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gid.jpに未来はあるのか?

744名無しさん:2004/02/11(水) 19:49 ID:FxfUbVek
規制緩和がすすんで、逆に機会の平等が損なわれてきていることがあるから問題なのです。
規制緩和が機会の平等を増進するということをまことしやかに言う。ここに、新自由主義者
の嘘があると、私は言っているのです。
ぜひ証明してほしい。納得いく説明があれば、自由こそが〜という議論を受け入れることも
できるけれど、それがなくて、ただ「競争原理なくして、人の生活はありえないのです」
というのは、人をそう思いこませようとするカルトと同じではないのか。
つぎのことをぜひ説明してほしい。
用務員やバス運転手は努力しなかったのか? 人より遊んでいたのか? タクシーの運
転手はビルゲーツより遊んでいたのか? 用務員やバス運転手やタクシーの運転手は努力
せず怠けていた、だから収入が少なくても当然ということを、納得のいく証明とともに
説明してほしい。
ビルゲーツは、タクシーの運転手より、その収入の倍数だけ働いたといえるのか?
そうではないでしょう。
たまたまの運、その人が生まれたときに備わった能力が、時代にたまたま幸運に働いた
ということがかなりあるのではないでしょうか。なのに、それほど極端な開きがあって
いいのでしょうか。これを「いい」というところに、想像力の貧困さがあるというのです。
生身の人間の苦しみや生き様に想像力を働かせることなく、ただ
>競争がなければ物事の改善は行われない、物事の改善がなければ
>人間の生活は良くならない
というふうに、何の証明もなされていない競争原理亡者が言っていることを口写しに言う
ところに、想像力が欠如しているといわざるをえないのです。
「物事の改善」されるゆえに人間の生活がよくなったといえるのでしょうか? ゆとり
やらスローライフで人生を楽しむという社会全体のシステムは減じてきているではないですか。
改善は、企業の利益増大になっても、それが社員にはね返るとはかぎりません。改善し企業利益
を増やして、そのあげくリストラ。こういった人たちがどれだけたくさんいたかということに、
少しでも思いをいたすことはあるのでしょうか。
結局、よよの言う経済学は、血の通わない紙の上の数式の経済学ではないのかと思ってしまいま
す。そんな経済学は捨ててしまった方がよほどよいです。
>社会福祉政策を通して、貧富の差は
>明確に少なくなってきている。貧富の差よりも機会の均等こそが資本主義の
>最も目指すところであるし、
ここに、また嘘がある。最近の10年間では、貧富の差は開いているというデータは
それこさたくさん経済学者から出されているのではないでしょうか。
それにバカなことを言っている。
「奴隷制度も封建制も共産主義も実質破綻」奴隷制度、封建制、その時代には別に破綻
してはいなかったはず。時代が変わっていったから、時代に合わなくなって資本主義が
生まれてきたわけで、資本主義が唯一の制度というのは、歴史的にもまちがい。
共産主義については実現したことも実験されたこともないのに、破綻もへったくれもな
いでしょう。旧ソ連が共産主義だったというのは経済学的にもまちがいではないのですか。
むしろ「開発独裁」的な要素が強かったのではないでしょうか。自分達が共産主義だから
といったからといって、それを共産主義だというのであれば、自分で美人といえば美人に
なってしまい、自分は神だといえば神になってしまいます。

機会の平等をめざすのはいいのだけども、本当に機会の平等が成立するようにするべきです。
300万円のタクシーの運転手の子どもと、5000万の年収の子どもとのあいだに、本当に
機会の平等ってあるのでしょうか。
機会の平等ということが実現されるどころか、規制緩和と競争原理優先の前に、ますます、
機会の平等が損なわれてきているのが問題だと言いたいのです。機会の平等はOKです。じゃあ
本当に機会の平等が成り立つような社会にしましょうよ。
それには、競争原理にかわって、地方自治体などのなるべく小さな単位で、ひとりひとりの住民
が、経済や政治に直接に関わっていけるような態勢をつくること(市民意識の高揚がかかせません)
規制はちゃんとあっていいのだけど、創意工夫を抑圧するような規制ではなく、しかし、人を安く
こきつかうような勝手な経営形態は認めないといった、規制のあり方から検討できる民主性を高める
ことだと思います。




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