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雑談スレ15

338名無しさん:2017/01/08(日) 22:41:08 ID:mS2FOB4w0
>>287の方が、日本人がなぜモンスターをかわいくしてしまったのかという話が出てるが…

↓はピクシブ百科事典の『日本人に見つかった結果』の記事だが、この記事がおもしろかったので、仮説が浮かんでしまった。
ttp://dic.pixiv.net/a/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B5%90%E6%9E%9C

いわく、どうも日本人という人たちは、海外の悪魔とか魔物とかに対して、「なんで悪と決め付けて迫害するのか?」「世界を構成する一要素が失われては世界が滅ぶのでは?」とか思ってしまうようだ。
そこから深読みして「そもそも正義とは?」「悪には悪の正義がある」って考えてしまう。つまり敵キャラに対して『人格』を認めたうえで、敵対する理由を考えてしまってるが、この思考はこの記事内の「ご近所さん感覚」、つまり超常的な存在であるなら神格だろうが仏だろうが人だろうが一括りにして「神」扱いにしてきた、地続き的な感覚から来るのではないだろうか、ということである。。

ここでもう一つカギになるのが>>289氏がチラリと言った『愛嬌』という言葉。「へうげもの」という漫画がご存知だろうか。主人公は焼き物に対し「乙」の美、極まった「甲」のものから相好を崩すことで生まれる「乙」の美を追求していくわけだが、なにかこう、真面目くさった部分から一段下ったところにある『愛嬌』を私たちは無意識に追求しているのではないだろうか。
愛嬌とは、かわいさであり、愛くるしさであり、憎めなさであり…、萌えという言葉に言い換えてもいいかもしれない。そしてその一つの答えがモンスターに人格と愛嬌を与えて、愛するということなのではないだろうか。
さらに言えば、この愛する対象はモンスターに留まっていない。昨今の擬人化モノなどを見ると、あらゆるモノが人格と愛嬌を与えられ、そして愛されている…、これはつまり、万物に対しまず愛そうというアクションの現れなのかもしれない。

長くなったけど、私たちがモンスターをかわいくしてしまったのは、つまり『人格と愛嬌』を与えることで、作ったものそのものに愛し愛されようとした結果であり、なぜならば我々は、あらゆるものに対し当初、愛でることを実践しようという『愛のサムライ』だからなのではないだろうか、と思うわけです。




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