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【沢戸スレ】オフィス・マリに明日はあるか?Part3

662名無しさん:2004/03/13(土) 23:38 ID:bNseOxEk
2004/03/11 (木) 「教育」とは何か

文部科学省の「ゆとり教育」が学力低下を招き、今度はその逆の基礎学力をつけさせる方向転換をしている。何か制度を変えれば世間から支持されるような点数稼ぎの制度いじりはもうこりごりだ。振り回させる子供たちがかわいそうに思える。
教育は国家形成の根幹を成すものであり、拡大経済成長には高度な技術力と経営のテクニックを習得する上で重要な役割を果たした。しかし今の日本は0成長時代に突入し、教育の意義も変わっていくのが当然のごとく思われた。だが、文部科学省は教育の抜本的改革を怠り、小手先の制度改悪しかしかなったのだ。
どうも国家として教育を馬の調教のように押し付けたがる傾向がある。制度を変えてこれは自分がした実績だと、他の官僚や政治家にアピールしているだけだ。あくまでも教育の主役は子供たちであり、子供たちが自分の能力を発揮できるように導いてあげるのが教育の本質ではなかろうか。
しかし、こういうことを言い出すと、個性を尊重する教育がいい、と現場の教師が突っ走る場合が多々ある。個性を尊重するとか伸ばすというスローガンは一見素晴らしいが、それを自由奔放の野放し状態と勘違いする現場の教育者もかなりいる。逆にいえばそれも押し付けであり、大人の先入観で子供たちを動かそうとしている。
そもそも教育は調教や理想論の押し付けではなく、子供たちがあらゆる勉学・学問や社会に対して興味を持たせ、生きる原動力を生み出させるための、一つのヒントを与えてあげることなのだ。つまり、大人の価値観を刷り込むのでもなく、子供たちに自由に考えさせるのではない。言ってみれば生きる術を教授する「お手伝いさん」が教育というものだろう。ここのところを勘違いしている学校教諭が多いのは残念である。


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