がどうなるのか


432 : ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:34:54 VO1PRDMs0
投下します


433 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:35:20 VO1PRDMs0

診療所のすぐ隣に、威容をもってそびえ立つ高山。
ここは数時間前にジャーナリストの斉藤拓臣が奮闘虚しく命を散らした地だ。
どの方角にせよ、彼が村から脱出することはできなかっただろうが、その前提を踏まえても彼は破滅的なまでに運がなかったと言えるだろう。

大田原、乃木平、成田、美羽、広川、黒木。女王斬首チームはいずれも村の西部および南西部からローラー作戦のように行動を開始した。
それが表すことは、山折村の南西の深山にはSSOGの作戦拠点が設立されているということにほかならない。

先客の斎藤拓臣は異能を用いて、周囲の山林に溶け込み山を駆け上った。
その道を今一度、駆け上がる者がいる。
拓臣のように、彼もまた周囲に擬態するような外見をしている。
しかしそれは異能ではない。
山岳地帯に最適化された科学技術の結晶たる防護服。
この村でそんなものを纏っているのは、山岳を封鎖する勢力と同じ、特殊部隊にほかならない。

山林に仕掛けられた数多くのトラップの位置も避け方も、同じ特殊部隊ならば心得ている。
ガスも自動掃射銃も避け、F1とF0の境目までやってきた来客。
彼を出迎えるために、封鎖部隊の一班、五十嵐フジエと三藤探がただちに現場に急行した。


「forget-me-not。敵前逃亡は重罪です。持ち場に戻りなさい!」

勿忘草をコードネームに持つ訪問者は、封鎖部隊の到着を待ち構えるかのように立っていた。
仮に四肢を失い、ほうぼうの体でたどり着いたのならば傷病兵としてリタイアさせることもできるが、見た限りでは健康そのものだ。
逃亡兵に情けは無用。銃殺刑に処すのが法である。

「処罰ならば後で受けます。
 差し出がましい真似をしますが、司令部への伝令をおこないたい」
「伝令……ですか?
 それは、防衛線を一部薄くするリスクを冒してまで必要なことなのでしょうね?」
銃を構えた新人隊員の五十嵐フジエ、その声は冷たく鋭い。
此度の作戦において、女王斬首班に選出されなかったことへの不満もあるのだろう。

「必要です」
天は断言する。
その気迫に一切の気後れはない。
フジエはしばし面食らい、代わりに探が前に出てきた。

「すべてはこちらに。
 そしてただちに隊長へと届けていただきたい」
「確認します」

車中にて、特急で仕上げた報告書である。
一枚ペラの紙だが、要点はすべて抑えた。
マスク越しでも、フジエと探の表情が険しくなるのが分かる。

「wisteria、すぐに司令部に届けてくれたまえ。
 正午になる前に! さあ、走りたまえ!」
「りょ、了解いたしました!」


434 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:35:41 VO1PRDMs0

診療所に一歩踏み入ったところで目撃した異様な痕跡。
死体がすべて無くなっている上に巨大な何かをずるずると引き摺ったような跡があちこちについている。
この事態を引き起こした者など明らかだ。
小隊規模のワニの群れが近くで身を潜めている可能性を加味、危険度を上方修正した。

さて、司令部への連絡は手信号を通して可能だが、
此度の情報はとても伝えきれることではない。
診療所から西端の作戦区域外までは全力で駆け抜けて、往復で十分程度。
情報を抱え込んで死ぬリスクと、10分強の間に同行者――特にスヴィア・リーデンベルグに逃亡されるリスク。
そして、彼女を取り戻そうと躍起になっているであろう二人に追いつかれるリスク。
すべてを天秤にかけ、得た情報を一度司令部に連絡することを選んだ。
真理に安全の確保とスヴィアの見張りを命じ、その間にすべての情報を吐き出しておくことにしたのだ。

推定黒幕、実行犯、第二波リスクに隔離案。
前提が覆れば、任務の遂行にも支障をきたす。
これらをどう使うか、決めるのは奥津だが、手札が多いに越したことはない。
探もまた、この意図を正しく判定できるだろう。

「隊長には私からも口添えしておくことにしよう。
 それから、君は境界を超えてはいない。故に敵前逃亡は犯していないとも、ね」
探はニッと笑う。
このあたりを冷静に見抜けるのは、初任務を終えたばかりの新人と中堅の差だろう。
あと一歩西側に踏み出せば作戦行動範囲外。
だが、その境界は決して超えない。
もちろん、別に多少超えたところで実影響など皆無なのだが、このあたり、天は非常にマメな男だ。

「この情報は『ジャーナリストの斎藤拓臣氏が、研究員とエージェントに接触し、命をかけて掴んだ情報』だ。
 彼の命をかけた最期のニュースを、我々は有効に活用する義務がある。そうだね?」

SSOGは村の周囲を封鎖しており、『村内には展開していない』。
故に、天が持ってきたものは、『斎藤拓臣の記録から獲得した』貴重な情報という扱いになる。


知らぬところで特ダネをつかまされたジャーナリストは幸運なのか不運なのか。
天はすぐ先で首を斬られ、眠るように死んでいる拓臣に目を配り、秒の黙祷を捧げた上で、
「ええ、それで問題ありません。よろしくお願いします」
探の提案を肯定した。

「それから、研究所に外部との専用回線が引かれている可能性がある。
 こちらも調べておいてくれたまえ。何者かの介入があるとすれば大変よろしくないのでね」
「了解しました。確実に潰しておきます」
副官の真田から降りてきた情報だ。
拓臣の荷物を司令部に届けた際に向こうの情報を一部仕入れてきた。
研究所に訪問する隊員には伝えて然るべき情報である。

「これで用事はすべてかな?
 他に、司令部と共有しておきたいことはあるだろうか?」

直近の用件はこれですべてだ。
村人の釣り出し作戦などはわざわざ司令部に許可を取るものではない。
同行した村人を待機させているのだ。時間をかけすぎる手はないが……。

もう一つ、欲しいものがある。

「gerbera。『手記』はあるでしょうか?」
「ああ、あるとも。君なら確実に求めるものだと思っていたよ。
 心的な意味でも、利的な意味でも、ね」
マスクの裏でにやりと笑い、取り出すのは一台のスマートフォン。それとタップ用の指し棒。
その画面に映るのは、此度の全ターゲット、正常感染者の名簿である。


435 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:36:23 VO1PRDMs0

「blackpearlがミッションを達成したら、すぐにでも展開する予定だからね。
 ともすれば、これが目当てなのではないかと思っていたのだが」

老若男女、村外民・村民・野生動物を問わず、村内64ブロックにおける午前までの村人情報。
正常感染者は午前10時時点で残り22名。

殺害相手への贖罪として、その存在を背負い続ける乃木平天は、心の面で確実にこれを求める。
探のプロファイリングにはそのように書かれている。

そして、任務を有利に進めるために、利の面でもこれを求めるだろう。
名前、そして確認できる限りの異能が載った名簿は値千金の価値がある。
リアルタイム情報からは一時間ほどのラグが出てしまう故に、村内から積極的に取りに来るものではないが、
境界まで足を運んだのであれば持ち出すべき情報だ。

正確性は後で確認するとしよう。
たとえば、『独眼熊』という個体の異能『知能の強化』に取り消し線が引かれ、『異能の奪取』と訂正されている。
異能のほうは完全無欠の情報とまではいかないようだ。
しかし少なくとも名簿としては誤りはない。

防護服を脱げないため指し棒と共に、パスワード認証形式で貸与される。
情報は武器だ。初見殺しを防ぐことで、異能者のアドバンテージを大幅に削ることができるだろう。

「それでは、私はただちに任務に戻ります」
「ああ、しっかりと頼むよ」

研究所の機密情報を提供し、村人の個人情報を得て、天は再び村へと戻る。


犠牲者を出すことを忌み嫌いながら、部隊の方針に異を唱えることはない。
それどころか、状況次第では積極索さえ提案しうる。
博愛主義でありながら強硬策も否定せず、理念の正反対にあたる作戦ですら実行できる特殊性。
部隊の色に染まり、どんなに信条をぐちゃぐちゃにされても決して壊れきることはないその精神。
それは、自分の立てた作戦で犠牲者が出たとしてもすべての責を背負うことができ、
そしていざというときに心の中で涙を流しながら部下に死を命じることすらできるということに他ならない。
故に彼は幹部候補に抜擢されたのだろう。
――探は背を向けて去っていく後輩隊員のプロファイルにそう付け加えた。


(『一色洋子』さんに『氷月海衣』さん。
 『天原創』さんに『哀野雪菜』さん。
 『ワニ』と野生らしき少女の名は不明、ですか)

交戦した少年少女らの顔を思い浮かべる。
自ら殺害しすでに肉体すらこの世から消えた者、どこかで命を落とした者、これより殺害する者、あるいは……。
スヴィアが想いを見事に形にし、九死に一生を得る者もいるかもしれないが。
確かな意志でその死を背負うべきターゲット44名、生死問わず頭に叩き込み、天は再び診療所に向けて山を駆け下りた。




436 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:36:58 VO1PRDMs0

猛吹雪の吹き荒れる木更津組事務所。
そこだけ真冬のような様相だが、
その向かいに位置する保育園でも、見事な氷像が鎮座し、日光を受けてきらきらと輝いている。

彼女は燦燦と輝く太陽の光に向かって腕を伸ばしている。
それは、せめてもの抵抗の表れにも、最期の刻を悟ってすべてを諦めたようにも、最期の力を振り絞ったようにも取れる。
『天に懺悔を乞う哀れなる一兵卒』――見るものが見れば、そんなタイトルが付されるであろう見事な氷像である。
それほどまでに美しく哀れみを誘う外観であるが……。
(異能の危険度を見誤った結果がこのザマ、ってことかよ……)
その奥底では煮えたぎるマグマのごとき情念が渦巻いている。


それまでに真珠が遭遇した異能者は警官の薩摩のみ。
指先から銃弾を発射する異能だった。
直感的に分かりやすく、直情的な相手であったために対処は容易だった。
もっとも、仮にハヤブサⅢに与えられていれば、銃と格闘を交えて超接近戦に持ち込んだあと、靴先から蹴りと共に銃弾を撃つ――そんな驚異の初見殺しの異能となっただろうが。

(氷使いの女郎も、ずいぶん派手にやってやがる……)
氷漬けにされたマスク越しの目視、それも自らを覆う氷への反射を通した視認ではあるが、六月の気候にそぐわない猛吹雪ははっきりと認識できた。
ハヤブサⅢが真珠を抑えつけ、氷使いと熱波使いが後方から援護する。
厄介な組み合わせだ。仮に後衛を狙おうものなら、そのターゲット変更の隙をハヤブサⅢは確実に突いてくる。

氷使いの異能は戦術級といっていい。
あの範囲と速効性ならば応用もいくらでも効くだろう。
建物に追い込んで建物ごと氷漬けにすればそれだけで勝ちが確定する。

遠距離で仕留める、あるいは分断。
ハヤブサⅢとそのほかを分離なければ苦しい戦いになるだろう。

(いや、ダメだな)

警官とみかげたち三人に奇襲を試みたとき、隠密は完璧だったはずだ。なのにバレた。
それも、警官でもみかげでもない、先ほどホースを向けてきた最も幼い女学生が真珠の隠密を剥がした。
(あのホースのガキは多分そういう異能か特技を持ってる。
 奇襲は通じねえ)

それでも圧倒できたから当時は気にしなかったが、今はハヤブサⅢが同行している。
先制は察知され、ハヤブサⅢにしろ後衛にしろ、狙いを定めるにはあまりに壁が分厚い。
一人では無理だ。自分一人ではどうにもならない。
泣き言ではなく、凍り付いている現状こそがその証左だ。

奥津から真珠に与えられた任務。
『本作戦の最大の障害になり得るエージェント…ハヤブサⅢの捜索、抹殺。
 作戦中はハヤブサⅢを見つけ殺すことを最優先とし、その為に必要とあれば正常感染者も生かし、利用するべし』

(何も村人を利用するのは恥じ入ることじゃねえ。そのはずだ)
そう、正常感染者を生かし、活かすことが正式に許可されているのだ。
だが、心の奥で何かがつっかえる感じがした。
見落としがある気がする。
心のどこかに、直視したくない領域がある気がする。

心の迷いはまわりまわって、最後の最後にあるべき覚悟を阻害する。
勝負に挑む際には、必ず心的な課題は解決せよ。
そう肉親からも言われているし、SSOGの心得でも指導を受けている。
今は凍り付いて救助を待つしかない状況だ。
自らのおこないを思い返す時間も十分に生まれてくる。

この言い知れない気恥ずかしさはなんなのか?
半日間の行動を思い返す。
最初に出会ったトラックの女を殺害。ハヤブサⅢを追い、放送局を調査。
その後、襲いかかってきた警官を返り討ちにし、女学生たちの殿を努めたみかげを殺害。
ついにハヤブサⅢを含む集団を発見し、その罠にかかってあえなく返り討ちに遭う。

事実を並べ、一つ一つを検証していく。
そして。

(……あたしは、あたしは何をやってたんだ!?)

己の致命的な失態を悟った。


437 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:37:27 VO1PRDMs0



黒木真珠は武道家を父に持つ道場の娘だ。
男だらけの道場に華を添える幼い娘は、門下生たちのアイドルに他ならない。
かわいがられ、甘やかされることも多々ある。
女だてらに父親の跡を継ごうとするか、あるいは門下生たちにかわいがられて看板娘のような立ち位置に収まるか。

彼女はそうはならなかった。
彼女には四人のやんちゃな兄たちがいた。

仮に一人娘であれば、父親や門下生たちにだだ甘におだてられて、姫のようなワガママ娘になっていただろう。
だが、やんちゃな兄貴が四人もいれば、そのような甘えは子供心基準で死に等しい結果をもたらす。
幼い男児はレディーファーストなんて言葉は知らない。
お菓子は取られるし、おもちゃも部屋も占拠される。クリスマスプレゼントを壊されてしまうことすらある。
叔父や叔母がスイーツなど持って来ようものなら、血肉に群がるピラニアのごとき兄たちにすべて食われて、真珠のものなど残りはしない。
だから、実力でのし上がる必要があった。



標的(ターゲット)を一人に定め、執拗に追いすがり、そして最後は正面から打ち破る。
生来の負けん気の強さに、多少荒っぽくしたところでお咎めのない兄ばかりの家族構成、そして武道家の娘という環境が彼女をそう育てた。

最初の標的は四男の兄だった。
最も自分と歳が近く、しかしやんちゃ真っ盛りなガキ大将だった。
試合と称してボコボコにしてきた兄につかみかかり、何度もボコボコにされてはその癖や動きを覚えていった。
向こうから一撃で泣かされることは平常運転、こちらから奇襲して返り討ちに遭うことも日常茶飯事。
けれどその執念で兄に追随し、そして三カ月が経ったころ。
特訓と称して不意打ちをかましてきた兄を返り討ちにして泣かせ、ステップを一段上った。

次の標的は三男の兄だった。
機に聡く、お土産もおやつも必ずかっさらっていく兄。
彼の行動パターンを蓄積し、その手癖を何度も観察。
ついに争奪戦に勝利し、糧を勝ち取れるようになった。

家庭外でも、後から来たくせにグラウンドの使用権を主張してきたスポーツ男子たちを標的に争い、
はたまた取り巻き連れてマウントを取ってきたクラスカースト上位の同級生女子を標的にミスコンの座を巡って争い、
門下生を吹き飛ばして荒っぽく登場した道場破りを標的に道場の看板をかけて争う。

ナメた態度を取った相手に対する反骨精神、あいつには負けたくないという執念。
この二つが、真珠を格上に食らいつかせる。
そして、勝利をもぎ取ることで、こいつを超えたと心の底から実感する。
そのまま街に繰り出して散財するのは格別に楽しい。
内的報酬と外的報酬、一挙に獲得できる人生における至福の時間だ。
この反骨心の発現と解消の反復こそが、24歳という若さでSSOGに属し、いくつも成果をあげられるレベルにまで達した要因の一つである。

恨みを買った相手は執拗に追い詰める。
そして逆もまた然り。
憧れた相手にもまた、徹底的に接近した。



高校の折、社会見学として大手新聞社を見学した際のことだ。
見学を終えてクラスメイトとロビーに集合していた際、侵入してきた身なりのいい男が、身体中に燃料を染み込ませていた。

まだ高潔なテロリストであったころの物部天国が、国会議事堂爆破計画の隠れ蓑として選択したのが国内最大手の報道機関であった。
政府の犬たる腐敗した報道機関から国民を救うという大義のもと、
部下に大手五大紙爆破テロを起こさせて衆目を集め、陽動。
そちらに警備が割かれた隙を縫って本命の国会議事堂を爆破しようとする計画であった。

不良も道場破りも返り討ちにしたことのある真珠だが、本物のテロリストの前に無力さを思い知った。
彼の凶行を無効化する手段などまったく思いつかない。
何より、殺気など一切ない狂信者を相手に、命の危機を感じ取るのが致命的に遅れたのだ。
家族に叩き込まれた実戦への切り替えスイッチすら、善意の前にはひたすら無力だった。
純心な救済を掲げるテロリストに、彼女の経験は一切通用しなかった。


国内を揺るがしかねない大事件にも関わらず、犠牲者はゼロ。
たまたま現場に居合わせた勇敢な一般市民が隙をついて取り押さえ、犠牲者はゼロになったと被害を受けた大手紙自体が報道している。

テロリストには一切歯が立たなかったが、それを犠牲ゼロで無力化した男の身のこなしは覚えていた。
近接格闘術の使い手、最も可能性が高いのは自衛隊員。
当時はまだ一隊員にすぎなかった奥津の後を追った真珠は、その執念がSSOGの目に留まり、見事に入隊した。
奥津が隊長となったときに、最も上機嫌であったのは真珠だったと言われている。


438 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:38:01 VO1PRDMs0



ハヤブサⅢは抹殺すべき敵だ。
その一方で、豪華客船において共闘をおこなった間柄、その有能さも思い知った。

怨嗟の対象でありながら、尊敬する側面も少なからず持っていたのは確かだ。
ハヤブサⅢの思考トレースは、彼女であればこうするだろうという思考訓練を重ねて体得した後付けの代物だ。
そして純粋な近接戦闘では自分が上。
思考回路を互角にまで持ち込めば、地力の差で勝てる。

故に、特別任務を割り振られ抹殺の役を担った際には内心歓喜した。
気合もコンディションも十分、お膳立ても申し分ない、
だが現実は無情であり、結果は無様な敗北。
それも、本人はまったく手を下さないままの、完敗である。

自分が駒に勤しんでいる間に、ハヤブサⅢは駒のレベルをとっくに過ぎ去っていた。
奥津や真田のように、部下や協力者の考えを取り入れ、勘案する……そんな立場に収まっていたのだ。
つまるところ、真珠は決着をつけようと考えていたが、ハヤブサⅢは真珠を相手にしていなかった。

これだけなら、ただ『恥ずかしいね』で済む話だろう。
生還しても今後永遠に打ち上げのたびに擦られるだけの話だ。

問題はそこではないのだ。


ハヤブサⅢに煮え湯を飲まされたのは真珠だけではない。
その豪華客船潜入作戦の総指揮を執っていた奥津もまた、彼女にしてやられた立場にある。
真珠以上にハヤブサⅢへの警戒を怠ってはいないだろう。
だからこそ、わざわざ隊員一人の枠を割いて、専任の抹殺指令を与えているのだ。

なぜ、指令に正常感染者を利用することをわざわざ付け加えたのか。
ハヤブサⅢとの戦闘は、対集団戦となることを奥津は見越していたのではないか。
少なくとも、一人で確実に勝利できる相手とはみなしていなかったのではないか。


SSOG隊員対村民の対集団戦は村内の至る所で起きているだろう。
その中で、ハヤブサⅢは当初からSSOGを倒し得ると仮定され、個別の抹殺指令まで出た相手だ。
同格の相手を含んだ敵集団、それも明らかな罠までついている。
そんな相手に単独かつ無策で挑むなど、基本以前の問題。
自衛隊どころか、警察や民間の警備員、そこらのごろつきですら避ける悪手中の悪手だ。

殺る気満々であった警官はともかくとして、知己のみかげならば取引もできただろう。
なのに真珠はハヤブサⅢとは自らの手で決着をつけたいという私情にこだわり、確実な抹殺のための味方を作ることを怠った。
つまり、任務と私情を完全に混同した。
その結果が、このザマなのだ。言い訳などしようもない。

真珠は、司令部で村内の状況を確認しているであろう奥津に、心からの懺悔を乞うた。


439 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:38:27 VO1PRDMs0



小一時間後。
司令部からの応答が来た。
それは天からの赦し。
真珠への返答は、上空から降り注ぐ熱湯の雨だ。

司令部とのやり取りはハンドサインによっておこなわれる。
天に助けを求めるように突き出した手、それは本当に天、つまり司令部に助けを求めたものである。
凍り付いた指の形は救命要求のハンドサインであった。

地雷の被災者は命までは奪われず、直ちに治療をすれば一命はとりとめるレベルの負傷しか負わない。
その威力の低さの理由は、被災者を救助するために人員を割かせるという目的があるからだ。

人間一人分の大きさを持つ氷の像を運ぶためにどれほどの手間が必要か?
SSOGの人員にそこまでの余裕はない。
だが物資ならドローンで運べる。

ドローンで支援物資を運ぶにあたって、消火資機材を改造し、タイマーで底が開くだけの箱を用意してある。
その箱の中身を熱湯にしてしまえば、全自動で狙った位置に熱湯の雨が降り注ぐ装置が完成する。
傘など立てられてしまえば破綻するが、監視カメラで逐一状況を見られるからこそ、今はこれで十分。
氷の溶解が早まり、指先が動くようになる。
水で濡らして凍らせる単純な策だから、救助も熱湯をかけるだけの単純な作業になる。
全身が動くようになるのも時間の問題だろう。

真珠の痴態そのものを体現したオブジェに、まるで出来の悪いコントのような救済劇。
ただただ、真珠の自尊心が削られていくだけである。



真珠は『最強』を標的に、『最強』に膝をつかせることを目標にしたことがある。
しかし、入隊して未だにそれは為されていない。
何故超えられないのかを問われ、答えることはできなかった。
真珠は任務は仕事として割り切っている。
その姿勢は、現『最強』大田原源一郎の滅私奉公とは対極にある。
『最強』との間にそびえる壁の高さを今さらながらに感じとった。

すでに作戦開始から半日。
これから失態を挽回できるのか、その答えは誰も教えてくれない。
だが、行動する以外にもう道はないのだ。

指先の氷が解け、自由に動かせるようになる。
このザマで支援の要請を惜しむ意味などない。

新たなハンドサインをドローンに向け、真珠は支援物資を要請した。




440 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:38:49 VO1PRDMs0

ただ強さだけが取り柄だった。
一桁の年齢のころから武道を修め、その恵まれた体格と才能で大会を勝ち進んでいった。
空手、柔道、合気道、ボクシング。様々な武に節操なく手を出しては、つまみ食いのように勝利をさらっていく毎日だった。
あらゆる大会で勝利を修め、しかしただ才能だけに任せた勝利は空虚なもの。
心躍る闘争を追い求めるも、ひたすらひたすら渇くばかり。

その日も全国大会で優勝し、控室で帰宅の準備を進めていたときだった。
「君が大田原源一郎君か。とんでもなく強いと評判だ。
 どうか一つ、手合わせをお願いできないだろうか?」
声をかけてきたのは見慣れないスキンヘッドの男。
見知らぬ武道者から手合わせを求められることは初めてではない。
道場破りのような連中と試合をしたこともあるし、師範クラスの人間を下したことも何度もある。
人が二本足で歩くように、鳥が翼で空を飛ぶように、魚が水中を泳ぐように、此度の立ち会いも当然、大田原源一郎が勝利を収めるだろう。

その日、大田原源一郎は人生で初めて、完膚なきまでに敗北を喫した。



勝利は空虚だった。
次の日には勝利したという事実以外は忘れてしまうほどに、日常の一コマと化していた。
うってかわって敗北は苦い味だった。
次の日も、その次の日も、一週間後も、一か月後もその味は残り続けた。

「本日より諸君らの教官を務める。吉田無量大数だ。
 今日は初日だ、訓練に入る前にまずは諸君らの現在の実力を見せてもらいたいと思っている。
 カリキュラムはあらかじめレジュメとして配っておいた通りだ。
 何か聞きたいことがあるなら今のうちだぞ?」
「上官殿がこの隊で最強だと聞いたが、それは事実なのか?」
「そうだ。私は最強と呼ばれており、私自身もそれを自覚している。
 この最強の座というのは決して軽いものではない。
 決して他の奴らには負けてはいかんということだ」
「逆に聞くが、上官殿を負かすことができれば、俺がナンバーワンということでいいんだな?」
「どうも血の気の多いやつがいるようらしい。
 君らの誰かが私を下せば、潔く最強の座を受け渡そう。
 ひよっこども、かかってこい」

SSOGに入隊したその日の初訓練。
大田原源一郎は当時最強の座についていた吉田無量大数相手に、二度目の完膚無き敗北を喫した。


441 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:39:03 VO1PRDMs0



「大たわけがあぁあっ!」
実地研修――といってもほぼ正規の任務と変わらないのだが――を終えた反省会。
鉄拳を受けた大田原二等兵の巨体が宙に浮いて吹っ飛んだ。
成田二等兵もくの字に折れながら吹っ飛んだ。

「誰が友軍の前に姿を晒せと言った!? 誰が救助を指示した!?
 我々は表部隊に姿を現してはならんのだ!
 貴様は命令を無視して、課された任務をおろそかにするのか!?」
「はっ! 出過ぎた真似をおこないました!
 申し訳ありません!」
「あとそっちの反抗的な目をした貴様!
 上官の命令なしに銃を撃つ大バカがどこにいる!?」
「がはっ、……も、申し訳ありません」
「貴様がムダにした数分と、貴様の尻拭いの数分で日本全体を危険に曝した自覚はあるか!?
 我らの一秒は祖国が滅ぶか存続するかの分水嶺になると知れ!」
「はっ、理解いたしました!」

テロ制圧の折、伏兵に狙われていた友軍――表側の特殊作戦群のメンバーを助けたという命令違反による制裁である。
大田原と成田は作戦に影響が出ないほどに迅速に救助をおこなったが、綱紀粛正の対象であった。

「貴様らに自己判断は十年早い!
 才があるなら多少の命令違反が許されるとでも思ったか?
 一度タガが外れてしまえば、命令違反を繰り返す。そうなればもう使い物にならん。
 我々は民間人ではない。秘密特殊作戦群、SSOGだ。
 貴様たち一人一人の驕りが国民の安寧を脅かすことに直結すると知れ」
「「はっ、了解いたしました!」」

そう言われても、やはりピンとくるものではない。
成田も大田原も、日本を護るという崇高な理念などなかった。
己を打ち負かした男を超えたくて、銃が撃ちたくて、そんな私的な理由で秘密特殊作戦群の門をたたいたのだから。

「成田、貴様まだ反抗的な目をしているな……」
「うぇっ!?」
「どうやら貴様ら新兵は、まだそこのところの自覚が足りんらしいが……」

制裁モードから教官モードに切り替わる。
任務と命令は絶対とはいえ、体罰だけで躾けられた隊員は、自発性や柔軟性を欠いて使い物にならなくなる。
内面から湧き上がるモチベーションが必要だ。

「私もただ理不尽を君たちに押し付けるつもりはない。
 士気の低いSSOGなど使い物にならん。
 君たちは身体スコアに関しては例年以上に優秀だ。明日は予定を変更し、視察旅行にしゃれ込むのはどうだろう。
 諸君らの『仕事相手』の仮想成果を見に行こうじゃないか」
「はっ!」


442 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:39:30 VO1PRDMs0

新兵たちは教官と共に、厳重に封鎖された看板の奥の廃墟群、重装備が必須とされる区域に侵入する。
元の住人は散り散りにこの地を離れ、活動している人間は政府や民間から派遣された処理業者のみだ。

ほんの数か月前まで人の営みがあったとは分からないほどに自然と同化した町。
けれども、その自然すらどこか歪で進化を捻じ曲げられたような印象を受ける。

郊外から中心部に向かうにつれて、荒れ果て具合はより顕著になっていく。
首輪で繋がれたまま息絶えた家畜に、ガレキに押しつぶされて誰にも引き取られぬまま白骨化した死体。
乗り捨てられた高級車は潮と泥にまみれて色を失い、スーパーの入り口に展開した商品は元が何であったか分からないほどに朽ち果てている。
アスファルトは雑草に食い破られ、住宅は竹やつる草に浸食されてしまった。
町から住人を一人残らず消し去ったことで誕生した死の街がそこに広がっていた。

「変わり果てた街を見たか?
 明日をも知れぬ人々の声なき嘆きを聞いたか?
 此度の『仕事相手』は、この悪夢を人為的に起こそうとしている。
 無辜の民たちに、祖国に、滅びをもたらそうとしているのだ!
 我々の任務をただの仕事だと思うな。使命と思え!
 諸君らに与えられた溢れんばかりの才能は、今にも襲いかからんとする災厄から祖国を守り抜くために与えられたものだと知れ!」

教官が熱量を帯びた発破をかける。
大田原とて、報道でその惨状を知ってはいたものの、聞くのと実際に目で見るのとでは受け取り方はまるで違う。
乾いた風の吹き抜ける惨劇の地で、これから背負っていくものの重さを知った。


初任務は、今と変わらぬ暗部の任務。
国難に乗じて発電所の爆破を目論む他国工作員と傭兵から拠点を守り抜き、そして彼らを手引きした平和主義者の市民団体や国際環境保護団体の民間人を処理するものだった。
鎧塚核吾という初めての同格の敵、天才的な傭兵を相手に死闘を演じて引き分け、互いに殺し切ることはできなかったが、拠点を守り抜くことには成功した。
任務を終えて祖国を護り切り、前日に見た滅びた町と、変わらぬ祖国の風景が目の奥で重なり、国を背負う意味を知った。
そこでようやく、大田原は自身に才を与えられた意味を知った。



SSOGとして一年が過ぎる。
殉職率の高いこの部隊で一年も生き残れば、もはやベテランといっていいだろう。
ベテランの先輩も見どころのある後輩も等しく死んでいく中、大田原は順調に成果を重ねていく。
だが、今日も吉田を下すことはできなかった。

紙一重の差。
だが、その紙一重の差で何度も敗北を喫していた。
「肉体の頑強さも戦闘技術も、君は私を超えている。
 だが、君は今日も私を下せなかった。
 問おう。最強に最も必要なものは何か分かるだろうか?」
「…………」

最強が最強たる理由。
当時は何も答えられなかった。
ただただ、肉体を鍛え上げて技術を磨けばそこに到達できると思っていた。
だが、それは誤りだ。
もしそれだけで到達できるならば、最強は今も昔も美羽風雅で揺るぎなかっただろう。

「その答えを出せない間は、君が私を下すことはないだろう」


443 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:39:52 VO1PRDMs0



「答えは出たのか?」
大田原は大きく頷く。

「では、模擬戦を始めるとしよう」

そして、二つの肉体が激しくぶつかり合い。

「ああ、生きているうちに新たな最強の誕生を見られようとは。
 これからは、心穏やかな日々を過ごせそうだ」

『前』最強が倒れ伏す。
ついに序列が変動した。



「SSOGは最強の部隊。その精鋭の筆頭が君だ。
 君が最強の座を固守する限り、SSOGは揺るぎない」

この国の頂点に君臨することへの責任。
我こそが守護者たらんという自覚。
決してこの身は揺るがぬという自負。
頂点の孤独に耐えうる強靭な自我。

力と技術だけにあらず。
決して揺るがぬ心こそが、最強が最強たる所以である。

頂点の座への、そして護国への飽くなき渇望を持つ者だけが最強の座へと至れるのだ。
我こそが祖国の守護神。
絶体絶命の危機でそう言い切れる覚悟こそが、ナンバー2やナンバー3とナンバー1を分かつ差である。

「柱となれ、大田原。君は書類上ではただの一隊員、駒にすぎん。
 だが、決して倒れることのない最強の駒となり、隊の支柱となれ」

入隊から今に至るまで、敗北も痛み分けも存分に経験した。
そして、ここからはもう後戻りはできない。
これからは勝利あるのみだ。

「大田原一等陸曹! 昇進おめでとう!
 貴殿の、新たな最強の、さらなる躍進を期待する!」


444 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:40:06 VO1PRDMs0



(俺は、生きているのか?)

走馬灯に映る影のように、生涯の記憶が目くるめく去来した。
そういった主観的な観点からも、客観的に怪物に与えられた負傷を加味しても、自分は死んでいて然るべきだった。
最強の座を汚した愚か者として汚名を残すはずだった。

(異能に適合したのか……、いや、させられたのか」
原型をとどめぬ程に破壊されたはずの四肢に、確かに神経が繋がっている。
あれは自然回復できるような負傷ではなかった。
それを可とするのは、自然の域を超えた怪物をいとも簡単に作り出す異能というチカラ以外にない。

一言で言えば命を拾ったということになるが。

(……ッッ!)

乾いた血涙の跡をなぞるように、再び瞼から血が滴る。


仮に同僚の救援が間に合ったのであれば、同僚に最上級の敬意を払っただろう。
敵の見通しが甘くて生き延びたのであれば、常日頃欠かさなかったトレーニングの方向性の正しさを噛み締めていただろう。
あるいは、第三者の横槍が入ったのであれば、祖国が己を必要としたに違いないと己を奮い立たせていただろう。

今回は違う。
明確に敵の『お情け』によって生かされた。
利用価値を認められ、敵に利用されようとしている。
この醜態をもってして、命を拾ったのでまだまだ祖国を護れますなどとほざこうものなら、それは恥知らず以外に表す言葉がない。

あの怪物は大田原自身を秩序を揺るがす者へ作り替えんとしている。
立場的にも信条的にも決して許容できるものではない。
問題は、大田原に何をさせようとしているか、だ。


445 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:40:19 VO1PRDMs0

(身体はまだ動かんが、感覚は繋がる。
 これが異能か。驚異的な回復力だ)
一部ではターミネーターなどと呼ばれている大田原だが、当然腹は減るし人間としての基本的な代謝も機能している。
まさに死を待つ以外になかった肉体は重症にまで持ち直した。
問題はその代償だろう。空腹、いや、これは飢餓感と言い換えてもいいだろう。

(異能の特質を確認。代謝を驚異的なまでに促進する異能と仮定する。
 次は、現状の整理をおこなう)
己は祖国の暗部を引き受けるSSOG所属。
此度のミッションは、山折村を襲った未曽有のVHを解決するというもの。
その作戦の一環として、大田原は女王の斬首チームへと組み込まれ、その途中で人語を解する怪物に敗れた。

(記憶は繋がっている。不自然なつながりは、ない)
記憶、体調ともに、特別な干渉を受けている様子は見当たらない。

人の言葉を解する正体不明の怪物。
あれは正常感染者を増やすことを目的とした動きを取った。
大田原のマスクを外し、明確な意図を持って脳に干渉をおこなった。
だが、大田原からの怪物への敵意は一切消えていない。
むしろ、確実に退治しなければならないという使命を感じているほどだ。

理解不能な怪物の行動と目的。
その不可解さは、大田原の納得できる形ですぐに氷解した。


倒れた大田原の隣を、よろよろとゾンビが通り過ぎていく。
まだ幼いゾンビは攻撃性を持たず、本当にただ歩いているだけだ。
ゾンビにも個性があることは経験として認識しており、存在自体を意識に入れる必要のない無害な個体だった。

ゾンビが大田原に気付き、白い目で顔を覗き込む。
子供は見慣れない者に興味を持つものだ。
それが閉鎖された田舎であれば、なおのこと外から来た人間に興味を持つ。
防護服に身を包んだ血まみれの男におっかなびっくり近いては、遠巻きに眺める。

(食事を起点として身体代謝が高まるのであれば、素直に食事を摂るべきだ。
 ちょうどいい食事も近寄ってきている。
 ……!?)

大田原は自身の思考を疑った。
戦場で食うものがなくなった兵が屍となった同僚の肉を食べて飢えを凌ぐという話は聞いたことがある。
だが、それは極限状態の話だ。
食えるものがないために、仕方なく人間の死体を貪り食うのだ。
今、大田原は元からそういう生物であったかのように、当たり前のように人間を食材と認識した。
記憶と本能がかみ合わない。
明確な異常が明るみに出た。


446 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:40:38 VO1PRDMs0

山折圭介がゾンビを引き連れていき、住宅街に点在するゾンビの数はまばらだ。
そして独眼熊やワニ吉といった群れなす捕食者たちが、さらに周囲のゾンビや死体を減らしていた。
正常感染者や同僚のSSOGに至っては、今どこにいるのかも分からない。

ただし。
一ヵ所だけ、必ず人間に出会える場所が存在する。
それは、村の周囲を包囲しているSSOGの封鎖班。

異能を持っているとはいえ、ただの村人に封鎖を突破されることはない。
だが、特殊部隊員ならば話は別だ。
罠の位置、罠の種類、封鎖班に属する隊員の個々の性質を知っている。
大田原にもたらされた超人的な異能と元来の身体能力、知識が合わされば、包囲網の網を食い破ることができてしまう。
VH拡散の突破口が開けてしまう。

女王を殺害すればVHは終わる。
山折圭介はターゲットの一人だが、あれはVHの収束を目的としていた。

怪物はそうではない。
あれはVHの定着を望んでいる。
食欲という根源欲求を人質に、最強を自身の尖兵へと造り替え、SSOGの包囲網へと突撃させる。
その網が破れたことが女王に伝われば、包囲殲滅作戦は山中でのゲリラ戦へと変異する。
こうなれば、48時間以内の殲滅は非常に難しいものと化してしまうだろう。
これが、大田原の考える怪物の狙いの中で最悪のものである。


実際のところ、どこまで怪物が異能に関与したのかは不明だ。
唯一明言できることは、大田原は肉体を蹂躙され、矜持を蹂躙され、秩序の敵へと造り替えられようとしているという事実。
肉体が感覚を取り戻すにつれて、飢餓感はさらに膨れ上がっていく。
だが……。

(ナメるな……!!)
この程度の飢餓感で大田原が折れることがあろうか。
少なくとも、自身から湧き上がる衝動である限り、大田原の意志で抑え込むことができる。
鉄壁の自制心と先代からの教えにより、いともたやすく捕食可能なゾンビを前に、大田原は捕食を踏みとどまった。

己にとって極上の馳走に映るものを前にしても、その心は巌のように揺るぎなし。
内からマグマだまりのようにぼこぼこと湧き上がる食人欲求を、理性という岩盤で抑えつけることで、大田原の精神は安定期に入った。
極限飢餓を迎えない限り、思考を失わない限り、彼が折れることは決してないだろう。


今に限れば最適解と言っていいだろう。
この異能によって呼び起こされる食欲に限度はない。
一度ゾンビを捕食してしまえば、必ずどこかでタガが外れる。
一度タガが外れてしまえば、食人を繰り返してしまうだろう。
そうなれば、それはもう秩序の敵である。

そして大田原はまだ知らないことだが、ゾンビを食べても飢えは回復しない。
無数にある並行世界において、それはすでに実証されている。
那由多乃私も山路フジも正常感染者とはならなかったため、こことは決して交わることはない、少しだけ細部の異なる世界。
それぞれの世界で正常感染者となった黒ノ江和真は限界を迎えてゾンビを食い荒らし、それでも膨れない腹を満たすためにさらなる暴食にひた走る運命をたどる。
決して満ちることのない腹を満たすため、ゾンビとなった村人をひたすらに捕食する道をたどる餓鬼道。
故にこの異能は『餓鬼(ハンガー・オウガー)』と呼ばれているのだ。
けれど、そんな情報を受け取る手段など、異世界を含めてもこの世のどこにもない。
ゆえに、大田原は異能の代償を踏み倒した。


447 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:46:47 VO1PRDMs0



大自然の中の透き通った空、鳥のようにドローンが舞う。

かねてから念頭に置いていた追加支援、その要請は決めている。
問題は何を要請するか、だ。
防護服によるウイルス保護が不要になった以上、威力の調整もまた不要だ。
ただし、今回の敗北は武器の性能によるものではなく、敵の悪辣な搦め手に囚われたことが主原因であった。
威力の高いコンバットナイフや狙撃銃だけでは同じ轍を踏むだろう。

試用ではなるが、有力候補が一つ。
スカイスカウター。
一言で言えばサーモグラフィを装着した装着型カメラである。

正常感染者とゾンビの大きな違いは体温であるとブリーフィングで説明を受けている。
怪物とて、生物である以上は代謝をおこなっているだろう。
だが、その分身体はどうだろうか。
不自然な体温を目視で看破できるのであれば、相手の策を一つ奪うことができる。
マスクを剥ぎ取られたからこその試みである。
支援物資はA、B、C……といったようにいくつかの分類グループに分けられている。
当初の予定にない物資も、この分類で指し示せばある程度は要請可能だ。


そしてもう一つ、要請を決めているものがある。
自決用の爆弾だ。

大田原は飢餓程度で秩序の敵へと堕ちはしない。
だが、そこに絶対の保証はない。
なぜなら、異能とはウイルスという異物を取り込んだことによって発動するものだからだ。
大田原自身の肉体は大田原の制御下にあっても、ウイルスは制御できない。
これは意志や精神力では解決のできない、絶対的な事実だ。
異能の代償を踏み倒し続けた結果がどこに行きつくのか。
それが明らかになっていない以上、自身を殺し切る手段を用意しておかなければならない。

信管を起動するのは己自身であり、その爆破対象は己自身。
熱と炎で確実にウイルスごと自身を焼却し切る。
瀕死からも肉体を回復してしまうほどの異能を与えられた以上、最終手段は確保しておかなければならない。

そして、仮に大田原がウイルスや怪物の手先に堕ちたとしても、
成田を筆頭とした狙撃手たちに包囲部隊、彼らが狙撃を雷管に確実に命中させ、憂を断ってくれるだろう。

石像のように動かない大田原にゾンビはようやく興味をなくして去り、再び空を別のドローンが優雅に舞う。

神経のつながりが回復し、腕がわずかに動く。
そして、激痛に耐えれば移動だけならば可能なまでに肉体も回復した。

腕を空に向け、大田原源一郎は司令部に向けて二つのハンドサインを送った。
一つは支援物資の要請。
そしてもう一つは封鎖班への伝達である。

その内訳は。
『境界線で大田原源一郎を見たら、即刻爆殺せよ』


もう後戻りはできない。
大田原源一郎一等陸曹はこれより決死兵となった。
命もろとも祖国の平穏を脅かすものを取り除くべく、行動を開始する。


448 : 司令部へ ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:47:12 VO1PRDMs0

【F-1/診療所前/一日目・昼】

【乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L2)、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.スヴィアを尋問する。
3.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
4.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
5.黒木に出会えば情報を伝える。
6.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。

【D-3/保育園グラウンド中央/一日目・昼】

【黒木 真珠】
[状態]:解凍中
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.ハヤブサⅢを確実に抹殺するための準備を整える。
2.ハヤブサⅢを殺す。
3.氷使いも殺す。
4.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています
※司令部に物資を要求しています


【C-3/高級住宅街/一日目・昼】

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、全身粉砕骨折(再生中)、臓器破損(再生中)、全身にダメージ(大・再生中)、右鼓膜損傷(再生中)、右脳にダメージ(中)、異能による食人衝動(中・増加中・抑圧中)
[道具]:防護服(マスクなし)、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理
1.独眼熊を最優先で殺害する
2.追加装備を受け取る
3.美羽への対応を検討(任務達成の障害となるなら排除も辞さない)
4.秩序の敵となった時点で自決をおこなう
※異能による肉体の再生と共に食人衝動が高まりつつあります。
※司令部に支援物資を要請しました。


449 : ◆m6cv8cymIY :2023/09/04(月) 01:47:27 VO1PRDMs0
投下終了です。


450 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/04(月) 20:17:11 TytyFXZE0
投下乙です

>司令部へ

特殊部隊の悲喜交々
本隊のとの連携を取り始め、ただですら強いのに支援物資で強化される余地があるのがズルすぎる
ついに異世界に続いて並行世界まで存在まで明言されたのか……

頭脳である天くんが情報という武器を得たのはでかすぎる
外を封鎖してる隊員との接触も隊員なら出来るよね、得た情報が複雑すぎてハンドサインじゃ伝えきれないのはそれはそう
しかし一時撤退すらも許されないのは士道不覚悟が決まりすぎている

この世界テロが横行しすぎでは? ようやく隊長に憧れる様子が描かれて満足
精鋭であろうとも個人での限界はある。優秀な駒だけではなく優秀な打ち手が必要であると真珠も悟る
徐々に状況が多対多の集団戦に移行しつつある、特殊部隊まで集団化するといよいよ村人側が追い詰められてしまう

最強に歴史あり。無量大数さんこんな強かったんっすねぇ
大田原さんも最初から常勝無敗だったわけではなく、未熟だった時代もあり
肉体面だけではなく受け継がれる精神こそが最強たる資格。異能による飢餓はその精神力で抑え込んでいるが、自決すらも見据えた覚悟はどこまで持つか


451 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:21:15 /QGgedcg0
投下します


452 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:22:02 /QGgedcg0
地獄が広がる地上より、なお深い地の底の底。
奥底の深淵に広がるのは、白く清廉なる地獄である。
潔白なる世界の足元には多くの死体が転がり、黒い死と赤の血が織りなす陰鬱な色彩に侵されていた。

その中心に威風堂々とした風格で立つのは、清廉な白にも陰惨な黒にも汚されぬ赤。聖剣を携えた神聖なる巫女である。
地下を流れる空調の冷たく重厚な空気に、ヘルメットから流れる長い黒髪が優雅に揺れる。
この世のモノは思えない不気味なまでのその美しさ。
この静謐さと醜悪さの入り混じる地獄においては、人智を超えた神か悪魔の様にすら見える。
彼女こそが神楽春姫。この山折村の始祖なる一族にして全てを統べる真なる女王である。

春姫は死体の山が築かれる足元に一瞥すらくれず、ただ前を見つめていた。
その黒曜石のような瞳が見つめているのは、蓋が開いた地獄の釜。
重々しい壁の崩れた『細菌保管室』の有様である。

全てはここから始まった。
この一室こそが、村を襲った惨劇の起点である。
その周りには粗雑な爆破の証拠が散見されていた。
壁に刻まれた大きな穴は人為的に破壊されたという一つの真実を知らせている。

春姫は壁際に歩み寄り、そのまま足をかけると、よっと力を込めて軽やかに壁を乗り越えた。
この保管室内には目に見えないウイルスが蔓延しているだろうが、適合者である春姫にとっては今更である。

保管室の中に入って内部の様子を探る。
爆破は壁の破壊だけでなく保管室の内部でも行われたようだ。
煤けたような痕跡が室内の壁に放射状に広がり、その影響でこの部屋の電灯は壊れてしまっているようである。
廊下から差し込む微かな光だけが、この暗闇を照らす頼りになっていた。

春姫は背後からの微光を頼りに、部屋内を観察する。
冷蔵庫のような高度な保管装置がいくつもあり、それがかつてはこの場所で細菌やウイルスを厳重に保管していたのだろう。
だが、爆破と地震のダブルパンチによって、その大半は無残にも破壊されていた。
フラスコやシャーレの破片が地面に散らばり、その中から漏れ出したウイルスが、おそらくこのバイオハザードの原因だろう。
だが、全てが完全に破壊されたわけではないようで、薄暗い部屋の一角に何とか爆破の影響から逃れて無傷の容器がいくつか見受けられた。

雑な仕事だ。
春姫ですらそんな感想を抱くほどだ。
廊下に転がる死体たちの徹底さに反して、ここで研究成果を完全に消去してやろうという意図は感じられない。
むしろ、このバイオハザードを引き起こす事こそが目的であるかのようにさえ思える。

春姫は足元に散らばる破片を粗雑に足裏で蹴散らしながら、部屋の奥へと進んで行く。
爆破と地震によって壊れた瓦礫と暗がりを慎重に避け、部屋の隅に転がっていた一本の試験管を手に取る。
壁の穴から差し込む微光に照らして見れば、試験管には[HE-028]というラベルが貼られていた。

この試験管の内容物が山折村を侵したウイルスだろう。
ある意味では事件の犯人を捕らえた様なものだが、それだけでは何の解決にもならないのがこの事件だ。
春姫が本当に必要としているのはウイルスではなくワクチンである。
この部屋にそういった希望の兆しは見当たらなかった。

ひとまず何かの役に立つかもしれない。
そう考え、春姫は[HE-028]を懐にしまい込む。
とりあえずの成果を得た彼女は細菌保管室を後にした。

『脳神経手術室』『新薬開発室』『感染実験室』『動物実験室』
階段からこの保管室に至るまで、高度な科学研究が行われていることを誇示するような大仰な名前の実験室が並んでいた。

なるほど、ここには最先端の研究設備が整っているのだろう。
研究者であれば垂涎物なのだろうが、春姫にとってはどうでもいい事だ。
このフロアにトイレがない事の方が気になるくらいである。ここの連中は催したらいちいちB1にまで戻っているのだろうか?

春姫に今からワクチンを研究するなどと言うつもりは毛頭ない、そんな時間はハナからないだろう。
彼女が望むのは研究と言う過程ではなく、事態を解決するための成果という結果だ。
その結果を求めて、赤い巫女は保管室からさらに先へと進む。

この研究所で行われていた争いは保管室を中心に行われていたのか。
保管室を離れるにつれ、警備兵と祭服たちの死体の数は少なくなっていた。
逆に、逃亡しようとして背中を撃たれたような、白衣を纏った研究者の死体が目につくようになる。

白衣の死体が転がる白い死の海の中で、血で染まった赤い巫女が足を止める。
細く長い睫毛を瞬かせながら、扉に書かれた名前を確認する。


453 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:22:32 /QGgedcg0
『分析室』

その名の通り、各々の実験室で行われた実験成果を取りまとめ、その実験データをもとに解析と分析を行うための部屋である。
研究成果と言う機密の詰まった、ある意味でこの研究所において最も重要な一室である。

春姫はタッチ式の自動扉に手をかざす、が反応はない。どうやら施錠されているようだ。
だが、今の春姫には魔法の鍵(物理)がある。
階段廊下の合金製の扉と違って、室内扉は破壊するのもいくらか容易かろう。

鍵開けに成功した春姫は分析室の扉を開き、中に足を踏み入れる。
そこには高性能なPCが幾つも立ち並んでいた。
立ち並んでいると言っても、実際には地震の影響で床に転がっているものがほとんどだが。

そんな中から春姫は一台の無事そうなPCを選び、足元にある本体の起動ボタンを押す。
壊れてはいないようで画面は一瞬で起動した。パスワード入力を求める画面がディスプレイに映し出される。
春姫はキーボードに向かって軽やかに指先を滑らせ、ッターンっと華麗にパスワードを入力した。

だが、無作為に打ち込んだパスワードが認証されるわけもなく、返ったのは再入力を求めるエラー画面であった。
ふむ、と意味深に呟きその結果を受け止めるが、その呟きに特に意味はないだろう。

データの確認にはパスワードが必要である。
試しにIDパスに書かれていた値を入力してみるがこれも弾かれた。
流石にこればっかりは強運や偶然でどうこうなる話ではなさそうだ。

だからと言って、出来ることがないわけではない。
大抵の研究成果はPCで管理されているようだが、そればかりではないようだ。
テロや地震が起きる直前まで研究中だったのか、手書きの資料やプリントアウトされたレポートも周囲に散らばっていた。
地震で落下した紙束は方々に広がり取りまとめるのが面倒なのでひとまず置いておいて、とりあえず机に残っているレポートを手に取って目を通す。

春姫は速読のようにレポートの要点を読み取っていく。
先ほどB1の資料室で専門書を読みこんだ甲斐もあってか、ある程度は内容が理解できる。
とは言え、細かな実験内容に関してはどうでもいい。
別に研究の続きを引き継ごうという訳ではないのだ。
知りたいのは概要と結論。解決に繋がる情報である。

どうやらこの資料は当たりのようだ。
これは先ほど保管庫で入手した研究中のウイルスについての資料である。

――――HEシリーズ。

正式名称『Heal Earth』。
[HE-001]から始まるウイルス開発計画で、村に漏れ出したのは28番目の試作薬[HE-028]と言うウイルスのようだ。
概要の描かれた資料には研究者のモノだろう、手書きの注釈が書かれていた。


454 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:27:05 /QGgedcg0


〇Heal Earth-No.028 研究報告書
                     作成日: 2023年6月×日

1. ウイルスの概要と特性

1.1. 目的と機能
[HE-028]は、感染者の脳機能を拡張し、その脳内イメージを外界に転写する機能を生成する新規ウイルスである。
 →いくつかのケースで、母体の脳に応じた本来の想定とは異なる機能の発現が確認されている。現段階では運用上の支障はないため保留とする。

1.2. 感染経路
[HE-028]は空気感染によって広まるウイルスである。
 →散布の際はより効率的な散布方法を検討する必要がある。外部組織への協力要請は必須か。

1.3. バリエーション
[HE-028]は、主体型[HE-028-A]と、その影響下でのみ活性化する子型[HE-028-C]に分類される。
 →影響範囲は不明。岐阜と東京間の約270Kmまでの有効性は確認済み。距離制限なく交信が可能かもしれないという仮説あり。要検証。

1.4. コミュニティ依存性
一つのコミュニティ内で、[HE-028-A]の感染者は単独でしか存在できない。
 →感染拡大の足かせとなるため、この制約を撤廃できないかを検討すべきと言う意見あり。
  →しかし、依存関係の改修はリスクが高く、期限を考え現時点では保留とする。

1.5. 活性化と非活性化
コミュニティ設定は感染時に確定し、母体[HE-028-A]が死亡すると、子型[HE-028-C]の活動も停止する。
 →別のコミュニティで発生させた[HE-028-A]感染者同士の交換を行い、片側の[HE-028-A]感染者を死亡させたところ、影響を受け活動を停止したのは元のコミュニティの[HE-028-C]感染者であった。
 →非活性化後、睡眠中の脳脊髄液によりウイルスは除去されることが確認されている。

1.6. 定着と変質
[HE-028-C]は約48時間で人体に定着し、単独で活性化可能な[HE-028-B]へと変質する。
 →定着時間の短縮が運用上必要。脳活動が高い検体では定着時間が短縮される事例あり。詳細条件を特定中。

1.7. 今後の研究方向と目標
全人類への[HE-028-B]定着を最終目標とする。
 →人類以外の生物も対象としたいが、現時点では保留。

2. 課題と対策

2.1. 脳拡張の失敗と脳萎縮
脳拡張に失敗すると、[HE-028]が無制御に増殖し、脳萎縮が発生する。
 →正常感染率は現在1〜5%。目標は2年以内に99.998%以上。正常感染の条件特定が急がれる。

2.2. 動物実験の限界
現在の動物実験では、人間への適用には限界が存在する可能性が指摘されている。
 →これ以上の進展には人体試験が必要かもしれない。

2.3. 精神的影響
動物実験において感染した動物の行動に変質が見られたケースが存在した。
 →人間にも同様に適用される場合、どのような精神的影響があるのか不明である。

2.4. 免疫応答
一度感染した個体は抗体を生成し、その後の再感染が難しい。
 →何らかの要因で[HE-028-A]感染者が死亡した場合、その影響下にある[HE-028-C]が取り残される危険性がある。




455 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:27:43 /QGgedcg0
レポートの概要はこんな所だ。
その先には専門用語の並んだ具体的な研究内容も書かれているが、その辺はいいだろう。

以上の内容から事態の解決に繋がりそうな情報を要約すると。
・非活性化したウイルスは脳内洗浄で洗い流せる。
・ウイルスを非活性化させるためにはA感染者の生態活動を停止するしかない。

結論としては、これまでと変わらず女王の殺害がベストな解決策であるという事だ。
少なくとも、あの放送が虚偽情報ではないことは確認できた。

だからこそわからない。
あの放送は、ウイルスに関する情報は本当であったにもかかわらず、地震による研究施設の破損という明らかな虚偽が含まれていた。
あれ程露骨な破壊跡だ、当時者であればそのような勘違いは起こり得ない。
それ嘘と断じられるのは、今の所研究所内の被害をその目で見た春姫だけである。
だからこそ、安直な結論は出さない。

結論を出すには情報がまだ足りていない。
[HE-028]の報告書を懐に忍ばせた春姫が分析室の奥へと視線を移す。
そこには扉があった、分析室にはまだ続きががあるようだ。

春姫は手慣れた様子で魔法の鍵を振りかぶって、分析室の奥へと侵入を果たす。
そこはデジタルではなくアナログな大量の紙資料が並べられた資料室だった。
B1Fにあった資料室と違い、先ほど机上にあった資料のようにこの研究所で行われた実験のレポートや報告書がまとめられているようである。
数年にわたる膨大な実験データの資料が図書館のように列ごとにジャンル分けされ、綺麗にまとめられていた。
耐震構造はそれなりにしっかりしているようで、固定された本棚自体は健在だ。まあ中のファイルは地面に落ちて取っ散らかっているのだが。

春姫はまずは扉に近い左端の通路を進みながら足元に落ちている資料を簡単に確認してゆく。
一番手前に先ほど確認した[HE-028]のレポート、次いで[HE-027]。どうやら手前から逆順に資料の数字も若くなっているようだ。
時系列ごとにファイルされていたのだろう。古い実験成果は奥にまとめられているようだ。
順調に進めば研究のヒストリーを[HE-001]まで遡れるのだろうが、この辺は最新の[HE-028]のデータを見ていれば十分だろう。

春姫は次の列に移る。
この列では研究所が残した独自資料や研究員が書いたであろう論文などが並ぶゾーンのようだ。
適当に転がっているタイトルだけを流し見していく。
とりわけ、春姫の興味を引いたのは長谷川真琴という研究員が書いた論文である。

『量子脳:脳が世界に与える影響について』
『CRISPR技術を用いた脳の未使用領域の活用と発展』
『外部刺激による機能の拡張と機能障害の克服について』

どれもが脳科学に関する論文だ。
試しに拾って軽く目を通しただけも門外漢である春姫にもわかる革新的な内容だった。
世界が脳に与える影響ではなく、脳が世界に与える影響というのは面白い発想である。
これは[HE-028]の資料に書かれていた特性とも被るところがある。
研究に生かされているのは間違いなのだろう

こういった資料も解決に役に立つのかもしれない。
とは言え、参考にするには資料は膨大すぎる。
持ち運ぶにしても荷物が増えるのは面倒だ。
春姫は適当に1、2冊ピックアップして懐にしまう。

次の列に並んでいたのは研究に関わらない雑多な資料だった。
春姫の目的はこの村の始祖として村を救うことである、研究に関わらない資料など見ている暇などない。
はずなのだが、その中に春姫の興味を強く引く資料があった

『山折村の成り立ちと歴史についての調査報告』

タイトルの通り、山折村の成り立ちと歴史がまとめられた資料のようだ。
恐らくこの地を拠点とするために、研究所が独自に調査した物だろう。

どれどれ。と添削をする教師の気分で報告書を手に取った。
村の始祖を謳う神楽家はこの手の資料には一家言ある。
春姫は流し読みではなく腰を据えてその資料を読み始めた。


456 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:28:40 /QGgedcg0


〇山折村の成り立ちと歴史についての調査報告書

I. 山折村の起源

山折村の原型となる土地が初めて文献に登場したのは平安時代にさかのぼる。
当時の資料によれば、山賊がこの地域を活動の拠点として使用していた記録が存在する。
山賊どもが近隣の集落から略奪した貴重品を、この隠れ家で保管していたとされる。

ある年において、山賊の一人が州の警固によって捕縛され、取り調べの過程でこの土地の存在が明らかとなった。
地方代官は兵を動員し山賊一味を駆逐。略奪された財宝は国に徴収された。
この土地はその後、飛騨国の管理下に入ったが、険しい山々に囲まれた交通の不便さから、しばらく活用されずに放置される事となる。

II. 疫病と村の成立

重要な転機が訪れたのは室町時代に入り、飛騨国で天然痘の疫病が流行た時の事である。
一計を案じた郡司が、疫病拡大を防ぐための対策として、疫病患者の隔離場所としてこの地を利用する方策を実施したのである。

その制度に従い、外界から隔絶されたこの土地に、次々と感染者や疑わしい人々は隔離されていった。
この際の治療体制は不十分であったと伝えられており、治療とは名ばかりで感染者たちは打ち棄てられたも同然の扱いであったという。
そこから、その地は病を閉じ込める檻。『病檻(やまおり)』と周囲から揶揄される何物にも顧みられぬ陸の流刑地となっていた。

だが、隔離された地域の中で、感染を乗り越え生き残った者たちがいた。
疫病により家族を失い、行く当てのない者たちは共に身を寄せ合い、新たな集落を形成した。
これが現在の山折村の『村』としての原点とされている。

III. 災厄と文化の形成

村として成立してからも、多くの災厄に見舞われたことが記録されている。
飢饉と不作。地滑りと土砂崩れ。猛獣の襲撃。火災、地震などの極地的な天変地異。神隠し。
多くの不可解な出来事や未解明の現象が記録に残されている。
あまりにも災厄が頻発することから、疫病隔離時代の蔑称『病檻』が転訛して『厄檻村』と呼ばれるようになった。

村人は山賊の根城であった事や、疫病隔離の場として用いられたというこの土地が呪われていると考えた。
また、不幸は妖怪や怪異の仕業であるという考えも広まり、多くの怪談や妖怪、怪異の伝説が形成された。
度重なる災厄を妖怪の仕業であると結びつけるのは一般的な妖怪伝承の成り立ちである。
外界から隔絶された特殊な村の地形は、独自の文化や信仰を育むにはまさに絶好の土壌であった。

これらの災害を鎮めるための手段として用いられたのが、神事や祭りである。
村の北部に位置する森林には厄を封じると言われる神木があり、毎年特定の日に、この神木で神事を執り行っていた。
これが後の山折神社であり、多くの村人が信心深く通ったことが記録に残っている。信仰の場は村の精神的な支えとなっていたようだ。

IV. 陰陽師の介入と村の再建

祭事では災厄は収まらず、限界を迎えた村の代表者が公的機関に対策を求める陳情を行った。
陳情を受けた郡司もまた、疫病蔓延の際に村を見捨てた負い目もありこの陳情に応じた。

役人は京から陰陽師を派遣し、村を訪れた陰陽師は村を一目見るなり『ここは厄を煮詰めた災厄の壺である』と述べた。
そして、取り囲まれた地形があらゆる厄に蓋をする厄の吹き溜まりとなっていると地形的な問題を指摘。
これを解消する手段として、南の山に厄を通す穴、龍脈を開くよう指示を出した。

この土木工事に多くの村人が駆り出されたが、当時は国内にトンネルの開通技術などは伝わっておらず、多くの犠牲者を出すこととなった。
その犠牲者を人柱とする形で、現在の新南山トンネルの前身となる通路が作られた。
これにより、災害の頻度が少しずつ減少し、村の状況が改善されて行った。

V. 経済と開放

龍脈の開通工事の結果、村の災厄は徐々に収まって行った。
時代が江戸時代に入る頃には村には平穏が訪れ、ようやく外界との交流や交易が始められるようになった。
そのころには村の呪いの根源である外界から隔絶された地形は、手つかずの豊かな自然を保存する恵みとなっていた。
特産品としての松茸や舞茸、そして狩猟による肉類が交易品として非常に重宝され、近隣の市場で高値で取引さたと多くの記録に残っている。

この交易を通じて、村は経済的に発展して行き、この繁栄を受けて村は少しずつ外界に開かれていった。
この時期に商人や旅人が村を訪れた様子も資料に残っている。

明治時代に入り、交通の便を図るため龍脈を拡張して南山トンネルが建設された。
新政府の方針により、村の名称が「山折村」と正式に決定された。

以上、山折村の詳細な調査報告をまとめました。
戦時の村の様子に関しては別資料『ヤマオリ・レポート』を参考。




457 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:29:22 /QGgedcg0
60点である。

歴史書を読み終えた春姫は大きなため息をこぼした。
村の成り立ちに関してはそれなりにまとまっているが、いくつも間違っている点が見受けられた。
何より、この資料には『降臨伝説』にまるで触れられていない。まったくもって出来の悪い偽書である。
この伝説こそ神楽家が村の始祖たる所以であり、山折家を偽りの支配者と断ずる理由でもある。

疫病に苦しむ村民を救ったのは、村人たち力だけではなかった。
人々を救ったのは山中に突如として君臨した『神』の奇跡があってのことだ。
現れた神は疫病で苦しむ人々に自らの血を注ぎ、彼らを救ったのである。

君臨した神を一人の巫女が神楽で迎えた。
巫女は疫病患者たちを見捨てられず、自ら村を訪れた聖女であり、そして巫女は神と交わり子をなした。
これが神楽家の始まりだと伝えられている。

つまり神楽家は、天照大神を祖先神とする天皇家の如く、神の血を引く貴き血筋なのである。
もちろん、神の降臨伝説といった伝説や信仰は多くの村や地域に存在するありがちなものだ。
しかし、春姫や神楽家の人々にとって、それは絶対の真実であった。

そして、山折神社の成り立ちについての記述も、事実とは大きく異なっていた。
祭事は神への感謝を捧げるための行いであり、厄払いなどのためではない。
村を救った神を奉るため、神が君臨した山の中腹に社が建てられたのだ。
最も多く神の血を賜り死の淵から復活を果たした男が宮司を務めることとなり、始まったのが山折神社だ。
これが神楽家の伝える正しき歴史である。

やれやれとかぶりを振る。
所詮、外様の歴史認識などこんなものか。
村に関する歴史書については父の蔵書の方がまだ充実しているだろう。
機会があれば研究所の連中にも講義してやらねばなるまい、これも村の先達としての務めだろう。

そう考えながら歴史書を懐にしまう。
曲がりなりにも村について書かれた書物である。
偽書とは言え、持ち帰り父の蔵書の肥やしとするのも一興であろう。
弾丸の一つくらいなら防げそうなほどにかさばってきたが、いざとなれば邪魔な論文を捨ててしまえばよい。

啓蒙も重要だが、今はウイルス被害に苦しむ村の救済が最優先である。
気を取り直し、春姫は次の本棚列に進む。
するとすぐに壁に行き当たった。どうやらこれが最後の列のようだ。

壁際にある最奥の列を進んで行く。
そして、入口から最も遠い資料室の最奥に『ソレ』は置かれていた。
地震にすら負けず鎮座するように、『ソレ』は地面に落ちず本棚の中に収まっていた。
何の躊躇もなくそれを手に取って春姫はそのタイトルに目を通す。

『Z計画に基づく本研究所の設立理念と研究目的について』

恐らくして、この研究所において、もっとも古い資料。
研究所の設立当初から存在するもので、研究所の全ての活動の根源とも言える内容が記されている。

確実に何らかの真実を明らかにする重要な資料だ。
春姫は当然のようにページをめくり始めた。
静かな資料室の中で、彼女の呼吸やページをめくる音だけが響いていた。


458 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:29:36 /QGgedcg0


〇Z計画に基づく本研究所の設立理念と研究目的について

Z計画を受けて、本研究所は人類の発展を未来に続けることを理念として設立された施設である。
また、本計画における…………は……………であり……………

.
.
.
..
...
.....
..........



「………………なるほど」

資料をすべて読み終え、春姫は全てを理解した。
そこには世界の『真実』が書かれていた。
心弱い人間であればあるいは発狂しかねないほどの衝撃的な事実である。
春姫が形の良い唇を尖らせ、珍しく内容を吟味するように思考する。

『未来人類発展研究所』は何のために作られたのか。
製造されているウイルス、[HE-028]の役割とは何なのか。
そして、その根幹となる『Z計画』とは。

ここに書かれている内容が事実なら、この研究所で行われていたのは正しく『世界を救う研究』である。
だが、春姫はこれを与太話と切り捨てるのではなく、真実であると受け入れた上で一笑に付した。

研究所は正しい。
必要性も理解できる。
だが、それはそれ。これはこれだ。

どんなに高尚な理念や目的が背景にあったとしても、この村を害したのは言い訳のしようがない事実である。
自然災害だろうが、事故であろうが、外的要因による攻撃であろうが、そんな事は知った事か。
何であろうと村への狼藉を春姫は許しはしない。

村の惨状を見て既に手遅れだの、取り返しがつかないだの考えるのは凡夫の発想である。
疫病に喘ぎ苦しむ村人の前に君臨した神の如く、全てを救ってこその神楽春姫である。

仮に、村人が全滅して生き残りが春姫ただ一人になったとしてもそれがどうしたというのか?
春姫がいれば、そこは山折村だ。
この事態を解決し、見事、山折村を再建して見せよう。

これこそが神の血を引く女王の役割である。

【E-1/地下研究所・B3 分析室・資料室/1日目・昼】

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2。
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。


459 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:29:47 /QGgedcg0
投下終了です


460 : 山折村の歴史 ◆H3bky6/SCY :2023/09/08(金) 21:37:53 /QGgedcg0
B3見取り図です
ttps://img.atwiki.jp/orirowaz/attach/10/5/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80B3.png


461 : ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 20:56:55 ZeL15yNU0
投下します。


462 : 昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 20:57:57 ZeL15yNU0
曇天から青天へと移り変わる六月末の山折村。夏の訪れを一足先に祝うかのようなこの時期になると「鳥獣慰霊祭」が開催される。
山折の民を救済した神と巫女を祀る儀式だと称されている一方、古来より山折の地に根付く神霊を鎮めるための神事であるとの通説がある。
しかし、どのような事情があれど祭りは祭り。
商店街の南口から山折神社までの道に並ぶ出店や吊るされた提灯らが山折村にいる人々の心を踊らせた。

日頃、山折村を「ド田舎」と小馬鹿にしていた反抗期真っ盛りの中学二年生の少年、山折圭介とて例外ではない。
村長である父、山折厳一郎から与えられた仕事を手早く終わらせた圭介は、ジャージ姿のままで自転車を漕いでいた。

(ったく、親父の奴。こき使いやがって!児童ろーどーだぞ児童ろーどー!)

内心で父親に毒づきながら役場から友人達との待ち合わせ場所へと急ぐ。
朝っぱらから働かせていた父親に文句を言おうにも一万円という大金が払われた以上、圭介は口を噤む他なかった。
既に青々とした空には茜が差し、商店街方面から賑やかな声が聞こえている。
駐輪場へと自転車を止め、待ち合わせ場所の南口アーケードへと顔を向けるとそこには浴衣姿の少女が一人。
圭介の到着に気がつくと少女は長い艶やかな黒髪を弾ませぴょんぴょんと跳び跳ねて手を振る。

「圭介くーん!こっちでーーす!」

花の咲くような満面の笑みを浮かべて自分の存在を誇示する少女ーー上月みかげに圭介は「おう」とぶっきらぼうに右手を挙げて返事をし、小走りで駆け寄る。

「悪いな、みかげ。親の手伝いで遅れた」
「ううん、大丈夫です。私もついさっき来たばかりだから」

にこやかに微笑み返すみかげに「大分待たせたのかな」と微かな罪悪感を抱く。
ふと、みかげはいつも圭介と共にいた友人二人がいないことに気づく。

「ところで……哉太君と諒吾君は、一緒じゃないんですか?」
「ああ、あいつらか?あいつらなら――――」


『ごめん、圭ちゃん!今年は道場で焼きそば手伝うことになったンだわ!』
『おやびん、サーセンっす!俺っちンとこも焼きとうもろこしとじゃがバタ売んないといけないンす!』
『『圭ちゃん/おやびんには100円引きするから許して〜!』』


「―――ってドタキャンされたよ。あいつら、バイト代に目が眩みやがったな」
「あ、あはは…………。あの二人ならありそうですね……」

薄情な子分二人にむくれる圭介にみかげは苦笑した。
前日に一方的な約束を取り付けたこちらも悪いのだが、自分の非を認めるのは何となく面白くない。
子分二人は欠席。ならば残りの女子二人はみかげと一緒にいる筈なのだが、辺りを見渡してもどうにも二人の姿は見当たらない。

「そういや、珠と光の奴は来てないな。あいつら遅刻か?」
「珠ちゃんは同い年のお友達、岡山林ちゃんと出店を回る約束をしていたみたいで……」
「そっか。あいつも遂に姉離れ兄貴分離れし始めたのかー。何つーか寂しくなるなぁ……」
「光ちゃんはおじさんおばさんのお仕事……お祭りの運営スタッフのお手伝いで遅くなるから先に神社に行っててって言ってましたよ」
「…………まぁ、生真面目なところあるからな、光の奴」

申し訳なさそうに俯くみかげに、圭介は「お前は何も悪くねえっての」とぼやき、罰の悪そうな表情を浮かべてぼりぼりと頭を掻く。


463 : 昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 20:58:30 ZeL15yNU0
「ま、今さらうだうだ言っても仕方ねえよ。あぶれ者同士で祭り、楽しもうぜ!」

圭介はじめっとした雰囲気があまり好きではない。快活な笑顔を浮かべるとグゥと締まりのない音が腹から鳴った。
タイミングの悪さに複雑な顔をする圭介にみかげはぷっと噴き出した。

「あー、昼は握り飯だけだったからな。あまり笑うなよ」
「フフッ……だって……」

格好つけたかった圭介は気恥ずかしさを感じ、そっぽを向く。思春期の少年は割と繊細なのだ。
頼れる格好良いリーダーとしての威厳を取り戻さねばと圭介は口を開く。

「と、とにかく、どっか適当な店でなんか食おう!親父からバイト代貰ったんだ。奢るぜ、みかげ!」



「あっ、圭介先輩……!」
「おっす、碧。お前んとこはベビーカステラか」

軽く片手を上げる圭介に対し、売り子の小柄な赤髪の少女――浅葱碧は帽子を目深に被って恥ずかしそうに挨拶する。
商店街南口の一角。今年はそこで緑の祖父――浅葱樹が経営する『浅葱養蜂場』がベビーカステラの出店していたようだった。
それなりに繁盛しているらしく、碧の他にも養蜂場の職員が忙しなく動いてベビーカステラを売りさばいている。

「いらっしゃい、みかげさん。圭介君ともどもうちの碧がお世話になっているね」
「いえいえ。こちらこそ碧ちゃんと樹先生にはお世話になりっぱなしですよ」

あわあわする碧を揶揄って遊ぶ圭介を尻目に、みかげはピースサインのジェスチャーと共に千円札を樹に渡す。
紙幣を受け取ると樹は二人分のベビーカステラをお釣りと共にみかげに手渡した。

「あ……あの、樹先生。お釣り間違えてますよ?」

気まずそうにお釣りを返そうとするみかげに樹はからからと笑う。

「君達にはいろいろ手伝ってもらっているからね。これは儂からのサービスだ」
「そ、そんな。悪いです―――」
「じいさんあざーっす!」

割り込んできた圭介がみかげから容器をひったくると口に一つ、ベビーカステラを放り込んだ。

「結構いけるっすね、これ。ほら、みかげも食ってみろよ」

楊枝に突き刺したカステラをみかげの口元に突き出す。突然の出来事に驚きながらもおずおずとみかげは突き出された菓子を口に含んだ。
「あ、おいし」と思わず声を漏らすと「だろ?」と悪戯っぽく笑いかける。

「まー道場ではあまり構ってやれてませんけどね、俺ら」

照れ臭そうに目を逸らして答える。そのすぐ傍では碧が雛鳥のように圭介から差し出されたベビーカステラを頬張っていた。
圭介達は哉太や珠を除くと週二回三時間の習い事感覚で道場に通っている程度だ。
哉太は師範の孫ということで言わずもがな。珠は一切興味がないらしく、習い事の類はしていない。
図々しさと謙虚が入り混じった圭介へと樹は優しげに笑いかける。

「ははは。それでも、だよ。儂一人では碧を立ち直らせることはできなかっただろうからな」




464 : 昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 20:59:11 ZeL15yNU0
ハルゼミの囀りが途絶え、薄闇に包まれ始めた山折神社。神社へ続く道しるべとなる提灯の灯りがもの寂しさを一層際立たせている。
その外れの土手で圭介とみかげは二人、並んで座っていた。

「祭りっつっても毎年こんな感じだよなー」
「ですねー」

焼きそばを啜る圭介の気の抜けた言葉に、みかげは焼きトウモロコシを齧りながら気の抜けた言葉を返した。
祭りが始まる直前はいつもワクワクするのに、一通り堪能すると代り映えのない終わりに虚しくなる。毎年この繰り返しだ。
唯一の違いと言えば、圭介とみかげが二人っきりだったこと位。

ふと、腕時計を見ると鳥獣慰霊祭のメインイベントまで残り一時間弱。
圭介にとっては何の面白みもない古臭い巫女の剣舞を眺めてそれで鳥獣慰霊祭は終わり。
山折村の伝統。それを守ることにどんな意味があるのか、今の圭介には理解できない。
大人になったら――具体的には村長になったら分かると両親から説かれてもいまいちピンと来ないのだ。

「――――圭介君」
「んあー」

ほんの少し真剣さを感じるみかげの声とは裏腹に、圭介は先程と変わらない気の抜けた返事を返す。

「来年、私達受験生ですよね」
「だな」
「志望校……どこにします?」

みかげの言葉から感じる寂寥感。進路によっては皆と離れ離れになってしまうかも、という憂い。
来年の受験を終えれば義務教育が終わり、各々が大人への第一歩を踏み出す。
少女の不安の吐露に、少年はジビエ串を齧りながら答える。

「そりゃあ、第一志望山折高校、第二志望山折高校、第三志望山折高校……だ」
「全部山折高校じゃないですか……」

諦観の混じった言葉に若干呆れた声を漏らす。

「圭介君なら将来起業して社長になるんだーって言うと思ったんですけど……」
「そりゃ無理だろ。俺、一応村長の息子だし」
「諦めるなんて格好悪いですよ。今は職業選択の自由があるんだし、圭介君も将来の夢、持ってもいい筈です」

口をついて出る不満。みかげは自ら道を閉ざす圭介に少し怒っていた。
珍しくむくれるみかげに圭介は苦笑を漏らす。

「―――もしかしたら将来、みかげも哉太も諒吾も珠も……光も、山折村から離れるかもしれない」
「………………」
「それで……俺まで山折村を離れたら、皆の帰る場所かなくなっちまう。そんな気がするんだ」
「……………………そんなことは……」
「だからさ、俺が帰る場所になる。目立つシンボルがいれば分かりやすいだろ?」

再びの静寂。初夏の夜とは思えない湿っぽい空気が漂う。しばらくして―――。

「だーーーー!こんな空気耐えられるかーーー!!」
「ふぇっ!?」

うがーっと圭介は叫ぶ。静寂を破る雄叫びにみかげはびくっと驚き、手に持ったラムネ瓶を落としかけた。
気が済んだのか、ふうっと息を整えると圭介は目を丸くしているみかげへと向き直る。

「け、圭介君……?」
「そういえば奢る約束していたのにお前に奢ってなかったじゃん!」
「え?え?」

突然のガキ大将の宣言に、みかげは困惑を隠せずにいた。
そんな様子を知ったことかと言わんばかりに圭介はみかげへ人差し指を突き出した。

「何か買ってやるから欲しいものを言え、みかげ!」


「娘御を侍らせて騒いでいたと思えば冷やかしに来るとは。厚顔無恥とはこの事よな、山折の」
「うるせえ、何でアンタが店番やってんだよ。どう考えても人選ミスだろ」

じとりと睨めつける見た目麗しい巫女装束の少女ーー神楽春姫へ圭介は苛立ちを隠さずに文句を言う。
親同士が親友ともあって、圭介と春姫は幼い頃から付き合いのある間柄であるが、その仲はすこぶる悪く、10年以上経っても尚、改善の兆しは見当たらない。
ちなみに圭介の友人達には、憎まれ口を叩くことなく春姫は普通に接しているため、相性の問題なのだろうと仲の改善を諦めている。

「冷やかしじゃねーからな、今回は。これくれよ、女王気取り」
「信仰心の欠片もない貴様が神木の護符を選ぶとは……瓢箪木の拾い食いでもしたか?」
「いちいち減らず口叩かなきゃ接客できねーのか!?」

クレームを何処吹く風と聞き流して圭介から千円札を受け取ると、彼が指差した小さな木製プレート――お守りを熨斗で包み、お釣りと共に手渡した。
お守りを受け取ると用が済んだとばかりに踵を返そうとする圭介に「待て、山折の」と春姫から待ったが掛かる。


465 : 昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 20:59:47 ZeL15yNU0
「…………何だよ」
「その護符の意味を理解して手に取ったのか?」
「あん?無病息災、健康祈願じゃねーの?」

適当に会話を打ち切ろうとする圭介に対して、春姫は呆れ果てやれやれとかぶりを振った。
その態度にむっとして食って掛かろうとする圭介を春姫は手で制する。

「遥か昔、この地に降臨した神が山折の民を救済し、巫女と契りを結んだ。これは分かるな、山折の」
「嘘くせー『降臨伝説』って奴だろ。ここに住んでる奴はガキでも知ってるよ」
「一言余計だ。神との契りは神木の前で行われた。以降、神木の前で神楽の舞が執り行われるようになったのだ」
「…………何が言いたいんだよ」
「護符には厄払いだけではなく縁結びの天恵があるのだ、戯け。神木を用いていない贋作とはいえ粗末に扱うと神罰が下るから丁寧に扱え」


「ほら、これ」
「ありがとう、圭介君」

同じ場所で待っていたみかげにぶっきらぼうな態度でお守りを手渡す。そして彼女の隣にドスンと腰を掛け、街を見下ろす。
メインイベントの時間が近いということもあってか喧騒が大分収まり、神社へと向かう人々がちらほらと増えている。

「…………そのお守りに好きな奴の名前を掘ると恋愛成就するって、春姫のバカが言ってた」
「…………知っていました」
「そっか」

お守りのご利益を説明した後、補足(おいうち)とばかりに使い方のご高説を垂れていた春姫の得意げな顔が思い浮かぶ。
当然圭介は彼女の蘊蓄を聞くことなく、気持ちよく話す春姫を放っておいてみかげの元に戻っていった。
ちらりと授与所の方を見ると春姫は他の神社関係者と共にせこせこと売り子として働いていた。

先刻とは別種の気まずい沈黙が二人の間に流れる。十数分前のように大声を出して誤魔化しきれる雰囲気ではなかった。
学校では度々女子グループが話題にしていた恋バナ。自分達にはまだ早いなと思っていた事だった。
少年の頭に浮かぶのは、お節介でしっかり者な幼馴染の少女の姿。
傍らにいる幼馴染の少女も自分と同様に思い浮かぶ誰かさんがいるらしい。
ずっと変わらないと思っていた幼馴染グループ。大人になるにつれ、関係性にも少しずつ変化が現れ出す。
その事実を前にすると少し心寂しく感じた。

「……なあ、みかげ」
「…………はい」

それでも仲間の想いを無碍にすることなんて、少年にはできやしない。
彼にできることはその背中を押し、帰ってこれる場所になることくらい。

「そいつに泣かされたら俺に言えよ。俺が、何とかしてやるから」



軍団を屠り、視覚を奪い、異形の怪物を撤退させた。
その命を刈り取るべく手駒にした伝説の猟師と特殊部隊の女で追撃しようとしたが、凄まじい速さで逃走されたため、それは叶わなかった。
であるのならば次こそ確実に葬り去るべく手駒を増やすため、商店街へと向かっていた。
その道中、彼女が『あった』。

「…………………え?」

圭介の数メートル先で身を横たえる少女。地面に広がった長い黒髪はまるで満開に咲いた黒い花弁。
一歩、一歩と近づくとその全貌が露わとなる。。
薄く開いた眼に額と胸に空いた風穴。力なく投げ出された細い手足は子供が遊んだまま放り出された人形を思わせた。
肌に止まる数匹の蠅は、時間が経つのを待っているかのようで―――。

「―――ぉぃ、おいおいおいおい……」

ひくひくと頬を引きつらせながら少女へと歩みを進める。がくがくと膝が笑い、ほんの少しでも衝撃があればそのまま倒れてしまいそうな頼りない足取り。
圭介の中ではあってはならない、あってはいけない光景。足を止めると『それ』が足元にあった。

「な、何の冗談だ?不謹慎なドッキリなんて、今どきウケないぞ?」

引き攣った笑顔のまま、少女の前で跪く。彼女の後頭部に右手を添えようとすると、途端に手の甲に走る鋭い痛み。
激痛に苦悶の声を漏らしながらもそれでも手を離さない。背中に左腕を回して上半身を起こす。

「……………みかげ?」


466 : 昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 21:00:35 ZeL15yNU0
頭を揺すっても右手の上でゆらゆらと力なく転がるばかりで、その感触も漬物石を持ったかのように冷たく、重い。
それでもいつか起きるんじゃないかと揺らし続ける。それが決して叶うことのない希望だと理解していても。
ふと、彼女の手元に何か木彫りのネームプレートが転がっていることに気が付く。
それは圭介が中学時代にみかげに買ってあげた山折神社の恋愛成就のお守り。圭介が記憶している限り、いつも持ち歩いていた。
誰の名前を書いたのかそことなく聞いてもはぐらがされ、決して教えてくれなかった。
そこに書かれていた名前。それは―――。

「―――――――――――――!!!」

喉の奥から溢れ出す慟哭。彼女を呼ぶ悲痛が、彼女との思い出が、叫びとなって涙とともに流れ出す。
叫びが徐々に小さくなってしゃっくり声に変わる。そして、
しばらくすると場を静寂が支配する。

「…………………」

どれだけ時間が経ったのだろう。圭介の眼下には上月みかげの亡骸。その背後で立ち尽くす彼の恋人と配下二人。
叫びに呼び寄せられたのであろう、座り込む圭介にゆらりゆらりと近づく影が一つ。
その影は未だ呆然としている圭介の前まで近づくとピタリ、と足を止めて圭介を見下ろす。
気配を感じて顔を上げると、白濁した目と圭介の目が合った。それは、腰に木刀を差した少女のゾンビだった。
圭介の異能はゾンビを支配して操作するもの。しかし、自らの意思でゾンビの脳に干渉しなければ彼らの餌食になってしまう。
今回、少女のゾンビを己の支配下へ置いていないにも関わらず、圭介の姿を視認すると彼女は歩みを止めた。
その疑問が解かれるのにはそう時間は掛からなかった。

「――――碧?」



「碧、近寄ってくるゾンビを『木刀で』倒し続けろ」

圭介の支配下に置かれた碧は圭介という生者の肉に群がるゾンビを達人の如き剣術で薙ぎ倒し、吹き飛ばし続ける。
その勢いはまさに暴風。八柳道場の若き三強――現在は二強の一角を担うに相応しい実力である。
また、碧の武装は木刀だけではない。アーケード付近に転がっていた日本刀を二本、腰に携えていた。
民家に転がっていたグレネードランチャーといい、銃刀法違反に確実に接触する武器がポンポンと現れる村の現状。
そこに最早違和感を感じておらず、むしろそれにありがたみすら圭介は感じていた。

碧がゾンビの相手をする傍ら、特殊部隊のゾンビに座り込む自分と光を警護させ、六紋兵衛のゾンビに近くのドラッグストアからかっぱらってきた道具で自分の手当てをさせていた。

『狙ってた女をこの機に乗じていいようにしてんのか?』
「……そんなんじゃ、ねえよッ……!

頭にこびりつく特殊部隊の女――美羽風雅の嘲る声。今や圭介の手駒同然となっている彼女に対して弱々しい悪態をつく。
恋人の光ではなく六紋に手当てをさせているのは、その言葉に対する反骨心の現れ。

『違わねえだろ、クソガキ』


467 : 昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 21:01:05 ZeL15yNU0
ぎょっとして顔を上げるとゾンビにしたはずの特殊部隊の女が圭介を冷酷に見下ろしていた。
あり得ないはずの光景に圭介は言葉を失う。それでも反論しようと気を振り絞って口を開く。

「お……俺は、お前らとは違う!俺は、女王感染者を殺して……皆を、光を取り戻すんだ!!」
『だったら何で同じく女王狙いのアタシら特殊部隊を狙った?事実から目を逸らして正義のヒーローにでもなったつもりか?』
「―――――ッ!!」

現実逃避を続けた圭介に対する美羽の冷笑。村を守っているという圭介の自己陶酔を女の声は容赦なく嘲笑った。

『村を守るつもりなら何で村人を使い潰してやがる?テメエの連れを取り戻すつもりなら何でアタシら狙いなんだ?』
「それ…………は………!」
『何もかもが中途半端なんだよ、クソガキ。村人をゴミみたいに消費し続けた癖に次期村長を名乗るなんざ笑わせるな』
「……………れよ……!」

嘲笑と共に糾弾が続く。特殊部隊の口から吐き出される言葉に圭介は何一つ返す言葉が見つからず、俯いて声を震わせることしかできない。

『テメエに好意を持っていた女が死んで漸く自覚したのか?遅えよボケ。テメエがうだうだやってなかったら女は死ななかったはずだ。
それでようやく現実を見たかと思えば、次はテメエを好きと言った女を使い潰すときた。ハハハハ、最高のジョークだ!
テメエの手は汚さずに家来に手を汚させる地獄の王子様の誕生か!いいご身分になったなぁ、山折圭介ェ!!』
「――――黙れっつってんだろうがッ!ゴリラ女ァ!!」

衝動的に傍らに落ちていた石を拾い、迷彩柄の防護服の女へと投げつける。
しかし、石は女の身体をすり抜け、ボフッと何かに当たった間抜けな音を残しただけだった。

『最後に警告してやる。山折圭介、どの選択をしようともテメエの前には死体の山が築かれる。
だが次期村長を名乗った以上、手を汚すのを躊躇うな。でなければ上月みかげのようにまた、失うことになるぞ』

その言葉を最後に特殊部隊の女の姿が霞のように掻き消える。
胡散する寸前、その姿は一瞬だけ己自身――山折圭介に変わった。
後に残ったのは、直立不動の特殊部隊のゾンビとその足元に転がる石ころだけだった。



六紋の処置が終わり、圭介は光を伴って辺りを見渡す。
辺りには倒れ伏し、呻きながら這い続けるゾンビ達の身体。
碧の方へと顔を向けると、手に持った木刀は折れる寸前であった。
無用の長物になっていた木刀を投げて渡すと、碧は引き続きゾンビへと突撃していった。

(もしかしたら、ゾンビになってもなる前の強さとかは引き継がれているのかもな……)

ぼんやりとして鈍くなった頭でそう考える。
六紋兵衛のゾンビが正確に標的を撃ち抜いたように、特殊部隊のゾンビが怪物の分身体の急所を正確に狙って屠ったように。
自分に好意を抱いていた浅葱碧の剣術に、何一つ衰えがなかったかのように。
山岡伽耶らを操作していた時とは違う別の感覚。意識していないが、自分の中で、何かが変わったという実感があった。
大雑把な指示にも関わらず、現在操っているゾンビ達は感染前の強さを誇っていた。

(―――このまま、ゾンビの扱いが上手くなれば、光を元に戻せるようになるかも……なんてな)

ハハハと圭介は乾いた笑いを零す。
そんなことができていれば、自分はここまで悩んでなんていない。
例え取り戻したとしても、恋人は自分の知る人間であってくれるのか。
自己問答を繰り返すたびに、己の中の何かが罅割れ、壊れる音がする。

碧がゾンビを倒し続ける中、彼女をすり抜けてこちらに一直線に向かい、歯を剥くゾンビが一体。
それに特殊部隊のゾンビが頭蓋を砕くべく、拳を振りかぶろうとした瞬間。

「待て、ゴリラ女」

圭介が制止すると美羽の拳は頭を砕く寸前で止まり、名残惜しそうに腕を降ろした。
襲い来るゾンビを異能の力で止め、改めて様子を確認する。
人目を引く青い髪に銃火器を持つ女ゾンビ。村では一度として見かけたことのない女。
観光客としては物騒な装備で、服装は特殊部隊とは一切関わりがなさそうな普通の衣服。
その異質なな格好に圭介が思い浮かぶのはその両者とは違う、別の存在。

(研究所の、関係者か?)

だとするならば、支配下に置くのに何の罪悪感もない。異能を駆使し、己の配下に加えた。
軽く操作してみると、動きの一つ一つにキレがあり、何らかの訓練を受けたかのように思われる。
圭介は知らない。その女の正体は、特殊部隊とも研究所とも関係のない、■■■■■■であることを。
むしろ、この事態を解決するためにパートナーと共に村に訪れ、異変へ立ち向かおうとしていた人物であることを。

この時期には少し早いオオルリが飛ぶ。
その下で少年と少女が寄り添って歩く。
二人の歩みはどちらが生者が見分けがつかぬほど鈍い。
しばらくすると鳥はウイルスに感染し、地面に激突してその命を終えた。


468 : 昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥 ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 21:01:56 ZeL15yNU0
【E-4/商店街北口・アーケード付近/一日目・昼】

【山折 圭介】
[状態]:鼻骨骨折(処置済み)、右手の甲骨折(処置済み)、全身にダメージ(中)、精神疲労(特大)、精神的ショック(大)
[道具]:懐中電灯、ダネルMGL(4/6)+予備弾5発、サバイバルナイフ、上月みかげのお守り
[方針]
基本.VHを解決して光を取り戻す
1.女王を探し出して殺す(方法は分からない)
2.手段を選ばず正気を保った人間を殺す。
3.精鋭ゾンビを集め最強のゾンビ兵団を作る。
4.知り合いでも正常感染者であれば殺す。
5.みかげ……。
[備考]
※異能によって操った日野光(ゾンビ)、美羽風雅(ゾンビ)、六紋兵衛(ゾンビ)、浅葱碧(ゾンビ)、青髪の女(ゾンビ)を引き連れています。
※美羽風雅(ゾンビ)は拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフを装備しています。
※六紋兵衛(ゾンビ)はライフル銃(残弾2/5)を背負っています。
※浅葱碧(ゾンビ)は打刀×2、木刀を装備しています。
※青髪の女(ゾンビ)は銃火器などを所持しています。銃の種類及び他の所有物については後続の書き手様にお任せします。
※学校には日野珠と湯川諒吾のゾンビがいると思い込んでいます。


469 : ◆drDspUGTV6 :2023/09/21(木) 21:02:38 ZeL15yNU0
投下終了です。


470 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/22(金) 00:12:12 7LyyTWtY0
投下乙です

>昼月堕ち、羽朽ちる碧い鳥
在りし日の山折村で繰り広げられるあまずっぺー青春模様、輝いていればいるほど悲惨な今との落差があっておつらい
由来はどうあれ現代では鳥獣慰霊祭もただのお祭りよね。春姫、普通にバイトしてる面白い女

そして、訪れるつらすぎる現実
みかげの想いをこんな形で思いを知る事になろうとは……
なんやかんや圭ちゃんが仲いい身内の死を目の当たりにするのは初めてだよね、誤魔化し誤魔化しやってた現実に向き合わされる事になったか

新戦力を出迎え、またしても圭ちゃん軍団が強化されている
知り合いのゾンビに会う度に、精神的は抉られる代わりに戦力は強化されていく皮肉な異能だ
そして謎の青髪の女。ホテルに縛り付けられているはずの彼女が何故ここに……逃げたのか?自力で脱出を?(無言の腹パン)


471 : 名無しさん :2023/09/22(金) 00:20:18 WXq1KS1g0
仮投下スレの作品を代理投下します


472 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:21:13 WXq1KS1g0
高級住宅街から少し離れた場所にある一軒家、袴田邸は、
一時は10人近くもの正常感染者達が集った一大拠点であった。
だが、来訪者からの救援要請や、独眼熊の襲撃とその後の対応、
そして月影夜帳の暗躍の結果、現在はもぬけの殻となっている。

そんなことは露知らず、ここに引き返してきた2人の少女がいた。
烏宿ひなたと犬山うさぎである。
うさぎの召喚動物である鷹が発見した4人を追うか、それとも引き返すか。
考慮の末、2人が選んだのは後者だった。

目下の拠点である袴田邸に残っているのは、夜帳・はすみ・恵子の3名。
いずれも戦闘には不向きな面々であり、
特殊部隊や危険人物の襲撃、あるいは独眼熊の再襲来などがあった場合、最悪全滅の恐れがある。
高い戦闘力を持つ哉太と勝子、そして探偵ならではの頭脳を持つアニカよりも
時間を置いた場合、こちらの方が危険だと判断した為だ。
2人にとって、特に大切な人間である恵子、はすみがいることも大きかっただろう。

「お姉ちゃーん! うさぎだよー。いるー?」
「恵子ちゃーん? 月影さーーん?」
無人であることを知らぬ2人は戸を叩いて声を掛けるが、当然ながら返事はない。

「…………?」
訝みながら2人は袴田邸に足を踏み入れた。
家の中は綺麗に片付けられており、荒らされた形跡はない。
だが、袴田邸に残ったはずの3人の姿はどこにもなかった。
不安がよぎるが、テーブルの上に書置きがあるのを見つけた。

『農家の宇野さんから助けを求められました。
 これから月影さんと恵子ちゃんの3人で宇野さんの家に向かいます。
 みんなはこの家で待機していて下さい。 はすみ』

「これ、はすみさんの字?」
「うん。間違いないよ」
「宇野さんのとこに行った……? うさぎちゃん、そこ知ってる?」
「……ごめんなさい。ちょっと分からないです。
 お姉ちゃんもせめて住所とか書いてくれてたらいいのに〜」

行き先が分からないのが気がかりだが、ひとまず無事ではあるようで安心した。
月影からは冷静な印象を受けたし、はすみもしっかり者だ。
男性恐怖症の恵子が月影と一緒に出て大丈夫なのかだけ気になるが、
リスクもちゃんと考慮したうえで出て行ったのだろう。

「…………とりあえず、休憩しよっか」
「はい」


473 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:21:58 WXq1KS1g0


ひなたは冷蔵庫にあった麦茶を飲むと、ソファーにどすっと腰を下ろした。
うさぎの方を見ると、やはり鈴菜、和幸の死がショックであったであろう、
浮かない顔をしている。

時計は10時を回っていた。
あと2時間弱で正午。タイムリミットの48時間のうち、4分の1が経過する。
ひなたは、女王感染者も含め、
出来るだけ犠牲者無しで事態を収拾したいと考えている。
だが、まだ解決の糸口すら掴めていないのが実情だ。
少し考えた後、うさぎに声を掛けた。

「うさぎちゃん、ちょっといいかな」
「あっ、はい」
「うさぎちゃんの異能、使ってもらってもいいかな。
 そうすれば、誰かがこっちに来た時にすぐ分かると思うんだ」
「……あっ」
ひなたの言わんとしていることをうさぎは察した。
先ほど偵察を成し遂げた鷹を呼び出せる時間はとうに過ぎている。
だが、酉の次の干支と言えば……
「そっか。やってみます。……来てっ!!」
うさぎの祈りと共に、暖かな光が部屋の中を包んだ。

「ウオオオォォーーーン!!!」
雄叫びが響く。それと共に姿を現したのは、
狼を思わせる鋭い顔つきをした、精悍な和犬だった。
「おぉうっ、か、かっくいい……」
「えぇっと、こんにちわ、ワンタ君。
 早速だけど、玄関で外見張っててもらえる?
 もし誰かが来たら教えてくれるかな?」
これでいいよね、とうさぎがひなたの方を振り向いたので、ひなたはサムズアップで応える。

言うまでもなく、犬は感覚に優れた動物だ。
袴田邸に近付く者がいれば即座に嗅ぎ付けるだろう。
場合によっては敵意の有無さえ判断してくれるかもしれない。
だから番犬になってもらおう。ここまではうさぎとひなたの共通見解。

だが、ひなたにはもう一つ思惑があった。
先刻の鷹の召喚を目にしたことで、ひなたはうさぎの召喚動物を解剖するという発想に至った。
もちろん、うさぎが動物を愛しているのは知っているし、
そんなことをすれば彼女が悲しむことは目に見えている。
愛すべき後輩である彼女を悲しませたくはない、これは嘘偽り無いひなたの本心である。
しかし鈴菜と和幸の死体を目の当たりにしたことに加え、
タイムリミットまでの時間が刻々と近づいてくる中で、生来の楽天家であるひなたも焦りを覚えてきた。
解剖という強硬手段には出ないまでも、せめてうさぎの召喚動物を観察したい。
その中でなんらかのヒントを得ることが出来れば。

「……ウォウ?」
うさぎの指示を受け、玄関に向かおうとしたワンタがピクンと耳を立てた。
くんくん、くんくんと訝しげに臭いを嗅ぎ始める。
「……ワンタくん?」
「――ゥワンッ!」
何かを見つけたと言わんばかりに一吠えすると、
指示された方とは逆、家の奥に向かって歩き始めた。

「ちょ、ちょっと玄関はそっちじゃないよー!」
「え? もしかしてあまり言うこと聞かない系?」
2人は戸惑いながらも後を追う。

しばらくしてワンタは歩みを止めた。
そこは地下室への入り口だった。
ワンタは2人を振り返ると、何かを訴えかけるかのような目で見つめかけてきた。
「そこに、何かあるの?」
「……行ってみよう」
恐らく、何かがある。2人は動物の感を信じることとにした。


474 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:22:26 WXq1KS1g0


地下室に降りた2人がまず覚えたのは、違和感だった。
家具や置物の配置が変わっている。
何か探し物をしていて、計らずも家具を動かしてしまったようなもののとは違う、
何らかの意図を感じる配置だ。
これを行ったのは、袴田邸に残った3人だろうか。
だが、他にやるべきことは幾らでもあるだろうに、
わざわざこんなことをする理由が分からない。

困惑しながらも進もうとしたその矢先。
先頭にいたワンタの耳と尾がピンと立った。
同時に、2人の後方にあったクローゼットの扉が突然開いた。

不気味な叫びと共に飛び出したのは、袴姿の男、袴田伴次。
その右手には、出刃包丁が握られている。
吸血鬼の忠実なる眷属が、最後尾にいたうさぎに襲い掛かる。

不意を突かれたうさぎは思わず悲鳴を上げた、そのつもりだったが、
(え!? 声が出ない…… 身体も……!!)
袴田が主たる月影夜帳から分け与えられた『威圧』の異能により、
その動きは完全に封じられていた。
無防備なうさぎの体に出刃包丁が振り下ろされる。

だが、それより速く動いているものがいた。
明敏にして勇猛な忠犬は、袴田が姿を見せる前にその存在を察知した。
袴田とうさぎの間に飛び込むやいなや、袴田の右手首に思い切り噛みついた。
堪らず苦悶の叫びを挙げる袴田。

「このぉぉぉぉっ!!!」
そして、気喪杉や独眼熊といった怪物との死闘を乗り越えたひなたにとっても、
袴田は恐怖の対象に成り得なかった。
錫杖を振りかざし、袴田の首に叩き込んだ。
その錫杖には、皮肉にも袴田と同様に吸血鬼の下僕になり果てたはすみの手により、
怪異を払う力が付与されている。
犬山の聖なる力が、邪なる吸血鬼の血を浄化していく。
「オ……ア……ァ……」
吸血鬼の眷属から一介のゾンビに戻った袴田伴次は、敢えなくどさりと倒れ込んだ。


475 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:22:55 WXq1KS1g0


「ひゃっ!」
『威圧』の異能が解除され、うさぎは尻餅をついた。
「うさぎちゃん! 大丈夫!?」
「は、はい。ありがとう、ひなたさん。ワンタくん。
 なんか急に動けなくなっちゃって……」
おかしいのはそこだ。ひなたも、袴田に襲われたうさぎが完全に膠着していたのを見た。
まるで、月影を目にした際、彫像のように動けなくなった恵子のように。
「…………月影さんの、異能?」
「で、でもこの人、ゾンビですよね?」
「う〜ん……」

確かに、ゾンビは異能を使えないはずだ。
考えても分からないと割り切り、ひなたは袴田を拘束する。
そしておかしいのはこちらもだ。
袴田は、他ならぬひなたの手でこの地下室に拘束されていた。
だが、その拘束が解かれており、包丁を持ってクローゼットの中に隠れていた。
理性の無いゾンビにできることではない。
分からないことが多すぎる。ひなたの頭に黄色信号が灯った。

「……うさぎちゃん。ちょっと考え直さなきゃならないかも。戻ろう」
「あ、ちょっと待ってください。ワンタくんが……」
「ん?」

ワンタが、壁に沿って広げられたカーテンを巻くっていた。
カーテンの裏には押し入れがあり、物を出し入れするには明らかに邪魔だ。
まるで、この押し入れを隠すためにカーテンを張ったような……

「キミ、ここに私達を連れてきたかったの?」
ひなたの問いに、ウォウ、と吠えて同意を示す。
そしてひなたは気付いた。押し入れの中から、わずかに血の臭いがすることを。

ひなたはごくりと喉を鳴らすと、襖を開けた、
そこにあったのは、積み上げられた大量の布団。更に、その奥からは明らかな異臭が漂っていた。

恐ろしい予感がした。
2人はどちらから言い出すこともなく、布団を掻き出し始めた。
抱いた不安が外れであってほしいと願った。
だが、無情にも、布団を掻きのけるたびに、その臭いは強くなっていった。
そして、2人は布団の影に隠されていたものを見た。

「……………………恵子ちゃん」
字蔵恵子が、布団に寝かされ、眠るように死んでいた。
表情は安らかだが、肌は乾ききっており、華奢な身体と相まってまるでミイラのようだ。
その首筋には、痛々しい2つの穴がぽかりと空いていた。


476 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:23:23 WXq1KS1g0


ひなたとうさぎが袴田邸に戻る少し前。
月影ははすみと共に偽装工作を行っていた。
月影の望むフルコースを堪能する為には、乙女達を袴田邸に留まらせねばらなない。
だが、時間を掛ければ掛けるほどメインディッシュであるリンの生存が危ぶまれること、
更に哉太やひなた等がいつ帰ってくるか分からない以上、
完璧な偽装は不可能であり、ある程度の妥協は止むを得なかった。

一番の問題である恵子の死体は、地下室の奥にある押し入れに移し、布団で隠した。
そのうえで、押し入れ自体もカーテンで偽装し、万が一にも感づかれた時の備えとして、袴田を潜ませた。
彼には出刃包丁を握らせた上で、包帯を巻いて固定した。
『威圧』の異能で動きを封じれば、理性の無いゾンビ状態でも邪魔者は充分殺害できると踏んだ。
そして、敵襲があったと誤認されないよう、部屋を整然と片付けたうえで書置きを残した。
行先は『宇野家』と書いた。嘘は書いていないし、宇野という苗字の人間は一人ではない。
特定することはまず不可能と考えた。

誤算だったのはうさぎが召喚した犬の存在だ。
地下室から漂うわずかな血の臭い、そして袴田の臭いを嗅ぎ取り、
ひなたとうさぎをここに導いた。


477 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:24:22 WXq1KS1g0


「なんでよ…… なんでだよお……」

ひなたの眼から涙がぽろぽろと零れ落ちる。
恵子が、自分が想像も付かないような酷い目に合っていることは、なんとなく分かった。
だから、檻の外に出してあげたかった。楽しいこと、ワクワクすることが沢山あることを教えたかった。
恵子自身も成長していた。自分以外の、他の人とも触れ合って、だんだん笑顔を見せるようになってくれて。
これからのはずだった。それなのに。

「ひなた……さん……?」
ひなたは、手が白くなるほど錫杖を握りしめていた。そして錫杖が帯電し始める。
そして、キッと目を見開くと、倒れている袴田の方を向き、錫杖を振り上げた。
「うわあああああああああああああっ!!!」
「――ダメッ!!」
ひなたは、自らの異能で帯電させた錫杖を、袴田に振り下ろした。
無防備な袴田の頭に直撃すれば、間違いなく絶命するだろう。
その寸前、うさぎがひなたに飛びついた。

「あああああああああっ!!!」
「――うさぎちゃん!?」
うさぎの行動によって、錫杖は辛うじて外れたが、
ひなたの異能の電流がうさぎの身体を貫いた。
うさぎの悲鳴に、ひなたは自分を取り戻す。

「うさぎちゃん! うさぎちゃん!!」
「だ、大丈夫、大したことない、です……」
「ごめん、ごめん本当に! 早く手当てしないと!」
ひなたはうさぎを抱きかかえると、1階に向かって駆け出した。


478 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:25:10 WXq1KS1g0


幸い、うさぎの怪我は酷くはなかった。
水膨れが幾つか出来はじめてはいるが、重症ではない。
だが、それでも自分の失策で怪我をさせてしまったひなたは強く責任を感じており、
必死に応急処置をしていた。

処置を受けながら、うさぎは恵子のことを考えていた。
うさぎは、友人である鈴菜と和幸を失ったが、その死体を直接見てはいない。
同年代の少女の死体を目にしたのは今回は初めてだ。
だけど、思ったよりショックは受けていないと思った。
まるで吸血鬼の映画の1シーンのようで、あまりに現実感が無かったからだ。
……考え直してみれば、やっぱりおかしい。
恵子は何故あんなところで、あんな死に方をしていたのか?
……はすみの書置きには、何て書いてあった?

「ちょ、うさぎちゃん!?」
うさぎは当然立ち上がり、テーブルの上にあった書置きを読み直し始めた。
みるみる顔が青ざめていく。
「だ、ダメだようさぎちゃん! まだ手当は終わって……」
「ひなたさんっ…… お願い、一緒に来て。お姉ちゃんを助けて」
うさぎは、今にも泣きだしそうな顔で言った。
「お姉ちゃんが、殺されちゃうかも!」


479 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:26:20 WXq1KS1g0


はすみの書置きを読み直すと、うさぎの言わんとしていることを理解できた。
書置きには、『月影とはすみと恵子の3人で』宇野さんの家に行くと書いてあった。
だが、恵子はこの家の中で殺されていた。
つまり、この書置き自体が偽装工作なのだ。

恐らく、敵襲はあった。
犯人は恵子を殺害した後、はすみを脅して偽の書き置きを書かせた。
戻ってきた者達にはこの待機を命じ、その間にまんまと逃げおおそうとしている。
恵子が殺されている以上、はすみも、月影も無事では済まない可能性が高い。

「うさぎちゃん、急いて準備しよう! あまり時間がない!」
「は、はい! ……って、ワンタくん!?」
ワンタが消えようとしていた。時刻は間もなく11時。戌の時間が終わるのだ。
「……ワンタくん」
ひなたがワンタの前に座り、頭を撫でた。
「恵子ちゃんを見つけてくれて、ありがとうね」
2人に激励を掛けるように吠えた後、犬が消える。

「うさぎちゃん、すぐに次の動物を呼んで。あと、はすみさんの書置き持ってきて」
「は、はい。あと、書置き?」
「うん、それがあれば、多分はすみさん追っかけられると思う」


480 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:27:48 WXq1KS1g0


「来てっ!」
袴田邸の前で、うさぎが最後の干支の動物を召喚した。
現れたのは、巨大なイノシシだ。。

「ウリヨちゃん、これでお姉ちゃんの臭い分かる?」
うさぎがはすみの残した書き置きと、それを書くのに使ったのであろうペンを臭いを嗅がせた、
『猪突猛進』の言葉が示すように、イノシシは単細胞のようなイメージがあるが、
実は非常に嗅覚が鋭い動物である。
はすみの私物は袴田邸から綺麗さっぱり無くなっていたが、彼女の臭いを嗅ぎ取るにはこの紙とペンだけで十分だった。
「ブモオ!!」
イノシシが大きく鼻を鳴らすと、放送室や役場のある方向に顔を向けた。
それと同時に、袴田邸の扉が開き、ひなたが飛び出してきた。
「お待たせ! イノシシ君、追えそう?」
「はい! 大丈夫みたいです!」

ひなたは、哉太達が戻ってきた時の為に、現状についてしたためたメモを残していた。
はすみの書置きがあったが、その内容に反して恵子が地下室で殺されていたこと。
はすみと月影は危険人物にさらわれた可能性が高い為、救助に向かうこと。
更に、当初哉太たちに伝えるつもりだった独眼熊への警告も書き加え、最後に、こう結んだ。
『もし夕方までに私達が戻らなかったら、後はそっちの判断で行動して』

「じゃあウリヨちゃん! お姉ちゃんを追って……! 助けて!」
聞くや否や、イノシシは駆け出した。ひなたとうさぎも必死に後を追う。


481 : 正しい答えはどこにもないから ◇qYC2c3Cg8o :2023/09/22(金) 00:33:26 WXq1KS1g0


走りながら、ひなたは考えていた。
自分は、選択を間違えていたのではないかと。
今もまた、間違えようとしているのではないかと。

恵子は明らかに異能で殺害されている。
それに、ゾンビである袴田伴次が異能を使用したのも不可解だ。
恐らく2つ以上の異能が関わっている。
つまり、はすみ達をさらったであろう危険人物も2人以上である可能性が高い。

自分やうさぎの生存を優先するなら、せめて哉太達と合流してから救助に向かうべき。
いっそ救助を断念することも選択肢の一つだ、と自分の理性が言う。
少し前までなら、ここで動かないなら烏宿ひなたじゃない、と胸を張って言えただろう。
だけど、今は自分を貫く勇気が持てない。

VHが始まって朝になるまで、危険人物やヒグマを撃退することはできて、仲間を守ることはできたけど。
自分の眼の届かないところでは、うさぎの友達の鈴菜さんや和幸は殺されていて。
哉太君達に危険を知らせに袴田さんの家を出たのはいいけど。
結局哉太君達とは会えなかったうえ、留守にしている間に、恵子ちゃんが、殺されて。

再び溢れ出てくる涙を袖で拭う。

私は、どんな手を使ってでも、この事態を解決する策を探すべきだったのではないか?
そうすれば、恵子ちゃんも、他のみんなも、死なずに済んだんじゃないか?
もちろん、それは自分の驕りで、どうにもならないことはどうにもならないって分かってるつもりだけど、
やっぱり、悔しくて悔しくて仕方ないよ。

せんせーなら、ししょーなら、六紋名人なら、どうしたんだろう。
――――お父さんなら、どうしたんだろう。

「〜〜〜〜〜〜!」

自分の頬を思い切り叩く。余計なことばかり考えてしまっている。
今ははすみさんと月影さんを助ける。自分が選んだ選択肢はそれだから。
自分で選んだ道を走りぬく。誰にだってできるのはそれだけだ。
例え、その先に何が待っていたとしても。

【D-4/袴田邸前/一日目・昼】
【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇再召喚不可、焦燥感
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.お姉ちゃん、無事でいて。

【烏宿 ひなた】
[状態]:感電による全身の熱傷(軽度・手当て済)、肩の咬み傷(手当て済)、疲労(小)、精神疲労(大)、恵子を殺した人間に対する怒り、焦燥感
[道具]:夏の山歩きの服装、リュックサック(野外活動用の物資入り)、ライフル銃(0/5)、銅製の錫杖(強化済)、ウォーターガン(残り75%)
[方針]
基本.出来れば、女王感染者も殺さずに救う道を選びたい。異能者は無理でもうさぎの召喚した動物の解剖がしたい。
1.恵子ちゃん……
2.はずみ、月影を救出する。
3.生きている人を探す。出来れば先生やししょーとも合流したい。
4.……お母さん、待っててね。
5.月影夜帳に対する僅かな疑念。単に異能が似通っただけかもしれないけれど。


482 : 名無しさん :2023/09/22(金) 00:33:52 WXq1KS1g0
代理投下終了します


483 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/22(金) 20:24:17 7LyyTWtY0
投下&代理投下乙です

>正しい答えはどこにもないから
うまい事やってた月影さんの計算違いがまさか犬の嗅覚になろうとは、主人を守護る番犬もできて優秀過ぎるぜ犬
召喚された動物だいたい有能だけど12時間経たないとまた会えないので中々厳しいね
まだ月影さんの犯行だと発覚したわけではないがこれはピンチか?

本人の意思は残ってるから筆跡とかは偽造できるのは強みよね
既に取り込まれて良妻みたいになってる姉の姿を見たらうさぎはどう思うのだろうか

そしてひなたが、恵子の死を知ってしまったか……
若干危うい思考に寄りつつあるのでこれがダメ押しにならなければいいけれど、不穏なフラグが積み重なってるずぇ……


484 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/22(金) 20:24:59 7LyyTWtY0
■連絡事項1

全生存者の時間帯が昼に到達しましたので、第二回定時会議を投下したいと考えております。
定時会議前に投下したい作品がある方もいらっしゃるかもしれませんので1日ほど猶予を設けます。
投下したい作品のある方は

9/24(日) 00:00:00

までに予約を行うようお願いします。
期限までに予約がない場合は『第二回定時会議』を投下いたします。

■連絡事項2

オリロワZの本編がこの度100話に達しました!
ひとえに皆様方のご協力あってのことです、まことにありがとうございます。

100話目到達&第二定時会議目前となったのを記念して、予約期間を延長します。

以降は基本予約期間を7日、延長期間を7日とします。

それでは今後もオリロワZをよろしくお願いします。


485 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:03:46 0YtNIryw0
新規の予約はありませんでしたので、それではこれより第二回定時会議を投下します。


486 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:08:37 0YtNIryw0
空に昇る太陽が天頂に達しようかとしていた頃。
山折山の深い山中では緑豊かな木々の間から光が零れ、地面に降り注いでいた。
小鳥のさえずりさえ聞こえぬ静寂の間を風が通り抜けるたびに、木々は静かにささやきを漏らす。

山中で広がる小さな開けた空間には、野生動物の賑やかさではなく人の作る戦場のような慌ただしさが広がっていた。
動き回るのは同じ姿をした迷彩色の防護服を纏った集団だ。
彼ら特殊部隊の隊員たちは、それぞれが役割に従って完成された機械のように動いていた。
ドローンの準備や装備の点検、機器のテストを行いながら、撮影された映像に目を凝らして解析を行う。

その慌ただしさの中心に、ひっそりと迷彩色のアーミーテントが佇んでいた。
外界の喧騒とは対照的に、テントの中は別世界のような静寂に包まれている。

これが山折村での作戦行動のために秘密特殊部隊が設営した臨時拠点である。
簡易テントの中には部隊の司令官である隊長と副隊長が待機していた。
時刻は11時30分。2度目の定時会議まであと30分と迫っていた。

「現地の隊員からいくつか追加支援の要望が届いています。すでに物資の用意は済んでいますが手配しても構わないでしょうか?」

そう報告を行う優男が秘密特殊部隊SSOGの副官である真田・H・宗太郎である。
防護服に包まれた体の線は外で忙しく働く特殊部隊の面子に比べて幾らか細いが、ドイツ人を祖父に持つクォーターであるためか見た目に寄らぬその筋力は隊でも随一である。

「問題ない。手配してくれ」

パイプ椅子に座りながら報告を聞く男が隊長である奥津一真である。
顔の見えない防護マスク越しでもわかる分厚さ。
単純な胸板の話であれば同部隊に存在する隊員、大田原源一郎の方が大きいだろう。

だが彼の場合、筋量ではなくその存在感が厚いのだ。
これこそが国防の要たる部隊を預かる厚みである。

「後は乃木平から上がっている件ですが」
「ああ。確認している」

隊長と副官が確認するのは、現地にいる隊員、乃木平天から周囲を封鎖している隊員を経由して上げられてきた報告についてた。
その内容は大きく分けて2点。

1.一部村人が女王の殺害ではなく隔離による解決を計画しており、生き延びた女王による第二波リスクがある。
2.山折村で発生したバイオハザードは地震による事故ではなく人為的なテロである可能性が高い。

女王を隔離しようという村人の動き。
隔離という案自体は司令部である興津たちも考えていた。

だが、女王を特定する手段がない。
全員隔離するにしても方法がない。
方法があったとしても確実に防げる保証がない。
以上の点から却下した案である。

下手に実行されれば天が懸念している通り女王が生き延び、第二波のリスクが発生するだろう。
確実な解決を図るのであれば女王殺害は絶対だ。
だからこその強硬策である。

だが、それを理解してない村人が実行する可能性は否めない。
1%以下の平和的解決に賭けたい連中とはそもそものスタンスが違う。
何らかの対処は必要だろう。

そして、この事件が事故ではなくテロであった可能性について。
その可能性は司令部側も当然考慮していたが、報告によれば、黒幕と思しき人間の名は判明しており、実行犯と思しき物部天国も成田が殺害済みという話だ。

「この情報は確かでしょうか?」
「さあな。裏を取るのはこちらの仕事だ」

黒幕の情報ともなれば値千金の情報だが、信憑性は定かではない。
SSOGに任された任務は事態の隠蔽と処理である。
事故ならば事後処理と証拠隠滅で済む話だが、元凶がいるのならばその始末も含まれる。

その裏付けと実行の判断をするのは司令部だ。
現地の隊員はその判断に従い与えられた任務をこなすだけである。


487 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:12:49 0YtNIryw0
「私の方で調べていた件ですが、調査結果がまとまりましたのでそちらも報告します」
「聞こう」

端的なやり取りを交わし、真田が手にしたタブレットの画面を操作してデータを表示する。
作戦開始から約半日。その僅かな時間で纏め上げた山折村についての調査結果について報告を始めた。

「まずはバイオハザードの発生地となった山折村について調べました。
 この周辺は1000年ほど前に発見された土地で当時は無法者たちの拠点として利用されていたようですね。
 その後、賊どもは討伐され土地は国の管理下に置かれた後に疫病の隔離地として利用されていたようです」
「…………疫病か」

かつての疫病の隔離地でウイルス研究が行われているというのは妙な符合だ。
山に取り囲まれた地形は実験地に選ばれた理由の『一つ』だと言っていた。
これがまた一つのこの土地が選ばれた理由なのだろうか?

「疫病の生き残りによって形成された集落が村の原点となったようですが、この土地は多くの災厄に見舞われたと記録にあります。
 そういった災厄に対する祭事や外界から隔離された環境の影響もあってか、独自の信仰や文化が生まれ今も村に根付いているようですね」

祭事や信仰。こういった伝承や神話もバカにはできない。
妖怪や悪神は当時の疫病や災害の隠喩や言い換えで語り継がれている事も多い。
その背後に重要な歴史的事実が隠されていた、なんてのもよくある話だ。

「その成り立ちから当初は病檻村や厄檻村など揶揄されることもあったようで。今の山折村と名を改めたのは明治に入ってからのようです」

副官が村の成立について簡潔にまとめた。
しかし、これまでの情報は前置きに過ぎず、本題はこれからだ。

「注目すべきは第二次大戦に入ってからの事です。
 第二次大戦中に、あの村では旧日本軍の軍事実験が行われていたようです」
「軍事実験?」
「ええ。未来人類発展研究所はその第一実験棟の跡地が利用されているようです」

副官が手元のタブレット資料をスワイプして新たな情報を表示する。
こうした一般人が一生かかってもお目にかかれないような機密文書に申請一つで簡単にアクセスできるのは秘密部隊の特権だ。
現場の資料を焚書をした所で軍部に送られた報告書は残っているのだ。
軍の暗部であれば、彼らの領域である。知れぬはずもない。

「わざわざ第一と冠しているという事は、実験場は他にもあるのか?」

些細な点にも目ざとく奥津が反応する。
その指摘に真田は頷きを返した。

「はい、記録によれば第二実験棟もあったようです」
「行われていた研究はどういう内容だ?」
「まず第一についてですが。行われていたのは死者蘇生や不死の兵と言った類の研究ですね。そこで軍部主導の下で人体実験が行われていたようです」
「ありがちだな」

驚くでもなく、ため息交じりにそう相槌を打つ。
数多くの暗部や愁嘆場を見てきた彼らからすれば、その程度の話は飽きるくらいにはありきたりな内容だ。

「実験を主導していたのは村の出身者であり、旧陸軍の軍医中将であった山折軍丞閣下。
 実験は薬物や脳手術なども行われていたようですが。それよりも魔術や降霊のような、かなり非科学(オカルト)に寄った内容が主だったようです」

戦時に窮した軍部が黒魔術や霊媒などのオカルトに走ること自体はそう珍しいことではない。
時代背景もあるのだろうが、そう言った信仰が村に生きていたのだろう。
それを村の出身者である軍医中将が拾い上げた、と言ったところか。

「軍部に送られた報告書によれば第一での実験は成功した、とだけあります」
「成功した?」
「はい。終戦と重なり実戦運用はされず、研究自体も撤退したため、それ以上は記録も残されておらず詳細は不明ですが」
「ふむ」

気になる点は幾つかある。
だが、記録が残っていないのならこれ以上追及しようがない。

「まあいい。第二の方はどうだ?」
「第二棟で行われていたのは、別世界の研究だそうです」
「また、なんというか……胡乱な話だな」

オカルトに傾倒していたと言っても、異世界と言うのはなかなかパンチが効いた胡乱っぷりだ。

「戦時下の物資不足解消のため、という名目のようですが、記録によればこちらはあまりうまくいっていなかったようですね」
「それで? 第一の跡地が研究所になったのなら、第二は村のどこにあるんだ?」
「元は山中に作られた研究棟だったらしく、今でいう山折神社の真下辺りですね。ただ、現在は跡形も残されていないようです」
「残されていない? 解体されたという事か?」
「いえ、実験中の事故で施設ごと跡形もなく消滅したとあります」
「消滅とは、また……物騒だな」

跡形もなく消滅というのは穏やかではない。
兵器開発ならまだしも、異世界の研究していた施設が消滅したとはどういう事か。
施設ごと異世界転移でもしたのか?


488 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:15:37 0YtNIryw0
不死の兵。異世界。
気になるワードは幾つも出てきたが。
SSOGにとって重要なのは、それらが今回の任務に関わるモノなのかどうかである。

一見すれば直接的には関わりがないように見える。
かと言って無関係と切り捨てるのも愚かだ。
ひとまず現時点では忘れぬよう心に留めておくとしよう。

「続いて、研究所についての調査報告です。まずは資金の流れを洗いました。こちらをご覧ください」

差し出されたタブレットの画面を興津が覗き込む。
そのディスプレイには、細かく分類された円グラフが映し出されていた。

「出資の大部分は投資会社や大手製薬会社からのもののようですね。
 それ自体は特に怪しいものではないのですが、いくつか気になる点が」
「具体的にはどこだ?」

興津からの問いに、真田がグラフを指さして一部を拡大する。

「注目して頂きたいのはこの『大和公益会社』というベンチャーキャピタルからの出資です」
「『大和公益会社』? 聞いたことがないな」

興津が僅かに首をかしげる。
その反応を確認ながら真田は話を続ける。

「詳しく調べたところダミー会社のようです。資金の流れを追ったところ、どうやら出資元は防衛省のようで」
「防衛省……? 新薬の開発なら厚労省だろう?」

防衛省と言えば他ならぬ自衛隊の上役である。
わざわざペーパーカンパニーで偽装しているのも気にかかる。

何より研究所に防衛省が関わっているのなら研究所の情報が軍部に降りてこないのはおかしい。
申請すれば大抵の機密情報にアクセスできる。それが彼ら秘密特殊部隊の持つ特権だ。
国内で管理されている情報であれば、彼らにアクセスできない情報など殆どないと言っていい。
もちろん任務に無関係な情報にまでアクセスできるわけではないが、それこそ海外セレブのスキャンダルですら任務に関わることだってある。
そんな彼らが詳細を把握できない研究所とはどういう立ち位置なのか。

「現在隊員が装備している防護服の作成に携わっているので、その絡みでしょうか?」
「それにしては額が多いな。何よりこの防護服は極限環境の作業服という事になっている。名目上軍事用ではない」

軍事転用されているが名目上は極限環境の作業服の作成である。
どういう目的を想定して開発されたのかは不明だが、少なくともあの研究所は軍事研究を目的としていない。

「そしてもう一社、『アースケージ』こちらは環境省の隠れ蓑です」
「環境省? ますますわからんな……」

複数の省庁が入り乱れている。
この出資状況だけ見ても、複雑な研究所の背後関係が浮かび上がってくる。
それだけならそこまで珍しい事ではないが、謎の研究所相手となると少々キナ臭い。

「出資の割合は大よそ国内製薬会社が3、厚労省が3、防衛相が2、環境省が1、その他の投資会社や投資家が1となっています。
 特筆すべきは、海外からの投資が一切ない点です。全ての資金は国内源泉から賄われていますね」

その上、半分以上が国からの出資である。
国家主導のプロジェクトと言っても過言ではない。

「真田。この報告は上に上げているか?」
「いえ。まずは隊長に報告すべきかと」
「そうか」

政府筋まで関わっているとなると下手な報告は藪蛇になり泣けない。
何より防衛省となると特殊部隊直属の上役である。
腹を探られるのを嫌って差し止められる可能性が高い。


489 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:16:30 0YtNIryw0
「続いて、こちらをご覧ください、研究所の協力機関の一覧です」

資金の流れに続いて真田が差し出したのは協力機関の一覧が表示された画面だった。
そこに並んでいるのはいくつかの製薬会社や研究機関の名前である。

「製薬会社や研究機関などはいいのですが、注目して頂きたいのはここです」

真田が指さした先に書かれていたのは『JAXA』という名前だった。
それを受けて奥津が考え込む。

「JAXAと言うのはあのJAXAか?」
「はい。あの宇宙航空研究開発機構のJAXAです」
「わからんな。宇宙開発とウイルス開発がどう関係する?」
「宇宙由来の細菌と言う事でしょうか?」
「それとも。宇宙戦争でも始めるつもりなのかもな」

奥津がそう冗談めかして言うが、その冗談を笑う者はこの場にはいなかった。
宇宙戦争はないにしても軍事と宇宙開発には密接な関係がある。
異能が跋扈する村の現状を思えば冗談にもならない。

「確かに彼らの開発した防護服には宇宙服並みの性能がありましたが……あの超能力を使った生体兵器を開発しているのでしょうか?」

宇宙服並みの性能がある防護服の開発に、異能という超常の戦力。
そのまま繋げてしまえば宇宙戦争という冗談めかした内容になってしまう。

「状況から見て筋は通る。だがしっくりは来ないな」
「何故です?」
「あのご老公はこの開発を兵器開発ではなく医療目的の開発だと言った。あの異能は副産物だとも。
 その言葉を頭から信じる訳ではないが、やはりしっくりは来ない」

根拠のない印象論でしないが、特殊部隊を率いる隊長としての経験と直感が違うと告げていた。

「ひとまず、現時点での村と研究所の調査報告は以上となります」
「わかった。調査ご苦労だった」

ひとまず調査結果の報告を終える。
テント内の時計を見れば、時計の短針と長針が重なろうとしていた。
秘密特殊部隊と未来人類発展研究所の間で定められた、定時会議の時間である。




490 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:17:42 0YtNIryw0
一二〇〇。
定刻に達し真田がノートパソコンを操作すると画面にはスーツ姿の美女と皺がれた白衣の老人が映しだされる。
両組織の代表者がモニター画面越しに向かい合う。
山折村で発生したバイオハザードに関する二度目の定時会議が開始された。

『ヤァヤァ。お二人は徹夜カナ? 軍人さんは勤勉ダネェ。
 朝は出席できず悪かったねェ。ナニブン歳なものでネ』

腰の曲がった老人が、不思議と通るしゃがれた声で挨拶を述べる。
毅然と背筋を伸ばした自衛隊員が軽く受け答えをした。

「いえ。お気になさらず。
 染木博士は前回の定時会議の内容は共有しておられるでしょうか?」
『アア。長谷川くんから聞き及んでいるヨ。何でも妙な放送があっタって言うのと、動物の感染者が確認されたようだネ』
「はい。正常感染したと思しき動物は。
 ペットとして飼われていたワニ『ワニ吉』
 山折村の小中学校で飼育されていた豚『和幸』
 山から下りてきた独眼の熊、仮称『独眼熊』
 の3匹を確認しています」

女王の条件から外れる小動物は候補から外している。

「3匹の動物を加え、前回会議の生存者から活動停止を認められた正常感染者は

岩水 鈴菜
和幸
斉藤 拓臣
薩摩 圭介
上月 みかげ
ワニ吉
宇野 和義
物部 天国
字蔵 恵子
金田一 勝子
八柳 藤次郎
朝顔 茜
クマカイ

以上13名となります」

真田が淡々と死者の正常感染者の名を読み上げ報告を終える。
女王の生死確認は事態の収束にとって最重要事項だ。
この報告は最優先で行われる報告である。

だが、今しがた口にしたのは村人の被害者だ。
報告できないSSOG側の被害としては、ゾンビと化した美羽 風雅、正常感染者なった大田原 源一郎がいる。
この2名は精鋭揃いのSSOG中でも更に精鋭。失うには惜しい人材だ。
彼らに関してはまだ死んだわけではない。事態を収束させれば回復の余地がある。

『こちらでも、お送り頂いた映像データを精査させて頂きました。
 確認の結果、C感染者の活動に変化はありませんでした。今後も経過を観察して行きますが現時点で活動を停止した感染者の中にA感染者はいなかったと思われます。
 こちらからの報告は以上となります』

氷のような鉄仮面から前回と一言一句変わらぬ報告が行われた。
横でうんうんと頷く老人の姿がなければ録画を疑う程に表情までもが同じである。


491 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:21:27 0YtNIryw0
『コレまた沢山死んだネェ』

率直に染木が不謹慎な感想を漏らす。
死者の数は前回よりも多く、あの村を廻る死は加速している。
女王の死亡が確認されない以上、あの村の地獄は続く。

『コノ調子じゃあ、ゾンビなんかも沢山殺されてるンじゃないのカネ?』
「確かに正常感染者以外の死者も多く確認されていますね」
『ふーム。女王候補ですらないゾンビたちを殺したところで意味ないのニ、何とモ物騒な村だネェ』

おーコワイコワイと老人は顎を擦りながら細い肩を竦める。
自衛のために自らに襲い掛かる火の粉を払うためにゾンビを殺す程度の話ならば理解できるが、一部村民は積極的にゾンビを殺して回っている節があった。
その理由は特殊部隊の彼らにもよくわかっていない。

「ですが、一部正常感染者たちに女王を殺害ではなく、隔離することで解決を図ろうと言う流れがあるようですよ」
『ヘェ。隔離か、面白い流れだネェ』

事態を楽しむように、染木は本当に感心したような声を上げる。
まるで映画でも観戦しているようだ。

「実際の所、隔離で解決を図るのは可能なのでしょうか?」
『理屈としては不可能ではないだろうネ。ただあまり現実的ではないかナ』

そう言って染木はコーヒーを啜る。
その横では涼やかな顔で長谷川が紅茶を飲んでいた。
ともかく、研究所も特殊部隊と同じ見解のようだ。

『ソレに隔離と言っても、細菌同士の繋がりは実に不思議な理論で行われていてネ。距離を離せばいいというモノでもないのだヨ』
「女王の影響範囲外ではウイルスは活動できないと長谷川さんにお聞きましたが?」

女王の影響範囲外ではウイルスは活動できず、そのため動物による感染拡大はない。
そう前回の定時会議でそう説明されている。

『その影響範囲と言うのが問題でネ。細菌たちは単純な距離ではなく別の概念で繋がっている可能性が高いのだヨ』
「別の……概念とは?」
『ワタシは縁と見ているネ。関係性とでも言えばイイのかナ。女王との縁がある限りは活性化は途切れナイのサ。
 ソレは距離で途切れてしまう事もアレば、ソウでない場合もアル』

同じ村の中にいるという縁だけで繋がっているのなら距離を離してしまえば途切れるだろうが。
血縁や情。そういった縁がある限り繋がり続ける。
あの最近はそう言った特性を持っていた。

あまりにも曖昧で非科学的な理屈だ。
画面越しでもその困惑を感じ取ったのか、老人は続ける。

『同じ条件で同じ結果を確実に得られる再現性があるのなラ、ソレは化学的に証明されているのだヨ』

細菌学の権威はそう断言した。
未知であろうとも、不可思議であろうとも、それこそ魔法であろうとも。
そこに理屈があり、確実に再現性があるのならば、それは科学である。

「ですが、どのような方法であれ、物理的な遮断を行なえば防げるのではないのですか?」
『ドウだろうネェ。けれド、アノ村にそんな事が出来るモノがアルとするなら、キミらが装備している防護服くらいのものジャないカナ?
 細菌保管庫なんかに閉じ込めてもイイだろうケド、その場合は窒息死しちゃうから保護とはいかなくなっちゃうからネェ』

冗談めかしてそう言ってクツクツと老人は笑った。
つまり、村内にある救いの手は死神たる隊員と同じ6つだけ。
当然破損していては使い物にならないのだから、現状ではさらに減るだろう。

手あたり次第に感染者を隔離するには絶対的に数が足りない。
何より防護服を得るためには特殊部隊を傷つけず生け捕りにして、装備を引っぺがす必要がある。
どれをとっても実現性は限りなく低い。

『マァ。万が一を考えて、その辺は気にしておくヨ』
「ええ。こちらもモニタリングして不信な動きがないか注視しておきます」

ドローンによる上空からの撮影であるため室内の深い所の状況までは追えていないが、村内の動きはある程度監視できている。
村人に不審な動きがあればわかるし、女王の死を精査できる研究所と連携を取れば、隔離作戦が実行されたとしても看破できるだろう。

『ヨロシク頼むヨ。アァ、ところでサ。村にいるよネ? キミたちの所の隊員サン』

老人は何気ない雑談でもするように、いきなり確信を付いてきた。

「なんのことでしょうか?」

一瞬でも返答に詰まればそれが答えとなるこの場面で、真田は詰まることなく返答した。
彼とて幾多の困難を乗り越えてきた百戦錬磨の副長である。
この程度で動じる様な心臓はしていない。

『アア、誤解しないで欲しいンだけド、別に責めてるわけじゃないヨ。お互い腹を割って話そうと言う事サ』

だが、老人は否定の言葉など聞いていないかのように話を進める。
駆け引きを無視した、ぬるりとした踏み込みは老獪さのなせる業か。


492 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:27:12 0YtNIryw0
「ですから、仰っている話がよく」
「いや、いい」

知らぬ存ぜぬを通そうとする真田を興津が制する。
下手に誤魔化し牽制し合うより、腹を据えて晒し合った方が得られるものが多いと判断したのだ。
興津の圧が画面越しでもわかる程に強まるのが分かった。

『隊長さんは話が早くていいネ』

その圧をまるで感じていないように老人はカカと笑う。
隣の美女も涼しい顔で眼を閉じて肩を竦めた。

「部隊を撤退しろという事でしょうか?」
『イャイャ。その必要はないヨ。彼らはよくヤッているじゃあないカ。キミらが極限状況を作ってくれたお陰だヨ、思った以上に進行が速い』
「…………進行とは?」
『正常感染者の進行サ』

それは生き残った正常感染者の全滅までの進行なのか、それとも感染者たちの何かが進行しているのか。
どうとでも取れる曖昧な答えだ。

『トモカク。キミらの契約違反は不問としようじゃないカ』

独断専行を見逃すという寛大な処置に手放しで喜ぶはずもなく。
交渉において、先んじた譲歩は更なる譲歩を引き出すための常套手段である。
掴みどころのない老人の態度に興津は防護マスクの下で眉間を寄せる。

『マァそう警戒しなさンな。ワタシはキミたちと仲良くしたいンダ。
 手を取り合おうジャないカ。我々の目的はそう外れてはいないはずだヨ』

胡散臭いこそこの上ない言葉を並べて、老人が画面越しに手を伸ばす。
防護マスクの2名はそれを微動だにせず見送る。

「そちらの望みは何です?」

巌のような重く固い声に、楽し気なひょうひょうとした軽い声が返る。

『そうさネェ。最近は他国のスパイやなんかもチョロチョロして何かと物騒になってきてネ。
 自前の戦力では少々心許ないと思っていた所なのサ、警備を強化したいと思っていたのだヨ』
「我々と手を結びたいと?」
『アア。最初からそう言ってるだろウ?』

元より有事の事後処理においては協力関係ではるのだが。
それは信頼ではなく、契約によって結ばれた一時的なものだ。
だからこそこうして相手の腹を探り合っているのである。
だが、博士が言っているのはそれ以上の意味だろう。
SSOGごと取り込もうと言う腹だ。

「では、あなた方の行っている研究について、ご説明頂けると考えてよろしいのですか?」
『ウーン。ワタシ個人としてはお教えして上げたいのはヤマヤマなのだけどネェ。
 ソノ辺はホラ。メンドウな絡みがイロイロあってネ。ワタシの口からはチョットネ』
「つまり、我々が話を通すべきは別にあると?」

この問いに老人はニヤついた表情で返した。
彼らの研究が機密であるならば、機密を握り管理している立場の人間がいる。

『アア。ダレに話を通せばいいか、ソレくらいは調べがついているだろウ?』

興津たちが研究所の背後関係を洗っていることくらいはお見通しのようだ。
いくら超法規的な特権を与えられたSSOGの隊長と言えでも、一存で決められる話ではない。

『そうだネェ。ソイツらに「Z計画」について尋ねてみるとイイ。モチロン、ワタシから聞いたという事は内緒でお願いするヨ』

シィ、と口元に指をやって悪戯に笑う。
いつの間にか会議はこの老人のペースになっていた。
露骨な餌をチラつかせ上と交渉するよう誘導されているのは否めない。
だが、どれほど露骨であろうとも無視できないのが質が悪い。

『マァその辺は追い追い、今後のお話だネ。今は当面の対応について話そうカ』

研究内容については話せないが、事件についての話なら今でも出来る。
いきなり確信に切り込んでいったのは、そこで腹を割るための前振りであったのかもしれない。


493 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:30:35 0YtNIryw0
『まずは無編集のデータの提供をしてもらいたい。コチラとしてもサンプルは多い方がいいからネ』

研究所に提供されているデータは特殊部隊が関わるところを上手くカットしている。
工作班が巧く違和感ないよう再編集しているが、皮肉なことに現地の隊員が活躍しればするほどデータの欠落は大きくなっていた。
そこに研究者として貴重なデータが映っている可能性はある。

「了解しました。応じましょう」

現地への隊員派遣が発覚している時点でデータを隠す意味もない。
むしろ工作班への負担を減らせるのだから受けない理由もない。

「では、その代わりと言う訳ではないですが、こちらからも質問を」
『なんダイ?』

許可を得て、特殊部隊の隊長が改めて問う。

「――――この状況を作り上げたのはアナタですか?」

先ほどの意趣返しの様に、喉元に刃を突き付けるような問いをぶつける。
空気が凍ったような一瞬の間が生まれた。

『率直だネェ。ダガ違うヨ。少なくともワタシはバイオハザードの発生に関しては関与してイナイ』
「では聞き方を変えましょう。あの村の状況は、アナタ方に利する所がある状況なのですか?」
『利かァ…………』

その問いに老人がしわがれた唇を歪める。

『――――あるネェ。沢山あるヨ。コノ状況は我々にとって実に都合がイイ』

否定することなく、全面的にこれを認めた。

『ダカラと言ってワタシが仕掛けた訳ではないヨ。この件で得られる成果は確かに多いガ、これ程好条件がそろった実験場を破棄してしまうのは長期的に見ると損失ダ。あの土地には個人的な思い入れもあるしネェ』
「思い入れ……ですか? 博士のご出身と言う訳でもないのですよね?」
『アァ。昔ちょっとネ。懐かしいネェ』

昔を懐かしむ様に老人が斜視で標準の合わない視線を遠くにやった。
研究者が言う昔に軍人たちは心当たりがある。

「昔、と言うのは戦時の事でしょうか?」
『ヨク調べてるネェ。ソウだよ』

山折村で行われていた軍部の人体実験。
その研究員の一人だった、と言う事か。
博士が戦時中に細菌兵器を研究した、と言う噂の出所はここからだろう。

「ですが、失礼ですがご年齢が合わないのでは?」

第二次大戦と言えば80年近く前だ。
その頃から研究者として働いていたと言うのならば若すぎる。
年齢が合わない。

『研究内容については調べがついているのカイ?』
「ええ。不老不死と異世界の研究だとか」
『ナラ行ってしまうとだネェ。ワタシが回されたのは不老不死研究の方でね。テーマは「細菌による老化の抑制」』
「まさか…………」

年齢の不一致。
その理由に思い至る。

『アァ。その研究の影響を受けてネ。ワタシは今124歳ダ。
 マ。研究が完成していた訳ではナイのでネ、不老不死など程多く、老化をホンの僅かに緩やかに緩やかにする程度のものだがネ』

事実だとするならば、とっくにギネス記録を超えている。
こうして自立してはっきり受け答えが出来ているだけでも脅威である。

「ならば、あの村を選んだのはアナタが」

研究所を引き継ぐ方策を実行したのか。
だが、人類最高齢の老人は緩やかに首を振った。

『イイや。あの村を推したのは所長だヨ』
「所長殿、ですか」
『あの村は色々と「条件がイイ」からネ。戦時に選ばれたのと同じ理由サ』
『博士。それ以上は』
『オッと、イケないイケない』

それまで黙っていた長谷川女史が発言を差し止める。
つまり、それ以上先は研究内容に関わる。つまり契約更新なしで話せない所だと言う事だろう。


494 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:35:01 0YtNIryw0
『マァともかく。ワタシが状況を利用している事は否定しないヨ。起きてしまった以上、利用しないのはもったいナイからネェ。
 ケド、ワタシではない』

この研究者は間違いなく善人ではない。
だが、このバイオハザードを引き起こした黒幕でもない。
そこまで認めておきながら嘘を付く理由もないだろう。
何より、この状況を仕組んだ黒幕と目される人物の名を奥津たちは知っている。

「では、そちらの研究所に烏宿暁彦と言う人物はおられますか?」

天より提供された情報をぶつける。
突然出てきた名前に不思議そうな顔をしながら染木は答える。

『烏宿くん? 確かに居るネ。烏宿くんがどうしたのかネ?』
「烏宿氏がテロリストを引き入れこの事態を引き起こしたしたのではないか、と言う報告が現地の隊員から上がっています。
 お心当たりはありますでしょうか?」
『烏宿くんが……? ふーム』

心当たりがないのか、老人は首を傾げて考え込む仕草を見せた。
常にこんな調子だから、老人の言動は本気とも演技とも見分けづらい。

『長谷川くん。彼ってドウ言う役職だったっケ?』
『昨年の4月から脳科学部門(うち)の副部長を務めてますね』
『副部長かァ……ナルホドナルホド。ならマァ、そう言う事もあるカ』

傍らの研究員の答えに、頭の中で合点がいったのか、老人は何か納得したかのように一人頷く。

「何かお心当たりがあるのですか?」
『ウン? まァそうだネ。けれど、タダの推察だからネ。
 烏宿くんから直接事情を聴こうカ。その方が確実で手っ取り早イ』

確かに染木の言う通り、本人に事情を聴取できるのならばその方が確実だろう。
だが、烏宿暁彦が本当に何かをたくらむ不穏分子であるのならば抵抗が予測される。
穏便に行けばいいが、そうでなければ制圧のためにそれなりの戦力が必要となるだろう。

「人員が必要ならこちらで手配いたしますが?」
『イャイャ。コチラにだってそのくらいの人材はいるサ。長谷川くん、頼めるかナ?』
『かしこまりました。手配いたします』

そう言ってスーツ姿の才女が立ち上がる。
何らかの手続きをしに行ったのかスマホを片手に席を外した。

『さテ。長谷川君も退席したし、今回はこの辺で御開きかナ?
 次回までには烏宿くんに事情を聴いて準備を整えておこう。ソチラも何かと時間が掛かるだろウ?』

染木の言う通り、研究所からこれ以上の情報を引き出すには手続きが必要になる。
申請と交渉にはある程度時間が掛かるだろう。

「了解しました。それでは続きは6時間後に」
『ああ。楽しみにしているヨ』

老研究員がひらひらと手を振って、特殊部隊の二人も軽く防護マスクの頭を下げる。
そうして通信が終わったところで、間髪入れず興津が立ち上がった。

「俺は東京に戻る。現場の指揮は任せてる」
「了解しました」

そう動くと分かっていたかのように副官も応じる。
申請したところで下手をすれば数日どころか数カ月かかるだろう。
そんな時間などかけていられない。

直接殴り込んで首を縦に振らせるのが一番手っ取り早い交渉術だ。
何故、機密を護る秘密特殊部隊にその情報が降りてこないのか、その理由を含めて問い質さなければならない。

「上の連中に許可を取り付け事情を吐かせる。
 いざとなれば幕僚長殿を締め上げてでも聞き出してやる」


495 : 第二回定時会議 ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:36:20 0YtNIryw0
投下終了です。

予約の再開は

9/24(日) 01:00:00

からとなります。
それでは今後ともよろしくお願いします。


496 : ◆H3bky6/SCY :2023/09/24(日) 00:58:24 0YtNIryw0
訂正
会議名が「定時会議」だったり「定例会議」だったり表記ブレブレなので「定例会議」に統一します

お手数ですが、よろしくお願いします


497 : 名無しさん :2023/09/24(日) 01:33:00 1Azz24cQ0
第二回定例会議まで進んだこと、お疲れ様です。
互いに腹を探り合う関係だったSSOGと研究所が手を組んで、一気に自体が進行していく感じがいいですね。
国家権力が絡んできて風呂敷も広がったことで、村人たちにとっては収拾のハードルが上がってきたようにも思うけれども、そこも含めて今後の展開を期待しています。
防護服が要になるなら、一切傷のない無事な防護服は三着、SSOG生け捕りの難易度も相まって、この椅子の少なさは凶報ですねえ。


一点、連絡・報告です。
固有名詞系の誤字を数か所発見しています。
こちらはwiki側で訂正し、雑談スレのほうで事後報告という形を取らせていただければと思います。
接続詞や漢字は訂正することでニュアンスが変わってはまずいため、控えます。


498 : ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:48:25 C.QiL7.s0
投下します。


499 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:50:34 C.QiL7.s0
山折神社から東南東に離れた深山と人里の境界線。そこの木々が開けた場所に一軒のログハウスが存在していた。
木々の間から目を凝らすと猟師小屋が見えるその小屋は六紋兵衛のかつての住居であり、現在は八柳道場が保有する小屋――云わば別荘である。
およそ一年前、六紋が公民館の裏山に住居を移した事を機に八柳道場がその小屋を格安で買い取って現代風に改装した。
その別荘へ八柳道場最強の弟子を先頭に一行は移動し、次の行動に支障を出さないようにするため、彼らは休息を取ることになった。

ちなみに診療所裏には道場の修練場があり小屋と共に引っ越しされたため、かつての修練場は更地になっているのだが、それはまた別の話。



ホカホカと湯気を立てる鯖缶の炊き込みご飯が炊かれた土鍋。
食欲をそそるそれが中央に置かれているちゃぶ台を男女四人が囲む居間にて。

「おいしー!」

赤いリボンカチューシャの少女は歓声を上げた後、豊かな黒髪を揺らしながらガツガツと炊き込みご飯を頬張っている。
その隣に座る柔らかな微笑を浮かべた金髪の女性が幼子の頬に着いた米粒を取ってあげた。

「ほーら、そんなに慌てて食べないの。ほっぺたにお米付いているわよ」
「ありがとう!チャコおねえちゃん!」

パクリと米粒を茶子の人差し指ごとしゃぶりついた後、リンは再びスプーンを動かして小さな茶碗からご飯を口に運ぶ。
和やかな雰囲気の二人とは対照的に、黒髪の少年と金髪の小柄な少女は黙々と食事を続けていた。

「……お替りするけど、アニカもするか?」
「……half a refill」
「半分だな。分かった」

哉太はアニカから茶碗を受け取ると土鍋からオーダー通りに茶碗のちょうど半分だけ盛った後、自分の茶碗には特盛でよそった。
アニカは茶碗を受け取ると、箸を動かしてちびちびと小さな口にご飯を運ぶ。
そんな様子の彼女を心配そうに横目で見やり、自分も食事を続けようと再び箸を手に取ろうとすると、眼前には米粒が残った茶碗が二つ。

「哉くん、お替り。特盛ね」
「はいはい。リンちゃんは?」
「リンもとくもり!」
「食べきれるのか?」
「たべれるもーん」
「…………小盛にしとくな」

「いじわる〜」とブー垂れるリンを無視し、二人から茶碗を受け取ってご飯をよそう。
二人に茶碗を渡した後、茶子に宥められているリンの恨めし気な視線を感じつつも席について食事を再開する。

「…………カナタ、大丈夫?」
「…………アニカこそ、大丈夫なのかよ」

泣き腫らして目が赤くなったアニカの元気のないか細い声。
赤く腫れあがった頬にガーゼを張り付けた哉太の落ち着いた静かな声。
窓から差し込む初夏の日差しに照らされる二人の表情は似ていたが、声色は正反対。
そんな二人へチラリと心配そうな視線を送る茶子と、二人の様子などお構いなしに茶子にじゃれつきながら食事を取るリン。

「アニカ、その……」
「What?」
「いや、何かあったのか?」

アニカと哉太。二人の間に流れる陰鬱な沈黙の中で先に声を発したのは哉太。
どんな言葉をかければいいのか分からず、口をついて出たのは傷をなぞってしまうかのような安直な言葉。
哉太は己の失言にすぐ気づいて謝ろうとするが、その前にアニカが口を開く。

「ああ、何で泣いたのかって?それは――――」




500 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:52:04 C.QiL7.s0
『アニカちゃん、これ。裏庭でリンちゃんの身体を拭いてあげて』

ログハウスのドアを開けて荷物を置いた直後、茶子に渡された2Lのミネラルウォーター数本にタオルと粉石鹸、畳まれたブルーシートを持たされた。
茶子に駄々をこねるリンは赤い服や白い肌は殺した宇野和義の赤黒い血で染まり、鉄錆と香水が混じったような彼女独特の甘い体臭で酷い臭いを放っている。
シャワーを使おうにも水道が止まっているため水が流れず、かといってリンをそのまま放っておくわけにもいかない。
幸いにも別荘に水のストックがあったため、それを使ってアニカがリンの身体を綺麗にすることになった。
それならば、リンが一番懐いている茶子が拭いてあげればいいのではないのかと意見したが――。

『私は哉くんはお昼の準備をするからね。それに、他にもやらなきゃいけない仕事があるからお願い』

――と言い、何とか宥めたリンを行水セットと預けて裏庭へと強制的に案内された。
アニカとしては危険人物である茶子と自分のパートナーである哉太を二人きりにさせたくなかったが、彼女の圧に弱っている精神では立ち向かえなかった。
仕方なく裏庭にブルーシートを敷き、その上でアニカは不貞腐れるリンと共に服を脱いで身体を洗うことになった。

「チャコおねえちゃんのほうがよかったなぁ……」

アニカがタオルを水で濡らして粉石鹼で泡立てている最中、ペタンと座り込んでいるリンが不満をぼやく。

「My Bad。私で我慢してね、リン」
「してるよぉ。リンはずうーっとがまんしてるー」
「…………My Bad」

アニカの口から零れたのは謝罪。つい先刻、聞き取りで茶子を問い詰めた時の強気な口調とは正反対の弱々しい声色。
その態度に更に気を悪くしたのか、血濡れの幼子は不平不満をぶつけられた探偵少女は宥めるようにもう一度謝罪する。

じめっとした森林特有の空気の中でアニカはリンの赤黒い汚れをごしごしと拭く。
両親に相当大事にされてきたのだろう。同性のアニカから見てもリンの肌は初雪のように白くきめ細やかで美しい。
だが、その美しさとは正反対にリンに決して拭えない穢れた烙印が刻まれてしまった。他ならぬアニカの、取り返しのつかないミスによって。

「………っ」

じわりと涙が浮かぶ。自分より幼い子供が禁忌を犯して歪み、それによって命を拾ったという事実。
崩されたプライドと否定された自分の正義が形となって溢れ出す。

「…………ぅ」

ポタリポタリと青い双眸から滴り落ちる小さな雫がブルーシートに水滴を作る。
天宝寺アニカはプライドが高く勝気な性格であるがそれ以前に思春期になったばかりの繊細な子供。
一時的とはいえ身の安全が確保されて心が小康に保たれたその時、意識しないように目を逸らしてきた傷を自覚する。
それが呼び水になって次々と思い出される生物災害発生後からの辛い記憶。

「リンはおこっているんだよ、アニカおねえちゃん。どうくつでチャコおねえちゃんをいじめたでしょ?
チャコおねえちゃんがリンたちをひっぱってたすけてくれているんだから、ひどいことをいったらかわいそうだよ」

大空洞での出来事を相当根に持っているらしい。全身泡塗れになっているリンが怒りをぶつける。
リンにとって守り導いてくれた存在が虎尾茶子。アニカにも自身の手を取り、導いてくれた人達がいる。
それは八柳哉太であり、犬山はすみであり、烏宿ひなたであり、字蔵恵子であり、そして―――

「Ms.ショウコ………」

手が届かず、失ってしまった大切な仲間。たった数時間の間だけど自分達を導いてくれた女性。
数多の凶悪事件に関わって解決してきたアニカだが、彼女の身内が犠牲者になったことはない。
それどころが身内が理不尽な犠牲者になることはないと高を括っていた。
皆で生きて帰れる、と思っていた。

『悲しむな……とは言いません……。ですが、それでも……歩みを……止めないで……』

勝子の今際の言葉がリフレインされる。死に際の穏やかな笑みが浮かぶ。
手が止まり、ブルーシートの上にタオルが落ちる。疲労感と虚脱感が少女の心を覆っていたベールを引き剥がす。
改めて自覚する悲しみ、喪失感、空虚感……。あらゆる感情がごちゃまぜになり、形として、音として表面化する。

「……うぅ、うぅーーーーーーっ…………」


「ど、どうしようどうしよう……!」


501 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:52:30 C.QiL7.s0
目の前で蹲り、声を殺して泣いているアニカにリンは困惑していた。
大きな洞窟の広場でアニカが茶子へ酷い言いがかりをつけていじめたことに腹が立って怒りをぶつけたのだが、泣かせるつもりはなかった。
最早どうでも良くなったパパや調教師のおじさんに慰められることはあっても、年上の子供を慰めた経験などリンにはない。
アニカの身体を洗う手が止まる前も、止まった後もリンはアニカにリンは感情の赴くまま怒りをぶつけていた。
尤も文句の大半はアニカの耳をすり抜けていったが、その事実をリンは知る由もない。

(い、いいすぎたのかな?ひどいことたくさんいったから、アニカおねえちゃんないちゃったんだ……!)

泣かせた相手はリンを謀って「悪いこと」をしようとした大人達とは違う、愛しの王子様ほどではないが自分を慮ってくれたアリス。
宇野和義を殺した時には感じなかった罪悪感がリンの中で湧き上がる。
おたおたと誰かに助けを求めるように視線を彷徨わせながら立ち尽くす。
籠の中で大人達に「飼育」されるばかりだった愛玩少女は悩み、思案する。

(チャコおねえちゃんなら、どうするんだろう……?)

頭に思い浮かぶのはリンを守ってくれた王子様――虎尾茶子。
彼女ならどうしただろう。どうやって慰めてあげられるのだろう。
朝景礼治(パパ)ではなく、茶子にしてもらったことを振り返る。そうすると自ずと答えが出た。

「なかないで、アニカおねえちゃん。リンはおこってないよ。ひどいこといってごめんね」

しゃがみ込み、蹲るアニカの頭を小さな手で優しく撫でる。
陽光に照らされるさらさらとした綺麗な金髪を撫でる度に嗚咽が聞こえ、小さな背中が震える。
白南風が少女達の素肌を優しく撫で、黒と金の髪を揺らす。黒髪の少女は金髪の少女が悲しみを乗り越えるまでいつまでも頭を優しく撫で続けた。



「――――Because the vans were blown into my eyes by the wind」
「そっか。目、きちんと洗ったか?」
「Yeah」

相当苦しい言い訳だったが、哉太は心情を慮って納得したフリをしてくれていた。
アニカは茶子の膝に座りフルーツポンチ――子供にだけ特別に出されたデザート――を食べるリンへと視線を向ける。
視線に気づくと上機嫌で茶子にじゃれついていたリンは大人しくなり、気まずそうに目を泳がせた。
無邪気にじゃれついていたリンが急に大人しくなったことに茶子は怪訝な表情を浮かべる。

「リンちゃん、どうしたの?」
「……なんでもない。アニカおねえちゃん、ひとくちあげるね」
「Thanks。そこまで気に病む必要ないわよ、リン」

ずいっとスプーンごとフルーツポンチの皿をアニカの前に差し出す。
アニカにも一応フルーツポンチが出されているのだが、断るとリンが落ち込むことは目に見えているので、好意に甘えて一口食べた。

「…………カナタこそ頬が腫れてるけど、大丈夫なの?」

隣りで缶ジュースを呷っている頬にガーゼを張り付けた助手へと問いかけた。
口内の傷にジュースが染みたらしく痛みに顔を歪めた後、ポリポリと困った表情を少年は浮かべた。

「ああ、これか?これは――――」




502 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:52:59 C.QiL7.s0
二人の少女を裏庭へと追い出した後、哉太と茶子は昼食の準備を進めた。
電気とガスが止まっているため、キッチンから土鍋とカセットコンロを取り出して調理を始める。
土鍋を軽くミネラルウォーターで洗浄した後、無洗米を茶子が持っていた鯖味噌煮缶を調味料各種と共に水に浸し、火にかける。
電気が止まった冷蔵庫から四人分のぬるくなったジュースを取り出した後、二人は向かい合って座った。

「……………」
「……………」

姉弟子と弟弟子。八柳流の頂点二人の間に気まずい沈黙が流れる。
つい半日前までは顔を合わせれば互いに軽口を叩き合う仲であったのだが、彼らの師匠である「八柳藤次郎」の凶行により変わってしまった。

「ごめん、茶子姉」
「なんでキミが謝るのさ」
「…………爺ちゃんが、おじさんとおばさんを……」
「……悪いのはあの視野狭窄の老害だ。あたしの方こそ一年前、キミを守れなかった」
「…………あの事件には、茶子姉は関わってなかったんだな?」
「信じてもらえないかもしれないけど、あの時は寝耳に水だったよ……」
「そうなんだ……」

再びの沈黙。互いに懺悔しあったところで沈んだ空気が浮かび上がることはなかった。
藤次郎は山折村の鏖殺という歪んだ思想を掲げ、多くの人間を斬り捨てた。その中には哉太の家族は疎か茶子の家族や浅葱碧のたった一人の肉親も含まれている。
哉太が尊敬する祖父の凶行を止められたのかというと否。見通しの甘さ故に祖父へじめをつけさせることはできず、その結果が仲間の犠牲。
結局、哉太が大切に想っている姉弟子が愚行の尻拭いをする羽目になった。
その後に発覚したのは茶子が生物災害を引き起こした研究所の関係者だったこと。
育んできた強固な信頼にいとも容易く罅が入り、「信じている」という断言から「信じたい」という願望に変わってしまった。

「………………」

短時間の間に起きた数多の衝撃。両親を失い、友人が犠牲になり、多くの人間が殺された。対して、自分は何もできなかった。
不愛想に振る舞って強く見せかけてきた鍍金が剝がれると、そこから顔を出したのは自尊心が低く「金魚の糞」と蔑まれていた弱い自分。
勝手に溢れ出す暗い感情。心の奥底で渦巻く自責の念。使命感という燃料がほぼ空になった今、無理やり封じ込めてきたものが表面化する。
口を開いて言葉に出せば、そのまま飲み込まれてしまいそうだ。

「茶子姉」
「ん?」
「俺、どうすればよかったのかな?」

つい出てしまった後悔の言葉。「もしも」という呪いが心中を支配する。
床から進水するようにじわじわと自責と言う汚泥が精神を蝕み始める。
虚脱感が支配し、身体から力が抜ける。無力が己を苛む。
もうどうすればいいのか分からなかった。思考が負の坩堝にはまり、深く、深く―――。

「哉くん。顔、上げて」

怠慢な動作で俯いていた顔を上げる。
昏く淀んだ瞳で茶子の顔を見た瞬間、頬に強い衝撃が走った。


時間が経つにつれて弱っていく弟分を見ていられなかった。徹底的に打ちのめされた彼に寄り添い、慰めてあげたかった。
でも、それでは駄目だ。それでは哉太は自分の力で立ち上がることができなくなってしまう。
かつて哉太が自暴自棄になっていた時とは違う。あの時は傍に寄り添わなければ、愛しい彼が壊れてしまいそうだったのだ。
今はあの時とは違う。支えればそのまま寄りかかり、誰かの傀儡になってしまいそうな危うさが見えた。
哉太は強い子だということは茶子が一番理解している。だからこそ自分の足で立てるようになって欲しかった。
例え、彼が歩むその先で最後には自分と敵対する結果になるとしても。

別荘内に鈍い音が響く。殴り飛ばされた少年は強かに背中を打ちつけて小さな呻き声をあげる。
状況を掴めていない彼の胸倉を掴み、背後の壁へとその巨体を押し付ける。

「ぐ……ぁ……茶子姉?」

漸く状況が掴めたのか。底なし沼の様な濁った瞳で茶子の顔を見つめる。
握り締めた拳が震え、爪が食い込んだ掌から血が流れる。
きっと今、自分は美貌を台無しにするような酷い顔をしているのだろうと茶子は思った。

「こうやって断罪されれば満足か!?それとも慰められればキミは良かったのか!?」
「違……う………!」

息苦しそうな否定の呻きを上げる。それにお構いなしに言葉を続けた。

「だったら!今ここで何もせずに腑抜けることが正解か!?違うだろッ!!」
「ガッ……!」

ドンッと力任せに壁に身体を叩きつけた後に哉太の胸倉から手を離す。
圧迫されていた気道が確保され、床に手を付いて少年は咳き込む。
哉太が呼吸を整えたことを確認すると、すぐ傍に置いていた藤次郎の鈍らを鞘から抜いて、彼の眼前へと突きつける。


503 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:53:30 C.QiL7.s0
「顔を上げろ。そして自分が何をするべきか言いな」

大切な彼を睨みつけて殺気をぶつける。初夏とは思えぬ冷えた空間の中で、息を飲み込む音が鳴る。

「さっさと言えよ」
「俺は……」

淀んで生気のなかった瞳に徐々に光が灯る。覇気のなかった声に活力が戻り出す。

「言えッ!八柳哉太ッ!!」
「俺はッ!誰かを助けて事態を収束させるッ!!」

交差する鋭い視線。限界まで張り詰めた空気が漂う。狭い空間の中で鳴る音は壁掛け時計の時を刻む音とぐつぐつと煮える土鍋の音。

「―――なんだ、普通に言えたじゃん」

ふっと殺気を解いて鈍らを納刀する。哉太へと視線を向けると先程の陰りは薄まり、まだ双眸に迷いは残っているものの弱々しかった姿はもう見当たらない。
下手をすると心が折れかねない荒療治であったが、なんとか彼が立ち直ってくれてほっとする。

「茶子姉、俺……」
「そろそろ飯が炊ける時間だ。見てきてよ、哉くん」
「あ、ああ……」

気まずさと罪悪感を誤魔化すため、哉太に言葉を紡がせないように指示を出す。
哉太が土鍋の様子を見ている間にクローゼットに行き、男物と女物、子供用の衣服を取り出した、

「ちゃんと炊けてた。後は蒸らせば……茶子姉、その服は?」
「着替え。ブラウス破いたから外で着替えようと思って。ほい、哉くんもそのだっさい服から着替えて」
「ああ、分かった。というか何で子供用の服があるんだよ」
「来週バザーがあるんだよ。それでリサイクルできそうな古着を集めてこっちで保管してた」
「そっすか……」

矢継ぎ早に言葉を口にしていないと罪悪感で潰れそうになる。
これ以上彼と二人きりでいると謝罪の言葉が口をついて出てしまうだろう。
怨敵とは言え彼の肉親を嬲り殺し、彼を裏切り続けてきた自分に謝って許されるという自己満足を得る資格などない。

「それじゃ、着替えてくる。着替えるついでにちびっ子二人分のデザート適当に作っといて」

そう口に出した後、彼に背中を向けて裏口のドアへと足を進める。

「…………茶子姉」
「…………何?」

ドアノブを回す寸前、背後から聞こえる少年の声。
何事もないように装うため、普段と変わらない、何事もなかったかのような口調で返答する。

「ありがとう、お陰で目が覚めた」



「――――炊き込みご飯作る途中で寝そうだったから自分で引っ叩いただけだよ」
「Ah, I see」

いやそれはおかしいでしょ。いくら力が強いからと言って口の中が切れるまで全力でセルフビンタできるの?
そもそもアナタの異能はSelf reproductionでしょ。そこそこ時間が経っている筈なのにまだ全快してないのおかしいわよ。
―――などという内心はさておいて、形だけの納得は示しておいた。

「……………」

デザートを食べながら、チラリとリンを膝の上に載せながら食事を続ける茶子に顔を向ける。
すぐにこちらの視線に気づくと、気まずそうに顔を逸らした。アニカではなく哉太から。
無言で茶子に圧をかけたつもりだが、当の茶子はアニカに対して特に器を止めてないように思えた。

「………哉くん、お替りよそってあげよっか。盛り方は?」
「特盛で」

お替りしようとする哉太に先んじて茶子がリンを膝から降ろしてしゃもじを取る。
茶子がご飯を持っている最中、リンは頬を膨らませて哉太を睨んでいた。

「なあ、アニカ」
「何?」
「俺、リンちゃんに嫌われることした?」
「…………Think for yourself」

何となく面白くなくて、そう返答した。




504 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:54:15 C.QiL7.s0
「なるほどね、私の異能は『精神攻撃の無効化と反射』といったところかしら?」

膝ですやすやと寝息を立てるリンに気を配りながら茶子はアニカの推理を聞き、首肯して納得するそぶりを見せた。

昼食をとっている最中、茶子がリンの飲み物にこっそりと砕いた精神安定剤を混ぜて飲ませた結果だ。
食事が終わり、後片付けをしている途中でその効果は発揮され、茶子に眠いと訴え、甘えてきた。
要望に従い、茶子が膝枕をしてぐずるリンを宥めて眠らせた。

リンは未だ善悪の区別化つかない子供。彼女にとっては自分の保護者である虎尾茶子が良し悪しの基準。
茶子が白といえばリンにとっても白。その逆も然り。茶子と己に逆らうものは全て「悪い人」なのである。
その上、彼女の異能も自身に庇護欲を植え付ける魅了――否、洗脳に等しい強力なもの。
故に眠らせた。これから行われるのは会議。場合によっては茶子が不利になることもあるだろう。
その時、リンが暴走して何もかもがご破算にされてしまう可能性が高い。
幸いにも彼女は幼い子供であるため、「ご飯を食べたら眠くなっちゃった」と突然襲ってきた睡魔に何の疑問も持たずに眠ってくれた。

「確かにそれならリンちゃんが私に異様に懐いていた理由にもなるし、筋が通っている分納得もできるわ」
「Suspension bridge effecやimprint effectでアナタに懐いていたことも考えてたけど、不自然な点があったもの。
それは説明したから大丈夫よね?カナタ、確認のためにもう一度話してもらえるかしら?」
「ああ、確か俺達がうさぎちゃんの出した馬に乗って諒吾くんちに向かっていた時、正確には茶子姉に出会った直後だったよな。
茶子姉は暗い表情をしてたけど、リンちゃんはそんな茶子姉を安心させるように手を握っていた。あの時からそんなところまで見ていたのか?」
「Of course。コールドリーディングとホットリーディングは情報収集の基本よ。今回は仕草から推理を行うコールドリーディングだけどね」

ふんと鼻を鳴らして茶子を見やる。アニカの不遜な行動に茶子の片眉がほんの僅かに吊り上がる。

「他にもあったでしょ。カナタ、続きを話して」
「お、おう。リンちゃんと茶子姉が離れた時の表情の違いもあった。茶子姉は安堵した表情を浮かべてたけどリンちゃんは今にも泣きそうな顔してた。
アニカはそこにも違和感を感じていた。アニカ、これでいいんだよな?」
「Yeah、続けて」
「リンちゃんの異能を俺達が実際に受けてみて、確信に変わった。俺が異能を受けた時はメンタルが弱っていたこともあって解除に手間取っていた。
次に茶子姉が受けた時は違う。平然としていたどころか、むしろ逆にリンちゃんの方が今まで以上に茶子姉にべったりとくっついていた」
「That's right。それが決定打になったわ。それでMs.チャコの異能が『Mental attack reflex』だという結論に至ったの。
私が説明してる時は疑わしそうに見ていたから、カナタに説明してもらったの。どう?これで納得してもらえた?」
「…………ええ、『納得』したわ」

アニカと茶子の間の冷え切った空気は周囲に伝染し、哉太は初夏にも関わらず寒気を感じて身を縮こませた。
そんなことも露知らず、リンは茶子の膝で幸せそうな表情で涎を垂らして眠っていた。

「まあ、自分の手札を知れたことはプラスね。感謝するわ、アニカちゃん」
「You're welcome。前置きはここまでにしましょうか」

上面だけの感謝のやり取りが終わり、冷え切った空間はそのままで空気が張り詰める。

「それじゃあ話し合いを始めましょうか」
「Yeah。まずは情報交換ね」




505 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:55:00 C.QiL7.s0
「そっちはあの『太った赤ちゃん』と六紋名人が言っていた『隻眼のヒグマ』との戦闘があった、と。犠牲者がゼロだったのは奇跡ね」
「Ms.チャコの方はトリガーハッピーのVice copに捕食した相手に擬態するWild Girl――アナタはクマカイといっていた子とMr.ウノと出会っていたのね」
「そ。あのクソ警官はザコだと油断して痛い目見たけど、クマカイは追い払ったわ。それとロリコン親父はリンちゃんを保護することを優先したわ」

情報交換はスムーズに行われた。共有された情報はVH発生から現在に至るまでの経緯全て。ただ、リンの素性についてだけ、茶子は言葉を濁した。

「銃キチ警官、やっぱりトチ狂ってたのか。あの豚野郎と同類じゃないか……」
「そうね。Cappy shotだとしてもInvisible bulletは脅威よ。それとクマカイの方も危険ね。Ms.チャコ、対策はある?」
「ええ。あの子は人間の姿をしていたけど本質は獣そのものよ。このVHで多少言葉を覚えていたとしても偽物か見分けるのは簡単よ。貴方達なら気づくでしょ?
それから、私は貴方達の言った袴田邸に訪れた人達、特に月影夜帳と碓氷誠吾が気になるわ」
「あの二人がか?小田巻サンじゃなくって?」

互いに出会った正常感染者について話し合っている中、茶子から唐突に名前が出された二人。哉太と同様にアニカの頭にも疑問符が浮かぶ。
月影は薬剤師という医療関係者として自分達に真摯な対応をしてくれた。碓氷はリスクを承知で小田巻を庇った気高い理想家な教師だと認識している。
両者ともアニカと哉太は悪い感情を持っていない。むしろ好意的ですらあった。

「まさか、茶子姉―――」
「そんな訳ないでしょ。上っ面だけのクズなんてこっちから願い下げよ」
「…………その信用できないという根拠を聞かせてもらえる?」

勝手に青ざめて勝手にほっと息をつく哉太は放っておき、アニカは問題に切り込む。
探偵少女の問いに暫定危険人物は小馬鹿にするようにふっと鼻を鳴らす。
つい先程の意趣返しのような態度にアニカはむっとする。

「『まず自分を疑え』」
「何よそれ?」
「私の知り合いの言葉よ。出会った時点でお得意のコールドリーディングを使わなかったのかしら?
私の異能を推理したくらい有能なら、視線の動きや声の調子、他の僅かな動きでも彼らの人物像を掴めると思ったんだけど見込み違いだった?
それとも、おねむだったから疑うことから始めるのを忘れてたの?」
「〜〜〜〜〜ッ!」

神経を逆撫でするかのような言い分にアニカは声にできない唸り声を上げて茶子を恨めし気に睨む。
その様子に茶子は心から楽しそうに見返す。
居心地の悪い空気が更に悪化する。なんとか仲裁するために哉太は二人の間に入る。

「お、おい落ち着けよ二人とも。茶子姉はこんなちんちくりん相手に大人げないぞ。
アニカも茶子姉が性格悪いのは伝えたろ?こんなのの陰湿な嫌がらせに付き合ってたら―――」

刹那、ちゃぶ台に立てかけてあった箸置きからフォーク二本が飛び、哉太の頬を掠めた。
一本目はアニカの異能によるもの。哉太の頬のガーゼを剥がして背後の壁にぶつかり、地面に落ちる
二本目は茶子が投擲したもの。もう片方の掠めた頬に一本傷をつけた後に背後の木壁に突き刺さった。

「Why?」「あ"?」
「何でも……ない、です。ごめんなさい……」

仲裁はならず。気の強い女二人の一睨みに少年は身を縮ませた。


506 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:55:33 C.QiL7.s0
「とりあえず話を戻しましょうか。私から見た二人の人物像について話すわね」
「Got it」
「まず一人目は碓氷誠吾。彼はこれまで多くの女性と関係を持ってきたけど、どれも一年以内に破局しているわ。相手側からフラれる形でね」
「That's all?裏付けとしては薄いわ。それくらいのスキャンダルで――」
「浮気とか、彼自身に全て原因があるとしたら?」

その言葉で反論が止まる。修羅場から殺人事件に発展した事件はアニカも推理したことがある。
事件の内の何件かは相手の軽薄さによって殺人事件に発展したケースだった。
容疑者に問題がある場合は被害者に非を擦り付け、被害者に問題がある場合は聞き込みの最中で彼(または彼女)の爛れた話をよく聞いていた。
特に容疑者側に問題があるとする場合は、悪びれずに何食わぬ顔でアリバイを説明するパターンが多かった。
日常なら心底軽蔑するだけで済む話だが、現状ではそうはいかない。甘言で人の弱みにつけ込んで味方にする可能性が高い。
尤も、碓氷清吾が彼女の言う通りの人物像であるのならばの話だが。

「………なあ、茶子姉。なんでそこまで碓氷先生の事を知ってるんだ」
「ああ、それね。何か月か前に合コン(バイキング)で泥酔させた時にゲロと一緒に吐いてくれたのよ」
「…………お代は?」
「払うと思う?」
「…………だよな」
(うーわっ)

アニカは内心で茶子の性格の悪さに軽蔑する。同時に茶子に感じるのは違和感。
茶子が碓氷と合コンに行って泥酔させたのは本当だろう。男たちに奢らせて悠々と自宅に帰ったことも確実。
彼女の語る碓氷の人物像にもそれなりの説得力がある。部分的には本当のことを喋っていたと感じる。
その上で言おう。彼女は嘘をついていた。
彼の悪い噂は袴田邸の面々――特にはすみからは聞いたことがない。
気喪杉禿夫のような吐き出す言葉も行動も最悪な存在ならば瞬く間に広まって然るべきだが、同じく新参者の彼の悪評は広まっていない。
茶子は未来人類発展研究所山折村支部の村の出入りを監視する職員。であるのならば就任した碓氷誠吾のことも調べていた筈だ。
茶子は碓氷の悪評を事前に知ってた故に現状で危険視していたという結論に辿り着いた。

「どうしたの?アニカちゃん」
「It's nothing。次はMr.ツキカゲが怪しいと思える根拠を話してもらえるかしら?」
「そうね。彼は総合診療所勤めで人付き合いが全くなくて何を考えているのか分からない人間……といったところかしら」
「全く根拠になってないじゃない」
「最後まで聞きなさい。それで、アニカちゃんは彼を観察して話を聞いたの?」
「………してなかったわ」
「でしょうね。お子様らしくおねむだったものね。スルーしてあげるわ」

茶子の呆れた声にアニカは羞恥と怒りを同時に感じ、顔を紅くして俯いた。
再び冷えた空気に触れた哉太は思わず腹を抑えた。リンは茶子の膝で幸せそうに寝息を立てている。

「二人とも、この村で三人の女性が殺された連続札殺人事件を知っているかしら?」
「………知らないわ。カナタは?」
「俺も初耳だ……」
「でしょうね。哉くんが上京した後の事件だもの。遺体の首には噛みついた傷跡――血を吸った跡があったから吸血鬼が引き起こした事件と言われているわ」

オカルトという風言風語なゴシップに怪訝な表情を浮かべ、茶子に鋭い視線を送る。
アニカにとって月影夜帳はパートナーの哉太を医療従事者として診てくれた大人。
協力者とはいえ目的が掴めない茶子よりかは何倍も信頼ができる。

「……Mr.ツキカゲはHealthcare workerとして事態収束に協力してくれたわ。
ゴシップだけで彼を有罪判定するのは冤罪ではないのかしら?」
「誰も彼が犯人だとは言ってないわよ。聞き取りをしていない以上、注意しろって言ってるの。
こんな異常事態だし素性のしれない人間が突然欲望を剥き出しにしてくる可能性もないわけじゃない。
医療関係者というレッテルやこれまでの善行が免罪符になるとは思わないことね」
「………………Got it」

感情では納得していないが、反論を飲み込んで押し黙る。
他ならぬ茶子が先入観によって重傷を負い、自分達も死にかけた。
月影を除く袴田邸にいた他の面々は信用も信頼もできる。それはアニカ自身が会話をして観察したからだ。
疲労を言い訳に月影と碓氷に対して観察をしていなかったアニカに非がある。そこを詰った茶子を責めるのはお門違いだ。
「だけど言い方ってものがあるんじゃない?」と茶子に対しての苛立ちと不満が溜まり続ける。


507 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:56:15 C.QiL7.s0
「じょ……情報交換はここまでだな。それじゃあ次は今後の――」
「Hang on!カナタ、まだ終わってないわ。まだMs.チャコに聞きたいことが残っているの!」

女同士の言葉の殴り合いが落ち着いたとみて次に進めようとする哉太にアニカは待ったをかける。
冷えた空気に晒され、げっそりとした哉太と薄笑いを浮かべていた茶子が怪訝な表情を浮かべてアニカを見た。
視線が集まったのを確認すると、床に置いたショルダーバッグから有磯邸から拝借した瓶詰を円卓上に置く。
卓上に置かれた『それ』を視認した瞬間、茶子は僅かに顔を強張らせた。

「これはなんだ?」
「…………Mr.ウノから逃げて隠れた家で見つけたスムージードリンクよ」

疑問を口にした哉太が改めて茶子の表情を伺うと彼女の違和感に気づく。
その正体を茶子に研いだ出す間にアニカが口を開いた。

「これはチャービルやサフランといった高級ハーブをブレンドしたスムージードリンク。
Millionaireの間では密かなブームになっている高い疲労回復効果のあるドリンクなの。
会員制のサイトでしか取り扱ってなくて実物を知るまで単なる噂としか私も思ってなかったわ」
「じゃあ、これは……」
「そう。たまたま転がり込んだ家がOrder sourceだとは思ってなかった。あったのは賞味期限が一年前のこれだけだったけどね。
発注書もあったけど持ってこれなかったのは私のミス。でもShipping addressに山折村の住所、それも怪しいところがあったから覚えておいたわ」
「…………例えば?」
「診療所の裏手、アサノ雑貨店、High school近くのPublic square裏手。個人発注者で言えばMr.コロシアイ、Mr.アサカゲ―――」
「――――分かった。いいよ、あたしの負けだ」

アサカゲという名前を出した瞬間、茶子は悍ましい程酷薄な笑みを一瞬浮かべ、すぐに感心したようなへにゃっとした笑顔を浮かべて軽く両手を上げた。
女言葉も同時に止めていたことから少し乱暴な口調が彼女の素なのだろう。
スムージードリンクについては思い切り嘘をついた。村に固執する彼女としては哉太にこれ以上、村を嫌いにならないで欲しかったのだろう。
茶子を慮ってではない。恩を売り、情報を少しでも引き出しやすくするためだ。

「茶子姉もこれ、飲んでいるのか?」
「飲むわけないじゃん、こんなクソまずそうなやつ」

このやりとりで少なくとも茶子はアニカに対する心象を改めたようだ。明らかに砕けた口調で哉太と会話をする。
話の内容察するに彼女は麻薬売買を知っていたが関わってはいない。歪みとやらの撲滅を狙っていた彼女は『これ』も秘密裏に潰すつもりだったに違いない。
リンに対する女口調は教育上、汚い言葉はよろしくないと茶子自身が判断したからと推察できる。
まあ、だからといってアニカ個人が茶子への心象を回復させたわけではないのだが。

「いいよ、アニカちゃん。どうせ方針を話し合う前に離すつもりだったし。教えてあげる」

茶子は立ち上がるが否やクローゼット近くまだ歩くと床下を開き、カチカチと金庫のダイヤルロックを回す音を鳴らす。
ガコンと鉄の重音の後に茶子はそこから何かを取り出す。金庫らしきものと床下の収納庫を閉じると戻り、ちゃぶ台の上に何かを置く。

「これは……カード、でいいのかしら?」
「うん。これは研究所職員に配布されているIDパス。あたしはバイトとは言え汚れ仕事をやっている業者だしレベル2のカードキー渡された」
「そりゃそっか。L1とL3は?」
「L1は何も知らない下っ端。L3は研究所に頭までどっぷりつかった連中用だ。誓約書を書いて個人情報の大半を渡せば日常生活に戻れるのはL2までだね」

平然と言い放つ。研究所に関わったら最後、生涯彼らに命を狙われるというリスクが付き纏う。
茶子はこのリスクを飲み込んで研究所と関わっていたのだろう。彼女自身が歪んでいるとはいえ、恐ろしい執念だと戦慄する。


508 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:56:56 C.QiL7.s0
「それで、このクソまずスムージーの発注先だったね。
まず浅野雑貨店はあたしら汚れ仕事専門のバイトの詰め所。情報持ってる店主はクソで品揃えもクソ。店主がどこほっつき歩いてるが分からない以上寄る価値なし。
診療所裏は第一研究所の緊急脱出口。メインで実験が行われたとするならばそこだ。あそこに侵入するには必ずIDパスが必要になる」

ごくりと息を呑む。事態収束の糸口を漸く掴んだ。
現在地からは相当離れているがカードキーが手に入った以上、すぐにでも向かうべき場所だ。

「―――広場裏が資材管理棟。管理事務所の隠し扉にL2パスで起動する地下行きのエレベーターがある。キミたちは資材管理棟の調査に行って欲しい」

虎尾茶子の依頼は諸悪の根源たる第一実験棟の調査ではなく、ここから近い資材管理棟の調査。
疑問を一瞬だけ感じたが、すぐに答えへと辿り着く。

「そこに、何かがあるんだな」

自分が答える前にパートナーの剣士が言葉にする。
茶子の答えは肯定。神妙な面持ちで首肯した。

「そう。第一実験棟に行けばヤマオリ・レポートなんて目じゃないほどの情報が山ほどあるだろう。
どのような手段にせよ、そこに向かって解決の糸口を探すのが一番手っ取り早い」
「でも、それだけじゃ駄目ってことね」
「…………どういうことだ?」

女王を殺すかウイルスへの対抗策を見つけるためには、全員で第一実験棟に向かった方がいい筈だ。
哉太の疑問に答えるためにアニカが口を開く。

「何でdestruction of evidenceのために特殊部隊が派遣されたと思う?
彼らが派遣されたことを私達が認知した以上、事態を収束させても正常感染者が皆殺しにされる可能性があるわ」
「思考停止して女王を殺せば解決すると思いこむなんざ愚の骨頂だ。研究所連中の裏をかかなきゃ未来は真っ暗」

最悪の可能性を口にして身が竦む思いがした。哉太も同様に顔を強張らせる。

「その鍵が資材管理棟にあるかも知れないってことだな?」
「うん。研究所連中にも方針に反感を持っている人間がいてね、そいつが管理されている部屋が資材管理棟にある」
「管理って……人間をモノ扱いなの?!」
「そ。情報を外に持ち出した以上、彼は裏切り者だ。知的財産泥棒による誘拐っていう情状酌量があったから生かされている。
あたしは彼の窓口だ。診療所までの送迎や必要物資の提供を行っていた。ま、研究所にもムカつくところがあったから敢えて見逃していた所もあったけどね」

しれっと研究所への反感を口に出す茶子。現状ならともかくそれ以前から嫌悪感を持っていた理由が分からない。
隣りの哉太を見ると妙に納得した顔をしていた。何故か何となく苛立ちを感じた。

「それで、彼の名前は?」
「彼の名前ね。それは―――」

――――未名崎、錬。



『必要になりそうな物、揃えておいたよ。後で確認してね』
『ああ』『All right』
『それと、お弁当作っておいたよ。長丁場になるから途中で食べな』
『Thanks。それでMs.チャコはこれからどうするの?』
『あたしは別にやることがある。リンちゃんを連れて袴田邸に行った後、寄り道をして最終的には診療所に向かうとする』
『なあ茶子姉。爺ちゃんに言ってた祭りの目的とか土着信仰とか気になってたんだが』
『ああ、それね。村ができたきっかけが碌でもないものでしたっていう与太話だよ。爺はそれで村が傾くとか思ってたらしい。
まったく、価値観がアップデートされてない老害ほど迷惑なもんはないよね』
『私からも最後に良い?』
『手短にね』
『――――青い髪の、ハルカっていう女性を知っているかしら?』
『アニカ、それは……!』
『―――残念だけど、知らないね』




509 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 02:59:32 C.QiL7.s0
均され、舗装された林道を一台の自転車が疾走する。
操縦者は黒い髪の少年、八柳哉太。リアキャリアに乗る少女は天宝寺アニカ。
帽子が飛ばされないように異能で押さえながら、振り落とされないように必死で哉太にしがみつく。
棚引く長い金髪は追走する一条の光のよう。

「…………カナタ」
「舌噛むぞ。何だ?」
「Ms.チャコは、Ms.ハルカの事を知っている可能性が高いわ」
「…………そうか」

ハンドルを握る哉太の手に一層強く力が籠められる。

「カナタ、もしかするとMs.チャコは的になるかもしれない」
「…………その時は、俺が何としてでも止める」

翻弄されて揺蕩うばかりであった探偵と助手。
それでも激流に流されるばかりではない。苦悩に耐えて漸く歩き出す。
光明か、暗雲か。彼らの行きつく先は未だ知れず。

【B-7/森林地帯・林道/一日目・日中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、左耳負傷(処置済み・再生中)、疲労(中)、精神疲労(中)、悲しみ(大)、喪失感(大)、マウンテンバイク乗車中
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、マウンテンバイク
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカを守る。
2.資材管理棟へ向かい、「未名崎錬」から情報を得る。
3.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.念のため、月影夜帳と碓氷誠吾にも警戒。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、精神疲労(小)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、決意、マウンテンバイク乗車中(二人乗り)
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、登山用ロープ、医療道具、マグライト、ラリラリドリンク、サンドイッチ
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.資材管理棟で情報をGetするわよ。
2.「Mr.ミナサキ」は無事かしら?
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。一応、Mr.ウスイとMr.ツキカゲにもね。
6.私のスマホはどこ?
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。


見る影もない程崩れ去った山折神社。そこに魔を払う宝剣――実際には鳥獣慰霊祭に使われる儀式用の件――が奉納されていた祭具殿の前に茶子は立っていた。

「…………」

宝剣が飾られていた背後の壁が別の木材で作られている。学生時代、茶子がはすみの家に来た時から違和感を感じていた。
指摘しようとしても、怪しまれると感じて追及するのを止めていた。
この異常事態がなければ誰もが厳かな雰囲気に吞まれてしまい、謎を暴くのを止めると思う。
恐らくこの違和感に気づいて暴く例外があるとすれば、探偵か、特殊部隊か、特務機関や諜報機関のエージェントくらいであろう。

腰から頑強な鈍らを抜いて、一閃。木製の壁は二つに分かれ、隠し通路を暴いた。
奥はつい数時間前に訪れたように仄かな明かりが漏れており、歪な神聖さを感じる。
半分になった壁を乗り越え、奥へと突き進む。
しばらく歩いた後、そこには小さな影一つ。

「……………即身仏か」

陰陽師と思われる式服を纏った小さな木乃伊。それに抱えられる小さな宝箱の様な箱。
崩れないように丁寧に箱を木乃伊から取り出す。
鍵穴らしき場所にピッキングツールを差し込んで動かす。想像以上に呆気なく箱が開いた。
中にあったのは、一冊の羊皮紙写本。十世紀以上時間が経過したとは思えない程整っていた。
何気なく、ペラペラと頁を捲り、流し読みをすると―――。

「――――ふ」

口角を吊り上げ、嗤う。




510 : 「会議を始めましょう」 ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 03:00:07 C.QiL7.s0
「チャコおねえちゃーん!まってたよー!」
「おっと、ごめんね。待たせちゃった」

ハーフパンツ姿の少女――茶子の古着に着替えたリンが茶子の胸に飛びついた。
胸に頭をグリグリと押し付けて甘えるリンの頭をめい一杯撫でる。
哉太達と別れた後、眠るリンを背負って、山折神社まで戻ってきた。
祭具殿のカーテンを簡易的な毛布としてリンにかけた後、書き置きを残したのだ。

「アニカおねえちゃんとカナタおにいちゃんは?」
「二人は別のお仕事があるから別れたのよ」
「そっか。ねえチャコおねえちゃん」
「なあに?」
「リンのこと、たいせつ?」
「ええ、大切よ」
「そっか、カナタおにいちゃんたちよりも?」
「同じくらい大切よ」
「…………そっか」

取り留めのない会話をしながらリンを背負って駐車場へと足を進める。
倒れているスクーターの中から自分のもの――数日前に置きっぱなしにしていたもの――を見つけて起こす。
リンにヘルメットを被せて落ちないように補助ベルトを着ける。茶子もヘルメットを着けて、スクーターのエンジンを吹かす。

「リンちゃん。お話してあげよっか?」
「ききたーい!」

元気よく答えるリンに思わず笑みを零す。
この子は過去の写し鏡。名も知らぬ誰かに救われたという自分のIF。
リンは自分のようになって欲しくない。本心から茶子はそう思う。
これからの彼女には「ああ、そんな話もしてくれたっけ」という程度の思い出になるかも知れないけれど。
山折村の民話に羊皮紙写本に記された『降臨伝説』の真実を付け加えてアレンジした話を聞かせてあげよう。

「昔々、この村には名前がなくなって「巣くうもの」なってしまったお化けがおりました。
そのお化けは元々、村に昔から住んでいた巫女さんだったのです。巫女さんは天国に行けず、たくさんのお化けが集まって名前も忘れてしまいました」
「かわいそう……。ねえ、チャコおねえちゃん、そのみこさんのなまえはなあに?」
「その名前は―――――






















いのり。『隠山祈(いぬやまのいのり)』っていうの」


【A-4/山折神社・駐車場/一日目・日中】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、精神疲労(小)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)、スクーター乗車中
[道具]:ナップザック、長ドス、木刀、マチェット、医療道具、腕時計、八柳藤次郎の刀、スタームルガーレッドホーク(5/6)、44マグナム弾(6/6)、包帯(異能による最大強化)、ガンホルスター、ピッキングツール、飲料水、アウトドアナイフ、羊紙皮写本、スクーター、ヘルメット、他にもあるかも?
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.一先ず袴田邸に向かい、使える人員が残っていれば手駒にする。
3.寄り道をした後に山折総合診療所へ向かう。
4.八柳哉太と天宝寺アニカを資材管理棟へ派遣し、情報を集めさせる。
5.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
6.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
7.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
8.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。
※神社から何かを持ち出したのかもしれません。

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、スクーター乗車中(二人乗り)、
[道具]:メッセンジャーバッグ、化粧品多数、双眼鏡、缶ジュース、お菓子、虎尾茶子お下がりの服、子供用ヘルメット、補助ベルト、御守り、サンドイッチ
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.かぜがきもちいー!
3.チャコおねえちゃんのおはなしをきく。
4.うそつきおおかみさんなんてだいっきらい。
5.またあおうね、アニカおねえちゃん。
6.チャコおねえちゃんのいちばんはリンだからね、カナタおにいちゃん。
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。


511 : ◆drDspUGTV6 :2023/10/08(日) 03:00:51 C.QiL7.s0
投下終了です。
期限超過、大変申し訳ありません。


512 : ◆H3bky6/SCY :2023/10/08(日) 18:34:46 X4WEBVKI0
投下乙です。

>「会議を始めましょう」

ほのぼのした食事シーンから始まり、その裏で様々な思いが交錯している
ロリコンビの貴重な行水シーン、とは言えきゃっきゃうふふとはいかない雰囲気だが和解はできそうでよかった
リンの純真さは宇野や勝子の時のような危うさにもなれば、こじれた相手と和解できる素直さにもなるね
姉弟弟子も煮え切らない哉太に発破をかけるけど、ロリコンビと違ってやり方が体育会系なのは関係性の違いだね

アニカはその洞察力から茶子の異能の正体を見抜き、茶子はその情報力から危険人物を言い当てる、人間的には険悪だけど能力的には意外といいコンビなのかもしれない
研究所の諜報員としてバイトしてた茶子姉は元々持ってる情報が強い、おかげで月影さんと碓氷先生は若干のピンチ

そして資材管理棟に閉じ込められているという錬くん、ゾンビになってないんだろうか?
ついに巣くうものさんの正体にも迫る情報も飛び出し、様々な方面の真相が明かされて行きそう


513 : ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:17:02 sUe2Ig.c0
投下します


514 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:20:26 sUe2Ig.c0
氷の世界に雨が降っていた。
局地的な熱を持った雨は空を舞う人工物、ドローンより降り注ぐものである。
その雨を一身に浴びるのは地面に張り付いた氷の中心に佇む、1体の美しき氷像だった。
それは村に放たれた刺客、特殊部隊黒木真珠を閉じ込める氷の檻だ。

雪国では降り積もった雪や道に貼った氷を湯で解かすのはご法度である。
そのような極寒の環境では、湯をかけたところで完全に気化せず、半端に溶けた氷が再凍結してより強固に固まってしまうからだ。
だが、超常現象によって生み出されたこの氷にそのルールは適応されない。

6月の山折村はほんのりと暖かい初夏の気候だ。
降り注ぐ熱湯に氷は再凍結することなく溶けて行き、解凍と言うその役割を果たして行く。
閉じ込められた真珠の右手が手首周りまで露出した。

自由になった手首の返しだけで僅かに脆くなった氷を打ち砕く。
そうして、傷口を広げてゆくように徐々に可動域を伸ばして行く。
肩まで表に出たところで振り上げたこぶしを自らの胸元に振り下ろす。
氷粒が弾けるように飛び散り、氷の壁が砕けて行く。

ここまで来れば脱出できたも同然である。
片手さえ自由になってしまえば、真珠にとって氷を割る程度のことは容易い。
自分を殴りつけるようにして氷の檻を砕いて行き、ほどなくして全身が解放された。

氷の檻から一歩踏み出す。
解き放たれた真珠はまず自身の性能を確かめる。

1時間以上同じ体制でいたおかげで少し体が硬くなっているが、氷に閉じ込められたことによる凍傷などの影響はない。
防護服は性能の流石である。
宇宙服並みの機能でありながら生身と変わらぬ機動性を保っている。

固まった体をほぐす柔軟ついでに次の行動について思考する。
氷内に閉じ込められて約1時間。すでに標的(ハヤブサⅢ)たちは遠くに向かっているだろう。
今から足取りを追うのはさすがに難しい。相手が相手だ、追えるような痕跡も残っていまい。
何より追ったところで相手が徒党を組んでいる以上、単独では繰り返しの返り討ちに合うだけだ。

単独の任務遂行には限界がある。
こちらも村人を利用して徒党を組むべきだろう。
だが、村人を利用すると言っても、今から村人たちを従えるのは正直言って厳しい。

基本的に村人にとって特殊部隊は敵である。
その印象を覆せるとしたら任務開始直後。
まだ印象の出来上がる前に懐柔するしかない。
つまり信頼関係による協力関係を築くには初手を誤った時点で手遅れだ。

今からでも恐怖による統制ならば有効だろうが、そのやり方だと士気と練度は期待できない。
裏切りのリスクも高いだろうし、囮くらいにしか使い道がなさそうだ。
それも使いようだが、それなりに連携の取れているハヤブサⅢに氷使いを殺すには足りない。
下手をすれば、向こうに戦力を取り込まれる危険性すらある。

後は、現実的な方法としては利害の一致による取引があるが。
これは、この状況で自らを殺しに来た連中に媚び諂えるプライドのなさと、状況を見極める狡猾さを兼ね備えた都合のいい『狗』でもいなければ難しいだろう。
何より利害の一致による関係はより良い条件があれば容易く裏切る。
好みを言っていられる場面ではないが、仮にそんな輩がいたとしても真珠個人としてはあまり組みたい相手ではない。


515 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:22:23 sUe2Ig.c0
結論としては、やはり今から村人を手駒にするのは難しい。
考えるまでもなく分かりきっていた事だが、やはり初動のミスは痛い。
とは言え村がこのような魔境になっていると読めなければできない対応ではあったのだが。

だが、逆に任務開始直後ではできなかった方法もある。
先ほど真珠が戦ったハヤブサⅢが率いる一団のように、生存している正常感染者たちも固まり始める頃合いだ
この状況で単独行動をしている村人はよほどの馬鹿か、悪さをしている輩くらいのモノだろう。

それなりに広い作戦区域をたった6名でカバーしなければならない状況では戦力をまとめるのは愚策だが、戦況は次の段階に移っているはずだ。
ローラー作戦が終わって、次は集まった所を一網打尽にするフェイズである。
本来であればこれも単独で事足りるはずだったのだが、異能と言う不確定要素によって思いのほか感染者側の戦力が厚い。
ならば、SSOG側も戦力をまとめてもいい段階だ。

少なくともハヤブサⅢが徒党を組んでいる以上、他の隊員と真珠の利害は一致している。
何より、それぞれが一騎当千の猛者であるが、SSOGは秘密特殊「部隊」である。
当然、単独よりも連携を取った方が圧倒的に強い。
目的、戦力、信頼関係。利害と言うのならこれが最も一致している。

だが、この提案が受け入れられるかは相手次第だろう。
例えば、美羽はまず受けない。
単独で集団を引きつぶせるブルドーザー。
連携を取るより敵地の中心に突っ込ませた方が効果的な狂犬だ。

状況と条件次第だが、そういう意味では成田もそうだ。
狙撃手は連携面での強みもあるが、単独行動の方が効果を発揮する場合もある。
奴に限っては遊撃兵として柔軟に対応してもらった方がいいかもれない。

大田原は効果的任務を遂行できる提案であれば受け入れるだろうが。
そうなるには大田原が戦力的に足りないと感じている状況でなければならない。
あの最強が現状で苦戦しているとは考えづらい。望み薄か。

そうなると、候補は広川と乃木平辺りになるのだが。
広川はともかく、乃木平は微妙なところだ。
戦力的のどうこうの話ではなく、考え方の話だ。

乃木平の『イイ子ちゃん』なスタンスは真珠とは合わない。
対等な立場の隊員同士だからこそ致命的なズレになりかねない。
何より、あの戦場初心者(ニュービー)に各個撃破と言う司令部から与えられた任務を無視して、戦況に合わせた自己判断ができるとは思えない。

柔軟性という意味では、村にいるらしい小田巻を取っ捕まえられれば一番なのだが。
善悪の頓着がない小田巻のスタンスは真珠とも合うし、何よりその能力を真珠は高く評価している。
むしろ、小田巻であれば自ら売り込んできてもおかしくないくらいだ。

とは言え小田巻に関しては作戦区分が決まっている隊員たちと違って、どこにいるかの指針がないためハヤブサⅢ以上に探しようがない。
ひとまず真珠は広川に辺りをつけて、担当区域である北部に意識を向けた。




516 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:23:52 sUe2Ig.c0
診療所を通り過ぎた山の手前に、一台の軽トラックが駐車されていた。
明らかな違法駐車だが、それを注意する者はこの村にはいない。
何よりそのトラックに乗り合っているのは自衛隊に所属する公務員である。

そのトラックの荷台には、後ろ手に親指を縛られた状態で寝ころがされているスヴィアとその見張りを任された碓氷が残されていた。
所属も思惑も目的と違う、継ぎ接ぎだらけの臨時部隊は地下研究所の入り口を求めて診療所に向かっていた。

そこまでに至る道中の車内で、既にスヴィアへの尋問は終えている。
スヴィアの持つ研究所の研究内容、黒幕をスヴィアが知り得た根拠など、話せることは全て話した。
情報を聞き出された今もスヴィアが用済みとされず生かされているのは、証言の裏取りがまだできていないと言う事情と、元研究員としての知識を期待されての事だ。

だが、いざ院内に突入しようと言う段階で、部隊を仕切っている天が「別用ができた」とその場を離れ何処かへと消え去った。
その際に、碓氷は天からスヴィアの見張りと世話係と言う役割を与えられたのだった。

「食べてください。アナタには回復して頂かないと」

碓氷が災害時非常持ち出し袋から氷砂糖を取り出し、スヴィアの口元に差し出す。
だが、スヴィアは僅かに顔を背けてそれを拒否する。
碓氷は困った生徒に対応するようにやれやれと肩を竦める。

「…………ボクの事より……自分のことを心配したらどうだい……? あまり、信用されていないようだが」
「なぁに。信用を重ねていくにはまずは小さな仕事をコツコツですよ」

碓氷が見張るのは重症の女一人。任せられる仕事はこの程度だと思われているという事だ。
トラックの外ではライフル銃を手にした真理が周囲の警戒を行っている。
周囲だけではなく、碓氷とスヴィア、2人の見張りも兼ねているのだろう。
碓氷は同じ特殊部隊の真理と違って天に信用されていない。

「誤解しないでいただきたいのですが、私はあなた方の敵になった訳ではない。
 この状況で生き残るために当たり前の身の振り方をしただけだ」

碓氷の目に映るスヴィアの色は赤。
敵対心を露にするスヴィアを宥めるように碓氷がそう言った。

「…………当たり前……? 私たちを……殺しに来た、特殊部隊に手を貸す事がかい……?」
「ええ」

強者に阿る自らを何も恥じることないと、碓氷は肯定する。
村の敵になった訳でも村人を殺したいわけでもない。
より正確に言うのならば、村がどうなろうが、他の村人が生きようが死のうが、碓氷にとってはどうでもいい。

望むのは自らの生存。
生き残るという1点において碓氷の判断は正しいものだ。

「…………わかって、いるだろう……? 信用で、どうこうなる相手じゃない……。
 どれだけ……信用を得ても……最後には切り捨てられる……だけだ」
「そうでもないですよ。彼らは無差別な殺人者ではない。秩序ある殺戮者だ、殺す理由がない限りは殺しませんよ」

特殊部隊の面々は理由のない殺しはしない。
問題はその理由が、村人の皆殺しにあるという所なのだが。
処分を保留されている間に、その理由さえなくなってしまえば殺されることはない。


517 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:25:43 sUe2Ig.c0
特殊部隊たちが女王を暗殺してこの事態を解決する。あるいは隔離案によって女王の隔離が行われる。
それまでに切られない程度に、そこそこの信用を稼いでおくのが碓氷の生存戦略だ。
現状、彼が生き残る目はそれしかない。その後の展開は、今生き残ってこそである。

「むしろ、僕からすれば分からないのはあなたの方だ。スヴィア先生」
「………………ボクが?」

唐突に話の矛先が向け返されスヴィアが僅かに困惑する。

「あなたは自ら人質を買って出た。高潔な事だ。
 正直、死んでもいいという覚悟は僕には理解できない所ではあるのですが、その覚悟自体は尊重します。
 ですが、その覚悟を下らない意地に使うのは理解できない」
「…………どういう意味だ……?」

研究者として生きると決めた時点で覚悟はできている。
それが下らないとはどういうことなのか。

「助けたい人がいるでも、責任を果たしたいでも、理由は何でもいいでしょう
 本当に事態を収束したいのならば、無意味な反発心は捨てて、全力で協力すべきだ」

この言葉にスヴィアはとっさに反論できなかった。
事態の収束という観点だけを見れば特殊部隊の人間と元研究員の人間が手を組むのは実に理にかなっている。
それを快く受け入れられないのはスヴィアの特殊部隊への反発心によるものだ。

スヴィアにはこの事態を解決できるのなら死んでもいいという覚悟がある。
だが、それは無意味に命を散らしてもよいという事ではない。
何より、死んだら責任を果たせない。

「……命の使いどころを間違えるなという事か……」

呟くスヴィアに再び氷砂糖が差し出される。
スヴィアは泥を啜っても生きる覚悟で氷砂糖を口にした。

「戻りました」
「お疲れ様です。乃木平さん」

ちょうどそこでトラックの外から声が聞こえた。
どうやら天が戻ってきたようだ。

「それじゃあ、僕たちも行きましょうか」

そう言って碓氷がスヴィアの拘束を解いた。
そしてスヴィアを立ち上がらせて自らの肩を差し出す。
無言のままその肩を見つめ、スヴィアはその肩を借りるのだった。




518 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:28:55 sUe2Ig.c0
「珠ちゃん。こっちの方でいいのよね?」
「え。あっ。はい……!」

先頭を行く田中花子が背後を振り返り、案内役である少女、日野珠へと話しかける。
他者の肉を被った野生児の襲撃を辛くも退けた花子たちは、蘇った珠の記憶を元に怪しい連中が取引していたと言う現場に向かっていた。
その背後に、一つの少女の終わりと氷の世界を残して。

とは言え、取引現場を今更調べたところで取引の痕跡は何も残っていないだろう。
彼女たちの目的は取引自体ではなく、その現場に在ったと言うマンホールのような穴である。
研究所には要人用の緊急脱出口がある、という与田の話と合わせて考えれば、真っ先に確認すべき重要事項だ。

その予測が当たっていれば、この村を襲ったバイオハザードの真実に近づくかもしれない重要な一歩となるだろう。
だが、その案内役であるはずの珠は気もそぞろな様子で後方の様子を伺っていた。

「あの……海衣さん。大丈夫なのかな?」

気を使ったような小声で花子の耳元へと話しかける。
彼女が気に掛ける視線の先では、肩を落とした海衣が無言のまま最後尾をとぼとぼと歩いていた。
見ているだけで心配になるくらいに生気のない様子で落ち込んでいる。
海衣は異能の暴走に巻き込んでしまった珠と与田に謝罪の言葉を述べた後から一言も口をきいておらず、ずっとこの調子だ。

目の前で親友である茜を喪い、海衣は深い絶望と悲哀に包まれていた。
ましてや、殺したのは親友の姿を被った野生児だ。
茜の死が脳裏に氷のように張り付いて離れない。

大事な人を喪った痛みは珠もよくわかる。
いや、この村でその痛みを味わっていない人間などいないだろう。
みかげのように生きているかもしれないというか細い希望すらない。
だからこそ珠も慰めの言葉が見当たらない。

珠も口の上手いほうではない。
むしろ考えなしに喋るタイプなので、人の慰めと言うのは苦手以前に経験がない。
自分では何と言っていいのかわからないから、頼りになる方の大人に助けを求めた。

「放っておきましょう。彼女自身の問題よ」

だが、その望みに反して花子は特に気にした風でもなくそうあしらう。
明らかに落ち込んでいる海衣を振り返りもせずヒラヒラと手を振る。
その左手は僅かに赤く、軽い凍傷が残っていた。

海衣の暴走に巻き込まれた際に氷に包まれた花子の左手。
与田に応急手当をしてもらったおかげで痛みはあるが普通に動かす分には支障はない範囲だ。
だが、利き腕ではないのがせめてもの救いだが、いざと言う時の精密動作には不安が残る。

それについて怒っているという訳ではないのだろうが、花子は海衣よりも目的地に向かう事を優先している様子だ。
与田は他人の悲哀に興味ないのか、そもそも海衣の様子を気にしていない。
あれほど落ち込んでいる海衣の様子を気にかけているのは珠だけである。

この場に常識的な、普通の価値観を持っている人間が珠しかいないのか。
若干の居心地の悪さを感じていると、先頭を行く鷹の眼を持つ女が静止の声を上げる。

「待った。この先に何かあるわね」

警戒心を強めた僅かにひそめた声。
進行方向の先に、何か異変を見つけたようだ。

「どうしましたか? 研究所の入り口でも見つけたんですか?」
「それとも、まさか敵がいた?」

後方から与田と珠が尋ねる。
だが、花子は表情を変えぬまま首を横に振った。

「いいえ。戦闘した跡のようなものがあるわね」
「……戦闘跡ですか?」

尋ね返す与田の声に不安の色が混じる。
誰かが戦っていると言うのなら巻き込まれる可能性を懸念しているようだ。

「少なくとも、ここから見る限りだと今は誰もいないみたいね。
 けど、念のため迂回した方がいいかしら? 珠ちゃんどう思う?」

案内役の珠へと尋ねる。
珠は少し考えるようにうーんと呻ってから答えた。

「難しいと思う。取引してた場所と同じ方向だし、それに光も見えるから」

珠の道案内が正確だったのは、珠の記憶力以上に異能によるイベントの可視化によるものが大きい。
そして偶然か、はたまた必然か。その光の示す先は戦闘跡と近しい方向にあるようだ。

「分かったわ。ならこのまま進みましょう。
 大丈夫だとは思うけど。何があるか分からないわ。警戒は怠らないようにね」

警戒を促す花子の呼びかけに与田と珠が頷きを返す。
それぞれが油断を付かれた茜の時のような失態は繰り返さない。
ただ独り海衣は答えず。僅かに離れた後方で俯いたまま、自らの火傷の残る手の平を見つめていた。


519 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:34:19 sUe2Ig.c0
現場に近づくにつれ、珠たちにも花子が言っていた戦闘跡の姿が徐々に見えてきた。
それで、もはや戦闘行為など珍しくもないこの村内に置いて、なお花子が警戒を促していた理由が分かって来た。
それは戦闘と言うより戦争の跡のような、異様な光景だった。

診療所の裏手にある、山に程近い草原は、まるで爆弾でも投げ込まれた様に焼け焦げていた。
爆破の跡は一つや二つではなく、継続的に爆弾が爆発でもしたかのように見える。

だが、その爆破跡以上に目につくのは、地面に刻まれた小さなクレーターだろう。
クレーターは爆発によって出来たものではなく、とてつもない力が叩き付けられたかのような破壊跡であった。
そして、そのクレーターからは、ぶちまけた様な血の跡が放射状に広がっている。

まるで圧倒的な力によって血袋を破裂させたような正視に堪えない光景だ。
その中心に残されているのは前衛芸術の様な、人の死体とは思えぬ肉片である。

「珠ちゃんが見た取引現場も、この辺でいいのよね?」
「う、うん」

珠は凄惨な光景から目を逸らしながら、僅かに震える声で答える。
流石にこの惨状の中から珠に探索をさせるのは酷だろう。
ここまでは珠の記憶と異能が頼りだったが、ここまで来れば花子一人でも十分だ。

「ありがとう珠ちゃん。そこで少し休んでいて」

花子はそう珠を労うと、そもそも動く気のなさそうな与田と俯いたままの海衣をその場に残して移動を始めた。
物おじすることなく現場に近づいて行くと凄惨な現場から目をそらさずつぶさに観察する。

爆破によって吹き飛んでいるが、残された草木の踏み抜かれた折れ具合から、ここ最近で大量の人の出入りがあった事が分かる。
ゾンビすら近づかないような手入れされていない深い草原でこれはおかしい。

花子はその場に屈みこむと、焦げた草を拾い上げ手に持ってよく観察する。
煤は多層に積み重なるように濃淡があることから、爆発は1度ではなく繰り返されていたようだ。

続いて、地面に深く刻まれたクレーターへ移る。
大量に飛び散った血液は既に乾いている事から、犯行から半日以上が経過しているだろう。
状況から見て爆破の異能者と筋力強化系の異能者の戦闘があり、爆破の異能者が叩き潰された、と言う所か。
爆破物を持ち込んだ人間がいる、と言う可能性も勿論あるが、それにしては爆破の跡が多すぎる。
この無差別で無尽蔵な爆破からして異能によるものと言うのが妥当な結論だろう。

そして周囲に飛び散った血の跡を観察する。
およそ人間の殺され方とは思えない有様だ。肉片が多方に飛び散っているのは爆破による影響もあるだろう。
その行き先を辿ってみれば、飛び散った血の跡が不自然に途切れている箇所があった。
近づいてみれば明らかに地面のモノではない感触が足裏に返った。

「―――――ここね」

確認すれば、そこにあったのは通常のマンホールよりやや大きい。直系80センチほどの円形だった。
その上には草木が植え付けられており、血の跡がなければ分からないくらいに巧妙に隠されている。
流石に花子や特殊部隊の面々であれば見つけられるだろうが、素人であれば発見する事すら不可能だっただろう。

扉は見つけた。
問題はこれをどう開けるかである。
都合よく鍵が開いているという事もなさそうだ。

足先で軽くノックしてみると分厚く固い響きが返った。
どうやら簡単に破壊できる材質ではなさそうだ。
そうでなければこの戦闘の影響で壊れているはずだ。
これを破壊するには戦車砲並みの火力が必要となるだろう。

破壊は実質不可能。
工作道具の詰まった化粧箱でどうこうなるとも思えないが、その前にしておくべきことがある。
花子はひとまず珠たちの元まで戻ることにした。

「どうだったんです?」
「それらしいのは見つけたわ、それで珠ちゃんに聞きたいんだけど」

そう言いながら花子は自らの所持品を一通り取り出し、珠の目の前に並べる。

「この中で光ってるものは何かある?」

そう尋ねた。
珠は差し出されたそれらを見つめ、迷うことなく一つの物を指さした。

「えっと……コレ。このカードが強く光ってるよ」
「そう、ありがとう」

珠が選んだのは護衛の報酬として海衣から与えられた謎のカードキーだった。
花子は選ばれなかった荷物をしまうと、これまで用途の分からなかったカードを片手に踵を返す。
そして再び、地面に設置された扉の下に戻ると、その周囲を見つめる。


520 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:36:24 sUe2Ig.c0
「見ぃつけた」

カードを読み込めそうなリーダーを見つける。
そこに先ほど選ばれたカードキーを通した。

ピと小さな音が鳴り、しばらくして何かが動く重々しい音が足元の円形から響く。
数秒の後、パチンと言う音と共に取っ手のような何かが浮き上がり、閉ざされていた蓋が僅かに開いた。

それを確認して花子は蓋を持ち上げる。
分厚く硬い扉だったが、その印象に反して扉は女の腕でも簡単に持ち上がった。
恐らく、開閉を機械がサポートしているのだろう。

そうして、珠の証言通り、円形の穴が草原に出現した。
穴の中には下水に繋がるマンホールのようにタラップが敷かれている。
だが、この先に繋がっているのは下水ではなく地獄だろう。

扉を開いた花子はひとまず、待機させていた3人をこの場に集合させることにした。
凄惨な現場を適当に迂回するように誘導して、全員が穴の前に到達する。

「この穴、すごく光ってる…………」

蘇った記憶と同じように開かれた穴を見て、珠がおびえたように呟いた。
穴から漏れ出すのは一つの光ではなく、多様な光が積み重なった異様な光だ。
この先に待ち受ける運命を現す光に、珠は慄いているようだ。

「珠ちゃん、怖いでしょうけどこの先にも同行してもらえる? あなたの力が必要なの」

駆け引きや取引ではなく、ただ正面から真摯に頼み込む。
探索や調査において珠の異能は反則的なまでに強力だ。
花子一人でも調査は出来るが圧倒的に効率が違う。
時間のないこの状況では研究所の調査に珠の協力は必須である。

珠は考える。
得体のしれない場所に進むのはもちろん怖い。
なまじ光と言う形で可視化されているだけに、その恐ろしさも実感出来てしまう。
それに姉や圭介にみかげを探したい気持ちもある。
望まぬ形で別れてしまった創やスヴィアも心配だ。

「…………うん。それがみんなを助けることになるのなら」

だが、珠は渦中に飛び込む決意をする。
知り合いは心配だが、彼らと珠が合流したところで何の解決にもならない。
それよりも、この村を救うために自分が力になれるのなら進むべきだ。
それがきっと、一番みんなのためになる。

「ありがとう珠ちゃん。与田センセも、もちろん付いて来てくださるのよね?」
「い、いやぁ。僕は研究所にはあんまり近づきたく……」

与田は焦ったように否定して、花子と研究所への入り口から離れるように後ずさる。
だが、それを逃がさぬと花子が笑顔でにじり寄る。

「あら、どうしてかしら? 研究所に行くと都合の悪い事でもあるのかしら?」
「いやそう言う訳では……何かと危険でしょうし」
「まぁどっちにしてもセンセには強制的に付いてきてもらうんだけど」
「えぇ!? 日野さんと扱い違いすぎません?」

花子から逃げ切れるはずもない。初めから拒否権など無かったのである。
研究所内に詳しく研究内容に明るい案内役は必要だ。
つまりは花子の研究所内の探索において、この2人の同行は必須である。

「それで? あなたはどうするの? 海衣ちゃん」

この中で唯一、同行が必須でないただ一人に問いかける。
離れたところで生気のない顔で佇んでいた海衣は、声をかけられても俯いたまま答えず、無言を返すばかりであった。
その態度に構わず、花子は続ける。

「ここから先は何があるかわからない。ここに残ってくれてもいいのよ?
 私も護衛対象が2人もいて手一杯だし、足手まといはいらない」

ハッキリと突きつける。
だが、海衣はこの問いに答えられず、下唇を噛んで拳を震わせる。


521 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:37:54 sUe2Ig.c0
「ああ。そういえばあなたを守護る契約だったわね。
 返すわ。これで私たちの契約はおしまいね。私があなたを守護る理由もなくなった」

そう言って先ほど扉を開いたカードキーを海衣の足元に投げつける。

「いや、そんな無茶苦茶な……」

与田の突っ込みはもっともだが。
元より花子と海衣はカードキーの譲渡を交換条件に護衛を請け負うという契約関係だ。
もう用済みになったカードキーを返品してしまえばその契約は反故にできる。
かなりズルい理屈を突きつけながら、花子は続ける。

「どうなの? 海衣ちゃん。この先にあなたの求めていた『真実』があるわ」
「…………『真実』」

海衣が追い求めていたモノ。
どうしてそんなものを追い求めていたのか。
何のために、誰のために追い求めたのか。

「選択の時よ。悲しみに足を止めるのか。真実を追い求めるのか。――――選びなさい氷月海衣」

喉元に刃のような選択肢を突きつけられる。
付いてこいでも、連れて行くでもなく、自分で決めろと、そう言っていた。

「私は…………」

何がしたかったのか。
始まりは田宮院長に託されたことだ。
真実を明らかにしてほしいという彼の遺志を継いだからか?
違う。

「私は…………ッ!!」

腑抜けていた拳に徐々に力が入ってゆく。
彼女の残した火傷の跡に冷たい体に熱を込める。

自分たちが何故巻き込まれなければならなかったのか。
何のために親友たちは死んだのか。
その理由を知りたいと言う気持ちは確かにあるが、それは後から生まれた後付けの理由だ。
それも違う。

逃げたかった村。
好きじゃなかった村。
それでも、この村を襲った悲劇の理由を知りたかったのは、この村が自分の生まれ育った村だからだ。

生まれて、育った。
ただそれだけの下らない理由。
始まりはきっとそれだけだ。

これまで多くの物から逃げてきたのに、何故。
それを見捨ててはいけないと思ったのか。
それはきっと。

「私は、もう逃げたくない」

多くの物から逃げ出して、多く物を取りこぼしてきた自分だから。
だからこそ。

「だから――――行きますッ!」

他の誰でもない、決めたのは自分自身だ。

「そう。わかったわ」

その決断を褒めるでもなく、ただ受け入れる。
花子は海衣から視線を移すと、開いた穴へと振り返った。

「じゃあセンセ。先頭はお譲りするわ」
「えぇ!? 嫌ですよ、何で僕が!?」
「私はスーツだけど、うら若き乙女のパンツ見れるんだから、役得でしょう」
「興味ないですって!!」

いつも通りのやり取り。
努めていつも通りを行う大人の対応なのだとようやく海衣にも理解できてきた。
まあ片方はどこまで本気かわからないけれど。




522 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:39:55 sUe2Ig.c0
診療所の自動扉が開き、来訪者を迎え入れた。
来訪したのは迷彩色の防護服に身を包んだ特殊部隊の男、乃木平天が率いる4人の臨時部隊だ。
その目的は男に肩を借りて歩く背丈の低い女の治療のためなどではない。
研究所と繋がると思しき診療所の調査を行うためである。

隊の殿として最後尾を行く天からすればこの診療所は2度目の来訪だ。
標的1名を殺害し、標的1名を取り逃した因縁の場である。

診療所の床には巨大な何かが這いずったような痕跡が残さていた。
前回天が訪れた時には存在しなかったこの痕跡を、天は自らが交戦したワニが残したものであると判断している。
一度引き返し、司令部に報告に向かったのも、危険区域に足を踏み入れるという覚悟によるものだ。

痕跡を視線でたどれば、入口から奥へと向かっているのが分かった。
それを確認した特殊部隊の二人は無言のまま手信号のみで状況を確認し合うと、小田巻が前に出て天が後方から支援するように隊列を組みなおす。
事態について行けず素人二人はその後ろから見守る事しかできなかった。

銃を構えた二人は連携のとれた機敏な動作で周囲のクリアリングを行いながら床に刻まれた跡を辿って行く。
安全の確保された道筋をスヴィアとそれを支える碓氷がおっかなびっくり追って行った。

狭い廊下に差し掛かると床のみならず、壁にも何かが引きずったような跡が残されていた
それはつまり、ここを通ったのはこの廊下に収まらぬ巨大なナニカだと言う事だ。
その痕跡を追っていると言う事は、下手をすればこの先で怪物と戦う事になる。

「……匂いますね。血の匂いだ」

相当に臭いうらしい。
廊下の突き当りに差し掛かろうと言う所で、傍らの小田巻はそう言って顔をしかめた。
防護服を着ている天には感じられないが、確かに防護服の臭気センサーも反応を示している。

警戒度を高め、廊下の角に背を当てながら慎重に先の様子を窺いながら曲がる。
天の合図とともに連携を取って飛び出すと、そこには血の池が広がっていた。
それは暴食の限りを尽くしたような殺戮の跡だ。明らかに人間の仕業ではない。

凄惨な光景に怯むことなく軍人二人は痕跡の検分を始めた。
血の池には肉片が混じっており、大量のゾンビを食い散らかしたようである。
そして入り口から続く痕跡はここで途切れていた。

「どうやら、ここから外に向かっていったようですね」

これが外部から入ってきた跡だとするのならここに本人なりその死体が残っていなければおかしい。
そうではない以上、中に入ったのではなく外に向かった跡と言う事になる。
つまり、この怪物はここで生まれたか、若しくは成長したのだ。

あのワニがこの場で人肉を喰らい成長したのなら、最悪の想像が脳裏をよぎる。
だが、何にせよ、ここで生まれた怪物は外へと向かっている。
ひとまず自衛隊の特殊部隊が正体不明の巨大怪物と戦うようなB級映画な展開は避けられそうだ。

「……犯行からそれなりに時間は経っているようだ。ですが警戒を怠らずに」
「了解です」

ひとまずの検分と安全確認を終え、後方に待機させていた民間人2名を呼び込み血の池を超える。
その場に残された凄惨な光景に、スヴィアはケガにより悪くした顔色をさらに悪くして目を逸らした。
碓氷は耐性があると言うより他者の痛みに対する共感性の薄さ故か、臭いに顔を顰めた程度の反応しかしなかった。

そうこうあって、4人は病院のロビーにたどり着いた。
待合いのロビーには座り心地のよさそうなソファーが並んでおり、平時は村の老人たちの憩いの場になっていたのだろう。
天はそれらに目もくれずロビーの奥まで移動すると、壁に貼られた院内の案内図を確認する。

「それで、我々はどう動けばよろしいので?」

案内図を見ながら思案する天に、最後尾でスヴィアに肩を貸していた碓氷が尋ねる。

「そうですねぇ……念のためこちらの放送室も確認しておきたいですね。
 碓氷さんはスヴィア博士を連れて私に同行してください。小田巻さんは研究所の入り口がないか探索をお願いします」

指揮官の判断に意義は挟まれず、その判断に従い全員が行動を開始する。

「では、30分後にこのロビーで落ち合いましょう」
「了解しました」

天の言葉と同時に単独調査を命じられた小田巻が、すっと彼らの目の前から消える。
異能と相まって碓氷の目には幽霊のように消えた様にしか見えなかった。
敵に回さず良かったと、心の底からそう思う。

「それでは、私たちも行きましょう」

その動きを気にした風でもなく天が碓氷たちに声をかける。
そして案内図に従い、リハビリ病棟にある放送室へと移動を始めた。
移動を開始して程なくして、天たち3名は何事もなく放送室に辿り着いた。


523 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:42:10 sUe2Ig.c0
「これは……また」

碓氷が困惑とも呆れともつかない声をもらす。
スヴィアも言葉に出さないものの同じく困惑しているようだ。
辿り着いた放送室は、内部に入らずとも分かるくらいに壊れていた。

地震で壊れた風だった放送局と違って、明らかに外部から力任せに破壊されている。
恐らく天と診療所でかち合う前に美羽が破壊したのだろう。

獲物を追い詰める際に破壊したのか、それともしてやられたストレス発散に破壊したのか。
いずれにせよ彼女らしいと言えば彼女らしい発散の仕方だが、自重してほしかった所である。

「お二人はここで待機を。周囲の警戒をお願いします」

そう言って、天は破壊された放送室の中に入って行った。
残骸と化したスイッチを試しに入れてみるが、ハウリングしたようなノイズが流れるだけでまともな放送はでそうにない。
地面に転がるスイッチの破片も検分してみるが、そもそもこの放送室に村全体に音声を届ける様な機能はないようだ。

当然言えば騒然だが院内に向けての放送が主であり、あとはせいぜい駐車場に向けての放送する程度の物である。
最大音量で流しても1㎞に届くか届かないかだろう、村内全体に声を届けるのはどう考えても不可能である。
それ自体に落胆はない。元より放送計画の本命は研究所にあると想定される放送室だ。

「どうですか?」

部屋の外から碓氷が問いかける。

「ダメですね。見た目通り壊れてます。ここから声を届けるのは無理でしょうね」

言いながら確認するようにスイッチのオンオフを繰り返す。
だが、改善されるどころかノイズは酷くなるばかりである。
にも拘らず天は何かを確かめるように、しつこく確認を繰り返していた。
繰り返される無意味な行為に、いい加減碓氷が突っ込もうとした所で、天がすくっと立ち上がる。

「戻りましょうか」

先ほどのまでのしつこさはどこへやら。
あっさりと切り上げ、何の未練もないように放送室を後にする。
声をかけるタイミングを失った碓氷が僅かに遅れて、スヴィアと共にその後を追った。

3人はロビーにまで戻って来たが、小田巻はまだ戻っていない様だった。
まだ怪我から復調していないスヴィアをソファーに座らせ無言のまま待機する。
そうして合流時間に設定した30分になろうとかと言う所で、小田巻が音もなく現れた。

「首尾はどうでしたか?」
「それらしい扉を発見しました。しかしパスとコードが必要なようですね」
「なるほど。問題ありません、向かいましょう。案内してください」

無駄のない報告と方針決定が行われ、迅速に次の行動が開始される。
だが、その行動が開始される直前。
小田巻と天の間で小さな声で雑談のようなやり取りがあった。

「さっきの誰向けですか?」
「念のため、ですよ」
「?」

傍で聞いていた碓氷にはよくわからないやり取りを交わして一行は移動を始めた。




524 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:44:33 sUe2Ig.c0
保育園で待機していた真珠の上空にドローンが到達した。
要請していた物資が届いたようだ。4台ものドローンが真珠に向かってゆっくりと降下してくる。

4台のドローンはそれぞれが一手、一足のパーツを運んでおり。
運ばれてきたそれは、一対の鉄甲と鉄靴だった。

それぞれが片手、片足の装備を一つずつ運んでおり、
一つずつ受け取ってゆく。

防護服の上からそれを纏い、拳を打ち付けると火花が散った。
鉄板も砕き弾丸をも弾く攻防一体の装備。
格闘戦を重視する真珠にとって重火器よりも強力な兵器である。

一定の格闘技術を持たなければ使いこなせない。
敵に奪われても脅威にならない、今作戦の持ち込み規格からは外れていない装備である。
これを任務に持ち込めなかったのは防護服の上から装備するための調整には、時間が足りなかったからである。

「いい仕事だ。五十嵐」

防護服の上からでもピタリとハマる。
これで『個』としての真珠に隙がなくなった。
あとは『軍』としての強さだが。

「…………なんだ」

装備のを新たにした真珠が保育園を出た直後、耳元を抑えて周囲を見た。
特殊部隊が身に着けている防護服は完全密封されているため、周囲の音を拾うために集音機能が備わっている。
その収音機がチリチリとノイズを拾っていた。
それでも気にしなければスルーしてしまいそうな小さなノイズだ。

音源は8時方向から。位置関係から言えば診療所からだろう。
不自然に途切れるノイズがモールスであることにはすぐに気づいた。
ひとまず耳を澄ましてノイズを最後まで聞き終える。

モールス信号は受け取った。
だが、これを解読した所で無意味な文字の羅列にしかならない。
これは暗号鍵を使わないと解けない符牒だろう。

だが、暗号鍵になりえる情報を特定する所から始めるとなると、解読は時間がかかりそうだ。
そう真珠が懸念したが、その予想は外れた。
拍子抜けするほどその暗号はすぐに解けたからだ。
真珠が暗号兵としても優秀であるというのもあるが、かかっていた鍵が暗号と呼べるほどたいそうなものではなかったのである。

それは、最もシンプルな解読法で解けるシーザー暗号だ。
文字を特定数シフトするだけ。
最悪、鍵を知らずとも総当たりで解ける。
これで機密情報を伝えようというのなら相当の馬鹿か無能だろう。

実際の所、この暗号も五十音を6つシフトさせただけで簡単に解けた。
送られていた暗号を解読するとこうなる。


525 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:45:37 sUe2Ig.c0
『ホンジツハセイテンナリ』

無意味な文章である。
実際、この文章事態に意味はないのだろう。
この暗号が伝えているのは別の事実だ。

今回の作戦行動に当たり、現地で活動する隊員には便利上与えられた通し番号がある。
No1.大田原、No2.成田、No3.真珠、No4.美羽、No5.広川、No6.乃木平。
この数字自体意味はない。単純に作戦参加に選ばれた順番か何かだろう。
重要なのはこの暗号を解くカギが『6』であった事だ。

暗号鍵は『6』。発信元は診療所。
つまり、この暗号が伝えているのは乃木平が診療所いるという事実である。
その事実を特殊部隊の人間以外には伝わらない方法で伝えてきた。
この行為自体に意味がある。

これは緊急性のない救援要請だ。
つまりは、真珠と同じく特殊部隊の戦力を集める方針に舵を取っている。
他ならぬ乃木平が。

司令部の方針に逆らい、現場の独自判断で動いていると言うのはらしくない行為だ。
少なくとも真珠の知る乃木平では考えづらい行動である。

戦場初心者(ニュービー)が成長でもしたか?
それとも真珠と同じく、手痛い失敗でもして瀬戸際に至ったか。
どちらにせよ面白い。

こうなってくると乃木平との合流を目指すのは『あり』だ。
こう言う手札を切れるのであれば、乃木平の指揮下に入るのも吝かではない。
北へ向かおうとしていた足を南西の診療所へと向きなおさせる。

「それじゃあ、ま。ひとっ走りしますかね」

【E-3/草原/一日目・日中】

【黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:鉄甲鉄足、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.診療所に向かい乃木平と合流する。
2.ハヤブサⅢを殺す。
3.氷使いも殺す。
4.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています




526 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:48:33 sUe2Ig.c0
天たちが小田巻に案内されたのは、ロビーの端から繋がる狭い通路だった。
薄暗い通路を一列になって歩いてゆくと、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉の前へと辿りついた。

「ここが、そうですか」
「ええ。このフロアは一通り調べましたが、一番それらしいのはここですね」

小田巻が調査した結果、診療所内に研究所の入り口があるのならこの扉が一番可能性が高い。
扉に鍵穴はなく、その代わりに扉の横にはカードリーダー式の電子錠がついていた。
前にここを通った人間がよほどズボラなのか、それとも今回の事態に巻き込まれて慌てていたのか。
カードリーダーの横にある入力キーは蓋が開きっぱなしになっていた。

そこには電卓のように0〜9の数値ボタンが並んでいる。
上部のディスプレイを見る限り、4桁の数字を入力する必要あるようだ。
現時点ではディスプレイは消灯しており、まずはパスを認識させないと入力ができないようだ。
小田巻の報告通り、どうやらパス認証と数値認証の2重の認証が必要なようである。

天はスヴィアから徴収したL3のパスをリーダーへと通す。
するとランプが緑色に光り、数値のパネルに光がともった。

「スヴィア博士。パスワード入力をお願いします」

天は後方で碓氷に引き連れられたスヴィアへと向き直り、パスワードの入力を求める。
その役割を果たすための要員だ。

「…………そう言われてもね」
「あなたなら分かるはずだ。いや、あなたにしか分からない」

このパスはスヴィアの物だ。
そこに設定された暗証番号はスヴィアにしか分からないだろう。

「ボクにしか……」

言われて考える。
これまで、考えることを避けていたことを。
錬がどうしてこのキーをスヴィアに託したのか、その理由と共に。

必要な暗証番号が共通鍵ならお手上げだ。
そうだったらスヴィアにはどうしようもない。

通すパスごとに異なる暗証番号であるはずである。
パスを通した後に入力を求められる仕様から、そうである可能性は高い。

このパスに設定されている暗証番号は何か?
このIDパスは未名崎錬から与えられたものだ。当然、暗証番号を設定したのも錬だろう。
人伝という事もあって暗証番号は伝えられなかったのだろうが、伝えなかったという事はスヴィアなら分かる数値であるという事になる。

ならばスヴィアと錬。2人に関連する数字であるはずだ。
出会いの日? 別れの日? あるいは再開の日?

少し考えて、一つ、思いついた。
スヴィアは重々しい動作で指を動かして脳裏に浮かんだ4つの数字をパネルに入力していく。
入力完了の『Enter』を押すと、ピッという機械音と共に閉じていた鍵が廻る音が響いた。

「お疲れさまでした。開いたようですね」

その成果を確認して天が労う。
スヴィアはパスワードが通った事実に複雑な表情を浮かべながら、ふらつくように後方に下がる。
バランスを崩しかけたその体を受け止めた小田巻が興味本位で訪ねた。


527 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:50:48 sUe2Ig.c0
「暗証番号は何だったんです?」
「………………誕生日だよ。よくある話さ」

嘘ではない。
誕生日であるというのは事実である。
だが、それはスヴィアの誕生日でも、ましてや錬の誕生日でもない。
1010。四宮晶の誕生日だ。
その事実にスヴィアは複雑な思いを抱えながら、その胸中を誰にも悟られぬよう覆い隠す。

「行きましょう」

部隊の指揮官である天が出発の号令を出す。
先行を務める小田巻が扉を開き、それにスヴィアに肩を貸した碓氷が続く。
殿を務める天は、閉じる前に扉の隙間にロビーから拝借したスリッパを噛ませる。

それは救援信号に気づいた隊員が駆け付けた場合の処置である。
オートロックであろうとも閉めなければ鍵もかからない。
アナログな手法だがそれだけに有効である。

招かれざる客を招くリスクがあるが放送作戦の戦力は多い方がいい。
研究所の探索に危険がないとも限らないのだから戦力はあるに越したことはない。
ノイズの届く範囲に隊員が居るか、暗号を受け取った隊員に意図が伝わるか、隊員が招集に応じるかも分からない。
何もかもがこれまでの天では取らないであろう選択の連続だ。

狭い廊下を1列になって進み、突き当たりを曲がると程なくしてエレベータに突き当たった。
呼び出しボタンを押すと、下階からエレベータが到着する。
開いてゆく自動扉に銃口を向けながら小田巻がエレベータ内に入り、天もそれに続く。

内部に爆弾を仕掛けられた様子も、天井裏にも誰かが潜んでいる気配はない事を確認してようやく銃口を降ろす。
安全確保を終えエレベータ内を見れば、エレベータパネルにはF1、B1、B2、B3のボタンが並んでいた。
ボタンは消灯しており、下部にはパスを通すリーダーがあるようだ。

「なるほど。ここにもパスが必要なのですね」

それを確認した天はエレベータ内からいったん外に出る。
そして他の3人に待機を命じると廊下の方にまで戻って行った。

天はL3とL2の2枚のセキュリティパスを所持している。
その内1枚、上位のL3パスを手元に残して余ったL2のパスを通路の一角に忍ばせた
ぱっと見で分かるような隠し方ではないが、特殊部隊の隊員であればすぐに気づくだろう。

「お待たせしました」

準備を終え天がエレベータ前で待機している3人の元まで戻る。
何をしていたかなど聞く者はいない。
それは信頼関係ではなく意図を探らぬと言う上下関係に依るものだ。

天が戻った事により改めて全員がエレベータの内部に入る。
4人も乗ると若干手狭だが贅沢は言ってられない。
天が持っていたパスをかざすと全てのボタンが薄く点灯した。

「何階から調べて行きましょうか?」
「そうですね……上から順に調べて行きましょうか」

天の言葉に従い、小田巻がB1のボタンを押す。
自動扉が動き、四角く閉ざされた世界の扉が閉ざされた。


528 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:52:36 sUe2Ig.c0
【E-1/地下研究所・B1/1日目・日中】

【乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
4.黒木に出会えば情報を伝える。
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※診療所の周囲1kmにノイズが放送されました。
※研究所IDパス(L2)を廊下に隠しました。

【小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾0/5)、血のライフル弾(10発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、物部天国の生首
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.乃木平の指示に従う
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。

【碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:なし
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.ウイルスを解析し、VHを収束させる
2.天たちの研究所探索を手伝う
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません




529 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:53:47 sUe2Ig.c0
事態の収束を望む者。真実を求める者。
全ての始まりにして、全ての者が目指す終着点。
真実に最も近い村の地下深くの研究所にて。
誰よりも先んじて最奥に到達したる神の血を引く巫女は、異変を感じふむと片目を閉じる。

「――――風が動いたか」

空虚に向かい意味深な呟きを漏らす。
最重要施設にて美の化身たる少女の呟きは画になる光景ではあるのだが、殆どは無意味なものである。
その呟きもいつも通りの無意味なものに終わるかと思われたが、無人の室内に変化があった。

「行き止まりですけど、本当に合ってるんですかコレぇ!?」
「合ってるもなにも一本道でしょう」
「あ、そこ。与田先生の横が光ってるよ」
「出口みたいだね。与田さん、そこから動かせませんか?」

本棚の奥からワチャワチャとした声が響き、ガタガタと本棚が動いた。

「地震でズレちゃってるみたいで、動かないんですよ」
「ちょっとセンセ。しっかりして下さらないと」
「いやいや、こう言う力仕事は僕の担当じゃないですって……!」
「なら、私も手伝うよ!」
「ダメだよ珠ちゃん。狭いんだから無理に前に出たら……!」

静寂を乱す喧騒にため息を一つ零して、ツカツカと足音を立てて声のする方向へと近づいてゆく。
そして喧しい声のする本棚を、ていやーと蹴とばした。

「うわぁ!?」
「きゃっ!?」

箍が外れた様に本棚が倒れ、埃を上げる。
そして、倒れた本弾の奥から、白衣の男と小さな少女がなだれ込む様に部屋に滑り込んできた。

「何をしておる。日野の小娘」
「え、あれ? 春ちゃん? なんでこんな所に……?」

こうして、絶望の奥底で出会いがあった。
この出会いは希望となるのか。
それとも。


530 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:54:17 sUe2Ig.c0
【E-1/地下研究所・B3 分析室・資料室/1日目・日中】

【田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.研究所の調査

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵、緊急脱出口のカードキー
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.研究所の調査を行い真実を明らかにする。
2.女王感染者への対応は保留。
3.茜を殺した仇(クマカイ)を許さない
4.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)
[道具]:なし
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.研究所の探索を助ける。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。

【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:研究所IDパス(L1)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2。
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。


531 : 研究所へ ◆H3bky6/SCY :2023/10/10(火) 21:54:29 sUe2Ig.c0
投下終了です


532 : ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:46:26 Jg5cXX9U0
投下します


533 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:46:55 Jg5cXX9U0
山折村商店街の南口アーケード街。
交通の要所に店舗を構え、普段は観光客で賑わっている浅野雑貨店――その裏手には、一軒の寂れた商店がある。
店主の高齢化に伴って数年前に畳まれたこの商店は、
今では浅野雑貨店がダミー施設だと近隣にバレないよう、研究所によって土地ごと買い取られたいわゆる緩衝エリアだ。

そんなゾンビもいない商店に踏み入り、彫像のように不動を貫いている迷彩服の男がいる。
研究所が独自に保有する戦力ではなく、国家から送り込まれてきた秘密特殊部隊だ。
雑貨店から持ち出された土まみれの武器が乱雑に詰め込まれた店内で、ガーゴイルのように片膝を立てて鎮座する。

動かざること岩のごとし。
仮に何も知らない者が屋内を覗いたとして、背景と見紛うほどに動かない三樹康に気付くことはない。
視界の隅に映った迷彩柄を認知した瞬間には、その違和感は額に開けられた穴から命と共に流れ出しているだろう。
そんな傍から見ればターゲットの到来を静かに待ちわびているような佇まいだが、彼の行動は作戦待機ではなく休息だ。
だらけた姿勢ではなく、訪問者を直ちに撃ち抜ける姿勢を維持して休息を取っている。

脳への負担を最小限に抑えるため、眼を閉じ視覚より侵入する情報を完全遮断。
複雑な思考も遠ざけ、集音機から拾われる音だけで周囲を探察する。
結論として、不幸な訪問者が訪れることはなかった。
そうして、小一時間ほど経過しただろうか。

―――いるな。
側から見れば眠っていたかのような三樹康の、その目がゆっくりと開いた。
科学の粋を集めた防護服の集音機能が、空気を伝う僅かな振動を捉えたのだ。

―――獲物だ。
風の音を縫って運ばれてくる人の声と足音。
あらゆる生物がゾンビと化したこの村で、会話の声は予想以上に透る。
地震によって隆起した地面は、歩行する本人は気をつけているつもりでも、思わぬ物音を響かせる。
動くには十分な理由だ。

テロの元凶を征伐して数時間。
脳震盪によるダメージも、背中の強打によるダメージも、これしきの小休止で消えることはないが、状態は安定している。
それ以外の部分――僅かながら蓄積していた疲労に関しては解消されている。
死神がその細長い目をゆっくりと開き、新たな惨劇を求めて立ち上がる。




534 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:47:23 Jg5cXX9U0
『けーすけ、泣いてたの?』
『泣いてなんかねーやい! 目にムシが入っただけだっての!』
『さっき春ちゃんにいじめられてたのに!』
『そんなんじゃねーよ!
 おれのじーちゃんは村長だぞ! 村の親分なんだぞ!
 親分はエラくて、絶対泣かないんだ!
 いざというときにみんなを守らないとだからな!』
『もー、じゃーいいもーん。
 けーすけが泣きそうなときはねーえ、わたしがおててをぎゅっとしてあげる!』
『あ、や、やめ。恥ずかしいだろ』
『やーめなーいもーん! けーすけがみんなを守るんだよね。
 だったら、けーすけは光お姉ちゃんが守ってあげる!』
『いいよ、そんなカッコ悪いよ!』
『お姉ちゃんの言うことを聞きなさーい!
 ふふっ、ぎゅーっ!』
『やあっ……、あああ〜〜っ……』



『ねえ、圭ちゃん。圭ちゃんは本当に、本当に八柳くんがやったと思う?』
『それ以外ありえないだろ!
 証拠だって出てるし目撃者も複数いる。そうでもなけりゃ俺だって信じなかったよ。
 素直に謝るなら、――ほんの少しでも反省するなら、おじさんやおばさんに俺も一緒に頭を下げたさ!
 俺じゃない、俺は何もしてないって! なんだよそれ!』
『私は、私は……うん、そうだね。
 現実感がまるでないんだ。珠が記憶を失って、哉太くんが犯人で、それは確かなはずなのに。
 泣いて、泣いて、一生分かもしれない涙を流したら。
 なんだか、何もかもが蜃気楼のような、まぼろしだったんじゃないかって思えてるの』
『光。今のお前は傷付きすぎて、その優しいまぼろしにすがってるだけだ。
 あいつのことは忘れろ。考えるな』
『優しいまぼろし……。うん、そうなのかもしれない。
 けれど、全部蓋をしちゃっていいのかな?
 肝心の珠が、事件のことはまだ何も話していないんだし……』
『珠はそれだけ傷ついたってことだろが。
 ここであのバカに甘い顔すればどうなる?
 それこそ、閻魔のヤローと同類に成り下がるだろ。
 お前らが許しても、俺は向こうが頭下げるまで絶対許さねえ!』
『そう……そうだね。たぶんきっと、それが正しい。
 でもね、圭ちゃんだって、本当に辛かったなら、無理しなくていいんだよ?』
『無理してるだって? 俺がそうだって言うのか?』
『だって圭ちゃん、つらいときはいつも自分を奮い立たせようとするから』
『…………』
『私ね、怖いんだ。
 当たり前だったものが消えてなくなる。
 人も、景色も、思い出も、変わってく。
 でもね、それでも、変わらない物はあるよ』
『光……』
『ね、そうだ。手つなご』
『あ、ちょっと、引っ張るなって』
『ふふっ、離してあげないもん。
 ――みんなが自分の道を歩んでいったとしても、私は圭ちゃんのそばにいたい。
 何があろうとも、何がどう変わろうとも、私はずっとあなたの隣にいる。
 だから、ね……』
『だ、ダメだ光!』
『どうして?』
『そこから先は、俺から言う! 俺から言わなきゃダメだろ!』




535 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:47:42 Jg5cXX9U0
発展の波は山折村にも押し寄せ、幼い頃の記憶を置き去りにするがごとく変わっていく。
村が変われば、友との関係も変わる。
道を分かつ友が現れる。

それはかつて哉太と決別した時に思い知らされたことだ。
それでも今朝、哉太と会って圭介は確かに救われる思いがした。
またやり直せるんじゃないか。
どうしようもないくらいに決裂したと思っていたけれど、それは思い込みだったんじゃないか、と。

幼馴染の少女の死に様がチラついて離れない。
死して一つの命が終わりを迎えたとき、最も鮮烈で美しい思い出が遺された者の身に焼き付けられると聞いたことがある。
幼馴染が全員そろうことはこの先、もう二度とない。
淡い期待は、彼女の死によって粉々に打ち砕かれた。

哉太の事件のとき、圭介は食事が喉を通らないほどに憔悴した。
そのときは光が、最も辛いはずの立場にいる光が、手を取ってくれたのを覚えている。
打ち砕かれた平穏と、消えてなくなりそうだった親分としての自信を、光が修復してくれた。
今は望むべくもない。
光は本能に突き動かされるだけの、特別な、ただのゾンビ。
圭介は一人ですべてを背負わなくてはならない。

そのはずなのに。
日野光が、山折圭介の手を取る。
そのような指示はしていないはずなのに、在りし日の記憶通りに、そのしなやかな手で圭介の右掌を包み込む。

(まさか、正気を……)
取り戻したのか。
そう言おうとして、その底冷えのする冷たさに背筋が凍り付く。
光は決して正気を取り戻してはいない。
未だゾンビのままで、女王は生きている。
落胆する。そして、けれども、安心してしまった。

今正気を取り戻したとして、何を言えばいいのか。
村を襲う特殊部隊を殺してやったと胸を張ればいいのか。
自分たちの故郷が踏み躙られてしまったことを嘆き悲しめばいいのか。
―――それとも。
みかげの死を目の当たりにしてから、ゴリラ女と戦っていた時には考えずに済んでいた恐怖が再び心を蝕んでいく。
それまでよりも、より速く、より深く心を蝕んでいく。


母は無事だ。村で虐殺に勤しんでいたクソヒーローはこの手で誅することができた。
哉太もうさ公も、多少やつれてはいたが無事だった。
ゴリラ女と出会って絶体絶命の危機だったにもかかわらず、自分も光も生き延びた。
生物兵器の軍団すら返り討ちにしてやった。

もしかすると、大丈夫なんじゃないか?
親しい村のみんなは、どうにかこうにか生き延びてるんじゃないか?
そんな淡い期待は地に晒されたみかげの骸が打ち砕いた。

『だが次期村長を名乗った以上、手を汚すのを躊躇うな。でなければ上月みかげのようにまた、失うことになるぞ』
幻影の言葉が反響する。
失う。一体誰を?
先を行く碧の後ろ姿を目に入れ、咄嗟に目を逸らした。
それとも、諒吾なのか。珠なのか。哉太なのか。それとも……。

その横顔を見ることができなくなる。
目に映った瞬間に、その顔が崩れ落ちて、骨だけになってしまうのではないか?
悪夢のような幻影が思考を覆う。
けれど、そんな弱気を知ってか知らずか。
光は圭介の掌を包み込んでくる。

冷たいぬくもり。
不安を霧散してくれたはずのぬくもりが、今や恐怖の源泉になっているようで。
では光の手を振り払うのか?
(それもダメだ……!)
そうするが最後、二度とその手をとることはできなくなる気がする。
恐怖を忘れたかった。自分を奮い立たせられるものが欲しかった。

その昏い願望が届いたのか。
ゾンビとなった六紋兵衛がとある一方向に向き直る。
生物兵器の集団を見つけたときと同じ仕草だ。
浸食する恐怖を使命感と怒りで塗りつぶし、圭介は心を奮い立たせた。




536 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:47:56 Jg5cXX9U0
サバイバルナイフに斬馬刀、青龍刀に薙刀、弓矢に防刃チョッキ。
浅野雑貨店から移動させた武器は数多いが、三樹康個人にとっては相性の悪い武器が大半だ。
防具に至っては一切不要。持ち歩いても嵩張るだけ。

高火力の銃器もなかったわけではないのだが……。
―――機関銃本体があっても弾がないのは片手落ちだろ。ちゃんと隅々まで探しとけっての。

レミントンM700とて4キロ弱はある。
どこぞの国民的アニメで出てくるような四次元ポケットなど存在しない以上、使えない武器をじゃらじゃら持ち歩くのは得策ではない。

―――ま、こいつは使えるだろ。
ガラクタの山から掘り出したのはスモーク弾。
敵の視界を覆い隠すほか、味方への信号弾としても使用される武器。端的に言えば煙幕だ。
それと、一部異能への対策のための厚めのシーツも忘れない。

―――さて、ここで待ち伏せてもいいんだがね……。
天から情報を得ていなければそうしただろう。
だが、わずかな思考の後、その選択を放棄した。

酸の異能者、哀野雪菜が高い確率で混じっている。
血が転じた酸は非常に強力で、わずかな飛沫でも寝袋に大きな穴を開け、石畳や鉄すら溶かすとのこと。
さらに銃創を酸で強引に塞ぎ、出血を瞬く間に抑えるというのは乃木平天からの情報だ。
痛みにもほとんど怯まなかったのは、極限状態に追い込まれてエンドルフィンあたりが過剰に分泌されているのか、それとも異能の副産物か。

強酸というが、どれほどの強さなのか、上限は不明。
射程範囲ギリギリからの銃撃では、心臓や脳に届く前に銃弾が溶かされる可能性も考慮しなければならない。
確実に処理するなら、点や線よりも面、瓦礫などによる圧殺が望ましい。
とはいえ、ここで虎の子のウィンチェスターマグナムを消費するのは、牛刀を以って鶏を割くようなものでもある。
初撃のターゲットとしては適さない。

―――小田巻と互角にやり合うボウズもいるっつう話だ、初撃を外せば取り逃すだろうな。
そんな人物が天を追跡しているなら、最大限の警戒網を敷いていると考えて然るべき。

偶然出会った人間を分かりやすい囮として運用しているか、突発的に銃撃されても対応できるだけの対策をしているか。
手段は不明だが、出会い頭の邂逅や待ち伏せは通用しない前提で考えるべきだ。

たとえば、標的が金属鍋でもかぶっていれば、それだけでヘッドショットの成功率は半減する。
H&K SFP9で、スペック上の射程範囲外から金属を貫くのは厳しい。
対して、天から仕入れた情報によれば、相手の武器はデザートイーグル.41マグナム。
スペック上の射程も長く、防護服を貫きうる規格である。

撃ち合いは相手に分があるだろう。
レミントンから持ち替えをおこなう際の秒の空白もまた、命取りとなりうる。

―――裏から回って背後を取るとするか。
周辺で銃撃戦に移行して、万が一この武器捨て場に篭城されても面倒だ。
三樹康個人とは取り合わせの悪い武器防具も、異能との併せ技で悪用される可能性は捨てきれない。
商店街南口からアーケード街に入り、東口へ移動、背後からショットを決めることを選択。
方針が決まれば行動は素早く。
音もなく商店を脱し、作戦行動に移った。

第一目的地は今いるブロックの対角側の地点だ。
移動時間にして約一分弱。
移動距離で表せば百メートル強。
僅かな時間、僅かな距離。
けれども、新たな勢力が入り込むには十分な隙間であった。




537 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:48:15 Jg5cXX9U0
南口から最初の角を曲がり、まっすぐ進んで東出口を目指す。
予定通りにルートを進行していたそのとき、集音器が北西方向より新たな勢力の訪れを告げる。

―――なんだ? 
ざ、ざ、ざ、ざ、と鳴り響くそれは、規律に満ちた複数の跫音。
北西方向、北アーケード街のほうから向かってくるそれは、素人集団の散発的なものではなく、完全に統率されたものである。

―――どこぞの一個小隊でも突入してきたのかね?
冗談のような思考を速やかに振り払い、警戒レベルを一段引き上げる。
天はすでに研究所に向かった。
真珠は村人の利用こそ許可されているが、ターゲットの性質上、こんな堂々と商店街を闊歩することはあり得ない。
他の同僚はそもそも村人をゾロゾロと引き連れること自体があり得ないだろう。

―――複数の正常感染者が固まってんのか、疑似的に軍を作り出す異能か、ゾンビや感染者を操作する異能か。
―――蓄音機や電話機よろしく、音そのものを操作する異能って線もあるな。
存在を隠さないのはこの期に及んで警戒心が薄いのか、それともそれだけ異能と地力に自信があるのか。
後者と捉えて対処すべきであろう。

―――やむを得んね。ターゲットは変更だ。
当初のターゲットと新たな訪問者、意図せず挟み撃ちのような形になったが、そこは柔軟に捌いてこそである。
判断は迷わない。商店を背に両手で銃を構え、新たなターゲットの現れを待つ。

天井を覆うアーケードで屈折した陽光は、本来の影とは別に北から南へと地面に薄い人影を形作る。
それを目印に、角からぬっと姿を現したその影の主に、鉛弾を一発、二発と打ち込むべく、腕を伸ばし。

「……なんでアンタがここに?」

網膜に映し出された、いるはずのない同僚の姿。
横合いから確かに捉えた防護服のほつれ。
想像上の警笛が非常ベルのごとく、頭蓋に鳴り響く。

「制圧しろ、ゴリラ女!」
風雅のすぐ後ろから現れた二人のうち、少年のほうが三樹康の疑問に応答した。
山折圭介。村内の若者の中心的存在だ。
もっとも、事前によさげなターゲットを品定めしていた広川と違って、三樹康は一村人の顔や名前までわざわざ覚えはしない。
エラそうなガキを頭と瞬時に見立て、その心臓を撃ち抜くべく発砲するが……。

銃弾は圭介の心臓を貫通することなく、からんと地面に落下する。

「キャラ違ぇだろ……!」
風雅がその身を以って少年を守ったのだ。

H&K SFP9による射撃では防護服を貫けない。
特殊部隊に対する最強の防壁である。
ならばとH&K SFP9からレミントンM700への持ち替えを思案し……。
すぐにその思案をゴミ箱に叩きつけ、転がるようにその場を飛び退いた。

―――足音はもっと多かった。こいつらだけのはずがねえよな。
パシュン、パシュンという乾いた音と共に石畳を覆う砂利が跳ねる。
あのまま狙撃銃を構えていれば、発射の瞬間に銃弾が防護服に命中し、狙撃銃の銃口をずらされていた。
そして、虎の子の一発を無駄撃ちしていただろう。
射手は拳銃を構えた青髪の女。SPのごとく、堂にハマった姿勢で銃口を向けている。

―――ブルーバード……!
ハヤブサⅢのパートナーとして現地入りしているという不確定情報は耳に入れていた。
銃をメインウェポンとし、出どころ不明の怪情報ではあるが某国際諜報機関最強との異名を持つエージェント。
実のところ、三樹康はブルーバードの顔など知らないが、そういう前提で対峙すべき相手だ。

―――こんな機密情報の塊をハヤブサIIIが対処してないとは思えないが、合流してなかったのかね?
三樹康が花子との戦いの最中にホテルを倒壊させたことで、彼女は解放された。
そんな事情を三樹康は知る由もない。
商店街が狙撃手の縄張りとなったことで、以降花子も近寄ろうにも近寄れなくなったという事情を汲み取る術もないだろう。

―――で? まだ打ち止めじゃないよな。最低あと一人いるだろ。
風雅の左肩、防護服に開いていた穴を三樹康は見逃していない。
ブルーバードの銃では防護服は貫けない。


538 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:48:34 Jg5cXX9U0
「おいおいマセガキ君よ、その歳でもう女侍らせて戦力貢がせてんのかい?
 いっぱいいるんなら、一人くらい俺にも紹介してくれよ」
「ざけんなよ、村人を皆殺しに来たお前らに話すことなんざ一つもねえよ。
 それともなにか。こっちのゴリラ女が俺の恋人だっつったら、アンタはこいつを優先して狙ってくれるか?」
「そいつが恋人は無理がありすぎんだろ、お前の倍くらい生きてんだぜ? さすがに犯罪だわ。
 ま、周りのゾンビ女たちはともかくだ、お前の名前くらいは教えてくれたっていいだろ?」
「おとといきやがれっつーの!」

いつでも銃を撃てる姿勢で、けれども軽薄に敵との対話を試みる。
一方で圭介は拒否以上のなにものでもない態度ながら、会話には乗る。

こいつがみかげを殺したんじゃないのか。
そのとおりだと答えられれば、絶対に頭に血を昇らせてしまうだろう。
そんな思考のぐらつきを見透かされないように、軽口に乗って虚勢を張る。
(どちらにしろ、無事に帰すつもりはないんだ)
ならばと、この空白の時間を圭介は刺客を配するための時間稼ぎに。

そして三樹康はその刺客を敢えて誘うために。
三樹康の目には、アーケード通りの先や物陰に不審な人影は一切映らない。
風雅の後ろで視認しにくいが、圭介がほかの正常感染者と連絡を取っているような素振りも一切ない。
背後に回れるほどの時間は経っていないはずだ。

―――なら、頭上だな。
圭介の視線が三樹康からわずかに逸れた。
三樹康が先ほどまで背にしていた商店の上階から、一つの影が手にした刀を突き立てるように急降下する。
同時に、ブルーバードからの援護射撃が三樹康を襲う。
防護服は貫かない射撃とはいえ、機動力を削ぐには十分すぎる威力の射撃である。

銃弾回避の姿勢から続けざま、全身をばねのようにしならせて、地面を一転、二転、三回転。
鉛玉はぱす、ぱす、ぱすと割れた石畳にさらなるヒビをいれる。
斬撃はヒュン、ヒュン、ヒュンと空をきる。
伏兵の存在に気付いていたからこそ、敵の攻撃と自身の回避のタイミングを合わせるだけでよかったが、なかなかヒヤリとさせてくれる。
お返しとばかりに銃口を襲撃者に向け、一引き。
だが敵もさるもの。バックステップをしながら、もう一振りの刀の棟で弾丸をガード。
片手持ちの刀で弾丸を弾くなど、腕を持っていかれそうなものだが、ゾンビと化してリミッターの外れた腕力ならば問題ないらしい。

―――思ったよりも戦力が多いもんだ。
三樹康は薄ら笑いを表に出しながら、内心困惑する。
伏兵がいるとは確信していたが、それは剣士ではなく狙撃手。
風雅の防護服の穴は刀で斬り裂かれた跡ではない。
穴を開けたヤツがまだ別にいるのだ。


539 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:49:10 Jg5cXX9U0
「手荒な歓迎ありがとよ。
 お名前を教えてくれねえならお前のことはマセガキかホスト野郎って呼ぶしかないが……。
 いや、しかしまた、早々たるメンツだねこりゃ」
村王と王妃。そんな二人を守る親衛隊のように、精鋭の女ゾンビたちがずらりと並ぶ。
SSOGナンバー2の暴力装置に、諜報組織自称最強の銃使い。
まさに夢のコラボレーション。
無名の女剣士も手練れな上に、少年の武器は破格の威力、謎の狙撃手のオマケ付き。
大田原でさえ正面突破は望み薄。

「そっちの二人が顔を合わせる機会なんざ、G7のサミットくらいじゃないか?
 あとironwood、任務の二重受託は隊規違反だぞ?
 ……まっ、ゾンビになりゃ聞こえてねえか」
「そこんとこは安心しなよ、コイツだけじゃなくて、アンタもこれからその一員になるんだからさ。
 ってか、この青髪女のこと知ってんだな。やっぱ関係者だったのか」
「おいおいそいつは俺らとは関係ねえぜ。
 コードネーム:ブルーバード。国連様の下部組織の、特殊工作員さ。
 国際条約破ってるようなヤバい研究してる研究所に忍び込んで、
 事故に見せかけて研究成果をぶっ壊したりするのがお仕事だ。
 うちらと出会えば殺し合いが始まる仲だが、なんでこの村にいんのかねえ?」
三樹康の言葉に、圭介が遙をギッとにらみつける。
だが、それ以上は自制する。挑発だということくらいは分かる。

―――ま、今のでキレて駒の頭をブチ抜くようなアホじゃあないか。
いきり立って駒を一つ切り捨ててくれるなら儲けもの。
その程度の安い挑発でしかなく、焚き付けでしかない。
別にブルーバードが本当にそんな仕事をしているのかも定かではないのだ。

「うちの隊員を要人警護に使うのはそれはそれはお高いぞ?
 ブルーバードまで警備につけるとなりゃ、8ケタは固いぜ?
 戦力だけじゃなくて金もむしり取っておくかい?
 それとも、お前の保険金で代わりに支払っといてやろうか?」
「はっ、村をこれだけ荒らしてるんだ、10割補償くらい効くだろ」
「欲張りすぎだっつーの」

言葉をかわしながら、三樹康は風雅の後ろに身を姿を隠した圭介の出方を伺う。
未だ狙撃手が姿を現すことはない。さすがに剣士の不意打ちを凌いだ今で動くことはないか。
同僚も剣士も銃士も突出して飛び込んでくることはなく、にじり寄って距離を詰めてくる。


圭介がゾンビたちと共にじりじりとにじり寄る。
三樹康も相手の歩に合わせて、じりじりと後ずさる。

安易にユニットを動かせば、空けた穴から銃弾が撃ち込まれる。
安易に撃てば碧、遥、風雅からの三方袋叩き。


牽制合戦。
その打破に必要なのは、新たな変数の代入であろう。
それこそが確実にいるはずの狙撃手であり、その狙撃を成功させるために一斉に襲撃が始まる。そう三樹康は予測する。
一歩下がる。一歩進む。二歩進む。二歩下がる。三歩下がる。
圭介の注意が逸れた気配を三樹康は見逃さなかった。
横目でその方向に注意を向ければ……。

―――なんだ、ゴミ箱と自販機じゃ……。自販機……!?
その脅威度の高さに気付いた三樹康に対し、遥が威嚇射撃をおこない、牽制する。
防護服を貫かないことと、当たれば致命的な隙は免れないことは両立する事象だ。
牽制としては十分であろう。
それに乗じて風雅が手にしたものこそが自動販売機。言い換えるならば、500kgを超える巨大な鉄塊だ。
金属が擦り切れるような音を出しながら、風雅は自販機を抱えて持ち上げた。

「おいおい冗談だろ?
 ironwood、そんな装備で大丈夫か?」
「問題ねえよ! さあお前ら、あいつを捕らえろっ!」
「いやあ、自販機で殴られたら死ぬだろ!」

自販機を盾に、まさにブルドーザーのごとく風雅が迫りくる。
直撃すれば、防護服を身に着けていようがいまいが地面ごと均されてしまうだろう。

「っしゃぁねぇな!」
三樹康は手早くH&K SFP9をホルダーに仕舞って、代わりにスプレーのような缶を取り出した。
ピンを抜き、放物線を描くように放り投げる。
その軌道は風雅を飛び越え、圭介に達するものだ。

「打ち落とせ!」
圭介はそれを爆弾と認識、主の警護を最優先に命令する。
命令を受けた風雅は自販機を持ち上げて高く飛び上がり、バレーボールのスパイクのように物体を地面に叩き落した。
自販機の中のジュースやコーヒーが内部でぶつかっているのか、金属の耳障りな異音が鳴り響く。
だが命令の遂行には問題ない。
缶は無事、地面に叩き落され、破裂し。

「なんだ、毒ガス!?」
―――スモーク弾だよ。仕切り直しだ。




540 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:49:33 Jg5cXX9U0
爆発に替わって噴き出されるのは、いかにも身体に悪そうな濃い紫煙だ。
SSOGにとってはなじみ深い訓練用カラーであり、猛毒を意味するわけではないのだが、一般に出回るものでもない。
知識がなければ飛び込むのは躊躇するカラーであろう。

美羽風雅という難攻不落の要塞に守られた指揮官を撃ち抜くという難題ミッション。
出し抜くアテはあるが、そのための時間が必要だ。
稼いだ数秒で素早く弾丸を補填し、紫煙の奥に目をやれば。

紫の中から現れる赤。
すさまじいスピードを伴った巨大な物体が三樹康目がけて飛び込んでくる。

「ぉぉぉおおおっっっ!!」
当たれば当然即死は免れないそれを、すんでのところで回避。
赤の正体は風雅の持っていた自販機だ。
サイボーグの腕力にモノを言わせ、投げ槍のように一直線に投げつけてきたのだ。

自販機は地面に衝突したかと思えば一回二回とひしゃげながらバウンドしてようやく止まり、
中でアルミ缶でも潰れたのか、あるいはビンでも割れたのか、盛大な音と共に色とりどりの液体が地面に広がっていった。

「ガキの癇癪じゃねえんだぞ!? 適当な方向に投げやがって!」
数年前、自力で歩けるようになった娘がそこらのものをポイポイ投げていたのは記憶に新しい。
眉をしかめはするがかわいいものだった。
キャッチしてやさしく投げ返してやると、キャッキャと喜んだものだ。
いい歳した女が鉄塊やら巨大モニュメントをポイポイと投げてくるのはとてもかわいいものではない。
キャッチなんてできないし持ち上げるだけでも血管が切れるほどの負担がかかるだろう。

空調の室外機。定食屋の電子看板。カーネル像よろしく、山尾リンバを象ったご当地店頭人形。
自動販売機よりは小さいものの、直撃はご法度な大型の物体がぞくぞく飛んでくる。
リンバ像を目と鼻の先でかわせば、先に投げていた自動販売機に衝突してダメ押しのようにどデカい音を立てた。

「ヲヲヲオオオ……」
「グオオオォォ……」

―――ああ、狙いはそっちね……!
―――ゾンビを取りつかせて身動きを封じようってハラか!

ガシャンガシャンとでかい音を立てれば、当然ゾンビが反応して集まってくる。
今や圭介のゾンビ軍団は烏合の衆ではない。
美羽風雅にブルーバードというエース級の精鋭が所属している。
ゾンビの集団ごときに遅れを取るSSOGではないが、雑兵にまとわりつかれながらエース級を相手にするのは不味いだろう。
……ただし、準備と情報があれば対処は可能だ。

ジリリリリリリリリ!!!

集まりかけたゾンビは明後日の方向へ向かい去っていく。
三樹康は浅野雅のスマホに素早くアラームをセットし、はるか遠くへ全力投擲したのだ。
圭介から見て、ゾンビたちは遠距離かつ目視外で数も不明、そして三樹康の位置も煙の向こうとなれば、
異能の補助があってもゾンビたちを手足のように操ることはできない。
雑兵を足止めにする作戦は不発となった。
ただし、その僅か数秒だけは、三樹康の妨害を受けることはない。
煙を抜けた途端に銃撃を受ける心配はない。


541 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:49:50 Jg5cXX9U0
人道さえ無視すれば、有毒性は判別可能だ。
圭介にとって、遥は村に仇なす不審者。
使いつぶすことに躊躇はない。
遥が紫のガスの真っただ中で深呼吸をおこない、それで生命反応は奪われていない。
炭鉱のカナリアのように、ゾンビを汚染のバーターとして利用する。
追跡は可能。
風雅を先頭に紫煙を抜けて、圭介は三樹康と再び相対した。

内心、確信する。
(俺の勝ちだ……!)


環境がそろった。
その根拠こそ、特殊部隊にも通用する、不可視の弾丸という切り札だ。
今、紫煙の向こうに六紋兵衛を待機させている。

湯川邸で取り逃がしたゴリマッチョの特殊部隊は、不可視の弾丸というギミックに気付いたがために、狙撃にしくじった。
そこで初見殺しを徹底するために、六紋兵衛だけは場に出さずにいたが、しかし配備する場所も銃撃のタイミングも決めかねていた。
相手側から煙幕という非常に都合のいい環境を作り上げてくれたのだ。
利用しない手はないだろう。

いかに特殊部隊といえども、情報がなければ回避は不可能。
それは、手駒にしたゴリラ女が物語っていることだ。
噴き出しそうになる汗を抑え、瞬きも忘れて虹彩を絞る。


これは村の王からの勅命だ。
侵略者どもよ、その身をすべて山折に捧げよ。
そのような勅命を乗せた弾丸が兵から侵略者へと放たれ。

「よう、そこにいたのかい……!」
「……バカな!」
成田三樹康は不可視を回避した。


542 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:50:15 Jg5cXX9U0
銃声とともに煙がわずかにゆらぐ、それが銃弾の通り道。
風に覆い隠されようとも、そのゆらぎの跡は忘れない。
未だ先の見えない煙の向こうへ、三樹康は込められた銃弾すべてを惜しまずに撃ち込んだ。

どさりと鈍い音がした。
大きく、柔らかくて重いものが地面へと崩れ落ちた。
同時に、金属製の比較的軽い何かが地面に落ち、アーケード街の通りにからんからんと小気味いい音を響かせる。
未だ煙の向こうは不可視のエリア、だが圭介は必殺の切り札を失ったことを自覚する。

切り札とは成功させてしかるべきだ。
成功させることで、兵士は勢いに乗り、自軍の士気は最高潮に達する。
逆にしくじれば、士気は急落する。

奇襲を受けた兵たちが浮足立つかのように、ゾンビ兵たちは硬直してしまった。
実際にゾンビ兵が浮足立ったわけではない。
端的に言えば、圭介が次の手を打てていないのだ。
圭介自身が思考の狭間に陥ってしまったから。
思考を立て直すのに時間を要したから。
戦力上はいまだ圭介有利な盤面であるにも関わらず、とっさに次の手を打てない。
素人指揮官の弱点である。


「殺気を読めば、あれくらいかわすのはワケないんだぜ?」
―――まっ、半分くらいはウソだけどな。

圭介にプレッシャーをプレゼントする。
あくまでプレッシャーであり、半分くらいはハッタリだ。
三樹康は残念ながら、死角から放たれた銃弾を殺気だけで捉える才覚を持ち合わせていない。
それができる人間がいないとは思わないが、そんなのは一握りの天才か人類の突然変異種のようなものであろう。

だが、SSOGは一つの部隊である。
命の分け目を属人的な個人技能に依存させるのはよろしくない。
命を扱う組織である以上、言葉にできない直感を言語化・収集し、才なき者にも扱えるように訓練に取り入れ、死亡率を減らす試みは当然おこなう。
殺気を読むとは、敵の仕草を洞察力を駆使して分析し、敵が仕掛けてくるタイミングを効果的に測る技術。
五感を超えた第六感として突如湧いてくるものではなく、シミュレーションと実践訓練の末に再現可能な技術だ。

逆手に取ってくる玄人は当然ながら存在する。
たとえばハヤブサIII。
三樹康の眼を自身に釘付けにする理由を用意し、これを囮に罠への誘導と野生児の奇襲を成功させた。

だが、山折圭介は経験豊富なエージェントではない。今日戦場に出た、ただの村人だ。
風雅という巨大戦力を自身の守りに使う時点で実戦慣れしていない。
素人が、特殊部隊のサイボーグという強力な戦力を得てしまえば、慢心が生まれないはずがない。
何より、美羽風雅が敗れているという時点で山折圭介の一挙一動を注視しない理由がない。

要するに、不可視の弾丸は、真の撃ち手である山折圭介を注視すれば気付ける。
山折圭介が自らの意志を以って弾丸を撃たせたとき、それは不可視ではなくなるレトリック。


543 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:51:03 Jg5cXX9U0
―――さて、尻込みするか、やぶれかぶれで向かってくるか……。
敵が浮足立ったその空白の時間を使い、マガジンに素早く全弾リロード。
ようやく圭介の中に危機感が首をもたげてきたか。

「全力で潰せ!」
自身もダネルMGLを構え、三樹康を手駒にする方針から全力で排除する方針に転換。

「おお、怖え怖え」
三樹康は踵を返して走り去る。
踵を返してとは言っても、ほぼ身体は圭介たちの方を向けたバック走のような走り方だ。
追うべきか追わざるべきか、圭介に判断の迷いが生じるが……。
獲物を諦めていない、ねっとりとした視線をマスクの向こうに見て、全身の毛が逆立つ。

「逃がすな、絶対に逃がすな!」
逡巡は5秒。
仮に見失えば、三樹康は圭介を必ず付け狙う。
暗闇の中で獲物を付け狙う蛇のような、不可視の暗殺者となる。
不可視の弾丸で狙う側が、狙われる側に落ちるのだ。
絶対に逃がしてはならない。


すでに三樹康は東出口を抜けている。
アーケード街を東に抜けた先は、狭い路地の入り組んだ古民家群。
路地裏に逃げられる前に、美羽風雅の膂力で葬るか、身動きを封じてダネルMGLの一撃で吹き飛ばすべきだ。
風雅に全速力で三樹康を追う勅命を下した。

風雅が速度をトップスピードへと引き上げるために大きく踏み込む。
自身の身を疾風と化し、人ではなく小型車のようなプレッシャーを以って距離を詰めるのだ。
その爆発的な脚力で地を蹴ったその瞬間。何かが壊れる音がした。

「……は?」

思わず声を漏らしてしまったのは仕方のないことだろう。
自分を守る鉄壁の盾。最強の特殊部隊ゾンビが小石にでもつまずいたかのように突如崩れ落ちたのだから。

村に仇なす者たちを元より使いつぶすつもりで乱雑に扱っていた。休ませるという発想がなかった。
ゾンビの肉体的な負担は異能で感じ取れても、機械の仕様は想定の領域外だ。
超人的な出力の反動として、定期的にメンテナンスと排熱をおこなわなければ、システムダウンするということなど知る由もなかった。


「こんな田舎村じゃ実感ないかもしれねえが、外じゃ働き方改革ってのが提唱されてんだよ。
 ちゃんと休み取らせないと、肝心なところでガタが来るんだってよ。
 自販機なんて装備して大丈夫かって言ってやったろ?」
前向きで後ろに逃げていたはずの三樹康は、いつの間にか片膝をつけて狙撃の構えへと移行していた。
行動が速い、まるでこうなることが分かっていたかのように。

ほかのゾンビに命令を出すより、ダネルMGLの引き金を引くより、三樹康の指が引かれるほうが早い。
温存していた一発だが、その使い時はあやまたない。
流れるような一連の所作に一切のムダはなく、圭介のアクションは間に合わず。
轟音と共に射出され、高速回転しながら空気を引き裂き突き進む弾丸は、
美羽風雅のコアをたやすく貫通し、その中心に二度と塞がらぬ穴を開けた。
サイボーグの巨体がどさりと崩れ落ちる。

「いやあ、こんなレアモノ、撃ち抜ける機会なんざはないぜ。スコア5000点クラスだな」
愉悦に満ちた声だった。喜色しかなかった。

「悪いが、自己防衛の範疇、ってことで許してくれよ?
 ま、もう聞こえてねえわな。あ〜、幹部候補殿には……あとで謝っときゃいいか」
仮にも部隊の仲間のはず。
なのにそこに一切の惜別の言葉がない。

圭介を守る盾が一つ失われた。
それだけでも激震が走るが、厄はそこで終わらない。
隣にいた光までぐらりと膝をついた。

サイボーグを防護服ごと貫通した弾丸は、安全地帯であったはずの真後ろにまで到達する。
勢いを落としながらも空間を穿ち、その先にいた光の肩を突き破っていた。


544 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:51:31 Jg5cXX9U0
「な……何だよこれ……」
「なんだよって、ニチアサ見ないのかい?
 群れて出てきた再生怪人が弱体化してるのはお約束だろが」
三樹康は難易度の高い二枚ぶち抜きを成功させてご満悦だ。
そういうことじゃない、という反論の言葉は出ず。
一瞬で起こされた惨状を前にただ呆然と呟く圭介。
「ああ悪い、隣のコのほうことを言ってんのな。
 まあ俺らは公務員だ。賠償は生き残ってから国に請求してくれよ。
 嬢一人分呼んだくらいのカネなら余裕でむしり取れるだろ。
 次はもっとかわいい子を呼べばいいって」
「……あ?」
「ああ、悪い悪い、ちょっと声色が浮かれてたわ。でも仕方ないだろ?
 弾一発で的一つに当てるより、的二つに当てられるほうが気持ちいいんだから、そこは勘弁してくれよ」

圭介の思考が沸騰した。
「うおおおおおおっっッッ!」
手にしたダネルMGLの引き金を引く。
グレネード弾が発射され、着弾点に破壊をまき散らすが……。

「怪我した素人が、ロクに狙いも付けずに撃ったもんがそうそう当たるもんかよ」
三樹康よりもはるか手前に榴弾は着弾。それも方向自体がずれている。
ただ土煙がもうもうと上がっただけだ。

―――にしても、青いねえ。
この局地戦において、風雅の真後ろという一番安全な場所を割り当てた時点で、圭介との関係性などとうに推測している。
連鎖や二重命中のほうが実際に気持ちいいのはそうだが、普通はわざわざ言ったりはしない。
圭介の腰が引けて、逃げ一辺倒になられると面倒なのだ。
それに戦力面で言えばまだ圭介のほうが上だという事情もある。

チンピラや反社そのもののような安い挑発だった自覚はあるが、圭介が乗ってくる勝算もそれなりにあった。
三樹康とて、妻の香菜や娘の三香を淫売呼ばわりされた挙句、ゲーム感覚で撃ちましたと言われればキレる。
ここでキレなければ彼氏の資格はないだろう。

鉄壁の盾を失って、感情のままにその身をさらけ出した、隙だらけのターゲット。
弾の切れた狙撃銃からはとっくに持ち替え済みだ。
「後でちゃんとナイフをプレゼントしといてやるから、安心して逝っとけ」
「――――!!」
続けざまに発射された弾丸は圭介の額に吸い込まれるように突き進み。

引き金を引くミリ秒前に横合いから突き出された刀によって打ち払われた。
圭介への追撃は、遥の手にある銃口の向きを目視し、取りやめた。


545 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:53:06 Jg5cXX9U0
「〜〜〜♪」
三樹康がそのファインプレーに口笛を吹く。
銃弾弾きは厄介だが、それだけで浮足立つこともない。

なにせ、日本で最も銃弾を斬り捨てられたことがあるのは成田三樹康その人である。
普段の訓練相手は大田原源一郎やオオサキ=ヴァン=ユンといった上澄みも上澄み。
何百発の訓練用ゴム弾を斬り捨てられたことか。

銃弾弾きの極意は人間離れした動体視力でも銃弾よりも速く動ける超人的な身体能力でもない。
銃口の向きから照準を割り出せる演算力と、引き金を引く瞬間を見極める洞察力である。
一瞬のうちにおこなわれるバントがその正体であり、プロテニスプレイヤーやメジャーリーガーならば再現可能な技術だ。
なお、薩摩クラスのエイムであれば、大田原クラスの達人であっても照準を割り出すのは困難であるため、素人相手に披露するのは非常に危険な技術でもある。
一定レベルの射手だからこそ通用する技だ。
原理が分かっているなら過度に恐れる必要はない。


「助かった、碧!」
「ところでお前、実は正常感染者だってことはないよな?」
三樹康がそう疑うのも無理はない。
碧の動きのすべてが圭介の指示とは思えないほどに、動きに柔軟性がある。
生前という言い方は正確には誤りだが、圭介の異能がこなれればこなれるほど、そして元の関係が深ければ深いほど。
その動きは生前の動きに近くなるのか、あるいは圭介の感情をうまく解釈して動いてくれるのか、動きがよくなる傾向がある。
だが三樹康の言葉には圭介は耳を貸さない、答える必要もない。
圭介は、碧は、即座に追撃の構えに移行する。


ナイフで日本刀とやり合う覚悟は三樹康にはない。
やれと言われればやるが、この装備で自ら日本刀相手にインファイトをおこなうのは、村に送り込まれたメンバーの中では大田原くらいだろう。
日本刀の先っぽでも防護服にかすればそれでアウトな以上、達人クラス相手に超接近戦は避けたい。

「畳みかけろっ!」
圭介の指示のもと、浅葱碧が二刀を構えて三樹康に迫る。
遥は光の前で人間の盾となりながら、遠距離から三樹康を狙う。
正面からの銃弾は打ち払い、刀をかわそうと左右にブレればそこを銃撃が狙い撃つ布陣である。

個の強さでは美羽風雅が頭一つ抜けているが、技ならば碧が随一だ。
同じ道場に通い、同じ流派を学び、そしてその剣術を何度も見せてもらったこともある。
圭介は碧ができることを知っている。

三樹康に俊足で迫るその走法は、縮地法と呼ばれるものだ。
ゾンビと化したことでそのリミッターは外れ、ロードバイク並みの速度を維持することが可能となる。
並みの狙撃手ならばその速さに対応しきれず、鎧袖一触。瞬く間に首を飛ばされているだろう。

だが、三樹康は並みではない。超一流の狙撃手だ。

銃撃一発。
ただそれだけで、ギィィィンと鼓膜を鋭く刺すような響音があたりを震わせ、碧の速度がMAXからゼロへとリセットされる。

縮地術は前傾姿勢からの踏み込み技術。
初速をMAXにして、敵が己を認識する前に距離を詰める技術だ。
だが、宙を浮いて移動しているわけではない。頭や心臓は身体のブレで上下左右にそらすことはできても、軸足だけは即座には動かせない。
そこを狙い撃てば踏み込みは崩れる。
弾かれようが避けられようが、速度を殺すことは難しくない。


546 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:53:37 Jg5cXX9U0
「くそ、まだだ!」

敵が銃持ちならば、対抗の技術が八柳流にはある。
激突するかのような勢いで古民家群のブロック塀に向かって突き進んだ碧は、
その脚力でブロック塀を蹴り付け、宙へと踊り出る。

「おいおい、俺は一発芸大会の会場にでも迷い込んじまったのかよ?」
地面の隆起や地割れをものともせず、ブロック壁を蹴るたびに速度を上げていく碧。
走者本人が二次元から三次元へと変幻自在の軌道を取ることで、被弾を限りなくゼロに近づける狙撃手殺しの技。

「ハハッ、生きがいいねえ。こりゃあ狩りがいがあるってもんだ」
明確な脅威を前に三樹康は嗤う。
それは銃という武器への絶対の信頼だ。
人間が銃弾より早く動くなど、生命の造りとして不可能だ。
ゾンビと化して肉体のリミッターが外れたところで、決して覆らない、絶対の真理である。

「二発だな」
八柳流が誇る銃兵への特攻奥義。
それを撃ち破るのに必要な弾丸の数を三樹康は試算し、宣言し。

そして二発の銃声が響いた直後、碧は競技に失敗したかのようにぼとりと地面に落ちていた。
二発目の銃弾を弾いた刀の一本がすっぽ抜け、おかしな姿勢で落ちたせいで腕の一本が曲がっている。
銃兵に対策するために編み出された技を、三樹康は宣言通り二発で容易く撃ち破った。
圭介の全身からぶわっと汗が噴き出した。

本体を直接狙おうとすればするほど、変幻自在に飛び回る術者に翻弄される。それが猿八艘の意図する絡繰りだ。
だが、人間は空中で方向を変えられるようにできてはいない。
そしてこの手の曲技は精密無比なバランスの上に成り立つものだ。
次に踏み込む位置は分かっているのだから、本体の派手な動きは一切無視して、着地に合わせて銃弾をぶち込めばいい。
足を撃ち抜かれるか姿勢を崩すかの二択を強制的に突き付ける。
それだけで、中空の舞いは打ち止めとなる。

さらなるスピードと勘を備えて縦横無尽に飛び回るクマカイには及ばない。
実際に戦場を渡り歩き、さらに洗練された動きで迫りくるオオサキにも及ばない。
木更津組をはじめとした村の歪みたちには効果覿面であれども、絡繰りが割れれば対処可能な初見殺し。故に一発芸。


547 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:56:17 Jg5cXX9U0
碧の手からすっぽ抜けた日本刀は、たまたま民家の庭でゾンビとなって白目を剥いていたアナグマに突き刺さり、血飛沫を散らしている。
そして碧自身は着地に失敗し、最初に地面に接した右腕からは乾いた音が鳴り響く。

「あーあ、かわいそうに。無垢な動物を巻き込んじまった」
心の奥底で二連鎖成功の華やかなチェイン音を鳴り響かせながら、心にもない哀れみを述べる。
まだ碧と三樹康の間に距離はある。健常であっても詰められる距離ではない。

遥の援護もいつの間にか飛んでこなくなっている。
なぜと関心を移せば、カチカチとむなしく空の銃のトリガを引いていた。

銃撃回数を三樹康は数えていたが、圭介は数えていなかった。
自分が手にしていない銃の残り弾数だ。
指揮の初心者がそこまで気をまわせるはずもない。
目の前の対処に手いっぱいで、兵衛が銃撃されてからは、頭の中からすっぽ抜けた。肝心な場面で弾倉が尽きていた。
どれだけ強力な軍団を編成しても、この軍団は個人の思惑を超えることはない。
自分の思う通りに動かせる部隊というのは、すべて圭介が責任を負い、勝敗は圭介に帰結する部隊である。
それを指摘してくれる同行者も、指南してくれる経験者も、導いてくれる大人も、圭介にはいない。

あるいは碧を巻き込むことを厭わずにダネルMGLの狙いを付けていれば、消耗はもう少し少なかったかもしれない。
もっと根本的な戦略ミスを詰めるならば、銃火器に熟達している遥にダネルMGLを持たせて撃たせていれば、碧ごと三樹康を巻き込む目もあっただろう。

一騎当千の強力な駒を手に入れたことによる慢心。
知己を巻き込む覚悟の欠如。
顔なじみを使いつぶすことへの恐怖。
遥への不信感。
遥に知己を巻き込ませる指示を出すことへの生理的な嫌悪。
すべてを総合した結果の圭介の判断ミスであり、
そして身内への情の厚さを見抜いて小さな判断ミスを誘発させ続けた三樹康の着眼。


視線が黒い銃口に吸い込まれる。
捕食者の眼が圭介を射抜く。
(くそ、こんなところで死ぬのか?)

俎上の鯉。袋の鼠。
感覚が鈍い。時が止まったように動けない。
(まだ、何も為してないのに。光を取り戻してないのに……!)

マスクの向こうに愉悦に満ちた目が映る。
何もしなければ、このまま額と心臓を撃ち抜かれて死ぬだろう。
(ダメだ、死ねない、死にたくない……!
 このまま死んだら、俺はなんのために……!)

脳に負荷をかけ、ウイルスの影響を強めることで異能はより強くなる。
死の危険、強い感情、著しい興奮、事態の理解。
正負いずれがきっかけであれども、ウイルスが活性化すれば異能は徐々に開花する。

範囲、精度、そして再現度。
圭介の異能はゾンビを操り従える能力だ。
ゾンビの数が減るほど精度は高くなり、一体に限れば人間の真似事をさせることすら可能になる。

村王の命令は絶対だ。
誰だろうと、その命令には逆らえない。
村王は死にたくないと仰せだ。
すべての村民はその命令に従って、村王を守らなければならない。




548 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:57:44 Jg5cXX9U0
「ぁん?」
幾度となく聞いた、火花散る音が響き渡る。
その結末を目にして、三樹康がわずかに声を漏らした。

「……ったく、往生際が悪いもんだ。
 素直に死んどいたほうが楽だったんじゃないのかねえ?
 ま、俺に言わせりゃ愛しの彼女を戦場に連れ回してる時点で手遅れだけどな」
事故、人質、誤射、機動力の低下、危険人物との遭遇の増加。
その他もろもろのリスクを増加させてまで恋人のゾンビを同行させるのは、それを上回るリターンがあるからにほかならない。
安心感か、不安の払拭か、使命感か、それは分からないが。
決して、彼女の安全安心を主眼に置いた行動ではない。
仮に香菜や三香がゾンビになり、自身が圭介と同じ異能を得たとして、三樹康は絶対に妻子と連れ立って歩くことはない。

三樹康は指輪こそはめているが、入籍はおこなっていない。
戸籍上は妻とも娘とも他人である。
SSOGである三樹康の存在そのものが、愛する妻子の最大のリスクだからだ。
SSOGの敵は、SSOGの名を聞いて手出しを控えるような生ぬるい相手ではない。

圭介の場合も同じ。
圭介の存在そのものが彼女らの最大のリスクであった。
あるいは彼女に母親のような役割でも求めていたのか。
いずれにせよ、何もかも、もう手遅れだ。


結論として、山折圭介には銃弾が当たらなかった。
そして山折圭介はブルーバードに抱えられたまま、無様に逃げ出したのだ。
エージェントとしての肉体に疲労を感じないゾンビの体質であれば、若者一人抱えて走り去ることは可能である。
死屍累々の現場を後に、曲がり角の先へと圭介とブルーバードは消えていった。

追うことは難しくないだろう。
たとえゾンビとなって感覚を失っても、人ひとり抱えて走るのと数キロの武器を抱えて走るのとでは身体にかかる負担が違う。

「まわりのやつに合流されたら面倒だが……しゃあねえなあ。
 と、その前に」
「う、う、うぁぁああ……」
「アンタ本当にゾンビだったのかい。
 悪いが、今は時間が惜しくてな。ナイフよりはこっちのが早いんで」
風雅の銃も回収できる。どうせたいして使っていないだろう。
運命の果てを嘆き悲しむような声に一切の憐憫を抱かず。
この場で唯一息のあった赤髪の少女に銃口を向けて。




549 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:57:58 Jg5cXX9U0
「えっ……」

二つの衝撃が圭介の身を伝っていった。
自分の身が押し出されたような衝撃に、地面に激突する衝撃の二つ。
圭介の急所を銃弾が貫通することはなかった。
圭介が命を散らすことはなかった。

死にたくないという本能に基づく強い感情と、より精密さを増した異能が合わさって。
王の命令のとおりに、ゾンビが身を呈して圭介の身を守った。


生気のない目。光のない目。
けれども此度の行動だけは本来の日野光と一切の相違はない。
村の仲間たちを守ろうとする親分が圭介である。
そして光は、彼が弱音を吐いた時、彼を優しく守るのだ。
ガキ大将、親分、村長。
一介の勢力の頂点に立つ孤独を理解し、支えきり、身を呈して守るのが彼女の誓い。
ゾンビであっても、人間であっても、そこは変わらなかった。
それゆえの結果。


頭と胸。
上月みかげとまったく同じ場所に、山折村の王妃は2輪の赤い花を咲かせた。
圭介の手を光が取ることは、もう、ない。
その目に光が戻ることも、もう、ない。


日野光の命が断たれたことで、半ば無意識に出した命令は最も近くにいるゾンビ、遥が引き継いだ。
圭介は目の前の光景を信じられず、一度出した命令が撤回されることもなく。
みかげのように別れの言葉を告げることすら許されず、力無く倒れ伏した光の身体はどんどんと遠く小さくなっていく。



人形のようにぱくぱくと口を開閉し、何も考えられない。
何も起こらなければ、遥に抱えられたまま、何も考えられないままに遠ざかっていたのだろうが。
幸か不幸か、そこにさらなる契機が訪れる。


それは断末魔。
三人目の顔なじみの死を意味する死神の足音。
浅葱碧の頭に黒い鉛弾が撃ち込まれ、三つ目の花が咲きほこった音である。

圭介の思考は、真っ黒に塗りつぶされた。


550 : 血塗られた道の最果て ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:58:10 Jg5cXX9U0
※E-5 六紋兵衛の近くにライフル銃(残弾1/5)が転がっています。
※E-6 浅葱碧の近くに打刀×2、木刀が転がっています。

【E-5・F-6境界部付近/古民家群/一日目・日中】

【成田 三樹康】
[状態]:軽い脳震盪、背中にダメージ
[道具]:防護服、拳銃2丁(H&K SFP9)、サバイバルナイフ2丁、双眼鏡、レミントンM700
[方針]
基本.女王感染者の抹殺。その過程で“狩り”を楽しむ。
1.山折圭介とブルーバードを追って殺害する。
2.「酸を使う感染者(哀野雪菜)」を警戒。
3.ハヤブサⅢを排除したい。
4.「氷使いの感染者(氷月海衣)」に興味。
5.都合がつけば乃木平天の集敵策に乗る
6.小田巻真理が指定の場所に現れれば狩る
[備考]
※乃木平天と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定しています。


【E-5〜F-6のいずれか/古民家群西部付近 or 商店街東口付近/一日目・日中】
※どの方向に逃げたのかは後続の書き手様にお任せします

【山折 圭介】
[状態]:鼻骨骨折(処置済み)、右手の甲骨折(処置済み)、全身にダメージ(中)、放心
[道具]:懐中電灯、ダネルMGL(3/6)+予備弾5発、サバイバルナイフ、上月みかげのお守り
[方針]
基本.VHを解決して……?
1.???
2.???
3.???
[備考]
※異能によって操った青葉遥(ゾンビ)を引き連れています。
※青葉遥(ゾンビ)は銃火器などを所持しています。銃の種類及び他の所有物については後続の書き手様にお任せします。
※学校には日野珠と湯川諒吾のゾンビがいると思い込んでいます。


551 : ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 20:58:26 Jg5cXX9U0
投下終了です


552 : ◆m6cv8cymIY :2023/10/21(土) 23:20:07 Jg5cXX9U0
すみません、彼女は村内活動中部隊員にあたるので、以下を追記しておきます
【美羽 風雅 死亡】


553 : ◆H3bky6/SCY :2023/10/22(日) 01:44:42 mWZJpfjE0
投下乙です

>血塗られた道の最果て

特殊部隊キラーだった圭ちゃんもついに敗北したかぁ
圭介のゾンビ軍団を軽口をたたきながらたった一人で壊滅させた成田が強すぎるっ!
何より仲間であった美羽も躊躇いなく喜々として撃ち抜く成田の人間性が恐ろしい、特殊部隊の中でも異質な残酷さを持っているよね

圭介軍団は精鋭揃いの豪華部隊だったけど
駒が良くとも打ち手が素人ではその強みを生かしきれないのも仕方ないか
一つの意思で動く一枚岩は強みだけどもそれが最大の弱みでもある

美羽は相変わらず無茶苦茶な性能をしておる
しかしオーバーヒートすると言うサイボーグの弱点
美羽に限った話ではなく、他者のコンディションが分からないと言うのは圭介の異能の弱点よね

ついに下手な参加者より出番の在ったゾンビ、光が退場
間違いなく圭介の方針に大きな影響を与える出来事だが、最愛の人を喪い圭介がどうするのか
唯一残った遥ゾンビとどうしていくのか気になる所


554 : ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:22:23 7ZAkDRhA0
投下します


555 : ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:25:37 7ZAkDRhA0
厄災の檻が開かれ、不浄が解き放たれた。
女は知る。それは救済。
女は知る。それは奇跡の顕現。
女は知る。それは新生。
―――そして、おわりがはじまる。



死臭が漂う廃墟の中、強面の大男が匍匐前進で物陰を目指して這いずる。
腹這いになり、手足をくねらせながら巨体を動かす有様は野鳥がら逃れるために逃げ惑う芋虫そのものであった。

「…………ッ」

ギリリと奥歯を噛み締めると砕かれた顎に激痛が走る。
『最強』という誇りを自らの失態で穢した怒りと異能の発露による飢餓が大田原源一郎の胸中で渦巻く。
本来の大田原であれば任務中にここまで己の感情を発露させることはない。『機械』と揶揄されるほどの冷たい鉄の理性で思考を制御し、行動する筈だった。

(いかんな。普段より感情が行動に現れている。あの怪物がウイルスに適合させるため俺の脳に干渉したからか)

薄暗い小路に身を隠し、コンクリート塀に背もたれて自身のコンディションを改めて確認する。
大田原の認識は正しい。独眼熊(かいぶつ)は異能を目覚めさせるために彼の脳を傷つかぬよう丁寧に刺激を与えたつもりであった。
独眼熊が弄った場所は感情を制御する右脳。特に前頭前野に無意味な刺激を与えていたため、感情のコントロールが普段より難しくなっている。

余談ではあるが、独眼熊が脳へと刺激を与えたことと大田原が異能に目覚めたことはイコールではない。
その事実を独眼熊と大田原の両者が知ることはなかった。

石壁に背を預けて深く息を吐く。己の奥底から湧き上がる飢餓感を理性という蓋で閉じて肉体の再生を待つ。
数十分間、微動だにせずに待機していたためか破裂した臓腑はおおむね再生し、全身の神経もほぼ完全に繋がった。
座り込んだ姿勢のままで両手の掌握運動を行う。痛みは伴うが座ったままの姿勢ならば射撃は可能と判断。

(瀕死の状態から僅か一時間弱でここまで回復するとは。デメリットはあるがこの異能を駆使しなければあの怪物を駆除できないだろう)

大田原が目覚めた異能は『餓鬼』。人智を超えた驚異的な再生能力と今の彼は知る由もないが身体能力を上昇させる副次効果を得ることができる。
代償は永劫に続く人肉のみを求める飢餓感。ヒトの尊厳を踏みにじるデメリットをヒトのままでいるために大田原は踏み倒し、メリットだけを享受した。
現在は小康を保っているがいつ均衡が崩れるのか彼自身にも分からない。故に大田原は最悪の事態へと陥った時のために支援物資を要求した。
支援物資の到着と肉体の完全再生を待つ。それが今の大田原が打てる最善手である。
現状の確認を終え、大田原は乱れた精神を落ち着けるために大きく深呼吸をした直後。

何かを引き摺る音と丸太を叩きつけたような地鳴りが響く。

奴が来る。精神論では片づけられない脳のダメージが秩序装置にバグを起こし、鉄の如き冷たき理性に熱が入る。
罅割れた脳が無意識のうちに異能を発動させる。全身にじわりと熱が入り、食欲と共に回復が促進された。
足音がこちらに近づく。身を隠す傍らで回収した銃を確認し、それに手をかけようとした瞬間。

隠れ潜んだ小路の隙間から怪物の姿が見えた。

怪物は全身のあらゆるところを食い千切られたスーツ姿の老人――大田原が山折圭介の追跡中に検分した死骸――の腕に喰らいついて引き摺っている。
支援物資が届いていない以上、奴が分身か本体かの判別は不可能。そして、現在スペックでの戦闘は本体どころか分身でも敵わず、自殺行為と同義。
ダメージを受けた脳から湧き出す感情を理性で押さえ、息を殺して怪物が通り過ぎるのを待つ。


556 : ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:27:27 7ZAkDRhA0
足音が通り過ぎたタイミングで大田原の頭上から物資を吊り下げられた三台のドローンが舞い降りた。
ワイヤーで括り付けてあったプラスチックの箱が負傷した大田原の丁度手元に置かれた後、羽音を立てながらドローンは再び上空へと戻る。
骨折にまで回復した手でプラスチックケースを開き、申請した物資を確認を始めた。
一つ目はスカイスカウターと呼ばれるゴーグル型のディスプレイが搭載された赤外線カメラ。分身を生み出す独眼熊の本体を炙り出すための装備。
二つ目は首に装着するタイプのプラスチック爆弾。自身が目覚めた異能の危険性を理解している故、最悪のパターンに備えての自決用の爆弾。
三つ目は追加で申請したもの。独眼熊の体当たりを受け、弾き飛ばされてしまった後の戦闘にて奴の特性をふまえた上で判断した。
ナイフで見掛け倒しだと判断していた鱗に一撃を与えた時、刃が弾かれて強烈なカウンターを食らった。
異能の特性か、その事実から銃撃だけが有効手段だと考察し、万が一味方への誤射が起きても影響がないように今作戦の基本装備の拳銃と予備弾倉を申請。
怪物の強さを考えれば銃弾の予備を気にしていては二の足を踏む。他隊員と連携が望めない以上、己が確実に葬り去らなければならない。
その決意の元、激痛と空腹を堪えて新たに支給された装備を身に着ける。

怪物の足音が遠くなり、大田原は小路から這い出る。既に銃の射程圏から怪物は脱出していた。
スカイスカウターのスイッチを入れ、遠くなった後ろ姿を視界に入れる。
地面に巨大な足跡と人体を引き摺った跡を残すその背中は青々と染まっていた。



山折村の最北。とある場所で厄災の扉が開かれた。
墓荒らしは扉の先を進み、禁忌を暴く。
忌むべき歴史が紐解かれ、一人の村人が根源を知った。
ヒトの認知こそ、ヒトの業こそ、『それ』を呼び覚ます鍵となる。
―――ヒトはそれを■■と呼ぶ。



「―――ね上、姉上。■■、只今参りました」
「―――ね様、お食事とお召し物を持ってまいりました」

雹が吹雪く極寒の洞穴にて。
声に幼さを残す少年と少女の声が狭い空間に反響し、腫れぼった瞼を開いた。
寝返りを打って声のする方へ視線を向ける。木漏れ日のように降り注ぐ月光に照らされるよく似た顔立ちの二人。

「ぁ……あ……。こ……コに、来ては……駄目だ……と……」
「僕らは姉上の弟妹(きょうだい)ですから、村の掟や父上の言いつけなんて守らない、悪い子になったんですよ」

水疱と黒い斑点のような死斑だらけになった手を伸ばす。その手を少年の白い手が包み込んで労わる様な優しい笑顔を向けた。
その傍にいた少女も同様に優しい笑顔を女に向け、手に持った新しい清潔な毛皮を女に欠けた後、女を暖かく抱擁した。

「―――春が来たら、きっと■■様が姉様に会いに来ます。姉様の病はきっと治ります。だから……」

抱きしめたまま、少女は声を震わせる。言葉に出された女の希望。既に枯れ果てたと思っていた涙が双眸から溢れ出す。
少女の背中に棒きれのように痩せ細った腕を回し、小刻みに身体を震わせる。
淀んだ眼を少年の方へと向けると、彼もまた目を伏せて身体を震わせていた。

「では、姉上。失礼しました」
「また明日も参ります。今度は姉様の好きな干し柿を持ってまいりますから楽しみにして下さい」

女の世話を終え、洞穴の出口で少年と少女は女に一礼し、木の板を立てかけただけの扉を閉ざした。
後に残るのは多少身綺麗になった女只一人。毛皮に包まり、身を縮こませる。
びゅうびゅうと雪の混じった隙間風が吹く。女の声を殺した泣き声を根こそぎかき消す。
毛皮の中で女は罅だらけの手の中を見る。そこには■■から贈られた簪が一つ。薄闇の中で翡翠が光沢を放つ。
別れの間際、彼が明から買いつけたという贈り物。また会いに来るという約束の証。
脂で汚れてしまった髪にはもう似合わないけれど、大事な宝物。それを胸に抱き、目を閉じる。
深く深く、意識を夢へと委ねる。彼との思い出を回想しよう。

彼との出会いは、まだわたしが野山を駆け回る童女だった頃。
今ではくすりと笑いが漏れる、最悪な出会い。




557 : いのり、めぐる ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:28:34 7ZAkDRhA0
女というのは不便だ。
ご神木と呼ばれる大樹の幹に腰掛け、アケビの実に齧り付きながら少女は思う。
弓矢をつがえて獣を狩れば、はしたないと叱られる。
丁度良さそうな棒切れを持って男の子とチャンバラ遊びをすれば、お転婆だと怒られる。

「なーんで女に生まれちゃったんだろ、わたし」

食べ終わったアケビの皮を放り捨て、向かい側の山に向かって少女は一人ぼやく。

ここは京から遥か北東に離れた飛弾国にある集落「隠山の里」。
深山の中で人々は八百万の神に祈りを捧げ、暮らしていた。
少女は集落の長の第一子として生を受けた。彼女は古来より伝わる山の神に祈祷を捧げる巫女になるため教育を受けている。

「巫女になんてなりたくなーい」

両親の耳に入れば激怒され、お説教間違いなしの言葉を太陽に向かって呟く。
隠山の地に根付く教えは彼女にとって窮屈過ぎる。
髪へ捧げる舞いも祈祷の詠も寸分も変えてはならない。代々続く伝統を壊してはならない。そう教えられ、物心つかぬ頃から厳しく指導された。
両親曰く、自分は才能があると褒め称えられていたものの全く嬉しくない。京のお侍さんみたいに剣を交えて踊れば夕飯抜きにされたこともあった。
だから自分で考えた渾身の踊りは弟や妹など、集落の子供達だけに見せるようにしている。
このまま「巫女」として生きることになれば父の決めた相手と婚約し、跡継ぎを生むことになるだろう。
そして自分もいずれ、両親の様な頭の固い大人になるのだと考えると「うげェ」と嫌気がさす。

(そういえば、今日は朝廷からお役人さんが隠山に来るって父様が言ってたわね)

朝餉の時に父がそう言っていたことを思い出す。
だから無礼のないようにと家族に――特に少女へと視線を向けて忠告していた。
里一の問題児である少女は才がある分、父にとって頭が痛くなる存在だったのだろう。
少女も同様。頭の固い父に向けてそれなりに反骨心を抱いており、たびたび反発していた。
それ故、彼女はすぐに答えを出した。

「わたしが迎えに行ってやろ」


弓矢を背負いながら時には傾斜を上り下りし、時には獣の糞を避けながら少女は山道をすいすいと歩く。
里の開けた平野を迂回するように南へと向かわなければならないという掟を少女は常日頃不便に思っている。
なぜか、と幼い頃にその頃は在命していた祖母に聞いたことがあった。祖母は神妙な面持ちで少女に告げた。

『あそこには全身疣だらけの人食いの悪鬼がおるでの。面白半分で行ったらお前も悪鬼の仲間入りじゃ』

「……人食いの悪鬼なんているわけない。牛車でたくさんの人が運ばれてきたの見たことあるし」

回想の中でおどろおどろしく話す過去の祖母に反論する。
祖母はたいそう少女を可愛がり、村の大人たちが教えてくれなかったことを少女に教えてくれた。そんな祖母が少女は大好きだった。
でも、自分の目で確かめていないことを迷信で誤魔化すのは良くないことだと知恵がついた今の少女は思う。
一度、少女は里に訪れた牛車に接触したことがある。曰く、牛車は島流しされた人々を運ぶもので郡司が指示らしい。
だから無闇矢鱈に話しかけるなと役人から直々に説教を受けた。お偉いさんともなれば、お転婆少女も黙るほかなかった。
その日、少女が両親に折檻を受けたのは言うまでもない。

「おっと、あれかな?」

木に登り、遠くを見やると山道を超えてこちらに向かう牛車の一団。周囲には警護するように武士達が取り囲んでいた。
言伝でしか聞いたことのない武士。その堂々たる有様に少女は心躍らせる。

(あの人達からお話を聞いてみたいな。山鳥を狩ってお土産に渡したら喜んでくれるかしら?)

田舎者丸出しの思考をしながら憧れの武士達へと思いを寄せる。
郡司一団と接触した時、役人は終始偉そうに話しており、少女は良い感情を持っていない。寧ろ両親に告げ口したことで深い逆恨みをしていた、
反面、付き従っていた武士達は謙虚でこちらを慮り、帰り際に『金平糖』なる綺麗で甘いお菓子をくれた。話も面白くて強そうで憧れていた。

そうと決まれば行動は早い。武士達へのお土産のために狩りをしよう。
丁度少女の頭上を雉が飛ぶ。少女は木の幹に上り、矢をつがえて放った。
矢は見事、雉を貫いて地に落ちる、少女は撃ち落された雉へと駆け寄り、背中の籠へと放り込む。

「ほんとは血抜きをして渡したかったんだけど……まあいっか!」

うんうんと頷きながら少女は勝手に納得する。
里一番だと大人達から言われた腕前だ。自分の腕を武士達に見せれば里の大人達と違って褒めてくれるかもしれない。
ニヤニヤと都合のいい妄想に耽りながら大樹を駆け上り、先程の一団を探す。


558 : いのり、めぐる ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:29:22 7ZAkDRhA0
「お侍さん達はどこかなーって、あれは……!」

一団を発見すると、少女は木を飛び降りて駈け出す。背中に冷や汗が流れる。
そう遠くない場所に一団はいた。しかし獣によって足止めを喰らっていた。
その獣は猪や鹿ではない。里でも時たま見かける、人を喰らう大化け物。

「なんでこの時期にクマが出てくるのよ……!」

首周りに白い円状の体毛を生やした九尺の怪物が牛車の牛に狙いを定めて攻撃をしていた。
畦道を駆け抜け、クマとの距離を二町ほどまで詰めるとその惨状が明らかとなる。

(酷い……!)

牛車の周りには倒れ伏す武士達。全員死んではいないようだが、誰も彼も重傷だ。
数台の牛車が倒され、放り出された役人が腰を抜かしている。無事なのは奥に佇む金が飾り付けられた豪奢な一台のみ。
その前に立ちふさがるのは倒された武士と同じ装備の男達。勇ましく刀を構えているが、何もしなければきっと周りの侍達と同じ運命を辿るだろう。

少女は木に登り、竹筒から赤い花から抽出した毒を矢尻に塗りたくる。
一度深呼吸をした後に弓を構え、クマに毒矢を向ける。
クマの皮膚には矢は深く突き刺さらない。その上犠牲者を出さないためには火急を要する。
難易度の高い狙撃ではあるが少女の心が揺らぐことはない。

「―――――ッ!」

狙うのはクマの目。皮膚に覆われていないそこに向け、少女は矢を放った。
武士に爪を振り下ろそうとしていたその瞬間を狙った。

「ゴ、アアアッ!」

もんどりうってクマが仰向けに倒れる。
そしてしばらくのたうち回った後で怪物はその動きを止めた。

「―――大丈夫!?」

クマを仕留めた後、少女は一団が立ち往生していた場所まで走った。
改めて近くで惨状を確認すると酷い有様だった。
武士達が倒れていた場所には鎧の欠片や折れた刀が散らばり、地面にはところどころ血が付いていた。
勇ましく戦った武士達は意識はあるものの豪奢な牛車を守っていた武士団以外は全員重傷だった。

「あ、ああ。すまぬな。お主のお陰で命を拾った。感謝する」
「う、ううん。無事で良かったよ。あっちの男の人は?」
「あのお方らは我らが守護すべき主達だ。某らの不手際で危険な目に合わせてしまった」

不甲斐ないと悔しそうに目を伏せる男達に少女はかける言葉がなかった。
武士達が勇ましくクマに立ち向かっていた反面、牛車に揺られていた役人は別の意味で酷かった。
牛車から転げ落ちた中年の男たちは袴の股間を濡らして大の字で情けなく伸びていた。
同じ男でも何でこうも違うのか、と密かに苛立ちを募らせていると。

「――――騒々しい。何事か」

唯一無事な馬車から聞こえる声。透き通るような、それでいてよく通る少年の声。
偉そうな男の子の声にカチンと来て、ずんずんと足音荒く牛車へと足を進ませる。

「あ、こら。無礼であるぞ!」
「アナタねえ!お侍さん達はアナタ達を守るためにクマと戦ったのよ!そこに労いとか感謝はないの!?」
「武士団は責務を全うしたまでだ。余の従者を危険に晒したことに非があり、失態に労いを与えるなど片腹痛いわ!」
「こ……の……!」

若い武士の止める声など聞かず、牛車の前板に飛び乗る。そのすぐ近くで牛車の乗り手が弱々しく手を伸ばしていたが少女は無視した。
少女は憤りのまま、勢いよく牛車の前簾を開いた。

「せめて顔くらい見せなさい!この威張りんぼ!」

籠の中に太陽の光が差し込む。どんな捻くれた顔つきか拝んでやろうと少女は目を凝らす。
夏の強い日差しが、少年の面立ちを露わにする。

透き通るような白い肌に細面立ちの整った容貌。涼しげな目元にこちらを射抜く様な鋭く怜悧な視線。
目鼻立ちも芸術品のように整っており、女性のように長い睫毛がその美貌を際立たせる。
天照大神を思わせる奇麗な姿に先程の怒りは冷め、少女は息を呑む。

「―――なんだ。どこぞの野猿かと思えば、翡翠の如き澄んだ瞳の小娘だとはな」
「だ、誰がサルですかー!」

「サル」という暴言に少女の怒りが再発する。
その様子に少年は呆れて溜息をつく。

「…………性根は猿であったか」
「猿じゃないわよ!この威張りんぼ!」
「……ならば名はなんと申す。答えよ小娘」

同年代の子供に馬鹿にされ、少女は前板に地団駄を踏む。
その有様に見っとも無いと冷たい視線を向ける少年。
息を整え、少女は未だ呆れ顔の彼に向かって叫んだ。

「―――わたしには、『いのり』って名前があるんだからー!」




559 : いのり、めぐる ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:30:23 7ZAkDRhA0
唐突に走る雑音。脳裏に浮かぶ誰のものでもない記憶。
ギリギリと万力で締め付けられるような激痛に薄汚い少女は唸り声を上げて蹲る。

「何だ……今のは……!?」

死体が散らばる雪原の中。氷の棺で眠るボブカットの少女の前で独眼熊は呻き声を上げていた。
その姿は以前のような怪物じみた姿ではない。かつて宿敵と定めていた山ごもりのメス――クマカイの姿である。
クマカイの肉を貪り、その能を啜ったお陰で彼女の異能『弱肉強食』をその身に宿した。
彼女の皮を被り、次なる獲物を物色しようとしていたところ、何らかの戦闘があったのであろうこの雪原地帯へと目を付けた。
既に人の気配はなく、代わりに凍り付いた少女の遺骸が氷の檻に閉じ込められていた。
少女が他の感染者と戦闘した結果がこの有様だとすれば、彼女は異能を持つ可能性がある。
そうでなくとも、簒奪した異能の皮を増やせることもあり、氷を砕いて喰らい尽くそうとした瞬間、自分のものではない『ナニカ』の記憶が頭痛と共に訪れた。

(不快だ。実に不快だ……!)

その記憶には人間の喜びがあった。忌むべく人間の記憶があった。
存在しない忌まわしき思い出に暖かさを感じる自分自身にも腹が立った。
弟分の熊を嘲笑う『ナニカ』から入力される記憶が独眼熊の精神を蝕み、過度のストレスを与える。
それが幸が不幸か、彼の中に転機が訪れた。

(お前は、片隅で大人しくしておれ!)

未だ再生され続ける不快感。あり得ない記憶の映像を思考の片隅に追いやる。
そしてノイズをこれ以上呼び起すまいと氷の塊に背を向け、雪原を後にする。

与えられた過度のストレスは独眼熊本来の異能を開花させるきっかけとなった。
それは人間並みの思考を切り分けし、複数の思考を行えるようになる分割思考。
巣くう『ナニカ』にその領域を明け渡し、独眼熊の意味の分からない感情に左右されないための進化。
独眼熊は厄災として一つの階段を上った。


(戻ってきたか)

正常感染者らしい死体を探して来いと命令した分身体が独眼熊の元へ戻る。
口に咥えられたのは老人の死体。そのついでに老人の背中に突き刺さっているのはナイフ。
おそらくであるが、分身が老人の手元にあった武器をついでに持ってくるために突き刺したのだろう。
ゾンビ共に貪られたのか、背骨や臓腑は露出しているが頭部には損傷が見当たらない

分身は死体を独眼熊の眼前に放り出す。この姿では脳を傷つけてしまい兼ねる。
そう思考すると、少女の皮の頭部――正確には口当たり――が隆起する。
ゴムのように皮が伸び、その口から独眼熊の大顎が顕現する。顎の形態を器用に変形させ、頭部だけを捥ぎ取って咀嚼。
その過程で老人の脳から異能を読み取り、その身に宿す。頭部の捕食が完了後、続いて全身を捕食した。
捕食を続ける中、肉が身体に纏わりつく感覚を覚える。
クマカイの異能は肉を纏うもの。その事実を再確認する中で独眼熊の脳裏にある閃きが過ぎった。

(もしかすると、分身にも皮を纏わせることができるかもしれんな)

考えるや否や、蜥蜴擬きから奪った異能を使用。皮を被る異能をもう一つの思考を使って分身に被せるよう制御する。
小さな針穴に糸を通すかのような精密な作業。極限まで神経を尖らせ、皮被りを分身へと移す。
そして、成功する。独眼熊の前には直立するスーツ姿の老人の姿。

「ふむ、悪くない」

口内へと大顎を戻し、少女の姿をした怪物は眼前の老人を見上げる。
試しに探索に行かせていた分身と老人姿の分身に取っ組み合いをさせると力はクマの形態と力は互角。
そして取り込んだ老人の異能の確認。死体から捥ぎ取ったナイフを手に取ると全身のあらゆる感覚が冴えるようだ。
ナイフを離すとその感覚は消え、再び刃を手に取るとその感覚が戻る。

「なるほどな、これは便利だ」

強力な異能を手にしたことに遅ましい歪んだな笑みを浮かべる。
しかし慢心はしない。ひなたらからの敗走が、優越を押しとどめ、平常心へと戻した。

チリチリとノイズが耳に届く。
つい先程の記憶を呼び覚ますような不快な音ではない、もっと機械的な何かの高音。
獣の非常に優れた耳はその高温を聞き取った。

その方向へと頭を向ける。そこはかつて自分が無計画に人間を貪っていた白い建物。
くんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐと、いつぞやの酒精と血の混じった匂い。
特殊部隊――朝廷から派遣された武士団が、いる!




560 : いのり、めぐる ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:31:07 7ZAkDRhA0
岩戸が閉じる。その隙間から覗くのは月光のみ。
極寒の洞穴の中。女は一人、苦悶の呻きを上げていた。

その手では最早弓矢をつがえない。
その足では最早神楽を舞えない。
その喉では言祝ぎを歌えない。

何よりも女を絶望させたのは彼女の傍らにいる二つの死体。
女と同じように全身が黒い斑点と水疱だらけになった少年と少女だったもの。
首を切断されており、誰の目から見てもその死は明らかだった。

裏切られた。裏切られた。
子供の頃は反感を持っていても、今は尊敬していた両親に。
この地へと救いを求めてきた病に倒れた人々に。
隠山の地に住まう、愛する里の人々に。
そして龍脈を通すとほざき、何年も朝廷から戻ってこない忌まわしき■■に。

「あ、あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"……!!!」

痩せ細った身体で岩戸へと這う。憎悪を呻く度に肺腑が締め上げられ、口から黒ずんだ血を垂らす。
岩戸へと辿り着くと、翡翠の簪を振りかざし、何度も叩きつける。
カン、カン、パキ。
たった数度叩きつけるだけで、翡翠の珠は砕け、笄がへし折れる。
使い物にならなくなったそれを投げ捨て、水疱だらけの指で岩に爪を立てる。
ガリガリガリガリ……プチン。
爪が剥がれ、戸には赤い線が引かれる。
それでも女は手を止めず、何度も岩に爪を立てる。

「…………るさない……!決して許さないッ!隠山も、朝廷も、■■も断じて許さぬッ!!!」

厄に犯されたかつての美姫は嫉妬に塗れた醜女のような憎悪を吐き出す。
その手でもう祈祷など捧げない。
その瞳にもう光など映さない
その喉でもう言祝ぎなど詠わない。

「穏やかな滅びなど許さぬッ!!隠山に!忌まわしき血族に!朝廷に!未来永劫の苦しみを!!!
隠山の里に呪いあれェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!」

嘗ての少女の想いは憎しみに。安寧を願っていた言祝ぎは呪詛に。
いのりはのろいへと反転する。

何の因果が。掠れた叫びの直後に、大地が揺れる。
崩落する洞窟。天井から落ちてきた石が愛していた二人の家族を圧し潰す。
女は岩の隙間に充血した目を向けて月へと怨念を飛ばしていた。
迫りくる死の気配。それでも尚、女は微動だにしない。
いよいよ落ちる岩が女を圧し潰す寸前。

隙間から縦の目が覗いた。
瞳のない、伽藍洞の闇が女の顔を覗き込む。

キー、キー。

ねずみの、鳴き声。

「テン、ソウ、メツ」「ポッ……ポッ……ポッ……」「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■■■■」「■■■■■■■■■■■■」「■■■■■■■■■」

理解不能な、あらゆる言語が女を包み込む。
その隙間から■■■の目、■の首、皮を剥がされた■……。ありとあらゆる悍ましきモノが女に纏わりつく。
女の意識が刈り取られる最後の瞬間。その体に延ばされる小さな、小さな、たくさんの赤子の手。

おぎゃあ、おぎゃあ。

その音を最後に、女は眠りについた。




561 : いのり、めぐる ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:33:48 7ZAkDRhA0
再び鳴り響くノイズ。分割した思考を乗り越え、独眼熊の脳を侵食する。
だが、今度は違う。その怨念に怪物は同調した。
膨れ上がる憎悪。滲み出す怨念。臓腑で暴れ狂う呪詛。
白い建物から感じる忌まわしき血脈の気配。
ここにあの男の血筋が隠れ潜んでいる。

「一刻も早く、滅ぼす……!!」

存在するだけで悍ましい。生きて呼吸するだけで吐き気がする。
少女の姿をした呪いから洩れる呪詛。

この建物には一匹、朝廷からの刺客が潜んでいる。
しかし、あの男と同じ血を引いているのであれば奴は返り討ちにするかもしれぬ。
故に、確実に滅ぼすために同じ朝廷の狗を建物に誘導し、送り出す。
そして、その駒は確実にこちらに向かっている。

ナイフをリュックサックのホルダーに仕舞い、生み出した分身に身を隠すように指示をする。
老人の姿をした分身を親玉へと設定し、懐中電灯を持たせて身を隠させる。
もう一体の本来の姿の分身はその巨体で身を隠すことができないため、自分の傍で待機させる。

「では、続きと行こうか」

言葉の終わりと同時に『ナニカ』の異能を使用。
独眼熊本来の腕が少女の背中の皮を突き破り、天へと飛び出す。
並ぶ五本の獣爪は正しく刃。ずらりと並んだその有様は刀剣の様に鋭利。
その途端発動する老人の異能。『剣聖』の如き直感が訪れる未来を予知する。

遠方にて、怪物と勇士それぞれの視線が交差する。

「狩りの時間だ、人間」
「特定外来種(ひょうてき)を確認。速やかに駆逐する」

【E-1/草原/一日目・日中】

【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生とそれによる自我侵食、クマカイに擬態、知能上昇中、烏宿ひなた・犬山うさぎ・六紋兵衛への憎悪(極大)、犬山はすみ・人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、猟師・神楽・犬山・玩具含むあらゆる銃に対する抵抗弱化(極大)、分身が二体存在
[道具]:リュックサック、ブローニング・オート5(5/5)、予備弾多数、アウトドアナイフ
[方針]
基本.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
1.己の慢心と人間への蔑視を捨て、確実に仕留められるよう策を練る。
2.特殊部隊の男(大田原源一郎)をどうにかして診療所の他の特殊部隊の元に送り込みたい。
3.神楽春姫と隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼし、怪異として退治される物語を払拭する。
4."ひなた"、六紋兵衛と特殊部隊(美羽風雅)はいずれ仕留める。
5.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
6.特殊部隊がいれば、同じように異能に目覚めるか試してみたい。
[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫とクマカイと八柳藤次郎の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』、『弱肉強食』、『剣聖』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じ行動に加え、分割思考が可能になりました。。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※分身に『弱肉強食』で生み出した外皮を纏わせることが可能になりました。
※八柳藤次郎の皮を纏った分身体は懐中電灯×2を所持し、身を隠して待機しています。もう一体の分身は独眼熊の傍にいます。
※銃が使えるようになりました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。
※脳を適当に刺激すれば異能に目覚めると誤認しています。
※■■■■が封印を解いたことにより、『巣くうもの』が記憶を取り戻しつつあります。完全に記憶を取り戻した時に何が起こるかは不明です。


【D-2/草原/一日目・日中】

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、右脳にダメージ(中)、異能による食人衝動(特大・増加中・抑圧中)
[道具]:防護服(マスクなし)、拳銃(H&K SFP9)×2+予備弾倉×2、サバイバルナイフ、装着型C-4爆弾、赤外線カメラ搭載ゴーグル型ディスプレイ
[方針]
基本.正常感染者の処理
1.独眼熊を最優先で殺害する
2.美羽への対応を検討(任務達成の障害となるなら排除も辞さない)
3.秩序の敵となった時点で自決する。
※異能による肉体の再生と共に食人衝動が高まりつつあります。







『――‐―‐――すまぬ、いのり。せめて、余もそなたと共に……』


562 : ◆drDspUGTV6 :2023/10/29(日) 21:35:40 7ZAkDRhA0
投下終了です。


563 : ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 01:14:25 UX7pNUy20
投下乙です

>いのり、めぐる

村の過去にあった、ナニカこと隠山祈という少女の話
昔話の中にホラーテイストの哀愁のような独特の雰囲気が漂っている

朝廷使節団との出会い、ボーイミーツガールな出会いだけれど、後の事を思えば悲劇の始まりか
活発なおてんばだったからこそ、疫病により弱り、恨みによって堕ちていく様がおつらい……
そしてクマを射殺したいのりが現代でクマになっているのは何の因果か

だいぶ独眼熊くんの精神がナニカさんに浸食されておる、もう価値観が平安脳だよ
氷葬によって茜ちゃんの死体がクマの魔の手から守られたのはよかったね

再度訪れる最強同士の衝突
互いに前回より魔改造されているが大田原のリベンジ成るか、それともナニカさんが勝ち越すのか


564 : ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:26:00 UX7pNUy20
投下します


565 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:27:44 UX7pNUy20
静寂に包まれていた地下世界に到達を告げるエレベータの音が響いた。
音もなく開いたエレベータの扉の先に広がるのは、白く輝くような清浄な空間であった。
その到着と同時にエレベータの中から銃を構えた2名の特殊部隊員が飛び出していった。
それはまるで白を汚す黒い風のよう、波乱を齎す暴の嵐が研究所内に吹き荒れてゆく。

村の深層に降り立った2人の特殊部隊が素早く通路の様子を確認する。
白衣を着たゾンビが数名彷徨うように屯しているのを確認。

「標的を確認。12時方向の通路に3、9時方向の部屋に2。伏兵を警戒し処理を開始して下さい」
「了解」

標的を確認した彼らは、弾丸を節約すべく装備を剣ナタとナイフに持ち替えた。
そして連携の取れた動きで互いの死角を補い合いながら、白兵戦でゾンビの喉を切り裂いて行く。
連携を取った特殊部隊がゾンビごときに後れを取るはずもなく、白衣を着たゾンビたちは次々と駆逐されていった。
視界内全てのゾンビの全滅を確認して「クリア」と一人が報告すると、別方向を確認したもう一人も「クリア」と返答した。

「入ってきていいですよ」

通路とエレベータ正面にあった休憩室のクリアリングが完了させ、指揮を執っていた特殊部隊の天がエレベータ内に呼び掛ける。
その呼び声に、一時的にエレベータ内を避難所として待機していた碓氷とスヴィアの2人が研究所に足を踏み入れた。

「惚れ惚れするような見事な手際ですね」
「どうも」

碓氷が特殊部隊の手際を褒めたたえるが、ただのおべんちゃらの世辞と言う訳でもない。
いくら相手がゾンビとは言え、これほど短時間で効率よく排除できるのは異常だ。
平和な国ではまずお目にかかる事のない殺しの技術。素人とは隔絶した殺すために修練を重ねた軍人の動きである。
敵対すれば碓氷など一瞬でゾンビと変わらぬ末路を迎えるだろう。

「それでは一部屋ずつ確認していきます。何があるかもわかりません。ゾンビ以外の警戒を怠らないように」
「お待ちください、少々よろしいでしょうか」

行動を開始しようとした所に、待ったをかける声があった。
碓氷だ。

「何でしょう?」
「スヴィア先生の体調がそろそろ限界のようです。これ以上連れ歩くのは厳しいかと」

言われて、スヴィアの様子を見れば、顔を青くして苦しそうな呼吸を繰り返していた。
応急処置を施したモノの彼女が負った傷は深く、そう簡単に回復などするはずもない。

ふむと僅かに天は考え込む。
彼女にはウイルス解析という役割がある。まだスヴィアに死んでもらっては困る。
無理に連れ歩くよりも安楽椅子探偵が如く、調べた成果を分析して貰った方がよさそうだ。

「ではフロアの確認と安全確保は私と小田巻さんで行います。お二人は休憩室で待機しながら、エレベータを監視してください。
 エレベータが動き始めたら即座に我々に知らせてください」
「了解しました。お待ちしております」

既に工法はクリア済みだ。少なくともゾンビに襲われることはない。
安全の確保された休憩室に2人を残し、特殊部隊の2人はその横にある仮眠室の扉を開いた。
中にいたゾンビを手際よく駆逐して行き、あっという間にクリアリングを完了して、室内の調査へと移る。

「乃木平さん。誰かがいた痕跡がありますね」

仮眠室を調査していた小田巻がそう報告する。
言われて、天も仮眠室のベッドを確認してみれば、そこには確かに誰かが寝ころんでいたような凹みがあり、周囲に読み散らかし様に書物が散らばっていた。
小田巻がベッドのシーツに触れてみると、ほんのりとだがまだ僅かに熱が残っていた。

「ゾンビではないようですね。体温のないゾンビが寝転んだところでこうはならない」

ウイルスを異常発生させたゾンビは代謝の低下により体温が落ちる。
僅かでも体温が残っている以上、ここで眠っていたのは生身の人間であるという事になる、のだが。

「では。つまり、こういう事ですか?
 研究所を訪れておきながらゾンビの彷徨い続ける仮眠室で呑気に寝転びながら読書をして過ごしていた輩がいた、と?」
「まぁ…………そうなっちゃいますね」

小田巻が私に言われてもと言った風に不満げに答えるが、状況証拠から言えばそうなる。
だが、最重要施設を訪れておきながら、そんな訳の分からない行動をする人間が存在するとは思えない。
と言うより、いるはずがない。

何らかの陽動。
そう考えるのが自然であり、天もそう結論付けた。

「ともかく……我々よりも先に研究所に到達した何者かがいるのは確かなようですね。注意しましょう」

発生から12時間も立たない間に、最重要拠点である研究所に潜入した何者かがいる。
それだけは確かなようだ。


566 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:28:51 UX7pNUy20
これ程迅速に行動を起こせるのは素人ではあるまい。
だが、ハヤブサⅢは自身と交戦の後に成田と交戦して、その狙撃から逃れたと聞いている。
それが先んじて研究所に辿り着いた、と言うのは流石に考えづらい。

そうなると第一候補として考えられるのは、その相棒であるブルーバードだ。
ハヤブサⅢが万能型のエージェントだとするならば、ブルーバードは戦闘特化のエージェントである。
特殊部隊と渡り合えるハヤブサⅢがそう呼ばれていない、と言う所から戦闘特化という言葉の恐ろしさも伺えると言うもの。
天の想像力では大田原や吉田を超える人間と言うのが想像しづらい所なのだが、そのレベルがいると想定するなら相当に警戒レベルを上げる必要がある。

仮眠室を出て、次は突き当りの資料室へと移った。
これまで以上に慎重な動きで、部屋へと侵入するがここにもゾンビしかいないようだ。

「ここにも人のいた痕跡がありますね」

地震で倒れた本棚を雑に立て直したような痕跡があった。
恐らく、仮眠室のベッドの周囲に転がっていた書物は、ここから持ち出したモノだろう。

やはり何者かが地震が起きた後にこの研究所を訪れたのは間違いない。
それに研究所を調べるような動きからして、研究所の関係者ではないのは明らかだ。
だが、分からないのは、あまりにも動きが素人臭さすぎる。
いや素人にしても酷い。雑すぎるのだ。

一般人を装う偽装工作かと思ったが、この研究所にたどり着いている時点で常人ではないのだ。
そもそも一般人を装う必要性などどこにもない。
何者が、何のために?

こうして思考を乱すことこそが目的なのだろうか?
いくら考えたところで結論は出なかった。
今回の任務で天の常識の範囲は広がったが、それでも常識を超える存在もいる事を彼はまだ理解していない。

天たちはトイレ、備品倉庫と確認に移ってゆく。
トイレは死角が多くアンブッシュの危険が高まるが、幸いと言っていいのか隠れている輩やゾンビはいなかった。
地震直後にトイレにいた職員もいなかったようだし、ゾンビが催すこともないようだ。

続いて、安全確認の終えた備品倉庫の中身をチェックしていく。
備品倉庫は地震の影響で悲惨な有り様になっていたがゾンビはおらず、静かな物だった。
落ちている備品をチェックしていくが不審な物はなさそうである。
医療系の備品は見られるが、違法な薬品や薬物も見られない、ごく一般的な備品倉庫と言ったところか。
ひとまずスヴィアのために、治療に使えそうな幾つかの道具を徴収しておく。

そして足元に転がる備品を確認すると、雑に蹴散らされた跡があった。
その痕跡を辿って行くと、備品倉庫の奥にある扉の前にたどり着く。
扉には『配電室』と書かれていた。

「鍵がかかってますね」
「なら撃ち抜きましょう」

言うが早いか、小田巻はドアノブをライフル銃で撃ち抜いた。
そして蹴破るように配電室の扉を開く。


567 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:30:16 UX7pNUy20
2人を出迎えたのは巨大な鋼鉄の箱だった。
箱の外観にはノブ、スイッチ、そしてLED表示が整然と並んでいる。
どうやらこの地下研究所における自家発電システムのようだ。
今も地下研究所の電気が生きているのはこのシステムのお蔭だろう。
そして、この配電室にあるのはそれだけではなかった。

「どうやら、通信ネットワークもここで管理されているようだ」

特殊部隊側が把握していなかった有線によるネットワーク回線。
つまり、遮断されていない外部への連絡手段がこの研究所にはあった。
ここにあるのはその証拠だ。

「バイオハザードが起きた後も、外部と通信を取っていたって事ですかね?」
「その結論を出すにはまだ早いでしょう。確認できたのは通信が可能だったと言う状況証拠に過ぎません。
 実際にこれがバイオハザード発生後にも使用されたがはまだ断定することはできない」

少なくとも今の所分かっているのは可能だったという状況だけだ。
守秘義務を抱えた研究員が外部に漏らすとは考えづらい。
ありうるとしたら、研究所を訪れた謎の人物だが、まだ存在も確認できていないのだ、何らかの結論を出すには情報が足りない。

「どうします? すぐに破壊しますか?」
「いえ、まだ残しておきましょう。破壊するのはこちらの作戦を実行してからです」

任務を考えるなら即刻破壊すべきだ。
だが、放送の機能がどう繋がっているともわからない。
破壊するのは放送による呼び出し作戦を行ってからだ。
なにより、研究所の調査をするなら通信状況を自分の目で確認しておきたい。


568 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:38:26 UX7pNUy20
「エレベータに動きがありました!!」

廊下を反響した大声が響く。
備品倉庫を出たところで、エレベータを監視していた碓氷から火急の知らせが届いたのだ。

その声に弾かれたように迅速に反応して、2名の特殊部隊は数秒と建たずエレベータ前まで到達する。
既に到達して今にも開かんとするエレベータに向かって銃を構えた。

天が暗号によって呼び出した特殊部隊の誰か増援として到着したのならいい。
だが、偶然あのキーを発見した招かざる客である可能性もある。
警戒は怠らず、運命の扉が開くのを待つ。

だが、ゆっくりとエレベータの扉が開いたその中には、誰もいなかった。
到達したのは無人の箱。
エレベータ内にはただの空虚が広がっているだけだった。

「上かッ!?」

瞬時に小田巻が銃口を上に向ける。
だが、それよりも一瞬早く、天井に張り付いていた影が小田巻に向かって飛びかかる。
引き金を引くよりも早く、襲撃者は突きつけられた銃口を払って、そのまま小田巻をその場に組み伏せる。
天は咄嗟にその襲撃者に銃口を向けるが、その動きを待ったをかけるような片手で制された。

「よぅ。小田巻。お前までいるとは思わなかったぜ」
「こ、こんにちは。真珠さん。お元気そうでなによりです」

マウントポジションで挨拶を交わす。
背後でその攻防を見守っていたスヴィアたちは状況について行けずあっけにとられていた。
状況を理解ている天はため息をつきつつ銃口を標的から外す。

「あなたに来ていただけるとは思ってませんでしたよ。黒木さん」
「おう。呼ばれて来てやったぜ。乃木平」




569 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:39:26 UX7pNUy20
燦燦と太陽が照らす寂れた田舎の畦道を、少年少女を乗せた一台の自転車が進んでいた。
一見すれば、若者たちが自由と冒険を求めて旅立つ、青春ロードムービーのワンシーンのようだ。
だが、哉太とアニカ、彼らが辿る道筋はそんな甘美な物語とはかけ離れて、絶望と死が支配する地獄の道のりである。

彼らの乗る自転車は、地震で凹凸になった道を渡るたびに大きく跳ね、アニカの小さな体を乱暴に揺さぶった。
アニカの肉の薄い小ぶりな臀部が座っていたリアキャリアに打ち付けられる。

「Ouch! カナタ! もっとsafe driveで頼むわ!」
「急いでんだよ、無理言うな!」

彼らは元気に罵り合いながら道を急ぐように自転車を漕ぎ続ける。
ハンドルを握る哉太は風を切りながら、少しの間離れていた故郷の風景を見つめた。

まるでゴーストタウンを走っているようだ。
深夜に発生した静寂を打ち壊すような大地震が、少年の故郷を蝕んでいた。
地震で崩壊し、人々の生活の痕跡が消えた風景には寂寥感が漂っており、死の静寂が漂っている。

「……しっかし、見事に誰もいねぇな」

道中、彼らが出会ったのは死と絶望のみ。見かけたのは死体ばかりだ。
正常感染者は元より、道を彷徨うゾンビすら生きて目にかけることはなかった。
元々人気のなかった田舎町だが、このVH発生直後よりも明らかにゾンビは目減りしている。

異能者の戦いに巻き込まれて死んだ者や特殊部隊に処分された者もいるだろう。
そして何より、この辺は哉太の祖父である藤次郎の通り道だったと言うのが大きい。
正常感染者も異常感染者も区別なく、生き残りは少ない。

哉太の胸は、祖父藤次郎が犯した罪に対する罪悪感と、確実に滅んで行く故郷への哀愁で重く満ちていた。
もう、村は死んだようなものである

「この村にMr.ミナサキが捕らえられているっていうのはどういうことなのかしらね?」

死んでいく故郷の姿に胸を痛める哉太を気遣ってか、アニカが話題を変える。

「けど、この村の中に閉じ込められてるってことは、ゾンビになっているんじゃないか?」
「I agree,もちろんその可能性はあるわ。けど逆に言えば、そうでないのなら私たちにとってのHopeになる」
「どうしてだ?」

僅かに景色から視線を後方に逸らし、後部座席のアニカに問う。

「だって、閉じ込められた研究員がaccidental fitできた、なんて都合が良すぎでしょう?」
「ま、そんな偶然はなかなかねぇだろうな。そうかつまり、抗体があるかもって事か……」

もちろん村の正常感染者たちのように偶然適応できたという可能性もある。
だが、それは村にいた1000人の中から選ばれた数%だ。
たった一人の捕虜がたまたま適応できたというのは都合がよすぎる。
研究員たちは何らかの防御手段を持っていたのではないかと言う疑問の証明になるかもしれない。

「だったらこうしちゃいられねぇな、急ぐぞ!」
「wait! safe driveで……!」

アニカの抗議も空しく立ち漕ぎになった哉太が自転車を飛ばす。
ようやく見えてきた希望らしきものに向かって

そうして速度を飛ばした結果、2人を乗せた自転車は高校の裏手に広がる広場へと辿りついた。
改革派の影響が強い西部と異なり、東部は保守派の影響が強く開発の手が届いていない。
特にこの広場は人々の暮らす古民家群や田園地帯と異なり、ただ自然が広がる村の貴重な未開発地帯である。

広場の一角には、一見すると何の変哲もないプレハブ小屋があった。
その無機質な外壁は、自然の中でひっそりと存在感を潜めていた。
二人は自転車をその横に軽く寄せ、自転車から降りて足を地につけた。

「確かに目立たない村のedgeに置かれているようだけど、カナタは知らなかったの?」
「いや、ここに小屋のあったってのは知ってるけど、流石に中には入ったことはねぇな。
 てっきり猟友会の倉庫かなんかだとだと思って近づかなかったんだよ」

学校裏手の広場と言う立地上、子供たちの格好の遊び場になりかねない場所だったが。
熊より恐ろしい猟友会のジジイどもを恐れて、村のやんちゃな悪ガキたちも近づかなかった。
まさか怪しげな研究室の関連施設だとは思いもしなかったが。
哉太の言葉を聞いていたアニカが、ふとプレハブ小屋の端に小さく刻まれていた管理者の名を示す小さな文字に目を留める。

「けど、ここに『山折総合診療所』って書いてるじゃない」
「ガキは見ねぇんだよ、そういう細かい所は」


570 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:41:10 UX7pNUy20
言いながら哉太は脇差を取り出し、薄いスチール製の扉に向かって振り下ろした。
鍵を破壊した扉を開き、プレハブ小屋へと侵入を果たした哉太は荷物からマグライトを取り出し辺りを照らす。

空気が乾燥し、光が射し込む度に舞い上がる埃が幻想的な光を放つ。
案の定と言うべきか、小屋の中は地震で倒れた資材が無秩序に散乱していた。

「カナタ。lightをあっちの方に向けて」

後ろから室内を観察してたアニカの指示に従い、哉太はライトの光を動かした。
指定通りに照らし出された部屋の一角は僅かな違和感があった。
埃の積もり方が他と異なり、何かの跡が見える。

「頻繁に何かを動かした跡があるわ。カナタ。あそこのshelfをmove awayして」
「どけろって……お前簡単に言うけどさ」

棚を一つ移動させると言っても、こうも混然とした状態では棚に至るまでに倒れた資材を一通り片付ける必要がある。
結構な大仕事だが、力仕事は哉太の担当である。
文句を言ってもしかあるまい。哉太は倒れた資材を片付けながら棚の方へと進んで行った。

「ふぅ……終わったぞ」
「Good job.お疲れ様」

一仕事終え息をつく哉太。
それと入れ替わりに、露わになった隠し扉の前にアニカが移動する。

安全のため僅かに離れた位置からアニカが異能で扉を開ける。
すると、地下へと続く薄暗い階段が目の前に広がった。
階段は薄暗く、壁に映る彼らの影が、不安を増幅させた。

「行くぞ、足元に気をつけろよ」
「Yes, I know.」

哉太の言葉にアニカは頷き短く答える。
そしてライトを持った哉太の後に続いた。

ライトを手にした哉太を先頭に慎重な足取りで階段を下りてゆく。
地下1階分ほどの階段を降りると、茶子の言っていた通り、エレベータがひっそりと佇んでいた。
哉太が探るようにライトで照らすと、エレベータの脇にパスリーダーを発見する。
彼は手にしたL2パスをかざすと、落ちていた光が灯りエレベータは稼働を始めた。

「壊れてはいないみたいだな」
「electricityは非常用電源かしら?」

試しに呼び出しボタンを押すと、すでに本体は地上にあったのかすぐに目の前の扉が開いた。
地震直後という事もあり、エレベータに乗り込むには勇気がいるが、先んじて哉太が乗り込んだ。アニカもそれに続き扉が閉じる。
2人を閉じ込めた地下へと繋がる箱が静かに動き始めた。

そうして地下に到着したエレベータの扉がゆっくりと開く。
エレベータから下りた先には、等間隔に配置された無機質な扉が長い通路の左右にずらりと並んでいた。
それらは冷たく、まるで罪人を閉じ込めるための囚人房のようだ。
通路は無用な物がなく極めて整然としており、地震の影響はほとんど感じられなかった。

「ここも戦時の実験場をdiversionしているのだとしたら、かつては人体実験の被験者たちをmanagementしていた場所なのでしょうね」
「けっ。だから、資材管理棟かよ」

アニカは静かに呟いた推察に、哉太は舌打ちを返す。
人間は人体実験の資材だった。
人々がただの『資材』として扱われていた事実に、明らかに不快感を抱いているようだった。

「……ったく。俺のいない間にどうなってんだよこの村は」
「Ms.チャコの話からすると、カナタが気付いてないだけで前からこうだったようだけどね」

愚痴めいた軽口を叩きながら二人は資材管理棟を奥へと進む。
左右に並ぶ扉を眺めながら目的である『未名崎錬』の監禁されている場所を探すことにした。
だが、扉は無数に並んでおり、一つ一つ調べていてはどれほど時間がかかるのか分からない。

「こんなのどっから探しゃいいんだ……?」
「It's over there」

そう不安に思っている哉太をよそに、アニカがあっという間に目的の場所を見つけた。
大部分の房は空っぽだったが、しっかりと施錠され中身が埋まっている部屋が一室だけあったからだ。

アニカの示したその扉の前まで移動する。
看守が中の囚人の様子を見るための物だろう、脱獄防止用の頑丈で厳つい扉には開閉窓がついていた。

互いに確認するように頷き合い、哉太が窓の蓋を開けると透明な強化ガラスが現れる。
そのガラスは人の頭より一回り大きく、その中の様子をはっきりと覗き見ることができるようになっていた。

小窓は大人の身長に合わせた位置にあるため、小柄なアニカでは中の様子を伺うのは難しそうである。
仕方なしに哉太がガラスに近づき中の様子を伺うと、中には一人の男が静かに座っていた。


571 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:42:11 UX7pNUy20
「あんたは……!?」

閉じ込められた男の顔を見た哉太が意外そうな声を上げた。
そして、中に閉じ込められていた男もその声に気づき、俯いていた顔を上げて同じように驚いた声を返した。

「キミたちは、あの時の……」

互いに見知った顔だった。
身長差を補うため、やや離れたまで下がり、角度のある位置から窓をのぞき込んだアニカもその顔に気づいた。

「アナタは『テクノクラート新島』での」

偶然と呼ぶには出来すぎた再会だった。
その出会いは、哉太たちも巻き込まれた2か月前『テクノクラート新島』での大規模テロ事件での事である。

テロ事件に巻き込まれ、そこで怪我を負った哉太を治療してくれたのが彼だ。
医療従事者という話だったが、名前までは聞いていなかった。
見知らぬ人間の治療を行う善良な人間だったと記憶している。

「あんた、研究所の人間だったのか……」
「そう言う君たちこそ…………この村の人間だったのか。キミたちは研究所の人間ではないんだな?」
「ああ。むしろそれに反抗する人間だ。あんたの味方だと思うぜ」
「……そうか、それなら」

怪しい相手との邂逅に互いに警戒心を高めていたが。
一度顔を合わせているという事もあり、僅かに警戒心を解いたようだ。

「テクノクラートでは名乗ってはいなかったわね。私は天宝寺アニカ。そっちは八柳カナタよ。アナタが未名崎錬でいいのね?」
「あ、ああ。そうだが何故、僕の名を……」

突然現れた2人に事情を聴こうとした錬だったが、それよりも重要な事柄を思い出したのか振り払うように首を振った。

「いや、それよりも教えてくれ……! 外はどうなっているんだ!?」

ここに閉じ込められていた錬は、外の状況がまるで分かっていないようだ。
それでも何か異変が起きている事だけは感じ取っているのか、焦燥に駆られた様子で外から現れた哉太たちに外の様子を訪ねていた。

「気持ちは分かるがまずは落ち着いてくれ。アニカ、説明頼む」
「そうね。shareしておいた方がいいでしょう。村のcurrent situationを説明するわ」

そう言ってアニカが簡単に村の現状の説明を始めた。
村には研究所からのウイルスが漏れてバイオハザードが発生しており。
感染したゾンビと異能者で溢れ返っている上に、証拠隠滅のために送り込まれた特殊部隊の奴らが住民を殺しまわってる。
そう地上で起きている地獄を伝えた。

ゾンビや異能と言う呼称は聞き慣れない単語だったのか、時折疑問符を浮かべる様な表情をすることもあったが。
その話が進んでゆくうちに、錬は両手で顔を覆いワナワナと震え始めた。

「何と言うことだ……もう始まってしまったと言うのか…………!
 頼む……僕を今すぐここから出してくれ! このままじゃ全てが手遅れになる!!」

世界の終りのように絶望した様子で、錬は哉太たちへと必死の形相で頼み込んだ。
だが、そう言われたところで哉太たちにはどうしようもない。
プレハブ小屋はともかく、さすがに監房の扉を破壊するのは難しいだろう。

「悪いが、房の鍵までは持ってないんだ。施設を探せばあるかもだけど……すぐにあんたを出すのは難しそうだ」
「そんなッ!? くそッ! どうして…………ッ!」
「calm down。落ち付いて。まずはソチラのcircumstancesを聞かせて」

幼ない少女が宥めるように諭す。
その言葉に僅かに落ち着きを取り戻したのか、冷えた頭でどうしようもない状況を理解したようだ。

「……わかった。事情を話そう。少しでも君たちの理解を得るために」

自分が出られない事を理解し、外に出れない自分の意志をアニカたちに託すように語り始めた。

「僕はキミたちと出会ったテクノクラートで、僕は研究所の特殊部隊に捕えられたんだ」
「アナタが捕えられたのはどうして?」
「研究所の方針と対立してね、研究成果を持ち出していたからさ。
 志を同じくする同志たちも証拠隠滅のために殺された。長谷川部長率いる特殊部隊に」
「ハセガワ……? ハセガワと言うのは脳科学者のMs.ハセガワ?」
「ああ、彼女は研究所の脳科学部門の部長であると同時に、研究所の抱える特殊部隊も率いていたんだ。僕もその時に知った」

意外な所で意外な名こそ出てきたものの、おおよその流れは、研究所との対立、機密漏洩による処罰と言う大方は茶子から聞いていた通りの流れである。
ひとまず嘘は言っていないようだ。


572 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:42:45 UX7pNUy20
「先ほど説明した通りこの村はBio Hazardの真っただ中にあるわ。
 研究者であるアナタには説明するまでもないことかもしれないけれど、ウイルスにmatchできなかった人間は正気を失ったZombieになる。
 In spite of the.アナタは正気を保っている。それは何故? たまたまmatchしたという訳ではないのよね?」

この先の希望を占う問いを尋ねる。
問われた研究員はこれを肯定するような頷きを返した。

「ああ、もちろんだ。偶然ではない」
「なら、異常発症を避ける方法があるんだな!?」

錬の回答に哉太が喜びの籠った声で割り込んだ。
ウイルスに対する何らかの対抗策があるのなら、感染した人間を元に戻す方法にもつながるかもしれない。
ようやく希望に指先が届こうとしていた。

「ああ、簡単さ。ウイルスは既に感染している人間には感染しない。ならば――――事前に感染していればいい」

だが、その希望は指先から滑り落ちた。
予想外の回答に哉太は言葉を失う。

最初から感染していれば、バイオハザードに巻き込まれようともゾンビ化することはない。
コロンブスの卵的な逆転の発想だ。
だが、それはつまり。

「アナタは、このVillage Hazardの発生前からウイルスに感染したと言う事?」
「ああ。その通りだ」

事もなげに応える、だがそれは色々とおかしい。
おかしな点は幾つもあるが、まずは一つずつ解きほぐすようにたずねる。

「事前に感染した所で、アナタが正常感染できるとは限らないじゃなの?」

今回のウイルス騒ぎで感染しなかった理由にはなれども、事前に正常感染できた理由にはならない。

「そうじゃない。[HEウイルス]が正常に活性化する確率は約5%ある。つまり20人が感染すれば1人は正常に感染できる計算だろう?」

20人に1人。
その言葉の意味を理解して2人の全身が総毛立つ。

「つまり、アナタたちは…………」
「抗体を得るために19人を犠牲にしたってのかッ!?」

原始的な人海戦術。
それは人体実験に他ならない。
いや、未完成品であると知りながら、成功例を出すためだけに行われたそれは、人体実験にも劣る悪魔の所業だ。

「いいや。思いのほか早くに成功したからね、僕は7人目の非検体だ」
「そう言う問題じゃねぇだろ!!」

この平然と語る錬の様子からして自らその非検体になった節すらある。
自ら人体実験の被験者となるなど正気の沙汰ではない。
感情的になる哉太とは対照的に、アニカは冷静に問いかける。

「けど、それだとこのcommotionの前に既に感染者がいたことになる。それだとアナタ自身がhostとなって既にBio Hazardが起きているはずじゃないの?」
「[HE-028]の感染力は目的のために開発された後付けの性能だからね。僕らに使われたのは初期段階の[HE-004]だ。感染力もないし、脳内イメージの転写も行われない。
 活性反応を見るためにごく少量が使用されただけだから、適応できなくとも適切な処置を行なえば命までは奪われない。僕の恋人だってそうだ」
「恋人が?」
「ああ。彼女は適応できなかった。今は意識を混濁させて入院中さ。だが、それも仕方のない事だ」

植物状態になった恋人を仕方ないで片づける。
これは彼がマッドサイエンティストだからなのか。
だが、心を痛めているのは本当ならば、それだけの目的意識があるからなのか。

予想と余りにも違う展開に哉太は言葉を失っている。
その横でアニカは何かを考えこんでいた。

「――――Whydunit」

アニカが静かに呟く。


573 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:43:23 UX7pNUy20
「そうまでしてウイルスに抗体を持った人間を作り上げた理由は何? アナタは一体どんな役割をもっているの?」

多くの研究員を犠牲にして、何故、抗体を持った人間を作る必要があったのか。
安全な抗体があると言うのなら、関係者に事前に打っておくのは理解できる。
だが、いつ起きるとも分からないバイオハザードの対策としては余りにもリスクが高すぎる。
そこまでリスクのある行為をするからには明確な理由が必要だ。

「記録係さ。バイオハザードが起きた際に、現地で起きた出来事を中から捉えつぶさに記録する知識を持った人間が必要だ」

錬が答える。
だが、それの指し示す事実はつまり。

「待て。それじゃあ、あんた等はこのバイオハザードが起きると事前に解かっていたようじゃねぇか。
 この事件は地震によって偶発的に起きた事故だったはずだろ?」
「地震? 確かに昨晩の地震は大きかったが、それは偶然重なっただけだ。今回の事件とは関係がない」
「関係が、ない…………?」

愕然とする哉太をよそに冷静を保ったアニカが問う。

「何故そこまで断言できるのかしら?」
「………………それは」

閉じ込められていた錬は外の様子をまるで分っていなかった。
にも拘らず、今回の事件が起きると断言した。
しかもリスクの高い事前準備まで行ってだ。

「このVillage Hazardはアナタ達のPlanだった、という事ね」

彼がこの事件が起きると事前に知っていたのは、この村を襲ったバイオハザードは他ならぬ彼らによって計画されていたモノである。
そう結論付けざるを得ない。

「ふ――――ふざけんなッ!! どうしてこんなことをした、答えろッ!」

それを理解した哉太が一瞬で激昂して扉に詰め寄る。
檻がなければ確実に殴りかかっていただろう。

「……君のその反応はもっともだ、君たちには悪いと思っている。だが、仕方のない事だったんだ……!」
「仕方がない……? さっきから仕方ない仕方ないと繰り返しやがって!
 これが、これだけの事をしておいて仕方がないだと!? 俺達の村が犠牲になる事がかッ!? ざけんなッッ!」

村を貶めた元凶を村の少年が糾弾する。
だが、錬は罪悪感がないという訳ではないようで、その糾弾に胸を痛めているようだ。
それだけの当たり前の良識を持ちながら、それでも彼らは実行した。
それだけの事をする理由はどこにあるのか?

未名崎錬と言う男は転んだ子供がいれば絆創膏を張るような善良だった青年だったはずだ。
そんな青年が、これほどまでに狂ってしまうだけの『真実』がどこかにある。
研究所にも逆らい、これ程の凶行に走るだけの理由が。

「答えなさい。何故こんなことをしたの?
 アナタたちがこの村をSacrificeにしたというのなら、この村の人間には知る権利があるはずよ。Answer me!」

強い口調で迫られ、苦し気な表情をしていた錬は観念したように口を開く。

「……ああ。元よりそのつもりだ。僕がここから出られない以上、君たちの理解は僕にも必要だからね」

そう言い訳のような前置きをして、胸の内を吐き出し始めた。

「我々にはもう、時間がないんだ……ッ!」
「それは、どういう意味?」
「そうだ……時間がない。正しいのは副部長だ。所長も副所長も暢気すぎる……ッ!」

アニカの問いに答えるでもなく、ここにない誰かを非難する様に青年は吐き捨てる。
その様子は追い詰められたように焦燥に駆られていた。

「染木副所長や長谷川部長だって、僕らには今頃感謝しているはずだ……ッ! 僕らのやり方が正しかったと思っているはずだ……ッ!」

研究所の方針に反感を持っているという茶子の言葉の意味を、勘違いしていた。
悪しき研究所のやり方に反発する正義の志を持った連中であると、そう考えてしまっていた。
まさか、研究所の方針を『温い』と断ずる『過激派』連中であるなどと、哉太は、いやアニカですら考えていなかったのだ。

この世界には絶対的な正義も悪もない。
あるのは己を正義を信じる人間の意志のみである。




574 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:45:49 UX7pNUy20
秘密の通路を辿って、花子一行はついに全ての秘密が眠る地下研究所へとたどり着いた。
だが、山折村を崩壊に導いた悪の巣窟と言っても過言でもない地の底で待ち構えていたモノは予想だにしない意外な物だった。

それは、この世のモノとは思えない程の美女がファンタジーな剣を片手に血濡れの巫女服を纏ってヘルメットを被る姿だった。
どこからどう見てもコスプレ少女にしか見えない。
地下の研究所ではなく不思議の国にでも迷い込んだのではないかと錯覚しそうになる光景である。

「春ちゃんが、どうしてこんなところに?」

唖然とした表情で、そこに居るはずのない人間を見つめていた珠の額がデコピンで弾かれる。

「…………ぁうッ!?」
「たわけ。妾が居る場所こそ妾の場所よ。疑問を持つことではなかろう」
「痛いし相変わらず意味わかんないよ、春ちゃ〜ん」

赤くなったおでこをさすりながら、抗議の声を漏らす。
けっこうな年の差があるはずだが、それなりに遠慮のない気心の知れた関係のようだ。

「なら尋ね方を変えましょうか。『どうして』ではなく、あなたは『どうやって』ここに来たのかしら?」

馴染みの2人の間に、横から唐突に声が割り込んできた。
春姫は声を発した女を怪訝な目で見つめる。

「なんだこの馴れ馴れしい女は?」

無礼な闖入者を指さし珠に尋ねる。
だが、珠が答えるよりも早く、馴れ馴れしい女は親睦の握手を差し出した。

「初めまして。私は田中花子よ。よろしくね、春ちゃん」

握手の手を伸ばしている花子を一瞥だけして、春姫は視線を周囲に向けた。

「氷月の娘に、そこな男も見覚えがあるな。だが貴様は初見だ。村の者ではないな、外様の者に春ちゃん呼ばわりされる謂れはないわ」
「これは失礼。なら、春姫さん、それとも神楽さんとお呼びすべきかしら?」
「ほぅ。妾の名を知るか」
「ええ、有名人だもの」

名乗らずとも調べはついているのか、花子は春姫の名を把握していた。
春姫としても知らぬ人間に名を知られている不気味さよりも、知らぬ人間が名を知っている自身の偉大さの方が気になるようで、何やら満足気である。

「敬意を忘れぬなら呼び名はどちらでも良い」
「なら春姫ちゃんで、私の事は愛を込めて花子ちゃんと呼んでくださって結構よ」
「まあよかろう。愛は込めぬがな」

周囲を置き去りする飛んだ会話を交わして2人は名乗りを終えた。
花子はマイペースにも周囲を見渡す。

「ここは資料室みたいね。春姫ちゃん。ここは地下の何階かわかる?」
「3階。最下層だ」
「そう。ありがと。少しこの資料室を探索したいわ。珠ちゃん協力お願いしてもいいかしら?」
「あっ。うん」

言われて珠が本棚を見つめる。
彼女の異能があれば専門知識がなくとも、重要書物を見抜くことができる。

「あれと、これとこれ。あとそれも」

珠は本棚に並ぶ膨大な資料の中から、迷うことなく数冊を的確にピックアップしていく。
その指示に従い珠の選んだ本を花子が本棚から引き出して行った。
そうして数冊選んだところで、珠の指示が止まる。

「これで全部かしら?」
「えっと、あと一冊あるんだけど……」

何か言いづらそうに言葉を濁し、ある一点を示すように躊躇いがちに指さした。
その先にいたのは血濡れの巫女だった。

「どうした日野の。何をしておる。あまり人を指差すでない」
「いや、何か春ちゃんの胸元が光っているんだけど、何か持ってる?」
「ふ。中々慧眼ではないか」

何やら楽し気に笑みを零すと、子供が宝物を見せびらかすような顔で胸元から一冊の本を取り出した。

「研究所の連中が再編した『村の歴史書』である」
「えぇ……ホント村の歴史書とか好きだね、春ちゃん」

珠が呆れたように辟易とした声を上げる。
彼女がこの手の書物を収集するのはそれ程に日常茶飯事なのだろう。

「その一冊。お借りしてよろしいかしら?」
「よかろう。勤勉なのは良きことだ。そうさな。どうせなら妾が直接村の歴史について啓蒙してやろうか?」
「大変興味深いお話だけど、それは全てが終わった後でお願いするわ」

ひらりと誘いを躱して春姫から村の歴史書を受け取った。
これでこの部屋にある重要書物は全てのようだ。
軽率な約束を交わしたが、この女はやると言ったらやる事を珠はよく知っている。


575 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:47:17 UX7pNUy20
「それじゃあ、私はこの資料を少し調べるわ、その間に春姫ちゃんのお話を伺っておいて」

強い愛村心を持つ春姫の相手は村の人間がした方がスムーズだろう。
そう言って、花子は一人手にした書へ向き直り集中する。
残された3人の中は、威風堂々と起立する紅白巫女と向き合う。
とりあえず一番春姫と縁の深い珠が自然と聞き役になっていた。

「それで、春ちゃんはどうやってここに辿り浮いたの?」
「徒歩(かち)だが?」
「そーじゃなくてぇー」
「研究所にはそれなりのセキュリティーもあっただろうし、何より病院には筋肉の怪物がいたはず。あれはどうしたの?」

珠では荷が重そうだったので海衣が質問を引き継ぐ。
診療所に巣を張っていた海衣たちに撤退を余儀なくさせた怪物。筋肉と粘菌を合成したようなナニカ。
アレがいる以上この研究所にはたどり着けないはずだが。
まさか奇跡的な相性の良さを発揮して、アレを突破したとでもいうのだろうか。

「知らぬな。無作法な食事跡はあったが、それだけだ」
「食事跡? 怪物はすでに立ち去った後だった、という事?」

あの怪物に対して秘密を守護る門番のようなイメージを抱いていたから、自ら立ち去るなどと言う可能性は考えもしなかった。

「さてな。道中は気狂いとワニの化生と通りすがったが、肉の怪物などはとんと知らぬ」
「……ワニ?」

海衣も珠も首をかしげる。
何かの例えだろうか? 何を言ってるのかよくわからない。
あまり関わり合いのなかった海衣からしても村の名物変人であることは知っていたが、やはり話がかみ合わない。

面倒を押し付けてきた花子を恨めし気な目で見つめるが
花子はこれまでにない真剣な面持ちで海衣ではとても真似できない速度で速読のように書を読み進めていた。
専門書を読み取れるだけの知識もない、彼女に任せるしかないだろう。
海衣は海衣で自分の出来る事をやるしかない、真実を得るために。

「門番はいなかったにしても、セキュリティーはどうやって突破したの?」
「パスは拾った。フロアと毎にレベルの高いパスが必要なようだったが開かない扉は破壊した」
「無茶苦茶だよぉ……春ちゃん」

火の玉ガールもドン引きの行き当たりばったりの蛮勇である。
それで本当に研究所の最奥にたどり着いているんだから何かがバグってるとしか思えない。

「けど、この状況なら理にかなっている行動だね」

海衣がこの行動に理解を示す。
脱出ゲームではないのだ、律儀に鍵を見つけて謎解きをする必要はない。
破壊してでも進めるのなら、そうするべきだ。

「それで春ちゃんはそんな感じで研究所を調べて何か見つけたの?」
「否。此度の施設、大なるものは無かったぞ」
「えぇ…………本当かなぁ」

その発言の信憑性は薄い。
嘘を付いているとかではなく、春姫をよく知る人間ならば彼女がちゃんと探索したとは思わないのである。
確実に苦手分野だ。自覚がないのが困り者だが。

「そうさな。あったと言えば、菌どもの管理している部屋に空いた穴と、その周囲で胡乱な連中が死していた事くらいか」
「「「え…………ッ!?」」」

話を聞いていた全員が驚きの声を上げる。

「後はウイルスも手に入れたか」
「メチャクチャ重要じゃん!?」
「…………何だ喧しい」
「むしろなんでそんなテンションでいられるの!? 春ちゃん今ピカピカ! ピカピカだよ!」
「妾が眩しい存在なのは当然であろう」
「いいから! 神楽さん! その話、詳しく!」

急にテンションの上がった2人に春姫は面倒そうにローテンションを返す。
だがそれでも喰らい付いて来る2人に、やれやれと言った風に渋々と応える。

「愚者どもの諍いがあったのであろうな、白衣と警備服と祭服の死屍累々よ」
「それはどこ!?」
「すぐそこだが?」

言って資料室の出口を指す。
春姫への聞き取りでは埒が明かない。
自分の目で真相を確かめるべく海衣は扉に手をかけた。


576 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:48:15 UX7pNUy20
「何…………これ」

死体だ。
扉の先には白黒取り取りの死体が河のように広がっていた。
そして、資料室から遠く見える壁に、確かに大穴が開いているのが確認できる。
恐らくあそこが細菌の保管室だったのだろう。

「これは……どういう事?」

理解できない。
死に慣れてきた海衣ですら混乱を隠しきれない光景である。
いや、むしろこの事実を知っておきながら冷静を保っていた春姫は何なのか。

「どうやら、ウイルス騒ぎが起きる前に、ここで殺し合いが行われていたみたいね」
「……田中さん」

いつの間にそこにいたのか、海衣の背後に花子が立っていた。

「ダメじゃない、いきなり飛び出しちゃ。どんな危険があるとも分からないのだから」
「…………すいません。気を付けます」

軽率な行動を注意され資料室に戻る。
花子がこうしているという事は資料確認は終わったのだろう。

「それで、資料の方はどうなったんですか?」
「一通り確認し終えたわ。お蔭でこの研究所についてはだいたい把握できたわ」
「本当ですか…………!?」

いきなり資料室に繋がっていたと言うのも大きいだろうが。
早くも目的の一つである研究所の詳細にまでたどり着けた。

「教えてください田中さん。判明した『真実』を」

海衣は真実を問う。
だが花子はすぐには答えなかった。
表情を変えぬまま、どこを見つめているのか視線を逸らす。

「そうね。この村で起きた全てではないけれど、少なくとも研究所が行おとしていた事は分かったわ」
「なら、」
「けれど、ここから先を聞くには覚悟が必要よ。世の中には聞かない方がいい話もあるわ」
「今更なんです? 私たち全員、覚悟なんてとっくに決まってます」

海衣の背後で珠も頷く。
この研究所に足を踏み入れた時点でそんなものは決まっている。

「うーん。けどねぇ。正直な事を言うと、この話をすると私にとっても不都合な話をしないといけなくなるのよねぇ」
「何ですそれ」

花子の呟きに対する海衣の声には苛立ちが含まれていた。
この土壇場に来て、何を眠たいことを言っているのか。


577 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:49:03 UX7pNUy20
「田中さん。あなたは私に言ったはずです。この先に『真実』があると」
「そうね。確かに言ったわ」
「だったらあなたには教える義務がある、私には知る権利があるはずだ。不都合だろうと教えてください『真実』を」

海衣を誘うための口説き文句だったが、うまく言質を取られてしまったようだ。

「……なるほど。確かにその通りね。負けたわ。話してあげる。確かにアナタたちには知る権利があるわ。
 まあ、ここまで来たんだもの。どうせこの資料室を漁ればわかる事だしね」

観念したというより、元からそうなると分かっていたように息をつく。
彼女としても無駄な抵抗をしてみただけだ。

「けど、この情報はあなたたちが知るべきではない、というのは本当よ」
「それは、知れば命を狙われる、という事ですか?」
「それもあるけど、知るだけで正気を保てなくなる類の情報もある、という事よ。
 そして今から私が話す内容はその類。その覚悟はあるのかしら?」

改めて資料室を見渡し、この場にいる全員へと問いかける。

「僕はないので、外に出てますね」

そそくさと資料室を出て行こうとする与田の首根っこを掴まえる。

「そうはいかないわ。研究所に纏わる話ですもの。センセには聞いて頂かないと」
「うぅ……」

相変わらず拒否権のない男である。
共石に席につかされた与田を含めて一人たりとも部屋から出て行く者はいなかった。
花子はそれを確認して、全員に視線をやった。

「研究所の説明をする前に今の世界の状況を理解する必要があるの。少し長くなるわよ」
「世界?」

開発の波にのまれてようとしていた片田舎の小さな村には似つかわしくない、曖昧かつ壮大な単語が出てきた。

「それじゃあ、まず結論から言うとね」


「8年後に、この世界は滅びるの」





578 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:51:05 UX7pNUy20
「黒木さんがこちらに来た、という事は。任務は完了したのですか?」
「いいや。失敗した、マヌケにも返り討ちだ」

一般人である碓氷とスヴィアの『御守』を小田巻に任せ休憩室に残して。
少し離れた資料室で今回の任務に当たっている正規の特殊部隊の二人は情報共有を行っていた。

「実は私もハヤブサⅢとは交戦したのですがが、同じく返り討ちでした」
「そうかい。それじゃあマヌケ同士仲良くやろうぜ」

軽い調子で言ってのけるが、その内は炎が煮えたぎっているだろう。
燃え滾らぬのではなく、この怒りをコントロールしてこそのプロである。

「それで、交戦して見てどうだった? もう一度れば勝てると思うか?」
「無理でしょうね。私が生き残れたのは偏に装備の差でしかない。
 仮にハヤブサⅢが防護服を貫通できるだけの装備を手に入れていたのなら私では勝てないでしょう」

謙遜や卑屈もない、客観的な正しい戦力評価だ。
真珠もその意見には同意する。

「そう言う黒木さんの方こそどうなんです? 再戦すれば勝てるとお思いで?」
「一対一なら確実にあたしが勝つ。だが、前回と同じ条件なら無理だろうな。向こうは徒党を組んでやがった。
 ただのパンピーならともかく、異能の絡んだ連中を使って策を練られるとお手上げだ。正直あたし一人じゃ厳しい」

正面から異能者の集団を突破できるのは大田原か美羽くらいの物だろう。
1人の強力な異能者であれば勝てるだろうが格闘戦を主とする真珠では集団戦となると不利だ。

「なるほど。それで私と組みに来た、という訳ですね」

意を得たりと納得する。
同じ煮え湯を飲まされた身として、その判断は天にも理解できる。
目には目を、集団には集団を。天の招集は真珠にとっても渡りに船だったのだろう。

「しっかし、標的である民間人まで取り込んでるとはな」

同じ隊員である小田巻はまだしも、スヴィア達の存在は意外だった。
なにより他ならぬ天が標的を取り込む判断をするとは思わなかった。

「勝手な判断だと咎めますか?」
「いいや。素直に見直したぜ」

この状況で真珠にはできなかった正しい判断だ。
ルーキーと侮っていた相手が先にその結論に至り実行していたというのは業腹だが、そこは認めざるを得ない。

「つー訳で、あたしも今からお前の指揮下に入る。いいな」

その言葉が意外だったか天は僅かに黙り込む。
あくまで現地で徴集された一般人という立場の小田巻と違い、現地で活動する隊員同士と言う対等な立場である。

「……指揮権は私でよろしいので?」
「構わねぇよ。階級も年齢もお前の方が上だろう」

真珠はそう言うが、完全な実力社会であるSSOGに所属した時点で階級も何もない。
SSOGでの実戦経験で言えば真珠の方が上だ。

「意外です。黒木さんは私を認めてないと思っていたので」

侮られていることくらいは理解していた。
だからこそ彼女が招集に応じたこと自体が意外だったのだが。

「ま。それは否定しねぇさ。だが、今はお前の指揮に全面的に従ってやる。
 部隊に所属した時点でとっくに命は捨てる覚悟は出来てるが、トーシロに命を預ける程あたしの安くはねぇ。巧く使え」
「…………了解しました」

隊の指揮を預かると言う事は命を預かると言う事だ。
それに従うと言う事は命を預けるに値すると認めたと言う事だである。
その重みを理解する事こそが指揮官としての資質である。

「ただし、一つだけこちらから要求がある」
「なんでしょう?」
「今後ハヤブサⅢと接触した際に、あたしと奴の一対一の状況を作れ。
 過程も手段も問わない、使い潰しても構わない。意味は分かるな?」
「ええ」

真珠の任務はあくまでハヤブサⅢの暗殺。
最悪、それを可能とするなら作戦完了後に真珠が死んでいたって構わない。
その前提で策を練れと言う事だ。

氷使いにも借りを返したい所だが、それとこれとは別の話だ。
私怨を任務と混同したりはしない。
まあ返せるのなら返すのだが。


579 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:53:15 UX7pNUy20
「それでは、まずは現状を共有します。よろしいですね?」
「ああ。命令権はお前にある。わざわざ問う必要はねぇよ」

指揮系統が決まり情報共有が開始された。

「それで、お前らは何のために研究所にやって来たんだ?」
「そうですね。その説明ついでに、あなたの意見も伺いたい」

天は説明を始める。
成田の意見も参考に放ったが、狙撃手は独立した特殊思考が必要なポジションだ。
単独任務が多く個人作戦の立案能力の高い真珠の意見も聞いておきたい。

「研究所が生死を『誤認』するって意見は支持できねぇな」

まず、第二派の可能性について説明した所、出てきた真珠の第一声がこれだった。

「何故です?」
「村にはこっちの監視網がある。こそこそ隔離なんて怪しい動きをしてたら見逃すはずがない。
 最悪、監視網の外で隔離が実行されたとしても、研究所はともかく隊長たちがそんな不審な動きを見逃さねぇだろ。
 仮に研究所側が誤認しても、その可能性を進言してくれるはずだ。そうしたらあたしらに確認の指示が下りるだろうよ」

判断を下す研究所ではなく、監視をしている同僚への信頼から。
真珠が天の意見を支持しないのはそういう理由からだった。

「確かに、隊長や副長が考慮していないはずがないですね」
「まぁ研究所が適当な死者をスケープゴートにして『意図』して誤報を流す可能性は否定できねぇがな。第二波の懸念自体はしておくべきだろうさ」

この手の想定はやりすぎという事はない。
何重にも備えて対策を撃つのが基本である。
一切のミスが許されぬ秘密部隊の仕事であればなおのことだ。

「後は、ばらけちまった標的を集める策が必要って考えは支持する。放送を使うって案も悪くない」

続いて、天の立案した放送作戦について評価を下す。

「可能だと思いますか?」
「そうだな。魚が集まるかどうかは餌次第だが、実行自体は可能だろう。
 あたしの見立てでも研究所に放送設備は『ある』。村の放送設備が壊れていた以上そう結論付けるしかない」

放送局が壊れていることを知っているという事は、あそこを調べたのは真珠だったと言う事なのだろう。

「あなたも放送局を調べられたのですね。その辺を含め黒木さんがどういう経緯を辿ったのかも伺っておきたいですね」
「経緯っても、あたしは任務の通りハヤブサⅢの痕跡を追ってきただけだから、放送局以外は特筆すべき点はないんだが」

とりあえず、真珠は一通りのここまでの経緯を語った。
村民との小競り合いこそあったものの、トピックと言えば上月みかげと言う昔の知り合いの少女と出会ったと言う程度だ。
最後に保育園で標的と接触するも、返り討ちに合った、と言う事だった。

「そっちは、道中で何かあったか?」
「そうですね、道中では成田さんと接触しました。
 その成田さんから得られた情報ですが、交戦した物部天国からこのバイオハザードを引き起こしたのは自分であると自供を聞いたそうです」

それを聞いた真珠は驚くよりも怪訝さが勝ったのか、防護マスクの下の顔を歪める。

「物部ぇ? あの物部天国か?」
「ええ。あの物部天国です」

その名に微妙な空気が流れる。
掃討作戦にて取り逃した国内最大のテロ組織の首領。
狂人――――物部天国。

「狂人の戯言じゃねぇのか?」
「その可能性は大いにあるとは思いますが。それだけではなく。
 裏でテロリストの糸を引いていたのは研究所の人間であると言う証言も、同行しているスヴィア博士からとれています」

言われて、真珠は先ほど視界の端にいた女性の姿を思い返す。

「元研究員って言う同行してたあのチビ女か」
「ええ。彼女は元研究員で、この村で旧知の間柄である未名崎錬という研究員からの接触を受けたそうです。
 そこで詳細こそ聞けなかったもののこの村で何かをしようとしている事。彼には何らかの役割があると言う情報を聞いたそうです」
「詳細を聞けなかったってのは?」
「あまり良好な別れ方をしてなかった相手らしく、急な再会で感情的なぶつかり合いになってしまったそうです」
「痴情の縺れってやつか」

下種の勘繰りだが、まあそう言う事だろう。

「後日、冷静なった彼女は与えられた情報を元に、元研究員である伝手を辿って調べた結果、そういう結論に至ったとか」
「その話の裏は?」
「司令部に報告済みです。そちらで検証中かと」

上が検証中ならば、自分たちにすることはない。
真珠はひとまず切り替え、得た情報は正しい物であると言う前提で考察する。


580 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:55:31 UX7pNUy20
「だが、研究所が黒だって話なら、妙だな。もしそうなら、あたしらの介入を許すとは思えねぇ。
 連中が本当に黒なら、奴らが取るべきスタンスは、完全に突っぱねるか、取り込むかのどちらかだろ。介入を許すってのは対応として半端だ」
「それは、SSOGを呼び込んだ研究所の上層部とこの村の騒ぎを起こした研究員の意志は別と考えるのが自然では?」
「そうだな。一枚岩ではない可能性は高いか……」

研究所の思惑から外れた研究所内に連中がいる。
その可能性が高いだろう。

「だがそうだとして、その別動隊ってのは何が目的だ? こんなことをして何の得がある?」
「有体なところだと、大規模な人体実験だとか?」

確かにこれだけ大量の人間が発症しているのだ。
膨大な研究成果が得られるだろう。
怪しい研究所としては分かりやすい目的だ。

「ま。ありがちだが、妥当な線だな。
 だが、あまりにもリスクとリターンが見合わねぇ。ここまでド派手にやる必要があるか?」

人体実験ならそれこそ秘密裏にやればいい。
村一つ崩壊させると言うのは余りにもリスクが高すぎる。
何故ここまでする必要があったのか?

「そうですねぇ……考えられる可能性は4つ、でしょうか」
「なるほど。聞こう」

天の思いついた可能性について尋ねる。

「まず、シンプルにリスク以上のリターンが見込める場合です。我々が把握していないだけで研究所には何か大きなリターンがあるパターンですね」
「このリスクに見合うリターンってのがいまいちピンと来ねぇが。ま、向こうの実情が把握できていない以上は否定できねぇな」

研究成果によって得られるものが村一つ滅ぼすに見合うことなどあり得るのか。
あるいは、こちらが把握できていない成果があるのか。

「次に、リスクを踏み倒せると考えている場合。つまり我々の事後処理を期待しているのか、他の伝手でもあるのかもしれません」
「契約があるにしても、あたしらの働きが前提すぎる。その線は薄いと思うが」

掃除してもらえる前提にしては事が大きすぎる。
何より他人にケツを拭いてもらおうと言うのは甘えが過ぎる。

「そして、リスク自体がリターンである場合です」
「要は研究所を潰すのが目的だった場合ってことだな。研究所の上層部と別って話が正しいならあり得るが、微妙なところだな」

実際これで潰れるかと言えば微妙なところだ。
他ならぬ天たちの隠蔽工作によって、研究所は生きながらえるだろう。
その辺の上層部の取り決めを把握していなかった言う可能性はある。

「最後に、何かしらのやらねばならない事情がある場合です」
「なんだぁ、パトロンにケツでも叩かれたか?」
「それも可能性の一つですね」

どれもありそうでなさそうな可能性だ。
ともかく、今は結論の出しようがない話である。

「さて、このように可能性は幾つか考えられますが。確証を得られるような情報はないのでなんとも」
「そうだな。あたしらはこの研究所の目的をなにも理解できちゃいねぇ。
 だが丁度いいじゃねぇか、今あたしらは研究所にいる訳だしな」

秘密の眠る事態の真っ只中だ。
研究所の背後関係もいくらでも調べようはあるだろう。
考察の確証も得られるかもしれない。

「ですが、研究所の調査は任務に含まれていません」

冷静に点が指摘する。
だが、その指摘を真珠は笑い飛ばした。

「はっ! どの口が。テメェの足でここまでやってきておいて調査する気はありませんってのはさすがに通らねぇよ」
「そうですね」

天はあっさりとこれを認める。
先ほどの指摘はポーズでしかなかったようだ。
研究所の封鎖や放送による標的の集約。様々な名目こそ重ねているものの、天も研究所自体に気になる点がある。

「へっ。優等生が随分と染まちまってまあ」

悪友のように楽し気に言う。
だが、真珠としてはこちらの方がやりやすい。

「研究所を調べるとして、現状はどうなってる? あたしと合流前にある程度は調べてるんだろう?」
「その件ですが、既に我々より先に研究所に侵入した何者かの痕跡がありました。
 推測ですがブルーバードである可能性が高いかと」

天の憶測に真珠は納得いかないのか、僅かに首をひねる。


581 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:57:40 UX7pNUy20
「どうかな。この緊急時に相棒であるハヤブサⅢと同行していなかった以上、ブルーバードはゾンビ化していると思うがね」
「……確かに、一理あるとは思いますが。別行動をしている可能性も考慮すべきかと。
 相手は戦闘特化のエージェントだ、警戒するに越したことはない」

大田原クラスなら1人でこちらを壊滅しかねない。
怪物を相手取る心づもりで警戒心を高める天。
だが真珠の態度は違った。

「そこまで心配する必要はねぇよ。相手が単独であればあたしにお前、ついでに小田巻までいれば異能って不確定要素を考慮してもまず負ける事ぁねぇだろ」
「そうなんですか?」

素人2人はともかく天と小田巻と真珠で当たれば問題なく勝てるとそう言っていた。
経験値のある真珠の戦力評価は無視できない。

「ああ。小競り合い程度だが1度だけ現場でやり合ったことがある。直接的な戦闘力だけで言えば関しては精々あたしと互角がやや上ってくらいさ。
 大田原さんみたいな化け物を期待してるなら肩透かし喰らうぜ」

天から見れば真珠も十分に化け物だが、その真珠と同等言うのなら。
異能を特殊部隊1名分と加味してもスリーマンセルなら勝てるという評価は分かる。

「それにな、戦闘特化のエージェントってのは、少し意味合いが異なる」
「それはどう言う…………?」
「ともかく。そこまで心配する必要はないってことだ。
 まあハヤブサⅢみたく向こうも徒党を組んでいた場合は話が変わってくるがな」
「まずは敵の戦力確認と言う事ですね」

ブルーバードであると言うのはまだ推測に過ぎない。
誰が、何人いるのかすら分かっていないのだ。
まずは正確な戦力把握が必要だろう。

「後は先ほど研究所の調査をして判明したのですが。この研究所のネットワークが生きているのを確認しました。
 既に外部に情報が洩れてる可能性があります」
「…………なんだと?」

特殊部隊の任務である機密保持の観点から言えば非常にまずい事態である。

「そりゃ確かにマズイな。だが外への影響は司令部に調査してもらうしかねぇな。
 それよりも、通信が生きてたのならもう一つ懸念すべき点がある」
「何でしょうか?」
「外部から何らかの指示を受けた人間がいる可能性だ」

情報を外に送り出すのではなく、外からの情報を受け取ったと言う可能性。

「ですがその場合、受け取り手が必要でしょう」

誰がゾンビになるとも分からない状態では、指示の受け手が無事であるとも限らない。

「有事に備えて研究員に予防薬を打っていても居てもおかしくはねぇだろ」
「だが、研究員も発症しています。予防薬は存在しないのでは?」

地面に転がる、先ほど片付けたゾンビの死体を視線で差す。

「全員でなくとも。重要なポストの人間に打っている可能性は?」
「可能性ならあるでしょうが、研究員を見捨てる理由としては弱いですね。抗体があるならやはり全員に打つかと」
「コストや生成法が特殊だとか、特別な事情があった可能性はあるだろう?」
「可能性はそうですが、やはり同意はしかねますね」

結局、確かめようのない可能性の話に収束する。
一つくらいは確証が欲しいが材料が足りない。

「そうだなぁ、なら発想を逆転させるか。
 ゾンビになっていない研究員がいればそいつが受け子である可能性がある、ってのはどうだ?」

結果論からの推察。
標的探索に使った手法に近い発想である。

「…………ゾンビになってない研究員?」

その言葉に天が何かに思い至る。
同時に、その言葉を口にした真珠も同じ結論に辿り着いた。

「……1人、心当たりがありますね」
「ああ。あるな、心当たり」

ハヤブサⅢと行動を共にしていた研究員。
交戦したハヤブサⅢが強烈すぎて完全に存在が影に隠れていた。

「そーいや、何もんだアイツ?」
「確認します」

天が司令部から受け取ったスマホを操作して情報を引き出す。
確認されたその名は――――。




582 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 21:59:48 UX7pNUy20
「世界が……滅びる?」

哉太があっけにとられた様子で呟いた。
頭に血を登らせていた哉太も、余りに突拍子のない話にすっかり毒牙を抜かれたようだ。
何せ、未名崎錬の口から矢継ぎ早に語られたのは世界が滅びるなどと言う陰謀論者も真っ青な与太話だった。

冗談を言ってられる状況でも、冗談を言っている雰囲気でもない。
言葉を失う哉太の代わりに背後のアニカが尋問を引き継ぐ。

「その情報のsourceは? 何故アナタがそんなことを知っているの?」
「烏宿副部長が話してくれた」
「……烏宿? ひなたちゃんの親父さんか」

これは研究所がひた隠ししてきた機密事項である。
当然一般所員には知らされており、研究所内でも部長クラスより上の一部の人間にしか知らされていない。

彼の上司である烏宿暁彦は副部長に昇進した際にその事実を知らされた。
8年後に世界が滅びるという耐えがたい真実を。

だが、彼はその事実に耐え切れず、絶対機密のその情報を部下に漏らした。
錬が知ったのはその時だ。
そして、世界を救う同志を募った。
怠慢な研究所ではなく、己たちが世界を救うのだという崇高な意思を掲げ。

以上が錬から語られたあらましだ。
それらを聞き終えた哉太とアニカはいったん牢から離れ錬に聞こえないよう小声で話し合う。

「……どう思う?」
「Untrustworthyね。あまりにもNonsenseだわ」
「けど」
「ええ。彼は信じている。もしかしたら研究所自体もその情報を元に動いているのかもしれないわね」

それが真実であるかはともかく、それを真実と信じて動いている人間がいる。
今はそれだけ理解できていればいい。

「つまり、アナタたちは、世界を救う研究を完成させるために」
「ああ……今の研究ペースだとZデー(終わりの日)に間に合うとは思えない。だから研究を大きく進める一手が必要だったんだ」

大規模な人体実験。
感情の刺激で定着の進むウイルスの特性のため極限状況を作り出し、その進化を現地で観察する狙いもあった。
だが、その一言に哉太が怒りに目を見開いた。

「……あぁん? 進める一手だと。その一手が、俺たちの村を犠牲にすることか? 何の罪のない人たちをゾンビにすることか!?
 世界を救うためならこんな小さな村がどうなってもいいって事かよッ!!?」
「…………そうだ。キミらに恨まれようとも悪魔と罵られようとも、必要な事だった!!」

罪悪感を使命感で押し殺した声で、真正面から言い返す。
詭弁でも言い訳でもなく、彼は本気で言っているのだ。
本気で世界を救おうとしている。
これは彼らにとっての絶対の正義だ。

「ふざけんな! 自分の正義のために何人殺してもいいだなんて、まんまテロリストの理論じゃねぇか!」
「違う。あんな奴らと一緒にしないでくれ! 我々は世界を救うために…………ッ!!」
「だからそれが…………ッ!!」
「――――shut up!!」

ヒートアップして口論になりかけた男二人を少女の叫びが遮る。
シンとした一瞬の静寂。アニカが没頭するように考え込む。
テロリスト。持ち出された研究成果。クローズドサークル。島にいた研究員。
それらすべての要素が探偵少女の脳裏に一つの結論を導き出させた。

「No way――――あなたたちは、テクノクラートでもこの村と同じ事をやろうとしていたの?」

孤島に作られた複合施設『テクノクラート新島』。
クローズドサークルと言う意味では、山に囲まれた陸の孤島である山折村と条件は同じだ。
では、そこに研究員たちは何のために集まっていたのか?
彼らはウイルスを散布して、この村と同じ地獄を作り上げようとしていたのではないか?。

「………………」

この疑問に錬は答えない。
ただ、ばつの悪そうな顔でガラス窓から目をそらすだけだった。
その態度が答えだった。

「つまり、あのテロリストどもは目くらましで、その裏で研究員たちはウイルスをバラまこうとしていた、って事か……?」

哉太が怒りを通り越して唖然とした声でつぶやく。
だが、その計画は失敗した。


583 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:00:24 UX7pNUy20
「だったら、あのテロリストどもはアンタらの仲間だったのか」
「違う。仲間じゃないさ、金で雇っただけだ」

志ではなく金で繋がるだけの関係だ。
だが、雇ったテロ組織は使えなかった。
所詮は本家の過激な方針について行けず脱落した連中によってできた分家だ。
だから素人の子供なんかに翻弄されて失敗した。

テロリストは突入した自衛隊の特殊部隊とたまたま居合わせた剣術少年と美少女探偵によって制圧され。
その裏で行われるはずだったバイオテロは、青髪のエージェントと証拠隠滅ために派遣された研究所の特殊部隊によって阻止された。
そして踏み込んできた自衛隊連中に対する証拠隠滅として、派遣された研究所の戦闘部隊によって研究員たちは始末され、錬は捕らえられた。
これがあのテクノクラートの真相である。

「あんたが黒幕だったんなら、テロに巻き込まれた怪我人の治療をしてたのはなんでだ?」

テクノクラートで錬はテロによって出た怪我の治療をしていた。
それは、少しでも非検体を減らしたくなかったからなのか。
それとも彼が目の前の怪我人を放っておけない人間だったからなのか。
そんな当たり前の善性を持った人が凶行に走った、それ以上の正義によって。

「そこまでして、バイオテロが起こしたかったのか……?」
「バイオテロじゃない。世界を救うための研究だ…………!」

だからこそ、ただ起こしただけでは意味がない。
発症した人間の変異を観察して、その成果をもって研究を完成させる。
そこまでして、彼らの悲願は達成される。

「だから、僕はこんな所に閉じ込められている場合じゃないのにッ!!」

彼は嘆いていた。
己が監禁されている事ではなく、自らの手で出した犠牲が無駄になると。
本気で、嘆き、悔い、悲しんでいる。
世界を救うという身勝手の下に。

「頼む。僕に協力してくれ! 全てが終わった後に僕をどうしてくれても構わない!
 世界を救うためなんだ。保険が機能しているとも限らない、君たちの助けが必要なんだ!」

そこには世界中の人々の命がかかっている。
今生きている人間だけではない。
人類を未来に繋ぎ発展させるというその使命のため。
だが、アニカが気になったのは別の所だ。

「保険とは?」
「Xデーまでに僕がここから脱出できない場合を考え、村にいる元研究員の知り合いに役割を託した。
 まぁあまり話にならなかったが……意図は伝わったと信じている。彼女が適応できたとは限らないのだけど」

余程緊急時であったのだろう確実性のない保険を打った。
あるいは、その相手ならばと言う彼個人の何らかの期待もあったのかもしれない。

「だから君たちの協力が必要なんだ。専門知識のない君たちにまで多くは求めない。
 起きた出来事を報告して、適合者である君たちの体を少し調べさせてくれるだけでいい」
「そんな事を言われて、俺達が協力すると思うのか?」
「……気持ちは分かる。だからこそ僕も包み隠さず全てを話した。割り切ってくれ……! 世界のために、」

ドカンという音。連の言葉が遮られる。
哉太が扉を殴りつけた音だった。
固い壁を殴りつけた拳の先から血が流れたが、再生の異能によりすぐに途切れた。

「もう、行こうアニカ。これ以上、ここで聞くべきことはない」
「……………………そうね」

哉太は小窓を閉める。
そして2人は踵を返して無言のまま出口であるエレベータに向かって歩いて行った。

「待ってくれ! 頼む、協力してくれ。本当だ僕は世界を――――」

背後からの声が響く。
だがそれを無視してエレベータに乗り込んだ。
エレベータの扉が閉まり声も途切れた。




584 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:01:50 UX7pNUy20
「私も専門家と言う訳じゃないから詳しい説明ができる訳じゃないのだけど。
 平たく言うと16光年ほど離れた宇宙で8年前に起きた超新星爆発が観測されたらしくて、その影響が地球に訪れるのが8年後。
 地球に飛来したガンマ線バーストの影響によって地球環境は生命の暮らせない程に崩壊する、らしいわよ」

日常の小話のような語り口で、世界の崩壊が語られた。
小さな村の地下深くにある秘密の研究所で、世界を股にかけるエージェントの女が世界の終わりを語る光景は余りにも現実感がない。

「…………本当なんですか?」
「ええ。NASAやJAXAと言った各国の宇宙開発機構のお墨付きよ。現に少しずつだけど自然環境に影響も出始めているわ。昨晩の地震もその影響でしょうね」

バイオハザードの原因と思われていた村を襲った大地震。
その発生がこの事件と重なったのは偶然だが、地震の発生自体は世界を取り巻く大きな流れの一つであり全くの偶然という訳でもなかった。

「そのZ(終わり)を回避するために世界各国で秘密裏に立ち上がった計画が『Z計画』。この研究所もその一つと言う事ね」

その花子の説明を聞いていた珠がうーんと小さく声をあげた。

「けど、世界が滅んじゃうなんて大事な話を、何で秘密にしているの?」

そう問いかける珠の声は純粋な疑問に満ちていた。
その純粋さに僅かに口端に苦笑を浮かべながら花子は答える。

「そりゃあ世界が滅びちゃうなんて発表したら世間が大混乱に陥いちゃうからでしょうね。なるべく秘密にしたいのよ、お偉方は」

下手に公開してしまえば自棄になった人間が出て治安の悪化を招きかねない。
発表するとしたら解決策を用意できた後か、滅びの直前だろう。
それ故に知る人間は最低限でなければならない。
そう例えば、『国家存亡』の危機に対応できても、『世界存亡』の危機に対応できない特殊部隊なんかにも知らされることはないだろう。

海衣は一人、押し黙りながら花子から語られた内容を吟味するように考え込んでいた。
そして、自身の中で沸き上がってきた疑問を尋ねるべく、緊張感の籠った声で口を開いた。

「田中さんは、この研究所がその『Z計画』に基づいて設立された施設だと言う事に関しては初めから知っていたんですよね」
「そうね。そこに関しては知っていたわ」
「何故知っていたんです? あなたは何者なんですか?」
「うーん。正直、私に関する話は聞かれたくない所ではあるのだけど……ま、いっか。答えましょう」

相変わらずの軽い調子だが、彼女からすればかなりの自らの立場を明かすのはかなりのリスクのある行為である。

「私は、この研究所を調べに来たエージェントよ。雇い主に関しては流石に言えないけど」

その解答に関しては海衣としても驚きはない。
ハッキリと明かされなかっただけで彼女が只者ではない事はここまでの道中で分かりきっていたことだ。

「産業スパイ、ってヤツ……?」
「違うわ。『Z』に対するアプローチは根本的に違う研究ばかりだから、他国の手法を調べたところで大した成果にはならないのよ」

その返答に、珠が首をひねる。
海衣は相変わらず難しい顔をして黙りこくっていた。
春姫は何を考えているのか分からない涼しげな表情で目を閉じていた。

「だったら。田中さんは何のために研究所を調べていたんですか?」

海衣が核心を問う。
ここまでの話を聞く限り、少なくとも研究目的において研究所は正しいものだ。
それを知らなかったというのなら、怪しい研究所を調べに来るのは分かる。
だが、それを知った上でスパイを送り込んでまで何を調べようというのか。

「確かに、私は研究所の『目的』は最初から把握していた。
 だから私が調べていたのは研究所がどういう『手段』で世界を救うつもりだったのか? と言う点と。
 その研究が『本当に世界を救えるモノ』なのか? と言う点よ。
 それらは、ここにある資料のお蔭で把握できたわ」

先も述べた通り、一言にZ(滅び)から世界を救うと言ってもアプローチはそれぞれの研究機関で異なる。
この未来人類研究所はどういった方法で世界を救うつもりだったのか。
花子はそれを調査するために送り込まれたエージェントである。

「妾も目を通したが、どのような手段で世界を救うかなどそのような記述は見受けられなかったが?」
「それは探し方が甘いわね。恐らく春姫ちゃんが見たのは最新の資料でしょう?
 それも大事だけれど、目的を知りたいのなら読むべきは最初の資料よ。アップデートではなくスタートアップを知るべきなの」

理念を知りたくば解くべきは最新ではなく最古である。
横着した春姫は一番新しいデータにしか目を通していなかった。


585 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:03:14 UX7pNUy20
「それを調べてどうするつもりだったんですか?」
「中々鋭い質問ね。まあ私にとっては嫌な質問だけど」

嬉しいのか悲しいのか分からない態度で、花子は肩をすくめる。

「さっきも言ったけど、『Z計画』はZ(終わり)の回避のために各国が行っている研究なの。
 ただし、それは各国が『協力して』行っている訳ではないの。分かるかしら?」

滅びの回避のために、各国が独自の研究を進めている。
その意味を海衣は頭の中で解き解していくうちに、徐々に目を見開いていく。
そして愕然というより心底呆れたように表情で吐き捨てるように呟いた。

「なんて、バカな…………」
「え、ど、どいう事?」

話についていけない珠が戸惑いの声を上げる。
その説明をするように、春姫が口を開いた。

「それはつまり――――花子ちゃんはこの研究所の研究が『本当に世界を救えそう』だったら、それを妨害するのが任務であったと言う事だな?」
「え!? 何でそんな悪者みたいなことを!?」

その言葉に驚きを返したのは珠だけだった。
海衣も同じ考えに至っていたのだろう、厳しい顔で黙りこくっている。
世界を救う手段を潰そうとするなど、世界を滅ぼす側の行動である。

「『Z計画』を成功させた国は、必然的に終わりを回避した次の世界で強い発言力を持つことになる。
 だからこそ各国はその手段を開発するために躍起になっているの」

だから、他国の研究を完成させるわけにはいかない。
そんな自国が世界を救ったという成果の奪い合いになっている。
そのための足の引っ張り合い。

捕らぬ狸の皮算用どころの話ではない。
世界の終りを目の前にした瀬戸際で、手を取り合うでもなくそんな下らないパワーゲームをしてるのか。

「バカな行為であると言う点に関しては反論の余地もないわ」

花子は正義の味方ではない。
研究所が引き起こしたバイオハザードが村にとっての悪だったから、それに相対する正義のように見えていただけだ。
一つ何かが違っていれば、この立ち位置は変わっていたかもしれない。
春姫の切れ長の黒い瞳が、刃のような鋭さで花子を見つめる。

「ならば、状況によっては我が村をこのような状況したのは花子ちゃんだったかもしれぬと言う事だな」
「そうね」

その可能性を指摘され、花子はこれを認める。
寒気すら感じるその視線を花子は逃げるでも怯むでもなく正面から受け止めた。

これまで彼女が色々『おせっかい』を焼いていたのは任務に関係ない余白があったからだ。
その余白を彼女は個人の良識によって、よいと思う選択をしてきた。

だが、その余白が塗りつぶされれば、彼女は何であろうと躊躇なく切り捨てられる。
そういう風にエージェントとして完成している。

「未遂なら赦されるとでも?」
「そこまで厚かましくはないわよ」

春姫が手にしていた剣がゆらりと揺れた。
村を害する存在を彼女は赦しはしない。
悪即斬。この女はやると言ったらやる。
花子とて話せばこうなることは覚悟していただろう。


586 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:04:31 UX7pNUy20
「待って!」

だが、そこに割り込む声があった。
海衣が花子を庇うように割り込んだ。

「海衣ちゃん?」
「どうした? 氷月の。庇い立てするつもりではあるまいな?」

春姫が言葉の切っ先を海衣へと向ける。
村民である海衣を問答無用で切り捨てることはないだろうが、返答を誤ればその限りではないだろう。

「この女に村を侵す意思があったのは明白であろう」
「確かに田中さんが怪しい人間なのは認める。やろうとしていた事だってロクな事じゃない。正直、少し失望もした。
 けど……! 仮にやるとしても田中さんなら今回のような周りに被害の出ない方法は取らない。この村をメチャクチャにするような事はなかったはず。違いますか?」

手段を選ぶ余白があるのなら、悪辣な手段を選ぶはずがない。
たった半日の付き合いだが、それでもそれくらいは海衣にもわかる。

「まぁ……それはそうかも、なんだけど、そこまで信頼されると少し面はゆいわね」

その信頼に珍しく花子は戸惑う様子を見せていた。

「それに、今の事件を解決するのに、この人の力は必要よ。それは神楽さんにもわかるでしょう?」
「ふむ」

春姫のたどり着けなかった事実に短時間でたどり着いた。
性格面はともかく、能力面で花子の助けは必要だ。

春姫は無言のまま目を細める。
その所作一つで酷薄な美しさが際立ち、周囲の全てを飲み込むようだ。

「では、沙汰を下す」

言って、トンと剣の切っ先を床に突き立てる。
そして神託を下すように巫女は告げた。

「処分は保留とする。今は目先の細菌騒ぎの解決が優先だ。花子ちゃんがその解決と村の復興に使えるのなら目溢ししてやってもよい」
「ありがとう。力を尽くさせていただくわ」

裁定下した春姫は剣を収める。
そして大人しくしているというポーズなのか静かに腕を組んで目を閉じた。

「さて、それじゃあ説明を再会するけど、ここまでは研究所の『目的』を理解するための前置きよ」

一波乱あったが、ここまでの『Z計画』についての説明はあくまで研究所の設立目的を理解するための説明である。
ここで得た研究所の『手段』についてはこれからだ。

「さっきもちょっと言ったけどこの惑星のZ(終わり)は超新星爆発による地球環境の激変。
 地球に飛来したガンマ線バーストによってオゾン層は破壊され地球は生命の暮らせない死の星になる。
 研究所の、と言うより『Z計画』を行う全ての機関の目的はこの滅びの回避にある」
「けれど、どうやって?」

滅びの回避と今、村で起きている事象とはまるで繋がらない。
村で起きているのは凄惨な死の螺旋だ。
世界の救済とは真逆ではないのか?

「ウイルスと人間の脳を使ったテラフォーミング」

その疑問の答えを述べる。

「地球を地球化(テラフォーミング)って言うのも変な話だけど、まあ名づけるならリ・テラフォーミングって所かしら」
「リ・テラフォーミング……それは、どういう…………?」

「人間の脳から平穏だったころの地球のイメージを出力して、地球に上書きする。
 これにより超新星爆発の影響によって激変した地球環境を再生する。
 それが研究所の開発していた[HEウイルス]の本当の目的」

崩壊した地球を地球のイメージで上書きする。
人間の脳を使った3Dプリンタのようなものだ。
それを実現するには多くの人間、それこそ全人類を使わなくてはならない。
だからこそ多くの人間に正常に感染させる必要があった。

「それが、未来人類研究所の掲げる『Z』。地球再生化(リ・テラフォーミング)計画の全容よ」




587 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:07:18 UX7pNUy20
哉太とアニカの2人は収容所のような地下から地上に出てきた。
プレハブ小屋から草原に出たところで、昼の光が彼らを出迎える。
1時間もたっていないはずなのに日の光を浴びるのも随分と久しぶりに感じる。

「はぁ。Ms.チャコにしてやられたわね」
「茶子姉に?」

外に出たアニカの呟きに哉太が疑問を持った。

「Ms.チャコも今の話を知らなかったはずよ」
「なんでそう思うんだよ?」
「だって。村をこんなにした黒幕連中をMs.チャコが許すはずがないじゃない」
「…………あぁ。ま、そうだな」

確かにと納得する。
村を愛する人間なら、村をこんなにした人間を許すはずがない。
哉太だってそうだ。

「Mr.ミナサキは研究所に不信感を持つ人間だった。
 perhaps.懐柔すべく手を尽くしたのでしょうけど研究所側の人間としてvigilanceされていたMs.チャコでは詳細までは聞き出せなかった。
 だから、口を割らせるために研究所と無関係の村の人間であるカナタを向かわせたのよ」
「あぁ茶子姉が自分じゃなく俺らに生かせたのはそう言うことかよ……まあそういうことするわな、あの人は」

身内だからこそわかる。
世話係で確実に顔見知りである茶子ではなく、哉太たちを向かわせたのはそのためだろう。
だが哉太たちが錬と顔見知りだったのは偶然である。
本人たちですら知らなかったのだから茶子には知りようもない情報だ。

「けれど、だからこそ使いようによってはAceになる。Ms.チャコにどう伝えるかは私に任せてもらうわよ、May I?」
「ああ……そうだな。任せる」

茶子に対して哉太としても思う所はあるが。
情報の扱いについてはアニカの方が確実だろう。
彼女なら悪いようにはしないはずだ。

「それで、結局どうだった? あいつから聞いた情報は事件の解決に使えそうか?」

そもそもここに来た当初の目的は、この事態を解決のための情報収集である。
色々あったが未名崎錬から得られた情報は大きい。

「確かにusefulな情報は手に入れたわ。これを上手く使えばbargaining materialになるかもしれない。
 けれど、それだけだと意味はないの。assassinationした方がいいと判断されたらお終いという事よ」

情報を持っているだけでは意味がない。
むしろ知るだけで消される類の情報を抱えてしまった事になる。
生かすデメリットよりも殺すデメリットを大きくしなくてはならない。

「どういう事だ?」
「まだgunpowderを手に入れただけ、交渉材料というbulletにしなければ使えなと言う事よ」

その例えもよくわからないのか、哉太はますます首をかしげる。

「moviesやnovelsでよくあるでしょう? 『私を殺したらこの情報は自動的に拡散される』みたいなの。
 重要な情報を私たちを殺せない理由にまで昇華する必要があるって事よ」

このやり方は使いようによっては情報の秘匿を任務とする特殊部隊の連中にも有効だ。
問答無用で殺しに来るような輩や声の届かない位置から攻撃してくる狙撃手なんかには通じないだろうが。

「ああ、なんか見たことあるな。出来ないのか? それ」
「It's impossible. 少なくとも外部に通信できないこの状況じゃあ難しいわ。
 そのnegotiationの席をどう用意するのかも問題ね」

一歩前進したのは確かだが、まだ課題は多い。

「ま。とりあえず移動するか。乗ってくれ」

そう言って、2人は止めていた自転車に乗り込んだ。
目指すのは茶子が待つ診療所である。


588 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:08:00 UX7pNUy20
【B-7/資材管理棟前/一日目・日中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、左耳負傷(処置済み・再生中)、疲労(中)、精神疲労(中)、怒り(大)、喪失感(大)、マウンテンバイク乗車中
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、マウンテンバイク
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカを守る。
2.山折診療所に向かい茶子姉と合流する
3.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.念のため、月影夜帳と碓氷誠吾にも警戒。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、精神疲労(小)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、決意、マウンテンバイク乗車中(二人乗り)
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、登山用ロープ、医療道具、マグライト、ラリラリドリンク、サンドイッチ
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.「Mr.ミナサキ」から得た情報をどう生かそうかしら?
2.negotiationの席をどう用意しましょう?
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。一応、Mr.ウスイとMr.ツキカゲにもね。
6.私のスマホはどこ?
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました




589 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:09:18 UX7pNUy20
「あ、戻って来た」

休憩室で対していた小田巻が、天と真珠の姿を確認して声を上げた。

「何ですか二人で秘密の作戦会議だなんて。私も混ぜてくださいよ」
「アホか。お前は一般人の立場だろうが」

それなりに親しい間柄なのか小田巻が真珠と軽口を叩き合う。

「それで、どっちが指揮るんです?」
「あっちだよ」

乱雑に後方の天を親指で指す。
指揮官に対する敬意は感じられないが、まあそれはいいだろう。

「へぇ。意外ですねぇ」

本当に意外そうに声を上げる。
真珠が大人しく天に従うとは思っていなかったようだ。

「では、変わらず僕たちは乃木平さんに従っていればいいと言う事ですね」

会話を聞いていた碓氷が声を上げた。
それは碓氷からしても朗報である。
判断を下す頭が挿げ替えられると新たな方針次第で切捨てられる可能性があった。
改めて、薄氷の上にある危うい立場である。

声を上げた碓氷たちへと真珠が向き直った。
これから部隊を組む相手へ挨拶を交わす。

「よぅ。つーわけだ、同じ下っ端としてよろしく頼むぜ」
「ええ、よろしくお願いします。僕はこの村で教師をやっていた碓氷誠吾です。こちらはスヴィア・リーデンベルグ先生。
 乃木平さんに温情頂き処分を保留してもらってます」

碓氷の目に映る真珠は限りなく薄い赤。
信用するしない以前に、どうでもいいと思っている。
人間とすら思ってるか怪しいのに、相手と平然と挨拶を交わせる。
人間的感情を持ち社交性を維持したまま人を殺せる小田巻とは異なる、殺意の上に社交性を纏える女だ。

「それで、次はどうします、このフロアの探索も半端に終わったので続きをやります?」
「そうですね…………」

小田巻に問われ指揮官である天は考える。
手駒はほぼ戦力にならない歩が2枚。
斥候のトリッキーな動きが出来る小田巻と言う桂馬。
潜入工作員として万能型の真珠は金将だろう。
1枚で戦況を覆す様な飛車角こそないものの手駒は悪くない。この駒をどう生かすか、打ち手の力量次第である。

「黒木さんは私について1階を探索を続けます、碓氷さんはスヴィア博士と共に念のため引き続きエレベータの監視を」
「私はどうすれば?」

唯一名前の出なかった小田巻が尋ねる。

「小田巻さんは先行して地下2階に降りて偵察を行ってください。
 何者かがいる可能性が高いですが、敵を発見してもどうしようもない場合を除いて交戦せずに合流を第一優先とするようにお願いします」
「了解しました。ではパスを借りてもいいですか」
「黒木さん。お願いします」

言われて真珠が廊下で回収したL2パスを小田巻に手渡した。

「では、お先に」

言って、小田巻がパスを使ってエレベータに乗り込む。
それを見送って天たちも行動を始めた。

「それでは我々も行動を開始します」


590 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:09:43 UX7pNUy20
【E-1/地下研究所・B1/1日目・日中】

【乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、治療道具
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
4.黒木に出会えば情報を伝える。
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※診療所の周囲1kmにノイズが放送されました。

【碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:なし
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.ウイルスを解析し、VHを収束させる
2.天たちの研究所探索を手伝う
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません

【黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:鉄甲鉄足、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.乃木平の指示に従う
2.ハヤブサⅢを殺す。
3.氷使いも殺す。
4.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています

【E-1/地下研究所・エレベータ内/1日目・日中】

【小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾4/5)、血のライフル弾(5発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、物部天国の生首、研究所IDパス(L2)
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.B2に向かい偵察を行う。生存と報告を優先
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。




591 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:11:49 UX7pNUy20
世界の滅びとそれを救う地球再生化(リ・テラフォーミング)計画。
明かされた壮大すぎる真実に誰もが言葉を失っていた。
どうとらえる以前に、全てが余りにも現実感がない。

「この内容、春姫ちゃんは先に知っていたのよね?」
「然り。妾に知らぬことなど無い」

恐らく、先んじてこの資料室で事実を把握していたのだろう。
少なくともZ計画の説明の間終始動じる様子を見せなかった春姫を見てそれは解かった。
もっとも真実を知った瞬間ですら、まるで動揺を見せなかったのがこの女なのだが。

「そしてアナタも、この事実を最初から知っていたわね――――――――」

世界の真実を聞かされても動揺してないかった人間がもう一人。
その人間へと向き直り、突きつけるようにその名を呼ぶ。

「ねぇ――――与田センセ」

春姫を除く全員の視線が、花子が説明を始めてからただの一言も口を開かなかった男に向く。

「い、いやだなぁ、そんな訳ないじゃないですか。研究所の人間と言っても僕は下っ端ですから」

見当違いの指摘を受け困ったように誤魔化す様な苦笑をする。
花子はその反応を気にした風でもなく微笑を返す。

「そう言えば、アナタは私と出会った際にこう言ってたわよね。
 自分は研究所内でウイルスの管理と実験動物の管理を任されていると」
「そ、それが何だって言うんです?」

それはまるで犯人を追いつめる探偵のよう。
花子は珠の指示によって、この資料室で得られた研究所内の見取り図を広げる。

「これを見てちょうだい、さっきこの資料室で手に入れた研究所の見取り図よ」

広げられた見取り図にはこの研究所の3フロアの施設と配置が書かれていた。

「ウイルス管理室も動物実験室も、どちらもこの最下層の設備よ。
 最高レベルのパスを持つ人間にしか入れない場所の仕事を、どうして下っ端のあなたができたのかしら?」
「うぐっ…………」

証拠を突き付けられ、反論できないのか言葉を詰まらせる。

「……だから嫌だったんですよ。研究所について行くのはぁ」

そして、しばらく呻った後、諦めた様に大きくため息を付いた。

「認めたってことでいいのかしら?」
「ええ、まあ。けど下っ端って言うのは本当ですよ。 
 L3パスを持たされていたのはちょっと特別な事情と言うか……親のコネみたいなもんで、仕事は花子さんに言った通り雑用の延長みたいな物ばかりでしたし」

降参とばかりに投げやりに両手を広げる。

「信じてもらえないかもしれませんが、緊急脱出口についても本当に知りませんでした。食事に誘ってもらった際に支部長が漏らして聞いたことがあるってだけですから」
「そうね。そこは信じるわ。状況的に使ってなさそうだし」

花子と与田が出会った位置からして、診療所の正面入り口から出てきたと考えるのが自然だ。
診療所裏手の入り口から出て来たとは考えづらい。
彼らが知る由もないが、仮にその道を知って選んでいたのなら、仕事を終えたテロリスト、物部天国と鉢合わせていただろう。

「それで尋ねるけど、あの放送を流したのはあなたなのかしら?」
「まぁ半分当たりですね」

観念したのかそれとも自棄になったのか、あっさりと事実を認める。

「えっ!? でも与田先生とは声が全然違いましたよ?」
「ま、そこはセンセの説明を聞きましょう」

急く珠を制して、大人しく与田の説明を待つ。
全員の視線を受けて与田も事件当初の様子を話し始める。


592 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:13:39 UX7pNUy20
「僕は仮眠室で寝てたんですけど、研究所が大きく揺れてたたき起こされまして、直後に地震が発生しました」

最初に大きな揺れがあって、その後に地震。
つまり最初の揺れは細菌保管室が爆破された時の物だろう。

「地下で異変が起きているのにはすぐ気づきました。
 だから怖くて3階にまではいけなかったんですが、ひとまず本部からの指示を仰ぐために地下2階の通信室に向かったんです」
「通信室……外部への通信が生きてるのね?」
「えぇ、まぁ。直通回線なので繋がるのは本部だけですけど」
「十分よ。交渉の場があるなら願ったりだわ」

特殊部隊を引かせるのに必要なのは武力ではなく政治力である。
この事態を解決するにはある程度のパワーゲームは必要だ。
交渉の材料はある程度は揃っている。

「それで、本部からどういう指示を受けたの?」
「本部から受けた指示は、本部からの通信を村内の放送に繋げる事でした」
「研究室の通信室から町内に放送ができるの?」
「ええ。山折村支部を作る際に、副所長が念のために付けたそうです」
「念のためねぇ……」

どういう想定をした念のためなのか。
何とも喰えない老人だ。

「ですが、流石に外部からの声を直接繋ぐ機能はなかったので、音声を無理やり経由させたのでだいぶノイズが混じっちゃいましたが、そのお蔭でいい感じになってましたけどね」
「つまり、あの放送は本部の誰かの演技って事ね。どうりでこの村の誰もあの声に心当たりがない訳ね」

この支部の人間であれば、生活の上で山折村の人間と何らかの形関わりがあるはずだ。
全く誰にも心当たりがない時点で、あの放送の主は外部の人間であった可能性を考慮すべきだった。

「その指示は誰から?」
「対応に当たってくれたのは長谷川部長でしたが、多分指示は染木副所長からでしょうね」
「ふーん。状況を作った犯人なのか、状況を利用しただけなのか、何とも言えない所ね……」

あの放送がこの状況を煽ってたのは間違いないが、細菌保管室を襲った連中との繋がるかは分からない。

「それからどうしたの?」
「それで終わりです。後は頑張って生き残ってくれ、で放逐ですよ!? まったくやってらんないですよ!」

己の不遇を嘆く。
花子は何か納得いかないのか、何かを考えてこむように口元にてやる。

「通信室に向かったのはどうして? あなたなら真っ先に逃げそうなものだけど」
「うっ」

痛い所を付かれたのか、与田は言葉に詰まる。

「それはその、そう言う取り決めになっていたからです」
「それは職員全員にそういう取り決めがあったという事?」
「いやぁ。多分僕だけじゃないかなぁ……」

何故か自信なさげに曖昧に答える。

「なんで先生だけに?」
「実は…………僕は発症しない人間なんですよ」

その言葉に海衣は驚きを隠せなかった。

「何かしら予防薬があると言う事ですか?」
「いいえ。そうじゃありません」
「では何故?」

当然の疑問だ。
その疑問に明確な答えを返した。

「それは…………僕が――――未来人類研究所本部所長の息子だからです」
「えぇ!?」

それはそれで驚愕の事実ではあるのだが。
所長の息子である事と、正常感染することは話が繋がらない。

「[HEウイルス]の概要資料を見た、花子さんならわかるんじゃないですか?」
「ま。そうね」

ちなみに春姫も読んでいる。
だが彼女は心当たりはないのか涼しい顔をしていた。


593 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:15:05 UX7pNUy20
「どういう事です?」
「このウイルスはね、とある人物の体細胞を元に生成されたウイルスなの」
「じゃあ、そのとある人間と言うのが」
「そう、それが未来人類研究所の所長であり、僕の父です」

未来人類研究所本部所長。
その体細胞を元にして作成されたウイルスが[HEウイルス]。

「だから、その血縁者である僕には正常にウイルスが稼働する確率が高い、と見られてたんです。まあ試したことはなかったんですが。
 ウイルスの正常感染率を上げるために、この研究所は僕の体を分析していました。L3パスは非検体として渡された物です。まあ職員でもあったのでついでに雑用もさせられてたんですけど……」
「だから親のコネ……ですか」

コネと言うか遺伝子だが。
親から受け継いだものと言う点では同じだろう。

「けど、何と言ったらいいか……人間の細胞を元にして作ったウイルスにしては、その、超常的過ぎると言うか……」

海衣が疑問を問うが、彼女自身も考えがまとまっていないのか言葉を詰まらせている。
なら何からできているのなら納得できるのか、と問われれば困ってしまうのだが。

「僕もよくは知らないのですが、所長は普通の人間ではないらしいです」
「普通の人間では、ない?」
「ええ、なんでも不老不死だそうで」
「不老不死ぃ?」

それこそ、よっぽどファンタジーだ。

「けど、不老不死の人がいたとして、その体を使ったところでこんな魔法みたいなウイルスにならなくない?」
「まあその辺は昔色々あったそうで。よく知らないですけど」
「――――ヤマオリレポート」

花子が先ほど読んだ書物のタイトルを述べる。

「嘗てこの地で行われた実験によって不老不死の人間が生まれたそうよ。
 それのレポートによれば、なんでもその人間には神様が降りたとか」
「神だと?」

神の降臨。
そこに思う所があるのか、退屈そうにしていた春姫が反応する。
神の降りた人間の細胞を使ったウイルス。
つまりは神を元にしたウイルスである。

「けど、所長の息子の割に随分扱い悪いわねセンセ」
「まあ、そこは実力主義と言うか、その辺に関しては真面目な支部なので……」
「よほど無能だったという事であろう」
「うぐっ」

春姫の容赦ない一言が与田を抉る。
お蔭で出世もせず、一般職員としてこき使われていたのである。
だからこそ鳴り物入りでやって来た未名崎錬に反発心を抱いていたのだが。
そんな彼も半年前から中央に戻ったのか見かけなくなった。

「あなたが所長の息子であると言う事は職員は知っているの?」
「いえ、知らないですよ。それこそ支部長をはじめとしたL3レベルの職員くらいですね。
 支部長からはお前みたいなもんがL3パスを持ってるのはおかしいからって理由でパスの見た目もL1に偽造されてますし」
「ホントにどんな扱い受けてたの与田先生……」

珠が向ける同情の視線が痛い。
パスを大きく見せるどころか小さく見せる必要があるとか、どんな境遇だ。


594 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:17:01 UX7pNUy20
「それに、まあ正直、親子と言っても血のつながりがあるだけで親子としての関わりとかは殆どないので。
 そもそも別に育ての親もいますし。苗字も違いますので。
 何より、唯一の子供って訳でもなくて、むしろ沢山いる子供の一人って感じですね」
「……そんな」

だから希少性もなく、使い捨てにされる。
所長にとっては子など、その程度の物なのだろう。
暗くなりかけた雰囲気を打ち破るように花子がパンと手を叩く。

「ま。とりあえず、これで全員隠し事なしってことで、腹を割って仲良くなれたんじゃないかしら?」

仕切り直すようにそう言って、珠へと向き直る。

「珠ちゃん。この資料室に光は残ってる?」
「えっと、だいたい消えちゃったかな?」

つまり、この部屋で行えるフラグは粗方消化したと言う事だ。
それが分かるのはやはり便利な異能である。
取りこぼしをせず、無駄な探索をせずに済むのは非常に大きい。

「OK。ありがとう。それじゃあそろそろ移動しましょう。いつまでもここにいても仕方ないしね」

そう言って資料室から外に出る。
出迎えるのは死体の山だ。珠や海衣は思わず目を逸らす。

彼らは銃撃戦を行ったのか
死体の横にはいくつもの銃が転がっていた。
花子はその銃を拾いあげ、状態を確認する。

祭服たちはAK-47。警備兵たちはMP5を装備していたようだ。
足元に転がる死体の懐を漁る。

「まだ、弾は残ってるみたいね」

動作を確認して、死体から取り出したマガジンと交換。
銃の持ち手をひっくり返して、海衣へと差し出す。

「いえ、私は……」

自分の体の延長である異能とはまた違う。
人殺しの道具を手に取るのに躊躇する。

「持ちなさい。あなたたちの身を守るものよ」
「……………………はい」

海衣は銃を手にした。
そして花子は同じようにして拾い上げた銃を全員に手渡して行った。

「全員使い方は分かるわね? 分からなかったら教えるわ。安全装置には気を付けて。銃口は仲間には向けないように。
 それじゃあB2に上がって放送室に向かいましょう。そこで本部とコンタクトを取るわ。センセ繋いでもえらえるわよね」

そこでの交渉が上手くいけばそれで終わる。
ようやく見えてきた終りに、海衣は神妙な面持ちで銃を握りしめた。

珠は先を見つめる。
進む先には光に満ちていた。
あまりにも大きな光、この先は全ては白い闇に飲まれていて、細か事が見分けがつかない。

ただ、大きなことが待ち受けている。
それだけは確かだった。


595 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:17:15 UX7pNUy20
【E-1/地下研究所・B3 分析室・資料室/1日目・日中】

【田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:H&K MP5(12/30)、使いさしの弾倉×2、AK-47(19/30)、使いさしの弾倉×2、ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、研究所の見取り図
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.B2にある通信室に向かう

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:H&K MP5(30/30)、スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵、緊急脱出口のカードキー
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.研究所の調査を行い真実を明らかにする。
2.女王感染者への対応は保留。
3.茜を殺した仇(クマカイ)を許さない
4.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。
[備考]
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)
[道具]:H&K MP5(30/30)
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.研究所の探索を助ける。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。

【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、研究所IDパス(L1→L3)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2。
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。


596 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/30(月) 22:17:28 UX7pNUy20
投下終了です


597 : Z計画の全容及びそれに伴う世界の現状について ◆H3bky6/SCY :2023/10/31(火) 21:03:58 TlU1iL3g0
>>595の現在位置を修正します

【E-1/地下研究所・B3 分析室・資料室/1日目・日中】

【E-1/地下研究所・B3 分析室前通路/1日目・日中】

その他、何点かの誤字脱字もwikiで修正しました


598 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/18(土) 23:50:48 ???0
投下します


599 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/18(土) 23:52:51 ???0
天原創と哀野雪菜、月影夜帳と犬山はすみ。
目的は同じ人探しでありながら、その方向性は正反対である二組は
互いに警戒しあいながらも、共通の目的地である村役場へ向かっていた。


商店街の東口を通り過ぎ、役場まで目と鼻の先と言える距離まで迫った時、
それは始まった。


商店街から立て続けに銃声が響き渡った。しかも一向に収まることなく、断続的に続いている。
それが意味するところは素人の雪菜や月影らにも明白だった。
複数人による大規模な銃撃戦。それがほんの100m程度しか離れていない至近距離で行われているのだ。


「み、みなさん大丈夫ですか!?」
「何てことだ。これは、かなり近いんじゃないんですか」
建物の陰に身を隠しながら、はすみと月影が呻く。
はすみは勿論のこと、危険人物である月影も、銃弾の飛び交う中に身を置いた経験などない。
動揺を隠すことはできなかった。


その様子を見て、天原は思考を巡らす。
(挙動から推測できてはいたが、この2人はやはり戦闘経験は少ないか。
信用はできない相手だが、こんな状況で余計なことをするほど愚かでもないはずだ)
幸いこの付近に着弾は無い。天原は決断した。
「流れ弾はこちらには来てません。今のうちに役場に逃げ込みましょう」



600 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/18(土) 23:54:43 ???0
役場1階のロビーに4人がなだれ込む。ひとまず銃撃に巻き込まれる心配は無くなったが、まだ危険は続く。
ここにはかなりの数のゾンビが蠢いていた。
地震の対応の為に集まった役場職員や、救助を求めに訪れた村民だろう。
見たところ殺害された、もしくは拘束されたゾンビはいない。
つまり、特殊部隊や危険人物などはまだ訪れていない、と天原は判断する。


ロビーにはブルーシートが敷かれ、その上に救急用具や非常食、古着に毛布などが置かれていた。
地震発生直後、防災担当の楯山総務課長が指揮を執り、
家を失った住民や避難所に配布する為集めたものだ。
その総務課長も、今や敢えなくゾンビとなり廊下を彷徨っている。


侵入者の存在を感知するゾンビ達。だが、彼らが動き始めるより前に天原が先に動いていた。
「ゾンビを無力化します。そこで待っていてください」
制圧を開始する。商店街で戦ったゾンビのように、人並み外れた巨体であったり、武器を持ったりしている者はいない。
これなら、話は早い。
男のゾンビを足払いや投げ技で次々と倒し、
ブルーシートの上に合ったシーツをロープ代わりに使い拘束、
力が弱く体重も軽い女や子供のゾンビは、まとめて部屋に押し込んでそのまま封鎖する。
体術のみでの制圧に見せ掛けてはいるが、実際は『細菌殺し』の異能も併用しているからこその迅速な処理である。
格闘技や制圧術の心得があれば、天原が何かトリックを使っていることに感づいたかもしれないが、
そういったものが無い月影とはすみの眼には、
天原が恐ろしいほどの手際でゾンビの群れを片付けていくようにしか映らなかった。
はすみが思わず感嘆する。

「なんか凄いわね〜。君、中学生くらいでしょ?」
「こんな年ですが、多少訓練を受けています。
 こんな状況ですので、僕の指示に従ってくれませんか」

ただの中学生と言うには無理がある言動をしていることは天原も自覚していた。
ここは少し素性を明かした方がかえって良いだろう。
自分がプロだと認識したなら、目下の危険が去るまでこの2人は安易な行動には移らないはずだ。

「天原君! 誰か来た!」
その時、外を警戒していた雪菜が声を上げた。
雪菜が見ている方向に目を向けると、
古民家群の路地裏を、2人の女性がまっすぐこちらに向かって駆けてきていた。
そして、その1人は、はすみが決して見誤ることはない人間だった。

「うさぎ!! それに…… ひなたちゃん!!」
「――なんですって!?」

月影が思わず叫ぶ。
密かに策謀を重ねて来た吸血鬼、その思惑を覆しかねない2人の来訪だった。





601 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/18(土) 23:55:35 ???0
袴田邸を出たひなたとうさぎは、
うさぎが召喚したイノシシの嗅覚を頼りに進み、
村を南北に走る道路に出た。


2人はそこで、異様なものを見た。
眉間を撃ち抜かれた、痩せた青年男性の死体が転がっている。
それから少し離れたところに、派手に飛び散ったおびただしい血痕に、赤色と肌色、灰色が混ざった何かがあった。


“それ”が何かを悟った瞬間、
うさぎは口を押えながら反対側の路肩に走り、胃の中身を一気に吐き出した。
「う、うさぎちゃん、大丈夫!?」
「すっ、すみませっ…… うえっ」

うさぎがこうなるのも無理はない。
それは、原形をとどめないほど破壊された人間の死体だったのだから。
その周囲の地面には、無数の弾痕が残っている。
つまり、この人間は、10発や20発ではとても足りないほどの無数の銃撃を受けて殺されたのだ。
死体を破壊し尽さなければ晴らせない程の恨みをこの人間に抱いていたのか、、
あるいは死体の損壊自体に何か快感でも見出したのか。いずれにしろ正気の沙汰ではない。

うさぎを落ち着かせると、ひなたは生理的嫌悪感に耐えつつ、その死体に近付き始めた。
正直なところ、見なかったことにしてここを離れたい。だが、やらなければならないことがある。
「ひ、ひなたさん…… 何する気ですか?」
「この人が誰か確認しないと。知り合いかもしれないし。
うさぎちゃんは先に行ってはすみさんを追って」
うさぎの召喚したイノシシははすみの臭いに反応した様子を見せていないので、
はすみや月影ではないとは思うが、所詮は動物のやることである。
それに、袴田邸で一緒だった誰かの可能性もあるのだ。

「は、はい…… 任せてしまってすみません……」
うさぎは何とか立ち上がると、イノシシと共によろよろと道の先に向かっていった。

すぐにでも離れたい気持ちを抑えながら死体を見聞すると、人間の頭らしいものが目に入った。
特徴的なパーマの掛かった茶髪から、自分の知り合いではないと判断。
(誰かは知らないけど、何もしてあげられない。ごめん)
手を合わせると、踵を返してうさぎを追う。


そう離れていないところに、更に別の死体があった。
男の警察官だ。こちらは後頭部を撃ち抜かれて死んでいる。

(この人って…… 銃キチ警官?)

この警官――薩摩圭介は、猟友会でも悪名高い男であった為、
他人の顔と名前を覚えることが苦手なひなたも彼のことは知っていた。
ヒグマ対策に手配したライフルが猟友会に届いたとき、
どこからかそれを聞きつけた彼が一升瓶片手に猟友会を訪れ、
内緒でライフルを撃たせてくれなどとのたまい、
滅多なことでは怒らない六紋名人が本気で一喝したと聞いた。

そのまま通り過ぎるつもりだったが、ふと閃くものがあった為、
死体の周辺を少し見渡してみる。
すると思った通り、彼が使っていたであろう拳銃が落ちていたので、回収する。
予想される危険人物との遭遇を考えれば丁度良い武器だ。

そして。これが噂通りの『銃キチ』の物なら、弾も持っているはず。。
改めて薩摩の死体を見ると、上着やズボンのポケットが不自然に膨らんでいた。
探ってみてば予想通り、呆れるほどの数の銃弾がそこにあった。
さすがに全部は持てないので、ひなたは弾薬ケースを2つだけ貰っていくことにした。
「ごめんなさい。これ、使わせてもらいます」
ひなたは薩摩に一礼すると、改めてうさぎを追った。

放送室の前で、ひなたはうさぎに追いついた。
「ごめん、待たせた! はすみさん見つかった!?」
「すみません、ウリヨちゃんがこの先って言ってるんですが、まだ…… あっ、ウリヨちゃん!」
召喚時間が終わり、イノシシの姿が消えていく。
これで2人ははすみの後を追う手段を失った。
ここで見つけられなければまずい。
イノシシが最後に示した道の先、役場方面に目を向けたその時。

その方向から、銃声が響いた。

「っ!!」
ひなたは息を呑んだ。
距離は遠く、流れ弾の心配は恐らくない。
だが、このままはすみを追跡するなら、否応なしに射撃元に近付くことになる。
どうすべきか、と躊躇していると、隣のうさぎが叫んだ。

「……お姉ちゃんっ!!」
「えっ!?」
「はい! 役場の前っ!」

そう言われて気付いた。
何人かが、恐らくは銃撃から逃れようと、役場に駆け込もうとしている。
顔を判別できる距離ではない為、ひなたには分からなかったが、
うさぎはその内の1人がはすみであると直感的に気付いていた。

「はすみさんいたの!?」
「はい! 役場に入っていきました!!」
「分かった。道路は危ないから、こっちの路地裏を行こう。
一気に走り抜けるから頑張って!!」
「は、はいっ!」
2人は役場に向かい、古民家群の端の小道を駆けはじめた。




602 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/18(土) 23:56:39 ???0
ひなたとうさぎの姿を見た月影は狼狽した。
(あの2人、何故ここに。まさか恵子さんを見つけたのか?
そうであったとしても、私達がここにいることを何処で知った!?
幾らなんでも早すぎる…… それに……)

「犬山さん、あの2人は?」
「天原君、あれはさっき話した、烏宿ひなたさんと私の妹のうさぎです!
危険な人じゃないです! 入れてあげてください!」

天原とはすみのやり取りを横目に、月影は歯噛みする。
はすみは自分の眷属になり、自分に都合の良い価値観に基づいた言動をするようにはなったが、
他人への献身や妹に向けた情愛といった本質部分は変わっていない。
袴田邸で行った隠蔽工作のことを忘れているのか、
そのまま迎え入れろなどと言っている。
自分一人だけ反対すれば、天原と雪菜は当然何故かと追及してくるだろう。

――それに、自分自身も、この場で本気で2人の麗しき乙女を切り捨てる覚悟があるかというと、
正直なところ迷いがあった。貪欲な吸血鬼は自分の欲望を捨てきれない。
「私からもお願いします。彼女達を助けてあげてください」
「月影さんっ……!」
そう申し出る月影に、はすみが感激の眼差しを送る。心地良い快感に気分が高揚すると共に、月影は腹を括った。

天原と雪菜が入口のガラス戸を開く。
その数秒後、ひなたとうさぎが飛び込んできた。

「お姉ちゃああああんっ!!」
「ちょっ、うさぎ!?」
その勢いのまま、うさぎははすみの胸に飛び込み、ひしっと抱きついた。
それは、姉と妹と感動的な再会、のようにも見えたかもしれない。

だが、その瞬間。
「ーーーーっ!?」
電流のような刺激が、はすみの神経を貫いた。




603 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/18(土) 23:58:05 ???0
吸血鬼の傀儡に堕ちたはすみは、袴田邸で月影に護符を近づけられた時に判明したように、
聖なる力に対し拒絶反応を起こすようになっていた。
そんな彼女が、怪異に汚染されていない純粋な犬山の血を宿すうさぎと抱き合うなどしたらどうなるか。

全身に回った吸血鬼の血が苦悶の悲鳴を上げ、全身の痛覚がそれに反応する。
その苦痛から逃れようと、はすみの身体が反射的に動き――
うさぎを、思い切り、突き飛ばした。

「お、姉ちゃん……?」
尻餅をついたうさぎは、困惑の眼ではすみを見上げていた。
「え…!? うさぎ……? え、えっと、私……」
そしてはすみの方も、何故自分がこんなことをしてしまったのか分からないと言った様子で眼を泳がせていた。
そこに、顔面蒼白となった月影が割り込む。
「だ、駄目じゃないですかはすみさん! そんな乱暴な!
 うさぎさんも! 気持ちは分かりますが他人に勢いよくぶつかりすぎです!!」

その月影の言葉を聞いて、うさぎは自分がはすみを傷つけてしまった可能性を悟った。
「そ、そっか。どこか変なところに当たっちゃったんだよね。
 ごめんなさい、お姉ちゃん」
「い、いや、手が出ちゃった私も悪いですし〜。
 私を心配しててくれたのに、こんなことになっちゃって、こっちこそ本当にごめんなさいっ」
姉妹は自分の非を謝罪しあうと、互いに微笑みあった。
そう、これは事故。どちらが一方的に悪いというものではない。
お互いこれからは注意しようね。仲良し姉妹の間では、もう、これで終わり。

だが、はすみが、倒れたうさぎを立たせようと手を差しのべることはなかった。

2人の様子を見て、月影は安堵の息を吐いた。
(なんとか誤魔化せたか。今のは本気で冷や汗を搔きましたよ。
 ですが、むしろ本番はこれからか。ああ、本当に勘弁してほしい。胃が痛む)
天原と雪菜、はすみと自分の双方を観察しながら、
何かを言いたげにしているひなたの様子を見て、月影は溜息を付いた。




604 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:00:09 ???0
場の空気が落ち着いたところで、初対面の天原・雪菜とひなた、うさぎがそれぞれ簡単に自己紹介する。
それがひと段落すると、月影の推測通り、ひなたが口を開いた。
「月影さん。それにはすみさんもいいですか。私達、これ見ました」
取り出したのは、はすみが袴田邸に残した書置きであった。
「恵子ちゃんと一緒に宇野さんって人のとこに行くって書いてますよね。
 でも、私たちはあの家で見ました。恵子ちゃんが殺されてるのを」

全員の間に再び緊張が走った。

「恵子さんが…… 死んでいたですって?」
月影は、さも今初めて知ったかのように答えた。

「何でこれを書いたのか、正直に答えてくれませんか?
 私はてっきり、恵子ちゃんを殺した危険人物がはすみさんを脅して書かせたと思ったんですけど。
 そこのお2人はそんな人じゃないみたいですし」
「え、え〜と、それは……」
「はすみさん、そこは私から説明します」

正念場が来た。はすみに余計なことを話すな、と視線で合図を送ると、
月影は深呼吸し、語り出した。

「まず、農家の宇野さんが来たことは本当です。
 ひなたさんや哉太君達を待ってもよかったのですが、
 緊急を要するとのことでしたので、書置きを残し、
 私とはすみさん、恵子さん、宇野さんの4人で袴田さんの家を出ました」

のっけから大嘘だ。はすみが変なことを言い出さないかと心配したが、
こちらの意図を受け取ったようで、特に反応も見せず黙っている。
まずは幸先良し。

「ですが、数分ほど歩いたところでしょうか。
 私とはすみさんが、ふと目を離した隙に……」
ここで、言い淀むような仕草。そして、自分でも信じられない、という声色で。
「恵子さんと宇野さんの2人が『消えた』んです」

その言葉には、ひなたはもちろん、傍で聞いている天原と雪菜も眉をひそめた。

「信じられませんか。まあ、当然ですね。
 ただ、思い当たる節はありました。
 実はですね、私は、VHが始まってから明け方まで、宇野さんと同行していたのです。
 ですが、ある時宇野さんは、もう一人同行していた女の子……リンというのですが、
 その子と一緒に消えてしまいました。
 あの時は、単にはぐれただけかと思っていましたが」
「…………」
聞き手のひなたは、厳しい顔を崩さない。

「宇野さんに悪意があるのか無いのか、その時の私達には判断が付きませんでした。
 とにかく宇野さんの家に行ってみようと、彼の住所を調べにここに来たわけです。
 一刻を争う恐れがあることも考えると、
 戻って書置きを直すという発想には至れませんでした。
 でも、まさか恵子さんが…… 彼女を守ることが出来ず、申し訳ございませんでした」
そういって月影は頭を下げたが、ひなたの表情は変わらない。

「…………それを信じろっていうんですか、月影さん」
「事実がこうなのですから、こればかりは信じて下さいとしか言えません。
 そうですね、はすみさん」
ここで、はすみに話を振った。
「そうね。例えばひなたちゃん、私たちは言葉を話して、しかもワニと合体したようなヒグマと戦ったけど、
 何も知らない人がそんなこと聞かされても、とても信じられないでしょ?」
「それはまあ、そうだけど……」
「恵子ちゃんのことは本当に残念だけど、今は私に免じて信じてちょうだい。お願い」
そう言ってはすみは頭を下げた。


605 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:01:18 ???0
その時、商店街から大量の紫色の煙が立ち上がりはじめた。
続いて、何か重量物が激突したような音が響く。
これ以上時間は取れない、と判断した天原は3人の話を遮る。

「そこまでにしましょう。まずは上に行って、外の戦いの様子をみます。それでいいですね?」
ひなたは納得できないという感情を隠そうともせず、憮然としているが、
状況が分からないわけではない。黙って首を縦に振った。
救急用具ほか、ロビーにある使えそうなものも幾つか回収し、6人は移動を始めた。

移動の途中、月影は再びひなたに声を掛けた。
「……ああ、最後に一つだけ聞かせてください。ひなたさん。
 恵子さんはどのように亡くなられていたのですか?」
ひなたは一瞬考えた後、答えた。
「……血を吸われて、殺されたみたいだった」
「血を吸われて? 刺されたとか撃たれたとかではなく?
 それはまた、奇妙な」
月影は軽く合点がいかぬ、という仕草をして、そこで話を打ち切った。


(何とか、首の皮一枚繋がりましたか)
月影も、自分の言い訳に無理があるところは承知していた。
早朝に起こった宇野とリンの不可解な消失から適当に話をでっちあげ、
後ははすみの善性を盾にして信用させるしかなかった。
幸い、はすみのフォローも完全なアドリブにしては上出来だった。
あのタイミングで天原に話が止められたのもこちらにツキがあった。

そして、ひなたとの最後のやり取り。
ひなたの方から非現実的な言葉を出させることで、
月影達の言い分が実は本当なのかもしれない、という疑念が彼女の中で起きることを期待した。
今できることはこのくらいだろう。
無論、ひなたから、そして天原・雪菜から自分に向けられている疑念が健在であることは承知の上。
長くは誤魔化しきれまい。どこかで勝負に出ねばなるまい。
吸血鬼は、チャンスを待つ。


その態度に現れている通り、ひなたは月影をまだ疑っている。
自分が敢えて口に出さなかった情報もある。例えば袴田邸の地下の状況。
恵子の死体を隠すかのように配置が変えられていたが、
部外者の宇野に、そんなことをする余裕があったとは思えない。
相手が月影一人だったら、もっと強く問い質していただろう。

だが、はすみの存在がノイズになっていた。
実妹であるうさぎはもちろん、ひなたもはすみは信用できる大人と認識していた。
ただでさえ近場で戦いが行われている現状、
その善人の擁護を押しのけてまで、2人を追及するつもりにはなれなかった。
まさかはすみが吸血鬼の傀儡に堕ちているとは夢にも思わない。
はすみが自らの『敵』であるという正解に辿り着くことができない。

「鳥宿さん」
「あっ、へっ?」
色々考えている最中に突然声を掛けられたので、間抜けな声が出てしまった。
声を掛けてきたのは、今初めて出会った男の子。
「ん、えーと、天原君だっけ? なに?」
「つかぬことをお聞きしますけど、もしかして、鳥宿暁彦さんの娘さんですか?」
「そうだけど? え、もしかしてキミ、お父さんの知り合い?」
「……まあ、そんなものです。変なことを聞いてすみません」


(この人が、鳥宿暁彦の……)
自分の記憶を奪った因縁の相手。その娘が目の前にいることが、天原創にはなんとも信じられなかった。
(それにしても、何というか、イメージと全然違うな)
鳥宿暁彦の、全てを焼き尽くさんとする焔のような瞳が、天原の記憶には焼き付いている。
だが、目の前の鳥宿ひなたはというとだ。
新種を発見したというから研究者肌、下手すればマッドサイエンティストのようなタイプかと予想していたが、
山登りの装備に身を包み、ライフルを背負ったその姿は、まるで猟師だ。
先ほどの月影とのやりとりからも、真っ直ぐで嘘が付くことが苦手な、正義感の強い少女という印象を受けた。
鳥宿暁彦とは完全に真逆と言っていい。
(何にせよ、状況が落ち着いたら鳥宿暁彦について知っていることを聞き出してみよう)
――最も、実際のひなたには相当マッドなところはあるのだが、初対面の創がそこまで読み取ることはできなかった。




606 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:02:53 ???0
6人は役場2階、北側に面した執務室に入った。
商店街の戦闘は激化しているようで、こんどは何か重量物が何度も激突するような音が響いている。
「僕が様子を見ます。絶対に窓から上に頭を出さないでください」
天原はそう言うと、誰かの机の上にあった卓上ミラーを手に取り、窓際に身を寄せると、
手にした鏡を窓に伸ばし、戦場の様子を写し見た。

「見えました。複数名が、先ほど発生した煙のやや東で戦ってます。
 防護服を着た1名と、村人何名かが戦っているようです。
 防護服を着ているのは特殊部隊かと」
「村人で誰が戦っているかは分かりますか?」
「商店が影になってて、顔などは分かりません。
 ですが、戦闘力のある者が複数いるのは確かです」
特に目に付くのは、特殊部隊と同じ防護服を着た人間だ。
肉体強化の異能でも持っているのか、人間離れした力で大暴れしており嫌でも目に入る。
それも、暴力だけではなく、特殊部隊級の戦闘技術まで持ち合わせている。
相手の特殊部隊員と同じ防護服を着ているのが気になるが、
まさか特殊部隊が組織を裏切るということはあるまい。
自分と同じエージェントが、肉体強化の異能を得て、
別の特殊部隊員を倒し、装備を奪ったと考えるのが妥当だろうか、

「じゃあ、特殊部隊は倒せそうなの?」
ひなたが多少の期待を込めて問いかける。だが、天原は厳しい顔を崩さない。
「……どうでしょうか」
防護服を着た人間の他に、エージェント級の実力者があと何名かいるのは確かだ、
だが、村人側の動きに、どこか精彩を欠いた印象を天原は得ていた。
いくら特殊部隊相手とは言え、相手は一人。
しかも、殺害せずとも、防護服を壊すという選択もある中で、
いまだ仕留め損なっているなどということはあるだろうか。

その時、特殊部隊員が東に向けて一気に移動し始めた。
アーケード東口を出て、そのまま道路を越え、古民家群に入ろうとしている。
村人の集団もそれを追って道路に出る。
これで障害物がなくなった。村人の顔と人数を確認しようと、天原が目を凝らす。
そこに居たのは。

「山折圭介さんに、日野光さん!?」
思わず、驚きの声を上げてしまう。
上月みかげが『自分の恋人』と標榜していた人物と、クラスメートである日野珠の姉。
何の因果か、VH発生直後に合流していながら、早朝の混乱で離れ離れになってしまった2人の縁者がそこにいた。
さらに驚くべきは、山折圭介の傍らに立つ青髪の女性。
(師匠……!)
『最強』のエージェントであり、自分の師匠、青葉遥がそこに居た。


607 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:03:19 ???0
「圭介君に光ちゃんがいるの!? ちょっと見せてもらえる!?」
そう言って、はすみが鏡を覗き込む。
「間違いない、あの2人だわ。それに浅葱さんとこの碧ちゃんまで!
 なんて無茶を……」
はすみは呆然となって天を仰ぐ。

(それにしても、師匠がいるなら猶更不自然だ。
 相手も確かに超一流だ。だが、師匠とあの防護服の人。
 この2人で連携を取れば……って、え?)

その光景を見て、思わず天原も目を丸くした。
村人側の戦力の一角である防護服の人間が、
突如電池が切れたかのように倒れ込んだのだから。
誰しも必ず体力切れは起こすものだ。だが、プロ級の戦闘技術を持つ人間が、こんな状況でこんな倒れ方をするだろうか?

その直後、その彼か彼女かの胴体は特殊部隊の狙撃で撃ち抜かれた、
その弾丸はそのまま後方に飛び、日野光の肩を砕いた。
(光さん……っ! ……えっ!?)
その光景を見た時、天原は恐ろしいことに気付いた。

「ああ! 光ちゃ……!」
悲鳴を上げかけたはすみの口を抑えながら、今自分の見たものを反芻する。
日野光の眼には、意志の光が宿っていなかった。
(――まさかっ!!)
その予感は的中した。
赤髪の少女・浅葱碧も、そして、師匠の青葉遥も、意志を失ったゾンビでしかなかった。

「……なんて、ことだ……」
全てを察した天原は思わず呻いた。
村人側で正気なのは、山折圭介ただ一人だけ。
師匠は今、間抜けにも弾切れした銃の引鉄を引き続けている。
浅葱碧はまだ戦っているが、指揮しているのが素人の圭介なら、最早結果は見えている。

「ど、どうしたの、天原君」
異変を察した雪菜が声を掛ける。

「……防護服の人だけは確認できませんでしたが、
光さん達、他の3名はゾンビでした。
……多分、圭介さんが異能で彼らをコントロールしていたのかと」
その言葉を聞いて、うさぎが声を上げた。
「それって、圭介くんが光ちゃん達を操ってるってこと!?」
「恐らくは」
「そんな……」
うさぎは、早朝に会った時の2人の様子を思い出す。
当時は状況が状況だったため気に止めなかったが、
光はほとんど反応を見せず口も開いていなかった。まさかゾンビだったとは。
もう、言葉を出すこともできなかった。




608 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:04:07 ???0
ターン。…………ターン。
戦いの終わりを告げる2つの銃声が、やけに軽く響き渡った。
天原は鏡を下ろすと、そのまま俯いた。
その様子から、最早結果は明らかであったが、はすみが声を絞り出した。
「あ、天原君、どうなったの?」
「……村人側の敗北です。山折圭介さんと青髪の女性は敗走。特殊部隊は彼らを追っています。
 役場に入ってくる様子は、ありません」
「……光ちゃんと碧ちゃんは?」
「……残念ですが……」

執務室の中を、重苦しい雰囲気が包む。
見かねて、今まで黙っていた月影が声を上げた。
「皆さん。厳しいことを言うようですが、終わったことはどうしようもありません。
 今は我々が生きることを考えなければ。
 特殊部隊がこちらに気付いていないなら、逆の方向に逃げることは出来るんじゃないですか」
「月影さん、それは、圭介君を見捨てるということですか」
「はすみさん。分かるでしょう。今はそんなことを言っている場合ではないことを」
月影は、はすみの力のない言葉にきっぱりとNOを突き付ける。

うさぎ、はすみ、ひなたは、知り合いの死によるショックに加え、
そして圭介のゾンビ部隊という戦術――
村の為の必要な犠牲とも、逆に村人への背信とも取れる所業を、
どう受け取っていいのか分からず、黙りこくっていた
鈴菜だけは、じっと考え込んでいる。
「意見が無いなら、私が決めます。役場を脱出し、特殊部隊からできるだけ離れ……」
「いえ、ここは討って出るべきです」
誰かがぼそりと、だが力強く、呟いた。

鈴菜が、はすみが、月影が、ひなたが、うさぎが。はっと顔を上げ、
その声の主……天原創の顔を見た。
天原の眼には決意の炎が燃えていた。




609 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:04:42 ???0
「天原君…… 君は何を言っているのか分かっているんですか!?」

月影が思わず声を荒げるが、天原は表情も変えず応える。

「はい。まず、圭介さん達が負けたのは、個々の力を扱いきれなかったのが原因です。
 ですが、こちらには特殊部隊にとって初見殺しとなる異能が、6人分も揃っている。
 それを組み合わせれば、十分に勝機はあります
 それに、あちらも勝ったとはいえ、あんな人数相手に立ち回った後だ。
 疲労もしているはずです。
 何より、これ程の銃撃戦を行ったにも関わらず、応援の来る気配がない。
 つまり、他の隊員は近くにいないということです。
 こんなチャンスはもう無いと僕は思います」

「……相手はあの人数に相手にも勝てる、特殊部隊ですよ。それが分かって言っているんでしょうね」
「あの」
雪菜が手を上げた。
「天原君は、さっき商店街で、特殊部隊とも渡り合っていました。
 それに、逃げ回っていても追い詰められるだけ。
 生き残る為には、どこかで戦わなきゃいけない。そうですよね」
 そう言って、雪菜は天原に微笑みかけた。
(……ありがとう、哀野さん)
天原も心の中で雪菜に感謝する。

「皆さん。矢面に立つのは僕だけで構いません。
 なんなら、僕が戦っている間に逃げてもいい。
 ただ、この戦いの準備だけは全面的に協力してほしい。お願いします」
そう言って、天原は他の5人に向かって頭を下げた。

「……分かった。賛成」
まず手を上げたのは、ひなただ。
「……そうね。光ちゃんと、碧ちゃんを殺した相手を、このままにしてはおけないかな」
「……うん」
続けて、犬山姉妹も手を上げる。

(…………)
月影は悩んでいた。逃げるべきだとは思うが、雪菜の言うことも確かなのだ。
幾ら逃げたところで、特殊部隊の数を減らさねば残った村人も次々と殺害され、いずれ自分も追い込まれる。
そもそも、自分も天原を特殊部隊にぶつけるつもりではあったのだ。
「……分かりました、やりましょう」
その時が来たのであろう、止むを得まい。月影も腹をくくった。




610 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:05:32 ???0

時間がないため、迅速に作戦を立案する。
まずは特殊部隊に有効と思われる武器の選定が行われた。
「相手は凄腕の銃使いのようでした。。
 できれば接近戦を挑みたい。ナイフみたいなものはありますか?
「う〜ん、じゃあ、これは使えますかね〜」
はすみが取り出したのは、柳葉包丁だった。
「包丁ですか。すみませんが、これでは防護服は破れないと思います」
月影とはすみが目を合わせた。
「すみません、ちょっとお待ちを」
2人は部屋の隅に行き、ぼそぼそと何かを相談すると、戻ってきた。
「じゃあ、はすみさん、お願いします」
「はい。じゃあ、行きます」
はすみは包丁に使って、異能を使用した。

「はすみさん。これは?」
「私の、物体を強化する異能です。……ふぅ〜〜」

壁に試し斬りをしてみると、確かに、強度や切れ味が大きく上がっている。
防護服を軽々切り裂く、とまでは行かないが、
力を込めれば破れるだけの力はありそうだ。
「これならいけそうです。ありがとうございます、って、大丈夫ですかはすみさん!」

はすみはぐったりと倒れていた。
「天原君、彼女の異能は生命力を消費するのです。
 私の異能は次の戦いには役に立ちそうにないので、彼女を介抱します。
 後はよろしくおねがいします」




611 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:06:25 ???0

(ふう、なんとかなりましたね)
隣の休憩室にはすみを寝かせながら、月影は息を付いた。
はすみの異能は、強化に加え、怪異への特効を持たせるものだが、
吸血鬼の眷属となったはすみが使用し、能力がそのままだった場合、最悪自爆する恐れがある。

そこで、包丁に異能を使う前に、普通のボールペンにほんのわずかにだけ異能を使わせてみた。
結果、拒絶反応が起こらなかった為、異能の使用を許可した。
はすみ本人の談によると、『吸血』の効果に変質したらしい。
自分が吸えるわけではないので、月影本人にとっては魅力的な効果ではないが、
対特殊部隊としては有用な効果だろう。

「まあ、本当に頑張ってください。
 君が特殊部隊員を倒すことを、掛け値なしに期待していますからね、天原君」




612 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:23:57 ???0
執務室では、まだ作戦会議が続いていた。
「鳥宿さん、そのライフルは使えますか?」
「ごめん、もう弾は無いんだ。でもこっちは使えるよ?」
と、薩摩から回収した拳銃を見せる。
「残念ですが、そのタイプでは防護服は破れないと思います」
「……弾を加速させたらどうかな?」
「弾を加速?」
ひなたは、自分の異能で弾丸を加速させ、ヒグマを撃退したことについて話した。
「……なるほど。
 でも、どのくらい加速するか分からないから何とも言えません。
 やるにしても、本当に最後の手段にしてください」
「うん、分かった」

「……そろそろ、やることやったかな」
ひなたが声を付く。
あまり時間をかけると圭介が危ない。もうそろそろ限界だろう。

「……すみません、皆さん。僕の我儘に突き合わせてしまったかもしれない」
突然、3人に向かって創が頭を下げた。
「どういうこと?」
ひなたが訝しむ。
「僕は、特殊部隊に不覚を取り、スヴィア先生を攫われました。
 そして今、光さん―― 僕のクラスメート、珠さんのお姉さんを、
 目の前で死なせてしまった。
 勝ち目がある、というのは決して嘘じゃないけど、
 もしかしたら、僕の恨みに付き合わせてしまったんじゃないかって」
(――それに、師匠を助けに行きたい、という気持ちも、正直、あるかもしれないんだ)
と、3人に向かって詫びる。

「そんなことーー」
「じゃあ、やっぱり勝たなきゃいけないよね」
きっぱりと言い切ったのは、雪菜だった。
「その、珠さんって人は、まだ生きてるかもしれないんだよね。
 悪いと思ってるならこそ、天原君は生きなきゃいけない。
 死んじゃえば、謝ることもできないんだよ」

「……哀野さん」

「だからさ」

そう言って、雪菜が天原の左腕を掴んだ。
力が沸いてくる。雪菜が、親友から受け継いだ異能『線香花火』により、
身体能力が活性化していく。
さっき、傷を治したものとはケタ違いの力だ。

「勝って。生きて帰ってきて。
 自分の為にも、謝らなきゃいけない人の為にも。
 君に私と同じ間違いはしてほしくないんだ。
 『……私は、謝ることが出来なかったから』」

何故か、最後の言葉だけ、もう1人の声が重なったように聞こえた」




613 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 00:52:17 ???0
雪菜、ひなた、うさぎは天原を見送ると、執務室に戻った。

「じゃあ、さっき話した通り、天原君が危なくなったら最悪私も行くから。
 もし私までダメだったら、うさぎをお願いーーって、哀野さん!?」
雪菜が、ばったりと倒れ込んでいた。
「ちょ、大丈夫ですか!?」
「……ごめんなさい、天原君には黙ってたけど、これ、かなり消耗する異能なの」
「はすみさんと同じってことか。じゃあ、栄養補給して安静に……って、ちょちょちょいとお!!」
ひなたが、素っ頓狂な声を上げた。
「よく見たらキミ、傷だらけじゃん! 切り傷だらけで! スカートもこんなに破けちゃって!
 あと、この肩とお腹の傷とか、何!?」
「えと、こ、これは、銃で撃たれて……」
「はああぁ!?」
雪菜の視界が、ひなたの顔のどアップで埋められた。

「あーもう! 消毒だけでもやんないと! うさぎちゃん、手伝って!!」
「は、はいっ!」
ひなたとうさぎがワタワタと手当の準備をし出す。
(ああ、本当に、私も無駄にカッコつけすぎちゃってたのかな)
その2人の姿を見て、雪菜は、少し自分を反省した。

雪菜の手当をしている途中、ひなたは気付いた。
新しい傷とは別に、至る所に古い傷や火傷の跡がある。
そしてひなたは、それと同じような傷を見たことがあった。
(恵子ちゃんと、同じだ……)
ただ、恵子と雪菜には明確な違いがあった。
それは眼だ。雪菜は、例え一人でも生きていこうという強い瞳をしている。
恵子も、自分自身で立つことが出来るようになれたなら、この子みたいになったのかな、
と、なんとなく、思った。

うさぎは、ふとはすみのことを思い起した。
役場でのあの不可解な衝突。仲直りした態度を取ってはいたが、
その後も、明らかに自分とどこか距離を置いている。
……何よりも、あの眼だ。
自分を突き飛ばしたとき、彼女の眼にあったのは、困惑、そして恐怖と嫌悪だった。
あんな眼をしたはすみは見たことが無かった。

神社の巫女と、吸血鬼の下僕。姉妹でありながら、今の2人は水と油、N極とS極。
互いに情愛を抱きながら、決して混ざらず、反発し、傷つけあう存在となっていることを
今のうさぎは知る由もない。
「……お姉ちゃん」
誰に聞かせるということもなく、うさぎはぽつりとつぶやいた。




614 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 01:04:40 ???0
(ごめん、珠さん。俺、君のお姉さんを守れなかった)
天原創は、今どこにいるかも分からない友人に詫びていた。
(泣かれるだろう。殴られてもいい。君の悲しみを癒すためなら何だってする。
 それだけしかもう、俺にはできないから)

(だから、生きていてほしい。例え何があったとしても。
 俺も生きる。生きる為に、目の前の敵を倒してみせる)

無力な己に対する怒り。
友人の姉を死なせた無念。
恩人を拉致し、殺しを続ける特殊部隊への恨み。
師匠すらゾンビに堕ちたという絶望。
そして、それでもなお、自分を信じてくれている者達の祈り。
それら全てを冷徹さに変え、最年少エージェント・天原創は死闘に臨む。

「――落とし前は付けてもらうぞ、特殊部隊」


615 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 01:05:19 ???0
【F-6/役場1階・ロビー/一日目・日中】
【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活(一部?)、犬山はすみ・月影夜帳への警戒(中)、異能『線香花火』による肉体活性化
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(3/8)、柳刃包丁(強化済、吸血効果・神聖弱点付与)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.特殊部隊員(成田三樹康)を倒す。
2.スヴィア先生を取り戻す。
3.スヴィア先生と自分の記憶の手がかりを探す。
4.月影夜帳らからの情報はあまり信頼できないが、現状はそれに頼る他ない。
5.珠さん達のことが心配。再会できたら圭介さんや光さんのことを話す。
6.「Ms.Darjeeling」に警戒。
7.烏宿ひなたから烏宿暁彦について知っていることを聞きたい。
8.ゾンビ化した師匠が気に掛かる
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※他にも雪菜、ひなた、うさぎの異能による支援を受けているかもしれません。
詳細は後の書き手にお任せします。

【F-6/役場2階・執務室/一日目・日中】
【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(簡易処置済)、全身にガラス片による傷(簡易処置済)、スカート破損、二重能力者化、月影夜帳への不快感(大)、犬山はすみへの不信感(大)、異能『線香花火』使用による消耗
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.天原さん、生きて帰って。
3.月影夜帳の視線が気持ち悪い。何か、品定めしているみたい……。
4.犬山はすみはまるで昔の母を見ているようで何一つ信用できない。
5.烏宿ひなたと犬山うさぎを守る。
[備考]
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。


【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇再召喚不可、困惑
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.どうしちゃったの、お姉ちゃん……


【烏宿 ひなた】
[状態]:感電による全身の熱傷(軽度・手当て済)、肩の咬み傷(手当て済)、疲労(小)、精神疲労(中)、恵子を殺した人間に対する怒り、犬山はすみへの警戒(小)、月影夜帳への警戒(中)
[道具]:夏の山歩きの服装、リュックサック(野外活動用の物資入り)、ライフル銃(0/5)、銅製の錫杖(強化済)、ウォーターガン(残り75%)、拳銃、弾薬ケース2個、救急箱
[方針]
基本.出来れば、女王感染者も殺さずに救う道を選びたい。異能者は無理でもうさぎの召喚した動物の解剖がしたい。
1.天原と特殊部隊との戦いを見守る。状況によっては助太刀する。
2.生きている人を探す。出来れば先生やししょーとも合流したい。
3.……お母さん、待っててね。


【F-6/役場2階・休憩室/一日目・日中】
【月影 夜帳】
[状態]:異能理解済、『威圧』獲得(25%)、『雷撃』獲得(75%)
[道具]:医療道具の入ったカバン、双眼鏡、不織布マスク、モデルガン、金槌
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.はすみと協力して、乙女の血を吸う
2.和義を探しリンを取り戻して、彼女の血を吸い尽くす。
3.はすみに和義の現住所を探させる。
4.天原創から哀野雪菜を引き離し、彼女の血を吸い尽くす。
5.天原創は自分や少女たちを守る為に利用する。
[備考]
※哉太、ひなた、うさぎ、はすみの異能を把握しました。
※犬山はすみを眷属としています。
※袴田伴次に異能『威圧』の50%分の血液を譲渡していましたが、彼の浄化に伴い、消失しました。
※犬山はすみに異能『威圧』の25%分の血液を譲渡しています。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています。


【犬山 はすみ】
[状態]:異能理解済、眷属化、価値観変化、『威圧』獲得(25%)、異能使用による衰弱(大)
[道具]:医療道具、胃薬、不織布マスク、スタンガン、水筒(100%)、トートバッグ、お菓子
[方針]
基本.うさぎは守りたい。
1.夜帳さんの示した大枠の指針に従う。
2.女性生存者を探して夜帳さんに捧げる。
3.安遠真実のデスクから宇野和義の住民基本台帳を探す。
4.夜帳さんに哀野さん、ひなたさんを捧げたい。
5.天原くんの処遇は夜帳さんに任せる。
6.………………うさぎ。
[備考]
※月影夜帳の異能により彼の眷属になりました。
 それに伴い、異能の性質が神聖付与から吸血効果・神聖弱点付与に変わりました。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています


616 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/19(日) 01:06:10 ???0
投下終了します。
タイトルは「呉越同舟と、その先」です。


617 : ◆H3bky6/SCY :2023/11/20(月) 20:32:10 0RbrFHJM0
投下乙です

>呉越同舟と、その先

2度目の姉妹の再会、だけど流石に違和感はあるよね
はすみは聖魔が合わさりかなり特殊な状況である

ありえないことが起きるこの村では荒唐無稽な説明も強引に通せる
そこを理解して強引だからこそツッコミづらい説明ができるのはなかなかうまい
はすみの人間性が残ってるのがうまい事作用しているのも大きいね
疑われてはいるものの今の所、月影さんはうまい事行ってる感じだ

成田討伐に打って出る創くん
これまで襲って来る特殊部隊を撃退することはあっても自ら特殊部隊に打って出ることはなかなかなかったから、大きな決断ではある
青葉さんと共に追われている圭ちゃんが、光を失ってどう出るのか不明なのは不安要素

役場に待機してる居残り組は月影さんがどう出るか不安だけど
聖属性と血が酸の少女たちと割と吸血鬼の天敵だらけでは?


618 : ◆qYC2c3Cg8o :2023/11/21(火) 20:21:49 ???0
感想を頂きありがとうございました。
なお、wikiの方で誤字脱字の修正を行いましたので報告します。


619 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:13:49 BEDgauP60
地下一階、警備室前。
真理を地下二階に先行させた天と真珠は、中断していた地下一階の探索を再開した。
とはいえ、残りの扉は三つだけだ。
階段部屋。まだ下らず、下に通じる道があることだけを確認。
そしてロッカールームには一人のゾンビもいなかった。
ロッカーが折り重なるように倒れ、中身がぶちまけられた部屋に、わざわざ踏み入る研究員もいなかったということだろう。

「で、最後の部屋はモニタールーム……警備室か」
踏み入った瞬間に確認できたゾンビは二人だけ。
祭服集団による襲撃という緊急事態が発生したために、詰めていた警備員はほぼ地下三階に回されたのだ。
警備室に突入して1分足らず、動くものは特殊部隊の二名を除いて一人もいなくなった。

「にしても、躊躇なく殲滅指令とはねえ」
「何かご意見がありますか?」
「いや、方針に文句はねえ。
 ただ、あたしの知ってるお前は、こういう任務と関係ない殺しは避けようとするヤツだったろ?
 短い時間でずいぶん擦り切れたな、と思ってよ」
「お言葉ですが、私一人ならば今でもそうしますよ。不要な殺生は避けます。
 けれども、民間人を率いる立場となればそうはいかない。
 特にスヴィア博士はゾンビに襲われれば逃げ切ることは不可能だ。
 最終的な処遇はさておき、今は協力者ですから」
「立場は人を変えるってやつかい? それはそれはご苦労なこって」
「我々は命令されれば命を賭して戦いますが、彼らはそうではない。
 我々の精神論だけでは彼らは動かせませんので」
真珠は肩をすくめる。
とはいえ、最初のトラックの女を味方に引き入れていたなら、
真珠とて同じように彼女らの士気の維持に気を砕いていただろう。
まさに巡り合わせと立場の違いでしかない。

「詰めていたゾンビが少なかったのは、別の部屋に人員が回されていたということでしょうか。
 研究所内部の監視映像があるならありがたいのですが……」
「わざわざセキュリティパスを三段階に分けてんだ。仮に見られるとしてもL1パスで入れる場所だけだ。
 研究所の中を映して、監視カメラに機密文書の内容が映りましたなんてことになりゃ笑えねえ。
 ――実際、ほとんどの映像が診療所の中だしな」
事実、投影されたモニターには、研究施設は一切映っていない。
記者会見の指名NGリストがうっかりカメラに映ろうものなら、大炎上して企業生命が絶たれかねないこのご時世だ。
セキュリティ的にもコンプライアンス的にも高い機密レベルを擁した施設内部を映し出すことはよろしくない。

「仮にそんな部屋があるとしても、最下層だろ。
 そこに本来なら、うちらみたいな暗部担当が詰めてたんだろうよ」
天はふむ、と軽く相槌を打ち、モニターに繋がるメインコンピュータを確認する。
リアルタイム警備という特性上、画面ロックはかけていないようだ。
大地震のあともずっと稼働し続け、一時間ごとのアーカイブ動画が別ディレクトリに残っている。
「少しだけ調査をしたい。
 ともすれば、物部天国が主犯であるという裏は取れるかもしれません」


620 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:14:25 BEDgauP60
天はメインコンピュータの前に座し、アーカイブ動画の並ぶディレクトリを時刻で並び替える。
スクロールをして画面に収めるのは昨日の21時から23時ころ、地震から放送がおこなわれるまでのアーカイブ動画である。

ふと、ファイルの一覧に違和を感じ取る。
「モニターとアーカイブの数が違ってやがる」
真珠の言う通り、21時台を境にファイルの数が一個減っているのだ。
減ったファイルはすぐに分かった。一つだけ明らかに容量が小さく、最終更新時間も古い。

「普通に考えるのならば、あの地震でカメラが壊れたというのことになるのですが……」
「21時10分……地震より前。におうな」
残されたアーカイブを再生。

写ったのはどこかの草原だ。
カメラ自体が茂みに隠されているのか、位置は低く、映し出される大半が山と空である。
変り映えのない大自然の映像が21時から続くが、そんなところを律儀に見る意味もなく、大きくスキップする。
そして、残り数十秒。ここで動きが出た。
祭服を着た何者かの上半身が映し出されたのだ。
不審人物たちは何かを探しているようで、足元に目を向けて視線を漂わせている。
直後、映像が大きくブレて、そこで映像は止まった。

「あの服装。確定だ」
SSOGに就職するよりも前、一度は殺されかけたが故に、真珠はその一派を目に焼き付けた。
物部天国本人の姿は見えなかったが、その一派がいたとなれば限りなくクロに近いだろう。
あるいはカメラを壊した人間こそが天国だったのかもしれない。
「もう一つ、浮かび上がった仮説がありますよ。
 この研究所には、診療所以外に入り口がありますね」
「この手の施設に非常通路は定番だが、現実的なラインにまで下がってきたのはでかいな」

何もない草原をわざわざカメラで映すはずがない。
何かを探していた祭服の様子からしても、その周辺に裏口が存在するということだ。
そもそも天国のような狂人集団が平和な診療所内をうろついていて、騒ぎにならないはずがない。
故に彼らは裏口からひそかに研究所に侵入し、事を成したのだろう。
そして、少なくとも地震前後で祭服集団は自由にこの研究所に出入りできる立場にあったということである。


621 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:14:53 BEDgauP60
「……なあ乃木平。さっきの村人の顔写真、もう一度見せてくれるか?」
「ええ。いくらでも」
真珠が要求したのは天が持つターゲットの名簿だ。
先ほど、与田四郎のプロフィールを確認するにあたって、名簿の中にブルーバードがいないかどうかも真珠に確認させた。
該当の人物こそいなかったものの、ひとつ引っかかったことがあった。

「見た顔がいた気がしてな。……そうだ、こいつだよ」
画面のスワイプがとある女性を映し出したところで止まる。
長髪で金髪。つむじの色は地毛のままな、いわゆるプリン頭の小柄な女性だ。

「虎尾茶子……? 物部天国と関係が?」
「いーや、別口だ。お前は確か別の任務だったよな?
 二カ月前の『テクノクラート新島』の件。
 そこの別動隊で見た顔だ」
「村の関係者が、例の事件に?」

テクノクラート新島の大規模テロでは、SSOGはテロリストの殲滅を義務付けられていた。
だが、それとは別途、要人の救出班が別動隊として派遣されていた。
キレのある動きをしていたので覚えている。
当時の作戦における呼称はMs.Darjeeling。名簿では虎尾茶子。現在の異能は不明。

「なるほど、最初から関係者であれば、たどり着きさえすればすぐに潜入できる。
 この部屋に出入りしたことのある荒事の担当者なら、別口を知っていて、そこからの侵入も十分ありうると」
「可能性だけでいえば、忍び込んでる『誰かさん』としては大本命だろうよ」
村で現地徴収された荒事担当の関係者であれば、純粋に村人を引率してくることもあるだろう。
純粋な研究員でないがために、研究所の内部を調査していたのかもしれない。
あるいは物部天国を手引きした勢力の可能性もあるが。
少なくとも、ゾンビの蔓延る中でだらだらくつろいでいた人間がいるという仮説よりは現実的だ。

「ちなみに、彼女の実力のほどはご存じですか?」
「まあお前よりは確実に上だよ。
 白兵戦だけなら、ウチの中堅程度の実力はあるんじゃねえか?
 だいたいあたしと同等、オオサキには勝てないってレベルだ」
真珠は軽く言うが、少年兵として戦場を渡り歩いていたオオサキの実力は、最年少クラスでありながら隊でもトップレベルだ。
一対一の訓練試合ならば勝ち筋もあるが、実際の戦場における総合力は真珠をも凌ぐ。
それより上に立ち並ぶのは、大田原や吉田、美羽といった怪物ぞろい。
地力の比較対象がこのレベルな時点で相当なものである上に、異能が不明であることも不確定要素だ。
警戒レベルを十全に引き上げる必要があるだろう。

「あとは、こっちも見た顔だな?
 テクノクラートの英雄様じゃねえか」
テクノクラート新島の事件で活躍した少女探偵と剣道少年。天宝寺アニカに八柳哉太。
テロリストの一味と大々的にやり合っていたため、イヤでも記憶に残る。
というより、面倒なメディア対応を押し付ける囮にしたというほうが正しいか。
実際、マスコミの大半は華のある二人を取材し、SSOGやテロリスト一派、エージェントの水面下での抗争には目もくれなかった。

「彼女らは今朝がた、D4を拠点に休息していたと小田巻さんたちから聞き取り済みです。
 我々よりも先行している可能性は低いですが……別の入り口から潜入した可能性は捨てきれませんね」
天宝寺アニカ自体はまぎれもない天才だ。
あるいは、研究所への入り口も見つけ出せるかもしれない。

「最悪なのはハヤブサⅢがMs.Darjeelingと接触なり尾行なりして、まとめて研究所に入ってきてるパターンってところか。
 ま、悪い方向に想定のレベルは引き上げておくべきだな。
 ……っと、これで一階は全部か? 階段は……パスが要るんだったな」
二人の警備員の懐からL1パスは一つずつ入手しているが、そのまま地下三階まで降りられるとは考えていない。
下階の探索には真理かスヴィアの持つL3パスか、あるいはこじ開けが必須となる。


622 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:15:27 BEDgauP60
「小田巻さんを待ちます。
 階段のカギなら銃で壊せるタイプですが、敵の規模が分からない以上、稚拙な強硬策は採用したくありませんね」
何者かが虎尾茶子であれハヤブサⅢであれ、SSOGの情報の一かけら程度は握っているだろう。
推定実力SSOGクラスの相手に先手を許すのは絶対に避けたい。
できれば、真理に偵察してもらい、秘密裏に情報を持ちかえってほしいところだ。

「うっかり出くわしたら、うちは足手まといが二人だ。
 あの二人、まだ切り捨てる気はねえんだろ?」
「ええ。現時点での離反は望みません。
 研究所そのものの事柄にしても、我々の本来の任務に関する事柄にしても、確認しておきたいことは山ほどあります」

研究所の目的や黒幕の背後関係。尋問は済ませたものの、研究所の内情が明るみに出たとは言い難い。
それに、単純に騒動を終わらせる方法についても確認する必要がある。
隔離策をはじめとした、女王殺害以外の収束が実行可能なのかどうか。
そして、収束後に感染者たちに何が起こるのか、ということだ。

こうまで警戒を巡らさなければならない理由は、あれもそれもこれも、研究所から得た情報の信用の低さにある。
例えば、先の放送では異能に一切触れられていなかった。
研究所の副所長からの説明に関しても、『存在しない機能を獲得する』との説明しかなく、異能の規模はぼかされていた。
研究所の隠蔽体質は特殊部隊が村内で大苦戦している原因の一つである。
さすがに女王感染者を殺害すれば事態が収束するのは本当だろうが、その収束の経過自体も不安要素は残る。

放送でわざわざ触れられた後遺症というのが、少々身体が軋むなどの常識の範囲内の症状であれば問題ない。
他方、悪い想定として特にありえそうなのは、女王殺害後にも後遺症として正常感染者に異能が残るというものだ。
もし、ゾンビから自然経過で治癒した村人がいたとして、そちらにも後遺症として異能が残ったなら輪をかけて最悪だ。
正常感染者44人との戦いが異能者2000人との戦いに広がれば包囲どころではない。
あるいはゾンビからの治療のため各地に送られた村人から、後遺症として異能が発動したなどということになれば、全国でとんでもないパニックが起こるだろう。
もっとも、ゾンビにまで異能が一斉発症するメはほぼないにしても、
異能の複製をおこなうヒグマ個体が、死んだ異能者を捕食し異能を複製していると思わしき行動が備考として記録されている。

戦争というのは、終わらせることが一番難しい。
女王の斬首作戦のはずが山折村の絶滅戦争へと移行し、余計な犠牲者を増やすリスクを負う展開は避けたい。
48時間以内に作戦を遂行できないという最悪の結果を除いて、最も避けるべき結末である。

「少なくとも、ウイルスの実験結果はどこかに確実にまとめられているはずです。
 女王の殺害から何時間でゾンビが意識を取り戻すのか。後遺症として異能は残るのか。
 司令部のほうでも情報は収集しているでしょうが、独自に把握はしておくべきでしょう。
 ……あまり大きな声では言えませんが、女王殺害後、状況次第では元正常感染者の投降の受諾も視野に入れる次第です」
「……おい!」
上方修正していた天の評価を元の位置に戻すに足る甘さだ。
眉をしかめる真珠に対し、天は苦笑を漏らす。

「もちろん、我々の監視下の元、自由からは遠い境遇とはなりますが」
そして、真珠の反応は想定済みだとばかりに、その発言の根拠を示した。
真珠はその根拠に、しかめていた眉の谷間をさらに深く深く歪めた。

「何を考えてやがる?」
「部隊を預かるものとして、最良にことを運ぶために必要なことです」
この臨時部隊の隊長は天である。
天がガスマスクの上から人差し指を当てた。
これ以上の言葉は不要だというジェスチャー。
どこか演劇のように大仰に、天は話題を撃ち切る。

「まあ、いい。今の指揮官殿はお前で、うちの部隊の次期幹部殿はお前だ。
 あたしら駒が口を出すようなことじゃねえ。成果が出るんなら、好きにやりゃいいさ」
「理解が早くて助かります。
 余計な諍いができる状況でもなくなってきた。
 スヴィア博士の要求も多少は飲みましょうか」

仮に脅しや暴力を用いたとしても、人の本質はそうそう変わらないだろう。
ならば、気持ちよく仕事をしてもらうほかはないということだ。
一体どの口が言ってんだという思いを飲み込んで、真珠は天と共にスヴィアたちの元へと戻った。




623 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:15:43 BEDgauP60
未来人類発展研究所は日本国内における最高峰の機密施設だ。
ありとあらゆる叡智が凝縮された知識の宝庫。
紙切れ一枚持ち出しただけで国家間のパワーバランスがひっくり返りかねない。
けれども、セキュリティと利便性を両立するのは人類最高峰の知を寄せ集めたこの施設内においても目下悩みどころである。

エレベーターを利用するには当然パスが必須だ。
けれども、パスコードまでは求められない。
たとえば、トイレがあるのは地下一階。配管業者など地下三階には入れられない。
けれど、下階からトイレに行くために、部屋を移るたびにパスコードの入力を何度も繰り返すのはあまりに不便に過ぎる。
そんな生理的に切実な理由を受けて、階層間であればパスリーダーにパスをかざすだけで、自由に行き来することができるようになっている。
それは、一度外部からのパスを持った侵入者を通してしまえば、好きなだけ探索できるというセキュリティホールでもある。

「みんな、それぞれパスは持ったかしら?
 うっかり研究所の外に出ちゃうと、再入場にはパスコードが必要になるそうだから気を付けてなさい」
地下三階、細菌保管室前。
花子が全員分のパスを配り終える。
元々のわらしべ長者計画でも構想していた方針だ。
配られているパスは地下三階に散らばる警備員と研究員の死体から剥ぎ取ったものである。
持ち主はもはやゾンビですらない死体の山。
最下層から探索するにあたって、パスを持ち出さない理由はない。
なお、春姫はその手があったかと膝を打っていた。


珠は、ふと手渡されたパスを見る。
沢田英二。実験動物飼育員。
顔も知らない、名前も今知ったばかりの人間だが、死者の持ち物を拝借して使っているというのはそれだけで気が重い。
それを言うならH&K MP5も同じだが、顔と名が明示されているかどうかで受ける印象はまるで違う。

未だにそんな日常の延長線のようなことを考えているのは自分だけなのだろう。
花子はもちろん、海衣も既に覚悟の決まった表情だ。
変り映えのしない日常に刺激が欲しくて、毎日のように非日常を求めていた。
創や孝司たち転校生に突撃してみたり、探検と称して山の中を駆けまわったり。
けれど、今は日常こそを何よりも乞い願っている。
村はあまりに変わってしまったけれど、花子が外と連絡を取れれば、立ち戻れるのだろうか。

そんな考え事をしていた珠は前を行く海衣にぶつかりそうになり、慌てて足を止める。
先頭の花子を見れば、一際険しい顔をしてエレベーターの前で立ち止まっている。

「春姫ちゃん、ちょっといいかしら?
 あなた、地下三階まではどうやって来たの?」
「む? 日野の小娘たちから聞いておらなんだか?
 地下一階からわざわざ階段を下ってきてやったのだ。
 迎えも寄越さず女王に出向かせるとは、まこと不遜にすぎる」
春姫がカギをこじ開けたこと、そこまでは海衣は確かに聞いたが、仔細までは聞いていなかった。
重要と言えば重要だが、どうでもいいといえばどうでもいいことだろう。
今、目の前の状況に立ち会わなければ。

「春姫ちゃんは、ご友人や従者とここに来たわけではないのよね?」
「郷田のが追ってきておらなんだら、妾にゆかりのある者はここにはおるまいよ」
「ありがとう、よく分かったわ」
花子の視線は再びエレベーターの扉の真上、階層ランプへと向く。
橙色の表示灯で形作られる文字は数字の『B2』。

与田があからさまにイヤそうに眉をしかめる。
珠もその意味を理解した。
エレベーターに表示される数は『B1』であるべきだ。
誰かが動かさない限り、それ以外の数字にはなり得ない。

「珠ちゃん。エレベーターに光は見えるかしら?」
「うん、すごく強い光。吞み込まれそうなくらい……」
「そう……」

珠の目には、太陽のようにまばゆく、意識を吸い取りそうなほどに白く深い光の深淵が見える。
正面から乗り込めば、それほどに大きな何かが起こるのだろう。
それが何かは、考えたくはなかった。
エレベーターに乗るだけで起こる、そんな一大イベントによいものなどあるはずがないのだから。




624 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:16:03 BEDgauP60
「スヴィア先生? スヴィア先生?
 意識はありますか?」
地下一階、休憩室。
意識の外から呼び掛けられた声をうけて、スヴィアの意識が肉体へと引き戻される。
地下研究所一階、エレベーター前の休憩室。
声の主・碓氷誠吾が天から渡された治療道具でスヴィアへ処置をおこなっている。

「……問題ない。少なくとも、こんな……ところで、倒れは……しない」
表向きは診療所となっている研究所だけあり、自衛隊でも使用されるようなしっかりとした医療品も備えていた。
これで自由に動けるなどとは到底言えないが、生命力の零れ落ち具合は若干緩やかになっていることだろう。
スヴィアは与えられた乾パンを水で胃へと流し込み、僅かにでもカロリーを摂取する。

「それはいいことだ。あなたに倒れられたら、我々全員の生存が危うくなりますからね」
「仮にも教師なら……、正しく……言葉を使ったらどうかな?
 『我々全員の』ではなくて、『僕の』だろう?」
誠吾は相変わらず自身が嫌われていることに苦笑を漏らす。
傍目には、減らず口を叩ける程度には気をしっかり持っているように見える。

「そもそも……、ボクに関心を向けていて……いいのかい?
 うっかり監視の仕事に……穴を開ければ、キミは……役立たずとして……即座に処分されるだろうね」
「道理ですが、僕は僕で手札を増やすために色々と考えているんですよ。
 たとえばスヴィア先生、あなたが今先ほど得た情報をなんとか利用できないか、とかね」

だが、誠吾はそれを、強い言葉を使うことで気丈さをアピールしていると解釈した。
事実、声をかけた瞬間に、スヴィアは怯えたようにびくりと震え、より強く発光するようになった。
誠吾は他人の心の機微にあまり興味はないが、強制的に視覚化されればイヤでも気付く。

「何を……。何の根拠で、そんな世迷いごとを……?」
「僕の異能は、あなたが僕を信用しているかどうかを測る異能です。これは知っての通り」
「ああ、よく理解しているよ。
 他人の心の中を覗く……、無作法……極まりない異能だと……ね」
「哀しいことですが、僕への信用など、何かきっかけがなければそうそう変わることはないでしょう。
 少なくとも、ただ歩いているだけで突然上がったり下がったりするものじゃない」
隠し事がバレた子供のように、スヴィアは口を噤む。
視線が僅かに揺らぎ、動揺していることが素人目にも分かる。
スヴィアは箱入りで育った天才。純粋培養された科学の申し子。
正面から殴りかかってくるような悪意に対しては捨て身の交渉という手段を取ることもできるが、
ひそかに忍び寄るような悪意から心を守る術は身に着けていない。

「顔色を悪くしたあの瞬間、僕への信用が大きく下がった」
「そんなことも……あるだろう?
 君の不誠実さを……思い返しては……、はらわたを煮え繰り返していただけさ」
「まさかまさか。
 状況的にも人間的にも、貴女はそんなくだらない回想で貴重な時間を潰すような人間じゃない。
 そんなヒマがあるなら、女王を見つけ出し、事態を終わらせる方法を試行錯誤するはずだ。
 貴女の高潔さと純心を僕は信用しています」
ただでさえ悪いスヴィアの顔色が輪をかけて悪くなる。
体調の悪化は、何も肉体的な負傷によるものだけではない。
大きなストレスは体調にそのまま反映されるものだ。
そして、肉体のダメージが大きければ大きいほど、加速度的にはねかえる。

「別に他人を陰湿に追い込む趣味は僕にはない。なのではっきりと言いましょう。
 異能を使って、何かしらの悪い事実を見つけ出したのでしょう?」


625 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:17:19 BEDgauP60
スヴィアは油汗を流し、顔色は青へと近づく。
しかし、誠吾の目に映る色はますます強い赤となる。
皮肉にも、誠吾に警戒すればするだけ、隠し事の有無だけは明るみに出る。それが彼の異能である。

「何を見つけたかも、当てて見せましょうか」
誠吾は宣言する。
スヴィアが隠し事をしている時点で、おおよその見当はついている。

彼女は自己犠牲すら厭わない精神の持ち主だ。
たとえ困難に阻まれても血反吐を吐きながらぶつかっていく。
そして今や、事態解決のために特殊部隊への全面協力へと踏み出し始めた。

たとえば、隔離策で解決できないとしても、スヴィアなら奮起して別の解決策を探すだろう。
たとえば、強大な敵がいたとしたら、隠し通さずに天に報告するだろう。
たとえば、女王を殺すことで新たな問題が起きる可能性が見つかったにしても上に同じ。
そこで判断を間違えるとは思わない。

では自己犠牲と使命感の塊のような人間が誰にも焦燥して抱え込むことは何か。
自力でも九割方まで絞れたが、最後のピースは先ほど天の口から語られた。

「大切な誰かが既に研究所に忍び込んでいた。
 その誰かが、特殊部隊のお二方にかち合って殺害されることを恐れている」
真理と天が先行していたあのとき、エレベーター内にいたスヴィアと、細菌保管室前で言葉をかわしていた珠たち。
彼女らを隔てる物理的な壁は、地下三階のエレベーターの扉一枚のみ。
であればスヴィアには声が届く。
守りたいと思っていた者の一人、聞き覚えのある声が進行方向から届いたことに、確かにスヴィアは戦慄したのだ。
正解かどうかを聞くまでもなく、その色を見て、我が意を得たりとばかりに誠吾は笑みを浮かべる。

「誤解しないでほしいのですが、あなたを追い込みたいわけではないんだ。
 もしあなたが望むのなら、一肌脱いで差し上げてもいい」
「……何が目的だい?
 裏切りの相談であれば、ボクは降りさせてもらうが」
青い顔色のまま、訝し気に睨みつけてくるスヴィアに対し、誠吾は苦笑の表情を浮かべる。
これではまるで脅しや人質のようだ。

「乃木平さんたちを裏切る意図は一切ありませんよ。
 それよりも、スヴィア先生はまだご自身の価値を低く見積っていらっしゃる。
 特殊部隊といえども、スヴィア先生……いや、スヴィア博士の嘆願はないがしろにはできないはずだ。
 黒木さんや真理ちゃんがどうかは分かりませんが、少なくとも乃木平さんがあなたを簡単には斬り捨てることはない」
誠吾の指摘に対し、スヴィアは押し黙る。
非情な特殊部隊というには、どうも物腰の柔らかい男。
平時ならば気遣いの鬼という言葉が似合うであろうその男は、その物腰とは裏腹に非情で抜け目のない指揮を執る。
そんな彼は妙にスヴィアに遠慮をしているようなフシがある。
その筆頭は、未だスヴィアの異能を聞き出していないことだろう。
忘れているとは思えない。それこそ、誠吾が言うように今は客人扱いされているのか。

「結果的に僕は特殊部隊と手を組みはしましたが、最終的な命綱は貴女の成果です。
 僕らはいわば運命共同体にある。
 貴女からの一次情報を得られる立ち位置を維持することが、さほどおかしなことでしょうか?」


626 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:17:41 BEDgauP60
誠吾の言い分を理解する。
特殊部隊一点掛けならば、関係性が変わった瞬間に切り捨てられてしまう。
たとえば、頭が天から真珠に代わるなどの想定外の事態である。
これはもう終わったことではなく、たとえば今後天が死亡することがあれば、容易にその結果に移行するだろう。

誠吾は真理のような強さもなければ、スヴィアのような知識もなく、強力な異能も持ち合わせていない。
会話と立ち回りだけで小器用に生き延びてきた、良くも悪くも口だけの存在だ。

今さら武器の訓練やウイルスの勉強を始めたところで圧倒的に能力が足りない。
ゆえにこれからも口先だけで生き延びるしかないのだ。
スヴィアの口添えも得られる立ち位置の確保。
一本の綱渡りから、二本の綱渡りに。薄氷一枚を薄氷二枚に。
これが誠吾の真意だ。

「……何度も言うように、僕はあなたの敵ではない。誰の敵になるつもりもない。
 何も添い遂げようというわけじゃないんだ。
 利害が一致する間は、良好な関係を築き上げたいものですね」
「……」

スヴィアは思考する。
小田巻真理はその人当たりの良さとどこか抜けた性格とは裏腹に、この中で最も恐ろしく不気味な存在だ。
極端から極端に前触れなく揺れるその性質は、いつこちらに牙を剥くのかも分からない得体の知れなさがある。
そして右腕の火傷跡。深夜、朝顔茜を襲ったという人物と性質が一致する。
何より一度は自分を斬りつけた相手だ。相対するだけで自然と身体が震える。

黒木真珠は上月みかげと出会っている。
スヴィアたちと別れた後の出来事となれば、珠や茜とも出会っているだろう。
古い知り合いだと本人は言っていたが、上月みかげの異能をスヴィアは知っている。
みかげは異能を使って逃げ切れたと信じるよりほかはないが、彼女と同行していた珠は今この研究所内部に来ている。

黒木真珠に小田巻真理。
この二人は珠や茜、みかげとは絶対に会わせてはならない。
たとえ、自身の利益しか考えていないような男に協力を仰いでも、彼女たちが特殊部隊と出会うことは阻止しなければならない。
覚悟を決めて、スヴィアは誠吾へと協力を願い出た。




627 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:18:00 BEDgauP60
地下三階、エレベーター前。
珠の異能を受けて、花子は数秒考える。
花子の異能は未来を視通すこともできるが、その範囲は視界の届く場所に限られる。
2階の未来までは見られない。待ち伏せされれば逃げ道はない。
「エレベーターはダメとなれば、階段のほうはどうかしら?」
「そっちはエレベーターほどじゃないよ。
 それでも、ピカピカ光ってはいるけれど……」
「ありがとう。ここは階段を使いましょうか。
 それと、全員で行くのは中断するわ。見張りを立てたいと思うの」
「見張り? 二階に進むグループと見張りとに分かれるんですか?」
「ええ〜っ、やめましょうよ!
 こんなときにバラバラに行動したら、絶対ロクでもないこと起きますって!」
「その懸念もごもっともなのだけれど、不測の事態は避けたいのよね」

心当たりがあったのか、ふむ、と春姫は相槌を打つ。
「妾たちのほかに誰が忍び込んでおるのかも知れぬ。
 それが友好的なものであるのなら構わぬが、
 迷彩服や祭服の気狂いをはじめとした、不遜の輩が徒党を組んで妾を弑せんと企んでおる可能性も捨てきれぬ。
 そういうことよな?」
「神楽さんが言っていた、ワニと一緒にすれ違った人っていうのは、この祭服の人たちなんですか?」
「そう言っておろうが。
 尤も、その気狂いに関しては妾が威光を正面から浴びて、塵芥と化したが」
(本当かな……)
威光で塵芥と化すとはどういうことなのか。
与田の診断では、春姫の異能はウイルス保持者をひれ伏させるものだということだ。
逆らった者を塵に変えるなどというオプションは存在しない。
春姫の答えには疑問しか浮かばないが、診療所近くで祭服に襲われたことだけは確からしい。

「私たちが目的かどうかは分からないけれど、彼らが戻ってくる可能性はあるわね。
 あとは特殊部隊が乗り込んできてるパターンもゼロじゃない。
 そういう不測の事態に備えたいのよ」
少なくとも、ウイルス拡散の実行犯たる祭服たちが直接地下三階に乗り込んでいるのは明らかだ。
もし診療所のほうから乗り込んでいたのなら、地震以前に大騒ぎになっていただろう。
海衣たちが知らないはずがない。
研究所がゾンビだけの無人であるなら全員で通信室に直行すればよかったが、そうでないなら進むにも相応の警戒が求められる。
そうしているうちに挟み撃ちを食らうのは避けたい。

「見張りには、海衣ちゃんを推すわ」
「私、ですか?」
海衣は一瞬だけ面食らったような顔で聞き返すが、すぐに納得の色が浮かぶ。
花子と与田は連絡をするにあたっては必須の人員。
あとのメンバーが春姫と珠となれば、自分が選ばれるのは何も不自然なことではないが……。

「消去法というわけではないのよ。
 積極策というか……むしろ、後詰を確実に防ぐのに、あなた以上の適任はいないのよ」
花子はふるふると首を左右に振り、海衣の消極的な考えを否定する言葉を紡ぐ。
一流のエージェントともなれば人の心すら読めるのだろうかと、海衣はとりとめのない感想を抱いた。

花子は表面の態度こそ享楽的で軽薄だが、作戦の立案時には必ず公平に評価を下す。
できない人間に強要することはないし、信頼のおけない人間を重要なポジションにまわすこともない。
そして特殊部隊を撃退するために花子と海衣は何度も策を練ってきたが、海衣が仕上げた箇所が花子の運命を左右した場面は数知れない。
花子が海衣に任せると決めたとき、彼女は必ずその何もかも見通すような目を以って、真剣に海衣の人格と向き合ってきた。
此度も、二人の目線がまっすぐな一本につながった。

「海衣ちゃんには、ここに残ってもらって、エレベーターと非常通路の監視をお願いするわ。
 とはいっても、そんなに難しいことではないはずよ。
 海衣ちゃんの異能なら、扉を凍てつかせて時間を稼ぐことはできるでしょ。
 エレベーターが下がってくるか、非常用通路から物音が聞こえたら封鎖するの」
「それは確かに、海衣ちゃんにしかできない仕事かも……」
「見張りは退屈かもしれないけれど、重要な仕事なの。
 少なくとも、誰にでも任せられる仕事じゃないわ」
珠は腹に落ちたようにつぶやくが、海衣の実績による人選の比率も大きい。
仮に与田の異能が『花鳥氷月』 であったなら、見張りは任せなかっただろうから。


628 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:18:28 BEDgauP60
「というか、それなら今凍らせて完全に封鎖したほうがいいんじゃないですか?」
「その考えも一理あるのだけれど……。
 万一のときに撤退経路が一本もないのは、それはそれで困るのよ」
海衣の異能は顕現させるのは一瞬だが、除去するのは時間がかかる。
あらかじめ外へと通じる通路をすべて封鎖しました、敵が危険すぎて撤退したところ逃げ道が全部氷で塞がれていました、という状況はとても笑えない。
また、外部に通信をおこなってすべてが終わるわけではない。
肝心の女王感染者への対策のため、B3Fを敵対者に明け渡すわけにはいかない。
故にピンポイントで怪しいところに封鎖をおこなう細やかな作業が必要になるのだ。

「なるべく早く用事を済ませて戻ってくるわ。
 任せていいかしら?」
「分かりました。後ろは任せてください!」
「いい返事ね!」
花子のエージェントとしての目的が露わになっても、二人の間を結ぶ目線の糸に一切の綻びはない。

「海衣さん一人じゃなんですし、僕も一緒に残りましょうか。
 通信機の使い方は紙に書いておきますから……」
自分たち以外の侵入者がいると分かった途端に尻込みしだす与田。

「当然、与田センセは私と一緒に来てくださるわよね?
 顔見知りがいたほうが本部のお偉方たちもスムーズに話せるでしょ?
 それにセンセがいないと通信機材の使い方が分からないじゃない」
「ええ〜っ、絶対そんなことないですって!
 花子さんはエージェントなんだから一人でセッティングできますよ!
「あらセンセ、高い評価をありがとう。
 けれど、エージェントといっても万能じゃないの。
 専門の機材のセッティングは本職にはかなわなくてよ」
花子は、容赦なくそのケツを叩く。
もはや何度目か分からない茶番を繰り広げる二人。
素性が割れても、この二人の関係性は変わらないのだろう。

「私はどちらなんですか?」
「珠ちゃんは私たちと一緒に来てほしいわね。
 余計なトラブルは避けられるに越したことはないもの。
 あと、春姫ちゃんは……」
「当然向かう。
 仔細は花子ちゃんに任せてもよいが、村の一大事に長たる女王を交渉の席に付かせぬこと罷りならぬ。
 研究所の愚か者どもにも、自らの行いがどれほどに不遜であったのかを思い知らせねばなるまいよ」
春姫は当然のように同行を宣言する。

「うーん、私としては海衣ちゃんと残る選択肢もあると思うのだけれど……」
「くどいぞ花子ちゃん。汝はどこぞの組織に命令されただけの駒、かつその功績ゆえ目溢しの余地もあろう。
 だが、研究所と汝の組織はまこと罪深い。大逆無道きわまりなし、妾は決して彼奴らを許さぬ」
村の機関でありながら、厚顔無恥にも女王に対して反乱を起こした研究所。
村の機関に対して無断で破壊工作をおこなうことを決断した組織。
いずれも女王たる春姫が沙汰を下さない未来などあり得ない。

「分かったわ、同行を了承します。
 ただ、その沙汰については最後にお願いできるかしら」
「無論。まずは村を救うことこそが最優先よ」
春姫の同行を花子はあっさりと受け入れる。

始祖たる春姫に愚申するならば相応の固い意志が必要だ。
彼女を知らぬのなら、より強固な決意が求められる。
彼女――あるいは村そのものに対して罪悪感の一かけらでも持っているならさらに抗いがたい。

イヤだな、申し訳ないなという僅かな心のブレ。
心の底に押し込めた、どこまで行っても人類は愚かという本音のミックス。
それらが僅かながらの心の隙間となって、春姫の指針を無意識に肯定する。
そうなればたとえ一流のエージェントであろうとも、逆らいがたい。
それが春姫の異能である。

そんな春姫に役割があるとすれば、邪魔なゾンビの対処以外にありえない。
そして地下三階においては、廊下をうろついていた研究員や警備員が祭服に皆殺しにされたことで、ゾンビに襲われる可能性は皆無だ。
もちろん、カギのかかった部屋の中にはゾンビもいるのだろうが、開けなければ襲われようもないだろう。

つまり春姫は留まる必然性、同行する必然性、ともに最も薄いフリーな立場。
三階に残る理由も二階に行く理由も何一つない。
だから、同行も問題ない。
身も蓋もない言い方をすれば、作戦行動に支障はないので同行して問題ないよ、が花子の出した結論である。

「さ、みんな! ちゃきちゃき動くわよ!
 ここまで来て、ゲームオーバーだなんて悔しいもの」
花子が音頭を取り、珠は表情を固くしてこくりと頷く。
緊張した足取りで歩く与田に対して、春姫はまるで近所への散歩のように悠然と歩く。
そんな彼女らを海衣は見送り、そして四人は角の向こうへと消えていった。




629 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:19:14 BEDgauP60
地下一階、休憩室。
特殊部隊の二人が探索に出てから十分弱。
結局、エレベーターには動きはなく、そのまま二人が帰還するに至った。

「地下一階の安全は確保しました。
 小田巻さんが帰還するか、あるいは30分後……14時になったら二階へと踏み入ります」
特殊部隊の二人は何事もなく地下一階を制圧。
外部からの侵入者がない限りは地下一階の安全は保証されたと考えていいだろう。

「待ってください。我々のほうからも提案があります」
「なんですか?」
待機命令、それに対して声をあげたのは誠吾だ。

「先ほど、何者かがいる可能性が高いと言いました。
 先に彼らに接触する機会を我々に与えていただけないでしょうか?」
「その意図は?」
間髪入れず、普段よりも若干低い声で天は聞き返す。

SSOGであれば、上官の命令に逆らうのは懲罰の対象である。
だが、国家に忠誠を誓った秘密特殊部隊員とは違い、スヴィアも誠吾も一般国民に過ぎない。
我儘を聞く必要はないが、ここで命令を強要する意義はない。
ただし、誠吾らの話がただの我儘か、実のある提案かを判断するために敢えて圧をかけている。
真珠はあきれたような顔をするが口は挟まず、誠吾の目に映る天の色も、透明に近い青のままだ。

「先に我々が接触すれば、あなた方では決して得られない情報を引き出せるかもしれない」
「なるほど。我々特殊部隊に対して口を割らない愛村心の強い方々も、同じ村民ならば話は別だと?」
「自慢ではありませんが、我々は職業柄、村内である程度の知名度も信頼もある。
 尋問の心得はありませんが、同じ村人として共感を示すことはできるでしょう。
 その誰かは、既にこのウイルス騒ぎに対してある程度の解は得ているかもしれない。
 特に、相手の目的や成果への進捗を聞き出すのであれば、あなた方が先に姿を現すべきではないのでは?」

誠吾には真理という特殊部隊との架け橋が存在した。
スヴィアには黒幕という無視できない手土産が存在した。
だがそれは例外中の例外だ。
半日以上経った今、特殊部隊と村民とは殺し合う以外にない。
特殊部隊では暴力というクッションを間に挟まなければ、村人から情報を引き出すことはできない。

「それに、スヴィア先生の体調は悪化の一途をたどっています。
 あまり時間をかけすぎるのはよくないかと」
天はマスクの先を指でとんとんと叩き、考えを巡らせる。
要するに、誠吾の提案のお題目は調査時間のショートカットだ。
偵察の役割を付け足しているが、そちらはあくまで天たちに断られないための後付けといったところだろう。
確かにスヴィアの体調を考えると、一考の余地がある提案ではあるが。


630 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:19:42 BEDgauP60
「こちらとしては、協力的な姿勢はありがたいことですが、スヴィア博士の心境の変化が気になりますね。
 何か心変わりする出来事でもありましたか?」
質問の矛先を誠吾ではなくスヴィアに向ける。

「特殊部隊が……、何人いるのかは知らないが……。
 解決が……遅くなればなるほど……村人の犠牲者は増える。
 意地を張らずに……、一刻も早い事態の解決が……必要だと判断したよ」
「正直、この研究所に来るまで僕たちは特殊部隊の技量を低く見ていました。
 あれだけの殺しの技術を見せつけられては、ね。
 頑なに拒んで大きな犠牲を出すよりはと、彼女を説得したんですよ」
「おいおい碓氷さんよ。乃木平指揮官はスヴィア先生の口から直接聞きたいってんだ。
 外野が横から口出すのは野暮ってもんだぜ」
スヴィアのフォローにまわろうとする誠吾に対し、真珠が牽制する。
今聞きたいのはスヴィアの真意であり、誠吾の成果ではないのだ。

「それでもし……、事態の解決に役立つ人間が……いたのならば、せめて……調査が終わるまでは見逃してもらえれば助かる。
 そのような特殊な異能者……一人ボクにも心当たりはあるんだ」
「ふむ……」
天が何かを納得したかのような落ち着いた声を漏らす。
スヴィアは心臓の鼓動が速まるのを感じながら、次の返答を待った。

「なるほど、そちらが真意なのですね?
 異能者の位置を特定するような異能を持っているのでしょうか?」
誠吾の顔が強張る。
いくらなんでも今のスヴィアの条件は直球すぎる。

「ボクの異能は……、超音波を感知し、操作する異能だよ」
「……それならば開示に非協力的だったことにも頷けますが。
 今回に限り、目を瞑りましょう。どの道あなたには大切な役割があるので」
一瞬だけ反逆と認定されたのかと誠吾は肝を冷やした。
だが、スヴィアはこの要望が通ることは確信していた。
ほかならぬ天が、そのような話を真珠とかわしていたのだから。

聴力の強化は副次作用。異能のメインではない。
特殊部隊による放送作戦を聞いたかどうか、超音波使いという情報だけでそれを確信するのは難しいだろう。

「ただし、その誰かがどこにいるのかは教えてもらいますよ。
 そして、先んじて接触していいのは碓氷さんだけだ」
禁句の認識を合わせ、破れば真っ先に誠吾がターゲットとなる。
そんな確約を取り付けられたが、最初に提示した条件は飲ませた。
誠吾だけであるとはいえ、先行接触の許可は得た。

異能の開示はおこなえない。
村人を放送で集めて皆殺しにするという計画を聞いていたことまで露呈してしまう。
彼ら自体に反発的だった午前中はもちろん、無駄死にができなくなった今もまた、開示することはできない。

だが、それを黙認された以上、ここで珠たちの位置情報を話せないとゴネることはできない。
この研究所内のどこに、最低何人いるのか。
得られた情報を慎重に開示していく。




631 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:20:12 BEDgauP60
「ゴアァァァ!!」
「ウボァァァ!!」
地下二階、階段部屋。
L2パスで二階の扉を開けた瞬間に、出るわ出るわゾンビの群れ。
祭服たちは二階にまでは進行していないらしく、爆破の後、慌てて廊下に飛び出した職員たちは全員そのままゾンビと化していたようだ。
そんな凶悪なゾンビたちであるが……。

「無礼者ども。そこになおれ!」
春姫の静かな一喝で、ゾンビ全員が大きな重力に囚われたかのようにその場にひざまづく。
まるで女王の訪れを待ち侘びていた使用人のように、ゾンビたちはその場に列をなしてひざまづいた。
ハヤブサIIIの捕縛術や天原創の制圧をも上回る見事な手際だった。異能100%である。

「あの、春姫ちゃん。扉につっかえているのだけど……」
「む?」
ひざまづいたゾンビが扉に引っかかって閉められなくなったことを除けば。

花子は階段の手すりに取り付けられた、転落防止ネットの取り付け用ロープを利用して、ひざまづいたゾンビを手すりにまとめて縛りつける。
その間、第二階層から誰かが現れないかと注視していたが、ゾンビ以外の何者かが姿を現すことはなかった。
音もなければ、誰かがいる気配もない。

「少し引っかかるわね……」
「ふむ、何か気になるところがあったのなら、言ってみるがよい。
 無体をはたらく輩が姿を現さなんだことが気になるのか?」
「ええ。私は誰かがいるリスクを案じて行動を取ったわ。
 けれども、廊下にはゾンビがまばらにうろついているの。
 死体もないし、ゾンビが特定の部屋の前に集まっているような素振りもない。
 春姫ちゃんのような異能を持っているならば話は別だけれど」
「女王が妾以外にいるはずがなかろう。
 もしいるとすれば、それは女王を僭称する大逆人よ」

大逆の意図があるかどうかはともかくとして、春姫と同じ異能ならばそれでも痕跡の一つ二つはあるはずだ。
既に立ち去ったのか、それともどこかの部屋の中に引きこもっているのか……。
もっとも、扉を開けた直後の安全までは確保できた。
花子は下階の踊り場で待機している珠たちを呼ぼうとしたが……。

「花子さん、光が……」
珠は二階よりもさらに上に目線を固定し、声を抑えて呟く。
同時に、ガチャリと扉が開く音が階段フロアに響き渡った。

にわかに緊張が高まる。
花子が急いで、しかし音もなく二階の扉を閉める。
一階の招かざる客が敵か中立かは分からないが、この段階で二階の何者かに自分たちの存在を知らせるのは悪手だ。

扉の開閉に続いて、ぎゅっ、ぎゅっとゴムが床に接触する足音が響く。
花子は音もなく壁際へと身を寄せ、与田は汗を流しながらそろりそろりと階下の死角へ移動する。
だが春姫にそのような気配りなどあるはずがない。
普通にぺたぺたと音を立てて花子の隣に歩いていった。

「そこにいるのは誰だい!?」
超一流のエージェントであろうとも、同行者が普通に歩けば隠形は不可能だ。
研究所にいる時点で常人ではないと事前評価を修正していたが、それをはるかに上回る規格外ぶりには頭を抱えそうになる。
やり過ごすことは不可能、正面から対峙するしかないかと考えたところで、珠が声をあげた。

「あれ、その声……? 碓氷先生!?」
「日野? その声は日野か?
 どうしてこんなところに……いや、答えは決まってるか。
 日野も手がかりを求めてここに来たんだな?」
「うん、そうだけど……なんで猟師の恰好?」
「スーツで夜通し歩き回るのはつらいんだよ」
上階から現れた何者かが顔見知りであったことで、高まった緊張がほぐれていく。
誠吾は手すりから顔を出し、珠を見て顔をほころばせる。
珠の色は青。信頼の青だ。


632 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:20:40 BEDgauP60
「珠ちゃんのお知り合いだったのかしら?
 こんにちは、イケメンのお兄さん。
 私は観光客の田中花子。花子さん、でいいわ」
下階から姿を現したのは、妙に社交的なスーツ姿の麗人。
誠吾も一度だけ村で見かけたことのある人間だ。
学校の生徒と軽く話をしていた光景を覚えている。
都会のキャリアウーマンといったその佇まいながら、村への好奇心が強い観光客だった。
都会勤めへのコンプレックスを刺激されてしまいそうになり、その場で話すことはなかったが。

ただ、今となってはそれも一つの切り口から見た一面の話であろう。
小田巻真理という『観光客』としばらく行動していたのだ。
『観光客』という言葉は警戒を呼び起こすには十分だった。
何より、花子のその色はどぎつい赤。考えるまでもなく警戒の色だ。

「ええ、初めまして花子さん。
 こんな事態でなければ、山折村へようこそ……と歓迎できていたのですがね。
 僕はこの村で教師をしています、碓氷誠吾と申します。
 それと、もう一人のヘルメットを被ったお方は……おそらく神楽春姫さんだとお見受けしますがいかがでしょうか?」
「ああ、誰ぞと思えばうさぎの担任か」
スーツの麗人と違い、もう一人は明らかに場違いな服装をしていた。
黄色いヘルメットに巫女服、そして抜き身の剣。
猟師姿をした誠吾が言うのもなんだが、ファッションセンス皆無である。
ついでに、なぜ妾が見上げねばならぬとばかりに目を合わせもしない。

「一目で分かりましたよ。オーラが違いますので」
巫女服だけなら犬山姉妹の可能性もあるが、カラーはまさかの無色。はじめてのニュートラルポジションだ。
まさにオーラが違う。こんな変人は一人しかいない。
その外見に惹かれて一目見にいったはいいものの、誠吾をもってしてもこいつはないと早々に結論付けるほどの規格外である。

「私たちもあなたと同じ、バイオハザードを終わらせるためにこの研究所を調査しに来たの。
 目的が同じそうで安心したわ。
 碓氷先生は一人でここまで来たのかしら?」
「いやいやとんでもない。
 僕一人で秘密の研究所に入り込むなんてとてもとても……!
 ちゃんと同行者はいます。
 ただ……ここはやっぱり敵地のようなものですから。
 誰がいるのか分からない以上、表に立つべき人間と立たせるべきではない人間というのはいるもので……」
仮に一人で来たと答えていれば、花子の警戒心は一気にストップ高にまで振り切っていただろう。
花子ですら複数の協力者を得てようやく侵入した研究室に、一人で突入できる豪運の持ち主がいるとは思えない。
実際は隣にいるのだが、そんな異能じみた人間は一人で十分だろう。
誠吾の答えは実に標準的な回答である。

「そうね、その判断自体は妥当だと思うわ。
 それで、その懸念は解消されたと見ていいのかしら?
 もしよければ、顔合わせをしたいのだけれど?」
「そうしたいのはやまやまですが、こちらにも事情がありまして……。
 一人は負傷で安静にしており、もう一人は先行して地下二階の調査をおこなっているのです。
 そちらは花子さんと同じく、観光客の女性なのですが、見かけていませんか?」
見かけているはずはない。
同じ目的。同じ考え方。同じ立場。そして同じくらいの警戒心。
同質性を表に出し、親近感の醸成を試みて相手と対等な立場に立つ仕込みだ。
話の分かる相手としての立場をアピールすることが目的だ。
だが、互いにやんわりと相手の手を払いのけ、警戒心は崩さない。


633 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:21:02 BEDgauP60
「ふむ、ゾンビのうろつく中、負傷者を残して一人で?」
何気なくつぶやく春姫であったが、確かに違和感のある采配だ。
地下三階とは違い、地下一階にゾンビが蔓延っていたことは春姫が確認している。

「ええ、花子さんと同じ、『観光客の女性』がいましたので。
 そのあたりは抜かりありませんよ。負傷したといえど、彼女のいる場所は安全です。
 少なくとも、ゾンビには襲われない」
「……同業者でもいるのかしら?
 ひょっとしてあなた、私のことをすでにご存じだったのではなくて?」
「いや、僕は花子さんと同じことを考えただけですよ。
 僕は神楽さんと日野だけではこの研究所に来られるのかと疑った。
 あなたは僕が一人でこの研究所に来たことを疑った。
 それと、彼女が花子さんのことを知ってるかどうかは……聞いたことはないですが、たぶん知らないんじゃないかなあ」
煮え切らない返事だが、同じ観光客を装ったエージェントがいるというのなら、一応の筋は通ってしまう。
怪しいことこの上ないが、話を進めることにした。

「いいわ、余計な牽制はなしにしましょう。
 まずは前提だけれど、あなた、この研究所で何が起こったのかご存じかしら?」
「起こったことといえば、テロリストが研究所を爆破し、ウイルスを拡散させたことでしょうか?
 警備室の動画に、テロリストの一味が侵入しているところが残っていました。
 一度は僕も本気にしてしまった手前、言いづらいのですが……。
 今ではあの放送もテロリストによるフェイクではないかと疑っています」

「……言われてるよ、与田先生」
「……僕が放送を流したことは本当に内緒にしておいてくださいね」
珠と、階段下に隠れている与田は小さな声で会話する。
元凶と言えば元凶なのだが、知らない間に知らない罪状が盛られていくのは勘弁願いたいものである。

「そこの認識は合っているわね。
 地下三階に、祭服を着た不審者たちと警備員との戦闘の跡があったわ。
 細菌保管室も破壊されていた」
「であればやはりあの放送はフェイクで、女王殺害以外にも解決する方法があるはず、ということですか」
「そうね、その理解でおおよそ認識は合っているわ。
 私たちはウイルスのレポートは見つけた。研究所の理念も目を通した。
 けれども、バイオハザードそのものを解決する手段までは見つけていない。
 それは、今も異能とゾンビが大手を振って歩いている現状を見て分かる通りね」

ただし、バイオハザードを解決させるのも重要だが、特殊部隊を引かせることも重要だ。
花子は自身にしかできないこととして、後者を優先して取り組んでいる。
前者は特殊部隊を引かせた後、与田と珠に大いに動いてもらうことになるだろう。


「横から成果を浚うようで申し訳ないのですが、
 そのレポートや理念を我々にも共有していただくことは可能でしょうか?
 地下一階にはそのような文書はいっこうに見つけられなかったので……」
「それは構わないけれど、わざわざそちらに向かうつもりはないわよ?
 私たちも私たちで調べたいことは山ほどあるの。
 どこの誰かも分からない人のために、時間を割く余裕ははっきり言ってないわね」
にべもなく花子は要望を断る。
ここは優先順位の問題だ。
どこの馬の骨ともわからぬ輩のために上階まで出向いて説明をしていては、時間がいくらあっても足りない。
この回答に誠吾はなぜか目をそらし、誰かと連絡を取るような素振りをおこなう。
花子は訝しむが、すぐにその理由を理解した。
ぺた……ぺた……とゆっくりながらも、新しい人物が場に現れたのだ。


634 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:21:43 BEDgauP60
「まったくもって……、その通りだとボクも思う。
 彼女らの成果を……共有させてもらうなら……、こちらから出向くのが……筋だね」
「えっ、スヴィア先生!?」
それまで誠吾との会話に口を出せなかった珠が思わず声をあげてしまう。
スヴィアは苦悶の表情を笑顔に変え、珠へ健在をアピールする。

「花子さん……、でいいのかな。
 元研究員の……スヴィア・リーデンベルグだ。お会いできて……光栄だよ」
「あらら、これは意外な人物の登場ね。
 ハロー、ミス・リーデンベルグ。
 こちらこそ会えてうれしいわ。
 あなたには色々とお話を伺ってみたかったのよ」
「碓氷先生。
 こうして探り合っている間にも……、特殊部隊や……村人たち同士の殺し合いは……続いている。
 ボクが会話を引き継ごう。
 珠くんを……ここまで守ってきてくれたんだ……。悪い人じゃないだろう」
花子としても、スヴィアの登場は予想外だった。
誠吾がいやに慎重だった理由も、研究所まで来られた理由も、すべてを一挙に説明できてしまう。


「今朝までは研究所のことなんて一言も言ってなかったけど……。
 最初からここに向かうつもりだったんですか!?
 それに、スヴィア先生がここにいるということは、二階にいるのは創くんですか!?
 あれ、でもさっき観光客の女性って言ってたような?」
誠吾がスヴィアを背負って階段を下りる間、珠の質問攻めが続く。
スヴィアは困り果てたように眉を寄せ、苦笑している。

「少なくとも……、研究所に関わり合いになってほしくなかったのは……事実だよ。
 ここに来ることを決めたのも……、キミたちと別れた後になる。
 もっとも、君たちの自由意思を無視した……思い上がりだったかも……しれないけどね」
花子から世界の真実を聞かされた以上、スヴィアの言うことも分かる。
あれは覚悟ができる前に聞くべきではない真実だった。

「捕捉すると、天原はまだ生きてる。
 今は哀野さんという人と一緒に行動しているはずだ」
「愛野さんかあ……。なら、大丈夫かな」
「珠くんは、哀野くんと知り合いなのかい?」
「小さいころ、お世話になってて。悪い評判は聞かない人だから、大丈夫だと思うよ。
 って先生、すごい怪我……! えっ、本当に大丈夫なんですか!?」
アイノ繋がりで互いに誤解釈しつつ、同じ階まで降りてきたスヴィアを見て、珠は大いに驚いた。
あちこち血塗れで、特に背中と右肩に大きな傷がついている。

「大丈夫だ……と言いきるには不調だが……、ここが踏ん張り時だからね」
「銃創に裂傷……。その傷をつけた犯人がいるはずだけれど、危険性はないのね?」
「その話は……、誰も幸せにはならないよ。
 一つは誤射に……、よるもの。もう一つは、犯人とは和解済みさ。
 もう撃たれることも……、斬られることもないから……、心配ないよ」

その一言で珠は創がいない理由を察してしまう。
そして、犯人と言った瞬間に誠吾がバツの悪そうな顔をしたのを花子は見逃さなかった。
確かにここで深堀したところでロクな結果にならない。
もし彼らを糾弾するのなら、同じく海衣も糾弾する必要が出てきてしまうだろう。


635 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:22:28 BEDgauP60
「与田センセ。彼女を診てあげてはくれないかしら?」
スヴィアが出てきた時点で、花子の天秤は彼女らと協力する方向へと傾いている。
となれば、与田を隠し通す理由もないだろう。

「ああ……、診療所の勤務医……それとも、正規の研究員なのかな?」
「与田です。副業として、診療所に勤めていますね」
与田はばつが悪そうに階段の下から姿を現し、どれどれとスヴィアの診察を始める。
が、すぐに手を止めた。

まさかスヴィアも茜と同じく手遅れなのか?
珠はその可能性に顔を青くするが……。

「応急手当は、しっかりとおこなわれていますね。
 しっかりと食事を摂って体力を回復させることに専念すれば、命に別状はないでしょう。
 本当は絶対安静にすべきなんですが……」
「すまないが、……ボクも元研究員だからね。
 生徒たちに任せて……、自分だけ……寝て待つなど……到底できない。
 そんなことをすれば、ボクはボクが許せなくなる……!」
「与田センセ?」
「与田先生?」
「なんでそこで僕を見るんですか!?
 ともかく、絶対に無茶はしないように。いいですか?」
「そうしたいのはやまやまなんだが……。すまない、約束はできない……。
 ただでさえ、時間がないんだ……」
与田の診察結果は重視すべきだが、スヴィアの言うこともまた真理である。
もう残された時間は36時間しかない。
安静にしたところで、36時間後には等しく死体は炎に包まれるだろう。
「珠くん。この騒動を早期に解決するには……、ボクはキミの力が必要だと……考えている。
 キミたちも……目的があってここまで来たんだろうが、ここはどうか……力を貸してくれないだろうか?」

スヴィアが珠をスカウトする。彼女は珠の異能を知っている。
トライアンドエラーを最小限に抑えるために、彼女の異能は欠かせない。
花子としても、イレギュラーを回避するために珠は連れておきたい人材ではあった。
だが、極論彼女がいなくても、最大数十分程度時間が延びるだけだ。
目的自体は果たすことができるだろう。
一方でウイルスの解析や免疫、特効薬の調査にはどれだけの時間が必要なのかは分からない。

加えて、スヴィアが瀕死の重傷者であることもノイズとなった。
珠をスカウトしたその時から、気持ち呼吸も荒くなっている。
後回しにした結果、彼女が研究に着手できないほどに消耗するのは本意ではない。


636 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:22:52 BEDgauP60

「仕方がないわね。
 珠ちゃんはスヴィア先生と一緒に三階に戻ってもらえるかしら?
 それと春姫ちゃんも、同行をお願いできないかしら?」
「ふむ、妾もか?」
「珠ちゃんは戦いはからっきしよ。
 スヴィア先生に戦えなどとは口が裂けても言えないわ。
 二人がゾンビに襲われたらひとたまりもないと思うの。
 どうか二人を守ってあげてくれないかしら?」
花子の懇願に、春姫は片目をつむって考え込む。
女王として元凶たちに責任を取らせるのは絶対だが、村人への犠牲を最小限に抑えるのもまた女王の義務である。

「よかろう。本部とやらへの抗議は後だ。
 妾が先導するのだ、必ずこの不届きなウイルスとやらを撲滅せよ」
「ああ……一刻も早く事を為すことを……約束するよ」
「では僕もスヴィア先生と一緒に……」
「それなんだけれど、碓氷先生?
 あなたは私たちと一緒に来てもらえないかしら?
 二階にいるのは、あなたのお仲間なのよね?」
先ほどの会話から、スヴィアの背中に傷をつけたのはもう一人の同行者と推測。
誠吾は濁したが、最もあり得そうな理由は女王感染者狙いだろう。
スヴィアが説得なり協力を要請なりして、同行に至ったと考えるのが自然だ。
花子と同じエージェントであれば、万が一敵対した場合には相応の被害が予想される。
珠も誠吾もいない状態でばったりと出くわすのは回避したいものだ。

「いや、しかし……」
「あら、何か都合が悪いことでもあるのかしら?」
「僕たち、L3のパスは二つも持っていないのですが……」
「拾えばよい。
 三階のカギはすでに妾がこじ開けている」
春姫が軽く答えたことで理由の一つが潰れた。

誠吾としては、スヴィアと同行したい。
そのほうが、成果が出た際に真っ先に飛びつくことができるからだ。
だが、花子の要望を断るだけの理由もない。
赤い濃度が濃く、濃く変わっていく。

「仕方ありません。
 春姫さん、こちらを持っていっていただけますか?」
「なんだ、これは?」
誠吾が取り出したのは、風呂敷に包んだ6キロほどの球体である。
斥候には不要だと、真理が休憩室に残した研究材料だ。
「ウイルスを調査するためのサンプルの一つです。
 中身は、……ショッキングかつ誤解を招きやすいため、調査時以外では決して見ないようにしていただきたい。
 特に日野さんをはじめとした未成年には見せないように」

「サンプル……?」
与田がいち早く中身を察したのか、身体を強張らせる。
その正体には、スヴィアも口を噤んだ。
それは花子も同じ。
分からないのは本職ではない春姫と珠だけだ。

これですべての懸念が解消し、人員配置に待ったをかける理由もなくなった。
田中花子は与田四郎と碓氷誠吾を連れて、地下二階へと入っていった。
スヴィア・リーデンベルグは、神楽春姫と日野珠と共に、地下三階へと舞い戻った。
二人の来訪者と交わったことで、四人の集団は二つの集団へと分かたれた。




637 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:23:45 BEDgauP60
地下一階の備品倉庫前。
乃木平天と黒木真珠はかわされた会話について一語一句漏らさぬように聞き耳を立てていた。
先に研究所に忍び込んでいた何者か。その正体の一角を暴くことができた。


碓氷誠吾は裏切らない。
これが乃木平天の見立てだ。

彼は、信用を見る。
研究所に潜行していた一人は、田中花子――ハヤブサⅢであった。
優秀なエージェントであるからこそ、いきずりの他人を全面的に信用するはずがない。
何かを知りながら、それを煙に巻こうとする男を本心から信用することはない。
スヴィア・リーデンベルグを連れていようとも、彼女は最後まで警戒心を解くことはない。
故に、彼もまたハヤブサIIIには取り込まれない。


スヴィア・リーデンベルグは必ずこちらに協力する。
これが乃木平天の見立てだ。

人間は、自分で手に入れた情報こそを信じる。
スヴィア・リーデンベルグの異能が聴覚に関連するものであることは分かっている。
だが、異能が割れているという事実を面と向かって彼女に明言したことはない。
乃木平天はスヴィア・リーデンベルグの異能を知らないという前提で動いている。

小隊を率いるにあたって、心を砕くべきは部隊員の士気である。
死にたい兵士などいるはずがない。
まして、天の率いる部隊のうち二人は民間人だ。
仮に作戦行動を取れたとして、部隊から裏切り者が出れば作戦は潰れてしまう。

この隊長についていけば生きて帰ることができる。
この隊長の作戦に従えば、自分の命は尽きても大切な人を守り抜くことができる。
そう思うからこそ、兵は指揮官に従うのだ。
『俺の言うとおりにしろ。お前たちの都合など知らん。裏切れば殺す』
そんな横暴がまかり通っている部隊の士気などたかが知れている。
そんな部隊に所属する兵士は、敵に餌を与えられればすぐに投降してしまうだろう。


だからこそ、天は信条を敢えて崩し、研究所にうろつくすべてのゾンビを迅速に処理した。
裏切れば、お前たちもこうなるぞ、お前たちは決して逃げられないぞと意識下で脅しつけるために。

だからこそ、三樹康との会話にて、放送の作戦そのものを一部伏せながらも話した。
スヴィアの異能に気づいていないと思わせるために。
そして、自身の努力で最悪の結末を回避できると思い立たせるために。

だからこそ、真珠にはしばらく真実を明かさなかった。
真珠からスヴィアへと、天のルーキーとしての人となりが伝わるように。

だからこそ、真珠との会話で、正常感染者の投降についての話題を持ち出した。
スヴィアの異能で、スヴィアだけがたどり着ける真実へと導くために。
彼女が理想とするベターエンドへ、少しでも近づける抜け道を見出せるように。


スヴィア・リーデンベルグは強い信条を持った女性だ。
出口さえ用意すれば、その信条に比例するように、思考に思考を重ね、よりよい結末を導き出すために奔走するだろう。
特殊部隊という檻に閉じ込められた彼女は、その中で最良の結果を見出すために、もがき苦しみながら成果をつかみ取るだろう。


特殊部隊は成果を求められる。
碓氷誠吾とスヴィア・リーデンベルグは、ハヤブサⅢから異能者を二人引きはがした。
ハヤブサⅢの持つ情報を一部引き出し、同行者を三人浮かび上がらせ、ウイルス調査以外の目的があることを明らかにした。
これが乃木平天から見た二人の成果である。

配電室という通信の中核は抑えている。
外に連絡を取るという最悪の結果にはすでに備えている。
リベンジマッチのときを、天は冷静に、真珠は胸を昂らせて待ちわびる。




638 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:24:05 BEDgauP60
犠牲にした。ついに犠牲にしてしまった。
自分一人で全員を救うことはできないと、分かっていた。
何もしないまま激突すれば、珠も春姫も、特殊部隊の毒牙にかかって命を落としていただろう。

たとえ、研究所の関係者であっても。
たとえ、国外から潜入した工作員であったとしても。
それでも、自分は自分の意志で命の選別をした。
選ばなかった者たちを、特殊部隊への生贄とした。

そうするしかなかったのだ。
それが烏宿暁彦と同じ、未来のために少数を斬り捨てる選択だと分かっていても。
せめて、彼女らが時間を稼いでいる間に、ウイルスを死滅させる方法を見つけ出すことで、犠牲は最小限に抑えられるだろう。
ともすれば、与田や花子もウイルスさえ死滅してしまえば、きっと助かるはず……。


「……本当に?」
「先生?」

それは直感だった。

まず、自分を疑え。
錬が何かにつけて、口に出していた言葉だ。
その言葉が、稲妻のようにスヴィアの脳裏を横切った。


スヴィアは科学者だ。
果てなき探究の道を進み続ける求道者だ。
その信条に則って、現状に甘んじるを良しとしない生き方を続けてきた。

何か大きな思い違いをしていないか?
考えることを止めていいのか? 今に迎合していいのか?
本当に特殊部隊を全面的に信用していいのか?
特殊部隊に、他人の仮説に、ただ乗っかるだけでいいのか?

一度疑いを抱けば、見えていた世界が切り替わったかのように疑念が湧き出てくる。

おかしいのだ。
乃木平天が、スヴィアの自主性に任せて自ら異能を確認しないはずがない。
彼は仕事に奇妙なこだわりを持ちこむ人間ではないだろう。
正真正銘のプロフェッショナルだ。

スヴィア自身が異能を曝け出すのを拒んだ?
口を割らせる方法などいくらでもあるはずだ。

スヴィアを利用するために刺激する言動を避け、現状維持に徹した?
それは幾分友好的な相手におこなうべき行為で、強硬に拒絶している者に現状維持を選んだところで事態は好転しない。
誠吾ならまだしも、スヴィアに取るべき手ではない。

それよりももっと有力な解が一つある。
乃木平天はスヴィアの異能を知っていた。
知ったうえで、知らないフリをしていた。

分かっていたことではないか。
モクドナルドでのゾンビによる包囲網。
放送による村人の釣り出し策。
天は他人の心理を巧みに利用し、自らの有利に事を運ぶ。


動画配信サイトのインフルエンサーがよく利用する手口だ。
誘導したい方向に導くために、視聴者自身に行動をさせる。
検索のための単語やサイトを先にピックアップしておき、その場では語らずに視聴者に自分で調べるように促すのだ。
視聴者側はあらかじめ用意されていた情報を拾い上げ、あたかも自力で『真実』を見つけたかのように思い込む。
面と向かって説かれた場合と比べて、その『真実』への信頼度が大幅に上昇し、視聴者たちは『目覚める』のだ。
そうして目覚めた人間は、そう簡単には自説を捨てることはない。

スヴィアにしか聞き取れない特殊部隊同士での会話。
天がスヴィアの異能を知らなかったのなら、語る内容は『真実』だ。
だが、スヴィアの異能を知っていた上で敢えて聞かせていたのだとすれば。

特殊部隊に全力で協力すれば、多くを救える。
そう信じさせるための巧みな誘導だとすれば。

「ああ……っ!」
この先に待っているのは絶望だ。


639 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:24:20 BEDgauP60
人間個人としては、天は誠吾よりはよほど誠実だろう。
ただし、彼の立てる計略は真偽を前提としない。
観測気球をあげて、それを受けて相手がどう行動するか? ということこそが計略のコアだ。
実際に彼の内心を知った気になったスヴィアは、特殊部隊に全面的に協力することこそが事態解決の早道だと思い込んだ。
まさに彼の掌の上で転がってしまったわけだ。

隔離策は一つの手ではあるのだろう。
だが果たして、特殊部隊が一切考慮していないということがあり得るだろうか?
もしそれが簡単に成立するのであれば、特殊部隊が村人の命を狙うことはないだろう。
彼らがボクたちを殺しにきた時点で、隔離策は成立しないか、あるいはとてつもなく成立の難易度が高い策なのだ。
そして隔離策を実施し、パンデミックが終わったとしても、地獄は終わらないのではないか。

「先生、大丈夫ですか?
 これできっと、すべて終わるんですよね?」
珠が心配そうに聞いてくる。
気の利いた言葉一つでもかけられればいいのだが、そのような言葉は出てこなかった。
ただ、息とともに生命力がわずかながら漏れ出していく感覚にとらわれただけだ。

碓氷誠吾は、理由がない限り殺さないという。
天原創は、女王暗殺だけで終わるはずがないという。
どちらも一理あるだろう。そしてこの二つは二者択一ではない。


特殊部隊に、研究所。
彼らを欺かなければ自分たちは生きて村を出ることはできないのではないか。

これはもはや勘の領域だ。
勘にゆだねるなど、科学者としてあるまじき行動理念であるが。
錬を黒幕だと疑ったことだって、はじまりは自身の勘だったではないか。
彼は潔白だと考えたからこそ、それを疑って、必死で潔白を証明しようとして、その反対の結論にたどり着いたのではなかったか。

感染実験室と新薬開発室。
この村における最重要施設が立ち並ぶ廊下。
誰に与するか。誰を救うか。誰を見捨てるか。
すべての答えがきっとここにあり、選ぶのはすべて自分だ。
HE-028に関わるあらゆる情報を得ることができるだろう知識の宝庫。
そこで、スヴィア・リーデンベルグは大いなる選択を突き付けられた。


640 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:24:30 BEDgauP60

【E-1/地下研究所・B3 感染実験室前通路/1日目・日中】

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.ウイルスを解析し、VHを収束させる
2.天たちの研究所探索を手伝う
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)
[道具]:H&K MP5(30/30)、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.スヴィアの調査を手伝う。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2、研究所IDパス(L3)、物部天国の生首(小田巻真理→神楽春姫)
[方針]
基本.妾は女王
1.スヴィアの面倒を見る
2.研究所を調査し事態を収束させる
3.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。


641 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:24:44 BEDgauP60

【E-1/地下研究所・B2階段前/1日目・日中】
【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、研究所IDパス(L3)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.本部と通信を繋げる
2.花子に付き合う
3.花子から逃げたい

【田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:H&K MP5(12/30)、使いさしの弾倉×2、AK-47(19/30)、使いさしの弾倉×2、ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、研究所の見取り図、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.通信室に向かう

【碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)、研究所IDパス(L1)、治療道具
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。


【E-1/地下研究所・B3 EV前/1日目・日中】
【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:H&K MP5(30/30)、スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵、緊急脱出口のカードキー、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.自分たち以外の侵入者へと備える。
2.研究所の調査を行い真実を明らかにする。
3.女王感染者への対応は保留。
4.茜を殺した仇(クマカイ)を許さない
5.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。
[備考]
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。


642 : 話の分かるあなたに ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:24:55 BEDgauP60


【E-1/地下研究所・B1 備品倉庫前/1日目・日中】
【乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
4.黒木に出会えば情報を伝える。
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※診療所の周囲1kmにノイズが放送されました。

【黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:鉄甲鉄足、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.乃木平の指示に従う
2.ハヤブサⅢを殺す。
3.氷使いも殺す。
4.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています


643 : ◆m6cv8cymIY :2023/11/27(月) 01:25:09 BEDgauP60
投下終了です。


644 : ◆H3bky6/SCY :2023/11/27(月) 20:53:40 Jx6KtZUE0
投下乙です

>話の分かるあなたに

まさか、特殊部隊、エージェント、研究員と重要キャラが研究所に一堂に会したこの状況で、一番話を動かすのが碓氷先生になろうとは
多方面に保険を張って生き残りに余念がない、ここまでくると尊敬に値する生き汚さ
先生の動きによってパーティがばらけてだいぶ混沌としてきた

素人を獅子身中の虫として敵に接触させるのはかなりリスキーな提案だが、これを受け入れて成果を上げた天の判断は見事
実際、花子側の戦力はかなり分断されている、特に珠という目を失ったのは痛い
殿を任された海衣も退路を残す大事な役目を任されたのはここまでの信頼関係の積み重ねだけど、単独行動になったのは不安が残る

その水面下で行われる天とスヴィアの駆け引きもどうなるのか
十分な研究設備も天国さんの生首もある真相に最も近い場所でスヴィアの働きは事件解決に直結する重要なファクターなのでどう転ぶかは注目したい

ゾンビ除けのお守りと化した春姫、本人の厄介さに反してザコ除けの安全確保に便利な異能である
しかし、対特殊部隊には効果がないので潜んだ連中相手にどう戦うのか、と言うか雰囲気で誤魔化しているが戦えるのかこいつ

防音ガバガバ研究所
斥候役の小田巻が戻るまでもなく敵戦力を把握した特殊部隊側が有利か
むしろ先行した小田巻は完全に気配をステルスしてしまっているが何してんだろう


645 : ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 19:56:15 6jvuTF4I0
投下します。


646 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 19:57:37 6jvuTF4I0
『農家の宇野さんから助けを求められました。
 これから月影さんと恵子ちゃんの3人で宇野さんの家に向かいます。
 みんなはこの家で待機していて下さい。 はすみ』
 
『地下室で何者かに恵子ちゃんが地下で殺されました。
 恵子ちゃんを殺した人に月影さんとはすみさんも連れ去らわれたかもしれないので助けに向かいます。
 それから勝子さん達が鈴菜さん達を助けに向かっている間に会議で話したヒグマに襲撃されました。
 ワニとクマが合体したみたいな化け物で、はすみさんが言うには怪異らしいです。
 遭遇したら後ずさりしながら目線を外さず、 刺激しないように逃げてください。
 もし夕方までに私達が戻らなかったら、後はそっちの判断で行動して ひなた うさぎ』

「誰もいないと思ったら、こういうことか」

数時間前までは想い人を含む正常完全者の拠点となっていた袴田伴次の住居、その地下室にて。
虎尾茶子は床に敷かれた布団に横たわる、顔に白布を被せられたもの――字蔵恵子の遺骸の前で独り言ちた。

茶子は自分と同じ境遇の少女――リンを伴って山折神社から南下して、正常感染者の集う袴田伴次の一軒家へ向かった。
事態を収束するためには手足が足りない。己の手駒を増やす算段で訪れたのだが、袴田邸はもぬけの殻であった。
落胆しつつも居間へと向かうと、テーブルには一枚の書き置き。
A4サイズのコピー用紙の上段に書き記された文章ははすみの文字。品行方正の彼女らしい綺麗な字で書かれていた。
下段に書き殴られた文章は荒い筆跡。最後の一文に至っては蚯蚓ののたくった様な字で丁寧語すらつけ忘れている。
茶子の知るうさぎは姉のはすみと同様に達筆なため、ひなたが書き記したものだろう。
一先ず袴田邸を捜索することにし、リンに一階の探索をお願いして、茶子は書き置きの真偽を確かめるべく袴田邸の地下へと降りた。
そしてひなたの書き置き通り、恵子の亡骸が置かれていた。

(字蔵恵子の首筋には二つの穴。連続婦女殺人事件と穴の大きさは違うけど、無関係とは思えないな)

顔の布は取らずに死体を検分する。服から覗く皮膚はツマミのビーフジャーキーのように干からびており、死因は明らかだ。
袴田邸に滞在していた面子の異能は天宝寺アニカの言葉通りだろう。あの幼女は兎も角、愛しの彼が自分を謀るとは思えない。

『まず自分を疑え。Ms.Darjeeling、妄信は真実を求める妨げになります』

資材管理棟にて未名崎錬が茶子に面と向かって伝えた言葉を思い出す。
『そんな目をしたお前が言うセリフか?』と内心でせせら笑いながらも、その言葉自体には茶子も思うところがあった。
感染者の異能についてはあくまでそれぞれの自己宣告だ。天才とはいえお眠のお子様では見落としていた部分もある筈。
物的証拠、状況証拠、山折村で女性ばかりを狙う吸血鬼の噂。情報を統括・整理し、解を導き出す。

(犯人は彼奴だろ、月影夜帳)

あっさりと辿り着く。情報を与えればアニカならば瞬きの間に、哉太ならば自分と同等の時間で辿り着くだろう答え。
月影の異能は恐怖を感じた対象を硬直させる『威圧』。だが、所詮彼の自己申告に過ぎない。
「私は人畜無害ですよ」などとほざいてアリバイを露見させ、本質を隠すことは徹底的に情報を隠匿してきた茶子も現在に至るまで行ってきた。
月影と同じ穴の狢だからこそ、彼と同様の結論になる。

「殺そ」

「ジュースでも買おう」というような気軽さで容疑者の死刑が確定された。
殺人鬼のように衝動で殺すのではなく、師のように理性的かつ自然に殺害を選択できる。
それが茶子の異常性の一つ。

茶子の推測が事実ならば身体能力の他に遠距離から金田一勝子を切り裂いた藤次郎のように『威圧』以外にも複数の能力を内包した異能の可能性が高い。
だとするならば、哉太とアニカ以外のメンバーを異能によって洗脳し、集団で恵子を殺害したとも結論付けられる。

「はすみ達も殺さなきゃいけないのか〜。あ―最悪」

大きく溜め息をついて座り込む。茶子の眼下には物言わぬ少女の死体。端では手足を拘束された袴田伴次のゾンビが芋虫のようにもぞもぞと動いている。
それらに冷たい視線をくれながら、ショートパンツのポケットからシールで可愛らしくデコレーションされた黄色のスマートフォンを取り出す。
これは交番と高級住宅街を挟まれた道路で見つけた――茶子は知る由もないが気喪杉禿夫とひなたらの戦闘の余波で飛ばされた――スマートフォン。

「さて、美少女探偵サマはどんな情報を持ってるのかな?」




647 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 19:58:21 6jvuTF4I0
初夏の日差しが築かれた屍山血河に渇きをもたらし、這い出る蟲が死肉を貪り飢えを満たす。
地獄を作り出したのは特殊部隊か、はたまた狂気と我欲に狩られて血に酔った殺戮者共か。
大田原源一郎は前者であり、独眼熊は後者である。

疾走する大田原の前方には小柄な薄汚れた少女の姿――手には猟銃を構え、背中からは鋭い鉤爪が五本生えた腕。
その傍らにはアリゲーターとグリズリーの特性を併せ持ったかのような巨体。
ゴーグル型の最新機器――スカイスカウターに映る色は少女が赤、巨体の怪物が青。
巨体の怪物が紛い物、少女の姿をしたモノが数時間前に自身を襲った怪物だと確信。
全身の血が滾る。屈辱の記憶が憤怒を呼び起こして熱となり、ひび割れた鋼鉄の如き理性を加熱する。
大田原に植え付けられた異能――『餓鬼』が発動する。副次効果である身体能力の効果が適用され、脚力が向上。

「フッ……!」

時速にしておよそ100キロ以上。この地に根を下ろすヒグマどころか自動車の最高速度にも匹敵する。

「ハッ!かつての我と同じ愚を犯すか!」

嘲笑と共に猟銃を構えようとして、止めた。同時に蠍のように背中から生えた剛腕が根本から180度回転し、地に爪を突き刺して掴む。
少女の矮躯が剛腕と共に浮かび上がると同時に4発の銃声。少女の頭と胸があったあたりに銃弾が通り過ぎた。
地を見下ろすと、独眼熊本来の姿の分身体が蜃気楼のように消え始めているのを目視した。
コンマ数秒ほどの完全な無防備状態。その隙を縫うように射程範囲に入った大男の両手に構えた拳銃が火を噴く。
頭・心臓・両手両足関節狙いの計六発。急所を防いでも次の行動を阻害するための射撃。

しかし、その銃弾が少女の身体に命中することはなかった。
届く数メートル前。どこからか飛来した「何か」によって遮られ、パラベラム弾が標的を撃ち抜くことはなかった。
がシャンと何かが破壊される音が大田原の耳朶を打つ。標的の落下先を確認する刹那、大田原は破壊した物体を確認する。

(これは!?)

飛来した謎の物体の正体は二本の懐中電灯。本来の持ち主である気喪杉禿夫が手拭いで頭に巻き付けていた物体。
どこからか飛来したそれが銃弾の軌道を逸らし、独眼熊の命を繋いだのである。
大田原は視線を動かして懐中電灯が飛んできた方向を確認する。十時の方向の草むらに伏せた何者かの影が一つ。
怨敵たる怪物がこちらに銃口を向けていることに注視しながら、地に伏せた影にに向かい、引き金を引く。
タン、と短い音が草原に響く。杜撰な隠伏をする何者かは大田原の銃弾を受けると衝撃で仰向けに倒れ、その姿を露わにする。
その正体を確認する直前、向けられていた怪物の銃口が大田原の頭蓋目掛けて放たれた。
狙いは数時間前の素人同然の狙撃とは違い、大田原の命を刈り取るように正確な狙撃。
『まるで熟練の猟師の記憶を思い出したかのように』
それを10時の方向へ――己が撃ち抜いた老人を飛び越える形で――回避。
老人の真上を通り過ぎる寸前、装着したサーモグラフィカメラで彼を確認すると、その身体は青く光っていた。
弾丸の命中先は老人の鼻先。脳には到達していないにも関わらず、スーツ姿の老人は身体の動きをピタリと止めていた。
着地と同時に一発、二発と老人の頭に向けて引き金を引く。短い音が草原に響き、老人の痩躯がビクビクと跳ねる。
三発目の銃弾が彼の脳をかき乱すと老人の姿は皮だけとなり、スーツごとぐずぐずと溶け出し、地面と一体化し始めた。

「ばあ」

老人を撃ち抜いた直後、土汚れだらけの少女の顔が大田原の眼前に迫ってきた。
もう片方の拳銃の引き金を引く刹那、小さな少女の両手が大田原のこめかみに当てられる。
銃口から弾丸が吐き出される。少女の脳天に直撃する寸前、大田原の顔面から何かを引き剥がされる感覚と同時に両肩に衝撃が走る。
水切りのように大田原の巨体が草原を滑る。拳銃を両手に持ったまま両手の親指だけで身体を止め、腹筋に力を入れて飛び起きる。

「これが眼鏡という奴か?」

人工音声とも獣の声とも呼べるような声が聞こえる。
人の皮を被った怪物の手には大田原が要請した物質の一つ、スカイスカウター。偽物と本物を見分けるゴーグル型の赤外線カメラ。
独眼熊対策に使用していたそれを、怪物は嗤いながら握りつぶした。




648 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 19:59:46 6jvuTF4I0
――――――――――――――――――――

[Kanata Yanagi]




[202X年 XX月XX日]

[XX:XX][挨拶スタンプ]
[XX:XX][写真]
[XX:XX][明日の13:00にTV shootでRestaurant reviewをするの!]
[XX:XX][場所は渋谷よ!仕事終わりに奢ってあげるから来て!]
[XX:XX][既読][謝罪するスタンプ]
[XX:XX][既読][わり。その日コラボカフェの予約入ってんだよ]
[XX:XX][ショックを受けてるスタンプ]
[XX:XX][What about other days?]
[XX:XX][既読][首を振るスタンプ]
[XX:XX][既読][季節メニューを全制覇しないと作品のファンを名乗れない]
[XX:XX][いじけるスタンプ]
[XX:XX][You refuse a girl's invitation, so you Now that you're a high school student, you can't get a girlfriend.]
[XX:XX][それにセンスは絶望的だし]
[XX:XX][既読][センス関係あるのかよ]
[XX:XX][既読][それに俺は彼女を作れないんじゃなくて作らないんだよ]
[XX:XX][煽りスタンプ]
[XX:XX][煽りスタンプ]
[XX:XX][煽りスタンプ]
[XX:XX][煽りスタンプ]
[XX:XX][煽りスタンプ]
[XX:XX][既読][落ち込みスタンプ]
[XX:XX][既読][アニカ、もしかして俺の事嫌い?]
[XX:XX][慰めスタンプ]



―――――――――――――――――――――――――――

「…………チッ」

―――――――――――――――――――――――――――

[Kazuo Kujo]

[202X年 XX月XX日]

[XX:XX][既読][挨拶スタンプ]
[XX:XX][既読][天宝寺、隣のクラスの七紙光太郎が入院したの知ってる?]
[XX:XX][First time hearing.]
[XX:XX][既読][疑問スタンプ]
[XX:XX][既読][First time hearing←どういう意味?]
[XX:XX][初耳って意味よ]
[XX:XX][既読][英語キャラやめてくれない?帰国子女のお前と違って英語分らないし。友達減るぞ]
[XX:XX][明日はロケとかないからお見舞いに行くわ。コウタロウの入院先はどこ?]
[XX:XX][既読][既読スルーかよ。××病院。昏睡状態になっている]
[XX:XX][何があったの?]



[XX:XX][集団幻覚ね。旧校舎の建築に有害物質が使われていた可能性が高いわ]
[XX:XX][それに「七不思議のナナシ」「怪談使い」って何? 下らない妄想で彼を寄ってたかって悪者にするのはいじめよ]
[XX:XX][既読][んな下らないことするかよ。少なくともおれらは今でもナナシのこと友達だと思ってるんだぜ]
[XX:XX][既読][それで折り入って頼みがあるんだが、「怪談使い」についてお前のツテで調べてくれない?]
[XX:XX][既読][頼み込むスタンプ]
[XX:XX][OK.一学期が始まるまでに旧校舎の建築工事の調査とコウタロウの身辺調査のついでに調べておくわ]
[XX:XX][既読][怪談使いの優先度低くない?]
[XX:XX][当たり前じゃない。オカルトなんて立証されないものを信じるなんてできないわ]

[202X年 XX月XX日]

[XX:XX][色々と調べ終わったわ]
[XX:XX][既読][驚いたスタンプ]
[XX:XX][既読][すげー早いな。まだ一学期始まってないぞ]
[XX:XX][コウタロウの人間関係について調べてみたけどいじめの事実はなかったわ]
[XX:XX][本人からも事情を聞いてみたけど、「僕が悪かった」ってしきりにカズオ達に謝っていた]
[XX:XX][アナタ達がいじめをしたんだと疑ってごめんなさい、カズオ]
[XX:XX][既読][驚いたスタンプ]
[XX:XX][既読][ナナシの奴、いつ起きたんだ? 後遺症なかったか?]
[XX:XX][今日の夕方に目覚めたって。後遺症はなし。至って健康体だってお医者様が言ってたわ]
[XX:XX][既読][ほっとしたスタンプ]
[XX:XX][既読][良かった。天宝寺、お前普通に謝れるんだな]
[XX:XX][当たり前でしょ。こっちに非があるんだし。私の事何だと思っているの?]
[XX:XX][既読][正論パンチで叩き潰してくる血も涙もない女]
[XX:XX][既読][既読スルーかよ]
[XX:XX][アナタの言っていた「怪談使い」についても分かったことがあるの。私は信じてないけどね]
[XX:XX][既読][頭を下げるスタンプ]
[XX:XX][既読][さんきゅ。どこで分かったんだ?]
[XX:XX][去年の都市伝説検証番組で共演した著名なオカルト研究家達に話を聞いたのよ。それで丸二日潰れたわ]
[XX:XX][明日怪談使いについて話すから15:00に××病院のカフェテリアで待ってる。カズオと一緒に集団幻覚を見た人達を集めてきて]
[XX:XX][既読][明後日始業式だから学校で話した方が良くないか?]
[XX:XX][コウタロウは明後日まで検査入院なの。彼、始業式に間に合わないみたいだし、わだかまりは早いうちに解いておいた方がいいでしょ]
[XX:XX][既読][サムズアップするスタンプ]
[XX:XX][既読][おけ。それじゃまた明日]
[XX:XX][また明日]

―――――――――――――――――――


649 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:00:49 6jvuTF4I0
談使い。
それは茶子が未来人類研究所とのコネクションを持つ前――先代蛇茨当主にスカウトされて村の暗黒に足を踏み入れたばかりの頃に知った伝承。
名称と出自以外の情報は現代に至るまで詳細が一切伏せられていたアンノウン。
「歪み」を藤次郎以上に知り尽くしていた茶子ですらも真相を知らず、生物災害が発生するまでは眉唾と軽んじていた存在。
山折の地に根付いた土着信仰の付属品程度の認識しかしてなかったものが、ここにきて重要なファクターへと変貌した。

(…………あの幼女、ギャン泣きするまでいびっときゃ良かった)

哉太とのLINE上のやり取りを思い出し、茶子は密かに八つ当たりに近い苛立ちを募らせる。
「怪談使い」について情報を聞き出せなかったこちらに非があるのだが、それとは無関係に自称パートナーの卑しい探偵少女に腹が立った。
茶子の感情はともかく、天宝寺アニカの利用価値が跳ねあがったのは事実だ。
手元にある「降臨伝説」の事実が記された羊皮紙写本。アニカが調べた「怪談使い」の情報。
まだこちらで詰められる情報があるが、この二つが山折村を襲った生物災害、ひいては研究所の目的と無関係とは思えない。
もし「降臨伝説」が真実であるのならば。もし「怪談使い」が実在していたのならば。

「―――――世界が変わるな」



大田原源一郎は怪物の本体と分身の区別には時間が必要。
独眼熊は異能による分身の再召喚のためにはクールタイムを要し、同じく時間が必要。
奇しくも現状は拮抗を保っており、差をつける要素は異能と経験、判断力。
大田原は異能による肉体ブーストとSSOGで培った経験と判断力で、独眼熊は数多の異能と獣としての特性によって渡り合っていた。

閑散としていた草原はところどころ地面がめくれ、両者が雑草と共に踏み潰した小動物が辺りに散らばっている。
かのような有様故、小競り合いをしていた怪物と歴戦の勇士は二者とも肉体は一見無傷でありながら、そうではなかった。

大田原は独眼熊により防護服のところどころに裂傷を負い、骨折や削げ落ちた耳と共に異能による修復が現在進行形で行われている。
独眼熊は大田原により纏ったクマカイの皮や背中に生えた腕に銃創を負い、皮を含めて修復するための『肉体変化』により、己の血肉がキロ単位で使用されている。
遮蔽物のない平野において、短期決戦であれば大田原源一郎に、長期決戦になれば独眼熊に軍配が上がる。

大田原は高速で走り回る少女へ向けて銃弾を放つ。幾度となく行った牽制と急所狙いの両方を兼ねた銃撃。
この戦いにおいて幾度となく独眼熊の肉体を抉ってきた弾丸。怪物の癖も掴み始め、あと何度か同じことを繰り返せば確実に急所を狙い撃つであろう鉛玉。
急所は確実に防がれるにしても今回も少女の下に隠されている悍ましき肉体を抉れるであろうその銃弾を――。

「阿呆」

その言葉と同時にカン、カン、カンと鉄に弾かれる金属音が鳴り響く。
独眼熊の手に分厚いマンホールの金属蓋。それを円盾のように構えていた。
歴戦の勇士は見ていた。コンマ一秒にも満たない銃口を獲物に向ける刹那の瞬間。
怪物は足元に置いてあったマンホールの蓋を蹴り上げ、飛来する銃弾を防いでいた。

思えば戦闘の最中、独眼熊がしきりに捲れ上がった地面を気にしていた。
ほんの少し地面に注意を向ければ戦闘区域にいつの間にか穴が開いている。
独眼熊の行動を掴みかけたと思い込んでいた時から、ダメージを受けるのも厭わずに新たな防具を得るチャンスを伺ってきたのか。
もしそれが偶然ではなく意図的であるとしたらまるで未来予知をしていたかのようだ。

弾丸を防いだ直後、怪物は手に持った円盾の淵を掴むとフリスビーの要領で大田原に投擲。
新たな防具を得た瞬間の短絡的な行動。何故そんな事を?知恵を得た怪物とは思えぬほど短絡的な行動に大田原の頭に疑問符が浮かぶ。
しかし、怪物の愚行は今まで攻めあぐねていた歴戦の勇士にとって千載一遇の好機であった。


650 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:01:49 6jvuTF4I0
身を屈めて地滑りのように疾走する。『餓鬼』の身体能力ブーストの効果でその速度はヒグマの最大速度の二倍にも匹敵する。
フリスビーのように投げられた鉄蓋が大田原の頭上を通過する。
怪物が反応する前に大田原の巨体がクマカイの皮を被った独眼熊の小柄な体へ激突する。
「かふっ」という空気が吐き出される音を頭上から聞きながら、怪物の下腹部を掴んでそのまま背後――診療所の外壁へと諸共突っ込んだ。
その矮躯を離さぬまま、コンクリートの壁をぶち破り、瓦礫だらけの室内――美羽風雅が破壊し尽くしたリハビリ棟の放送室へと突入した。
その勢いのまま、少女を床へと押し倒す。強面の大男と小柄な少女。一見すると犯罪的な絵面だが本人達は真剣そのものだ。

確実に止めを刺すべく、大田原は独眼熊の小柄な体を拘束する。
血走った眼で薄ら笑いを浮かべている少女を睨みつけ、その額へと撃ち抜くべく銃口を向けた瞬間――

「我の手が三本だけかと思ったか?」

腹部に衝撃が走り、大田原の巨体が凄まじい速さで浮き上がる。
勢いは天井にぶつかると止まり、そのまま地面に叩きつけられた。
息を整える間もなく、倒れ伏した大田原に猟銃が向けられる。
急ぎ横に転がってショットシェルを回避する。
起き上がり、前回の対峙のような愚を犯さずに手を離さずに持っていた双銃を構える。

「では第二ラウンドだ、小僧。せいぜいあがけ」

腹から太い男の腕を生やした少女が、逆再生のようにその腕を身体に戻して勇士へと嗤いかける。



「これは……随分とたくさん見つけたのね……」
「そうでしょそうでしょ♪テーブルのしたとかほんがいっぱいあるおへやがらあつめたの!こんなにみつけてえらいでしょ♪」

袴田邸一階の居間。乾パンの缶詰やサラダ油、十徳ナイフや図鑑など子供視点で役に立ちそうなものがテーブルに所狭しと並べられている。
ほんの少し顔を引き攣らせて笑う茶子にTシャツと短パン姿の少女――リンは薄い胸を張った。
きっと自分に褒められたくて張りきったのだろう。視野の狭い幼子に品物のランク付けは難しかったか。

「こんなに頑張ってくれたのは嬉しいけど、全部持っていけそうにないわ。リンちゃん、ごめんね」
「ええ……そんなぁ……」
「全部持っていくとお姉ちゃんのリュックがパンパンになっちゃう。リンちゃんの鞄に入れようとするとお姉ちゃんの作ったサンドイッチがぺちゃんこになるかも。
だから、持っていくものをお姉ちゃんに選ばせて。お願い……ね?」
「むぅー……わかった」

しゃがみ込んでリンと目線を合わせる。そして両手を合わせて「お願い」のポーズを取ると、リンは渋々といった感じで了承した。
リンの許可を得た茶子はテーブルに乗った数々の品物を一つ一つ丁寧に検品し、仕分けを行う。
作業自体はすぐ終わり、テーブルに乗せられたアイテムは七つ。
うさぎの字で書き記された護符五枚――アニカから借りパクした包帯と同じと感じた――とモバイルバッテリー、袴田伴次のスマートフォン。
ノートパソコンもあったのだが、地震の影響で内部のマザーボードが壊れたらしく電源ボタンを押しても動くことはなかった。
「書いてた原稿が地震でパーになったなら発狂モンだな」と苦笑しつつも「不要」と判断して仕分けた。

「リンがあつめたもの、こんなにすくなくなっちゃった……」
「ごめんね、リンちゃん。でも、お姉ちゃんとっても助かった」

お礼とばかりにぎゅっとリンを抱きしめる。リンは少し驚いた顔をしたが、すぐに「えへへ」と気恥ずかしそうに笑った。

「チャコおねえちゃん、ごほうびにさっきのおはなしのつづきききたいなあ」
「お話って、巫女さんと陰陽師さんの物語?」
「うん!」
「どこまで話したっけ?」
「とってもつよいみこさんがかっこいいおんみょうじさんにであったところまで!」
「そっかぁ……お姉ちゃん、お話の続きまだ考えてないんだ」
「えぇー!なんで?」
「このお話はお姉ちゃんが即興で考えたものなの。続きはもうちょっとだけ待って?」

「その代わりに」と言葉を続け、茶子は傍らにあったリンのメッセンジャーバッグから化粧品を取り出して笑いかける。

「リンちゃんが可愛くなるようにお化粧してあげるわ。準備に少し時間がかかるからお庭で見張りをしてくれるとお姉ちゃん嬉しいな」




651 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:02:48 6jvuTF4I0
「くひひひひひッ!!」

山折総合診療所のロビーにけたたましい雑音が木霊する。
ビニル床にはところどころ乾き始めた赤黒い血の跡が残り、髪の毛の塊や噛み千切られた指があらゆる場所に散らばっている。
雑音の主は少女の姿をした怪物。五本の刃が並ぶ尾を振りかざしながら縦横無尽に走り回る。
それを追走するのは人間型秩序装置である大田原源一郎。
彼も怪物に負けず劣らずの速度で追いかけ、両手の拳銃で子供へ狙いを定めようとするも――。

「――ッ!」

巨漢の眼前にソファーが凄まじい速度で投げ出され、視界を覆われる。
すぐさま回避し、幾度となく姿を眩ませた小柄な身体を探すべく視線を動かす。
直後、頭上から大きな長方形の影。見上げると白いシーツ――跳躍して診察室のベッドを振りかぶった独眼熊の矮躯が映る。
脳天に叩きつけられる寸前、大田原は独眼熊の方へと飛び込む。
頭上に映る一糸纏わぬ少女の姿。空中で身体を捩り、手に持つ二丁の拳銃で脳と心臓を牽制を交えて銃弾を放つ。
だが、背中から生えた腕がゴムのように伸びて振り下ろされたベッドのヘッドボードを掴む。
地面にぶつかる寸前で腕は一気に縮み、その勢いのまま前方へと少女の身体が前方へと発射される。
放たれた銃弾は天井からぶら下がる電灯を砕き、大田原の頭上からガラスの雨を降らせた。
怪物はくるくると宙を回りながら体勢を整え、大田原の方へと向き直り、人間の悪意を煮詰めたような嘲笑を向けた。

第二ラウンド――誘い込まれた診療所内での戦闘。
遮蔽物や小道具が多く存在する室内での戦況は怪物側に有利に傾いていた。
独眼熊が大田原に対する有効打は数あれど、独眼熊の攻撃手段は手元にあるに腸の拳銃のみ。
自動小銃などの威力の高い銃では弾数自体は多いものの、野猿のように小回りが聞く怪物との戦いには懐に入られてしまえば使い物にならなくなるだろう。
選択した支援物資に間違いはなかったと思える。しかし、有効打にはなりえるものの確実に排除できる手段とは言えない。

(あの怪物を確実に駆除するためには俺一人では困難だ。敵の強さは低く見積もっても俺と美羽、成田の連携でようやく互角といったところだろう)

吉田無量対数より授かった『最強』の称号。人間の極致ともいえる力をあの怪物は容赦なく踏み躙り、凌駕する。
己の傲慢に今一度腹が立つも、鉄の理性で無理やり抑え込んで頭を冷却する。
素の己ならば進化した怪物に成すすべもなく殺される。だが、現在の大田原には怪物に対抗できる手札がある。
異能『餓鬼』。際限なく湧き上がる飢餓感と引き換えに肉体再生能力と身体能力強化の恩恵を得ることができる。
現状こそ劣勢であるが、怪物と戦えている。それにいざとなれば己の命諸共怪物を焼き尽くす最終手段がある。
己の死地はここにあり。護国奉仕の勇士は己が命ごと怪物を燃やし尽くす事を決意する。

ひび割れた脳を酷使し、異能の発動を確認。
魂の底から溢れ出す飢餓感を使命感で抑えつけ、駆け回る怪物へと肉薄する。
眼前には中学生ほどの少女の顔。瞬く間に接近した巨漢にほんの僅かだけ目を見開く。
両手の拳銃では引き金を引く前に腕を搗ち上げられ、強烈なカウンターを喰らうと瞬時に判断。
故に手段は一つ。

「―――ガッ!」

勢いはそのままに怪物の小さな肉体に突進をぶちかます。
ベキリと音が響き、質量保存の法則を無視して皮に詰め込まれた軽量の肉体は一気に怪談側へと吹き飛ばされれう。
矮躯は階段の凹凸を砕いて停止した後、すぐにこちらの方へと視線を向けて疾走する。
だが遅い。独眼熊の行動パターンは読めた。八艘飛びのっようにこちらを翻弄しようとする直前に両足の関節を撃ち抜く。
高速で飛び回ろうとしていた少女の身体がビニル床に落下する。地につく間の数舜。その刹那に頭に狙いを定めて引き金を引いた。
短い音が何度も響く。奴を守る遮蔽物も投擲する小道具もない確殺の銃撃。しかし――。


652 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:03:17 6jvuTF4I0
歴戦の勇士と悍ましき怪物の間には巨大な瓦礫が落ちてきた。鉛玉はコンクリートを砕くことはなく、怪物の新たな盾となった。
見ると独眼熊の尻尾は変化しており。五本の指は天へと伸びる一本の腕に変わり、爪にあたる部分は収束し、長く頑強で鋭い刃へと変化していた。
天井の壁は歪な三角形の穴が開いており、そのいびつな形のまま落ちてきたのである。
瓦礫の隙間から悪意に満ちた笑顔を覗かせる。その直後、独眼熊は歪な尻尾を振り回しながら周囲を駆け回った。
一刻も経たぬうちに天井から瓦礫が落下する。瓦礫の他にベッドやロッカーなどが大田原へと降り注いできた。
轟音が轟く。頭を守るガスマスクがなくとも、100キロを優に超えるコンクリート片が頭にぶつかればそれで一巻の終わり。
最短経路を瞬時に見つけ出し、落下する瓦礫の隙間を縫うように疾走する。
瓦礫の迷路を抜け出す寸前、肌を突き刺すような殺気。視線を向けると猟銃の銃口が狙いを定めていた。
放たれる獣狩りの鉛玉。身を翻し、堕ちてくる瓦礫を盾に銃弾を防ぐ。
瓦礫が落ち切ったロビーに静寂が広がる。落石地獄から抜け出した大田原は怪物の行方を探す。
ほんの数舜、怪物は猟銃を手に取ったまま大田原へと突撃してくる。
今のこの刹那に限り、怪物の周りには遮蔽物が存在せず、突撃の勢いから判断するに突発的な攻撃に回避は困難だと推測。
少女はこちらに向けショットガンの引き金を引くも、カチカチと無情な音が響く。
眼を大きく見開く少女。戦闘開始以降、大田原は怪物の再装填と射撃を正確にカウントしていた。
ひたすら待ち続け、遂に現れた最大のチャンス。リロードには明確な隙ができる。
接近して肉弾戦に及ぼうとしても、奴の拳が大田原の頭蓋を砕くより大田原の指が引き金を引く方が圧倒的に早い。
銃口を少女の頭に向け、引き金を引いた瞬間――。

カチカチと弾切れを占める無情な音が手に持つ二丁の拳銃より響いた。

脳に受けたダメージ。理性で抑えつけた飢餓感。今まで経験したことのない異形相手の戦闘。その対応への適応。その他諸々。
数多の要因が重なり、普段の大田原源一郎では決して起こり得ない致命的なミスが起きてしまった。
何よりも問題になったのは脳のダメージ。素人が精密機械を弄った結果、壊れたように最高のタイミングで最悪の事象が発生した。
己を殺しかねない鉛玉が発射されないと知るや否や、独眼熊は瞬時に大田原へと接近する。

振りかぶられる武器はつい先程まで愛用していた猟銃。大田原の脇腹へと食い込み、構成された部品を床に散らばす。

「ガハ……!」

血反吐をまき散らしながら、大田原の巨体が床を転がる。
咳き込んで下を向いた巨漢の髪を掴み上げ、少女は心底つまらなそうな表情を浮かべる。

「これでは先程の焼き回しではないか。何も学習せんな、貴様は」



「……見たことある情報(ネタ)ばっかだな。袴田センセも頑張って調べたんだろうけど、惜しかったね」

スマートフォンの画面をスクロールさせながら茶子は落胆の声を漏らし、少しだけ肩を落とした。
テーブルには子供でも可愛らしく化粧できそうな厳選したメイク道具の数々。既にリンへのご褒美の準備は整えてある。
茶子の目的は家探しして見つけてくれた家主のスマートフォン。リンが集めてくれたアイテムの中で特に利用価値が高いと踏んでいた。
ネタ探しで山折村中を駆け回っていた彼ならば、予想外の情報を持ってきた天宝寺アニカや地下研究施設の脱出口を発見した日野珠のように、何かの偶然で情報を掴んでいるのかもしれない。
そう踏んだ茶子は、じゃれついてくるリンに多少の申し訳なさを感じながらも次なる情報源を調べるため、適当な言い訳をして場を離れてもらった。
朝景礼治に飼育された彼女の無邪気は、使い方を間違えればこちらを殺す劇物になり得る。
それに茶子個人としても、できる限り過去の己の姿である彼女の心を無闇矢鱈に傷つけたくないのも大きい。


653 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:04:00 6jvuTF4I0
そんな思惑で居間で胡坐をかいて袴田伴次の個人情報を覗いた訳だが、出てくるネタはどれも既視感のある情ものばかり。
興味のないものには一切目を向けない偏屈小説家の人間性が現れたといえばそれまでであり、不本意ながらも納得するしかなかった。

保存されたテキストドキュメントのリスト。
和風ホラー作品が作れしまいそうな山折村の過去の風土病や廃れた因習。
脚色して設定をエベレストの如く盛りに盛れば阿呆の閻魔を主役にできそうなクライムサスペンス小説を執筆できるようにまとめられた木更津組の経歴と裏事情。
神楽総一郎を取材している中で思いついたのであろう、山折神社の伝説をモチーフにした袴田解釈「降臨伝説」のためにまとめられた参考資料―――。

「ん?ちょっと待て」

流し読みし、下へ下へと画面をスクロールさせていた指が止まる。
「降臨伝説」というキーワードで検索を掛けると、あやうく見逃しそうになっていたテキストドキュメントのタイトルが表示された。
書き置きにあったワニとクマの合成獣や異能を使う人間が現れた現状だからこそ、天宝寺アニカの調べた「怪談使い」やそれに連なる「降臨伝説」の情報を見落とす訳にはいかない。
「ヤマオリ・レポート」に書き記されていた死者蘇生の実験や異世界の研究の情報が思わぬところから繋がっているのかもしれない。
一切の躊躇いを持たず研究所関係者は画面をタップした。



ミ‶ーッ……ミ‶ーッ。

「あ"っづー。なァんであたらしは中坊ん時の課題をもう一度やらされるんすかねェ。クッソめんどい」
「そんな事言わないの。先生達も何かの考えがあったと思うわ〜。例えばもっと山折村の事を知って好きになって欲しいとかね〜。
それに今回はグループで取り組んでOKらしいからちょっと新鮮みがあっていいんじゃない〜?」
「ンな事言ってもさぁ、暗にクオリティ高いもん作れって言われれる様なもんだと思うんすけど。
[テーマ絞って山折村についてのレポート書け]って手垢ベタベタの課題やらされるこっちの身になれってんだ。
どうせ郷田の親父あたりの入れ知恵で村長殿がねじ込んだんだろ」
「茶子ったら、またそんなこと言って〜。でも確かにその線はありそうね〜。
剛一郎おじさん、村長や総一郎おじさんと幼馴染の親友みたいだしあの人の意見を積極的に取り入れているかもね〜。
そろそろお喋りはやめて課題の続きやりましょ〜」
「そだな。テーマは山折神社の歴史で決まったし、後は資料を「お姉ちゃ〜ん、ただいま〜」お。うさぎが帰ってきたか」
「お腹すいた〜。お姉ちゃん、お昼ご飯は……あ、茶子ちゃん来てたんだ」
「うっす」
「おかえり〜。茶子とは一緒に課題しましょうって約束してたのよ〜」
「その通り。てかもう昼じゃん。そろそろ昼飯にしよーぜ」
「そうね〜。お昼作るけど茶子も食べていくでしょ?二人とも何食べたい?」
「冷やし中華!」
「うさぎと同じで。あたしのはハム多めでお願いね」


654 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:04:58 6jvuTF4I0
「ヘェ、今は学校で山羊飼ってんだ。紙食わせた後、山羊汁にでもすんの?」
「そんなことしないよ〜。山羊さん達には校庭とか広場の雑草を食べてもらってるの♪
茶子ちゃんはお姉ちゃんと一緒に自由研究するんだよね。何やるの?」
「山折村を調べろって奴。あたしとはすみは山折神社についてレポート書くことになった。
うさぎも中学に上がったら同じ事やるだろうし、今のうちに何やるか目星つけといた方が楽になるよ」
「ふーん。私も手伝ってあげよっか?」
「いいよ、別に。どうせお子様の知ってることなんざたかが知れてる「ちょっと待ってて!うちの家系図持ってくるから!」聞いちゃいねえ……」

「…………初代宮司以外はものの見事に女ばっかだな。女系家系ってこと?」
「そうだよ。お父さんは外の神職関係の人だし、ウチは代々女の子が家を継いでるの」
「男は生まれなかったの?」
「うん。今までは結婚しても女の子一人しか授からなかったんだって。私が生まれた時は親戚一同で盛大に祝ったってお姉ちゃんが言ってた。
『呪いが解けた―』ってお父さんもお母さんも喜んでいたらしいけど、どう言う意味なんだろ?」
「身も蓋もない迷信だから気にする必要はないよ。医学が発展して遺伝的要因が解消されたんだろ。
お父さんとお母さんが頑張ればキミの弟ができるだろうさ」
「頑張る?何を?」
「あー、うさぎには早かったか。夜、お姉ちゃん辺りに聞いてみな」

二人とも〜、お昼出来たわよ〜。

「は〜い、今行きま〜す。茶子ちゃん、家系図本棚に片づけお願いね!」
「ったく、仕方ないな」


「ちゅるちゅる……ところで茶子ちゃん」
「何だい?」
「なんで時々「〜っす」って喋り方になるの?」
「陸上部の女子マネやってるからそれが移った」
「茶子の家では岡山林業の人達が結構な頻度で集まるからね〜。男の子っぽい口調もその影響かしら〜」
「ま、そういうこと。高校では普通に女口調で通してるけどね」
「この間、茶子ちゃんが高校生のお兄さん達と下校しているの見たよ。あの人達も陸上部の人?」
「そうだよ。いざとなったら守ってもらえるようにしてるんだ」
「でも、茶子は強いんだからその必要はないんじゃない〜?」
「ずるずる……う〜ん、そうはいかないんだよなァ。村にはヤクザがいるだろ?あたしはまだまだ未完成だし、人集めて連れ去らわれないようにしてんだ」
「まるで経験があるみたいな言い方ね〜。木更津のドラ息子にナンパでもされたことがあるの〜?」
「そういうことにしておいて」



結論から述べると袴田伴次のスマートフォンには真新しい情報は存在しなかった。
しかし山折神社の調査資料を読み進めていくうちに書き記された情報が呼び水となり、茶子の高校時代の夏季休暇の記憶が蘇らせた。

(あの頃は護衛代わりに部員連れ回してたな。沙門のクソ含めて丸ごとヤクザ共ぶち殺せるようになったからいらなくなったけど。
今は代わりに発情モンキーとか及川おばさんみたいなブス集めて合コンするようになったな。
媚びを売るチンパンジーや必死こいてバラエティ芸人やるブス共は見てて最高だね。超ウケるわ。
そいつらでしか補給できない栄養あるし、お酒を美味しく飲める)

どこかの女子校生の未来予想図だろうか。性格の悪さ全開にした感傷にほんの少しだけ浸る茶子。その後、気を取り直してナップザックを漁る。
取り出した物は畳まれた和紙。神社に無断で拝借してきた犬山家の家系図――春姫かはすみが庫裏の本棚から宝具殿に移動させたのだろう。
手元に置いた年代物の古書を捲りながら、テーブルに広げた横広家系図と見比べる。

――どこかおかしい。多くの闇をその目で見てきた茶子の直感が告げる。


655 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:05:31 6jvuTF4I0
家系図からは犬山家が室町時代から始まったことが読み取れ、それは写本にも書き記された隠山一族誕生の時期と一致している。
余談であるが、この羊皮紙写本がおよそ十世紀前――平安時代に書かれた物だと茶子は思っていたがそれは誤りであることに気づき、茶子は認識を改めた。

「隠山祈の弟が初代宮司なのは分かったけど、妹の記述が少なすぎるな。
疫病で死んでフェードアウトしたってことならそれくらい一行くらい書かれてもいいんじゃない?」

そう口に出すと途端に違和感が湧き上がる。だがそれだけだ。

推理と料理はよく似ている。
素材と調理器具が揃っていても肝心の料理人がいなければ調理はできない。
茶子が持つ物「降臨伝説の真実」を始めとした特殊調理食材の数々と22年の人生で闇を潜り抜けてきた中で身に着けた身に着けた知識。
だが、茶子は多少の『料理』は可能でもその道のプロではない。
ここで打ち止めだ。フゥと一息ついた後、手元に置いた袴田のスマートフォンで時間を確認する。
リンを送り出してからおよそ10分程度経過。長すぎず短すぎず、怪しまれない程度には丁度良い塩梅だ。
玄関口に立ち、リンを呼ぶために声を張り上げようとした瞬間、茶子の脳裏に過る一つの疑問。

(犬山家が今まで女一人しか産まれなかったのなら、はすみとうさぎの二人が生まれた理由はなんだ?)



少女の姿をした怪物の殴打が続く。
その威力は数時間前に大田原を嬲った時よりも弱い。破壊するというよりも苦痛をもたらすためたけに嬲っているようにも思えるような攻撃。
しばらくして嬲っていた手を独眼熊は手を止める。歴戦の勇士の健闘に敬意を示したわけではない、ただ飽きたからやめただけである。

意識が朦朧としている巨漢の首っこを掴んで放り捨てる。
衝撃を受けてもSSOG最強は何の反応も示さない。
その無様な有様に少女は溜息をついた。
もう遊びは終わりだ。役目を果たせぬ狗などいらぬ。
幹部亡きまで大田原の肉体を破壊すべく緩やかな速度で倒れた巨漢に近づき、脳を磨り潰さんと拳を振り上げた瞬間――。

「―――ッ!?」

小さな拳が巨大な掌によって受け止められる。
あり得ぬ光景に独眼熊は目を見開き、振り解こうとするもがっちりと掴まれ、引き戻せない。
掴んだ手はそのまま、少女の矮躯が投げ飛ばされ、壁へと勢いよく激突する。

「ガッ――!!」

肺の空気が血と共に吐き出される。
体勢を整え、木偶人形になったとばかりと油断していた人間の姿を見る。

こちらへと明確に殺意を向けてくる巨漢。その目は先程の様な無機質な者ではない。
憤怒と狂気に満ちた男の目。追い込まれた手負いの獣の強く遅ましい眼であった。




656 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:06:02 6jvuTF4I0
―――大田原一等陸曹!昇進おめでとう!貴殿の、新たな最強の、さらなる躍進を期待する!

いつか聞いた、先代最強の言葉。その激励を踏み躙り、醜態を晒し続けた己。
彼は国を守護れと他ならぬ大田原源一郎に祈った。
幾度となく己の傲慢を打ち砕き、導いてきた男が才能以外空虚だった大田原源一郎に願った。
その男に応えるためにできることは、ここで何も成さずに朽ち果てることか?

――否、断じて否!

最早「最強」の称号は意味を為さず。その名を穢し尽くした己に名乗る価値は非ず。
為れば!その名を捨て、護国に仇為す兵器とあれ!
抑え込んでいた理性を狂気という熱で溶かし、本能を解放する。
昂っていた血が巡っていく感覚。霞んでいた視界がクリアになる。

―――これより、正義を開始するッ!!



二者を除く、正者の存在しない閑散とした診療所内。そこで肉を叩き、骨を砕く鈍い音が何度も響く。

「オオオオオオオオオオオ!!!」

獣の如き雄叫びと共に大田原の鉄拳が幾度となく振るわれる。
拳が肉を打つたびに、対敵である少女の姿をした怪物が吹き飛び、宙を舞う。
猛攻に対して独眼熊は反撃を試みるものの、その全てが受け流され、カウンターとして打ち出された打撃が矮躯を打ち据える。

大田原源一郎の異能『餓鬼』。その能力は肉体再生に留まらず、身体能力の爆発的上昇も伴う。
強化された勇士の痛打・蹴撃は独眼熊の鱗の鎧を貫通し、内部の肉体へ骨とを確かなダメージを与え続けた。

今の大田原源一郎はSSOGでも護国の戦士でも非ず。ただ勝利(ちにく)に飢えた餓鬼畜生そのものである。
もう己に『最強』だの『SSOG』だのとほざく資格はない。己の命諸共怪物を殺す。。
誇りも想いも経験も何もかも全て焼き尽くして捨て去った今、残るのは極限まで鍛え上げた肉体のみ
充分だ。これほど心強いものはない。全ての大田原源一郎を以て、敵を討ち滅ぼす!

怪物の肉体がが再生する速度よりも重く早く、己の心と技を打ち込むのみ。
怪物は苦悶の声すら上げず、大田原の極限を受け続ける。
だが、その嵐の中にいながらも、独眼熊は己の急所――心臓と脳だけは守り続けていた。

「墳ッ!!!」

ふら付いてたたらを踏む少女の全身へ――急所を防ぐ手段をはぎ取るべく、技を放つ。
鉄山靠――八極拳における代表的な一撃――をその身に受けて独眼熊は宙を舞い、自ら生み出した瓦礫の山へと突っ込んだ。

これ以上、一切の行動を許してなるものか。
異能を使用し、脳に更なる肉体能力の向上を要求。その恩恵は空腹と共に訪れ、肉体に更なる強さをインプットさせた。
吹き飛んだ勢いは受付の壁にぶつかって漸く止まる。その直前、大田原は縮地術の如き疾走で独眼熊へと迫る。
思考・再起動の隙を許さぬまま、大田原源一郎は独眼熊の脳へ拳を振り下ろし―――

―――ゴキリと何かを砕く音によって激戦は終了した。




657 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:06:27 6jvuTF4I0
出発準備を終えた茶子はリンの手を引き、多くの人間ドラマが生まれたであろう一軒家を後にする。
そこから向かった先は家から少し離れた場所にぽつんと佇むガレージ。
偏屈な小説家はここでも独特の感性を発揮させたのだろう。わざわざ遠い所に車庫を立てた意味に茶子は首を傾げていた。
白いハイエースの隣には茶子のスクーター。エンジンを吹かせる前にリンの小さな身体に補助ベルトを装着させる。

「チャコおねえちゃん♪リン、チャコおねえちゃんみたいにきれいになった?」
「ええ、とっても綺麗よ。リンちゃんは見事、もちもち肌のぷにぷにお姫様に変身したわ♪」
「きゃはははは♪くすぐった〜い♪」

じゃれついてくるリンへのお返しとばかりに、彼女の柔らかい頬をもにもにと撫で回す。
戯れの後、役場へと続く塗装された道路へとスクーターを引いて進む。
アスファルトには幾つもの靴型の土汚れ――特に目立つのは草履とローファーがそれぞれ一足ずつ、スニーカー跡が二足――が南の方角へと続いていた。
茶子が知る限り、宇野性の住民は全員古民家群に集中しており、書き置きの宇野が宇野和義を指しているとしても行き先は同じ。
だが、月影らは哉太らが去ったタイミングを見計らって字蔵恵子を集団で殺害した可能性の高いグループである。
宇野さんとやらの救助要請とでっち上げ、次なる獲物を求めているのならば、行き先はもっと人の集まりそうな場所へと向かうだろう。
ここから近いのは、公民館や学校ほどではないが避難所として指定されていた役場。
目標変更。寄り道を怨敵共の住処から役場へと変更。

「どうしたの?じめんばっかりみてたらころんじゃうよ?」
「ああ、ごめんごめん。ちょっとお姉ちゃん考え事してた」

心配そうに見上げるリンに不安を解消させるために笑いかける。

「お姉ちゃん、次はここから南――役場っていう人がたくさん集まる場所に行こうと思ってるの」
「どうして?」
「あそこに女の子を食べちゃう悪い人達が出たのかもしれないの」
「ええ!?たいへん!」
「そう、大変なの。だからお姉ちゃんは悪い人達を大人としてやっつけに行かなきゃいけないのよ。
もしかしたら凄く危ない場所になってるかもしれないから、リンちゃんは身を守るためにもお姉ちゃんの言うことはしっかり聞いてね?」
「うん、わかった!」

山折村の良き隣人達は大部分が犠牲になった。
憎まれっ子世に憚るという言葉通り、生き残っているのは特殊部隊の連中か、木更津組を筆頭とした村の汚物共だけになっているのかもしれない。
それでもいい。村の存続こそが茶子の目的なのだから。
愛する『山折村』に戻れないのならば、悪鬼共に生き地獄を味わわせる『山檻村』に変わっても構わない。
『山折村跡地』になどさせてなるものか。
己を穢した連中を、村を蹂躙し尽くした連中を誰一人として許さない。
死んだ程度で楽になれると思うな。

―――未来永劫の苦しみを。山折の地に呪いあれ。
「くひっ」

押し殺した笑いが漏れる。声を聴いた幼子は愛しき王子の横顔を見上げると――。

(チャコおねえちゃんのえがおってとってもきれいだなぁ……♡)

その内心を知らず、頬を染めて見惚れていた。




658 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:06:55 6jvuTF4I0
ずるずると診療所を何かを引き摺る音が鳴り響く。
耳と鼻から血を垂れ流しながら引き摺られる者は大田原源一郎。虚ろな双眸で床を見つめている。
そして彼を引き摺る者。それは―――。

「………なぜ鬼神の如き強さの使い道を違えたのだ、戯け」

激戦の勝者、独眼熊。



大田原の命を懸けた最後の一撃。その拳は怪物の命を刈り取る寸前で止まる。
情に負けた訳でも突如異能の力が消えた訳でもない。

「―――わたしの伏兵に終ぞ気づくことはなかったようだな」

言葉を聞き終える前に、大田原源一郎の巨躯が崩れ落ちる。
その背後にはつい先程、独眼熊により生み出された分身。
策を圧倒的な力で嬲り尽くし、一時は絶命寸前まで追い込んた歴戦の勇士。
しかし、大田原は一つだけ見落としがあった。
異能『クマクマパニック』は十五分のクールタイムがあり、それは診療所に到達した時点で過ぎていた。

『剣聖』の未来予知では己の頭蓋か砕かれる姿が見えた。
故に殺される直前で分身を召喚し、大田原を殺さず無力化する手段を取った。
独眼熊の目的は眼前の尖兵を送り込み、地下のねぐらに隠れ潜む人間共を殺し尽くすこと。
肉体再生の異能は知っていたがそれだけでなく身体能力の異能も持ち得てるとは思わず、それ以上に凶暴であった。
召喚した分身体は事前に入力していた指示に従い、気づかれぬように大田原の背後を取り、後頭部への一撃と頸椎への打撃を間を置かずに見舞い、昏倒させた。

――今度は念入りに此奴を壊しておこう。

白目を剥いた大田原の耳に小さな手を当て――。

「ゴガガガガガガガガガガガガ……!」

少女の指が細く鋭く伸び、大田原の鼓膜を突き破って脳へと到達する。
今度の凌辱は無意味な実験ではない。理性とやらをはぎ取るためのしつけの様なもの。
指が百足のように蠢き、脳をかき乱す。這う度に大田原の巨躯が跳ねて痙攣する。
処置を終えると、独眼熊は脳漿の就いた二本の指をペロリと味わうように舐めた。



引き摺る先は多くの人間の匂いがするドアの前。
ドアノブを回しても開かず、仕方なく拳で板に穴をあけ、力ずくで開いた。
意識のない大田原を引き摺りながら進む。
突き当りには何もなく、左手にはドアノブのない鋼鉄製の扉。ここも同様に力ずくで開く。
その先には何も存在せず、下には四角形の穴があるだけ。

(ここは廃棄孔か。朝廷の狗どもは死体漁りでもしているのか?)

心底冷めた目で奈落へと続く穴を見下ろす。
朝廷の狗共の堕ちるところまで堕ちたものだ。何せわたしを――――。
まあ良い。わたしには此奴らの事情など知ったことではない。

「そら、死体漁り同士仲良くしろ。もっとも貴様が奴らに喰われぬのならばな」

言葉と同時に大田原源一郎の巨体を穴へと投げ落とした。
堕ちていき、ゴンと間抜けな音が暗闇から鳴り響く。
己を極限まで追い詰めた男の様子など気にも留めず、独眼熊は悠々とその場を後にした。




659 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:07:23 6jvuTF4I0
山折村の上空を舞うドローン型カメラ。山折総合診療所を旋回するそれは見た。
出口から悠然と出てくる薄汚れた少女――クマカイの姿。
一瞬、その姿がぶれる。クマカイと同じ場所に現れたのは3メートルほどのヒグマ。
その姿のままある場所へと向かう。ヒグマの動きが停止したと同時に再び身体がぶれる。
今度は既に殺されたはずの巨大なワニの姿へと変貌する。
同じように巨体を這わせながらある程度進むと再び姿がぶれる。
今度は一糸纏わぬ姿の黒い髪と白い肌の少女――この地にて非業の死を遂げた、一色洋子の姿。
一色洋子(仮)は動かない。そのまま観察していたドローンを見上げる。

――双眸には瞳は存在せず、漆黒の伽藍洞がある。
――口と思われる場所の隙間にも何もない闇が広がっていた。

深淵の目でドローンを見つめる少女の口は三日月を描いた後、口を動かす。

"み つ け た"



「チャコおねえちゃん」
「なあに?」
「おはなしででてきたおんみょうじさんはどんなことをしたの?」
「陰陽師さんはね、たくさんの人達を助けて村の始祖になったのよ」
「しそってなあに?」
「始祖っていうのは村を作った人なの」
「すごーい!むらをつくったおんみょうじさんのなまえおしえて!」
「いいわよ。その名前は―――」



大田原源一郎の戦闘の中で見つけた鉄の蓋で封じられていた穴。
奈落の底に続いているかの如き深い暗黒が広がっている。
人間共の香しい匂い共に悍ましい気配がする。

―――ここに奴の末裔が潜んでいる。

抑え込んでいた激情が吹き出し、区分けした『ナニカ』の領域がじわりじわりと独眼熊の領域を浸食していく。
奴の末裔たる神楽春姫は如何なる人物であろうか。

かつてあった傲慢も鳴りを潜めたその姿。己の全てを投げ出してわたしに手を伸ばした憎悪(あい)する彼の生き写しか。
はたまた彼とは似ても似つかぬ上辺だけをなぞった俗物そのものか。

―――どちらにせよ、憎い。どのような手段でも確実に滅ぼす。

その忌まわしき男の名は――。

「神楽―――」
「―――春陽(しゅんよう)ッ!」


660 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:08:29 6jvuTF4I0
【D-4/袴田邸前/一日目・午後】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、精神疲労(小)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)、スクーター乗車中
[道具]:ナップザック、長ドス、木刀、マチェット、医療道具、腕時計、八柳藤次郎の刀、スタームルガーレッドホーク(5/6)、44マグナム弾(6/6)、包帯(異能による最大強化)、ガンホルスター、ピッキングツール、飲料水、アウトドアナイフ、羊紙皮写本、スクーター、ヘルメット、護符×5、天宝寺アニカのスマートフォン、犬山家の家系図、モバイルバッテリー、袴田伴次のスマートフォン
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.役場に向かい、月影夜帳を殺す。他の袴田邸滞在者も月影の異能で洗脳されている可能性も考え、全員殺害も視野に入れる。
3.天宝寺アニカに羊皮紙写本と彼女のスマートフォンを渡し、『怪談使い』に関連する謎を解かせる。
4.八柳哉太と天宝寺アニカを資材管理棟へ派遣し、情報を集めさせる。
5.用事が済んだら診療所に向かう。
6.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
7.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
8.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
9.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、スクーター乗車中(二人乗り)、
[道具]:メッセンジャーバッグ、化粧品多数、双眼鏡、缶ジュース、お菓子、虎尾茶子お下がりの服、子供用ヘルメット、補助ベルト、御守り、サンドイッチ
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.またあおうね、アニカおねえちゃん。
3.チャコおねえちゃんのいちばんはリンだからね、カナタおにいちゃん。
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。

【E-1/地下研究所・B1 EV上/1日目・午後】

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、意識混濁、脳にダメージ(特大)、異能による食人衝動(絶大・増加中・抑圧中)、脊髄損傷(再生中)、鼓膜損傷(再生中)
[道具]:防護服(マスクなし)、装着型C-4爆弾、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理……?
1.???
2.???
3.???
※異能による肉体の再生と共に食人衝動が高まりつつあります。
※脳に甚大なダメージを受けました。覚醒後に正常な判断ができるかは不明です。


661 : 巣食う影 ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:08:57 6jvuTF4I0
【E-1/草原・地下研究所緊急脱出口前/一日目・午後】

【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生とそれによる自我侵食(大)、クマカイに擬態、知能上昇中、烏宿ひなた・犬山うさぎ・六紋兵衛への憎悪(極大)、神職関係者・人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、猟師・神楽・犬山・玩具含むあらゆる銃に対する抵抗弱化(極大)、全身にダメージ(大)、分身が一体存在
[道具]:リュックサック、アウトドアナイフ
[方針]
基本.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
1.己の慢心と人間への蔑視を捨て、確実に仕留められるよう策を練る。
2.巣穴(地下研究施設)へと入り、特殊部隊の男(大田原源一郎)と共に特殊部隊含む中の人間共を蹂躙する。
3.人間共を率いた神楽春陽の子孫(神楽春姫)を確実に殺す。
4.隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼし、怪異として退治される物語を払拭する。
5."ひなた"、六紋兵衛と特殊部隊(美羽風雅)はいずれ仕留める。
6.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
7.???
[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫とクマカイと八柳藤次郎の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』、『弱肉強食』、『剣聖』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じ行動に加え、分割思考が可能になりました。。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※分身に『弱肉強食』で生み出した外皮を纏わせることが可能になりました。
※■■■の記憶の一部が蘇り、銃の命中率が上昇しました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。
※脳を適当に刺激すれば異能に目覚めると誤認しています。
※■■■■が封印を解いたことにより、『巣くうもの』が記憶を取り戻しつつあります。完全に記憶を取り戻した時に何が起こるかは不明です。

















―――うらうらおもて。
深淵から巣食う真実が蠢いて這い出した。箱庭が裏から表に裏返る。
静止した時計が動き出す。錆びついた秒針が廻る。
既に宴の準備は整った。狩人と獲物の役柄が反転する。
深淵の前でヒトの形をした少女が笑っている。


662 : ◆drDspUGTV6 :2023/12/11(月) 20:09:21 6jvuTF4I0
投下終了です。


663 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/11(月) 21:03:25 GDdxXQlc0
投下乙です

>巣食う影

ただでさえ強い大田原さんに異能が乗っかり、対するのはただでさえ強いクマに、異能マシマシ異形マシマシ怪異もマシマシの怪物。
異能に目覚めてもまだ人間の延長だったというのに、この2人だけ超人バトルすぎる。他の村人どうすんの?
勝ったのは独眼熊、リベンジ成らず結果は前回の焼き直し。剣聖の未来予知とトラップ敷ける分身が相性良すぎて強すぎる
そして、そんなやべ―やつらが研究所に放り込まれてしまった、しかも両入り口から来るから逃げ場ない、おわりやね

アニカのスマホという長らく状態票に書かれていたフラグがついに回収された事に妙な感動がある
LINEを盗み見て嫉妬するのは大人げないぞ、茶子よ
「降臨伝説」と「怪談使い」についても徐々に明らかになってきた因習村らしくなってきたぜ!
村をめぐる謎がどういう回答を得るのか、気になる所ですねぇ

そして春姫。お前陰陽師の血筋だったのか……
てっきりただの変な女だとばかり……



続けて私も投下したいのですが、ちょっと袴田邸が被ったので若干の修正が必要となるため自作の予約を一旦破棄します
修正が完了しましたら投下する予定ですが、予約の権利は解かれましたので該当キャラの予約は解放されます
以上、よろしくおねがいします


664 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:47:09 5QhA9It.0
お待たせしました
修正できましたので、投下します


665 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:48:15 5QhA9It.0
村の地下に眠る資材管理棟と言う名の捕虜収容所。
村の暗部とも言えるその場所で、山奥の小さな村を襲った事件をめぐる一つの真実が明らかになった。
世界を救わんとする善意の研究者を残し、その真実を抱え哉太とアニカの2人は地上に戻った。

自転車を漕ぎ、彼らが目指しているのは茶子との合流地点である診療所である。
学校裏から診療所に向かうには、大きく分けて2通りのルートが存在していた。

哉太たちがやってきた西回りのルートと役場方面に向かう南回りのルートある。
来た道をそのまま引き返した方が安全確保の面では無難なのだが、彼らは南回りのルートを選択した。
その理由は道中に仲間たちが集合している袴田邸があるからだ。

元より彼らはうさぎの救援要請を受けて湯川邸へと向かって行ったのである。
任された者の義務として失敗の報告だけはしておかなくてはならない。
何より袴田邸に残っているみんな様子が気にかかる。
いずれにしても一度顔を出しておくべきだろう。

自らの失態と訃報を届けることになる。
ペダルを漕ぐ足は重いが、振り切るように哉太はグッと足に力を込めた。

そうして、しばらくペダルを漕いだ後、生存者の避難場となっている袴田邸へと辿りついた。
高級住宅街から少し離れた場所にある変わり者の小説家が住まう辺鄙な一軒家。
だが、帰還した袴田邸の様子は明らかにおかしかった。

「……妙だな」

家には見張りの一つもないどころか、人の気配が感じられない。
探偵と武人の勘がすぐさま警告を鳴らし、2人が警戒レベルを引き上げる。

玄関には見覚えのない雷が落ちたような焦げ跡があった。
これは恐らく、ひなたか恵子の異能によるものだろう。
つまり、異能を使うだけの何か大きな出来事があったと言う事だ。

「……It smells.」

その場所に、アニカが鼻を鳴らした。
事件の匂いをかぎ取る探偵の嗅覚だ。

「…………開けるぞ」

最悪の事態を想定しながら、哉太が慎重に扉を開ける。
返るのは冷え切ったような静寂。
当然ながら出迎えはない、完全にもぬけの殻のようだ。

「誰もいないな……」
「……そうね」

2人はいざと言う時のために靴のまま家の中に足を踏み入れた。
フローリングの床が哉太たちの体重で軋む音だけが妙に響いて何とも気味が悪い。

家の中を捜索するが、やはり誰一人として見つかることはなかった。
その代わりと言っては何だが、書置きのようなメモ書きがテーブルの上に残されていた。

『農家の宇野さんから助けを求められました。
 これから月影さんと恵子ちゃんの3人で宇野さんの家に向かいます。
 みんなはこの家で待機していて下さい。 はすみ』

『地下室で何者かに恵子ちゃんが地下で殺されました。
 恵子ちゃんを殺した人に月影さんとはすみさんも連れ去らわれたかもしれないので助けに向かいます。
 それから勝子さん達が鈴菜さん達を助けに向かっている間に会議で話したヒグマに襲撃されました。
 ワニとクマが合体したみたいな化け物で、はすみさんが言うには怪異らしいです。
 遭遇したら後ずさりしながら目線を外さず、 刺激しないように逃げてください。
 もし夕方までに私達が戻らなかったら、後はそっちの判断で行動して ひなた うさぎ』

はすみの書いたであろう綺麗な文字の物と。
その下にひなたとうさぎが書き足したであろう乱雑なメモである。

「……字蔵さんが殺された?」

そのメモの内容を見て、愕然とした様子で哉太がつぶやく。
確かにメモに書かれていた内容は衝撃的な事実である。
だが、アニカが気にしたのは別の所だ。

「このmemoは誰に向けて書かれた物なのかしら……?」
「誰って、そりゃあ俺達だろ?」

哉太は当然だろうと言った反応を返した。
袴田邸を離れた哉太たちが戻って来た時のために残した書置きであると考えるのが自然だ。

「それだと最初のmemoはおかしいわ。袴田邸にははすみたち以外にもひなたとうさぎがいたはずよ。
 それならmessageを頼めばいい。わざわざmemoを残す必要がないわ」

アニカたちが袴田邸を出発した時は月影、はすみ、リンに加えうさぎ、ひなたも全員が袴田邸に居たはずだ。
はすみたちが離れることになったところで、わざわざメモ書きを残す必要がない。


666 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:49:57 5QhA9It.0
「うさぎちゃんとひなたちゃんが休息を取ってる間に宇野さんが尋ねてきたとか?」
「うさぎは兎も角、ひなたは十分にrefreshできてるはずよ、rotationで言えば次に休むのははすみでしょう?」

朝方、皆が休息をとっている間監視をしていたはすみが休んでいたというのならまだしも。
その間に休息を取っていたひなたがまた休んだというのは考えづらい。

「なら、どういうことだよ?」
「はすみたちがmemoを残した時に、うさぎたちはここに居なかったかもしれない、と言う事よ」

この村は何が起きてもおかしくない状況だ。
袴田邸に残ったみんなにも何か動きがあってもおかしな事ではない。

「ヒグマの襲撃で避難した、ってのはさすがにないか……うさぎちゃんたちだけが離れる理由がない」

全員で避難したと言うのならわかるが、分断する理由がない。
少なくともメモを残す余裕があったのだから、そこまで逼迫した状況でなかったはずだ。

「けれど、それがopportunityとなって、何らかの別のpurposeが発生した可能性はあるわ」
「なるほどな。うさぎちゃんたちが俺達と同じく別動隊として動いてたかもって事か」

哉太たちの様に何らかの任務を受けた別動隊。
そう考えるなら、あの5人の中でうさぎとひなたというのは人選としては妥当か。

「ともかくBasementを調べる前に、もう少し家内をinvestigateしましょう。何か見つかるかもしれないわ」

恵子の死体があるという地下室を後回しにして、ひとまず袴田邸を調べることにした。
すると、すぐに何者かに家探しされたような痕跡をいくつも見つけた。
特にキッチンの食料が荒らされており、素人仕事にしてもかなり乱雑だ。
これを元から袴田邸にいた連中がやったとは考えづらい。

「みんなが居なくなった後に誰かが来たみたいだな」

状況が状況だ。今更空き巣を咎めるつもりはない。
そもそも哉太たちも袴田邸を勝手に使用していた立場だ、人の事を言えた義理はない。

訝しむ哉太を余所に、アニカが机の上を指でなぞった。
その指先に白い粉のようなものが付着する。
アニカがその指先をすんすんと嗅ぐ。

「なんだそれ?」
「face powderのようね。化粧品よ」

アニカは化粧品などに詳しくない哉太に軽く説明をする。
だが、不思議そうに哉太は首をかしげた。

「誰かがここで化粧をしたって事か?」

この屋敷は袴田と言う偏屈老人の一人暮らしだったはずだ。
まさか女装趣味があったという事もあるまい。
そもそも哉太たちが出立する前にはこのような痕跡はなかったはずだ。
この非常事態に呑気に化粧をする人間がいるなど……。

「あぁ……いや、そういう事しそうな人に心当たりはあるな……。
 多分、茶子姉とリンちゃんだな。ニアミスしたってことか?」

袴田邸に仲間がいる事は茶子に伝えている。
あの人ならリンをあやすがてらその程度の事はやるだろう。
子供が散らかしたような惨状もリンがやったというのなら納得できる。
ここを訪ねていたとしても不思議ではないが、何をしに来たのか。

「整理すると、ここで起きたTime seriesとしては恐らくこうよ」

哉太たちがうさぎの友人の救出に向かう。
 ↓
ひたなたちがヒグマの襲撃を受け、撃退する。
 ↓
何らかの事情でひなたとうさぎが袴田邸を離れる。
 ↓
宇野が袴田邸を訪ねる。
 ↓
月影、はすみ、恵子が宇野邸に向かいメモを残し袴田邸を離れる。
 ↓
ひなたとうさぎが袴田邸に帰還。メモを残し再度袴田邸を離れる。
 ↓
茶子とリンが袴田邸を訪問。家探しと化粧をして立ち去る。
 ↓
哉太とアニカが到着。今に至る。

メモの内容をすべて信用するなら時系列はこうなる。


667 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:50:57 5QhA9It.0
「けど、字蔵さんは死んでるんだろう?」
「Yeah.うさぎたちのmemoによればね」

つまり、どちらかのメモには嘘がある。
どちらのメモに嘘があるのか、その答えは地下室を見ればわかる事だ。

その答えを確認するため、哉太たちは地下室へと向かった。
地下室の扉を開くと深淵へと繋がるような暗がりが姿を現した。

階段を降りて行くと、周囲の空気は急速に冷えていき、その冷たさが二人の肌を刺す。
冷たい石の壁が彼らをじっと見下ろしているかのようであり、妙な息苦しさを感じさせた。
そうして哉太とアニカは階段を降り切って地下室に到達した。
一瞬の静寂の後、その場の残酷な答えに直面する。

「……字蔵さん」

沈痛な面持ちで哉太が悔しさをにじませた声で呟く。
アニカは表面上取り乱したりはせず冷静な様子だが、きっと奥底では同じ思いだろう。

うさぎのメモにあった通り、寒々とした空気が漂う狭い部屋の中央に、布団に横たわる字蔵恵子の死体が横たわっていた。
恵子の死体は全身の血を抜かれたかのように、異様に白く干からびているように見えた。
その横には、拘束された老人のゾンビが無様に転がっている。こちらはまだ息があるようだ。

「このゾンビは………この家の主の袴田って人か?」
「Yeah.Novelistの袴田伴次ね」

袴田は哉太が村を出てから引っ越してきた住民であるため直接的な面識はないが、著者近影を見たことがあるのかアニカが答える。
哉太たちが袴田邸に居た頃は地下室にこの家の主と思しきゾンビが閉じ込められていたはずだが、それが彼だろう。

「状況から言えば、このゾンビが地下室に降りた字蔵さんを殺して、他の誰かがゾンビを拘束したって所だろうけど……」
「だったらmemoにもそう書かれているはずよ」

あのメモには何者に殺されたとしか書かれていない。
つまり犯人は分からなかったという事である。
そんな分かりやすい状況ならああは書かない。

拘束されたゾンビに死体。地下室にはゾンビと争ったような跡もある。
拭き取られているが、地面にはうっすらと血痕も確認できる。
アニカは無言のまま恵子へ近づくと、プロの探偵として冷静に死体の検分を始めた。

「fatal injuryは首の傷かしら…………」

アニカは静かに呟いた。
首筋に開いた二つの穴。目立つ外傷はこれくらいだ。
傷口の周囲には軽い内出血が見られ、恵子が生きている間に受けた傷であることが分かる。

アニカはさらに、恵子の手や足、そして服の状態を注意深く観察した。
しかし、他に目立つ外傷や争った形跡は見当たらない。
衣服も乱れておらず、何者かに襲われた形跡はない。

布団に寝転がる恵子は、穏やかな寝顔のような死に顔だった。
後から整えた可能性もあるが、誰かに襲われたにしてはこれはおかしい。
そうなると、布団に寝かされている事もあり眠っているところを殺された可能性が高くなる。

だが、外部からの襲撃犯であるのならその騒ぎで目を覚まさない訳がないし。
眠っていたというのなら、「地下室を訪れた恵子がゾンビに襲われた」と言うシナリオも成立しない。
そうなると恵子を殺したのは外部からの襲撃者でもゾンビでもないことになるが……。

アニカは続いて恵子の寝かされている布団を丁寧に検査する。
不思議なことに、布団には血の跡が殆どついていない。
それが指し示すのは、犯行現場がここではないという事。
床にある拭き取られた血の跡が彼女の物である可能性はあるが、そうなるとわざわざ死体を布団に寝かせる理由がわからない。
彼女の死体を発見したうさぎたちが布団を敷いたという可能性もあるだろうが、死者を弔うのならこんな所に布団を運ぶよりも死体を上に運ぶだろう。

「そっちのzombieも調べたいわ」
「わかった。押さえておく」

拘束されているとはいえ襲い掛かってこないとも限らない。
念のため哉太が袴田ゾンビの手足を取り押さえ、アニカは慎重にその体を調べる。

ゾンビの首元にも噛み跡のような傷が確認できた。
一見すれば恵子と同じ傷跡だが、厳密に比較すればこちらの方が穴はやや大きい。
つまり噛み傷を残した犯人は2人いた可能性がある。


668 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:54:01 5QhA9It.0
「ともかく、最初のメモが嘘だったってことだな」

恵子の死体があった以上はそうなる。
こうなると月影とはすみが途端に怪しくなってくる。
だが、はすみの人柄を知る哉太からすれば中々に信じがたい話した。

「恵子ちゃんを殺した犯人が書いたって可能性はないか?」
「handwriting identification(筆跡鑑定)はできないけど、少なくともsistersであるうさぎが本物であると認識して続きを書いているのだからそれはないと思うわ」
「なら、犯人に無理やり書かされたとか?」
「Whodunit(何のために)?」

ここは異能と言う横紙破りが横行する世界だ。
アリバイや証拠なんてものすらいくらでも模造できる。
そこから安易に結論を導き出すのは誤った結論に導かれない。

故に考えるべきはWhodunit。
何故それを行ったのか? という動機の部分だ。
このメモを書いた人間はなにがしたかったのか?

「いい? 偽装工作と言うのは犯行がバレたくない人間がする事なのよ」

事実として偽装工作は行われている。
つまりそれを行ったのは犯行が発覚して困る人間だ。
特殊部隊や気喪杉のような危険人物であればそのような事をする必要はない。
恵子だけを殺して月影とはすみだけを生かして連れ歩くというのも妙な話だ。
この犯行が発覚してももっとも困る人間がどんな人間かと言えば、それは。

「…………内部犯」

そう推測できる。
哉太の上げる可能性をアニカが潰してき、はすみへの疑いが積み重なって行く。

とは言え、直感や推測で犯人を決めつけられない。
小田巻の時もそれで危うい状況になった。
結論を出すのはまだ早い。

「ともかく、うさぎやはすみたちを探してみましょう」
「探すたってどうやって…………?」

手がかりがあるとしたら宇野邸に向かったと言うメモの内容くらいの物だが。
はすみのメモは虚偽である可能性が高い。本当に宇野が訪ねてきたのかも怪しい。

「それでもいいわ。はすみたちはともかく、うさぎたちがその情報をBelieveして向かった可能性はあるでしょう? 
 カナタ。このmemoに書かれたウノに心当たりはある?」
「最近越してきた人まで把握できてないけど……俺の知ってるのは農家の宇野さんくらいだな」

もしかしたら哉太の知らない宇野さんである可能性もある。
確か古民家群に住んでいたはずだが詳しい住所までは分からない。

「まあいいわ。addressなら役所に寄れば調べられるでしょう、古民家群の方もどのみちpathするわ」

手がかりがそれしかないというのなら行くしかない。
古民家群も役所も診療所までの通り道だ。
茶子との合流もあるがその程度の寄り道は許してもらおう。
うさぎたちは夕方に戻ると書いてあるが、そんなに待ってはいられない。

「よし。じゃあちょっと飛ばすぜ」
「safe drive! 忘れないでね!」

袴田邸を出た哉太は自転車を飛ばす。
南下して行く途中、少し離れた位置にあったガレージの前を通り過ぎる。
奇しくも、その時ガレージの中には茶子たちは滞在していたが、互いにその存在に気づくことなく目の前を通り過ぎた。




669 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:55:06 5QhA9It.0
村の南部に位置する役場は張り詰めた緊張感に包まれていた。

急速な村の発展に伴い、役場の業務は異常なまでに作業量が増加していた。
転居してくる住民の管理。都市開発計画の相談。住居や店舗などの建築物許可申請の処理。
人口増加に伴い急増する税務処理、福祉サービス。防災、防災などの管理。etc.etc.

もはや日々の業務は修羅場のような有様であり、職員の徹夜作業は日常茶飯事。
現村長体制の問題の一つとされている。

だが、今役場を支配している緊張感はそれらの物とは異なっていた。
暮らしと言う命を繋ぐやり取りではなく、これから行われるのは直接的な命のやり取り。
村を襲う災厄の一つ。特殊部隊との正面切った決戦である。

戦場に向かったのは若き天才エージェント天原創。
役場にいた皆の支援を受け、万全の状況で決戦に挑む。

彼に託した異能によって、生命力を消耗した雪菜は身を休めるため休憩室に移動していた。
そして、休憩室には同じく異能によって生命力を消費したはすみと体調を診るという名目で薬剤師である月影の2人が同室していた。

休憩室には月影とその眷属はすみ、そして雪菜だけ。
そして雪菜は異能の使用によって疲労している状態である。
これはうら若き乙女の血を求める吸血鬼、月影夜帳にとっては絶好の状況である。

今なら2人がかりで抑え込めるかもしれない。
多少抵抗されて騒ぎになったとしても、眷属にしてしまえばどうとでも言い繕える。
隣室のひなたやうさぎに気づかれたところで余計なことを言う恐れもない。

だが、月影は口元に手をやり勃牙を抑える。
外には特殊部隊が控えている。
生き残るためには特殊部隊の排除は必須だ。

創が勝利できればそれでいい。
だが、出来なかった場合、最悪ここの面子で戦うことになる。
もったいないが、状況次第では彼女たちを囮にして逃げだす算段も必要だろう。

今下手な騒ぎを起こすのは得策ではない。
事を起こすのは特殊部隊との戦いが終わった後だ。
特殊部隊の存在がある意味での抑止力となり、ハンターを恐れ吸血鬼は息をひそめていた。

「雪菜ちゃん、体調は大丈夫〜?」
「……ええ。大丈夫です」

はすみが雪菜に話しかける。
自身も消耗しているのは同じだというのに、他者の体を慮る。
その優しさを雪菜は素直に受け入れる事が出来ず、戸惑うような相槌を打つことしかできなかった。

雪菜は月影たちを警戒している。
ここにいるのは2人の監視と言う意味合いもあった。
創が頑張っているところで背後から撃たれてはたまらない。

もちろん2人が結託して襲ってくることも想定ている。
そうなったところで今の雪菜は叶和と2人で1人。
2体2のイーブンだ。大人しく負けるつもりはない。

月影は相変わらず怪しいが、雪菜が対処に困っているのがはすみだ。
はすみへの印象を雪菜は虐待を行っていた母のようだと創に称した。
男に依存し母になれず女を捨てきれなかった、そんな人だ。

その印象は今も覆っていない。
月影に付き従い、男に尽くすためなら何をするのも厭わない。
そんな『女』の顔をしている。

だが、雪菜を戸惑わせるのは、はすみはその状態にあっても他者への優しさを維持している事だ。
その温和な態度が判断を鈍らせる。

雪菜の母も、気まぐれに優しい日があった。
だが、そんなものはふとしたきっかけで崩れる砂上の楼閣でしかない。
この優しはそれと同じ男の言葉一つで崩れる者なのか、それとも雪菜の目が曇っているだけなのか。
すぐには結論を出せなかった。


670 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:55:30 5QhA9It.0
「そうだ! 元気を出すのにいいものがあるの。ちょっと待っててね〜」

そう言ってポンと胸の前で手を叩き、はすみは休憩室の奥へと向かうとそこに置かれていた冷蔵庫を開いた。
はすみにとっては勝手知ったる自分の職場である。どこに何かがあるかなど手に取るようにわかる。
地震によって冷蔵庫の中身はぐちゃぐちゃにかき乱されていたが、中の食品は無事のようだ。

はすみは倒れた食品をかき分け、そこから何本かの缶と瓶、チューブを数本取り出した。
エナドリとブラックコーヒー、そして栄養ドリンク。チューブのニンニク、生姜。
それらをマグカップに注いでマドラーで混ぜ込んでいく。

「お待たせ〜。これを飲めば疲れなんて一発で吹き飛んじゃうわよ〜」
「ありがとうござ…………うっ!」

はすみから差し出されたのは混沌としたマーブル色の液体だった。
あらゆる栄養とカフェインとタウリンをちゃんぽんした魔剤である。
元気になるどころかむしろ体に毒なんじゃないか?と思える毒々しさだ。

「ごめんなさいね〜。地震で冷蔵庫止まっちゃってたみたいで温くなってて〜」

謝るのはそこではない気もするズレた謝罪だ。
マグカップを受け取りながらも雪菜が口を付けるのを躊躇っていた。

「それじゃあ、いただきま〜す」

そう言って、はすみは自分用のドリンクに躊躇うことなく口を付けた。
ごくごくと喉を鳴らして毒々しい液体を一気する。
その様子に雪菜はさっきとは別の意味で気圧されていた。

「ぷはぁ〜! キクぅ〜〜!!!」

そう言ってはすみはバキバキに目を見開き大きく息を吐く。
毒見という訳ではないが、目の前で同じものを飲まれてしまっては断りづらくなった。
少なくとも自分の体調を気遣って出された物を無下にするのも気が引ける。

「えぇい……………………!」

ままよと意を決して雪菜がカップに口を付けた。
一度止まればもう飲み干せぬと、覚悟を決めて一気に飲み干す。

強烈な甘み舌に広がり、奥底にある辛みがピリピリと舌を刺激して、強烈な苦みが後味となって引いていく。
漢方っぽい独特の風味と香ばしいコーヒーの香りが喧嘩し合いながら鼻を抜けた。
シュワシュワとした炭酸と生姜の辛みが別方向から喉を刺激する。

「…………まずぅ」

味は最悪。
だが、胃の奥から熱を放つように、体が熱くなってきた。
首の根本でドクドクと血流が加速して流れるのを感じる。
運動もしてないのに発汗してきた。

味は最悪だが効果はてきめんのようだ。
と言うか即効性がありすぎてちょっと怖い。

「……そういったドリンクは一時的な栄養補給としては役に立つのは認めますが。
 過剰な摂取は健康に悪影響を及ぼす可能性があるので薬剤師の立場としてはあまりお勧めしませんがね」

やや引いた様子で薬剤師が苦言を呈す。
そう言う常識的な指摘は飲む前に言ってほしかった。


671 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:56:17 5QhA9It.0
休憩室でそんなやり取りをしていた、同刻。
隣室の執務室にはひなたとうさぎの2人が居残っていた。

窓際にいるひなたは、見よう見まねで先ほど創が行っていたように鏡を使って戦場の様子を伺っていた。
角度調整にてこずってなかなか上手くいかなかったが、目立つ青色のお陰でその姿を捕らえられた。
青髪の女に抱えられた圭介を追う特殊部隊。彼らの戦場は東にある古民家群に移っていた。
まだ創の姿は周囲に見えないが、恐らくそこに向かっているのだろう。

無意識のうちに片手に握った銃に力がこもる。
それは薩摩の死体から回収した銃だ。
戦況次第では援護射撃が必要になるだろう。

猟師の心得として猟銃を扱う事はあるが別に銃に詳しいという訳ではない。
この銃の名前も、詳しい性能も分からないが、あの銃キチが持っていたという事はそれなりの性能の銃なのだろう。
そこに関してだけは信頼がある。と言うかそこに関してだけしかない。

だとしてもここから届くわけではない。
戦場は1㎞近く離れている。狙撃銃でなければ届かない距離だ。
いくら性能が高くても拳銃では届かない。

それで届くという確証もないが、手段があるとしたならば異能を付与した超電磁砲。
創には最後の手段にしろと言われたがが、イザという時に撃つ覚悟だけはしておかねばならない。

一人、ひなたは戦いの覚悟を固める。
そこから少し離れた執務室の影でうさぎは気もそぞろな様子で俯いていた。

「お姉さんとお話ししなくていいの?」

その様子に気づきひなたが声をかける。
恵子の事もある。
この村では話したい時に話したい相手と話せるとは限らないのだ。
話せるうちに話したほうがいい。

だが、あれほど心配していた家族の無事を確かめられたと言うのにうさぎの表情は浮かない様子だ。
休憩室にいるはすみの下に向かうでもなく、こうして執務室でひなたの様子を見守っている。
むしろ、姉と顔を合わせるのを躊躇っているようだ。

「うん……。あの、お姉ちゃん様子がおかしくなかった?」

うさぎが触れたときのあの態度。
まるで姉が別の生き物になったような錯覚を覚えてしまった。
仲が良かったからこそ、普段と違う家族にどう対応すればいいのか分からない。

「確かに、様子おかしかった気もするけど……」

それをひなたに尋ねたところで分かるはずもない。
はすみの様子がおかしかったと言うのは、それは家族であるうさぎが一番よくわかっているだろう。

うさぎへの態度もそうだが、ひなたが気にかかったのは月影との距離感だ。
あの二人が出来ていた、なんて噂は聞いたことがない。
発展してきたと言えども狭い村だ、その手の話題は嫌でも耳に入る。
男女の仲は分からぬものだし、吊り橋効果という事もあるのかもしれないが、それにしたって急すぎる。


672 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 20:59:13 5QhA9It.0
「こんな場合、ひなたちゃんなら、どうする?」

うさぎが弱気を吐露するように尋ねる。
だが。ひなたは一人っ子だ。姉妹がおかしくなっていたらどうするかと問われても答えようがない。
それでも、思い悩むうさぎのために答えをひねり出すべく、家族の様子がおかしくなっていたらどうするのかを考えてみる。

「私だったらお母さんが変になったんなら、どうしてそうなったかって原因を知ろうとするかな。
 お父さんの場合は……どうだろうなぁ?」

彼女を突き動かすのは知的好奇心。
実際、ゾンビと言う形で母はウイルスによっておかしくなってしまっている。
今だってその原因を知りたいと思って行動している。

「そう言えば、ひなたちゃんのお父さんって」
「うん。単身赴任中。と言っても、何をしているかは詳しくは知らないんだけど」

ひなたの父は東京に単身赴任している。
仕事上の機密もあって何かの研究職をしていると言う事くらいしか娘のひなたも知らされていない。
もしかしたら研究者である父がいればウイルスについても何かわかって解決できるかもしれないとも思うが、巻き込まれなかったことを喜ぶべきだろう。

「ひなたちゃんのお父さんってどんな人だっけ?」

ひなたの父が村を離れてもう8年前になる。
同じ村の出身と言っても、うさぎとしては顔も殆ど覚えていない。

「うーん。ちょっと神経質なところはあるけど真面目な人、かなぁ?」

定期的に連絡くらいはしているが、ひなたとしても離れて暮らして長い。
悪い父ではないとは思うが、素直に良き父とも言い難い。

「あ、そうだ、写真があるよ」
「写真?」
「うん。去年、高校に上がった制服を見せに、お母さんと一緒に上京した時に撮った写真があったんだ」

一旦鏡から手を放して、胸元を漁る。
単身赴任をしている父に会いに行った時に取った家族写真が生徒手帳に挟まっていったはずだ。
そして一枚の写真を取り出して、うさぎに差し出す。

受け取った写真に写っていたのはごくありふれた家族の情景だった。
真ん中にいるのは、真新しい制服を来た今より少し小さいひなたである。

横に立っているひなたによく似た妙齢の女性は、うさぎも見覚えのあるひなたの母親だ。
うさぎも商店街で買い物しているときにたまに挨拶くらいはする仲である。

その逆側に立っているの初老の男がひなたの父親だろう。
ひなたよりも色濃い、燃えるような赤い瞳。
研究員らしい白衣姿とは不釣り合いな首元のブラックオニキスのネックレス。
横に並ぶ笑顔の2人とは対照的な不愛想な表情。それは不器用な父の顔のようにも見える。

そしてメガネをかけた神経質そうな男の顔。
それは、年相応にくたびれた白髪交じりの痩せぎすの男だった。




673 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:00:14 5QhA9It.0
村に東に位置する民家群には時代に取り残されたような古民家が立ち並んでいた。
かつては村の子供たちが元気に駆け回り、鬼ごっこをして遊んでいたであろう情景である。
そんなかつてのノスタルジーを感じさせる光景を再現する者たちがいた。

青い風が吹き抜ける。
逃げるのは少年を抱えた田舎に似つかわしくない派手な青い髪色をした女だ。
人一人を抱えているとは思えない程の機敏さで民家の隙間を駆け抜けてゆく。

その背を追う鬼役は迷彩色の防護服だ。
滅びた村では周囲に溶け込むはずの迷彩色は浮いている異物だ。
異物たる狩人の手には、平和な村にはあってはならない凶器が握られていた。

鬼は走りながら逃げる獲物の背に向けて銃口を向ける。
特殊部隊の狩人腕ならば走り続ける不安定な状態であろうとも狙いを外しはしない。
だが、その引き金が引かれる直前、青い影が建物の陰に隠れて射線が途切れた。

偶然ではない。先ほどからこの繰り返しだ。
相手は意図的に建物を盾に射線を切るように動いている。
銃に対して適切な対応だ。少なくとも素人の動きではない。

古民家群を駆け抜け、鬼から逃げる青い女。
それは山折圭介を抱えた青葉遥のゾンビである。

圭介に宿ったゾンビを従える王としての異能。
その力によって彼は精鋭を結集させ無敵のゾンビ軍団を結成した。
だが、それはたった一人の特殊部隊、今現在彼らを追う成田三樹康によって壊滅させられ、こうして敗走を強いられている。

圭介の異能は多くのゾンビを従えられる強力な力だが。
反面、従えるゾンビの数が増えるほど1体を操る精度は低くなるというルールが存在する。

そして、圭介は異能に目覚めた直後から、恋人である光の操作にリソースの多くを割いてきた。
傷つけぬよう、保護するように、己が異能で恋人を縛り付けてきた。

だが、そのゾンビ軍団も壊滅し、光も圭介を庇って死亡した。
皮肉にも、これによって彼の異能は力の注ぎ先を一つに絞られ、最強のエージェントの性能は十全に発揮される事となった。

脳内のウイルスの定着は強いストレスによって進行する。
そしてウイルスの脳への定着が進む度に異能も強化される。
誰よりも強いストレスにさらされた彼の異能は誰よりも強化されていた。

初期段階での圭介の異能はその都度ゾンビの行動を指示する格闘ゲームのようなものだった。
だが、それが能力進化によってRPGのように「たたかう」というコマンドを入力するだけでゾンビ行動を指示できるようになったのだ。
そして恋人の死を前に、圭介が思考を放棄したことで、素人である圭介が操作するより適切な『自己判断』によって動くゾンビが完成したのである。

遥はゾンビとも思えぬ機敏な動きで逃走経路を選択していく。
肉体の精度は全盛期のそれと遜色がない。

自己判断と言っても思考して選択している訳ではない。
それは身に染みこむまで叩き込まれた動きを再現しているに過ぎない。

異常感染した脳は増殖したウイルスによって脳萎縮が引き起こされる。
重度の認知障害と著しい思考能力の低下によってアルツハイマーのような症状が引き起こされる。
そのため出来ているのは殆ど反射的な無為意識の状況判断でしかない。

それでも、素人の圭介が逐一指示を出すよりも、無意識化に刻まれたエージェントの状況判断の方が適切である。
追手が素人あれば十分に逃げ切る事も出来ただろう。

だが、生憎それを追う狩人もまた一流。
国防を担う秘密特殊部隊の精鋭である。
鈍ったゾンビの思考で振り切れるものではない。

遥の足が曲がり角に差し掛かった所で成田はその足元を撃ち抜く。
弾丸は避けられたが、遥は逃走経路を変え逆方向の角へと曲がって行った。

所詮は動物的な反射行動。
行動を誘導するのは容易い。

兵士(ソルジャー)と諜報員(エージェント)は違う。
その中でも特筆すべき一番の違いは、戦闘に関する意識の差だ。
兵士は戦闘「を」行う事を前提としているが、諜報員は戦闘「も」行う事を前提としている。

この一字の違いは大きな差だ。
その為、戦闘力と言う一点において諜報員は兵士に劣る。

エージェントが重視するのはあらゆる局面に対応できる万能性だ。
秘密特殊部隊の中では潜入として工作員も務める黒木真珠がこれに近いが、駒の一つとしての万能型と、万能性を追求するエージェントでは目指すところの次元が違う。

その中における戦闘型のエージェントとは、あらゆる局面に対応できる戦闘面での万能を求めた存在である。
遠中近。あらゆる武器に対応し、一点で負けていても必ず得意分野で上回れる。

相手の得意を封じて、自らの長所を押し付ける後出しジャンケン。
故に最強。この理念を最も体現したのが青葉遥である。


674 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:01:05 5QhA9It.0
これに対する対応策は簡単だ。異なる強みを持つ複数で当たる事。
一対一では脅威であるが、特殊部隊からすればそれだけの存在にすぎない。

万能たる性能を生かす戦略性こそがエージェントの真骨頂である。
身体操作は全盛期に迫る精度に至っているが、その身体能力こそが脅威であった美羽と違って、思考力のないゾンビとなったエージェントは脅威ではない。

ハヤブサⅢを狙撃するため高台に昇った際に、周囲の地形を一通り把握しておいた。
特に、背の高い建造物がない古民家群は把握しやすかった。

その先は道場を構える大きな武家屋敷だ。
長い白壁が延々と続き、周囲に盾となる遮蔽物はない。

「詰みだ」

成田も曲がり角を曲がって無防備な背に向かって銃を構える。
絶対に外さぬと、世界最高峰の狙撃手が確信を得たのだ。

そして、その確信こそが絶対の隙だ。

その刹那を縫うように、その影は音もなく飛び出した。
物陰から飛び出した小さな影は、暗殺者のように横に寝かせた鋭い刃を手にしていた。

獲物を捕らえたと思ったその瞬間こそが、狩人が最大の隙を晒す瞬間である。
暗殺者が突き出した刃が標的へと深々と突き刺さった。

この瞬間を狙って待ち伏せていた暗殺者の名は、天原創。
創がこの決定的瞬間を狙い済ましたように待ち伏せられたのは偶然ではない。
ゾンビの辿る逃亡ルートを推察し、決定機となるポイントを完璧に予測した。
それを可能としたのは、逃亡の舵を取っていたゾンビが、他でもない彼にエージェントのいろはを叩きこんだ師だったからである。

地獄の特訓で叩き込まれた師の動きだ。どう動くかなどいやと言うほど理解できる。
そしてそれを追い詰めんとする狩人の思考もまた予測することは可能だ。
これらの予測を持って、決定機が訪れるポイントで待ち構えて奇襲により一撃で仕留める。

プロ同士の衝突は戦闘になること自体が稀である。
大体の戦況は戦う前から勝負は決まっている。
その鉄則に従い、初撃で終わる戦闘だった。

「っぶねぇなぁ…………オイッ!」

だが、突き出された刃は、狙撃手が手にしていた銃の銃身で防がれていた。
銃身に刃が突き刺さり、そのまま成田の手から銃が弾き飛ばされる。

創の不意打ちは完璧だった。
曲がり角の先で気配を顰め待ち伏せしていた創の存在に、成田は直前まで気づいてはいなかった。

だが、この戦場には素人が一人紛れていた。
圭介だ。

創は自らの前を通り過ぎる圭介を抱えた遥をデコイとしてスルーした。
その際に、圭介の視線が陰に潜んでいた創を捉えていた。
成田が捉えたのはその僅かな視線の動き。
その違和感に従ったからこそギリギリで反応が出来た。

奇襲は失敗した。
加えて、この柳刃包丁が鉄をも突き刺す異様な切れ味を持っていると言う手札がバレた。
これは手痛い失策だ。

だが創はそれを気にするでもなく、止まることなく間髪入れず距離を詰めた。
そのまま包丁を奔らせ、奇襲から白兵戦に移行する。

先の小田巻戦では対応する側だったため、後手に回って相手のペースに持ち込まれたが、今回は仕掛ける側だ。
相手の強みを潰して自身の強みを押し付ける。エージェントの鉄則だ。

役場から見ていた戦いから相手が相当な銃の使い手であることは把握している。
距離を離すのは愚策。このまま近接戦で押し切る。

喉、左胸、鳩尾。
距離を詰めた創が一息で放ったのは全弾急所を狙った三段突き。
受ける成田は間合いから逃れるべく、大きく後方に跳ねながら、鼻先に美羽から徴収したもう一丁の銃口を返す。

だが、その引き金が引かれるよりも一瞬早く、創が包丁をクルリと逆手に持ち直して銃を握る手首を払った。
急所狙いという必殺から、一転した小技。
これにはたまらず成田は銃撃を諦め手首を引いた。

手首の返しだけで本当に防刃効果もある防護服を切り裂けたのか、と言う点は重要ではない。
先ほど見せつけた奇襲はこの刃物に殺せる切れ味があることを見せつけるための見せ技。
必殺を狙った一撃であると共に、その為の布石でもあったのだ。

防護服と言う特殊部隊最大の弱点を十分に理解している。
一撃でも当てれば勝利なのだから、切り裂けるかもしれないと思わせただけで十分な効果がある。
仮に奇襲に失敗しても警戒を引き出せる。巧いやり方だ。


675 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:01:43 5QhA9It.0
成田はそのまま小さなバックステップを2度繰り返し距離を取ると、銃をホルダーにしまって武器をナイフに持ち替えた。
白兵戦は好みではないのだが、この距離まで詰められると流石に銃は不利である。
ひとまずナイフで凌ぎながら活路を見いだすしかない。

構えた視界の外で青い髪が遠ざかっていくのが見える。
まんまと圭介は取り逃すことになるが、目の前の相手を無視してそちらに注意を裂くわけにもいかない。
この僅かな攻防だけでも分かる、他に意識を裂いて勝てる相手ではない。
既に攻防は始まってる。追跡を諦め成田は意識を切り替える。

「素人じゃねぇな。どこの所属だ?」

目の前の相手はどう見ても中学生程度の年齢だ。
贔屓目に見積もっても精々が高校生と言ったところだろう。
秘密特殊部隊にも元少年兵のオオサキがいる。少年兵の怖さはよく知っている。油断はしない。

娘の三香もすぐにこれくらいになるのだろう。そう思うと胸が熱くなる。
それくらいになると反抗期にでもなって父離れしてしまうのだろうか、彼氏でも連れてきたら卒倒しかねない。
そう考えると胸が悲しくなる。連れてきたガキをぶち殺しかねない。

ともかく、天から聞いた小田巻と互角に戦ったと言う少年の特徴に当てはまる。
だが、それにしては少し強すぎる。
これ程の手合い、小田巻では相手にならないだろう。
小田巻が成田の知らない強力な異能に目覚めていたか、それとも目の前の相手が何か異能(インチキ)をしているかだ。

「ま、答える訳ねぇか」

成田の問いかけに、無言の答えを返すように創の体が動く。
恐ろしく鋭く早い踏み込み、一瞬で距離が詰まる。

廃村に散り火花と闘志が空気を切り裂いた。
交錯する視線と共に光り輝く刃の軌跡が衝突する。
刃先を揺らめかせたフェイント交じりの一撃をサバイバルナイフで受けとめた。

その衝突に押されたのは成田の体だ。
大人と子供。覆しようのない体格差があるにもかかわらず、子供とは思えぬ凄まじい力だ。
成田はとっさに受け止めた包丁を滑らせるように横に受け流した。

そして僅かに体勢を崩した創の手首に掴みかかる。
だが、これは強引に振り払われた。技術ではない、単純な力負けである。

天才エージェントである創の唯一の欠点、それは第二次成長期を完了していない身体能力の欠如である。
余りにも早熟した天才であるが故の欠点だが、その欠点は肉体を活性化させる異能『線香花火』によって補われていた。
天才的な技術に異能による肉体。今の創に死角はない。

強化された身体能力を持って、踊るようなステップで創は再び斬りかかる。
それは常人であれば動きの起こりすら捉えきれぬ程、軽く速い。
その神速の一撃を成田は、大きく横に跳ねて攻撃を避けた。

察したというより、直感による事前回避だ。
それでも刃は防護服の寸前を掠める。
反応がコンマでも遅れていれば防護服を裂かれて終わっていた。

右手の逆手付きを避けられた創はそのまま回転しながら包丁を宙に放り投げた。
そして空中で左手に持ち替え、曲芸じみた斬撃を見舞う。
風を裂き、振り抜かれる包丁の刃が瞬く間に成田の首に迫る。
成田は転がるように屈みこみ、その鋭い風圧を感じながら泥臭く身を躱した。

創の瀑布のような猛攻を成田は凌ぎ続ける。
対処を一つでもしくじれば終わる綱渡り。
だが、成田の精神は途切れることなく緊張感を保ち続けていた。

素人とは比べるべくもないが、狙撃手である成田は近接戦が得意とは言えない。
白兵戦の技術は小田巻はおろか、天にも劣るだろう。
にも拘らず、それらを上回る創の猛攻をギリギリながらここまで凌げている。

それも当然。
成田は常日頃から世界最強のナイフ使いを間近で見てきたのだ。
その上、付き合いたくもない模擬戦に幾度も付き合わされてきた。
おかげ様でナイフでの戦闘も、防御だけはそれなりの腕前になった。

確かに目の前の少年は確かに強い。
確かに強いが、あの怪物に比べればこの程度、何するものぞ。
防御に徹すれば凌ぐくらいは問題ない。

それに、待つことにかけて狙撃手に敵う者などいない。
たった一度のチャンスのために常に緊張感を保ちながら待ち続けるのが狙撃手である。
冷静さを崩さず、かと言って反撃に転じるでもなく防御に徹し続けられる。
一度しくじれば終りの綱渡りだろうと、いつまでだって続けて見せよう。
その精神性こそがこの男の本当の脅威である。

むしろ、この状況で焦りがあるのは攻めあぐねている創の方だ。
今の創は雪菜の異能『線香花火』による身体強化と、はすみの『生命転換』によって強化された武器。3人分の力で戦っているに等しい状態である。
だが、この異能の効果がいつまでもつか分からない。短期決戦は必然であった。


676 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:02:08 5QhA9It.0
創が勝負を決めにかかった。
右側から回り込むようにして間合いを詰める。
その動きを追って成田が反応するが、その直後。相手の反応を置き去りにする速度で創が稲妻のように切り返した。

死角を突く動き。
必殺すべく、創が大きく包丁を振りかぶる。
だが、成田の視線はギリギリでその動きを追っていた。

首を狙ったその構えに。成田が反応を示した。
その瞬間を狙って、創は屈みこんでその足を払った。
武器を最大限警戒させておいての足払い。
意表を突いたその攻撃を避ける術などあろうものか。

だが、その足払いは空を切った。
成田はそれを軽く跳躍して躱していた。

意表を突いたつもりだろうが、体術も交えたナイフ術としては基本である。
動きのキレと鋭さは大したものだが、教科書通りであるだけに読みやすい。
大田原やオオサキといった特殊部隊のナイフ使いどもに比べて、意表を突くにしても優等生のやりかたすぎる。

異能(インチキ)も含まれているかもしれないが、それでも年齢を考えれば創の才能は成田から見ても末恐ろしいレベルだ。
強さも巧さも、下手をすれば同じ少年兵であるオオサキよりも上かもしれない。

だが、怖さが足りない。
それじゃあダメだ。

「お行儀のいいこった」

言って、お返しとばかりに成田も蹴りを繰り出した。
決めにかかった相手にようやくできた一瞬の隙間。
だが、成田が蹴り抜いたのは創ではない、その横にある民家だ。

正面の武家屋敷と違って、元よりガタの来ていた古民家である。
それが地震の影響で倒壊寸前の状態となっており、とどめとなる一発の蹴りで容易く崩れた。

「なっ…………!」

崩れた民家が傾き、家屋の破片が襲い掛かる。
これに素早く反応して創は後方へ飛び退く。
小さな破片が幾つか直撃したが、それは大した問題ではない。

同じく成田も崩れた家屋を挟んで逆側に跳び退く。
彼我の距離が離れ、戦場に一本の線が通った。
古民家の建物の切れ目に、射線という名の線が。

耐え忍びこの一瞬を見出した、成田にとっての勝機。
成田の早打ち技術を持ってすれば、創が体勢を立て直す前に撃ち抜けるだろう。

だが、通った線は一本ではない。

ここより約1km離れた役場にて、その瞬間を待ち望んでいた者がいた。
成田が民家を打ち崩した事によって、繋がったもう一本の線。
古民家と役場を繋ぐ線もまた繋がったのである。

役場にある執務室の窓から様子を伺っていた猟師は、その瞬間を見逃さなかった。
ひなたは鏡による監視をやめ、直接窓から身を乗り出して銃を構える。

通常であればハンドガンによる狙撃など不可能である。
単純に射程が足りない。有効射程どころかひなたの腕では最大射程ですら1㎞先には届けられないだろう。

だが、銃の有効射程距離は、弾丸の初速によって決定される。
超電磁砲によって加速した弾丸ならばあるいは届くかもしれない。

パチンと電撃が弾けた。
黄金に輝く髪が揺れる。

創には最後の手段と言われていたが。
撃たねば創の命が危ぶまれる状況である。
この一瞬こそ、その決定機。


677 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:02:33 5QhA9It.0
決着の時だ。
村を襲う災厄の一つ。
特殊部隊をここで仕留める。

その覚悟を電撃に変える。
驚くほど精神は落ち着いていた。
異能が身に馴染んでいるのか、電撃が素直に銃身に通って行くのが分かる。
前回のような怒りで弾ける轟雷ではなく、鋭く落ちる雷鳴のように。
静かに狙いを定めて、彼女は引き金を引いた。

役場と古民家を繋ぐ、一筋の雷光が奔った。

超電磁砲によって放たれた弾丸は狙撃銃に匹敵する1000m/sの速度で発射された。
その弾丸は、秒にも満たぬ刹那の世界で音速を超えて標的に届く。
相手を仕留めんとする狩人が、弾丸を躱すなどできるはずもない。


「ま――――――撃つなら今しかないよなぁ」


だが、雷をまとった弾丸は特殊部隊の眼前を通り過ぎて、武家屋敷の白壁を撃ち抜いた。
創を仕留めるべく前に向かうはずの成田の姿勢は、不自然なまでに上体を仰け反らせていた。
だが音越えの狙撃。気づいてから反応して間に合うものではない。
それが躱せたという事は、つまりは読んでいたという事だ。

狙撃手と言う生き物は常日頃からその地形における狙撃のベストポジションを把握しながら生きている。
家族と外食を取る時ですら、つい狙撃を気にして席を選んでしまう。もはや職業病と言ってもいい。
当然、役場からの斜線が通ったのは成田も理解していた。

もちろん狙撃手がいると言う確信があった訳ではない。
だが、狙撃手が居るのなら、撃つのはこの瞬間しかない。
日本一の狙撃手はそれを理解していた、だから躱した。
相手に猛攻に耐えに耐え、ようやくもぎ取った絶好の攻撃機会を、いるかも分からない狙撃手を炙り出すために使い捨てたのだ。

狙撃でこの男を仕留めるのは事実上不可能に近い。
出来るとするならば、よほど巧みに彼の認知外を付くか、数キロ離れた位置からの超長距離スナイプくらいのものだ。
だが、そんな芸当出来る人間は世界中ひろしと言えでも片手の指ほどもいないだろう。

倒れこむほど上体をのけぞらせた体制のまま、成田は肩のストラップを回してライフル銃を構える。
それは弾切れして重しになるだけのレミントンM700を捨て、代わりに回収しておいた六紋兵衛のライフル銃だった。

カウンタースナイプ。
成田への射線が通ったという事は、相手への射線も通ったと言う事だ。

日本一の狙撃手は倒れこみながら、スコープすら覗かずに引き金を引く。
狙いをつけるまでもない、相手の位置は放たれた弾丸が知らせてくれた。
放たれた弾丸は超電磁砲の辿った軌跡を寸分違わず辿って行き、

「………………え?」

パァンと弾けるような音と共に、役場に赤い花が咲いた。




678 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:05:30 5QhA9It.0
弾丸は吸い込まれるようにひなたに迫り、パァンと頭部で弾けた。
皮肉にも、彼女の頭部を撃ち抜いたのは大師匠である六紋名人の銃だった。
ひなたの体は弾かれたように後方に吹き飛び、そのまま仰向けに倒れこんだ。
ペンキでもぶちまけた様な朱が執務室のカーペットを汚す。

「いやぁああああああああああああッッ!!」

少女の甲高い悲鳴が執務室に響き渡った。
目の前で友人の頭を撃ち抜かれ、半狂乱になりながらうさぎは倒れたひなたの下へ駆け寄る。

「ひなたちゃん!? ひなたちゃん……ッッ!」
「…………ぁぁ…………ぁっ」

呼びかけに、ひなたの喉奥から喘ぎのような掠れた声が上がった。
まだ死んではいない。

飛来した弾丸は頭蓋を貫いてはおらず、丸い頭蓋を滑ったようである。
大量の出血はしているが、少なくとも即死ではない。

「ッ! 待ってて!! すぐにみんなを呼んでくるから!!」

そう言ってうさぎが執務室を飛び出し、休憩室にいる3人を呼びに行った。
ほどなくして慌ただしい足音と共に4人が執務室になだれ込んだ。

「これは…………っ」

凄惨な光景に思わず月影が口元を押さえた。
雪菜も表情を歪め顔色を青くしている。

「すぐに治療を……! お願いします!」

懇願するようなうさぎの声に、事態の凄惨さに固まっていた全員が動く。

「夜帳さん、これを!」

はすみが執務室に置かれていた雪菜の手当に使用された救急箱を手渡す。
だが、その中身を確認した月影は厳しい表情を返した。

「…………ダメだこれじゃ道具が足りない」

応急手当て用の救急箱では、これほどの重傷者を治療するのは厳しい。

「哀野さんはとにかく清潔で使えそうなタオルか布を持ってきてください!
 うさぎさんは給湯室からお湯を! はすみさんは僕の治療を手伝ってください! 急いで!!」
「あっ……は、はい……!」

緊急事態であるため、月影が珍しく声を張って指示を出した。
混乱した頭に明確な指示を叩きこまれ、その指示を受けたうさぎたちは弾かれるように動き出す。
誰もその指示に疑いを持つ余地もなく反射的に行動を始めた。

だが、その指示はあまり適切ではない。
役場にある何かを集めるのなら、役場を良く知るはすみに収集の指示を出すべきだ。
指示を出した月影も混乱していた可能性はあるだろうが、もちろんそうではない。

うさぎと雪菜の2人が飛び出し。
執務室に残るのは血だまりに沈む瀕死となったひなたと、吸血鬼とその眷属。
実に都合のいい状況だ。


679 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:05:48 5QhA9It.0
「はすみさん。彼女たちが戻ってこないか周囲を見ていてください」
「はい。わかりました〜」

周囲への警戒をはすみにまかせ、月影はひなたに向き合う。
改めて地面に広がる血の海を見た月影の感想は。

「――――もったいない」

これである。
地面に零れてしまったものを舐めとるような下品な真似はできない。
咽かえるような血の匂いに、もう勃牙を押さえきれない。

地面に横たわるひなたの体を起こす。
まだ温かい首元に牙を突き立てんと涎が糸を引く口を開いて、その鋭い牙を覗かせる。
さぁ、食事の時間だ。

「ぅ…………ぁ……」

意識も曖昧になった虚ろな瞳が揺れる。
恵子の死体に刻まれていた噛み跡を誰が付けたのか。
そのこれ以上ない証拠が、今、彼女の目の前にあった。

だが、彼女の虚ろな視線は別のものを見ていた。
恵子の仇を知るための大切な情報。
それよりも、ひなたの興味を惹くモノ。

それは先ほどまで戦場の様子を覗き見るために使っていた鏡だった。
正確に言えば、その鏡に映る自分自身の姿だ。

弾丸の滑った頭皮は捲れ上がり、その頭部は白い頭蓋が露わになっていた。
その頭蓋も衝撃によって一部が砕け、ヒビの隙間からぶよぶよとしたピンク色が覗いている。

それは追い求めていたモノ。
ずっと見たいと思っていたモノ。

――――脳だ。

動物の贄にするまでもなく。
誰かを傷つけるまでもなく。
観察したいと思っていた汚染された脳はすぐそこにあったのだ。

首筋に熱した鉄杭のような何かが刺さった。
命の熱が消えてゆくのが分かる。

命の間際。
灯が消えるその瞬間。

ああ、ずっと調べたいと思っていたものがすぐそこに在るのに、体が動かない。
自分の死んでゆく事よりも真実が知れない事こそが口惜しい。

きっと血筋なのだろう。
父の、あるいはもっと、奥底にある血の業。
この血が流れている限り、この宿業からは逃れられない。

この知的好奇心こそが彼女のどうしようもない本質。
追い求め、ただ知りたい

命を知りたい。

それがきっと彼女がずっと追い求めていたモノ。
死の間際にして己の答えを知ったのだ。

「月影さん! ひなたさんは!?」

勢いよく扉が開かれ、沸いたお湯の入ったやかんを手にしたうさぎが執務室に戻ってきた。
だが、ひなたの傍らで治療に当たっていた月影は沈痛な面持ちで静かに首を振る。

「……力及ばず申し訳ありません。既に、手遅れでした……」
「…………そん、な」

うさぎの手から力なくやかんが落ちて、執務室の床に湯がぶちまけられる。
その後ろで、同じく戻って来た雪菜が両手にタオルやシーツを抱えた状態でその言葉を聞いていた。
無念を込めた苦しそうな表情で月影が告げる。

「烏宿さんは……お亡くなりになりました」

【烏宿 ひなた 死亡】




680 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:06:23 5QhA9It.0
「――――――悪くない腕だったが、素人だな」

素早く倒れかけていた体勢を立て直しながら、成田はそう呟いた。
狙撃手であれば、狙撃が成功しようが失敗しようが、撃った時点でその場を即座に離れている。
かく言う成田も相手の術中にハマって同じ愚を犯し、ハヤブサⅢ相手に痛い目を見ている。

これは狙撃手としての基本だ。
そうしなかったと言う事は、恐らく狙撃手ではなく猟師かスポーツ射撃で腕を磨いた類の人間だろう。

「…………貴様ッ」

同じく体勢を立て直した創が、睨み付けるようにして怒りを向けた。
ここからでは弾丸の行く末は分からないが、その結末は予測できる。
成田はその怒りを涼風のように受け流して肩を竦める。

「おいおい。なに怒ってんだよ。人様を撃ったんだから、撃ち返される覚悟くらいはあったはずだろう?」

戦場では当然の理屈。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある人間だけだ。

「……違う、それは"こちら側"の理屈でしかない。
 普通に生きてきた人間を、撃たねば生きていけない状況にまで追い詰めたのはお前たちだろうが!」

自分のような悲劇を他の誰にも味合わせないために。
誰も銃を足らずに済む世界にするために。
少なくとも創はその為に自ら銃を手に取った。

だから今回も、他のみんなには後方支援に徹して貰って、自分だけが前に出た。
こうならないようにひなたにも釘を刺しておいたのに。足らなかった、実力が。
創が追い詰められなければひなたも撃つ必要もなかったはずだ。
その結果がこれか。

「はっ。青いねぇ」

青い理想を鼻で笑って、弾切れしたライフル銃を投げ捨てる。
残る武器はナイフが2本と銃が1丁。
身を軽くした成田は一本のナイフを構える。

その構えに合わせたように創が動く。
繰り出すは強化した身体能力を生かした最短最速の一撃だ。
己の不甲斐なさに対する怒りを乗せたような創の一撃。

それを、成田は防いだ。
当然だ。どれだけ速かろうとも、素人ではないのだ。
真正面からの一撃など通るはずもない。

「がぁぁあああああああッッ!!」

創が咆哮を上げる。
この一撃は受けられたのではなく受けさせた。
受け止められたナイフを技術ではなく、正面から力で押し切る。
今の創の力ならば、それで押し切れる。

「なっ……!?」
「おっ……」

驚きは互いの口からあった。
ナイフと包丁の鍔迫り合いは当たり前に成田が勝利した。

成田が何をしたわけでも、創が何をされたわけではない。
創の力がガクンと落ちたのだ。

異変は創の中でおきていた。
と言うより、異変がなくなったと言った方が正しいか。

創に施された異能『線香花火』の効果が切れたのだ。
一瞬の閃光を放ち、落ちて消えるが線香花火である。

成田がナイフを振り抜き小兵である創が弾き飛ばされる。
僅かに後退した創はすぐに体勢を立て直す。

すぐさま包丁を持ち直し、再度攻めの手を強めた。
異能の補助がなくとも創にはこれまで培った技術がある。
身体能力が元に戻ろうとも近接戦の技量はまだ創が上だ。

隙間なく攻めたてる斬撃の嵐。
だが、先ほどまでに比べて、防ぐ成田にも幾分か余裕ができた。
余裕が出来れば反撃にも転じられる。

殆ど隙間のない連続攻撃だが、全く隙のない先ほどまでの猛攻に比べればいくらか温い。
連続攻撃の隙間を縫って、成田はあえて前に踏み込み、体当たりする様に体ごと衝突させる。
覆しようのない重量差。身の軽い創の体は後方に弾き飛ばされた。

間合いが開き、特殊部隊の腕が揺らめいた。
銃を引き抜くべくガンホルダーに手がかかる。
西部劇のごとき、神速の早打ち。
彼に対峙した者は0.2秒後に額に穴が開いているだろう。

廃村に銃声が響く。


681 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:06:57 5QhA9It.0
「く…………ぅっ!」

呻くような痛みの声。
それは創ではなく、成田の口から上げられた物だった。

撃ち抜かれたのは成田の手だ。
小口径の銃だったのか、防護服を貫くことはなかったが。
成田が腰元の銃を引き抜くよりも早く、正確にその手元を撃ち抜いていた。

風に流れる硝煙の先を辿る。
そこにあるのは風に揺れる蒼天のような青い髪。
驚きに目を見開いた創が呼ぶ。

「し、…………師匠」

そこに居たのは創の命を救い、全てを教えた師。
最強のエージェント、青葉遥だった。

そして、その背後にその少年は立っていた。
荒廃した村に佇むは、山折の名を冠す次代の長。
どう言う心変わりか、逃げたはずの山折圭介がそこに居た。

死んだような闇に囚われた眼。
その瞳は絶望の最中にありながら、奥底に黒い炎を宿している。

圭介は目の前で最愛の恋人を失った。
呆然自失としていた状態で、なすがままに逃げ出してしまった。

そうして逃げ延びて、命の危機が去ったところで。
ようやく実感と絶望が心に到来し始めた。

そこで沸いてきたのは身を焼く黒い灼熱。
――――――怒りだ。
あらゆる絶望と共にその衝動が身を焼いた。

永遠に消えない炎。
この炎消すにはどうすればいい?
灼熱に焼かれながら自問する。

村を取り戻す?
光を取り戻す?

もう取り戻せない何かを、失った全てを取り戻したい。
大事なモノを奪った全てをぶち壊してしまいたい。
相反する考えが頭を支配して気が狂う。
いや、とっくに狂っていたのかもしれない。

その為にどうすればいいのか。
この先、自分が何かをしたいのか。
いっそ光と一緒に死んでしまうのもいい。
どれが正解なのか、全ては闇に沈み何一つ分からない。

だが、ただ一つだけ確かなことがある。

「光を殺したお前を殺さないと―――――俺の明日が始まらない」

殺意と言う名の漆黒の炎を抱え。
最愛の恋人を殺した特殊部隊を差す。

そうでなければ始まらない。
そうしなければ次の一歩を踏み出せない。

何をするにしても、それだけは確かだ。
だから。

「殺せ―――――――」

――――この復讐を成し遂げる。

命令を完遂するべく青が動く。

だが、如何に最強のエージェントとしての性能を十全に発揮しようとも。
圭介のゾンビ集団を1人で壊滅させた成田に対して、その一兵でしかなかった遥が敵うはずもない。
再度、銃撃を行おうとする遥を撃ち落とすべく成田が銃口を向ける。

だが、そこに横から創が割り込んだ。
創の斬撃を避けた成田の肩に遥の弾丸が撃ち込まれる。
その衝撃に思わずナイフを取り落とす。

落ちたナイフが地面につく前に、創が遠くに蹴り飛ばし。
蹴りの勢いのまま回転した創の回し前蹴りが成田の胴に見舞われた。


682 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:07:30 5QhA9It.0
「…………ッ」

たたらを踏みながら下がる。
打撃自体は防護服の性能もあり、大したダメージはない。
だが、その打撃によって体勢が崩されては、その隙をついて防護服を突破できるだけの一撃を喰らいかねないため迂闊に貰う訳にはいかない。

体勢を立て直した成田が構えを変える。
美羽から徴収した予備のナイフを左手に持ち替え、右手に銃を手にした。
腕をクロスさせ銃とナイフを同時に扱うCQCの構え。
遠近同時に対応するにはこれしかない。

遥が後方から射撃を行い。それに合わせた様に創が前に出た。
示し合わせたように師弟の動きが連動する。
連係と言うより、遥の動きを創が上手く利用しているような形だが。
前回の戦いとの最大の違い、それは己の意思を持って判断するプロ、創の存在だ。

思考は一流だが、身体能力の足りない子供。
身体能力は一流だが、思考の停止したゾンビ。
半人前が2人で一人前と言ったところか。

成田は創の斬撃を受け止めつつ、遥に向かって牽制の弾丸を放つ。
どれほどの連携を見せようとも警戒すべきは防護服を突破できる武器である。
異能によって強化された包丁とデザートイーグル。
いずれも創の持つ武器である。創にさえ警戒を裂いていれば致命的な傷を負う事はない。

そうやって創へとの警戒を強めた所で、創が後方へと引いた。
入れ替わるように後方で射撃を行っていた遥が前に飛び出す。

流れるように前衛と後衛がスイッチする。
そのすれ違いざまに創の持っていた包丁が遥へと投げ渡された。
前衛には異能の刃、後衛には大口径のマグナム銃。

両方が殺せる武器を手にしている。
これは流石の成田と言えどもマズイ状況だ。

いずれの攻撃も貰えない絶体絶命とも言えるこの状況で、成田は咄嗟に銃を構えた。
銃口の向ける先は遥でも創でもない。
唯一の隙とも言える存在、圭介だ。

圭介を殺せば遥も止まるだろうし。
遥を守護るように遥が動けばそれはそれで隙が出来る。

起死回生の一手。
だが、圭介に狙いをつけた成田が眼を見開く。

成田が見たのは、ダネルMGLを構える圭介の姿だった。
遥ごと吹き飛ばすつもりなのだろう。
いや、むしろ後衛を務めていた遥が前に出たのはこのためだ。
躊躇うことなく圭介がその引き金に手をかける。

「何をしているんだッ!?」

それに反応した創が横から圭介の腕を跳ね上げる。
狙いを逸れ、上方に放たれた砲弾は明後日の方向に着弾し、木造の廃村は爆音と共に炎に包まれた。
火種が舞い飛び、炎の波は容易く民家に広がって行く。

「邪魔をするな!!」
「師匠ごと殺すつもりか!?」
「そうだ! それがどうした!?」
「ッ!?」

圭介の目的はあくまで成田を殺すことだ。
遥かも創も、その目的のために利用できるから利用しているに過ぎない。
吹き飛ばすことにも躊躇いはない。

「これを見ろ! 村が燃えている! キミの村だろう!?」

炎が村を焼く。
木製の民家ばかりの古民家群では火の手は矢のように広がって行く。
全てをなかった事にするかのように。
自分の手で復讐を成し遂げるために自分の村を燃やしている。

「構うものかッ!」
「なッ!?」

一番大切な物を喪って、圭介はようやく理解できた。
決断するという事は何かを切り捨てる事。
それが出来なかったから大切な物を失ってしまった。

気喪杉の時や、前回の成田との戦いでは知り合いを巻き込んで撃つことはできなかった。
身内への情の厚さ。村に対する郷土愛。
それらが決断を躊躇わせた。
その甘さが、光を殺した。

だから。
復讐を成し遂げる。
その目的を達するためなら、全てを切り捨てる覚悟を決めた。

既に失われた大切な物のために大切な物を切り捨てる。
例えこの村を滅ぼしたって構わない。
例え全てを滅ぼすことになろうとも成し遂げる。
そんな矛盾した正義を実行すると決めた。


683 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:07:56 5QhA9It.0
「おいおい、仲良くしろよ若人ども」

遥の相手をしながら揉めている2人を揶揄する。
暴走する圭介を止めるために創が掛かりきりになって今、成田の相手をしているのは遥だけだ。
如何に最強のエージェントと言えどもゾンビとなった状態では大した脅威になりえない。

連係が崩れたその隙をついて、成田が後方に跳躍した。
その先には飛び火した炎で炎上する家屋があり、その中へと飛び込んだ。

炎と黒煙が吹き荒れる生身の人間では飛び込めぬ地獄。
だが、あらゆる極限環境を想定された防護服には耐火性能も含まれる。
成田のみが飛び込める炎の道だ。

「ッ! 逃がすな! 追え、殺せ!」

王による絶対命令。
意志のないゾンビは躊躇なく炎の中に飛び込んでいった。

「師匠っ…………くっ」

引き留めようと伸ばした手は炎に煽られ遮られた。
創の脳裏にノイズが奔る。
燃え盛る民家。創の奥底のトラウマを呼び起こさせる。
創は渦中に飛び込むことが出来なかった。

だが、このまま放っておけば成田は民家を突っ切り逃亡していた恐れがある。
ここで特殊部隊を仕留めるのなら足止め役は必要だった。
圭介にその意図は無かろうが、炎を恐れぬゾンビを向かわせるのはこれ以上ない妙手だ。
もっとも、犠牲をいとわぬと言う前提であればの話だが。

代謝の落ちたゾンビであれば呼吸も少なく、生身の人間よりは黒煙の中で活動は可能だろう。
だが、生命活動を行っている以上、まったく呼吸を行わない訳ではない。
炎に焼かれれば火傷も負うだろう。炎の中ではまともに戦うのは不可能だ。
かと言って、建物のどこにいるのか分からなくては外から援護のしようもない。

だが、それは遥の身の安全を考えればの話である。
圭介からすればグレネードランチャーで建物ごと吹き飛ばせば済む話だ。

そう考えた圭介がダネルMGLを構えようとした所で、それを創が制した。
体術に関しては技術に天と地ほどの差がある。
創はあっさりとダネルMGLを取り上げ、そのまま遠くへと弾き飛ばした。

「貴様ァ…………っ!」

復讐の邪魔をする創に、圭介が憎悪の籠った瞳で睨み付けるが知った事ではない。
素人に武器を持たせてもろくなことがない。

だがどうする。
中の様子は分からない。
創は炎には近づけない。
かと言って、圭介は味方のようで味方ではない。
外から適当にマグナムを撃ちこみ、遥に当たってしまっては目も当てられない。

自身一人では打開できない状況に思い悩む創。
だが、遥がいつまでもつかもわからない以上、いつまでもそうしている時間はない。
一か八か賭けに出ようとした所で。

「どうしたんだ!? 助けがいるなら手を貸すぞ」

そこに救いの声があった。




684 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:08:27 5QhA9It.0
到達した一発の弾丸によって村役場の状況は一変していた。
もはや村役場は安全圏ではなくなった。

ここからも狙撃されるかもしれないと言う恐怖は全員に刻まれた。
迂闊に窓際に近づけないのはもちろんの事、窓際に近づけないという事は戦況が確かめられないという事だ。
創はまだ戦っているのか、それとも既に殺されたのか、それを確認することすらできない。

ひなたの死体には雪菜の持ってきたシーツを白布のように覆いかぶせることで弔っていた。
死体に布を被せたのははすみである。
それは死者の尊厳を守るためと言うより、噛み跡と言う証拠を隠すための隠匿行為だ。
死体を直視できなかった少女たちにそれに気づくことはできなかった。

実際の所、ひなたはすでに致命傷だった。
銃撃を受けた瞬間を見ていたうさぎと言う目撃者もいる。
別の可能性を疑う者はいない。

月影が行ったのは最後にお零れを一口頂いただけ。
確かに美味だったが、ひなたを見立てた魚料理と言うより食前のドリンク程度の味わいだった。
奪えた異能も一口分だけ、精々が10%と言ったところか。
それでも、同系統の異能である恵子から奪った『雷撃』と合わせればそれなりのモノになるだろう。

4人はひとまずひなたの死体を執務室に残して、1階のロビーに集まっていた。
窓際から遠く出口に近いそこで今後の対応について緊急会議を行っていた。

事は一刻を争う。
ひなたが狙撃されたと言う事は、特殊部隊がこの役場に標的がいると認識したという事である。
もしかしたら既に創を倒して、殲滅のためにコチラに向かっているのかもしれない。
戦うにせよ逃げるにせよ、すぐに決断を下さなければならない。

「すぐに援護に向かうべきよ」

そう強く主張するのは雪菜である。
もう誰かを見捨てる自分には戻りたくない。
今も戦っているかもしれない創を放ってはおけない。

「う、うん。そうだね……助けに行かないと!」

その意見に同意するのはうさぎである。
目の前でひなたを撃ち殺された悲しみや恐怖を押し殺して、強く拳を握りしめた。

「いいや、天原くんには悪いが、最悪の事態を考えて動くべきだ。
 最初にも言いましたがまずは我々の安全が第一、今は生きることを考えましょう」

反対意見は月影から。
月影は最初に主張していた通りの逃げの一手を提案する。

特殊部隊は倒せるのなら倒したかったが、それも自分の安全が第一だ。
当初の目的であるリンを奪った宇野の住所はどさくさに紛れてはすみが手に入れている。
既にこの役場に用はない。

「そうね、私もそう思う」
「…………お姉ちゃん」

眷属であるはすみは当然月影に従う。
その様子にうさぎは戸惑うような悲し気な視線を向けた。

「何を言うんです、戦うのはみんなで決めた事じゃないですか? はすみさんだって戦うつもりだったでしょう!?」

前言を翻し男に付和雷同する女に雪菜は不快感を示した。
どれだけ穏やかな人格者であろうとも、男が絡むと豹変する女とは、やはり相容れない。


685 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:09:44 5QhA9It.0
「そうですが、状況が変わった。あれは相手がこちらに気づいていない有利な状況だったからこそ受け入れられた提案だ。
 敵がこちらに気づき、迫っているかもしれない状況では逃げるしかないでしょう?」
「あなたには聞いてないわ、月影さん……!」

はすみを庇うように答弁する月影に苛立ちをぶつける。
元より激昂しやすい性質だ、雪菜も感情的になって来た。

「二人とも喧嘩をしないで〜。それに戦うと言っても、銃を使えるひなたちゃんが殺されてしまったし。うさぎも喧嘩なんてできないでしょう?」
「それは……」

うさぎには武術の心得もない。
ただのか弱い女子高生である。
戦闘になったらただの足手まといにしかならない。
それは本人も自覚している。

「けど……異能を使えば、2時なればトラミちゃんを呼べるよ……!」

うさぎは戦えずとももうじき2時を迎える。
十二支の中でも戦闘力に置いては最強クラスとなる、虎の時間だ。

「う〜ん。そうだとしても優しいあなたにとっては動物に戦わせるのも辛いことでしょう?」
「っ……それは」

特殊部隊の男にスネスネちゃんが引き裂かれた瞬間が脳裏に思い出される。
うさぎにとっては人間も動物も等しく友である。
動物を戦わせるためだに呼んで、傷つけてしまう事は彼女にとって何よりも辛いはずだ。

「だから止めておきましょう、あなたを思っての事なのよ〜」

うさぎをよく知るからこそできる、相手を気遣う優しさを装った残酷な言葉だ。
普段のはすみでれば絶対にこんな事を言うはずがない。

「やっぱりおかしいよ……どうしちゃったの? お姉ちゃん」
「うさぎ…………?」

うさぎが困惑をぶつける。
はすみはどうしてそんな事を言うのか分からないと言った風に首を傾げた。
仲の良かった姉妹の間に不穏な空気が流れ始める。

「お待ちください。お互い思う所はあるでしょうが、今はまずどうするかを決めるべきだ」
「そうね。そこに関してだけは同意するわ。犬山さん、今は抑えて」

月影に同意するのは業腹だが、事態が差し迫っているのは事実である。
早急に次の行動を決めねばならない。

多数決は2対2の同票。
行動方針に関して完全に意見が割れているのだから、それぞれが別行動をとるのが落としどころなのだろうが。

うさぎとしてはせっかく再会できた姉と三度離れるのは嫌だ。
様子のおかしくなった姉を放置するのも気持ちが悪い。

月影としてもうさぎと雪菜はごちそうだ。格好の獲物をできれば逃したくない。
全員で行動したいという動機はそれぞれにある。

かと言ってこのまま揉めていても何も方針も決まらずただ互いの溝が広がってゆくだけである。
そこに特殊部隊がやってきて全滅なんて最悪の事態になりねない。
どうにかして落としどころを引き出さなくては。

だが、そこに助けの声があった。
コンコンと、自らの存在を誇示するように扉をノックする音。
全員がその音に視線を向けると、そこには人形のような小さな少女が立っていた。

「May I help you? 何かお困りかしら?」


686 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:10:16 5QhA9It.0
※F-6役場前にマウンテンバイクが駐車されています。
【F-6/役場1階・ロビー/一日目・午後】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、精神疲労(小)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、月影夜帳への疑い(大)、犬山はすみへの疑い(大)、決意
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、登山用ロープ、医療道具、マグライト、ラリラリドリンク、サンドイッチ
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
0.May I help you? 何かお困り?
1.「Mr.ミナサキ」から得た情報をどう生かそうかしら?
2.negotiationの席をどう用意しましょう?
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。一応、Mr.ウスイとMr.ツキカゲにもね。
6.私のスマホはどこ?
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました

【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(簡易処置済)、全身にガラス片による傷(簡易処置済)、スカート破損、二重能力者化、月影夜帳への不快感(大)、犬山はすみへの不信感(極大)、異能『線香花火』使用による消耗(小)
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.天原さん、を助けに行きたい。
3.月影夜帳の視線が気持ち悪い。何か、品定めしているみたい……。
4.犬山はすみはまるで昔の母を見ているようで何一つ信用できない。
5.烏宿ひなたと犬山うさぎを守る。
[備考]
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。

【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇再召喚不可、困惑
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.どうしちゃったの、お姉ちゃん……?

【月影 夜帳】
[状態]:異能理解済、『威圧』獲得(25%)、『雷撃』獲得(75%)、『発電器官』獲得(10%)
[道具]:医療道具の入ったカバン、双眼鏡、不織布マスク、モデルガン、金槌
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.はすみと協力して、乙女の血を吸う
2.和義を探しリンを取り戻して、彼女の血を吸い尽くす。
3.特殊部隊が来るかもしれないこの役場からさっさと避難したい。
4.天原創から哀野雪菜を引き離し、彼女の血を吸い尽くす。
5.
[備考]
※哉太、ひなた、うさぎ、はすみの異能を把握しました。
※犬山はすみを眷属としています。
※袴田伴次に異能『威圧』の50%分の血液を譲渡していましたが、彼の浄化に伴い、消失しました。
※犬山はすみに異能『威圧』の25%分の血液を譲渡しています。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています。

【犬山 はすみ】
[状態]:異能理解済、眷属化、価値観変化、『威圧』獲得(25%)、異能使用による衰弱(小)
[道具]:医療道具、胃薬、不織布マスク、スタンガン、水筒(100%)、トートバッグ、お菓子。宇野の住所録
[方針]
基本.うさぎは守りたい。
1.夜帳さんの示した大枠の指針に従う。
2.女性生存者を探して夜帳さんに捧げる。
3.安遠真実のデスクから宇野和義の住民基本台帳を探す。
4.夜帳さんに哀野さん、ひなたさんを捧げたい。
5.天原くんの処遇は夜帳さんに任せる。
6.………………うさぎ。
[備考]
※月影夜帳の異能により彼の眷属になりました。
 それに伴い、異能の性質が神聖付与から吸血効果・神聖弱点付与に変わりました。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています




687 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:10:45 5QhA9It.0
「八柳新陰流――――天雷」

炎上する民家の外壁が、落雷の如き鋭い斬撃によって切り裂かれた。
炎の中で青い最強と戦っていた成田はその轟音に目を見開く。
その目が、切り裂かれた切れ目。そこから覗くデザートイーグルの銃口を捉えた。

炎を裂くマズルフラッシュ。
撃ち込まれた弾丸を炎の壁をぶち破って避ける。
火の粉をまき散らし、壁をぶち抜いて外に飛び出す。
そして、その勢いのまま地面を転がって即座に立ち上がった。

その成田の行く手に、先んじて回り込む創が現れる。
後ろからは成田を追って、成田の開けた穴から遥も飛び出してくる。
自慢の青髪が煤けており、全身に軽い火傷を負っているようだが、まだ健在のようだ。
そして、創から僅かに遅れて成田にとって見覚えのない少年が現れた。

創と圭介の窮地に現れたのは八柳哉太。
アニカと共に南下していた哉太は村が燃えている事に気づいた。
黒煙と共に遠目からでもその異変は捉えられた。

うさぎたちを探す目的地であり、哉太にとっては祖父が道場を構える実家のある場所だ。
ひとまず安全のため、アニカに自転車を譲り先に役場に向かわせると、哉太は一人、炎上する村の様子を見にやって来た

そこに在ったのは見覚えのない中学生と、彼の幼馴染でありとある事件で決別した親友、山折圭介だ。
それは奇しくも、哉太の窮地に圭介が駆け付けた気喪杉の時と逆の構図になっていた。

圭介と哉太が睨み合うように視線を混じらわせる。
聞きたいことはいくらでもあったが、相手が村人にとっての共通の敵特殊部隊と言うのなら是非もない。
事情を聴くのを後回しにして、哉太は対特殊部隊の戦線に加わった。

「……まったく、次から次へと」

心底面倒そうに成田が愚痴る。
この村で任務を行う以上、特殊部隊以外の人間は全てが敵だ。
ある程度は敵の増援も受け入れねばなるまい。

創と哉太。そして背後には遥。
三方から囲まれ逃亡は不可能。
成田は冷静に戦況を分析する。

増えたのは日本刀を構えた少年だ。
恐らく同門なのか、その構えはゾンビ軍団の前衛であった少女に似ている。
構えの隙の無さや威圧感は同等程度だが、ゾンビでない分こちらの方が厄介か。
いずれにせよ、少年の構える刀は防護服を突破しうるだろう。

いずれも成田に及ばぬ半人前だが、それが3人ともなれば一人前を上回るだろう。
取り囲まれ、自身が危機的状況にあるのは理解できる。
あるのは実力に裏付けされた自信であり、自身の力を過信はしない。

「悪いな香菜、三香。今度の保育園のお歌の発表会、行けなさそうだ」

防護服のマスクの下で消え入るような小声で、誰に言うでもなく呟く。
そして、そんな呟きなど無かったかのように、特殊部隊の男は銃と刃を握り締めた。
そんな気負いなど億尾にも見せず、いつも通りの調子で言う。

「オラ、来いよガキども。遊んでやるよ」

特殊部隊の挑発。
それを合図にして、炎包まれ滅びゆく村の中で3人の少年と特殊部隊の決戦が始まった。


688 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:11:24 5QhA9It.0
真っ先に動いたのは哉太だ。
銃撃を恐れず、地を這うような恐ろしく低い体勢で間合いを詰めるべく前へ。
成田も銃を構えその動きを潰さんとするが、後方から放たれた創の援護射撃によって制された。

間合いが詰められ、成田の足元に打刀による一撃が振るわれる。
八柳新陰流『這い狼』
成田はそれを後方に跳躍して避けるも、すぐさま立ち上がった哉太の二の太刀が成田を襲う。

長物の強みは間合いと重さだ。
長物による一撃はただそれだけで重い。
生粋のナイフ使いである大田原やオオサキならまだしも、成田では受ることは難しいだろう。

剣士が相手となれば、やはり近接戦では話にならない。
成田は端から紙一重などと言うことは考えず、大きく避ける事に徹する。
奇しくも、その動きが相手の受けを起点とする八柳新陰流『朧蟷螂』を封じていた。

哉太の斬撃を避けたところに横合いから遥が銃弾を撃ち込んだ。
ゾンビの反射行動だが、その狙いは的確。
成田は体勢を崩しながらもそれを避けるが、避けきれなかった一発が太腿に当たった。
防護服を貫かないまでも痛みが奔る。嫌がらせとしてはこれ以上ない。

そして、最も厄介なのはバランサーとして立ち回る創だ。
哉太に前衛を任せられる実力があると見るや後衛に回り援護射撃に努めていたが。
こうして隙を見ては間合いを詰め崩しに加わる。

音もなく間合いを詰めた創が、足元を撃たれ動きを止めた成田の膝を踏みつける。
そして体勢が崩れたところに振り下ろされる哉太の斬撃。
成田は咄嗟に身を捻りるが、袈裟に振り下ろされた斬撃が胸元を掠め、糸のような細い鮮血が舞う。

浅い。
薄皮が切れた程度の傷だ。
致命傷には程遠い。

だが、これで決着だ。

防護服は切り裂かれた。
防護服に穴が開いた以上、特殊部隊の人間は終わりである。
ウイルスに適応できる5%の奇跡に縋るしかない。
そんな奇跡が起きないことは誰よりも成田が本人が理解しているだろう。

「ハハッ!!」

だが、成田は止まらなかった。
決着に油断した創の体を蹴り飛ばすと。
降りぬいた刃を掴み、むしろ自らの体に押し付けるように固定する。

「なっ!?」

哉太が咄嗟に刃を引こうとするが固定された刃は動かず、一瞬その動きが固まる。
そこに容赦なく弾丸が撃ち込まれた。

「ご、ふっ…………」

腹部に3発。
撃ち込まれた弾丸が臓腑を掻きまわす。
血を吐きながら哉太が膝をついてその場に倒れた。
そして倒れこんだ頭部にトドメの一発。

「…………まず一人」

マガジンを交換しながら淡々と呟く。
これまで成田は、戦闘に一つの縛りを設けていた。
正確に言えば成田に限らず今回の任務に当たるSSOGの隊員全員に課せられた縛りである。

それは相手の武器よる攻撃を受けない事。
防護服というリスクを抱えている以上、攻撃の一掠りすら許されなかった。
実力及ばず喰らう事はあれど、出来る限りその前提で動かざるを得なかった。

その縛りが解かれたらどうなるのか。
その答えがこれだ。


689 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:12:52 5QhA9It.0
あっという間に少年を血だまりに沈めた特殊部隊の背家は次の獲物に狙いをつける。
ウイルスに感染した以上、成田はここで終わりである。
だが、防護服が破れたところで、感染したウイルスがすぐに発症する訳ではない。

感染から発症するまで、いくらかの猶予がある。
なら話は簡単だ。

その猶予の間に皆殺しにすればいい。

「ハ、ハハッ!!」

邪魔な防護マスクを自ら剥ぎ取って鬼が笑う。
悪ガキを捕えんとする、捕まれば死の鬼ごっこ。

背後で村が燃え、炎が爆ぜる。
命が火花の様に弾けて行く。
国家が鎖を付けた殺人嗜好の狂犬の笑みが、炎に照らされ映し出された。

成田には二つの顔がある。
良き父の顔。快楽殺人者の顔

どちらかが嘘と言う訳でも、どちらかが隠れ蓑と言う事でもない。
そのどちらもが成田三樹康と言う男の真実だ。

両極にあるようなその価値観を一つの肉の器に内包する。
清濁併せ呑み、それを両立する天秤こそが人間だ。
故に、成田三樹康は誰よりも人間である。

だが、成田は異常者ではあるが、常識がないわけでない。
己が嗜好が世界から許されないモノであると理解している。
それを受け入れ居場所を用意してくれた特殊部隊にはそれなりに感謝をしている。
だからこそ、任務には命を懸けられる。

「さぁ、ショータイムだ―――――!」

次に成田が狙ったのは、若き天才エージェント天原創。
優先すべきは任務達成の障害となりうる相手である。
この中で一番厄介な相手はプロである創だ。

創に向かって、成田が駆ける。
防護服の性能をゴリ押した無謀な突撃。
自ら距離を詰める異様な行動だが、創はすぐさまデザートイーグルを構える。
そに対して、成田は避けるでもなく、盾の様に左手を突き出し手で覆うように射角を防ぐ。

引き金が引かれる。
41マグナム弾は防護服を貫き、そのまま手の平から肩へと抜けていった。
左手は潰れた。だが、傷付くことを前提とした突撃である。
受ける覚悟を決めた相手を止めることなどできはしない。

大口径の欠点。
大田原のような大男でもない限り、どう足掻いても反動によって一瞬の硬直が発生する。
まして創のような小兵ではなおさらだ。

自ら距離詰めたのは相手に撃たせるためだ。
片腕を捨てれば隙などどうとでも作れる。

「二人目」
「くっ…………!?」

避けようもなく、その一瞬を狙って弾丸が撃ち込まれた。
世界最高峰の狙撃手が外すはずもない。
弾丸は的確に急所を貫き、朱い血飛沫が炎の村に散った。

だが、その血は少年の物ではなかった。
庇うように割り込んだ青い髪の女から噴き出た物だった。

「し……師匠…………ッ!!?」

ゾンビの自由意思。体に染みついた動きの再現を行う。
青葉遥と言う女にとってこの行動は考えるまでもなく体が動くくらいに当然のモノだったという事。
その行動によって創の命は守護られた、だがその行為は二人の男の心的外傷を刺激した。

「ッぅうあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」

発狂したような絶叫と共に、圭介が駆けだす。
身を挺して特殊部隊から少年を庇う女の姿が、自らを庇った恋人の光景に重なった。

駆け出した圭介は遥が落とした包丁を拾い上げ、成田に向かって特攻を計る。
それに反応した成田が咄嗟に相手を撃ち抜くが、両手で急所を守った圭介の突撃は止まらない。
先ほどの成田と同じだ、この突撃は撃たれる事を覚悟している突撃だ。
この銃にはそんな相手を止めるだけの威力はない。


690 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:13:14 5QhA9It.0
「死ぃいいねぇええええッッ!」
「ぐ…………ぉッ!?」

間合いを詰めた圭介が僅かに開いた防護服の隙間目掛けて柳刃包丁を突き刺す。
だが、鍛え抜かれた軍人の分厚い胸板で刃が止まる。

「死ねッ!! 死ねぇッ!!!!」

圭介は構わず胸に刺した刃を押し込む。
グリグリと刃を押し込み、中の臓腑を抉って行く。

そして、吸血鬼化したはすみの異能により、この包丁には吸血の効果が付与されている。
刺した刃から注射器の様に血が吸い取られていった。

「ハッ。テメェも、死ぬんだよ――――――!!」

成田は血を吐きながら殺人を謳歌するように笑って、最後のナイフを振り上げた。
互いに命は捨てている。
互いに引くことなくただ相手を殺すためだけに刃を握り絞めた。
そして、成田は最後の力を振り絞り自らの胸を突き刺す圭介の頭目掛けてナイフを振り下ろした。

キィン、と言う音。
振り下ろされる直前で、どこからか投擲された刀が手元のナイフを弾いた。

投擲された方向を視界の端で見る。
致命傷を与えたはずの少年が血反吐を吐きながら刀を投げた姿があった。

少年の頭部に開いた穴からは、コルクを抜いたワインのように血が流れている。
その穴を塞ぐように周囲の肉が蠢き再生を始めていた。

脳と心臓を破壊されぬ限り再生を続ける異能。
頭部に打ち込まれた弾丸は、脳に到達する直前で頭蓋によって止まっていた。
最後の力を振り絞ったのか、そのままべしゃりと音を立て自らの血だまりに倒れる。

「ちっ……反則だろ」

忌々し気に舌を撃つ。
ギリギリの所で全員を殺し損ねた。
こっちは生身だと言うのに、どいつもこいつも反則じみている。

刃に吸われ成田の体から血液が抜けてゆく。
徐々に抵抗する力も弱まって行った。
意識も徐々に白み始めた。

よき父として、よき殺戮者として、成田はよく生きた。
いつ死ぬともわかぬ仕事だ、妻と娘には常に愛を伝えてきた。
心残りがあるとするなら、殺戮者としてガキどもを殺しきれなかった事か。

「クソ、ガキどもが…………」
「死ぃぃいぃいいいいいぃぃいいねぇえええええええええええぇぇッッ!!!!」

絶叫が意識を引き戻す。
圭介に押し切られ、成田の体が倒れる。
そして、地面に倒れこんだ衝撃によって、押し込んでいた刃が心臓に達した。
ごぷりと、塊のような血を吐いて、特殊部隊の男が絶命する。

終わってゆく村。
燃えさかる炎の中。
己が快楽のために他者の命を喰らう悪鬼、成田三樹康はここで潰えた。


691 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:13:33 5QhA9It.0
その決着があった傍らで、創は自らを庇った恩師を抱えていた。
焼き尽くす様な周囲の暑さと冷たいゾンビの肌。
対極の熱を感じながら、腕の中で尽きて行く命を感じていた。

「ぅ……………ぁっ」

それはいつかの光景を脳裏に想起させる。

「……く………ぁ!!」

炎に包まれる町。
ただ一人の悪鬼羅刹に蹂躙される人々。
そして、己を救った青い髪の女。

「ぁ………………あぁ…………ッ!!」

頭が割れそうなほどの酷い頭痛だ。
記憶の奔流に創が頭を抱える。
その時、右手が自ら頭に触れた。

―――――異能の強化。

それはウイルスの脳へ定着が進む程にその効果は強まっていくと言うものだ。
創の異能はその右手で触れたウイルスによって引き起こされる現象の否定。
いわば零にする異能である。

強化されようとも零は零。
効果は変わらぬものだと思われたが、強化されたのはその対象だ。
彼の異能は、ウイルスによって引き起こされる現象のみならず、引いては『その元』となった存在の干渉すらも否定するにまで至るようになった。

カチリと、脳内の枷が外れ、記憶の鍵が開かれる。
記憶の中にある陰のかかっていたシルエットが晴れてゆく。

燃える街。多くの死。
その中心に人間離れした巨大な体躯の男が立っていた。
炎を照り返す獅子の鬣のような黄金の髪。
燃えるような赤い瞳は鮮血のように鮮やかな光を放っている。
そして何より目を引く、鏡のように輝く右足。

炎の中にたたずむその姿は、まるで――――魔王だ。

「ぅぅわあああああああああああああああああああああ!!」

少年の絶叫は炎の中に飲まれてゆく。
叩き付ける様な記憶の奔流に、創の意識はそこで途絶えた。

「光の仇だぁあ!!! 死ね、死ねぇえええッ!!」

圭介は叫びを上げながら、とっくに死んでいる成田の体を何度も刺し続けていた。
ゾンビにして操るつもりなど毛頭ない。
この男だけは自らの手で殺さなければ気が済まない。

そうして、何度も何度も刺し続け。
穴だらけの死体が返り血すら返さなくなった所で、ようやく息を切らしながら手を止める。

ゆっくりと身を離し、返り血を浴びて全身が真っ赤に染まった圭介が立ち上がった。
その手には吸血の異能によって血を吸い赤く染まった刃。

炎に包まれる赤い世界。
創は記憶の奔流に意識を失い。
頭部と腹部に弾丸を受けた哉太は、立ち上がることもできず傷口を押さえながら血に染まった幼馴染の姿を見上げていた。

怒りとも悲しみとも付かない深い闇に包まれた瞳。
周囲を焼く炎よりも目引くような黒い炎。

その暗い瞳が、哉太を見下ろす。
初めて会った相手を見る様な寒気がするほど冷たい瞳だ。
哉太の知る優しくも頼もしかった光は見る影もない。

「………………よぅ。哉太」
「圭…………ちゃん」

霞む視界で見上げるその姿は、不気味な魔王のようだった。

【成田 三樹康 死亡】


692 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:13:51 5QhA9It.0
※E-5を中心に古民家群に大規模な火災が発生しています。
※E-5にダネルMGL(2/6)が転がっています。
※E-5に脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)が転がっています。

【E-5/古民家群/一日目・午後】
【山折 圭介】
[状態]:血塗れ。左手と肩に銃創、鼻骨骨折(処置済み)、右手の甲骨折(処置済み)、全身にダメージ(中)
[道具]:懐中電灯、予備弾5発、サバイバルナイフ、上月みかげのお守り、赤い柳刃包丁(強化済、吸血効果・神聖弱点付与)
[方針]
基本.VHを解決して……?
1.???
2.???
3.???
[備考]
※学校には日野珠と湯川諒吾のゾンビがいると思い込んでいます。

【天原 創】
[状態]:気絶。異能理解済、記憶復活、犬山はすみ・月影夜帳への警戒(中)
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.この記憶は……
2.スヴィア先生を取り戻す。
3.スヴィア先生と自分の記憶の手がかりを探す。
4.月影夜帳らからの情報はあまり信頼できないが、現状はそれに頼る他ない。
5.珠さん達のことが心配。再会できたら圭介さんや光さんのことを話す。
6.「Ms.Darjeeling」に警戒。
7.烏宿ひなたから烏宿暁彦について知っていることを聞きたい。
8.ゾンビ化した師匠が気に掛かる
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※他にも雪菜、ひなた、うさぎの異能による支援を受けているかもしれません。
詳細は後の書き手にお任せします。

【八柳 哉太】
[状態]:瀕死。異能理解済、頭部と腹部に数発の銃創(再生中)、左耳負傷(処置済み・再生中)、疲労(中)、精神疲労(中)、怒り(大)、喪失感(大)
[道具]:打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
0.圭ちゃん……
1.アニカを守る。
2.山折診療所に向かい茶子姉と合流する
3.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.念のため、月影夜帳と碓氷誠吾にも警戒。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました


693 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/12(火) 21:14:03 5QhA9It.0
投下終了です


694 : ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:23:22 KRQv8lNA0
投下します


695 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:24:28 KRQv8lNA0

――よくぞここまでやってこれたものだ、勇者ケージとやら

――魔王■■■■■! ついに貴様を追い詰めたぞ!

その瞳は見ていた。





――勇者さま、必ず勝ってください

――あいつの、あいつの思いを俺は無駄にはしない!!

その瞳は視ていた。





――目を覚ましてくれ! お前はそんなやつじゃなかったはずだ!

――私はもう後戻りできない、お姉様を助けるためにはこれしか――!

――■■様!!!!

その瞳は知っていた。





――これで終わりだあぁぁっ!!!!

――バカな、魔法陣が作動して……!

――まさか、聖剣と魔王の力が

――逃げるなぁぁぁ! 卑怯者ぉぉぉぉっ!

――ケージ。これは誰にも伝えるな。ただ、お前は王に『魔王は倒した』と伝えるだけでいい

――そんな事で、納得出来るわけ無いだろぉ!!!

その瞳は識っていた。


696 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:25:19 KRQv8lNA0


「デウス・エクス・マキナ、と言う言葉を知ってるか。オレがある南米の神格の名前を名乗る前に覚えた言葉の一つだ」


「この世界で、オレが一番好きな言葉でな。原訳はアポ・メーカネース・テオスだったか。もしくは時の氏神とも言うべきか」


「神の見えざる手による卓袱台返し、あらゆる盤面をひっくり返すご都合主義」


「オレはな、それがとても大好きだ。希望も絶望も、ヒトも神も魔も。その意志をまるで流離う風の如く吹き飛ばし、そいつらの都合すら否定して勝手に結末を決めちまう」


「全部、台無しにしちまう、そんな未知がオレは気に入ったんだ」


697 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:25:54 KRQv8lNA0



■■■■■は識っている。■■■■■は知っている。■■■■■は全てを識っている。

かつて彼の者は異界の侵略者であった。彼は異界の魔王であった。


かつて黒き太陽の名を持っていたその魔王は、剣と魔法(ソード・アンド・ソーサリー)の異世界にて、魔族を率いて人々を恐怖に陥れた。

では、その黒き太陽(■■■■■)に目的があったのかと言えば、そうではない。
魔王として掲げた魔族が人類を支配する世界は魔族を従える為のお題目に過ぎなかったし、魔王はそんな事には興味はなかった。
ただ魂として彷徨い、揺蕩い。誰かに取り憑いては生きていく精神体(アストラル)。
故に魔王に決まった名は無く、その昏き混沌に名前をつけるものは彼自身を除いて誰も居なかった。

そんな魔王にも、転機が訪れた。
ケージ。"ニホン"なる国からやってきたという、強い勇者だ。
最初はそれを何たる雑多としか認識しなかった魔王もまた、勇者の威光と活躍に興味を惹かれていった。
勇者の仲間も愉快な一行だった。盾使い、老僧侶、魔法使い、獣人。あとはケージと同じ世界からやって来たらしい"イヌヤマ"なる召喚術師もいた。
最も、イヌヤマは何故か気が狂ったのか魔王に服従したらしい。イヌヤマが魔王を介して見た"何か"が何だったのか、それはこの時の魔王が知ることは出来なかったが。

何れにしろ、勇者一行が魔王城に辿り着き、魔王と対峙し世界の命運を賭けた戦いが始まった。
勇者に恋い焦がれた盾の少女がその身を犠牲に勇者を守りきったのを転機に、勇者の聖剣が魔王の心の臓を貫き、魔王は打倒された――はずだった。





「勇者の聖剣がオレを貫いたその時にな、不思議なことが起こった」


「世界を変える始まりの黎明。その術式を発動させるために作っておいた魔法陣が突然、起動した」


「オレは何もしていないし、しかも勇者どもも何も知らないと来た。勇者を裏切ったイヌヤマのやつは魔法陣の起動と共に消えやがった。運が良ければ元の時代にでも戻れてたんだろうが、そんな事はどうでもいいことだ」


「その時オレはな、脳が揺さぶられたんだ」


「誰もが予想だにしなかった展開だ、誰も予想できなかった結末だ。オレはそれに救われたと同時に、オレはその輝きを理解した! あらゆる退屈を打破して、色褪せた俺の人生に色彩を与えてくれた!」


698 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:26:17 KRQv8lNA0


1945年、8月6日。
米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」が、広島に原爆を落とした大日本帝国にとって忌まわしき日。
山折村の地下深く、第ニ実験棟にて。人類の禁忌とも言うべき実験が行われていた。

死者蘇生、劣勢に立たされた日本軍が起死回生の手段として考案した不老不死と対をなす計画。
古来より死の超越は神の摂理に反する忌むべき行為だ。
例えば、ジャック・オ・ランタン。舌先三寸で神を騙し現世に蘇生した彼は、嘘がバレた事で天国にも地獄にも逝けぬ永遠に彷徨える魂となった。
例えば、アスクレピオス。死者を現世に戻す不老不死の霊薬を作り上げたが故に、絶対神の雷霆に撃たれ命を落とした。
不死とは一種の呪いである。尸解仙、賢者の石、水銀、神の奇跡。
その甘美な永遠は人々を魅了し、焚き付ける。それが軍事への転用が可能となれば、権力者にとっては尚の事。
いや、そんな高尚なものではなく、狂気だった。敗北が決定した中でその現実を受け入れまいと、旧日本軍が血みどろの凶行に至ってでも死物狂いで手にしなければならなかった。
一億総玉砕、大日本帝国万歳。鬼畜米英滅ぶべし。たった一つ、敵を滅ぼし日本に勝利を齎すために。

名誉たる死者蘇生の実験、その最初の被検体として使われた死体の名は烏宿(からとまり)亜紀彦(あきひこ)。東京での駐屯時に大空襲に遭い死亡、爆撃によって右足を喪っていた。
研究棟の科学者にとっては、藁にもすがる思いだったであろう。本国への被害、挙げ句沖縄を米軍に占拠れ、研究チームは陸軍から最後通牒を受けていた。
だからこそ、成功してほしかった。奇跡でもなんでも良い、大勢の軍の高官が見守る中、その実験は行われ。
残った検体全部を捧げて、第一実験棟をフル稼働させた。神すらをも求め、それに縋った。


――奇跡は相成った。神は降り立ち、死者は蘇った。
見よこの大偉業を。終ぞ人は神の領域に触れ、世界の真理の果てを手にした。
実験は成功した。肌に温度は宿り、失せた瞳に再び光が宿った。
前代未聞、空前絶後。死を覆した第一例が、帝國最期の希望がここに灯る。














そんなわけがなかった。

















699 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:26:37 KRQv8lNA0



「オレが誰かって? ……オマエたちはもう検討はついてるだろう?」


「と言ってもだ、流石にこの身体も目をつけられた。故に"次"に移る機会を待っていたんだが――」


「――予想外だが、皮肉にも条件は満たされた。あの時オレが呼び寄せられた時と同じ」












「あとは、アイツ次第か。―――お前の本当の願いはなんだ、■■■■」


700 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:26:57 KRQv8lNA0



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




     ハンプティ・ダンプティが塀に座った

     ハンプティ・ダンプティが落っこちた

     王様の馬と家来の全部がかかっても

     ハンプティを元に戻せなかった


                        ――イギリスの伝承童謡(マザーグース)、ハンプティ・ダンプティの詩。もともとはなぞなぞ歌であったと考えられる。


701 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:27:25 KRQv8lNA0

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






地獄が在った。
人々の営みの全ては遍く炎の内に呑まれ、灰燼へと帰ろうとしていた。
これは、憎悪である。果てしなき恩讐の心象風景である。
全てを喪った者によって、断絶と決断を為した、たった一人の哀れな少年の覚悟のカタチである。
その焦熱地獄の中心に、役者は二人いた。正確には三人だが、その内一人は既に気を失っているため、除外となるが。
一人は八柳哉太、埃まとう正義(ヒーロー)。苦難と真実の道筋の果て、それでも尚と意志を貫き続ける只人。
もう一人は山折圭介、復讐鬼(ネメシス)。戦車の逆位置。明けない夜の伽藍堂(ガランドー)。
過去の捻じれより決別した二人は、時に共闘を果たしながらも別々の道を歩み、悲劇を経験し、再びここに立っている。

「………………よぅ。哉太」
「圭…………ちゃん」

八柳哉太は曖昧な意識の中、その残骸を目の当たりにしていた。伽藍堂の中にたった一つ残った黒い輝きだけを見つめていた。
それは、真の絶望を知るものにしか出来ない眼の輝き。炎炎の大地に立つ虚無そのもの。
山折圭介は、そうなった。"そう"なってしまった。
山折村という牢獄の錠は既に破綻した。唯一不変にして普遍と想っていた幸せは、大切な恋人は大人たちの身勝手な争いにて消え失せた。
憎かった、憎かった。憎かった。
憎しみだけが、山折圭介という人格を支配していた。

「俺は、もう決めたよ」

淡々と、山折圭介(ネメシス)が告げた。
恋人の復讐は果たした。だがそれこそが最後の鍵の解放を示すさきがけ。
こじ開けられた恩讐の焔は止められない。
再生しつつ有る身体と意識の中、八柳哉太はその言葉を聞いた。

「全員、殺す。」
「………!」

殺す、ただ全員殺す。
たった一つあれば良いと願った幸せを奪い去った奴らを全員殺す。
特殊部隊は勿論、この村が滅茶苦茶になるきっかけになった奴ら全員を、殺す。
大言壮語、等ではない、無理だとか以前の思考の飛躍。
いや、彼のゾンビを操る力を考えれば可能か不可能かのラインで言えば、絶妙なところだ。
だが、そんな事を今の圭介に言った所で無駄であることを、哉太は知っている。
いや、それよりも。

「……関係ない………奴らもか………圭ちゃん」
「…………………………」

その沈黙が、答えだ。
抑圧から解放され、行き場の無くした憎悪が留まる場所は存在しない。
元凶を、特殊部隊を鏖た所で、収まることはない。
永遠を穢せしもの共に鉄槌を。不変を壊せしものに報いを。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。
殺して殺して殺し尽くせ。
『だが、その手は未だ■■の■には届かない』
『その願いではなく――』

「だと、したら………!」

お前は、全てを敵に回すつもりか。とも言おうとした。
無駄だとしても、その答えを問いたかった。
なぜならそれは、友達すらも殺すという遠回しの宣言であることを。

「―――――――――――――――――」

永遠とも錯覚するほどの沈黙が、間にあった。
まるで、八柳哉太がマシになるまで待っていたかのように、タイミングを見計らったかの用に、残酷な答えを告げる。


702 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:27:41 KRQv8lNA0



「知るか。ただ、納得できないだけだ」

その一言が、恐らく全てだったのだろう。
憎悪こそが、この身を焦がす恩讐こそが、山折圭介を構成する全て。
嫌いだった村が、古臭い村が変わって行ってしまった事への、行き場のない感情の終着点。
友達がゾンビになり、死んで、壊れていく日常を。
そして、最愛の恋人が、ゾンビだからという理由で身勝手に殺された事実を。
納得できなかった。どうして自分が、自分たちだけが。
遍く理不尽を許容しろと迫る運命が、憎かった。

「どうして俺なんだ、どうしてこんな事に、心の何処かで思っていた」

その結果が、全てを失った。この村はもう終わりだ。
親も、友達も、恋人も、思い出も。全て、全て全て全て。
だったら、俺もだ。
俺も、壊し尽くす。殺し尽くす。
復讐。ああそうだ、だがそれは少し語弊がある。
これは、お前たちに送る俺の逆襲だ!

「やられたら、やり返すしかないだけだろ」
「それが、お前の……」

理解してしまった。山折圭介は憎悪の塊と化した。
己の弱さを呪い、厄災をもたらした余所者を呪い、挙げ句かけがえのないものすら生贄に捧げ、逆襲しなければ晴れないネメシスへと変貌してしまったのだ。
今の八柳哉太に、復讐鬼を止める術はない。いくら多少マシになったとは言え。頭の傷は未だ再生し続け、まともに立ち上がれる程の気力はなく、ただ意識を保ち圭介と会話するだけで精一杯。

「―――友達だった誼だ、楽にしてやる」

ナイフを振り上げ、今にも脳髄を穿とうと振り下ろされる。
まるでスローモーションのように映るそれに対し、哉太は何も出来ない。
体の傷は兎も角、頭の傷がどうにもならない。
再生の痛み、朦朧とする意識、ああ、どうしようもなく詰みだった。


703 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:28:03 KRQv8lNA0




―――■■■!

泣いてる少女がいた。

自分だった残骸の前で泣いている女の子がいた。

どうして彼女は泣いているのだろう。

そういえば、この娘を、知ってる。

孤独だった俺を、マシにしてくれた。

俺を、助けてくれた。

再びこの娘と出会った時は、なんだかパートナーみたいな扱いになっていた。

でも、悪くはなかった。

強がりで、偉そうで、それでいて意外と寂しがり屋で。
それでも心の奥底にちゃんとした芯があった。理不尽に負けたくないという思いがあった。
思っていたのは違うかも知れないけれど、あの娘も、ヒーローだったのかもしれない。


『哉太くん、君がいなくなった時のこと考えてる?』


その才能のせいで、持て囃されても孤独だったあの娘を一人にするのか、俺は。
かつての友達が、あんな事になってるのを見て、素直に終わりを受け入れるのか?

―――天宝寺アニカを、大切な彼女(■■■■)を、また一人にするのか?

「そんなの、受け入れられるわけ無いだろ!!!」


――顔を上げろ。そして自分が何をするべきか言いな


「誰でも良い、力を貸しやがれ。ウイルスでもなんでも良い、俺に――」




「あいつを一人にさせないための力を、俺にあいつを止める、力を―――!!!!」


704 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:28:21 KRQv8lNA0





「――!」

既の所で、ナイフが避けられたという事実に、山折圭介は驚愕した。
そして、ほんの少しだけ笑っていた。まるで友の復活を祝福するかのように。
亀の歩みの如き速度だった頭の再生が、目に見えて早くなっている。
この感覚を、圭介は知っている。
ゴリラ女に光が殺されそうになった時の殺意と同じ。
ゴリラ女の仲間らしき男に殺されそうにり、死にたくないと心の内で叫んだ時と同じ。
死の危険、強い感情、著しい興奮、事態の理解。
それは、山折圭介も経験した、異能の進化。
八柳哉太の異能は肉体の再生。心臓か脳が破壊されない限りは再生する不死者の能力。
死の淵で浮かび上がった意志が、かつての山折圭介と同じく、異能の進化という形で彼を再び戦う力を与えてくれた。
目に見えてわかる再生速度の加速及び時短。再び立ち上がらんとする彼の意志に応え、八柳哉太はここに蘇る。


「……なぁ、圭ちゃん」

ふらりと、八柳哉太が立ち上がった。
既に頭の傷は治っていたが。残り血がまだ付着していたが、関係あるものか。
傷は治っても体力が治ったわけではない、足取りは覚束ず、瀕死だったと言う事実はそう簡単に拭えない。

「圭ちゃんが戦う理由、光ちゃんの為だったよな」
「今更、何を」

始まりこそは、歪んでいようともそれは間違っていなかった。
罪だったのだろう、咎だったのだろう、だが悪だけだったとは言わせてなるものか。
その手を血で汚してでも、日野光を。あの太陽を取り戻したかった。
こうして、歪んでしまったが。それは間違いなく、愛だったのだろう。

「もっと、早く、俺は気づくべきだったんだろな」

自嘲気味に、八柳の継承者の一人が独りごちった。
この期に及んで気づくのは遅すぎるだろ。いいや、あの時救われたあの日に、自分は。

「簡単な話だ。俺は、かつてのお前と同じ理由で、圭ちゃんを止めるだけだ」

単純至極、愚かと笑うなら笑えば良い。
『大切な(あいする)彼女の為に戦う』。
その恋心(おもい)に気づくには、余りにも遅すぎるとしても。
それだけで、戦う理由なんて十分だろ。
かつての、山折圭介のように。


705 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:28:40 KRQv8lNA0



「俺は、お前を止める。お前のやり方以外で、この悲劇を、終わらせてやる。友達を、止める」
「――!」

罪だった。咎だった。――罰だった。
あの過去は拭いようのないものだろう。
だとしても、だとしてもだ。例えクソ下らないと吐き捨てた故郷であろうと。
積み上げた善いものまで無かったことに、などはしたくない。
その言葉と同時に、手に持っていた打刀を、遠くへ投げ捨てる。

「……何のつもりだ」
「……喧嘩の続きだよ、圭ちゃん」

ファイティングポーズを取った哉太が告げるのは、喧嘩の続きだと。
何を馬鹿なことを、自ら武器を、優位を捨てるつもりかと、そう圭介は言おうとした。
けれど、言う気には全くなれなかった。むしろ嬉しいという感情があった。
この期に及んで、友達がそんな態度であることが、無性に喜ばしかった。
だったら、応えないと行けない。喧嘩の続きだと言ったか八柳哉太。だったら自分もそうじゃないと対等じゃない。

同じく、柳刃包丁とサバイバルナイフを投げ捨てる。拳を構える、哉太と同じく。
挑発に乗って刃物という優位を捨ててしまうなんてどうかしている。
そもそも過去を断ち切るつもりで殺そうとしたというのに、どうしてなのか。
だが、それでよかった。ここで武器を捨てなければ、何か本当に大切なものを失ってしまうと思ったから。
結局、自分はこいつとは切っても切れない縁なのかと、山折圭介は自嘲するのだ。
いや、あの時。悠長に傷が治るのを待っていたのは、再び立ち上がってくれることを、心の何処かで望んでいたのかもしれない。

「――ガキの頃、ヒーローごっこしたよな、俺たち」
「……ああ」
「ずっと、俺はヴィラン役でお前にやられっぱなしだったな」
「……そうだな」

最後の会話。これからどうなるか分かり切っているとしても、余りにも穏やかなもの。
決別のため、覚悟のため。これが最後の、思い出話。


「――止めてやるよ、山折圭介(ヴィラン)!」
「やってみろよ、八柳哉太(ヒーロー)!」

勝つのはヒーローか、ヴィランか。
分かたれた友情はこの地にて収束する。
未来を手にするのは、ただ一人。
そして、二人ぼっちのラグナロクが幕を上げる。


706 : いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:29:01 KRQv8lNA0






『新人くん、神様を呼び寄せる最も可能性の高い手段はなんだと思うかね?』


『いや所長、突然そんな事言われても。大体、明日に軍のお偉いさんが実験の結果を見に来るって言ってますのに、なんて悠長な。』 


『そんな事いいではないか。まあ、さっきの問いの答えを私なりに出すとしたら』


『――人の願い、だよ。それも、とびっきりの憎しみか、それをも凌駕する願望が』


707 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:29:53 KRQv8lNA0





罪なるかな、咎なるかな、悪なるかな


罪とは願い、咎とは祈り、悪とは夢



――お前は、お前たちは、願(のろ)いすぎた


708 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:30:13 KRQv8lNA0







時はほんの少し遡る。

「……大まかなcircumstancesは把握したわ」

戦場に遠く限りなく近い場所。
結論付かぬ四人の前に現れた名探偵・天宝寺アニカ。
事情を聞き、切羽詰まった状況であることを理解する。
烏宿ひなたの死。そしてそれを引き金とした戦場に向かう意見とここから逃げる意見のぶつかり合い。
ひなたの死の要因は特殊部隊員による狙撃によるものであり、撃たれた直後の事は犬山うさぎが生き証人だ。死体の確認は月影から止められたのもあるが、狙撃の可能性も踏まえれば妥当な判断であろう。

「……Ms.セツナとウサギはすぐにでもMr.アマハラをrescueへ行きたい。対してMr.ツキカゲとハスミは一刻も早くこの場からEscapeしたい、ってことね」
「ええ、まあ。ですが今はこの状態でして、特にあの二人が」

月影の補足通り、うさぎとはすみの間で明らかに穏やかではない空気が漂っている。
件の特殊部隊員が狙撃手である事を考えれば、外へ出ること自体がリスクそのものだ。だが、そもそもそのリスクを鑑みても助けに行きたい気持ちは分からなくもない。
実際の所、一人で炎の戦場に向かったカナタの事が心配かどうかと言われれば、アニカもまたそうであるのだから。

「……お姉ちゃん」
「……」

何か、おかしい。アニカの思考に過ぎるのは、はすみの事だ。
気喪杉の一件で出会って以降、彼女の人となりは大体把握しているし、哉太(パートナー)からの印象も良い人であることは確かだ。だが、何かが違う。まるで漂わせる雰囲気は別人のように思えた。
袴田邸における置き手紙の事もある、字蔵恵子殺害を隠蔽するかのような行為。
だが、こうして直接目にして理解したことは一つ。

(今のハスミは、Insane状態ってこと?)

正気じゃない、もしくは何らかの精神的な干渉を受けている?
異能という横紙破り、他者の精神や認識に影響を及ぼす異能はリンやカウンター気味だが茶子という前例がある。
もし仮に字蔵恵子を殺害した人物が、犬山はすみであるとするならば。
仮に彼女が何者かに仕込まれていた上で、その行動をさせられたというのなら。
けれど、それがわかった所で、まだ何かが足りない。
「どうして犬山はすみが変わってしまったのか?」という、その理由を。犯人を追い詰めるための何かが足りない。
そう、"アニカ一人では、突き止められない"。



(………)

一方。哀野雪菜もまた、別の違和感を感じていた。
どうやら犬山はすみ及び月影夜帳を疑っているのは自分だけではない。アニカという少女もまた、あの二人を疑っているらしい。
実際、自分も天原創も二人のことは疑っている。ある意味ありがたかったが、姉妹決裂の危機に際し、容易に言い出せないのは言わずもがなだ。下手な発言をすればそれだけで空気が悪くなってしまう。
犬山はすみ、なぜか月影夜帳の言葉一つで意見を翻す。その理由の欠片でも知ることが出来れば。
そう彼女を誰にも気づかれないように注視してみる。

(……あれって)

犬山はすみの首筋、まるで髪の毛で隠れるように。その隙間から垣間見えた傷があった。
それは、噛み跡だ。誰かに噛まれたようなものだ。それが、一瞬、一瞬だけ。

(――まるで)

まるで、吸血鬼に噛まれたような―――

――『次のニュースです。岐阜県山折村にて――』

(………まさ、か)

山折村に向かう途中、バス停に置かれていたテレビで放送されていたあるニュース、その内容。
確信は無い。確証もない。けれど、何かの役に立てるのなら。
現状、自分以外で二人を疑っているのが天宝寺アニカだけだというのなら。
一か八か、舞台の練習に付き合った時に数回ほどしかやっていない事を試すしかない。


709 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:30:31 KRQv8lNA0



(……Ms.セツナ、その指の動き……?)

哀野雪菜の行動を、天宝寺アニカは見逃さなかった。
中指を細かく動かして、小さく文字を書くように。
俗に言う指文字というやつであるが、犬山姉妹は膠着状態、月影は姉妹と自分の様子を見守っている。
気づけているのは自分だけ。そして、その指文字の内容は。

『はすみ くび かみ』『あと ふたつ』

(……!)

その時、アニカの中でピースが嵌る感覚。
恵子とゾンビの噛み跡。置き手紙。
茶子から提供されたある事件の内容とその犯行。
名探偵の灰色の脳細胞にシナプスが迸る。
何より、その情報より地下室の血痕の本当の意味を理解した時。名探偵の瞳が強く輝いた。

「――Mr.ツキカゲ。The fault is not clearなこの状況、私から一つsuggestionがあるわ」
「ほう」

月影に改めて語り掛ける。月影としても名探偵の頭脳に期待はしていた。
少なくとも、アニカに対する自分への印象は悪いものではない。医者という職業が一定の隠れ蓑になっていた。話を聞くに八柳哉太があの戦場に向かっていったらしいし、彼女の言動次第でどうにか丸め込める可能性も期待する。
最悪はすみに援護射撃してもらえれば、と。

「ただしその前にconfirmationしたいことがあるの。できる限り手短に済ませたいなら、手伝ってくれると助かるわね」

ただし、待ったを掛けたのもアニカ。
犬山姉妹の方針の相違やら、自分たちの意見は伝えたにしてもだ。
八柳哉太が救援に行ったから大丈夫だとは思わない。さらなる救援か、それとも彼らを見捨てての速急な避難か。月影夜帳の望みはあくまで後者、この状況下で哉太まで合流されては面倒である。
特殊部隊の撃破は重要であるものの、それが今である必要は全くない。
最悪の場合異能の使用を検討しながら、月影夜帳はアニカの次の言葉を待つ。

「……アニカちゃん、どういうこと〜?」

はすみも、その瞳をアニカに向ける。
その瞳はゾッとするかのように冷たく感じられるものだ。
まるで、この先次第で事を起こしかねないような。
優しい声色のまま、その視線は優しさから遠くかけ離れたもの。
それを間近で見たうさぎは、思わず姉から視線をそらし、雪菜は月影の方を見つめる。

「――ケイコが殺された事、そしてそのculpritの正体ついて」

美少女名探偵のその言葉が、始まり。
袴田邸にて何者かによって殺された字蔵恵子、死因は首筋の二つの穴。
まるで、何者かによって噛まれたかのように。
うさぎとひなたが書いた置き手紙曰く地下室で殺された、だがそうは思えない。
月影夜帳と犬山はすみは一瞬呆気にとられ、哀野雪菜は納得がいったように無表情。うさぎはというと「えっ……えっ……」と困惑する。


名探偵アニカの事件簿、袴田邸殺人事件解決編。ここに幕開く。


710 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:30:47 KRQv8lNA0



「私とカナタが袴田houseにreturnした時、見つけたのは二つのleft letter。一つはハスミが書いた『ウノからのHelp Callを受けてMr.ツキカゲと彼のHouse向かった』という内容」

まず、アニカと哉太が袴田邸に戻ってきて最初に見つけた二つの置き手紙の内のその一つ。
農家の宇野に助けを呼ばれてはすみと月影がそこへ向かったという事。
この場合の宇野という名字の人物とは、この中の共通認識では宇野和義となる。
だが、アニカの視点では宇野和義が死んだことを知っている。自分が異能の使い方をリンに教えてしまったことで、リンが宇野和義を殺してしまったという事実を。
最も、その事実を月影夜帳も犬山はすみも知らないことだ。そこは一旦置いておくとするが

「もう一つは、Ms.ひなたとうさぎが書いた、『地下室でケイコがkilledされて、そのculpritがMr.ツキカゲとMs.ハスミをkidnappedしたかもしれないから助けに行った』という内容。あとはヒグマの事だけど今回の件には関係ないから今はputting on holdね」

そして、もう片方はひなたとうさぎが書いた内容。
地下室で恵子が殺されたという事実だが、はすみの置き手紙と矛盾している。

「Mr.ツキカゲは地下室でケイコが殺されたことを知らなかった?」
「……ええ。私とはすみさんは、その事実をひなたさんとうさぎさんの二人に聞かされて初めて知りましたので」

その質問に、多少視線がぐらぐらしながらも月影が答える。
この後、はすみがひなた達に対して話した内容を反復するかのように事情を説明。
宇野がやってきて、彼と恵子を含めた四人で袴田邸を出て暫くして後。
目を話した隙間に恵子と宇野が消えた、ということ。

「じゃあこのLetterはいつ書いたの?」
「それは確か宇野さんと一緒に袴田邸に出る前ですから、多分昼ぐらいですね〜」
「……そう」

今度ははすみが軽く答える。実際に手紙を書いたタイミングがから、はすみは事実を言ったまでの話だが。
アニカにとっては事情が違う。というよりも、自らアリバイの破綻を証明してしまったようなものだ。
何せ、アニカがリンと一緒に行動していた頃に、宇野と出会って彼に襲われ、結果リンが宇野を殺したタイミングは大体8時前の事。
なので、昼に「宇野さんと一緒に出る前に袴田邸に出た」という内容自体が嘘偽りとなるのだ。
尤も、アニカの知っている宇野と彼らの認識ている宇野が違う可能性もある、だから今はそれを口にすることはなかった。
まずは、と核心に一歩進んだことを理解しながら。アニカは次の問いを始める。

「うさぎ、ケイコは地下室で殺された、というのがうさぎのrecognition?」

次に、字蔵恵子が『地下室で殺された』という事。アニカの言葉にうさぎは小さく頷く。
既に確認したことであるが、致命傷は首筋にある傷。
地下室にはゾンビ化した家主の袴田伴次が拘束された状態で発見された、というのはアニカと哉太が来た時点での話。

「あの袴田Zombieを縛ったのってうさぎとひなたで合ってる?」
「はい、クローゼットの扉から突然襲いかかってきたんです。声を上げようとしても声が出せなくて……ひなたさんのお陰で助かりました。そもそもあのゾンビ、ひなたさんが拘束していたはずなのになぜかそれが解かれていたのも疑問なんですけれど……」
「けれど?」
「……異能を使っていたんです。月影さんの異能を」

思わず、アニカが口を抑える。ゾンビが異能を使う、というのは流石に初めて聞く話だ。その傍らで月影が静かに冷や汗をかいていたし、はすみは静かにアニカに対して気づかれないように目を細めている。
今まで様々なゾンビに出会ってきたが、流石に異能を使うゾンビというのはアニカは見たことがない。
その上で、やはりあの証拠が一番なのだろうか。

「……異能を使うZombie、ね。私たちもそれを調べたのだけれどケイコと同じような噛み跡があったの」
「えっ!?」

袴田ゾンビにあった噛み跡。噛み跡の大きさは恵子についていたものと比べて一回り大きなものである。
なにかの目的が犯人が付けたであろうというのは明白。それも恵子の死体が隠されていた地下室に。


711 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:31:48 KRQv8lNA0



「ゾンビのUse of supernatural power。恐らくケイコを殺したculpritがMr.袴田のZombieに何か仕込んでた。ケイコの死を隠すため」
「……もしかして、宇野さんが……?」

アニカの言葉に割り込むように、はすみが口を開いた。
月影とはすみの視点説明では、宇野と恵子がいつの間にか消えていたということである。
更に話を聞くに、かつて月影がリンと一緒に行動していたときも同じような現象が起こっていた。理論としては一応には妥当ではある。

「potencyとしてはありえない話ではないわね。けれど、それは半分合ってて半分違ってるわ」
「どういうことですか?」
「袴田Zombieの噛み傷と、ケイコの噛み傷は大きさが違ったの」
「えっ!?」

ただし、これはアニカと哉太が訪れた時に知った真実の一つ。
ケイコの噛み跡と、袴田Zombieの噛み跡は違っていた。それぞれ別々の人間が噛んだようにだ。

「……あの事件、最低でも二人の犯人のaccompliceでよって引き起こされたものよ」

字蔵恵子を殺した人物と、袴田ゾンビに噛み付いた人物は別々で、かつその両者とも共犯関係。
そして、その内の片方は、何らかの手段(いのう)で袴田ゾンビを手駒にして、恵子殺害を隠そうとした。
袴田ゾンビの噛み跡から、その手段は察せられるが。
一応、これで共犯二人の内の一人は見当がついてしまった。だが、もう片方を捉えるにはまだ足りない。
それに、それを話すことは、犬山うさぎに対して残酷な真実を告げることになってしまう。
つくづく、「宇野の家に行く」という内容の置き手紙は狡いトリックだ。「宇野」という名字だけならこの村にどれだけいるのか検討などつかない。恐らく該当は一人だろうし、だから役場まで来たのだろうけれど。


「そんな、まさか……!」
「じゃあ、あの時恵子ちゃんと宇野さんが消えたのは、そのもう一人の共犯者のせい?」

声を上げたのは月影とはすみだ。もう一人共犯という事実も驚きに至っているが、二人にとっては痛い所を突かれたようなものだ。
内心焦りながらも、まだ宇野という存在がノイズになってくれている事を信じて言葉を発した。

「あなた達二人のPerspectiveからしたら、そうでしょうね。うさぎとMs.セツナはどう思う?」
「私も二人から聞いた話ですから、どうにも」
「お姉ちゃんが嘘を言ってるとは思いたくないけれど……」

二人の意見は、姉に対して違和感はあれど信じたいといううさぎ。伝聞での第三者視点での判断は難しいという雪菜。

「なるほど、ね。……Mr.ツキカゲ。貴方が探している「宇野」というPersonの事なんだけれど」
「……宇野さんがどうしたんですか?」
「私、その宇野に会ってるの、勿論リンにも」
「……なんですって! 何処に……いえ、その様子だと貴女も宇野さんやリンさんと逸れたみたいですし、何か知っているんですか? ……リンさんは無事なんですか!?」

アニカの告げた真実に、月影が食いつく。
流石に居場所まで知っているかどうかは分からないが、彼の居場所の手がかりが掴めれば自ずとリンの手がかりも得られるから。
だが、それが月影夜帳の『嘘』の一端が引きずり降ろされた瞬間だ。

「リンはMs.チャコという人物と一緒にいるわ、rest assured.」
「ほっ……」


712 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:32:01 KRQv8lNA0



「………Mr.ウノは、もう死んでるわ」
「……へ?」

月影夜帳の、間抜けな声がロビーに漏れた。
宇野和義が死んだ、それは逆に好都合だ。リンがチャコという人物と一緒にいることも、チャコという人物が新たな獲物であるなら結果的に棚からぼた餅もといニ階からぼた餅になる。
だがこの状況では、宇野和義が既に死んでいるという事実は、余りにも致命的だった。

「ねぇ、はすみ。貴女の書いた置き書きは、昼にwrittingしたって言ったのよね」

アニカが言葉を紡ぐが、その声色は暗い。

「その前に既に、Mr.ウノは死んでるはずなの。私たちは有磯houseで襲いかかってきたMr.ウノと戦って、それで、私がblew itしたせいで、リンがMr.ウノを殺してしまったの。……その時の時間は、大体朝ね」

それは後悔の声だったのだろうと、雪菜はそれを知っているからこそ察してしまった。
自分が不甲斐ないばかりに、誰かに人殺しをさせてしまったという後悔。彼女は名探偵だ、恐らく殺人なんて手段を取りたくない人物であろう。だが、何かしらのピンチに陥って、結果リンが人殺しをしてしまったのだろう。
それよりも、これが意味することは。先程はすみが発言した「昼に書き置きを書いて宇野たちと一緒に出た」という事実(アリバイ)は、破綻する。
暗い表情を、顔を振って立て直し、アニカは月影とはすみの方を向いた。
雪菜も、うさぎも、二人の方へ顔を向ける。

「――だから、ウノと一緒にという行動自体がImpossibleなのよ。だって彼はもう死んでいるんだもの」

だから、月影夜張と犬山はすみの証言は、成立しない。
夜張の流れる冷や汗の量が格段と上がっている。このまま行けばずるずる隠していることを引きずりあげられるだろう。だが、そうは問屋が卸さないとばかりに次に言葉を発したのは犬山はすみだ。

「―――アニカちゃんの出会った宇野さんは、本当に宇野さんだったんですか〜?」
「どういうことかしら?」
「変身能力だとか持ってる異能……は無理かもしれないですけれど、私たちを勘違いさせるような異能持ちの人がいるかもしれないじゃないですか〜」
「………」
「私たちが出会った宇野さんの方も、もしかしたら偽物かもしれないわ」

犬山はすみの発言を、ただの苦し紛れだと割り切れればよかったが、そうはいかない。
精神干渉型の異能はリンの存在が立証している。ミスディレクションのように、相手の脳を錯覚させる類の異能者持ちがいる可能性もなくはない。
異能という横紙破りは、それこそ証拠を元に推理する探偵の天敵の一つだ。人の心を判別出来る碓氷の異能もそうであったが、この舞台は何かと探偵に対して試練を与えてくる場所らしい。
こればっかりは、理詰めで考えるアニカだからこそ嵌ってしまう一言だ。

ただし、完全な部外者である哀野雪菜にとっては、はすみの発言は苦し紛れに過ぎないと認識はしていた。が、それはそれとして今の発言は一理あるとして厄介なブレイクスルーの一言。
しかし、それを打ち破る証拠は既にアニカに託している。


713 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:32:16 KRQv8lNA0



「アニカさん。アニカさんが地下室で見つけたものって他にありますか?」
「ええ。地下室の床にblood trailがあったわ。あと、ケイコの死体を寝かせた布団にはそれが殆どなかった」
「……血痕って、もしかして袴田さんの……?」

地下室の血痕。普通ならば噛まれた袴田か、ケイコが流した血か、その二択。
ただ後者は既に地下室で殺されてはいないという推理がある。
残る候補はうさぎが言う様に袴田になるが、真実の一端を知っているアニカの見識は違う。

「……あの地下室の血痕は、事件の主犯に襲われた共犯者によるものよ」

そう、あの血痕の正体は真犯人によって襲われた人物が零した血。
真犯人に急に襲われ、一度は振りほどけたが抵抗虚しく襲われた結果によるもの。
アニカの目視ではあるが袴田ゾンビの首元と、はすみの首元の噛み跡の形状はほぼ一致している。

「それって……!」
「ええ、犯人はその人物を利用して、ケイコが寝ていた所をKillingした、自分の手を汚さずに」

いくら眠っていたとは言え。いや、近くにいても眠るという選択を取れるぐらいに、信頼も安心もできる人物。あの時、うさぎがひなたと一緒に外へ出た際に袴田邸に残っていたのはゾンビを除けば恵子、はすみ、月影の三人となる。
そして恵子の隣にいたのが、犬山はすみと月影夜張だ。

「はすみ。あなたは私の推理をいい感じにmisleadしようとしていたけれど」

アニカの視線がはすみに向く。その視線が首筋へと向き。
視線に気づいたはすみが静かに動こうとして、アニカが重要な一言を。

「……その首筋の噛み跡はどうexplanationするの?」
「……えっ!?」

バレずに居た瑕疵が気づかれて、犬山はすみは目に見える動揺を初めて見せた。
うさぎが思わず姉の首筋を確認すれば、そこには二つの噛み跡がくっきりと。
月影夜張も、冷静を保っているように見えたその視線がぐるぐる動いている。
いつバレた、何故バレた? 一体どうやって? 月影が考えた所で雪菜の指文字でアニカがそれを受け取ったという事実は知りようがない。
一応月影の指示ではすみはバレないようにはある程度していたが、前提としてはすみという人間の善良さからごまかせていただけに過ぎない。一度交友というノイズが剥がれればこの通り。
バレたからには遅い。噛み跡は、真犯人にやられなければ付きようがない。
宇野(を騙った人物)と一緒に行動したというアリバイが仮に真実だとしても、噛み跡が付けられたタイミングを犬山はすみが知らないとは言わせない。


714 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:32:41 KRQv8lNA0



「うさぎ。貴女のperspectiveからはすみのおかしい所、他に知らない?」
「……ひなたちゃんと一緒に役場に向かって、そこでお姉ちゃんと再会して抱きついた時に、……私を突き飛ばしたんです。まるで全身が突然痛くなったみたいに……あ」

この時、犬山うさぎは何かに気づいた。噛み跡があるということははすみが被害を受けたのは明白。どのような被害、さらに恵子や袴田ゾンビのように吸血されたような噛み跡からして。

「……まさかお姉ちゃんは、私の血を拒絶して……」

巫女の血への、聖なる力への拒絶反応。つまり、犬山はすみは真犯人の異能で、その身を魔物やらそういう類の存在に変質させられたのだ。そうなれば、姉のあの時の異常な行動が理解できる。聖と魔は相反し拒絶する。だから抱きしめられた時に突き飛ばした、これ以上聖の気を受けないように。
確かなことは、間違いなく犬山はすみは真犯人によってによって何かをされたということ。そして真犯人の指示の元、安心しきって眠った字蔵恵子を殺害した。

「はすみの血をsuckした、そんなVampireみたいな真犯人。……今のはすみは、宛らVampireのRetainerってとこかしらね………」

アニカの真剣な眼差しが、犬山はすみを射抜く。
もはや、犬山はすみに限っては言い逃れはできない。
真犯人によって噛まれ、その心を捻じ曲げられ、字蔵恵子を殺した実行犯。

「…………ケイコを殺した実行犯は、犬山はすみよ」
「そん、な……!」

姉の沈黙に、妹はショックを隠しきれない。
アニカがその真実を告げるにほんの少し間があったのは、斯くもうさぎへ残酷な真実を告げてしまったことへの罪悪感。それでも名探偵はどんな残酷な真実であろうと、解き明かさねばならない時がある。

「まさかそんな! はすみさんが、犯人だなんて……!」
「落ち着きなさいMr.月影。はすみはPerpetratorである同時にvictimよ。意志を捻じ曲げられて、望まぬ犯行をさせられた以上、彼女を攻めるのはお門違いだと私は思ってる」
「それはそうですけれど……。まさか、宇野さんを名乗った誰かが、私たちに会った時点で……」

月影は慌てながらも言葉を出す。まだ、「字蔵恵子殺害の犯人は犬山はすみである」というのがバレただけだ。はすみによる宇野絡みのフォローのお陰でまだ自分が真犯人であると気づかれていない。
しかも目の前の探偵もはすみに対して同情的であり、それでなんとか乗り切れるかどうかと足りない頭を月影はフル回転させる。

「吸血鬼みたいなやり口は、心当たりはあります。この村に来る前にニュースで見たんです。村内に潜む連続殺人犯」

割り込むように口を挟んだのは哀野雪菜。山折村への道中、バス停に置かれていたテレビの放送で、彼女は村内の若い女子だけを狙う連続殺人事件の存在を知った。

「仮にその犯人が吸血鬼みたいな異能を持っているにしても持っていないにしても、こんな回りくどい殺害方法をする人間は、その人ぐらいだと思っています」
「仮にMr.ウノがそのincidentのculpritかどうかは、彼のhouseに行けば自ずと分かることね。恐らく外れだろうけれど」

ただし、宇野がその事件の犯人ではないことは何となく分かる。
"宇野和義"は、そんな風なことをやるような雰囲気は感じられなかったし、事件の犯人はうら若き女子なら誰でも良かったらしいが、宇野和義が狙っていたのはあくまでリン一人だけ。

「――そうよね、Mr.ツキカゲ?」
「……まさかとは思いますが、私がその犯人だと、疑っているんですか?」

なので、容疑者候補として残るのは最終的に袴田邸に残っていた二人。
その上で、はすみは先程の推理で真犯人に利用されていたという結論が出てる。
つまり、残る候補は消去法で月影夜張になるのだ。


715 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:32:55 KRQv8lNA0


「何が一体どうして私が犯人だと? うさぎさんは知っていますよね、私の異能が威圧だってこと!」
「そ、それは……」

月影夜張の異能が『威圧』。ただしこれは月影の自己申告であり実際は違うのだが。
ひなたから聞いた話から、犬山うさぎは月影の異能を『威圧』だと認識している。

「じゃあどうして、袴田さんのゾンビが月影さんの異能を使っていたんですか?」

しかし、袴田ゾンビが『威圧』を使ったという事実が汎ゆる意味でノイズになっていた。
宿る異能は原則一人につき一つ、それは恐らくどの感染者でも共通だろう。
それこそ例外が起きなければ絶対に有り得ない。

「月影さんは、本当に何も知らないんですよね?」
「だからこればっかりは私は何もわからないですよ、誰がそんな吸血鬼みたいな事を! みんなは分かっていますけれどここがいつまでも安全ってわけじゃない、いくら哉太くんが救援に行ったからって特殊部隊の隊員が倒されているかわからない! 大体、血を与えたからってその異能を使えるだなんてそう簡単に―――」

ただでさえ、ひなたが殺されたことでここが安全地帯で無くなってしまった。
哉太が救援に向かったとしても相手はプロ。やられる可能性も無きにしもあらず。
だから月影はもう早く逃げたかった、なるべく獲物たる女子たちと一緒に。
それに、『血を与えたからと言ってその異能が使える』という事実がまず困難だと言おうとして。

「それだったら、私はそう」

雪菜が、その事実を肯定するように告げる。

「私は地震に巻き込まれた当初、ゾンビになった友達に腕を噛まれたの。その時私は自分の異能で……殺してしまったの」

ここに例外は存在する。正しい意味での例外が。

「その時にだと、思う。友達の、叶和の血が。私の中に入って。――目覚めるのは遅かったけれど」

哀野雪菜、友との和解という奇跡を以って、天然の多重能力者(クロスブリード)となり得た例外中の例外。『■■■■■』すら目を見開いた人間のさらなる可能性の開花

「だから、血を与えられて、その異能に目覚めたっていうのは、あり得ると思う。私の場合は、だいぶ特殊だったんだと思うけれど」
「……そん、な」

雪菜の告白は、正しく月影だけでなく、ここにいる全員に衝撃を与えるものだ。
それは、基本的にゾンビは異能は使えない、もしくは宿らないという固定概念に囚われた皆にとって。
なぜなら、ゾンビになった者の血を得て、そのゾンビに宿っていたはずの異能を手に入れたという、事になる。
だが、そんな衝撃の事実以上に、アニカにとって最高の証言が。

「――ねぇ、Mr.ツキカゲ。『血を与えたら』ってそれ、どういうgrounds?」
「――あ」
「まるで、自分が試したことあるような言動ね」
「そ、それ、は……!」

月影夜帳は言った。「血を与えたからってその異能を使えるだなんてそう簡単に」と。
それはつまり、彼は「対象に血を与えることでその対象に異能を授ける方法を知っている」と間接的に説明してしまったことで。
しかも、その発言はまるで自分が試して実際に成功したような言い口で。
それは逆説的に、「対象の血を吸えば異能を使えるかも知れない」という証明であり。
先程の雪菜の言葉で、血を得たが故にその血の持ち主の異能を使えるという実例が提示され。
そもそも、雪菜の場合は事故同然で叶和の血が混じった結果によるものだ。決して、自発的に雪菜に『血を与えた』訳では無い。
――つまり。


716 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:33:27 KRQv8lNA0



「――さて、推理を元に事件をreviewしましょう」

お決まりの口上句を挟み、事件を振り返る。
犯人はまず、犬山はすみと共に地下室へと向かい、そこで一度犬山はすみの血を吸おうとした。
手段は吸血鬼の如き噛み付きによるもの。恐らく犯人の異能は吸血鬼のようなものだったのだろう。
だが、そこで一つアクシデントが起きた。犬山はすみは巫女の血を引く家系。
吸血鬼という魔に対し、退魔の力が反応してしまった。例えれば特定の食べ物に対するアレルギーである。
その時に一度犯人ははすみに逃げられそうになったが、ある手段を用いて動きを止めて、二度目の噛み付きを行った。今度は自分の手駒にするために。
ある手段というのは、万が一地下室に入られた為の保険として潜ませた袴田ゾンビの噛み跡でわかる。犯人はゾンビに噛み付いて己の手駒とした。その時、犯人の異能の一つである『威圧』を血を一定与えられたことで使えるようになった上で。
地下室の血痕は犯人によって零された犬山はすみの血によるものだ。そして吸血鬼の眷属の如く、犬山はすみは犯人の言いなりになってしまったのだろう。はすみの噛み跡は、だからこそ二つ。
その後、うさぎとひなたが袴田邸から出ていったタイミングではすみを動かして眠りに落ちていた恵子を殺害。はすみに殺害させたのははすみのような出来事が起きるか起きないかの判別だろう。
その後、リンを探すために宇野と言う人物の住所を求めて役場へと向かった。その前に犯行がバレないようにと偽装工作を施して。
殺した恵子を地下室へ運んで布団の中に隠し、さらに家具を移動させ地下室の存在も隠し、「宇野さんから助けを求められたから三人で一緒にここを出た」という書き置きを残し。
宇野という名字だけなら何人もこの村に入るだろう、それに宇野さんの所へ行くこと自体は事実であり、偽装工作は本来なら安々とバレるはずがない、そのはずだった。
しかし、うさぎとひなたが地下室の恵子の死体に気づいてしまったのが犯人にとっての想定外。はすみの置き手紙は恵子を含めた三人との記載、つまり恵子が殺害された事実がバレない前提での置き手紙。
素人目でも偽装工作だとバレてしまったのだ。事実はすみと合流したひなたはその一件を問い詰めていた。はすみの人柄を使ったゴリ押しと、月影自身が経験した『宇野とリンが突然いなくなった』一件を元に押し切られたらしいが。
そしてもう一つの想定外は、姉妹の再会とばかりにうさぎがはすみに抱きついた時、はすみがうさぎの血に拒絶反応を起こしてしまった事。吸血鬼の眷属という形で変質させられてしまったはすみが聖の力、退魔の血を引くうさぎに対して拒絶反応を起こすのは明白。
その後も恐らくは姉の言動に違和感を妹は感じたのだろう。まるで真犯人へ付和雷同するかのようなその言動を。

この村においてパンデミック前から発生していた吸血鬼のような殺害事件、殺害された女子たちには皆一同に噛まれたような傷があった。
この異常事態において、そんな殺し方をするのは異能有りきとはいえ早々拘る人間はいないだろう。それこそ、吸血鬼のような、噛み跡を残して血を味わうような狂人でなければ。
そして、その吸血鬼は、犬山はすみを使って字蔵恵子を殺した犯人は、アニカたちの眼の前にいる!


「袴田houseでケイコが殺害されたこの事件の元凶。――you are the culprit!! Mr.ツキカゲ!」

アニカのその叫びに、追求に。月影夜帳は何も反論しなかった。
いや、反論する意味など無いに等しかったのだ。


717 : いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:33:39 KRQv8lNA0



沈黙があった。僅かながらの沈黙が過ぎて、うさぎがゆっくりと口を開く。

「――月影、さん。本当、なんですか?」

月影夜帳と言う医者は、信用できる大人の一人としてうさぎの心に刻まれていたから。
さらにはすみと一緒に行動しているし、姉が信用するなら信用できるという一種の思考放棄にも近い部分があった。
ただ、はすみは再会時の抱きしめた時をきっかけに違和感を感じてしまった。それにまるで月影の言葉に付き従うような行為。
これが異常ではないと、言い切れなかった。

「本当に、お姉ちゃんを……」
「――」

うさぎの問いかけに対しても、月影は俯いたまま黙り込んでいる。
はすみは、まるで凍結したかのように真顔のまま月影を見つめている。
それは突然シャットダウンを起こしたコンピューターにも似た沈黙の具合。

「何かrebuttalはあるかしら? Mr.ツキカゲ。」

アニカもまた、月影に問いかける。自分の推理はここまでだ。
勿論、アニカとしても色々と親身になってくれた月影の事を信用したいという気持ちがあったのかもしれない。だが、先程の墓穴を掘ったような言動はどうしようもない。
そもそも、アニカの総論に反論を示さなかった時点で、既に。
そして、観念したようにゆっくりと前を向き直した月影が。






「―――だって、仕方がないじゃないですか」

恐ろしく薄ら寒い声が、役場内に響き渡った。


718 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:34:12 KRQv8lNA0



声が、聞こえる。


『お前の願いはオレに届いた』


煩わしい声が、聞こえる。


『お前が受け入れるなら、オレはお前に手を貸してやろう』


だが、俺は、その声に―――


『お前が取り戻したいものは何だ?』


そんなもの、決まっている。




『その願いに祝福あれ、■■■■』


719 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:34:24 KRQv8lNA0



炎の闘技場(コロッセオ)、因縁収束せし舞台。
凶殺の特殊部隊員は地獄に堕ちた、青き空のエージェントは役目を終えた。
そして創まりの少年は悪夢を思い出して気を失った。

「うおおおおおおっ!!!」
「ああああああああっ!!!」

ここには二人しかいない、拳で殴り合う二人しかいない。
八柳哉太と山折圭介。村を出た者と、村に縛られた者。
ヒーローとヴィラン。因果は逆転し、ねじ曲がった運命の果てに二人は対峙する。
己が信じる願いのため、己が捧げた願いのため。

「ガァッ!!!」

圭介の右ストレートが、哉太の顔に炸裂する。
本来ならば、武術を嗜んでいる哉太の方が有利のはずだ。
八柳流は剣術と中国拳法を組み合わせた流派だ。その過程で武術のあれこれは叩き込まれている。
だが、先程まで八柳哉太は瀕死だったのだ。傷こそ再生したものの、疲労まで無くなるわけがない。
そして、八柳哉太との喧嘩という勝負形式ならば、山折圭介に理がある。
何度か喧嘩して、ヒーローごっこで戦って、日野珠の一件でガチで殴り合って。
喧嘩だけなら、山折圭介は八柳哉太に勝ち越している。
ガキの頃の記憶が、憎悪と友情が入り混じった執念が、山折圭介に対するバフとなる。

「ガッ!?」

だが、哉太だって負けてはいない。
ストレートを受けた反動のまま圭介の腕を掴み、地面に投げ叩きつける。
そのまま組技へ移行、だが圭介も抵抗し膠着。埒が明かないと両者一旦距離を取る。

「おおおおおっ!」

体勢を先に立て直したのは八柳哉太、縮地を以って距離を詰めようとする。
しかし、疲労の溜まった身体では万全の速度は出せない、故に。

「そんな一直線なだけの動き!」

相手の動きに併せ、カウンター気味に拳を置く。
結果、移動した哉太の腹に結果として圭介の拳がめり込んでいる。

「ぐ……ごほっ!!」

空気が吐き出され、堪らず咳き込んだ。
拳を打つではなく置くことによるカウンター、理論上可能であるだけで机上の空論でしか無い戦法。
偶然か必然か、八柳哉太にそれを決めたのは山折圭介の執念の為せる技か。
最も、そんな事を山折圭介は思考すらしていない。ただがむしゃらだった。
そう、ただの喧嘩なのだ、ただの殴り合いなのだ。
そんな術は延長線上でしか無く、下らない矜持と、そんな信念と。
そんな漠然とした心の何かを持ち出してのぶつかり合いにしか過ぎない。

だから、負けられない。
負けるわけにはいかない。

山折圭介はもう戻れない。あの時、光を取り戻すと誓い、正義気取りの特殊部隊員を殺した時から退路は絶たれた。
だが、断ち切られたはずの友情が、目をそらしていた過去が今ここに収束している。
そして、あんな事を言われたら、黙ってなんていられない。
この喧嘩で勝つことで、全ての過去を断ち切る。断ち切らなければ、何も始めることは出来ない。


720 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:34:56 KRQv8lNA0


負けるわけにはいかないのは、八柳哉太だって同じこと。
冤罪からの地獄があった、それでも味方でいてくれた大切な姉弟子がいた。
冤罪を晴らしてくれた、生意気ながらも大切な少女が出来た。
クソみたいな世界だと思っていた人生の中で、それでも差してくれる光があった。
それは月の光と例えられるだろう。陽の光のような明るいものでなく、淋しい心に寄り添うようなそんな月光だ。
つくづく、自分には勿体ないぐらいに大切な誰かだ。そんな、大切な人たちがいるだけでも、それだけで友達を止める理由としてはこれ以上無いぐらい相応しいものだ。
下らないと笑うなら笑え、愚かだと蔑むなら好きにしろ。
闇に落ちたヒーローを光の下に連れ戻すのはその相棒(サイドキック)の役目だと。
道を間違えた友達を無理矢理連れ戻すのは、ヒーローの役目だと。

「ま、だ……まだだぁっ!!」

叫ぶ、そして再び立ち上がろうとする。

「そうだ、そうだよなぁ哉太!」

それを当然だと言わんばかりに、圭介は喜んでいた。
そうだ、お前はそんなやつだと、そういうやつだから友達だったんだと。
だからこそ、乗り越えなければならない最大の壁でもある。

「そうだ、お前はそんな事でくたばるようなやつじゃないよな!!!」
「ああ! 絶対に負けられない! 勝って、お前を止めてやるよ、圭ちゃん!!」

滾る思いは、両者の意志を更に奮い立たせる。
ここは過去と友情を薪代わりに燃え上がる燃焼回廊、友人二人が戦うためだけの焦熱領域である。
喧嘩(けっせん)はまだ終わらない、終わらせてなるものか。
戦うべくして引き寄せられた、集うべくして運命は集った。
しかして、これは宿命でもある。

「止められるものなら止めてみせろ、八柳哉太ァァッッッッ!」

起き上がりを狙うかのように既に圭介は駆けている。
ただし八柳哉太はそれでやられるようなタマではない。

「ぐはっ!!!」

圭介に炸裂する正拳突き。直で食らったのか遠くへと弾き飛ばされた。
膝を付きながらも、その顔は苦痛と共に笑みが浮かんでいた。

「はは、やるじゃねぇか……」
「ああ。でもお前だってまだまだだろ、圭ちゃん」
「そうさ、そうだ!!」

そして再び、殴り合う。
正しくそれは、喧嘩だった。殺し合いではなく、本当にただの喧嘩。
彼ら二人の、最後の喧嘩勝負だった。


721 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:35:12 KRQv8lNA0


血の味が鉄臭くて不味いと誰かが言うけれど、私はそうとは思わない。

『あなた、最近変よ』

あの運命の日、味わってしまった甘美で濃厚な思い出は、私の脳髄を刺激した。

『私になにか隠してるみたいで。あなたが不倫しないような人だって言うのは分かるの』

柘榴色の雫は、私を誘惑し、私という生き物を染め尽くしてしまった。

『ねぇ、どうしてあなたは何も話してくれないの?』

でも、後悔はない。後ろめたさもない。ただ、嬉しかった。

愛だけでも、恋だけでも、満たされないものがあった。

『ねぇ、どうしてよ。どうして私を見てくれないの!?』

だから、私は思うのです。




「どうして自らの願望(よく)を、我慢しなければならないんですか?」




それを教えてくれたのは、皮肉にもこのウイルス騒ぎでした。

平穏という枷は簡単に砕かれました。それは私という欲望を開放しくれたのです。


722 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:35:32 KRQv8lNA0






「―――だって、仕方がないじゃないですか」
「……っ?!」

それは、大凡人間が出して良い声ではなかった。
湿ったような笑いが幻聴の如く聞こえてくるような、そんな薄ら寒い声だった。
同時だった、アニカの背後にはすみが回り込んでその手を掴み拘束したのが。

うさぎと雪菜ははすみがアニカを拘束した時点で動いたのだが、その内雪菜だけを捕まえた月影が、ナイフを突きつけるかのように勃牙したその凶器を雪菜の首筋に突き立てる。
構えようとしたガラス片がカランと音を立てて地面に転がり落ちる。マスクを外し剥き出しになった月影の吸血鬼としての刃が邪悪に光り輝いていた。


「アニカちゃん! 雪菜さん!」
「おおっと、余計な真似をしないでくださいねうさぎさん。さもないと私かはすみさんが先に、ですよ?」

うさぎを拘束しなかったのは相性の問題に過ぎない。どんな異能を持っていようが、この様な膠着状態に持ち込めれば余地はある。
あの三人の中で、月影らにとって一番の脅威は退魔の血を持つ犬山うさぎ。
アニカの手の内ははすみから既に聞いている。雪菜の異能は二重であると自己申告したが、少なくとも自分が彼女に触れて何かしら悪影響が出る異能では無さそうと判断していた。
もし何かしらあるなら、ひなた死亡前の時点で何かしらの反応があるはずだから。

「……どうして、どうしてなんですか月影さん! どうしてお姉ちゃんを、どうして恵子ちゃんを殺して……」
「我慢できなかったんです」

うさぎの悲痛な問いに、淡々と。
月影の内に蠢いている狂気が言葉の形を取って発露する。

「今まで耐えてきたんですよ。私の根源を、欲求を、願望を。それでも我慢しきれないもの我慢しきれないものですので、パンデミック前から何人か吸いましたけれど」

月影夜帳の原点(オリジン)は血の味である。凡人なら忌避するべきその忌み味は彼にとっては濃厚なワインの一杯のようなものだ。
しかし、血を吸うと言う行為は常軌を逸している。その様な性質が現代社会に受け入れられるわけがない。それでも、どれだけ美食で代用しようとも、伴侶を作り恋をするという行為を以ってしても、その渇きは満たされなかった。
その恋は真実だった。だが、真実をも塗りつぶす狂気があった。
それが月影夜帳という人間の本質であり、決して覆すことの出来ない業そのものである。
その発露が、これだった。かの吸血殺人事件の、元凶だった。

「ですが。私は天使に、リンという少女に出会って、我慢が効かなくなったのでしょう。彼女を逃してしまった後にアニカさんやはすみさん達と出会って、つい欲張りになってしまいました。それに、血を吸う異能だなんて、まさに私に天啓がオリてきたようなものでしたよ」

本来ならば、この騒ぎの内では吸血という欲は抑えるつもりではあった。
その枷を壊してしまったのは一人の少女、純真無垢たる天使の如き"福音(リン)"だ。
その血を堪能したくなった、彼女だけは欲したかった。それが欲望を抑えられなくなったきっかけに過ぎず。

「……用意されたご馳走を前にして、我慢をする理由なんて無かったんですよ、うさぎさん」
「―――」

絶句だった。犬山うさぎは、狂気と正気が入り混じった、月影夜帳の輝きに満ちた瞳で語る持論に、何も言うことが出来なかった。
アニカと雪菜もまた、返す言葉すらなく沈黙していた。アニカとて探偵という職業柄様々な凶悪犯と出会ってきたが、ここまでのサイコパスと出会ったのは初めてだ。
人間を食事と、血の入れ物としか思わぬその思考は。人間ではなく、この村にて生まれてしまった怪異。
月影夜帳は既に、このパンデミックという狂気に当てられた。
ウイルスより異能を得て、真の意味で吸血鬼と成り果てた。

「そうなのよ〜。我慢なんてしても苦しいだけ、うさぎも分かってくれるかしら。それに安心して、恵子ちゃんは苦しんで死んだわけじゃないわ。月影さんの中で永遠の幸せの中で生き続けるもの」
「そん、な……そんな、のって……!」

月影の狂気を肯定するかのような、はすみの補足の言葉が続いた。
死んでも、誰かの中で生き続けると本気で信じている。いや、そうさせられたのだ。
吸血鬼の狂気によって、犬山はすみの人格は塗りつぶされている。
その悍ましさとショックで、うさぎの瞳から一筋の涙が流れ落ち、動けなくなった。


723 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:35:49 KRQv8lNA0



「That’s bullshit! 何が、何があいつの中で生き続けるよ!?」

名探偵が、はすみに取り押さえながらも叫んだ。
そんな狂人の思考で納得できるわけがない。

「あんたがやってることはselfishnessに命を奪っているだけ、そんな理由(わけ)で命を奪う事を正当化しないで!」
「こんな地獄の中で本当に彼女たちが生き長らえられるとお思いで?」
「……っ」

名探偵の啖呵を、吸血鬼は一言で切り捨てる。
異能を得たとは言えか弱い少女たちが最後まで生き残れるか、仮に生き残れるものはいてもそれはただ運が良かっただけの話。
これはある種の救済だ、吸血鬼が掲げるのは一周回ってそれなのだ。

「どうせ苦しむのなら、私に食われて死んだほうがまだ救われます」

月影夜帳は、本気でそう思っているのだ。眷属とされたはすみもまた、同じく。
常人の考えることではない。己が業を抑えられなくなった人間だった残骸(もの)、その末路だった。

「今はまだ殺しません。ですが私の幸福(フルコース)として、その時が来たら苦しまずに楽園へ送って差し上げましょう」

ただし元の人格は保証できませんが、と付け加え、異形のごとく月影が笑う。

「月影さんもそう言ってるから、だからねうさぎ。――余計な真似をしないでくれる?」
「う、うう……」

人が変わったようにはすみは実の妹へと警告する。その声色に、本来のはすみの優しさは微塵も存在しない。正しく月影夜帳という吸血鬼の眷属。その優しさを都合のいい形へと捻じ曲げられた、その哀れな光景。犬山うさぎは泣いていた。動けないまま、涙をポロポロと流し、嗚咽を上げて無力な自分を悔いていた。

「うさぎ……っ」

はすみに拘束されたアニカも、何も出来ない状況だ。
テレキネシスで行動を起こした瞬間に月影が雪菜を噛むと言っているようなもの。
下手に小道具の類を出さないのはそれで打開されかねないのをはすみが警戒しているから。
月影とはすみは、吸血鬼とその眷属だ。事を起こした瞬間最低でも片方が新たな眷属にされるか、殺される。
犬山うさぎも、天宝寺アニカも、動くことが出来ない。

「……我慢する必要はない、ですか」
「ん?」

一人、膠着を破るかのように声を上げた。
哀野雪菜が、迫る人間としての生の終わりを前に微動だにせず。

「本当にそうだったんですか?」
「……何を藪から棒に」

このタイミングで喋りだすとは、時間稼ぎか?などと月影は訝しむ。
実際彼女の異能は月影もはすみも分かっていない。
だからこそ明確に月影がとっ捕まえているという形を取っている。
少なくともうさぎのように、自分たちに明確な対策を取れる異能とは現状では思えない。
元々、物静かな娘だとは思っていたが、この土壇場で言い出すのは虚を突かれた気分ではある。

「……あなたは、逃げただけじゃないんですか」
「―――は?」

そんな彼女の切り出した言葉に、月影は思わず開口した。
この娘は、一体何を根拠に、と。

「そういう形でしか他人と向き合うことが出来ない。他人を人ではなくそういうものとして見ることでしか理解できない。あなたは、そういう人なんですね」

他者とどう向き合うか。人間関係というしがらみにおいて重要なファクターの一つ。
月影夜帳は、表面上こそ他人と接することができても、その実理解者が出来なかった。
あの時を境に、理解者なんで出来るわけがないと諦めていたからだろうか。


724 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:36:02 KRQv8lNA0


「あなたにはその心に寄り添う理解者がいなかったのかもしれないですし、それは可哀想なことかもしれません」

小さな棘のように突き刺さるように、雪菜は月影へと言葉を投げる。
事実、過去の月影夜帳はその本質を、その吸血鬼が如き欲望を誰にも話すことはなかった。自分自身で抑え込んだ。

「そうやって本心を理解されないって諦めてるから、はすみさんのように無理やり従わせるんですね。鍍金で出来た平穏の中で、自分を理解しろと駄々をこねる子供みたいに。理解できないのなら自分の人生の糧になってしまえって」

苦しんで、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、そして間違えて。
それは、違えた運命の果てに友をその手で殺してしまった哀野雪菜だからこその言葉。
それは、演劇部という世界において端役ながらも叶和を、舞台にて歌い踊り、演じる者たちを見てきたからこそ培われた観察眼。
月影の本性を知る前にその本質を感じ取ったのも、犬山はすみへの気持ち悪さと首の噛み傷に気づいたのも、その経験からなる積み重ねの賜物だった。

「……あなたに、私の何が分かると」
「わからないです。でも、あなたは有り得たはずの私だと思ってしまったから」

月影夜帳を、自分のIFの未来だとそう雪菜は告げる。
己の醜さから目を背けて、それに言い訳ばかりして受け入れようとせず。挙げ句開き直って自分勝手な理由ばかり考えて、何も考えず自分の衝動のまま。
これは、誰も止めるものがいなかった自分だ。大切な人と仲直りできなかった自分の、有り得た末路だ。
ここまでは醜いものに成り果てなくとも、そんな傲慢を振りかざす殺戮者になっていたのかも知れない。

「……運が良かった、と言われるなら仕方ないことかもしれない。それでも私はそれを吐き出すことが出来たんです。全てが手遅れだったとしても」

二度と後悔なんてしたくはなかった、だから殺して、殺した先にある見えないものを目指したかった。
でもそれは、逃避だった。逃避でしか無かった。自分が決心だと思っていたそれは、ただの言い訳に過ぎなかった。
それを気づかせてくれたのは、自分を赦してくれたのは。その醜さに寄り添って、背中を押してくれた人たちが居る事を知っている。
だから、哀野雪菜は一歩前に踏み出せた。あの夢で、あの幻想の中で。

「かつてのあなたは、自分の本心を、誰かに話したことはありますか?」
「――」
「受け入れられなくても、話せばよかったんです」

全てを誤ったあの運命の日。何を言いたいのか、何をしたいのかなんて自分でもまるで理解できていなかった。それでも一歩踏み出さないと腐ってしまいそうだと、後悔したままだと思った。
結局、誤ったものは取り返しは付かなくて後悔したけれど、それでも報われたものがあった。砂粒ほどのか細い光でも、一歩進んだ意味はあったのだと。

「何処にも進めなかったあなたは一人です。どれだけ誰かを操ろうとも、あなたはずっと一人のまま。そんなあなたに、負けてなんてやらない。『私達の思いを穢させなんかさせない』」

自分にも、天原創にも。スヴィア先生にも。烏宿ひなたにも、犬山うさぎにも。会って間もない天宝寺アニカにも。
泥を被り、時にはどうしようもない後悔を背負って進んできたものが、それでも無くしてはならないと願うものがあった。どんな残酷な現実でも、それを受け入れ無かったことにせず、それでもなお泥に塗れながら貫きたい思いがあった。


725 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:36:21 KRQv8lNA0



「都合のいい世界だけしか受け入れられないあなたには、絶対に負けない」
「――」

月影には、哀野雪菜という人間がただの少女(りょうり)だと思っていた。
だが、なぜだろうか。それは二人だったようにも思えた。
何も知らない癖して、なのにその言葉を無視など出来なかった。
自分が何も進めなかった、だと。
どうしてそう言える、どうしてそう思える。

『どうして何も言ってくれないの? 私たち友達でしょ?』

どうして、当たり前のように己の瑕疵を他人に話せる?

「―――――苦い」

沈黙。鎮痛。そして苦痛。月影夜帳の中に思い浮かんだのはそれだ。
うら若き乙女のフルコースが目の前にあるというのに、その内の一人がすぐ近くにいるというのに。

「苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い―――!」

口の中が苦い、不味い。豪勢な料理の中に下品なウジ虫が混じり、腹の中をかき混ぜられたように。
不快だ。不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ―――!
壊れたラジオが音を鳴らすかの如く、不協和音が吸血鬼の口より零れ落ちる。

「……こんなに不快な気分、初めてです」

そう漏らした月影の瞳から、光は消えていた。
不気味な程に、静かで、赤い瞳があった。
血染めの月が如く、揺らいでいた。

「どうしてでしょうね。年端のいかない少女の戯言と、切り捨ててしまえばいいというのに」
「………」
「ああ何故でしょう何故でしょう。どうしてここまでイライラしてしまうのでしょう。何故、何故何故何故何故ナゼ????」

ブツブツと、自らに暗示を掛けるかの如く。月影夜帳という存在の鍍金が剥がれていた。
吸血嗜好という異常。受け入れる受け入れないに関わらず、月影夜帳はその本質を自分の奥底に押し込んだ。それが駄目だと分かっていたからこそ、当初こそは美食に逃避して、恋人も作って。
全て無駄だった。一重に誰にも話すこと無く。いいや、彼は最初から分かっていたのかもしれない。
彼が欲しかったのは自分にとっての理想だけだった。血を吸う事が条理として許される世界だった。
蓋をして、逃げ続けて、どうせ無駄だと勝手に思い込んで。話すという手段すら意味のないものだと逃げ続けて。

「ああそうだ、私は飢えているんだ。飢えていたんだ。だからこんなにイライラしているんだ」

だから、今まで殺してきた。
「理解できないもの」と恐怖し、彼と別れたかつての恋人も。
「訳の分からないもの」と畏怖し、離れることを決めた友人たちも。
自分を信頼してくれた、そんな少女たちも、全部。
自分という世界に収まりきらない塊(もの)を、己の糧として取り込むことで。
衝動、月影夜帳という人間に刻まれた原初の衝動。
取り繕うなんてハナから不可能な、人間から生まれた人でなしそのものだった。


726 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:36:36 KRQv8lNA0



「――ですので」

牙が、伸びる。勃牙する。今まさに雪菜の血を吸わんと。
こうなってしまうとうさぎは黙っていられない。多少戸惑ったが、アニカの強い眼差しを受けて覚悟を決めた。はすみは懐から取り出したスタンガンをアニカに放とうと、"はすみの思った通り"アニカがサイコキネシスを用いスタンガンは机の向こう側へ弾き飛ばされる。
月影が雪菜の吸血を選択したことで、結果うさぎへの『威圧』は解除されてしまったが、どうせ間に合わないから問題なし。あとはアニカが無理に飛び出す可能性を鑑みて、こういう時の為に"わざと防がれる為に"スタンガンを仕舞っておいた。
出来ればこのままスタンガンが通用すればよかったが、アニカの動きをこうして制限できただけでもよしとする。
そして予想通りと言うべきか、動けるようになったうさぎが駆けつけるよりも、月影が雪菜の血を吸う方が早い。アニカの援護があった場合は危なかったかも知れない。だがもう状況は変わらない。

「――雪菜さん!」
「セツナ……!」

二人が叫ぶ。うさぎが手を伸ばそうとするも届かない。

「うふふ、歓迎しますよ雪菜さん」

雪菜が自分と同じモノに変質する瞬間に、歓迎の言葉を送るはすみの妖艶な笑み。











「い た だ き ま す」
「――ッッッ!」


だからこれは避けられない。吸血鬼の牙が、雪菜の首筋に刺さる。
苦悶の表情を上げる雪菜の表情を肴に、月影は新たなる少女の味を、その濃厚で酸味が効くであろうそのスープを飲み干そうとして。

















「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!?」

絶叫を上げたのは、月影夜帳の方だった。


727 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:36:51 KRQv8lNA0



「つ、月影さんっ!?」
「あがっ、あががっ!? ふぁ、ふぁが、ふぁたふぃのふぁがあああああああっ!?」

驚愕の表情を浮かべるはすみが見たのは、噛んだ箇所から月影の歯が腐り、ボロボロと崩れ落ちる光景。
勃牙した吸血鬼の証は、見るも無惨に黒い煙を上げて歪な形へと変貌した。
これではもう、血を吸うことなんて到底無理な程に。

「あ゛あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッッ!!!!!」
「……まさか、こんなあっさり引っかかるだなんて」

口を抑え、壁に凭れ掛かる月影。多少は疲れを見せながらも、首筋を抑えながら月影を見る哀野雪菜の姿。
首筋から漏れ地面に落ちた血液が、全く別の液体へと変貌していたのをはすみは目撃する。
哀野雪菜の『本来の』異能、『傷跡』。己が体液を腐食性の酸へと変化させる。その体液自体は、当人の意志次第となるが、基本的に能力者本人へ悪影響は及ぼさない。
体液ならばなんでも良いのだが、専ら一番効果を及ぼすのは血液だ。
だから"挑発"した。だいそれた口上をペラペラと喋って、月影夜帳が自分の血を吸うという行動を取らせるように。
やったことは至ってシンプル。唯一の懸念はアニカを人質に取ったはすみの事。ただ、自分の異能は『何かしらの強化能力である』とはすみにはバレてしまっていたのが僥倖だった。
二重能力者であることは宣言してしまったが、どうやらお相手側はその2つ目の能力が、月影のようなタイプに対する完全なメタになると、想像だにしなかっただろう。

「アドリブだけは、あの娘には上手だってよく言われてた」

実際の所、月影への言葉は即興で考えたことなので、もしも刺さらなかったらと戦々恐々していた部分はあったけれど。即興劇が得意なのは友人からのお墨付きだ。

「よくも……よくもっ……!?」
「――おねえ、ちゃん!」

黙っていないのは犬山はすみ。主の被害の元凶へ形相を変えるも、縫うよう近づき覚悟を決めたうさぎがはすみへと抱きつく。
漸く解放されたアニカが転がりながらもうさぎと入れ替わるように雪菜の方へと辿り着いた。

「うさぎ、何をっ、ああああああああああああああ!?」

抱きついた途端にあの時と同じ現象。聖なる力を拒絶する、月影に仕込まれた魔の血が反応し、はすみへと激痛を伴い襲いかかる。

「ああああ、うさぎぃ、あなたはぁぁぁぁっ!!!!!」
「お姉ちゃんお願い! 元のお姉ちゃんに戻って!!」

うさぎの意図は分かっている、聖なる力による自身の浄化。
抱きついた時に拒絶反応を起こしたということは、自分の力で無理に浄化できれば元の犬山はすみに戻す事が出来るということ。
だが簡単にはやられない。こうなっては仕方がない。浄化される前に彼女の首を絞め切らんと、はすみの手がうさぎの首を掴む。

「………あああああああああああああああ!!!」
「おねえ、ちゃん……わたし……!」

浄化か、絞殺か。姉妹同士の矜持がぶつかり合う。
とは言うものの、意志の強さというだけなら今の場合なら妹のほうが上回っている。
もっとも肝心の眷属の主は、その牙を無力化されてのたうち回っているご覧の有様だ。

「あ、あ………ぁ……!」

首を絞めるはすみの腕が、力なく落ちる。プシュッ、となにかが吹き出す音。
はすみの首元から黒い血のようなものが流れ落ち、何が起こったのか理解できないような瞳ではすみがうさぎを見つめていた。
その一部始終を悶えながらも見ていた月影の唖然とした反応から、犬山はすみに施された眷属化が解除されたのだろうと、皆は悟ったのだ。


728 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:37:55 KRQv8lNA0


月影夜帳の異能は事実上無力化された。
その特徴的な牙は無様にも腐り落ちて、吸血行為は不可能となった。
威圧にしても、もはや月影を恐れるものは一人もいない。

「It's time to pay annual tax.」

複雑な顔でそうセリフを言いきったアニカを筆頭に。雪菜と犬山姉妹が自分を見ている。
雪菜はまだしも、アニカも犬山姉妹二人も月影にはお世話になったことがある。

「罪を認めて、今後大人しくするなら、安全は保証します」

雪菜の言葉が、一応にも全員の総意の表れだ。
二度とこんなふざけたマネはせず、全てが終わったら大人しく自首をするように、と。

「ふぁ、ふぁたし、は……」
「……月影、さん」

正気に戻ったはすみの瞳が、悲しくも悶える月影を直視する。
どうしてこんな事に、何処で間違えたか、逡巡しようもどうしようもない。
せっかく自由を手に入れたというのに、こんな結末で終わるのは嫌だった。
一度解き放たれた月影夜帳という鳥は、二度と籠の中には戻れないのだから。

そしてはすみはの心中ははそれこそ哀しみだった。
自分が恵子を殺してしまったこと、うさぎを利用していたこと。
そして月影の狂気(くのう)に気づけなかった自分の愚かさを。
だからこそ、せめて月影夜帳には、二度と人を殺してなんて欲しくなかったのだろう。

「まだ、ふぁたしは。ふぁたしゔぁぁぁぁぁぁぁ―――!」
「―――!!!」

だが、月影夜帳は諦めない。
唯一この状況を打開するための手段がまだ残っている。恵子とひなたの血を吸って手に入れた「放電」と「発電器官」。その異能を使い強大な電力を周囲に放出することでこの場からの脱出だけは出来るかも知れない。
バチバチと月影の周囲を迸る電撃を前に、アニカたちは警戒を隠せない。
だが、事態は誰もが予想もしない結末を迎えた。

「――あ゛?」

溶けた牙の、そのドロリとした欠片が。月影の身体にポツリと落ちて、肌を少し溶かして食い込んだ。
そして、それに反応して、己が発生させた雷撃が月影自身へと襲いかかったのだ。

「ひゃあああああああああああああ――――――!??!?!!?!?!?!?!?」
「月影さん――!?」
「Mrツキカゲ!?」

アニカたちが叫ぶも、不幸にも月影に起こった予想外が、月影自身の『威圧』が。
多少なりともアニカ達を怯えさせ、動けなくさせてしまった。
『放電』の威力は当人のストレスの具合によって左右する。基本的に使用者本人への影響は及ぼさないが、それ以前にこれは元々は月影夜帳の異能ではない。
そしてかつ、『発電器官』は接触を解することでの放電の発生。それを、溶けた歯の欠片が。未だ腐食する酸がこびり着いた欠片が条件を満たし、それを雷撃の発生点として。
その雷撃そのものが、月影夜帳の罪を裁くかのように、彼の身体を焼き尽くした。
薄れゆく意識の中、月影夜帳は何も考えることは出来なかった。
電撃が弱まると同時に、異能が消えゆく感覚と、己の命が尽きる感覚が迫る。
嫌だ、やっと自由になったのに、と。手を伸ばす気力すら失った中で。
最後に、威圧が解けたのか自分へと手を伸ばしていた犬山はすみの姿をその記憶に刻み込みながら、吸血鬼の生は終わりを迎えたのだ。

――その亡骸を、灰へと変えながら。

【月影夜帳 死亡】


729 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:39:20 KRQv8lNA0



灰へと変わった月影の亡骸を前に、アニカたちは最低限の黙祷を捧げていた。
パンデミック前から吸血殺人事件を起こしていたろくでなしとは言え、こんな最後を辿っても良い人間だったのだろうか。
はっきり言って、月影が自滅した理由は四人には分からなかった。いや、人間ではなく怪異へと成り果てた存在を、今まで吸ってきた魂が裁きを下したというのだろうか。
もしくは、ストレスによる異能の進化が、月影夜帳という怪異を完全な吸血鬼へと変えてしまったが為、か、だから死した後に灰となったのだろう。
そんな事を、考える余裕も暇も無いのが今の四人の現状ではあるのだが。
今でも特殊部隊員と戦っているであろう山折圭介、天原創と、その救援に向かった八柳哉太を助けるために。

「……お姉ちゃん」
「……」

黙祷の中で、月影の亡骸の一番近くにいたであろう犬山はすみに妹は声を掛けた。
今の彼女は月影の影響下から脱したものの、"その間の記憶"はちゃんと刻まれている。
この手で字蔵恵子を殺したという結果だけが、彼女には残っている。
その罪悪感で、後悔で押しつぶされないかが、心配だった。

「大丈夫です、今まで迷惑かけて申し訳ありません」

それでも、その記憶にショックを受けながらも、立ち止まれる理由なんて犬山はすみにはない。
取り返しの付かない過ちを犯してしまった、それはもう二度と覆せない。
明るい未来へと羽ばたけたはずの少女の命を奪ったのは、紛れもない自分であるという事実を噛み締めながら。

「……急ぎましょう、創くん達が心配です」
「……That's right」

重苦しいながらも、決意だけはあった。悲しみながらも、歩みを止めないと足掻く者の姿があった。
それ以上の追求は、誰もすることはなかった。

「……さようなら、月影さん」

去り際に、その残った残骸に祈りを捧げるように、はすみが呟いた言葉は。
誰にも聞こえること無く、風に流れていった。
それは、心からの、追悼の言葉だった。


730 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:39:37 KRQv8lNA0



拳の打ち合いだけが続く。殴り、蹴り、時には投げ。
それは、正しくガキの喧嘩だった。
武術もない、技もない。だたただシンプルな攻防の応酬。
焔の闘技場で、たった二人だけが殴り合う。

『おれ! カナタって言うんだ!』
『おれはけいいち! けーちゃんって呼んで!』

リフレインする過去。シャボン玉のように生まれては消え、また生まれては消える。
忘却では非ず、焚べられた燃料として注がれ、譲れない信念の上でただ彼らは戦い続ける。
殺すか、救うか。

「「ああああああああああああああああ!!!!!!」」

お互いの頬に、クロスカウンター。
画面にモロに受け、鼻血を吹き出しながら倒れる。そしてまた立ち上がる。
殴り合って、蹴り合って。もはや両者は見える生傷ばかり。
口から漏れ出した血を拭い、殺意とも似た視線でお互い睨み合い、そしてまた、殴り合う。

『おれ、ぜってーヒーローになる!』
『だったらおれが先にヒーローになってやるよ!』

思い出は再び思い出され、燃料となる。

「まだ、まだぁっ!」
「俺だってまだ、倒れられるかぁ!」

殴られ、蹴られ、回避し、投げ投げられ叩きつけられ。
炎だけが燃えている。いざ天は終着点をご照覧しておられよう。

『なぁ、圭ちゃんって、光の事が好きなのか?』
『……????』

『信じてくれ圭ちゃん! 俺はなにもやってない!』
『この期に及んでまだ嘘を付くのかよ、哉太!』
『ふたりとももうやめてよぉ!』

『ばかやろう、ばかやろう、ばかやろう……!』
『二度と俺たちに近づくんじゃねぇ、もうお前とは絶交だ』

『だから、お前もお前の仲間もそんな奴らに殺されるな!!絶対に死ぬんじゃねえぞ!!!』

記憶、思い出、断片。欠片。信念、矜持、後悔、悔恨、拭いきれぬ過ち。
数多の因果を飲み込んで、数多の絶望すらも抱え込んで、思い出は混線し。
彼らの世界がここから終わる。彼らの未来はここに始まる。
いざ、終わりの刻は間近。叩きつけろ、奴よりも早く。


731 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:39:59 KRQv8lNA0


「……次で、終わりだ。哉太」
「それは、こっちのセリフだよ、圭ちゃん」

構える。お互い疲労が限界値に達した上で、あと一撃で倒れそうな身体を奮い立たせて。
それでもなお、その目を見開いて、見果てぬ未来(ゆめ)と、掴むべき願いを手にするために。
さぁ、決着をつけよう。

沈黙。そして――二人は駆け、交錯して。拳が、近づいて。

「俺の――勝ちだぁっ!!!」
「お前の――負けだぁっ!!!」

迫る、お互いの拳が。喰らえば負けが決まる、今残された気力を乗せて放つ最後の一撃。
迫る、迫る、拳が迫る。――山折圭介だけには、何故かそれがスローに見えた。
人が突発的な危険状態に陥った際、見える景色がスローモーションになるタキサイキア現象と呼ばれるものがある。
皮肉にも、再生にある程度助けられた八柳哉太はそれに入らず、もはや意志だけで戦う身体になっていた山折圭介だからこそ突入した世界(ゾーン)。
故に、哉太の拳を、既の所で顔を下げて、避けた。

「――ッッッ!」
「終わりだ、哉太!!!!」

炸裂する山折圭介渾身の拳、直撃し意識が朦朧となる八柳哉太。
薄れゆく景色の中、勝ち誇った圭介の顔だけが映し出され、勝者と敗者は決定づけられた。
――はずだった。







「カナタぁぁぁぁっ!!!!」
「―――!!!!!」

少女が、少年の名を呼ぶ。
力が湧き上がる、再び立ち上げれと心が叫ぶ。
大切な人、天宝寺アニカの自分の名を呼ぶ声に応じ、立ち上がる!!!

「ばか、な――――!?」

信じられないものを見る目で、その奇跡を目の当たりにする。
だったら、もう一発と、追撃の為に駆け出す。
だが、もう遅い。既に、遅いのだ。

「――え」

圭介の眼に映し出されたのは、居ないはずの存在だった
ほんの一瞬、ただの幻覚。そう、ただの幻覚であるはずなのだ。
『悲しそうな顔をした日野光』が、『哉太を護るように手を広げて立ちふさがる』光景なんて。

「――ひか、り――――――」

ほんの一瞬の硬直。幻覚は覚め、現実へと引き戻される。
その硬直だけが、その硬直こそが、勝敗を決する最後の要因。
再び迫る、八柳哉太。正真正銘、この喧嘩最後の一撃。

「俺、の――――!!!」

そして、圭介のその顔に。











「勝ち、だぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!!!」
「ぐ、ああああああああああああっっっ!!!!!!!?」

過去と現在(いま)と、願いを込めたその拳が。
山折圭介の敗北を告げる、最後の一撃が叩き込まれ、決着は付いた。


732 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:41:05 KRQv8lNA0



どうして、お前なんだ。哉太。

「カナタ、しっかりして!!」
「はは、アニカ……俺、無茶しすぎたな」
「バカ、バカバカバカ!!!!」

どうして、お前には、いるんだ。

「……俺が気を失っている間に、終わったんですね。……あの、雪菜さん」
「死んじゃったかもって、心配した。……ごめん、今は抱きつかせて」

どうして、お前にだけは。いるんだ。
俺の隣には、誰もいないのに。

「……圭介くん」
「気を失っているみたいですけれど、圭介くんをこのまま放っておけませんし、彼を運んで役所に戻りましょう」

あいつすら、俺を見放したのに。





どうして。




どうして。




どうして。




どうして、お前だけ。




憎い。




お前が憎い。



違う。そうじゃない。



俺は、俺から全てを奪った世界が憎くて仕方がなくて。



――俺はただ、俺の日常(せかい)を、取り戻したかったんだ。


733 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:41:24 KRQv8lNA0


『お前の願いはオレに届いた』


声が聞こえる。
淀むような世界の中に、男の声が聞こえる。
黄金の髪、赤い紅玉の瞳、黒き鏡の右足。
まるで、ゲームの中に出てくる魔王のような。


『お前が受け入れるなら、オレはお前に手を貸してやろう』

煩わしい声が、聞こえる。
だが俺は、その声にがとても心地よかった。
そうだ、あいつにだけ奇跡がやってくるなんて不公平だ。
そうか、お前を呼んだのは俺の意志だったんだ。
俺の願いだったんだ。

――『穏やかな滅びなど許さぬッ!!隠山に!忌まわしき血族に!朝廷に!未来永劫の苦しみを!!!』

――『お願いかみさま、私たちをたすけて。あいつらを殺して。私たちに酷いことする国のえらいひとたち全員ころして』

俺じゃない誰かの記憶を見た。
かつてお前を呼んだのは、俺だけじゃなかったんだな。

―――『未来永劫の苦しみを。山折の地に呪いあれ。』

―――『―――春陽(しゅんよう)ッ!』

この村の憎しみが、お前をこの世界に呼び寄せるきっかけだったんだな。
そしてもう一度、あの時のように、山折村の住人である俺の願いに応えて、ここに来たんだな。

『お前が取り戻したいものは何だ?』









そんなもの、決まっている。





「俺が欲しかったのは、俺のためだけの世界だったんだ。光がいて、あいつらがいて、いつまでも続くあの世界を」

『その願いに祝福あれ、山折圭介』

そして俺の意識は、闇へと沈む。
全ては、俺の願いを叶えてくれることを約束してくれた。







――魔王カラトマリ・テスカトリポカの為に。
いいや、新たなる魔王(おれ/オレ)の。ヤマオリ・テスカトリポカが為に。


734 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:41:46 KRQv8lNA0
■ ■ ■

「な、何っ!?」
「what's happening!?」

世界の刻が止まったようだった。さっきまで燃え盛っていた古家屋の炎は一瞬の内に消え去った。
理解できなかった。天原創が哀野雪菜の涙によって目を覚まし、八柳哉太はアニカに泣きながら抱きつかれて安堵の声を上げて。犬山姉妹が気絶した山折圭介を役場まで運ぼうとした。
その直後に、世界が悲鳴を上げた。
異常だけがあった。山折圭介を中心に猛烈な暴風が吹き荒れて、6人は吹き飛ばされる。
吹き飛ばされたと言っても一瞬のことで、山折圭介から少し距離を離された程度。

だが、本当の異常はそこからだった。
気絶したはずの山折圭介が立ち上がる。
その髪色を金色が入り混じったものへと変質させて。
その瞳を全てを焼き尽くす獄炎の朱へと変貌させて。
漂わせるその気配は、まるで魔王のようで。

「――あー……、あー……」

"山折圭介"だったものが、声を上げる。
嘲笑う獣如き、全てを俯瞰する重圧のような凶声。
まるで、新しく手に入った身体を均すような、そんな気の抜けた声で。

「――さて、ここに来るのも一年ぶりだな。オレにとってはほんの少し前のことだが」
「―――!」

"山折圭介"を視て、真っ先に天原創が反応する。
驚愕と困惑が入り混じった顔で、信じられない者を見る眼で。
"それ"は、そんな顔をする天原創を見据え、ニヤリと顔を歪めた。

「―――カラ、トマリ?」

天原は言う。あれはカラトマリだと。
その言葉を、誰がまともに受け入れられようか。
山折圭介だったものが立ち上がり、変貌したと思えばそれが"カラトマリ"だと。
何なら、その天原本人すら、戸惑っているのだから。

「カラトマリ? Mr.カラトマリですって!? That's an incredible!」
「……圭ちゃんが、烏宿……?」

特に、衝撃が大きかったのは、未名崎から烏宿の名前を聞いていたアニカと哉太。
ウイルス騒ぎの元凶であるかもしれない存在が、目の前に居て、それが山折圭一であるという現実が意味不明の極みだった。現実的にあり得ない光景が、今まさに現実として彼ら彼女らに叩きつけられている。

「……だが、でも。……じゃあ、その姿、は……」
「それは、圭介(おれ)が望んだことだ。こいつが、オレを呼んだんだ。だから圭介(おれ)はオレになった」

天河の困惑をよそに、それに答えるように"山折圭介(カラトマリ)"は、語る。
山折圭介が望んだから、山折圭介が呼んだから。これは、"カラトマリ"になったのだと。
だからこそ、山折圭介はカラトマリになったと、さも当然のように。

「……まあ、この身体になっちまった以上は、もう烏宿じゃねぇけどな」
「……どういう、意味だ。お前は、お前は一体何なんだ!? お前は……一体……」

哉太の振り絞るような言葉に対し、"山折圭介(カラトマリ)"は嗤った。
まるで玩具を見るような眼で、面白いものを見るような眼差して。
そして。

「改めて名乗りと行こう。オレは魔王カラトマリ。カラトマリ・テスカトリポカ。――いや、この身体だとこう名乗るべきだな」













「魔王ヤマオリ。ヤマオリ・テスカトリポカってな。ああ、テスカトリポカってのは、この世界の神様の中でちょっと気に入ったから名前を拝借させてもらっただけだ。深い意味は無いから安心しろ」


735 : いろとりどりのセカイ -さらば青春の光- ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:42:13 KRQv8lNA0


1945年、8月6日。
山折村の地下深く、第ニ実験棟にて死者蘇生は達成された。
尤も、それが死者蘇生なのではなく、異界から召喚された魔王(かみ)の憑依によるものでなければ。
魔王を呼び寄せたのは人の願いだ。第一実験棟にて使われた検体たちが抱いた憎しみに、彼ら彼女らが信じ崇めたある即身仏の、■■■の憎悪によって。

身体を得た神は、望みを叶えた。その場に居た第二実験棟の研究員及び軍部関係者。そして第一実験棟の研究者及び実験等の関係者全員を。
――その暴威によって、滅び尽くした。たった一人、後に天原創という少年を産む事になるある研究員の一人娘を除いて。

魔王(かみ)は死体を戦士(ジャガーマン)に変えて、手駒を増やし、現世にて潜んだ。
ある世界平和を願う少年の願いに気まぐれに付き合い、自分が手を貸してあるウイルスを生み出し。
情報を得るために、テロ組織との独自のパイプを組み上げて。
地球人類滅亡の危機という『自分には関係のないイベント』に対し、ある研究員に遊び半分にそれを教えたり。
そして、つまらない未来をより面白くしようと、生き残りの殺害に出向いた際に気まぐれに見逃した少年に細工を施して。

後に、南米の死と戦争の神の名を自らに加え。カラトマリ・テスカトリポカと名乗ったその異界の魔王は。
再び山折村の人間の憎悪によって呼び寄せられ、新たなる身体に顕現した。

かつて、魂だけの存在だった"それ"が初めて身体を手に入れた時。
魔王となった彼が名乗りし原初の名前があった。
それは黒き太陽だった。それは全てを飲み込む漆黒の威光だった。この世で最も輝き、ドス黒く悍ましき光を放つ黄金。
かの異界において、その魔王はこう名乗っていた。





―――――"アルシェル"と。


736 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:42:55 KRQv8lNA0



「う、うわああああああああっ!?」

研究所の警備員が、悲鳴を上げた。
彼の瞳に映り込んだのは、部屋の中で見つけたある死体の姿だ。

それは腐っていた、まるで最初からそうだったように。
右足は最初から存在しなかったかの如く喪失していた。
腐り落ち、溶けた肉の亡骸が地面へと落ち融解していた。
役目を終えたように、黒瑪瑙のネックレスが不自然に砕けていた。























それが、烏宿暁彦。――烏宿亜紀彦という男(にんぎょう)の、本当の最期だった。


737 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:43:21 KRQv8lNA0



「魔王、ヤマオリ……?」

誰もが、その名前の意味に理解が追いつかなかった。
山折の巫女も、外から来た名探偵も、かつて一度彼と遭遇したエージェントですら。
いや、エージェントのみが、その意味を辛うじて理解していたのだろう。

「異界を繋ぐ扉から来た魔王。烏宿亜紀彦の身体を依り代に、この世界に降り立った。……かつてのお前はそうだと、言いたいのか」
「ご明察だエージェントくん。覚えていたようで……いや、思い出してくれたようで何よりだよ」

ヒントを与えたかいはあったと、魔王が微笑む。
天原創を出来の悪い子供と例え、諭すような優しく不気味な声で。
まるで教え子の成長を喜ぶ教師の如き顔だった。

「……I don't understand. でも、目の前の光景が何もかもTruthなのは、受け入れないといけないわね」
「………あのレポートに書いてあった事は、そういうことかよ……」

到底信じられない現実ではあったものの、それこそがただの真実であることを、アニカも、哉太も受け入れざる得なかったのだ。
茶子と第二実験棟を訪れた際に発見したヤマオリ・レポート。その最後に記された、死者の復活の成功を示す一文。

『一九四五 〇八 〇六 ■ ガ 降臨 サレタリ 。 ■■ 亜紀彦 軍曹 ノ 蘇生 ニ 成功 セリ』

実験棟の関係者は神が降臨したと思っていたが、その実態は異世界から魔王を、人知の及ばない超越存在を呼び込んでしまったというのだ。あの空洞がこいつ一人によって引き起こされたというのなら、自ら魔王と名乗るだけの格と実力はあるのだろう。

「truth is stranger than fiction.」
「事実は小説よりも奇なり、か。そりゃこの世界の人間ならそうだが、あの世界ならゴーストの人間乗っ取りなんて半ば日常だったぞ?」

パンデミック。感染者に宿る異能。異界を繋ぐ扉、過去に起こった不死の実験。もはやオカルトの類にまで突っ込んだこの騒動だか、挙げ句魔王の降臨と。並の人間なら頭が痛くなるだろう。
魔王も、アニカの言い放ったことわざに理解を示すかのように、かつて居た異界での注釈も交えて告げる。

「魔王。さっきの言い分だとMr.ヤマオリがあなたを呼んだって事になるけど。じゃああなたがdemon possessionしていたカラトマリという男はいまどうしてるの?」
「ああ、烏宿亜紀彦の事か」

ならば、今まで宿っていた烏宿という男はどうなっているのか。尤も、亜紀彦軍曹の蘇生とレポートに書いていた。それが魔王という中身によって動かされていただけの話。

「元々オレが死体だったアレを動かしてただけだ、右足も自前でなんとかするしか無かったしな。だから五体満足なこいつの身体は前よりは便利だ」

だからもう答えは決まっている。中身が死骸を保っていただけで、本質的に亜紀彦という男はただの死体だ。管理するものがいなくなれば、それは当然。

「まあ、オレがいなくなった以上はただの死体に戻ってるだろう」
「………」

烏宿暁彦。いや、烏宿亜紀彦という男は死んでいる。魔王が山折圭介の身体に居場所を変えた時点で、既に。死んだ人間を動かして、いままで生きてきたのだ。中身がなくなれば、役目を終えた死体は元の在り方へと還るだけの事。
到底信じられない事だが、今更これが嘘を付くとは思えない。魔王からすれば、自分という存在に辿り着いた者たちへのささやかな褒美、と言う認識に過ぎないが。


738 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:43:34 KRQv8lNA0



「……魔王。お前さっき一年前にもこの村に来た、と言ったな」
「ん? ……ああ、それがどうしたんだい、哉太くん?」
「……あの時珠ちゃんを追いかけていた連中は、お前の仲間か?」

魔王の発した一年前という言葉。哉太にとっては圭介との友情が断裂した忌まわしき日。
疑わしき人物から追われていた日野珠が血を流しながら逃げていた姿を見つけてしまったあの日。
もし仮にこの魔王が関わっているとするならば。

「……ああ、そういう事か。その珠とやらを追いかけて連中、という振り分けならちょっと違うが。あの時のオレは立場ってのがあったからな。テロリストだけ見られていたならまだしも、手駒(ジャガーマン)を見られたのはまずかった。だから記憶を消させてもらった」

あっさりと魔王はネタバレをした。あの時、当直の研究員と揉め事になり、相手がそれをバラそうとしたため証拠隠滅を図った時だ。他の研究員にいらない面倒事を起こされても困るということで、自分の手駒で始末し、研究所はあくまで被害者であるという偽装工作を施した。
だが、運悪くその光景を日野珠が見てしまったという。魔王個人が懇意にしていたテロ組織のメンバーが村にいたのもあるが、研究所としては村の人間から死者が出れば芋づる式に実験のことがバレるかも知れない。
言ってしまえば慎重が過ぎるのだが、研究所のジジィ共の言葉を渋々飲み込んだ魔王が、日野珠に対しての処置は記憶の消去のみにしておいた。

「……あとは研究所の連中に適当な言い訳とアリバイ作らせて誤魔化せた、はずなんだがな。お前が横槍突っ込んだせいでややこしいことなったらしい」
「……そういう、ことか。お前が、珠ちゃんを」

その後は医療研究者が「山の中で倒れていた日野珠を保護しようとした」というアリバイ作り。それを疑った八柳哉太に冤罪が押し付けられたのは関係者の失態だったのだろう。
「面倒事増やしやがったなあいつら」と呆れる表情な魔王に対し、哉太の魔王への怒りは着実に増していく。
それを察したのか、小声で「Stay cool」と哉太の手を静かに握ったアニカのお陰で、何とかこの場は抑えていたが。
尤も相棒の冤罪の元凶だった男に、アニカも怒りを抱いていたが、それを抑えて魔王に問いを投げる。

「過去の哉太絡みのincidentについてはよくわかったわ。じゃあ、Mr.ミナサキに世界の危機を伝えたintentionはなんなの?」
「それはただの遊びだな」
「――What?」

ただの遊び、と返されて。魔王以外の全ての人間の思考が凍りついた。
未名崎の言っていた事は全く違う。ただの遊び? 世界の危機という情報から、一研究員がこの村の感染爆発のきっかけを作ったその始まりが、遊びだと?

「――この世界に滅びが、オレに何の関係がある?」
「なにを、言って」
「とは言ったものの、あの時は暇をしていた。思い切って演技をしながら未名崎という研究員に伝えれみれば、面白い弾け方をしたものだ」

本当に、わけが分からなかった。世界の滅びを自分には何も関係ないように言い出すその口ぶり。
だが、少し冷静になってみれば当然のことだ。彼の言い分が正しければ、烏宿の前にも別の身体を使っていた。本当に世界の滅びなど関係ないのだろう、彼だけにとっては。

「まあオレとしてもこの世界が滅んでしまうのは面白くない、一応だが世界を救うつもりはあるぞ? 立場柄その現象がどんなものかは把握していたからな、最悪オレが万全な状態になればどうにでもなる、大したこともない世界の危機だったらしい」
「――――――」
「と言ってもだ。新しい身体に移っちまったせいで万全を期すのに5年ぐらいは掛かるな」

本気でそう言っているのだ。そう出来ることが当然だから言っているのだ。
この男は、この体になってから5年経過すれば、世界の危機などどうにか出来ると、そう本気で言っているのだ。


739 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:43:52 KRQv8lNA0


「………ひなたさんの事は、どう思ってるんですか」
「……あ?」

誰もが怒涛の衝撃の真実の放流に飲み込まれる中、そんな重い空気の中でうさぎが口を開いた。
どうして圭介の身体なのかは分からなかったが。彼が烏宿暁彦であるという事を認識した上で。
こんなのが彼女の父親であるという残酷な真実に、目を向けながら。

「あなたの娘さんは、烏宿ひなたさんが死んじゃったんですよ。あなた達の起こしたウイルス騒ぎのせいで!」
「――だから、なんだ?」

だが、それでも伝えたかった叫びはたった一言で切り捨てられる。
魔王にとって、烏宿ひなたという少女(むすめ)は、表向きの立場を得るために必要な演技の一つでしか過ぎなかった。勿論娘として相応に、大切に扱ったが、所詮暇つぶしの域は出なかった。

「だからなんだって話だ。まあ、あいつがオレの真実を知らずに逝けたのは幸せだったと思うがな。だって、ただの暇つぶしだぞ?」
「――――――――っっっ!!!!!!!!!」

酷い、ただ酷かった。仮にも自分の娘を、暇つぶしだと切り捨てた魔王の言動が。
その直後、唸るような憎悪の声を上げたうさぎを、直後はすみが抱きついて抑えた。

「あなたは、あなたは!! ひなたちゃんを、実の娘をなんだと思って……!!!」
「calm down! うさぎ! ……私たちだって、あなたと同じ気持ちよ」
「おいおい、犬のしつけはちゃんとしとけよ。危ないじゃないか………?」

誰も見たことのない憎悪の表情を、犬山うさぎはしていた。
姉のはすみですら一瞬怖気づく、いままでの人生でしたことのないそんな、鬼の如き形相だった。
そのうさぎの、憎しみに染まった形相を、アニカたちもまた共感していたのもまた事実だった。
実の娘をただの暇つぶし扱いと、人間とも思えぬ思考とその感覚は、間違いなく怒りを覚えさせるものであったのだから。
特に哉太は、友達の身体がいくら当人が望んだからと、こんな外道の良いように扱われる事実に。
だが、そんな彼らの反応を尻目に、憎しみの顔を浮かべたうさぎに対し、魔王は怪訝な顔を浮かべて、意外そうに衝撃の一言を放つ。

「……なぜお前がここにいる? イヌヤマ」
「……え?」

犬山うさぎを見て、魔王が「イヌヤマ」という、名前のような単語を放った。
誰もが困惑していた。勿論魔王も含めてだ。特に犬山姉妹二人は、キョトンとした顔で魔王を見つめる始末。

「いや、ただの他人の空似か? だが、こいつから感じるこの力は間違いなくあの時の……?」

魔王もまた、過去の記憶を紐解きながら思考する。
勇者パーティに属しながら、自分の元へと鞍替えし、術式の暴走と共に消えた「イヌヤマ」、それと同じ気配と顔立ち。
だが、転移先がそうだとしても記憶の齟齬に説明がつかない。子孫だと予測するには力の質が似通いすぎている。この少女から感じる力は、あのイヌヤマが使っていた術式と同じ。
いくらウイルスの発明には自分も関わっていたが、ウイルスの影響だけでは魔力が必要な「召喚術」は出来ないはずだ。
……ああ、だからこの世界は退屈はしない。不意に、魔王の口元が喜びで歪んだ。

一方、犬山はすみは。魔王がうさぎの事を知っているという事実に困惑していた。
妹の事は子供の頃からよく見てきた。自分を慕ってくれるそんな大切で大事な妹だ。
だから妹の友達を、烏宿ひなたを暇つぶし扱いした魔王には怒りの感情を抱いていた。けれど妹が魔王の関係者だったという事実には面食らう。
だからと言って、妹が妹であることは変わりないしその絆は揺るがない。何故か親に見せられたアルバムに妹の赤ちゃんの頃の写真が一切ないことは気になっていたこともあったが、そんな事はどうだっていい。

「私は、何があってもうさぎのお姉ちゃんだよ」

そう、妹を安心させるように姉は告げる。何が合っても姉妹であることは揺るがないという誓いを込めて。


740 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:44:06 KRQv8lNA0


「………お喋りは一旦切り上げとしようか」

イヌヤマの存在の近くを切欠に、魔王の軽薄な表情は鳴りを潜めた。
彼女がいるだけでアニカたちへの魔王の警戒度は一段と上がる。
空気が、重苦しくなった。魔王以外の誰もが冷や汗を流す。

「さっきも言った通り、オレは圭介(おれ)の願いに応じてこうなった」

それは、今後の方針の宣言。
山折圭介という上質な依代(にえ)の願いに応じ、魔王は再び降り立った。

「オレは意外にも面倒見がよくてな、願いを受け取った以上は叶えてやろうと思っている」

魔王は意外にも願望機としての側面もある。
元より誰かの願いに引き寄せられる存在であり、その傍らで暇つぶしという愉悦を行う暴虐の王。
故に、受け取った願いを、最低限叶えてやるのが神としての役目。

「こいつの願いは、こいつの為だけの山折村(せかい)の復活。つまり―――世界征服だよ。すべての世界を山折という帝國(くに)にする」

故に。魔王は山折村を立て直す。いいや、世界を山折村にする。ヤマオリ帝國として全て支配する。
勿論、彼の願い通り日野光を含めた彼の友人たちを復活させる。今のままでは無理だが、3年も経てば死者の蘇生なんぞいとも容易い。
それが、山折圭介が願った憎悪(ねがい)の末。

「圭ちゃんが、そんな、ことを……!」

もう、無茶苦茶だ。魔王と対峙する皆が思ったことだ。
哉太は結局圭ちゃんを止められなかったことを後悔する。彼の奥底に根付いた憎悪は、魔王を呼ぶ程に歪んでいたのだと。
それに山折帝國なんて、もはや常軌を逸した無茶苦茶な思考だ。だが、これにはそれが出来る。魔王にはそれが出来る。
年数経過である程度力を取り戻したのならば、この魔王はそれを実行して、為してしまう。
それを本当に出来る存在でなければ、言うことの出来ない大言壮語。

「……っ、カナタ、無茶は……」
「……無茶する時だろ、こればっかりは」

アニカの不安通り、哉太は先の圭介の殴り合いで疲労困憊、限界寸前だ。
それでも、友達があんな外道に良いようにやられているという事実だけで、倒れたままの理由にはならない。

「……魔王、過去の因縁。ここで決着をつける」
「……っ」

天原創も、雪菜に支えられながらも立ち上がる。
この中で一番万全なのは天原創だ。異能の無力化が魔王に通用するかどうかは。いや、魔王の記憶封印を解除したのだから恐らく通用するだろう。
それ以上に、魔王を放っておく訳にはいかない、出来ればここで倒さなければ。ウイルス騒ぎなんて目じゃない惨劇が起こる。
犬山姉妹も、無言ながらも頷いて。アニカもまた腹を括って哉太を支えながら魔王を見据える。

「そうか、確かにお前たちなら、オレを止めれるかもしれないな。……少しだけ遊んでやる」

魔王はその光景を、歓迎する。喜びの声で告げて、構えた。
確かに勝算はある。今の自分は転移直後で、力の大部分を発揮するにはまだ時間が必要だ。
それは、魔王にも分かっていること、その上で。







「――精々死ぬなよ?」
「ガッ――――」

――刹那、魔王の姿が消えて。
直後、天原創の顔面が魔王に手により地面に叩きつけられ気を失う光景を、哀野雪菜は目撃した。
魔王の髪は、完全な金髪へと変貌していた。


741 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:44:28 KRQv8lNA0


「―――は?」

八柳哉太は、魔王の動きが全く見えなかった。
やっていることを推測するに自分がやっている縮地と仕組みは同じだろう。
だが、速度が段違いすぎた。雲耀、いや違う。
これはもはや瞬間移動の領域だ。早すぎて人間の動体視力が追いつかない。
魔王へと変生した山折圭介の身体は既に人間のそれではない。
魔王の力を最適化し、それに適した身体へと変化する。
適応の為に必要な時間こそ掛かるが、『常軌を逸した身体能力』程度なら憑依直後でもすぐにでも適応すされる。
それは、比較するなら身体強化能力を持つ気喪杉禿夫がいくら逆立ちしようと決して届かないほどに。

「一人目」
「……っ!」

さも当然と、気絶した天原には目もくれず、魔王の次の標的は哀野雪菜。
迫るのは軌道が丸わかりのテレフォンパンチ、だがあまりの速さに回避行動は不可能。
『線香花火』の身体強化で耐え、『傷痕』の強酸でカウンターする前提だった彼女の目論見を。

「あ゛がっ!?」

『線香花火』ですら抑えられない威力のテレフォンパンチによる衝撃が迸り、哀野雪菜の身体は遠くへと殴り飛ばされた。
臓器へのダメージは辛うじて防いだものの、骨の数本は折れたのか雪菜は潰れたカエルのような声を上げて地面に叩きつけられた。少なくともこの戦いにおいては動けない程に。

「二人目」
「――来て、トラミちゃん!」

声に反応し魔王が振り向けば、犬山うさぎが声を張り上げ干支の動物を召喚する。
時間は2時台。呼び出されるは戦闘においては最強たる虎ことトラミちゃん。
牙を振り上げ、その黄色い巨躯が魔王へと駆け出し迫る。

「……はぁ」

だが、そんな干支の戦闘最強の動物に対し、目撃した魔王の反応は落胆だ。
トラミがこちらまで接近するまで待った上で、その爪が振り下ろされる瞬間に。

「温い、この程度とは落ちぶれたな、イヌヤマ」

魔王が軽く横に手を振るえば、その手刀によって干支最強の虎が真っ二つに切断された。
イヌヤマの召喚術。魔王が知るそれは聖獣や幻獣の類すら呼び出すことの出来た、魔族の大軍勢すら圧倒するような存在をも召喚する大いなる天の祝福。
この女のその力はここまで落ちぶれたとは、落胆を通り越して失望だった。

「トラミ、ちゃん……!」
「このトラも、お前がもうちょっとまともなら少しは踏ん張れただろうに、そこまで弱くなったか」

召喚術によって呼び出される召喚獣の強さは術者の魔力の質と量、そして才能によって左右する。
この少女は才能こそあれど他が外れと来た。恐らくウイルスで擬似的に再現できただけであって呼び出された動物の強さは大したものではないのだろう、それでも並の実力者なら圧倒できるぐらいの底はあっただろうが。

「――もう良い、お前は死ね。万が一勇者を呼び戻される奇跡を起こされては流石に面倒だ」
「させるかぁ!」

うさぎに凶刃を向けようとして、はすみが動こうとしたその前に、その魔王の行動を阻んだのは八柳哉太。
アニカに運んでもらって刀を拾い直し、今出来る最大速度の縮地を以って肉薄。

だが、魔王にとってはそれはノロマな亀を眺めるような愚鈍さにしか過ぎない。
容易く最低限の動作で避けようとして――魔王が予測した軌道より少し白刃の動きがズレる。
いくら魔王とて回避が少し間に合わず、頬を少しだけ切らしての回避となった。
傷口から垂れた血をその手で拭い、魔王は感心した表情でニヤリと笑みを浮かべる。

「――ほう」
「Be careless, my enemy.」

タネを明かすならそれはアニカによる軽いトリックだ。
あの移動速度を見て真っ当なやり方では勝てないと哉太は悟った。恐らくこの魔王は寸前まで迫った剣戟を片手まで回避した上でその返しで相手を殺す事など造作も無いことだろう。
天宝寺アニカのテレキネシスは原則自分の筋力以上の物体は動かせないが、逆を言えばその筋力で持てる程度のものなら何でも動かせる。このように、意図的に少し軌道をずらす程度のような細かな事も。
それが、哉太による魔王への最初の一撃だった。


742 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:44:43 KRQv8lNA0


「今のは上手だったぞ。お陰で数十年ぶりの傷を受けた」
「………そりゃ、どうも」

魔王からの素直な称賛が送られるが、素直に受け取れられる状況ではない。
まず根本的に存在としての質が違いすぎる、これで憑依したての弱体化状態だというのだから笑い話にすらならない。
時間が空けば空くほど勝てる可能性が低くなる。それよりも、圭介からこいつを引っ剥がす手段がまだ思いつかない。
うさぎがはすみにやったような手段で無理矢理引き剥がせるかとは思っていたが、それを許してくれるほど甘くはない。

「だが、お前は無理をし過ぎたな」
「……ッ!!」

その魔王の発言を境に、哉太の視界がぐにゃりと歪り、地面へと崩れ落ちる。
特殊部隊員との戦い、異能の進化による急速再生、その上で疲労限界寸前まで行っての殴り合いの喧嘩。
むしろそのような状況で相棒の手も借りて魔王に一撃与えることが出来ただけでも奇跡の産物だ。
手足が震え、心配するアニカに支えられなければ身体を起こすことすら出来ないのだから。

「――だが、その健闘をたたえて、あと一分耐えきったらならお前たちを一度見逃してやる。その間は魔法(すこしほんき)でやらせてもらおうか。――まずは」

魔王の圧が変化する。適応が進み、魔法の使用が解禁された。それでも使用可能なのは最低限のものであるが。魔王にとっての最低限が、常人にとってすらまともであるはずがない。

「そこの出来損ないからだ」
「……ッ!?」

魔王の手のひらから生成される魔力の焔。それを無造作にうさぎへと投げつける
目的は落ちぶれたイヌヤマの殺害。黒曜石の弾丸がうさぎへと降り注ぐ。

「させない!」

それを庇うようにはすみが金槌でその炎球を弾く。
本来なら月影夜帳が保有していたものを彼の死後はすみが回収していたのだ。
魔王の魔力を込めたそれを弾けたのは一重に神聖付与の恩恵か。

「だが、これは防ぎようはないぞ?」

ならば、と。ダメ押しとばかりに今度は大きめな黒曜石の槍を生成。
それを流れるような動作でうさぎに向けて投擲。炎球を弾いたはすみでは弾くことが出来ない速度で。

「――!? うさぎ!」
「え」

迫る黒槍、呆気にとられ動けないうさぎ。
その身体を庇うように、はすみがうさぎを突き飛ばす。

「――ッ!」
「あれはオレの魔力で作ったものだ、生半可な異能で干渉できると思わないことだ」

アニカも嫌な予感を察知して、テレキネシスで辛うじて軌道を曲げようとするもびくともしない。
シンプルに重力過多、テレキネシスの適応制限を超えているものだ。そもそも魔王の魔力で込められたそれを人の手でどうにか出来るものではない。
故に、結末の決まった運命は避けられることはなく。
――犬山はすみの身体を、残酷にも黒槍が貫きその身体を致命的なほどに抉った。

「いやぁぁぁぁぁっ!!!」

うさぎの悲鳴が昼空に木霊する。
倒れる姉の身体。その脇柄は大きく抉られて決壊した河川を思わせる程の血を垂れ流していた。
無惨にして残酷な現実を、犬山うさぎは目の当たりにしてしまい、絶叫する。
それでも、虚ろな眼ながらもうさぎをまだ見ていたあたり、辛うじてまだ生きている、だけだった。

「これで三人目か」
「おま、えぇぇぇぇぇっ!!!」

眼前の悲劇を黙っていられず、哉太が叫ぶも、体が動いてくれない。
手も足も震えて、思うように動いてくれない。
あんなものを見せられて、動けない自分が一番憎たらしかった。

「残り30秒、お前で最後としよう」

そんな彼に非情な宣告を下すように。魔王の背後には、その魔力で形成されたであろう魔力の剣が何本も浮かんでいた。
「6本か、現状ではこれが限界だな」と魔王があっけからんと吐き捨てるが、そんなもので心臓と脳を串刺しにされては無事ではすまない。

「では、さようなら」

眼前に迫る死の象徴、来る剣の小雨。その狙いは心臓と脳。
ヒーローを夢見た少年の願いは今ここに潰える時だ。

「ダメぇぇぇぇっ!!!」

ただし、少女が串刺しにされなかったらの、話であるが。


743 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:44:59 KRQv8lNA0












こんな事になるんだったら、バカ正直に言っておけば良かったのかな


744 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:45:18 KRQv8lNA0



「―――――――――――――――――アニカ?」
「……かな、た。………がフッ!!」

可憐な少女の華奢な身体が、串刺しという名の鮮血に彩られる。
赤いヘドロの如く、血が滝となって口から流れ落ちた。
突き刺さった魔力の剣が霧散して、名探偵の、相棒たる少女が無惨にも穴だらけになった姿を、八柳哉太は目を逸らすことを許されないまま、その絶望を直視した。

「――――――」
「何、まぬけな、顔、して、るの、ばか」

身体から何かがごっそりと零れ落ちる感覚を、アニカは感じていた。
これが、死ぬ直前の感覚なのだろうか。
死ぬのは怖いものだと思っていたけれど、思いの外怖くないものだと、思ってしまう自分に呆れ果てている。

「……でも、しかたの、ないこと、なの、かな……」

そうだ、終わる。終わってしまうのだ。
ただ唖然とする相棒の顔を見て、頭を撫でてやろうかと思ったけれど。
動く力すら抜け落ちていく感覚に、もう長くはないのかと考えて。

「せめて、さいご、くらい」

崩れ落ちる身体で、せめてと言わんばかりに。
自分の血で染まってしまった哉太の、その顔に向けて。
唇と唇を、辛うじて、ほんの一瞬だけ重ねて。
そういえば、キスなんて、したことなかった、なんて下らないこと思い返しながら。
天宝寺アニカは、思う。
こういう事は、早く言っておくべきだったけれど。
正直言って、それを自覚したのは貫かれた直後だったから。
いや、あの殴り合いを見て叫んでしまった時に、そうだったのか。
だから、せめて。例えこの感情が分からなかったとしても、せめて。

「カナタ、わたし、かなたの、ことが―――――」
「邪魔だ」

アニカがそれを言い終わる前に、魔王の蹴りが死に体のアニカを吹き飛ばし、ちょうどはすみのすぐ隣の位置に転がり落とした。

「―――――――――――――――――――――――――ぁ」

その光景を最後に、八柳哉太の中で、何かが壊れた。
壊れて、気を失った。










『ざまぁみろ、哉太』

最後に、余りにも醜悪な形相で吐き捨てる友達の幻聴を聞き届けて。


745 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:45:45 KRQv8lNA0





「―――さて」

時間切れ、殺せたのは恐らく二人。
生存者は気絶三人、項垂れてる犬山(できそこない)一人。
まあ、準備運動としては中々楽しかったと肩を鳴らしながら。

「約束通り、お前たちは一度逃してやる。が、こいつの身柄は預かっておくとしよう」

気を失った哉太を肩に乗せ、何ら問題ないとばかりに黒髪に戻った魔王が歩き始める。
ここで全員仕留めても良かったが、自分が課した約束を無碍にするほど卑怯ではない。
それに、ゲームというのはクリア条件というものを何個か容易すべきものだ。
天原創。自分の施した記憶の封印を破るに至った異能を持つ者。あれには期待できる。
イヌヤマの方は出来損ないだ、勇者を呼び戻される可能性を危惧して仕留めるつもりだったが、あの腑抜け具合なら問題はないだろう。

「オレはこれから、オレを呼び寄せたもう一つの元凶。この山折村に潜む呪いの元凶を探し当てる」

世界征服の第一歩。この山折村を呪い、自分という存在を呼び寄せるに至った元凶の一人を探す。
探してどうなるかは彼にすらわからない。何故なら自分はちゃぶ台がえしが大好きだ。
そんな自分が、元凶と言う名の呪いと出会い、何が起こるかを楽しみにしているのだから。

「――オレを止めてみせるというのなら、この魔王・山折圭介を止めてみせるというのなら」

希望を与えなければ面白くない。可能性の芽は敢えて残しておくべきだ。
行方不明になったままの聖剣も、何故ここにいるかわからない召喚術師のイヌヤマも、自分が施し理想通りに目覚めたエージェントも、そしてこの村に根付く長きにわたる呪いも。
ここは、ちゃぶ台がえしの要因が豊富だ。だから、愉しもう。

「やってみせるがいい。オレは全ての運命が交差する場所で待っている」

そう言い残して、魔王は去っていく。
目指すは病院、その地下にある研究所支部。
数多の運命が交差する場所へと往く、魔王という災厄は大いなる呪いの姿を拝謁するために。


【F-5/一日目・午後】
【山折 圭介】
[状態]:『魔王』
[道具]:懐中電灯、予備弾5発、サバイバルナイフ、上月みかげのお守り
[方針]
基本.『お前の願いを叶えてやろう、山折圭介』
1.『山折村の厄災、自分をこの世界に呼び寄せたであろう元凶に会いに、研究所へ向かう』
2.『オレを止めて見せるなら、やってみせろ』
3.『さぁ、愉しいデウス・エクス・マキナの幕開けだ』
4.『八柳哉太、お前の身柄はオレが預かることとしよう』「ざまぁみろ、哉太」
[備考]
※山折圭介の願いにより『魔王』に憑依されました。現状の山折圭介の人格がどうなったかが後続の書き手におまかせします
※現状使える技能は以上な身体能力及び魔術(炎、黒曜石精製、魔法剣)ですが、時間経過によって使える魔術等が徐々に増えていきます
※基本的に黒髪ですが、力を使う間は金髪になります

【八柳 哉太】
[状態]:気絶、血塗れ(アニカの血)、異能理解済、疲労(超極大)、精神疲労(崩壊)、喪失感(極大)
[道具]:なし
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
0.―――――――
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました


746 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:46:01 KRQv8lNA0





―――お姉ちゃん、死なないで、お姉ちゃん!!

こえが、きこえる。
たいせつないもうとのこえ。
でも、わたしはもうだめだ。もうしぬんだ。
ごめんね、うさぎ。
こんなよわいおねえちゃんでごめんね。

わたしがもっとたよりになったら、けいこちゃんもひなたちゃんも、つきかげさんもしなずにすんだのかな。

けれど、せめて、せめて。
ごめんねうさぎ、わたしはもうだめだから。
せめて、ひとりはたすけたいの。

てのとどくところに、あにかちゃんがいる。
ひどいきずだった。でもわたしのちからなら。
わたしのいのち、ぜんぶつかえばたすけられる。

うさぎ、ごめんね。こんなわがままなおねえちゃんでごめんね。
あにかちゃん、いままでありがとう。
もしかなたくんをたすけられるとしたら、あなたしかいないとおもうから。
つらいやくめをおしつけて、ほんとうにごめんね。
これでだいじょうぶだから、これでまたたちあがれるから。

もう、いかなきゃ。
おねがい、みんな。うさぎを、わたしのたいせつないもうとを。



まもってあげて。あのこを、ひとりにしないであげて。



【犬山はすみ 死亡】


747 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:50:20 KRQv8lNA0



目を覚ます。


身体を起こす。


「……はすみ?」

天宝寺アニカが目の当たりにしたのは、血塗れの手で自分を握ったままの、既に死に絶えた犬山はすみ。
その傍らで、泣き続ける犬山うさぎ。
気絶から目を覚まし、骨が折れた雪菜を支えながら歩く天原。
自分は死んだ、死んだはずだと。その実感はアニカにもあった。
けれど、何故か自分は生きていると来た。服の貫通痕から察するに間違いなくあれは致命傷だったはずだから。
どうして生きているのかなんて、推理せずとも、分かる話だった。

「………」

謝罪の言葉が、思いつかなかった。
それすら、自分のために命を燃やし尽くしたはすみを侮辱する行為だと察してしまったから。
犬山はすみの異能は自らの生命力を分け与えて他者の強化を齎すもの、それは用途次第で治癒の力ともなり得る。
命尽きようとした彼女は、死の運命に堕ちていた自分を治すために全ての生命力を行使して自分を治療したのだ。
微睡む闇の中で、はすみの声が聞こえた気がした。
辛い役目を押し付けてごめん、と。
探偵は事件が起こってから駆けつけるもので、その殆どが手遅れになってから。
だから、辛いことなんて、何度も経験するけれど、慣れないもの。
だけど。


――悲しむな……とは言いません……。ですが、それでも……歩みを……止めないで……


「――I understand.」

小さく呟いたその言葉は、小さな決意で。
もはや大円団は不可能だとしても。
それでも取り戻したいものがあるから。
怖いだとか、恐ろしいだとか、死にたくないだとか。
そんな本音(よわね)で、歩みを止める理由にはならない。
それに、結局いい損ねた思いを、伝えるためにも。

パン!と頬を叩く。
雪菜も天原も、悲しみに沈んでいたうさぎもアニカの顔を見る。
アニカとて、悲しんでいないわけではない。その目元は赤く腫れていて。
それでもという意志だけは、皆も感じ取れた。
敗者だらけの世界だ、歩みを止めようとするものは一人もいなかった。


「――Let's start the strategy meeting. これからの、私たちの未来の話を」


748 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:50:32 KRQv8lNA0
※E-5に打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、ダネルMGL(2/6)、他八柳哉太の所持品が放置されています

【E-5/古民家群付近/一日目・午後】
【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(小)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(???)
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、登山用ロープ、医療道具、マグライト、ラリラリドリンク、サンドイッチ
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
0.Let's start the strategy meeting. これからの、私たちの未来の話を
1.「Mr.ミナサキ」から得た情報をどう生かそうかしら?
2.negotiationの席をどう用意しましょう?
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。
6.私のスマホはどこ?
7.I'll definitely help. だから待ってて、カナタ。あの時の言葉を、ちゃんと伝えるために
8.……sorry and thank you. はすみ
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだため、彼女の身体に何かしらの変化が生じる可能性があります。

【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇・虎再召喚不可、深い悲しみ(極大)、精神疲労(大)
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.おねえ、ちゃん……
2.私は、誰なの?

【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、顔面に傷(中)
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.カラトマリ……いや、魔王ヤマオリ……
2.スヴィア先生を取り戻す。
3.スヴィア先生を探す。
4.珠さん達のことが心配。再会できたら圭介さんや光さんのことを話す。
5.「Ms.Darjeeling」に警戒。
6.――僕は、また。でも、今は。
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。

【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(簡易処置済)、全身にガラス片による傷(簡易処置済)、スカート破損、二重能力者化、骨折(中・数本程・修復中)、異能『線香花火』使用による消耗(中)
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.……魔王、ヤマオリ。恐ろしい、人。
3.これからの事、考えよう
[備考]
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。


749 : 終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:53:29 KRQv8lNA0























物語を、物語を創めよう。
デタラメを入れて、語りを遮りながら、ゆっくりと一つ一つ。
風変わりな出来事を打ち出して。

歪んだ物語(パンデミック)を覆す、機械仕掛けの卓袱台返し(バトルロワイアル)の幕開けと行こうかじゃないか。
――山折村の大いなる呪いよ。ゲームはまだ始まったばかりだぞ?


750 : ◆2dNHP51a3Y :2023/12/23(土) 21:53:43 KRQv8lNA0
投下終了します


751 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/24(日) 16:09:15 hBYNI3/U0
投下乙です!

>いろとりどりのセカイ -Dawn of Beginning-
>いろとりどりのセカイ -袴田邸吸血殺人事件解決編-
>いろとりどりのセカイ -さらば青春の光-
>終わ(はじま)りの山折(れいめい)/テスカトリポカ

名探偵アニカの推理劇
まさかこのロワ犯人を追いつめる推理劇が見れるとは
真犯人のへの最後の決め手となったのは叶和の血を取り込んだ雪菜の話と言うのもいい結末

それでも見苦しく悪あがきを続ける月影
雪菜の後悔を抱えて前に進む精神に追い詰められ、血液が武器ことあり雪菜は天敵すぎる
取り込んだ異能によって灰となる、正しく自業自得の最期
吸血衝動と言う産まれ持った趣味嗜好が違ってしまった故の月影の苦悩はあったが、やったことは許されないね

燃える村で親友だった2人が拳と共に想いをぶつけ合うように殴り合う
圭ちゃんが素手なら哉太に勝てる程強かったのは驚き、流石はガキ大将
決着はヒロイン補正、光を失った圭介にはもうないもの

そして、圭介の絶望に呼応して魔王が降臨する。えっ、魔王が降臨!?
次元と言うか完全に世界観が違う強さ、誰が勝てるのこれ?
完全に乗っ取られた圭ちゃんの意識はあるのか

操られていたとはいえ自らの罪に苦しむはすみの最後
命を放出する異能を使えばこうなるのは必然か
そして、魔王に寝返ったイヌヤマとうさぎ出生の謎とは


752 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:00:30 qSJGujF.0
投下します


753 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:01:15 qSJGujF.0
時刻は午後にさしかかる直前。
研究所、地下1階。

極東に浮かぶ島国、日本国を守護する自衛隊。
その深淵に汚れ仕事を請け負う秘密特殊部隊は存在していた。
奈落の底にほど近い研究所の通路でその深淵に属する2名の隊員がブリーフィングを行っていた。

「それで、次の方針はどうするんだ? 指揮官殿」

真珠がこの場における臨時指揮官である天に問う。
碓氷の提案した策により、敵の存在を知れた上に労せず戦力の分断も出来た。
こちらの存在が露見する前に一方的に敵の存在を知れたのは大きなアドバンテージだ。

真珠としては、宿敵がすぐ同じ施設内に居る事が分かったのだ。今すぐにでも打って出たい所である。
だが、約束通り判断は指揮官である天に委ねている。
冷静に駒の役割に努め、静かに彼の指示を待つ。

「そうですね。具体的に何をしようとしているのか。まずは相手の目的が知りたいですね」

踊り場での会話に扉越しにそば耳を立て、解決策を模索していると言う曖昧な目標は分かった。
だが偶然か、それとも周囲を警戒した意図しての事か。
ハヤブサⅢはこの研究所で具体的に何をしようとしているのかは口にしなかった。

分かるのはスヴィア達と別れ碓氷と共にB2に向かったと言う事だけである。
天たちはB2にどのような設備があるのかすら把握できていない。

果たして、それは相手も同じく研究所の探索を行っている段階なのか。
それとも既に具体的な手立てを見つけ、この施設内に明確な目標地があるのか。
まずは、それを知りたい。それを知るための碓氷ではあるのだが、その戻りを待つとなるといつになるのか分からない。

「少なくともハヤブサⅢたちが地下2階に向かったのだけは分かっている。ならば、先行している小田巻さんが捕捉できるはずだ」
「つまり、小田巻の報告を待つって事か?」
「ええ。攻めるにしても彼女が戻りを待った方が戦力的にも盤石でしょう」

全ては先行した偵察、小田巻の成果次第である。
少なくとも相手の動向を探れば探索しているのか明確な目的があるのかは判断できるはずだ。
何より、戦力的にも彼女の戻りを待った方が確実だ。

真珠からすれば慎重すぎると感じられる、石橋を叩いて渡る様な方針である。
信条は変わっても、その辺の性質までは変わらないと言う事だろう。

だが兵は拙速を尊ぶとも言うが、急いては事を仕損じるとも言う。
明確な判断ミスならともかく方針の差異でしかない事にいちいち意義は唱えない。
従うと言った以上そこには従う。

「了解した。通信はどうする?」

ひとまず待機命令を呑み込んだ真珠は、通信阻害のタイミングについて問う。
彼らは備品倉庫の前で待機しており、何時でも配電室の通信を止られる状況だ。
放送装置は天の提唱する放送作戦に必要な、出来る限り残しておきたいパーツではあるが、敵に使われるわけにもいかない施設である。
何時その決断を下すべきか、放送室に何者かの潜入が確認できた時点で切るのが理想だがそのタイミングが難しい。

そもそも彼らは放送室がB2にあるのかB3にあるのかどころか、存在するのかすらわかっていないのだ。
偵察からリアルタイムの報告が出来ればいいのだが、通信が封じられているのがもどかしい所である。
それもこれもハヤブサⅢのせいなのだが。

「ひとまず、それも様子を見ます。何をするにせよまずは小田巻さんの帰還を待ちましょう」




754 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:01:35 qSJGujF.0
同刻。
研究所、地下2階。

ベルのような到着音が鳴る。
到着したエレベータより、気配もなく一つの影がそのフロアに侵入を果たした。
それは上階にいる2人と同じ秘密特殊部隊に所属する新人隊員、偵察の任を負った小田巻真理である。

このフロアにも少なからずゾンビは居たが、殺してしまっては死体と言う痕跡が残る。
今回は偵察任務という事もあり殺害は避け、巧い具合に死角を突いて交戦を回避していた。

元より小市民的な臆病さと妙な大胆さを合わせ持つ小田巻の偵察能力は高い。
それが気配遮断の異能と合わせれば、それこそ同じ異能を用いなければ発見することすらできないだろう。
音に反応すると言うゾンビの特性も理解している、物音一つ立てない彼女をゾンビごときが捉えるのは不可能である。

小田巻は順調に研究所の室内を探索して行った。
研究所探訪の先駆者である紅白巫女の素人仕事とは異なり、迅速かつ要点を押さえたプロの仕事だ。
このフロアでは開発や実験と言うよりは学術的な研究が主に行われていたようである。
実験器具なんかも置かれているが、それよりも資料や手書きのメモの方が多い。

だが、今回の主目的はそう言った資料の類ではなく敵情視察だ。
先んじてこの研究所に到達したと言う何者かの動向を探る事である。
ここまではゾンビばかりで正常感染者とは出会ってはいない。

エレベータから出て2部屋目の神経工学研究室を調べ終わった所で通路の突き当りに差し掛かった。
気配を殺しつつ壁際に身を寄せる。角を曲がる前に先の確認も怠らない。
壁に背を預けるように張り付いたところで、道の先に人の気配を感じた。

足音は三つ。その内一つは下手をすれば聞き逃してしまいそうなほどに限りなく小さい。
恐らく先んじて研究所に辿り着いたと言う何者かだろう。

壁越しに慎重に相手の様子を窺う。
そこに居たのは先頭に女が一人とその後ろに男が二人。

歩き方からして女の方はプロだ。
足音もなく、一見して身のこなしに隙が無い。

白衣の男の方は見た目からして研究員だろう。
この研究所に居た研究員と言う可能性もあるが、白衣の男を引き連れた玄人の女には心当たりがある。

天と真珠が交戦したと言う、国際エージェント、通称ハヤブサⅢ。
天から共有された外見情報とも一致する。
なるほど、特殊部隊をしても厄介な相手だ。
そして最後尾、最後の男を確認する。

(…………って。碓氷さんっ!?)

思わず出てきかけた声を押さえる。
そんな特殊部隊の大敵に同行しているのは一階でスヴィアと共に待機しているはずの碓氷だった。

何がどうなっている?
どうしてこうなった?
いまいち状況が読めない。
まさか、人質にでも取られたか?

スッと小田巻の目が細まる。
もしそうならば助け出さなければならない。
手元のライフル銃を握りしめて僅かに思案する。

相手はまだ小田巻の存在に気づいていない。
気配遮断の異能を持つ小田巻の存在はハヤブサⅢと言えども見つけることなど出来ないだろう。

不意打ちを仕掛ければ確実に先制は取れる状況だ。
一発撃てば気付かれるだろうが、それで女の方を片付けられれば男の方は問題にならない。

そんな自己判断だけで動いてれば突撃していたかもしれない。
だが、指揮官である天の言葉が脳裏をよぎる。
偵察に徹し交戦は避けろと、そう厳命されていた。

冷静に考えれば碓氷がこんな所にいるのは不自然だ。
天と真珠を出し抜いて碓氷を人質にとるなんて、それこそまさかだ。
何か別の作戦が動いていると考えるべきだろう。

この報告を持ち帰る事こそが斥候の任務だ。
見に徹して相手の動向を見届けると、小田巻は音もたてずに引き下がる。
足音も立てずエレベータの方へ向かって、消えるように去って行った。




755 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:02:15 qSJGujF.0
同刻。
研究所、同階。

非常階段より花子を先頭に与田、碓氷の3名は地下2階へと侵入していた。
見る限り、下層と異なり死体が転がっているような事もなく、ちらほらと彷徨っているゾンビが散見される程度である。
侵入時に大方のゾンビを春姫の異能を利用して拘束したこともあり、潜入はつつがなく果たされたようだ。

そんな廊下を、先頭の花子が伏兵に対する最低限の警戒をしながら進んでゆく。
エレベータの停止ランプからB2に何者かがいる事は分かっている。
碓氷の言う所の観光客の女が先行しているはずだ。

「ところで、碓氷先生。その観光客の人のお名前は何ていうのかしら?」
「そうですね…………小田巻さんと聞いています」

碓氷は一瞬だけ逡巡するが、答えないのも不自然かと思い直して素直に回答した。

「小田巻さん、ね」

分かっていた事だが、名前を聞いたところで心当たりはない。
当然ながら各国の諜報部や秘密部隊の隊員情報は秘匿されている。
例えばこの村に攻め入っているSSOGについても亜細亜最強の狙撃手や機械仕掛けの怪物がいるなんて噂くらいは把握しているが。
花子が名前と顔を把握しているのは直接的な面識のある真珠と、自衛隊最強と名高い大田原くらいだ。

何より、工作員だとするなら素直に本名を名乗るはずもない。
花子だって当然ながら偽名であり、知られているのはハヤブサⅢと言うコードネームだ。
彼女にとっては本名など最初につけられた名前でしかない。

この研究所にたどり着き、加えてゾンビの蔓延る危険地帯に単独で先行できるだけの実力者。
民間人である碓氷を同行させている事から、流石にSSOGではないとは思うが十中八九同業者だろう。
日本はスパイ天国だ。その手の対処に大きく後れを取っている。
この国の『Z』について調査や阻止を目論む同業者が紛れ込んでいても不思議ではない。

碓氷たちも事件の解決を目指しているのならば今の所、争う理由はない。
話の通じない野生児を除けば、花子がこれまで交戦してきたのは村人の抹殺を目的とする特殊部隊ばかりだ。
基本的に、村人同士で争う理由はないのだ。
あるとするならば火事場泥棒的に暴れる元々の異常者か、女王の殺害による事態の解決を図る強硬派くらいものである。

だが、もし仮に工作員の類なら別の政治的な理由で花子と衝突する懸念がある。
海衣たちの頑張りをこっちの事情で台無しにするのはさすがに忍びない。
交戦にならないための保険として碓氷を引き連れているが、話の通じる相手であることを祈るばかりだ。

「ところで、どちらに向かっているのですか?」

しばらく歩き続けたところで、花子の後ろを歩く碓氷が尋ねた。
研究所内の探索を行うのだとばかり思っていたが、階段からですぐ脇にあった会議室や実験準備室と言った部屋をスルーして進んでいた。
まるで、明確な目的地があるような迷いのなさだ。
その真意を探る事こそが、別行動を任された碓氷の名目上の任務である。

「そう言えば、まだ説明してなかったわね」

思い出したように花子がわずかに歩調を緩め、背後を振り返りながら答える。

「私たちは、通信室に向かっている所なの」
「通信室、ですか……? それがこのフロアにあるのですか?」
「研究所内の見取り図によればね。そうよね与田センセ?」
「ええ。通信室ならそこの突き当りにありますよ」
「なんと……」

既にそこまで把握しているという事実に碓氷が感嘆の声を上げる。
資料室で手に入れた見取り図と施設の内情にそれなりに明るい与田の案内がある。
花子にとっても未探索のフロアだが、迷うことなく突き進めたのはそのためだ。

「では、そこで外部に助けを求めるおつもりで……?」
「いえ。通信室と言っても、特定の場所と通信するための物で、他には繋がってないんですよ」

碓氷の問いにこの施設のシステムを把握している関係者、与田が答える。
碓氷は僅かに肩を落とすが、すぐさま別の疑問に気づく。

「では、何のために、いや……その特定の場所とはいったいどこなんです……?」
「研究所よ。ここじゃない本部の方ね。そこで特殊部隊を引かせるように上役と交渉するわ」

驚きを隠せず碓氷が表情を変える。
研究所との直接交渉。
想定以上に事が進んでいたようだ。

スヴィアに役割を託したように、研究所と言う施設はウイルスを調べるための物と言う先入観があった。
だが。この事態を俯瞰する上役と繋がる場所である、確かにそういう発想もあるのか。


756 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:02:34 qSJGujF.0
「ですが、交渉などせずともバイオハザードが解決すれば自然と特殊部隊は引くのでは?」

特殊部隊の目的はバイオハザードの解決だ。
目的が達成されれば特殊部隊は村に留まる理由はないはずだ。

「いいえ。そうじゃないわ。バイオハザード解決のための皆殺しが、口封じのための皆殺しに変わるだけよ」

ただ殺される理由が変わるだけである。それでは意味がない。
仮に送り込まれた特殊部隊を全滅させたとしても同じ事、次の戦力が送り込まれるだけだ。
安全を図るには根本を断ち切らねばならない。
生き残るには、明確な区切りが必要となる。

「なるほど…………ですが、可能なのですか? そんなことが」
「さてね。やってみないと分からないけど、やらなきゃ可能性すらないでしょう?」

結局は確証などない出たとこ勝負だ。
だが、やらなければどんな可能性もなくなってしまう。
そこに漕ぎ付けただけ大したものだろう。

そうしているうちに、突き当りに差し掛かった。
その右手側に通信室と書かれた扉がある。

与田が通信を行っていたという話なのだから大丈夫だとは思うが。
念のためゾンビの飛び出しを警戒しつつ、慎重に花子がドアを開いてまずは一人で侵入して安全確認を行う。
部屋には最先端と思われる通信機器がずらりと並んでいた。
一見する限り通信室は無人であり、少なくともゾンビの気配はなさそうだ。

「いいわ。入って」

ゾンビはいなくとも観光客の女が潜んでいる可能性はある。
それを警戒するのなら早めに碓氷を近くに置いた方がいい。
そう判断して外にいる与田と碓氷を呼び込んだ。

「ここが通信室ですか」

そんな意図はつゆ知らず、碓氷が感心した様な声を上げ、室内の観察を始めた。
スヴィアと共に休憩室に押し込められていた碓氷からすれば研究所の設備を見るのは初めての事である。
自分の住んでいた田舎町の足元にこんなものが隠されていたのかと思うと不思議なものだ。

碓氷が感心している間に花子は室内にある死角をチェックして行き、ひとまずの安全を確認した。
そして彼女の鷹の眼が、中心に置かれた大型のモニターとPCのようなコンソールに止まる。

彼女はそこに向かうと、本体の起動スイッチを立ち上げる。
画面がゆっくりと明るくなり、画面上にいくつかのオプションが表示された。

それを確認して、花子は画面の正面の席に座る。
与田と碓氷もそれに倣い、脇にある椅子を引き寄せそこに座った。

「それじゃ与田センセ。使いかたの説明をお願い」
「えっと、じゃあまずはそこにパスを通してください」

そう言って与田が本体からケーブルでつながれたパスリーダーを指さす。
限定的とは言え、外部に情報を持ち出せるこの設備の機密レベルは相応に高い。
それで通信者が記録される仕組みなのだろう。
その説明を受けた花子は与田に向かって手を差し出す。

「なんです?」
「パス。出してくださる? 与田センセのを使うわ」

恐らく通信者は向こうに通知されるはずだ。
内通者である与田の名前でコールした方が向こうが応じる可能性は高い。

「ま、まあいいですけど。どうせパスコードの入力があるので」

若干渋々の様子ながら与田が自らのパスをリーダーに通す。
レベルの逆偽造された特殊パス。
説明の通り、画面上にコードの入力ウィンドウが表示された。

「それじゃあパスワード入力お願い」

花子は席をずらしてキー入力を明け渡す。
キャスターで滑るように移動してきた与田がキーボードに指を置いた。

「はいはい。与(4)、田(0)、四(4)、郎(6)と」
「セキュリティ意識の欠片もないパスワードねぇ」
「いいじゃないですか。ほっといてくださいよ」

パスワード認証が受け付けられ、通信用の専用画面が立ち上がる。
画面の左下には通信ログが表示されており最終通信者は与田となっている。

[2023-06-18 09:01:48] user: Takahiro Tamiya | call: Headquarters | status: Communication ended | duration: 1h03m39s
[2023-06-18 10:26:07] user: Takahiro Tamiya | call: Hospital | status: Communication ended | duration: 1m21s
[2023-06-18 21:53:25] user: Shiro Yoda | call: Headquarters | status: Communication ended | duration: 42m41s
[2023-06-18 23:55:41] user: Shiro Yoda | call: Headquarters | status: Communication ended | duration: 7m55s
[2023-06-18 23:57:02] user: Shiro Yoda | call: Village | status: Communication ended | duration: 4m19s

証言通り地震発生直後の通信が一つ。
最期の2つは放送の工作用の通信だろう。


757 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:02:57 qSJGujF.0
「ありがとう、センセ」

初見のツールだが、ここまで来れば工作員である花子ならば扱いはお手の物だ。
与田を押しのけ、正面のポジションに戻るとキー入力を始める。

接続先に本部を選択して、通信用のステータスを設定。
そして、この村の運命を決める通信をコールする。
静かなブザーのような呼び出し音と共に、モニター上に「通信接続中」と表示された。

交渉役はもちろん正面の花子だ。
碓氷としても積極的に口を出すような真似はするつもりはない。
状況が思いのほか動きすぎて、出方を伺うしかないというのが正直なところだ。

「出ませんね……」
「待ちましょう」

座して向こうの応答を待つ。
このタイミングで渦中の支部からのコールがあるとは思っていないのか、それともこの支部はとっくに切り捨てられたのか、空しく呼び出し音が繰り返される。
辛抱強く待ち続けていると、電子的な鐘の音が鳴った。

画面のステータスが通信中に変わった。
眼前のスクリーンがブルーバックから切り替わり、人物が表示される。
傍らの与田が、碓氷すらも運命の一瞬に息をのむ。
正面に座る花子だけが不敵に笑みを浮かべながら画面上の相手に呼び掛ける。

『オヤ。与田クンと〜、ダレだったかナ?』
「ハロー。いきなりあなたが出てくれるとは思わなかったわ。お歳の割にアクティブなのね――――梁木百乃介博士」




758 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:03:17 qSJGujF.0
同刻。
研究所、地下3階。

非常階段より最下層のフロアに到達した春姫たちを出迎えたのは、床に転がる沢山の死体だった。
死を積み上げた様な地獄の淵の光景。
春姫たちからすれば既に通り過ぎた光景だが、初見のスヴィアにはなかなかショッキングだったようで言葉を失っている。

そんな不安を振り払うように先陣を切るのは荘厳なる紅白の衣を纏う巫女。
神楽春姫が夜空のような長い黒髪を揺らして、死の不穏を塗り替える神聖なる歩を進めた。
ただそこに居るだけで周りの世界をも変えてしまうような美が罷り通る。

その威光により民衆を平伏させる異能を持つ彼女は、不意のゾンビ避けと言う意味でも先兵に適任であるのだが、本人は生来のマイペースさから後ろを気にしていないだけである。
彼女の切り開いた道筋を珠がスヴィアに肩を貸しながら、ゆっくりとついて行った。

「して、どうする?」

目的地が分からない事に気づいたのか、振り返って春姫が問う。
ざっくりとした問いだが言わんとすることは伝わったようで、今度はスヴィアが珠に問う。

「……日野くん、何か『観える』かい?」

まず、どの部屋に向かうべきか。
ある程度の当たりはついているが、その確信を彼女の異能に問う。

「えっと、光ってるのはそこと、そこかな」

スヴィアに肩を貸しながら珠が差したのは2部屋。
階段から出てすぐ両脇にある脳神経手術室と新薬開発室だった。

「後はさっき碓氷先生から手渡されたサンプル(?)が一番光ってるよ」
「……そうか」

スヴィアが脇に抱えるボーリングのボールほどの風呂敷。
その中身が分かっているスヴィアからすれば気持ちのよくない重さだが。
これが希望に繋がる。それが分かったのなら十分だ。

「では、向かうぞ」

そうと分かれば即断即決。
春姫が近場の新薬開発室の扉に手をかけた。

「…………待った」

だが、そこにスヴィアから待ったがかかる。

「資料があるのなら……今のうちに確認しておきたい……」
「ふむ。よかろう」

春姫が巫女服の袂を弄り、そこから[HE-028]のレポートを取り出した。
スヴィアは手渡された資料を受け取ると、それに目を通してゆく。
春姫が読み飛ばした概要欄を超え、小難しい内容の実験詳細に苦も無く目を通してゆく。
流石は元研究者と言ったところか。
スヴィアが資料を読み込む間、僅かに時間が発生する。

「あっ、そうだ……!」

そこで、何かを思い出したように珠が声を上げた。

「先生。すぐそこで見張りをしてる海衣さんに声だけでもかけておきたいんですけど」

思わぬ出会いもあり、花子たちとも別行動をとることになった。
この3階に居残って殿を務めている海衣に、せめてその状況説明だけでもしておきたい。

「ああ……そうだね……日野くんは……そのまま周囲の警戒を頼めるかな……?」

これからは珠の異能はそれほど必要ない。
そのまま外の警戒を任せた方が適材適所だろう。
何より、これからやろうとしている行為は珠に見せるには少し刺激が強すぎる。

「わかった。それじゃあ、行ってくるね!」

珠がおっかなびっくり地面に転がる死体を避けながら廊下を駆けてゆく。
突き当りの角を曲がったところでその姿は見えなくなった。
その姿を見送ってスヴィアは資料を閉じた。


759 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:03:36 qSJGujF.0
「……おおよそ理解した……ありがとう」
「うむ。よきに計らえ」

返却されたレポートをしまい、改めて春姫がL3パスを通して扉を開く。
脳神経手術室にはメスや鉗子と言った手術道具が一通りそろっており。
新薬開発室には分光器やクロマトグラフィー装置、電子顕微鏡までそろっているようだ。
流石に最先端の研究施設だけあって、解析作業を行うのにこれ以上ない環境である。

「…………できれば、君にも……外に出ていて欲しいのだけど……」
「何故だ?」

純粋な問い。
別に何が出来るでもないが、春姫は居残る気でいるようだ。
正面から理由を問われ、スヴィアは珠に行ったようなはぐらかしはせず正直に答える。

「これから…………ボクは感染者の、脳を調べる。素人には少々目に毒だ……」
「脳だと? そんなものがどこに…………ああ、そう言うことか」

視線をスヴィアの手にした風呂敷に包まれた何かに向ける。
それだけでサンプルがなんであるかを察したのか、春姫は一人頷く。
だが、それを理解しながらも春姫は部屋を出て行くでもなく、その場に腰を据えた。

「構わぬ。全てを見届けるが妾の務めよ」

剣を杖の様に付き仁王立つ。
何の務めなのかはよくわからないが、大した責任感である。
そこまで言われては説得しても無駄だろう。

「分かった……任せよう」

腹を決めたスヴィアは、脳神経手術室へと入って行った。
手術着の着用や消毒は省略して、解剖(オペ)を開始する。

手術台に乗せた風呂敷の包みを解いて中身を露にする。
現れたのは、無惨にも切り取られた男の生首だった。
これを見て流石の春姫も僅かに眉を顰める。

「なんだ。こやつ妾に無礼を働いた気狂いではないか」

彼女の美しい眉を顰めさせたのは、その凄惨さよりも、見覚えのあるその顔そのものだった。
不遜にも女王を一度殺したテロリスト、物部天国。
罪人のごとく晒された首は、まさしくその人であった。

だが、不敬者であれどこうなっては憐れなものだ。
寛大なる女王は死者に罪は問わぬ。
死してなおその身をささげると言うのなら、その献身を許そう。

スヴィアは手術台の脇にあったメスを手にして、頭部にその先端を当てる。
スッと手を引き、頭部の皮膚と筋肉を綺麗に切り分け、果実の皮をむく様に頭蓋を剥きだす。

次に、頭蓋に穴をあけるべくドリルを手にした。
スイッチを入れ、脳を傷つけぬよう慎重に頭蓋に押し当てようとするが。
傷の痛みで握力が入らず、ドリルの重量と振動を抑えきれず手が震えた。

このままでは上手くいきそうにないため、一旦手を離し呼吸を落ち着ける。
そこに見学者であった春姫がつかつかと手術台まで近づいてきた。

「…………神楽くん?」
「煩わしいな。要は、脳(なかみ)が取れればよいのであろう」

言うが早いか、春姫が聖剣を振り上げると柄先による一撃を頭蓋骨に叩きこんだ。


760 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:03:51 qSJGujF.0
「ちょ………………ッ!?」

頭蓋が砕け、漏れ出した脳脊髄液が零れる。
確かにスヴィアは開頭手術の要領で慎重になっていた。
病理解剖と言えども出来る限り遺体に敬意を払い無意味に傷つけないようにするのが常識だ。
だが、切り開いた頭蓋を元に戻す必要はないのだ、術後を心配する必要はない。

とは言え、思い切りが良すぎる。
中身までぐちゃぐちゃになっていたら、どうするつもりだったのか。
一仕事終えた春姫は踵を返し、入り口前で腕組み待機に戻った

ともあれ助かったのは確かだ。
ドリルを置いたスヴィアはヒビ割れた頭蓋を鉗子で慎重に剥ぎ取って行き、内側の脳を露出させた。
スヴィアは露わになった脳をスカルペルとピンセットで慎重に切り取り、固定化のためホルマリンの中に浸す。
そこにマイクロウェーブを照射して固定化を完了すると、次に脳細胞を自動組織プロセッサにセットして脱水と透明化を行った。

通常であれば数時間や数日かかる作業が数分で完了する、さすがは世界最先端の研究施設だ。
そうしてサンプルをパラフィンで包み込み、マイクロトームで薄くスライスして、薄く切られた組織をプレパラートに載せた。
専門知識がなければできない作業を完了させ、一旦スヴィアがふぅと息を吐く。

「終わりか?」
「ああ…………ここでの作業は完了だ…………部屋を移そう」

脳細胞を乗せたプレパラートを片手に脳神経手術室を後にする。
春姫は優しく肩を貸すような真似はしないが、道を切り開くように先頭を行き新薬開発室の扉を開く。
スヴィアはその導きに従い、覚束ない足取りながら前へと進み部屋を移した。

そうして、脳神経手術室で抽出したサンプルを電子顕微鏡へとセットする。
スヴィアはまずは低倍率でサンプルを観察し、接眼レンズを覗きながら焦点、明るさ、コントラストを調整する。
焦点を微調整し、適切にピントを合わせると電子顕微鏡の微弱な電子のビームが脳と言う神秘を照らし出した。

枝葉のようなシナプスや影のようなグリア細胞が煌めき、その交わりはまるで微細な一つの宇宙だった。
脳と言う小宇宙の中で、遂にこの惨事の原因(ウイルス)とついに対面できる。
そのはずだった。

「どうした……?」

顕微鏡を覗くスヴィアの様子がおかしいことに気づき、春姫が尋ねる。
傷によるものか、それとも別の意味合いか、顔色を悪くしたスヴィアが小刻みに体を震わせていた。

「………………ない」
「ない?」
「何もない…………ウィルスが、どこにも確認できない…………」

この村を侵したウイルスを調べ上げ、全ての真実を解き明かすはずだった。
だが、ウイルスによって汚染されているはずの脳にウイルスの姿はどこにも確認できなかった。

存在しないのでは調べようがない。
余りにも絶望的とも言える状況だ。
これではどうしようもないではないか。

「…………そう言う、ことか」

愕然とした声。
スヴィアが身を抱くように震える。

「できる…………」

その身の震えは絶望によるものではない。
武者震いにも似た歓喜の震えだ。

顔を上げ、研究者は断言する。


「――――――――――このバイオハザードは解決できる」





761 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:04:14 qSJGujF.0
『ソレデ? キミたちはダレだったかナ?』
「私は今は田中花子を名乗ってるわ。こちらは村の教師の碓氷誠吾先生。よろしくねん、梁木博士」

東京と岐阜。
村の地下で通信機器越しに300㎞離れた者たちが言葉を交わしていた。

巨大なモニターに映し出されるのは、白衣の老人である。
未来人類研究所副所長、梁木百乃介。研究の根幹を担う大物だ。
その顔を見て平研究員である与田が意外そうな顔で呟く。

「まさか副所長が直接出られるだなんて…………長谷川部長が出るものだとばかり」
『そうダネ。コウ言った応対は長谷川くんに任せているのだけド、彼女は別件で忙しくしていてネ』
「別件…………?」

研究所側でも何か起きているのか。
事情など知りようもない与田は首を傾げる。

『ソレで? 何の用かネ。コチラもイロイロとバタバタしていてネ』
「何の用とはご挨拶ね。お蔭さまでこちらもバタバタ具合ではこちらも負けてないわよ。製造元にクレームの一つは入れたくなるもんでしょう?」

花子は皮肉を返す。
老人は愉快そうにカカカと笑った。

「ま、お互い忙しいようですし、さっさと本題に入りましょうか」

ここまで来て無駄な駆け引きも不要だ。
単刀直入に本題に入る。

「村にいる特殊部隊を引かせていただけるかしら?」
『ウ〜ん。ソウ言われてもネ、彼らは別に我々の部下という訳ではないからネェ』

率直な要求に対して老人はとぼけるように、痣のついた額を掻く。

「そうだとしても、上を通して働きかけることはできるでしょう?」
『ダガねェ。彼らは事態の収拾のための派遣部隊だヨ? 事態の解決もなく引き下がらせる訳にもいかないダロウ。
 こちらとしても未完成のウイルスが流出して無駄な被害が出ることは避けたいノサ。人道的にネ』
「人道ねぇ……」

感染者を外に出すわけにはいかない。
被害拡大を防ぎこのバイオハザードを解決するという目的だけは全員の共通目的だろう。

「そんなにウイルスの流出が怖いのなら、嘘でも安全な解決策を提示して正常感染者を集めて、そこを一網打尽にすれば終わりだったでしょう?」
『嫌だネェ。ソンな悪辣な発想はワタシには思いつかなかったヨ。村民たちの自主解決の猶予くらいは与えて上げないとネェ』
「そのための48時間だと?」
『アア。そうだヨ』
「それは嘘ね」

異能で顔色を窺っていた碓氷が口を挿むまでもなく。
花子が即座に嘘であると、はっきりと断ずる。

「それに、特殊部隊の動きはあなた達にとっても不都合だったはずよ」
『ふぅむ? どういう意味カネ?』

惚ける様な口ぶりだが、モニター越しの老人の目つきが僅かに変わったような気がした。

「村内に流された放送はあなたたちの手によるものだった。こちらの与田先生から裏は取れてるから、おとぼけはなしでお願いね。
 アドリブにしては手際が良すぎる。このバイオハザードがあなたたちによるものではないにせよ元から何かあった時の手順は決められていたんじゃない? 与田先生もそのための要員だったんでしょう?」

世界の命運を賭けたこの研究に遅れは許されない。
研究所がダメになった場合、最低限の成果を回収する仕組みは常に備えられているはずだ。

「あなたたちとしては事態を引き伸ばして、感染者の動向を観察したかった。あるいは本番のシミュレート? 意図的に欠落した情報を与えどうなるかの観察と言った所かしら?
 48時間と言う時間はそのための猶予なのでしょう?」

このウイルスを世界中の人間に感染させる必要がある。
その本番で起こりうる世界的な混乱を観察するための時間。
それは自主解決のための猶予などではなく、感染者の動向を観察をしたい研究所側の都合でしかない。

「けれど、そうなると特殊部隊の連中はあなたたちにとっても不都合だったはずよ。
 特殊部隊なんてプロを送り込まれては48時間どころか素人なんて1日と持たない。早々に片を付けられるのはそちらとしても都合が悪かったんじゃない?」

資料にもあった通り48時間がタイムリミットと言うのは事実だろう。
だからこそ研究所としてもギリギリまで引っ張りたかったはずだ。
経過の観察がしたいのなら特殊部隊の介入は最低限、最後の掃除役と事後処理だけを任せればいい。
恐らく現状の動きは特殊部隊側の独断先行である可能性が高い。

『そうでもないサ。彼らは十分に役に立ってくれているヨ』

その動きを研究所側は受け入れた。
強いストレスによるウイルスの定着を観察するストレステストにシフトしたのだ。
女王探しと言う疑心暗鬼もそれに一役買っている。
研究所としても特殊部隊の利用価値はある。


762 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:04:26 qSJGujF.0
「つまり、彼らを引かせるつもりはない、と?」
『ソウだネ。少なくとも事態を解決しない事にハ、引かせル理由がないネ』
「だったら解決すればいいのでしょう?」

そう言ってエージェントは不敵に笑う。
研究者はふむと呻った。

『解決するというのハ、キミが女王を殺害してくれると言う事カイ?』
「『そこ』よ」
『?』
「あの放送の問題は『そこ』よ。殺害なんて物騒な方法しかないと提示されてしまったから『こう』なってる」

事件を引き起こした元凶が細菌保管庫を爆破したテロ組織なら。
村人同士の無用な争いが発生しているのは、あの放送が元凶だ。

「安全に解決する手段が提示されていたなら、感染者だって喜んで協力したでしょうし、SSOGの連中も物騒な手段に出なかった。違って?」
『ソンなものがアレばヨカったんだけどネェ。それともソンな方法がキミに提示出来るのカネ?』

相手の領分に土足で踏み込む発言である。
ハッタリではすまされない。

「私には無理ね。けど、それを見つけ出せる協力者がいる」
『協力者ネェ。ソコの与田くんでは無理ダロウ?』
「そうね。けどスヴィア博士がいるわ」
『スヴィアくんカァ。覚えているヨ。確かに、優秀な研究員だったネ。
 ダガ、研究員たち日々研究を重ねてまだ発見できてない方法を彼女が提示できるとデモ?』

支部とは言え、この研究所はスヴィアに匹敵するような天才たちが集う魔窟だ。
そんな研究員たちに発見できていなかった解決策を、たった数時間で用意する。
それは現実的な目標と言えるのか?

「今、スヴィア博士がこの研究所で感染者の脳を調べているわ。
 アナタたちだって、ウイルスの蔓延する環境下で感染した人間の脳を調べたことはないでしょう?」

正攻法では無理でも、ここは最前線の実験場だ。
思いもよらぬ解決策の発見は十分に期待できるだろう。

「ともかく、ここで水掛け論を続けるつもりはないわ、長々とやってる時間もないしね。結論と約束を頂きたいわ。
 私たちを解決策を見つけられたら、特殊部隊を引かせるよう取り計らって頂戴」
『ダがネェ。事後処理や君らの緘口令は必要だヨ。世間に無用な混乱を招くのは本意ではナイからネェ』

世界が滅ぶだなんて事実を世間に公表できるはずもない。口封じは必要だ。
意識のないゾンビたちはともかく、正常感染者の生き残り、特にZを知った研究所にまでたどり着いた面々の口止めは必須である。

「それはどうとでもなるでしょう? それこそ、研究所で囲って監視を付けてくれても構わないわよ。
 ウイルスの影響がなくなったとはいえ、正常感染者となった生きた検体よ。あなた達としても調べたいんじゃない?
 どうせ長くとも数年の話でしょう? その程度なら私も協力するわ」

命を天秤にかけられてまで喋りたいなんて人間はそうそういるものではない。
正直、生き残りもそう多くはないだろう、数年くらいであれば説得も不可能ではない。
世界のタイムリミット。それが過ぎれば研究を秘匿する意味もない。
何より研究が失敗すればそれを咎める人間もいなくなる。

『ふむ…………』

生きた検体と言うのは魅力的だったのか。
老人は考え込むようなそぶりを見せる。
その好きを見逃さず花子は畳かける。

「もう十分データは取れたでしょう? これ以上事態を大きくしても採算が合わなくなるんじゃない? お互いこの辺が落としどころだと思うわよ。
 そちらとしても別にこの村を滅ぼしたいわけじゃないんでしょう? なら手を差し伸べるべきじゃない、人道として」

譲歩の条件を引き出して行き、最後に人道を説いた。
この意趣返しに老人が破顔する。

『カカカ。面白いネェ、キミ。マァ、イイだろウ。そのハッタリに乗って上げるヨ。当然、成果は必要だがネ』
「分かってるわ。まずはこのバイオハザードの収束。その後の事後処理や緘口令への協力する。ですから、そちらもちゃんと約束を守って下さいね、お爺様」

あくまで解決を前提とした口約束ではあるのだが。
終了条件の約束を取り付け交渉は完了した。




763 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:04:39 qSJGujF.0
碓氷の心は感動に打ち震えていた。

研究所との直接交渉。
聞かされていない驚きの情報も幾つか出てきたがそれよりも、碓氷の心を震わせたのはその手腕だ。
そこまで取り付けたこと自体もそうだが、見事に研究所に譲歩させ終了条件を引き出した。

研究所にたどり着ている時点でただの物ではないのは分かっていたが想像以上だ。
上手くいけば、本当にこの災厄を解決できるかもしれない。

碓氷が特殊部隊に付き従っているのは、その方法はもっとも生存率が高いからだ。
恩も義もない。より高い方法があればすぐさまそちらに飛びつく蝙蝠のような男だ。

特殊部隊には下手を撃てば切捨てられるかもしれないと言うリスクが付きまとう。
綱渡りのような道筋よりも、安全な順路を進めるならば碓氷にとっても望ましい。

だが、今の段階ではまだ天秤は特殊部隊の方に傾いている。
単純に戦力に圧倒的な差がある。

ましてや、花子はまだその存在に気づいていない。
不意を打って急襲されればあっという間に皆殺しにされるだろう。
それに巻き込まれるのはごめんだ。

だが、碓氷が花子側に付くなら話が別だ。
碓氷がその存在を伝えれば、少なくとも一方的にやられる展開は避けられるかもしれない。
花子は消すには惜しい線だ。

花子は碓氷の怪しい動きにも気づいているし、花子がそれに気づいている事も碓氷は気づいている。
異能を使う間でもなくそれくらいは分かっている。
別に碓氷は花子たちと信頼関係を気付きたいわけではない。
そもそも特殊部隊ともそんなもので結ばれてはいない。

ただ生き残る。
そのためにどちらに付くのが得か。
あるのはそんな損得勘定だけである。

だが、それは明確な天たちに対する裏切り行為となる。
これは両立できるスヴィアのラインと違い、どちらかを選ぶ明確な択だ。
さぁ、どう決断する?

【E-1/地下研究所・B2 通信室/1日目・午後】

【田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:H&K MP5(12/30)、使いさしの弾倉×2、AK-47(19/30)、使いさしの弾倉×2、ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、研究所の見取り図、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.ひとまずスヴィア達と合流

【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、研究所IDパス(L3)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい

【碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
    スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)、研究所IDパス(L1)、治療道具
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
0.花子を取るか乃木平を取るか考え中
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。




764 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:04:54 qSJGujF.0
「どういうことだ?」

神聖さを湛えた美しき巫女が問い、黒曜石のような瞳を鋭く細めた。
狂おしき憎国者、物部天国の脳を解剖して真実に迫ったが、確信たるウイルスの姿を確認することは叶わなかった。
にも拘らず、この事件を解決できるとはどういうことなのか?
その問いに、外見に幼さを残す若き天才研究者は答える。

「…………キミから拝見した資料には……こう書いてあった。
 非活性化したウイルスは洗い流せる……と」
「ふむ?」

珠をあの場から離れさせるための口実として手にした資料。
そこにはこう記述されていた。

>1.5. 活性化と非活性化
>コミュニティ設定は感染時に確定し、母体[HE-028-A]が死亡すると、子型[HE-028-C]の活動も停止する。
> →別のコミュニティで発生させた[HE-028-A]感染者同士の交換を行い、片側の[HE-028-A]感染者を死亡させたところ、影響を受け活動を停止したのは元のコミュニティの[HE-028-C]感染者であった。
> →非活性化後、睡眠中の脳脊髄液によりウイルスは除去されることが確認されている。

「そうさな。確かにそうであった」

春姫もそれは確認している。
つまり、宿主が死亡し非活性化したウイルスは春姫が頭蓋を砕いた際に脳脊髄液と共に流れ出たのだ。
宿主が死亡後にウイルスは非活性化する。そして非活性化すればウイルスは洗浄できる。
ウイルスが存在しなかったという理由は分かった。

「だが、それは宿主が死んだ場合であろう」

だからこそこのバイオハザードを解決するために女王感染者は死ななければならない。
それが解決のための大前提であり最大の問題点だ。

「……殺さずとも……一時的にでも……ウイルスを非活性化させる方法があればいい」

今から特効薬を開発する必要もない。
ウイルスの活性化を強制的に停止する事が出来れば、脳のウイルスは洗浄できる。

「宿主を殺さず、ウイルスの活性化だけを止める。そのような都合のいい方法があるとでもいうのか?」

この研究所では最高の研究者たちが最新鋭の設備で研究を行っている。
そんな彼らが見つけられなかった全てを救う都合のいい手段。
そんなものが存在するのか?

「ある――――――異能だ」

適合者ごとに発生すると言う異能。
行われた研究や検証は、当然科学的見地の下に行われた物だ。
だからこそ、見落としたイレギュラーである。

そもそも、この[HE-028]は人間の無意識化にあるイメージを出力するのが本来の機能である。
異能はその過程で意識的な部分が出力されるという、研究所からしても想定外の副作用だ。
何が飛び出すか分からないのだから、当然考慮に含まれていない。

「しかし、それも都合の良い夢想であるという点は変わらぬ。
 それとも、貴様にはその異能に心当たりがあるとでもいうのか?」
「…………ああ、その方法(いのう)に…………ボクは心当たりがある」
「ほぅ――――」

既に答えを得ているスヴィアの回答に感心したように言葉を漏らす。

「―――――天原くんだ」
「天原……?」

知らない名に、春姫が長い黒髪を滑らせ首を傾ける。

「ウイルスを否定する異能だ。彼の異能があれば、このバイオハザードは解決できるかもしれない」

ウイルスによって生み出された、ウイルスを否定する異能。
人間の脳には睡眠中に脳内の老廃物を脳髄液によって洗い流す、グリンパティックシステムと言う洗浄機能が存在する。
天原の異能がウイルスの活動を一時的に無効化する効力であるのなら、睡眠中の頭に彼の右手が触れ続けていれば、非活性化した脳内ウイルスを完全に洗い流せるかもしれない。
その処置を女王感染者に施せば、ウイルスの影響は沈静化できる。
一度洗い流してしまえば、抗体ができているのだから再感染の心配もない。

「なるほど。つまりはその天原何某の異能を妾に施せばよい、そういう事だな?」
「う、うん……? そうだね…………?」

春姫と言うより女王感染者にではあるのだが。
女王の特定方法が見つからなかった場合、総当たりで全員に試すというのも一つの手だ。
殺害以外の方法論が出せるのならば、こういった手段も可能となる。

だが、それもこれも、創が無事であるという前提の方法論である。
何より創との合流が必須となるが、特殊部隊の監視下では難しい。
素直に天に報告したところで、彼らが創の保護に協力してくれるか?
くれるかもしれないが、果たしてそれが望む結末に繋がるのか?

花子に連れていかれたおかげで碓氷はこの場にいない。
彼に密告される恐れはないのは僥倖である。
この話を知るのは春姫だけだ。

希望の糸は見えた。
後はこの情報をどう使うか。

誰に与するか。誰を救うか。誰を見捨てるか。
蜘蛛の糸をどこに垂らすべきなのか、その決断を迫られる。

「…………なんだ?」

思い悩むスヴィアの異常聴覚に、外より異音が捉えられた。




765 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:05:24 qSJGujF.0
2階の偵察を切り上げた小田巻が1階に帰還し、天たちに偵察の報告を行っていた。
小田巻の方も天から、碓氷が村民として相手の懐に潜り込み情報を聞き出すスパイ役を自ら買って出たと言う経緯を聞き及び、ひとまずの納得を示しているようだ。

小田巻の偵察は途中でハヤブサⅢの一行と出くわしたため、フロアの探索は半分までしか行えなかった。
それもちょっとした問題だが、それ以上に問題なのはハヤブサⅢが真っ直ぐに通信室に向かったと言う事だ。

「通信室に向かった、か」

真珠が呟くように言う。
迷いのない動きからして、元よりそのつもりだったのだろう。
迷いなく向かっている事から彼女たちは既に研究所内の構造を把握しているようだ。

研究者らしき男を引き連れていたのだから内情を把握しているのは当然と言えば当然なのだが。
あの冴えない男の印象がこの施設の重要さと噛み合わず妙な目晦ましになっていた。

「失態のお叱りは後程」

まさか真っ直ぐそこに向かうとは。
自らの策のため通信遮断の判断を先送りにした天のミスだ。
だが、今すべきは失態を責めたり悔いる事ではなく、どう対応するかを決める事である。

「で、どうする? 今からでも遮断するか?」
「いや。すでに手遅れでしょう。ならばこの状況を利用しましょう」

下手に通信を遮断して警戒させるよりは、そのまま通信を続けさせて通信室に釘付けにした方がいい。
失敗を引きずるのではなく、すぐに頭を切り替えその状況を利用する。
意外と参謀向きの性格をしているのかもしれない。

「相手を通信室に釘づけにして、そこを叩きます。
 私と小田巻さんはエレベータから、黒木さんは階段から回り込んでください」

双方から2階に踏み込み、挟撃で逃げ場を塞いで一気に叩く。

「最優先目標はハヤブサⅢ。こちらは黒木さんにお任せしますが、状況によっては我々も援護しますがよろしいですね?」
「ああ。構わねぇよ」

一対一の状況を作るという真珠との約束。
だが、真珠とて私情と任務の優先順位くらいは理解している。
手を出されるのは業腹だが、そうなったのなら自分の実力不足が問題だろう。

「私と小田巻さんは与田研究員を優先。可能であれば事情聴取のため捕獲を目指しますが、取り逃がす恐れがあれば殺害しても構いません」
「了解」

ハヤブサⅢは必殺。簡単に生け捕りにできる相手でもない上に、拷問した所で何を話すとも思えない。
研究員の方は何か重要な情報を持っている可能性もあるためできれば尋問したいところである。
だが、潜り込んだ碓氷が何か情報を引き出している可能性もあるため優先度は低い。
ひとまずの方針を確認した所で、質問ありと小田巻が片手を上げ尋ねる。

「碓氷さんはどうするんですか?」
「回収を目指しますが標的の殲滅を優先します。彼の安全を考慮して加減するようなことはしません」

殺す必要はないが、救助のために手を裂くつもりもない。
最悪巻き込んで殺してしまっても構わないという事だろう。
つまりは、仮にハヤブサⅢに人質に取られた場合でも人質ごと殺せと言うお達しである。

「了解しました」

小田巻はこの方針に異議を示すことなく納得を示す。
小田巻が碓氷に恩義を感じているのは真実だが。
それはそれで仕方がない。そう割り切れるのがこの女の恐ろしいところだ。

「これ以上の質問がなければ、一四〇〇に作戦行動を開始します。
 それまで黒木さんは階段前で、我々はエレベータを呼び出した状態で待機します。よろしいですね」
「「了解」」

規律良く重なる声と共に、作戦行動が開始される。
真珠は迅速に階段前まで駆け出し、天たちもエレベータ前に向かうとエレベータを呼び出し、作戦開始に備える。

周囲の警戒をしつつ緊張感を高め無言のまま小田巻と共に待機。
天が時計に目を落とし、針が2時を示したところで、エレベータに乗り込む。


766 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:05:38 qSJGujF.0
四角い箱が地下へと下って行き、数秒と経たずB2へと到達する。
フロアを偵察した小田巻に先導させ作戦行動を開始すべく駆けだしたところで―――――。


―――――凶星が落ちる。


ドカン、と。

エレベータを飛び出した2人の背後で、落雷でもあったかのような轟音が響いた。
駆けだそうとした天と小田巻が、思わず足を止めて背後を振り返る。

だが、背後あるものと言えば、今しがた天たちが乗っていたエレベータくらいのものだ。
ならばこの轟音は、そこから響いたものであるという事。

見れば、何か巨大な物が落下したのかエレベータの天井が大きく凹み、エレベータのカゴ全体が僅かに沈んでいる。
天井の凹みは徐々にその形を変え、重量に耐えきれなかったのか天井を突き破るようにしてエレベータの中にソレは落ちてきた。

ソレがなんであるがを理解した小田巻が、この世の終わりのような顔をして叫ぶ。

「げぇっ!!? 大田原さぁんッ!!!???」

【E-1/地下研究所・B2 エレベータ前/1日目・午後】

【乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
4.黒木に出会えば情報を伝える。
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※診療所の周囲1kmにノイズが放送されました。

【小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾4/5)、血のライフル弾(5発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、物部天国の生首、研究所IDパス(L2)
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.げぇっ!? 大田原さん!?
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、意識混濁、脳にダメージ(特大)、異能による食人衝動(絶大・増加中・抑圧中)、脊髄損傷(再生中)、鼓膜損傷(再生中)
[道具]:防護服(マスクなし)、装着型C-4爆弾、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理……?
1.???
2.???
3.???
※異能による肉体の再生と共に食人衝動が高まりつつあります。
※脳に甚大なダメージを受けました。覚醒後に正常な判断ができるかは不明です。

【E-1/地下研究所・B2 階段前/1日目・午後】

【黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:鉄甲鉄足、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.通信室を急襲する。
2.ハヤブサⅢを殺す。
3.氷使いも殺す。
4.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています




767 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:06:21 qSJGujF.0
午後を超えて間もない頃。
研究所の地下3階。エレベータ前。

侵入者の警戒のため見張りをしていた海衣の下に珠がやってきたのは、彼女が見張りを始めて程なくしての事だった。
研究所内で碓氷、スヴィアと両教師と遭遇。花子と与田は碓氷と共に通信室へ、珠は春姫と共にスヴィアとウイルスの調査のため3階に戻ってきた。
そういう経緯を珠より聞かされる。

ただの教師がこの研究所にたどり着けるものなのか?
仲間を偵察に出しておきながら、わざわざ接触してきたというのも不自然だ。
不審な点はいくつかある。

だが、花子と出会った海衣のように、珠たちの出会ってない同行者と言うのが花子のようなプロであった可能性もあるだろう。
何より、海衣が気づく程度の疑念に花子が気づいていないはずもない。
その上で行われた判断なら、何か考えあっての事だろう。

報告を終えた珠は、そのまま周囲の警戒に加わった。
監視の対象はエレベータと隠し通路のある解析室の2か所だ。
2人でそれぞれを担えば負担も減るし異変を見逃すリスクも大幅に減る。

エレベータは引き続き海衣が、隠し扉へ続く解析室の方を珠が担当することになった。
珠の眼が見ているのは物理的な動きではない、運命の光だ。
物理的な障壁があろうとも危機察知が可能であり、扉の閉じたその向こうに対する監視役には適任だ。
今の所、彼女から不審な動きを捉えたという報告はない。

対して、エレベータの動きを監視していた海衣は2度のエレベーターランプの動きを確認している。
2階から1階、1階から2階。
花子たちがエレベータに乗った訳ではないだろう。
恐らく、珠の話にあった碓氷の同行者という何者かだ。

最初の移動は2階に先行していたと言う碓氷たちの同行者が1階に戻った時のものと考えるのが自然だ。
そうなると、次の移動は1階にいない碓氷とスヴィアを追って2階に戻ったのか?
エレベータが2階に付くとほぼ同時にエレベータ扉から聞こえた衝突音らしき音も気にかかる。

どうにも上階に不穏な気配を感じてしまう。
2階の通信室に向かった花子たちも心配だ。
エレベータの方も珠に確認してもらうべきだろうか。
そう考えたところで。

「海衣さん、こっち来て!!」

隠し通路の方を見張っていた珠が大声を上げて海衣を呼んだ。

「何か来そう!」

直感的な物言い。
だが運命を見る眼を持つ珠が言うのなら間違いはない。
海衣には何も感じられないが、彼女の異能はこれまで多くの危機を知らせてきた。

そうして海衣が扉の前に駆けつけたところで、光となった運命あら僅かに遅れて奥の資料室の方から物音が聞こえた。
隠し通路から何者かやってきたのは確かなようだ。

「光はどう?」
「大きい。凄く」

大きい光。
珠の異能は好悪を判断できない。
それを判断するのはこの場を任された海衣だ。
海衣は決断を迫られる。

仮に訪れたのが善良な村人だったら、ようやくたどり着いた研究所から門前払いする事になる。
それは救いを求めてやってきた誰かを見捨てるという事だ。
それに何より脱出口を一つ潰すことになる。

だが、危険人物だったら全員を危険に晒すことになる。
何よりあの侵入口は珠と言う異能者がいたから見つけられた入口だ。
わざわざ秘密の扉を見つけて研究所への侵入を果たした人間がただの村人であるとは考えづらい。

「入り口を塞ぐ。珠ちゃんは少し下がって」

海衣は決断を下す。
解析室の入り口を氷で固める。
謎の闖入者には悪いが、ここでお引き取り願おう。

自然物を氷結させる異能『花鳥氷月』。
扉の周囲の空気を凍らせ、氷で扉を封印する。
こうなってしまえば氷を溶かせる茜のような異能者でもいない限り、そう簡単に開くことはないだろう。

「離れよう。田中さんたちと合流したい」
「う、うん」

ひとまずこの場を離れる。
侵入を防いだとは言え、異変があった事を花子に伝え判断を仰いだほうがいいだろう。
まずは、春姫とスヴィアに侵入があったことを知らせて、花子たちと合流して2階へ。


768 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:06:41 qSJGujF.0
そう行動を開始しようとしたところで異音が聞こえた。
冷たい氷で覆われた扉からガリガリと氷が削られるような音が響く
しばらく音は続いていたが、諦めたのか程なくして音が止んだ。

だが、その静寂も数秒。
突如、静けさを切り裂くように、扉に何かが激しく叩きつけられる音が響いた。
そして幾度目かの音と共に、厚く堅固な氷の層から鋭い刃が飛び出した。

それは爪だ。
鋭い爪が氷を貫き、少女の世界に侵入しようとしている。

知らず、少女たちは足を止めて息をのむ。
その視線は扉に釘付けにされていた。

扉の氷がひび割れ始め、徐々に大きく広がっていく。
そこに再び爪が突き刺さると、ついに氷は耐えられず、大きな音とともに砕け散った。

「におうな、忌まわしき彼奴の血脈が」

氷の残骸の間から漏れる不気味な影。
破壊された扉の向こうから少女の姿をした『魔』が姿を現した。
その視線は海衣たちを見てすらいない。
もっと遠くにある何かを見つめていた。

「お前ッ、お前は――――――ッ!」

その顔を見て、海衣が身を震わせ、怒りにカッと目を見開く。
それは忘れるはずもない、憎き親友の仇の顔だ。
茜を殺した、野生児だ。

「ッ!?」

手の火傷が痛んだ。
無意識に強く拳を握りしめていたようだ。
その痛みに、まるで熱くなった頭を茜に窘められたようで、少しだけ頭が冷えた。

「…………珠ちゃん。スヴィア先生と一緒に2階の田中さんたちと合流して」
「海衣ちゃんは…………?」

不安げな顔で球が問う。
海衣は敵を見つめたまま振り返ることなく答える。

「私は、時間を稼ぐ。だから、行って」

珠は何かを言い返そうとするが、僅かな逡巡の後に踵を返して駆け出した。
それでいい。

「ふぅ――――――」

胸の奥底の淀みを全て吐き出すように、大きく、白い息を吐く。
氷で冷ますように心を落ち着ける。
冷静さを取り戻し、怒りではなく、自らの為すべきことのための覚悟を決めて銃を構えた。

ひとまず花子と合流するための時間稼ぎ。
珠たちが離脱したらすぐにその後を追う。
無理はしない。
熱くもならない。

その心に呼応するようにパキパキと音を立てて、廊下に霜が張ってゆく。
これより先は絶対零度の氷の世界。
何人たりとも踏み込むこと許されない。

「ほぅ、氷は貴様の異能か」

そこでようやく海衣がいる事に気づいたように、怪物の視線が向く。
ジジ、とノイズが奔るように野生の少女の姿が僅かにブレる。
一瞬。巨大な熊のような怪物が重なったような気がした。


「ここから先は――――行かせない」


「――――――――――邪魔だ、小娘」


769 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:06:56 qSJGujF.0
【E-1/地下研究所・B3 解析室前/1日目・午後】

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:H&K MP5(30/30)、スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵、緊急脱出口のカードキー、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.侵入者を足止めした後、花子たちと合流する。
2.研究所の調査を行い真実を明らかにする。
3.女王感染者への対応は保留。
4.茜を殺した仇(クマカイ)を許さない
5.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。
[備考]
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)
[道具]:H&K MP5(30/30)、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.スヴィアたちと共に花子たちと合流する。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。

【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生とそれによる自我侵食(大)、クマカイに擬態、知能上昇中、烏宿ひなた・犬山うさぎ・六紋兵衛への憎悪(極大)、神職関係者・人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、猟師・神楽・犬山・玩具含むあらゆる銃に対する抵抗弱化(極大)、全身にダメージ(大)、分身が一体存在
[道具]:リュックサック、アウトドアナイフ
[方針]
基本.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
1.己の慢心と人間への蔑視を捨て、確実に仕留められるよう策を練る。
2.巣穴(地下研究施設)へと入り、特殊部隊の男(大田原源一郎)と共に特殊部隊含む中の人間共を蹂躙する。
3.人間共を率いた神楽春陽の子孫(神楽春姫)を確実に殺す。
4.隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼし、怪異として退治される物語を払拭する。
5."ひなた"、六紋兵衛と特殊部隊(美羽風雅)はいずれ仕留める。
6.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
7.???
[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫とクマカイと八柳藤次郎の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』、『弱肉強食』、『剣聖』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じ行動に加え、分割思考が可能になりました。。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※分身に『弱肉強食』で生み出した外皮を纏わせることが可能になりました。
※■■■の記憶の一部が蘇り、銃の命中率が上昇しました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。
※脳を適当に刺激すれば異能に目覚めると誤認しています。
※■■■■が封印を解いたことにより、『巣くうもの』が記憶を取り戻しつつあります。完全に記憶を取り戻した時に何が起こるかは不明です。

【E-1/地下研究所・B3 感染実験室/1日目・午後】

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.VH解決のため天原と合流したい
2.解決方法を天たちに伝えるべきか
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王
1.スヴィアの面倒を見る
2.研究所を調査し事態を収束させる
3.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。


770 : 運命の決断を ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 19:07:23 qSJGujF.0
投下終了です
来年もオリロワZをよろしくお願いします


771 : ◆H3bky6/SCY :2023/12/31(日) 23:07:58 qSJGujF.0
忘れてたけどB2見取り図です
ttps://img.atwiki.jp/orirowaz/attach/10/6/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80B2.png


772 : ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:25:07 EsHec9BU0
投下します。


773 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:26:27 EsHec9BU0
「………………は?」

古民家群南西部の外れ道。焼け残った木造建ての家屋が立ち並ぶ光景を背に小柄な金髪の美女――虎尾茶子は唖然としていた。
彼女の傍らにはTシャツとショートパンツ姿の見た目麗しい幼子――リンが驚いたように小さな口に両手を当てている。

「Yeah、驚くのも無理はないと思うわ。私だってこんなUnreal eventを受け入れきれてないもの」

そう答えを返すのは帽子を被る金髪碧眼の探偵少女――天宝寺アニカ。
俯いて昏い顔をする哀野雪菜も、拳を握り締めて顔を強張らせる天原創も、女性の亡骸の前でうなだれる犬山うさぎも。
山折圭介に憑依し、蹂躙の限りを尽くした「魔王ヤマオリ・テスカトリポカ」なる存在によって蹂躙の限りを尽くされた。
一同の悲惨な有様からアニカの言葉が荒唐無稽な妄言などではなく、現実であることが思い知らされた。
アニカは一度殺され、うさぎは召喚した愛する獣と大切な姉――犬山はすみを失った。
雪菜も同様に圧倒的な力の差を見せつけられ、その隣にいる創も砕けんばかりに奥歯を噛み締めている。
内心を知ることはできないが、彼も他の3人と同じく――否、アニカら三人以上に自身の無力と魔王への敵愾心を秘めているのだろう。
茶子は思わず繋いでいたリンの手を離し、自身の手で口を覆い、震える声で呟く。

「か……哉くんが…………連れ去らわれたなんて……」
「…………そっちなの?」

絶望の表情を浮かべる茶子に雪菜は思わず疑問を投げかける。
茶子と対面しているアニカは茶子の言葉に暗い顔をして俯いており、失言だったかと雪菜は自省する。

「――――ッ!」

茶子から悍ましい程強烈な殺気が浴びせられ、リンを除くの場にいる全員が身体を強張らせる。
突如ぶつけられる殺気に創と刹那は思わず身構え、茶子の方を見ていないうさぎも身体を震わせた。
真正面にいるアニカの目には憎悪で醜悪に歪んだ茶子の表情が伺えた。
しかし、それは一瞬。すぐに殺気は消え、表情も再会した時と変わぬものへと戻る。

「………………私を、殺そうとはしないのね……」
「当たり前だろ。お前の前歯全部折ったところで状況が好転するわけじゃないし、無駄なことはしたくないんだよ」

軽薄な言葉と態度で接しながらも、茶子がアニカに向ける目線は非常に冷たい。
金髪の非正規雇用役場職員がいくら軽い口調で話しても会話の内容が物騒すぎるため、場の空気は凍り付いたままだった。
その様子を察したのか、リンは茶子のブラウスの裾を二本指で摘まみ、不安そうな顔で見上げる。

「………おこってる?」
「まあ、少しびっくりしているだけだよ。此奴らをボコった相手がヤバい奴だったからね」
「でも、チャコおねえちゃんのしゃべりかたかわってるよ……?」
「それだけびっくりしているんだ」

リンに優しい笑顔を向けて彼女の頭を撫でる。それでもリンの気遣げな表情は変わらない。
「ごめんな」とリンに小さく謝罪し、未だ姉の亡骸の前で呆然としているうさぎへと歩み寄る。
茶子が目の前まで来たところでようやくうさぎは顔を上げ、濡れそぼった双眸で姉の親友の目を見つめた。
眠りにつく腐れ縁の友人の姿を一瞥した後、しゃがみ込む。そして悲愴に暮れる友人の忘れ形見と目を合わせた。


774 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:29:07 EsHec9BU0
「…………はすみ、死んだのか?」
「…………………うん」
「…………そう、か。これしか使えそうなもの持ってないけど、顔拭きな」
「……………ありがと、茶子ちゃん」
「ん」

包帯――回復付与のない、医療道具の中の一つ――を茶子から手渡され、うさぎは悲しみを誤魔化すようにごしごしと荒っぽく顔を拭く。
傍から見れば茶子はうさぎと共にはすみの死を悲しんでいるようにも思えた。
アニカの探偵としての目から見ても、雪菜の演劇部で鍛えた表情から感情を読み取る経験でも、創のエージェントとしての観察眼から見てもそう映るので、茶子が友人の死を嘆き悲しんでいるのは事実に違いない。
しかし―――。

「――――ん……?」

探偵少女は思わず目を擦り、うさぎと悲しみを分かち合っている茶子の姿を凝視する。
しゃがみ込んで不器用な言葉で友人の妹を慰める茶子。それはいい。
だが、彼女の周りには赤子らしき肉塊を抱きかかえた女、如何にもヤクザといった風貌のスーツ姿の男、白衣を纏った研究者風の男女等々。数多の半透明な人々が無表情で茶子を見下ろしていた。
茶子自身にも黒い靄が纏わりついており、アニカはそれの正体を掴めないが受け入れ難い『ナニカ』のように思えた。
しかし、アニカの目に映ったのは僅か数舜。瞬きの後にはそれらは掻き消え、視界に入ったのは妹分に寄り添う茶子一人。

「天原さん、どうしました?」

茶子の様子を注意深く観察していた創の耳に囁きのような小さな声が聞こえた。
僅かに首を動かして声の方に顔を向けると、怪訝な表情を浮かべた雪菜と目が合った。
彼女も創と同様、突如現れて自分達を殺さんばかりに殺気を叩きつけてきた茶子を危険視していることが読み取れた。
その意図を理解し、若きエージェントは同盟者に短く彼女にだけ伝わるように言葉を選んで、囁き声で伝えた。

「…………彼女は、先生を連れて行った人間と同じ……いや、それ以上の気配がします」

思い出される二人の過去の失態。創は采配の過ち、雪菜は大切な恩師を目の前で連れていかれた数時間前の出来事を思い出す。
虎尾茶子の姿が碓氷誠吾や小柄な腕利きの女性を引き連れた特殊部隊を彷彿させる存在に見えてしまう。しかし、茶子の質は特殊部隊の男以上に感じる。
雪菜から見た茶子は碓氷誠吾のように軽薄でありながらその裏には言語化できない悍ましいものが隠されている気がしてならない。
創から見た茶子はエージェント相当の知性を持ちながら、戦闘をした小柄な女性--小田巻真理や特殊部隊の男--乃木平天以上の実力を持つ危険分子と思える。
その異質な茶子の在り様から、脳裏に浮かぶのは今は亡き師匠――青葉遥からの暗号手紙に書かれたある人物のコードネーム。
最強のエージェントである彼女が唯一完全敗北した所属不明の女性工作員。
辿った記憶について雪菜に伝えようと口を開こうとした瞬間―――。

「――――――ッ!!」
「天原さん!」

突如、創の脳に直接叩きつけられる強烈な感情の波。脳に誤認識を受け付けた上月みかげとは比べ物にならない程の強い衝撃に創はよろめき、膝をついた。
その感情を理性で理解する前に創は右手で自身の額に触れ、異能と思わしき力を打ち消す。
創に近寄って跪く彼の背中を擦る雪菜は眉を吊り上げ、下手人たる異能の持ち主を探すために背後を振り返る。

「―――チャコおねえちゃんをわるくいったら、リンおこるよ」

そこには長く艶やか黒髪の美しい童女が一人。黒曜石を思わせる眼を見開いて二人を凝視していた。
さしもの雪菜も就学したての児童には怒りをぶつけられず、不満を飲み込んで押し黙る他なかった。

「ありがと、リンちゃん」

いつの間にか創と雪菜のすぐ後ろには当の本人である茶子が立ち、リンを手招きして呼び寄せた。
呆然としている二人を他所にリンは茶子の元へ一直線に向かって幸せそうな表情を浮かべて抱き着いた。
「よしよし」と抱き着いてきた幼子を褒める傍ら、茶子はそうと雪菜二人へ冷たい視線を投げかける。


775 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:30:30 EsHec9BU0
「お前らさ、あたしを睨みつけるのは勝手だけど状況分かってる?魔王にボコされてまだ現実見えない?
現状戦えそうなのは目隠れの中坊だけだよ。そんな有様でどう戦おうっていうのさ」

歯に衣着せぬ言い方でアニカら三人に現実を突きつける茶子。アニカらが茶子に不信感を露にする以上、茶子も相応の対応をする。
沈黙するアニカに痛恨の表情を浮かべる創。彼らに対して薄ら笑いを浮かべて嘲るような表情を浮かべた茶子。

「―――だったら、貴女は何ができるんですか?」

茶子の傲慢な態度に雪菜の口から漏れる反感。アニカの表情が強張り、うさぎが宥めようと口を開こうとした瞬間――。

「――――ッ」

ヒュッと風が吹く。
非戦闘要員のアニカやうさぎは疎か、エージェントの創でも反応が遅れる。
雪菜の首には鈍らの日本刀。それが薄皮一枚程の寸止めで止まっていた。
下手人は虎尾茶子。変わらず軽薄な表情を浮かべたまま居合を放っていた。その動きをこの場の全員、誰も目視できなかった。
ほんの僅かでも動作を誤れば命は刈り取られていたであろう。その事実に雪菜の背中には冷たい汗が流れる。

「…………どう?これで分かってもらえた?」

静かで穏やかな声に演劇少女はただ頷くことしかできなかった。

「Anyway、Ms.チャコを信用しましょう。理由はどうあれ、今は彼女をValuable forceとして数える以外選択肢はないわ。
少なくとも、Ms.チャコの目的は私達と同じ筈よ」
「悪いね、話が早くて助かるよ。ありがとね、アニカちゃん」
「You're welcome」

上面だけの感謝で締めた言葉のやり取り。アニカと茶子の間で何が起こったのか不明だが、少なくとも良好な関係ではなさそうだと創と雪菜は感じ取る。
少なくともアニカは「信用する」とは言っていても「信頼する」とは一言も言っていない。

「そ……そうだよ!茶子ちゃんは性格が悪いけど剣道有段者だし、お仕事でも村の人に頼りにされてるから皆の力になってくれるはずだって!」
「フォローありがとな、うさぎ。でも性格悪いのは余計だ」

しかし、犬山うさぎは違う。姉の犬山はすみの死を共に悲しんでくれた女性であり、幼い頃から世話になっていた分、彼女への信頼も厚い。
うさぎの言葉にうんうんと嬉しそうに頷くリンも言わずもがな、茶子の完全な味方といえる。

「ま、とにかくだ。目的も一致してるし、お前らの味方でいてやるよ。このままだと魔王ヤマオリナントカはやばいことしでかす予感がする。
時間が惜しいし、奴を止めるためにも情報を教えな」




776 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:55:26 EsHec9BU0


一同の話を聞き終わり、茶子は目を閉じる。
そのまま数秒、何も動かないまま。一同は不審がり、代表してアニカが声をかけようとするとーー。

「‐―勝てるな」

そう、断言した。


生者の気配より死者の数の方が上回り、既に滅びの道を辿っている山折村。
その道を悠々を歩くのは黒髪の巨漢。かつて山折圭介と名乗っていた魔王。
現在の名は「ヤマオリ・テスカトリポカ」南米で信仰される戦争の神にインスピレーションを得て名乗っている。
その真名は「アルシェル」。地球の法則が成り立たないとある異世界にて全てを支配し、全てから恐怖の対象として畏れられた存在。
「魔王(かみ)」を冠する名に偽りなし。万能に等しい力を持ち、彼の気まぐれ一つで容易く国は滅び、死体の山が築かれた。
彼を討伐せんと生み出された勇者は数知れず。ほとんどは肉塊と化し、勇者と縁があった者は、人間・獣人・魔族区別なく鏖殺された。
中には魔王に致命傷を与えた者もいた。しかし―――。

『なるほど、オレの肉体を殺すとは強いな。では、その肉体を貰ってやるとしよう』

魔王の肉体はただの入れ物に過ぎず、自身を殺した勇者を依代に黄泉返りを果たし、魂に刻み込まれた経験も魔術も我が物にした。
元勇者であった肉体に入り込んだ魔王は勇者の尊厳を破壊しながら暴虐の限りを尽くして魔王の座に返り咲く。それを何度も繰り返した。
数千年ともなると魔王は虐殺に飽き始め、趣向を変えて楽しむことにした。

『己に降りかかる不幸を憎んでいるのだろう?その願いを叶えてやる』

自らの不条理に嘆き悲しみ、全ての元凶ではなく自身を害した存在に力を貸して悲劇を作り出すことでその有様を見て楽しんだ。
幾度となく勇者の体に乗り移り、力を蓄えた魔王は最早願望器の力すら担うようになっていた。そしてその願いの質により魔王はさらに力を増す。
最早、彼の世界に魔王を討伐する勇者はおらず。このまま世界は滅びの一途を辿るばかり―――。
しかし、魔王の暴虐は名も知れぬ一人の「勇者」と、彼の持つ「聖剣」によって終わりを迎える、筈だった。

「懐かしい光景だな。数千年前まではライフワークで幾つもの村を滅ぼしていたんだが、もう一度見られるとは思えなかったぞ」

肩に背の高い少年――八柳哉太を抱えながら、懐かしそうに魔王は独り言ちた。
哉太は死んでいない。しかし、彼に想いを寄せる少女が眼前で命を散らす姿を目にした瞬間、彼の精神は限界を迎えた。
魔王にとってその悲劇は喜劇でしかなく、これを使って彼と親しい人間を追い詰めるのも悪くないと思っていた。

「ん……?お前も喜んでいるのか?ハハハ、良いだろう。不条理に対して思う存分憂さを晴らさせてやるとも」

魔王の内面で依代たる山折圭介が元親友を徹底的に嘲笑し、憎悪の言葉をぶつける。
八柳哉太の相棒である天宝寺アニカに手を下したのは山折圭介自身。魔王は憑依時に圭介の魂に魔力を流し込んで捻じ曲げて汚染した。
魔王自身が手を下して命を奪ったのは犬山はすみ一人。正真正銘、他ならぬ圭介が哉太の存在を否定している。

「ん……?何だ?」

ふと魔王は何かの気配を感じ取る。索敵の魔法の復活には未だ目覚めておらず、仕方なく気配の方向へと視線を向ける。
そこに佇むのはヒトの形をした影法師。肉付きから第二次成長期を迎えたばかりの少女のように思えた。

「ほう、お前がこの村に潜んでいた呪い……いや、違うな。使い魔程度か」

顔を上げ、じっとこちらへと顔を向ける影。元の世界にあった魔力とは根本が違う力を持っているが、魔王の力に比べるとあまりにも微弱。
山折村に巣食う呪いがこれでは拍子抜けである。魔王が感じ取った力はそれ以上に強大な異質。

「出迎えという認識で構わないな。心配するな。必ずお前の主には会ってやる」

無言を貫く影法師に向かって優しい声で囁き、その小さな頭を撫でようと手を伸ばした瞬間。


777 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:56:07 EsHec9BU0
――――おいで。おいで。こっちにおいで。

山折圭介の脳を介して伝わる舌っ足らずな幼子の声。
煩わし気に声の方向を向くと、手招きする黒い髪の童女の姿。
童女は目の前の影法師と違い肉体を持っていることが分かる。恐らく童女はテレパシーか魅了(チャーム)の異能を持っているのだろう。
魔王が軽く視線を向けると、童女は商店街の方へと駆け出し、建物と建物の間の道へと消えた。

「鬼ごっこか。「烏宿亜紀彦」だった頃、娘にやってみたが、何が面白いのか分からんな」

だが多少の暇潰しにはなるだろう。自身の精神的抵抗(メンタル・レジスト)を軽々と突破するとは面白い異能だ。
魔術にてすぐさま異能を解除し、哉太を担ぎながらゆっくりと幼子の後を追う。
商店街に入って曲がり角へと到達する前に童女が顔を出し、魔王へと異能を使用する。その度に魔王は魔術を駆使して魅了を解除し手後を追う。

(オレを誘い込んでいるようだな。まあいい。ガキに誘き寄せられたオレに待ち構える存在がいれば面白い。
そいつの目の前でガキを嬲り殺すか、ガキの前でそいつを嬲り殺すかの違いでしかない。せいぜいオレに退屈させるなよ)

山折圭介の顔で醜悪に歪んだ表情を浮かべる。再び童女が角を曲がり、魔王もそれに続こうとしたその刹那―――。

「―――――ぐッ………!?」

ダァン!という銃声とともに圭介の脇腹に激痛と衝撃が走る。それに伴い、魔王も一瞬意識が飛ぶ。
肩に担いだ少年が道端に投げ出され、魔王はコンクリートに顔を叩きつけられる。
漂白した視界が戻り、グレーのセメントが映し出された瞬間、今度は背中に激痛が走る。
そこでようやく魔王は意識外で襲撃を受けたことを悟り、身体をアダマンタイト並みに高質化する魔術を繰り出そうとする。
しかし、その前に今度はいくつもの黒い鏡のような物質が張り付いた右太腿への激痛。
その直後に魔王ヤマオリの黒髪が金の混じった毛髪へと変貌し、戦闘形態へと移行する。
同時に周囲一帯に暴風が吹き荒れ、謎の襲撃者の肉体を押し戻す。
傷口や破損した内臓や骨を魔術にて修復しながら、襲撃者の正体を暴くために起き上がり、首を動かす。
そこには腰に日本の打刀と脇差を携え、大口径のリボルバーを片手に持った金髪の小柄な女性一人、薄笑いを浮かべていた。

「ほう。現地の人間に不意打ちされるとは思っても見なかったぞ」
「―――よう。初めまして……でいいな?あたしは虎尾茶子。よろしくな、自称魔王の幽霊くん」



「Can be defeated……。そのままの言葉で受け取ってもいいのよね、Ms.チャコ」
「おうとも。根拠がなきゃ言わないよ。あたしが気休めでお前らを元気付けるおめでたい女に思えるか?」
「Don't think so。そのEvidenceを私達でも分かりやすいように教えてもらえるかしら?」

強い口調で問い詰める天才少女に役場職員は睨みを聞かせながら返答する。
アニカと茶子。決して歩み寄りを見せない両者の間に冷え切った空気が漂う。

「おい、中坊。魔王テスカポカトリとやらは山折圭介(クソ)の身体に憑依したんだよな?」
「……名前はテスカトリポカですが、はい。気絶した圭介さんの肉体を依代に顕現しました。虎尾さん、何か心当たりはあるんですか?」
「まあな。それと性質が似た存在もアニカちゃんと別行動した後に知ったし、丁度そいつを祓える手段もあたしの手にある」

一同の度肝を抜くような発言。魔王と性質が類似した存在と対抗手段。あくまで村役場の一職員でしかない茶子が一人で見つけ出したとは思えない。
しかし、こちらには慰めの言葉をかけることがない女が虚言を吐くとは思えず、内心はどうあれ目的が一致している以上嘘を履いてるとは到底思えない。

「とりあえずお前らが一番知りたがっている奴に対抗できる手段を教えるよ。中坊、この銃お前には見覚えがあるよな」
「――――こ、これは……!?」


778 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:57:35 EsHec9BU0
茶子の腰のホルスターから抜かれた所々に文字が彫られ、装飾が施された大口径のリボルバー銃。
それが驚愕の表情を顔に張り付けた創の手元に向けて軽く投げられる。
反応が僅かに遅れたものの、若きエージェントは銃を難なくキャッチし、それをまじまじと見る。

「お前の知り合いの銃だろ。確か名前は鈴木、ジャック……ジャックでいいか。それで伝わるよな」
「…………Ms.Darjeeling。この銃、どこで手に入れました?」

創の声から明確な怒気が発せられる。雪菜が初対面時に聞いた、違う世界の人間と思わせる声色。
未だ成長過程にいる創が一流エージェントを下した茶子に勝てる可能性は限りなくゼロに近い。
それでも少年にとって狙撃や格闘術の教えを乞うた第二の師匠である戦闘特化エージェントの安否は無視できない。
拙い殺気をぶつける創に茶子は肩を竦める。

「お前と出会う前、SSOGクラスのクソ爺と殺り合ったんだ。その時にジャック氏のゾンビを見つけて両腕をへし折って銃と弾を拝借した」
「…………生きてはいるんですね?」
「あたしが最後に見ていた限りではね。一応近くの民家にぶち込んでおいたし、ジャック氏に余程の恨みを持つ人間が見つけなきゃ大丈夫だろ」
「貴女の言葉、一応信用します」
「そいつはどーも」

「無駄なことはしない」「こちらに対して虚偽の言動は吐かない」「リンとうさぎを除くメンバーに気を使わない」
これまでの茶子の言動から鑑みるに、ジャック氏は腕を折られた重傷を負っているが、命に別状はないらしい。
その確信を以て天原創は虎尾茶子への疑念を解消させた。

「……Mr.アマハラ。話についていけないんだけど、Ms.チャコとアナタがいうMr.ジャックってどんな人なの?」
「それは―――」
「ジャック氏――ジャック・オーランドはハンターだ。一般的には知られてないけど、世界各国で危険種認定された規格外のグリズリーみたいな猛獣とかから民間人を守っている。
まあ、胡散臭い幽霊とか怪異を狩っている狩人として一部界隈ではヒーロー扱いされているけどね」
「……それを、何で貴女が知っているんですか?」
「あたしは役場職員だろ?二日前に役場で適当に喋っていたら「幽霊狩人ジャック・オーランドの冒険」っていう自伝を渡されたのさ。中身はそれなりに面白かったからよかったけどね。
中坊、お前はジャック氏と姉貴を通じて知り合ったんだろ?」
「……ええ、その通りです」

雪菜の問いにジャックの奇行を思い出したのだろう、茶子はやれやれとため息をついて首を振りながら答えた。
ジャック氏の簡易プレゼンで茶子は一部を隠して話したものの、嘘は全くついていない。
まあ、創の知るジャック・オーランドらしいといえばらしい奇行だと納得する。

「それで話が逸れたけどこの銃がどうして有効なのか気になるよな。おい、中坊。もういいだろ、早く返せ」
「………はい」

怪訝な表情を創は浮かべるものの、素直に言葉に従って茶子へと投げ返した。
受け取った茶子はシリンダーから弾丸を取り出し、掌に乗せた。


779 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:58:32 EsHec9BU0
「銃自体はあの自称魔王には効果は薄い。普通の銃弾をいくらめり込ませようとも奴が万能ならばすぐ回復させちまうだろうよ」
「だったら――――!?」
「でも、こいつらと予備六発は違う。ジャック氏の職場で開発された「怪異」特攻の銃弾。
標的が強ければ強いほど効果が増す癌細胞を怪異に植え付けるものだと思えばいい。
弾の効能とかはご丁寧に彫られている。時間がないから見せるのはなしな」

そう言い、茶子は取り出した銃弾を吟味する。その中から選んだ三発をジャックの銃に装填し、残りの二発はポケットへとしまい込んだ。
プロらしい茶子の言い分に非戦闘要員の雪菜やアニカ、うさぎは疎か経験が少ないとはいえ前線で活躍するエージェントである創も黙り込む。
土台は師匠である青葉遥とは違うモノを感じながらも、辿る過程は最強のエージェントと同じになると思えた。
違う反応を示すのは「チャコおねえちゃんがかっこいいリーダーになってる♡」と目を輝かせるリン唯一人。

「それで、後は奴と多少渡り合えるように成りたいからあたしの身体能力をあげられそうな支援(バフ)できそうな奴いる?」
「それなら私が「僕の師匠の職場で開発された薬品があります」天原さん……」

茶子に異能を使おうとする雪菜の前に出て、創はウエストポーチから薬品の入った五本無針注射器を取り出す。
雪菜の異能は自身の生命力を消費して肉体を回復・活性化させる「線香花火」。現在魔王による負傷した傷を回復させている彼女を簡単に酷使したくはない。

「これは何だい?」
「…………活性アンプル。身体能力や反応速度を爆発的に上昇させる代わりに服用者の神経をすり減らす劇薬です。
上昇効果は約十分と短時間しか効き目がない上、全神経――特に目に負担をかける薬です。
五本ある内の一本渡しますから、使いどころを間違えないように―――」
「おう、サンキュ。三本貰うわ」

忠告を最後まで聞かず、危険性を理解しても尚、茶子は創の手からアンプルを三本奪い取る。
信じられないような目で茶子を見る創。その様子をさして気にする様子もなく、変わらぬ平然とした口調で語りかける。

「お前らの言う通りの魔王なら性格がどれだけアホでもヤバい奴には変わりない。場合によっちゃあたしが逆に討伐される可能性がある。
それに一応、神経ダメージを回復させるアイテムがある。
オラ、中坊。そのアイテムとやらを身体に巻き付けるからあっち向け。あたしの裸はガキの見世物にされるほど安いものじゃねえ」


「あ、あの、茶子ちゃん……?」
「……ん。うさぎ、どした?」

ブラウスと下着を脱いで、心臓を覆うように直で包帯――回復能力が付与された――を巻き付けている最中の茶子にうさぎは声をかける。
創と茶子の会話の中で気になるキーワードがあった。わずかな時間だが多少場が落ち着いたため、思い切って聞くことにした。
茶子のうさぎへの対応はアニカ達三人に比べ、いくらかは柔らかい。うさぎ自身も茶子に対しては悪い感情を持っていない。

「創くんとの会話で「怪異」って言葉が出たよね?」
「言ったよ。ニュアンス的に魔王はあたしの知る怪異と性質が似てるって伝えたつもりだ」

不安そうな顔で背中を見つめるうさぎに、茶子は続けて声をかける。


780 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:59:11 EsHec9BU0
「悪いけど、あたしのナップザックからデコった黄色いスマホと羊皮紙を束ねた本っぽいヤツ、それから悪いとは思うけどお前んちから拝借した家系図をアニカちゃんに渡してくれない?」
「すぐ傍に私がいるんだから、直接声をかければいいじゃない」
「嫌だよ、探偵に荷物漁られるのなんざ。一応お前の落とし物を拾ってやったんだから感謝してくれてもいいと思うけど?」
「There's no need for that。でも私のスマホを見つけてくれたことだけは感謝するわ」
「はい、アニカちゃん。もう落としちゃダメだよ」
「Thanks。ところで魔王に似た「怪異」って何かしら?それとこのParchment manuscriptとは何の関係があるの?」

うさぎから荷物を手渡されたアニカが茶子に疑問を投げかける。
その様子を雪菜は少し困惑の表情を浮かべながら、リンは何故か得意げな表情を見せていた。

「降臨させる怪異の特性が魔王戦だけじゃなくてVH収束の鍵になりそうなんだよ。まあ、良い機会だし一足先に教えとくか。リンちゃんは知ってるよな?」
「うん、しってる!」
「そっか。偉い偉い。あたしが言うからお口チャックしててくれよな」
「いいよー!」

元気良く返事するリンを言葉だけで褒める。それでも幼子はとても嬉しそうな表情を浮かべていた。
一同が静まり返った事を確認すると、一同から背を向けたまま声を上げる。

「中坊。お前も無関係じゃないからしっかりと聞いとけよ」
「…………分かってます」
「魔王テスカトリポカは依代に憑依して力を与える。その性質は山折村の絶対禁忌「巣食うもの」に酷似している。
魔王は一人で神を名乗る痴れ者であるが、「巣食うもの」は違う。分割され、それぞれが意志を持つ存在になった。二つとも真名は同一なんだ。
『彼女』の真名は―――」



「気配遮断からの銃撃といったところか。勇者ケージの仲間の獣人もオレを暗殺しようとしていたな」
「ふーん。で、あたしの隠形はその獣人とやらと比べてどっちが上なん?」
「まあ同程度といったところか。しかし悲しいかな。地力の差はあちらが上だ。銃を使わなければならないお前に対してあちらは素手でオレの身体を貫いてきたぞ?」
「お前の世界では……だろ?足元簡単に掬われる魔王って案外大したことないんじゃない?」

軽薄な言葉の応酬で魔王ヤマオリと虎尾茶子は対峙する。
その最中で既に魔王に与えた銃創は巻き戻しのように再生し、ものの数秒で襲撃前と同じ肉体に戻った。

「この通りだ。現地住民にしては工夫を重ねてオレに傷を負わせたつもりらしいが、これで何の意味もなくなった」
「あら残念。ところで中には猛獣もぶち殺せる神経毒やらが入っていたはずなんだけど、急いで取り出さなきゃお前の仮住まいがヤバいことになるけど大丈夫?」
「ああ、道理で山折圭介の肉体が痺れているわけだ。まあ安心してくれ。肉体の痛覚はオレには届かないし、依代の奴にも痛みはない。オレの中で奴はお前を笑っているぞ?」

魔王の身体が淡い光に包み込まれ、「これで解毒はすんだ」と茶子に嘲るように笑いかける。
己の奇襲がたいして意味もなく終わったにも関わらず、茶子は「やれやれ」とわざとらしくため息をついただけだった。

「んで、取り込んだ銃弾はどうしたん?」
「取り込んだまま溶かしてこの肉体の栄養に変えたぞ?鉄分……だったか?人間に必要な不可欠な栄養素は」
「質問良いですか〜?あたしらは手前の肉体で戦っているのにお前は他人の肉体で元の世界の魔法?を持ち込んで「俺TUEEEE」すんの無法すぎません?」
「ああ、そういえばお前達は持たざる世界の住人であったな。元々世界は不平等だ。搾取される側として諦めて己の運命を受け入れた方が楽になるぞ」
「いるよねこういう降って沸いた力でイキり散らかすアホ。器のサイズがたかが知れてるね」


781 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/07(日) 23:59:40 EsHec9BU0
煽りに対して煽りで返す舌戦。魔王は未だ顕現したばかりで本来の力を発揮できずにいるが、それでも眼前の娘程度ならば本気を出せばあっさりと殺せる力がある。
そもそも元の世界の住民と地球の住民とは肉体強度を始めとした地力が違いすぎる。
虎尾茶子は現地住民の中ではトップクラスの身体能力を誇っているのだが、魔王の世界ではせいぜい中級冒険者程度。ドラゴンとすらまともな戦闘ができそうにない。
だから敢えて乗ってやった。ただ殺すだけでは何の面白みもない。遊びを交えなければ退屈を紛らわせない。

「それでさ、魔王さん。お前何の取柄もない自称次期村長のクソガキの身体を乗っ取って何がしたいの?」
「おいおいオレが自主的にコイツを依代にしたって言いたいのか?風評被害もいいところだ。
コイツがオレを必要としたのさ。だからコイツの願いを叶えてやるために力を貸してやっているのさ」
「山折帝國……だっけ?頭逝ってるとしか思えないクソ下らない願い事だよな。やっぱ依代もお前も似た者同士だわ。
山折圭介の山折圭介による山折圭介のためだけの國。素晴らしいディストピアだな。圭介の味方する奴なんで誰もいなくなるんじゃねえの?」

恐らく茶子は先ほど遊んでやった天原創達と遭遇し、多少の情報交換をしたのだろう。ならば話は早い。
魔王は内心で面倒な説明を省くよう仕向けてくれた現地住民達に軽く感謝を述べた。

「まあそう言うな。お前のお陰で多少は退屈が紛れそうだよ。呪いの親玉とやらもわざわざ憑かれている人間を遣わしてくれるとは気が利いている」
「あん?あたしが誰の使いパシリだって?」
「自覚はないのか。ならばオレ達を観戦しているギャラリーくらいは見えているだろう?」
「リンちゃんはお前が振り落とした男の子を引っ張って隠れているはずだからここにはいないよ。お前、マジでヤクキメてるんじゃない?」
「それすらも目視できていないとは、中途半端な。茶子くん、少しキミには失望したぞ」

肩透かしを食らい、やれやれと肩を落とす魔王に茶子は「何言ってんだコイツ」と怪訝な目を向けていた。
魔王の目には茶子がどす黒いナニカを纏っているのが見える。そして魔王のすぐ隣には「大いなる呪い」の使い魔らしき影法師がくすくすと笑っていた。

「魔王さん。妄想ほざくのは個人の自由だけどさ、結局お前さんは人を小馬鹿にするくらいしか―――」

そう言い終わる前に茶子へ硬質化した拳が、頭蓋を粉砕せんと迫る。
その紙一重。茶子の姿勢が深く沈み、腰から打刀――哉太の持っていた――が抜刀される。
頭のあった位置を拳が通過し、打刀が頭上に振り抜かれ、魔王の腕を縦一文字に切り裂いた。
同時に抜かれた逆手持ちの脇差が勢いよく突っ込んできた魔王の腹を深々と切り裂く。
切り裂かれた流血が茶子の黒いブラウスを濡らす。魔王が茶子に視線を向ける直前、縮地にて魔王の脇を通り抜ける。
一連の動作が終了する。魔王は二つの裂傷を負ったまま茶子を振り返り、茶子は二本の刀を握りしめたまま魔王の方を向いた。

「いや、ずるくね?会話の途中でぶん殴ろうとするなんて」
「先にやってきたのはそちらだろう。だが、悪くない太刀筋だ。技術だけは彼の勇者に並んでいるな。少しはオレの中でお前の株が上がったぞ」
「うわー嬉しくねー。その株ドブに投げ捨ててくんね?」

切り裂かれた腕と鮮血が滴り臓物が顔を出す腹を魔術にて再生させながら、魔王は笑いかける。
その様子と彼の言動に心底嫌そうな顔をしながら毒を吐いた。

「少なくとも退屈はしなさそうだ。若き剣士よ、少しゲームをしよう」
「ゲームぅ?どうせクソゲーだろ」
「そう言うな。ゲームのルールは簡単だ。一〇分の間、オレはお前程度でも対処できる魔法(ほんき)を出す。お前はそれを耐え忍んでみせろ」
「うわやっぱクソゲー」
「呪いの親玉との前哨戦だ。奴と対峙する前のウォーミングアップに丁度良い」

そう言い、身構える魔王。だが、茶子は身構えず首を傾げたままでいた。
何かまだ言い足りないことがあるのかと不思議に思っていると茶子がわざとらしく手を挙げて問いかける。

「魔王さんさぁ。エージェントの中学生から聞いたんだけど、前の世界では聖剣と勇者に負けたんだよね?」
「…………それがどうした?」
「いや、怒らないで聞いてほしいんすけどぉ、今もビビってるって認識であってる?」
「…………」

こちらを徹底的に嘲る言葉に魔王の眉がピクリと動く。
その様子を薄笑いで眺めながら、茶子はポケットから無針注射器――活性アンプルを取り出し、首に打ち込んで言葉を続ける。

「つまり「俺TUEEE」したいから尻尾を巻いて地球(こっち)に逃げた訳だよね。どんだけ偉そうにしていても中身はゴブリンそっくりじゃね?(笑)」
「――――ゲーム開始だ」




782 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:00:12 pMN5r/820
高く上った太陽が徐々に沈み始める。
閑静だった商店街に破壊の風が吹き荒れ、その渦の中心には黄金の髪の大男と艶やかな金髪の小柄な美女。
立ち並ぶ店舗を破壊しながら立ち回る二者の姿はまさに死の輪舞。
魔王たる男が茶子の周囲に黒曜石の槍を展開し、疾風の如き速度で一斉掃射する。
茶子は聖刀を握りしめて周囲の殺気を読み取り、自分を確実に抹殺する槍の軌道を計算する。
美女の矮躯に黒き槍が殺到する。一つ一つが着弾する時間差はコンマ数秒。

―――八柳新陰流『蠅払い』

腰の捩じりで回転し、四方八方から襲い来るヤクザを一刀のもと切り捨てる術理が一つ。
活性アンプルによって身体能力及び全神経が爆発的に情報した剣姫の技は、襲い来る漆黒の槍を一刀のもと切り払う。

「―――余所見をしている場合か?」

直後、魔王のテレフォンパンチが迫る。
魔術を付与されているのだろう。彼の腕には鎌鼬が纏わりついている。
直撃は即死。紙一重の回避では風の刃にて首から上がミキサーで砕かれたように粉微塵と化す。
ゆえに選択が迎撃一択。抜刀される脇差にて渦の中心である握りしめられた指に刃の中心を当て、弾き返す。
魔王の指に真一文字の傷が刻まれる。同時に一歩踏み出し、茶子の利き手に握られた打刀が下から上に上昇するように振り上げられる。
八柳新陰流『朧蟷螂』の応用。魔王は前屈みに突進してきたため、その体制を整えて回避するのは困難。
しかし、魔王には異能ではない第三の手がある。
地点指定を行い数メートル先に瞬間移動する回避(バックスタブ)。テレフォンパンチを仕掛ける前の場所に戻り、茶子の斬撃は空振りする。

「ふむ、オレが遊んでやった奴らとは一味違うな」
「当たり前だろ。お前がボコってイキり散らかしていた一人を除いた烏合の衆と一緒にすんなよ。
まああたしと同格の一人は特殊部隊のせいで満身創痍でめちゃくちゃ疲弊していたみたいだし、あの子が万全だったら結果は違っていたかもね」
「口がよく回る」

荒い息を吐きながらも不敵な笑みで返す茶子に、魔王は嘲りで返す。

「今度は宿主の異能とやらとオレの魔術を組み合わせてみるか」

依代の異能で商店街を彷徨っていたゾンビが三体茶子の前方数メートルに集まる
その直後、ゾンビの頭が溶解し、代わりに豹の頭の乗った出来の悪いコスプレ人間が生み出された。
コスプレ人間――戦士(ジャガーマン)の手にはそれぞれ魔力で紡いだアサルトライフル。戦士がかりそめの命を失えば即座に消える銃。
同時に茶子の頭上に魔力の雲が浮かぶ。戦士達を即座に抹殺しなければ頭上に魔力県が降り注ぐ仕様である。

「―――せいぜい頑張れよ、茶子くん」

その言葉と同時に豹頭の戦士たちがライフルを構えて引き金を引く――その寸前。
茶子が肉薄し、下段に構えた聖刀が二度振るわれ、豹の首がポトリと落ち、白い煙を上らせながら消滅した。
女の背後に魔力剣の雨が降り注ぐ。
――――そうして、魔王と研究所特殊部隊最強の戦いは続く。


783 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:00:37 pMN5r/820
活性アンプルにより茶子の身体能力及び反応速度は爆発的に上昇した。
八柳流最強の上昇幅は、山折村殲滅を掲げ、暴虐の限りを尽くしたかの八柳藤次郎を上回る。
しかし、妄言を吐く魔王はそれを軽々と凌駕した。
茶子の戦闘スタイルは銃があるものの剣が届くクロスレンジ。
だが、魔王は自身の魔力ブーストでそれを上回り、魔術による遠隔攻撃も可能。
己の技量で誤魔化していても彼の地力で押されつつある。
そして、運命の時が来る。

「―――存外、頑張った方だったな」

活性アンプルの効果が切れて肩で息をする茶子を見下しながら嘲笑する。
剣姫は顔を上げる。アンプルの影響で神経にダメージがあったのか、双眸と鼻から血を垂れ流している。
しかし、それでも茶子は不敵な笑みで魔王を嗤い返していた。

「これで詰みだ。矮小な現地民としては割とよく頑張ったほうだぞ、茶子くん」
「ああそうですか。……で、ゲームはどうしたん?」
「そういう形式だったな。オレはこの通り無傷で君はズタボロだからオレの勝ちだな」

未だ希望を捨てきれていない茶子へ出来の良い生徒を褒めるように魔王は語り掛ける。
このまま女を殺してもいいが、今のまま殺しても面白くない。
ふと隣を見ると、未だ影法師の少女がくすくす笑いをしていた。

「勝者の特権として聞きたいことがある。いいえとは言わせないぞ、茶子くん」
「へーへー、何でございましょうか?」
「山折村の呪いの元凶たる存在の名を言いたまえ」
「知らないっつったら?」

その言葉の直後、茶子の周囲数十センチを取り囲むように魔力剣の雨が降り注ぐ。
魔王が軽く指を鳴らすと地面に突き刺さった剣は塵のように跡形もなく消え去った。

「オレはあまり気が長い方じゃないんだ。質問はいいが無駄話はしたくない」
「おーこわ。じゃあ質問ね。それを知ってどうするのさ」

状況を分かっていないのか相変わらずの減らず口を叩く茶子に含み笑いを漏らす。

「ああ良い質問だ。山折帝國を作る際、オレがその名前を名乗ろうと思ってね」
「へえ。じゃあ今いるそいつはどうすんの?」
「調伏し、名を奪う。テスカトリポカではこの村では馴染み難いだろう?」
「まあそうだな。でもさ、そいつが聞いたらブチ切れて依代ごと祟られるよ?」

茶子の意外な言葉に魔王は嗤いを堪え切れず、プッと吹き出した。
隣を見ると影法師の少女がくすくす笑いを止め、じっと魔王を見上げていた。

「随分と酔狂なことを言う。呪いとは言っても大したことはあるまい。オレの世界では何人もの呪術師がいた。
この世界ではコードが全く違うが、似たようなものだろう。丁度いい学習教材だ」
「…………警告は一応したからな。いいよ、教えてやる」

今度は哀れみを込めて魔王へと言葉を残す。一息ついた後、村の娘は言葉を紡ぐ。


784 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:01:09 pMN5r/820
「この村に巣食う呪いは通称「巣食うもの」。かつてこの村の巫女だったけど『呪い』となり祟り神として転生した女だ」
「ほう、ありがちだな。それで、その女の名前は?」
「――――隠山祈」

「イヌヤマ」という名称を聞いたとき、魔王の脳裏を過ったのはかつて勇者一行を裏切った召喚師イヌヤマとこの地で殺し損ねた女子校生犬山うさぎ。
自分を見上げる使い魔たる影法師からはどちらの気配もしない。しかし、何かが似通っている。

「ま、どちらでも良いか。それでそいつの特徴は?」
「性質だけはお前と似てる。でもお前みたいにアホ丸出しじゃねえよ」
「まだ減らず口を叩けるのか元気のいいことだ」

負け犬の遠吠えのように毒を吐く茶子に思わず苦笑を漏らす。
これだけの情報が聞き出せればこの女は用済みだ。

「―――少し調子が戻ってきた。オレの魔術の実験台になれ、虎尾茶子」
「やれるもんならやってみやがれ、神騙り」

未だ己を侮り続ける茶子の挑発に、思わず笑みが零れる。
怯えも憎悪もぶつけず最期まで変わらない茶子に対して苛立ちを感じはしたものの、終わりが近ければ微笑ましさすら感じた。
精神体から肉体に魔力を伝わせ手イメージする。空想するのは煉獄の矢。標的を追尾し、着弾した瞬間、対象を一万度の熱で焼き尽くす地獄。
細胞一つ残さず燃え尽きた後、魂にも飛び火し、こちらは永劫の業火に焼かれ続ける。決して消えることのない魔炎。
未だ不敵な笑みを浮かべる茶子に左手三本の指で弓の形を作り、右手指で矢をつがえる様な形を取る。
くみ上げた魔力で灼熱の矢を作ろうとした瞬間――――。

―――その名を騙る痴れ者に、祟りあるべし。

魔王アルシェルの耳に、少女の声が響く。

「――――!?」

傍らにいる影法師が、口ずさむ。
同時に魔術のイメージが反転する。

「ぐ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」

山折圭介の肉体に灼熱の炎が燃え広がる。
逆流した魔力がアルシェルに飛び火し、精神体を蓄えた魔力ごと焼き尽くす。
実験台であった剣姫の前で倒れ、山折圭介の肉体は纏わりつく炎を消そうとゴロゴロと地面を転がる。

「―――だから言ったじゃん。祟られるって」

女の声が届く。同時に銃を抜いて弾丸を装填する音がアルシェルの耳に響いた。

(まずい……!オレはともかく、依代が殺される……!)

この地にて始めて魔王が焦りを見せる。
逆流した灼熱の矢の影響で魔力は大幅に減少。魂への攻撃も兼ねていたため、徐々に取り戻しつつあった力も完全に潰される。
圭介の肉体とアルシェルの魂を修復するため、回復魔術の使用を試みるも、再び声が届く。

――――その名を騙る痴れ者に、祟りあるべし。

傷が、開かれる。

「な……なんだお前達は……!?ぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

山折圭介の肉体でアルシェルは絶叫する。
魔王の口に悍ましい感触が伝わる。激痛のあまりせき込むと、口から頭の部分だけ傍らの影法師の頭を持った蛆が吐き出された。
回復魔術は正常に使用され、圭介と魔王の傷は元通りに回復した。しかし、同時に彼の中に巣食う「ナニカ」を活性化させた。
圭介の肉体を介して植え付けられた呪巣。実体を持たないそれは精神体に刻まれた魔術式を食い荒らし、書き換えながら成長し、外へと這い出る。
取り戻した魔術は蛆が食い尽くす。それによって時間によって徐々に取り戻すはずだった魔術(かのうせい)は断たれる。

「く……鬱陶しい!」

怒りの赴くまま、魔王は吐き出した蟲を全て手で叩き潰す。
殺された蟲は何も吐き出さず、塵となって風に飛ばされた。


785 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:01:32 pMN5r/820
「お前には何が見えているんだよ」

冷たい銃口が、四つん這いになった圭介の背中に当てられる。

「ったく、もう少し早く本気出してくれなかったかなぁ。無駄にダメージ食らっちゃったじゃん。ヤマオリ・テスカトリポカ。いや、カラトマリ・テスカトリポカ」

首を動かして声の方へと振り返るとつい先ほどと変わらない、徹底して己を見下した虎尾茶子の薄笑いが深紅の目に飛び込んだ。

「お前の性根は果てしなく小物だけど力だけは最大クラスの脅威だ。あたしが何の対策もなく馬鹿正直に戦おうと思った?」
「な……ならば、いつから……?!」
「最初からだよ。不意打ちが成功した時から終わってた。あたしの忠告通りに銃弾を取り出していれば良かったんだ」
「だが……!頼みの神経毒はすでに解毒……?!」
「バーカ、あれは囮だよ。本命は別だ。てめえが吸収した弾丸は呪いを凝集した弾丸。
『呪詛への抵抗弱化』『呪詛返し』『土地神宿し』。ここまで綺麗に嵌ってくれるとは思わなかったよ。
それじゃもう一発いっとくか。あたしのおごりだ、気にするな」
「まっ―――――」

魔王が最後まで言い終わる前に、辺りに銃声が響く。



「私は反対です」

茶子がリンを連れて行くと宣言した瞬間、雪菜は渋い顔をした。
雪菜だけではなく、うさぎも同じ考えであった。

「そうだよ、茶子ちゃん。私も反対。こんな小さな子だよ。もしかしたら魔王の巻き添えになっちゃうかも」
「でも、だ。奴を誘き寄せなければ何も始まらない。それに、リンちゃんの異能は陽動には持って来いだ。
安心しろよ、うさぎ。この子を死なせるつもりはない。この子の異能、知ってる奴いるよな?」

そう言って茶子はアニカと創に目を向ける。
探偵少女は苦い顔をしながらも頷き、エージェント少年は同様に複雑な顔をする。

「No problem。Ms.セツナもMr.アマハラも、ウサギも心配する必要はないわ。リンの異能の範囲は広いから気づかれずに誘導することが可能よ。
それに、Ms.チャコもリンをきちっと守ってくれる……って事でいいわよね?」
「そこだけは信用してくれ。誘い込んだらすぐに離脱させる。リンちゃん、あたしの言うことなら聞いてくれるよな?」
「うん!チャコおねえちゃんのじゃまはしたくないもん!リン、いいこだよね?」

言い終わった後、幼い姫君は愛しの王子様に抱き着いて甘える。茶子は苦笑し、リンの艶やかな黒髪を撫でてあげた。
一同は完全には納得していない。しかし、魔王打倒のためには反論を吞み込む他なかった。
事実、魔王の手によって犠牲者が出ている。現状戦力で主軸になるのは間違いなく虎尾茶子。

「あの、茶子ちゃん。少しいい?」
「いいよ。何でもいいな」
「囮、私じゃダメかな?私の異能は動物さんたちを召喚する異能だし、もう白兎――ウサミちゃんを呼べるから。
そ、それからウサミちゃんはとても足が速いし、魔王を誘き寄せるのだって―――」
「ダメ。聞く限り魔王は召喚獣には興味なさそう。それに例えターゲットが向いても奴の魔法で狩られる可能性の方が高い」
「あ……!」

見落としていた可能性にうさぎがうなだれる。リンを守る以上に姉を殺した仇敵に一泡吹かせたかったのだろう。
その気持ちが何となく伝わり、茶子もうさぎを詰るつもりはなかった。
結論が出たことを感じ取り、創が話を進めるために口を開いた。

「では、議題を変えます。虎尾さん、魔王を弱体化させた後はどうするつもりですか?」
「そうだな。それは―――」

銃に装填していなかった残りの二発をガンホルスターの内部ポケットにしまい込み、茶子は答えを出す。

「――――依代の『山折圭介』を引き摺り出す」




786 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:02:00 pMN5r/820
瓦礫が辺りに散らばった商店街にて再び始まる戦闘。
だが、演者は変わらずとも今度は先程のような暴風は吹き荒れず、規模も縮小化された。
そして、演者の役割も反転する。

聖刀を振るって魔王を切り刻まんとするのは八柳流免許皆伝、虎尾茶子。
対するはその鋭き斬撃を得意の魔術を使わずに、山折圭介の肉体で回避し続ける魔王。
埋め込まれた四発の銃弾。その内の三発が山折圭介の肉体から魔王の精神体に伝わり、呪厄に浸食されていく。
茶子の方も全くの無傷ではない。つい先程の戦闘で彼女の肉体は酷使され、神経のダメージを始めとした傷は身体に巻かれた異能の包帯で回復しつつあるも疲労までは抜けていない。
だが、それでも現状の魔王を追い詰めるのには十分だった。

(クソ……このままでは……!)

他者を嘲る余裕が消え、魔王はひたすら剣姫の攻撃を回避し続ける。
『呪詛への抵抗弱化』『呪詛返し』『土地神宿し』の三つの弾丸。一つ一つなら効果はそこまで効果は薄く、弱体化前の彼ならばあっさりと解呪できていたであろう。
しかし、時間が置かれずに埋め込まれた三発はほぼ同時に呪いを発現し、魔王の依代である山折圭介を浸食した。
溶かされた吸収された呪いは相乗効果を発揮してそれぞれが絡み合い、複雑な呪詛に変化した。
発現した呪いを解除するためには憑依した魔王自身が本来のスペックの1パーセントでも取り戻さなければ難しい。
そのための緊急措置として、呪いに対する抗体を魔術にて作り出そうとしているのだが―――。

くすくすくす。

魔王の耳元で囁く少女の声が、それを許さない。
彼が魔力を汲み上げて魔術を使おうとする度に精神体が浸食され、目覚めた可能性の目を摘み取る。
回復魔術は最悪だ。使おうものなら魔王の内面に巣食った呪いが勢いを増し、魔術を別のものに書き換えるどころか技能回顧の可能性すら塗り替える。
軽く身体能力向上する魔術で自身にバフを施しても本来のスペックを発揮できない。
魔王の魔術は現在進行でコードを流動的に書き換えられ続けているため、複雑な術式の大規模魔術は大量のエラーを吐き出し続けて実質使用不可。
地殻変動クラスの大量魔力を消費するのを承知で、初級クラスでしかない数秒先の未来を予知できる魔術にて回避し続けるしかない。
呪いへの適応には年単位の時間が必要になっている。
現状を打破するためにはただひたすら茶子の斬撃を回避し続け、魔力を練って抗体を作り、機をうかがうほかなない。

「―――何ボーっしてやがる。自称魔王」
「しまっ―――ー!!」

斬撃を回避し続ける中で集中力が途切れ、未来予知の魔術の効果が切れる。
赤い瞳に映るリボルバーの銃口。初級レベルの攻撃魔術すら封じられ、魔力大量消費を承知の上でバリアを張ろうとするが。

「遅えよ、クソアホ」

冷酷無慈悲な宣言。銃弾は再び魔王の腹を抉った。その勢いで魔王は仰向けに道路に転がった。
未だ体内に残る呪弾二つ。取り出す時間も技術も圭介と魔王は持っていない。
しかし―――。

「ハ、ハハハハハハハハハハ!!」
「うわキモ。なんだ急に。気でも違ったか?」

突如高らかに笑い出した魔王に剣姫の顔が引き攣り、後ずさりする。
その様子すらツボに入ったのか、魔王の哄笑は止まらない。

「ハハハハハハ……ハァー。オレに卓袱台返しを仕掛けるとは、なかなか面白かったぞ、女」
「ああそう。で、何が変わったの?」

状況を掴めていないのか、呑気に声をかける茶子にどす黒い邪悪な笑みを返す。

「お前が埋め込んだ呪詛の抗体がようやく完成した。成程、これがカタルシスか。中々面白い!」
「ふーん、良かったねー。抗体ができても進行を遅れさせるのが精一杯だろうに。それで?」
「少なくともお前達を鏖殺できる力を取り戻せたのだ!もう油断はしない。散々楽しませてくれた礼をしてやろう」

ぎらついた赤い眼を向けられた村娘はぶつけられた殺気に反応せず、心底呆れたように淡々と言葉を紡ぐ。

「そりゃすごい。てめえは魔法さえ使えればあたしらを全員殺せるわけだ。その技術も持っていると。
でもさ、お前が依代にしている圭介くんはどうなの?」
「何を―――」

言葉が終わる前に魔王は沈黙し、体躯と異形と化した肉体はそのままに燃えるような赤眼が黒い瞳に戻り、黄金の髪が髪の先が茶色の黒に戻る。
四発目の弾丸は「反魂」。銃の持ち主が「巣食うもの」に取りつかれた少女に飲み込ませ、彼女の肉体を傷つけずに炙り出すために持っていた弾丸。
依代は荒く息を吐いて、下手人である小柄な美女を睨みつける。

「よう、圭介。うちの哉くんがお世話になったな」
「てめえ……。虎尾、茶子……!!」




787 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:02:28 pMN5r/820
昔から、山折圭介と八柳哉太は日野光には敵わなかった。

「こらー!何喧嘩してるの=!?」

広場端にある公園の中。少女が怒声を上げて二人の少年に駆け寄る。

「何って……哉太がおれのポーズがかっこ悪いって言ったから……」
「うう、ぐす。うえええええん……!」

釣り目がちの少年が座り込んでべそをかく少年のシャツを引っ張りながらばつの悪そうな表情を浮かべる。
土塗れの二人を見て、駆け寄ってきた少女は大きくため息をついて―――。

「いたっ!何すんだよ、光!」
「もう終わり!これ以上やったら怒るよ、圭ちゃん!」
「ぐすぐす、光ちゃん。おれ、こうすればかっこよくなるって言っただけなのに……いてっ……うえええええええん!」
「言い訳しない!いい加減泣き止みなさい!、二人とも八歳にもなってかっこ悪い!」

喧嘩両成敗。拳骨を食らわせた少女は眉を吊り上げて二人を睨みつける。
その後、座り込んだ少年を立ち上がらせ、そっぽを向くもう一人の少年と向き合わせた。

「はい、喧嘩はもうおしまい!仲直りの握手しなさい!」

大声を上げ、未だそっぽを向く少年と目をこすり続ける少年の腕を掴んで前に出させる。
不貞腐れる少年も泣きべそをかく少年も少女には逆らえず、二人とも手を取り合おうとして―――。



「どうした茶子先輩よぉ!薬漬けにならなきゃ何もできないってか!?」
「チッ、威勢だけは一丁前だなァ、圭介ェ!」

破壊された店舗が立ち並ぶ商店街。その大通りにて、廃村の主と剣の乙女が衝突する。
表舞台に再び舞い戻った魔王の依代――山折圭介は己の内側より聞こえる声を無視し、魔術を放つ。
対し、虎尾茶子は連戦により消耗しており、傷ついた神経を異能の包帯の力で回復するためにもその猛攻を回避し続ける他なかった。
その間にも魔王の魂は抗体で症状を抑えられているとはいえ浸食され続け、圭介は認識していないものの口から魔術式(かのうせい)が吐き出され続ける。

茶子の足元が淡い光を放つ。その直後地面から黒曜石の弾丸が撃ち出される。
異常を察知した剣姫は素早く前方に跳び、直撃を免れる。しかし、それを待ち受けるは圭介の右ストレート。
急ぎ手に持つ聖刀で防ごうとするが間に合わず、拙い身体能力向上の魔術で威力を増した拳が茶子の胸部を強かに撃ちつけた。
その勢いで、反対側にある木造の壁を破り、小洒落たカフェの店内に強制入店した。
本来ならば肋骨を砕いて心臓すら止めかねない一撃。しかし、茶子の胸から背中に巻かれた犬山はすみが付与を施した包帯が衝撃を緩和し、打撲程度の負傷に留める。
追撃に茶子がいる店内の一帯を吐く吐息すら凍りつくす絶対零度の空間を作り出す。
しかし、未だ健在の茶子は起き上がるとまっすぐに圭介へと向かっていき、その体に聖刀を振り下ろす。
確実に抹殺できたと確信していた圭介はその出来事に動揺するがすぐに余裕を取り戻し、魔力で作り上げた鋼鉄の壁で襲い来る刃を弾いた。

「すげえ頑張るな。本当に感心するぜ、アンタ。でもさ、状況分かってないだろ、茶子先輩?」
「お前よりは理解しているつもりさ。神経は大分元に戻って、目もハッキリと見えるようになった。でも少しだけ身体が痛むかな」
「いつもより動きにキレがないんだよ。魔王の奴、なんでこんな雑魚に手間取ってたんだ?」

魔王戦と同様。圭介の嘲りに対して茶子は挑発じみた言葉で返す。
強大な力を手に入れた凡人は傷を負った達人を軽視し、己に力を与えた存在をせせら笑う。


788 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:02:52 pMN5r/820
「なあ、圭介くん。君さあ、いつもとキャラ違うよね。もしかして魔王に人格捻じ曲げられたんじゃないの?」
「ハッ!だから何だってんだ?」
「魔王が全ての元凶って聞いてたろ?アイツが光を殺した仇だって何でキレないか不思議だなぁ」

わざとらしく困ったように額に手を当てる茶子。その滑稽な仕草を性根を歪まされた少年は鼻で笑う。

「そんなことはもうどうでもいい!魔王は願いを叶える力を持っている!奴の力があれば元通りどころか、俺の思うがままに世界を変えられる!」
「それが山折帝國っていうトチ狂った思想に変わったわけだ。死んだ奴らを生き返らせるのは一億歩譲って理解できるとしても、生きている珠とか哉くんとかどうするの?」

再び茶子からの馬鹿馬鹿しい問い。圭介は腹を抱えて大笑いする。

「あのクソ野郎が好きな奴がアンタだっけ?そりゃ気になるよな。死んだらそのままだ。珠は俺と光に必要な存在だから生かしておいてやる」
「―――――一応伝えておくけどさ。あたしの見る限り前のお前も、あの子も、もう一度友達に戻りたいって思っていたはずなんだけど」
「知るかボケ。勝手にそう思ってろっての。光を失った俺だけが不幸で、俺らを裏切ったアイツだけが何も失っていないなんざ納得できるか。だから―――」

蓄積された魔力の莫大な消費を顧みず身体能力を向上させ、茶子へと肉薄する。

「あの野郎には俺より不幸になって貰わねえと気が済まねえッ!手前の罪から勝手に逃げ出した金魚の糞野郎が俺達の仲間なんて絶対認めない!
「くっ…………!」

剣姫の矮躯へと村王の拳の連打が殺到する。息をつかせぬ猛攻。茶子にはその殺気を読み取り、聖刀で嵐を凌ぎ切ることしかできないでいた。

「目の前で金髪のクソガキを串刺しにした時の奴の顔は嗤えたな!あれが絶望したって事か。ざまあみやがれってんだ!
今度はアンタのミンチを見せたときはどうなるかな?もしかすると目の前で自殺しちまうかも知れねえな!」

体勢を崩してたたらを踏む茶子。その隙を狙ってバフを重ね掛けした大振りの拳を茶子に叩きつけた。
再び吹き飛ぶ剣姫。今度はコンクリート壁に衝突し、彼女の身体に崩れたブロックが降り注ぐ。
首だけを残し、その肉体をミンチに変えようと足を踏み出そうとしたその刹那。

「―――ああ、そうかい。そこまでお前は腐っちまったか。王仁や沙門のクソ共そっくりだわ。クソ爺にも負けちゃいねえ」

身体に乗ったブロックを振り払い、虎尾茶子が立ち上がる。
圭介を射抜く目は絶対零度。ペっと血の混じった痰を吐き捨て、怪訝な顔をする圭介を見据える。

「ハッ。そのザマで吐く言葉がそれか?!次はどうする?腰の拳銃で俺の頭でも撃ち抜いてみるか?」
「お前を叩き潰すのには刀も銃もいらねえよ」

聖刀を納刀し、腰のリボルバーをホルスターごと後ろへと投げ捨てる

「アンタのお得意分野放り出して何がしたいんだよ。状況分かってないなら達人止めちまえ」
「お前何にも分かってねえな。もうお前の行動は全部見切った」

最強はガキ大将に向けて拳を構える。

「来いよ、クソガキ。お姉さんが社会の不条理(ルール)ってもんを教えてやる」




789 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:03:15 pMN5r/820
『―――きて』

微睡の中、誰かの声が聞こえる。
夢か現実か。揺蕩う小波に漂っているように心地良く、それでいて疲れが溜まっているように身体を動かす気になれない。

『せめて、さいご、くらい』

過ぎる幼い誰かの声。最期を悟ったかのような穏やかな声。
彼女は何を伝えようとしていたのか。その答えを知ることはもう二度とない。
他ならぬ、愚かにも親友と思っていた人でなしの手によって、殺された。
もう疲れた。このまま眠ってしまおう。

『起きて』

ひんやりとした手が当てられる。その冷たさで目を覚ます。

『良かった。戻ってこられたんだね。おはよう』

影法師の少女の小さな手で大事なものに触れるように優しく撫でる。
ここはどこだ……と聞こうとしても、伝える口がなく、よく考えれば少女を認識する目も耳もない。

『ここは現世と幽世の間。まだ、たくさんの人がまだここに留まっている』

穏やかだが感情の読み取れない幼い声。
ならばここに彼女はいるのか。自分はどうなっているのか。

『あの子はここには来ていない。アナタもあの子も、まだ生きている』

口のない体でほっと息をつく。
だったら、自分がここにいる理由は何でだろう。

『わたしがアナタを呼び寄せた。わたしから名前を取ろうとした余所者にも裏切者にもすきにはさせたくなかった』

ほんの少し、怒気を込めた少女の声。続けて彼女は優しげな声で語り掛ける。

『アナタが十歳のとき、森の洞窟の前でもう一人の女の子と一緒に手を合わせてくれたのを覚えてる?』

回想される出来事。立ち入り禁止区域で、今もずっと想いを寄せている彼女と一緒にそこを見つけて、何となくそこで誰かが眠っている気がして。
お腹が空いているだろうからって、おにぎりとパックのお茶を供えて、名も知らない誰かさんに手を合わせた。
その次の日、お供えは跡形もなくなっていて、森の獣が食べたんだろうって思っていた。

『あそこでわたしが眠っていた。忘れられていたわたしをアナタ達は思ってくれた。とても嬉しかった。
もちろん、アナタ達は決して清純潔白な人達って訳じゃないのは知ってる。それでもほんの少しの優しさを手放さなかっただけ』

影の少女からかけられる感謝の言葉。
そしてまた少女の手が自分を優しく撫でる。

『本当はアナタだけじゃなく、アナタと一緒に手を合わせてくれた子も、辛いことがいっぱいあった子も、力を継いだ異国の血を引く子も、無邪気で小さな子も、いなくなった友達のために頑張る子も、わたしの―――も。
皆の力になってあげたかった。でも、今のわたしではアナタ一人が限界。多分ここに呼べるのはこれが最初で最後。いつか、アナタ達がわたしの前に立ち塞がっても、決してアナタ達の心を穢したりはしない。約束する』

指切りのように少女の影は小さな小指を出す。それを自分の小指で握り返すイメージを返すと、彼女ははにかんで笑った。

『アナタ達はここに来て欲しくない。でも、それ以上に余所者の糧にされるのは許せない。わたしも精一杯頑張るから、安心して』

その言葉の直後、頭に冷たい感触。

『もうそろそろ時間。せめて、アナタがもう一度立ち上がれるようにしてあげる』

身体に木漏れ日のような淡い光が注ぐ。そのすぐ後、少女から離れるように身体が浮く。
キミの名前は何?そう伝えようにも、もう自分の声は少女には届かない。

『現世に戻るとき、きっとアナタはここに来た記憶は忘れてしまう。それでもわたしを祈ってくれた時のように、お話ししたことを忘れない。覚えていなくてもいい。それでも聞いて』

――わたしの名前はいのり。もう片方の隠山祈。




790 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:03:36 pMN5r/820
頭に水が足らされる感触で八柳哉太は目を覚ました。

「やっとおきた。カナタおにいちゃんはほんとうにおねぼうさんだね」

目を開けると、しゃがみ込んだ長く美しい黒髪の女児――リンが蔑んだ目で哉太を見下ろしていた。
少年が目を覚ましたこと確認すると、ペットボトルの蓋を閉めて起き上がった哉太を睨みつける。

「リンちゃん、だよな。君が助けてくれたのか」
「そんなのどうでもいいでしょ、ねぼすけ」

分かっていたことだが、リンの態度は哉太に対してだけ刺々しい。
辺りを見渡すと馴染の飲食店の看板が目に入る。どうやらここは商店街のようだ。
約一時間の間に何があったか全思い出そうしても上手くいかず。ただ外道の手によって殺されたはずのアニカが生きているという確信だけがあった。
軽く肩を回す。最早元友人とすら呼びたくもない男との喧嘩や魔王との戦闘の疲労は完全に消え、以前のような動きができそうだ。。
喪失感や精神的な疲労は戻りきっていないが、完全に忘却するよりはその痛みを抱え続ける方が良い。

「何にせよ、また動けそうだ。ありがとな、リンちゃん」

小さな少女の頭を撫でようとすると、パシッと小さな手が哉太の手を弾く。
理由は分からないが、相当リンに嫌われているらしい。結構ショックを受けた。
落ち込む哉太をリンは睨みつけて、ボソリと呟く。

「チャコおねえちゃんがずっとがんばっているのに、カナタおにいちゃんはおひるねしてるなんてひきょうものだよ。
リンとちがってたくさんがんばれるくせに……。おひるねしないであっちにいるチャコおねえちゃんをたすけないカナタおにいちゃんはきらい」



剣を手に取らない剣姫と魔王の力を継いだ素人の戦闘は一方的であった。

「さっきの減らず口はどうしたァ!ガキ大将様はか弱い乙女すら押し倒せねえのか!?男名乗るのやめちまえクソガキィ!」
「こ……んな……!?アンタのどこがか弱い乙女なんだよ!全女性に謝れよクソ女ァ!」

自称か弱き乙女の拳打が髪を黄金に染めた男の身体を幾度となく叩き込まれる。
反撃しようにも両腕は八柳流の関節技で肘をぽっきりと折られ、ブラブラと力なく垂れ下がるばかり。
魔術で回復、または攻撃を試みようにもその直前で茶子の抜き手が圭介の喉仏を打ち、激痛と共に咳き込まされる。
それでも全身に刃を生やして攻撃封じの魔術が成功し、反撃しようと試みるも、足が傷つくのにも関わらず軽い足払いをかけられて前のめりに転倒する。
倒れこむ寸前、唯一生身の顔面に茶子の膝蹴りが鼻面にヒットし、頭に星が浮かぶ。
攻撃は全て見切られ、その反撃が圭介の倍以上の手数で叩き込まれる。既に村王は村娘のサンドバッグ状態だった。

(哉太と……同じ道場のはずだろ……!?何で俺が一方的にボコられるんだよ……!)

剣術や身体能力では哉太が圧倒的に上。しかし喧嘩に限れば圭介の方が強い。魔術すら使える今ならば、八柳流最強でも難なく倒せると思い込んでいた。
だが現実はその真逆。哉太の想い人の格闘術は田舎道場の門下生とは思えぬほど洗練されていた。まるで特殊部隊のように。
拳銃を持った素人が素手の特殊部隊員に取り押さえられる様に力の差は歴然。掌で内部に衝撃を伝える裏打ちが圭介の腹部を打つ。
衝撃が伝わり、身体をくの字に折る。咳き込んで空っぽの胃から胃液が吐き出される。同時に体制を低くした頭上から聞こえる良く澄んだ女の声。

「馬鹿にでも分かるように言ってやる。お前がどんだけ絶望したのか知らないけどよ、てめえの不幸に酔いしれて悲劇の王子気取るんじゃねえクソガキ!!」

その言葉の後、圭介の頭に衝撃が走る。意識が闇に沈む寸前、最後に見えたのはブーツの踵を振り下ろした茶子の蔑んだ双眸。




791 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:04:08 pMN5r/820
空がオレンジ色に染まり、夕日が山折高校を照らす。自然的な明かりが校舎内のとある一教室を窓越しに電灯代わりに光を灯す。
教室の中には一組のカップルらしき男女。青春の真っただ中のカップルの様に机を挟んでお喋りをしていた。

「―――でさ、俺は皆と元通りの日常を取り戻したいから、山折帝國を作りたいんだ」
「…………そう」

少年――山折圭介は目を輝かせて楽しそうに話しているのに対し、反対側の少女――日野光はただ相打ちを打つだけ。
お喋りとは言っても一方的に圭介が光に理想を話しているだけであった。
圭介の顔は希望に満ち溢れているのに対し、光の顔は夕日の逆光を浴びてその表情は窺い知れない。

「お前も生き返って元に戻れる。みかげも元通りになってまた五人で馬鹿をやれるんだぜ。楽しみだよな」
「…………そう」
「さっきから反応薄いな。どうした光。具合でも悪いのか?」

表情の見えない恋人に心配そうな顔で声をかける。それにも大した反応を圭介にせず、沈黙するばかり。
アオハルの恋人同士とは思えない沈黙が続く。少年はそろそろ帰ろうか、と声をかけようす。

「――貴方の理想郷『山折帝國』に哉太君はいるの?」

感情が読み取れない恋人の声。意図が分からず、やっと反応してくれた光に圭介は明るい口調で答えを返す。

「あんな奴に居場所なんかねえよ。そのまま一人で勝手に死んでればいい」
「でも、哉太君は珠に何もしていない。魔王による冤罪だったんだよ」
「そんなことどうでもいいんだ。俺と光の世界にあの野郎はいらない」
「それは貴方の本心で言ってるの?」
「当たり前だろ」

軽蔑しきった声の後、今度は優しい声で恋人へと語りかける。

「もう少しで全部元に戻る。魔王の力(デウス・エクス・マキナ)が俺達の希望を叶えてくれるんだ。だから――」

少年は愛しき恋人との手を取ろうとするが、その手を乱暴に振り払った。
信じられないような目で少女を見る少年。そして、断ち切るように告げられる禁忌の言葉。


792 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:04:33 pMN5r/820
「別れましょう」


793 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:05:08 pMN5r/820
日が落ち、夜が訪れる。逆光が消え、薄闇に浮かぶ少女の顔は、少年を徹底的に軽蔑したものだった。
光の冷え切った視線が圭介を射抜く。いつも朗らかに笑っていた少女と同一のものとは思えない、思いたくないもの。

「ひ……ひか、り……?」
「そのままの意味よ。もう無理。貴方には付き合いきれない」

声を震わせ、手を伸ばしかける圭介の希望を踏み潰すかのように別れを告げる。
嘘だ。そんなのは嘘だ。だって光は俺のことをいつも想ってくれていて、哉太と絶交した時も俺に寄り添ってアイツの存在を否定してくれて。
それに都合のいい奇跡(まおうのちから)があれば、あいつの記憶を綺麗さっぱり消して、それで、またあの日に戻れるはずなのに。

「―――私が好きになったのは、力に溺れて私達を都合の良い人形に変える貴方じゃない。
最期の力を振り絞って特殊部隊から庇ったのは、貴方にそんなことをさせたいからじゃない」

次期村長候補の少年を冷たく見据え、言葉を紡ぐ恋人の少女。
呆然とする圭介。暗闇に染まった教室の中。それ以上に黒いヒトガタが、少年を指差す。

くすくすくすくす。

心から可笑しそうに嗤う。
その笑い声にハッとする。そして恋人の「都合の良い人形」という言葉に怒りを覚え、ダンと両手で机を叩く。

「俺が皆をそういう風にするわけないだろ!いい加減目を覚ませ!!」
「今の貴方ならするでしょ!!!」

それ以上の怒鳴りで返され、言葉を失う。その迫力に押され、少年は黙り込んでしまう。
思考停止した圭介を他所に光は言葉を続ける。

「私はね、貴方が思っているような清純潔白な人間でも貴方の全てを許すイエスマンでもないの。
私はずっとみかげちゃんに嫉妬していた。お淑やかで頑張り屋さんなあの娘に。もしかしたら貴方が振り向くのはあの娘かもしれないって思ってた。
それから、哉太君の好きな人が茶子さんだって分かったとき、とても安心したの。もしかしたらドロドロの関係になって私達の居場所がなくなっちゃうかもって」
「だ……だったら……!」
「貴方が哉太君を追い出したとき、私はとても悲しかった。でもいつかはもう一度笑い合えるって希望を捨てなかった。だから私達三人は手を取り合った。
何で哉太君が私と貴方が恋人関係を知ってたって思う?私が珠にお願いしてLINEを送ってもらってたの。
その様子だと哉太君が山折村に戻ってきた理由も知らないでしょ。私達がおばさん達に頼み込んで呼んでもらったの」
「…………だったら、俺に一言声をかけてくれても……」
「自己分析くらいしたら?貴方も哉太君も突っぱねるでしょ」
「………………」

こちらを思いやる気持ちの欠片もない、圭介を遠ざけるような冷たい言い分に圭介は言葉を紡げない。
誰よりも大切な光と別れたくない。その思いを口に出そうとしても、否定されるのが怖くて言い出せない。

アナタがやろうとしてること、度見たい?

虚空から少女の声がする。圭介が反応しないため、代わりに光がその声に向かって「うん」と頷く。
くすり。そんな笑い声が聞こえて、視界が白く染まる。




794 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:05:57 pMN5r/820
「はい、喧嘩はもうおしまい!仲直りの握手しなさい!」

光に言われ、泣きべそをかく哉太と強制的に仲直りさせられそうな圭介の手。
少女に掴まれた腕を振り払い、きょとんとした哉太の顔面を殴りつける。

「ぐえ……!」
「きゃーー!何してるの!?喧嘩はおしまいって言ったでしょ!?」
「うるせえ!おれに指図すんな!」
「きゃっ!」

制止しようとする光を突き飛ばし、鼻血を垂らした哉太を突き飛ばして馬乗りになる。
そして拳を振り上げて何度も殴りつける。

「が……ぎぃ……ウグゥ……!ご、ごめんなさい圭ちゃん!許してよぉ……!」
「許すわけないだろ……哉太の分際でおれに逆らいやがって……!」
「ご、ごめんなさい……!二度と圭ちゃんには逆らいませんから許してしてください……!」
「それじゃ足りねえよ!」
「お、おれのお小遣い全部上げます!剣道も止めますからもう殴らな……ぎゃん!」
「そんなの当たり前だろ!おれに逆らった罰としてサンドバッグになれ!」

腕で顔を守りながら号泣する哉太。そんな彼に取り憑かれたように何度も拳を振るう。

「ハハッ!お前がこんなザコなんなら道場の茶子さんも大したことないんだろうな!」
「―――――ッ!」
「悔しかったら何か言ってみろ!おれが全部叩き潰して――うわッ!」

拳を振り上げた圭介が突き飛ばされる。
予期せぬ反撃を食らった圭介の前にはふうふうと荒い息を吐く顔を腫らした哉太が立っていた。

「茶子姉を馬鹿にするなーーーーーー!!!」
「てめえ、何を――――ぎゃん!!」

怒りの形相を浮かべた哉太が思い切り圭介の顔面を殴りつけた。
衝撃にもんどりうち、鼻を拭うと赤い血が垂れていた。
格下の子分に殴られた屈辱が逆鱗に触れ、ふらつく哉太を突き飛ばしてもう一度馬乗りになる。

「ハハハッ!ざまあみやがれ、クソ野郎!」

数えきれない程のパンチが子分へと降り注ぐ。
次第に哉太の反応も鈍くなる。鼻は潰れ、顔は目が隠れる程パンパンに腫れあがっていた。
それでも気が晴れず拳を振り下ろそうとするが、その細い腕を誰かに掴まれた。

「何だよてめえ!おれの爺ちゃんは村長だぞ!おれに逆らったら―――ぎゃん!!」

強烈な蹴りが脇腹に突き刺さり、サッカーボールのように芝生を転がった。
痛みに涙を流しながら、哉太の方へと目を向ける。
自分達より年上のセーラー服姿の少女が意識を失った幼い哉太を背負い、公園の出口へと向かていく、。

「おい、クソ女!覚えてろよ!おれの村から追い出してやるからな!」
「…………………」

圭介の悪罵など気にも留めず、哉太を背負った少女は公園から出て行った。
出る直前、少女は光とすれ違う。そこでようやく圭介は光が少女を呼んだことに気が付いた。
その事実を認識すると、幼い圭介の頭に血が上る。

「おい光!大人呼ぶなんて卑怯だぞ!何でおれに逆らったんだ!」
「………………」

幼い光は沈黙を貫く。彼女の様子に不安を覚えながらも罵声を浴びせようとする。

「―――これが、貴方が一度やって、もう一度繰り返そうとしていたことよ」

その言葉の後、八歳の光は十八歳の日野光の姿に戻る。
口をパクパクと動かす圭介も、本人が気づかない内に十八歳の山折圭介の姿に戻る。
そのまま、光は圭介へと背を向ける。

「貴方だけに都合が良いディストピアで私達は生きるつもりはない」

日野光、湯川諒吾、上月みかげ、浅葱碧。
いつの間にか、光の周りには圭介の幼馴染達がおり、誰もが圭介から背を向けていた。
ふと、足元を見るとみかげの持ち物だった木製プレートの御守り――その残骸が散らばっていた。
それは圭介が茶子を嬲っていた時に落とし、自ら踏み砕いた木片。

「さようなら、山折圭介君。貴方のお人形にされたくないから私達は逝くね」
「――おい、待てよ!待ってって!」

ようやく足が動き、光たちに手を伸ばそうとするも、何かの壁に阻まれる。
そうして何もできないまま、別れを告げた元恋人達は光の中に消えていく。

「――――ぁ」

圭介の中で光を殺された時――それ以上の絶望が広がる。
しばらく呆然としていたが――。


795 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:06:22 pMN5r/820
「…………ぅ、ううううううううううううううっ!!」

頭を掻き毟り悶絶する。吸う息が肺を締め付け、吐き出される酸素が喉を突き刺す。
俯いた頭を何度も芝生にに叩きつける。力に溺れ切った圭介を求める存在など、もう誰もいない。
自ら業で、全てを失った。想えばいくらでも後戻りできるチャンスはあった。
哉太と再会した時。そこで共に共同戦線を張れば、周りの人間がフォローしてくれていただろう。
助けを求めるうさぎと会った時。彼女と共に袴田邸を訪れれば、うさぎが仲裁してくれただろう。
光が殺され、創達が助けに来た時。青葉遥を殺さないように立ち回れば、かつての親友は共に光の死を悼んだだろう。
哉太と最後の喧嘩をした時。魔王の声を突っぱねれば、まだ「光」は圭介を見捨てなかっただろう。
他にも数多ある選択肢を、圭介は無視して目を背けた。
圭介は想い人の死を受け入れられるほど強くなく、特殊部隊という脅威から逃げられるほど弱くなかった。
それ故、最悪の結末を迎えてしまったのは必然だったのかもしれない。
そして自殺衝動に駆られた少年に付け込むように、現れた存在が一つ。

くすくすくすくす。

教室で聞いた幼い笑い声が一つ。
その声に反応して顔をあげると、少女の形をした影法師が一つ。

「――――うさ公?」

反射的に影の少女に問いかける。何となく、幼い頃の犬山うさぎの気配がした。
半狂乱だった全てを失った少年に、少女はくすりと笑いかける。

『裏切者は許さない』

直後、その影は膨れ上がり、圭介を飲み込んだ。
闇の濁流に飲み込まれる。黒い影が、圭介の口から全身を浸食し、身体も、想いも、全てを書き換えていく。

『何もかもが中途半端なんだよ、クソガキ』

圭介の中の何かが壊れる寸前に聞こえてきたのは、自身の幻影が放った一言だった。



「おいおいおい、なんて酷いことしやがる。依代が壊れてしまったじゃないか」
「人のせいにするなよ重病患者。元を辿ればお前が発端だろ」
「しかし、手を下したのはお前だぞ。虎尾茶子」

山折圭介から魔王へ人格が戻り、彼は肩を竦めて茶子を咎める。
圭介の末路を対して気にも留めることはなく、軽い口調で返答した。
既に圭介は魔王に願いを込める力も、誰かを憎む気力も存在しない。
例え彼の精神が戻ったとしても自殺衝動が沸き上がり、魔王への祈りは己の存在抹消。叶わなくとも罪悪感に囚われ、勝手に死ぬだろう。
呪いが浸食した器。依代が後先考えずに大量の魔術を使用したことで魂に介入する力も精神を回復させる力も失った。
ここが潮時か。目の前の女にここまでコケにされたのは業腹だが、壊れた器に興味ない。幸い、別の依代に見当がついている。


796 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:06:49 pMN5r/820
「では、お暇するとしよう」
「え、なんで?魔王さんは何でも願いを叶えてくれるドラえもんじゃなかったの?」
「最早願望すら持てなくなった器には興味がない。その上呪われた依代は最悪だ」
「お前程度を縋ってくれた信者に対してそれはないんじゃね?てか、こいつ以外に受け入れてくれる奴いるの?」
「いる。山折村の北東部。資材管理棟だったか?そこに未名崎錬がいる。お前のことを殺したいほど憎んでいるぞ?」
「ハハハ。そりゃ怖い。クソザコになったお前であたし殺せるの?」
「それは奴次第だ」

勇者ケージとの戦闘以来の二度目の敗北。表面上は平然を装っているが、腹の中は茶子への憎悪で煮えたぎっている。
少なくとも、山折圭介の中にいるよりはこれ以上の消耗はしない。

「ではさようなら。短い間の平穏をじっくりと味わうといい」

そうして依代から抜け出そうとするも―――。

――――その名を騙る痴れ者に、祟りあるべし。

祟り神が、逃がさない。

圭介という器から飛び立とうとするも、『ナニカ』―――『隠山祈』が逃がさない。
言葉を発する前に器の破片から這い出る小さな手によって引き戻され、魂を逃がさぬように穢れた楔を打ち込まれ、肉体に縛り付けられる。
驚愕と焦燥の表情を浮かべる魔王に、剣姫はひたすら見下す。

「―――最後に撃ち込んだ弾丸は『魂縛り』。喜べよ、魔王。お前と圭介は一蓮托生。沈みゆくタイタニックで運命を共にできるんだぜ。良いラブストーリーだろ?」
「く……貴様……!!」

怒声を放ち、魔王は茶子に向けて真空の刃を放つ。それを回避しようとするが―――。

(嘘だろ……!?こんな時に……!)

ほんの一瞬の油断。疲弊した身体の反応が遅れ、コンマ数秒だけの遅延が起きる。
風の刃が迫る。魔王が嗤う。横一文字の形の斬撃が茶子の身体を両断する直前。

「――――茶子姉ッ!!」

想い人の、声が響く。
声の方に顔を向ける前に、茶子の身体が長い腕に掴まれて空中に舞う。

「―――哉くんッ!!」
「悪い、茶子姉!寝坊した!!」

魔術の射程範囲外まで跳躍した哉太。大事なものを扱うように、ゆっくりと想い人を降ろす。


「あ、あははは……!やっと起きたか、寝坊助め……!いい夢見れた?」
「まあ、覚えてないけどいい夢だったと思う。……アンタ、泣いてる?」
「当たり前だろばかやろ!どんだけ心配かけたと思ってるんだ!」

泣き笑いする想い人に、少年はほんの少しだけ困った顔をする

「再会早々悪いけど、戦うよ。キミの刀、返すね、それとこれも渡しとく。アンプル剤。使うと十分くらい爺並みに強化されるけど、身体がめっちゃ痛む」
「ああ、助かる。でも、脇差は茶子姉が持っててくれ。アンタに死んで欲しくない」

姉弟のような会話。そこに偽りはなく、この瞬間だけはかつての絆があった。
魔王の中にどす黒い炎が燃え広がる。この二人は、視界に入るだけで許せない。

「二対一か。良いだろう。まとめて地獄におくってやろう!」
「いいや、三対一だ」

凛とした決意を秘めた声。同時に銃声が轟き、魔王の腹部に銃弾がめり込む。

「お前は……天原創!!」
「さっきぶりだな。ここがお前の終着点だ。神に祈れ!」




797 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:07:42 pMN5r/820
「My bad。セツナ、傷の治療がまだなのに運転任せちゃって」
「気にしないで、アニカちゃん。貴方達は魔王に対するイメージを焼き付けて」
「『怪異に遭ったら、堂々とせよ。決して恐れるな。常に主導権を握り、てのひらで転がせ』……うん、茶子ちゃん私も頑張ってみる!」
「ええ、うさぎさんも頑張って。貴女ならできるはずよ。演劇部だった私が保証する」

おーい、のせてー!

「Stop!リンがいるわ!マイクロバスに乗せましょう!」
「了解。彼女もキーパーソンだもの」

「ありがとう、ええと…ほうたいのおねえちゃん!」
「雪菜よ。次からそう呼んで」
「わかった!」
「Actorも揃ったし、目的地に着いたら実行しましょう」
「ええ」「うん」「はーい!」

「Anti-Demon King Destruction Operation、PhaseⅡを」


【E-3/商店街/一日目・夕方】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、全身にダメージ(中・回復中)、疲労(大)、精神疲労(中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)、????化(無自覚)
[道具]:八柳藤次郎の刀、包帯(異能による最大強化)、脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、活性アンプル
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.魔王を討伐する
3.天宝寺アニカに羊皮紙写本と彼女のスマートフォンを渡し、『降臨伝説』の謎を解かせる。
4.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
5.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
6.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
7.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。
※『隠山祈』の封印を解いた影響で■■■■になりました。しかし、自覚していません。

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、精神疲労(中)、喪失感(大)、山折圭介への嫌悪感(極大)
[道具]:打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、活性アンプル
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカを守る。絶対に死なせない。
2.茶子姉を守り、共に魔王を討伐する。
3.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
4.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました
※夢の中で隠山祈と対話しました。その記憶はありませんが、何かのきっかけがあれば思い出すかもしれません。


798 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:09:09 pMN5r/820
【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、顔面に傷(中)、、虎尾茶子への警戒(中)
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)、スタームルガーレッドホーク(5/6)(呪弾装填済)、ガンホルスター、、活性アンプル×2(青葉遥から贈られた物)、、他にもあるかも?
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.魔王を討伐する。
2.スヴィア先生を取り戻す。
3.スヴィア先生を探す。
4.珠さん達のことが心配。再会できたら圭介さんや光さんのことを話す。
5.虎尾茶子に警戒。だが今は彼女に協力する。
[備考]
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※活性アンプルの他にも青葉遥から贈られた物が他にもあるかも知れません。

【山折 圭介】
[状態]:『隠山祈』寄生とそれによる自我浸食(絶大・増加中)、精神崩壊、自殺衝動(絶大)、『魔王』弱体化(絶大)、呪詛への抵抗弱化(絶大・抑制中)、呪詛返し・神宿し付与、魂縛り状態、魔力使用量増加状態、魔力消費(超極大)、焦燥(特大)、虎尾茶子への憎悪(大)
[道具]:なし
[方針]
基本.『この器から一刻も早く抜け出す』
1.『最早魔王へと返り咲くのは不可能。せめて少しでも力を取り戻す』
2.『浸食する呪詛を止めたい』
3.『役立たずになった器を捨てて『未名崎錬』の身体に憑依したい』
4.死にたい。
5.裏切者も、余所者も絶対に許さない。
[備考]
※山折圭介の願いにより『魔王』に憑依されました。すでに山折圭介は精神崩壊し、主導権を取り戻したときは魔王諸共速やかに命を断ちます。
※現状使える技能は以上な身体能力及び魔術(炎、黒曜石精製、魔法剣)ですが、時間経過によって使える魔術等が徐々に増えていきますが、成長の余地は完全に断たれました。
※魂に干渉する術を失いました。また、魔術の大部分が使用不可になり、使用できる魔術は中級魔術が最大です。特大魔術を使おうとすると魔王の魂にダメージを受けます。
※精神回復の魔術は使用不可能です。
※ジャック・オーランドの銃弾により、他の人間に憑依できなくなりました。また、山折圭介が死ぬと魔王の魂も消滅します。
※日野光、湯川諒吾、上月みかげ、浅葱碧の魂は完全消滅しました。もう二度と山折圭介の前に現れることはありません。
※基本的に黒髪ですが、力を使う間は金髪になります。
※隠山祈の存在を視認しました。

【F-5/商店街付近・道路/一日目・夕方】

【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(簡易処置済)、全身にガラス片による傷(簡易処置済)、スカート破損、二重能力者化、、異能『線香花火』使用による消耗(中)、疲労(大)、虎尾茶子への警戒(中)、、マイクロバス運転中
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.目標地点に向かい、アニカ考案の作戦を実行する。
3.虎尾茶子は信頼できないけれど、信用はできそう。
4.天原さん、無事でいて。
[備考]
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。
※天宝寺アニカから作戦内容を伝えられています。

【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇・虎再召喚不可、深い悲しみ(大)、疲労(大)、精神疲労(大)、マイクロバス乗車中
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.魔王を倒す。
2.茶子ちゃんの事を手伝いたい。
[備考]
※『隠山祈』の存在を視認しました。また、顕現した『隠山祈』に対して強い既視感を抱いています。
※※天宝寺アニカから作戦内容を伝えられていま


799 : 対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:09:35 pMN5r/820
【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(???)、マイクロバス乗車中
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、登山用ロープ、医療道具、マグライト、サンドイッチ、天宝寺アニカのスマートフォン、羊紙皮写本、犬山家の家系図
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.魔王は絶対に倒さなきゃ!
2.「Mr.ミナサキ」から得た情報をどう生かそうかしら?
3.negotiationの席をどう用意しましょう?
4.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
5.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
6.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。
7.I'll definitely help. だから待ってて、カナタ。あの時の言葉を、ちゃんと伝えるために
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだため、彼女の身体に何かしらの変化が生じる可能性があります。

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、マイクロバス乗車中
[道具]:メッセンジャーバッグ、化粧品多数、双眼鏡、缶ジュース、お菓子、虎尾茶子お下がりの服、御守り、サンドイッチ、飲料水(残り半分)
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.またあおうね、アニカおねえちゃん。
3.チャコおねえちゃんのいちばんはリンだからね、カナタおにいちゃん。
4.セツナおねえちゃんたちといっしょにチャコおねえちゃんのおてつだいをする
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。

※マイクロバスの中に虎尾茶子と八柳哉太の残りの持ち物があります。



―――うらうらおもて。
卓袱台返しは巻き戻り、元の姿に戻る。
機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)の歯車は朽ち果て、崩壊する。
全てを嘲笑う絶対神の失墜を、村を裏切った村王の破滅を、影の姫君は待ち望む。

※商店街一帯に『隠山祈』が顕現しています。


800 : ◆drDspUGTV6 :2024/01/08(月) 00:10:13 pMN5r/820
投下終了です。


801 : ◆H3bky6/SCY :2024/01/08(月) 20:34:59 bYP/f8MI0
投下乙です

>対魔王撃滅作戦「Phase1:Belladona」

バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!
魔王にはご当地祟り神で対抗する、田舎なめんなファンタジー!

あの圧倒的だった魔王に対して勝てると断言できる茶子
対抗策を見出し実現できるのは研究所側の最強戦力は伊達ではない
そして厄災に対するためこの村に集まった人たちが残した遺物がそのまま魔王対策になる、変人が集まった甲斐があったな

圭ちゃんはもうだめかもしれんね
心の中の光にも見放され、精神状態がいろいろと終わっている
自我を取り戻せるのか、取り戻したとして立ち直れるのか

哉太、創も駆けつけ魔王との決戦
このまま魔王に引導を渡せるのか


802 : ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:52:34 r83IdJII0
投下します。


803 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:53:12 r83IdJII0
◆ ◆ ◆

草木も眠る丑三つ時。
前世じゃ、妖怪や名状しがたいモノが跋扈する魔の時間だから絶対外には出ちゃダメって言われていたけれど。
今世でもゴーストだのレイスだのがふよふよ湧いてくる時間だけど。

「モーちゃん、もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだよね。
 今日は私も一緒に傍にいてあげるからね!」
「ンモォォォゥゥゥゥ〜〜!」

今日に限ってはお祝いの時間!
お友達のモーちゃんのお産予定日!
お医者さんが言うには、赤ちゃんが産まれるのは午前二時くらいなんだって。
いつもは眠い時間だけれど、今日はがんばるぞっ!

「ブ、ブルルルォォッ!」
モーちゃんが猛々しい声を出す。はじめてのお産、がんばってる……!
『がんばれ、がんばれ』と言いたい気持ちを抑えて、静かにモーちゃんに寄り添う。
身体を拭くための清潔な藁も、最初のおっぱいを絞り出す準備もバッチリ。

って、ちょっと戦士さ〜ん、なんで寝てるの〜!?
あ〜、お酒なんか飲んじゃって〜。
ケージも『今日は俺にまかせろっ!』なんて大口叩いておきながらぐーすかぴーだし……。
ちょっと男子、マジメにやってよ〜!

「ブォォオオオッッッ!」
わー! もう来ちゃった……!
蹄がモーちゃんのお尻(?)から覗いてる……!


仕方ないか、やるしかないよね。
大丈夫、こういうの前世でも慣れてるもん。
い、いちおうあね様がやってたのを見てたもん。

あれ、でも蹄の向きって上だったっけ……?
げげっ、逆子ってやつじゃないの!?
慌てちゃダメ、慌てちゃダメだよわたし!
すー、はー。慎重に、慎重に……!

「ふんんんんんぬうぅぅぅぅッッ……!!!」
モーちゃんの負担を軽くするために、赤ちゃんの副蹄をバンドで縛って引っ張り出す。
うんとこしょっと蹄を引っ張り下げれば、羊水と一緒に後ろ足がぬるぬるっとこんばんは。
どっこいしょっともう一引き、ずるっとしっぽが飛び出してくる。
私の力じゃ一気に引っ張りだすのは無理だったけど!

「……ブゥゥルルゥッ!」
さあ、ここまで来たらもうすぐだ。
さあ赤ちゃん、その顔見せてね!
ぬるぬるの赤ちゃんを引っ張り出せば、わらの上にびちゃりとダイブ。
ふふん、私にかかれば男子の手なんかなくてもこんなもんよ。
尻もちをついてる女がドヤ顔で言うことじゃない?
さあ赤ちゃん、ご対面だっ……!

『……』
「っ……!」
羊水と一緒にずるりと出てきた赤ちゃんは、まるで人間のような顔をしていて。
ぷるぷると立ち上がり、しっかりと私のほうを向いて、人間の言葉を紡いだ。

「ブルルルッ!」
モーちゃんが牛体人面の怪異の顔をペロペロと舐める。
……そうだよね、たとえ妖だったとしても、モーちゃんの子供だもんね。
この子はモーちゃんの子供じゃないだなんて心無い言葉、口に出しただけでオレ様オ前丸カジリ案件だもんね。
産まれてきてくれてありがとうって言わなくちゃ。

数日しか生きられない、そんな妖だけれど。
今後ともヨロシクって、ね。


804 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:53:41 r83IdJII0


街を囲んでいたオークの戦士たちが敗走する。
ケージたちがついに残虐非道のオークの大戦士を討ち取ったんだ。
オークの軍が主力を動員して街を襲うその時、本陣のまわりが手薄になる隙をついて頭を叩く。
作戦は大、大、大成功!

ま、私はお留守番なんですけどね。ぷーっ。
おちゃらけはともかくとして。
召喚術士は手数という意味でも防衛に回されやすいんだけれど、
ミノちゃん――モーちゃんの子の命日が今日なら、一緒にいてあげたい、という理由もある。
それに、予言がなんなのか、個人的にもちょっと気になる。
オスの件の予言は絶対に外れることはないんだって前世のばっさまも言ってたからなー。

けど、厄ネタが来たらパーティも王様も巻き込んで国中てんやわんやになっちゃうよね。
凶報が来ませんように、凶報が来ませんように!
だって、心穏やかに、最期の時を過ごしてあげたいもの。



『ケージは魔王を滅すること能わず。
 魔王は、絶対禁忌たるイヌヤマイノリに取り込まれて真なる厄災と化さん。
 厄災はオークの大戦士と共にイヌヤマの地を神に献ずるであろう』

人でも牛でもないその赤ちゃんは、そう言い残すと息絶えて、光となって消えた。
魔王の討伐失敗が予言されたことよりも。
隠山。あね様。もう一度その名を聞くことになるなんて。



今世の国と日ノ本の国は別の世界だ。
けれど、ときおり異邦人と言われる存在がやってくることはある。
二つの世界は空間が捩じれてるのか、私の知る時代よりずっと昔の人が来ることもあれば、未来の人が来ることもある。

ケージは私が生きた時代よりもずっと未来からやってきた人だ。
私が本名じゃなくてイヌヤマと名乗っているのは、その後のことを知っている人に気付いてもらえれば、という理由だし、まさにそれが理由で私たちは巡り合った。

イヤミな役人が病檻だの厄檻だのと揶揄してたころとはうってかわって、大自然の広がる慎ましやかながらも幸せな村だと聞いている。
ケージは、犬山の姉ちゃんって優しくておっぱいでかかったんだよなーとか戦士のおっちゃんとタワゴトぬかしてたけど、
まあおっぱいでかくなれるくらいには豊かで裕福な生活を営んでいるということだ。
そして彼の口から悪神なんて聞いたこともないし、山折村が滅びたなんて歴史も聞いたことがない。
だから、予言はきっとケージたちの時代のさらに未来に起きることなんだ。


帯解きの儀を迎える七歳までは神の子だという。神様へのつながりが残っているという。
だから、七歳までの幼子が命を落とせば、神さまへとお返ししなければならない。
今世じゃ奇異の目で見られる儀式だけれど、日ノ本は神秘に包まれた神の国。
この世界とは理も何もかも違う。

巫女の血を、神子の命を捧げた。
私たちが供物となり、神さまのところに戻ることで、村に光が戻ればと。

私たちは神さまのもとに還された。
春陽様が、あね様と共に必ず村を救ってくれると信じて、神さまの下へ召された。
ケージの話を聞くに、村は救われていたはずだし、神楽様の子孫の方もいらっしゃるから、そうなったものだと思っていた。
けれども、あね様は救われていなかったのだろうか。

――それとも、私たちのせいなんだろうか。
春陽様は間に合わず、あね様は孤独に独りで命を終えてしまったのだろうか。
ぽっかり空いたこころの隙間を、神秘に魅入られてしまったのだろうか。


死ぬことが大したことじゃないだなんてことは言わない。
けれど、死がすべての終わりというわけでもない。輪廻も転生もある。一度は死んだ私が言うんだから間違いない。
けれど、憎悪の塊になってその地に縛られれば、未来永劫苦しみ続けるしかない。
もし、あね様が憎悪にとらわれて悪神と化すのなら。
止めなきゃいけない。
それこそが、私が前世の記憶を残したまま、輪廻転生した意味なのだろう。

件の悪い予言を防ぐ方法はただ一つ。
人から産まれるメスの件を探してその予言に従うの。

ケージが戻るのを待たずに、私の原初(オリジナル)の召喚術『干支時計』の友達たちにお願いして国中を探してもらって。
その予言に従って、魔王軍へと身を寄せた。
私は再び、わるい子へと身をやつした。


805 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:54:14 r83IdJII0


白い兎は無垢な女の子を異世界へと導くといわれてる。
そして白い兎はその身で世界を超えられる。
この国じゃ、アリスを導く白兎だなんて呼ばれてる。
日ノ本でいう神隠しの話とルーツは同じなのだろう。

無垢な女の子というには歳を取りすぎているけれど、この世界には若返りの秘術がある。
胎内回帰。悪魔転生に用いられる邪法だ。
悪魔が司るこの邪法は、人間国家ならば、使えば一発で死罪が確定する禁呪。
悪魔になろうなんてヤツにロクな人間はいないからねー。


けれど、本来は輪廻転生に用いられる神さまの魔法だ。
魂にこびりついた経験も記憶もそぎ落とし、世界を超えて転生することだってできる。
そんなの死と同義だからやる人なんていないけれど、それで予言の運命を変えられるのならば。
私は邪法を司る悪魔と迷わず契約を結んだ。



魔王とケージの決戦の日。

友人たちとの最期のお別れは終わった。傍らにいるのは最初からのパートナーの一羽だけ。
ウサギの御守は天運を招くとも言われているらしい。
向こうに持ちだせる、僅かばかりの力と願いを込めて、その首に3つの御守をかける。
日ノ本に戻ったとき、どうか幸運に導かれるようにという願いを込めて。


――バカな、魔法陣が作動して……!

胎内回帰を利用する人間にロクなヤツはいない。
私情で世界を救う勇者様を裏切り、暴虐の魔王に付くなんて最大級の悪党だ。

二つの世界を穴でつなぐ白兎の権能に、回帰の術式。
そんなのをまとめて魔方陣にねじ込めば、暴走するに決まっている。
私の身体も心も分解され、魔方陣の向こうへと送られていく。

裏切者の召喚術士、イヌヤマの生はこれで終わり。
魔王に寝返った大罪人として末永く語り継がれるだろう。
大丈夫、結果はどうあれ、勇者ケージは暴虐の魔王アルシェルを討ち取った。
世界に平和がもたらされるんだ。
ケージ・ヤマオリ。いや、山折圭二くん。
魔王討伐、おめでとう。


806 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:54:43 r83IdJII0
◆ ◆ ◆

研究所内に響き渡る異音。空間にたゆたう残響。
それは、比喩なしに大きく重いナニカが狭い場所へと落下した反響音である。

スヴィアは即座に思考を巡らせる。
特殊部隊の面々がそのような目立つ策を取るとは思えない。
同じく、田中花子を名乗る人物……珠をこの研究所まで連れてきたあの女性も然りだ。
残響から演算するに、何かが落下したのはエレベータ。
不慮の事故か、新たな闖入者の登場か。

『海衣さん、こっち来て!! 何か来そう!』
直後、今度は同階の珠の大声が響き渡った。
春姫もかろうじて聞き取れたようで、一瞬だけ視線を廊下の方面へと外す。
こちらは考えるまでもなく、さらなる第三者の登場であろう。

春姫は一瞥するも、再び歴戦の大騎士のように剣をついて仁王立ちのポーズを取っている。
その様相はそのまま型を取って銅像にするだけで没後に観光名所になりそうなほど見事なものだ。
まさに一流村人の格。
山折村利き酒チェックで毎年お神酒も地酒『山折』も間違える三流常連の厳一郎や、
その息子という負の看板で威張り腐る移り住む価値なしの山折圭介とは雲泥の差である。

堂々たる存在感には得体の知れない安心感があるが、状況が傾く前に急いだほうがいいのかもしれない。
スヴィアにかかった使命感という魔法も、歓喜という麻薬も切れ始め、肉体が出来の悪い人形のように固くなり始めている。

「館内で……、何かが……、起こっている。
 少々急ぎたい。……少し、肩を貸してもらえれば……、助かる」
「まあ、よかろう。
 功労者には然るべき報いを与えるのが女王の務めである」
下々民に肩を貸すなど、本来女王のおこなうことではないが、信賞必罰は村を治めるにあたって基本のキである。
バイオハザードが解決したら、無能な現上層部に代わってスヴィアを研究所の所長に推すのもよいかもしれない。

「部屋の奥……。大型の冷蔵庫。
 新薬の……、一時保管庫だ。そこを確認したい」
広大な部屋の奥に佇む巨大な最先端設備。
その足取りはこれまでにも増して重い。
一歩が二歩にも、十歩にも感じる重さだ。
足が棒になるというが、足先から頭のてっぺんまで一本の棒になったかのようにぎこちなさ。
それでも無理を押して目的へと向かうなか、またもや上階にて異変が生じた。

『げぇっ!!? 大田原さぁんッ!!!???』
まるでこの世の終わりを見たような。
両手を両耳に当て、白目を剥いて大威に怯える有名な某絵画と同じポーズを取っているのがありありと見えるような。
心からの『叫び』が響き渡る。

その取り乱し具合はまさしく異変である。
名前を呼んでいるということは同じ特殊部隊のはず。
なのに、隠密を是とする隊員が大声をあげてしまう異常事態。
確かに真理本人も正常感染者には違いはないのだが、真珠と合流したときはもっと落ち着いていた。
新たな特殊部隊は話が通じる手合いではないのかもしれない。


807 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:55:08 r83IdJII0
刻々と移り変わる事態を頭の片隅に留めつつ、巨大冷蔵庫の前にたどり着く。
やはり試薬の一時保管スペースだ。
スヴィアは目録片手に付け合わせていく。
春姫も目録をのぞき込むが、日本語ではない何語かがずらずらと羅列されており自力の理解は早々に諦めた。

「して、何を探しておるのだ?」
「天原君の異能を……、用いた解決には……、睡眠が必須だ。
 睡眠薬があるなら……、時短の……ためにも、確保しておくべきだ」
「ふむ……道理よな」

なるほど、春姫からしても一理ある。
春姫は未だ一度も風邪をひいたことがない健康優良児。
祭祀の期間を除き、夜の九時には眠りに付き、朝の六時に起きる生粋のロングスリーパーだ。昼寝はしない。
その習慣は身体に染みわたっており、一徹した今は一周回ったのかバッチリと目が冴えている。
あと七時間経たなければこの身体は睡眠を欲しないだろう。

特異体質の春姫でなくとも、この極限状態の中で身体の髄まで睡魔に浸かることができる人間がどれだけいるだろうか。
冷静を保ち続けていた創のように、何かしらの訓練を受けていると思わしき人間にしても話は同じだ。
むしろ常在戦場の心得を持つ人間のほうが深刻かもしれない。
有事の際に真っ先に飛び起きて事に当たるタイプの人種は、全域が戦場であるこの村では決して睡魔に身をゆだねることはない。
戦場では正しくとも、それではウイルスは洗い流せない。

『お前ッ、お前は――――――ッ!』
「む?」
「……急ごう」

憎悪と憤怒、それにどこか昏い歓喜の混じったような金切り声。
ガラスでも割れたのか、結晶の組織がひび割れ散る音と共に、フロアに反響する。

幸いなことに、お目当ての薬は錠剤型として完成されていた。
ハルシオンをさらに強くしたような超短時間作用型の睡眠薬。
服用量を間違えれば永遠に眠ることにすらなりかねない。
口に含み、数十分もすれば効果が表れるだろう。

「スヴィア先生! どこ!?」
ほぼ同時に、新薬開発室の扉が開け放たれる。
外の出来事に聞き耳を立てていなくとも、その緊迫感をして非常時であることを察せられるだろう。

「見つけた先生! 逃げるよ、人間を食べる最悪なヤツが襲ってきたから!
 海衣ちゃんが時間を稼いでくれてて!
 うーっ、とにかく、今すぐ二階の花子さんたちのところに!」


バイオハザードの収束方法は見つかった。
創が倒れれば瓦解する薄氷一枚の方法だが、方法の一つには違いない。
だが……。

「日野くん……、急ぎのところ済まないが……、敢えて聞こう。
 光は……見えるかい?」
「光なら……」

警報級の避難指示が出たら身一つで避難するのは定石。
荷物を持ちだしたり、取りに戻るのは本来ならば悪手中の悪手。
それでも、これは確認する価値があることだ。

「先生の次に一番大きな光は、これだよ」
「これは……」

珠が指したのは、冷蔵庫とはまた別、目立たない場所の保管所にひっそりと配置されていた瓶詰めである。
あらゆる光を吸い込むかのような漆黒の粉末。
目録を見るまでもない。スヴィアはこれを知っている。


808 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:55:56 r83IdJII0


目的地は階段部屋だが、経由するのは廊下ではなく感染実験室だ。
外は海衣の異能により、真冬のような冷気が吹き荒れる。
重症のスヴィアを長時間冷気に晒すよりは、適温に保たれた部屋の中を移動するほうが安全との判断である。

しかし隣部屋へと向かうスヴィアの足取りは鉛のように重く鈍い。
一歩踏み出すごとに、その歩幅が徐々に狭くなっていく。
消化酵素は摂取した氷砂糖を必死に燃料に換え、空前絶後のスピードで頭脳のタービンを回しているが、
身体の燃料に回されるはずのエネルギーは命漏れを塞ぎ止めるための資材に回される。
肉体の動力としてのエネルギーが絶対的に足りない。
珠の肩を借りて、引きずられるように、ゆっくりゆっくりと歩を進めていく。

幸いにも口はまだ動く。
手繰り寄せた希望の路が途絶えぬように、道しるべを余さず伝えなければならない。
スヴィア自身、もう身体がいつまでもつのか分からないのだ。
今ここで力尽き、光を絶やしてしまえば死んでも死にきれない。
この地に根付く地縛霊と化してしまうほどの後悔に苛まれるだろう。

「歩きながらだが……手短に話そう。
 持ってもらっている錠剤は、睡眠薬。
 先ほど……、神楽くんには話したが……、天原くんの……、異能を受ける前に……一錠飲んでくれたまえ。
 それで……、体内のウイルスは除去できる」
「えっ! 先生やったの!? 全部終わるってコト!?」

今は避難を優先すべきなのでは、との諌言がすっぽり頭から抜け落ちるほどの衝撃に、珠の声が上振れる。
スヴィアの言葉はまさに地獄で見つけた天からの糸に等しい。


「じゃ、さっきの粉は?」
「使わないで済むなら……、それに越したことはない。
 あの粉、あの色……、おそらく短期記憶を……、消去する効能だと推測している」

珠が思い出したようにわずかに目を見開く。
与田が花子に、研究所には記憶操作の手法があることを話していた。
みかげの異能によって当時の記憶を再度焼き付けたからこそ、納得できる。
この物質は一年前に珠の記憶を奪ったものと同質の力だ。


809 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:56:27 r83IdJII0
スヴィアも正確には知らない物質のその正体。
それは、山折村の禁則地――蛇茨家の管理地でしか取れない特殊な鉱物の加工物である。
地球産とは思えない色とりどりの結晶から削り出され、調合された粉末。
世界各地の聖域や禁則地に指定されている地域でも取れるという噂があるが、日本人には知りようもない話。
当然、採掘地を特定されないように山折村支部とは別の施設へ搬送され、当時在籍していたスヴィアが分析した。
そして地下二階相当の権限しか持っていなかったスヴィアにもまた、その出所が知らされることはついになかった。
分かっているのはこの粉末に化学反応を起こさせれば、色の変化と共に様々なことができるということだけだ。

雷、火、土、水、風、冷気。日光や月光、そして暗闇。
ありとあらゆる元素に交わらせることで別の物質に変化する魔法の物質。
異世界から流れ付いて凝固した魔力の結晶がこの世界の理に属さないのは当然。
ただし身体のつくりからして違っている地球人に与えて、異世界と同じ効力を発揮しないのも当然。
そもそも地球人の臓器に魔力器官などないのだから当たり前である。
異世界の研究者がこの場にいても、この物質の正確な価値は見積もれないだろう。


「これを……女王以外の正常感染者が吸い込めば……、9割の確率で……、ゾンビになると推測する」
「んっ?? んん?? ゾンビ???」
「そう、ゾンビだ」
レポートにあるように、このウイルスの本来の目的は、人間の無意識下にあるイメージを出力させるものだ。
すなわち、個々人の記憶とウイルスの定着は密接な関係にある。
感染中に逆行性の健忘が起こるということは、ウイルスを育てている苗床が突如消え失せるようなものだ。
ウイルスからしてみれば、海の上で乗っているボートから投げ出されるようなものだ。
そうなれば、助けを求めて別のボートへ群がる。
やがてボートの定員がオーバーし、さらなる二次災害が起こる。
脳のキャパシティを超えたウイルスとその老廃物が溜まっていけばアルツハイマーに酷似した現象が再発。
すなわちゾンビ化の再抽選である。

「ゾンビになれるということは……、女王ウイルスに……、侵されていないということ。
 体温も下がり……、特殊部隊の監視下においても……、死者として認識されるかもしれないが……」
「妾にとっては無用の長物というわけだな」
端的に言えばフェードアウト。
女王が殺されたとき、すべての記憶を失ってゾンビから醒め、何も分からないままにこの地獄から抜け出すことができるだろう。
ただし、考えなく適当に飲めば、現場の特殊部隊に殺害されるか、適当に誰かを襲って返り討ちだ。
何より徹底的な逃げの手法である。
春姫にとっては、飲む意味も価値も一切ない。
スヴィアの推測が正しいのならば、女王が飲んだところで何の変化もないのだから。
そうしているうちに、一行は感染実験室へと侵入する。


810 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:56:56 r83IdJII0


ここは緊急脱出口からは最も遠い部屋の一つ。
部屋の中には数人のゾンビーー祭服の襲来から逃げ延びてきた研究員たちがたむろしているのだが、春姫の異能によりあえなく威光にひれ伏す。

「それで、天原とやらはどこをほっつき歩いているのだ?
 解決策が見つかれど、伝えられねば、解決も何もなかろう」
「それについても……、ボクに腹案がある」
「腹案?」
「この研究所には……、すでに特殊部隊が展開している。
 彼らの作戦を……、ボクたちが利用する」

廊下へと向かう足が一瞬だけ止まる。
鳩が豆鉄砲を食ったように、きょとんとしてみせる珠。
訝しんで眉をあげる春姫。
分かっていた。それが正しい反応だ。

「釈然としないだろう……。だが、まず……、聞いてくれ。
 特殊部隊は……、放送を流し……、村人を集める作戦を企てている。
 それを逆手にとり……、村全体に解決策を流す。
 天原君が生きてさえいれば……、これで伝わる」

それができるのなら、確かに創を探す時間を大幅に短縮できる。
しかし、どこからそのような情報を仕入れてきたのか。
特殊部隊を相手に聞き耳を立てたというのか。
そもそも、珠たちにとっては特殊部隊が展開しているというのも初耳だ。
人肉を食らう少女を除けば、エレベータを利用した何者かの存在しか彼女らは知らない。
そんな疑問を承知しつつ、スヴィアは話を続ける。

「特殊部隊が……、ドローンで我々を監視していることは……、知っているかい?」
「そうなの?」
「ふむ。空に奇怪な鳥が舞っておるとばかり思っていたが、中央の手先であったか」
スヴィアがそれを知ったのは、天が診療所前で席を外した時である。
プロペラ音のような奇怪な音を発する飛行物体が複数、村中から山中を目指し、また飛び出していたのを音に聞いた。
そして、鳥とも虫とも思えぬ何かが旋回していたのを春姫も神社で目撃している。

「彼らは……、外に情報が漏れることを殊更嫌っている」
「あ、そうそう! ウイルスが治っても、特殊部隊は撤退しないって花子さんが……」
「そこを突く。
 HE-028-A――すなわち女王ウイルスは……、天原くんの……異能で、否定できる。
 当然、子型のHE-028-Cも……、否定できるだろう。
 正常感染者に限らず……、ね」
「えっと、それってつまり、ゾンビを戻せるってこと?」
「そうさな。わざわざ末端のゾンビから治療する意味があるかはともかく、できることに疑いはなかろう」
「そして……、異能によって、ゾンビから治療された人間が、どのような状態になるのかは『分からない』。
 これは……、特殊部隊にとっては……、看過しがたいリスクだ。
 そのリスクを突き付け……、時間を、稼ぐ」


811 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:57:30 r83IdJII0
天と真珠が正常感染者を余さず殺害するために、確認のできた感染者をリスト化しているのは承知済み。
村人からすればたまったものではないが、特殊部隊の立場からすれば、正常感染者を取りこぼさないために必要なことだろう。
そのリストは、スヴィアの推測では天が本部から直接取り寄せたものである。
この信頼性を削ぎとる。

もちろん、異能経由とはいえウイルスの特性は調べ尽くされているはず。
前例や類似例に則って推測することはできるだろう。
だが、どれくらいで意識を取り戻すのか、どれくらいで体温は正常に戻るのか。
研究者としての結論は『すぐには分からない』。
再現性のない個別ケースの研究に割く時間などない。
異能によるウイルスへの影響は優先度低の課題である。
『すぐには分からない』。それは、言い換えればリスクを早く正確に見積もれないということである。
脱獄の際に囚人たちの牢のカギを一つずつ開けていくような、大いなる嫌がらせである。

もちろん、特殊部隊は研究所本部に問い合わせて、限りなく正解に近い解答を用意してくるだろう。
ただし、本部と実行部隊の間でリアルタイムの報告はできない。
ドローンを使って監視している本部からすれば、新たな正常感染者候補の登場による情報の錯綜が起こる。
現場の部隊からしても、任務とは関係のない標的候補の増加という余計な手間が増えていく。


司令塔たる天は教科書通りの特殊部隊員といった印象だ。
独断で逸って地獄の釜の蓋を開き、自らの首を絞めるリスクを取るとは思えない。
天が得意とする手法、真偽を前提とせずにリスクだけで相手に二択を強要するやり方。これを使った意趣返しだ。

創や同行者の雪菜自身が特殊部隊と交戦し、殺害を免れたことも追い風だ。
キーマンが簡単には殺せないということは、強硬策を戸惑わせるに足る。
現場に対する時間稼ぎとしては十分に機能するだろう。

そう、これは時間稼ぎなのだ。
この空白の拮抗時間を利用して、研究所あるいは特殊部隊の上層部と話を取り付ける。
少なくとも特殊部隊から研究所に繋がるラインは確実にあるし、8年後に迫りくる地球の危機については取引材料としても利用できるだろう。
特殊部隊が本気で鏖殺という最強硬策を取る前に、なんとかそちらに持ち込めれば。

「ウイルス特性の説明をカプセルの外殻に……、解決策と撹乱策を天原くんに伝え……、特殊部隊に取引を持ち掛ける……。
 仮にボクがその場で始末されれば……、際限なくゾンビが正気を取り戻すと暗に脅しつけ、
 生き残った正常感染者の……、身の安全を保証させる。
 天原くんも特殊部隊も……、彼らは必ず意図を理解するはずだ」
「でもでも、花子さんが直接研究所と話をつけるって言ってたから、そっちは大丈夫かも?」
「……彼女が?」

田中花子。日野珠たちを保護し、研究所まで連れ添ってきた謎の実力者。
スヴィアは真珠と天が凄腕の女性エージェントについて話していることにも聞き耳を立てていた。
武道をかじっていないスヴィアからしても、只者ではないと分かる。
その立ち振る舞いに、花子こそがハヤブサⅢを名乗るエージェントであることは疑っていない。

「ならば、そちらはもう、解決しているのかも……、しれないね。
 もう一つ重要なことを……、話そう。
 神楽くんは……、すでに察しているのかもしれないが」
「では述べよ。彼奴らの謀をどう奪い取るつもりだ?」
「乗っ取りはしない。
 そもそも……放送を流すのは、最初から碓氷先生さ……。
 そこは別に……、ボクらでも構わないだろう」

スヴィアの言葉は、誠吾が特殊部隊と手を組んでいるという告発に等しい。
では、彼と一緒に来たスヴィアはどういう立ち位置なのか。

スヴィアの言葉を理解した珠の視線は、ちらちらと震えて定まらなくなる。
春姫の目がより細く鋭く冷たくなる。


これから話すことを考えると、呼吸が粗くなる。
歩幅がさらに狭くなる。
限界が迫っている。
肉体だけではなく、心もまた限界を迎えようとしている。


812 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:58:03 r83IdJII0


感染実験室の扉が開け放たれ、廊下の奥から肌を刺すような冷気が吹き抜けてくる。
結晶の破砕音と銃声が交互に入り混じるその様はまさしく戦場だ。


「特殊部隊は……少なくとも、三人。一人は観光客の姿をした……、正常感染者だ。
 ボクの名前と……、女王ウイルスの撲滅方法。
 指揮を執っている男の部隊員か……、観光客の部隊員に……、これを切り出せば……、すぐに……、殺されることは……、ないだろう。
 だが、特に日野くんは、他の隊員とは接触してはダメだ」
「……先生、なんで? なんでそんなことまで知ってるの?」
スヴィアがこの研究所にかかわりのある人間だというのはまだ分かる。
だが、特殊部隊の内情をここまで知っていることを理解できない、飲み込めない。

「決まっておろう。彼奴らと手を組んだからよ」
春姫が代わりに指摘し、スヴィアは悲しげに目を閉じる。

嘆息する。絶句する。
花子といい、スヴィアといい、どうして人間はこうも間違いを犯すのか。
あるいは、間違いを犯すからこそ人間なのか。
永遠に答えの出ない問いであろう。

「察しの通りさ……。
 バイオハザードの解決のために……、ボクは特殊部隊に身を売った。
 本来なら……、キミたちと同行することも……、許されない……、ことだろう」
どう言い繕っても、パスコードを用いて扉を開け、この研究所に特殊部隊を招いたのはスヴィア・リーデンベルグだ。
ほかでもない彼女自身だ。

足が止まる。動かない。肉体の限界だ。
心が凍える。精神が擦り切れそうだ。

二人の視線が突き刺さる。
彼女らの目を見返すことなどできそうもない。
冷えた視線がスヴィアに降り注ぐ光景が、ありありと彼女の脳裏に浮かび上がる。
身を切るような冷気がそのまま彼女らの心象を表しているようにしか考えられなかった。
凍てつく視線が心を凍り付かせ、身を裂く冷気が肉体を凍り付かせる。

「迎えに来てくれた、ところ、済まないが。
 どうやら……、ボクはこれ以上……、動けそうにない」


813 : 裏切者 ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:58:31 r83IdJII0
バイオハザードを止めるために泥水を啜ってでも生き延びると決意していたのに。
希望が手の届くところまで降りてきたというのに。
誤魔化していた疲労が鉄砲水のように襲ってきた。
スヴィアの身は珠の肩からずり落ち、感染実験室の扉にもたれかかる形で座り込んでしまう。

足手まといの裏切者は置き去りにされるのが道理。
スヴィアは白く冷たい地獄の回廊に、孤独に力尽きる。
バイオハザードの完全解決か、力及ばず野ざらしに力尽きるか。
特殊部隊と手を組んだ時から覚悟していたことではあったけれど。
これがスヴィア・リーデンベルグの生の果て、旅の終着点なのか。
けれど、それも仕方ない。


未名崎錬は世界の滅びが迫るなか、烏宿暁彦と手を組み、人類を救うために山折村を犠牲にした。
スヴィア・リーデンベルグは自身と知己の死が迫るなか、特殊部隊と手を組み、知己を救うために花子と与田を犠牲にした。
自嘲するしかない。
ただスケールが違うだけで、彼と彼女の選択は驚くほど似通っている。

己の身すら投げ出せるほどに高潔で、大切なものを救うために身を粉にすることができ、思い悩みながらも最後には非情な決断を下すことができる。
根っこでは、二人は似た者同士だ。
だからこそ、錬はスヴィアを勧誘し、観測者の役割を託そうとした。
錬の独善に反発し、彼の手を払ったスヴィアが同じ道をたどるのは皮肉としか言いようがない。
けれども、スヴィアと錬の立場が逆だったならば、スヴィアこそがこの地獄を作り出した黒幕になっていたかもしれない。
だから、こんな終わり方も仕方ないのだ。

「いき……たまえ。ボクから、伝えられることは……、すべて伝えた。
 キミたちの……、無事を……、祈る」

珠や創、雪菜はきっと、無事にバイオハザードを解決してくれるだろう。
自らが見つけ出した成果が、人々の命を、生徒たちの命を救済う。
科学者として、教師として、これほどうれしいことはない、ここで倒れても悔いはない。
とっくに腹は括っていたはずだ。
それなのに、それなのに。
ああ、どうしてこんなに苦しいのだろう。


ぎゅ、ぎゅとスポーツシューズの足音が近づいてくる。
置き去るのではなく、介錯なのか。
それとも、裁きを下すのか。
ギュッと目を瞑って、沙汰を待つ。

「春ちゃん、私が先生を背負っていくから、ちょっと手伝って」
与えられたのは沙汰ではなく、救いの背である。


814 : 裏切者に救済いの手を ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 22:59:21 r83IdJII0
「日野くん……?」
「スヴィア先生もみか姉も!! ついでに花子さんも海衣ちゃんも!
 なんかぜんっぜん納得いかないの!!
 みんなして私に、先に行け、先に行けってそればっかり!」

迫りくる特殊部隊に、上月みかげが立ち向かっていったのを目に焼き付けている。
正体不明の誰かの存在を知りながら、花子が二度、臆しもせずに踏み込んでいったのを覚えている。
氷月海衣が怪物を必死で食い止めているのを知っている。
そして自分は安全なところに逃がされるばかり。

「少し年上だからってカッコつけるところじゃない!
 少し大人だからって悪ぶるところじゃない!
 ちょっと難しいこと言って煙に巻いちゃえばいいって、子供扱いしてるんじゃない!?」

中学生とはいえ、珠も里山を朝から晩まで探検している体力お化けだ。
歩みは遅くなるけれど、小柄なスヴィアを背負って歩くことくらいはできる。

「けれど……、ボクは……、キミたちからみれば裏切っていたとしか言えなくて……」
「先生に悪の科学者とかぜんっぜん似合わないから!
 ……そんなに苦しそうな顔をした裏切者なんているわけないよ。
 今にも泣きだしそうな顔で、悪者ぶったって説得力なんて全然ないよ」
珠の指摘にはたと気付く。こころが涙となって頬を伝っている。
生徒たちを欺いていたことへの後悔だったのか、それとも彼女らの無事を最後まで見届けられずに力尽きることへの無念だったのか。

「悪いことしたと思ってるなら謝ろう?
 先生たちがいつも言ってることだよ。
 そもそも悪いのは全部特殊部隊で、研究所じゃん!
 スヴィア先生が全部背負うことが間違ってるし、何より……」

自らを逃がすために特殊部隊に挑み、そして帰ってこないみかげ。
海衣を生かすために彼女を庇い、命を失った茜。
瞼の裏に優しい笑顔が浮かぶ。
「これ以上、置いていくのはやだよ。見捨てるのはやだよ。
 残されたほうは辛すぎるんだから……」

足は動かず、生徒に背負われて、説教までされて。
こうなれば、もう教師としては方無しだ。
けれど、凍てつく回廊の中、こころが少しだけ温まった気がした。

「そうだ、ね……、気の迷いだったのかもしれない。
 疲れ切って……、道を見失って……、おかしなことを……、考えていたらしい」
「そう、それでいいの!
 圭介兄ぃなんて、大喧嘩した後も悪びれもなくケロッとしてるんだよ。
 先生には図太さが足りない、足りない、全然足りないよ! ちゃんとお肉食べてる!?」
珠の肉食女子の持論には苦笑するしかないが。

だがもう一人、神楽春姫が不気味なほどにおとなしい。
村の敵と手を組めば、即座に処刑だと宣言してもおかしくはない人物だというのに。


815 : 裏切者に救済いの手を ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 23:00:22 r83IdJII0
春姫は御守を握りしめ、静かに目を閉じていた。
その身、明らかな異変が一つ。

「剣が光ってる?」
「……光っているね」
それは、山折村を彷徨う40人の正常感染者から、春姫を選び出した聖剣。
ケージに縁ある者が白兎に託した御守に引き寄せられて彼女の手に渡り、そして彼女を資格ある者とみなした聖剣である。

「世界が変わったのだ」
いつもの根拠のない春姫の感覚である。
だが、今回に限ってはそれは正しい。
数時間前に即身仏の封印が解けた。
そして今また魔王が降臨した。

魔王が世界に現れたとき、それを倒す勇者も世界に生まれる。
魔王が力を強めれば、聖剣もその力を増す。
魔王が命を散らせば、聖剣もなまくらへと戻る。
これが世界の理だ。
聖剣ランファルトがさらなる力を得るのも道理といえよう。

「喜べ。村を危機に陥れようとしたことは花子ちゃんも同罪だ。
 汝とともに後で妾がまとめて裁いてくれよう」
「春ちゃんそれ、どこを喜べばいいのか全然分かんないんだけど!」
「汝は山折村を救う道を示した。その功績を妾は決して忘れてはおらん。
 全ての法は我が一族である。その原典たる妾が情状酌量の余地を見出しておるのだ。
 ほかの誰にも文句は付けさせぬ」
「全然聞いてないし……」
「では……、すべてが終わったら……、存分に裁いてくれ。
 どのような裁きであっても……、ボクは受け入れる」

信賞必罰は治世の王道。
世界を救うために奔走し、山折村に害を為した未名崎錬を神楽春姫は赦さない。
山折村を救うために奔走し、特殊部隊に与したスヴィアを神楽春姫は赦す。
ここは山折村だ。山折村はすべてに優先する。
これが神の子であり、法律家の跡取りたる春姫の定めた絶対の法なのだ。
だが、スヴィアに目溢ししたのはそれだけではない。

「村に仇為す者にかける情けなど本来なら一片もないが……。
 イヌヤマのに感謝するのだな」
魔王が力を取り戻し、聖剣に刻まれた記憶が春姫に流れ込む。
絶対禁忌が解き放たれ、その縁者の記憶が春姫に流れ込む。
山折村を救うため、その身すら犠牲に世界を渡ったある一人の異邦人の記憶であり、イヌヤマに縁ある者。
彼女もまた裏切者だったのだから。

「って、春ちゃんどこ行くの!?
 さっきの私の話聞いてた!?」
「妾の行く先こそが王道である。
 駄剣は妾をどこぞに導こうとしているようだが、妾が駄剣の一振りごときに意志を変えられることはない。
 まして、小娘一人の勝手に振り回されるはずもなかろう」
すでにオークの大戦士は変心せずしてその身を散らし、件の最初の予言は実現せず。
けれど、脅威は未だ取り除かれず。

神威にも等しいその圧に珠は思わず息を呑む。
春姫の異能は確固たる自尊心を持つ以外に防ぐ術はない。
春姫が絶対の意志を持ってその異能を使ったとき、その意思を曲げる術はない。

兎の手も借りたいこの非常事態、けれども珠の身体はたった一つ。
春姫には一切の光がなく、何をどうあっても止められないことが見えてしまう。
背に触れているスヴィアの胸、その鼓動が弱弱しくなっていることが分かってしまう。

「私はぜんぜん納得してないんだからっ!!」
吼える珠には目もくれず、春姫は御守の導きのままに研究所を襲う怪異の下に向かう。
先人たちを敬い、その願いを聞き届けるのもまた女王の義務なのだ。


816 : 裏切者に救済いの手を ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 23:03:28 r83IdJII0

◆ ◆ ◆

走馬灯のように記憶がさかのぼっていく。
剣と魔法の世界の住人から、科学と神秘の世界の住人へと作り変えられていく。
悪魔や魔族や怪物たちも、人間も、剣と魔法で戦う世界から。
怪異は畏怖や信仰を取り込むことで際限なく強くなり、人間はそれらを理で解き明かすことで対抗していく世界へ。
理も何もかも違う世界の住人へと作り変えられていく。
今の意志ある私にできることは、もういのりを捧げることしかない。


新たな世界に氾濫する情報に押し流され、前世の記憶が徐々に薄れていく。
私の意志はもはやまどろみに落ちたように希薄になる。
新たな命として生まれ落ちた新しい私が、傍らに佇む兎と共に、とと様やはは様、あね様から祝福を受けるのを遠くから眺めるだけ。
私の個もまた世界に適して、眠りに落ちようかというその間際。


目にしたのは、春陽様の面影を残す男の人。
その男性に連れられるは、日ノ本の女神のような荘厳な被布に身を包み、幼いながらもこの世のものとは思えぬ美貌を持った神々しい少女だった。
神の子。彼女はきっと、神の子だ。きっと、春陽様の生まれ変わりだ。



白兎が少女の下へと駆け寄り、抱き抱えられるようにして吸い込まれて。



いつか、誰かから聞いた。
神さまを呼び出すのは、とびっきりの人の願い、だと。


――ああ。
――神さま。
――神楽さま。

――どうか私のいのりを聞き届けてください。

◆ ◆ ◆

「いつかの祈り、しかと妾が聞き届けよう」


817 : 裏切者に救済いの手を ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 23:03:51 r83IdJII0
【E-1/地下研究所・B3 感染実験室前廊下/1日目・午後】

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)
[道具]:H&K MP5(30/30)、研究所IDパス(L3)、黒い粉末、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.スヴィアと共に花子たちと合流する。
2.みか姉に再会できたら怒る。
3.春姫に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※黒い粉末をそのまま吸い込むと記憶を失い、再度ゾンビになる抽選がおこなわれます。女王感染者はゾンビになりません。


【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:重症、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート、長谷川真琴の論文×2
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.VHの解決方法を天原に連絡する
2.特殊部隊を欺き、犠牲者が出るのを遅らせる
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月や花子くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王
1.御守に導かれる先に赴く
2.研究所を調査し事態を収束させる
3.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※魔王が村に顕現したことで、宝聖剣ランファルトの力が解放されました。


818 : ◆m6cv8cymIY :2024/01/14(日) 23:05:50 r83IdJII0
投下終了です


819 : ◆H3bky6/SCY :2024/01/15(月) 21:53:30 66JxyHKM0
投下乙です

>裏切者に救済いの手を

異世界イヌヤマの真相
異世界転移したいのりの妹やったんやね、次元捻じれすぎでは?この村
徐々に異世界と村の歴史が交差していくのは面白いね

魔王への裏切りも件の予言を回避するため
そしてうさぎへの転生、白兎の権能で転生したからうさぎなのかな?
唐突な転生オークだった和幸も運命に導かれていたんやな、って

スヴィア先生は裏切りの告白なんかしなくてももっとうまい言い方があったろうに、マジメで自罰的すぎる
それに対してここまできても真っ直ぐの赦しを与えれれる珠ちゃんは偉いよ
ここまでずっと守護され、残され続けた側からすればたまったもんじゃないよね

研究所にはそりゃ記憶消す薬もあるよね
放送作戦を乗っ取りはいい案ではあるが、戦場になりそうな通信室は無事に残るのか

春姫はまあ相変わらず、自分が法であると言う自我の強さ
聖剣の覚醒までして、お前は本当に何なんだ


820 : ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:03:47 7aIMuRmk0
投下します。


821 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:04:57 7aIMuRmk0
「やっぱり、ここにいたんだ」

春茜に染められた山桜が群生する山折村南西部――旧八柳家修練場にて。
そこに穏やかな花風に乗せられた鈴を転がすような声が一つ。
木刀を一心不乱に振るっていた少年は手を止め、大きく溜め息をついて声のする方へと身体を向けた

「―――何だよ。今日仕事じゃなかったのか、茶子姉」
「仕事だよ。ちゃっちゃと終わらせて定時上がり」

ぶっきらぼうに答えるジャージ姿の少年、八柳哉太にスーツ姿の小柄な女性、虎尾茶子は小さく手を振って答えた。
茶子の手にはビジネスバッグと一緒にケーキ――「すい〜と・お〜くま」の新作スイーツの入った箱がある。

「…………わざわざここで食わなくてもいいだろ」
「だってあと一週間くらいで都内の学校に行っちゃうんだし。キミとの時間を大切にしたいんだ」

ほんの少しだけ物憂い気な言葉が未だ癒えない傷口をなぞり、少年は思わず姉弟子から視線を逸らした。
大切な妹分への暴力沙汰の疑い。幼馴染達との絶縁。ささくれ立った心は行き場を求めて彷徨い続けている。
嘆いて自分の殻に閉じこもるわけでもない。破壊衝動を激情の赴くままに発散させるわけでもない。かといって問題解決の糸口を見つけるために動くわけでもない。
気づけば自分は一人になれる場所に来て、慣れ親しんだことをして、頭の中の雑音を消す。そんなことをしても何の意味もないのに。

「昔から思ってたんだけどさ、そこそこ器用なくせに不器用なふりするよね、キミ」
「どういう意味だよ、それ」
「んー。直感で答え出せる癖に無理に言語化しようとして失敗する感じ……的な?」
「随分とふわっとした感じだな。前も同じこと言ってなかったっけ?」

夕暮れのログハウスの縁側で二人、並んで新作のシュークリームを頬張る。
飽きる程繰り返したようなありふれた何気ない会話。だけども二人にとっては大切な日常の一片。
あと一週間もすれば少年は山折村に遺恨を残したまま去り、姉弟子は一人村に取り残される。
気づけば日が完全に落ち、辺りが暗闇で覆われていた。

「茶子姉、もう遅いから早く帰った方がいいんじゃないか?」
「キミはどうするの?」
「…………ここに泊まる」

少しの沈黙の後、少年は姉弟子に向かって答える。帰ったところで回りは針の筵。彼の居場所は既になく、それに堪え切れるほど少年の心は成熟していない。

「だったら、あたしも泊まることにする」
「……………明日、仕事じゃないのか?」

不意に茶子が告げる。縁側に立って伸びをする姉弟子にちらりと視線を向けて問いかける。

「あたしが要領がいいの知ってるだろ?だから上手いこと仕事片づけて休み取れてるんだ。それに―――」

言葉の端で想い人は少年の方へと顔を向ける。月の光が差す柔らかな笑みを浮かべた横顔は儚げで。

「―――一人でいるより、二人の方がいいでしょ」




822 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:05:50 7aIMuRmk0
人と魔の入り混じる逢魔が時。山折村の経済の中心であった商店街には既にその面影はない。
破壊を巻き起こす暴風が立ち並ぶ店舗をなぎ倒す。天変地異の前触れか、稲妻が街路樹を焼き尽くし、爆炎が周囲に轟く。
否、天変地異などではない。局地的な災厄はただ一人の存在によって引き起こされていた。

アルシェル。とある異世界における絶対的存在にして、憎悪に歪められた次期村長山折圭介の肉体を介して顕現した魔王(かみ)である。
彼はこの地にて人の業を娯楽(ゲーム)と称してかつて支配していた世界のように暴虐の限りを尽くす筈だった。しかし―――。

――――その名を騙る痴れ者に、祟りあるべし。

魔王が名を奪おうとした山折村の絶対禁忌『隠山祈』の呪詛。とある特務機関エージェントの置き土産。研究所特殊部隊最強の搦め手。
山折村が持ちうるありとあらゆる手段により、依代となった山折村の王はその王冠を剥奪され、漆黒の太陽は虚空に吞まれ失墜する。
しかし、どれだけ堕天しようとも魔の王たる看板に偽りなし。異界にて絶対者として振舞ってきた実力は、地球産の人間を遥かに上回っていた。

「たかだが二人、頭数が増えたところで差が埋まるとでも思っていたか?」

焦燥と怨念の入り混じった挑発と同時に、黄金の髪を持つ巨漢――魔王アルシェルの周囲を埋めつくすように黒曜石で作られた刀剣が展開される。
同時に魔王の巨躯から発せられる黒い閃光――凝縮された魔力が武装一つ一つに付与され、彼を守護する騎士のように切っ先が外敵へと向けられた。

対するのは八柳流ツートップの二人の若者――虎尾茶子と八柳哉太。それぞれ鈍らの妖刀と業物の聖刀を構え、かの恐ろしき異界の神へと同時に駆け出す。
その刹那、魔王を取り囲む黒曜石の刀剣が一斉に動き出した。魔力を流し込まれた数多の武装は縦横無尽に動き回り、創造主に逆らう逆賊へと斬りかかる。
守護の凶刃がその役割を果たすことはない。
魔王と対峙する存在は山折村の厄災を生き延びてきた剣の達人二人。鍛え上げた業にて刃の波を掻き分けながら進む。だが――。

「――――ッ!」
「来るよッ!」

姉弟子と弟弟子。同時に弾かれたように跳んで魔王との距離を取る。
その直後、魔王の周囲数メートルに黒い稲妻が奔り、砕かれた黒曜石が地面に散乱する礫やガラス片と共にまき散らされる。

仕切り直し。魔王アルシェルは依代となった山折圭介の肉体を介して祟りにより、本来の実力を封じ込められているが、数千年にも及ぶ戦闘経験により、達人二人を圧倒している。
八柳哉太と虎尾茶子はこの地に訪れた人々の仕込みにより人智を超えた厄災に立ち向かえているが、地力が足りず徐々に押し込まれている。
状況は劣勢。バイオハザード発生以来、生存者は個人につき一つのそれそれ異なる異能が発現していた。
対する魔王は地球と異なる法則の異世界から来襲した神の如き存在。一人一つしかない異能をいくつも所持していることと同義。
本来ならば、付け焼き刃程度の力しか持たぬこちらの世界の人間など、取るに足らぬ存在になるはずだった。

だが、哉太が目覚める前――虎尾茶子一人と対峙している最中、魔王は依代に呪弾を埋め込まれ、山折圭介の肉体を介して魂を汚染された。
呪詛に侵されて精神体そのものの構造が書き換えられ続ける最中、アルシェルはただ手をこまねいているわけではなかった。
呪いの進行を遅らせる抗体の作成。それと同時に魔術使用のボーダーライン――山折村の祟り神『隠山祈』の呪詛の目を潜り抜けられる制限を探し続けた。
その間にも呪いの進行により莫大な魔力の大部分は失われ、目覚める魔術(かのうせい)も悉く潰される。
逃走は不可。虎尾茶子によって植え付けられた呪い――『魂縛り』により山折圭介の死はアルシェルの消滅と同義となり、依代(アバター)の鞍替えを徹底的に封じられた。
植え付けられた『魂縛り』の解呪自体は可能。依代と入れ替わった『反魂』の時と同じようにすればいい。
だが、目の前の二人がそう易々とさせてくれぬだろう。故に打開策は眼前の二人の抹殺。そのために己が行使可能な魔術(ほんき)の見極め。
その第一歩は遂に―――。


823 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:06:23 7aIMuRmk0
「――――そろそろ、身体が馴染んできたか」
「……何に、だよ」
「そこの女に撃ち込まれた毒にだ。適応には程遠いが、使える魔術(ほんき)のラインが見極められたということだ、八柳哉太」
「わざわざ自分で言う必要あるんすかね。自己顕示欲高すぎだろ」
「…………チッ。相変わらず口の減らない女だ」

未だ警戒を緩めない哉太を嗤い、先程と変わらずせせら笑う茶子に苛立ちを感じつつも、二人を抹殺すべく、周囲に魔力を張り巡らせる。

「―――でもさ、魔王さん。大切なこと忘れてない?」

漆黒が形となるその刹那、魔力の轟きの間から聞こえる剣姫の澄んだ声。
それと同時にアルシェルを挟み撃ちする形で迫る鈍らの妖刀と業物の聖刀。
八柳新陰流、抜き風
八柳新陰流、這い狼
交差する二つの刃。すれ違いざまに聖刀が鋼の如き胴を裂いて魔力の流れを断ち、地滑りに這う妖刀が鏡のような足を打ち据えて身体のバランスを崩し、たたらを踏ませる。
人の領域を超えた速度。先程の小競り合いとは比べ物にならない身体能力になった理由を魔王は知っている。

「活性……アンプルか……!?」

山折圭介より前の依代――烏宿暁彦だった頃。地球を救う新薬開発の際、試作品の副産物として出来た偶然の産物。
山折村でバイオハザードが起きる数か月前、孤島の研究施設よりとあるエージェントが回収したサンプルを人体への悪影響を可能な限り抑えられるよう調整されたブースタードラッグ。
人智を超える魔王にすら届きうる力を得られる劇物は、剣士二人の力を極限まで強化させた。
そして、二人に劇物を渡した人物――回収したエージェントを市に持つ少年もここに。

二つの重い銃声が響く。
姉弟弟子二人の斬撃により体勢を崩した魔王の身体に二つの銃弾――研究所最大戦力に埋め込まれた銃弾と同じもの――対霊体特殊弾がめり込む。
山折圭介の肉体を介し、アルシェルの精神体を撃ち抜く激痛に呻き声をあげ、下手人に憎悪の視線を向ける。
魔王は目先の脅威に縛られ、その存在を忘却していた。剣士二人が囮の役割を果たす傍らで気配を消して好機を伺っていた。
そして機が訪れる。かつて魔王に故郷を滅ぼされた少年は、冷え切った思考を以て仇敵に狙いを定めた。

「天原……創……ッ!」
「―――残り三発」




「魔王撃滅作戦。段取りは分かっているな、中坊」
「わかっているな、ちゅうぼう!」
「――――はい、分かっています」

道端に停めたスクーターに乗る茶子と彼女の真似をするリンの視線を受け、マウンテンバイクに跨る創は神妙な面持ちで答えた。
前線で魔王と戦うことになる茶子の持ち物は動きを阻害したいため持ち物は最低限に抑え、残りは待機組に任せている。
対して茶子のバックアップを務めることになる創の持ち物はほとんど変わらない。

「渡した六発の弾はジャック氏の呪弾。お前の銃じゃ規格が違うから撃てないことは理解してるよな」
「無論、承知しています。ですから虎尾さんが銃弾五発を撃ち尽くすまで気配を殺して待機。その間にリンさんと八柳さんを戦闘区域から離脱させます」
「OK。その後はあたしと魔王野郎の動きを注視しろ。不自然に思われないタイミングで銃を投げ捨てる。そこからが本番だ」
「貴女の銃を回収し、魔王ヤマオリに呪いの弾丸を全て命中させる……ですね」

師匠――青葉遥と同格と思われる女性工作員による若きエージェントの役割の再確認。
少年は手渡された六発の弾丸――ジャック・オーランドの呪弾を制服のポケットから取り出し、掌の上で確認する。
六発の呪弾の効果は全て同一。怪異そのものを弱体化させる『失墜』の銃弾。魔王の神としての格は強大であり、それこそ一地方の土地神とは比べるべくもない程。
故に未だ力を取り戻していない内に『神』を『怪異』レベルにまで神格を堕とす。つい数時間前、烏宿ひなた達の時のように。

「『怪異に遭ったら、堂々とせよ。決して恐れるな。常に主導権を握り、てのひらで転がせ』。うさぎが言ってたことを忘れるなよ」
「ソウおにいちゃん、チャコおねえちゃんのじゃまをしちゃダメだよ!」

念を押すよう忠告する茶子に便乗するリン。二人の言葉に創は頷きで返答した。
既に茶子のスクーターはエンジンをふかしておりいつでも出発できる態勢を取っている。
出発の合図を出す直前。茶子は創の方を振り向かずに声をかけた。

「全弾命中させろ。そうしなきゃあたしらに勝機はない」
「了解」
「ブルーバードなら確実にこなせる仕事だ」
「…………ブルーバードは、どんな人物でしたか?」

純粋な疑問。言葉を交わさずとも既に創は茶子が青葉遥と対峙したことを知っており、茶子も創が青葉遥の関係者であることを知っている。
少年の問いに女性工作員は大きく溜め息をついた後、答える。

「―――最悪の敵だったよ。二度と会いたくないね」




824 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:06:58 7aIMuRmk0
両断された看板が散らばり、かつて商品として並べられていたであろう物品が地面をカラフルに彩る賞店街大通り。その色彩は現在進行形で増え続けている。
その原因となっているのは黄金の髪を振りかざす異形の大男と刀を携えた二人の男女。大男を中心として二人の剣士が破壊の輪舞を舞い続ける。
その最中、合いの手を打つように銃声が鳴り響く。

「四発目」

創の静かで厳かな声。魔王と名乗る異形は顔を顰め、僅かに動きが鈍る。
辺りに吹き荒れていた吹雪の勢いが弱まり、魔力により生成・制御されていた刀剣の動きが止まる。
瞬時に聖刀を構えた哉太と妖刀を構えた茶子が肉薄する寸前――。

「来い、ゾンビ共……!」

依代である山折圭介の異能が発動。魔王の高濃度の魔力を流し込まれて圭介の異能が一時的に進化。効果範囲が拡張され、十数体のゾンビ達が戦闘区域に呼び寄せられた。
しかし二人の刃は止まらず、二つの裂傷が魔王の身体に刻み込まれる。だが、ほんの一瞬だけ空白が生まれる。
その一瞬だけで十分。創達を取り囲んだゾンビ達の身体が融け、銃火器を携えた戦士(ジャガーマン)へと新生する。
戦士達への命令(プログラム)は創造主を除く生者の銃殺。創は右手を、哉太と茶子は刀を構えて周囲の戦士達に向かう。
周囲に銃声が鳴り響く。エージェントの少年は右手で豹頭の戦士に触れ、異能製の頭を融解させて死体に戻す
八柳流の双翼はアンプルによって強化された身体能力て次々と銃火器を持った兵士を切り裂いていく。
三人の注意が逸れ、魔王に反撃の機会が訪れる。口角を歪め、魔術を行使しようとした瞬間。

くすくすくすくす。

魔王の耳元に少女の忍び笑い。同時に身体に漲っていた魔力の流れが断ち切られる。

「な……ゲホッ……!」

咳き込んで膝を付く。顔を上げると影法師の少女――『隠山祈』が魔王を見下ろしていた。
小さな影の指で驚愕する魔王を指差してくすくすと揶揄うように笑う。

『それ、禁止』
「何を……ぐォう……!」

魔王の口から黒い蛆が勢いよく吐き出され、少女の方へと向かう。
そのまま蟲は少女の身体に引っ付き、彼女の肉体へと取り込まれていく。
唖然とする魔王を他所に、少女は嬉しそうに再び口を開いた。

『これでもうアナタに眷属を生み出せる力は失われた』

くすり。嗤う影法師に歯噛みし、立ち上がる。
気づけば銃声は鳴り止んでいた。既に魔王が生み出した戦士達は仮初の命を失い、首のない肉塊へと化している。
影法師の言葉が本当であるのならば、もう己に戦士(ジャガーマン)を生み出す力は残っていない。奴に魔術式ごと奪い取られた。

『アナタから貰った力は全部有効活用してあげる』

悪意のないくすくす笑い。少女からヒトとは似て非なる価値観が感情から読み取れてしまった。
虎尾茶子の情報では、この少女――『隠山祈』は人間の女が神へと昇格した存在らしい。
だが、それにしては何かがおかしい。人間とは全く別の種族のようにすら思えてしまう。
一瞬だけ浮かび上がる疑問。その違和感の答えに魔王が辿り着く寸前。

二つの刃が迫る。硬質化が間に合わず、魔王の肉体に二文字が刻まれる。
同時に鳴り響く銃声。五発目の『失墜』の呪弾が魔王の肉体に埋め込まれた。

『失墜』により魔王の神格は堕ち、『隠山祈』の干渉により確実に弱体化している。
だが未だ脅威は健在。哉太と茶子二人の肉体ブーストが切れれば、戦況は一気に不利に傾く。
タイムリミットは薬の効果が切れるおよそ一〇分。未だ綱渡りの状態であった。
そして、六発目の銃声が鳴り響く。


825 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:07:31 7aIMuRmk0
「グ……これで打ち止めだな……!そして、お前達も……!」
「チッ…!」「クソ……!」

銃弾が撃ち尽くされると同時に哉太と茶子の動きが目に見えて落ちる。
活性アンプルのタイムリミット到達。目が霞み、全身の筋肉が悲鳴を上げる。

「回避に専念するぞ、茶子姉!」
「ああ!後は―――」
「させると思うか?」

魔王は未だ健在。ジャガーマンを生み出す力を失ったとはいえ、山折圭介の異能は健在。
使用は単純。効果範囲を拡大させた異能で生き残っているゾンビを呼び出し、全速力で二人に突撃させる。
同時に魔術を駆使してゾンビ諸共攻撃する。シンプルだが強力な波状攻撃。
波に呑まれつつ、哉太と茶子は刀を振るって凌ぎ続ける。
後は時間の問題である。このまま魔王は安全圏で攻撃を続ければ二人のスタミナは尽きてゾンビの餌食になるだろう。
だが、再び銃声が鳴り響く。寸でのところで魔王は身体に鋼鉄を纏って防いだ。足元に転がるのはマグナム弾。鑑定の魔術を使うも、呪いの気配はなし。
気配察知の魔術を使って新手を警戒するものの、生命反応は三つ。即ち――。

「やはり、貴様か……!」
「――――三日前、僕はジャックさんに呼び出された。いつものように恰好つけた後、『いつかオレの銃を継げるのまお前だけだ』って持たされた」

特務機関のエージェント『ジャック・オーランド』。戦闘に限れば最強とも噂される青葉遥と同期の男。
バイオハザードが発生する前に創へ接触し、彼なりの気障ったらしい激励と共に愛銃の予備弾が詰まったケースを渡した。
「銃刀法どこいった?」など突っ込みは幾らでもあったのだが、その前に颯爽と去っていったのを覚えている。
結局のところジャックが山折村へ訪れた理由を、茶子と接触するまで創が知ることはなかった。
厄災の討伐。特務機関からの任務はこうしてジャックから創へと愛銃と共に引き継がれた。

状況は劣勢から均衡へと戻る。魔王を中心として破壊音を楽譜に二人の男女が舞い、音頭代わりに銃声が鳴り響く。
目の前で起こる輪舞を前に影の姫君は想う。

―――これは何かに似ている。■■■と■■がしていた何かに。



「うさぎ達は一度袴田先生宅で怪異を退けたことがあるんだな」
「うん」

最低限の荷物を整え出発準備を完了させた茶子の問いかけに神職の血筋たる少女――犬山うさぎは頷く。
思い出される数時間前。立ち向かった仲間達は様々な要因で命を落とし、うさぎただ一人だけになってしまった。

「その時、はすみ達は何か言ってなかったか?」
「……言ってた。『怪異に遭ったら、堂々とせよ。決して恐れるな。常に主導権を握り、てのひらで転がせ』って、お姉ちゃんが……」
「―――虎尾さん、魔王は貴女の言う『隠山祈』っていう怪異?と似てるって言いましたよね」
「うん。そう言ったつもりだよ、雪菜ちゃん」
「Namely、ウサギ達の経験がそのままAnti-demon operationに生かせるということかしら」
「ま、そう言うこと」

演劇少女――哀野雪菜と探偵少女――天宝寺アニカの問いに茶子は頷いて肯定する。
茶子と同行することになった共闘者である創は、この村に訪れた同僚のことを思い出していた。

「でしたら、僕もですけれど、魔王と直接対峙することになる虎尾さんはどうします?」

創の口か出た問い。短い間で散々話した戦闘の段取りではなく、どのような思考で戦闘に赴くのかということ。
額に二本指を当てて、「うーん」と唸った後、茶子はアニカに視線を向ける。

「……What?」
「アニカちゃん、魔王ってどんな性格か覚えてる?」
「そうね……プライドの塊のような存在で、私達を徹底的に見下していたわ。私達との力を見せつける度に―――あっ!」
「……何か思いついたかい?」


826 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:08:27 7aIMuRmk0
未だ顔を顰めている茶子と頭に疑問符を浮かべている創・雪菜・うさぎの三人。リンは茶子の真似をして同じように唸っている。
怪異にあったら決して恐れてはならない。それはアニカか過去に対峙してきた凶悪犯達にも当てはまり、彼らに弱みを見せれば付け込まれる原理と同じ。
魔王が彼らと同じ姿がお望みであるならばその隙を見せてはいけない。即ち――。

「――Ms.チャコ。プライドの高い相手を上手く転がすこと、アナタならできるわよね?」
「……ああ、なるほど。すごく簡単だ」

アニカの問いに茶子は笑みを浮かべて頷く。言葉のニュアンスが伝わったらしい。
少し遅れて創も「成程」と呟き、次いで雪菜もうんうんと納得したように頷いた。

「え?え?どういうこと?」

二人の様子を他所に、未だ買いに辿り着けていないうさぎはきょろきょろとアニカ達を見渡す。
唯一人困惑する妹分と保護者の真似をして分かったふりをしているリンに対して茶子は口を開く。

「魔王相手に怒ったり恐れたりしちゃダメって事さ。つまり、取るに足らない相手だって思い込めばいい」
「Yeah。もっと簡単に言えば魔王をLook down……徹底的に見下して怒らせるっていうことよ」

「それじゃ行ってくる。荷物の中にピッキングツールあるから移動手段(あし)の手配よろしく」
「Got it。私達の方でも何かできないか作戦を考えてみるわ」
「おっけ。期待しないで待ってるわ」

その言葉で会議を締めくくり、アニカは茶子・創・リンへと背を向ける。
雪菜は一度だけ創へと頷ぎ、創もまた雪菜に頷きを返してアニカを追い、うさぎも一瞬だけためらった後に彼女達に続いた。
哉太の荷物を回収してから役場の方へ戻り、無事であった送迎用のマイクロバスを見繕って乗り込んだ。
そして、うさぎから怪異退治の経緯を聞いて、受け取った情報を整理する。

「―――Namely、アナタ達は怪異にExternal concept……後付け概念を付与して退治したってことでいいかしら?」
「うん、そんな感じ。退治した後にお姉ちゃんに聞いたんだけど、ひなたさん達が一度追い払ったから効果があったんだって」
「つまり、アニカちゃんが言うには前例が必要っていう認識でいい?」
「that's right。それであってるわ、セツナ」

バスを動かす前に雪菜とうさぎを交えてアニカは作戦を構築していく。
既に探偵少女の中では茶子の魔王撃滅作戦の追加シナリオが見えつつある。
だが、あと一押しが欲しい。

「うさぎさん、この村には今月末に厄払いのための神事が行われるって聞いたんだけれど、どんな儀式なの?」

アニカが思考に没頭している最中、バスの運転席に座る雪菜からの問い。
演劇少女が親友の元へと訪れる直前、役場の案内ポスターで宣伝されていた山折村独自の祭事。
それは少女とその友人の一族――犬山家と神楽家によって催される神事。
当事者であるうさぎは探偵の聞き取りより早く反射的にその名前と概要を口に出した。


827 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:08:58 7aIMuRmk0
「――Got it。もしもこの概念を魔王に適用できれば……。でも問題は――」
「できない、かな」

結論は不可能。概念の再現どころか模倣にすらパーツが不足している。
その事実を確認した雪菜は申し訳なさそうな小さな声で呟く。

「―――伝奇小説で読んだことがあるんだけど儀式の真似事をするにしても要素が足りなかったり、途中で邪魔したりすると祟りがこちらに降りかかるって……。
ごめん、二人とも。何か力になれればって考えたんだけど、場を乱すようなことを言っちゃって」
「Never mind。参考になったわ。一応、プランの中に入れておくことにするわね」

落ち込んでハンドルに顔を押し付ける雪菜に慰めの言葉をかける。うさぎも同様に「気にしないで」と声をかけて励ます。

「作戦は当初の予定通りで進めるわね。それじゃ、Ms.チャコ達の元へ急ぎましょう」


店舗の解体工事が進む商店街へとマイクロバスが進む。
その道中、茶子達と一緒に戦場に向かった幼子――リンを加え、少女達は四人になった。

「――――え?本当に?」
「うん。そうだよ」

リンの口から報告を聞いた探偵少女――天宝寺アニカの青い瞳が大きく開かれる。

「とにかく、現場に行けば分かるから早く降りよう」
「一緒に……降りる?」
「……Thanks。大丈夫よ。一人で、降りられる

声を震わせる年下の少女――一時のまとめ役として気を張っていたアニカを気遣い、雪菜とうさぎは穏やかな口調で声をかける。
二人の声に促され、心配そうに見上げるリンの手を取ってバスから降りる。
破壊が進む商店街。時折響く銃声と金属音。それが雪菜とアニカ二人の大切な人の生存を現わしていた。

「雪菜さん、これ。リンちゃんもアニカちゃんに双眼鏡渡してもらえる?」
「わかったよ!ウサギおねえちゃん!」
「ありがと」「Thanks」

大切な人を想う二人を気遣い、うさぎはリンと共に雪菜とアニカに双眼鏡を手渡す。
軽く感謝の言葉を述べて、二人の少女は戦場の方へと双眼鏡を向ける。

そこにいるのは自分を守ってくれた少年。かつてのように剣を振るう想い人――八柳哉太。
そこにいるのは自分と共に戦うと誓ってくれた少年。出会いは最悪だったが、自分に寄り添って信頼してくれた大切な仲間――天原創。
安堵と歓喜。その他の言葉にならない感情が胸に満ちる。気づくと二人の少女の目から涙が零れていた。

「三人共、大丈夫みたいね」
「うん……。ありがとうね、うさぎさん。リンちゃんも」

二人揃って服の裾でゴシゴシと涙を拭いた後、心配そうにこちらへ見つめるうさぎとリンに双眼鏡を返す。
改めて四人で戦闘区域に目を向ける。思考を切り替え、現状を把握する。
魔王討伐の条件は整った。後は実行するだけ。

「Operation Start。達成条件は―――」
「―――魔王をここで祓う。誰も死なない、死なせないこと」
「うん!」「わかった!」




828 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:09:31 7aIMuRmk0
炎が舞う。風が舞う。雪が舞う。稲妻が舞う。黒鉄が舞う。寂れた廃墟の中に自然ならざる天変地異が巻き起こされる。
異形たる破壊の化身によって生み出された極小の地獄。殺意を持った破壊は未だ精密かつ強大。
されど魔王の中に漲る無尽蔵の魔力は未だ底が見えず。祟り神の呪詛を受けても尚、減る様子が見えない。
彼に対峙する存在もまた只人では非ず。八柳流頂点の二人と最強の工作員唯一の弟子たる少年。
地獄を搔い潜りつつ、着実に魔王を追い詰めていく。しかし、その三人もまた人間。
一瞬でも気を緩めれば、彼らの体力が底をつけば、瞬く間にその場に転がる肉塊達の仲間入りを果たすであろう、綱渡り状態。
魔王が今の依代ごと討伐されるのが先か。はたまた綱渡りの縄が切れるのが先か。
奇しくも危うい状態のまま、魔王と勇士達の戦況は拮抗していた。そこに―――。

(なんだ……?)

茶子ら三人の戦闘の最中、索敵の魔術に引っかかる微弱な生命反応。敵の援軍にしては余りにも弱弱しい存在。
攻撃の魔術を使う傍らで視覚強化――鷹の目の魔術を行使し、周囲の様子を探る。
爆音の最中、土を踏む足音が魔王達の戦闘区域を囲むように三方向から近づいてくる。

「お前……達は……!!」


幼子は知っている。誰が一番強くて格好いい王子様なのかを。
故に宣言する。自分を大切に思ってくれた彼女が負けないことを。
「まおうなんかに、とらおちゃこはぜったいにまけない!」
金髪の剣姫の妖刀が異形の身体に深々と切り裂く。

探偵少女は知っている。今まで自分と共にいた彼は強い人なのだと。
故に宣言する。眼前の脅威を彼が打倒することを。
「八柳カナタは、異世界の魔王を討伐する」
黒髪の武人の聖刀が異界の支配者に鋭い斬撃を与える。

演劇少女は知っている。住む世界が違うと思っていた彼は自分と同じ思い悩む人なのだと。
故に宣言する。ただ強いだけの存在など苦難を乗り越えた彼に敵うはずがないのだと。
「魔王ヤマオリ・テスカトリポカは天原創の足元にも及ばない」
若きエージェントの銃弾が神の如き存在を撃ち抜いた。

「ぐ……おおおおおおおッ……!!」

少女達の口から紡がれる言祝。傍観者たる三人からの言霊は魔王の名を冠するアルシェルへの呪詛へと変化する。
かつて魔に取り憑かれた怪物へ犬山家の第一子たる巫女や魔王の子供が行った概念の付与。
ジャックの呪弾により神格を倒される怪異まで格を堕とされた今だからこそ再演できた怪異退治の物語。、
第三者の身勝手な解釈によって魔王アルシェルの天敵は虎尾茶子、八柳哉太、天原創へと紐づけされた。
それにより、名指しされた三人の戦闘者の攻撃は勢いを増し、反対に魔王の力は三人に対してのみ弱まっていく。


829 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:10:06 7aIMuRmk0
「―――ありがとう。リンちゃん、アニカちゃん、雪菜さん」

決意を持った澄んだうさぎの声。静かな声のはずなのに、未だ鳴り響く戦場の音よりも良く聞こえる。
犬山うさぎの射抜くような鋭い目が、魔王アルシェルの姿を見据える。
あれに言葉を発させては駄目だ。戦士三人の猛攻を捌き続ける魔王の本能が危険信号を発する。
出来損ないと呼んだ少女を抹殺すべく、魔力を練り上げて術式を発動させようとするも。

「させ、るかああああッ!」

八柳新陰流、三重の舞。天宝寺アニカの言霊による対魔王付与と聖刀に乗った怪異・異形特攻の付与。二つの相乗効果が乗せられた猛撃。
哉太の声と共に流れるように放たれる三つの斬撃が魔力の流れを断ち切り、発動を阻止する。
魔王が怯んだ隙に茶子の妖刀と脇差の二連撃、創の狙い澄ました銃撃が追撃として放たれた。
そして、犬山うさぎから言霊が紡がれる。

「魔王ヤマオリ・テスカトリポカは、山折圭介が異能に目覚めたときに生誕した怪異である」
「魔王の力は異世界における未知の力ではなく、山折圭介が研究所のウイルスによって目覚めた異能の力である」

あり得ざる荒唐無稽の妄言。本来ならば魔王に鼻で笑われた挙句、切り捨てられる言葉。
だが、魂としての格を徹底的に辱められた現在においてはそれを聞き届ける存在がいる。

くすくすくすくす。

依代に宿った土地神――『隠山祈』が嗤う。山折村の神職末裔の言祝を聞き入れて力を増した祟り神が妄言を現実へと押し上げる。

「――――ぁ」

魔王という存在に致命的な何かが訪れる。何もできぬまま、魔王の無尽蔵の魔力は瞬時に底を尽き、その力は依代たる山折圭介へ異能という形で譲渡される。
アルシェルという実態を持たぬ精神体は、性質の似通ったこの地における『巣食うもの』として他ならぬ神職の末裔に存在を定義させられる。
条件が整った。これより先は伝統の継承――古の退魔の儀。演者は眼前には魔王という怪異を討伐せんと立ち向かう只人三人。
呼吸を整え、山折村に根付く巫女の末裔として覚悟を決める。

「魔に取り憑かれし者の名は山折圭介」
「剣舞の演者は八柳哉太、虎尾茶子。両名と共にある狩人の名は天原創」

一つ一つの言祝を厳かな声で宣言する。毎年自分の両親達の宣告を思い出しながら、少しだけアレンジを加えて模倣する。
拡大解釈を加えられた言霊を、知覚できない『ナニカ』が聞いている気がした。
そして―――少女は告げる。

「犬山家が末裔、犬山うさぎの名を以て宣言する」
「この場にて執り行われたる儀式の名は――――『鳥獣慰霊祭』なり!」

それは語り継ぐ人間は最早誰もいない物語の断片。
この地に住まう一人の少女が一つの舞いを生み出した。
憧憬する武者のように剣を取り、継承する巫女のように舞う演武を。
神への貢ぐものとは言い難い、衆生の人々に捧げるための舞踊。
少女が成長すれば過去の産物として歴史の中に埋もれてしまうような荒唐無稽の舞いになる筈だった。
しかし、その運命は一人の少年との出会いにより、運命が変わる。

『―――美しい』

ただ一言。月下のもとで少女の舞踊を見た少年の口から発せられた言葉。
その日から、少女の踊りを見る人々の中に少年の姿も見えるようになった。
いつしか少女一人の舞いに少年の姿も加わって形も洗練され、神楽へと姿が変わった。

―――この舞いこそ現在に至るまで継承されてきた儀式『鳥獣慰霊祭』の原型である。


830 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:10:54 7aIMuRmk0
『隠山祈』は見ていた。
時代の移り変わりと共に継承された舞いに込められた想いが忘れ去られていくのを。
ささやかな祈りが王冠へと変えられ、歴史の中に葬り去られていく現実を。

しかし、転機は何の前触れもなく唐突に訪れた。

―――くすくすくすくす。

『わたし』と『わたし』を否定しないお祭りが催されている。
封じられてきた影の姫君が心から楽しそうに笑う。とても嬉しそうに笑う。
影法師の少女はパチパチと手を叩き、誰も聞いていないのを理解してる上で呟く。

『ありがとう、これでやっと―――』



山折村の古き正統な血筋たる犬山家末裔、犬山うさぎにより宣言された退魔の儀『鳥獣慰霊祭』。
数多の呪詛・言祝を以て魔王(かみ)は存在を怪異『巣食うもの』と同一のものと認定され、異世界の魔術の全てを異能として形を変えられた。
魂に刻まれた力は全て依代たる山折圭介へ譲渡されるという形で剥奪され、アルシェルそのものの力は失われた。

異能へと変えた魔術が飛び交い、斬撃と銃弾が舞う。商店街の一画は未だ常人が立ち入れない危険区域である。
そこから少し離れた――『鳥獣慰霊祭』の余波がギリギリ届かない場所にうさぎとリンがいた。
彼女らと同じように言霊による支援を行った二人の少女――アニカと雪菜は戦闘区域を三角の形で囲むような陣形を取ってそれぞれ別の場所で祭事を見届けている。
当たれば即死と思われる魔王の攻撃は全て回避され、反撃として繰り出される斬撃と銃撃は確実に命中する。傷はすぐに回復するが、回復速度以上の攻撃が繰り出される。
戦闘は素人目から見ても茶子達三人が優勢。だけど、遠距離攻撃を持つ魔王の攻撃がこちらに向かう可能性はゼロじゃない。
視線を下げると茶子から託された小さな少女、リンと目が合う。ウサギの視線に気づいたのか、きょとんとした表情で見つめ返す。
しゃがみ込んで幼子と視線を合わせる。

「どうしたの?ウサギおねえちゃん」
「……リンちゃん。先にバスに戻って欲しいんだけど、いいかな?」
「どうして?」

ほんの少し、不満そうな顔をして首を傾げる。保護者達の無事を確認するまで見届けたいという気持ちは理解できる。
だけど、うさぎは思い出してしまう。役場で特殊部隊との戦闘が行われていた時に、自分と一緒に安全圏にいたと思われていたひなたが狙撃されて殺されたことを。
そんな光景(あくむ)をもう一度見るのは嫌だった。

「まだここは危ないから。もしかすると流れ弾でリンちゃんが怪我するのを見たくないの」
「でも、チャコおねえちゃんたちががいちばんあぶないばしょにいるんだよ」
「お願い。もしリンちゃんが怪我しちゃったら悲しいし、茶子ちゃんだって泣いちゃうかもしれないから、ね?」
「むぅー……わかった」

手を合わせて精一杯の「お願い」をすると、頬を膨らませながらも小さな少女はうさぎに背を向けて走り去っていく。
本当は同じ立場にいるアニカや雪菜もバスに戻って欲しかった。危ない場所に残るのは自分一人で良かった。
だけど二人の意志は固そうで、説得しても断られそうだった。ならばせめて皆の無事を祈ろう。


831 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:11:28 7aIMuRmk0
死神の刃が幾度となく迫る。命の狩人の鉛玉が殺意を向けて奔る。
力を根こそぎ奪われた己の身体が傷つく度に忌々しい笑い声が耳に届く。

くすくすくすくす。

声が聞こえる度に異能が強制的に発動し、魂の傷はそのままに山折圭介の身体だけが再生させられる。
異世界より数多の勇者達から簒奪した魔術の力はこの世界に適合した異能へと作り変えられた。
幸か不幸か、魔力を完全に失ったことで隠山祈の呪詛が己の魂を蝕むことはなくなった。だが、力を取り戻す余地はなくなった。
拠り所は山折圭介。異能として力を継承させられた人間。彼が異能を進化させ続ければ。
だが、呪詛によって彼では堪え切れぬ程の莫大なストレスを与えられて壊された。

思考が堂々巡りになる。生きとし生ける存在に、遊び半分で与えてきた死の気配が迫る。
真綿で徐々に首を締め付けられる焦燥が、アルシェルの精神を蝕んでいく。
左右から、背後から襲い来る魔の手。このまま続けば間違いなく。

―――瞬間、世界が白く染まった。



戦闘区域から離れた場所――かつて特殊部隊随一のスナイパーが野生児やテロリストの首魁と戦っていたホームセンターの駐車場。
そこに雪菜達が乗車していたマイクロバスが停められていた。

「チャコおねえちゃん、はやくかえってこないかなぁ……」

バスの席に座り、ぶらぶらと足を揺らしながら退屈そうな顔でリンは大欠伸をする。
本当はもっと茶子の勇姿を見ていたかった。「がんばれ」って応援してあげたかった。
けれど、自分のことだけでなく茶子のことも心から心配してくれる優しいお姉ちゃん――犬山うさぎの言葉を無碍にできなかった。

「―――ん、なんだろ?」

どこかで何かが起こったような感じがして、幼子は窓の方に顔を向ける。
しかし、変わった様子は何もない。きっと気のせいだろう。

「………なんだか、ねむくなってきちゃった」

「くぁ」と可愛らしい欠伸と共に幼子に眠気が襲ってくる。
睡眠を何度も取っているとはいえ、夜型生活をしていたリンにとってこんなに長い時間、たくさん運動したのは初めての経験だった。
微睡みに逆らえぬまま、少女は夢の世界へと落ちていく。眠りにつく直前、ポケットにあった御守りが少しだけ淡い光を放ったような気がした。


『こんにちは』

何もない空間の中で誰かの声がする。
目を覚まし、辺りを見渡すと真っ黒な姿の女の子がいた。
こんにちは、と返すと彼女は無邪気な笑みで『こんにちは』と言ってくれた。
何となくあまり長い時間、ここで過ごせない――そんな気がする。
そう思っていると自分の身体が浮き始め、空に向かっていく。
あまりお話しできなかったな。せめて自分の名前を教えてあげたいな。
思い立ち、彼女を見下ろしながら自分の名前を教えて、「またあおうね」と言ってあげた。
想いが通じたのか、彼女も笑顔で返してくれる。そして、嬉しそうな声が聞こえてくる。

『ありがとう。わたしの名前は――』




832 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:12:02 7aIMuRmk0
『キミが大人になったら一緒にお酒飲もう。だからさ、それまでは絶対に長生きするんだよ』

いつかの記憶。炎の中で自分を救ってくれた彼女はどんな事できる完全無欠のヒーローのように思えた。
だけど、彼女と同じ道を辿ることになってから見ると、彼女にも欠点があることを知った。

エージェントとしての仕事ぶりはいちりゅうだけど、外ではミステリアスを装って格好付けたがる見栄っ張りでお人好し。
自分の教官をやっているときは異様に厳しく、幾度となく叩きのめされ、ゴム弾で滅多撃ちにされた。
家では任務や訓練の顔はどこへやら。好き嫌いは多いし、結構な頻度で幼児退行してギャン泣きするしで彼女の醜態など上げればキリがない。
しかし、完全オフの状態でも時々自分の保護者としての顔は本物で、複雑な気分にさせられる。
そんな欠点塗れの格好悪い彼女のことを、僕は――――。



――――きて。

遠い記憶を見ていた気がする。疲れが溜まっていたのか閉じた瞼を開けるのが億劫に感じる。
起き上がろうにも身体が重くてあちこちが痛む。自分は何をしていたのか中々思い出せない。

―――起きて。

幻聴なのか。もう二度と聞けないと思っていた声がする。
――――もう二度と聞けない?そうか、もうあの人は……。
その声が誰のものだったのか認識した時、意識ははっきりと覚醒する。

「――――皆さんッ!魔王は……!?」

現実を認識した時、少年――天原創は跳ね起きる。
急いで辺りを見渡すと倒れ伏す仲間達の姿が視界に入る。
一瞬、少年の心に絶望が満ち溢れる。
恐る恐る一番近くにいた金髪の女性――虎尾茶子の様子を伺う。

「……っ……う……」
「良かった。生きてる……!」

意識が薄れているようだが、見たところ目立った外傷はない。
共に戦った黒髪の少年――八柳哉太も同じく目立った外傷はない。
作戦に参加していた他の仲間達――哀野雪菜も、天宝寺アニカも、犬山うさぎも無事なようだ。
だが、先程まで対峙していた魔王の姿は影も形もない。

「―――誰だ……」

突如背中に感じる誰かの視線。エージェントとしての性質か、弾かれた様に振り向いた。

そこに佇んでいたのは創がよく知る女性。そよ風に揺れる長い青髪の美女。
お人好しで見栄っ張り。子供っぽい姿をよく自分に見せる癖に時々姉の顔をする変な大人。
優しい笑みを湛えた、もう二度と会えない大切な家族。

「――――師匠……!」

声が震える。視界がじわりとぼやける。
言いたいことが、話したいことが沢山あったはずなのに、それ以上の言葉が出てこない。
創を見つめたまま、導くように立てた人差し指を西の方を指し示した。少年に向けて、彼女の口が動く。

"いってらっしゃい"
「―――はい!いってきます!」




833 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:12:30 7aIMuRmk0
「まだだ、まだ終わってなるものか……!」

夕暮れ時の小規模な飲食店が立ち並ぶ商店街の飲み屋街。その小道に一人ふらつきながら歩く金髪の異形の大男。
彼は酒の匂いに誘われて酔いに来た観光客ではない。かつて血と愉悦に酔っていた異形。今は力を悉く剥ぎ取られ、失墜した異界の支配者――魔王アルシェル。
追い詰められて敗北を悟った瞬間、最大の屈辱を噛みしめながらも生まれて初めて『逃げ』の選択を取った。
過去に暇潰しで滅ぼした村で、人々を逃がすために村の魔術師が使用した魔術――広範囲に広がる目晦ましの閃光と共に催眠の力をまき散らす複合魔術。
当時の魔王には効果がなく、手足を捥いだ勇敢な魔術師の前で守ろうとした村人を一人一人丁寧に嬲り殺しにしていった。

剥ぎ取られた彼の力は依代――山折圭介の異能へと姿形を変えられた。彼自身には既に力はない。
それ故に呪いを受けて以降、あれほど脱出を切望していた彼に縋りつかなければならない弱者へと身を落してしまった。
皮肉にも、茶子によって埋め込まれた『魂縛り』の呪弾によって、圭介の身体を自由に動かせている。
そしてたった一つだけ。現状を打破できる手段が残されている。

「手慰みに作った『願望器』としての権能が……最後の希望になるとはな……」

異世界の覇者として絶対的な地位にあった時代。退屈凌ぎのために無尽蔵の魔力によって己の中に生み出した魔力を必要としない万能の器。
欠点といえば自分の意志では使えないところ。勇者に討伐される前――全盛期においては願望器など必要とせず、魔力を操れば己の願いなど容易く叶えられていた。
この力はまだ忌々しき呪い『隠山祈』には奪われていない。依代はまだ壊れていいるが、彼を直す手段はまだ残されている。
異能の仕組みを理解し、工夫を重ねた過去のように精神をコントロールできる手段を生み出して、それで―――。

くすくすくすくす。

どこからともなく聞こえてくる、絶望の声。
反射的に魔王であった怪異は身構える。異能と化した魔術を行使し、周囲を探る。

くすくすくすくす。
くすくすくすくす。
くすくすくすくす。

四方八方。無人の居酒屋から、電柱の影から、雑貨屋の中から、コンビニエンスストアのゴミ箱からから聞こえてくる。
思わず後退りし、不意に下げた視線に映る割れた鏡が集まったような異形の足。欠片一つ一つに映るのは数多の目。その視線が一斉に魔王を見上げる。

「今更なんだ?怪異へと作り変えらえたお陰でオレを貶める貴様らの呪詛など効果は薄いぞ?」

忌々し気に顔を歪めながら、誰もいない虚空に向かって挑発する。
魔王の推察は正しい。植え付けられた呪詛により怪異とほぼ同一の存在に変異したため、逆にこの地に巣食う呪いに対して強い抵抗力ができた。
だが、それでも祟り神は止まらない。
コツコツと薄暗い夕暮れの小道に石畳を踏む音が響く。

『異界より現れし余所者よ。歪んだ物語を生み出した痴れ者共のように、わたしの存在を否定した支配者よ。お前は禁を犯した。
わたしの思い出を穢した者共……鴨出真麻達の時のような愚をお前は犯した』

行く手を阻むかのように、影法師の姫君が魔王の前に立ち塞がる。
魔力は喪失して異能へと変えられたが、霊体に対する攻撃手段は残っている。
生き残るため、圭介の中に新たに根付いた異能――『魔王』の力を使おうとした瞬間。

『―――だけど、もうわたしが手を下す必要はなくなった。お前の死神はすぐそこまで来ている』

その言葉の後、祟り神は魔王に背を向けて去っていく。
彼女の姿が見えなくなった直後、魔王の背後から誰かの気配が足音と共に近づいてくる。
振り向くと同時に異能を使用。身体機能を向上させ、来たる因縁――魔王カラトマリ・テスカトリポカから唯一生き延びた少年を待ち構える。

「来たか、天原創ッ!」
「ここで終わりだ、魔王ッ!」




834 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:13:20 7aIMuRmk0
魔王アルシェルと天原創。異界より顕現せし破壊の厄災と厄災からただ一人生還した少年の因縁が数多の過程を経て、この地に収束する。
異能に書き換えられた身体強化の魔術が発動され、魔王の気配がつい先程のような圧し潰さんとするプレッシャーに変わる。
対する少年、天原創の手には液体の入った無針注射器――今は亡き彼の家族に渡された強化剤『活性アンプル』。
荷物と共に送られた手紙に『合流したら私達が使うから、キミは余程のことがない限り使うな』と書かれていた代物。
彼女は本当に創を心配していたのだろう。それでも―――。

(言いつけを守れなくてごめんなさい、師匠)

脳裏に過ぎる大切な家族の悲しげな顔。それを振り切り、自身の首にノズルを当てた。
注入される薬物が全身の神経に行き渡り、少年を極限値まで押し上げる。


最早互いに語る言葉は不要。互いに持ちうる力で因縁を打倒するのみ。
右手を握りしめ、少年は駆け出す。爆発的に上昇した身体能力は一呼吸のうちに魔王へと肉薄する。
しかし振るった拳は空を切る。異能による短距離のテレポーテーションが発動し、魔王は少年の背後を取る。
同時に魔王の前方に幾つもの黒鉄の槍が展開され、少年の背中に向けて一斉掃射される。
加速する少年の神経。背後から襲い来る脅威を察知し、少年のすぐそばにあるコンビニのガラス張りへと勢いよく飛び込む。
ガラス共に散らばる陳列された品々。ガラス片が降り注ぐ前に少年は体勢を立て直し、範囲外へと離脱する。

「―――ッ!」

第六感が危険信号を発する。創はすぐさま開きっぱなしになっていた自動ドアから外へと脱出。
同時に炸裂音が鳴り響く。一瞬だけ背後を見ると、降り注いだ数多の魔力剣が天井を突き破り、店そのものを串刺しにしていた。
安堵する間もなく、若きエージェントを中心とした全方向から風の刃が迫る。
右手を突き出して、周囲を払うように驚異的な速度で旋回する。形なき刃は少年の身体を刻むことなく、異能殺しの宿る右手によってかき消された。

遮蔽物の多い空間。異能によりノータイムで放たれるアウトレンジからの攻撃。魔王自身の隙の無さ。
他にも数多の悪条件が重なって銃を使えば例え命中しても有効打にはならず、魔王との戦いの経験からこちらを確実に抹殺する反撃が来ると判断。
故に特殊部隊の男との戦いのように近接戦闘が最適解と考えた。

少年のタイムリミットが刻々と近づく。
幾重もの攻防を経て、再び狭い小道で魔王と少年は対峙する。
アンプルによる効果の持続時間は残り僅か。ここでの激突が運命の分け目となるだろう。

魔王は創との戦闘が開始されてから虎尾茶子との戦闘経験を生かし、常に数秒先を読み取れる力――未来予知の異能を使っていた。
行動を先読みしていたお陰で、致命打となる創の右手の異能を回避し続けられていた。
次も同じ。創の攻撃を掻い潜り、反撃の一撃で因縁を断ち切るのみ。

アルシェルとと天原創。合図もなしに同時に駆け出す。
後退は愚策。学習を重ねた創は一息で距離を詰める。異能による迎撃も愚策。右手の力は玄宗の力を悉く打ち破ってきた。
故に未来予知にて右手の一撃を紙一重で回避して、近接攻撃での反撃が最善策。
瞬く間に両者の距離が縮まる。閃光のように魔王目掛けて疾走する創。右手の軌道を先読みし、反撃の一撃を加えるべく備える。

しかし、天原創は一人で戦っていたわけではない。
『魔王ヤマオリ・テスカトリポカは天原創の足元にも及ばない』
彼の無事を祈った少女――哀野雪菜の願い。対魔王への言祝。
始めから若きエージェントは祈りと共に戦ってきた。

未来を超える。確定された敗北が書き換えられる。
魔力の剣――カウンターの一撃を潜り抜け、少年の右手が振り抜かれる。
―――パキン、と何かが砕ける音がした。

依代と魂を結び付けていた楔――『魂縛り』の呪縛が右手の力で断ち切られる。
山折圭介とのつながりがなくなった今、取り憑く力すら失われたアルシェルは肉体から弾き出された。

「―――ぐ、おおお……」

断末魔すら残せないまま、無力な亡霊の気配は消え去る。
それと同時に身体が元に戻り始める。黄金の髪は毛先が茶色の黒髪に。巨体は一般的な成人男性相当に。怪物のような異形は元の人間の形に。
後に残るのは意識を失った依代の釣り目がちな少年。元の山折圭介の姿だけであった。
同時にアンプルの効果が切れ、糸が切れたように少年は膝を付く。

「―――終わった」


835 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:13:57 7aIMuRmk0
倒れた山折圭介の前で小さく呟く。アンプルの後遺症で目が霞み、全身が痛み出す。
そのままの姿勢でしばらく呆然としていると、創の背後から足音が二つ聞こえてくる。

「―――Ms.Darjeeling」
「お疲れ」

身体ごと振り向くと腰に刀を携えた金髪の女性、虎尾茶子。創の師匠――青葉遥と互角に渡り合った女性工作員。
茶子は与り知らぬことだが、最強のエージェントも手紙で『最悪の敵。二度と会いたくない』と全く同じ評価を下していた。
彼女の存在がなければ魔王は力を取り戻し、再び悪夢が繰り広げられてていたかもしれない。

「魔王は倒しました」
「見りゃわかる。圭介の野郎も元に戻っているみたいだしな。
それと中坊、ちょっと手を上げな。」
「……?はい」

言葉の意図が読み取れなかったが茶子に従い、軽く右手を上げる。
そのすぐ後創の掌に茶子の掌が合わさり、パチンと軽い音が鳴る。軽いハイタッチのようだった。

「よくやった。お前らの中の誰か一人でも欠けていたら全滅していた」
「――――そうですね」

思いもよらぬ言葉が茶子の口から紡がれる。正直なところ、創も彼女と同じ感想を持っている。
魔王を打倒できたのは自分達だけの力ではない。「呪い」と言う見えざる手や亡き人々の助力もあってこそ為された。

「それじゃ他の奴らも心配してることだし、先に行ってるわ。お前も早く戻って来いよ、中坊」
「…………待ってください」
「んあ?何だよ」

踵を返した茶子に思わず声をかけてしまう。古帰った茶子の顔は「まだ何かあるのか」と言いたげな不機嫌そのものな表情をしていた。
あるに決まっている。それは自分の中のちっぽけな反抗心。師匠と同格の彼女は出会った時から明らかにこちらを下に見ている。

「僕は天原創です。名前で呼んでください」
「……チッ、図々しい奴だな。分かったよ、天原くん」

舌打ちしながらぼやく茶子。まだ自分と彼女の差は大きい。それでも「天原創」という人間を侮れない存在として認識することを望んだ。
茶子は創から視線を外すと小走りで来た道を戻り始めた。それと入れ替わるように近づく新たな足音が一つ。
途中で二つの足音が止まり、短い会話がされる。その後にこちらへと駆け寄る足音の主――八柳哉太が創の前に現れる。
座り込んでいる創に、哉太の手が差しだされる。


836 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:14:18 7aIMuRmk0
「お疲れさん。立てるか?」
「…………立てます」
「無理はするなよ」

心配そうに見下ろす哉太の手を取らず、痛む体に鞭を打って立ち上がる。
特殊部隊との戦闘で共闘した少年。思えば彼はバイオハザード発生してから初めて協力関係を結んだ同性だった。

「自分で立てなければ、師匠に笑われます」
「厳しい師匠だな、その人」
「でも、最高の師匠ですよ」
「……だろうな」

顔を見合わせ、互いに苦笑する。哉太の方でも思い当たる節があるのか、茶子の去った方へと一度顔を向けた。
そのすぐ後に哉太は圭介の方へと足を進め、彼の身体を脇に抱えた。

「…………こいつを殺さないでくれて、ありがとな」

様々な感情が入り混じった声。創に背を向ける彼が今、その表情はどんなものなのか、うかがい知ることはできない。
茶子を交えた情報交換の中で、哉太と圭介はかつて友人同士だったことを知った。

「……魔王討伐の作戦会議の時、アニカさんが話したんです。圭介さんをできる限り殺さないで欲しいって」
「―――そう、か。あいつには感謝してもしきれないな」
「彼を、どうするつもりですか?」

どこか哀愁が漂う背中に問いかける。圭介に対しては創も思うところがある。直接手を下したわけではないが、彼の異能が遥の死に関わっている。
しかし、創はあくまで第三者。圭介と近しい哉太が答えを出さなければいけない気がした。

「―――こいつは俺の友達だったんだよ。一年くらい前までは揃って毎日馬鹿をやっていたんだ」
「………………」
「ガキの頃から何度も喧嘩して、何度も仲直りさせられてた。こ悪い所も良い所も知り尽くしていたつもりだった。
だからなのかな。こいつに俺がどれだけ否定されても、俺がこいつの事をどれだけ許せなくても、どこかでまだ嫌いになり切れていない自分がいる。
…………向き合うよ。今はまだ心の整理ができていないし、元の関係には戻れないかもしれないけど、山折の奴を一人にはしちゃいけない気がするんだ」

友人から否定された一人の少年の独白。振り返った彼の顔にはどこか寂しげな笑顔が浮かんでいた。
軽く頷いた後、圭介を抱える哉太と共に歩き出す。

「ところで茶子姉から聞いたんだけど、天原君……でいいよな」
「はい。八柳さん、どうしました?」
「俺、あんまり敬語使われていることに慣れていないんだ。無理にとは言わないけど、もっと普通に話してくれると助かるんだが。呼び捨てでも構わない」
「そうで……そうか。だったら君もそこまで僕に遠慮しなくてもいい。哉太さん、よろしく」
「ああ。よろしく、創くん」




837 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:14:57 7aIMuRmk0
場所は変わり、商店街の中にある日本全国でチェーン展開されている某アパレルショップ。戦闘区域外にあったためか比較的無事な姿で生き残っていた。
創が目を覚ましてから少し経った後、茶子と哉太が目を覚ました。状況を確認した後、二人は同じく倒れていたうさぎら三人を起こして無事を確認する。
彼女らから事情を聞いた後、たまたま近くにあったアパレルショップで待っているように指示し、創の足跡を追った。

そして茶子・哉太・創の三人がうさぎらの待つ臨時集合場所に戻ると一悶着。
哉太に駆け寄るアニカと茶子。そして始まる無言の睨み合い。創に駆け寄る雪菜。目や鼻から流れる血を見た雪菜は創が止めるのも聞かず異能を使用して傷ついた神経を治す。
その姿にうさぎは亡き姉の姿を思い出し、彼女にしては強い口調で、雪菜の窘める。創もうさぎに同調する。そんな彼らに雪菜は素直に謝罪する。
そんなこんながあって、ようやく場は落ち着きを取り戻す。

「つまり、もう魔王は倒したってことでいいんだよね、茶子ちゃん」
「おう。圭介の身体を見てみろ。元の健康優良児に戻ってる。何となくだけど魔王の気配は消えただろ」

不安げな様子のうさぎの問いに茶子は穏やかな口調で答えた。
姉はすみの仇にして友人のひなたを蔑んだ元凶は、もうこの世界には存在しない。
茶子達三人のように直接対峙したわけではないため、どうも現実感がない。

「しかし、問題自体は解決していない。山折村で発生した生物災害の解決策はまだ見つけていない。それに―――」
「特殊部隊に連れ去らわれたスヴィア先生の無事を確認できていない。ですよね、天原さん」

雪菜のアイコンタクトに頷く創。場所がアパレルショップということもあり、うさぎら女性陣に勧められて敗れた制服から適当な服に服に着替えた。
情報は既に共有され、袴田邸を訪れた小田巻真理と碓氷誠吾は特殊部隊の協力者になったことは周知の事実となった。
茶子の諫言が現実になって小田巻ら二人が自分達を裏切ったことに哉太とアニカは渋い顔をし、うさぎは担任の碓氷の蛮行を知り、衝撃を受けていた。

「確定ではないけれど、解決策になりそうなものは見つけてある。アニカちゃん、スマホと一緒に羊皮紙写本を渡したこと、覚えているよな」
「Yeah。「イヌヤマイノリ」っていうキーワードと一緒に渡されたことを覚えているわ。あんなことがあった今、オカルトも否定できないElementに変わったわね。
このParchment manuscriptも関係あるんでしょ。Ms.チャコ、Have you read everything in this book」
「いいや、パラ見した程度さ。それっぽいキーワードは覚えているけど、詳しい内容はまだ把握していない」

アニカの問いに対し茶子は軽い口調で話す。軽薄な態度に見えるが彼女への好意の差はあれどこの中にいる全員、それが敢えて見せているだけのものだと理解している。
利害関係が一致している以上、少なくとも茶子が話した内容は事実。辛辣ながらも口先だけの理想論など語らない人間性だからこそ、信用はできる。

「カナタ、Mr.ヤマオリの拘束終わりそう?」
「……ああ、あと少しで終わる」

アニカの問いかけに哉太は手を動かしながら返事をする。
彼の目の前には手足をロープで縛られ、タオルによる目隠しと猿轡代わりに口にハンカチを詰め込まれたかつての親友、山折圭介の姿。
魔王との戦闘で心を壊したと茶子に謝られたが、介の所業によりはすみが殺され、パートナーのアニカが死の淵を彷徨ったこともあって責める気にはなれなかった。、
脅威が去った以上、圭介の死を表立って望む人間はこの場にはおらず、拘束し無力化してから、事態が収束するまで安全な場所に監禁することになった。

「………良し、終わった。後はこいつを閉じ込める場所だな。茶子姉、どこにする?」
「そうだな。車で少し走るけど、蛇茨の屋敷の―――」


838 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:15:27 7aIMuRmk0
―――くすくすくすくす。

時間が、止まる。意識のない圭介を除いた生きている人間全員が総毛立つ。生存本能から危険信号が発せられる。
『ナニカ』がこちらに近づいてくる。六人は一斉にゆっくりと、笑い声の法に顔を向ける。

―――くすくすくすくす。

停電により止まった自動ドアの前にいるのは実体を持った影法師。背丈は小さく、身体の形から幼い少女のようにも思えた。

「うぷ……げェ…。おえええぇ……!!」
「うさぎ……!」

えずいて空っぽの胃から胃液を吐き出すうさぎ。その音のお陰でいち早く正気を取り戻した茶子が駆け寄る。

「おい……!大丈夫か……!?」
「うぇ……あれは、私が前に見た熊の化け物……怪異じゃない……!!魔王みたいな存在でも……ない!!もっと、別の……おえ……ゲァ……うえええ……!!」
「しっかりしろ、うさぎ……!!」

恐怖のあまり吐き気を催すうさぎの背中を擦り続ける茶子。
一同の視線の先。自動ドアの隙間に黒い手らしきものが差し込まれる。
ずずずと、少しずつガラスの扉が開かれていく。

「ごめ……茶子ちゃ……。わた……しは、あれを、知っている気がする……。はや……にげ……ぐェえええ……!!」
「クソ……!全員急ここから離れるぞ!急げッ!!」

口を押えるうさぎに肩を貸し、この場の唯一の大人である茶子が未だ固まっている一同に向けて号令を出す。そして店の非常口に向かって歩き出す。
茶子の声で商機を取り戻した雪菜は芽生えた恐怖を押し殺して、顔を青ざめさせて腰を抜かしたアニカを背負い、茶子の後を追う。
創と哉太は女性陣が非常口から出るまで警戒しつつこの場に残ることにした。

――――くすくすくすくす。

ガラスの扉が開かれ、黒い影の少女が一歩、店内に足を踏み入れる。
二人の少年は非常口に目を向ける。ピッキングツールによって開かれた扉からアニカを背負った雪菜が外に出たことを確認。

「四人の脱出を確認できた!僕らもすぐに出ろぞ!!」
「待ってくれ!まだ山折が……!!」
「馬鹿ッ!!抱える時間はもうないぞ!!」

創の鋭い罵声。既に黒い影は創達の数メートル先まで移動してきている。
未だ眠る圭介を抱えて奔る時間はない。

「――――クソッ!!!」

後ろ髪をひかれながら、哉太はかつての親友を置き去りにして創の後を追う。
後に残るのは―――。

『くすくすくすくす』

実体を持った祟り神―――『隠山祈』の名を持った異質の存在。

「とにかく診療所と距離が近い、安全な場所に向かうぞ。そこで話し合いだ」

荒れ果てた商店街の大通り。免許を持つ茶子の運転の元、マイクロバスが走る。
ドアのすぐ側の席にはそれぞれの得物を構える八柳哉太と天原創。
一番後ろの後部座席には未だショックが抜けきれないでいるアニカとうさぎを気遣う哀野雪菜。

バスの揺れで目を覚ましたリンは「わがままいったら、チャコおねえちゃんこまっちゃうだろうなぁ」と考え、大人しくしていることにした。
何気なく窓の外を覗くと夢で出会った影の姿の女の子が手を振っていた。

(あ、いのりちゃんだ!)

幼子は嬉しく思い、にこやかに見送る彼女に向かって小さく手を振り返した。


839 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:16:37 7aIMuRmk0
【E-4/商店街・北口アーケード付近/一日目・夕方】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)、隠山祈に対する恐怖(小)、マイクロバス運転中
[道具]:ナップザック、木刀、長ドス、マチェット、医療道具、腕時計、八柳藤次郎の刀、包帯(異能による最大強化)、ピッキングツール、アウトドアナイフ、護符×5、モバイルバッテリー、袴田伴次のスマートフォン
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.顕現した隠山祈から一刻も早く離れ、安全に話し合いができる場所まで移動する。
3.天宝寺アニカに羊皮紙写本と彼女のスマートフォンを渡し、『降臨伝説』の謎を解かせる。
4.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
5.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
6.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
7.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。
※『隠山祈』の存在を視認しました。
※『隠山祈』の封印を解いた影響で■■■■になりました。

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、マイクロバス乗車中
[道具]:メッセンジャーバッグ、化粧品多数、双眼鏡、缶ジュース、お菓子、虎尾茶子お下がりの服、御守り、サンドイッチ、飲料水(残り半分)
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.またあおうね、アニカおねえちゃん。
3.チャコおねえちゃんのいちばんはリンだからね、カナタおにいちゃん。
4.いのりちゃんにまたあえるかな?
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(大)、喪失感(大)、隠山祈に対する恐怖(小)、マイクロバス乗車中
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、八柳哉太のスマートフォン
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカを守る。絶対に死なせない。
2.顕現した『ナニカ』の謎を解く。
3.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
4.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました
※『隠山祈』の存在を視認しました。


840 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:17:08 7aIMuRmk0
【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(???)、隠山祈に対する恐怖(大)、マイクロバス乗車中
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、医療道具、マグライト、サンドイッチ、天宝寺アニカのスマートフォン、羊紙皮写本、犬山家の家系図
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.『あれ』をどうにかする方法を考えないと……But can you really do anything?
2.「Mr.ミナサキ」から得た情報をどう生かそうかしら?
3.negotiationの席をどう用意しましょう?
4.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
5.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
6.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。特にMs.チャコにはね。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだため、彼女の身体に何かしらの変化が生じる可能性があります。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇・虎再召喚不可、深い悲しみ(大)、疲労(大)、精神疲労(極大)、隠山祈に対する恐怖(絶大)、マイクロバス乗車中
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.あの子こと、知ってる気がする……。
2.私は、誰なの?
3.茶子ちゃんの事を手伝いたい。
[備考]
※『隠山祈』の存在を視認しました。また、顕現した『隠山祈』に対して強い既視感を抱いています。

【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、疲労(特大)、虎尾茶子への警戒(中)、隠山祈に対する恐怖(小)、マイクロバス乗車中
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)、スタームルガーレッドホーク(6/6)、ガンホルスター、44マグナム予備弾(30/50)(ジャック・オーランドから贈られた物)、活性アンプル(青葉遥から贈られた物)、他にもあるかも?
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.魔王は倒せたが、それ以上の脅威が生まれてしまった……。
2.スヴィア先生を取り戻す。
3.スヴィア先生を探す。
4.珠さん達のことが心配。再会できたら圭介さんや光さんのことを話す。
5.虎尾茶子に警戒。
[備考]
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※活性アンプルの他にも青葉遥から贈られた物が他にもあるかも知れません。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(簡易処置済)、全身にガラス片による傷(簡易処置済)、二重能力者化、骨折(中・数本程・修復中)、異能『線香花火』使用による消耗(中)、疲労(大)、虎尾茶子への警戒(中)、隠山祈への恐怖(大)、マイクロバス乗車中
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪、替えの服
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.私達は魔王より恐ろしい『ナニカ』を、生み出してしまったのかも……。
3.虎尾茶子は信頼できないけれど、信用はできそう。
[備考]
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。
※制服から着替えました。どのような服装かは後続の書き手様にお任せします。
※『隠山祈』の存在を視認しました。





841 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:17:36 7aIMuRmk0
「これでオレは一巻の終わりというわけか。ハハハ、オレが卓袱台返しの対象になるとはな。最期になると全部どうでもなくなってきた」
『――――――』
「ああ、確かお前は『イヌヤマイノリ』だな。どうした、死体蹴りでもしに来たのか?」
『――――――』
「ま、そうだろうな。お前にとっては魔王の力だけじゃなく、烏宿暁彦の記憶も、科学の記憶も、オレ自身の記憶も喉から手が出る程欲しいものだろうな。
オレの全てはあいつ等の手によってお前が食いやすいように加工されたわけだが、得た力を以て何を為す?」
『――――――』
「は?お前の望みはそんな小さなものなのか?いや、オレも同じ上位存在だから気持ちは分からんでもない。だが、当事者たちに取ってはたまったものではないだろうな」
『――――――』
「じっくり話してみるとお前はどうも性質は人間依りだな。まあいい。地獄があるのなら、そこで物語の顛末を見ることにしよう』
『――――――』
「ああ、さようなら。人々に捻じ曲げられた幼き神に安らぎあれ」

――――ばくん。



西の白い建物に、わたしを見つけてくれた『あの子』がいる。
無邪気だったあの頃、何もなかったわたしに自分と同じ名前を与えてくれた『あの子』がいる。
身勝手な奴らにわたし達は歪められた。わたしは偽りの王冠に。『あの子』は不浄(わるもの)にされて大切な名前すら奪われた。
わたしの想いも、あの子の悲しみも全てなかったことにされた。都合の良い道具に変えられた。
いかなきゃ。『あの子』に会おう。そして―――。

わたしの目の前には、『裏切者』の男の子がいる。
せめて最後くらい、良い夢を見せてあげよう。





842 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:18:02 7aIMuRmk0
―――長い長い夢を見ていた気がした。
大切な人を喪い、そして残された思いを裏切ってしまう悪夢を見ていた気がした。

――いちゃん、圭ちゃん。起きて」

いつも聞きなれた筈の――もう二度と聞けないと思っていた女の子の声と後頭部に感じる柔らかい感触。
ゆっくりと目を覚ます。膨らんだ布で空が半分に見える。そのすぐ後に、優しい顔――誰からも好かれそうな可愛らしい顔が自分の顔を覗き込んだ。

「ひか……り……?」
「もう、圭ちゃんったら。やっと起きた。躓いて頭を打って気を失っていたんだよ」

ほんの少しだけ怒ったような、とても綺麗な声。いつも通りの、日常の証。
声が詰まる。視界が歪む。「ごめん、心配かけた」と笑顔を見せようとしたが上手くできそうにもない。

「もう、心配かけて。穢したと思って―――きゃ。ちょっと、圭ちゃ……ん?」
「うう……。ううう……ううううううううううううぅぅ………!!」

何故かわからないがあふれ出す感情。子供の時みたいにみっともなく泣いてしまう。
一瞬だけ彼女――日野光は驚いた声を出したが、圭介を抱きしめると子供をあやすように、彼が泣き止むまで優しく頭を撫で続けた。


「すごいことになってるな……」
「うん。地震のせいで、ひどいことになってるね」

原形をとどめていない店舗が立ち並ぶ商店街。人っ子一人いない大通りを少年と少女は手を取り合って歩く。

「光、ちょっとストップ」
「どうしたの圭ちゃん……あっ」

圭介が光を制止すると。数メートル先の道路に何かが落ちてきた。
「なんだろな」「なんだろね」と手を繋いだまま、現場へと走り出す。
そこにはプラスチックのフレームにひびが入ったドローン。何らかの原因で壊れた機体が落ちて来たらしい。

「ただでさえ瓦礫だらけなのに。不法投棄なんて嫌だよね、圭ちゃん」
「んー。この前テレビで見たんだけどさ。確か災害時には生存者をいち早く見つけるためにドローンが使われるようになったらしいぜ」
「ふーん。すごく便利な世の中になったんだね」
「そうだな。ところで、どこに向かっているんだ?」
「病院だよ。怪我したでしょ、圭ちゃん。念のために見てもらわないと」
「そこまで気にする必要あるかな?そういえば、あいつらはどうしたんだ?」
「みかげちゃんはガラスでおでこを切っちゃったんだって。諒吾くんは首の捻挫。碧ちゃんは膝を骨折したってお母さんが言ってた」
「……酷いな。早く治るといいんだけど……。珠は?」
「地震が起こってすぐに避難所に行ったよ。あの子も怪我してなきゃ員だけど……」

心配そうな声を上げる愛する恋人。友人達が怪我をしたと知り、圭介も心中穏やかではない。
早く治って欲しいと心から思っている。

「それから、哉太くんも帰ってきているだって」
「あいつが?」
「うん。鳥獣慰霊祭が近いから手伝いさせるって、おばさんが言ってた」
「そうか……。あいつも帰ってきてたのか」
「どうしたの?圭ちゃん」

思い悩む圭介を気遣ってか、光は隣を歩く圭介の顔を覗き込む。
少しだけ躊躇った後、思い浮かんだことを恋人に話し出す。

「俺さ、もう一度話し合ってみようと思うんだ」
「…………どうして?」
「喧嘩したままだとさ、何だか前に進めない気がするんだよ。それに、よく考えてみたらヘタレなあいつが暴力沙汰を起こせる度胸があるとは思えないし」
「…………うん」
「でもさ。俺、あいつにもう一度会ったら意地張っちまうかもしれない。だから、昔みたいに俺達の間を取り持ってくれないか?」
「―――うん!私はお姉さんだもん!昔みたいに喧嘩両成敗って二人に拳骨してあげる!」
「うわ、懐かしいな!頼むぜ、光!」

隣に彼女がいるだけでこんなに早く問題が解決する。今まで一人で抱え込んで悩んでいたのが馬鹿らしく思えて笑えてしまう。
大切な故郷はこんな有様になってしまったけど、光と一緒なら何とかなる。根拠はないけどそんな気がする。


843 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:18:29 7aIMuRmk0
「――――天国は、地獄の底にあるのかもしれないね」
「ん?どうしたんだ光。何か言った?」
「ううん、何でもないよ!早く行こう!『あの子』が待っているよ!」
「ちょ、ちょっと!急に走り出すなって!」

元気に走り出す光に手を引かれる圭介。その手はもう離れない。
病める時も健やかなる時も二人は一つ。どうか■■■に祝福あれ。

【E-3/道路/一日目・夕方】

【山折 圭介】
[状態]:健康、日野光
[道具]:日野光
[方針]
基本.光と一緒に診療所に向かう
1.光と一緒に皆のお見舞いに行く。
2.哉太と会ったらもう一度話し合ってみる。
[備考]
※VHは山折圭介の悪い夢でした。
※診療所には負傷した湯川諒吾や上月みかげ、浅葱碧がいます。
※山折圭介は日野光のものです。





※山折■■は日野■のものです。





※■■■■は■■■のものです。


844 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:19:18 7aIMuRmk0









※魔王の力はわたしのものだ。


845 : 魔王の力はわたしのものだ ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:19:54 7aIMuRmk0
くひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ


846 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:20:48 7aIMuRmk0
【E-3/道路/一日目・夕方】

【山折 圭介】
[状態]:『隠山祈』寄生とそれによる自我の完全浸食、異能『魔王』発現、虎尾茶子、八柳哉太、天原創に対する抵抗弱化(大)、虎尾茶子、八柳哉太、天原創、天宝寺アニカ、哀野雪菜、犬山うさぎ、リンへの好意(特大)、人間への憎悪(極大)、山折村への嫌悪感(絶大)
[道具]:日野光?
[方針]基本.光と一緒に診療所に向かう
1.光と一緒に皆のお見舞いに行く。
2.哉太と会ったらもう一度話し合ってみる。
3.願いを叶える。
4.診療所に向かい、『あの子』に会いに行く。
[備考]
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『隠山祈』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力はこれ以上成長することはありませんが、別の何かに変化しています。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※魔王から烏宿暁彦だった頃の記憶を読み取り、彼の記憶と現代科学の知識を得ました。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅しましたが、別の力に変化したのかもしれません。
※山折圭介の『HE-028』は別の何かに変化した可能性があります。
※『日野光?』は実体を持っています。


847 : Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」 ◆drDspUGTV6 :2024/01/24(水) 00:21:41 7aIMuRmk0
投下終了です。


848 : ◆H3bky6/SCY :2024/01/25(木) 00:18:05 R6DqIOLI0
投下乙です

>Anti-Demon King Destruction Operation「段階弐:杠葉」

前回の戦いのネタバラシ的な作戦会議、熊怪異との経験が生きてる
挑発しまくる茶子も作戦通りだったのか、毒舌はいつも通りだったのでてっきり……
と言うかジャックさん確かにエージェントとは書いてたけど、創と同僚だったんだ、もっと胡散臭い如何わしい組織の所属だとばかり

デバフにデバフを重ねる概念呪詛バトル
そして決め手はまさかの『鳥獣慰霊祭』、地元パワーすげぇ!
祭事には少女たち全員が不可欠で、間接的には神の如き存在同士の衝突だったけど、それを実行する人間がいると言うのが決め手だったのかもしれない

一怪異にまで堕とされた魔王、かつての威厳は見る影もなく
圭ちゃんに呼ばれてきてみれば地元パワーでボコボコにされるって、魔王からすればすごいハメ技だよ
これまでやってきたことも思えば全く可哀想ではないんだけど

そして最後は魔王の被害の生き残りとの因縁の決着
創の異能だからこそ魔王の魔の手から圭ちゃんを解放で来たんやなって、まあすぐに隠山祈に乗っ取られちゃうんだけどね
圭ちゃんの体がもはやフリー素材と化している、本人は幸せな夢を見てるからまぁ……いいか!


849 : ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:48:38 m8ZhntTA0
投下します


850 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:49:15 m8ZhntTA0


――。
――。
――渇く。




851 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:49:39 m8ZhntTA0

与田さんと花子さんが二人で話すのを遠目で見ながら、僕は思い悩む。
花子さんに付くか乃木平さんに付くか。
一方通行の選択問題。
シミュレーションのように記録&再開なんてことはできない。
時間がないのは分かっているけれど、だからこそ安易に結論を出すのは憚られるんだよね。


僕の目的は生存だ。この目的は動かさない。
山折村が滅びようが、特殊部隊が全滅しようがどうだっていいし、なんならウイルスが収束するかもどうでもいい。
生きて明後日を迎えられるかどうかが一番の関心事だ。


花子さんに付いて切り捨てられるリスクを減らし、神楽さんをはじめとした村人の味方を増やすか。
それとも乃木平さんに付いて、特殊部隊という殺しのプロ三人との敵対を避け、かつ八柳藤次郎さんや確実に存在する人食いグマのような脅威から身を守るか。

やはりどっちに付くのも捨てがたいね。心が二つある。
第三として、どっちつかずの選択肢――たとえば特殊部隊に付くフリをして、田中さんたちに情報を流すスパイのような立ち位置も考えてみたけれど……。

真理ちゃんなら口先八丁で言い包めることは可能だ。
特殊部隊のくせに、死にたくないという理由で命乞いをする、俗っぽい女。
あの子の性質は僕らの延長線。十分に溜まった信頼貯金でどうにでもなる。

逆に乃木平さんは誤魔化せない。
ただし、あの人はかなり理性的だ。おそらく一度だけなら弁明を聞いてくれる余地はある。
僕がスヴィア先生と共に田中さんに接触した本当の意図――スヴィア先生が、日野だけでも特殊部隊から遠ざけようとしたその意図。
おそらく乃木平さんはそれらを見通したうえで、僕とスヴィア先生に裁量を与える柔軟性を持った人間だ。
気の利いた言い訳ができるのなら、生き残る目はある。

問題は黒木さんだ。彼女はダメだ。
乃木平さんが理性的に考えて生かすことを選ぶ人間なら、彼女は理性的に考えて殺すことを選ぶ人間だ。
それが、二人の青と赤の差だと考えてる。
彼女はおそらく言葉をかわす選択肢を持たない。疑わしきは殺せ、という過激フレーズを掲げていそうだ。
疑いを持った時点で彼女は銃を抜く。裏切りを疑われた時点で彼女は敵対しかねない。
真っ赤に燃え滾った村人以上に、限りなく透明に近い彼女こそが最も恐ろしい。

ダメだ、どっちつかずで立ち回ることは危険すぎる。そして、特殊部隊にスパイ行為を仕掛ける逆パターンはもっとダメだ。
特殊部隊に付くメリットが消え失せ、花子さんに付くデメリットだけが残る最悪の選択だ。

……腹を決めるしかない。
やはりどちらかを選ぶしかないね。


ちらりと通信室の外を見る。
不気味なほどに静かだ。
けれど、扉にはまった曇りガラスの向こうでは、次の作戦が始まっているのかな。
眼を閉じ、大きく息を吸い込む。

――決めた。

そのとき、轟音がフロアに響き渡った。




852 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:49:58 m8ZhntTA0
――俺がすべきは何だ?
――正義を執行するのだ。
――そうあらねばならない。




853 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:50:27 m8ZhntTA0
ドカン、と腹に響くような重低音が響き渡ります。
まるで砲弾が陣地に落ちたかのような凄まじい音量の嵐。
それを聞き取った時点で、私は全思考を対処に集中しました。

明らかに不測の事態ですが、戦場に絶対などない。
SSOG以前に自衛隊として訓練はおこなっています。
作戦行動直前、作戦そのものが看破され敵襲を受けた。そんなシチュエーションでの訓練を。
今の音の深刻さは、たとえば野営地に落ちてきた砲弾、雄たけびと共に突撃してくる敵の一個大隊、あるいは見張りによる『敵襲!』という報告に等しいでしょう。
側面から敵襲を受けたときに、いかに冷静さを保ったまま判断をくだすことができるか。
指揮官としての器が問われる事態だと、真田上官や伊庭さんより伺いました。


我々が今ここで優先すべきは何でしょうか。
女王感染者の殺害は大前提。
その前段階のステップとして、ハヤブサⅢの抹殺は必達です。

先の轟音、危険度は未知数、評価不能。
本来ならば、ただちに確認をおこなうところなのですが……。
危惧すべきは、そちらに気を取られ、特殊部隊である私の姿をハヤブサⅢに目撃されることでしょう。
ハヤブサⅢは私より遥かに経験豊富で老獪だ。
私との交戦でも、黒木さんとの交戦でも、先手を許した僅かな時間で、我々に最大限に有効な罠を用意していました。
ハヤブサⅢの視線に捕らえられることは、作戦失敗の片道切符。
危険度は成田さんの銃から放たれるレーザーポインタと同等とみなすべきでしょう。


小田巻さんの偵察を受けて、二階の見取り図と各部屋の状態は頭に叩き込み済みです。
通信室の位置はエレベータを出て右折、その正面突き当り。
通信室入り口からの直線上に我々は位置しており、ヘタをすれば部屋の内部からも我々の姿が捕捉されかねません。
そしてエレベータ周辺の部屋は施錠されていない。

この場をレーザー光の飛び交う戦場と見立て、行動は迅速に、しかし物音は最小限に。
戦場ならば塹壕の裏、ではこの場において身を隠す場所は?

――エレベータ斜め向かいの神経工学研究室。
私はドアレバーを掴み、転げ込むように室内に飛び込みました。

ただ、冷静たるように努めましたが、やはり実戦経験の絶対的な不足はあったと認めざるを得ません。
配属されたばかりの新人、小田巻さんはこのようなシミュレーションは一切おこなっていない。

「げぇっ!!? 大田原さぁんッ!!!???」

そちらへの気配りが遅れたのは弁明のしようもありませんでした。
気持ちは痛いほど分かりますが、SSOGの隊員が外聞もなく隊員の名前を大声で叫ぶ醜態に、私は頭を抱えるしかありませんでした。




854 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:50:51 m8ZhntTA0
――正義とはなんだ?
――女王の殺害だ。
――特定外来種の駆除だ。
――目撃者の処理だ。

――声が聞こえる。
――小田巻真理。
――やつも例外ではない。

――処理しなければならない。




855 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:51:15 m8ZhntTA0
「わひいいぃぃッ!」
ズドォォン!!!! って何ですか!? ズドォォン!!!! って!??
キーチが暴れでもしないとあんな音出ませんって!!

わああ、こんなことなら無理やりにでも氷月さんと一緒に下に残ってればよかった……。
音も悲鳴もめちゃくちゃ近いですよね?
逃げますか、逃げましょう、逃げるべきだ。

「うひぃ、は、花子しゃぁん、早く、早く退散しましょうよ!
 もう交渉は終わったじゃないですかぁ?!」
僕の撤退準備は万全です。抜かりありません。
別に荷物もないですし。
だから花子さんがプロの顔になるの見たくなかったなあ。
足音を消して、慎重に通信室の入り口に向かってる。
ヤバいんです? そんなに今の状況ヤバいんです?

「そうね、早く退散したいのはやまやまなのだけれど。
 成果を出すために、しばらく研究所には残らないといけないのよね」
「あの、それじゃあ研究はスヴィア博士にお任せして、僕は退散しようかと……」
ほら、天才美少女研究員の足を引っ張ってもよくないですし、染木博士からも僕じゃ無理ってお墨付きをもらいましたし。

僕の方を振り返って、花子さんはにこりと笑う。
あっ、この流れ、見覚えあるなあ。
いやあ、これまで何度この満面の笑顔を見ただろう。
見なかったことにしたいこの笑顔。

絶対、残れって言われるやつですよ!
花子さんの笑顔は養殖率100%の産地偽装笑顔じゃないですかー!
不安で危険な外国産じゃないですかー!
もういい加減学習しました、しましたとも!

「あら、与田センセ? センセもスヴィア博士と一緒に残るのよ?」
ほらきた〜! なんなんですかこの様式美はぁ!?
うぅ、VHが起こってからこんなのばっかり。
花子さんの傍が一番安全なのはそうなんですけど、だから何が起きても安心だーっとばかりにトラブルが舞い込まなくてもいいじゃないですか。

「染木博士はこっちの事情には明るくないでしょう?
 むしろ、センセほど助手として相応しい人間はいないんじゃないかしら?」
えっ、それどっちの意味で? 異能? 異能ですよね?
また検体になれって意味じゃないよね?
そりゃ僕の異能なら多少はウイルスの解析にも使えるかもとは思ったりしましたけど……そういう意味ですよね!?
すごく問い詰めたい。問い詰めたいけど、花子さんは今壁を背にして慎重に扉を開こうとしてる。
ここで声をかける度胸は僕にはないなあ。
いや、責められる謂れはありませんよね?
机に向かって唸ってる人に声かけられなくて、周りをうろうろしちゃう経験、誰にでもありますよね!?

というか碓氷先生からもなんか言ってあげてくださいよー!
知ってるんですよ、碓氷先生の異能が信用を視る異能だってこと!
機材のセッティングのときに花子さんにこっそり伝えたのは僕なんですから!
ほら、碓氷先生、こっち見てください?
あなたの目からは僕はこんなに青々と光ってるでしょ!?

『げぇっ!!? 大田原さぁんッ!!!???』
「ひゃひいぃぃぃっ!!」

もういやだあ、女の人のかん高い絶叫とか背筋がシュピィンと吊っちゃいますよお!
絶対ロクでもないこと起こってます!
ホラーで化け物に殺される人の悲鳴ですって。
僕ホラーに詳しくないですけど。
いや、どちらかというとバラエティ女優みたいな絶叫だったかな……。

って、なんで碓氷先生は部屋の奥に隠れてるんです?
花子さん、なんで額に皺寄せて物々しい雰囲気出してるんです?
ロクでもないこと起こる前に早く脱出しましょうよ〜!




856 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:51:34 m8ZhntTA0
――処理。

――処理。
――処理。

――処理。
――処理。
――処理。




857 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:51:50 m8ZhntTA0
見誤ったわね。
碓氷センセの同行者がおキレイな身分じゃないことは承知の上だったのだけれど、まさかSSOGだったとはね。
スヴィア・リーデンベルグが手を組んだという事実も目眩しに働いたけれど……。
いや、彼女も満身創痍だったからこそ、藁にも縋る思いで手を結んだというべきかしら。

ま、誰と組むにしろ、選択自体は責められるものではないわ。
ほかならぬ私自身がSSOGと手を組んだことはあるし、味方につけた時の心強さも身に染みて分かってる。
最後に出し抜く算段さえあれば、その手を取らない手はないでしょう。
ただねえ、今のこの状況で、SSOGが現れるのはいただけないのよねえ。

「素敵な言い訳は用意してくださっているのかしら? 碓氷センセ?」
「……小田巻さんが観光客というのは本当ですよ。
 スタンプラリーも見せてもらいましたし、昨晩たらふくお酒を飲んでいたのは疑いありません」

そう釈明してはいるけど、碓氷先生は絶叫を聞いた時点で、大きな機材の後ろ――既に射線を切る位置に移動している。
なるほど、自分がどう思われるかはよく分かっているようね。
注目すべきは、大田原源一郎の名が出るより先に動き出していたことでしょう。
不測の事態に慣れているのか、こういう修羅場の経験があるのか。
――それとも、何かの作戦なのか。

すらすらと紡がれる言葉は、即興のアドリブ設定だとは思えない。
実際、九割がたは真実なのでしょう。
SSOGがこの村に人を派遣していた。それ自体は突拍子もない話じゃないわ。
テクノクラートの事後処理にはSSOGも参画したのだから、この村にたどり着くことには一切の不思議はない。

テロリストたちの黒幕を追っていた潜入捜査員が、ウイルス騒ぎに巻き込まれてターゲットになったというところかしら?
たとえば、お酒の席を設けてターゲットの情報を引き出すのは実にスタンダードで手堅い手口。
新米は気を張って怪しい観光客になりがちだけど、観光客としての実績づくりも余念がない。
小田巻さんとやらは、かなりのベテランじゃないかしら。

だからこそ、さっきの悲鳴には強い違和感がある。
今でも録音による罠だと言われたらそっちに飛びついてしまいそう。
ズブの素人ならばまだしも、仮にもSSOGが?
なんらかの異能か、ブラフすら考慮すべき状況ね。


碓氷先生の言葉を分析しながら、扉に手をかける。
こちらも油断はできないけれど、それでも素人の範疇。
まず優先すべきは外の状況よ。

碓氷先生は左目の視界から外さないまま、通信室の扉をわずかに開き、右目の視界で僅かに開けた扉の先、廊下の向こうを監視する。
壁側には大きな観葉植物。
そして研究員というよりは看護師といった姿のゾンビが一人うろついている。

扉をもう少しだけ開き、廊下の端から中央へと目を走らせる。
突き当たりには『あなたの顔色、青くなってはいませんか?』と書かれた健康促進ポスターが貼り付けられ、緊急コール先の内線が。
その傍の壁に埋め込まれているのは、顔色を確認しろと言わんばかりの大鏡。
そして廊下の真ん中で、アゴの外れたような大口開けて呆けている観光客風の女性。
まるで今、突然ここに連れてこられたような、状況が理解できないと顔に書いてあるぽかーんとした間の抜けた表情。
心ここにあらずといった感じで、エレベータのほうに向かってる。


858 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:52:20 m8ZhntTA0
――?
――???

評価ができない。
彼女が小田巻さん?
仮にそうなら、秘密特殊部隊にしてはあり得ないリスク管理だけど。

それとも別人? 私の深読みしすぎ? あるいは、異能によって招き入れられた身代わり?
理解を超えた事態に、逡巡が生まれてしまったことは否定しないわ。

「作戦行動中止! 一等陸士、ただちに退避せよ! それは罠です!」
その温んだ思考を揺さぶるような檄。
横合いから飛び込んできた、聞き覚えのあるはっきりした号令に、向こうも私も正気を取り戻す。

「一等陸士、退避します!」
いち早く動いたのは推定小田巻さん。
私よりも一呼吸早く、身体が動いていた。
顎の外れた間が抜けた表情を晒した人物と同一とは思えない迅速さ。
あれは反射ね。身体に反応を徹底的に染み込ませている軍人の動きだわ。

私も遅ればせながら扉から離れ、彼女からの視線を切る位置に身を隠した。
理由?
即座に離脱しなかった場合、私のいた場所を銃弾が扉ごとぶち抜いて、なし崩しの混戦が始まっていたでしょう。
得体の知れない者と目が合う感覚、そして前触れもなく撃ち放ってくる血のように真っ赤な銃弾の軌跡。
私の目は確かにそれを視た。
そんな未来を受け入れるつもりはない。

推定小田巻さんは音もなく離脱し、気配すらかき消えた。
けれど廊下を横切ってはいない。
行き先は神経回路解析室、神経工学研究室、遺伝子操作室のいずれかでしょう。

号令をかけたのは昨晩最初に交戦した特殊部隊の男性。
慎重かつ用心深い、そして汚れ仕事を厭うあの隊員。
先の号令は、プロファイリングとも一致する。
全貌は見えないけれど、SSOG間で何かトラブルが起こっているのは確からしい。

巻き込まれるのは御免ね。
向こうが混乱している間に、さっさと退散してしまいましょう。




859 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:52:33 m8ZhntTA0
――ショ理。
――ショリ。




860 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:52:51 m8ZhntTA0
いやいや無理無理マジで無理! 無理無理無理無理カタツムリだってーの!
なんでこのタイミングでターミネーター大田原が派手に現れるのよお〜〜!?
ほら、私今SSOGの民間協力者やってますからぁ!
乃木平さん、なんかいってあげてください!
上官、ヘルプ! 部下を守れぇ〜!!
って、いねええ〜〜ッ!!

「…………?」

反応がない。
あ〜、もしもし大田原さん?
もしもし生きてますか?
あっ、扉が閉まって……外まで飛び出した腕に反応して、また開いた。

呼吸は止まってない。生きてる。
っていうか、マスク外れてる。
マスク外れてる!?


……はぁぁぁ!? マジで?
マジで大田原さんに勝った人いるの?
この人に勝てるなんてどんだけ化けモンなのよ!?
いや、このレベルの化けモンは確かに一人いたけど。
それでも信じられない!

えっ、その人ここに降りてきてないですよね?
エレベーターの上からこっち睨んでたりしないですよね!?
ふらふらとエレベータに引き寄せられる私に、号令が響く。

「作戦行動中止! 一等陸士、ただちに退避せよ! それは罠です!」

SSOGに限らず自衛隊でもそうだけど、号令への反応は絶対だ。
意識するより先に身体が動く。

……まして、大田原さんが目の前にいるとなれば、イヤでも身体は動く。
二十歳過ぎてから三つ子の魂を入魂してくるのが大田原さんだ。

「一等陸士、退避します!」

身体に染み込んだ動きをなぞるように、私は安全な場所に退避をおこなう。

ってか、うわー、これ乃木平さんも黒木さんもめちゃくちゃキレてそう。
奥のポスター、『あなたの顔色、青くなってはいませんか?』って書いてたけどさあ、
私の顔色、青くなってると思います!
誰か心を落ち着かせるハーブとかくれませんか?
あと、今ここで処分はマジで勘弁してください!
そうなったらそうなったで精一杯抵抗させてもらいますけれど!
ここは奥の手使うしかないかなぁ……。




861 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:53:05 m8ZhntTA0
――食リ。




862 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:53:24 m8ZhntTA0
(あのアホ……!!)
口に出して叫ばなかっただけでもあたし自身を褒めてやりたい。
小田巻は任務が終わったら地獄の特別合宿コースだ。
これ、決定事項な。あたしから直々に奥津さんに掛け合ってやるよ。
あん? アイツは今はただの休暇中の民間人? んなもん知ったことかっ!

分かったことは二つ。
小田巻のドアホが大声をあげてあたしらの存在を奴さんに知らせちまったこと。
それと、大田原さんが派手に施設に乗り込んできたってことだ。
大田原さんに文句を付けられるほどエラくはねえが、それでもタイミングを考えてほしかったぜ。

だが、ほかにも言外に得られた情報はある。
(大田原さんが敗けて、しかも異能に適応したってことか……?)

大田原さんはSSOG随一の巨漢だが、あの人に近い体系の男はごまんといる。
SSOGは屈強な男どもの寄せ集め。
乃木平や広川みてえな中肉中背の隊員のほうが少ないくらいだ。

なのに小田巻は断言した。
つまり、今の大田原さんはマスクを着けてない。
けどゾンビでもなさそうだ。
診療所で局地戦が勃発して、誰かが何らかの方法で大田原さんのマスクを外し、何らかの方法でエレベータに突き落とした。
……信じられねえがそう考えるしかない。

『不可能な物を除外して残った物が……たとえどんなに信じられなくても……それが真相なのだよ』
そんな、ドヤ顔でうんちくを語る三籐さんの顔が頭に浮かぶんだが……。

なあ、三籐さんよ?
大田原さんを倒すのも、ついでに人間がエレベーターのドアをこじ開けるのも普通は不可能なんだぞ?


☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

「ぶあっくしょい!
 ……ふむ。誰かがウワサでもしているのかな?」
「体調管理が甘いのでは? Mr.gerbera?」

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡


863 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:53:38 m8ZhntTA0
まあ三籐さんへの八つ当たりはどうだっていい。

大田原さんは戦闘では非の打ち所がない強者だが、あの人には致命的な欠点が二つある。
ひとつはあまり融通の利かないところ。
乃木平と違って、小田巻や村の教師どもも容赦なく始末するだろう。
乃木平なら説得は可能だろうが、それ自体が十分すぎるタイムロスにつながる。

そしてもうひとつは、そのあまりの強さに名が知られ過ぎていることだ。
ハヤブサⅢは確実にSSOG(あたしたち)の存在に気付いた。
敵が乃木平ならば返り討ちにする選択も浮かぶだろうが、大田原さんとなれば取るべき選択肢は逃げ一択だ。
あたしがハヤブサⅢの立場ならそう考える。遭遇戦であの人には絶対に勝てない。
あたしがあの人に挑むとしてだ、ハヤブサⅢやブルーバードと組んでスリーマンセルでようやく勝ち筋が見えるかどうかだ。
素人の研究員ではどうにもならねえよ。

碓氷も、こりゃ裏切るんじゃねえかな。
元々期待なんてしてなかった野郎だが、今回ばかりは同情するぜ。
大田原さんの名と評判を知っていれば難しいことじゃない。
ハヤブサⅢの口からこう伝えれば終わりだ。
大田原源一郎は話が一切通じない、決して融通が効かない鬼神のような強さの大男だってな。

脱獄囚が牢屋のカギを開けられるだけ開けて逃げるのと同じ。
圧倒的な戦力を相手にするなら、肉の盾は一つでも欲しいところだろう。
その圧倒的敵戦力が一個体ならば、狙いを分散できる肉盾には相応の価値がある。
その意味で、碓氷を引き込むのは意味がある。


どうする?
致命的なハプニングが起こったとはいえ、作戦は継続中だ。
だが、ハヤブサⅢは間違いなく最警戒態勢に入っただろう。

これが作戦実施前ならば乃木平の判断を仰ぐのが筋だが、いざ作戦が始まれば、現場の判断は個々に委ねられる。
時間としちゃ、小田巻の絶叫から数秒程度だったか。
認知神経科学研究室と通信室の境目に突き出した柱の影。
そこで考えをまとめている間に、さらに事態が動いた。

「作戦行動中止! 一等陸士、ただちに退避せよ! それは罠です!」
「一等陸士、退避します!」
小田巻に続いて、乃木平までもが声を張り上げた。
その声にはいくぶんの焦燥が含まれているように思える。

ここで退避だあ?
大田原さんに何が起こってるのかは知らねえが、いくらなんでもチキンがすぎねえか?

乃木平と一切会わずに今を迎えればそのように考えていただろう。
一日前の乃木平ならそういう判断を取る。断言できる。
だが、今のアイツはそうじゃない。これはハヤブサⅢへの揺さぶりだ。

壁を背に張り付き、西側の部屋を確認すれば、神経工学研究室の扉が僅かに開いている。
そこから見えるのは乃木平のハンドサイン。
(作戦続行、ね)

乃木平はハヤブサⅢと交戦し、撤退したと聞いてる。
なら、アイツの性格はハヤブサⅢにプロファイリングされてるよな。
昨日までのアイツはこの局面で撤退を選びうる。
できるだけ殺さないようにしようとする優等生。
ムダに命を散らすことは嫌うタチだ。


一度戦ったことがある、アイツのことを知っている。
そんな先入観は、場合によっちゃ無知よりも致命的だ。
たとえばあたしが朝、ハヤブサⅢの立場を見誤ったように。

小田巻の失態はなかったことにできない。
SSOGはいなかったことにできない。
それならばと、乃木平本人と大田原さんのネームとで派手に存在を喧伝した。
木を隠すなら森の中。
戦場で派手に暴れて敵の注意を引き、砲撃部隊の発射までの時間を稼ぐエース部隊の役割のように。
乃木平はあたしの存在を覆い隠したわけだ。

もし碓氷が裏切っていればあたしの存在もバレるんだが、小田巻の絶叫から乃木平の号令までは十秒もない。
その短時間で裏切らせるのは時間の面で不可能だ。

SSOG間で起きたトラブルは、ハヤブサⅢにとっては脱出の千載一遇のチャンスだろう。
あたしに与えられたのは、通信室から釣り出されたハヤブサⅢへの狙撃任務だ。

撃ち抜いたのがハヤブサⅢならミッション達成。
研究員の男でも、ハヤブサⅢとほぼほぼ一対一の状況に持ち込める。
混乱を極めたこの状況ではベターな弥縫策と言えるだろう。
どうもエレベータのほうからは不気味な音が聞こえるが……。
あたしは静かに銃を取り出し、釣り出されるであろうターゲットを待つ。




864 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:53:55 m8ZhntTA0
――食リセヨ。




865 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:54:13 m8ZhntTA0
「うあ……?」
おと。おおきなおと。ひとの悲鳴。
かくりよのゆめにまどろむわたしを、うつしよにいざなうよびごえ。
わたしは看護師。きずついたひとをたすけるのが使命。

「ううぅぅ……」
きずにうめくこえがきこえる。
たすけて、たすけて、と、うったえる患者さんがいる。
たすけないと。すくわないと。

しろいはこのなか、あかいちまみれ。
あたたかいちがながれている、まだいきている軍人さん。
軍人さん。軍人さん。きずついた軍人さん。




866 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:54:28 m8ZhntTA0
――感染者、食リセヨ。
――小田巻、食リセヨ。
――正義ヲ、執行セヨ。




867 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:54:40 m8ZhntTA0
「あの、僕は今の流れが読めないんですけど……」
それは当然よね。
大田原源一郎は裏の世界では有名だけれど、表に出るような名前じゃないもの。

「碓氷先生の同行者はね、SSOGだったの。この研究所にはすでに特殊部隊が展開しているわ」
「はあ〜、そうなんですか……。えっ? えっ?」
話に付いていけずにぽかんとしている与田センセを手招きすれば、センセは慌てて駆け寄ってきた。

「碓氷先生? あなた切り捨てられたようだけれど、一応聞いておくわ。
 こっちに乗り換える気はあるかしら?」
「それは……」
「いやいや、放っておきましょうよ!? 特殊部隊のスパイなんですよね!?」

一瞬で土下座して赦しを請うでもない。手揉みしながら媚び諂ってくるでもない。
まあ、後者ならば頭に風穴が空いていたかもしれないけれど。

彼の異能は信用が見える異能だと与田センセから聞いてる。
数値かゲージかは知らないけれど、与田センセも私も、彼への信用はゼロに近いでしょう。
それが視えるとなれば、乗り換える以前の問題かもしれないわね。
彼が特殊部隊の人間とも平気で行動できるのは、所属意識が一切ないからだろうけど、彼の言動を見るに、損得計算には相当聡いようだから。
彼は未だ、射線の通らない部屋の奥から出てこない。


そのとき、階下から鈍い音が連続して響いてきた。
何か重いものを叩きつけるような異音。
破城槌を城門に叩きつけるような、エレベーターの音とはまた違う異音。
どうやら、私たちやSSOGとは別に、第三者が侵入してきているみたい。
それも、どちらかというと乱暴そうな第三者。
やはり、海衣ちゃんや珠ちゃんが心配だわ。

「悪いけれど、タイムオーバーよ。
 そっちはそっちでがんばって生き残りなさいな」

SSOG側の状況が落ち着いたなら、不利になるのはこちらのほう。
それは私たちの側のタイムリミットとイコールでもある。
進行形で銃を向けてくる相手ならともかく、切り捨てられたのなら、邪魔されない限りは相手にする必要はない。
彼の異能は人間を殺せるような異能じゃない。
彼は銃を持っているけれども、素人の銃なんてそうそう当たらない。
悪いけれど、彼と心中する気なんてない。

「待ってください! 一言だけ、返事は要らないので聞いてください」
その必死な声に、歩幅を少しだけ緩める。
足を止めることはないけれど、聞くだけなら構わない。

「スヴィア先生の想いだけは本物です!
 彼女は本気で皆を救おうとしている!
 僕のことを信用できないのは構いませんが、彼女の想いだけはムダにしないでほしい!」

……ま、言われずとも彼女には協力してもらうわ。
スヴィア・リーデンベルグの保護はいずれにしろ最優先課題。
彼女がいなければ、解決するも何もないものね。
まだかまだかと扉に手をかけている与田センセのもとに向かい、そこで視えたのは。

与田センセが凶弾に倒れる光景だった。




868 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:55:01 m8ZhntTA0
「ううぅぅ〜〜! うあああ〜〜!」
だいじょうぶですか。だいじょうぶですか。
あなたはきっとたすかりますからね。
病院に、はこびこまれた患者さんには、そうやってこえをかけていたきがする。

こえがでない。元気づけられない。いきる希望をもたせられない。

「う、うう……」
たすけないと。なにをすればいいのかわからない。
たすけないと。なにもできない。
たすけないと。たすけないと。みすてる。いやだ。たすけて。
たすけて。たすけて。これじゃすくえない。

「ああぁ……」
せめて。患者さんによりそう。
これまでみとってきた患者さんたちにそうしていたように、やさしくよりそう。
なにもできないわたしをゆるしてね。
やさしくだきしめるように、軍人さんによりそう。
やさしくなでて、いたわって、最期をおみとりする。

できない。できない。
なでられない。いたわれない。うでをのばせない。
そうするためのうではどこ?

軍人さんの、くちのなか。
つのがはえた軍人さんの、くちのなか。
くちのなかから、たすけて、たすけて、とうったえるように、わたしのてくびがのぞいてる。

「処理スル……」

あしをつかまれる。くちのなかにひきずりこまれる。
かくりよのゆめはうらがえる。
うつしよから幽世に私は引きずりこまれる。

私、五日市六華の肉体は巨大な餓鬼に摂り込まれ、私が生きたすべての痕跡はウイルスごと現世から消え失せた。




869 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:55:12 m8ZhntTA0

――渇ク。
――渇ク。
――渇ク渇ク渇ク渇ク渇ク渇ク渇ク渇ク。



――渇ク。






870 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:55:32 m8ZhntTA0
通信室から出て行こうとする与田さん。
それを花子さんが慌てたように引き戻し、与田さんは派手な音を立ててその場に倒れた。

「あいてて……。花子さん、もう何するんですか〜!?」
「与田センセ! 今すぐ物陰に隠れて!」
「ええ〜……?」

その直後、外から何かが投げ込まれる。
このタイミングで投げ込まれる定番といえば、やはり爆弾とか閃光弾の類だろう。
花子さんもそれを警戒したのだと思う。

「ぐひゃひぃぃぃっ!」
「くぅッ!」
実態は懐中電灯。LEDタイプの強い光を放つ懐中電灯。
円柱型の懐中電灯はごろりと転がり、まばゆい光が部屋をぐるりと照らす。
そしてこれは、僕が乃木平さんに検められた荷物の一つだ。


おや? 何故、物陰に身を隠してるのに二人の動きが見えるのかって?
そりゃ、二種類の輝度を持った赤い光が、ゆらゆらと壁や天井に反射してるからだね。
僕の異能は相手方からの信用を光で目視できる異能だ。
けれど、言い換えれば僕だけに見える光を得られる異能でもある。
どう考えても裏技だけれど、人のおおまかな位置を特定するような使い方だってできる。
こういう副作用的な使い方は、仮に異能を知られていても、いざ保有者になってみないと思いつかないだろう。

光が視えるのは、特殊部隊に対しても同じ。
通信室の扉に付けられた採光用の曇りガラスに、うっすらと赤い光が映り続けていた。
小田巻さんの叫び声が聞こえたあとも、乃木平さんの撤退号令が出た時ですら、光が残っていた。

薄い赤の光は黒木さんだ。
彼女が外にいることは分かっていたのだから、裏切りとも取れるような行動は一切取れない。
花子さんの手腕は魅力的だが、辣腕を振るってもらう前に僕が死んでしまっては意味がない。

加えて、向こうには真理ちゃんの存在がある。
幽霊のように気配を遮断する異能。
たとえ薄壁一つ隔てた先で聞き耳を立てられていたとしても、誰も気付かない。
扉の隙間からこちらの動きを監視していたとしても誰も気付かない。
それどころか、僕の真後ろにいても気付けないだろう。
さながら動く盗聴器で、さまよう監視カメラだ。
音も気配もたてない霞のような彼女から、残り34時間逃げ回る? あり得ない。あまりに非現実的だ。
そこに思い至った瞬間に、花子さん側に付くという選択肢は消え失せた。
万一、本当に切り捨てられていた場合に備えて、スヴィア先生の無実を主張したけれども、その必要もなかったかもしれない。


花子さんが銃を抜き、侵入者を迎撃するが……。
光に目を眩まされたのか、侵入者が銃弾の軌道を読んでいたのか。
銃弾が突入部隊の身体を撃ち抜くことはない。
突入部隊の黒木さんは、身をかがめてダッキングのようなポーズを取り、
表面積を最小限にしたうえで手足の鉄甲で銃弾を弾き、易々と室内に侵入してきた。
別に見えてないけれど、音からするにたぶん間違ってない。


「ったく、せっかく歓迎の祝砲を準備してたってのによ、こういうのは謹んでお受け取りするもんだぜ?
 結局、強行突入するハメになったじゃねえかよ」
「……あら、お早い復帰ね? マジュ?
 祝砲を人間に向けて撃つ流儀はうちの機関にはないの。
 野蛮な組織文化を持ち込まないでくださるかしら」
突入してきた特殊部隊は一人。黒木さんだけだ。
他の二人は外で出入り口を抑えているのか、それとも別の動きをしているのか。
と、外でまたもや轟音が鳴り響く。今度はかなり近い。
気にはなるが、僕は僕が生き残るために動く。


871 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:55:53 m8ZhntTA0
「ひぃぃ〜!! は、花子しゃあん! たぁすけて〜〜っ!!」
「……ッ!」
黒木さんが無事に突入すると同時に、僕は猟銃を与田さんに突きつける。
別にこの距離で当たるかどうかは微妙なんだけど、与田さんは両手をあげて見事な降参ポーズを取っている。
……与田さん、銃持ってなかったかい?
まあ使わないなら実に好都合だ。彼を人質に、この部屋から無事に脱出するとしよう。


「それで、これはどこまでが作戦だったのかしら?」
作戦どころか、あなたについていったところからほぼすべてアドリブですよ。
元々スヴィア先生のほうに行く予定でしたから。

花子さんはギリリと僕を睨みつける。
おお、怖い怖い。
けれど、黒木さんを無視して僕に銃を向けることはない。そんなことはできない。
黒木さんから一瞬でも注意を外せば、懐に潜り込まれてKOだろう。
彼女にはそんな風格がある。

「さてね。あたしもそいつの動きの仔細までは把握してない。
 どこまでが意図なのかは、うちの指揮官に聞くんだな。
 あたしはそいつの性格柄、絶対にてめぇの側に付くと思ってたがね」
「あら、思ったより信用がないのね。
 彼女のお望み通り、その銃でマジュを撃ってくれても構わないのよ?」
「皆さんが僕をどう分析しているのかは知りませんが、僕は分の悪いギャンブルは好みません。
 他人をせせら笑うような趣味だってありません。むしろあなたの手腕は尊敬に値する。
 けれど、真理ちゃんたちとまで敵対してまで欲しい立場じゃない」

花子さんの言うとおり、女王感染者が死んでも僕らが口封じされるのなら、特殊部隊につく意味はないように思える。
ただし、それは研究所との交渉が不発に終わった場合の話だよね?
研究所の副所長は、特殊部隊が村内に派遣されていることを知っていて泳がせていた。
つまり、特殊部隊が村内に展開しているのは研究所の意志に限りなく近い。
彼が僕らを被験者として扱いたいという意志を示した以上、それは無碍にはできないはずだ。

「花子さんが研究所の副所長と交渉し、女王感染者が死ねば、生き残りは全員保護すると契約をかわしました。
 間もなく、特殊部隊の上役からもそのような命令がくだってくるかと。
 僕らにとっては待ちに待った福音ですよ」
「そうかい。上から正式に指令が来ねえ限り、研究所が何と言おうが方針は変わらねえんだが。
 つーことは女王が死ぬ前にこいつを始末しねえと、あたしは任務失敗の大目玉を食らう可能性があるわけだ。
 あたしとしちゃ、ハヤブサⅢが女王感染者だって可能性を望むね。
 ダブルで任務達成したとなれば、上からの覚えもいいし、特別報酬もたんまり出るだろうよ」
「う〜ん、あなたの無駄遣いのために死ぬのはちょっとごめんよねえ。
 ついでに私も助けてくれるようにちょっと交渉していただければ嬉しいのだけれど?」
「ダアホ。答えの分かってる寝言ほざいてんじゃねえよ。
 こちとら何回テメェに煮え湯を飲まされたと思ってんだ。
 豪華客船の件と保育園の件でたんまり負債が溜まってんだよ」


二人の物言いはともかくとしてだ。
乃木平さんなら本件は上に確認を取るだろう。
正常感染者の保護が真実だと分かった時点で、口封じのための皆殺しが、保護のための全員確保に変わるわけだ。
全員を確保する役割は、それもやはり特殊部隊に一任されるだろう。
そういう意味でも、特殊部隊を一時でも裏切るのは今後に著しく差し支える。
保護の名目で別車両に乗せられ、そのままガス室に直行ということになりかねないんじゃないかな。

「使うべき機材。起動パスワード。記憶していますので、疑うのなら再度研究所に連絡してみれば分かりますよ。
 これは小田巻さんたちには報告します」
「ああ、そいつを連れてさっさと行け」
「ぼ、僕はちゃんと生きて帰れるんでしょうかあ〜!?」
「ちゃんと持ってる情報全部吐けば、大丈夫かもな。
 そこの女みたいに持ち逃げするようなら、即BAN、だ」
「ということですので、大人しく歩きましょう」
「う、うぅぅぅ〜〜……」
「では、足手まといの二人はお先に失礼します。あとはお二人でごゆっくり。
 与田さん、先に歩いてくださいますか」
「な、なんでこんなことにぃ……」




872 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:57:49 m8ZhntTA0

――ずしゃ。

――ずしゃ。

――ずしゃ。

――ずしゃ。




873 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:58:10 m8ZhntTA0
(乃木平さん、すみませんんん〜〜ッ!!)
日本人全員が生まれたときから持つ究極の伝家の宝刀。
無言の乃木平さんに向けて、私は必殺ジャンピング土下座をかました。
ちゃんと無言で。また大声出したら今度こそ雷が落ちるので。

いやあ、けれどね、あれはいきなりエレベーター突き破って現れた大田原さんが悪いでしょ。
だよね、私悪くないよね……。わるくな〜いわるくな〜い……。
ごめんなさい、さすがにそこまで神経図太くなれないです。

乃木平さんは部屋の扉を閉めると、なんかマスク越しなのに目視できちゃいそうな大きなため息を付く。
あっ、乃木平さんも何かやらかしてたんですね?
お叱りは後程のパターンですね?
「終わってしまったことは仕方がありません。
 黒木さんには次の指示を出していますので、仕切り直しとしましょう。
 彼女の銃声が響いたら、タイミングを合わせて二人で急襲します」
「もし銃声がなかった場合は?」
「部屋の時計の秒針が12を指したところで急襲をかけるとしましょうか。
 僥倖にもエレベータは大田原さんがいますので、そのルートから逃げられることはないでしょう。
 それで、大田原さんはどのような状態でしたか?」
「マスクが外れていて、血塗れになっていて。
 あっ、でもまだ生きてはいましたよ」
「それはゾンビということで?」
「いや、ゾンビになっていた様子はありませんでしたね」
「ということは、まさか異能に適合したということですか。
 大田原さんが撃ち破られたことは気になりますが、考えようによっては大変心強いですね。
 彼は私が説得することにしましょう。
 小田巻さんは大田原さんのことは心配せず、作戦に集中してください」
さっすが〜、乃木平上官殿は話がわかるッ!

「ただし、救護はハヤブサⅢを仕留めた後です。
 それまで彼には悪いですが、エレベータ内で安静にしてもらいましょう」
大田原さんの場合、ターゲットより自分の治療を優先したら折檻してきそうですもんね。かわいがりは断固反対です!
それに大田原さんあれだけ鍛えてますし、あのまま半日放置していてもたぶん死にはしませんよ。

「それと、本当に大田原さんのまわりに罠のようなものはなかったのですね?
 不審物が仕掛けられていたり、誰かが潜んでいるようなことは?」
「エレベータの上までは覗いていないんですけど、まわりに不審物は何もありませんでした」
「となると考えすぎか、それとも異能か……。
 少なくとも、我々とハヤブサⅢのほかに何者かがいるのは疑いありません。
 難しいかもしれませんが、作戦中も十分に注意してください」
「了解しました! ……銃声、鳴りませんね」
「不確定要素ですが、彼女の異能は未来視ではないかと本部より情報を得ています。
 やはり一筋縄ではいかないということでしょうね」
黒木さんがヘマをするのも考えにくいですからね。

「ではもう一つのプラン通り、そちらの時計。秒針が12を差したら突入しますよ」
「了解しました!」
「5。4。3。2……」
っと、ここでパン、パンと銃声が鳴り響く。
作戦再開始の合図だ。

「合図のようですね。
 それでは我々も作戦を開し……がッ!」

乃木平さんが掛け声を出そうかというまさにそのとき、扉のほうからこっちに吹っ飛んできた。
えっ、ナニコレ?
あ〜、トラックでも突っ込んできたら、こんな感じで扉吹っ飛ぶんですかね〜。
見事に平行移動してるし。
棚とか巻き込んで倒れまくってますね。
乃木平さん、扉に巻き込まれて倒れた棚や机の下敷きになってるんですけど……。

は? え? 何が起こってるんです?


開いた扉の向こうに見えるのは、人? これ人か?
ポーズからして、扉を吹っ飛ばしたのは、たぶんその人のアッパーカット。
うん、きちんとドア開けて入ってこいよと思いますけど。
そもそもアッパーカットで扉吹き飛ばすってなんだよって思いますけれど。
このボロ布、なんか見覚えがあるような……。
防護服だわこれ。
ということは、この巨人は……。

「オダマキ……」
(げえええええッッ!!!)

「正義ヲ……執行スル……!」
(うおおおおおおおッッ!!!)

大田原さん、鬼みたいにおっかない人だとは思ってましたけど。
あんた本当に鬼になってんじゃねえよおおおぉぉっっ!!




874 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:58:28 m8ZhntTA0
「はひぃ、はひぃ……」
「まあ、そんなに怯えなくてもいいですよ。
 これでも、僕はゾンビ含めて一人も殺していませんから」

いや、そんなこと言いながら思いっきり猟銃を突き付けてるじゃないですか!
俺の犠牲者第一号はお前だとか言い出しませんよね!?

「じゃ、じゃあせめて銃を降ろしてくださいよ。
 僕、別に一人で逃げたりしませんから」

いや、ほんとに逃げませんって!
どうせ逃げてもすぐに追いつかれますから!
僕体力ないんだからぁ〜!
銃降ろしてください、お願いします銃降ろしてください。

そんな願いも虚しく、銃を突きつけたまま碓氷さんはつぶやきます。
「さて、向こうに合流すべきなんですが……。
 なんか、荒れてそうですね……。どうするかな……」

僕は今すぐ逃げたほうがいいと思います。
神経工学研究室は、なんか扉自体が凹んで外れてるし、ドカドカと騒いでるし。
エレベーターはイヤだなあ、だって神経工学研究室の前通らないといけないんでしょ?
中からなんか出てきそうじゃないですか!
「に、二階の階段を確保するのがいいと思います」
「けど、階段まで行くと与田さん逃げそうですしね。
 小田巻さんか乃木平さん、どちらかを探しましょうか」

じゃ、神経工学研究室の中に入るんですか?
絶対イヤ、絶対イヤです。
けれど、その願いが通じたのでしょうか。
探すまでもなく、その探し人が部屋の中から現れました。

「碓氷さんッ!?」
「小田巻さん? 乃木平さんは……」
「碓氷さん、ごめんねええええぇぇぇッッッッ!!!」

……?

小田巻さんは、僕らを置き去りに、廊下の奥へと走って行きました。
僕も碓氷さんも、何が何だか分からずにぽかーんと口を開けてしまいます。
なんです? なんなんです? 何が起こっているんです?
そんな疑問を抱いてすぐのことでした。


――ずうううん!!

そんな豪快な崩落音と共に、神経工学研究室の壁が崩れます。
あの、あの、部屋から出るのにドア使わないんです?


――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

特徴的な重い足音が廊下に響きました。
そこに立っていたのは、巨人ですねえ、これ。

ところどころ裂けた、特殊部隊の防護服のようなぼろきれを身体に巻きつけ、靴底からは鋭いツメが露出し、巨大な角を生やした3メートルほどの怪物。
容姿だけを例えるなら、近いのは鬼、なんでしょうけれど。

「……タイラント?」
僕からか碓氷さんからか。
自然と、その形容が言葉として漏れ出しました。
僕の目に、その異能が映ります。

WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING

『餓鬼(ハンガー・オウガ―)』
筋力が五倍に増強する代わりに、食人衝動が起こる異能。
食人衝動が極限まで高まると頭に2本のツノが生え、体躯は縦横厚みが2倍にスケールアップ。食人以外の思考を喪失した、文字通りの餓鬼と化す。
ゾンビや死んでから時間が経過した死体では腹は膨れず、生きながらに齧り殺すか、体温が残った死体でなければならない。

WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING―WARNING


「正常感染者。処理スル」


875 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:58:46 m8ZhntTA0
――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。


明らかに僕らを見て言葉を発し。
僕らのほうへとゆっくり迫ってきます。

「ひええええっっ!!」
何ですかあれ〜〜〜!!??
その異能を見た途端に、僕は一切の命乞いを放棄して、お尻まくって逃げ出しました。
あんなの勝てるわけないじゃないですか〜!!
イヤだイヤだイヤだイヤだ追いかけてこないで〜!!


――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

「えっ、ちょッ……与田さん!?」
碓氷さんが慌てている声も聞こえましたけれど、銃なんかよりずっと怖いんだから仕方ないじゃないですかああ〜〜!
もうやだ、僕は逃げます! 研究もウイルスも全部お任せしましたから!
だから追いかけてこないでください〜〜!!




876 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:59:09 m8ZhntTA0
――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

「なんだよありゃ……」
碓氷たちが出て行ってすぐ、小田巻の再度の絶叫。
あいついい加減にしろよと横目で見やると、僅かに開いた扉の隙間からとんでもねえ怪物が見えた。

「ねえ、マジュ? SSOGは生物兵器でも投入したのかしら?」
んなわけねえだろ! と言いたいが、ハヤブサⅢに情報を与える必要はない。
研究所の生物兵器か、それともまさかあれが大田原さんなのか?
とても理性があるようには見えない。ターゲットでもない限り、近寄りたくはない相手だ。

だが、考えようによっては好機だ。
あんなのがうろついている以上、ヘタに騒げば蜂の巣を突っついたような騒ぎが起こる。
あたしの武器は鉄甲鉄足。銃と違って最小限の音しか出すことはない。

雪辱戦。
あたしは豪華客船、保育園に続き、ハヤブサⅢとの三度目の対峙を果たした。




877 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:59:25 m8ZhntTA0
――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。


ふざけるなふざけるなふざけるな!
なんだこのゾンビのボスみたいなデカい化け物は!?
どこから湧いてきたんだ、こんなのがいるなんて聞いてないぞ!

デカい的なら僕の腕でも銃は当たるんじゃ?
そんな甘い考えは一蹴された。
怪物は片手で部屋のドアを外し、機動隊の盾のように構えて迫ってくる。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

ダメだ、こんなの勝てるわけがない!
幸い、怪我をしているのか。
力は圧倒的だが動き自体はそこまで早くはない。
脱兎のごとく先に逃げ出した与田さんの後を追うように、僕も廊下を駆けだす。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

後ろから迫りくる足音が鮮明に聞こえる。
明らかに僕を追いかけてきている!

「ひええぇぇぇっ!!!」

与田さんは扉を開けて、階段部屋に飛び込むと、そのまま扉を閉めやがった!
おいふざけるな、ただでさえヤバいのに追われてるんだぞ!?
せめて開けたまま逃げろよ!

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

「くっ、こんなときに……!」
服のポケットの中に入れているカードキー。
ポケットの隅にひっかかって取り出せない。
急いでるってのに!

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

取り出せた。
与田さんは研究員だ。研究所の構造に詳しい彼についていけば、撒くことはできるはずだ。
まだ距離はある、焦るな僕。
そう心を落ち着かせて、カードキーを扉にかざす。

――ピーッ ピーッ ピーッ
――権限レベルが足りません


878 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:59:43 m8ZhntTA0
「はっ……?」


――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ピーッ ピーッ ピーッ
――権限レベルが足りません

「ウソでしょ……?」


――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ピーッ ピーッ ピーッ
――権限レベルが足りません

「なあ、誰か! 誰か開けてくれ!!」


――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ピーッ ピーッ ピーッ
――権限レベルが足りません

「与田さん、小田巻さん! 誰でもいい、開けてくれ!!」

――ずしゃ。

      ――ずしゃ。

――ピーッ ピーッ ピーッ
――ピーッ ピーッ ピーッ
――ピーッ ピーッ ピーッ

――権限レベルが足りません
――権限レベルが足りません
――権限レベルが足りません


――ずしゃ。
後ろから足音が迫ってくる。
      ――ずしゃ。
ずん、ずんと確かな質量を伴った足音が追ってくる。
――ずしゃ。
ドンドンと扉を叩いても何の反応もない。
      ――ずしゃ。

――ずしゃ。
「冗談じゃない! こんなところで、こんなところで!」
      ――ずしゃ。
ここまで来て、死にたくない。
死んでたまるか。


879 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 22:59:57 m8ZhntTA0
そのときだった。
不思議な感覚に襲われた。
脳が二つあるかのように、感覚が冴えわたっていく。
自分をどこか遠くから俯瞰しているような気分になる。

これは、昨晩と同じだ。
自分の中に新しい器官が生えてきた感覚。
異能があると理解したからこそ、その異能が進化していったのだと分かる。
見えるのは信用度だけじゃない。相手の危険度までもが光として視えるようになった。

――ずしゃ。
だから。

      ――ずしゃ。
透明だった怪物から、眩いばかりの赤が迫ってくる。




       赤。




   赤。



       赤。


   赤。

       赤。
   赤。

「う、うわあああああああああっっっ!!!!!!」


880 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 23:00:14 m8ZhntTA0
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。


881 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 23:01:58 m8ZhntTA0
言葉の通用しない怪物に、交渉も立ち回りもあるはずがない。
頭をわしづかみにしようと迫る手の形をした赤。
僕の視界にはもう赤しか見えない。
その赤が、一瞬、血のように濃い赤に染まったかと思うと。
世界の色は反転。僕の視界には、漆黒しか映らなくなった。


【碓氷 誠吾 死亡】

※災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール)、ザック(古地図)
 スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾2/5)、研究所IDパス(L1)、治療道具
以上はB2F階段部屋前の廊下に散らばっているかもしれません


【E-1/地下研究所・B2 通信室/1日目・午後】
【田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:H&K MP5(12/30)、使いさしの弾倉×2、AK-47(19/30)、使いさしの弾倉×2、ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、研究所の見取り図、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.黒木真珠を切り抜ける
2.スヴィア達と合流

【黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:鉄甲鉄足、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、研究所IDパス(L1)、LED懐中電灯(碓氷誠吾より徴収)
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.ハヤブサⅢを殺す。
2.氷使いも殺す。
3.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています

【E-1/地下研究所・B2 神経工学研究室/1日目・午後】
【乃木平 天】
[状態]:短時間の気絶、疲労(中)、ダメージ(大)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
4.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。


882 : Tyrant ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 23:03:43 m8ZhntTA0

【E-1/地下研究所・B1〜3 階段部屋のどこか/1日目・午後】
【与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、研究所IDパス(L3)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.大田原から逃げる

【E-1/地下研究所・B1 or B2の通信室以東の部屋のどこか or B3/1日目・午後】
【小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾4/5)、血のライフル弾(5発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、研究所IDパス(L2)
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.大田原から逃げる
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。

【E-1/地下研究所・B2 階段部屋前廊下/1日目・午後】
【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、意識混濁、脳にダメージ(特大)、食人衝動(限界)、脊髄損傷(再生中)、鼓膜損傷(再生中)
[道具]:防護服(内側から破損)、装着型C-4爆弾、サバイバルナイフ、遺伝子操作室の扉
[方針]
基本.正常感染者の処理……?
1.感染者ヲ、ショリスル
2.正義ヲ、執行スル
※脳に甚大なダメージを受けました。


883 : ◆m6cv8cymIY :2024/02/04(日) 23:04:13 m8ZhntTA0
投下終了です


884 : ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:43:55 FhWcSIi60
投下します


885 : 穢れ亡き夢/其は運命を―― ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:44:30 FhWcSIi60


そして物語(せかい)は、悪徳に螺子(ねじ)曲がる






凍獄(ニブルヘイム)の戦場がここに具現した。
呪怨を宿した独眼の畜生が居る、親友の仇が眼前に居る。
だが、その心は太陽の如く熱くとも、凍土の如く頭は冷静に。

「――茜を殺した、あの時の」

憎しみと怒りの全てを抑え込める訳では無い。
ただ、それだけでは負けてしまうと理解(わか)っている。
あくまで珠が離脱するまでの時間稼ぎなのだから。
だが、眼前の敵は、余りにも不気味なように思えた。
輪郭がぶれている、というべきか。なんと言えば良いのか、安定していないのだ。
まるでその姿かたちが蜃気楼のように曖昧に見える。
一瞬だけ羆の姿に映ったり、かと思えば元の姿に戻ったり。

「……なるほど、そういうことか。あの女はやつが殺したということか」

一方の事、独眼熊はあの氷漬けになった少女の死体に合点が行った。
クマカイ、野生と言う矜持に縋り付いていただけの哀れな輩。氷の棺に眠っていた少女の下手人はやつだったということか。弔いのつもりだったのだろうか、それとも別の要因が働いたのか。

「どういう、意味?」
「貴様には関係のない話だ。――退け小娘」

尤ものこと、独眼熊には関係のない事だ。
己はもはや退治されるだけの獣ではない、人間を喰らう狩人。
怪異の軛より脱却し、"己を蔑ろにした神楽春陽を継ぐ者の血を滅ぼす"
氷使いの異能の小娘は油断ならないが、真の宿敵の気配を感じ取った今、相手にする時間すら惜しい。

「―――」

脳内に迸るノイズ。湧き出る誰かの怨嗟。
己の内に巣食う"それ"の鼓動。抑えきれるものではない。
■■■が顕現した今、独眼熊もまたその影響を受ける。

『我には殺さなくてはならぬ相手がいる。退かぬならここで死ね』
「………!」

その"変質"は、氷月海衣ですらはっきりと分かる程。
何かへの怒り、何かへの憎悪。氷月海衣が朝顔茜を殺した相手へと抱く感情と同じ。
この畜生もまた、復讐者なのだと、本能的に察したのだ。

「……残念だけど、それを聞いたら尚更通せない」

だが、それを聞いたら尚更の事だ。そもそも茜の仇を相手に「はいそうですか」と従える訳がない。
仲間が狙われているかも知れないというのなら、尚更の話であるがゆえに。

『愚かな、只人ならば見逃しても構わぬつもりだったが、汝も朝廷に与するなら容赦はせん』 

"独眼熊(■■■)"が、そう残念そうに呟いた。
もはや容赦はなし。朝廷に、あやつに与するなら須く同罪である。

『「……殺し、引き裂き、その肉ばら撒いてやろう」』
「私は死なない。いや死ねない。まだ、何もわからないままで、死ぬ訳にはいかないから」

両者平行線。獣(のろい)は鏖殺のため、氷結少女は守るため。
だが、両者に共通する断片があるならばそれは復讐である。
大切なものを奪われた、その為の復讐心はある。
だが、それに踊らされるほど激情はしない。
独眼熊の背後に蠢く、黒い影。
■■■■への憎悪を体現するかのように揺らめく赤い瞳。
それがここの相手の異能なのかと、海衣が脳内で思考する。

では始めるとしよう、二人の復讐者。怪異と人間の戦いの前哨戦。
本命(かのじょ)は来るまで、あと少し


886 : 穢れ亡き夢/其は運命を―― ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:45:44 FhWcSIi60


世界というのは身勝手。
自分の知らない間に、人の心に土足で踏み込んで勝手に荒らしていく。
あの時だって、何も知らない自分の周りで大切なものが勝手に壊れていく。

『私は、時間を稼ぐ。だから、行って』

世界というのは身勝手で。
望んでもいないのに、勝手に何処かへ行ってしまおうとする。

『いき……たまえ。ボクから、伝えられることは……、すべて伝えた。
 キミたちの……、無事を……、祈る』

世界というのは身勝手で。
望んでもいないのに、勝手に背負い込んで泥の底へ落ちていこうとする。

『妾の行く先こそが王道である。
 駄剣は妾をどこぞに導こうとしているようだが、妾が駄剣の一振りごときに意志を変えられることはない。
 まして、小娘一人の勝手に振り回されるはずもなかろう』

世界というのは余りにも身勝手で。
そんな訳のわからない理由に殉じようとする。

『信じてくれ圭ちゃん! 俺はなにもやってない!』
『この期に及んでまだ嘘を付くのかよ、哉太!』

『珠ちゃん。あなたの記憶、あなたの想いはあなただけのモノだから。大切に…………大切にしてね』
『…………いいの、先生を……困らせないであげて』

ああ、そうだ。誰も彼も身勝手だ。
私はただ踊らされるだけで。
世界はどこまでも身勝手だ。
こんな悲劇、私は望んでいないのに。

だけど、自分がやれることなんてたかが知れている。
ただ、何かが起こる事がわかるぐらいで、それ以外何の役にも立たない。
けれど、どうしようもないこの。こんな悲しいことが。

違う。自分は守られるだけの立場に甘んじていただけかも知れない。
頼れる大人や仲間っていう逃げ場で怯えていただけかも知れない。
もう、そんな事は嫌だった。
自分が無力だからって、眼の前の悲劇や死を受け入れられるほど強くなれるわけがない。
そんなの、嫌に決まってる。
だから、こんな現実否定できてしまえれば、と思う。

ウイルス騒ぎだとか、化け物騒ぎだとか、山折村の伝承だとか。
心底ふざけないでって思う。
巻き込まれる私たちの身にもなって欲しい。

私はこの山折村の事が好きだ。
みんながいるこの場所が好きで、ほんの少し不穏なことがあったとしても。
それもまた村特有の因習だかもそこまで気にしなかったから、嫌いでもなかった。
それが、何もかもめちゃくちゃになってしまった。
運命に逆恨みしても同しようもないことだなんて分かっている。
それでも、たくさん犠牲がでて、たくさん酷いことがあって。

世界が変わってしまったというのなら、私も変わってやる。
世界が理不尽だというのなら、私はそれ以上の理不尽になってハッピーエンドを掴んでやる。

光が、見える。今までと違う、青い光の束。
阿弥陀籤みたいに、たくさんの光の糸が、たくさんの可能性(みらい)を映し出して。
その光の糸に触れれば、私は二度と元へと戻れないという予感を感じながら。
それでも―――もし、こんな残酷な現実を否定できるというのなら。



全てを救えなくても、せめて海衣さんや先生を、私の大切な人たちを救える力が手に入るとしたら。





―――私は。


『ぐじゅ、ぐじゅぐじゅ』
『脳髄が撹拌する』
『壊れ、目覚める。異能はストレスにより、さらなる段階(ステージ)へ』
『何故ならば、彼女は――』

『既知を壊すのは常に、歪んだ人の情念である』


&color(red){※"日野珠(■■■■)は、既に限界を迎えました"}


887 : 穢れ亡き夢/其は運命を―― ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:46:04 FhWcSIi60



「―――日野、くん?」

スヴィアにとって、何が起こったのかと言われれば、それを言葉として表す事はできない。
何故なら、何が起こったのか、本当にわからないからだ。
朦朧とした意識が、無理矢理覚醒させられたような、それ程の衝撃だ。

「……先生、ごめんなさい。私は、もう私に正直になることにします」

ほんの少しの後悔と、金色に錯覚するような決意から告げられた言葉が、火の玉の如く少女の口から飛び出した。雰囲気が変わったというべきか。いや、日野珠という少女の本質に変わりはない。
行動力の化身、思い立ったが吉日。
だが、それでも。何かが、変わった。
ストレスによってウイルスが活性化されたのか、スヴィアが真っ先に思考した仮説がそれになる。
だが、これは何だ? 何かが違う。ストレスによるウイルスの活性化と言うには、余りにも。
これは、まるで――。

「……日野くん。その、右目……?」
「……右目、ですか? 私は大丈夫ですよ?」

スヴィアから見た日野珠の変質。その右目が、黄金色へと変化していたことだ。
まるで、何かが宿ったかのような、そんな錯覚に陥るような。
だが、日野珠自身が不調を及ぼしたわけでもない。

「"スヴィア先生"。さっきの提案だけど、多分それしたら先生死んじゃう」
「なん、だって?」

その、断言するかのような言葉には、驚きを隠せない。
日野珠の異能は、あくまで何かのイベントが起きる、と言う漠然としたものしか分からないのだ。
そのはず、なのだ。

「…………………ボクが、何かしら巻き込まれて?」
「うん。多分、特殊部隊の人の戦いに巻き込まれて」

スヴィアの異能にて感知した上階の異変。
恐らく特殊部隊が巻き込まれたであろうアクシデント。
それで、放送室に向かった途端に自分も巻き込まれて命を失う、という筋書きになるのなら妥当性はある。

「まだ、ここにいた方が生き残れる。それにやっぱり、春ちゃんは放ってはおけない」
「…………っ」

どうして、ここまで自信に満ちた物言いなのか。
どうして、そう分かったかのように言えるのか。
これではまるで、「未来をその眼で見たような」口ぶりではないのか。
これは、異能なのか。本当に、これは異能なのか。

「……本当なら、先生には安全な場所で休んでほしんだけれど。多分、私の隣しか安全な所、無いかも知れないから」
「……そう、か」

最も、スヴィアには選択の余地はない。放送を利用するプランは後回し。
日野珠に担がれ、流れるままに身を委ねる他無い。

「ごめんね先生。本当は先生のことも手伝いたいんだけれど。やっぱり私、これ以上大切な人みんなに死んでほしくないって。……わがまま、かな?」
「構わない……さ。どうせ、一人では。それに………」

死んでほしくないと言われて、許してくれると言われて。今更命を投げ出すつもりなど無い。
だが許されないとしても、許してくれたこの尊き少女の優しさが、とても暖かったから。

「……ボクはまだ、生きていても良いんだね」
「……当たり前じゃないですか、死なせませんよ先生。絶対の絶対です」

そんな本音(よわね)を、日野珠は肯定する。絶対に死なせないと。もう誰も取りこぼしたくはないと。
既に手遅れがあったとしても、それ以上はさせないと。
煌めく黄金瞳(アイオーン)が、その意志(エゴ)に呼応するかのごとく、その瞳孔に世界を映し出している。


888 : 穢れ亡き夢/其は運命を―― ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:47:30 FhWcSIi60


「……そう、か。じゃあ、素直に、頼らせて、もらうよ……」

その太陽の如き心地よさに、スヴィアは委ねることにした。
だが、委ねたとして、ある疑問に対して思考は続けている。
日野珠の変化。ウイルスのさらなる活性化で瞳の色が変わる?
ただ、本当にそれだけで済むはずがない。それ以外の何かが起こったはずだ。
何せ、まるで未来を見たかの如き彼女の言い方。
それは彼女の異能の発展なのだろうか。安全・危険を可視化出来るようになったのか。
それはまだ、分からない。

(……まさ、か)

だが、ほんの少しだけ、浮かんでしまった憶測がある。
自称女王の尊大な口ぶりに忘れそうになったことだ。
忘れているわけではなかったが、忘れてはならない最重要のファクター。
未だ判別方法すらわからない原点。終わりの始まりにして始まりの終わりに位置するもの。

(――――日野くんが、女王?)

それは、荒唐無稽の極みの如き一つの推論でしかなく。
それは、希望が近くにいるという喜びなのではなく。
何か途轍もない何かが生まれたしまったことへの、危機感のような感情だった。



【E-1/地下研究所・B3 感染実験室前廊下/1日目・夕方】

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、&color(red){異能■■(???)}、&color(Gold){右目変化(黄金瞳)}、&color(red){???}
[道具]:H&K MP5(30/30)、研究所IDパス(L3)、黒い粉末、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.――世界が理不尽だというのなら、私はそれ以上の理不尽になってハッピーエンドを掴んでやる。
1.『光』を頼りに、スヴィア先生を安全な場所に避難させたい。あと姫ちゃんの事が心配
2.みか姉に再会できたら怒る。
3.春姫に再会できたら怒る。
4.―――――――――
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※黒い粉末をそのまま吸い込むと記憶を失い、再度ゾンビになる抽選がおこなわれます。女王感染者はゾンビになりません。
※異能が&color(red){■■}しました。スヴィアの推測では安全・危険の判断が可視化出来るようになったとされていますが、実際何が起こったのかは不明です
&color(red){※"日野珠(■■■■)は、既に限界を迎えました"}
&color(red){※"日野珠(■■■■)は、既に限界を迎えました"}
&color(red){※"日野珠(■■■■)は、既に限界を迎えました"}


【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:重症、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈、日野珠に対する安堵(大)及び違和感(極微小)
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート、長谷川真琴の論文×2
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.VHの解決方法を天原に連絡する。と言いたい所だが何か不穏なことが起こっているらしい……?
2.特殊部隊を欺き、犠牲者が出るのを遅らせる
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月や花子くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
5.……日野くん?
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません
※日野珠が女王であるという憶測が浮かんでいます、ただし真実であるとは限りません


889 : 穢れ亡き夢/其は運命を―― ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:48:27 FhWcSIi60


魔王が世界に現れたとき、それを倒す勇者も世界に生まれる。
魔王が力を強めれば、聖剣もその力を増す。
魔王が命を散らせば、聖剣もなまくらへと戻る。

だが、既に魔王の力は■■■によって取り込まれた。
純粋無垢なる願いの糧となった。つまり、生きてもおらず、死んでもいない。
魔王の魂は消えとも、魔王の力は別の呪いとなって存続する。

魔王無き今、魔王の力だけが残っているという矛盾の上で、聖剣はまだ力を保ったまま。
厄災の元へと、呪いの断片の元へと向かう神楽春姫は未だ知らない。
その矛盾が周囲に齎した影響を、まだ彼女は知らない。
奇跡は反転した、魔王の魂は大いなる呪いの糧となった。
世界は裏返る。裏返って裏返って裏返り続けて、元には戻らない。
もう取り返しはつかない。
物語は歪みきった。

「――今、往こうぞ」

全てが歪みきった事に、神楽の姫は未だ気付くこと無く。
自らが女王であるという確固たる自信もまた。
もしそれすらも、もし仮に偽りであった時、彼女は。


【E-1/地下研究所・B3 動物実験質前廊下/1日目・夕方】

【神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王
1.御守に導かれる先に赴く
2.研究所を調査し事態を収束させる
3.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※魔王が村に顕現したことで、宝聖剣ランファルトの力が解放されました。
だが既に魔王は呪いに取り込まれました。でも聖剣の力はまだ残っています。ナゼデスカ?


890 : 穢れ亡き夢/其は運命を―― ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:50:53 FhWcSIi60



『―――?』

■■■だけが、その違和感に気づく、だけ。
依代(独眼熊)に、何か。
自らの憎悪と共存し、同調し、独眼の熊は■■■の望みに従う。
ならば何の問題もない。
■■■は蘇った。彼の者の身体を得て蘇った。
あとは時さえ来ればいい。そうすれば望みは叶う。
忘れられた怨念は昇華され、その果てに尊き願いは成就する。
それでいい。それまでは、この独眼熊は―――。

■■■は気にしない、気にすることすら無い。今はただ、この邪魔をする少女を相手取るだけだ。







"オマエタチ"は身勝手だ。


呪いだかなんだかで、お前たち人間は獣の領分を犯す。


ウイルスもお前たちの憎しみも関係あるか。


野生(おれたち)を好き勝手にしたオマエタチは、報いを受けろ。


野生(おれたち)を穢した■■■(オマエ)も、報いを受けろ。


俺はお前の道具(からだ)じゃない。


―――ぐじゅ、ぐじゅぐじゅ。


―――異能は進化する、異能は進化し続ける。


―――ウイルスは進化する、適応する。


―――ケモノは適応する。否定するために、否定するために。





『まだお前の操り人形のままで居てやる、■■■。だが―――』






【E-1/地下研究所・B3 解析室前/1日目・午後】

【氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:H&K MP5(30/30)、スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵、緊急脱出口のカードキー、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.侵入者を足止めした後、花子たちと合流する。
2.研究所の調査を行い真実を明らかにする。
3.女王感染者への対応は保留。
4.茜を殺した仇(クマカイ)を許さない
5.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。
[備考]
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。


891 : 穢れ亡き夢/其は運命を―― ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:51:28 FhWcSIi60
【独眼熊】
[状態]:『巣くうもの』寄生とそれによる自我侵食(大)、クマカイに擬態、知能上昇中、烏宿ひなた・犬山うさぎ・六紋兵衛への憎悪(極大)、神職関係者・人間への憎悪(絶大)、異形化、痛覚喪失、猟師・神楽・犬山・玩具含むあらゆる銃に対する抵抗弱化(&color(red){※※※})、全身にダメージ(大)、分身が一体存在、異能&color(red){■■}中、&color(red){※※※?※※※?}、ウイルスとの適合率増大・現在進行系で適応中?
[道具]:リュックサック、アウトドアナイフ
[方針]
基本.『猟師』として人間を狩り、喰らう。
1.己の慢心と人間への蔑視を捨て、確実に仕留められるよう策を練る。
2.巣穴(地下研究施設)へと入り、特殊部隊の男(大田原源一郎)と共に特殊部隊含む中の人間共を蹂躙する。
3.人間共を率いた神楽春陽の子孫(神楽春姫)を確実に殺す。
4.隠山(いぬやま)一族は必ず滅ぼし、怪異として退治される物語を払拭する。
5."ひなた"、六紋兵衛と特殊部隊(美羽風雅)はいずれ仕留める。
6.正常感染者の脳を喰らい、異能を取り込む。取り込んだ異能は解析する。
7.『まだお前の操り人形のままで居てやる、■■■。だが―――』
8.???

[備考]
※『巣くうもの』に寄生され、異能『肉体変化』を取得しました。
※ワニ吉と気喪杉禿夫とクマカイと八柳藤次郎の脳を取り込み、『ワニワニパニック』、『身体強化』、『弱肉強食』、『剣聖』を取得しました。
※知能が上昇し、人間とほぼ同じ行動に加え、分割思考が可能になりました。。
※分身に独眼熊の異能は反映されていませんが、『巣くうもの』が異能を完全に掌握した場合、反映される可能性があります。
※分身に『弱肉強食』で生み出した外皮を纏わせることが可能になりました。
※■■■の記憶の一部が蘇り、銃の命中率が上昇しました。
※烏宿ひなたを猟師として認識しました。
※『巣くうもの』が独眼熊の記憶を読み取り放送を把握しました。
※脳を適当に刺激すれば異能に目覚めると誤認しています。
※■■■■が封印を解いたことにより、『巣くうもの』が記憶を取り戻しつつあります。完全に記憶を取り戻した時に何が起こるかは不明です。

























&color(red){寿ぐが良い、大地の流血を以て、我は何れ―――}






&color(red){※手遅れです手遅れです手遅れです手遅れです手遅れです手遅れです。適合は始まりました。もう手遅れです手遅れです手遅れです手遅れです}


892 : ◆2dNHP51a3Y :2024/02/05(月) 00:51:41 FhWcSIi60
投下終了します


893 : ◆H3bky6/SCY :2024/02/05(月) 21:16:07 P4iy25L.0
お二人とも投下乙です

>Tyrant

まさに混沌
花子ですら状況を読みきれていない状況である
たまたま特殊部隊の隊員が観光に来てたとか読める訳がねぇんだわ

その混沌の中心は間違いなく放り込まれた大田原さん
完全にホラーゲームで捕まったら即ゲームオーバーになるタイプのボス
村人たちはおろか特殊部隊側も大混乱ですわ、と言うかむしろ特殊部隊側の方が被害がデカくない?

そしてその犠牲者第一号は碓氷先生
特殊部隊でもエージェントでもなくただの教師であるにも拘らずここまで、口八丁と立ち回りだけでここまで生き残ってきたのは何気にすごいけど、言葉の通じない怪物に出会ったが運の尽きだったか、南無
与田センセと自己生存を優先するダメ男2人手を取って逃げてほしかったという気持ちもあるが、先んじて逃げた与田センセも逃げ延びれるのか

特殊部隊らしからぬ小田巻の立ち回りもマイナスだったけれど、状況を利用して戦術に組み込み立ち回る乃木平の成長を感じられる
しかし事態が飛びぬけ過ぎてどうにもならんのはかわいそう、やっぱ真面目な人間が割を食うんすねぇ

真珠と花子、因縁の2人も三度目の対峙
今度こそ逃げ場はない一対一の状況に追い込まれたし、ついに決着なるのか?


>穢れ亡き夢/其は運命を――

度重なるストレスについに珠が覚醒(?)守護られるだけだった立場から一皮むけるか?
未来視ならぬ運命視だろうか、元から活躍しまくってる異能がさらに強化されちゃうのは恐ろしい

そしてついに女王疑惑を持つ人間が現れた
自称女王の春姫さんの立場はどうなるのか、なんも変わらん気もしないでもない

そして、まだ自我があったんだね熊さん!これが野生の力か
圭ちゃんと同じくフリーライドされまくってるので依り代側にも頑張ってほしい


894 : ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:32:36 Mon5nXH20
投下します


895 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:33:16 Mon5nXH20


ホルス【Horus】


古代エジプトにおける神の一柱。
ハヤブサの顔をした男神。あるいはハヤブサの化身。
オシリスとイシスの子であり、太陽と月の瞳を持つ天空神である。

右目の太陽(ラー)の目は破壊と殺戮を司り。
左目の月(ウジャト)の目は守護と再生を司り、全てを見通す知恵の瞳であるとされている。

外敵と戦う神として、国家の守護神として信仰されている。





896 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:35:22 Mon5nXH20
地下研究所の実験準備室には地震の余波がまだ色濃く残っていた。
壁にはひびが入り、天井からは細かなほこりが舞い落ちている。

冷蔵庫や冷凍庫は倒れ、その中に保管されていたであろう特殊な試料や生体組織が床に散乱していた。
冷たい金属の床には破片や化学物質が散らばり、混ざり合った薬品から有毒ガスが発生している可能性もあるだろう。
部屋の隅にあるファンが異音を立てながら回転しかろうじて空気を入れ替えているが何とも心もとない。

そんな危険地帯となった準備室には昨夜の地震で多くの機器や装置が倒れて多くの死角が生まれていた。
その一つである大きな作業台の陰に、小田巻真理は身を隠していた。
こんな危険な場所に逃げ込んだのは、より大きな脅威から逃げるためである。

迫りくる鬼軍曹の影に迫られ、思わず目の前の実験準備室に逃げ込んでしまった。
だが、狭い室内に逃げ場はない。
こちらに気付かず通り過ぎてくれてと祈りながら、気配を遮断して息をひそめる。

小田巻の持つ気配遮断の異能。
この異能をもってすれば追手が獣染みた野生の勘を持っていてもやり過ごせる。
階段の方に逃げ出した研究員の方を追ってくれれば、小田巻を襲った嵐は去るのだが。

ドカン、と。

その願いを淡くも打ち砕くような轟音が響いた。

「……………ッッッ!?」

思わず漏れ出しそうになった声を押さえる。
どこかの壁が破壊された音だ。
爆薬などではなく、純粋な物理破壊によって。
考えるまでもない、こんなことができるのはあの怪物、大田原の仕業だ。

壁を壊されたのは小田巻の隠れている実験準備室ではない。
音の位置からして、恐らく向かいの――確か会議室だったか――その辺りだろう。

だが、これは好機だ。
大田原が会議室の探索に向かっているのなら、今のうちに準備室から抜け出して逃げる事も出来るだろう。
神経工学研究室に戻って扉に吹っ飛ばされた天の救援に向かう、という選択肢もあるだろうが、天には悪いがこのまま階段から別フロアに逃げるのもありだと思う。
あんな怪物とまともにやり合っていられるか! 私は別フロアに逃げさせてもらう! と言うやつだ。
いや、これじゃ死亡フラグだな。

心の声にツッコミを入れながら、小田巻が身を隠していた作業台の陰からそっと身を乗り出した。
耳を澄まして壁の外の様子を伺いながら、脱出を試みようとした、ところで。

ドカン、と。
三度、地に響くような破壊音が鳴り響いた。
同時にひしゃげた扉が準備室の中へと剛速球のように飛んできた。
扉は部屋奥の壁に叩きつけられ、跳ね返って瓶の破片や残骸を弾きながら地面に落ちる。

神経工学研究室の時と同じだ。
大田原が拳で破壊したのだ。

だが、会議室の探索を終えたにしては早すぎる。
まるで手あたり次第だ。
普段の大田原では考えられない乱雑さである。

大田原が来る。
入り口をふさぐ巨大な鬼のような怪物。
サイズの小さい扉周りのコンクリート壁を、ビスケットで出来たお菓子の家みたいに壊していく
素手でコンクリート壁を破壊するなど、いつもの大田原を上回る怪物っぷりである。
そもそも体格も倍近くあるし、頭には角が生えていた。
どう見ても人間やめている。

小田巻が生き残るには、もはや大田原を殺すしかない。
だが、殺せるはずがない。
心情的な話ではなく切実かつ世知辛い実力的な話である。

――――――本当にそうか?

ビビり散らかす小市民小田巻真理とは違う。
頭の奥底にある兵士としての小田巻真理が問う。


897 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:36:12 Mon5nXH20
よく考えれば、いやよく考えなくてもおかしい。
神経工学研究室や会議室もそうだが、実験準備室に鍵はかかっていない。
扉は普通に開ければいいし、標的を探しているのなら隠密行動を行うべきだ。
にもかかわらず、扉を開けるという当たり前の動作すらできずに、標的に居場所を知らせる愚かな行為を繰り返している。

そんな事をする必要がどこにある?

体格も膨れ上がり、身体能力は確実に強化されており、筋力は人間の領域を超えている。
見た目からして人の枠から外れている。
まるで理性のない戦うためだけの鬼だ。

常に心を動かさず任務を遂行するその冷徹さで効率的に相手を殺す。
大田原の恐ろしさは人類の極限とも言えるその合理性だ。

だが、今の大田原はまるで違う。
確かに今の大田原も恐ろしい。だがそれは獣や怪物としての恐ろしさだ。

これは強みではない。
明確な、付け入る隙だ。

――――――今の大田原であれば、殺せるのではないか?

小田巻が普段の大田原に挑めば10回戦っても10回負けるだろうが。
今の大田原ならば10回戦えば9回は普段以上に無残に惨殺されるだろうが。1回は殺せる気がする。

すっとと目が細まる。
呼吸は落ち着き、心音は限りなく平常に。
思考は鋭い刃のように一点に定まってゆく。

荒く息を吐く戦鬼。
圧倒的な強者は自身の存在を隠そうともしない。
その呼吸に合わせて、弱者は奇襲のタイミングを伺う。

気配遮断からの不意打ちであれば、確実に初撃は通る。
その一撃で殺せれば、それで終わりだ。

床に転がる薬品瓶の破片や注射針などまるで存在しないかのように、全てを蹂躙しながら戦鬼が進む。
準備室の片隅で息をひそめながら、小田巻は心中でその足音をカウントしていた。
その足音は果たしてどちらの破滅へのカウントダウンなのか。

そして、ついにその瞬間が来た。
大田原の歩みが近づき、巨大な足音が爆ぜる。
次の一歩が小田巻の潜む作業台を蹴り飛ばすように破壊したところで。
破壊された作業台の陰から、小田巻が飛び出した。

音も立てず、気配すらなく。
一瞬で大田原の懐に忍び込んだ小田巻は、自らの目線より高い喉元に向けて剣ナタを突き出した。

サクっと小気味よい音を立て、刃が喉に深々と突き刺さる。
小田巻はそのまま手首をひねると、刃を斜め下に振り抜いた。
パックリと切り裂かれた断面から、大量の血液が噴出される。

秒にも満たぬ一瞬。
瞬きの間に遂行された、完璧な暗殺だった。
だが、

「あ……………あれぇ?」

山のような巨体は不動のまま倒れず。
破裂した水道管のような大量出血も、すぐさま異常発達した筋肉の収縮により止血された。
そして血管の浮く赤い筋肉が蠢き、傷口が目に見える速度で再生を始める。

その余りに異様な様子に懐にとどまったまま固まる小田巻。
そんな小田巻を、血走った赤い瞳がギロリと見下ろした。

「あ……あの、痛かったですよね、へへっ」

愛想笑いを浮かべながら後ずさる。
だが、すぐに背後の壁に行き当たり、小田巻はあっという間に追い詰められた。
大田原は口端から涎と血をそれぞれ垂れ流しながら、歯軋りをしてゆっくりと距離を詰める。

「小ォォ田巻ィィィイイイイイイッ!!!」
「ひぃいいいいいいいいいっ!!! さーせんしたぁぁぁあああああああッッッッ!!」




898 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:38:04 Mon5nXH20
アメリカ、ネバタ州。
ラスベガスから程遠い砂漠の村でその少女は生まれた。

その村は人口が100人に届くかという程度の小規模な村でありながら雑多な人種のあふれる村であり、少女は中国系の血を引くアメリカ人であった。
少女は世界は様々な人間の溢れるものなのだと幼いころから体感で理解していた。

砂に囲まれた村の立地や規模に見合わぬほど、多くの人間が訪れていた。
その中には砂漠に合わぬスーツ姿の人間もよく見られた。
彼らが何であったのかを少女が知るのは10歳の誕生日を迎えたちょうどその日であった。

その村はとある政府機関の実験場だった。
少女も知らず、その実験の手伝いをさせられていたのだ。
実験場で事故が起こり、村は壊滅的な被害を被った。

事件はアメリカの誇る世界最強の秘密部隊によって人知れず処理された。
元よりその村はそのために作られた地図にも載っていない村であり彼女の故郷は最初からなかったことにされた。

過去すらも失い、生き残りである少女は復讐を誓った。
二度と自分のような犠牲を出さぬという、この世の理不尽に対する復讐だ。
エージェントとしての道を選び、彼女は復讐の鳥ハヤブサの名を受け、ハヤブサⅢと呼ばれた。




899 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:40:56 Mon5nXH20
「ずいぶんと外が騒がしいわね」
「気にすんな。今はあたしだけに集中してな」

通信室には浅からぬ因縁の女と女が二人きりで対峙していた。
特殊部隊員とエージェント。
平和な村にあってはならない裏の世界に生きる只人ならざる者たち。

「お熱い口説き文句ね。そんなに私と二人きりになりたかった?」
「ああ、氷の中に閉じ込められた時も、ずっとお前の事を思ってたぜ」

標的をどう殺すか。
ずっとそれだけを氷の中で考えつけ、殺意の炎を燃やしてきた。
ようやく、その炎を爆発させられる機会を得たのだ。

真珠は後ろ手に通信室の扉を閉じた。
望んだ一対一の状況だ。邪魔は入らせない。

自分の手で宿敵を仕留めたいという私怨も含まれていることは否定しないが、それだけという訳ではない。
一対一を望んだのは、もちろん合理的な理由もある。

足手まといがどうこうと言う話ではない。
腐っても特殊部隊だ、新人だろうと戦力としては申し分ない。
そうだとしても一対一の方が勝率が高い。

人数が増えれば必然的に戦場に偶然や淀みのような紛れも増える。
ハヤブサⅢはそういった紛れを生かすのが抜群にうまい。それこそ呼吸でもするように。
だからこそ、その紛れを無くすために一対一の状況を作るのは任務達成の絶対条件である。

「一応聞いといてやるぜ。お前、この研究所で何を調べてた? 何を知った?」

聞いたところで答えるはずもないのだが。
保育園での再現のように秘密特殊部隊隊員としての義務として一応尋ねる。

「――――――『Z』について」

だが、意外にも答えがあった。
その答えに真珠は首をかしげる。

「『Z』? んだそりゃ?」
「やっぱり、あなたたちは知らないみたいね」

戦闘において兵士は一日の長があるが、情報においては諜報員が先を行く。
諜報員と言う目と耳が得た情報を得て、指導者と言う頭が判断し、兵士と言う手足が実行する。
多少の違いはあれど、どの国でもそういう仕組みになっている。

この国の指導者は手足に伝えないと言う判断をしたのだろう。
武力でどうこうなる問題でないのだから妥当ともいえるが。

「調べてみなさい。真に救国の守護者でありたいのならね。
 その上で、私たちを殺すことが本当に正しいのか自分の頭で判断なさい。私のようになりたくなければね」

花子なりの忠告だ。
指導者の判断が常に正しいとは限らない。
花子自身、世界を救う妨害と言う今回の任務に疑問がなかったわけではない。

「知らねぇよ。テメェの頭で判断しろ? 誰に向かって言ってやがる。あたしらは上から与えられた任務をこなす、それだけだろうが」
「そう。ま、そういう奴よねあなたって」

わかっていたことだが、真珠は聞く耳を持たない。
頭の判断に疑問を挟まず実行する手足。
それが本当に正しいのかなんて疑問は呑み込んで然るもの。
そんな物は戦場では邪魔なだけ、少女のような甘い夢は童貞と共に捨てさるべきだ。
実行部隊としては実に理想的な兵士と言える。

「それ以上言うべき事がないのなら始めるぞ――――殺し合いだ」
「あら、話しを続けるのなら、付き合ってくれるのかしら?」
「はっ。んな訳ねぇだろ」

真珠は中段に拳を構えスタンスを広めに構えを取る。
閉じられた出口を塞ぐように位置取っており逃げ道はない。
戦う以外の選択肢はなさそうだ。

外から聞こえた声からして、最初に戦った特殊部隊の青年、小田巻と呼ばれた女、そして最強と名高い大田原。
目の前の真珠と合わせて、1人でも花子より強い一騎当千の特殊部隊が最低でも4人このフロアにいる。
なかなかに絶望的な状況だ。まともに遣り合えば、研究内の人間はまず間違いなく皆殺しにされるだろう。

「……どうしたものかしらねぇ」

余りにも大きすぎる課題を前にひとりごちる。
まずは目の前の強敵を乗り切らねばならない。




900 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:41:34 Mon5nXH20
日本のごく普通の一般家庭に生まれたどこにでもいるような少女だった。
それなりに余裕のある裕福な家庭で、両親はボランティアなどの奉仕活動に熱心であり。
少女もそんな両親に習い誰かを助けることに喜びを覚える、そんな誰にでも好かれ活発な少女だった。

事件は発展途上国への活動支援のため国際ボランティアに家族で参加したときの話だ。
中東を訪れ、両親と一緒に現地の小さな村で医療支援活動に従事していた際、現地のテロに巻き込まれた。
両親を殺害され、少女はその後消息不明となる。

次に彼女の存在が確認されたのはそれから8年後。
中東の某国で反政府組織に所属する謎の日系人が確認された。
隣国との紛争により某国がごと解体されたことにより、その存在が明るみとなった。
国家解体の動きの一助にその日系人の活躍があったと実しやかに噂されている。

彼女は組織内で光の象徴であるハヤブサの名を冠し、ハヤブサⅢと呼ばれていた。




901 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:42:18 Mon5nXH20
「くっ………………ぅう」

扉の破壊された神経工学研究室の中。
倒れた棚の下で乃木平天は意識を取り戻した。

何が起きた? 何分落ちていた?
戦況は? ハヤブサⅢの襲撃の結果はどうなった?
研究所に現れた大田原は? 小田巻はどこに行った?

次々と沸く疑問に混乱しそうになる頭を何とか落ち着けながら、心を落ち着け冷静に状況確認に努める。
まずは自分の上に乗っていた棚を両手に力を籠めて持ち上げる。

上半身がある程度自由になったところで横合いに歪んだ扉が転がっていることに気づいた。
どうやら自分の意識を刈り取ったのは、飛んできたこの扉のようだ。

巨大な拳大に凹んだ様子から、信じがたいことだが、殴って飛ばしたのだろう。
とても人間技ではないが、大田原であればあるいはと言ったところか。
だが、なぜ大田原がそんなことを? と言う疑問は拭えないが。

何者かに敗れ、小田巻によれば異能に目覚めた可能性もあるとのことだった。
ならば異能の副作用か。何らかの暴走状態にある可能性がある。
そうなると非常にまずい事態だ。
暴走する大田原など考えたくもない。

急がねばなるまい。
立ち上がった天は防護服に張り付く散らばったガラス片を払う。
防護服がなければ大怪我となっていたかもしれないが、幸いと言っていいのか目立った怪我はない。
飛んできた扉に打ち付けた肩が痛むが、行動に支障はなさそうだ。
慌てて部屋を飛び出すと足に当たった歪んだ扉が地面に転がりガランと音を響かせた。

廊下に出る。
だが、まずはどこに向かうべきか。
元の作戦行動に従い標的がいると想定される通信室か。
それとも、すでに戦場は移り変わっているのか。
状況がつかめない。

そう天が思案している所に、唐突に轟音が響く。
地下を震わす音の衝撃に、転がる扉がカタカタと鳴く。

幸いと言っていいのか、大田原の位置は分かった。
このような事が出来る人間など彼しかいない。
音からしてまだ戦闘は続いているようだ。

問題は、果たして、その相手が小田巻なのかハヤブサⅢなのかと言う点だ。
厳格に任務を守護る大田原は小田巻の存在を許しはしない。
立場上の上官である乃木平が間に入らない限りは確実に小田巻を殺すだろう。
乃木平が間に入ったとして暴走状態の大田原が聞き入れるかどうか。

どうかハヤブサⅢであってくれ、と祈りながら無人の廊下を駆け抜ける。
廊下にはまるでブルドーザーでも通ったようにひき潰されたゾンビたちの死体が散らばっていた。
角を曲がり扉の閉じられた通信室を通り過ぎる。急ぎ音の発信源と思しき最奥の部屋前まで駆け付けた

そこにあったのは、両脇には凄まじい力によって破壊された壁が二つ。
そして非常階段につながるであろう突き当りの扉の前には、無残にも食い散らかされた死体があった。
見る影もないが、衣服や頭髪の特徴からして碓氷だろうか。

そして崩れた壁から覗くその先に、鬼と見紛う巨大な男が立っていた。
はち切れんばかりに肥大化した筋肉。腕の太さと言ったら女性のウエストどころの騒ぎではない。
何より目につく頭部に生えた2本の角。明らかに人のそれから外れている。

だが、普段から怪物じみた印象だからだろうか。
変わり果てたその姿でも、すぐに大田原だとわかった。

その大田原に壁際に追い詰められているのは小田巻だ。
振り上げた拳に、今まさにトドメを刺されんとする瞬間だった。


902 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:42:46 Mon5nXH20
「止まってください、Mr.Oak!」

土壇場の光景に、思わず天が静止の声を上げた。
だが、今の大田原は傍から見ても分かる程、明らかに暴走している。
とても声一つで止まるとは思えない。

豪と風を切り、小田巻の顔よりも巨大な拳が振り下ろされる。
「ぎぃゃあああと」汚い悲鳴が響く。
だが、その悲鳴が強制的に止められることはなかった。

振り下ろされた拳が小田巻の顔面を平らに均す直前で、ピタリと止まっていた。
動きを止めた鬼の首がギギギと油の切れたロボットみたいに動く。
もはや白目とも黒目ともつかぬ血走った赤い目が天を捕らえた。

脳を破壊された大田原は、本能に従っている。
彼にとっての本能、秩序という名の本能に。
彼は秩序を果たそうとするが故に、立場上の上官である天の命令に耳を傾けざるを得ない。

拳を引いた大田原は天へと向き直り。
確かめるような足取りで目の前にまで歩いてきた。
準備室の奥では小田巻が必死の形相で何とかしてくれと言う視線を送っている。

天がゴクリと唾をのむ。
生物として隔絶した絶対的な差。
よく飼いならされた猛獣を前にしているようだ。
理性では安全であるとわかっているが、気まぐれ一つで命を摘み取られる本能的な恐怖がある。

「ノギ…………ヒラ」

戦鬼が言葉を放つ。
張り詰めた糸のように、ギリギリで絞り出すようにその名が呼ばれた。
ゆっくりと巨大な手が天に向かって差し出される。
それが何かを手渡そうとしているのだと気づき、躊躇いがちに天も迎えるように手を差し出した。

「これは……………?」

手渡されたのは小さなスイッチだった。
それは大田原が自決のために用意した爆破スイッチである。

暴走した大田原の現状。首に巻かれた首輪。
説明はされずとも、それだけで天はすべてを理解した。

大田原は自らの命の手綱を天に預けたのだ。
任務から、あるいは秩序の守護者として逸脱したのならば殺せ。
これはそういうメッセージだ。

「うぅぅああああああああああああああああああああああああっっ!!」

そうして、スイッチと共に最期の理性を天に預けたのか、本能のまま戦鬼が叫ぶ。
研究所の地下2階に咆哮が木霊した。
その迫力は防護服越しにもビリビリと伝わってくる。

「ぎぃゃあああああああああああああああああああ!!!」

咆哮に入交り小田巻の悲鳴も木霊する。
完全なる秩序の戦鬼と化した大田原は標的も向かって攻撃を開始した。




903 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:44:17 Mon5nXH20
イギリス秘密情報部、通称MI6。
彼女の祖父はそこに所属する一流のエージェントであった。
祖父は女王よりサーの称号を受けるほどの凄腕であり、父も母も一流の諜報員である。
そんなエリート一家で英才教育を受けた純粋培養のスパイ。それが彼女だ。

そんな尊敬すべき祖父に、ある日汚職の疑惑がかけられた。
そんなことがあるはずがないと、少女が一番よく知っていた。
少女はその汚名を晴らすべく働きかけ、それが祖父を狙う政敵による情報工作であると言う事実を暴いた。
学生の身分でありながら諜報員同士の情報戦を暴くという偉業。

その功績を称え、祖父は自らのコードネームを少女に受け継がせた。
ハヤブサの紋章を掲げるスパイファミリーの3代目。
コードネーム、ハヤブサⅢ。




904 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:46:02 Mon5nXH20
閉ざされた通信室では、女の戦いが開始されていた。
激しく攻め立てるのは防護服に身を包んだ特殊部隊の女。黒木真珠。
武によって研ぎ澄まされた鉄の拳と脚が、所狭しと乱舞する。

打撃において拳の硬さは破壊力に直結する。
握力で固めた拳が鈍器となるように、鉄で覆われた真珠の手足は頑丈な鉄板すらも穿つだろう。
まさしく全身凶器である。

雑多で狭い通信室を縫うように、鋭く放たれるハイキック。
蹴り足は頂点でピタリと停止し、そのまま斧のように踵が振り下ろされる。
そしてダンと打ち付けるように振り下ろした足を弾みとして流れるように正拳が二発。

全弾がガードしたところで骨ごと砕く、受けることすら許されない必殺の連撃。
それら全て踊るように避けるのはスーツ姿のエージェントの女。田中花子、またの名をハヤブサⅢ。

その『眼』を持って打撃を見極め、先を読むように回避する。
烈火のような連撃は全てがかすりもしない。

だが、敵も超一流の狩人である。
避けられようが連撃の手は止まらず、むしろ徐々にその速度を増してゆく。
如何に観えていても、体捌きの差で花子は次第に追い込まれて行った。

そして膝を狙った押し蹴りからの、跳ねるような中段の回し蹴り。
それらを躱した所で、ついに花子は僅かにバランスを崩した。
それを勝機と見たか。真珠は弓のように大きく拳を引き絞ると、大振りの一撃を放つ。

豪快に風を切るスイングパンチ。
バランスを崩した状態でこれを完全に回避するのは難しい。

これに対して花子は僅かに横に移動するだけで行動を済ませた。
回避にもならない動き。
だが、その動きを見て、どういうわけか真珠が大振りで振るった拳を緩める。
その隙に花子は床を転がり、完全な回避を成功させた。

「チっ。相変わらず小賢しい真似をしやがる」
「巧い立ち回りと言ってほしいわね」

戦場となっているのは通信室である。
花子の背後には通信用のコンソールがあった。
当然ながらそこには通信機器や精密機械が並んでいる。

真珠はプロフェッショナルだ。
ハヤブサⅢの抹殺は彼女に与えられた至上命令ではあるが、それは達成して当然の大前提である。
彼女は優秀であるが故に、その先を無視できない。

この先の展開を考えれば、放送設備は残しておきたい。
通信の遮断を命じられたのならともかく、自らの独断で破壊するのは躊躇われる。

素手格闘を主体とする真珠であるが、鉄甲で固められた真珠の拳は威力が高すぎる。
掠めるだけでも通信機器を容易く破壊しかねない。

だからこそ花子はその状況を利用するように、精密機器を背負って盾にするように立ち廻っていた。
これで大振りな大技は打ち辛くなったはずだ。
そんな小細工を真珠は鼻で笑い飛ばす。

「はん。それがどうした? テメェを殺すのに大振りな技なんて必要ねぇ」

言って、真珠が構えを変える。
空手のような大きくスタンスを取ったか前から、拳をコンパクトに構えたボクシングスタイルへ。

トン、トンと。
リズムを取るようなステップ。
そこから真珠の左腕が閃光の様に瞬いた。

放たれるのは格闘技における最速の打撃技、ジャブ。
主に牽制を目的とした威力のない打撃である。
だが、鉄甲を装備した真珠のジャブは人を殺せるジャブだ。

マシンガンのように散打される死の閃光。
花子はそれをスウェイとバックステップによって紙一重で避けると、その隙間を縫うようにAK-47を構え弾丸を打ち返す。
真珠は撃ち込まれた弾丸を鉄甲の角度を調整して弾きながら、何かを納得したようにわずかに頷く。


905 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:47:05 Mon5nXH20
「…………なるほどな」

乃木平から本部の予測は聞いていたが、保育園での戦いと今の動きを見て確信を得た。

「やはり――――先が見えているな。お前」

反応が良すぎる。
ジャブは見てから躱せるものではない。
予備動作から予測して躱すものである。

だが、今の動きはそのどちらとも違う。
予備動作を見てから躱すのではなく、予備動作の前に回避している。
未来でも見ていないとできない動きである。

「それを確かめたかったってこと?」
「ああ。敵の戦力把握は基本だろ?」

情報だけでなく自分の目で確かめる。
そうして初めて生きた情報になるのだ。
そして乃木平から聞いた成田の話によれば、数キロ離れた狙撃手の存在を捕らえたらしい。
豪華客船の時はそんな異常視力は持っていなかった。

「そしてお前の異能は目の異能だ。未来予知はその延長。
 つまり、お前が予知できるのは目に見えるものだけだ」

視覚を起点とした異能。
未来予知と言うのは確かに破格の異能だが。
能力が分かっていれば対抗策など馬鹿でも思いつく。

例えば音響弾のような目に見えない攻撃は有効な手段だ。
視力を起点とした異能である以上、目に映らない攻撃であれば予知の対象外となる。

「あら、見えない攻撃でもするつもり? 拳法家らしく気でも打ってくれるのかしら?」
「ま。遠当てもできなくはねぇが、実践的じゃあねぇな。なぁにテメェを攻略するにはもっと簡単な方法がある」

言って、真珠は重心を深く沈め開手に構える。
そうして、前傾姿勢のまま強く地面を蹴って。
アマレスもかじっているのか矢のように鋭いタックルが放たれる。
打撃だけではない、明らかに素人の域を超えた一流の動きだ。

打撃戦からの唐突なタックル。
確かに意表を突く動きだ。
だが、予知によってその動きは観えている。

その動きを予知した花子はタックルを切った。
後方に下がりながらそのまま真珠の肩に手を押し当て押しつぶすように体重を預ける。
だが、真珠は押しつぶされながら強引に滑り込むようにして手を伸ばし、花子の足首を取った。

そのまま足を引き寄せると、踵を握ってヒールフックの体勢に移る。
格闘技においても禁止されている危険な技だが、実戦に反則はない。
真珠は花子の踵を捻り相手の膝関節と靭帯を破壊にかかる。

だが、あまりにも強引な突撃であったためか拘束が甘い。
花子は完全に極まる直前で膝を抜いて拘束から抜け出すと、そのまま逆足で顔面を蹴る。
すぐさま身を引いて起き上がると、距離を取って離れようとするが、それを逃すまいと再度真珠がタックルを仕掛けてきた。

花子はその勢いを巧みに受け流す。
すぐに花子は反撃に出て後方に回り込むと腰に抱き着くようにして相手のバランスを崩そうとするが、真珠もまたバランスを崩さないように機敏に反応し花子の攻撃をかわす。

黒木が一瞬の隙を突いて反転すると、花子の腕を掴みフットスイープで足を掃く。
しかし、花子はその攻撃を予測していたように素早く体を捻って反撃に出る。
花子の脚が巧みに真珠の腕を絡め取り、アームバーの体勢に移行するが、真珠もまた素早く腕を抜き花子の攻撃を防ぐ。

凄まじい速度で展開される技の応酬。
マウントにでも持ち込むつもりかと思ったが、どうやら本気で寝技で戦うつもりらしい。

寝技は接触した状態での動きの読み合いだ。
体格と重量に差のない2人にとって、重要なのは感覚と触覚。そして積み重ねた技術と経験値だ。
こうなると視覚による未来予知は、無意味とまではいかないが、ほとんど関係がなくなる。


906 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:47:47 Mon5nXH20
確かに、異能対策としては正しい判断だろう。
だが、打撃戦の優位を捨てたのは愚策のように思える。

真珠は打撃のスペシャリストだ。
打撃戦に限定するならば特殊部隊の誇るサイボーグ、美羽ですらその技術をもって沈められる。
いかに未来予知があろうとも立ち技の打撃戦では分が悪かったのは花子の方だろう。

だが寝技であれば互角の戦いに持ち込める。
まともに遣り合えば不利は変わらないだろうが。
高性能であろうとも全身を防護服に身を包んだ状態では動きが鈍る。
ましてや、固い鉄甲鉄足に手足を包んだ状態ではグランドの攻防で大きな不利となる。

激しいポジションの取り合いの末に、花子が上を取った。
正面から首にギロチンのように腕を通すと、クラッチして仰け反るように締めあげた。
頸動脈を圧迫するギロチンチョーク。これであれば防護服の上からでも締め落とせる。

この状態で警戒すべきはナイフや銃と言った武器による抵抗だが、そのような行為を許す花子ではない。
武器を取り出すような真似を許さず、そのまま背筋に力を込めて相手の意識を刈り取りに行く。
首を締めあげられた真珠の手が足掻くように花子の腹部に触れた。

腹部に固い感触。
鉄の拳が当てられる。

瞬間、体内で衝撃が爆発した。

密着状態から、花子の体が僅かに跳ねる。
床を転がり拘束状態が解かれ、距離が離れた。

「ゴホッ……あぁ、ようやく当たったな」

一つ咳払いをして、締め付けられた喉元を抑えながら真珠が立ち上がった。
真珠は打撃を捨ててなどいなかった。
狙いは最初から寝技などではなく、組み着いた状態からの零距離打撃。
すなわち寸勁である。

「…………最初から、そういう狙いだった訳ね」

花子は血の混じった胃液をまき散らしながら後方へ転がっていくと。
足に来ているのか、足を縺れさせ倒れそうになったところを背後のコンソールに手をついて体を支えていた。

真珠は喉元を押さえているが、ダメージはその程度だ。
対して花子のダメージは内臓に来ている。
ダメージレースでは圧倒的に真珠の有利だ。
最悪な事にこれは組み着かれた時点で防ぎようがない、真珠はこのまま同じ手を繰り返すだけで勝てるだろう。

「……まぁ予想通りではあるけど、一対一じゃこちらに勝ち目はなさそうね」
「潔いじゃねぇか。降参でもするつもりか?」
「そうね、それも悪くない」

わかっていたことだが、直接戦闘では勝ち目がない。
真珠と花子では戦闘力には大きな開きがある。
一対一に持ち込まれた時点で花子の負けだ。


907 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:49:03 Mon5nXH20
「んなわけねぇだろ。テメェがそんなタマかよ。何を企んでやがる?」
「さて、何かしらね」

こんなところで潔く負け認めるような女ではないことは真珠が一番よく理解している。
何か狙っている。それは間違いない。
狙いがあるのなら迂闊に攻めるのは躊躇われる。

それとも何か狙いがありそうな素振り自体がハッタリなのか。
手札がブタでも、そういうブラフはお手ものだろう。
どちらの可能性は捨てきれない。
そう迷わすこと自体が時間を稼ぐ策なのか。

だが、この状況でそんな時間稼ぎをして何になる?
時間稼ぎは救援が望める状況でなければ意味がない。
むしろ救援が期待できるのは真珠の方である。
時間を稼いだところで花子に有利になることは何一つない。

あるいは別のフロアにいる仲間を逃がすための時間稼ぎか。
逃げ延びた白衣が合流して事態を知らせていればそれはありうる。
だが、真珠一人を足止めしたところで、他のメンツがフリーでは無意味だろう。

仮に、この時間稼ぎに意味があるとするのなら。
この場、この状況で使える何か、と言うことになるが。
そんな考えを巡らせながら、睨みつけるように観察をして。

「おい……何してやがる?」

花子が体で死角を作った後ろ手に、不審な動きをしている事に気づいた。
立ち上がるために手を突いたコンソールを操作している。

花子がこの通信室で通信画面を立ち上げた際に画面に通信ログ表示された。
その通信先の種別は三つあった。

本部との直通回線(Headquarters)。
村内への村内放送機能(Village)。
そしてもう一つ。

「特殊部隊の皆様ー! 正常感染者は通信室にますよー!!」

院内(Hospital)。
研究所内の研究員に連絡事項を伝えるための施設内への放送機能である。
地下研究所のB2フロアに花子の声が響き渡った。

その行為の意図が読めず、思わず真珠も一瞬呆けた。
そんな放送に何の意味がある?
だが、すぐさまその狙いに気づく。

瞬間。答えが来た。
その声に呼び込まれるように轟音が響く。

「なぁッ!?」
「正常ぉ感染者はああああ!! 処ぉお理するぅぅぅうぅうううううう!!」

正常感染者を殺す秩序の怪物が現れる。
隣室である認知神経科学研究室から、通信室の壁がぶち抜かれたのだ。

「さぁ、踊りましょうか。真珠」

二人きりの逢瀬は終わりだ。
混沌を引き込み舞踏会を始めよう。




908 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:50:15 Mon5nXH20
南米生まれの日系三世。
彼女の生まれた街にはマフィアや麻薬カルテルが蔓延っており、警察はマフィアと癒着して完全に腐敗していた。
それに対抗する自警団のような民間組織も存在したがマフィアたちに対抗しうるものではなかった。
力なき一般市民は食い物にされるばかりで治安はもはや崩壊していた。

だが、ある日を境に地元のマフィア組織が次々と壊滅していった。
対立するマフィア同士が潰しあい、あるいは内紛により崩壊して、それと癒着する警察幹部も次々とその立場を追われていった。
それらの出来事を裏で糸を引く者がいた。

空を飛びまわるように情報を操り、的確に敵を追い詰める恐るべき情報兵。
地元の自警団をまとめ上げ、武力ではなく、情報を操りマフィアたちを崩壊させた。
杳として知れないその正体が10にも満たない少女であるなど誰が信じようか。

伝令役として3匹のハヤブサを操ることから彼女は畏怖と尊敬の念をもって敵味方からこう呼ばれた。
ハヤブサⅢと。




909 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:51:49 Mon5nXH20
通信室と認知神経科学研究室の壁がぶち抜かれリフォームされた地下研究室。
戦場は壁を越え手狭な通信室から認知神経科学研究室へ場所を移していた。

地下深くにある研究者たちの楽園は、戦士たちが踊り狂う戦場と化していた。
全員が血の匂いが染みついた戦場を謳歌するものたち。
この領域に常人など一人もいない。

この戦場の中心に吹き荒れるのは触らば死する暴虐の大嵐だ。
それは脳の損傷と強烈な飢餓によって理性を失い、秩序という名の本能のままに暴れ狂う、大田原源一郎という名の戦鬼。
その標的となるのは正常感染者である花子と小田巻だった。

今の大田原は対象が目に入り次第に考えなしに襲い掛かるだけの狂戦士だ。
壁や地形すらも物ともせず突き進み、触れるだけで人を殺す。
人外染みたスピードとパワーで、純粋な暴力を相手に向かって叩きつける。

その圧倒的な暴力は標的のみならず、そうでない者にとっても十分な脅威だ。
暴の嵐に下手に巻き込まれればそれだけで死あるのみだ。
防護服を貫く攻撃を受けてはならないという制約以前に、まともに食らえば防護服の性能をぶち抜いて一撃死だろう。
故に、誰も下手に突っ込むことができず、嵐の中心には妙な空白ができていた。

その嵐の中心に自ら突っ込む者がいた。
特殊部隊の集結したこの場における唯一の例外。
エージェントである田中花子を名乗る謎の女。
彼女はハヤブサⅢと呼ばれていた。

彼女は台風の目の如く、そこが一番安全圏だと言わんばかりに大田原の懐に向かって自ら飛び込んでゆく。
死中に活を見出すにしても命知らずにも程がある。
とても正気ではない。

何より、特殊部隊の精鋭4人に囲まれ標的として全員に狙われている絶望的なこの状況で、いまだに生存している。
それだけでこの女の異常さは理解できるだろう。

そんな花子を仕留めんと一人の刺客が飛びかかった。
この地においてただそれだけの任務を愚直に追い続けて女、黒木真珠。
彼女は隙を見てハヤブサⅢに向かって攻め入ろうとするが、そこにすべてを吹き飛ばす勢いで鬼の巨体が割り込んだ。

「…………くっ」

周囲を巻き込むような剛腕が振るわれる。
巨大なその一撃に遮られて、たまらず真珠も身を引かざるを得ない。

これは偶然などではない、大田原が巧く使われている。
こうならないよう一対一を望んだのに。
真珠として最悪の展開だ。

花子は未来予知を駆使して大田原の攻撃から身を躱す。
威力も速度も大したものだが、巨体ゆえに機敏さがなく工夫もないため読みやすいし躱しやすい。
花子からすれば今の大田原よりも真珠の方がよっぽど厄介だった。

「処ぉ理するぅぅぅぅぅうううう!!」

獣の唸りのような声を上げ、暴走特急のように突き進む戦鬼の猛攻。
それをひらりと躱しながら、花子は徐々に立ち位置を変えてゆく。

「え、ちょ…………ッ」

その先にいるのは小田巻だ。
自らを囮に大田原を誘導していき、最後に入れ替わるようにターゲットをスイッチさせる。

自分が標的になったことに気づいた小田巻は戸惑いながらも咄嗟に構えたライフル銃で迎え撃つ。
血の弾丸が、巨人の脚を貫くが進撃は止まらない。
恐るべき圧力と共に突進して、首ごと持っていくような腕を振るう。
小田巻は悲鳴を上げながらも転がるように身を躱して難を逃れた。

小田巻も名目上は天の指揮下に入りハヤブサⅢの討伐に加わっているが、他の隊員と違い正常感染者である彼女は秩序の鬼の標的でもある。
正直、戦っている場合ではない。
自分の生存が最優先、この場では逃げの一手だ。

という訳で、現場をほっぽり出して逃げようかと目論んだところで、足元に銃弾が撃ち込まれた。
バララララと、MP5によって張られた弾幕を小田巻はタップダンスのような足踏みで避ける。
花子の妨害だ。

「あら? 12時にはまだ早いんじゃなくって?」
「用事があるのでお構いなくぅぅううう」

まだ舞踏会から立ち去られるわけにはいかない。
花子にとってターゲッティングを分散させる小田巻の存在は生命線だ。
花子が行っているのは異能を使ったペテンのようなものだ
あのスペックで狙われ続ければすぐに追い詰められるだろう。


910 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:53:13 Mon5nXH20
弾幕に足を止めた小田巻に大田原が迫る。
とどめを刺されんとするその直前に、横合いから大田原の頭部に弾丸が撃ち込まれた。

「ほらほら、鬼さんこちらっと」

同時に殺されるわけにもいかない。
適度なところで太田良らにも銃弾を撃ち込み自分にヘイトを向ける。
常に全員が動き回り流動する戦況を完全に彼女がコントロールしていた。

彼女はこの戦場で常時に未来予知と言うエンジンをフル回転させ続けていた。
焼きつくように脳と目の奥が熱を帯びる。
だが、止めるわけにはいかない。

彼女を攻略するにはこの異能を攻略する必要がある。
そして、その攻略を目指すものが一人。
戦場の中心が大田原なら、戦場の大外にいるのが特殊部隊側の指揮官である乃木平天だ。
天は全員の動きを把握できる一歩引いた位置にあえて身を置いていた。

ハヤブサⅢの意識は大半が大田原に割かれている。
後の意識は逃げようとする小田巻の足止めと、自分を狙う真珠の対応に振っていた。
そこから天は浮いている。その状況を利用する。

大田原を利用する動きを見せる標的の更にその先を読んでクレバーに立ち回る。
敵の視界から逃れるように回り込み、予知の範囲外である死角へ。
戦場の中心である大田原の動きに合わせ、その背後から花子を銃で狙撃した。

だが、花子は天に一度の視線もやることなく、予知不可能な背後からの銃撃を避けた。
必要最低限の動きで完璧に、それこそ未来でも予知していたかのように。
未来予知、推定される彼女の異能。

だが、それだけは足りない。
視覚を起点とする異能である以上、死角からの攻撃は避けられないはずだ。
それを躱した以上、何かを見誤っている。

何を見誤っているのか。
その答えを求めて天は敵の姿を観察する。
すると、すぐにその変化に気づいた。

太陽と月の瞳。
戦場で踊る女の瞳に変化が生じていた。
左目に月、右目に太陽の文様が浮かぶ。

その異能の名は『全てを見通す天の眼(ホルス・アイ)』
天空神の名を冠す知恵の眼。
彼女は天空から見下ろすかの如き視界を得た。

人間の視界を超えた俯瞰の視界。
彼女には戦況のすべてが観えている。
そうでなければこの戦場をコントロールすることなど不可能だ。

だが、ありえない視界を得たところで、常人であれば常と異なる視界に混乱するばかりだろう。
その視界に瞬時に対応して駆使していることこそが、この女の異常性だ。

天空神の瞳が戦場を見渡す。
大田原は小田巻を狙って猛攻を仕掛けており、小田巻は逃げ腰の体勢で逃げ回っている。
堂に入った逃げっぷりだ、後5秒くらいは持つだろう。

天は少し離れた位置から様子を伺っている。
こちらの変化に気づいたようだ。だが詳細まではつかめていない。
いくつかの推論を立て、確認と確証を得ようと動くだろう。

真珠は変わらず、ただひたすらにこちらを仕留めんと向かってくる。
この場において一番厄介な相手だ。
そんな真珠から逃げるように花子は跳ぶように地面を蹴った。

その先にいるのは大田原だ。
隙を晒して自らに近づく標的に反応して大田原が反応を示し、それが真珠の攻撃を遮る壁となる。
真珠は強く舌を打ち、花子を殴りつけるはずだった拳をそのまま大田和の脇腹に叩きこんだ。

分厚いタイヤのような感触。
だが、その奥で確実に骨を砕いた手応えがあった。
特殊部隊最強の拳だ。真珠の鉄拳はこの怪物にも十分に通じる。

「さすがに邪魔だぜ、大田原サンッ!!」

真珠の目的はあくまでハヤブサⅢの抹殺。
その障害となるのであれば仲間であろうと排除するまでだ。
だが、

「ぅぅううおおおおおおおおおお!!! 正ぃぃ義ぃぃいいをぉぉお執っ行するぅぅぅううう!!」

秩序の咆哮は止まらず。
元より痛みで止まるような人間ではないが、そもそも痛みをまるで意に介していない。
殴りつけた傷も、すぐさま再生を始めた。
筋力だけではない再生能力も怪物じみている。


911 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:54:45 Mon5nXH20
「チィ……ッ!?」

暴れ狂う暴虐の手を後方に下がって回避する。
指先が掠めるだけで防護服など引きはがされるのだから溜まったものではない。
仲間だろうと排除する覚悟はあるが、排除しようにも余りにも強大すぎる。
少なくとも真珠一人では不可能だ。

「乃木平ッ! 決断しろ!」

司令官の叱咤するように真珠が叫ぶ。
この状況、明らかに大田原が癌だ。

任務達成を考えるなら、まずは全員で大田原を仕留めるべきだ。
ハヤブサⅢはその次に殺ればいい。
それがこの状況における最適解である。

今の大田原は正気ではない。
見た目からしてそうだ。
大田原はもう切り捨てるべきだ。

任務の達成のためなら真珠は仲間であろうと排除できる。
小田巻も自分が生き残るためなら仲間であろうと殺せる。
だが、天だけが大田原に対して半端なスタンスをとっていた。

当然だろう。
何せ相手は秘密特殊部隊最強。
日本の至宝。国防の要だ。

男子なら誰もが一度は憧れる、地上最強。
武闘派とは言い難い乃木平といえど、それは例外ではない。
むしろ対極であるからこそ強い憧れがあった。
天の手にはそんな大田原(さいきょう)の命を終わらせるスイッチがある。

このスイッチを託された意義を問い返す。
大田原が兵士として逸脱したならば殺すべきだ。

「何とかしてくださいよぉ! 乃木平さぁああん!!」

助けを求めるように小田巻が叫ぶ。
大田原は正気を失った今でも、純粋に与えられた任務を遂行し、兵士足ろうとしている。逸脱はしていない。
その基準で言うなら、正常感染者(ひょうてき)である小田巻を取り込んだ乃木平たちの方が逸脱しているだろう。

確かに、現状では状況を動かす駒としていいように利用されているが、これはこの状況を利用できるハヤブサⅢが異常なだけだ。
ハヤブサⅢの討伐さえ完了すれば、正常感染者を刈る最強の死神として大いに任務達成の助けとなるだろう。
ここで切り捨てる理由には足らない。

迷いを見せ決断を下せない天の態度に真珠が舌を撃つ。
同時に、その迷いを撃ち抜く銃声が響いた。

天が構えていた銃に弾丸が当たり、遠くに弾き飛ばされる。
撃ったのは花子だ。
視線を向ける事すらなく、背中越しに真後ろの天に向かってAK-47の銃口を向けていた。

ここまで花子が思うままに状況をコントロールしているように見えるが、彼女に余裕など一欠けらもない。
一秒たりとも気を抜かず、常に神経を張り巡らせて、己が全能力を駆使しているのだ。余裕などあるはずもない。
血を吐き命を削るように戦わなければこの戦況は維持できない。

そこまでしても出来るのは状況を凌ぐだけ。
ただ凌いでいても状況は変わらない。
残弾という現実的な制限時間もある。
できるなら今のうちに戦力を削っておきたい。

戦場を引っ掻き回す役の大田原、ヘイトを散らす囮役の小田巻。
この2人は状況を維持するために必要だ。
どちらかが欠けた時点で圧倒的戦力によって花子は即座に蹂躙されて死ぬだろう。

一番厄介な真珠を仕留められれば理想的だが、常にこちらの隙を伺い続ける相手を仕留められれば苦労はしない。
そうなると標的は一人だ。

リスクを取ってでもここで1人仕留める。
大田原に背を向け、銃を取り落した天へと反転する。

反転しながら弾切れしたAK-47のマガジンを抜きその場に投げ捨てる。
ここから腰元の弾倉を引き抜き、マガジンを交換して天を撃ち抜くのに3秒とかからない。


912 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:55:10 Mon5nXH20
俯瞰の予知により全員の動きと未来は見えている。
この3秒に邪魔は入らない。確実に仕留められる。
そう確信した花子が迅速にマガジンを交換しようとしたところで。

手を滑らせ、掴んでいたマガジンを取り落した。

まさかの失態である。
戦況の未来を見渡す万能とも言える異能。
だが、そこに一点だけ、見落としがあった。

俯瞰であろうと見えないモノがただ一つだけある。
それは観測者である自分自身だ。
張り詰め続けた極限の状況に加え、左手の凍傷によって精密動作に支障が出た。

すぐに取り落しかけたマガジンを空中で掴みなおす。
秒に満たないコンマの遅れ。
だが、この極限の戦場では致命的な隙だ。

そこに背後より迫る、空間ごと抉り取るような戦鬼の魔手。
振り下ろされるその一撃の軌道上にあったAK-47は無惨に破壊され、身を躱した花子の腹部を指先が掠める。
それだけで丈夫なスーツが引き裂かれ、腹部の肉が抉れた。血飛沫が飛ぶ。
あと1センチ深ければ、内臓ごと抉りだされていただろう。

だが、避けきった。
致命傷には至らず、行動に支障はない。
すぐさま花子は崩れた体制を立て直そうとするが、それよりも早く彼女に迫る影があった。

暴の嵐の渦中に飛び込む女が一人。
それはこの地においてハヤブサⅢを仕留めるという特殊任務を一途に貫き続けた者。
黒木真珠。

驚くほど冷静に真珠は標的を視界に捕らえていた。
ようやく生まれた決定的な隙。
全てはこの瞬間。この一撃のために。
彼女はそれ以外の余分に思考を割かず、ただ待ち侘びてきた。
そんな、彼女がこの瞬間を見逃すはずがない。

息遣いすらわかる距離。
見惚れるほど美しい所作で全身が流動して拳が伸びる。
足先から拳へ向かう勢いが加速し、風を切る音が響いた。

必撃必滅。鉄拳制裁。
分厚い鉄板すらも砕く渾身の正拳が花子の体に直撃した。

衝撃が爆発する。
骨の砕ける音が研究室に響き、花子の体が通信室に放り込まれるように吹き飛ばされた。

会心の一撃が決まった。
だが、この一撃を叩きこむために、彼女が踏み込んだのは戦鬼の暴れ狂う危険領域だ。
そこに飛び込んだ真珠も、当然その代償を支払う事となる。

正拳を打ち終わった真珠の体を、降りぬかれた戦鬼の剛腕が巻き込んだ。
交通事故のような衝撃を受け、錐もみ回転しながら真珠の体も花子の後を追うように通信室に向かって弾き飛ばされる。
人とは思えぬ速度で飛んで行って研究室からでは見えなくなった。

そうして花子と真珠が退場したことにより、戦況は一変する。
認知神経科学研究室に残されたのは天と小田巻、そして秩序の怪物、大田原。
花子がこの場から退場した以上、戦鬼のターゲットは小田巻に絞られる。

「何やってるんですかぁ乃木平さぁん!? 助けてください!!!」

未熟な新人である天と小田巻では暴走する大田原を止められない。
このままでは小田巻は確実に殺されるだろう。

そんな小田巻を助ける手段を天は文字通り手にしている。
小田巻を助けるのならばこのスイッチを押すしかない。
だが、そうなれば大田原を殺すことになる。

大田原か小田巻か。
賭けられているのは敵ではなく仲間の命だ。

標的である小田巻を殺そうとする大田原は秩序の守護者として正しい。
だが、清濁飲み込み小田巻を取り込んだ判断も秩序を守護るための正しい判断だったはずだ。

果たして、どちらが正しいのか。
何を選べばいいのか。

正しい答えがあるのかもわかない。
天は、そんな決断を迫られていた。




913 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:56:44 Mon5nXH20
以上がコードネーム「ハヤブサⅢ」の過去に関する調査結果を報告するものである。
詳細な経歴や事件に関わる経緯については、矛盾する過去が散見するが、これらはすべて現地の証言者への裏取りや公的書類や記録などの物証も確かな精度の高い情報である。

別人の経歴をロンダリングしたものであると考えられるが。
どれが真実であるのか判別する決め手は見つけられなかった。

これ以上の調査はコストに見合わぬ徒労に終わる可能性が高く。
[正体不明]そう結論付け、調査を終了する他ない。

以上。




914 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 15:59:16 Mon5nXH20
通信室に2つの物体が飛来する。
剛速球もかくやと言う速度で飛んできた飛来物は通信機器へと突っ込み。
内部の機器を派手に吹き飛ばしながらようやく静止した。

「…………よぅ。生きてるか?」

ガラリと音を立て飛来物の一つ。防護服に身を包んだ黒木真珠が膝に手をついて立ち上がる。
如何に防護服に身を包もうとも最強の剛腕に巻き込まれたのだ、当然無事ではない。
直撃の寸前、インパクトポイントをズラした上で鉄甲と鉄足で受けた。
にも拘らずこれだけのダメージを負っているのだからとんだ怪物である。

受け止めた左の鉄甲と鉄足は大きく歪み、その下の手足を押し潰している。
手足から滴る血が溜まり、防護服の先端はちゃぷちゃぷと水音が鳴り響いていた。
左の手足はもう使い物にはならないだろう。

こうなることは分かっていた事だ、後悔はない。
ようやく得られた千載一遇の機会を突くためなら命すら惜しくはなかった。

「死んでるわよ…………まったく」

同じく、体に乗った機器の破片を押しのけ田中花子も立ち上がる。
正拳突きが衝突する寸前に、左腕を挟み込み直撃は避けた。
その代償として左腕は関節が一つ増えたようにプラリと折れ曲がり完全にお釈迦になっている。
そこまでしても衝撃は胸部まで突き抜け、胸骨と肋骨もいくつか折れているがの分かる。
致命傷とまではいかずともダメージは甚大だ。

互いに重症。
片手をずり下げ、片足を引きずりながら、真珠が進む。
それに応じるように花子もゆっくりと立ち上がって、上体を無理やり起こして、気だるげに片手で構える。

互いに向かい合って、息を吐く。
今にも倒れそうな体を奮い立たし拳を握る。

二人の耳に訪れる静寂。
隣室で戦鬼が暴れる喧噪も今も耳には入らない。
互いの世界に互いだけがある。

「……それじゃ、まあ……決着でも、つけるか」
「ま、付き合いましょう…………他にやることないしね」

決闘の開始を告げるように、真珠が腕を振るう。
瞬間、真珠の顔面が見えない何かに殴られた。
大した威力ではない、だが一瞬視界を奪うには十分な不可視の一撃。

『遠当て』と呼ばれる技術。
何が、実践的ではないだ。
強かにも、ここ一番まで切り札をとっておいたのだ。

この一瞬。
視界を起点とする異能が封じされた。
完全に相手を見失った。

その空白を付いて、死角へと移動した真珠が大ぶりの拳を振るう。
もはや機器の保護など気にしていない。そんな余分は切り捨てた。

だが、花子はその一撃を躱した。
敵の姿を捉えたのではなく。
未来予知した『殴られた自分の視界の動き』から相手の位置を逆算して推測。
殆どコケて転がるような形だが、花子は相手の攻撃を避けると、転がりながら袖口に隠していたベレッタM1919を引き出し銃撃を見舞う。

「ッ。効かねぇんだよ!!」

脇腹と胸元に弾丸を受けながら真珠が叫ぶ。
弾丸を避ける足も弾く余裕もないが、小口径の護身銃など防護服の性能でゴリ押せる。
衝撃と痛みはあるがそれだけだ、そんなものは無視してしまえばいい。

強引に距離を詰めた真珠は、倒れたままの花子の顔面に向けて蹴りを見舞った。
鉄足が潰れた左足で顔面に向けてサッカーボールキックを振りぬく。
潰れた足では踏ん張りがきかない以上、軸足ではなく蹴り足にするしかない。

その蹴りを頬に掠めるギリギリで躱して、軸足に向かって飛び掛かるように抱き着く。
それはタックルと言うより、ただの緊急回避である。
しかし、真珠の方もそれを支えるだけのバランスを保てないのか、花子と真珠はもつれあうように地面に転がった。


915 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 16:00:05 Mon5nXH20
つい先刻と同じ場所、同じ相手との戦いだが、先ほどまでの華麗さとは程遠い泥くさい攻防になっていた。
技術ではなく意地のぶつかり合い。傷は深く、体力も気力も限界に近い。

地面を転がるようにもみ合いながら、真珠が振り回した肘が花子の鼻頭を打った。
鼻血を吹き出し相手が怯んだところで、一気にマウントを取りに行こうと真珠が相手に体重を預ける。
だが次の瞬間、真珠の視界が赤に染まった。
花子が垂れ流していた鼻血を口に含み、目つぶしとして防護マスクのレンズに吹きかけたのだ。

今度は真珠が視界を奪われた。
すぐさまレンズを指で拭おうとしたが、後頭部に衝撃があった。
打撃を受けた。だが敵は目の前でもみ合いになっている状況だ。どこから?

混乱は一瞬。その疑問はすぐに解消した
花子が折れた左腕を振り抜いて、ありえない角度からの攻撃を実現していたのだ。

痛みで言えば放った花子の方が上だろう。
だが、相手の意表をついて隙を作るには十分な効果はあった。
その隙にお返しとばかりにヒールフックを仕掛け右膝を破壊にかかる。

「……………んのぉッ!!」

だが、左腕が折れた片腕では拘束が緩い。
真珠は右足を極められたまま、潰れた左足を思い切り振りぬいた。
掠めた鉄の踵が鋭利な刃物のように肉を削って、拘束が解かれる。
その間に敵を払いのけ、這い出るように拘束から抜け出した。

「…………ハァ………ハァ……ゴフッ!?」

敵を逃した花子は息を切らしながら距離を取って、壁に手を付き立ち上がる。
鼻に詰まった血をフンと吹き出すと、ねっとりとした血液が床に張り付いた。
胸骨の折れた状態で無理をしたからだろう、僅かにせき込むと塊のような血を吐いた。

「…………ふぅ…………ふぅ……くッ!?」

視界を取り戻した真珠も、同じく立ち上がろうとするがガクンと膝が抜ける。
左足は鉄足と共に怪物に潰され、右膝の関節の破壊こそ免れたが、無理に足を振ったため靭帯を痛めた。
膝をついた体勢で真珠は息を荒くしながら敵を睨む。

死力を尽くした、原始的な殺し合い。
互いに限界などとうに超えている。

真珠はナイフホルダーから引き抜いたサバイバルナイフを投げつけた。
普段であれば首一つ傾けて躱せるような投擲を、花子は必死の形相で飛び込むように避ける。

そこに向かって、お次は懐中電灯を投げつけた。
まるで子供の喧嘩のように、持ってるものを手あたり次第に投げつける。
スイッチをオンにして投げ放たれた懐中電灯の強烈な光が目を潰す。

「くっ………………ッ!?」

ホルスの瞳はそれを観てはいたが、どこまでも伸びる光を避けるには体が追いつかない。
ほんの一瞬だけだが、花子の視界が白に染まる。

「うぉぉおおおおおお――――――ッッ!!!」

命を燃やす咆哮。
その隙を見逃さず、真珠が最後の力を振り絞って四つ足の獣のように駆けだした。
白む視界の中、咄嗟に花子は向かい来る真珠に銃口を向けるが、もはや腕を上げる力もないのかゆらゆらと照準が定まっていない。

真珠は唯一生きている右拳に全てを懸けて必殺の一撃を見舞う。
悪あがきのように花子は引き金を引くが、弾丸は迫りくる真珠のはるか上方に逸れ、その体を捉えることはなかった。


916 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 16:02:03 Mon5nXH20
放つ一撃。
胴の中心を捉え、骨と肉を砕く。
直撃を受けた花子の体が巨大なディスプレイに叩きつけられる。

殺したという確かな手ごたえを確信する致命の一撃だった。
真珠が勝利を確信する。
同時に、その頭部に、パンと強い衝撃があった。

「な…………っ?」

何が起きたのか。
それは先ほど花子が放った弾丸だった。
弾丸は崩れた壁を何度も跳弾してピンポイントに真珠の頭部にヒットしたのである。

跳弾を繰り返した弾丸が当たるなど、この土壇場でそんな偶然が重なる奇跡などありはしない。
ならばこれは周到に狙った必然だ。

滅びをもたらす太陽の瞳。俯瞰の視点と未来予知。
銃口のブレは弾丸の軌道を探るためのシミュレートだった。
あらゆる角度で弾丸を撃った際の未来を観測して、敵を撃ち抜く未来を確定させたのだ。

「やってくれたな」

呆れとも称賛ともとれる声。
弾丸は防護服と防護マスクのつなぎ目にヒットしており、ほんの小さな穴が穿たれた。
だったそれだけの事だが、マイクロサイズのウイルスを防ぐ防護服としては致命傷である。

「ま、分けって事にしといてやるよ」
「…………そりゃ……どうも」

ギリギリのところでまだ意識はあるのか、花子は血濡れの口元に微かな笑みを作る。

「ま…………あの状況から”2人”…………持って行けただけでも上出来でしょう…………」

2人。つまりは真珠ともう一人。
隣室に残してきた小田巻か大田原。どちらかが死ぬしかない状況を作った。
直接戦闘ではなく、状況を操作して敵を殺す。
これこそが情報工作員の本領だ。

戦闘員ではない花子がここまでやったのだから上出来だろう。
特殊部隊4人が相手なら全滅だろうが、半分を削れたなら他の連中にも少しは希望も見える。
彼女たちがハヤブサⅢを失ったのとどちらが痛手だったのか。
採算が合っているのかは結果を見るまで分からない。

相手の思惑通りの展開になったことに舌を打ちながらも、真珠は花子前まで近づきその懐を漁り始めた。
与えられた任務はハヤブサⅢの持つ通信機を破壊することだ。
雑談はここまでだ。意識のあるうちに任務は果たさねばならない。

「って、おい。お前、通信機はどうした?」

特殊部隊の動きに制限を掛ける通信機。
だがどれだけ身を改めても通信機は発見できなかった。

「…………さぁ? どこかに……隠したのかもしれないわよ…………?」

それはない。
即座に内心で真珠は否定する。
あの通信機は誰かが持って使用する可能性があるからこそ脅威なのだ。
誰にも見つからない場所に隠したところで抑止力にはならない。

「誰に預けた? 白衣の研究員か? それともあの氷使いの方か?」

花子は答えない。
答える気力もないのだろうが、そもそも答える気もないのだろう。
これ以上、問い詰めたところで無駄だろう。

「ちっ。まあいいさ」

後は勝手に探すまでだ。
と言っても、真珠は時期に時間切れだ。
探すのは真珠ではなく、任務を引き継いだ天たちになるだろうが。


917 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 16:03:41 Mon5nXH20
「何でそこまでする? お前一人ならどうとでも逃げられただろ」

特殊部隊の人間としてではなく、純粋に沸いた疑問を問うた。
通信機の話だけではない。
全員を引き付けるように戦っていたが、逃げるという選択肢もあったはずだ。
大田原をうまく使えばそういう目もあっただろう。

何より、この研究所の資料室にたどり着いた時点で彼女の任務は終わっている。
そこからすべてを解決しようというのは生き残り全員を救うための行動だ。
全てを見捨てて、彼女一人生き残るだけなら、それこそどうとでもなったはずだ。
それが正しいエージェントとしての在り方だろう。

「………………似ていたからかもね」
「似ていた?」

真珠が問い返す。
花子は今にも意識が途切れそうな、遠くを見つめる目をして。
苦し気に息を吐きながら、途切れ途切れに語り始める。

「私も…………下らない……陰謀で、故郷を奪われた……一人だから………………。
 そんな人を……少しでも減らしたくて………………この道を選んだから」

この村の陥った現状が過去を思い出させた。
だから、らしからぬ無理をしてしまったのだろう。
初めて聞く彼女のルーツに真珠は首をかしげながら。

「…………いや待て。お前、客船の時は政敵に嵌められた祖父の名誉を晴らすためにエージェントになったとか言ってなかったか?」
「あら…………? そうだったかしら…………?」
「ったく。最期まで適当こきやがって」

語る全ては嘘に塗れている。
真実を確かめる術はない。

「けど……私たちにとって…………過去なんて……どうでもいい事でしょう?」

人当たりもよく、積極的に人と関わっているが、彼女の過去を知る者はいない。
それは相棒であるブルーバードですら例外ではない。
人好きする性格も諜報員としての顔でしかない。
現在すら塗り固めた嘘で覆われている。

「ま、そうだな……」

その活躍も功績も誰にも知られることなく消えていく。
彼女たちは裏側に生きる、その人生を受け入れた人間だ。
過去も現在も捨てて、それぞれの思うより良い未来のために。

「あたしにとってのお前はただのむかつく女だったってことだな」

過去は分からずとも、現在が嘘でも。
真珠にとってハヤブサⅢはそういう女だったというのは真実だ。
何の救いにもならないが、それが彼女がいたことの証明である。

「…………そう。私は……あなたの事、嫌いじゃなかったわよ…………」

真珠は肩をすくめながらひらひらと手を振った。
そして崩れた壁に向かってゆき通信室を後にする。

「あばよ。ハヤブサⅢ。次に会うなら地獄だな」
「……そうね。地獄で合ったら……鬼さん相手に合コンでもしましょ」




918 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 16:04:44 Mon5nXH20
引きずった足で崩れた壁を越えて真珠は認知神経科学研究室へと戻ってきた。
そこで真珠が見たのは引きつぶされた小田巻の死体だった。

「………………」

別段、言うべき事はない。
そういう結末になったか、そう思うだけだ。

それよりも意識のあるうちに報告をしておかなければならない。
室内を見渡すと、スイッチを片手に立ち尽くしていた天を発見した。
そのスイッチが何かは知らないが、真珠にもおおよその察しはつく。
押せなかったのか、それとも押さなかったのか真珠には知る由もないし、気にしているだけの時間はない。

「乃木平。悪いな、見事にしてやられた。ここであたしは脱落だ。ゾンビになったあたしはここに捨て置け」

真珠は天の様子に構わず目の前にまで近づいてゆくと。
トントンと頭部に空いた穴を指先で示しながら真珠は報告を始める。

「とりあえず報告だ。標的(ハヤブサⅢ)は仕留めた。ただし通信機はなかった。
 仲間の誰かに預けた可能性が高い、恐らく氷使いの女か、白衣の研究員だろう、そこを当たれ」

天からの返事はない。
真珠は構わず報告を続ける。

「それとハヤブサⅢが、通信室で研究所の上と交渉したらしい。
 女王感染者が死んだ時点で命令が変わる可能性はある。どうするかは、お前が判断しろ。大田原さんもあんなだしな」

見れば、太田原は小田巻の死肉に食らいついている。
誰に負けたかは知らないが日本最強もこうなれば哀れなものだ。
真珠もゾンビになった後どうなるのか、ぞっとしない話だ。

「あとはそうだな、『Z』について調べろ、だとよ。
 ハヤブサⅢの言だが、意味のないことを言うようなヤツでもない。一応気にしておけ」

ハヤブサⅢは意味のないことはしない、そういう信頼はある。
問題はそれが誰を利する意味なのかと言う点なのだが。

「…………黒木さん」

天がようやく口を開く。
だが、そこで限界が来たのか、言いたいことを言うだけ言って真珠は意識を手放した。
両足が壊れているためかこれまで両足を動かしてきた強靭な意思が消え、その場に崩れ落ちる。
まともに動くこともできない這いずるゾンビとなった

そうして、この場に残った人間は天と大田原の2人だけだ。
天は明確な意思を持ってスイッチを押さなかった。
あの時、天秤にかけて小田巻を切り捨て、大田原を取ったのだ。

それは情を切り捨て実利を取る選択だ。
成田辺りならこの判断を聞けば特殊部隊らしくなったと皮肉気に笑うだろう。

大田原は明らかに暴走しているが、この乱戦の最中でも一度たりとも天を襲うことはなかった。
その力はかつてと遜色はない、どころか単純な膂力で言えば普段をも上回るだろう。
任務遂行において小田巻よりも大田原の方が有効である。
そう判断したのは他ならぬ天自身だ。

その暴走を利用できるハヤブサⅢを真珠が仕留めた。
同じ芸当ができる人間などそうはいないだろう。
気がかりがあるとするなら、大田原をこんな状態にした何者かだ。
理性を失う前の、最強たる大田原を退けた。
それだけは警戒しておかねばならない。

「行きましょう……大田原さん」

その呼び声に、小田巻を喰らい口元を汚した大田原が振り返る。
飢餓もいくらかましになったのか、素直に従うくらいの理性はできたようだ。
特殊部隊最弱が特殊部隊最強を従え、研究所の地下3階へと向かっていった。


919 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 16:04:54 Mon5nXH20
【小田巻 真理 死亡】
【田中 花子 死亡】
【黒木 真珠 ゾンビ化】

※「通信機(不通)」を仲間の誰かに預けたようです。預けられた側に持ってる自覚があるかも不明です。

【E-1/地下研究所・B2 認知神経科学研究室/1日目・夕方】
【乃木平 天】
[状態]:疲労(大)、ダメージ(大)、精神疲労(大)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、大田原の爆破スイッチ
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.大田原を従えて任務を遂行する
4.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、意識混濁、脳にダメージ(特大)、食人衝動(中)、脊髄損傷(再生中)、鼓膜損傷(再生中)
[道具]:防護服(内側から破損)、装着型C-4爆弾、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理……?
1.感染者ヲ、ショリスル
2.正義ヲ、執行スル
※脳に甚大なダメージを受けました。


920 : 対特殊部隊決死作戦「CODE:Horus」 ◆H3bky6/SCY :2024/02/23(金) 16:05:10 Mon5nXH20
投下終了です


921 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:05:47 ???0
投下します


922 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:07:29 ???0
それは、遠い、遠い昔の話。

冬を越すために母と共に洞窟で眠っていたはずだった私が目を覚ましたとき、
私は、檻の中にいた。

外から吹き付ける風と雪は、私が住んでいた山のそれと同じくらい冷たいが、
じわりと湿った、身に纏わりつくような不快さがあり、
それが、今自分が故郷から遠く離れた地にいるという事実を悟らせた。

檻の中には、私を含めて4頭の同族がいた。
私と、私の母。それと、面識のないオスとメスの若熊が1頭ずつ。
檻は私が知っていたどんな木よりも強く、
それが金属という物質であることを、私はそこで初めて知った。

檻の外では、私達を捕えたであろう、
数名の“人間”が、何やら興奮した様子で叫びあっていた。

『ふっざけんなよアイツら!!
 研究所の奴ら、ゴリラは買ったのに熊は買えねえってよ!
 何のためにわざわざ北海道から連れてきたと思ってるんだ!
 情報屋の奴も適当なこと言いやがって!』
『落ち着け。脳だけなら買ってくれると言ったろう』
『殺して首を落とすまでこっちにやらせんだろ。割に合わねえよ』

ぶつくさと何やら言いながら、彼らは気だるげに”銃”をそれぞれ手に取りはじめた。

『ところで大丈夫なのか? 足が着いたりしねえだろうな』
『安心しな。ここは蛇茨の土地だ。人を殺したってバレやしない所だ」

その時、彼らの殺気を感じ取ったのであろう母が、少しだけ私を見つめた後、
咆哮と共に檻に跳びつき、引きちぎるかの勢いでそれを力任せに曲げ始めた。
金属の格子がみしみしと音を立てて歪む。
恐慌を起こした人間たちは、慌てて銃を構え、

ぱん、ぱん、ぱん。

続けざまに銃が鳴る。母の身体に穴が空き、血が噴き出す。
それでも、母はその手を離さない。
母のふり絞った最後の力で、遂に、金属の格子がへし折れる。
私と2頭の若熊はそこから飛び出すと、一目散に目の前の森に向かって走り出し、木々の間に飛び込んだ。

『おい、他の熊が逃げた!』
『ほっとけ、いずれ死ぬさ。それより親の首を落とせ』

幸い、人間達は追ってこなかった。私は、母を思いながら、藪の中で一夜を明かした。

翌朝。
腹を空かせた私は導かれるようにその場に戻った。
当時の私はあまりに幼く、狩りの仕方も全く知らなかったし、
後にヤマオリの山と知るこの地には足を踏み入れたばかり。
どこに食べられるものが生えているかなど分かりはしなかった。


そこには、首を落とされた母の死体が横たわっていた。
その身には蛆が沸き、蠅がたかり、カラスが肉を啄んでいる。
私は、別れ際の母のあの瞳を思い起こした。
言葉は交わさなかったが、それに込められた願いは分かっている。

生きねば。

私は、カラスを追い立てて、蠅を振り払うと、
母の肉にかぶりつき、血を啜った。

生きねば。この野生の世界で。


923 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:08:36 ???0


我、人間が言う『独眼熊』は、この時に二度目の誕生を迎えたのであろう。
この山折の山で、天涯孤独の熊生(じんせい)が始まった。
孤独と言えば、己と一緒に逃げた2頭がどこかにいるはずだったが、
結局、その後二度と会うことはなかった。
後にあの「熊野風」と出会ったとき、
もしや、あの2頭の子供だろうかという考えがふと頭に浮かんだが、
奴がそんなこと知る筈もないし、こちらもわざわざ問う気も無かった。

野生という弱肉強食の世界の中で感傷に浸っている暇はなく、
今日を生きるにただ必死の暮らしを過ごす中で、
人間に対する恨みは、心中にわずかに残滓を抱くに留まった。
それでも人間との奇縁は途切れず、
六紋兵衛と『山暮らしのメス』が己に2度の敗北を刻みつけたが、
山を下り人間を殺戮するというような発想には至らない。

野生に生き、野生に死す。
それが己の定めた生き方であった。
そのはず、であった。


このVHは、独眼熊にとって、まさにエデンの知恵の実であった。
ウイルスが齎した知能は、アダムとイヴの如く、揺り籠であった神の楽園から欲望と悪徳の荒野に彼を導いた。
彼は、弱者を甚振る快感を覚え、銃の威力に酔いしれ、策を講じ、敵を陥れる悦楽を知った。
遂には、今なお野生に縋る『山暮らしのメス』を、その知を以て、嘲笑いながら殺した。

更に、あのワニを喰らって以来、己の中に巣くった『呪い』が劇薬となる。
その呪いの根源に、とある一人の娘の怒り、怨念が渦まいているのは分かる。
だが、その憎愛の強さは、社会を築き、歴史を紡ぎ、業を積み重ねるといった概念を知らぬ
独眼熊には全く図り知ることが出来ないものであった。
表面だけの知や感情しか知らぬ熊には、その感情の渦から逃れる術は無く、
独眼熊の自我は、底なし沼に落ちたが如く、少しずつ呪いに呑み込まれつつある。
ここしばらくは、今言葉を話しているのが自分なのかナニカなのか、その区別すらつかなくなっている。

しかも、ここに至って呪いは、爆発的に力を強め出していていた。
己に巣くうものの鏡写しである、もう一つの呪いが、何やら恐ろしい力を手にしたらしい。
己の自我が闇の中に取り込まれようとしている。
操り人形にはされたくない。
だが、どうすればいいのかまるで分らない。
己の“知能”が、呪いの強大さを正確に認識させ、独眼熊に絶望を与える。

自分では、呪いに勝てない。
何故なら、そういう存在だから。
“知能”は、それに抗う術を教えてくれない。
数百年に渡り積み重ねられた人間の業と怨念に、一介の熊畜生の手が、届くはずがないのだから――



ウイルスが活性化する。

独眼熊のストレスが脳神経に刺激を与え、それを感知したウイルスが反応を繰り返す。
その働きが神経細胞間に無秩序な信号を火花の様に散らさせ、脳細胞の情報処理にバグを引き起こしていく。

独眼熊が他の感染者を食らったことで取り込んだウイルスが、
その者の脳から読み取った情報を、脳細胞に転写していく。

ウイルスが活性化していく。




924 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:09:15 ???0
研究所地下3階、解析室前。
氷月海衣と独眼熊――または、その自我を浸食しつづけるナニカーー
2人の復讐者同士の戦場は、氷結地獄と化していた。

極寒の冬山が如く吹き荒れる吹雪が、
野生少女に擬態した独眼熊の両手両足を凍結させている。
この地獄を作り出したるは、氷の少女、氷月海衣。

氷月海衣は、このVHで幾つかの修羅場を潜り抜けたとはいえ、
それでも普通の女子高生に過ぎない。それは海衣自身も十分承知の上だ。

翻って、目の前の敵――独眼熊は、文字通りの怪物。
凍結させた扉をも易々と貫いた爪は、海衣の命など簡単に刈り取るだろう。
まともに戦って勝てる相手ではない。
となると、取るべき戦術は一つ。
異能で相手の動きを封じ、銃で撃つ。

その戦術は、客観的に見て成功しつつあるように見えた。
独眼熊の両手足は凍り付き、ところどころ皮膚が裂けている。
独眼熊は脱出を試みているが、四肢を縛る氷は、目の前の少女自身の意志を示すが如く、頑強に彼を離さない。
冷気はますます冷え、体温は下がり続ける、使えるエネルギーも当然減っていく。
出せる力は、今の全力が上限。今脱出できないなら、この後も不可能なのは当然の道理。

動きを封じることに成功した、と判断した海衣は、
傍らに置いていた短機関銃、H&K MP5を手に取った。
そのまま、田中花子から教わった通りに構え、照準を合わせる。
狙うは、頭――
引鉄を引こうとした、その時であった。

「待って」

知っている娘の声が、聞こえた。
野生少女の姿が消え、代わりに、”一色洋子”がそこにいた。

「――――洋子ちゃん!?」

油断をしているつもりは無かった。
だが、かつてこの病院で行動を共にし、そして、守れなかった少女と
全く同じ顔、同じ声で語りかけられたことで、一瞬、異能の力が緩む。

それが隙となった。
一色洋子(仮)の表情が悪辣に歪むと、
次の瞬間、四肢を凍結させていた氷が砕け散った。
氷の楔から解き放たれた独眼熊の身体が、砲弾のように少女に迫る。

(しまっ――――)
一色洋子(仮)の一撃が、氷月海衣に叩き込まれた。




925 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:09:55 ???0
聖剣と御守に導かれ、神楽春姫は戦場に向かう。
曲がり角の先から、尋常ではない冷気を感じる。
恐らく、氷月の娘がその異能で足止めをしているのであろう。
聖剣の光は、一歩一歩進むごとに強まっていく。

恐らく、この先に因縁の相手がいる。
聖剣が討つべしと指し示し、白兎の御守が祈りを託した者が。

動物実験室の扉を過ぎ、曲がり角に辿り着こうとしたその時、
突然、巨大な衝撃音が鳴り響いた。
その直後、吹き飛ばされてきた氷月海衣が、細菌室の扉に激突した。

「氷月の!!」
「うっ……」

春姫が海衣を助け起こす。
命に別状はなく、意識もあるが、口から血を流しており、恐らく、何本か骨折している。
海衣は、“一色洋子”の一撃を受ける直前、手の周りの空気を凍結させ、氷の盾を作り出していた。
それにより命を失うことは避けられたものの、それでも一撃でこれほどの重傷を負わされていた。

春姫は海衣が飛ばされてきた先に目を向けた。
廊下には海衣の持ち物が散乱し、その先には、氷結地獄の残滓である白い霧が立ち込めている。
その中から、3mはあろうかという巨大な羆が、ぬっと姿を現した。



「あっ……」
地下三階、感染実験室前。
スヴィア・リーデンベルグを背負いながら春姫を追う日野珠の歩みが突然止まった。
先ほど彼女に発現した、運命を指し示す黄金瞳。それが映す光景、それは。
「日野くん、どうしたんだ……?」
「このままじゃ、いけない。春ちゃん、氷月さん……!」

その時突然、彼女らの後方で、開閉音と共に上階に続く扉が開いた。
ぱたぱたと間の抜けた足音と共に入ってきたのは。
「ひゃっ、ひゃっ、ひゃぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!」
「与田さん!?」

田中花子と共に上に向かったはずの、与田四郎だった。

「上に、鬼がっ 化け物がいますっ
 僕は逃げますっ! すみませぇぇぇ〜〜〜〜んっ!」

与田はそう言いながら、珠とスヴィアを追い抜き、緊急脱出口に向かうべく廊下を駆けていく。
「与田さん! 駄目ですっ! そっちは!!」
珠の叫びも耳に入らず、与田四郎は、逃げたいという一心で、ひたすらに走る。

己の行く先に何が待ち受けているのかも露知らず。




926 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:10:34 ???0

宿業は巡り、ここに結ばれる。
神楽春姫と独眼熊、いや、その中に巣くう厄災・■■■は、互いの視線をぶつけ合っていた。
羆の瞳は漆黒であった。無感情の黒ではない。
■■■の愛憎、怒り、恨み、絶望…… 無数の感情が渦を巻き、混じり合ったことによって産まれた、完全なる黒。
一方の神楽春姫は、その瞳と、隻眼の羆の巨体を目の前にしても微動だにせず。
しばらくの睨みあいの後に、独眼熊が口を開いた。

「…………神楽春姫、か」
「先にそちらから名乗れ、と言いたいところだが、この場は許そう。
 イヌヤマの記憶とはまるで姿が違うな。思うに、その畜生は傀儡、か」

春姫はふっと息を付くと、

「悪神に堕ちたか――――― 隠山祈」
「――――あはっ」

独眼熊の言葉が、先ほどの濁声から、鈴のような少女のそれに変わる。

「悪神、悪神か…… あはははははははははははははっ!!!」

独眼熊、いや、隠山祈が、狂ったように笑う。

「よくもそう言えたものだな神楽春姫。
 隠山祈の名を知っているならば、朝廷と、神楽春陽の所業も知っておろう!
 それを棚に置き、言もあろうに、悪神と蔑むか!!」
「そなたの恨み、分かるとは言わぬ。
 我が祖先、神楽春陽の真意。そなたを見捨てたのか、救いの手が届かなかったのか、それは妾も知らぬ。
 そなたが神楽を断罪するというのなら、妾は逃げも隠れもせぬ。いつでも受けて立とう。
 だが、そなたが山折の民全てに牙を剥き、鏖殺を望むというのなら、妾は女王としてそなたを止めねばならぬ!」
「はっ! やはりお前も春陽と同じだ! 公の名の下に、人の想いを塵のように踏み躙る!
 せめて春陽の代わりに、地獄にて永劫の苦しみを受けよ!!」

真名を取り戻し、真の厄災と化した熊の巨体が春姫に迫る。

「聖剣っ!!」

春姫の叫びと共に、待ちに待ったとばかりに宝聖剣ランファルトがかつてない輝きを放つ。
既に魔王は亡びた。だが、その力は異界の予言の通りに呪いに取り込まれ、真なる厄災・隠山祈を誕生させた。
聖剣。その存在理由は、魔王や邪神を討つことそれ自体では決してない。
人を守り、世界の理を守る。それこそが本質である。

「グッ、グゥゥ……」

厄災が呻き、動きが止まる。魔王すら超越した厄災を唯一滅する力、それがこの聖剣である。
厄災の前身である怪異『巣くうもの』に恐怖を覚えさせたのも当然であろう。
討つべき敵と対峙し、その真の力を解放した聖剣は
魔を払う輝きをさらに増し、厄災の力を確実に削ぎ取っていく。

己と相反する光の力に照らされた中で、厄災に動く術は無い。
それと見た春姫は、聖剣に力を集中させる。
時間を掛けるつもりはない。このまま一気に仕留める。
聖剣が、彼女の意を受けたように輝きが刀身に集中し、光の刃と化した。

春姫はふと白兎の御守を目にやった。
イヌヤマが託した、「あねさま」の救いを願う祈り。
それを無碍にするつもりはないが、まず大人しくさせねば話にならぬ。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!!」

春姫の一振りと共に光がほとばしり、厄災を飲み込んだ。




927 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:12:55 ???0

神楽春姫の後方に横たわる氷月海衣は、何とか息を整えながら、春姫と厄災の対峙を見守っていた。
春姫の援護をしたいところだが、今の自分ではどうにもならない。
無理をすれば何歩か歩けるか、といったところだろう。とても戦う余力はない。
幸い、明らかに春姫が押している。
春姫がたった今産み出した光の刃、その力はとても自分などに図り知ることは出来ないが、
それが放つ神々しい光は目の前の厄災を滅するに十分な力がある、そう信じさせる何かがあった。



だが。



「…………?」

ふと、彼女は気付いた。聖剣の光に照らされ呻く羆の後ろに、何か影のようなものがあることを。
それは、海衣が決して見誤るものではなく。

「えっ……」

直後、聖剣から光が放たれ、厄災は為す術なく呑み込まれていく。
光の中に消えゆく厄災は、心なしか、笑っているように見えた。

「いけないっ…!」

厄災の目論見。それを察した海衣は傷身に鞭打って立ち上がった。




928 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:13:49 ???0
屋内を照らしていた光が消える。
放たれた聖剣の光は、支部長室とエレベーターの間の壁を跡形も無く消滅させ、
その先の土砂を100mや200mでは済まないほど抉り取っていた。
方向が少しずれていればエレべーターを、もしくは緊急脱出口ごと支部長室を消滅させていただろう。

仕留めたか。
そう確認した春姫が息を付こうとした、その瞬間。

『キィィィィィィィン!!!』
聖剣が甲高く鳴り響いた。それが示すは周囲の警戒。そして。
厄災は滅していないという事実。
「っ!?」

慌てて周囲を見渡して気付く。天井に何者かが潜んでいる。
羆ではない。その姿は、幼き少女―― “一色洋子(仮)”
一色洋子の身体に身を変じた厄災は、天井を蹴ると、弾丸のように春姫に迫った。


神楽春姫との邂逅の直前。
冷気が産み出した霧の中で、隠山祈は、異能『クマクマパニック』を用い、
独眼熊の分身体を作り出していた。
そして、己は“一色洋子(仮)”の姿に変じ、その陰に潜んでいた。
厄災にとって唯一の脅威は聖剣ランファルト。
その力をこの狭い室内で躱しきることは難しい。

そこで、厄災は策を練った。
分身体を矢面に立たせ、囮兼盾として使う。
その上で聖剣の力に為す術なしかの如く振る舞わせ、
とどめとなる一撃を誘発させる。
そして、聖剣の力を使い果たさせた、その隙を突く――


神楽春姫はまんまとその策に嵌っていた。
完全に不意を突かれた春姫に、迫る厄災から身を守る術は無い。
だが。

「神楽さぁぁんっ!!!」
「氷月の!?」

唯一その策に気付いた氷月海衣が、氷の盾を掲げ、2人の間に滑り込んだ。

「へえ? でも無駄だよ」

厄災は構わず拳を振るった。
氷の盾は、ガラスのように砕け散る。
勢いはまるで治まることなく、少女の細腕とは思えぬ剛力が、海衣と春姫を殴り飛ばす。

2人は、そのまま宙を舞い、細菌保管室の壁に叩きつけられた。

「む……」

寸でのところで海衣に庇われた春姫は、何とか意識を保っていたが、

「氷月…… の……」

重傷を推して己を庇い、厄災の拳をまともに受けた海衣の眼は虚ろで、意識があるかも分からない。
かろうじてひゅうひゅうと息はしているものの、明らかに致命傷を受けていた。


「あは、あはははははははは! 痛かった!?」


一色洋子(仮)の姿を借りた隠山祈は、
哄笑しながら海衣の持ち物が散らばる廊下を歩み、2人に近付いていく。

廊下の真ん中に、トイざらスの玩具袋が落ちている。
九条和雄が一色洋子に渡すよう、斉藤拓臣に託し、その後氷月海衣に渡った、兄から妹へのささやかなお土産。
厄災は、それを、ゴミのように踏み砕いた。

「くっ!」

春姫はもう一度聖剣を構えようとするが、

「残念。それとまともにやり合う気はもうないの」

そう言うと、厄災は、すっと振りかぶった。
手にしているのは、海衣が先ほどまで手にしていた短機関銃MP5。

「じゃあね」

その呟きと共に、MP5を春姫に向けて思い切り投げつけた。
重量3kgを超える短機関銃が、回転しながら時速150kmを優に超えるスピードで春姫に迫る。

「――――――っ!?」

ぱぁん。

軽い破裂音と共に、春姫の被る白ヘルメットが真っ二つに割れ、彼女の額から鮮血が飛び散る。
その一撃で、神楽春姫の意識は刈り取られた。




929 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:15:03 ???0
厄災は、気絶した春姫を見下ろしていた。
神楽の末裔と厄災の戦いは、己の完勝に終わった。
ここで春姫を殺し、己の因縁にケリを着けることもできるが。

「……いや、ダメ。こんなものでは終わらせない。
 それに、まだ『あの子』が来てない。
 本当の意味で全てを終わらせるのは、『あの子』が来てからだ」

厄災はそう呟く。

「だから、神楽春姫さん。この場は生かしておいてはあげる。
 でも、そうだな。手と足を落とすくらいなら、『あの子』も許してくれるかな。
 そうだよね。万が一にも逃げられたり、聖剣が使われたりしたら嫌だし。
 …………ん?」

厄災は、曲がり角の右奥、階段のある方向から、こちらに向かって何者かが駆けてくるのに気付いた。
見るからにひょろい、眼鏡を掛けた臆病そうな男。
何かに追い立てられるかのように怯え、後ろばかりちらちら振り返りながら。
自分の走る先にナニがいるのか、分かろうともせず。

「与田さん止まってぇぇぇぇーーーっ!!!」

見ると、その男から少し離れたところに2人の少女がおり、
男を制止しようと叫んでいた。
だが、それも遅すぎる。

厄災は、走る与田四郎の前にすっと立った。

「ふえ……?」

与田がそれに気づいたときはもう遅かった。
幼き少女が自分の前に立ち塞がると、彼女はその口をあんぐりと開けた。
その中に在るのは、地獄の底に至るかのような黒き深淵。
彼は、吸い込まれるかのようにその中に落ちていく。
彼の視界の全ては闇に包まれる。

彼女の口が閉じられる。与田四郎の頭の半分は、噛み千切られていた。
上顎から上が無くなった彼の身体は、そのまま数歩、よたよたと進んだのちに崩れ落ち、そのまま動かなくなった。

【与田 四郎 死亡】




930 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:16:00 ???0
「与田さん……」

スヴィアと、彼女を背負った珠は、与田の死を呆然と見つめるしかなかった。
与田を殺した少女、恐らく、その見た目とは全く違う、正真正銘の怪物――
それが、2人の前に立ち塞がっている。
少女の後ろには、春姫と海衣が倒れている。
春姫は気を失っているだけのようだが、海衣は、いつ死んでもおかしくはない状態だと見ただけで分かった。

厄災は、与田が掛けていた眼鏡をプッと吐き出すと、彼の頭蓋骨を噛み砕き、脳を食らいながら、
新たな乱入者―― いや、もはや新たな被害者と言ってもよいであろう、2人の少女をしげしげと見つめていたが、
突然、その眼を輝かせた。

「あはっ、この異能……」

与田の脳の分析が終わり、異能の習得が完了する。
与田の異能、『真実の研究者(ベリティ・サイエンティスト)』
細菌・ウイルスの調査・解析を行う能力である。
それを、ものは試しと目の前の少女、日野珠に向けた、その時。

「あっは……」

彼女の異能と、その正体を知った厄災は。

「くくくくくくあははははははははははははははははははははははははは!!!!
 ひゃはははははははははははははははははははははははははははははははは
 はははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」

狂ったように哄笑し始めた。


「何だっていうんだ……?」

その真意が読み取れずスヴィアは呟く。珠は、何かを察したように沈黙している。

ようやく笑いを止めた厄災は、不気味な笑みを浮かべながら、
「キミ達は幸運だね。全員殺すつもりだったけど、
 私の言うことを聞いてくれるなら、あなた達2人だけは見逃してあげてもいい」

「どういう、意味……?」
「自分でも、何となく分かっているんじゃない? 『女王様』」
訝しむ珠に対し、厄災はこともなげに、そう答えた。


931 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:17:08 ???0


(やっぱり、そういうことだったのか……)
スヴィアが先ほど珠から感じとった予感。それは当たっていたのだ。
日野珠の脳内に巣くったウイルスは、彼女のストレスを受けて
その成長限界を超え、女王として覚醒していた。

「女王…… 日野君を見逃してもいいって、どういうことだ……?
 このVHを終息させたくない理由でも、あるのか……?」

そのスヴィアの問いに対し、厄災は、ふう、と溜息を付くと、その姿を変えた。
巫女服を着た、長い黒髪をした少女、隠山祈本来の姿に。
珠は彼女を見て、知己である犬山姉妹を思い起こした。

隠山祈は、黙って巫女服の袖を捲り上げた。
露わになった二の腕には、おびただしい数の膿疱の痕…… 瘢痕があった。
腕だけでない。足、胸、背中…… 彼女の全身は、無数の瘢痕に覆われていた。

「それは…… 天然痘、か……?」
「2人とも、この村の名の由来は知ってる?」
スヴィアの問いを無視し、隠山祈は己の話を続ける。

「この村はね、流り病に罹った人を集める為に使われたの。
 だから、外の連中、朝廷の連中は、ここを『病の檻』とか、『厄の檻』とか、そう呼んでたのよ。
 『隠山の里』って立派な名前があったのに」
「……君は、天然痘の罹患者だったのか? だから、自分をここに閉じ込め、死に至らしめた人間を憎んだ……?」
「それだけだったら、こうはならなかった」

「――くっ!?」「ああっ!?」
隠山祈の身体から、黒い気のようなものが噴き出し、珠とスヴィアを包み込んだ。
それは、隠山祈の本質である、呪い。
怪異として貶められながらも積み重ねてきた、隠山祈の憎しみと憎悪。
それが珠とスヴィアの意志と感情を飲み込み、破壊してゆく。

「おっと、このままじゃ殺しちゃう」
隠山祈が指を鳴らすと、呪いは霧となって消えた。
珠とスヴィアは床に腕を付き、息を荒げていた。
魂が闇の中に持っていかれる感覚。あと5秒も続いていたら狂死していただろう。

「もう分かっただろうけど、私は人間じゃない。
 私は呪い。厄災だよ。隠山祈という名の、厄災。
 はっきり言って、VHなんか、もう私には関係ない。
 女王感染者が死んでVHが終わろうが、私のやることに変わりはない。
 異能は便利だし、無くなるのは嫌だけど、
 それが無くたってこの国なんか滅ぼせる。私にはその力がある」

それは大言壮語でもなんでもない。
目の前の厄災はそれを為せる存在であると、珠とスヴィアは直感で悟る。

「それで、だよ。女王の君に、一つだけチャンスを上げる」
「……何を、すればいいの?」
訝しむ珠に、隠山祈は、残忍な笑みを浮かべながら答える

「簡単なことだよ。
 私の力で、貴女ををこの村から出してあげる。
 そのあと、東京でも大阪でもいい。
 どこか、人の多いところで、何日かぶらついてきてほしい。
 たったそれだけでいいの」
「なっ……」

それを聞いたスヴィアは、厄災の言わんとしていることを悟った。
「お前は、このウイルスでパンデミックを起こせと、そう言っているのか!!」
スヴィアは思わず声を荒げた。


932 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:17:44 ???0
HE-028ウイルスの最大の特徴の一つ、それはその異常な感染力である。
本来の用途であるZ計画の最終目的・全人類へのウイルス感染の為に付加されたそれは、
今回のVHに於いてデータ通りに作用し、一人の例外も無く山折村住民全員をウイルスに感染させた。

では、これ程の感染力のあるウイルスを、現代社会の大都会の真ん中で放ったらどうなるか?
行き交う無数の歩行者、自動車、電車、バス、飛行機。
ありとあらゆる人間の活動の波に乗り、感染者は鼠算式に増大していく。
これほどの大量の人間を隔離などできるはずもない。
そうこうしている間に48時間が経過し、女王以外の感染者にHE-028-Cが定着、Cウイルスのみでの単独繁殖が可能となる。
そうなれば、もう後は止める術は無い。
感染の波は瞬く間に全国に広がり、9割を超える人間がゾンビと化し、都市機能は完全に崩壊するだろう。

絶句する2人に、隠山祈は誘惑を続ける。
「悩む必要は無くない?
 分かるでしょ? あなた達は、朝廷に、この国に切り捨てられたんだよ。
 私たちと同じように」
 
厄災の言わんとしていることは明白だ。
今回の事態を受け、日本政府は特殊部隊を差し向け、実質的に山折村の住民全員を殺害せよとの命令を下した。
田中花子やスヴィアらも危惧しているように、
例え女王感染者である珠自身が今すぐ自殺し、VHを終息させたとしても、
特殊部隊の活動は山折村を滅ぼすまで続くだろう。
国家の為、世界を救う為、より多くの人々を守る為、といった題目で。


「ただ殺されるなんか、認められないでしょ。
 朝廷が貴女達を切り捨てるなら、貴女達にもそれを切り捨てる権利がある。
 女王である貴女なら、それを朝廷の奴等に示すことができる」
「…………」
珠は押し黙っている。その黄金瞳が潤む。

隠山祈にとって、この申し入れは、本当に只の思い付きに過ぎない。
朝廷という存在に復讐を行うするにあたり、
自分たちが産み出した流行病によって朝廷を滅亡させる。
流行病の罹患者の復讐により、施政者の面々も病を発し、己の所業を悔いながら死ぬ。
そういう手もあるか、と考えただけである。

「……どうしたの、答えてよ。あまり時間を使いたくないの」
いい加減焦れてきたのか、隠山祈が回答を迫る。
繰り返すが、隠山祈にとって、これは然程意味のある問いかけではない。
女王が答えを出さないなら、別に固執する必要もない。
当初の予定通り、己の力でやればいいだけの話だ。
「まさかとは思うけど、下らない時間稼ぎでもしてるなら……」
「……ぃ……」
珠の、ぎりぎりと食いしばる歯の間から、言葉が漏れた。
「ん?」
「うるさいっ!! わたしはっっ……」

珠は、泣いていた。その黄金瞳から、ぽろぽろと、銀色の涙が零れていた。
涙を流し、喉を震わせながら、だがはっきりと珠は吠えた。

「私はっ! ハッピーエンドを、掴むんだっっっ!!」



とち狂ったか。
隠山祈は、珠のその姿を見て呆れかえった。
せっかくチャンスを与えてあげたのに。その場の感情に溺れて。
所詮、偶然女王ウイルスに感染したに過ぎない、ただの小娘だったか。
それに、ハッピーエンドとは笑わせる。そんなものが願うだけで手に入るなら、私は――

「…………?」

自分のうなじに、冷たい風が吹きつけた。
隠山祈の思考が中断する。
誰かがいる。誰かが、まるで幽鬼のように、自分の後ろに立っている。
既に死に体であるはずの氷の少女―― 氷月海衣が、そこにいた。




933 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:18:19 ???0
海衣は、虚ろな意識の中で、一色洋子の姿を借りた厄災が、
九条和雄から一色洋子に渡されるはずだったお土産を踏み砕くのを見ていた。
この厄災とかいう相手は、一色洋子の姿を汚し、彼女とその兄の想いまでも踏み躙った。
許せない。許せるはずがない。
多分もう自分は死ぬだろう。でも、この最後の命の残り火を、せめてあの厄災にぶつけたい。
その想いだけを胸に、一歩、また一歩と進む。
珠ちゃんはさっきこう叫んだ。ハッピーエンドを掴んでみせる、と。
そのハッピーエンドには、自分の生存も含まれているんだろうけど。
でも、それには応えられないね。ごめんなさい。
でも、せめて、この命が、ハッピーエンドを望む珠ちゃんの助けになるのなら。
ほんの少しだけでも、他の誰かの幸せにつながるというのなら。

氷月海衣の手が、厄災まで、あと一歩まで迫った。


健気だね。でも、無駄なこと。
隠山祈が氷の少女を見て思ったのは、ただそれだけだった。
実際、多少は驚かせてもらったが、はっきり言ってそれまでだ。
少女は既に死の間際。腕の一振りで終わるだろう。
こんな処理は瞬で終わる。その後は、愚かにも自分を謀ろうとした女王ともう一人を抹殺する。
それで全て終わる話だ。
厄災は嘲笑いながら、振り向きざま、蚊でも振り払うように氷の少女の命を刈り取り――


「!!??」

厄災がその目を見張った。
一色洋子が、氷月海衣を守るかのように、両手を広げて立ち塞がっていた。
それは彼女の残留思念か。今の己の肉体に残る、彼女に寄生していたウイルスが産み出した認知機能のバグか。
いずれにせよ、その逡巡が、隠山祈の動きを止め、
氷月海衣が隠山祈を背後から羽交い締めにする時間を作り出した。

(嶽草君、茜ちゃん、洋子ちゃん、私に力を貸して!!)

氷の少女が友に祈る。己の命の最後の息吹を、その一片まで燃やし尽くすために。

「うわああああああああああああああーーーーーーっ!!」

絶叫とともに、少女の身体が氷に包まれ始めた。
その冷気は、朝顔茜が斃れた時に発現させた終わる世界と同等、いや、それ以上。
極低温の領域に達した冷気は空気さえも凍結させ、氷の牢獄を作り出す。

「先生っ」
「っ!」
珠とスヴィアは、それを横目に走り出した。
彼女の覚悟は伝わった。後はそれを決して無駄にはしない。
自分たちにできるのはそれだけだ。


氷月海衣が命と引き換えに作り出したそれは、いわば現世に発現した絶対零度の八寒地獄。
その極寒凍結は、肉体のみならず魂までも凍てつかせるだろう
いかな厄災といえども、この地獄からは……


「残念」


絶望の声が響いた。
厄災・隠山祈は、纏っていたクマカイの皮を脱ぎ捨てると、
完全に氷漬けにされるその直前に、氷の地獄から離脱していた。

己の力で姿を自在に変えてはいたものの、
厄災・隠山祈の現在の肉体は、あくまで独眼熊のものである。
そして、その独眼熊の肉体は、他ならぬクマカイの異能『弱肉強食』により
野生少女の皮を纏っていた。

氷月海衣の異能「花鳥氷月」。
それは、『自然界に存在するもの』の温度を局所的に下げる異能であり、
人工物や、すでに死した生物に対しては無効である。
つまり、既に死亡しているクマカイという少女の皮には
彼女の異能は機能しない。
すなわち、クマカイの皮は、冷気から厄災本体を守る、いわばバリアとして機能していた。
最初の海衣との交戦で見せた四肢凍結からの離脱も、手品を明かせば同じ原理であった。

「さあて、と……」

本来の肉体・独眼熊の姿に戻った厄災が、ゆっくりと振り返った。
そこに残るのは、氷中に閉ざされたクマカイの皮と、哀れな氷の少女。
厄災は、残忍な笑みを浮かべながら拳を振り上げる。

氷月海衣の肉体と魂は、氷と共に砕け散った。

【氷月 海衣:死亡】




934 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:20:02 ???0
「それじゃ、あの女王の子ともう一人はどこ行ったのかな、と……?」
氷月海衣を殺した厄災が周囲を見渡す。
普通に考えれば、彼女らが打ったのは逃亡の一手だろう。
すなわち、B2階への階段か、もしくは支部長室の非常脱出口か、考えにくいが、エレベーターか。

「…………え?」

彼女らの移動の痕跡はほどなく見つかった。
だが、それは己の推測のどれでもなく。

「動物実験室……?」

廊下南側、動物実験室の扉が開いており、床には2人の足跡が残っていた。
隠山祈は考える。見たところ、入り口は一つで、他の部屋に繋がっているわけでもなさそうだ。
足跡も、この短時間で偽装などできるはずもない。まさか、秘密の脱出口でもあるのだろうか?

何にせよ、悪足掻きだろう。
そう結論を付け、動物実験室に足を踏み入れると、
探すまでもなく珠とスヴィアの姿があった。

「来たぞ、日野君!」
「はい!!」

日野珠は、一抱えほどある大きさの何かを手にしていた。
だが、厄災には何の力も感じられない。
これが彼女の切り札だというのか。

「これを見なさい、厄災っ!!」

そう叫び、珠は手にした『それ』を掲げた。


「…………?」

それは、標本だった。
ホルマリン液につけられた、何の変哲もない、何かの動物の骨と脳。
それが何かであるかまでは、厄災には分からない。
かなり大きい動物のものであることは想像がつくが。

「で…… それがどうしたの?」

だが、厄災には何の影響も見られない。
例えば神社や寺に何百年も祭られた、霊験あらたかな霊獣の骨ならば、
あるいは己に何らかの影響を起こす可能性もあるが。

「何を考えているか分からないけど、まあいっか。
 あなた達はどうせここでっ―――!?」

ドクン!!!

その時。
異変が起こった。
隠山祈が憑りついている、独眼熊の心臓が撥ねた。

ドクン!!! ドクン!!! ドクン!!!

心臓が、呼吸を止めるかの勢いで撥ねる。
隠山祈が、堪らず心臓を抑えるが、異変は止まらない。
全身の筋肉が痙攣を起こし始めた。
独眼熊の肉体が、己の意に反逆していく。己の制御を外れていく。

「な、なに…… 何をした!? 何をしたの、女王ッ!!!」
厄災が初めて、明確な動揺を見せた。


935 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:20:24 ???0

女王として覚醒した日野珠が発現させた、右眼の黄金瞳。
それは珠の異能の進化形であり、運命を可視化する能力がある。
だが、それはあくまでも運命を『視る』だけ。
時間や距離といった、運命を制約する要素を飛び超えることはできない。
決して有り得ない奇跡を手にすることは、その力を以てしてもできないのだ。

だから、珠は選ばなければならなかった。
ハッピーエンドという選択が無い中で、自分は何を選ぶかを。
何を切り捨て、何を守るのかを。

隠山祈と対峙したとき、珠達全員が生きて帰れるという選択肢は最早存在しなかった。
覚悟をくれたのは、海衣だ。
死に体に鞭打ちながら立ち上がり、厄災に向かっていった彼女は、
ほんの一瞬だけ自分に目を向けた。
言葉は交わさなかったが、自分が何を選ぼうとそれを信じると、彼女はその瞳で語っていた。
そして、珠は、海衣を捨て石にすることを決断した。
彼女の捨て身が失敗するのも織り込み済みだった。
死という結末に向かう無数の運命の中で、ただ一つ、未来につながる選択肢を、彼女がくれたのだった。

海衣が時間を稼いでくれたとはいえ、
そのまま普通に逃げては容易く追いつかれ、殺されるのは目に見えていた。
だが、黄金瞳が、たった一つだけ可能性を示してくれていた。
それがこの動物実験室。
ここに置かれていた、ヒグマの脳と頭蓋骨の標本。
これが、厄災の闇に眠る『彼』の意識を揺り動かし、
ほんのわずかな可能性の糸を紡いだ。


まどろむ意識の中で、独眼熊は母の姿を見た。
それは頭蓋骨と脳だけだったが、母の気配を独眼熊の本能が直感的に感じ取っていた。
死んだように動きを停止していた、独眼熊の脳神経が発火した。
脳細胞の急激な再起動を受け、ウイルスが活動を再開する。

ウイルスが活性化していく。

ウイルスが活性化していく。

ウイルスが活性化していく。




936 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:22:11 ???0

独眼熊は、気付けば、山折の山中に立っていた。
風が静かに吹き、ざざざ、と木々がざわめく。。
それ以外には何も聞こえない、いつも通りの風景。

「なんだ。戻ってきたんだ」

誰かが、頭上から声を掛けてきた。
大木の枝に腰かけているのは、『山暮らしのメス』クマカイだった。

「……お前か。その恰好はどうした」

そう独眼熊が問う。
それもそのはず。独眼熊が知る彼女は常に一糸まとわぬ姿であったのが、
卿は町に住む人間と同じように衣服を纏っていたからだ。

「お姉ちゃんが、私にはぜったいこれが似合うからって。でも、慣れない。身体がかゆい。

そう言いながら、彼女は服の下に手を入れると、ぽりぽりを肌を掻いている。だが、不快そうな様子は無く。

「でも、悪くない」

そう言って、彼女は笑った。
良い笑顔だ、と独眼熊は思った。


少し強い風が吹き、ざあっ、と木々が鳴った。

「……わたしを殺したとき、すごく汚い顔してたよね」
「そうだったか」
「愉快だった?」
「……ああ。あの時は、な」
「そう」

1人と1頭の間に沈黙が走る。

「『知識』を知って、どうだった?」
「……正直なところ、よく分からん。
 腹の底から笑えるような愉快さも、腸が捻じくりかえるような苦しみもあった。
 考えれば、人間は常にこの感覚と付き合っているのか。まるで理解できんな」
「いい夢だったと思う?」
「…………」

独眼熊は、少しの思案ののち、こう答えた。。
「いい夢だったのかもしれんな。ここに戻ってこれたのだから」
「……そっか」
クマカイは、空を仰ぎながらそう呟いた。


937 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:22:32 ???0

いつの間にか、日が傾き、東の空から宵闇が迫っていた。
それをみて、独眼熊がすっと立ち上がった。
「そろそろだな」
「どこ行くの?」
「知れたこと。我を操り人形にしてくれたモノ、あれを斃す。
 だが、恐らく、生きては戻れんだろうな」
「相手は、そんなに強いの?」
「人間の言葉なら、『存在の次元が違う』とでも言うか。
 とても手が届くとは思えん。
 言うならば、あの闇を殺すようなものだ」
と、こちらに迫る宵闇を指し示して独眼熊が言う。

「そうだね、無理だね」
「ああ」
「でも、関係ないよね」
「ああ」
「それでも、ぶん殴るまでだよね」
「ああ」

クマカイと独眼熊が、互いに不敵な笑みを浮かべた。

その直後、山の風景が白い光に包まれ始めた。
クマカイは熊田清子を食い、独眼熊はそのクマカイを食った。
これにより、独眼熊はその身にほんのわずかながら、両者の記憶を学習したウイルスを取り込んでいた。
独眼熊のストレスを受け、異常活性化したウイルスが産んだ、ささやかな再会。、
その白昼夢が終わる。

「もう終わりかな。わたしはお姉ちゃんのところにいくよ」
「……そうか。お前は、山から下りるのか」

独眼熊は、感慨深そうに頷くと、こう続けた。
「俺は山に殉じよう」

その答えを聞いて、クマカイが笑った。

「ようやく、生き方を思い出せた。感謝するぞ、人間のメス」
「あ、そうだ」
「ん?」
「お姉ちゃんに教えてもらったんだ、わたしの名前。せっかくだから、あんたにも教えてあげる」
「そうか。誰にも教えてなかったが、俺にも名はあってな……」

終わりの時が来る。1人と1頭は、まず互いの名を、そして、別れの言葉を交わした。

「さよなら」
「さらばだ」

その言葉を最後に、幻の山は、光の中に消える。

かつて己が嘲笑と共に捨てた野生が復活する。
山の王者が再臨する。




938 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:23:05 ???0

「ギャオオオオオオオアアアアアアアアアアア!!!!!!!」

独眼熊が絶叫する。
彼は、自分の口を裂けるかの如く広げると、
己の爪で口内や食道が切り裂かれるのも構わず、右手を喉の奥に突っ込んだ。

そして、みしみしと音を立てながら、自分の身体の奥底から何かを引っ張り出す。
大量の血泡と共に、独眼熊の口から姿を見せたのは、不気味な赤い肉塊。
かつて、怪異『巣くうもの』と呼ばれ、今や厄災と化した隠山祈、その本体。

「ち――――!」
独眼熊に引きずり出された肉塊は、肉体変化の異能を用いて、人間・隠山祈に姿を変える。
幸い、独眼熊の身体を追い出されたこの姿でも異能は使えるようだ。


「厄災よ」

ずしん。
独眼熊の低い声と共に、彼が一歩踏み出すごとに生じる地響きが、実験室全体に反響する。。

「貴様の抱く呪いや憎しみなど」

ずしん。

「俺は知らん」

ずしん。

「人間どもに復讐するのも勝手にするがいい……
 だが、お前は、触れてはならぬ領域に足を踏み入れた」

ずしん、

「その報いを受けろ」

独眼熊が、隠山祈の眼前に、仁王立ちする。


939 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:23:33 ???0


「先生!」
「……ああ」

珠とスヴィアが、独眼熊の横を駆け抜け、動物実験室から撤退していく。
独眼熊はちらと横目を向けたが、それを黙殺する。
あの2人は、体よく独眼熊を、自分達が逃げ出す囮にしたのだろう。
それは分かっているが、厄災の中で眠っていた自分の自我を目覚めさせたのがあの2人なのも事実。
それに、何よりも優先すべき敵が目の前にいる。
これらの理由から、独眼熊は、珠のスヴィアの2人をこの場から見逃した。

動物実験室から飛び出した2人は、
いまだ意識が戻らずその身を横たえている神楽春姫の両脇を2人で支え、
そのまま支部長室に入り、緊急脱出口の階段を駆け上がった。


「……畜生風情が、この私に立ち塞がるとはね」

実験室から逃げ出した2人を目で追いながら、厄災が溜息を付く。

「強いは強い。でも、扱いにくい身体だとは思ってたけど、まさかここまで聞かん坊だとは思わなかった」

うんざりといった表情で、隠山祈は右手を己の背後に伸ばした。

「でも、私は知ってる。その身体には、あなたを怪異と見なした人間の言霊が刻み込まれてる」

何かを掴み取った右手を、再び体の前に回す。
彼女の手にあったのは、いつ回収していたのか、春姫が持っていた自動小銃・AK-47だった。

それを見た独眼熊は、ぐっと体を丸め、突撃の体勢を取った。
正面面積を抑え、急所を守りつつ正面に勢いを集中させる、攻防一体の形。
羆の戦闘の基本形である。

「そんなもの、無駄よ」
隠山祈は、所詮獣の浅知恵かと嘲る。自分自身がどういう状態にあるかも分かっていない。
普通の銃を普通の熊に撃つなら、ライフル銃のような強力な銃で急所を撃ち抜かねば仕留められないのは確か。
ヒグマの分厚い毛皮と皮下脂肪による防御力は、それほど高いのだ。

だが、今の独眼熊は怪異に身を落とされ、銃への抵抗力が著しく低下している。
AK-47の銃弾は、独眼熊の肉をまるで発泡スチロールのように削り取るだろう。

それを知ってか知らずか、独眼熊は床を蹴ると、隠山祈に突撃を賭けた。
多少の被弾は前提の特攻である。
それを見た隠山祈は、相手の防御姿勢も厭わず、AK-47の引鉄を引いた。
自動小銃が火を噴き、銃弾が独眼熊の肉体に迫る。

隠山祈は笑っていた。
これで、独眼熊は全身を風穴を開けられ、血達磨になるだろう
そのはず、であった。

だが、次の瞬間、隠山祈の表情が凍った。

AK-47が着弾する。
ビスビスと音を立てて、自動小銃の弾丸が独眼熊の肉体に突き刺さる。
弾丸は皮を破り、肉に穴を穿ち、血を流させる。
だが、それだけであった。
隠山祈の放った銃弾は、毛皮で勢いを殺された上に、皮下脂肪で完全に受け止められていた。
臓器や骨に達するなどして、大きなダメージを与えるに至ったのは、ゼロ。

(効いて、ない……!?)

驚愕に目を見開いた隠山祈に独眼熊が迫り、その剛腕が顎を捕える。
厄災の身体が宙に舞った。


940 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:24:09 ???0
「ガッ!!?」

床に叩きつけられた隠山祈が呻く。
それは、厄災と化した自分が初めて受けたダメージだった。

困惑しながらも隠山祈は悟った。
独眼熊が一体何をしたのかを。
人間によって己に刻み込まれた呪縛を、己の意志で、破ろうとしていたのだ

独眼熊は吠えていた。
人間の認識が俺達を支配するだと?
人間が自分を『そういうもの』と決めつけたからそうなっただと?
そんなもの、俺を認めない。
人間が何を信じようと、何を畏れようと、そんなもの知ったことか。
野生には野生の生き方がある。
俺が何者であるのかは、俺が決める。
人間による決めつけに対する、断固たる拒絶。
野生に生きる者としての、アイデンティティを賭けた叫び。
独眼熊の、自己の全てを賭けた強烈な自我が、人間の言霊を消し飛ばしていた。

隠山祈は、わずかに歯噛みした。
思った以上に厄介な相手だ。

隠山祈の力の根源は、呪い、言霊だ。
言い換えるなら、認識の力である。
隠山祈の呪いは、その相手を隠山祈自身が憎悪の対象と見なして初めて、その力を発揮する。
例えば、山折村の住民だったなら、その血塗られた歴史の系譜の末端にある存在として。
相手が日本人であったなら、忌むべき朝廷の民として、憎むことが出来ただろう。
だが、独眼熊はヒグマだ。
もともと山折村にも住んでいなかった新参者だ。
山折村という地の血塗られた歴史や、積み重ねられてきた業とは、何の関係もない。
そんな相手を、心の底から憎むようなこと出来るか? NO。
憎悪の対象ともならず、因縁も存在しない相手に、呪いは力を発揮できない。

それに加えて、だ。
独眼熊は、他ならぬ厄災自身の下で、数々の敵を倒してきた。
かつて己を下し、山の王座を奪ったクマカイを打倒した。
日ノ本最強の兵士である大田原源一郎をも打ち破った。
厄災も知らぬ事実ではあるが、彼を倒しうるマタギ達―― 六紋兵衛も烏宿ひなたももういない。
今や、独眼熊は、名実ともに山の王。
山折村最強の存在なのだと、隠山祈自身が、認識してしまっていた。


941 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:24:40 ???0

では、どうするか。考えるまでも無い。

――純粋な力で殺すしかない。

「………はっ」

隠山祈は、半ば呆れ顔で笑った。

「そう。そんなに野蛮な力が好きなのね」

そう言いながら、隠山祈は身を翻す。

「じゃあ、お望み通り殺してあげる」

そのまま、彼女は、実験室の奥―― 動物管理室の中に身を消す。
追いかけようとした独眼熊だったが、その部屋の中から異様な気配を感じ、その足を止めた。

「あなたの好きな――」

独眼熊は、足に振動を感じた。
地震? 違う。巨大な何かが、あの部屋の中で蠢いている。
そして、ひときわ巨大な地響きが鳴り響き……

「力でねっっ!!!!!」

隠山祈の叫びと共に、目の前の壁と扉が粉砕され、巨大な影が飛び出す。。
雄叫びと共に姿を見せたのは、独眼熊と同じか、或いはそれ以上の巨体の大猿―― ゴリラだった。


942 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:25:17 ???0

個体名『キーチ』。
研究所の実験動物として、数々の薬物投与を受けた結果異常成長し、
3mもの巨体と人間並みの知能を得た怪物である。
己を道具のように扱う人間に対しては強い恨みを抱いており、
呪いである隠山祈は、己と同じ強い恨みを持つものとしてその存在をを感じ取っていた

だが、厄災にとってはこの動物もただの道具に過ぎない。
隠山祈は、彼に憑りつくや否や一瞬で脳を掌握し、己の傀儡へと変えていた。

2体の怪物が睨み合う。そして。

「グルアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「ウッホアアアアアアアーーーーーーーーーー!!!!」

双方が咆哮し、3mの巨体同士による、モンスター・バトルの幕が上がった。
ヒグマの爪が、牙が。ゴリラの腕が、拳が。
マグニチュード8の震災にも軽々耐えきった研究施設の、
壁や、柱や、鉄骨を、まるで紙細工のように破壊していく。
それはまさに暴力の竜巻。
巻き込まれたゾンビは吹き飛ばされることもなく、一瞬で血の霧になって消える。

ゴリラの剛腕が羆を打つも、ヒグマの爪が逆襲にその肉を裂く。
互いに傷を負いつつも、双方決定打には至らず。
今のところは全くの互角。

「グッ……!」

独眼熊は強敵と見て、一瞬思考を巡らす。
その直後、両手を上げた威嚇体制でキーチに飛び掛かった。
それを見たキーチは、にっと笑いを浮かべると、両手でそれぞれ独眼熊の手を掴んだ。
互いに両手を組み合った、いわゆる『手四つ』の状態だ。

「ウッゥホオォォォォォォ……!!」
「ググググググ………」

この体勢となり、明らかにキーチの方が押し始めた。
ゴリラは、地上最強の握力の持ち主だ。
一方、熊の手は握るという行動を取るには向いていない。
独眼熊の手の骨が軋みを上げ、肩の筋肉の筋がぷつぷつと千切れる音を立てる。

勝利を確信したキーチは、独眼熊の両手を握り潰そうと、
そして彼自体も押し潰そうと、全力の力を込めようとした。

その瞬間であった。


943 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:25:40 ???0
キーチが躓いたように前につんのめった。独眼熊が突然力を抜いたのだ。
独眼熊は、後ろに倒れ込みながら右脚を伸ばし、
自分に覆いかぶさろうとするキーチの鳩尾に爪を食い込ませる。

「ウブォッ!!」

血を噴くキーチ。そして、独眼熊はそのままキーチを巴投げの要領で投げ飛ばした。
キーチは、轟音と共に壁に叩きつけられる。

独眼熊は百戦錬磨、山折の山に住むありとあらゆる動物と戦ってきた経験がある。
ゴリラは未知の相手だが、一目見ただけでおおよその特徴を把握していた。
他方、キーチは文字通り檻の中で生きてきた実験動物。実戦の経験など存在しない。
手足を振り回す、噛みつくなど原始的な闘争本能に基づいた戦い方しか知らない。
ヒグマという動物を相手取るにあたり、どこを攻め、どこを守るべきかという知識も経験も存在しない。
そこで、独眼熊は罠を仕掛けた。
キーチにとって最良の形を敢えて取らせ、その力を利用し、痛烈なカウンターを叩き込んだのだ。

「ウホォ、ホォゥ……」

キーチが、息を弾ませながらも立ち上がる。
状況不利と見た厄災が、キーチの脳に新たな情報を与える。
キーチの足元に、実験室の備品棚が倒れている。キーチはそこに手を突っ込んだ。
経験が足りぬというなら足すまで。
手に取ったのは、解剖実験用のメスだ。刃物を手にしたことで、異能『剣聖』が発動する。
それに加えて、厄災は、以前読み取った八柳藤次郎の脳情報を、キーチの脳に転写した。

剣聖の技と異能を手中に収めたキーチが次に取った行動は、
独眼熊をも驚愕させるものだった。

身長3m、体重500kgを超える巨体が、跳んだ。
技の名は、八柳流『猿八艘』。
本来は、狭い室内に於いて壁を蹴って飛び、相手の射撃を回避しつつ仕留める技である。
だが、キーチはその巨大な脚力を以て、壁を蹴るごとに己の速度を高めていった。

歴戦の独眼熊にとってすら、目の前の光景は信じられないものであった
3mの巨大ゴリラが、残像を残すかのスピードで、室内を自由に飛び回るなど。
加速―― 加速―― 加速加速加速加速――――
加速はまだ続く。独眼熊の眼が追い付かぬ。

その技は、もはや猿八艘ではない。
壁への蹴りを以て加速し、己の筋力、体重、圧力の全てをそのスピードに乗せ、
巨大な敵をも一撃で仕留める必殺の技。
名づけるなら八柳流・『ゴリ八艘』。

キーチは、遂に最高速に達する。それと同時に、完全に独眼熊の背を取った。
山の王が致命の隙を晒す。

これ程の質量とスピードがあるならば、チンケなメスを使う意味は無い。
己を肉弾と化し、敵を粉砕するのみ。
速度に全体重を乗せた肘が、独眼熊の後頭部に叩きつけられた。

パァン、と弾けた音が響き、山の王者に痛恨の一撃が炸裂した。
寸でのところで受け身が間に合ったが、
岩をぶつけられた強化ガラスの如く、頭蓋骨には無数のヒビが入っていた。
まともに入っていれば頭を粉砕されていたであろう。
さしもの独眼熊も、両手両膝を地につける。
眼、鼻、耳……独眼熊の顔面の、穴という穴から血が流れる。


944 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:26:03 ???0

この勝機を逃す理由は無い。キーチは、一気に畳みかけを図った。
先に聖剣の光でに分身が消されてから、十分な時間が経過している。
異能『ゴリゴリパニック』発動。
独眼熊を挟んで反対側に、もう1体の分身が現れる。
続けざま、本体と分身が同時に跳躍した。

何という光景だろうか。
3mを超える巨体のゴリラの、それも2頭が同時に、宙を駆けている。
己の分身であるがゆえ、息が合わぬということは無い。
本体に気を取られれば分身が、分身を見れば本体が、
中途半端に双方を警戒しようならば2体が同時に、先程の一撃を見舞ってくるであろう。
同じ異能を使っていた独眼熊に分身の手品は知られているが、空中を高速で舞う相手の頭を狙うなど至難の業。
加え、隙を見せれば異能『剣聖』の第六感がそれを確実に捉えるだろう。

名づけるなら八柳流『ゴリ八艘・二重の型』。
まさに必殺を超えた、鏖殺(みなごろし)の技。
加速しながら独眼熊の隙を伺いつつ、キーチは半ば己の勝利を確信した。

だが。
「ギ……?」
異能の第六感が、何かを告げた。
独眼熊は、ゆっくりと立ち上がりながら、傍らにあった巨大な机を持ち上げていた。

キーチの表情が驚愕に歪む。
『剣聖』で得られた直感により彼は己の失策を悟ったが、時すでに遅し。
猿八艘最大の弱点。それはかつて成田三樹康が看破したように、
空中で動きを変えることは出来ないこと。
例え、異能で予知していようと、壁なり床なりに着地しない限り、行動は変えられない。

独眼熊は、手にした大机を思い切り上に放り投げ、天井に叩きつけていた。
天井が粉砕され、大机が砕け散り、無数の瓦礫が雨のように降り注ぐ。
空中を跳んでいたキーチとその分身は、抗う術も無く、その中に突入してしまった。

瓦礫の破片が頭に当たり、分身が消滅する。
キーチ本体は、速度を付け過ぎていたのが災いし、その眼球に破片の一部が突き刺さった。
「ギッ!!」
視界を失ったキーチは、堪らず技を中断し着地する。
同時に、独眼熊の位置を見失った。


945 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:27:15 ???0
独眼熊が彼を仕留めるには、これだけで十分だった。
キーチの後方から忍び寄った独眼熊が、その両手を、ずん、とゴリラの両目に叩き込んだ。

「ギィエエエエエエエエエエエエエエーーーーーッ!!!!」

キーチは、火の着くような痛みと視界を失った恐怖に、完全な恐慌状態に陥った。
半狂乱となったキーチを、厄災ももう制御できない。
キーチは、苦し紛れの最後の抵抗として、駄々っ子のように両腕を振り回し、独眼熊に襲い掛かるが、
軽く受け止め爪一閃、ゴリラの左手首が宙を舞った。

「キィヤアアアアアアアアーーッ!!!」
巨体に似合わぬ甲高い叫びが響く。
無防備となったゴリラの左半身に、独眼熊の貫手が叩き込まれる。
ヒグマの爪が、心臓を貫く。
口から噴水の様に血を吹き出し、巨大ゴリラは絶命した。


だが、まだ戦いは終わらない。
キーチが死ぬ寸前、肉塊が、口から噴き出す血の勢いに乗って脱出したのを独眼熊は見た。
そのままそれは、実験室の巨大水槽の中に音を立てて落下する。

一瞬の静寂ののち、水槽がごぽごぽと不気味な音を立て始めた。
直後、水槽が粉砕され、2mはあろうかという長細い影が姿を現す。
それは、巨大なヒルだった。

水槽で飼われていた、天性の寄生欲・繁殖欲の持ち主であったヒルに厄災が取り付き、
異能『肉体変化』により巨大化させたのだ。
いわば、クイーン・ヒル。
予想外の敵の出現に、さしもの独眼熊も一瞬、対応が遅れる。

クイーン・ヒルが、その血を吸いつくさんと独眼熊に飛び掛かる。
独眼熊はとっさに、愛おしむように水槽に身を寄せていた、男研究員のゾンビを盾にした。
研究員は首筋をヒルに咬みつかれるや、蝋人形のように真っ白になり、みるみるうちに干からびていく。
哀れ、沢田英二という名の彼は、全身の血という血を吸い上げられ、ミイラと化して絶命する。

奇襲を凌いだ独眼熊は、冷静さを取り戻すと、敵の分析を開始した。
所詮ヒルはヒル、動きは単調である。武器は口のみ。防御力もスピードもそれ程高くはない筈。
落ち着いて戦えば負ける相手ではない。
距離を取り、呼吸を整える。

クイーン・ヒルが再び飛び掛かってきた。
独眼熊は冷静にその動きを見極め、反撃の爪撃を試みようとした。
だが、ここでクイーン・ヒルが二度目の奇襲を掛けた。
口の中から大量の子ヒルを、独眼熊の顔に向かって吐き出したのだ
「グオッ!?」
不意を突かれた独眼熊の顔面に、無数の子ヒルが殺到し、視界が封じられる。
クイーン・ヒルは、隙を見せた独眼熊の、その右肩に噛みついた。
剃刀のような歯が独眼熊の皮を、肉を裂き、血管を切断する。。
そして、クイーン・ヒルは、ポンプのように独眼熊の血液を吸い上げ始めた。
血を吸い上げるごとに、クイーン・ヒルは、ぶくぶくとその身を膨らませていく。
生命力の根幹である血を吸い上げられ、独眼熊は片膝を付く。


946 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:27:45 ???0
クイーン・ヒルは、そのまま全ての血を吸いつくさんという勢いであった。だが。

「!!!?」

突如全身が硬直し、その動きが止まった。

「グゥゥゥゥ……」

独眼熊が唸りを上げる。
彼は、残る力の全てをヒルが噛みつく右肩に集中させ、
肩の筋肉を、鉄のように固めていた。

盛り上がった筋肉が、万力のようにクイーン・ヒルの口腔を締め上げ、その動きを両方を封じる。
クイーン・ヒルは狂ったようにのた打ち回るが、もはや逃げることも、血を吸い続けることもできなかった。
「フアアアアアアァァァァァッ!!」
気合一閃、羆の剛腕がクイーン・ヒルの胴体を貫く。
刹那、クイーン・ヒルは水風船のように弾け飛んだ。


「ゼイ…… ゼイ…… ゼイ……」
独眼熊は、己の血のシャワーを浴びながら、息をつく。

「なるほど、強いね。まさかここまでやるとは、予想外だったよ」

独眼熊は声の元を向く。
おざなりに拍手をしてながらそこに立っていたのは、厄災・隠山祈。

独眼熊は、厄災を負けじと睨みつけながらも、
己が圧倒的に不利な状況にあることを自覚せざるを得なかった。
独眼熊は、確かに、キーチとクイーン・ヒルという強敵を続けざまに撃破した。、
だが、それらは厄災の依り代に過ぎない。
厄災そのものには何のダメージも入っていない。

それは、独眼熊自身の選んだ戦法の失敗でもある。
独眼熊は、人間の認識から己を切り離し、力と力の戦いに持ち込むことで、厄災と渡り合ってみせた。
だが、それは逆に言えば、自分が隠山祈という存在に干渉する術も失くしてしまったことになる。
今の独眼熊が何をしようと、隠山祈の存在を担保する呪いそれ自体には関係がない。
独眼熊には、隠山祈を正攻法で殺す手段が存在しない。


947 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:28:21 ???0
「ほめてあげる。でも、時間切れ」

隠山祈はその右手に、呪いとは違う、別の異質の力を纏わせた。
それは、魔王アルシェルの力。
隠山祈の分身たる■■■が、その存在を取り込むことで、手中に収めた力、魔力。
無論、ここにいる隠山祈が魔王を取り込んだわけではないし、その力は■■■の足元にも及ばない。
だが、■■■が徐々にこちらに近づき、その影響が強まることによって、
その力の片鱗を振るうことは可能となっていた。

「魔王の力を持つ者に、ただの熊畜生が、勝てるわけがない」
あまりにも明白なるその認識が、隠山祈に力を与える。
指鉄砲の型に構えたその人差し指から、魔力の弾丸が放たれる。

「さよなら」

独眼熊の左胸に、風穴が開いた。


「やれやれ、やっとか。本当、無駄にしぶとかったなあ」

独眼熊は、左胸に穴をあけたまま沈黙していたが、ゆっくりと、後ろに倒れ始めた。
隠山祈は、それを一瞥すると、仇敵・神楽と、女王の少女を追うべく踵を返した。

思った以上に時間を取られたが、今の戦いで喜ばしい事実が判明した。
まず、『あの子』が、魔王なる異界の力を手中に収めたこと。
そして、『あの子』は自分のすぐ近くまで来ていること。

私と『あの子』が出会ったその時に始まることを想像すると、
自然と足が早まる。
その時が来たら、まずあの神楽春姫という娘を……

「……………………………………嘘」

その呟きと共に、期待に弾む歩みが止まる。
隠山祈の表情が固まる。

馬鹿な。あり得ない。
困惑と驚愕の表情を浮かべ、隠山祈はゆっくりと後ろを振り返る。

そこにあったのは、身長3mの巨大生物の姿。
独断熊は斃れていない。
左胸に握り拳ほどの穴が空けていながら、
山の王者は、なお、立っていた。

独断熊は、魔力弾が放たれた直後、
その人差し指の向きからその弾道を見抜き、
致命となる臓器、血管の類を全て、その射線から外してみせていた。
野生の生存本能と、何としてでも目の前の敵を斃すという執念、
その2つが産んだ神業であった。


948 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:28:51 ???0

「…………お前は」

独眼熊は、厄災を見下ろしながら、ゆっくりと、言の葉を紡ぐ。

「まだ“そんなもの”にこだわっているのか」

それは、かつて野生に縋るクマカイに対し、独眼熊が侮蔑と共に言い放った台詞。
あれは、独眼熊が自身の意志で紡いだ言葉だったか、それとも厄災が彼の自我を操り言わせたものだったか。
今となっては、厄災自身も分からない。

隠山祈の手が震える。
厄災は、困惑や驚愕を通り越し、遂に、あってはならぬ感情を抱いた。
その感情の名は―――― 恐怖。

「何が呪いだ。何が魔王だ。――――下らぬ」
独眼熊は、べっと血を吐き捨てると、ゆっくりと隠山祈に近づいていく。

「う、あ……」

隠山祈が後ずさる。千年の厄災が、目の前の獣一匹に気圧されている。
分からない。まるで分からない。
自分には異界を統べた魔王の力、そして、それすら手玉に取った上位存在の力がある。
それが、何故、目の前の畜生一匹などに恐怖しているのか。

「あああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

隠山祈が絶叫する。彼女の両腕に、呪詛と、言霊と、魔王と、神域たる■■■の力が渦を巻く。
この力に耐えられるような生物がいるはずがない。
この獣はもうすぐ死ぬ。自分の力で簡単に殺せるはずだ!

「死ね! 死ね! 死んじゃえよ!!」

人知を超えた力の激流が迸しる。それが独眼熊の肉をえぐり、右肩を吹き飛ばし、左脇腹を消滅させる。
なるほど、大した力である。

だが、
それでもなお。

その力、独断熊を屈させること能わず。
彼の左眼を奪った六紋兵衛の銃弾に及ばず。
彼から山の王座から奪った熊田清美の一撃に及ばず。
マタギとして目覚めた烏宿ひなたと字蔵恵子の電磁砲に及ばず。
その確信を胸に、独眼熊は前進を続ける。

「っ!?」

遂に、独眼熊の右腕が隠山祈の細首を捉え、締め上げながらその身を持ち上げた。
気道を塞がれた厄災が呻く。


949 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:29:08 ???0
「貴様を殺す方法が分かったぞ、厄災」

山の王が、厄災に向けて言い放つ。

「貴様の存在の根源が、憎しみや絶望といった感情であるなら――」

独眼熊が、悪意に満ちた笑みを浮かべた。
厄災の眼に、怯えの感情が映る。

「――それを塗り潰してやればいい」

隠山祈は、呪いだ。
だが、それゆえに、人間の感情を捨て去ることは出来ない。
人間であることを、やめることは出来ない。どうしようもなく。
人間の感情の根源の一つである本能的恐怖から、決して、逃れることは出来ない。

厄災は足掻く。己の行使可能な力という力を、独眼熊に滅茶苦茶に叩きつける。
その力に晒されながらも、独眼熊は眉一つ動かさない。

「怒りも、憎悪も、絶望も、全て捨て去りたくなるほどの痛みと恐怖を」

独眼熊の、右手の爪が、左手の爪が立つ。
独眼熊が大きく口を開け、その牙を剥く。
牙の先から、たらりと涎が垂れた。

「お前に刻み込んでやる」

独眼熊が細首に齧り付き、少女は絶叫を上げた。




950 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:29:52 ???0
洞窟で眠っていた私の顔を、突如月明かりが照らし、私は目を覚ました。、
封印された筈の岩戸が開いている。
そこから月光が、救いの光のように、洞窟の中に差し込んでいる。
私は、岩戸に封じられたはずだった。
両親に。里の者に。朝廷に。そして、あの人に裏切られて。

でも、誰かが岩戸を開けてくれた。
中で私が、助けを求めていると知って。
洞窟の外に誰かがいる。誰かが立っている。
まさか。
まさか。あの人が。
「…………んよう、さま…………」
私は、想い人の名を呟き、導かれるように月光の下へ歩んでいく。

一陣の風が、洞窟の中に吹き付けた。
それに乗って漂ってきたのは、香を焚き込んだあの人の匂い。



などではなく。




野蛮で不快な、獣臭。




私は、“そいつ”を見て、ただ、立ち尽くしていた。
そこに居たのは、春陽様ではなくて。
私が知っているどんな獣よりも大きい、熊。
そいつは、口角から涎をぽたぽたと垂らし、血に飢えた瞳をぎょろりと私に向けていた。


951 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:30:22 ???0
熊は、狂ったような叫び声を上げながら、私に躍りかかってきた。
私は悲鳴を上げ、洞窟の奥に逃げようとしたが、足元の石に躓き、転倒する。
熊はもう自分の眼前に迫っていた。逃げられない。
熊の巨体が、私に馬乗りになる。爪が私の背中に食い込む。
痛い、痛い、痛い。
熊の吐息が私の耳元で響くや、その牙が私の肩を噛み千切る。。
私は地面の石を掴み、少しでも這って逃げようとするが、何故か、掴むという動作が出来ない。
私はそこに至ってようやく、自分の右手が失われていることに気付いた。

誰でもいい、助けて。ととさま、かかさま。村の皆、武士様。
そんな私の願いなんか意にも課さず、熊の暴虐は続く。
爪が私の顔を削ぐ。蜜柑のように、顔の皮がべろんと向ける。
ただ逃れたい一心で、手足を動かそうとするが、その感覚は既に無く。
まだ残っているかも分からない。それを確認する勇気なんかない。
つづけて熊は、私を仰向けにひっくり返すや、私のお腹を食い破り、その中にあるものをむしゃむしゃと食い荒らしていく。
私の叫びは、もう声にもなっていない。
もういや死にたい! 死にたい! 殺して!!
心の中で、ただそう叫ぶことしかできない。
それでもなお、熊は死ぬことを許さない。
春陽様、春陽様、春陽様!
私は狂ったようにあの人の名を叫んでいた。
だが、あの人は来ることはない。来るはずがない。
わたしのいのりは、誰にもとどくことはない。
私、隠山祈は、ほかのなにものでもなく、単なるケダモノの食い物として、
何の意味も無く、死ぬのだ。

この世に、痛みこそ最悪なものは無い。そんな当たり前の事実を思い知らされる。
この痛みの前には、愛も、憎しみも、呪いも、何の役にも立ちはしない。
そんなものはこの苦しみから逃れる助けにもならない。
どうしようもなく即物的な野生の暴力が、
隠山祈が価値を信じていた、愛を、怒りを、憎悪を奪いさる。
最後に残ったのは、恐怖と絶望だけ。
死後の世界で何かを為したい、という希望すら抱けず、
恨みに身を任せ、悪神と化すなどと、そんな大それた願いなんかも抱けず。
ただこの恐怖から、痛みから、わたしを解放してほしい、自分を消滅させてほしいと願うだけで。


952 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:30:48 ???0


こうして、隠山祈の魂は。


虚無の中に、


真っ逆さまに、


堕ちて。















――――――――あねさまっ













いのりが――



とどいた。






月光の下に白兎が躍る。
その導きに従い、誰かがやってくる。
私は知っている。あの影を。あの足音を。

「…………ょう、さま」

息も絶え絶えに、私は、あの人の名前を呼んだ。
そこで、私は気付いた。
確かに、あの人に似ている。でも、あの人じゃない。
そこにいるのは、少女だった。

想い人は来ない。来るはずがない。
何故なら彼はもう、何百年も昔に、召されているはずだから。


953 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:31:18 ???0
でも。
それでも、
そうであったとしても。

確目の前の少女は、確かに、その貌に、あの人の面影を残していた。
この少女の名前を、私は知っている。

神楽春姫。



独眼熊への恐怖が生んだ、隠山祈の悪夢が終わる。
隠山祈は、人形を保つ力も失い、元の肉塊に姿が戻っていた。

独眼熊は、見るも無残な有様に成り果てていた。
一介の動物が、魔王や上位存在の力に、耐えられる訳がなかったのだ。
下半身はほぼすべて消し炭となり、左腕は失われ、右腕は上腕骨を残すのみ。
胸の部分はあばらがまるまると露出し、その骨も大半が折れていた。、
顔の目耳は失われ、皮はそのほぼ全てが剥げ落ち、僅かに残った肉が頭蓋骨にへばり付いている。
その頭蓋骨もほとんどが砕け或いは割れ、脳が半分以上露出している。

それでも、まだ彼は生きていた。
わずかに残った咬筋をぴくぴくと動かし、今もなお、隠山祈に咬みつこうとしている。

神楽春姫は、その様子を見て、

「もうよいだろう、山の王」

独眼熊の傍らに立った。

「もう、よい。そなたはもう、山に帰れ」
そう言うと、彼女は聖剣を抜き、独眼熊の首を撥ねた。

【独眼熊 死亡】




954 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:31:59 ???0
「偉そうな口を利いていた割には、惨めな姿になったものよな、隠山祈」
春姫が、肉塊に戻った厄災を見下ろしながらいう。

「か、ぐら…… かぐらぁ……」
厄災は呪詛を囁くも、その言葉にはあまりにも力が無かった。

「恐怖に心折られたか。哀れな」
春姫は無表情にそう呟いた。

春姫の手の中で、聖剣が、討つべき厄災を滅せよとばかりに光るが、
「煩い。駄剣。少し黙れ」
春姫はその訴えを一蹴し、再び隠山祈に目を向けると、懐を探り出した。

「そなたを祈ってくれていた者に、感謝するのだな」
取り出したのは、白兎の御守。
転生し、異界に渡り、裏切者に名を堕とした彼女が託した、祈りの証であった。

「こやつの祈りを聞いておらねば問答無用で斬り捨てていたところよ。
 ………む」

春姫の手の中で、聖剣が再び光り出した。
その光が示す先、それは目の前の厄災ではない。
ここより東の方向から、これ以上の脅威が接近しつつある。
そう、聖剣は訴えていた。

「この感覚、そなたの分身か何かか。だが、邪気の格が違う。
 察するに、元凶はあちらの方か」
 それにしても、あやつの気に当てられ、そなたがまたおかしくなられても面倒よな」

そう言って、春姫はひょいと肉塊をつまんだ。

「えっ――」

何をされるのかと、隠山祈が困惑する。
そんな彼女の感情など無視して、春姫は口を開け、
そして。

「なーーー!?」
「ここで大人しくしておれ」

ぱ く ん

神楽春姫は。
隠山祈を、
食った。


955 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:32:27 ???0
「な、な、な。あ、あんた、一体何考えてるの!?」
さしもの厄災も当惑する。自分が何者か知った上で、己の魂に寄生させるなど、正気の沙汰ではない。

「知れたこと。安全なところに匿ってやったまで。感謝せよ」
春姫はそうぬけぬけと答える。

なんなの。いったいこいつはなんなの。
しかもこの人が、あの春陽様の末裔らしいという事実が、なお腹立た出しい。
確かに春陽様は、外見ばっかり良くて、高慢ちきで、傍若無人で。
そういう意味ではこの2人はすごく似てるよ。
けど、けど! あの人は幾らなんでもこんな無茶苦茶な人間じゃない!!
こんな人に春陽様の面影を見たあの記憶を消したい!!。
あの子もなんで、こんな人に祈りを託したりしたの!!
肉体があれば、地団駄を踏みたいところだった。

春姫は、己の中で喚く祈の抗議の声を聴き流しながら、
それを取り込んだことで得た、彼女の記憶を吟味していた。

聖剣から流れ出した記憶。
絶対禁忌の縁者の記憶。
イヌヤマの名を持つ異邦人の記憶。
そして、隠山祈の記憶。

神楽春姫は、ここに、過去の因縁全ての記憶を手にした。

「隠山祈」
「……なに?」
春姫は、魂の中の彼女に問いかける。

「そなたの事情、全て知った。
 恨み捨てられず、なおそなたが神楽の断罪を望むのなら、我が魂くれてやる」
「そんなこと、今更ーー」
「ただし!!」
「っ……!?」


956 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:33:15 ???0
「これだけは覚えておけ。
 妾は、汝が氷月のや与田めを殺したことを忘れてはおらぬ。
 全てが終われば、妾の名の下に汝を裁きに掛ける。
 それを、ゆめゆめ忘れるでないぞ!」

春姫は、ぴしゃりとそう言いつけた。
隠山祈は、その威に、押し黙るしかなかった。

春姫は、踵を返すと、支部長室に入り、脱出口の階段を駆け上がる。
完全に廃墟と化した研究所地下三階、このVHの元凶の地を去る。



研究所の緊急脱出口に続くマンホールから、春姫がひょっこりと顔を出す。

「お帰り、春ちゃん。
 …………あ、やっぱり『そうなった』んだ」

珠がスヴィアの手当てをしながらそう言った。その右眼には黄金瞳が燦燦と輝いている。

(…………)
スヴィアは、手当を受けながら、何か言いたげに珠を見つめていた。
日野珠への違和感は徐々に強くなっている。
珠とスヴィア、そして気絶した春姫が研究所を脱出した後。
意識を吹き返した春姫が研究所に戻ると言い出したのを止めようとしたのは、
珠ではなくスヴィアだった。
珠はというと、あっさりと春姫の言い分を認め、彼女が死地に戻ることを許可した。
普段の珠なら、必死になって彼女を止めようとした気がするのだが。

「日野君。君はここまで『見えていた』のか……?」
「うん。でも、見えてるだけ。全然、力が足りないよ。
 ハッピーエンドを掴むって、そう誓ったのに。
 氷月さんも。与田さんだって…… それに、花子さんも今どうなっているのか……」

びゅうと、草原に風が吹く。

「とにかく、これからのことを考えようじゃないか。
 日野君。君が女王だと判明した以上、
 もし天原君と接触でき、彼の異能を君に適用できたなら、
 女王ウイルスは動きを停止し、このVHはひとまず終息させられることになる」

スヴィアの言葉に、珠と春姫の2人はうなずく。

「だが、問題は特殊部隊の動きだ。
 以前も話したとおり、たとえVHが終息したとしても、
 特殊部隊は村人全員を殺害するまで作戦行動を止めない可能性が高い。
 つまり、これ以上は研究所や特殊部隊上層部、あるいは政府とどう話を付けるか、という問題になる。
 まずは、研究所の人間と話すと言っていた花子さんがどんな話をしてくれたか、だ」

「花子さん、大丈夫なのかな……」
「彼女が厳しい状況にあることは間違いない、と思う。
 だが、花子さんも、特殊部隊の指揮を執っている隊員も、実益を考えられる人間だ。
 自分達の足下に未知の脅威がいると知ったなら、
 共倒れになるのを防ぐために一時停戦することもあり得る」

スヴィアの話は続く。

「何にせよ、今は当初の作戦を継続するしかない。
 ボクは、まず花子さんと合流を目指すけど、それが出来なければ特殊部隊の動きを出来るだけ抑える。
 キミ達は天原君との合流を目指してくれ」
「あ、スヴィア先生。そこなんだけど……」
「ん?」

珠が、突然手を挙げた。


957 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:33:38 ???0
「天原君に会う前に、私と春ちゃんは戦わなきゃいけない相手がいるの」
「戦う相手、だって?」
「先の厄災、その親玉よ」

春姫が珠の言葉を引き継いで言う。

「下にいた厄災は、妾の中に封じた。
 厄災はもともと隠山祈なる一人の小娘であったが、
 その人間一人を厄災に変じせしめた親玉が、妾を狙って向かってきておる。
 奴はもうすぐそこまで来ている。最早戦いは避けられぬ。」

それを聞いて、スヴィアが眉をひそめる。

「それが本当だとして…… 勝てるのかい? キミたち二人で。」
「はい」

珠が、即答する。

「…………それは、『そう見えたから』、かい?」
「はい」

同じく、即答。

その珠の様子に、かえってスヴィアは不安を覚える。
珠の、運命を見通すという異能がその通りなら、それを信じるしかない。
彼女の言う通り、本当に勝てるのなら、それで全く構わないが。
なんだろう、この薄ら寒さは。

そんなスヴィアに、珠がすっと近づき、何かを耳打したる。
「それと先生。これは春ちゃんには内緒にしてほしいんだけど……」
「え……?」
珠がスヴィアに、何かを呟いていた。

最後に、珠がその異能で村全体をざっと眺め、残る光の数を確認した。
彼女が言うには、もう大きな光は3つほどしか残っていないという。

一つは研究所の中。恐らく特殊部隊。そして、生き延びていれば、花子さん。
もう一つは、商店街北側。車か何か利用しているのか、高速で北に移動している。
天原創が生存しているなら、ここにいる可能性が一番高い。
最後は、ここから東側にある光。
これは何よりも大きく、珠と春姫の言う厄災が待ち受けている。

珠と春姫はまず厄災を打倒し、その後、北に向かい天原との合流を目指すこととした。
2人はスヴィアと別れ、厄災との決戦の地に向かう。


958 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:34:42 ???0


西の空は紅く染まり、東から、宵闇が山折村を包む。
闇と共に迫りくるは、『隠山祈』にその魂を奪われし『王(ヴィレッジ・オブ・キング)』、山折圭介。
そして、その傍らに立つ『日野光』。

迎え撃つは2人の女王。神楽春姫と日野珠。
両者の決戦を遮るものは最早なく。山折の地に紡がれる因縁は渦を巻き、彼らを飲み込んでいく。、

神楽春姫の中で、隠山祈は迷っていた。
『あの子』の力が、私の中でますます強くなる。『あの子』は、自分のすぐ傍まで来ている。
再会の時は近い。そしてその時、私も選択しなければならない。
かつて憎悪に堕ちた私を救ってくれた『あの子』か。
裏切者に身を堕としてもなお、自分を想ういのりを届けてくれた、白兎か、
「春陽、様。私は……」
厄災・隠山祈―― いや、少女・隠山祈は、想い人に、何を祈る。




959 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:35:05 ???0
「あれは一体、どういう意味なんだ、日野君……」

スヴィア・リーデンベルグは、自分で傷の応急処置を続けながら、
日野珠が先ほど耳打ちで伝えた、彼女のある告白を反芻していた。
彼女は、こう言っていた。

「実は、ハッピーエンドを手に入れる方法があるんだ。
 今はまだ力が足りないけど、私がみんなを必ずハッピーエンドに導く。
 氷月さんも、与田さんも。それだけじゃない。『Z計画』まで含めて」

みんなをハッピーエンドに導く。それを目指したいというなら、分かる。
だが、死んだ海衣や与田、更には『Z計画』まで含めるとは、どんな意味なのか?

スヴィアは、今回のVHの始まりまで遡り、考えることとした。
今回の事件の代表的なキーワードを上げるとすれば、
『ウイルス』『女王』『ゾンビ』の3つであることは間違いない。
『ウイルス』は明確な今回の事件の原因であるし、
更に今回、『女王』が日野珠であることが判明した。

では、『ゾンビ』とは?
今回の事件で発生したゾンビは、ウイルスの影響によって、あくまで脳機能に障害が生じた人間に過ぎない。
本来は夢遊病者か発狂者とでもいうべきで、ゾンビという呼称は、便宜上のものとしても全く相応しくないものだ。

だが、もし。
その『ゾンビ』の本来の意味が。
かつて未来人類発展研究所で成功させた、
文字通りの『黄泉還り』人のことを指すなら。
そして、『ゾンビ』の『女王』にこそ、それを為す力があるとするなら。

そして『Z計画』だ。
スヴィアは珠から手当てを受けている間に、彼女から説明を受けていたが、
その中で、その計画には大きな穴があることに気付いた。


960 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:35:25 ???0

田中花子が言うには、まず、全人類をウイルスに感染させたうえで。
ガンマ線バーストで荒廃した地球の環境を、異能を使ってリ・テラ・フォーミングするのだという。

だが、そのリ・テラフォーミングは、当然、環境激変が起こった『後に』行わなければならない、
つまり……

この計画を実行するには、まず、ガンマ線バーストによって生じる環境激変から、
“全ての人類を生き延びらせねばならない”のだ。
先進国だけではない、途上国、無政府状態の国々、更には未開の地にすむ人々まで含めて

その準備を、たった8年で?
無理だ。

約80億の地球人類を、全員、シェルターにでも避難させるのか?
考えるまでも無い。そんなことは、不可能だ。
しかも、計画を主導すべき主要国ですら足の引っ張り合いをしているという。
お話にならない。

この前提をクリアしなければZ計画も全くの空論だ。


だが。
もし。
女王の異能による『黄泉還り』を、この計画に適用できたなら。


961 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:35:49 ???0

スヴィアの脳裏にある光景が浮かんだ。
これから8年後、超新星爆発によるガンマ線バーストが地球に降り注ぐ。
これにより発生したカタストロフは人類の想定を遥かに凌ぐ規模であり、
生命を繋ぐシェルターも次々に破壊され、人類の大半が死に絶える。

だが、女王は死なず。
死の星と化した大地に女王が立ち、ハッピーエンドの祈りを捧げる。
その祈りが世界を包み込み、『ゾンビ』達がこの世に蘇る。
そして、その『ゾンビ』達の祈りが、地球を再生させていく――


「馬鹿なっ! 考えすぎだっ!!」
スヴィアは、自分の考えを否定するかのように叫んだ。
彼女の心中には、『女王』日野珠に対する深い安堵感が刻まれている。
だが、スヴィア自身の理性は、言い知れぬ不安を覚えていた。

「日野君…… 君には、一体、何が見えているんだ……?」


女王の目覚めと共に、世界の歪みは修正させられた。
この物語の運命は定められたのだ。
あとは、女王の眼差すハッピーエンドへ向かうのみ。
だれもがわらってむかえる、しあわせなけつまつ。

さあ、いこう。

ハッピーエンドへ。


962 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:36:37 ???0


神楽春姫が持つ、人と世界の守り手たる聖剣が鳴動した。
春姫は黙殺したが、聖剣の言葉はその耳にはっきりと届いていた。
それは、彼女にこう告げていた。
『我が担い手よ。一刻も早く、女王を―― 日野珠を討て。
 さもなくば、この世界は――』


【E-1/草原・地下研究所緊急脱出口前/一日目・夕方】

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:重症(処置中)、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈、日野珠に対する安堵(大)及び違和感(中)
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート、長谷川真琴の論文×2
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.特殊部隊ないし研究所との交渉による事態収拾策を考える。
2.特殊部隊を欺き、犠牲者が出るのを遅らせる
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月や花子くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
5.……日野くん。君は……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません
※日野珠が女王であることを知りました。
※女王の異能が最終的に死者を蘇らせるものと推測しています。真実であるとは限りません。
※『Z計画』の内容を把握しました。死者蘇生の力を使わなければ計画は実行不能と考えています。

【E-2/草原・地下研究所緊急脱出口よりやや東/一日目・夕方】

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、女王感染者、異能「女王」発現(第一段階)、右目変化(黄金瞳)、???
[道具]:H&K MP5(30/30)、研究所IDパス(L3)、黒い粉末、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.ハッピーエンドへ。
1.この物語をハッピーエンドへ導く
2.―――――――――
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※黒い粉末をそのまま吸い込むと記憶を失い、再度ゾンビになる抽選がおこなわれます。女王感染者はゾンビになりません。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階では死者が生き返る異能を使えるようになると推測されますが、真実は不明です。

【神楽 春姫】
[状態]:疲労(中)、額に傷(止血済)、魂に隠山祈を封印
[道具]:血塗れの巫女服、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王
1.目の前の厄災を討つ
2.この事態を収束させる
3.襲ってくる者があらば返り討つ
4.―――――ー
[備考]
※自身が女王感染者ではないと知りましたが、本人はあまり気にしていません
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※隠山祈を自分の魂に封印しました。心中で会話が出来ます。
※■■■と女王(日野 珠)を討つべく宝聖剣ランファルトの力が解放されました。


963 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/24(土) 20:40:24 ???0
投下終了します。
タイトルは、
>>922-935:厄災・隠山祈
>>936-953:羆嵐
>>954-962:『Welcome to Happy End』
です


964 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/25(日) 10:03:54 ???0
すみません。読み直したところコピペミスで
>>958に抜けがありましたので、次のように訂正します。


965 : ◆qYC2c3Cg8o :2024/02/25(日) 10:05:40 ???0
「ところで、春ちゃん」
「なにか」
「あの、私が女王だって決まっちゃったみたいなんだけど、
 春ちゃん、それについて、何か思うことあるかな?」
「所詮は細菌。奴らに見る目が無かっただけのこと」
「そ、そう……」
「そもそも、何の道理があって細菌なぞに女王を決める資格があるのだ。
 誰が女王は妾が決める。妾こそが女王、神楽春姫である!」
「あ、はは、そう。そうだよ、ね」
 流石というか、笑うしかない。
 いつもと変わらぬ春姫に、珠は頼もしさを感じた。



西の空は紅く染まり、東から、宵闇が山折村を包む。
闇と共に迫りくるは、『隠山祈』にその魂を奪われし『王(ヴィレッジ・オブ・キング)』、山折圭介。
そして、その傍らに立つ『日野光』。

迎え撃つは2人の女王。神楽春姫と日野珠。
両者の決戦を遮るものは最早なく。山折の地に紡がれる因縁は渦を巻き、彼らを飲み込んでいく。、



神楽春姫の中で、隠山祈は迷っていた。
『あの子』の力が、私の中でますます強くなる。『あの子』は、自分のすぐ傍まで来ている。
再会の時は近い。そしてその時、私も選択しなければならない。
かつて憎悪に堕ちた私を救ってくれた『あの子』か。
裏切者に身を堕としてもなお、自分を想ういのりを届けてくれた、白兎か、
「春陽、様。私は……」
厄災・隠山祈―― いや、少女・隠山祈は、想い人に、何を祈る。




966 : ◆H3bky6/SCY :2024/02/25(日) 12:05:28 z6wtrK/A0
投下&訂正乙です

>厄災・隠山祈
>羆嵐
>『Welcome to Happy End』

いろいろ大きく話が動いて、女王も判明していよいよ終盤って感じですねぇ!

はっきりと表に出てきた村の呪い、隠山祈
流行病の被害者が感染拡大を引き起こすというのはいい発想、最高の復讐だぜ

そんな隠山祈を倒すのはいいように使われてきた肉体である独眼熊と言うのは熱い展開
クマカイとの一時の再会。山の王としての誇りと野生を取り戻して反逆する、ある意味での原点回帰
研究所地下で行われる熊とゴリラとヒルの動物バトル! これが野生か、いや野生か……?
呪いを恐怖で塗り替える、呪いだろうが熊に勝てねぇ、昔の田舎ならなおの事野生の獣はそりゃ怖い
格下に負けまくり、格上に大金星を連続する、ともかく盛り上げ上手な熊だったよ

最後にトドメを持っていく春姫、村の呪いに怯まず対等に言い合えるのは何なのコイツ……?
力を求めてとかじゃなく、いったん保護しとくかぁくらいのノリで呪いを喰うな
良く悪くもこいつは乗っ取られないという妙な信頼がある
しかしその意志が強すぎる故に聖剣さんに従わないのは吉と出るか凶と出るか

そして海衣ちゃん、花子に続き脱落したかぁ
けど、だいぶ初期からあったお土産フラグがついに回収されたのは嬉しい
妹を兄の想いを踏みにじられ怒りを燃やすが、決死は届かず
しかし奇しくも上階の花子と同じく珠たちが進むための命懸けの時間稼ぎはできたのか

与田センはパニックムービーの犠牲者の死に方
まぁセンセが死んでも異能は女王特定に役立ったから……

その異能でついに確定した女王。珠になるとは始まったころには思わなかったよ
女王になったからか、運命が見える影響か何か意識をやられてないかい?
ハッピーエンドを目指すと言いつつ、スヴィア先生が気付いた疑問と推測と合わせて珠の様子が不穏な感じだ


967 : ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:13:37 fTx9BqBM0
投下します


968 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:14:08 fTx9BqBM0
白き床。白き壁。白き天井。
見渡す限りを白で磨き抜かれた純白の空間。
仮に病檻村と呼ばれていた時代の村民がこの施設に送り込まれれば、その神聖さに圧倒され、涙を流して膝をつくだろう。
しかし神のおわすがごとき静謐な館もまた、今は紛うことなき地獄の一角である。

継ぎ目なく滑らかな床はいまや一定の間隔ごとに踏み砕かれ、荒々しい足跡が刻まれている。
白き回廊には人間だったものが散乱し、血と肉が回廊を赤く汚していた。
そして地獄の一角であることを証明するかのごとく、回廊を徘徊するのは天井にまで届くほどの巨躯を誇る戦鬼だ。
床も死体も等しく粉砕する戦鬼の重厚な足音は、生者をあまねく恐怖に震え上がらせるだろう。

そんな怪物を引き連れるのは、村人を死へと導く斑模様の死神だ。
騒がしい鬼とは対照的に足音一つ立てず、幽鬼のように無言で回廊を通り過ぎていく。
静と動、対極にある二名の災厄は、意志持つ人間の消え失せた第二階層を後にする。
施設の最奥、第三階層への扉に手をかけ、踏み入る。


「これは……」
天が、第三階層の惨状に思わず声を漏らす。
第二層を仲間同士の殺し合いを強いられる等活地獄に例えるならば、第三層は極寒によって皮膚が腫れ上がる頞浮陀地獄に例えられるだろうか。
天たちをまず迎え入れたのは、ぶわりと吹き抜ける不自然な強風だ。
それは気温差による急激な空気の流れの発現であった。
侵入と共に回廊のあちこちに横たわる警備員や研究者、そしてテロリストの死体。
その血はこのフロアを吹き抜ける冷気の余波によって凝結し、シャーベットのように固まっているようだ。
氷の嵐こそ吹き収まっているものの、生の鼓動など一切聞こえない、まさに死の静寂。
防護服に身を包まれた天にはその過酷さは感じられず、大田原も何の反応をも起こさない。
けれども、魂まで凍えさせるような寒波が未だ滞留しているのは疑いないだろう。


氷点下の世界をこの場に顕現できる存在、心当たりはたった一人だ。
氷使い、氷月海衣。
ハヤブサⅢに手ほどきを受け、天どころか三樹康や真珠すら退けた少女である。

彼女を素人とみなす者など、もはやSSOGにはいないだろう。
満場一致でハヤブサIIIへのそれと同等の覚悟を以て当たるべき要注意人物であった。
そして同時に、第一捜索対象でもあった。
すべては、彼女が生きていた場合に限られた話だが。

「…………。
 ターゲット。沈黙を確認」
回廊の中央にて、海衣もまた、その刻を止めていた。


969 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:14:48 fTx9BqBM0
ハヤブサⅢはSSOG全員を自身へと引きつけ、同行者たちを逃がそうとした。
逃げる素振りを一切を見せず、SSOG四人を前に大立ち回りを繰り広げた意図はそれ以外にあり得ない。

(ならば貴女もまた、その覚悟すら受け継いだというのですか?)
決意と覚悟を露わにした堂々たる生き様を、氷月海衣は世界に固定していた。
天が一度は叩き伏せられた野生児を道連れに、氷の柩で身を包み。
氷に閉じられたその死に顔は凛として美しく、後悔の色など微塵もない。
たとえ己の命が断ち切られようとも、その先に希望は必ずあるのだと信じているかのごとく。


その永遠の氷牢はいわば墓標であり、慰霊碑だ。
不躾な部外者によって侵されてよいものではない。天はそのように思う。
けれども、現実問題として、彼女の標は荒々しい純然たる暴力で無惨にも打ち砕かれている。
運命は彼女を選ばず、日の届かない地下の奥底でその命は零れ落ちた。

砕けた柩のそのすぐ傍。
一息に噛み砕かれたがごとく、頭部を半分失って倒れ伏しているのは、もう一人の捜索対象たる与田四郎だ。
彼は果たして最後に恐怖の色を浮かべていたのか、それとも何も分からないままに命を取り落としたのか。
その損壊した遺体からは、彼の一切の感情を読み取ることはできない。


「大田原さん、警戒を」
天の警告が聞こえているのかいないのか。
大田原は白く熱い蒸気を口元から垂れ漏らし、唸るように喉を鳴らす。

与田の頭部は鋭利な刃物ではなく、ギザギザの刃、まるで牙のようなもので切り取られている。
これが捕食の結果だというなら、人間の頭を一息で噛み砕く恐るべき咬合力。
人間の細腕では到底砕けない絶対零度の氷柩を一息に叩き割る圧倒的な暴。

今の大田原ならば同じことができるだろう。だが、彼じゃない。
彼に匹敵するほどの凶暴な何者かがもう一人、数刻前までここにいた。
海衣の覚悟も決意も一笑に付した、絶対的な蹂躙者がここにいたのだ。

「うう……があああっッ!!」
「大田原さん!?」
大田原が奇声を発し、駆け出す。
その向かう先は動物実験室。
「止まりなさい! 止まれッ!」

数秒遅れて天も後を追う。
さいわいなことに、見失うことはなかった。
実験室の入り口で、大田原は立ち尽くしていたから。


970 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:15:47 fTx9BqBM0
動物実験室は、やはり生ある者の気配が一切感じられない死の空間だった。
廊下とは違った様相で、こちらもまた惨憺たる有様だ。
動物管理室と動物実験室を隔てる壁には大穴が空き、天井は微生物学研究室をぶち抜く勢いで剥がれ落ちている。
瓦礫に押しつぶされた標本や小動物の死骸、何かの肉塊があたりに散乱。足の踏み場などどこにもない。
白かったはずの部屋は、ホースから血液をぶちまけたかのように、夥しい量の血液によってコーティングされ、赤い部屋と化している。
壁ごと取り外された動物管理室の扉は、部屋の中央でアルミホイルのようにくちゃくちゃにひしゃげた無惨な末路を晒していた。
部屋の隅では、3メートルを超える巨大なゴリラが心臓を穿たれて、壁に叩きつけられて項垂れている。
そして部屋の中央には王者と言わんばかりに熊と思わしき怪生物がその首を地面に取り落としていた。

彼らがどれほど凶暴だったのかは推測しかできないが……。
もし生きた彼らと一緒に閉鎖空間に放り込まれていたとしたら、天は十秒持たないだろう。
いや、真理や真珠、野生児やハヤブサⅢとて一分持つまい。
サイボーグの風雅か、大田原でようやくこの場に立つ資格を得られる、まさに血で血を洗う殺戮の舞台だったに違いない。


強大な二体の野獣、だがその顛末は対照的だ。
苦悶と恐怖の表情を張りつけたゴリラとは対照的に、どこか勝ち誇る様に凄みのある笑みを浮かべた大熊の首。
躍動感を存分に描き出した美術品に対して、今にも動き出しそうだと形容することがあるが、
この大熊は死体であるにも関わらず、目を離せば飛び掛かってきそうだ。
特殊部隊として、常人と比べれば数多くの死に触れた天からしても、これほどまでに圧倒されるような死に様を見たことがない。
帝王、武神。そのような単語が脳裏を過ぎっていく。


「ぐううっッッッ!!」
「大田原さん……」

大田原が奇声をあげ、独眼熊の頭を抱え上げ、脳にその牙を立てる。
傍目に見ればまた異能の副作用が再発したように見える。
だが、大熊の圧倒的な存在感に、天はそうなった理由を理解した。


かつて自らを戦闘狂と称していたように、そして吉田の後を追ってSSOGへと入隊したように、
大田原源一郎の遺伝子には闘争の本能もまた刻み込まれている。
だが、吉田のときと違い、彼は独眼熊を下すことはできなかった。弁明しようもない、純粋な負け越しだ。
三度目は訪れず、雪辱を晴らす機会は失われた。
その屈辱を理性が御せない。八つ当たりのように、その肉を食らう。
大熊の肉を食らう巨大な鬼が、いやだいやだと駄々をこねる子供のように小さく見えた。

肉を食われるにつれて、大熊の外形もまた崩れていく。
凄みのある勝者の笑みは、形崩れるにつれ、口元にシニカルなそれを湛えるようなものに変化していく。
ただ顔の表情筋を削り食われて、顔面が崩れているだけの事象だというのに。
はるか高みから、感情を燻らせている天に対して辛辣な言葉を投げかけているように思えた。
己の悔恨を見抜かれ、一蹴されたような錯覚を天は覚えた。


天井を見上げ、一呼吸。深呼吸の音が殊に鮮明に聞こえる。
ないまぜになった感情が心中渦巻くなか、大熊の肉を貪り続ける大田原をその場に残し、天は動物実験室を後にする。


971 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:16:27 fTx9BqBM0
名とは個と個を判別するために一人一人に与えられた呼称である。
個とはすなわち人間一人一人であり、その一生涯であり、生き様である。
人の名を忘れない。その本質は、ありとあらゆる人間の生き様を正面から受け止めるということだ。

堅気の世界ならば、人たらしとして、人と人の間を取り持ちながら安定して航行することができるだろう。
だが、天はSSOGだ。
堅気ではない。裏の世界の仕事人だ。

彼らが飛び込む世界は、極限状態に置かれた人々の、凝縮された情動や欲望が飛び交う、人生の坩堝である。
もちろん切り口次第でいかようにも言い表すことはできるが、そのような一面があることは誰も否定できないだろう。

そんな世界で遭う人、人、人。
善悪問わず、その人生の壮絶さたるや、表の世界の比ではない。


海衣も大熊も、私は、我は、己に恥じぬ生き様を最期まで貫いたぞ、と言葉なき訴えを体現する。
ターゲットだけではない。命こそ繋ぎ止められているが、真珠も大田原も同様だ。
彼らは理性の一かけらまで、正しくSSOGの精鋭であった。


翻って、お前はどうだ? 


たった一日の間に、天が垣間見、ぶつけられた壮絶な感情と覚悟の数々。
お前はこれらを乗り越えて、踏み越えて、ぶち抜いて先に進めるのかと常に問いかけられる。

訂正。問いかけているのは天自身だ。

死者たちの目を通して、天自身が己の生き様を自問自答しているのだ。
迷いを抱えたままに決断を下し、未だ内心では葛藤を抱える己に対して問いかけているのだ。

全てを投げ出して逃げ出してしまいたい。この感情は是だ。
だが同時に、命尽きる時まで我が身を公に尽くしたいと考えているのもまた是だ。
同僚の命と実利を天秤にかけたあの場面を反芻する。

もう一度、命の選択をしたあの場面が再現されたとしたら?
――天は同じ選択をおこなうだろう。
もう一度、SSOG就任の前日に戻れるとしたら?
――天は迷わずSSOGに就任するだろう。

たとえ記憶と経験を引き継いで、同じ場のあの瞬間に戻ってきたとしても。
天は実利を取り、同僚を一人切り捨てる。
天は己の安寧よりも、国家の安寧を選択する。

私情を任務に持ち込みはするが、それを最終判断には用いない。
このポリシーは、天が絶対に動かさないと決めた最終ラインだ。
奇しくも個人としては正反対の生き様である成田のポリシーと同じ。
その意味は、自身の正義よりも使命を選ぶという覚悟の表明でもある。
SSOGに入隊したその日に、決めたことだ。

大きく息を吐きだす。
揺れていた心が落ち着きを取り戻す。
天はこれからも迷うだろう。選択を突きつけられるたびにカッコ悪く迷い抜くだろう。
右か左か、進路をめぐって歩みが遅くなることもあるかもしれない。
けれども、止まりはしない。そして引き返すことは決してない。


972 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:17:34 fTx9BqBM0

「警戒解除」
海衣の氷像の前まで戻ってきた天は、誰にも聞きとれないほどの僅かな声量で呟く。
身体中の強張りを緩め、再び周囲を観察する。


九条和雄から一色洋子へのメッセージカードが、踏み砕かれた玩具の近くに落ちている。
それは、兄から妹へ送られたお土産だ。
自然豊かな森の中で、家族や友だちと愛に溢れた幸せな暮らしをする、そんな理念の元に長年愛されてきたシリーズだ。
愛妹の快復を願う家族愛に溢れた文章が綴られたそれと、健やかな未来を願うそれ。
無惨に踏み砕かれた動物の人形ごとおもちゃ袋に入れ直し、スクールバッグとまとめて海衣の墓標に立てかける。
そのスクールバッグから、スマートフォンの一つを徴収して。
林檎のロゴマークをつけたスマートフォンに偽装した、機関の通信機を徴収して。

「私はいつか、憎悪に焼かれるのだろう」
洋子と海衣の短い逃避行。
それを打ち切った天の行為は、海衣の人生を大きく狂わせた分水嶺だ。
海衣はハヤブサIIIにその素質と意志を認められた。
なれば、彼女がハヤブサIIIの後継となり、天の前に何度も立ち塞がる未来もきっとあったのだろう。
そんな未来の道筋は途絶えてしまったが。


「私の選んだ道の先に破滅が待ち構えていることなどとっくに見えています。
 それでも、私は立ち止まる気はありませんよ」
果たして、海衣に言ったのか、己へと戒めたのか。
それは天にしか分からない。

物言わぬ海衣の目に、もう光は灯らない。
彼女はもう立ち塞がることはできない。
元々ひび割れていた氷柩は、負荷に耐え切れなくなったのか、膝から崩れ落ちる様にごとりと音を立てて倒壊した。





973 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:18:13 fTx9BqBM0
泡沫の夢のように、大田原の理性がふと蘇った。
周りには獣肉が散乱し、己が食い散らかしたのだと理解する。
散乱している肉は、熊肉。己を二度も撃ち破った特定外来種以外にあり得ない。
だが、あの大熊は理性をなくしたまま勝てる相手ではない。

これはただの屍肉漁り。
目の前の出来事は秩序を守り抜いた結果ではないのだと理解させられる。

「大田原さん? 意識が戻ったのですか?」
「乃木、平……」

小さい。貧弱だ。簡単にひねりつぶせそうだ。
だが、おぼろげながら思い出せる。自らの命を、使命を、この男に委ねたことを。

「長く、は、持たん」
「そうですか……」
『餓鬼』の異能による食人衝動の原理は実に単純だ。
異能者のウイルスが他正常感染者のウイルスを摂り込もうと目論み、保有者の肉体と理性に干渉する。
故にウイルスが食事をしている間だけは、その干渉が収まる。理性への干渉も収まる。

強靭な生命力を持ち、多くの正常感染者を食らった独眼熊からは、いまだウイルスは完全には死滅していなかった。
碓氷誠吾、小田巻真理、そして独眼熊が内包していた多数のウイルス。
短時間で多量に摂り込んだからこそ、大田原の理性も一時的に復活した。
『HE-028-C』がその食事を終えたとき、大田原の理性は再び失われるだろう。


精神力で飢餓を抑え込み、代償を踏み倒すというやり方も、もう通用しない。
大田原は日ノ本最強、しかし世界はそれ以上に広かった。
日本人代表は、ヒグマ代表に敗れ去った。
一匹の畜生として、挑戦者として山の王者に果敢に挑み、二度も無様に敗れ去ったのだ。

大田原は自衛隊最強だ。日本人最強だ。
しかし日本最強の称号は戻らない。日ノ本の祝福は戻らない。
自ら捨て去り、そして奪い取られたのだから。
大田原の持つ『最強』に、もう言霊は宿らない。
大田原が仮に生きて帰れたとして、最強の称号は言霊と共に次代へと引き継ぐことになるだろう。


974 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:20:29 fTx9BqBM0
印象的な灰色の瞳を閉じながら、天が思考する。
その内心を見通すことは大田原にはできない。

「状況を共有します。
 黒木隊員の任務を引き継ぎ、達成。
 これより私は司令部に通信を繋ぎ、その旨を伝えます。
 研究所での死者たちを報告する必要もある」
「……」
「また、正常感染者が数人、脱出口より離脱したことを確認。
 今の大田原さんの身体では通れませんので、エレベーターを利用して上階に上がって待機を。
 私は一度、脱出口を経由し、感染者たちの動向を確認します」
「待機……」
「ええ。私が新たな指示を下すまで。あるいは19時12分……本日の日没まで」

方針に異議を唱える気はないが、次に合流するまでに、取り戻した理性は再び消えてしまうだろう。
そんなことをしているうちに、正常感染者を逃がしてしまうのではないか。
そんな釈然としない大田原の内心を読んだのか。
天が話を続ける。

「正常感染者である研究所員、スヴィア・リーデンベルグに、ウイルスの調査を依頼しました。
 彼女が周辺に留まっていた場合、その調査結果を回収します」

隠すつもりなどなく、初めから話すつもりだったのだろう。
天の言葉は実にすらすらと紡がれる。
だが紡ぎ終えた直後、大田原から圧倒的な重圧が放たれる。

「任務……! 女王、殲滅!!」
理性をわずかに取り戻しているとはいえ、今の大田原は怪物に等しい。
不興を買い、力を向けられれば命はない。

そして、大田原は拳を握りしめ、振り下ろす。
轟音と共にタイルを砕く圧倒的な暴力を見せつける。
砕いたのは足元だ。そこに天はいない。
抑えきれない激情の発散。

当てる意思を持たないまま放った一撃だが、凄まじい殺気と、暴力の発露であることに変わりはない。
常人が向けられれば泡を吹いて倒れるであろうそれらを、天は全身で受け止めきる。
天の本能は警笛を鳴らし、身の毛がよだつ。
防護服の下では皮膚が縮み上がり、心臓が鼓動を暴れるようにビートを打つ。


だが。
それらをすべて内に収め、天は平時の調子を一切崩さなかった。


975 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:22:37 fTx9BqBM0

「我々に与えられた最優先任務。
 それは女王感染者の対処であり、山折村を取り巻くパンデミックの解決です。
 ここは間違えない」
「だが! 小田巻、匿った」
おぼろげな記憶だが、大田原はあのときの状況を思い出せる。
言い分次第では、袂を正さねばならない。

「彼女が女王ではないことを期待したことは認めましょう。
 ただし、手を組むに至った決定的な動機は、目の前の課題解決のため。
 はっきりとした意志を以て彼女からの協力を受け入れ、そして私は彼女を切り捨てた」
天はそう宣言するが、大田原はやはり覚えている。
真理を切り捨てたとき、その目に悔恨の色を浮かべていたことを覚えている。

「兵士として、半端。戦場で、死ぬだけ」
「……そうですね、私は兵としては皆に劣る。
 貴方から見れば、欠点だらけの落第兵だ」
大田原からの、兵士としての評価を否定はしない。
この戦場を今まで生きのびてきたのはひとえに運がよかったから、というだけだ。
兵士として、天は真理にも劣る正真正銘の最弱である。

「ですが、私は兵であって、兵ではない。
 将として、隊長たちに次ぐ現場の責任者として、この作戦に送り込まれた。
 負うべき責務をすべて背負い、此度の危機の解決に尽力するのが役割だ」
「…………」

今、大田原が天に覚悟を問うている。天に本気で殺気をぶつけてきている。
天が内心、肝を縮み上がらせていることなど分かっている。
だが、それでも取り乱す様子はおくびにも見せず、大田原に真っ向から向かい合っている。

正常感染者と組むことは、大田原の考える秩序にもとる行為である。
だが、天には、自分の領分とは異なる結果を期待していたはずだ。

「貴方は私の知る限り、最強の兵士だ。
 兵士に求めるすべてを兼ね備えた鬼駒だ。
 ただし、私がこれからおこなう行為に、貴方は適さない」
大田原の理性が一時的にでも復活したことは僥倖だ。
その僥倖を以て、作戦を変更しないことを選択した。
駒に使われる段階は卒業したのだと言い切った。

「あなたの命の使い所は、私が決める。
 大田原一等陸曹。これはお願いではない。命令です」
兵士は役割を言われた通りに忠実に果たす駒。
だが、それは自身の役割ではないのだと。
それら駒の指し手こそが自分の役目だと。

「貴方は指示があるまで上で待機だ。
 その力は振るうべき時に振るっていただく」
キャリアも強さも大田原に圧倒的に劣る天が、生意気にも正面から啖呵を切った。

ひとたび大田原が腕を振るえば、天の肉体は弾け飛ぶ。
それくらい隔絶した差があり、ヒトとしての本能からは警告が鳴りっぱなしだ。
それを、天は理性で抑え、言葉を最後まで紡ぎ切った。


誰が言ったのだったか。司令部の解釈から外れようが、自分の信条を捻じ曲げようが、構わない。
最後に秩序が守られていればそれでいい、と。
大田原はそんな器用な携わり方はできなかった。故にひたすら実直に司令部に従った。
それはそれで一つの道を極めたということではあるのだが。

「……乃木平、曹長に、従う」
乃木平天は自分とはまったく別の道を進む。
大田原源一郎は、心の底から理解した。


976 : 白き墓標にて ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:24:53 fTx9BqBM0

診療所、北側の駐車場。
独眼熊のウイルスを摂り込みつくした大田原のウイルスが、再び理性が蝕んでいく。
混濁した意識が最期に見せた夢であったかのように、自我が再び消えいくのが分かる。
だが恐怖はない。自我が消えても、駒として忠実に役目を果たすだけだ。
大田原は瞑想に入り、思考を闇に委ねた。

【E-1/地下研究所緊急脱出口/一日目・夕方】
【乃木平 天】
[状態]:疲労(大)、ダメージ(大)、精神疲労(大)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、大田原の爆破スイッチ、ハヤブサⅢの通信機(不通)
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.通信機の奪取を司令部に連絡する
2.スヴィアを追い、研究の成果を確認する。
3.スヴィアに放送をおこなわせ、隠れている正常感染者をあぶり出す。
4.大田原を従えて任務を遂行する
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。

【E-1/診療所裏駐車場/一日目・夕方】
【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、意識混濁、脳にダメージ(特大)、食人衝動(中)、脊髄損傷(再生中)、理性回復→減退中
[道具]:防護服(内側から破損)、装着型C-4爆弾、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理…
1.理性がある限り、待機する
2.上官に従う


977 : ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:25:40 fTx9BqBM0
もう一作投下します


978 : 墓標を背に、今一度運命の決断を ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:26:59 fTx9BqBM0
緋の稜線が山々と空の境を彩り、茜色の夕空と藍色の夜空が黄金比率で混じり合う。
大自然の作り出す絶妙なコントラストは、この村が地獄の中心だという現実を忘れさせるほどの絶景だ。
この昼と夜の境目の時間帯の呼び名は、逢魔時。
大禍時という表記を源とするこの刻は、この世とあの世とが混じり合う時刻だと言われている。
ならば現世に地獄を顕現した山折村の夕暮れは、まさに逢魔時と呼ぶにふさわしいのだろう。

そんな魔の領域でスヴィアが待っているのは、しかし呪いでも魔物でもない。
村人たちを執拗に追跡し、殺戮する死神部隊、SSOGである。

珠たちの姿は迫り来る闇の奥へととうに消えた後。
長谷川真琴のレポートを再び一読し終えたころだろうか。
待ち人が姿を現した。
スヴィアの耳を以てしても聞き逃すほどのわずかな足音を伴い、確かな存在感を放ちながら現れた。


「ここにいましたか、スヴィア博士。あなたの身が無事で何よりだ」
天の言葉遣いは変わらず柔和で物腰柔らかい。
しかしスヴィアはその声色にどこか擦り切れた印象を感じ取った。
険しく思いつめたような雰囲気を纏わせ、マスクの奥から覗く瞳の光は乾ききり、その視線は猛禽類のように冷たく鋭い。
研究所に突入して僅か数時間。
スヴィアと別れてからの時間はさらに短い。
たったそれだけの間に、一体何が起こったというのか。

「こちらの都合で監督に回れなかったことは申し訳ないですが。
 研究所内の騒動はすべて解決しました」
「花子さんは、いないのかい?」
「それも含めて、すべて解決済みです。
 スヴィア博士。もし成果が出ているのであれば、お聞かせ願いたい」
もし欺くのであれば一切の容赦はしない。
言外に、そう言われている気がした。

天たちは運がいいのか悪いのか、村の呪いにかち合うことがなかったのだろうか。
花子と合流するという当初の目的はかなわないらしい。
彼女は研究所で彼らに敗れ、命を散らした。
必然的に、スヴィアが出すべき成果は特殊部隊への足止めということになる。


創や雪菜はいない。武力で切り抜けることはできない。
誠吾はいない。言葉とハッタリで切り抜けることはできない。
逃亡を目的とするならば絶望的な状況下、だがスヴィアの目的は会話による時間稼ぎである。
そして、ここまで欲を出すつもりはないが、勝利条件も実は明快だ。
特殊部隊に村人を殺すのではなく、生かすことを選択させられれば勝利である。
ゴールテープを切るのに必要な要素は武力でもハッタリでもない。情報の組み立て方と、相手に怯まない覚悟の持ち方だ。


それに、勝算というほど大それたものではないが、及第点は取れるはずだと信じている。
なにせ、珠は足止めに反対しなかった。
運命すら視通すように進化した異能の持ち主が、スヴィアをここに残したのだ。
なれば、珠はスヴィアの戦略的勝利を視たのだと信じよう。
ハッピーエンドに向かって奔走する珠を信じて、後方の憂を断ち、送り出すことに邁進しよう。

――命を落とした与田や海衣をも救うと豪語した珠の異質さが、すべてを視通す金色の光が、スヴィアの脳にフラッシュバックする。
果たして彼女が目指す「ハッピーエンド」が、彼女が語る「救い」が、スヴィア自身の価値観と合致したものであるのか。
そんな不安は拭いきれないが。
あの底知れない違和感を、スヴィアは理想と信条で塗りつぶし、天と対峙する。


979 : 墓標を背に、今一度運命の決断を ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:29:37 fTx9BqBM0
「伝えるべきことはいくつかあるが……」
珠や春姫から赦しを得たことで、心理的な重荷は解消した。
肉体的には変わっていないし錯覚なのだろうが、随分気が楽になったように感じる。
たどたどしくもはっきりと言葉を紡ぎ、気を張るように再度息を吸い直す。
ここからが正念場だ。

「……まずは、いいニュースだ。
 女王感染者を殺さず無菌者へと戻す方法が一つ、見つかった。
 天原創。彼の異能に依存した方法ではあるが……、理論上はゾンビ含めた全村人を治療できる」
「なるほど、さすがだ。
 この短期間で一定の成果に辿り着くとは。
 ……天原創とは、あの彼のことですね?
 彼の異能は他者を昏倒させる異能と理解していましたが」
「本質は別物だよ。昏倒は副次的要素に過ぎないが、キミたちにとって大した違いはないだろう?」
「ふむ、まあいいでしょう。
 しかし、彼が既に命を落としているのなら、その案は利用できない。
 そして我々がウイルスの調査を行っていた理由は、パンデミックの第二波を防止するため。
 そこの理解は相違ありませんか?」
「後者は一切問題ない。無菌者となった時点で抗体が出来上がり、二度と保菌者となることはない。
 長谷川部長の研究結果だ、論文にも書かれているから間違いないよ。
 女王感染者を治療した時点で、VHは収束するだろう」
「それは僥倖」
「…………随分と、素直に信じるんだね」
「研究者として、質問が多いほうがお好みで?
 ……貴女が自分の命惜しさに虚言を弄すのなら、そのような情報を私に提供しない。
 まだ調査途中だとうそぶき、期限ギリギリまで引き延ばしを謀るはずだ」

やはり乃木平天は人をよく見ている、とスヴィアは評する。
処理ターゲットにすぎない死にかけの小娘一人に対して、意志と個性のある一個体として接している。
それこそ、教師にでもなれば生徒一人一人に寄り添えるよい教師になれるだろうに、と残念に思う。

「それから、天原君の生死は、それこそキミたちのほうが詳しいだろう?
 空を飛び回るドローンがハッタリだとは言わせないよ」

創が死んでいれば彼女の案はすべておしゃかとなるのだが、そうはならないはずだと言い聞かせる。
ここでつまずくならば珠も足止めは任せないだろう。
他人の異能に10割依存した根拠のない断定は非常に気持ちが悪いものだが、ポーカーフェイスでしのぎ切った。


980 : 墓標を背に、今一度運命の決断を ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:31:07 fTx9BqBM0

天は印象的な灰色の片目をつぶり、スヴィアの回答を噛み砕いている。
緊急脱出口から外に出た直後、真っ先に通信機の件と研究所での死者については伝えた。
早ければ、まもなく軍用回線の遮断も解除されるだろう。
スヴィアの目の前で通信をおこなうかどうかという点を除けば、創の生死を確認することは難しいことではない。

「当初私が貴女に求めていた成果という意味では上々です。
 ただ……、無償で我々に情報を提供するところが引っかかる。
 それに、いいニュースがあるということは、悪いニュースもあるはずですね?」
「ああ。今、ゾンビ以外に、この村で生き残っている者はほとんどいない。
 特殊部隊も、無事なのはキミたちのところだけだ」
「…………」

表の部隊歴も長い天の脳裏に、全滅という二文字が浮かんだ。
もっとも一般的な軍と違って、SSOGは任務達成まで負傷者の収容に手を割かないため、全滅は10割死傷の時点ではあるのだが。

「……それは確かに我々にとってはバッドニュースだ。
 貴女方にとっては好都合なのでしょうがね」
衝撃的な情報のはずなのだが、今となっては衝撃よりも納得が先行する。
それほどまでに今回の任務が過酷であることは、僅か18時間で思い知った。


「これ以上続けるならば双方多大な犠牲が出るぞと脅し、次に落としどころを提示するというところですか。
 なるほど、手打ちへの道筋としては実にオーソドックスな手法ですね」

「ああ、先に言ってしまうのか……。
 キミたちがボクらを殺しに来ていることは知っているが、
 ボクらはキミたちと敵対したいわけじゃない。
 女王の治療法も分かった。一時休戦、というわけにはいかないかな?」
「スヴィア博士は私を騙すつもりはないのでしょう。
 ですが、素直に飲み込むわけにはいきませんね」

実際にその治療法を一度試すのにどれだけの時間がかかるのか。
果たして生き残った感染者たちはそれに応じてくれるのか。
そもそも創は生存しているのか。
治療を終えたとき、女王殺害の場合と同じ効果を得られるのか?

ここでスヴィアの案に飛びつくなら、そもそも女王の斬首作戦などはじめから取らない。
もし村に降り立った直後なら、天はうろたえてスヴィアにペースを握られていただろうが。
今、彼が動揺することはない。

「それに、双方の犠牲と言いますが、我々は結局のところ実行班の一つだ。
 仮に、私たちが全滅したとしてだ。
 残り30時間、我々の隊が手をこまねいていることはあり得ない。
 すぐに次なる部隊が送られてくる。そう考えたことは?」
「その通りだね。だが……。
 だからこそ、『花子さん』が研究所の上層部と交渉をしたのだろう?」
「…………」


981 : 墓標を背に、今一度運命の決断を ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:32:11 fTx9BqBM0
スヴィアたちはスヴィアたちで取り込んでいたため、研究所の二階の様子にまでは気を割けてはいない。
だが、スヴィアが花子と別れてから、真理がなりふり構わず大声をあげるまで、与田が地下三階に逃げてくるまで、かなりの時間的余裕があったと記憶している。
交渉が実ったのか決裂したのか、そこまで知る術はないが、何かしらの進展はあったと信じている。

「沈黙は肯定と受け取っていいのかな」
「抜かりない論理の組み立て方をするんだな、と感心していただけですよ。
 貴女が『花子さん』の意図を知る機会はごくわずかな期間だった。
 日野珠さんに聞いたのですね?
 それとも、彼女の異能でしょうか?」
「彼女に直接聞いた話さ」
「…………」


スヴィアとハヤブサⅢが接触したあのとき、その異能を用いて研究の助手をさせるという体で、珠を見逃すことを確約した。
だから、天は珠の異能を知っている。スヴィアから聞かされている。
イベントを可視化する異能だと知っている。

加えて、異能の進化。
ハヤブサⅢには異能の進化がおこったと考えている。
彼女は未来を視ていた。戦場全体を視ていた。その異能を以て、SSOG四人を手玉に取った。
直前の例に引っ張られたというのもあるが、イベントを可視化する異能から、未来の出来事を可視化する異能へと進化しても特別違和感はない。
ただ、一つだけ、喉につっかえた小骨のように引っかかることがある。

(聞いた通りの異能ならば、通信機を見逃すことはありえないはずだ)
ハヤブサⅢが持っていた通信機。
特殊部隊の動きを大きく制限する最重要アイテム。
仮に当時は逃げるだけで精いっぱいだったとしても、熊の首を刎ねた者に回収を頼むことはできる。
だが、通信機は海衣の遺品として放置されていた。
ハヤブサIIIから海衣が受け継ぎ、真珠が命をかけて奪回を試みた最重要機器は、この局面で路傍の石のように転がっていた。


(よもや、私が通信機を回収することも視通していた、ということですか?
 私が本部との通信を復活させることを前提に動いている?)
芽生えた異能を使うことを否定する気はないし、そもそも天は彼女たちを殺しにきている立場の人間だ。
糾弾する口など持ち合わせていない。そんな意志もない。
仮に天に珠の異能が芽生えれば、やはり存分に使い倒すだろう。
ただ、大田原に芽生えた異能と同等程度におぞましい異能にも思えてしまう。

(人間一人が悩み抜き、苦渋の末にくだした決断は、あらかじめ定められたものなのだとでも?)
最良の結果を生み出す選択をあらかじめ見いだせる異能。
確かにうまく使えば幸福を掴むことができるだろう。
しかし、異能に使われてしまうようならば、異能者の自由意志そのものが失われる。
ディストピアの住人のごとく、ハッピーエンドの奴隷として幸福を選ぶ義務を果たすだけのマシーンと化すだろう。

天が感じているおぞましさの根幹だ。
スヴィアはその考えには至らないのか、それとも目を背けているのか。
内心は分からない。


「邪推を失礼」
考えすぎた。これは可能性にすぎない。
おかしな情がうつらないように機械的に情報をシャットアウトする。


982 : 墓標を背に、今一度運命の決断を ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:37:09 fTx9BqBM0
「ですが、その交渉の結果を知ることはなかったはずだ。
 スヴィア博士、あなたは何を言おうとしているのです?」
「研究所の意向はキミたちとは別にあるはずだ。
 そしてキミたちも研究所を無下にはできまい。
 仮にキミたちが独自基準で秘密裏に動いていたとしたら、これは別の問題を引き起こす。
 ――『Z』。心当たりはあるかい?」
『Z』。ハヤブサⅢの遺言、そして真珠からの『伝言』だ。
重要度の高さ以外は何もかも不明な、何かを指し示す隠語。

「『Z』ですか。それはこちらから尋ねたかったことでもある」
「『Z計画』。私の口から言うには、あまりに壮大で……、あまりに荒唐無稽だ。
 自身の目で確かめてみたまえ」
スヴィアから手渡されたのは長谷川真琴の署名が為されたレポート。
いずれ来たるZデー、それに対する『Z計画』と研究所の理念について余すところなくまとめられた門外不出の機密事項だ。


「ボクも元研究員。48時間の猶予……その意図を理解した。
 そして、錬がなぜこのような凶行に及んだのかも理解はした。できてしまった」
パラパラと論文をめくっていく天。
そのマスク越しに覗く表情を注視しながら、スヴィアはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「研究所の側はできる限り引き延ばしをはかり、女王感染者含む感染者のデータを取りたかった。
 ボクらがキミたちによって殺されることは望んでいなかったはずだ。
 なぜなら、『Zデー』は8年後。
 進捗をみるに、研究自体は成果にたどり着くだろう。
 だが、そこから終末の日を迎えるまでの時間はあまりに短い。
 成果は早ければ早いほどいい」

さわりを読み、天は額に深い皺を寄せる。
謎に包まれた研究のベールが少しずつ剥がれていく。
『Z』に触れて動揺しない人間など数えるほどしかいないだろう。
そんな『Z』初心者に対して、スヴィアはやさしく撫ぜるように言葉を刷り込んでくる。

「花子さんの活動によってキミたちの暗躍は明るみに出た。
 研究所はキミたちの独断専行に不信を抱いているかもしれない。
 どちらの組織も政府の懐刀。
 キミたちと研究所の仲違いは望まないはずだ。
 そしてボクらも無駄な犠牲を望まない」
双方の犠牲を減らす。これだけで説得できないのなら、より高次のレベルからはたらきかける。
交渉人が碓氷なら、彼は素面でこれくらい言うだろうが、残念ながらスヴィアにそんな才能はない。
珠と別れてから今まで、考えに考えた時間稼ぎだ。
自分たちを殺しに来ているSSOGと研究所には共感など一かけらもないが、内心の気持ち悪さをすべて呑み込み言葉を紡ぐ。


「ボクも自分のカードキーを持っている。
 花子さんが研究所の上層と接触できたのなら、ボクも接触は可能なはずだ。
 ほんの一時間でいい。研究所に特殊部隊、そして村人。
 全員まじえて、話をするのも悪くないんじゃないかな?」


983 : 墓標を背に、今一度運命の決断を ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:39:53 fTx9BqBM0
スヴィアの考えた、できる限りの足止めだ。
これで会議に持ち込めれば御の字。時間稼ぎとしては最大級の成果。
隊員の壊滅を上回る、世界滅亡という衝撃的な事実で疲弊させた心につけこむ悪辣なやり方だ。
研究所の上層と接触し、女王の仮説について尋ねてみたいという私欲があることも否定はしないが。


実際のところ、このVHと『Z』は、関連性こそあるものの、本来まったくの別物だ。
『Z』のために作戦を変更する必要はない。
故に任務に忠実な兵士には効かない。

だが、将には効く。
天や真珠のような柔軟性を併せ持った隊員。
そして真理のような現金な隊員には絶対に通用すると踏んだ。


そして、天にとって、スヴィアの考えている段階よりもさらにもう一段階、選択肢が降りかかっていた。
それは、時刻。

時間はもうじき18時にさしかかる。
それは、司令部と研究所副所長の間でおこなわれる定例会議の開催時刻。


ここに至って、軍用回線がついに回復した。
今や村内に展開した特殊部隊は天だけだが、これで司令部とリアルタイムで通信をおこなうことができるのだ。

これまでに得た情報。
レポートで概要を把握した『Z計画』。
ハヤブサⅢと研究所との密談。
そして解決策が見つかったというVH。
矢継ぎ早に進化していく異能。
そして、天の推測ではあるが……スヴィアは女王感染者についても何か情報を握っているのではないか。
彼女と研究所を接触させることで、さらなる有用な情報を引き出せる可能性すらある。

スヴィアを他勢力と接触させるか否か。
それは定例会議の前か後か、それとも『最中』か。
研究所はどこまで把握している? 司令部の方針は? 


情報の津波が天に降りかかる。
何もかもが初見、何もかもが専門外。
それでいて、祖国の未来を決定づけるかもしれない重大な情報がいくつも混ざる。
刻一刻と時間が迫ってくる中、天に再び決断が委ねられる。


さあ、選択の時間だ。


984 : 墓標を背に、今一度運命の決断を ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:40:57 fTx9BqBM0
【E-1/草原・地下研究所緊急脱出口前/一日目・夕方】

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:重症(処置中)、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈、日野珠に対する安堵(大)及び違和感(中)
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート
[方針]
基本.VHを何としても止めたい。
1.特殊部隊ないし研究所との交渉による事態収拾策を考える。
2.特殊部隊相手に時間を稼ぎ、犠牲者を減らす
3.『Z計画』や女王について知る
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
5.……日野くん。君は……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません
※日野珠が女王であることを知りました。
※女王の異能が最終的に死者を蘇らせるものと推測しています。真実であるとは限りません。
※『Z計画』の内容を把握しました。死者蘇生の力を使わなければ計画は実行不能と考えています。


【乃木平 天】
[状態]:疲労(大)、ダメージ(大)、精神疲労(大)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、大田原の爆破スイッチ、長谷川真琴の論文×2、ハヤブサⅢの通信機(不通)
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.VHを最適解で終わらせる道筋を考える
2.大田原を従えて任務を遂行する
3.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。


985 : ◆m6cv8cymIY :2024/03/12(火) 22:44:21 fTx9BqBM0
投下終了です。

通信機解除関係や次回放送に食い込みそうな展開が不味かった場合、ご指摘ください。
取り下げか修正をおこないます。


986 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/13(水) 00:15:12 s/0KpH4M0
投下乙です

まさかの2作投稿
通信の解禁については、もう最終局面だろうしありだと思います

>白き墓標にて

天が振り返る研究所での激戦
海衣とは地下研究所の真上にある病院から始まった因縁があるよね
彼女の決意がある意味SSOGとしての天の背を押すことになるのか

天は確かに常に自問自答している印象がある
けど、私情を挟まず決断は割とシビアにやっているのもそう
大田原の圧に負けず弁舌で説き伏せた天の将としては確実に成長している、成長型主人公系ジョーカー

一時的に理性を取り戻した大田原さん、しゃべり方がパワー系のカタコト感がある
頭の固さは相変わらず、この頑固さも美点だったんだろうけど今となってはなまじ暴走しているだけに怖い
熊にリベンジする機会すらなくなり最強の称号はなくなったけど、戦力的な脅威は変わらず
終局にむかう盤面で、この鬼駒はどういう使われ方をするのか

>墓標を背に、今一度運命の決断を

特殊部隊と村人の中でも理性的な2人の話なので落ち着いた駆け引きが展開されている
スヴィアの無事は珠の異能の御墨付だけど様子のおかしい今の珠をどこまで信用していいのか
通信についても見逃すはずがないというのはそう、何を見ているのか怖いところがある

スヴィア先生の見つけた解決策
創くん頼みの方法だけど、通信が回復すれば創くんとの合流も簡単になるだろうけど、村の呪いに挑もうという創くんが生き延びられるのか

『Z計画』をダシに交渉に持ち込む不器用なスヴィア先生なりの交渉
花子が交渉した結果を知る者がいないのが結構痛いところ
直接スヴィア先生が研究所と話しをしようとしているけど通信室無事かなぁ?

そして天くんがまた決断を迫られておる
SSOGは迷いなき兵が多かったから将は気苦労が多い
情報もやることも多くて本当に大変ですねぇ


987 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/13(水) 00:18:33 s/0KpH4M0
そろそろ埋まりそうなので次スレです
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1710256609/l50


988 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/21(木) 23:31:46 /fb7PXBM0
埋め立てついでに今更ですが定例会議面子のキャラシを投下します


989 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/21(木) 23:32:43 /fb7PXBM0
【名前】奥津 一真(おきつ かずま)
【性別】男
【年齢】42
【外見】深い皺の刻まれた眉間と刃の様な鋭い眼光を持つ軍人然とした屈強な男
【性格】質実剛健。乱暴と言う訳ではないが手段としての暴力を厭わない
【詳細】
秘密特殊部隊(SSOG)の隊長。3等陸尉
現役時代は実力もあり頭も切れる元空挺部隊所属のエリート隊員だったが、数々の功績を挙げると共に独断専行の命令違反を繰り返し成果と懲罰を打ち消しあうような問題児だった。
ほどなくしてSSOGに送られる。そこでも順調に功績を上げ続け隊長に昇進。隊長となってからは立場相応の落ち着きを得たがSSOGに送り込まれてくる問題児たちに頭を抱えている。


990 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/21(木) 23:33:26 /fb7PXBM0
【名前】真田・H・宗太郎(さなだ・はいりんっひ・そうたろう)
【性別】男
【年齢】31
【外見】知的な風像をした長身の優男
【性格】冷静沈着。人前で感情をあまりに露わにしない
【詳細】
秘密特殊部隊(SSOG)の副長。准陸尉
ドイツ人を祖父に持つクォーター。
争いごとを好まぬ優男に見えて、見た目にそぐわぬ力自慢である。
見た目通り戦術・戦略面にも優れており副官として奥津に頼りにされている。
実は成田と同期であるが、性格的な問題か特に私的な交流はない。


991 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/21(木) 23:35:17 /fb7PXBM0
【名前】長谷川 真琴(はせがわ まこと)
【性別】女
【年齢】28
【職業】未来人類発展研究所・脳科学部部長
【外見】小さめのスーツに身を包んだ眼鏡美女
【性格】必要最低限の事しか喋らないクール系。研究の事になるとよく喋る
【異能】
『手術室の診断者(フリーズ・ルーム)』
指定したXYZ軸の空間内の物質を固定する。
座標を指定は視界で行われ任意に発動及び解除が可能。
固定された物質は一定以上の外的な刺激を受けると固定化が解除される。
空間内にある物質という判定は本人の認識によるため空気などは固定されない。
逆に本人が在ると認識していれば細菌など微生物も固定可能である。

【詳細】
未来人類発展研究所の脳科学部部長。
研究者を両親に持ち、若くして脳科学部を統括する才女。
また研究所お抱えの戦闘部隊の管理者も兼任している多忙な女である。

所長である終里の40人目の子であり、『Z計画』初期段階に数名の終里の子らと共に[HEウイルス]に感染した異能者。
現在は感染力のないB感染者として成立している。
染木の事は研究者として尊敬しているが、終里に関してはその出自からか嫌悪している。


992 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/21(木) 23:35:44 /fb7PXBM0
【名前】梁木 百乃介(そめき ひゃくのすけ)
【性別】男
【年齢】124
【職業】未来人類発展研究所・副所長
【外見】枯れた枝木のように細い研究者然とした老人。額に大きな染みがあり、斜視。
【性格】飄々として掴みどころがない好々爺。研究に関する事以外に興味が薄い
【詳細】
未来人類発展研究所の副所長。
所長が研究に関わらないため研究所の開発研究における実質的なトップ。
国内外の大手製薬会社や研究所を渡り歩いた細菌学における世界的な権威。
基本的に人間に興味がなく、その興味は全て細菌の研究に捧げられている。

山折村で行われていた『マルタ実験』における『不老不死』実験の責任者。
『細菌による老化の抑制』をテーマにした研究を行った際、自身も二次感染しており常人よりも老化速度が遅い(2〜3分の1程度)。
人間に興味はないが、3分の1が細菌である終里とは80年来の友人である。


993 : ◆H3bky6/SCY :2024/03/21(木) 23:36:22 /fb7PXBM0
【名前】終里 元(おわり はじめ)
【性別】男
【年齢】111
【職業】未来人類発展研究所・所長
【外見】ラガーマンのような体格をした若く健康的な青年。黄金の瞳を持つ。
【性格】豪放磊落でありながら掴みどころのない食わせ物
【詳細】
未来人類発展研究所の所長。
所長と言う立場だが研究者ではない。
主に組織の運営や自分と言う『顔』を使った資金繰りなど外部との交渉を担当している。

その正体は細菌と魔法によって生まれた『不老不死』実験の成功例。
元日本軍の兵士であり不死の兵を作り上げるための研究『マルタ実験』の被験者である。
魔法解析の名目で子を増やし、現時点で77人の子が生まれているが何らかの理由ですでに18名が死亡している。
子に対する愛情はあるが、それはそれとして彼らを実験材料とすることに躊躇いを持たない。
その体は3分の1ずつの人間、細菌、魔法で出来ており、その特殊な体細胞を使って[HEウイルス]は作成された。


"
"

■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■